脱税容疑に関連した声明書の発表
真の父母様がワシントン大会をはじめ、アメリカで活発な活動を展開するや、これに反発する動きが組織的に起きた。その代表的な事件が、アメリカ下院の国際関係小委員会(委員長:ロナルド・フレーザー議員)聴聞会である。一九七八年三月二十二日から、四回にわたって朴普煕宣教師を証言台に立たせたこの聴聞会は、韓国政府がアメリカの議員たちに巨額のロビー資金を提供したという疑惑、いわゆるコリアゲートと結びつけ、統一教会の活動を阻止しようという政治的野心から起きたものである。
また、真のお父様は一九八一年十月十五日、脱税容疑でニューヨークの連邦地方裁判所に起訴され、数回にわたって法廷に出頭された。真のお父様は、そのたびに声明書を通して、アメリカを誰よりも愛しているが、いまだに人種差別と宗教的偏見が残っていると反論された。そして、アメリカと世界人類のために犠牲と奉仕の人生を生きてきたため、少しも恥じることはなく、潔白であることを言明されたのである。
1 統一教会は、日本で共産党を屈服させることにおいて、勝利の主軸になっています。これが国家的基準を越え、アジア基準を越えて、世界基準であるアメリカでも接戦になっていくので、全世界の共産勢力がお父様を攻撃するのです。ですから、あらゆる反対の嵐が全世界に吹いていきます。この嵐の影響を誰が受けたのでしょうか。今日の自由世界はもちろん、アメリカ自体も、キリスト教全体も、すべてがこの嵐を受けてお父様を総攻撃しています。お父様を擁護してサタン側に反対し、防御しなければならないにもかかわらず、反対の立場に立ってお父様と天の側に反対するというのです。
お父様は一人ですが、韓国までアメリカの影響を受けて、内的には支持するものの、外的には支持できない立場にあります。さらには、アメリカのカーター政府がコリアゲートと関連させ、フレーザー議員を立てて統一教会をたたき潰そうとしたのです。
2 ワシントン大会の会場に向かう時には、死刑囚が刑場に出ていくほうが易しいというくらい、本当に悲惨でした。しかし、神様の加護により、夢のようなことが起きました。地獄から復活したのです。ですから、このワシントン当局も突然、手を付けられなくなったのです。いつ市民と少数民族を通して、このような基盤をお父様が築いたのかというのです。
それで、彼らは延長作戦を取りました。徹底して世界的に締めつけていって、首を取らなければならないと考えたのです。フレーザー議員が代表してその仕事をしました。共産勢力とユダヤ人、キリスト教、アメリカ政府が一つになって攻撃を加えたのです。
アベルはいつも守勢に回り、カインはいつも攻勢をかけていたのですが、(それが)逆になりました。その時から、「フレーザー議員を攻めなさい!」と言ったのです。私が攻めていくことができるというのです。彼らが私たちを打つことによって、私たちが守勢から攻勢に転換しました。
3 アメリカでフレーザー議員と闘うときに、お父様が躊躇して「後退だ。世界を支配するその国と、どのようにしてぷつかれというのか」と、臆病者のように行動していれば、神様のみ旨を成就できず、完全に掃き捨てられてしまいます。
ゴリアテと戦ったダビデのように、何も恐れずに正面から攻めたのです。飛んでいく砲弾、飛んでいく矢のように、心臓部を突破していくという決意をもって、「お前が突破されるのであって、私が突破されるのではない」と言いながら進みました。このような闘いをしたので、アメリカが突破されたのです。今やどの角度から見ても、私たちが勝利しました。
4 お父様がアメリカで活動するのを見て、国会や国務省では大騒ぎです。そして、フレーザー議員が国務省と国会、共産勢力、ユダヤ教、キリスト教に代わって、統一教会に反対する旗手となって闘い、自分の力を過信して倒れたのです。全世界に知れ渡るほど大騒ぎをしました。ですから、国会議員たちがすべて私たちのPRチームになり、「ああ、おめでとうございます!」と言いながら、電話をかけて訪ねてくるようになりました。
それで、「勝った」と言って万歳を叫び、興奮している時、私は「あまり興奮せず、静かにしなさい」と言いました。負けた人は弱者ですが、天は弱者を打つようになっていないという話です。弱者を保護してあげるのが天の行く道ですから、「統一教会は、フレーザーに勝つたといってあまり喜ばないようにし、通りに出て踊ったり、自慢したりしないようにしなさい」と言いました。それはフレーザーに勝つと同時に、フレーザーの子孫にも勝つことなのです。その子孫たちが、お父様は素晴らしいと称賛するでしょう。
5 今回、フレーザー議員が選挙で負けたのは、お父様と闘って負けたからだということを、世の中はすべて知っています。一日に新聞の四面にわたって記事が出たのは、世界の歴史上、記録的なことでしょう。それが言論界の最後の攻勢だというのです。「フレーザーが勝つ」と言って喜んでいた共産勢力を、すべて一掃してしまいました。最後の闘いで、彼らが負けたのです。
ヤコブは天使と闘うとき、互いに組み合っていましたが、天使は、勝てそうにないので、ヤコブのもものつがいを外したのです。それでも、ヤコブは手を放しませんでした。そのようにして祝福してもらったのです。そのような闘いをしました。お父様は、その人々がいくら反対しても負けないというのです。神様が助けてくれるのかもしれませんが、お父様は頭が良いというのです。「文先生と闘っては利益にならない」として、「最も恐ろしい人」という名札を付けられました。
6 古今東西を問わず、義のために生き、神様のために献身してきた人々は、必ず険しい茨の道を行かなければならず、当代に大きな苦難を味わわなければなりませんでした。その代表的な方が、イエス・キリストであり、そのほかにも、世界の歴史時代に、その実例を数多く見いだすことができます。私は一生を捧げて、神様と世界の前に献身することを決心して以来、六十年の生涯を生きながら、多くの苦難を経てきました。このような歴史的教訓を知っている私が、どうしてこの時点まで来て、茨の道、苦難の道を嫌だと思うでしょうか。私はこのたび、アメリカ政府が私を告訴したことについて、無念であるとか、腹立たしいとか、恨めしいとは思いません。この機会が、誰よりも無念さを味わわされ、誰よりも恨めしさを味わわされ、誰よりも寂しさを味わわされた神様の苦痛に同参(一緒に参加すること)する機会だと考えれば、かえってこれが栄光の試練になることを主張したいと思います。私は、良心の呵責を感じません。私が歩んできた一生を振り返ってみるとき、真実に、神様のために生きてきた生涯であり、人類と世界の前に犠牲となり、奉仕する生活を送ったという確信があるため、私は世界のどのような法廷も、それ以上のものも恐ろしいとは思いません。私は今まで十年間、アメリカで、すべての心血を注いでアメリカを愛し、アメリカの精神と道徳の復興のために、血と汗を注いできました。歴史は、この事実を否定できないでしょう。
7 今日、神様の摂理から見るとき、アメリカが心を入れ替え、真実に神の国にならなければ、世界を共産主義の魔の手から救う道はありません。私がアメリカで手にしたものは何もありません。私は、世界の統一教会運動の総力をアメリカに傾注してきました。アメリカは、お金持ちの国、援助をする国として知られています。しかし、統一教会の場合だけは、それと正反対に、アメリカは統一教会から精神的、物質的に援助を受けてきた国なのです。もし私が、アメリカを愛し、このようにしてきたことが罪ならば、私はためらうことなく、断罪を受け、十字架の苦難を拒否することもありません。
8 今日、美しいアメリカ、偉大なアメリカに二つの弱みがあるとすれば、それは宗教的偏見であり、人種差別です。特に、人種差別の問題は、リンカーン大統領が血の代価を払ったにもかかわらず、いまだ未解決な部分として残っています。また、アメリカの現代史で、あの有名なマーテイン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は不義と闘い、高潔な祭物となりました。今やこの闘争は、統一教会の闘争になりました。東洋から渡ってきた統一教会の運動は、今日、アメリカで排斥されているすべての少数民族にとって代弁者となり、チャンピオンとなりました。私はこの機会に、アメリカで少数民族連合会を創設するに至りました。私は、今回の帰国に先立ち、その基金まで準備して帰ってきました。今、アメリカで燎原の火のごとく盛り上がっている少数民族連合の人権運動は、今後、一九八〇年代を走るアメリカにとって義なる運動になるでしょう。神様が生きていらっしゃり、真理があるとすれば、歴史はこの方向に流れていかざるを得ないのです。
脱税容疑の裁判経過
ニューヨークの連邦地方裁判所は、一九八二年、真のお父様を脱税容疑の裁判にかけるための事前段階として、十二人の陪審員団を構成した。当初、教会側の弁護人は、裁判の公正性を理由に、陪審員による判定の代わりに判事による裁判を要求したが、ニューヨークの地方裁判所はこれを受け入れなかった。アメリカ政府の思惑どおり、一九八二年五月十八日、有罪評決が下された。ニューヨーク地方裁判所は、七月十六日、陪審員たちによる有罪評決を基に、献金百六十万ドルの利子十一万二千ドルに対する所得税と、五万ドルに相当する株式の配当金に対する税金として、一九七三年から七五年までの三年間で、七千三百ドルの納付義務があるにもかかわらず、これを脱税したとして、懲役十八カ月と罰全二万五千ドルを宣告した。弁護団は、十一月三日、連邦高等裁判所に控訴し、アメリカの宗教界と民間団体は無罪請願書を相次いで提出した。アメリカの法廷でこのような評決が下されるや、アメリカでは、真のお父様の裁判に抗議する各キリスト教指導者たちによる「宗教の自由」大会が開催され、多くの良心的な人々が、「これは宗教弾圧である」と抗議デモを展開した。弁護団が控訴したが、一九八三年九月十三日、連邦高等裁判所で原審が確定し、八四年五月十二日、最高裁判所において上告が棄却され、刑がそのまま確定した。これにより、八一年十月十五日の起訴以降、八四年七月二十日の入監に至るまで。二年九カ月間続いた裁判は、事実上、幕を閉じたのである。
9 学校で、二人の学生が争うのを聞いてみると、互いに「自分が正しい」と言います。そうすると学校の先生は、どちらが公的かをもって判断するのです。簡単です。より公的なものを正しいと見なければなりません。私が裁判の法廷に出ていくとき、統一教会員たちが悲しむことはないのです。
アメリカ政府はアメリカのためだけに動きますが、私はアメリカ政府よりもっと次元の高い公的な道を歩んでいるのです。アメリカが私を批判し、私に何かの刑を負わせても、天の公法によって、私は勝利者として残るというのです。それが事実です。ですから、私は法廷に何回も立ちましたが、少しも恐れませんでした。統一教会は、神様だけを中心として、神様の心情世界のために行くのです。
10 今、アメリカで、お父様が脱税したと言って大騒ぎしています。私がこの国のためにどれほど多くのお金を使ったか分かりません。それは、アメリカが自由世界の中心国家だからです。衛星国家を犠牲にしても、アメリカを保護することによって、世界に公的な基盤を築くためです。アメリカが自由世界の中心なので、自由世界の一部を犠牲にしても、中心国家を生かすことにより、全世界が助かるというのです。
歴史はどちらに従っていくでしょうか。アメリカ国民も、行政府が行く道に従っていくのではなく、法廷闘争の道であっても、お父様が行く道に従ってくるだろうと考えるのです。アメリカの行政府がお父様の行く道についてくるというのです。現在のアメリカ国民の考え方よりも、さらに公的な考え方をもったアメリカ国民が出てくれば、彼らはすべて、お父様の後ろに従ってくるでしょう。ですから、私たちは勝利の道を歩んでいるのです。
11 お父様がアメリカのニューヨーク連邦地方裁判所の公判廷に立ったように、皆さんも今後、この宇宙の公判廷に立つ日が来るという事実を知らなければなりません。もし、お父様に対して一審の法廷で「罪がある」と言い、二審でも「罪がある」と言い、三審でも「罪がある」と言っても、天の国の法廷で「無罪だ」と言うときには、これがすべて否定されてしまうというのです。
天の国の法廷は、最高の歴史的最高裁です。アメリカ国民は、高等裁判所と最高裁判所まで上訴し ますが、お
父様には歴史的最高裁が残っています。皆さんも、いつかはこの法廷に立つようになっています。お父様がもし歴史的最高裁判所に立つとすれば、生きてこの法廷で判決を受けるという事実がどれほど光栄でしょうか。死んでからその公判廷に立たなくても無事通過するので、どれほど光栄ですか。どれほど素晴らしいかというのです。皆さんは、死んでからそのような場に立ちたいですか、生きてそのような場に立ちたいですか。正義の道は、強く雄々しい道です。
そのように見るとき、お父様の思想がどれほど偉大で、どれほど素晴らしいでしょうか。どれほど驚くべき思想かというのです。このような何かがあるために、誰もが恐れるアメリカ政府を相手に、一人で闘っているのです。
12 お父様が脱税をしたという話が出た時、アメリカの食口たちさえも、火のないところに煙は立たないと考えました。アメリカの検察が、ありもしないことをお父様にかぶせて捕まえようといくら頑張っても、何も出てこないというのです。それでも、アメリカ国民はみな、事実のとおりに信じていません。お父様が、うそをついて詐欺を働く人だと考えているのです。一万ドルにもならない税金を納めなかったということで、今、調査をするために数百万ドルのお金を使いながら大騒ぎしています。どれほど愚かで、どれほど厚かましいでしょうか。第三者が、「百万ドルをあげるから、それを調査してほしい」と言えば、調査するでしょうか。罪があるのならば分かりませんが、罪がないのに、(罪を)なすりつけて大騒ぎしているというのです。
それは、イエス様の十字架の心情、怨讐を愛する心情をすべて感じることができる場だという結論が出てきます。そして、私は法廷闘争をしても、死にはしないだろうと考えました。イエス様の時代のローマとイスラエルの国のような立場に、アメリカと韓国があります。イエス様がローマの元老院に行って闘って勝ち、勝利の旗を立てていれば、キリスト教は血を流さなかったでしょう。ですから、ここで私たちが勝利すれば、世界の統一教会の宣教師が血を流す歴史は絶対にないと考えるのです。このような役事(働き)が起きます。
これを見るとき、今や私たちが闘える戦場、活動できる場が目前に迫ってきました。ですから、皆さんは総力を傾け、聖人の精神と義人の精神をもって突進しなければなりません。
13 私は陪審員を信じません。「陪審員制度は望んでいない」と言いました。それで、「陪審員は必要ない」と言ったのですが、アメリカの裁判所が無理やり採択したのです。お父様に対して「有罪だ」と言うので、全世界の統一教会員たちが一つになりました。このように見るとき、お父様は全体を歴史的に束ねるのです。そのように、束ねる一つの起源をつくって越えていく時です。
白人も涙を流し、黒人も涙を流し、黄色人も涙を流し、五色人種(すべての人種)が今回の脱税容疑で公判を行う期間に涙を流したでしょう。それは驚くべきことです。自分の国のために涙を流したのではありません。お父様と神様と世界のために涙を流したというのです。お父様一人のゆえに、世界人類が神様のために涙を流すことになり、お父様一人のゆえに、統一教会員たちが人類のために涙を流すことができたというのです。これは驚くべき歴史的な連結です。摂理史的に、すべてのものが連結されたというのです。今回のことは、神様とお父様と全世界の人類が同じ場に立つことができる機会だというのです。ですから、歴史的な一つの転換期です。心情的に一つの高地を占領し、越えていく時だというのです。
14 今、法廷闘争をしながら「ワシントン・タイムズ」をつくっています。数千万ドルかかるのですが、そのお金を、世界とアメリカのために投資するのです。共産党を防ぎ、アメリカを救うために投資するのです。その次に、映画「おお! 仁川」に五千万ドル以上を投入しました。お父様のためにしたのでしょうか。自由世界とアメリカのためにしたのです。それなのに、一万ドルにもならない所得税を出さないために、陰謀を企てて脱税をしますか。話にもならないというのです。
