真の父母経

第五篇 第四章

年頭標語と段階的摂理目標の設定

この章の目次

第一節 摂理的基盤の造成に総力を傾けた一九六〇年代

真の父母様は、一九六〇年から毎年、年頭標語を発表され、すべての食口に摂理の方向と目標を設定してくださった。一九六〇年代には、聖婚式と真の子女様の誕生、祝福家庭の輩出はもちろん、真の父母様が直接、先頭に立って七年路程を歩まれ、全世界の統一食口が行くべき方向を提示された。

そのため、年頭標語も、一九六〇年は『生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう』、一九六一年は「父の代身者となろう」、一九六二年は「見せてあげて誇り得る者となろう」、一九六三年から六七年までは「勝利的主管者となろう」、一九六八年と六九年は「全面的な進撃をしよう」など、総力を挙げての活動を督励する内容に定められた。

そして、特に一九六八年一月一日、午前三時、「神の日」を宣布され、真のお父様の二十一年路程と食口たちの第一次七年路程を終えて、第二次七年路程を出発されたのである。

生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう

1 一九六〇年の標語は、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。一九六〇年は、縦的な歴史を横的に蕩減復帰する年です。ですから、神様のみ前に最大の実績を残さなければならない年です。最大の実績を残すためには、環境を吸収して出発しなければなりません。外的には、サタンの讒訴条件を除去できる年が一九六〇年です。

それゆえ、この期間に民族的、国家的なメシヤの基準を立てなければなりません。その時は社会から迫害を受けた時期で、私たちが自由にみ言を伝えられる時がいつ来るかと、気をもんだ時期でした。今は、天のものとして(実績を)立てるべき時です。「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、実績を立ててサタンの讒訴条件から抜け出さなければならないことを意味します。

2 「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、どのような意味でしょうか。人間はサタン世界で生きているので、蕩減の因縁を整え、サタン世界と分別された立場で、歴史的なすべての罪悪を蕩減復帰して勝利しよう、すなわち個人復帰をしようということです。それが人間の希望です。個人復帰をすることによって、神様の息子、娘になり、神様の代わりにサタンを審判できる権威をもった子女になろうというのです。

3 私は一九六〇年、この年の初めに、「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、すなわち「この一年に、一生を通して忘れられない最も大きなことをしなさい」と、皆さんの前で宣言しました。

皆さんの手の中にお金がありますか。皆さんの生涯において、一身の幸福のためにお金を稼ごうと闘ったことはありますか。そのようなお金があるならば、天の国のために使わなければなりません。豪華な家にしがみついて今まで闘ってきたのですか。天の民を安息させるために、そのようなものは忘れてしまわなければなりません。このような悲壮な覚悟をしなければならないのです。今日、世界の人類がそのような立場に立てば、平和の世界になるでしょう。平和の王者は、そのような道を行く人です。平和を建設できる人は、そのような人です。

三千万の民族が泣き叫ぶ所に向かって進んでいくとき、「血と汗を流す所があるなら、私が行こう。罵られる所があるなら、私が行こう」と言いながら、歯を食いしぱる立場で、父を呼び求めながら涙を流す絆を残すことを、私は皆さんに強調しているのです。私はそのような道を歩んできました。今も、皆さん以上に胸が痛む思いがあります。天のためであれば、どんなことでもすべて行う覚悟ができているというのです。

父の代身者となろう

4 一九六一年の一年間、私たちが標語にして進むべきことは、「父の代身者となろう」です。皆さんは、これからこの一年間に、父の代身者であることを自ら体験するように願います。神様は、天と相対になるものとして地を造り、御自身に代わる実体対象として人類の先祖を造られました。神様のかたちをかたどって私たち人間を造られ、人間のかたちを象徴的にかたどって、先に万物を造られたのです。すべての被造物は、大きく見れば一つの塊であり、小さく見れば、すべて神様の代身存在として造られています。

私たちが代身存在の立場に立っためには、まず中心についてはっきりと解明しなければなりません。すなわち、私たちが神様の代身存在だとすれば、「神様はどのようなお方か。神様と私はどのような関係か」ということを解明しなければならないというのです。神様と「私」は本来、一体であることを忘れてはいけません。神様と私は、引き離そうとしても引き離せない一体の関係です。天が頭だとすれば、私たちは胴であり、天が胴だとすれば、私たちは肢体です。私たちと引き離そうとしても引き離せない立場にいる神様だというのです。

5 私たちは、世界的な混乱の時期に置かれています。混乱の時代に置かれている私たちが考えるべきこととは何かといえば、神様が私たち人間を造った本然の中心目標がどこにあったかということです。父と私たちは一つです。天と地は一つです。二つではありません。ですから、私たちは一つの中心の前に、死のうと生きようと、一つにならなければならない必然的な立場に置かれています。

ある目的があるとすれば、その目的を達成するためには、志が同じで、事情が同じで、心情が同じでなければなりません。そうでなければ、その目的を完全に成就することはできないのです。神様には、堕落した人間を、事情が通じ、心情が一つになり得る希望の園に導かなければならない責任があるので、神様と一つになるべき立場に立った人間も、やはり志が一つでなければなりません。二つではいけません。

神様のみ意であると同時に「私」の志であり、神様の事情であると同時に私の事情であり、神様の心情であると同時に私の心情だということを皆さん自身が体得し、そのような立場に立ったという自信をもたない限り、神様の代身者になることはできません。代身者になろうとすれば、必ず一つにならなければなりません。一つにならなければ、代身者にはなれません。ですから、堕落した私たち人間が目指すべき目標は、神様と一つになることです。

一つになるためには、願いが同じでなければならず、事情が同じでなければならず、ひいては心情的な一致点を備えなければなりません。そうでなければ、堕落した私たち人間は、神様と一体になることができないのです。

6 統一教会員たちは、今まで困難な道を歩んできましたが、消え去ることはありませんでした。最後まで残る人が父の代身者です。神様は皆さんに対して、息子、娘として、そして、代身者として、この国の三千万の同胞のために行きなさいと、喉が痛むほど泣き叫んでいらっしゃいます。至る所に、父の代身者、父の愛を受ける息子、娘を送りたいと思われるのです。

「あなたは私の代身者であり、息子、娘である」と言うことができ、サタンを退けて神様の真の愛を受ける人になることを願われるのです。皆さんが行く道は、豪華絢爛な道ではなく、神様の代わりに死ななければならなこです。天の父に代わって死の道をも行くべき立場にいる皆さんなので、息子、娘ですが、死の道を前にして闘っていかなければならないというのです。

見せてあげて誇り得る者となろう

7 一九六二年の標語は、「見せてあげて誇り得る者となろう」、すなわち「見せてさしあげられる者になろう、誇れる者になろう」ということです。逃げていくサタンを、どこまでも追っていかなければなりません。神様は個人を現して誇りたいと思われ、家庭を現して誇りたいと思われるので、このために闘って勝利しなければなりません。そのようにしてこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になります。闘いに勝ってこそ、誇れるのです。皆さんは、天の家庭の復帰のために闘わなければなりません。一九六二年には、見せてあげることができ、誇ることができる基準を立てなければなりません。

闘う時は、神様を中心として、または天の家庭を中心として闘わなければなりません。そうして、勝利しなければならないのです。闘うとしても、最も苦しい場で闘わなければなりません。一番難しくて大変な労働者、あるいは乞食の中の乞食から始めて、頂上を圧倒して屈服させなければならないのです。父母と合同作戦をしなければなりません。父母と子女が力を合わせ、伝道しなければならない時です。父母と子女、一つの家庭が銃床を並べて闘い、天的な家庭、氏族、民族を形成して全世界を復帰しなければなりません。これからは家庭を中心として闘わなければならないのです。

8 一九六二年は、歴史的に二度とない年です。それでは、この年をどのように迎えなければならないのでしょうか。神様が願われることを、何人かの統一教会の信徒だけでも解怨してさしあげようという目標のもと、新年を迎えなければならず、また、責任をもたなければなりません。

今年は、皆さんがサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象にならず、前後、左右、上下、内外に不足のない存在にならなければなりません。神様が今まで摂理しながら誇りたいと思われた願いの実体にならなければなりません。また、天と地、全被造万物に認定され、ひいてはこの地とサタン世界にまで見せてあげ、誇り得る実体にならなければなりません。この一年はそれを実践し、やり遂げる皆さんにならなければなりません。

勝利的主管者となろう

9 一九六三年の標語は、「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えるべき期間でした。しかし、一九六三年からはその段階を越えて、万物を復帰する年に入るので、これからは継続して同じ標語を用いるでしょう。それで、聖地復帰が必要なのですが、何としてでも聖地(となる地)を買わなければならず、一旦買えば、絶対に売ることはできないのです。生きても聖地の近くに行って生き、死ぬとしても聖地の近くに埋葬されようとしなければなりません。

聖地(となる地)は、血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないというのです。万物の主管主になるためには、まず勝利しなければなりません。勝利は、神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。(それが)私たちの標準なのです。

10 私たちは、生きた資料を作るために苦労しなければなりません。一九六三年から五年間は、「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく耐え、我慢してきたので、今から攻勢をかけましょう。今からは万物を復帰しなければなりません。

皆さんを生きた教本にしようと思うのです。教会的な使命時代は過ぎ去り、民族を懸けた闘いが始まるでしょう。個人を中心とした家庭の時代が過ぎ、家庭を中心とした民族の時代が来るので、天を中心とした民族をつくらなければなりません。

11 皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個体の勝利的な基台を築いていかなければなりません。この「勝利」というものは、過去にも願い、現在にも願い、未来にも願っていくべき言葉です。神様も願ってこられ、地も願ってきて、私たちの先祖たちも願ってきた言葉でした。

しかし、堕落したその日から今日まで、人類と神様は、お造りになったこの理念の世界において「勝利」という言葉を携えることができず、「悲しみ」と「悲惨」という言葉を携えてきているのです。生活環境の中から私たちが願わないすべての要件を完全に除去するまでは、完全な勝利はあり得ません。

12 皆さんは、どのような勝利的主管者になるべきでしょうか。信仰を中心として、信じることにおいて勝利的主管者にならなければなりません。そのためには、闘って勝たなければならないのです。完全に勝利するためには、すべてから公認を受けなければなりません。闘って勝つのはもちろんのこと、勝ったあとは天地の公認を受けなければならないのです。そのようにして、初めて信仰を中心とした勝利的主管者になります。

公認を受けるのですが、ある限定された時間圏内でのみ公認を受けてはいけません。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなければなりません。そこには、個人から世界まで、すべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。

13 第一次七年路程の中で、後半の四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」としました。この期間に私たちは、神様のみ前に地を探して立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行っても全体が歓迎できる安全で自由な環境を整えることが、この四年路程の期間に皆さんが果たすべき責任です。

神様は勝利的な立場で天地を主管できませんでした。勝利的な基盤の上で、栄光の姿で天と地と万民を主管できずにいらっしゃるというのです。復帰路程に従ってきた数多くの先祖たちも、勝利的な主管者になることができませんでした。

二千年前、神様のひとり子であるイエス様も、その使命を完結するために来ましたが、その方もまた、この地上で勝利的な主管者になれませんでした。それで、イエス様と聖霊が今まで二千年間、勝利的主管者の基盤を整えるために闘ってきているのです。

この勝利的主管者の最後の基準は、神様です。必ず、神様が先にこの勝利的な基準に上がらなければなりません。神様が勝利的な位置に上がるまでは、この地の誰も勝利的な位置に上がることはできません。天と地の勝利的な主管者の位置を確立するために来られる方が、再臨主なのです。

14 統一教会は、勝利的な父母に侍らなければならず、勝利的な子女をもたなければならず、勝利的な養子をもたなければならず、勝利的な僕の群れを備えなければなりません。ですから、私たちはどんな立場であっても出ていって、サタンを退けることができなければなりません。僕として出ていってもサタンを退け、養子として出ていってもサタンを退け、直系の息子、娘の名分で出ていってもサタンを退けなければなりません。さらに、父母の名で出ていってもサタンを退けなければならないことは、言うまでもありません。このような立場に立ってこそ、勝利的主管者という名をもてるのです。

僕の立場における勝利的主管者、養子の立場における勝利的主管者、直系子女の立場における勝利的主管者、父母の立場における勝利的主管者のうち、どの位置でも備えなければならないというのです。皆さんがこのような立場ですべて団結し、勝利的な決定権をもったとすれば、何らかの制限された環境で動いてはいけません。勝利的主管者の権限を、民族であれば民族全体が歓迎しなければならず、ひいては、その威信と権威が民族を越えて地上で勝利を決定することはもちろん、国家的な最高の権限をもって、世界に対して命令できる基準まで行かなければなりません。そのようにしてこそ、神様が地上に定着でき、天国の建設が地上で本格的に始まるのです。

お父様には、僕の僕、僕、養子、子女、父母の立場まで経てこなければならない歴史的な宿命があります。全体に責任を負ったお父様は、縦的に流れてきた歴史を横的に蕩減する勝利的な実体として立ち、これを収拾しなければならないというのです。

15 第一次七年路程の期間は、峠だとすれば最も高い峠であり、谷間だとすれば、一番深い谷間です。父母様が流した血と汗と涙が、この谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地にしなければなりません。平地にするのですが、山を削って谷間を埋めるのではなく、この峠を根こそぎ運び出さなければなりません。

原則的に、この七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史において、二回目はあり得ません。ですから、一片丹心で最後の峠を越え、勝利的主管者にならなければなりません。この勝利的主管者になれなければ、天国に入ることはできません。

全面的な進撃をしよう

16 一九六八年に、私たちはどのような道を行くべきでしょうか。今年は「平和を先導する全面的な攻勢をかけよう」、すなわち「全面的な進撃をしよう」という標語を中心として、第二次七年路程を出発しようというのです。これが、新年の初めから全国と全世界に広がっている統一教会員たちに勧告する課題です。

