感謝する信仰 第2章 神様になりましょう

目次

第二章 神様になりましょう

天国に行きたいですか

  アンニョン ハセヨ ヨギガ オディムニカ ここはどこですかという意味です。皆さんとこういう場所で会ったことを神様に、また真のご父母様に感謝申し上げます。皆さん、いつかは霊界にみんな行くでしょう?行ってから真のご父母様が皆さんに語った場合、霊界では日本語では通じません。皆さんに質問したら、答もできなかった場合、どうなるでしょうか。

  皆さん、統一教会の食口として信仰生活するのは難しいですか。人が生まれて成長し、教育を受けて、卒業し、職場をもち、結婚して、子供を産んで、自分の家を建てるために節約して、食べず、眠らず、お金を儲けて、ようやく銀行から借りたり、友達から借たりしながらようやく自分の家を一つ建てたら、その人は人生路程において成功したという立場に立つでしょう。そういう生活をしていながらも、自分の家を建てることができない人もこの世の中にはたくさんいます。では、私たちは、どういう目的でここに来たかというと、今までのたくさんの宗教は、天国行くという目的で来たけれども、今この場所に座っている私たちは天国へ行くのでありません。私たちは天国を創るために来 たのです。ですから皆さん、今この場所に座っている私たちは、難しいという話を時々しますけれども、天国を創るという心を今から、皆さんの心の中に強くもたねばならないのです。

  今までのたくさんの宗教は、天国に行くという話をしてきました。ですから、今までたくさんの人たちは天国に行くためにたくさんの努力をしてきました。韓国で有名な牧師が復興会を行い、たくさんの教会員が集まった時「皆さん、天国へ行きたいですか?」と聞きました。天国へ行きたいですかと聞かれたら、何と答えます? 皆さん天国へ行きたいですか?行きたくないですか。(行きたいです) 本当ですか? 「皆さーん!天国へ行きたいですか?」と質問すると、もう全教会員たちが「はい!ハレルヤ、アーメン!」と大騒ぎしました。「本当ですか」と確認すると、「ハイ、行きたいです」「本当ですか」「本当です」と大騒ぎしながら興奮したのです。何度も「本当ですか?」と確認すると「本当です」と言うのです。何回も繰り返して確認したのです。少し時間を経てから「今、行きたい人手を挙げなさい!」と話すと、今まで天国に行きたいと大騒ぎしながら「ハレルヤ、アーメン!」と言ったたくさんの人たちが、一人も 手を挙げないのです。今までの信仰生活は、死んだ後の世界の天国ですから、今天国に行きたい人、手を挙げなさいというのは、今死になさいという意味なのです。ですから 誰も手を挙げなかったのです。

  ですから、今までの宗教はどの宗教でも、死んだ後の世界に対して重要視しながら準備してきましたし、死んだ後の世界を目標にしてきました。彼らは、その死んだ後の世界は遠いところにあると思っていましたが、向こうの遠いところではなく、今私が座っているこの場所が霊界であるし、また同時に見える有形の世界であるということを忘れてはいけません。

  私たちの心と体は二つの存在であるけれども一つであるのと同じく、霊界は見えない世界として向こうの遠いところにあるのでなく、この世界が見えない世界でもあるし見える世界でもあるのです。私たちは天国へ行くというそういう観念はたくさんもっているけれども、この地上天国を創るということに対してはあまり関心をもっていないのです。私たちはそういうふうに今までの生活をしてきたのです。

  説教する人は、死んだ後の天国を目標にしながらも、教える内容はこの地上での幸福、平和、義、善について説教をしたのです。死んだ後の世界だけが目標ならば、牧師は説教しながら初めから終わりまで死にましょうという説教をしなければならなかったのです。目標と教える内容は全然違うのです。ですから今までの宗教は困っているのです。どこに目標を立てるかです。死んだ後の世界が目的だったら、早く死にましょうと教育しなければならないし、死んだ後の世界よりも地上で生活するのがもっと重要ならば、それをもっと強く説明しなければなりません。そうではないでしょうか? 目的は死んだ後の天国という話をしながらも、教えの内容は幸福と善と義と平和の世界を創りましょうという話の内容を見れば、死んだ後の世界も重要であるけれどももっと重要なのは今住んでいるこの地上がもっと重要であるというのです。これは本心を正しく証明して見せてくれる内容です。今までの宗教は、そういう立場であったのでそれを迷っているのです。

韓国のクリスチャンの信仰

  皆さんは、韓国においてのキリスト教の人たちの熱心さは理解できないでしょう。韓国のクリスチャンたちは、日曜日の朝九時半に外に出てみれば、半分以上の人が聖書と賛美歌を持ってみんな教会に行くのです。その人たちは再臨主を迎えて結婚するのが最後の恵みの中の恵みであり、その恵みはクリスチャンの二千年の恵みなのです。 終末に再臨主を迎えるために、二千年間待って、再臨主が現れたらもう自分の旦那さん、子供、自分の命、財産、すべてを捨てて再臨主を迎えるのです。そして再臨主と結婚し、再臨主と一緒に生活したら、それが最後の恵みであるし永遠に恵まれる立場なのですから、永遠の世界にも残れるし、未来の後孫の人たちも残るというのです。

  ですから、一九六〇年に朴仁宣(パクインソン)という人が自分の家・土地・財産を全部売って、その金でチラシを作って飛行機をチャーターして、韓国全土を周りながら、チラシを配ったのです。何かといえば、「一九六〇年の四月十一日の午前五時に再臨主が来るからみんな集まりなさい」という内容でした。

  そして、統一教会と朴仁宣という人とは一九五九年に、ソウルの市内で独立教会という所で一緒に復興会をしたことがあるのです。私たちはその人をよく知っているので、「絶対そういうのではありません」と、その人のために断食しながら何回も話したけれど、彼らは聞かなかったのです。

  ソウル市内においてもみんなそういう運動をして何百人も集まりました。彼らは自分の家・土地を全部売ったのです。お金を使って、食べる時に食べて、楽しんで、残りの分を人に上げたり捨てたりし、四月十一日午前五時を迎えました。皆さんそういう立場に立ってみなさい。死ぬか生きるかの二つのうち一つです。再臨主を迎えたら永遠に恵まれる立場になるのですから、みんな捨てて行くのです。

  彼らは四月十日に牛耳洞(ウイドン)の後ろにある山の麓にみんな集まりました。白いガウンを来て、熱心に徹夜しながらの大騒ぎです。山の麓でハレルヤ・アーメンと言いながら踊りながら再臨主を迎えるというのです。再臨主はこのように座って迎えるのではなく、飛んで上がって空中で結婚式をして、そこで千年間住むというのです。それが二千年間のクリスチャンの教えです。そういうふうに集まって再臨主を迎える一時間前のことを考えてみなさい。それがどれくらい深刻であるか。三十分前、十分前、だんだん興奮するのです。それで最後に飛び上がりました。バーンと落ちたのです。それで彼らはお祈りが足らないとして一週間、全員が断食をしたのです。しかし、それでもできなかったのです。

  その朴仁宣という人は、信者たちから不信されたのでどこに行ったかというと、ソウルから二時間離れた大田という所に行ったのです。そしてまた人を集めたのです。その時に何の啓示が顕れたかというと、「や、あなた死になさい、死になさい」と。「なぜですか?」と言うと、「イエス様は死んだ後、三日後に復活したじゃない。だから、あなたも復活するから死になさい」と言うのです。一度失敗したのですから、これは本物か偽物か、と自分なりにふらふらしました。 ところがあるメンバーが、「や、私は不思議な幻を見た。」「何?」「先生が死んだ後、三日後にイエス様と同じように復活するという、啓示を受けた」と言うのです。「あ、それは私も受けたよ」ともう一人のメンバーが答えました。メンバーの中の二人が、そういうふうに同じ夢を見たのであるから、本人に聞いてみましょうと話をしたのです。すると、「うん、そういうのがある」と認めたのです。 ですから彼は自分も曖昧にしていたのに、これは間違いない。メンバー達も自分も啓示を受けたのだから間違いないと確信したのです。

  主体と対象が授け受けした基台の上に立った時には、力が出ます。ある時メンバーを集めて講演会をしました。「私は今から、イエス様が三日後に生き返ったのと同じように、死んで三日後に復活するから絶対に離れてはいけない。泣いてはいけない」と、そういう話をしたのです。彼は一度演説してから、メンバーたちの前で眠り薬を飲みました。たくさん飲むと長く眠り始めたのです。メンバーたちは徹夜もして熱心にお祈りします。そうすれば大田の警察たちにそういう内容が伝わらないはずはありません。警察が来てその人を病院に引っ張って行こうとするのです。でも絶対、生き返るというのです。三日間待って下さいというから、仕方なく三日間待ったのです。三日間待ったけれども、一度さようならした人はさよならです。もう一度帰ってくる?何が復活する?その人は そういうふうに言ったのにそうはならなかったのです。

  なぜ私がこのような話をするかというと、朴仁宣という人が言った日にち、四月十一日午前五時が、真のご父母様の聖婚式の時間だったのです。ですから、真のご父母様の聖婚式が行われるのを、空から再臨主が来て、自分たちは飛んで上がって結婚式をすると教えてくださったのです。私たちはそれを知っているので、その人に対してみんな知らせてあげたけれどもだめだったのです。

  この場所に座っている私たちが、そのくらい命を捨てて再臨主を迎えるためのお祈り、信仰をどれくらいしたでしょうか。それが一九六〇年の話です。

ヒュゴ

  一九九二年十月二十八日に韓国ではヒュゴという摂理があった。ヒュゴというのは、この地上で熱心に信仰生活している人たちが飛んで上がって、霊界で再臨主を迎えて、そこで結婚式をして千年間住むという内容です。それが聖書に書いてあります。それが聖書に書いてあったので、啓示を受けた人たちが一九九二年十月二十八日、夜二十四時に飛んで上がるというふうに、全韓国のキリスト教の人たちにそれが広がっていったのです。ですから、今までクリスチャンの信仰生活をしていた人たちは、どういう決断をもっていたかというと、再臨主は新郎であるから、女性は夫婦生活していながらも、自分の旦那さんより、新郎である再臨主を迎えるほうがもっと重要なのです。ですから、一緒に教会に行ったり来たりするのに、女性のほうは急ぐのです。なぜですか。再臨主を迎えなければならないからです。再臨主は新郎の立場であるから女性が迎えるのです。けれども旦那さんは、旦那さんなりのいろんな環境があるからそれを見ながら信仰生活をしようとするけれども、奥さんは積極的であるから、「あなたもっと急ぎませんか」と、もし聞いてみれば、「もう適当に環境を見ながら行けばいいんじゃないか」というように、男性はスローモーションです。その日はどんどんどんどん近づいてきます。ですから女性は最後に決心しなければならない日が来てしまうのです。そして最後に何の話をしたかというと、「あなた、私と永遠に一緒に行くか行かないのか」と。「何?」「私と一緒に行動しなければ私はあなたを捨てても、離婚してでも行く」と。自分の旦那さんに、そこに参加するか参加しないか決定しなさいというのです。イエスかノーか決定しなさいというのです。男性は男性なりに我慢しながら「最後まで一緒に行こう」としても、女性は受け入れられないのです。

  結論は何かというと、夫と離れても自分は行くと言うのです。ですから仕方なく離婚するのですよ。離婚する時子供を女性が連れて行くか、男性が子供を連れていくとしたなら、自分は何の財産も必要でないというのです。私は十月二十八日までの食べ物だけ下さいというのです。

  そういうふうにして離れるのです。離れてどこに行くのですか。家もないし、食べ物だけもらって山奥に行って、ビニールハウスを作り、その中に住んで食べず眠らず、徹夜しながら賛美し、お祈りしながら十月二十八日まで待っているのよ。十月二十八日、二十四時に自分が飛んで上がるのです。他の誰の話も聞きません。自分は絶対死んでも飛んで上がるのです。

  韓国の大統領の金大統領も長老教会の長老です。そういう話を信じていたのです。韓国のクリスチャンたちはあまりにもそれを信じました。どのくらいその勢力が拡大していったでしょうか。重要な工場の生産部分のポジションの人たちにクリスチャンの人がいて、この人が離れたら全部生産ができず、貿易にも影響受けるのです。それなのにその人たちがそれを信じてからは、工場に熱心な職場をもっているのに工場に行かないのです。 十月二十八日に行くために、みんな辞めるというのです。ですから工場で生産し、 貿易しなければならないのに、それがどんどんどんどん落ちるのです。国家の国力がどんどんどんどんマイナスになる方向まで行ったのです。ですから大統領が困ったのです。それで仕方なく、金大統領は長老教会の有名な牧師たちにそういうのではないということを説明したのです。二千年間、キリスト教会が強く「再臨主が雲に乗ってくる。私たちは上がって結婚して千年間生活する」。そう言ってきた話をそういうのでないというように発表したのです。しかし、そういう話をしたとしてもやまないのです。どんどん増えていくばかりです。

  ですから今、それを強く語っていた李長林(イジャンイン)牧師という人は、嘘の話をしたとして牢屋に入っています。キリスト教の有名な牧師たちを通じてそういうのではないと話したのです。今までそういうふうに教育してそれがそのまま行われると話してきたのに、それがあまり強く広がるのであるから、クリスチャンの有名な牧師たちがそうでないと話したのです。そうでないと話をしたけれども、人々は十月二十八日まで徹底的に信じてきたのです。それなのに皆さんは何もわからずに眠ってばかりいました。皆さんよりNHKのテレビチームのほうがそれをそのまま受け入れて、テレビカメラを持って五十~六十名が大騒ぎしながら韓国まで来たのです。眠ってばかりいる皆さんにそれを見せるために、日本のNHKが五十~六十名の人たちが来たのです。

  それが麻浦(マッポ)であったのです。麻浦はどこにあったかというと、キリスト教財団、UC財団の本部がある、十三階建てのビルディングがある所です。その日、夜十二時にサーチライトを照らして大騒ぎです。何千名の人達が来て飛んで上がるのを、皆さんの日本の前に見せるために大騒ぎしたのです。ところが皆さんは眠ってばかりいたので、それ見なかったのではないですか? NHKが放送したのに見なかったですか? 私は韓国で見たのに。(笑い)

  そういうふうにしても、みんなできませんでした。空中での婚姻式が受け入れられなかったのです。御父様は、そうでないという話をしたのです。それなのにその人たちは、命をかけて今もそう信じているのです。

  皆さん、この場所に座っている私たちの祝福結婚式は、そういう立場で受けなければならない結婚式です。ところがこの場所に座っている私たちは、食べるものはみんな食べて、寝るのもみんな寝ながら、のろのろして祝福を受けたでしょう? 誰も何も分からずに、「行きましょう、行きましょう」と言われて、徹夜しながら熱心にお祈りして、 祝福までようやく受けた。祝福というのはそんなに簡単な祝福ではありません。私たちの祝福がそのくらい、命懸けで、自分の財産、自分の旦那さん、自分の子供、全部捨ててから、私が死んでもメシヤつまり再臨主と結婚したならそれが最後で、それ以上何も ないのです。それがクリスチャンの婚姻式であるし、祝福の結婚式の場です。皆さんは祝福を受けました。祝福を受けた皆さんと、祝福を受けなかった皆さんの友達と、今まで生活しながらどのような違った点がありますか、ないですか。皆さん、自分に答えてみなさい。

祝福を受ける前と受けた後と

  皆さん、祝福を受けたでしょう。(はい)祝福を受ける前と祝福を受けた後、何が違いますか? 違うものは何もないのではないですか? もちろん祝福を受ける前には酒を友達と行って飲む時があったけれども、祝福を受けたので、以前はたくさん飲んだのに、酒を飲んで奥さんの前に行ったら大騒ぎするから少しだけ飲んで行くという、そのぐらいは少し違っていると思います。

  皆さん、祝福を受ける前と受けた後、今この場所に座ってみて、あるいはこの場所に来るまでに何が違いましたか? 自分自身を確認してみなさい。何が違いましたか? 違うものは何もないですか。統一教会で祝福を受けた皆さんも、一般の社会の人でも、結婚したら子供を生むのです。子供を生んだらその子供の生活のために、男性は職場へ行き、皆さんも何人も子供を育てながら生活するのです。その子供はサタン世界の結婚をした親の子供たちと何が違うのですか? 自分は違っているという気持ちであったとしても、違う生活をしてきたかということです。皆さん、どうですか。

  私が考えた場合には、科学的には何も違ったように見えません。昔は、奥様のほうから「さあ、日曜日教会に行きましょう!」と言ったものです。皆さんはこのごろ日曜日に教会に行きましたか? 夫婦で教会へ行かなかったのではありませんか?

  祝福を受ける前の皆さんは、堕落世界にいて地獄の生活をしていたけれども、祝福を受けた皆さんは、天国に住んでいるのです。けれども皆さん、祝福を受けてから今まで天国と思って生活しましたか? 祝福というのは天国が始まるということです。それなのに、祝福を受ける前と祝福を受けた後の自分が、何も変わらなかったとしたら、天国が地上に来たとしても、その天国は私と何の関係もありません。自分と関係のない天国になるのです。

キリスト教の歴史

  今までの宗教の責任者、釈迦、孔子、イエス、ソクラテス、誰か一人でも祝福を受けた方がいますか? 今までの宗教の責任者たちは、愛の世界について話しました。皆さん、男性が一人で愛することができますか? 愛というのは、男女を通じて現れるのです。ところが今までの宗教の責任者たちは、家庭あるいは夫婦という基盤を創り出して成功した人はいません。ですから、今までの宗教は女性を無視した宗教と見ても間違いないくらいです。イエス様の希望は何であったかというと、家庭をもつことでした。イエス様は、お母さんが「さあ、今日誰々の家の婚宴会の儀式があるから行きましょう」と言うので一緒に行きました。行ってみると、その家の婚宴会の儀式で準備した酒がみんななくなりました。ですから、イエス様のお母さんがイエス様のところに来て「今披露宴の最中なのに、酒がなくなりました。 ですからあなたが酒を準備してあげなさい」と言ったのです。その時、イエス様は「はい」と答えたのではなく、「女よ」という話をしました。

  「女よ。他人の家に来て、結婚式の酒がないことには関心をもちながらも、自分の息子が、三十才にもなっているというのに、その結婚に対してはどうして無関心で、今まで結婚をさせないですか?」 そういう不満を自分のお母さんに「お母さん!」と言わず「女よ!」という言い方で叱るような話をされたのです。イエス様は三十三才までに結婚することが希望だったのに、その結婚式を行うことができなかったのです。ですから、イエス様は最後に霊界に行きながら自分は新郎であるし、イエス様を信じる人たちは新婦であると言い残していきました。

  ですから、クリスチャンの歴史は、新婦の準備をしてきた歴史であるということができるのです。キリスト教は女の宗教であり、新婦の準備をしてきた宗教なのです。ですからこの地上にイエス様を信じている人たちは、女性の中でもティーンエイジだけが新婦の資格があるのに、おじいさんもおばあさんも、男性も女性も、みんなイエス様を信じる人は、新婦という名前をくださったのです。このようにクリスチャンの歴史は、新婦の準備だったのです。新婦の準備であるから宗教には、男性より女性のほうが多いのです。ではなぜ新婦を迎える宗教なのでしょうか?

  イエス様は結婚しましたか?しなかったでしょう。イエス様は、祝福を受けましたか? 皆さんは祝福を受けましたか? そうであれば皆さんはイエス様以上の立場ですか、下の立場ですか? イエス様以上の立場です。皆さんは今日ここへ来ながら、私がイエス様以上の立場だと考えながら来ましたか? 問題はそこにあるのです! それを、ほんとうに自分の今の立場が分からなければなりません。皆さんが受けた祝福と いうものがどういう立場なのかを知らなければなりません。

  皆さん聖書を見たことあるでしょう。しかし聖書を見たことはあるのに読んだことはないでしょう。それが事実ではないですか。それなのに、イエス様が来られるので二千年間準備して来たクリスチャンの内容も分からずに、どういう因縁か分からないけれども、皆さんは祝福受けたのです。そうではありませんか。祝福を受けたのに、その祝福はイエス様以上の立場であるというレッテルがついたとは思わなかったでしょう。

  重大な病気にかかったので、早く手術しなければならないのです。ですから今日来なさいと何度も言ったのに、半分くらい来ただけです。

  皆さん、祝福はそんなに簡単な問題ではありません。人類歴史以来、家庭を完成した人は誰もいません。 家庭に天国を創るという話をした人も誰もいません。地上天国という話は時々ありますが、家庭で夫婦が、男女が天国を家庭に創るという話は、誰もしたことがありません。皆さんはそういう重要な価値をもっておりながらも、それを重要視しないのですから、私たちが祝福を受けても自分が自分の価値を認められない立場であるのに、他の人が認めてくれますか? 考えてみなさい。 皆さん一人一人が、祝福を 受けたその重要な価値、天宙的な価値を自分が重要視しないのに、だれが重要視してくれますか? 人類歴史以来、誰も家庭を重要視する、家庭に天国を創るという話ができなかったのに、私たちは恵まれて祝福を頂いたことに対してまず感謝の心を持たなければなりません。その内容には歴史的な内容があるのですが、まず今まで祝福を受けた皆さん自身が感謝の心持たないで生活して来たということに対しては、神様に対して、また私たちを呼んで祝福を授けてくださった真のご父母様に対して申し訳ないのではないですか。 義理や義務ではないのです。イエス様が三十三年間希望されたのが結婚だったのに、そのイエス様でさえ行うことができなかった祝福が私たちに与えられたということは奇跡の中の奇跡であるということを、まず皆さんが分からなければならないし、感謝の心をもたなければならない立場であるのです。

  地上天国は誰のものですか? 自分の天国であり、自分が創るのです。このことを皆さん一人一人が強く分からなければなりません。他の人のものではなく、自分の天国です。 自分の愛の天国です。しかし、その愛の天国は難しい。なぜですか? 釈迦も、イエス様も、ソクラテスも、孔子も、誰も、今まで創ることできなかったのを、私たちが創るというのに、そんなに簡単でしょうか? イエス様以後、二千年間創り出すことできなかった天国を、私たちが祝福されて創るというのに、そんなに簡単ですか? 二千年歴史の蕩減の道が、かかっているということを忘れてはいけません。

  皆さんが受けたその祝福がもたらされるまでに、どのくらい辛い、どのくらい厳しい、どのくらい寂しい苦難の路程があったでしょうか。先に話したのと同じく、イエス様一人を信じるという条件の基台の上に、皆さんが呼び出されて、祝福を受けられたのです。ただ受けられたのではないのです。ただ韓国へ行ってきたというそういう気持ち、悪い話ばっかりした、そのような祝福ではありません。六千年の歴史を蕩減するのです。

  ヨーロッパに行ってみなさい。どの国家でもキリスト教の歴史が千何百年間続いて来たけれども、それが達成されませんでした。なぜですか? イエス様は家庭というのを教えてあげたけれども、家庭を完成した人が、誰もないのです!そのキリスト教の歴史の基台の上に、皆さんが立っているということを忘れてはいけないのです。二千年の歴史は十字架の歴史です。ですからイエス様は、「私のところに来る時には、あなたたちの命を捨てて、十字架を背負っていきなさい」と言われたのです。それが、キリスト教の歴史です。その基台の上に受けられたのが祝福です。

  ところが皆さんは、そういう祝福の価値も知らず、命を捧げて待っていた、願った、希望していた皆さんではないのではないですか。どういう因縁があって、 祝福を受けたのかも分かりませんが、恵みの中に呼び出されて祝福されたとしたらどうでしょうか。この世でも結婚する時に、友達をみんな招待して、何百万も使って、結婚式をするでしょう。とすれば、神様の天国の世界を創られる天国の祝福者であることを、常識的に考えてみなさい。自分たちの今までの信仰が基本的に過っていたのを悔い改めなければならないこの場所であるということを忘れてはいけないのです。

  お天国に行くのではありません。天国を創るのです!どこに? この地上に!誰が?自分が! 夫婦が家庭に!自分の家庭に自分が。天国を夫婦が創るというのに、何が悪いのですか! ですから皆さん、今からは誇るのです。祝福を受けた人は誰でもイエス様以上なのです。釈迦、孔子、イエス様、ソクラテス、誰も受けられなかった祝福です。血を流した時代の上に創られた、与えられた祝福です。それなのに、そういう考えを一度もしたことがないのではないですか。ですから、祝福を受けた家庭は、人類歴史以来神様の愛が臨在することのできなかった基盤なのです。分かりました? ですから今夜帰って、自分の家は天国の基盤としてきれいに整理しなければなりません。自分の中にまず、神様が臨在する心を持ってから、その基台で男性と女性が夫婦として祝福を受けたのです。今から祝福を受けた夫婦が自分たちが住む天国を創るのです。創り出すのです。きれいに整理するのです。みがくのです。天国に行くのではなく。天国を創るのです!

