神様は、再臨のメシヤをこの地に送って人類を救い、世界平和を実現するための環境を、あらかじめ造成された。科学文明の発達によって地域間の交流を円滑にし、政治、経済、文化など、全般にわたって宗教的価値を保護し、信仰の自由を基本権として認める自由民主主義を発展させてきたことが、その良い例である。そして、神様は、第二イスラエルであるキリスト教の中心国家としてアメリカを選ばれた。
真の父母様が一九六五年一月以降、世界巡回に発たれたのは、世界復帰のための基台を造成するためであった。特に、第一次と第二次の巡回が聖地の選定と宣教部の設置、祝福結婚式の主宰など、宣教基盤の準備に重点を願いたものであったとすれば、第三次の巡回は、アメリカのキリスト教再建に重点を願いて進めたことに大きな意味がある。第一次の巡回中には、アメリカの四十八の州を巡回しながら、五十五カ所の聖地を選定するなどして精誠を尽くされ、第二次の巡回の時には、アメリカを中心にした世界宣教のため、本格的な準備をされたのである。
真の父母様は、一九七一年十二月十八日、ワシントンDCに到着されたのち、まず初めに七大都市講演を通して、神様の摂理国家としての覚醒と、キリスト教の責任を明確にし、共産主義の脅威などについて提起された。この当時、日刊紙に講演会を知らせる広告を掲載し、イエス様の十字架の死をテーマにした十万ドルの懸賞小説の公募を発表するなど、アメリカ社会に大きな衝撃を呼び起こした。特に、一九七四年九月十八日のニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン大会と、五万人が参加した一九七六年六月一日のニューヨークのヤンキー・スタジアム大会、三十万人が集まった同年九月十八日のワシントン大会を通して、神様のみ旨とビジョンを満天下に公表された。
真の父母様は、成功裏に進むアメリカ宣教に合わせ、一九七五年二月、日本で開かれた世界宣教師会議において、世界九十五カ国に宣教師を派遣することを決定され、百二十七の宣教国を確定された。そして、各国の世界統一十字軍を動員し、一九七五年、韓国で「希望の日」晩餐会と救国世界大会を成功裏に開催された。
一九六七年六月には、韓国の幹部を帯同して来日されるなど、数回にわたって日本を訪ね、宣教活動を督励された。また、日本は、一九九四年から九七年までに数次にわたって約一万二千人の女性宣教師を百五十カ国に派遣するなど、エバ国家、母の国としての責任を果たすために努力したのである。
最初の世界巡回とその意義
真のお父様は、一九六五年一月二十八日に韓国を発ち、歴史的な第一次世界巡回路程に出発された。そして、日本、アメリカ、カナダ、中南米五カ国、ヨーロッパ十七カ国、中東六カ国、アジア八カ国の順に訪問され、日本を経由して、十月十日に帰国された。第一次世界巡回は、モーセの時、カナン復帰のために四十日間、エリコ城を偵察したように、世界的カナン復帰のために四十カ国を連結しなければならない摂理的意義をもって、行われたのである。
1 「世界基督教統一神霊協会」を創立し、政府に登録するとともに、民族的基盤を立てました。今後は、世界的な祭物の立場を立てなければなりません。神様がアダムに「万物を主管しなさい」と語られたみ言を、お父様を中心に韓国で実現し、それを世界に連結させていかなければなりません。
お父様は、堕落以前の基準で祝福の条件を立てました。ですから、霊界は堕落する前の天使長の立場を探して立て、地上は堕落する前のアダムの立場を探して立てたのです。この基準を立てることにより、霊界は地上を協助することができます。堕落していないアダムに、天使が協助したという条件を立てるためです。
それで、世界四十カ国を巡回し、二百五十六日目に帰ってきました。四十掛ける六の二百四十に、四掛ける四の十六を加えれば二百五十六です。四数と六数を復帰しなければならないからです。ですから、世界巡回を終えて帰ってきた日の十月十日は、意味があるのです。
2 一九六五年の内に、十二カ国に宣教に行かなければなりません。それに無理があることは分かっています。しかし、復帰の時期はいつでもあるのではありません。それは、海の真ん中の一点の水しぶきのようなものです。粟一粒のような基準が海全体の価値に相当するような時が、復帰の時期です。その時期は一度しかありません。
人とお金はいくらでもあり、また、あすでも千年後でも、いつでもあります。しかし、時はいつもあるのではありません。この時期に宣教に出ていくことには無理があるというのはもっともです。無理をしないで復帰することはできません。犠牲は当然のことなのです。復帰は、使って余ったものでするのではありません。血を天の側に捧げなければなりません。自らの血と力の原動力、これをもって復帰するのです。
3 カインとアベルが立てなければならない天的な位置と中心を、韓国で蕩減して立てなければなりません。このような分野に向かって総進軍しなければならないということが、七年路程での使命です。今や氏族基準と民族基準を立て、国家基準を立てて、世界的な時代に越えていくべき時が来ました。今は、一つの国家の思想がその国に局限される時代ではなく、世界的な問題になる時代です。ですから、統一教会に対する天的な意義がどれほど大きいかをよく知らなければなりません。
私たちは今まで、堕落した世の中に橋を架け、摂理的な基盤を築いて上がってきました。一九六〇年から一九六七年までの七年路程が終わると同時に、統一教会は世界的なカナン、すなわち世界的なイスラエルに向かって進軍しなければなりません。ですから、これに対する準備のために、お父様は四十カ国を歴訪する際、十四カ国に統一教会の宣教部を設置したのです。
4 一九六五年から、ドイツの統一食口たちがその近隣の国々に配置され、開拓伝道に出るようになりました。宣教国が十四カ国を超えなければなりません。一九六七年には四十カ国以上の基盤をつくり、世界的な作戦を立てようとすれば、そのような材料と計画が必要なので、その国々を訪問したのです。
私たちの本郷、私たちの祖国、私たちの世界を成し遂げるために、これは私たちが求めていくべき最後の目的地です。私たちが行くこの道は、間違いなく神様のみ旨に役立つ道であり、伝統を残すことができる歴史的な基盤を築く道になることを知って、ためらうことなくこの道を行かなければなりません。世界的な舞台で血と汗を流すことを本望と思って行かなければなりません。
5 お父様は、第一次世界巡回の期間に、歴史上、最も多くの波瀾、曲折があることを予想しました。そうでなければ、お父様が行くべきみ旨の道とは違います。押し寄せてくる台風の中で道を築き、安息をもたらすことができなければならないからです。静かな所で道を築けば、その人は台風を知らない人になります。一気に押し寄せてくる台風と怒濤の中を、かき分けていくことができなければなりません。
六千年間、その波がうねり、人類を襲って死亡の世界に追いやる苦役があったので、その波を静めて、遮ることができなければなりません。ですから、きょうも骨身にしみる心情で、心の真ん中に強い衝撃を受けながらも歩んでいるのです。
6 第一次世界巡回路程で、私が世界を見て回って帰ってくる時、心で深ぐ感じたことがあります。今日、世界について「ああだこうだ」と言う人は多くいます。しかし、そのようなことは問題になりません。天が志す目標が重要です。ですから、私たちは、天が願われる立場に立ち、アベル的な基準でカインに代わって祭物になり、民族的な責任と世界的な責任を果たす世界的な祭物にならなければなりません。国のためにカインを屈服させ、世界のために祭物になろうという立場に立たなければなりません。そのようにしてこそ、天国がつくられるのです。
7 お父様は、世界を巡回するとき、多くの十字架を目にしながら、私の使命はあのすべての十字架をなくすことであると再確認しました。子女たちを通してでも、なくしてしまうでしょう。キリスト教は、十字架の道理ではなく、復活の道理です。そのような意味で、イエス様は祭物を捧げず、未来の希望の条件として(自らが)ゲッセマネを越え、カルバリを越えていったのです。
8 統一教会は、多くの困難に遭い、今後、三千万民族(韓民族)が遭遇する困難の峠を先に越えていかなければなりません。それが祭物の道です。祭物となって犠牲になることによって、死ぬしかない民族を生かすことができ、贖罪することができるのです。祭物になった人が困難な峠を越えながら、先に打たれ、先に犠牲になり、神様のみ前に血を流すことにより、その恩賜を受けて民族が復帰されるのです。また、それによって、祭物になった人は恩賜を受け、復活することができます。統一教会員たちは、そのような道を行かなければなりません。このような使命を若い人々が果たさなければならないのですが、やりたくないと思っています。
今回、民主世界を中心として世界を巡回しながら見てみたことは、ほかでもありません。どの国に神様はいらっしゃることができるのか、どの民族を神様は愛することができるのか、ということを考えながら見て回ったのです。どの民族も、神様を愛さなければなりません。今は、環境的に神様を忘れてしまいやすい社会的条件がそろっています。
9 お父様は、第一次世界巡回路程で、四十カ国を回りながら、大韓民国のためにたくさん祈りましたが、世界のためにもたくさん祈りました。ある国を訪ねていけば、その国の人々は、お父様を大韓民国の人とばかり考えます。彼らのそのような考えが何カ月、何日、何時間続くか、それが最も気になりました。歴史的・文化的背景が異なる環境で生きてきた人を、どのように感じるのか、日本に行く時に最も心配したことがそれでした。
お父様が、「私は韓国人であり、あなたたちは日本人だ」という感情をもてば、彼らもそのような感情をもつというのです。そのようになれば、いくら世界主義を主張しても、世界主義について実感できません。ですから、正にこのような問題に対して多くの祈りを捧げました。他の所に行ってぶつかるのは問題ではありません。最も原則的なことが問題です。日本に行っても、アメリカに行っても、どこに行っても、「他の国」という観念から抜け出さなければなりません。
四十カ国、百二十カ所の聖地を選定
真の父母様は、一九六二年十月五日から七日まで、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会を中心として、ソウル一円に五つの聖地を選定されたあと、そこの土と石を採取され。一九六五年に世界四十カ国を歴訪しながら各国の聖地を選ばれた際、そこに韓国から持ってきた土と石を埋められた。これは、韓国の首都ソウルの聖地を世界に連結し、精誠と勝利の基盤を同等な基準で分配するためであった。そして、真のお父様は、「三十六家庭、七十二家庭を探して立てて民族的中心をつくり、世界国家型である百二十家庭を立てたため、世界国家摂理時代に入る中で、四十カ国に百二十の聖地が必要だ」と語られた。聖地の選定は、人間が堕落する前に天地万物を創造した基準と同じである。それゆえ、アダムの勝利圏における心情基準で、天の子女の立場である宣教師を各国に派遣できるようになり、世界的活動基盤が整ったのである。
10 お父様の前には、神様の主権、神様の民、神様の地を探し出すべき世界的な使命が残っています。これを中心として忠臣になり、孝子になることが第二の使命であり、聖別をしなくても活動できる環境をつくることが第三の使命です。
この三つの使命を中心として、奉献式をしなければなりません。このために、聖地をつくらなければなりません。そうして、これを中心として一つになり、天と連結できなければならないのであり、そのためにお父様は、神様に代わり、イエス様と聖霊に代わる基準を探して立てなければなりません。そのあとで初めて奉献式をすることができるのです。
11 これから、統一教会の運勢は、国家を経て、世界的な運勢へと成長していくでしょう。もしこの国、この民族が受け入れなければ、世界が受け入れるでしょう。これから世界万民がもろ手を挙げて歓迎する歓声が、三千万の民族の胸に響く日が必ず来ることを確信します。
このような日を迎えるために、韓国に勝利の基盤を整える聖地を選定するようになったのです。聖地の選定は、蕩減復帰の原則によって、または神様の創造法度に従って行うのです。
12 統一教会がしようとすることは、イエス様がこの地に来てしようとしたことです。イエス様が探し出そうとした個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成の基準、すなわち神様が探し出そうとされた家庭と氏族と民族の基準を、私たちが広げてきました。そして、百二十四家庭を韓国の各地に配置しながら、聖地を選定してあげたのです。
その聖地を中心として、一体的な関係を備えていきながら、使命を果たすことを要請しました。このようにすれば、個人的な使命を果たしたことが基準となり、世界史的な全体の責任を中心として、世界と連結される勝利の時代が訪ねてくるようになります。それで、ソウル地域に東西南北の四大聖地と中央聖地まで、五つの聖地を選定したのです。
このようにして、世界と連結される勝利の時代が来たので、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日を期して、ソウルの五カ所の聖地から土と石を採って、外国に持っていく準備をしました。この土と石は何でしょうか。アダムが堕落することによって、神様はアダムだけを失ったのではなく、世界をすべてサタンに奪われました。しかし、今や神様が訪ねてくることができる勝利釣な基盤が整えられたので、地を取り戻せる時代圏内に入ってきました。ですから、聖地にある土と石は、神様か臨在される基盤になるのです。ですから、聖地を宣布したのです。
13 聖地を条件にして、三千里半島を愛さなければなりません。この地で暮らしたいと思い、この地で汗を流したいと思わなければなりません。この地に血のにじむ歴史の伝統があることを知って、父を記憶しなければならないというのです。祝福を受けるのは、途方もないことです。祝福を受けた人は、神様に代わって、「私が決めれば天宙も従う」という思いをもち、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が具備されて、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。
聖地と聖物を守ることができなければなりません。これらを守ることに総力を傾けなければなりません。祝福を受けた家庭を貴重に思わなければならないのです。祝福家庭は、皆さんが守らなければならないというのです。高潔に生きて死ぬことができる、神聖な地を探し求めなければなりません。聖地と聖なる民を、早く復帰しなければならないのです。
14 神様と人間と聖地が一致すれば、どのような関係が広がるでしょうか。堕落する前のアダムとエバが復帰された基準を立てることができるようになります。聖地を選定することは、エデンの園で失われた人と地と万物を復帰できる地を備え、人を探し出し、神様と向き合える焦点を決定することです。
また、聖地を決定すれば、どのようなことが起きるでしょうか。アダムとエバが堕落する前は、霊界が正に天使世界でした。天使世界は、アダムとエバが早く完成し、神様の愛を受けられる生活圏内に入ることを願っていました。天使世界は、アダムとエバを協助し、アダムとエバが神様の子女となり、神様を中心とした家庭を形成して、神様の愛を受けられる平和の基盤を築くことを願ったのです。ですから、聖地は神様から祝福を受けた家庭のように聖別された所なので、そこに霊界が協助することができるのです。
15 今後、民族的な運勢とともに、世界的な運勢が歩調を合わせていく時が来ます。ですから、韓国の首都ソウルで選んだ聖地を、世界的に連結するのです。国内だけでなく、世界的に連結するのです。このように聖地を選んだ基盤の上に、神様が愛する息子、娘を送れば、神様をお迎えできる基盤を築けるようになります。そのようになれば、霊界が協助しなければならないのです。
世界の国々を歴訪しながら聖地を選定しておき、統一信徒たちを一日も早く配置しなければならないと考えました。ここに配置される人々を、復帰されたアダムとエバの基準に立て、今まで霊界が接し得なかった基準を蕩減させるでしょう。そうすれば、地上で横的な闘いを展開できるようになります。天使が堕落させたので、天使たちがこの地に来てサタンを追放するために、協助しなければなりません。これが蕩減復帰の原則です。霊界を動員し、地上からサタンを追放しなければなりません。
第一次世界巡回で百五カ所の聖地を選定しました。聖地を百二十カ所、選定しなければなりません。これによって天の領土が生じるのです。このように聖地を祝福することによって、国家主権が天の側に越えてくるようになるのです。
16 人を探し出したあとは、地を探し求めなければなりません。お父様が四十カ国を巡回した理由は、聖地を選定するためでした。韓国で堕落前の基準を立てたので、聖地を選定することができたのです。世界四十カ国で百二十カ所の聖地を選ばなければなりません。百二十家庭は、百二十カ国を象徴します。韓国では七十数を中心として、七十二カ所を探し出して条件を立てなければなりません。アメリカよりさらに多くの聖地がなければなりません。聖地が選ばれたということは、人間を創造する前に地を造ったのと同じ立場です。ここに聖徒が立てば、人間と地が創造されたのと同じです。ですから、天使世界と霊界か協助せざるを得ません。それゆえ、百二十カ所の聖地をもつことは、百二十カ国の領土をもったことになるのです。