17 一九六八年の標語は、「全面的な進撃をしよう」です。「進撃」を「前進」と言うこともできます。「進撃」は過激な言葉だと言うのであれば、「全面的な前進をしよう」と言うことができるというのです。

この「全面的前進」という標語のもとに活動するためには、第一に内的整備、第二に目標意識の確立、第三に敗者となった結果を体恤しなければなりません。私たちは、以上の三つを備えて、必ずや勝利しなければなりません。内容を整備して前進するのですが、無謀に取り組んではいけません。そして、怨讐を推察して作戦を行うのですが、夜も昼もその環境を選別して行わなければなりません。

18 一九六八年は、第二次七年路程の出発と同時に、「全面的な進撃をしよう」という標語を立てて、推し進めてきた年でした。全面的な進撃は、ある個人を中心として行うのではなく、全体を中心として行い、世界を動かしていかなければならないのです。統一教会がそうであるように、韓国もそのような時があるでしょう。韓国がそうであるように、アジアもそのような立場で進まなければならず、世界もそのような立場で進まなければなりません。

ところが、世界もアジアも私たちの国もすべて、はっきりとした目的がありません。ですから、目的なく流れていく時代思潮に従って苦難を経なければ、新しい問題を中心として、個人的な分野を全体的な動向に合わせることができないのです。

しかし、統一教会は天的な目的を中心として、全面的な進撃という標語のもとで現れました。ところが、ここで全面的な勝利を成就できなければ、標語だけが残るようになります。すなわち、私たちは全面的な進撃という標語を中心として出発しましたが、その目的を達成するまでは、いまだ多くの過程が残っているというのです。ですから、最低限、大韓民国を中心として、国家的に統一教会が全面的に是認される基準まで行かなければなりません。

その時までは、私たちがこのような体制を続けなければならないので、一九六九年も同様に、「全面的な進撃」を標語にするようになったのです。ですから、一九六九年までは「全面的な進撃」という標語を中心として、体制と活動を強化しながら動くことを皆さんに宣言します。

第二節 統一基盤と天国実現の土台を築いた一九七〇年代

真の父母様は、一九六〇年代に家庭と教団の基盤を築いてきたとすれば、一九七〇年代には、世界に影響を及ぼし得る国家的基盤を築かなければならないとされ、勝共および超教派運動など、対外的な活動に集中された。そのため、一九七〇年は「勝利的統一戦線」、一九七一年は「統一基盤確保」、一九七二年から七四年までは「統一戦線守護」などの年頭標語を定められた。一九七〇年から五年間は、世界進出のための陣営を整え、本格的な活動を展開する期間であった。特に一九七二年以降、新年をアメリカで迎えられ、四十カ都市の講演など、アメリカ中心の世界宣教活動を準備された。そして、一九七五年一月一日、青坡洞一街の旧本部教会で「天国実現」を年頭標語に定められ、第三次七年路程の出発を宣布された。続いて、一九七六年は「子女による天国実現」、一九七七年は「理想家庭による天国実現」、一九七八年は「公式路程を通しての天国実現」。一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」などの年頭標語を通して、理想家庭実現と家庭教会活動による天国実現のための具体的方案を提示された。

勝利的統一戦線

1 今、私たちは一九七〇年を迎えました。今年は、「勝利的統一戦線」という標語を立てて、一年間、走らなければなりません。第二次七年路程の前半期の二年間は、「全面的な進撃」という標語を中心として進まなければならないと言いました。勝利をもたらすためには、全面的進撃という過程を経なければならないからです。そのようにしなければ、勝利できません。

今年は、私たちがアジアだけでなく、世界を中心として際立った活動をしなければなりません。そのような責任を果たすべき時代になったので、「勝利的統一戦線」という標語を立てざるを得ないのです。勝利をするというのは、簡単なことではありません。神様が今まで復帰摂理を遂行してこられた唯一の目的も、勝利するその日を迎えるためでした。アダム家庭からノア家庭を経て、モーセ時代を経て、洗礼ヨハネとイエス様の時代を経て、六千年の歴史をつないできた神様が、今まで闘ってこられたその唯一の目的も、勝利の一時を迎えるためなのです。

2 一九七〇年代を新たに迎えるけさ、ユダヤ教に代わる統一教会が、民族を糾合する使命を遂行するための最初の一歩を踏み出します。今は個人的な勝利の基準が既に立てられ、家庭的な勝利の基準も既に立てられ、氏族的な勝利の基準も立てられました。ですから、今や宗教的な勝利の基盤を決定し、新しい舞台に向かって進出しなければなりません。これは、神様のみ旨をただそのまま迎えることができた、ユダヤ教とイスラエルの国のような時代圏内に入ることを意味します。

このような時代圏を用意するために、神様は歴史を通して今まで準備してこられたのであり、外的世界もそれに符合するように、時代の思潮を導いてこられました。そうして、私たちを引っ張ってきた結果が、今現れている情勢なのです。ですから、私たちが波紋さえ起こせば、新しい歴史がアジアを越え、世界的に反響を巻き起こしていくでしょう。そのようにできる時が、正に一九七〇年代だというのです。私たちは、今まで怨恨の時代、蕩減の時代、代価を払わなければならない無念な時代を生きてきましたが、この一九七〇年からは、そのようなものをすべて終息させ、新しい歴史時代に入らなければなりません。今まで私たちがこの国、この民族のために闘ったことが、栄光の結実として収められる時が来たのです。

3 皆さんは、個人から勝利的統一戦線を展開しなければなりません。勝利的統一戦線とは、神様の愛を中心として一つになることです。個人の心と体が一つになったとき、そこに神様が臨在されます。このように与え合うところに神様が臨在されれば、そこには必ず繁殖が起きるのです。神様が臨在されないとすれば、繁殖が起きません。天地創造の原則がそうなのです。

すべてのものは神様の愛が動機となって造られたので、神様を抜きにしては繁殖が起きることはありません。与え合えば、そこに神様が臨在され、また繁殖も起きるのです。このような統一戦線を、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界に展開していかなければなりません。

現在、統一教会は、民族を中心として、国家を探し求めていける立場まで上がってきました。民族と国家に影響を及ぼすことができる時代圏に来たというのです。世界的な情勢は、万全の準備をして私たちの門前にまで来ています。今や一皮だけ剥ければ、飛躍するようになっているのです。

統一基盤確保

4 一九七一年の年頭標語は、「統一基盤確保」です。言い換えれば、統一の基盤を確保しなければならないということです。このような意味で、この標語を設定しました。今までは「全面的な進撃」や「勝利的統一戦線」という標語を設定し、み旨が外部に向かって進むことができる環境を、一九六〇年以降から十年間、開拓してきました。

一九六〇年以降から一九七〇年まで、それこそ消耗戦をしてきたのです。自分たちの利益のために闘ったのではなく、外的な環境の困難、言い換えれば、統一教会が行く道の前に横たわっている障壁を崩すために、多くの犠牲的代価を払ってきました。

私たちは、ソウルであればソウル、中央であれば中央の最高の位置から出発したのではありません。み旨が願う標準を中心として見るとき、最高の基準から出発しなければならないにもかかわらず、私たちは、この民族と数多くの教団から反対を受けることによって、それとは反対に、最低の末端、下部から出発し、上部へと今まで発展してきたのです。その期間に、数多くの個人が犠牲になったのはもちろんのこと、統一教会の家庭も多くの犠牲を払いました。韓国だけでも、統一教会に属した人々を中心として、その背後にいる親戚や、心情的な基盤を通して関係している数多くの人々が、私たちのゆえに困難に遭いました。

とにかく、私たちは一つの目標を中心として、この国で必要、かつ適切な時を迎えるために、外部に広がっているあらゆる迫害の障壁を崩して勝利の一路を開拓するために、一九六〇年から十年間、あらゆる努力を投入してきたのです。そうして、一九七一年から一九八〇年までの十年間は、私たち自体の中に、強固な基盤を築かなければならない状況に置かれているというのです。

5 私たちの願いは、統一することです。心と体が一つになり、夫と妻が一つになり、息子、娘と父母が一つになり、家庭と氏族が一つになり、氏族と民族が一つになり、民族と国家が一つにならなければなりません。これが統一です。このような基準を立てようとして、一九七一年の標語に「統一基盤確保」を掲げたのです。

統一基盤は、個人から家庭と、氏族と、民族と、国家基準まで広がってこそ、確固として立てられます。それでこそ、神様が統一できる主体的な基準を、国家を中心として初めて立てられるのではないかというのです。

統一戦線守護

6 一九七二年の標語を、「統一戦線守護」という言葉で掲げました。これは、今年が私たちの教会の歴史的な一つの基点になるということです。結論として、「統一戦線守護」という標語を立てたのは、内部を安定させようということです。

外部の人が全体に責任をもち、何としてでも内部を安定させようとするとき、内部は安定するのであり、それによって全体が上がっていくのです。ですから、全世界にいる統一教会の食口たちは、中心のために互いが一つの方向に動かなければなりません。そのような個人、家庭、氏族、民族、国家が多ければ多いほど、個人が世界的であり、家庭が世界的であり、氏族が世界的であり、民族が世界的であり、国家が世界的になるのであり、そのようになるとき、自動的に天国ができるようになります。世界的に現れるのです。

統一戦線を守護するところには、このような原則的な思想的基盤、生活的基盤、活動的基盤ができていなければなりません。そうでなければ、理想的な天国は不可能です。一九七二年から、そのような使命を果たさなければならないことを感じたので、一九七二年の標語を「統一戦線守護」と定めるようになったのです。

7 国家の危機と世界の危機を防ぐためには、防御線を張らなければなりません。それで、「統一戦線守護」という言葉が出てきたのです。韓国に築いておいたあらゆる基盤の上に、世界的に網を張り巡らせなければなりません。霊界が協助しているのです。問題は簡単です。

皆さんは、どれほど団結した立場で、国のために総動員されるのでしょうか。統一教会は、一〇〇パーセント動員されなければなりません。ここにおいては、男性も女性も関係ありません。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時は、老若男女を問わず、すべて立ち上がらなければなりませんでした。それと全く同じ時です。世界的なカナンの福地に向かって、世界に新しい国の選民圏を形成するために立ち上がるイスラエルの国の出発と同じなので、父母様が指示するところに全体が動員されなければなりません。

8 一九七二年に、私たちは『統一戦線守護』という膨大な(内容をもつ)標語を掲げてきました。この守護の限界線は、自分の一身の限界を言うのではありません。国家が限界線になり、国家を越えて世界を守らなければならないという、重大な使命を背負うという意味における防御を言うのです。

ここでまず守らなければならないこととは何でしょうか。天が地から攻撃を受けるようになるとすれば、この時は直接、天が攻撃するでしょう。その目的は、世界を守ろうということ、世界的な摂理において被害を防ごうということです。世界のために生きる神様の心情に、安息の基盤を築くことができる道を造ろうというのです。

9 これから、どんな国ももてなかった伝統を立てなければなりません。どんな国も動かせない伝統を立てなければならないというのです。このようになれば、民主世界を守れる天的な基盤が条件的にでも残ります。このような点から見るとき、私たちの国が一つになるだけでなく、多くの国の人が完全に一つになることが、個人の統一戦線を守護できると同時に、家庭、氏族、民族、国家、世界の統一戦線を守護できる天の伝統的基準になるというのです。

そのため、個人的な統一戦線守護よりも、家庭、氏族、民族、国家、世界的な統一戦線守護をどのように確保するかが、統一教会に任せられた使命です。ですから、今後、皆さんが完全に一つになり、これを成就していかなければなりません。もし、皆さんがアメリカでそのような基盤を築いて一つになれるとすれば、アメリカ全域にこのようなブームが起き始めるのです。そうすれば、共産世界は下り始めます。善が上がっていく時、悪は一緒に上がれません。下がっていくのです。

ここで事が成就されれば、日本がいくらサタン圏内にあり、韓国がいくらサタン圏内にあるとしても、救い出せる道が生じるのです。これを父母様がアメリカで、一九七二年から七四年までの三年間に計画しています。一九七四年まで、超国家的な団体として、世界の数多くの人々がアメリカ全域で活動していますが、私たちがアメリカで見本になり得る団体であることを提示しなければなりません。その次からは、すべてのことがうまく解けていくと考えるのです。

10 一九七二年、七三年、七四年は「統一戦線守護」という標語のもとに、私たちは前進しています。これは、ある個人に対して語る言葉ではなく、ある限定的な地域に対して語る言葉でもなく、ある国に対して語る言葉でもありません。私たちは、全世界に対して統一戦線を守護しなければならないと、天のみ前に誓い、進み出た群れです。

統一戦線を守護しなければならないというのは、全世界と連結して神様のみ旨を成就するとき、サタン世界に侵犯を受けないように保護、育成し、前進できる立場を確保しなければならないということです。

天国実現

11 一九七五年は、「天国実現」という表題を掲げて歩まなければなりません。皆さんは、このみ旨に従って、どのようにしなければならないのでしょうか。これからは、何が一番早こでしょうか。世の中に出掛けていって伝道して回る必要はなく、すべて自分の故郷に帰りなさいというのです。故郷に帰って、世の中で働いていたより、もっと一生懸命にやりなさいというのです。もう少しだけやれば発展します。これを知って、家庭を中心として氏族を糾合し、民族を糾合できる道に従って、進まなければなりません。

一九七五年からは、これが完成的な基準なので、自分の氏族に平面的な基準で接触できる時が来ます。ですから、今後はすべての道が容易に開かれるだろうと見るのです。皆さんがどれくらいの版図で天国実現を可能にするかによって、天の国にとどまる皆さんの所有権が決定されるのです。誰であっても、実践する人に与えるというのです。皆さんが天国実現に対する新しい方案を中心として、実践しなければなりません。

12 一九七五年の標語を「天国実現」と定めたのですか、私たちがすべきことは、天国を実現することです。言葉だけでなく、天国をどのように実現するかが、大きな課題になっています。天国を実現するのですが、本来の天国基準は、神様の創造原則を中心として設定されるのです。

