真のお父様は、一九四五年八月十五日、韓国の解放とともに、復帰摂理のための公式路程を出発された。神様の解放と人類の救援、平和世界の実現に向けた大長征の始まりであった。何よりも待ち望んだ新時代が開幕したが、摂理の道には、形容し難い苦難が横たわっていた。真のお父様が新しいみ言を発表できない状況で、牧師や長老に会わなければならなかったため、彼らから摂理の新しい主人として認められるのは、ほぼ不可能なことであった。そのため、真のお父様は、神様と直接、交流できる神霊教団を訪ねていかざるを得なかった。当時、霊的なレベルが最も高い位置にいた金百文が率いる、イエス教会イスラエル修道院を訪ねていき、一九四五年十月から六カ月間、あらゆる精誠を尽くして奉仕活動をされたのである。金百文は、翌年の三月初めに、真のお父様について、「ソロモン王の栄光により来られた方」と証したが、その後は、侍って従わなかったため、真のお父様は、「これ以上、金百文を中心として神様のみ旨を成し遂げることはできない」と判断され、そこを離れていかれた。
真のお父様は、このように韓国で摂理の基盤を築くことができなくなったため、北朝鮮の平壌に行きなさいとの啓示を受け、一九四六年六月六日、平壌に到着し、祈りによる精誠の祭壇を築かれた。平壌では、天の導きにより、篤実なキリスト教徒たちが集まり、彼らの伝道により、多数の礼拝参加者が来るようになった。しかし、教会員を真のお父様に奪われたと考えた牧師や長老たちの反対と告発により、真のお父様は、その年の八月十一日に、平壌の大同(テドン)保安署に収監されることになった。そのような中でも真のお父様は、大同保安署で神霊教団の指導者と出会うことを知り、希望を抱いて入っていかれたのである。そこには、肉身再臨の啓示を受けていた腹中教の教主、許浩彬(孝彬)が捕らわれていた。
真のお父様は、許浩彬に、「私が誰か、祈ってみなさい。すべてのことを否定して出ていきなさい」と書いた紙切れを秘密裏に送ったが、彼女の不信によってその紙切れが看守たちに発覚し、共産当局の激しい拷問を受け、瀕死の状態で釈放された。結局、真のお父様は、朝鮮半島の南と北のどちらにおいても、キリスト教の指導者たちと神霊教団から反対を受けることにより、イエス様がユダヤ選民とユダヤ教の反対によって、四十日断食と三大試練を経たように、大同保安署での容赦のない拷問と、三大試練の路程を行かれるようになった。
その第一は、「主なる神の夫人」と語る朴ウルリョンを通した試練である。真のお父様は、僕の僕の位置から、神様の実体対象の位置まで上がっていく縦的八段階の蕩減復帰路程において勝利された。第二の試練は、霊界において、聖賢たちを中心とするあらゆる霊界の代表者たちを対象に、四十三日間にわたる真理闘争の路程であった。真のお父様は、血統転換、所有権転換、心情圏転換の三大主題についての熾烈な論争ののち、「文鮮明の主張が正しい」という神様の公認と御印を改めて受け、勝利された。第三の試練は、イエス様の使命継承者として再出発するため、イエス様が十二弟子を失って十字架の苦難を経たことを蕩減復帰する路程であった。真のお父様は、十字架にかけられた位置と同じ興南(フンナム)特別労務者収容所(興南監獄)で、十二人以上の弟子を復帰して勝利された。
特に真のお父様は、一九四八年五月二十日から二年四カ月と二十五日間、興南監獄で強制労働の苦役を受けることになった。興南監獄は、劣悪な食事と環境、苛酷な強制重労働により、一年に囚人の四〇パーセントが死んでいくという、生き地獄だった。真のお父様は、そこで生き残らなければならず、言葉も行動も思いどおりにできない立場で、弟子たちを探して立てなければならなかった。伝道の方法は、天を感動させ、献身的な生活によって霊界を動員する道しかなかったのである。霊界にいる先祖たちが、収容所にいる子孫たちに夢のお告げや啓示を与え、多くの人々が真のお父様に侍り、従うようになった。
六・二五動乱の渦中、国連軍の上陸進撃により、興南監獄から九死に一生を得て解放された真のお父様は、昔の食口を訪ねるため、徒歩で十日間かけて平壌に向かわれた。最初に、獄中生活をする前に伝道された金元弼を訪ね、食口たちを訪問するようにされたが、彼らはみな、真のお父様の意向に従わなかった。四十日間の平壌滞在ののち、真のお父様は、金元弼と、監獄から先に出てきた足の折れた朴正華を自転車に乗せ、一九五〇年十二月四日に三人で平壌を出発し、徒歩で南下の道を歩まれた。
南下して五十五日目の一九五一年一月二十七日、釜山の草梁(チョリャン)駅に到着された真のお父様は、その年の五月十一日から一年かけて、『原理原本』を執筆された。そして、一九五三年七月二十日、姜賢實(カンヒョンシル)を最初の開拓伝道師として大邱に送られたが、これが最初の公開原理宣布であった。
真のお父様は、一九五四年五月一日、ソウル北鶴洞(プカクトン)の三つの門の家で、「世界基督教統一神霊協会」を創立された。協会の創立は、真のお父様が北朝鮮において蕩減路程を勝利した基盤の上で、キリスト教に代わるアベル的教団を立てたということであり、神様の復帰摂理が、協会を中心に新たに始まったことを意味する。
世界大戦における天の側の勝利と公式路程の出発
第二次世界大戦で、キリスト教文化圏を中心とした天の側が勝利することにより、再臨主を中心とした摂理的基台が造成された。そして、韓国が一九四五年八月十五日、日本の植民統治四十年を締めくくり、解放を迎えたことは、神様の摂理史に大きな区切りをつける出来事だった。韓国が日本の圧政から抜け出すとともに、摂理が新たな段階に進むことができるようになったのである。
1 第二次世界大戦は、イギリスとアメリカとフランスなどが連合し、日本とドイツとイタリアに対して戦った世界的な戦争です。堕落する時に蒔いたので、蒔いたとおりに刈り取らなければなりません。アダム、エバ、その次に、カイン、アベルによって蒔かれたので、世界も二つに分かれます。天の側もアダム、エバ、カイン、アベル、サタン側もアダム、エバ、カイン、アベル、このように二つのグループに分かれるのです。
個人によって蒔かれて結実したものが、世界的な国として現れるのです。ですから、イギリスは天の側のエバ、アメリカは天の側のアベル、フランスは天の側のカインです。日本はサタン側のエバ、ドイツはサタン側のアベル、イタリアはサタン側のカインです。第二次世界大戦で天の側とサタン側が戦って、サタン側が負けました。
2 第二次世界大戦の間、韓国は日本の統治下にありました。韓国の愛国の志士たちは、日本の圧制に対抗して闘いました。人間始祖が堕落することにより、神様は四位基台を失ってしまいました。ですから、神様の復帰摂理の目的は、この四位基台を復帰することでした。それで、聖書や神様の摂理の中に四数が多いのです。聖書には、四十年と四百年の蕩減期間が何度も出てきます。すべての復帰と蕩減が、この原理に従って成し遂げられたのです。
韓国が、神様の摂理においてアダム国家になろうとすれば、エバ国家の統治下に置かれなければなりません。エバ国家に打ち勝つことによって、独立を勝ち取らなければならないのです。
当時日本は、ドイツやイタリアと結合していたのですが、これらの国は、摂理的にすべてサタン側の国家です。天の側には、アメリカとイギリス、フランスがありました。第一次世界大戦の時、ドイツはほぼ破壊されました。しかし、ドイツが二十年のうちに復旧できたのは、第二次世界大戦において、神様の摂理の中で果たすべき大きな役割がドイツにあったからです。
(人類歴史においては、)先に攻撃した国が常に敗れてきました。(第二次世界大戦においても、)アメリカ、イギリス、そして、フランスが連合して、サタン側の国家に勝利したのですが、韓国は四十年間、日本から支配を受けなければなりませんでした。日本はサタン側のエバ国家でした。その四十年期間に、日本は、韓国の文化的伝統や、甚だしくは韓国の言語までなくそうとしたのです。
3 イスラエルの国とキリスト教が、霊肉を中心としてサタン圏に支配されながら闘ってきたのと同じように、韓国も四十年間、肉的な面において怨讐に支配されながら、霊的な面においては、この国のために生命を捧げることを覚悟した群れを中心として、独立運動をしてきました。このような気概を中心として、神様は摂理の縁を打ち立ててきました。そうして民族を糾合、結束させ、キリスト教を中心とした人々が主導して、国を建てるようになったのです。
そのように、キリスト教徒たちが霊的な面において、日本占領期四十年の弾圧の中で、国もない立場で死の道を自ら進んで歩み、国を愛する忠節の道理を立てたことは、摂理史的に重大な意義があるのです。
4 韓国の独立とともに新しい摂理的運動が、第二次世界大戦で勝利したアメリカを中心として始まらなければなりませんでした。キリスト教とアメリカを中心とした世界的勝利基盤の上に、新しい歴史時代における神様の摂理が出発しなければならなかったのです。
お父様は、新しい原理を中心として地下活動をしてきたのですが、第二次世界大戦の直後は、お父様が表に現れなければならない時でした。
そして、韓国には、アメリカ軍が駐屯して軍政が立てられるようになりましたが、その軍政に従事する人たちの中には、外国留学から帰ってきた人たちが大勢いました。そのような人たちが軍政と一つになり始めました。また、神社参拝を中心として日本政府の手先の役割を果たしていた人たちが、アメリカの軍政と結託していました。しかし、地下運動をしたキリスト教徒たちは国内派だったため、外国に対してはあまりなじめず、アメリカの軍政と関係を結ぶ立場にはなれませんでした。それで、日本政府を支持していたキリスト教徒と、日本政府に反対していたキリスト教徒が、分かれるようになったのです。