今後、アメリカは、この歴史的な恥をどこに行って覆い隠すのでしょうか。大変なことになったのです。顔も上げることができなくなりました。すべて記録が残っています。お父様の法廷闘争を中心として、アメリカはいつまでも批判を受けるでしょう。
アメリカにいる食口の皆さんは、このような国家的な恥と未来の歴史的な恥を防ぐために、一九八二年七月十四日の裁判まで、大同団結して、精誠の限りを尽くさなければなりません。皆さんは未来に責任をもち、今後、アメリカの恥を防ぐために全国で正義を叫びながら、アメリカ国民を正しい方向に向かせる機会にしなければなりません。皆さんの口が動かなくなるほど、疲れて目が開かなくなるほど、体が動かなくなるほど、前進に前進を重ねなければなりません。
15 私がアメリカ政府に引っ張られていくことはありません。アメリカ政府を教育し、アメリカの人たちを教育してでも、そのようにするでしょう。お父様が歩む生涯には昼だけがあり、夜はありません。夜はジャンプして越えていくのです。ここで私が何を求めていくのか、何を満たしていくのか、何を残していくのかが問題です。
私が脱税容疑で法廷に立つことによって、天が私のために悲しめば、私は「私のために心配しないでください」と言って天を慰めます。「日々、未来を確定させる時間をもっています」と言って天を慰めるというのです。天と地のことを考えてあげるのです。天を思い、人類を思うのです。
私が悪であれば、結局は下がっていかなければならず、アメリカ政府が善であれば、アメリカ政府が上がっていくでしょう。そのようなときは、上がっていくアメリカ政府をたたかずに、従っていかなければなりませんが、私が善のときは、アメリカ政府を捨ててでも、私は、私の道を行くというのです。ですから、昼夜なく最も困難な時に天を慰め、人類を愛せる人が聖人です。その道が、聖人の行く道なのです。
16 お父様が法廷の過程を経るからといって、アメリカに悪いものを残すことはできません。より良いものを残してあげなければならないのです。アメリカ国民に新しい精神を植えなければなりません。お父様のことを研究した人がこの法廷に来て、そこで(研究を)停止するでしょうか、跳躍するでしょうか。これは問題が大きいというのです。
私たちには希望があります。アメリカが公義の天理に従っていかなければならないのであって、公義の天理がアメリカに付いていくことはできません。公義に従っていく人は上がり、反対の道に従っていく人は下がっていきます。取り除くとすれば、誰が取り除くのでしょうか。宇宙が取り除くのです。この公法、公義が取り除くのです。お父様は一生の間、反対を受けました。この国を生かしてあげ、この国の未来の若者たちを生かしてあげるために、自由世界を生かすことのできる人をつくるために努力して、裁判にかけられたのです。
17 お父様には世界のために行く道が残っています。アメリカのほかに、行く道がまだあるのです。それでは、アメリカはどのようになるでしょうか。皆さんが公判廷に立って、お父様以上に犠牲になって働こうという決意を固めなければ、アメリカの行く道、アメリカの将来が暗澹としたものになるというのです。
この国がお父様とこのように向き合うのであれば、どのようにして世界の国家の前に立つのでしょうか。既に傷を負っています。公義の天理はそのように教えるのだと、お父様は教えました。お父様に責任がないというのではありません。責任を負っているので、このようなことを言うのです。皆さんがこのような荷を負わなければならないことを知るとき、皆さんに対する思いはもっと深刻になります。子女たちの将来を祝福しようとするのが父母の心です。公義の道は、そのような法度の道です。ですから、法度の道を踏んでいくべき道が残っているというのです。
18 公義の天理を皆さんが引き継いで、お父様と共に監獄生活をするという思いをもち、世界が歓迎する時まで行こうと考えてください。脱税容疑でアメリカの法廷で闘争する期間は深刻でした。「私はこのように行く」と決めて出発したのです。私は悪意をもってアメリカを呪ったことはなく、アメリカの検事と判事を呪ったこともありません。
私は、神様のみ前に行っても堂々としています。アメリカの善なる先祖たちの前で堂々としているというのです。彼らは私の味方です。これからの子孫たちはお父様の味方です。その時、自分の子孫たちが知れば、どのようになりますか。ですから、善なる人、義人が行く道は決まっていますが、悪人が行く道は定まっていません。悪人は、いつでも滅亡するのです。
19 キリスト教がローマにおいて四百年で蕩減したことと、ヤコブから今までのユダヤ教を中心とした四千年間の蕩減路程を、お父様が四十年で帰結させようというのです。イエス様の三年路程の期間に該当するのが、この三年間の法廷闘争を中心とした総攻撃時代です。逆さまに蕩減するのです。蕩減路程は、逆さまになるというのです。ユダヤ教の時代を蕩減できるキリスト教が、父母様を迎えた今、この時がそうです。お父様がアメリカの法廷で闘争する三年間は、イエス様が世界的舞台でローマと闘って築かなければならなかった勝利基盤を、(再臨の)メシヤとしての三年路程において民主、自由世界で築く期間に該当します。今が勝利によって越えていく時だというのです。
その期間にイエス様が十字架に打ち付けられたように、お父様がアメリカに来て十字架に打ち付けられるのです。打ち付けられる出来事が法廷闘争です。
ですから、第一次ニューヨーク地方裁判所を経て、第二次ニューヨーク連邦高等裁判所まで行ったのは、イエス様が死んで生き返ったのと同じです。主審判事は私の味方でしたが、副審判事二人が反対したのです。それは、長成時代に該当します。第三次の連邦最高裁判所を中心として闘うときは、世論が動いて、「先生を釈放しなければならない」と主張しました。世界的基準で自由世界全体が完全に一つになり、キリスト教全体が一つになるのです。お父様が十字架を背負う場で、アメリカ国民と自由世界、キリスト教が一つになり、右側の強盗のようにお父様を支持したのです。
20 アメリカが反対していますが、お父様はアメリカを越えて、アメリカ(が願うこと)以上の願いをもって歩んでいます。きのうよりもあすが大きく、あすよりも一年後がもっと大きいでしょう。神様の願いである、世界人類が一つになる道を整えることができるとすれば、その道を選んで行こうとするのが、お父様の思想です。最高裁判所の判決が下りたとき、「神様! 次は何を下さろうとするのですか」と言ったのですが、キリスト教が統一教会のもとに帰ってきたというのです。今回、法廷闘争で監獄に行くことにより、これから受け継ぐことになる大きな祝福は何かというのです。世界人類が、お父様の側に回ってくるでしょう。
私が行く道には、世の中にない統一された家庭が付いてきており、統一された民族と統一された国、統一された世界が付いてきています。ですから、この峠を越えて立つとき、その場では、統一された世界の群れが私を待っているというのです。
私が行くこの道は、希望の道だと思います。それゆえ、お父様は十字架の道を希望と歓喜の道として行こうと思うのです。きょうという日があるがゆえに、統一の伝統が父母様から息子、娘、祝福家庭、キリスト教、アメリカ、世界へと列を成して連結されるという事実を、私は知っています。これは、次第に大きくなるでしょう。
そのように素晴らしい道を出発しているこの日に、皆さんが涙でお父様を見送るということを、私は望んでいません。涙を流すなら、お父様以上に十倍、百倍、この国とこの世界のために涙を流しなさいというのです。心が痛み、悲しいというなら、私が出てくる時に、千人を一つにし、一万人を一つにすることのできる統一の役軍(担い手)にならなければなりません。
21 み旨の道を歩みながら監獄生活をたくさんしましたが、私の生命が絶えない限り感謝して行こうという立場で歩んできました。ですから、それを喜びとして迎え、その結果は天のみ前に委ねるのです。私は死ぬしかないとしても、み旨を立てられた神様のかわいそうな立場を考えるのです。そうして、私にこのような苦痛を与えて峠を越えさせ、かわいそうな神様の摂理を継承するようにさせたと考えるのです。
今の時も同じです。この世界、精神世界が、お父様を中心として一つに統合されていくこの時に有終の美を飾るためには、犠牲を覚悟していかなければならないというのです。そのような伝統の道が残っていることを知らなければなりません。
祭物として逝った文興進様
真の父母様は、一九八三年十二月十四日から二十三日まで、北朝鮮の赤化統一の野心を退けるために、韓国の八大都市で勝共決起大会を主管された。当時、真の父母様を暗殺しようとする群れが、最後の大会の場である光州に派遣されたという情報により、緊張が高まる中で行われた講演の時間に、次男である文興進様がアメリカで交通事故に遭い、一九八四年一月二日、聖和された。キリスト教国家が反対し、共産主義の脅威が増大する状況で、真の父母様に代わって蕩減の祭物になられたのである。
1 一九八三年十二月、韓国で、全国八大都市勝共決起大会を通して、全国民を完全に一つにする運動を行いました。また、世界とキリスト教を代表する七十二カ国の「世界平和教授アカデミー」の代表たちを集めて一つにしました。そのようにして、全国を完全に席巻したのです。サタンと激戦を繰り広げました。ですから、韓国全体がお父様の運動によって完全に沸き立ってしまいました。このようにして、サタンを治めようというのです。
その時、父母様の家庭は混乱時代でした。父母様の家庭が全世界を代表し、家庭的攻撃を受ける時だったのです。ところが、サタンはお父様を直接、攻撃できそうにないので、興進君を攻撃したのです。最後の光州勝共決起大会で講演する時間に、興進君の自動車事故が起きました。
2 私が一九八三年の十二月に韓国へ行くことに、アメリカも関心をもち、日本も関心をもっていました。三カ国が一つの方向に引っ張られたのです。サタンがお父様をいくら侵犯したくても、蕩減条件を立てて越えたので、お父様が勝ったのです。民主世界が統一教会に反対しましたが、その反対する人たちに対して私が蕩減条件を立てて勝ちました。しかし、お父様の子女はまだ皆さんの代表の立場なのです。それで、興進君がそこで相対になったというのです。
サタンはいつも、最後にたたきます。全国八大都市勝共決起大会が成功裏に終わるその時間に、興進君の自動車事故が起きました。最後の光州大会の時、お父様が講演をするその時間です。十一時に始まるのに、十時には会場がぎっしり埋まってしまいました。お父様に危害を加えようとする工作員が活動できないよう、超満員になってしまったのです。動くこともできないほど、ぎっしりと埋め尽くされていました。工作員たちを自然に防ぐ、良い環境になったのです。ですから、サタンは仕方なく、お父様が最も愛する息子を連れていったのです。
3 お父様が韓国に帰ってきて勝共決起大会をするのですが、最後に残った所が光州でした。その時、霊通する人々は、お父様に対して「光州には行ってはいけない」と言いました。共産党がすべて集まり、お父様を隅に追い込んで一気に捕まえようとしているので、行ってはいけないというのです。「行ってはいけない」と言われて、行くのをやめるでしょうか。公的な人は、命を差し出して行くのです。ところが、天が役事しました。座っていた人が立ち上がれないほど、会場が超満員になったのです。それが、保護を受けられる道だったというのです。その時に多くの問題がありました。正にその時間に、興進君の自動車事故が起きたのです。
4 興進君の犠牲により、多くのことが成し遂げられました。彼は一番の孝行息子でしたが、今や真実で清い神様の子女として、神様の懐に抱かれたのです。もし興進君の犠牲がなかったならば、二つの不幸な大事件が発生していたかもしれません。北朝鮮が韓国を武力で侵犯したかもしれないし、お父様が地上における生涯を終えていたかもしれません。
しかし、韓国で勝共決起大会を通して勝利したため、サタンがお父様をこれ以上侵犯することはできなくなりました。ですから、韓国で勝利を収めるのと同じ時刻に、興進君を犠牲の祭物として要求したのです。
5 興進君は、二番目の息子として生まれ、お父様の保安問題に対して誰よりも心配した人です。お父様の前にもし悪者の頭が現れて銃を撃つならば、自分がその銃弾を代わりに浴びなければならないと考えていました。
イースト・ガーデンで祝福家庭を動員して、その訓練をしました。夜、祝福家庭を四方に配置し、秘密裏に襲撃させるのです。このようにして、警護員が本当に警護員としての仕事をするかということまで試験しながら、お父様の保安問題について心配したのです。
さらに、シカゴの「科学の統一に関する国際会議」では、警護員と共に夜を徹して警護をしたこともあります。警護員を信じることができないというのです。子女が父を思う心情的基準とは程遠いと考えていました。もし銃弾を浴びなければならない場面に立てば、その人々は逃げていくけれども、「私は違う!」と言うのです。そのような精神的訓練を祝福家庭に行い、そのような行動ができるようにする訓練までしました。お父様のために命を捧げようというのです。
6 私は、興進君の車の事故が起きた現場を見に行きました。丘の道からトラックが下ってくる途中でブレーキを踏んだのですが、車がくるっと回ったのです。くるっと回ったので、直線で止まったのではなく、斜めに道を塞いだというのです。そして、興進君の車は右側を走っていて、興進君は左側で運転していました。運転する人は、自律神経の自動的な反応によって、瞬間的に危険を避けようとハンドルを切るのが原則なのですが、そのようには切らずに、車が斜めになっていたというのです。運転していて、なぜ反対にハンドルを切ったのかというのです。反対に切って、正面から突っ込んでいったのです。
それは、興進君が、一緒に乗った祝福二世の兄弟を愛していたからです。「あの兄弟たちには父親がいない」と言って、本当に愛したのです。夜、勉強する際にも、冷蔵庫から食べる物を探してきては一緒に食べたりしました。そのように愛したのです。「父親がいないから、私が愛さなければならない」と言っていました。その兄弟を意識して、ハンドルを反対に切ったのです。それで、興進君が代わりに犠牲になったというのです。私はそれを見て本当に感謝しました。
7 イエス様が十字架で亡くなる時、右の強盗と左の強盗がいました。それは、民主世界と共産世界です。共産主義は「神はいない」と言い、民主主義は「いる」と言います。今回、車の事故が起きて興進君が死にましたが、一緒に乗っていた二人の子供は助かりました。興進君は、本当に良いことをして逝ったのです。いくらでも車を回すことはできたのですが、なぜ興進君は車を自分の側がぶつかるようにしたのかというのです。それが問題です。トラックの角にぶつかったのです。同乗していた二人は、「自分たちを意識してハンドルをそのように切った」と言いました。民主世界と共産世界を代表する犠牲の祭物として逝ったという理論的根拠を、ここで知ることができます。車に乗っていたその二人は、民主世界と共産世界を代表する、イエス様の右の強盗と左の強盗のような立場ですが、興進君は彼らの身代わりになって逝ったというのです。
イエス様の時代にはすべて死んでいきましたが、お父様の時代には興進君一人が祭物になったため、二人は助かり、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。
8 興進君は、国家的蕩減基盤の上で、自由世界と共産世界のために犠牲になりました。国家的基盤で共産世界と民主世界、この二つの世界を連結したのです。アメリカで事故が起きましたが、埋葬されるのは韓国でした。体は祖国に帰ってきて埋葬されたのです。それによって、興進君は、国家的基盤を築いた真の父母の勝利的基盤の上に立ったので、国家的な次元でいつでも霊界にいることができ、地上にも定着できる霊的基盤が与えられるのです。