堕落したその世界は地獄になりましたが、堕落していないその世界は天国でした。神様は絶対的な方なので、その方が立てたみ旨は変わりません。唯一無二であられるその方のみ旨なので、人間が堕落したとしても、そのみ旨は唯一無二のみ旨として残っているのです。ですから、その絶対的なみ旨を立てて完結しなければ、創造主として、全知全能であられる神様として、威信と権威を立てることはできないのです。そのため、今まで僕の僕の時代、僕の時代、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代へと反対に通過して上がってきたのが歴史的な路程でした。このような観点から、天国には神様が再び現れなければなりません。創造の過程が必要ない立場に立たなければならないというのです。再創造しなければならない立場では、天国実現はできません。創造が終わり、創造目的が実現されてこそ、天国が成し遂げられるのです。

子女による天国実現

13 一九七六年の標語は、「子女による天国実現」です。皆さんによる天国実現であって、父母様による天国実現ではありません。一九七五年までは、漠然と「天国実現」と言いましたが、今や子女による天国実現なので、天国実現の内容が具体的です。

愛の公約を中心として宇宙が回るようになるとき、全体の影響圏が「私」によって広がるので、私は個人ですが、天国の雰囲気を導くことができ、家庭が天国にとどまることができるのです。すべて通じます。また、統一教会の氏族圏において天国が広がり、国家圏において天国が広がり得るのです。このようになってこそ、地上天国が実現されるのです。

14 一九七六年一月一日のみ言の題名は、「子女による天国実現」です。神の子女による天国が実現されるためには、昔の息子、娘ではできません。完全に変わらなければならないというのです。皆さんが完全に変われば、ここから新しい分野の天国実現が一歩一歩、近づくのです。ですから、神様によって天国が実現されるのではなく、息子、娘によって天国が実現されるということです。アダムとエバが神様を絶対的に信じたならば、神様の息子、娘になったでしょう。

しかし、アダムとエバは、神様のみ言を絶対的に信じることができなかったことにより、サタンの息子、娘になりました。堕落してしまったというのです。ですから、この時に神様のみ言を絶対に信じる息子、娘にならなければならないというのです。そのため、父母様のみ言を神様のみ言として絶対的に信じるようになれば、神様の息子、娘になるのです。

理想家庭による天国実現

15 一九七七年の標語は、「地上天国と理想家庭」、すなわち「理想家庭による天国実現」です。今まで神様の願いは何だったのでしょうか。堕落した世界で、サタンの讒訴を受けない世界的な道の上に立った一つの家庭を追求してきたのが、復帰摂理のみ旨です。堕落することによって、神様の直接主管を受けられる家庭の起源を迎えることができなくなりました。ですから、完成した家庭が出てくるためには、サタンの侵犯を受けて堕落することなく、神様の愛を直接受ける圏内に入って、神様と一つになり得る家庭の起源を、言い換えれば、理想的なアダムとエバの完成基準を成就しなければなりません。

これからは、統一教会を中心として、神様の愛を直接受けられる家庭圏内に入ることによって、サタンが反対すればするほど、かえって天に利益をもたらすことができ、天に復帰され得る反作用的作用をする時代に入ります。ですから、これからは、反対すれば反対するほど、その反対する程度によって、サタン世界は崩れていき、私たちは拡大していくでしょう。

16 統一教会の当面の課題は、天国を実現することです。そのようにするためには、理想的な家庭の基盤を皆さん各自で、あるいは皆さんが置かれた所で、成就しなければなりません。そのようにしてこそ、崩壊したサタン世界圏をすべて吸収する一つの起源になり、足場になり得るのです。

今から皆さんは、どのような考えをもたなければならないのでしょうか。堕落していない本然の世界で、神様とアダムとエバが完全に一つになったのと同じ生活圏(を形成し)、

真の父母を中心として、その父母と内的な生活においても外的な生活においても、すべての環境的な生活が一致化する生活圈を形成しなければなりません。そのようにしなければ、

神様が主管できる真の家庭になれません。本来、神様の創造理想から見れば、子女は父母と永遠に一緒に暮らすことができ永遠に別れることができません。そのような立場にいることを自ら感じる自分たちにならなければなりません。父母様と皆さんが父子の関係にあるとすれば、ここに真の父母と真の息子の関係が成立しなければならないのです。

ところが、その真の父母と真の息子の関係は、皆さんと父母様がいくら結ぼうとしても、結ぶことはできません。神様がここに介在しなければならないのです。父母様の家庭に神様が共にあると同時に、皆さんにも神様が共にあって、神様が束ねてくれてこそ、ここで新しい天の家庭の心情を体恤することができるのです。

公式路程を通しての天国実現

17 一九七八年の統一教会の標語は、「公式路程を通しての天国実現」です。これを成し遂げようとすれば、まず父子の関係である父母と息子、娘が、神様を中心とした一つの心情を備えなければなりません。家庭と同じように、責任者たちは母の立場なので、そのような心情的絆のつながりをもたなければなりません。それを中心として、雄々しく勇進しなさいというのです。そのように闘っていかなければなりません。ですから、神様の愛を中心としてこの表題を掲げ、実践していきなさいというのです。

18 家庭を拡大したものが国です。アメリカは、数多くの民族が集まっています。数多くの民族が集まったその背後には、数多くの文化的背景がそろっています。国の主権者は、国の神様です。国において、神様の代身者だというのです。また、国の主権者は国の父です。皆さんの家では、父母が神様です。神様の代身者です。

同じ公式が国家にも適用されます。その主権者が妻と完全に一つになり、息子、娘と完全に一つになれば、その国が完全に一つになるのです。その主権者と息子、娘たちは、自分の家庭のために生きる人々ではなく、国のために生きる人々です。国のための生命であり、国のための愛でなければならず、国を中心とした環境で生活しなければなりません。大統領も、神様を中心として個人天国を実現することができ、夫婦同士、家庭を中心として家庭天国を実現できなければなりません。それを核心として、国と一つにならなければならないのです。

家庭教会を通じた天国完成

19 一九七九年、新年の標語は「家庭教会を通じた天国完成」です。家庭教会という言葉は本来、エデンの園から始まらなければなりません。教会と言えば、宗教のことを言うのですが、宗教は神様を抜きにしては語ることができません。宗教という文字を解いてみれば、「宗(むね)となる教え」です。家で言えば、棟(むね)のことです。すべての教えにおいて、原理的であり、原則的であり、中心になる教えという意味があります。ですから、神様を抜かせば、宇宙はすっかり崩れてしまうというのです。

宗教は、新しい宇宙の家を造るための摂理の基盤なので、土台を築き、柱を立て、すべてのものを備えたとしても、この棟木(むなぎ)を載せなければ、すべてのものができ上がらないのです。

20 家庭教会の役軍(担い手)は、神様のように教えてあげることができ、神様のように愛することができる人でなければなりません。父母の立場で愛し得る教会、そのような人、そのような国民、そのような世界人類になれば、神様が地上のどこにでもお出ましになって、天国になり得るのです。第一は教育、第二は愛です。ですから、犠牲にならなければなりません。そのようになるとすれば、そこからは神様が離れることができず、神様を父母のように侍らざるを得ず、神様を師のように侍って学ばざるを得ず、神様と一緒に暮らさざるを得ないというのです。

このような思想を立て、このような思想を教えてあげるために、アベル的な人、天の側の人がいなければなりません。そのアベルの中に、王がいなければならないのです。個人的チャンピオン、家庭的チャンピオン、氏族的チャンピオン、民族的チャンピオン、国家的チャンピオン、世界的チャンピオンがいなければなりません。歴史始まって以来、天地を中心とした神様の摂理の中で、初めて全体を代表したチャンピオンがいなければならないというのです。

第三節 家庭教会活動と祖国創建に重点を願いた一九八〇年代

真の父母様は、一九八〇年一月一日、ニューヨークの世界宣教本部において、年頭標語を「家庭教会は天国基地」と発表されたのに続き、一九八一年は「家庭教会は私の天国」、一九八二年は「家庭教会の勝利」、一九八三年は「家庭教会は我々の定着地」など、一九七九年から八三年までの五年間、家庭教会と関連した年頭標語を立てられ、本格的な家庭教会活動を展開された。そして、一九八四年と八五年は「祖国創建」、一九八六年は「天国創建」、一九八七

年と八八年は「祖国統一」、一九八九年は「韓国統一」など、一九八四年からは、神様を中心とした祖国創建と韓半島統一を追求する年頭標語を発表された。

家庭教会は天国基地

1 統一教会員たちは、一九八〇年代に、どこに向かうのでしょうか。一九八一年からは、本格的に家庭教会活動を展開しなければなりません。第三次七年路程が終われば、完全に家庭教会体制が展開されなければなりません。それがみ旨から見た観点です。ですから、一九七九年には、皆さんが「家庭教会を通じた天国完成」という年頭標語をもって一年間過ごしてきたのであり、一九八〇年には「家庭教会は天国基地」という標語をもって、一年間進んでいこうと考えています。

家庭教会がなければ、天国が実現されないというのです。家庭教会がなければ、すべてのことができません。家庭教会は天国の基地です。天国とはどのような所でしょうか。天国という所は、安息する所であり、幸福が宿る所であり、愛が宿る所であり、平和な所です。

それでは、安息するのですが、「私」一人だけが安息するのでしょうか。もちろん、私がいなければならず、父母がいなければならず、子女がいなければならず、家庭がなければならず、氏族がなければならず、民族がなければなりません。全世界がそこに入るのです。いくら私個人が安息したくても、父母が安息できず、妻が安息できず、子女が安息できないとすれば、安息することはできないのです。皆さんは「真の父母様に侍っている」と言いますが、その真の父母様が安息できない立場にいるとすれば、その真の父母様のもとにいるすべての人々も安息できないのです。

2 「家庭教会は天国基地」という言葉は、意味もなく語る言葉ではありません。家庭教会を探し出すまで、どれほど蕩減を払ったか分かりません。家庭教会を探し求めるために、歴史時代において宗教者たちが血の涙を流しました。血肉を削って求めてきたのです。「家庭教会」という言葉が出てくるまで、神様は嘆息されていたというのです。

この家庭教会が出てくることによって、お父様が翼を広げ、天下に堂々とした男として現れることができ、統一教会が誇れる圏内に来たというのです。皆さんは家庭教会を誇らなければなりません。父母よりも誇り、兄弟よりも、愛する人よりも、子女よりもさらに誇らなければなりません。今や家庭教会活動は、次第に簡単になってきています。今年変わり、来年も変わります。だんだんと易しくなっていくというのです。

家庭教会は私の天国

3 一九八一年の標語は、「家庭教会は私の天国」です。統一教会員たちは、早く家庭教会活動をしなければなりません。メシヤが家にいるべきでしょうか。使命を果たすためにイエス様が家を出たのと同じように、皆さんも家を出なければなりません。そのようにすべき時なので、一九八一年には皆さん全員、家庭教会活動をしなければなりません。

私が家庭教会について、一九七八年、七九年、八〇年、三年間、教えてあげました。時間があるたびに、教えてあげたのです。今や準備がすべてできているので、皆さんは家から出掛けなければならないというのです。

4 統一教会の皆さんがすべきことは、三百六十軒の家庭教会活動です。皆さんは、いずれにしても、個人基準を越えて家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙基準まで蕩減条件を立てることはできません。ですから、父母様が皆さんに世界的な蕩減をさせるため、縮小した舞台として決定してあげたのが家庭教会です。これは、全体を代表した型として、サタンと神様のみ前に決定的な条件になります。そのため、ありとあらゆることをうまくやっても、家庭教会活動ができなければ、天国に行くことはできません。

天国とは、サタンが讒訴できない環境、すなわちサタンの讒訴圏を抜け出した環境です。ですから、そのような環境天国をつくろうというのが家庭教会です。それでは、アダムは何ゆえに堕落したのでしょうか。環境天国をもてなかったからです。氏族圏ができれば、家庭天国は自動的に所有できるのです。本来、神様の理想は、家庭天国の実現です。その氏族圏の中で、家庭天国は自然に形成されるのです。また、環境天国の勝利圏を確保することができます。統一教会に入って家庭教会活動をしなければ、父母様に侍ることができず、天とも通じることができません。

5 一九八一年からは、皆さんの時代です。今まで父母様が引き受けていた天のすべての責任を皆さんに伝授してあげて、皆さんがとどまる中で、父母様の仕事を代行してみ旨を成就できる時が来たというのです。一九七九年から八〇年、八一年まで三年目ですが、今や家庭教会を中心として、皆さんが活動する時代に入りました。家庭教会という標語を掲げたのは一九七九年ですが、その時は「家庭教会を通じた天国完成」であり、その次に、八〇年は「家庭教会は天国基地」でした。そのような標語をもって、皆さんは二年間、準備してきました。

その基盤の上で、八一年の年頭標語として「家庭教会は私の天国」を立てました。その「私の天国」というのは、父母様の天国ではありません。皆さんを中心とした天国です。父母様の天国ではなく、皆さんを中心とした「私の天国」だというのです。今まで、「家庭教会を通じた天国完成」と「家庭教会は天国基地」は全体を標準としたものでしたが、今や皆さんを中心として成し遂げられる、直接的な時代に入ったのです。

家庭教会勝利

6 一九八二年の標語は、「家庭教会勝利」です。家庭教会は、堕落した父母が現れたので必要なのです。それを復帰するためにイエス様が父母として来たのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つにならなかったので、イエス様は亡くなりました。それを蕩減しなければなりません。その罪を蕩減しなければ、天の国に入れないのです。

それでは、家庭教会だけで終わるのでしょうか。氏族教会ができなければならず、民族教会ができなければならず、国家教会ができなければならず、世界教会ができなければならず、天宙教会ができなければなりません。

