真の父母経

第七篇 第二章

梨大・延大退学事件と西大門(ソデムン)刑務所での受難

この章の目次

第一節 梨犬・延大退学事件

キリスト教の二世糾合と梨大・延大事件

一九五四年の協会創立とともに、摂理の主流は、キリスト教の一世圏から二世圏に移された。大学において、学生たちを中心に「統一原理」が伝播し始めた。その中で、梨花(イファ)女子大学と延世(ヨンセ)大学は、キリスト教系の学校として、二世の典型的な代表格であった。しかし、政権と結託したキリスト教の反対と迫害により、一九五五年の三月から七月の間に、いわゆる「梨大・延大事件」が発生し、社会問題に飛び火したのである。

1 キリスト教は新婦の宗教です。キリスト教は、再び来られる新郎の前に、新婦一人を準備するために、ローマ(帝国時代)から数多くの迫害を受けてきました。このような歴史を経て、初めてキリスト教文化圏時代に新郎が来て、統一天下を築こうとしたのです。それが、第二次世界大戦の時です。第二次世界大戦以降に、キリスト教を中心として世界が統一されなければなりませんでした。世界が一つにならなければならなかったのです。争ってはいけません。

第二次世界大戦で、連合国であるイギリス、アメリカ、フランスが、枢軸国である日本、ドイツ、イタリアと戦って勝利しました。そのような勝利的基盤の上に、エバ国家とカイン国家とアベル国家が、来られる再臨主を迎えなければなりません。その時に再臨主を迎えていれば、この世界は統一天下をつくり上げていたはずです。お父様に会わなければならなかったということです。そうしていたならば、お父様が全権をもって、この世界を収拾していたはずです。中国、ソ連、日本、アメリカをはじめとして数多くの国々を、すべて収拾していたのです。

しかし、お父様を迎えることができなかったので、梨花女子大・延世大事件が起きました。延世大と梨花女子大、これは(キリスト教における)二世の男性と女性の最高の代表でした。そこでみ旨が成就していたならば、この国のすべての組織の中心になっていたでしょう。

2 韓国での延世大と梨花女子大の事件は、二世を中心として連結されていきます。キリスト教の一世と二世は、縦的には父子関係です。縦的に見れば父子関係になり、横的に見れば相対的関係になります。梨花女子大と延世大は、それ自体を相対的に見ると横的関係です。横的関係がアダムとエバのような立場になれば、縦的関係に当たる父母である一世と子女である二世が自然に一つになるというのです。原理原則において、一世と二世が完全に一つになれば、カインは屈服するようになっています。

二世が天の側に立っているからです。サタン側ではありません。神様の保護圏に入っているので、二世のアベル圏が一つになれば、一世たちは自然と一つになるようになっています。イスラエル民族において、一世は荒野で死にましたが、今は天の側の保護圏にあるので、一世は二世と共にカナンの地に入ることができます。そのような道理です。そのような環境を中心として、韓国で連結させようとしましたが、梨花女子大・延世大事件が起きたのです。

3 お父様は、日本統治下で地下に潜っていった神霊的な指導者と一つになり、解放後、それまで神社参拝をしたキリスト教の指導者と国まで収拾すべき責任がありました。しかし、彼らのもっている信仰観が異なっていたので、決裂してしまいました。その時、地下に潜って活動していたあらゆる指導者たちが、より一層反対しました。国と一つになって、当時、日本の帝国主義に協助していた人々も反対する立場に立つことにより、問題が起きました。一世に対する摂理は、一世である当時のキリスト教指導者たちを一つにすることでしたが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったので、再び、二世たちを中心とした糾合運動が起きたのです。梨花女子大と延世大の事件は、それゆえに起きました。

4 お父様が生きているうちにすべきこととは、一世たちが反対するので、二世を中心として糾合することです。ですから、梨花女子大と延世大を中心として摂理が始まりました。その時、梨花女子大は、朴マリヤ(副総長であり、李起鵬[イギブン]副大統領の夫人)を中心として李承晩(イスンマン)大統領の夫人とつながっていました。彼らが、宣教師の基盤を中心として、政府と完全に一つになっていたのです。これはアダムとエバと同じです。

一世たちが誤ったことを、二世を糾合して完全に一つにしなければなりません。その二世の中には、神霊的な人の息子、娘もいて、神社参拝をした人の息子、娘もいて、それから、宗教を信じない人の息子、娘たちもいて、すべて入っていました。すべてがまとまっていたのです。この二世たちと完全に一つになったとすれば、そこから一世たちが誤ったことを復帰して、国と教会を収拾し、世界の舞台へと進んでいったはずなのです。

5 韓国に主が来るようになれば、その当時のキリスト教では駄目で、さらに跳躍でき、飛躍できる新しい次元の道を歩まなければなりません。国家の独立が問題ではありません。世界を生かし得る思想的な何かがあれば、完全に一つになるのですが、それがありませんでした。解放直後の三年半の間に、お父様がそのことを果たそうとしましたが、すべてから反対され、私は一人、追い込まれました。そうして、アメリカ軍政時代が始まったのです。

その後も、梨花女子大事件が起きずに、支持されてさえいれば、宗教は自由なので、梨大の総長と李承晩政権を中心として、カインとアベルの位置の頂点に上ることができました。

梨花女子大・延世大事件によって、それが成就されなかったのです。そこにお父様を立てていれば、李承晩大統領とアメリカを中心としたカインとアベルの上に立ち、天下にまたとない飛躍をしていたはずです。お父様が四十歳の時には、天下統一が成就されていたでしょう。