  アダムが、食べてはいけないという善悪を知る木の実を食べなかったら、世界にはこういう地上天国ができていたし、地上天国で生活した人たちが肉身を離れて行くところが天上天国だったのです。ですから、私たちには、天国が二カ所あるのです。分かりましたか。地上天国と天上天国です。地上天国で生活しなかった人は、天上天国に行くことができません。ですから、まず地上天国を創るのです。それをどこで創るのですか?祝福を受けた家庭で創るのです。分かりましたか。

  ですから今から、自分の家庭を天国の家庭と思うのです! 何? ポケットにお金が一ドルもないのに何が天国だ。」そう思うかも知れませんが、天国だとしたら初めから金持ちになるのですか? 初めは貧乏の天国です。貧しい天国です! 乞食の天国です。分かりました? けれども、お金がなくても心は天国ではないですか。 今日来る時も心配ばかりしながら来たけれども、今からはお金が一ドルもなくても天国です。分かりましたか! 大きい声で! 天国! 天国!天国、今から天国です!

  日本の皆さんは宗教生活に命を懸けてやるというよりも、武士道の、自分の上の人のために死ぬという義理の内容は強いけれども、永遠の世界のために、神様と約束したそのために自分の命を捧げるという信仰はないのです。なぜでしょうか? 皆さんは、やおよろずの神だからです。どのぐらいの神様ですか? 八百万ですよ。八百万。そうすれば一番から私が教えることができないぐらいのあまりにも多い神様です。ですから、一番親分の神様もあるし、一番ビリの神様もあると思うのです。ですから皆さんの信仰は、仏教徒であるとしてもお寺に行って拝むくらいです。

  私は明治神宮に朝の条件をやりに行くのですが、行ってみると向こうの見えない所にある鳥居の所から手を合わせて拝んでいる人がいます。それで丁寧にやる人は、お堂の所まで来て手を合わせてお賽銭を入れて行くのです。日常、お宮に行けば、そういうふうにしてお賽銭を入れて少し気持ちが良かったら、お金を出しておみくじを買うのです。それを見てからみんな木につけるので木が真っ白くなるのです。(笑い)そうして自分は恵まれた、神様にお祈りした、だから神様は守ってくれる、そのような信仰です。

  日本に八百万の神であるから、八百万のいい所があるといえば、八百万の所にみんな行くのです。どこへでも行くのですから、命を懸けてまで捧げようとする心がないのです。ここでもちょこちょこ、そこでもちょこちょこ、生命視しない、生命視しないのです。

  そういう立場にいる皆さんが、今までの生活から新しく生まれ変わらなければならない内容は何でしょうか。私たちの信仰の流れはキリスト教の流れです。キリスト教の流れなのに、私たちの信仰の経歴にはキリスト教の信仰の流れがないのです。雑教の流れです。六五〇〇双が結婚して七年過ぎました。食事する時、お祈りをしてアーメンと言いますが、その後、またこのように手を合わせてから食べるのです。そういう経験があるでしょう。アーメンと言ったら終わりなのに、どうしてその後で手を合わせるのですか。アーメンと言った後にこういうふうにして食べなさいと、祝福を受けた後、皆さんに教育をしましたか? そういうことは皆さんの中にもあると思うのです。こういうキリスト教の信仰の基盤のない所に、総責任をお父様が負われて、エバ国家として祝福してくださったのです。

地獄から天国を創る

  ですから、私たちは天国へ行くのではありません。私たちは天国を創るのです。天国へ行く人たちは十九世紀の人たちです。二十一世紀を迎えて活動する統一教会の食口たちは、天国へ行こうとしてここへ来たとしたら間違いです。天国を創るのです。分かりました?(はい)では、どこから創るのですか? 地獄から天国を創るのです。誰の天国ですか? 他の人の天国でありません。自分の天国です。誰が創るのですか? 自分が創るのです。私が地獄から天国を創るのです。

  今は、自分の家をひとつ造るのも、一生涯食べず、眠らず、夫婦が節約してようやく造ったら成功です。とすれば地獄を天国に創るのに、簡単に創れるでしょうか? 自分に聞いてみてください。自分の家一つを造るのにも一生涯、食べず、眠らず、節約、節約しながらやるのと同じく、地獄から天国を創るというのはそんなに簡単ではありません。それが簡単だと思っている人がいれば、それは間違った考えです。皆さんは今、統一教会に来て活動しながら、もう難しい、厳しいと、いろんな考えをしているのです。それを自分に聞いてみてください。天国を創るためのこのくらいの苦しさ、このくらいの迫害、このくらいの試練、どうでしょうかというように自問自答してみてください。

問題は私たちの心

  皆さんは統一教会に、誰かに入りなさいと言われて入ったのですか? 皆さんが自分で選んで入ったのですか? どうですか? 統一教会の原理を聞いてそれが好きで入ったのですか。誰かがいいと言ったから入ったのですか。どうですか。 皆さんは好きで入ったのではありませんか。 統一教会の原理を聞いてから、皆さんが好きで入ったのでしょう? なぜ答えをしないのですか。答えない人は、好きで入らなかったとすれば困っているでしょう。だから好きで入ったのです。皆さんが統一教会入る時も、いろんな噂、いろんな迫害、いろんな十字架、統一教会は悪いという話をみんな聞いて入ったのではありませんか。私が、四十年前に入る時もそうだったのですから、皆さんもそういう内 容をみんな聞いて入ったのでしょう。そうでしょう? 出発の時から難しいし、迫害、試練、十字架を背負って、悪いこともみんな聞いてそれでも自分で選んで入ったでしょう。自分で選んで入ってから今になって何をうろうろするのですか。

  困ったのは六千年前の初めから困ったのです。皆さんも今になって困ったという立場で入ってきたのではないでしょう。統一教会に入会して出発した時から困った道を出発したではありませんか。困った道であったし、難しい道であったのです。難しいと心配ばかりしなければならない道を、皆さんが選んで出発したではありませんか。何が今になって難しい難しいというのですか。ですから難しいという話をしてはいけません。わかりました?何が難しいですか。地獄を天国に創り変えるのにそれくらいは当たり前です。皆さん今は自分の家一つもないでしょう。自分の家を造るのにそんなに簡単に解決できますか? 難しいでしょう。自分の家一つ造るのが難しかったら、地獄を天国に創ることは簡単ですか? 簡単と思うなら気違いです。難しいのは当たり前です。はじめから難しいのですか、今になって難しいのですか? 自分たちが難しい道を選んで入ってきたのに、今難しい難しい、金がない金がないというのですか。今日も三食食べてきたでしょう。食べました食べませんでした?(食べました。) 家には電話があるでしょう。車があるでしょう。自転車があるでしょう。自転車がなかったら歩いて行くし、 1号車があるでしょう。1号車が何かわからないですか? こういうふうに歩いたら、これが11号ではないですか。(笑い) 歩いて行くのです。車も自転車も何もなかったら歩くようになっているのです。これが11号車です。みんな持っている足があるでしょう。そうしながら今までもいろいろなストレスが残っているでしょう。それをみんなこういう場所で、少しこういうふうに話して、みんな吹き飛ばして、新しい出発をしなければならないのではありませんか。そうするために今日、私は皆さんと会いたかったのです。ニコニコ笑いながらいい話をすると思って皆さんはここへ来ましたか? 叱られる話をたくさん受け取って、腹一杯になって行きなさい。

  今から難しいという話をしてはいけません、分かりましたか? 初めは何もない所から今この場所に生きて座っているではありませんか。これが奇跡ではありませんか。何がないというのですか。これが奇跡なのです。私たちが生きている姿を今から見せたらいいのです。一日一食しか食べなくても、目をまん丸くして話をするのです。話を堂々としながら生きたら、それで勝利です。三食食べている人は一食食べて二食分は献金すればいいではないですか。それが統一教会の精神ではありませんか。みんな一週間断食をしたでしょう。今になって断食をしたらみんな死にますか。今でも一週間断食ができるではありませんか。死ぬことはないではありませんか。一週間断食して三日間食べて、そうしながら天国を創るのであればそうするのです。何ができないことがありますか。問題は私たちの心です。食べて残る分を捧げようとするのが問題です。食べた残りの分を捧げるのが神様の摂理ではありません。特に六五〇〇双の皆さんは韓国で私に三年間、もう気持ち悪いと大騒ぎされながら教育を受けたメンバーたちです。またここに来て大騒ぎしなければならない立場であるけれども、その時は良かったじゃない。

  私はお母さんの腹の中から異端として生まれたのです。私のお母さんのお父さんは、韓国で有名な百七人の独立運動をした牧師たちの中の一人だったのです。そういう中で生まれたのに、私のおばあさんが「韓国に再臨主が肉身で来る。善悪を知る木の果を食べたというのは、果実ではない。男女の性の関係によって堕落した」と、一九二二年に霊界に行ってイエス様に会って、そういう啓示を受けたのです。そういう内容を受けてこの地上に帰ってきた後に、その話を牧師たちに話したけれども受け入れてもらえなかったのです。何回も話したのですが受け入れず、最後には教会から追い出されたのです。

  それで私の家で礼拝をするようになったのですが、その時から異端として迫害されてきたのです。ですから私が幼い時に、私のお母さんのお父さんの所、つまり私の母方のおじいさんの所へ行けばこう言われたのです。動物を数える時、一匹二匹というでしょう。

  韓国ではこれをセキといいます。テジセキといえば豚の子、豚のセキというのです。ところが私に向かってこう言うのです。自分たちは雲に乗って来る再臨主を信じているのに、おまえはおばあさんの啓示によって肉身で再臨主が来るという内容を信じている。だから私に何の迫害の話をするかというと、動物を数えるように匹というあだなをつけるのです。新しい動物に仕える新しい匹という話をするのです。幼い時にです。それを韓国語で言えばセジュセキというのです。「新しい主のがき」(偽キリストの子という意)という意味になります。そのようなことを幼い私に言ったのです。そういうふうに私は迫害されながら、いじめられながら来たのです。

  私が統一教会に入会した今から四十年前のころには、天宙復帰とか、世界復帰とか、そんな話を聞いても空の上の雲を通るか通らないか、いつそのようなことが行われるのか、そのような時代でした。それが四十年前ですが、今はもうみんな行われたのです。ですから統一教会に入ってからいろんな迫害、いろんな試練、いろんなことをたくさん受けたし、見たし、聞きましたが、私は統一教会に入る前に、あまりにも殴られ、あまりにもいじめられ、あまりにも人として取り扱われない立場で生活をして来たので、統一教会に入ってからそういう話を聞いても何ともないのです。皆さんがおかずを作る時に味をよくするために、味の素を入れるでしょう。そうするのと同じく、天国を建設するのに、そのぐらいの迫害、そのぐらいの試練、そのぐらいの十字架の生活は味の素と同じく考えなさいというのです。

  何が難しいですか。日本には金持ちの人がこんなにたくさんいて世界的であるのに、ブッシュ前大統領を連れて来た人がありますか。皆さん、目を真ん丸くしてブッシュ前大統領を見たでしょう。ブッシュ前大統領が来られたということは、真のご父母様を誇れる内容ではないですか。ブッシュ前大統領はアメリカの三年前の大統領です。 世界一の大統領です。その方が金をもらうために来たのですか? そうではありません。これは夢ではなく、現実です。こういうことは私が四十年前に入ったころには考えることもできなかった内容です。考えもしなかったことです。ですからこの場所に座っている皆さんは、良い先祖がおられますからこの場所に座って黙っていても、眠りながらでもブ ッシュ前大統領に会ったのです。それを感謝しなければならないのです。何が難しいですか。そのくらいは当たり前です。ですから、ニコニコ笑い感謝するのです。難しいのは当たり前です。 出発から難しかったのです。生まれたときから難しかったのですから、それは難しいのではなく、当たり前です。分かりましたか?(はい)

  ニコニコ笑いながら行くのです。天国です。私たちは天国を創るのですから苦しいのは当たり前です。地獄から天国を創るのですから難しいのは当たり前です。誰が創ってくれるのでもありません。私たちが創るのです。

再臨主に対する絶対的信仰

  次に、今私たちは一億二千万の日本人を代表しているということを忘れてはいけません。お父様は世界的なお父様です。今回お母様が来られて語られたみ言の中で、「私は日本に来る前に南アメリカ二十一カ国を廻りながら、日本のメンバーたちが活動していることに対して感謝しますという話をしながら、南アメリカの大統領に会ってきました」という内容を聞いたと思います。各国の大統領に会うためには何カ月も前から申請して予約していかなければなりません。けれども、お父様は一週間前に、次々と廻りながら約束して会ったのです。ですからもはや真のお父様は、大統領を越えた基準だということです。一週間前に「行く」と連絡してから次々に会ったのです。 友達でもそういう約束はずっと前からするのに、一国の大統領が自分たちの計画があるのにもかかわらず、お父様が連絡したら会うという内容は、外的に見てもお父様はその基準を越えたということです。ですから私たちが感じているくらいのお父様ではありません。

  私たちは真のご父母様に対して間違った考えをもっているのです。皆さん、韓国におけるクリスチャンたちが再臨主という思いをもったら、何の理由もなしに命を捧げて行きますというのです。再臨主を迎えてから命を懸けて捧げたら、それが永遠の世界につながるのですから忠孝の最後の恵みであると思うのです。そうであるにもかかわらず私たちがそういう立場になっていないのが問題です。再臨主に対しての絶対的な信仰が立っていないということです。私たちが考えているくらいの再臨主なのか、どのくらいの再臨主であるのか、皆さんが確かめなければならないのです。ですから、いま原理講論を読んだのと同じく再臨主に対して新しく聖書的な立場でイエス様の立場を通して確認しなければならないし、教育されなければならない立場です。

  さあ皆さん、原理時代の主管性について話しましょう。人間に責任分担を与えてくださったのは何かというと、創造性を与えるためです。次に、創造の偉業に荷担したという内容です。責任分担を人間に与えて下さった理由はこの二つです。神様がこの被造世界を創造する時に、人間が責任分担を果たせば、神様が創造するところに参加して、創造の偉業に荷担したというのです。その基台の上で創造主になり、神様になるというのです。その人というのが再臨主です。再臨主という方はこういう創造性をもち、創造の偉業に荷担して、責任分担を完成したという立場に立った方であり、神様ご自身になる のです。見えない神様がこの方を通して見える神様になるということを忘れてはいけません。私たちと同じ人間でありながらも、その方は人間ではありません。神様であられるのです。そういう重要な内容があるということです。六千年の神様の再創造の摂理が真のご父母様によって終わりましたという結論になるのです。そういう重要な内容が責任分担であります。私たちは責任分担というと簡単に考えますけれども、そんなに簡単な責任分担ではありません。

  ですから、私たちも五%責任分担を達成したら、この九五%もみんな神様がやったのではなく人間がやったという恵みの祝福を神様が人間に下さるのが人間の責任分担であります。ですから、真のご父母様の責任分担というのは、とても重要なのであります。御父様の話の内容を考えて見ればただ私たちが知っているくらいの簡単な五%の責任分担ではありません。いつも命かけて戦って勝利するかしないか、そういう内容が書いてあるのです。

  ところが私たちは今まで分からない立場で来たのです。 キリスト教が再臨主を絶対視しながら信仰生活をして待っていた以上の基準を立てなければならないのに、今の私たちの信仰はそういうふうになっていないのが問題です。 今回御父様が十月十二日、皆さんを韓国に呼ばれたでしょう。そこでお父様は、整理しなさいと言われたでしょう。自分たちの心を正しく整理しなければならないのです。今まで正しく生活していなかった信仰であるから、今からは信仰生活を整理してから正しく出発しなさいと、お父様は何回も繰り返して話されたのです。日本ではどの宗教団体でも教祖というのは厳かに、現れず、隠れておられるのが普通です。ところが真の父母様はそうではありません。

  ネクタイで私たちの前に直接現れて、すべての生活を見せられるのです。みんな見せるのに、私たちの真のご父母様の生活は、初めから終わりまで徹底的なのです。私が一九五五年に入会して今までお父様の前に行けばいつでも、ご父様の寝る時間は一時二時です。若い私たちは何もせず、黙ってお父様と一緒にいるのに三日くらいはよく頑張れるのです。ところが四日目五日目くらいになったら心の中で、 ご父母様と一緒にいながら、お父様早く入って下さい、行って下さいと考えるようになるのです。お父様が疲れるから行ってくださいとするのではなく、私が疲れるから、私が逃げ道がないので、お父様行って下さいと思うのです。実は私が行きたいからそう思うのです。そういうのが本性の心です。ところがお父様は、初めから終わりまで同じなのです。

  お父様はアメリカのダンベリー刑務所で、アメリカの牧師から有名なレバレンド・ムーンという方が入ったのであるからと、一度説教を頼まれました。 そこでお父様は、説教の時間を決めて下さいと言われました。お父様が三時と言われるからこの牧師は午後三時と思ったのです。午後三時ですかと話すと、お父様は朝の三時と言われるのです。朝の三時では皆眠りますと話をすると、お父様は神様に向かって説教しますと言われたのです。ですから通じないのです。人間たちの考えと、お父様の考えとはもう一八〇度違うのです。それを考えればお父様はどこにいても早朝三時にお祈りをするという話です。ところがこの場所に座っている私たちの中で、お父様が毎日朝三時にお祈りされる のに、三時に起きてお祈りをする人が何人いますか。

お父様の立場

  お母様が今回日本に来られて講演されたでしょう。十月十二日にお父様が、全食口たちに対して語られた内容は、皆さんが日本に帰ったらお母様の講演文を毎日一読しなさいということでした。そこに行ってきた皆さんは毎日一読しているかもしれません。私もしなければならないと思います。ですから今、持ってきているのです。

  お母様の講演文を、皆さん読みましたか?何分かかりますか? 早く読んだら四十三分かかります。 遅く読んだら1時間かかります。それなのにお父様はお母様に、「寝る前に三回読みなさい」と話されたのです。三回読めば二時間四十分くらいかかるのです。お母様は子供を十三人産まれました。お父様の隣に座っておられれば、いつも緊張ですから疲れるのです。お母様は毎日緊張の生活をお父様の側でしておられるのです。ですから、三回ずつ熱心に読むでしょう。お母様が疲れる時がなぜないでしょうか。疲れた時にはお父様に「お父様、今日は疲れていますから、読まずに少し早く寝てもいいですか」と時々話されると思います。お母様がそう話された時、お父様がそうしなさいと言われたでしょうか。お父様は一度決定したら、それが法律です。ですから三回読みなさいとしていたのに、疲れたからお母様に「疲れているので寝なさい」と答えることができないのがお父様の立場です。とすればそういう話を聞かれたお父様はお母様の事情、内容を分からないでそう言われたのでしょうかということです。分かるのです。そうすればお母様はそういう話をした後、読まなかったでしょうかというと、読まなかったのでなく読まれるのです。読むのに、死ぬか生きるかの戦いの時間です。ですからお母様だけそういう立場で読まれるのではなく、お母様がそういう立場だったら夫婦一体ですから。そういうふうに読まれるお母様を見ているお父様、読みなさいと言われたお父様はもっと辛い、そういう立場のお父様なのです。命令された責任はお父様にあるから、お母様が死ぬか生きるかの戦いをされながら読む時間、お父様も眠らないのです。 それがお父様の生活です。お母様に泣きながら読みなさいという話をしなければならない立場でおられる方が、お父様なのです。

  皆さん、統一原理はお父様ご自身が解かれました。講演文もお父様が書かれたのです。それを私たちは、一回 二回、何回か読んだらみんな分かると思いますか? そういう立場です。けれども、お母様に命令されたお父様は、お母様が講演される時は、起きている時間の時もあるし、眠る時間の時もあります。 眠る時間であったとしてもお母様か講演するという電話がきたら、眠っておられたお父様は起きられて目を真ん丸くして集中されるのです。それが私たちと違うのです。

  なぜでしょうか。講演文の内容が、それくらい原理の内容がまとめられたものであるからです。ところが真のご父母様を私たちが信じるとし、真のご父母様の生活を真似するとしながらも、みんな私的な立場です。そう、私たちの立場というのは何かというと、自分の立場でお父様の話を受け取るということです。お父様の立場で受け取るのでなく、私の立場で受け取って、それは難しい、忙しい、時間がない、そういう話ばかりするのです。

  神様の摂理は不可能な立場で出発したのです。可能な立場で出発したのではありません。出発自体が不可能でした。なぜですか?サタンの勢力が強いからです。ですから、新しく私たちが整理して、準備しなければなりません。出発しなければならない今の時期であります。ですから、お父様が責任分担を果たされたのがどのくらい重要であるかを、今再び私たちの信仰生活を整理して出発しなければならないと思うのです。

原理講論を読みましょう

  私はこの間も皆さんに『原理講論』を読みましょうと言いました。『原理講論』を今日読んできましたか? 六五〇〇双の人は手を挙げてみなさい。『原理講論』を毎日読んでいますか? 熱心に読んできましたか? 鄭会長に会うのに、鄭会長が『原理講論』を読んだか読まないか確認しないと思いましたか。(笑い)確認しないと思ったらそれは間違いです。韓国で六五〇〇双の人たちが活動している時に、イギリス人がいて、どこかであった人なので「あなたはどこであったことがある人ですか?」と聞くと、ワシントンDCで活動したと言うのです。ですから「あなたその時、私が『原理講論』を読み なさいとしたね、読んだか?」とたずねると読んだというのです。「何回読んだか」というと、「七十二回読んだ」と言ったのです。私はその時とっても喜んだ。 今ずっと周りながらどこでもそれを確認するのです。六五〇〇双の人たちは、『原理講論』を読みなさいとしたのに、何人が読んでいますか。さあ、今確認します。八九年からずっと一か月に一回読んだら、八十回読んだことになるのです。八十回、読んだ人? いませんか? 七十五回。七十回。六十五回。六十回。五十五回。五十回。四十五回。四十回。おお、何回ですか? 四十一回ですか。OK。

  神奈川で七十三回読んだ人がいて、次に札幌の教区長さんの婦人が四十三回読んだといいます。ここまで来て皆さんに確認するとは思わなかったでしょう。もう私はいたるところで、私と一緒に活動したいメンバーたちには確認するのよ。私も読んでいますから皆さんも読みましょう。皆さん、読みましょう。読みましょう。皆さん大きい声で。読みましょう。(読みましょう)読みましょう。(読みましょう)。

  私は大阪でいつか『原理講論』を読みましょうと言いました。それを聞いて熱心に読んだ人が、広島のリージョナルリーダーの所に行った時に会った内田夫人です。内田夫人が大阪で私の話を聞いてから、「や、読まなければならない」と、熱心に読んでから私にこう話しをするのです。「今でも『原理講論』を読んでおります。百二十回読みました」と。皆さん、『原理講論』を読むのは難しいでしょう。毎日読むというのは、もう本当に大変で、私も同じです。ですから自分との戦いです。皆さんに話したのであるから私も仕方なく読むのです。(笑)読みたくなくても読むのです。分かりましたか?

