尊敬するアメリカと全世界の宗教界、政治界、言論界、そして学界の指導者の皆様。私は、きょう万感の思いでこの場に立ちました。かつて、摂理の国であるアメリカのキリスト教を覚醒させ、他宗教を糾合して世界救援の足場とする天命に従ってこの国を訪れたのですが、既に三十四年の歳月が流れました。
天命を受けてやって来たアメリカ
皆様の中には、私のアメリカ到着時の最初の警告メッセージを、今でも記憶している方がいらっしゃることと思います。レバレンド・ムーンは、この病めるアメリカを手術するために、そしてアメリカの火事を消すために、この国に訪ねてきた」と堂々と天上天下に宣布しました。
一九七〇年代初頭、摂理の国であるアメリカの二十一主要都市で「希望の日」の巡回講演を通して、私は二億七千万のアメリカ国民に大覚醒を促しました。アメリカから神様が離れていらっしゃることを警告したのです。白昼に横行する殺人と強姦、白人と黒人の人種間の紛争、青少年の堕落、極度の利己的な個人主義の拡散、共産党問題、宗教間の対立と葛藤など、これらの問題を清算し、新たに生まれ変わらなければ、この国に希望はないことを、はっきりと警告しました。
そして、このような問題の解決策は、政府や学校で見つけ出せるのではなく、まず心ある宗教指導者たちが一つになり、超宗教・超国家的に力を合わせなければならないということを叫びました。それから三十有余年が過ぎた今日のアメリカは、どのような姿になっているでしょうか。私がこれまで、アメリカをつかみ、世界平和を実現するために、どれほど多くの汗と涙を注いだかということは、神様だけが御存じです。
きょう、この場に参席された皆様が、正に私の汗と涙の結実として選ばれた方々です。しかし、アメリカには、まだ険しい道が残されています。レバレンド・ムーンは、アメリカ人ではありません。私は、既に天の指示を受け、祖国復帰のために、韓国に場所を移して天の摂理を進めています。
今、この国の将来は、皆様のような良心的な指導者の手にかかっています。どこの誰が皆様の国を救ってくれるのでしょうか。アメリカの将来に対して、夜眠ることもできずに心配し、犠牲までも甘受しようと立ち上がる政治家や思想家に、どこで出会うことができるでしょうか。ここにお集まりになった皆様以外にはいません。皆様が奮い立ち、二億七千万のアメリカ国民を導く機関車にならなければならないのです。
そのような意味で、私はきょう、「摂理史観から見た価値観的和合と超宗教・超国家圏の解放と安着」という題目で、天がこの時代に下さった新しいみ言の一端をお伝えしようと思います。どうぞ、このメッセージを胸深く刻み、今からは、この国アメリカと人類のために、皆様が行くべき方向と目的を設定する価値観として考えてくださるようにお願いします。このメッセージは、単に皆様とアメリカだけのものではなく、六十億人類、そして全霊界にまで宣布する「召命的天命」であり、選択の余地のない絶対的真理の新しいみ言です。
神様の絶対相対圏として創造された人間
皆様。神様が人間を創造された目的は何でしょうか。全知全能であられ、遍在される神様も、独りでいることを願われなかったので、まず天宙を人間のための環境創造の一環として創造され、その基盤の上に、御自身の絶対愛の対象として創造されたのが、正に人間です。神様は、その対象である人間が神様御自身よりも立派で偉大な存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも、父母は、子女たちが自分たちよりも成功し、立派になることを願うではありませんか。これはすべて、神様が祝福として下さった父母の伝統的愛なのです。子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の愛、真の生命、真の血統の結実となる真の子女を繁殖して、真の家庭において、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て喜びを感じることが、神様の創造目的だったのです。
真の愛の主人になる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にし、投入して忘れる真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様が人間を創造される時も、先に御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、その上で一〇〇パーセント投入されたのです。絶対相対圏を絶対価値圏として立てるのです。真の愛の主人は、独りで成就するのではありません。必ず対象を通して成就されるのです。
そして、この絶対的価値圏の真の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、永遠に父母が真の愛の主人になることができないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を御自身の真の子女として、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。そうして、絶対主体と絶対対象の価値観が生じて、完成するのです。
宇宙の秩序を見ると、大きいからといって無条件に小さいものを犠牲にして取り込むようにはなっていません。そのような点から見るとへレニズムに基づいた弱肉強食による「適者生存」の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる、絶対服従の対象として、主体的な真の愛の主人として完成させようとする絶対価値観を、彼らは見落としているのです。
また、真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るようになります。しかし、神様の「創造原理」は、闘争による生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で、相互授受作用をしながら、絶対価値観に向かって調和統一を追求する「原理」です。小が大のために犠牲になったとしても、それを闘争と見てはいけないということです。相互発展のための投入と見なければなりません。
個人は家庭のために、家庭は国家のために、そして国家は世界のために生き、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。このように絶対的価値圏は、先に互いが相手を真の愛の主人格として立ててあげる、そのような真の愛の完成を成就させるためのものなのです。