7 家庭で勝利してこそ、氏族基盤ができます。家庭教会があるので、結果的に氏族基盤もあるのです。家庭で勝利してこそ、氏族基盤に向かって前進できます。カインとアベルの二人が一つになれば、その家庭を中心としてアベル家庭になるのです。その次に、アベル氏族圏が広がります。氏族基盤を築いてこそ、家庭が完成するのです。氏族基盤が垣根にならなければ、家庭が安息する所がないというのです。

氏族基盤が備わったあとにこそ、家庭が完成するのです。また、氏族基盤を復帰してこそ、自分の家が安息できます。その次に、自分の息子、娘も、そこで安息できるというのです。

家庭完成後には休むこともできますが、それで終わるのではありません。また上がっていかなければなりません。その次は、氏族勝利です。家庭勝利をしたので、氏族勝利をしなければなりません。

家庭教会は我々の定着地

8 一九八三年の標語は、「家庭教会は我々の定着地」です。これは空想ではありません。プログラムによってすべて合わせてきているのです。「統一原理」を教えてあげる先生、宗教を統合し、共産主義を収拾して「統一思想」を教えてあげられる先生にならなければ、世界人として地上天国に行くことができません。地上天国に入れば、宗教も超越し、共産主義も超越するのです。

その主流思想は、知識でもありません。権力でもありません。お金でもありません。それは愛です。今まで人間の愛は、自分を中心としていましたが、神様の愛は自分を犠牲にするのです。簡単なことです。ですから、父母様も今までアメリカで犠牲になりました。愛を植えるためでした。怨讐を愛したという伝統を残そうとしたのです。

9 父母様が定着できなければなりません。自由世界に対する責任を果たしたというのです。家庭教会に行って、定着しなければなりません。ですから、一九八三年は非常に重要な年です。全世界が今後、統一教会を新たに研究しようとします。そして、そのようにできる万全の準備が整えられ、今や峠を越える時が来ました。太陽が昇る時だというのです。

世界の有名な学者たちを動員し、神学者を動員して、その位置を引き継がせてあげるかもしれません。白人たちができないのなら、アジア人を連れてきてでも配置し、アメリカに住む少数民族を動員してでも配置するでしょう。

10 一九八二年の標語は「家庭教会勝利」でしたが、皆さんは勝利したでしょうか。一九八一年は、「家庭教会は私の天国」としたのですが、私の天国をどれほど愛しましたか。一九八○年は「家庭教会は天国基地」としたのですが、それについてどれほど考えてみましたか。また、一九七九年は「家庭教会を通じた天国完成」でしたが、天国完成のためにどれほど努力しましたか。

韓国のすべての祝福家庭に動員命令を下しました。日本の祝福家庭も動員し、アメリカの祝福家庭まですべて動員するでしょう。これに参加できなければ、皆さんも流浪するロマ(ジプシー)の行脚を永遠に続けなければならないでしょう。定着できないというのです。霊界に行っても、父母様を訪ねてくることができません。キリスト教で言う個人的楽園か生じたのと同じように、家庭的楽園が生じるというのです。家庭的楽園では、妻が讒訴し、息子、娘が讒訴するでしょう。サタンが讒訴するのではありません。皆さんの妻や夫、皆さんの息子、娘が讒訴するというのです。それがどれほど悲惨なことかを知らなければなりません。

祖国創建

11 一九八四年の標語は「祖国創建」です。私たちには世俗的な国がありますが、私たちは、そこで安住することができず、放浪する現代のロマのようにさまよっています。私たちは、永遠なる幸福の国に定着することを望んでおり、真の父母の国である祖国を待ち望んでいます。最近になって、父母様によって、数多くのキリスト教の宗派が、和合と一致のための運動に参加しているのを目にすることができます。

「終わりの日」になったとき、彼らが訪ねてきて、それまでの過ちを悔い改め、赦してほしいと切に願う場面を想像してみてください。父母様が完全な勝利をする場に誰が同参するでしょうか。参加するのと参加しないのとでは、天と地ほどの違いがあります。

一九八四年は、摂理史においてこの上なく重要な転換期です。私たちは、勝利の街道を走っています。一九八三年三月、アメリカで伝道機動隊を編成し、全体を動員しました。その活動は、福音伝道のための最も遠大な最初の事業でした。父の国である祖国創建のためなのです。

12 皆さんは、統一教会の民族を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の国家を通して天国に行くのでしょうか、統一教会の世界を通して天国に行くのでしょうか。世界がある前に国がなければならず、国がある前に民族がなければなりません。今は、民族はありますが、国がありません。

この国は世界万民が理想とする国家なので、国境を超越し、民族を超越し、氏族を超越し、すべての人種を超越して糾合された一つの国です。これが正に、神様の願う地上天国です。ですから、この国をつくることが私たちの目標です。神様の世界を通してこそ、神様の天宙を造ることが可能なのです。

13 今まで、歴史過程のカイン・アベルを中心として長子権復帰の基準を取り戻し、父母様が世界的蕩減路程をすべて準備しました。そうして、真の父母様の家庭を中心として、長子と次子の権限を世界的基準で連結させることができるこの祝福の日を、神様がどれほど待ち望み、父母様がどれほど待ち望んだでしょうか。人類がどれほど待ち望んだでしょうか。祖国創建はここから始まるのです。ここから祖国創建の曙光がさしてきます。

今、新しい時が熟しました。外的にすべて熟していくのです。お父様が語る環境に合うように、外的に熟していくので、皆さんさえ完全に一つになって、長子と次子を中心として闘争がなくなれば、ここから統一家を中心として地上天国理念が実現されていくのです。このようにしておいてこそ、家庭教会の出発ができます。家庭教会は天国の基地、天国の定着地であると教えてあげましたが、これが終わらなければならないのです。

天国創建

14 一九八六年、新年の年頭標語は「天国創建」です。今までは「祖国創建」でした。天国を創建するには公式があります。その公式が、歴史路程におけるカイン・アベル問題です。堕落しなかったならば、アダムとエバが長子となり、長女になって、神様の直系の子女になったはずですが、堕落することによって、長子の位置を奪われました。

人間の堕落以降、今までサタンが長子の立場を取ったので、神様は次子を支配できる立場で歩んできたのです。ですから、これを復帰しなければならないのですが、無理やり復帰することはできません。サタンの愛によって神様が長子圏を失ったので、長子圏を復帰するためには、サタンの愛以上の愛をもたなければなりません。そのようにしなければ、長子圏を取り戻す道がありません。堕落した父母、あるいは堕落した兄、堕落した世の中がもっているあらゆる愛は、すべてサタン圏に属した愛ですが、このサタン圏の愛が、長子圏に属した愛です。今日までの、世の中の人々の夫婦の愛、父母の愛、子女の愛など、これらすべての愛は、長子圏、堕落圏に属した愛です。

ですから、この長子圏を越えていくためには、次子の立場から反対に蕩減復帰しなければなりません。蕩減というのは、そのまま越えていくことができません。必ず代価を払わなければならないのです。

15 祖国といえば自分の国です。これは、世の中の国の観念です。祖国といえば自分の国の観念であって、天国の概念ではありません。ですから、地上世界で、まずアベル圏を設定しなければなりません。それが祖国創建です。今や「天国創建」です。天国になるためには、カインとアベルが一つにならなければなりません。この地上と霊界、地上の国と霊界の国がカイン・アベルを中心として一つになった立場に立たなければ、天国創建はできません。

一九八六年の標語は「天国創建」です。ソ連とアメリカが一つになれば、その次は地獄と天国が一つになります。地獄と天国がいつ一つになるのでしょうか。一九八五年二月一日、その門を開く「開天門の日」を宣布しました。お母様はイースト・ガーデンに、お父様はダンベリーにいながら、午前三時に祈り、愛の道理を立てて橋を架けました。今や一九八五年が過ぎ去り、一九八六年が始まりましたが、その祈りをすることによって、世の中が反対に回るようになりました。時計の針が回るように回ったとすれば、一周すべて回り終え、今からは逆に回り始めるということです。今までは統一教会が世の中に踏まれながら歩んできましたが、一九八六年からは、統一教会が世の中に現れる時になったのです。

祖国統一

16 一九八七年、新年の統一教会の標語は「祖国統一」です。この祖国統一を漠然と考えてはいけません。その標語が世界的で天宙的であるというときには、問題が大きいのです。この道を打開していく公式的方法について、私たちはこのように言います。「個人は家庭を克服しなければならず、家庭は氏族を、氏族は民族を、民族は国家を、国家は世界を、世界は天宙を克服しなければならない」。統一教会が歩む公式的方法を、このような摂理的過程を中心として提示しているのです。個人完成と家庭完成、これは一つのチームと同じです。

個人が完成しようとすれば、体と心の争いを克服しなければなりません。内的な基準で体と心の争いを克服し、一つにならなければなりません。そのようにしてこそ、外的環境の家庭圏に影響を及ぼすことができます。体と心の争いを整備しなければなりません。そして、家庭から氏族に進んでいこうとすれば、もちろん家庭のあらゆる困難なことを克服しなければなりません。そうでなければ、氏族圏に進むことができないのです。また、氏族圏内で氏族のすべてが統一されなければ、民族圏に進めません。

それでは、「祖国統一」という標語は国家的基準でしょうか、世界的基準でしょうか。問題となる内的なアメリカの国民性と国を収拾してから、世界に越えていくことができます。国のすべての苦痛を克服してこそ、世界の環境を消化できるのです。このように行くのが公式路程です。それが世界的なものを越えて天宙的だという時には、この地上のあらゆる問題を克服しなければなりません。地上の地域問題からあらゆる問題を克服してこそ、天上世界の問題を環境的に消化して、神様の愛の圏内に入っていくのです。

17 一九八八年の標語を、一九八七年と同じく「祖国統一」と定めました。いまだに南北統一が私たちの前に残っているからです。皆さんが精誠の限りを尽くして霊界を動かし、このことを遂行するとき、韓国の全体的な組織編成を強化することにより、対処していかなければなりません。私たちが準備することによって、北朝鮮の政治風土が変わるようになります。祖国統一は、誰彼なしに、北朝鮮も韓国も、いずれ成し遂げなければならない宿命的課題として残っています。

南北に分かれたのは、大韓民国の国民が誤ったからではありません。世界の強大国によって分かれたのです。ですから、韓半島の統一は大韓民国の人だけではできません。強大国が協助できる道を開かなければ、いくら北朝鮮が韓国を解放して統一したとしても、その統一は永続することはできず、いくら韓国が軍事力を強化して北朝鮮を統一したとしても、それが永続することはできません。

強大国をまとめて南北統一をする道だけが、悠久なる統一方案になるというのです。それは、摂理史的見地とも一致するのです。

18 今日、韓国の領土が神様の祖国光復の基地になるという驚くべき事実を知れば、この韓民族が眠れるでしょうか。「してはいけない」と言っても、昼夜を分かたず生命を投入するでしょう。財産が問題ではありません。自らの全体と韓国全体を投入してでも、これを成就しなければならないという義務感をもつ大韓民国となるに違いありません。

今日、父母様が祖国統一を願うのは、滅びるしかない国家背景を中心としたものではありません。これまでの歴史になかった超国家的な祖国光復、神様が探し出そうとする祖国光復のための途上で、すべてのものを消化できる思想的体系を備え、論理的な教育を通して社会を変化させることができ、吸収、消化できる主体(的な)思想をもった人を育てていこうと思うのです。ですから、共産主義が問題ではなく、民主主義が問題ではありません。それで、共産主義が私を恐れ、民主主義が私を恐れるのです。丸ごと食べられてしまうと考えるのです。

一九八八年の年始めに立てた標語は「祖国統一」ですが、その祖国は、本然の主体である神様が願う祖国です。この全宇宙の国は一つです。この世界は神様の民が暮らせる基盤です。霊界は、私たちが永遠に暮らせる一つの理想的住宅であり、国なのです。

韓国統一

19 今までは、いくら祖国光復を叫んでも、その国がどこにあるのか分かりませんでしたが、今や分かりました。今、一九八八年が過ぎ去ったので、それが韓国であることを明らかにするのです。ですから、この国、韓国で摂理的転換期を宣布し、「世界統一国開天日」を宣布しました。ソウルオリンピック大会を前後して、世界の二世たち(オリンピック選手)と統一教会の二世たち(宣教師)が内的に結束したことを条件として、新しい転換時代において、すべての問題を中心に希望的な世界に行けることを宣布しました。

この基盤は、人間世界はもちろん、霊界でもそのようになるのです。私がこれを宣布することによって、日本の先祖たちが韓国に来て助けることができるようになります。怨讐の国同士、互いに愛することができる愛の時代に入ったので、日本の善霊たちが、日本を犠牲にしてでも韓国の統一を後援できるようになり、アメリカでもイギリスでも、どんな国でも関係なく、世界のあらゆる国の善霊たちが、韓国統一のために後援できる霊的勢が基盤が地上に連結されたというのです。

20 今日、韓半島の統一をどのように成し遂げるべきでしょうか。数多くの宗派があり、数多くの集団があり、数多くの家庭があり、数多くの攻党がありますが、それ自体が愛に和合した存在となり、自らを役人して共鳴体的な相対を創造できる行動をしていません。

政党が行くべき道は、国の富、国の利益のために役立つことです。政党は、国の利益のために心配しなければなりません。一方向的な党の利益ばかりを中心とするようになれば、国を蹴飛ばしてしまうのです。

韓国にこのような中心がないので、父母様が全世界の統一教会員たちをこの地に連れてきて、新しい氏族編成を中心として、民族編成を完結し、国のために統一運動をしなければならないというのです。韓国を愛の共鳴圏に感化させなければなりません。それを一九八九年、新年の初日から始めなければなりません。そのようになるとき、統一韓国が誕生するのです。それ以外に道がありません。その時、神様が個人と家庭、氏族、民族に訪ねてくるのです。

