聖誕の宗教的背景
神様は、ひとり子である再臨主をこの地に送られ、ひとり娘、実体の聖霊である天の新婦を送るための摂理を進めてこられた。特に、天は復帰されたエバを送るために神霊教団を立て、多くの準備をされた。それゆえ、真のお母様の誕生の背景には、神霊運動が韓半島において大きく広がっており、お母様の家庭はその中心に立っていた。真のお母様は、一九四三年二月十日、陰暦一月六日、母方の実家である平安南道安州郡安州邑(アンヂュウブ)信義里(シニリ)二六番地において、父・韓承運(ハンスンウン)氏と母・洪順愛(ホンスネ)大母様のもと、一人娘として聖誕された。
1 摂理歴史の中心人物を見れば、母の役割がどれほど重要か、私たちはよく知っています。アブラハム、ヤコブ、モーセ、イエス様なども、その妻や母親の果たす役割によって、新しい歴史をつくり、花咲かせました。しかし、内的には、悲惨で苦痛に満ちた恨の歴史をつくってきたのです。私(お母様)が生まれたことや、今日までのことも、すべては偶然ではありませんでした。解放前に有名だった李浩彬(イホビン)牧師が啓示を受けて、仲人を務め、父と母を結婚させたのです。
2 普通の子は、生まれると「おぎゃあ!」と泣きますが、私(お母様)は泣かずに「ラッラ、ラッラ」と言ったそうです。すると趙元模(チョウォンモ)おばあさんが、「この子は大きくなったら音楽家になるようだ」とおっしゃったそうです。
また、大母様が最初のわかめスープを飲んで、私を抱いて眠りにつくと、角の生えた真っ黒なサタンが近寄ってきて、「この子が生まれたことによって私は死んでしまう」と言いながら、赤ん坊の命を奪おうとしたそうです。それで大母様は、「サタンよ、退け! この娘は、私にとって本当に大切な娘なのに、どうしてお前は命を奪おうとするのか」と叫んだそうです。
よほど大声で叫んだのか、祖母が「まあ、お前は気が弱っているようだ」とおっしゃったそうです。大母様が「そうではなく、角の生えたサタンが来て、赤ちゃんの命を奪おうとしたので、大声で叫んだのです」と言うと、祖母は「それは不思議なことだ」とおっしゃったそうです。
ですから、大母様は、「この世に生まれるなり、サタンが命を奪おうとするところを見ると、この子は精誠を尽くして育てなければならない。今後、世俗に染まらないよう、清く美しく育てて主に捧げなければ」と思われたそうです。
3 大母様は、私(お母様)を生んだ直後に神秘的な夢を見たそうです。日本の統治下で太平洋戦争のまっただ中の頃でした。朝鮮総督府では、家ごとにくまなく探して、穀物と金物を手当たり次第に奪っていきました。戦争に必要な補給物品と武器を生産するためでした。奪い取った大量の物資は、日本列島に天高く積み上げられていきました。
ところが、ある瞬間から、供出された物資が船に積まれ、玄界灘を越えて韓国の地にやって来たそうです。そして、それが私の家の前庭に一つずつ積まれていったといいます。日本に行っていたすべてのものが、そっくりそのまま返還されたというのです。そこで、大母様は夢から覚めたそうです。今考えてみれば、その夢は、カインとアベルを和解させ、一つにして、天の父母様へと進んでいくべき母の道を象徴的に見せてくれたように思います。
4 韓国には、聖書とイエス様を信じさえすれば天国に行けると、単純に、そして盲目的に信じている形式化したキリスト教団とは異なる、特別な霊的教団が多くありました。彼らは、再臨主を迎える準備をし、主の花嫁を立てさせるため、神様から多くの啓示を受けていました。これが、私(お母様)が生まれた前後の宗教的状況であり、私は特別に準備された霊的な家庭で生まれました。私がきょう、その当時のことを思い、悲しみに浸ったのは、大母様が所属していたその教団が、到底言葉にできないような苦難を経たことが思い出されたからです。彼らは、常に神様の啓示を受けながら過ごしていました。そして、蕩減路程を通して、主の道を平坦にするために、実に信じ難い苦難の道を歩んできました。また、その中のある人は、監獄で死んでいきました。
彼らは、神様から召命を受けた人々として、神様に献身的に侍りながら、いつかはメシヤに出会えることを唯一の希望にして、苦難を越えていったのです。彼らは再臨主を迎えるために、多くの準備をしました。例えば、さじから衣服に至るまで、一切を準備しました。彼らは、服のサイズまで知っていたほど、非常に詳細に啓示を受けていました。しかし、彼らは不運にも、言葉では言い尽くせない苦難の中で、主に出会うことができず、一人、また一人と死んでいきました。彼らの使命は、三代にわたって引き継がれたのですが、彼らの啓示の最後の頂点において、私が生まれたのです。
「天の新婦」として祝福
