真の父母経

第五篇 第三章

主要な名節の宣布

この章の目次

第一節 「心情復活の日」と「実体復活の日」宣布

「心情復活の日」「実体復活の日」宣布の背景

真の父母様は、三子女の祝福式を執り行った翌日の一九六〇年四月十七日を「心情復活の日」、一九六一年四月十七日を「実体復活の日」として宣布された。真の父母様の聖婚式以降、心情復活、実体復活、万物復活の基台を築き、失ってしまった神様の心情圏を実体で復活させることによって、「父母の日」を通して子女と万物を探して立てたのである。

1 本来、「父母の日」は、「心情復活の日」と「実体復活の日」が宣布されたあとに現れなければなりません。復活の過程を探ってみると、心情復活、実体復活、万物復活となっていきます。太初に神様は、人間の堕落によって万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、心情を失ってしまったので、逆に心情復活、実体復活、万物復活をしてこられるのです。それを通して、「父母の日」と「子女の日」、そして「万物の日」が探し出されるのです。

これを成し遂げるために、お父様自身が茨の道を歩みながら蕩減してきました。このように蕩減条件を立てたので、サタンの讒訴条件を免れて、祝福された「父母の日」を設定することができたのです。

2 人類始祖であるアダムとエバが堕落することによって、「父母の日」と「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を立てることができませんでした。それで、統一教会では、これらの日を定めたのです。このような事実は、歴史上、空前絶後の出来事です。

「神の日」や「子女の日」は、何の価値もない日ではありません。「子女の日」が現れるためには、堕落したすべてのものを復帰しなければなりませんでした。堕落することによって心情的問題に引っ掛かり、実体的問題に引っ掛かり、それから天使長に引っ掛かりました。堕落した順序を見れば、天使長が問題になり、それから体と心を通して心情まで問題になりました。すべて引っ掛かってしまったというのです。このように、すべて引っ掛かっています。

これを復帰するためには、神様と一致する心情をもって現れなければなりません。ですから、統一教会には「心情復活の日」があるのです。「心情復活の日」が宣布されなければなりません。心情復活が先です。堕落は、サタンと人間の体が一つになることによって、心情が被害を受けたのです。ですから、復帰路程では、反対にしなければなりません。「心情復活の日」を先に宣布し、それから「実体復活の日」を宣布しなければなりません。

3 一九六〇年に聖婚式をすることによって、父母の立場を縦的に決定しました。ですから、復帰の過程を経る皆さんは、そのような形の道を歩まなければなりません。それで、「父母の日」を設定して、横的な立場で「子女の日」を宣布するようになったのです。そうして、父母様を通して、み言復活、心情復活、実体復活が出てきました。このようになったので、初めて一人の男性を中心として祝福を成し遂げ、新しい歴史時代へと入っていけるようになったのです。そうして、皆さんに対しては父母になったので、皆さんを新時代の息子、娘として祝福してあげるのです。

ですから、皆さんは、蕩減路程において、父母様のように実体復活の過程を経なくてもよいというのです。父母様がそれをすべてつなげてきたので、父母様に付いていきさえすれば、皆さんはサタンの讒訴を受けずに進んでいけるのです。

4 アダムは、心情世界が不十分な立場で堕落しました。神様の心情を知らずに堕落したのです。心情を体恤してきた人は、この歴史時代においてイエス様しかいません。しかし、イエス様は心情復帰の基準を立てることができませんでした。アダム一人が神様の心情を蹂躙したのではなく、アダムとエバが共に蹂躙したので、彼らか心情的に一致するまでは、神様の心情解放の基準を立てることができないというのです。ですから、イエス様が再び来て、心情復活圏をつくりあげなければなりません。

キリスト教が二千年間、ありとあらゆる犠牲を払ってきましたが、このような理念をもった原理と天理を通した心情的背景を備えて、「今から神様の心情を解いてください!」と言える基準は現れませんでした。ですから、このような夫婦が現れてこのようなことをしてこそ、神様の心情解放が起き、それにより、天の国の「心情の門」が開くとともに、人間の夫婦においては、真の心情の天国型が(ここから)始まるのです。

5 神様の心情的壁をつくったことに対して、一人の男性と一人の女性が蕩減条件を立てることにより、心情的基準と心の方向が一致した立場で、「あなたが背負った十字架を代わりに引き継ぎ、個人と家庭と氏族と民族と国家と世界を中心として、実体的に闘って勝利いたします」と言うことができなければなりません。それにより、神様の心情世界から人間の心情世界へと移されなければなりません。それは、アダムとエバが堕落したので、人間の先祖の立場から解かなければならないのです。神様を解放し、神様の心情的十字架を解かなければならないというのです。

そのためには、心情的な受難の道を通して、愛の十字架を担おうという夫婦がいなければなりません。その十字架を背負って、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的峠を越えなければなりません。そうして、その峠を越えたと宣言する日がなければならないのです。「神様が子女を愛し、万物を愛するように、この二人が、そのようにいたします」と言わなければなりません。それで、一九六〇年四月十一日の父母様の聖婚式が過ぎて七日目となる四月十七日を期して、「心情復活の日」を宣布したのです。天と地上に心情復活を宣布した日です。人間世界に残された心情問題さえ世界的に解決すれば、地上天国と天上天国は必ず成し遂げられるのです。

6 地上に顕現する神様の愛を中心とした心情的復活圏を成就しなければ、完成の基準を立てることはできません。そのような復活を中心として、統一教会で「心情復活の日」を宣布しました。その心情復活を基盤にしなければ、実体復活を探し出す道がありません。

結局は、心情と神様の愛を中心として、心が神様と一つになり、その一つになった心と神様の愛を中心として、体が一つにならなければなりません。横的に体が心情圏を形成するためには、今までサタン圏内から侵犯されていた讒訴基準を超越しなければならないのです。越えなければなりません。ですから、実体復活圏を成就しなければ、神様の心情を横的に連結させることはできないのです。一九六〇年と一九六一年にそれぞれ「心情復活の日」と「実体復活の日」を宣布することによって、初めて完成したアダムならアダム、完成したエバならエバが、ここから現れることができるというのです。

