尊敬する元・現職の国家元首、世界の宗教界と各界を代表する指導者、アメリカの高名な指導者、そして紳士淑女の皆様。天が決定され、進行される摂理の時と方向をあまりにもよく知っている私は、きょうこの時点において、全世界六十億の人類に伝えてあげる天の警告的次元のメッセージを持って、この場に出てきました。
歴史上、誰も明確に知ることができなかった神様の事情と心情を、皆様に明らかにすることによって、今摂理的終末期に処している人類が果たす責任と方向性を正しく提示しようと、きょう私は「神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう」という題目でお話ししようと思います。
神様の恨と悲しみ
真の愛の本体であられる神様が、なぜ人間を創造されたのかというと、独りでいれば刺激がないからです。喜びというものは、相対関係によってわき出るものです。独りでは喜びの刺激を得ることができません。神様も愛の対象が必要なのです。独りでは愛することができません。このために人間は、神様の真の愛のパートナーである子女として創造されたのです。
このように、神様は人間の父であり、人間は神様の息子、娘です。神様の骨の中の骨、肉の中の肉、骨髄の中の骨髄のすべてを投入して創造されました。父と息子が出会うことのできる最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。神様は人間に対して、全知全能であられる御自身と同等、同位の立場に立てるようにおつくりになりました。それで、人間の本心は、最高のものを希望するのです。
創造理想完成は、どこから始まるのでしょうか。それは、神様ではなく、正に人間から始まるのです。神様の理想は神人一体なので、人間の完成がない限り、神様の完成もまたあり得ないのです。そうだとすれば、神様は、人間始祖のアダムとエバが神様に似た無限の価値的存在になることを、どれほど待ち望まれたでしょうか。ところが、アダムとエバが堕落することによって、神様は真の息子、娘をもつことができなくなりました。
したがって、真の愛を中心として血統的な関係をもつ、神様の家庭も成し遂げることができなかったのです。その代わりに、偽りの父母により、偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結ぶことによって、堕落の子孫である私たちには心と体の闘いが起きました。そして、アダムとエバは怨讐となったのであり、彼らの息子、娘たちの間には殺戮が起きました。結果的に神様は、アダムとエバを真の人類の先祖として、人類の父母として、御自身の息子、娘として向き合うことができなくなりました。神様は、二人といない息子、娘、永遠のひとり子とひとり娘を失ってしまわれたのです。
堕落と血統
堕落が男性と女性の間で起きたというのは、聖書の文字どおり、善悪の実を取って食べたことなのでしょうか。果物を取って食べたことが原罪になるのでしょうか。異性間で堕落するのは、過った愛しかありません。人間始祖が果物を取って食べたことによって、その子孫が千代、万代、罪人になることはありません。それは、血統的に罪の根を植えたので、遺伝法則によって永遠に持続されるのです。
不倫な淫行関係によって、エバは、天使長と一つになり、次に、アダムと一つになることによって、アダムとエバは、神様を中心とせずに、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭をつくるようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、結局サタンの血統を受け継ぐようになったのです。本来、創造理想の中で、愛は所有権を決定するようになっています。したがって、一旦、愛の関係を結べば、その愛を中心とした主体と対象は、互いの所有権をもつようになるのが原理です。このような原理的基準で、天使長が堕落して悪神になったサタンは、不倫の愛の因縁を通して、堕落人間に対する所有権を堂々と主張できるようになったのであり、人間の本当の父が神様でいらっしゃるのに、かえってサタンが父の振る舞いをしているのです。それで、ヨハネによる福音書第八章四十四節でイエス様は、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と叱責されたのです。