  まず皆さんの原理に対しての今までの考えを直さなければならないと思います。なぜかというと、真のご父母様が現れるまでは、サタンと神様と対等な立場で、サタンが神様に向かって攻撃してきたのです。そういう立場だったので、神様が真のご父母様に教えてくださった原理の内容は一つもありません。お父様が一つ一つ聖書を中心として、創世記にある生命の木と黙示録にある生命の木が違うか同じであるか、それを見つけてから聖書の奥義を一つ一つ捜し出されたのです。捜し出して最後に神様の前に報告した時、サタンもちゃんと待っているのです。ちゃんと待っている時、サタンに対して正しい話をしなかったら、サタンが神様に聞くまでもなく、すぐに殺すのです。お父様が殺されるのです。そういうふうにして現れたのが、原理のすべてです。その中でも堕落論の原理がなければ、悪の世界を善の世界に創ることもできません。原理がなかったら神様がこの地上に現れることもできないのです。私たちがこの場所に来る必要もないのです。ですから、今から原理を自分の生命以上に重要視しなければならないのが私たちの生活です。

  この肉身を握ってみなさい、引っ張ってみると痛いでしょう。この痛いのは自分のものではなく、サタンのものです。統一教会の食口たちは大審判というものを恐れていません。最初の審判は真理の審判です。次に、人格の審判です。次に、心情の審判です。皆さんが会社で一か月に何十万かもらうのにも、試験をして選ばれてから勤めるようになっているのです。地獄に住んでいる人が、天国に行くのに、私たちの生活をそのまま持っていって天国に入る自信がありますか? ですから私たちに、この大審判が最後に残っているのです。その時には皆さんの子供たちと、皆さんが伝道した霊の子供たちをみんな連れて行くのです。それにプラスして氏族メシヤの使命を果たした百六十軒を祝福させた人たちが一番先に入るのです。お父様は私たちに、みんな教えてくれたのです。大審判が待っています。今の私たちのこういう生活では、絶対に入ることができないのです。新しく生まれ変わらなければなりません。今回お父様も、あなたたちの生活を整理しなさい、整理しなさい、と言われました。今までの生活をそのまま続けてはいけないのです。

  ですから今から皆さんは、毎日何を中心としてご父母様を誇りますか? 今から毎日『原理講論』を読むのです。『原理講論』を毎日二十ページづつ読むのです。ご飯を食べなくても『原理講論』を読むのです。二十ページ声を出して読むのです。黙読したら必ず首振り運動を始めるから、自分の声を自分で聞くのです。そうすれば必ず心に訴えてくる部分があるのです。それが今日真のご父母様が一人一人に教えてくださる一日の標語です。それを中心として皆さんは、最低一日に五~六名あるいは十名~二十名に会って話をするのです。自分の仕事のために何の話をしてもいいですよ。何かの話をする途中に、『原理講論』を読みながら自分に訴えてきたその部分の一番重要なキーポイントを必ず一部分ずつ入れて話をするようにするのです。

  今からそういうふうな原理の生活をするのです。原理を読む時間が神様と心が一つになった時間であるし、皆さんが人と会って話をする時間に、その神様の原理の話を入れて話をした時間が五分としたら十名で五十分です。ですからそれも神様の話をしたという因縁になるのです。結びつけられるのです。そういうふうにして、神様と心が一つとなって生活をした基準を作らなければならないのです。努力しなければなりません。黙っていて「できない、できない」と言うのではなく、できる方法があればやりましょうというのです。

三大祝福の完成

  三大祝福は、何章の何節ですか? 創世記第一章二十八節です。三大祝福とは、個性完成、善の子女繁殖、万物主管です。これが創造目的です。これは絶対忘れてはいけません。

  イスラエル民族はエジプトを出発してからカナンに入るまでに目的観を失ったので、カナンに入っても失敗しました。今私たちは、エジプトを出発してカナン路程に入っています。入っている私たちの目的がどこにあるかを忘れてはいけません。

  私たちの目的がどこにあるかというと、創世記第一章の創造目的の世界を達成することです。創造目的の世界を、堕落した私たちも達成するのが目的です。とすれば、私たちは祝福を受けましたが、皆さん個性完成した自分になったかということです。では、どういう人が個性完成した人でしょうか。人には心と体があります。心と体が神様を中心として授け受けして、人となって授け受けするのです。心の基準が神様と一つになった場合、この心と体が一つになるのです。その時体も神様と一つになるのです。そうすれば、神様がここに臨在されるのです。人間の体は神様の聖殿になるのです。心の基準 が神様と一つになったら、心が体と一つになって、私たちの体のなかに神様が臨在する時、私たちは神様になるのです。

  これが個性完成した人です。個性完成した男性と女性が結婚した場合、この男性と女性も誰を中心として一つになるのですか?夫婦になったら次に、子供が生まれます。子女が生まれた後に初めて何という言葉が現れるかというと、父母という言葉が現れるのです。分かりましたか?ですから神様の創造は初めから父母という立場で創造したのではなく、子供が育てられて初めて父母になるのです。次に子女の立場で育てながら、兄妹の立場になるのです。兄妹の立場になってから何ですか? 性の関心を許されるまでは、兄妹として過ごし、その後で結婚しなければならないのです。それが認識されるまでは兄妹の立場です。それで次に夫婦の関係が結びつけられるのです。夫婦の関係が結びつけられたら、初めて愛の世界が現れます。 その愛の世界が現れたら、神様がその愛の中に臨在するのです。これは堕落しなかった世界のことです。

  ですから、神様はどこに臨在されるかというと、男性と女性が関係する愛を感ずる時に、神様が臨在されるという恐ろしい話です。これは堕落しなかった世界のことですよ。堕落しなかった男性、堕落しなかった女性が結婚して愛を感ずる時、神様の愛と男性の愛、女性の愛、それらが合わせられる時、子女が愛されて生まれるのです。これは絶対的な愛です。これは真の愛です。 そうして子供が生まれた場合、この男性と女性は真の父母となるのです。真のお父さん、真のお母さん、真の子女となるのです。そしてこの愛は真の愛になるのです。

  皆さん、これを重要視しなければなりません。善の子女を繁殖して、善の子女が集まってから、家庭、氏族、民族、国家、世界に広がったら、これが地上に悪がない善の世界であるから、地上天国となるのです。地上にあるから地上天国です。 地上天国で生活してから、肉身を離れて霊人体が行くところが、天上天国です。ですから皆さん、祝福を受けた皆さんがどこに天国を創るかというと、地上で天国を創るのです。そして地上天国は、男性と女性つまり夫婦が創るのであるということ忘れてはいけません。

  皆さんは祝福をなぜ受けたのですか? 天国を創るために受けたのです。誰の天国ですか? 自分の天国です。誰の天国でもありません。自分の天国を自分が創るために、祝福を受けたという価値を分からなければなりません! ですから、誰に頼むこともできないのであります。自分の天国は夫婦が自分たちで創るということです。夫婦は愛しかありません。愛をもって自分の天国を自分が創るという価値、愛の価値を求めなければならないのです。

個性完成した人の生活

  さあ、今朝六時に起きたとして、午後八時まで十四時間です。その十四時間の中で、皆さんの心が神様と一つになった時間が何時間ありましたか。自分の良心がよく知っていると思います。自分が今確認してみなさい。十四時間の中で自分の心が神様と一つになった時間が何時間、何分か、今それを確認してみなさい。 十四時間の中で一分でも二分でも三十分でも一時間でも、そういうふうな生活をしましたか。

  十四時間の中で一時間神様と一つになったら、この神様は皆さんの体の中で生活したのであるから一時間は神様になったことになるのです。わかりましたか? 十四時間の中で二時間神様と心が一体となったら、二時間は皆さんが神様になったのです。神様が私たちの心の中に臨在して、生活されたからです。ですから今からは毎日、自分がそういうふうに分別しながら生活してみましょうというのです。皆さんの心が神様とどのくらい一体化した生活をしたかということです。

  ところが私たちはどういう生活をしているでしょうか。皆さんは一週間に一度教会に来て賛美歌を歌って説教を聞いて、献金して帰って生活するのがみんな神様を中心とした生活と思っています。それが信仰生活の全部と考えていることが間違っているのです。今からは細かく私たちの一日一日の生活を分別しながら、善と悪との生活の中で、悪は捨てて善の生活を一歩一歩進めながら、神様が喜ばれる方向に行かなければならないと思うのです。ですから、今真のご父母様だけが個性完成するのではありません。今からこの場に座っている私たち一人一人が、個性完成するために努力していくのです。

  では、どういうふうにしたらいつも神様が私の心の中に臨在される生活をすることができるかが、いつも問題です。もう一日中分別の生活です。私たちの生活の中で善と悪との分別の生活です。ですから、皆さんがこのような生活を一度考えてみたら、個性完成するのに早くできる近道が出てくるのではないかと思います。

  信仰生活というのは、神様と私との一対一の生活であります。自分の生活を自分が分別しなければならないのです。それが天国を創るのです。とすれば、個性完成した人の生活を確かめなければなりません。

  それはどういう生活でしょうか。今日、朝、目を開けて一番初めに考えたことは何ですか? 皆さん、自分に聞いてみなさい。目を開けて、「やあ、今日は鄭会長の特別礼拝の日だ」そういうふうに考えた人もあるし、「やあ、今日○○だ」いろんな事を考えたと思います。毎日起きて目を開けて一番初めに神様のことを考えるのです。目を開けて一番に神様のことを考えましょう。

  次に真のご父母様について考えましょう。神様と真のご父母様、次に女性は自分の旦那さん、自分の両親のことを考えてもいいのです。神様、真のご父母様、自分の旦那さんが今から自分の右の方に座っているのです。今からはどこにいても一緒です。 死ぬ時も一緒です。寝る時も、食べる時も、トイレに行く時もいつも一緒です。次に、男性は、神様、真のご父母様、自分の両親、次に自分の奥さんです。奥さんは左のほうに今からいつも考えるのです。車に乗る時も、先にその四人の方が先に座ってくださいとした後、自分が座るのです。寝る時も神様、真のご父母様、霊の父母、自分の父母、旦那さん、「先に寝て下さい」と許可してから、自分が寝るのです。それが侍る生活です。今からここに神様、真のご父母様、自分を生んだ父母は右で、奥さんは自分の左です。 ですから両方に今から侍る生活です。 神様に侍るのです。神様は向こうにいらっしゃるのではありません。今から私たちの生活の中に、一緒に生活をしなければならないのであります。侍る生活をしなければなりません。

  ほかの考えをするのではありません。私たちの心は今からは、初めから終わりまで心の基準は神様です。 徹底的に神様です。皆さん、月の世界に行ってくるというのは初めからは実現できなかったのです。まず最初に考えです。可能性があるか、「とんでもない、ドンキホーテだ!」という、「気違いだ」という話を聞きながらも行ってくるという考えを持った人が一歩一歩進むのです。そういう考えをもった基台の上に、次に関心を持つのです。関心をもった基台の上に、それをたくさんの人たちから協力を得るために自分なりの理論を当てはめながら話をするのです。そういうふうに仮説を立て、次にこれを整理して、定義してから真理として現れるのです。ですから私たちもまず神様にキーポイントを合わせるのです。一日の初めを神様にキーポイントを置いて出発しましょうということです。ですから、今からはいつも出発点は神様と真のご父母様と、自分の両親と自分の旦那さんと奥さんと、いつもどこにいても一緒の生活をするのです。これは絶対に忘れてはいけません。

  次に女性の方、ご父母様にみんな侍るでしょう。自分の朝ごはんを作って、ご父母様にご飯を捧げますか? それも捧げていないのではないですか。毎日自分が食事作ってから、ご父母様の分を捧げますか? 捧げてない人が多いようですね。今まで捧げてこなかった人は今日から、食事を作ってご父母様に捧げなさい。それが侍る生活です。自分たちのご飯の中でご父母様の分を先に捧げるのです。毎日食事は、必ずご父母様に捧げるのです。分かりました?

  今からスーパーマーケットとかどこかに行って物を買うときには必ず真のご父母様の分を買ってくるのです。一番初めに買うものは真のご父母様の分として買ってくるのです。買ってきて捧げてから、それを料理して食べてもいいのです。いつも真のご父母様と相談しなさい。「神様、真のご父母様、何が好きですか。ここで真のご父母様の好きな物を買いたいと思います。 どれがいいですか?」と聞いてみなさい。そして果物は一番良いもの、一番最初に買う魚、また肉類、みんな初めに買うものは、真のご父母様の分です。分かりました? そのように買ってから皆さんの家で捧げるのです。旅行に行っても、みんな買って来た物は最初にご父母様に捧げるのです。捧げた後に持ってきて食べるのです。次に、おかずも作ってまた捧げるし、果物は最初に捧げるし、肉類また魚等は料理しておかずを作ってから一度捧げた後に取って来て食べるのです。今からはいつもそうするのです。ですから一番初めの分は真のご父母様の分です。神様と真のご父母様の分として今から捧げるのです。自分が勝手に先に食べるのではありません。

  皆さんお祈りするでしょう。お祈りは、神様に捧げるのです。ですから今からは捧げるお祈りを、実体的に捧げるのです。生活の中で一体化しなければならないのです。なぜですか? 私たちの生活が天国圏だからです。ですから侍る生活をしなければならないのです。宝麴

  動く時には必ず右足から動きます。今からはどこに座っても、座ってから動く時には どういうような時でも左足でなく右足からです。次にトイレで大きい時は左の手を利用 するようにしなさい。荷物を持っても、左手のほうに少し重く持つようにしなさい。そして今からは毎日一つずつ善の仕事、神様が喜ばれる善の仕事を行うのです。

  善の仕事は何かというと、真のご父母様の言葉を伝えるのが善の仕事の中の仕事なのです。ですから話をする時には、神様が喜ばれる話をします。

  あなたは奥さんと今日の朝一番初めに何の話をしましたか? 目を開けて子供たちが泣くから、「旦那さん、子供たちが泣くから子供を見てください」、そういう話をしましたか。何のことを話しましたか。一番初めの言葉をみんな考えてみなさい。今日自分が一番初めに何の話をしたかということです。忘れましたか? 今から考えるのは、神様が一番喜ばれる言葉は何かということです。それを今からここで決めて、明日からそういうふうな生活をするのです。

  さあ、皆さん神様が喜ばれる言葉は何かということを考えてみなさい。私が神様が喜ばれる言葉を考えてみると、神様になってくださいという話をするのが一番喜ばれるんじゃないかと思います。「神様になってください」「神様になりましょう」 どれがいいですか。神様になりましょうがいいですか。 神様になってくださいのほうがいいでしょうか。(なりましょう)それでは、「神様になりましょう!」と大きい声で言いましょう。「神様になりましょう」「神様になりましょう」「神様になりましょう」。

  今からですよ。今は神様になる資格はありません。分かりましたか? けれども、 神様になるのが希望であるから、口だけでも「神様になりましょう」と言ったのですから、これからはいつも、何の仕事をする時でも、「神様になりましょう」という言葉が頭に浮かんできて、少し疲れて眠ろうとする時も、「やあ、神様になりましょう」と考えるのです。眠りながらでも神様になるのです。ですから眠ることもできないのではないかと思うのです。(笑い)なぜでしょうか? その言葉に自分が囲まれているから、その言葉 が自分を監督しているのです。そうではないですか。ですから明日から、朝起きて夫婦でニコニコ笑いながら「神様になりましょう」と言うのです。分かりましたか。(はい)「神様になりましょう」(神様になりましょう)ニコニコ笑いながらも、神様になりましょうとする時、神様が「いや、なってはいけない」そう言う神様ではないと思います。この原理を私たちに教えてくださったのですから。分かりましたか? これは六五〇〇双の七周年の記念日の発表として、私たちの心から出発して、日本の食口たちにこういう挨拶を新しく出発させる運動になりますよ。(拍手) 神様になる運動。神様になる運動。これを六五〇〇双の皆さんが責任をもってやるのです。

  それが神様が喜ばれる一番初めの言葉です。次に神様が喜ばれる仕事をしましょう。神様が喜ばれる仕事は何でしょうか。お父様は原理に対して絶対視しておられます。原理に対して生命視しておられます。この場所に参加したみなさんも、十年、十五年、二十年、各々みんな違うと思いますが、そういう信仰生活をして、原理の勉強をしながら、自分なりに原理が正しいという決心をもって今まで活動してきたのでありますよ。その原理をどのくらい絶対視したかということを、皆さん自分に対して今確かめてみなさい。私が今まで原理を絶対視した立場で、統一教会においての十年間の生活をしてきたのか、少し振り返って見た場合、原理を絶対視した信仰生活をしてきたかということです。皆さんなりに原理を勉強して、自分なりにいろいろな考えをもっている人たちがたくさんいるし、みんな違うと思います。もう絶対的な立場にある人もいるし、五十である人もいるし、三十である人もいるし、八十である人もいるのです。皆さんが原理を知っている立場での、私の信仰生活はどういう立場だったかということです。お父様が私たちに語られた内容は何かというと、良心は神様に優るということです。とすれば、良心は神様に優るとしたら、良心が先ですか、神様が先ですか? 良心が先ですよ。良心は誰が持っていますか? 人が持っているのです。そうすれば良心が先という内容は、人が先ですか、神様が先ですか?人が先だという話ですよ。これは恐ろ しい言葉ですよ。人が神様より先という話だったら、皆さんはどうか分かりませんけれども私はその言葉を聞いてから、恐ろしいのです。私がそのようになったかというのです。それは私たちが先という言葉です。皆さんそうなっていますか? 皆さん、良心がありますよ。私も、皆さんも、良心があるのです。その良心が神様に優るのです。私が神様に優るというのはとんでもないことです。

  何が神様より先ですか。それは真のご父母様がそういう立場におられるということです。真のご父母様は神様に優るという説明をして下さったし、真のご父母様がそういう立場であるという内容です。真のご父母様はそういう絶対的な立場でおられるけれども、私たちがそういう立場になっていないのが問題です。 なっていないのに真似して、なったようなスタイルをしようとする、それが問題です。なぜですか? お父様がそういう 生活の立場でおられ、お父様と同じ時代に住んでいるからそういうお父様の生活が私たちに伝わってくるのです。

  ですから新しく私たちの生活を整理しなければならないのに、今から、何の仕事をするのですか? お父様と一体となる仕事が一番重要なのです。それが仕事の中の仕事です。とすればお父様は何ですか?お父様は原理の言葉と一体化しているのです。ですから皆さん、神様が喜ばれる仕事が何かというと、サタンの世界に住んでいる人たちを神様のところに連れてくることが一番喜ばれるのです。伝道、伝道、伝道です。ですから、 今から皆さん、伝道に集中するのです。伝道するのにまず誰が伝道されなければならないかというと、私たち一人一人が原理を中心として生まれ変わらなければならないのです。先に話したのと同じく、原理を絶対視するのにどのくらい絶対視するか。自分なりの考えをいれて絶対視するのはいけないのです。

ご父母様は愛そのものです

  皆さん、一つの例を見ても分かります。私たちは『原理講論』を読む時、黙読したら二、三ページも越えられずに必ず首降り運動をし始めるではないですか。これを見ても、私たちはサタンの血統です。この前、お母様が来られた時、韓国の金孝南(キムヒョウナム)という霊界と通じて大母様が直接来られて活動される人が、一緒に来たのです。私たちは、霊人体が何百人来て活動したとしてもそれをお祈りして追い出したら、それで終わると思ったのに、六千歳のサタンの血統が、私たちの血液の中にいっぱい入っているというのです。恐ろしい話です。ですからそれをたたきながら追い出した時、サタンが入っていたとこ ろには、丸い穴があくというのです。そういうサタンの血統である私たちですから何の文句も言えないのです。それなのにお父様がそういうことを分からないでしょうか。金孝南さんを通して大母様がこういう話をするのに、その内容を真のご父母様は分からなかったでしょうか。みんな分かっていたのです。けれどもお父様は知らん顔して何の話もされないのです。霊界に通じる人を通して語られるようにするのです。なぜですか。お父様はお父様なのです。ご父母様というのは愛そのものなのです。初めから終わりまで愛なのです。

  ですから今回お母様が来られて話されたことはこうです。「私が日本に到着したのに、日本の幹部の人たちがみんな難しい難しいという話をしてくれました」と。その難しいという立場に対する答えは二つあります。難しいから、やめて死ぬ方法と、もう一つは難しい中でもっと忠孝の生活をして越えていく方法です。この二つしかありません。私たちは今日、この場所まで来て、やめて死んでしまうのですか、それとももっと忠孝の生活をなしてからこの困難を越えていくのでしょうかというのです。そんな中でのお母様の話の内容は、「私は真のお母様の立場で来ました。皆さんは子供の立場です。そして、お母様という方は、自分の子供たちに対して悪い子供という話をしないのです。それがお母様の心でありますから、私の皆さんに対する心の基準がそういう立場であります」というのです。

  では、どのようにしてこの困難を越えていくのですか。お母様はそう言われながら「私がアメリカを出発する時に、恩進様の二番目の娘がいます。 その娘とお別れをしようとする時に自分の所に来て、「もう、離れない』というのです。なぜかというと、お母様 (恩進様)はオリンピック選手なので運動、練習をするし、お父様はお父様なりにアメリカのカープの責任を果たすために活動しているから、自分の家で面倒を見てくれていたのはおばあさんだった。それなのにおばあさんが行ってしまうので十八ヵ月か十六ヶ月のお孫さんがもう離れない」と話されました。そしてその時の光景が今目の前に現れてくるといわれるのです。「それが目の前に現れて、それを思い出しながら何を感ずるかというと、神様が、アダム・エバが堕落してから神様のみもとを離れる時の、神様の悲しみはどのようなものだったでしょうか」というのです。そうしながら「今、皆さんがそういう立場であるのを感じた私の心はどうだったでしょうか。もう、答えをしない。そういう......」ということを話されながらも泣かれるのです。「実は私は泣くためにここに来て皆さんに話しをしたかったのではなかったのに、なぜこのようにするのか、なぜこういうふうになるのか分からない」と言われるのです。 そして、「お父様がアメリカ全国を回りながら講演会をされているから、子供たちと一緒に夜十二時にろうそくをつけてお祈りするのです。こういう難しい時になればなるほど、いろんな噂が立ったり、いろんなことが起こるのです。ですから私たちは、自分の体を燃えさせながら火を作り出すのと同じく、ろうそくをつけて夜十二時にお祈りをしましょう」という話をされたのです。ですから今責任者に「統一のろうそく」を分配してお祈りをしているのです。

  お母様はそういう非常事態の立場におられながら、日本を守りながら私たちの所に来られて、そういう話をされたのです。なぜでしょうか? 今私たちにはエバ国家の使命があります。エバ国家はお母様の責任を果たさなければならない立場であるし、お母様ご自身がここに来られて活動しておられるのを見た場合、エバ国家の使命も、今そのように厳しい立場であるということが分からなければならないのであります。

最初に出発した基準に戻る

  ですから皆さん、整理するのに私たちの今までのいろいろな理屈、いろいろな自分の考えをみんな捨てて、統一教会を初めに出発した時の子供の立場に戻るのです。どういう難しい試練が来ても私は行きますという決心に返るのです。初めに決心したその心を 再び燃え上がる基準の出発点として出発しなければならないとのです。初めの心、初めの基準です。どういう試練やどういう苦労があっても私は行きますという基準の心です。この道は間違いありません。今まで皆さんが迫害されながら、いじめられながら、苦難の路程を通過して来た道は間違いないのです。正しい道を私たちは歩いて来ました。絶対に間違いないのです

  では、絶対間違いない道を再出発しなければならない今の時期は、どういう基準ですか? 統一教会に入って最初に出発した覚悟、決心をもって出発しなければならない立場です。それが神様に対しての第一の仕事です。今私たちの第一の仕事は神様が喜ばれる仕事をするということであり、その内容は何かというと、そういう初めの心の基準をもって原理を再び研究するのです。原理を研究して再び出発するのです。神様の仕事をするのよ。たくさんの仕事があるのです。今から毎日神様の仕事をするのに、まず私たち一人一人が真のご父母様の言葉を絶対的に信じますという仕事があります。その確信、その覚悟、毎日燃え上がる自分自身になる信仰が必要です。真のご父母様が私たちに今回下さった絶対信仰という言葉の内容のとおり、私たちも絶対信仰の基準の生活を毎日するには、原理を中心としてしなければならないのです。原理によって私たちが新しく生まれ変わらなければならないし、原理を中心として新しく研究しなければならないのです。

お父様の原理に対する姿勢

  この原理を発表するために、お父様が神様、サタン、イエス様の所に行って一つ一つ確認される時、サタンにマイナスになる嘘の言葉を言ったら、お父様はサタンに殺されるのです。そのように命懸けで発表したのが原理です。それなのに私たちは、そういう命懸けで捜し出して私たちに下さった原理を、感謝の心をもちながら読んだ時が何回ぐらいあるでしょうか。 ただ読むだけでしょう。この原理がなければ、六千年のサタンの世界をこの地上から追い出すことができないのです。それなのに、そういう心情をもって読む時が何回あるでしょうか。

  お父様ご自身が原理を中心として説教された本が今、二百冊以上あります。いつも、疲れた時でも、お父様はマッサージされながら、ただ過ごすのでありません。メンバーにお父様ご自身が語られた説教文を、テープに入れさせるのですが、それを八十冊読んで差し上げたということです。お父様は疲れて按摩しながらも、それをみんな聞かれるのです。すでに八十冊のみ言葉を聞いておられるのです。お父様ご自身が原理を初めから終わりまで研究されるのです。

  皆さん、お父様は七十六才です。七十六年のうちで、お父様は、神様を中心とした話をたくさんされたでしょうか。私たちが日常の生活の話するのと同じように、一般的な話をたくさんされたでしょうか。少し考えてみてください。それに比べて私たちの生活はどうでしょうか。祝福を受けてから何年も経ったのに、祝福を受けたあと、神様の原理の話をたくさんしたでしょうか。 サタン世界の自分たちの生活をするための話をたくさんしたでしょうか。どうですか?自分自身がみんな分かるでしょう。

  お父様が語られた説教の言葉の内容を、お父様ご自身が今テープに吹き込み、それを聞きながら、お父様自身が復活するという話です。

  真のご父母様と私たちの生活は全然違うのです。なぜですか? お父様ご自身が原理を絶対視しない限り、弟子たちが絶対視するはずがないのであるから、お父様は絶対視されるのです。では、真のご父母様という原理を絶対視する立場におられる方から祝福を受けた私たちの精神はどうなっているのですか。真のご父母様の精神をそのまま受け入れなければならないのです。今から絶対視しなさい、絶対視。何の理由もないのです。 原理に対しては謙遜な立場で受け入れるのです。それは神様の啓示です。 人類歴史以来、これ以上の啓示を顕した方は誰もありません。サタンの世界を天国にする、そういう恵みの内容を私たちに下さったのにもかかわらず、これに対して全然考えもしない私たちです。そういう立場におられるお父様の前に、私たちの生活はあまりにも、み言葉に対して、真理に対して、原理に対して絶対視する生活をしていないということに対して、 悔い改めなければならないのではありませんか。

  今から私たちは、原理を中心として絶対なるお父様を発見する運動をしていくのです。お父様はそういう命懸けの、死ぬか生きるかの、サタンとの戦いの勝利の恵みを与えて下さったのです。この恵みの、感謝の原理を毎日涙しながら読んでみたことが何回あったかというのです。