サタンの発悪と利己主義
したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底してその根を絶やさなければなりません。これは、堕落性の根のようなものであり、あらゆる悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義的行動や集団個人主義的行為も同様です。それは、真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲になって与える代わりに、自分のために人を犠牲にし、自分の利益ばかりを追求することは、破廉恥な行為です。それは、堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中に、巧妙に入り込んだサタンが人類に植えつけた毒きのこなのです。
一身の栄達と慰安のために、「目には美しい」からといって、一度、自由行動を取ってしまえば中毒にかかり、一生、苦労しても抜け出すことが困難な悪の計略であり、罠です。私たちの体を見ても、自由に「自分のもの」であると主張できる部分は一つもありません。
父母の愛によって生まれた私たちは、九九・九九九パーセントが母親の血と肉と骨です。残りの〇.〇〇一パーセントは、父親の精子と見なければなりません。そこで私たちが、どうして「自分のもの」と主張することができ、利己的な個人主義に対する名分を見いだすことができるでしょうか。私たちの四肢五体は、すべてが母親の延長だという事実を認めなければなりません。すなわち、私たちの体のあらゆる要素は、既に父母の精子と卵子に包含されていたのです。誰彼を問わず、例外がありません。
「前」と「後」について考えてみてください。「前」という言葉自体が、既に「後」を先有条件として認めているものであり、また「上」という言葉も、「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」と言うときは、「右」を前提として語る言葉なのです。同じ論理で、「男性」という言葉も、「女性」という存在が先にあって成立するものです。
すなわち、男性は女性ゆえに生まれたのであり、女性は男性ゆえに生まれたのです。男性がいなければ女性は必要ありません。同じ脈絡で、女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。結局、自分のためにのみ生まれたものは一つもないということです。あらゆる存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。
また、人間の五官について考えてみてください。皆様の目が、目そのものを見るために生じましたか。目、鼻、耳、口、手、すべてが相対のために生まれました。そうだとすれば、この五官を総動員して生命を維持し、活動を継続させるその力とは何でしょうか。それは、真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛の実践のために生じた必要な道具にすぎません。このように、自分のためにのみ生まれたものは一つもありません。
ですから、ために生きて徳を施し、愛で犠牲になり、服従で愛の主人を完成させる人生こそが、神様の創造理想にかなう生き方なのです。私たち人間は、相対のために創造されたので、当然、相対のために生きてあげるのが天理です。ここから真の愛の絶対価値が創出されるのです。
神様は、エデンの園に人類の始祖であるアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器を共に許諾されました。何のためだったのでしょうか。彼らが成長して完成すれば、彼らを結婚させ、罪のない真の子女を繁殖するようにして、御自身の創造理想である地上天国を、アダムの代でこの地上に完成しようとされたみ旨があったのです。
しかし、問題は、アダムとエバの堕落にありました。彼らの堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が生じてしまいました。神様の愛と生命と血統を保全して伝授すべき彼らが、反対にサタンの血統を受け、サタンの血統を伝授する存在に転落してしまったのです。したがって神様は、無価値的な存在となった彼らを、エデンの園から追い出さざるを得なくなりました。
本来、地上世界で、アダムは神様の体となり、エバは新婦にならなければならなかったのですが、堕落によって自分たちの心と体と理想が病に冒されるようになり、怨讐になってしまったのですから、そのような悲惨な状況を見つめられる神様の心情は、どれほど悲痛だったでしょうか。堕落は、自らを地獄へ葬り去る行為です。人のものをも奪っていく盗賊行為です。堕落は、フリーセックスの根となり、利己的な個人主義の祖になりました。
堕落はフリーセックスの根
今日、皆様が身を置いている周囲を一度、見回してみてください。極度の利己的な個人主義、度を越えた私生活の追求、そして、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延しています。洋の東西を問わず、家庭の尊厳性と価値を弊履のごとく投げ捨てて、肉身の享楽を追い求め、挙げ句の果てに、麻薬中毒者やエイズ患者になって、悲惨な姿で人生を終えているではありませんか。人間の本心は、極度の個人主義や肉身の快楽だけを追い求めるという、とんでもない放蕩の道は願いません。「宇宙と国家、町や近隣、そして家庭において、父母と兄弟の愛を受けながら暮らしたい」と思うのが、天が与えた本心の指向する人生です。
しかし、それとは正反対の道を突き進んでいるので、良心は燃え尽きてしまい、本心との相克を感じるようになり、かえって薬を飲んで自殺する道を選ぶ事件が日に日に増えているのが、今日の現実ではないですか。「自分のまいたものを、刈り取る」という歴史的教訓が、ぴったり一致していることを目撃するのです。
アダムとエバがエデンの園で何の種を蒔いたのでしょうか。フリーセックスの種、すなわち不倫の性関係による種を蒔きました。それで彼らは、堕落直後に下半身を覆ったのです。したがって、秋の収穫期である「終わりの日」には、青少年たちの間にフリーセックスの風潮が世界的に蔓延する現象が必ず現れるのです。サタンは、無秩序な性関係を通して、誰一人として神様のみ前に帰ることができないようにしようと発悪するようになるのです。全人類をめちゃくちゃにして、地上地獄をつくることがサタンの目的だからです。