6 キリスト教を基盤として出発しなければならないのが統一教会の運命ですが、キリスト教を失ったので、キリスト教と対等な教団を再びつくらなければなりません。それで、キリスト教の二世たち、キリスト教から追い出された二世たちを集めて基盤を築き、苦労させながら歴史的なすべてのものを蕩減していかなければならないのです。

すなわち個人的な垣根を崩し、家庭的な垣根を崩し、氏族的な垣根を崩し、民族的な垣根を崩しながら、キリスト教が世界史的な基準を中心として責任を果たせなかったことによって怨讐になったので、これに代わる霊的、肉的な基盤を築くために、統一教会は犠牲的代価を払わなければなりませんでした。

7 アダムとエバを中心として見ると、延世大と梨花女子大は堕落していない若い青年男女のような立場なので、父子関係で一つになれば、家庭的な四位基台圏を造成した形と同じです。その中には個人もあり、家庭もあり、氏族もあって、民族編成ができるというのです。そうして李承晩政権と完全に一つになれば、キリスト教を中心として国が一つになるので、国家的基準で父母が立てる位置が決定されるのです。そのようになっていれば、韓国を中心として、真の父母の理想は堅固な基盤をもって出発していたでしょう。

この国とキリスト教の背後に、宣教師とアメリカがいました。国を代表するアメリカ軍政の責任者である駐韓米軍司令官がいて、教会を中心としては宣教師たちがいましたが、この宣教師たちが反対することによって、すべてが行き違ってしまいました。イエス様の時代にユダヤ教が反対したことと、全く同じようになりました。これによって、お父様は、とんでもない異端者として追い込まれ、追放されたのです。荒野に追い出されたのです。四千年の間、天が準備したすべてを失ってしまいました。

これを再び収拾して上がっていかなければなりません。そうするためには、お父様が、キリスト教とアメリカが果たせなかった責任、大韓民国とキリスト教が果たせなかった連帯的な責任を負わなければなりません。大韓民国のキリスト教と政府は国家的基準です。世界的な時代を迎えてからは、世界的基準でキリスト教と国を収拾しなければなりません。

梨大・延大退学事件の波紋

一九五五年の三月から七月の間に、梨花女子大学と延世大学は、統一教会に通っているという理由で、教授と学生たちに「学校か、教会か」という二者択一を迫った。このとき、梨花女子大学の教授五人と学生十四人が、毅然と退職、退学の道を選んだ。そして、延世大学でも、教授一人が退職処分を受け、学生二人が強制退学になった。マスコミは、大学の対応について非難する記事を掲載した。当時、キリスト教と政府が統一教会を受け入れていたならば、国家的基準で新たな出発ができる基台が造成されるはずであった。8一九五五年に起きた梨花女子大事件は、挙国的でした。キリスト教と一つになった李承晩政権の五大長官(大臣)たちが、統一教会をなくすために総動員されました。

しかし、その闘いの舞台を克服したのちに、統一教会は暗々裏に内外の基盤を固めたのです。そこで勝利して現れ、キリスト教を否定し、大韓民国を否定して、新しいキリスト教の基盤を代わりに置き、すべての国家の国民を代わりに置ける再編成運動を繰り広げました。言い換えると、二世によって新しい統一教会、新しい国民の形成が可能になったというのです。

9お父様は、神様を中心として、「人類の代わりに祭物となり、激しくむち打たれたとしても、人類を手放すことはできない」と言いながら、闘いに一人、責任をもってきました。

キリスト教が統一教会の言うことさえ聞いていれば、うまく回っていくようになっていました。七年以内に韓国がみ旨の中に立てば、世界のキリスト教を一つの方向に向かわせて、地上天国の理念世界と一致させるのです。キリスト教がお父様を迎えていれば、どのようになっていたでしょうか。梨花女子大と延世大は、アダムとエバと同じです。キリスト教の二世たちです。二世の核心を完全に握るのです。一世は堕落世界に半分が蝕まれています。昔はサタンが貴いものを取りましたが、今は神様が貴いものを取るのです。

10 梨花女子大と延世大事件の時、三カ月の間に梨花女子大がひっくり返るような出来事か起きました。三カ月の間に百人以上の学生が統一教会に通ったのですが、学校側が反対して通わせないようにしたため、「お風呂に行く」と言っては統一教会に行くようなことまで起きました。ですから、学校側が緊急対策を立てて防がざるを得ませんでした。それで、「統一教会か、梨花女子大か、二者択一しなさい」と言ったのです。どれほど切迫していれば、そのようなことを迫るでしょうか。統一教会に通う学生たちはみな、「退学する」と言いました。お父様が制したので、十四人だけか退学しました。その時、黙っていたならば、四十数人が退学していたでしょう。そうなれば、歴史的に問題を起こしかねないのです。そのような環境にありました。

11 梨花女子大の事件当時、あと六カ月あれば、三百人以上が暮らしていた寮が完全にひっくり返るようになっていました。燎原の火のごとく広がっていくのを防ぐすべがなく、学校全体がどれほど切迫していれば、学生たちに「二者択一しなさい」と言うでしょうか。二者択一を迫るなどということが、あり得ることでしょうか。ありとあらゆる子供たちがみな通っているにもかかわらず、「統一教会はいけない」と言ったのです。サタンが働いたということです。