  今回、日本のリージョナルリーダーたちが三泊四日の原理の修練会をしました。どういう修練会かというと、今私が皆さんと一緒に読んだのと同じく、そういうふうに読んだのです。そういうふうに初めから終わりまで読みながら修練会をしなさいとお父様が話されました。ですから、今から私たちは原理の本を徹底的に読みながら、感謝の涙を流しながら、この本がなければ、サタンの世界に勝利することができなかったのに、勝 利する道を与えてくださったこと対して感謝しながら走らなければならないと思います。 それは最初み旨の前に呼び出されてから喜んだ感謝の心、初めて統一教会に入った時のその基準です。その心を今から捜し出して、整理して出発するようにお願いするのであります。

  仕事の中でその仕事が一番です。伝道する皆さん一人一人が新しく伝道されたと思って、その基準で原理を新しい人たちに伝えてみなさい。そうすれば伝道されます。私は教会に来て何十年もたった、私は何家庭だ、私は『原理講論」を知っておる、そういう心は絶対捨てなさい。みんな捨てるのです。今から皆さん、原理の前には謙遜な立場で歩まなければなりません。

  お父様はそのリージョナルリーダーたちに、「あなたたちは『原理講論』を見ながら、私がどのくらいの苦難、どのくらいの迫害、どのくらいの難しい路程を通過して来たか知らないでしょう」と言われたのです。この原理は、誰が教えてくださったのでもないというのです。お父様が一つ一つ捜すためには、命懸けで戦ってから、死ぬか生きるかそういうことが何回もあったというのです。そういうのに対してあなたたちは、感謝の涙を流しながら読んでみたことが何回あるかというのです。

  ですから今から『原理講論』を読みなさい。私も皆さんもそういう立場で、原理を新しく私たちが迎え入れる、正しい、新しい信仰をもたなければならないと思うのです。

  読みたくないけれど、大騒ぎするから仕方なく読んだという、そういう立場ではなく、喜びながら感謝しながら、お父様を愛するために読むという基準で読まなければならないのです。それが真のご父母様が喜ばれる仕事です。

祈祷会をしましょう

  仕事をしてから、夜寝ます。この前も話をしたように、祈祷会をしてから寝なさいといいました。祝福を受けた皆さん、皆さんはみんな統一教会員ですから、祈祷会をしていますか? 毎日祈祷会をしていますか?男性の皆様も毎日祈祷会をしておりますか? 聖歌を歌って、家庭盟誓を唱和して祈祷会をするのです。

  皆さん、家庭盟誓は、読んではいけません。家庭盟誓はみんな覚えなさい。早く覚えなさい。何の理由もありません。それを韓国語で覚えた時には、韓国語ができるようになります。家庭盟誓だけでも覚えたら、話ができるでしょう。お父様は、あなたたちの良心は神様に優ることのできない立場にあるけれども、家庭盟誓を通じてそういう立場に立つことができると言われました。分かりましたか? ですから家庭盟誓はどのくらいの重要性があるかということです。家庭盟誓を間に立てて皆さんをそういう立場に立てることができるというのです。そういう恵みを与えられて祝福してくださったのにもかかわらず、それを読まない、暗読しないとしたら、それはいけません。みんな家庭盟誓を早く覚えてください。 分かりましたか?それを覚えてから聖歌を歌って、 家庭盟 誓を唱和するのです。祝福を受ける前の子供たちもみんなです。自分の家にそれを書いてはっておきなさい。覚えることができなかったら目を開けて、見ながらでもやるのです。それを何か月かやれば、みんな自然に覚えるのです。

  そういうふうにしてから、次に『原理講論』を読むのです。一ページずつ読んでもいいし、半ページずつ読んでもいいし、自分の子供たちもみんな一緒に読むのです。 五人家族だったら五人がみんな読むのです。みんなが一回読んだら、次にはお祈りするのです。お父さんでも、お母さんでも、誰がお祈りしてもいいのです。次には、ご父母様の写真に敬礼するのです。敬礼式をしてから寝るのです。寝る前に、神様の喜ばれる言葉を話し、右の足から出して歩きます。次に神様の仕事を毎日していますか、それらの内容を報告して寝るのです。 次の朝起きてきれいに洗面してからご父母様に敬礼して家庭盟誓をして、その日一日の出発をするのです。分かりましたか? そのように毎晩祈祷会をしながら、一日の報告をするのです。報告したとすれば、アルパはオメガであり、 一日の初めと終わりが一致するのです。初めに神様と出発した人が、終わりの寝る時に 神様と一緒に寝るのです。ですから、二十四時間神様と一緒になって、仕事をし、考え、 生活した立場で寝る時に、個人完成に近づく人になるのです。

  ですから、自分の天国は自分で創るというのです。私たちは足らなし、資格はないですけれども、こういう原理を聞いたのですから、みんな挨拶も「神様になりましょう」とお互いに、夫婦が「神様になりましょう」と、そういう激励の話をしたとしても何も悪くないと思います。お互いに神様になりましょうと努力するのです。皆さんも、神様になりましょうと決意したのですから、神様になるのは難しいですけれども、今から早道があれば捜していくのです。神様の仕事、神様のことを考えるのに心がいつも逃げてしまうのです。あちこち逃げてしまうので、集中するお祈りをしなければなりません。ところが、皆さんは熱心に働くからお祈りを何時間もすることが難しいから 『原理講論』を読む時間を取るのです。

  皆さん、考えもしなかったら、人間は月の世界に行くことができなかったのです。鳥と同じように飛ぼうという考えをしなかったら飛行機は発明されませんでした。すべて考えることから始まるのです。ですから私たちも、「神様になりましょう」という考えをしたなら、真のご父母様はもはや責任分担を果たされ神様になった方ですから、真のご父母様と結びつけられて、神様になるのです。

夫婦一体の生活

  さあ、神様を中心として授け受けすれば個性完成した人です。次には善の子女を繁殖します。初めに子女の愛、そして兄弟の愛、父母の愛で、これをプラスしたのが神様の愛です。神様と一つになった男性と女性が一つになる、それが愛です。一つになった時に女性も神様と一つになるのです。男性も神様と一つ、女性も神様と一つになれば、神様が男性と女性のどこに臨在されるかということです。それが男性と女性が関係するところです。とすれば、男性と女性はどこで平等であるかということです。男性は女性より力が強いし、ご飯もたくさん食べるし、仕事もたくさんするし、みんな女性より上です。そうなのに、どこで平等であるかというと、男性と女性が愛する所で平等なのです。愛を中心として平等なのです。男性の心と体、女性の心と体が、神様と一体化する時はどういう時かというと、皆さんが感ずる時です。 愛する所で平等なのです。ですから、夫婦は初めから終わりまで愛の現しです。夫婦は初めから終わりまで全部愛、愛、愛です。戦う時も愛です。みんな愛のために戦うのです。ですから、神様がおられる所は、男女が関係する所であるというのです。

  神様の二性性相の性相的実体対象が男性であり、形状的な実体対象が女性です。ですから二性性相が合性一体化するのが愛なのです。愛する所には子供も参加するのです。それを四位基台というのです。合性一体化したという立場です。こういう一体化の生活を、ご父母様はどのくらい私たちに見せてくださったでしょうか。この前、皆さんが九○年度から九二年度の六月まで十六万の日本の女性が韓国に行ってお父様に教育された 時、お母様が世界四十カ国を周りながら講演会をされていたのです。その時に、お父様はお母様が世界四十カ国どの国へ行っても電話で連結して、初めから終わりまでお母様の講演をみんな聞かれました。お父様がそれを聞かれる時に私が感じた内容は、真のご父母様の愛は、東洋、西洋、夜、昼、時間を越えて、距離を越えて、二十四時間一緒になるということでした。それを真のご父母様は見せてくださったのです。

  お母様お一人で人類を生み変えることはできません。ですから初めから終わりまで、お父様とお母様が一つになって人類を生んだという条件を立てたのが、電話を通してお母様と一体化された生活だったのです。女性一人では子供を生むことできません。ですからお父様は、お母様がどこに行かれても一緒の立場で、一体の愛の立場で子供を生んだということを私たちに見せてくださったのです。

  さあ、皆さんはどこかに勤めているでしょう?何の仕事をしていますか? 建設会社ですか。奥さんが弁当を作ってくれますか、食事を買って食べますか? 帰って一緒に、昼食を奥さんと一緒に食べますか? 買って食べる時、おいしいものを買って食べるでしょう。

  腹が減る時、おいしいものを買って食べますが、食べる時、「やあ、今日おいしいもの買って食べました。食べる時、あなたの顔がとっても美しく見えたのです」と言って、感謝の電話を奥さんにしたことがありますか。

  奥さんの皆さんは結婚して生活しながら、お弁当を作って上げて「行ってらっしゃい」というふうに熱心に毎日捧げるでしょう。それなのに、男性の方から弁当を食べる時間、「やあ、今日あなたの作ってくれた弁当がとってもおいしかった。あなたの愛がもうつくづく感じられて、キスしたくなったので今電話している」と言って一度でも電話をもらった人がありますか? 男性の皆さん、一回も電話しなかったでしょう? そういうふうに一度電話してみなさい。そのようにすれば夕方はおかずが違うのですよ。(笑い)ですから今からは、体は離れているけれども、心は通ずることができるのではないでしょうかということです。

  皆さん、家庭は初めから終わりまで愛です。これを忘れてはいけません。初めから終わりまで愛です。戦っても愛のために戦うのです。何の文句もありません。愛がなければ関係ないのです。 見えない愛によって結びつけられたのです。それも真の愛で結びつけられたのですから、体は離れていながらも心は、精神は、いつも通ずることができるのではありませんか。最初に神様、真のご父母様、自分を生んだ父母、自分の旦那さん、奥さんの順です。分かりましたか。ですから今からはご飯を食べる時、自分の奥さんに電話をかけなさい。それが愛の表現です。

  ですから今から男性たちは、毎日自分の奥さんにお土産を一つずつ買っていってあげるのです。(笑い)お金がなかったら奥さんに下さいと言うのです。みんなお金を奥さんに持っていって預けるでしょう。(笑い)分かりましたか?(はい)困ったね。(笑い)

  そのお土産は何かというと、男性はストレスがあっても気持ち悪い時には、四方八方で、誰かと大騒ぎしながら、みんな吐き出すことができるのです。けれども、女性はそういうストレスを吐き出す所がないのです。子供で、狭い家で、少ないお金で、摂理の内容はたくさんくるから走らなければならない立場であり、いつも心を吹き出す所がないのです。それをどういうふうに越えて行くか、それは旦那さんの一言で慰めることができるのです。ですから今からは、男性は、いつも自分の奥さんを喜ばせる言葉を考えて帰って、慰めなさい。毎日あちこち周りながら自分の奥さんを慰める言葉を一つずつ捜し出して帰ってきて、それを話すのです。

  皆さんの奥さんの好きな言葉を知っているでしょう。分からないですか?(笑い)ですから今から研究しなさい。自分の奥さんを喜ばせる言葉を研究するのです。新聞でもいいし、雑誌でもいいし、どこでもいいし、何の言葉でも一言ずつ、奥さんを喜ばせる言葉をもってきて喜ばせるのです。分かりましたか?

  朝出る時子供たちの前で、奥さんはいつもニコニコ笑いながら見送りをするし、旦那さんはニコニコ笑いながら家を出るのです。帰る時もニコニコ笑いながら、帰ってくるし、出迎えるし、夫婦二人がそういう生活をするのです。今から、そういうふうにして一日一言ずつ自分の奥さんを喜ばせるのです。おかずがおいしくなかったけれども、「や、とてもおいしかった」そういう話をしてあげてもいいのです。二人の仲は一番近い立場 でありながらも、礼儀に対しては重要視しなければならないのです。 それから、勝手な話をしてはいけません。お互いに尊敬する言葉を使って話をするのです。友達に話をするような、そういう話をしてはいけないのです。なぜでしょうか? それがみんな子供たちに影響するからです。女性たちは絶対に自分の旦那さんを尊敬しなければなりません。子供たちの前で尊敬しなかった場合は、子供たちもお父さんを尊敬しないのです。男性という立場もそんなに易しくないのです。(笑い)とっても難しいのです。私が結婚する時にお父様が、「あなたたち、旦那さんになるのはそんなに簡単ではない」と言われたのです。当時は何がそんなに難しいのだろうと思ったのに、それが年を取れば取るほど、やあ難しい、難しいと思うのです。ですから夫婦が一体化するのに六千年かかったのです。お父様とお母様の生活を見れば、そういうふうに感じられるのです。ですから、今私たちはそういう一体化の生活をするのが難しいのです。分かりましたか? 次に、女性の皆さん、旦那さんの所にも時々電話をかけるのですよ。「今日、弁当おいしく食べました? 何か買って食べました? 買って食べる時には、私も一緒に行って食べたいと思うのですがどうですか?」と、冗談をちょっと話してみなさい。そうすれば旦那さんは何の話をするでしょうか。そういうふうにやりとりしながら愛の表現をするのです。

  私は、お父様がお母様と話すために四十カ国に電話されるのを見て、そういうふうに思えたのです。や、私たちもそういう生活をしてみたらどうかと、そう思ったのです。私の妻は今名古屋にいますから、いつも会うことができません。ですから朝電話をかけて挨拶をするのです。挨拶してから、家庭盟誓をもって一日出発しましょうと家庭盟誓を唱和するのです。夜寝る前も、電話をかけて家庭盟誓を唱和して寝るのです。悪くないでしょう。奥さんの声を聞くと気持ちもいいし、悪くないじゃない、離れているのに。ですからそういう生活を今からすれば、体は離れているけれども、心は通ずることできるのです。そうしながら一体化の生活をするのです。

  皆さん、今から旦那さんと関係する時、自分の旦那さんが片山さんなら片山と見てはいけません。では、どういうふうに見るのでしょうか? 神様の二性性相の性相的個性真理体が片山に現れ、神様の勝利した基準、真のご父母様の愛が自分に真の愛を伝えるために片山という人が必要であったのです。分かりましたか? 人間片山でないのです。真のご父母様が世界人類をすべて愛することはできないでしょう。その真のご父母様の愛の特別な愛を分配して愛しなさいとして、真の愛をもって自分のところに来るのが相対者です。そういうふうに思わなければなりません。

  皆さん、人間的な愛と思ったらサタン世界で結婚した人たちと何の違いもないのです。同じなのです。既成祝福を受けた人たち、昔結婚した時の愛と、祝祷を受けて夫婦が愛した愛と何が違うのですか。 同じなのに、違うのは何かというと、昔は個人の目的を中心として関係したけれども、祝福を受けた後は神様の目的によって関係して愛するのです。それが違うのです。目的観が違うのです。ですから祝福を受けた皆さんが、今まで 自分の旦那さんと思ったのは違います。今からは、神様の二性性相の個性真理体が、真のご父母様の愛の代わりに、真のご父母様の命令によって、その愛を私たちに伝えてくれると考えなければなりません。また、男性たちは自分の奥さんを、二性性相の形状的個性真理体である奥さんが真のご父母様の愛を私に伝えてくれる、という立場で迎えるのです。そういう時に神様の愛が現れるのです。

  皆さんの奥さんは一ヶ月に一回神経質になるでしょう。そういう話をすると一二〇双の人たちがそれは何だと思ったのです。そういう話を今も聞く人があると思います。自分の奥さんが一ヶ月に一回ずつ神経質になる時があるということをよく知って、その時が来たらよくしてあげなさい。頑張りなさい。ニコニコ笑いながら、映画にでも連れていってあげたり、何か買ってあげたり、そういうふうにして越えるようにするのです。

  喜びの時間が足らなかったら少し長く続けて、そうして関係する前にも、ずーっと自分の奥さんを喜ばせてあげなさい。そういうふうにいろんな所をどんどんどんどん喜ばせてあげてから、それでタイミングを合わせるのです。そのタイミングを合わせるのを神様が喜ばれるのです。神様はどこにおられるかというと、夫婦が関係する所に神様がおられるというのです。そういう重要な所であるから汚い所ではありません。きれいな、貴い、神様の奇跡が行われる所ですよ。女性の皆さんはそれを重要視しなければなりません。

  皆さん、日本のテレビで一日に人が平均何名死ぬか分かりますか? 日本のテレビには時代劇というのがあってこのようにしてうまく殺します。一度に二十~三十人が死ぬのが普通です。日本の映画で一日に死ぬ人は三十~四十名ぐらいです。何十名もの人が一時間で死ぬのです。平均五十~六十名死ぬというのです。そういうものを見てから、夫婦で関係して子供を産んだとすれば、その子供は荒い性格で生まれるのです。酔っ払って家に帰ってきて関係してできた子供は酔っ払いですよ。それをみんな忘れてはいけません。ですから毎日見るべきではないものを見、聞くべきではない話を聞き、話すべきではない話をするというのです。神様の原理の話をするより、サタンの話ばっかりしているのです。私はそれを聖別しなければならないと思うのです。

  韓国に傳道館(チョンドガン)という所があります。傳道館の朴太善(パクテソン)という人はどういう人だったかというと、奇跡をたくさん起こしました。ドラム缶に水をいっぱい入れ、朴太善という人がそのドラム缶の水の中に手を入れてお祈りしてそれを飲めば、病気が治る、傷ができたらその傷にその水をつければ治るのです。腹が痛い時にも、病院に行かないでその水を飲むのです。人が全国的から来てそれを買って行く、そういう聖水があったのです。

  あの水沢里から一時間南のほうへ行ったら徳所(ドクソ)という所がありますが、その徳所でその人たちがいろんな工場で生産したのです。生産したものをそのメンバー達がいっぱい持って、ソウル市内を訪問して売ったのです。売って帰ってきたなら、見るべきではないものを見、聞くべきではないものを聞き、話すべきではない話をしたので、どういうふうにするかというと、帰ってきてからその水で目も耳も口もこういうふうにして洗って聖別するのです。私たちも同じです。毎日見るべきではないものを見るし、聞くべきではないことを聞くし、サタンの世界とうそばっかり話しながら生活するでしょう。ですから、それを見て私たちも学ばなければならないと思ったのです。

  ですから、そういうふうなのを見て子供を産むのはいけないので、今からそういう映画を見た後には、夫婦関係をもつ前に目を聖別して、耳も聖別して、口も聖別して夫婦関係して子供を産みましょう。ではどういうふうに聖別するのですか。『原理講論』を読むのです。目で『原理講論』を見て、口で声を出して読んで、耳で聞いて自分の体を聖別して夫婦関係をもって子供を産みましょうというのです。お酒を飲んで酔っ払って子 供をもったら酔っ払いの子供を産むのです。ですから今から皆さんは、聖別した生活をしましょうというのです。分かりましたか?

  今から皆さんは天国の子供をつくらなければなりません。天国の子供を誰かがつくってくれるのではありません。自分がつくらなければならないのです。皆さん一人一人が。ですから、この間私が話したように、真っ裸になって夫婦関係をもとうとする時、お互いに確認するのです、『原理講論』を読みましたか、と。(笑い)読んでいなかったとしたら真っ裸になって『原理講論』を持ってきて、(笑い) 夫婦で読むのです、夫婦で!エデンの園ではアダムとエバが真っ裸になって生活したではないですか。夫婦が自分の部屋で真っ裸になって『原理講論』を読んだとして何が恥ずかしいですか。その恥ずかしく思う心が堕落性です!

  『原理講論』を読んで関係して子供をもったのと、『原理講論』を読まずに関係して子供をもったのと、同じ子供であっても性格は違うのです。誰の子供でもない、自分の子供ですよ。自分が産んで立派な子供を育てようとしたら、初めからお祈りして子供をもつのです。考えてみなさい。二十ページくらい読んだら一時間くらいかかります。 お互いに一時間お祈りして関係して子供をもったのと、でたらめな生活をして関係して子供 をもったのとでは、同じ子供であるけれども違うのです。

  ですから、そういうふうにするのがいいと思うのです。そういうふうにして子供生むのです。そして子供ができたことがわかったら、その晩から必ず胎中教育を始めるのです。胎中教育。胎中教育。『原理講論』を初めから終わりまで目で見ながら声を出して、口で読むのです。耳で聞くのです。次にこの『原理講論』を自分の手でノートに書くのです。きれいに丁寧に書くのです。今から、徹底的に読みながら子供の胎中教育をする のです。

  そういうふうにお祈りしながら『原理講論』を一通り書いて産んだ場合は、その晩から夫婦が子供に向かって『原理講論』を読んであげるのです。読んであげたらその部屋が聖別されるのです。『原理講論』の言葉で聖別されるから、悪霊が入らないのです。サタンが入らないし、その子供の霊人体が『原理講論』を聞くのです。霊人体が聞くので霊人体が強くなるのです。そういうふうに育てるのです。毎日『原理講論』を読んであげるのです。

  そういうふうにして三才になったとします。三才になったら、皆さん子供におもちゃをいろいろ買ってあげるでしょう。いろんなおもちゃを買ってあげるけれども、『原理講論』にカバーをつけておもちゃにして遊ぶようにした人が何人いますか? 『原理講論』をおもちゃとして買っていってあげない。分かりましたか? 『原理講論』を買っていってあげたら、きれいにビニールでカバーをして、それをあげながら「神様の言葉であるから、神様の本であるから、きれいに保存して遊びなさい」と話したら、霊人体が私たちより明るいのですから、そのとおりきれいに扱うのです。よーく持って歩くのですよ。そういうふうに育てて四歳、五歳になったとしたら、その時から、皆さんは毎晩祈祷会をするのですから、子供たちも一緒に座らせて祈祷会をしながら『原理講論』を一緒に読むのです。お父さんが読みながら、あとについて読みなさいと言うのです。そうしたら、熱心について読むのです。それを五~六節ずつずっと読んであげれば子供たちがとっても喜ぶのです。

  そういうふうにして育てて幼稚園に通わせます。幼稚園に通い始めたら言葉が分かるから、本を読ませるのです。そうすればとっても喜ぶのです。そういうふうにして小学校、中学校、高等学校に行った場合にどうでしょうか。高等学校に行ってボーイフレンド、ガールフレンド、ゲイ、レズビアン、酒、たばこ、エイズ、麻薬、いろんなものを見るのです。考えもしなかったものが、目の前に現れるのです。ですからフラフラするのです。

  祝福を受けた子供たちがフラフラしないでしょうかというのです。皆さん、皆さんの祝福を受けた子供たちは、自分たちの友達がたばこを吸う時、吸ってみたい気持ちはないでしょうか? 酒を飲む所にいて、飲みなさい飲みなさいと言われた時、飲みたくならないでしょうか? みんな完成した子供たちですか? とんでもないことです。みんなやりたくなるのです。

  今、日本の祝福家庭の子供たちが問題になっています。それが誰の子供でもない、 皆さんの子供です。ですからそういう子供たちをどこから教育しますか? 金があれば、社会的にみんな金を使って教育させて都合よく任せようとします。サタンの世界はみんなサタンであり、天国の国民教育をしてくれる人は誰もいません。それなのに皆さんは、キリスト教の信仰経歴もなし、今まで自分の家で祈祷会もよくしていません。『原理講論』を読まない。お祈りもしない。賛美歌も歌わない。教会に行くとしても統一教会に行くのは恥ずかしいと思うくらいの立場であるから、子供たちは何を学ぶのですか?ですから自分の家で皆さんが何もしないのを見るのです。統一教会の信仰と何も関係なく、みんな座って見るのはテレビです。

  ですから、中学校、高等学校でフラフラするその時に、お腹の中にいた時にその『原理講論」を書いたそのノートを出してあげながら、「お父さんとお母さんは、あなたがお腹の中にいる時に十ヵ月間、『原理講論』を見ながら、読みながら、心と体を捧げてお祈りしながら、あなたが立派な子供になってくれるようにと願いながら、このノートに書きました。これが胎中教育の証明書です。ですから、あなたが今フラフラする人生問題の解決の方法はみんなここにあるのです。この本で解決される。 ですから熱心に原理の勉強をしなさい」としながら、子供が男の子だったら「結婚してあなたの奥さんが子供をもった場合は、胎中教育をこういうふうにしなさい」と頼むのです。 娘だったら「あなたが子供をもった場合は、あなたが胎中教育してあなたの子供にまたこういうふうに伝えなさい」という、天国の国民教育を、胎中教育の伝統を伝えるのです。そうすれば、その『原理講論』は、その書いたノートは、その子供にとって最高の財産になるのです。

  天国の国民の教育をしてくれる人はこの世の中には誰もいません。私たちはお金を上げたらすべての教育してくれると思うけれども、みんなサタン世界の教育です。天国の教育をしてくれる人は誰もいません。ですから、お父さんお母さんがしなければならないのです。 今、統一教会の祝福家庭の人たちの問題は、お金を上げて、外の人に任せて教育しようとする人たちが多いこと。これは間違っています。社会に出て教育したなら サタンの人の教育ばかり受けるのです。天国の国民教育を誰がしなければならないかというと、お父さんお母さんが自分の家で教育しなければならないのです。ところが家での皆さんの生活を見てみなさい。祈祷会をしますか? 『原理講論』を読みますか?お祈りもしないし、何もしていないのを子供たちがみんな見ているのです。

  ですから統一教会の祝福を受けた子供としての何ももっていない。祝福を受けなかった一般の人たちの生活と、統一教会の祝福を受けた人たちの生活と何も違うものはないのです。統一教会の祝福を受けたとして、父母は善の血統として喜びながら誇りながら子供を育てながらも、教育に対しては全然無関心です。ですから、お父さんお母さんが原理を中心としての中心的な役割を果たして勉強させなければならないのです。それが 統一教会の祝福家庭の子女たちの子女教育です。ですから、そういう教育方法を今から必ず皆さんが作らなければならないのです。

  次に、皆さん欲望があるでしょう。女性の皆さん欲望があるでしょう。 皆さんの産んだ子供たちと、三十六家庭の子供たちと結婚させたいという心がないですか、ありますか。私の孫の一番上が六歳です。それは皆さんの子供たちと同じ年齢ですよ。同じ年齢だったら結婚する可能性があるのです。そういう希望をもって育てますか、ということです。

  次に、もう一歩進んで、真のご父母様の家庭のお孫さんたちも今、一歳、二歳、五~六歳です。 皆さんが生んだ子供たちが、真のご父母様のお孫さんたちと同じ年齢です。そうすれば皆さんが祝福を受けて生んだ子供と、真のご父母様のお孫さんたちと結婚する時代に住んでいるのですよ。分かりますか? 結婚する可能性もあるのです。もはや一八〇〇双の家庭が真のご家庭に入っているのです。お祈りして、熱心に育て、熱心に心と体を捧げていけば、真のご父母様と結びつけられる時代に住んでいるという恵みの時なのです。そういうことを考えたとすれば悪いですか? 考えたとしても悪くないですよ。努力しなさい。努力しなさい。努力すれば神様の恵みが与えられるのです。

  そのためには徹夜しながら、断食しながら、少しお祈りしてもいいんじゃないですか。そういうことを考えもしなかったでしょう?考えもしなかったのであるから、行われないのです。結びつけられないのです。分かりましたか? 今から欲望をもちなさい。希望をもちなさい! 分かりましたか? 真のご父母様のお孫さんたちと、私たちが生んだ子供たちが結婚して結びつけられる可能性のある時代に住んでいるのですから、そのような心をもったとしても、希望をもったとしてもそれは悪くないのです。そういう 時代に住んでいる恵みなのです。分かりましたか?