真のお母様の聖誕は、単なる一個人の誕生という次元を超え、神様の摂理史の結実という次元から、その意味を見いだすことができる。二千年のキリスト教歴史は、再臨主を迎えるための韓国の神霊運動に連結され、これは再び、外祖母である趙元模女史、洪順愛大母様、真のお母様の三代にわたって結実した。特に、真のお母様が聖誕されて間もなく、聖主(ソンヂュ)教の金聖道(キムソンド)が拘束され、拷問の後遺症によりこの世を去ってからは、許浩彬(ホホビンまたは孝彬)の腹中教がその使命を受け継いだ。その後、許浩彬が投獄されて不在となる中、腹中(ポクチュン)教を率いた許浩彬の母親は、六歳になった真のお母様に対して、「天の新婦になられる方」と証して祝福した。また、真のお母様の聖誕以前にも、「宇宙の女王になるだろう」などの多くの預言があった。そのような過程を経て、再臨主を迎えるための精誠の基盤が、真のお母様に継承されたのである。
5 私(お母様)の父は、安州(アンジュ)でお生まれになり、生涯を教師として生きられた教育者です。体格が良く、体力もあり、繊細な性格で、常に奉仕をしながら暮らしたといいます。何よりもキリスト教の信仰に忠実で、教鞭生活ゆえにいつも忙しい生活を送りました。李龍道(イヨンド))牧師の「新イエス教」でも幹部として活躍し、大母様は祖母と共に、安州の「新イエス教」を拠点として信仰生活をされたので、自然に顔を合わせる機会がありました。お二人は、この頃に婚姻されました。
信仰生活に精進していた時、大母様が啓示を受けました。「洪唯一(ホンユイル)の娘よ、喜びなさい! お前の子が男の子であれば宇宙の王になり、女の子であれば宇宙の女王になるであろう」という啓示でした。この啓示を受けて結婚する当時、父の韓承運(ハンスンウン)は二十六歳、大母様は二十一歳でした。それ以後、主を探し求めるために、絶えず尽くされた大母様は、鉄山(チョルサン)の聖主教に通われ、婚姻して九年目に私を身ごもられたそうです。限りない精誠と篤実な信仰生活を通して、一つの生命を得たのです。
6 私(お母様)が生まれた時、神様が地上に主を送る計画について啓示を受けた、許浩彬という方がいました。その許浩彬女史の母親が、私が六歳の時、「この方こそ、天の新婦になるだろう」と預言したのです。許女史の母親は、「幼い少女が天の新婦になるであろう」という啓示を受けていました。当時、神様によって予定され、召命を受けた神霊教団が、主に以北に広まっていました。そして、平壌は、東方のエルサレムと言われるほど、キリスト教の勢力がとても強い所だったのです。
7 北側では、共産党の勢力が大きくなり、宗教に対する弾圧も激しくなりました。それで、許浩彬女史も、一九四六年八月に、平壌の大同(テドン)保安署の監獄仁入ったのですが、監獄で再臨主に出会うという啓示がありました。その時、お父様も平壌で伝道している中で捕まり、同じ監獄に入ることになりました。その監獄で、許女史の一番弟子を通して、許女史に送った手紙が看守に見つかり、お父様はひどい拷問を受け、歯まで折れる受難に遭われました。
私(お母様)が南に下る前に、許女史の母親が啓示を受けて私を呼びました。六歳の時でした。許浩彬女史の集団は、再臨主のために新婦の使命を果たす団体だったのですが、その名目のもとで私に祝祷をしてくれたのです。これから大きな使命を果たす人であるという祈祷を受けました。白いチマチョゴリを着たおばあさんが私一人を呼んで、「天の啓示があった」と言って祝福してくださった記憶が鮮やかに残っています。
8 北の西海岸地方に金聖道女史の聖主教がありました。金聖道女史が死んだあとは、許浩彬女史が引き継ぐようになりました。大母様は、その許女史に篤実に従っていた人でした。大母様は、お母様が四歳の時にその集団に連れていったのですが、許女史の母親が、六歳になったお母様を祝福しました。それは、お母様に使命が受け継がれる出来事だったのです。お母様に会った時に、お父様はそのような事実を知りました。神様によって準備されていたすべてのものが、一九六〇年に成し遂げられました。ですから、今、真の父母が現れるようになったのです。ここから子女に対する祝福が始まるようになりました。
真のお母様の名前の意味
真のお母様がお生まれになった頃、父親の韓承運(ハンスンウン)氏が夢で鶴を見て、真のお母様の名前を「鶴子(ハクチャ)」にしたという。真のお父様は、真のお母様の名前について、「恨(韓国語で「韓」と発音が同じ)を抱いた神様について最高に学んだ学者(韓国語で「鶴子」と発音が同じ)となり、神様の相対の位置に進む」という意味があると解釈された。また、韓鶴子の「子」の字は、「神様の王子と縁を結ぶように生まれついたこと」を象徴すると語られた。
9 私(お母様)が生まれる頃、父は、夢のお告げ、幻想を御覧になったそうです。とてもうっそうとした松林の中に、澄んだ美しい陽の光がさし込み、二羽の鶴が和合する姿が見えたというのです。それで父は、私の名前を「鶴子」とお付けになったそうです。