5 宗教の目的は、アダムを完成することです。また、神様の救援摂理の目的は、アダム完成です。エデンの園で神様が創造をするとき、天使はアダム完成を協助しました。神様は、天使を頌栄と協助の対象者として造りました。神様の目的や天使長の目的が、アダムを完成することなので、その基準を世界、霊界と肉界を前にして再蕩減しなければなりません。ですから、霊肉を中心とした天の側に立った天使圏の宗教がキリスト教です。キリスト教を中心として、全世界が動き得る環境がつくられたのが、第二次世界大戦の直後でした。全世界が天の側に引き渡されたというのです。その時にアダムが現れるようになっています。
霊肉を中心としたサタン世界と、天の側の天使圏が闘って勝敗を競ったのが、第二次世界大戦です。聖書上で見れば、ハルマゲドン戦争だというのです。第二次世界大戦が天の側の勝利で終わったという事実は、霊界の天の側の天使圏と地上の天使圏が、サタン世界に対して勝利したということです。ですから、アダムが現れ得る時が来るのです。それゆえ、第二次世界大戦の直後に、再臨主顕現時代が来るというのです。
6 第二次世界大戦も終わりに近づく頃、日本帝国の圧迫によって篤実なキリスト教徒たちは信仰生活が困難になり、彼らは、韓国の地に決定的な審判や判決を下してくれることを神様に祈りました。
神様によって、または霊界によって直接導かれた多くの人たちがいましたが、彼らは日本の警察が捕まえようとするとき、逃げたり、脱出したりすることができました。彼らのほとんどは、日本がいつ敗北するのかを知っていました。また多くの人たちが、「第二次世界大戦後は、世界の歴史が韓国を中心に展開するだろう」という啓示を天から受けました。
お父様もそのようないくつかの団体とつながりましたが、たとえお父様がそのような団体とつながったとしても、その時のお父様は、皆さんが今学んでいる原理のいかなるものも、決して語ることができませんでした。なぜならば、神様からのみ言もあったのですが、「韓国が解放され、このことを始められる環境ができた時に動き出す」と神様に約束していたので、その時には語れなかったのです。
神様のみ旨は、一人だけでは成就できません。共に働き得る対象がいなければなりません。
さらに神様は、第二次世界大戦後にすべてのキリスト教会が分裂することを教えてくれました。
7 一九四五年の解放直後に、お父様を中心とした統一運動は、一度に世界を統合できるキリスト教文化圏を中心として出発しなければなりません。その立場においては、既に国家基準を越えるようになるのです。
その時、韓国には主権がなく、キリスト教文化圏を中心としたアメリカが、天使長の勝利圏基盤の上で養子の基盤を受け継ぎました。その土台の上に世界的版図の基盤を造成していれば、天使世界の完成と養子世界の完成が成就して、直系の子女を迎えられる世界文化圏の時代へと入っていくのです。
イエス様を中心としたアベル文化圏を築いたので、天使長圏と養子圏がつながり、実子圏と連結できます。縦的な歴史が横的に一つになるのです
これを収拾して統一しなければ、サタンの基点を取り除けません。
8 お父様が(一九四五年)八月十五日の光復節の前に、キリスト教を中心にすべての基盤を築いていれば、神社参拝を拒否して監獄に閉じ込められた再建(チェゴン)派は、お父様の信仰の基盤の上で中心になっていたでしょう。そのようになっていれば、キリスト教が私の言うことをすべて受け入れて、連合軍を迎え入れる立場に立つのです。世界全体が連結され、連合軍が入ってくるのを、監獄に入った人たちが迎えるようになったはずです。
その時、連合軍が入れば、以北(現在の北朝鮮)で直接歓迎するようになります。そうなっていれば、韓半島は南北に分かれなかったはずであり、神霊的な人たちが連合軍を中心として一つになれば、サタンが侵犯するところがなかったのです。ところが、このような状況が崩れてしまったので、仕方なくこのすべてのものを条件的にでも、再び探し求めなければなりませんでした。
しかし、この時に、この神霊的な集団が受け入れなかったので、お父様は孤独な立場で人を送って三度以上通告し、天のみ前に報告してから、彼らに、「あなたたちが受け入れなかったときには、あなたたちの国家と世界が破壊され、今まで立てられた功績は天がもっていってしまうだろう」と言いました。そのように通告し、お父様が刈り取ることのできる基盤を築いて、韓国の解放を待ったのです。解放が訪れるときには、世界のどこにでも出ていかなければならないのです。
9 お父様は、日本帝国の統治下で、圧制を受けていた時代を過ごしてきました。ですから、いくら大きな抱負をもち、いくらあふれんばかりの希望を胸に抱いていたとしても、自分の内的心情を吐露できる環境が与えられていませんでした。何か斬新な考えをもっていたとしても、それを口にして語るためには、必ず周囲を窺い、内外に鑑定しなければなりませんでした。「これなら安心だ」とはっきり感じることができなければ、いくら立派な思想や理念をもっていたとしても、語れる時代ではありませんでした。不自由な時代だったのです。
そのような環境で、お父様は人知れず復帰の路程、今まで原理の中に現れた復帰路程をたどり、闘いながら準備してきました。そうして、一九四五年に解放を迎えました。二十六歳の時でした。
その時、解放を迎えて、民族全体が祝いながら喜びました。万歳を叫びながら大騒ぎし、我々の天地になったといって世界を揺さぶり、ひっくり返すような喜びが天を突くほどの騒ぎでした。私もまたうれしく思いました。
しかし、私は解放を迎えたその日以来、「この国が解放された」といって万歳を叫んだことはありません。うれしくても喜ぶことはできませんでした。その理由は、この民族には新しい出発をすべき使命があると同時に、お父様も新しい歴史的な出発をしなければならなかったからです。復帰世界に向かって第一歩を踏み出さなければならなかったのです。それで、まずは韓国の地に立っていたので、韓国の地を中心として、さらにはソウルを中心として、復帰の道を開拓するために全力を尽くして出発しました。
キリスト教指導者の不信と神霊教団
復帰摂理は、世界史的な転換期である一九四五年の解放直後、キリスト教の指導者たちを中心に天の主権を立て、世界を復帰できる絶好の機会を迎えた。しかし、キリスト教がこのような摂理を担当する真のお父様を受け入れないことにより、新たな摂理的基盤を整えなければならない困難な状況に直面することになった。このように、ソウルを中心とした第一次の出発摂理が挫折し、一九四六年六月以降、平壌を中心に第二次の出発摂理が進められた。しかし、真のお父様は、神様が長い歳月をかけて準備したすべての摂理的基盤が崩れるとともに、獄中の受難の道を歩まなければならなくなったのである。
そして、韓国のキリスト教の中には、日本帝国の神社参拝強要に屈した教団もあったが、信仰の貞操を守り、解放の日を待ちながら闘った愛国的な地下教会の信徒も多くいた。神霊教団は、このような状況の中で、解放の十四年前から活発な活動をし、再臨主を迎えるための基台を築いていった。
特に、韓半島の東の元山(ウォンサン)を中心に男性たちの神霊役事(働き)が起き、西の鉄山を中心に女性たちの神霊役事が起こった。その中で、女性の代表は聖主教の金聖道、腹中教の許浩彬、「主なる神の夫人」と称する朴ウルリョンであり、男性の代表は新イエス教会系統の李龍道、金百文(キムペンムン)であった。
特に、洗礼ヨハネの使命をもっていた金百文は、真のお父様について「全世界のソロモン王の栄光が臨むようになるだろう」と証したが、真のお父様に侍って従わないことによって、摂理的な出発をすることができなかった。
10 世界のキリスト教文化圏を中心とした民主世界は第二イスラエル圏であり、キリスト教は、民主世界の思想的な指導を受け持つべき立場、すなわちイスラエルの国に対するユダヤ教と同じ立場です。イスラエルとキリスト教は、このように霊的につながるようになっています。
したがって、再臨の役事は、霊的なイスラエル圏を相続し得る勝利的基盤を整えた上でしなければなりません。霊的な個人から霊的な家庭、氏族、民族、国家、世界圏まで、勝利的な基盤を整えて地上に現れなければなりません。そうでなければ地上収拾作戦ができないというのが再臨の役事です。
霊界を屈服させて指揮下に置き、神様のみ旨に従って地上に君臨しなければなりません。このようになれば、地上では実体的な再蕩減路程を経ていけばよいのです
このような点から見て、霊的に世界的なイスラエル圏が勝利しました。霊的に勝利したこの世界的イスラエル圏は、世界的な天使世界に該当します。したがって、再臨主は第三アダムなので、第二アダムであるイエス様が霊的に勝利した霊的イスラエル圏の足場を、相続しなければならないのです。
11 韓国は、解放後、キリスト教圏である民主世界の保護によって、世界が一つになったところに建てられました。その時にお父様は、新しい歴史的な使命を果たすため、建国当時の要人たちと手を結んで、最高の位置から出発することを期待しました。そのようにならなければならないにもかかわらず、キリスト教を代表した幾人かの牧師が反対することによって遮られ始めたのです。キリスト教を中心とした国家形態ができなければならなかったのですが、キリスト教の最高指導者たちが反対することによって、韓国のキリスト教が反対する道が生じるようになりました。
12 日本の帝国主義が、韓国のキリスト教を抹殺するために神社参拝をさせたのですが、そこには神社参拝を受け入れた群れと、神社参拝を拒否した群れがありました。神社参拝をしなかった人は獄中や地下に入り、神社参拝を受け入れた人は表に出るようになりました。
