天聖經(増補版)/第二篇 真の父母

目次

第五章 天地人真の父母と勝利圏相続

第五節 真の父母のみ言相続


1 皆さんの個体をどのように統一させるかということが問題です。皆さんの個体内で、心と体が分かれて毎日闘っているのですが、それは、神様のみ言で収拾しなければなりません。神様の人格と心情で収拾しなければなりません。私が私を愛することを神様が好まれ、私を立てておいて神様が認めなければなりません。私が語ることを、神様がそのとおりだと認めなければならないのです。そのような実体になるためには、生活圏内で私をどのように統一させるのか、私自体内でどのように統一戦線を構築するかということが、最も急がれるのです。私がそのような実体になれるかということを知るために、出ていって精誠を尽くし、み言を伝播してみるのです。そのようにしてみれば、み言を中心として、神様が常に共にいらっしゃることを知るようになるでしょう。

  

原理とみ言の価値


2 み言を通して、神様と連結されるのです。み言でなければ、神様と連結されません。み言なしには、連結性を見いだすことができません。み言を宣布する実体がなければ、何にもなりません。神様と人閲が連結されるのは、神様の愛に連結されることが目的です。人間を神様と連結させることができるみ言を宣布する人は、地上にいる人ですが、その人の伝えるみ言は、神様のみ言なので、そのみ言で新しい人がつくられるのです。

3 堕落というのは、神様のみ言を立てられなかったことによってもたらされたので、み言を中心として訪ねてくるこの道の中で、私たちは、神様のみ言を絶対に立てようとする群れです。

それでは、神様のみ言を中心とする人は、どのような人なのでしょうか。最大の公的な人であり、世界と人類のために生きる人であり、神様のために生きる人です。神側から見るとき、神様の現在の立場に立とうということではなく、神様の理想の位置に立とうということであり、現在の人類の位置に立とうということではなく、現在の人類の位置を越えて、人類が求めていく理想の位置に立とうということです。神様の理想に生き、神様のあすに生き、人類のあすに生きようという人です。ですから、どれほど苦労が多いでしょうか。ここで、未来の世界を建設しようという群れになろうというのです。そのようになれば、神様があすを思うときは、先生と統一教会を思い、人類があすを思うときは、統一教会を思い、先生を思うという結果が出てくるのです。

4 神様は、み言をもって私たちを呼び求めていらっしゃるので、私たちはそのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえることができる道とは何でしょうか。真のみ言に通じることです。そのみ言は父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子女になることができません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。そのようなみ言を求めていかなければなりません。

そのみ言は、ある論理的な条件にぴったりと合うからといって、それで終わるものではありません。大原則でありながら、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても生命となるみ言です。

5 愛する父母のみ言は永遠です。時間と空間を超越しているのです。ですから、神様のみ言は歴史を超越します。時代を超越します。主義を超越します。思想を超越します。どこの誰の言葉よりも貴いのです。そのみ言は、夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れ込んでいくのです。

6 イエス様がユダヤの民に対しておっしゃったみ言と、彼が現したすべてのものは、自分一身のみ旨ではありませんでした。天のみ旨でした。イエス様は、神様の摂理のみ旨を身代わりしていたのです。しかし、イエス様を通して神様のみ旨と向き合わなければならない堕落圏内の民とイエス様の間に、相反する論争が起こりました。堕落した世の中に、神様のみ言が現れるとき、このみ言が個人に現れれば、個人を革命でき、民族に現れれば、民族を革命でき、世界の中に現れれば、世界を革命でき、また天と地を新たに革命できるみ言として現れることを、その時のユダヤの民たちは知ることができませんでした。

7 み言の主人は、先生です。み言どおりに生きたので、み言の主人になりました。み言の主人になれなかった人間は真の父母になれなかったので、真の父母になってみ言の実体となり、神様のみ前にその実を捧げてこそ、創造目的の理想が解放、釈放の時代に越えていくのです。

