第二章 家庭盟誓の各節の解説


四 家庭盟誓 第四節の解説

私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します。

一) 神様の創造理想

「家庭盟誓」の四節は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。ここから幸福が広がっていくのです。神様が願われる創造理想的家庭から、幸福と自由と理想が成し遂げられるのです。

「神様の創造理想である天宙大家族を形成し」です。天宙大家族は大きな家庭です。堕落していない皇族圏によって天宙の大家族を形成するのですが、それを成し遂げることができなかったのです。皇族たちが連結された平和の基準を通して、天宙の兄弟の友愛をもった一族にならなければなりません。天宙大家族を形成するのです。

大家族を形成すれば、その次には神様も自由と平和と幸福になるのです。神様も、神様の息子、娘も、どこでも遮られることがありません。自由と平和は遮られることがないのです。そして、統一も遮られることがありません。平和と自由と統一の大家族理念を造成して幸福の世界を完成することを誓うのです。そのような意味がすべて入っているのです。

テキストブックです。 神様の理想は、世界がすべて一つの家庭になることです。一つの家族です。四大心情圏と三大王権を完成した人々が満ちあふれたところなので、神様を中心として一つの家庭なのであって、二つの家庭とはなり得ません。私たちは、創造理想である天宙大家族を形成して、世界が一家族になるのです。

創造理想とは何でしょうか。統一教会では、「アダムとエバを中心とした四位基台の完成である」 と言います。四位基台の完成は、神様の創造の面から見るとき、み旨の完成です。四位基台を完成しようとすれば、そこには完成したアダムと完成したエバがいなければなりません。

そのように、完成した女性と男性が一つになって完成した子女を繁殖していたならば、完成した勝利をもった創造理想の実体、主体、あるいは被造世界の中心となる人間完成体、人間完成圏が成し遂げられていたのです。それを中心として、神様と神様の愛が連結されることによって、神様が創造しようとされたすべての理想が実現されるのです。真のアダム、真のエバ、すなわち完成したアダム、完成したエバ、完成した子女、このような神様の前につくられた四位基台を中心とした家庭が、神様の愛と連結されることによって、すべての創造理想が実現されていたのです。

後に残されるものは何でしょうか。愛を中心として神様と人間関係が残される、このようにみなさなければなりません。神様を中心として人間との不変の愛です。この愛の法度は、誰も変更させることはできません。いかなる力をもっても変更させることはできません。このような愛を中心として、人間関係、すなわち人間対人間の関係と、神様を中心とした関係が残されるのです。

その世界のことを何というのでしょうか。その世界のことを地上天国というのです。天国の世界です。その世界のことを地上天国といい、そこで生活したのちに天上に行って永遠の理想生活をするようになるのですが、そこを天上天国というのです。私たちは、常にこのような概念をもっていなければなりません。

「神様のみ旨」と言えば、創造理想を実現することです。それでは、創造理想とは何でしょうか。創造理想とは、「統一原理」で糾明したように四位基台の完成です。このような定義を下しています。それでは、その四位基台とは何でしょうか。それはもちろん、神様とアダムとエバと子女のことをいうのです。

それでは、この四位基台の中心は何でしょうか。それは神様でもなく、アダムとエバでもなく、子女でもありません。皆さんは、四位基台というものについて語りますが、この中心に何をおいて連結されるのでしょうか。何がセンターを設定するのかということが問題です。それは、神様でもなく、アダムとエバでもなく、子女でもありません。真の愛のみが中心を設定することができるのです。

父母と子女が、完全な愛の一体を成した真の家庭は永遠です。それは、永遠であると同時に絶対的です。その愛の起点というものは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、神様にだけあるのではなく、父にだけあるのでもなく、母にだけあるのでもありません。家庭基盤の上で成立するのです。愛を中心とした家庭の信義というものは、愛が絶対的なので、絶対的です。それから、すべての関係においてもこれは絶対的です。 そこにおいて、一つが侵犯されるということは、全体の破壊を意味するので容認することはできません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯される問題があるので、その愛を審判するものが自らの生命を凌駕するものであったとしても、これを擁護して保護しなければなりません。も恐ろしいことは、この愛の基盤が壊れることなのです。それが一つの核になって拡大されたものが世界です。アダム家庭でその息子の家庭が生まれて、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が展開すれば、この四位基台は、未来において霊界の四位基台に移動するのです。

