尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある「万国平和賞」を受け、この受賞の栄誉を皆様と共に分かち合う意義深い場をもつことができ、心から感謝申し上げます。私は、この場をお借りして、「国境線撤廃と世界平和」と題し、しばらくお話しし、それをもって挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。
国境線に潜んでいる悪魔
皆様。この世界にあるすべての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に到来するでしょう。しかし、私たちが記憶しなければならないことは、国境線の主人は誰かというと神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人は悪魔サタンなのです。
国境のあるところには、必ずサタンが潜んでいることを知らなければなりません。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるのです。東洋と西洋も文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこに誰が潜んでいるかというと悪魔が潜んでいるのです。
文化の背景、伝統の背景、人種差別といった、あらゆる種類の差別をつくり、国境線をつくったのは、神様ではありません。神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち一つの世界です。そのような世界は国境のない世界です。神様には国境がないので「敵を討ちなさい!」という言葉は語ることができません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。
しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。ですから、神様の戦略戦術は「怨讐を愛しなさい!」ということなのです。「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略戦術の内容だったということを、人類歴史は知らなかったのであり、現在生きている人間たちも知らずにいます。
しかし、このように歴史が知らず、現実が知らずにいる神様の戦略戦術を、今や統一教会の教会員たちは、歴史と現実を代表して知ることができ、またそれを相続し、実践できる人になったので、自動的に平和を成し遂げる主人公になったのです。
国境撤廃運動の理由
皆様は、どのように思われますか。国境は、皆様の心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動が好まないところにも生じ、自分の言葉が好まないところにも生じるのです。私たちが五官を通して心と体が一つになることができなければ、様々な国境が生じるということです。私たちは、どれほどたくさんの国境をもって暮らしているか、考えてみなければなりません。また「怨讐を退治しなさい。国境をつくるものを処断しなさい!」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。
目も二種類からなっています。「あれも良く、これも良く、何でも見えるものは歓迎だ」と言うならば、その目には巨大な国境ができるのです。皆様が聞くことも同様です。善なる良いみ言や真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いてそこに同調するようになれば、皆様の耳にも国境が横たわるようになるのです。
統一教会では流行歌を歌うことは禁じていません。問題は、名曲を歌おうと流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるかできないかにかかっているのです。その歌を歌って国境をつくるのか、それとも国境を撤廃するのか、ということが問題であるという意味です。国境をなくして神様が喜ぶ無制限の橋を架けることができると言える人は、流行歌を作ろうと、悪い言葉を語ろうと、何をしようと、問題にならないのです。
ですから、自分のすべての五官を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して何かを残し、今生きているこの生活環境に国境があるときには、サタンの一族に属するのです。
その反対に、「どこにも国境はない!」というときには、神側になるのです。サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくす大王です。すなわち、神様は、国境が最も嫌いである大王陛下なのです。
皆様。それでは、大韓民国に休戦ラインがあるのを歓迎する人がいるとすれば、その人を神様が好まれる人でしょうか。それとは逆に、休戦ラインをなくそうという人がいるならば、その人が神様の最も好まれるチャンピオンになるのです。韓国のすべての人、すなわち七千万人が、「私は死んでも休戦ラインを残しては死なない!」という覚悟をして暮らすならば、韓国の統一は自動的にやって来るのです。
しかし、それは決して易しいことではありません。休戦ラインを好む人は、悪魔の側、サタン側であることを知らなければなりません。言い換えれば、休戦ラインがあるところにはサタンが主人となっており、休戦ラインをなくそうとするところには神様が主人となるのです。ですから、統一教会の教会員は、休戦ラインを消化し、なくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。
皆様。怨讐の一族や怨讐の国民同士で「結婚させて婿、嫁にしたい」と言う人ばかりになれば、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。
国境があるところには、必ず悪魔の一族が暮らしているのであり、国境線がなく、互いに愛し合って和やかなところには、間違いなく神様の一族、神様の血統に生まれついた血族が暮らしているのです。
