Autobiography

平和を愛する世界人として

第5章

CHAPTER 05

第五章 真の家庭が真の人間を完成する――結婚と愛

この章の目次
  1. 1. 私の妻、韓鶴子
  2. 2. この上なく善良で貴いあなた
  3. 3. 夫婦が必ず守らなければならない約束
  4. 4. 愛は与えて忘れなさい
  5. 5. 天国の礎は平和な家庭
  6. 6. 凍りついた舅の心を溶かした十年の涙
  7. 7. 結婚の真の意味
  8. 8. 真の愛は真の家庭から
  9. 9. 愛の墓を残して旅立つ人生
SECTION 01

1. 私の妻、韓鶴子

私が妻に初めて会ったとき、妻は小学校を卒業したばかりの十三歳の少女でした。教会に来るときも帰るときも、いつも同じ道を通り、一度も大声を出したことのないおとなしい少女でした。ある日、信徒の洪順愛女史がその娘と一緒に挨拶に来ました。

「何という名前か?」と聞くと、「はい、韓鶴子といいます」と、はきはきと答えました。ところがその瞬間、私は思わず「韓鶴子が大韓民国に生まれたのだなあ!」と三度も繰り返し、「神様!韓鶴子という立派な女性を韓国に送ってくださったのですね。ありがとうございます」と祈りました。それから彼女を見つめて言いました。

「韓鶴子、これからたくさん犠牲にならなければならないのだなあ」

彼女を見た瞬間、これらすべての言葉が自然と飛び出してきました。後日、洪順愛女史は、その日の私がなぜ自分の娘を見て三度も同じことを繰り返したのか、本当に不思議に思ったといいます。妻は、その日の短い出会いをよく覚えていました。私が独り言のように漏らした言葉も、すべて忘れずに胸の中にしまっていました。自分の将来のことで大きな啓示を受けたような気がして、忘れられなかったそうです。

妻の母、洪順愛女史は、篤実な長老教会の家系に生まれ、キリスト教信仰に育まれて成長しました。故郷は私と同じ定州でしたが、実際に暮らしたのは安州(平安南道)です。朝鮮戦争のときに南に下ってきたそうです。私たちの教会の信徒になってからは、春川(江原道)で献身的な信仰生活を送り、娘をとても厳しく育てました。妻が通った看護専門学校はカトリックが運営する学校でした。規律が非常に厳格で、まるで修道女のような生活だったそうです。おとなしい性格の妻は、真の信仰を懸命に求め歩いた母の元で、家と学校を行き来しながら大きくなりました。学校を除けば、私たちの教会に来ることが彼女にとっての唯一の外出でした。

当時、四十歳を目前にした私は、結婚する時が近づいていると直感していました。神様が「時が来たので結婚しなさい」と命じれば、そのとおりに従うだけでした。一九五九年十月から、池承道ハルモニ(お婆さん)が中心となって、新婦も決まっていないうちから私の婚約準備が始まりました。誰になるか分からない妻のために七年間も祈濤していたある信徒は、「先生、私は夢の中で韓鶴子嬢が先生の新婦になるのを見ました」と言いました。また池承道ハルモニは、「ああ、これは何の夢でしょう。夢の中に数十羽の鶴が現れて、手で追い払ってもしきりに飛んできて、先生を白く覆うのです。これは何かの兆候でしょうか」と夢の話をしました。

すると今度は妻の夢に私が現れて、「その日が近づいてきたので準備しなさい」と語ったというのです。夢の中で妻は、「今まで私は天の御旨どおりに生きてきました。これからも神様の御旨が何であれ、神様の僕として従います」と従順に答えたそうです。

妻が私の夢を見た数日後、私は洪順愛女史に娘を連れてくるように言いました。十三歳の少女の時に挨拶を受けて以来、公式的には初めて会う場でした。私は妻に絵を描いてみなさいと言いました。彼女は躊躇なく鉛筆をさっと動かし、描いたものを私の前に広げてみせました。とても良く描けていると思って妻の顔を見ると、恥ずかしがるその姿が本当に美しく、絵に負けないくらい心も立派でした。その日、私は妻にとても多くの質問をしました。そのたびに妻は、戸惑うこともなくはきはきと答えました。

数日後、私は再び妻を呼びました。呼ばれた理由が分からないまま私の前に立った彼女に、「あすの朝、結婚式をする」と言うと、「そうですか」と言って、それ以上何も聞かず、反対もしませんでした。反対というものを知らない女性のようでした。そのように純粋でおとなしかったのですが、神の御旨に対しては固く決心した人でした。

一九六〇年三月二十七日、私たちは婚約し、それから半月も経たない四月十一日に結婚式を挙げました。私は紗帽を、妻はチョクトゥリを被りました (紗帽とチョクトゥリは伝統的な礼装用の帽子と冠)。二十三歳も年下の新婦のきりっと結んだ口元と清楚な顔が端正に見えました。

「私との結婚が、普通の結婚とは違うことをよく知っているだろう。私たちが夫婦の因縁を結んだのは、神様から受けた使命を果たし、真の父母になるためであって、世の中の人たちのように男女の間の幸福のためではない。神様は真の家庭を通して天国をこの世に広げたいと願われている。私たちはこれから、天国の門を開く真の父母になるための厳しい道を行かなければならない。歴史が始まってからこの方、その道を行った者は誰もいないから、私たちの行くべき道がいかなるものか、私にも分からない。したがって、これから七年間、あなたにとってはとても耐えがたいことがたくさんあるだろう。私たちの行く道は他の人とは全く違うということを片時も忘れず、たとえ小さなことでも私と相談した後に行い、私が言うことにはすべて従順に従ってこなければならない」

「すでに覚悟しておりますので、何もご心配なさらないでください」

妻の表情には固い意志が見えました。妻は、結婚した翌日から耐えがたい日々を送らなければなりませんでした。最初に訪れた困難は、実家の母親に会えないことでした。妻の家系は三代続けて母一人で子供を育ててきたので、母親と娘の関係がひときわ親密だったのですが、私は妻の母に「娘に会いに訪ねてこないでください。これから三年間は私の前にも姿を見せないでください」と何度も繰り返し伝えました。妻には、母親だけでなく、親戚との関係もすべて断つように言いました。教会の母である人が、親戚とひそひそ話をしたり、私的なことに気持ちが奪われたりしたら、自分の責任を果たすことができないと考えたからです。妻の心の中には、ひとえに夫だけがいなければならなかったのです。

私は、三年間、妻を信徒の家に間借りさせました。また、教会には一日に一度しか来られないようにしました。それも、夜に来て、来るときは正門から入っても出るときは裏門から静かに出て行くように言いました。その上、私は夜通し礼拝をしたり祈祷を捧げたりするので、頻繁に妻の元に行くことができません。その間も、私をめぐるおかしな噂は途切れなく続いたので、年若い妻が耐え抜くのは容易なことではありませんでした。

結婚した頃は、すでに全国に百二十ヵ所以上の教会の基盤を築いて、かなり有名になっている時でした。教会の中でさえ私の結婚をめぐってさまざまな声があり、妻をねたみ、怨んで、あらゆることを言って騒ぎ立てました。