17 百二十四家庭を祝福することによって、イエス様が願われた相対的な理念を取り戻した基盤ができました。それによって、人間をすべて取り戻した基準ができたのです。その次に、万物を取り戻すべき立場に立ちました。このような立場で、四位基台を中心として、世界の国家を代表した四十カ国に百二十カ所の聖地を定めました。
四十カ国を中心とした百二十カ所の聖地は、百二十カ国を象徴します。それは、お父様が四十歳の時、すなわち一九六〇年に聖婚式を行ったので、四十年を代表したものです。その四十歳を基盤として、世界的に百二十カ国と連結させたのです。四十カ国で百二十カ所の聖地を選んだということは、世界的百二十カ国と私たちのみ旨が、物質的関係において一致したことを意味します。万物を復帰できる条件を立てたというのです。
それによって、統一教会は、神様が取り戻そうとする息子、娘を探し出し、氏族と民族を代表する代表者を探し出し、世界を代表する人を探し出し、万物を代表する聖地を探し出したので、ここから天の国の運勢は、統一教会を中心として回り始めるようになったのです。
18 世界的に百二十カ所の聖地を選定しましたが、その時、お父様と崔元福(チェウォンボク)、金永雲(キムヨンウン)、崔奉春(チェボンチュン)がそこに参加しました。摂理的に見れば、崔奉春はエバ国家である日本を代表し、金永雲は世界的な天使長国家であるアメリカを代表する立場で、アダム国家を中心として四位基台の型が備えられたので、この四人が世界を巡回することになったのです。
そこにおいて、男性がエバ国家の立場になり、女性が天使長国家の立場になりました。このように、互い違いになったというのです。それは、内的なアダムとエバを象徴的に合わせておいたのです。
このように重要な巡回が第一次世界巡回路程でした。その時、世界を巡回しながら、主にその国の中央官庁や博物館を訪問しました。歴史と現実の主権とを結びつけて見てみようとしたのです。
そのようにしながら、韓国から持っていった石と土を聖地の至る所に埋めて、その国の石と土を持ってきたのです。韓国から土と石を持っていったというのは、み旨を中心として「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めた勝利的基盤全体を持っていったのと同じ結果になります。それをそこに埋めたというのは、その国に福を運んであげたのと同じです。また、そこから持ってきたというのは、韓国がその国とやり取りできる恵沢圏内に入る道を開く基盤になるというのです。
19 お父様は、なぜ世界を巡回したのでしょうか。今まで勝利した基準を、世界的に分配してあげなければならなかったので、世界巡回を行ったのです。韓国で成し遂げた使命は、韓国を中心とした勝利的基準なので、それを世界の全人類に分け与えなければなりません。
聖地を決定すれば、堕落する前の天地が生じた基準と同じです。人間を創造する前に、万物が生じたのと同じです。ですから、霊界が地上に役事(働き)する基台が成立し、そこにアベル格であるアダムの勝利圏、堕落していない心情基準をもった私たちの天の子女を送れば、その人を中心として、み言の実体再創造と心情基準の出発が成し遂げられます。それで、世界的に宣教師を早く送ろうとするのです。
20 お父様が聖地を選び、祈ることができる地を定めておきました。追われ追い回されるとき、祈る所がなかった私たちにとって、神様のみ前に訴え得る聖地が選定されたということは、歴史的であり、世界的な勝利の立て札を立てたことになります。このような基準を拡大するために、一九六五年に世界を歴訪しながら、四十カ国に百二十カ所の聖地を選定しました。多くの経費を使いながら、様々な国に聖地を選定し、そこの石と土を韓国に持ってきたのですが、(それは、)そのようにしなければならない神様の摂理があるからです。このようなことは、歴史にないことです。
このようなことをするのは、天地の運勢に拍子を合わせ、神様の摂理的なプログラムに合わせるためです。四十カ国、百二十カ所の聖地は、神様の選民圏を守ってくれる地です。この地は、肉身をもった人々が守れないとしても、霊界の霊人たちが守ってくれます。神様が共にいらっしゃることのできる立て札を打ち込んで闘える基盤をつくり、民族復帰運動の闘いを勝利に導く基点を立てるためのものなのです。
21 私が聖地を探し出すのに一番難しかった所は、レバノンのベイルートでした。ベイルートの海辺は、軍隊が守っていました。軍隊が守っているのに、午前三時に月と星が輝く天を見ながらそこに向かい、ベイルートの海岸地帯に聖地をつくりました。中東で聖地をつくった所が、レバノンとシリアです。
シリアの聖地とレバノンの聖地をつくるために、夜にこっそりと、誰にも分からないように四人が入って聖地の選定をしました。そして、イスラエルのエルサレムまで行って聖地をつくりました。闘いの中でも、これほどの闘いはないという激戦の途上で、聖地の境界線をつくったのです。
22 シリアに行って聖地を選ぶときは、七時間以上かかりました。ですから、世界の聖地の中で最も印象に残っている所がシリアです。そこに行った時、東ヨーロッパを中心とした国際博覧会が開かれていました。そこで、ソ連の衛星国家が自国の産物を展示していました。私はソ連の展示館に入ったのですが、その時の印象が忘れられません。
昼には聖地を選ぶことができず、夜に選んだので、多くの時間を消耗しました。昼に道で立って祈るキリスト教徒がいれば、人々が石でたたき殺そうとするのです。それで、一緒に座っていたセルビア人の助けを借りて聖地を選定しました。このように聖地を選んだのが、ついきのうのことのようです。
23 お父様は、私たちの教会がある所に行くたびに、「これからアベル的な存在の基盤を復帰しなければならない」と祈ります。このための摂理的な計画によって、聖地を選定してきました。
聖地を選定することは、環境復帰の基盤を整えることでもあります。ですから、それぞれの場所にアベル的な財政支援をしなければなりません。それで、訪ねた国ごとに貯金をしてあげました。アメリカに行けばアメリカのお金で、日本に行けば日本のお金で、ドイツに行けばドイツのお金で、預金通帳をつくってあげました。
その通帳に預金できるというのは、子女が、万物と向き合える心情的な関係に同参(一緒に参加すること)できる特権を父母から付与されたのと同じです。皆さんがお父様の行く道に同参するのは、世界史的な誇りです。それは、物質復帰のためのアベル的な祭壇を築くときに重要な条件になります。
24 世界四十カ国の百二十カ所に設定した聖地では、火が消えてはいけません。そして、韓国が一つの放送局になり、世界に電波を送らなければなりません。韓国から電波を送れば、世界の聖地でその電波を受信し、天のみ前に感謝と頌栄を捧げることができるのです。聖地は、神様の地上の哨所(先鋒の施設)であるにもかかわらず、その哨所を守る人がいません。統一教会の預言者や食口たちは、神様のみ前に悲しみの群れとなってはいけません。聖地に対する神様の思いはこの上なく深いのに、子女たちが現れないので、神様の心はどれほど悲しいでしょうか。聖地に対する神様の悲しい気持ちに対しては、皆さんが謝罪することもできますが、神様のみ前に忠孝の道理を立てると約束しておいて、その約束を履行できず、神様がそれによって悲しみを感じるようになるときには、取り返しがつかなくなります。このようになれば、再び忠臣、烈女になることができないのです。
日本第一次巡回
真のお父様御一行は、一九六五年一月二十八日、第一次世界巡回の最初の地である日本の羽田空港に到着し、日本の食口たちから熱烈な歓迎を受けられた。この日、日本の本部で歓迎大礼拝が行われた。翌日、真のお父様は、統一旗を日本教会に授与され、統一教会の印を押したハンカチを全員に下賜された。その後、東京と名古屋などの地を歴訪しながら聖地を選定され、二月十二日の午前、アメリカに向かわれた。
25 お父様は、日本を離れてから二十年ぶりに日本に来ました。日本についての思い出がたくさんあります。命を懸けてこの道を出発し、今まで歩んできました。何度死ぬ覚悟をしたか分かりません。悲惨な死の状況に直面したときに、どのような態度を取るかを決定してから出発したのです。私が韓国で今までこのようなことをしてきたのは、食べるものがなかったからではありません。名誉に駆られてではありません。誰かが慕わしくてではありません。ただ、神様と神様の心情を知っているからなのです。
26 世界の人類全体ができないことを、日本の国民が先頭に立って行えば、日本の国民は世界をリードする国民になります。そのような人格にふさわしく、そのような理念をもって、神様の心情を体恤しながら暮らす人は、神の国に残り得る天国の民です。
まず、日本を復帰しなさいというのです。お父様以上に国を愛してください。お父様が愛する以上に世界を愛してください。お父様が愛する以上に父なる神様を愛しなさいというのです。もし、皆さんの前でお父様が倒れても、泣いてはいけません。お父様が愛する神様を誰が愛し、お父様が愛する人類を誰が愛し、お父様が愛する天宙を誰が愛し、お父様が担っている責任を誰が担うのかというのです。そのように愛することができない立場で、神様に嘆いてはいけません。これが、皆さんに残したい言葉です。
27 お父様は、皆さんに会い、皆さんの苦労をたたえ、涙で「立派だ」と言ってあげたいのですが、まだ言うことができません。闘って疲れている皆さんに、「さらに行かなければならない」と言いたいのです。私たちの道は、世界的な城壁を積み上げていくものです。それは、私たちの血と肉で積み上げなければなりません。(ですから、)皆さんに「十字架を背負いなさい」と言うのです。死ぬ場に出ていきなさいということです。神様が闘志に満ちた心情をもつ勇士を送り、打ってまた打っても終わらないサタン世界です。六千年の怨讐です。人類の怨讐であるサタンをこの手で屈服させなければなりません。私たちが神様の子女として生活してきた忠孝と、私たちが残した功績に対して、すべての万物が公認しています。その公認の価値は、いかなるサタンでも讒訴できません。このような立場に立って闘う一人の人が日本にいるとすれば、神様は日本を捨ててでも、その一人を選ぼうと言われるでしょう。世界にそのような一人がいるとすれば、世界を捨ててでも、その一人を選ばれるのです。
28 お父様は、日本の地に足を踏み入れたとき、心の中で「神様の心情にふさわしい、真をもった私を迎え入れる人がいれば、その心情を神様が記憶してください」と祈りました。私は、いまだに行かなければならない十字架の道を残しています。この十字架の道で、兄弟たちの迎え入れる心が衰えることはないと感じました。
私たちは、神様の世界、希望の一つの世界、神様が理想とされる目的の地を建設するまで、涙で歩まなければなりません。歩む道には、蕩減もあり、茨の道もあり、崖道もあるでしょう。一発の砲弾となって敵中に飛び込んでいかなければならないこともあるでしょう。しかし、私が逝ったあと、「誰がこの心情を引き継いで歩んでくれるのか」と尋ねる神様を刺激できる勇猛な心をもって歩む人がいるとすれば、その人は人生路程における勝利者です。私たちはいつでも、「神様の目的に応えているか、その真ん中に立っているか、すべての生活がその目的に向かっているか」と、自らを分析してみなければなりません。
そこには、神様の願われる世界だけが存在しなければならず、神様との関係だけが存在しなければならず、その意味だけが存在しなければなりません。神様に対する希望、神様に対する事情と心情だけが存在しなければなりません。神様を中心とした独立性と融合性、統一性だけが存在しなければならないというのです。そのような人間になれば、その人は世界をリードすることができます。
29 私たちは、日本に与えられた使命に対して、責任感をより強くもたなければなりません。天を代表する人に、「平安に暮らしたい」という考えは決して許されません。神様がどんな願いをもっているのか、直接体験しない限りは分かりません。自分が死ななければ、その心情を知ることはできず、苦労を通してのみ、それが初めて分かるのです。神様の心情の中に生きる人にならなければなりません。お父様は、全世界が反対しても、必ずこの道をかき分けていくでしょう。一人でも闘うという決心が既にできているのです。
北米巡回
真のお父様は、一九六五年二月十二日、アメリカのハワイ、ホノルルを経由し、十三日にサンフランシスコ国際空港に到着された。そして、三月二十九日までの四十三日間、アメリカの四十八の州を走破される旅程の中で、五十五の聖地を選定された。また、三月三十一日に再びワシントンDCに到着したのち、三カ月間の滞在中、アメリカ全域にわたる宣教基盤の確立と、世界十二カ国の宣教地のために陣頭指揮を執りながら、具体的な方法を練られた。そして、二十一日修練会などに参加した食口たちに、多くのみ言を語られた。六月二十五日には、ペンシルベニア州のゲティスバーグで、アイゼンハワー元大統領を表敬訪問し、会談された。
30 お父様は、外国人はあまり泣かないと思っていました。ところが、アメリカに行ってみると、むしろもっとよく泣くというのです。私が何時に到着するか分からないのに、その日に来るという知らせだけを聞き、飛行場に来て一日中待っていたのです。待ちわびて気持ちが高ぶっていたのか、お父様が到着して飛行場にゆっくり現れると、待っていた人々の中には、泣く人、笑う人など、様々な人がいました。
文化が違い、歴史が違いますが、同じ統一教会員になってみると、笑うのもみな同じであり、泣くのもみな同じでした。笑うときに歯が見えて、泣くときに涙を流すのも、韓国人と大差なかったというのです。
31 私はアメリカにおいて、四十三日間で四十八の州を巡回しました。一日に七百キロメートル以上、車で走らなければなりませんでした。サンフランシスコでは、ツインピークスという名の聖地を選定しました。母の聖地と父の聖地です。アメリカ全体で、五十五カ所の聖地をつくりました。その聖地を守る人がいません。聖地を守る人がいないので、統一教会が発展できないのです。
一週間のうちに、東部で大会を行い、西部でも行いました。三日に一度ずつ、東西を行き来しながら行ったのです。車に乗って、ロッキー山脈を一週間に一度ずつ越えました。アメリカに愛国者がいたとしても、私に学ばなければなりません。私の記録を破ることはできないのです。
エピソードもたくさんあります。ホテルに行って眠るのではなく、車の中で眠り、砂浜があれば砂浜で眠ったりもしました。眠りから覚めて、寝袋から顔を出すと、星が光り輝きながら「ぐっすりお休みになりましたか」と言うのです。そのような時でも、夢を多く抱いていました。
32 アメリカの四十八の州を回る時、食パンとベーコンだけを持って回りました。それを一食に一切れずつ食べたのです。パンとベーコン、それからキムチです。若い人なら一食に三つずつ食べても足りないのですが、一つずつしか食べませんでした。逸話がたくさんあるのです。
夜十二時頃になると、早朝五時に起きなければならないので、三時間眠るためにホテルに行くことはできません。ですから、「車が故障した」と言って、道端に車を停めて休むのです。道端で一眠りすればよいのです。四人なので、ホテル代が一人、八十ドルだとすれば、三百二十ドルを節約できます。それだけあれば、一週間食べて暮らせるというのです。そのように節約しました。
そのようにしながら、いくら大変でも、一日に七百キロメートル走らなければなりません。千三百キロメートルまで走ってみたこともあります。そのようにして、四十三日間で四十八の州を巡回したのです。
33 お父様は、アメリカに行った時、民主主義思想を基盤としてつくられたアメリカ文化を見て回りながら、「全世界に号令をかけることができる中心本部が正にここだ。これから創建する新しい文化世界は、ここを踏み上がることができる世界でなければならない」と考え、そのために祈りました。
なぜ、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルを誇るのでしょうか。これは、流れていく一時代の自慢の種にはなり得るかもしれませんが、新しい世界を創建するときには、一つの立て札にも、塔にもなれないのです。新しい福地の文化を中心として、新しい世界、新しい歴史を創建しようとされる神様の願いは、それよりもっと高い境地にあるというのです。
34 アメリカがいくら暮らしやすいといっても、神様の本然の心情を中心として見るときには、神様の喜びの資料になることができず、栄光の象徴に近づくことができずにいます。このように、アメリカの天地が悲しみと嘆息のどん底に引き込まれていくのを神様が見るとき、唖然としてしまうというのです。
ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに行って祈ったことがあります。アメリカの燦爛たる文化として造り上げた、世界で最も高いというビルです。「このニューヨークの地で、お前を中心として天と縁を結ぶ人々がどれくらいいるのか。お前にも蕩減の道を歩ませよう」と考えました。ニューヨークの地をいくらくまなく探しても、神様と本然の心情に通ずる真の父母がこの地上に来られるとき、真の血縁的な絆を結んで息子、娘になれる人がいませんでした。ニューヨーク市民の中で、一人でもいるかというとき、いなかったのです。アメリカ国民をくまなく探し回っても、いませんでした。
アメリカ人が住む前から、アメリカの主人は神様です。インディアンが住む前から、神様が主人なのです。したがって、神様が最も愛する人が、アメリカの主人になるのです。