今日のキリスト教徒たちは、み座の上にいらっしゃる万軍の主は全知全能でいらっしゃるので、自由に号令され、万事思いどおりにできると思っていますが、実際の神様は恨を抱いて悲惨な立場にいらっしゃる方です。純粋な本質的愛をもった神様のみ前に理想的対象として描かれたアダムとエバが、堕落して離れていったとき、神様の心はどれほど悲しまれたことでしょうか。堕落の当事者より、そしてこの世のいかなる人よりもっと悲しまれたのです。失ってしまった内容が深ければ深いほど、そしてその価値が大きければ大きいほど、その悲惨さはより一層大きいのです。そのような神様は、失ってしまった子女を取り戻すために、今まで復帰の道をたどってこられました。
神様は、漠然とした方ではありません。具体的な人格を備えた方でいらっしゃいます。ですから、私たち人間と、最高の真の愛の関係をもとうとされるのです。しかし、最高の愛と喜びを人間と共に永遠に分かち合おうとされた神様は、その出発点を人間始祖によって失ってしまわれました。それは正にアダムとエバの堕落のためです。
本然的真の父母の位置にいらっしゃるべき神様が、父母の位置を奪われてしまったのですから、どれほど悲痛でいらっしゃったでしょうか。偽りの父母である怨讐サタンの血統を譲り受け、真の父母が分からない堕落した子女を見つめなければならない神様の心情は、どれほど痛むでしょうか。人間の悲惨な姿を、その瞬間ごとに見つめる神様の心情、父母の心情はいかばかりでしょうか。
宇宙全体とも取り替えることのできない真の愛の実体対象を失うことによって、万物万象まですべて失ってしまい、創造理想全体が崩れるような悲しみの神様になられたのです。天宙の王座を怨讐に奪われた無念な神様になられたのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理を徹底しながら真の愛を投入されたので、堕落の結果に対して、より一層切なく思わざるを得ない神様になられました。神様は、御自身の理想を強奪され、愛する息子、娘を強奪され、天宙の王権を強奪されて、なおもサタンから讒訴を受けてこられたのです。
このような嘆息の歴史は、堕落以後、世界的に訪れるものだったので、創世記によれば、神様も堕落の結果に対して嘆息されました。使徒パウロは、万物が嘆息し、私たちの先祖も嘆息し、全人類までも嘆息して、「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」(ローマ八・一九)と語っています。それは、すべてのものが嘆息圏を抜け出すことを願ったからです。
ですから、人間の創造本然の特権的価値を喪失して苦しむ無価値な人生を見つめる神様の内情的心情は、どれほど悲惨でいらっしゃるでしょうか。この人間たちは、本来は、愛と生命、そして血統を通して神様の直系の子女となり、天国の栄光を一身に受けなければならなかったのですが、敗者の仮面をかぶり、苦痛と嘆息と絶望の中で苦しんで人生の幕を閉じる立場に立っているので、それを見つめる神様は、どれほど苦しまれているでしょうか。一般的に信じられているように、全知全能で栄光のみ座に座った神様だとするならば、自分の息子、娘が死んでいくのに、神様はみ座に座ったまま、「こちらに上がってきなさい。私は席を立つことはできない!」と言われるでしょうか、それともみ座を蹴飛ばして下りていかれるでしょうか。
神様の恨と創造理想的論理
私たちは、神様が泣き叫びながら、「私の息子よ、私の娘よ!」と数万年、数百万年叫んでこられたという事実を知らなければなりません。全知全能でいらっしゃる神様が、なぜ哀れでいらっしゃるのかと反問する人もいるかもしれませんが、神様は、愛する息子、娘を失った衝撃から抜け出すことができないのです。自ら抜け出す道があったとするならば、神様は今まで長い復帰摂理歴史路程をたどりながら、苦労される必要はなかったのです。
神様はなぜ恨を抱き、サタンを直接懲罰することができないのでしょうか。堕落した世の中でも、子女が犠牲の道を行けば、そのまま放っておく父母はいません。そうだとすれば、愛の本体であられる神様は、愛の対象である人類を死ぬ立場に永遠に放っておくことはできないのです。神様が本来理想とされたその人間、その世界を回復しなければなりません。