イエス様が国家基盤を完成できなかったことを蕩減復帰すると同時に、イエス様自身が地上の国を訪ねてこられる基盤が、興進君によって連結されるというのです。
9 お父様が最高裁判所で法廷闘争をするのは、イエス様が十字架にかかるのと同じです。しかし、今は十字架にかかって死ぬのではなく、十字架を背負って進む時です。イエス様の時代には、イエス様に反対してユダヤ教が砕けていき、ローマも砕けていきましたが、今は法廷闘争を中心として、キリスト教とアメリカがお父様と直接衝突するのではなく、一つになったので、イエス様の時代に失敗したことを蕩減復帰した時代に入ってきたのです。
なぜ興進君が蕩減条件に引っ掛かったのかが問題です。父母様が十字架を背負っている時ですから、興進君も自動的にその圏内にいるというのです。神様とイエス様の立場を見ると、神様は父であり、イエス様は息子です。神様が十字架を背負っていくのではなく、息子が十字架を背負わなければなりません。
このような時代に、神様の代身の立場が父母様であり、興進君がイエス様の立場なので、息子であるイエス様が世界的な十字架を背負わなければならない蕩減的内容とぴったり一致しているというのです。
イエス様をサタンが打ったあとに神様が復活させたのと同じように、興進君をサタンが打ったあと、世界史的な内容として父母様が復活させたのです。ですから、イエス様は亡くなって霊的な門を開きましたが、興進君は肉的な門まで開きました。
イエス様の時代の五旬節の時と同じように、今は世界的な新しい霊肉を合わせた五旬節の時代だというのです。蕩減復帰です。キリスト教が反対したために失敗したことを、蕩減しなければなりません。イエス様が五旬節に聖霊と共に再臨し、百二十門徒と共に二千年間、キリスト教を中心としたキリスト教文化圏をつくって再臨主のみ前に奉献したならば、五句節は必要ないというのです。ところが、反対したので、すべてが崩れたのです。
「愛勝日」宣布
真の父母様は、一九八四年一月三日午前四時、アメリカ、ニューヨークのベルベディア修練所で、文興進様が聖和された一月二日を「愛勝日」として宣布された。文興進様が祭物路程を行くことにより、死亡圏に勝つようになったことはもちろん、今までサタンが支配していた愛を神様が主管できる新しい出発の基準が立ったため、「愛勝日」と命名されたのである。
10 父母様が共産世界と民主世界の頂点で、興進君に責任をもち、一九八三年十二月三十日(現地時間)に病院を訪問して統一式をしてあげました。その場は、並大抵の深刻さではありません。誰よりも愛した立派な息子が突然、霊界に逝くのですが、涙を流すことはできません。統一式をしてあげたあと、葬儀を執り行う三日間にも、涙を流せないのです。その期間に「愛勝日」、(愛が)死に勝ったという式をしたのですが、父母様がそこで悲しんではいけないのです。
アダムとエバが誤ることによって死亡の谷間と死亡の地獄、天上世界の地獄と地上世界の地獄をつくり、神様と人間を分け隔てたこの峠を切り開くのです。その頂点に立ち、整備して息子を捧げました。ですから、どれほど深刻でしょうか。時間を遅らせることができるならば遅らせたいのが父母の心ですが、既に起きたことなので、そのようなときは、ためらうことなく、父母として天のみ前に喜びの心をもって送ろうというのです。お母様にも、「涙を流したら大変なことになる」と言いながら、「涙を流してはいけない」と言いました。そのように韓国で聖和式を行い、送り出してから、父母として涙を流したのです。すべて送り出してから、その行く道に対して祝賀の涙を流したというのです。
11 皆さんが自分の生命より以上に父母様を愛する限り、サタンはこれ以上侵犯できません。興進君が、皆さんに代わって逝ったからです。その上で、興進君以上に父母様を愛する皆さんになれば、サタンは身動きできないのです。今までサタンが愛を支配しましたが、これからは、神様が愛を支配するというのです。ですから、そのような基準で天と一つになり、「愛勝目」を宣布しました。
今や、皆さんが活動することに比例して、サタン世界が早く崩れ落ちていきます。ですから、「愛勝目」を中心として三年間は昼夜なく走らなければなりません。昼夜なく走りなさいというのです。そうして、興進君が昼夜なく、休むことなく民主世界の若者たちと共産世界の若者たち、霊界のあらゆる先輩、後輩たちを動員して活動しているので、それに負けないように活動しなければなりません。そのような決意をしなければなりません。
「愛勝日」が出てくることによって、カインがアベルを歓迎できる時になりました。昔は、愛すれば蕩減を受けなければならなかったのですが、今は、愛すれば福を受けるというのです。昔は、カインがアベルを愛すると、サタンに命を奪われて苦労しましたが、今ではもう、そのような時は過ぎ去りました。神様が福を下さる時が来たというのです。
12 一九八四年一月三日、「愛勝日」を設定してあげることにより、原理結果主管圏と直接主管圏内で、サタンの愛によって塞がっていたものを取り除いてしまいました。そのように取り除いてしまい、神様の愛をもつようになれば、地獄でもどこでも、境界線がなくなるのです。どん底まで思いどおりに降りていけます。そのようにして、上がってこなければなりません。天の世界の人に、サタン世界の人が屈服するようになっているからです。ですから、「愛勝日」です。
天の愛が過去・現在・未来圏まで身代わりして、サタン世界の死亡圏を取り去り、一掃してしまわなければなりません。そのようにしてこそ、それが勝利したことになるのです。「愛勝日」です。その場は、祭物になった息子を前にして、その息子に対して悲しい思いを抱いてはいけない難しい場です。その道を行かなければなりません。ですから、責任者たちは、興進君のようにしなさいというのです。皆さんが興進君のように仕事をしなければなりません。興進君はお父様に似ているといいます。神様が今に至るまで休んでいないように、お父様には二十四時間、復帰の一念以外はありません。実践しなければなりません。きれいに整備しなければならないというのです。興進君のようにしなければなりません。
13 あの国(霊界)では、興進君が愛の主体になっています。これは直接主管圏内です。堕落圏内を抜け出して逝ったので、神様が「私の息子である。サタン世界を越えた私の息子である」と言って愛することができる息子だというのです。ですから、お父様が幼かった時に愛せなかった歴史も蕩減するのです。
神様が興進君を愛するのは、真の父母を愛することなのです。今まで愛せなかったことに対しても、愛したという条件を立てることによって、すべてのことが解けて越えていくというのです。ですから、イエス様を解放し、お父様が過去に神様の愛を受けられなかったこと、完成級の位置で愛を受けられなかったことを、解怨成就できる基準になるのです。
イエス様が三十三歳で亡くなったので、三十三歳以下の若者たちは、イエス様の恵沢を受けられずに霊界に行きましたが、興進君が行くことによって、十代圏全体が愛の圏内に入っていけるようになるのです。十代圏が長成期完成級に連結されたので、原理結果主管圏がサタン圏の干渉から抜け出す時代に入ってきたというのです。
長成期完成級が、アダムとエバが堕落した年齢ですが、それを連結させることにより、十代はもちろん、幼かった時から、堕落していない圏内に越えていくようになるのです。それを蕩減してあげたのです。原理結果主管圏内にいるサタンが地上で権限を行使できず、後退する時代に入ってきたということです。
原理的に見るとき、真の父母様の息子をサタンに引き渡す条件はありません。犠牲になってはいけないのです。同じように、神様の息子であるイエス様を渡す必要はなかったのです。しかし、イスラエルの国とローマとユダヤ教を救うために、引き渡したのです。このように、父母様が興進君をサタンに渡さなければならない何の条件もありませんが、キリスト教、自由世界、全世界のために、興進君を渡したのです。
14 霊界にいるキリスト教の霊たちが、イエス様を中心として地上に降りてきて協助しようとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。地上に存在するキリスト教が統一教会に反対するところでは協助できません。祭物を捧げた団体を通して、地上世界で横的に発展していくところに協助するのです。
今まで、霊界に行っているすべての霊たちと、真の父母の血族が霊界に行って、直接的に関係を結んだことがありませんでした。そして、霊人たちの願いは、真の父母と心情的絆を地上で結ぶことです。それができないので、地上にいた真の父母の息子を送れば、霊界に行ったその息子と関係を結ぶことによって、興進君を通して地上に降りてきて、キリスト教を協助し、消化する運動に協助できるというのです。それによって、イエス様を中心としてキリスト教の霊界が地上に再臨し、霊界全体が再臨できる環境が広がっていくのです。
文興進様の祝福結婚と霊界の総司令官
真の父母様は、一九八四年二月二十日、アメリカ、ニューヨークのベルベディア修練所で、文興進様と朴薫淑(パクフンスク)様の祝福結婚式を挙行された。聖和五十日目に開かれた文興進様の聖婚式により、天上と地上が一つになる契機が整った。真の父母様は、統一式と「愛勝日」の基盤の上に、文興進様に祝福結婚と養子を約束され、この土台の上で、霊界を解放するための真の愛の全権大使であり総司令官であると祝福してくださった。
15 イエス様は三十代で亡くなりましたが、興進君は十七歳で逝きました。それは、世界史的な原理結果主管圏が直接主管圏に連結される条件になります。父母様の愛を神様の愛の代わりに受けられる位置にいるというのです。ですから、サタンの干渉圏を越えるのです。
もちろん、天使長の保護も、保護ではありますが、原理結果主管圏内にいても、真の父母の保護のもとにあるというのです。そのため、地上で結婚させてあげられるのです。イエス様は、地上の真の父母の基準に通じる道を願います。地上では真の父母の基準の上でその蕩減条件を立て、復活する時にも真の父母の愛の圏内で復活するので、サタンの干渉を受けないというのです。それを地上に連結し、五十日目に祝福してあげたことは、驚くべき事実です。二千年後にイエス様が来て、成し遂げようとしたすべてのことを、一度にすべて成就したというのです。それは、第二アダムが原理圏内で祝福を受けたことを意味し、第一アダムが未完成だった基準を中心として、完成基準を立てたことを意味します。アダムが堕落する時は、長成期完成級ですが、これは、完成級の真の父母と直接連結される時なので、直接主管圏に入っていくというのです。ですから、今や霊界は、自動的に順応する時代に入るようになります。
16 一九八四年二月二十日は、興進君の聖和後、五十日になる日ですが、これはイエス様の当時の五旬節と同じです。百二十人がマルコの家の屋上の間(屋根裏部屋)で聖霊降臨とともに火を受け、世界的役事が起きたのと同じように、きょう興進君と薫淑さんが結婚することによって、百二十カ国の王たちがこの地に来て復活し、世界的役事を展開できる運動が起きると見るのです。
これは五旬節を代表したものです。霊界にある百二十の王権が臨むことができ、地上と一つになるのです。そうして、百二十カ国の中で、父母様に侍ることのできる一つの国さえできれば、そこから天国が開門されるのです。
17 興進君の新婦である薫淑さんが、一人で暮らしても神様のために忠誠を尽くし、真の父母のために精誠を捧げる孝女、孝婦となる立場に立つとき、祝福を受けた家庭は、三年路程や七年路程に対して不平を言える条件がなくなるのです。皆さんがサタンの讒訴条件を抜け出せる一つの起源と伝統が地上に現れるということです。これが、皆さんにとって最もうれしい知らせです。
皆さんが地上で相対をもっているのに、不平を言うことができるかというのです。サタンが讒訴できない基準を、私が皆さんにプレゼントとして与えるのです。皆さんが霊的に薫淑さんと一つになる時、サタンは皆さんの家庭を侵犯できなくなります。ですから、薫淑さんに代わって生き、興進君に代わって生きるという思想をもてば、サタンを除去できる途方もないことが起きるというのです。それで、祝福家庭に対して、三年路程に出発しなさいと厳命を下しました。
18 興進君の結婚式の日であるきょう、三年路程に出発しなさいという厳命を受けた祝福家庭は、夫と妻が今晩、互いに手を取り合って悔い改め、あすから新しい道を行かなければなりません。
ここで重要なことは、第一に、興進君に新婦がいなければ王国圏が成立しないということであり、第二に、霊界は天使世界と同じ立場にあるので、王権をもったその王と民がアダム世界である地上に来て、サタンの組織を奪い返し、天の国の王国圏を相続しておかなければならないということです。天使世界に相当するその天使たちが、アダムとエバが堕落する前に保護、育成していたのと同じその原理原則に従って、この地上世界を保護、育成しなければならないからです。
ですから、神様と神様に侍る天使たちが、神様に反対する天使たちを追放するのです。私たちが占領し、私たちが操ることのできる、真の父母の愛を中心とした原理結果主管圏だと主張できる時になったので、これが可能なのです。
その次に、第三は、皆さんに福をもたらすことができる灯台ができたということです。そうして、真の愛の橋になるのです。薫淑さんと興進君を中心として、真の愛の橋が架かったのです。ですから、もはやサタンは干渉できません。それが原理観です。
19 心情圏を中心としてイエス様と興進君を見るとき、興進君が兄です。霊界に先に行ったイエス様は、長子の立場にいますが、その権限を次子に渡して、心情圏の基盤の上で真の父母の愛を中心とした本然の基準と通じなければなりません。そのようにしなければ、天国に入っていける門に連結されないのです。楽園の門が天国と通じる道が現れないというのです。ですから、五十日目に興進君と薫淑さんの結婚式を地上でしてあげて、地上に往来できる立場に立てたのです。結婚させて地上と連結させました。
20 興進君を祝福してあげることによって、その相対が地上に残っているので、地上と天の国に愛の橋梁が架かり、イエス様が来て父母様の家庭と統一教会に協助できるようになりました。この道を開いてあげたので、イエス様を中心としたキリスト教は、地上の統一教会と一つにならなければなりません。
ですから、キリスト教を信じて先に逝った霊人たちは、天を協助する天使長のような立場で、地上の再創造過程を経るアダムとエバを協助するのです。天使長がアダムとエバを協助しなければならない道理に従って、統一教会とキリスト教が連合運動をするところに協助するというのです。そのため、地上の連結とともに天上の連結、心情圏の統一が起きることにより、今までキリスト教をよく信じて逝ったすべてのキリスト教の先君、先王が、霊界で各国家と区別されていたのが、すべて連結されるようになったのです。
神様の愛の心情圏を中心として国家を超越し、一つの統一圏を形成するという目的達成のために跳躍することが不可能だったのですが、今や、地上の心情圏と天上の心情圏を連結して統一圏を設定することによって、相対圏を形成できる恵沢の時代に入っていくというのです。それは、興進君と薫淑さんを結婚させたからです。
21 今まで来ては逝った統一教会の協会長や他の人々は、教会基準であって、国家や世界を蕩減する基準にはなれませんでした。しかし、興進君の場合は違います。国家的次元です。ですから、天の国の名分を身代わりできる司令官、霊的世界の主体が現れるというのです。地上と霊界を連結できる主体が現れるというのです。
結婚した人ではできません。結婚しなかったので可能なのです。霊界の人々は、まだ結婚していません。私はこのようなことを知っているので、今回、興進君に、「君に養子を選んであげよう」と約束しました。国家的基準で養子を選んであげることができるのです。