心情復活と実体復活

真の父母様は、「心情復活の日」について、六千年を通して初めて、神様と人間が公式的に心情の紐帯を結んだ日であることを強調された。そして、すべての人間は、再び誕生する実体復活の条件を立ててこそ、祝福を受け、神様のみ前に立ち得る恩賜圏内に入ることができると語られた。

7 私たちは、いずれにしても心情の門を通過しなければなりません。心情の門を通過したという条件を立てなければ、復活できません。イエス様も、心情の問題を解決できなかったので、天国に入れませんでした。ですから、一番目も心情であり、千番目、一万番目も心情です。この心情の門を開いてこそ、天国の門が開かれるのです。天国の門が開かれる日、その体と心と心情に傷を受けていない人が天国に入っていけるのです。

8 復活するには、私たちの心情が問題です。天の願いどおりに、現実において価値のある昧を出す人にならなければなりません。今まで復活を完結したという人が天にも地にもいなかったのに、この哀れな民族が暮らす韓半島から復活が成し遂げられるということは、頭を下げて感謝しなければならないことです。この基準を達成した人がいるとすれば、その人は億万のお金とも交換できない人です。

その人は、すべてを失ってしまった人のようですが、すべてをもっている人です。心情の主導権を握って来られる父のみ前に、喜びと幸福と楽しみをお返しする息子であり、娘です。ですから、私たちは、その人の心情世界につながらなければなりません。神様は私たちの父であり、主は私たちの新郎です。

神様は、私たちに慕わしさと「神主義」と忠誠を教えてくださいました。今から私たちは、父子の心情、夫婦の心情、君臣の心情をもって、主義を統一させていかなければなりません。その父の名のもとでは、互いに赦せないことがなく、曲折が残ることがありません。新郎の名によっては、譲れないことがないのです。一人の君主の名のもとで忠誠を尽くすのですから、一つにならざるを得ません。これが心情復活の総結論です。

9 アダムとエバが堕落する時には、神様と心情的基準が一致していませんでした。ですから、それ以上に上がらなければなりません。神様の命令であれば何でもやらなければならない、地上のあらゆるものを断ち切ってやらなければならない、とひたすら思わなければなりません。このような自覚が生じなければならないのです。すなわち、心情復活の段階がなければならないというのです。ですから、父母様がこの道のために、心情復活式をしたのです。

10 皆さんが、実体復活できる存在になろうとすれば、歴史的な基準を蕩威し、現実の闘いで倒れずに勝利しなければなりません。そうしてこそ、実体復活ができるのです。そのようになる日が「実体復活の日」です。この地に、イエス様の使命を受け継ぎ、神様の心情を受け継いで来られる方がいらっしゃるとすれば、その方がこの世界の主人公です。実体復活は心情まで通じなければなりません。その日は、天地が回っていく日です。

「実体復活の日」が現れるためには、実体の父母がいなければならず、実体の子女を立てなければなりません。皆さんは、実体復活を通じて栄光の立場に進んでいかなければなりません。そのためには、血みどろの闘いをしなければならないのです。そうして、栄光の主権を立てなければなりません。この道は、死のうと生きようと行かなければならなこなのです。

11 統一教会に来ると不思議です。いっそのこと荷物をまとめてきて、教会にずっといたいと思うのです。家から荷物をまとめてくることが、どれほど希望に感じられるか分かりません。ですから、逃げるようにして来るということがなければならないのです。そのように感じ、そのようにしなければなりません。そのようになれば、それが実体復活です。体が天の領域に入ったという切符をもらうのです。実体復活圏だというのです。そのように心情復活と実体復活圏がつくられてこそ、神様の愛を通じた血統的絆の連結が出発するのです。

第二節 「父母の日」宣布

「父母の日」宣布の背景

一九六〇年、陰暦三月一日(陽暦三月二十七日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で挙行された真の父母様の約婚式は、事実上、真の父母様がこの地に顕現された日である。そのため、真の父母様は翌年、一九六一年、陰暦三月一日の約婚記念日を、「父母の日」として発表された。また、一九九四年の第三十五回「父母の日」には、主要な名節に「真の」の字を付けて「真の父母の日」のように称すると語られた。

1 神様は、「神の日」と「父母の日」と「子女の日」をもてませんでした。神様が目指される創造の理想は、心情一体です。神様、アダムとエバ、子女に続く心情的な一直線を形成するためのものが、創造目的です。神様は、調和の道理を立てて創造されました。したがって、神様は、再創造の方法とその設計も、この原則によってされるのです。神様は、「子女の日」をもつと同時に「父母の日」と「神の日」を立て、万民が祝う日をもってこそ、すべての記念日を完結するようになるのです。

2 「父母の日」は、歴史時代に父母が誤ったすべてのことを、霊的、肉的に蕩減した勝利基盤の上でのみ設定されます。アダムとエバが真の父母にならなければなりませんでしたが、彼らが堕落することによって、メシヤであられるイエス・キリストが来て、イスラエル選民圏を中心に、国家的基準で真の父母の基盤を築かなければならないのです。これが原則です。

3 真の父母が、この地上で真の父母として立っためには、必ず実力で勝敗を決しなければなりません。真の父母としての資格を備え、勝利しなければならないのです。まずサタンを屈服させ、その次に霊界に行って、養子の父母を屈服させなければなりません。このようにして、蘇生、長成、完成の父母の三代の歴史を経ていかなければなりません。そのようにしたのちには、この地上に子女の立場で生まれた人間を救える心情的内容や、生きる道を開いておける全般的な条件を備えなければなりません。そのようにしなければ、父母になることができないのです。

この地上の人間が、なぜこのようになったのでしょうか。父母が誤ったからです。ですから、その父母には、死んだ子女を生かさなければならない責任があります。それゆえ、子女を生かす方策を立てなければ、父母になることができません。したがって、歴史過程は、蘇生、長成、完成の三時代の父母の歴史を経てきます。その中で最後に残る父母は、肉界でも霊界でも、サタン世界で勝利の決定権をもって現れる父母なのです。

