内外の貴賓の皆様。まず、歴史的な超宗教、超人種、超国家で構成された十四万四千双聖職者祝福結婚式に参加した当事者の皆様に、心からお祝い申し上げます。真の家庭理想を中心として、宗派と教理を超越して五色人種が一つになったきょうこの日は、葛藤と紛争に明け暮れてきた人類文明史に対して、愛による和解を勝ち取った新しい歴史の一日として記録されるでしょう。
1. 真の家庭の重要性
私は、過去八十年以上の生涯を通して、自ら創設した教団を飛び越え、唯一なる神様のもとの一つの平和世界を建設するために全身全霊を注いできました。その実が結ばれたこの意義深い場において、多くの教団の指導者の皆様と今から分かち合おうと思うみ言は、「祝福家庭と理想世界」です。この世の中には数多くの人々が暮らしていますが、彼らはみな、家庭に属しています。しかし、真の家庭がなければ、真の子女を育てることはできないのであり、真の社会の形成も不可能です。このように、真の家庭が基礎となり、真の社会、真の国家、真の世界が成し遂げられるというのは、当然の事実です。その真の家庭とは、神様の真の愛を中心として築かれた家庭を意味するのです。
今までの歴史時代には、真の家庭とは何かということに対する定義がありませんでした。それだけでなく、真の人が目指すべき目標とその限界点が何かも、明確ではありませんでした。人はどこから来て、どのように生き、死後はどこに行くのかが分からない、無知に陥っている人間だというのです。そして、このような人間が、自らの到達すべき目的の標準、修養の基準、人間完成の限界点を規定できないまま、歴史を経てきたのです。
個人がそのような立場に立てなかったので、人間が願う最高の家庭的な基準が形成されるはずがありません。このように見るとき、数多くの人間が、各自行くべき人生行路において苦しんでいることも問題ですが、私たちが忘れてはならないより大きな問題は、真の個人を基盤として真の家庭基準を成し遂げるべき課題が、人類の行路と発展する人類歴史の途上に残っているという事実です。
それでは、人間の霊的な無知を打開してきた宗教が目指すべき最後の目的は何でしょうか。個人の救いにも意味がありますが、さらに家庭を救わなければならないのです。まず家庭を取り戻し、悪主権に属している人間を罪悪の中から解放しなければなりません。
本当の意味で歴史を代表し、時代を代表し、未来を代表する家庭を取り戻さなければなりません。さらには、世界人類が共に喜べる家庭の土台と家庭が行くべき正道の基準を確定しなければなりません。その家庭の制度がどこから出発し、どこに向かうべきかということが決定されなければなりません。そのようにならない限り、この地上に平和の世界を創建できないというのです。外的なものがいくらよく成し遂げられたとしても、家庭が健全でなければ、世界は一時に破綻し得ることを知らなければなりません。
2. 家庭は真の平和の起点
家庭には、父母がいると同時に夫婦の関係があります。父母がいなかったり、夫婦が別れたりしていても不幸なことですが、愛する配偶者を失うときには、この上なく悲惨で不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女をもてなければ、それもやはり不幸に違いないのです。たとえ外的に見れば大きく成功できなかったとしても、家庭で真の父母、真の夫婦、真の子女を中心とした愛を完成し、誰もがその家庭を手本にしたいと思うほどに平和に暮らすならば、その家庭は、幸福な家庭であることを否定できないでしょう。
今日まで、聖人や賢人が平和を語ってきましたが、家庭が真の平和の起点であることがよく分かりませんでした。それは、神様の創造理想が、理想家庭を土台とした平和世界建設であることを知らなかったからです。今まで、この世界の歴史の中では、各種の革命が数多くありました。革命の結果として世界を動かした事実が多くあったとしても、それはすべて過ぎ去ってしまうのです。最後の問題は、真の家庭を築くための革命を起こせる一つの中心が、地球上に顕現しなければならないということです。
そうして、そこから新しい世界の創建、新しい歴史的な理想の出発が現れなければならないという事実を否定する道理はありません。これが第一イスラエルであるユダヤ教から、第二イスラエルであるキリスト教を通して伝授されてきたメシヤ思想です。正しい家庭の起源をもてなかった人が、正しい方向に進むでしょうか。進んでも、安定した目的点を見出せずに戻ってくるしかありません。ですから、再び家庭を訪ねて入っていかざるを得ない運命をもっているのが人生行路なのです。
3. 堕落した人類を救うための最初の起点は家庭