平和の世界をどのようにしてつくりあげるのでしょうか。平和の世界は一つです。統一の世界も一つです。なぜ一つでなければならないのでしょうか。神様の創造理想が絶対的だからです。絶対的な創造主の創造理想は絶対的です。絶対的に一つしかありません。二つあるものを絶対的とはいいません。永遠に一つです。一つしかないその中心的存在が神様なのですが、神様の創造の偉業、創造理想のみ旨を成し遂げることができませんでした。アダムとエバが堕落したがゆえに、めちゃくちゃになってしまったのです。

未来において、私たちが天上天国の中心となり、地上天国の中心となるのです。天上天国は縦的な基準であり、地上天国は横的な基準ですが、これが一つになって地上天国と天上天国が統一されるのです。これは、神様の真の愛を中心として、統一的大家族を編成することを模倣したものです。これが神様の創造理想です。

人間は、誰もが幸福と自由と愛と理想を希求しています。その理想を希求するにおいては、刻一刻と変わるような理想は願いません。そのような観点から私たち人間世界を見れば、人間は変わるのが常であり、変遷していく歴史の中に生きているのです。そのような観点から見るとき、今世界人類は、理想や自由や真の善などを探し求めていますが、既に壁にぶち当たって疲れ果て、呻吟しているという現象を私たちは直視するようになっているのです。

真の自由の主人、平和の主人、幸福の主人、善の主人、愛の主人、理想の主人がいるとすれば、その主人は、私たち人間よりも次元が高く、変わることのない絶対的な一つの中心存在でなければならない、ということを私たちは考えるようになるのです。

それでは、皆さんが相続するというならば、今までの勝利的なすべてのサタン世界の覇権的基盤を中心として、神様の心に刺さった恨の釘を抜いてしまうことも貴いことですが、神様の創造理想をもって、超民族、超国家、超人種、超宗教的に理想的国家形態は成し遂げなければならないのです。神様の創造理想は、一つの世界であり、一つの大宇宙家族理想なのですが、それを展示することができるある国、ある国家がない、この現在の世界においては、先生の手を経て出発しなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。 天国はどのような所かというと、主体的な神様の愛を中心としてすべてが一つとなって和合し、お互いに喜ぶことができる家庭を世界的に展開させた所です。そこが神様の理想とされる天国です。結局、神様の愛を中心として調和した大家族理念の世界圏が成されて、初めて天国になるのです。そのようになってこそ、神様が構想された世界となるのです。

人間世界に真の愛を完成したならば、政治的に、文化的に、また環境的に何か問題が起こるでしょうか。真の愛の世界では、解決することができない問題はありません。真の愛の世界は、まさしく歓喜と理想が充満した自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散していく世界です。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、その根本的な解決が可能なのです。

善の基準は、愛の中心である神様です。今日、全人類が苦痛と混乱の現実から逃れようとこれほどまでに身もだえし、自由と平和をこれほどまでに渇望しているのは、人類の本心が善の基準を探し求め、愛の中心を探し求めているからだということを示しているのです。愛の中心を求めて、地上に永遠の幸福の世界を築こうとすることは、万民共通の願いであり、方向です。

本来、人間を造られた神様の目的は、霊的な基準にある妄想的、空想的な国家理念を成し遂げることではなく、生きている間に自分が汗を流しながら、生活しているその基盤の上に家庭と氏族を編成し、民族と国家を編成して、神様が愛される希望の国、希望の天国を成すことだったという事実を知らなければなりません。このような国を成し遂げて神様の愛を受けなければならないというのが本来の創造理想です。このように、地上に何の基盤もない霊的な国だけを願ってきたというようなことは、神様の願いではないということをはっきりと知らなければなりません。

