平和経

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目次
  1. 第一篇 1 神様と人間のための理想世界
  2. 第一篇 2 人間に対する神様の希望
  3. 第一篇 3 ために生きる世界
  4. 第一篇 4 人類の新しい未来
  5. 第一篇 5 ために生きる生涯
  6. 第一篇 6 真の平和の根本原理
  7. 第一篇 7 真の平和世界
  8. 第一篇 8 救援摂理史の原理観
  9. 第一篇 9 神様の祖国光復
  10. 第一篇 10 神様と人類が求めていく平和の国と世界
  11. 第一篇 11 あふれる感謝と愛を込めて
  12. 第一篇 12 平和の根源は神様
  13. 第一篇 13 神様の祖国と一つの世界
  14. 第一篇 14 神様と平和統一世界
  15. 第一篇 15 神様の祖国と平和王国時代
  16. 第一篇 16 ために生きる生活で平和世界を創建しよう
  17. 第二篇 1 統一教会の創立意義と背景
  18. 第二篇 2 宇宙の公道を学ぶ会合となることを
  19. 第二篇 3 宇宙の根本を求めて
  20. 第二篇 4 天宙は私の故郷と祖国
  21. 第二篇 5 真の王の基
  22. 第二篇 6 神様の真の愛と天地人関係の回復
  23. 第二篇 7 平和世界実現のために
  24. 第二篇 8 神様の祖国と平和王国
  25. 第二篇 9 神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年
  26. 第二篇 10 神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で
  27. 第二篇 11 摂理史的終末期と私たちの使命
  28. 第二篇 12 本然の創造理想圏とカイン・アベル圏復帰完成完結
  29. 第二篇 13 真の神様の祖国光復
  30. 第二篇 14 本然の真の愛理想の王権を、私から天宙まで
  31. 第二篇 15 家庭盟誓の価値とその意義
  32. 第二篇 16 中断のない前進
  33. 第三篇 1 お一人の神様と一つの世界宗教
  34. 第三篇 2 キリスト教の新しい未来
  35. 第三篇 3 今日の知識人と宗教
  36. 第三篇 4 アメリカと宗教の自由
  37. 第三篇 5 世界平和のために宗教間で和睦しよう
  38. 第三篇 6 統一運動に参与することを期待します
  39. 第三篇 7 神様のみ旨
  40. 第三篇 8 対話と連合
  41. 第三篇 9 根本思想
  42. 第三篇 10 真の愛の伝承と伝統
  43. 第三篇 11 イスラームと世界平和の定着
  44. 第三篇 12 平和世界のための宗教の使命
  45. 第三篇 13 新文化創建と宗教の役割
  46. 第三篇 14 宗教と理想世界
  47. 第三篇 15 生死に対する理解
  48. 第三篇 16 人間の行くべき生涯路程
  49. 第四篇 1 真の家庭と私
  50. 第四篇 2 理想家庭と平和世界
  51. 第四篇 3 真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙
  52. 第四篇 4 人類を救う真の家庭運動
  53. 第四篇 5 真の家庭理想による平和世界の実現
  54. 第四篇 6 祝福と永生
  55. 第四篇 7 真の家庭と世界平和
  56. 第四篇 8 祝福家庭と理想世界
  57. 第四篇 9 真の愛と真の結婚
  58. 第四篇 10 祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道
  59. 第四篇 11 神様の理想家庭と平和理想世界王国
  60. 第四篇 12 神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国
  61. 第四篇 13 神様の絶対平和理想モデルである絶対「性」家庭と世界王国
  62. 第四篇 14 天国を開く門 真の家庭
  63. 第五篇 1 世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務
  64. 第五篇 2 現代科学と人間の道徳的価値観
  65. 第五篇 3 科学と絶対価値
  66. 第五篇 4 科学の調和と絶対価値の探求
  67. 第五篇 5 科学の限界と神様
  68. 第五篇 6 絶対価値と人類平和のための模索
  69. 第五篇 7 絶対価値と新しい世界の創造
  70. 第五篇 8 絶対的価値観
  71. 第五篇 9 統一主義は新しい文化革命の基礎
  72. 第五篇 10 世界平和教授アカデミーと私たちの決意
  73. 第五篇 11 絶対価値と新しい文化革命
  74. 第五篇 12 跳躍と契機
  75. 第五篇 13 真の愛と統一世界
  76. 第五篇 14 絶対価値と現代社会の再評価
  77. 第五篇 15 絶対価値と現世の再評価
  78. 第五篇 16 絶対価値と新しい世界秩序
  79. 第五篇 17 真の知識、真の家庭、そして世界平和
  80. 第五篇 18 社会の諸問題と言論の責任
  81. 第五篇 19 言論の信頼性と社会的責任
  82. 第五篇 20 分断された世界における言論の責任
  83. 第五篇 21 言論の規範と記者の責任
  84. 第五篇 22 真の統一と一つの世界
  85. 第五篇 23 神様の勝利戦略
  86. 第五篇 24 二十一世紀における言論人の使命
  87. 第五篇 25 二十一世紀の言論の方向と役割、そして責任
  88. 第五篇 26 世界化と世論、二十一世紀を展望しながら
  89. 第五篇 27 新千年における言論の統一された方向
  90. 第五篇 28 神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告
  91. 第六篇 1 アジアと世界を救う真の愛運動
  92. 第六篇 2 世界女性時代の到来
  93. 第六篇 3 世界の統一と人類の責任
  94. 第六篇 4 理想世界の主役となる女性 I
  95. 第六篇 5 理想世界の主役となる女性 II
  96. 第六篇 6 世界平和と女性の役割 I
  97. 第六篇 7 理想世界の主役となる女性 III
  98. 第六篇 8 神様と女性、そして世界平和
  99. 第六篇 9 二十一世紀と女性の使命
  100. 第六篇 10 世界平和と女性の役割 Ⅲ
  101. 第六篇 11 天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会記念の辞
  102. 第六篇 12 後天時代の女性の役割と女性連合の使命
  103. 第六篇 13 アベル女性国連創設大会基調演説
  104. 第六篇 14 平和世界の主役になろう
  105. 第六篇 15 真の家庭を取り戻そう
  106. 第六篇 16 道義世界の創建
  107. 第六篇 17 青年は真の愛実践の主役
  108. 第七篇 1 真のプリチャッキ(ルーツ探訪)運動の方向
  109. 第七篇 2 ユニバーサル・バレエ・アカデミー開校の祝辞
  110. 第七篇 3 平和世界建設の主役になろう
  111. 第七篇 4 心情文化世界の創建のために
  112. 第七篇 5 正義の旗手になろう
  113. 第七篇 6 青年文化として定着すべき純潔運動
  114. 第七篇 7 真の愛は誰もが願う
  115. 第七篇 8 二〇〇〇世界ハンマダン体育大典開会式の祝辞
  116. 第七篇 9 文明間の対話と調和
  117. 第七篇 10 天国には誰がどのようにして入るのか
  118. 第七篇 11 平和の根は真の愛に
  119. 第七篇 12 世界と国家の真の救援のための道
  120. 第七篇 13 神主義による教育
  121. 第七篇 14 鮮文ピースカップ創設の意義
  122. 第七篇 15 宗教間に恒久的な和合を成し遂げよう
  123. 第七篇 16 真の理想家庭の絶対価値観は真の愛の主人を定める
  124. 第七篇 17 真の心情革命と真の解放、釈放時代開門
  125. 第七篇 18 神様は真の父母、真の師、真の王
  126. 第七篇 19 摂理的観点から見た三大主体思想
  127. 第七篇 20 自叙伝五万部普及勝利慶祝大会
  128. 第八篇 1 世界の中の韓国
  129. 第八篇 2 祖国よ、輝け
  130. 第八篇 3 世界と韓国の決意
  131. 第八篇 4 世界のために祖国が行くべき道
  132. 第八篇 5 神様のみ旨と韓国
  133. 第八篇 6 南北統一運動国民連合創設のメッセージ
  134. 第八篇 7 私たちの時代の真の平和 韓国の統一と東西協力
  135. 第八篇 8 真の愛と統一世界
  136. 第八篇 9 天は韓国を呼んでいる
  137. 第八篇 10 真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞
  138. 第八篇 11 真の父母様北京到着の談話文
  139. 第八篇 12 韓国統一と世界平和
  140. 第八篇 13 世界と南北の統一は真の愛で
  141. 第八篇 14 神様の王子、王女が行くべき生涯路程
  142. 第八篇 15 神様の平和王国は祝福家庭の真の祖国
  143. 第九篇 1 ウォーターゲート宣言文
  144. 第九篇 2 アメリカを中心とした神様の計画
  145. 第九篇 3 アメリカは神様の希望
  146. 第九篇 4 神様のみ旨とアメリカ
  147. 第九篇 5 神様が私の盾であり証言者
  148. 第九篇 6 世界平和のための挑戦と可能性
  149. 第九篇 7 アジア太平洋時代の主役になろう
  150. 第九篇 8 世界平和に向かう道
  151. 第九篇 9 二十一世紀における島嶼国家の役割
  152. 第九篇 10 二十一世紀における半島国家の役割
  153. 第九篇 11 二十一世紀における大陸国家の役割
  154. 第九篇 12 世界平和実現の時代を大きく開きましょう
  155. 第九篇 13 世界と国連が行くべき道
  156. 第九篇 14 国境線撤廃と世界平和
  157. 第九篇 15 新千年紀における人類とアメリカが行くべき道
  158. 第九篇 16 摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位相
  159. 第九篇 17 平和国連を通して平和天国を完成しよう
  160. 第九篇 18 平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道
  161. 第九篇 19 後天開闢時代の平和大使の使命
  162. 第十篇 1 真の父母様の再現と理想的家庭
  163. 第十篇 2 真の父母と成約時代
  164. 第十篇 3 天地父母統一安着宣布
  165. 第十篇 4 再創造の主人
  166. 第十篇 5 メシヤと真の父母
  167. 第十篇 6 摂理史観から見た価値観的和合と超宗教・超国家圏の解放と安着
  168. 第十篇 7 真の父母は神様と人類の希望
  169. 第十篇 8 神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう
  170. 第十篇 9 真の父母は神様の体
  171. 第十篇 10 韓国タイムズ航空金浦航空産業団地起工式
  172. 第十篇 11 天一国は太平聖代の理想天国
  173. 第十篇 12 天宙平和統一王国創建の真の主人
  174. 第十篇 13 神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観
  175. 第十篇 14 父母国連を中心とした平和世界の創建
  176. 第十篇 15 真の平和世界と真の父母国連世界の安着
  177. 第十篇 16 神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観 II
  178. 第十篇 17 平和の主人、血統の主人

第一篇 1 神様と人間のための理想世界

第一篇 1

神様と人間のための理想世界

日付:一九七二年二月四日

場所:アメリカ、ニューヨーク、リンカーン・センター

行事:アメリカ九カ都市巡回講演

今晩、このように参席してくださった紳士淑女の皆様に感謝申し上げます。長い間、アメリカ国民の皆様に会える日を心から待ち望んできましたので、このようにお会いすることができ、とてもうれしく、また有り難く存じます。きょうは、「神様と人間のための理想世界」というテーマについて、皆様と共に考えてみたいと思います。

1. 理想世界はどこから追い求めるのか

今、人類は誰しもが、一つの世界、あるいは理想世界を心から願っています。しかし、現在において、それを実現する可能性があるようには見えないことが、人類にとって悲劇と言わざるを得ません。

もし神様が存在されるとすれば、神様もそのような理想世界、一つの世界を願われるに違いありません。神様や人間が願うのは、一つの世界、理想世界であることに間違いありません。神様がおられるとすれば、必ずそのような世界をつくり上げなければならず、神様の能力を信じる人であるならば、このことだけは必ず成就しなければならないと思うでしょう。

人間は、誰もが平和の世界を願い、一つの世界を願いますが、その世界は、ただこのままでは実現できないことも自認しています。民主世界は民主世界なりに、共産世界は共産世界なりに、それぞれその主張する立場で世界を一つにできれば、と考えているのです。それでは、民主世界を先に立てて共産世界がそれと一つになることができるのでしょうか。また、共産世界を先に立てて民主世界がそれと一つになることができるのでしょうか。これは極めて難しい問題と言わざるを得ません。

私たちが世界を中心として、統一を願って理想世界を求める時に、一つの国家を中心として「統一された国であり、理想世界に代わる国だ」と言える国はあるでしょうか。ないのです。統一された世界が存在する前に統一された国がなければならず、統一された国が存在する前に統一された氏族、統一された氏族が存在する前に統一された家庭、統一された家庭が存在する前に統一された個人がなければなりません。これが問題です。

2. 人間は善悪の母体

統一はどこから成し遂げられなければならないのでしょうか。この世界は結果の世界なので、原因となる個々人を中心として模索しなければならないという結論が出てきます。私たち個人は、相反する二つの目的の方向をもった人間になっています。これは誰も否定できないことです。心は善の所に行くことを願うのに、体はそれとは反対の方に行けと言うのです。この二つが闘っています。そのような個人、すなわちそのような男性とそのような女性が合わさって家庭を形成します。ところが、内なる人と外なる人がいるので、夫婦が会えば四タイプの人がいることになり、それぞれが異なる行動をするようになるのです。このようにして一つの氏族ならば氏族、民族ならば民族、国家ならば国家、世界ならば世界がすべて分かれるのです。有り難いことは、数百、数千に分かれるのではなく、大きく二つに分かれることです。これが不思議なのです。

もし神様がいらっしゃるならば、このような人間をそのまま放っておくことができないので、人間の知らない歴史の背後で活動してこざるを得ませんでした。また、人間を悪へと追い込むサタンがいるとすれば、そのサタンも、神様が引っ張っていく方向とは反対の方向へと引っ張っていこうとするのです。

しかし、絶対的な神様のみ前にいくら反対するサタンがいたとしても、サタンには、絶対的な権限をもって立てた原則に反して進み出る権限がありません。正しいことは神様が管理し、悪いことはサタンが管理するのですが、そのような神様とサタンとの闘いの結果が、私たち個人から現れ始めるのです。ですから、人間は、悪の母体にもなり、善の母体にもなることを知らなければなりません。すなわち人というのは、善の出発地になると同時に、悪の出発地にもなるのです。

皆様。高くなることは良いことを象徴し、下っていくことは悪いことを意味します。皆様が人々の前で称賛されるようなことがある時は、大いに自慢したくなります。自分が悪いことが分かれば、奥のほうに隠れてしまうのです。良いことをする時は、宣伝をして「私を見習いなさい」と叫ぶことができます。悪いことをする時は、知られてしまうのではないかと隠そうとするのです。悪い行動、すなわち、盗みを働く人で、堂々と宣伝して歩く人はいません。隠れて歩くのです。

人の内には、高くなろうとする部分と低くなろうとする部分の二つの部分があることを知らなければなりません。高くなろうとするのが良心作用です。悪を働きながら、良心の苦痛を受けない壮士や偉人はいないのです。人間の良心が神様の見張り台ならば、体はサタンの見張り台であり、また良心が天国の起源ならば、体は地獄の起源となることをはっきりと知らなければなりません。ですから、善悪の本質が根本的に違うことが分かります。善は全体の利益を追求するのであり、悪は自分個人だけのために生きるのです。善の人は、私よりも家庭、家庭よりも地域社会、地域社会よりも国、国よりも世界のために生きようとします。今まで歴史は、自分のために生きる面と、人のために生きる公的な面を中心として、闘争によって連結されてきました。この体を中心とした悪の根拠を破綻させ、根を抜いてしまうことが神様の絶対的な要求です。その反対に、良心を無慈悲に破綻させようとするのが、サタンを中心とした悪の要求です。ですから、そのように闘いながら歴史を綴ってきたのです。

良心を主とした神様の側と、体を主とした、物質を主とした悪の側が対立しながら、この世の人類は唯物主義と唯心主義とに分けられざるを得ないという結論を下すことができます。もし神様がいないとすれば、このような結果の世界は来ることができないのです。悪は、嫉妬、分裂、闘争を強調して、自滅を招きます。このように見るとき、理想や統一は、どこから始まらなければならないのでしょうか。結局は、世界よりも根本に入って「私」です。個人なのです。神様が願われるのは、統一の世界であり、理想の世界なので、人間に対してそれを教えなければならないのです。

3. 宗教の教え

皆様。その方法を御存じでしょうか。それは皆様の願われる方法ではありません。誰もが願うような方法ではありません。第一に、良心と反対になるものを打ちなさいということです。神様は代わりに打つことはできません。打つことができるならば、サタンも打つことができるのです。中間の立場にいる人間をめぐって争奪戦をしているのです。神様の教えは、良心を中心として体を「打ちなさい! 打ちなさい! 打ちなさい!」というものです。このような運動を世界的にせざるを得ません。「体の嫌うことをしなさい」というのです。それを教えるのが宗教です。

それでは、宗教の教えとは何でしょうか。すべての宗教は「体を打ちなさい! 食を貪ってはいけない! 自分本位にやってはいけない! 肉欲に主管されてはいけない!」と教えるのです。高次的な宗教は、すべてそのように教えているのです。仏教も、苦行を重要な教えとしています。キリスト教も、犠牲を信条としています。それを実践しようとすればこの上なく難しいので、神様は一つになる方案を提示しなければならない、と考えざるを得ません。人間には心と体があるので、一度は心に従ったと思えば、今度は体に従っていき、そのように行ったり来たりするのです。

宗教の教えは、体の願うことを否定し、その反面、精誠を尽くさせて、神様の力を受けようというものです。これが今まで展開してきた宗教の運動です。それで神様は、そのような個人から始まり、家庭、氏族、民族を経て、一つの国を願ってきたのですが、それがイスラエルの国であり、イスラエル民族だったのです。すなわち選民でした。歴史上に「選民」や「選ばれた国」という言葉があるという事実を考えてみれば、神様が存在することは否定できません。

神様が計画されたとおりに、個人的に心と体が完全に一つとなり、家庭的に完全に一つとなり、氏族的に完全に一つとなり、民族的に完全に一つになって、世界まで完なに一つにできる代表者を送ってくださることを約束したのが、イスラエルのメシヤ思想です。神様が原型として待ち望まれた個人、家庭、国、世界をすべてイスラエル民族と一つにさせ、一つの国をつくり、神側の世界をつくって、この世界を救おうとしたのです。

4. 統一の原型としてこられたイエス様

皆様がここで知らなければならないことは、イスラエル民族をしてメシヤを迎えさせ、豊かに暮らせるようにさせるという目的ももちろんあったのですが、神様の摂理は、一民族を救うのではなく、世界を救わなければならないので、イスラエル民族を立てて世界を救おうとしたのです。これがメシヤを遣わした目的でした。そのとき、イスラエル民族が願うことと神様の摂理の方向が一致すべきだったのですが、食い違ってしまいました。

ですから、このような統一的な世界をつくるために来られた個人としてのイエス様は、個人を中心として家庭的な原型をつくらなければならず、氏族、民族、国家、世界的な原型をつくらなければなりませんでしたが、それをつくることができずに亡くなったのです。例えて言えば、イスラエルの国は、主人が思いどおりにできる野生のオリーブ畑と同じです。イエス様は、この野生のオリーブ畑に真のオリーブの木として来て、野生のオリーブの木をみな切ってしまい、神様の思いどおりに、個人と家庭から一つの国家を神様の原型に接ぎ木しようとしたのです。そのようにすれば、イスラエルの国とユダヤ教団は、真のオリーブの木になるでしょうか、野生のオリーブの木になるでしょうか。間違いなく真のオリーブの木になるのです。そのように国を中心として主権をもってユダヤ教と一つになり、世界的に宣教をしていたならば、今日の二千年のキリスト教歴史は必要がなかったのです。

心と体が一つになることができなかった人間世界に、一つの原型、一つにするための統一の基本としてこの地上にイエス様を遣わしたのですが、イスラエル民族とユダヤ教は彼を十字架にかけて殺害してしまいました。神様のみ旨に反対するユダヤ教とイスラエルの国になってしまったので、神様が数千年かかって立てた国とその基盤は、サタン側に渡るようになったのです。こうしてイスラエル民族は二千年間、国のない民族として世界の数多くの民族から踏まれ、呻吟する民族になって闘ってきました。イスラエルの国は一九四八年に独立しましたが、このように独立できる時が来たということは、再逢春(チェボンチュン=不遇に陥った人が春を迎えるように幸福を取り戻すこと)し、新しく出発できる世界的時代に入ったことを私たちは察することができ、そのような時が来たということは、主が再び来られる時が近づいたことを、私たちは推察して悟らなければなりません。

それでは、今までの歴史過程で、イスラエルが天を裏切って以来、神様の足場となる個人の土台、家庭の土台、氏族の土台、国の土台があったと思いますか。ありませんでした。これを引き継いだのがキリスト教であり、第一イスラエルはみ旨を成就できませんでしたが、このキリスト教が、第二イスラエルの使命を受けてみ旨を成し遂げなければならないのです。ところが、地上と世界が一つになった立場で土台を築いたキリスト教になることはできず、地上を否定し、霊界だけを中心とした国を探し求めるための運動を今まで展開してきたことを知らなければなりません。

今日のキリスト教信徒が信じているように、主が空中に再臨するとすれば、そのような原型で統一された個人と家庭と氏族と民族と世界を成し遂げることはできないのです。来られる主が成就できる目的地は、空中ではなく、この地上、この世界であることをはっきりと知らなければなりません。ですから、イエス様は一つの原型を形成した男性として、心と体が完全に統一された男性として、統一された女性を迎え、統一された家をつくらなければならないのですが、どのようにすればつくることができるのでしょうか。これを解決しなければ、統一された国と世界は現れてこないのです。

今日のキリスト教の信徒の中に、「私は新婦となり、新婦として主が願われる家庭を築こう」と考える人がいるでしょうか。具体的な内容を知らずにいるのです。どこに来られるのかということも、どのように来られるのかということも知らずにいるのです。主は雲に乗って来ると文字どおりに信じてはいけません。主は、神様が願う一つの家庭を求めるために来るのです。その家庭を求めるためには、その家庭だけでは駄目なのです。家庭のために生きる氏族がなければならず、氏族のために生きる民族がなければならず、民族のために生きる国がなければなりません。一つの国を中心として成し遂げることができる原型をつくっておかなければ、第三イスラエルの国を見いだせないことを、現在のキリスト教は知らなければなりません。

5. キリスト教思想は奉仕と犠牲の思想

ここで、個人が永遠に残るための道を一度考えてみましょう。私たちは個人として世の中で尊敬される人になろうとすれば、自らを高めようとする人になってはいけません。尊敬されることを望むならば、犠牲にならなければなりません。十人の友人がいれば、その十人の友人のために長い間犠牲になる人は、その友人たちの中心存在になるのです。

それだけではなく、彼らの親戚と彼らの友人までもが、その人と一つになろうとするのです。反対にその十人の友人に、「あなたたちは、私のために生きよ、私のために生きよ」という人がいるとしましょう。そのようにすれば、その友人はみな離れていくでしょう。独りぼっちになるのです。最後には自分も行く所がなくなってしまうのです。これが私たちの社会における善と悪の分岐点であることを、皆様は知らなければなりません。

一国の愛国者について考えてみましょう。皆様はアメリカについて考えるとき、リンカーン大統領やケネディ大統領をこの上なく尊敬しています。なぜ尊敬するのでしょうか。大統領は同じ大統領ですが、アメリカのために命を捧げたので尊敬するのです。大統領の中で、アメリカのために死んだ大統領の中で、悲惨な立場で犠牲になればなるほど、その人はアメリカでこの上なく気高い愛国者、この上なく気高い大統領の位置を占めるでしょう。

命を捧げて国を愛した人であるほど、それも悲惨な立場で犠牲になった人であるほど偉大なのです。悲惨であればあるほど、それが一時は悲惨ですが、歴史時代が過ぎれば過ぎるほど、だんだんと環境の範囲が広がり、その人を中心として一つになるようになっているのです。

イエス様の死も同じです。イエス様は誰のために犠牲になったかというと、世界の人類のために、世界の国のために犠牲になったのです。誰よりも人類を愛し、誰よりも神様を愛し、怨讐までも愛した立場で福を祈って、悲惨な立場で亡くなったのです。名もなく死んだイエス様であり、その当時は民族の反逆者として追われたイエス様が、今日、世界的なキリスト教文明圏を創建するとは、誰も知りませんでした。ここで私たちは、一つの原則を提示することができます。大きな舞台のために、公的な大きな仕事のために犠牲になった人は、滅びるようにはなっていません。滅びることはないという事実を、私たちは知ることができます。そのような人たちが歴史的な聖賢たちです。

これを見るとき、神様がいらっしゃり、神様が悪の世界に対して闘う作戦があるならば、どのような作戦方法を取るのかということを、ここで発見することができます。悪はその反対です。自分のために他を犠牲にするのです。それが個人的にそうなれば、個人の反対を受け、家庭的に、あるいは国家的にそうなれば、必ず歴史に糾弾される独裁者になるのです。

また皆様は、悪の戦法は他を犠牲にして自分が出世しようとする戦法であり、神様の戦法は他を生かすために自分が犠牲になる戦法であることを知らなければなりません。ですから、歴史過程で善を主張してきた人たちは、その時代においては歓迎されず、犠牲になりましたが、自分の身を犠牲にしながら、国を愛し、世界を愛して死んでいった人たちは、歴史が過ぎたあとに、その名が知られるようになるのです。これが事実であることは否定できません。

ですから、キリスト教の思想は、奉仕の思想であり、犠牲の思想です。キリスト教は一つの教団を中心として、自分の教団だけのために生きるようになれば滅んでいきます。もしアメリカのあるキリスト教の教団が、活動するすべての目的をアメリカの救援に置き、その目的を達成するためにあらゆる犠牲を覚悟して進み出るとすれば、そこに天は協助するでしょう。このようにアメリカを救い、キリスト教化した国家にして、世界を救うためにアメリカ国民を犠牲にするキリスト教になれば、世界を支配するキリスト教になると見ることができるのです。

6. 神様がアメリカを祝福した理由

神様にとって、アメリカを愛するか、世界を愛するかという問題について考えてみるとき、アメリカよりは世界を愛する神様にならなければなりません。ですから、世界を救うために犠牲の代価を払わなければならない時は、アメリカを立てなければなりません。

アメリカ国民の皆様。アメリカに思想的伝統があると思いますか。今の青年たちの中にそれを見いだすことはできません。アメリカを開拓した人たちは、皆様も御存じのように、清教徒たちです。彼らは、神様を心置きなく愛し、神様のために行こうとする道を国家が妨げたので、国をあとにして、この新大陸アメリカの地を訪ねてきた群れでした。

そのとき、少数のアメリカ国民たちは、現地にいたインディアンたちと戦うために、神様に命を委ね、すがったのです。神様をあがめ尊びながら、神様にすがって戦っていったその思想が、アメリカの建国思想になったことを私は知っています。ですから、彼らは教会を先に建て、学校を建てたあとに、自分の家を建てたことを知っています。そのような立場に立っていたので、神様は反対を受ける環境から引っ張り出し、この地で保護し、二百年にもならない期間で世界的な国に築き上げてくださったのです。そのような神様は何のために祝福をしてくださったのでしょうか。アメリカに住む皆様だけを裕福に暮らすようにするために祝福したと考えてはいけません。今後、世界を救うための代表的な国にするために、神様は祝福したと見なければならないのです。

それでは、アメリカ国民は、「今や私たちは団結して世界を救おう」という統一された思想をもっているでしょうか。もっていません。しかし、アメリカの怨讐である共産世界は、世界を制覇するという思想をもって、アメリカを問題なくのみ込むことができると自信をもって現れています。

アメリカ国民の皆様が覚えておくべきことは、アメリカの国策において、アジアへの援助や外国への援助を削減することは、神様のみ旨ではないということです。外国に対する援助を削減することを始めた大統領は、ケネディ大統領であることを私は知っています。また、その当時の国連事務総長はハマーショルド氏でした。彼らは、なぜあのような惨事に遭って逝ったのかという問題は、私たちの知らないある背後の動機があると思われます。

私は一九六五年にアイゼンハワー元大統領に会いました。そのとき、私は、「あなたは、韓国戦争を休戦にしたことは正しかったと思うかもしれませんが、あれは歴史的な誤謬です」と指摘しました。「あなたは共産党を信じるのですか。共産党は言葉と行動が違う群れです」と言いました。行動と言葉が違うのです。これを知らなければなりません。休戦協定をしてから二十年が過ぎた今、北朝鮮はあらゆる力を尽くして国民武装をさせているのを、私たちはこの目で見ているのです。この事実を否定しますか。

今度の二月二十一日、毛沢東とニクソン大統領の会談があります。毛沢東はニクソン大統領に対して、何をしても、損することはありません。アメリカ国民はこれだけは知っておかなければなりません。共産党は、アメリカといくらでも「親しい、親しい」と言いながらも、背を向けることがあり得るのです。どれだけ親交が進んだと見えても、いくらでもそれを反故にする独裁体制なのです。

しかし、アメリカ国民はそのようにはできません。アメリカ全体が「よいです」と言って国民がみな進んだとしましょう。ここで、もし後退するようになれば、アメリカ国民はみな後退すると思いますか。半分は分かれてしまうことを知らなければなりません。その時にアメリカがどうなるのかを、私は今考えています。このような観点から、アメリカの四十代大統領、二百十年までの歴史は、神様が保護してくださる歴史と見ています。

皆様。一九七六年はアメリカ建国二百周年の年であることを私は知っています。アブラハムからイエス様まで四十二代になります。四十代、二千年歴史を神様のみ旨を中心として担当してきました。代数としては四十二代ですが、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」、この三代にわたった神様を一代の神様と捉えるので四十代になるのです。

7. 世界を救うためには国家を超越しなければならない

この「終わりの日」にアメリカを中心として、このような蕩減の役事をすると見ているのです。この期間に責任を果たすことができなければ、今後のアメリカは、神様が保護し続けるような国にはなれないと見ています。私はそのように考えています。二十世紀の後半期において、世界的な主導国家的責任をもったそのアメリカを誇りとするのではなく、アメリカの国がなくなったとしても、アメリカ国民が誇り得る思想、三十世紀、四十世紀に至っても、その思想でなければいけないという思想をもつならば、アメリカ国民は世界を治める国民になるのです。

このような観点から、今日、統一教会はいかなる使命を果たそうとしているのか、ということが問題になります。統一教会は、来られる主の前に新婦をお連れし、このような超国家的な運動を世界的に準備して、神様が求める希望の天国をこの地につくり上げようとするのです。

そのためには、「この統一教会は統一教会自体のために働く」という思想を取り除いてしまわなければなりません。神様の作戦が世界のために犠牲になる個人と家庭と氏族と国家を求めることである以上、そのような個人、家庭、氏族、民族を編成し、神様の願う国の土台をつくってさしあげようというのが、私たちの使命です。

そのような統一の原則をもって、将来来るメシヤを中心として統一された個人として、家庭として、氏族として、民族として編成しなければならないのですが、このようなことを誰が先頭に立って引っ張っていかなければならないのでしょうか。信仰のない人でしょうか、信仰のある人でしょうか。宗教をもった人でしょうか、もっていない人でしょうか。これはキリスト教信徒、宗教人たちが糾合してしなければなりません。そのような運動を今、世界でしなければなりません。

そのためには、その教派だけを中心として、私の教派だけを中心として一つになってはいけません。神様のみ旨と世界を救うという信条のもとに一つにならなければならないのです。そのような運動をすることによって、主導権を握ろうというのではなく、下のほうに入って奉仕する運動をするのです。自分のもつ手段や方法、自分の財力、あるいは権力、あるいは知識力を動員して中心になるのではなく、人々が自主的に推戴して中心に立てる運動を、新しく世界的に行わなければ、この世界は救われる道理がありません。

ここに立っているこの私が、ここに至るまでには、数多くの迫害の道を歩んできました。キリスト教のために生き、キリスト教の行くべき道を提示しようと言ったにもかかわらず、キリスト教の反対を受け、国の行くべき道を提示しようと言ったにもかかわらず、国の反対を受けました。そのような観点から、アメリカも今後、この動く群れに代わって批判される日が来ると考えています。

善とは、自分の側のものを犠牲にしながら、世界を救おうとすることです。これが伝統的歴史です。ですから、今日この地上で、このような伝統を受け継ぎ、自分の側近の者を世界のために平面的に犠牲にさせながらでも、人を救おうという運動を全世界的に提示しなければ、理想的な何らかの方向を提示できないことは言うまでもありません。今後、人のために世界的な運動をする思想をもった団体、自分自体を犠牲にしても世界を救おうという運動をする思想だけが世界を治めるのです。

民主世界を代表するアメリカを考えてみましょう。アメリカは世界のために援助するほうに一方的に進んでいっていれば、常に世界があがめる国家になっていたでしょう。アメリカ国民を超え、アメリカの国を超え、世界をより愛する運動をしていれば、アメリカは今日、このような立場に立たなかったのです。

しかし、「民主世界を代表した国家として、外国を援助して栄えた国がないというのが歴史的な実情なので、私たちの国も歴史的伝統に従うべきである」と言いながら、自分の国を中心として背を向けるようになるときは、アメリカは孤立してしまうのです。

言い換えると、現在のアメリカは、世界のことよりもアメリカ自体を重要視し、世界の人類よりもアメリカ国民を愛そうという立場になっているのです。しかし、神様の見解はそうではありません。神様は、アメリカを動員して、世界を生かそうとされるのです。アメリカを超えて世界を愛することができるようにするためなのですが、方向が食い違っているので、民主世界もこれ以上行くことができなくなりました。

8. 世界が一つになってこそ神様の願う理想世界が成就する

世界のためには、自分の国や国民よりも世界を愛する運動、神様を愛する運動こそが、最後に残る主義になり、思想になるでしょう。ですから、その国を超える超民族的な運動を世界的に提示し、超民族的に天が愛する立場に、あるいは世界の人々が愛する立場に自由に行けるようにするためには、どのようにすべきかを模索する主義こそが問題になるのです。

もし主が来られるとすれば、一つの国を救うために来られるのではありません。世界を救おうとして来られるのです。そのような時が近づいてくれば「終わりの日」なので、国を超えて、より愛する世界を発見し、国を超えて、天の人をより尊重し、国を超えて、神様を愛する運動をしなければ、世界は滅びるという結論が出るのです。これが今後、世界人類が願う統一の道であり、思想の道です。

ここでは肌の色が問題になるのではありません。ここでは文化の背景が問題になるのではありません。神様を愛し、神様のみ旨のために生きる世界のために一つになることこそが、私たちの希望であり、私たちの目的となるのです。そうして世界が一つになることによって、神様と人間が願う理想世界が開かれると考えています。したがって、個人として行く道、家庭として行く道、氏族として行く道、民族として行く道、国家として行く道、世界として行く道を教えてあげることが、統一教会の使命であることを知っています。

ここできょう、お話しした題目の「神様と人間のための理想世界」が成就することを信じ、今、この地で活動を始めていることを、皆様に知っていただければ幸いです。ありがとうございました。

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第一篇 2 人間に対する神様の希望

第一篇 2

人間に対する神様の希望

日付:一九七三年十月二十日

場所:アメリカ、ジョージ・ワシントン大学、リスナー・ホール

行事:アメリカ二十一カ都市巡回講演

今晩、このように参加してくださった紳士淑女の皆様。心から感謝を申し上げます。皆様にお会いできる日を心から待ち望んでおりましたが、今晩、その願いをこのようにかなえてくださり、神様と皆様に感謝をお捧げいたします。

私が語る言葉を、皆様は聞き取ることができないと思います。そのように、言葉を語っても伝えられない人と言葉を聞いても聞き取れない人との間に、通訳という橋を架けて語り、聞くことが、どれほど大変なことかを理解してくださり、御声援くださるようお願い申し上げます。

きょう、皆様に「人間に対する神様の希望」という題目でお話ししたいと思います。題目が大きいといえば大きな題目であり、内容も複雑だといえば複雑な内容になると思います。

1. 神様と人間は主体と対象の関係

もし神様がいらっしゃるなら、神様は、私たち人間を必要とせざるを得ません。人は万物の中で最も貴く英明な存在なので、尊重せざるを得ないのです。その神様と人間の関係を、私たちは明確に知らなければならないと思います。

数多くの宗教人たち、数多くの信仰者たちは、神様と人間の関係を様々に表現していますが、それが神様と人間の関係を明確に、正しく知ることができる内容になっているでしょうか。神様と人間の関係は根本的な問題なので、この根本が狂えば、別の異なった世界へ行くこともあり、異なった結果をもたらすこともあるのです。神様だけを中心として見るか、人間だけを中心として見るかによって、二つの思潮の哲学世界があることを、私たちはよく知っています。

数多くの宗教が存在するようになったのは、根本が異なるからです。ですから、神様なら、「宗教はこうでなければならない。私とその宗教との関係はこうでなければならない」という、ある原則があるのではないかという問題が、より重要です。そのような関係について、お話ししようと思います。

この地上に生きる人間として、最も貴く感じるものは何でしょうか。このように問えば、様々な答えがあると思います。ある人は「権力である」と言うでしょう。またある人は「お金である」と言うでしょう。ある人は「知識である」と言うでしょう。果たして権力とお金と知識が、人間にとって最も貴いものかというと、「絶対的にそうである」と断言できる人は一人もいないのです。

それでは、それよりもっと貴いものは何でしょうか。もう一歩さらに踏み込んで尋ねてみれば、誰もが「愛が貴い」と答えるでしょう。その次は何かと問えば、「生命である」と答えるでしょう。そのような愛と命をもっていたとしても、理想がなければならないので、三番目には、「理想である」と答えるはずです。人間にとって最も貴いものが何かというと、愛であり、生命であり、理想だというのです。この問題について考えると、その愛と命と理想というものを、一時的なものと思っている人はいません。

皆様が何かの小説の表現を見ても、愛と言えば、永遠の愛、不変の愛、唯一の愛を強調していることに気づきます。愛が変わることは誰も望みません。青春時代や中年時代、老年時代を問わず、愛は永遠であることを願います。また、愛もそうですが、生命の問題においても、「私は、少しだけ生きて死のう。なくなってしまいたい」と考える人はいないでしょう。生命も永遠であることを願います。自分の生命は変わらないことを願い、特権的であり絶対的であることを願うのです。

皆様が宗教を信じる目的も、救いや永生があると考えるからです。もし永生がないとすれば、宗教は必要ないでしょう。宗教を通して、人間の理想の愛を描ける道があると信じるがゆえに、宗教を必要とするのです。したがって、私たち人間にとって最も必要なものは、愛であり、生命であり、理想です。それが、一時的なものではなく、永遠であることを願うのが、私たち人間の欲望にほかならないのです。

ところで、「愛」という言葉や「理想」という言葉は、一人で語る言葉ではありません。一人でいながら「ああ、私は一人で愛する」と言っても、これは成立しません。「ああ、私は一人で楽しく、うれしい」と言うことはできないのです。したがって、私たちが「愛」という言葉と「理想」という言葉を追求し、絶対視し、望む立場にいれば、私たち人間が別の一つの主体や対象的な何かを求めなければならないというのです。

そこで、私たちが対象であれば、ある主体を必要とするようになります。私たちが結果的な存在であるならば、ある原因的な存在が必要であることを示しているのです。私たち人間を超越して、そのような主体的、原因的な存在がいるとすれば、それは不変でなければならず、永遠でなければならず、理想的でなければならないことは間違いありません。主体と対象は、いかなる面においても、いかなることにおいても一つにならなければならないのが原則です。一つになることにおいて、悪い位置で一つになることを願う人は一人もいません。最高の位置、変わらない永遠の位置、完全に統一された位置で一つになることを願うのは、主体と対象の存在がそれぞれ願う基準にほかなりません。

それでは、対象であり、結果的な立場にいる人間が願う最高のものが、愛であり、生命であり、理想であるとすれば、主体であるその方の要求と、その方の希望と欲望は何でしょうか。もし神様に、「神様、あなたが最も貴く、絶対的で、価値があると認めるものは何ですか」と問えば、神様もやはり対象が求めるものを求めざるを得ないという結論が出ます。

神様にとって、お金や知識、または権力は必要ではありません。間違いなく、その方は「愛であり、生命であり、理想である」と答えるでしょう。そのようなことを考えるとき、神様がいくら偉大で絶対的だとしても、結局のところ誰に似ているかといえば、私たちに似ているのです。主体と対象は似ていなければなりません。

2. 絶対的な主体と絶対的な対象

神様は、どのようなお方かというと、愛の主体であり、生命の主体であり、理想の主体であられます。そうだとすれば、私たち人間は、愛の対象であり、生命の対象であり、理想の対象であるという結論を立てることができるのです。

神様が絶対的なら、私も絶対的な位置を願わなければなりません。神様が不変なら、私も不変でなければなりません。神様が唯一なら、私も唯一でなければなりません。神様が永遠なら、私も永遠でなければなりません。そのような観点から、人間の永生は必然であり、それは当然の結論にならざるを得ません。いくら神様に愛があっても、私に愛がなく、いくら神様に生命があっても、私に生命がなく、いくら神様に理想があっても、私に理想がなければ、すべては無駄なことなのです。

したがって、主体という存在にとって、対象はどれほど価値があるかということを、私たちは否定できません。それは、常識的に認めなければならない問題です。私がこの場に立って、聴衆もいないのに、こぶしを振って「おお」と言うなら、狂った人だと思われるでしょう。しかし、一人の足の不自由な人であっても、その人に対して目を見開いて語っているとすれば、それは精神病者ではありません。また、誰一人いなくても、小さなものを見ながら、喜んで詩を詠んだとすればどうでしょうか。それを狂っていると言えますか。

これは何を意味するのでしょうか。相対圏が「絶対」を擁護する絶対的な原理をもっていることを主張しているのです。それが対象の価値です。神様がいくら気高く、偉大だとしても、対象がいなければどうするのでしょうか。神様はうれしいでしょうか。一人で喜ぶことができるでしょうか。ですから、神様は喜ぶために対象の世界を創造されたことを知らなければなりません。

ある宗教では、神様は神聖で高潔な方であられ、人間は悪なるもの、罪悪にまみれたものなので、創造主と被造物は同等にはなり得ないと主張してきました。このような信仰は、根本的に間違っているのです。対象がいなければ、どんなに偉大な人でも、どんなに悟りを開いた人でも、どんなに絶対的な人であっても、悲しいのです。私たち人間が悲しむのは、神様がそのようになっているからであり、主体に似ているからです。この問題が、これまで度外視されてきました。絶対的な神様のみ前に、絶対的な対象の価値をもち、堂々と登場する権威を失ってしまったというのです。

3. 神様のみ前に歩み出ることのできる唯一の道は愛

それでは、そのように気高い神様のみ前に、私たちがいかにし相対的な位置へ進み出ることができるのでしょうか。努力によって可能でしょうか。力を使えば可能でしょうか。何をもってしても不可能です。ただその関係によってのみ可能です。愛の関係さえもっていけば、誰もが直ちに同等な位置に進み出ることができます。皆様、この世でもそうではないですか。ある偉大な男性と、その男性を中心として一人の女性がいるとき、その女性が、世間一般的に見れば何の立場もなく、知識もなく、すべての権限においてないに等しかったとしても、主体であるその男性と愛の関係さえ結べば、瞬時に堂々とした対象的権限をもつようになるのです。夫が行く所には、妻もどこにでもついて行くことができるのです。

神様と私たち人間との関係も、愛を中心として連結されれば、神様と人間との愛は、この世の父子関係の愛よりも高いものなので、その愛を中心として、瞬時に対等な位置に上がるようになるのです。愛は絶対的であり、不変であり、永遠なので、それが可能なのです。ですから、偉大な価値の根源を忘れた私たちの人生の本源地を回復しなければなりません。

したがって、主体と対象は一つにならなければなりません。原因と結果も必ず一つにならなければなりません。聖書によると、神様は「わたしはアルパであり、オメガである」(黙示録一・八)とおっしゃいました。それはどうなるということでしょうか。二つが離れるということでしょうか。一つになるということです。神様がアルパなら、私たち人間はオメガです。神様が最初なら、私たちは最後です。神様が初めなら、私たちは終わりです。端と端が、そのまま一つになることはできないのです。回らなければなりません。左手が回って右手と一つにならなければなりません。

それでは、一つになるとき、互いに異なるのでしょうか。一つは大きく、もう一つは小さくてもよいのでしょうか。和睦を望み、平和を望むことは、一つになる起源を離れては不可能です。平和や幸福といったすべてのものも、神様が愛と生命と理想の主体としていらっしゃるのならば、神様は、人間と一つになるために、人間と対等な愛と命と理想が連結される位置を策定しなければならないのです。

4. 神様の愛を占有することが人間の最高の欲望

皆様。これで関係については理解しました。主体と対象の関係は理解できました。次は、その統一の場所がどこかということを、はっきりと知らなければなりません。私たち人間は、最高の欲望をもっています。そして、比較する知能をもっています。二つのうち、少し良いものが下にあり、悪いものが上にあれば、降りてきて良いものを取ろうとするのです。また、もっているものよりも良いものがあれば、もっているものを投げ捨ててそれを得ようとします。もっと貴いものがあれば、既にもっているものがあっても、また欲しくなるのです。最も貴いものを望むというのです。

ですから、これまで人間の欲望は終わりがないと信じられてきました。これが一般的な結論であり、評価です。そうだとすれば、神様はいないことになるのですが、どこまで行かなければならないのでしょうか。終わりがなければなりません。それはどこまででしょうか。世界最高の偉人が生きているとしましょう。言葉一つで全世界を動かすことができ、一言でどんなことでもできる聖人がいれば、皆様は「ああ! 私はあの人の友人になれたらいいな」と思うでしょう。それで友人になったとします。

そうなれば、それで満足するでしょうか。それよりも高い位置があれば、高い位置を望むでしょう。友人よりも、その方の養子になる道があるならば、友人になることを捨てて、「養子になれたらいいな」と思うでしょう。しかし、それで満足するでしょうか。皆様。満足しますか。私は、そうは思いません。皆様も間違いなく、「言うまでもなく同じである」と答えるはずです。私は東洋人で、皆様は西洋人ですが、西洋人も東洋人も何ら違いはなく、同じなのです。

ですから、養子よりも直系の息子、娘になる道があるならば、なりたいでしょうか、なりたくないでしょうか。養子の立場よりも、直系の息子、娘になろうと思うでしょう。それでは、なぜ養子を捨てて息子、娘になろうとするのでしょうか。本心からにじみ出る完全な愛を受ける道が、その道しかないからです。その人を占領する前に、その人の愛を完全に占領できる息子、娘になれば、その方は誰の父ですか。その方は誰になるのですか。その方が喜ぶことは私が喜ぶことであり、その方が所有するものは私のものになるのであり、その方が従えるすべてのものは私のものになるのです。それは手続きを経てそうなるのではなく、自動的です。

それでは、もし神様がいらっしゃるなら、その神様を中心として、そのような位置を願わざるを得ないのです。神様がいらっしゃるなら、天の国の民になりたいと思うかもしれませんが、それよりは、神様の友人になることができれば、それを願うのです。それでは、友人になることを願いますか、それとも養子になることを願いますか。友人をやめて養子になることを願うのです。その次に、息子、娘になることができるなら、養子もやめるのです。このように見るとき、人間に最高を求める欲望を与えたのは、神様と関係を結べる対象の価値観が創造目的に設定されているからです。

それでは、神様にお会いすることだけを願いますか、神様と共に暮らすことを願いますか。結局は、神様の中に一つしかない、その愛を占領しようとするのです。人間の欲望が、神様の絶対的な愛を占領し、また何かを求めるようになれば、神様は何もできないのです。それ以上はあり得ません。ですから、神様の愛を占領したのちには、春の中の春、喜びの中の喜び、世の中のすべてのものが「私」の言葉によって動き、私の行動によって動くようになるのです。

5. 神様と人間の父子関係の決定

ここに立っている人は、神秘的な境地に入り、宇宙の根本が何であるのか、追求した時がありました。神様からの答えは、「父子の関係である。父と息子である」というものでした。一般の人であれば、自分の父母との関係と考えるでしょう。言い換えれば、自分を生んでくれた父と母であると考えやすいのです。しかし、それは神様と人間との関係のことを意味しているのです。

父子関係がもつ特定の内容とは何でしょうか。父と息子が出会う最高の場所はどこでしょうか。愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交をするその中心で出会うのです。そのように見れば、愛と生命と理想は一カ所にあるのです。その場所に行けば、神様も愛であり、私も愛であり、神様も生命であり、私も生命であり、神様も理想であり、私も理想になります。それを決定できる最初の関係と最初の統一の場所が、父子関係が結ばれる場でなければあり得ないのです。

それでは、例を挙げてお話ししてみましょう。皆様が父母を通して生まれるためには、父母の愛が芽生えなければなりません。互いに相対的関係が成立しなければなりません。そうして、その愛の環境、生命の一致点で、命が連結されなければならないのです。夫と妻が、互いに嫌だというのではなく、互いが理想的でなければなりません。夫婦が愛を結び、一つになってこそ、夫婦の愛が成立するのです。そうしてこそ、夫の愛は私の愛であり、夫の命は私の命であり、夫の理想は私の理想となるのです。反対に、妻の愛と生命と理想も同様です。そのように一つになった場で発生するもの、そのような統一的な場で生まれるのが子女です。

ですから、その子女は父母の愛の実現体であり、投入体です。父母の生命の延長体です。また、父母の理想の具現体です。皆様の中で、子女を生んで愛してみたことのある人たちは、分かるでしょう。その愛する息子に対して、「この子は、私の愛の実体であり、生命の延長体であり、理想の具現体である。第二の私である」と思うのです。出発から、愛と生命と理想的基盤の上で生まれたので、父母は、その子女を見れば見るほど愛らしく、見れば見るほど生命が躍動し、見れば見るほど理想的な相対として登場するのです。

6. 父母と子女としての神様と人間

神様がいるならば、その神様と人間はどこで連結されるのでしょうか。生命が交差する所、愛が交差する所、理想が交差する所です。その点は、どのような点でしょうか。父子関係にほかならないという結論が出ます。

このように考えるとき、私が神様と同等になることができるという喜びがどれほど大きいか、考えてみてください。そこに祈祷が必要でしょうか。「神様、私は罪人です」という祈祷が必要でしょうか。愛の主体であり、生命の主体であり、理想の主体なのに、祈祷が必要でしょうか。威信と体面を超越するのです。躊躇することなく神様をつかまえることができるのです。神様が私を抱き締め、なでてくれ、愛してくれることを体験すれば、骨が溶けてしまうでしょう。

ここに宗教指導者の皆様もいらっしゃると思いますが、そのような神様の愛を一度受けたことがあるでしょうか。そのような立場で呼吸をすれば、世界が出たり入ったりします。酒を飲んで酔うことより劣るでしょうか。神様の愛に入るようになれば、満たされないところがありません。六十兆個にもなる細胞までも踊りを踊るのを感じることができるのです。目は目で、手は手で、みな感じることができるのです。それ以外の他のものを持っていってあげても、みな満足しません。

そのような神様の愛があるので、人間の最高に高貴な欲望が、それを望んでいることを徹底して知らなければなりません。それがなくてはならないのです。皆様は、他人の父親を自分の父親であると信じるのですか、自分の父親を父親であると信じるのですか。神様について、そのような実感がなければなりません。神様と私たちの関係は、このように偉大であることを、間違いなく感じなければなりません。どんなに孤独で苦難の場にあったとしても、神様の愛の中に抱かれるならば、たとえ受難の道を行くことになったとしても、苦痛を感じないというのです。ここに賢い方々がみな集まっておられますが、皆様は、そのような境地を得ることができるなら、何億ドルを出してでも得ようとするでしょう。しかし、それはお金で買えるものではありません。骨髄からしみ出る愛の心情を説明する前に、主体と対象の情の流れが中から爆発しなければなりません。そこから始まるのです。

イエス様も、そのような価値の内容を通して見たとき、宇宙と生命を取り替えることはできないと言いました。神様と連結されるその生命には、愛があり、理想が通じるようになっています。生命と理想が自動的に連結されるのです。愛を中心として生命が躍動し、理想を中心として生命が躍動するようになっています。今、皆様は神様と私たちの関係と位置を知りました。兄弟同士、そのような立場に立つことができるでしょうか。できません。夫婦同士も、そのような立場に立つことができるでしょうか。できません。それを知るようになるとき、堂々と神様のみ前に出ていくことができるのです。しかし、今日、イエス様を信じる人々、キリスト教徒たちを見ると、「私たち人間は、罪人であり、被造物なので、価値がなく、イエス様は神様である」と言います。それで、どうやって神様と連結されるのでしょうか。

テモテへの第一の手紙第二章五節を見ると、「神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」とあります。それでこそ正しいのです。そうでなければ、この罪人たちが、どうやって神様のみ前に行くことができるでしょうか。そのような根本的な問題を理論的に、すべて整理しておかなければなりません。その方は罪のないお方であり、私たちは罪人です。これが違うのです。ですから、イエス様は、神様の愛と交流でき、生命と交流でき、理想と交流できるお方なのです。

私が、この宇宙の根本問題に突き当たって、これを解決しようとしたとき、このような内容を知って、心底から神様に感謝しました。これを知ることによって、本当の意味で人間の価値を知ることができ、本当の意味で人間の本郷を探し求めるべきであり、人類が暮らすことのできる祖国を建設しなければならないという考えをもつことができたのです。

7. 神様の完全投入体としての人間

皆様は神様に似ています。皆様は、皆様自身のために生きる時があります。神様は、天地万物と人間を造る前、御自身を中心として存在しておられました。それで、神様に似た私たちも、自らを中心として考える時があるのです。そのような神様が天地万物を創造し始めたのは、対象の世界を展開するためでした。結局は、別の自分の相対的存在をつくろうということです。それで、神様御自身を投入されたのです。見えない神様から見える神様へと展開させようということです。

創造の業を行うということは、力の投入を意味します。創造とは、力を消耗することです。投入したのですが、どのくらい投入したのでしょうか。人々は聖書を読んで、神様がみ言で「このようになれ!」と言って創造されたと思っています。しかし、そうではありません。そこには、真の生命を投入し、真の愛を投入し、真の理想を完全に投入したのです。

創造前と創造後が違い、創造する前は自分のことを考えましたが、創造を始めたときからは対象のために生きる時代へと転換されたのです。「私がいるのは、私のためにいるのではなく、相対のためにいるのであり、息子、娘のためにいる」と考えるようになったのです。

ですから、皆様はそれを知らなければなりません。愛や理想という言葉は、主体と対象との関係において使う言葉なので、理想的な存在の起源は、自分のために生きるところにあるのではなく、相対のために生きるところにあります。神様は、一〇〇パーセントを投入しても損をするのであれば、投入されないのです。返ってくるときに九〇パーセントになり、一〇パーセントが損害となれば、投入されません。それ以上に返ってくるものがなければならないのです。それで、一〇〇パーセント投入することによって、なかったものが生まれました。対象が生まれました。それだけではなく、その対象が、自分の望んでいた愛をもってきて、生命を刺激する理想的対象として現れるのです。神様も愛には引っ張られます。その対象が引っ張れば、引っ張られるのです。対象が好む所に神様も行くようになります。自分自身を見て喜ぶのではなく、相手を見れば見るほど喜ぶのです。人間の創造は、自己の完全投入です。人間は、それによる最高の傑作です。

有名な画家がいれば、その画家は、遊び半分で描いた絵を重要視するでしょうか。食事もせずに精神を集中させ、すべて投入して、一つ一つ慎重に自分自身の構想どおりにできた作品に対して、「傑作である」と言うでしょう。「その原画は自分が持ち歩き、保管し、愛したい」と思うのです。

ですから、真の神様は、相対をつくることに完全投入されることによって、より価値のある理想的な完全形を展開したのです。神様も、アダムとエバをお造りになってからは、アダムとエバのために存在しようとするのです。神様のためではありません。自分お一人でいた時から、相対のために生きる時へと展開されたのです。理想的存在は、自分を中心としません。理想的存在は、人のために生き、対象のために生きるところにあるのです。この原則が、宇宙の根本であることをはっきりと知らなければなりません。

8. 相対のために生きるとき永遠に存在する

ここに、ワシントンDCの有名な方々が来られていることと思います。「私なら、この先この国の大統領にもなることができ、どこに行っても、実力においても、何においても負けない、堂々とした私である。私は、自分のために生きる人である」という人がいるかもしれません。私たちは結果的な存在であり、神様に似ているので、神様が御自身のことだけを意識していた時があったように、皆様も、皆様自身のために生きる時があります。そうしてこそ、自分自身が成熟するのです。大きくなるのです。吸収し、成熟します。しかし、対象が現れるようになれば、自分を捨てて相対のために生きる時へと越えていかなければなりません。

男性として生まれた人は、自分のためだけに生きようとするのではなく、相対のために生きようとしなければなりません。男性は何のために生まれたのでしょうか。男性自身のために生まれたのではありません。女性のために生まれたのです。

また、どんなに美人で、またどんなに男性が嫌いな女性でも、なぜ女性として生まれたのかというと、自分のためではありません。相対のために生まれたのです。存在の起源は、私のために生きるところにあるのではなく、相対のために生きるところにあります。そのような世の中になれば、それは天国にほかなりません。