4 天と地が統一されなければ、すなわち、霊的な世界と地上世界が統一されなければ、完全な統一を実現することはできません。いくら偉大な人物が出てきて世界を一つの思想で統一しようとしても、天倫の法度が残っており、神様が厳然と存在する限り、それは妄想にすぎません。

今日、統一が実現できない原因はどこにあるのでしょうか。すべてのものが塞がっているからです。これを崩すまでは、統一が実現されません。心情の基盤から心の基盤、生活の基盤だけでなく、存在するすべての世界で隔たりがあり、溝ができているので、それを清算しておかなければ、統一されないのです。清算すべき溝は、地上だけでなく天上世界にまで無限に連結されていますが、この溝を何によって打開するのでしょうか。これは人間に責任があるので、人間が解決しなければなりません。ですから、主がこの地上に来るためには、塞がった霊界と無限の闘争をしなければならないのです。

今日、地上に統一的な世界観が立てられつつあるのも、実は霊界で統一的な役事(働き)が起こっているからです。その霊界の役事が地上に反映され、実体的な現実として展開されています。統一は、どのように成し遂げられるのでしょうか。地上に「父母の日」を立てることによって成し遂げられるのです。「父母の日」は、天地の間に勝利を決定する日であり、神様が願ってきた勝利の日として立てられる日であり、人間が願ってきた歴史的な実を結べる日であり、万宇宙の失われた主人を探し出せる日なのです。

5 今まで、善の中で現れるべき真の父母の血統がこの地上に現れなかったので、今日、人類は孤児のような立場にいます。すなわち、サタンの息子と娘であり、怨讐の息子、娘として生まれたというのです。しかし、神様の愛の法度から見て、人間は天の国に帰ることができます。ところが、サタンが人間を鉄の鎖で縛り、(天の国に)行けないように蹂躙しているというのが今日の状況です。その鉄の鎖を切ってしまい、最後の生死を決断できる人類の希望の起点が「父母の日」です。

6 真の父母は、(男性と女性の)二人がいなければなりません。二人いなければ、真の父母の基準の上に立つことができません。そして、霊的な闘いで勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の真の父母が立てられなければ、実体世界で勝利の基準が立てられません。いくら霊界で勝利の条件を立てたとしても、地上に真の父母が立てられなければ、霊的世界の足場に該当する基盤を、この地上に築くことはできないというのです。ですから、今後、来られる真の父母は、このために生命を捧げ、地と天に代わって闘っていかなければならないというのです。このような闘いの期間が、四十年の期間です。

真の父母は、この四十年の期間にどんな闘いを経なければならないのでしょうか。まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次に、地上で実体的な試練を経なければなりません。その中でも倒れることなく、中心をもって進み出て、初めて霊肉合わせて真の父母を立てることができるのです。すなわち、六千年の摂理歴史の願いを果たせるということです。「父母の日」は、霊肉合わせて真の勝利の基点を定めた日であり、真の父母の理念が出発した日です。

「父母の日」の意義

アダムとエバが神様を中心として真の父母になっていたならば、その時、「父母の日」が立てられていたはずである。しかし、アダムとエバが堕落することによって立てられなかった「父母の日」を取り戻すため、神様は今まで摂理してこられた。このように「父母の日」は、アダムとエバが誤ったことを、真の父母が霊的、肉的に蕩減した勝利基盤の上で設定されたのである。

7 メシヤとは、神様の愛をもって体と心が一つになった、本然の理想的な男性の型を備え、堕落性を超越した立場で来られる方です。そのような方が一つの中心となり、世界の人をそれと同じように育て、天国に入らせるために来られるのです。そのメシヤは、何を探し求めなければならないのでしょうか。

メシヤは新郎として来られるのですが、新郎は新婦を探し求めなければなりません。新婦はエバです。エバを失ってしまったので、メシヤはこの地上に来て、エバを探し出さなければなりません。統一教会では、「真の父母」という言葉を中心として、歴史上、初めて「父母の日」を発表しました。神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦になる「父母の日」を設定したのです。神様を中心として、男性の体と心、女性の体と心が、水平線で完全に一つになり、神様が願った理想的な完成圏が出発した日が「父母の日」です。

8 人間始祖が堕落したので、今、この地球上には神様が愛し得る直系の子女が存在せず、養子たちだけがいます。神様も、天地間の偉業を相続させてあげなければならないのですが、血統が違う養子だけがいるので、たやすく相続させてあげたいと思うでしょうか。父母であれば、突然現れた他人の子女に、天地間の偉業を相続させてあげたいでしょうか。それは、本来の創造の原則に外れることなのです。天地創造の原則は、本来の息子、娘に偉業を相続させるようになっています。

本来の息子、娘を取り戻すためにあったのが今までの歴史です。神様の実の息子の使命と資格を備えてこられる方が再臨主です。ですから、最高の新婦は、再臨主の妻になる人です。彼らは、人類の真の父であり、真の母です。そのような父と母が出てきたあとは、その方々の息子、娘が出てこなければなりません。この父と母が現れる日が、正に「父母の日」です。この日は、統一教会における誇らしい日です。今、ようやく歴史上に「父母の日」が現れました。失われた神様の栄光を代わりに現し、人類の勝利をたたえ、悪に対して公義の法度で裁きの権限を行使できる、私たちの父母が現れたというのです。これが、この地上では福音の中の福音です。

これを宣布したのが「父母の日」なのですが、(この日が)正に陰暦の三月一日です。人間が堕落しなかったならば、(今日の)私たちに「父母の日」は必要ありません。アダムとエバが堕落せずに子女を生んだとすれば、その子女たちがアダムとエバを「お父さん、お母さん」と呼ぶその日が「父母の日」であり、「神の日」だったでしょう。

9 私たちは「父母の日」を立てましたが、この「父母の日」が、統一教会だけの「父母の日」になってはいけません。私たちだけが迎える「父母の日」になってはいけないというのです。世界万民が迎える「父母の日」にならなければなりません。この日には、万世の恨が積もった峠を越えるために、今も呻吟している父母様の心情が宿っています。ですから、切迫した心情を抱き、この罪悪の世界を破綻させ、解放のラッパの音と解放の歓声が天地に満ちる、その一日を迎えられるようにしなければなりません。