それで、金活蘭(キムファルラン)総長が「統一教会について調査しなさい」と言って、そこの社会事業課長を務めながら神学や宗教問題について全権を握り、責任をもっていた金永雲(キムヨンウン)博士を送りました。そのようにして金永雲が来たのですが、一週間で一八〇度ひっくり返ってしまいました。それで、学校に戻っていって話をするので、またキリスト教徒たちが来て、ひそひそささやくのです。じっと見ていると、み言さえ聞けば、すべてひっくり返るのです。ですから、一斉にひっくり返ってしまうことを恐れて、反対したのです。

12 梨花女子大の事件当時、寮にいた三百人以上の学生の中で、大勢の頭の良い学生たちが統一教会の原理のみ言を聞きました。このように、そっくりそのまま移ってしまいかねない状況になったので、梨花女子大が、あたかも火山が噴火したようになりました。ですから、大変なことになったというのです。

アメリカのメソジスト教会の財団から一年に数十万ドルずつ、それ以外のところからも様々な支援を受けていたのですが、その支援が打ち切られそうなので、これを歓迎することはできないというのです。ですから、政府を通してお父様をたたき潰すために、大統領まで動かしたのです。

13 六千年の春は一度だけ訪れます。いつでも訪れるわけではありません。アダムとエバを中心として、思春期というのは一度だけです。婚姻を決定する時まで春の風が吹くのですが、復帰摂理を中心として、数千年、数万年の歴史を経て、ついに韓国の地にその春の風が吹いたのです。梨花女子大事件もそうなのです。三百人以上の女子大生たちに風が吹き込んだのです。ですから、学校の塀を乗り越えたり、「お風呂に行く」と言って飛び出したりしたのです。

14 韓国は、厳しい日本統治下四十年の受難の道を経て、解放を迎えるとともに、アメリカを中心として宣教師たちと完全に一つにならなければなりませんでした。梨花女子大学と延世大学の事件が起きなければ、そのようになっていたでしょう。その大学生たちは二世です。お父様は復帰歴史をよく知っています。二世から逆に上がっていったというのです。梨花女子大・延世大事件が起きなければ、その時、景武壹(キョンムデ:当時の大統領官邸)と連結され、キリスト教全体が連結されていたのです。当時、金永雲氏は梨花女子大の社会事業課長でした。重要な教授たちがみな復帰されていたので、そこでは金活蘭総長が反対するようにはなっていませんでした。ところが、金永雲が報告をしたにもかかわらず、キリスト教の何人かの人たちが反対して、このような状況をつくったのです。

当時、梨花女子大と延世大さえ復帰され、反対していなければ、韓国のキリスト教はすべて復帰されるようになっていました。そして、その時、梨花女子大の五人の教授が退職させられ、十四人の学生が退学処分を受ける、歴史に類を見ない事件が起きたのです。復帰歴史はそのように大変なのです。その習慣化された伝統というものが、どれほど恐ろしいかを知らなければなりません。習慣化された伝統をもっているという事実が恐ろしいというのです。社会で暮らしてきたその風習や習慣がすべて残っています。神様は、それを認めません。新しく生まれた基準から出発するのは大変だというのです。

15 韓国で梨花女子大と延世大が統一教会をなくすために立ち上がるように、誰が操ったかというと、宣教師たちです。梨花女子大と延世大が、その時にお父様を中心として復帰されていれば、朴マリヤと李承晩大統領などの最高のリーダーを中心として、世界的な旗を掲げて登場できるように命令を下せたはずです。そうなっていれば、五千年の歴史を通して犠牲になった民族の上に訪れた天運を中心として、たった一度だけ受けた福をもって、国家創建とともに世界に号令できる盟主の立場に立つようになっていたでしょう。ところが、これをひっくり返してしまったのです。

16 梨花女子大騒動の張本人である金活蘭総長はどうなったでしょうか。それこそ患難(ファルラン)を受けました。学校の教権という看板をもって、他の宗教団体を犠牲にしようとし、学生たちを犠牲にしました。正義に立脚したことではありませんでした。不義に立脚していたので、その代価を追及されるのです。

その時、金活蘭が統一教会を歓迎していれば、韓国は世界のすべての国家を踏み越えて、世界を動かす国家になっていたでしょう。四十年の歴史の重大な峠が、キリスト教を中心とした梨花女子大・延世大事件です。その四十年を失ってしまいました。

第二節 西大門刑務所での受難

流言飛語から始まった受難

梨花女子大学と延世大学の教授および学生たちの退職・退学事件は、真のお父様の受難へと続いた。キリスト教団体は、統一教会で起きた神霊の役事を、様々な流言飛語で妨害した。一九五五年七月四日、真のお父様が兵役法違反と徴発特別措置令違反の容疑で警察に連行、拘束される、いわゆる「七・四事件」が起きた。その後、教会幹部の四人も相次いで拘束された。

1 韓国の全国民が統一教会に反対しました。反対しない人はいませんでした。政府から教会、学校、宗教団体はもちろんのこと、家庭がすべて反対しました。お父様が悪く、統一教会が悪いために反対を受けたのではありません。

歴史時代の誤ったことや悪いことをすべて私たちにかぶせて、反対する要因をつくりました。キリスト教が私たちを憎み始めたのです。賢い人なら、統一教会の原理を聞けば、一週間以内にみな復帰されます。

当時は、原理のみ言をお父様が指導しました。ですから、来る人来る人、みな霊的現象を体験するようになりました。もし教会に行かなければ、霊的に気合を入れられたりしました。このようになったので、大変な問題になったのです。理論的に聞いてみると、賢い人たちはみな統一教会に行くので、どうすることもできず、私たちをたたき潰すためにありとあらゆることをしたのです。

