感謝する信仰 第3章 御父母様の夫婦一体化に倣う

目次

第三章 御父母様の夫婦一体化に倣う

  三万双祝福一周年記念集会

  一九九三年八月一六日 国際研修院A棟食堂

皆さんの第一次七年路程

  八月という月は、韓国の社会では日帝支配からの解放を記念する時です。しかし私たちはまた、八月を忘れることができません。八月二十五日、世界文化体育大典の最中、オリンピック主競技場において皆さんが祝福された月であるからです。

  その時を振り返り見ながら、その後私たちがどのように生活し、どのくらい成長したかを反省し、さらに新しく再出発しなければなりません。

  お父様が強く語られるのは、このように私たちを探して祝福した四十年荒野路程プラス七年、四十七年間のお父様の蕩減復帰の路程を、私たちが伝統的に受け継ぎ、生活の中で発見し、経験し、子供たちに伝えなければならないということです。

  アブラハムから四千年、アダムから六千年の歴史を越えた勝利の基台の上に、私たちを呼んで祝福してくださった真のご父母様の苦難の路程をどのように受け入れるか。いつもお祈りの時間をもっておられる真のご父母様のお祈りの内容を、いかに受け入れるか。韓国にいる私たちが、今までの生活でどのくらい真のご父母様の心情圏と共に生活したかを悔い改めて再出発するのです。

  祝福後の任地期間にある私たちは、お父様が聖婚後、一九六〇年から六七年まで行われた第一次七年路程を歩んでいる立場です。祝福のその年から皆さん方の第一次七年路程が出発しているのです。その時お父様が通過された内容は皆さんにとって必要な内容であり、誰も過ぎた歴史を皆さんに話してくれなくとも、皆さんはそれを主体的に尋ねていかなければなりません。知っていること知らないこと、何でも質問して、先輩家庭や教区長から、その時の証をたくさん聞きなさい。

  私が人間的ないろいろな話をしたくても、このような公的な立場で上から語る時はまだ距離が遠いのです。日本では、アベル・カインの徹底的な教育をされて、もう三十六家庭というと雲の上の人でしょう。日本の十二家庭といっても、皆さんの前でこのように語って冗談を言う人がどこにいるでしょうか?それに比べて韓国はいいです。 三十六家庭という人が皆さんの所に来て、同じ食堂で食事をして行き来しています。

  しかし、いつも私が食事をする時、食堂で待っていて用意してくれたり、水を持ってきてくれる人が誰もいません。ふだん三十六家庭だ、巡回師、責任者だと大騒ぎしていながら、私を見ても「ああ食事しているな」と思うだけです。自分が終わったら自分の食器だけ片づけて行ってしまいます。ですから、今日は一人で夕食を食べた後に「片づけなさい」と言って呼びました。それが礼儀です。私には皆さんのような娘がいます。自分の家のお父さんの年齢なのに、ちょっと片づけてあげようという関心をもつ人が誰もいません。

  「侍る」「侍義」とは何でしょうか? 私が尊敬されたくて話すのではないのです。なぜ私がこういう話をするかというと、日本では遠かった三十六家庭も、韓国に来てみると兄弟や友達くらいに思う雰囲気があります。とすると、やがて真のご父母様に対してもそういう考えをもって生活する可能性があるのです。

  韓国でお父様とお会いして、いろいろ話したり、聞いたりして生活するようになり皆さん方は、日本では「見えない」時のお父様は尊敬したけれども、「見える」お父様に対しては、尊敬する心が薄れるのです。口では言っても、侍る生活に対して無関心になる可能性があるのです。そういう意味で、今後の生活は日本にいた時よりももっと難しいのです。真のご父母様に侍る生活は、皆さんが開拓していかなくてはなりません。

予定された内容は皆違う

  皆さんの今の時期はいつに当たるのでしょうか。真のご父母様は二十一年荒野路程もみな過ぎて天国圏に生活されているのですが、私たちは今ここにいます。そこにおいて、皆さん方は、家庭完成のための二十一年路程、三次の七年路程が残っているのに、その荒野路程を越えて行こうとせずに、ここで向こうの真のご父母様の生活を真似しようとする可能性があります。越えていくべきものを越えず、真似だけしようとしてはいけません。一年経って私が見るとそういう雰囲気があります。