私たちは、このような解放軍としての使命を果たさなければならないのです。そのようにしなければ、その父母の息子、娘として「忠孝の道理を果たした」と言ぅことはできません。この日は、統一教会の垣根の中の少数の群れだけが祝える日ではなく、万民が祝える日です。すべての歴史にわたって、永遠にたたえることができる日です。未来の万民たちが、誇らしい日、喜びの日、栄光の日として永遠に記念し、たたえることができる日なのです。

10 皆さんは、「父母の日」を本当に自分の「父母の日」として立てなければならず、皆さんの家庭の「父母の日」として立てなければならず、社会の「父母の日」として立てなければならず、国家の「父母の日」として立てなければなりません。そのようにしてこそ、世界の「父母の日」として立てられるのです。

世界の「父母の日」として立て、天宙の「父母の日」として立ててこそ、本来、神様が真の父母を立てようとした創造理念が完結し、人間が堕落することによって「父母の日」を立てることができなかった恨が解怨されるのです。さらには、この天上天下に「父母の日」を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるというのです。

第三節 「子女の日」宣布

「子女の日」の意義

真の父母様は、一九六〇年、陰暦十月一日(陽暦十一月十九日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、感謝祭礼拝を自ら主宰され、翌年、この日を「子女の日」として公布された。「子女の日」が決定されることにより、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を抜き取ってしまい、人類を悪から解放できる起源がつくられた。この日は、堕落人間たちが歴史始まって以来、初めて子女として勝利し、神様の宇宙的な栄光の場に同参できるようになった記念の日である。

1 神様は、「父母の日」が立てられることを六千年間、待ち望んでこられました。本来は、堕落した人間の子孫たちが待ち望むべき日であるにもかかわらず、かえって創造主であられる神様が、六千年間、その日を待ち望んでこられたのです。ゆがんだ歴史が始まったその日から、数多くの峠の道で、神様には悲しいことも難しいことも多くありましたが、その中でもたった一つ願ったものが「父母の日」でした。

その日が探し出されることによって、神様は御自身が共にいられる人類の真の父母を立てて、「あなたたちは人類の真の父母である」と命名できるようになるのです。そうして、神様が立ててくださる父母の名をもって出てくることによって、父母の祝福の基準が立てられます。ここにおいて真の子女が立てられるようになり、それによって、地上で「子女の日」を迎えることができるのです。

2 一九六〇年、「父母の日」(一九六一年に宣布)を設定したあと、「子女の日」を設定しました。人類の父母が登場するとき、子女も決定されるのです。子女を決定する場に進む前に、父母の出発線があるというのです。

しかし、復帰路程では、父母だけでなく子女の縁も固めなければなりません。横的な縁である子女を中心として見れば、「父母の日」がまず出発し、「子女の日」はあとから出発しなければなりませんが、復帰しなければならない立場では、「子女の日」が先に出発し、「父母の日」はあとから出発するのです。横的な基準で「父母の日」を設定し、「子女の日」を宣言したのです。そうして、天地の間の歴史が始まって以来、初めて「子女の日」が現れるようになりました。

この日は、天地の間に勝利の歓声を上げることができる日です。この日が設定されることによって、霊界は時を迎えたので、絡まっていたものがほどけていきます。ですから、この地上の悪の勢力は、次第に消滅していくのです。

3 「子女の日」を迎えれば、どのようにしなければならないのでしょうか。まず、皆さんの息子、娘の家に行って宴をし、その次に自分の家に集まって宴をし、その次に、教会に出てきて宴をしなければなりません。このように、蘇生、長成、完成の三時代の形で宴をしなければなりません。象徴復帰、形象復帰、実体復帰の立場に合わせなければならないのです。

息子、娘たちが「子女の日」を迎えることができずに死ねば、天上に恨が残るという事実を知らなければなりません。ですから、私たちの息子、娘を中心として世界を復帰しなければならず、私を中心として楽園に行っているすべての善霊人たちを復帰しなければならず、教会を中心として天地の道理を探し出してこなければなりません。このような三段階の原則を経なければならないのです。

皆さんは、家庭的な環境から、この日を記念しなければなりません。子女たちが、その日が来るのを待ち望めるようにしてあげなければならないというのです。世の中の子供たちが「晴れ着を着て、おいしい物を食べられる、その日がいつ来るのか」と言いながら祝日を待つ、そのように指折り数えて待つ心をもち、「子女の日」が来ることを喜ぶ立場で準備しなければなりません。

4 人間か堕落することによって、父母を失ってしまい、子女を失ってしまい、万物を失ってしまいました。これを蕩減する基準を立てるためには、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を立てなければならなかったのですが、その中でも立てるのが一番難しい日が「子女の日」です。アダムとエバが真の子女になれなかったからです。それでは、真の子女になろうとすれば、どのようにすべきでしょうか。

一つの血統をもって生まれなければなりません。真の子女になるためには、父母の前に孝行の道を全うしなければなりません。孝子は、どんな困難な環境も収拾しなければならず、その環境から認定を受け、父母から認定を受けなければなりません。

神様は、アダムとエバに「万物を主管しなさい」と言われましたが、アダムとエバは、「万物を主管できる」と認定を受けなければなりません。そして、希望の中心として、み旨に責任をもてる子女だという認定を受けなければなりません。父母の心情に一致しなければならないのです。過去と現在、未来に差異があっては孝子と言えません。忠臣と言うこともできません。孝子や忠臣は変質してはいけないのです。孝子や忠臣は、過去を代表し、現在を代表し、未来を代表できなければならず、神様の心情を中心として、時間と空間を超越した立場で認定を受けなければなりません。