第四節 真の父母を誇り、祝福に力を注いだ一九九〇年代

真の父母様は、一九九〇年と一九九一年は「ネナラ(私の国)統一」、一九九二年は「セナラ(新しい国)統一」、一九九三年は「新しい家庭と統一祖国」など、一九九〇年代の序盤に、統一問題を中心に年頭標語を発表された。そして、一九九四年は「真の父母と成約時代安着」、一九九五年は「真の父母様の勝利圏を相続しよう」、一九九六年は「真の父母様を誇り愛そう」など、一九九〇年代の中盤には、真の父母に対する誇りと愛を中心に年頭標語を提示された。そして、終盤に祝福目標の完遂を年頭標語の主要主題として掲げられた。すなわち、一九九七年は「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」、一九九八年は「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」、一九九九年は「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」など、その年の祝福目標を中心として発表されたのである。

ネナラ(私の国)統一

1 一九九〇年の標語は、「ネナラ統一」です。「私の国の統一」です。摂理史から見るとき、一九八〇年代は重要な時代でした。この一九八〇年代に摂理史的転換期を迎えられなければ、摂理史にこの上なく大きな難関が残ったでしょう。これが、父母様が苦心したことでした。しかし、一九八〇年代を中心として、全摂理史において蕩減すべきすべての内容を越えました。統一家が世界の頂上の位置に登ってくるまでに、四十数年の歳月が流れたのです。

2 今年の標語は「ネナラ統一」ですが、これはまず、個人の心と体が一つにならなければなりません。また、夫と妻が一つにならなければならず、父母の前に子女が一つにならなければなりません。神様を中心として一つになり、本源地的自覚を再認識する「私」を探し出すまでは、国の理想圏にも接することができません。

ですから、きょうから全体を代表する私にならなければなりません。神様を代表し、宇宙と世界、国、民族を代表するとともに、家庭では夫と妻、息子、娘を代表する私にならなければなりません。家庭の祖父母、父母、息子、娘を拡大したものが世界人類です。三段階の階層で連結されています。祖父母、父母、息子、娘です。

ところが、自覚すべきあらゆる基準を失ってしまいました。皆さんの家庭を代表する総合的な核の基準を(失い)、アダムとエバの家庭から世界に連結できる本源地を失ってしまったのです。今やその本源地を確定すれば、凍りついた氷山が春の日を迎えて溶けていくように、世界(の問題)は自動的に解消されていくでしょう。ですから、このように自覚した私から始まる私の国を求めなければなりません。

3 一九九〇年に私が、一九九一年も同じ標語をもって年頭の辞とすることにしたので、一九九一年の標語も「ネナラ統一」です。昨年も「ネナラ統一」になり、今年も「ネナラ統一」です。その次の三年目となる来年は、これを完結するための「セナラ統一」になるでしょう。ですから、一九九二年まで、私たちはこれを実践しなければなりません。

4 一九九〇年代を出発するこの日、父母様が世界を再収拾して、統一天下に向かって前進すべき時点で、皆さんが命令を受けているこの瞬間が、どれほど厳粛な時間なのかを知らなければなりません。

「ネナラ統一」が成し遂げられるその時は、歴史始まって以来、何万年、何億万年、摂理史を中心として待ち望んでいた神様の願いが着地できる、息詰まる瞬間です。また、数多くの宗教者たちが無念な思いを抱きながら血を流し、「自分たちの悔しい恨を解いてほしい」と天に祈って所願成就の一日を願ったすべてのことが、地において成就されていません。それが地に成就される息詰まる時間が目前に現れたというのです。

ここで言う「ネナラ統一」は、この韓半島だけを中心としたものではありません。世界の国家を代表するものです。世界国家です。本来は「ネナラ統一」に「ネセゲ(私の世界)統一」を入れて、「ネナラ統一とネセゲ統一」としなければなりません。それを略して「ネナラ統一」としたのです。世界の人々が、各自、自分の国を統一して韓国に連結すれば、世界になるのです。「私の国統一」のために、今までのどんな愛国者や忠臣よりも、さらに精誠を尽くしていく歩みを早めながら、涙とともに「さらに行かなければならない」と拍車を掛ける日々の生活を誇らなければなりません。天の伝統を記録するとき、一行でも登場できる歴史的な資料を残さなければならないのです。

セナラ(新しい国)統一

5 アメリカで一九九二年一月一日にメモした内容です。「セナラ統一」という題名のもとに四つ(の項目が)あります。第一は長子権復帰です。「セナラ統一」をしようとすれば、長子権復帰をしなければなりません。民族的に復帰しなければならず、国家的に復帰しなければならないということです。

第二は父母権復帰です。氏族メシヤを中心として、新しい父母が設定され、連結されなければなりません。父母権設定、長子権復帰です。長子権の父母が現れなければなりません。これが真の父母です。長子権が復帰されれば、長子権の父母が現れなければならないというのです。

次に、第三は王権復帰です。長子権の父母が王の中の王ですが、父母権復帰、王権復帰にも、長子の意味が入らなければなりません。王権も長子権の王権です。それが天の国の王であり、地の国の王であり、万王の王です。これは、真の父母に対して語る言葉です。

その次に、皇族圏復帰が出てくるのです。神の国の王を中心として、皇族が設定されていません。イエス様が万王の王として来たと言いますが、皇族がいないというのです。自分の血統を通した直系の王子、王女の家庭がないというのです。それが復帰されなければなりません。本来、エデンの園で、アダムとエバは皇族でした。この皇族圏から、すべて連結されてこなければならなかったのです。

6 アダムが失敗し、イエス様が失敗し、キリスト教が失敗したことだけでなく、真の父母に侍る再臨時代に失敗したすべてのことまで、お父様一身が責任をもたなければなりません。これを知って収拾し、復帰できる人は誰もいません。ただお父様しかいないというのです。

アメリカを中心として、世界的版図を勝利的に収拾しようとしたことまで、すべて失ってしまいました。これにも責任をもたなければなりません。そのすべてのことに、キリスト教やアメリカのようなどこかの国が責任をもつことはできないのです。お父様と一つになるべき相対圏に立っていた、これらすべてのものが破壊され、喪失したので、これを再創造しなければなりません。再びこれを収拾しなければならないというのです。

ですから、一九四五年に七年を足した一九五二年、この時に、既にきょう語る「セナラ統一」、新しい国が統一されなければなりませんでした。アメリカは、新教を中心とした独立国家です。新教国家として、アベルです。この新教を中心に力を注いだ一九九〇年代祝福第四節真の父母を誇り、としたアメリカ、第二イスラエル圏が、全世界を抱くようになるというのです。世界を抱いて主人になるのは、アメリカではありません。来られる真の父母と連結されなければなりません。そのようになることによって、真の父母を中心として、宗教と国家が一つになる基盤の上に立つのです。

この宗教は、全世界的に統一された立場に立ちます。それが、カインとアベルが一つになることです。体と心が分かれたものが、世界的に統一されなければなりません。ここには主義があるのですが、その主義は真の父母主義であり、アダム主義です。

新しい家庭と統一祖国

7 一九九三年、新年の年頭標語は、「新しい家庭と統一祖国」です。今や、全世界が心を一つにして祈り、精誠を捧げた一九九二年が過ぎ去りました。去る一年間は、お母様を中心として世界史的な役事(働き)を行った年であり、歴史始まって以来、初めて女性解放を宣布した年でした。

今までは、超国家的に女性たちが解放されませんでした。女性が堕落をもたらしたので、この堕落したことを越えていかなければ、女性解放時代が訪れません。摂理的に見るとき、そうなのです。神様の摂理歴史は、救援することです。救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。このように見るとき、救援摂理は女性を探し出すための歴史でした。これが、今まで誰も分かりませんでした。

救援摂理は男性を探し出すためのものではなく、女性を探し出すためのものです。人類歴史が誤ったのは、女性が誤ったからです。女性が愛の道を誤って行ったために、今日までの歴史がこのように偽りの歴史になりました。これを復帰しようとすれば、再創造の役事をしなければなりません。再創造歴史の過程を経なければならないのです。

8 私たちは、一つになった祖国を成し遂げていかなければなりません。それは家庭から始まります。新しい家庭から、一つの祖国、統一された祖国が生じるというのです。祖国統一ではありません。祖国統一といえば、祖国が分かれたものを統一するという意味になります。

しかし、「統一祖国」という言葉は、新たに統一された祖国が始まることを意味するのです。ですから、「新しい家庭と統一祖国」が新年の標語になるのです。新しい国で統一しなければなりません。新しい国の統一が祖国の光復です。そのような時代に越えていきます。

9 今年の標語は「新しい家庭と統一祖国」ですが、これは、まず「私個人」が統一されてこそ、成し遂げられる言葉です。私個人が統一されなければ、何もできないのです。そして、男性は女性によって生まれたので、絶対的に女性と統一されなければならず、女性は絶対的に男性と統一されなければなりません。適当にではありません。御飯を食べること、おなかがすくことよりも、さらに真実(なこと)です。深刻な問題です。絶対的な真理です。アダムとエバが祝福を受けたとすれば、その場は初愛を交わす場です。初愛は絶対的なのです。

ところが、初愛を売り飛ばす人々が多くいます。そのようにして夫に接すれば、幸せに暮らせるようにはなりません。今までは、男性に節操がありませんでした。男性に「貞操を守りなさい」と言っても、守れませんでした。女性にだけ貞操を守ることを強要しました。それは、エデンの園で女性が貞操を失ってしまったからです。今後、統一教会では、女性の貞操より、男性の貞操をもっと重要視しなければなりません。

真の父母と成約時代安着

10 一九九四年の標語は、「真の父母と成約時代安着」です。安着は、定着と意味が違います。安着は、すべてのことが成就して位置を定めるという言葉です。人間が堕落することによって、個人が未完成となり、家庭が未完成となり、氏族が

未完成となり、民族、国家、世界、天宙が未完成となりました。創造主であられる神様にとっても、創造理想を完成しようとしたすべてが失敗に終わったというのです。しかし、神様は失敗の立場に立つことができないので、再創造過程を経て、これを蕩減復帰して本然の位置に戻すのです。そのような役事をするのが救援歴史です。

11 個人で真の父母と成約時代を安着させ、家庭で安着させようというのです。そうして、国で安着させるのです。これが神様の創造理想です。天の国を求めなければなりません。その国は、天国と通じるのです。三大原則です。個人で安着させようというのです。ですから、体と心を統一しなければなりません。夫婦が真の愛で統一されなければなりません。争ってはならず、涙があってはいけません。自己主張をしてはいけません。自己主張をするとしても、天理原則に従って主張しなさいというのです。父母様はすべて教えてあげました。四大心情圏、三大王権を中心としてすべて教えてあげたので、今からそのように生きなければなりません。

自分の家庭は、地上天国と天上天国のモデルです。そこには、祖父母、父母、夫婦、息子、娘まで、四代の系列が存在します。世界の各国も、祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘のような四代の系列になっています。個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界のために犠牲にならなければなりません。より大きなもののために犠牲になる原則を中心として、世界の人々を自分の家庭にいる祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘以上に敬わなければなりません。世界の人々を自国の国民以上に敬えば、天国の本宮と一致した立場で完成し、天国のどこにでも入っていけるのです。

真の父母様の勝利圏を相続しよう

12 一九九五年の標語は、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」です。勝利圏というのは、天地のすべての伝統、今の人類と、今後生まれてくるすべての子孫たち、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、このようなすべてにおいて勝利したということです。神様が救援摂理をしながら、歴史時代に失敗したすべてのことが恨として残っているのですが、真の父母様がアダム家庭から綴られてきた恨の根を抜き取りました。このような内容の勝利的記録を残したのです。

今まで、サタンが歴史を支配してきました。このサタンの歴史を取り除かなければならないというのです。世界がサタンの世界的勝利圏を受け継いできたため、その恨の根を抜き取らなければなりません。アダム家庭から、ノア家庭、アブラハム家庭の恨の根、ヤコブからモーセ、その次に、洗礼ハネとイエス様の時代のあらゆる恨を抜いてしまわなければなりません。

このサタン世界に、何をもって勝利するのかというのです。父母様のみ言と一つになる道しかありません。真の父母様の歴史的なこのすべてのみ言は、勝利の覇権を提示するための一つの宣言文です。ですから、年頭標語に「真の父母様の勝利圏」という言葉を使ったのです。

13 南北統一の運勢が近づいています。一九九五年を中心として南北統一をし、天のみ前に奉献して、三千里半島に神様の解放の場を探し出さなければなりません。お父様は一生の間、誰一人からも補助を受けずにこの道を行ったので、皆さんも誰かの補助を受けてはいけません。お父様の補助も受けてはいけません。父母様の補助を受けずに父母様以上のことを成し遂げるとき、父母様が訪ねていって、父母様がもつ財産まで相続させてあげるというのです。そのような孝子、忠臣の道理を備えたあとには、世界史的な聖人、聖子の道を難なく占有できる道が、一九九五年の自らの行動いかんによって決定されます。脱落する天の孝子、忠臣、烈女にならないように、真の父母様の勝利圏を相続させるのです。

ですから、平面上で代を継ぐことは問題ありません。家庭で孝子になれば、忠臣の代を継ぐことは問題ありません。国で忠臣になれば、聖人の代を継ぐことは問題ありません。天の国の直系の王子の立場に立てば、平面上で聖子の道理も問題ないのです。そのため、孝子の基盤は忠臣の足場になるのであり、忠臣の足場は聖人の足場になるのであり、聖人の足場は聖子の足場になるのです。父母様が天の悲しい事実を蕩減復帰して、初めて孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を地上で完結したので、この全体を一九九五年の元旦に、統一教会と世界にいる人々に相続させるのです。

真の父母様を誇り愛そう

14 一九九六年の標語は、「真の父母様を誇り愛そう」です。一九九五年の標語は、「真の父母様の勝利圏を相続しよう」でした。

神様の願いや人類の願い、すべての万物の願いとは、真の父母がこの地に現れて、神様の真の愛が出発することです。それが創造の始まりであり、創造の過程であり、創造の目的と結果でした。人間が堕落しなかったならば、真の父母がこの地上に現れ、真の愛を中心として家庭を築いていたでしょう。それが神様の願いであり、神様が人間を創造した理想でした。