2 キリスト教徒たちは統一教会に対して、最初はキリスト教の歴史における邪教集団を悪く言いながら、「彼らと同じだ」と言いました。すべてをなすりつけるのです。そのようにして十年ほど過ぎると、情報機関で調査するようになりました。しかし、十年以上にわたって広がったうわさを、四十日しか調査しなかったのです。四十日間調査をして、「何もない」と言いましたが、それは、その機関が知っているだけであって、国家的に「統一教会の文某は何の問題もないので、これまでの話はすべてうそである」と言ったわけではないというのです。お父様が無罪判決を受けた時、新聞記事には数行しか載りませんでした。そのように全国的に広まった否定的な印象を何によって変えられるというのでしょうか。

ですから、統一教会の宣伝をしても反対し、そのうわさをひっくり返そうとしてもみな反対しました。それで、法的問題になって闘争が起き、警察部で私たちを調査した内容をもって「統一教会はそのような所ではない」と発表しても、信じないというのです。また、警察がそのように言うとすれば、すぐに「統一教会員たちが買収したのだ!」と言っているのです。

3 夫婦で仲良く暮らしながら息子、娘をしっかりと養育し、「夫がいなければ生きていけない」と言っていた女性たちが、統一教会に入ってきたあとに変わったのです。教会に来て、午後五時になれば、家に帰って夕飯の支度をしなければならないのに、み言が始まると再び座り込んで、夜通しみ言を聞くというのです。当時は、明け方の四時まで語りました。平均二時間睡眠でした。

家で「教会に行ってはいけない」と言っても行くので、問題が起きました。「死んでも行く」と言うので、教会の牧師たちが中心となって反対したのです。篤実な信徒たちが病気になったというのです。そのようになると、ありとあらゆるぬれぎぬを着せられました。しかし、お父様は「かまわない。すべてかぶせてみよ」と言って弁明しませんでした。西大門刑務所の事件が起きた時にも、調査の結果、無罪で釈放されました。しかし、私が無罪で釈放されたことをキリスト教で言及するのを、一言も聞いたことがありません。

4 統一教会員たちが激しく反対され、迫害されていた頃は、おばさんたちが、買い物かごを下げて「市場に行く」と言って出ていくのですが、気がついてみると統一教会に着いているのです。そのようなことが普通に起こりました。珍しいことでもありませんでした。ですから、狂ったとか、何か電気装置を仕掛けたと言うのです。そのようなことが起きました。

実際の生活に影響を及ぼすというのです。そうならざるを得ません。催眠術のようなものも、そのような体験を通して可能になるのです。神様を中心として神霊的な道に通じれば、そのようにならざるを得ないというのです。祈りの能力がどれほど偉大かを、皆さんは知っているでしょう。その境地で、そのようなことが起きるというのです。

5 梨花女子大と延世大の事件の時にも、政府の五大長官(大臣)が出てきてお父様をたたき、統一教会を全滅させようとしました。罪状がないので、兵役忌避でたたこうとするのです。兵役忌避でたたこうとして、彼らは、「年齢を二歳も上げて兵役を逃れようとした」と言いました。ところが、いくら調査してみても、引っ掛かるものがないので、無罪で釈放されたのです。

6 私が、梨花女子大と延世大を中心として、六十日間ほど伝道をしてみると、二つの大学が大騒ぎになりました。放っておけば大変なことになりそうなので、お父様を異端として追い払い、ぬれぎぬを着せましたが、いくら調査しても罪がなかったのです。家庭を破壊し、人妻を強奪したとして調査してみても、何もありませんでした。ないというのです。

それでは方かないので、今度は「兵役逃れをした」と言ったのです。私が兵役忌避をしたでしょうか。六・二五動乱のとき、私が頭を刈っていたために、初めは人民軍だと思われました。私が「軍隊に行く」と言ったにもかかわらず、「軍隊は駄目だ」と言われ、兵役免除に該当する「丙」の字を押されたのです。ですから、引っ掛かるところがありませんでした。そのように引っ掛ける罪状がないので、三カ月間騒いだ挙げ句、無罪で釈放したのです。

大部分の人は、私が無罪放免になったことを知りません。キリスト教の牧師たちは、お父様が無罪で釈放されたことを知っていますか。無罪と言っても、新聞はその記事をとても小さく載せたのです。統一教会員たちが「声明を出しましょう」と言いましたが、反対声明が問題ではありません。監獄に入ったことが問題になるのです。大韓民国が私を裏切りました。私はこの国を怨讐視すべきところですが、この国を復帰するためには、世界を経由して帰ってこなければなりません。蕩減復帰をしなければならないのです。

西大門刑務所での収監生活

真のお父様は、囚人番号三百九十番を付け、金元弼、劉孝元、劉孝永(ユヒョヨン)、劉孝敏(ユヒョミン)など、幹部四人の弟子と共に西大門刑務所に入監された。記録に残る面会の行列をつくった食口たちに対し、真のお父様は、決して動揺しないことを願われた。一方、看守をはじめとする刑務所の幹部と監房の囚人たちの中には、真のお父様の人格に感化され、敬意を表する者もいた。

7 一九五五年に西大門刑務所に入ったことがあります。その時、「統一教会の文先生はああだこうだ」と言って、大変なうわさになりました。私が手錠をかけられて入ると、拘置課長が私を呼び、気合を入れようと乱暴に振る舞いました。私は心の中で、「あなたが一カ月以内に私に屈服するかしないか、今に見ていなさい」と思いました。