しかし、私が妻を間借りさせただけでなく、どこへ行くにも妻の代わりにお婆さんたちを連れて回るので、妻に対してああだこうだと言っていた声は次第に消えていきました。最初の娘が生まれた頃、産後の関節痛にかかって、暖房もない部屋でぶるぶると震えていても、夫の私が顔も出さないので、どうしてそんな冷たい仕打ちができるのかと、かえって妻をかばって心配する人が増えました。

「先生もあんまりだ。結婚したのなら夫人と一緒に暮らすべきなのに、あれは何だ。顔を見る暇もないとは」

こうして、妻の悪口を言っていた人たちがかえって妻に同情し、一人、二人と妻の味方になっていきました。

妻は若くして本当にたくさんの訓練を受けました。私と一緒に暮らす問、一時も自由にできませんでした。いつも神経をとがらせて、薄い氷の上を歩くように、「きょうは何事もないだろうか、あすは何事もないだろうか」とやきもきしながら暮らさなければなりませんでした。一言言葉を間違えただけで私から咎められることもしばしばでした。うれしくて「うれしい」と言っても難癖をつけられ、私の後ろをちょろちょろ付いてきては小言を言われました。真の母になるためには仕方のないことでしたが、妻の心の中の悲しみはさぞや大きかったことでしょう。

私はただ一言投げかけるだけですが、妻は私の一言一言に合わせて生きなければなりませんでした。その苦労たるや言葉で言い表せないものがあったにちがいありません。そうやってお互いに合わせていくのに七年もの期間が必要でした。結婚生活で最も大切なことは信仰で一つになることだという事実を、その時に再び悟りました。

SECTION 02

2. この上なく善良で貴いあなた

結婚してから、私は妻と約束をしました。

「いくら憤懣やるかたないことがあっても、信徒たちに「先生夫婦が喧嘩をした』と思わせないようにしよう。これから子供を何人生んでも、父母が喧嘩したところを見せないようにしよう。子供たちは神様だからね。子供たちはとても小さな愛の神様だ。だから、子供たちが『お母さん!』と呼ぶときは、無条件に笑って『どうしたの?』と答えなければいけない」

七年間、そのように容赦のない訓練を受けたのち、妻は初めて母らしくなりました。教会の中で、妻をめぐってなんだかんだと言っていた陰口は姿を消し、家庭にも安らかな幸福が訪れてきました。妻は十四人の子供を生みましたが、世界中を講演して回る私と一緒に家を離れているときは、毎日、子供たちに手紙やはがきを書いて送るのを欠かさないほど、子供たちを愛で包んで育てました。

二十一年間に十四人の子供を生んで育てたのですから、言うに言えない苦労があったはずですが、その素振りさえ見せませんでした。出産を控えた妻を置いて、私が海外に行ってしまったことも一度や二度ではありません。信徒たちが送ってくる手紙で、妻の生活が大変で栄養状態が心配だという内容を読んでも、どうすることもできない日もありました。それでも妻は、一度もつらいと不平を言ったことがありません。今も済まないと思うのは、一日に二、三時間しか眠らない夫に合わせるために、妻もこれまで毎日二、三時間しか眠ることができなかったことです。

妻は自分の結婚記念の指輪まで人にあげてしまうほど情け深い女性です。ぼろを着た人を見れば服を買ってあげ、おなかを空かせた人に会えばご飯を振る舞いました。家にプレゼントが届いても、開けずにそのまま人にあげてしまうこともしばしばでした。ある時、オランダを巡回している途中、ダイヤモンドの加工工場に寄る機会があり、それまで苦労をかけてきたお詫びの印に、妻にダイヤモンドの指輪を買ったことがあります。お金が少なくて大きなものは買えませんでしたが、私が見て良いと思うものを一大決心して買いました。しかし、その指輪さえ人にあげてしまいました。私が妻の指に何もないのを見て、「指輪はどこに行ったのか?」と聞くと、「どこに行くも何も、流れていきましたよ」と言うのです。

いつだったか、黙って大きな風呂敷を出して、服を包んでいる妻を見つけて、理由を尋ねました。

「それをどうするのか?」

「使うところがあります」

詳しい話はせずに風呂敷をいくつか包んでいました。後で知ったところによると、妻は国外に出ている宣教師たちに送ろうとしていたのです。「これはモンゴル行き、これはアフリカ行き、これはパラグアイ行き……」と、ふふふと笑う妻の心が本当に美しく感じられました。今でも、海外に出ている宣教師たちをあれこれと世話するのは妻の役目です。

妻は一九七九年に「国際救護親善財団(IRFF)」を作り、今もアフリカのコンゴ(旧ザイール)とセネガル、コートジボワールなどの国を回って、奉仕活動をしています。貧しい子供たちに食べ物を分け与え、体の具合が悪い人には医薬品を、ぼろを着た人には衣服を届けます。韓国でも一九九四年に「愛苑銀行」を作りました。孤児救済と無料食堂の運営、北朝鮮同胞救済などの活動を行っています。また妻は、以前から女性団体の仕事もしています。妻が責任を持つ「世界平和女性連合」は世界八十ヵ国に支部を置く団体であり、国連にも登録されたNGO(非政府組織)です。

人類の歴史において、女性はいつも抑圧される立場にいました。しかし、これから訪れる世界は、女性の母性と愛、親和力が土台となった和解と平和の世界です。女性の力が世界を救う時代が到来するのです。

しかし、今日の女性団体は、不思議にも男性に反対することが女性のパワーを示すことだと言わんばかりに、男性を目の敵にして敵対しようとばかりします。妻が責任を持って運営する女性団体では、宗教に基盤を置いて、愛で平和世界を拓いていく運動を展開しています。家庭を壊して飛び出してくる女性解放ではなく、真の家庭を守り、愛を実践する女性運動です。「女性はまず孝の心を持つ真の娘として育ち、結婚して貞節と献身で夫を支える妻となり、子供を正しく育てて社会のために奉仕する指導者となるように導く」そうした女性を社会に送り出すことが妻の夢なのです。妻が率いる女性運動は、真の家庭を作るためのものです。

私が公的な仕事で忙しい時期に、私の子供たちは一年の半分近くを父も母もいない中で生活しなければなりませんでした。子供たちは、両親のいない家で信徒たちと共同体を作って暮らします。家の中はいつも信徒たちでいっぱいでした。また、わが家の食卓はいつもお客さんが優先で、子供たちは後回しでした。このような環境のために、子供たちは普通の家庭の子供であれば感じないような孤独を嫌というほど感じて育ちました。しかし、それよりもっと厳しい困難は、父親のことで受けなければならない苦痛でした。どこに行っても「異端の教祖、文鮮明」の息子・娘として指をさされたのです。それぞれあてどなく彷徨う時期を経験しましたが、子供たちはいつも元の位置に戻ってきてくれました。親として注意深く面倒を見てやることもできなかったのですが、今ではハーバード大学の卒業生が五人もいるのですから、これ以上ありがたいことはありません。今、子供たちは、私の仕事を助けてくれるほど皆成長しました。しかし、私は依然として厳格な父です。今も変わらず、父である私以上にもっとよく天に仕え、人類のために生きる人とならなければならないと教えています。