  たとえ韓国の先輩食口たちが過去に荒野路程を越えて、今どのように生活していたとしても、今出発したばかりの私たちはそれを真似して適当に行こうとしてはいけません。選ばれた民族的位置、先祖の功績、天稟、環境、時と場所という神様の予定の条件がみな違うのです。皆さんの奥さんや、旦那さんが「そんなに集中しなくていいんじゃないか」と言ったとしても、流されてはいけません。皆さんは伝統的な信仰生活を今、受け継ぐのです。正しい信仰を自分自身が立てなければいけません。悔い改めて、覚悟、決心して出発するようにしてください。

  そして皆さん方は、この八月に真のご父母様と会って祝福を受けた、その時のその感激を忘れてはいけません。初めて韓国に来て、真のご父母様に会って、真のご父母様と共に聖酒を飲んだ、その時のその感激した心、気持ち、喜び、雰囲気、皆さんはそれをいつも、どこに行っても忘れてはいけないのです。 次に、聖婚問答を一問ずつ手を挙げて答えた時の雰囲気、それは一生涯に一回しかない、お父様と皆さんとの一対一の歴史的な時なのです。それを忘れずに再出発するようにお願いします。

  一九三五年、イエス様から責任を受け取られた後のお父様の生活は、「始小終大(シソウチョンデ)」です。世界的蕩減条件をみな立てて勝利されたお父様は、黙っていらっしゃってもいいのに、今は一人で活動するだけでなくお母様まで立てて、ご子女様まで参加させて、総動員して投入されるのです。果たす責任はみな果たされたのに、終末の終わりの時には、もっと大きな活動、大きな実績を現して、創造目的の地上天国を立てて終わりたいと活動されているお父様です。

  今から皆さんも同じように、毎日、朝始める時は小さく出発しても、夜寝る前、反省する時、終わりにはどのくらい大きく終わったか、大きい結果をつくって私が寝るのかを確認するようにお願いします。

  一九六〇年、歴史的に初めての標語は「一生涯の最高の実績を果たしましょう」でした。六千年前、神が創造したアダムとエバが堕落せず結婚して子供を生むという立場で、その結婚式を果たしたこと、それが神様とご父母様の最高の実績であり、 ご父母様の愛の世界の基準になるのです。皆さん方にとってその標語は、九二年の皆さんの結婚式から今までの一年間ということになります。その一年間の生活、最高の実績の祝福を受けたのに、夫婦関係はどのくらいになったか、生活はどうなったか、いろいろ整理してみなさい。お父様は祝福してくれたが、それで二人で天国をつくるのにどのくらい努力したかというのです。

夫婦が一つになる運動

  今から皆さん方は一つになる運動をしなければなりません。天国に行く道は開かれています。しかし、入るか入らないかは皆さん方がつくるのです。その路程の中で自分が行くべき蕩減の道は、公式により蕩減条件を立てて自分が、夫婦が越えて行くのです。自分一人で行くよりも、夫婦が二人で行くほうがもっと難しいのです。自分勝手に考えて行くのでなく、男性と女性が相談しながら行くようになっています。

  皆さん方が、「韓国」が分かるようになって、目が開かれていくと、皆さんの旦那さん、奥さんの信仰生活が見えてきます。そこで比べてみると、理解できず、ぶつかる点が余りにも多くなり、韓国語ができるから、「こうしてはいけないんじゃないですか」とぶつかる人たちが多いのです。問題は、そういうのが現れたとしても知らん顔をしてみんな含んでいくのです。ぶつかるのは当たり前なのです。原理がぶつかるようになっています。それをぶつからないように越えていくのが、十字架、 苦難、迫害の内容です。そうは思わないですか?

  皆さん方は、既成教会の人などに反対され、殴られる、騒がれることにはよく我慢して越えていくのに、韓国の旦那さん、奥さんと出会って、夫婦であるといいながらもこれにぶつかるのです。ぶつかるべき反対者には我慢して黙って越えていくのに、仲良く一体化して天国をつくらなければならない奥さんと旦那さんとはぶつかる。このごろ、そうでしょう? 心配ばかりでしょう?

  そういうことが現れたら、それを話そうとするのではなく、熱心にお祈りしてあげなさい。神様が喜ばれる結果として、私たち夫婦が現れることができるようにお祈りするのです。

  そのようにして今から夫婦が開拓するのです。それが難しいのです。皆さん方夫婦がぶつかるのと同じく、ご聖婚の時にはお父様が四十歳、お母様が十七歳でした。お父様がお母様に話したいことがたくさんなかったでしょうか? 皆さんが自分の旦那さん、奥さんに話したいことが多いように、お父様はお母様に対してたくさん話したいことがあったのです。しかし、私たちが相対者に話したように、お父様はお母様に話されたでしょうか? 話されなかったのです。お父様は知らん顔して、黙って、黙認してきた道が夫婦一体化の七年路程です。分かりましたか?