父母は子女のために生き、子女は父母のために生きるようになるとき、互いにために生き合うので回るようになるのです。ために生きれば生きるほど、早く回ることができます。四角ではなく、立体的に回るのです。ために生きることは、押してあげることです。あちらから私のために押し、私もあちらのために押してあげるので、早く回るのです。ですから、世の中は円形に似ています。顔が丸く、目も丸いのです。上部と下部がありますが、それが完全に与えて受けるようにしなければなりません。静脈と動脈も与えて受けるのです。与える道があるのに受ける道がなければ、病気になります。壊れてしまうのです。存在物は運動をしますが、その存在の根源においてために生きる作用の原則を立てなければ、永遠に存在することができないのです。

9. 善と悪の起源

人間にとって最も問題となるのは、善が何であり、悪が何かということですが、その基準が不確かです。神様と私の関係を知り、その関係が一致して、悪が何であり、善が何であるかということを確実に根本から見極めなければなりません。悪とは何であり、悪の定義は何でしょうか。

サタンが讒訴する条件をもつことが悪です。皆様は、それを知らなければなりません。サタンが讒訴し、そこに関係を結び得る内容をもつようになれば罪です。キリスト教徒は罪の根を知らなければなりません。

皆様は、神様の愛を受けていますか。皆様の父母や祖父母は、神様の生命と愛と理想を中心として一致できる立場で生きているでしょうか。そのような立場で生きている人が、どこにいるでしょうか。そのような人はいません。なぜでしょうか。堕落したからです。サタンが入ってきて、私たちを占領しているのです。サタンが讒訴し、関係を結び得る条件が罪であると言いましたが、結局は、創造の原則、本来の宇宙の根本原則に反対する立場に立つようになったのです。

皆様。人間は、対象の立場で神様を主体とするので、神様だけのために生きることに存在の価値があり、存在の起源があるというのが原則であることを知りました。しかし、悪の出発は、サタン自身が、「私が主体になろう。私が中心になりたい」と考えるようになったことから始まったのです。エバもそうでした。主体のために存在しなければならないのですが、「私のために存在せよ」と考えたのです。これが悪です。神様の創造の原則は、対象のためにあるものなのですが、対象を否定し、「私のために存在せよ!」というようになり、それを根本にしたということです。

皆様は、善悪の起源をはっきりと知らなければなりません。悪なる人とはどのような人かというと、「私のために生きよ。みな私のもとに来て屈服せよ」という人です。神様も、これを打ち砕かなければならず、イエス様も、これを打ち砕かなければなりません。ですから、「高ぶってはならない。自分の利益を求めてはならない。他のために犠牲になりなさい。奉仕しなさい」と語られたのです。

しかし、堕落して故障したために、これを原理原則どおりに合わせなければなりません。創造の法度に一致できるようにして、壊れたものを再び合わせるためには、再創造役事の過程を経なければならないのです。堕落は、自分を相手に投入せず、相手をして自分に投入させたことなので、宗教は、反対に自分を投入させるのです。

それで、宗教は「自分を犠牲にせよ」と言います。イエス様は、この地に救世主として来られましたが、「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるため」(マタイ二〇・二八)とおっしゃいました。また、イエス様は、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)とおっしゃいましたが、これは完全に投入することを意味します。また、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という言葉もそうです。今日、自己を主張する世界において、聖書を見ると、謎めいており、誰も好まないような内容になっています。すべてが反対になっているのです。

しかし、天理原則、ために生きる原則から見ると、聖書こそが正に真理なのです。すべてがぴったりと一致します。神様は、悪なるサタン世界とは反対の天国をつくるために、悪なる世界とは反対の道を模索せざるを得ません。それが宗教です。

10. より大きなもののために犠牲になるのが善

善の人と悪の人について、一つ例を挙げてみましょう。善の人は、十人の友人がいる場合、その十人の友人のために、朝夕に、今年も来年も十年後も、一生の間、世話をし、奉仕するのです。そのようにすれば、十人全員が、その人を最も良い友人であると言います。ですから、自分たちだけが好むのではなく、自分の母や妹がいれば、連れていって紹介しようとするのです。

しかし、十人の友人に、「おい! こいつめ。私のために生きよ」と三度も言えば、友人たちは逃げていきます。彼がついて来るのではないかとおびえて、逃げていくのです。皆様、そうではないですか。それはなぜでしょうか。自分を中心として主張する人は滅びます。地獄に行くのです。しかし、原理原則に入って、人のために、相対のために投入する人は天国に行くのです。

人類のあらゆる教育理念や指導理念において、漠然とでも、このような観点から善を立ててきたので、今日、この地球星が残っているのです。ある個人が全体のために犠牲になれば、彼は全体の前に善の人であり、ある家庭が全体の家庭のために犠牲になれば、全体の家庭の前に善の家庭として登場するのです。また、ある民族が全体の民族のために犠牲になって進み出るならば、その民族は善の民族として登場するのであり、ある国が全世界の国家のために犠牲になって進み出るならば、その国家は善の国家として登場することを知らなければなりません。

それが神様のみ旨ならば、イエス様を送ったのも、そのようなみ旨を成就するために送ったのです。それで、キリスト教徒たちは、人類を救うために自分の国家を犠牲にし、自らのすべてのものを犠牲にして、投入していかなければならないのです。そのようにしていれば、キリスト教は世界の前に、善なる神様のみ旨のために生きる教会になっていたはずです。神様は、世界を救おうとするのであって、長老派なら長老派、メソジスト派ならメソジスト派、ホーリネス派ならホーリネス派一つだけを救おうとはされません。長老派だけを中心とする神様にはなれません。世界のために生きる神様です。教会が真の教会ならば、世界のために犠牲になりなさいというのです。世界を生かすためには、その教会がたとえ滅びるようになったとしても、犠牲にならなければなりません。これが原則です。そうしてこそ、神様のみ旨が成就されるのですが、教会を中心として世界を審判しながら、「我々でなければならない。我々のために生きよ」と言いながら自らを絶対視する教会は滅びます。

悪なる世界をどのようにして整理するのですか。皆様、どのようにするのですか。神様の天理原則によって教育し、根本的な道理を見極め、全世界を統一しなければなりません。そこから悪を処断できる起源が生じるのです。自分を中心とする主義を壊してしまわなければなりません。

皆様。家庭において問題になることは何でしょうか。夫は「いつも自分のためにいなければならない」と言い、妻は「私だけのために生き、私だけを愛してほしい」と言います。「自分だけを愛しなさい」、これがサタン的な立場になるので、神様が離れるのです。父母は息子、娘を育てて「自分たちのために生きなさい」と言い、息子、

娘は父母に対して「自分たちのために生きてほしい」と言い、互いが「自分たちのために生きなさい」と言っているのです。

今日、世界の外交問題においても、他の国をだまし、翻弄しようとする国は滅びます。この地上で「私たちの国は滅びたとしても、神様のみ旨と世界を救うことができるなら犠牲になろう」という国があるでしょうか。アメリカが外国のために協助したとき、アメリカは全盛期にありました。しかし、「ああ、世界が栄えても私たちの国が滅びれば元も子もない。世界を投げ出して、私たちの国をしっかりつかまなければ」と考えています。

この原則から見れば、神様はアメリカから離れなければなりません。もしも「世界は統一教会のために存在しなければならない」と言ったとすれば、統一教会は滅びます。しかし、「統一教会があるのは世界のためである」と言うときは栄えるのです。ですから、統一教会の青年たちが皆様のところに何度も訪問しては煩わしくしたかもしれません。

イエス様が「だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」(マタイ五・三九)とおっしゃったのは、完全に与えなさいということです。「右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と言ったのです。そのようになれば、返ってくるのです。完全に与えれば、返ってきます。天地の原則はそのようになっているので、イエス様も、ローマ兵たちに十字架に架けられ、槍で胸を突き刺されても、福を請いながら死んでいったのです。それはどういうことでしょうか。完全に投入して行こうということです。そのようにすれば、怨讐の国までも戻ってくることを知っていたからです。それで、ローマ帝国がキリスト教の国になったのです。キリスト教になったというのです。

このように、歴史的な方向を引っ繰り返してしまわなければ、神様のみ旨は成就されません。このことについて、皆様はこれまで漠然と考えてきました。何か善で何が悪なのかを知らずに、ただこのように聖書を待ち歩きながら讃美歌を歌い、信じて天国に行くのだと言って教会に通っていたのです。それではいけません。

天国に行くために信じるのではなく、世界を天国にするために信じなければなりません。神様がこれまでそのようにされました。神様が御自身のためだけに生きられたなら、既に摂理も何もみな投げ出してしまっていたでしょう。

11. ために生きよ

アメリカの国民は個人主義思想を尊重していることを知っています。主体と対象の関係を忘れた個人主義はあり得ません。ですから、アメリカは袋小路に差しかかっているのです。このようなアメリカを救うことのできるただ一つの道は、どこから出てくるのでしょうか。今こそ、キリスト教の精髄の路程を明らかにし、神様の本然の生命の道を探さなければならないのです。この道以外にはないのです。そのような意味で、この時代においてミスター・ムーンは、皆様が歓迎しなかったとしても、必要な人ではないでしょうか。

神様は、天理原則を通し、「あなた個人は家庭のためにあり、家庭は民族のためにあり、民族は国のためにあり、国は世界のためにあり、世界は神様のためになければならない」とおっしゃっています。その神様に従うならば、神様のものであると同時に私のものになります。神様のためのものが、私のためのものになります。ですから、私のものは家庭のものであり、家庭は国のものであり、国は世界のものであり、世界は神様のものであり、神様のものは私のものになるのです。全世界が私のものになり、宇宙が私のものになるのです。

皆様。国のために生きる人が忠臣であることを知っています。そして、国の思想的中心存在としてその人に侍ります。このように、一つの国の中心存在として登場することを知らなければなりません。皆様は、このような偉大なことを発見しなければならないのです。若い青年たちが、このような言葉を聞けば、「ふん! ミスター・ムーンは古くさいことを言う。そのようにして、この悪の世界でどうやって生きていけるのか」と言うでしょう。しかし、そうではありません。ために生きれば生きるほど、より大きな中心存在になることを知らなければなりません。

ために生きる人は、主体になるのです。なぜかといえば、神様がために生きる創造理想をもって、これまでために生きてきたので、そのような神様に似てために生きれば、中心にならざるを得ないのです。悪が何かといえば、「あなたのものも私のものであり、私のものも私のものである」と主張することです。今日、民主世界が世界的に発展したのは、博愛思想、ために生きる思想があったからです。共産主義は、ますます崩れていくのです。なぜなら、「共産党のためだけに生きよ」と主張するからです。ですから、それは台頭しないというのです。

神様は、堕落した世界とは異なる別の世界を創建するために宗教を掲げましたが、宗教はそのことを知りませんでした。しかし、はっきりと線を引き、右なら右、左なら左と分けなければなりません。皆様は、善悪について、今後行くべき方向をはっきりと理解されたことと思います。

12. 神様が願われた人間と、イエス様をお送りになった理由

病気になったので医者が必要であり、故障したので修理工場の主人が必要です。個人的に故障し、家庭的に故障し、国家的に故障し、世界的に故障したのです。それでは、故障する前の人間、本来、神様が完全であられるように完全な愛と完全な生命、完全な理想に一致する人が、どのような人であるかということについて、一度お話ししようと思います。

皆様は、神様の愛を受けていますか。受けることができずにいます。息子、娘が大きくなれば、神様の愛の中で結婚式をしなければなりません。そして、罪のない息子、娘を生まなければなりません。皆様は、罪のない息子、娘を生んだことがありますか。罪のない息子、娘を生むためには、イエス様を信じなければなりません。ですから、メシヤが必要なのです。

その方は、罪のない父であると同時に、罪のない祖父にならなければなりません。この世界には、サタンの国があり、王がいますが、罪のあるその王たちが、神様に対して悪を働きます。それでこの地上に、彼らよりも良い、完全な王、完全な女王がいなければなりません。そのような人を、いつ神様が得たでしょうか。得ることはできませんでした。なぜ、得ることができなかったのでしょうか。サタンのためです。ですから、サタンを追放し、神様が個人的に愛し、家庭的に愛し、国家的に愛し、世界的に愛することのできる、そのような国と国民と息子、娘と家庭をもちたいと願うのは、当然の道理であるといえます。

私たちは堕落した先祖をもっています。堕落した祖父母、堕落した父母、堕落した民族、堕落した国家、堕落した世界をもっています。堕落していない世界とは関係のない群れになってしまいました。これを一度に、個人的に修理し、家庭的に修理し、氏族的に修理し、民族的に修理し、国家的に修理して、一つの国家を立てるために準備したのがイスラエル選民です。イエス様が来られた目的はそこにあったのです。イエス様は、堕落していない完全な人として来られました。ですから、完全な家庭をもち、本然の祖父となり、王とならなければなりませんでした。そのようにするために、神様がお送りになったのです。神様は、対象としてアダムとエバ、男性と女性をつくられましたが、彼らが堕落してしまったので、二人とも修理工場に預けなければなりません。

しかし、イエス様は完全なアダムの完成者として来られたので、新婦を迎えなければなりません。新婦が必要なのです。新婦を迎えて結婚していたならば、イエス様の息子、娘はいるでしょうか、いないでしょうか。その息子、娘は、罪があるでしょうか、ないでしょうか。今日のプロテスタントやローマ・カトリック、長老派といった教派はすべて存在していません。イエス様は王になったことがあるでしょうか。そのようになってこそ、完全な人ではないでしょうか。それができなかったので、再び来なければならないのです。第一イスラエルがそれを成し遂げることができなかったので滅びました。そこで、第二イスラエル圏となるのがキリスト教です。

原因と結果は同じであり、主体と対象も同じです。イエス様がそのような目的で来られたとすれば、神様が主体であり、イエス様とイエス様の新婦となる人が対象であるなら、人として来なければなりません。「小羊の婚宴」とは何でしょうか。六千年前に、「神様は愛と生命と理想の主体である」と言える人がいれば、呼んで祝福し、人類の善の先祖としていたはずです、そのとき開かれる祝宴が「小羊の婚宴」です。そのときに人類の先祖になることができなかったので、終末に至って再び祝福し、神様が人類の前に善の先祖として即位させるのです。

無形の父母と実体をもった父母を中心として、無形の神様と実体の神様が一つになるところで息子、娘を生んでこそ、永遠の無形の霊をもち、実体をもった人が出てくるのです。私たちの霊的注入は、神様とイエス様と新婦が一つになったところにおいて、すなわち霊的なプラス・マイナスと実体的なプラス・マイナスが一つになったところにおいて、零と実体が一つに合わさることによって行われるのです。そこから生まれた息子、娘は、永生の霊を受け、永遠の実体として、罪のない息子、娘として生まれます。ここから、永生する生命が始まるのです。そのようになれば、霊的な父を呼び求めることができ、実体的な父を呼び求めることができます。二人の父を知るのです。しかし、堕落したために、皆様はそのようになっていません。

13. 神様の最大の願いは地上天国

神様とアダムとエバが、永遠の生命と理想を持って縦横で一つになれなかったことを、人類の終末時代において、初めて霊的な神様と実体の真の父母が一つになり、霊肉で地上と天上が和合する所に、子女の名分を復帰するようになるのです。そうすることによって、神様の愛を受けることのできる息子、娘の位置に入ることができます。そのような罪のない父母から、罪のない息子、娘、罪のない氏族、罪のない民族、罪のない世界を一度に接ぎ木しなければならなかったのが、イスラエル民族でした。これを成し遂げることができなかったので、主は再び来なければなりません。

神様の愛と神様の命と神様の理想が、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的に一つになり、サタンが讒訴できず、サタンの痕跡のない、そのような世界になってこそ、この地上が天国になるのです。神様と私たち人間が、完全に主体と対象の父子関係として、完全に罪なく聖別された父子関係として、完全に聖別された神聖なみ旨の中で一致し、真の父母と共に真の子女、真の氏族、真の民族を中心として地上天国を成就することを願うのが、神様の人間に対する最高の願いです。

神様の永遠の愛と命と理想が、どこにでも連結されるようにしてこそ、地上天国になるのです。ために生きる世界になって、初めて地上天国になるのです。そのような世界を願うのが、人間に対する神様の希望であることを、皆様が今晩、記憶してくださることを願います。そのようにできる皆様になることを願って、このようなお話をした次第です。ありがとうございました。

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第一篇 3 ために生きる世界

第一篇 3

ために生きる世界

日付:一九七五年一月十六日

場所:韓国、ソウル、朝鮮ホテル

行事:「希望の日」韓国晩餐会

今晩、各界各層の著名な先生方がこのように多数参席され、私のために祝賀の夕べを盛況のうちに開いてくださり、心から感謝申し上げます。ここに立っている者は、皆様も御存じのように、韓国やアメリカで、物議を醸している張本人ですから、「いったい、あの文某はどんな人か」という思いで、この場に参席された方も多いことと思います。

1. 愛と理想と幸福は独りで築き上げることはできない

人にとって、食べること、見ること、聞くことは、大きな満足と刺激になるものと思います。おいしいものを、より一層おいしく食べられるようにと、私たちのために音楽でお力添えいただく金康燮(キムカンソプ)KBS軽音楽団団長とその団員の皆様に、拍手で感謝の意を表しましょう。また今晩、お客様をもてなすために御苦労される朝鮮ホテルの係りの皆様にも、心から感謝申し上げます。

今晩、このようにお集まりになった皆様の前で、いったい私はどのような話をしようかと考えてみました。しばらく挨拶を申し上げて終えればよいのかもしれませんが、そのまま座ってしまえば、皆様が「文某に会ったら何か話をすると思っていたのに何も話さなかった」と、物足りなさを感じられるのではないかと思いますので、今から私の所見をしばらくお話ししようと思います。

昔から人類は、永遠にして不変の真の愛と理想と幸福と平和を思い描いてきたことを、私たちは知っております。しかし、今日私たちが生きているこの世の中とこの時代は、不信の世の中であり、混乱した時代です。このような中で、人間が願う要件を求めて成就することは、既に不可能な段階に直面していることを、私たちは直視しているのです。

人間は、できる限りの努力をしてみましたが、このような要件を充足させられない現在において、私たち人間によってはこれが成就できないとすれば、人間を超えた、永遠不変で真の絶対者を探し求め、そのお方に依存する以外にないのです。そのお方が、真の愛、真の理想、真の平和、真の幸福を念願されるなら、そのお方を通してこそ、それが可能になる道があると、私たちは考えざるを得ません。そのような立場で考えるとき、そのようなお方がおられるとすれば、そのお方は神様でないはずはありません。

神様は、愛の王となるお方であり、理想の王となるお方であり、平和と幸福の王となるお方です。そのお方を通して、このように人類が追求してきた理想的な要件を成就するためには、そのお方が提示する内容を私たちが知って、それに従っていかなければならない、という結論を下すことができるのです。これは当然の結論です。

私たちが考えてみても、愛や理想、幸福、平和というものは、独りで成立するものではないことを知っています。それは必ず、相対的な関係において成立するものなので、いくら神様が絶対者としておられたとしても、その神様が望む愛と理想と幸福と平和は、神様お独りでは築くことができないのです。神様御自身にも、必ず相対が必要だということは、必然的な帰結なのです。

それでは、「いったいこの被造万物の中で、神様の対象になるそのような存在がどこにあるのか」と反問すれば、それは言うまでもなく、人間以外にはないと結論を下すことができます。神様の理想を成就することができ、神様の愛を完成することができ、神様の幸福と神様の平和を完結できる対象が人間であるという事実を、私たちは想像もできなかったのです。神様お独りで愛そうとしても何にもならず、神様お独りで理想を得ようとしても何にもならず、神様お独りで平和で幸福に暮らしたからといって、それで何だというのでしょうか。必ず相対となる人間を通さなければ、このような要件を成就できないことは当然の結論です。

2. 対象的存在がより一層よくなることを願う神様

このように考えてみるとき、私が皆様に一つ尋ねてみたいことは、ここに著名な方々がたくさん来ておられますが、皆様が若い頃、自分の結婚相手を選ぶ時に、劣った人を願ったのか、それとも優れた人を願ったのかということです。このように尋ねれば、皆様は誰もが、「優れた人を願った」と答えるでしょう。また、ある美男と美女が結婚して赤ん坊を生んでみると、両親の顔に比べて不器量な赤ん坊だったとしても、その赤ん坊を眺めながら、「この赤ちゃんは、お父さんやお母さんよりも良い顔立ちをしている」と言えば、その父母は、耳の下まで口が裂けそうになるほど満面の笑みで喜ぶのです。

このような事実を考えてみると、「いったい人間は誰に似てこのようになったのか」ということを、私たちは考えざるを得ません。人はあくまでも結果的な存在であって、原因的な存在ではありません。結果的な存在がそうだとすれば、原因的な存在がそのような内容をもっているために、そのような結果になったというのは当然の結論です。ですから、私たち人間が神様に似たために、そのようになっているという結論が出るのです。

神様に「あなたの対象である存在が、神様よりも立派であることを願いますか、劣ることを願いますか」と質問すれば、神様もやはり「対象的な存在が自分よりも立派になることを願う」と答えざるを得ないでしょう。したがって、私たち人間も、自分の息子、娘が、自分よりも立派になることを願わざるを得ないというのは、当然の結論なのです。私たちが単に人間自体を見るときには何でもないようですが、このような原則を通して見るとき、私たち人間自身は、本来、神様よりも立派になることを願われ、神様よりも価値あることを願われた存在であるという事実を、私たちは今まで知らなかったのです。

今日の既成の神学では、創造主と被造物は対等な立場に立てないと言います。もしそうであるとすれば、その創造主の前に、愛の実現、平和の実現、理想の実現、幸福の実現は不可能なものになってしまうのです。

このような立場から見るとき、本然の人間は、神様よりも価値があり、より立派になる、そのような対象の資格をもった存在であり、子女の価値と資格をもった存在であることを、今日の私たち人類はついぞ考えたこともないのです。

このような観点から、今晩ここに参席された皆様は、私たち自身が今から神様のみ前に対象として立つのはもちろんですが、神様の対象として高い価値をもっており、より高い子女の価値をもっているという事実を、肝に銘じなければなりません。

ですから、もし神様が永遠であるとすれば、私たち人間も、地上で一時存在したのちに無になってしまう、そのような存在ではありません。地上で暮らす私たち人間も、愛する対象に対しては、一時いたのちに無になってしまうことを願う人は誰もいないことを知っています。愛する子女と離れて暮らすことを望む人はいません。このように見るとき、神様が永遠であり、唯一であり、絶対的であられる以上、神様の対象である私たち人間自体も、永遠であり、絶対的であり、唯一の価値ある存在でなければならないのです。これは極めて理論的な結論であると言わざるを得ません。

ここに参席された多くの先生方の中には、宗教を信じず、信仰生活をしない方々がいらっしゃるかもしれませんが、このような理想的要件を中心として、神様がおられ、その前に私たちは対象の価値をもった存在なので、神様がそうであられるなら、私たちも神様のように永遠の存在にならなければならないのです。ですから、永生するという言葉は妥当な結論です。今晩ここに参席された皆様が、このことさえ記憶されるならば、皆様の生涯において、より生き甲斐のある人生が始まると思います。

3. 理想的な存在の起源はために生きるところにある

そうだとすれば、知恵の王であられ、全体の中心であられる神様は、真の理想や真の幸福や真の平和といったものの起源を、主体と対象、この両者の間のどこに置くのでしょうか。これが問題にならざるを得ません。主体がある一方で対象があるのですが、主体のために生きる道と対象のために生きる道、この二つの道の中で、神様は理想の要件をどこに置くのかということが問題にならざるを得ないのです。ですから神様は、真の理想、真の愛、真の平和を築くに当たって、対象が主体のために生きるところにその理想的な起源を置くのか、反対に主体が対象のために生きるところにその起源を置くのか、という問題を考えられたのです。もし神様がその理想的な起源を「主体である自分のために対象が生きよ」というところに立てたならば、すべての人も、「私のために生きなさい」という立場に立ったでしょう。

そのようになれば、一つになる道が塞がれ、分裂してしまうのです。一つになることができ、平和の起源となる道は、神様御自身のみならず、真の人間は、ために存在しなければならないという原則を立てるところにあるのです。ですから、真の愛、真の理想、真の平和、真の幸福などは、ために生きるところから離れては見いだすことができません。これが、天地創造の根本原則だったという事実を、私たち人間は知りませんでした。

真の父母とはどのような人かというと、子女のために生まれ、子女のために生き、子女のために死ぬ人であると言うことができます。そのようになってこそ、真の父母の愛が成立するのであり、真の子女の前に理想的な父母として登場できるのです。さらには、子女の前に平和の中心になるのであり、幸福の基準になることを私たちは知ることができます。

一方で、真の孝の道は、どこに基準を立てなければならないのでしょうか。その反対の立場です。父母のために生まれ、父母のために生き、父母のために命を懸けて尽くす人が真の孝子になれるのです。このようにしてこそ、父母の前に理想的な子女となり、心から愛することのできる子女になり、幸福と平和の対象になることができるのです。このような基準から見ると、私たちがここで一つの公式を提示すれば、ために存在するところでのみ、このような理想的な要件、すなわち真の愛、真の幸福、真の平和を見いだせることが分かると思います。

4. 宇宙創造の原則と人間の幸福の起源

それでは、真の夫とはどのような人でしょうか。生まれるのも妻のために生まれ、生きるのも妻のために生き、死ぬのも妻のために死ぬという立場に立った夫がいれば、その妻は、「夫は真の愛の主人であり、真の理想の夫であり、真の平和と幸福の主体としての夫に間違いない」とたたえざるを得ないのです。その妻の場合も同じです。この公式を大韓民国に適用してみれば、大韓民国の真の愛国者とはどのような人でしょうか。このように質問をしたならば、国のために生まれ、国のために生き、国のために困難な環境をものともせず、上は王のために、下は民のために生き、黙々と命を捧げた李舜臣(イスンシン)将軍のような方を挙げざるを得ないのです。

また、範囲を世界に広げ、歴史路程において、聖人の中で誰が最も偉大な聖人かと尋ねれば、私たちはこの公式を適用して、その人をすぐに探し出すことができます。その方は、誰よりも人類のために生きた人でなければなりません。ここにキリスト教を信奉しない方も参席されていると思いますが、私の知るところでは、人類のために来て、人類のために死ぬだけでなく、自分が憎んで当然の怨讐、自分の命を奪う怨讐のためにまで祈ってあげたイエス・キリストこそ、歴史上にない聖人の中の聖人と見ざるを得ないことを、この公式を通して結論づけることができるのです。このように、宇宙創造の原則と人間の幸福の起源が、ために存在するところから始まったことを、私たちは考えなければなりません。

例をもう一つ挙げると、異性がなぜ生まれたかと尋ねてみれば、きょうここに著名な方々が大勢集まりましたが、多くの男性の方々は、「私自身のために生まれた」と考えやすいのです。自分は自分のために生まれたと、今まで考えてきたはずです。本来、男性が生まれた本意がどこにあるかというと、実は、女性のために生まれたのです。女性のために生まれたという事実は、誰も否定できません。

相対的な立場から見ると、男性は肩幅が広く、女性は腰のほうが広くなっています。ニューヨークのような所に行ってみると、地下鉄が満員の時に窮屈な椅子に座っても、上が広い男性と下が広い女性が座れば、ぴったりと収まるのを見掛けるのです。そのようなことを見ても、互いがために生きる相対的関係を形成するためにこのように生まれたことを、私たちは否定できません。男性は男性のために生まれたのではなく、女性のために生まれました。また、その反対に、女性も女性のために生まれたのではなく、女性も男性のために生まれたのです。

このような事実を自らが確信できないところで問題が勃発することを、私たちは知らなければなりません。これを天地創造の大主宰であられる神様が、創造の原則として立てたので、その原則に従っていかなければ、善で、真で、幸福で、平和な世界、愛と理想の世界に入ることはできないことを私は知っています。

5. 宗教の教えは本然の世界の法度に合わせたもの

皆様はよく知らないと思いますが、私は霊的体験、すなわち、霊界に関する内容を体験する機会がたくさんありました。神様がいらっしゃる本然の世界、今日、宗教で言う天国や極楽といった所の構造が、何を基準としてできているのかと尋ねるならば、答えは簡単です。神様のために存在する人たちだけが入る所であり、ために生まれ、ために生き、ために死んでいった人々が入っていく所です。それが私たちの本郷の理想的な構造なので、神様は、人間がその世界に訪ねてくることができるように、歴史過程で数多くの宗教を立てて訓練してこられたのです。

なぜ、宗教人は温柔、謙遜でなければならず、犠牲にならなければならないかといえば、本郷の法度がそのようになっているからです。本郷に入っていく時に備えて、その本郷に適合するように、地上生活の過程で訓練させざるを得ないので、高次元の宗教であるほど、より次元の高い犠牲を強調し、奉仕を強調するのです。その世界に一致させるという理由から、そのように強調せざるを得ないのです。

このような事実から推測してみるとき、歴史の進行過程で神様が摂理してこられたことを是認せざるを得なくなります。聖書がどんなに膨大な経典から成り立っているといっても、たった一言、「ために存在する」というこの原則にすべて一致するのです。

イエス様は「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)と語られました。このような逆説的な話をされたのも、結局は、本然の世界の「ために存在する」という原則に一致させるための方便にすぎないことを、私たちは気づくのです。

それでは、神様は、なぜ「ために存在せよ」という原則を立てざるを得なかったのでしょうか。そのいくつかの要因を挙げてみます。私たちの本心を推し量ってみるとき、ある方が自分のために心から命を懸けて尽くしてくれた事実があるとすれば、皆様の本心はそれに報いるときにどのように言うでしょうか。一〇〇パーセント世話になったとすれば、「およそ五〇パーセントはポケットに入れて、残りの五〇パーセントだけお返ししなさいと言うでしょうか、それとも、「一〇〇パーセント以上お返ししなさい」と言うでしょうか。そのように問うならば私たちの本心ははっきりと答えるでしょう。一〇〇パーセント以上お返ししなさい」と言うのです。

言い換えると、Aという人にBという人が、一〇〇パーセントだけお世話になったとすれば、Bはこれに報いるのに一〇〇パーセント以上を返すのです。そうするとAは、一〇〇パーセント以上返してくれたBに対して、パーセンテージをもっと高めて返したいと思うのです。このように与えて受けるところにおいて、与えて受ける度合が高まれば高まるほど、だんだんと多くなるので、そこから永遠という概念が設定されるのです。

永遠という概念、これは自分のために生きるところでは不可能です。運動するのを見ても、押してあげ、引いてあげるそのような相対的な方向が大きければ大きいほど、早く回ることが分かります。知恵の王であられる神様が、「ために生きよ」という法度を立てたのは、永遠に発展させるためなのです。その原則を知っておられるので、「ために存在せよ」という原則を立てざるを得なかったことを、私たちは考えなければなりません。

それのみならず、永遠の概念が成立すると同時に、そのようになれば永遠に発展し、永遠に繁栄するのです。現在の位置から前進し、発展するのです。現在の位置で発展的な刺激を感じることができてこそ、幸福になるのです。そのような要件をもっているので、神様は「ために存在せよ」という原則を立てざるを得ませんでした。

もう一つ、要因を挙げてみましょう。ある家庭で一番下の弟が、その十人の家族のために誰よりもために生きるなら、幼い弟であっても、父母も彼を前に立たせるようになり、兄弟も彼を前に立たせるようになるのです。そのようになることによって、日が経てば経つほど、家庭のために存在するその弟は、自動的にその家の中心存在として登場するようになるのです。

6. 理想的統一を成就する立場

神様がこの宇宙を創造されて以来、神様御自身が、ために存在するがゆえに万宇宙の中心として存在するように、ために存在する神様に似たそのような人が、いくら幼い弟であっても、いくら小さな息子であっても、彼は間違いなくその家系を中心として、中心的な立場に出るのです。今日、私たちはこれを知りませんでした。

ために生きるところから自分自らが後退するのではなく、ために生きれば生きるほど、その人は中心存在として決定されるのです。神様がそうなので、そのような立場に立った人は、神様が中心存在として立てざるを得ないのです。それだけではなく、そのような立場でのみ、理想的統一、完全統一を成就させることができるのです。

今日、他人から主管されることは死んでも耐えられない、そのような人たちが多いことを、私たちは知っています。特に高名な有識者の人たちに、そのような姿を多く見掛けます。しかし、一つ知らなければならないのは、ために存在するその方に主管されて生きることが、どれほど幸福なのかという事実を、夢にも思わなかったということです。千年、万年、支配されても感謝するそのような理想的統一圏が、その場で成立することを知っているので、神様は「ために存在せよ」という原則を立てざるを得なかったのです。

もう一つの要因は、今日、皆様は「愛は私の愛である。理想は私の理想である」と思っています。しかし、そうではありません。愛は自分から始まるものではなく、理想も自分から始まるものではありません。生命よりも貴い愛と理想は、もっぱら対象から得ることができるのです。今日、私たちは、そのようなことを思ってもみませんでした。

この高貴な愛と理想を受けることができ、それを得ることのできる存在が対象です。ですから、私たちが謙遜にその高貴な愛と理想を受け入れようとすれば、最もために生きる立場に立たなければなりません。そうしなければ、それを受けることができないので、神様は「ために存在せよ」という原則を立てざるを得なかったというこの一つの事実を、今晩ここに参席された皆様は記憶してくださるようにお願いします。

よく世の中では、「ああ! 人生とは何か」と言います。このように私たち人間には、人生観の確立、国家観の確立、世界観の確立、さらには宇宙観の確立、神観の確立が問題になるのです。それがどのようになっているのかということです。系統的な段階の秩序をどこに置くべきであり、その次元的系列をどのように連結させるのかという問題は、最も深刻な問題なのです。

7. ために存在するという新しい価値観が確立されなければならない

ために存在するというこの原則に立脚して、私たちの一生について見るとき、最も価値ある人生観は、自分が全人類のためにあり、全世界のためにあり、国家のためにあり、社会のためにあり、家庭のためにあり、夫のためにあり、妻のためにあり、子女のためにあるという人生観なのです。そのような立場で幸福な自我を発見できるなら、これ以上の人生観はないと思うのです。国家自体についても同じです。理想的国家はどのようにならなければならないのでしょうか。「国のためにだけ存在せよ」という国は、悪い国として指弾されてきたことを、私たちは歴史を通してよく知っています。しかし現在、全世界の国家の中で、世界のための政策を展開している国は一つもありません。

皆様もよく御存じのように、今日の共産主義世界は決裂する状況になりつつあります。

一九五七年を一つの起点として、共産主義世界が分かれた原因はどこにあるのでしょうか。それはソ連を第一とした共産主義が、スラブ単一民族を中心として世界制覇を夢見たからです。自分の民族だけのために生きる共産主義として登場したので、決裂が起こったことを私たちは知っています。

今日のアメリカも、民主主義の主導国家の立場から没落しつつある実情を私たちは直視しています。なぜそのようになったのでしょうか。世界のために生きる民主国家になるべきアメリカであるにもかかわらず、世界を捨てて自国だけのために生きようとするアメリカになったからです。今や後退の一途に立ったアメリカは、自らの力だけでは収拾する道がないと思われます。

このような問題について見てみるとき、今日、韓国でも一つの国家観の確立を提唱しているのを見ますが、アジアにおいて韓国だけを第一とした国家観を確立すれば、それは歴史の一時代と共に流れていってしまうのです。ソ連共産党がそうであり、アメリカ自体がそうです。今日、大韓民国はこのように国は小さく、少数の民族ではありますが、世界のために生きる民族思想をもつならば、万一、国の形態がなくなったとしても、二十一世紀や二十五世紀、あるいは三十世紀になって、韓国はきっと世界を指導するでしょう。このような公式的帰結によって、私たちは結論づけることができるのです。

真の国家とは、世界のために生きる国家です。また、真の世界とは、世界のためだけに生きるのではありません。その世界自体は結果的な位置にあるので、動機の起源となる絶対的な神様がいるとすれば、その神様の観点と一致する思想的体系をもたなければならないのです。自分のために生きる内容の思想をもっていては、世界を指導し、解決していくことはできないと見るのです。家庭の天国とは、どのようなものでしょうか。妻が夫のために一〇〇パーセント存在し、夫が妻のために生き、彼女のために死ぬという立場に立つとき、その家庭こそが天国に違いないのです。

格言に「家和万事成」という言葉があります。国が栄えるのも同じです。国を治める主権者は、自分の存在の価値が、自分の主権を行使するところにあるのではなく、国民のために生きるところにあり、その国民は、国民自体のためよりも国のために生きるところにあるのです。そのようになった場合には、その国は天国になります。このような公式的な原則を拡大していくことによって、国家と民族を超越し、互いにために生き合う世界を築くならば、その世界が正に私たち人間の願うユートピア的な愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界であることは間違いありません。ために存在するというこの原則をもって進んでいくならば、どこにも通じない所はないのです。

私がアメリカに行って、短い期間で問題を提起し得た動機はどこにあったと思いますか。私は韓国人ではありますが、アメリカ人以上にアメリカを愛したところにあるのです。私は夜も昼もこの国のために血と汗を流し、アメリカの若者たちが崇高な思想をもてるようにするにはどうすべきかと考えながら努力したこと以外にはありません。私はために食べ、ために活動し、ために生きてきました。そのように生きてみると、個人とぶつかればその個人と一つとなり、団体とぶつかればその団体と和合するようになるのを見てきたのです。

8. 国連総会で韓国案が可決されるまでの事情

皆様はよく知らないと思いますが、今回の国連総会を中心として、韓国の問題がかなりの苦境に陥ったことを、私は知りました。私が知るすべての組織を動員して情報を得たのです。国連総会の議長からその補佐官、それから、そこに参席した各国の大使とオブザーバーたちが評価するのを総括的に見てみると、韓国の問題は既に希望がないということが決定的だったのです。

私は今まで個人的に見るとき、宗教指導者として、あるいは統一教会を創設し、指導してきた責任者として、「統一教会自体は統一教会のためにある教会になってはならない。

統一教会は国家のためになければならない。国家のみならず、世界をリードできる国家となるように導かなければならない」と思ったのです。説明も必要なく、宣伝も必要ないと思いました。

私は三十数カ国の宣教師を集め、三十四人の各国の代表者を選出しました。そして、日本の女性三十四人を彼らに付けて、六十八人のメンバーを国連総会に投入しました。一対一で、一人一人を捕まえて説得作業をしたのです。その内容とは何でしょうか。ほかでもありません。言葉が達者だからでもありません。「あなたたちは精誠の限りを尽くして彼らのために生きなさい! 会えば食べることから、話すことから、彼らのために努力しなさい」と言ったのです。

そのようにして、四十日の峠を越えると、彼らは私たちの活動に感服するようになりました。私が宗教を指導する一人の責任者として、韓国に対する世界の世論がどんなに不利だとしても、五十カ国の大使たちから北朝鮮の日本人妻の自由往来を推進するこの問題にサインさえもらうことができれば、間違いなく韓国の問題は勝利すると見たのです。そのような話をしても、彼らは信じませんでした。

国連総会には、世界の知性ある人たちが集まります。私たちの若者たちが行って、畏れ多くも彼らに対して口を開く自信がありませんでした。しかし、真心からために生きる立場で、そこをどこかの国の事務所ではなく、自分の事務所と思って、そこに行けば掃除をしてあげ、夜遅くまで、彼らを手伝えることなら夜の一時、二時でも意に介さずに車を動員する、そのような活動を背後で展開したのです。

皆様は御存じだと思いますが、テリータウンという所に私たちのみ迎賓館があります。ベルベディアという所を中心として、夜には七十カ国の大使たちを招待しました。そのように活動したところ、結局、彼らは完全に私たちの側へと引き込まれ始めたのです。そのような過程で明らかになったことですが、北朝鮮は既に第三世界圏、アフリカ地域の低開発国である国々に対して、国連総会でサインすることをすべて決定してきたというのです。彼らが秘密裏に語った内容を総合してみると、北朝鮮は既に五万ドルから十五万ドルに相当するお金をすべて支払い、決定した上で来たので、北朝鮮は、国連に派遣する代表団に対して勝利の祝杯を挙げて、派遣したことを知りました。

しかし、世界のために奉仕し、涙を流し、夜を明かしながら切実に事情を通告したあとの結果は、韓国の問題において、韓国の提案が六十一対四十二、北朝鮮の提案が四十八対四十八で、私たち韓国に勝利がもたらされたのです。私が、このような事実をお話しするのは、皆様に自慢しようというわけではありません。想像もできない奇跡が、この原則の基準に立脚して起こることを、私は生涯を通してたくさん体験してきました。

皆様。いったい統一教会とは何でしょうか。多くの神学者たちが歴史時代を経ながら、ローマ・カトリックとギリシャ正教を糾合しようと努力しましたが、全く糾合できませんでした。また、たくさんのプロテスタントが統合しようとしましたが、四百以上の教派に分かれました。このような実情にあるのですが、統一教会がいかにして宗教を一つにできるのでしょうか。

9. 統一教会が世界的に発展する理由

このようなことについて考えてみれば、文某という人は頭が少し足りないのではないかと考えるかもしれませんが、問題は簡単だと思います。統一教会員がキリスト教の牧師よりもキリスト教信徒を愛し、信徒たち以上にその牧師を愛することができれば、宗教を統一することが可能なのです。

今日まで、統一教会は二十年の歴史を過ごしてきました。皆様は、統一教会に関する様々なうわさと論難の言葉を聞いていることと思います。統一教会は、地で踏みつけられましたが、そこから世界的発展をしてきました。どのようにして発展したのでしょうか。民族が背反するときに、世界に向かっていく道があることを知りました。民族が行くべき正道は世界のために行く道なので、この道が間違いなく天理の原則であり、万民が行くべき共通の公式であれば、世界がそれを理解するようになるとき、この民族が自動的に理解するようになるという、このような原則に基づいて、血のにじむ迫害の中で、私たちは海外宣教を展開してきたのです。

例を挙げて話すならば、日本を開拓するようになったのは、今から十七年前の自由党の時でした。しばらく、梨花(イファ)女子大事件によって、文某という人間の評価は地に落ち、どうしようもない時でしたが、私は、日本の情勢が今後どのように回っていくのかを知り、アジアの情勢がどのように回っていくのか、私なりに感じたところがありました。

ですから、法治国家の一国民として、当時においては違法になるかもしれませんが、十年ないし五年のちには必ず大韓民国が、私たちを必要とする時が来ることが分かったので、私が犯罪人の烙印を押されたとしても、この道を断行する以外にはないと考えたのです。正に一九五六年、皆様も御存じのように、西大門(ソデムン)刑務所から釈放され、忠清南道(チュンチョンナムド)の甲寺(カプサ)に休養に行っているとき、そこに来ていた若い青年を呼んで、「あなたは日本のために密航するのだ。男が決めた道は、死を覚悟して行かなければならない」と訓戒したのです。

一九五五年十月に私が監獄から出てきてみると、その当時の統一教会の拠点はなくなり、一間の家までなくなってしまった立場でしたが、私は、国のため、アジアのために借金をして、一九五八年七月に宣教師を出発させました。そのような出来事がついきのうのことのようです。日本の統一教会は、そのような状況から出発しました。宣教師は逮捕され、収容所に拘禁されました。その人も大変なことになったのです。先生と固く約束をしたのに、基盤を築くどころか、牢屋の身になってしまったのですから、誰に哀訴するというのでしょうか。哀訴するところがないので、わざと体調を悪くさせたのです。そうして入院手続きをして、入院したのちに病院から脱出し、東京に行って始めたのが、今の日本統一教会です。

今では、日本の主要な政党が、私たちに諮問を要請する段階に入ってきました。彼らは国家の重要なことがあると訪ねてきますが、そのようになる段階にまで引っ張り上げたのです。そうしながら、この原則は天理が立てた原則であり、この原則どおりに押し進めていけば滅びないと教えました。この原則を知ったので、日本統一教会の若い青年男女の信徒たちは全国に広がり、「国家のための統一教会にならなければならない。アジアのための統一教会にならなければならない。さらには世界のための統一教会にならなければならない」と言って活動していくと、今日においては、日本国肉でも知られるようになったのです。

きょう、私が公式の席上で皆様にお会いして、このようなお話をするのは、統一教会の二十年の歴史において初めてです。私は、北米大陸を駆け回りながら残念に思いました。「この孤児のようなかわいそうな男は、信じない自分の国に後輩たちを残したまま、異国の国民の前に来て、信仰を願わなければならない哀れな立場にいるが、神様はこのような者を立てて役事されたのだから、私に協助される神様は御存じだろう」と思い、ひたすら神様にしがみついて力を尽くしてきました。結果は、名実共に新しい創造の歴史を招来するようになったことを体験したのです。

10. ために生きるところでのみ天国実現が可能

今晩ここに参席されている皆様も、「どのような人が悪の人であり、どのような人が善の人か」、これを何で測定するかということが問題だと思います。しかし、それは簡単なことです。その人がいくら宗教人であっても、「その人は天国に行くか、地獄に行くか」ということを何で測定できるのでしょうか。自分のために生きてきた生涯が多ければ、彼は地獄行きです。他のために生きた生涯が、自分のために生きた生涯よりも一パーセントでも多ければ、彼は地獄を越えて天国に向かう道に立つのです。ところが、自分のために生きた比率が高い場合は地獄に行くのです。

御高名な諸先生方。今まで私たちは大韓民国の国民の一員として、この国のために貢献してきました。各自、自分の置かれている位置で貢献してきましたが、それは誰のためのものだったのでしょうか。全国民が各分野において、このような思想で革命をした場合には、いくら大韓民国が悲惨だったとしても、希望があるのです。家庭でそうであり、社会でそうであり、為政者から、あるいは、団体の指導者から、この民族の精神風潮がこのような思想からなった場合には、この民族は絶対に滅びないのです。必ずこの民族はアジアに影響を及ぼすはずであり、世界に影響を及ぼすと思います。

このような観点から、私たちがいかにして理想的な体制を、一つの公式を通して探し出すことができるのかということを、結論的にお話しすれば、夫は妻のために生き、妻は夫のために生き、その夫婦は子女のために生き、家庭は氏族のために生き、その氏族は民族のために生き、その民族は国のために生き、その国は世界のために生きる、そのような国になった場合には、この国は滅びません。

神様がいらっしゃるならば、そのような人を求めるのです。神様は、世界万民を子女にしたいと思うのです。ですから、神様の目的は世界の人類を救うことです。さらには、宇宙を救うことです。国家や単一民族圏の枠を超えることのできないような宗教は、神様の全体のみ旨の前に立つことはできないでしょう。

神様は世界を救うことが主目的なので、それが可能な段階へといかに次元を高めて発展させるかという問題を考えてみるとき、原則は簡単です。家庭は氏族のためにあり、氏族は民族のためにあり、民族は国家のためにあり、国家は世界のためにあり、世界は神様のためにあればよいのです。そして、世界のために生きる人間でなければ、全宇宙を創造された全知全能であられる神様の子女となる資格はないのです。世界が神様のために生きる立場に立つならば、神様は世界のために生きる立場に立つのであり、国のために生きる立場に立つのであり、民族のために生きる立場に立つのであり、氏族のために生きる立場に立つのであり、家庭のために生きる立場に立つのです。

この話を別の言葉に言い換えると、自分のものは妻のものであり、その夫婦のものは家庭のものであり、家庭のものは氏族のものであり、氏族のものは民族のものであり、民族のものは国家のものであり、国家のものは世界のものだという観念をもったその世界は、結局、神様のものになるのです。神様のものであれば、それは誰のものでしょうか。「私」のものになるのです。そのような立場に立ってこそ、皆様の欲望を最高度に達成する立場に立つようになります。

皆様。そうではないでしょうか。人は誰しもが、「世界一になりたい」という欲望をもっています。そのような価値のある存在となるので、万有の中心である神様のものが、初めて「私」のものになり、そのような栄光の立場に人間は立つことができるのです。このように見るとき、ために生きるところでのみ、家庭天国の実現が可能であり、国家天国の実現が可能であり、世界天国の実現が可能なのです。それだけではなく、神様も人類と共に、「幸福で、理想的な園だ」と言いながら、踊って歌うことのできる世界へと連結されるのです。そのようなものが、正に宗教が目的とする天国であり、そのような天国が地上で築かれるので、そこが正に地上天国であるという結論が出るのです。

皆様。きょう、このような晩餐会を通して「ために存在する」というこの原則を心に刻んで、今からお帰りになりましたら、家庭や職場から、そのように実践する皆様になってくださることを願います。そのように暮らす自分を発見した場合には、皆様はより満ち足りたあすの希望をもつことになり、あすの開拓者としての中心的な責任を堂々と果たす自分を発見するでしょう。どうか、そのような皆様になってくださることを願いながら、皆様の家庭と皆様の社会とこの国に、より一層の神様の祝福があることを願います。「ために存在する」というテーマについて、今晩の挨拶に代えて皆様にお話ししました。これで私のお話を終えようと思います。

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第一篇 4 人類の新しい未来

第一篇 4

人類の新しい未来

日付:一九七五年四月十四日

場所:韓国、ソウル、奬忠(チャンチュン)体育館

行事:「希望の日」韓国九カ都市巡回講演

今晩、このようにお集まりいただいた紳士淑女の皆様に、心から感謝申し上げます。きょう、皆様と共に考えてみようと思うテーマは「人類の新しい未来」です。

現在、私たちは混乱した世界で暮らしています。中世以後、没落し始めた神本主義時代を経て、今は人本主義時代です。それのみならず、物本主義ともいえる唯物主義時代に置かれているのです。このような混乱した状況を経ながら、誰も明確な内容を提示できなかったために、今日、人類は脱イデオロギーという収拾し難い状況を迎えています。

1 絶対的神様の対象である人間の価値

今、問題となるのは、人がいないことでも、物質がないことでもありません。それは、神に対する明確な観が現れないことです。明確な神観を通して、人生観や歴史観を新たに設定しなければ、人類世界の新しい未来は現れることはないと思います。私たちがはっきりと神様を知るならば、中世に没落し始めた不明確な神観、現世の人本主義思潮、唯物主義思潮のすべての問題は解決すると思うのです。

ですから、神様は存在するかしないかということが問題にならざるを得ません。今晩、皆様に忘れ難い印象をいかに残してあげるかを、私は考えざるを得ません。

人間は今まで、真で永遠不変な愛と理想と幸福と平和を期待しない時がありませんでした。変わる人間を通しては、このような理想的な要件を成就させることはできません。これは、今日私たちが現時点において処している世界の状況を見つめてみれば、如実に証明される事実です。このような時に、絶対的で、永遠で、唯一で、不変であられる神様がいらっしゃるならば、そのような神様によって、新しい見地から、真の愛、真の理想、真の平和、真の幸福の起源を求めざるを得ないのです。そのような立場から、神様御自身から見る神観、神様御自身から見る人生観、神様御自身から見る物質観、これを明確にするところから、新しい平和と新しい幸福の世界を私たちは迎えることができると思うのです。

ここで問題となることは何でしょうか。いくら絶対的な神様だとしても、その神様お一人で愛や理想や幸福や平和というものを達成することは不可能です。愛や理想や平和や幸福といった言葉は、単独で成立する言葉ではありません。どこまでも相対的要件のもとで形成される言葉です。ですから、いくら絶対的な神様だとしても、その神様のみ前に相対がいなくなるときには、神様が願われる絶対的愛、絶対的理想、あるいは絶対的幸福、絶対や平和も成就しないという結論が出てくるのです。

そのような観点から見るとき、その絶対的な神様のみ前に対象的な存在として登場することができる存在とは何でしょうか。人間以外には、ほかの存在がいるとは考えられません。この人間だけが神様の理想を成就させることができる対象であり、神様の真の愛を完成させることができる対象であり、神様の幸福と神様の平和を完成させることができる対象の価値を備えているという事実を、私たちは考えもしませんでした。

神様は主体であり、人間は対象です。真の愛の王となることができる神様、真の理想の王となることができる神様、真の平和の王となることができるその神様のみ前に、対象である人間自体を見たときに、私たちは無限の価値をもった存在であることを知らなければなりません。

2 自分よりも優れていることを願われる神様

私が皆様に一つ尋ねてみたいことは、皆様が青春時代に、男性ならば男性が自分の結婚相手を選ぶ時に、劣った人を願ったのか、それとも優れた人を願ったのかということです。このように尋ねれば、誰もが、「優れた相手を願った」と答えるでしょう。また、ある父母に愛する子女が生まれるとき、自分よりも劣る子女が生まれるのを願う父母がいるかといえば、そのような父母はいないのです。自分よりも優れた子女、自分よりも立派な子女が生まれることを願うのが人間です。自分の相対や自分の子女が優れていることを願うのは、人間本性の欲求です。それは、人間が誰に似ているからでしょうか。人間はあくまでも原因的な存在ではなく、結果的な存在であることは否定できません。人間は自分の相対や自分の子女が優れていることを願うのです。それは誰に似ているからでしょうか。原因であられる神様に似ているので、そのように求めざるを得ないということは当然の結論です。

今日、人間は、自分の価値を取るに足りないものと考えています。「私など無価値な存在だ」と動物のように自分を扱う人がたくさんいます。きょう、皆様に一つ覚えておいていただきたいことは、神様は、皆様自身が神様よりも立派であることを願われているという事実です。このことを覚えてお帰りになれば、これは偉大な発見とならざるを得ないと思うのです。このような堂々とした人間の本然の価値を回復するところから、真の愛の世界へと行くことのできる道が生じるのであり、真の理想と真の幸福と真の平和の世界へと行くことのできる道があると思います。今までの神学者たちは、創造主と被造物は対等な位置に立つことはできないと考えてきました。

私たちは、「神様は愛である」と語っています。また私たちは、神様を理想的神様であると思っています。しかし、理想的であっても、一人でいてどうするのでしょうか。一人で幸福になれるのでしょうか。一人で平和や自由といったものがあり得るのでしょうか。このように見るとき、人間は本然の価値を喪失したのであり、本然の価値をもっていたならば、神様が尊敬する人間になっていたことは間違いありません。このような本然の価値を回復する人間の本性があるので、私たちは、最高の対象や最高の主体になることを願うのです。

堕落した人間たちの中で、自分の愛する対象の存在が、一年やあるいは十年ほどして消えてしまうことを願う人がいるでしょうか。愛を中心として対象は永遠です。永遠不変です。より次元の高い絶対的で唯一的な立場において、不変で絶対的な愛を求めるのです。堕落によって本然の価値を喪失した人間でもそのようなことを求めるのに、永遠不変で唯一の絶対者であられる神様が、その対象の存在がしばらく存在したのちになくなることを願われるでしょうか。それは願われないのです。神様は永遠のお方なので、その対象的な愛の存在である人間も永遠であることを願うのは、理論的な当然の結論です。

皆様が一つ、はっきりと悟らなければならないことは、人生は永遠でなければならないという決定的な結論です。そのようなレベルであってこそ、「人間が万物の中で最も貴い(万物之衆唯人最貴(マンムルチチュンユインチェキ))」という言葉が成立するのです。ですから、人生は永遠でなければならず、人生は不変でなければならず、人生は絶対的でなければならず、人間は唯一的な存在にならなければなりません。なぜでしょうか。神様が主体なので、その愛と理想と幸福の対象である人間もそうでなければならないからです。

今、皆様は、主体と対象の関係において、理想の実現が可能であり、愛の世界が可能であり、また幸福の世界が可能であり、平和の世界が可能であり、真の自由の世界が可能であることを知りました。主体と対象の観念を、皆様は今はっきりと知ったのです。

3 天地創造と堕落の起源

私たちは今まで、天地創造の理想的起源をどこに設定するのか、という問題を考えもしませんでした。創造というその言葉自体は、何を意味するのでしょうか。すべてのものの投入を意味します。思いを形にするためには、それに相当する自分自体の力を投入しなければなりません。投入するところから存在が始まるのです。

主体と対象の関係について、神様が考えるならば、道は二つしかありません。一つは、神様を中心として対象が主体のために生きる道と、もう一つは、神様御自身がその対象である人間を造って、人間のために生きる道、この二つの道しかありません。ここに神様の理想的根源地を設定しなければなりません。もし「主体となる神様に、対象的なすべての存在は絶対服従せよ。主体だけのために生きよ」と言う場合は、どうなるでしょうか。神様が男性的主体として存在されるように、男性と女性を中心として、男性が主体で、女性が対象であるならば、その男性が女性に「主体のために生きよ」と言えばどうなるでしょうか。ここには一つになる道が塞がってしまうのです。しかし、知恵の王であられる神様が、「対象のために生きよ」という立場を設定するときは、すべてが一つになることができるのです。ですから、天地創造の理想的起源は、「自分のため生きよ」というところに置くことはできず、「相対のために生きよ」というところに置かざるを得ないという事実を、今、私たちは知らなければなりません。

それでは、堕落とは何でしょうか。人間は神様のために存在するようになっており、また神様は人間のために存在するようになっています。互いのために存在する原則を立てました。しかし、このような原則から外れ、人間自体が自主的自我を自覚し始めたことが堕落です。言い換えれば、自分を中心としてすべて「ために生きよ」というところに自分自身を立てようとしたのです。ここから堕落の起源が生じました。天理原則から外れ出したのです。

4 ために存在する原則

人間が神様を手本として、神様から教育を受け、神様のために存在していれば、そこから理想世界の実現が可能だったにもかかわらず、そうすることができず、人間自体を中心として主体性を強調したので、堕落が起きたのです。このような事実は、聖書を通して如実に証されています。ですから、ここに一つの公式的結論を下すならば、「すべての理想的創造物は、ために存在する」という原則が成立するというのです。真の父母とは、子女のために生まれ、子女のために生き、子女のために死ぬ父母です。その父母は、息子にとって真の愛の父母であり、真の理想の父母であり、真の幸福の父母であり、真の平和の主体的な父母です。真の孝子がどこにいるでしょうか。人が生まれたのは、自分のために生まれたのではなく、父母のために生まれたのであり、生きるのは、自分のために生きるのではなく、父母のために生きるのであり、死ぬのは、自分のために死ぬのではなく、父母のために死ぬ、そのような人が孝子です。