堕落していないアダムとエバが、この地の真の父母になったならば、神様の真の愛を中心として、鉱物世界、植物世界、動物世界、被造世界の全体が一つになっていたでしょう。それにより、真の父母を中心として、すべての被造物が神様の愛の懐に抱かれていたでしょう。ですから、神様は、この地のアダム家庭を中心として、アダムとエバと共に一つになり、このすべての万物を主管しながら、愛の中で暮らさなければならなかったというのです。それが神様の願いでした。

15 真の父母様を誇り、愛さなければなりません。愛するのですが、自分の夫よりも、自分の息子、娘よりも、自分の国よりも、この地の堕落した人類のすべてのものよりも愛さなければなりません。世の中になかった愛をもって父母様を愛してこそ、皆さんも世の中にない愛の世界を相続するというのです。そうしてこそ、神様の息子、娘になり、天の国の皇族になり、天の国の民になるのです。そのようになり得る時代圏に入るのです。一九九七年に三百六十万双が祝福結婚をすれば、天国が展開するようになります。

天国はどれほど遠いでしょうか。ですから、天国に入ろうとすれば、真の父母を誇らなければならず、真の父母を証しなければならず、真の父母を愛さなければなりません。それを準備せざるを得なかったので、一九九六年の元旦に「真の父母様を誇り愛そう」という標語を定めたのです。

真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂

16 一九九七年の標語は、「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」です。「真の父母様を誇り愛そう」は、一九九六年の標語でした。今年、三百六十万双の祝福が完成すれば、これは天宙史的な事件になります。

三百六十万双の祝福が完成したとすれば、その次は三千六百万双の祝福をするのです。サタン世界のあらゆる完全数を越える勝利的覇権が、地上に設定されると見るのです。

三千六百万双を完成したのち、三億六千万双、三十六億双をするようになれば、人類がすべて祝福を受けるのに何年あれば終わるか、考えてみなさいというのです。

家庭は、アダムとエバの時から、男性と女性にとって必ず必要だったように、どんな時代、どんな延長の歴史を経ても、この公式は変わりません。そのような二人が一つになって着地するのが、アダム家庭でした。そのアダム家庭は、歴史性を超越し、永遠に続くというのです。

17 「真の父母を誇り愛そう」という言葉を、皆さんの前に掲げるためには、父母様が神様を誇り、愛さなければなりません。そうして、神様が見るとき、「本当によくやった。愛した」という条件を立てたことを受け継いで、皆さんも真の父母様を誇り愛さなければなりません。父母様が神様を誇り、愛したのと同じように、皆さんも神様を誇り、愛さなければならず、真の父母を誇り、愛さなければならないというのです。そのような伝統的内容を知らなければなりません。

父母様が世界的メシヤだとすれば、国家的メシヤの立場でなければ、父母様を誇れる道がありません。国家的メシヤが、そのもとにいる人々に誇るために教育しようとすれば、氏族的メシヤをもたなければなりません。そして、氏族的メシヤが自分のもとの後代と先祖に誇るためには、家庭的メシヤの系列をもたなければならないのです。それがメシヤ思想であり、真の父母が行くべき道です。

メシヤと言えば真の父母のことですが、真の父母になろうとすれば、神様を誇るのと同じ伝統を家庭に立てて、自分の父母を誇らなければなりません。神様を愛するのと同じように愛さなければならないのです。そのような家庭的な愛と誇りの圏を中心として、国家的な愛と誇りの圏、世界的な愛と誇りの圏、天宙的な愛と誇りの圏に上がっていき、天の祝福に代わって下りてきて、初めて天国の家庭として、解放圏を手にして生活できるというのです。

真の神様を絶対に誇り愛することは

三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切

18 一九九八年の標語は、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」です。「真の父母様への誇りと愛は三百六十万双祝福完遂」は、一九九七年の標語です。

今年の標語は、「三億六千万双の祝福完成」であり、その次には「サタン世界の血統断切」です。それさえ刻みつければよいのです。昨年は「真の父母」でしたが、今からは「真の神様」です。そして、三億六千万双の祝福完遂であり、サタン世界の血統断切です。このために神様が苦労したのです。この根を抜いてしまわなければなりません。これを抜き取れる力が、父母様にはあるというのです。

19 私たちは、祝福行事をして、今まで四千万双の祝福を完成しました。これは世界的事件です。一時に通り過ぎる事件ではなく、歴史にただ一度しかない事件です。誰も再び行うことはできないのです。過去にもなく、未来にもありません。この三億六千万双の祝福は、歴史に一度しかないのです。一度しかないこの三億六千万双の峠を前にして、私たちが歴史をすべて清算するのです。

神様を解放し、サタン追放、汚したサタンの血統を完全に断切、撤廃しなければなりません。大転換と大転覆の時代が来るのです。私たちが今まで成し遂げた四千万双の祝福は、世界がすべて知っています。知らない国がありません。

ですから、皆さんは現地に行って、青少年の問題を解決しなければなりません。青少年の問題は、私たちの家庭も、私たちの町も、私たちの国も責任をもてず、どんな環境も責任をもつことができません。すべてにとって問題です。

青少年の時に堕落することによって、アダム家庭が破綻したのですが、エデンにおいて春の季節にそのような種を蒔いたものが、秋の収穫期の「終わりの日」になって、世界的に実を結んだのです。これをまとめて、すべて燃やしてしまわなければなりません。残すもの、収めるものは一つもないというのです。大転覆させなければなりません。

真の祝福天宙化とサタン血統根絶

20 一九九九年の年頭標語は、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。サタン血統根絶は、サタン世界と関係がないということです。真を中心とするとき、偽りが相対の位置に立つことはできないというのです。ですから、一九九八年には「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」として、「真」という言葉を使いました。神様が真の位置に立たなければならないというのです。

今までは神様が救援摂理をしてきたので、サタンに押さえられてきました。しかし、アベル的基準でカイン的基準を自然屈伏させ得る環境を経るために、「真の神様を絶対に誇り愛することは三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」という言葉を使ったのです。三億六千万双の祝福をすれば、サタン世界の血統を断切できるのです。

既に一九九八年九月三十日を中心として、越えていくことができる時代に入ったので、今や天と地において、相対的関係の闘争的時代が過ぎ去ります。峠を越えたというのです。今、地上における三億六千万双の祝福完成は、この峠に集まってするのではありません。本然のアダムとエバの位置に立ち、世界人類を祝福することによってこの峠を越え、本来、アダム家庭の位置に立つべき人たちが祝福を受けた立場に立ったので、天と地を塞いでいた塀が崩れていくのです。

ですから、一九九九年はサタン血統根絶です。根を抜いてしまわなければなりません。そのためには、祝福の恵沢圏を天宙、霊界と肉界に一元化しなければならないというのです。

21 今年は一九九九年ですが、九九九の九数はサタン数です。九九九は、蘇生、長成、完成ですべて十数に近づきます。解放数になるとみなすのです。真の祝福とは、祝福が完成したという意味です。ただの祝福ではありません。真の祝福の天宙化です。神様の心に最後に残った宇宙的解放の定着、完全に定着できる真の家庭を祝福してあげようというのです。

その次には、サタンの根を根絶しようというのです。最後です。一九九九年を逃すことなく、精誠と愛の心を宇宙に拡大して祝福するようになれば、世界は自然に従ってきます。「私」がプラスになっているので、マイナスが付いてくると考えるのです。そのような心をもって、皆さんの町に祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。皆さんが、家ごとに愛の絆を残していない所がないようにしなければなりません。そのようにしてこそ、神様が主体として愛の心で日の光のごとく照らしてくださるように、解放圏が広がっていくというのです。

それを知っても行くことができなければ、脱落して、あの国(霊界)に行っても嘆くことすらできません。ですから、福を受けようと考えず、理解してほしいと思ってはいけないというのです。父母様がそのように生きてきました。神様が関心をもっていなくても、それをしたのです。報告もせずにしたのです。そのようにしてみると、自然にできたというのです。自然の道理です。アダムとエバが報告して完成するようになっていますか。自然の道理によってできるようになっています。ですから、神様に報告しなくても、その前に出ていって、報告したこと以上の価値として実を結ばせるというのが天理大道の原則です。

22 一九九九年の標語は、「真の祝福天宙化とサタン血統根絶」です。「断切」には様々な方法があります。葉も断切し、枝も断切し、大きな幹も断切します。「断切」という言葉は、根を抜くという「根絶」とは違うのです。

女性の根を抜かなければならず、男性の根を抜かなければなりません。根の出発はサタンです。サタンが先に根を下ろしました。皆さんはその根につながっています。皆さんに堕落性が残っているのは、サタンが関係を結んだからです。

神様の最後の願いは、皆さんの家庭を一つ一つ救うことではありません。サタン世界の根をどのように抜くかということです。この根を抜くときは、神様が怨讐のようにたたいて抜くのではありません。偽りの愛によってこれを植えたので、抜くときは真の愛で抜かなければ、抜けないというのです。

第五節 天一国理想の実現に力点を置いた二〇〇〇年代

真の父母様は、二〇〇〇年代を迎え、神人愛一体理想を成し遂げて天一国理想を実現し、天地人真の父母勝利解放完成を目標とする年頭標語を発表された。すなわち、二〇〇〇年は「真の愛の天宙化は新千年天国完成」、二〇〇一年は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語において、真の愛を通した一体化を強調された。続いて、二〇〇二年は「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」、二〇〇三年は「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」、二〇〇四年は「神の祖国と平和王国時代宣布」、二〇〇五年は「内外天一国理想が完成されますように」、二〇〇六年は「天宙平和理想モデル摂理安着時代」、二〇〇七年は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」、二〇〇八年は「天宙平和連合天一国双合七八禧年(チルパルヒニョン)万歳」など、天一国と関連した年頭標語を提示された。そして、二〇〇九年は「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利利宣布時代」、二〇一〇年は「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」、二〇一一年は「天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳」、二〇一二年と一三年は「天地人真の父母勝利解放完成時代」など、天地人真の父母様の一体化と勝利を標語として発表され、二〇一四年から二〇年までは、年頭標語として「創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」を発表された。

真の愛の天宙化は新千年天国完成

1 二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。「真の愛の天宙化」という言葉は、真の愛の家という意味です。存在世界の真の愛の天宙化です。「天宙」とは、神様の家を意味します。神様がとどまり得る家は、新しい千年を通じて完成するという標語です。真の愛の天宙化を通して、神様がどこにでも永遠に住める新千年時代の天国完成が出発するというのです。

2 天国は、自由が永遠にある所であり、希望が永遠にある所であり、幸福が永遠にある所であり、真の愛と真の生命が永遠にある所です。神様の家で暮らしながら、神様とすべてが一つになっているので、間違いがありません。ですから、統一教会では、互いに愛することによって、世界のすべての人々が「私の家である。私たちの家である」と考え、一緒に暮らしていくのです。統一教会の人々は食口です。

家庭と食口が天地安息圏の中心にいるので、このような公式原理に従って、統一教会は家庭第一主義、兄弟第一主義、食口第一主義を主張するのです。それが、真の愛を中心として、真の血統と連結された真の家庭です。

3 二〇〇〇年の標語は、「真の愛の天宙化は新千年天国完成」です。千年王国時代を築かなければならないというのです。「新千年天国完成」時代に越えていくというのです。漠然としていません。家庭が国家を探し出すことによって、エバが堕落した長成期の基準を越え、アダムとエバの完成基準を越えて、家庭、氏族、民族、すべてを祝福し、天地のすべてが向きを変えるのです。それにより、第三次アダム時代に蕩減を解消し、解放的第四次アダム圏時代になったので、国家を越えた家庭にならなければならないというのです。

国に戸籍を登録できる時代になったので、自由勝利の定着圏になるというのです。ですから、家庭の解放です。エデンの園で入籍が必要のない家庭になったので、ここでは自由です。父母様が教えるみ言のとおり、一つになって生きれば、自主的な立場で、地上と天上のどこに行っても行路の制限を受けない、解放時代に向かっていくので、もはや国境はすべてなくなるのです。ですから、自主的な立場で祈らなければなりません。今までは「切に願います」と祈りましたが、これからは報告です。善意の報告なのです。

解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように

4 「家庭盟誓(カヂョンメンセ)」の八節の終わりに、最も重要な一つの単語があるのですが、それが「解放」という言葉です。神人愛一体理想を成し遂げ、地上天国と天上天国の解放圏を完成しようというのです。二〇〇一年の標語は、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのに、「真の愛の主体性」の次に、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」が入ります。

この標語は、新千年紀の期間にも必要なものですが、特に子女たちと父母が共にこれを成し遂げて、地上天国を完成しなければならないというのです。神様だけでなく、皆さんも成し遂げなければなりません。父母様だけではありません。解放された天地父母と解放された子女が成し遂げなければならないのです。一心一体になって成し遂げなければなりません。そして、真の愛の主体性、主流思想です。主体性と言えば、骨子について言っているのです。神様が成し遂げようとした絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げなければならないというのです。

5 二〇〇〇年十二月三十一日までの二千年の期間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時代でした。今やそのような時代は過ぎ去り、黎明が訪れ、新しい成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代になりました。ですから、「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」という標語は、一時だけでなく、永遠に続くあの世でも皆さんに残る課題だというのです。そして、家庭がどれほど貴いかを知って、一心同体になり、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。

そのためには、世界主権を復帰してさしあげなければなりません。すべての主権下にある家庭が、天地父母、神様の伝統思想に従っていけばよいのです。個人を復帰し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、八段階の真の愛の理念的国家観を形成しなければなりません。また、真の父母の理念となる国家観を完成しなければなりません。そのような責任が、祝福を受けた家庭である皆さんにあるので、きょうからは祈りの内容が変わります。

今までは、「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ」でした。祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参(一緒に参加すること)できません。真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新たに連結させたので、真の父母の息子、娘の絆を掲げているのです。