皆様。幼い子女たちも、親がしまっておいたお菓子をつまみ食いしているところを見つかれば、手を隠し、口を隠すのが本能の作用です。もし、アダムとエバが善悪の実を取って食べたとすれば、罪を犯した手や口を隠さなければならないのに、なぜ下半身を隠したのかということです。これだけを見ても、堕落は淫乱によって行われたことを否定できないのです。血統関係による問題だけに、神様もどうすることもできない悲劇でした。
皆様。天国と地獄は、どこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、礼拝堂でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になったのです。それが、天地をひっくり返す、人類歴史上、最大の悲劇を引き起こしてしまいました。
目の見えない人のように方向を失ったまま、むやみに生殖器を使えば地獄行きであり、反対に、これを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、自動的に天国に行くのです。どこの誰がこの事実を否定できるでしょうか。
疑問が生じたのであれば、私が天理を記した『原理講論』を熟読し、それでも疑問が解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得ることができるでしょう。レバレンド・ムーンの教えを受け、今では、世界の数千、数万の若者たちが、フリーセックスを撤廃して、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のように広がっています。フリーセックスが、自己の欲望とサタンを中心とする偽りの愛である反面、絶対愛は、神様を中心とする真の愛なのです。
今までは、多くの文学作品や言論媒体が、歴史的にフリーセックスを刺激し、あおる傾向にありました。しかし、これからは、政治家、経済人、文人、言論人、宗教人、哲学者など、あらゆる分野の指導者たちが、一斉に先頭に立ち、人類の亡国の病、フリーセックスを追い出さなければなりません。
世界平和のための礎石を据えるのも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、始祖となるアダムの家庭が重要だということを銘記しなければなりません。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたことも、今や時が訪れたからです。
地獄となってしまったこの世界を、果たしてどのような方法で変えることができるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践だけが絶対価値観を取り戻す唯一の道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければなりません。
家庭の大切さと真の愛
皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは、父母の真の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目にはどんなにみすぼらしくても、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人たちによってつくられた本然の家庭になったとき、人間はもちろん、神様までも自由を感じられるのです。真の愛が欠如した自由は、決して真の自由ではありません。
私たちがある家に客として行ったとき、不自由さを感じるのは、まだその家と深い真の愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、真の愛の関係が四方性を備えていないので、ぎこちなく、不自由さを感じるのです。そうだとすれば、本然の家庭で最高最上の価値とは何でしょうか。本然の父母です。本然の父母はなぜ良いのでしょうか。永遠の真の愛の主体だからです。
真の愛を中心に、一生の間、関係を結ぶことができる最も近い位置にいらっしゃる方が、正に本然の父母です。私たち人間が生まれて、最初に喜びを与え合う相対が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。私たちがうれしいとき、一番先に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流される方が、本然の父母です。ですから、世の中では、父母のいない子を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。
そして、二番目は、愛する夫と妻が、本然の家庭において最も貴い価値のある存在になるのです。夫と妻は、条件的な愛ではなく、無条件的な本然の真の愛を与え合う夫婦でなければなりません。
たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠の次元の真の愛の関係をもって始まった愛ではないとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の真の愛になれば、その真の愛こそが、家庭に幸福と喜びをもたらす根幹になるのです。
しかし、このような理想的本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わるならば、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びになることはできません。夫婦には、必ず本然の子女がいなければならないという意味です。「夫婦二人だけで幸福に暮らそう」と考えて子女を生まなければ、人類は、二代を越えることができずに絶滅してしまうでしょう。本然の子女から戻ってくる真の愛を受けて生きることができてこそ、真の夫婦として、本然の父母の位置まで上がっていくようになるのです。
ですから、その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の真の愛なのです。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲になり、真に愛すれば、その愛は、家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての本然の真の愛になるのです。