それでは、男性が生まれるようになった理由は何でしょうか。男性自身のためではありません。女性のために生まれたのです。女性が良い服を着て、顔を化粧するのは、誰のためにするのでしょうか。自分のためにする女性がいるでしょうか。男性のためにするのです。女性が生まれるようになった理由は男性のためです。互いのために存在しているにもかかわらず、自分のために生まれたと考えるところから問題が起こるのです。

それでは、理想的な夫とは、どのような人でしょうか。いつも自分だけのために生きてほしいと考える人が理想的な夫でしょうか。違います。真の夫、真の妻はどこで見つけることができるでしょうか。男性が、妻のために生まれ、妻のために生き、妻のために死ぬというその立場でのみ、「ああ! 理想的な夫であり、永遠不変の私の愛の主体である」と言うことができます。ですから、そのような夫をもつ妻は「私は幸せな妻だ」と言うことができるのです。またそのような家庭が平和の家庭に間違いないという話が成立します。しかし、「私のために生きてほしい」と考える夫をもつ女性は不幸であることを、私たちはよく知っています。このような観点から、ために存在するという原則を宇宙創造の起源として設定された知恵の王であられる神様を、私たちは高らかに称賛しなければならないのです。

私たちは、今ここで一つの結論を得ました。ために存在するところでのみ、真の愛は始まり、真の理想が始まり、真の幸福が始まり、真の平和は始まるという、この公式を、私たちはここで設定できるのです。神様がこのような宇宙創造の公式を設定したとすれば、この公式を通してこそ、神様が願われる愛も、神様が願われる理想も、神様が願われる幸福も、神様が願われる平和も可能なのです。それ以外に、これはあり得ないということは当然の結論です。

5 愛国者、偉人、聖人は最も大きなもののために生きる人

この公式を適用すれば、真の愛国者とはいったいどのような人かというとき、彼は、生まれるのも国のために生まれ、生きるのも国のために生き、死ぬのも国のために死んでいく人です。すべてをその国とその国民のために生まれ、生きてから死んでいく人であるならば、その人は愛国者にほかならないのです。李舜臣(イスンシン)将軍のような方が愛国者であることを、私たちはよく知っているのです。順位をつけるとすれば、よりために生きた人が優位になるのです。ですから、悲惨な立場で志操をもってよりために生きる心をもった人であればあるほど、その人はより次元の高い愛国者です。この公式を通した結論は、自動的な結論とならざるを得ません。

今までの歴史の過程で多くの偉人と聖人が生まれては死にましたが、いったい歴史の過程において最も偉大で、最も立派たった聖人はどのような人かというならば、この公式を通して、私たちはすぐに発見することができます。どのようなお方かというと、生まれるのも人類のために生まれ、生きるのも人類のために生き、死ぬのも人類のために死にながらも、誰の責任にするわけでもなく、人類のために福を祈ることのできる立場にいるとすれば、その人は歴史上のいかなる聖人よりも偉大な聖人にほかなりません。

ここには、キリスト教の信徒ではないほかの宗教の方たちも大勢来られていることと思います。イエス・キリストはどのような人なのか、ということを私たちはここで一度考えてみようと思います。イエス様は、万民のためにこの地に来ました。自分のために来たわけではありません。万民と神様のために来たのです。また、自分のために生きたのではなく、神様と人類のために生きました。そのような意味で、神様の天理法度に従って、良い時も悪い時も、ために生きる原則に一〇〇パーセント合格した方がいるとすれば、それはイエス様しかいません。ですから神様は、そのイエス様を保護し、キリスト教を発展させざるを得ないのです。したがって、キリスト教は、名実共に世界的宗教にならなければなりません。

6 聖書は「ために存在せよ」という一言に帰結

私たちがイエス様のみ言を分析すれば、それは簡単です。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためである」(マタイ二〇・二八)と語られたのは、天倫の大道を明らかにするためだったことを知らなければなりません。ために生きてもらうためではなく、ために生きるために来たということです。それが本来、神様が創造された存在物の理想的起源なので、この起源を説き明かし、この起源に一致する生涯を歩んでいかれた方が、正にイエス様であることを、私たちは知らなければなりません。

新旧約の聖書六十六巻が、いくら内容が膨大だとしても、この一言に帰結するのです。「ために存在せよ」という言葉に尽きるというのです。「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)という逆説的な論法が、天地創造の原則的起源を通して見るとき、真理に間違いないという事実を、私たちはこれまで知らなかったのです。

霊界についてよく知らない方がたくさんいらっしゃると思います。私は、神様の特別な恩賜を受け、霊界に関する内容をたくさん体験しました。その世界の構造は、いったいどのようになっているのでしょうか。天国には、いったいどのような人が行くのでしょうか。神様の玉座に近い所に行く人は、いったいどのような種類の人でしょうか。自分のために生きた人は行くことができない場所です。理想的根源であり、創造の中心存在である神様御自身も、宇宙のために存在し、原則的な中心存在としていらっしゃるので、その天国の構造は簡単です。「ために存在する者だけが行くことのできる所である」というのは、当然の結論にならざるを得ません。

天地の大主宰であられる神様がいらっしゃる所が、私たちの本郷であり、本然の世界です。その本然の法度に適合できるように訓練するための場所が何でしょうか。宗教です。それでは、宗教の使命は何でしょうか。教権主義者たちのように、自分の教派のために生きることが、神様のみ旨ではありません。自分の教権を超えてでも、神様のために生き、人類のために生きる教派にならなければなりません。自分の教会のために生き、自分の教会のために戦うのではなく、サタンに対して戦い、人類のために行く教派にならなければなりません。

7 真の宗教とはいかなる宗教か

ですから、今日、宗教というものは、その本郷の世界に入っていくことができるように、その法度に合わせる訓練をする所なのです。ですから、歴史始まって以来、神様のみ旨に従った数多くの宗教は、自分自らを否定する修行をしました。なぜ「犠牲になり、奉仕しなさい!」といったのか、今まで知らなかったのです。なぜ犠牲になり、奉仕をしなければならないのかといえば、本然の世界がために生きる本郷だからです。ですから、その世界に行くためには、そこに行ける訓練と準備をしなければなりません。したがって、高等宗教であるほど犠牲と奉仕を強く求めたのは、歴史時代に、神様が歴史過程を通じて摂理してきたものであることを、ここで知ることができます。

それでは、真の宗教とは、いかなる宗教でしょうか。それは簡単です。神様のみ旨のとおりに行う宗教です。神様のみ旨は何でしょうか。神様のみ旨は、宇宙を救うことです。言い換えれば、世界を救うことです。キリスト教の信徒たちは、これを知らなければなりません。神様のみ旨は、世界を救うことです。キリスト教を犠牲にしてでも、世界を救わなければなりません。それが神様のみ旨なのです。キリスト教の本然の使命は、神様のみ旨を成就することです。神様のみ旨を成就するためには、人類救済の責任を果たさなければなりません。それができないとすれば、審判台の前に立って、行くべき道を行くことができなくなります。私が探ってみると、そのようになっているというのです。

真の宗教はどこにあるのでしょうか。人類のために、自分の国はもちろんのこと、自分の教団や教会を投入できる宗教です。このような宗教は滅びません。私たちがわきまえて行くべきことは何でしょうか。国のために生き、世界のために生きるという原則によって見れば、真偽がはっきりと分かれることを、皆様は知らなければなりません。

8 「ために生きよ」という原則を立てざるを得なかった理由

神様はなぜ「ために生きよ」という原則を立てざるを得なかったのでしょうか。その内容と要因を、私がいくつかお話ししようと思います。真心から命を懸けて皆様を世話してくれた人がいたとしましょう。そこで皆様自身は、一〇〇パーセント世話になったとすれば、その世話に報いるために、五〇パーセントだけお返ししたいと思うでしょうか、それとも一〇〇パーセント以上お返ししたいと思うでしょうか。皆様の本心はいかがでしょうか。それは言うまでもなく一〇〇パーセント以上お返ししたいと思う本心があるので、今日皆様は、その本心に従って救いを受ける可能性があるのです。

ですから、知恵の王であられる神様は、ために生きる原則を立てざるを得なかったという事実を知らなければなりません。ために生きるときは、永生するだけではなく、繁栄するのです。そこから発展します。世話になると、その世話に報いるために適当にお返しするはずはありません。真心から命を懸けてそれ以上お返ししたいと思う本心をもっています。そのような心があるので、天国に行くことができるのです。

また、ために存在する原則を立てざるを得ない二番目の要因は何でしょうか。例えば、皆様の家庭に八人の家族がいたとしましょう。その八人の家族のうち、最も幼い弟が、家庭のために生きることにおいて、父や母、あるいは兄や姉よりも、その家庭のために生きるときには、どのような立場になるでしょうか。だんだんと高められ、中心的な存在として登場するようになるのです。

今日、宗教において教えてくれるすべての論理は逆説的なようですが、ために存在するこの原則に従って見ると、よりために存在すればするほど、より次元の高い中心存在になるのです。なぜ中心存在になるのでしょうか。ために生きる人は、万宇宙のために存在する神様に似ているからです。ですから、神様が自分に似た存在を、神様に代わる中心存在として立てるというのは妥当な結論です。心からために生きる主体の前に、心からために生きる対象となるとき、自然に中心存在にならざるを得ません。

今日、政治哲学で問題となるのは何でしょうか。支配者と被支配者の問題です。この問題をいかに解決するかということが今まで悩みの種でした。それがここで簡単に解決されるのです。よりために生きる立場に立った中心存在の支配を受け、主管を受けることを、今日の人間は恥ずかしいことのように思っていました。「人に支配されるなんて、たまらない!」と言いますが、とんでもないことです。心から自分のために生きてくれる人から完全に主管され、支配される立場が、どれだけ幸福な立場か、私たちは今まで考えもしなかったのです。

皆様が霊界に行けば、神様は、天地の中心存在としていらっしゃるので、そのお方に千年、万年、支配を受ければ受けるほど、それ以上の幸福はないことを知るのです。今日の私たちは、このことを知りませんでした。自分のために心から支配してくれる人、そのような方がいれば、そこに真の平和が存在するという事実を、私たちは全く知りませんでした。ために生きる存在は、中心存在になり、中心存在になることによって完全に統一的な環境をここから造成できるという事実を、私たちは知らなければなりません。

三番目の要因は何でしょうか。なぜために存在せよという原則を立てざるを得ないのでしょうか。今まで皆様は「愛」といえば、「それは私の愛である」と思いがちでした。「愛」といえば、それを皆様は自分の愛だと思っていました。いったい愛というのは、どこから来るのでしょうか。愛は自分から来るのではありません。理想も自分から来るのではありません。生命よりも貴く、何ものよりも価値のある愛と理想は、自分から来ることはないことを皆様は知らなければなりません。それは相対から来るのです。たとえ神様だったとしても、それは同じです。

このように相対が高貴であることを、今まで知りませんでした。ですから、生命よりも貴い愛と、生命よりも貴い理想は、どこから来るのでしょうか。自分からくるのではなく、相対から来るので、それを考えても、謙虚に頭を下げなければならず、ために生きよという法度を立てざるを得ないというのです。

9 教会を統一するための天の作戦

文某という人は、再臨主という名前のゆえに、たくさんの被害を被った者です。統一教会とは、いったいどのような教会でしょうか。簡単です。「統一教会」という名前のとおり、教会を統一してみますか。教会を統一することができるでしょうか。ローマ・カトリックと分裂して以来、ギリシャ正教は約九百五十年の歴史をもっていますが、いまだに一つになれずにいます。プロテスタントも四百以上もの教派に分裂し、互いに批判し合いながら数百年間争ってきました。それを統一するとは、統一教会の文某という人は気が少し狂っているのではないかと思うかもしれません。しかし、それは簡単であるという結論を下すことができます。何を通して可能なのでしょうか。ために存在するこの原則を通して可能なのです。

それで、私がこのような論法によって、今まで三十年間、既成教会からありとあらゆる謀略や中傷を受けましたが、じっとしていました。愚かでじっとしていたわけではありません。天理の法度は、あまりに厳然として冷酷な原則をわきまえていく道であることを知っていたので、黙々と何も語らずにきました。あたかも神様のように、あたかもイエス・キリストのように行かなければならないのです。

ですから、より次元が高い善のキリスト教の一人の生命が奪われれば、何百倍の損害賠償を請求し、打たれて取り戻してくるという天の作戦があることを私は知っていました。すべての既成教会が一つになって統一教会に反対したとしても、統一教会が善の立場であるときには、それを統一教会に損害賠償として渡さなければならないのです。理論的です。

神様は、個人を越え、家庭を越え、氏族、民族、国家、世界、さらにはこの天宙を越え、絶対的に神様のために生きるという一人の人、そのような一つの団体、そのような一つの民族、そのような一つの国家が現れることを願っていることを知らなければなりません。そのようなことを求めようとする神様のみ旨の前に、今日、統一教会は、そのような立場に進んでいこうと身もだえする姿であり、団体であることを記憶してくださることを願います。

ここにおいて、私たちは、理想が実現可能な段階的法則と公式の結論を下すことができます。夫は妻のため、妻は夫のため、父母は子女のために生きなければなりません。さらに、家庭は氏族や親戚のために生きなければなりません。また氏族は民族のために生きなければなりません。そして国家は、自国を中心として世界の国々を屈服させるのではなく、自国を犠牲にして世界のために生きようと考えなければならないのです。そのような国家を探し求めていることを知らなければなりません。

10 理想が実現可能な段階的法則

独裁者がほかにいるわけではなく、独裁主義帝国がほかにあるわけではありません。自国を中心として数多くの民族と国を踏みにじろうとし、あなたたちは私のために生きるべきだという、そこに神様の怨讐である独裁国家があるという事実を、皆様は知らなければなりません。

皆様も御存じのように、今日、共産主義は一九五七年を境界として、ソ連と中共が決裂し始めました。ソ連がスラブ民族だけのための世界共産主義を主張するようになり、そこから分裂するのです。永遠にソ連を宗主国とする共産主義を夢みたので、その共産主義は分裂せざるを得ません。しかし、ソ連共産主義が、世界共産主義のために犠牲になろうという愛をもつならば、中共とソ連は分裂しないのです。ソ連は、超民族的な思想基準の設定が不可能だったという事実を皆様は知らなければなりません。ですから、そこから崩れ始めたのです。

今日、民主主義の主導国家であるアメリカも、神様のみ旨から見た場合、どのように行くべきでしょうか。アメリカが民主主義の宗主国であるとすれば、民生主義を率いて世界のために生きることにおいて、アメリカを犠牲にしなければなりません。しかし、世界を捨てても、アメリカ自体のために生きる立場に立ったので、アメリカは今日、悲惨な状態で苦しんでいるという事実を私たちは知っています。このような観点から、今後、世界を指導する理想と思想はどこにあるのでしょうか。国家と民族を超越し、自分の民族を犠牲にしてでも、世界を救おうという国家と民族が現れるならば、その当時は悲惨な立場で犠牲になるかもしれませんが、二十五世紀や三十世紀以内のある時に世界が必要とする、そのような時が必ず近づいてくるのです。ですから、その時に至って、世界を指導する国家になることを皆様は知らなければなりません。

今日、大韓民国も、自国だけを中心とした大韓民国にしてはいけません。アジアのための大韓民国を誰が設定し、世界のための大韓民国を設定し、さらには、神様のための大韓民国を誰が設定するのかという問題が、今日、悲惨な中に置かれている韓国国民が、直ちに求めていくべき道です。

そのような意味で、統一教会は、教会を犠牲にしていきながらも、先端に立って共産主義と闘っています。民主世界の没落を防ぐために、血のにじむ犠牲を覚悟し、努力しています。自分の団体が犠牲になっても、この厳粛な思想を残す土台の上には、神様が必ず共にいらっしゃるでしょう。ガリラヤの海辺で民族の反逆者の罪を着せられ、三十代の青年として死んだイエス様が、世界を指導する民主世界を創建する国家観の思想をもっていたことを誰が知っていたでしょうか。同じ道理です。ですから、統一教会は黙々とこの道を整えていっているのです。

ここに世界二十五カ国からやってきた国際機動隊の隊員たちにも、「あなたは、自分の国よりも世界を愛しなさい」と教えました。これが神様の願う道であり、真の宗教の行くべき道なので、今日、彼らは、韓民族を自分の民族以上に愛する運動を提示するために韓国の地まで来たことを、皆様が記憶してくださるように願います。

11 理想世界に向かう公式的な人生を生きよう

神様は世界のために責任を負うことのできるその国を望んでいます。そして、世界のために自分のすべてを犠牲にできるその教会を望んでいます。そのことを皆様は知らなければなりません。もし皆様が神様に、「神様、あなたはキリスト教会、あるいは統一教会の神様になりたいですか」と尋ねるなら、神様は、キリスト教会の神様や、統一教会の神様になりたいとは思わないのです。世界の神様になりたいと思うのです。

より高い次元の道のために行く群れは、より高い次元の立場において、永遠に繁栄し、その環境において中心となり、自動的に主管することができるのです。そこから、天から臨む永遠の愛と永遠の理想を所有できることを知らなければなりません。ですから、夫は妻のため、妻は夫のため、また父母は子女のため、家庭は氏族のために生きることが公式的な生き方です。

ここから、個人的人生観や、国家観、あるいは宇宙観や神観にまで到達できる一つの公式が出されました。家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のため、神様は私たちのために生きることが理想です。皆様は、最高の神様が「私のためにいる」という立場、最高の神様の愛が「私のためにある」という立場に行ってこそ、平和と幸福、理想、真の愛が実現するのです。別の言葉で結論を下すならば、私のものは妻のもの、父母のものは家庭のもの、家庭のものは氏族のもの、氏族のものは民族のもの、民族のものは国家のもの、国家のものは世界のもの、世界のものは神様のもの、神様のものは私のものなのです。

このようなことが可能なその世界、個人でもために生き、家庭でもために生き、社会でもために生き、国家と世界的にもために生きることができる、どこに行ってもために生きることができるそのような所が、私たちの願う最高の理想郷です。理想郷なので、真の愛があり、真の平和があり、真の幸福があり、真の自由があるのです。そこが、私たちの願う理想世界です。

また、地上でそのような世界が展開し、神様を中心として一つになっているなら、そこは地上天国にならざるを得ません。堕落した人類は、そのような所を目指して前進しなければなりません。これが具現化された世界が起こるようになるとき、そこから人類の新しい未来、新しい希望の世界が展開されることを記憶してくださるように願いながら、私のお話を終えようと思います。

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第一篇 5 ために生きる生涯

第一篇 5

ために生きる生涯

日付:一九九一年四月二十七日

場所:ウルグアイ、モンテビデオ国立劇場

行事:カウサ創立十周年記念文鮮明先生歓迎大会

尊敬する貴賓、敬愛するウルグアイの「カウサ(CAUSA :南北米統一連合)」の会員、ならびに紳士淑女の皆様。美しいウルグアイの首都モンテビデオで、皆様と席を共にすることができましたことを、大変光栄に存じます。併せて、私の到着を熱烈に歓迎してくださったウルグアイの国民の皆様にも感謝を捧げ、特別に今日このように貴い場を準備してくださった皆様に、心から感謝を申し上げる次第です。

ウルグアイの「カウサ」創立十周年を記念するこの時点において、皆様の祖国ウルグアイのために、これまで十年間、最善を尽くして働いてこられた皆様の御功労を称賛いたします。特に、南米の中心部に位置し、ラテンアメリカ諸国の中でも重要な役割を担っている、このウルグアイを訪問することになったことは、何よりも意義深いことと思います。

1. 偉大な世界創建のための技術平準化

この美しい皆様の国を、私が直接訪問することになったのは、今回が初めてですが、二十六年前、私が南米を初めて歴訪した時のことが思い出されます。その時から今まで、私はラテンアメリカを忘れたことがありません。過去数年の間、この地域の未来について案じ、特にラテンアメリカの人々の霊的救援に対して深い関心をもってきました。

今やアメリカ大陸発見五百周年を迎えようとするこの時に、私たちは、この大陸の根源がどこに由来し、現在はどのような状況に処しており、また将来はとこへ向かうのかということを、深刻に考えてみなければならない、歴史的で重大な時点に置かれていることに気づかされます。

私は、アメリカ大陸が十五世紀末まで、ヨーロッパの人たちに未知の世界として残されていたのは、決して偶然ではなく、神様の摂理による結果だったと思います。神様は、この大陸を、御自身の摂理のために準備してこられました。初めて大西洋を渡り、この大陸に定着した数多くの人々は、献身的な人々であり、神様を信じ、自由に礼拝を捧げることのできる国を建てたあと、この大陸の原住民にもイエス様の福音を伝え、新しい世界を創建しようとしていた勇士たちでした。

この大陸の原住民と、ヨーロッパから来た定着民との間に、統一と和解が形成されることが、神様のみ旨でした。そうして、新生国アメリカ大陸は、神様の名のもとに、すべての人種を和合させるモデル国家とならなければなりませんでした。しかし、神様の願いとは裏腹に、そのみ旨は成就されませんでした。善良で献身的な人々以外にも、自分の利益ばかりを追求する利己的な人々も一緒に入ってきて定着したのです。正に彼らが原住民を搾取し、蹂躙したのです。甚だしくは、奴隷制度まで生まれ、人種差別の悲劇が発生することになりました。

このように無分別な人々の行為によって、神様の祝福の中で開花すべき新しい文化の基盤が、常に天の祝福の中にとどまっていたわけではありませんでした。国家の形成過程が、キリスト教的な愛の土台においてではなく、敵対感の中で行われた時も少なくありませんでした。このような不幸の出発が生じ、拡大して、今現在も利己心と搾取という単語がなくならずに残っているのです。

ラテンアメリカが全世界に和解と平和の見本を示したいと思うなら、過去の慣習から抜け出し、新しい出発をしなければなりません。スペインから自由を得た日から、ラテンアメリカは、周辺国家間の統一を目指した偉大な夢を抱いてきたのです。

シモン・ボリバルが主張したパトリア・グランデ(大祖国)思想や、他のすべてのラテンアメリカ諸国の建国のために功績を建てた人たちの理念、そしてウルグアイを立てたホセ・アルティガスの志も、ラテンアメリカの国家間の統一を念願するものでした。全世界のすべての国々が、文化的、経済的、政治的方法を通して、より偉大な統一を追求している歴史的な現時点において見てみるとき、ラテンアメリカが今まで培ってきた一つの世界を目指した夢は、より一層大きな価値をもって輝くのです。

このような観点から、私はこれまで「南北米統一連合(CAUSA )」、「中南米統合機構(AULA )」、「世界平和教授アカデミー(PWPA )」、そして「世界平和のための頂上会議」のような組織を通して、ラテンアメリカの夢を側面から支援し、育成してきたのです。これまで数年の間、私は先に申し上げた組織を通して、多くの元大統領や元首相たちを糾合し、彼らと共に、どのようにすれば国家間の協力を増進させ、統一を成し遂げることができるかという点を研究してきたのです。正にこのような目的のために、一九八六年、ここモンテビデオで、ラテンアメリカの十四カ国の元大統領たちが「アウラ(AULA )」という名で共に集い、会議を開いたのです。

私は、今日皆様の祖国である、ここラテンアメリカが、平和で豊かな未来を迎えるためには、必ず解決すべき深刻な問題点を抱えていると思います。文化的、経済的、そして政治的に発展を阻害する問題点は、必ず取り除かなければなりません。ラテンアメリカ諸国も、世界的な問題を前に、他の先進諸国のように、同一の責任を感じなければなりません。そのようにするためには、全世界的に、より偉大な世界創建のための技術平準化と思想の自由な交流が実現されなければなりません。

正にこのような目的のために、統一教会は、中国、アフリカ、ソ連、東ヨーロッパ、中東、そして皆様の故郷である、ここラテンアメリカなどで、より肯定的な世界的発展のために働いてきているのです。「カウサ」の活動も、道徳観と倫理観の確固とした土台の上に立てられるべき民主主義体制に、より明確な方向性を提示する思想を、全世界的に普及しているのです。「カウサ」は、民族主義国家の中で、いまだに蔓延する不正と腐敗と搾取を根絶するために必要な道徳観を提示しているのです。

今日、私たち人類が直面しているすべての問題点、すなわち、無知、飢饉、疾病などは、単に外部に現れた現象的な問題点ということだけではなく、全世界の人々が共に責任をもって解決すべき、より根本的な次元の緊急の問題点なのです。このような重大な時点にあって、私たちは、歴史的な転換期に生きています。

過去の歴史を調べてみると、宗教的、文化的、政治的分野を中心として、より住みよい世界をつくるための運動が少なからずあったことを知ることができます。しかし、そのような運動や組織が人類の発展史に大きく貢献したのも事実ですが、それらのほとんどが、本来の理念や目的から逸脱し、独自の道を歩むようになったことも知ることができます。宗教団体や文化、政治団体、社会組織など、すべての組織活動が分裂、衝突、不和を繰り返し、さらには戦争も辞さなかったのです。

現在も、ゆがんだ政治的欲望や宗教的偏狭性が、敵対感と憎悪心を引き起こしているのを目撃することができます。このような現象は、信仰をもつ人がもつべき真の目的にはなり得ず、良心的な人々が追求する道にはなり得ません。それでは、私たちが追求する道はどこにあり、子孫たちに伝授してあげる正しい伝統とは果たして何でしょうか。

2. 神様の創造理想は家庭から始まる

人類が勝ち取るべき和合と平和を成し遂げる道を理解するために、私たちはまず、神様の創造理想を知らなければなりません。絶対的で永遠の神様が、何ゆえに創造をしなければならなかったのでしょうか。神様にとって絶対的に必要なものとは何でしょうか。物質的な富や知識、それとも権力でしょうか。これらは、神様が願いさえすればいつでも得ることができるものです。

しかし、真の愛だけは、神様お一人では完成することができません。なぜなら、真の愛は、必ず相対を通してのみ完成されるもので、授受作用できる相対がいなければ、神様であっても、この真の愛を完成することはできないからです。正にこのような理由で、神様はこの世界を創造されたのです。

それでは、真の愛とは何でしょうか。イエス様が命を懸けてまで怨讐を愛された、その生涯を見ることによって分かるように、真の愛は、人のために自らの命を犠牲にしても、それを忘れることです。このような真の愛を通してこそ、イエス様のように死を克服して永生を得るようになり、天国の市民となる道を歩むようになるのです。

私たちが被造世界を観察してみると、鉱物世界、植物世界、動物世界は、すべて互いに愛を中心として和睦しながら授受作用をする主体と対象のペアになっていることが分かります。同じように、夫婦間や親子間でも、愛を中心とした平和がなければなりません。このような愛の関係が、すべての被造物の中に内在しているのです。人間は、全被造世界の中心であり、神様に最も近く、また全被造世界の最高位にいるのです。

したがって人間は、神様の真の愛の対象であり、人間がいなければ神様の真の愛の目的も成就されないのです。神様が真の愛を創造理想として立てられ、また最も気高く貴い絶対的な価値として立てられました。絶対的な神様でも、真の愛には絶対的に降服したいと思うのです。神様でさえもそうなので、人類と被造万物は絶対的に真の愛に屈服するようになっています。このような点から見るとき、私たちは神様の真の愛の対象として創造された人間の価値が、どれほど高貴であるかということを、改めて悟らされるのです。

神様は、真の愛である「ために生きる愛」を土台として、御自身の創造理想を立てられました。与えてはまた与え、さらに与えても、与えたというその事実さえも忘れてしまうのです。このように与える愛の中で、神様は真の愛を完成するのであり、無限に投入して創造するようになったのです。すべての人間は、和合して存在し、また究極的に相対のために投入する神様の真の愛を実践するとき、永生を享受できるように創造されたのです。

また、男性は女性のために存在し、女性は男性のために存在します。与えても、また与える真の愛の神様の創造理想と共に、男性と女性は互いに愛するように生まれ、愛を中心として夫婦となり、一つになるようになっています。夫婦が共に神様の縦的な愛の対象となり、神様のすべてを相続するようになります。これこそが人間が存在する目的なのです。

真の愛の根源であられる神様は、父母の立場でこの絶対的で不変な真の愛を人間に相続させようとするのです。なぜならば、真の愛を通してのみ、完全な和合と統一が可能になるからであり、神様の真の愛も、御自身の対象的な子女たちに相続させることができるものだからです。

それだけではなく、神様から同居権を得るようになり、また、同参権までも享受するようになりますが、これらはみな、真の愛の三大属性を通して得た特権となるのです。父母の心は、子女が自分よりも立派になることを願うものであり、夫婦間においても、相手が優れていることを期待するのですが、それは正に、神様が、御自身よりも立派な子女となるように人間を創造された、神様の真の愛のためです。

このような点から見るとき、人間は、神様と共に生きるようになっており、神様と同じ価値観をもって生きるようになっていることを否定できず、さらには、人間同士においても、真の愛を中心として同居権、同参権、相続権を享有しながら生きるようになっているのです。したがって、理想世界では、真の愛を中心として、すべての人間は、真の理想と幸福を求めて生きながら、自分の対象と子女たちに、そのまま相続させてあげるようになっているのです。これこそが正に、神様がこの被造物を創造した根本理想なのです。

3. 真の父母を求めなければならない理由

しかし、今日の世界を見ると、神様が理想とされた世界とは、あまりにもかけ離れた世界になっています。神様の根本的な創造目的とは異なり、天国の代わりに地獄となり、罪悪と苦痛、そして闘争によって満身創痍になっています。宗教的な用語を借りて説明すれば、このように病んで傷だらけとなったこの世界が、正に堕落世界なのです。この堕落した世界を本来の状態へと回復するために、神様は救援摂理を繰り広げて来られたのです。したがって、私はこれまで神様の救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理であることを、全世界に教えてきました。

神様の復帰摂理の目的は、堕落していない根本の理想家庭を探し立てることであり、その基盤の上に、神様の真の愛と真の父母様の思想を中心として、理想世界を建設することです。救世主の使命とは、正にこの世界に真の愛を実現することです。それが真の父母の使命であるということを、私たちが悟るようになれば、神様の召命を受けて、このような使命を果たすために生涯を捧げるようになるのです。言い換えれば、救世主の使命は、正に神様を信じるすべての人が共同で力を合わせて果たさなければならない使命なのです。

聖書を見ると、神様の最初の息子と娘であるアダムとエバは、神様の真の愛の中で成長し、神様から祝福を受けて結婚し、罪のない子女を繁殖するようになっています。そうして、彼らも、神様のように真の父母になって天国に入るようになっていたのです。そのようになっていれば、この世界は地上天国になっていたのであり、神様の真の愛と真の生命、そして真の血統だけが存在する理想世界が形成されていたのであり、その世界は、唯一、神様だけが主管する理想世界になっていたのです。

しかし、アダムとエバは、成長過程で不倫な愛の関係をもつようになり、その元凶である天使長はサタンとなったのです。アダムとエバは、善の先祖となることができず、悪の先祖になってしまい、そこから死亡の世界が始まってしまいました。悪の血統を相続した人々の横行する世界が、このようにして生じたのです。サタンは淫乱の神となり、神様は淫乱を最も憎むようになりました。

正にこのような淫乱のために、今日、アメリカやヨーロッパ大陸もソドムとゴモラやローマ帝国のような運命を迎えているのです。世界は今、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統から私たちを解放してくれる真の父母を必要としています。この真の父母こそが、正にメシヤなのです。

アダムとエバが責任を完遂できなかったために、神様は真の子女を失い、人類は真の父母を失ってしまう結果となりました。堕落の結果により、真の父母の理想と神様の真の愛を実現する真の人間と真の世界を失ってしまったのです。ですから、メシヤは、そのような途方もない真の父母の位置に立ち、人類の先祖によって植えられた偽りの根を引き抜いてしまい、永生できる真の子女を探し立て、創造理想世界を実現しなければならないのです。

一つの家庭について見ても、兄弟間の関係は、父母を土台としてこそ可能です。したがって、この世界が真の愛と真の家庭の圏内に立つためには、まず真の父母が確定されなければならないのです。正にこの目的を達成するために神様の召命を受けた私は、これまで神様のみ旨に従って、終始一貫して一本道を歩んできたのです。

私は、世界的に繰り広げている統一運動と、各分野にわたって推進している計画、すなわち、宗教界、学界、教育、言論、および文化芸術、科学技術、経済活動など、すべて分野を通して、神様から受けたその一つの目的を達成しようと、それらを推進しているのです。正にこの目的達成のために、私は迫害を受け、死にも直面したのであり、いつも真の父母の心情で全世界のすべての人種を抱き、私の実の親や兄弟以上に愛してきたのです。

このような道を通して神様は、メシヤが歩んだ道、すなわち神様を心から愛し、神様が本来理想とされた世界である愛と平和と和合の世界の創建のために、自らのすべてを投入される、無条件の真の愛を人類に与える道を歩むよう、全人類に呼びかけていらっしゃるのです。このような愛の道こそが、信仰をもつ良心的なすべての人が従うべき、不変の道なのです。神様は、私たちすべてが、それぞれがいる場所でメシヤになることを望んでいらっしゃいます。私たちはみな、真の父母の心情で神様を愛し、人々を愛さなければならず、万物までも愛さなければなりません。これこそが正に神様が私たち人間に下さった使命なのです。

4. 急がれる真の価値観の確立

今日の世界情勢を探ってみると、外的には冷戦が終息し、東と西、南と北の平和増進を模索しています。分断と対決の時代を超え、これからは兄弟姉妹の関係で結束した一つの世界を形成し、和解を通した統一の時代に突入しています。

二十一世紀を迎えるまでのこの十年間は、神様が人間に特別に恩賜を施される期間であり、本来、神様が創造された根本の世界へと回帰できる、貴重な十年となるのです。したがって、私は既に「世界平和連合」の創設を主唱し、アメリカやソ連など、世界各国の数多くの指導者たちは、それに呼応して名乗り出ています。また私は、「世界平和宗教連合」の創設も提議し、既に八百人以上の世界的な宗教指導者から熱烈な支持を受けているのです。

これまで数多くの人たちが、真の統一と一つの世界を形成し、真の愛を探すために努力し、苦労してきましたが、なぜ真の統一と一つの世界は、いまだに私たちから顔を背けているのでしょうか。人間は誰しも平和を希求しています。しかし私たちはまず、どのようにすれば平和を達成できるのかということから知らなければなりません。問題の鍵は、皆様の妻、息子、娘、親戚、国家、世界など、相手側にあるのではなく、皆様自身にあるのです。言い換えれば、皆様の心と体が、良心を中心として完全な一体を完成した、和合と統一の実体になっているかいないかに、個人の幸福はもちろん、世界の統一までかかっているのです。

良心は、神様が私たち人間に下さった最も高貴な贈り物であり、天下とも取り替えることのできない私たちの主人です。私たちが神様と真の父母の心情を所有するようになれば、私たちの生涯は、真の愛を中心として真の平和を達成する「ために生きる生涯」となるのです。永遠の価値と、不変的価値の基準となる真の愛を中心として生きるようになれば、私たちは心と体の一体のみならず、精神と物質の両面を中心として、世界的に両分された愛と理念の統一までも達成することができるようになるのです。

このような点こそが、良識ある人たちの関心の焦点です。したがって、永遠の世界平和を達成するには、宗教と政治、そして文化の役割が必要不可欠です。そして、すべての分野で献身している老若男女が共に手をつないで立ち上がり、断絶と偏見の壁を壊し、恒久的な世界平和の達成を願われる神様のみ旨を中心として団結しなければなりません。

今、私たちが世界平和のためにどれだけ貢献しているのかを、自問してみるべき時に置かれています。私たちは、相互間において真の愛で交流しなければならず、その道こそが世界平和を達成する近道となることを知らなければなりません。誰彼を問わず、相手を軽蔑し敵対視する人は、神様の摂理はもちろん、世界平和に決して助けにならないのです。

世界は今、数多くの問題点を抱えています。したがって、私たちは真の価値観を探し立てなければならず、そのためには、腐敗と破倫の道をたどっている道徳観を正し、邪悪になっていく人間の心を正さなければならず、良心的で信仰心の深い人たちを糾合して、神様と真の父母様の真の愛を実践する、永遠の神様の真の愛の働き手として育てなければなりません。世界各地で老若男女を問わず数多くの人々が真の愛に飢えています。すなわち、他のために生きる人を渇望しているということです。

私たちが今、そのような人たちのために新しく真の愛の伝統を立てるなら、すべての宗教が一つとなり、神様と全人類が一体になって神様の創造理想を完成し、新しい願い、すなわちイエス様が願われた理想世界を創建するために邁進するようになることは確実です。したがって、全世界と若者たちに、新しい平和の時代、真の家庭の時代、そして真の人類の起源が始まっていることを、はっきりと示しましょう。

最後に、私と私の家庭を温かく迎えてくださった皆様に、もう一度、心から感謝しながら、神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の国家ウルグアイの上に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第一篇 6 真の平和の根本原理

第一篇 6

真の平和の根本原理

日付:一九九四年三月二十七日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第二回「世界平和会議」

敬愛するゴルバチョフ元ソ連大統領、著名な議長団および元・現職国家元首の皆様、そして尊敬する紳士淑女の皆様。このたび、第二回「世界平和会議」にこのように御参加くださり、深く感謝申し上げます。

1. 世界的難題の解決点

今、私たちは、二十一世紀、国際化と世界化の時代を迎え、世界平和を遮る数多くの難題を解決しなければならない時点に立っています。きょう私は、このような世界的難題の根本に対する根源的解決方案が何であるかについて、生涯をかけて天意に従って努力してきた所信の一端を簡単に披瀝させていただこうと思います。

世界は争いと混乱と憎悪に満ちた罪悪世界になっています。国家も、社会も、家庭も、個人もそうです。どうして世界がこのように悪くなったのかと言えば、人間個々人において、歴史を通じて心と体が闘ってきたからです。この闘いは歴史と共に始まり、現在まで継承されてきているのです。

闘う個人から始まり、自然に闘う家庭、闘う国家、闘う世界となり、神様の最も嫌う悪なる地獄世界を形成しました。闘う世界の始発点は、個々人である男性と女性の二人の問題です。ですから、世界中の複雑多端な問題も、闘っている心身と男女、この二つの問題さえ解くことができれば、解決するでしょう。

心身はなぜ分裂したのでしょうか。男性と女性はなぜ和動、統一ができなかったのでしょうか。誤ったからです。人間は堕落によって心身が分裂し、男女の紛争が起こり、神様を失ってしまいました。サタンを中心とした悪の世界になってしまったのです。

したがって、問題の解決点は、第一に、神様を探し出すことであり、第二に、悪なるサタンを追放することであり、第三に、心身が統一された男性と女性を探し出すことです。神様は、エデンの園からアダムとエバを追い出しました。堕落したアダムとエバは、サタンを中心として結婚し、子女を生みました。そうして人類始祖は、サタンの血統を相続するようになったのです。血統が汚されてしまったというのです。

サタンとなった天使長は、神様の姦夫の立場に立つようになりました。愛の関係を結べば所有権が決定されるのが天理原則なので、人間の先祖はサタンの所有になってしまったのです。本来、神様の真の愛を中心として心と体が一つになるはずでしたが、心に神様の真の愛が完成する前に、サタン側の偽りの愛が結ばれ、サタンが体に根を下ろしたのです。ですから、本来、心がプラスの立場にあるべきなのですが、体がもう一つのプラス的立場に立ち、強く反発することによって、心の世界を引っ張り回すのです。

それで神様は、宗教を通じて真の愛の力を心に与え、偽りの愛で一つになった体を絶対に屈服させようとされるのです。心身が真の愛によって統一されてこそ、神様がいらっしゃるところに帰っていくのです。

2. 良心の命令に絶対服従

堕落した先祖は、偽りの先祖となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の偽りの個人、家庭、社会、国家、世界の地獄を築くようになったので、これを打破し、神様を中心とした真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を復帰して、本然の世界へと回復するのが、宗教の道であり、救世主メシヤが来られる目的なのです。

神様もお一人では寂しいのです。神様も相対理想を中心として天地創造をされました。なぜならば、真の愛を得るためです。被造世界を見ると、ペア・システムになっています。鉱物世界も、植物世界も、動物世界も、人間世界も、すべて主体と対象の関係になっているのは、人間の真の愛の理想のモデルを立てようとするところにあります。

真の愛ゆえに、女性は男性のために生まれ、男性は女性のために生まれました。世界の問題の解決は、真の愛を中心として、心と体、男性と女性が一つになるために存在するところでのみ完成することができます。真の愛は、相対のために存在するところでのみ得られるのです。サタンの愛は自己中心的な愛であり、神様の愛は利他的な愛です。正反対です。今や無形の神様は私たちの真の愛の理想の主体であり、私たちはその絶対的対象の立場にいるので、第二の神様の立場にいることを確信し、無形の神様と真の愛によって心身一体を完成し、自分の心に、神様のように絶対に侍るところでのみ、堕落した体からサタン世界を追放できるのです。

そして、良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自我」を取り戻すことができます。神様は、私たちの父母の中の父母であり、師の中の師であり、主人の中の主人なのです。これが、天地を中心とした三大主体思想です。私たちの良心のみが、主体思想を達成する対象の立場で絶対一体にならなければならないので、良心の位置は、私たちを生んでくれた父母より、師より、いかなる国の王よりも優る立場に立たなければ、神様の愛の対象の立場に立てないのです。良心は教育が必要ありません。神様の代わりに絶対に仕えなければならないのです。

良心は、自分のすることで知らないことがありません。すべて知っています。良心は、体が悪いことをしようとするとき、いつも反対しますが、体が自分勝手に心を引っ張り回すのは、堕落した愛の力が、堕落するときの良心の力よりも強いからです。しかし、人間が良心を中心として完成圏に到達し、神様と真の愛の関係を結んだなら、いかなることも問題になりません。

エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされた真の愛の家庭でした。見えない無形の存在全体を現すための創造だったのです。神様と人間は、真の愛を中心とした主体と対象の関係でした。神様の心の中にある無形の子女、兄弟、夫婦、父母として、真の愛の実体完成を願い、アダムとエバの二人を創造したのです。神様は、子女の真の愛の完成を願い、実体の家庭の兄弟として、実体の夫婦として、実体の父母として、真の愛の対象を創造されました。

3. 家庭は四大心情圏を体恤する基盤

親子関係の真の愛は縦的であり、夫婦関係の真の愛は横的であり、兄弟関係の真の愛は前後の立場で、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦には上弦と下弦、横には左弦と右弦、前後には前弦と後弦の全体を連結した一つの中心点で統一されるのです。その点が球形体の中心点になります。

いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのでしょうか。神様を中心として人間が結婚し、初愛を結ぶ場がすべての完成の結実点であり、中心となるのです。ですから結婚とは、天地人の合徳(和合)であり、縦横、左右、前後の全体を完成するものです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。

ですから、アダムとエバの夫婦は、神様が最も愛する実体対象である第二先祖であり、第二創造主の立場に立つので、神様が第一創造主として感じるものをすべて相続し、子女、兄弟、夫婦、父母の立場で、神様の代わりに喜びを感じるのです。第一創造主の立場を体恤するための子女の繁殖が第二創造主としての喜びなのです。

ここで神様は第一創造主であり、アダムとエバは第二創造主、アダムとエバの子女は第三創造主の立場になります。第一、第二、第三創造主、すなわち神様、アダムとエバ、子女は四位基台を中心とした公式的な範疇となり、すべての人類が従わざるを得ない存在の根本原則となるのです。

このようにアダムとエバを中心として見るとき、上下(父子関係)が連結されれば、左右(夫婦)、前後(兄弟)が連結され、家庭が完成するのです。この場が、神様を求めて個々人の心身が統一され、男性と女性が統一され、神様を中心として安着できる神様と子女であるアダムとエバが統一された基盤となることによって、平和と自由と幸福と希望が結集される基地になります。アダムとエバをして、有形実体の第二創造主の立場で実体的第三の創造主を刺激的に体恤させたのが、アダムとエバの子女繁殖なのです。

こうして代々、子女、兄弟、夫婦、父母の四大心情圏を体恤させる基盤が家庭です。家庭はすべての真の愛を完成させる基地です。そうして、家庭において神人愛一体を完成し、天地を所有できるようになるのです。すなわち理想的子女、兄弟、夫婦、父母が出発する源泉地となるのです。

ここにおいてのみ、心身統一の男性と女性が現れることができるのであり、また理想的な男女一体を完成した夫婦を見ることができ、理想的な父母が出発できます。また、真の家庭を中心として子女、兄弟、夫婦、父母が完成するモデルが創造されるのです。

このような理想型を、国家と世界を越えて天宙まで拡張、展開するのが、神様の創造理想です。したがって、国家は家庭よりも大きな家庭型であり、世界は国家よりも大きな家庭型であり、天宙も世界よりも大きな家庭型になるというのです。

4. 天宙は四大心情圏を完成した家庭から出発

ですから、家庭、国家、世界、天宙にも、四大心情圏に代わる子女、兄弟、夫婦、父母の型をもつことができるので、家庭より大きな国家には数多くの家庭が入るようになり、家庭は国家のために存在し、世界は数多くの国家が入っているので、国家も世界のために存在し、世界はもっと大きな天宙のために存在し、天宙はもっと大きな中心者である神様のために存在しなければなりません。

ですから、家庭において四大心情圏を完成した基準がより大きく統一されれば、一体理想が実現し、その土台の上に平和と幸福と自由の天宙を迎えることができるのです。したがって、心身統一と、男女を中心とした家庭統一が重要なのです。神様も成長してこられたというのです。無形の心の中にあった子女、兄弟、夫婦、父母を、実体のアダムとエバとして創造し、子女、兄弟、夫婦、父母となり、第二の自己として体恤されることによって、真の愛の理想を完成した神様としての無限の喜びを感じられるのです。

私たち人間も、神様のような喜びを感じるために存在しているので、誰もが、ある人の子女、兄弟、夫婦、父母の立場にいるのです。人間は誰でも四大心情圏を中心として家庭を形成するので、家庭は理想的な心情圏を体恤するための基地なのです。

私たちも、神様のように実体の四大心情圏を体恤する人のみが、地上天国と天上天国のどこでも一つになることができます。そのような理想的な人間になるために、家庭を願うようになるのです。このように、人間は心身統一と夫婦統一を絶対に要望します。個人の心身統一ができなければ、すべての面で不合格者になります。そのようになれば、自然と家庭統一はできず、家庭で脱落、国家で脱落、世界と天宙と神様から脱落するので、神様を中心として必死に努力してこそ、心身統一と家庭統一が可能なのです。

皆様御自身は、神様の代身者、第二の神様の立場にいることを知らなければなりません。そうして人間は、誰もが同じように本然の家庭を求め、愛の巣を復帰しなければなりません。

5. 真の愛で一つになった夫婦は地上・天上天国の出発地

夫婦の立場というのは、神様の子女が一つになった立場であり、神様の家庭で兄弟が一つになった立場であり、夫婦が一つになった立場であり、父母が一つになった立場であることを知らなければなりません。夫と妻は、四大心情圏を中心として見るとき、自分を完成させてくれる絶対的対象者です。

ですから、夫というのは、妻に理想的な神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫に対してこれと同様の位置に立つようになるのです。

このような夫婦は、神様が体恤したように、子女を生み、自分たちの育ってきたすべてのものを、子女を通じて実体的に真の愛を体恤することによって、喜びを感じるようになります。神様の愛は絶対的なので、夫婦は分けられないのが天理原則です。このような原則を失ってしまった堕落した人間世界を復帰して、本郷に帰らなければなりません。そのようにすることによって、「世界平和連合」がその目的を達成できるのです。こうして、家庭天国は国家天国へ、国家天国は世界天国へ、さらに天上天国へと完全解放し、平和の世界へと展開されるのです。

結婚して、夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心として夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭になって、平和と理想の出発基地となるのであり、片側である男性と女性は一体となり、神様の相対として、神様の理想愛を完成させるようになります。すなわち、真の愛を中心として、神様は人間を無世に価値ある存在として完成させるので、神様も真の愛を完成させ、神様の創造理想である永遠の理想の愛が宿る理想家庭を立て、理想世界を完成しようとするのです。神様とアダムの家庭を中心として見れば、神様は第一代の先祖、アダムは第二代の先祖、アダムの子女は第三代の先祖の立場です。神様は祖父の立場であり、アダムは父母の立場であり、アダムの子女は息子、娘の立場です。

三代が一つの家庭に定着するので、祖父は天上天国の神様の代身であり、地上世界と天上世界にいる王と女王の立場であり、父母は現在の地上天国を代表した家庭の中心である王と女王の立場であり、子女は未来を代表する天上天国と地上天国を相続する王子と王女の立場です。このようにアダム一族は、神様を中心とした王族になって暮らしたのち、天上天国である永遠の世界に移って暮らすようになっていたのですが、これが人間の成就すべき目的なのです。

また、家庭を中心として見るとき、祖父母は過去を代表した天の国の王と女王の立場にあるので、神様のように侍り、父母は現在の全世界の家庭を代表した王と女王のように侍り、子女は未来の王子、王女のように愛して暮らしたのち、永遠の天国に入るのです。そこにおいてのみ、永遠の人間の欲望と自由、希望、平和、幸福が完成するようになるのです。

6. 世界平和を成就する道

尊敬する各国の代表の皆様。皆様は、生涯の重要な時期を、皆様の国家の発展と世界平和のために渾身の力を尽くして努力された方々です。皆様のそのような献身的な苦労によって、今日人類は過去よりもはるかに進歩した環境と条件で暮らせるようになりましたが、いまだに私たち人類すべてが待ち望む自由と平和の理想世界は実現しておらず、今、この時間にも民族、人種、宗教間の葛藤と対立によって、世界の至る所で多くの人々が飢え、苦痛を受けて死を迎えているのです。

私は、宗教指導者として早くから神様の召命を受け、人類を戦争と罪悪から救い、平和世界を定着させなければならないという一念で生涯を生きてきました。きょう私が皆様に先ほどお話ししたことは、このような私の召命から出てきた、平和に対する平素の所信と哲学である「頭翼思想」の一端です。世界平和は、権力指向の政治的イデオロギーやその他の物理的力の論理では、決して実現できないというのが「神主義」と「頭翼思想」の観点です。

平和は、神様の真の愛と真理を、個人から始まって家庭、家庭から社会、国家、世界におけるすべての人類が共有し、共に実践することによって、人類は兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を形成するときにこそ実現できることを、はっきりと悟らなければなりません。

このような観点から、「世界平和連合」の創設目的は、神様を中心とした個人の心身統一と夫婦を中心とした家庭から本当の平和の教育と実践が行われることによって、社会と国家、世界の平和を具現しようというところにあります。私たち全員が家庭天国を完成し、ひいては世界平和の主役になることを願う次第です。神様の祝福が皆様と共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第一篇 7 真の平和世界

第一篇 7

真の平和世界

日付:一九九五年八月二十三日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第三回「世界平和会議」

尊敬する議長、尊敬する元、現職の国家元首ならびに紳士淑女の皆様。きょう私は、第三回「世界平和会議」の開幕の冒頭において、参加者の皆様に深い敬意を表しながら、世界平和に対する所信を披瀝できることを誠にうれしく思います。

1. 中南米大陸に対する切なる忠告

今回の第三回「世界平和会議」は、過去のどの時よりも絶大な関心を呼び起こしています。皆様が、遠路はるばる旅行しながら、真の世界平和の働き手となることを希望して、このような盛大な会議を可能にしてくださったことに対して、衷心より感謝を捧げる次第です。

私は今年に入って、中南米大陸に神様のみ旨があることを知り、中南米二十三カ国を歴訪しながら、真の世界平和の模索に全力投球しました。私は行く国ごとにその国の主要人士たちと会い、私の所信を披瀝し、そのうち八カ国では、その国の大統領と単独会談をし、温かい友情の中で、世界平和について共に意気投合する貴重な機会をもちました。私はこの中南米の各国で「真の家庭と私」という題目で講演をしました。

私は、このように中南米大陸を東西南北に駆け巡る間に多くの理想を描いてみました。中南米三十数カ国の国家社会が、真の平和を実現して理想国家を築くために、何をすべきか、どうあるべきかを考えてみたのです。

中南米大陸は、無限の潜在力をもっています。そこには無限の資源があります。そこには尽きることのない無限の人力があります。肥沃な平和の楽園、雄大な山と大自然、創造本然の汚染されていない美しい大自然! 二十一世紀には必ず開花する、南米の全盛時代を夢に描いてみました。

このような無限の可能性を秘めた中南米大陸にお願いしたい切なる忠告があります。それは「先進諸国の前轍を踏んではならない!」という忠告です。現在、開発途上にある国々は、盲目的に開発された国々が犯した誤謬を犯してはならないということです。

私がなぜこのような忠告をしようと思ったのでしょうか。それは、既に開発された国々の前途が暗澹たるものであるのを見ているからであり、その先進諸国が、人類が心から願う幸福をもてずにいるからです。

2. 二十一世紀は本然の世界へと帰っていく世紀

私はその標本としてアメリカを例に挙げようと思います。私は、アメリカを心から愛している者です。またこれまでの四半世紀を主にアメリカで過ごしながら、世界平和の土台をアメリカにつくろうと心血を注いできた者です。

私は、このアメリカを正しい方向へと導くために全力投球する中で、アメリカから迫害も受けてきました。しかし、アメリカを愛する心、世界平和のためにアメリカに期待する心は、今でも少しも変わりはありません。

一九六〇年代に私が初めてアメリカに行った時でも、世界中の人類は、アメリカのようになることを望みました。『大草原の小さな家』のような家族愛あふれる農村の家族、日曜日になると全国津々浦々から響き渡る讃美歌の声、正義の使徒スーパーマンは、正義というアメリカ精神を象徴するものであり、高層楼閣が立ち並ぶ都市の通りには、紙くず一つ見ることのないほどに秩序整然としており、美しかったのです。その当時、全世界はアメリカを羨望の目で見つめていました。

それから三十数年が過ぎた今日のアメリカはどうなったでしょうか。輝いていたアメリカは色あせてしまったのです。解決できない難問題が山積しています。その中でも、人間の道徳性の衰退と犯罪の増加は、注目に値するものになりました。殺人、麻薬、暴動、離婚、幼児虐待および誘拐、若年末婚者の妊娠など、アメリカから流れてくるニュースは、信じられないものがあまりに多くあります。これは、アメリカを愛する私の胸を痛めています。

現在、このような現象は、単にアメリカでのみ起きているのではありません。暮れていく二十世紀のあらゆる先進諸国は、今一様に悩みの中で苦しんでいます。その原因はどこにあるのでしょうか。その原因は、先進諸国がみな物質文明の極致を謳歌する中で、今ではその物質文明の罠にはまってしまったことにあるのです。

物質が精神を支配し、心を支配していった結果、人間の心霊が物質の奴隷になってしまったのです。そして、その結果は真の愛の没落です。物質的に豊かであり、都市には高層の楼閣が立ち並んでいますが、人間の心は砂漠のように荒れ果て、そこでは真の愛のオアシスは見いだすことはできないので、人間の生活は殺伐この上ないものになったのです。そこには真の愛がないので、人間の利己主義ばかりが生い茂るようになりました。この利己主義の最大の被害者は美しい大自然です。

私はこの平和会議の一つの主題として、地球と人間の環境の回復に関する討議も含めましたが、私たちの自然環境は、今ではもう破壊されるだけ破壊され、水と空気は汚染されており、人類を保護してくれていたオゾン層まで破損されているのですから、このままいけば人類は、自ら構築した物質文明のために自滅を免れることができない境地にまで至るでしょう。

しかし、何と言っても物質文明が与えた極度の被害は、あらゆる国家社会の基礎となる家庭の破壊にあります。家庭は社会の細胞です。私たちの体の中にある数十兆の細胞一つ一つが健全であれば、その体は健全な体ですが、その細胞が破壊されれば、その体全体が弱くなり、結局はその体も破壊されるのです。ですから、この地球上で真の家庭制度が破壊されていくことは、すなわち世界人類全体の破滅が遠くないことを意味するのです。今、私たちの社会は、本来神様が設計され、創造されたものとは正反対の道を走っているのです。

二十一世紀は、どちらにしろ神様が意図される創造本然の世界へと帰っていく世紀です。物質文明の時代は過ぎ去り、精神と心が主人となる精神文明の時が訪れるのです。その二十一世紀が今や五年後に迫ってきています。

このとき、開発途上にある国々は、開発国の前轍を踏まずに、先進国を教訓として物質文明の罠にはまることなく、心と精神が主人となる世界に直接突入してくれることを熱望しながら、私が絶叫したい思っていた忠告の内容をお話ししました。

3. 三十六万組の国際合同祝福は世界平和の祭典

今や世界は、大変遷を避けることのできない時に至りました。これを宗教的用語で表現すれば、「人類歴史の終末」に至ったと言えるでしょう。しかし、私の言う「終末」という言葉は、暗澹と滅亡を意味するものではありません。

創造主であられる神様の立場から見る「終末」とは、誤った世界、すなわち堕落世界の終息であり、これに続く正しい世界、すなわち創造本然の世界の新しい出発を意味するのです。ですから、「終末」とは、正に望みであり、希望なのです。

それでは、この物質文明から精神文明への歴史的転換は、何によって実現されるのでしょうか。それは、神様の真の真理の出現によって始まるのです。真理は光であるといいます。暗い夜を解放する道は、夜が明けて朝に太陽が昇るようにすることです。その歴史の転換の太陽が中天に昇りつつあります。それがすなわち私が発表した「統一原理」であり、真の愛の大真理なのです。