ですから、地下にいた内的な神霊集団の人々が主体となって、外的な人々を再教育して収拾していかなければなりません。その時、彼らは、「主は人として来て、自分たちの団体を指導する」との啓示を受けたのですが、その人がどのような人として現れるのかということは分かりませんでした。
彼らは一つになり、大韓民国が新たに独立する時に、それを主導する役割を果たさなければなりませんでした。ところが、解放後、内的な神霊集団が主体にならなければならないのですが、逆に神社参拝をした群れ、アメリカで勉強し、都合よく社会と接触してきた人たちが主体になりました。神様に対する新しい概念を中心とした再臨思想と連結された概念のもとで、教会の復興運動が起きなければならなかったのです。
解放当時、韓半島のキリスト教会のほとんどが以北にありました。大多数が平壌を中心として存在していたので、以北がキリスト教の中心になりました。ですから、以北の地で行われる教会運動が、国家的な基礎となり、精神的な基調となり得るキリスト教の新しい世界的活動のための神様の摂理基盤にならなければならなかったのですが、そのようにはなれませんでした。
国を中心として、カインとアベルの闘いをしたのです。教会の基地が立つ前に、サタンが先に入ってしまいました。先にカインの国が位置を占めたのです。ですから、仕方なく南側だけでも守るために新しい国を建てたのです。統一を成し遂げることができず、二つの国ができました。キリスト教を中心に統一された国家基盤を形成してこそ、神様のみ旨の基盤になるのですが、完全にサタン圏に移り始めたのです。
13 光復後、韓国では、神社参拝をしたキリスト教派と、神社参拝に反対して監獄に行った再建(チェゴン)教会派、それから神霊的な集団、このように三つの部類ができました。キリスト教派は蘇生、再建教会派は長成、神霊派は完成です。
この神霊派がエデン復帰派ですが、旧約的エデン復帰派は朴東基(パクトンギ)派、新約的エデン復帰派はイスラエル修道院の金百文(キムペンムン)派です。その次に、成約的エデン復帰派は、婦人たちが主動となった許浩彬(ホホビン)派です。彼らは、蘇生・長成・完成型の縦的な復帰をします。旧約時代、新約時代、成約時代の横的な復帰をするのです。再建教会派と神霊集団が完全に一つにならなければなりません。
そのような基盤の上に、お父様が立たなければならないのですが、洗礼ヨハネがイエス様を信じられなかったように、神霊集団の責任者たちは、主が人として来ることは知っていたのですが、その人が誰なのかは知りませんでした。
14 金聖道氏は、エバ的使命者であり、許浩彬氏はマリヤ的使命者です。許浩彬集団は、イエス様がこの地上に来て三十三年間生き、み旨を成し遂げられずに、(本来)願わない十字架の死の道を行ったため、それを復帰するためのあらゆる準備をしました。そして、「再び来られる主は、韓国人として来られるだろう」と言いました。その方の背丈はどれくらいで、体格はどうだということまで啓示を受け、衣服から寝具に至るまで、一切を準備したのです。
本来、そのようなものをすべて準備しなければなりません。それを準備した人が地上にいなければ、主を送ることができないというのです。昔、イスラエル民族が、主が横になる一間の部屋を準備できず、イエス様は飼い葉桶に寝かされるようになりました。そのような恨をもった神様なので、神様は一人を選んで、生活のあらゆる物、すなわち服と部屋と家庭用品の一切を準備させたのです。この時代に文化生活を営む東洋、西洋の誰にも負けない最高の水準で、すべての物を準備させました。
15 韓半島の東海岸地方で起きた霊的な運動集団には、李龍道牧師がいました。彼は、人々に多くの聖霊の火を受けさせました。そのようなことをすることによって、天は霊的な働き手を一つにまとめようとしたのです。霊的な運動も、二つの形態に分かれました。一つは内的で、もう一つは外的でした。
李龍道牧師を中心として新イエス教が出てくるようになりました。当時、許浩彬氏の腹中教と新イエス教を統一せよという、天からの指示がありました。それで、西の集団が一つになるために、東の集団がいる所を訪ねていきましたが、東の集団は西の集団を受け入れませんでした。この二つの集団が統一に失敗することによって、神様は一つの新しい運動、新しい分野の開拓者を必要とするようになりました。
神様は、御自身の指示を受け入れられる、他の一人の人を願われました。その人が金百文氏でした。白南柱(ペクナムヂュ)氏は蘇生段階であり、李龍道氏は長成段階、そして、金百文氏が完成段階でした。李龍道牧師はイエス様と同じ立場であり、一九三三年に三十三歳で亡くなりました。このことから、神様が主のためにどれほど多くの準備をされたのかを知ることができます。神様は、日本の圧制に耐え抜けるようにしようと、そのように早くから準備をしていました。このような環境の中で、お父様は、自分が行くべき道のために準備を始めたのです。
16 お父様は数えの二十五歳前後の時に、全国にいる神霊的な人たちを訪ねて回りました。名のある牧師や名のある僧侶、易者などをすべて訪ねたのです。そうして、彼らの信仰観と私の信仰観を比較したり、理論的に討論したりしました。そのような牧師たちに、「堕落とは何か」と尋ねましたが、分かっている人はいませんでした。人間がどのように堕落したのかを知らないのです。根本が曖昧な基盤から出発したものは、いくら過程が驚くべきもので、結果が世界釣だとしても、完全な完成の終着点に帰着することはできません。
しかし、彼らは、堕落の根源を全く知らなかったのです。お父様は、どのように堕落したのかという事実をすべて知っている観点から、大勢の神霊的な人たちに会ってみましたが、彼らは知りませんでした。だからといって、時になっていなかったので、発表することもできませんでした。
17 お父様は、少年時代を経て、青年時代を経て、分別がつく頃から聖書の内容を深く探究するうちに、神様の摂理がどのようになっているかを、すべて悟るようになりました。そうして二十六歳の時に、解放とともに新たな出発をすることになったのです。
まず、地下教会を遍歴しました。解放前、数えの二十四歳の時から地下教会の遍歴を始めたのです。「神霊的な人たちはどのような道を歩むのか。神様の摂理はこのように進まなければならず、このように準備された団体が必ず存在しなければならないのだが」と思いながら、有名だと言われた神霊的な人々に数多く会ってみました。しかし、彼らは神様のみ旨やその方向を知りませんでした。ですから、そのような人々を中心として精誠を尽くしてみ言を伝え、関係を結びました。
地下教会の責任者は知らなくても、その教会の中で霊界に通じる神霊的な人たちは、お父様を証しました。私が一週間だけ立ち寄れば、そこにいた神霊的な人たちが私の後ろに付いてくる現象が起こりました。ですから、地下教会も二つに分かれるようになったのです。神霊的な教会を編成するために、志のある人を集めなければなりません。
その人たちに教えなければならない内容は、主は雲に乗っては来ないということでした。これを十年ほど伏せたのちに発表していれば、数多くのキリスト教徒たちがお父様のもとに来ることを知っていましたが、天はそのようにすることはできません。正面から闘争しなければならないのです。神様は目に見えません。ですから、見える機関となり、見えないサタン世界と対峙し、克服して越えていかなければなりません。
18 お父様は、解放後三カ月目となる一九四五年十月に、金百文氏に会いました。私は、彼に大きな使命があることが分かりました。当時彼は、プロテスタントの修道院を一つもっていました。彼は「修道院を一つ所有するように」と天から言われていました。また、「再臨主を迎えられる勢力を準備するように」と言われたのです。それが、彼が天から聞いた内容です。ですから、お父様はその集団を訪ね、彼に会い、六カ月間彼と共に過ごしました。その期間に神様は、様々な方法で役事されました。
19 お父様は、金百文氏の集団に行き、僕暮らしをしました。当時、どれほど多くの涙を流したか、皆さんは考えることもできません。皆さんが想像もつかない切なる心情をもって祈ったのです。その時、祈っていた床には涙がしみ込み、流した涙が乾く日がありませんでした。
私は、彼が教えてくれた内容を批判することもできました。口さえ開けば、彼らを完全に屈服させることができたにもかかわらず、そこでは一言も話さずに、奉仕の生活を続けたのです。そのようにしたところ、神様が共にいてくださいました。彼らも霊的に明るい人たちなので、天が彼らに、お父様に従いなさいと命令を下したのです。
20 イエス様が洗礼ヨハネから祝福を受けたように、お父様は金百文氏からすべてを相続する予定になっていました。出会ってから数カ月後に金百文氏は天から啓示を受け、彼は私の頭に手を置いて、全世界のソロモン王の栄光が臨むようになるだろうと祝福しました。お父様が金百文氏に会ったことは、大きな意味をもっています。もし、金百文氏が天から、そのような祝福をしてあげなさいという啓示を受けたのなら、彼はすべてのことを知るために、私に質問をしなければなりませんでした。それが彼の五パーセントの責任分担でした。
ところが、当時、彼に従っていた篤実な追従者たちがお父様に従ったのです。彼はそれを知って、そのことを良く思いませんでした。いずれにせよ、お父様は彼から祝福を受け、彼がもっていたものを相続したのです。