  ですから、七年路程というのは、ぶつかるために韓国に来たのではないのです。 結婚した夫婦が一体化するために来たのです。来てから文句ばかり言って、「こうしなさい、こうしなさい」と言うと、反発するのです。そういうことが見つかったら、熱心にお祈りしてあげて、もっと仲良くなれるように努力しなさい。

  皆さんは、問題はみんな向こうにあると考えています。しかし、問題は向こうにあるのではなく自分にあるのです。自分の旦那さん、自分の奥さんにそういう問題が見つかったら、「うーん、問題は自分に堕落性があることだ」として、その内容を悔い改めるための生活を、今から準備して越えていくのです。

  それがお父様の第一次七年路程なのです。お父様とお母様が一つになる期間が七年間かかったのです。それなら私たちも、何回も繰り返して七年続くのです。ですからこの七年路程というのはとても難しいし、自分なりの考えばかりをしてはいけないのです。自分を捨てなさい。自分が自分を再創造しなさい。それが原理なのです。

  自分の再創造はそんなに易しくありません。難しい点がたくさん残っているので、それを解決しようと思わず、皆、外側の大きなものばかりを見ています。アブラハムは雌牛と羊を分別したけれど、小さな鳩を分別しませんでした。今私たちは「自分」を分けなければならない分別の期間です。そういう運動の期間です。自分を現して一つ一つずつ整理して越えて行かなければなりません。

  この期間を中心として、お互いに自分の相対者と仲良くなるように注意しなければいけないと思います。 皆さん方は祝福を受けた夫婦です。 いつも我慢して祈りながら行くのです。それが苦難の路程、十字架の路程です。

  お母様が一九七五年に、アメリカで証された時、「皆さんは私を『真の母』として、とても喜び感謝していて、ただ偉い人と思っているかもしれませんが、私は七年間、毎日、涙を流さなかった日がありませんでした」とおっしゃったのです。そして、一九六〇~七年度までは、壇上に立つお父様のみ言は「苦難の生活を我慢していきなさい。 十字架の生活を越えていきなさい」というものでした。お父様が血と汗と涙を流しながら八段階の路程を通過していくのだから、お母様も同じ内容を越えていかれるのです。

真のご父母様と共に超える

  今皆さんの生活は牢屋の中の生活です。神の長男であるアダムに与えられた三大祝福を復帰するため、お父様は牢獄の中で僕の僕の生活をされたのです。牢屋の中でです。お父様は僕の僕ですから主人がいない立場です。だから神様を主人として掴まえなければならなかったのです。苦難の生活、それ自体が問題ではなく、一日中、神様に向かって祈りながら、神様とのパイプを切られないことが問題だったのです。そしてカインの僕の僕にすべてを捧げながら、あなたは僕だと認められて僕に上がるのです。

  今の皆さんには、主人がありません。皆さんの主人は神様です。 皆さんの主人は日本だったのに、日本を離れた今の韓国の生活は、皆さんにとって牢獄の生活だと考えれば間違いがないのです。ここで失ってはいけないのが信仰です。神様を握り、問題が起こったら祈る方法しかないのです。

  それから皆さん、問題が起こったら、先輩を回って話して問題が大きくなってから、私の所に最後に相談するというのではいけません。一番先に私の所へ来て相談するのがいいのです。皆さん方の相対者は、先輩程度の人に対しては信仰的に尊敬しないので、彼らは信仰的立場での指導はできないのです。韓国人は年齢と経験がある人の話だけを聞く傾向があります。夜

  皆さん方には、祈ると共に責任分担があります。すべてを捧げる生活をするのです。そう思えば問題はすべて解決されます。あるカップルに問題があったので、教会長が行って聞いてみたそうです。 すると日本人の奥さんが「私は日本から教育された」と言って、旦那さんはその問題に対して余裕をもっていこうとするのですが、奥さんはきちんとしてカットするというのです。教会長が聞いてみたら、奥さんのほうが一歩下がった立場で、少し相手の話を受け入れながら話をすれば難しく思わないのに、徹底的なのです。そしてその教会長から電話が来ました。「男性のほうだけが一方的に悪いと思っていたが、話を聞いてみると、女性のほうが少し知らん顔をして負けたとするなら、仲良くなる道もあるのに、あまりにも強く徹底的にするので、鄭巡回師さんからオープンするように話してください」ということでした。「日本から教育を受けたから」と一方的に「私はこれしか分からない」としたら、向こうは割れるのです。割れるよりも一つになるほうがもっと重要です。その男性を中心として種、根をもらわなければならないのです。そのように引っ張っていくのです。お母様はご聖婚の時は十七歳でした。しかし、今やお母様は世界的な立場で、何百万人の人を集め、真の愛の世界を講演して回られます。女性としては第一人者です。しかし、初めのお母様がそうだったでしょうか。お父様はそういうお母様を、今のお母様を目標にして一つずつ準備してきたし、教え、協力してこられました。皆さん方が今互いに会ったら気持ちが悪いいろいろな内容があるように、ご父母様はなかったでしょうか?あったのです。七年間は夫婦が一つになる期間です。地獄の生活をしながら越えていくのです。夫婦が、天と地と、韓国と日本と、過去の歴史を越えて一つになるということは、そんなに易しくできません。