私は、神様の召命を受け、神様がかつて人類歴史の背後に隠しておかれた天宙の大原理を発掘するに至りました。それは人間が歴史にわたって渇望してきた大真理であり、すべての人間が真の愛に回帰し、真の世界平和を具現できる大原則でした。あたかも医者が病気を治そうとすれば、まずは病気の原因を究明しなければならないように、この原理は、今日の人類社会が塗炭の中で苦しみ、非原理的世界を築き上げるようになった人類始祖の堕落の経緯を明白に究明してくれました。原因が究明されたので、次にその処方を用いることができるのです。私はこれまでの四十年間、その処方をもって東奔西走しながら、これをこの世界に伝播することに専念してきたのです。

私はきょうここにおいて、そのいくつかの大原理を明らかにしようと思います。しかし、このようなかたちでは、皆様は到底深く理解することができません。皆様は真剣に「統一原理」を研究する必要があるのです。自分の永遠の生命と本当の世界平和がここにあるとすれば、それは何よりも先行すべき優先的努力でなければならないと思います。

その第一の大原則は、神様は生きておられ、その神様は人類の父母であるということです。人間と神様の関係は親子関係です。神様が私に示してくださった一番目の真理は正にこのことでした。

第二に、神様の本質は真の愛ですが、真の愛を具体的に現すために、天地万物と人間を創造されたのであり、また人間は神様の対象存在だということです。神様は、無限の真の愛を条件なく人間に注がれようとされるのです。

第三に、神様は、無形の父母であられる御自身の実体として地上に真の父母を立て、人間はその真の父母と一体理想を完成することによって、真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、永遠に救われるという大原理です。

ところが驚いたことに、今私たちは、その真の父母の時代に生きているのです。人類歴史を見ると、これほどまでに恵まれた時代は以前にもなく、以後にもあり得ません。そう考えると、私たちこそ、天運に乗って生まれた幸運の世代にほかなりません。私と私の妻は、二日後の八月二十五日にここソウルにおいて、真の父母の名で三十六万組の国際合同祝福結婚式を挙行する予定になっています。私はこの祭典を、真の世界平和の祭典と呼んでいます。今日、真の世界平和がない理由は、その原因が家庭制度の崩壊にあると言えます。神様の真の愛と一体理想を完成していない限り、私たちはその家庭を真の愛の家庭とは言うことができません。

世界百六十カ国で、人工衛星を通して同時に挙行されるこの祝福結婚式は、無形の父母であられる神様のもとに実体として来られた真の父母様をお迎えし、人類が縦的に真の愛の鎖を掛ける儀式です。同時にこの儀式に参与する人たちは、国境と人種と宗教を超越しているので、これはまた、真の父母の前に一つになる真の兄弟姉妹、すなわち横的な同胞愛の鎖を掛ける儀式にもなるのです。

人類始祖アダムとエバの堕落によって失った神様の真の愛、真の生命、真の血統によって復帰する人類の大転換儀式になるのです。ですから、六千年間、悪魔サタンの束縛と主管圏の中で呻吟していた人間たちが、初めて真の解放を受ける感激の瞬間でもあるのです。つながれていた足かせが断ち切られ、神様の真の愛の自由天地の中に帰ってきて、ホサナの歌を歌う歓喜の祭典、その祭典がこの時代に真の父母の顕現によって可能になったのです。

4. 真の平和は創造本然の世界に復帰すること

皆様。この儀式はまた、神様のみ前に結婚によって結ばれた男性と女性が互いに純潔を誓う儀式でもあります。真の家庭の破壊は、純潔の破壊を意味します。不倫の愛が人類始祖の堕落の原因だったので、その子孫である今日の人類は、淫乱が渦巻く中でその不倫の愛の供え物になってきました。

これがすなわち今日、世界的現象として現れているフリーセックス、同性愛、背徳的な愛の関係の現象であり、今日、人間社会における愛の乱脈の様相は、動物の世界を彷彿させるのです。

このように堕落した人類を、偽りの先祖の血統から完全に解放することによって、今や人類は神様本然の純潔の世界へと復帰できる時が来ました。そして、このように世界を解放する転換の軸となる方が真の父母なのです。

新婦は、新郎が世界の全男性を代表する神様の息子であり、真の父母の実体分身であると考え、彼を主体として立てて純潔の愛を誓います。新郎は、自分の新婦が世界の全女性を代表する神様の娘であり、真の父母の分身であると考え、純潔の愛を誓います。

このように結ばれた夫婦の間に、エイズのような恐ろしい人類破壊の疾病がどうして浸透できるでしょうか。できません。エイズは「終わりの日」に人類の純潔を試しているのです。しかし、私たちの社会はエイズに対する解決を、神様のみ旨とは関係なしに、ただ、コンドームや特殊な薬を発明して解決しようとしています。しかしエイズは、そうしたからといって解決できる問題ではありません。この問題の真の解決は、道徳性の回復にあり、真の愛の回復によってこそ可能なのです。

エイズは、紀元二〇一〇年までにその感染者数が十億に達するという報告が、ハーバード大学のダナ・ファーバー研究所から発表されています。これは人類の存亡を脅かす数字です。エイズは、ただ人類が神様の願われる真の愛に回帰する時にのみ解決されるのです。これは男女の純潔な愛を意味します。私が語る純潔とは、一時期女性だけに強調されていた封建的な純潔のことではありません。神様の大原則から見た男女共通の純潔のことをいうのです。

それは、男性と女性が結婚前まで共に貞操を生命視し、これを守りながら理想的相対を探し求め、祝福を受けて結婚したのちには、主体と対象が限りなく愛し合いながら永遠に暮らす一男一女の理想です。私は今日、女性よりもかえって男性たちの純潔を強調したいと思います。今日世界の男性たちが無節制な愛に転落することによって派生する被害が、全人類の幸福を破壊する原因になっていると言っても過言ではありません。

5. 真の父母と真の愛の革命

しかし、今日の堕落した世界、不倫の愛が波打つこの世界が、神様が念願とされた本然の真の愛の秩序に戻ることは、人間の力では不可能です。これを可能にするものが神様の力であり、その神様の力の顕現がこの地上における真の父母の出現なのです。

人類の真の父母は、地上に顕現し、真の愛の革命の火をつけました。その革命的過程を経ずに真の愛の秩序を立てることはできません。この真の愛の革命の烽火は、今その炎が高々と燃え上がっています。国際合同祝福結婚式こそ、この真の愛の革命の炎を燃え上がらせる祝祭であり、地軸を揺るがす新世界創造の広場なのです。

今は三十六万組ですが、これが三百六十万組になり、三千六百万組になり、三億六千万組、三十六億組へと広がっていくとき、人類社会から初めてエイズが撲滅され、神人が一体化した純潔な真の愛の世界が実現されるのです。これは単なる夢ではありません。神様の地上天国建設の大きな摂理の中で、その実現は必至の事実です。人間の業ではなく、それは神様のされるみ業だからです。

尊敬する指導者の皆様。今日、二十世紀の科学は、世界を一つの小さな地球村に縮小させました。人類はこの地球村で暮らす地球家族です。ここには本来、真の愛の理想世界だけがなければなりませんでした。今や世界人類の真の平和は、このような神様の創造本然の世界への復帰によって達成されることを肝に銘じなければなりません。

皆様がこのような真の平和の使徒になってくださることを切に願います。私は、きょう皆様が真の平和の使徒であるだけでなく、私が生涯を捧げてきた真の世界平和の事業における貴重な同志になってくださったことに対して、感謝を捧げる次第です。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が満ちあふれることをお祈りします。

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第一篇 8 救援摂理史の原理観

第一篇 8

救援摂理史の原理観

日付:一九九六年四月十六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ホテル

行事:「ワシントン・タイムズ財団」創設記念特別講演

尊敬する内外の貴賓、高名な紳士淑女の皆様。今日、歴史的大変革時代を迎え、レバレンド・ムーンと皆様が出会うことができ、神様に心から感謝を捧げる次第です。

1. 宗教と救援摂理の目的

神様は、絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのみ旨も同じです。もし人間始祖アダムとエバが神様の愛で一体になっていれば、万事が完全、完成です。ですから、神様の出発、目的とその程度、そして原因と結果とその方向も絶対的なのです。

人間始祖であるアダムとエバは、堕落して、無知と混沌に陥りました。個人的な無知と混沌から、家庭、国家、世界的な無知と混沌に陥るようになりました。この堕落圏を抜け出すためのものが宗教と救援摂理の努力なのです。「終わりの日」にメシヤが来て、神側から見る絶対、唯一、不変、永遠の原因と方向と結果をはっきりと教えてあげ、無知と混沌の世界を清算し、本然の神様の懐に帰ることが神様のみ旨の完成です。

そのようにならなければ、「終わりの日」に、すべての宗教、主義、思想や国家も、みな滅びるようになるのです。今や人類は、わずか数年のちには二十一世紀を迎え、二〇〇〇年代の新しい歴史時代に差し掛かります。このような重大な時点において、私は、「救援摂理史の原理観」と題するみ言を通して、新しい時代を準備する私たちの心を確認しようと思います。

創造主と人間との真の愛を中心とした完全、完成を願う神様は、人間と一体となる条件が必要でした。それで神様は、人間始祖に与える戒めが必要だったのです。人間が成長期間を上がっていく未完成段階にいたことを御存じの神様が、子女である人間に最も貴い真の愛を相続させてあげるための条件として与えてくださったのが戒めでした。

本来、真の愛は経験を通して、体恤を通して分かるようになっていました。真の愛は、言葉や文字、あるいは一般教育を通して体得できるものではありません。生活を通してのみ、完全に体得するのです。赤ん坊として造られたアダムとエバは、成長しながら段階的に生活を通して経験し、真の子女の心情、真の兄弟の心情、真の夫婦の心情、真の父母の心情を体恤することによって完成するようになっていたのです。神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。

人は、自分の愛する相対が、自分より何千万倍の無限大の価値ある存在として現れることを願います。このように神様も、御自身が愛する相対である人間が、無限の価値ある存在になることを願われるのです。人間は、完成すると神性をもち、天の父が完全であられるように完全で、神様と同等の価値をもつのです。

神様は絶対者であられますが、真の愛の理想は独りでは達成されません。愛の理想は必ず相対を求めるからです。私たちはここで、神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が、互いにいかなる関連をもっているのかを知らなければなりません。

もし神様が、真の愛の絶対的な対象体として人間を立てずに、ほかの方法を通して御自身の真の愛の出発と完成を達成しようとされたとすれば、どのようになるでしょうか。神様と人間の真の愛を中心とした理想は、各々動機が異なるようになり、二つの愛の方向と目的も異ならざるを得なくなります。そのようになれば、神様の愛の理想は、人間よりも上位にほかの愛の対象を立てて達成しなければならず、一方で人間の愛の理想は、神様と直接的な関係をもてなくなってしまいます。

2. 真の夫婦は神様の絶対的愛の理想を完成する

真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成されるのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象なのです。無形の神様のみ前に、見える体として生まれました。

人間は完成すれば神様の聖殿になります。神様が自由に、また安らかにいつでも入ってきて暮らすことのできる有形の実体です。神様の絶対的な真の愛の全体的な理想は、人間を通して、父母と子女の縦的関係で実現し、完成します。

神様は御自身の体としてアダムを先に造りました。アダムは神様の息子であると同時に、体をもった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバを造り、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。

アダムとエバが完成し、神様の祝福のもとで結婚して初愛を結んだとすれば、その場は、神様が実体の新婦を迎える場だったのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することによって、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点で結実、完成するようになっていたのです。

神様の創造は必然でした。目的のない創造は想像することができません。神様にとって創造が必要だった理由は、ただ一つ、真の愛の理想のためでした。最も簡単で低級な被造物から人間に至るまで、各々主体と対象、陽性と陰性の相対関係で展開された理由も、愛の理想のもとで相対関係を形成するためなのです。

創造物の愛の理想と神様の究極的な愛の理想は、別個のものではありません。人間世界の男性と女性の愛の完成を通して、神様の絶対愛が完成するようにされたのが、創造原理です。太初に人間をアダムとエバ、一男一女として創造された理由もここにあります。

神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守って、真の人として完成することでした。さらには神様の真の愛で一つになった真の夫婦になることでした。また、彼らがその真の愛の中で息子、娘をもち、幸福で豊かに暮らすことのできる真の父母になることでした。アダムとエバが真の愛で完成していれば、それは実体を身にまとう神様の願いが成就することだったのです。そして、彼らが真の夫婦として完成していれば、それは神様の絶対的な愛の理想の完成を意味しました。

それから、アダムとエバが善の子女をもって真の父母になっていれば、それは永存する父母の位置を実体的に確定し、人間の血統を通して子々孫々を繁栄させることによって、天上天国の市民を無限にもつことを望まれた神様の理想が成就されるようになっていたのです。

ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンの園から追われるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が、追い出したアダムとエバをエデンの園の外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。ですから全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の子孫なのです。

3. 人間の完成は愛に対する責任をもつときに可能

満場の内外の貴賓の皆様。人類の堕落が、木の実を取って食べた結果でしょうか。アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪でした。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間で堕落してしまいました。蛇で表示された天使長に誘われ、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って、時ならぬ時に善悪の実を取って食べる肉的な堕落をしてしまったのです。

本然の園で神様と対話しながら、楽しく遊び回って暮らしていたアダムとエバが、死ぬことまでも顧みずに犯す可能性のある犯罪は、誤った愛の犯罪しかありません。本来、人類の先祖の初愛を中心とした結合は、神様御自身の愛の完成でもあったので、当然、神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歴史を通して歓喜と祝福の中で酔いしれる幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が、人間の中で出発するとともに、定着する幸福な儀式でなければならなかったのです。

ところが、彼らは下半身を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった不倫の関係を結んだからです。堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれながらにして原罪をもつようになりました。人類が個体の中に心と体の衝突を矛盾として感じるのも堕落に根源があり、愛の秩序が乱れた社会の中で、本心の願わない人生を生きていくのも、すべてここに由来しているのです。

愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界の愛の関係は、すべて繁殖を前提としてのみ行われます。しかし、人間だけはその例外です。人間は、夫婦の愛の関係において自由を享受します。それが万物の霊長たる特権です。神様は、息子、娘である人間が無限の愛の喜びをもつように祝福したのです。

神様が許してくださった真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性なしに個々人が愛の自由だけを主張して実践すれば、どれほど大きな混乱と破局がもたらされるでしょうか。至高な愛の理想を達成する人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。

その責任性とは、次の三つを考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理によって自由な真の愛の主体となる責任です。人における愛の責任性は、法や世間体のために守られるものではなく、神様との生きた縦的な関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるものです。

第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対からの愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子女の縦的な愛の関係とは異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間では絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人には、絶対に自分の相対のために生きる愛の責任性があるのです。

第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生きた要素を提供することです。家庭が貴い理由はそのためです。生活的な経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外にいかなる所でも得ることはできません。

4. メシヤは神様の血統を接ぎ木してくださる真の人

アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦となれば、神様は理想どおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになるのです。さらには、アダムとエバは、神様の実体をまとった真の父母になって、善の愛、善の生命、善の血統の始原となったでしょう。

ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類はみな、この根に根源を置いているので、生まれたときからみな神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫になり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

親愛なる紳士淑女の皆様。人類始祖の堕落によって真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦痛はどれほど大きかったでしょうか。神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母である御自身のことが分からず、サタンに仕えているにもかかわらず、神様は救援摂理をしてこられたのです。また、絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援摂理をされるしかありませんでした。神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。

このような点で、復帰摂理の根本は、いかにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだすかにあります。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母を、いかにして誕生させるかということです。

人間始祖が自分の責任分担を完遂できず、不倫な血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て原状回復させることができないのです。神様は、天使長側に回った人類を、条件なしに善の立場から取ることも、打つこともできないのです。神様は、善の天使長的中心人物を立て、先に打たれながら蕩減条件を立てさせて取り戻してくる作戦をしてこられました。しかし、サタンは先に打ち、奪われる立場になりました。第一次、第二次、第三次世界大戦はその例になります。先に打ったほうが滅びました。

復帰摂理を概観すると、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のときも、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバの代わりに責任を果たす母を立て、次子に母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立させるための摂理が行われてきたからです。神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は、善の側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪の側を代表する長子を屈服させることで、善の血統を復帰してこられました。アダムの家庭で、神様は、次子アベルを立てて長子カインを屈服させようという摂理をされたのです。堕落したエバによって、兄弟を一つにしようとする努力があったかもしれませんが、結局、カインがアベルを殺害することによって、救援摂理は終結することができず、そこから延長が始まったのです。

ノアの時も、母子協助の基準はありましたが、本格的な母子協助の基準はリベカとヤコブのときからです。人間の堕落はアダム、エバ、天使長の三つの存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘って霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘って肉的堕落をすることによって、神様を裏切ったのです。堕落した天使長がサタンになりました。救援摂理は復帰摂理であり、復帰は一八〇度反対の道を通して行われるのが原則です。

真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。神様が人間を創造するとき、アダムを先につくったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。

メシヤは、サタンの主管下にいる堕落した血統をもった人間たちの生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してあげるために来られる真の人です。根は神様に置いているのですが、後のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたものを清算しなければならないのが、メシヤの使命です。神様が能力だけで役事する超人を、メシヤとして送ることはできない事情がここにあるのです。

5. タマルを中心とした血統復帰摂理

この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のためには、先に母親がいなければなりません。母親が息子を生むにしても、ただ単に生むのではありません。必ず復帰の公式を通して生まなければならないのです。復帰摂理の中に現れた母子協助はみな、天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。

母子共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してこられたのです。

神様の摂理歴史を記録した聖書の中には、理解のできない記録がたくさんあります。リベカが夫のイサクと長子のエサウをだまし、次子ヤコブを助け、彼に祝福を受けさせました。神様は一見不当に見える方法を用いた、この母子の側に立たれて、彼らに祝福を与え続けられました。

アダムの家庭では、カインとアベルの兄弟が母胎の外で争い、次子のアベルが殺害されました。ヤコブは、アベル以後、善の側に立った多くの人の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。結果的にヤコブは、ヤボク川で天使を屈服させる霊的勝利を収め、実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることによって、歴史始まって以来、初めて「勝利した」という意味の「イスラエル」という祝福を受けるようになりました。しかし、その時は既に歳が四十代でした。

サタンの偽りの愛の種が、エバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入って分別しなければ、天の息子が胎中から誕生することができないのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、依然として分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりません。結果的にこの責任を担った偉大な母がタマルでした。タマルは、ユダの長男のエルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなかったので早く死んでしまいました。

当時の慣例に従い、ユダは次子のオナンをタマルに与え、子女を生むようにしましたが、オナンは生まれる子女が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいます。タマルは、ユダの三番目の息子のシラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした。タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで家系が途絶えることを心配したからです。

タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦を装って、舅であるユダを迎えて双子を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれるとき、先に手を突き出して出ようとした長子が再び胎に戻り、弟になるべき次子が先に生まれたのですが、それがペレヅです。タマルの胎中で長子と次子が争い、サタンが分立される胎中復帰が成就したのです。

このような条件の上に選民の血族を得て、その二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的な土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴のない立場を得ることができるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に、聖母マリヤが摂理の主流に登場したのです。

6. 神様の初愛を独占できるイエス様

ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという天使長ガブリエルの驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ一・三八)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めました。

マリヤは、親族であり、尊敬される祭司ザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その妻のエリサベツが、神様のみ業によって妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう」(ルカ一・四二、四三)とイエス様の懐胎を証しました。

このように神様は、マリヤとザカリヤとエリサベツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家に泊まらせました。ザカリヤの家庭でイエス様を懐胎したのです。

エリサベツとマリヤは母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子の一体化を果たせなかったことを、国家的基準でザカリヤの家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。

歴史始まって以来初めて、神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになりました。

当時の法によっては容認されるはずもない、また、常識でも考えられないことを、マリヤは成し遂げなければなりませんでした。三人が共に霊的に感動したのであり、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったからなのです。

神様の息子は、たとえ着地はしたとしても、サタン世界の中で無事に育ち、み旨を成し遂げるためには、保護してくれる囲いが必要でした。神様はザカリヤの家庭の三人に、その基盤になってくれることを期待されました。三人が神様の息子を保護し、彼に侍ることにいかに専念し、どれだけ長い間一つになっていたかについては、考えるべき点がたくさんあります。

聖書には、「マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った」(ルカ一・五六)と記録されています。その後、聖書には、マリヤとエリサベツとザカリヤが互いに行き来した記録はありません。ここから、マリヤとイエス様の困難が始まったのです。ザカリヤの家庭は、最後までイエス様の囲いにならなければなりませんでした。

しばらくして、ヨセフは、マリヤが妊娠した事実を知るようになります。この時、彼の衝撃はどれほど大きかったでしょうか。愛する婚約者のマリヤが、自分とは何の関係ももたない状態で、三カ月間どこかに行って戻ってきた時には妊娠していたというのですから、ヨセフがマリヤに、誰の赤ん坊を身ごもっているのか、追及するのは当然のことでした。そのとき、もしマリヤが正直に話してしまっていれば、どんなことが起こっていたでしょうか。もし明らかにした場合には、一族が滅亡するのです。ですから、マリヤはただ「聖霊によって懐胎した」とだけ話したのです。

マリヤのおなかが大きくなってきて、周囲の人たちも妊娠していることが分かるようになりました。そのとき、ヨセフが「自分は関係をもたなかった」と言っていれば、どうなっていたでしょうか。しかし、ヨセフは神様の啓示を信じ、妊娠は自分の責任であると擁護した義人でした。これによってマリヤは、婚約期に妊娠したという嘲笑は浴びたとしても、石を投げられて死ぬことはなかったのです。

マリヤを愛したヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には悩みがたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見つめるヨセフは、その父親に対する疑問につながり、心中に苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が成長するとともに、ヨセフとの心情的な関係において距離が生じるようになり、このことによって、家庭に頻繁に争いが起こったことは間違いない事実です。こうしてイエス様は、私生児の立場で、ザカリヤの家庭の保護も受けられず、またヨセフとの関係も厳しい状況下で、心情的に、言うに言えないほど寂しい立場で育ちました。

7. イエス様の寂しい三年路程

メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、自分の孤独な事情が、神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の新婦を迎えなければなりません。天使長が、アダムと兄妹のように育ったエバを偽りの愛で堕落させたので、イエス様はそれを根本的に復帰しなければならなかったのです。

したがって、アダムに代わって神様の息子として来られたイエス様は、天使長の立場に立った人物の妹を妻として迎えなければなりませんでした。その女性が正にザカリヤの娘であり、洗礼ヨハネの妹だったのです。

サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成就するためには、絶対的な信仰によって形成された保護の基台がなければなりません。不幸なことに、イエス様の周辺では、そのような基台がすべて崩れてしまいました。

もしザカリヤとエリサベツが、神様の啓示と霊的な恩恵のもとで、初めにもった絶対的な信仰をもち続けていたなら、状況は違っていたでしょう。彼らが責任を果たしていたならば、マリヤは三カ月後にその家を出たとしても、継続して彼らと行き来し、相談したはずです。

ザカリヤの家庭は、イエス様の誕生ののちにも、地を代表し、一番の先頭に立ってメシヤを保護し侍りながら証す人たちとして、神様が選んだ家庭でした。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、この上ない精誠を込めて侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従っていたはずでした。また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じさせ、救いを受けさせるように導く責任を果たしたはずです。

しかし不幸なことに、ザカリヤも、エリサベツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証しただけであって、侍ったことはありませんでした。尊敬される祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の道を困難なものにしてしまい、民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い、人間的な思いに流れたときに、イエス様が願われた、新婦を迎えることに協力するはずはなかったのです。

次に考えるべき点は、ヨセフとマリヤの関係がイエス様に及ぼした影響です。マリヤは、エバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係を保たなければなりませんでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、そののちにも夫婦関係を結んではいけないのが神様の願いでした。ヨセフはマリヤに対して、イエス様の誕生ののちにもずっと愛の心をもち続けました。マリヤは、ヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。

しかし、現実は、それを簡単には許しませんでした。本心ではいけないと思いながら、マリヤはヨセフと夫婦関係を結ぶようになり、子女をもつことによって、エバの失敗を反復した結果になってしまいました。サタンはこれを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、皆がサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟も、カイン側の兄弟もすべてサタン側になってしまいました。

人がサタンの侵入を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまい、神様に対する確信と感謝を失うようになり、すべてのものを人間的に考えるようになります。これによりマリヤまで、イエス様が願われる結婚に協力することができず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えられず、そして真の父母になれず、十字架の道を行かざるを得なくなった直接的な原因になったのです。

カナの婚宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ二・四)と言ったのも、最も貴い摂理の要請である、イエス様の新婦を迎えることをなおざりにし、遠い親戚の婚宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイ一二・四八)と言われたみ言も、このような基準から理解しなければなりません。

イエス様は、母マリヤからも、ザカリヤ、エリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探し求め、再び復帰摂理を出発しようとしたのがイエス様の出家でした。出家したイエス様は行く所がありませんでした。

「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・二〇)と嘆息されました。親族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を求めて出発したのです。それがイエス様の三年路程でした。

8. 救援摂理史の原理観

しかし、民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなって、サタンの侵入を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かれるしかありませんでした。本来、イエス様は、メシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されることによって新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。

ですから、再臨することを約束されたのです。再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の理想を完成するために来られます。彼は、既にイエス様の時まで神側が勝利した根本摂理の基台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上にまっすぐに立たれ、彼が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。

ですから、真の父母は、血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類を神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木することによって真の人として救い、さらには真の家庭を完成して、地上天国を建設されるのです。ですから、再臨主は肉身をもって来られ、新しい血統関係を編成しようとするのであり、それが国際合同祝福結婚式なのです。

アダムの家庭で失われたものを、世界大家庭圏で蕩減することにより、アダムの家庭で完成しなければならなかった真の長子権、真の父母権、真の王権を取り戻し、神様が主管される地上天国へと転換し、天上天国に入籍して、神様を中心とした地上、天上王権時代に進入し、勝利と自由と幸福と統一の世界を復帰し、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが救援摂理史の原理観です。皆様も、未来に幸福な新しい祝福結婚を受けるようお願いします。

敬愛するこの国の指導者、そして内外の貴賓の皆様。今晩、「「ワシントン・タイムズ財団」の創設を記念するために御出席いただいた皆様に、いま一度深く感謝を申し上げます。特に、この社会のために善の業績として「ワシントン・タイムズ財団」が賞を授与する、最初の栄光を受けられた皆様に心からお祝い申し上げます。ありがとうございました。

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第一篇 9 神様の祖国光復

第一篇 9

神様の祖国光復

日付:二〇〇一年七月十三日

場所:韓国、ソウル、国会議員会館

行事:「世界平和連合」・「世界平和超宗教超国家連合」

文鮮明総裁招請講演会

尊敬する内外の貴賓の皆様。公私共に御多忙中にもかかわらず、この意義深い集いに参席してくださった国会議員と著名人の皆様に深く感謝を申し上げます。特に国民を代表する民意の殿堂である国会において、神様の摂理史的な観点で、貴いみ言をお伝えする時間をもてましたことをうれしく思います。

私は新千年紀が始まる最初の年である今年の一月十三日、「神様王権即位式」を終えた基台の上に、二月二十五日から四月十七日まで五十二日間、全米五十州の五十二カ都市とアメリカの国会、そして国連での講演を盛況のうちに終えました。

その期間に、主にキリスト教をはじめとする十万人を超える宗教指導者たちを対象に、神様のみ旨を中心としたアメリカと人類、さらに天上世界と地上世界の行くべき道を提示してきました。それだけでなく、ウルグアイを訪問し、南米三十三カ国の元、現職の政府首脳、および指導者たちが集まる中、「天宙平和統一連合」南米本部を開院し、再教育と組織編成をして、平和世界の実現のために全世界百九十一カ国の各界指導者七万人以上を教育した後、平和大使を六大州へ派遣し、祖国の南北統一のための国際的基盤を準備して帰国しました。帰国後、今月の三日から十二日まで、韓国の十二主要都市で、「神様祖国定着大会」を開催し、神様が選択されたこの地に、神様が定着される祖国をつくるべき時が到来したことを宣布し、皆が祖国統一の働き手となることを力説しました。

私は十六歳(数え)のとき、復活節の夜明けにイエス様と出会い、神様のみ旨を成就するため、神様解放のための天意の道を出発しました。これまでの八十有余年の生涯を、あらゆる無理解と迫害を受けながらも屈せず、真の理想家庭を基盤とした平和世界の具現に全力を尽くしてきました。特に、神様の命に従い、一九七一年、アメリカに渡った私は、過去三十年間、全身全霊を尽くして、アメリカが神様から選ばれた世界的な第二イスラエル圏の使命を果たすよう説いてきました。

私は過去数年間、数百回にわたるアメリカ指導者会議を通して、政治家や宗教家たちが、政党や宗派を越えて、各地域社会とアメリカ、そして世界のために心を一つにして協力するように促してきました。併せて、今回、アメリカ五十州巡回講演を通しては、すべての聖職者たちに、教派を越えて一致団結することを強く諭してきました。実際に、「アメリカ聖職指導者連合」を中心に、連合教会運動を通して、十四万四千の教会が救世の目的のために、この運動の先頭に立っています。

一方、私が国連で既に闡明(せんめい)した世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が活発に展開されています。この運動は「世界平和超宗教超国家連合」が先頭に立ち、NGO(非政府機構)総連合団体である「WANGO(世界NGO連合)」を中心に、国連本部から急激に五大洋六大州へと拡散していっています。

皆様。今、私たちはみな、聖書歴史では七千年、イエス様以後の三千年を開いていく新千年紀の時代を迎えています。この時代は、人類歴史を通して神様が願われ、すべての宗教を通して人類が念願した平和の時代がこの地に定着する時です。神様を中心として、心と体が一つになった完全な個人、そして真の愛で一つになった完成した家庭、社会、国家、世界、天宙を形成し、神様の創造理想が実現される時を期待してきたのです。ですから、この時代は聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することにより、天上と地上に天国が形成されなければならない成約時代の完成を意味するのです。成約というのは、本性的次元で、すべてのものが祝福結婚を受ける時代という意味です。神様がつくられたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって祝福圏に立つことができませんでした。

しかし、神様は救援摂理の道を通して、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立て、万民を教育することにより、心霊の基準を段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。そして、私たちは、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真の「個人王」から始まり、真の「家庭王」、「氏族王」、「民族王」、「国家王」、「世界王」、そして天宙的王権の基盤を取り戻し、ついに本然の「神様王権即位式」を挙行する位置にまで来るようになったのです。「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真の家庭と国をもち、祝福を受けて、一つの血族、血統が一つになった単一民族を形成した基台の上に、初めてその式を行うことができるのです。

皆様。人間にとって最も大切な愛、生命、血統の中で、何が最も貴いでしょうか。多くの人たちは愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命がどんなに貴いといっても、それは横的で、一代だけで終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで、永遠に相続されるのです。ですから、血統が最も貴いのです。

堕落していない本然の世界では、神様を中心として、真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築くためには、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になるためには、真の父母の血統が連結されなければなりません。「父母」や「子女」という言葉は、血統が連結されなければ絶対に成立不可能です。それは神様も分けることができません。堕落したサタンも分けることができません。

そのため、真の父母様の祝福を通した真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるのです。本然の基準である神様の真の血統に接ぎ木して、野生のオリーブの畑でも、真のオリーブの木の血統にして、真の愛を中心に一体、一心、一念となり、生死圏を越えていかなければなりません。個人、家庭、民族、国家、世界的な生死圏まで、いかなる犠牲があっても越えていくという心情をもった人は、サタンが関与できません。国家基準を越えるようになれば、完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンは関係を結ぶことができません。

イエス様も結婚していたならば、十字架の道は行かなかったのです。誰もイエス様の命を奪うことはできません。これは相対理想の直接主管圏に連結されるからです。原理で言えば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入っていきます。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンがそれを断ち切る道理がありません。この過程において、心情が一致するその位置に行けずに、そこで堕落したことが問題だったのであり、アダムとエバが夫婦となり、真の愛で愛していれば、永遠に堕落できないのです。サタンが連れ去ることはできません。しかし、この過程で、実が熟しませんでした。熟さない実は、いくら地に植えても種ができません。ですから、永遠の生命がないので、死んだ生命のようなものを処理する所が地獄です。神様と関係がないのです。

父子関係というのは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統はただでは連結されないのです。一人では血統が連結されず、男性と女性の血統が一つにならなければなりません。人間は、性相と形状の血統が一つになったその位置で完成するというのが宇宙の根本の道理です。それで互いに喜ぶ位置、性相となる心が喜べば形状となる体も一緒に喜べるその位置で完成するように人間を創造したのです。実体の大きな木のようなアダムの家庭を中心として、その実体的対象の家庭を繁殖して世界中に満たし、天国の民を繁殖する生産工場を増やすのです。

そうすることによって、霊界にいる神様と地上の実体の父母が地上で暮らしながら、共に天の民を生産することに協力し合い、霊界で永遠に生きることができる民を繁殖して、地上と天上に理想天国を完成するのです。

神様の王権即位式を誰がしてあげるのでしょうか。最初に誰が即位式を台無しにしたでしょうか。サタンとアダム、エバが台無しにしました。アダムとエバが真の父母になれなかったことにより、サタンが侵入し、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。堕落によってサタンの血統を残したので、それをすべて否定してひっくり返すことは、神様もできず、サタンもできません。サタンが今まで築いた自分の国を自ら壊してしまうことは難しいのです。誰もが、自分が精誠を込めてつくったものを改造することは嫌います。サタンも同様です。それを神様がひっくり返すことはできません。神様がひっくり返すことができるならば、エデンの園でアダムの家庭を失うこともなかったでしょう。理論的にも神様は手出しできないことは間違いありません。そのように神様が手出しできないそのことに手出しできる人物が誰かといえば、堕落せずに本性を完成したアダムです。

本然の真の愛の家庭をもつことができる家庭は、真のアダムの家庭以外にはありません。中心が問題です! 復帰も中心がなければ完結されるでしょうか。祝福家庭の中心は何でしょうか。誰が祝福をしてくれるのでしょうか。真の父母がしてくれます。結婚式を誰がしてくれますか。自分の息子、娘として血統を一致させ、父母に似るようにしてあげる、その結婚式を誰がしてくれますか。堕落しなかったならば、子女を生んでくれた真の父母がしてくれるのです。

今日の結婚式は、天使長に引っ張られていったので、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。梯子を横にして架けながら、上に上がりたいと考えているのです。最近は結婚の秩序がめちゃくちゃになりました。本来、結婚は逆の順序ですることはできません。順番にしなければならないのですが、最近は逆にもして大騒ぎです。また、それが復帰の内容と外的には一致するので、あのようにも合わせ、このようにも合わせ、逆にも合わせるのです。本来は、長子と次子がいれば、その生まれた順序のとおり、結婚しなければならないのです。

また、性的退廃は深刻な水準に至っています。近親相姦関係が現れています。親族同士で姦淫するというのです。ある国では、祖父が孫娘と暮らし、舅が嫁と暮らしています。近親相姦が起こっているのです。このような人たちは、中心が分からないので、互いに成り行きに任せて暮らしているというのです。これが地獄化しつつある世界でなくて何でしょうか。

このような状況を誰が収拾するのでしょうか。神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落するのを干渉できなかっただけでなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったので、「終わりの日」に干渉できる道理があるでしょうか。結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統と結ばれてしまったので、真の父母が来て、これをもう一度、蕩減復帰しなければなりません。すなわち、これらを完全に否定して、ひっくり返し、神様のみ旨を成し遂げなければならないのです。

したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている人がたとえ死ぬ立場に行っても、蕩減できれば、生き残るということです。死ぬことを悲しみ、逃げたいと思う人は永遠に復活圏がありません。ですから、聖書には「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)とあるのです。

ですから、神様も同じであり、真の父母も同じですが、天国に行く人はどうでしょうか。神様も、生きようという生命を生かしてあげるためには、その反対に、死ぬような立場に行かなければなりません。そうでなければ、生きるように支えることができません。綱を掛けて崖から落ちた人を助けるためには、死力を尽くして引き上げてこそ、人も生き、神様も生きるのです。

現代人たちは「自由」を語っています。どんなに現代の教育制度がよくできているといっても、皆様には堕落圏内における自由の観念しかありません。個人主義の観点では、そのようなことは分からないのです。氏族、民族、国家、世界、天宙の観念がないではないですか。どのようにして、それを悟らせるのでしょうか。文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成して、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。

小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階まで上がってきました。それをいかにして成し遂げるのでしょうか。心と体を統一することから始めるのです。絶対的に心と体が一つになったところから、家庭、国家、世界、神様まで進んでいくのです。どんなに人々がその位置まで行きたくても、個人主義の概念をもっている限り、行くことができません。個人主義の概念が怨讐なのです。

それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。フリーセックスや同性愛のようなものは、麻薬中毒とエイズ感染の近道になります。麻薬とエイズは、人類を全滅させる脅威になっています。アフリカではエイズが深刻な状況に至ったと報告されているのです。エイズウイルスの潜伏期間が八年から十二年であるとみるとき、ある地域は二代ですべて滅びるのではないかと思われます。

国連を見れば、NGO(非政府機構)も多くの問題点を抱えています。この人たちに最も難しいことをしなさいと言えば、それをする人がいるでしょうか。NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、ああだこうだと指摘しますが、私のように国連の役割や共産主義と人本主義を消化する問題などについて指摘するでしょうか。そのような高い次元の内容を知ってこそ反対できるのであって、そうでなければ反対できません。青少年の淪落と家庭破綻と麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な血統をいかにして残すかという問題について、彼らは分かっていません。それに対する解決方法は、国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知りません。彼らは「これはうそか、本当か」と言っているのです。

これから、「神様王権即位式」以後にできる条件をはっきりと教えようと思います。今まで問題が何だったかというと、血統が問題でした。それが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今この世に数多くの国がありますが、神様の血統と関係のあるものは一つもありません。すべてサタンに属しているのです。これからは他に方法がありません。神様に従い、真の父母様に従っていくこと以外には中心の位置がないというのです。

今日、この新千年紀の時代にするべきこととは何でしょうか。これまで神様も解放されず、真の父母様も解放されなかったのですが、これからは神様の王権定着のもとに解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけません。監獄に入ったとしても、恐れてはいけません。むしろ、天国に早く行きたいと思う人がいるなら、若くして行けばどれほどよいでしょうか。損をするでしょうか。天上天下の宇宙すべてが私の手の中に入って主人になるのに、なぜ否定しますか。死んでも生きても、心配することはありません。

皆様は、個人完成をどのようにするのか知っていますか。個人の心と体が一つになる道が分かりますか。堕落するとき、サタンの血統を受け継いだ愛の力が、良心の力よりも強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても体が願うままに行動してはいけません。

これから守るべき鉄則が何かといえば、第一に、死んでも天から伝授された純潔な血統を汚してはならないということです。第二に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはならないということです。男性も女性も、黒人も白人も平等です。人権を差別したり蹂躙したりしてはいけないのです。責任者たちは、自分の心に合わないからといって、むやみに人事措置をしてはいけません。人権を正しく指導するにおいては、真の愛、すなわちために生きる愛をもって生きる人が主流になるのです。天地創造はそこから始まりました。その主流思想を乱すことは許されません。それは罪の中の二番目の罪です。

第三に、公金を盗んではいけません。公金を勝手に使ってはいけません。以上の三つです。このすべてが、堕落したアダムの家庭から始まったものです。これらが原因になって監獄に行く人が七〇パーセント以上になります。監獄に入ってみるとそうです。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っ掛かっています。それからお金の問題、権力の問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。これから、祝福を受けた血統は神様の血統であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものである以上、これまでの堕落世界に染まった習慣的な行動によって汚してはいけません。

それを守ることができますか。夫婦であっても、あるいは配偶者がいなければ一人でもよいので、きょうという日を完全な血統を汚さないと決心して誓う日にしなければなりません。天国の憲法第一条が何かといえば、血統を汚してはならない、きれいに保って、純潔な血統を永遠に守りなさいということです。第二は、人権を蹂躙してはならない。第三は、公金を略取してはならないということです。皆様が天国の王権を維持して、王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためにはこれが絶対必要です。ですから、兄を無視することはできません。弟が障害者だからといって無視することはできません。知識があるからといって、大学を出た人が、高校しか出ていない人を差別しています。そのようにすれば人権蹂躙になります。

公的な環境を破壊することも、国家財産略取と同様に恐ろしいことです。そのように暮らす人は天運が共にないので、いくら成功しようとしてもできません。負債を負う人は天下がみな嫌います。一族の中で問題を起こせば、一族から追い出されてしまうのです。

それでは、神様の公式、法度に従って生きるには、どのような環境、どのような人たちと共に暮らせば、正しい暮らしをしていることになるのでしょうか。簡単です。それも三つです。親子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は父母の前には子女になります。子女関係は兄弟関係ということです。自分の家庭を中心として、父母がいて、その次に夫婦がいれば息子、娘がいます。

したがって、私には兄弟関係と同様に、父母の前に姻戚の八親等、四親等以上がすべて連結されます。それで親子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。そのような人たちの手本になれなければ、誤った生き方をしているということになるのです。しかし、父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本となることができるように暮らすならば、正しい生き方をしているのです。

そのように正しい生き方をすれば、どのようになるのでしょうか。家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じます。そのように生きた祖父母から、父母、子女の三代が四位基台の理想を備えた家庭に賞をあげるのです。ですから、兄弟関係でも子女関係でも、共同の責任のもとで和解し、影響を与えながら主体的な位置に立って生きた人になれば、誰もその人を抜きにして天国に行くことができません。

これから、この法を守って暮らせば、間違いなく天国の皇族圏になり、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。ですから、これをきょう、新しく三千年を始める今年の標語として定めるのです。一方で、純潔血統、人権平準化、そして国家財産保護の先頭に立ち、その次に親子間、夫婦間、子女間で手本になろうというのです。町中がすべて、「あの人に従っていかなければならない」と言い、「あの人のような人になりたい、一緒に暮らしたい」と言うようになれば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶される人になります。文総裁自身もそのように生きています。

きょう、「神様王権即位式」で宣布した、最も重要な三大鉄則をお話ししました。それは、人間が公人として必ず守らなければならない、家庭に入っても、国に入っても、絶対に引っ掛からない指針です。

神様の全知全能の権能と真の愛がこの地に直接的に現れる成約時代には、天上世界についてはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究して、神様を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を形成し、ために生きる生活を通じて永生を準備することを願います。今や人々は神様が願われた理想の地上、天上天国が到来する時であることを知って、限りある人間の能力とは比較にもならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。生きて働かれる神様のみ前で、実に温柔、謙遜な姿勢で最も貴い天の真の血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く人が恵まれた天国人です。

内外の貴賓の皆様。新千年紀が始まる二十一世紀は、過ぎ去った世紀の分裂と葛藤という遺物が清算され、和解と統一の地球村大家族の理想が実現される時です。私は、韓民族を選んで平和文化世界を成し遂げようとする神様のみ旨を早くから知ったために、五十数年の間、「頭翼思想」と「神主義」を中心とした理念運動を土台として、国内外に全力を尽くして統一の基盤を造成してきました。これまで私が主張してきた「神主義」は、有神論と無神論の相反した価値観の統一はもちろん、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。韓民族を導き、世界に跳躍し雄飛させる使命をもった国会議員ならびに内外の貴賓の皆様。共に真の愛の「神主義」で私たちの価値観を確立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族、そして世界平和のために、南北統一運動を信仰化しましょう。そして、心から共に暮らしたいと願う真の愛、怨讐までも愛する心で、統一運動の先頭に立つ義人と指導者になりましょう。

神様の王権時代を迎えて、私たちはみな、神様を中心として南北統一を成し遂げ、超国家的に神様の心情文化世界を共に創建する人になり、神様の故郷と神様の祖国光復を成就しましょう。神様の祝福が皆様の国と家庭にいつも共にあることを祈ります。

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第一篇 10 神様と人類が求めていく平和の国と世界

第一篇 10

神様と人類が求めていく平和の国と世界

日付:二〇〇一年十月二十九日

場所:韓国、忠漬南道、儒城(ユソン)、リベラ・ホテル

行事:天宙平和統一国韓国大会

尊敬する各界指導者の皆様。歴史的な大転換の時を迎え、今日の韓国の統一と世界の平和を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。去る九月十一日、アメリカのニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は、全世界に驚くべき衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対し、深刻で根本的な疑問を再び抱かせたのです。

折しも、去る十月十九日から二十二日まで、ニューヨークでは意義深い国際会議が開かれました。私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と世界NGO(非政府機構)連合である「WANGO」との共同主催により、世界百一カ国から元、現職の国家元首、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教、儒教などの主要教団の最高指導者、学界、そして各国のNGOの代表など、四百人以上が参席し、真摯かつ深刻に、今日の世界が直面している危機と、これを平和的に解決するための方案の模索をめぐって討論しました。

世界で唯一残っている分断国である私たちの祖国、韓半島は、中東地域とともに地球上で最も注目されている紛争地域の一つです。恒久的で根本的な平和世界の実現に対する私の構想を、開会演説において伝達し、きょうこの時間、私の所見の一端を分かち合おうと思います。きょうお話しする題目は「神様と人類が求めていく平和の国と世界」です。

人類は、歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は、一度も実現したことがありません。振り返ってみれば、政治的、軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息すると、多くの人々は、高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待しました。

ところが、葛藤と憎悪、利己的な欲望が私たちの中にそのまま残っており、またそれが、別の形態のさらに大きな災禍を生んでいることを、今になってようやく実感しているのです。無辜の人々に対する暴力が罪悪であることは自明であり、そのような行動は、必ず終息させなければなりません。

それでは、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でしょうか。憎しみと葛藤と闘争の種は、どこに植えられて根を張っているのでしょうか。それは、人類始祖の最初の家庭の中に植えつけられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々と続いてきているのです。

そうだとすれば、葛藤と紛争を解消し、平和を実現する道はどこに求めなければならないのでしょうか。人類はこれまで、葛藤と紛争を克服し、平和を実現する道を、政治の力や外交的努力により、あるいは経済力や軍事力を通して探し出そうと試みてきました。

しかし、このような方法は、根本的な解決策となることはできませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち神様の理想家庭を復帰することです。それは、神様を中心とする家庭、真の愛を縦横で完成した家庭のことです。

神様は、真の愛の本体として存在し、人類にとっては無形の真の父母であられます。愛は、独りでは成立しません。必ず相手を通して結実します。人間は、神様の真の愛の実体対象として造られた子女です。

神様は、人間に「生育せよ」という第一祝福を与えられたのですが、その第一祝福とは、人間が神様の真の愛の完全な相対、すなわち真の人間になりなさいという祝福でした。相対は優れていることを願ったというのです。神様は、真の愛の相対である人間に対して、投入しては忘れ、さらに投入しては忘れる、そのように無限に与えたいと思う真の父であられます。愛の出発は、無限にために生きるところから生まれてくるからです。

神様は、人間に対して「殖えよ」という第二祝福を与えられました。人間始祖は、神様の子女として成長して完成し、神様と一体となった心情圏のもとで、真の夫婦となるようになっていました。さらに彼らは、神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、自分たちの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのです。このように神様の創造理想は、最初の家庭から縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、不変、永遠であるように、その家庭も真の愛を中心として、絶対、唯一、不変、永遠の家庭となります。

ここにおいて人間は、神様と一心一体となった実体となり、完全な自由と幸福と平和の理想を完成するようになります。このとき、人間は、宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。

これが神様の人間に対する第三祝福です。第三祝福は、人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。またこれには、生態系と自然を、真の主人の立場で保存しなければならないという管理の責任も含まれています。

ところが、人間始祖は、神様の祝福のもとで真の愛の家庭を実現することができませんでした。真の愛を中心とした真の人、真の夫婦、真の父母になることができなかったのです。神様に背き、堕落した人間始祖が楽園から追われたのち、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心として夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界を築いてしまったのです。

有史以来、人類は、神様に待った真の愛の基盤から生まれることができず、心と体が葛藤する矛盾をもったまま生きてきました。この葛藤は、人間始祖の最初の家庭内において、兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れました。これが神様を離れた家庭の悲惨な実状です。

人間が中心となった家庭、人間関係のみを基礎とした家庭は、本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛の軸で連結された家庭が理想家庭です。真の父母の真の愛のもとで、縦的軸を共有する兄弟間においてこそ、初めて完全な平和の関係が形成されるのです。真の愛は、理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は、唯一の愛の学校です。真の愛は、権力や知識や力の基盤からは決して創出されません。

尊敬する各界の指導者の皆様。皆様は、今日の世相を見渡すとき、また、若者たちに対するとき、何を感じるでしょうか。希望に満ちた明るい未来ばかりを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混乱など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いはずです。

なぜ若者たちが、このようになったのでしょうか。より優れた学校教育や制度と環境の改善も、部分的な解決策とはなるでしょう。しかし、根本の根はそのようなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が、歴史の結実期を迎える中で、家庭が安定性を失って崩壊しているところに、その原因があるのです。

家庭の崩壊現象は、一つしかない愛の学校が破損したも同然なので、その否定的波及効果は、途方もなく大きいものです。社会的に様々な不安要因となることはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。

特に青少年には、情緒的不安を与え、人生の座標を変えさせ、脱線と放縦の生活への直接的な原因にもなります。結婚忌避の風潮や離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊していく現実の問題は、あすを憂慮する指導者が先駆けて、必ず解決しなければならない課題であると言えるでしょう。

神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を完成するという、真の愛の個体完成の重要性を知ることができませんでした。ほとんどの青少年たちは、婚前の純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けることができていません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖さが無視される風潮の中で、人類社会は途方もない悲劇と災いを内的に蓄積してきているのです。また、男女間の愛が、刹那的で、肉欲的で、享楽的な方向にばかり走る、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場がなくなってしまいました。急速に拡大するエイズと性感染症(STD)は、人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないとも言われています。

今、世界を震撼させているテロリズムよりも恐るべき脅威が、安全地帯もなく、私たち全員の間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、この途方もない地球星の災いを解決できずに、どうして私たちがこの時代の指導者だと言うことができるでしょうか。

また、「万物を主管せよ」という神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たすことができずにいます。もし、自然が人間の虐待に対して反抗し、人間を拒否するとすれば、どのようになるでしょうか。既にそのような兆候が現れているではありませんか。生態系と自然環境が、無言のうちに人間の傲慢さに対して懲罰を与える前に、人間は、真の愛の人格を回復し、万物の前に現れなければなりません。

尊敬する各界の指導者の皆様。今日の問題をもう少し根源的に掘り下げてみるために、神様の創造理想を中心として、真の「私」と「私たち」の関係について考えてみようと思います。

人間は堕落によって、真の「私」の位置を探し出すことができなかったので、神様も「私たち」という言葉を使用してみることができませんでした。創造理想的意識圏内に立つことのできる神様御自身が「私のもの」、「私の子女」と言える関係を結ぶことができなかったのです。したがって、私たちがもっている「私」という概念は、神様の本来の創造理想とは何の関係もないものなので、私たちは自らを完全否定しなければなりません。

神様は、御自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真の男性と真の女性、すなわち神様の真の息子、娘を探し求めて復帰摂理をしてこられました。言い換えると、神様は、愛の主体、生命の主体、血統の主体であられるので、永遠に一体不可分の基準に立っている真の息子、娘を探し求めてこられたのです。ですから、私たちは、まず心と体の統一によって個人完成し、その基盤の上で神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。

しかし、縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が共に調和しなければなりません。したがって、男性と女性が、真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、真の子女を生んで真の家庭を立て、三代を中心として四位基台を完成してこそ、天は家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。

それでは、私たちは、どのようにすればそのような位置まで進むことができるのでしょうか。神様は、心と体が完全に一つになった立場で万物を創造されました。それは、絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには、御自身の利益や事情を考える余裕などありません。完全に一〇〇パーセント与えては、また与える、ために生きる愛の始原が正にここにあったのです。

私たちの家庭においても同様です。神様の立場にいる父母は、真の愛を中心とする「正分合」の論理から見れば、「正」の立場で完全投入、絶対投入することにより、子女を生み、養育して、縦的な「私たち」の軸を立てなければなりません。

そして、横的には、夫婦が「分」の立場で、真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で、自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係という、また別の軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な「私たち」の概念が実体的に展開するのです。

ですから、家庭が大切なのです。家庭こそ、天が私たちに与えてくださった最も貴い贈り物です。家庭という環境がないとすれば、私たちは、いかにしてこのような絶対的基準の「私」を探し出し、縦横や前後で完全な「私たち」というものを考えてみることができるでしょうか。家庭こそが、愛と平和と幸福の揺籃なのです。

それでは、真の「私」は、どこから探し出すことができるでしょうか。ために生きる真の愛を実践する生活においてこそ、それは可能なのです。自分を完全に否定し、家庭のために生き、国のために生き、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の「私」は自動的に探し出されるのです。

私たちは自らを前面に立て、自分をむやみに主張してはいけません。非常に長い歴史の裏街道で、真の「私」を主張する子女を探し求めて、恨に絡み合った復帰摂理をしてこられた神様の心情を少しでも知るならば、むやみに自分を主張できないはずです。私たちは、寝ても覚めても理想家庭の完成のために生きなければなりません。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年待ち続けてこられた理想家庭さえ立てたとすれば、それが正に地上天国の出発地となるでしょう。そこにおいて、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。

皆様、太陽を見つめても恥ずかしくなく、海の水を見てもやましくなく、万物の前でも一点の隠し事のない真の自分を取り戻し、神様が「私たち」と呼んでくださる家庭を立てましょう。

そのようにして、神様と人間の間に真の父母と子女の関係が成立しなければなりません。そして、人類の真の父母であり、愛と生命と血統の根源であられる神様は、人類の先祖であり、ひいては主管者であり、真の王であられます。

エデンの園における人類始祖の堕落により、神様は、そのすべての位置を失ってしまったのです。復帰摂理の進展に従って、私は海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム心情圏の還元を宣布し、その土台の上で、失われた神様の王権を取り戻してさしあげる歴史的な「神様王権即位式」を、去る一月十三日、韓国において挙行しました。

本来、アダムは、人類の始祖であり、家庭の根本です。本来は、家庭の王が、将来、国家の王の位置を受け継がなければならず、さらには天宙の王の位置を受け継がなければなりません。そうしてこそ本然の理想的天国圏が連結されるのです。今や蕩減の時代が終わり、入籍を通して本然の定着時代に入っていくことによって、国の王が連結され、さらには世界の王が連結されるのです。

それで、「世界平和統一家庭連合」では、昨年の「子女の日」に、天地父母が家庭の王として君臨するようになったことを宣布し、入籍された家庭から、初めて天の父母を王として侍っていくことができる時代に入ることを宣布しました。したがって、すべての祝福家庭は、天地の王に侍る標準的な伝統を立てなければならない家庭であることを自認しなければなりません。それで、教会時代は終わり、家庭連合の時代が開かれるのです。

宇宙全体が、一つの核を中心とした連体として連結しているのと同じように、皆様の家庭がそのような核の位置に立って万物を愛し、神様が愛で造られて存在する万物を食べて愛する、そのような主人の位置を備えなければなりません。

それで、自分の家庭が、神様のみ前に愛を中心として一体圏を形成し、天地父母の王に侍る標準的、定着的、礎石のような家庭であることを感じなければなりません。そのようにして、勝利圏を受け継いだ祝福家庭にならなければならないのです。

尊敬する指導者の皆様。人類は今や、独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様のみ前に謙虚に頭を垂れ、天道に従わなければならない時に至っています。私は、いち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のために生涯を捧げてきました。きょう、私はこの場において、平和に向かうための重要ないくつかの点についてお話ししようと思います。

第一に、私たちは、他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は、他人を不快にすることはもちろん、天道に逆らうものです。他のために生きることは、取りも直さず、神様の似姿になる実践なのです。

神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは、宇宙の基本秩序に順応することです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の父母、真の師、真の主人になります。そのようになってこそ平和を成し遂げる主体となるのです。

他のために生きることは、平和に向かう最初の関門になります。これと関連づけて、平和に至る道は、「神主義」と「頭翼思想」によらなければならないという結論を述べようと思います。「神主義」と「頭翼思想」とは、カインとアベルの葛藤を始原としたこの世の中にあるすべての葛藤の要因と思想とその結実を、すべて和合させ、包容できる思想であり主義です。

葛藤と憎悪の鎖を何によって断ち切るのでしょうか。憎悪に対するより一層大きな憎悪は、かえって恐ろしい憎悪と破壊を呼び起こすだけです。これは、平和に向かう道とはなり得ません。対立し、仲たがいする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ感化され、教育され、包容されるのです。

神様を中心に立てた真の愛は、国境に阻まれることのない超国家的なものです。また、真の愛は、宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心とした相対のために生きる真の愛の感化力、生命力によってのみ、地球星の左右、前後、上下、内外の様々な葛藤と対立の要因がすべて克服され、永遠の平和理想世界が成し遂げられるのです。

第二に、平和な世界と国家を形成する基礎単位である真の家庭を完成することです。既に言及したように、対立、葛藤の根は最初の家庭にあったのであり、したがって理想的な真の父母の家庭が生まれない限り、平和世界の起源はあり得ません。

これと連係して、私が世界的に展開している国際祝福結婚は、単純な一宗教団体の結婚儀式ではありません。神様の愛の伝統を立てる救国、救世の運動です。青少年たちに対しては婚前純潔運動を展開しています。