「私の誓い」制定

真の父母様は、一九六二年十月二十八日、第三回「子女の日」を期して、全文五節からなる「私の誓い」を制定、公布された。真のお父様は、「誓いとは、神様と未来を前にして約束するものである」と語られた。そのため、誓いを述べようとすれば、神様と心情が通じなければならず、「私の誓い」で各自が真の息子、娘になるという誓いをすることによって、神様と心情一体を成し遂げられることを強調された。「私の誓い」は、一九九四年五月一日に「家庭盟誓」が制定されるまで斉唱された。

5 皆さんが誓いを立てることができるか、一度考えてみてください。今まで神様のみ前に誓いを立てた人はいません。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いを立てようとすれば、心情が通じなければなりません。この誓いは、真の息子、娘になるという意味の誓いです。

① 天宙の中心存在として、父のみ旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。

② 父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なるみ旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。

③ 怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。

④ 父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。

⑤ 我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍(担い手)であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。

このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を懸けて闘うことを私は、宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。

6 なぜキリスト教は再臨思想を語るのでしょうか。それは、神様の愛と生命と血統を中心として、新しい種を受けなければならないからです。アダムとエバが堕落することによって、偽りの種を受けました。ですから、新しい種を受けなければなりません。そのようにしてこそ、新しい種をもってくる真の父母の名をもった真の息子、娘の真の愛と真の生命を中心として、真の血統的論理を中心として、邪悪な世の中を克服して余りあるのです。また、そのような自主的な力をもった民になるのです。

「私の誓い」に出てくる内容のとおりに、私たちは、一つの主権を誇ります。その次に一つの民を誇ります。その次は一つの血族です。それから一つの国土です。この地は、「私」のものです。私たちのものです。人間は、誤って生まれました。誤って生まれたがゆえに、再び生まれさせようとするので、天が加担し、双胎(双子を身ごもること)で摂理するのです。双胎時代です。エサウとヤコブのように双胎です。腹中まで訪ねて入っていくのです。誤って生まれたので、新しい型を通して腹中まで探索して入っていきます。再び生まれなければ救いはないというのです。「重生」という言葉は、キリスト教にだけ存在するのであって、他の所にはありません。

7 皆さんは「私の誓い」を聖日ごとに唱えますが、それを習慣的に唱えてはいけません。この誓いで最も重要なのが五節です。神様を中心とした一つの主権を誇るのですが、一つの国にならなければなりません。ところが、なぜ多くの国になったのでしょうか。愛のゆえです。愛によって、そのようになったというのです。今日、このすべてのものが、一つの愛の道を行けず、様々に枝分かれして自分だけを主張する愛に付いていったために、そのようになったのです。その愛の主人になれる人は、男性と女性です。

個人を愛し、家庭を愛し、国を愛し、世界を愛するという愛の標準が変われば、自然に分かれていきます。ですから、いつでも現世の人が重視されます。男性と女性が分かれることは、愛がないところから始まるのです。

8 「私の誓い」の五節の中に、「一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り」という内容があるのですが、「一つの言語と文化を誇る」というのが、なぜ血統や心情よりも先に出てきたのでしょうか。人は生まれて、言葉を知ったあとに、血統と心情を知るようになるからです。原理原則に従って、すべてそのように書いたのです。

第四節 「万物の日」宣布

献貢(ホンゴン)式と「万物の日」宣布

真の父母様は、一九六三年、陰暦六月六日(陽暦七月二十六日)、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で献貢式を開催された。天の子女の名で、サタン圏に属していた天下の万物を神様のものとして取り戻し、お捧げする儀式であった。真の父母様は、この献貢式を期して、陰暦五月一日に遡り、翌年から毎年、この日を「万物の日」として記念するようにされた。真の父母様は、三年路程の終結宣布の翌日である一九六三年、陰暦五月一日(陽暦六月二十一日を「万物の日」と定められたのである。

1 きょう、献貢日を迎えた皆さんは、今やすべての条件を立てて、国がなく、民がなく、領土がなくて悲しまれる父のみ前に、「これから天国の民を立て得る神様の息子、娘が現れ、その息子、娘が勝利して家庭を築き、家庭を束ねて民族と国家を築き、国家を動かして世界的基盤を築く歴史が始まりますので、喜んでください!」と言うことができなければなりません。

統一教会を中心として見るとき、宗教的に一次的な勝利の基盤を築いておき、聖婚式を通して二次的な出発を宣布するようになりました。私たちが今までこの国に宣布した中心内容は、私たちの真理と祝福です。聖婚家庭を通して、そのようなことを宣言してきました。このように、一次、二次を経てきながら、国家的な大行事として宣布し得たというのは、私たちが今後、天国を建設するのに、国家と縁を結ぶようになる、時代的な恵沢圏内に入ってきていることを意味します。

2 人間は、信仰、心情、実体を失って堕落しました。お父様は、神様に最も忠誠を尽くすために、最も信じられないことを語る人は誰か、と探し求めました。「私は神の夫人である」と語る人、「私が主である」と語る人などを訪ね、彼らが歴史を代表する信仰をもっているか、心情をもっているか、実体になったかを試験したのです。

信仰を決定したのちに、心情復活と実体復活を宣布しました。そして、縦的に取り戻してきたものを横的に立てたあとに祝福をしたのです。この基準の上で(天が)褒美を与えたということです。

また、このように横的な基準が立てられたあとに聖地を選定しました。このような背景で、神様にすべてのものを捧げるという条件の献貢式をすることによって、縦的なものが横的に展開され、平面的な基準が生じるようになったのです。

3 きょう、献貢日を迎えて、皆さんが参加したこの場に来るまでの道は、涙の道でした。この場は涙の場です。どれだけ泣いても止められない涙の場であり、痛哭しても形容し難く、どんなものによっても遮ることができない場です。ただ、自らの心の奥深くに、他の人が知らない抱負をもったとすれば、何か外的な物をもっていることが福であると思うのではなく、心の奥深くにもっているこの怨恨とこの悔しさを、億万のお金とも換えられない無限の価値のものとして感じなければなりません。これを貴く思うことができ、これを完結するための責任を背負うことができる心が必要です。