35 今日のアメリカ合衆国は、二千年前のローマ帝国と同じ立場にいます。「二十世紀のローマ」と言えるアメリカは、自分たちの文化ばかりを誇っていた一世紀のローマのようになってはいけません。また、他国を支配するためだけに苦心する国であってもいけません。
神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけのためのものでもなく、ある国家だけのためのものでもありません。また、世界だけのためのものでもありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。アメリカの兄弟姉妹の皆さんは、神様がこの地の上に大きな祝福を下さり、この場を準備されるまで、どれほど多くの苦難に遭ってこられたのかを知らなければなりません。今や、偉大な理念が本当にこの地上に誕生しなければなりません。世界人類は一つの兄弟であるという、偉大なイデオロギーが誕生しなければならないのです。
36 私は、韓国を愛しています。しかし、私の使命は、韓国よりもっと大きく、世界的なところにあります。私の祈りと関心は、韓国を越えて全世界に集中しています。同じように、アメリカの兄弟姉妹たちも、アメリカだけのために祈ったり、あるいはアメリカに対してのみ関心をもったりしてはいけません。
皆さんは、アメリカの人々だけのために十字架を背負ってはいけません。全世界のために十字架を背負わなければならないのです。アメリカだけのために泣いてもいけません。涙を流すならば、世界のために涙を流さなければなりません。皆さんは、全世界のために血と汗を流さなければならないのです。世界を愛するがゆえに、アメリカを愛するという立場に立たなければなりません。
37 一九六五年にアメリカに行った時、アイゼンハワー元大統領に三大条件を実践しなさいと話しました。歴史的な問題、宗教的な問題、そして、思想的な問題をどのようにするのかについて尋ねました。初めは、面会時間が五分間と定められていました。ところが、二十分超過したのです。「帰る」と言うと、彼は名残惜しそうにしながら、私を二階に連れていき、自分の生活館を見せてくれました。そして、彼は、自分の一世一代の忘れ難い記念品をくれました。また、チャーチルやスターリンのような人たちとどのようにしたということなどを誇ったりもしました。
統一教会は、アメリカを第一飛行場にしなければなりません。そして、統一教会の一人の青年が現れ、全世界に向かって何かを語ったとき、「事実がそうである」と人類が共感すればよいのです。
38 私はアイゼンハワー元アメリカ大統領に会い、「六・二五動乱」の参戦問題を中心として話をしました。「民主世界が作戦を立てて共産世界を防ぐ立場に立たなければ、民主世界が共産世界に勝ったとしても、共産世界はイスラーム圏を通して、再び民主世界に対抗してくる」と言ったのです。
サタン側である左翼は、外的な共産世界と内的な宗教型(イスラーム原理主義)を中心に一つになっているのですが、神側の立場にある右翼は、外的な民主世界と内的なキリスト教が一つになれませんでした。神様が六千年間計画した人を送るために準備したアメリカが、右翼的な立場で天を擁護しなければならないにもかかわらず、カイン圏と手を結んで同調するというのはあり得ないことです。
アメリカは、民主世界の主導的な責任を担って今まで歩んできました。アメリカ国民は、神様がアメリカを二百年間、無限に祝福してくださったことを知らなければなりません。サタン世界のものを奪い返して与えたのです。サタン世界を凌駕できる力を与え、次に、怨讐の国民よりも大勢の国民をもたせました。その次に、物質主義が問題になることを御存じの神様は、物質主義を防止できる祝福をアメリカに下さいました。アメリカは、右側の強盗の責任を担当し、どんなことがあっても神様を擁護し、キリスト教を擁護し、物質中心の生き方になることを防ぐために最後まで責任をもたなければなりません。
中南米、ヨーロッパ、中東巡回
真のお父様は、一九六五年七月三日にパナマ、四日にコロンビア、五日にチリ、七日にアルゼンチン、八日にブラジルなど、中南米の五カ国を歴訪された。そして、七月九日にブラジルを出発し、アフリカのセネガルを経由して、十日、ポルトガルに到着され、八月二十四日までヨーロッパの十七カ国を巡回された。続いて、八月二十四日にギリシャのアテネを出発し、エジプトのカイロに到着したあと、九月六日まで中東六カ国を歴訪し、世界の食口たちを激励された。特に八月三十一日、エルサレムの聖地巡礼の際、イエス様がゴルゴタの山頂まで十字架を背負って登られた路程を回想しながら、哀切なその事情を酌んで深く慰労された。
39 お父様がブラジルに行ったとき、現地の言葉も話せないある日本の食口が、神様のみ旨を伝えるため、若い年齢でありながら、自ら進んで十字架を背負うのを見ました。その荒地のような場所に行って苦労しているのを見て、心が痛みました。
心情の世界は、国境と武力で遮ることはできず、いかなる思想も遮ることができません。その人は、既に日本人ではありませんでした。韓国人より、もっと心情的でした。たそがれ時の飛行場に立ち、飛び立つお父様を涙で見送るその忠誠にあふれた姿を、私は今も忘れられません。世界に向かって祭物として訪ねていく、その涙の基盤の中で統一の役軍(担い手)に出会うことができなければ、このみ旨と使命は民族的なものにしかなれないというのです。
40 ヨーロッパを巡回しながら祈って考えてみましたが、アルプスを越えるのは問題ではありません。ヒマラヤを越えるのも問題ではありません。それ以上の困難な所、最前線に行って闘うのです。これがお父様の作戦です。この道は復帰の道なので、原理原則に合わなければ解けません。私たちは、切迫した時を迎えています。
共産党がどうして「自分たちの怨讐は宗教である」と言ったのかというのです。「宗教の怨讐は共産党である」という世界的命題のもと、私たちは闘っているのです。
41 ローマのバチカン宮殿の前で神様に祈りを捧げました。「神様、二千年の歴史をもち、六億以上の信徒をもつ教会がここに建っています。しかし、彼らがどのようになるかを考えるとき、心配せずにはいられません。数え切れないほど分裂した教派と教団を、父なる神様が願われるとおりに、一つに統一いたします」と祈ったのです。
そこは、ヨーロッパ文明の総本山の地であり、また集結地です。ヨーロッパ文明の真髄が集まっている所です。しかし、神様が私と共にあるので、今に見ていなさいという気持ちで祈りを捧げました。真と偽りがぶつかれば、偽りが砕けるのが原理です。
42 ナセルを中心として軍部が治めているエジプトを訪問した日は、エジプト軍創設記念日でした。それで、その国の軍事規模など、いろいろなことを調べたのですが、エジプト軍も最新型の武器で武装していることが分かりました。それから、エジプトの首都カイロでは、彼らの工業や産業の発展状況を見ることができなかったので、カイロから四十里以上離れたアレクサンドリアに行って、彼らの産業と工業の発展状況を見たところ、エジプトがいくら大きなことを言ってもかなわないだろうと思いました。
見てみると、その時のエジプトは、イスラエルより十年ないし二十年は遅れていました。ですからお父様は、「エジプトが東西冷戦を利用して計画したことが、第一次は的中して発展したが、今や方向転換しなければならないだろう」と思って帰ってきたのです。
43 お父様は第一次世界巡回の時に、シリア、イスラエル、ヨルダンを中心として、中東一帯を注意深く調べてみました。それは、彼らの背後にいる霊人たちがどのように動いたかを知りたかったからです。
また、新たに入ってきたイスラエル民族には、「野営地」とも言える彼らの収容地があります。この民族は、主権を復帰しようという復古思想をもち、昔アブラハムが祝福を受けた地を再び訪ねてきたのです。
このようなことを見るとき、イスラエル民族からその選民思想を抜き取ることはできないと感じました。彼らの選民思想は、彼らがどのような環境に追い込まれても、終始徹底しているというのです。
44 お父様がエルサレムを訪問した時、イエス様がゴルゴタの山頂まで登っていく途中で倒れたという所に、立て札が立っていました。三回も転んだというその場所を見つめながら、「イエス様は、このような蕩減の道を通っていったのだ」と思いました。
その場でお父様は、「暗黒のような二千年前に、新しい天的な使命を背負い、砂漠と荒野のような、このまっただ中に訪ねてこられたイエス様の事情は、どれほどやるせなかったでしょうか。しかし、大きく豊かな多くの民族をすべて押しのけ、このようにひどくみすばらしく、ひどくやせたイスラエル民族を訪ねてこられたのは、民族復帰の恨を一日も早く解こうとした父の事情があったからだということを知りました」と祈ったのです。
そこを訪問する人はみな、イエス様が抱いた事情を深く慰めてさしあげる祈りをしてこなければなりません。そのようにしてこそ、その場でサタンは気をもみ、神様は慰労をお受けになることができるのです。ですから、サタンは悲しくて泣き、神様はうれしくて泣くことができなければなりません。アダムが堕落することによって、神様が痛哭し、サタンもアダムも涙を流しました。復帰の道では、神様とサタンに涙を流させなければならないのです。「私」の涙が神様を泣かせ、サタンまでも泣かせられなければ、復帰することはできません。
45 お父様は、エルサレムに行った時、多くのことを感じました。そこに行ってみれば、半分は砂漠地帯です。らくだを見て、あの大きな体格でおなかいっぱい食べることができるのだろうかと思うほど、草のない半砂漠地帯でした。そこを眺めながら、韓国は福地の中の福地だと悟りました。
そこのぶどうのつるは、一抱えにもなりません。昼には太陽の熱で、三分の一が枯れてしまいます。その葉があまりにもしおれて、ぶどうのつるなのか、何のつるなのか分からないほどです。他のつるのようです。ところが、昼が暑い分、夜と明け方には露がたくさん降ります。その露で、植物が再び生気を取り戻すのです。このように、イスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のごとく、ユダヤの民たちも明け方を待ち、その静かな早朝に、神様のみ前で絶叫して祈ってきた民族であることを切々と感じました。
また、彼らの目をじっとのぞいてみると、何かあるのです。感動のようなものがあります。感動して歌う歌が最高の叫びであり、心霊のこもった祈りなのです。ですから、「ここから新しい歴史が始まったのだ」と感じました。
アジアおよび日本第二次巡回
真のお父様は、一九六五年九月七日、インドのニューデリーに到着したのち、アジア八カ国を歴訪しながら聖地を選定された。七日から十一日までニューデリーに滞在していた元サラワク王のアンソニー・ブルック卿からは、特別な案内を受けられた。十二日からインドのコルカタ(カルカッタ)を回られ、二十八日まで、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピン、香港、台湾などを歴訪された。九月二十九日、日本に到着された真のお父様は、十月一日に日光、五日、六日に箱根、熱海を訪問され、エバ国家である日本の使命などについて語られた。そして、真のお父様は、出国から二百五十六日ぶりとなる十月十日、韓国に戻ってこられたのである。
46 お父様がアジアの南方国家を歴訪しながら、最も大変だったのが暑さでした。暑い所で宣教をするのが一番難しいというのです。インドのコルカタ(カルカッタ)に行って約一週間滞在したのですが、温度が摂氏四十一度まで上がりました。ここで伝道をしようとすれば、本当に大変だろうと思いました。
皆さんの中で、そこに行く人はいますか。アジアでどこに人がより多く住んでいるかと考えてみるとき、極東地方より熱帯地方にたくさん住んでいるのです。中国でも、全人口の半分が暑い地方で暮らしています。割合で見れば、アジアでも、北より南に人が多くいるというのです。
47 皆さんは、日本統一教会の最も困難な立場に立つことができ、困難なことに責任をもつことができる人にならなければなりません。私たちの目的を達成するためには、果てしなく前進しなければなりません。皆さん一代で成し遂げることができなければ、二代、三代の子孫を通してでも、必ずやその目的を達成しなければなりません。世界的な波が打ちつけてくるとき、その中に飛び込む人の数によって、民族的な勝利が決定されます。統一教会の食口たちは、目に見えない世界的な運動をしていますが、それはある一時になれば、この地上に現れ、問題になるでしょう。そのような時期が間違いなく来るでしょう。その時になって、日本が一番目になれば、日本は世界の中心になるのです。
48 今後の問題は、世界を動かすことです。そのためには、第一に理念の徹底化、第二に組織の強化、第三に共同活動で一致しなければなりません。ですから、私たちは共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。さらに進んで、組織化しなければならないのです。私たちには夜も昼もありません。食事も忘れてしまうのです。私は、そのような人々をたくさん育てようと思います。
日本もそうです。近いうちに日本でも、政府が統一教会に対して注目しなければならないようになっています。そのような時期が来るというのです。皆さんによって日本は救われるのです。その基盤が立てられれば、ある峠を越えてからは、組織運動をしなければなりません。
世界宣教に拍車を掛けた第二次巡回
真の父母様は、一九六九年二月二日から五月二日まで、世界二十一カ国を対象に、第二次世界巡回を行われた。二月二日、日本の東京にある本部で地区長会議を主宰し、三日には名古屋に到着して、リトル・エンジェルスの日本における最終日の公演を参観された。二月四日、アメリカ巡回に出発された真の父母様は、三月十六日からはポルトガル、スペイン、イギリス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、スイス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、エジプト、キプロス、イスラエル、イランなどの地を巡回された。そして、イランのテヘランを出発し、インドのニューデリー、タイのバンコク、香港を経由し、四月十八日午前零時頃、日本の東京に到着、五月二日に帰国された。
1 一九六九年は、失われた世界を取り戻すために、民族の運命から国家の運命、すなわち最高の峠を越えなければならない非常に重要な時期です。アジアで、さらに最高の峠を越えていかなければならない時です。父母様は、このような覚悟で約百日間、世界を巡回しようと思います。
新しく入ってきた統一教会員たちも、過去、どのように生きてきたにせよ、この途方もない思想を中心として、伝統を立てなければなりません。年を取った人は、過去を否定して犠牲になり、年の若い人は、統一教会の未来のための役軍にならなければなりません。そうして、この思想をこの民族と国家の前に一つの基点として立て、その目的が達成される瞬間まで総進軍しなければなりません。
ですから、民族を愛し、国を愛する中で、神様に侍って生きていける三千里半島になり、三千万の民族がもろ手を挙げて神様を歓迎するようになって、この国の主権全体が神様をたたえる世界的な事件が起こる三千里半島になるようにしなければなりません。そのようにして、世界を統一するだけでなく、指揮することができ、二十世紀だけでなく、数十世紀以降にまで新しい歴史時代を開く、源泉的動機となる基盤を整えようというのです。これが統一教会員たちの行く道です。
2 一九六八年に入ってから時代が変わりました。「神の日」を設定したというのは、エデンの園で失ってしまった本然の基準を、勝利的に探して立てたことを意味します。ですから、今までは神側の人々を犠牲にして救援摂理をしてきましたが、今からは蕩減歴史の方向が変わったので、反対の現象が起こります。神側の人を犠牲にして祭物にするのではなく、サタン側の人を打つことによって蕩減する時代に入ったというのです。ですから、国際情勢を見ても、東ヨーロッパでも新たに西欧の思想が芽生えるようになったのです。そして、世界的に優れていると誇る人々の勢いが、それ以上に上がらず、(勢いを)そがれて下がっていきます。最高の基準で世界を動かしてきた彼らの勢力が、今や下がっていかなければならない運命の時代に入るようになります。父母様は、一九六八年から一九七〇年までの三年の期間を、摂理的に一つの過程として見ています。したがって、摂理的に見るとき、この三年の期間は、私たちが全体的に一つの過程を革新して清算し、越えていかなければならない期間です。アジアの情勢も慌ただしい状態に置かれています。その上、韓国を中心として見るとき、韓牛島の情勢は、今年、一九六九年が危険な峠なのです。
3 今の時代は、相当に緊迫した時です。世界を巡回しながら感じたことは、全世界が私たちの(目指す)み旨を緊急に求めているという事実です。一九六五年と一九六九年では、天地の差があります。世界には想像もできないほど、多くの変化がありました。アメリカやヨーロッパなど、世界のどこに行っても、今や私たちの(目指す)み旨でなければ世界は収拾できないことを、目の前の事実として感じられました。歳月が流れれば流れるほど、私たちの(目指す)み旨は広がっていき、世界はだんだんと死亡圏内に落ち込んでいくようになるでしょう。