二)「天宙大家族を形成し」

(1)天宙大家族の基本は家庭

アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を成し遂げていたはずです。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるようになっているはずです。この時、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点となります。

第四節は何ですか。天宙大家族です。世界が兄弟であり、一つの血統です。神様のように保護しなければならないのです。ですから、神様の王宮に座っていたとしても、この第四節は成し遂げなければなりません。天宙の大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を成し遂げなければなりません。先生の心情は、そのような心情です。天宙大家族主義者です。自由と平和と統一と幸福を植えつけてあげなければなりません。その言葉は何を意味するのでしょうか。先生の歴史を表しているのです。先生の歴史が表題です。はっきりと知らなければなりません。 神様が立ててこられた家庭を中心として、天下が要求する標準を立てようとするので、祖父母のモデル型、父母のモデル型、夫婦のモデル型、子女のモデル型がなければなりません。韓国は、親族大家族主義です。七代が一つの家で暮らすことができる主義をもって、何百名、何千名が、一つの家族として生活することができる伝統的歴史を、皆さんがつくっていかなければなりません。

統一教会の氏族的メシヤの道と、どうしてこのようにぴったり一致しているのか分かりません。そして、今後皆さんの家庭が、お互いに大家族を抱き、世界の前に誇っていく競演大会時代が来るのです。そして、一族の家庭が祝福を受け、一族で賞金をもらう時代が来るのです。その人々は、すべて皇族になることでしょう。

「神様の創造理想である天宙大家族を形成し」とは、神様のみ旨である大家族を完成しなければならないということです。ゆえに、サタン世界を切ることはできません。

自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権はないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界のすべての人を大家族へと収拾し、同じ自由と平和と統一と幸福の位置に立った者にしなければなりません。そこにおいて初めて自由と平和と統一と幸福なのです。私たちの理念は平和統一です。

神様の理想は、世界がすべて一つの家庭になることです。一つの家族です。四大心情圏と三大王権を完成した人々が満ちあふれたところなので、神様を中心として一つの家庭なのであって、二つの家庭とはなり得ません。私たちは、創造理想である天宙大家族を形成して、世界が一家族になるのです。その立場は、父子の関係において高の立場であり、夫婦の関係において 高の立場であり、兄弟の関係において 高の立場です。また、家庭、氏族、民族、国家に対する関係においても、高の立場とならざるを得ません。

中心にいらっしゃる神様は、父にもなられ、国の中心にもなられるのですが、その国の代表者は、その国民を子女のように愛するのです。また、神様が世界の中心としていらっしゃるのですが、その世界の代表者は神様を中心としているので、万民を兄弟のように愛するのです。そのような大家族社会であることに間違いはありません。

神様の創造理想は、大宇宙大家族です。自分一人だけではありません。天地のすべての人が一つの家族なのです。人類は、氏族と宗族と皮膚の色の問題を超越して、神様を父母として侍る大家族世界を成し遂げなければなりません。

私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的なお方です。したがって、神様のみ旨も永遠、不変、絶対的でないはずはありません。神様が人間を創造される時の目的と理想があったので、その目的が成し遂げられていたならば、その世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人間大家族の世界となっていたはずです。 生きていらっしゃる神様は、永遠、絶対、不変のお方です。したがって、そのお方のみ旨も、永遠、絶対、不変とならざるを得ません。神様が人間を創造される時、目的と理想をもって創造されました。その目的が成し遂げられた世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、神様を中心として全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす人類大家族の世界です。

平和というものは、すべての人類が個人、家庭、社会、国家、世界において神様の真の愛と真理を共有し、それを実践することによって人類が兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を成し遂げた時においてのみ実現されるものだということを、はっきりと悟らなければなりません。