8 先生のみ言を消してしまう人はいません。五十年前に先生が語ったことを、私自身が再び聞いても敬拝します。その時、先生がどれほど深刻な立場で語ったでしょうか。天の価値あるみ言を、先生が死んでもきれいにそのまま残そうという深刻な立場で語りました。実際、そのみ言は、先生が死んでも世界を治めることができる内容です。皆さんはみ言の本を読んで、そのような感動を受けなければなりません。霊的体験をしなければなりません。遊んで踊ったりすることも貴いかもしれませんが、そのみ言に酔いしれて霊的に育つことが、天上世界でも、地上の子孫たちにとっても、福の中の福であり、貴いのです。

9 どんなに多い新聞の内容も、コンピューターに保存しておけば、千年後、万年後でも見ることができます。先生の語った内容が多かったとしても、CDにしておけば、コンピユーターを通して億万世界の億万の場所でも使うことができます。そのような時代になったのです。ですから、偽りを隠すことはできません。隠す所がありません。天のみ言、天の愛のみ言が世界的に光を発するので、暗い勢力は自滅するのです。次第に遠い所に行かなければなりません。光が照らし始めれば、光が照らすことができる限界圏内では、光以外の暗闇が支配することはできません。

10 千年後に、統一教会の先生のみ言がなくなるでしょうか、なくならないでしょうか。これを考えると、問題が大きいのです。皆さんの懐だけに残らず、み言が流れ流れて、生水ではなく薬水となり、千年後にすべての人が飲んで万能薬だと誇ることができる生命のみ言として残ることを願いながら、精誠を尽くしているのです。

11 統一教会の真理は、統一教会の歴史の中で闘いの路程によって明らかになった真理ではありません。これは、創世以前から、真の父母との絆を中心として、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界を創建しようとされた神様の創造理想の中にあった真理です。また、神様の復帰摂理の理想までも内包した歴史的な絆をもっている真理です。

12 絶対信仰の先祖となり、絶対愛の先祖となり、絶対知恵の先祖となる方が、真の父母です。それで、原理のみ言を絶対信仰の中で、絶対愛の中で、絶対知恵を備えて探し出したので、天に対しても、サタンに対しても、人類歴史に対しても、この原則を否定せずに肯定することができる、覇権をもつことができる一つの盾なのです。

13 「統一原理」は、自然的法則によってすべてのものが連結しているので、原理であると言うのです。天的な原理です。永遠に変わらない原理なのです。原理は、教理ではありません。統一教会の教理ではなく、真の父母が教えてあげる教理ではありません。教理とは、堕落した人々が天を求めていくためのものですが、天と共に生きる人に、何の教理が必要でしょうか。天的な法が必要なのです。

14 先生のみ言は、皆さんが聞いても、すぐには理解できないでしょう。しかし、本になっているものを何度も読めば、間違いなく理解するようになります。先生は、そのように広大な世界を総括して分別し、比較し、対照して、配列していく頭をもっているので、この世界のすべての知識世界を収拾し、原理という伝統的な基準を中心として、理論的な体系を完壁にしたのです。数千、数万人の学者たちも、その価値を認めざるを得ません。統一教会は、そのような恐るべき「武器」をもっています。

15 先生のみ言は、統一教会が歴史からなくなったとしても、主流思想として、いつでも頂上に残る思想です。皆さんができなければ、ある時にすべて成就されるようになっています。数多くの国が競争して行う時が来るのです。そうすれば、皆さんは逆になります。

先の者があとになり、あとの者が先になるのです。ひっくり返るのです。時を失ってしまった人は、歴史に残ることができません。

16 皆さんは、真の父母を求めていくときに、真の父母のみ言、永遠の価値と関係を結んでくれる真のみ言の価値を感じてみましたか。感じてみることができなかったならば、真の価値のみ言を語られる父が来られても、分からないのです。このような真のみ言の価値をはっきりと知るためには、祈らなければなりません。この地上の人間は、真の父のみ言、真のみ言を求めていかなければなりません。そのみ言は、イエス様の心情が動くみ言であり、六千年間摂理してこられた神様の心情が動くみ言です。また、そのみ言がこの地上に出てくるようになれば、六千年の曲折の歴史を明らかにしてくれるのであり、神様の悔しさと神様の無念さと神様の恨を明らかにしてくれるのです。したがって、神様の心情が動かざるを得ないのです。