4 これから、皆さんは、統一を中心として祈らなければなりません。また、聖地を中心として祈るのですが、父母様が世界巡回を終えて帰ってくるまで、男女を問わず、時間ができ次第、聖地で祈りなさいというのです。早朝に行けなければ、昼や夕方に聖地に行って祈るのです。父母様が草創期に、この聖地で涙を流しながら祈ったことを考えてください。これまで聖地を選定し、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を定めるまで、どれほど苦労の道を歩んできたかを考えてください。それを中心として、一九六八年一月一日、「神の日」を定めるまで、どれほど苦労したかを知らなければなりません。
神様もかわいそうだったのであり、父母様もかわいそうだったのであり、統一教会員たちもかわいそうでした。今や、統一の起源を全世界に打ち立てなければならない責任が皆さんにあります。たとえ硬い石の上に座って祈るとしても、石が涙を流し、山や川が頭を下げるほど祈らなければなりません。私が世界巡回をする間、皆さんは、本当は昼食を抜かなければならないのですが、そのようにさせたいとは思いません。その代わりに、聖地祈祷を熱心にしなさいというのです。「統一の歌」を一生懸命に歌い、その心が民族感情と人類および神様の復帰摂理に対する統一的な感情をもつようにして、万民が手本とすることができるよう、聖地を中心として精誠の限り、祈りなさいというのです。また、父母様が帰ってくるときには、数多くの民族に統一の起源を立てる責任を果たして帰ってくることができるように、祈らなければなりません。
5 お父様が世界を巡回しながらエルサレムに寄った際、オリーブ山に登って、古いオリーブの木が立っているのを目にしました。二千年前にイエス様がペテロ、ヤコブ、ヨハネの三弟子を率いてゲッセマネの園に登り、三度の祈りを捧げた時、その三弟子が、恐らくその木の下で居眠りしたのでしょう。そこは、イエス様に叱責を受けた場所であり、弟子のユダが来てイエス様を売り渡した場所ですから、口では言い表せない所です。ところが、そこに来る人々はみな、「私たちの主は、死ぬためにここに来られ、私のために死んでくださった。よくぞ死んでくださった」と考えるというのです。本当に口では言い表せない所なのです。
6 一九六九年に二十一カ国を歴訪しながら、一九六五年に四十カ国を歴訪した時とは、世界的な情勢に多くの違いがあることを感じたのですが、神様の復帰摂理を中心として見るとき、今や、神様が目指すみ旨と、この世界の情勢が一つになる時が近づいたという結論を下すことができました。一九六五年にお父様がアメリカに行った時、アメリカ人の社会生活を見て感じたことは、民主主義の先導国家として、自分たちの国でなければ世界を収拾できないという自負心を、いつももっているということでした。それを、彼らの社会の中でかいま見ることができたのです。
しかし、今回行って感じたことは、アメリカ自体の力では、アメリカはもちろん、民主世界全体の問題を収拾できないことを、全国民が認識しているということでした。このような社会的状況と社会的流れを全般的に推し量ってみるとき、私たちが果たすべき使命の時期が差し迫ってきていることを切実に感じました。
東南アジアと、その他のアジアは言うまでもなく、ヨーロッパ一帯のすべての国が、アメリカと同じだというのです。ですから、このような時に、「統一理念」を中心として、世界的な使命を果たすべき統一勇士たちの世界的な任務は、極めて重大だというのです。
7 私はアメリカの食口たちに、「アメリカという国が太平洋の遠くにあるからといって、ベトナムから手を引いてうまくいくと思いますか。共産党はアメリカの中にもあります。もしベトナムから手を引いてしまえば、ブラジルやメキシコのような国がそばにあるではないですか。私が一九六五年に南米一帯を調査してみた結果、南米の大部分が反米思想をもっていました。ここで、キューバの近隣諸国のうち、一国だけでも共産圏に加担し、メキシコのような国に火をつければ、アメリカの鼻の先でベトナム戦争のようなことが起こるのが、なぜ分からないのですか。十年以内に共産党がそのような政策をもって、アメリカの地に火を放つことを考えないのですか。アメリカはそのようになっています」という話をしました。間違いなく、そのようになっているのです。
ですから、アメリカが対共作戦で後退することはあり得ないというのです。それで、私がこれに備え、アメリカにおける防衛網を張るために全力で活動するように強調してきました。
8 神様の六千年の歴史を通して解けなかったすべての歴史的な問題を、お父様の一代で解きました。もはや死んでも、「統一原理」は世界を制覇するようになります。いくら日本の一億の国民が反対しても、「統一主義」には勝てません。神様は、日本自体だけを求めるのではなく、世界を必要とするからです。霊界と地上世界、天宙を必要とするからです。神様は、環境を先に造られました。今は、少しだけ動けば、世界がすぐに動く時代圏に入ってきています。統一教会の青年たちは、「神様がいない」ということを夢にも考えることができません。神様は、観念的な神様ではなく、生活圏内に実存される神様です。神様の心情は、感傷的な心情ではなく、実証的な心情です。復帰の路程を完全に通過しなければ、言い換えると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙のあらゆる圏内に入ってサタンに讒訴されない基準を立てなければ、祝福の条件を立てたと言うことはできません。
強行軍の中で世界の食口を激励
真の父母様は、第二次世界巡回の期間を強行軍で歩み、各国の宣教師と食口たちを激励して新たな指針を下さった。特に、第二次世界巡回の期間にアメリカ、ドイツ、日本において、十カ国、四十三双の祝福結婚式を主宰された。
9 世界を巡回しながら外国の食口たちに、「願いは何か」と尋ねてみると、皆が「韓国に送ってほしい」と言いました。実際は、父母様が送ってあげるのではなく、自分たちで、自ら来ればいいのですが、来るときは、ただ来るのではなく、条件を備えていなければなりません。その条件とは、韓国語ができなければならないということです。今は英語が世界共通語になっていますが、これから見ていなさい。父母様が生きている間に伝統を立てておけば、今後、世界語は間違いなく韓国語になるでしょう。
第二次世界巡回路程中、ドイツで十一カ国の宣教師を集めて会議を行いました。少なくとも一九七〇年四月までには、聖地を選んだ四十カ国に宣教師を派遣する計画です。そして、三年後には百二十カ国にまで宣教師を派遣するでしょう。今や私たちの時が近づきました。皆さんは、私たちの思想が途方もないものであるという事実を知らなければなりません。また、私たちの民族がこれから世界的に誇り得る民族になることを知り、統一教会に入ったことを誇りに思わなければなりません。
10 世界各地を回るたびに、外国の人たちがお父様にすがって涙を流すのを見るとき、うれしい反面、悲しい心情にもなりました。数多くの人々の中で、彼らが私を慕い、私が行ってしまうといって涙を流すその絆は、どこから出てきたのでしょうか。六千年前から出てきたというのです。
アダムとエバが罪に対して全責任を背負って神様の懐を離れるとき、(絶望の)涙を流していったので、そのときの絶望によって分かれていった人類が、歓喜の希望の中で出会うためには、この地上に涙の海ができなければなりません。そうでなければ、それを蕩減復帰することができないのです。
民族と国家を越え、東洋と西洋の文化を超越し、その方が涙の交差路を行くとき私も行き、その方が死ぬとき私も死ぬという決心をしなければなりません。そうすれば、たとえ自らが滅んでも、自分は勝利者であるということを感じるでしょう。
11 私が数十カ国を巡回しながら、数多くの民族に願ったこととは何でしょうか。その人々は、韓国人のことを取るに足らないものと思っていました。それなのに、韓国にいる私という人の何が良くて、従わなければならない運命に置かれているのかというのです。私が願うことは、私に従うのではなく、神様に従うことです。私を愛そうとするなら、神様を愛してから愛しなさいというのです。
このような人々と向き合うとき、私が責任者として、一つ忘れないことがあります。それは、彼らに負債を負っていくのか、負債を負わせていくのかということです。私は絶対に負債を負いません。彼らが夜を徹して精誠を捧げたとするならば、私も夜を徹するというのです。ですから、眠気に襲われ、疲れていても、それが問題ではありません。この国を経てきた数多くの恨多き霊人たちが、私を仰ぎ見ているとすれば、彼らのために悩まなければならないのです。彼らの心情とどのように一致するかが問題です。絶対に負債を負わないというのです。ですから、私が行った国で与えたものに対しては、蕩減しなければなりません。
12 父母様は、第二次世界巡回をしながら、各地にいる私たちの宣教師に指示をしました。そうして「一九六九年六月一日から四カ月間は、全世界的に信仰の祖国である韓国のために精誠を捧げなさい」と言ったのです。世界の食口たちが、朝になれば韓国に向かって切実に祈っているというのです。
今回の世界巡回の期間は、父母様にとって本当に大きな闘いの期間でした。疲れも限界に達しました。彼らは数年間、父母様が来るのを心から待ち望み、ようやく会ったのですから、時間制限というものがありませんでした。夜十二時になろうと、一時になろうと、父母様が少しでも長くいてくれることを願う彼らの気持ちが分かるので、それを無視して、疲れたからといって思いどおりに休むことはできませんでした。アメリカから、ドイツをはじめとするヨーロッパ、日本を経て帰ってくるときには、それこそ精神力で持ちこたえることができたのであって、そうでなければ倒れていたでしょう。本当に無理をしました。
13 第二次世界巡回路程中にも、父母様はアメリカと日本とドイツで、多くの人を祝福してあげました。祝福家庭でも他の家庭でも、男性と女性が一緒に暮らすのは同じです。それでは、何が違うのでしょうか。一番貧しい人と一番のお金持ちの人を互いに比較してみると、何が違うのでしょうか。同じように目があり、鼻があり、口があり、耳があるというのです。韓国で一番のお金持ちでも、乞食の服を着せておけば、乞食と変わらないように見えます。乞食ではなくても、乞食の振る舞いをすれば、乞食に見えるというのです。しかし、たとえ乞食の服を着たお金持ちが死んだとしても、世の中の人々は「お金持ちが死んだ」と言うのであって、「乞食が死んだ」とは言いません。
このように、表に現れた姿は同じだとしても、その内容が違うのです。これと同じように、統一教会が違うのも、その内容が違うというのです。神様を中心とした家庭は貴いのです。
世界的宣教基盤を築いた第三次巡回
真の父母様は、一九七一年十二月五日から七二年五月八日まで、十五カ国を対象に第三次世界巡回を行われ、この期間、特にアメリカ、イギリス、ドイツの三カ国の主要都市で講演会を主宰された。真の父母様は、アメリカのビザの問題で日本とカナダを経曲し、十二月十八日、紆余曲折の末、アメリカに入国したのち、巡回譴演をされるなど、目覚ましい活動を展開された。そして、一九七二年三月十六日にイギリスのロンドンに到着し、二十日から二十二日まで巡回講演を行われ、三月二十三日にはドイツのエッセンに到着して、二十八日から三十日まで巡回講演を行われた。三月三十一日、オランダに到着された真の父母様は、フランス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、イスラエル、イラン、インド、タイ、台湾、日本などの地を経由して、帰国の途に就かれた。真の父母様は、第三次世界巡回を通してアメリカに滞在しながら、その間、個別的に行われていた宣教活動を組織化し、食口たちを直接、教育することによって、宣教の新しい時代を開かれた。
1 第三次七年路程が一九七五年から出発するので、三年前から基盤を築かなければなりません。その基盤を築くことができなければ、世界的な第三次七年路程で、有効かつ適切な勝利を収めることができないのです。それで、一九七二年から三年間を準備期間に定めたのです。三年の間に、この峠を乗り越えなければなりません。
父母様は、第三次七年路程を通して、大韓民国を世界に連結させる責任を果たさなければならないので、今まで大韓民国で築いた基盤を中心として、一九七二年にアメリカなど、世界の重要な国家に相対的な基盤を築いて帰ってこなければ第三節第三次世界巡回ならないのです。その基盤を築くのが第三次世界巡回路程です。
2 一九七〇年、十カ国が参加する中、韓国で七百七十七双の祝福結婚式が行われました。それは、第三次世界巡回を準備するためのものでした。また、韓国で築いた基盤をその国々に連結させるためのものであり、その基盤を他の国々に横的に拡大するためのものでした。したがって、この祝福結婚式に参加した人々は、韓国に来なければならなかったのです。
3 お父様は、第三次世界巡回路程において世界的な計画を立てています。今までは韓国のキリスト教を救おうとしましたが、これからは韓国のキリスト教よりも、世界のキリスト教とアメリカを救ってあげなければなりません。ですから、新しい角度に方向を定め、国際的な活動を準備しようと思います。そのようにするためには、相当な資源が必要です。そして、講師たちや若い人々を準備しておかなければなりません。
遠くない将来に、韓国を代表する世界的な復興団が出現する時が来るでしょう。全世界を代表する復興団が世界を歴訪するでしょう。そして、国家を代表する復興団が世界を歴訪できる組織を、遠くない将来につくります。そのようにして、何カ国かの復興団が一つのチームとしても活動し、あるいは何カ国かにおいて同時に活動する作戦も実施しようと思います。
4 今からは、世界的な基盤を築くための準備をしなければなりません。国内外で統一教会が追われる時は過ぎていきます。私たちが世界に旋風を巻き起こさなければなりません。共産党が新たな整備をして世界進出を夢見るのと同じように、これに備えて天の側も新たに整備し、外的な世界に影響を及ぼしていかなければなりません。ですから、世界本部を建てようと汝矣島の土地を買い、世界的な修練所を造らなければならないので、清平の土地を買うのです。世界的な大学を建てるためにも土地を買いました。外的に備えて世界に進軍しなければならない時になったので、このような準備をしてきたというのです。ですから、今回、世界巡回に出れば、少なくとも四十カ国以上に宣教部を設置して帰ってこなければならないという使命を感じています。そして、数年以内に百二十以上の国に宣教部をつくらなければなりません。
5 「六・二五動乱」は、北朝鮮が韓国を打つことによって起きた戦争です。この時、民主世界が韓国を支援し、北朝鮮の侵攻を防いでくれたため、韓国を守ることができたのです。ここには十六カ国が参戦したのですが、これは四数に四数を掛けた数です。それでは、なぜ民主世界の代表国家が韓国に来て戦ったのでしょうか。摂理的な次元から見るとき、韓国は彼らの祖国のような立場なので、彼らが祖国光復のために血を流さなければ、民主世界が生き残る道がないからです。それによって、民主世界がお父様を助けてくれたことのようになり、国を助けてくれたことのようになりました。
言い換えれば、お父様が獄中から出てくることができるようにしてくれ、国が滅びるところを助けてくれたので、その両方を助けてくれたのと同じ立場になったというのです。ですから、民主世界が再び福を受ける道が開かれるようになったのです。
今、アメリカも落ちていき、イギリスも落ちていっています。このような時に、私がその恩を返す活動をしているのです。アメリカも引き上げてあげなければならず、イギリスも引き上げてあげなければなりません。統一教会が神霊を中心として、霊的基準において勝利できる完全な内外の基盤を築いたという立場に立ってこそ、霊的民主世界のキリスト教圏を協助し、このように引き上げることができるというのです。統一教会がそのような立場で世界を連結させるためのものが、第三次世界巡回路程です。
6 一九七一年は、第二次七年路程の中間の年です。この年に父母様は、第三次世界巡回をしているのですが、これには大きな意味があります。韓国を出発して日本に行き、カナダに寄ってアメリカに来ました。アメリカに来るまで多くの障害物と闘わなければなりませんでしたが、そのような困難は次第に減っていくでしょう。
カナダは、アメリカに対してエバの立場にあります。カナダはエバの立場にあるイギリスの延長だからです。父母様は、韓国で収めた勝利的な基盤を、日本、カナダ、そして、アメリカに連結させようとしていました。カナダを経由してアメリカに来たのですが、カナダがアメリカに対してエバの立場にあるので、そのようにすることができたのです。
父母様がアメリカにその勝利的基盤を連結させようとしたので、サタンはそれをさせないようにしようと全力を尽くしたのです。ここに来るのに多くの困難があった理由が、そこにあります。また、アメリカの国務省もじっとしてはいませんでした。そのような条件を打破することによって、天が韓国で復帰した勝利の基盤を皆さんが相続できるようになったのです。
アメリカの次は、ドイツに行く予定です。イギリスを経由して行かなければなりません。それが成功すれば、そのような条件はなくなるでしょう。復帰摂理は、公式なくしては成し遂げられません。徹底的に公式に従わなければならないのです。
7 アジアで、韓国、日本、台湾の三カ国を中心として連結してこようとしたのがお父様の作戦でした。それが今や、世界時代に越えていきます。アジアで防ぐことができなかったため、それが世界にまで及ぶのです。これを、第二戦線であるアメリカが防がなければなりません。アメリカで防げなければ、第三戦線はドイツになります。