10 お母様の名前は「鶴子」ですが、「鶴子」というのは「鶴の息子」ということです。鶴は、ヒマラヤの山脈を越え、平原に行って卵を産みます。これはエバの使命と同じです。「子」というのは息子のことを意味します。それは結局、女性として息子を慕うことを意味するのです。お母様の使命は、ヒマラヤ山脈を越えて平和の世界で息子、娘を生むことです。そして、鶴は入り混じったものを食べず、きれいなものだけを食べます。栄養があって、あっさりしたものだけを食べるのです。鶴は、一度飛び始めると、なかなか方向を変えません。そして、高く飛びます。それで、東洋では、鶴をとても愛するのです。
天が準備された家系
真のお母様の父親である韓承運氏は、一九〇九年一月二十日、父・韓炳健(ハンビョンゴン)と母・崔基炳(チェギビョン)のもと、五人兄弟の長男として生まれ、教鞭生活を送る中、一九四六年五月頃に南下した。そして、南下後はソウルと京畿道の小学校で奉職するなど、一九七四年二月まで、四十一年にわたって教育界で活躍した。洪順愛大母様は、一九一四年、陰暦二月二十二日、篤実なキリスト教信仰をもった父・洪唯一(ホンユイル)と母・趙元模(一八八九年、陰暦十一月七日-一九六二年九月三日)のもと、一男一女の長女として、平安北道の定州で生まれた。母方の祖母、趙元模女史は、勤勉で活動的な新時代の女性だった。その先祖の中の一人である趙漢俊(チョハンヂュン)が、私財をはたいて平安北道定州の撻来江(タルレガン)に大きな石橋を造ったという話が伝わっている。
1 私(お母様)は、一九四三年、陰暦一月六日の明け方、平安南道の安州で生まれました。私の村は、都会から遠く離れた所ではありませんでした。家の裏には小さな山があり、小川が流れる、とても穏やかで、温かい感じを与える所でした。ちょうどめんどりがひなを抱くような感じです。裏庭には、家族が食べるために栽培していたとうもろこし畑がありましたが、そのとうもろこしがとても大きかったことを覚えています。お父様の故郷である定州と、私の故郷である安州の間には、川が一つあります。
2 私(お母様)の故郷である安州は、昔から軍事的にも政治的にも、とても重要な所でした。それで、平安道という地名は、平壌と安州から一文字ずつ取って付けられたのです。その地域は平野なので、農業に適していて、食べ物が豊富でした。古朝鮮の時期には、既に町を形成していたといいます。
そこを流れる清川江(チョンチョンガン)を中心として、平安北道と平安南道とに区分されますが、お父様の故郷である定州までは約六十キロメートルで、平壌までは七十五キロメートルほどです。大母様は、聖主(ソンジュ)教があった鉄山(チョルサン)まで行って、新しいみ言を求め続け、毎日のように精誠を尽くしましたが、鉄山は実に百二十キロメートルも離れている所でした。
3 真のお母様の母方の祖母である趙元模(チョウォンモ)おばあさんは、趙漢俊(チョハンジュン)の直系の子孫です。この趙氏は、国の名に使われる「趙」の字です。ですから、国の母になる方が大母様の母親でした。このように、伝統のある歴史がつながっています。それは実話です。
定州にある撻来江(タルレガン)の橋は、数十年過ぎても誰も修理せず、放っておいたために崩れだし、人が渡れなくなりました。その橋を通っていく道が塞がってしまったのです。そして、それを放っておいたので、洪水が起こって橋が崩れ、土砂が押し寄せてきて埋まってしまいました。
そこに預言がありました。「岩を削って撻来江の橋に立てたチャンスン(村の入り口に立てた村の守り神の像)のような標石が埋まってしまう日には、国がなくなり、現れる日には、韓国に新天地が広がる」という預言があったのです。
4 中国の使臣が韓国に来ようとすれば、定州にある撻来江を渡らなければならないのですが、その当時は橋がありませんでした。橋を架けるお金が国になかったのです。そこで国は、その橋を架けてくれる人物を探すために、公示文を貼り出しました。その時、私(お母様)の母方の先祖に当たる趙漢俊おじいさんが、私財をはたいて橋を架けたのです。橋は石橋でしたが、その下を船が通れるほど大きな橋だったといいます。
そのおじいさんは、橋を造るのに全財産を使い果たし、銅銭三文だけが残ったそうです。それで、「あすは橋の竣工式に行く」と言って、その残ったお金でわらじを買っておいて眠りにつきました。すると夢の中に白い服を着たおじいさんが現れて、「漢俊よ、お前の功労は大きい。それでお前の家門に天子を送ろうとしたが、残しておいた銅銭三文が天に引っ掛かったので王女を送ろう」と言ったというのです。その夢を見てから撻来江に行ってみると、その丘の上に石の弥勒仏ができていたといいます。