17 神様のみ言は、ある原則を立てるのではなく、神様の生命と理念をつくるためのものです。今日、この地には、真理を標榜する多くの宗教の教理や主義がありますが、そのまま実践して、私たちの心と体が安らかになり、永遠にそこに染まり得るものはありません。宇宙の生命の源泉である神様の愛が、私たちの心と体を動かしてきたとすれば、神様の真のみ言が出てくれば、すべての主義、主張を根本的に解決することができるでしょう。

18 皆さんは、み言に対する伝統を立てなければなりません。そして、み言とともに一体となることができる人格を備えなければなりません。終わりの日の審判には、三大審判があります。その一番目はみ言の審判、二番目は人格審判、三番目は心情審判です。これが絶対的な基準になっています。人が、神様のみ言と一致した位置に立つことができなかったのが堕落です。取って食べてはならないというみ言を絶対視して、伝統を立てなければなりませんでした。そのようにすることができずに堕落したので、復帰の路程を歩んでいく人々は、最後に現れる一つの真理のみ言と一つになれる伝統を立てなければなりません。天には、そのような伝統が立てられているのですが、地上に住んでいる人々には、そのような伝統ができていません。もしこの伝統が立てられなければ、統一教会も、キリスト教のように数多くの教派に分裂する可能性があります。

19 み言を中心として、一体となる伝統をどのようにして立てるのかということが、絶対的な問題です。み言はみ言、私たちは私たちというように、かけ離れていてはいけません。み言を中心として、自分を育てていくことができる人にならなければなりません。絶対的な基準のみ言を中心として、伝統を立てなければなりません。み言を立てる時の先生の心の基準に、皆さんも接しなければならないのです。皆さんがみ言を学ぶとしても、み言を中心として学んだその基準で信じるためのものであって、完全なものではありません。そのみ言の背後に伝統的な基準が隠れているので、その基準を体得しなければなりません。ですから、より一層、み言に対する伝統を立てていかなければなりません。

  

み言集は宝物の倉庫


20 み言集は、どれほどたくさんありますか。今まで皆さんは、み言集に対して関心がありませんでした。どんなに図書館に本がたくさんあっても、そのようなものは神側から見るとき、必要ありません。先生の深遠で膨大なみ言集を考えてみてください。その中にあるみ言は、この世界の息子、娘を救うためのものです。

み言集が原本です。皆さんがそれを買っておけば、代々に誇ることができるでしょう。神様の立場から考えてみれば、最も貴いものがそのみ言集です。真の父母という方は、永遠に唯一であり、絶対的に唯一です。お父様がいかなる方なのかを学ばなければなりません。どれほど深く、高く、広い方なのかを知らないでしょう。お父様の人格を、み言集を通して知ることができます。それは、暗い夜に輝く灯台のようなものです。

21 多くのみ言集が出版されました。先生は、毎朝訓読しています。今からは、集会のようなことをする必要はありません。既に、すべて教えてあげました。氏族的メシヤまで、詳しくみ言を語ってあげました。先生が発展しながらそのようなことを構想してきたのではありません。綿密にプログラムを作成し、そのプログラムの基盤の上で教えてあげています。それが偉大なのです。すべて空想のようなみ言を語りましたが、先生は既にすべて成し遂げました。み言集をもつようになれば、説教のようなものは問題ありません。膨大な宝物です。お金で買うことはできません。

22 先生は普通、三時半になると寝床から起きます。起きて、今まで先生が語ったことを訓読します。途方もなく素晴らしい内容です。先生が話してすべて知っている内容なのに、それを訓読するようになれば、思わず涙が出ます。このような貴いみ言を聞いて流れていく人々は、赦される道がありません。皆さんの家よりも貴く、皆さんの土地よりも貴いものです。