一九七七年は、一九一七年に共産国家が出発してから六十年がたつ年です。それで、お父様はアメリカに行き、「一九七七年、七八年になれば、アメリカは共産世界の脅威を防ぐことができなくなるだろう」と話しました。
そのようになる前に、統一教会員たちは三年間でそれを準備しようというのです。三年間準備して完全に防御戦線を拡大することが、お父様の第三次世界巡回の中心的計画でした。
アジアの日本と韓国と台湾に続き、第二防御線を準備しなければならないので、西洋で自由世界を代表する国家を中心として、アダム国家型、エバ国家型、天使長国家型を備えなければなりません。これらの国が、アメリカとイギリスとドイツです。
ですから、今まで韓国が築いてきた基盤を、そこに植えてあげるのです。連結させるのです。今や、父母様が韓国だけに住まなくてもよい時が来ました。第三次世界巡回路程を終えて韓国の地に帰り、責任を果たせば、韓国の(国家レベルの摂理)時代は過ぎていきます。
8 キリスト教は、霊的救いの宗教です。実体を失ってしまいました。今までは僕復帰の歴史、言い換えれば、天使長復帰の歴史だったのです。今までの霊界の役事がそうです。
イエス様は、亡くなって霊界に行っていますが、愛を受けられる息子の使命を担いました。息子になれば、父の家に行かなければならないのですが、父の家に入ることができずに楽園に入っているので、天使長復帰の使命に責任をもってきたのが、キリスト教の霊的救援摂理です。ですから、これから統一教会が霊肉を中心として、イエス様が追われていったとき以上の基準さえつくっておけば、天使長世界は屈服するようになっています。
イエス様が父の家に入れなかったのは、国家基準で勝利できなかったからです。国家基準を抜け出すことができる基準さえ立てば、天使長世界は地上に絶対服従するようになるのです。そのようになれば、霊的アダムを中心とした本然の世界圏が形成されます。その基準を立てるためのものが、第三次世界巡回路程です。
9 統一教会は、霊肉を中心として、国家基準で、いまだにアベル的な勝利の基盤を築くことができていません。しかし、霊的な基準で国家基準と世界基準を見るとき、思想的な面では私たちが先頭に立ちました。私たちの理論は、誰にも負けません。宗教で言えば、統一教会が内外に公認される時が来ました。ですから、外的にはまだですが、内容ではそのようになったというのです。霊的基準で、国家を越えたアベル基準を復帰したというのです。
霊的基準でアベル復帰を完成したので、霊的基準でカイン復帰の完成に向かって出発できるのです。お父様社第三次世界巡回路程で、霊的カイン世界であるキリスト教文化圏に「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣布しました。アメリカはカイン国家の代表国なので、その代表国に宣戦布告をしたのです。
昔、イエス様の時代には、霊肉を中心としたアベルの立場を宣布して、イエス様は命を奪われました。したがって、国家に対して霊的な立場で宣布をしたのですが、命を奪われることなく、反対されずに帰ってくるとき、そして、歓迎を受けたという立場に立つときには、肉的復帰の出発時代に入っていくというのです。原理がそうなっています。そのために行ったのが第三次世界巡回路程です。そのようにして帰ってくれば、韓国は肉的復帰の内的基盤がつくられていくというのです。
10 今回、アメリカで大衆集会を開くようになれば、それはお父様の生前において初めてのことになるでしょう。少なくとも、七カ都市でこのような集会を行う計画です。各都市で三日間ずつ行い、二十一日かかるでしょう。これは、公的にみ言を宣布する路程の最初の出発です。皆さんは、この計画に対して責任感をもたなければなりません。反対や迫害があるでしょう。また、歓迎する人もいるでしょう。ですから、ラジオと新聞を利用しなさいというのです。そうして、皆さんが各都市の細部計画と日程を立てれば、お父様がみ言を語るでしょう。また、ドイツとイギリスでも集会を開催します。これは、歴史的な事件です。今回が第三次世界巡回なので、お父様が自ら語らなければなりません。お父様は、この日を待ってきたのです。
11 父母様が韓国を出発する時には、霊的基準で既に韓国を越えていたのです。韓国が統一教会の方向に従ってこざるを得ない霊的基準を、既に設定してきたというのです。それは、現政府やキリスト教が、統一教会の活動と行く道を標榜せざるを得ない段階に入ってきたということです。霊的基準では、キリスト教の権威を越えて、国家基準を越える蕩減条件を成就することができました。一九七二年、七三年、七四年の三年路程の期間に、韓国を離れ、民主世界の中心国家であるアメリカを中心として、全世界に連結させなければなりません。キリスト教民主世界について見てみれば、アダム国家型がアメリカであり、エバ国家型がイギリスであり、天使長国家型がドイツです。ですから、霊的な面でこの三カ国を連結させる運動のために行ったのが、一九七二年の三カ国を中心とした講演会でした。これは、イエス様の当時に、ユダヤ教を中心としてローマまで連結させなければならなかったように、その相対的国家を中心として連結させる、新しい福音宣布の戦争なのです。
12 アメリカの七カ都市をはじめ、イギリスとドイツで講演会を開催しました。なぜアメリカで七カ都市を選んだのでしょうか。アメリカは世界的主導国なので、世界に影響を与え得るこれらの地域を選ぶことによって、イギリスやドイツにとって一つの基準になるため、そのような作戦をせざるを得ませんでした。これは、どこまでも霊的な運動です。ですから、肉的基準を連結しようとすれば、このようなことを通して、韓国と連結しなければなりません。一九七二年に入り、そのような基盤を中心として私が新たに出発し、日本食口とドイツ食口、そしてイギリス食口たちを動員したのです。アメリカを中心として、アメリカ食口はもちろんのこと、イギリス食口、ドイツ食口、日本食口など、主導的な国家の食口たちが動員されました。お父様が築いたその霊的な一次基盤の上に、一九七二年から七四年まで、全世界の統一教会員たちを連れてきて、この基盤と一致させる運動をしてきたのです。霊的にするのであって、肉的にするのではありません。お父様だけが霊的基盤を築けばよいのではなく、食口たちが相対的に霊的基盤で一つにならなければなりません。
世界宣教の基盤造成
真の父母様は、一九七二年十一月二十一日に韓国を出発し、日本を経由して、二十三日にアメリカに到着された。第四次世界巡回というタイトルで韓国を出発したが、実際には、アメリカに滞在して宣教活動を集中的に展開し、八カ月後の一九七三年七月二十二日に帰国された。このときのアメリカ訪問の目的は、世界宣教の基盤造成と世界統一十字軍(国際伝道機動隊)の再教育てあった。第三次世界巡回当時に編成された世界統一十字軍の実績を検討し、国家を超越して世界的な舞台で活動ができるように、拡大、改編したのである。また、真のお父様は、一九七二年十一月二十三日から二十六日まで、ニューヨークで開かれた第一回「科学の統一に関する国際会議」において、「世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務」というタイトルで基調演説をされた。
13 お父様は、国家なら国家を中心として、統一の一族であれば統一の一族を中心として、成し得る限界まではすべてやりました。今からは、皆さんがお父様のために生き、み旨のために生きることにおいて、より大きな範囲で責任をもち、全世界的に活動しなければならない時になっていきます。
言い換えれば、今までは皆さんがお父様についていきながら活動してきましたが、これからは、それではいけないのです。反対に、皆さんが(自ら)訪ねていって活動できる立場に立ってこそ、お父様が定着することができます。
今、お父様個人を見れば、いまだに定着できていないのです。環境的にもそうです。父母様の家庭が定着してこそ、祝福を受けた家庭が順番に定着していくのです。祝福を受けた家庭が、すべて定着しなければなりません。そのような基盤が広がり、このような一つの国家さえ成立すれば、世界復帰は短期間のうちに成就されるというのです。
14 皆さん自身が、お父様の使命を引き継ぎ、責任を果たせるかが問題です。お父様が国のために闘い、国のために迫害を受けたのであれば、皆さんは国のために迫害を受けるより、世界のために迫害を受ける覚悟をしてこそ、国が保護を受けられる圏内に立つようになるのです。言い換えると、お父様が個人的に侵犯を受ける問題が生じるようになれば、それを皆さんが世界的に責任をもって防げるか、守れるか、ということが問題になります。
父母様の第三次世界巡回路程と同じように、皆さんも世界に対して巡回路程のような新しこを、三回以上行かなければなりません。個人的にも行かなければならず、家庭的にも行かなければなりません。父母様の家庭が直面する受難の道や、外的に直面する何かがあるとすれば、そのすべてに責任をもち、サタンから守ろうという決意をもった家庭がなければならないのです。
15 今の世界の国々を見るとき、アメリカも共産党に襲われやすい状況であり、日本も、韓国も、ドイツもそのようになっています。すべて、サタン圏に追われる立場にいるのです。その闘いの標的、目的を失い、いかなる方向に進んでいるのかを、自由主義国家圏では誰も知りません。そのような時が来れば、その時が終末です。
その反面、統一教会は、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、このように復帰の基盤を広げて、条件的には既に世界の横的基盤までつくりました。父母様は、三次の世界巡回路程を中心として、韓国で二十年以上闘って収めたその実績を、そのまま横的に世界に連結させる運動をして帰ってきたのです。
16 私たちは、外的な世界時代に向かって前進しなければなりません。ですから、「死線を越え、命を懸けて行きなさい」と言えば、無条件に行かなければなりません。このようにして、韓国だけでなく、世界的な機動戦線をつくらなければなりません。一つは共産圏であり、一つは民主圏ですが、世界を中心として、このような内外の戦線を守護すべき責任があるので、一九七二年は「統一戦線守護」という目標が出てきたのです。
このようなことを私がアメリカでしようとするのですが、そこでも、サタンがどれほど反対するか分かりません。アメリカの食口たちに一次、二次と話をし、三次まで話をしても、信じなかったというのです。信じないようになっています。ですから、父母様が自ら先頭に立ち、経費を出してその基盤を築いてあげて帰ってきた路程が、第三次世界巡回路程でした。今度は伝道機動隊を再教育するために行きます。これが第四次世界巡回路程です。再教育をして強い組織をつくり、徐々に世界的な舞台に拡大していくでしょう。
17 お父様は、第三次世界巡回路程中、時間がないにもかかわらず、一週間でアメリカの上院議員十人に会いました。そして、下院議員十五人にも会いました。今や、お父様は有名になりました。「ニューヨーク・タイムズ」と、「ワシントン・ポスト」の一面を使って記事が出ました。アメリカの七大都市で復興会をし、リンカーン・センターを借りて、彼らもできないことを今までしてきたので、お父様が「会おう」と言えば、上院議員も好奇心からでも会うようになっているのです。
会って、これからのアメリカの展望について話をしました。また、今後、共産党に引き込まれてはいけないと警告したことが問題になっています。上院議員百人のうち、十人に会ったのですから、十分の一に会ったことになります。その人たちに会って国際情勢について話したため、お父様の言葉は、すべてうわさになるようになっています。ですから、第四次世界巡回中にアメリカに行けば、またどのような影響を及ぼすだろうかと、あらゆる人が注目しています。
大韓民国では、国会議員を一人も門の中に入れず、訪ねていくこともしなかった私が、なぜアメリカでは、そのようなことをしなければならないのでしょうか。それは、今後の作戦のためです。大韓民国が問題ではないというのです。
18 父母様はそう遠くない将来、第四次世界巡回路程に出発するでしょう。これからニューヨークに行けば、一九七二年十一月二十三日に、「科学の統一に関する国際会議」で講演しなければなりません。それは、私が創設しました。世界的に優秀な人々を、韓国に呼び集めなければなりません。そのようにしてこそ、韓国を生かせるのです。統一教会員たちが、今後、世界に行く道も築いておくのです。
世界的な環境ができるのも、そう遠いことではありません。父母様は、世界巡回に出発すれば、何カ月間か滞在し、また帰ってくるでしょう。韓国を完全に離れるのではありません。アメリカに早く統一教会の食口をたくさんつくり、韓国人を家庭ごと連れてきて一緒に住みたいと思うような状況にしておけばよいのです。ですから、そのような基盤を造成しなければなりません。
真のお父様は、第一次世界巡回の路程中、韓国にいらっしゃった真のお母様と真の子女様、劉孝元協会長、食口たちに自筆の手紙を送って励まされた。休む間のない旅程においても、一九六五年二月十五日にサンフランシスコから最初の手紙を送られ、それ以降、数十回にわたって手紙と絵葉書などを送られたのである。真のお父様は、それらを通して当時の巡回状況とその時々の感慨を披歴しながら、活動を督励された。手紙からは、特に真のお母様と真の子女様、そして、食口たちに対する深い愛と期待、巡回路程に対する感慨をかいま見ることができる。本部の幹部たちもまた、手紙を通して真のお父様に活動報告を行った。
真のお父様が真のお母様に送られた手紙
1 お母様へ。故国を離れてから、もう二十日になろうとしています。この期間、多くの歴史を残しながら、日本を経由し、アメリカのサンフランシスコまで来て、新しい文化の生活をたどり、また、多くの名勝地を見物しながら、お母様のことを思い出します。み旨のための複雑な生活の中で、一人、どれほど気苦労が多いだろうかと思います。経験が浅い中では、感動することも、励まされることも多いのは当然ですが、今回の期間、多くの祈りを捧げながら、環境に勝利することをただただ願っています。
アメリカに来て、離れてみると、私たちが互いにどれほど貴い存在かを改めて感じ、互いがどれほど大きな使命を担っているかを、多くの点で体験して、感謝するばかりです。天地の責任と歴史的運命を解決しなければならないという、誰にも代わることができない一組の夫婦であることと、私たちの良し悪しによって全体が左右される、その焦点の上に立っていることは、どれほど重大な生涯の職責でしょうか。
ですから、天に対しては忠孝の道理を果たし、地に対しては努力の限りを尽くし、歴史的な願いに対しては解怨成就しなければならないという立場を、末永く輝かせる夫婦にならなければなりません。この重大な責任を果たそうと、私は日本の食口の前でも、アメリカの食口の前でも、天のみ前でも、精誠を尽くそうと、ただただ努力するのみです。食口たちの切なる表情と誠心を尽くす姿を見るとき、やはり天の子女たちは違うことをひしひしと感じます。その分、真の父母の立場が恐ろしいことを感じます。
考えている多くの問題(の解決)にも、だんだんと慣れてきています。日本の食口とアメリカの食口は、本当に対照的です。詳しい内容は次に持ち越すことにして、省略します。心の中に天国を所有し、それを分けてあげなければなりません。多くの付き添いの人々を慰め、母らしい姿を大きく育んでください。私も、故国が今置かれている立場と外国に対する使命を案じつつ、新しいあすを描きながら、力いっぱい、今回の旅を終えようと思います。
それでは、伝えたいことはたくさんありますが、再会して伝えることができる日を待ち望みつつ、紙面ではここまでとします。いつも平安であることを祈りながら、これにて失礼します。一九六五年二月十五日、サンフランシスコにて。
2 お母様、多くの日々が、数える間もなく過ぎ去っていきますね。もうひと月になろうとしています。この間、故国の山河も、思いの中に描く、はるか遠くの異国の地のように感じます。手紙に書かれているとおり、ラスベガスという都市にいます。ここは、世界でも有名な賭博場として知られている所です。朝にロサンゼルスを出発し、アメリカ(本土)で最も高いホイットニー(Whitney)という山で聖地を選びました。そして、一帯の盆地になっていて、東半球で最も低い場所としで有名なデスヴァレー(Death Valley)という所を訪ねて聖地を定め、三時間走って、今ホテルにいるところです。
あすの朝八時にはここを出発し、定めたコースに従って巡回することになるので、そのように承知しておいてください。手紙で連絡する時間もなさそうです。便りがなくてもあまり気にせず、決めた時間に従って、勉強と、自分が直面している多くの重大な問題のために祈りながら、責任を果たしてくれるようにお願いします。
先日、サンフランシスコの住所に(お母様が)送った手紙がロサンゼルスに送られてきたので、しっかりと読ませていただきました。孝進、譽進の便りがうれしかったですよ! やはり、遠く離れると思い出されてしまうのは、どうしようもないですね。妊娠中ですから、気をつけて養生してください。
私は、既に出発した路程なので、アメリカの地でも自らの責任を果たさなければならないという使命感から、きょうとあす、時間を短縮してアメリカ大陸の南部に向かっています。大きな天的使命を果たす日まで、誠心を尽くそうと思います。これまで、アメリカに来てサンフランシスコとロサンゼルスに寄りながら、アメリカの食口たちと大変親密に、特に違和感もなく過ごしてきました。やはり食口ですから、本国と比ベてもあまり支障を感じないので、安心してください。これから、アメリカは努力次第です。非常に大きなアメリカ大陸に、天の炎が燃え立つことを心から祈るばかりです。