それで神様は、救援摂理、すなわち復帰摂理を進めてこられたのです。復帰摂理の過程において、神様の苦労がどれほど大きいかということに対する理解も、とても重要です。神様は真の父母として、堕落した人間の苦痛をそのまま御自身の苦痛として感じて摂理をしてこられました。
堕落した人類の始祖は、悪魔サタンの偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎ、サタンが人類の偽りの父母、偽りの主人の振る舞いをしてきたので、救援摂理は容易ではありませんでした。ある人は、キリスト教で全知全能だという神様が、なぜ無力な神様になり、滅びつつある人類を傍観するのかと疑問をもったりもします。
しかし、人間が自ら罪を犯したので、それを解決できる解放圏に対する条件を人間自身が立てなければ、神様は人間を無条件に解放することはできないのです。それができる神様であれば、初めから人間始祖をエデンの園から追い出したりはしなかったはずです。ましてや、サタンが血統的な因縁を掲げて主人として君臨しているので、なおさら難しいのです。
創造理想の本然的基準にはあり得ないことが発生し、本然の父母の位置を奪われることによって、神様は、創造主であられるにもかかわらず、これに干渉することもできず、また全体的に責任をもつこともできない立場に立つようになったのです。
どんなに全知全能でいらっしゃる神様だとしても、堕落した人間世界とサタンに対しては、単に能力で審判してしまうことはできないのです。永遠の真の愛の対象として創造された人間であるがゆえに、一度に整理することはできず、真の愛で復帰摂理を進行してこられたのです。また、サタンから讒訴を受け、蔑視されながらも、犠牲と絶えず与える真の愛で対してこられました。
サタンは神様に、「あなたの創造理想を中心として、愛の絶対圏理想である真の単一氏族圏をつくるための愛の血統圏が、このようにみな減んで破壊状態に至ったのに、今も創造理想的論理が適用されると思われるのですか」とあざ笑ってきたのです。そのようなとき、神様は何と答えたらよいのでしょうか。どれほど呆然とすることでしょうか。それでも、神様が受難の過程を通して長い復帰摂理を進めてこられた理由は、どこにあるのでしょうか。全知全能でいらっしゃるからでしょうか。違います。愛する息子、娘を取り戻すための真の愛の理想のためです。御自身の事情は差し®いて、人間の事情を理解してあげようとされる神様なのです。ですから、悲しい人には悲しい事情をもって訪ねてこられ、無念と悔しさで胸を痛めている人には、そのような事情をもって訪ねてこられたのです。
神様の事情と心情を慰労すべき
尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様とどれほど深く事情を通じたことがありますか。神様のためにどれほど涙を流したことがありますか。神様の苦労を身代わりするために、四肢が引き裂かれる道でも訪ねていこうと身もだえしてみたことがありますか。それはできなかったのです。神様は、私たちの事情を慰労しながら訪ねてこられ、裏切った子女に対して変わることのない父母の心情で長い歳月の間、訪ねてこられたのです。
しかし、父母でいらっしゃる神様は、万民が嘆息圏を抜け出さない限り、御自身も嘆息圏から抜け出すことができません。神様はそのような立場にいらっしゃるので、私たちは、神様の事情と心情を慰労し、解放してさしあげなければなりません。それでは、何によって神様を解放してさしあげることができるのでしょうか。神様が、愛の対象である子女を失ってしまい、万民を子女として愛することのできない拘束圏にいらっしゃるので、私たちは、神様が万民を自由に愛する解放圏を、神様のみ前に取り戻してさしあげる責任があります。神様の拘束は、人間の堕落が原因だったので、人間は、堕落線を乗り越えて勝利した息子、娘となって、神様を解放してさしあげなければなりません。
歴史的に人間は、神様の心の中に途方もない苦痛があることを知らずに生きてきました。レバレンド・ムーンは、このような恨と苦痛の神様であることを悟ってから、何日も、何週間も痛哭しました。統一教会の出発には、そのような深い事情があることを皆様は知らなければなりません。