イエス様が再臨される理由
今日、統一教会の人々は、趣味産業という言葉にとても多大な興味をもっています。誰もが行って暮らしたいと思う所、そのような所が趣味として願う喜望峰だとすれば、そのような所は、今後、国連を中心とした新しい超国家連合ができれば、国境地帯でもどこでも、すべて超国家主義の国連の名のもとに従属させなければなりません。このために統一教会のレバレンド・ムーンは、統一教会の教会員たちに、共に総生畜献納物を捧げましょうと言いました。そして、全体を国連超国家連合に従属させるのです。
聖書を見れば、旧約時代までに、人間の代わりに万物を供え物として裂いて血を流すようにし、「左はサタン側であり、右は神側である」というように分けておき、二つの組が奪い合う闘いを続けてきました。
新約時代においてユダヤ民族が不信することによって、サタンと神様は、昔のように供え物を分けて取り合うのではなく、今度は息子を分けて取り合う闘いをするようになったのです。その結果、神様の長子であるイエス様がこの地に来られて血を流したのであり、結局、イエス様の肉身はサタンがもっていき、イエス様の霊人体は楽園に行くことになって、二つに分けられたのです。
しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻さなければならないので、この地に再び来なければならないと言ったのです。このように、息子であるイエス様が分けられることによって、霊界と肉界がすべて分けられたので、大変なことになったというのです。男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これらをすべて統一させるために、霊界の所有権を求めていかれたイエス様は、地上の所有権を合わせ、一つにするために地上に再び来なければなりません。
地上に再びやって来て、何をしようというのでしょうか。結婚して家庭を完成しようというのです。長子として来られたイエス様を中心として、その方の肉身を占領したサタンは、地上世界を占領し、天上世界は天が占領するようになりました。
イエス様は、霊界に行かれて二千年間、精誠の条件を立てながら、天上世界、すなわちすべての心の世界の方向が一つになるようにする一方で、地上でもキリスト教を立てて役事してきました。しかし、キリスト教は、再びカインとアベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となってしまいました。サタン側と天の側に分かれて闘いました。
長子は、サタン側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず国境的な内容、つまり闘争概念を抱いて闘いながら歴史は発展してきたのです。
したがって、これを解放しなければなりません。それで、再び来られる主は、天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のようなキリスト教統一圏を中心として、ついに数千年間分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚式をするようになるのですが、これが正にキリスト教で言う「小羊の婚宴」だったのです。このように、天の国と地上のキリスト教の国が統一される時が、正に第二次世界大戦の直後でした。その時は、キリスト教文化圏が全世界を統一した立場だったのです。
それで、霊界の統一的主導権をもったイエス様が、霊界の勝利的覇権者となり、地上のキリスト教文化圏も統一される、その時が来たので、イエス様と聖霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊の新婦が一つになり、結婚式をすることによって、心と体、そして男性と女性が分かれて闘ってきたすべてを解決して、天下を平和の王国にできる絶好の機会を迎えたのです。漠然とした話ではありません。
国境線を撤廃する方案
神様の創造理想について見るとき、誰から先に結婚式をしてあげるようになっているでしょうか。アダムとエバです。しかし、人類の国境線となっている壁は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地にしなければなりませんでした。それで、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚させれば、私たちのすべての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され、踊りを踊られるでしょう。そのような世界が成し遂げられれば、それが正に地上天国になるのです。しかし、人間の歴史にはそのような日がありませんでした。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻吟し、苦痛を受けてきたのです。したがって、この国境線の打破をどのようにするかという問題に対する答えさえ見つければ、それが平和の起源になることを人類は知らずにいたのです。
人類歴史上初めてレバレンド・ムーンが真の父母の資格をもってこの地に顕現し、その打破の方法を提示して、満天下の善男善女たちを神様のみ前で祝福結婚させてきたのです。もし国境線が百万あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにして撤廃するのでしょうか。それは真の愛があるので可能なのです。そのような国境線を撤廃するためには、神様と同じように判断できなければなりません。神様を一〇〇パーセント知らなければならないということです。
皆様。霊界を見れば、地獄と天国があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜を判断できない人が天国の境界線を主管できるでしょうか。それはあり得ないことです。判断できる人だけが自動的に主管できるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗闇を撤廃できるのです。