歴訪の同伴者として、永雲(ヨンウン)、崔(チェ)、アメリカの青年二人の合計五人で出発し、ただただ広こ、どこまでも続く道を、三月の一カ月間かけて走り、ようやくワシントンDCに到着する予定です。ネバダ州のほかに、いくつかの州は砂漠地帯になっていて、一週間は砂漠の地を通らなければならないというので、しっかりと気を引き締めているところです。特に
アメリカで切実に感じたことは、今後の統一教会の運命は、アメリカの地と闘わなければならないということです。高い文化施設と発達した交通機関には、本当に驚かされます。
ですから、私たちの運動の本格的な世界発展は、アメリカを抜きにしては成し得ないというのが、事実として体得されます。韓国はあまりにも小さな国であると感じます。しかし、摂理的な見地から見れば、それも一理あると思いながら、荒廃した故国にもう一度思いをはせ、私たちの使命が大きいことを感じつつ、祈るばかりです。私たちの理念に加わったアメリカの食口は、私が本国で伝えたのと同じです。本国の教会食口たちとその他の問題も、み旨の中で変わりない立場であることを思いながら、現在の立場をしっかり守っていこうと思います。
そのほかに、お母様が苦労して育てた近くの大勢の食口たちからも、責任感が感じられます。どうか、しっかりと面倒を見てあげてください。みな、み旨のための祭物であることを、誰が知っているでしょうか。お母様、本当にありがとうございます。大きな使命のために責任を担っても、変わらずに接することができる素質をもっていることを、本当に天のみ前に感謝します。それをさらに発揮して、大きな発展を実らせる良い期間になることを願うばかりです。
天と私たちの関係がどれほど貴いかを深く体験する機会であると思っています。子供たちにも、お父さんは元気でいると伝えてください。食口たちにもよろしく伝えてください。旅の途中、時間をつくって少しばかり綴りました。どうか体に気をつけて、責任を果たしてください。それではこれで失礼します。一九六五年二月二十五日、ラスベガスにて。
3 孝進オンマ(「孝進のお母さん」の意)、教会の便りも気になります。この間、子供たちと共に何事もなく過ごしていることと思います。復興団の成果はどのようになっているか、知らせてくださったらと思います。か弱い体で責任を果たしているのを見るとき、天はさらに貴く感じられるだろうと思いつつ、遠く、太平洋を越えて韓国の地に思いをはせます。離れれば会いたくなるのが、人情の常のようです。
私は異国の地でも、よく適応するほうなので、万事においてそれほど支障はありません。アメリカ大陸をさらに力強く巡回しています。きょうは、もう三月六日の午前一時五分です。今ちょうど、数百マイルを走り、アーカンソー州のリトルロック(Little Rock)という州庁所在地にあるローズモーテルを宿に定め、しばしこの手紙を書いています。私は、つい何時間か前、他の州で夜八時に聖地を定めました。アメリカに来てちょうど十番目の州に聖地を決定したのです。今回の巡回をしながら、一九六〇年になる前に(韓国を)巡回した時のことが思い出されます。「アメリカの地よ、お前はこの大きな体をかがめ、いつ天に侍ろうというのか」、正にその使命のために、私は力強く天的プログラムを進めています。始めたからには、勝利を収め、世界復帰の基盤を願うばかりです。手紙は書かないと言ってやって来ましたが、もしかしたら期待しているかもしれないと思うと、心が落ち着かず、急いでペンを走らせています。
私たちの使命はますます大きくなります。異国の食口も、本部の食口も同じです。先生に対する態度から、非常に大きな責任を切実に感じています。ですから、お母様が担う重責を案じざるを得ません。一生懸命に勉強しなければなりません。体も健康でなければなりません。たくさん祈らなければなりません。私としては、本当に申し訳なく思っています。か弱い身でありながら、しっかりと付いてきてくれて感謝しています。お母様を連れてアメリカの地を再び訪ねることを思いつつ、しっかり養生してくれるようにお願いします。すべてを天に委ねていきながら、大きく勝利した自己を天のみ前に立てることを願います。いつも安らかであってください。手紙は書けませんが、協会長によろしく伝えてください。それでは失礼します。一九六五年三月六日、リトルロックにて。
4 お母様へ。今、アメリカの首都ワシントンDCでペンを執っています。一カ月余りが過ぎました。私は何度も変化の境地を通過してきました。つまり、巡回の路程で毎日忙しいスケジュールをこなしながら、今までにない大きな地形的変化を経験したのです。今回は主に聖地を定めましたが、きょうの十一時までにワシントンDCの聖地を定めることにより、二十一カ所を決定したことになります。あとで写真を見せてあげることができるでしょう。
西部から東部まで回ったので、今度は北部に向かって出発する路程が待っています。大きな大陸を一周しながら、人知れず全米の各州に聖地を定めることにより、アメリカにおいて今後、発展があることを願っていますし、またそのようになることを知っています。今回、アメリカの食口たちは、初めて私に会い、様々な面で印象的なことが多くあるようです。いろいろなことを体験しながら、一緖に来ることができなかったことを本当に申し訳なく思いました。しかし、私が道をならしておき、次の機会に一緒に来ればなお良いと思い、またみ旨がそのようになっているので、ただすべてに感謝するばかりです。
人は、離れ離れになっていても、再会することに思いをはせる時間が、大きな助けになると思います。お母様も、多くのことを回想しながら、今後の決意をしたことと思います。
私たちがさらにみ旨に孝を尽くす者として、多くの人々の手本になることを決心する良い期間になることを祈るばかりです。さらに、子供たちを連れて苦労が多いと思いますが、感謝しながらそれに耐え、あすを準備し、真のお母様の責任において末永く光を発してくれることを願ってやみません。体に気をつけて、勉強もして、多くのことを祈りながら、気高
い責任に対して末永く光り輝いてください。子供たちに会いたいですね。「お父さんを待っているだろうな」と思うたびに写真を見ています! お母様もですよ! 子供たちに「お母さん、大好き」と言われる貴いお母様を、私も貴く思います。父親がいない間にたくさんの体験をして、うれしい便りを聞きたいです。
アメリカにいる食口たちも勇ましいです。本部の食口たちが、一生懸命に責任を果たさなければならないことを感じます。きょう、十四日は日曜日なので、夕方、集会をします。十二日には六十数人来たので、夕方もそのくらい集まるでしょう。アメリカも努力次第で将来が決まります。本部の近況を教えてください。すぐ、北米の州の巡回に出発しようと思います。家族と地区長たちや食口たちに、手紙を書けなくて申し訳ないと伝えてください。ワシントンDCの気候は、韓国の気候に似ています。きのうは多くの場所を見学しました。ホワイトハウスにも入ってみました。国会議事堂にも入って見学しました。いろいろな面で非常に参考になりました。将来の希望を描きながら、都市を回りました。それでは、また次の機会に。お元気で。一九六五年三月十四日、ワシントンDCにて。
5 孝進オンマ、重大な責任と忙しい生活の中で、み旨に対する使命にどれほど苦労が大きいでしょうか。最後まで忍耐を通して、あすの目的のために力いっぱい努力してくださることと思います。ありがとうございます。きのうはニューヨークを出発し、道を急いで、バーモント州のブラトルボロ(Brattleboro)にあるホーリーモーテルに泊まり、今、出発直前にペンを執りました。きょうは、オハイオ州のクリーブランド(Cleveland)に向かう準備で忙しくしています。その時間を利用して便りを伝えることを申し訳なく思います。四月二日になる前にワシントンDCに戻り、「父母の日」を迎えようとしているので、本当に忙しいです。北部地方は今、冬の季節で本当に寒いです。
先日送ってくれた手紙を、ワシントンDCで受け取りました。便りを受け取り、言葉にできないほどうれしく思いました。離れて連絡を取り合う事情にある中で、より深い感情と重大さを感じます。さらに、子供たちと食口たちと共に、ソウルで過ごしていたすべてのことが、いつも思い出されます。このようにして過ごしている間に、いろいろと苦労をかけることがあれば、それが私たちの間により大きな力をもたらし、絆を深く結んでくれることになると感じます。ですから、生きていく中で、大きなみ旨のために耐えて歩んできた過去もまた貴いことを、お母様も十分に体験するだろうと思います。この世にいる間、大きな責任と使命に涙しながら、勝利のために行進することが本当に貴いと改めて思うとき、お母様に対して本当に感謝することが大きく、また多いことを感じます。大きく気高いみ旨ですから、それに比例する苦労にも耐えていきましょう。
近くにいる多くの食口たちの無事を祈りながら、子供たちと共に体に気をつけて、私が子供たちと会う時まで、勇ましく闘ってください。あすの希望と世界の舞台を夢見ながら、今、準備を一生懸命にして、巡回の日を描きつつ、喜ぼうと思います。どうかしっかり闘って、責任を果たす貴いお母様になってくださることを、心から願っています。会いたくなったら、家族が写った写真を時々見ながら、もう一度会える日を楽しみにしています。
譽進が学校に通い始めて、もう随分大きくなったと思うと、お母様の責任がさらに大きくなるだろうと心配になります。孝進も、私のことを捜しながら、しっかりと育っていると思うと、慕わしくなります。本当にお母様は立派にやり遂げて、私にとって最も貴く、誇らしい女性の中の女性になるだろうと思いながら、本当に私は幸せ者であると心から感じつつ、歩んでいこうと思います。どうか気高く貴い勝利したお母様になってください。私も真の父になり、天地のために生きようという一片丹心を抱くばかりです。それでは、お元気でいてください。一九六五年三月二十日、ブラトルボロにて。
6 孝進オンマ、一晩過ごし、三月二十五日になりました。もう別れてからあと三日で満二カ月ですね。その間、ソウルで忙しい生活を送りながら、多くの体験をしていることと思います。み旨を中心として、大衆の前でいつも気をつけ、公的な生活館の中で気を抜いて過ごすこともできない生活を、遠くから同情してやみません。さらに、多くの人々を前にして、今はもう自分一人の体ではないのに、大変申し訳なく思います。毎朝、聖地を訪ねるその姿を心から心配し、一方では貴く思っています。多くの人の手本になってくれていることに、感謝するばかりです。他の人とは違って、心情的十字架を越えていこうとするその大きな使命は、私だけが知るところであり、さらに広く、高く、貴く敬愛を受けるお母様になってくださることを、心から祈るばかりです。皆によろしく伝えてください。手紙を一つ一つ書けない事情を理解させてあげてください!
子供たちに対しても、気苦労が多いでしょう。今は、皆の成長した姿を想像しています。私は毎日のように、忙しいアメリカ北部巡回路程を送っています。南部と違って、北部は寒い季節です。気候も変化して雪の降る日が多くあり、自動車の運転に気をつけなければならなこが多くあります。非常に遠このりを訪ねて回る、その大きな意義を思いつつ、復帰の路程の悲しみを体験することも多くあります。州ごとに異なる風景を見ながら、天の大きな摂理がある地だということを切実に感じます。天の復帰摂理の苦労を改めて思います。お母様が、私の行く先々に心で同行しながら祈ってくれていることを思うと、本当に有り難いです。大きな責任に対して私も深く敬愛しながら、今後のみ旨に対する誠心を大きく期待します。いつか、お母様と一緒にアメリカとヨーロッパを歴訪する日を願いながら、多くのことに思いをはせています。いつも健康に気をつけ、今後の道を固めるために、さらに努力してくださることを願ってやみません。天の威信と責任を重く受け止めながら、あすの希望を高めていくようにお願いします。
気になることが、日を追うたびにしきりに増えていきます。きょうは、コロラドの州庁所在地のデンバー(Denver)で書いています。恐らく手紙を見て、この場所を探してみることと思います。朝食を食べたら、(ユタ州の)ソルトレークシティー(Salt Lake City)に行って、相哲(サンチョル)氏に会う予定です。木曜日なので、気になっているかと思い、忙しい中ですが少し書いています。来週のうちにワシントンDCで「父母の日」を迎えるため、路程を急いでいます。そこで便りを受け、また連絡します。どうか体に気をつけ、勉強を頑張ってください。生活の中で、時間をつくる余裕が常にあるでしょうか。一度過ぎれば戻ってこない青春の良い時期を、み旨のために大事にして捧げましょう。手紙を書くたびに、念を押すかのように何度も書いてすみません。それは、夫としての責任もあり、のちのち感謝することになると思いますので……。また、ほかに誰が勧めるでしょうか。時間の貴さをよく御存じでしょうから、申し訳ありませんが、心に留めて努力し、私が驚くほど忠実に過ごしてくれることを願うばかりです。心深くお父様を思い、それを体恤することも必要です。み旨を中心とした高貴なお母様を慕い求める私であることを、よく御存じだと思います。死のうと生きようと、私たちの使命となったみ旨を、私たちが成し遂げていかなければなりません。どうか元気で過ごしてくれることを祈りながら、これでペンを置きます。一九六五年三月二十五日、デンバーにて。
7 お母様へ。「父母の日」を迎え、報告を兼ねて書いてくださった手紙を読みました。御苦労様でした。やはり、お母様の貴さに対して改めて感謝しました。私がいない間、二回の行事のために苦労が大きいことがよく分かります。しかし、天の願いの前に責任を果たしたことを、私はうれしく思います。この「父母の日」が私たちの暮らす地球上に顕現したという事実を考えるとき、私たち真の父母の立場がどれほど恐ろしい立場であるかを切実に感じます。
六千年前に神様が造られた本然の世界で、神様が喜ばれる中で成就し、行うべきだった祝典の儀式を、今日の私たちが責任をもつという、途方もない使命の前に、身の引き締まる思いです。数多くの預言者と先祖が犠牲と悲惨な歴史路程を綴りながら、天地のためにどれほど多くの涙と汗と血を流してきたでしょうか。数えることのできない、天のみぞ知る曲折の多こを歩んでくる中で、私は体験とともに蕩減路程を経る悲しみの道を耐えに耐え、お母様一人を迎えて平和の勝利を誓っています。そのようにしながら、暮れゆく青春を我が生活とし、たそがれの道をたどって果てしなく遠い夜明けに向かい、四十数年の生涯を歩み、天地の悲しみを体験しながら、天の勝利の一日として成し遂げられた「父母の日」であることを思えば、千里遠程の恨多き過去とともに、お母様を貴く思わずにいられるでしょうか。しかし、六回目を迎える「父母の日」を過ごしながらも、責任と使命を再び勧告しなければならない私の心情は、残された世界的な父母様の成就のためであることを思うとき、お母様に多くの苦労を再び残し、一緒に行かなければならない運命に対して深く同情します。
しかし、最後まで、私たちの恨を解くまで前進することが、私たちの目指すべき目標として残っています。様々な十字架の上で、お母様の責任がどれほど大きいかを知っている私が、海外で心から深く祈っていることを知って、妊娠中ですから体に気をつけ、あすの責任が輝かしいものとなるようにしてください。天地が貴く思い、万民が喜ぶ日である「父母の日」の中心が、実体をさらに貴く慕うことを思えば、すべてを祭物とするようさらに輝かせなければなりません。若い心に気高い誠心、天の責任と世界を抱きながら、幸福な歴史的生活の勝利圏を創造する神聖な主人公の責任を完遂し、天地が共にその懐を慕う、貴いお母様になられることを祈るばかりです。私たちのために命を懸けることを覚悟した人々が本当に多いことを、まず忘れてはいけません。
また、私たちを見つめながら、生命の灯台として侍る、そのような人に生命を与えようと思えば、光の本体にならなければならないという厳粛な命令を受けているのです。韓国と日本とアメリカのほか、多くの国の人が、いや、さらに多くの民族が、私たちのためにそのようにするというのであれば、負債を負って、私たちの歴史的背後にこの暗闇の一点を残してはいけません。ですから、責任を負った人の苦しみを、私が分からないでしょうか。神聖な「父母の日」、ハレルヤ、その実体の栄光を仰ぎつつ天に心から侍ります。復帰の喊声が鳴り響く中、聖なる徳を高く積み、父母の使命を越えましょう。今書いている手紙とともに、協会長の手紙の内容を考えると、大変、苦労が多いことが分かります。感謝しながら、勝利するよう心で願っています。どうか健康に気をつけて養生し、責任を果たしてください。旅の途中で、今ワシントンDCで「父母の日」を過ごし、今後の整理のために忙しくしていました。訪ねてくる人がいたり、考えなければならない問題もあったりして、今になってペンを執りました。
ここでも初めて迎える「父母の日」であり、先生を迎えてアメリカで初めて迎える「父母の日」です。ですから、忙しい全国巡回路程を終え、サンフランシスコを経由して、飛行機でアメリカの首都ワシントンDCに三月三十一日に到着し、「父母の日」を過ごしました。ワシントンDCの食口たちの誠心誠意により、私はアメリカに来て、歴史的な式と行事を行うことができました。多くの地方の食口たちも参加しました。神様が共にある中、三日間、昼夜を分かつことなく時間を過ごしました。良い集会を体験できました。ソウルを思いながら椅子を置き、大陸と大洋を越えて、お母様を思う瞬間を心に記憶しながら、厳粛に執り行いました。アメリカの食口たちも礼服を着て敬拝を捧げ、天のみ前に栄光となるように祈りました。五色人種(すべての人種)が一つになって行う式は、私の生涯でも初めてでした。しかし、もう少し広く、全世界に広げていかなければならないと決意しながら、無事に執り行いました。