子供は父母の真似をして育つのです

  皆さん、お父さんお母さんが、子供たちに乳を飲ませるのを教育しますか? 何千回も、何年間も、乳を飲ませるのです。弟が生まれた場合はまた飲むのを見るのです。そうするから自然に分かるのです。それと同じく、統一教会の祝福を受けた食口たちの家では、子供たちに原理を勉強するのを自然に父母が毎日見せるのです。乳を飲ませるのと同じく、毎日子供たちに見せるのです。そうして、ああ原理は誰もが勉強しなければならないという、そういう雰囲気を家の中で作るのです。自然に分かるようにするのです。

  私の家では長男が三十四歳で、今教会長をしています。私も教会長ですから話をすれば、意見が違う時があるのです。そういう時、何を中心としてそれを整理するかです。原理を中心として、あなたたちの生活が正しいか、お父さんお母さんの生活が正しいか、それを原理を中心として運転をしなければならないのです。皆さんは何も分からない立場であったから、こういう経験談を話すのです。私の孫たちも祈祷会をする時参加させて『原理講論』を読ませるのです。皆さんも読ませなさい。それは悪くないですよ。

  そういうふうにしても子供たちは、友達からどういうふうに聞くのか、幼稚園に行って生活しながらも、悪い話ばっかり聞くのです。それなのに家庭で教育を全然しなかったらどうするのですか。誰が教育するのですか。そういう問題がありますから、目を真ん丸くして毎日子供の前に『原理講論』を持ちながら遊ぶようにするし、読ませるし、生活しなければならないのです。分かりましたか。

  それでお父様が何の話をされたかというと、子供たちは父母の真似をするということです。特に、お母さんの真似を八〇パーセントするというのが十六万の女性を教育された時の言葉です。ですからイスラエル民族の女性たちは、他の国の男性たちと結婚させられるのです。なぜでしょうか? イスラエル民族の女性たちは子供を生んだらみんなイスラエル民族にするのです。自分が生んだ子供たちをイスラエル民族にするのです。それなのに、イスラエル民族の男性と他の国の女性が結婚したら、イスラエル民族に残るのではなく、みんな逃げてしまうのです。それでイスラエル民族の男性たちは他の国家の女性との結婚を許されないのです。今も必ずイスラエル民族の男性たちは、イスラエル民族の女性と結婚させられるのです。

  ですから女性の皆さんが、今から自分の生んだ子供たちを、サタンの世界においても神様の天国国民の教育をさせる、そういう立派な子供たちを生んで、育てて、教育しなければならないのです。それが原理です。初めから終わりまで原理です。そういう立場で皆さん、原理を絶対的に勉強しなければなりません。

  次に、皆さんの家で祝福を受ける前に生んだ子供たちと、祝福を受けてから生んだ子供たちと差別してはいけません。必ず、長男、次男、三男、そういうふうに教育するのです。祝福を受けたとして、あなたは祝福を受けてから生まれたから長男以上の立場にある、そういうふうに愛したり、そういう話をしてはいけません。祝福を受ける前の子供たちと戦ったらいけないのです。それがカイン、アベルの問題です。カイン、アベルの立場であるから、カインである祝福を受ける前の子供たちを、もっと愛するのです。愛したらその愛はみんなに、お互いに流れるのです。そういう立場で教育しなければならないし、祝福を受ける前の子供たちをみんな早く伝道しなければなりません。黙っていて、ほったらかして他の子供たちと結婚するようにしてはいけないのです。みんな急がなければなりません。話を聞かないからといって黙っていてはいけないのです。

  こういうふうに、今から教育を徹底的にしますよ。『原理講論』を熱心に読むんですよ。分かりましたか?(はい)

自分の父母に侍りましょう

  この前から、自分の父母に手紙を毎月一回づつ書きなさいと言いました。六五〇〇双の皆さん、韓国にいる時から毎月一回ずつ手紙を書きなさいと言ったのですよ。毎月一ヵ月に一回ずつ手紙を書いた人いますか? や、きれいね。一人もない。この場所に座っている皆さん、今日は何日ですか? 毎月、同じ日に自分の両親に手紙を書くのは当たり前、男性は自分の奥さんの両親に手紙を書くのですよ。分かりましたか?

  次に、奥さんは毎月自分の両親に手紙を書くのは当たり前ですが、旦那さんの両親に手紙を書いたり、あるいは女性は今からは手紙を書くよりも、毎月両親に会いに行ったりすることができるのではありませんか。あなたは何回行って挨拶しましたか? 「二回」や、えらいね。結婚したのを知っているのですか? 韓国人と結婚したことを反対している? 統一教会で結婚したことに反対するのですか。あなたは何歳ですか 「三十三歳です」三十三歳だったら結婚する年齢を過ぎたじゃない。何をうろうろしているのですか。反対されても、両親に堂々たる態度をとらなければなりません。今から毎月、一日で行って帰ってこれる距離の所は旦那さんの家に行くのですよ。遠い人は手紙を書くのです。 反対しても父母は父母です。 絶対に反対するという心をもたないようにしなさい。父母と子供というのは、切ることができません。これは永遠の世界までつながるのであり、これは宿命的です。それなのに、私たちの行くべき道を、祝福を受けたのに対して反対するからサタンという話をよくするけれども、万一サタンというレッテルを付けたら、今は天国圏に入っているのですから、私たちが父母のことをサタンとしたら、父母がサタンになりますよ。ですから、皆さんの両親のことを、皆さんがサタンとして、サ タンのレッテルを付けたら、自分はサタンの子供になるのです。

  ですから今から、絶対に自分の両親に対して、サタンという話をしてはいけません。サタンという話を絶対してはいけないのです。なぜですか? 父母が皆さんをいい時期に生んでくださったので、皆さんは祝福を受けることができたのですよ。真のご父母様に恵まれて、祝福まで受けたのですから、感謝の心を持たなければなりません。反対する父母に感謝の心をもたなければならないのです。私が心と体を捧げて父母を熱心に伝道しなかったという立場であるから、今父母に対して理解してくれないという心をもつようになるのです。

  両親が私を生んでくださったことに対して、感謝の手紙を毎月送ります。自分の両親に手紙を送った後、女性は自分の旦那さんの両親にも手紙を書くのです。次に、男性も自分の両親に手紙を書いて、プラス、自分の奥さんの父母様に手紙を書くのです。毎月です!長男は何歳ですか?(四ヶ月) 子供が小学生だったら、手紙を書くことができるでしょう。ですから子供たちも、みんな手紙を書いて送るようにするのです。自分が送る手紙の中に入れて、一緒に送るのです。毎月手紙を書いて、お祈りしながら送るのです。

  二日後にはもう届くということを、みんな知っているでしょう。二日後に、今日の手紙が届くのです。とすれば、手後を書く時の主対者の立場、手紙をもらうという対象の立場、主体と対象の対場に立ったら、何ですか?相対基準がつくられたら、授受作用が行われるのです。授受作用が行われたら、何が行われるかというと、夢に皆さんの先祖が現れて、娘さんが行っている所に行きなさいというふうに教えてくれるのです。霊界が動員されるようになっているのです。そういうふうにして、伝道される。伝道される。伝道されるのです。

  次に、十ヶ月くらい、毎月手紙を送ったのに、十一ヶ月目に手紙を送らなかったとしたら父母様が手紙を待つでしょうか、待たないでしょうか? 待つのよ。そのくらい伝道されたという内容です。 ですから、今から毎月父母様に手紙を書く運動をするのです。自分を生んだ父母様に感謝の手紙を送るのです。生んでくださったからこそ、祝福まで受けることができたのです。いい時期に生んでくださったことに対して、感謝の手紙を送るように頼みます。

  次に手紙だけ出して、この生活でいいということはできません。みんな自分の父母の家を訪問するのです。分かりましたか? そうするのにお父さんが何が好きか分からないでしょう?一年に一回も行かないでしょう。ですから今からは毎月行くのです。 毎月行って何をするか。もし、父母がいなければおじさんをお父さんの代わりに伝道しなければならないでしょう。今まで責任を果たしてこなかったのですから、夫婦二人の親族の家を訪問するのです。兄弟の家も訪問するのです。おじいさんの家はもちろんです。それは親戚の一番上の方であるから、行って挨拶するのです。

  子供は何人ですか? 三人。一番上は何歳ですか?なに自分の子供が何歳か、それ分からない? (笑い) その三人をみんな連れて行くのです。分かりましたか? おじいさんの所へ行く時、おじいさんが何が好きか分からないでしょう。それは奥さんがやりなさい。何か好きなものを買って、子供たちに持たせて、五人が行くのです。五人が行って何をするかというと、お父さんの代わりに挨拶しに来ましたと言うのです。そして仏壇があれば仏壇の前に座らせてもいいのです。子供たちと一緒に、夫婦がみんなこういうふうにして正式に敬礼をするのです。おじさん、おばさんがいたら、おじさん、おばさんの所で座らせて、そうして敬礼をするのです。

  次に、好きなものを買ってきてお土産を差し上げるのです。そして奥さんはお母さんの代わりであるから、好きなおかずを作る材料を準備して行って、夕食を作るのです。心と体をみんな捧げて夕食を作って、おじさん夫婦と子供たちと、向こうの子供たちが一緒に住んでいたら、従兄弟がいるでしょう。従兄弟が同じ家にいたら一緒に侍るのです。一緒に食べながら和動するのです。 和動しながら、食べた後にはおじさん、おばさんを喜ばせるのです。酒が好きだったら酒を買って行って飲ませるし、次には歌を歌ってあげるのです。(笑い)自分が歌を歌うことができなかったら、小学生の子供たち三人に、「あなたたち、お父さんお母さんの代わりに、歌を歌いなさい」として、おじさんに歌を歌ってあげるのです。そうすれば喜ぶのです。それが天国です。

  今から、おじいさん、お父さんお母さん、子供の三代が一緒に食事をしながら生活して、喜ばせるのが天国です。三代が一緒に住むのが天国ですよ。今から皆さんは、天国の生活をするのです。ご飯を食べて、孫たちと一緒に歌を歌ってあげるのです。皆さん、カラオケを練習したでしょう。いろんな歌を歌ってあげてから、次に、お父さんお母さんを喜ばせたらそれでいいのです。そういうふうにして、帰って来てもいいし、一晩をそこで過ごして眠ってもいいのです。その翌日、帰って来るのです。

  この社会のどの子供たちが毎月帰って敬礼式をして、立派なお食事させながら、父母を喜ばせるでしょうか? そういう子供が何人くらいいるでしょうかということです。私たちが侍る生活をしたとしても、この社会の若者たちは、年取った父母をけっ飛ばして離れて行くのです。こういう悪い風習を直すためにも、統一教会の祝福家庭が先頭に立って守らなければならない最後の提案です。ですから、今からは毎月自分が住んでいる所から車で行って食事をするのです。父母は喜びのために私たちを生んだのです。そうでしょう。ですから、愛というのは、私たちを生んでくださった父母を喜ばせるのが愛です。何でも持っていって子供たちを連れて、孫たちを連れて、父母の所に挨拶に行って、歌を歌って食べさせて喜ばせるのが愛です。それが孝です。分かりましたか?

  今から統一教会の祝福家庭は、自分を生んでくださった父母に対して孝の生活をしなければなりません。孝の生活を、見えない神様、真のご父母様に捧げるという話をする前に、自分を生んでくださった父母に捧げましょう。侍りましょう。 自分を生んでくださった父母には侍らず、他の人に侍るというのは嘘です。考えてみなさい。死んだ先祖の供養はしながら、生きた先祖の供養はなぜしないのですか?これは問題です。

祝福の価値

  祝福を受けた皆さんは、霊界で比べたら大統領以上の立場です。霊界から見たら、皆さんの先祖は大統領以下です。地上天国だからです。

  私たちは先祖のいい部分をみんなまとめて生まれたというのです。ところが聖書にあるのは、女が生んだ人たちの中で一番偉い人が洗礼ヨハネです。なぜかというと、イエス様と同じ時代に生まれたのです。同じ時代に生まれて、イエス様について伝道する使命をもって生まれたので、人類歴史以来、女が生んだ人たちの中で一番偉い立場で生まれたのが洗礼ヨハネなのです。分かりましたか? 同じく、真のご父母様と同じ時代に生まれた私たちです。五十数億の中で、一億二千万の日本人の中で、数千名の人たちという立場で真のご父母様の祝福を受けたということは奇跡の中の奇跡です。女が生んだ一億二千万の、皇紀二六五四年の日本の歴史の中で一番誉められる日、一番偉い立場で生まれた皆さん一人一人の祝福家庭だということを忘れてはいけません。「真の父母」という名前をもった方は、人類歴史以来誰もありません。初めであるし、終わりです。「真の父母」という名前だけを聞いて死んだとしても、それが恵みです。それなのに、真のご父母様から直接に祝福を受けたという内容は、奇跡の中の奇跡を受け取ったということであるにもかかわらず、それが分からないのですか。

  皆さん大統領が直接行って自分の下の下の下の課長さんに話をしますか? 課長さんが黙っていて電話を受けますか。考えてみなさい。大統領が直接行って、課長さんと会って話をする時、課長さんは恐れて退くのです。今、霊界はみんなそういう立場です。皆さんに対して、何千名の先祖たちがみんな今ここに来て、皆さんに頼んでいるのです。皆さんの責任がどのくらい重要であるか、皆さんは分からないのです。祝福というのは、 そんなに簡単な問題ではありません。霊界の霊人たちは私たちの祝福の下の下の下の下の向こうの方にいるのです。

天国へ行く門の状態

  証を一つしましょう。目を真ん丸くして聞きなさい。ある仲のいい夫婦の重要な証です。その夫婦は皆さん以上に仲のいい夫婦です。その奥さんは既成教会の熱心な信者です。そして、その奥さんの妹は、熱心な統一教会のメンバーです。 ですから、いつも姉さんが自分の妹を迫害するのです。 なぜ、統一教会へ行くのか?私と一緒に自分の教会へ行きましょう」と大騒ぎするのです。それを誰が見たかというと、愛する自分の旦那さんが、自分の奥さんがあまり妹を迫害するので、「あなたの信じる神様と統一教会の妹が信じる神様は、私は同じだと思うのに、なぜそんなに迫害するのか?」と言ったのです。何回話しても、姉さんは旦那さんの話を聞かないで迫害するのです。

  そういうふうにして、その妹は統一教会の六〇〇〇双の祝福を受けたのです。その後、この姉さんの旦那さんは、軍隊から引退する時にお金をもらってそれで商売して、みんな使ってしまったのです。子供たちにも、友達にも親戚にも面目がないので、最後に選んだのが何であるかというと、自殺したのです。自殺した人は、無条件地獄です。特別列車です。 直接チャーと行ったのに、行ってみると厳しいのです。地獄の生活が苦しいのです。

  そういう生活をするある日、地獄のキャプテンが来て「みんな集まれ!」と言って、みんな集まったのです。何の話をするかというと「皆さんの中で、この地上で文鮮明先生の名前を知っていた人、手を挙げなさい」としたのです。ところが地獄にたくさんの人達がいるのに、一人も手を挙げないのです。でも、考えてみると、自分の奥さんが、 妹が統一教会に行くといって大騒ぎして迫害した時、黙っていなさいというふうに話したことが思い出されるのです。それで手を挙げました。手を上げると、その地獄のキャプテンがちゃあーんと見て、嘘か嘘でないか確認して、何の話をするかというと、「あなた、今から一週間許可をする。地獄から出て地上に行って統一教会の入会願書を出してきなさい」という命令です。

  ですから、厳しい地獄から解放されてから出てきたのです。そしてどこに行ったでしょうか? どこに行ったかというと、祝福を受けた自分の奥さんの妹が開拓伝道をしていた江原道の楊口という田舎に行ったのです。地獄から解放されたその霊人体が行って、その妹さんの心を動かすのです。 「おい、行きましょう。行きましょう。行きましょう。」と誘うので、それと相対基準を作ったのかもしれませんが、その妹は、自分の姉さんの旦那さんが自殺したので姉さんが厳しい状態でいるから、自分が一度姉さんの家へ行って見てあげなければならないと思って、その責任者に許可を受けたのです。「こういう立場でありますから、少し姉の所へ行きたい」という話をすると、「行って きなさい」と言われ、そこからバスに乗って行ったのです。 安養(アニャン)という所に住んでいたのです。ですから田舎の江原道の方からバスに乗って四~五時間来ました。そして姉さんの家の門を開けて入ったのです。

  門を開けて入ると、自分の姉さんがまっすぐに座っていて、妹を見て妹の名前を呼ぶのでなく、自分の旦那さんの名前を呼ぶのです。 「あなた、どういうふうに来ましたか」と言うのです。「あなたどういうふうに来ましたか」と自分の旦那さんを迎え入れた後には、奥さんが旦那さんの声を出すのです。

  そうして、旦那さんが生きておられた時に子供たちに話した話し方もするのです。 そうしながら「早く子供たちを皆集めなさい」と大騒ぎするのです。子供たちが何も分からずに、お母さんが亡くなったお父さんの声を出しながら、お父さんの話し方や素振りをするので、何か頭が少しおかしくなったのではないかと思いながら、恐れてうろうろしていると、「どこをうろうろする。早く集まれ!」と言うのです。集まって座っていると、地獄から解放されたといいながら、統一教会の入会願書をもらって来なければならないと言うのです。

  今まで自分の妹が統一教会へ行くといって大騒ぎしたお母さんが、統一教会のメンバーにならなければならないと大騒ぎするのであるから、子供たちはもうお母さんは気が狂ったというのです。気違いになったというのです。しかし、統一教会の原理を知っている六〇〇〇双の彼女は、これは確かに霊人体が帰って来たのだということが分かったのです。自分の姉さんの旦那さんの霊人体が帰って来たと分かったのに、彼女は、統一 教会の原理によれば自殺した者は地獄に行くのは当たり前だと知っていますから、霊人体が入会願書を出しなさいといっても、これをすることができないのです。それで喜べずに黙って心配ばかりしていると、「何の話ですか。 なぜあなたは黙っているのか」と言うのです。ですから妹さんはみんな話したのです。

  「実は統一教会の原理によれば、自殺した人は地獄へ行くのが当たり前だし、地獄へ行った人が帰って来て、霊人体が入会願書を出すといっても、それはできない」という話をしたのです。すると泣きながら、「あなたはなぜ黙ってここに座って、できないという話をするのか」。「行ってみて、話してみて、許可を受けてやる方法を考え出さなければならないのに、なぜ行きもせず、聞きもせず、黙っていてできないという話ばかりするのか。許可を受けに行って来なさい!」とお願いしながら大騒ぎするのです。

  それで仕方なく行ったのです。その時の安養の教会長さんが誰かというと、今は、鮮文大学校に勤めている四三〇双の洪年杓(ホンニョンピョウ)という人でした。ですから行って相談すると、 もう死んだ人はできないというのです。すぐに帰って、できないという話をすると、 大騒ぎするのです。「今、自分はどうすればいいのか。地獄には絶対行きたくない」と言うのです。「どのようにしても、統一教会の入会願書を出さなきゃならない、出してください」と大騒ぎするです。そういう話を聞いた付近の人たちや親戚の人たちも大騒ぎです。 今まで統一教会に反対していた女性が、統一教会のメンバーにならなければならないというのですから、その奥さんの友達もみんな大騒ぎです。

  その翌日、「日も出ている。子供たち、みんな早く起きて行こう。行こう。」と言う。「どこへ行くの?」「早く教会に行こう」「何の?」「統一教会」と言うのです。行ってから、「助けてください。 洪年教会長さん、私を絶対助けてください。地獄は恐ろしい」と言うのです。それで教会長さんがみな話を聞いて、結論は何かというと、「家族たちがみな入会するという条件、修練を受けて熱心に祝福を受けるという条件によっては出してもいいんじゃないですか」と話をすると、「やあ~よかった」と踊るのです。そういうふうにして入会願書を家族の数だけみんなもらって来て、みんな書いたのです。ところが長男の人が、大きな会社の課長ですが「書かない」と言うのです。すると、お父さんは、長男が書かないというので心配して、黙って考えてから、「あなたは、私が気狂いだと思って書かないのだと思うけれど、私が死んだ時のロープをあなたが隠したんじゃないか」と話したのです。「隠さなかった」と話すと、「何? 隠したのに、なぜ隠さなかったというか? 隠さなかったと言うのなら、あなたの部屋に行きましょう。あなたの部屋に行って、机の引き出しを開けなさい」

  開けてみると、そこにロープがあるのです。「あなた、このロープがあったら、あなたも死ぬし、家族たちも兄弟たちもみんな死ぬ。ですから、これを早く焼いてきなさい」と焼いて帰ってくると、「もちろん私が悪かった。あなたに責任を任せて、私が死んだことは謝るけれども、霊界へ行ってみると地獄が恐ろしいというのは、確かである。で すから、あなたが統一教会の入会願書を出してくれたら、私はいい所へ行くというのに、あなたが出さないとしたら、私はどうなるのか」と言うのです。もう泣きながら「助けてください」と話すのですから、仕方なくその長男も「それでは書きます」と書いたのです。その本人の入会願書を書くのに写真が三枚必要です。「写真がない」という話をすると、あの上の何色のジャケットのポケットを見れば写真がある、というのです。捜してみると写真があるのです。そうして写真を付けて出したのです。 出したその二カ月後に現れて何の話をするかというと、自分は今天国に行っていると言うのです。天国に行っているといいながら、自分の奥さんに「霊界に行ってみると、文鮮明先生がみんな霊界を主管している。あなたは今まで地上で文鮮明先生を反対したけれども、今からは絶対反対してはいけない。今まで反対したのを悔い改めながら、家族たちを連れてみんな統一教会に行って、地上でメンバーたちと一緒に熱心に働きなさい。熱心に献金しながら、今までの何十倍のそういう生活をしなければならない。霊界に行ってからは、みんな文鮮明先生が主管する。自分は今天国に行っている」と言うのです。そういうふうにして約五~六カ月後にもう一度現れながら、こう言うのです。「やあ!一ヶ月に一回ずつ統一教会の会員で霊界へ行った人たちの集会がある」と。集まって何をするかというと、原理講義を聞くというのです。原理講義を聞きに、みんな来ると言うのです。その所に自分も行ってみると、今まで自分が来ている所が天国だと思ったのに、その人たちが集まった所に私が参加してみると、自分が一番下の一番ビリのビリの所に住んでいるというのです。

  皆さん、この場所に座っている皆さんは、自殺した人ではありません。皆さんは、もう何も分からなかったけれども、祝福を受けた皆さんでしょう。祝福を受けた皆さんは、霊界に行ったら、下のクラスではなくハイクラスの基準に住んでいるのです。もはやレッテルが付いているのです。祝福を受けた祝福家庭というレッテルが付いているのです。ですから、皆さんは天国へ行く門が開かれているのです。これが祝福です。祝福というのは、天国の門が開かれているのです。ところが入るか入らないかは、皆さん一人一人が、夫婦が決定しなければならないのです。

氏族メシヤの使命

  今からは侍る生活です! イエス様が来られる前は、はと、羊、牛、そういう動物の供え物を捧げて神様の前に行きました。イエス様の時代にはイエス様の言葉を信じて行きました。今の時代は真のご父母様に、見えない神様を見える神様としてご家庭に侍りながら、天国へ行く時代です。 侍るのが今後の信仰生活の中心的な内容です。ですから、まず自分の父母に侍りましょう。分かりましたか? 大きい声で! 侍りましょう! (侍りましょう!) 侍りましょう!(侍りましょう!)侍りましょう!(侍りましょう!) 父母に侍りましょう!(父母に侍りましょう!)