このように、本然の家庭において三代圏を形成し、本然の父母による子女のための犠牲的な本然の真の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による本然の父母のための真の愛が完璧に具備された本然の家庭があるならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭になるのです。
世の中では、どのような人を幸福な人だと言うでしょうか。何をもって幸福の基準とするのかということです。外的にほかの人がもつことのできない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人でしょうか。皆が羨むほど、たくさんのお金をもっていれば、幸福なのでしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む位置に上がったからといって幸福なのでしょうか。
絶対に違います。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障することはできないのです。幸福を求めていく条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体になることはできないということです。結局、真の愛で一つになった本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の真の子女がいるとき、その家庭において真の幸福は始まるのです。
皆様。天国はどのような所でしょうか。神様の「創造原理」によれば、天国は、先にこの地上世界で完成されなければなりません。本来、人間は、肉身をもって地上で天国生活をし、その肉身を脱げば、自然に霊界の天国に移動して永生するように創造されたのです。
そうだとすれば、私たちが創建すべき地上天国は、どのような姿でなければならないのでしょうか。その答えは遠くにあるのではありません。本然の家庭と天国は、その形が同じなのです。基本的に、家庭には本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄弟姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的に訪れるのです。その基台の上に、真の愛と真の生命と真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです。
本然の祖父母は、本然の父母に真の愛の伝統を相続させてあげることができなければならず、本然の父母は、本然の子女に同じ真の愛の生を譲ってあげることができてこそ、真の本然の家庭であると言うことができるのです。
本然の兄弟姉妹の間においても、祖父母と父母に似て、お互いにために生きる生活を実践する真の愛の本然的関係が形成されるとき、その家庭は天国家庭になります。その中でどれか一つが欠けても、本然の家庭単位の天国は不可能です。夫婦の間で、互いを愛する以上に父母を愛することができなければならず、父母を愛する以上に祖父母を愛することによって、真の愛の価値観を中心とした伝統が立つのです。
本然の家庭が天国の典型であると述べました。したがって、本然の父母は、国家の主人のような立場に立つようになり、本然の子女は、国民のような位置に立つようになり、万物は、国土に代わる位置に立つのです。
個人完成は心と体の統一から始まる
このように、天国の起点は、個人ではなく、国家や世界でもなく、正に家庭なのです。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ったら二度とそこから出たくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思うようになる、愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う本然の故郷です。
しかし、そのような天国は、一度にできるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、棚からぼた餅式に天国が私たちの目の前に現れるわけではないのです。私たちは、まず天国家庭をつくることができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。個人完成を通して真の人格者になるためには、心と体の調和統一を完成しなければなりません。
本来、人間は、心と体が一体になり、何の相克も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体となって生きるように造られたのです。しかし、人類の始祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の相克の中でもがいて生きているのです。
歴史上、誰一人として心と体の一体を完成して生きた人はいません。人類を救おうとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げ、心と体の闘いから解放された人がいなかったのです。数えきれないほど多くの人々が、深い山中に穴蔵をつくり、一生をかけて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人はいなかったというのです。
その理由は簡単です。歴史上、今まで誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。個人的に志を立てて、修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間、進めてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで進み、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないのです。このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、正に二千年前に来られたイエス様でした。
しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、最後にはユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛せよ」と訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。