その心を、皆さん全体の中心心情として仰ぐようになるとき、神様はここで初めて、六千年の深い悲しみを私たちに相続させることができるというのです。

この場は、神様の悲しみ全体を厳粛なものとして相続する場です。それを相続しておいて、父が立てようとされた本然の万物を、万宇宙と世界に、父の喜びのものとして復帰してさしあげる基盤を築こうという信念だけが、皆さん自身にとどまらなければなりません。そのようになってこそ、ここに参加できる資格をもつことができるのです。悲しい歴史をもった天の曲折を忘れてはいけないというのです。

4 (天の)お父様、この献貢(ホンゴン)金は、万物をすべてお父様のみ前に捧げる条件の祭物でございます。これを締めくくるために真の父母を立てられ、真の家庭を立てられ、真の聖地を立てられました。

この聖地を基盤として、精誠の込められた心の基盤の上に条件を立て、数多くの子女たちが集めたこの献貢金をお父様のみ前にお捧げいたします。これは、この国全体を象徴するものであり、これは全天宙を象徴するものであり、これはお父様の六千年間の悲しみを解怨してほしいという、この上なく微々たる条件物でございます。物質それ自体を御覧にならず、その背後に連結された心情だけを御覧になるお父様であることを知っておりますので、この条件をお父様のみ前にお捧げいたします。

ここには血の涙が混ざっています。統一信徒たちが聖地を探し求め、涙を流しながらお父様のみ前に訴えた心情の絆が連結されていますので、エデンの地の上に、韓半島の上にある万物をお父様のものとして今や掌握してくださり、お父様の民として、お父様の国として掌握してくださって、全世界を掌握できる勝利の基盤として受け取ってくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。

5 私たちは、天地万物を造った神様に、蕩減基金をお捧げしなければなりません。聖別してお捧げしなければならないのです。アブラハムが祭物を捧げるとき、鳩だけを裂かないことによって、すべてのことが失敗に帰しました。天地がすべてひっくり返ったというのです。アブラハムが祭物を誤って捧げることによって、すべてのものが落ちてしまったのです。

今回、私たちがすることの中には、ありとあらゆることがあるでしょう。血を売って差し出す人もいて、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいるでしょう。皆さんがそのようにできなければ、恨になります。そのような歩みを見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。宇宙的な理念を中心としたみ旨であるとすれば、その理念圏内に立った父母を中心とした兄弟、そのような兄弟を中心とした家庭、そのような家庭を基盤とした天宙が必要です。ですから、万物を復帰する一日を制定したのです。

6 ユダヤ教がイエス様の命を奪うことによって、神様のみ前に非常に大きな釘の跡を残しました。積み重なったその恨を解かなければ、天と地を復帰できません。完全復帰のためには、本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なければなりません。ところが、アダムとエバが神様に背いてから、ただの一度も父母の立場で祭物を捧げたことがありませんでした。

しかし、皆さんの前に「父母の日」が立てられるようになったので、父母を通じた「子女の日」が出てこなければならず、「万物の日」が出てこなければなりません。これによって、神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情(嘆き)を解怨成就しなければなりません。そのようにしてこそ、アダムは堕落しましたが、私たちは堕落しなかったという条件を立てて、嘆息圏を抜け出せるようになります。ですから、私たちは、そのような日々を定めるとき、逆さまにして、まず「父母の日」を定め、それから「子女の日」、「万物の日」を定めたのです。

7 「万物の日」は、どのようにして出てきたのでしょうか。エデンの園でアダムとエバが堕落することによって蒔いた罪の種が、彼らの息子たちであるカインとアベルとして収穫されました。ですから、罪の種を蒔いた父母が復帰されなければなりません。そして、天宙史的な父母復帰の基台を中心として、忠孝の道理を果たすことができる子女の基準を復帰しなければなりません。この基準が決定されたあとに、初めて「万物の日」が出てくるようになったのです。

この地上に広がっている万物は、この上なくかわいそうな立場にいます。神様が希望の中で造った万物であり、神様があらゆる精誠をすべて尽くして造った万物でしたが、人間が堕落することによって、万物は人間に代わって贖罪の過程を経なければならなかったのであり、悲しく犠牲にならなければなりませんでした。人の命を奪って祭祀を捧げることはできないので、万物を祭物として犠牲にする祭祀を捧げてきたというのです。

8 復帰路程においては、万物を復帰し、子女を復帰し、父母を復帰してきました。万物を祭物として捧げ、その次に、息子を祭物として捧げました。その次には、父母に向かって上がってきました。ですから、霊的に父母がその十字架を背負ったのです。イエス様と聖霊が、そのような迫害を今まで受けてきました。キリスト教がそうだというのです。それゆえ、逆さまに上がってきたのです。

私たちの時代には、これをまた逆さまに立ててこなければなりません。ですから、「父母の日」を定めたのは、この十字架の長成段階を越えることを意味します。「子女の日」もそうであり、「万物の日」もやはり同じです。このようなことをすべてしておいて、「神の日」を設定したのです。

「万物の日」に対する姿勢

万物は、本来神様に属したものであるため、すべての財産は神様に奉献しなければならない。特に祝福家庭は、所有物を神様のみ前に捧げ、神様の名によって再び相続を受けなければならないのである。真の父母様は、万物が、真の主人に出会い、公的な権限と価値を賦与され、真の愛の管理を受けなければならないと語られた。また、日常生活のすべての必需品は、被造万物を象徴した物であるため、いい加減に扱ってばならず、貴く扱い、評価することを強調された。

9 「万物の日」を通して、これから第三の父母との絆を私たちが結んでいかなければなりません。ですから、万物を愛さなければなりません。慈悲の思いをもって万物を愛する心を育み、鳥を愛し、動物を愛し、すべてのものを愛する心を育んでいくことによって、今後、父母に対する愛も実践でき、人に対する愛も実践できるのです。

堕落圏内において、三大嘆息圏を神様から、人類の父母から、人類から、万物から解怨成就できる道は、ただ統一教会の道しかありません。そのような道を開門する最初の出発の日々が「父母の日」であり、「子女の日」であり、「万物の日」です。万物は第三の父母です。ですから、自分の体を愛するように、万物を愛し得る皆さんにならなければなりません。愛する主人には、すべてのものが付いてくるようになっているのです。