そして、成人すれば、神様の真の愛を中心に夫婦間の絶対信義と貞節の誓約のもとで祝福結婚をする運動です。真の愛を中心として、真の家庭と真の父母を成し遂げる神聖な運動です。このような理想のもとで教育を受け、結婚した家庭は、エイズを脅威に感じる理由がありません。彼らにとって、エイズの予防は風邪の予防よりも簡単なことです。

世界のすべての若者は、このビジョンによって教育を受けて実践すれば、エイズは完璧に予防されるのです。真の愛の家庭は、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を据えるのです。特に、政治的、歴史的に不和であり怨讐関係にあった国家間の人々が、その高い垣根を越えて、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解の幅は国家を超え、人種を跳び越えるものになります。

真の平和へと向かう高次元の公式は、不和と怨讐の関係にある家門、さらには怨讐国家の子女たち同士で交叉祝福結婚をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を成就させることです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する、そのような始原になるのです。

第三に、超宗教的な和解と協力は、平和世界へと向かう必須条件です。私はこの五十数年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして活動してきました。常に自らの教団の発展よりもはるかに多くの予算を支援しながら、休むことなくこの運動を進めてきました。

変わることのない、このような愛の実践は、たやすいことでしょうか。決してたやすいことではありませんでした。教団間の和解と協力がない限り、世界平和は期待できません。神様の理想である平和世界への案内者には、宗教指導者と信仰者がならなければならないのです。

もし、宗教が偏狭な教派主義ばかりを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。ですから、地球星の危機の前に、宗教指導者たちは、謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取り合って、真の愛を実践していかなければなりません。

宗教の感化力によって安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化するところから、真の平和と安定がもたらされます。もし、各宗教が教理や儀式の違いを超えて、神様の高い理想のもとで互いに愛し、協力し、奉仕し合う姿をこの世に見せてあげるならば、世界は劇的に変わるのです。

第四に、平和世界を成し遂げるための国連の正しい役割を再度強調したいと思います。国連は、代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をしてきましたが、創設時とは大きく変わってしまった世界の事情を考慮し、多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案しました。その提案の一つは、国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、霊的、道徳的、思想的次元から世界の問題を審議させるというものでした。

国連が、国家の利益に基礎を置いた政治や外交の力によって運営される次元を超えて、地球星的な理念と神様の高い理想のもとで運営される機構にならなければなりません。そうしてこそ、万人の権益を保護し、平和世界を創建していくことができるのです。

国連だけでなく、今後の世界秩序は、政治主権が道徳的、霊的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障することが困難です。神様の理想に基づき、宇宙の公法と通じる霊的、道徳的高次元の指導力が要請されるのです。政治力やそのいかなる力も、神様と天理の上に立つことはできません。

また、国連は、非政府民間団体であるNGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私が世界NGO連合である「WANGO」を創設した理由もここにあります。すべてのNGOは、より一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失わないようにしなければなりません。利己的で偏狭にならないように努力しながら、世界のために正しい奉仕を続けてくださるようお願いする次第です。

尊敬する指導者の皆様。自ら実践することなくして平和を語ることは、真の指導者の道理ではありません。また、何もしないで平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。

平和大使たちはもちろん、私たち全員が平和運動の主体になって、必ずや平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとするすべての国際機構が、平和大使館を中心として、歴史的宿願である世界平和理想国家の建設運動に積極的に協力、支援するようになることを祈ります。

各界各層の指導者である皆様が一心一体となり、共に他のために生きることで、真の愛の家庭理想を実践し、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。統一された祖国と平和の理想世界を建設する働き手になりましょう。神様の祝福が皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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第一篇 11 あふれる感謝と愛を込めて

第一篇 11

あふれる感謝と愛を込めて

日付:二〇〇二年二月十五日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル

行事:「二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超 宗教超国家連合二〇〇二総会」(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。私の祖国、韓国で開催される今回の「二〇〇二世界文化体育大典」の開会式典で皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。

絶対的道徳性教育をしてこられた文鮮明総裁

私は生涯を通じて、奇跡のような多くの変化が韓国で起こるのを目撃しました。韓国に初めて来られた方々は、韓国の文化を経験し、飛躍的に発展した韓国の姿を御覧いただくことを願います。私たちは新千年紀を迎え、過去の暴力と苦痛を清算し、現代科学技術を総動員しながら世界の平和と繁栄が訪れることを期待しました。

しかし、昨年、韓国で起こった一連の事件が見せてくれたことは、私たちが輝かしい物質文明を享有しつつも、いまだにその文明と調和する精神文化と価値観の混乱によって、大きな葛藤を解決できずにいるという事実です。

今日の世界は相対的道徳観にあふれていますが、私の夫である文鮮明総裁は全生涯を捧げて神様に対する絶対信仰と絶対愛、絶対服従、そして人類と万物が願う絶対愛に根本を置いた絶対的道徳性を教育してきました。

皆様の中の多くの方々は、既に私の夫によって推進されるプロジェクトや活動を通して、皆様なりに文総裁を知っておられることと存じます。しかし、きょうは私だけが知っている総裁について御紹介しようと思います。夫との四十二年間の結婚生活を経てきたこの時点で、神様以外には、夫のことを私ほどよく知っている人はいないでしょう。

平和世界実現のための人生

総裁が教えている絶対価値と御自身の生涯とは、どのような関係があるのでしょうか。私は、総裁が朝から晩まで、ただ他のために生きるその生き様と、人間生活のすべての分野で塀を崩し、究極的には神様と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範される姿を見守ってきました。

私が初めて夫に会った時を考えてみても、世界はまだ軍事力を軸にした二つの世界、すなわち東西冷戦によって韓半島は六・二五動乱の悲劇に遭い、南と北が二つに分かれている時でした。

数年間続いた戦争で、ほとんどすべてのものが破壊されました。私の夫が建てた初めの教会を見ても、捨てられた紙の箱を拾い集めて土と混ぜ、地面の上に立てた土壁の家でした。そのような状況でも総裁は、神様がこの地に新たな希望を下さるという約束に対していささかも疑いませんでした。

北朝鮮の共産治下の監獄暮らしの中、残酷な拷問で何度も死の峠を越える時や、他の宗教団体の指導者たちの偽りの告発によって韓国で牢屋暮らしをされる時も、総裁は自分が処した苦境ゆえに神様に助けを求めるような祈祷は、絶対にされませんでした。

かえって神様を慰労され、必ず神様のみ旨である平和世界を成就することを自ら何千回も誓い、そのみ旨のために黙々と実践するだけでした。そして、いかなる苦境に処したとしても、例を挙げれば、食べるものがなくて飢える時や、キリスト教と言論、そして政府までもが共謀して夫を迫害する時も、神様に対する愛と人類に対する哀れみは、より一層大きくなるばかりでした。

歴史上の預言者たちがそうだったように、総裁は、反対にも屈せず、かえって真理を伝播することに、より拍車をかけてきたのです。天に対する絶対信仰の手本を見せてくださいました。十六歳(数え)になられた年、総裁は天から啓示を受け、本来、神様が願われた、純潔と自由と喜びが充満する世界に人類を導くべき使命を帯びて選ばれたことを悟られました。その使命を成就するため、総裁は個人から家庭、氏族、民族、国家、そして世界に至るまで、神様のみ旨を成就するために絶対信仰に基づいた生の原型を広げてこられたのです。

犠牲と絶対的服従の道

総裁は、天から召命を受けたその日から、言い表すことができない苦難と苦痛を伴う、総体的な犠牲の道を歩んでこられました。その中でも最も胸を痛めたことは、救ってあげようとするその当事者たちが、かえって嘲弄と偽りの非難を浴びせてくる時でした。それにもかかわらず、総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意志を曲げたり、躊躇されたりしたことがありません。そして、自ら手本を見せ、神様に対する絶対服従の道を教えていらっしゃいます。

何よりも、私の夫が解き明かす絶対愛に関する教えこそ、他の宗教指導者たちの追随を許さないものであると思います。数多くの宗教指導者たちや学者たちも、自分たちの教団における建立や教理伝播のために献身しています。ある方たちは、慈善事業や人道主義的なことを大々的に行われた方もいます。

しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に厳しかった時でも、総裁の教えには変化がありませんでした。「私たち自身を心配する前に、私たちの予算の三分の二を人助けのために使いなさい」ということでした。これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注がれました。神様の願いがすべての宗教を一つにすることであることを御存じであるからです。

総裁は、統一教会の運動自体のためよりもはるかに多くの予算を、宗教の和解と一致のために投入してこられました。一九七五年に創設した統一神学大学院の学生たちは、自分の教団の教理を学ぶことよりも、はるかに多くの時間を費やして、他の宗教と対話し、またそれらの教理を学んでいます。

アメリカ政府が不当に総裁を断罪し、監獄に送ろうとするさなかにおいても、文総裁は、「ワシントン・タイムズ」を創設して、アメリカが冷戦を終息させて世界平和のための摂理的な役割を果たせるように援助したのです。皆様も御存じのように、総裁は、世界的に多くの他の言論機関にも財政的な支援を惜しまれず、今も継続して、統一教会自体の出版事業に使うよりもはるかに多くの予算を、それらのために注いでおられます。

総裁の不屈の意志と、自分のことを心配する前にまず人のために犠牲になる、そのような生き方は、神様の無条件的な愛に起因しており、これこそ、愛の真の意味であり、今日この世界に存在する壁を取り除くことのできる解決方法であると私は確信します。

絶対愛の見本を示した総裁

総裁は、自ら手本を示すことによって絶対愛を教えられます。絶対的愛で結ばれた夫婦関係こそは、背信や離婚があり得ず、今日、世界的に蔓延している性病から防御する、唯一で真の道なのです。

総裁がこのような理想を実現するため、自ら実践し教育しながら見せてくださった、確固として不動な献身的姿について誤解する人もいました。ある時は、その絶対的基準のゆえに、もう少し易しこを選ぼうとする人たちのねたみと嫉妬によるでっち上げの非難もたくさんありました。

しかし、時が過ぎていきながら、だんだんと多くの人々は、正と不正、そして善と悪については折衷や妥協はあり得ず、私たちの生命と神様のための献身的な愛には、少しの譲歩もあり得ないことを悟るようになりました。

私は一生を通じ、総裁との安らかな時間をほとんどもつことができませんでした。人々のように新婚旅行を楽しむこともできませんでした。しかし、正直に言えば、私はこの世の誰の妻よりも大きな夫の愛を受けて暮らしてきました。総裁の、家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの実を結びました。

夫自らが見せてくださったとおり、私の家族は神様のために絶対的基準で献身しなければならないことはもちろん、人類のための愛も完全でなければならないと教えてこられたのです。

十三人の子女と二十人を超える孫たちがいますが、私たちは、家族ぐるみの休暇を一度も過ごしたことがありません。しかし、私の家族は、神様の御加護の中で、感謝の生活をしています。

真の夫であり、真の父母である文総裁

私たちが初めてニューヨークに移住して、数百人の教会員と共に暮らしていた時でした。誰よりもまず、夫は芝生を刈る機械の操作法を学ぼうとしました。自分一人でカーペットを敷く方法を体得されもしました。芝生一つ一つを刈りながらも、神様と人類に美しい芝生の庭を贈ろうという心情で臨まれました。カーペットに打つ釘一つ一つにも、同じような心情を注がれたのです。

また、私たち夫婦の生き方は、他の人たちとは異なりました。一生を通した犠牲的な生涯の結果として、世界的に数百万の家庭とその子孫たちが総裁の伝統に従って生きていることを目撃しながら、私は、神様が御自身の献身的な息子、文鮮明総裁のことを本当に誇りにしていらっしゃるだろうと思います。

きょう、私の生涯で初めて、このような公式席上で、あふれる感謝と愛を込めて、私の夫を皆様に御紹介することができ、喜びの心を禁ずることができません。紳士淑女の皆様。私と共に、この「世界文化体育大典」の創始者であり、神様の真の息子であられ、真の夫であられ、真の父母であられ、真の師であられる私の夫、文鮮明総裁を歓迎してくださるようお願いいたします。ありがとうございました。

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第一篇 12 平和の根源は神様

第一篇 12

平和の根源は神様

日付:二〇〇二年八月十日

場所:韓国、光州、新陽パーク・ホテル

行事:天地父母統一安着生活圏韓国大会(真のお母様)

愛する祖国の兄弟姉妹の皆様、そしてこの歴史的な大会を見守っている世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。私たちは、いよいよ実に歴史的で摂理的な時を迎えました。六千年間、天と地がこれほどまでに待ち望まれてきた平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたということです。

天は、歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許可され、人類は、その宗教圏内で平和の世界を成就するために、不断の努力を傾けてきました。しかし、人類はきょうも、あらゆる不条理と不道徳の中から抜け出すことができずに、うめき苦しんでいます。津波のように押し寄せる堕落の風潮を食い止めることができないまま、激しい波にのみ込まれる自らの姿にふと気づき、驚愕を禁じ得ないのが現代人たちの姿なのです。それでは、私たちには永遠に希望がないというのでしょうか。私は、夫である文鮮明総裁と共に神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その預言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されてきました。

人間の創造と堕落

私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。

どうか心の扉を開き、無知と混沌で綴られた今日の終末期を生きている皆様に下さる天の警告を、謙虚に受け入れる知恵を見せてくださるようお願いします。

本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず、真の愛が何であるか分からなくなってしまい、幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。

自由と平和を謳歌し、ひいては創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。それだけでしょうか。今まで六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。

このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。

これらはすべて人間堕落の結果なのです。世界中の数多くの国家の中には、環境が良くなくても良い種をもつ国家がありますし、環境が良くても悪い種をもつ国家があります。もしこの世界がすべて良い種を受けていたとすれば、すなわち、もしこの世界がもともと良い木から採れた良い種を、良い環境で育てていたなら、今日のこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界になっていたに違いありません。しかし、不幸にも私たちが暮らしているこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界にはなっておらず、善悪が混在する世界になっています。周囲に現れる環境は、善の環境というよりは悪の環境になっています。このように周囲が悪の環境に取り囲まれているので、いくら種が良くても、良い実を結ぶことができないのです。

人類歴史を見ても同じです。人類が善であるためには、まず人類を形成している個々人が善でなければなりません。堕落していなかったなら、私たち人間は、理想的な春の園を迎えていたでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜び得るそのような人々として育ち、そのように育った人類なら、この地上に創造本然の文化世界を開花させ、文化世界を創造したその中で、私たち人類は、平和で、幸せに暮らしていたでしょう。万物が春夏秋冬の季節に従って巡ってくるのと同様に、人類歴史もまた、春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界になるべきだったのですが、堕落することによって、人間の世の中では、人々が喜び得る希望のとき、栄光の一日を迎える喜びの出発ができなかったのです。

人間始祖アダムとエバから生まれたカインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた子女ではありません。神様の真の血統を伝授されるアダムとエバが、堕落行為を通してサタンの偽りの血統を受け継いだがゆえに、彼らから生まれた子女たちは、神様の子女ではない、悪魔サタンの子女になるしかない運命のもとに生まれついたのです。ですから、イエス様もヨハネによる福音書第八章四十四節で「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と戒めたのです。

アダムとエバは、神様のむちで追い出された私たちの最初の先祖となりました。しかし、本来アダムとエバは、神様から「愛するアダムよ、愛するエバよ、私はあなた方を、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために造ったので、あなた方は平和と幸福の主人であり、父母であり、王である」という祝福を受けるべきだったのです。言い換えると、アダムが、千秋万代、永遠に変わることなく地上の王として、また天上の王として立たなければなりませんでした。天地が生じ、神様と人間の関係が生じたのち、初めて真の主人、真の父母、真の王の名をつけられる方が誰かというと、正に私たちの始祖アダムだったのです。

神様を解放しなければならない私たちの責任

それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。今日、私たちの周辺で、堂々と我がもの顔で猛威を振るっている極度の利己主義的思考と行為が、正に私たちを堕落の道に追いやった元凶なのです。

他人の立場や境遇を考える前に、自らの利益や都合だけを追求する拙劣な行為、他人が死のうと死ぬまいと自分だけが生きようという破廉恥な姿は、みな堕落が引き起こした行為の片鱗なのです。しかし、これは、創造当時に神様が計画された本来の目的ではありません。神様もこのような世の中を願われず、人間もこのような世の中に生まれて暮らすことを願いませんでした。したがって神様は、このような悲惨な歴史、悲しみと苦痛に満ちた歴史を清算して、本来願われた平和の世界、幸福の世界、自由の世界、善の世界を取り戻すことを目的として立て、この堕落した世の中を収拾してこられているのです。これがすなわち復帰の道であり、救援摂理の道なのです。

堕落したアダムとエバの子孫に転落した人類になりましたが、人間には誰しも本然の世界を指向する本心が残っているので、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、指向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、困難であるとしてもかなえざるを得ない理想として残されたのです。神様は、堕落した人類に、時代に従って、新しい理想と新しい心情を取り戻してあげるために、今日に至るまで摂理を繰り返してこられました。

もし、そのような理想を成就する一日が、天と地に訪れなければ、また、天と地を動かすことのできる中心存在、そしてその中心存在を軸にして共に動くことのできる人々が現れ、天地が一つになって一つの目的を指向できる道を開くことができなければ、この地上に真の自由と平和と理想が訪れないのです。そうなると、人間は蕩減復帰の歴史過程から抜け出すことができなくなるでしょう。

このような事情があるので、神様は、私たちに栄光の立場でお訪ねになることができないのです。平和と自由と理想をもってお訪ねになることもできません。反対に祭物の峠を歩んで私たちをお訪ねになるしかないのです。蕩減復帰の道だからです。神様の悲しい心情を一掃してさしあげる一時、すなわち神様の心中にしみ込んでいる恨を解いてさしあげることのできる一時を探し立てることができない限り、人類の平和はもちろん、神様の創造理想もこの地上でその実を結ぶことはできないのです。

ですから、私たちは、神様の胸にしこりとなっている恨を解いてさしあげることによって、神様を解放してさしあげる責任があります。しかし、このような事実を、今日、イエス様を信じる聖徒たちは知らずにいます。私たちは、堕落した人間なので、堕落以前の本然の状態を取り戻し、神様を失ってしまった人間なので、神様を失う以前の立場を取り戻し、人類の真の父母を失ってしまったので、真の父母を失う以前の立場を取り戻さなければならないのです。

私たちは、神様と真の父母を中心とした平和の園において、子女として生活できるその立場を取り戻し、その立場に立たなければならないようになっています。この課題を成就するために、今日の私たちには、新たに救援摂理が残るようになったのです。

全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。本来、人が堕落していなければ、神様の愛を中心として人間の心と体が二律背反的な位置に立つことは絶対にあり得ません。しかし、堕落することによってそのような位置に立ったので、歴史路程を再度収拾し、一つの世界平和圏をつくって安着できる基地を用意するために、神様は救援摂理、すなわち復帰摂理において、多くの宗教儀式や規則を通して、受難と犠牲と流血の歴史を綴ってきたという事実を知らなければなりません。

しかし、仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は自分自身とは何の関係もなくなるのです。

絶対者、創造主によってつくられた万物も、創造主の愛を受け、また創造主と一つになることが目的です。したがって、万物の霊長と言われる人間が、万物を主管できる立場に立とうとすれば、必ず神様の心情を身代わりする位置に立たなければなりません。このような心情は、神様と人間が父子関係だということを証明してくれる証票であることはもちろん、万物と人間を結んでくれる鎖でもあるのです。

ところが、このような平和の理想世界、すなわち創造本然の世界を復帰するには、必ず蕩減の条件を立てなければなりません。蕩減復帰の過程を経なければならないのです。蕩減復帰とは何を意味するのでしょうか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失したとき、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければなりません。そのような条件を立てることを「蕩減」といいます。

しかし一般社会では、「蕩減」という言葉をそれほど重要視していません。そのような言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。天と地、神様と私たち人間だけならば、このような「蕩減」という言葉は必要ないはずです。すべて、私たちの最初の先祖を堕落させたサタンのためなのです。サタンがいなければ蕩減も必要なく、今日私たちが、喉が張り裂けるほど叫んでいる「宗教統一」という言葉も必要なく、「神様の解放」や「人類の解放」といった単語も必要ない世界になっていたでしょう。

堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。

イエス様は、この地に来て何をしたでしょうか。迫害を受けて十字架で亡くなりながらも人類を愛そうとしました。十字架を中心として愛を施すことに我を忘れて逝った人です。愛を受けようとしたのではありません。怨讐までも愛そうとしました。皆様の人生においても、愛を受けようという方向性から、愛を与えて生きようという方向性に転換し、その基準が世界化されれば、その時には平和の世界が訪れるでしょう。愛を受けようという意識ばかりをもった人々が暮らす所には、永遠に平和の世界が来ることはありません。自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないのです。

すべての人を自分の父母、自分の兄弟、自分の子女のように感じ、接することのできる人格体になれば、皆様は死亡の世界で苦しむ多くの民を見るとき、涙なくして向き合うことができないはずです。青少年が麻薬と放蕩の沼でもがくのを見るとき、自分の子女を救う心情で、彼らを救うために心血を注がざるを得ないはずです。それは、受けようという愛ではなく、我知らず与えようとする愛の発露なのです。

自由と平和の前提条件は統一

自由や平和は、統一を前提条件としています。夫婦間の生活について一度考えてみてください。二人が一つになっていないのに、真の意味で夫婦の自由を享受できるでしょうか。夫婦が一つになれなければ、円満な家庭は期待できないのです。家庭の平和は、絵に描いた餅になってしまうのです。

個人や家庭はもちろん、世界的に「愛を受けるのではなく、愛を与えよう」と考えられる人を育てておかなければ、統一の世界や平和の世界は訪れることはありません。変わることのない神様のみ前に、いつでも心変わりするような人になろうというのは神様に対する冒瀆です。変わることのない愛の前に、変節を前提とした愛を行うことは愛に対する冒瀆です。

私たちは、神様と苦楽を共にできる基点、すなわち変わることのない頂点において、自分の心に平和の基盤を用意し、さらには自由と幸福の基盤を用意できる基準を備えなければなりません。そして、その基準を中心として体を完全に主管し、この世界を統一できる実力を備えていく運動が、この地上で展開されなければならないのです。イエス様がもたらした新しい世界主義運動が、正にこのような運動なのです。これこそ、今日このように混濁した世の荒波をかき分けて生きていく人類の前に、神様が最後の終末的警告として下さったみ言だということを銘記しなければなりません。これは、私たち全員にとって宿命的な課題です。運命的ではなく、宿命的なのです。宿命は変わらないものです。運命は自分の努力によって改めることも、変更することもできますが、宿命は変更できません。絶対に逃れられない天命です。

皆様。私たちが人生を生きながら、誰でも一度は平和の起源、あるいは幸福の起源がどこなのか、という疑問をもったことがあるはずです。果たして平和と幸福の起源はとこでしょうか。それはアメリカでもなく、韓国でもなく、国連でもありません。問題はどこにあるのでしょうか。心と体が闘うこの人間の胸の中で、いかに平和の宇宙観をもち、幸福な世界観をもつかということが、限りなく重大な問題なのです。

私たちの小さな胸の中では、六千年続いてきた戦争の砲火がいまだに燃え上がっています。第一次世界大戦も激戦であり、第二次世界大戦ももちろん激戦でした。しかし、そのような戦争は、すべて過程的な戦争だったのです。長くて五年を越えることのない戦争でした。

ところが、皆様自身において展開する心と体の闘争は、終わりも知らずに破滅に向かって走っていく最悪の戦争です。自らの一生に向かって大砲を撃っています。心と体の決戦場は、神様とサタンとの善悪の戦場となり、熾烈な激戦が展開しているのです。

しかし、このように霧の中に閉ざされ、垣根の中に封じ込められた人間像を、果たしていかに解放するかということが問題です。霧を吹き飛ばしてしまう風が吹くようにしなければなりません。高い天も恐れずに立ち塞がっている壁を爆破してしまわなければなりません。これが私たちの宿命的闘争路程です。

睡眠を主管しなければならず、食欲を主管しなければならず、非原理的な性的欲望を克服しなければなりません。それで、文総裁は、早くからこの道を出発しながら「宇宙主管を願う前に、自己主管を完成せよ」という標語を掲げて、一生の間、闘ってきたのです。

聖書では、今日の人類を「孤児」と言いました。国家も「主人がいない国」と言いました。皆様の心は、ほんの一時でも真の平和を享受したことがあるでしょうか。皆様の国には主人がいるでしょうか。

昨今の政治の現実を見てください。この国、この民族を真に愛し、生命を捧げて統一を成就しようとする真の愛国者をどこに見いだすことができるでしょうか。心の病にむしばまれていくこの国の若者たちを救ってあげる思想や理念を、誰が提示できるというのでしょうか。実に切なく、悲痛な思いを抑えるすべがありません。このようなことは、すべて私たち個々人において、一心一体一念の基準を立てることができていないことに由来するものです。心と体の統一なしに、いかに家庭の和睦や国家と世界の平和を願うことができるでしょうか。

私たちの本心が平和と幸福と統一を願うのは、永遠不変の真理です。しかし、問題は私たちの肉身です。心を包んでいる器なので、好き勝手に脱ぎ捨ててしまうこともできず、時々刻々と色合いも、方向性も変わってしまうこの体を、どのように扱うかということが鍵です。

堕落人間の体はサタンの王宮です。それで、使徒パウロも、「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ローマ七・二三、二四)と嘆きました。

私たち自身を深く見つめてみれば、善と悪の二つの目的を指向する要素が内在しているのを発見することができます。善を指向する心があるかと思えば、正反対に悪を指向する体があります。これを解決できなければ、歴史的に怪物のような怨讐である体は、いつまでもそのまま残り、永遠に私たちを苦しませるでしょう。使徒パウロの嘆きも、正にこの点を指摘しているのです。

心身一体を通した人格完成

皆様。世界平和を成就する道は、戦争ではありません。お金と権力と知識もその解答ではありません。国連の力でもできません。利己的な個々人の欲望と自国の利益にばかり血眼になっている国連の舞台では、何も期待できません。

私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。

世界平和の基準は、歴史時代の終朱点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。人間の心と体の分裂が拡大すればするほど、それに従って葛藤と苦痛も大きくなります。私たちの心は、神様の監視所であり、体はサタンとの一線です。したがって、私たちは、心と体の不一致を狭め、衝突を避け、ついには一つに統一させなければならないのです。私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するためには、私たちに真の父母が必要です。選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。

皆様。世界を一度注意深く見てみてください。小さくは夫婦間の葛藤から、大きくは国家間の衝突と戦争に至るまで、推測できないほど多くの問題点を抱えています。そこには、原因と理由も限りなく多く存在します。しかし、その根本を掘り下げてみれば、男性と女性の問題に帰結されます。いくら大きな問題でも、調べてみれば結局、男性と女性の問題に集約されることは否定できません。人類の出発は、本来男性と女性の関係から出発したのではないですか。家庭での不和が拡大され、各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がるのです。したがって、すべての家庭で、すべての社会と国家で、そして世界的次元において、男性と女性に関わる問題さえ完全に解決して、一つの標準型をつくっておくならば、世界は、一つになった平和世界、すなわち創造本然の理想世界になるでしょう。

神様は、本来私たちの始祖であるアダムとエバを中心として、この地に真の平和の世界を定着させようとされたのです。彼らがもし堕落せずに神様のみ旨どおりに成長し、人格完成していたならば、神様の祝福とともに、彼らは真の家庭を築き、罪悪と苦痛のない理想天国を創建したでしょう。

その世界が正に永遠の平和世界になったのであり、人類は、子々孫々神様の直系の子女として、神様と直接交流することはもちろん、先に霊界に行った先祖とも自由自在に往来しながら交流し、幸福な人生を享受したのです。罪を犯そうとしても犯すことのできない絶対善主権の世界になったのです。そのような世界で、どうして心と体の葛藤を想像することができ、家庭の不和を心配できるでしょうか。数千年間、天と人類を弄んで蹂躙してきた悪魔サタンが出現するようなことはあり得ないのです。このように、最初のボタンをかけ違えた人類歴史ですが、天は私たちをお捨てになりませんでした。失ってしまった子女を取り戻す復帰摂理に、六千年間心血を注いでこられたのです。ただの一度も、御自身の人間創造を後悔したり、サタンに翻弄され挫折したりすることなく、ただ一途に、真の愛と許しの心情で復帰摂理を展開してこられたのです。

きょう皆様がこのように、貴いみ言を通して、神様に対してより深く学び、知るようになったということは偶然ではありません。この場まで皆様を導いてきた天と先祖に対して、感謝する心をもたなければなりません。今、私たちの最優先課題は、心身の一体化を通じて私たち自身の人格完成を成し遂げ、サタンの支配下で四分五裂した家庭を収拾して、真の家庭を探し立てることです。上は一代目の位置にいる祖父母に対して天のように侍り、二代目の父母の前に絶対服従しながら、三代目の立場に立った子女たちは、絶対夫婦となって、子女を罪なく純粋に養育し、一つの家庭において三代家庭圏を立てるようになれば、天はその家庭と永遠に共にあるようになります。皆様の家庭は、神人合徳の境地において、人類に永遠の平和と幸福をもたらす揺籃となるでしょう。

皆様。本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。この心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。

神様の最後の警告を深刻に受け入れるべき

絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、論理的にも可能な説明です。ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。

堕落した人類を救おうとする神様の愛は、歴史的に多くの宗教の出現として現れました。悪の勢力がはびこる世の中で、心が体を一〇〇パーセント治める生活を営むということは、ほとんど不可能なことです。したがって神様は、歴史的に、時代や文化、そして地域的な環境や条件を考慮して、必要適切な宗教を許されたのです。そして人間は、宗教の教えに従って、心を中心とした人生の道を一つ一つ開拓してきました。現実世界に執着せず、永遠の世界に希望をおいて生きる道を学んできました。キリスト教を見ても、現実世界に焦点を合わせて生きなさいという教えはありません。この世で裕福に暮らすために、利己主義的な生活を送ってもかまわないとは教えないのです。必ず心の世界における平和を強調するのです。

「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・二一と説いているのが、その良い例です。ここでいう天国論は、この世的な豊かさと権力を意味するものではありません。仏教でいう「天上天下唯我独尊」も同じ脈絡で理解することができます。宗教によってその方法は異なるかもしれませんが、一様に人間に希望をかけて自らを省察しながら、心が体を主管して生きることができる道に導くことが、宗教の使命でした。このように神様は、六千年間という長い歳月の間、宗教を通した人類救済の摂理を展開してこられましたが、どの宗教指導者や聖人、賢人も、どのようにすれば私たちの心と体の葛藤を克服し、永遠の統一と平和を成就できるかを明らかにして教えることができなかったのです。どうしたら心を中心として体を完全に征服できるのか、ということについて教えることができませんでした。

人類は、平和の基盤を見いだすことのできるところ、すなわち、父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、兄弟が永遠に一つになり、父母と子女が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる心と体の統一点を提示できなかったのです。しかし、今や時が来ました。天が待つことは終わりました。私たちが生きているこの時代こそは、人類が歴史的に迎えた終末の中の最後の終末期です。天はもうこれ以上、人類救済の摂理を延長することも、延期することもできなくなりました。天と地が待ち望んできた人類の真の父母が、今やこの地上に顕現して、すべての責任を一人で負い、復帰摂理を成功裏に遂行しているからです。混沌と放蕩によってもつれたこの世界に、本然の真の愛の秩序を立てているのです。

皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上、天上天国が連結されるのです。

霊界のメッセージの忠言

私たち夫婦は、人類の真の父母の資格をもって、既に全霊界を統一しました。四大宗教の教祖であるイエス、釈迦、孔子、ムハンマドはもちろん、彼らの高弟級の百二十人ずつからメッセージを受けています。霊界で開催されたセミナーを通して、私たち夫婦の教えである「統一原理」と「統一思想」を学んだのちに送ってきた彼らのメッセージは、一様に希望的であり、真の父母に対する感謝の言葉に満ちています。さらには、マルクスとレーニンをはじめとして、霊界に行っている世界的な共産主義者たちも、真の父母の命令に従って「原理セミナー」を修了し、悔い改めと痛恨の涙で綴ったメッセージを送ってきています。

今、彼らの希望は、ただ一つです。それは地上の信徒や信奉者たちが、一日も早く、真の父母である文総裁の教えを受け入れ、永生のために準備しなさいというメッセージです。つかの間の地上生活で、貴い一生を浪費せず、誰もが肉体を脱げば入っていって永遠に一緒に暮らすことになる霊界での生活のために、知恵深く準備して来なさいという忠言で満ちています。

皆様。これは何を意味するのでしょうか。第一に、老若男女、地位の高低を問わず、全人類は今、神様が実際に生きて働いていらっしゃるという、厳然たる事実を信じなければならないという点です。観念的にのみ信じて暮らす神様であってはなりません。私たちの一挙手一投足を、燃える炎のような目で見守っていらっしゃる神様であられます。

御自身の懐を離れてサタンのもとへ行った人類が、悔い改めて再び御自身の懐に帰ってくる日を待っていらっしゃいます。放蕩息子になって離れていった子女が、懺悔の涙とともに父の懐に帰ってくる姿を思い描いていらっしゃいます。いまだに地上にとどまって人類復帰のために血と汗と涙の道を歩んでいる真の父母様を慰め、真の父母様に侍りながら生きてほしいというのが神様の願いです。終末期であるこの時代に下さった神様御自身の警告を深刻に受け止め、誤った人生の軌道を修正し、後悔のない生活を送ることを願っていらっしゃる神様であられます。

第二に、霊界の実在を事実として受け入れ、私たちの生活すべてを天倫に合わせて生きなければならないという警告です。前進的自我を発見し、前進的主体性を探し立てて、この地上に平和世界を定着しなさいというむちとしてのみ言です。神様が見守り、数千、数万の聖人や賢人、そして皆様の先祖が、皆様の日常生活を注視していることをはっきり悟るなら、誰があえて天倫から外れた生活をすることができるでしょうか。

今からは、遠からず皆様も霊的な体験をすることになるでしょう。皆様の先祖が動員されて、皆様の生活と考えまでも直接監視し、指導する時が来ました。私たち夫婦の教えを信じて従う多くの統一信徒たちは、既に生活の中でこのような境地を経験しています。

愛する祖国の同胞の皆様、そして本大会を見守る世界の人々と霊界の祝福家庭の皆様。人類の真の父母であるメシヤが再臨したこの時代、韓国と北朝鮮が銃や剣ではなく、愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖人と賢人と先祖が降臨し、直接私たちと交流しながら暮らすことになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に恵まれた人たちです。

今後、全人類は、人種と理念、そして国境を超越し、平和の世界を創建するに当たり、召命された責任を果たしてくださることを促しながら、きょうの私のお話を終えようと思います。神様の限りない祝福が皆様の家庭と国家に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第一篇 13 神様の祖国と一つの世界

第一篇 13

神様の祖国と一つの世界

日付:二〇〇二年十月十六日

場所:韓国、京畿道、九里市、中央修練院

行事:天上地上和合統一大会

全国から集まった宗教界、政治界、学界の指導者の皆様、そして高名な平和大使の皆様。きょう皆様は、平和世界に対する希望を抱いてこの場に集いました。私は、この意義深い席において、「世界平和超宗教超国家連合」の創始者として、神様が本来理想とされた「神様の祖国と一つの世界」に関するみ言をお伝えしようと思います。

今日、この地上に生きている人間たちは、神様があらかじめ告げてくださった神の国と神の義を見つけることができずにいます。ですから、神の国と神の義を探し出すことが、今日の私たち人類の希望であり、また今まで数千年の歴史過程において生きては去っていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。

それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残されるようになったのでしょうか。それは、人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場におかれるようになりました。すなわち、神の国と神の義の中心である父と家庭、そして国家に関して詳細に知らない人間に転落してしまったので、神様は、そのような無知に陥った人類を悟らせ、その父と家庭と国家がどのようなものかということを教えるために、今まで歴史路程において苦労してこられたのです。

ですから、神の国と神の義を探し立てることが、いまだに私たちの希望として、また目標として残るようになったのです。この世界には、現在数多くの国が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から本当に愛を受ける国は一つもありません。したがって、このような堕落世界を否定して、新しい神様の国を再び創造しなければならないということが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的なのです。それで神様は、歴史を通して国を探し求める摂理をしてこられたのです。国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とした真の国家が存在しなければなりません。したがって神様は、ある一時を迎えて特定の国を探し出されました。

それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。

皆様が望まれる神の国とはどのような国ですか。その国は、今日、皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がありません。

国がなければ国籍をもつことができないのです。国がなければ入籍できる基盤もないということです。ですから、現世において私たちがすべきことは、国を探し出すことです。この地上に天の国を編成し、その国籍をもって国を愛し、民族を愛する真で善の父母の血統を受け継いだ勝利の息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を導いて暮らしたのちに死んでこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。

国があって初めて、千秋万代の私たちの子孫の前に、そのまま残してあげられる伝統も残るのであり、私たちの血と汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝賀する記念塔がこの地上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべて無駄になるのです。ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題であることを、皆様は知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受ける国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子となり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を、いつももって暮らさなければなりません。真の父母の愛を受けて、神様の愛を受けなければならないという意味です。

しかし、神様の愛は、国がなければ受けることができないのです。サタンの王権に勝利したのちにこそ、天の国が成立するからです。私たちは、神の国を仰ぎ慕います。それは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠の愛が存続できるところです。また、自分自らが誇れるところであり、自己の価値を一〇〇パーセント認定されるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。ですから、人間は、天の国を慕い、憧憬するのです。

私たちが行かなければならなこは、心から行きたいと思う道であり、私たちが探し求め、築かなければならない国は、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちが所有すべき財物は、天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。また、私たちが泣くときには、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶときにも、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければなりません。これが、今日の堕落した人間たちが現世において追い求めなければならない、最高の望みであり、願いなのです。

人は誰でも、自分の国で暮らさなければなりません。それは、人間に付与された絶対的な条件です。一人残らず、神の国と神の義のために、希望に満ちた義の生活をしなければなりません。思いで理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。

皆様には、そのような国がありますか。ないので、その国を探し求めて築かなければならないのではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国です。万民が行くことのできる国です。この国を成し遂げるにおいては例外がありません。ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するのです。そのようにして個人を統一でき、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければなりません。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、神様が彼らをすべて主管されるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨とならざるを得ません。

もし地上で国家の復帰を自分の生涯において果たすことができずに死ぬ場合、皆様は、霊界に行っても、天の国に属した人としての価値をもつことはできません。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それが本来、神様の創造基準だからです。

皆様。私は今、地上に羨むものがありません。世の中のものには関心がない人です。ただ、「神様が保護できるその国において死ななければならないのではないか。私がそのように生きてから逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。死ぬ前にその国を探し出し、一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが私の願いなのです。

そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいるのです。分からない皆様は休んだとしても、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動かしてでもしなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければならなこです。

皆様。私たちの信仰の目標は、果たして何でしょうか。神の国の民になることです。その国の民になることができなければ、自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛を受ける道が現れないのです。国のない人は、いつも攻撃を受けるようになります。哀れな立場に立つようになります。あえなくやられることがいくらでもあるのです。ですから、神様が願われる国はどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国がどこにあるのか、これが問題です。

私たちがこの国、この民族のために血と汗を流すのは、結局、永遠の天の国を築くためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福地国家を築くためです。その国は、神様を中心として、直系の子女たちが天命に従い、すなわち神様の命令と王権をもって治めるそのような国であることに間違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、皆様御自身が、そのような国の民になることができなかったという事実が悲痛なことではないでしょうか。私たちは、そのような一つの国をもつことができなかったことを嘆息しなければならず、そのような国で暮らすことができないことを嘆かなければならず、そのような一つの不変の主権をもつことができなかったことを、悔い改めなければなりません。

そのような主権と国と国土を立てるために、人類は、歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程で、数多くの人が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交替してきたという事実を、私たちは知っています。そのように犠牲になった数多くの人たちの中で、天の側にいる人々、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての哀しい霊人たちは、いつかはそのような国、そのような世界が成し遂げられることを願うに違いありません。人類が堕落したのち、歴史は、神様が主管されるのではなく、サタンが主管するようになったのです。

しかし、本来この世の中の主人は、神様がならなければなりませんでした。神様と愛の関係を結んだ直系の子女、その子女たちによって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管される世界であり、神様が主管される国であり、神様が主管される家庭であり、神様が主管される個人になっていたでしょう。ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界であることを知らなければなりません。したがって、この世界をそのままにしておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な愛の世界を築くことができず、また、絶対者であられる神様が、本来意図された創造理想を実現させてこそ、神様本来の権威を取り戻すことができるので、その立場を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の世界に導いていかれるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。

しかし、この地には、堕落主権の国は多くありますが、神様が望まれるその国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることのできるその国を立てるために、人間が知らない中で、歴史を通して時代を動かしてこられました。神様は、一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管しようという望みをもってアダムを造られ、完成に向かって育てていかれました。ところが、アダムの堕落によって一から始まった歴史は、四分五裂してしまったのです。これを収拾して連結していくのが救援摂理歴史です。アダムは、すべての人間の先祖なので、アダム個人を失うことは、全体を失うことと同じです。したがって、これを再び呼んで立てなければなりません。再び立てられるその方は、氏族と民族と国を放棄して忘れてしまうことができる、つまり、神様のみ旨のためだけに生きていく人でなければなりません。

皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通した目的をもっています。皆様もよく御存じのキリスト教の歴史をその代表的な例として、一度見てみましょう。ノアは民族的な環境に置かれていても、そこに属するのを望まず、国に属していましたが、その国に縛られずに自分が希望していた国を探していきました。彼は希望の国を探し立てるために、あらゆる試練と逆境を経なければなりませんでした。ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨を追求していった人です。ノアに託された神様の願いは、神の国と神の義を求め、個人的な環境を克服していくことでした。

彼が春夏秋冬、一日も欠かさず、百二十年の試練過程を通過したその苦衷はいかなるものだったでしょうか。家庭も彼を理解しませんでしたが、ノアはそれらいかなる攻撃の矢もすべて受けながら、百二十年を貫いていきました。神の国と神の義を求める前に、自分勝手に飲んだり食べたりしていては、あとですべて蕩減を受けなければならないという原則をノアはよく知っていたのです。神様はアブラハムとサラを立て、カルデヤのウルを発つようにさせました。アブラハムは、ハランが、自分たちの住むべき所であるとは思わず、神様の啓示をもってカナンに無条件に信じて向かって行きました。またサラは、パロ王に引っ張られていってもアブラハムを決して恨んだりはしませんでした。

このように、希望の国に向かって行く彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せても、変わることはありませんでした。ヤコブは、自分に下された祝福には、希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を打ち砕くことはできませんでした。そのように、み旨は個人、家庭、氏族と拡大され、預言者たちは、次第に世界的な希望をかけて進んでいったのです。イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって彷徨する立場になり、霊肉ともの救いを成し遂げることはできませんでした。

しかし、メシヤは、天と地のすべての障壁を崩して、一つに統一しなければならない使命をもってこられる方です。この地を中心として構成された理念国家は滅んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨です。アダムを中心として願われた神様の望みは、アダムの個体だけにとどまるのではなく、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国を築くことでした。メシヤが成し遂げようとした目的の国が、イスラエルの不信によって壊れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があり、アダムを中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるのです。

神様は、愛する息子、娘を地上に送られ、絶対的な一つの国家を立てるみ業を進行させてきましたが、現時点において、一つの国家を復帰できる基盤が準備できていません。常に失敗してきたので、この地上に天の人を送り、摂理を推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの復帰摂理歴史なのです。

神様が私個人を犠牲にしたとしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしたとしても感謝しなければなりません。そのような私と国が現れてこそ、世界はその国によって収拾されるのです。ところが、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲はもちろん、家庭と氏族と民族の犠牲まで、再び継続されるのです。そのような原則のもとで、今まで神様も、歴史路程において、その国を探し出すための摂理を推進してこられたのです。ですから、国を思い、国のために生きることのできる個人がいれば、その個人の伝統を受け継いだ家庭を通して国のために犠牲になることができるようにされ、また氏族と民族がその家庭の伝統を受け継いで、国のために犠牲になることができるようにされました。このように、その国を探し出すために、今まで神様が摂理を推進してこられたのです。

皆様。今日、私たちがこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。国を愛するためです。神様が今まで摂理されてきた目的も、その国を愛するためなのです。主権のない国の国民は哀れです。それで、イエス様が心配しておっしゃったことが、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一~三三)とおっしゃったのです。

まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか。それとも、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様が探し求めておられる国を求めなさいとおっしゃったのです。神の国と神の義を探し立てようとされる神様の望みは、人間と被造万物を離れて成し遂げられるのではなく、人間を通して成し遂げられるのです。

その望みは、真の人間を通して神様と万物が和合することでした。それで神様は、堕落した人間に、神様の代わりとなる一人の実体として、天の血統を代表する方として、イエス様を送られたのです。すなわち、イエス様は、神様の歴史的な願いを成就してさしあげるためにこの地上に最初に来られた方だったのです。四千年たって初めて、そのような立場に立てられた息子であり、一つの国の中で、ユダヤ教を中心として、ヨセフの家庭に一つの種としてこの地上に立てられたその息子が、正にイエス様でした。この時に、既にサタンは、国家を立てて神側を攻撃していたので、天の側でも、完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。ですから、神様は、一つの国を編成するために、四千年間苦労されました。そのように苦労された神様の功績は、イスラエル民族がイエス様を受け入れることによって、世界的な基盤となり、この地球星に神様とイエス様を中心とした世界が完全に成し遂げられなければなりませんでした。

しかし、イエス様が亡くなることによって、霊的にのみその世界が成し遂げられたのです。イエス様は、三年の公生涯路程において、ユダヤ教を中心として失ってしまったすべてのものを蕩減復帰しようとされましたが、十字架にかかって亡くなったので、霊肉を中心として、この地上に一つの実体として、神様の足場となる国として立てられたイスラエルがすべて崩れていきました。

結局、イエス様を殺害することによって、キリスト教は、霊的にのみ国家の基盤をもつようになり、また、イスラエル民族は、国のない民になって流浪し、彷徨する身となって、サタン世界の嘲笑の的となったのです。ですから、今日、霊肉ともの救いをなしたキリスト教の国は、どこにも見いだすことができません。したがって、再び来られる主は、四千年間準備してイスラエルの国を立てた神様の摂理を、イスラエル民族が理解できずに不信して失ってしまったものを復帰しなければなりません。

皆様。イエス様は、この地上に国を探し出すために来られました。一つの国を探し出すために来られたのです。しかし、イエス様は、霊肉ともの国を探し出すことはできず、ただ霊的にのみ探し出されました。ですから、今日のキリスト教は、この地上に実体の国がないのです。これは、神様がこの地上のいかなる国、いかなる民族を中心としても、「愛する私の国、愛する私の民族」と呼ぶことができないことを意味します。今まで、神の国の基盤がこの地に立てられなかったことを意味するのです。もし、その当時、イスラエルの国がイエス様を中心として一つにさえなっていれば、息子であるイエス様を中心としたその国は神の国となるので、神様は、その国を中心として世界を復帰されたでしょう。しかし、この地を中心として霊肉を共に連結させようとした基盤は、イエス様が亡くなることによって、すなわち実体を失ってしまうことによって、霊的にのみ復帰されたのです。したがって、今までキリスト教徒たちは、国のない、主権のない民のような立場なので、どこに行っても死に直面したのです。殉教の血を流すことによって発展しました。そのように種が蒔かれたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ、発展できなかったからです。しかし、今や血を流しながら迫害を受けた時期が終わったのですが、それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基盤を中心として、失った実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち望みながら現れたのが正に再臨思想です。

イエス様も、楽園に行って待っているのです。天の玉座の前に行くことができなかったことを知らなければなりません。イエス様は、神様のみ前に国の主権を立てて、国を治め、地上から天国まで直通できる権限をもった国をつくらなければなりませんでした。しかし、イエス様は、そのような国をつくることができなかったので、神様のみ前に直接立つことができないのです。

したがって、楽園は天国に行く待合室です。また天国は、一人では行くことができない所です。天国は、本来堕落していなければ、アダムとエバを中心として祝福を受けた家庭単位で行かなければならない所です。息子、娘たちと一緒に入っていかなければならないのです。それを復帰するために、天は二千年間闘って、今まで世界と連結できる基盤をつくってきたのですが、国の基準がないこの地上において、国の基盤を誰が受け継いで来るのでしょうか。このことのために、神様はキリスト教を中心とした新しい宗教運動を通して多くの神霊的な人たちを探し求め、募集運動をしながら今まで準備してこられたのです。

尊敬する指導者の皆様。今、人類も三〇〇〇年に向かう新千年紀に入り、新しい天運を受けています。すべての宗教人たちは心を合わせ、私が主唱した、国連内に超宗教的代表者たちによって構成された上院のような議会を併設するという提案を貫徹しなければなりません。

国連が、人類のためにできる最も崇高な仕事があるとすれば、それは、神様の真の愛を基盤とした人類の霊性回復です。これよりも大きな仕事があるでしょうか。ですから、私はこれまで、宗教界だけでなく、政治、思想、経済、文化など、各分野をすべて網羅し、良識ある指導者たちを選んで、「ために生きる人生」に関する真の愛の教育を実施してきました。

このような基盤の上で、私は、既に数万人の平和大使たちを任命しました。彼らは今、世界各地に私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」の旗を掲げて、神様と人類が強く願ってきた平和世界実現のために総力を傾注しています。全知全能であられ絶対的な神様のみ旨は、これから短期間のうちに成就されるでしょう。ここに参席した指導者の皆様も、皆様の御家庭と国を真の愛で新たに創建し、真であり、永続的でありながら、国境のない平和世界を具現する主役になってくださることを願いながら、これで私のお話を終えようと思います。天の祝福が、皆様と皆様の御家庭の上に満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。

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第一篇 14 神様と平和統一世界

第一篇 14

神様と平和統一世界

日付:二〇〇二年十二月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン・ナショナル・ホテル

行事:「世界平和超宗教超国家連合」聖職者会議

世界各国から来られた元・現職の国家元首と高名な宗教指導者、各界の代表者、各国の平和大使、そして尊敬する紳士淑女の皆様。平和世界の実現という人類の共同理想を中心として根本を探究する、この意義深い会議に御参席くださいまして、誠に感謝申し上げます。

いつにも増して平和と安全が切実に、かつ緊迫して求められる時にあって、各界の指導者である私たちは、神様を遠ざけたまま、世界的な葛藤と戦争、罪悪と不幸の問題を解決すべき厳粛な責任を、共同で背負った立場に立っています。

1. 神様は真の愛の本体

きょう私は、これまで天意に従い、生涯を捧げて究明してきた、人類の難問題に対する根源的な解決法案に関する一端をお話ししようと思います。このみ言は、既存の神学的な研究や書物に基づいたものではありません。私が血のにじむような苦闘の中で、直接神様や霊界と交信しながら、体恤して究明した根本原理です。

神様と交信しながら天意に従う道は、一般の人が常識で理解できるような道ではありません。しかし、人が本心を開いて、深く洞察すれば、現実の中に生きて働かれる神様のみ旨と霊界を感知する新境地があるのです。

平和理想の根本を探究するこの大会は、現代人の苦難と絶望、そして現代の危機状況を分析する集まりではありません。病状の根本を探り、治癒しなければなりません。そのためには、宇宙の根本である神様と人間との本然の関係を知らなければならず、歴史の中で、生きて摂理してこられた神様のみ旨を悟らなければなりません。

神様は、真の愛の本体であられます。真の愛は、無条件に与えてはまた与え、投入しても記憶せずにさらに投入し、ために生きては、またために生きる属性をもっています。神様が創造された大気の中で、義人と悪人が共に呼吸できるように許容されたのは、絶対愛の神様であり、真の愛の本体であられるからです。自然の恵沢のもとに、善人も悪人も共に農業を営み、生活しているのです。

また、全能性と絶対性を先立たせて罪人を即決処分できる神様なのですが、真の愛で抱いてこられながら、罪人たちが悔い改めることを、長い間、耐え忍んで待ってこられました。創造主であり、本当の父であられるのに、御自身を不信し、背き、ひいては存在しないと主張し、死んだと考える群れから、ありとあらゆる悪口を言われながらも、相対がなければ愛を完成できないがゆえに、変わることなく忍耐してこられた父なる神様であられます。

尊敬する指導者の皆様。神様が不平を言われるのを聞いたことのある人はいますか。言い訳をする神様に会った人はいますか。太初から、真の愛の理想の絶対基準を立てられ、御自身自らその理想に絶対服従されながら創造され、摂理してこられた神様です。あらゆる濁った水や残りかすのようなものをすべて受け入れても完全に浄化できる海のように、創造の原則から外れた人間世界を完全な善に浄化できる絶対の真の愛の主体として、真の愛の相対関係のために毅然として摂理される神様であられるのです。

神様は真の愛を中心とした絶対なる真の父母であり、絶対なる真の師であり、絶対なる真の主人です。ですから、神様はその真の愛を与えることのできる対象を必要とされました。それが創造の動機です。神様の創造は必然でした。真の愛の創造理想は、一人で成し遂げる理想ではありません。神様御自身の気高く善なるみ旨を、人間と共に喜ばれるための理想です。

真の愛の神様を正しく理解すれば、今日、罪を犯し、争う不幸なこの世界は、神様の本来の計画ではなかったことが自明になります。神様の創造のための精誠と投入はこの上ないものでした。自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てられ、絶対投入されました。

被造物はすべて、神様がこの上なく精誠を尽くし、投入してつくられた愛の対象です。その中でも、最も貴い被造物である人間は、真の愛を中心として、神様に最も近い関係、すなわち父母と子女の関係でつくられました。神様は無形の真の父母であられ、人間は実体対象である息子、娘です。

真の愛の世界には、大小、高低の分け隔てがありません。真の愛で一つになることは、上下や階層がなく、完全に、また全体的に調和一体となることです。さらには、主体と対象が一体となったその結果は、断絶なく永続するものです。このように、真の愛の中における主体と対象には、同位権、同参権、同居権があり、相続権が存在するようになります。

人間は、神様の愛の中で完成し、神様の絶対父母、絶対師、絶対主人の位置を相続するようになっているのです。このように神様は、御自身の子女である人間が、真の愛の理想を完成することによって、御自身と一つになって共に住み、御自身のすべてのものを相続するようにされました。

ために生きる真の愛の中でのみ、真の自由と平等が、平和と統一が、理想と幸福が永遠になることができるのです。ですから、真の愛は、宇宙万象、特に生命をもつすべての存在の力と生命の源泉であり、喜びと幸福の源泉なのです。真の愛は、喜楽と希望と平和の絶対要因です。

しばしば神様と人間の関係は、その尊厳性や神聖さにおいて、永遠に格位を異にする関係であると理解されています。もちろん、創造主と被造物としての立場の違いはありますが、何よりも優先する本然の関係とは、真の愛の父母と子女、性相と形状、主体と対象、内外の関係なのです。

2. 理想家庭と人間の堕落

人間は、心情的に一つとなり、真の愛の中で同位となり、生活の中で深い感情の通じる、分かつことのできない父子関係としてつくられました。神様は、愛の対象である息子、娘の人間と共に愛を完成するという創造理想を立てられました。これが真の愛の理想の成就です。

人間始祖アダムとエバを創造された神様の創造目的を要約すると、彼らが神様の真の愛、真の生命、真の血統の結実を完成した善の家庭を立てることです。アダムとエバは家庭を基盤として、子女の心情、夫婦の心情、父母の心情を育みながら、段階別に、また分性的に神様の愛を体得し、安着して完成するのです。このように創造されたアダムの家庭で、神様を中心とした真の愛の理想が成し遂げられていたなら、最初の天国家庭になっていたのです。

また、アダムとエバという真の父母の家庭を中心とする天国理想は、氏族、民族、国家、世界へ拡散すべきでした。真の愛の家庭の伝統が、世界の伝統につながっていたでしょう。その世界は、無形の絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に似て、すべての属性を相続した真の父母を中心とする世界です。そして、天の国は、神様と有形、無形の一体を成した真の父母が、縦的な軸となって、子女たちが、上下、前後、左右、内外に調和を成し、自由と平和と統一と幸福の生活を出発した世界です。

人は地上の肉身生活を終えると、霊人体は無形の世界である霊界に行きます。これは、地上生活の延長であり、そこでもやはり天国理想を完成するようになるのです。もしも、そうなっていれば、宗教を中心とした神様の救援摂理やメシヤの降臨は必要なかったのです。

しかし、不幸にもアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた神様の天国理想は、アダムとエバが堕落することによって成就されなかったのです。これは、アダムとエバがサタンを中心とした偽りの愛によって偽りの父母となったからです。彼らは神様の祝福とは関係のない、偽りの夫婦、偽りの家庭をつくり、偽りの生命、偽りの血統を子孫に伝授しました。サタンが怨讐の立場で血統を変えた恨を神様に残したのです。

こうして、彼らは神様を失ってしまい、神様に侍って暮らす聖殿を完成することができませんでした。かえって、彼らの体は悪魔サタンの巣窟となり、絶対価値を指向する霊性が零落し、無形の世界である霊界に関しても無知になりました。

先祖である彼らがこのようになったので、子孫であるすべての人類は、神様が私たちの真の父であられることが分からなくなりました。サタンの利己的な欲望を受け継ぎ、自己本位で堕落性による不義を犯しながら生きていくようになりました。本来、人類が一人の神様に侍る兄弟姉妹であることも知らず、葛藤と紛争に明け暮れ、罪を犯しています。互いに命を奪い合いながらも、それが自分自身を害することを知らずに不幸の中で生きているのです。