養子を設定してあげるというのは、理想相対を備えた父母と同じだということです。ですから、霊界は、未婚の女性と男性のように、結婚したいと思う人々が暮らす所ですが、結婚していない人々が暮らすその霊界の司令官になり、中心になるのです。
統一家では、世界のすべての運勢を集めて祭物的な立場で捧げるようになりました。ですから、興進君を愛さなければなりません。
22 興進君が霊界に行く前の一九八三年十二月三十日(現地時間)、統一式を終えてから祈祷をして、「君は地上を離れても、地上にいるのと同じように、君に養子を選んであげ、息子の隊列に同参させてあげよう」と約束しました。そのためには、地上で祝福をしてあげなければなりません。そのようにしなければ、そのことは不可能なのです。
神様は地上世界を救うためにメシヤを送りましたが、真の父母は霊界、霊的世界を救うために、父母様の代わりに全権大使として愛の王子を送りました。イエス様もその位置に行けませんでした。しかし、神様が、歴史始まって以来初めて、「私の息子」と言って愛することができる十代(の人)をもったというのです。
23 イギリスで、責任者が報告した内容があります。ある婦人が、霊界で興進君と共に活動している背景を教えてくれたのですが、聖フランチェスコはイタリアで死んだにもかかわらず、一度もイタリアに行けなかったというのです。ところが今回、興進君が霊界に来て配置することによって、初めてイタリアに行けるようになり、「どれほどうれしいか分からない」と言っているというのです。
また、ドイツの南部にいた一人の主教は、ドイツで死んだにもかかわらずドイツに行けなかったのですが、興進君に「ここで監督しなさい」と言われ、ドイツに来て働くようになり、「真の父母様に協助できる驚くべき恩賜を受けた」と言って喜んでいたというのです。その報告はすべて、お父様が語ったことと一致するのです。
霊界にいる人々は、興進君のことが分かりませんでした。「あの東洋の少年は誰だ。イエス様がそわそわしている」と言って不思議そうにしているので、興進君が「私が興進である」と言ったそうです。するとイエス様が、「自分はオールド・キリスト(Old Christ)であり、興進君はヤング・キリスト(Young Christ)である」と言ったというのです。
聴聞会での証言とダンベリー収監
一九八四年七月二十日、アメリカのコネティカット州ダンベリーにある連邦刑務所に収監された真のお父様は、収監の前日に発表した声明書を通し、この事件の発端は脱税問題ではなく、政府の権力濫用による宗教迫害であると主張された。これに先立ち、六月二十六日には、アメリカ国会の上院司法委員会憲法小委員会の聴聞会で、堂々と無罪であることを証言された。
1 私は潔白です。私はいかなる過ちも犯していませんし、ただ、政府の権力濫用と迫害の犠牲者にすぎません。アメリカ全域の数千の聖職者たちが、私に対する政府の迫害について抗議し、宗教の自由守護という名のもとに一週間ずつ、私と入監することを決意しました。
神様は一九七一年、私に対して、「アメリカに来てキリスト教信仰の復活運動を展開し、この国の霊的基盤を回復させなさい」と命令されました。アメリカで信仰なき生活の暗い霊的雰囲気と宗教的な偏狭が現れる時期に、霊的覚醒を起こすために私を送られたのです。私自身は、共産政権の監獄で、死ぬ直前の状況まで耐え抜きました。私は、アメリカを霊的な死から目覚めさせる神様のみ旨のためであれば、むしろ監獄に行くことを願います。皆さんが私の活動を理解するならば、本当に私が税金を詐取するためにアメリカに来たと信じられるでしょうか。
事件の発端は、税金問題ではなかったのです。これは、政府による教会内の問題に対する侵害でした。私が有罪判決を受けたのは、私の宗教的な信念と活動以外に、いかなる理由もありません。これから私は、教会の世界本部を、この国のために祈り続けるダンベリー刑務所に移すでしょう。私が神様に感謝することは、人類の歴史上、最も困難な時期に、私を宗教の自由守護のための指導者として、アメリカの霊的な覚醒運動に火をつける道具として用いていらっしゃるということです。神様の祝福がアメリカに臨むことをお祈りします。
2 私がダンベリーを訪ねていく時、世界の統一教会員たちは、「お父様が行かれたらどうなるのですか」と言いましたが、「今から新しい世界が始まることが分からないのか。ダンベリーの向こう側に天が何を準備しているか皆さんは知らないが、私はきょうそれを目にしている。アメリカの全国民が頭を下げ、世界の人類が屈服する希望の土台を築く太鼓の音の響きが、皆さんには聞こえないのか」と答えました。夢を抱いてダンベリーを訪ねていったというのです。
監獄に入る時は、アメリカの朝野に影響を与える力をもった男が、敗者の悲しみの道を行くかのような姿でしたが、私は敗者ではありません。「あすの朝が明け、この門を開いて出てくれば、あなたたち(アメリカ政府)は秋を迎え、私は春の園を迎えて、新しい芽を出すだろう。あなたたちは、この青い園に足を踏み入れることができないという千年の恨を抱くだろう」と言いながら、堂々と夢の道を歩んだのです。
3 一九八四年七月二十日は、本当に永遠の歴史の中から抜いて消し去りたい日でした。お父様はダンベリーに出発する瞬間にも、皆さんを激励し、皆さんに希望を吹き込んでくださいました。二十日の夜十時にイースト・ガーデンを出発し、ダンベリー刑務所までお供いたしました。何回も唇をかみながら、固く決心しなければならないと自ら念を押しましたが、我知らず流れる涙をこらえることはできませんでした。車から降りる前にも、御自身に差し迫ってくることについては少しも心配されず、かえって私(お母様)を慰めるため、とても気を遣われる姿を目にしながら、私はただただ、どうすればよいのか分かりませんでした。
お父様は出発する前に、「私は監獄まで解放しに行く」と語られ、「私のために泣くのではなく、み旨成就のために祈りなさい」というみ言を何度も繰り返されました。そして、二十二日のきょう、早朝にお父様が私に電話を下さり、皆さんに「神様の召命を受けた者として、キリスト教を燃え上がらせよ」と伝えてほしいと言われました。お父様の自由を保障できるかどうかは、皆さんにかかっています。今は、神様が私たちに下さった最後の機会だと思います。今までしてきたことと、また、今指示しているすべての内容を、あらゆる精誠と積極的な活動によって、必ずや成就してください。皆さんの精誠に神様が感動し、サタンは手を挙げ、歴史は新しい時代を迎えるでしょう。
4 お父様の恨がいくら多いといっても、神様の恨に比べることはできません。「(天の恵みを)そっくりそのまま与えよう」と思っていたら、監獄に行くことになったのです。日本帝国主義の統治下でも監獄に行き、北朝鮮に入っても監獄に行き、大韓民国に来てからも監獄に行き、アメリカに行っても監獄に入ったのです。ソ連、中国の監獄まで見据えながら行動しました。死ななければ、監獄に行くのです。
しかし、私は死ねません。監獄に行くようになっても、滅びることはできないというのです。私が監獄に行けば、監獄の壁を貫いて出てくるのです。アメリカのダンベリーの監獄に入る日、世界の統一教会員たちが来て、止めどもなく涙を流すのを目にして唖然としました。「皆さんはダンベリー刑務所の鉄の門だけを見つめている。ダンベリーの塀の向こう側の世界は見ることができずにいるが、私はそれを見つめている」と言いながら監獄に行ったのです。
解放のラッパの音が聞こえ、刈り入れの収穫の歓声が聞こえてきます。見ていなさいというのです。間違いなく跳躍が起きるのです。跳躍が起きなければ、跳躍が起きるように指導して教えなければなりません。今や、アメリカが私の世話にならなければならない時が来たのです。
5 神様が人を愛するとき、愛のふろしきを倉庫に残しておいて、八〇パーセントだけ愛したとすれば、欲深い人はじっとしていません。倉庫をすべてかき分け、なめ尽くすように探してみて、間違いないというときに、初めてこちらに振り向くようになるのです。人間はそのように欲深いというのです。神様は、神様の愛を残らず受けさせるために、そのように欲張りな人間を造りました。ですから、愛に乗っていく欲心は、千年の歴史が歓迎するのです。それゆえ、私は、愛に乗ってアメリカに行ったのです。
今、前面では反対していますが、また裏面では歓迎するのです。上は反対しますが下は歓迎し、現在は反対しますが未来には歓迎するというのです。それはどれほど素晴らしいでしょうか。ですから、私は心配しませんでした。監獄に入って横になっていても、どれほど気持ちが楽だったか分かりません。よく消化できます。どれほど気楽か分からないのです。他の人々は「死ぬ」と言って大騒ぎなのに、私はよく眠ることができ、よく食べることができました。監獄が問題ではありません。
尊敬を受けたダンベリー刑務所での収監生活
真のお父様は、世界的なゴルゴタの峠を越えるときも、決して挫折されなかった。罪なき監獄生活ではあったが、かえって模範的な生活を通し、刑務所にいる人々に大きな感動を与え、アメリカのために祈られた。アメリカに対する神様のみ旨があるがゆえに、アメリカを愛さざるを得なかったのである。真のお父様は、ダンベリー連邦刑務所に収監されている期間も、中断することなく摂理を率いられ、真の愛の生活を通して、囚人たちからも尊敬を集められた。特に、刑務所の雰囲気を一新して愛の環境をつくられた。
6 ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。ところが、約三カ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。このようなことが起きました。
それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。人心は天心に通じます。人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。ですから、言葉をもって伝道するのではありません。愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。
7 アメリカの監獄に行って愛そうという心をもった人が、監獄にいる一人の人を愛すれば、それはアメリカの国民全体を愛したという条件的立場に立つのです。その場には天地が同伴します。ですから、私はアメリカを愛したというのです。誰よりも愛しました。誰もが嫌だと思う監獄の囚人たちを、私は誰よりも愛したのです。そのような(愛の)表題を掲げて出てきて叫んでも、それに対して、「違う」と言うことはできません。そこにいた人々が証するのです。
差し入れをもらって、良いものがあれば、私のところに持ってきてくれようとするのです。そのような監獄生活を送るのは簡単なことではありません。人のために尽くしてあげなければなりません。ために生きるところから新しいものが創造されるのです。そして、ために生きる人が、その創造されたものを所有するのです。天理原則がそのようになっています。ですから、神様の創造は、ために生きる心情圏の園から始まったというのです。
8 ダンベリー刑務所に入っている時、どのようなことがあったでしょうか。統一教会を信じたのち、出ていったという人が、手紙を送ってきました。その人は七年間ファンダレイジングをしながら苦労し、あることがきっかけで離れたのですが、離れてみると、その七年間に学んだことによって、空腹の時には稼いで生きていける人になり、困難な時も自分が同情されることを願うのではなく、同情できる人になったそうです。
また、「統一原理」は、天下において合わない所がないというのです。その人は大学院を出たのですが、大学に行っても、そこの先生が未来のための道を示してくれたことはなく、自分の父母も、誰も、未来のために道を示してくれなかったそうです。しかし、たった一人、東洋から来たお父様からこのようなことを学べたので、心から感謝しますと書いてありました。
私はその手紙を監獄で読みながら、「よし! レバレンド・ムーンは死んでいない」と思いました。お父様は、死にゆくアメリカの人々を復活させ、新芽が芽生えるようにしているというのです。国を愛する若者たちを、アメリカの新しい未来のために支柱となる核心的な要職に配置したので、このアメリカは刷新されるでしょう。
9 私がダンベリーから出たあと、そこの責任者が、「一人の影響がここまで大きいとは思いませんでした」と語っていたという話を聞きました。お父様が監獄にいる間、酒を飲んでいた者たちは、酒を飲むとき陰に隠れて飲み、大麻のようなものを吸うときもお父様の目に映るかと思い、森の中に入って隠れて吸い、けんかをしていても、お父様が来るとやめたのです。なぜ囚人たちが、それほどおとなしくなったのか分からないというのです。
ところが、お父様が出ていって三日もたたないうちに、昔のとおりに戻ってしまったというのです。それを見て、「このような監獄世界で、語ることなく影響を及ぼして帰っていくとは、あの一人の人がどれほど偉大な力をもっていたのだろうか!」と話し、それが話題になったというのです。それは、私がした話ではありません。法務省の調査官たちが行って調べ、私に報告したのです。
私は監獄に行っても、どこに行っても、愛を中心として何かを残そうと身もだえしています。そのようなつらい人生行路を歩んでいくというのです。そのような世界の歴史的な代表者がお父様です。
10 私がアメリカに行って、ダンベリーでの監獄生活をしていなければ、アメリカのことがよく分からなかったでしょう。ダンベリーは小さな社会ですが、その国の一番悪いものと一番良いものがすべてありました。一番良い人と一番悪い人に会うことができました。私が彼らを心情的に一致させ、ひざまずかせて訓示できる立場に立ったのです。それは、未来にアメリカ国民を教えていける心情圏の蕩減条件基盤になりました。ここでアメリカを完全に学び、知ることができました。その囚人たちは、ため息しか出ないのです。アメリカに対して、自分たちは間違ったことをしていないと思っています。
そこの監獄にいる賢い囚人たちは、会議をして、私がそこに入って間違ったことをすれば、私の命を奪おうと約束していました。そこでは、一晩のうちに人一人の命を奪うのは簡単です。普通なのです。それを私は知っています。その社会と闘うことなく、同化させていかなければなりません。結局、六カ月後には、彼らがみな、私を尊敬するようになりました。それがお父様の能力です。
11 ダンベリー刑務所にいる時、私は昼食時間にもよく仕事をしました。そのように過ごしているので、刑務所の炊事場の責任者が私の所に来て、「もう昼食の時間ですから、早く食事をしてください」と声をかけてくれました。人は、そういうものなのです。私が昼食時間や朝食時間を逃してしまうのではないかと、私のところに来ては促して食事をさせてくれ、自分の物をよく分けてくれたりしました。人の良心は監獄でも同じです。そのように生きれば、監獄に行っても友達ができ、私を擁護する人が現れるというのです。皆さんは、このことを忘れてはいけません。これは最も貴い話です。
天からそのように受け取ったので、受けたとおりに、その伝統を伝授しなければならないのです。他のために生きようとする人は滅びません。(そのようにして)滅びの道に進めば、宇宙が保護します。死の道に進めば、反対に命を奪おうとした人が死ぬのです。うまくいかないように思え、滅びるように思え、消えてしまうように思えるのですが、生き残り、栄え、発展するというのです。反対なのです。それは、神様が保護するからです。宇宙が保護するからなのです。
12 私は監獄生活もたくさんしましたが、全体のために生きる生活をしたところ、監獄で私のために命を差し出して従う人々をたくさん目にしました。工場で働くときも、彼らはお父様のそばに来て働こうとします。
ダンベリーでもそのように過ごしていると、ある人が「お父様と親しくなりたいのだが、近づき難くて話ができない」と言ったそうです。何度も私の所に行ってみたのですが、口が開かなくて話ができなかったというのです。それが不思議だというのです。お父様にはそのような何かがあります。