大抵のことには動じない妻でしたが、二番目の息子、興進の死に直面した時は、大変な悲しみを乗り越えなければなりませんでした。一九八三年十二月のことです。私は妻と共に全羅南道光州で開かれた勝共決起大会に臨んでいました。興進が交通事故に遭って病院に運ばれたという国際電話を受けましたが、二日間の公式日程が残っていたため、すぐに渡米することはできませんでした。公式行事の全日程を終えた後、ニューヨークに急行しましたが、病室に横たわった興進はすでに意識がありませんでした。

坂道を加速しながら下ってきたトラックが急ブレーキを踏んで、横滑りして起きた事故でした。興進の車には親友二人が一緒に乗っていました。自分の命が危ない緊迫した状況の中でも、興進は急いでハンドルを右側に切り、自分の座る運転席がトラックとぶつかるようにして、助手席と後部座席に座った友人たちの命を救いました。事故現場の坂道に行ってみると、道路には、右側に急ハンドルを切ったタイヤの黒い跡がそのまま残っていました。

結局、興進は、年を越えた一九八四年一月二日の早朝、天の国へと旅立ちました。ちょうど一月前に十七歳の誕生日を迎えたばかりでした。育てた子供を先に送り出す妻の悲しみは筆舌に尽くしがたいものでしたが、声を出して泣くどころか涙さえ流すことができませんでした。私たちは霊魂の世界を知っています。人の霊魂は命を失ったからといって埃のように消えてしまうものではなく、霊魂の世界に行きます。しかし、愛する子供ともはやこの世で会うことも触れることもできないということは、親として耐えがたい苦痛です。思いどおりに泣くこともできなかった妻は、興進を乗せた霊枢車を何度も撫でていました。

このように大きな苦労を経験するたびに心に衝撃を受けたはずですが、妻はよく乗り越えてくれました。いくら困難で大変な状況の中でも、妻は穏やかな笑顔を忘れずに人生の峠を越えてきました。信徒たちが子供の問題で妻に相談に来ると、妻は笑顔で答えます。

「待ってあげましょう。子供たちが道に迷うのは一時のことで、いつかは過ぎ去ります。子供たちが何をしても、絶えず抱き締めるような気持ちで愛してあげながら、あとは待ちましょう。子供たちは必ず両親の愛の懐の中に戻ってきます」

私は生涯、妻に大声を出したことがありません。私の性格がもともとそうだからではなく、妻が大声を出させるようなことをしたことがないからです。私の理髪もこれまでずっと妻がやってくれました。妻の理髪の腕は世界最高です。最近は、私も随分と年を取ったせいで、妻に頼ることが多くなりました。「足の爪を切ってほしい」と言えば、妻はさっと切ってくれます。足の爪は間違いなく私の足の爪ですが、私の目にはよく見えず、妻の目のほうがよく見えるのですから、不思議なものです。年を取るほど、そのような妻がますます貴くなります。

SECTION 03

3. 夫婦が必ず守らなければならない約束

結婚した後には必ず守るべきことがあり、私は結婚する夫婦に必ず次のことを誓わせます。第一に、夫婦がお互いに信頼し愛すること、第二に、お互いの心を傷つけないこと、第三に、二世や三世の子供たちに純潔を守るよう教育すること、第四に、真の理想家庭を築くためにすべての家族が互いに激励し協助すること、等々です。婚前の純潔を守ることと結婚後に貞節を守ることは、男女を問わずとても大事です。人間らしく、正しく生きるために、また健全な家庭を守るために、私は必ずこれを教えます。

結婚とは、ただ単なる男女の出会いではありません。それは神の創造の偉業を受け継いでいく貴重な儀式です。結婚は、男性と女性が一つになり、生命を創造して真の愛を求めていく道です。結婚を通して新しい歴史が生まれます。結婚した家庭を中心に社会が形成され、国家が建設され、神の願う平和世界が築かれていきます。つまり、この世の中で神の国、天国が広がる起点となるところが家庭なのです。

ですから、夫婦は平和の中心にならなければなりません。夫婦は仲良くしなければならないし、そればかりでなく舅や姑、そして親戚に至るまで、その夫婦によって平和が生まれてこなければなりません。二人だけが愛して幸せに暮らすのではなくて、その家の家族全員がお互いに愛して暮らさなければなりません。

私は結婚した夫婦に、無条件に子供をたくさん生みなさいと言っています。子供をたくさん生んで育てることは神の祝福です。神が下さった貴い命を、人間の物差しで測ってむやみに堕胎するようなことはあってはならないことです。この世に生を享けたあらゆる命にそれぞれ神の御旨があるからです。命はすべて貴いのですから、しっかりと受け入れて守ってやらなければなりません。

結婚した夫婦がお互いを信頼して愛を積み上げていくのは当然のことです。私が夫婦に最も大切なこととして誓わせているのは第三の約束です。

「子供たちに純潔を守るよう教えること」

真に当然なこの約束が、最近の世の中ではあまりにも守るのが難しくなってしまいました。しかし、世の中が悪くなればなるほど、より徹底して守らなければならないのが純潔です。

人間も世界平和も、家庭を通して初めて完成するものです。そして、すべての人間を善なる人間にし、理想的な平和世界をつくっていくことが宗教の目的です。平和は政治家が額を集めて相談したからといってできるものではありませんし、強大な軍事力があるから平和になるともいえません。世界平和が訪れてくる出発点は、政治でも軍事でもなく家庭です。

ところで、家庭生活において最も大変なのが息子・娘をきちんと育てることです。親は愛で子供を生み育てますが、子供は父母の思いどおりには生きてくれません。加えて、現代の物質文明は青少年の純粋な心を破壊しています。美しく育つべき青少年が麻薬に溺れ、幻覚を見ながら生きています。幻覚は正気を失わせ、正気を失った子供たちは、結局、犯罪と堕落の沼地にはまってしまいます。

思い起こすと、一九七一年のアメリカは、フリーセックスの嵐が吹き荒れて、社会が言葉にならないほど混乱していました。道端には、髪を伸ばし麻薬に酔ってぐったりしているヒッピーがあふれていました。立派な教育を受けたはずの健康な青年が、そうやって一人、二人と駄目になっていきました。性的な堕落が甚だしく、一年に八百万人の性病患者が出たそうです。ところが、真に深刻な問題は、政治家や学者、牧師ら社会のリーダーとなるべき人たちが、その事実を知っていながら、見て見ぬふりをして問題を覆い隠そうとあくせくしていたことです。彼らが現実から目を背けようとしたのは、自分たちが純潔ではなかったからです。自分たちが純潔を守れないのに、子供たちにそれを守れと教育することはできません。