天宙大家族をつくりあげなければなりません。一つ一つの単位は家庭ですが、それはカイン、アベルの時から一つの家庭ではありません。全世界の家庭は、天宙的大家族理想を中心として、いかなる環境においてでも、意地を張って自分だけを中心として、周りから孤立して凝り固まるのではなく、環境に合わせて生きていかなければなりません。人類は神様の息子、娘の大家族です。このような大家族にならなければならないのであって、ただ盲目的に生きるのではありません。その大家族形成において、地上世界というものは天上世界の基準に合わせて生きなければなりません。

(2)天宙大家族社会は、共生、共栄、共義の社会

理想的な社会や国というものは、すべての人が国境と皮膚の色を超越して相互協力しながら調和をつくりだし、幸福に暮らしていく社会です。この社会は、人々が一人の神様の息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟となった大家族社会であり、そこは血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭が、真の父母の言語と真の父母の文化のもとで自由と平和と統一の世界を成した世界です。神様の心情文化の中で、人々は共生、共栄、共義の生活をするようになるのです。

未来に到来する世界は、神様と人間と万物が調和を成した新しい心情文化と真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いに「ため」に生きながら、和合、協力して共に生きる、共生、共栄、共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する人類が人種を超越した真の愛による真の家庭と真の父母中心の真なる家庭理想によって、「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。

理想世界は、永遠、不変、絶対的な神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として「ため」に生きながら仲むつまじく暮らす人間大家族の世界です。この世界を成し遂げるための神様の摂理を全体的に指導されるお方を「救世主」、あるいは「メシヤ」と呼びます。

真の愛の回路がふさがった世界において、「ため」に生きる生活をもって模範を示されるこのお方は、人類理想の動機であり、目標です。

私たちの理想世界は、経済的には共生主義であり、政治的には共栄主義であり、倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、神様の真の愛を基盤とした共同所有をその中心内容とします。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではなく、神様の愛を基盤とした共同所有です。 家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、家族の個々人は、各々部屋と衣類、お小遣いをもつようになります。このように、家庭においては、全体目的と個体目的が調和を成すようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へ拡大されたものが、理想社会の所有形態です。

神様と人間の本然の関係は、真の愛を中心とした関係です。神様と私の共同所有、全体と私の共同所有、また隣人と私の共同所有など、様々なケースはありますが、神様の真の愛が中心となった感謝する心をもって共同所有するようになっているのです。

神様の愛を完成した人間がつくりあげる理想世界においては、全体目的と個体目的は自然に調和するようになっています。人間には欲望もあり、愛の自律性もあるので、個人所有や個体目的は許されています。だからといって、無制限な個人所有、あるいは全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって、自分の分限に合った所有量を取るようになるのです。

特に、真の愛による万物の真なる主人の人格をもった理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺とするので、欲張ることや不正はあり得ないのです。同時に全体目的に反して地域や国家利益が強調されることはあり得ず、経済活動の目標は、利潤の追求でなく、全体の福祉に焦点が絞られるのです。

共栄主義は、神様の真の愛を基盤として共同参加し、自由、平等、幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参加の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治の単位が愛中心の家族であり、政治はその愛中心の家族関係を拡大したものであることを理解するとき、代議員の候補者はお互いに敵対関係にはなり得ません。一人の神様を父母として侍る兄弟関係によって、周辺から推薦され、奉仕するための使命感をもって候補になるのです。

そして、いくつかの選出段階の過程を経る時や後の決定には、人為的な条件が介入されるのではなく、神様のみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式によって抽選で当選者を確定する方式になるのです。神様のみ旨と天運によって当落が決定するので、みな感謝し、結果を喜ばしい心で受け入れるのです。

共義主義は、真の愛を中心とした普遍的な倫理道徳を守り、構成員すべてが善と義の生活を追求する主義のことをいいます。これは、神様の真の愛による絶対価値のもとで、万民が倫理道徳を普遍的に実践する道義社会を指向する理想となるのです。

理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提にしています。真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります。また、完成した人間は、真の愛によって心身の調和、統一を成した人になります。

このように完成した人々が、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、自律的に善と義を行う高の愛の世界、道義世界がまさしく理想世界です。