  問題はみな同じです。私も夫婦で三十年以上生活しましたが、問題点は見えるのです。見えて「こうしなさい、こうしなさい」としたらぶつかりますが、それをそのように越えていくのです。

  七年路程は父母の苦難の路程であり、そこにはたくさんの伝統があります。お祈りの、心情の、言葉の、いろいろな内容がありますが、苦難の、十字架の、迫害の生活をしながら、どういう問題があったとしても、真のご父母様と一緒に超えるのだということを忘れてはいけません。

  朝起きた時に、神様、真のご父母様、責任者、自分の旦那さんと共に考えます。一番最初に神様の喜ぶ言葉を言うようにするのです。次に、右側に、神様と真のご父母様、自分の旦那さんと一緒に寝るように考えなさい。寝る時も先に眠っていただいてから一緒に寝るという心をもって寝なさい。一番最初にご飯を食べる時にも、神様、真のご父母様、旦那さん、世界人類と一緒に食べなさい。車に乗る時も、先に座っていただいてから座るのです。トイレに行っても、左手を使用しなさい。いつも右のほうに侍るのです。そして夜寝る時に一つ一つ悔い改めます。それでアルファとオメガが一つになり、神様と共に生活したので、二十四時間、神様と共に生活したということになります。それが侍る生活、長男の生活です。サタンも長男ですが、一日神様と一緒に生活した立場に立ってサタンとの戦いに勝利し、祝福を受ける立場に立つのです。

今は分別しながら統一する時

  自分を善と悪に分別してからなすのですが、なぜ難しいかというと、今は分別の時期に来ているのではなく、統一の時期に来ているからなのです。今は分別しながら統一しなければなりません。心と体が一つにならなければならないのです。祈りなさいというのは、神様と真のご父母様と一つになって、体がサタンの力を攻撃する力を神様から受けるのです。分別しながら統一しなければなりません。 二つの問題をやらなければならないから難しいのです。それは私も同じです。ですから「原理講論』を読ませるのです。それはみな、三十八度線を越える運動です。サタンとの生活を分別していないし、「日本」を忘れていない。「日本」というのに捕まっているから、「韓国の『原理講論』を書きなさい」と言っても書かないのです。それが自分を分別しながら一つになる運動なのです。

  ここにいる皆さんは、生命を捧げて三十八度線を越えていきなさいとすれば、皆死にながらでも越えていく人たちです。しかし、夫婦の中で、相手が自分の考えと違ったら、もう戦うのです。命懸けで三十八度線を越える勇気をもっていながら、夫婦の間で少し考える方法が違ったらもう大騒ぎをするのです。

  自分の旦那さんは敵ではないのです。愛を現すために自分が少し死んだらいいではないですか。死ねばいいのに、勇気を出して生きたいと大騒ぎする。これが少し違うのです。今からは考える方法を変えるのです。分別しながら統一するのです。「日本」というのは分別するが、真のご父母様とは統一するのです。サタンの堕落性は脱いで、神の心情圏を受け入れるのです。神とサタンはいつも一つの所です。別々ではないのです。皆さん、「これはサタン。これは神様」ではありません。ですからいつも分別しながら統一しなければならないのです。分別するというのはサタンの世界の堕落性を分別しながら、そして神様の原理を中心としての統一です。

  だから「原理を勉強しなさい、読みなさい、書きなさい」とするのです。それなのにしないから、分別ができないし、統一ができないのです。「日本」のものをそのままにして、サタンの世界と何が違うのですか? 祝福を受けたのに、受けない時と何が違うのですか。サタンの世界は必ず分別するのです。所有権を捨てなさい。 サタンの生活は分別、神の生活を掴むのです。