21 お父様は解放後、金百文氏と共に出発しようとしました。金百文氏と私は、カインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にいました。彼は、キリスト教を信仰していましたが、「イエス様は神様と同位である」と言いました。根本をよく知りませんでしたが、その人が神霊的な面では、当時のキリスト教で、最高の信仰基準にいたことだけは間違いありません。そして、金百文氏の一番弟子や神霊的な信徒たちは霊界に通じていたので、霊界から「文先生に従っていきなさい」と教えられたのです。しかし、私はそこに入って一言も語りませんでした。なぜなら、他人の基盤に入ってその基盤を崩してはいけないからです。彼らを自然に屈服させなければなりません。
ですから、私は、涙もたくさん流しながら、模範的な信徒の一人として黙々と過ごしたのです。その信徒たちがお父様に従おうと決心するので、ここから問題が起こりました。
「平壌に行きなさい」という神様の命令
真のお父様は、一九四六年五月二十七日頃、「三十八度線を越えなさい」という天の命令を受け、北朝鮮に進駐したソ連軍によって共産主義体制が構築されている平壌に、六月六日に到着された。東洋のエルサレムと言われた平壌では、キリスト教信仰の中心地として、崩れ落ちた教会の再建を夢見ていた。真のお父様は、イスラエル修道院で信仰的な交わりをもっていた、平壌・景昌里(キョンチャンニ)の信徒の家にとどまりながら、み言を伝えられた。
1 内的な基準において代表的な使命を担った人と、外的な基準において代表的な使命を担った人が出会える一時があります。言い換えると、今までの六千年歴史の頂上で、必ずカインとアベルが出会うことになるのです。ですから、カインとアベルが出会う、その頂上の位置で蕩減復帰しなければなりません。カインが天道に従い、アベルに順応する基準を備えるようになれば、カインとアベルが一つになって蕩減の峠を越えることができます。カインとアベルがこの峠を正常に越えれば、互いに相手の位置へと進んでいくのです。このように越えなければならないのですが、カインとアベルがこの基準を立てることができず、アベルだけが越えるようになりました。
本来、お父様がこの道を出発する時、李承晩(イスンマン)博士と協力して進んでいくのが神様のみ旨でした。摂理的に見れば、そのようになり得たのですが、その時、キリスト教が過ちを犯すことによって失敗してしまいました。それで、高い基準を失ってしまったので、低い基準へと下がってしまったのです。下がる時は、必ず最低の位置まで下がらなければなりません。ですから、すぐにお父様は以北(現在の北朝鮮)に行きました。以北に行って、再び上がらなければならなかったのです。
2 お父様は、この道を出発する時、生命を差し出す覚悟ができているかを考えました。言い換えれば、死ぬ時はどのように死ぬのかということも考えたのです。銃殺されることも考え、五車(オチャ=車裂きの刑)によってずたずたに引き裂かれて死ぬことも考えました。そうして、死ぬ時にはどのような言葉を残していくのかということも考えました。
どうすれば生きられるのかを考えたのではありません。大韓民国を中心として役事しなければならないので、死の場を求めていったのです。
怨讐と対決する場、つまり怨讐を訪ねていきました。怨讐の本拠地を訪ねていったのです。韓国のキリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に回ったので、それを取り戻すためにサタンの巣窟である以北に行ったのです。
3 お父様は、世界的な共産党と闘わなければならないので、そのために以北を訪ねていきました。手錠をかけられて囹圄(牢獄・獄舎)の身になることを覚悟して、訪ねていったのです。いくら暴悪な試練が私に襲いかかってきても、私はそれに屈服しませんでした。いくらひどい飢えの状況でも、神様の威信を失うことはしませんでした。組織的な生活圏内でいくら切迫した生活をしたとしても、天の法度を破りませんでした。お父様はすべてのことにおいて、拘束されても、すべてを取り戻すことができ、さらに神様のみ前に新たな出発の動機と新たな生き甲斐を探し出してきました。そのようにして出発したのです。「生きよう」というところから出発したのではなく、「死のう」というところから出発したのです。
4 イエス様が、反対を受けることによって異邦の宗教を通し、異邦の民族を経て再び戻ってきたように、お父様もそのようにしなければなりません。そのようにして怨讐の国を復帰しなければならないのです。それで以北に入りました。
以北では、すべてが怨讐です。敵国です。足の踏む所すべてが怨讐でした。国や教会はもちろん、民衆までもお父様を打ち倒そうとしました。そのような場で生き残る方法とは何でしょうか。拳で対抗すれば滅びます。犠牲になって奉仕しなければなりません。十回打たれても彼らのために福を祈ってあげ、千回冷遇されても彼らのために祈ってあげる作戦を立てたのです。このような作戦を実行してきました。千回、一万回、悔しさを味わったとしても、神様が愛していて、神様が耐え忍んでこられたので、そのようにしなければならないのです。
5 お父様は一人でした。一人ぽっちでした。新教を中心に基盤をつくろうとしたのですが、失敗しました。反対を受けたのです。驚くほどの反対を受けました。
弟(アベル)を打って始まった歴史だったので、弟を迎え入れるということは、神様を正しく知らなければ難しいことです。自分が置かれた環境に基づく因習的な教理や内容をそのままもっていては、とても難しいのです。ですから、お父様は、既成教会から反対される立場に立ったのです。それは追い出されたイエス様と同じ立場です。実体のイエス様の立場を受け継いだのと同じです。ですから、お父様は、復帰路程を経なければなりませんでした。二千年の歴史を二十年で蕩威しようと闘いました。そのような蕩減をするために、サタンの本拠地である以北に行きました。サタン世界の共産圏に行ったのです。
み言の伝播と押し寄せる信徒
一九四六年六月六日、平壌に到着された真のお父様は、景昌里(キョンチャンニ)に一間の部屋を借り、そこで祈りの精誠を捧げながら教会活動を再び開始された。その時まで平壌には多くのキリスト教会があり、篤実なクリスチャンが大勢いた。真のお父様は、周囲から刺すような目で見られていたが、早く、多くの生命を救うためにみ言を伝えなければならないという一念で、新しい食口を探し求められた。終日、門の外を見つめながら、食口たちが来るのを待たれたことも多かった。自分の足で真のお父様がいらっしゃる所に訪ねてきた人々がおり、また、彼らを通して他のクリスチャンたちが集まってきた。特に、真のお父様が到着されたのちに、真のお父様に関する啓示を受ける人たちが現れた。霊界の導きによって、篤実な信徒たちが訪ねてきたのである。それで、真のお父様は、彼らを中心に礼拝を導かれた。真のお父様のために、以前から準備された人々が大勢おり、その中には、真のお父様の聖誕前から、真のお父様に出会うために準備されていた人もいた。霊界は時空を超越するため、心情世界の絆がそのように奥妙に結ばれていたのである。そのようにして縁をもった人々は、真のお父様の裾に触れさえすれば、飛び上がるほど感激し、踊りを踊るほど真の愛に感化された。真のお父様は、老人はもちろん、誰が訪ねてきても、夜を徹してみ言を語ってくださった。
6 解放後、三年間、混乱時代が訪れました。キリスト教の混乱、政治界の混乱など、混乱時代が訪れて、すべてのものが定着できませんでした。キリスト教自体も、主が来るのか、み旨がどのようになっているのか、分かりませんでした。その時、再建教会や高麗(コリョ)派などと称して、様々な教派が現れました。互いに自分たちが正しいと主張しながら、競争した時期でした。お父様が、地下から出てきてキリスト教徒たちを収拾しなければならなかったのですが、彼らは「主は雲に乗って来る」と信じていました。「人として来る」と信じている人は一人もいませんでした。ところが、許浩彬派と金聖道派と白南柱派は、既にそのことを知っていました。彼らは成約的準備派です。その人たちは、主が人として来ることは知っていますが、会うことはできません。いくら主に会ったとしても、その人が主のようには思えないのです。それが難しいのです。直接教えてあげることはできません。
必ず、このような窮地に入っていって自分で探し求めなければなりません。神霊的な人も神霊的でない人も同じなのです。神霊的な人は、霊界から教えられて初めて動くのであって、教えてくれなければ微動だにしません。また、通じることができない人は、み言を聞いて歩まなければなりませんが、み言といっても、キリスト教ではすべて「雲に乗って来る」と言うのに、一方では「人として来る」と言うのです。ですから、その言葉もまた信じられません。このような渦中で問題が起きたのです。お父様は、平壌に行って、キリスト教の四十以上の教会から最も賢い人たちを引き抜きました。当時は、聖書のみ言で教えてあげなければなりませんでした。別な話ではいけません。その時は霊界が役事してくれました。霊界が連結してくれるのです。天があらかじめ準備して、神霊的な人たちを送ったのです。
7 平壌にいる時、サタンの役事がどれほど多かったか分かりません。そのような中でも、お父様は食口のために精誠を尽くしました。朝、ある食口のために祈ってから、その食口が来るか来ないか待ってみると、間違いなく来るようになっています。このように神霊的な雰囲気の中で祈ってみると、祈りには、どれほど価値があり、どれほど効果が現れるのかが分かります。それでこそ、仕事をしてもおもしろく、神様が共にあるという信念をもつようになるのです。
8 聖書のみ言については、私にかなう人はいません。私が平壌に行ったのは数えの二十七歳の時であり、若々しい青年でした。当時、北朝鮮のエルサレムと言われた平壌市内の大きな教会の賢い人たちが、私のところに来て、みな心を奪われました。