理想世界の国家の重要機関と部署は、共同目的のもとで、お互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が頭脳の指示による共同目的のもとで、合目的的、あるいは自律的に協助し合うのと同じです。

三) 「自由と平和と統一と幸福の世界を完成」

(1)私たちの理念は、統一された一つの世界

神様の世界的、宇宙的な家庭となり、自由と幸福と統一と平和の世界を完成しなければならないというのが「家庭盟誓」の第四節です。代表的な家庭となり、すべて統一するのです。四大心情圏がそうではありませんか。そして、送り出すのです。いくら統一された四大心情圏を成したからといっても、それで終わるのではありません。その家庭を中心として世界を収拾しなければならない責任があるのです。

世界の不安と、サタン世界の混沌と不幸と不自由な環境を収拾しなければなりません。「家庭盟誓」の第四節は、そのことをいっているのです。「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」なのです。

「神様の創造理想である天宙大家族を形成し」とは、神様のみ旨である大家族を完成しなければならないということです。ゆえに、サタン世界を切ることはできません。

自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権はないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界のすべての人を大家族へと収拾し、同じ自由と平和と統一と幸福の位置に立った者にしなければなりません。そこにおいて初めて自由と平和と統一と幸福なのです。私たちの理念は平和統一です。共産主義と一つとなり、統一するのです。

今までの聖賢たちは、外的世界をいかにすれば一つにすることができるかということばかり考えました。しかし、統一教会の異なる点は何かというと、内的な私たち自身からどのように整備して一つにするかという点です。統一がないところには平和はなく、自由もありません。統一が成されたその上に幸福もあり、自由もあるのです。統一がも重要なのです。

統一の基盤の上においてのみ平和があり、幸福があり、自由があり、希望があります。皆さんの心と体が一つになっていないのに、そこに自由がありますか。会社に行っても、心と体が世界大戦をして安定していないのに、自由がありますか。自由という言葉自体も嫌うのです。心と体が闘っているのに、そこに幸福がありますか。ですから、皆さんも人生問題において悩むのでしょう?これは、根本的な大きな問題です。心と体が一つになっていないのに、どこに幸福があり、どこに平和があるというのですか。 問題は、すべてこの線上で起きるのです。平和もここで成され、幸福もここで成され、自由もここで成され、希望もこの線上で成されるのです。これが駄目になれば、すべてのものが壊れていくのです。共産党の輩の話です。マルクスやヘーゲルのような人は、よく見ると心と体が闘っていたのです。ですから、それが人の根本だと思ったのです。堕落ゆえにそのようになったということを知りませんでした。堕落したという事実を知らなかったのです。ここから闘争概念が出てきました。

統一がないところには自由はなく、統一がないところには幸福もありません。統一がないところには平和もありません。統一がないところには希望もないということを知らなければなりません。そのようになっているか、いないか見てみましょう。皆さんの心と体が一つになっていないのに、幸福ですか。心と体が闘っているのに、幸福ですか。そこに自由がありますか。お互いがよく回らなければならないのです。

平和は、お互いにバランスがとれていなければならないのですが、バランスがとれていますか。皆さんは、夫婦同士お互いによく調和していますか。皆さん夫婦が、朝二人でけんかすれば、その一日は幸福ですか。そのようなことはありません。それを知らなければなりません。統一が成された基盤の上に自由があるのです。統一がなければ幸福もありません。統一がなければ平和もなく、統一がなければ希望もないのです。

統一がないところには幸福はありません。幸福もなく、希望もないのです。すべての人間が願う幸福や希望やすべての平和や自由も、その基盤の上に立たなければなりません。統一の基盤の上ですべてのものが成されるのです。父母と子女の間でも、統一の基盤の上に自由があり、幸福があり、真の喜びがあるのです。このようになっています。それを考えてみてください。今日、人類は、自由を求め、幸福を求め、平和を求めています。それは、どこで探し出すのですか。どのように探し出すのですか。統一的基盤の上で、主体と対象、縦と横、あるいは前後左右の関係において、その相対的主体と対象関係において、幸福や平和や自由が成し遂げられるのです。今まで、これが分からなかったのです。実際そうですか、そうではありませんか。