10 「万物の日」を祝う理由は何でしょうか。皆さんの所有する万物を、神様のみ前に結束させるためです。そのためには、皆さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを、神様のみ前に復帰してさしあげなければなりません。これが皆さんの責任です。また、世界、地球星を神様のみ前に奉献してさしあげなければなりません。皆さんには、この地球星を神様のみ前に奉献してさしあげる責任があるのです。

奉献するときは、必ず父母の名を通してお捧げしなければなりません。そのような所有の権限が、どんな天地にも連結される領域をつくっておいてこそ、「万物の日」を祝う目的が達成されるのです。

11 人間を再創造しようとすれば、アダムとエバが創造される前の世界から再創造しなければなりません。ですから、アダムとエバの前に造られた被造万物がなければなりません。しかし、人間が堕落することによって、そのような被造万物が「私」にはありません。

そのため、統一教会では、七数の半分となる三年ないし三年半の路程で、必ず自らを再創造できる天の物質的要件を復帰しておかなければならないのです。それは、神様がするのではありません。

六数は蕩減路程期間であり、七数は安息圏であると考えるとき、三年ないし三年半の路程は必須です。このようにして、自分の血と肉を注がなければなりません。自分の血を与えたからといって、それが物質的条件になるのではありません。血と肉を投入して、サタン世界の物質を聖別できる立場に立たなければならないのです。それは、自分の欲心のための物質ではなく、宇宙的で公的な物です。天の公的な物にならなければなりません。神様の物にならなければならないのです。

12 お父様は、草創期に狩りに行きました。早朝に出掛け、夕方に太陽が沈み、真っ暗になるまで山から下りず、夜はそこで眠ってまで狩りをしてきたのです。韓国の高い山という山は、すべて踏破しました。

ある時は、猪を捕まえようと出発したのですが、十四日が過ぎるまで、猪の足跡一つ見つけられなくても続けました。他の人々は、「お父様はなぜこのようなことをするのか」と不平を言いました。猪を捕まえようと歩いたのではなく、山を踏破したのです。高い山と低い山、深い谷間を踏破しました。それがすべて終わったので、その次は海に行きました。

海に行って、船に数十年間乗りました。一九六三年に「天勝(チョンスン)号」を造ったのです。アメリカでは、船を造って乗り始めてから、生涯にわたって乗り続けました。早朝五時に出ていって、夜十二時に帰ってくるのです。雨が降っても雪が降っても、毎日のように出掛けました。だからといって、魚を捕まえようとしたのではありません。精誠を捧げたのです。これは、神様が造った隠された宝物です。永遠に生きる実体として造っておいたのです。ですから、五大洋をくまなく探し、すべて踏査したのです。

第五節 「神の日」宣布

「神の日」宣布の意義と背景

真の父母様は、一九六八年一月一日、ソウルの青坡洞一街の旧本部教会で、歴史的な「神の日」を宣布された。「神の日」は、「父母の日」と「子女の日」と「万物の日」を探して立てた勝利的基盤の上で宣布された。真の父母様は、一九六〇年、神様の祝福の中で聖婚式を挙げられて以降、第一次七年路程を勝利で締めくくられたのち、「神の日」を宣布されたのである。真の父母様の聖婚後、八年目となる正月一日に、この日は、神様の創造理想が実現し、神様が地上に安着される、歴史始まって以来、初めて迎える喜びの日であると語られた。

1 「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」はありますが、まだ「神の日」はありませんでした。神様は天地を創造されましたが、その天地の中で、神様を中心として喜べる日は迎えられませんでした。ですから、一九六八年一月一日を「神の日」として設定しようとするのです。

2 一九六八年一月一日は、神様が初めて愛を中心として霊界を統合し、地上を統合するために着陸された記念の日です。神様の愛を中心として父母の絆が結ばれたその父母を、「真の父母」と言います。

一九六八年一月一日は、初めて神様が、地上で創造理想を中心として願われた日であり、アダムとエバが神様の愛を中心として一体となることによって、歴史始まって以来、初めて神様が地上に着陸できる喜びの日です。その日が「神の日」です。

天下がすべて反対しても、この日は神様にとって、歴史始まって以来、創世以後、初めての喜ばしい日であり、良い日なのです。

3 「神の日」に対する歴史的動機を探ってみれば、一九六八年に統一教会で制定したためにできた日ではありません。この日は、神様が天地を創造する前からありました。ただ現れていなかっただけであって、神様の創造理想の中にあった日であり、神様が万物を主管できる栄光の位置に登場する時、自動的に生じ得た日です。ですから、神様は、その願いの基盤の上に万物を造り始めたのです。

神様は、造られた万物を見て「この上なく良(善)い」と言いました。「神の日」が成し遂げられれば、万物自体が愛の条件になり得るので、その日を祝い、高めるという意味で、「良(善)い」と言ったのです。創造の偉業に喜びと賛美の条件が伴うのは、「神の日」を中心として語られたからです。

神様がアダムとエバを造って、万物をその指揮下に入れ、主管しなさいと祝福した動機とは何だったのでしょうか。神様は、御自身のみ旨が成就されたあと、直系の子女であるアダムとエバが、神様に侍る家庭を編成する日を迎えることを願いました。神様は、その日を中心として、アダムとエバを祝福するのです。その日以前には、永遠に残る喜びと栄光はあり得ないというのです。

4 第一次七年路程の期間に、何をしたのでしょうか。家庭に入り込むサタンの因縁をすべて切らなければなりませんでした。そのような過程を経て、一九六八年を迎えながら、神様が訪ね得るこの家庭を中心として、民族と国家と世界を代表する立場で、サタンの讒訴条件を内外ですべてえり分けなければなりませんでした。それを平面的な立場でえり分けると同時に、過去の歴史路程において、来ては逝ったアダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセとイエス様が果たせなかったことを中心として、内的な蕩減をしなければなりません。

これができなかったことによって、キリスト教が二千年間、十字架の路程を歩んできたので、私たちもこれを内的、あるいは実体的に蕩減しなければなりません。これをした期間が第一次七年路程です。このようにして、一九六七年を越え、ようやく一九六八年の一月一日を「神の日」として設定したのです。