恐らく、ワシントンDCにとどまる間は、そのような日程で過ごして日本に行く予定です。その他の人々にも会わなければなりません。七月中旬までにはヨーロッパに出発しなければならないでしょう。次の旅程は、追ってお知らせします。いつも、安らかでありますように。一九六五年四月七日、ワシントンDCにて。
8 お母様へ。過ぎし日々は多くの思い出とともに新たに、また新たに繰り返され、もう七十日が過ぎました。生活、風情が変わるとともに、遠く故国の山河を慕う思いをもつのは、人情の常のようです。多くの声援と忍耐の中で、過去を築いてきた地、涙で訴える地、多くの希望の土台を築こうと情熱を燃やした地、それが正に私たちの故国であるという深い回想の中で四十五年を振り返ってみれば、すべてがほかには知る者のないみ旨のための道でした。私の生涯はみ旨のためのものですから、天の苦労の前に再びあすのための覚悟をもち、忠誠を尽くすことを新たに決意するものです。
これまで多くの苦労と忍苦の中で、はるか遠い千里の道を築いてきた過ぎし日が再び思い出される四月十七日(陰暦三月十六日)の前日です。お母様を天的な使命の前に立て、天と地が案じる中で歩んできた日々を、勝利で越えて築いてきたその大きな心性の前に、この異国の地から感謝を捧げます。今や多くの子女の母親としての立場を、また案じなければならない苦労の道を遠くから同情しながら、四月十七日を過ごすと思います。私たちの過去に曲折が多ければ多いほど、み旨と歴史の前に、力強いやり甲斐となることを体験するとき、その過ごしてきた価値を賛美し得るのではないでしょうか。また耐え、また決意し、また越えていくべき復帰の路程を、力強く越えて走っていきましょう。私たちの天国、私たちの世界と私たちの福地のために、精誠を尽くし、努力しましょう。定められた生涯の路程で、一つだけの貴い人生において、その誰かのために走り、ただ目的の前に心からの感謝をお返しし、高貴な真の父母様の使命を高く賛美しながら、あすまたあすと、勝利で歩みましょう。五年後のことを思えば、お母様はよく歩んできてくれたと思いながら、今後のお母様がさらに慕わしくなります。
十年が過ぎ、またさらに過ぎれば、私たちの過去がさらに高く、貴く表されることを期待します。その時には、私たちのみ旨と家庭も様々な形に変わり、天が願う真の手本となる本郷の家に到達してさしあげられるよう、さらに決意する次第です。お母様も過去を回想しながら、十六日を過ごすと思います。歴史的な聖婚日だったことを、誰が知っていたでしょうか。ただ天だけが喜び、サタンは悲しみに浸った日ではなかったでしょうか。天は福を与えようとし、サタンは讒訴しようとする中での新天地の家庭出発だったことを思うと、私たちがもう少し深い精誠と高い徳を備えていればと思わされ、改めて考えることが多くあります。
そして、幼い子供たちのことを思います。会いたいです。時々、写真を見たりしています。ここも春です。韓国の山河も春だろうと思います。時間をつくって、春の陽気を浴びに一度出掛けるのもよいと思います。先生(お父様)と一緒に楽しむように万物を愛し、深く慰労されることを願います。私も食口たちと一緒に、ワシントンDCのいろいろな場所を見学しようと思います。忙しい生活の中で、心を楽に保ち、妊娠中の健康に気をつけて、ビタミン摂取に励んでください。昨晩、電話で声を聞いて感激しました。様々な事柄をたくさん残し、会った時に記念として聞かせてあげます。それでは、乱筆で失礼しました。一九六五年四月十六日、ワシントンDCにて。
9 孝進オンマヘ。四月三十日に出発してニューヨークに向かい、四日目の五月三日夜十時半に到着しました。帰途の自動車の中で、多くの場所に手紙がたくさん来ているだろうと話しつつ、同時に心でそのように願いながら、到着するやいなや尋ね、協会長とお母様からの手紙を受け取って封を開け、驚きました。前回、手紙を受け取ってからすぐに返事を書き、送るように普煕(ボヒ)に渡したにもかかわらず、まだ受け取れていないというのは、間違いなくどこかでなくなったのだと思います。その返事を思い返しながら、また書いてみます。便りを伝えるのが、電話で話してからは初めてになります。
妊娠期間で疲れがあるとのこと、申し訳なく思います。便りのない期間が十五日を越えましたね。私は安心して、再び来る手紙ばかり待ち望んでいました。この期間は、ワシントンDCで主に多くの人々に会っていました。詳しい内容は、あとで知もせようと思います。恐らくお母様にも会っていれば、私をさらに敬ってくれるだろうと、時々思うこともあります! そして、願い、祈るのは、健康でいてくださいということです。
出産のことは心配しないでください。その時が近づいてきたので伝えようと思います。お母様が好きなように定めて、お産をしてもよいでしょう。ニューヨークに行って、お母様をこれから世界の舞台の上に立たせようとすれば、アメリカに来て生活を習得し、一緒に住む必要があると切実に感じました。しかし、今は状況的にそのようなことができないので、申し訳なく思いました。ニューヨークを訪問し、毎日のように同行できないことを思うたびに、お母様を考える回数が増えました。このことを思うとき、この期間が私たちにとってさらに大きく役立つ時間であることを、天のみ前に感謝します。
二十五人の食口と同行し、ニューヨーク市の重要な要所を回ってみました。あとでまた写真を送ります。文明の力が、これから天国建設に大きく貢献しなければならない、絶対的要因であることを切実に感じました。きょう、ロンドンとローマから手紙が来ました。そこに、私たちの教会が建ちます。オランダにも行き、フランスも行く予定です。今回の在米中に、多くの宣教国を定めて実行していきます。期待しながら、たくさん祈ってください。疲れているようです。許してください。それでは以上にします。お元気で。協会長にもよろしく伝えてください。皆も元気で過ごしているでしょう。近い人に手紙を書くなら、このような内容を伝えてもよいと思います。一九六五年五月四日、ワシントンDCにて。
10 孝進オンマヘ。歳月があっという間に過ぎていきます。もう別れてから、あと数日で満四カ月です。本部の便りを伝え聞くたびに、平安であることを感謝しています。ただ無事で、大きな使命の前に忠誠を尽くすことを祈るばかりです。この期間も、一人重責を負い、深慮していることを知るたびに、私は心強く思います。天約な責任に忠孝の道理を立て、万世に追慕されるお母様をしきりに思い描いています。純潔なその身の上に、平和と平安が永遠に宿ることを願います。
本当に、過ぎし多くの行事に苦労が多かったことを心から慰めてあげたい思いでいっぱいです。ぐっすりと眠りについたその姿の上に、ますます平安があるようにと祈るばかりです。私は心から心配しながら、挙行されるその式典に福があることを願っていました! 深く慕う心もよく知っています。人生航路において深く体験するあらゆることが、のちのち私たちの家庭に福をもたらす重要な動機となる、そのような期間になることを待つばかりです。
今、時刻は夜の一時四十分です。こちらは静かな夜です。故国の夜が懐かしくなります。この時間、故郷は昼でしょうから、少しおかしくはありますが、夜だと思って送ります。お母様は、どのように眠っているのでしょうか。アメリカのことをいつも考える、その気持ちをよく知っています。早く来てくださればと思うその崇高な心情に、安らかな深い眠りを与えてくださいと、私は願うばかりです。遠い他国の地に、隔てられ、思うすべての事情が、香り高く、誇らしい条件になることを、今夜も私は思い描いています。
妊娠中ですが、おなかの子もますます健康であることを願います。私たちの家庭の上に天の大きな保護があることを、お母様も感謝してください。天地の運命を輝かしいものとする家庭であるようにと、私はどれほど願っているでしょうか! 天も、私たち統一信徒も、そのように考えていますので、今後、ますます子女の教育に力を注がなければならないことを感じます。復帰の路程は悲しみと痛みであり、その重荷を成就の大きな栄光に変えることを喜びとして思い描きながら、私はどれほど耐えなければならないだろうかと思い、決心するものです。お母様をどのようにして天の孝女にするかと考え、私のために生きる烈女よりも、天のために生きる烈女になりなさいと忠告する私の心を、一人で振り返ってみると胸が痛みます。天に行って誇り、あらゆる女性の中の勝勢者となったお母様の姿を、私が万天宙に賛美するその日を願いながら、再び勧告をする私の心も痛みます。
率いている側近の皆にも会いたいですし、気掛かりです。共に歩む運命を天地と共にして、静かな香華のごとく咲くよう、その血と汗と涙を肥やしとしなければならないその方(お母様)を私は仰ぎ慕いながら、愛顧したいという思いを、安らかに受け止めてください。私が帰国したら、またみ旨のために行こうとばかり勧める私に同情してください! 天もそうであり、地もそうなのですから、すべてはお母様の貴さを立てるためであることを思い、最後の心情の十字架を立派に越えましょう。女性の貴い生涯に同情する、本当に尊敬されるお母様になり、歴史において功徳の手本となって、私よりもお母様の気高さと貴さを表すお母様の生涯にならなければなりません。
ソウルに、この忙しさを伝えようとするたびに、皆に感謝します。努力に比例し、成果が見えてくるでしょう。送ってくれた血書を受け取り、二十一日を守ろうと、準備の沐浴をしてペンを執りました。アメリカの便りが大変気になっているかと思い、紙面がとても長くなっていきます。生活を見れば、食事は韓国と変わらず、足りないものはありません。忠誠を尽くすスッキとギスクがいるので、不便なことなど考えたこともありません。時間があれば英語の本を手に取り、格闘しています。本当に、時間がたくさん必要です。お母様も、会話の練習をしてください。結局のところ、暗記するのが一番良い方法のようです。それ以外では、主に人に会うことです。思いどおり進展が見られます。遠くない将来、お母様と一緒にアメリカで生活することも考えています。良いものを見れば、そのようなことを考えます。
それから、体に気をつけて、あまり憂鬱にならず、朗らかな一日を歌い、食口たちと天を慰めてください。それでは、元気でいることを祈りながら、ペンを置きたいと思います。食口たちによろしく伝えてください。一九六五年五月二十一日、ワシントンDCにて。
11 孝進オンマ、どれほど苦労が多いでしょうか。早産になるかもしれないと心配したという知らせを聞いて、本当に申し訳なく思います。しかし、安定したということで幸いです。また、譽進、孝進がよく遊び、愛嬌を振りまくことを聞き、心から故国に思いをはせます。また、八月上旬が予定日だと思いますが、その時までに私が故国に帰ることができなくてすみません。
しかし、天が共にあることを思いながら、七月上旬にはカナダと南米大陸を経て、七月十五日にはイギリスの首都ロンドンに到着予定となっています。そのように過ごしてから、ヨーロッパ大陸を一カ月ほどかけて巡回し、ギリシャ、エジプト、ヨルダンを経由してアジア大陸に渡り、九月下旬か十月上旬には故国を目にする予定です。期待の思いでとても待ちきれないことを、よく知っています。特に体に気をつけて、健やかに過ごしてくれることだけを祈っています。また、この複雑な事情でいくら苦しくても、少し耐えれば良い方向に行く日が来るでしょう。
今、ワシントンDCでの生活は韓国と変わりませんが、食事の時や、眠りから目覚めるたびに、故郷への思いに浸ることがあります。そして、便りをそわそわと待ち望む思いを禁ずることができません。そのたびに、お母様も毎日のように、配達員が来るのを待っているだろうと思うと、便りを毎日のように伝えられないことを、心から申し訳なく思う時が何度もあります。
それで、今は八日の四時十五分ですが、外出準備の時間を利用し、待ち望むお母様に、急いで短い手紙を書いています。これまで、多くの人と対面しながら過ごしてきました。そして、時間さえあれば英語の勉強をしようとしていますが、能率が上がりません。しかし、続けています。お母様も、英語だけは勉強しなければなりません。アメリカに来て、さらに切実に感じました。少しずつでも続けてください。流れていく歳月を遮り、み旨のための精誠を乗せて送ります。いつも安らかであることを祈りながら、終わりにします。一九六五年六月八日、ワシントンDCにて。
12 お母様へ。今しがた、送ってくれた譽進の絵を見て、育ってゆく子供たちの知恵に、より一層心が満たされています。絵を見ると、本当にとても上達しているので、大きく成長しているのだろうと思います。とても会いたいです。孝進も、かわいい盛りのようですね。私をしきりに捜す姿が目に浮かびます。大きくなったでしょう。早く帰って会いたいです。新たに生まれる赤ん坊を思いながら、八月七日頃を一人で指折り数えたことが、一度や二度ではありません。大変心配しているようですが、すべてを天のみ前に委ね、心配しないでほしいと思います。私は、そばにいなくても、心だけはずっと一緒ですから、天のお父様を仰ぎ、祈るばかりです。今、とても大変でしょうから、気をつけてください。譽進の手紙から、不安な気持ちを窺うことができました。出産は、お母様の計画どおりにするのもよいと思います。平安な気持ちで過ごせるように願うばかりです。
それから、時が訪れ、私たちの忠誠が求められる時期になりました。精誠の限りを尽くして、本部でも国外でも、努力が必要であることを切実に体験しています。本国がよくやってくれるので、うれしく思います。報告書を見るたびに、感謝するばかりです。すべて、天の苦労のお陰です。私たちは真の天的使命に、さらに深い責任を覚悟しなければなりません。日本の便りを聞いても、本国と同じく発展しているという報告です。アメリカも発展しています。先生が通ってきた所は、時の運が共にあることが分かり、感謝に堪えません。
早く目的とする「神の日」を成就させなければなりません。そこに向かって、また前進しなければならないでしょう。よく耐えて、勝利へと越えていくお母様の貴い姿が栄光を受けるように、私はすべてを尽くし、助けたいと思います。これから行く道に光明が宿ることを願って進みましょう。ぜひとも、体に気をつけてください。
食口を率いて未来の建設のために準備し、幸せな家庭を成就して天のみ前に捧げましょう。そうして、天宙復帰の聖業を高々と輝かせましょう。
普熙(ボヒ)から、旅行計画書が届くと思います。それに従って旅する予定です。これからの道に天的意義があることを祈り、み旨に従っていこうと思います。アメリカの食口たちの苦労が、物心両面で大きいです。み旨に従って忠誠を尽くす食口たちの貴い姿を覚えていてください。これまで、私は多くの人々に会いました。とても気になっていると思います。ここの食口と、同行者たちも元気です。
世界を連ねて聖地を選ぶことが基台となり、全体の運動に天の恵みが宿ることを願いながら、忙しい旅に出発する日を
望みつつ、整理しています。一九六五年六月二十二日、ワシントンDCにて。
13 孝進オンマ、この数日間も無事に過ごしたと思いつつ、また平安を祈ります。世界の変遷を促す歳月は、矢のように過ぎ去っていきます。既に、出発してから六カ月が過ぎました。あすが七月一日ですから、今、正に忙しく出発のための準備をしています。アメリカでの生活はきょうで終え、あすから再び休む間もない世界巡回で忙しくなります。きょうはアメリカの上院議員二人に会い、帰ってきてからすぐにペンを執りました。アメリカの状況は、ほぼ見当がつくようになりました。その他、二十五日にはアイゼンハワー元アメリカ大統領に会い、その何日か前にも上院議員に会いました。現代の世界的指導者たちに会ってみました。そのあと、いろいろと考えることが多くあります。私たちの大いなる理念を中心として、今後の世界宣教のためにいろいろと参考になることが多くあります。お母様は、韓国での使命がどれほど大変でしょうか。ありがとうございます。み旨のため、天に向かって孝女の責任を果たしてくださることを願うばかりです。今、孝進と譽進の写真の前で手紙を書いています。彼らに見られている気分です。早く帰って会わなければと、写真を見て思いながら書いています。本当に会いたいです。さらに予定日が迫ってきていますが、私が一緒にいてあげられなくて申し訳ありません。出産に関しては、協会長とよく相談して行ってください。食事に気をつけ、栄養を考えてください。孝元氏の報告に、生活が思いどおりにいかず、その影響がお母様にまでいっているという言葉があり、一方で心配していますが、節約すると報告にあったので、感謝しています。天が責任をもてるように皆が精誠を尽くし、ただ忠孝の道理を立ててください。こちらはみな元気でいます。そして、今回は、アメリカ食口の物心両面での苦労が大きいと思います。将来、天が助けてくれることを祈るばかりです。送ってあげた旅行日程をまた送りますから、受け取って安静にしてください。保護の中、無事に帰国できることを待ち望んでいます。子供たちを連れて、苦労が多いと思います。