平和というものは、統一の土台がなければ成し遂げられません。平和や幸福という言葉があるでしょう?そして、自由という言葉があります。このすべてのものが一つにならないところでは何も存在しません。夫婦がけんかするところに平和がありますか。一つになるところに平和があるのでしょう?夫婦が一つにならなくて幸福がありますか。幸福が逃げていってしまうのです。自由も同じです。男女がぶつかり合うところに自由がありますか。対立するところには平和や自由はありません。自由も統一の土台の上にあるのです。

息子、娘が一つになり、平和の国を取り戻すために統一がなされるところに自由が生じます。また、平和と幸福が生じます。私の夫までそこで踊る家庭になれば、幸福と平和圏が生じるのです。踊った人がその次には「おお、有り難い!」と言って、一家が踊り、国が踊り、世界が踊るようになれば、神様も歴史的に解放された息子、娘として宣布し、万国の万民がすべて統一王国の国民として改善されていくのです。

平和というものは、水平線上におかれるのであって、傾斜したところにおかれることはありません。皆さんは、みな自由を求めているでしょう?「自由! 自由だ、自由!」と、そのようにするでしょう? その自由は、どこで暮らすことを願うでしょうか。統一された水平線上で暮らしたいと思うのです。その上に自由があり、その上に幸福があり、その上に平和があり、その上に希望があり、その上にすべてのものがあるのであって、傾斜したところには何もありません。皆さんの個人の希望、個人の自由がどこにありますか。心と体が一つになった上にあるのです。幸福がどこにありますか。皆さんの心と体が一つになった水平線上にあるのです。希望もそこにあるのです。

神様の愛と人間の愛の出発が同じでなければ、この方向が二つになります。方向が異なり、目的が異なるようになるのです。そのようになれば、平和の世界、統一の世界を成し遂げることはできません。統一や平和、また幸福や自由や平和や希望がすべてなくなるのです。

一つになるところに自由があるのです。目も、焦点が一点に合う時は気分が良いのです。鼻が詰まれば大変ですが、鼻が通れば自由です。耳も自由です。手も自由です。体も自由です。一つにならなければ、自由はなく、平和もなく、幸福もなく、統一もありません。バランスのとれた平らなところに、すべての創造の完成があるのです。とがっているところには、とどまることができません。

世界的に勝利した真の父母を通して、すべて学んで知っているので、皆さんは家庭的天国だけつくればいいのです。先生は世界的天国をつくらなければなりませんが、皆さんが真の父母になろうとすれば、心と体を一つにし、夫婦が一つになり、子女が一つになって、アダム家庭が堕落することによって失ってしまったものを取り戻せばいいのです。これが始まりです。平和、幸福、自由、統一、天国を取り戻さなければなりません。そのようになれば、万事亨通(注:万事滞りなくうまくいくこと)です。OKなのです。

理想的な社会や国というものは、すべての人が国境と皮膚の色を超越し、相互協力しながら調和をつくり出し、幸福に暮らしていく社会です。この社会は、人々が一人の神様の息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟になった大家族社会であり、そこは、血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭が、真の父母の言語と真の父母の文化のもとで自由と平和と統一の世界を完成した世界です。神様の心情文化の中で、人々は共生、共栄、共義の生活をするようになるのです。

(2)愛だけが自由と平和と幸福の要素

堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えていったでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になっていたはずです。アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げていたはずです。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるようになっているはずです。この時、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点になります。

人類にとっても緊急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくして、人類の幸福や平和の世界を願うことはできません。今日の諸問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義と神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。皆さんは、これまで先生が世界的に展開してきた平和運動と、真の愛主義の理念を深刻に評価しなければなりません。青少年に対する真の愛と純潔運動、また国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による「真の家庭運動」等を教団的行事としてのみ考えてはいけません。