荒々しく拳を振り回していた人々が、なぜそのようになったのか分からないというのです。それでも、私に対して好感をもつのです。お父様には不思識な力があるということです。神様の心情と、神様はどのようにいらっしゃるかを知り、全体のために生きようとしていくと、話をしなくても自然に権威がつくのです。
13 ダンベリー刑務所にいる人々の年齢の割合を見ると、三十歳前後の人が多くいました。それを越えると、だんだん少なくなっていきます。そこに入ってきた人の中の相当数が、麻薬のゆえに来た人々です。そして、大概、キリスト教の信仰をもっていた人々です。ほとんどがプロテスタントかカトリック信者の家庭の人々なのです。
そのような若者たちがそのようになったという事実は、プロテスタントの指導者である牧師やカトリックの神父たちが、責任を果たせなかったことを意味します。彼らが悔い改めなければならないと切実に感じました。私がアメリカで新しい旗を掲げて現れて、そのように腐敗し、死の道に落ちていく若者たちにどれほど影響を及ぼしているのか、良い面で影響を及ぼしているのか、悪い面で影響を及ぼしているのかという問題を中心として、深刻に分析せざるを得ませんでした。
14 私が監獄に行っている時、本当におもしろかったのは、必ず天が相対する者を連れてきてくれたということです。本当に不思議です。ダンベリーに入ると、あるイタリア人がいたのですが、彼は私に会うと、訳もなくうれしくなるというのです。なぜそうなるのか不思議だというのです。御飯を食べて働きに出れば、お父様がいるかいないか一度来て確認してこそ心が安らかになるのですが、それはなぜかというのです。自分の妻と初めて愛する時も、このようなことはなかったと言いながら、本当におかしいというのです。
お父様といれば天下万事に心配がなく、一人で離れていれば、だんだん心配になるというのです。それで、私が寝るとき、その人が夜を徹して護衛をするということが起きました。それは、命じたからといってやりますか。お父様を保護しなければならないことが分かるというのです。自分は眠らなくても、守ってくれました。それは、自分から願ってするのであって、強制ではありません。自分の心がそのようになるのです。
15 お父様は、一度決定して実行したからには、その結果が悪かったとしても、不平を言いません。私はアメリカに来て迫害を受け、ダンベリーに行ってきましたが、それに対して不平を言わないのです。それがアメリカ社会を知り、アメリカ人を知り、西欧社会の制度を知るのに役に立つことはあっても、損害にはならないというのです。ですから、アメリカの人たちが知らない監獄の世界まで、私は知っているのです。アメリカの実情を誰よりもよく知る人です。監獄まで知っているというのです。その監獄まで、これから天国化しなければならないのですが、その使命は簡単ではありません。
私が監獄にいた時、監獄にいる人の中で私に従ってこようとする人が本当にたくさんいました。だからといって、私が説教をしたわけでもありません。話はしませんでしたが、毎日過ごす生活を通して彼らに影響を与えたのです。ダンベリーにいた人々に、私が「集まりなさい」と言えば、恐らく監獄から出てきた人は、みな来るだろうと思います。多くのアメリカ人たちは、(お父様のことを)「嫌だ、嫌だ!」と言うのですが、監獄にいる人々はお父様を歓迎したというのです。
16 ダンベリーの監獄に大きな岩があるのですが、今も懐かしく思うのが、そこに座って休めたことです。土曜日と日曜日は休まなければなりません。かといって、寝てばかりいられません。夏は部屋に座っていると息苦しいので、山のやや小高い場所にある岩の所に行って寄り掛かって座り、グウグウいびきをかきながら居眠りをして、はっと目を覚ましたことが何回もあります。それがどれほど懐かしいか分かりません。今まで私は、そのように寝てみたことがありませんでした。心置きなく、四肢を伸ばして眠ることができますか。公的な人は大変なのです。
17 アメリカの監獄に入っても、心配はしませんでした。監獄がどれほど気楽か分かりません。私は、以前は三時間しか寝なかったのですが、そこでは八時間寝なければ御飯をくれないのです。ですから、眠れなかったことをすべて蕩減しました。遊ぶこともできないほど忙しく生きてきたのですが、そこでは、休みの日になると、終日二十四時間、遊ぶしかありません。一日中、本を読んでも、誰も恨み事を言いません。ですから、「神様、ありがとうございます」と言ったのです。反対のことが起きるというのです。
分かってみれば、こちらからあちら側に行かせるための天の作戦でした。私がすることを、サタンはできないのです。私は二つの面をすべてこなしましたが、サタンは二つの面をこなすことができません。一つの面の専門家にしかなれないので、両面の専門家には負けるしかないのです。解放圏に向かっていくときにサタンが付いてくることができないので、アメリカが屈服し、世界が屈服するのです。今や、私に反対する人はいません。
18 イエス様も、十字架上で「怨讐を愛しなさい」と語り、お父様も、ダンベリーでアメリカ国民に対する愛の基準を立てました。お父様は、ダンベリーで怨讐を愛しました。ダンベリーに入ってみると、囚人たちが何人か集まって座れば、みな刑務所の職員たちを批判し、政府を批判していました。ところが、お父様は批判をせず、同情して彼らを感化させました。結局は、彼らが尊敬できる愛の環境で束ねたのです。お父様の愛に同化させました。愛はすべてのものを治めるのです。お父様は監房にいるのですが、彼らは我知らずお父様を尊敬し、お父様の愛に包まれていくようになったのです。
「共産主義の終焉」宣布と多様な勝共運動
真のお父様は、一九八五年八月、スイスのジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー世界大会」で、ソ連帝国の滅亡を預言した「共産主義の終焉」を宣布するようにされた。そして、中南米の赤化防止のため、「ワシントン・タイムズ」を通してニカラグアの支援活動を行われるなど、獄中でも、世界平和のために休むことなく多様な活動を展開された。
1 ダンベリーの獄中で、「共産主義の終焉」を宣布しました。私が監獄にいるとき、「世界平和教授アカデミー」の国際会議の責任者であるカプラン教授が三度も訪ねてきて、「終焉」という言葉をやめて、「ひょっとしたら(maybe)そうなるかもしれない」という言葉を使おうと言いました。ですから、「五年以内に事が起きれば、どうするつもりか」と尋ねました。五年以内にそのようになったのです。共産世界が滅びることを知っていた人は、お父様一人しかいません。言論界や宗教界をはじめ、誰も分かりませんでしたが、世の中が反対するお父様だけがそれを知り、「共産主義の終焉」と天の国の開門を宣布したというのです。
2 アメリカは私に反対しましたが、私はアメリカを愛しました。アメリカ人以上に国のために生き、国を愛する位置に上がっていかなければなりません。そのようにしなければ、復帰歴史が成就されません。アメリカの国民の中で、自分の国を愛し、そのために尽くす愛国者たちよりも、私がその人々以上にアメリカを愛したという条件を立てられなければ、帰る道がありません。
ですから、「ワシントン・タイムズ」を造る時、最初に支払うお金を法廷のテーブルで決裁したのです。私をたたき潰そうと、すべてが追い立てるその中で、アメリカを生かしてあげるために「ワシントン・タイムズ」を造りました。
3 お父様がもっている武器は、愛です。アメリカも、私がダンベリーにいながら生かしてあげたのです。ダンベリーにいる時、「ワシントン・タイムズ」に「インサイト」誌と「ワールド・アンド・アイ」誌を創刊するように指示し、六つの団体をつくりました。それをつくったので、今日、世界的な基盤を築くことができたのです。
4 アメリカのレーガン大統領が、ニカラグアに対する千四百万ドルの支援案を国会に提出しましたが、拒否されました。だからといって、アメリカに住む二億四千万の民がいくらでもいるのに、神様は何かもどかしくて、ダンベリーにいるお父様を夜中に起こし、呼び出して命令を下されるのでしょうか。「あなたがすぐにしなければならない」と言われるのです。それで、すぐさまお母様に電話をしました。「『ワシントン・タイムズ』が生死を懸けて、ニカラグアの支援問題を解決しなければならない」と言ったのです。これは、言論界ではあり得ないことです。
その時は、レーガン大統領はドイツに行っていて、アメリカに不在の時です。責任者たちを呼び寄せ、「『ワシントン・タイムズ』が中心となってアメリカ国民を通じて千四百万ドルの募金を集めよう」と言ったのです。「私たちが責任をもとう」と言って立ち上がりました。それをしなければ、一カ月以内に、私が即刻、現金で支払うつもりでした。それで、「論説を書きなさい。宣布しなさい」と言ったのです。偉大な指導者は、先頭で宣布して、後ろに消えていくのです。「編集局長に直接電話をかけて伝えなさい」と言いました。そうして、「ワシントン・タイムズ」がこの募金運動を行って、ニカラグアを後援したいと思うすべての国民を動員したのです。
お父様の立場を神様が助けてくださり、巨大なアメリカの世論が七週で完全にひっくり返りました。このようになって、国会で二千七百万ドルの支援案を再度審議して、通過させたのです。
5 神様が、ニカラグアをはじめとする南北米を中心として、地上天国の基地をつくろうとアメリカを祝福してくださったにもかかわらず、南米を失ってしまいかねない状況に置かれるようになりました。神様が、アメリカには大統領もいて、牧師をはじめとするありとあらゆる人がたくさんいるのに、監獄に入っているお父様を訪ねてきて、「アメリカを救いなさい」と指令を下さなければならない悲惨な事実を、皆さんは考えてみたでしょうか。
その時、皆さんがお父様の指示を疑うのと同じように、「これは神様の命令なのかどうか分からない。少し待ってみよう」と考えていれば、どうなるでしょうか。お父様に直接命令を下したので成功したというのです。一日か二日遅れるだけでも駄目なのです。その時は土曜日の夜で、次の日が日曜日なので、アメリカの政府機関がすべて休む日です。その時は、仕事をしていないことを、神様はすべて知っているのです。もし月曜日の夜にそのようなことをしていれば、「ホワイトハウスと組んでやった」と言われる可能性があるのです。
6 神様は、お父様が監獄にいる時も休まず指示を出しました。ニカラグア問題を解決するために、ありとあらゆることをしなさいと言ったのです。お父様のゆえに、アメリカの世論がニカラグア問題を中心として沸き立つので、国会で棄却されていた支援案を再び通過させたのです。
お父様が「ニカラグアに二千七百万ドルの支援をしなさい」と言いました。もしそのようにしなければ、ニカラグアは共産勢力の手に渡り、メキシコからグアテマラ、ホンジュラスなど、五カ国も共産化され、本格的な戦闘態勢に入ったでしょう。国会でも、自分たちがしなければお父様が一人ですべて支払ってしまうことを知っているので、恥ずかしいこともあって支援案を通過させざるを得なかったというのです。そのようにせき立てたのです。
7 ダンベリーの監獄で六つの団体をつくりました。信仰の自由のために、九日間でつくったのです。そのような役事を一気にすべてしてしまいました。このように怨讐国家を救うためにつくられた体制が、今や厳然たる現実的社会の中枢的な場で問題になったのです。それに対してアメリカ国民は、反対するのではなく、付いていかなければなりません。そのように歓迎できる条件をつくっておきました。
それは、根本に帰っていける道をサタンが塞いでいるからです。自由世界を主導するアメリカをサタンが阻んでいるので、天のみ前に、アメリカ国民がアメリカを愛する以上にアメリカを愛したという条件を立てて、神様の判定を受けるのです。神様のみ前に愛を中心として、どちらがより秀でているかという価値基準を決定し、ダンベリーでの勝敗を競ってきたのです。
アメリカのキリスト教聖職者の糾合と原理教育
真のお父様に対する宗教弾圧に抗議する集会が、アメリカの四十教団の聖職者たちが参加し、一九八四年五月三十日、ワシントンDCのローズ会館で聞かれたのに続き、六月十一日にはニューヨークのシェラトン・ホテルでも開催された。このような宗教の自由と和合のために集まった聖職者たちを中心に、アメリカのキリスト教再復興のための活動が展開された。併せて、真のお父様は、ダンベリー刑務所に収監中の一九八五年二月二十八日、三十万人以上のアメリカの聖職者たちに、宗教の自由と和合を促す親書と原理講義のビデオテープ、そして、『原理講論』をはじめ。み言集を送られた。また、キリスト教の聖職者七千人に対する教育を指示され、彼らを韓国と日本などに招請して、「統一原理」公聴会を実施された。
8 カナンの福地に入るのは、アメリカ政府に対して勝利するとき、可能になります。簡単です。裁判をする前にこのようなことが分かったので、万全の準備をして、アメリカ政府の背後の深い所まで動かせる基盤を築いてきたのです。昔のモーセのように失敗するお父様ではありません。カナンの福地に入ることもできずに死んだモーセと同じではないというのです。
イエス様が十字架で亡くなって失ったものを復帰できる時が来たのです。キリスト教は、ローマ帝国を中心としたユダヤ教と同じです。そして、今、お父様はその時のイエス様と同じです。イエス様が十字架を背負う時は、ユダヤ教とローマ全体が分かれていきましたが、お父様が十字架の過程を越えていくこの時、統一教会員たちは逃げていきませんでした。十二弟子は逃げていきませんでした。キリスト教が反対する立場ではなく、歓迎する立場で、キリスト教の四十の教団が一丸となって宣誓をしたのです。ですから、アメリカ政府が「レバレンド・ムーンを支持し、協力する」と一言だけ言えば、すべて終わるというのです。
9 イエス様は、ユダヤ教とユダヤの国の歓迎を受けられなかったことを収拾し、反対の立場を中心として、再びユダヤの国とユダヤ教が協助できる基準を復帰するため、第三の舞台に進み出た時、迫害を受け、闘っている中で十字架を背負いました。
これと同じように、お父様も今日、国家的基準である韓国から、キリスト教と世界基準においてまで歓迎を受けられなかったことによって、第三者(無関係)の立場で追われるようになりました。ですから、そうならないためにアメリカに来たのですが、アメリカでもやはり反対を受けたのです。反対を受けながら、最後にはダンベリーの十字架まで掲げて立て直さなければならない運命の道を行きました。洗礼ヨハネがイエス様に侍ることができなかったことによって、ユダヤの国とユダヤ教の反対はもちろん、そこにローマの反対まで加わったことは、恐ろしい事実です。
統一教会が韓国で基盤を築けず、反対を受けることにより、キリスト教とアメリカの反対はもちろん、さらに世界的基盤をもった共産主義の反対を受けているという事実は、イエス様の時と全く同じ立場です。ローマが反対したのは、自由世界のアメリカが反対したのと全く同じです。ですから、アメリカの監獄に入って何としてでも教会を動かし、連合運動を起こさなければ、問題が大きいというのです。
10 私がアメリカに来た目的は、キリスト教を救うためです。キリスト教の牧師たちを何としてでも動かして、アメリカを神様が願われる方向に導いていきながら、世界のキリスト教を連合し、世界の国家を神様のみ旨の真ん中に引っ張っていこうというのが、神様のみ旨です。ですから、アメリカの教会の牧師たちに対して、神様のみ旨の方向に向かわせることが、私がアメリカに来た目的です。
荒野四十年路程を経て、今やイスラエル民族が新しい地域に大移動をするとともに、定着しなければならない時が来るというのです。統一教会は、どこに行って定着するのでしょうか。神様が願っているアメリカに定着して、新しいアメリカをつくらなければなりません。新しいアメリカ、理想的なアメリカをつくることを神様が願われていると知っているので、お父様はアメリカに来たのです。新しいアメリカをつくるためには、共産主義に対して勝利しなければならず、家庭破綻と青少年の淪落を防がなければならず、キリスト教の新しい復興を起こさなければならないというのです。そのようにしなければ、アメリカを生かす道がありません。