  ですから皆さん、今から行って、自然にそういうふうに生活をするのです。何か特別なことをする必要はないのです。一ヶ月に一回ずつみんな集まるようにするのです。集まるのに、一番上の兄貴、二番目の兄貴がお父さんの代わりで年配ですから、みんな一度は会って、顔を合わせるようにするのです。そして敬礼式をして、食事を作って、そしてまた一緒に食べるのです。それが氏族メシヤです。分かりましたか? そうして聖歌を歌って、お祈りして、 アーメンをしたら教会です。教会に来ない父母のために私たちが行ってお祈りをして、パーティーをして、和動すればそれが教会です。皆さんが毎月ずーっと続けたら三ヶ月後には、もう皆さんのお父さんお母さんが、どんどん隣の人達にそれをみんな証しするのです。それが伝道です。そうしながら和動してビデオを見せるのです。お父様のビデオを見せるし、ゴルバチョフ大統領に会ったのも、いろんな統一教会を紹介する内容のビデオがたくさんあるでしょう。そういうふうにしながら和動するのが氏族メシヤです。

  今から皆さんは氏族メシヤの運動をしなければならないのです。氏族メシヤの運動は自分の家の父母を伝道するのが第一番です。氏族メシヤの第一番の伝道が父母伝道、分かりましたか? ですから、今から毎月一回、父母が好きなものを買って行って、奥さんたちは父母が好きなおかずを準備して、食事を作って差し上げて、和動して、その晩そこで眠ってもいいし、帰ってきてもいいし、和動してあげるのです。それが氏族メシヤの第一番の基本的問題です。

  ですから今回お父様が神山会長に語られた内容は何かというと、祝福を受けた人たちが三畳の中で生活していたら、その所はみんな教会にしなさいということです。分かりましたか? 皆さんの家は三畳はあるでしょう。祝福を受けた統一教会のメンバーは、畳三畳ある所は、みんなそこに教会をつくるのです。三畳ある家は、神様の祈祷室を一つずつつくるのです。そこで祈祷だけするのでなく、そこに人々を集めて原理講義をするのです。

  そういうふうにして、兄弟たちを集めて和動するし、それが良くなったら、お父さんお母さんの兄弟が五人とすれば、その五人も招待するのです。招待したら、その五人だけでなく、その子供たちも招待するのです。その時は大きい場所を借りるのです。そういうふうにすれば氏族メシヤに自然になるのです。今から皆さんは五人のおじさんたちの名前、次におじさんたちの子供たち、次にいとこの名前を知らなければなりません。いとこの名前は分からないでしょう。「何人いますか?」「六人」「名前が分わかりますか?」「分かりません」。みんな分からないじゃないですか。みんな今から六人の名前を上げてお祈りをするのです。次に、誕生日にカードを送るのです。今から伝道です。 生活全部を伝道する動きをするのです。その氏族メシヤを今から百六十軒つくらなければなりません。そういうふうにした時に、神様の天国を造ることができるのです。

神様が喜ばれる仕事

  統一教会のメンバーはみんな、お父様から『原理講論』 三十冊を買いなさいと言われたでしょう。この前私が来たときにも『原理講論』を三十冊ずつ買いなさいとしたでしょう。しかし皆さんは買わなかったでしょう? 熱心に話したのに、熱心に忘れてしまう。それでどうするのですか。 忘れるのが人間ですから、また三十冊買うのですよ。買ってから何をするか。 買ってから毎日伝道するのです。伝道です。

  伝道するために、女性の皆さんは午前中に、きれいに自分の家を掃除するのです。六五〇〇双であれば最低三人ぐらい子供がいると思います。どう大騒ぎしても天国です。子供がいるのが天国です。泣きながら大便も小便もみんなするところが天国です。今からお母さんたちは毎日きれいに掃除するのです。きれいに磨くのです。きれいにしながら天国を創らなければならないのです。

  まず掃除しなければならないのは、自分の心です。 家を掃除しながら自分の心を掃除するのです。自分の家が聖殿です。旦那さんと奥さんの夫婦が生活するのですから、神様がそこにおられるのです。ですからきれいに掃除するのです。

  皆さん天理教に行ってみたことがありますか? 天理教に行ってみれば、何千名の人たちが集まって講演会を聞いた後には、みんなが廊下を磨くのです。もうピカピカで間違ったらすべって倒れるくらいです。そのように、毎日自分の心を磨くのです。ですから私たちも今自分の家を磨くのです。自分の家を掃除しながら自分の心を掃除するのです。掃除した基台の上で、『原理講論』を読むのです。その基台の上でお祈りするのです。皆さん、午前中最低三十分はお祈りするのです。女性の皆さんは午前中に座って、自分の子供たちや自分の旦那さんに対しても最低それくらいのお祈りの時間をもつのです。

  そうして先ほど話したように、今日旦那さんが弁当をおいしく食べたかどうかを電話で確認するのです。買って食べるのなら、私にも買ってくださいというのです。そして行って、一緒に買って食べるのです。そういうふうにして昼食を食べた後、午後には必ず、今から毎日、会社へ行く時にも『原理講論』を手で持って歩くのです。ほかの所に入れて歩くのではありません。手で持って、これを見なさい見なさいとしてほかの人たちに見せて歩くのです。『原理講論』を見せるのも伝道です。これも神様の仕事です。みんな自分のポケットに入れて隠してはいけません。それをサタンが見ているから今から現すのです。

  そういうふうにして、午後には『原理講論』を持って伝道に出かけるのです。一日に最低三軒訪問するのです。一日三軒訪問して、その三人中から一人の人を選ぶのです。その選んだ家に『原理講論』を貸してあげるのです。一日に必ず『原理講論』を一冊ずつ貸してあげる家を探し出すのです。それは百六十軒の自分の親戚でもいいし、誰でもいいのです。そういうふうにしてやるのです。一週間たったら二十一軒訪になります。その二十一軒の中で七人を選ぶのです。七人を選んで、その七人に『原理講論』を貸してあげるのです。次の週にもまた七人選ぶ時に、一週間前に行って貸してあげた『原理講論』を必ず確認するのです。確認に行ってみて、『原理講論』を読んでいなかったとすれば、必ず皆さんが座って一日一ページでもいいし二ページでもいいし、一緒に読んであげるのです。それが原理講義です。そういうふうに原理講義をして、前の一週間の七人の原理の本を貸してあげた人たちの教育をするのです。そういうふうにしながら、七人の中の一人でも必ず連れて礼拝に参加するという決心をするのです。その七人に本を貸してあげるだけでなく、今からはその人たちに対して、毎日帰ってきて十回以上名前を読みながらお祈りするのです。そうしながら、日曜日には一人連れて礼拝に行くのです。今から日曜日に礼拝に来る時には、一人で来てはいけません。男性も女性も一週間に会った人の中から必ず一人を連れてくるのです。伝道すること、それこそがお父様を誇ることのできる喜びの仕事です。

  お父様が喜ばれる、神様が喜ばれる仕事は何かというと、サタン世界から神様の言葉によって、神様の所に復帰させることです。そうであるのに問題は、サタン世界の人たちを私たちの言葉を聞かせて復帰してこなければならないのに、まず私たち一人一人が原理によって復活していないことです。これは病気です。私たちが原理によって復活していないのです。今から皆さんは、毎週一人ずつ教会に連れてくるという原則の立場で、新しく出発しなければなりません。今から、毎日最低三軒訪問し、三人の人に会って、その中から一人を捜して真のご父母様の愛の言葉を伝えるのです。原理の本を貸してあげるのです。そして日曜日に教会へ連れていくのです。今から伝道しなければならない。社会の雰囲気も、統一教会は悪くないという立場になっているのです。

  今回三十六万双の祝福を受けた男性の方、何人いますか? 祝福に行ってきてから友達が「どこに行ってきた」と尋ねると、「韓国に行ってきました」と話したでしょう。「合同結婚式に参加してきました」と話しましたか? おう、勇気がありますね。よかった。みんな観光に行ってきましたという話ばかりするのですよ。(笑い)今回ずっと周 りながら、KJのメンバーが集まる所で三十六万双の既成家庭の人たちに聞きました。「韓国行ってきました?」と聞くと行ってきたと言うのです。「誰と行ってきましたか?」 「自分の奥さんと行ってきました」。何のために行きましたかと尋ねると、「祝祷を受けてきました」と言うのです。ところが友達が来てどこに行ってきたかと質問された時、何と答えましたか。「韓国に行ってきました」と言うのです。「おう! 私は祝福を受けるために行ってきました」と答えた人は誰もないのですか。どんなの答をしましたかと聞くと、「韓国に観光に行ってきた」。もちろん観光は観光です!オリンピック・スタジアムに行ったのだから観光です。観光は観光だけれども、「統一教会の合同結婚式の観光をして、参加してきました」と堂々と話をするのです。

  今からは、隠したらサタンが入ります。罪は何かというと、サタンが入る条件を造ってしまうことです。天国圏に入っているのですから嘘をついてはいけません。隠してはいけません。みんな誇るのです。今からは統一教会を誇るし、真のご父母様をみんな誇るのです。それが神様が喜ばれる内容です。それがこういう生活の基本です。今からそういう生活をしなければなりません。

  次に、家庭教会について話をしています。家庭教会で一日と十五日に礼拝するのです。礼拝をするときに、自分たち二人が教会に行くのが嫌でそういう名目において礼拝を行ったとしたら、それは審判を受けます。今から家庭教会は自分たち二人と子供という家族だけでするのではなく、家族でない人たちを連れてきて礼拝するのです。そうしない限り、みんな教会に来て礼拝をするのです。 皆さんの親戚を連れてきて礼拝しなさいとするのが家庭教会です。自分たちが教会に来るのが嫌だから、何もしない立場で家庭教会だという話をしては、お父様の家庭教会のオリジナルの精神を崩します。そのようにして一つずつ自分の生活を整理しなければなりません。それが善の仕事です。

  眠くなりましたか。「会長が今話をされていますが、私は疲れて眠りたくなったのですけれども、神様、真のご父母様、私は少し眠りたくなったので眠ってもいいですか?」と皆さんの良心に聞いてみなさい。そうしたとき良心が「お、寝てもいいよ」と答えたら寝てもいいです。わかりましたか? 居眠りしたいなら神様、真のご父母様、自分の 良心に聞いてみなさい。「寝てはいけない」と答えがあれば寝てはいけません。寝てもいいと言う答えだったら寝なさい。良心は神様に優るというのです。先ほども皆さんにお話しした内容は、私が勝手に神様になりましょうという話をしたのではなく、真のご父母様が「良心は神様に優る」と語られたことなのです。

家庭に天国を創る

  今まで奥さんとたくさん戦ったでしょう。男性は奥さんをたたいた人もいるでしょう。皆さん、祝福を受けるまでは、酒を飲んできて気持ちが悪かったら自分の奥さんを一発たたくことができるけれども、祝福を受けた後には絶対に夫婦が手を上げながら戦ってはいけない。これは許されないのです。たたかれる責任は女性にあるのです。たたいた罪は、男性が悔い改めなければならない。ですから自分の奥さんと相談して一日断食するのです。殴った責任は男性にあるけれども、女性も責任があるでしょう。一日断食すると腹が減るでしょう。ですから三日間朝食断食して、次に二人が手を握って謝って許すというお祈りをするのです。そういうふうにして今後は絶対に女性に対して手を上げて殴ってはいけません。男性たち分かりましたか?私は今から回って確認します。絶対に殴ってはいけません。

  毎日生活しながら、自分の旦那さんや奥さんのいい点も悪い点もみんな知っているから、お互いにどんどん攻撃するのです。しかし攻撃してはいけません。一週間に一回、日曜日の夜寝る時、真っ裸になって二人で手を握ってお祈りするのです。今からお互いに長所短所を話して、ここで出した内容は、後で絶対に話しませんとお祈りして、 五分間男性が女性に対して一週間の内容をみんな話すのです。こういう所が悪いから直しなさいと、男性が女性に言うのです。次に女性が男性の悪い所を話すのです。終わったなら、話した内容を中心として、これはいい、悪いとお互いにディスカッションするのです。 原理を中心として正しい審判をするのです。悪いのは捨てて、いいのはまとめてから一週間再出発するのです。今からそういう話をする時には、三日以上お祈りしてから話すようにします。

  旦那さんに話して、その場で悪かったという話を聞きたいのが、女性の心です。特に韓国の女性はそうです。女性の立場はその答をその場で聞きたいし、男性は自分が悪かったと知っていながらも、女性の前に行って「謝ります。間違っていました」としたくないのが男性の心です。ですから、必ず話してから三日間ぐらいお祈りしてあげなさい。そうすれば、三日間ぐらいすれば謝るのです。私もそのようにして慰めるのです。 三十六家庭だとしても空の上に登っているわけじゃなく同じ堕落した人間です。先に祝福を受けたから、三十六家庭に入っただけです。ですからお互いに兄弟です。 兄貴がそういうふうに生活したのであるから、弟もそういうふうに学んで、今から直すのです。

  次に、女性の方は、夜旦那さんが十時以後に帰ったとしても絶対に先に寝てはいけません。子供たちを任されて、鼻歌を歌いながら自分の旦那さんが帰ったというのに、ご飯をついであげて「食べなさい」と言うのでもなく。統一教会の女性たちは半分男ですよ。(笑い)原理があるから、男性がどこにも逃げる道はないので心配しない。それでそういうふうに勝手な生活をしているのです。ですから、女性は今からはきれいに女性の美しさを見せるのです。次に、朝食事をする時、女性の方は髪の毛がこういうふうに乱れていてはいけません。きれいにして食事をするのです。他の所に行く時は熱心にきれいにセットするのですが、自分の旦那さんの前に出る時はめちゃくちゃです。一番美しく見えなければならないのが、旦那さんでしょう。皆さんの目的はどこにあるかというと、家庭に天国を創るためにいるのでしょう。

  二人がお互いに神様です。神様の二性性相の性相的個性真理体が男性、二性性相の形状的個性真理体が女性です。そして合成一体となったのが子女です。お互いが美しく見えるのが夫婦です。ですから愛を中心として男女は一つであり、命の根本である愛の世界には、夫婦が一つであるということを、今までの生活を悔い改めながら、再整理して出発しなければならないのです。霊界に行ったら、どのくらい夫婦が愛したか、それが基準となるからです。夫婦が愛の基準です。この地上でどのくらい愛したか、それをバロメーターとして天国で神様のところに近付くか遠く離れるかが決まるのです。基準はそこにあるのです。金ではありません。勢力でもありません。権力でもありません。愛の基準です。今までのサタン世界の愛ではありません!サタン世界の愛はみんな自分中 心の個人主義の愛です。神様の絶対的愛、そういう基準を皆さんが作り出さなければならないのです。

神様の摂理

  今からは統一教会を誇るし、真のご父母様をみんな誇るのです。それが神様が喜ばれる内容です。それが信仰生活の基本です。今からはそういう生活をしなければなりません。それなのに、今の私たちはどういう立場であるかというと、みんな、 心と体が神様から離れていたのです。(黒板を使って)そしてサタンと一体の立場で、まだ心と体、男性と女性、神様と人間との間に、サタンがいるのです。

  神様は創世記一章二十八節で長男を祝福しました。長男を祝福したのですが、食べてはいけないのに食べたので、創世記二章の十七節で堕落したのです。食べてはいけないのに食べたので、この長男をサタンに奪い取られたのです。サタンが長男になったのです。神様は、長男の位置を取られて次男になったのです。ですから今まで宗教生活をしてきた人たちは次男の立場、弟の立場です。宗教生活をしていない人たちは長男の立場です。ですから、宗教生活をする人はいじめられ、迫害される生活をしてきたのです。

  神様の摂理は何かというと、神様が長男になるのが摂理の目的です。 次男の立場だったのが長男になるのが摂理です。その次男の中で長男になった人が、歴史的に一人います。それはヤコブです。ヤコブは次男の立場から長男になったので、その基準に従ってモーセは民族的、イエス様は国家・世界的、真のご父母様は世界的な長男になる戦いを次男の立場で今までしてきたのです。

  真のご父母様はどういう摂理をなされてきたかというと、今までサタンと結びつけられたものを切って長男になる摂理を歩んでこられたのです。モーセは民族的、ヤコブは家庭的だったけれども、イエスは国家・世界的にやろうとして失敗しました。ですから真のご父母様、再臨主は世界的長男になるのです。サタンが黙っていて、「おお、あなた長男になりなさい」としたのではありません。神側が民族の勢力をつくると、サタン側 は国家圏をつくり出したのです。次にイエス様に対しては世界的な共産主義というものをつくり出して攻撃したのです。ですからお父様という再臨主に向かっても最後までサタンが戦うのです。そういう歴史的な路程をお父様はどういう基準で歩んでこられてき たかというのです。

お父様が歩まれた四十年の路程

  ヤコブが勝利した基台の上での今までの歴史は四千年です。けれどもお父様は四千年生きることはできません。四百年生きることもできません。お父様が生きることができるのは四十年です。ですから四十年を生きながら、四千年の歴史を越えていくのです。それが蕩減という内容です。

  お父様が生きておられる四十年間の歴史の中で、四千年の歴史をジャンプしなければならない。これが一九四五年から八五年、そして八八年から九二年まででした。ですからお父様は一九四五年に出発する時に、神様に一九九二年には真の神様に、世界的長男の使命を果たして捧げますと約束して出発されたのです。ですからこの路程に関しては、誰の教えも、誰の協力もないし、誰とも相談ができなかったのです。誰もわからない内容です。ただ真のご父母様お一人が四千年の歴史を黙々と蕩減条件を立てて越えていかれたのです。

  私たちの真のご父母様がサタンと戦うのに、四十年かけたということは、お父様にとっては一年が百年ということです。この四千年の歴史はサタンが長男になったのです。

  長男になるためにお父様がサタンに契約したことは、私が一年を通過して越えたら、あなたが今まで四千年の歴史を越えてきた、その四千年の歴史の中の百年を越えるということです。真のご父母様が一年を越えたら、サタン世界の百年を越えるという契約をして認めてくれるのが蕩減です。もし神様が認めないとしたらできないのです。神様とサタンの前にお父様は、サタン世界の四千年の歴史を私は一年で百年ずつ越えますと訴え たのです。百年ずつ越えますから、神様も認めてくださいといって立てたのが蕩減条件です。 もし神様がそれを認めなかったら、蕩減条件が成立できないのです。ですから真のご父母様がサタンから認められる方になったということが奇跡です。蕩減条件を立てるためのキーを真のご父母様が持っておられるから、人類歴史の六千年を越えることができるし、勝利することができるのです。これは誰もできないのです。唯一真のご父母様だけがこのような条件を立てることができるのです。

  これを蕩減というのです。私たちは、蕩減蕩減とあまりにもたくさん聞きすぎて、それが何の意味か本当には分からないのです。この蕩減という言葉がなかったら、サタンの世界をジャンプすることもできないのです。こういう基準を立てられた真のご父母様であるということを、今まで何も分からなかった立場を、私たちは悔い改めなければなりません。ですから今から真のご父母様を研究しなければなりません。

  その一年の中に百年を越えていくのですから、死ぬということは、出発の時からお父様は覚悟の上で、命を捧げて出発された路程です。お父様の前には難しいという話はないのです。 初めから死ぬか生きるかという立場を今まで続けておられる方が、真のご父母様です。前に皆さんにお話ししたように、再臨主を迎えるために韓国のクリスチャンたちが生きるか死ぬか、自分のすべてを捨てて迎える準備をしたのと同じく、真のご父母様は初めから今日まで、命を懸けて勝負する再臨路程を来られたのです。一年で、百年を越えなければならない復帰路程であるから、蕩減の道なのです。

  では蕩減の道をどこから出発しますか。僕の僕です。それが一九四六年に、北韓に入って二年八ヶ月間の興南収容所の生活です。それがお父様の、僕の僕の立場での出発で北韓は共産国家であるから神様を認めません。神様を認めない国家であるから、その国家は地獄です。 地獄の地獄は牢屋です。それは人生の一番下です。 僕の僕の一番下の所で何をつくるのですか。信仰の基台をつくるのです。

信仰の基台

  さあ、これを忘れてはいけません。三大祝福、創造目的の世界、創世記一章二十八節、創世記二章十七節、これは復帰摂理の公式、復帰摂理の内容です。信仰基台は、中心的人物、条件物、期間とすれば、真のご父母様もそういう信仰の基台をつくりながら出発されました。この信仰の基台をどこでつくられたのですか?地獄の地獄で、牢屋の中でです。ですからお父様はその中で、多くの一般の人たちと会ったのです。その人たちは兄貴であり、お父様は弟です。この兄貴の立場の人たちからお父様は認められなければならないのです。兄貴の人たちに、「やあ私はメシヤ、再臨主です。ですからあなたは私の話を聞きなさい」。そういうふうにしても通じないのです。ですから兄貴の立場にある人たちにお父様は、全身全力を投入したのです。投入して投入して、その兄貴の人たちから認められたのです。相談に来たり、いろんなものを持ってきたりしてお父様に聞くようになったのです。

  私たちが聞いたその時の内容は、お父様は初めに、このくらい小さい握り飯を半分に分けて、その半分だけを食べたというのです。お父様のお母様が冬に絹の着物を作って捧げれば、必ずお父様がその着物を着て現れると思ったのに、前に着ていたのと同じなのです。そしてほかの人がその着物を着ているというのです。それは何かというと、兄貴の人たちに認められなければならないので、お父様ご自身が着る着物が問題ではないのです。サタンの人たちから、どういうふうに認められるかが問題であるというのです。そのように全身全力を捧げられたのです。真の愛というのは、すべてを捧げるのです。お父様は興南で、一番難しい仕事場に行って働かれたというのです。そうして兄貴の人たちみんなから、弟であるお父様は認められたのです。認められて彼らの相談を受けるようになったのです。彼らが相談するようになった時に、お父様は一段階ずつ上がられたのです。参

  そういうふうにしてお父様は僕の僕の立場から、僕の立場に上がるのです。次に僕の 立場の兄貴に弟の立場で会うならば、また認められ、養子の立場に上がるのです。次に、庶子の立場の兄貴に、弟の立場で会うならば、また認められるのです。そうして次に、息子の立場になるのです。そして氏族、民族、国家、世界です。お父様がこういうふうに僕の僕の地獄から出発された時には、サタンが前にいたのです。サタンが世界的長男になっていたのです。ですから一段階ずつ勝利して、最後に世界的な兄貴、サタンの長男の前まで行ったのです。そうしてサタンが最後に、真のご父母様にみんな差し上げて敬礼をして、世界的な長男の転換式を行ったのが一九八八年九月二十七日だったのです。

世界長子転換式

  それは第二十四回世界オリンピック大会が韓国であった時です。人類歴史以来百六十カ国が大会に参加したのはこの大会が初めてです。 各国の一等選手が来たのです。 各国の一等選手はサタン世界の兄貴です。弟の立場にある人たちが誰であったかというと、百六十カ国にお父様の代表者として行っている各国の宣教師です。

  韓国に百六十カ国の一万八千名の選手が入ったのですから、真のご父母様は各々弟の立場にある世界各国の宣教師たちが、みんな韓国に入るようにしたのです。韓国では百六十カ国の兄貴と弟がみんな会ったのです。真のご父母様が統一教会の主人の立場で韓国の統一教会のメンバーと、韓国の民族が百六十カ国の選手を応援してあげたのです。試合の時応援してあげて、優勝すれば、その人たちを連れてきて、リトルエンジェルスで立派なものを食べさせて、踊りを見せて、韓国をみんな案内したのです。そして毎日メッコールを一和からトラックで運んで、一万八千名の人たちに飲ませたのです。お父様が、四千年の歴史を復帰する蕩減条件を立てておられるから、百六十カ国の選手に対して各国の宣教師たちは自然に主人の立場で動くようになったのです。

  各国の宣教師の人たちがみんなメッコールを持っていってあげたし、韓国を案内してあげたし、何もかもしてあげたのです。そのようにしたので、今まではサタンが長男だったのに、真のご父母様が今までの四千年の歴史を四十年で苦難の路程を通過しながら蕩減条件を立てて、世界的な長男の役割を達成したのです。

  お父様は神様にそういう実績を報告されました。 そこで神様は真のご父母様の報告の内容を中心としてサタンに確認したのです。「あなたが今まで世界的な長男の立場であったけれども、真のご父母様は世界的な長男の基準を立てた。こういう実績をあなたは認めるか」と確認をした時に、サタンは「認めます」としたのです。 認めたら元に返ったのです。それは天使です。つまり僕です。ですから真のご父母様に長男の立場を捧げますとして、サタンが真のご父母様に敬礼をして発表したのが、世界長子転換式だったのです。真のご父母様は、こういう四千年の歴史を四十年で蕩減条件を立てて復帰し、地獄から信仰の基台を立てて世界的な長男のサタンまで頭を下げさせてから発表したのが世界長子転換式なのです。

  長子転換式というのは、真のご父母様が初めて世界的に堕落しなかったアダムの立場に立たれたということです。堕落しなかったアダムの立場になったのであるから、そこで十月三日、世界統一国開天日を発表したのです。世界統一国開天日は歴史以来初めてです。ですから今この地球には世界統一国家、神様の国家しかないのです。日本もないし、アメリカもないし、韓国もないし、イギリスも、世界百六十カ国みな、神様は認めません。神様は世界統一国家だけを認めるのです。

統一旗を立てなさい

  そこで、皆さんの家に統一旗を立てなさいといいました。統一旗をみんな立てましたか?祝福まで受けて統一旗を立てなかったらどうしますか。みんな統一の旗を立てなさい。部屋や玄関の中に隠すようにしておいてはいけません。旗というのは外に立てるものです。

  人間は、気持ちのいい時は神様に手を合わせるのです。気持ちの悪い時は、神様から逃げてサタンの所で大騒ぎするのです。人間はいつでも行ったり来たりするので、神様が一番恐れるのが人間です。それで、統一の旗を立てたら行ったり来たりしないのです。皆さんの先祖が皆さんの所に来て何か頼もうとするけれども、止まる場所がないという のです。チャンスをねらって皆さんの先祖がちゃんと霊界から来ても合わせることが難しいのです。地上にいる皆さんがいつもフラフラするからです。けれども統一の旗を立てていたら、「やあ、これは信じられる。間違いない」。そうして二十四時間、三百六十五日、皆さんの先祖がその旗の下でずっと待っているのです。皆さんの所に悪霊が来て攻撃しようとする時、善の霊が守ってくれるのです。ですから必ず統一の旗を立てなさい。

  日本の地で、大韓民国の大使館には大極旗が立てられています。それと同じく、サタンの地獄の世界に、神様の天国の旗が立てられているのが統一の旗です。ですから、必ず統一の旗をみんな立てるようにお願いします。 天国の国民の資格である祝福まで受けて、統一旗も立てなかったとしたら、天国の国民の資格がありますか。 ですから悔い改めて、きょう帰ったら早速に統一旗を立てるのです。分かりましたか!