最初に、アダムの家庭を中心として、カインがアベルの命を奪った罪悪を受け継ぐようになった結果の世界なので、偽りの愛の子孫である人類の帰結は、家庭破綻と青少年の退廃、病魔エイズなどの不幸と罪悪と破滅です。

周囲を見回してください。心身の葛藤と価値観の混乱、犯罪と麻薬、人類の存亡がかかった家庭の危機、環境破壊、紛争と憎悪、テロと戦争、さらには人種と宗教と文明間の葛藤など、現在の危機はあまりにもひどいものです。日ごとにその程度が増し、危機が多元化、世界化しつつあります。これ以上、放置することはできません。時間がないのです。

誰がこの世代に責任をもつことができるのでしょうか。世界問題を根本的に解決する代案を提示する指導者はどこにいるのでしょうか。神様を見失うことによって、人間は真の愛も、平和も、幸福もみな失ってしまいました。人間は、神様を抜きに人間同士で、不幸から脱して平和を成し遂げようと、長い歴史をかけて努力してきましたが、これは根本的な誤りでした。人間の力だけで危機を脱出することはできません。真の平和と幸福は、神様の真の愛、真の生命、真の血統に根源を置いています。

神様の創造のみ旨は絶対です。神様は、アダムとエバの堕落によって誤ったものを、再び原状に戻されます。したがって、神様の救援摂理は復帰摂理であり、その目的は堕落前の本然の世界の回復です。言い換えれば、神様の真の愛を探し立て、彼らに再び祝福結婚を受けさせて、本然の世界を探し立てることです。そのようになれば、その真の家庭を起点として、真の氏族、民族、国家、世界が形成されるのです。

3. 無理解の中で展開した平和運動

尊敬する指導者の皆様。私はこれまで神様の召命を受けてみ旨に従い、千辛万苦の中で、各分野に平和安着のための基盤を築いてきました。三十年以上も前から、「統一思想研究院」を創設して思想界を指導し、また絶対価値の探究と諸学問の調和統一のための「科学の統一に関する国際会議」を一九七二年から年ごとに三十回近く開催してきました。

「世界平和教授アカデミー」の創設と持続的な支援、「世界平和のための頂上会議」、「国際勝共連合」、「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」、「世界平和連合」、「世界平和島嶼国家連合、半島国家連合、大陸国家連合」、「南北統一運動国民連合」などの超国家的な平和運動、各種文化芸術振興運動、スポーツを通した平和運動、小、中、高、大学などの教育機関の育成、「世界平和女性連合」活動、責任言論と道徳言論具現のための各種言論機関の設立、「世界大学原理研究会」、「世界平和青年連合」、「青少年純潔運動」、「環境問題国際会議」、「国際救護親善財団」、「サービス・フォー・ピース(Service for Peace)」、「宗教青年奉仕団」、「ボランティア愛苑」、「世界NGO(非政府機構)連合」、祝福と真の家庭運動、天が願われる国連の平和理想の目的に対する支援と刷新運動など、救国救世運動を汎世界的に展開してきました。

無理解と迫害の中で、政府や財閥からの財政的支援なしに、このようなことを持続的に行ってきました。ひとえに、神様から委ねられた理想家庭定着のために、人類の真の父母の使命を完遂し、神様のみ旨を成し遂げてさしあげたいという一念のもとに、あらゆる分野において基盤を築いてきました。

神様の真の愛の平和理想を実現するためには、宗教間の和解と率先垂範が何よりも重要です。偏狭な各国の一部の宗教団体や教派の無理解と迫害の中でも、私が最も力点を置いて行ってきたのが、超宗教、超国家、超NGO連合との協力運動でした。

各種の超宗教指導者会議、超宗派的な神学校の設立、新教会一致運動、「世界宗教協議会」、「世界宗教青年セミナー」、「世界宗教議会」、『世界経典』の刊行、宗教間の和解のための各種会議に対する持続的な支援、「世界平和宗教連合」の創設など、いかなる犠牲も顧みず、一つの世界のために私ができることはすべて準備してきました。

ここからもう一歩踏み込んで、宗教団体間の和解にとどまらず、既に基礎を築き上げた学界、政界、言論界、財界、NGOなどの各界指導者と共に、世界平和のための統一機構である「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。一九九九年二月に「世界平和超宗教超国家連合」を創設して以来、百八十九カ国の多様な分野の指導者数万人を平和大使に任命しました。

平和大使たちは、私の平和思想を中心として、ために生きる真の愛を実践し、国境、人種、宗教の壁を崩す、重要な活動を行っています。エイズ予防運動、各種の奉仕活動、真の家庭運動、指導者および青少年教育、環境親和運動などの実践運動を展開しています。

私の思想は、「神主義」に立脚した「頭翼思想」です。絶対価値の基準であり、真の父母、真の師、真の主人であられる神様を絶対中心に立てる主義です。人間が生活の中で神様に対し、三人主体思想、すなわち真の父母、真の師、真の主人として霊界と地上界で侍り、その対象として生きるようになれば、遠からず真の愛の地上・天上天国となります。

神様と霊界を否認する無神論の共産主義思想は克服されなければなりません。同様に、絶対価値の縦的基準の重要性を無視する世俗的人本主義や価値の相対化を叫ぶ主張なども克服されなければなりません。

また、神様の名を借りた真の愛のない信仰生活や、利己心に基づいて本然の人権を踏みにじり不正を行うことなども、すべて克服されなければなりません。このように左翼と右翼を克服し、国と人種と宗教の壁を崩し、絶対神様を中心として、大きく統一調和させる思想こそ、私の提唱する「頭翼思想」です。

この活動に天地が協助して、理想的な一つの体系を形成しなければならないことを知っていただき、国連を中心としたすべての国家が、世界的に団結して解決すべき大転換の時期が来たことをお忘れにならないようお願いします。

現在、社会は脱イデオロギー時代となり、絶対思想の体系がない社会になりました。個人から家庭、社会、国家、世界へ、さらには天宙までつながる絶対価値観がありません。人間の考えが混沌とし、人間関係に秩序が立てられずに混乱が生じるのは、すべてここに由来しているのです。心や実生活に根本軸をもてずにいる現代人が、多元化、現代化の趨勢を迎えているので、なおさら価値観の混沌に襲われるのです。現代人は、感覚的な享楽にふけり、主体性なく気ままに生きたいという誘惑が絶え間なく襲ったとしても、決して価値生活を諦めてはならず、絶対価値を縦的軸として探し立てなければなりません。絶対価値の中心は、ために生きる、神様の真の愛だけです。

4. 平和世界実現の具体的方案

尊敬する指導者の皆様。世界平和の実現は、世界次元で先に成し遂げられるものではありません。まず、人間個々人を通して実現されるしかないのです。心身統一をなした個人が求められます。

堕落によって、人間は心と体の葛藤が生じるようになりました。サタンが体を拠点として人間を掌握しながら、本性の要求と霊性から離れ、利己的、個人的欲求ばかりを追い求めるようにさせるのです。

神様の真の愛を通した血統圏にのみ、サタンの主管圏を逃れる道があります。そして、利他的にために生きる道を歩むならば、サタンはついてくることができません。サタンはその本質が利己的だからです。このように堕落人間は、神様の真の愛の実践によって人格の変化を達成し、霊性を回復できるのです。観念的な神様ではなく、生きておられる神様と関係を結ぶ、真の信仰でなければなりません。

本来、神様の真の愛の対象として造られた人間は、その真の愛を自然に実践するようになっています。美、真、善などの価値は、愛の実践として現れます。神様の真の愛によって心と体が一つになった人は、喜悦と平安、満足と平和をなした個人となります。平和世界は、このような主体的な人格が優先的に求められます。

第二に、平和世界は、制度や権力、物質や知識、または何らかの外形的な要因によって成し遂げられるものではありません。ために生きる真の愛によってのみ成し遂げられます。真の平和と統一と幸福は、ために生きる愛の関係を離れては見いだすことができません。これが創造の根本原則です。対象のために無条件に与え、投入し、愛することが、神様の創造の動機であり目的でした。

人間は、神様に似て、ために生きる存在として造られました。人は、ために生きる道でのみ、中心存在となり、平和統一の主体となり、愛と理想の永遠の主人となります。絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様に出会い、神様から相続を受け、真の父母、真の師、真の主人となる道は、ひたすら、ために生きる真の愛の生活だけです。真の愛によって、ために生きれば、自然に葛藤と分裂が克服され、全体が和合して統合されます。この道は、闘って勝ち取るのではなく、自然屈伏させて永遠の統一を成し遂げる道です。

第三に、平和世界の基本単位は、国家ではなく円満な家庭です。神様に侍る人格、すなわち心と体が一つになって調和した男性と女性が、神様の祝福のもとに夫婦となった家庭が、その単位となります。人類の歴史が始まって以来、真の父母を通して初めて探し出された家庭です。真の愛で家庭の構成員が調和一体を完成した、和気あいあいとした家庭です。このような家庭が繁栄し、平和な氏族、民族、国家、世界を形成していくようになります。一なる神様のもとに、真の愛を中心として人類は一家族となり、天宙が一つになることが、本来の神様の理想でした。

真の父母を中心として家庭の問題が解決する所が、平和世界の基台となる所です。真の愛の祝福家庭理想のもとには、既に国家と人種と宗教の壁はありません。

人類は、神様を求めなければなりません。無形の真の父母が分からない無知から抜け出さなければならないのです。この宇宙の無窮で奥妙な秩序の中に生きていながらも、創造主の偉業に対して感謝できない悖逆(はいぎゃく)を、これ以上繰り返してはいけません。堕落した人間は、自分の生命の主人が自分自身であるという傲慢から抜け出し、神様の真の愛の前に自ら霊性を啓発しなければなりません。

5. 天地父母の伝統的な道に従おう

神様は真の父母であられます。永遠無窮に真の愛をさらに大きく投入しようとされる心情を、絶対的なものとして固めて生きられる神様を発見しなければなりません。御自身の絶対、唯一、不変、永遠の真の愛、真の生命、真の血統を完全に相続させる対象として、人類をつくられた神様の情を知らなければなりません。

そうして、絶対なる真の父母、真の師、真の主人であられる神様と真の父母を、私たち個人、家庭、国家、世界、天宙の絶対価値の軸として立てなければなりません。そして、個人的な生活から家庭、氏族、民族、国家、世界的な生活が根本とならなければなりません。

真の愛によって、ために生きる道である天地父母の伝統的な道を、千年、万年、変わることなくついていきたいと願うようでなければなりません。そうなれば、家庭問題、社会問題、人種問題、宗教間の葛藤問題など、解けない問題はありません。

創造理想世界である神人一体の心情世界になって生きる時代が来なければなりません。人のために生きることが、自分のために生きることよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代、自己中心の利己主義時代が後退し、共生、共栄、共義の利他主義の世界を創建しなければならないのです。

私たちは、この目的のために神様と霊界について正しく知り、さらには、全世界に天道を証しながら人類を正しく指導し、神様の真の愛、真の生命、真の血統に連結された天宙大家族を形成し、神様の祖国と故郷を、地上と天上とに創建しましょう。絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠の真の愛で、地上天国と天上天国を完成し、神様の王権を奉献してさしあげましょう。

神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国の上に共にあることを願いながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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第一篇 15 神様の祖国と平和王国時代

第一篇 15

神様の祖国と平和王国時代

日付:二〇〇四年三月二十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂上院議員会館

行事:第三イスラエル平和の王戴冠式および平和大使授賞式

尊敬する上下両院の議員、世界各地から来られた宗教指導者、そして内外の貴賓の皆様。公私共に御多忙でいらっしゃるにもかかわらず、きょうこのように満場の盛況を呈してくださったことに対して、深く感謝いたします。

皆様。今日、人類が直面しているすべての問題は、万有の父母であられる神様をはっきりと知り、正に私たちの家庭において、その神様に侍って暮らす真の家庭を完成するところから解決していくのです。観念的な次元の神様ではなく、実体の父母であられる神様を私たちの家庭にお迎えしなければならないというのです。そのために私たちは、まず神様と人間の関係を確立しなければなりません。神様は、真の愛、真の生命、真の血統の本体であられ、すべての人間の真の父母であられます。

1. 本然の完成人間は自動的に天国に行く

本来、人間の堕落がなかったならば、人間は、神様の真の愛の中で完成し、神様を父母として侍って暮らす真の子女になっていました。完成した人間は、神様の愛の中で、真の夫婦の関係を結び、真の子女を生んで養育し、共に天国を形成して暮らしたのちに、家族全員が一緒に、自動的に天上の天国に入って暮らすようになっていたのです。

考えてみてください。もし皆様の家族の中で、父親は地獄に行き、母親だけが天国に行くとすれば、それがどうして天国でしょうか。父母は地獄に行き、子女たちだけが天国に入っていくとすれば、そこがどうして天国と呼ぶことができるでしょうか。天国は、すべての家族が一緒に入っていき、永遠の平和王国を完成して暮らす所です。したがって、地上においても、家庭天国を完成して暮らす所に神様が臨在されるのであり、神様が理想とされた創造理想の世界、すなわち地上天国が定着するようになるのです。

2. 地上で家庭天国を完成する道

それでは、地上における家庭天国は、どのようにして完成するのでしょうか。第一に、家庭を形成するすべての要員は、個性完成しなければなりません。堕落によって選択の余地もなく相続するようになった堕落性を脱ぎ、自らの人格を完成しなければなりません。

すなわち、心と体の間の葛藤と闘争を完全に克服して勝利し、一心、一体、一念の境地となり、人格完成によって完全一和の世界が実を結ばなければならないのです。このような境地に到達した人に、ねたみ、嫉妬、欲心、憎悪など、あらゆる悪の要因となる堕落性は二度と根を下ろすことができません。

しかし、このような堕落性を脱いでしまうことは、決して簡単なことではありません。長くて数年、あるいは数十年間しみついた習慣である酒やたばこを断つことさえも、挫折を繰り返すのが堕落人間の姿です。数千、数万年間しつこく血統をたどって根ざしてきた堕落性を脱ぎ捨てることが、どうして簡単なことでしょうか。

人間の努力だけでは、絶対に不可能なことです。神様を絶対信仰の基準で縦的な軸として立てて侍り、生涯身もだえしても難しい闘いです。神様を自分の父母や子女以上に絶対的に愛するそのような境地において、真の父母である神様に侍っていかなければ、考えることもできないことです。神様のみ前に命までも差し出して従わんとする絶対服従の基準に立たなければ、絶対に勝つことができない闘いなのです。

歴史的に主要な宗教の教えの中には、断食、禁欲、犠牲、そして苦行を修道の基本としている理由が、正にここにあるのです。天が共にあり、霊界が協助できる換骨奪胎した新しい人の姿に再び生まれ変わらなければなりません。山川草木の前に裸で立っても、一点の恥ずかしさもなく、サタンの前に立てば、サタンがかえって逃げていかざるを得ない「正午定着」の人格を備えた、すなわち永遠に一点の影もない真の愛の人格を備えた人にならなければなりません。

3. 天国は四大心情圏を完成した人たちが行くところ

第二に、このような人格完成を達成した個々人が集まって真の家庭を築き、その家庭の中で家族全員が共に四大心情圏を完成しなければなりません。

そのような家庭は、心と体が完全一体を完成した一人の姿と同じです。天国は、家庭単位で入っていく所だと言いました。しかし、家庭といっても、どの家庭もみな自動的に天国入城の資格を得るというわけではありません。真の家庭の基台がなければ、四大心情圏を完成する足場がなく、また四大心情圏を完成した真の人たちが、神様を中心として父子の血統をもつ家庭であってこそ、天国に入っていくことのできる真の家庭になるのです。

それでは、四大心情圏とは何を意味するのでしょうか。本来、神様の真の愛と真の生命、真の血統によって連結された真の家庭の中で、祖父母、父母、子女を中心として、三代の純潔な血統を立て、父母の心情、夫婦の心情、子女の心情、兄弟姉妹の心情を完成するとき、これを総称して四大心情圏の完成というのです。

ここで、父子の愛は上下の関係を立てる縦的関係であり、夫婦の愛は左右が一つになって決定される横的関係であり、兄弟間で与え合う愛は前後の関係を代表するのです。

神様の創造理想は、このように、観念的で、望みとして残るだけの夢ではなく、真の血統を中心として、四大心情圏の完成した、家庭を単位として実体的に完成するのです。父母の心情圏とは、父母が子女を生み、真の愛で育て、教育する過程において、自然に得られる心情、すなわち父母として子女に対する真の愛の主人となることのできる心情を意味するのです。子女がいなければ、誰も父母として愛の主人の位置に立つことはできません。

次に、夫婦の心情圏とは、夫婦が生活を通してお互いを愛の主人の位置に立ててくれたことを感謝しながら、真の愛を与えたり受けたりする中で体恤する真の血統的心情関係を意味します。

夫は、自分の命を犠牲にしてでも妻のために生き、妻は、夫に対して神様に侍る心情で侍って暮らすときに、夫婦は共に真の愛を体恤するようになるのです。この真の愛の体恤の上で、初めて夫婦の完成も可能になるのです。神様の祝福を受けて結ばれた夫婦が、初夜に愛を交わすその瞬間は、神様から真の愛の王宮、真の生命の王宮、真の血統の王宮を相続する場です。妻は、夫を通して理想的な、神様の息子を迎える位置、天の兄を迎える位置、天の夫を迎える位置、天の父母を迎える位置に立つようになるのです。

夫も、妻を通して同様な位置に立つようになります。神様の主要な属性は、絶対、唯一、不変、永遠です。したがって、夫婦の心情圏を完成すれば、夫婦の関係も絶対、唯一、不変、永遠の関係となるので、そこには離婚という単語が存在できないのであり、相互間に尊敬と愛だけが花咲く幸福な生活が約束されるのです。

4. 真の愛の三代圏が天国の基本モデル

次に、子女の心情圏とはいかなるものであり、またいかにして得られるのでしょうか。家庭では父母が中心となります。家庭における父母の位置は、神様の位置です。父母なくして生まれた子女というのはあり得ません。したがって、父母と子女の関係は、人間の意志で規定される人倫の次元を越え、天倫が結んでくれる関係であると言わざるを得ません。

ですから、父子の関係は、横的関係ではなく縦的関係なのです。人間の努力で変えることもできる運命的関係ではなく、絶対的で永遠の宿命的関係なのです。子女は、父母を縦的な神様の位置に迎えて暮らしながら、真の愛の心情を学び、体恤するようになります。

父母から相続された愛と生命と血統が、神様が根源になっていることを自然に学んで身につけるのです。このように父母の生き様を見て学んだ子女たちは、成長して、堕落性とは無関係な真の夫婦となり、その後には、彼らも真の父母の位置を獲得するようになります。このように、真の愛の心情を中心として三代圏を引き継ぎながら反復する家庭単位の球形運動が、正に天国建設の基本モデルになるのです。

最後に、兄弟姉妹の心情圏は、真の父母に侍って一家族を形成して暮らす兄弟と姉妹が、真の愛に基づいて神様と同じ心情圏を形成することを意味します。

先ほど、兄弟姉妹の関係は、前後の関係を代表すると話しました。真の愛を中心として真の夫婦となり、真の人生を生きていく真の父母に家庭で侍って暮らす子女たちは、兄弟姉妹間においても、自動的に天倫の秩序を守って生きる道理を悟るようになります。

弟は兄に父親のように侍り、兄は弟に対して愛の心情で世話をしてあげるようになる美しい姿です。兄が前を代表すれば、弟は後ろを代表するのです。兄が父親の立場を代表すれば、弟は母親の立場を代表するのです。このような、兄弟姉妹の心情圏の完成は、彼らが社会生活をする中においても、愛と奉仕で「ために生きる生活」を実践躬行する根幹になるのです。

5. 真の家庭を立てることの重要性

尊敬する貴賓の皆様。このように、四大心情圏を完成した真の平和家庭王国の数が増え、真の平和氏族王国となり、真の平和民族王国、真の平和国家王国、さらには真の平和世界王国を完成するようになるとき、その世界が正に神様が理想とされた創造本然の世界であり、地上天国であり、きょうこの場でレバレンド・ムーンが宣布する永遠の地上平和王国になるのです。真の家庭を立てることが、このように深刻で重要な天命であるという事実を、今まで人類は知らずに生きてきたのです。

しかし、今は時が変わりました。世界の至る所で、レバレンド・ムーンの教えを受け、平和王国の建設のために奮然として立ち上がる各界各層の指導者の数が、幾何級数的に増えています。たとえ命を失うようなことがあっても、必ず純潔を守り、真の家庭を築いてみせるという若い知性ある人たちの喚声が、天地を揺さぶり動かしています。

既に世界的に数億組の祝福家庭が送り出されており、彼らは、倫理と道徳が急速に崩れていく地球星を守る役割を果たしています。それだけではありません。霊界では、私たちよりも一歩先に進んで、平和王国時代を力強く開いていきつつあります。

五大聖人をはじめとして千二百億組以上の祝福家庭が、昼夜を問わず地上界を協助しながら、迫りくるその一日のために準備しています。創造原理によれば、地上界で先に神様の理想世界を完成するようになっているのです。

6. 真の愛の革命完遂と神様の祖国

今日の人類は、堕落の後裔ではありますが、限りない神様の愛と霊界の協助によって、今ではどのような天国が創建されなければならないのかを知るようになりました。したがって、今や霊界で成就しているこの奇跡のような出来事を鑑として、真の愛の革命を完遂する時代圏に入っているという事実を肝に銘じなければなりません。

皆様も、今からは、心の扉を大きく開き、天がこの時代に私を通してくださる天の秘密のみ言を受け入れるべき時になりました。この場に立ったレバレンド・ムーンは、皆様と同じ肉身をもって生きる一人の人間でもありますが、天の摂理から見れば、六十億の全人類を救援し、天のみ前に原状回復させる天命を受けて地上界に降りてきた神様の全権大使であることを知らなければなりません。

霊界の五大聖人たちをはじめとして、大勢の指導者たちはもちろん、マルクスやレーニンのような共産主義者たちの魁首や、地上界であらゆる蛮行と殺傷を行ったヒトラーやスターリンのような独裁者たちまでも、私の教えに救われ、心を入れ替えて新しい人に生まれ変わりました。

地上であらゆる栄華と富貴を享受していった歴代の帝王と大統領たちはもちろん、世界的な名声を博した言論人たちさえも、この天宙史的な真の愛の革命の隊列の先鋒に立ちました。彼らはみな、レバレンド・ムーンの「真の家庭理想」の教えに新しい覚悟を誓う決意文を地上界にまで送ってきています。

レバレンド・ムーンこそ人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であると、天上天下に宣布しています。彼らの決意文は、既に地球星の津々浦々にまで響き渡っています。

尊敬する貴賓の皆様。今ではもうすべてが時間の問題です。皆様の周囲を一度見渡してください。前後左右、どこに未来を約束できる希望を見いだすことができるでしょうか。誰彼を問わず、私たちはみな、遅かれ早かれ、すべてのものを子孫に譲り渡して旅立たなければならない期限付きの人生を生きているのではないですか。真の家庭理想を皆様自身の家庭において完成し、子女たちの永遠の平和と幸福を保障してあげることよりも、貴く価値あることがどこにあるでしょうか。神様が数千年間待ち続けてこられた平和王国をこの地上に建設することに、誰が躊躇するというのでしょうか。

私は、もう八十五歳の老齢になりました。しかし、この崇高な天命を完遂し、地球星が神様の真の家庭で満ちあふれるその日まで、中東地域から銃声が途絶え、平和と歓喜の祝砲が響き渡るその日まで、そして、私の祖国韓半島から聞こえてくる統一万歳の声が、太平洋を越えてこのアメリカにまで響き渡るその日まで、レバレンド・ムーンは誰よりも先頭に立って走るでしょう。

世界六十億の人類を代表し、きょうこの式典に参席された高名な指導者の皆様も、レバレンド・ムーンと共に手をつなぎ、人類の念願であり、神様の創造理想である平和王国をこの地上に創建する主役になってくださることを願う次第です。ありがとうございました。

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第一篇 16 ために生きる生活で平和世界を創建しよう

第一篇 16

ために生きる生活で平和世界を創建しよう

日付:二〇〇四年九月十六日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:アメリカ財界指導者投資使節団招請晩餐会

著名なアメリカの財界指導者の皆様、大韓民国の政界、財界など、各界の指導者、そして紳士淑女の皆様。きょう、神様を中心とする絶対価値観のもとで生きてきた私が設けた晩餐に、御出席してくださったことを心から歓迎します。

生涯にわたり天命に従って平和世界の実現のために尽力してきた私は、最近、光陽(クァンヤン)湾圏経済自由区域に指定された全羅南道麗水市華陽面(ファヤンミョン)一帯に、人類和合と統一の理想を中心とする大規模観光リゾート開発を提唱しました。今から、その基本精神の一端をお話ししようと思います。

平和理想は、歴史を通じて万人の願いでしたが、人類は、ただの一度も恒久平和を実現することができませんでした。それは、今まで人類が、共有できる絶対価値観を立てることができず、無知と混沌、分裂と闘争の中で生きてきたからです。変化し、葛藤する人間自体の中から、絶対価値観が出てくることはできません。絶対者、造物主、神様にその根源を置かざるを得ないのです。

愛の本体であられる神様は、御自身の絶対愛の対象として人間を創造されました。愛の主人や主体の位置は、独りで成し遂げられるものではなく、相対を通して成立するのです。私たちが相対や隣人のために生きなければならない根本原理がここにあります。この愛の絶対価値観は、いかなる政治理念や経済原理よりも上位にあり、時代を超越する天理です。

宇宙を造られた神様、法度を立てられた神様とはどのような方でしょうか。宇宙を通じて、誰よりもために生きる代表的な立場に立った方です。ですから、その方に出会おうと思えば、ために生きなければならないのです。その方は、知識の大王ですが、知識をもってきなさいとはおっしゃいません。能力や権力、あるいはお金や物質の主人であり大王ですが、それをもってきなさいとはおっしゃいません。「ために生きたのちに来れば、誰でも私のそばに来ることができる」とおっしゃいます。神様は、自己本位の独裁者ではありません。神様は、人間のために投入されました。ですから、人間の本心は、千年、万年、神様に従っていこうとします。ために生きる天理のもとにある宇宙の存在世界の前で、他のために存在することが自らの存在位置を定めることになるのです。

ために生きることによってのみ、東洋と西洋に通じることができ、古今に通じることができるのです。自己本位で利己主義的にのみ活動すれば、悪をもたらしますが、全体のために活動するときは、発展をもたらします。

善と全体のために歩むときは、すべてのものが調和するようになります。個人も門を開き、家庭も、氏族も、民族も、国家も、世界も、天の国も門を開いて歓迎するのです。真の人生が行く道に一つの公理として立てるべきものは、「ために生きよ」ということです。これは、どこにでも通じる原則であり、万古不変です。孔子やイエス様、釈迦牟尼やムハンマドのような聖人の前に神様が現れて、「あなた方はどう思うか」とお尋ねになれば、「そのとおりです!」と答えるはずです。それが、真の姿で人間が生きることのできる宇宙の法則なのです。

また、歴史的な伝統として残すことができる実績とは何でしょうか。犠牲精神によってために生きた実績だけが、今日の世界に残されてきました。そのような人々が、聖人として、偉人として、忠臣として、あるいは孝子として残されました。このような犠牲精神のもとでのみ功績が残るのです。犠牲になることは、功績を残すことになるのです。

レバレンド・ムーンの思想が、今後二十一世紀において主体思想として登場できるのは、今までの「自分のために生きよ!」という中において正反対の「他のために生きよう!」という原則を発見したからです。ですから、人類の希望は、私たちの統一運動以外にはありません。「自分のために生きよう」という世界ではなく、「利他的に生きよう」というこの群れのあとを、これからの世界は、数千、数万年従っていくでしょう。「自分のために生きよ」と言うところには、世界は従っていきません。従いたくないと思うのです。

それでは、どのようにして調和統一をするのでしょうか。暴力やお金、あるいは権力や知識でするのではありません。愛を中心とするために生きるところにおいて、万事が解決されるのです。真の愛を中心としてために生きていくところで、悪魔の世界が天国に再創造されていくという結論です。

「私」が人を屈服させる方法は、闘って勝とうとするのではなく、その人のために「私」が父母、師、主人の立場で先に考えてあげることです。そのような道は「私」が勝つ道です。三年だけでも真心からために生きてあげてみてください。間違いなく「私」の言うことをよく聞くようになるでしょう。そのような宇宙の原則的な作用が、人間の本心を動かしていることを知らなければなりません。

よりために生きなければなりません。よりために生きる人が責任者になるのです。十人の中で誰が中心になるのかというと、他の人たちのために最も多くの愛を施し、ために生きる人です。その人には、他の人たちがみな訪ねていくのです。一般的に、ために生きることは、損をするよくないことだと思いがちです。しかし、主人になり、中心者になり、相続者になることを知らなければなりません。天理がそうなのです。

アメリカの指導者の皆様、そして国内の高名な指導者の皆様。私はこれまで、無理解と無数の迫害にもかかわらず、当代において、世界百九十一カ国に、超人種、超宗教、超国家的な基盤を築くことができたのも、また神様と霊界の公認を受け、地上で人類の真の父母と平和の王として公認を受けることができたのも、先にために生きて与える真の愛の天道を実践してきたからです。相対のために与える真の愛によってのみ、和合統一が成し遂げられ、平和の理想が結実します。私は、天道に従い、真の愛、真の父母、真の家庭の実践原理によって人類を指導してきました。

祝福結婚行事を通じた理想家庭実践運動や、超国家、超人種、超宗教的な平和運動も、すべて先に模範を示しながら、ために生きて投入する真の愛の運動です。今まで犠牲的な投資を通して築いた、世界各国の各レベルの教育機関を通じた愛天愛人愛国の建学理念の実践も、ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ社を基盤とする、「ワシントン・タイムズ」、「UPI通信社」、「世界日報」をはじめとする世界的な言論機関の育成も、責任言論と公正言論を通して、ために生きる真の愛で世の中を正しく指導しようとするものです。超宗教平和運動、思想指導運動、文化芸術活動、技術平準化運動、超宗教超国家的な学術科学振興運動、奉仕活動、青少年指導と女性運動、スポーツ育成など、私が創設したすべての運動の基底には、真の愛の実践原理があります。ビジネス分野にも、人類共生という大きな目標のもとに、単なる利潤追求を越えた、より高い絶対価値のための明確な動機と方向性をもっています。

人は、天道が願う真理の道、真の愛の道を行かなければなりません。必ず行かなければならない真の愛の道は、人間が繰り広げるいかなる活動や事業よりも優先される根本となります。いくら財産や大きな力をもっていたとしても、ために生きた基盤がなければ、それは一時的であり、消滅せざるを得ません。反面、施して利他的に生きる生活は、自然と主体と中心者をつくりあげるのです。

利己的な打算を越えて、共に生きるべきマクロ的な平和思想と南北和解、そして韓半島の平和に焦点が合うならば、実に貴重なものを多く得るだろうと信じます。神様の再創造摂理の原則に従い、力や自己本位の生活が主導し勢力を得ていた先天時代が過ぎ去り、今や、絶対価値観が理想的に結実する後天時代が到来しました。

神様の永遠の平和王国を中心とした後天時代は、すべての障壁が撤廃され、ために生きる真の愛で生きる人が主人となり、中心となる時代です。皮膚の色、言語、慣習、領土間の偏狭による利己的な葛藤は、すべて消えていくでしょう。

今私たちは、絶対価値観を中心として、お互いにために生きながら、共に生きていく理想世界を創建する時です。皆様全員が天道に従い、利他的な生活によって事業を行うことにより、神様の永遠の祝福を受けることを祈りながら、私のお話を終えようと思います。

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第二篇 1 統一教会の創立意義と背景

第二篇 1

統一教会の創立意義と背景

日付:一九七〇年七月十五日

場所:韓国、ソウル、龍山区、統一教会本部

行事:韓国宗教協議会七宗教団体指導者訪問

超宗派的、かつ超教派的な韓国宗教協議会を組織したことに対し、心から称賛申し上げる次第です。この宗教協議会を中心として、すべての宗教が新たに心を合わせ、この民族の前に多くの精神的な基盤となってくださるようお願いします。併せて、宗教協議会を創設された皆様が互いに協調するという意味で、世界基督教統一神霊協会を宗教協議会に加えてくださったことに対しても感謝申し上げ、御多忙中にもかかわらず、周囲の難しい環境を退けて、当協会を訪問してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。ぜひ宗教協議会を中心として超宗派的な活動を積極的に展開し、現韓国社会において新しい中心の役割を果たせる求心体となり、新しい福地化運動の先鋒に立って、多くの貢献をしてくださることを心からお願いするものです。

1. 神様のみ旨によって創立された統一教会

今、私が、御来賓の皆様に一つ申し上げたいことは、なぜ統一教会を創設することになったのかということです。この問題を中心として、簡潔に申し上げたいと思います。私がこの教会を創設するようになった動機は、人意、すなわち人による意志よりも、神意、すなわち神様のみ旨によって出発したということです。

今日のこの社会や歴史は、人意だけで形成されていないことは、皆様がよく御存じのことと思います。ここには必ず、神意を中心とした、ある大きな意志を中心として、一つの目的を指向しているのです。そのような意味で、人の意志だけで教会が創立されては、歴史の流れや今後の新しい世界に貢献できないと考え、神意に立脚して新しい宗教を創設したのです。人意と神意が合わさることができる一つの組織体が宗教であり、宗教は必ず神意を中心として、人類全体が願う人意的なすべてのものを結束しなければなりません。

それでは、神意とは何でしょうか。神様のみ旨というのは、ある特定の社会を中心としたものではなく、超民族的であり、超宗派的であり、超国家的な性格を帯びているものです。そのような目的を中心としなければ、神様が願うみ旨を完結できないことを、私たちは歴史を見ることによって知ることができます。そのような意味で、人意もやはり、ある個人の意志やある団体の意志を中心としたものではなく、神様のみ旨と一致できる世界的な内容を備えたものにならなければなりません。これを内外で統合することに宗教の使命があると思います。

それでは、神意と人意を一致させるためには何がなければなりませんか。神様の愛と人間の愛が合わさることができる内容がなければなりません。神様が人間と一つになれる愛は、ある特定の個人や特定の民族、特定の国家を中心としたものではなく、超国家的な立場で、人類と世界を愛する心情的な紐帯を備えなければならないのです。ですから、神意と人意の一致点を明確にしなければならない宗教は、人意を中心とするのではなく、神意を基盤として、神様を中心とした愛に人間の意志をどのように結束させるかということが問題とならざるを得ません。

そのような意味で、神様のみ旨と人間の意志は宗教という形態を備えて結束させなければなりませんが、その中心は必ず愛でなければならないのです。その愛は、ある特定の民族や特定の国家だけでなく、世界を越え、すべてのものを超越した愛でなければなりません。そうでなければ、真の宗教の基盤を世界的に形成できないというのです。

それで、今までの歴史は聖賢たちを中心として動いてきました。彼らは、人意的な立場だけでなく、天意を介在させた立場で主張した人々です。彼らが目的とするところは、ある特定の民族だけでなく、世界的な限界線を越えていました。それを教えてくれるのが、聖賢たちの道理です。その道理を中心として、天意と人意が一致できる内容を連結させてきたのが宗教です。それで、聖賢は、天倫を基盤として人倫を結束させる基準を立ててきたのです。ところが、これは、あくまでも世界的な限界線を越えることのできる道理であってこそ、聖賢の道理になるのです。そのような聖賢の道理を中心として、今日の人間は道義的な分野で人倫、道徳を立ててきたのです。

2. 神様が願う愛の世界である家庭

このような点から見るとき、神様と人間が一つになろうとすれば、その中心位置はどのような位置になるべきか、ということが問題になります。それでは、神様が願う愛と人間が願う理想的な愛が結合できる決定的なその中心はどこかという問題を考えてみるとき、神様がいるとすれば、神様と最も近い位置とならざるを得ません。その神様の愛に接触する基盤は、個人を中心とした愛の基盤ではないので、あくまでも世界と連結される愛の基盤にならなければ、神様の愛と人間の愛が結合できないのです。

そのような意味で、神様の愛と人間の愛が結束できる最も近い位置とはどこでしょうか。神様を中心として人意が従っていく位置、言い換えれば、神様の愛を中心として人間の愛が順応する位置です。そのような神様の愛を中心とした、最も近い位置を追求してみるとき、その位置は、神様の真の息子になる位置にならざるを得ないのです。

そのような神様の真の息子がいるとすれば、その息子を中心として神様の真の娘が必要なはずです。その息子、娘を中心として神様が愛することができる真の家庭、神様が愛することができる真の氏族、神様が愛することができる真の民族、神様が愛することができる真の国家、神様が愛することができる真の世界を追求していかなければならないと考えたので、神様と人間の間に世界的な基準の愛の関係をどのように結束させるかという問題を中心として、今日の統一教会が発足するようになったのです。神様の愛は、必ず歴史過程を経てこそ成し遂げられるのですが、その過程は必ず聖賢たちが主導してきたことを私たちはよく知っています。ですから、聖賢たちは天倫を中心とする神様の教えをもって、今まで人類を導いてきているのです。

それでは、今まで歴史上に生まれては逝った聖賢たちの中で、より偉大な聖賢とは誰でしょうか。もちろん、その経典の教えも重要ですが、それよりもっと重要なことは、神様と人間が最も近くなる道を教えてくれる宗教が必要だというのです。そのような点から見るとき、それを教える宗教はどのような宗教でしょうか。歴史過程において今まで残されてきた宗教を中心として見るとき、他の宗教よりもキリスト教が高次元的な立場で紹介されたのではないかと判断したので、キリスト教を中心とする統一教会を発足させることになったのです。

イエス様を中心として見ても、彼は神様を求めるとき、漠然とした神様よりも、具体的であると同時に生活の中で近くに接することができる神様を求めてきたのです。それで、イエス様は神様に対して「私の父」と言いました。心情的な関係において、父以上の位置はありません。ですから、イエス様は、神様と人間の関係を父子の位置にまで導いて結束させる心情的な基盤を築いたのです。これはすなわち、神様が願う愛で結束した世界を成し遂げるためには、必ず心情的基盤がなければならないことを意味しているのです。その位置は、父子関係以上の位置でなければならないのです。

ですから、イエス様は、「神様は私の父である。私は必ず来なければならないひとり子である。万宇宙の中で神様の愛を最初に受けることができる人は私だけである」という主張をしたのです。このように見るとき、キリスト教がどの宗教よりも神様の心情を中心として具体的な内容を備え、神様と最も近い位置で説破しているというのです。イエス様は「私は花婿であり、あなた方は花嫁である」という立場で語られました。これは、神様との関係を結束させるときに、どの宗教よりも最も近くなる基点を説破したものです。また、信じて従った信徒たちに、「互いに兄弟である」と言いました。この言葉は、万民は一つの兄弟だという新しい宗教理念なのです。

神様が願う愛の世界は、必ずこのような基準を通らなければならないのです。神様が愛することができる個人、その個人で構成された家庭、その家庭で構成された氏族、その氏族で構成された民族、その民族で構成された国家、そしてその国家を通じて構成されるべき最後の目的地である世界の範囲まで連結させるためには、そのような心情的な基盤を土台としなければ結束させることができないのです。これは、歴史過程に必ず現れなければなりません。

3. 本然の神様と人間の関係回復のために創立

歴史は聖賢や義人たちを通じて導かれてきたので、人類歴史と世界を代表して主張してきた聖賢たちの教えが、今日人類歴史とどのように適合するかということが問題です。もし神様がいるとすれば、その神様は出発と同時に一つの方向を備え、過程を経て、一つの世界を成し遂げてくるはずです。その背後に天倫の摂理があるとすれば、その摂理に従っていくべき人類歴史路程も、その方向とどのように一致させるかという問題を考えざるを得ないのです。

ですから、神様と人間の本然の関係をどのように復帰すべきか、また、どのようにして神様の愛を中心とする人類歴史にすべきか。個人や家庭、あるいは特定の民族、ある特定の文化的背景など、人類歴史に関係する全般的な内容をどのようにして神意による世界観と一致させるかということが問題になったので、今日の統一教会を創設するようになったのです。これが、統一教会を創設した根本の動機です。それでは、そこに私たちが関連するだけでなく、神様を父として自覚できるそのような境地が可能なのでしょうか。また、そのような愛を受けることができる位置で、思想を中心として世界を一つに統一させる内在力をもつことができるのかということが問題とならざるを得ません。

家庭には必ず、父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台になるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を実現するためだったに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらすことができるのです。私たちが、家庭において情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとなさるのです。

このような点で見るとき、イエス様は再臨という命題を残して逝きました。今まで二千年、キリスト教の歴史は再臨理想に従って、イエス様が再び来られる一時を求めてきました。その一時の中心は何でしょうか。それはキリスト教で言う「小羊の婚宴」であると見ることができます。それでは、「小羊の婚宴」とは何でしょうか。漠然としています。それは、神様と人間の一致した愛が出発することです。人間で見れば、男性と女性が一つになることです。この二つが一つに結束し、理想的な世界に向かって神様の愛をたどっていくことができる基礎を準備しなければ、神様の愛を中心とする世界的な目的を果たすことができないのです。

ですから、来られるイエス様は、必ず神様が願う家庭を立てなければならないのですが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにしても、偽りの愛の形態が家庭や社会にあってはいけません。したがって、万民が共有できる神様の愛を中心とし、人類全体が願う最大の愛を中心とする一つの真の家庭が出現しなければならないのです。そのような家庭が出てこなければ、氏族を編成できないのであり、そのような氏族が出てこなければ民族を編成できないのであり、そのような民族が出てこなければ国家や世界を形成できないのです。ですから、神様が人類に提示した救援摂理において、人間が相対できる最高の基準と神様として願う最高の理想的基準点は、家庭にあると見るのです。ですから、統一教会には「祝福」や「合同結婚式」といった言葉があるのです。皆様も、そのような言葉を何度も聞いていらっしゃると思います。

それでは、その家庭は、どのような原則のもとに結束しなければなりませんか。神様を中心とする本然の真の男性と女性が一つにならなければなりません。そのような具体的な内容を、統一教会では教えています。その家庭は、自分個人を中心とするのではなく、世界を代表できる圏内で広がっていかなければなりません。

そのような内容を生活圏内で自覚して実践できる家庭を、この地球上に形成しておかなければなりません。そのようにしなければ、新しい民族、国家、世界を形成できないので、神様の愛と人間の愛が世界を中心として新たに出発できる基点を模索するために、今日様々なうわさのある教会として知られる統一教会が出発したのです。

4. 世界が必要とする宗教

これまで、悪いうわさも多くありました。ところが、私自身が皆様の前に一つはっきりと申し上げたいことは、統一教会は滅びないという事実です。人意的なものは滅びます。しかし、天意による天倫の内容と神様の愛を保障する宗教であれば滅びないというのです。真というのは、理想的な内容が備わっていなければなりません。すなわち真の属性をもった内容と関係を結ばなければ真の価値が現れないというのです。

今までの宗教は、あくまでも個人救援を目的とし、個人を悪から救う内容を教えてきました。しかし今、世界が必要とする宗教は、個人を中心とする宗教ではなく、家庭を構築する一つの基盤を準備できる宗教です。天意によって保障され、人意によって公認され、天情と人情が一つになった位置で、いかなる試練にも耐える家庭救援の出発が歴史上に新たに現れれば、そのような宗教運動は世界的に広がるでしょう。それは、ある一カ所、例えば韓国という特定の民族を中心とするのではなく、超国家的、超民族的な基準で、家庭の理念を中心として行う運動です。そのような運動をする宗教があるとすれば、それは今後において絶対必要な宗教ではないかというのです。

皆様も御存じのように、今までアメリカが、民主主義を中心として歴史時代の主導的な役割を果たしてきました。アメリカが天意によって立てられて民主主義を主導できる国として復興したとすれば、アメリカだけを第一としてはいけません。世界の中にアメリカがあるのです。神様は、ある特定の民族が世界を主導する民主主義の形態を許諾することはできません。

アメリカが、民主世界において宗教的な責任を負い、政治、経済、文化において弱小民族を救援する立場に立って今日まで来ていれば、世界的な限界線まで行くことができたはずです。アメリカの国民を犠牲にしてでも世界を救う立場に立っていれば、アメリカは必ず世界を主導できていたはずです。ところが、皆様も御存じのとおり、アメリカは「ニクソン・ドクトリン」を掲げて、アジアの問題はアジアに任せるという立場で後退する政策を施行しました。これは民主主義の限界を超えていこうという立場ではなく、後退する立場なので、アメリカは今後、世界が警戒する運命を避けられないというのです。

共産主義もやはり同じです。共産主義は、世界を制覇するという途方もない思想体系をもってきました。この思想は、スラブ民族を中心として、ソ連を中心として世界を制覇するというものです。このような立場で見れば、この共産主義は悪の立場に立ちましたが、世界を一つにするというその思想体系は民主主義を追い越す主義になるのです。したがって、世界の人々を中心とする共産主義以上の主義が出てこなければならないというのです。それでは、天の道理と人間が願う最高の道理とは何でしょうか。それはすなわち、超国家的、超民族的な新しい世界観をもった一つの教団が出てくれば、その教えを中心として、私たち個人の生活から絶対的な次元に至るまで天倫と一致できる生活の鉄則が必要だというのです。

ですから、大韓民国なら大韓民国を中心とする世界的使命があるはずです。世界のために生きることができる大韓民国にならなければなりません。それでは、今、世界が私たちの生活圏内に入ってくる現時点において、大韓民国やアメリカや世界各国が必要とするものは何でしょうか。ある限界点以下にある国家や、特定の主義を中心とする主張では、この途方もない時代的な流れを消化することはできません。必ず天倫と通じる主義が必要です。そこには数多くの国家と数多くの宗教、数多くの民族、数多くの氏族、数多くの家庭、数多くの個人が、すべてその圏内に吸収されるべきです。そのようなことができる内容を備えた新しい運動が必要な時が近づいていることを私は感じました。

それでは、これが可能なのか、これで結束できるのかというのです。このような問題は、今後、皆様が統一教会について研究してみれば、ある程度分かるようになるでしょう。この世界を救うためには、どこに問題があるのでしょうか。この社会が問題ではありません。「私」自身が問題です。私の心と体が闘うので、世界的にも、それと同じ形態で唯物論と唯心論が出てこざるを得ないのです。これが世界的に止揚統一される時期になったのです。このような時を終わりの日というのです。

5. 統一教会は何が違うのか

このような時点で平和か、新しい統一かという新しい一つの何かを創案しなければなりません。ですから、今後訪れるその世界においても、問題は私自身です。私自身が問題だというのです。私の心と体に平和の心情的基準が歴史の流れと通じることにより、社会のすべての逆境を克服できる余裕満々な心情的基準を、どのようにして私の心情の中に確立するか、これを私たちがどのように活用するかということが問題だというのです。

皆様が毎日ぶつかる問題は、心と体の闘いです。私個人でこの闘いが終わっていないので、家庭でもやはり同じことが起きるのです。私一個人を見れば、心と体が二つに分かれていて、家庭を見れば、妻や夫も同じなので、四人がいるのと同じです。十人なら十人がそのようになるとき、分裂するようになっています。これを一つに結束させることができ、天倫と人倫を結束させることができるものが愛です。これを、原理を中心として実証的に体得できるかできないかということを長年にわたって分析し、実践しながら今まで闘ってきたのです。

今後、世界に残る主義とは、どのような主義でしょうか。自分の民族のために働く主義ですか。違います。きょうこの場にも宗教協議会の役員が集まっていますが、自分の宗派のための宗教協議会をつくろうと言えば、宗教協議会は滅びます。自分の宗教団体を尊重するよりは、国と世界に連結され、数多くの宗教を包容できる、より大きな愛に出会わなければならないのです。

神様がいらっしゃるとすれば、神様は直ちに大韓民国を救うことと世界を救うこと二つの内のどちらを先にされるでしょうか。大韓民国と世界について考えてみるとき、大韓民国と世界を共に必要とする立場なら、大韓民国を救うことも必要だと思いますが、大韓民国を捨てて世界を救おうというのが神意だというのです。このような観点で、人倫、道徳を中心とする善や主義も同じです。自分を中心として引き寄せてはいけません。自分を捨てなければなりません。民族のために生きる立場に立つときは、忠臣になるのです。世界のために生きる、精神的な面と生活的な面の両面でために生きることができる人は、聖人になるのです。

そのような意味で、大韓民国が迫りくる太平洋時代に新しい旗手になろうとしていますが、大韓民国を第一とする政策を行えば滅びるというのです。アジアを中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのような政策を土台として、世界を中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのように一つの国家なら国家の政治や文化、宗教がみな、そのような精神で進んでいかなければならないのです。

統一教会が発展する理由も、個人が幸福になるためには、まず世界が幸福でなければならないという精神をもっているからです。これが既成の宗教と違うのです。個人が救われるためには、まず世界が救われるようにしなければなりません。宗教的な信念を中心として体得したものがあれば、それを自分のものとして体系化するよりも、どのようにすれば世界的な内容を中心として神意の心情的分野まで関係を結んで実践できるか、ということが問題です。

今まで皆様は、統一教会に対して多くのうわさを聞いてこられたことと思います。しかし、そのうわさが問題ではありません。今日この大韓民国の三千万民族が、あるいは数多くの宗派が、統一教会の文先生一人を打って栄えることができるなら、打ちなさいというのです。私が願うのは、大韓民国のための救援ではありません。世界のための救援です。神様のみ旨が世界を救うことであれば、世界を救うための大韓民国になり、大韓民国を救うための統一教会にならなければならないのです。そうであってこそ、統一教会も良くなり、大韓民国も良くなるのです。

6. 宗教は国家と世界を救うことができなければならない

悪とは何でしょうか。自分を中心として引き込むことです。善とは何でしょうか。自分を捨てて無限に与えることです。そのような人であってこそ、聖賢の隊列に立つことができます。歴史を見れば、国家を中心とする偉人はたくさんいました。韓国を中心として見ても、李舜臣将軍のような方も偉人の隊列に入る堂々たる権威を備えています。ところが、あくまでも大韓民国という特定の国家を中心として見るときの偉人であって、聖人にはなることができないのです。聖人は、神様を基盤にして教えた道理を中心としなければ、聖人になることができません。

皆様も御存じのとおり、宗教的な指導者たちが聖人の道理をもてばもつほど、その人は超民族的であり、超国家的であり、超世界的です。それが聖人の教えです。一日の生活もそのような観点で、一生もそのような観点で実現させていくのです。そうすれば滅びないという観点で統一教会を発足させました。

統一教会の歴史を見れば、これまで三つの政権の迫害を受けてきました。自由党、民主党、そして革命政府からも圧迫を受けてきました。また、皆様も御存じのように、既成の教団から弾圧を受けてきました。ここに来られた宗教団体の指導者たちも、今まで統一教会を異端視してきました。それでは、どうして異端の輩として社会に物議を醸し出しているのかというのです。「統一教会を指導する文という人は独裁をしている」、あるいは「文先生は独裁主義者だ」といううわさが立っています。そして「統一教会の発展のために何かをしている」と言っています。勝共連合を結成して対国家的、対社会的な活動をしていることに対しても問題になっています。一般世論が誹謗中傷する内容を見れば、「統一教会でしていることは、自分の教派の宣伝であり、統一教会が国家的なある野心をもってやっているのは間違いない」と言うのです。そのような観点で統一教会を見ているので問題になっているのです。

最終的には、大韓民国と世界を救うことができる宗教にならなければ滅びてしまうでしょう。人々に「その宗教団体は信じられない」という認識が入れば滅びるというのです。宗教の和合運動を通じて新しい理想的な家庭から氏族、民族、国家、世界をどのように形成するかということが、今後において必要な問題であることを理解してくださるようお願いします。

今まで申し上げたこのような意味で、統一教会を創設したのです。新興宗教で未熟な点が多く、また社会から指弾を受けていることを私はよく知っています。しかし、文という人は、皆様が理解しているような人ではありません。今は、皆様が批判できる内容は、既にすべて批判し尽くしたと思います。今まで、問題の一団体として出発し、時が過ぎ去ることによって今日に至ったのです。

最後に宗教協議会の皆様に一つ申し上げたいことは、統一教会は、宗教協議会の世話になる教団ではないということです。大韓民国の世話になる統一教会でもありません。世界の世話になる統一教会でもありません。世界と大韓民国が世話になるようにし、宗教協議会が私たちの世話になるようにする宗教団体として残ろうというのが、私の所信であると同時に、私たちの志を中心として活動する全員の立場です。

このような点で、自分の主張を中心として相手に誤解を受けることも多かったと思います。今、この時間以降、そのようなことがあれば、皆様が兄弟の立場で接してくださり、この団体が良い意味で国と世界に貢献できるよう協助してくださることを願ってやみません。このように時間を割いてくださったことに対して感謝申し上げつつ、これで挨拶を終わらせていただきます。

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第二篇 2 宇宙の公道を学ぶ会合となることを

第二篇 2

宇宙の公道を学ぶ会合となることを

日付:一九九〇年二月一日

場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場

行事:真のお父様古稀慶祝記念式

尊敬する内外の貴賓の皆様。世界百三十数カ国の代表者、国内の各界指導者、そして紳士淑女の皆様。公私にわたり忙しい日程にもかかわらず、きょう私の七十歳の誕生日を祝うために、このような盛大な席を準備してくださったことを感謝しつつ、特に天意に動機を置いた私の生涯を祝賀する皆様のお心に感謝申し上げます。

1. 神様を動機として生きてきた七十年の生涯

先立って、多くの代表の方々が多くの賛辞で私の過去の業績を褒めたたえてくださいました。しかし、きょうのこの記念式が過去の功績だけを賛美する場であれば、大きな意義はないと思います。私の行跡が未来に、ある希望的な動機を付与するのか、人類の将来を明らかにすることにどんな意義があるのか、さらには宇宙を経綸される神様の摂理とどのような関連があるのかを中心として、祝賀の内容が決まらなければならないと思います。

天命に従って、前人未到の孤独な開拓の道を駆けてきた私の生涯が、多くの人々の無理解と反対の中で、外的に波瀾万丈だったことは周知の事実ですが、私の心の世界では、どのようにすれば神様が願われるとおりに生きることができるのか、どのようにすれば神様のみ旨を果たしてさしあげられるのかに焦点を合わせ、そのために一刻を争う緊張が連続していました。神様を除いては説明することができない私の生涯だったのです。

国家の運命はもちろん、さらには世界の運命と直結された私の行路において、神様と深い内情で通じながら過ごしてきた事情と神様と共に体感した最も深い場での悲しみも、最も大きな痛みも、最高の喜びも、鮮やかな記憶として回想され、特別な情感で神様に深く感謝申し上げつつ、この日のすべての栄光を、生きていらっしゃる私の父、神様に捧げようと思います。

これまで、私が世界的に築いた基盤に対して「驚異的な業績である」と語るのは率直な表現でしょう。しかし、私は外形的で可視的な基盤そのものよりも、その中のどれ一つも私自身を中心としていなかったという点と、現在よりは未来を、個人より全体を、小さなことよりはもっと大きな目的のために築いたものとして、天と地と歴史が公認する基盤であるという点に誇りをもちます。徹底して神様が動機となり、厳しい風霜と曲折の中でも神様が守ってくださったからこそ、成し遂げることができた基盤であるという点が貴いのです。

2. 他のために投入してきた生涯

私の過去七十年の星霜は、決してたやすこではありませんでした。世の中に友もなく、師もいない、本当に一人だけの孤独な道でした。私が数多くの逆境と生死の境をかき分けてきながらも、勇気を失わずにいられたのは、神様との深い心情的交流があったからでした。誰もその深い境地を知ることができないなかで、密かに助言を常に与えてくださった神様は、私の生きる動機そのものであり、生命力の源泉でした。

私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでした。わき目も振ることができず、世論に気を遣うこともできず、日々神様の願いを思いつつ、細胞がしびれる一体感で、その方の創造理想を成し遂げてさしあげようと、その目的に向かって、一心不乱に駆けてきました。

満場の皆様。私にかけられた神様の願いとは何でしょうか。本来堕落がなければ、神様は無形の真の父母であり、人間は子女になっていたはずです。人間は、真の愛の縦的な父母である神様と真の愛の横的な父母であるアダムとエバから、真の愛と生命と血統を受け継いだ真の生命体として、愛の過程を通じて生命の種を子孫に連結するようになっていたはずです。

そして、堕落とは、人間始祖が神様の縦的な真の愛のもとで、横的に真の愛を完結することができず、天使長に侵犯され、偽りの横的な愛を生み出したことです。この堕落の結果として、神様は愛する子女を失ってしまったのであり、人間は心と体が矛盾し、葛藤する故障した命として生まれざるを得なくなったのであり、悪魔は偽りの横的な愛を条件に、個人から世界に至るまで人間を不当に管掌してきています。

神様は、このすべてのものを原状に復帰する救援摂理をしていらっしゃいます。それで、原理に従って悪魔を自然屈伏させながら、メシヤ、救世主である真の父母に人類を接ぎ木して復帰するのです。

本来神様は真の愛の完全投入で創造をされたように、再創造過程である復帰摂理でも、ために生きて完全投入してこられることを知ったので、私も天命に従って生涯を捧げてこの原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、徹底的に他のために生きながら投入し、完全投入してみたところ、今日の基盤が成し遂げられました。