神様が、真の愛に背いて怨讐の懐に抱かれた人間に対して、「私の息子よ、私の娘よ!」と切ない思いで叫んでこられたのですが、そのような父に対して、喉がかれるほど「私のお父様!」と叫んだことがありますか。舌が渇き、息が詰まりながら切実にお父様を呼んでみたことがありますか。堕落した群れは、神様に対する何の内容も備えることができませんでした。私たちのあらゆる感情と五官の作用は、すべて世俗的なものです。本然の神様に対するものは一つもありません。公義の法では、神様に対するものは全くありませんが、ただ一つ、愛の法をもって向き合う道があるのです。
神様の解放と釈放
人間が堕落することによって、神様は自由に振る舞うことができなくなられました。したがって、人類始祖も自由にできないように拘束され、天使世界や数多くの宗教人、あらゆる人類もまた拘束圏内で生きるようになりました。
神様は拘束された方です。息子、娘を失ってしまった父母、孝子を失ってしまった父母の心を解いてさしあげるためには、本然の孝子以上に、あらゆる面でその十倍以上の誠意と努力を尽くして孝行をしたとしても、本然の心へと解放してさしあげることは簡単ではないでしょう。それでも、レバレンド・ムーンは、早くから「神様を私の手で解放してさしあげよう!」と決意して生きてきました。
宗教の真の使命とは何でしょうか。それは、愛の心情で神様を解放し、人類と霊界を解放し、そして地球星まで解放するのです。多くの人々は、神様が私たちを解放してくださるだろうと信じてきたかもしれませんが、事実は神様が心情的に拘束されていることを知って、私たちが神様を解放・釈放してさしあげなければならないのです。
このために、「人類のせいで神様が拘束を受けていらっしゃるのだ。私のせいで神様がサタンの讒訴を受けていらっしゃるのだ。私のせいでイエス様も苦難を受けられたのだ。お父様、解放の位置に移してさしあげます。イエス様も、聖霊も、解放の位置に移してさしあげます」と言うことができる、信仰と希望に飢えた人、愛に燃える人を、神様は長い間探し求めてこられました。
今までこの地には、神様が主管する、統一された神様の民と真の愛の主権を中心とする国家はありませんでした。それにもかかわらず、全能の王を賛美していたのですから、神様の心情は自由であられたでしょうか。神様のみ前に孝子がいなかったのであり、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たしながら、天国を守ることのできる真の愛の体制がなかったので、神様がお立ちになる位置がなかったのです。それで神様は、今まで囹圄(牢獄)の身で軟禁状態にとどまってこられたのです。この恨をいかにして解くのでしょうか。神様の本質的な愛の実践運動以外には方法がありません。したがって、最後の宗教は、神様が哀れで無念な方であることを詳細に教え、人間を本然の心情的な世界に連結させることができなければなりません。
私たちは今、真の愛運動を通して神様を解放・釈放してさしあげなければなりません。そうでなければ、天道が立て直されず、この地上に理想世界は訪れないのです。真の愛運動は、私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連(超宗教超国家平和協議会)」がアベル的立場であり、そして「蒙古斑同族世界平和連合」がカイン的立場で一体になり、歴史の恨を植えつけたカインとアベルの分立の歴史に終止符を打ちつつあります。
アメリカは今や、自由世界を代表する兄の位置で、神様のみ旨の完成のために先頭に立たなければなりません。そして政党間において、または人種間において、利害や打算を前面に押し出して国民を分裂させ、欺瞞に満ちた利己的で個人主義的な思考の枠組みから抜け出すべきです。そして、神様が皆様の家庭、皆様の国に臨在して暮らしたいと思われる、自由と平和が花咲く真の国家を立てなければなりません。そのために、私たちは手を取り合い、神様を解放・釈放してさしあげ、創造理想を完成した地上天国、平和王国を創建しましょう。神様の祝福が永遠にこの地に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
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