最初、入る時には、動物園の猿でも見物するかのように、猿扱いしようとしたのです。ですから私は、「どれ、あなたたちがやりたいようにやってみなさい! 私はあなたたちのようなつまらない男ではない」と思いました。こうして一週間以内に、そこにいる看守たちをすべて意のままにしました。監獄でも「先生」という言葉を聞くようになりました。出所する時には、所長まで出てきて、「文先生!」と言ったのです。

8 私が西大門刑務所にいるとき、そこの拘置課長が、私のことをあざ笑いました。そのとき、私は相当に気分が悪く、一言、釘を刺しておいて、「ここで必ず所長まで屈服させて出ていこう」と考えました。何日か過ぎると、その人が朝、私の所に来て、「ぐっすりお休みになりましたか」と言いました。ある時は、じっとしていると、朝やって来て、そのままさっと通り過ぎます。「あなたはただ通り過ぎていくが、行く途中でまた戻ってこなければならない」と考えると、案の定、振り返るというのです。そうして、こちらに来てから、また行くのです。私が「あなたはもう一度来て、挨拶をしなければならない」と考えていると、また、そのようにするというのです。ある日、拘置課長が私のところに来て、「朝、餅を作って食べたのだが、餅が喉に引っ掛かってのみ込めない」と言うのです。餅がなぜのみ込めないのでしょうか。先祖が引っ掛かるようにしているというのです。彼の先祖たちが、お父様を冷遇すれば大変なことになると知っているので、そのようにするのです。ひそかに餅を作って食べたら、ひどい目に遭ったというのです。

私はそのようなことを既に知っていました。ですから、そのような話をしてあげたところ、私を見て「先生」と呼ぶのです。そのようなことがあってからは、お父様の言うことをよく聞いてくれました。そうこうするうちに、私が出る頃には、所長まで訪ねてきて、夏だからといっては、まくわうりを買ってくれたり、すいかを買ってくれたりするようになりました。そのようにしながら、兄弟の間でもできなかった話をするのです。お父様と一緒に生活する数カ月の間に、自分が(今まで)経験したことを話すのです。私が証をしてもらおうとして、彼を伝道するでしょうか。お父様が伝道しなくても、伝道されるというのです。

9 西大門刑務所で監獄暮らしをするとき、お父様に会おうと食口たちが必死の思いで面会に来ました。監獄暮らしをするお父様と面会すれば、それは歴史に残ることです。その時の面会証を持っている人たちに対して、あとで表彰します。それを持っている人がいれば、結婚する時に胸に抱いていき、その家庭の宝物として大切に保管しなければなりません。

監獄から出てくる時は、看守たちや所長まで出てきて見送り、看守たちの中には、お父様に従って教会に通うようになった人もいます。このように、天が行く道には怨讐が現れますが、必ずその道は開拓されるというのです。アベルになるためには、必ず神様と一体にならなければなりません。どのような受難の道を行くとしても、自分一人で行くと考えてはいけません。神様は、サタンの讒訴を受けない場で、アベルを決定するのです。

真の宗教は監獄から出発します。サタンも嫌う人間たちの集まったその世界でも、普通の人間がもつ、それ以上の希望と望みをもつようになれば、そこから新しい世界の歴史が出発します。そのようにしてこそ、サタン世界の讒訴を受けることなく、また高い位置に上がっても干渉されません。そこから、新しい世界まで連結される新しい出発の起源が生じます。そこから神様と一つになるのです。

10 すべての人が「死ね」と言い、「滅びろ」と言ったにもかかわらず、私は滅びませんでした。なぜ滅びなかったのでしょうか。人々が罵れば罵るほど、私が孤独であれば孤独であるほど、涙を流して私を慰労する人が次第に増えたからです。

私が刑務所に入っていれば、我先にと刑務所に面会に行こうとするのです。また、統一教会員たちは、午前八時以降に面会ができるのに、夜中の一時から列をつくって座りながら待っているのです。それが、西大門刑務所での記録です。ですから、人々が「人々を狂わせるにしても、どうやったらあそこまで狂わせることができるのか」と言ったのです。午前八時が過ぎてから面会ができるのに、夜中の一時から列をつくっているというのです。前日から来て座っている人もいました。

11 私が西大門刑務所に数カ月間いた時、人々は私を「統一教会の文某」と呼びました。おかしな話のようですが、刑務所に入ってみると、自分を王様のように思っていない人がいません。すべての人が横柄に振る舞うのです。

しかし、私は、私を見て何と呼はうと、何も答えずに黙って座っていました。入ったその日から黙っていました。一カ月でもそうしていることができ、二カ月でもそのようにしていることができます。しかし、一、二週間ほど過ぎると、彼らが私に気兼ねするようになりました。朝、起きてみると、私が祈っているのです。それをどうして止めることができるでしょうか。私は、彼らの中で一番の厄介者と言われる人、みなから「死んでしまえばよい」と思われているその人を連れ、一言、二言、言葉を交わしながらよく諭しました。「以前はあれほど厄介者だった人が、文という人が来てからその人が変わった」と言われるようになりました。こうしてしばらくたつと、人が話したわけではありませんが、監房の人たちの間で、その人が文某の言うことをよく聞くと、うわさになったのです。なぜなら、私も彼らのことを思う立場に立ち、大韓民国に代わり、大統領ももち得ない心情をもって、現在の韓国の運命と未来の韓国の運命、そして、この民族がもつべき国民思想を中心として、彼らのために涙を流し、祈ったからです。心情の主人になっているからです。善なる責任者の前には頭を下げなければならないのが天理原則であることは間違いありません。