11 アメリカは、キリスト教というものが名前だけ残り、人本主義と拝金主義と共産主義が表面に立って国を動かしている立場にあります。今になってようやくアメリカ政府は、これがキリスト教にとって怨讐となり、キリスト教に反対するものになることが分かりました。国会では、宗教に有利な法の条文を何度もひっくり返し、自分たちの側に立って神様とは遠い立場に引っ張っていくことが分かりました。
ですから、お父様のダンベリー事件は、このような問題を掲げて、信仰の自由化運動による統合運動を提示できる良い機会でした。それで、監獄に入る前から信仰の自由化運動をするとともに、監獄に入ってからもキリスト教徒統合運動のための準備をしたのです。アメリカが持て余す共産主義に対処するための南北米統一連合運動と、キリスト教再復興運動を中心にした神霊運動を連結させたのです。これがお父様の運動であり、統一教会の運動でした。
12 今までアメリカは、自分の国だけのためのアメリカだったのですが、それではいけません。世界のためのアメリカとして、世界を救い、世界をリードしなければなりません。ところが、世界をアメリカの支配下に置くことを願い、アメリカの利益を追求するために、神様も何もすべて放り投げたというのです。世界人類のための平和の世界創建ということを忘れてしまい、アメリカだけのための勝利的基盤を(国民に)相続させようとする態度をとってきたので、ここから神様の役事が離れてしまいました。神様が世界的に活動できる基盤が現れなかったというのです。
そこから、アメリカはだんだんと落ちていきます。それにより、カインが再び侵犯するのです。カインは、世の中の習慣性を中心とした伝統的な思想によって動きます。アメリカであれば、アメリカの生活を中心とした伝統があります。その習慣化された外的な世界基盤を中心として、そのもとにキリスト教をすべて追い込もうとするのです。ですから、その時からアメリカ政府がキリスト教に反対し、宗教の自由権を侵食して、学校で祈りを捧げることを問題視したり、キリスト教の学校に対する支援策を撤回したりするなど、次第に多くの問題が現れ、それが、お父様がダンベリーに入る時に最高潮に達しました。そのような状況でダンベリーに入ることにより、初めて、そのようなことに対する覚醒が起きたのです。
13 イエス様の時代には、すべて失ってしまいました。弟子を失い、教会と国と世界と天地を失ってしまったのです。その失ってしまったものを、お父様がダンベリーから出てくることによって、すべて取り戻せる運勢圏になりました。これから世界を主導でき、リードできる実権をつくらなければなりません。
皆さんは八段階の蕩減路程について学びましたが、いつ誰が蕩減しましたか。皆さんができなかったので、お父様が長子の使命を果たすのです。アベルの証し人として、長子の使命を果たすというのです。このように、長子であるお父様を中心とした統一教会が、次子の位置から長子の位置に上がっていきます。昔の長子が次子の位置に立たなければなりません。逆さまにならなければならないというのです。
言い換えれば、長子だったサタン側のキリスト教が次子の位置に立ち、長子となった統一教会に順応してこそ、天の道理に従って回っていくことができるのです。蕩減復帰をしてこそ、長子権と次子権の基盤の上で父母様が世界的によみがえることができます。原理がそのようになっているので、この位置がなければ、世界を主導できる父母の世界圏が出てきません。サタンと闘って長子権を取り戻してくるのです。お父様が長子権を取り戻したので、長子と次子が回っていくのです。
ダンベリーに入った日は、一九八四年七月二十日でした。その時、黒人の代表と白人の代表が、お父様を中心として一つになりました。イエス様が十字架についた時は、イエス様を中心として二人の強盗が争いましたが、お父様の時代に彼らが一つになったという事実は、白人世界と黒人世界が連結される最上の橋が架かったことを意味します。
14 キリスト教の信者たちの中から、「神側にあるキリスト教が、政府や外的な人本主義思想、共産主義、唯物思想をもった人から指導を受けてはならない。キリスト教思想を中心として、アメリカを完全に元の体制に戻さなければならない」という覚醒が起きました。お父様がダンベリーに入ることによって、そのような運動が起きたのです。その運動も、組織も、お父様が始めたものです。
その時、七千人以上のアメリカの牧師たちを韓国に連れてきて教育しました。彼らは韓国に来て、「神様を中心としたキリスト教運動は、アメリカが一番ではない」ということを知りました。アメリカが一番だと思っていたのに、韓国のキリスト教が、外形的にではあっても、発展していたというのです。
15 私は、ダンベリーの獄中にいながら、七千人のキリスト教牧師の連合運動をしました。これは、旧約時代の七千の群れ、エリヤのところに残った七千人の群れと同じです。イエス様の時代にも、イエス様を中心として七千人が一つになっていたならば、イスラエルの国を動かしたでしょう。それを現実的自由世界の舞台で再現するのです。その時は国家基準でしたが、今は世界的基準なので、七万人の牧師を結集する運動を行うのです。
16 イエス様の前に、洗礼ヨハネを中心として七千の群れが結合していたならば、イエス様はあのように死ななかったでしょう。ですから、アメリカで七千人以上の牧師たちを中心として、三十二万人の聖職者に「統一原理」に関する内容を通告したのです。『世界への神の警告』という冊子を作って配布しました。そこには原理の秘密がすべて入っています。私の責任を果たしました。次子のアベル圏を中心として、長子圏を屈服させたのです。
監獄に入って、出てきてみると、「レバレンド・ムーンでなければキリスト教に新しい方向を提示してくれる人はいない」というのが、神学界の結論として出てくるようになりました。アメリカの朝野が、もはやお父様の思想でなければアメリカを収拾できないという結論を下しました。これからのキリスト教が行くべき方向、アメリカが行くべき方向を提示したのです。
17 イエス様の十字架路程の世界的な蕩減的同時性の時代を迎えたお父様は、仕方なく追われてダンベリーの監獄に入りました。それは、エリヤが祈った立場と同じです。アメリカのキリスト教が反対し、政府が反対しました。(お父様を)何とかしようと謀議し、自分たちのためにお父様が終わりになることを願ったのです。彼らは私の命を奪うことができなかったから奪わなかったのであって、奪える方法があったならば、ありとあらゆることをしてでも奪ったでしょう。しかし、自分たちの思いどおりにできなかったのです。
そこでお父様は、キリスト教の牧師を七千人以上集めて教育しました。原理の本から「勝共理論」と「統一思想」、今まで語った重要な内容を抜粋して獄中で作った『世界への神の警告』という本も送ってあげました。
お父様が監獄に入ることによって、アメリカのキリスト教界では「政府が宗教を弾圧している」と言って、四十の教団が団結する運動が起きました。それで、お父様がいる獄中に入り、一週間ずつ自分たちも苦難に同参しようという「同苦の会」というものをつくって運動を展開するようになり、アメリカ全域で問題になったのです。
18 お父様は、ダンベリーにいながら、キリスト教の指導者七千人以上に対する教育を始めました。そのようにしてから、南北米統一連合運動を活発に展開し、また、キリスト教の牧師七万人を教育しました。四年間でそのようにしたのです。これが、キリスト教に基盤を築くための計画でした。
私たちがアベルの立場であり、キリスト教はカインの立場です。アメリカでキリスト教指導者たちと統一教会が一つになることによって、アベルとカインが一つになるのであり、キリスト教指導者たちと統一教会が一つになることによってアベルの立場になり、アメリカ政府はカインの立場になるのです。
これらを、神様の思想、真の父母の思想をもって一つにするのです。これが神様の目的です。このような基盤を築いたあとに、アメリカは本然の神様の側になるのです。アメリカの最後の目的は、神様の理想世界です。本然の地上天国です。それが最終的な目標です。それは、アメリカの目標であると同時にキリスト教の目標であり、統一教会の目標でもあります。このような基盤を築けば、世界人類を教育することは問題ありません。
「開天門の日」宣布
真のお父様は、一九八五年二月一日早朝、ダンベリー連邦刑務所からイースト・ガーデンにいらっしゃる真のお母様に電話をかけられ、霊界と肉界の門を大きく開いて連結する「開天門の日」を宣布された。そして、「これを通して地獄から天国にまで上がれる高速道路を築いた」と語られた。
1 お父様は、一人でゴリアテの前に現れたダビデのようにアメリカと闘っています。現在、闘い始めて十三カ月目です。十三数は、アメリカでは一番悪い数です。十三カ月間闘って終わらせるのです。四百日近く闘ってきているのです。
監獄に入り、天上にまで上れる道を開いておきました。地上地獄から天上まで高速道路を造ったのです。ですから、父母様として立ち得る条件を、監獄にいる期間にすべて立てました。
2 お父様は、一生を経ながら、父母の立場で子女たちが行くべき道に責任をもち、すべて築き上げました。皆さんが父母様を愛するその愛で、人類を愛する立場に立つようになれば、皆さんは父母様と一つになり、(父母様と)水平に立つようになります。そのようになれば、堕落した心情圏はその下に位置するようになるので、サタンが皆さんに手を出すことはできません。皆さんは、天の国に直通できるというのです。そのようなことを始めるためのものが、「開天門の日」宣布です。
私がダンベリーにいる時にしたのです。一九八四年七月から翌年一月まで、十三カ月の監獄生活の半分となる七カ月の期間に、監獄の一番どん底、地獄のどん底に入っていって門を開きました。その門を開いたので、心情圏を中心として、サタン世界を解放してあげられるのです。
3 一九八五年二月一日に、天上世界と地獄の門を開く「開天門の日」を宣布しました。極と極の位置に立てておいて連結したのです。平衡の極ではなく、垂直的な極です。これを連結する場で、初めて解決点が生じるのです。霊界と肉界を連結させるのです。神様の心をもって、愛の力が連結される業をしなければなりません。
4 地獄を解放しなければ、天国が完成しません。堕落する前は地獄がありませんでした。サタンの血で汚された根を天の血で清め、本然の根の形態を備えて再び実を回復するようになる時、天国の門が開かれるのです。
そのようなみ旨を知っている私たちが見るとき、天国の門が開かれる前に地獄が生じたというのは、悲惨な話です。「地獄がある」という話自体が悲惨なのです。堕落によって地獄ができました。地獄ができたので、地獄まで天国にしなければならないのです。真の父母は、地獄解放まで提示できる心情圏を、すべて展開させておかなければなりません。世界が切迫しているというのです。
5 霊界に行っている先君の王権を中心とした忠臣烈女たちが地上に降りてきて、「真の父母の王権を中心とした理想圏で、父母様にみな従っていきなさい」と言いました。霊界でも、父母様の知らせをすべて聞くのです。これからは良い知らせが入ります。みな「有名だ」と言うようになっています。ですから、「悪い」という言葉は消え、「良い、良い」といううわさが立って、霊界にいる自分の先祖たちがしきりに来て、教えてくれるのです。
霊界にいる善なる先祖たちが地獄にまで入っていって教育するのです。その門を私がダンベリーで開いておきました。一九八五年二月一日の午前三時に、監獄で、お母様と共に、地獄と天国に高速道路を造っておいたのです。
高速道路は通りましたが、準備をしなければなりません。車がなければならず、運転を習わなければならず、ガソリンがなければなりません。それは、皆さんにはないのです。自分の先祖たちがもってくるのです。自分の先祖たちが車をもってきてガソリンを入れ、運転を教えてくれて、善なる霊界に引き上げる運動を始めたというのです。
6 統一教会によって天国の門は聞かれたのですが、まだお父様が行っていないので、天国に入った人はいません。私が探しに探し、底まですべてかき回して合わせてみると、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、霊界、天の国の玉座まで直通できるたった一つの道があるというのです。その道には、愛の旗で信号を送らなければならないのであって、それ以外の信号では通じません。行くことができないのです。天国に行く自信がありますか。愛の自動車を運転していくのです。そのようになれば、天使は愛の自動車に信号を送り、天国に案内するのです。そこは高速道路になっています。
お父様はダンベリーで、お母様はイースト・ガーデンで、初めて天と地が通じる門を開きました。ですから、天上世界に何千年も前に行った人々が天国に行こうとすれば、自分の子孫たちを通して、地獄を経由し、地上の位置に来なければなりません。天国に行こうとすれば、地獄に勝たなければなりません。地獄に勝った人が天国に行くのです。
7 私は、アメリカのどんな先祖よりも、血の涙を流しながら神様を紹介しました。ところが、彼らは反対に、自分たちの野心のために血を流させたのです。このようにして監獄に入って出てきたので、世界の長子権復帰が成立したのです。すべて、打たれて奪ってくる作戦を取りました。そこから世界復帰、天宙復帰時代になるのです。地獄世界解放のための闘いをしました。
アメリカで、一九八五年二月一日午前三時を中心として、開天門の役事を行ったのです。私が自分自身のことをまず考え、統一教会を考えたならば、監獄に入りません。アメリカのことだけを考えるのではありません。地獄の門を開き、霊界に行っている歴史的カインを消化しなければなりません。そのようにしなければ、長子権の個人を復帰するための長子権の門を心情圏で開くことはできないというのです。
長子権の個人からすべて開いたので、世界史的な長子権を中心として出ていくとき、反対することはできないという結論が出るのです。
出監と真の父母様の勝利
真のお父様は、第二百十回アメリカ独立記念日の一九八五年七月四日、ダンベリー連邦刑務所を出所され、ニューヨークの外れにあるブルックリン、ハーフウェイ・ハウスに移監されたのち、残りの刑期を終えられ、一九八五年八月二十日午前零時、完全に出監された。模範囚に選定され、刑期が五カ月短縮されたのである。真のお父様はダンベリーでの受難を通して、真のお母様と一体となられることにより、世界的蕩減復帰路程を勝利に導かれたのである。
8 お父様がダンベリー刑務所から出てくる時には、多くの囚人たちが歓送しようとしました。そうして、私が何日の何時に出所するかを彼らがあらかじめ把握したあと、「道に出ていって見送りしよう」と言っているのを刑務所の所長が知って、大変なことになったと考えたのです。文某が出ていく時、二百人近い人々がみな出てくれば大騒ぎになりそうなので、「午前八時に出所する」と言っておいて、七時に他の所から送り出したのです。
私が出発したあとに囚人たちがそれを知り、「全く、なぜそのようなひどいことができるのか」と騒ぎ立て、抗議したというのです。通りすがりのお客さんだと思っていた一人のアジア人が、荒々しく凶悪なその社会に入って、一年間で彼らと涙の交流をしたのです。
9 私がアメリカのダンベリーにある監獄に一年一カ月の間いた時、ダンベリーの多くの囚人たちが私を尊敬しました。彼らは、監獄から出ることになったら、自分がもっている貴い物を私にすべて預けて出ていき、統一教会を訪ねていくと言ったのです。今でも「訪ねてきなさい」と新聞に広告を出せば、訪ねてくる人たちが多いでしょう。