大人たちの不倫と性道徳の乱れは、家庭を破壊し、子供たちを駄目にしてしまいます。不倫と乱れた私生活は、子供たちの心に致命的なダメージを与えます。現代社会の人々が物質的な曲豆かさほどには幸福を享受し得ていないのは、本を正せば家庭が崩壊しているからです。家庭を救うためには、まず大人たちが襟を正してきちんと生きることです。子供を純潔に育てるのはその次の問題です。

母親とは、家庭を守る砦のような存在です。母親の犠牲と奉仕があってこそ健全な家庭、平和な家庭が正しく立つことができます。世の中がいくら変わろうともその基本は変わりません。美しい子供はそういう家庭から育ってきます。横に歩くカニが、自分の子供に向かって真っすぐ歩けと言うのは理屈に合わない話です。子供は家庭で親の姿を見て学ぶのであって、子供の教育にはそれが一番大事です。父母が正しい手本を見せなければなりません。真の家庭から真の子女が出てくるのです。真理は常に最も単純です。

子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。思春期の子供たちは皆、王子様であり王女様です。思春期はあらゆることを自己中心に考える時期なので、父母の言葉に無条件に反発するものです。そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。反対に、いくら些細なことでも、自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。秋の日、葉っぱがすっかり落ちた柿の木から、熟した柿がぼとっと落ちるのを見ただけでも、うれしくて笑います。何だか分からないのですが、自分の心に届くものがあるので喜ぶのです。なぜそうなるのかと言えば、神が人間をそのように創造したからです。神から創造された人間の本性がそうなっています。

思春期に愛の感情に包まれてしまうと、世の中を見る目が曇って判断力を失ってしまいかねません。思春期の少女と少年が会って話をすれば、胸が高鳴りますが、そのようなとき、その心を神の基準に合わせなければ必ず悪の世界に染まるようになります。体 (肉欲) を制御する手段がなくなってしまうからです。心の目と体の目が一つになって動きます。愛の鼻を持てば、それまで嫌っていたにおいも好きになり、愛の口を持てば、それまで嫌っていた味も好きになります。夜通し愛の話を聞きたくなるし、愛する人にはしきりに触れてみたいと思うようになります。

思春期になると、心と体の細胞はすべての門を開こうとし、愛を喜んで迎え入れたくなります。愛には幸福感が伴いますが、だからといって、「しめた!」とばかりに無条件にその門に駆け込むと、大変なことになってしまいます。まだ門を開いてはならないのです。門を開くには時を待たなければなりません。時が来て初めて愛の門を開くことができます。時を知り、愛と性を正しく用いることを知るべきです。父母は、思春期の子供たちにこのようなことを正確に教えなければなりません。愛は神に似ていく過程であって、世の中で蔓延しているような自分勝手に楽しむものではありません。

SECTION 04

4. 愛は与えて忘れなさい

家庭は、神が創造した最高の組織です。また、人類が互いに愛し、平和に暮らすことを学ぶ愛の学校であり、世の中に平和の王宮を建てるための訓練道場です。為に生きる夫と為に生きる妻として、そして永遠の愛の道を行くための夫婦として、その責任を学ぶところです。家庭は世界平和のためのべースキャンプなので、息子・娘が「お父さんとお母さんが喧嘩する姿を、生涯一度も見たことがない」と言うようにならなければなりません。

人生を歩んでいけば、ありとあらゆることをすべて経験するようになるものです。いくら仲の良い夫婦でも、一緒に暮らしていれば、互いに小言も言い、怒鳴ることもありますが、子供たちが入ってきたら、ぴたっと止めなければなりません。いくら腹の立つことがあっても、子供たちに接するときだけは、穏やかにしなければなりません。子供たちが、「わが家はとても和気藹々としていて、お父さんとお母さんは本当に仲が良い」と思って育つようにしなければならないのです。

父母は、子供たちにとって第二の神様です。「神様が好きか?お父さんとお母さんが好きか?」と尋ねて、「お父さんとお母さんが好きです」と答えたら、それはすなわち「神様も好きだ」という意味です。教育の最も大事な部分を担っているのが家庭です。幸福も平和も、家庭の外にはありません。家庭こそが天国です。いくら莫大なお金と名誉を持ち、世界をすべて手に入れたとしても、健全な家庭を築くことができなければ、その人は不幸です。家庭は天国の出発点だからです。夫婦が真実の愛で結ばれ、理想的な家庭が築かれたら、宇宙と直接連結されます。

ダンベリー刑務所にいたとき、面白い光景を見ました。テニスコートを造るために、毎日坂道をブルドーザーでならす作業をしていました。雨が降り出すと作業を止め、晴れの日になるとまた作業を始めるということの繰り返しで、これが数カ月続きました。しばらくの問、雨ばかりで仕事ができず、ようやく二十日目になって、再び作業するために出て行った日のことです。水草のある所に水鳥が巣を作っていました。囚人たちの運動用の歩道から数メートルも離れていない所でした。

最初は、水鳥がいることも知りませんでした。完壁といってよいほどの保護色で、水鳥の羽毛が水草そっくりに見えました。卵を産んで、初めてそこにいることが分かったのです。水鳥はしっかりしゃがみ込んだまま、黒い砂利石のような卵を抱えていました。雛が卵を割って出てくると、母鳥が餌を取ってきて雛たちの口に入れていました。ところが、餌をくわえてきた母鳥は、雛がいる巣まで絶対に一度で飛んでいきません。巣から少し離れた所に降り、そこから歩いて雛のいる所に近づいていきます。それも、毎回、違う方向から歩いていきます。雛がいる巣の位置を誰にも知られないようにする母鳥の知恵でした。

水鳥の雛たちは、母鳥が取ってきてくれる餌を食べてすくすくと育ちました。囚人たちが散歩をしていて巣のそばに近づくと、母鳥が飛んできて彼らを鋭いくちばしでつつきます。もしや自分の雛が傷つけられるのではないかと警戒するのです。

水鳥も父母の真の愛を知っていました。真の愛とは、自分の命までも捨てることができるものです。そこにはいかなる計算もありません。母鳥が命を捨ててまで雛を守ろうとするその心は、真の愛そのものです。父母はいくらつらくても愛の道を行きます。愛の前に自分の命を投げ出していくのが父母の心であり、真の愛です。

愛の本質とは何でしょうか。愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、人のために、全体のために先に与えて、為に生きることです。与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、絶えず与えるのが愛です。それは、喜んで与える愛です。母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる喜びの心情がまさにそれです。

父母は、愛する子供のために骨身を削って苦労しながらも、疲れを知りません。それくらい子供を愛するからです。本当の愛は神様から始まり、また愛は父母から来るのです。ですから、父母が「おまえたちが互いに喜ぶのは、父母の恩徳によるものだ」と言えば、子供たちは「お父さんとお母さんが私をこのように育て、このような伴侶と出会わせてくれなければ、大変なことになるところでした」と答えなければならないのです。