本郷を追求していく人間の力が、歴史全体とすべての環境に影響を及ぼすことができ、幸福の土台を築く動機にならなければなりません。そのような人間の力の基盤となる家庭が、どこに築かれるのでしょうか。今日、すべての宗教は、社会に公的な利益をもたらす前に、家庭に公益となる基盤をまず整えなければなりません。なぜなら、宗教が社会に公益となる業績を立てたとしても、その社会を形成している家庭の基盤が歪むときには、社会の土台も崩れてしまうからです。
このような点から見るとき、神様が堕落した人類をお救いになるための最初の起点とはどこなのでしょうか。ある文明を誇る特定の国家でしょうか。違います。社会のある組織が理想的な組織だからといって、それを中心にするのでしょうか。違います。それでは、天才的な素質をもったある個人を中心にするのでしょうか。違います。これらすべてのものを超越できる一つの起点が真の家庭であるということを、皆様は知らなければなりません。ですから、今日、人間はそのような家庭の門を通過した資格を備え、勝利者の称号を掲げて世界に向かっていける人にならなければなりません。そのような主義と思想に応ずることのできる個体が現れなければならないのです。
それでは、どうして仏教とカトリックでは独身生活を強調してきたのでしょうか。独身主義が人間の幸福の土台であると本当に言えるでしょうか。違います。それは、どのような宗教や主義も、真の幸福の根源がどこにあるかということを提示してあげなかったために、独身生活をしながら、今後現れる純潔で正しい家庭を約束してきたのです。
昨今、提起されているカトリック内の深刻な問題は、十三世紀以降、継続されてきた独身主義に対する根本的な再考を意味するのです。神様のみ旨は、真の男性と真の女性が形成する真の家庭を通して成し遂げられるようになっています。聖職者たちが先頭に立ち、理想家庭を築いて手本を見せるのは、当然のことです。
今日、アメリカだけでなく全世界において、青少年の脱線と堕落は健全な社会を脅かしています。世界は、人間の努力と人間愛では収拾できない終末的な状況に到達したというのです。ですから、必ず新しい運動が起こらなければなりません。誤ったことを清算してしまい、本来の基準で出発しなければなりません。
そのような意味で、歴史とは本然の理想世界に向かって古いものを清算し、新しいものを再創造していく再創造復帰摂理歴史です。ですから、古いものと新しいものがぶつかるのです。今まで、個人が家庭を好きなように立ててきましたが、これからはそのように立ててはいけません。そのような時代に私たちは立っているのです。
多くの宗教の創始者の中で、イエス様は、特に家庭に関して深刻なみ言を多く語られました。イエス様は、神様をどのような方だとおっしゃいましたか。「神様は私の父であられる」とおっしゃったのです。創造主である神様と人間の関係を、父母と子女の関係であると説いたのです。さらに、自分は神様のひとり子だと言いました。これは、イエス様が神様の最初の息子であり、一人息子であるということです。
神様が愛の本体であるとすれば、人間とは父子の関係とならざるを得ません。ですから、私たち人間と創造主の関係は、単純な造物主と被造物の関係を飛び越え、真の愛、真の生命、真の血統によって連結された関係となるのです。
4. 神様を中心とした家庭を築くことがイエス様の願い
また、イエス様は「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られました。新郎と新婦が結婚すれば夫婦になります。家庭を築こうというのです。結局、家庭を築いて子女を生もうということです。ですから、結婚した夫婦は必ず息子、娘を生んでこそ、家庭がしっかりと築かれるのです。妻が憎くて離婚したくても、子女を生んでおけば、いい加減に別れることもできないのです。子女は、夫婦の愛の実です。
イエス様は、神様のひとり子、天の国の王子としてこの地に来られました。それも、神様の第一王子として来られたというのです。神様の全権を相続するのにふさわしい王子として、神様の印を受けて生まれた息子なのです。そのような神様の息子を迎えて、神様の長子の嫁にならなければならなかったユダヤ民族でしたが、そのようになれませんでした。
それでは、皆様の中で、その王子の新婦になる自信のある人がいますか。新郎新婦は神様を父として侍り、天の王子と王女として関係を結ばなければなりません。このように、神様を中心とした家庭を築くことが主の願いでした。外的な天下を所有しようということではなかったのです。