最初の交差結婚式

  その世界統一国家の国民の第一として出発したのが六五〇〇双の国際合同結婚式です。六五〇〇双の皆さんは人類歴史上初めであるし、終わりである、世界統一国家国民として呼び出されて選抜された一人一人であるという恵みを、忘れてはいけないのです。堕落しなかった世界の代表者です。それが八八年十月三十日でした。 その時、六五〇〇双の結婚式が行われたのです。

  お父様がそういう立場で行った結果、日本のメディアもみんなその時に一番感激したのです。ですから六五〇〇双の結婚式には、お父様が長子転換式をされた後、地球に、長子が堕落しなかった立場となったのであるから、神様の国家が現れたのです。ですから、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本、韓国も何もないのです。一つの地 球の家族で出発したのが六五〇〇双の交差結婚式です。 長男転換してから初めてのことです。ですから六五〇〇双のメンバーが韓国に入ったのは、カナン路程に一番初めに入った人たちということです。

  六五〇〇双のメンバー、韓国にいる時にお父様からお金をもらいましたか?いくら頂きましたか? お父様が皆さんに上げたのです。

  そして皆さんが韓国に三年間いた時に、真のご父母様が直接に来られて語られた機会が何回か分かりますか? 三年間いる間に七回来られて、皆さんにみ言を語ってくださったのです。三万双が三年間いた時には、お父様は一回も話してくれなかったのです。そういう恵みを受けた六五〇〇双です。今でも遅くないですから、韓国のオフィスにまだ残っているメンバーから、お父様が七回皆さんのもとに来て直接に語ってくださった、そのみ言をどういうふうにしてでも確認してみて下さい。金が問題ではありません。それをみんなまとめれば、それがあなたたちの財産目録の第一になるのです。

  ですから、韓国で教育をした私と結びついた皆さんは、新しく日本に来ても、中心的役割を果たさなければなりません。皆さんは、私から三年間信仰的な本来の生活を学んできた人たちです。それを模範的に皆さんがここで現さなければならないのです。どういう苦難、どういう迫害、どういう試練があったとしても、あなたたちは統一国家開天日を発表して初めて結婚式を挙げた、交差結婚式をされた六五〇〇双という名前が付いているのです。それ以後、全世界は交差結婚式が正式となっているではありませんか。交差結婚式という話もしないで、みんなやるのが当たり前になっています。あなたたちが一回目です。あなたたちを中心として、真のご父母様は何の話をされたのですか。韓国でオリンピック大会が終わる前に、今後三年おきに、世界文化体育大典を行うことを発表されたのです。そういう恵中の恵みが与えられたのです。その価値を特にKJにおいて、中心的な役割をしなければなりません。

  今からは自分の食べ物はみんな神様の食べ物です。自分の家もみんな神様に捧げるのです。自分のものは何もありません。あなたたちは神様から受け取ったのです。自分は受け取らなかったとしても、六五〇〇双の代表者が韓国に行ってもらったのです。次に、あなたたちが商売するものはみんな神様のものです。聖書にもあるでしょう。一タラント、三タラント、五タラントを上げた時に、三タラントと五タラントの人は商売をして倍にしてから捧げたのに、一タラントの人は何も商売せずそのまま持ってきて捧げた時、それを取り上げて、他の人たちに上げたという内容です。 ですから神様から、真のご父母様からもらったそのお金は、ただ持っているのでないのです。あなたたちはそれを中心として、経済的な基盤を祝福してくださった目的観をもって走らなければなりません。それが六五〇〇双の皆さんです。

  今から皆さんは日本のKJにおいて中心的な役割を果たさなければならないし、自分のお金、自分の家、自分のものは何もないのです。あなたたちは神様の国民です。神様のために捧げるのです。神様のために生きる、死ぬ、全部がそういう覚悟、決心をして再出発しなければなりません。イスラエル民族はエジプトから四百三十年ぶりに出発したのです。それが八八年に韓国において世界的オリンピック大会を始めながら、カナンの路程にみんな入ったのです。そういう立場で皆さんは六五〇〇双の恵みを、最後の恵みを受けたということを忘れてはいけません。六五〇〇双の時にお父様が世界文化体育大典を行うと宣布されたのです。歴史はその時から始まるのです。

還故郷して父母復帰

  次に、一九九〇年四月六日、お父様が、ゴルバチョフ大統領に会って主管し、祝福したのです。その基台の上で、九一年九月一日、全世界の統一教会のメンバーに還故郷を命令されたのです。 還故郷を命令された後の十二月六日、真の父母様が還故郷されたのです。

  真のご父母様も、愛の実として生まれたのです。この地上に来られて七十年間生活されながら、神様の真の愛の勝利の主人になられたのです。 ご父母様の愛と神様の真の愛とが結びつけられ、一般の父母の愛の実と、神様の六千年間の真の愛とが結びつけられたのが九〇年の十二月六日です。お父様が生まれたその家に行って、お祈りをされたその時です。

  六千年間で初めて神様がこの地上に真の愛の根を降ろすことができたのが、十二月六日です。六千年間の神様は、霊的にこの地球に来ても降りる場所がなかったのです。それが九一年十二月六日、お父様が生まれた家でお祈りされた結果、神様がこの地上に愛の根を降ろすことができるようになったのです。皆さんに還故郷しなさいと言われたのも、その地域を祝福させるためです。私たちが還故郷すれば、その地域が解放されるの です。その地域に所属している先祖たちが解放され、神様の祝福を受けられるのです。還故郷する、それが氏族メシヤの使命です。それなのに、皆さんは自分の地域に行って活動していません。活動しないのですから、その条件として一ヶ月に一回ずつ行って父母に侍りながら活動しなさい。そういう運勢圏にかかっているのであるから、「毎月一回ずつ行きなさい」という話をするのです。

  祝福を受けた者の第一番の目標は自分の父母を伝道することです。それが第一番の目標です。どういうことがあっても、自分の父母を伝道しなければなりません。それが氏族メシヤの第一番の目標です。反対しても今晩から、毎晩百回ずつ自分の父母の名前を呼びながら、お祈りしなさい。反対されたら、毎日みなさん朝食断食をしてみなさい。四十日間、百日間、そういうふうにお祈りしながら自分の父母伝道の目標を立てて走るのです。それは誰がしてくれるのでもなく、自分でやらなければなりません。

世界平和女性連合の創立

  次に、一九九二年四月十日は何かというと、世界平和女性連合の創立大会がなされたのです。そしてお母様が総裁として就任されたのです。そこで何の話がなされたかというと、平和という話です。そうしながらここで行われた二千双の既成家庭の祝福に、モハメットを中心としたイスラム教の人たちも参加したのです。そのイスラム教というのは、イエス様の時、右の強盗、左の強盗、そしてバラバがいましたが、そのバラバの後孫がイスラム教です。ですからこの三つの団体の人たちを連れてきて、祝福されたのが、九二年四月十日です。

  お父様は世界的長男の立場に立ったけれども、アダム一人ではさみしいので、あばら骨を取り出してエバを創造したのと同じく、世界的長男の勝利の基準を立てられたお父様のあばら骨を取り出して、お母様を世界的な長女の立場に立たせなければならないのです。 そこで世界平和女性連合を設立し、お母様が総裁として就任されたのです。そこで平和という話が出たのです。そういうふうにしてお母様が平和の総裁、世界平和女性連合の総裁になられたのです。

  今までの平和は、男性たちがたくさん奪い取った税金で武器を造り、人を殺し、政権を握ったその晩から、女を愛の道具として毎晩取り替えながら、自分たちで楽しんだのです。平和というのは、愛なしにはできません。そして愛というのは女性なしにはできないのです。それなのに男たちは平和をつくるとしながら、政権を握ったその夜から女性は愛の道具だったのです。女性の愛は無視されて、愛の恨みが歴史的な恨みとして残されているのです。平和なところには愛を無視することはできないし、愛は女性を無視してはできないのです。その歴史的な愛の恨みを解放してくれる人が誰もいなかった。今でもそうです。政治家のスキャンダルの問題は今でも残っています。

  ですからそういう歴史的な愛の恨みを解放するために、お母様が世界平和女性連合の総裁になられたのです。お父様が世界的長男復帰の使命を果たされたのであるから、お母様も世界的な平和女性連合の総裁として出発されたのです。平和連合をつくって、女性の恨みを解放するのです。二〇〇〇年までに女性の恨みを解放すると発表されたのです。ですから女性の皆さんはこういう歴史的な恵みを祝福してくださったことに対して、何の理由もなしに真のご父母様の前に、初めから終わりまで感謝、感謝、感謝、感謝しなければならない立場です。歴史的な恨みを解放してくれる人は他に誰もありません。特に日本の国家はエバ国家としての使命を与えられて感謝です。

女性はお母様の分身体

  それだけではありません。女性の皆さんにはお母様の分身体という名前を祝福してくださったのです。皆さん、きょうここに来ながら、「私はお母様の分身体として行きます」という心をもって来た人がいますか。今まで生活しながら、お母様の分身体という立場でお父様を迎え入れる準備をした人たちが何人いますか? お母様の旦那様はお父様です。そうすれば、分身体の旦那様は誰ですか?それを確認しなければなりません。お母様の旦那様はお父様です。ではその分身体の旦那様は誰ですか? お父様です。自分たちの旦那さんが今の旦那さんではないのです。

  皆さん二〇〇〇年までは、自分の旦那さんは真のお父様ですよ、女性の皆さん! 原理がそうなっているのです。それなのに今まで自分の旦那さんはお父様だと思って侍る生活をしたかというのです。お父様を旦那さんと思って、きょうここに来ましたか?みんなでたらめな生活をしていたのです。方向性をみんな間違っているのです。方向性がどこかというと、お父様が女性たちの恨みを解放する、エバ国家の使命はこうである、次に、お母様の分身体、というレッテルを祝福してくださったら、皆さんはみんなお父様が旦那さんです。

  ですから私が最初から、侍りなさい、侍りなさいと言ったのです。みんな、食べる時も、寝る時も、どこに行っても、みんな神様と真のご父母様に侍りなさいと生活させたのもこういう意味なのです。とすると自分の旦那さんは、今何ですか? すみませんけれども、自分の旦那さんは僕です。私も男ですから気持ち悪いけれども、仕方がありません。自分の旦那さんは僕です。女性の皆さんはお母様の分身体です。そうしなければこういう歴史的な道を越えて行くことができないのです。

  二〇〇〇年度まではお父様が旦那さんの立場であるし、今の旦那さんは天使です。です。今、日本の食口たちが何が間違っているかというと、夫婦の一体化です。 夫婦の一体化というのはアダム国家とエバ国家です。アダム国家とエバ国家が真のご父母様を中心として、皆さんの夫婦一体化と同じく、日本と韓国が夫婦一体の生活をしなければならないのです。それがなされていないのです。新郎の立場で来られる真のご父母様です。私たちは僕の立場で迎え入れなければならないのに、それを迎え入れるのに対して私たちが間違っているのです。そういう立場で皆さん、二〇〇〇年度まではみんな全身全力を捧げてご父母様に侍るのです。日本の皆さんは男性でも女性でもみんな女の立場です。女の立場であるから全部捧げてご父母様に捧げるのです。

子供と夫を神の元へ

  次に、皆さんが統一教会に入る前に生んだ子供たちがいるでしょう。この子供たちはどういう子供たちですか。神様のところに結びつけられますか? 皆さんはお母様の分身体としてお父様と結びつけられたけれども、皆さんが生んだ子供たちはどういうふうに神様のところに結びつけられるのですか?

  さあ、聞きなさい。神様のところに、一度はサタンの道を通過して越えて行かなければならないのです。ですから、どういう弁明をすることができるかというと、実はその子供はサタンの主管する子供たちです。祝福を受ける前の子供たちですから、サタンの主管する子供たちです。ですから皆さんが生んだ子供たちを連れて神様のところに行くために、サタンのところを通過するのです。サタンのところに来て「これは誰の息子?」と聞かれて、「自分の息子」としたらサタンが黙っていません。ですからその時には、皆さんはお母様の分身体であるから、お父様の子供であるという弁明をするのです。お母様の分身体という名前によって、皆さんが生んだ子供たちをお父様の子供という名前を持ってサタンの前を通過する道があるのです。それを熱心に考えなければならないのです。感謝の祈りをしなければならないのです。それを忘れては、どういうふうにして子供たちを神様のところに結びつけるのですか。

  次に、自分の旦那さんを連れてそこを通過しなければなりません。サタンの前に自分の旦那さんを連れて通過するのです。「これは誰?」「私の旦那さんです」と言えば、殺されるのです。あなたの旦那さんは、サタンが旦那さんとして六千年間活動してきたのに、何が旦那さんか。私の他に誰がいるかと言って殺すのです。ですから、私たちの旦那さんは僕、天使という名前をつけてくださったのであるから、サタンの前に来て、「これ誰?」と聞かれる時、実は自分の旦那さんであることをサタンも知っているけれども、皆さんの口で「自分の旦那さん」という話をしたら殺されるから、「自分の僕です」と言うのです。男性の皆さん、すみません。(笑い)「僕です」とするのです。そうしたら、サタンも知っていて笑いながら「行け」と言うのです。なぜですか? サタンも神様の僕の立場でサタンになったからです。

  サタンは神様の僕、人間の僕でした。食べてはいけないのを食べさせてサタンになったのです。ですから神様も、サタンがそういうふうにやったのであるから、そういう方便をつかうのです。 方便をつかってサタンの条件に引っかからずに、神様のところに帰ってくる道をつくってくださったのがお父様です。お父様が男性たちに天使という名前をつけてくださったのです。その条件によって、サタン世界に結びついた人たちをみんな神様のところに連れてくる道を与えてくださったのです。

命懸けのお父様の道

  そういう内容がただできたのではありません。そういう条件をつくるためにお父様が命を懸けて、サタンが何の文句も言うことができない条件を出して、それから引っ張ってくるということを忘れてはいけないのです。命懸けの戦いです。お父様は、サタンとは命を懸けて戦われたのです。ですから真のご父母様は、私たちには先に命令されないのです。お父様がみんな蕩減条件を立てて勝利した基台の上に、私たちに話をされるのです。 なぜですか? 私たちに先に命令して、私たちがその命令された内容を行わなかったのに、サタンが来てそれをみんな達成したら、神様はサタンを認めなければならないからです。脚を

  ですから、サタンが神様に何の話をするかといえば、「神様、私がアダム以上にみんなやってあげます。アダムを中心として創造目的の世界を達成しようとするそれを、私がみんなやってあげます」と言うのです。「私がやってあげます」と言うのです。「やってあげますからアダムを捜す必要がないのに、なぜアダムを中心として捜して、人間を中心としてやろうとしますか?」とサタンが神様に言うのです。けれども神様は、人間を中心としてその目的があるから、人間を最後まで捜して来られたのです。 その捜して来た人間が真のご父母様です。そのご父母様が日本の皆さんのところに来てこういう恵の道を準備してみんな与えてくださったのに何の話をするのですか。それも命懸けで汗と血と涙を流しながら、今でも苦難の生活をしておられる真のご父母様なのに、何の理由があって難しいというのですか? それはお父様には通じません。

  お父様にはそれが理解できないのです。先ほども話したでしょう。雲に乗ってくる再臨主を迎えるのに、自分の子供を残し、自分の財産をみんな売って、ビニールハウスの中で二十八日間の食べ物だけを持っていって待っているのが信仰生活だと話しました。それが再臨主を迎える人たちの生活です。私たちには何の価値もありません。眠たければ寝て、食べたければ食べて、何もしていない立場で恵みの祝福を受けたのです。その祝福は六千年間のサタンとの戦いの勝利の基準の祝福です。 皆さんが祝福を受けたその立場が、イエス様も受けられなかった立場です。ですから皆さんはイエス様以上の基準です。私たちにはそんな資格はないけれど、真のご父母様はそういう条件を立てて私たちに祝福してくださったのです。そういう恵みの期待を、平和の世界を祝福してくださったのですから、今からは皆さん一人一人が中心人物です。条件期間を立てるのです。堕落性を抜き取らなければならないのです。それが氏族メシヤです。

  ですから今からお父様が私たちに任せられた責任分担は絶対に勝利しなければなりません。お父様は責任分担を果たした方です。

  一九九二年八月二十四日、真のご父母様がメシヤ宣言をされ、その次の年が成約元年になりました。お父様は責任を果たして蕩減条件をみんな勝利して越えていかれたのです。

成約元年から子女の時代

  一九九三年一月一日に成約元年を発表しました。ですから今は天国圏に入っているのです。ですからみなさん、今からはないという話をしてはいけません。みんなあるのです。天国圏に今入っているのです。ニコニコ笑いながら気持ちよく命懸けで創り出すのです。

  統一教会に入って長くなった人たちの信仰を整理しなさいといわれたのも、お父様の蕩減の道が九二年まで公的な期間だったからです。

  ところが、今一つ困っている内容があるのです。それは、統一教会の先輩の食口たちの中で誤った信仰生活をした人たちがいるのです。人を騙して、適当に商売をしながら、自分勝手な生活をしながらも摂理する、そういう生活をしてきた先輩たちがいるのです。これは誤っているのに、誰もそれに対して誤っているという話をしてくれなかったのです。それはお父様が蕩減の道を立てる九二年までの公的の路程だったからです。

  ですから九二年以前に入った人たちを、公式的な歴史の蕩減の道であったので、みんなお父様が背負って来られたのです。六千年の蕩減の道を背負って、私たちが信仰生活を正しくしていないけれどもお父様が絶対的な蕩減の道の責任分担を果たさなければならなかったので、みんなお父様がかぶって黙々と来られたのです。そうして勝利の基準を立てられたのです。

  私たちは背負われて来ながら、本来の信仰生活をしてきたのではなく、適当に真似をしてきたのです。真の信仰生活をしてこられた真のご父母様は、絶対的信仰、絶対的服従、絶対的愛によって四千年の歴史の蕩減条件を立てて、世界的長男の基準を勝利されたのです。ここでみんな終わって、今どういう時代であるかというと、九三年の一月一日から子女たちの天国圏、成約元年に入ったのです。これは子女たちの時代です。

  良心は神様に優る

  皆さんには責任分担があります。神様が人間に責任分担を与えてくださったのは何のためにですか? 創造の自立性は万物と同じです。ところが人間に与えられた責任分担というのは、創造の偉業に荷担させて、創造性を与え、創造主となるためです。創造主の立場で創造の偉業に荷担したとすれば、神様の創造がいつ終わったかということです。真のご父母様は一九九二年八月二十四日、「再臨主、救世主、メシヤ、真の父母宣言」を発表されました。 そして次の八月二十五日が三万双の祝福でした。ですから、九二年八月二十四日「真の父母」宣布式によって、真のご父母様の責任分担が終わったのです。終わったのであるから、真のご父母様は創造主です。分かりましたか?

  次に、創造の偉業に荷担したという条件は、六千年間の神様の創造が真のご父母様によって終わったという結論です。そういう場所に皆さんが参加して協力したという名目を持っているということです。そういう恐ろしい時代に住んでいるのです。ですから、九二年の真のご父母様と九三年の真のご父母様は同じ真のご父母様であるけれども、内容はこんなに天と地の差があるのです。そのようにして見えない神様が、見える神様として現れた方が真のご父母様であるから、「良心は神様に優る、良心は父母に優る、良心は先生に優る」という言葉を私たちに教えてくださったのです。私たちはそういう立場に立っていないけれども、お父様と同じ時代に住んでいるから、お父様によってそういう立場になるのです。

  けれどもお父様は、皆さんが家庭盟誓をそのとおり行った基台の上で私たちの良心も「神様に優る」、そういう人になると言われるのです。ですから今から、家庭盟誓を毎日暗唱しながら、どこへ行ったり来たりするときでも、それを唱えるのです。家に帰る時に、初めから家庭盟誓を何十回も唱えながら帰れば、三十分かかったらその三十分は神様と心が一つになった時間です。そういう生活をする時に、私たちの良心も神様に優ることができるのです。私たちの良心も父母に優る、私たちの良心も先生に優るのですから、家庭盟誓を通過しなければなりません。

天国入籍

  今私たちの信仰の問題点は何かというと、習慣性が残っていることです。ですから先に話したように、いろいろな先輩食口たちの信仰を見て、私たちも適当に行ったらいいんじゃないかと、そういう考えをもったらそれは間違いです。今から私たちは、本然の信仰に正していかなければなりません。

  本然の信仰とはどのような信仰ですか。絶対的な信仰です。今からは初めから終わりまで絶対的な信仰です。絶対的な服従です。絶対的な愛です。特に六五〇〇双の皆さんは、今そういう立場を行かなければなりません。長男転換式、王国転換式をして、一番 初めに出発したのが皆さんですから、今から皆さんは模範的にお父様の絶対的信仰、絶 対的服従、絶対的愛を実践しなければなりません。そうするために私たちの習慣性を捨 てるのです。個人主義を捨てるのです。

  私たちは真のご父母様のために命を懸けて、私たちのものはすべて捨てるのです。この身体も私たちのものではありません。サタンのものです。そういう大審判が待っています。大審判は、真理、人格、心情です。このまま天国へ行けると思ったら間違いです。これを通過して最後に残り、合格する人が氏族メシヤ百六十軒を勝利した人です。一番、二番、三番と、この百六十軒伝道して祝福させた人が、一番先に天国に入籍するのです。一九九二年にメシヤを発表したのです。そしてその年の八月二十五日、三万双の結婚式をしたのです。三万双の結婚式をしながら世界文化体育大典を発表したのです。 未来永遠の世界まで、文化大典が行われるのです。ですから三万双の人たちは霊界に行って、私は第一回世界文化体育大典に参加した者であり、「真の父母」宣言を発表された時に参加した一人ですと、そういうふうに説明できる資格があるのです。

十六万女性の訪韓

  次に、一九九四年十一月の終わりまでに、十六万名の女性が日本から韓国に行ったのです。その時にお母様は世界各国を廻りながら巡回されました。その時は皆さんが世界的な立場で、日本エバ国家と韓国のアダム国家が結婚式をする期間だったのです。結婚式をして、韓国では王様と一晩寝た時に子供を持ったら、その女性は英雄になるのです。けれども一晩寝ても子供を持たなかったとしたら、一生涯一人で生活するのです。九四 年六月の終わりまでに、皆さんは、お父様との国家的結婚式をするために、十六万名が行ったのです。お金で天国に行くのではありません。天国は愛です。愛のために行ったのであるから、一度愛されたのと三度愛されたのと、五回愛されたのと、八回愛されたのとは全然違います。三回行って来たとしたら、三回愛されたということが霊人体に書いてあるのです。五回行ってきたら、それがみんな霊人体に書いてあるのです。