四十数カ国を歴訪するつもりです。出発したあと、連絡先をお伝えします。韓国の現在の事情をよく知っている私としては、そのために祈るばかりです。今の旅も、将来の韓国の道をならすためのものだと思いながら、民族の前に申し訳なく思う気持ちをなだめようと思います。旱魃がひどいということで心配です。そのような時ほど、統一の役軍(担い手)はさらに発奮しなければなりませんね。暑い夏の季節、苦労させることを申し訳なく思います。四方を見ながら、手本となる立場に立とうとしていることに同情します。責任を負った者たちの重大さを、さらに切実に感じると思います。いつも平安を祈りながら、忙しい中での乱筆、失礼します。十月中旬にはまた会えることを願いながら、安らかで健やかに過ごせるよう、祈るばかりです。それでは、元気でいてください。一九六五年六月三十日、ワシントンDCにて。
14 孝進オンマ、今ちょうど、スペインの首都マドリードの飛行場から、イギリスに向かって出発しました。十四日の午後八時十五分です。太陽がスペインの山野を照らしています。もう少ししたら、たそがれが訪れるでしょう。農業国ですが、それほど農地が肥沃には見えません。山にも木が多くありません。飛行機からは、遠くに白みがかった霧がかかり、天と地が薄らいで見えます。二時間だけ飛べば、西欧文明の中心国家であるイギリスの首都ロンドンに到着し、金永雲氏に会う予定ですが、そこの様子はどうなのか気にしながら飛んでいます。二カ月余りで何人伝道したのか、新しい食口たちと一緒に迎えに来ているだろうと思います。
太陽が西の雲の中に隠れ始め、山野には暗闇が訪れます。ドーバー海峡を飛び越えていくこの道が、み旨の道を高める道になることを願っています。イギリスまで行けば、本当に故郷に帰る気分になると思います。きょうは、スペインで観光バスに乗り、宮殿と博物館を見学しました。王宮は二十六年間かけて建築したもので、ヨーロッパ文明を総合した芸術品が驚くほど積まれていました。博物館を見ても、三千点以あるという絵の中に、有名な傑作がたくさんありました! 今、飛行機は雲の中に包まれていきます。日の光は、空を紅色に染めながら、横の窓にペン先の影をまだらに映しています。客室乗務員が促す夕食のため、仕方なくペンを置かなければならないようです。故郷の便りを、イギリスに行けば受け取れると期待しながら飛んでいます。食口全体が無事で、お母様の体の健康と子供たちも無事であることを思いつつ、遠く心の中で慕わしさがつのります。全体の活動状況を知りたいですし、また、会える日が待ち遠しいです。私たち一行はみな無事なので、安心してください。近くにいる食口たちにも、よろしく伝えてください。白い雲に乗り上げてはまた通り過ぎ、山野を広い庭園にして飛ぶ騒音とともに、展望の一景を思い出としながら、ひたすら通り過ぎていきます。日の光も黒い雲に遮られ、明るかった機内も少し暗くなります。それでは、ここまでにします。元気でいてください。一九六五年七月十四日、イギリス行きの機上にて。
15 孝進オンマ、今ドイツに来て、数日がたちました。ドイツは国民性が勤勉な国民であることを、戦後の復興の様子を見てさらに感じました。全国的に六〇パーセントも破壊されて廃墟になった土地を、新しい国土に造り変えたのを見ると、韓国に対する私たちの立場を改めて思い、今後の私たちの責任が大きいことを切実に感じます。
ドイツに来て、本部の便りを待っていたのですが、何の知らせもないので気になっています。きょうは八月四日です。お母様のことを思い、追憶の日であることを、遠く離れて記憶しながら、昨年のこの時(一九六四年八月四日、惠進(ヘヂン)様の聖和)のためにお祈りします。もう八月ですから、臨月に入り、どれほど心配しているかと思いつつ、すべての面において委ね、やり抜いてくださるようお願いします。今、ちょうど外出の準備をして応接室に来てみると、新たに変更された巡回旅程を韓国に送るというので、急いで書いています。
新しい赤ん坊の名前ですが、男の子なら「興」の字、女の子なら「仁」の字にしてくれればと思います。皆が祈ってくださったお陰で、私たち一行は無事に過ごしています。あすはドイツを離れます。十八日頃、イタリアに到着する予定です。そちらに手紙を送ってください。その頃には、出産が終わっているでしょう。皆によろしく伝え、体に気をつけてください。しきりに心が故国を訪ねていきます。子供たちは元気ですか。それから、協会長に相談して、私がアメリカに出発する時に持っていったのと同じハンカチを二十枚用意し、同じはんこを押しておいてください。お土産を買っていくのは、重くて不可能だからです。帰ってから、お土産の代わりにするようにしてください。皆の平安と健康を願いながら、これで終わります。旅行スケジュールで、イタリアの宿所が変更してあります。一九六五年八月四日、ドイツにて。
真のお父様が食口たちに送られた手紙
16 孝元氏と食口の皆さんへ。この期間、みなお元気でしたか。皆のことを遠くから慕っています。もう、お別れをしてから二十数日がたちました。金浦空港を出発した日、多くの食口たちの大々的な歓送を受け、過去と今と未来を心の中で思いつつ、感慨無量でした。千人以上の若者たちが、一人の師に誠心のこもった歓送の思いを表してくれたことに対し、天のみ前に感謝すると同時に、それがただ天の栄光になることを願い、心で申し訳ないという思いを抱きました。食口たちの前で手を振りながら、振り返って別れを告げる時の決意は、今も心の中にみなぎっています。立派に闘うことを願う思いと、今回の巡回に天が定めた高い意義を心に抱きながら広場を回り、デッキに出て手を振ったことが鮮やかに心に残っています。最後に搭乗台に上がる時、故国の地を見つめながら、「四十数年の歳月を共にした故国の地よ、元気でいなさい!」と思い、感謝しながら、何とも言えない感慨を覚えました。
「故国の地よ、食口たちをしっかり養育し、しっかり守ってほしい!」と心から念を押しながら、搭乗台に上りました。同時に、食口たちの歓声の高まりに対して、心の中の祈りで答えながら飛行機に乗り込みました。もう少し、食口たちのほうを向いて眺めようとしたのですが、乗務員の勧めに従い、そのまま中に入ってしまいました。席に着き、小さな円形の窓から外を見ながら、二カ月間、元気でいることを祈るばかりでした。出発時間になって飛行機が動き始め、食口たちの姿が見えなくなって数分後、離陸しました。
飛行機は、金浦空港を離れて次第に高く上がり、一万メートル以上の上空に高度を定めて東京に向かいました。韓国という故国の地を通り過ぎ、日本の地が見え始めると、すぐに時間となり、東京着陸の信号とともに到着しました。大勢の日本食口の歓迎を受けながらデッキを降りる際、深まっていくたそがれに、羽田飛行場のネオンサインと赤い電気の光が刺激的でした。次の瞬間、日本の食口全体が先生に気づき、大きな歓声で迎接エリアの前のほうに押し寄せる中、返礼の意を表し、空港の税関を通って出口に進むと、食口全体の出迎えに囲まれてしまいました。その後、高速道路を走り、四十分で東京の教会本部に到着しました。道路の周辺を見回してみると、二十数年前からは見違えるほど発展した様子を窺うことができました。
食口全員が参加する中、歓迎集会に臨み、初めて日本語で所感の一端と日本食口たちの新たな覚悟を深めるみ言を伝え、十二時過ぎになって東京での生活に入りました。その後、十五日間は巡回期間として忙しい日程を組み、日本全国を巡回して、十二日にアメリカに向かいました。到着は、十二日の朝五時頃でした。
異色な風情を感じながら、歓迎に出てきたアメリカの食口たちと喜びの中で会い、自動車で空港をあとにして教会に着き、食口の前で挨拶の言葉を述べて歓迎和動会を終え、アメリカでの生活を始めました。多くの名勝地と重要な都市を選び、数日が過ぎて、ようやく遠く韓国を思い、食口たちの名を呼びながらペンを執りました。
天の加護があることを祈るばかりであり、複雑な日程を送り、多くの苦労をしながら過ごしていると思いますが、心配はしないようにします。十九日からサンフランシスコを発ち、全米のすべての州を巡回する路程を出発して、ワシントンDCには三月二十四日か二十五日に到着する予定です。アメリカの巡回に四十日近い日程が必要になるでしょう。この期間の日程表はサンフランシスコから送りますから、便りを伝えようとするときは、そこの住所に手紙を送らなければなりません。そのあとの日程は追って知らせますので、そのように承知して、苦労が多いと思いますが、耐えながら、大きな使命に誠心を尽くしてくださるように願います。食口の皆さん、お元気で。一九六五年二月十五日、サンフランシスコにて。
17 食口の皆さんへ。故国が平穏であることを、皆さんが伝えてくれた知らせを通して、よく知っています。先生が出発する時、故国の山河は冬の季節でしたが、今は春も過ぎ、夏の季節になりました。既に六カ月がたちました。自然が移り変わっていくように、み旨の道も移り変わっているだろうと思いながら、はるか遠い三千里の山河、故国を慕わしく思います。四十年以上の生涯を涙と血と汗でぬらしながら手にしたその地と民族、その中でも、食口たちをどうして忘れることができるでしょうか。将来の平安な祖国と食口たちの安泰を、夢にも忘れることができません。いくら外国の文化が優れ、偉大だとしても、心情を通して連結したその崇高な力の前には、自然と頭が下がる思いがします。共に苦労しながら交わした情と、何にも増して強い力は、時代と世界を超越して存在することを痛感しています。そのような私が、どうして故国の山河を忘れるでしょうか。
以前に先生が全国を巡回しながら祈っていた心情と、いかなる他国でも見いだせない痛切な思いを、様々な国々を訪問するほど体験するだろうと思います。日本とアメリカを訪ねていくとき、私たちの先祖たちが責任を果たせなかったことを感じれば感じるほど、子孫である私たちの時代にその責任を蕩減しなければならないことを思いながら、現在の統一食口の立場がそうであることを知っています。
しかし、どれほど長く忍耐して闘っていかなければならないのかを思うと、私たちの行く道で、再び十字架を目標としなければならないことを、より一層感じます。けれども、私たち民族の悲惨な歴史より、天の悲惨な歴史がもっと大きいことを感じます。天宙のための役軍である統一信徒たちが行く道を見つめるとき、私たちの哀れさも大きいですが、私たちを指導し、導かれる天のお父様の苦痛と悲しみがどれほど大きいかを、誰が推し量れるでしょうか。天と地に大きな過誤をもたらした人間の責任が私たちにあることを思えば、心苦しく、焦るような思いで喉が締めつけられ、思わず涙したくなります。
しかし、再び行かなければならなこで、上がるか下がるかの運命を決しなければならない祭物的立場にいる私たちは、四方を見渡すのではなく、祭壇から離れてはいけない犠牲の祭物であることを忘れてはいけません。韓国の困難もありますが、世界のより大きな困難が残っていることを知らなければならない私たちなので、国家的十字架も私たちが忍耐して背負い、世界的ゴルゴタまで越えて意気揚々と前進しなければなりません。私たちに残された国家的十字架と世界的十字架に向かって勇進する若き闘士たちにならなければなりません。
私は、外国を巡りながら、今後の計画のために世界的基盤を準備しなければならないことを痛感し、日本とアメリカから青年たちを各国に派遣するつもりです。今年中に十二カ国以上にならなければならず、さらには、早く二十カ国に広げなければなりません。外国の青年食口たちが本国の青年食口たちに負けないと決意するのを見て、天のみ前に感謝しています。私は今、ワシントンDCでブラジル宣教師の任務を携えてきた日本の青年を見てうれしく思っています。彼は二十一歳の青年で、言語も全く分からない中、命を懸けて他国に向かうのですが、その統一青年の勇気をうれしく思うのです。
本国にいる食口の皆さん、本国の威信と体面を立てるためには、国内だけでも天的な要求に臨む責任を果たしてくれることを、外国の食口たちは切に願っています。本国は、苦労の汗と涙と血を流した十字架の道を行く手本を、全世界の統一青年たちに伝統として残してあげなければなりません。私たちには、それ以外に必要なものは何もないのです。しかし、これ以上に貴い宝がどこにあるでしょうか。忍耐して、また忍耐して歩んでいけば、光明のあすが私たちを待っています。本国の旱魃が厳しいようですが、私たちは、そうであるほど忠誠を果たすべき道が訪れてくると思って越えていかなければなりません。ですから、先生は最も暑い季節に出発しようとするのです。外国の地で熱い汗を流しながら、故国の地で苦労する食口たちの汗と困難を体験したいと思います。
あすは七月一日ですが、これからアメリカでの生活が半分くらい残っています。私は食口たちの将来と天の責任を通じた忠誠を、世界の至る所で輝かせてみようと思います。外国歴訪は、全体が共にあることを手紙で伝えて出発します。天の保護が私よりも食口の皆さんにあることを願うばかりです。手紙を書いてみると、また苦労しなさいと書いてしまいました。しかし、行くべき運命なのですから、どうすることもできません。師の道と父の道を相続する人たちの世界は、私たち韓民族に向かって訪ねてきているではないですか。耐えていきましょう。精いっぱい忠誠を尽くしましょう。
また、夏季伝道期が訪れます。三年路程と四年路程が私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。今、韓国の事情と世界の事情を見て、耐え忍び、死なずに残って、称賛される人になることを願います。これから出発すれば、十月の中旬くらいに祖国に到着します。大勢の食口たちから手紙をもらいましたが、返信できないことを理解してください。外国の知らせを伝えることができないことを了解してください。書きたいことはたくさんありますが、送別の時間になり、先生の登壇を告げる賛美の声が聞こえてきたので、これで筆を置くことにします。
ソウルの報告によれば、食口たちが一生懸命に活動しているとのことですが、そのように一生懸命に活動する食口たちに感謝します。再会する時まで全員が健康であることを願い、天的な使命に忠僕となることを願います。乱筆をお許しください。常に平安であることを願います。食口の皆さんへ。先生より。一九六五年六月三十日、ワシントンDCにて。
真のお父様が興進様に送られた手紙
18 興進! 気品があり、熱い心をもっている私たちの興進。お父さん、お母さんに会いたいだろう。お父さん、お母さんは興進のことを一番愛しているよ。だから、本当に会いたいな。今はアメリカで、韓国に一番近いサンフランシスコに来ている。二十六日にはニューヨークに行くよ。兄弟姉妹同士で愛し合いながら、元気にしていることだろう。お父さん、お母さんが帰る頃には、随分大きくなっているだろうね。勉強を一生懸命にして、お兄さん、お姉さんに自慢しなければならないよ……。ハンサムな興進だから、そのようにすればどれほど格好いいだろう! クリスマスと新年に、たくさんの福があるように。本当に会いたいよ。それでは、元気でね。一九七二年十二月二十四日、サンフランシスコにて。
真のお母様が孝進様に送られた手紙
19 孝進、会いたいな。いつでも呼んで、思い出し、走っていって抱き締め、放したくない、良い子でかわいい、大切な、愛する息子。あなたたちの父母を愛する天の心もまたこれと同じなのですから、孝進、少しの間、離れ離れですが、あなたたちは幸せな天の息子であり、娘です。寝ても覚めても、いつも小さなものから大きなもの、小さなことから大きなことについて天と相談し、天を前に立てて生活するあなたたちになってこそ、さらに大きな祝福と愛が共にありますよ。私たちの孝子、孝進! 天の孝子であり、地の孝子であり、全宇宙の孝子、孝子の手本になる私たちの善良で賢い孝子である孝進、愛しています。
この前の子供の日、電話でだったけれど、あなたの凛々しく成長した姿を感じることができました。お父さんとお母さんは、み旨に従っていつも忙しい生活で、あなたたちと過ごす時間が少なくてとても残念だけれど、お母さんもお父さんもあなたがいるから、頼もしく思います。孝進、あなたは普通の子たちとは違います。ほかの子たちと一緒にいても、あなたの根本を、天の品位を損なってはいけません。ですから、他の人よりもさらに一生懸命に学び、努力して、あなたの実力を豊かに育まなければなりません。そのようにしようと思えば、他の人が眠る時もあなたは努力しなければならず、一分一秒が惜しいことを感じなければなりません。世の中の有名だというあらゆる博士たちを、越えなければならないでしょう。孝進なら、やれば何でもやり遂げることができますよね。お父さん、お母さんは、いつもあなたを誇らしく思っています。近いうちにまた会ったとき、お父さん、お母さんをたくさんたくさん驚かせてくれますか。
孝進、写真を何枚か送るので、興進と一緒に見てね。興進のことを、たくさんたくさん愛してあげてね。あなたはお兄さんだから、お父さんの代わりでしょう。おいしいものがあったらまず興進にあげ、良いものがあれば弟を思って……。世の中にまたとないお兄さんであり、弟でしょう。「お父さん、お母さん、僕よりも弟の興進をもっと愛してください」と言えなければならないでしょう。格好いいお兄さんになるよね。すてきな服を着て、ハンサムなだけが格好いいことではありません。これはすべて殻です。心が、心のもちようが立派であってこそ、本当に格好いい人です。孝進はよく分かっていると思います。
お父さん、お母さんはあなたに対して、大きな夢をもっています。格好いい人、本当に格好いい孝子、孝進になってほしいという夢です。お母さんは待ちながら、いつも祈っています。健康でいてください。元気でね。一九七三年五月十二日、ベルベディアにて。
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