聖書の「ローマ人への手紙」や「ヨハネの黙示録」について解釈するのを見て、その人たちの目がひっくり返りました。今もその人たちが生きていれば、「千年史についてすべて精通している。どうすればそのように分かるのか」と言うでしょう。
9 私が以北の平壌に行っている時、一人のおばさんに会ったのですが、私より年が三十歳ほど上でした。そのおばさんが、「霊界から教えられて先生に会いました」と話しながら、「不思議です」と言うのです。「何が不思議なのですか」と尋ねると、「そんなことはあり得ないのに、本当に不思議です」と言いながら首をかしげるのです。それで「何が不思議なのですか」と再び尋ねると、「自分には全くの謎です」と言って、「自分が数えの二十四歳の時に先生の指導を受けた」と言うのです。私はまだ生まれてもいなかった時なのに、指導を受けたというのです。
それは、平面的には理解できない話です。しかし、立体的な面から見るとき、神様は縦的父母なので、その父母の心情を追い求める人は、いつも神様と一緒にいなければなりません。ですから、姿形は今、現れたのですが、心情の世界は昔も今も同じです。このように、心情を主管する神様は、未来でも会える関係を常にもっているので、霊界は時間を超越しているのです。
そのような心情の世界観があるので可能なのです。仮に神様の心の中に、これこれこのような男性がある時に生まれるだろう、という考えがあれば、その心情を通してその人を教えることができ、関係を結ぶことができるというのです。それは、心情世界の関係があるから可能なことです。
10 私が平壌に行って伝道活動をする時、神様がどれほど多くの準備をされたかということを、知らなければなりません。私に会う二十年前に、「ある家でこのような方に会ってみ言を聞くだろう」と知らせてくれるほどでした。お父様が数えの二十七歳の時に以北に行ったので、七歳の時から天が役事したのです。その時は私も知りませんでした。それをこの世の人たちは信じられるでしょうか。
ですから、多くの人たちがお父様を注視してきたのです。そのような人たちが今、地上で証しています。その人たちは、天使長の立場でお父様について証する使命を担うのです。原理的観点から見ると、私が現れる前に、私以上に精誠を尽くさなければなりません。それで、何世紀も前から、お父様に侍る霊人たちが再臨時代に向けてこの地に協助してこそ、地上のサタン世界へと進んでいける基盤がつくられるのです。
11 おじいさん、おばあさんたちは、お父様のことが好きです。数えの八十歳になるおばあさんたちが、私が平壌にいる時、霊界から教えられて私を訪ねてきました。杖をついて歩くおぱあさんたちが、どういうわけで訪ねてくるのでしょうか。霊界から教えられて集まったおばあさんたちは、私の服の裾をただ一度でも触って家に帰れば、その日は自然に踊りを踊るのです。
服の裾でも一度触れるようになれば、帰る時は軽やかに飛んでいくようだというのです。帰ってから、御飯も食べずに一日中踊っても気分が良いというのです。何か妖術を使ったわけではありません。真の愛の雰囲気に接すると、そのようになるのです。無性にうれしいのです。与えてもうれしいというのです。ひっきりなしに与えてもうれしく、悪口を言われてもうれしく、これ以上ないほど誠実に働いてもうれしいのです。
12 玉世賢(オクセヒョン)おばあさんも、誰かが伝道したわけではありません。「主はどのようにして来られるのか」と祈り、霊界に通じてみると、「主は雲に乗って来るのではなく、人として来る」と言うのです。神様がそのように教えてくれたのです。ですから、「信じてはいけない」と誰が言っても、絶対に信じるようになっています。
祈るとき、「主はいつ、どこに来ますか」と言うと、「平壌に来ている」と教えてくれるのです。「景昌里(キョンチャンニ)の小さなある家の部屋に隠れていらっしゃる」と教えてくれたのです。お父様はその頃、そこに隠れて過ごしていたのでうわさが立たず、探し出せなかったのです。その時は、景昌里で開拓する時でした。
13 お父様が平壌に行っている時、訪ねてきたおばあさんがいました。その時、私は数えの二十七歳でしたが、そのおばあさんは七十二歳でした。吉善宙(キルソンヂュ)牧師の時から李龍道(イヨンド)牧師を経て、恩恵を受けたおばあさんなのですが、この世のものとは思えない驚くべき奇跡の役事を数多くしました。このおばあさんは、平壌の牡丹峰(モランボン)で祈りを捧げ、「これから日本は、韓国のキリスト教を完全に排斥するようなことを必ず起こすから、その時に備えて準備せよ」という啓示を受けたのです。
そのおばあさんは、必ず午前二時か三時に祈ります。しかし、そのおばあさんの夫は反対していました。そのおばあさんは、あらゆる反対を退けて、長年にわたって祈ってきたのです。
このおばあさんは、韓国が選ばれた国になることを知り、また、平壌にいる女性たちに、「これからこのような世界になり、韓国に喜びの幸運の時がやって来るだろう」と教えてあげました。
そのように祈ってくれた方がいたので、神様が役事してきたみ旨が残り得るというのです。一人で来て追い込まれ、追われて一人で死んでいってはいけません。地上で自分の生命を祭物にして、神様のために相対的な立場で祈ってくれる女性がいたので、神様の復帰摂理の基盤が、この地上に残り得たのです。
14 お父様が数えの二十七歳の時、平壌に行くと平壌で騒ぎが起き、ソウルに行くとソウルで騒ぎが起きました。当時、町に行くと、町の人たちが夜も眠らず私のいる部屋にしきりに来ようとするので、論難の的になりました。
町の子供たちまでも、私のいる家のトイレに来て用を足そうとしました。どうしてそうなるのかというのです。子供たちに会うと、おもしろいおとぎ話を聞かせてあげます。御飯を食べるのも忘れるほど、ひたすら話してあげるのです。一日の間に数十もの遊びを考え出して、一緒に楽しく遊びました。そうしながら子供たちに、「お前のお母さんはどこに行ったのか。お前のお父さんはどこに行ったのか」と聞いてすべて調べておき、子供たちを連れて遊ぶのです。
私の家に来て遅くまで遊べば、疲れて寝るようになっています。そうなれば、伝道するためにその家を訪問することができるのです。それはどれほど良いでしょうか。子供たちが夜遅くまで遊んで眠ったら、お父さん、お母さんのところにおんぶしていきます。自分の子供をおんぶしてきてくれるので、有り難いことではないですか。そこで、「お茶でも飲んでいってほしい」と言うようになれば、役事が起きるのです。
15 私が以前、平壌で下宿していた家で、三歳になる子供と出会った際、敬拝したこともあります。幼い子供に対して、天のように侍りました。幼子のようでなければ天国に行けないというので、まず、子供たちにそのようにしたのです。その子が涙を流しながら「やめてください」と言う立場まで高めてあげるのです。
幼い子供に対して詩を詠み、歌を歌い、神様の息子だと称賛できるようにするためには、尊敬語を使ってたたえることができなければなりません。そうなる時に、神様の公認を受け、その子供がたたえることができるようになるのです。
天地の法度において、上下関係がねじれてしまったので、これを正して、このように復帰の道を選別してくるのです。そのようにして相対圏をつくっておき、彼らが喜んでそのようなことを相続して行える基盤が築けたので、初めて先生の位置に立つようになったのです。
キリスト教指導者たちの不信と大同保安署での受難
平壌で真のお父様の教会が、恩恵深い役事によって活気を帯びるようになると、篤実なクリスチャンたちが自分の教会に行かず、真のお父様がいらっしゃる所にばかり来るようになったため、彼らが所属していた教会の牧師と長老たちが、真のお父様の集会所にまで来て、狼籍を働き、一部の教会員を拉致していったこともあった。のちに、彼らは、自分たちの思うとおりに解決されないと見るや、共産党当局に、真のお父様が南から来た怪しい人物であり、不法集会を行う者であると告発し、真のお父様は、一九四六年八月十一日、大同保安署に収監された。そのような中でも、大同保安署の中で神霊教団の教主に会うことを霊的に察知され、そこに入られたのである。大同保安署には、腹中教の教主である許浩彬と、その人に従う幹部たちが収監されていた。許浩彬は女性で、真のお父様とは違う監房にいたが、男性の幹部は真のお父様がいらっしゃる監房に入っていたため、その人と多くの会話をされた。当時、腹中教は、主が許浩彬の腹中にいると考え、おなかが振動するたびに出てくる言葉を通して、信徒たちを指導していた。真のお父様は、その信仰を否定して監房から釈放されなければならないと伝えたが、許浩彬は真のお父様の言葉を信じなかった。そのため、真のお父様は、最後の手段として、秘密裏に紙切れを許浩彬に送られた。許浩彬は、真のお父様の言葉を信じるか、無視するか、二つに一つを選ばなければならない立場に立たされた。しかし、彼女は、真のお父様に会ったこともなかったため、結局、真のお父様のみ言より、自分の信仰を守ることが、自分の侍っている主に対する道理であると考え、その紙切れを捨てようとした。真のお父様のことをメシヤと分かれば、その紙切れを大切に保管したはずだが、それが分からず、無情にも捨てようとしたのである。そうして、その紙切れが保安署当局に発見され、真のお父様は厳しい拷問を受けて、瀕死の状態で保安署の外に放り出されてしまった。このような真のお父様を、景昌里(キョンチャンニ)教会の食口たちが教会にお連れして、この上ない精誠で看護したのである。これにより、真のお父様は健康を再び取り戻すことができたが、許浩彬と幹部たちは、その後、獄死するなど、凄惨な最期を迎えた。