彼らに、「統一教会に行きたければ、監獄で訓読会をする時に参加しなければならない」と言うと、互いに「参加する」と言ったのです。そうすると、刑務所で問題になるというのです。七人以上集まらないように制限されているので、互いに先を争って集まろうとする環境がつくられました。そのように暮らして監獄から出る時、その人々はお父様を見て泣きました。男性の囚人たちが、お父様のことが慕わしくて涙を流すとすれば、監獄生活を正しく送りましたか、送れませんでしたか。お父様が行く所は、どこでも問題になるというのです。
10 一九八五年は、アメリカ独立二百十年目になる年です。二百十回目の独立記念日の七月四日にダンベリーから出所したというのは、新しい歴史的次元、国家的次元に飛躍できる時代に越えていくことを示しています。独立記念日に解放されたというのは、新しい出発の表示だというのです。摂理史的な意義が大きいのです。ユダヤ民族がバビロンから二百十年目に解放されて故郷に帰ってきたという事実もそうです。新しい聖殿を造り、新しい国家理念をもって出発し、新時代に越えていくことを意味するのです。
ですから、一九八五年七月四日のアメリカ独立記念日は、お父様の日だというのです。そこには、そのような意味が込められています。年代的な期間で見てもこのような意義があり、このような摂理歴史が伴っていることを考えなければなりません。
今後、一九八六年七月四日になれば、お父様のことを思う人がアメリカに徐々に増えてくるというのです。そして、「統一原理」と「統一思想」を知る人々にとって、お父様がアメリカに来て監獄で過ごし、解放された日は、一生を通じて忘れようとしても忘れられない日になるのです。既に、独立記念日と言えば、お父様が監獄から出てきた日、解放された日であることを記憶せざるを得ないというのです。
11 イエス様が十字架で亡くなったあと、三日と四十日を合わせて四十三日の期間に、イエス様が死の中から復活するなどの役事がありました。本来は、一九八五年七月八日にダンベリーから出てくる予定でしたが、七月四日に出てきました。七月八日からきょうの八月二十日までが、正に四十三日になる期間です。
イエス様が復活したのと同じように、イエス様が取り戻すべき復活圏、キリスト教文化圏を実体的に取り戻すためには、この期間にすべて、統一教会員として完全に立たなければなりません。アメリカ国民も、この期間にすべて回らなければなりません。ですから、この期間にお父様が復活するのです。昔、イエス様の時にはイエス様の弟子たちだけが復活の栄光を受けましたが、今や実体的にアメリカ国民まで合わせて、その栄光に参与できる基盤ができなければなりません。
お父様のことをサタンだと思ったのですが、分かってみれば天の人であり、私たちが反対すべき人ではなかったことをアメリカ国民が知るようになりました。そうして、キリスト教が悔い改めて立ち上がるということが、アメリカの中で今始まっているのです。
お父様がダンベリーにいた十三カ月の十三数というのは、イエス様を中心として十二弟子を合わせた十三数と同じです。この十三数は蕩減復帰数です。けれども、西欧社会では十三数が一番悪い数になっています。しかし、今や完全に蕩減復帰をしたというのです。
12 私が監獄に入る時は命懸けでした。そこでは、人を一人片づけてしまうことは簡単なのです。神様にとって、私の命が奪われては大変なことになるので、行くやいなや天が配置した人々がいました。そのような謎めいた内容が多くあるのです。夜になり、私が寝床に入って眠るときは、私を守ってくれる人がいました。夜十二時から早朝四時まで、眠らずに守るのです。それは、人間がしてくれるのではありません。
私がダンベリーを出て、社会に出ていくための中間訓練場であるハーフウェイ・ハウスに行ったときもそうでした。出る前に、既に霊界通信網を通して、私を保護できるように一週間前から準備していたのです。黒人一人と中国人一人が待っていました。私が夜十二時から早朝五時まで寝るとすれば、その人々は交替でテレビを見ながら、ドアの所でしっかりと守っているのです。見張るのです。誰が保護したのでしょうか。神様が保護してくださったのです。
13 私が監獄から出てくると、アメリカの立派な牧師が十二人来て、私をつかんで抱きかかえたりして大騒ぎでした。私は会ったこともなかったのですが、その人々は、なぜそのようにしたのでしょうか。挨拶もしたことがなく、一度も会ったことがないお父様に対して、なぜ涙を流しながら喜んだのかというのです。
それは、アメリカという国自体に対する羞恥心と、お父様が宗教者として偉大な実績を積んで、善の道を中心として闘争したその価値を考えたからです。
自分たちの一生と比較するとき、みな頭を下げざるを得ないというのです。話をしなくても、老いたその人々が涙ぐみ、その青い目から大粒の涙が落ちるのを見ました。自分が監獄から出てくること以上に喜ぶのを見ながら、「善の世界はこのような所から、このようなチェーンがつながって発展するのだな」と思いました。滅びるしかないアメリカに、私によって新しい輪ができたのです。難破して流されるしかなかった船に、錨の綱をくくりつける輪を、私がつくってあげたというのです。取り除く者がなく、切る者がない錨の綱でくくりつけるとき、アメリカは生きるのです。お父様が正義の綱でアメリカを愛したので、断ち切ることはできず、アメリカは復活してよみがえると考えるのです。
14 私がダンベリーに行くことによって、世界的な総蕩減をしました。ダンベリーに行ったのは、地上世界の全体から反対されるのを代表する立場で、十字架を背負っていったのと同じです。その十字架を背負った目的は、霊界の統一と地上の解放のためです。統一が目的だというのです。ですから、私がダンベリーに行く時には、アメリカをはじめ、地上のすべての団体が動員されました。ユダヤ教からキリスト教、宗教すべてが、その次にはアメリカから世界各国、すべてが動員されました。何しろ、中央情報局(CIA)を通して二十五カ国を調査したのです。このようにして、条件があれば引っ掛けて押し込めようとしました。そのように、世界的に自分たちのもてる力を尽くして反対したのです。
私たちがそのように反対を受けたのは、霊界を奪い返すためです。霊界を奪い返すことが目的です。私たちの統一基盤を打って倒し、破壊しようとしたのです。そこでは、お父様とアメリカ政府は一対一でした。言い換えれば、アメリカ合衆国が原告になり、私が被告になって闘ったのです。そうして、これをひっくり返しておきました。この事実は、霊界が統一圏に入ってきたことを意味します。ですから、一九八五年から約三年間、霊界が地上と歩調を合わせていかなければなりません。霊界の統一圏が広がったので、地上と歩調を合わせていかなければならないというのです。
15 歴史時代の宗教者の中で、世界的に最も迫害を多く受けた代表的な路程を歩んだアベル的な一人の人物が、二十世紀後半に現れたお父様です。そのような路程を歩みました。ダンベリー刑務所に放り込んで「滅びよ、死ね」と言ったのですが、神様が助けてくださり、滅びることもなく、死ぬこともありませんでした。分かってみれば、人類全体を救うための義人だったというのです。それでみな、頭を下げるのです。
16 神様が今まで、サタンを屈服させられなかった原因はどこにあるのでしょうか。そして、人類が今まで、サタンを屈服させられなかった原因はどこにあるのでしょうか。たった一つ、サタンが主張することがあります。「私が堕落したとしても、本然の原則的基準における父母の心情から見れば、神様は私を愛するようになっていて、神様の息子も私を愛するようになっています。そのように愛してこそ、天国に行くようになっているのが原理原則ではありませんか」と言うのです。このように言ってくれば、神様はどうすることもできません。ここにすべて引っ掛かるのです。
「天国に入れる資格をもった者になり、完成した人間の位置に上がろうとすれば、私(サタン)を愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、完成の位置に上がっていける道はありません」と主張するサタンの言葉に引っ掛かっているのです。ですから、イエス様も十字架上で怨讐を愛しなさいと語り、お父様もダンベリーでアメリカ人全体のために祈って、愛の基準を立てたのです。
そのようにして、その愛の軸に、世界の数多くの民族が水平線で連結されています。アメリカに連結されたのです。アベルがすべて連結されたというのです。そのように連結された思想的基準の上では、サタンに侵害する権限はありません。
17 皆さんが復帰の道を行く過程では、豊かに暮らそうと考えることはできないようになっています。苦労しなければならないというのです。そして、夫まで監獄に送りながら、その夫のために精誠を捧げ、一家までも犠牲になろうとしなければなりません。そのような決意を固めるその場でのみ、天倫の歴史が連結されてくるのです。
今回、お父様は、お母様に対して有り難く思いました。ダンベリーを中心として、お母様はたびたび心情的に深い次元の谷間を経験しただろうと思います。そのように暮らしたので、基準が次第に上がってくるのです。今回、ダンベリーを通して、お父様の貴い価値がさらに分かるようになったというのです。
18 お母様が、私のゆえに苦労しました。監獄を信じることができますか。世界の共産党が狙っている状況なのに、そこは裸になって野原に横たわっているのと同じ立場なのです。お母様が涙を流しながら、そのダンベリーに毎日のように通いました。
イースト・ガーデンで生活しながら、涙を流さなかったと思いますか。日曜日の朝五時の敬礼式を行い、祈る時は涙を流しただろうと思います。子女たちも涙を流したでしょう。何のために、そのような涙を流したのでしょうか。
お父様はお金もあり、権威もあり、知識もあります。人々を指導することもできます。しかし、なぜ私がアメリカに来たのかというのです。なぜお父様が、争いを好む人になったのかというのです。それはひとえに、神様のみ旨のためなのです。
復帰路程は蕩減の道
真のお父様は、準備されたキリスト教と中心人物たちが責任を果たせないことにより、六度にわたって獄中での受難を通して蕩減の道を歩まれた。そのような蕩減の道は、神様の恨を解怨成就しようという血と汗と涙の「天路歴程」(天国に向かって歩む道)であった。そして、真の父母様は、蕩減復帰摂理の縦的・横的八段階の過程を成功裏に締めくくられるのである。
1 復帰の道は、蕩減しなければなりません。復帰の道は、蕩城の道です。そこには、自分一身を中心として考え、「私はこのような立場でこのように生きなければならない」という観念がありません。全体的な観念がない中で、「天が残された受難の道を私が歩めずにいる」という事実を感じながら、一歩でも、より早くその受難の道を消化していかなければなりません。批判したり、難しいと思ったりすれば、消化できません。感謝の心をもって消化していかなければなりません。
皆さんと天の違いは、天は高く、皆さんは低いということです。ですから、自分はどのように天の掲げる位置に行くかを常に考えなければなりません。個人と天の違いは大きいのですが、どのようにして平準を取っていくかというのです。天は「私」を訪ねてこなければならず、私は天を訪ねていかなければなりません。私が天まで行くには、困難が大きいというのです。このようにして蕩減するのです。
2 堕落したあとからは、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで、サタン王国になっています。この世界をどのように復帰するのでしょうか。個人を中心として、別々にここに植えるのです。反対になって引っ張っていかなければなりません。脱出しなければなりません。ですから、仏教のような高次的な宗教では出家をするのです。
そして、父と母を愛してはならず、兄や姉を愛してもいけません。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)という聖書の言葉は、逆説的論理ですが、それは、天の道を訪ねていく当然の道理的論理として受け入れなければなりません。ですから、お父様は、この世の中でこのような蕩減法を知って、個人から愛の焦点を合わせ、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、国家的愛の焦点を合わせてきました。そうするたびに、サタンがこれを撃破するためにあらゆる力を使うのです。
ですから、宗教は迫害の道を行きます。社会で良いと言われる道を行ってはいけません。涙と血を流さなければならないのです。頂上に登ってはいけません。目立たない場所にこもらなければなりません。そこが安全地帯です。サタンは傲慢なので、困難な所を嫌います。ですから、最も悲惨な場所が安全地帯です。
3 お父様が二十代から四十代まで過ごしてきた期間は、涙のにじむ闘争期でした。皆さんはそれを知りません。監獄を自分の生活舞台のように思い、拷問を受けるその道を一生の蕩城路程、代価を払うべき当然の路程と思って歩んでいきました。お父様は、国家と宗教界の反対を受け、三千万の民衆(韓民族)が反旗を翻して、反対しない人はいないほど、悲しい立場に追い込まれた歴史を残しています。
4 神様が創造する時、すべての心情を万物に投入し、人間に投入しました。ですから、すべての物質を神様に捧げようとしなければなりません。それで、統一教会の標語が出てきたのです。「涙は人類のために、汗は地のために、血は天のために流しなさい!」です。
そのように生きましたか。そのように生きていなければなりません。深刻な問題です。このように多事多端な蕩減路程です。個人のこの曲折を経ながら、零点をつくらなければならず、(そのために)障壁を壊さなければなりません。それをお父様がすべてしたのです。ですから、一生において重要な時には、監獄に入ったのです。
5 お父様の生涯を見てみれば、監獄にもたくさん行き、拷問もたくさん受けましたが、「ここで死ねば大変なことになる」と考えました。体に拷問の跡を残した立場、呻吟するその立場で死ぬとすれば、問題が大きいというのです。
このような蕩減復帰の道に誰が責任をもつのかというのです。その立場で死を越えることができる感動と衝撃の涙を流せば、天がすべてを収拾してくれることを何度も感じました。拷問が問題ではなく、自分の苦痛が問題ではありません。使命を残して死ぬよりも、恐ろしいことはないというのです。
6 お父様は一生の間、自分を主張して生きてみたことがありません。監獄暮らしをするのと同じです。監獄に入った人は、御飯だけ食べ、おなかがすくときは我慢すればよいのですが、これはそうではありません。
そうして、地上では人がどんどん死んでいくのですが、それは、自分の手が切られるのと同じだというのです。それを感じなければなりません。涙なしに見つめることができない世の中であり、涙なしに神様と向き合うことができない世の中です。お父様は、冬に祈れば、綿のズボンがすべてぬれるほど涙を流しました。
7 お父様は、蕩減路程を開拓してサタン世界を克服し、勝利の基盤を築きました。それは、言葉は簡単ですが、実際は簡単なことではありません。想像もできない複雑な内容が絡み合っているというのです。一秒として失うことのできない緊張の生涯を掲げて越えてきたので、それ以上に深刻になれない人には、これを覆すことはできません。
8 お父様は、アダムに代わって来たので、世界的な蕩減路程を行かなければなりません。一対一の清算です。条件的な清算ではありません。皆さんは、条件的な清算をすることに問題はありません。
また、条件的な清算だけでなく、これからは歓迎できる条件です。自分の家庭が孝子の家庭になることを願い、国が忠臣の国になることを願い、世界が聖人の世界になることを願い、天地が聖子の天地になることを願うのです。
そのようになることができる教育をして、そのように導ける所は統一教会しかないので、世界がすべて願っていることをしなければなりません。このようにして、解放圏をすべてつくっておき、地上に定着できるその時から、「蕩減時代を越えた」と言うことができます。