それでは、キリスト教は何をするべきなのでしょうか。全人類が共同で願う、来られるその方に新婦を準備して、その方が願われる環境をつくってさしあげなければなりません。これを聖書では、「小羊の婚宴」と比喩したのです。このような歴史的な責任を背負ってきたのが、正に新婦の宗教であるキリスト教の使命であるという事実をはっきりと知らなければなりません。
結局、イエス様が肉身をもって地上に来られた目的は、新婦を得て家庭を築こうということです。問題は家庭です。真の家庭を築いたならば、イエス様は、何にならなければならないのでしょうか。家父になるべきです。家父になると同時に、家長にならなければなりません。さらには、氏族の長にならなければならないのです。しかし、イエス様は家庭理想を完成することなく、十字架で亡くなられました。イエス様が築くべきその家庭は、神様をお迎えして千年、万年暮らしたいと言える家庭です。韓国の民謡の中に、「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ。あの、あの、あの月の中に桂の木が植えられたので、父母に侍って千年、万年暮らしたい」という歌があるのです。
5. 祝福とは神様の願いである真の家庭を築くこと
それでは、家庭を築いて何をすべきなのでしょうか。子女を生まなければなりませんでした。すなわち、神様の孫と孫娘が出てこなければならなかったのです。結局、神様が直系の孫と孫娘を見ることができなかったことが恨です。神様は今まで、すべての人間の標本的な家庭を立てようとされたのです。
ですから、神様はそのような家庭をどれほど慕われたでしょうか。また、堕落によって結ばれた人間が、どれほどその家庭を慕ったでしょうか。皆様も、その家庭を慕ってみましたか。理想家庭を中心として、すべての人類が一つにならなければなりません。そうして、人類は何を探し出さなければならないのでしょうか。真の家庭を迎えなければならないのです。
今日、堕落した世界の家庭は、神様のみ前に立つことができません。このような曲折があるので、「あなたの家族が怨讐である」と言われたみ言は正しいというのです。イエス様はこの地に来て何をしようとしましたか。神様を中心とした一つの家庭を築こうとしたのです。ところが、この家庭を築けなかったので、再び来るとおっしゃいました。再び来られて、何をしなればならないのでしょうか。家庭を築かなければならないというのです。そうして、その家庭において息子、娘が後代に繁殖し続ければ、氏族が形成され、民族が形成され、国家が形成されるのです。
そのような純粋な神様の家庭を築こうとすれば、神様の愛を中心とした家庭の血族がこの地上に現れなければなりません。ところが、その家庭を築けなかったので、神様が再びこの地上に、神様の創造理想だった本然の基準、すなわち本然の家庭を中心とした復帰の血族を形成するために、今まで救援摂理をしてこられたのです。
そのような家庭を立てるために、皆様がよく御存じの「祝福」というものをしてあげているのです。その家庭を「祝福家庭」と言います。その祝福家庭とは、どのような家庭でしょうか。神様を中心とした理想的な家庭のことを言うのです。その家庭は、来られる主を迎えるべき家庭であり、これからの後代の人々も迎えるべき家庭であり、すべての人間が最後にもたなければならない共同の目標です。
それでは、行くべき共通の関門は何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。本然の家庭です。民主主義の世界に、真の民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。この本然の家庭が現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないというのです。
ですから、私たちが願うこのような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し出すべき家庭が、この地球上に必ず現れ、人類歴史と運命を共にできる一時が来なければならないのです。それでこそ、地に対する神様の摂理が成し遂げられるのであり、安息の福地、安息の住み家が出発するのです。このように、家庭を生かし、地域社会を新たにし、国を強健にする運動において、聖職者が先頭に立たなければなりません。
内外の貴賓の皆様。きょう、祝福を受けた聖職者の皆様は、今から先頭に立って、皆様の教会と皆様の地域社会において、この祝福運動を主導し、平和の国、平和の世界を成し遂げていく先駆者となることを願います。神様の祝福が皆様の家庭に共にあることを願いながら、話を終えようと思います。ありがとうございました。
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