家庭は愛の包みだと言うこともできます。天国に行ってその包みをほどいてみれば、その中から良いお父さんとお母さんが飛び出してきます。美しい子供たちが飛び出してきます。慈愛に満ちたお祖父さんとお祖母さんが飛び出してきます。一人一人が愛の包みに包まれている所が家庭です。家庭は神の理想が実現する空間であり、神がなさることの完成した姿を見ることのできる場所です。神の御旨は、愛が実現する世界をつくることであり、家庭は神の愛が満ちあふれた所です。

家族とは、言葉にしただけで自然と口元から笑みがこぼれる存在です。家庭には、心から私のためにしてくれる真の愛が満ちあふれているからです。真の愛は、愛を与え、そして愛を与えたことさえ忘れてしまうものです。父母が子供のために生きる愛、祖父母が孫に与える愛が真の愛です。国のために命を捧げることもまた、真の愛です。

SECTION 05

5. 天国の礎は平和な家庭

西洋の人たちは、本当に孤独に生きていきます。子供たちは十八歳になれば家を離れ、クリスマスの時などにちょっと顔を見せればそれで終わりです。両親を訪ねていって安否を気遣うこともあまりありません。結婚すれば完全に独立して暮らし、一人で生活できないくらい年を取ると療養所に行きます。そんな状況なので、西洋の老人は東洋の文化を羨ましく思っています。「東洋の人たちは、お祖父さんとお祖母さんを一家の長として敬い、一緒に暮らすので、本当に見ていてよいですね。子供たちが年老いた両親を養い……。それでこそ人として生き甲斐があるというものです。療養所で横になって、子供の顔も見ることができずに、歳月が過ぎていくのも分からないまま生き長らえて何をするというのですか」と嘆く老人が一人や二人ではありません。

ところが、西洋の老人がそれほど羨む東洋的な家庭観がだんだんと崩れていっています。いつからか始まった西洋ブームのために、数千年続いてきた私たちの伝統を自ら投げ捨てたのです。私たちの服を捨て、私たちの食べ物を捨て、私たちの家庭を捨てました。年末になると、隣人助け合い運動の放送番組では、毎年増えていく独り暮らしの老人の人数が発表されます。そのようなニュースを見るたびに、残念な気持ちを抑えることができません。家庭は家族が一緒に集まって暮らす所です。家族がばらばらに別れて一人になってしまえば、それはすでに家族ではありません。大家族制度は韓国の美しい文化です。

私は、三代が一緒に暮らす家庭を勧めています。韓国の伝統を守るためだけではありません。夫婦が結婚して貴い子供を生めば、親は子供にすべての物を譲りますが、譲れるものには限界があります。父母は現在を、子供は未来を象徴します。祖父母は過去の歴史を代表します。したがって、祖父母と父母と子供が一緒に暮らしてこそ、子供は過去と現在の両方の運勢をすべて譲り受けることができるのです。祖父母を愛し、尊敬することは、過去の歴史を受け継いで、過去の世界を学ぶことです。子供は父母から現在を生きる貴い知恵を学び、父母は子供を愛して未来に備えるのです。

お祖父さんは神様の代身の立場です。いくら賢い青年でも、広い世の中の秘密をすべて知ることはできません。人が年を取って自然に悟るようになるあらゆる人生の秘密を、若い人はまだ知りません。お祖父さんが家庭の歴史になる理由がまさにここにあります。お祖父さんは、長きにわたって自ら経験して悟った生きた知恵を、孫に伝達する貴い師です。

世の中で最も年を取ったお祖父さんはまさしく神様の立場です。ですから、お祖父さんの愛を受け、またお祖父さんのために生きる人生は、神の愛を悟って、神のために生きる人生ということができます。このような伝統を守ってこそ、神の国の秘密倉庫の扉を開けて、愛の宝をもらうことができるのです。年を取った人を無視することは、その国の国民性を捨てることであり、民族の根を無視することと同じです。

秋になれば、栗の木はだんだんと水分がなくなり、葉が落ちます。栗の毬も殻が剥がれ、栗の実を包んだ内皮も乾いてしまいます。これがほかでもない生命の循環です。人もこれと同じで、赤ん坊として生まれ、父母の愛を受けて育ち、良い配偶者と出会って結婚します。これらすべてが愛によってなされる生命の輪です。そして、年を取れば、乾いた栗の毬のようになっていきます。私たち全員が同じです。老人は他にいるのではなく、年を取れば私たち全員が老人になります。それを考えたら、いくらもうろくした老人だとしても、いい加減に接してはいけません。

「家和して万事成る」という言葉を覚えておくべきです。家庭が平和であれば、すべてのことがうまくいくという意味です。平和な家庭は天国の基礎であり、家庭の原動力は愛です。家庭を愛するように宇宙を愛すれば、どこへ行っても歓迎されるようになります。神様は、宇宙全体の父母として愛の真ん中にいらっしゃるのです。したがって、愛にあふれた家庭は、神様にまで一潟千里で通じるようになります。家庭が愛によって完成してこそ宇宙が完成するのです。

SECTION 06

6. 凍りついた舅の心を溶かした十年の涙

「日本人の嫁が密陽の孝婦(孝行心の厚い嫁)になった」という記事が、韓国のさまざまな日刊紙に一斉に載ったことがありました。宗教団体の紹介で家族の反対を押し切って韓国に嫁いできた日本人の嫁が、体の不自由な姑と年老いた舅を真心を込めて奉養し、周囲の人たちの推薦で親孝行賞(慶尚南道密陽市)を受けたという内容です。彼女は結婚した翌日から、身体障害二級で下半身不随の姑を背負って病院を転々としながら看病を始めました。舅と姑の世話をするために一度も心置きなく帰国できなかった彼女は、当然の責務を果たしただけだと、親孝行賞をもらったことに対してかえって心苦しく思ったそうです。

その日本人の嫁は、私たちの教会の「交叉祝福」を通して韓国に来た八島和子です。交叉祝福とは、宗教、国家、人種を超越して、男女が結婚で結ばれることを意味します。農村に行けば、結婚できない青年たちがあふれています。交叉祝福で韓国の農村の青年たちと結婚した新婦たちは、どのような条件も付けずに韓国に来て夫に会い、家庭を築いて暮らしています。また、病気の舅や姑を助け、挫折していた夫を励まし、子供を生んで育てます。彼女たちは、韓国人が暮らすのが大変だからと離れてしまった農村を守り、生き返らせています。どれほどありがたく、貴いことでしょうか。このように高貴なことが、すでに三十年以上続いてきました。

今まで交叉祝福を通して韓国に定着した外国の女性たちは、数千人を超えます。若者たちが皆出て行って、これまで赤ん坊の泣き声を聞くことができなかった村の年寄りたちは、彼女たちが生んだ子供を自分の孫が生まれたかのように喜んで迎えます。忠清道のある地域の小学校は、全校生徒八十人中、半分以上が交叉祝福で結ばれた私たちの教会の信徒の二世だそうです。その学校の校長は、これ以上生徒の人数が減れば学校を閉鎖しなければならないと、私たちの教会の信徒たちが他の地域に引っ越していかないように毎日祈っています。今、韓国では、交叉祝福で生まれた子供たち二万人以上が初等教育を受けています。