12 刑務所でお父様を苦しめた人たちの顔が今も目に浮かびます。監獄の中でお父様についてのうわさが広まっても、一言も語りませんでした。西大門刑務所にいる時、監房の中にいるすべての人たちが、お父様のことをとても慕っていました。ですから、訪ねてくる人がたくさんいました。私を冷遇していた人たちが会いに来れば、すぐに彼らの心を看破して、「これからはそのような気持ちで私の前に来てはいけない」と叱りました。

また、そこにいた、牧師だという人は、お父様が異端であり、怨讐の立場だといって、最初はものすごい剣幕で、「あなたが主張する教理とはいったい何だ」と言って食ってかかってきました。しかし、最後には決まった時間に訪ねてくるようになり、とても親しくなりました。うわさが大きく広がったので、刑務所の所長までが会おうとしたのです。

一緒に監獄に入った弟子たちも、熱心にお父様に従って侍るので、人々が「世の中があれほど罵り、反対していても、あそこまで徹底しているとは。なるほど、統一教会の文先生はただ者ではない」と言いました。お父様の立場は、このように、卑しいように見えましたが、最高に貴い立場であり、誰かに「代わりになりなさい」と言っても代われない立場です。どんなに大口をたたく人でも、絶対にできないのです。

13 人々は、「文某は不気味な人だ」と言って、色眼鏡をかけて見ますが、過去を考えてみても、私は恥ずべきことは一つもありません。誰かがそうなるように仕向けたか、でなければ、私がそうだったのか、二つのうち一つのはずです。誰かがそうなるように仕向けたとすれば、それは、そのように仕向けた人の責任です。そのようにさせた人は滅びますが、そのようにされた人は栄えるのです。悪なるものは滅びるのであり、善なるものは栄えます。純粋で、天下の歴史が公証する真の立場に立った場合は、滅びることはありません。手錠をかけられて歩いていくとき、通りがかりの女性たちまでも、横目で見ながら顔をしかめるのを見て、「よし、あなたたちが歩くその足取りは高潔に見え、ここにいるこの男は哀れに見えるが、まだ比較する基準が現れていないから分からないだけだ。しかし、その立場が明らかになる時には、正否の判決が下るだろう」と考えて、今まで歩んできました。

14 お父様は、統一教会を中心に大韓民国を率いて出発すべきでしたが、監獄に入りました。監獄に入ってからも、「いつ出られるのだろうか」とは考えませんでした。監獄で十年間暮らそうと、あるいはそこで死のうと、み旨のための道であると考えて、泰然としていました。ほかの人とは違いました。その場で修練をしたのです。

何の修練をするのでしょうか。このすべてのことをいかに是正して、今後、生き甲斐のある道を行くかを考えました。泰山が幾重にも立ち塞がっていれば、トンネルを掘って高速道路を造ってでも行くのです。そうして倒れれば、神様が責任をもちます。しかし、気力が残っているうちは、神様の助けは要りません。それまで、自分のために祈る必要もありません。そうして、私の気力が尽きたにもかかわらず、み旨に私が必要であれば、「協助しないでください」と言っても神様は協助されるのです。

15 今日、統一教会が前進していく立場で、皆さんの一日一日の生活全体を、どれほどその時間圏内で、実感をもって全体化し、展開させるかが問題です。その深さ、あるいは高さを、キリスト教が出発した当時と比較してみた場合に、私たちのほうが大きければ、私たちは急進的な発展、急進的な勝利を成し遂げるでしょう。それから、敗者の悲しみを味わわなければなりません。顔を上げられないほどに羞恥を覚えてみなければならず、恥もかかされてみなければなりません。お父様にもそのような時がありました。西大門刑務所に行く前に法廷に立った時、かつてお父様に従っていた人が、「北朝鮮でも監獄暮らしをして、ここに来ても監獄暮らしをするのを見ると、まだその癖を捨て切れていないのだな」と言いました。その言葉を、私は今も忘れずにいます。

私は一生の間、監獄を出入りしながら闘ってきました。このすべての怨恨を集めて進んでいけば、その怨恨をすべて解いて余りある時が来るはずです。ですから、疲れようにも、疲れることができません。いくら唇が腫れ上がり、体の調子が悪くても、得意げになっている怨讐の背中を、私が両足で踏み越えていくまで、私は行くつもりです。サタンに対して最後まで闘っていくのです。

第三節 西大門刑務所からの無罪釈放

無罪で終結した「七・四事件」

一九五五年十月四日、真のお父様は、ソウル地方裁判所で無罪判決を受け、釈放された。食口たちは、喜びと感激で真のお父様を迎え、三日後、奨忠洞(チャンチュンドン)から青坡洞(チョンパドン)へ教会を移転し、十日に出獄歓迎会を行った。真のお父様は、平壌で自ら作詞された「聖励の新歌」を歌われ、新たな決意をされた。

1 一九五五年、梨花女子大事件などによって、国家全体が騒ぎ立て、私を捕まえて監獄に入れようとしました。李承晩政権を中心として、そのようなことをしたのです。罪を暴こうとしたところで、私には罪がありませんでした。あらゆるひどいぬれぎぬを着せようとしましたが、罪として引っ掛かるものはなかったのです。その時は、北朝鮮から下ってきたので、頭を刈っていて、私が軍隊に入隊しようとすると、人民軍ではないかと疑われ、調査の結果、軍隊に入れなかったのです。ですから、軍隊に行きませんでした。環境のためにそのようになったので、罪には引っ掛かりません。ですから、無罪で釈放されたのです。その事実を、キリスト教徒たちは全く知りません。その時、今のように宣布していればよかったのですが、そのような時ではありませんでした。私が行く道には、世界的基準を中心として背負うべき十字架があります。