天倫の秘密を明らかにしたレバレンド・ムーン
天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今や、レバレンド・ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃるのです。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして人類の真の父母としての使命を勝利的に完遂したレバレンド・ムーンを通して、人類が個性完成を成就し、人格革命を完成し、この地上に理想天国を創建できる真の愛の絶対価値観的な真理を明らかにしているのです。
皆様。私たちの心と体を和合統一させる唯一の道は、ために生き、真の愛で投入して忘れてしまい、対象の位置で絶対服従を通して主体的愛の主人を完成させる絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために徳を施す絶対価値観的な人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的な人生を守り通すことができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。
結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だということです。したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に絶対服従する生活を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつでもどこでも軌道修正できる、水晶のように澄んだ心を維持しなさいということです。
いくら体の欲望が強くても、「原理」の教えに従って、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身も従ってこざるを得ないのです。それができなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水が流れるようにすれば、結局、澄んだ池になるのです。
これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の忠告に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。
世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になりなさいということです。自分の心と体の和合統一はもちろん、新しい天下が目の前に広がる、そのような世界を発見するようになるでしょう。
心身一体の境地に達すれば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において、初めて理解できるのです。心に尋ねると神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのかどうかを教えてくれます。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に通じ、皆様の永生問題について、徹底した準備ができる生活を送るようになるでしょう。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従
それでは、堕落の後裔となった人類が、果たしてどのような方法で、堕落性を脱ぎ、相対を通して絶対価値観を探し立て、個人、家庭、国家、世界的次元で、神様が願われた平和天国をこの地上に創建できるのでしょうか。
第一に、神様に似なければなりません。神様が宇宙万象を創造されるとき、どのようにされたのでしょうか。神様御自身が打ち立てられた創造の原則と秩序を絶対的基準で信じて、服従されたのではないでしょうか。その上に、また絶対的基準の真の愛を植えつけてくださいました。
皆様の人生も、これからこの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の三大原則に従って実践すれば、天上の五大聖人はもちろん、皆様の善の先祖たちが総動員されて、皆様の幸福を保障してくれるのです。皆様が父母のために、夫婦間が互いのために、兄弟姉妹たちが互いのために、このような絶対的基準の信仰と愛と服従を施してみてください。そこに、どうして利己的な個人主義や、享楽ばかりを追い求める非原理的な根が伸びるでしょうか。皆様が絶対的基準にさえ立つならば、天も絶対的基準で皆様を保護し、守ってくださるのです。
第二に、人類は選択の余地なく堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔であるがゆえに、皆様の個人の人生において、三大革命を完遂するという課題が残っています。蕩減革命と良心革命、心情革命のことです。「蕩減革命」とは、皆様のすべての内的・外的所有権を完全に蕩減して勝利し、その蕩減圏を超越する基準を立てるようにしなさいということです。過去において、サタンの支配圏時代だった「先天時代」に習得したすべての習慣と思考までも、果敢に振り払う革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいということです。
その基盤の上に、新しい「後天時代」を生きる座標である絶対価値観的な真の愛を実践し、永遠に神様の真の子女として生きなさいということです。さらには、皆様のすべてのもてる物や外的な所有権も、一旦天のものに帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別したあと、再び天の祝福として相続する革命的な実践過程を経なければならないのです。すなわち、二度とサタンが所有権を主張できない聖別された財産として、天の富を積んでいきなさいという意味です。
「良心革命」とは、何を意味するのでしょうか。良心の声に絶対服従するという内的な革命です。皆様の中で、今も善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑とが、絶えず葛藤を続けているという事実は否定できません。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用をはっきりと知らなければなりません。