現代科学技術の発達は地球星に大きな変化をもたらし、今後さらに大きな変化を予告しており、これに対して人類は英知を集めて対処すべき緊迫した状況に置かれています。一言で言えば、現代文明は重大な危機を迎えるかどうかの分かれ道に置かれているのです。この問題に対して人類は、まず超国家と超人種、そして超宗派的に、すなわち汎世界的なアプローチで共同の努力をしなければなりません。公害問題、人口問題、自然保護問題など、直面している問題がすべて汎地球星の問題だからです。

その次に、現代社会の病弊、特に倫理、道徳と人間性の退廃の問題、人種戦争や宗教戦争の危険性などは、すべて人間の本質の中に内在した病弊なので、その主体である人間の意識革命、人間改造の次元からアプローチして解決しなければなりません。決して、体制や制度上の問題だけではないのです。

3. 「世界一家族思想」の実践

満場の紳士淑女の皆様。私が始めた世界的な活動は、すべて国境を越え、人種の塀を崩し、そして超宗教的なものなので、汎世界的な運動の典型です。世界の統一教会員は、神様の真の愛を中心とする意識改革により、新しい世界観をもって一つの家族として生活しています。

アメリカの中で、白人と黒人の両者に摩擦と壁がない唯一の場所が統一教会です。アメリカがキリスト教思想を土台として人権と平等を叫びながら努力したにもかかわらず、解決できなかった白人と黒人の紛糾を、私たちが解決したのです。また、日本とアメリカ、そしてドイツ出身の宣教師たちが、過去の恨みと葛藤の歴史的事情を乗り越えて見知らぬ国に到着し、互いに面識もない中で三人一組の共同献身生活をしながら宣教をすることによって、「世界一家族思想」を実践しました。

そればかりでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教など各宗教団体の和合のために、私が毎年巨額の支援をしながら宗教一致会議を開催することで、世界各地の宗教団体の長たちから称賛を受けていることは既に知られた事実です。そして、国際祝福行事で名門大学出身の日本女性を新婦に迎えた韓国の農村青年が、村の祝宴を通じて祝賀を受けました。このように血族として結ばれる関係の中で、日韓の民族的感情が問題になるでしょうか。

統一教会が開催する集まりには、いつ、どこであろうと人種間の葛藤や民族的な差別意識や宗教的な偏狭性がありません。洋の東西を問わず、統一教会員は私の思想に従って人格が変化し、利己的な自己中心の姿勢を清算し、他のために生きて与える生活をすることで、未来の理想世界市民の標本になることを目指しています。

統一運動は、まだ十分ではありませんが、今日の実績がもつ意義は宇宙史的です。有史以来、多くの聖賢の教えがこのような実績を目標にしてきました。また、この地球上の多くの良心的な人々が、正しく生きるためにその道しるべを探してきました。そして、どれほど多くの志のある若者たちが、新しい可能性を求めて明るい未来を夢見ながらさまよっているでしょうか。しかし、それを探している中で失望し、挫折した若者たちもどれほど多いでしょうか。

実際に足を運んで見てください! 偏見なしに見てください。人が動機とならずに天運が共にある基盤を研究してください。そして、明るいあすを設計し、明確な価値観を立ててください。

そして、皆様が見ているように、世界の統一教会員たちは、老若男女を問わず献身の道を行きながらも、どれほど喜びに満ちているでしょうか。特に若者たちが、混濁した世の中の荒波の中でも最上の倫理、道徳の基準をもち、自負心をもって活動するのを見てください。

4. 奉仕の歩みで生涯を終えたい

私は、世界の統一教会の若者たちを人類の希望、神様の希望として見つめています。狭い教派や宗派の観念を越えて地球人という大きな次元で考えてみましょう。

もし私が唱導した思想によって人格が変化し、他のために生きることができるようになれば、国の将来はどのようになり、私たちにとって南北統一は難しい課題となるでしょうか。また、全世界の人類がこのみ旨を受け入れれば、平和で繁栄した世界が保障されるのではないでしょうか。

より大きなもののために生きる私の哲学は、統一教会自体を発展させようとするものではありません。神様と世界が教会のためにあるのではありません。教会が神様と世界のために奉仕しなければなりません。私は今、継続して奉仕する道を探しており、この歩みの連続で生涯を終えるでしょう。

もう一度、皆様の祝賀に感謝しながら、きょうこの記念式が、単に私の古稀を祝賀する場を越えて、他のために生きながら存在すべき宇宙の公道を学ぶ会合となることを願います。

皆様の仕事と家庭に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。

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第二篇 3 宇宙の根本を求めて

第二篇 3

宇宙の根本を求めて

日付:一九九六年九月十五日

場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場

行事:「世界平和家庭連合」百八十五カ国結成韓国大会

尊敬する内外の貴賓、世界平和連合の会員、紳士淑女の皆様。冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に全地球星に拡大しています。新しい世界の現実を無視し、直視できない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に流されてしまいます。今、私たちは新しい世紀の分岐点に立って、私たちの伝統的な考え方を再検討し、新しい機会と価値観を迎えることに、果敢に進んでいくべき時だと信じます。私はきょう皆様に、世界平和の実現と真の家庭の価値についてお伝えできることを光栄なことと存じます。

1. 神様は宇宙と愛の根源

この世の中には、男性と女性の二種類の人が暮らしています。彼らは互いに立場を変えることはできません。皆様も自分が願ってそのように生まれたのですか。あるいは、私たちは願わないのに、そのように生まれたのですか、それとも、願いもしなかったのに、そのように生まれたのですか。私が思いもせず、願いもしなかったのに、そして、原因はもちろん、結果も過程も分からないのに、そのように生まれたのです。

人がいくら偉大だとしても、原因的な存在ではなく、結果的な存在であることを否定できません。したがって、第一原因である存在がいなければなりません。そのお方は誰でしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、どのような名で呼んでもいいですが、その原因的な存在がいなければならないのです。きょう、ここには、我こそはという著名な方々がお集まりになっていますが、「神様がどこにいるのか。見せてくれれば私は信じよう!」とおっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、その原因的な存在を否定してはならないことを、まず警告しておきたいと思います。

きょう、私は「宇宙の根本を求めて」というテーマでお話しいたします。私たちが宇宙の根本を求めていけば神様に帰着しますが、そのお方は男性格と女性格の二つの性稟を所有しておられることを知らなければなりません。それでは、宇宙の出発の原因はどのようになっているのでしょうか。神様に対してはまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象から成り立っています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しべと雌しべ、動物界は雄と雌、そして人間は男性と女性から成り立っていることを見ることができます。

存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界を問わず、次元のより高い陽性と陰性が、より低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展していることを知ることができます。なぜこのような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界は、万物の霊長である人間を完成させる責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が愛という概念のもとに、互いに一体となって存在しており、植物界も同様に、すべて雄しべと雌しべ、すなわち主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続するのです。最近、医学界では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。

主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キスすることによってでしょうか。愛は概念であって、実在ではありません。愛が定着できる実在は何でしょうか。男性が男性に、女性が女性になるようにするものが何であるかを知りませんでした。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きであれば、どのくらい好きですか。今まではそれが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。

2. 変わらない宇宙の鉄則

未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるとすれば、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造されるとき、最も重要視して、精魂を込めてお造りになった箇所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。

それでは、世界平和統一のための家庭連合の目的は何ですか。道徳と宗教など、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎できる人が暮らす世界なのですが、そのような世界では、夫と妻の生殖器の主人は誰でしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。

千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちはそれを自分のものだと考え、またあらゆる女性たちもそれを自分の所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違えているという話です。すべての人たちは、愛は絶対的であり、永遠のものだと考えていますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っていることをはっきりと知るなら、世の中がこのようになっていなかったはずです。

博士や学者は数多くいますが、このこと一つ考え抜いた人はいません。皆様はこれを否定できますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖とさらには宇宙の根本であられる神様に尋ねても、すべて同意するようになっているのです。これが鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理原則として残るので鉄則です。そして、神様のみ前に出ていけば、この鉄則によって正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然のことです。アダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたことに由来しているのです。

アダムやエバは、自分たちの生殖器を自分たちの所有だと錯覚したのです。考えてみてください。善悪を知る木の実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出しますか。根本的な問題を誤って、宇宙のどこからも公認を受けられなくなったために、追放されてしまったのです。鉱物界や植物界や、動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管していることを、アダムとエバが知らなかったというのです。それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。愛のためです。愛を探すために男性と女性として生まれたというのです。

3. 神様と人間は父子の関係

神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一の方であり、永遠不変のお方です。そうだとすれば、愛の主人は誰でしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのお方が正に神様であられます。愛を中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。

神様が必要とする愛は、果たしてどのような愛でしょうか。絶対的な愛を願われます。皆様はどうでしょうか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とするように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。すべて神様に似なければならないのです。

神様御自身が男性格と女性格、陽性と陰性をもっていらっしゃるお方なので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように、結婚を通して縦的な神様の愛が横的に完全統一されるのが神様のみ旨だったのです。

人間の体はこの地を代表した横的なものです。すなわち肉身です。それと反対に良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを求めるのです。したがって、人間は神様の縦的な基準と一つになる点を求めていかなければなりません。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会わなければなりません。そうして、この中心点から出生した人間は、愛と共に幼児の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。この時、肉身は地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟し、ついに心と体が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのようなところであってこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜び、その愛の対象体である夫婦も幸福になるのです。

このように、上下関係である父子の関係、左右関係である夫婦の関係、前後関係である兄弟姉妹の関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形をつくるようになります。このような理由から、父子の関係を東洋では一つの体と表現します。さらには夫婦の関係も一つの体であり、兄弟姉妹も一つの体として考えています。何を中心として、このように言うことができるのでしょうか。真の愛を中心として四方に球形をつくるとき、このすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形をつくらなければならないのです。その点は一つです。一つなので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係なので、一つにならなければなりません。それは真の愛を中心として一つになるのです。

4. 人間と完全一体であられる神様

人間の欲望はどれほど強いでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも上に行くことを願うこともあります。いくら劣った人でも、神様より優れた世界の代表者になろうという欲望はもつことができるのです。

もし、皆様が神様の愛する息子なら、「お父様、いらしてください!」という時、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくら劣っているとしても、本当に愛するなら、妻が呼ぶ時、夫は従うのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたくないと思うのです。神様も独りでいれば寂しいのです。どうすればそれが分かるでしょうか。

皆様。愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆様の血統をつなぐことができる精子と卵子をすべてもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。触ってみたことがあるかというのです。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてのみ知ることができるのです。同じ論理として、神様がいるか、いないかというとき、神様を見たことがないからといって、神様はいないとは言えないのです。

何が重要なのでしょうか。見えるものが貴いですか、見えないものが貴いですか。見えないものがもっと貴いことを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。みなもっているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを維持していれば感じないのです。

皆様。目がまばたきするのを感じながら暮らしていますか。三時間だけ数え続けてみてください。また、呼吸を数えながら暮らしていますか。数えてみれば、途中で忘れてしまいます。右手を挙げて、左側の胸の上に当ててみてください。どういう音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみれば、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは一週間、一カ月ではなく、忙しい時は何カ月間もそれを感じないで暮らしています。考えてみてください。小さいはえが一匹だけ頭の上にとまっても、すぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音がしても、なぜ感じられないのかというのです。一つになっているからです。

壇上からこのような話をすれば、失礼だと思われるかもしれませんが、実感の出る話なので、いくつか例を挙げてみましょう。皆様。毎日、朝起きてトイレに行くでしょう。大便をするとき、マスクを使って大便をしますか。もし、ほかの人がそばで大便をして、そのような臭いを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずなのに、なぜ自分の大便の臭いはそのまま嗅いで座っていて平気なのでしょうか。自分の体と一つになっているので、自分の大便を汚く感じないのです。

皆様。幼い時、鼻をほじくってなめてみたことがありますか。その味が甘かったでしょうか、塩辛かったでしょうか。なぜそれが汚く感じられなかったのでしょうか。それが正に私たちの体の一部分だったからです。皆様。咳をして、痰が出れば、飲み込んでしまったりもするでしょう。ここに参席された皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。なぜ、汚く感じないのでしょうか。みな一つになっているからです。私たちはみな、朝、昼、晩、毎日三食ずつ食べていますが、口から三十センチだけ下りれば、肥料工場があります。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。それを知っても、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられませんか。一つになっているからです。

5. 神様の創造目的

愛、生命、血統、良心があっても一つになっていて、完全にバランスを取れば、感じられないのです。私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、みなもっていますが、独りではそれを感じられません。完全にバランスを取っているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここから見つけることができるのです。男性でも女性でも、独りの時は愛を感じられませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れる時は、相対的に刺激的な愛と血統が雷鳴と稲妻のように衝撃を受けて問題を起こすことを知らなければなりません。ですから、しっかりと目を覚ましていなければならないのです。このような真理を知らずに生きてきました。神様も絶対的に愛の相対が必要だという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。

それでは、神様の愛の相対は誰でしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるでしょうか。夢のような話は最初からしてはいけないというのです。アメーバから始まった生命体が人間に至るまでには、数千の段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。あらゆる動物もみな、同じです。種の区別は厳格です。誰も占領できません。唯物論を信奉する共産主義者たちが猿を先祖と信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が出てくると思いますか。百年、千年やってみても徒労に終わります。これは、生命秩序の尊厳性を考えてみるべき問題です。

そうだとすれば、神様も何を必要とするのでしょうか。どの部分をより必要とするのでしょうか。目でしょうか、手でしょうか。私たちが考える五官ではありません。神様は男性格と女性格の二つの性稟をすべて所有していらっしゃいますが、父としていらっしゃるためには男性格主体として存在されるお方です。

このような基準で見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界の誰が、果たして神様の愛のパートナーになるでしょうか。男性独りでなるのでしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います。神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになるその場を中心として顕現なさり、人間と出会うのです。

なぜその場が神様を中心として一つになる場なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が正にその場だからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性稟である陽性と女性の性稟である陰性が合わさり、大きな陽性の立場で大きな陰性と合わさって一つになるのです。いつそのようになるかということが問題です。

結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのですか。結婚は愛を求めていく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混ざる所です。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人の存在も意味がなく、国もなく、理想世界もありません。これが公式になっています。男性と女性は絶対的に一つにならなければならず、父母と子女たちは絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きてから、死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国です。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような理想的な人がいないので、神様が理想とする天国は空いているのです。今まで死んでいった人類はすべて地獄に落ちています。天国に入れませんでした。

このような観点から、イエス様も人類を救うための救世主として来られましたが、昇天したのち、天国には行けず、楽園に行っておられることを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨することを願われるのです。イエス様も結婚して家庭を築き、その家庭と共に神様に侍って暮らしてから、共に天国に入れるのであって、独りでは天国に入れないので、聖書でも「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ一六・一九)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければなりません。

6. 堕落世界を収拾できる思想

今日、人類は堕落した子孫となって、堕落圏の下に落ちているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入れないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を突破しなければならないのです。ですから、イエス様も「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と言いました。この道を行くためには、全生命を懸けて、突破して上がらなければならないのです。

皆様の家庭は、堕落圏内の家庭です。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されました。アダムとエバが赤ん坊を生んだのちに追い出されましたか、追い出されたのちに赤ん坊を生みましたか。彼らは追い出されたのち、神様と無関係の立場で子女を生んだのです。このようなことも知らずに天国に行くというのですか。とんでもないことです。無知からは理想も生まれず、完成もありません。目を覚ますことを勧告します。

レバレンド・ムーンの話が正しいか、正しくないか祈ってみてください。私がこの道を探し出すためにどれほどの受難の道を歩んできたか、誰も知りません。罪もなく監獄に六回も入るほどの苦難に遭い、探し出してきた道です。ところが、他人の大切な息子、娘たちを連れてきて、このような真理を教え、短時間に方向転換させるので、多くの人が洗脳したと言うのです。無神論者は、神様がいないことを科学的に、理論的体系を立てて証明しようとして、自ら崩壊していきました。同様に、キリスト教徒たちは自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを取り除こうと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端こそが正統です。反対になるのです。サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌うものはサタン側だということを知らなければなりません。

思想的空白期に置かれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド・ムーンの思想を中心として出版された中学校、高校、大学の教材を通して、さらには、刑務所の罪人までもその教材を通して、思想武装をしています。旧ソ連の三千六百余の学校でレバレンド・ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは、「私たちがアメリカに勝らなければならない。レバレンド・ムーンに反対するアメリカに勝らなければならない」と叫んでいます。西洋の腐敗した退廃風潮である同性愛やフリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド・ムーンの思想だけだと彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカより先にレバレンド・ムーンに従っていこうと叫んでいます。

7. 罪悪の根は不倫な性関係

皆様。神様がお好きですか。レバレンド・ムーンがこのようなことを展開しているのを御覧になる神様は喜ぶでしょうか。教皇庁の教えと今度の大会に参席したロバート・シューラー牧師の教えが同じでしょうか。もちろん、統一教会の教えも大きく違います。そうだとすれば、誰の教えが正しいか神様に尋ねてみてください。

イエス様と聖母マリヤに対する皆様の理解が間違ったものだといくら教えてあげても、それ自体が統一教会の利益になることがあるでしょうか。しかし、皆様が間違いなく知らなければならない一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド・ムーンは、生涯を捧げてこの道を歩んできたのです。

皆様。イエス様は結婚しなければなりませんでした。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいたなら、イエス様も彼女と結婚したくなかったでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造され、彼らに生殖器をもつことを共に許されましたが、何のためにそのようにされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないでしょうか。問題は彼らの堕落にありました。堕落ゆえに血統が変わったのです。

ですから、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと神様の夫人格として立つべきエバが堕落することによって、神様御自身の体と理想が本然の状態を失って、怨讐になったのですから、それを御覧になった神様の心情がどれほどつらかったでしょうか。堕落は自らを埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になりました。

今日のアメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、過分な私生活の追求、フリーセックスのようなものを神様が好まれるでしょうか。行き過ぎた個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの言うとおりなら、天と地、世界、国家、社会、家庭、甚だしきに至っては祖父、祖母までもすべて、放り投げてしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジプシーやヒッピーになってさまよい、雨が降り、雪が降れば、行くところがないので、自殺して、一生を終えようという話ではないでしょうか。

しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分な私生活の保障を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいと思うのが、私たちの本心が願うところです。それができない反対の道を行くうちに、良心が燃え尽き、本心との相反を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するのが良いと判断し、自ら命を絶つ現象がだんだんと増えていくのです。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という聖句が的中するのを目撃するわけです。

アダムとエバがエデンの園にどんな種を蒔きましたか。節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。ですから、彼らが下半身を覆ったのです。子供たちも、父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば隠すのが本性の作用ではないですか。もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたことを否定できません。堕落して落ちたアダムとエバを救ってあげるためには、堕落した方向と一八〇度逆の経路を通してこそ、救ってあげられるということは、この上なく理論的です。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来なければならないのです。

8. 再臨のメシヤの使命と真の父母、真の家庭

メシヤは、堕落前、神様が創造したエデンの園の場で、家庭を築くことのできる主人として来られるお方です。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題です。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければなりません。この死亡の世界で、誰が自分を救ってくれるかが問題です。

旧約時代を見てください。その時は、「目には目、歯には歯」(出エジプト記二一・二四)という原則のもとに蕩減してきました。イサクの妻だったリベカは、長子のエサウと夫までもだまし、次子のヤコブに奪い取った祝福を与えた女性ではないですか。そのような女性を神様はなぜ愛したのでしょうか。そのような神様をどうして信じることができるというのですか。今まで、このような疑問を誰も解明できませんでした。レバレンド・ムーンが初めて解いてあげたのです。レバレンド・ムーンだけが神様の秘密をすべて知っているからです。

それでは、天国と地獄はどこで分かれるか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆様の生殖器です。深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。誰が否定できますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に説明されています。疑問に思えば神様に尋ねてみてください。皆様には、夢にも想像できない内容と理論をもって体系化しておいたレバレンド・ムーンの原理の本に反対することはできないのです。

レバレンド・ムーンが天国に行くか、行かないか気になるなら、死んでみてください。死んで霊界に行ってみれば分かります。レバレンド・ムーンがこの道を探すために、死の道を何百回も超えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人がレバレンド・ムーンです。歴史始まって以来、誰もレバレンド・ムーンほど神様を愛した人がいません。ですから、いくら世の中がレバレンド・ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド・ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共に保護してくださいます。

生殖器を、目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば天国の高い所に行くのです。明白な結論です。今、青少年の問題が深刻な問題です。エデンの園でアダムとエバが、青少年期に日陰で淫乱によって堕落し、フリーセックスを蒔いたので、収穫の時期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。

終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引っ張り上げて救うという戦略を、サタンは知っています。サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときに天使長がそうしたように、全人類をフリーセックスに追いやって全世界を裸にし、すべて死んでいく方向に引っ張っていくのです。人類がすべて天使長の後裔としての末路に直面するようになるのです。

エデンの園からサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの子孫が、今日の人類なので、サタンは堂々と神様のみ前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたいとおりにできる権限を主張するのです。神様はサタンが何を願うかを御存じです。サタンはフリー・セックスを通して、ただの一人も神様のみ前に帰れないように、言い換えれば、全人類を完全に堕落させて地上地獄をつくろうとするのです。今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄となっていく世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄になったこの世界と一八〇度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来て、この世の中を救ってくれるのも、正にこのような一八〇度反対の道を教えて、天国に導くことなのです。

それでは、フリーセックスの道と一八〇度異なった正反対の道とはどのような道でしょうか。偽りの父母が現れて作った道がフリーセックスの道なので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は干渉することができません。この地のいかなる主権や軍事力、経済力、政治力でも手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことなので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道はないのです。罪を犯した者がその罪を蕩減しなければなりません。家庭で結婚を誤って、血統が一八〇度ねじれてしまったので、真の父母が来て結婚させ、一八〇度原状に戻すことによって、天国に行く道を開いてあげるようになるのです。

9. 純潔と真の家庭運動を通じた平和世界の実現

神様がアダムとエバに期待したことは何だったでしょうか。絶対愛を期待したのです。絶対「性」が存在するところには絶対純潔の夫婦が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レズビアンという言葉は消えるようになるのです。このような絶対純潔の愛を求める運動を世界的に広げるために、レバレンド・ムーンは一生を捧げて受難の道を克服してきたのであり、今は、勝利の祝歌を響かせながら、世界に号令をかけるときになったので、天に感謝しているのです。

世界平和に向かっていく礎石を置くのも家庭であり、世界平和への道を破壊するのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊されたところがアダム家庭でした。したがって、きょう、このように「世界平和家庭連合」を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と一八〇度異なる方向に行くことができる道が開かれたことを、天に感謝せざるを得ません。この道でなければ自由も幸福も理想もありません。

皆様は今、絶対的な純潔の生殖器、唯一の生殖器、不変の生殖器、永遠の生殖器を中心として、これを基盤として神様を求めるようお願いします。この基盤が真の愛の基盤、真の生命の基盤、真の血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、ここから正に地上天国と天上天国が生じることを理解されなければなりません。

すべての男女が、自分たちの生殖器が実は自分のものではなく、自分の相対が主人だということを認めるようになれば、頭を下げて謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになるでしょう。愛は相対なしには訪れません。愛は相対から訪れるので、ために生きないところには、愛があり得ないのです。絶対的にために生きるところで絶対愛を見いだすことができることを肝に銘じてください。

どこに行かれても、テレビやその他、言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅びません。地獄になったこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は神様であられます。

今、私たち全員が共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛隊になりましょう。今から家にお帰りになられたら、夫婦で自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠の器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、あなたのものであり、あなたが今までよく保管してきたものが自分のものだと宣言し、互いのために生き、永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様がとどまるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が行われるのです。そうして、皆様全員が共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭になるようお願いいたします。ありがとうございました。

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第二篇 4 天宙は私の故郷と祖国

第二篇 4

天宙は私の故郷と祖国

日付:二〇〇〇年二月二日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂

行事:第二回アメリカン・センチュリー・アワード授賞式

尊敬するアメリカの上下両院の議員、外交使節、今日のアメリカが神様の最天の祝福を受けることに貢献したアメリカン・センチュリー・アワードの受賞者、そして親愛なる内外の貴賓の皆様。きょう、自由と信仰と家庭の重要性を高めるためのこの歴史的な席に、アメリカの各界各層を代表する最高指導者の皆様にお越しいただいたことを、心から感謝いたします。同時に、ワシントン・タイムズ財団の創設者として、去る一世紀を通じて、今日のアメリカが世界で最も優れた国になるようにと力を尽くした栄誉ある受賞者の皆様に、心からお祝い申し上げたいと思います。

また、きょう私の八十回目の誕生日を祝ってくださり、私が生涯にわたって成し遂げたすべての業績を高く評価し祝賀してくださった皆様に、重ねて心から感謝申し上げます。特にこの場で私は、今日まで共にいてくださり守ってくださった神様に、このすべての栄光と感謝を捧げたいと思います。

1. 自由、信仰、家庭に対する天のみ旨を成し遂げなければならない

私は、生涯を通じ、神様の創造理想を実現するという一念で、ひたすら諸般の難問題解決のために苦心し、努力してきました。私は一九七一年、アメリカが世界的な危機に直面していることを目撃しました。そこで、第一次五十州巡回講演を始めながら、「アメリカは、神様が抱えている三つの大きな悩みに責任をもたなければならない」と説破しました。その一番目は、共産主義からの脅威であり、二番目は、キリスト教の没落であり、三番目は、淪落の道に入っている青少年の問題でした。この意義深い日に私たちが心に刻まなければならないことは、すべての人が神様と完全に一つになることであり、自由と信仰、そして家庭に対する神様のみ旨を成就することです。私は、神様がアメリカを愛していらっしゃることを知ったので、このあらゆる兆候に対処できるアメリカにおいて、「ワシントン・タイムズ」の創刊を含む多くの活動をしてきました。

2. 神様の心情を知り、み旨成就に全力

きょう私は、これまでアメリカのために奉仕できる機会を許諾された神様に、重ねて感謝を申し上げます。なぜなら、韓国戦争当時、アメリカは国連軍として私の祖国を救援したばかりでなく、神様のみ言を伝える中で共産圏の監獄に投獄された私に、自由をもたらしてくれたからです。

私は、十六歳(数え)の少年の頃に天命を受け、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。私が知った神様は、栄光と尊敬の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実在および人間と宇宙に対する根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とその準備として地上生活をどのように過ごすかということを知らないまま生きてきました。

神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するためにこの身を捧げ捧げて全力を尽くす道でした。私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからだということが分かります。

私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回以上語り、これが既に三百巻以上の書籍として発刊されました。きょう、アメリカの最高指導者の皆様を迎えたこの意義深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。

本来、天宙は人間が主人となって暮らすように造られた巨人な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後の一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで、神様は、私たちの日常生活を指導されながら、見えない中心の位置にいらっしゃいます。

3. 理想的な存在モデルと真の愛

人間は堕落し、落ちたサタン圏から、神様の救済により自由と解放を受け、真の息子、娘として成長したのちに、相対に出会って真の夫婦となり、さらに子女を生み、真の父母となることが正常な人生路程です。

したがって、私たちは、真の子女を否定することができず、真の夫婦を否定することができず、真の父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。ですから、人間は、真の父母と真の夫婦と真の息子、娘で構成された真の家庭を成し遂げなければならず、これが正に理想的な存在のモデルです。人間は、家庭で真の父母の愛を完全に受けなければならず、真の夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真の息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるものは何でしょうか。それは、お金でもなく、知識や権力、あるいは物質的な力でもなく、均衡の取れた神様の真の愛しかありません。

真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重されて永続することによって、永遠の均衡が形成されるのです。

ですから、真の愛を中心に、ために生きる世界は授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように与え合う作用を通して、真の愛の世界を成就するためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着できるのです。

すなわち、幸運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡を取って運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、巡り巡って再び元の形に戻っていくのです。

4. 信仰および平和と統一の本郷の地は故郷と祖国

紳士淑女の皆様。善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるかもしれませんが、一つは、受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対して、プラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。ですから、子女が自分よりも劣ることを望む父母はいません。立派になることを望みます。また、夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟を、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。したがって、受けたものよりも、もっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いなのです。さらには、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人こそが、自由と解放を受け、天宙的な歓迎を受けます。個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。

それでは、皆様はどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。本然の故郷は、広い意味で考えるとき、天宙の中でも地球星であり、祖国は先祖の代わりに私たちの神様がいらっしゃる所です。この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち、私の本郷です。そこには、黒人、黄色人種、そして白人が共に調和して暮らしています。このすべての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。したがって、宇宙で、東西南北のどこに行こうと共にいらっしゃる神様が人類の父であることは間違いないのです。

ですから、アメリカの主人が白人である、黒人である、黄色人種であるという考えは誤りです。アメリカの主人は神様であられます。皮膚の色が違うのは、住んでいる地域によって気候と環境が異なるので、それに合わせるためなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人は根本的に同じです。例えば、血の色や、筋肉や骨の形はすべて同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。したがって、人種の差別はあり得ません。

それで、統一教会では国際合同結婚式を通して、人類平等を実現してきました。自然の道理と原則を尊重してみると五色人種(すべての人種)が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、極と極が一つになることと同じです。あるいは、黄色人種と黒人が結婚すれば、お互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた子孫を生むと考えるのです。

愛があるところには、葛藤がありません。たとえ、皆様の生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地は、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。

5. 最も重要なことは真の愛、真の生命、真の血統

人間世界で、最も重要なのは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなければ、真の愛が連結されません。

また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と真の血統の関係の中で懐妊されるのです。このように、真の愛と真の生命と真の血統を通して、永生の道が開かれるのです。真の人となり、真の愛と真の生命と真の血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。

永遠の真の愛、永遠の真の生命、永遠の真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全な真の息子、娘になります。どうして結婚をするかというと、正にこのような真の血統的伝統を過去、現在、未来に連結するためです。

堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に対することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様と対することができなくなってしまったのです。さらには、堕落したアダムの子女であるカインとアベルは、神様の血統を受けることができず、サタンの血統を受け継ぎました。

したがって、イエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければなりません。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にいるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。

神様は、今日の世界でフリーセックスやホモセックスが乱舞していることを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。しかし、怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなければならないというのが神様の立場です。投入して忘れ、また投入して忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。

堕落した人間を救い出すためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に妊娠した子女を見ながら、悲しみ心を痛める神様がどれほど哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落した人類となったのです。

人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。胎児が母の胎で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で万物を食べながら成長するのです。それで、人間は、地を母のように愛さなければならないのです。

霊界は、太陽の光のような光が、いつも光り輝いている所です。太陽は常に昼です。霊界もこれと同じです。霊界での愛の光は、変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛に満ちあふれた世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬の季節を通して実った収穫物を貯蔵する倉庫と同じなので、地上世界の人生が結実する所です。

6. 人類の真の父母として来られる再臨のメシヤ

復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真の血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で、神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまで一人、孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。したがって、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。

それで神様は、信じることができる一人の人、すなわち、血統を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを求めてこられたのです。皆様も御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史は、メシヤを迎えるための選民の歴史でした。準備された選民、イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨だったのです。しかし当時のユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかかって亡くなることによって、その歴史は再臨理想として残されました。

したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。メシヤが出発する起点は、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりも、もっと神様に栄えある立場で素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭でなければなりません。

メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから、祝福結婚した家庭を連結し、地上天国と天上天国が完成するのです。

したがって、メシヤは人類の真の父母として来なければなりません。来られるメシヤは、サタン世界の愛とサタン世界の血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を形成しなければなりません。すなわち、真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなければ道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。

したがって、すべての人類は、八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければなりません。本来なら、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と女王の時代までの八段階を経なければなりません。結局、人間は、神様の子女として、王、王妃として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。

7. 完全に生まれ変わった新しい人になるためには

皆様。このように、私たち人間は本来、成長し、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。このためには、地獄の底から、八段階の蕩減条件過程を通過して、天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ可能です。

このような祝福家庭は、世の中の助けとなる主体的な家庭にならなければなりません。このように、完全に生まれ変わって新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり、生涯を通じてこれを実践してきました。

神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして、完全投入することを意味します。

このように投入して忘れ、投入して忘れて、最終的に自分という概念さえすべてなくなる零点に進入するのです。神様は、信仰もすべて注いだので、残ったものは零点であり、愛もすべて注いだので零点であり、純情もすべて注いだので零点です。

しかし神様の真の愛は投入するほど大きくなるのです。私たちはこのような神様に似なければなりません。愛を否定されても、さらに愛し、投入しても、もっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んできたのであり、天地父母がそのような道を歩んできたのです。

投入して忘れてしまい投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でも、祖父、祖母をはじめとして十人の家族が暮らすとしても、最もために生きる人が家庭の中心となるのです。

愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。神様は、人類歴史始まって以来、いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層ために投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して投入できるので、ために生きる人の王となり、先祖となることができます。

私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、正しくこのような原理原則で努力してきたからです。自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行くとき、今日に至るまで、有形、無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか、彼らの中心の位置に立つようになったのです。真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きていくと、いつの間にかレバレンド・ムーンを尊敬するようになったのです。

私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すのであり、サタンの戦略は打って失ってしまうのです。

8. 国際合同結婚式の意義

このような原則のもとで、レバレンド・ムーンは、人類救援のために、五大洋六大州に広がっている五色人種を一つにし、一人の方、神様のもとの一つの世界を実現するために、国際合同結婚式を挙行し、数千、数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。東洋と西洋が結婚を通して一つになるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。

アメリカ人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つになれば、怨讐だった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。さらに、レバレンド・ムーンは、霊界にいる霊人たちまで、真の愛によって祝福してきました。

地上と天上に天国が形成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、実体の真の父母を通してのみ可能なのです。人類の先祖が偽りの父母として、罪悪の種を蒔いたので、メシヤは、人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。

血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人では成し遂げることができないのです。もし、神様ができるのであれば、既にずっと以前に解決されていたはずであり、また堕落もさせなかったはずです。しかし、人間に賦与された自己の責任分担に対しては、原理法度の神様は、一切干渉することができないのです。したがって、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもつ人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。

このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単に男性と女性が配偶者として出会うことのみにあるのではありません。本然の神様の生命の種を与えられ、真の神様の子女として生まれ変わるための、神聖で偉大な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と地上解放時代を迎えたのです。

世界が、数千、数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏も、キリスト教、イスラーム、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一の家庭化時代を迎えました。新約時代を経て、完成時代である成約時代を経て、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に入ってくるようになったのです。

言い換えれば、今は、国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を超えて、天宙が一つの神様のもとで、一つになる時代に進入したのです。さらに地球星が全祝福家庭たちの故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、それが一つになることによって、永遠の祖国光復である地上・天上天国が始まるのです。

9. 真の愛の天宙化は新千年天国の完成

内外の貴賓の皆様。私は、新千年が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は新千年天国の完成」というみ言を宣布しました。「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にするという意味であり、新しい千年を迎え、全体世界を通して天国を完成するのです。

天宙は、神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家が完成するためには、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式的な原理に基づく家を求めて、一つにならなければなりません。国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。

その中でも、真の愛の家庭というものは、巨大な天の国の家である天宙の出発点であり、核になります。家庭で夫は、妻の真の愛を中心とする家であり、妻は、夫の真の愛を中心とする家であり、父母は、子女の真の愛を中心とする家であり、子女は、父母の真の愛を中心とする家です。

神様の国は、真の自由と信仰、そして理想が実を結んだ花であり、真の愛と真の生命、そして真の血統が定着した真の家庭がとどまる所です。さらには、永遠の真の愛と幸福が満ちあふれた千年王国時代が始まる所です。

天地安息圏の中心が、神様が共にいらっしゃる真の男女が結合した家庭なので、私はこれまで真の家庭の価値を説き明かしてきました。したがって、私たちは、聖書で言うエデンの園をこの地球上に具現させなければならないのです。

今、新たに迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成就される、成約の時代です。

二度と涙がなく、死亡がなく、哀痛の声が聞こえない、新しい天と新しい地を意味します。水晶のような澄んだ生命水を代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代を言うのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成就される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管圏が、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。

以上のように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠の祖国を意味するのです。最後に「一人の神様のもとの一つの国」を越え「一人の神様のもとの一つの天宙」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が形成される時です。したがって、私たちは、神様と人間の根本関係である父子の関係を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷と祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。

重ねて、この場を訪ねてくださったアメリカの指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真の兄弟姉妹となり、平和と自由、そして正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、み言を終えようと思います。私は、新しい時代を迎えて、神様が、アメリカにとってこの世界を導くように万全の準備をしておかれたことを確信します。皆様の国と家庭に神様の祝福が共にあることを祈ります。

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第二篇 5 真の王の基

第二篇 5

真の王の基

日付:二〇〇二年二月十七日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園フェンシング競技場

行事:真の父母様御聖誕慶祝行事

世界各国から来られた著名な指導者の皆様、そして国内外貴賓の皆様。きょう、このように私たち夫婦が生まれた日を祝ってくださるためにお越しくださったことを心から感謝いたします。この意義深い日を迎えて、私は「真の王の基」という題目で、神様が本来、宇宙万象と人間を創造した理想を中心に、私たちの本然の人生はどのような姿でなければならないかを、神様のみ旨に立脚して皆様にお話ししようと思います。

宇宙の存在秩序は「ために生きる人生」を根本にしています。神様は知恵の王なので、宇宙万象が、相対のために存在するという原則をもって生きるように創造されました。これを天理の原則であり創造の秘訣として立てたというのです。真の理想、真の愛、真の幸福、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に人間の願いでもあります。このような理想を成し遂げる道は別のところにあるのではありません。ために生きるところだけに真の愛が起こるのであり、真の幸福、真の理想、真の平和が実現するのです。

したがって、理想の起源、平和の起源、幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。「私」は私のために存在するという立場では、互いに一つになれないのです。互いに一つにならなければ、平和も、幸福も、理想も、愛も成就することができません。家庭でも、家族全員が互いにために生きる姿勢で生きるとき、その家庭には平和と幸福が訪れるのです。まず、夫婦間の姿を調べてみましょう。

真の夫とは、どのような夫ですか。生まれるのも妻のために生まれ、生きるのも妻のために生き、死ぬのも妻のために死のうとする夫がいるとすれば、そのような夫こそ真の夫でしょう。真の妻も、このような原則に従い、ただひたすら夫のために生きる妻であるはずです。

このようにために生きる生涯を送ろうとする真の男性と真の女性が夫婦になったとすれば、そのような夫婦こそ理想的な夫婦でしょう。そのような夫婦を通して真の平和の基準を求めることができます。そのような夫婦は、本当に幸福な夫婦になるのです。そのような夫婦こそ、永遠で普遍な真の愛の主体者になることができます。さらには、神様の愛を直接受けることができるようになり、神様の平和の対象になることができ、神様の理想の実体対象になることができるのです。

父母の人生はどうですか。父母は子女たちのために存在し、子女たちのために生き、子女たちのために死のうという犠牲と奉仕の精神で子女たちを養育し、教育すべきだというのが天理です。

このような父母こそ、真の父母になるのは当然のことです。そして、子女たちはこのような模範的な父母の姿を手本として真の子女の道理、すなわち真の孝子の道を歩むようになるのです。それでは、真の孝子とはどのような子女ですか。生まれるのも父母のために生まれ、生きるのも父母のために生き、父母のために生きるなら命までも捧げることができる子女が、真の孝子です。

同じように、相手のために生きていこうという原則を信じて実践する人生を生きるようになれば、家庭では、平和の家庭、自由の家庭、幸福の家庭、愛の家庭を形成するようになるはずであり、社会でも、平和の社会、自由の社会、幸福な社会、愛の社会、本然的理想の社会が成し遂げられるでしょう。国家と世界でも同じです。

いつ、どこで、どのようなことをしても、この原則さえ固守すれば、自由と平和と幸福と愛を自動的に得るようになるのが天理です。私たちは、ために生きる人生を生きていくときにも、主体と対象の関係についてその優先順位を考えてみなければなりません。神様の創造を調べてみれば、神様御自身が主体の立場ですべてを先に投入し、ために生きる立場で創造されました。知恵の王である神様も、平和と幸福、理想と愛の本然の基準を、このように人のために投入して存在することにおかれ、宇宙創造の大原則として立てておかれたのです。主体がまず対象のためにすべてのものを与え、ために生きる生き方を見せてあげるとき、対象は自動的に主体のために命までも捧げるようになるという原理です。愛は、対象から来るのです。対象がなくては、幸福や平和というものはあり得ません。

これは必ず対象を通じて来るのです。自分の生命よりもっと貴い愛と理想が対象を通して来るので、その貴いものを受けるためには謙遜に準備しなければなりません。ために生きるにも、謙遜に頭を下げてために生きなさいというのです。

ために生きる人生には永遠があり、繁栄があり、ために生きる位置が中心となる天理が運行しています。今日、どんなに多くの宗教の経典があるとしても「他のために存在しなさい!」という一言が、すべての経典の教えの上に高くそびえ立つようになるのです。新・旧約聖書六十六巻も、結局「他のために存在しなさい!」というこの一言で総括的な結論を下せるのです。それで、イエス様も、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)とおっしゃったのです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)とおっしゃいました。これはすべて、ために生きる人生の価値を説明したみ言です。このような人生を通じて天国が顕現し、神様が顕現され、神様の愛が顕現し、神様を中心とする平和と幸福と理想が顕現するようになることを語られたのです。男性と女性の関係においても、男性も女性も、本来、自分のために生まれたのではありません。

互いに相対のために生まれ、相対のために存在し、相対のために生きていき、相対のために死ぬことができるように生まれたのです。男性が男性だけのために生き、女性は女性だけのために生きる世界を想像してみてください。男性が女性をぞんざいに扱って無視する世界を、どうして自由の世界であり平和の世界であると呼ぶことができますか。女性が男性を排斥して子女も生まないという世界を、どうして幸福な世界と呼ぶことができますか。

夫と妻は、どのような状況でも互いのために生き、愛してあげる真の愛の人生を共に分かち合いながら生きなければならないのです。これが、神様が男性と女性を創造した理想であり目的です。自分だけを絶対的に主張する独裁者からは、自由と平和を探し出すことができません。一人の独裁者が立てられるために、どれほど多くの人々が犠牲になりますか。相対を犠牲にして自分を立てようとする、すなわち、ために生きる真の愛の人生とは正反対の道が独裁者の道です。それで独裁者は、すべての人が嫌うのです。歴史的に独裁者はすべて、不幸で始まり、不幸に終わるのです。これが宇宙の根本真理だというのです。

尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちは「他のために存在しなさい!」という天理に従わなければなりません。私たち個人を中心として、前後左右をよく見てください。家庭生活でも、いくら年が若く、格位が低い人でも、その人がすべての家族のために家庭の誰よりもために生き、献身する生き方を見せてあげれば、その人は自動的にその家庭の中心になるのです。

困難で大変なことが発生すれば、家族全員がその人に話し、相談しながら支援を要請するはずです。よりために生きる人が中心存在になるのであり、責任者になるというのが天理です。社会や国家の経営についても同じです。誰でも、自分以上にその団体や国のために献身し、奉仕する人がいるとすれば、その人に主のように侍り、神様のように侍ることができる、謙遜な生を実践しなさいというのです。

皆様が霊界へ行くようになれば、神様は天地の中心存在としていらっしゃるので、その方には千年、万年支配されてももっと支配されたいと思い、支配されること自体が最上の幸福になるのです。

私の話が信じられなければ、すぐにでも死んでみてください。今日、人類はこのことを知りません。自分のために本当に面倒を見てくれて、主管してくれる人をもつとき、真の幸福と平和を享受できることを知らずに生きているのです。

私たちの父であり全知全能であられる神様が、「私のために存在する」と感じてみてください。最高の愛である神様の真の愛が「私のためにある」と信じてみてください。そこで初めて皆様は安息を見いだすようになるでしょう。互いにために生きるべきである、というこの公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して世界基準まで到達すれば、その世界が正に人類の願うユートピア的愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界に間違いありません。地上天国は、正しくこのような世界です。

紳士淑女の皆様。ため生きる人は天が保護し、中心存在になると言いました。この場に立っている私の人生が、その良い証拠になっています。世界万民から真の父母と呼ばれている私たち夫婦ですが、この立場にまで来る道は決して順調な道のりではありませんでした。

私は、生涯を天と人類のために捧げてきました。父母が反対し、一族が反対し、教会が反対し、国家が反対し、世界が反対する場でも、私は絶対に絶望したり、天の教えである「ために生きる人生」の実践を中断したりしませんでした。真の父母の道は、このように極と極を貫く孤独な道でした。その結果、今は私の生きてきた姿である「真の愛の運動」が全世界的に燎原の火のように広がりつつあります。ために生きる人生の実践を通して数百万の家庭が生まれ変わり、平和と幸福の真の家庭になっています。

そして、私たちの夫婦を真の父母として侍って生きようとする家庭が、全世界の至る所から集まってきています。今は、個人から天宙圏まで八段階の理想圏を完成し、神様の解放圏まで完成したので、正に人類の願いであるユートピア、すなわち地上天国が皆様の目の前に開かれています。

きょう、この貴い席に共にされた皆様も、天がこの時代、人類に下さった天理である「ために生きる人生」の真の愛を実践して、天が祝福した中心者、責任者となられ、永遠の平和と永遠の自由、そして永遠の幸福を成就されることを願います。ありがとうございました。

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第二篇 6 神様の真の愛と天地人関係の回復

第二篇 6

神様の真の愛と天地人関係の回復

日付:二〇〇三年二月六日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:真の父母様御聖誕記念式

尊敬する前職、現職の国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界指導者、百八十九カ国の代表、国内外の高名な各界代表と平和大使、各宗親代表、そして紳士淑女の皆様。私の満八十三歳の誕生日と韓鶴子総裁の還暦を祝賀するために集まってくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりもまず、この日まで私を守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。

神様を抜きにしては説明することのできない私の生涯であるがゆえに、この意義深い場を感謝しながら「、神様の真の愛と『天地人関係』の回復」という題目でみ言をお伝えしようと思います。

神様に対する新しい理解

人類は歴史的に、神様や絶対者について多くのことを語ってきました。様々な賛美や頌栄を捧げ、また一方ではむやみに批評したりもしてきました。「神様はいない」、「神様は死んだ」と極言したりもしました。それにもかかわらず、神様は、ただの一度も「私はここにこのように生きている」と直接的に現れることをされませんでした。

また、「科学と技術の発達が高度化すれば、神様を信じる人はいなくなるだろう」と予言した人も大勢いました。しかし、現代社会においても、信仰者は依然として減っていません。神様は、生きていらっしゃる万有の根源者であられ、創造主であられ、人類の真の父母であられます。

私が発表し教えてきた神様は、漠然とした神様ではありません。いち早く、少年時代から人生と宇宙について苦悶してきた私は、十六歳(数え)の時に神様を体感し、その時から今まで、生活の中で交流してきました。

生死の境界線を行き来する険しい私の生涯を支えてくれた原動力は、正に生きていらっしゃる神様との約束と絶対信仰です。私は、霊界の隅々を渉猟(しょうりょう=広くあちこち歩きまわって、さがし求めること)し、そこにいる五大聖人と数多くの賢哲と会い、私の天的な使命に対して彼らの公認を受けました。

皆様。このように神様は厳存され、人類の真の父母であられるのです。神様は、私たちすべての生命の根源者であられ、すべての人が関係を結ばなければならないお方です。そして、私たちが訪ねていく霊界も、既に存在している世界だということをはっきりと知らなければなりません。私は、歴史に例のない「神様会議」を数度にわたって主導してきました。

一九八〇年代、各宗教団体の代表者と最高位の神学者、宗教学者を参席させた三度にわたる会議は、宗教界に大きな反響を巻き起こしました。これらの会議を通して私が指導しようとした要旨は、第一に、各宗教は、それぞれの特殊性をもちながらも、それよりもはるかに多くの共通の底辺をもっていること、第二に、宗教人相互間の葛藤と不和は、信仰者たちの偏狭が主な原因であって、決して絶対者のみ旨ではないこと、第三に、神様は、信仰や儀式よりも、愛の実践をより願っていらっしゃるお方だということ、この三点です。

この時に発表された論文と会議の記録は、現在、各宗教団体の最高神学教育課程の教科書として活用されています。高い垣根が築かれていた宗教団体間の対話と協力の気運が、この時から本格的に開かれ始めたのです。それ以降にも、毎年多くの予算を投入しながら、各種の宗教連合運動と超宗教平和運動を全世界的に展開してきました。

二〇〇二年十二月二十六日から三日間、アメリカのワシントンDCにおいて、私は新たな次元の神様会議を開催しました。「神様と平和世界」を主題として開かれたこの場に、世界各地から宗教指導者だけではなく、世界各地から、政界、学界、言論界、財界、文化芸術界、NGO代表等、三百十二人が集まりました。

神様は、信じる人だけの神様ではありません。万民の神様です。また、今この時は、漠然とした神様ではなく、より明確な威容と主管権をもって万民の前に立っていらっしゃる神様を悟らなければならない大転換期です。神様を無視しては決して解決できない個人的、家庭的、国家的、世界的問題の渦の中に埋もれている現代人だということを自覚する時です。

この会議には、三百十二人の世界的指導者が集まり、第一に、真の父母、真の師、真の主人であられる神様と実体の真の父母を、個人、家庭、国家、世界の縦的な絶対価値の軸として立てること、第二に、神様のみ旨を完成することを、霊界において五大聖人と賢哲たちが決意し、一致団結して地上を協助するため、それに歩調を合わせて協力すること、第三に、平和理想の実現のために、真の愛の実践運動や国連刷新運動等、真の父母様が計画することに積極的に参与し、教育し、推進すること等を内容とする決意宣布文を発表しました。

神様のみ旨は創造理想の完成

宗教を信じる目的は、本来の神様と本然の国を取り戻すためです。宗教という言葉は、人間だけを中心とした言葉ではありません。神様を母体とした最高の教えが宗教です。神様と関係を結び、神意に従って生きる生き方を身につける過程があるのです。したがって、聖人は、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。真の宗教は、神様について教えてあげなければなりません。真の宗教は、漠然とした神様を紹介するのではなく、神様に対する認識をはっきりと強固に植えつけてあげることができなければなりません。世の中と妥協する宗教は、高次的な宗教だと言うことはできません。そのような宗教は、結局は衰退してしまうようになります。真の宗教は、人が神様を正しく求め、神人が一体となる本然の世界に帰っていくことを教えなければなりません。宗教を信じるのは、罪のない世界、神様と本然の関係を結んだ理想世界を求めていくためです。

神様が求めていらっしゃるのは、宗教界ではなく理想世界です。宗教の目的は、宗教自体の教えを通した世界ではなく、神様の理想を通した世界です。ここにおいて問題となるのが創造理想です。神様が創造されたので、創造理想を明確にすることはとても重要なことです。

それでは、神様のみ旨とは何でしょうか。創造理想を完成することです。神様がエデンの園で人間始祖アダムとエバを通して成し遂げようとされた創造理想とはどのようなものだったのでしょうか。真の愛の本体であられる神様は、愛のパートナーを必要として創造をされました。人間は、神様の真の息子、娘としてつくられました。神様の真の愛の理想を成し遂げるためです。彼らは、真の男性と真の女性として成長し、真の夫婦となって真の家庭をつくり、理想的な国と世界を形成するのです。

別の言い方をすれば、神様の真の愛を中心として、理想的な家庭、さらには理想的な世界を完成するのです。しかし、人間始祖の堕落によって、この創造理想は崩れてしまいました。したがって、宗教の目的とは、一人の真の人を取り戻すことであり、真の家庭と真の国家と真の世界を取り戻して、万民が平和に生きていくことです。これが正しく、神様が地に対して摂理される目的なのです。

宗教は、このように善の世界を追求してきました。しかし、その善の世界は、善の国が現れなければ成し遂げることができません。善の国は善の民族が、また善の民族は善の氏族が、そして善の氏族は善の家庭が先になければなりません。ですから、善の家庭を築こうとすれば、先に善の男性と善の女性がいなければなりません。アダムの堕落以後、イエス様の時までの四千年間、イスラエルの歴史は、外的には、世界を取り戻す歴史でしたが、内的には、真の息子、アダム一人を取り戻す歴史でした。堕落によって、神様の愛を中心とした生命と血統を受け継いだ息子、娘がいないことが神様の恨です。

愛と生命と血統の主人

神様が、愛と生命と血統の主人として再び造られ、この世の中に送られるお方が救世主です。観点によって救世主、メシヤ、再臨主、真の父母と様々に表現されることもあります。この世のすべての人々を貧困と苦痛、戦争と罪悪から救ってくださるという観点では救世主として、また絶対者の救援のみ旨を中心として、すべての宗教人を生命の道に連結させる仲保者という観点ではメシヤとして、また第一イスラエル、第二イスラエルと続いてきた神様の主流復帰摂理という観点からは再臨主と呼ばれてきました。救世主、メシヤ、再臨主、これらの名称は、主に救援と復帰過程に焦点を合わせて呼ばれてきたものです。

偽りの父母、偽りの先祖と因縁を結んで生まれ、罪悪と葛藤の中で生きてきた堕落人間は、堕落直前の段階にまで復帰されることによって、すべての所願を成し遂げることができるのではありません。

神様のみ旨も、人間の本性の所願も、創造理想を完成した本然の理想的な人間となり、理想世界を成し遂げることです。それは、神様の愛の理想を完成した個人として生まれ変わったのち、真の愛の夫婦となって真の父母になることです。

そのために、神様の真の愛、真の生命、真の血統の始原である真の父母が絶対的に求められるのです。このように、神様の救援摂理完成のためには、男性として一人で現れる救世主、メシヤ、再臨主ではなく、神様の真の愛を完成した典型としての真の父母のお二人をお迎えしなければならないのです。

神様が、先に造られたアダムのあばら骨で、その永遠の相対であるエバを造られたように、神様の息子、復帰されたアダムが先に来てエバを復帰、再創造することによって、真の愛の理想を実現し、真の父母の位置を完成しなければならないのです。人間の真の愛と真の生命の源流がその中にあり、理想的な男性像、女性像の標本がその中にあり、理想的な真の夫婦と真の父母の標本が、その真の父母様の中にすべてあるのです。

人類の罪悪と苦難が、堕落した先祖の偽りの愛によって実を結んだ偽りの父母、偽りの先祖に由来しています。したがって、堕落の因縁から解放され、理想を完成することは、来られる真の父母様を通してのみ可能です。人類が宗教を通して求めてきたものも、世界が待ち望んでいるものも、神様の愛の理想を完成する真の父母です。

神様の実体対象に「改造」することが宗教の目標

宗教は、人間を「改造」する道だと言うことができます。堕落がなければ、宗教は必要ありません。堕落によって心と体が闘っている人間を、永遠に闘わない平和な存在に、また神様の実体対象に改造しようとするのが宗教です。すなわち、神様に似た本然の人格に変えるのです。

私たちの心と体を見たとき、体は悪神サタンの基地になっており、良心は神様の基地になっています。一般的に、体が心を引っ張り回すのです。宗教は、心を引っ張り回す体を打って、弱めさせようとするものです。宗教の教えは、体が最も嫌うものを提示します。「断食しなさい。奉仕しなさい。犠牲になりなさい。祭物になりなさい」と言って、義のために苦行の道を歩み、生命を捧げることまで要求します。

聖書において、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という逆説的な論理で教えていることも、肉身が要求するとおりに生きれば、死亡世界である地獄に行くのであり、肉身を抑えて良心の解放圏をもてば、永生の天国に行くということです。

心と体が統一されずに闘う人は、統一された神様の愛の理想世界に適応することができません。一般的に、宗教をもつことによって天国や極楽に行くといいます。しかし、天国は、神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった子女が入っていくようになっています。

堕落した世界の愛は、主に自分自身を中心とした愛ですが、それは、心ではなく体に関係しています。堕落した体は悪魔の舞踏場になっています。本心は、神様に代わる主体、すなわちプラスの位置にいるのですが、体は、もう一つのプラスとなって本心を籠絡しているのです。これを正さなければなりません。この目的のために神様がつくられた修理工場が宗教です。心と体が永遠に一つになった人、完全な人格に正す修理工場なのです。

ですから、宗教においては、休まずに祈祷し精誠を捧げることを教えています。悪魔は、体を横的な舞台として、二十四時間休まずに活動しています。神様は、縦的な基準に立っていらっしゃるので、縦的な心を通してのみ役事(働き)されます。心が、横的な体の強い作用に引っ張られていかないようにするためには、心自体が垂直の位置で精誠を捧げることによって、神様から三倍も四倍も力を受ける必要があります。このような精誠の生活を三年から五年行えば、心が体の環境的、習慣的影響力から自由になることができるのです。

宗教は復帰摂理のための機構

尊敬する指導者、そして紳士淑女の皆様。宗教生活は、してもよく、しなくてもよいという選択の問題ではありません。堕落人間は、サタンを中心とした偽りの愛と偽りの父母の因縁から生まれてきたので、誰もが例外なく修理工場である宗教を経て、必ず真の父母様と出会い、真の愛と真の生命の関係を結ばなければなりません。

ここで、一つ重要な事実を知らなければなりません。修理工場に訪ねていくのは、そこに永遠にとどまろうということではなく、再生して出てくるためだという事実です。宗教生活は堕落人間の必須課程ではありますが、宗教生活自体が人生の根本的、総体的な目的ではないというのです。人生の究極的な目的は、宗教生活を正しく履修し、模範生として卒業して、創造本然の人間として生活することです。