最近も、八月十五日の光復節になると、「日本人が犯した罪を謝罪します」と言って頭を下げる、特別な日本人の姿がテレビニュースに登場します。自分が直接犯した罪ではないのに、先祖が犯した罪を代わりに謝罪するのです。彼らもやはり、十中八九、交叉祝福を通して国家間の障壁を崩した私たちの教会の信徒です。彼らのおかげで、日本を怨讐 (深い怨みのあるかたき、敵) のように思っていた私たちの心の壁を大きく崩すことができました。

私によく従ってきたとても英明な青年がいました。結婚の時が来て、一九八八年に配偶者を求めたところ、相手は日本の女性でした。青年の父親は「よりによって日本人を嫁に迎えなければならないとは……」と言葉を失ったそうです。彼は、日本の統治時代に徴用で連れていかれ、岩手の炭鉱で強制労働に従事した人でした。仕事がとてもつらく、死を覚悟して炭鉱を脱出した彼は、下関まで数十日かけて歩いていき、釜山行きの船に乗ってようやく故国に戻ってきました。ですから、日本に対する憎悪は天にも届くかと思われるほどでした。

「このとんでもない親不孝者め!わが家の族譜からすぐに抜いてしまおう。わが家には一歩たりとも怨讐の国の女を入れることはできない。すぐに連れて消えてしまえ!おまえとは意見が合わん。家を出ようが死のうが、おまえの勝手にしろ!」

父親の態度は強硬でした。しかし、青年は自らの意志を貫き、日本人女性と結婚した後、楽安 (全羅南道) にある故郷の家に新婦を連れていきました。父親は門も開けてくれませんでした。渋々二人の結婚を受け入れた後も、嫁に対するいじめは続きました。嫁がつらそうにしていると、「おまえたちが私にしたことに比べれば、このくらいは何でもない。こうなることも分からずに、この家に嫁に来たのか」と叱責しました。

また、舅は、名節 (正月や秋夕など韓国の伝統的な祝日のこと) で家族が集まるたびに、日本の嫁をそばに座らせて、岩手炭鉱時代の話を繰り返し聞かせました。そのたびに嫁は、「お父さん。私が日本の代わりに謝罪します。申し訳ありませんでした」と涙を流して許しを請いました。日本の嫁は、舅の心の怨みがなくなるまで、幾度となく繰り返される話を最後まで聞いて、何度も頭を下げました。

そうやって十年くらい経って、ようやく舅は嫁に対するいじめを止めました。怨讐に対するような冷たい態度が消え、嫁をかわいがるようになったので、驚いた家族が尋ねました。

「最近、嫁のことをどうしてあんなにかわいがるのですか。日本の女性なのに憎くないのですか」

「もう憎くはない。心の中に積もり積もった怨みはすべてなくなった。これまでだって嫁を憎んでいたわけではないのだ。徴用された時の怨みを嫁にぶつけていただけだ。この子のおかげで私の怨みがすべて解けた。これからは、私の嫁だからかわいがらなくては」

日本人が犯した罪を日本女性の嫁が代わりに償ったのです。人類が平和世界に向かう贖罪の道とはこのようなものです。

SECTION 07

7. 結婚の真の意味

理想的な平和世界を成し遂げようとするとき、交叉祝福より早い道はありません。他の方法では時間がどのくらいかかるか計算もできないことが、交叉祝福によって、二、三世代経てば奇跡のように成し遂げられます。ですから、平和世界が少しでも早く訪れるよう、国境を超えてお互いに怨讐と思っている国の人どうしで結婚しなければなりません。結婚する前は「あの国の人は見るのも嫌だ1」と言いますが、その国の人が夫になり妻になれば、半分はもうその国の人になって、あらゆる憎しみが、雪が解けるように消えていきます。そのように二代、三代とそれを維持していけば、憎しみは完全に、根こそぎなくなります。

交叉祝福は、国家を超えた結婚ばかりを言うのではありません。宗派が異なる人たちを結婚させることも、国境を崩すことと同じくらい重要なことです。実際、国境を超えることよりもさらに難しいのが異なる宗派間の結婚です。しかし、紛争を抱えた宗派どうしも、結婚をすれば、宗派を超えて融和するようになります。交叉祝福で結婚すれば、お互いにそれまで生きてきた文化が違うと門に固く鑑をかけるようなことはしません。白人と黒人が結婚し、日本人が韓国人と結婚し、またアフリカ人とも結婚します。そうやって交叉祝福で結婚する人数が百万を超え、一千万を超えて、広がっていくのです。交叉祝福を通して完全に新しい血統が生まれています。白人と黄色人と黒人を超える完全に新しい人間が誕生するのです。

若者たちに結婚の神聖な意味と価値を教えることは、何よりも大切です。今韓国は、世界で最も出生率が低い国の一つです。子供を生まないのは危険なことです。子孫が途絶えた国には未来がありません。私は若者たちに、純潔な青少年期を経て神の祝福を受ける結婚をした後に、子供を最小限三人以上は生んで育てなさいと教えています。子供は神様が下さる祝福です。子供を生み育てることは、天の国の市民を育てることです。ですから、若い時期に性的に乱れた生活をしながら自分勝手に堕胎するのは大きな罪です。

結婚は、私のためではなく相手のためにするものです。結婚するとき、立派な人やきれいな人ばかりを追い求めるのは間違った考えです。人間は、人のために生きなければなりません。結婚するときも、その原則を忘れてはいけません。いくら愚かな人でも、美人よりもっと愛そうという心で結婚しなければなりません。福の中で最も貴い福は神の愛です。結婚は、その福を受けて実践することです。その貴い御旨を理解して、真の愛の中で結婚生活をし、真の家庭を築かなければなりません。

世界平和は、その言葉どおりに雄大なものではありません。家庭が平和であってこそ社会が平和になり、国家間の葛藤が消え、それがあってこそ世界平和への道が開かれます。ですから、完全な家庭こそが重要であり、家庭の責任はそのくらい大きいのです。「私さえ幸せに暮らせばよい、私の家庭さえ守ればよい」という言葉は、私の辞書にはありません。

結婚は二人がするものですが、実際には二つの家系が因縁を結ぶことであり、さらには、二つの氏族、二つの国が融和することです。異なる相手の文化を受け入れ、歴史の中で生じた怨恨を克服して一つになっていきます。韓国人が日本人と結婚すれば、韓国と日本が融和するのであり、白人と黒人が結婚すれば、白人種と黒人種が融和するのです。また、彼らが生む子供たちは、二つの民族の血を同時に受け継いだ融和の人間であり、白人と黒人を超える新しい人種の出発点になります。このようにして数世代が経てば、国家や人種間の分裂や反目がなくなり、全人類が一つの家族となって、平和な世界をつくることができるのです。