永遠不変の神様に統治されるこのすべてが、堕落していないアダムとエバの実体圏として祝福を受けたとすれば、神様の愛と神様の生命が連結され、神様の血統が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から束ねられ、これが種になって拡大されたはずですが、三代を通じたこの結実的血統の種が植えられませんでした。これが堕落です。父母様が一代だとすれば、皆さんは二代ですが、皆さんが息子、娘を誤って育てれば、堕落した後裔のその伝統から抜け出すことができないというのです。

6 今後、父母様の所に思いどおりに訪ねてくることはできません。条件を提示するでしょう。国ができれば、厳格にするのです。世の中の法のうちで、大韓民国の法が問題ではありません。その十倍以上の法を中心として、越えていくべき道が残っているというのです。一生において、それを越えていかなければなりません。そのような過程が残っているので、これから皆さんは、どのように生活しなければならないのでしょうか。祈祷時代は過ぎ去りました。救世主がいてこそ、祈りも通じるのです。救世主が解放圏にすべて導きました。解放圏を開いておいたのです。

ですから、二〇〇一年の標語は「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。一緒に協力するのです。協力して、報告することがうまく行ったのか、行かなかったのかを見て、うまく行かなかったときは、挽回しなければなりません。挽回するまでは報告できません。祈祷ではなく、報告です。良い報告ができる実績をもてなかった人は、父母様がいる場に来ることができません。

天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳

7 「天一国」の「天」の字は、「二人」を意味します。そして、「二」の字は、上の水平と下の水平のことを意味するのです。天上世界と地上世界が平和にならなければなりません。ですから、天宙平和という意味が含まれるのです。「天一国」の水平(一)は、統一の「一」の字です。それで、二〇〇一年の標語は、「二人が真の愛を中心として、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成しよう」というものでした。

真の愛でなければ、み旨を完成できません。絶対、唯一、不変、永遠、絶対的愛、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を完成しようというのです。それが、二人が一つになった国、天一国です。天宙という言葉は、天地の家を意味します。男性も女性も水平になって、天に侍らなければなりません。侍る天を中心として、「私」の体と心が一つにならなければならず、その次に、夫婦が一つにならなければならず、父母と子女が一つにならなければならず、兄弟が一つにならなければなりません。すべて二人です。

主体と対象圏がどこでも一つになるには、真の愛でなければ駄目なのです。真の愛が中心になります。個人的中心、家庭的中心、次第に大きくなっていきます。その次には、父母と子女の中心、兄弟の中心になります。そうして、家庭定着です。

家庭定着ができれば、家庭を中心として氏族と一つになり、氏族が一つになれば、氏族を中心として民族と一つになり、民族が一つになれば、民族を中心として国家と一つになり、国家は世界と、世界は天宙と、天宙は神様と一つになった統一的国家にならなければなりません。そのようになれば、横に行っても縦に行っても、ぶつかることはないのです。

8 二〇〇二年の標語は、「天地父母の理想である自由平和幸福の天一国安着万歳」ですが、その自由、平和、幸福は、真の愛を中心として語る言葉です。真の愛を中心とした自由、真の愛を中心とした平和、真の愛を中心とした幸福です。これは家庭にも入り、すべてに入ります。一人で幸せになることはできません。幸福の基礎は家庭しかないので、これを連結できる家庭がたくさん繁殖しなければなりません。

四位基台は、祖父母、父母、自分たち夫婦であり、息子、娘まで含めれば四代です。これが一つのカテゴリーです。四位基台の上で、アダムの孫からは数十双が出てきても大丈夫です。これが種になっていて、モデルが出てきたので、ここから十二支派が出て、数百支派が出てくることができます。息子、娘をたくさん生んでペアをつくるほど、アダムの家庭が栄えるのです。

ですから、四位基台完成のもとで四系列が出てきます。祖父母、父母、自分たち夫婦の三代が暮らせば、息子、娘が出てきます。三代を中心として、創造本然のアダムとエバの息子、娘と孫たちが出てくるのですが、この四代からは種になって、結婚さえすれば、天国にそのまま入ります。それが一つのモデルなのです。

真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように

9 二〇〇三年の標語は、「真の愛で私たちの家庭が天一国の孝子忠臣聖人聖子の真の家庭を完成できますように」です。ここに、神様の創造理想の全体が入っています。個人、家庭、氏族、民族、国家において、真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子です。そして、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されます。ここでの相続は、神様の王権を占領した基盤で成し遂げられるようになるのです。

堕落した世界の個人の所有権や国に属しているものは、すべて否定されなければなりません。それは、結局は堕落した世界の結果物です。神様が願わない怨讐の血統に連結され、汚された世界です。神様は、その影がかかることさえも好みません。戦争によって大勢の人たちが死に、興亡盛衰を経てきたこの悪の世界を、神様が管掌することはできないというのです。

10 真の愛によって、私たちの家庭は天一国の主人になり、孝子にならなければなりません。主人になるというのは、孝子になったあとに語る言葉です。その次には、忠臣、聖人、聖子の真の家庭になってこそ主人になります。それは、ただ盲目的に語った言葉ではありません。これは、天理原則において避けることができない一つの礎石を据えた立場なので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして、自分は千辛万苦の受難の道も感謝しながら、百回、千回死んでも、無限大の世界のために行かなければなりません。

神様が宗教圏を中心として愛し、信じることのできる、御自身の側にいる人が犠牲になっても、耐えるしかなく、助けてあげられない(神様の)無念な心情を皆さんが体恤し、行く道を前にして涙が前を遮り、血と汗が自分の周囲にしみ渡っていてこそ、サタンが皆さんに入ってくることができないのです。ために生きて涙を流し、ために生きて血を流したその跡があるので、サタンが来ることができないというのです。サタンは利己主義です。利己主義なので、その場を侵犯できません。

11 家庭のモデルが忠臣と通じ、忠臣のモデルが聖人と通じ、聖人のモデルが聖子と通じ、聖子のモデルが王権と通じます。ですから、真の父母がいらっしゃる天一国には、真の父母、真の主人、真の師、真の王が行くのです。孝子、忠臣、聖人、聖子、王権と同じです。その位置まで越えていってこそ、相続を受けます。はっきりと教えてあげるのです。いくらうまくやっても、中間では駄目です。福を受けようとしてみなさいというのです。死んだのちには、墓場に行かなければなりません。これは、墓場ではなく、天国に行ける間違いのなこです。今や、世の中がすべて知っています。

ですから、二〇〇二年七月四日、ワシントンDCで天の解放宣布式を行うとき、霊界の決意文を宣布しました。第一は、「絶対真の父母である神様と真の父母様を知って信じる」、次に「絶対真の師である神様と真の父母様を知って信じる」、その次に「絶対真の主人である神様と真の父母様を知って信じる」、また、その次に「真の父母様を神様の実体として、真の父母、真の師、真の主人として信じて行動する!」です。

王です。王にならなければなりません。真の父母、真の師、真の主人です。王は一人しかいません。ですから、「統一家の祝福家庭は、父母様を王として、侍りなさい」と言いました。そうしてこそ、相続を受けます。王の前に行って王子になってこそ、相続を受けるのです。聖子になってこそ相続を受けます。それを受けられなければ、あの国(霊界)に行って引っ掛かるのです。

神の祖国と平和王国時代宣布

12 二〇〇四年一月一日、きょうから「神の祖国と平和王国時代」に入ります。宣言ではなく宣布です。宣布というのは、そのような時代になったということです。これは、個人だけでなく、全世界、天地に及ぶので、宣布の内容は既に宣言時代を通り過ぎたのです。

その言葉は、神様の祖国光復はもちろん、神様の平和王国時代も既に宣布されたので、そのような世界に生きる人として、そのような立場に立ち、神様の平和王国を完成しようということです。

13 「神の祖国」という言葉を二〇〇四年一月一日のけさ、宣布したので、これから神の祖国が始まります。そして、平和王国を宣布しました。神の祖国と平和王国が始まったので、その場は堕落した世界と何の関係もない場です。堕落する前、神様が願った神の国、神の祖国です。その祖国の領土で親族が暮らすことができ、民族が暮らすことができ、国々が暮らすことができます。全体が天の国になり得るのです。仮想ではない実存的存在圏です。

この祖国の上から、すべてのものが始まり、議論されなければなりません。「祖国」とは、このように貴い言葉だというのです。祖国がないところで成し遂げられたものは、すべてなくなります。国がなければ、「大韓民国」という言葉も、「白衣民族」という言葉もあり得ません。

神様が願う祖国の地の内容が、歴史時代を経て個人から家庭、氏族、民族、国家に連結され、世界の祖国光復を宣布できるその時になれば、このすべてのものが、祖国の上で存在し始めるというのです。しかし、そこから脱落したので、蕩減法で代用するために、今までは条件的基準を中心として生きてきました。神の祖国の領土ができたという時には、過去の条件的立場でその名分を立ててきたものをすべて踏みつけ、断ち切り、ひっくり返して、この祖国の領土の上に再び立てて改造しなければならない時代になるというのです。

14 皆さんが夢の中でも考えなければならないことは、神の祖国と平和王国です。神様は祖国を願い、人間は平和王国を願いました。天が願い、地が願ったことを所願成就したので、死ぬとしても感謝しなければなりません。皆さんがこの地上に生きて、死ぬ時になれば、地に対して感謝し、万物の前に恥ずかしくないように忠孝の涙を流さなければなりません。自分自身の享楽のために生き、楽しみのために生きて涙を流す、恥ずかしい息子、娘になってはいけません。

内外天一国理想が完成されますように

15 二〇〇五年の標語は、「内外天一国理想が完成されますように」です。ここで「内外」というのは、内的な天の国と外的な天の国のことを意味するのです。天一国というのは、二人が一つになった国です。心と体が一つになり、男性と女性が一つになり、父母と子女、天と地が神様と一つになったものです。内外の「内」は神様を意味し、「外」は真の父母を意味するのです。ですから、「内外天一国」を解いて言えば、内外的な天宙平和統一王国という意味です。

内的な天一国自体では、完成できないようになっています。外的な天一国を通して完成するのです。外的なこの体によって、天と地がすべて破壊されたからです。今や、内外天一国です。天一国時代が到来し、平和統一王国時代が到来し始めるというのです。

16 皆さんは、父母の前に子女の名分、国の前に忠臣の名分、世界の前に聖人の名分、天地の前に聖子の名分を備えることができなかった子女の道理を、皆さん一代で完結しなければなりません。皆さんは祝福を受けましたが、すべて個別的です。皆さん個人がエデンの園で失ったものを探し出すためには、父母の血統を連結した一つの血族として、父母に代わり、息子、娘の道理を中心として、孝子の家庭、忠臣、聖人、聖子の家庭を備えなければなりません。

そのようにして、どの家庭、どの国、どの民族にも、世界、地球星のどこにも境界線、限界線がない、父母様が自分を主張できる解放、釈放の基盤の上で、自由天地のごとく活動できるように、皆さんの家庭と国と天地に一元化され、愛の血統で連結された解放天地をつくらなければなりません。そのようにしてこそ、地上・天上天国が解放され、神様に侍ることができなかったところから復帰完成した億千万世の太平聖代、億万歳と褒めたたえ得る太平時代が来るというのです。

ですから、天宙平和統一王国を完成するのも「私」であり、天一国の王権を完成するのも私だというのです。私の家庭だというのです。皆さんの家庭が、そのような責任を果たさなければなりません。

天宙平和理想モデル摂理安着時代

17 二〇〇六年の標語は、「天宙平和理想モデル摂理安着時代」です。摂理安着時代の中には、摂理家庭安着時代、摂理国家安着時代、摂理世界安着時代、地上天国安着時代まですべて含まれます。天宙平和理想モデル摂理安着時代で、その摂理の中では、モデル摂理家庭安着時代、モデル摂理国家安着時代、モデル摂理世界安着時代まで一つになっているのです。

18 二〇〇五年に、真の父母様が百二十カ国を巡りながら語ったみ言の題名が、「神様の理想家庭と平和世界のモデル」です。それが二つとも成就されていません。神様の理想家庭というとき、堕落した世界でその理想をどのようにして探し出すのでしょうか。

平和世界のモデルというのは、「終わりの日」に、新しい世界の新しい建国理念を中心として出発できる内容です。世の中に数多くの歴史を経て家庭モデルが一つ現れ、地上・天上天国のモデルが一つ現れてくるので、「神様の理想家庭と平和世界のモデル」と題名を定めました。そこには歴史がすべて入るのです。

19 「天宙平和理想モデル摂理安着時代」が二〇〇六年の標語ですが、モデル家庭時代は旧約時代を意味します。次に、モデル国家時代は、イエス様の時代である新約時代を意味します。その次に、モデル世界時代は、霊界と肉界の統一世界時代である成約時代を意味するのです。

再臨主が闘争と争いなしに難なく突破し、天宙平和理想モデル摂理安着時代を発表したのですが、これがどれほど素晴らしいことか分かりません。家庭安着時代も過ぎ去り、国家安着時代も過ぎ去り、今や世界安着時代だけが残っているのです。

天宙平和天一国太平聖代億万歳

20 二〇〇七年の年頭標語は、「天宙平和天一国太平聖代億万歳」です。天宙平和連合は、統一教会が今、展開している世界平和運動の主題です。「天宙平和連合」という言葉は、神様が暮らせる地と家を意味します。人にはまだそれができていません。神様が暮らせる家と地、あるいは万物が連帯的責任を負っているのですが、万物は、神様が家を建てて暮らすのに必要な慰労の対象です。愛の象徴として重要な物だというのです。万物は、それぞれが個性真理体として、どんな存在でも自分自身を誇らないものがありません。優劣に関係なく、すべてそうなのです。

しかし、人間は、自分を誇る人をたたえることはありません。温柔、謙遜でなく、自分を中心として考える人には、「後ろに下がりなさい」と言います。しかし、自分を離れて公的なことを考える人には、「福を受けてください」と言うのです。神様も、そのような人を好むというのです。