個人的十字架の道で敗者にならず、勝者になったといって、誇ってはいけません。その個人的勝利基盤の上に、家庭的十字架が訪れてくることを忘れてはいけません。

2 お父様が監獄に入ったことは、新聞に特筆大書してうわさを立てておきながら、無罪で釈放されたことは、とても小さな一段の記事を書きました。(それで)今までそのことを知っている人がいなかったのです。その時、監獄から出てきて闘っていれば、どれほど格好が良かったでしょうか。(しかし、)闘わないことによって、根まで引き抜いてしまったのです。

歴史上でお父様に反対した人は、根まで引き抜かれます。(彼らの)子女たちは、自分の父母が正しい牧師であり、正しい忠臣だと思っていたのに、実は逆賊の立場にいたことを知るようになるでしょう。(自分の)父母が、天の道理を尽くした天地の大父母(真の父母)に反対した逆賊の立場にいたことが分かった時、その子女が、父母の墓を掘り起こす日が来るでしょう。うやむやにする話ではありません。

3 自由党政権の時代に、五大長官(大臣)が私をたたき潰そうとしました。当時、文教部、内務部、外務部など五つの政府機関に、李承晩博士が特命を下し、「統一教会をなくしてしまえ」と通告したのです。調査したところで、何があるでしょうか。自分たちがうわさをすべてでっち上げたのです。白白(ペクペク)教の教主の話をしながら、ぬれぎぬを着せておいて探ったのですが、何の罪状も見つかりませんでした。裁判をしても何もないので、約九十日後に出てきたのです。

当時、世の中はみな、(私のことを)罪人だと思っていました。私は世界でも、そのことで罵られながら歩んできました。それでも、なぜ四十年間、黙っていたのでしょうか。打たれて奪ってくるのです。最も悪い人だと思って私をたたき潰そうとしてきても、「あなたたちのほうが滅びる。私を一度打ってみなさい。打てば自分たちが窮地に追い込まれ、木っ端みじんになるだろう」と考えながら歩んできました。私は何も間違っていません。

4 一九五四年に、統一教会という看板を掛けて出発するようになりました。その時もやはり、韓国において国家的な反対が起こりました。全体が反対しました。監獄に入る事件が起きたのです。三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。蕩減復帰がそのようになっています。間違いなく、公式は公式どおりに適用されていくのです。当時、大韓民国がお父様をたたいて踏み潰そうとし、キリスト教と政府が一つになって、ありとあらゆることをして葬り去ろうとしました。しかし、公判廷で無罪の判決を受けて釈放されることによって、統一教会は存続できたのです。

5 無罪で釈放とは何でしょうか。無罪で釈放されたならば、大韓民国が私に補償しなければなりません。大韓民国は有罪だと宣布し、お父様は無罪だと言うのです。神様の法から見ると、「罪のない人に苦労をさせたとすれば、大韓民国、お前は有罪である。そして、文先生は無罪だということが分からないのか」と、このようになるのです。

大韓民国で反対する核心要員はキリスト教徒です。キリスト教徒は、神様を信じる群れでしょうか、神様に反対する群れでしょうか。「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一○・三六)という聖書の聖句が成就しなければなりません。キリスト教が罪を犯してしまったというのです。罪を犯した人をかばう人は、関係者となり、その犯罪の共犯者になります。ですから、大韓民国が滅び、キリスト教が滅びることはあっても、お父様は滅びないのです。

西大門刑務所での受難の意味

真のお父様の五度目の監獄となる西大門刑務所での受難は、一部のキリスト教指導者たちの扇動と、否定的な世論を背景にした李承晩政権が引き起こした宗教弾圧と見ることができる。天が下さった、大韓民国からキリスト教を基盤として世界的に広がっていく機会を失い、統一教会は再び荒野路程を経ていくようになった。

6 お父様は滅びませんでした。大勢の人たちが、「統一教会の文某は裸になって踊る」と言いますが、私が本当に裸になって踊って批判されたのなら、恨むこともないのです。裸になって踊るのを見物したこともないのに、裸になって踊る魁首にさせられています。そのようにして、大韓民国の国民が福を受けられるなら、いくらでもしなさいというのです。私という一人の人間を打って呪うことによって、この民族が福を受けられるなら、それは善いことです。

ですから、すべてを甘受しようというのです。彼らが民族を愛し、国を愛する愛国心の発露からそのようにしたのであれば、私がそれを神様のみ前に神聖で義なるものとして紹介してあげましょう。

7 再創造の摂理は、お金によって成されるのではありません。権力によって成されるのではありません。知識によって成されるのではありません。真の愛によって、初めて成されるのです。

私は西大門刑務所に入りましたが、「大韓民国よ、滅びよ」とは言いませんでした。「キリスト教よ、滅びよ」とも言いませんでした。「彼らが気づかずにいる罪をお赦しください。哀れな大韓民国が犯した罪を蕩減するために、私にすべてを負わせてください。私を批判して福を受けられるのなら、どれほど良いでしょうか」という思いをもちました。そのような思いをもっているうちに、時代が過ぎ、一つの峠が過ぎました。

種を蒔けば、それを刈り取る時は、何百倍、何千倍になったものを刈り取るように、これからは、何十倍、何百倍も大きな愛の救いにつなぐことができるのです。天理の愛の道理を通して、生命の根が繁殖する原則に従って種を蒔けば、何百倍、何千倍のものを刈り取ることができます。この宇宙の愛の懐で、そのようなことが起きるのです。