23 先生のみ言集を、皆さんは何巻くらい読みましたか。深刻なことです。回数を繰り返すほど、さらに光り輝きます。価値が高くなります。それをすべて知らなければなりません。国を立派にし、世界と真理を知っている王がいるとすれば、彼にとって、先生のみ言集は宝物です。今も、先生はそれを訓読しています。死ぬ前に、それを整備しておかなければなりません。間違ったところがあれば、訂正しておかなければなりません。それが間違えば、問題になるのです。

24 先生のみ言集は、今までで何巻になりますか。その感動的なみ言をどこかに行って話すようになれば、涙がぽろぽろと出てくるような場面が本当にたくさんあるのです。先生は、最近でも、毎日二時間ずつ訓読しています。訓読してみると、既に数十年前に祈った祈りに、今日の成約時代の完成が語られていて、私の骨髄に響くほどの刺激を受けました。どうしてそのように祈りが素晴らしいか分かりません。自分の自慢をしているのではありません。今、振り返ってみても、刺激的な印象でいっぱいになっています。そのふろしき包みは、素晴らしいふろしき包みなのです。

25 今は、説教は必要ありません。説教するのではなく、先生が語った題目を抜き出し、適切な時期に、適切な環境に合わせて使えばよいのです。題目を選び、その題目ごとに、そこにどのような内容があるかということを、三行ずつくらいに整理して単行本をつくるのです。そうして、自分が説教する題目を決め、そこに該当する部分を探せば、すべて出てくるようになります。何かの説教をしなければならないという場合には、それを中心としてみ言集を読んで説教をし、祈りも、先生が祈った内容をもってしなさいというのです。天が、それ以上好むものはありません。いつでも、そのように説教しなさいというのです。

  

み言を伝えて実践しなければならない


26 先生のみ言は、永遠に通じることができる内容でなければならず、私たちの生活環境を越えることができるものでなければなりません。悪の生活環境が、真のみ言をのみ込んでしまうことはできません。真のみ言は、悪の世の中のいかなるものも制裁することができません。み言をもって悪の環一境を越え、また越えていくことができる心を誘発させなければなりませんが、そのようにできないので、今日、全世界のキリスト教が混乱状態に入っているのです。

それで、愛の心をもって来られる父が、愛する子女に対して真のみ言を語られる場所が、必ずあるはずです。そこを探さなければなりません。そのような場所を探してみ言を聞くならば、何度聞いても新しく感じられるでしょう。真の善の価値として、永遠に通じることができる内容であるはずです。皆さんが、そのようなみ言を探すことができなければ、真の子女になれません。

27 お父様のみ言は、千年の間、繰り返し聞いても、ひたすら味わいがあります。同じみ言でも、悲しいときに聞けば慰労となり、うれしいときに聞けば祝賀となるのです。皆さんの心の状態、生活感情の違いによって、それに該当する素晴らしい対象の価値として作用するのです。

28 原理のみ言を伝えたことに比例して食口が増えます。原理のみ言をどれほど忠実にするかが問題です。ほかの道はありません。み言で造られた人間がみ言を失ってしまったので、み言で再創造しなければなりません。神様の愛のみ言、神様の生命のみ言、神様の血統のみ言、これが三大要素です。愛と生命と血統です。愛が激しく動かなければならず、生命が激しく動かなければならず、血統が激しく動かなければなりません。蘇生、長成、完成、三つの皮をむいてこそ、人が生まれます。

29 全世界に先生が語ったことを伝授しなければなりません。ですから、成約時代とともにみ言を伝授するのです。新しい成約時代の宣布とともに、先生のみ言、成約の聖書を全世界に分け与えました。それで、訓読しなさいというのです。皆さんも、み言を中心として一つにならなければならないのです。先生と一つになる前に、み言を中心として一つにならなければなりません。