神様は全知全能であられるので、神様と同じように判断する人は撤廃できるのです。したがって、問題は神様を知らなければならないということです。それでは、皆様は神様を知っていますか。知っているとすれば、どのくらい知っていますか。お金を好まれる神様だと思いますか。それとも権力を好まれる神様でしょうか。それとも知識しか知らない神様でしょうか。そのような神様であると理解していては、人類の解放をもたらすことはできません。
私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放できるのであり、完全に解消できるのです。神様を知ったとしても、神様の何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃できるのでしょうか。それが重要なのです。神様がこの宇宙の主人であるならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないですか。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を探し求めなければなりません。
しかし、すべての環境圏が国境で塞がれているので、その国境を撤廃することによって神様が喜ぶ世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物が神様に主管されたいと思わないでしょうか。国境線のもとで悪魔と共に呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。
天の国の伝統的思想
皆様。私たちは何よりも神様をはっきりと知り、また天の国をはっきりと知らなければなりません。そのようになれば、どこに行っても、またいかなる状況に置かれたとしても、その国の伝統とその国の文化の内容に対して、どのように対処して生きていくべきなのか、ということに対する答えが自然と出るのです。
天の国には明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界が千々万々の国境によって塞がっているのは、いかなる理由によるものでしょうか。神様を知り、天の国を知る人がなく、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも、地上世界にも、解放圏が展開します。
「おい、サタンよ!」と言えば、サタンが身動きもできずに答える、そのような位置に立つことさえできれば、誰でも天の国と神様の心に一体となる文化背景と伝統的思想をもって暮らす方法が分かるようになるのです。そのような人が正に、ために生きる真の愛をもった真の人です。
自分だけの人生のための愛を求める人ではなく、相対を愛の主人として、愛を通して相対が踊りを踊ることができるようにしてあげようという人が、神様を知り、天の国を美しく装い、保護する生活ができる後継者になるので、そのような神様の後継者をサタンは妨害できなくなるのです。
死ぬことを見て憤りを感じるのではなく、それを越えて怨讐を愛すれば、怨讐の世界を治めることができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるのです。ために生きるときに、自分の父や母や誰よりも、町内の人をこの上なく愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねてこられて千倍、万倍にして返してくださるのです。
サタンが八方に逃げていかざるを得ない秘法とは何だと言いましたか。ために生き、ために死に、ために愛そうとすれば、サタンは間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま立ち去ることはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。そうなれば、どのようになるでしょうか。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇できるという永生の道理が訪ねてくるのです。そこから初めて永生が生じるのです。
神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である、ために生きる真の愛を、千年、万年続けたいと切に思う群れになることによって、主体であられる神様をお父様と呼ぶことができ、そこにおいて永遠の血統を通して、永生の論理と永生の伝統が「私」と共に結実することは間違いのない真理なのです。
永生と愛の属性
永生というのは、本質的な愛の属性です。神様も宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従を基準として立てて創造されたのです。永遠無窮に世の中が過ぎていったとしても、私の愛はもっと大きく投入できるという、そのような心をもって生きる方が神様なので、神様を絶対、永遠、不変の主人として侍る存在にならなければなりません。
永生不滅の位置で創造された息子、娘が、そのような位置に立つならば、神様の国が私の国になり、神様が私の神様になるのです。神様と天の国の伝統的な主人の生活方法と私が一致し、神様の息子、娘であることは間違いないので、永生不滅は自動的な結論です。ですから、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という逆説は真理なのです。
皆様。神様がいくら全能の方であるとしても、今まで愛の主人になったことがあったでしょうか。真の愛というものは、一人ではできません。男性の前には女性が絶対に必要なのです。女性がいることによって、男性は女性を愛する主人の資格をもつことができるからです。これは驚くべき話です。