5 橋の竣工後、撻来江の河岸の土の中から、石の弥勒仏が勢いよく出てくると、村の人々は小屋を造って、雨風を浴びないようにしました。その弥勒仏が次第に大きくなり、屋根を突き破るようになると、改めて新しい小屋を造りました。ところが、不思議なことに、この弥勒仏はおなかがふっくらと出ていました。問題は、趙氏一族に生まれた娘たちもみな、弥勒仏のようにおなかが出て、結婚もしていない乙女が、妊娠していると誤解を受けたことです。それで、ふっくらと出ている(弥勒仏の)おなかを削ったところ、そこから血が出てきたそうです。石から血が出てきたのですから、不思議で霊妙でもあり、恐ろしくもなってきて、急いで石灰を塗って塞いだといいます。そして、馬に乗って弥勒仏のそばを通り過ぎるときは、馬から降りて礼を尽くさなければ、馬の足が地面にくっついて動かなくなる、という話も伝え聞きます。
このように、衷情に満ちた趙氏の家門を通して、天は趙元模おばあさんを送られたのです。そのように神様の環境創造が、その趙漢俊おじいさんの時から始まり、私(お母様)にまで連結されたのです。
6 お母様の母方の祖母は趙氏ですが、その趙氏たちが住んでいる所は、裕福な村でした。国の官職に携わった人たちが集まって住む、瓦ぶきの家が立ち並ぶ村です。そこに趙漢俊というおじいさんがいたのですが、お母様の母方の祖母が、その直系の子孫です。ですから、そのような伝統を中心として、母方の祖母と大母様が、お母様をとても愛しました。真心を込めてお母様を育てたのです。
大母様が、来られる主をお迎えしようと、八道江山(韓半島全土)を駆け回るのに忙しく、満足に家庭生活をすることができないので、母方の祖母がお母様を育ててくれました。そして、霊界についてのあらゆる秘密を、誰よりも知ろうとしたのがこの家門です。
7 母方の祖父である洪唯一(ホンユイル)おじいさんは、背が高くて美男子でした。初めてお父様にお会いした時も、容貌がそっくりで、同じ印象を受けたので、見知らぬ人のようには思えませんでした。それに、その時代に、嫁にハイヒールを買ってあげるほど、新しい考え方をもつおじいさんでした。
母方の祖母である趙元模おばあさんは、小さくて顔がきれいな上に、勤勉で活動的でした。勉学ばかりに多くの時間を割くことはできませんでしたが、当時としては新時代の教育を受けた女性であり、ミシン販売をされていました。ミシンを売ったあと、故障したミシンの修理もしたのです。
天の新婦を準備した韓民族
真のお母様の本貫は、忠情北道の清州である。真のお父様のみ言によれば、「忠情」は「心の中心が清い」という意味であり、「清州」とは「清い郡」ということである。川や海の水が澄んでいれば、魚だけでなく、水底までのぞき見ることができるように、「心の中心が澄んだ道人になることを目標にして歩む人々が暮らす郡」という意味である。そして、清州韓氏の「韓」は、「韓国」を代表し、「宇宙」を代表する。また、「韓(ハン)」は「一(ハナ)」を意味するものとして、「一番」という意味もある。神様が、清州韓氏を通して天の新婦を準備されたのである。
8 韓国は、四千三百年の歴史をもち、その歴史の中に古朝鮮時代がありました。私たちの民族は、天文を研究して天の運勢を解き明かした東夷民族です。天文学の博士たちだったのです。韓国の歴史を見ると国教があったのですが、新羅時代と高麗時代には仏教、朝鮮時代には儒教でした。私たちの民族の起源を遡ると、古朝鮮以前に韓氏が住んでいたという記録が出てきます。
9 私たちの国の歴史学者たちは、古朝鮮以前の時代に、檀君(タングン)をお生みになった桓雄(ファヌン)が治める国があったと主張しています。歴史の記録に出てくる「桓」は、昔の発音に従えば「韓」と表記します。ですから、桓雄と韓雄(ハヌン)は同じ言葉です。もちろんこれを「神話だ」と言って中傷する人たちもいます。しかし、檀君神話には、韓民族を天孫民族として選んだ神様のみ意が込められています。その当時の遺物や関連資料も発掘されていて、それが事実であることを示しています。
「韓民族」という言葉や「大韓民国」という国号の根源を知っている人は、多くありません。その根源は「韓氏朝鮮」から見いだすことができます。数千年前の、中国東北地域から韓半島に至る広大な領土の統治者が韓氏の血統であり、その国を「韓氏朝鮮」と呼んだのです。私たちの民族が「韓民族」であり、私たちの国号が「大韓民国」となったのは、正にこの「韓」に由来しているというのです。結局、韓氏の先祖がこの国を建てたという話です。
10 「韓民族」という言葉は、その源流を尋ねてみれば、「韓」に由来します。「韓民族」とは、古代から私たちの民族を呼ぶ固有の名称です。その意味は、最も秀でた民族であり、偉大な民族として、天のみ旨を立て、世界を一つにする天孫民族ということです。そして、韓氏は悠久な歴史をもった王族の血統であり、名門の血統として知られています。このような血統を通して、天は母を求めてきたのです。
11 「ハン(「韓」も同音)」とは、一つという意味であり、神様も意味し、宇宙万象の合一も意味します。また、大きいという意味があり、宇宙万象を包容するという意味もあります。満ちるという意味で、充満していることを意味します。そして、神聖で立派であり、世界の「最上」と、万象の「太初」であることも意味しています。私たち韓(ハン)民族は、神様の天命を受けて歴史の主体となり、真理の主体となって、神様のみ旨を地上に実現する役割を担う民族なのです。