5 世の中では、誕生日を迎えて祝い、結婚記念日を迎えて祝いますが、「神の日」を迎えられないとすれば、人間としては祝賀の日々を迎えることができません。私たちが祝える日がないというのです。

しかし、今までそのような日々を祝うことができたのは、より良い日を国家的な日として、より良い日を世界的な日として立ててきたからです。世界における労働の日や女性解放の日などの日は、すべて「神の日」を探して立てるための方便的な祝賀の日です。その祝賀の日々は、それ自体で喜びを享受する日ではなく、今まで「神の日」を探し求めてくる過程で必要な方便的で条件的な祝賀の日であって、絶対的な名称を使える祝賀の日にはなり得ません。人間が最高に祝える日は「神の日」です。

ですから、人間は、神様を祝う日、神様が喜ばれるその日を迎えられなければ、いくら良い日があっても、その日を祝うことはできないというのです。しかし、願うその一日を前にして、その日を憧憬しながら、世界的な喜びの日として(その日と)連結させるために祝う記念の日であるとすれば、その日は(祝うことを)許されるのです。

6 「神の日」とは何か知っているでしょうか。世の中の何が反対し、何がどうだとしても、妻の夫に対する心が変わってはいけません。夫が行く道を行こうという思いが変わってはいけないというのです。

エバが、信じることができない立場で堕落したので、神様が信じ得る立場に立たなければならず、また、神様が信じ得る立場とともに、夫が一〇〇パーセント信じ得る立場に立たなければなりません。

エバがアダムを滅ぼしたので、女性は一〇〇パーセント信じることができない歴史を経てきたのですが、初めてお母様を神様が一〇〇パーセント信じ、お父様が一〇〇パーセント信じることによって、「神の日」を設定できたというのです。それが一九六八年です。

7 サタン世界に対して、決定的な勝利の基盤を内的にも外的にも整えたので、初めてエデンにおける「神の日」を定めるようになりました。本来、完成したアダムとエバが愛の絆を結んだならば、「神の日」が始まったでしょう。そのように始まらなければならなかったのですが、第一次七年路程が終わることによって、初めて「神の日」を宣布するようになりました。ですから、完成基準の父母の絆を中心として、神様の愛と一致できるのです。

「神の日」が定められることによって、神様の愛を中心として新しい家庭が出発したその基準は、エデンの園で堕落せずに成熟したアダムとエバを神様が祝福し、愛の絆を結んでくれた基準に匹敵するというのです。そのため、サタン世界が讒訴をしたり、蕩減条件を提示したりするのではなく、天の権限をもって天使長を統治できる家庭的時代圏に上がるようになりました。今や時が変わったというのです。

8 「神の日」は、人間始祖が夢にまで願っていた完成段階の位置に立てる日であり、創造本然の世界が願う日であり、神様が万物を造って願われた日です。被造物と創造主が願っていた日です。したがって、この日は、アダムとエバが祝福の目的を実現できるその日になります。また、この日は、人類の善の先祖になるアダムとエバが、たとえ個体は違っても、神様を中心として生命の一体化を実現できる基点になる日です。

アダムとエバが神様と分離された立場で(神様とは)異なる生命の絆を継承し、悪の先祖として出発した、あらゆる恨の条件を越えて善の立場に上がり、神様の新しい生命の絆を備え、神様の愛を中心として再出発できる立場に立つようになることによって、初めて「神の日」が設定されたのです。

神様の主管権回復時代

真の父母様は、「「神の日」宣布を契機として、サタン世界が天の国の王権、父母の王権、子女たちの王権、万物に対する王権の支配下に入った」と語られた。「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布することによって、すべてのものが神圏、真の父母圈、真の子女圈、真の万物圏に属しているため、いかなるものも、サタンが略奪していくことはできないということである。

この日をもって、真のお父様の二十一年路程と、食口たちの第一次七年路程を締めくくり、第二次七年路程を迎えるようになった。

9 神様が救援摂理をしてきた基盤は、死亡圏であり、悪の主管圏でした。神様が直接主管できる基盤を喪失したのです。神様は、愛によって造ったこの天地万物の愛の主人としてアダムとエバを立てでおいたので、アダムとエバと万物が一体になれば、その基盤の上で、神様が直接主管することができます。しかし、万物の中心である人間が神様の愛と一体になることができず、サタンと一体になったので、神様が直接主管できる基盤がサタン世界に移されたのです。

サタン世界の非原理的な愛の因縁を通して築かれたこの世界は、神様との関係が断たれた世界なので、神様は創造原理によってこの世界を収拾してこなければなりませんでした。

10 「神の日」が探し出されるまで、七年の歳月がかかりました。父母様がこの七年路程を行かなければなりません。神様に出会うのは直接主管圏ですが、原理結果主管圏の三段階を経て、十数の段階を越えるようになるとき、愛を中心として神様と連結されるのです。その日を訪ねていこうとするので、七年の期間を費やしたのです。

一九六〇年、父母様の聖婚式以降、子女たちを率いてすべての日を定め、満七年になって八年の最初の日となる一九六八年一月一日を、ようやく「神の日」として定めたので、そこから父母様は、世界的に影響を及ぼしていくことができます。世界的な宗教として、統一教会が成長していけるというのです。

11 人類と神様が出会える道を失ったのは、人間始祖の堕落によって家庭を失ったからです。失った家庭を探し出して、一九六八年一月一日を「神の日」として設定することにより、神様の直接主管圏内に入るのです。このように、神様の直接主管圏内に入ったので、この位置は、アダムとエバが堕落したこととは関係のない位置です。この位置は、天使長も完全に屈服しなければならない位置です。

ですから、今やサタン側の長子の基準を蕩減復帰し、神側の長子の基準を立てた立場なので、サタン自身も完全に屈服しなければならない時代に入ったのです。一九六七年までは、アベルがカインを屈服させてこなければならないので、神様は愛する人を犠牲にして、蕩減復帰してくる時代でした。

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