女性がいなければ、いくら優秀な男性であっても、男やもめの境遇を免れることはできないのです。「男やもめ」とはどういう意味でしょうか。一人で暮らす父です。ですから、かわいそうな立場です。いくら優秀だったとしても、一人で暮らすその男性は、真の愛を得ることができないのです。
神様には、真の愛、真の生命、真の血統、そして真の良心があります。でこぼこの良心ではなく、水平を描く良心があります。このようにすべてもっていますが、それらをもっていると言える価値を現すものは、何でしょうか。一人では永遠に現すことができないのです。
なぜでしょうか。男性が優れていて総理になり、大統領になって、いくら大口をたたいたとしても、結局は半分の人間であることを免れることはできません。男性も女性も同じです。間違いなく、男性は片方でしかないのです。男性はなぜ半分なのでしょうか。男性には凸だけがあり、凹がありません。しかし、完全な愛をもっためには、凹と凸の両方が必要です。それで、男性にはない凹を合わせるために、もう片方の女性が必要なのであり、女性と一つになって初めて完全な真の愛を得るようになるのです。
しかし、人間始祖の堕落を見ると、心と体が神様の血統と一つになることができず、サタンの血統に連結されてしまい、神様は、御自身の血統の三代目である孫を見ることができなかったのです。
救援摂理を通して、三代を探し出し、神様の血統を連結させて繁殖した子孫は、間違いなく神様が願い、アダムが願う息子、娘の種となり、それをどこにでも植えれば、本然の息子、娘として、父母のお乳を飲んで育ち、自動的に天国へ行くことができるようになっているのですが、堕落によって私たちの体にはサタンの血統がうごめいているのです。ですから、血統を断ち切り、十回、十二回と血を抜き取って死んでも生き返る、そのようなことをしなければならないのです。
しかし、血統が汚染されたものは、簡単には変わりません。これは大変なことです。皆様の体が、そのようになっていることを考えたことがありますか。私たちは、億千万世の怨讐の血が自分の骨と肉を包んでうごめいているという事実、肉身が心を占領し、蹂躙している凄惨な自らであることを知らなかったというその事実に、戦慄させられるのです。
このように、南北に合わせるものを、東西に合わせてしまったのが堕落です。それでは、その間違って東西に合わせてしまったものを、いかにして再び南北に正しく合わせることができるのか、ということが問題です。ここに、再び切り離して付け合わせる治療方法が、統一教会の祝福であり、本然の血統と連結させてあげる祝福結婚式なのです。
統一教会の祝福の意味
本来、アダムとエバは、堕落しなければ、間違いなく神様の愛を中心とする血統が連結された外的父母となるはずでした。内的父である神様と一体となり、絶対的な神様の真の愛と共に生きる霊的、肉的な人類の先祖となって中心の焦点に立ち、愛で一体となることのできる時間が、アダムとエバが神様を中心として一つの体となる、結婚式の初夜に迎える初愛の時間だったのです。しかし、アダムとエバの堕落によって、そのすべてを失ってしまいました。神様の立場から見れば、人間に対して夫婦の愛を植えようとしたのですが、植えることのできる場をもつことができませんでした。それで失敗した神様になってしまったのです。
神様は一人で愛することができるでしょうか。いくら素晴らしい美人でも、器量がどうであれ男性という存在がいなければならないのです。女性の心の中に愛があり、生命があり、血統があり、良心があったとしても、男性が現れなければ発動しないのです。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せずしては、血統は現れません。
また、良心が相対に立たないのです。相対が現れることによって、すなわち女性が現れることによって、初めて男性の愛と生命と血統が現れるのです。アダムとエバが十八歳になるまで待っていれば、神様の祝福を受けて正式に夫婦となっていたでしょう。そして人類の真の祖先になっていました。しかし、彼らは十六歳の時に、分別のない戯れによって堕落してしまったのです。
皆様。神様がなぜかわいそうな方であるか、お分かりになりますか。真の愛の大王陛下であられるのに、人類始祖とともに一つの体となって真の愛で愛したいと思うその位置を失ってしまったからです。一人でいくら真の愛を欽慕したとしても、男やもめの愛、寡婦の愛になってしまったのです。ですから、真の愛の心をもった相対を失ってしまった神様となってしまったので、悲しい神様なのです。
神様の家庭において理想的な相対となり、真の愛の主人の位置を、烙印(らくいん)を押して解放させる責任がアダムとエバにあったのですが、彼らはその責任を果たせませんでした。ですから、彼らの一生の願望とは何かというと、神様を真の愛の主人の位置に立たせてさしあげることでした。
統一教会の祝福は、その最初の条件が何かというと、神様の新郎、新婦の位置で、失ってしまった真の愛で愛する伝統を、自分たち夫婦によって取り戻すことです。神様の真の愛を否定しなければ、私たちは千年、万年、神様の息子、娘と血族であることは間違いありません。
誰が真の愛の主人の位置にするのか
神様が男性と女性を愛する位置、血統的関係を結ぶ真の愛の主人の位置を誰がつくるのかというと、その息子、娘以外にはいません。
息子、娘は、神様の性相が分立されて生まれた立場なので、息子、娘の価値は同等であることを知らなければなりません。神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったので、私たちの家庭に生まれた赤ん坊を通して、愛する息子の主人、娘の主人の位置を復帰するのです。
そうして、幼児時代の主人を通り、子女時代の主人、兄弟時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人になるのです。初めて孫を見ることによって、神様は主人になることができるというのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代なのですが、三代となる孫を悪魔が奪っていったので、その息子、娘を通して、神様の代わりに真の愛の主人の位置を蕩減復帰するのです。
そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定するのです。それは、アダムとエバを真の愛で愛していた位置と同じ父母の位置です。このように三代を経て初めて、子孫万代に完全な種として、神様の孫を祖父が真の愛で愛し、父が真の愛で愛するようになるのです。その孫は、二代の真の愛を受けるようになるというのです。祖父は霊的世界の代表であり、第二代のアダムは現実世界の王権の代表です。
このように、二つの国を代表した真の愛の血統を受けて生まれたので、その孫は未来における天の国の霊界と地上の王権が結実した価値をもつのです。それで初めて息子、娘の時代において地上天国を治めることができ、三世代から万世の結実となって広がっていきます。ですから、宗教が必要なく、父母の言うことだけを聞き、一つになって真の愛で愛していけば、すべての人が天国に行くようになっています。それが八段階の真の愛を中心とする創造理想的本然の形態だったのです。
これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真珠門が開かれ、地上世界の国境を超越して統一された一族として収拾され、地上の解放世界と天上の解放世界、統一の王国である地上・天上天国が開門するのです。腹中時代、幼児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、そして父母時代、祖父母時代、王時代の八段階です。神様は、その八段階の、鉄石のモデル的愛の伝統基盤をこの地に備えられなかったので恨が残ったのです。
それでは、この八段階の真の愛の主人になることができなかった悔しい恨をどのようにして解いてさしあげるのでしょうか。それは、真の父母がこのようなサタン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知って教えてあげ、空白を満たしてあげることによって、多くの穴が開いた八段階を完成させてあげるのです。血統の門を通してのみ、天国に行けるのです。
腹中時代と幼児時代にも、神様の真の愛の相対となり、約婚時代にも神様の相対となり、夫婦時代と父母時代にも、祖父母時代にも、王時代においても、神様の真の愛の相対的実権をもって完成したとすれば、その見える実体圏である半分の家庭が、見えない神様の実体圏と合わさり、心と体が一つとなった真の愛の伝統の血統を受け継ぎ、天上・地上の統一圏の世界に自動的に結束され、天国の民と天国の家庭にならざるを得ないのです。天国の解放的な息子、娘、解放的な主人になるということです。
八段階の真の愛の主人となって国境を撤廃しよう
ですから、男性と女性は、神様の形状的実体として、自負心をもって暮らさなければならないのです。そのような主人にならなければならない伝統的血統が連結されるのが夫と妻の道であり、子女の道です。そのような一族が連結され、国と天宙が連結される血統が重要であることを知らなければなりません。ですから、結婚をなぜするのかというと、半分の男性がもう片方の女性と出会うことによって、完全な真の愛を完成する一組になるためです。
神様は片方だけのものを取ることはできません。男性と女性が出会って完全に一つになるとき、神様も入り、真の愛の関係を結ぶことによって、縦的な真の愛の伝統を樹立するようになるのです。
ですから、先祖を尊重しなければなりません。その民を真の愛で愛さなければなりません。その王権を中心として国民と一つにならなければなりません。国民を忘れて暮らす王は詐欺師です。悪魔の後継者であり、国境をつくっているというのです。
今や人類は革命しなければなりません。天から真の愛の天運を受け、それを家庭に定着させ、その真の愛の絶対的な主人として神様を立てなければならないのです。
私たちは、あくまでも結果的な存在であり、その原因である神様に、絶対信仰と絶対愛と絶対服従で侍り、従っていく大革命をしなければなりません。その道を通してのみ完成があるのであって、自分が異議を提示するときには、二つの主体が生じ、破壊的な国境が生じることを知らなければなりません。
したがって、今から皆様は、愛の道において国境をつくるようなことをしてはいけません。「夫も私のことを愛しなさい。息子、娘も私だけを愛し、父を愛してはならない!」と言う人は死ななければなりません。女性は子女を抱き、本然の父の愛を受けなければならないのです。
さらに母親は、子女を育て、夫の生命の種である精子に対する真の愛の結実に報いてこそ、神様に属するようになるのです。女性ゆえに、神様の八段階の愛の門が破壊されたので、女性が何よりも精誠を尽くして男性たちを再創造し、息子、娘を再創造し、祝福を受けた家庭において、神様の八段階の愛の主人を神様のみ前に完成させなければなりません。
ですから、私たちの家庭を中心として、天下の天国の門、十二の真珠門のどこに行っても、地上・天上天国の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで歩いて回っても、誇って余りある真の愛の王座、王権を備えなければなりません。そのようにできる、神様の血統を完成させた息子、娘の資格をもつ人にならなければ、天上世界と天国の民になれないことをはっきりと知らなければなりません。
改めて申し上げますが、私たちが肝に銘じなければならない最も重要な内容は、国境撤廃です。国境撤廃にも、民族の国境撤廃、宗教の国境撤廃、人種の国境撤廃、天国と地獄の国境撤廃などがあります。また国境線を偽りの父母がつくったので、真の父母以外にはそれを撤廃する人がいないという事実です。神様もできず、サタンもできません。ただ人類の真の父母として来られたその方だけが、このことを成し遂げることができるのです。
皆様は、このような神様の真の愛で解放することを決心してお帰りになり、天の国の主人となってくださることを願います。ありがとうございました。
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