12 私たちの民族は、倍達(ペダル)民族です。「倍達」というのは、光明の国、輝く国、天をあがめ尊ぶ国を意味します。それで檀君を倍達王ともいうのです。数千年前の上古時代から、既に私たちの民族のことを倍達民族と言ったのです。
聖書の歴史を見ると、天はノアやアブラハムなどの中心人物を立てて役事(働き)をしてこられ、結局はイスラエルを選民として選んでイエス様を送られたのと同じように、大昔から天孫民族として、弘益人間(広く人間世界に利益を与えること)の思想をもつ天民として、韓民族を選んで準備されたというのです。結果的に、再臨主を送る摂理をされたと言うことができます。
したがって、私たちは、後天開闢時代に、平和王国創建の先鋒に立てるため、天が選んだ選民の血族が韓民族であることを、肝に銘じなければなりません。
13 訓民正音(フンミンジョンウム)とは何でしょうか。正しい音を聞いて学び、訓(おし)える国民は、千年の歴史、万年の歴史においてすべてが滅んでも、残るというのです。それが東夷民族であることを、私は知りました。古朝鮮から四千年の歴史と見ていますが、古朝鮮の前に三千年の間、「韓」があったのです。その「韓」の韓半島における根拠地が清州であると考えています。私は今、東洋史における古代韓国の歴史書を編纂し、年代的関係が途切れている歴史をつなげようとしているのです。
新しい天の摂理を準備した神霊教団
神様が再臨のメシヤを韓国の地に送るための摂理を急がれる中、一九〇〇年代初頭から、このような神様の摂理を、先立って知っていた篤実なクリスチャンの間で神霊運動が起こり始めた。その神霊運動は、李龍道(イヨンド)牧師を中心とした新イエス教会、金聖道(キムソンド)の聖主(ソンジュ)教、許浩彬(ホホビン)の腹中(ポクチュン)教に脈々と受け継がれた。このような基盤の上に、天の新婦を迎えるための摂理が、神霊教団を中心に、同時に進められてきたのである。
1 神様は、今まで韓国の地で、キリスト教を中心に神霊の役事をしてきました。解放前の一九三〇年代と一九四〇年代に、神様はこのための準備をさせてきました。神様のみ旨に従うべきキリスト教は、そのような立場で神様の内的な事情に従い、内的なみ旨を立てなければなりません。神様は、数多くの家庭を通して、あるいは数多くの開拓者を通して、このような役事をしてこられました。
鉄山、平壌、または元山(ウォンサン)のすべての動きは、その時代的環境に対応させるためでした。キリスト教が従わなければならなかったので、それを一歩前進した環境で、神様は準備させてこられたのです。
2 神霊的な役事をした人の中で、鉄山に金聖道という方がいました。そして、咸興(ハムン)には白南柱(ペクナムヂュ)という人がいました。白南柱氏は、総督府から聖主教の認可を得た人です。霊界からすべて教えられてそうしたのです。
「裸足で鉄山に行きなさい」という霊界の指示を受けた白南柱氏は、鉄山に行きました。咸興から平壌まで六十里から七十里にもなります。裸足で鉄山に行って金聖道女史に会いました。そのようにして東と西が会ったのです。会って、来られる主がこの地に来た時に、苦難を受けないように準備したのです。そうして、聖なる「聖」の字と主人の「主」の字を入れた「聖主教」がつくられました。
しかし、金聖道女史の主張と、その他の人の主張との対立が表面化するようになりました。金聖道女史は、「天が私を中心として、エバの使命について教えてくれたのだから、主が来られれば私がお迎えしなければならない」と主張したのです。
3 金聖道女史の家庭が責任を果たせないことによって、その使命は至誠を尽くして金聖道女史に侍っていた許浩彬という婦人に引き継がれました。その婦人は、すべて主を中心として生活をしてきました。天は、その婦人にまず罪を脱ぐ方法を教えてくれ、その次に生きていく方法を教えてくれ、またその次には、主が来られたあとに子女を育てる方法を教えてくれました。
その許女史は、主に侍って生活し得る法度と全体的な規則を立てて準備しました。許女史は、解放前からそのような準備をしなければなりませんでした。七年前からそのような準備をしてこなければならないというのが原則です。そのようになっていれば、韓国の解放を中心として、再臨理念が出発するようになっていました。そうしてこれを引き継いで、新しい役事をしていかなければなりません。その時は一段階離れます。「自分が主である」と言うのではなく、「主を生む」と言います。腹中を通して主が生まれるというのです。それは、復帰だからそうなのです。それがマリヤ的使命です。