16 一九四六年六月、共産党は以北の全域で、新しい宗教団体に対する弾圧を始めました。ですから、それと類似する団体があれば、糾弾されざるを得ない立場でした。当時、お父様は平壌の景昌里で伝道活動をしていました。なぜ以南(現在の大韓民国)にいた私が以北に行ったのでしょうか。
その当時、韓国の信仰の中心地は平壌であり、またそこで信仰の闘争歴史が綴られてきたからです。このように、天が準備した基盤の上で新たな出発をすべき使命があったので、以北に行ったのです。そうして、そこで伝道活動をしていたところ、八月十一日に共産党に捕まって大同保安署に入ることになりました。
17 一九四六年にお父様は、共産党に捕まって平壌の大同保安署に入りました。当時は、平壌で、キリスト教界が解放を迎えて、教会を再建しながら歴史的な使命を果たすために新しく出発していた時でした。このような環境の中で、平壌に行って新しい運動を展開したのです。当時のキリスト教界では、この民族に訪れた解放の喜びとともに、日本統治下で圧政を受けながら悲痛な信仰生活をしてきたすべての恨を取り除き、新しい望みと希望にあふれた教会の再建と信仰の革新運動が起こっていました。
そのような新しい再建の火が広がる状況の中で、景昌里教会が出発することになりました。このような環境の中で活動をしているうちに、キリスト教の中心となる信徒、または特別な恩恵を受けた人たちが、自分の所属教会に行かずにお父様のところに集まってきました。それで、当時、平壌で問題になり始めたのです。その時、お父様は西門(ソムン)から近い景昌里で伝道をしながら、教会出発の基盤を立てていました。
18 お父様が許浩彬氏の集団と関係があるとして監獄に入っていた時、許浩彬氏に紙切れに書いた手紙を送りました。お父様は「この手紙を書いた人は天の使命をもった人物である。あなたは祈ってその人がどのような人なのかを調べなければならない。もしあなたが啓示を受けたすべてのことを否認するなら、あなたは釈放されるだろう」という内容を書いて送りましたが、その紙切れが看守に発覚しました。それで、お父様はひどい拷問を受けました。一九四六年九月十八日、午後二時のことです。
その時、韓国にいるアメリカ軍のスパイとしても告発され、ソ連の調査官によって尋問を受けましたが、無罪であることが判明しました。それで、お父様は、一九四六年十一月二十一日の午後に釈放されました。許浩彬氏とその追従者たちは、お父様の言葉に従いませんでした。一九五〇年に「六・二五動乱」が起こった時、彼らはすべて虐殺されてしまったのです。その集団の失敗ゆえに、お父様はほかの人たちを探し求めなければなりませんでした。条件的な数を探し出せるまで、活動したのです。
真のお父様の縦的蕩減復帰路程
真のお父様は、金百文(キムペンムン)から祝福された土台の上で、完成格エバの立場の女性に出会わなければならなかったが、それが、「主なる神の夫人」と自称する朴ウルリョンであった。彼女は当時、神様が導き、霊界が従って活動する立場にいた。そのため、真のお父様は、エバからの主管権復帰のため、朴ウルリョンを訪ねていかれたのである。真のお父様は、彼女の子女たちに付き添って世話をすることはもちろん、最低の立場で彼女に仕えながら、犠牲と奉仕の道を歩まれた。その老女は、僕の僕から、僕、養子、庶子、直系の息子、天の国の総理大臣、イエス様の位置、神様の対象実体など、真のお父様を段階的に証した。このようにして、エバからの主管権復帰歴史を締めくくり、縦的八段階の地位を探して立てられたのである。
1 男性から祝福の相続を受けたならば、女性からも祝福の相続を受けなければなりません。そうでなければ復帰ができません。ですから、金百文氏の集団を中心に男性から祝福を受けたので、女性からも祝福を復帰しなければなりません。そのようにしなければ、今まで韓国の地で神様が築いたすべての摂理基盤を相続することができません。
男性の前でそのような基準を立て、そこから分かれて出てきたので、次は女性の前で蕩減復帰をしなければなりません。女性が根本的な堕落をしたので、根本復帰をしなければなりません。ですから、今まで女性たちが受難の道を経てきたのです。僕の門を開け、養子の門を開け、息子、娘の門を開けるために、歴史路程で受難の道を歩んだというのです。
2 平壌に不思議なおばあさんがいる、といううわさが飛び交っていました。神霊的な集団は、そのような事実を互いに隅々まで連絡し合っていました。その不思議なおばあさんは、自分のことを「神の夫人」と言っているというのです。世間の人たちは、「そのおばあさんは気が狂っている」と言いました。キリスト教でも「気が狂っている」と言いました。しかし、お父様はそのような女性が現れることを願っていました。
その知らせを聞いた時、どれほどうれしかったか分かりません。お父様はその知らせを聞いて、「天よ! 復帰の使命を中心として、天倫の法度の土台をこの三千里半島につくり、このような女性たちを通して、神様が築いてこられたものを解決すべき問題が残っているので、私は平壌に行きます」と祈ったのです。
結局、キリスト教が従うことができなかったので、再蕩減の役事をしなければなりません。すべてを神様が導いてくださいました。三十八度線を越える時も、虹が前を導いてくれました。十二里の道を直接導いてくれたのです。このような驚くべき導きを受けて、平壌にいる朴というおばあさんに会って蕩減復帰の役事をしたのです。
3 いくら再臨主だとしても、祝福を受ける過程を経なければなりません。「あなたは世界的なアベルです」という祝福を受けなければならないのです。そのように祝福してくれる人に出会い、夜も昼もあらゆる精誠を尽くし、「すべての福を渡しても惜しくない」と思う心をもつようにしなければなりません。そのような基盤の上に、天が共にある世界的な祝福を受けなければならないのです。アベルとしての祝福だけでなく、メシヤとして祝福を受けなければなりません。再臨主になるためには、世界的なアベルの位置、メシヤの後継者の位置に立って祝福を受けなければならないというのです。しかし、息子がメシヤを祝福することはできません。それをするのは母親しかいません。メシヤが生まれるようにする方は母親しかなく、神様しかいません。メシヤは女性を通して生まれるので、祝福してくれる人は母親と神様しかいないのです。
ですから、「神の夫人だ」と言う女性が現れなければなりません。「神の夫人だ」と言う母が現れて、「自分が侍るべきメシヤである」と証言しなければなりません。そのような証言をするためには、その母から「お前は私の愛する子である」と言われるように、絶対服従しなければならないのです。そのような中で上がっていかなければなりません。そのような祝福を受けるためには、僕の僕としての本分を果たさなければなりません。
4 人々がお父様に従って侍りたいと思い、何か貴い物を持ってきてくれると、お父様は、神の夫人と自称する朴というおぱあさんの家族にすべて持っていって捧げました。今日、統一教会員がこの民族を復帰するために、農村に行っておじいさん、おばあさんの世話をしたり、赤ん坊の鼻を拭いてあげたりすることは問題にもなりません。女性たちにもできない、そのおばあさんの洗濯の世話までしてあげました。どんな命令でも言うとおりにしなければなりません。復帰路程の公式がそのようになっているからです。
蕩減復帰歴史は僕の基準から上がってきたので、お父様自身も必ず僕のように扱われなければなりません。僕のように扱われるその立場で精誠を尽くせば、ますます復帰されるのです。どれほど心がはずんで楽しいか分かりません。その期間は、お父様が「原理は必ずこうである」ということを大きく開示する時までの試験期間でした。事実がそうかそうでないかを試験する期間だったのです。
このようにしたならば、天は必ず祝福をしなければなりません。僕の僕の位置から祝福復帰をしてくるのです。それが過ぎると、僕の中で最高の僕になります。そうしてさらに精誠を尽くすと、養子の位置で養子の祝福をしてくれるのです。
5 私が、「神の夫人」と語る人を訪ねていってみると、霊的な生活をしているのです。霊界の聖人、賢哲たちを連れて踊りを踊ったりしていました。イエス様が説教し、孔子が出てきて語り、モーセがやって来て話をするのです。
その中に入ったのですが、最初、お父様は僕、天使長の位置に入りました。すべての人たちが、「天が愛する僕の僕が来た」と言いました。その次は、自分たちよりもあらゆる面で優れているので、「ああ、僕だ!」と言いました。そのように証をしなければなりません。その次は「イエス様の弟だ」と言い、そのあとは「イエス様と双子だ」と言います。それが復帰です。その次は「お兄さんだ」、「天の国の総理大臣だ」、このように上がっていくのです。総理の次は神様です。天の国の総理なので「天の国の王だ!」と言うようになるのですが、王になるだけではいけません。
「霊界について教えてくれる先生の中の先生であり、父の中の父である。父であると同時に先生であり、先生であると同時に王である」と、このように神様に代わって呼ばれるようにならなければなりません。その次からは、今まで私が僕の僕として朴というおばあさんに侍ってきた道と、完全に逆の道を歩まなければならないのです。
四十三日の霊界勝利路程
真のお父様は、縦的八段階の位置を探して立てられたのち、四十三日間、霊界の試練を経ていかれた。イエス様と全霊界の聖人、賢哲たちが、真のお父様の原理のみ言に反駁する状況となった。そのため、真のお父様は、天理原則をもって、そのような反対に立ち向かい、独りで決着をつける闘いをされたのである。神様は、真のお父様の主張が復帰の恨を解く原則であり、天倫の秘訣の中の秘訣であると最終的に判定して、御印(ぎょいん)を押してくださった。