韓国でも、最近になって外国人との結婚が増え、国籍と宗教が異なる人たちが出会い、家庭を築くことが増えてきました。新しい言葉で「多文化家庭」と呼ばれています。互いに異なる環境で成長した男女が家庭を持ち、仲良く暮らすことは、それほど簡単ではありません。さらに、韓国のような単一文化圏で国際結婚した夫婦が幸せに暮らすためには、お互いを理解し大切にする努力がより多く必要になります。交叉祝福で結婚した私たちの信徒が、異文化の配偶者と愛を分かち合い、結婚生活を成功させることができるのは、神様を中心に結ばれたからです。

多文化家庭がきちんと定着できるよう、地域の社会団体では、韓国語も教え、私たちの文化を紹介するプログラムも運営しています。しかし、結婚に対する考えが変わらない限り、そのような努力は何の役にも立ちません。「私がなぜこの男性と結婚したのか。この男性と結婚していなければ、私の人生はもっと良かったのに……」という心を持っていたら、結婚生活は地獄と同じです。韓国語と韓国文化を教えることよりも先にやるべきは、結婚を正しく理解することです。

結婚は、ただ婚期が来た男女が出会って一緒に暮らすことではありません。結婚は犠牲の上に成り立ちます。男性は女性のために生き、女性は男性のために生きなければなりません。私の利己心がすべて消えるときまで、絶えず相手のために生きなければなりません。そのように犠牲になる心が愛です。女性と男性が出会って、楽しくて良いものが愛ではなく、命を捧げることが愛です。そのような覚悟をした後に結婚しなければならないのです。

SECTION 08

8. 真の愛は真の家庭から

男女がいくら愛し合っても、幸福な家庭を完成させるには、必ず家庭の囲いとなる父母がいて、大切にする子供がいなければなりません。家族という囲いがしっかりしているとき、その家庭は初めて幸福になります。いくら大きな社会的成功を収めたとしても、家族の囲いが崩れてしまえば不幸になってしまいます。

愛の土台となるのは、お互いがお互いのためにすべてのものを捧げる犠牲の心です。父母の愛が真の愛であるのは、持っているものをすべて与えても、もっと与えたいと思う愛だからです。子供を愛する父母は、与えたことを覚えていません。「おまえには、何月何日にゴム靴を買ってやり、服も買ってやった。おまえのためにこれまでさんざん苦労したが、その代価はいくらだ」と帳簿に書いておく父母は一人もいません。かえって、自分が持っているものをすべて与えても、「これ以上与えることができなくて本当に済まない」と言うのが父母です。

幼い頃、養蜂をしていた父に付いて回り、ミツバチが遊ぶ様子をたくさん見ました。花畑を飛び回っていたミツバチが蜜の匂いを嗅ぐと、花びらにしっかりと足をつけ、尻尾を後にしたまま口を雄しべと雌しべに差して蜜を吸います。その時、ミツバチに近づいて、尻尾をつまんで引き抜いても蜜から離れません。命がけで蜜を守るのです。

家庭を持って暮らす父母の愛はまさにこのミツバチと同じです。自分の命が尽きても、子供に対する愛の紐を放しません。子供のために命を捨て、さらには命を捨てたことさえ忘れるのが父母の真の愛です。いくら道が遠く険しくても、父母は喜んでその道を行きます。父母の愛は、世の中で最も偉大な愛です。

いくら良い家で山海の珍味を食べて暮らしても、父母がいなければ心ががらんと空いてしまいます。父母の愛を受けられずに育った人の心の中には、他のどんなものでも満たすことのできない孤独と寂しさが隠れています。家庭は父母の真の愛を受けて愛を学ぶ所です。幼少期に愛されなかった子供たちは、生涯愛に飢え、情緒的な苦痛を受けるだけでなく、家庭や社会のために当然すべきことがあるという高い道徳的な義務を学ぶ機会を失ってしまいます。その意味で、真の愛は、家庭以外の他の場所では決して学ぶことができない価値だといえます。

真の家庭は、夫と妻、父母と子女、兄弟姉妹がお互いに為に生きて愛する所です。さらには、夫は妻を神様のように愛し、妻は夫を神様のように尊敬する所です。夫は父の代身であり兄の代身なので、血のつながった父を捨てることができず、また兄を捨てることができないように、夫を捨てることはできないのです。妻もやはり同じです。ですから、「離婚」という言葉はあり得ません。このようにお互いを絶対的な存在として暮らす所が、真実の愛にあふれた真の家庭です。

お互いに異なる人種と文化的背景を持つ夫婦だとしても、神様の愛を受けて家庭を持ったのなら、彼らの間に生まれた子供たちの間で文化的葛藤というものはあり得ません。その子供たちは、父母を愛する心で母の国と父の国の文化と伝統をすべて愛して大切にするのです。したがって、多文化家庭の葛藤の解決は、どのような知識を教えるかではなく、その父母が真の愛で子供を愛するかどうかにかかっています。父母の愛は、子供の肉と骨の中に露のように入り込んで、母の国と父の国を一つのものとして受け入れさせ、子供が立派な世界人として育つようにする肥料となります。

家庭というのは、人類愛を学び教える学校です。父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。また、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。

家庭が大切なのは、もう一つ理由があります。家庭は世界に拡大するからです。真の家庭は、真の社会、真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。しかし、単純に自分の子供にばかり食べさせようと働くのではありません。あふれるほど愛を受けた人は、人のために、神様のために働くことができます。

家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。家庭は、家族を包む囲いであって、愛を閉じ込める所ではありません。かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れていかなければなりません。いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。神様から受けたものだからです。神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、いや掘れば掘るほどもっと澄んだ泉があふれ出てくる、そのような愛です。その愛を受けて育った人は、誰でも真の人生を生きることができるのです。

SECTION 09

9. 愛の墓を残して旅立つ人生

真の人生は、個人の私的な欲心を捨てて、公益のために生きる人生です。これは孔子やイエス、釈迦やムハンマドなど、世界的な宗教指導者であれば誰もが語る、古今東西の真理です。この真理は、誰もが知っていて、あまりにもありふれているので、かえってその価値を見失いがちです。しかし、いくら歳月が過ぎ、世の中が変わっても、この真理だけは変わりません。世界がいくら急速に変わったとしても、人が生きていく本質は変わることがないからです。

自分の最も親しい先生は自分の良心です。最も親しい友人よりも貴く、父母よりも貴いものが自分の良心です。ですから、一生を生きていきながら、最も親しい先生であるこの「良心」に、「私は今、正しく生きているか?」といつも尋ねなければなりません。良心が自分の主人だという事実を悟り、心を磨き、生涯親しく過ごしてみれば、誰もが良心の声を聞くことができます。良心が涙をぽろぽろ流して泣く声を聞いたら、その時にしていることはすぐ止めなければなりません。良心を苦しめることは、自らを滅ぼすことだからです。良心を悲しませることは、結局、自らを悲しみに陥れることです。

心を明るくし、清めようとすれば、世の中と離れて、私と私の心、この二つだけが対面する時間が必ず必要です。とても孤独な時間ではありますが、心と親しくなる瞬間こそ、私自身が心の主人になる祈りの場であり、瞑想の時間です。周囲の騒々しさを退けて、心を静めていけば、心の中の最も深い所が見えてきます。心が落ち着くその深い場所まで降りていくためには、多くの時間と労力を注がなければなりません。一日でできることはありません。