4 二千年前、イエス様がイスラエルの地にお生まれになるまで、天は多くの準備をされました。イエス様が天の家庭を形成し、一つになった国家をつくり、世界へと出ていくことができるよう、あらかじめ準備させました。しかし、その当時、準備されて責任をもっていた中心人物たちは、天の深いみ旨や事情よりも現実問題に汲々とし、イエス様のことをきちんと理解できず、イエス様に侍ることもできずに、ついに十字架に送ってしまったのです。ですから、イエス様の復活後、二千年間続いてきたキリスト教文化を中心として、新しく来られる主を迎える新婦としての準備がすべてできるよう、天は無知な人間たちを悟らせながら役事してこられました。
天は、韓国を選民の国として選ばれ、韓国のキリスト教の歴史がまだ浅いにもかかわらず、解放前後を通して、新しい主を迎えるための内的な準備をする団体を立てられました。腹中教を立てた許浩彬夫婦を通して、天は内的にどのように再臨主に侍るべきかを直接的に教えてくださいました。イエス様が生まれてから、三十三年の生涯路程を歩み終えるまでの不幸だった恨を解いてさしあげるため、すべての衣服をそれぞれの年齢に合わせて作るようにするなど、あらゆる準備をさせたのです。
真のお母様に結実した神霊役事の基盤
真のお父様は、「金聖道を中心とした聖主教と、許浩彬を中心とした腹中教が、大母様を経て、お母様にまで連結されてきた」と語られた。特に、洪順愛大母様は、来られる主を迎えるために、神霊教団である聖主教と腹中教に通って多くの精誠を尽くし、献身した。そのような過程で、許浩彬の母親が真のお母様に対して、「天の新婦になられる方」と祝福したのだが、これはあらゆる神霊役事の精誠基盤が、大母様を経て真のお母様に承継されたことを意味するのである。
5 根のない木がないように、お父様とお母様が真の父母様の名前をもつに至るまでの過去の根を知らなければなりません。人は誰でも、良い環境、良い家族、良い血統を、どのようにして最後まできちんと整えるかが重要です。
大母様は、一九一四年、陰暦二月二十二日、平安北道の定州(チョンジュ)で出生され、来られる主をお迎えし侍るために、一生の間、渾身の力を尽くして生きてこられた方です。今までのすべてのキリスト教徒たちは、主を迎えるために生きましたが、大母様の一生は、それとは異なる道を歩まれました。主を迎えるために、実践の道を歩まれたのです。
6 二千年前のイスラエルの国においても、主を迎えるための内的な準備が多くあったように、解放前の韓国においても、再臨主を迎えるために準備した団体が数多くありました。そのように、復帰摂理の役事を内面的に果たしてきた団体も数多くあったのですが、母方の祖母と大母様は、そのような団体を訪ね回りながら、ひたすらみ旨のためだけに、ひたすら主に出会うその日を準備するために生きてこられたのです。結局、そのような信仰生活が、私(お母様)をこの場にまで導きました。
母方の祖母と大母様は、絶えず深い信仰生活をされました。常に分別され、清潔な生活、清い生活をされました。私は、生活のほとんどを大母様から学びましたが、母方の祖母からも影響を受けました。
7 趙元模おばあさんは、キリスト教の家庭で生まれました。信仰心と愛国心が篤く、すべてのことに熱心でした。一九一九年、三・一万歳運動が起こった当時、満五歳になった大母様を背中に背負い、その隊列に加わって万歳運動をしている写真を見た覚えがあります。それほど、素晴らしい方でした。大母様も、このような祖母の熱心な信仰生活の影響を受けて、十九歳までは長老派教会の信仰をもっていらっしゃいました。鉄山で、金聖道女史が教主をしている聖主教が活発に集会を行っていましたが、祖母と大母様は、そこで熱心に信仰生活をされたのです。
8 私(お母様)が生まれた翌年の一九四四年頃、大母様は、趙元模おばあさんと共に腹中教に入り、主を迎えるための準備をしました。ある日、許浩彬女史が、「女性はみな、服を一着ずつ作ってこそ、再臨主が顕現されても恥ずかしくない」と言いながら、午後一時くらいになっていたのですが、大母様に向かって、「夜になるまでに服を一着作りなさい」と一言いました。普通の人の服であれば、数時間で作ることができますが、主の服を作るというので、いい加減にはできませんでした。しかし、大母様は従順に従いました。手がぶるぶると震えましたが、感謝の思いでその仕事をやり遂げました。
ある時、大母様は、夜も昼も霊的に再臨主に侍って暮らす許浩彬女史がとても羨ましくなり、「夢の中でも、再臨主に一度お会いできれば、死んでも恨みはない」と思いました。すると、夢のお告げがあったのです。
夢の中で、大母様はきれいな小屋にいました。上下に白い服を着て、台所で食事の準備をしたあと、ぬれた手をエプロンで拭きながら出てくると、祖母が、「この部屋は、誰も入れない部屋だ」と言うのです。しかし、言い返すわけでもなく、丁寧に扉をそっと開けて入り、おとなしく座ったといいます。すると、壮健な方が、東に向かって机を一つ置き、頭に手拭いを巻いて座って勉強していたのですが、さっと向きを変えて座るのです。そして、「私は、あなた一人を探し求めるため、このように勉強しているのだ」と言ったというのです。そのみ言が非常に有り難く、畏れ多くて、涙が自然と流れ、言葉が出なかったといいます。それで、その方の手を握って泣いているうちに、目が覚めたというのです。起きて初めて、「本当に不思議だ。あの方が恐らく、再臨主なのだろう」と思ったといいます。そのように、大母様は夢のお告げを通して、真のお父様に初めて会われたのです。