30 み言をみ言どおりに理解できない人は、み言の審判を受けるでしょう。私たちは、この地上で死んでも、このみ言を千秋万代にわたって、後代に残していかなければなりません。復帰の運勢が残っており、神様の摂理が未完成のままで残っている限り、このみ言に通じなければなりません。この貴いみ言を整えなければなりません。神様は、このみ言の前に万民がひざまずく日を待ち望まれたのです。真の真理のみ言の前に万民をひざまずかせようと、千辛万苦、受難の歴史を今までかき分けてきたというのです。

31 神様は、サタン世界に愛のみ言を与えてくださるのです。その中から、神様のみ言を絶対信仰する人が出てこなければなりません。言い換えれば、アダムよりも、神様のみ言をもっと絶対的に信じる群れが必要です。神様のみ言を不信させた天使以上に、信任できることをしなければなりません。神様のみ言を聞いて、サタン世界にある体を抜き取ってこなければなりません。体を取り戻してこなければならないのです。

32 皆さんが統一教会に入ってきて原理を通して学んだ真理のみ言を、頭だけで理解してはいけません。皆さんは、そのみ言を頭で知ると同時に、心で知らなければなりません。このように、み言を頭で知って、心で知るようになるとき、皆さんは、そのみ言の目的を達成するために、動くまいとしても動かざるを得ず、サタンと闘うまいとしても闘わざるを得なくなります。また、自分の口を開いてお父様の悪口を言い、自分の考えを変えて天を裏切る位置に出ようとしても、出ていくことができないのです。

33 御飯は、毎日食べてもおいしいのです。真理に通じる糧は、毎日食べれば、味がおいしくなります。生命のみ言は、毎日食べてもおいしいのです。原理のみ言を死ぬまで聞いても好きな人は、絶対に地獄行きになりません。「すべて知っている!」と言うかもしれませんが、それは、頭だけで知り、心情圏とは何の関係もありません。それを聞けば開くほど、天の生命圏が訪ねてくるのです。

34 生命を育ててあげる内容はみ言です。二十一日修練を受け、四十日修練を受けたからといって、統一教会の教会員であると考えたら大きな誤りです。原理の本を中心として勉強しなければなりません。自分が感じたことを、原理の本とともに胸にしまっておくようにすれば、いつでも自分の証をすることができます。原理の本で恩恵を受けたことを伝えるのです。

35 第三イスラエルの先祖となるべき終わりの日に身を置いた皆さんは、最後のみ言は、天の愛のみ言だということを知らなければなりません。ですから、皆さんは、神様のみ言はみ言なりにあり、皆さんは皆さんなりにある、それではいけません。神様のみ言の、見える実体にならなければなりません。神様の内的心情が皆さんの内的心情にならなければなりません。すなわち、本心の実体にならなければなりません。皆さんは、神様のみ言を繁殖させる第二創造主の使命を果たさなければならないのです。すなわち、み言の繁殖体になり、生命の繁殖体になり、実体の繁殖体にならなければなりません。そして、愛を中心として一つになってこそ、神様に永遠に侍ることができるのです。このような基準が第三イスラエルの基準です。このようにしてこそ、み言を植えつけることができ、実体を植えつけることができ、生命を植えつけることができます。

36 み言に盲目的に従っていくだけの人になってはいけません。まずみ言を通して主体性を備えた実体、すなわちみ言の主体となって、創造することができる人格を備えなければなりません。ところが、今まで統一教会で原理のみ言を勉強する人々を見ると、心情的基準や人格的基準を見いだすことができず、み言だけで働き、動く人々がたくさんいるのです。これではいけません。み言を学べば、そのみ言を自分のみ言として語ることができなければなりません。

原理を語るとき、その原理がどこかの師が教えてくれた原理としてではなく、自分の骨と肉を通して生命を得た立場で語らなければなりません。そのような本然の主体性をもってみ言を語ることができる人にならなければ、そのみ言で関係を結んだ人々が、自分とは何の関係もなくなるのです。ですから、み言を中心とする実体的な人格を完成しなければなりません。

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