6 お父様は、朴というおばあさんから祝福されたのちに、「私は誰々で、あなたは誰々であるから、復帰の恨を晴らそうとする天のみ旨に屈服しなさい」と言いました。自分の思いどおりに操り、自分の思いどおりに「来なさい、行きなさい」と言うことができていた若い青年がそのように言い出し、とりわけ「私は神の夫人だ」と言っていた局面なのですから、屈服しなければならないとは、唖然としたでしょう。そこでそのおばあさんがおとなしく従っていれば、お父様も苦労しませんでした。そのように従順にするのは大変なことです。千人なら千人が、そこですべて敗れ去っていくのです。屈服せずに反対したその時から、そのおばあさんは気が狂ってしまいました。
内外の祝福基準を兼ね備えるようになるまでの、霊的な試練は言語に絶するほどでした。それは四十三日間にわたる試練期間でした。その時は、霊界のすべての霊人たちが責め立てたのです。
しかし、お父様は、天理の原則をもって彼らと闘いました。一人で四十三日間、今まで生まれては死んでいった数多くの霊界の道人たち、イエス様や神様まで動員された全霊界と闘いました。天地を争いの場にするわけにはいかないので、神様は四十三日の期間が満ちれば、そこで判定を下さなければなりません。天理の原則でなければ天と地が滅びるのです。お父様が探し求めてきたこの道は、間違いありません。結局、お父様は、最後の勝敗を決める闘いで、勝利したという判決を受けたのです。
7 再臨主がしなければならないこととは何でしょうか。キリスト教の反対によって、天上世界と地上世界、霊肉の版図を備えた勝利的覇権が完全に崩れました。それで、それを再び創建しなければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家の四千年間の復帰歴史を、霊界から再び整理していかなければならないのです。ですから、霊界に入っていって大勢の霊人たちを中心として闘いました。ここにおいて、霊界が反対しました。サタン側の立場で、「異端だ」と言って反対したのです。
蕩減復帰は避けることができません。それを個人から収拾しなければなりません。真理をめぐって理論闘争するのです。地上天国は拳をもってつくるのではありません。理論闘争と真の愛をもってしなければなりません。ですから、四十三日間にわたって霊界に大混乱が起きました。教主たちを中心として、宗教指導者たちが責任を果たせなかったことや、復帰の過程では心情を中心として、血統転換していくことを知らずにいたのです。このようなことをお父様が発表することによって、霊界も知るようになり、このような過程において、彼らのほうが理論闘争で負けたのです。
8 再臨主になろうとすれば、霊界に入って神様の御印をもらってこなければなりません。お父様は、霊界に入って四十三日間の闘いをしました。地獄のどん底から天上まで、皆が「文先生は異端者だ!」と言いました。それを下から整理していかなければなりません。最後には、聖賢たちと神様のみ前で談判して、正義の主人は誰かを決する闘いをしなければなりません。
その時、「霊界に来たすべての人々は血統が違っている。血統転換をしなければならないことを知っているのか」と言いました。二つ目は所有権転換です。「地上で暮らしながら自分の所有意識をもっている人は、天の国の背信者である!」と言ったのです。教主たちがいくら偉いといっても、ここに引っ掛かっています。ですから、お父様は霊界で闘う時、自信満々に「異端がどうした」と言い張りました。
最後には、霊界に大混乱が起きそうなので、神様が審判長として判決を下さなければならないのですが、神様まで反対したのです。アダムが天に背いたので、蕩減復帰の原則によって神様もアダム完成者に背かなければなりません。そのようにしてこそ、神様の心に築かれた壁が崩れるのです。そうして全体が反対し、神様まで向こう側に立っている中で、たった一人、お父様だけが残りました。
かといって、混乱の渦中にある霊界を、そのままにしておくことはできないのです。神様が最後の判決を下さなければなりません。神様は、お父様が言う血統転換、所有権転換、心情圏転換をしなければならないというのは事実だと言ったのです。そのような勝利の覇権者として御印をもらって、降りてこなければなりません。
9 解放直後、自由世界を中心として、韓国とキリスト教全体が一つになってお父様に反対しました。イエス様の命を奪い、洗礼ヨハネの命を奪ったのと同じことが韓国で起こったのです。サタンがアダムの命を奪ってアダムの家庭が滅び、イエス様の命を奪ってキリスト教文化圏が延長したように、世界時代が来たので、全権を駆使して平面的に攻撃するのです。肉的に攻撃するのも恐ろしいことですが、霊的に攻撃するのです。霊的世界と肉的世界を総合してお父様を攻撃します。神様がサタンに、「お前が望むことは何でもしてみよ! すべてしてみよ!」と言われたのです。
サタンが望むのは、霊的世界全体と肉的世界全体が一つになって、父になれる資格があるかないかを、自分が試験するということです。サタンが「私は世界と天地に私の子孫を通して基盤を築きました。それから抜け出すためのものが真の父母なので、この二つの陣営の闘争圏内から解放されなければ真の父母にはなれません!」と言えば、神様も原理的な面から「そうだ」と言わざるを得ないのです。それを知っているお父様は、世界の攻撃を受ける前に、まず霊界に入り、数多くの段階の霊界を統一しなければなりません。
10 アダムが神様に反逆したことを蕩減復帰しなければなりません。蕩減復帰の法則は本当に冷酷です。容赦がありません。人間が神様を打ったので、「終わりの日」に再臨主として登場するためには、アダムが神様に反逆したことを蕩減復帰しなければなりません。ですから、神様は、愛するのではなく、打ってしまうのです。
そのような中で、神様が反対するのですが、「これでなければならない」と言って争うのです。これをそのまま放置しておけば、霊界の混乱が継続するので、神様は四十三日以内に「誰が勝利した」という決定的な宣言をしなければなりません。その宣言と同時に、勝利したという御印をもらってこなければならないのです。根は神様です。ですから、全体の勝利的覇権をもったその位置で神様の御印をもらって地上に降りてきました。四千年間継続してきた霊界のあらゆる紛争を収拾したのです。
11 お父様は、試練の渦中でも不平を言いません。迫害を受けるまっただ中に入っても、不平を言わないのです。国や町や家庭や個人が終局において攻撃してきましたが、私に勝つことはできませんでした。すべて敗れていきました。最後には、神様までもがお父様に反対しました。しかし、神様がいくら理解し難いことをしても、私は神様をつかんでいました。そうして霊界で四十三日間闘ったのです。
神様が反対するので、神様を中心としてイエス様が反対し、孔子が反対し、釈迦が反対し、ムハンマドが反対し、霊界全体が一つになって反対しました。しかし、四十三日間闘いながら、譲歩しなかったのです。神様は、四十三日の間に決裁をしなければならないようになっていました。それで神様は、お父様が天と地において最高の勝利者であると宣布したのです。
イエス様の使命を全うするための蕩減路程
興南監獄の試練は、再臨のメシヤとして、イエス様の使命を全うしていかれるための蕩減摂理路程である。再臨のメシヤは、クリスチャンたちが反対する中で、イエス様の使命を全うしていくために、十字架によって亡くなられずに、生きて監獄から出てこなければならないだけでなく、イエス様が失ってしまった十二人以上の弟子を、十字架上(監獄)で探して立てなければならない。北朝鮮の興南監獄は、人間を徐々に殺す十字架と同じであったが、真のお父様は、イエス様の使命を全うしていくための蕩減路程を勝利的に締めくくられたのである。特に、周辺の人に対して伝道することはできなかったが、霊界にいる囚人の先祖たちが子孫に夢で現れ、真のお父様に特別に良く接し、侍るようにと教え、真のお父様が監獄から出てこられるときには、十二人以上の弟子をもつようになられたのである。そして、興南監獄に収監されたのち、最初の二、三週間は、食事の半分を他の囚人たちに分けてあげ、定州にいらっしゃる忠母様(実母)が、定州から興南まで来て差し入れしたはったい粉と服も、すべて彼らに分け与えられるなど、人のために自らを犠牲にしながら、収容期間に三度も模範労働者賞を受けられた。毎日配給される飲料水の一部を残しておき、体を清められるなど、神様の息子であるという自覚をもって模範的な生活をされたため、天も感動せざるを得なかったのである。
1 イエス様は、霊界の地獄のどん底に行って、三日間の受難の道を克服しなければなりませんでした。イエス様が霊肉を中心とした勝利の基点をもたなければならなかったのです。ですから、道を切り開いておかなければ讒訴される立場になってしまうので、道を築かなければなりません。それゆえ、イエス様が霊界の地獄に行って開拓し、道を切り開いたのです。
お父様はそのような原則を知っていたので、以北(現在の北朝鮮)に行って監獄に入ったのです。私が平壌刑務所で手錠をかけられて刑罰を受けている中でも、「誰々に会うだろう」ということを、すべて約束されていました。「そこに行けば、イエス様の三弟子のような人に会うだろう」ということを約束されたのです。復帰の運勢圏の中では、そうでなければ天道と合いません。ですから、手錠をかけられて監獄に行く道も、最高の希望の道でした。