4許浩彬女史は、大母様に「再臨主が履かれる革靴と紗帽(サモ)を安州で作ってきなさいと、天がおっしゃっています」と言いながら、自分が受けた啓示を伝えてくれました。大母様はその話を聞くやいなや、安州で革靴と紗帽を上手に作ることで有名な家を訪ねていって、「精誠の限りを尽くして作ってください。お金は欲しいだけあげますから、最高の物を作ってください」と言い、サイズを書いて帰ってきました。一週間ほどしてから行ってみると、革靴は上手に作ってあるのですが、紗帽が気に入らないのです。その紗帽を受け取るやいなや、腕がしびれ始め、目がぐるぐる回り、身動きすることもできなくなりました。挙げ句の果てには、その家の床に足がくっついてしまったのです。そこで、「もう一度作ってほしい」と言ったところ、体が少しずつ動くようになりました。大母様が目をむいて紗帽を作った人を叱ると、(その人は)ぶるぶる震えながら、「きちんと作り直します」と言いました。一週間後にもう一度行ってみると、今度は本当によく作ってあり、気に入ったといいます。お金を払って平壌に持っていくと、心が落ち着きました。その話を許浩彬女史にすると、笑って喜んだといいます。それから約一カ月後に、また夢を見ました。大母様は、夢のお告げを非常にはっきりと受ける方ですが、一カ月前に(夢で)会ったその方がまた出てきて、「私はもっと北に行って勉強しなければならないので、あなたが一番大切にしている掛布団と敷布団、それから洋服を一着、背負い袋に入れてほしい!」と言われるのです。それで、「そのようにいたします」と答えて家に入ると、不思議なことに、掛布団と敷布団がきれいに準備されていました。洋服も、淡い色の服でしたが、良い布でできた物が準備されていました。ですから、「本当に有り難く、驚くべきことだなあ!」と思いながら、真心を込めてそれを包み、背負い袋に入れてさしあげました。すると、それを担いで「私は三年したら来るから、あなたは三年間、心変わりせず、待っていなさい!」と言われ、北に向かって、口笛を吹きながら独り寂しく行かれるのです。その後ろ姿を見つめながら、大母様はいつまでも泣きました。独り、勉強しに行かれる姿が、この上なく寂しく見えたのです。もちろん、その間に心変わりすることはあり得ませんが、「取るに足らない私に向かって、三年間、変わらずにいなさいという、畏れ多いみ言を下さって行かれるのだなあ」と言って泣いている途中で、夢から覚めました。そのように、大母様は再臨主と既にお会いしたのです。
10 一九四六年八月、腹中教信徒の中の一人が共産党当局に密告して、許浩彬女史と腹中教の幹部たちが警察に捕まり、大同保安署に拘禁されました。内務署員が許浩彬女史に、「お前の腹中にいるイエスはいつ出てくるのか」と尋ねると、彼女は「数日後に出てこられる」と答えました。天から、しきりにそのような指示が下りたのです。許浩彬女史は、再臨主が監獄において出てこられる日時を話していたため、二、三十人の信徒が白い服を着て、毎日監獄の門の外に立っていました。また、内務署員は、それまで作っておいた服を、一つ残らず持っていってしまいました。
天から「再び作りなさい」という指示が下り、一年間以上、精誠を尽くしてもう一度その分を作りましたが、その時もまだ、許浩彬女史は出獄できずにいました。
11 一九四六年六月頃、お父様はソウルを離れ、北朝鮮の平壌に行き、景昌里(キョンチャンニ)で集会所を開き、伝道をされました。その頃、北朝鮮の共産党当局は、宗教団体に対する弾圧を始めました。腹中教の許浩彬女史などが、宗教の名を語って人をだましたという罪で立件された時、お父様も、それと類似した団体の指導者であり、李承晩(イスンマン)政権のスパイであるなどの容疑で、大同保安署に拘禁されました。特に、摂理的新婦格として準備された腹中教が、新郎格であるお父様のところに自ら訪ねてくることができなくなるや、お父様は二度にわたって人を送り、勧告されました。それでも、最後まで拒否した結果、神様は獄中にまで訪ねていかれたのです。
お父様は、八月十一日から百日間、獄中での苦難に遭いながら、許浩彬女史と接触しようと数度にわたって手を打たれましたが、許浩彬女史は、最後までお父様が誰であるか気づかず、そのような摂理的に適切な(天の)処置に対して、顔を背けたまま不信の道に行ってしまいました。お父様は十一月二十一日、過酷な拷問により瀕死状態に陥ったまま、放免されました。天の加護が共にあったのです。しかし、その頃、腹中教幹部の多くは拷問を受けて死亡し、その後の六・二五動乱でも戦没しました。天の祝福と恩賜に対して、責任を果たせなかった摂理的使命者の結末が、どれほど過酷で厳しいかを教訓として教えてくれる、生きた歴史です。