21 二〇〇七年の標語は「天宙平和天一国太平聖代億万歳」ですが、何が太平聖代なのでしょうか。いくら天一国があっても、神様の創造本然の理想、神様と共に暮らせる環境がなければ、天一国の意味がないということです。環境的内容が具備されなければ、そうだというのです。美人だとしても、美人としての身なりを整えてあげてこそ、美人としての価値を感じるのと同じように、天一国がいくら良くても、神様が暮らしたいと思う家として、内外の内容を十分に具備し、誰でも入って暮らしたいと思うことができなければならないというのです。

そして、息子、娘として永遠に暮らしたいという思いをもてる、情にあふれた所にならなければなりません。その情をさらに与え、情を輝かせることが、神様の創造、天宙平和創造の理想の境地だというのです。そのような美しさが内外に満ちあふれていることが理想なのですから、どんな人でも慕わざるを得ないほど良い所だとすれば、太平聖代になるのです。

天宙平和の起源である神様に侍って暮らす家から、平和が訪れるというのです。そのような意味で、「太平聖代」という言葉は、幸福が途絶えることなく永遠に続く誇らしい時代、誇らしい世界だということです。億万世、億万年にわたって喜びの解放権限をもち、誇りをもって暮らすことができるのです。

22 「天宙平和天一国太平聖代億万歳」という標語で語っている太平聖代の時代が、私たちの生活圏を既に通過しています。天運が通過しています。その通り過ぎる運勢を、私は知っているのです。ですから、今、皆さんが大革命、大変革を起こし、入れ替えるべき問題とは何でしょうか。

お父様一人を信じて従っていくことは、歴史的な証人たちを立てるだけで、いつでも歴史時代に再現できます。お父様が去ったあと、皆さんはどうするのかというのです。今、知って、聞いて、またそのもろもろのことが事実ならば、どのようにすべきなのでしょうか。神様がいらっしゃることができる宮があるという事実、祖国があるという事実、郷土があるという事実を忘れてはいけません。

しかし、その祖国が、私の望む祖国の形を備えることができず、郷土も、私が願う基準になっていません。私が頼みたいことは、私が旅立つとしても、私が願うとおりに、より次元の高い祖国を創建し、より美しい理想郷を残せるようにしなければならないということです。

天宙平和連合天一国双合七八禧年(チルパルヒニョン万歳

23 二〇〇八年の年頭標語は、「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」です。「天宙平和連合」と「天一国」という言葉が入りました。神様が求める国は、二人、二つの組、二つの内外、二つのクラブが統一された国、天一国です。天宙というのは、天の国と地の国の主人たちが暮らせる家です。

24 二〇〇八年の標語である「天宙平和連合天一国双合七八禧年万歳」に、「七八禧年」という言葉があるのですが、まだ禧年は終わっていません。二つの世界の七八が一つになって万歳をすることによって、九数は問題なく越えていきます。九数が私たちのものになるというのです。そして、十数、十一数、十二数までですが、十二数は六数と六数を合わせた数です。

前編の一から六までと後編の七から十二までが、カイン・アベルのペアになって、ギアがかみ合い、回っていくように、一つの統一的運勢圏に越えていくのです。ですから、双合七八禧年万歳です。

25 二〇〇八年の年頭標語を通して、双合七八禧年を発表することにより、七数から八数に越えてきました。真の父母は神様の代身者です。神様が真の父母を信じ、この地上に来臨するのです。父母が中心ではありません。中心は神様です。天宙平和連合天一国双合七八禧年時代が来たと宣布したのですが、そこの王の中の王は、真の父母ではなく神様です。真の父母は責任を完遂し、この地を離れなければなりません。ですから、一日が忙しいのです。千年、万年、待てる余裕がありません。そのようにできる日を千年の希望のDデー(D-Day)として定め、祈り、願わなければなりません。

原理は、何の原理でしょうか。神様を解放しようというのです。真の父母は既に解放されています。しかし、数多くの人を救ってあげる責任が残っているので、一つの生命でもサタン世界に残さず、解放してあげ、神様を立てることによって、解放を公認されなければなりません。そのようにできるその日が、父母様の生涯の決定的なDデーだというのです。

天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代

26 二〇〇九年の標語は、「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」です。絶対「性」とは、一人で成し遂げられる言葉ではありません。神様が男性格主体であるだけでは、絶対ではありません。相対的な何かがなければならないのです。天地父母天宙安息圏に入らなければならないのが絶対「性」ですが、天だけではできません。神様が一人で絶対「性」と言うことはできません。ですから、絶対「性」の中で相対的な存在になろうとすれば、どんな属性を備えなければならないのでしょうか。絶対「性」の前に必要なものとは何でしょうか。唯一です。

絶対になろうとすれば、二つではなく一つ、唯一でなければなりません。その次に、変わってはいけません。絶対の前には唯一がなければならず、永遠がなければならず、不変がなければなりません。絶対だけでは駄目で、唯一でなければならず、不変でなければならず、永遠でなければなりません。絶対を支えてあげられる重要な属性が必要だというのです。一番重要な中心属性である絶対には、唯一がなければならず、不変がなければならず、永遠がなければならないのです。

27 「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」の「血統権」の「権」は、「圏」の字ではなく、力のことを意味します。最高の理想的な力としての「権」の字を書くのです。「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」、そこにすべて入っています。

統一教会の結論は、蘇生、長成、完成を通してそれらが一つになり、第一次のアダム時代旧約時代、第二次のアダム時代新約時代、第三次のアダム時代成約時代、第四次アダム時代を経て、心情圏世界に安着してこそ、整理が終わると考えるのです。

その結論を出すのが易しいことでしょうか。旧約時代は蘇生時代であり、新約時代であるイエス様の時代は長成時代であり、成約時代は完成時代として、世界を一つにして天の国まで行くのです。そうして、天の国に住む神様に侍って暮らそうという、第四次安息圏安着時代を夢に抱いているのです。

28 「天地父母天宙安息圏絶対性真の愛真の生命真の血統権勝利宣布時代」において、安息圏は個人、家庭、氏族、民族など、八段階の安息圏があります。レベルがすべて違います。八段階は種類が違うのですが、父母様がこの八段階をつなげたのです。父母様の腹中生涯から、神様解放圏の位置までつなげました。

アベル国連を中心として、神様と父母様の王国連圏が出てくるようになれば、統一天下を中心として一つにならざるを得ません。勝利した真の父母国連、一つの血統を中心とした理想世界統一解放・釈放永遠太平聖代になるのです。人類の祖国と本郷の地を完成したというのです。

真の愛天宙安息権清心一萬勝一(せいしんいちまんしよういち)萬歳

29 二〇一〇年の標語は、「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」です。清心一萬勝一は、流れていく話ではありません。きょうの勝利的な転機を迎える表題が「真の愛天宙安息権清心一萬勝一萬歳」です。天の代身者の権限と相続権が与えられる時間なのです。

30 二〇一〇年を迎えての特記事項は、「新・旧暦を統一する時代」だということです。今や陽暦は必要ありません。陰暦は、千歳暦を中心として千年の歴史になっていて、万年の歴史になっています。陰暦は伸びたり縮んだりします。しかし、陽暦はそのようにはなりません。陰暦は三年に一度ずつ、十二カ月が十三カ月になるのです。それで、十三数になることもあるのですが、十三の峠を越えるのは難しいのです。

十三の峠を越えれば、新天地になります。神様によって「あなた」と「私」が出発したので、神様を中心として、カインとアベルが平和に家庭と一族をつくることができます。一族を七代や八代までつくれるというのです。

天惰父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳

31 二〇一一年の標語は、「天情父母地和子女定着終最一体完了天宙定着天一国萬歳」です。新年に天地が一体的統一の心をもち、神様の祝福と万民の祝福を受け、万天宙に宣布し、分別してください。

32 二〇一一年二月三日のきょう、天地、霊界と肉界の勝利的覇権の権限をもった父母様が、天地全体を連結し、勝利の覇権的王の位置に立って、二〇一〇年十一月四日、「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」で語ったみ言を、父母様の生涯路程全体を中心とする教材教本を代表するみ言として宣布します。そこで語ったみ言の中には、第四十四回「真の神の日」のみ言と、神様王権即位式で語ったみ言がすべて入っています。ですから、もはやみ言を語らなくてもよいのです。

父母様は死んだ人ではありません。表象的な銅像ではありません。生きた人として、全体勝利の覇権的王座の旗をこの地上に掲げて登場できる、新しい時代に出発する日がきょうなのです。

33 天宙の中心になる核と柱である天地父母、真の父母、天宙の善王、子孫たちが一体になり、無限な大宇宙の愛によって咲き始める永遠の理想祖国、永遠の霊界と共に生きていける地上・天上天国を創建しなければなりません。そうして、天の父母と地の父母が一心一体になり、真の愛の種を万国万海、天地のどこにおいても、祝福を受けた天の民たちが、真の愛によって蒔いたものを養育することを(願い)、父母の愛と夫婦の愛と兄弟の愛の花の種から芽が出たものを育てることを願います。

そうして、永遠無窮な天宙の真の父母の血統と連結された、すべての父母と兄弟が一つになり、永遠無窮に真の愛の結実をもって生活し、守ってあげられる標準として生きることを願います。真の父母様の名で、地上と天上における一心一体となった実体の一つの中心、一つの核と一つの柱を中心として、永続的な天国理想を拡大し、守っていくことを願います。

天地人真の父母勝利解放完成時代

34 二〇一二年の標語は、「天地人真の父母勝利解放完成時代」です。天地人真の父母は一つであって、二つではありません。皆さんは一つになった場で、皆さんの生涯のプログラムを再び組んで、父母様と一緒に歩調を合わせていかなければならないので、自己の所有はすべて天に捧げなければなりません。そうして、天から再び返してもらうのです。

今回、Dデーの父母様の結婚式の時に、天の国の印を父母様が受けて、皆さんに分けてあげるので、皆さんの八代がこのみ言の中で一つになって、同化、同族、同権の時代に越えていかなければなりません。そのようにしてこそ、天地人真の父母の定着が終わるのです。それでこそ、思いどおりにできるのであって、それができなければ、永遠に引っ掛かります。どんな困難があるとしても、それぞれの家庭がこのような実績を残さなければならないと話しました。父母になり、先祖になる人々は、必ず三代を経て浄化することを忘れてはいけません。そのようにしなければ、天地の道が遮られ、塀で塞がれるようになります。

35 皆さんは、二〇一二年一月二十八日、真の父母様の御聖誕日であるきょうから、前後左右、全体の環境条件を越えていかなければなりません。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代をすべて越えなければなりません。最後に引っ掛かったものを、死生決断し、全力投球して越えなければなりません。皆さんは入籍問題を解決しましたか。

皆さんが「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」の冊子を見て分かるように、教本教材がすべてできています。現時点において自分がいる所で願うことが、大韓民国を越え、アジアを越え、世界を越えて、天地を越えていかなければなりません。今や、天地人真の父母の勝利圏と解放圏と完成圏を越えた時代に入るのです。ですから、息をすることから変わらなければなりません。歩き方が変わらなければなりません。

36 二〇一三年、天暦一月一日、元日一と「真の神の日」を迎えました。今や、私たちは天の父母様を敬い畏れながら、高く奉ってさしあげなければなりません。そして、地の果てまでみ言を伝えなければなりません。聖書にも、み言と鉄の杖で万国を治めなければならないとあります。それはどのような意味でしょうか。伝道しなければならないということです。

神様がお住まいになる国が必要です。天の父母様がお住まいになれる国です。国ができるには民が必要です。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか。伝道しなければなりません。神氏族メシヤの使命を果たさなければなりません。残された生涯において、皆さんはこれをしなければならないのです。これができなければ、霊界に行って、真のお父様にお会いする面目がありません。真のお父様が、「私が地上でこのようにあなたたちに教え、お母様までもあなたたちにこのように切実に頼んだのに、なぜしなかったのか。このことはあなたたちだけでなく、あなたたちの子孫のためにも、必ずしなければならないことである」と言われるでしょう。

創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう

37 二〇二〇年まで私たちが携えていくべき標語は、「創造主、天の父母様に似た、真の愛を実践する天一国の真の主人になろう」です。私たちは、日々生活する中で、天の父母様を忘れてはいけません。私たちが地上生活をする間、創造主であられる天の父母様が造られたこの地上界が、きちんと保存されなければなりません。ですから、私たちの使命は、伝道をして人々を教育することです。堕落した人間を復帰しなければならないということです。私たちがすべきことは伝道です。

その次に、天の父母様が全力を尽くして創造されたこの美しい自然を、きちんと保全しなければなりません。人間の無知によって、今、世界の至る所で、どれほど多くの被害を受けているかを考えてみてください。今日の私たちがあまり被害を受けていないからといって、立ち止まっていてはいけません。この人間の無知を悟らせて、環境をきちんと保全しなければなりません。死にゆく地と海を生かさなければなりません。それを私たちがしなければならないのです。ですから、天の父母様のように真の主人意識をもって、みな一つになり、互いに協助しながら、このことを必ず成し遂げなければなりません。

38 すべてのことにおいて責任意識がない人は、流れていってしまいます。真の主人、これは私たちが二〇二〇年まで、この国の復帰と世界の復帰のために、一日も、一時間も、一分一秒も忘れてはいけないことです。考え、また考えて、天の知恵を借り、人間としてできるあらゆる方法と能力を動員して、変えておかなければなりません。私たちが変えておかなければ、私たちの未来はありません。

私たちは、統一の一家族です。どこにいても、心を一つにし、志を一つにして、この目的を達成しなければなりません。そうして、創造主、天の父母様が私たちを信じ、喜ばれる実績を、毎月、毎年、より大きく、高くお返しする真の孝子、真の孝女、真の忠臣になろうというのです。ただ行ったり来たりする人になってはならず、すべてのことに責任をもった立場で、主人意識をもち、責任ある行動をしなければなりません。

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