世界平和は、まず平和な国家がなければなりません。そして、国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富や知識は、平和と幸福の必要条件となることはできません。真の幸福は、愛の所有に比例するのではなく、外的な生活の便利さによって左右されるものでもありません。真の愛とともにいる時に、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。真の平和も、無限の幸福も、真の愛によって人のために生きて与える時、そして与えたものが全体を回って再び訪ねてくる時にだけ、確実に得るようになるのです。

今人類は、総体的危機時代を迎えています。特定分野の準備や努力だけでは不十分です。 指導者たちは、時代の良心となって積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり、前提条件である真の家庭を創造し、それを人々に指導する運動に乗り出さなければなりません。先生が主管する三億六千万双祝福結婚式の儀式は、先生が生涯を捧げて理想家庭に対する教育をしてきた一つの結実です。祝福儀式に参加する者は、既に神様に婚姻を約束し、神様の真の愛を中心として、真なる夫婦、真なる父母となって、真なる家庭を成すことができる人々です。平和世界実現のために、真の家庭運動を通じた歴史的な真の愛の革命がとうとうと進行しているのです。

愛がないところには、幸福もありません。平和もありません。男性と女性は、どのようにすれば平和になることができますか。男性と女性が平和であろうとすれば、凹凸を中心として一つにならなければなりません。それは、男性と女性の夫婦同士しかありません。ほかの男性やほかの女性と幸福になることができますか。それは、大きな事故です。すべてそうです。ほかの男性やほかの女性とでは、自由になることはできません。事故です。ゆえに、愛を除いてしまってはすべてのものが未完成だということを知らなければなりません。

理想や自由や平和や統一や幸福というものは、愛を中心として展開するのです。男性世界、女性世界において、自由というものは、愛で一体となっていない場においてはあり得ません。この地上の自由の出発基地はどこでしょうか。お金でもなく、物質でもなく、知識でもありません。愛から出発しなければならないという論理が出てくるのです。出発点が一つなので、目的点、定着点が変わってはいけません。

自由と平和も一つです。一つになるところに自由があります。しかし、自由だけあったのでは、立つ場所がありません。自由は実体ですか、何ですか。男性と女性がいれば、お互いに気兼ねすることなく一つになって行動するのです。そのようになるためには、何が必要ですか。ただ二人だけでいたのでは、一つになることはできません。これが問題です。

何が一つにするのですか。自由が一つにするのではありません。男性と女性が自由でいたければ逃げていくでしょう?それが自由ですか。夫を忘れることができず、行く途中で帰りたいと思い、行く途中で涙を流すことが自由ですか。違います。すべてのものは、愛を中心としなければならないのです。愛を除けば、すべて壊れていきます。

父母が愛で一つになる時、一つになったその場が自由の天地です。そこに平和が訪れ、幸福があるのです。また、兄弟同士がみな一つになろうとすれば、何が一つにするのですか。自由が一つにするのではありません。

「平等」という、そのような言葉が一つにするのでもありません。愛が一つにするのです。父母と息子、娘、また小さな子供たちと年を取った人たちを、何が一つにさせるのですか。何が、おじいさんと孫を一つにするのですか。自由が一つにするのですか。何かの主義が一つにするのですか。愛です。愛なのです。国もそうです。国の大統領が一つにするのではありません。国を愛する愛国者が一つにするのです。人類もそうです。博愛、愛を中心として一つになるのです。これは、どうすることもできません。

天国は、本然の神様の愛から出発しましたが、それは天上天国と地上天国の出発地です。自由の出発地、幸福の出発地、理想の出発地、平和と統一の起源がそこにあるのです。驚くべき話です。それを肝に銘じなければなりません。

真の愛がなければ、自由もなく、平和もなく、統一もなく、幸福もありません。真の愛を中心としてのみ、すべてのものを完成することができます。真の愛を中心とした自由、平和、統一、幸福の完成時代です。

歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず神様を中心として、個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真なる男性と真なる女性が、神様を中心として真の家庭を築くことによって、その中に再び神様を迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様が宿る地上基地となるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地となるのです。そして、これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。

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