12 大母様と趙元模おばあさんは、生涯にわたって再臨主を迎えるための準備をする信仰生活を貫かれました。世の中と妥協したり、安逸な家庭環境に安住したりせず、全面的に天のみ前に奉仕しながら、至誠を尽くされました。大母様が主を迎えるために、歴史的な受難の道を歩んできたがゆえに、私(お母様)もそこに同参(一緒に参加すること)したのです。私もそのような訓練をしました。み旨のために行く道であれば、何であれ犠牲にしてきたので、私たちの家門に神様が共にあったのです。
13 大母様の生涯のように、皆さんも誇ることができる一生を送らなければなりません。真の父母様の両家の父母のうち、大母様が最も高齢までお父様に侍られた方でした。それで、お父様は、「大母様」という称号を下さったのです。そのように「大母」の称号を受けるまで、天のみが知る血の涙の精誠祈祷をされました。
お父様に侍る前は、再臨主に会わせてくださいと祈り、お父様にお会いしてからは、真の父母様の家庭のために一層精誠を尽くされたのです。なぜなら、霊的によく御存じだったからです。真の父母様の家庭を守るために、サタンとの闘いをされたのです。大母様は、十年間、闘病生活をしながらも、真の父母様の家庭のために祈られました。
14 今後皆さんは、自分のために財物を積み上げておいてはいけません。節約するのは良いのです。しかし、み旨のために節約しなさいというのです。自分の一族と一国家、南北統一のために、皆さんがもっているものをすべて投入することができなければなりません。自分の家ばかり保護してはいけません。ただもつべきものは、神様の愛によって真っ赤に燃え上がる、その一つの心情だけです。
ですから、大母様のように、二十四時間、神様のみ旨と父母様のみ旨を成就させることを考えて生きなければなりません。大母様には、その考えしかありませんでした。それ以外のことは考えもしなかったのです。私たちが尊敬すべき方です。ですから、「大母」という名前を私が授けたのです。
15 大母様は、父母様の聖婚以降、労働者の妻から皇族まで、ありとあらゆる女性がお母様を打つという局面を収拾するために苦労しました。お母様一人では、これに耐えられないので、三代にわたって打たれなければなりません。その代を受け継ぐために、責任を果たしたおばあさんであることを知っているので、お父様は「大母」という名前を与えたのです。女性たちが行く愛の道で、泰山峻嶺(大きな山と険しい峰)のように立ち塞がっている垣根を崩してしまわなければ、お母様に降りかかってくるので、「あらゆる重荷を私に背負わせてください」と痛哭し、そのことをしてきました。「父母様の家庭のあらゆる心配を解消してください」と言ったのです
そうして、今や恨多き犠牲の道を通じて、国家基準を越え、世界基準を越えて、統一天下に向かい、解放に向かって前進できる時代に来たのです。
この転換期に自分の責任を果たして逝き、すべての人が忠心で奉るべき資格をもったので、「大母様」としたのです。皆さんは、この方の一片丹心の心情を引き継ぎ、自分の子孫に対して、神様に侍る伝統を正しく立てなければなりません。このおばあさんは、神様に侍るために生きました。神様を皆さんの家庭に迎えるには、それ以上の一片丹心、忠情の道理を尽くさなければなりません。
一九八九年十一月四日、揮毫を「忠心奉身」としましたが、忠誠に満ちた一片丹心の心をもって、生畜の祭物になる道を歩みきったこのおばあさんのように歩むとき、迫害なく神様から福を受けることができるでしょう。
16 大母様は、生涯にわたり、ただ一つの所に向かって信仰生活をしてこられた方です。その中で私たちが特別に記憶すべきことは、新たな摂理歴史において「再臨主が人として来られる」と宣布し、新しい教団を準備したすべての役事に、最初から参加してきたということです。聖主教を中心として母の系統を引き継いだのは金聖道であり、それが一代目です。
そして、もう一つの系統が腹中教の許浩彬です。その系統で信仰の主流的歴史の伝統を引き継ぎ、来られる再臨主を迎えるために、選抜走者として走ってこられた方が大母様です。
お母様を生んで三代のエバの役事を経たのですが、お母様の時代に来て実を結ぶことができるというみ旨を暗々裏に知って、準備してきたおばあさんなのです。その間にあった苦労というものは、とても言い表すことができません。周辺にいる兄弟や親戚、仲間など、誰も理解できないこの道を独りで歩み、生食をしながら、ありとあらゆる役事を経てきたのです。
しかし、最後まで自分の中心思想を曲げずに歩んでくることによって、お母様がお父様と出会える基台を造成しました。
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