8 お父様は、三千万の民族が「異端の魁首だ。滅びよ」と言っても滅びません。理由もなく打たれたのなら、損害賠償を受けなければなりません。このようなことをしようとするので、時にはみすぼらしい姿にならなければならず、時には後ろ指をさされなければなりませんでした。

この道を開拓しながら、あらゆる苦難に遭いました。そのたびに、「神様はこれよりもひどい風霜を経てこられたのに、私がどうしてこれしきの風霜を経ずにいられるだろうか!」と考えました。公的な立場で受けた、そのような事情が多ければ多いほど、人が手にし得ない宝物を倉庫いっぱいに満たすことができるのです。

9 韓国においても、監獄から出発したのが統一教会の歴史です。呪いと背反と迫害の道から始めました。私は骨のない男ではありません。西大門刑務所に入っていた時、拘置課長という人が私を見て言った言葉を忘れません。死んでも忘れられません。一カ月もたたないうちに、彼らが私を訪ねてきて、「昔、聞いていた統一教会の文某と、今、(実際に)知った文某は違う」と言って謝罪するのを、この目ではっきりと見ました。

正義は、どんなに残酷な迫害の鎖の中でも勝利することを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が求めているその群れの道に責任をもっていく道なので、落胆するのはやめようというのです。私は、落胆しませんでした。受難のむちの跡があまりにもたくさん残っているとしても、その時に受けた傷は、何ともないというのです。

10 平凡なことをも、絶対的な価値の基準に上げるのは、受難の境地でのみ可能です。皆さんが、獄中生活の中や、厳しい飢饉の状況に立たされれば、分かるでしょう。試練や受難は悪いことではありません。試練や受難の中で、生命の価値を立てていく力と希望と欲求をもった人にとっては、その試練と受難の困難が、困難としてだけで終わるのではなく、未来における喜びの刺激となり得るのです。また、未来の喜びだけでなく、希望の国を訪ねていくことができます。

困難を克服しようとする希望をもっていれば、その場から喜びの天国を成就することができます。困難を克服しなければ、どんな希望も成就されないので、愛の神様は、この先に迫りくる試練の舞台を克服できるように、人間を鍛錬させるのです。ですから、その鍛錬の過程は、鍛錬自体で終わるのではなく、喜びの刺激をより価値あるものとして感じられる。一つのプレゼントとして下さった受難の道だというのです。このように考えるとき、その受難は悪いことではなく、困難も悪いことではありません。それが、私たちの幸福の基盤となり、あすの幸福を相続できる要因になるのです。

11 孤独な道を一人、開拓者の使命と先覚者の使命をもってたどってきても、お父様は、孤独な立場でぶつかる出来事について、一切話しませんでした。命を懸けてきましたが、私は孤独な人ではありません。皆さんの同情も要りません。私は幸福な人です。

天地の大主人であられる神様が、私を理解してくださるので、いくら拷問で血を流し、身が引き裂かれ、筋が断ち切られる立場になっても、私は不幸ではありません。愛する息子をこのような立場に立てられた神様の心情は、それ以上に切ないことを知っているので、不幸ではないのです。その場で天をつかみ、天を慰労できる国を探し出そうと苦労しているので、どんなに拷問がひどくても、それが問題ではありません。重なり合う十字架の道が立ち塞がっていたとしても、その十字架の道が私を敗北の困難と絶望の環境に追い込んだとしても、お父様はそこで、新たな決心と新たな希望をもって歩むことを決意するのです。

12 今までの歴史の過程を見る時、歴史の主人公は、その時代で受難の峠を克服しながら、その国の希望を抱いて闘ってきた人たちです。そのような人たちが、歴史の主人公です。聖賢たちは、天意に従い、人間の世の中で肯定するものを否定するのみならず、世の中の方向を変え、希望の世界に向かって自分の一身を捨てて、その理念とともに環境の試練を克服してきた人です。

その聖賢の人生は悲惨ですが、その心の内で受けたすべての苦しみが、かえって喜びの世界と関係を結ばせる動機になったのです。

これまで統一教会が受難の道を歩んできたのは、統一教会を滅ぼすためではありません。あすの春の日を迎え、世界によ眼光となる統一教会へと発展させる神様の愛があったからです。

13 私は、西大門の通りを、刑務所に向かって手錠をはめて歩いても、恥ずかしいとは思いませんでした。天地を見る時に、恥ずかしいことはありませんでした。堂々としていたというのです。出所する時になって、四人ほどの看守たちが、「統一教会を信じます」と言ってきました。所長も私と何回か会いました。「世間で悪いと言われている男がこのような人だとは」と思ったのです。統一教会員たちが面会しようと、先を争うようにして門前に列をつくっていました。元気な青年男女たちが、明け方から列をつくって私に会おうとするのを見て、「ああ、よく知らなかったのだな」と感じたというのです。私たちは、そのような道を歩んできました。

14 皆さんは、過去に統一教会に反対していた教会と国から追い詰められ、追い出されて、囚人服を着ていたお父様を忘れてはいけません。囚人服を着て手錠をはめられ、裁判長の前に立ったお父様を忘れてはいけないというのです。今や無念なその時期を越え、私たちにも時が来ました。芽が出る春の日が来たので、地に種を蒔けば、芽が出るでしょう。

しかし、反対するところには芽が出ないでしょう。私たちが民族と同胞に代わって、これまで歴史的に築き上げてきた生命の偉業、愛の偉業をそのまま継承して立てるようになるとき、現在のキリスト教は今のところは私たちと怨讐になっていますが、その背後にいる数多くのキリスト教徒たちの行く道が、ここから開かれるのです。

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