  「私は真のご父母様に五十億人類の中で女性を代表した、日本の一億二千万の中で女性を代表した、十六万名の女性が参加した時、真の愛で六回愛されました」という証明書が、皆さんの霊人体にちゃんと書いてあるのです。それが、霊界に行って皆さんが先祖に誇れるし、たくさんの霊人体に誇れる資料になるのです。宝物の中の宝物です。金が問題ではありません。永遠の世界には金が問題ではなく、愛が問題です。ですからその時のノートは、皆さんの永遠の福音書です。それを絶対に忘れてはいけません。それを永遠に保存しなさい。

  皆さんに真のご父母様が直接に愛の教育をしたのは初めであるし、終わりであるのです。それは永遠に残すのです。誰にもない、皆さんだけにあるのです。もはや過ぎたのです。ですから、その時の着物、その時のノートはきれいに保存するのです。保存して皆さんの子供が成長した時、皆さんが一九九四年に真のご父母様から直接に教育を受けた内容の資料をもって、子供たちに教育しなさい。それが昔話になるのです。そういう恵みを与えられたエバ国家の皆さんなのです。

三十六万双祝福の意義

  そういうふうにして一九九五年に、三十六万双が祝福されたのです。今回の祝福の特別な内容は何かというと、お父様を生んだお母様の名前を忠母様と名づけたのです。 忠臣の忠、お母さんの母で、忠母様と名づけたのです。そして、真のご父母様の父母様の家庭と、お母様のお母様である大母様の家庭、次に、真のお父様のお兄様。それをどうしたのでしょうか。

  堕落はエバが天使と関係したのです。罪の根はお母さんであるエバにあるのです。そして生んだ子供がカイン、アベルです。罪の根はお母さんにあるけれども、その根で生まれた長男カインが、次男を殺したのです。ですからお母さんの罪の結果が子供に来て、お母さんと子供と二代に罪の結果が現れたのです。

  その立場にあったのが、真のお父様の家庭だったのです。真のお父様のお母様と、真のお父様のお兄様がおられたのです。そのお兄様についてお父様が時々語られた内容は、お母様は、弟がどういう人であるか分からないけれども、弟がやりなさいということはみんなしてあげる。それでお兄様は弟は普通の人ではないと思って、弟の命令には絶対服従してきたというのです。

  お父様のお母様は、アダム・エバの立場です。次に、お父様のお兄様はカインの立場です。ですからお母さんと長男という母子が一体となって、長男のカインが弟のアベルの命令に絶対一体化したのです。一体化したのであるから、アダムの家庭を復帰したという条件が立つのです。お父様のお母様が、アダムの家庭を復帰した母子の条件を立てた立場なのです。

  そして真のお母様のお母様である大母様は独身祝福を受けられたのです。独身祝福を受けたのであるからイエス様の霊的の基準です。ところが、大母様には他の子供がいません。子供がいないのですから、大母様は地上でもっと長く生きる運命であったのに、早く霊界に行けるようにお祈りしたというのです。霊界に行ってから三年間この地上に来るために熱心にお祈りして、大母様は、今、清平で祈祷している金考南という女の方に再臨して、大母様の役割をしておられるのです。

  大母様の役割をする考南氏に息子がいるのです。お母さんと息子という母子の関係に立てられて、考南氏に大母様の役割をさせて、大母様がこの地上で役割をするのと同じ役割としてその息子を、今回イエス様の立場に立たせたのです。

  そういうふうにしてアダム、イエス様の時代を通じてお母様のところに来たのです。ですから三十六万双の結婚式の前の日に、忠母様の家庭、大母様の家庭、お父様の大兄様の家庭の三人の方の霊力をおいて、そこに聖酒をつけて、三十六万双のメンバーがその同じ聖酒を飲んだのです。そのように真のご父母様の忠母様の家庭、大母様の家庭、大兄様の家庭の三家庭がプラスされて三十六万双の結婚式がなされたのですから、それは特別な結婚式であったのです。

  結婚式を通過した後、お父様が語られた内容は、今からは独身祝福を受けたとしても、その受けた人たちが霊界にいる自分の奥さんと結婚させてくださいとしたら、霊界に行って昔の奥さんと結婚させてあげるというのです。

  今はそういう恵の時代です。そういう特別な時代です。ですから未来には、霊界にいる人たちを呼んで、ここで独身祝福を受けずに、霊界に行ってから祝福してくださる時期が来るのです。ですから今後はどういう時代になるでしょうか。『真の父母様万歳』。それで救われる、そういう時が来るのです。

エバ国家の使命

  三十六万双の祝福が終わってから八月二十八日に日本の幹部と、日本に来ている韓国のリージョナル・リーダーたちを集めて、お父様はとても厳しい深刻な内容をお話してくださいました。何の話をされたかというと、「エバ国家として選んだのはお父様であるから、日本と私という夫婦の間には愛を除いては何の話もできない。初めから終わりまで、愛の話をするのが当たり前。しかし今まであなたたちに愛の話をたくさん伝えたけれども、あなたたちは私の言うこと守らなかったし、嘘ばかりついてきた結果になっている。ですから日本をエバ国家として維持するか、放棄するかを決めなさい」とされたのです。

  今回三十六万双の結婚式が行われる時、台湾には特別秘書官がいたのです。台湾は今、GNPがとても黒字になってお金がたくさん入り、若者が、孔子の倫理の教えを無視してどんどん堕落していっているのです。ですから国家的な問題としてこれをどういうふうに解決するかというのです。 そこで特別委員会をつくって、それをどういうふうに解決するかと探していた時に、統一教会の原理をつかんだのです。これでなければいけないとして、お母様が台湾の国会で講演会をされた時も、みんな協力したのです。やなですから今回も全国に五千ヵ所、会社の社長さんの所にみんなメンバーが行って公文も正式に出して、 文鮮明先生を中心とした三十六万双の国際合同結婚式が行われるから、各々の会社で希望する人たちはみんな申請しなさいとしたのです。八千双の人たちがみんなそこで申請して、三十六万双の韓国の祝福の儀式の内容が通信衛星を通して一時間、そのまま全台湾に伝えられたというのです。

  ですからその人たちは、みんな統一教会のメンバーだということを知っているのです。フィリピンもそうです。私たちのことをよく知っているのです。ですから自分の下に専門的な中将の人たちを立てて、今回、将軍の人たちが委員会をつくって結婚式に参加させたのです。フィリピンもそういう立場です。

  ですからエバ国家の使命を日本が果たさなかったら、台湾、フィリピン、カナダに移す、そういうお父様のお話だったのです。

  ところが今回、最後の恵みを与えてくださったのが十月十二日です。 ご父母様の特別な恵みとして、「日本のメンバーで韓国に来たい人はみんな来なさい」として集まったでしょう。十二日の午後三時に日本の食口を立たせて真のご父母様は、こう言われました。

  「エバ国家として決めたのはお父様が決めたのである。だから日本が責任を果たさなかったとしても、お父様が責任を持たなければならない。それなのに日本というものがどんどん忘れられ、遠くなっていく。これを忘れないために送ったのが、韓国の幹部の先輩の人であるし、幹部の教会長たちである。夫婦の関係の立場なので、愛でなくしては、日本と韓国の歴史の蕩減の道を立てて今までの摂理を越えて行く道はない。私しかこれを立てて整理できる人は誰もないのである。それなのに、あなたたちは父母様でありながらも、旦那さんの立場にある方に対して、愛の願いを愛の幻の世界を望みながら、自分たちのすべてを捧げなければならないのに、愛について全く考えもせず父母様に、旦那さんに対していてはこれは間違いである。ですから私が今回、あなたたちにこの十月においての最後の恵の恵みとして、今まで悪い印象を受けていたのを十月十二日を基準としてみんな忘れてしまう。みんな忘れてしまう前に、皆さんに頼むことは何かというと、今後皆さんの責任分担として、真の愛の父母であり、愛の旦那さんに対してすべての愛を捧げる心情の基準を捧げなさい」。そうしてから、「統一教会の原理には祝福を受けた人たちが堕落した後、その人たちを恵まれて、再び認めてくれることは考えもできなかったのである。それなのに今回三日間断食したあと、その人たちを再び祝福する日が明日十三日であるから、明日恵みを受けるその人たちより前に、日本の食口たちに今まで私が持っていたこういう内容を知らせなければならない」として、日本の食口に対して韓国に来なさいと言われたのです。皆さんが韓国に来てお父様は父母として、旦那さんとして語られ、「皆さんに恵みを与える責任分担はお父様にあるけれども、それを受け取るかどうかは、あなたたちの責任分担である。私たち父母があなたたちに今までこういう内容をもっていったのを、今日みんな忘れますから、あなたたちも感謝して受け入れなさい」と言われ、行っていた人たちはみんな立って、万歳をしたのです。神様と真のご父母様に新しく再出発すると約束してきたのが、十月十二日の恵みの時であったのです。

国家的な結婚式

  この道は間違いない道であります。いろんな苦難、いろんな迫害、いろんな試練、 いろんなことがあったとしても、この道は間違いない道であります。この道は必ず勝利します。今回お父様が語られた内容は日本がエバ国家だということです。天使がエバを誘惑し、エバがアダムを誘惑し堕落したのを、世界的な蕩減条件として立てたのが、真のお母様が立てられて開催された世界的な四十ヵ国の巡回講演でした。その時、お父様は お母様の講演を初めから終わりまで電話で聞かれたのです。お母様といえども女一人で子供を生むことができません。ですから、お父様は初めから終わりまでお母様が語られる原理の話をみんな知っておられるし、眠っておられたとしても講演が始まると目を真ん丸くして聞かれたのです。私たちは二時には眠るけれどもお父様は眠られず、人類をお母様と一緒に生むという基準で、初めから終わりまで四十ヵ国の講演を電話でみんな聞かれました。最後には誇らせる報告、和動、ケーキカット、ケーキを食べる時にも着々とそうされていたのです。そういうふうにしてお母様が四十ヵ国廻られる時に、日本の食口が十六万名の女性たちが韓国に行って、お父様は初めから終わりまで愛の話をしたのです。この愛の話は、国家的な結婚式だったのです。

蕩減の道

  今回もお父様が話される内容は何かというと、「日本が三十六年間、韓国に対して誤った歴史を、今も謝罪していない。韓国に対しての、従軍慰安婦、女子挺身隊の問題、いろんな問題の蕩減の道を、まだ越えて行くことができない。このままでは蕩減を立てる道がない」と言われるのです。日本は終戦五十年が過ぎたけれども、日本を代表して正式に韓国に対して謝ったという言葉は一言もありません。

  ですからお父様がその道を創り出して、「国家の立場は誰もつくることはできない。歴史的な罪を犯した内容は蕩減の道を越えて行かなければならないのに、今、日本はそういう立場ではないのである。だから、日本がすることが出来ないのを、かわりに世界百六十ヵ国に千六百名の女性たちを派遣した」と言われるのです。「その人たちは韓国のパスポートで動くのではない、アメリカのパスポートで動くのでもない。みんな日本のパスポートで動くのです。みんな、日本のメンバーのボランティア精神で動くのでありますから、世界に日本を誇らせていくのです。 そのくらい愛国の人たちが、日本の国民の中にどのくらいいるか」と言われるのです。

  「こういう歴史的な内容をあなたたちは何もできない。真のご父母様の真の愛の真理によって行われているのにもかかわらず、蕩減の道は、期間を決められればこれを越えることができない。これを越える道がないのにもかかわらず、 あなたたちは何も分からない」。「エバを決めた人は私ですよ。気持ちいい時は決めた人たちをけっ飛ばすことはしないし、気持ち悪いとしてけっ飛ばすこともできない。ですから韓国の幹部たちを送ってまで忘れない立場で握っていたのです。たとえまた使命を果たさなかったとしても最後まで私が蕩減の道を立てて行く」と言われるのです。

  考えてみなさい。七十六歳の立場で、今回も七時間立って話されたのです。そういう立場でなぜ、最後まで旦那さんの立場でエバ国家を愛したという基準を立てられるのですか。だから最後まで愛だというのです。お父様は日本の皆さんには、最後まで夫婦の関係であるから、最後まで愛なのです。私は愛せる限り愛したけれども、あなたたちはやれるだけやらなかったという立場です。お父様は、「私がエバ国家として立てた」のだから今回も、「私があなたたちに対しての、今までのいろんな思いをみんな忘れてしまう。みんなで万歳するから残りの期間を、今から忘れないようにしてください」と頼むのです。真の愛を永遠に結びつけなければならない立場であるから、道がこの道しかない。この道しかないと言われるのです。ですから方法もある、みんなやる、問題は先にも話したのと同じく、私たちが越えなければならない最後の戦いです。

絶対的信仰、絶対的服従、絶対的愛

  お父様が蕩減の道を立てながら四千年の歴史を越えてこられた内容は何かというと、お父様の信仰のモットーである絶対的な信仰、絶対的服従、絶対的愛です。「こういう信仰私は四千年の歴史を四十年間で越えて勝利した。ですから今からあなたたちの責任分担として越えて行かなければならないのは、血統圏、心情圏における自分の所有権を捨てなさいということである。次に、個人主義、堕落性という自分の習慣性を捨てなさい」。そういうのを今、私たちに教えてくださったのです。

  私たちの今までの生活はお父様に背負われて来たのです。信仰を真似してきたけれども、今からは、本然の信仰、絶対的な信仰です。何の理由もないのです。私たちが初めに出発した時には、何の話もしなかったのに、今になってたくさんの話、理由、弁明があるのです。今からの絶対信仰には何もありません。無条件よ、無条件、何の理由もありません。無条件に絶対信仰、絶対服従、絶対愛です。 ここ抓ってみなさい。こういうふうにしたら痛いでしょう。これは皆さんのものではありません。誰のものですか。まだサタンのものです。

  みなさんは聖書を何も知らない立場です。大審判が残っているのです。一番初めに真理の審判が残っています。次、人格の審判。次に、心情の審判です。ですから既成教会の人たちは、再臨主が来る時は恐ろしい審判が来るとして、とても恐れているのです。それなのに、統一教会のメンバーたちは審判が来るというのを全然恐れていないのです。皆さんの良心は、皆さんの内容をみんな知っています。それをみんな自分が告白して書いて、証明を渡してから来るのです。自分の一生涯の内容、ほかの女性と関係した内容、ほかの男性と関係した内容、みんな自分が告白して書いて送る時が来るのです。皆さんの今までの生活をただそのままにしていて、天国の国民に入れると思いますか?

  ですから今回、父母としての最後の恵みの恵みは、統一教会の祝福家庭において堕落した人たち、ほかの女性と関係した、ほかの男性と関係した人たちも、三日間断食して再祝福を受けられる日が明日の十三日であるから、明日許される基準です、恵みを与えるとして、十二日に日本のメンバーにそういう恵みを与えてくださったのです。

北アメリカと南アメリカ

  今回、お父様とお母様は南アメリカを通過しながら、各国の大統領に何のプロジェクトを話されたでしょうか。神様を中心として、イエス様を中心として、兄貴の立場にあるのが南アメリカです。 カトリックだからです。弟の立場にあるのが北アメリカです。プロテスタントだからです。そのプロテスタントに対しての使命を果たしたという条件は何でしょうか。

  天使がエバを誘惑し、次にエバがアダムを誘惑したのが堕落です。ですからエバ国家の皆さんが十六万人韓国に行って、お父様に愛されたのです。 愛されたのであるから、エバがアダムを誘惑したのを、反対にアダムの立場でエバを復帰したのです。日本の十六万の皆さんは韓国の十六万の女性たちと、姉妹関係を結びました。それは夫婦一体の因縁を結んだのです。夫婦一体の因縁を結んで、復帰したのです。

  ですから、アダムがエバを復帰してご父母様はどこへ行かれたのですか?アメリカに行かれたのです。アメリカに行って天使をまた復帰されたのです。それがアメリカを代表したアベルの立場にあったのがジェリー・ハウエル牧師、カインの立場にあったのがジョージ・ブッシュ前大統領です。 その二人はお父様の恵みによって、日本の恵まれた女性たちに八回会議する間に六回来て語ったのです。

  皆さんが四千名行って、アメリカのブッシュ前大統領を日本まで連れてきて復帰したのです。ですから日本の女性を中心として、アダムとエバが天使を主管したという条件になったのです。このようにして天使を復帰した立場であるから、お父様はアメリカでの二十一年間の摂理を勝利されたのです。勝利したのであるからどこに行きますか。イエス様を中心として兄貴と弟がいます。北アメリカは弟でプロテスタント、イエス様を中心とした兄貴がカトリックで、これがラテン・アメリカです。お父様が北アメリカ、プロテスタントを復帰した勝利の基準を立てて次に行かれるのはどこかというと、カトリックの国家ラテン・アメリカです。

  今回南米二十一ヵ国の中で十六カ国か十七ヵ国を廻る時、お父様は一週間前に大統領に面会申請して、みんな会われたのです。それは常識ではありえません。大統領に会うのには、最低一ヵ月以上は必要です。お父様は世界的な長男、世界的な創造主の立場でみんな主管しなければならない立場であるから、大統領を主管したのです。そういうふうに大統領を主管したのです。真のご父母様はどこに行ってもVIPの立場であるのに、日本はエバ国家の立場であるにもかかわらず旦那さんを迎え入れない立場であるから、その蕩減の道をこの場所に座っている私たちが立てなければならないのです。

ワシントン・タイムズ

  今回ブッシュ前大統領をここまで呼ぶことができたのは、ワシントン・タイムズのお陰です。 CANが反対しても、ブッシュ前大統領は誰とも会見しなかったのです。ワシントン・タイムズの記者と大阪で会見したのが、きちんとワシントン・タイムズで発表されたのであるから、それで自分はOKだというのです。

  日本に来てから、東京ドームの時には乳を飲ませ、札幌の大会ではみんな掃除を熱心にし、名古屋の大会には花の種をまく、大阪の大会は植樹して、九州の大会には船に乗って出発したという恵みです。今から乳を飲んで、掃除して、種をまいて、植樹をして船に乗って、天国を創らなければならない立場にある今の時期です。

  そういうふうにして、今お父様は、世界を一つの方向性に導かなければならないのです。導くために貢献するのが新聞会社です。ですからもはや来年から南米三十ヵ国に、ワシントン・タイムズの支社を作るという計画を提唱しておられるのです。

南米の摂理

  お父様は南アメリカを廻りながら、今回南アメリカ連合国家を造らなければならないと、大統領に話されたのです。南アメリカは開発途上の国家ですから、連合国家をつくるのために鉄道が必要であるというのです。南アメリカを一周する鉄道です。だから連合国家をつくるための問題は交通機関であり、一つの鉄道を造ったら国家は連合になると話されたのです。すると大統領たちは「OK」と、「いいプロジェクトだ」と言ったのです。しかし、それには金がありません。そこでウルグアイに銀行があります、銀行を中心としたウルグアイ、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、その国家の銀行の連合会議をつくって国家が保証したら、金はいくらでも出すことができるというのです。

  次に、国連を中心とした平和維持活動する人材を養成する機関がない。 ですから人材の育成のために造ったのがブリッジポート大学です。南アメリカのたくさんの人材を復帰するためには、ブリッジポート大学を中心として通信大学を造るのです。そのようにして、ブリッジポート大学は世界各国の優秀な人材を集め、統一原理を基本理念とする理想世界の行くべき方向性を教えてあげて、みんなを世界各国に配置するというのです。それは、真のご父母様に真理の権利があるから、そういうことを行うことができるのです。それが今実現しているのです。

アフリカの救済

  次にアフリカでは今、食べるものがありません。私の娘が、一週間断食をしてから何かというと、「お父さん食べ物がなくて死んでしまう人が、一番さみしいと思います」と言うのです。自分が一週間断食をしてみてそういうのです。一週間断食した皆さんは、一週間を越えたら食べられるという希望があります。食べるという希望があるのです。けれども、食べるという希望もない立場で生活している人たちが死んでいくのに、そのさみしさを誰も分からないのです。

  今も食べ物がなくて死んでいく人たちが一日に数万人います。とすれば一年にどのくらいかというのです。その人たちは原理を知らずに死んでいくのです。ですからお父様はそれを、再臨主として、真のご父母様として責任を感ずるのです。ですから食べ物を解決する道を考えたのです。二十一年間アラスカのコデャックで船に乗りながら、魚釣りしながらこう言われました。「あなたたちは、私が魚を捕るためだけに行くと思っているけれども、そうではない。今後地球では、食料が足らない時が来る。それを解決するには海しかない」と。

  海しかないのであるから、その海で魚を捕って魚の粉を作り、それを研究したのです。アメリカで国家が開発したものが、百のエネルギーとしてみると二六%というのです。ところが私たちのお父様が研究し始めてから今回発表したものが九八%というのです。ですからこれはアメリカ政府がとても驚いているのです。世界的に特許を取って、これをどこで作るのかと、今恐れているというのです。

  蛋白質が一番多いので未来の食料を魚の粉でまかなうのです。魚というのは、大きいものが小さいものをみんな食べるのです。みんな食べても死ぬのではありません。ですから人がみんな食べても何の問題もないというのです。それをどんどんアラスカで作り出すのです。どんどん生産して、もうすでに南アメリカとアフリカに送ったのです。

  生産的に希望があれば、アメリカ政府がどんどん関心をもってくるのです。けれどもお父様は知らん顔です。アメリカ国内に工場を造ってくださいといって、金を出すと言っても黙っているのです。お父様は金をもうけるためにこれを造ったのではなく摂理のために造られたのであり、真のご父母様のためではなく人類のために、愛の表現をされたのです。ですから今、その粉を作ってどんどんアフリカに送っているのです。

初心に帰って再出発を

  日本がしなくても、お父様は計画したらそのとおりに行われる方です。お母様が今回日本に来られて、日本の幹部たちが難しい、難しいという立場であるのに、一言みんなに話された最後の一言は何かというと、あなたたち、真のご父母様が神様にお祈りしてからやめたことがありますか」という言葉でした。

  日本をエバ国家として選んで、そのエバ国家が責任を果たさなくてやめるとすれば、日本の人たちが責任を果たさなかったという立場です。復帰摂理は、責任を果たさなかったらアブラハム、イサク、ヤコブと人をチェンジしてきたのです。今日本が責任を果たさなかったらそういう立場になるのです。

  日本の愛国者の中で真のご父母様以上の愛国者がどこにいますか? 千六百名の人たちをみんな送って、各国の大統領、国会議員、首相、いろんな人たちと会うのに、その人たちは韓国のパスポートで会うのではなく、日本のパスポートで会っているのです。日本を誇らせているのです。こういう恵みの内容を、金持ちの人たちは金がありながらもなぜできないのですか。理論がない、真理がないからです。

  今、共産国家の人たちが統一教会の原理を国家の倫理の教科書として、モンゴリアもロシアも受け入れているのです。そういう立場で、今この場所に座っている私たちは、永遠の後孫の人たちにまであなたたちは何をしたかと歴史的に審判を受けるのです。あなたたちの苦難の十字架、迫害の路程の責任を果たせば、今後私たちの後孫の人たちが恵まれて祝福を受けるのです。真のご父母様をアダム国家の真のご父母様として世界的に誇らせることができれば、真の父母の国家として日本も誇れる立場に立っているのが今の時代です。

  問題は、皆さんの心の中に良心の火、信仰心の火をどういうふうにつけるかです。 皆さんの心の中にやるという信念の心がありません。私はそう思っています。何がないのですか。みんな食べたければ食べて、寝たければみんな寝て、できることはみんなやるのに、何がないのですか。 心の基準がないのです。ですから私が皆さんにいいたいことは、皆さん一人一人が神様に初めて出会い統一教会に入って、今この場所に来るまで、 心配しようと思って統一教会に入りましたかということです。統一教会に入って初めて出発する時の心の基準を再びよみがえらせ、初めに出発したそういう心の基準で越えて行かなければならないのです。

  歴史以来たくさんの人が死んでいったし、歴史以来たくさんの人が迫害されながら、家庭を築くことができなかったけれども、私たちは真のご父母様のみ旨によって祝福を 受けて子供を生んで生活できるだけでも感謝しなければなりません。真のご父母様に捧げなければならない国家的な供え物を捧げ、最後の忠孝を捧げる一人一人、皆さんの子供たちにも神様が祝福される最高の基準を立てますという覚悟、決心をこの場所でしな ければなりません。それが日本が滅びるか、生き残るか、今国家として守られるか、破られるかという立場です。

  来年からは王権時代に入ります。王権時代とは、天法によって管理する時期です。長子権復帰、父母権復帰、王権復帰の時代に入るのでありますから、父母の最後の愛の恵みを与えられたこの期間、私たち一人一人がもう一度生まれ変わって、最後の責任を果たして、二千六百年の歴史の日本を守る皆さん一人一人になるように願うのであります。

  最後に頼むことは東郷元帥の「興国の荒廃、この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」という日露戦争の戦いの言葉のどおり、皆さん一人一人が真のご父母様が恵まれ誇られる統一食口となってくださるようお願いします。その勝利の基準のあかつきには、日本も世界人類の前に恵まれるし、誇られる父母の立場の国家として選ばれるという恵みを、最後まで守られる皆さん一人一人になるように願います。 神様に感謝の心を、忠孝の命を捧げる決心をして再出発する今の時間になるように、神様の恵みが守られる皆さんになるように願うのであります。