「これこれこのような人に会うだろう」という、その希望をもって監獄に入っていったのです。絶望の中で訪ねていったのではありません。私が監獄に入ったので、そこで道を築き、その苦労の功績を通して、その門が自動的に開くようにしなければならないのです。そのようにするには、完全に蕩減しなければなりません。監獄暮らしをして、獄中で祭物にならなければならないのです。それで、監獄に入っても、最も難しいことを私が引き受けて行いました。
2 解放後、お父様は、怨讐たちが群れをなす以北の地でみ言を伝えました。それで、監獄の道から出発したのです。お父様は平壌の監獄に入っていくときも、死なないことを知っていました。その上、「これこれこのような人に会うだろう」ということまで知っていました。お父様に何か必要な物がある時は、無知蒙昧な強盗や窃盗犯、殺人犯などの大勢の囚人たちに、霊界が「どこそこの監房に番号が五百九十六号の人がいるから、その方にこのようなものを持っていってさしあげなさい」と伝えて、来させたりしました。冬になって寒くなるのに、お父様の着る服がなければ、彼らに着る服を持ってこさせたり、また、私が食べることができず、おなかがすいた時には、思いがけない人に、お父様の名前と番号を教えて、食べ物を持ってこさせたりしました。そのようなことが一度や二度ではありません。
平壌の監獄に入れば誰に会うのかを知っていたので、希望の中で一九四八年五月二十日まで過ごしました。その時、監房の窓辺をかすめた柳の葉を眺めながら、思いにふけったことが、ついきのうのことのようです。今も記憶が鮮やかです。そこで、天のみ旨に従っていくことを約束した人たちに会いました。彼らに会うことによって、怨讐の地、最も深い谷間から天の密会が始まったのです。そこから天の兵士を募り始めました。家庭と社会から追われ、追い出されたので、そのように監獄から始めたのです。
3 お父様が平壌刑務所から手錠をかけられて興南の監獄に行くのに、十七時間かかりました。それで、その車内で何を考えたでしょうか。深刻でした。唖然とするほど深刻な立場にいるお父様を見る神様は、どれほどかわいそうでしょうか。神様の六千年の摂理歴史を再び蕩減復帰しなければならないのですが、私のほかには誰もする人がいないのです。これを蕩減復帰しようとすれば、数千年はかからざるを得ません。知っている人は私しかいません。
ですから、すべての山野の外景を眺めながら、どれほど深刻だったでしょうか。私一人しかいないのです。その時、最も悪辣な強盗と二人組になって手錠をはめられていました。そのような状況で「いかにしてこの環境で生き残るか」を考えるのですから、どれほど深刻だったかというのです。
4 お父様は、以北の平壌と興南の監獄で、イエス様の公生涯に該当する二年八カ月の期間を送り、十二人の人を復帰することができました。十二人を復帰することによって、イエス様が失ったすべての条件を復帰することができたのです。たとえその人たちがお父様に従わなかったとしても、お父様が釈放される時、彼らの位置に、ほかの人たちを立てることができました。
お父様は、計画していたすべてのことを完遂したので、天は、天使長国家であるアメリカと国連軍を通して北朝鮮を攻撃するようにし、お父様を解放しました。そうして、監獄から出てくるようになったのですが、その時、四人の人が私に従いました。国連軍が韓国を守ってくれたので、その条件によって、天の運勢は再び民主世界に戻ってくることができ、キリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです。
5 イエス様が死の道を行くことになった時、イスラエル民族が裏切り、愛する三弟子までも裏切りました。ですから、蕩減復帰の原則によって、監獄にいる時、イエス様が失った十二弟子と同じ数を蕩減復帰しなければならなかったのです。このような立場にいたので、お父様が興南監獄にいる時、口を開かなくても第二イスラエル圏内にいる霊界の霊人たちが伝道して、その数を満たしてくれました。このような歴史的な関係を経てきたのです。
共産党の厳しい監視と注目を受ける獄中生活でも、人知れぬ心情的な団結運動を、神様が責任をもって行ってくださいました。そこでは、あからさまに伝道することはできませんでした。しかし、お父様が口を閉じていても、霊界から伝道してくれたのです。
北朝鮮・興南での蕩減路程において勝利された真のお父様
真のお父様は、興南監獄で、誰よりも遅く休み、誰よりも早く起きる生活をされ、労働現場においても、同僚のために尽くしながら、最も難しい仕事を一手に引き受けられた。「監獄の聖者」と呼ばれるほど模範的な生活をされたため、天が感動せざるを得なかったのであり、すべての蕩減復帰摂理の条件を立てられた。興南監獄では、国連軍が興南に上陸したのち、一九五〇年十月十二日から、囚人たちを処刑し始めた。真のお父様の処刑日は十月十四日だったが、国連軍が、この日、総攻撃を断行すると、北朝鮮の人民軍が退却するとともに、真のお父様と収監されていた人々はみな、解放された。そして、真のお父様は、監獄から解放された直後、徒歩で十日かけて平壌に向かわれた。
6 十月十四日は、興南の監獄から出てきた日です。そこに入っていくとき、私はどれほど深刻だったでしょうか。何としてでも生きていかなければなりません。生き残ろうとすれば、死ぬと思われるような状況を通過しなければなりませんでした。ですから、労働する所で、いつでもその仕事場で模範となる人物として登場する人が私でした。それが生きていく秘法です。
働く人たちは数十人ではなく、千人近くいるのですが、看守たちが私を選定して、最高の実績を上げ得る材料にするのです。そのようになるのはたやすいことでしょうか。そのようにして生き残ったのです。
お父様は、このような道を走ってきて、み旨を成し遂げてきました。恨多き復帰の峠を越える責任者はどこに行ったのかというのです。民族の怨恨、世界のキリスト教が失敗した怨恨、呪ゐるそのすべてのことに対して、私が責任をもって消化してきました。神様と共に働く人になり、その方の味方になり、自分の道を再創造して、私を中心としてキリスト教文化圏以上のものを編成してきたのです。
7 私が興南の肥料工場で働くことにおいてチャンピオンになったので、人々はみな私のあとにばかり付いてきました。朝、出ると班を編成するのですが、毎日同じ人たちと仕事をすることはできません。ですから、班を編成するとき、私がトイレに行っていたとしても、戻ってくるのを待って、私の後ろに付くのです。
そうすると、その中で最も仕事ができる人たちが集まり、そこで私が隊長になります。かますを縛ることから、引きずり出して貨車に積むことまで、することがとても効率的で、公式化されているのです。
ですから、仕事をしているとは考えず、他のことを考えます。国家的、世界的なあらゆることを材料にして、未来のプログラムを練るのです。そのようなことを考えながら働いていると、時間が過ぎるのも忘れます。ですから、他の人と同じように汗を流しますが、疲れを知りません。このようにすることが、精神的に力になるのです。このようにしていたところ、表彰があるたびに、毎回模範労働者に選ばれて賞をもらいました。そのようにして生き残ったのです。
8 「六・二五動乱」中の一九五〇年八月一日、アメリカ軍のB29爆撃機が総攻撃をし、興南を大々的に爆撃しました。お父様はこのようになることを予見していただけではなく、お父様を中心に直径十二メートル以内は、神様が守ってくださることを知っていたので、近い人たちに、みな私の周りにいるように告げました。お父様は、その中でじっと瞑想をしていました。爆撃のことは考えずに、今後の理想世界について考えていたのです。
結局、思想や理想をもった人こそ価値があるのです。このように復帰の使命を担った人を霊界に連れていけば、神様にとっては天宙的な損害になるので、神様はいかなる犠牲を払ってでも防備することを願ったのであり、そのようにせざるを得ませんでした。
9 連合軍が爆撃をする数日前から、共産党は囚人たちを処分し始めました。ある日、彼らが麻ひもを集め始めたのです。お父様は、直感的に最後の時が近づいてきたことを感じました。お父様は本当に深刻な祈りを捧げました。
看守が、一人一人を呼び出して別の場所に移動すると説明しました。それが最後の道でした。そして、一人一人、井戸の中に逆さまに落として殺害したのです。次の番がお父様でしたが、その日の夜の午前二時頃、国連軍の総攻撃により、生きて興南監獄を出ることができたのです。
10 一九五〇年に国連軍が北朝鮮を爆撃したのですが、最初に興南を爆撃しました。お父様のいた興南監獄がその近くにありました。お父様は、その国連軍によって自由の身になったのです。そうなるまでに多くのいきさつがあります。
お父様は、東海岸にある興南から平壌まで歩いて帰ってきました。西側の平壌まで歩いていったのです。お父様は、以前に従っていたすべての人たちに、私が帰ってきたことを知らせながら弟子を捜してみましたが、ほとんど戻ってきませんでした。しかし、何人かの人を集めることができたのです。
11 一九五〇年十月十四日に釈放され、東海岸から平壌に向かって歩きました。平安南北道(ピョンアンナムプクト)の境界線付近に来たとき、人民軍が、逃走しながら、峠を越えるたびに敵対する思想をもつ人たちを粛清していました。数十人ずつ並ばせて処刑していた、その峠を越えてきたのです。
その時は、刑務所から釈放されて、囚人服ではないほかの服を着て出てきていたので、人民軍は(私たちが)自分たちの敵ではないと思いました。死の峠を四回越えたのです。その時、四人の人が一緒に付いてきました。
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