「家庭盟誓」の六節とは何ですか。「私たちの家庭は真の家庭を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。 真の御父母様は何をしたのですか。真の御父母様の代身家庭となり、真の御父母様が動けば天運が従っていくのと同じように、皆さんも真の御父母様と完全に一つになり、天運を動かす家庭となって天の祝福を周辺に連結させなければなりません。自分一人ではいけないというのです。周辺に自分と同じ家庭をつくるのです。そのような主体的家庭になることを誓うということです。
「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として」、神様と真の父母の代身家庭にならなければなりません。このようになることによって、真なる家庭となり、天宙を動かす家庭として、神様の祝福を自分だけが受けるのではなく、周辺に連結させる家庭を完成するのです。
動けば福となり、福を分け与えてあげることができる家庭になりなさいということです。皆さんの周辺に原理を知らない人がいれば原理を伝えてあげ、反対しても共に生き残って、どのようにしようと闘わずにそれを通過させていくのです。それからさらに周辺に教えてあげ、どんどん拡大させなさいというのです。一人で生きてはならないというのです。
「神様と真の御父母様の代身家庭として」。皆さんは、神様の家庭と真の父母の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。私だけが祝福を受けて良い生活をするというのではありません。結局は、王族となり、全体の人々を民族にしなければならないというのです。
天の代表的家庭になり、この地上に平和と幸福と自由をもたらす仕事をしなければならないのです。それで、いつも天地に歩調を合わせなければなりません。その次には、神様と拍子を合わせたので、家庭を中心として周辺に天運を移してあげることができる家庭にならなければならないというのです。それが六節だというのです。結局は、そのようにして真の御父母様の代身家庭と天の心情的統一圏が築かれ、心情文化世界が今日の全世界に出発するというのです。それが盟誓です。
先生だけが真の父母ではなく、皆さんも真の父母にならなければなりません。皆さんもやはり完成しなければならないのです。先生は大きい木になりましたが、細胞が繁殖するように、皆さんは細胞のようにならなければならないというのです。大きい木である先生に似て出てきた種です。根本に似たのです。
世界的にすべて勝った真の父母によって、皆さんは、すべてを学んで知っているのです。先生は、世界的天国をつくらなければなりませんが、皆さんは、家庭的天国だけつくればよいのです。皆さんが真の父母になろうとするなら、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになって、アダム家庭が堕落することによって失ってしまったものを取り戻さなければなりません。これが、平和、幸福、自由、統一、天国の始まりです。万事亨通だ、OKだというのです。 「家庭盟誓」の六節は、何というのですか。真の御父母様の代身家庭として天運を動かすというのです。創造理想がすべて従っていくようになっています。天の祝福を周辺に連結させる家庭にならなければなりません。それを築いておくのです。そして、神様の祝福世界と天上世界において、天国の功臣になれるかどうかという問題は、心情文化世界に絶対に血筋を汚さない歴史を何代、何千年残せるのかということにかかっているというのです。ぴたっと公式になっています。
六番目、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成する」です。自分だけが幸せに生きようとしてはいけないというのです。私たち祝福家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として・・ですから、天運が神様と真の御父母様と共にあるのです・・天道を動かす、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、「私たち祝福家庭は、どこに行っても全体に福を分け与えることができる中心家庭になる」ということです。
水が流れていって、うず巻きができるのも一つの条件です。同じ道理で、統一教会では、蕩減路程によって成し遂げられていくことを皆さんは知らなければなりません。自分一人ではありません。先生を身代わりし、神様を身代わりした家庭として動いてこそ、天運が協助してくれるということをはっきり知ることを願います。
天運が訪ねてくる道がどこかということを、私たち人間は知らなければなりません。天運は、永遠に動くのです。天運は永遠の道を行くのですが、その道は、永遠の原則に従って変わらずに巡り巡っていくというのです。巡り巡っていきながら、因縁を合わせていきながら興亡盛衰の道をつづっていくのですが、ここに立っている私たち人間が、どのようにこれに合わせていくかということが問題です。
天運を誰が調整するのですか。この宇宙を創造なさった主人が調整するのです。その主人とは誰ですか。宗教的術語では神様であり、そのほかにも様々な名詞がありますが、それは問題ではありません。しかし、ある中心存在がいなければならないのです。その中心存在がいることをはっきりと知って、その中心存在が行く道に確実に従っていくようになるときには、万事が亨通するのです。