また良心は、皆様の一挙手一投足を、さらに皆様の思いまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆様の師よりも先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。
このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様自身が呵責を受けます。皆様の霊人体にほこりがかかり、垢がつき、傷がつくのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に抱えていかなければならない、恐ろしい荷物です。したがって、革命的な次元で、自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて、神様のみ前に進むその日まで、傷がなく、澄んで、きれいな霊人体を大切にしなさいという至上命令なのです。
「心情革命」の意味は何でしょうか。神様は、人間を御自身の子女として創造されたと述べました。そうであれば、神様と皆様をつなぐひもは、何のひもでしょうか。父母と子女の間の愛であり、心情です。父子の間で心情が通じなければ、どうして父母と子女が、愛と尊敬の関係を維持できるでしょうか。
数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷になっています。このような束縛から抜け出すためには、赦し、与える真の愛の生活を、粘り強く継続していかなければなりません。そのようにして、神様の心情的な所有圏内に帰着できなければならないのです。
皆様の心情のひもが、今もサタン世界の虚栄を追い求める利己的な個人主義に縛られているならば、皆様の将来は、非常に暗澹たる絶望と嘆息の道になるのです。しかし、ために生きる人生、すなわち人のために先に譲歩し、与える、生産的な生き方をするならば、皆様の心情のひもは、神様の心情と永遠に一つになるのです。
言い換えると、偽りの父母との心情的な因縁を完全に切って、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受け、天の真の血統を確保しなさいという意味です。
第三に、皆様は毎日、瞬間ごとに皆様の生を点検しながら生きなければなりません。皆様は学生時代、試験問題を前にして、その答えが「〇」なのか「X」なのか分からず、慌てた経験があるでしょう。皆様の一生も同じです。推し量ることができないほど変化無双に展開される日常生活の中で、瞬間ごとに、皆様自ら御自身の生を「〇」と「X」の概念で分析し、点検して、採点する生活をしなければならないという意味です。その形や性格から見て、「〇」は「X」を包容し、消化することができます。しかし、「X」は「〇」を包容することができません。
皆様の答えが「〇」の時は、皆様の生は肯定的で、希望的であり、縦的に天に軸を立て、影のない「正午定着」的な生を送っている時です。ために生きる真の愛の精神で、怨讐までも赦して包容する、深く広い生です。
しかし、皆様の答えが「X」の時は、不安と焦燥、恨みや猜疑心などの否定的な要素で心がいっぱいに満ちた、恥ずかしい姿なのです。心や考えが狭く、閉鎖的で、周囲の誰も目に入らない、利己的で個人主義的な生の姿です。
したがって、皆様の選択は火を見るよりも明らかです。毎時、瞬間ごとに、「〇」をもらう生活を営まなければなりません。一カ所もゆがんだり、角ができたりしない、完全無欠の「〇」をもらわなければなりません。いつ、どこに投げても、中心と九〇度の直角を形成する「〇」の姿にならなければならないのです。
明るく燃える太陽を見上げても恥ずかしくなく、広大無辺の宇宙に対しても堂々としており、森羅万象を前にしても一点の隠すものがない、真の「〇」を探し立てる人生を送ってください。「〇」は、和合と統一と平和の象徴です。「X」が死亡を象徴するならば、「〇」は愛と生命を意味します。体と心が完全に一体になったとき、皆様の姿は「〇」として顕現するのであり、体と心が葛藤により混乱を引き起こすとき、皆様の姿は、「X」として現れるのです。
後悔のない人生を生きよう
皆様。今や人類は、神様と真の父母様に感謝と栄光をお返しすべき時を迎えました。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放・釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、永遠に感謝と賛美をお捧げしなければなりません。太初に、アダムとエバの失敗によって、罪悪と血で染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出して、天の貴い召命の前に、悲壮な覚悟で立ち上がる時が来ました。
皆様はきょう、この場になぜ来られることになったのかを、もう一度、深く考えてみてください。主催側の招請を受けて、晩餐に参加するためですか。自分の意思であろうと他人の意思であろうと皆様は、既に天の召命を受けました。この場に立ったレバレンド・ムーンが、十六歳(数え)の青年の身で、突然天命を受け、神様を解放・釈放してさしあげ、人類をサタンの束縛から救い出すための八十年の生涯を、血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様もこれからは、「超宗教超国家圏の解放と安着」の崇高なみ旨を成就するため、生命を捧げる覚悟で立ち上がらなければならないのです。
皆様。あの東の空に輝かしく昇る太陽のように、今、天運が全世界を照らしています。数千、数万年間覆っていた暗闇のとばりが、ついに晴れつつあるのです。皆様の心の中には、既に天命が根を下ろしています。避けることのできない宿命の道です。
勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる時が来ました。レバレンド・ムーンも皆様も例外なく、いつかは霊界に行くことになります。きょうお聞きになった天のみ言を深く胸に刻んでくださり、今からは、ぜひとも後悔のない人生を生きなければなりません。これが、私がアメリカを離れつつ最後に皆様にお伝えする天のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そしてこの摂理の国、アメリカに永遠に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。
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