9 父母は、死の境を越えている子女を見れば、じっとしていることができません。最後まで死力を尽くし、一言でも付け加えることによって復活するようになるならば、父母は万歳を叫ぶようになるでしょう。その境地にならなければ分かりません。
お父様は、一人でも生かすために生死を懸けて闘っています。人類の生命をめぐって闘ってきた生涯でした。それは霊界が知っています。そのような人は、天運が打つことはできません。
そして、いくら監獄に入ることになっても、むしろ反省するというのです。「私が果たすべき投入の限界までまだ至っていないので、このようなことが起きた」と考えるのです。それ以上にしなければならないと考えたときは、後悔がありません。後悔せず、忘れてしまいます。父母はそのような子女を見て涙を浮かべ、永遠を掲げて祝福するのです。心情圏には、そのような背後があります。
10 お父様は今まで、一生の間、蕩減復帰の峠を越えてきました。個人の峠を越え、家庭の峠を越え、氏族の峠を越え、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の峠を越えてきました。
世界が、これまでお父様に反対しました。そして、家庭的に父母たちが動員されて反対したのです。その次には、氏族、民族、国家を越えて世界が反対しました。すべての宗派が反対しました。しかし、除去することはできませんでした。
今になっては、そのように攻撃した側がみな、落ちていくのです。神様が公認します。攻撃して除去できなかったことによって、屈服するのです。ここで、お父様は戦いませんでした。神様の戦略戦術は、打たれて奪ってくるのです。神様の創造理想には、打つという論理がありません。
11 サタン世界を蕩減復帰していくとき、一番の近道は、その国で最も迫害を受ける道を行くことです。その国の監獄のどん底に、この直線の道が連結されています。垂直に通じる道は、受難の道であり、死の交差路のような監獄の道です。その道は、直線と通ずる橋と同じです。ですから、お父様は監獄を訪ねていくのです。それゆえ、天は監獄に追い込むのです。
イエス様も、監獄を経て死にました。その国の主権者の怨讐になる立場が、監獄の底です。頂上に上がろうとすれば、監獄を貫いて上がっていく道が一番早いというのです。主権者を越えていく道で、義なる立場に立って(監獄に)追われるようになれば、主権者が悪なる立場に立つようになるときには、そこから出てくるやいなや、主権者の上に上がるのです。善なる人が監獄に入れば、その人の周辺全体が擁護し、押し上げてくれるようになっています。垂直線の段階に上がっていく一番の近道は、監獄の道を通して訪ねてくるのです。
ついに勝利者となる
真のお父様は、日本統治下で一度、北朝鮮の共産治下で三度、自由世界の大韓民国とアメリカでそれぞれ一度、合計六度にわたって、何の罪もなく監獄に入られた。打たれて奪ってくる蕩減復帰の原則を御存じであるがゆえに、耐えて、また耐えながら、ただ神様の摂理を一段階ずつ進めるため、監獄でもあらゆる受難を克服された。至る所に巣くうサタンの代表勢力に堂々と立ち向かいながら、暗闇の世を導く灯台の光となり、さらには、太陽の役割をされたのである。そして、ついに真の父母様は、あらゆる反対と迫害を乗り越え、勝利された。
12 お父様が地上で監獄に行ったことがどれほど無念な事実か分かりません。皆さんと皆さんの先祖の体面と威信はどうなりますか。すべて首がかかっているというのです。この途方もない内容が連結されるのです。
何ゆえに六度も監獄に行ったのでしょうか。監獄に一度だけ行っても、赤線が引かれるのです。六度も行けば、それは、世の中に足を踏み入れて歩くことができない恥ずかしい姿になるのです。しかし、私は恥ずかしいと思いません。恥ずかしい国がそのようにしたのであり、死んではならないので私は生き残ったのです。監獄から生きて出てきたというのです。
13 私は、私自身を管理し、天のみ旨を選別していく正当な人生を、日陰のもとで送りました。サタン世界より、もっと日陰である監獄に入っていっても(そのように)暮らしたのです。むしろ監獄が避難所になりました。
私が監獄に入った時、私の父と母がどれほど泣いたか分かりません。私が「勉強をしたら、国を生かす」と言って、父と母が世話をしてくれたのに、学校を卒業してから監獄に入るとは、どういうことかというのです。
私は監獄を訪ねていきました。共産世界に入っていって、誰よりも共産主義を分析しました。アメリカの監獄、日本の監獄、韓国の監獄、北朝鮮の監獄をすべて経験したのです。
14 北朝鮮に行って、三度も監獄暮らしをしました。共産主義に対して少しの未練ももたせないための天の作戦であり、共産圏内にあるキリスト教に関心をもたせないようにしようとする神様の作戦でした。共産圏内にある教会も信じることができないように、すべて切ってしまう作戦であり、その国も信じられないように切ってしまう作戦でした。一切を否定させるための作戦だったのです。韓国で反対を受けさせるのも、アメリカで反対を受けさせるのも「未練をもってはいけない」ということです。すべて切ってしまうのです。
今やすべての峠を越え、過ぎし日を振り返ってみれば、これはすべて、天がより貴いものを与えるための作戦だったのです。より大きいもの、より貴重なもの、より無限なものを与え、祝福の道を開拓するための神様の祝福だったというのです。ですから、今後は、定着したものを誰も占領できません。それこそ、このような受難の道を通して、サタンが占領していたすべてのものを完全に取り戻し、引き渡そうとする天の愛だったというのです。
15 今まで、私は、迫害を受けるのが好きで、このことをしたのではありません。悪口を言われるのが好きで、このことをしたのではありません。嫌ですが、嫌な味よりもっと良い味があるので、このことをしてきたのです。霊界に一度行ってみれば、どこの誰に対しても羨む必要のない味があるので。このことをするのです。このみ旨の味を知り、この世界を棒で打てば粉々になってすべて砕けるという実感が湧くので、このことをするのです。
皆さんは、お父様が生来、体が鋼鉄のように丈夫で、健康だからそのようなことをするのだと思うかもしれませんが、そうではありません。嫌なことをどうしてするのですか。一年、二年だけしてみなさいというのです。死んでしまうでしょう。それを良いものと思うから耐えられるのであって、疲れてやりきれないと思えば耐えられません。これを全うすれば、素晴らしい何かがあるので、このことができるのです。
16 神様は、私を愛していらっしゃいます。それを、私はよく知っています。しかし、私は生涯を捧げて神様を信じてきましたが、神様のみ前に抗議したいと思う時が一度や二度ではありませんでした。私が死地に入ると、神様は「知らない」とおっしゃるのです。
しかし、分かってみれば、「知らない」と言う父母の心は、どれほど胸が痛むだろうかというのです。助けてあげられるのなら、手足をおとなしく縛られたままにしておくのではなく、動いて千回でも、万回でも助けてあげたいでしょう。しかし、そのようにしてしまっては、統一教会の文という人が行く運命的な道を解決できないので、神様はそのような場で、第三者の立場に立たざるを得なかったのです。
17 私が道を歩む中で孤独なときに、神様が私を呼んで、「誰々よ、私がいるではないか」と言って勧告してくださったことを思い出します。そうすると、孤独な立場が問題ではありません。「私一人だと思ったのに、あなたが私と共にいらっしゃるのですね」と言って、力強く歩いていくのです。
ある時は、道を行く乞食を見ながら、「あの乞食が、私を訪ねてきた(天の)お父様の姿であれぱどうするか」と思って、痛哭に痛哭を重ねたこともあります。このような心をもって、どんなにみすぼらしい服を着た乞食だとしても、その手を取って人知れず痛哭できる皆さんにならなければなりません。私はそのような立場を何度も経てきました。
苦痛の中に一人いる孤独な立場で、「お父様は薄情な方でもあられるな。お父様は無慈悲な方でもあられるな。責任だけ任せておいて面倒は見てくださらない」と考えることもありました。ところが、そのたびに神様は、「誰々よ、お前が乞食を抱きかかえているとき、私が共にいた。誰々よ、お前が塗炭の苦しみの中で哀れな人と共に涙を流しているとき、私が共にいた」とおっしゃいました。
ですから、この道を行かずにいられますか。それで、イエス様も、「空腹のときに食べさせ、かわいたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し」(マタイ二五・三五)、「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ二五・四〇)とおっしゃったのです。
18 神様の戦法は、打たれながら奪ってくるというものです。サタンは先に打って滅ぶのです。第一次世界大戦の時も打った側が滅び、第二次世界大戦の時も打った側が滅びました。第三次世界大戦は思想戦ですが、共産主義が世界を打っています。
ここで私は、最も代表的に打たれています。大韓民国が私に反対し、アメリカが私に反対しました。また、日本が私に反対し、中国が私に反対し、世界が一つになって私に反対しましたが、反対した悪なる世界の福を引き継いでくるのです。悪魔は、天地のすべての福を引き継ぐことができません。「終わりの日」になって、サタンはこの福を真の人に引き継いであげなければならないのです。
19 お父様は、神様のみ旨を疑ったことがありません。さらに、神秘的な未開拓の地を知りたいという気持ちで訓練しなければ、その時まで知っていたすべての基盤が流れていってしまうのです。次元の高い基盤を相続するためには、必ずその基盤に相当する蕩減を払わなければなりません。ですから、追害を受けるようになるのです。しかし、その迫害は悪いものではありません。それは、自分を完成させてくれるためのものです。ですから、監獄に行くことが問題ではなく、生死が問題ではありません。そのように生きて死ぬようになれば、霊界で何十倍、何百倍貴い所に行くことを知っているので、何の不平も言う必要がないのです。
20 監獄に入っていき、むち打たれて血を吐きながら倒れる時にも、神様のみ前に自分自身を心配する祈りはしませんでした。「お父様、私は、昔の預言者たちやイエス様と違います」と、心の中で誓いながら耐えてきました。「神様、私を助けてください」というような、つまらなくて男らしくない、弱々しい祈りはしませんでした。ただ神様のためにだけ祈り、それ以外には祈らなかったというのです。神様が期待と希望をかけているのに、囹圄(牢獄・獄舎)の身になったと言って泣き顔で「助けてください」と祈ることはできません。日本統治下で、日本人たちに追われ、北朝鮮でも共産党に追われ、民主世界でも追われました。しかし、追われたとしても、世界に進んでいくのです。いくら迫害して追い立てても、行くのです。
21 イエス様は、十字架を前にしてオリーブ山で祈るとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言いました。私の思いというのがどこにあるでしょうか。(弟子たちは眠りました。)このことでサタンに引っ掛かったのです。イエス様の思いと神様のみ意が一つにならなかったというのです。
そのことを知っていたので、拷問を受けて血を吐く場でも、「私はイエス様と違います。私の血は神様のみ意のためのものです」と言いました。神様のために血を根こそぎ捧げようと考えたのです。私は困難なことがあっても祈りません。天が知っているのに、「神様、私を助けてください!」と祈ることはできません。全体が生きることができる方向を、私の体で教示するのです。そのような目標を中心として、今まで絶対信仰、絶対愛をもって歩んできました。一生の間、血の涙が流れる谷間を越えながら、神様を愛し、一体の心を抱いて進むのです。
22 お父様は一人です。夜の灯台のようなことをしています。夜、船に乗っていく人には灯台が貴重ですが、昼は、誰も灯台を重要視しません。灯台守を好む人はいません。その灯台守の役割をするのです。昼には分かりません。ですから、どのようにして灯台を昼間の太陽に変えるかというのです。それが蕩減復帰です。人間を中心として光を放ち、永遠に、神様の本然の太陽のように変えてしまおうというのです。灯台を太陽に変えなければならないのですから、それがどれほど難しいでしょうか。そのようなことを考えてきたのです。
監獄に入っていても、「第二の監獄はどこだ。第三の監獄はどこだ」と考えながら歩んできました。第六の監獄に行きながら、第七の監獄まで考えた人です。ソ連と中国の監獄に向かっていくべき道が残りました。それを準備していましたが、神様が守ってくださいました。その代わりに、死ぬ前に監獄以上の国を訪ねていくのです。ですから、ソ連に行きました。ソ連に行く時も、周囲から「どうか行かないでほしい」と反対を受けました。夜の監獄を解消するために、昼の監獄を訪ねていくのです。私が監獄に行き、私によって助けになったならば、昼になるのです。
23 お父様は今まで、一生の間、迫害を受けて追われましたが、滅びませんでした。本質的方向があるからです。自分を中心としてこのようにしたのではありません。より善なる人のために、より善なる位置のために、より未来に近づくことができる事情を標準としてそれを主張し、それを中心としてそこに合うように教育し、そこに合うように生きようとしてみたところ、迫害は受けるのですが、天地すべてがお父様を擁護するのです。
男性なら男性が行くべき道、家庭なら家庭が行くべき天理原則があります。その原則に一〇〇パーセント符合するときには、天地がすべて協助するようになっているのであって、破綻させることはできません。破綻させれば、天地のすべてが壊れていきます。この自然のあらゆる原則基準が混乱し、崩壊してしまうのです。
24 天国に入るためには、完成したアダムの位置、天使長が最後まで保護できる祝福の位置に立たなければなりません。そのような原理基準があるので、サタンの讒訴を越えて、怨響を愛したという条件を立てなければ、天国に入れないのです。怨讐を愛さなければ、行くことができません。私も一生の間、このことをするのです。
ダンベリー刑務所に入っても、そのことをしました。私がダンベリーに入る時、アメリカの朝野で歓呼しましたが、私はダンベリーで彼らを愛しました。本然の愛をもって愛したので、サタン世界は頭を上げることができません。それを克服していきました。そこから新しい世界が開かれるのです。
25 世界各国が方向を失ったとき、お父様が中心になって、昼夜なく行くべき方向を開拓してきました。お父様が蕩減の道を経てくる時には、自分という意識がありませんでした。イエス様も十字架に釘打たれたとき、自分という意識がありませんでした。イエス様はローマ兵士らについて、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と祈ったのです。そのようにして、未来にローマを占領できる条件を立てたのです。お父様も同じです。日本の監獄、北朝鮮の監獄、韓国の監獄、アメリカの監獄まですべて通過してきましたが、そのたびに忘れなかったのは、愛の綱を切ってはいけないということでした。獄中にまでも、愛の綱を引き入れたのです。電線はどこを通ろうとも、それを連結すれば、発電所の電気が切れない限り、電気がつくようになっています。神様の愛の電気も、電線さえ連結されていれば、どこでも電気がつくようになっているというのです。皆さんもそこに連結されれば、その電気によって復活すると同時に、新しい生命を得ることができます。
このように、はっきりとした希望の道があるというのです。それが私たちの幸福です。そうして、十字架の道を笑って越えていく立派な人間になるとき、サタンは後ろを振り返ることもなく、逃げ出していくというのです。このような人になるとき、復帰完成という結論が出てくるのです。
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