天理の運勢が巡っていくのですが、その天理の運勢は、いい加減にいくのではありません。秩序と軌道があり、法則があるために、それを通じて動くのです。それゆえに、天運に隷属しているすべての存在は、「ため」に生きる存在としてあるのです。
個人に運があるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらには世界の運、そして、天と地の全体には天運があります。いくら良い運をもって生まれた人でも、その家庭が傾く時は共に困難を経験するのであり、個人運と家庭運が良い人でも、もっと大きい国運が傾けば共に没落するしかありません。さらに、すべてのものを包括して、すべてのもののためにある天運の方向と進行によって、国運や世界の方向が決定するのです。世の中で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合うようにするということです。
天運は、善の人が必要とするすべてのものを供給するようになっています。それゆえに、欲をもって「私がこれをどのようにする」と考えてはいけません。善であろうとすれば、必ず私が高い位置に行くか、低い位置に行くか、その二つの道しかないのです。低い位置に行くようになれば、すべてのものが自然に供給されるようになっています。空気と水も満たされ、天運も入っていくようになるので、このくぼみが埋められるのです。「天運を動かすこと」が六節でしょう。
「真の愛を中心として、真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭」になります。真の御父母様のすべての受難は、自分が幸せに暮らすためのものではありません。すべての人類を自分が解放させて天運を振り分けてあげ、天運を移してあげるためのものです。真の父母に従ってくる天運を、そのまま譲り渡してあげなければならないのです。祝福の基になりなさいということです。分かりますか。いくら促進化され、一つになっていても、その人が地上に来て、自分自体の福ばかり受けていってはいけないのです。地上に功績を立てて、すべての人が満足し、大きい天運の恩恵を受けることができるものを譲り渡していかなければなりません。
文総裁が一言言えば、世界がそのとおりになるので、みな恐れるのです。それは、ただそのまま成されるのではありません。歴史の行く道が明確なので、そのような時を知って話すのです。先生が予言して、それが当たるのではありません。そうなるようになっているのです。皆さんも、天運の方向をすべて見分けることができるようになれば、未来のすべてのこと、千年後のことも「このようになるはずだ」と明確に話すことができるのです。
先生はそれを知っているので、天運の風が吹くようにしたのです。低気圧になっていれば、高気圧の風が吹くようになっています。私たちが全力を尽くして、大の低気圧の精誠を尽くせば、神様の高気圧の愛圏が押し寄せてくるので台風が吹くのです。このような話を信じなかったでしょう。この天運の風をつかみ取らなければなりません。
先生を見て、おばけのような人だといいます。世の中の誰も知らないことを知って、天運がどのように巡っているのかを知っています。今、大韓民国の国運がどこに行き、アジアの運がどこに行き、世界の運がどこに向かっているのかを知っているのです。これを縛りつけておけば、すべて引きずられます。走る千里馬のおしりにくっついているはえは、血を吸い込みながらも千里を行くのです。そうなのです。天運にしがみついて落ちなければ、万事がOKだというのです。
世界を抜け出すことができない人々は、天運を扱えません。それゆえに、統一教会は、世界を乗り越えなさいというのです。天運をもって越えなさいというのです。それで、天運をもって神様を中心として神様と対等な位置に立ち、神様から「あなたは、この地上に天運を活用できる主人である」という名前を受け、み印を受けてきて、初めてメシヤになるのです。そうしてこそ救世主、真の父母になるのです。それゆえに、先生一人をおいて全世界が打ってきましたが、本来、善の人は打ちません。
天運に乗ろうとするなら、先に天運が行く道がどのようなところかを知らなければなりません。そこは、万民が喜ぶところ、楽しんで飲み食いするところではありません。すべてが嫌う位置です。その場は、どのようなことでも常に感謝して、責任を遂行しながら栄光を神様の前に返して、自分自ら感謝することができる位置でなければならないのです。そのような位置に立つ人が天運に乗ることができるのです。それゆえに、皆さんは、必ず勝利しなければなりません。
大韓民国に、神様の愛を中心として、天上天下の代わりをし、歴史を身代わりし、「ため」に生きる愛をもって、万国の愛、万民の愛の権限、自らの権限ではなく全体の権限を身代わりし、自分は影になって彼らを太陽にして、「太陽の光になりなさい」と言うことができる慕心の位置に立てば、神様が私を訪ねてこられて、直接太陽の光になってくださるというのです。天国を移していくことができる力が、万福を移してくることができ、天運を左右できる力が、真の愛の道の前には同伴するというのです。