  皆さんチューインガムを食べると、掴んでこう伸ばすでしょう。 興南での二年八ヶ月のお父様の労働は、夏の暑い中、水も飲めずに汗を流して働くので、つばを掴んで引き出したらそのように伸ばせるというのです。そして労働が終わると、他の人は日本の建物から出る大便も見えるような水で体を流すのですが、お父様はそれをしないで、夕食の、たった一杯与えられる貴重な水を半分飲んで、半分タオルに染み込ませて、次の朝、冷水摩擦をしたのです。自分の体は自分の体ではなく、神様の体であるのだから、毎日聖別したのです。

  アベルは黙っていてアベルではありません。全身全力捧げて与えるのです。今まで皆さんは、日本でカインの役割については熱心に聞いたでしょう。皆さん方は「アベル、アベル、アベル」です。私たちの恵みの中の恵みは、祝福を受けて氏族メシヤとなったことです。私も皆さんもメシヤ、私が先に祝福を受けたけれど同じ兄弟です。皆さん方は、カインはこういう生活をすると教えられましたが、皆さん方にアベルはこういう生活をしなさいと教えた人がいませんでした。アベルの生活のモデルは真のご父母様です。

  私たちは、レッテルだけ大きな「メシヤ」のレッテルを被っています。そしてアベルの責任は、全身全力捧げて投入することです。何か理由があって投入するのではなく、何の理由もなしに与えるのです。それなのに私たちは、必ず理由がなければ投入しません。夫婦の関係においても投入しなければならないのに、理由がなければ投入しません。夫婦の仲は無条件です。お互いに無条件に投入するのです。向こうが投入してくれないから投入しない、ではありません。

  今、一年が過ぎて、これから問題が起こる前に、皆さん方はアベルの役割をもって投入するのです。 分別しながら原理を中心として一つになるのです。それが苦難・迫害・十字架の生活、蕩減の道です。

  今や第一次七年路程の一年が過ぎました。これから、今話した内容を中心として、 夫婦の中に問題が起こらないように、お互いに関心をもって活動してください。 正しい伝統、夫婦の伝統、真のご父母様の伝統を受け入れるのです。

お父様によるマッチング

  韓国には偉大な霊能者、予言者が数多くいました。ところが、それらの人たちは霊界には時間、空間的距離がないことが分からず、受けたことをみな勝手に話してしまったのです。聞いた人はそれがすぐ現れると思ったのに現れないので、それらの人は嘘ばかり言うということになってしまったのですが、その霊的内容は嘘ではなかったのです。

  お父様はそういう内容をもっとたくさん知っておられます。知っておられながらも、いつも理論的に理解できるような真理の言葉で通訳して説明してくださるのです。お父様は霊界に対しては一番です。霊界で「こうした、こうした」という話をしないから、皆お父様は霊界について分からない人だと思っています。

  今回、三万双のマッチングの時もどうされたでしょうか。男性の写真を並べてから、お父様が女性たちの写真をもって歩き回って決められました。決まったらすぐ、離れないようにホッチキスで止めるのです。しかし、あるカップルの時はマッチングしたのに 「とめるな」と、そして「置いておきなさい」と言われたのです。そしてその後、何百名を組み合わせた後に、「この人」と、ある写真を見つけられて、それを持っていって、置いておいた写真ともう一度組み合わせられました。そしてどのような話をされるかというと、「この人たちは早く死ぬ運命の人たちであり、また、二、三回結婚するようになっているので、最初の結婚式をしたという条件を立てておいて、次にお父様が新しく二番目の祝福をした」と言われるのです。そういうお祈りをしながら、次にマッチングをしてあげたのです。

  そういう人たちがあなたたちです! それなのに、「自分の相対者が合わない」といって大騒ぎしているのですか。分別されない私たちの、サタンの目で見たのと、分別されたお父様の目で見たのは違うのです。何の文句も言わず感謝の心だけをもちなさい。マッチングしたその時は、お父様は最高のアンテナで皆さん方の先祖をみな見られたのです。ここに来ている皆さん方の先祖たちは、とても喜んでいます。 それを忘れてはいけません。 最近「日本に行きたい」という人が多いのですが、そのために皆さんの先祖がどんどん縮こまっています。熱心に活動していればみな誇り回るのです。「自分の何代後の子孫が、韓国に来てお父様の仕事をしている」と。霊界に通じてみなさい。私の話が嘘か本当かすぐに分かります。

  お父様は霊界を整理して話されます。一九五〇年代にその世界的勝利の話をしても、誰も信じられませんでした。しかし、今すべてが現実となっています。今、二千年まで七年残ったこの期間を、私たちはまたお母様を中心として勝利していきましょう。