愛が自分のためのものではないように、幸福と平和も自分のためのものではありません。相手のいない愛がないように、相手のいない理想と幸福、平和もありません。これらすべては、人との関係から始まるものです。一人で愛してできることは何もなく、一人で立派な理想を夢見て成し遂げられるものは何もありません。一人では、幸福になることも、平和を語ることもできません。必ず相手がいなければならないということは、私よりもその相手がより大切だという意味です。

幼い子供を背負った母親が、人々が行き交う地下鉄の入り口にしゃがみこんで海苔巻を売る姿を見たことがあるでしょう。朝の出勤時間に合わせて海苔巻を売ろうと、その母親は夜中までかかって海苔巻を作り、だだをこねる赤ん坊まで背負って出てきました。通り過ぎる人々は何気なく、「ああ、あの赤ん坊さえいなければ楽に暮らせるのに……」と言いますが、実際には、その母親は赤ん坊のために生きているのです。母親の背中でだだをこねる赤ん坊が、その母にとって生命線なのです。

「人生八十年」と言います。喜怒哀楽が入り乱れる八十年という歳月は、本当に長く見えますが、その中で、眠る時間、生活の資を得る時間、遊ぶ時間、諸々の雑事に追われる時間などを除外すれば、わずか七年しか残らないといいます。私たちがこの世に生まれて八十年を生きても、本当に自分自身のために使える時間はわずか七年だけです。

人生はゴム紐と同じです。誰にも等しく与えられた七年が、ある人には七日だけ使われ、ある人には七十年分にも使われることがあります。時間はもともと空いていて、私たちがその中を満たしていくのです。人生も同じです。生きていれば、誰でも安らかな寝床と裕福な食卓を願わない人はいないと思いますが、食べることや眠ることは、それだけでは時間を浪費しているにすぎません。自分の命が尽きて体が地の中に埋められる瞬間、生涯の富と栄華は一度に泡となって消えてしまいます。その人が自分の自由に使った七年の時間だけが残り、後代の人たちに記憶されます。その七年の歳月だけが、八十年の生涯を生きて自分がこの世に残す痕跡なのです。

人が生まれて死ぬことは、自分の意志によるものではありません。人は、自分の運命に対して何も選択することができません。生まれても自分が生まれようとして生まれたのではなく、生きていても自分の思いどおりに生きることができるわけでもなく、死ぬとしても自分が死のうと思って死ぬのではありません。このように、人生において何の権限もないのに、自分は優れていると誇れるものがあるでしょうか。自分自身が生まれたいと思っても生まれることもできず、自分だけの何かを最後まで持つこともできず、死の道を避けることもできない人生ですから、誇ってみても侘しいだけです。

人よりも高い位置に上がったとしても、一瞬の栄華にすぎず、人よりもたくさんの財物を集めたとしても、死の門の前では一切合財捨てて行かなければなりません。お金や名誉や学識、そのすべてが時と共に流れていってしまい、歳月が過ぎればすべてなくなってしまいます。いくら立派で偉大な人だとしても、命が尽きた瞬間に終わってしまう哀れな命にすぎません。自分とは何か、自分がなぜ生きなければならないのかを、いくら考えても分からないのが人間です。したがって、自分が生まれた動機と目的が自分によるものではないように、自分が生きるべき目的も、やはり自分のためではないことを悟らなければなりません。

ですから、人生いかに生きるべきか、ということに対する答えは簡単です。愛によって生まれたのですから、愛の道を求めて生きなければなりません。父母の果てしなく深い愛を受けて生まれた命なので、生涯その愛を返して生きなければならないのです。それこそが、私たちが人生において自らの意志で選択できる唯一の価値です。私たちに与えられた七年という時間の中に、どれほど多くの愛を満たしたか、ここに人生の勝敗がかかっています。

誰でも一度は肉身という服を脱いで死にます。韓国語では、死ぬことは「トラガダ」と言います。「トラガダ」という言葉は、もともと出発した所、すなわち根本に再び戻るという意味です。私たちが生きているこの宇宙のすべての活動は循環しています。山に積もった白い雪が解け、渓谷を流れ下って川の流れとなり、海へと流れ出ていきます。海に流れ込んでいった白い雪は、暖かい太陽の光を浴びて水蒸気となり、再び空に昇って雪や雨の滴になる準備をします。そのように、本来いた所に帰るのが死です。人が死んで帰る所はどこでしょうか。心と体から成る人の命から体を脱ぎ捨てるのが死なので、本来、心がいた所に帰るのです。

死を語らないまま生を語ることはできません。生の意味を知るためにも、私たちは死とは何かを正確に知らなければなりません。どのような生が本当に価値あるものなのかということは、今すぐにでも死ぬかもしれない窮地に追い込まれ、一日でも長く生きようと天にすがりついて泣き喚く、そのような人こそが知り得るものです。それほど貴い一日一日を、私たちはどのように生きればよいのでしょうか。誰もが渡っていかなければならない死の境界を越える前に、必ず成し遂げておくべきことは何でしょうか。

最も大切なことは、罪を犯さず、影のない人生を生きることです。何が罪なのかという問題は、宗教的に、また哲学的に多くの論争の種になりますが、はっきりしていることは良心が躊躇することをしてはならないという事実です。良心に引っ掛かることをすれば、必ず心に影が残るのです。

その次に大切なことは、人よりもっと多くの仕事をすることです。人に与えられた人生が六十年であれ七十年であれ、時間が限られていることに変わりはありません。その時間をどのように使うかによって、普通の人の二倍にも三倍にもなる豊かな人生を生きることができます。時間を必要度に応じて細かく刻み、一瞬でも無駄に使わずに一生懸命働けば、その人生は本当に貴いものになります。人が一本の木を植えるとき、自分は二本、三本の木を植えるのだ、という勤勉で誠実な姿勢を持って生きるべきです。自分のためにそのように生きよと言うのではありません。自分よりも人のために、自分の家庭よりも隣人のために、自分の国よりも世界のために生きなければなりません。世の中の大概の罪は、「個人」を優先するときに生じます。個人の欲心、個人の欲望が隣人に被害を与え、社会を滅ぼすのです。

世の中のあらゆるものは通り過ぎていってしまいます。愛する父母、愛する夫と妻、愛する子供も通り過ぎていってしまい、人生の最後に残るのは死だけです。人が死ねば墓だけが残ります。その墓の中に何を入れれば価値のある人生を生きたと言えるのでしょうか。生涯かけて集めた財産や社会的な地位は、すでに通り過ぎてしまった後です。死の川を渡っていけば、そのようなものは何の意味もありません。愛の中に生まれ、愛の人生を生きたのですから、生を終える墓の中に残るものも愛だけです。愛によって生まれた命が、愛を分かち合って生き、愛の中に帰っていくのが私たちの人生なので、私たちは皆、愛の墓を残して旅立つ人生を生きなければなりません。

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