今、天運が韓国の地に発動できる時になったので、皆さんは、この民族のために、再創造するところに同参しなければならないのです。堕落したために、主体は、再創造しないといけないというのです。思想をもって神様の代身相対をつくっておかなければならないのです。それゆえに、家庭を新しくつくらなければならず、国家を新しくつくらなければならず、世界を新しくつくらなければなりません。皆さんは分かりませんが、このような使命が天道という命題のもとに、二十四時間、時間を超越して作用しているので、皆さんがこれを受け入れて新しい人生の春を迎え、世界を抱いて歌っていくことができる、人生行路の成功者にならなければならないのです。
自分だけが幸せに生きようとしてはいけないというのです。私たち祝福家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として・・ですから、天運が神様と真の御父母様と共にあるのです・・天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、「私たち祝福家庭は、どこに行っても全体に福を分け与えることができる中心家庭になる」ということです。そのように生きられなかったのではないですか。
「家庭盟誓」の六節は何ですか。「神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり」です。神様のすべてを相続し、天運を動かす家庭となり、周辺に神様の祝福を分けてあげなければならないのです。周辺とは誰ですか。カイン世界のことをいうのです。それが必要です。自分一人で天国に行きますか。周辺にいる人、全員がつるはしを持って、「こいつ!お前だけ天国に上がっていこうというのか。み旨がそうなっているのか。私が『統一教会は嫌いだ』と言えば、むちをたたきながらでも死ぬまで忠告しなければならないのに、なぜしなかったのか」。いつか、このようなことが起きるというのです。
「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。これは何かというと、祝福の基です。私が祝福を受けたのは、私一人がうまくいくためのものではありません。先に呼ばれれば、全世界の兄弟たちの家庭を私と同じ家庭にしなければならないのです。「天運に従って、私と同じ家庭をつくるための家庭になります」というのです。一人だけのためのものではありません。「家庭において『家和万事成』を成して、すべての家庭が和合して統一することができるようにします」、そのような意味です。
自分たちだけ幸せに暮らすのではないのです。自分だけ幸せに暮らしてはいけないのです。神様は、そうではありません。父母は、そうではありません。息子、娘がもっと幸せになるようにしなければならないというのです。四方にすべて連結させる家庭を完成しなければなりません。
今から皆さんが、天の祝福を周辺に伝えてあげなければ、霊界の先祖が皆さん自身を蕩減させるのです。反抗するというのです。絶えず道を妨げて妨害するというのです。「盟誓文にこのようになっているのに、なぜ行動しないのか、こいつ!」と言います。ですから、すべて分けてあげなさいというのです。それをしなければ、霊界に行って引っ掛かります。重要な一つの契約文書です、契約文書。盟誓文です。
「家庭盟誓」の六節は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。祝福の基になりなさいというのです。それでこそ、一つになった天と地のすべてのものを備えて、その場を中心として神様が下さった祝福の基になるのです。福の泉になりなさいというのです。
私だけが祝福を受けて良い生活をするというのではないのです。結局は、王族となり、すべての人々を民にしなければならないということです。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かすのです。天のすべての祝福を、万民の前に平等に分けてあげる家庭的祝福の基になるというのです。神様と真の父母の家庭は一家庭です。一家庭ですが、祝福家庭がたくさんいるので、全世界に拡張して神様の家庭と真の父母の家庭を身代わりし、福を分けてあげる機関になるのです。福を分けてあげる家庭にならなければなりません。全員が福を受けるようにしてあげるというのです。
大豆のもやしに毎日水を与えれば、水は流れていきますが、もやしは育ちます。皆さんの立場は、ただ、何と言いましょうか、水に溺れたねずみのように哀れですが、統一教会が大きくなっていけばよいのです。先生の身の上は悲惨で、ダンベリーの監獄に入っていって指弾を受ける人になりましたが、これで神様のみ旨が拡張されると考えていった先生の道は、ダンベリー以後に一躍飛躍したというのです。そのような事実を皆さんは見たでしょう。
誰の名によってですか。先生の名前によってではありません。この宇宙の名によって、神様が共にいてくださったのです。天道が連結されているがゆえに、神様が運行できる道にならなければならないので、宇宙が協助して、勝利に向かって前進するようになっているということを知らなければなりません。
家庭における孝子とは何ですか。愛を中心とした孝子です。国の忠臣とは何ですか。愛を中心とした忠臣です。世界において、四大聖人とその教えを中心として文化圏を収拾し、世界的な新しい背景を形成したのも、愛を中心として民族を越えて世界の人を愛そうという者たちです。
このようなことを見るとき、後に天運に帰結するにおいて、旗手となることができる人は、どのような人でしょうか。神様は、天も愛して地も愛します。ですから、天地を愛することができる愛のチャンピオンでなければなりません!そのような結論を得ました。