堕落ゆえに生じた宗教ですが、その宗教の中に埋もれて生きることだけが人生のすべてでしょうか。堕落していなければ、本然の人間はどのように生きていたのでしょうか。本来人間は、神様の子女として、真の愛の理想のもとで真の家庭をつくり、一つの世界を形成して、自由、平和、統一、幸福の天国生活をするようになっています。

神様は、宗教を通じて修理され再生された子女に出会うために、人間を創造したのではありません。罪を悔い改めながら葛藤の中で苦悩している子女を見ることを願う父母がどこにいるでしょうか。まして、創造主であられ、全知全能であられる天のお父様が、御自身の子女を、苦痛の中で罪を犯して生きるようにさせることが本来のみ旨でしょうか。堕落世界は、神様が計画された本来のみ旨ではありません。人間始祖が神様に背くことよって、本然の構想が成し遂げられなくなったのです。絶対的な神様であられるので、そのみ旨も絶対的です。神様は、再びそのみ旨を成就されます。それで、神様の救援摂理は、復帰摂理であり再創造摂理です。

宗教は復帰摂理のための機構です。人間は、真の父母様と出会って宗教生活の過程を履修するだけではなく、神様の子女となって、生活の中で父子の関係をもって神様に侍って生きる生活信仰の世界に飛躍しなければなりません。長い歴史の中で、人間は誰もが宗教生活を卒業しなければならないという、この貴い真理を明らかにした人はいませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗派を創設しませんでした。

「世界平和統一家庭連合」創設の背景

神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が「世界基督教統一神霊協会」でした。教派でも、宗派でもなく、「協会」です。宗教界が継続して不信し、計略を巡らせて迫害しながら、無条件に異端だと規定して顔を背けたにもかかわらず、私たちの集まりが大きくなっていったため、世の中が私たちの長い公式名称の代わりに「統一教会」と呼ぶようになり、そのために「統一教会」になってしまいました。

しかし、私は、数十年前から私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。一九九六年に教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として出発しました。

これは、人類史における重大事件です。偽りの父母から受け継いだ罪のくびきをかけ、苦難と葛藤の中で、悔い改めと祈祷の信仰生活を通してのみ神様を求めてきた人類が、真の父母から祝福を受けて重生し、真の愛の生活の中で神様に報告して生きる世界に変わる、天地開闢が始まったのです。

これまで私が、天命に従って真の父母の使命を果たしながら、地上だけではなく霊界の垣根も崩し、地上と天上に祝福の恩賜を自由に下してあげる時までの過程は、誰も知ることができません。歴史の中で、偽りの主人として振る舞いながら、人間を管掌し、神様に逆らってきたサタンを屈服させることが簡単なことでしょうか。サタンが公認しない立場では、真の父母の位相を立てることはできないのです。

サタン主管下の死亡圏にいる万人に、真の父母が管掌するとおりに祝福の特権が及び、霊界にいる霊たちや地上人が真の愛の生命圏に転換される奇跡の時代が開かれたのです。

神様の真の子女として生活しなければならない

満場の紳士淑女の皆様。今訪れてきた天運と共に、人類は、宗教生活を履修し、真の家庭をつくりながら、神様の真の子女として生活しなければなりません。地上で祝福を受け、このような真の愛の生活をした人だけが、永遠の本郷である天上の理想世界、すなわち神様の国に入っていくことができるのです。

霊界に行く時に、何をもって行きますか。お金ですか。権力ですか。知識や名誉ですか。これらは、この世のものなので、超越した世界に行く時は、すべて置いていかなければなりません。これらは、永遠な本質の世界であるその世界では何の役にも立たず、もっていくこともできません。

霊界は愛の世界であるがゆえに、地上で体恤した真の愛、特に天地父母から許諾された真の愛の生活内容が最も貴く認定される世界です。どうぞ霊界をより深く学び、祝福家庭としての生活を通して、真の愛を完成する神様の子女となってくださることをお願いいたします。

私の教えは、人から学んだことを根拠とするものではありません。また、私は、一般教訓的な次元の教育や慣例的な教育はしません。神様と天道に根源をおいた生命のみ言を直説的に訓導しているのです。

私の真の父母の使命が神様の下さった使命だとすれば、きょうこの時間、皆様が私と結ぶ関係がとても意味深く、貴重な関係になることを知って、心の深い所に刻んでおかれるのが良いと思います。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の公道の上に共にあることを祈りながら、この場を終えたいと思います。ありがとうございました。

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第二篇 7 平和世界実現のために

第二篇 7

平和世界実現のために

日付:二〇〇三年二月六日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

尊敬する前・現職国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者の皆様、そして外交官と国内の高名な指導者の皆様。皆様が収められた世界平和のための首脳会議の実績をまず祝賀し、きょう私と韓鶴子総裁の生まれた誕生日を各方面から祝ってくださったことに対して、深く感謝申し上げます。このすべての栄光を、この日まで私を守ってくださった神様にお捧げします。

この意義深い席で、平和世界実現のための私の所信を皆様と分かち合おうと思います。世界平和を願う前に、宗教団体間の理解と宗教人相互間の和解が、今日のように切実な時はありませんでした。宗教の貴重な教えは、人類歴史を明らかにしてきた知恵の根本です。ところが、宗教人たちは三つの弱点をもっています。

第一に、彼らはとても来世的であり非現実的です。第二に、彼らは偏狭的であり党派的です。第三に、彼らは狂信的になりやすいのです。宗教指導者たちは、開かれた心で万人を包容しなければなりません。すべての宗教人の真の責務は、人間の多くの境界線、さらには宗教自体の障壁までも乗り越えることです。

宗教は、宗教自体の勝利や信徒たちだけの救援のために存在するのではなく、神様のみ旨を果たすために存在するものです。決して偏狭的であったり自己満足的であったりしてはいけません。愛する心をもって生きていくときには、すべての障壁が崩れていきます。偉大な宗教の創始者たちはこの点を理解し、このような理想を実現しようとしました。

神様は真の愛の本体です。真の愛は無条件的にために生きようとするその属性上、必ず相対を求めます。神様が創造した動機についても、また創造した目的についても、ここで正しい理解が求められるのです。このように神様は、御自身の真の愛の相対として被造世界を創造されたというのです。その中でも人類は神様に最も近い愛の相対、すなわち子女として造られました。最初の人アダムは、個人だけでなく、真の愛の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の始原なのです。

神様の創造理想は、一つの真の愛の主管圏内で相対のために生きる和合統一の理想でした。人間の先祖はこの真の愛の理想を完成する前の成長期間に神様に背き、偽りの愛によって堕落してしまいました。そして、神様と人間の間に葛藤が起こるようになりました。神様とサタン、人間とサタン、そして人間相互間に対立と闘争が起こるようになったのです。この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明することでもあります。

このような闘争の起源を乗り越えていける運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができます。葛藤と闘争を解決する方法は、利他的で犠牲的な愛、すなわち「他のために生きる人生」です。神様の理想国家の実現は、怨讐を愛する思想をもった個人から出発します。怨讐に勝つ秘訣は、腕力を通じてではありません。怨讐まで抱く真の愛の力を通じてのみ可能です。

豆を植えれば豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、赤い花の種を植えれば赤い花が咲きます。同じように、怨讐を討つ悪魔サタンの種を蒔けば、怨讐を討つ悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。怨讐を愛する精神をもった人々で構成された国が出てくれば、その国が神様の願う理想郷になり、人類が入ることができる理想的なモデルになることができます。

去る三十年以上の間、私は休むことなく家庭崩壊、性的な非道徳性、青少年の退廃、道徳的堕落、そしてキリスト教の衰退などのアメリカの問題を解決するために至誠を尽くして働いてきました。私のこのような努力にもかかわらず、キリスト教徒を含む多くのアメリカ人は、私がする仕事を誤解し、迫害し、投獄までしました。私に対して虚偽的な誹謗と否定的な態度を貫いてきました。しかし、私は憎悪や怨恨の感情にとらわれることを拒否し、迫害者のために変わることなく与える愛の人生を生きてきています。

私は、どのような事情のもとでも、神様の愛とみ旨を心情の深いところで最も大切に守ってきました。このような理由のため、時間がたつとともにアメリカ人、特にキリスト教徒たちで、私の教えと生活の価値を新たに悟る人が多くなり、彼らの心境に変化が訪れていることを見るようになりました。

私は公式的な演説で、「キリスト教徒が、彼らの真の根である神様のみ旨を果たすための使命に応えなければならない!」と直接的に語ってきました。キリスト教徒は、彼らの生活方式と態度を変えなければなりません。キリスト教の創始者は「怨讐を愛しなさい!」という原理を教えました。もしキリスト教徒がこのような根本原理を実践することに失敗すれば、彼らには衰退する道しかないのです。そのようになれば、彼らはイエス様の教えと自由の神聖な法則から離れるようになるからです。

一方、イスラームと他の宗教の指導者たちも、道徳的な面で、そして他のために生きて愛するときに高次元の愛を実践できれば、彼らの怨讐も、外的な力によってではなく、それよりさらに偉大な真の愛の力によって屈服するはずです。私は、西欧社会の指導者たちに、世界に散在している十三億のイスラームの信徒、また三十四億のアジア人と宗教人、それ以外の他の宗教人を無視したり見過ごしたりしてはいけないと常に語ってきました。

もしアメリカがこの巨大な人類家族構成員の存在意味を理解することに失敗すれば、どうしてアメリカが私たちの子孫のために、より良い未来を構築し、平和世界を成就できると期待できるでしょうか。同じ理由から、イスラム世界や他の宗教人たちもまた、どうして西欧社会とキリスト教文化を見下したり、その大切さを見過ごしたりすることができますか。私たちが互いを無視したり拒否したりすれば、私たちには、いかなる希望もないのです。すべての宗教指導者は、他の宗教と社会を包容する高い愛を実践する汎世界的な運動を引っ張っていかなければなりません。これが正に、すべての宗教創始者の崇高な教えです。

神様のみ旨と歴史の要求する方向はどこですか。神様の究極的な理想は、宗教と人種と国家を超越して、真の愛で平和統一された世界、すなわち「人類一家族」を形成することです。神様の目標は、ある一つの宗教や一つの理念の勝利ではなく、全人類が平和と統一と幸福の中で生きていく愛の世界を実現することです。

現代社会が技術的、物質的発展によって統一化されていく外的な趨勢の前で、人類が内的な和合統一を成し遂げるように導くのが宗教の役割です。宗教がこのことの先頭に立って模範を示さなければなりません。宗教界の和合と協力を成し遂げることは、遅らせられない歴史の要請であり、神様の神聖なみ旨です。それができなければ、宗教は衰退します。

私は生涯、私が体恤して経験した神様の心情と願われるみ旨を教育してきました。私の教えは決して思弁的な理論ではありません。神様は生きて役事していらっしゃいます。ただ人間は、堕落によって本然の位相を失ってしまい、神様を完全に感知できないまま罪悪と紛争の中で生きてきました。

全能で完全な神様であっても、その前にふさわしい相対がいなければ、御自身の全能性を示現させることができないのです。人間始祖が神様に背いて以後、神様は御自身が相対する善の基台を失ってしまい、したがって善の絶対的な能力が現れることがないまま歴史が進行してきたのです。

神様は、人間を原状回復させることによって、御自身の位相と天意を回復する摂理をされるのです。神様は人間始祖が成し遂げられなかった真の愛、真の父母、真の家庭の理想を回復するための使命者として、第二アダム、第三アダムを立てながら摂理されるのです。私がかつて神様の召命を受け、真の父母の使命を果たしてきた背後には、このような摂理的な事情が連結されています。

尊敬する指導者の皆様。今、私の預言的な宣布に深い関心をもってくださるようお願いします。人類は歴史的な転機を迎えています。今までは見えず、無力で存在しなかったかのよう思えた神様の権能が、人類の生活の中に示現する時になりました。万象と宇宙に厳存する神聖な秩序と合法の主人である神様の絶対権を、人間が自分の日課の中で体得する驚くべきことが起きる時になったというのです。歴史に通じる神様と真の父母様、そして義人たちの犠牲と無条件的な愛の実践基盤の上で成し遂げられた神様の善の相対基台が、堅固に造成されたために可能となった、奇跡のようなことです。

そして、人類は今後、次第に神様を感知し、霊界と霊人たちの役事を知るようになります。人々が自分たちの内なる人である霊人体を自覚し、霊性が啓発されるのです。このようにして、人間は自然に宇宙の公法を体得し、確かな人格変化を起こし、真の人になることができます。これを通じて人類は、宇宙の存在秩序と人間の関係が、利己的、自己中心的になっているのではなく、利他的に他のために生きるようになっていることを学ぶでしょう。

神様の創造本然の平和理想は統一理想です。相対理想となっている存在世界自体が調和統一を前提としているのです。相対を度外視したり、不幸にさせたりして成し遂げられる平和理想はありません。上下、前後、左右の関係や霊界と地上世界がすべて相対のために生きる真の愛の理想で調和統一を成し遂げるとき、完全な平和が実現します。したがって神様の喜びと幸福も、その相対である人間の喜びと幸福を同伴しながら成就するようになっています。

また、すべての存在の個体目的は、より大きな全体目的、すなわち公的目的のもとで成就するようになっています。すべての宇宙秩序は、このように二重目的の連体として大きな調和統一を成し遂げるようになっています。ところが、堕落により神様に背いて無知に落ちた人間は、堕落性である利己的欲望の主管下で本然の存在秩序に逆らって生きてきたのです。

公的なことよりは私的なこと、全体目的よりは個体目的を先に立てて生きてきました。その帰結は明らかです。永続的な自由と平和と幸福が保障されることはありません。外的な力と物質と自己中心の享楽を追い求めながら葛藤と対立の中で駆けてきた人間は、今、悲惨な不幸の泥沼をさまよっています。今こそ人類が自己省察をして天から来る声に耳を傾けなければならない時です。

摂理的な恩恵により、生きていらっしゃる神様が私たちのすぐ近くに来ていらっしゃいます。今からは人類がかつて経験してみることができなかった霊的な経験、すなわち超越の世界と交流を多くするようになるでしょう。頻繁に起きる霊的役事によって人類は直接・間接的に大きな影響を受けるようになるでしょう。

特に神様と善霊の役事による感化を経験した人間は、神様を中心として霊性の啓発とともに決定的な人格変化を起こすようになるでしょう。このように、天道にふさわしい人格に変わった人が、すなわち神様が願われた真の人です。

私たちは、怨讐を愛する真の愛を実践し、霊界を正しく知る真の人となり、真の父母となって、真の家庭をつくらなければなりません。平和世界の基点はここにあります。神様が願われる理想国家の基点がここにあるのです。

自分を真の愛の実体として立て、和睦する理想的な家庭生活を経験できなかった人に、幸福と平和を謳歌しながら生きる理想的な国家や理想的な世界はありません。神様が願われる理想的な祖国は、怨讐を愛する道、すなわち個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残しておく道を通して訪れてくるのです。

多くの人々は、国連が世界の問題を解決し、平和を実現してくれることを希望しています。しかし、国連はこれまで、制約もありましたが、その活動で宗教と霊性の重要性を見過ごすことにより、さらに影響力が弱化せざるを得なこを自ら招きました。

国連が現実問題を分析し、また解決を試みるとき、一方にだけ偏ってきた結果です。これが続けば、国連は本来の創設目標を決して果たすことができなくなり、その存在を認めてもらえなくなるでしょう。平和世界実現の理想に包括的、根本的な面から接近するために、国連に超宗教的代表者たちの議会を併設することを再度提唱します。

この時、代表たちは、その宗教の創始者たちが実現しようとした最も貴い理想を実践すべきですが、模範となる真の愛の人格と知恵をもってしなければなりません。多くの指導者は、この点を深刻に考慮して、国連内に上院のような協議体を構成する努力を継続してくださるようお願いします。

私は、神様の真の愛のみ旨である、天上と地上に一つの国を形成するために生涯を忙しく駆けてきました。これまで、宗教界だけでなく、政界、思想界、学界、財界、言論界、およびNGO(非政府機構)の指導者たちに、「他のために生きる人生」を生きるべきであると指導してきました。

理念的な教えだけでなく、私が先に立って模範を見せる実践を通して指導してきました。このような私の世界的な基盤の上に「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、世界的に「平和大使」を任命しました。利他的な真の愛の実践生活の手本を見せながら、対立し葛藤する境界線を越えて、調和統一の世界を成し遂げていく指導者を養成するためです。また、世界各国で平和運動と奉仕運動を展開する拠点として、また超宗教連合が主張するビジョンと普遍秩序を指導し実践する教育の場として「平和大使館」を建立しています。

指導者の皆様が、皆様の家庭と国を真の愛で新たに創建してくださるようお願いします。さらには、真実で永続的な平和世界、神様が願われる国境のない地球星を成し遂げるために努力する、「世界平和超宗教超国家連合」のビジョンを支持してくださり、共に働いてくださることを希望します。今回の会議で皆様の経験が生産的で自らを鼓舞するものとなり、平和世界の実現が早まることを祈りながら、お話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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第二篇 8 神様の祖国と平和王国

第二篇 8

神様の祖国と平和王国

日付:二〇〇四年一月二十七日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:真の父母様御聖誕祝賀記念式

尊敬する前・現職の国家元首、世界各国から来られた指導者の皆様。そして、国内外の貴賓の皆様。私の八十四回目の誕生日と韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために来臨くださったことを心から感謝申し上げます。何よりもまず、きょうまで私たち夫婦を守り、共にいてくださった天のお父様に、このすべての栄光をお捧げいたします。

1. 人類始祖の堕落によって失ってしまった神様の祖国

私たち夫婦は、かつて神様からの召命を受け、生涯を神様のみ旨を成就してさしあげることに捧げてきましたので、神様を抜きにしては私たちの誕生日の祝いも受けることができません。したがって私はきょう、「神様の祖国と平和王国」という題目のみ言を私の挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。

皆様、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのような世界になっていたと思いますか。アダムは、その家庭の長になっていたはずであり、その民族の族長になっていたはずであり、その国家の王になっていたはずです。その世界は、アダム主義で始まり、アダムの伝統、アダムの文化、アダムの生活様式だけが存在するアダム世界になっていたはずです。その世界は、正にアダムの祖国であり、神様の祖国になっていたはずです。

しかし、人類歴史は、不幸にも堕落した先祖から始まりました。神様とは無関係なサタン主管の世界に転落してしまったのです。神様を父母として侍り、永遠無窮の平和王国を築いて生きていくべきだった人類が、悪の本体であるサタンの奴隷となり、罪悪と苦痛の世界で、神様の胸の中に恨を植えて生きてきたのです。

皆様お一人お一人の生活について一度考えてみてください。創造主の意向とは反対に、私たちの心と体は、絶えず葛藤と闘争を繰り返しています。歴史上、心と体の完全統一を達成した人がいたでしょうか。また、皆様は、六十億を超える今日の世界において、果たして体を心に一〇〇パーセント屈服させ、心の道のみに従って生きている人がいると思われますか。

そして、今日の社会と国家はどうでしょうか。個人の心と体の間に根を下ろした葛藤と利己心の壁は、社会と国家の間にも難攻不落の要塞のように強固に立っています。お互いに兄弟姉妹となって暮らさなければならない人種間の紛争は、今も世界平和を脅かす深刻な問題として残っています。

人間の霊性を回復させて重生救済のみ旨を達成し、人類を神様に復帰させなければならない宗教までも、その本分を忘れたまま、偏見と葛藤の沼から抜け出すことができず、今では、その度を超して殺戮と戦争の要因になっているという現実を、私たちは目撃しています。

2. 人間の本心が指向するところは平和世界

人間の本心が指向するところはどこでしょうか。数えきれないほど多様化した様々な壁と国境の中に閉じ込められ、思いどおりに息もできずに暮らすのが私たちの望みでしょうか。違います。私たちが願うその世界は、東西南北、四方のどこを見渡しても境界線がなく、垣根のない自由の世界であり、平和の世界です。

私たちは、このような本然の祖国を願っています。神様が数千年間お待ちになった祖国であり、人類が歴史を通して願ってきた祖国です。祖国と言えば、もちろんある特定の国家的な基準を前提に語ることもできますが、その本然の祖国は、私たちが簡単に考えるそのような国ではありません。

一つの国を建てるためには、主権と国民と国土が必要です。人類歴史を調べてみれば、数多くの国が興亡盛衰を繰り返し、数多くの主権が交代しながら、多くの命を犠牲にしてきたという事実を発見するようになります。その多くの殉教者たちは、ある一時に現れる本然の祖国を希望として死んでいったのです。

そうかといって、アメリカや韓国のようなある特定の国家だけが、彼らの願う祖国になることはできません。そこは、共産主義も民主主義もない所でなければなりません。

その祖国には、どのような宗教も必要なくなるでしょう。皮膚の色の違いで人間の価値を判断しようとする愚かな過ちを犯す世界ではありません。私たちの心と体を分けて苦痛の中に押し込んだ人間一人一人の壁はもちろん、いかなる形態の境界線も、いかなる規模の国境も承諾されない所でなければなりません。

皆様。私たちがきょうも身を置いているこの地球星全体が、正に人類が何よりも願ってきた祖国であり、神様が数千、数万年の間、願ってこられた祖国だというのです。

今人類には、天が願う基準の世界国家を建て、今まで天のみ前に怨讐の行為ばかりを繰り返してきたサタンを審判し、悪を除去して善のみを中心とする平和の天国をこの地上に成し遂げておく責任があるのです。

これが正に神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において殉教の道を歩んでまで貢献してきた先祖の願いだったことを、私たちは忘れてはいけません。

3. 理想世界は真の血統の伝授と真の愛の実践で

しかし、そのような理想の世界は、自動的に訪れるのではありません。願ったからといって、誰もが自力で成就できるものではないのです。堕落の後裔である私たちは、祝福結婚を通して新しい血統を伝授され、真の愛の道を実践躬行しなければ不可能なことです。真の愛の生活とはどのようなものでしょうか。

それを一言で言うならば、「ために生きる人生」です。人が自分のために生きてくれることを願う前に、先に人のために生きる人生です。ために生きてあげたことを忘れてしまう人生です。

ために生きてあげたからといって、何かを期待する人生ではありません。そして、ために生きてあげても、もっとために生きてあげることができずにもどかしく思う人生です。ために生きるにおいても、謙遜に頭を下げてために生きる人生です。

それで、イエス様も、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)と言い、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)と言われたのです。全知全能であられる創造主の神様だとしても、御自身が立てられた創造原理を無視して、願うとおりに無条件に創造と破壊を繰り返すことはできないのです。

レバレンド・ムーンが、過去数十年間、祝福結婚の摂理を継続してきた理由が、正にここにあるのです。堕落した先祖から偽りの生命、偽りの愛、そして偽りの血統を相続した人間は、選択の余地もなく偽りの人生を生きてきたのです。

したがって、天から真の父母の使命を受けて出発した私たち夫婦は、生涯を捧げて、祝福結婚を通して偽りの父母の元凶であるサタンを除去し、真の父母として真の生命、真の愛、真の血統を人類に伝授してあげるために、天命を実践するという一筋の道を歩んできました。そして、私たち夫婦は、偽りの父母が植えつけたものが偽りの血統だったために、神様もどうすることもできないということを知ったのです。

私たち夫婦は、すべての蕩減条件を立てて勝利した実体の真の父母の資格で、野生のオリーブの木になってしまった人類の血統を断ち切り、真のオリーブの木を接ぎ木して、真の血統を繁殖させてきたのです。野生のオリーブの木は、千年たっても野生のオリーブの木です。このように接ぎ木を通してのみ、血統転換が可能なのです。

皆様。今、明るい天の時代が到来しました。希望をもってレバレンド・ムーンのメッセージを受けてください。一九六〇年度にたった三双から始まった祝福結婚の歴史が、今では四億双に至っています。

さらには、霊界には千二百億双を超える祝福家庭が暮らしています。真のオリーブの木の畑が野生のオリーブの木の畑を圧倒しています。この真のオリーブの木であるすべての祝福家庭たちが、真の血統によって一致団結して実践する「ために生きる人生」が、今全世界に燎原の火のように広がっています。この地上に、垣根や国境のない自由と平等の国、喜びと幸福の国、神様の祖国、平和王国がこのように成し遂げられるのです。

4. 平和国連の旗印のもとで平和王国の創建

この目的のために、レバレンド・ムーンは、二〇〇三年十月三日、アメリカのニューヨークで「「平和国連」を創設したのです。今この「平和国連」は、天地を揺るがす革命的な摂理的働きをしています。

六十億の人類を一人も残さずに教育して祝福結婚を受けるように導き、地球星の至る所が私たちの家であり、私の家となる創造本然の神様の祖国、すなわち私たちの祖国を創建しているのです。

私たちの目標は、既に設定されました。平和国連の旗幟は、既に高々とはためいています。勝利の喊声が世界各地で上がっています。

アメリカで、ヨーロッパで、エルサレムで、パレスチナで、韓国で勝利を重ねています。神様が私たちと共にいらっしゃり、霊界の聖賢たちをはじめとする大勢の義人、烈士たちが私たちと共に走っているのですから、不可能なことがどこにあるでしょうか。

信じる人に福があると言います。きょう、この意義深い日にこの場を借りて皆様にお伝えするこのメッセージを、胸の奥深くに刻んでくださることを願いますすべての方が、ぜひ祝福結婚の恩賜に同参(一緒に参加すること)され、血統転換の大革命を成し遂げてください。そして、皆様も、この地球星に神様の祖国を創建し、永遠無窮に平和王国を繁栄させる摂理の一線に立った堂々たる天の勇士となることを願ってやみません。ありがとうございました。

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第二篇 9 神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年

第二篇 9

神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年

日付:二〇〇四年四月三十日

場所:ソウル、マリオット・ホテル

行事:「世界基督教統一神霊教会」創立五十周年記念晩餐会

尊敬する国内外の貴賓、百九十一カ国の代表、紳士淑女、そして食口の皆様。きょうは、私が天意に従う道において、五十年前、すなわち一九五四年五月一日、初めて統一運動のための公式機構をつくって出発した意義深い日です。過去半世紀間にわたって開拓してきたこの道は、誰も理解できない、神様だけが動機となられた一本道であり、血と汗と涙に染まった迫害と苦難の道でした。

私が唱導したこの統一運動は、神様の願いが摂理史的な関係によって連結されているため、私は、過去五十年間、雪が降ろうと雨が降ろうと、一瞬も時代的使命と未来に対する責任を忘れたことがありませんでした。

きょうこの意義深い席で、私は、このように「統一運動」の動機となられた神様の根本趣旨が何であり、さらには、統一運動の帰結と目標が何かを明らかにしようと思います。

私は、教派や宗派をつくりませんでした。それが神様の願いではないことをよく知っているからです。五十年前、統一運動は、「世界基督教統一神霊協会」、すなわち統一のための協会として始まりました。世界のキリスト教の統一、さらには、宗教統一と霊界統一を標榜したこの名前自体が、実際にはとても大きな冒険でした。

キリスト教の伝統の定着とその文化圏の形成は、歴史的に模範となるキリスト教徒と指導者、そして学者の信仰と犠牲、情熱と研究によって成し遂げられました。それにもかかわらず、キリスト教は、現在数多くの教派に分裂して葛藤しています。このような状況下において、キリスト教の統一が簡単なことでしょうか。ましてや宗教統一、さらには霊界統一がどれほど大きな難題でしょうか。

私が主張してきた統一は、単に外的で形式的な概念の統一ではありません。神様の理想である根本的で完全な調和統一を意味するのです。第一に、これは神霊の役事によって成就される統一です。宗教と霊界の統一は、力や権力や、ある外的条件によって達成することはできないのです。神様が運行される基盤が地上に造成され、聖人が望んできた条件が成立すれば、神霊の役事が起きます。神霊を誘発できる力は神様と霊界にあります。

本来、人間の内なる人である霊人体は神霊の感応体です。しかし、堕落人間は、故障した霊人体をもったので、霊人と霊界の存在さえ分からずに生きてきました。これを修理して浄化すれば、万人が自然に神霊の役事を経験することができます。したがって人間は、霊界を必ず知らなければならず、そのような時が来つつあるのです。

私は、全生涯を通して、神様と霊界が支援する統一運動を展開してきました。神様を中心とする神霊の役事によって、心身統一、人間と人間の統一、霊界と肉界の統一、神様と人間の統一を成し遂げることができるのです。

第二に、真理と愛で統一を成し遂げます。これまで私は、神様と人間の関係が真の愛の父母と子女の関係であることを明らかにしました。そして、人生と宇宙、原罪と復帰の問題、霊界と摂理歴史全般に関する宇宙の普遍原理を天下に明らかにしただけではなく、真の愛を直接実践して教育してきました。

真の愛は、相対のために投入することです。真の愛は、相対が自分よりも優れていることを願うからです。投入してまた投入すれば、相対は自分自身よりもっと大きくなります。

しかし、真の愛は、その投入したことを忘れてまた投入するのです。これは、自分の利益と自分の位置をすべてなくす犠牲を意味します。ここで真の統一が成し遂げられます。したがって、利己心は、統一を成し遂げていくにおいて最も大きな障害要因になるのです。

過去五十年間、私は、完全に投入してきました。個人的にすべてのものを投入し、家庭的にすべて投入し、氏族的、民族的にすべて投入し、統一教団をすべて投入し、今でも世界と全人類のために絶え間なく投入しています。これらすべては、真の愛で完全な調和統一を成し遂げようとされる神様の創造理想を成就するためです。

正に神人愛一体理想が、人間に対する神様の願いなのです。人間が渇望してきた自由と平和、理想と幸福も真の愛の中で調和統一される時にこそ可能です。したがって、統一運動とは、すなわち真の愛世界化運動なのです。

無形の真の父母であられる神様は、真の愛の相対的存在を立てるために人間と万物を創造されました。特に、御自身の子女としてつくられた人間は、絶対愛の主体であられる天の真の父母にとって最も貴い相対です。したがって、人間の先祖は、無形の神様の体であり、聖殿であり、真の愛の実体対象なのです。

本来、アダムとエバは、神様の真の愛を中心として真の愛の人格体として成長したのち、真の夫婦となって真の子女を繁殖することによって、真の父母になるようになっていました。そのようになっていれば、彼らは、神様の真の愛、真の生命、真の血統の実体として完成していたはずです。

神様を中心にお迎えし、アダムとエバ、そして子女、このように真の愛の四位基台を完成していれば、神様は、真の愛の血統を継ぐ子孫をもつようになり、人間の理想家庭が定着するようになっていたはずです。

真の愛の属性は、自分より相対のために投入することだと言いました。したがって、神様には、御自身の対象としてつくられた人間が、罪を犯して地獄で苦痛を受けるようになるという概念はあり得ません。これは、すべて人間の先祖が真の愛の理想に逆らって堕落することによって、後天的に生じた結果なのです。本然の世界から追放された人間の先祖は、神様の真の愛の祝福の下で真の生命、真の血統の子女をもつことができませんでした。人類は、神様の真の愛、真の生命、真の血統とは関係のない存在として生まれるようになったのです。したがって、人間は、生まれる時から宿命的に救い主と救援が必要な存在になりました。救援は原状回復、すなわち復帰です。人間が堕落する前の原状に戻り、失ってしまった神様との関係を回復するのです。堕落人間は、必然的に蕩減復帰の道を行かなければなりません。したがって、神様は、時代と場所に合わせて宗教を立て、人類を復帰する発展的な道に導いてこられたのです。

宗教は、故障した人間を修理して原状に戻すための訓練所であり、修練教育院です。宗教の教えは、宗教自体のためのものではありません。人間を御自身の子女として教育し、再創造しようという神様のみ旨を成就してさしあげる道だからです。宗教がつくった制限された教理と儀式の中に、決して神様が入っていくことはできません。信仰を通じた教育と修養により、実生活の中で神様に侍ることのできる人格を養成することが宗教の使命なのです。

私たちが学校に入学すれば、所定の過程を履修することによって卒業しなければなりません。このように、教団が、伝道と宣教を通して信仰の道への入門を強調する以上に、個々人を教育、修練し、人格完成を通して生活信仰者として育成し卒業させることを、より一層重要視しなければなりません。

本来人間は、宗教と信仰生活を通して神様と関係を結ぶようにつくられた存在ではありません。本然の園には宗教はなかったのです。本然の神人関係は、信仰儀式の手順が必要なく、実生活において真の愛の幸福に酔いながら、理想的家庭を中心として暮らすことのできる真の父母と真の子女の関係です。

私は、初めからこのような天道と原理を、既存の宗教、特に神様が準備されたキリスト教の基盤を通じて教育、指導しようとしました。不幸にも無知と独善と教派主義によって神様の中心摂理は発展できず、むしろ迫害を受けました。そのような状況のもとで、私は、「世界基督教統一神霊協会」を立てて出発するしかありませんでした。教団の創設が目的ではなかったので、草創期から開かれた活動として、超教派的、超宗派的な運動をしてきました。世の中で私たちを指して、長い「協会」の名前の代わりに「統一教会」と呼び、通称「統一教会」になったのです。

以前から、私は、統一教会の看板を下ろす日を待ち望んでいると話してきました。神様の理想を地上に回復して再現することが統一教会の使命だからです。

神様が理想とする天国、創造本然の世界は、神様に背いた人類始祖の過誤を完全に清算し、超宗教超国家的な解放圏、釈放圏を完成して、本然の愛圏、四位基台理想を結実して初めて成就されます。それには、協会や教団自体の使命を超越し、真の愛の家庭理想を完成しなければなりません。しかし、従来の教会や宗教は、個人救援を目標とみなしてきました。今まで家庭救援に力点をおいた宗教はありませんでした。

家庭救援のためには、神様の真の愛の祝福を受けてこれを守っていかなければならない祝福結婚式が絶対的です。堕落した人間の先祖が成し遂げることができなかった真の父母の理想は、堕落した子孫が自ら成し遂げることはできません。神様が送ってくださる救世主を通してのみ可能なのです。

その方は、堕落した人間の先祖に代わって真の父母、真の先祖として来られるからです。人類の先祖が神様と無関係な偽りの血統によって繁殖させた堕落人間たちは、野生のオリーブの木の畑をつくったのと同じです。したがって、真のオリーブの木として来られる真の父母によって接ぎ木され、復帰されなければならないのですが、その儀式が「祝福結婚」です。

私は、純潔教育と真の家庭運動を世界的に実践した基盤の上に、一九九六年七月三十日、アメリカの首都ワシントンDCにおいて、多くの国家元首と世界最高位の宗教指導者を含む四千人以上が同参する中で、「世界平和統一家庭連合」を創設しました。そして、この日を期して、公式的に「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろしました。家庭連合の創設を通して、超宗教的、超国家的、超人種的に家庭救援摂理時代が開かれるようになったのです。旧約時代と新約時代は、理想家庭時代ではありません。個人救援だけが主な関心事である個人救援摂理時代です。

しかし、家庭救援時代は成約時代です。家庭が連合すれば、氏族救援摂理、さらには国家救援摂理時代に越えていくのです。実際に、堕落人間の宿命的課題である誤った血統を清算して所有権を転換し、心情を転換する祝福儀式の恩賜以上に大きな祝福がどこにあるでしょうか。天国は、特定の宗教の看板のもとで成し遂げられる所ではありません。宗教を超越された神様のみ前に、真の愛の父子関係を回復した人が、神様に侍り、真の愛に酔いながら暮らす所です。天国は、祝福を受け、真の愛の家庭を築いて神様に待った人が、その一族と国と一緒に人っていく所です。

歴史を通じて、人間は、自分たちの解放と救援を求めて叫んできたのですが、それでは、神様の状況はどうでしょうか。神様は、解放が必要なく、常に喜びに酔っていらっしゃる方ですか。歴史的に罪と苦痛の中で呻吟する人間の姿を見つめてこられた父母として、神様の心情が解放の喜びを享受できたでしょうか。決してそのようにはできません。地上と天上に理想家庭と理想天国が成し遂げられる、その程度によって神様の心情も解放され釈放されるのです。そのようになって、初めて人間も真の愛の家庭生活を通して解放、釈放されるようになり、万物もまた、そのような人間を通じて解放、釈放され、さらには霊界も解放されるのです。

天国は、真の愛の本体であられ、生きていらっしゃる神様を中心として、子女である人間が喜びを共有しながら、情で感応し、呼応する真の愛の宮殿だと言うことができます。「世界平和統一家庭連合」が真の家庭祝福運動を世界的に展開してきたのは、このような超国家、超宗教、超人種的天国を実体的に成し遂げるためです。

尊敬する指導者と愛する食口の皆様。人類は、歴史を通じて理想世界、天国の夢を育ててきました。ところが、現実はどうでしょうか。現代社会は、家庭の崩壊と価値観の混沌の中で、フリーセックスと個人主義の王国になりつつあります。このような環境の中で、堕落した人間が中心になっては、正しい人生観と価値観を立てることはできず、さらには、正しい世界観と宇宙観も確立できません。したがって、個人と全体が完成して調和を形成するということに対しては、何の希望も期待できないのです。

二十世紀、多くの人々は、「共産」と「平等」によるユートピア運動に希望をかけました。この運動が世界を煽動し、揺るがしましたが、実際、共産圏の人々は、不平等と搾取、不幸と恐怖を経験しただけであり、この運動は失敗に終わってしまいました。

また一方では、「民主」と「自由」が最上の価値であり理想だとして、その体制を構築して夢を育ててきました。結果はどうでしょうか。これまた、人間の享楽的、利己的欲望をより一層刺激して、堕落と腐敗、不均衡と混乱の結果を生み、その未来が不透明になりました。

また、世俗的な「人本主義」や「主体思想」による理想世界の建設を叫ぶ運動もありますが、これもまた人間をして非人間化、動物化へと追い込んでいます。それだけではなく、「世界化」を主張してはいますが、これもまた自己中心に流れ、神様が願う縦的な絶対価値を確定することができず、横的な相対的価値観の混沌と葛藤の中で身もだえしています。したがって、人類は、共に幸福になることができる世界大家族への道とは無関係の立場で、自縄自縛の道ばかりを進んでいるのです。これらのことは、すべて人類が長い歴史を通じて、真の父母であられる神様を遠ざけてきた業報と言わざるを得ません。したがって、不幸と苦難から出口を見いだすことができずにさまよっている現代人の急務は、神様を正しく知って取り戻すことです。また、原罪を正しく知り、霊界を正しく知らなければなりません。

個人は、一人でその理想を成し遂げて幸福になることはできません。家庭と氏族、民族と国家、世界と天宙、さらには、神様と正しい関係を確立する時にのみ可能です。これが正に、共に完成できる神様の真の愛の理想なのです。

未来の新しい時代の世界は、人間を中心とする主義の世界ではありません。神様を王として侍る神主義、天父主義の世界です。したがって、真の父母、真の愛主義時代が到来しています。国家主義時代は過ぎていきます。どんなに超強大国でも、一国では存続することはできません。したがって、一国主義時代は過ぎていきます。国境を撤廃して、超国家、超宗教、超人種的にお互いに協助して暮らすことのできる新しい時代が訪れるからです。

その到来する世界秩序の核心は真の愛です。すなわち、相手のために投入することです。このような天道に逆行して、利己的、自国第一の保護主義政策をとる国は、だんだんと影響力が弱くなり、結局は滅びます。未来の世界は、何よりも先に宗教が看板を下ろし、真の愛と慈悲を実践する生活を政治圏や世の中よりも先に率先垂範しなければなりません。閉鎖的な宗教ほど、早く衰亡の道を歩むようになります。あらゆる教団は、超宗教的に和解協力して、超国家的、超人種的和解一体を牽引しなければなりません。天父の心情を抱いて真の愛を実践し、手本にならなければなりません。

私は、「世界平和統一家庭連合」を立てて真の家庭運動を世界的に展開する一方、戦争を防止し、平和世界を具現するために、すべての資源と人材を惜しみなく投入してきました。このための統合推進機構として、一九九九年二月には、「世界平和超宗教超国家連合」を創立しました。

これまで教団間の和解のために数十年間努力してきた基盤をより一層拡大し、政治、経済、教育、社会、文化、NGOなど、各分野の指導者たちも同参するようにしました。世界百九十一カ国に五万人以上の平和大使を任命し、国連が真の世界平和のために献身する機構になるよう国連刷新運動も進行しています。

また、二〇〇三年十月には、「平和国連」と呼ぶことができる「超宗教超国家平和議会」を創設し、平和世界実現の中心機構として活動を拡大しています。それだけではなく、到来した天運に合わせて、天上世界と地上世界の精誠と勝利的な基台の上に、二〇〇一年一月には、神様の王権を奉献してさしあげました。永存される王であり、王の王であられる神様を解怨してさしあげた歴史的な行事でした。これを通じて、神様の善の主管圏が、世界万国に実体的に版図を広げるようになりました。「統一運動」が公式的な機構として出発してから、いつしか五十年です! 統一運動の第一段階は、宗教圏を主とした個人救援次元の活動期間でした。

次の第二段階は、天国の基本単位となる真の家庭を探し立てる運動でした。この運動は、地上と天上の万民がすべて祝福を受ける時まで、氏族復帰と統班撃破(トンバンギョッパ)運動などを通じて継続されるでしょう。一方、第三段階である平和の理想世界創建運動も、既に本格化しています。昨年一年間で、中東平和のための大小の集会を十六度も主導しながら、あらゆる精誠を尽くして努力しています。それ以外にも、南北平和統一運動、国連刷新ないし新しい平和国連運動、全世界五万人の平和大使たちの平和運動などを世界が注視しています。

尊敬する各界指導者の皆様。この時は歴史の大転換期です。私たちは、今世紀に驚くべき変化を経験するようになりますが、特に三つの分野において大覚醒が大きく浮かび上がってくるでしょう。

第一に、現代の風潮は、過度に物本主義的、人間的、無神論的ですが、霊的現象に対する関心と認識が急激に増大し、歴史を変化させる驚くべき霊的経験をするでしょう。

第二に、人類は、発展する霊的体恤とともに、最も貴い真の愛の基礎学校として、家庭の神聖な価値と社会的意味をより一層悟るようになるでしょう。世界的に家庭が崩壊し、異常に変形してしまった、過去数十年のつらい経験から得られた覚醒でもあります。

第三に、私たちの霊性が開発された基台の上で、平和に対する希望と努力が著しく大きくなるでしょう。人間関係が国家と人種と宗教の壁を越え、すべての人が、ために生きながら一緒に暮らしていくべき温かい隣人であり、人類一兄弟だと感じる驚くべき変化が訪れるでしょう。

これらのことは、すべて生きていらっしゃる神様の摂理の進行です。神様は、人間の霊性を啓発し、その基台の上に真の愛の家庭を確立し、また、この家庭の基台の上に真実で永続的な平和理想世界を成し遂げようとされる摂理をしていらっしゃいます。実に、人類の本性が願ってきた理想世界、すなわち真の愛の神様を絶対価値の王として侍る神様の祖国、平和王国を創建していかなければならない時が訪れたのです。

このように途方もない天運の時を迎えたので、皆様が、この天道によって平和王国を創建していく役軍になることを願ってやみません。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に共にあることを願います。ありがとうございました。

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第二篇 10 神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で

第二篇 10

神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で

日付:二〇〇四年五月一日

場所:韓国、忠清南道、牙山、鮮文大学校

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年記念式

尊敬する前・現職の首班、世界各国から来られた貴賓と大韓民国の内外の指導者の皆様。きょう、公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、この式典に御出席され、このように満場の盛況を呈してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。

1. 神様は私たちの父母

私が一九五四年五月一日、ソウル市北鶴洞(プッカクトン)のみすぼらしい「三つの門の家」で、幾人にもならない弟子たちと共に、「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げて天のみ前に深刻な祈りを捧げたことが、きのうのことのようです。

しかし、今日、世界百九十一カ国に宣教部を置き、日進月歩の飛躍的な発展を繰り返す「世界平和統一家庭連合」に成長したという事実を前にして、これを「天の奇跡ではない」と言う人がどこにいるでしょうか。

私がかつて、十六歳(数え)の胸を躍らす青年期に天の召命を受け、悲壮な覚悟で出発したのが、この天の道でした。この道は、実に言い表せない苦痛と受難の道でもありました。

蕩減の峠を越えるたびに、血と汗と涙を流す犠牲の道でした。立てた息子の悲惨な姿を見守られ、胸を痛める神様の心情を慰労してさしあげるために、血の涙を心の中だけに抑えて生きてきた孤独な男の道でした。

それでも、過ぎし八十有余年を、天から受けた真理を教えることに捧げて生きてきたのが私の人生です。その内容を総整理するという意味で、「神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」という題目でお話ししようと思います。

2. 私たちがはっきりと知らなければならない神様と霊界

貴賓の皆様。私が生涯をかけて教えてきた内容の中で、最も重要だと強調してきたことがあります。それは、神様と霊界についてはっきりと知らなければならないということです。言い換えれば、漠然と頭だけで知り、数学の公式を覚えるようにして理解する神様ではなく、私たちの心臓に、そして骨髄の中にまで神様の存在を刻みなさいというのです。

神様が私たちとどのような関係をもっている方であり、どのような属性をもっておられる方なのかということです。そして、神様が太初に願われた理想世界とはどのような世界であり、いつそのような世界が成し遂げられるのかということです。霊界についても同じです。人間の選択権外に厳然として存在する死後の世界を正確に知っていてこそ、現世において私たちの人生の中で徹底的に準備することができるのです。

皆様、胸に手をおいて静かに一度考えてみてください。皆様が、本当に神様がいらっしゃることを知り、その神様に常に侍って暮らせば、世の中のすべての諸問題の中で、解決できない問題がどこにあるでしょうか。

きょう私は、皆様に単刀直入に宣布します。神様は、明らかに存在され、私たち全員の人生の中で生きて役事される私たちの父母でいらっしゃるのです。その方は、無形の存在であられます。大きいとすれば無限大に大きい方であり、小さいとすれば無限に小さな存在であられます。人間なら誰でも心をもっていますが、その心がどこに位置しているのかを、自信をもってはっきりと語ってくれる人がいるでしょうか。

世の中には、エネルギーが明らかに存在し、私たちの生を営為させていますが、そのエネルギーを私たちが見ることができないのと同じように、神様も絶対的に存在され、永遠、不変、唯一の属性をもっておられる方ですが、私たちの肉身の一部である人間の目では見ることができないのです。神様は、エネルギーの本体なので、霊界に行っても見ることができません。

それで、神様は全知全能で遍在される方だと言うのです。無形の存在なので、存在世界を思いどおりに出入りしても、全く支障がありません。

神様が皆様の体を通過していっても、皆様は何も感じることができないというのです。うとうと居眠りしている皆様の頭を、踏んでいっても分かりません。ですから、どれほど便利でしょうか。もし神様が、皆様の一挙手一投足に対して、一つ一つ顕現して指摘し干渉されるとすれば、どのようにして生きていくのでしょうか。皆様の目で神様を直接見ながら生きていきなさいと言えば、生きていけると思いますか。恐らく神経が衰弱して、一日も生きていくことができないでしょう。

皆様が今この場に座っていながら、ものすごい量の空気が体の中を出入りしても、それを見ることができないのに、ましてや無形の存在であられる神様が皆様を通過して役事されるのを、どうして見ることができるでしょうか。皆様は、「神様を見せてくれれば信じる」という愚かな主張をするのではなく、神様が私たちの目に見えないことをむしろ有り難く思うべきです。

世界の指導者の皆様。皆様は愛をもっていますか。生命をもっていますか。血統と良心ももっていますか。そうだとすれば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たと言うことができますか。それらが明らかに存在することははっきりと知っていますが、これらを触ることも、見ることもできないという事実を認めざるを得ません。心で感じて初めて知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるかいないかと言うとき、あるいは、神様を見たのか見なかったのかと尋ねるとき、いないということも、見なかったということも言うことができないでしょう。

心の中に神様が入ってきていらっしゃれば、心が感じます。全知全能の神様が共にいらっしゃれば、何千年前に死んだ聖人たちを呼んでくることもでき、厚い壁の向こう側に誰が座っているのかもはっきりと見ることができます。永遠であられる神様が心の中に入ってくれば、そのようなことが可能なのです。永遠を時間で捉えることはできません。永遠の中に時間があるからです。

3. 堕落によって失ってしまった神様

そして、私たちがいるこの宇宙は、神秘に包まれています。その大きさが数百億光年にもなる大宇宙です。地球の周囲を一秒間に七周半も回る光が、一年間で進む距離が一光年なのですから、この大宇宙を創造して主管する主人とはどのような方かを考えてみてください。

大きければどれほど大きく、重ければどれほど重いでしょうか。知恵の大王であられる神様は、御自身を無形で存在するようにされ、あっという間に全宇宙を運行なさることもでき、小さな針の穴でも思いどおりに運行なさることができるのです。

最高の宝物である神様をどこにお迎えするのかを自問するとき、私たちの心しかないという結論が自動的に出てくるはずです。私たちの心より安全で、安らかにお迎えできる所はないというのです。神様の対象の位置に立ち、球形運動をしながら永続できるのが心なので、人間は永生できるのです。

人類が堕落せずに本性の善の父母を通して生まれていれば、「神様がいるかいないか」という論争は必要なかったはずです。赤ん坊がおなかの中でお乳を飲む方法を学んで出てくるのではないのと同じように、人間の先祖の堕落がなかったならば、人間は誰でも自動的に神様を父として侍って暮らすようになっていたのです。

人間の先祖としてつくられたアダムとエバを、神様御自身の実体として立てるために、神様の男性性稟はアダムの心の中に、そして女性性稟はエバの心の中に定着して永生するようになっていたのです。だからといって神様が二つに分かれるのではなく、アダムとエバの心の中に臨在しながら、二性性相の中和的存在として、愛を中心とする統一的存在として永存なさるのです。

しかし、堕落によって人類は、すべてのものを失ってしまいました。忘却の世界へ落ちて、神様がいるかいないかさえも分からない青盲の人になったのです。人類史上、これより悲惨な事件がどこにあるでしょうか。

もし神様に似た人間の先祖アダムとエバが堕落せずに成長し、完成して人類の父母の位置を確保していたならば、人類は、彼らの姿を通して生きていらっしゃる神様の実在をいつでも認知できたはずです。そして、「神様はいる」、「神様はいない」という論争は考えることもできなかったはずです。神様は、人類の真の父母として、永遠に私たちと苦楽を共にされたことでしょう。神様は、私たちの生の中心であり、根になっていたはずです。

私たちが生活の中で、五官を通して直接神様を感じ、神様の実在を知るようになって、初めて本当に神様を知っているということになるのです。言い換えれば、神様の実在を体恤しなければならないということです。

このように、神様の実在を私たちの生活の中で直接体恤して生きるようになれば、私たちは、自動的に神様のみ旨とは何かをその一瞬一瞬で感じ、自ら進んですべてのことに臨むようになり、罪を犯そうとしても犯せない完成した人間の姿になるはずです。そのようになっていれば、無形でいらっしゃる神様は、人間の実体をもって主人的人格と形体を備え、有形世界である地上界の万物万象はもちろん、霊界までも主管されるようになっているのです。このように、神様をはっきりと知ることは、人間の生涯において最も優先的で重要なことなのです。

4. 神様が願われた世界

皆様。人間の生涯について一度考えてみてください。私たちは全員、母親の腹中で最初の生を送ります。腹中を胎児の状態で過ごす十カ月間は、羊水に囲まれたままで過ごす水中生活です。話すことができず、思いどおりに動くことができないからといって、腹中の生活を「生活ではない」と言うことができますか。厳然と天が下さった生命をもって、次の地上界の生活を準備する段階としての生を営むのです。

鼻で息をしないからといって生命力がないのではありません。腹中の胎児としての人間は、次の段階の生活である地上界での生活は想像もできないはずです。母親の腹中を抜け出した世界は、夢にも見ることができないでしょう。へその緒を通して母体からすべての栄養素を供給されて暮らす生活以外には、何も想像できないはずです。

しかし、人間は、時になれば誰でも母親の腹中での生活を清算して、地上界での生活を始めるようになっているのです。自分が願おうと願うまいと宇宙の法則がそのように運行しています。想像もできず、夢にも見ることができなかった広大無辺の新しい世界が広がり、水中生活の一生涯が終わって地上生活の一生涯が展開するのです。腹中生活の十カ月が地上生活の百年に変化して発展するのです。そして人間は、色とりどりの変化無双な生涯を生きていきながら、最終段階である霊界、すなわち死後の世界のために準備する生活を送るようになります。腹中生活の期間中では、地上界の生涯は想像もできなかったように、肉身をもって暮らす人間としては想像もできない永遠無窮な別の世界が私たちを待っています。

5. 霊界生活をあらかじめ準備しなければならない

限定された地上界においての百年の生涯が、時間と空間を超越した永遠の世界へと変貌するのです。腹中ではへその緒を通して母体から栄養を供給されて生き、地上生活の期間は、宇宙の水と空気、そして光の三大基本要素と栄養素を中心として生を営むのですが、一旦霊界に入っていけば、物質的栄養素はそれ以上必要とせずに愛を呼吸しながら永生します。

このように人間は、誰彼を問わず、水中生活十カ月、地上生活百年、そして霊界においての永生、このように三段階の生涯を生きるようになっているのです。これは、私たちが選択したことではなく、天が私たちに下さった祝福であり恩賜です。これより大きな祝福と恩賜がどこにあるでしょうか。

したがって、霊界をよく知らなければならないというのは、霊界の実在だけを漠然と信じて生きなさいという意味ではなく、好きでも嫌いでも、永遠に生きなければならない霊界での生涯のために、私たちが地上界でどのような準備をしなければならないかを知って、徹底的に準備をしなさいということです。

腹中で問題が起きた子女は、生まれても、生涯を不自由な身で生きなければならないように、私たちが短い地上界での生涯の中で、天のみ旨を正しく知らずに罪を犯し、悪を行えば、結局因果応報の宇宙法則により、霊界に行ってその代価を払うようになるのです。言い換えれば、霊界に入っていった霊人体が、言い表せない苦痛と蕩減を払わなければならないという意味です。

一度肉身を脱げばもう遅いのです。肉身は、死ねば一握りの土に戻ってしまいますが、私たちの生命、私たちの心、私たちの心情、そして私たちの希望までも埋められてしまうのでしょうか。絶対にそうではありません。私たちの百年の一生は、神様が設置しておいた「霊人体」というスーパーコンピューターに、間違いなく記録され、撮影されて、自動的に評価されるのです。

それで、誰でも地上界で生を営む間、立ち止まって揺れ動く心と傾く心情を鼓舞し、「あなたはどこに向かうのか」と数えきれないほど自問自答してみるのです。このような諸問題を解決するために、生涯を苦悩して闘っていかれた方たちが、聖人や賢人であり、宗教指導者です。

しかし、その誰一人として明快な解答を提示できずに旅立ちました。彼らの教えが足跡として残り、宗教も生じ、経典も出版され、多くの衆生たちの道案内になっているのも事実ですが、いまだに人類は、一つの心も治めることができずに苦しんでいるというのもまた事実です。

6. 真の愛の真理を明らかにしたレバレンド・ムーン

私は、これまで世界を巡回しながら、数百回以上公開講演を通して天の真理を宣布し、教育してきました。世界のどこに行っても、どのような聴衆の前に立っても、私が必ず彼らに問い掛ける質問があります。それは、「皆様の中で、心と体が闘わない人がいれば、手を挙げてみてください!」という挑戦状のような質問です。しかし、どこの誰も手を挙げる人はいませんでした。

これは何を意味するのでしょうか。いまだに人類は、私たちの先祖であるアダムとエバから伝授された堕落性の奴隷になっており、その束縛から抜け出すことができずにいるという意味です。生涯を断食と禁欲、そして途方もない犠牲の苦難の道を貫いて旅立った聖人、賢人たちの告白がそれを証しています。肉身の欲望を完全に根絶できずに旅立たざるを得なかった彼らの告白は、いまだに地上界で同じ道を踏襲している弟子たちと信徒たちに向かって哀切に訴えているのです。

聖人、賢人の隊列に入る自分たちが、ついぞ悟ることができなかった真の愛の真理を、レバレンド・ムーンが初めて天からもって降りてきたので、その方の教えを絶対的に信じて実践しなければならないと異口同音に叫び宣布しています。

地上界でレバレンド・ムーンに会い、その方を救世主として、メシヤとして、再臨主として、真の父母様として侍って生きることができなかったことを嘆くメッセージが、数限りなく殺到しています。彼らの霊界決議文が世界の随所に響き渡っています。

今から遠からず、すべての宗教人は、彼らの宗主から直接啓示と導きを受けて、レバレンド・ムーンを真の父母として侍って暮らすための民族大移動が行われるはずです。レバレンド・ムーンから心と体を統一する真の愛の真理を学び、愛する父母と子女たちと共に、永遠の幸福を謳歌できる霊界においての生涯を準備するために、真の家庭の道を学ぼうと雲霞のように押し寄せてくるはずです。

神様はいないと主張して、物本主義の祭物として消えていった世界的共産主義者たち、言論人として一つの世代を思いどおりに動かした世界的な知識人たち、そして絶対者の剣を振り回して数え切れないほど無数の生命を犠牲にさせた独裁者や帝王たちまでも、霊界のメッセージと決議文を通して、今レバレンド・ムーンに懺悔の涙で赦しを求めています。

皆様の中で、いまだに霊界の実相をはっきりと信じることができない方たちは、このようにはっきりと伝えてくれる霊界のメッセージまでも半信半疑かもしれません。そのような人たちには、「信じられなければ、今すぐにでも死んでみなさい!」と忠告します。

地を打って痛哭しても二度と戻ってくることができなこであり、百年、千年身もだえしても、地上界で犯した罪は一人ではどうすることもできないので、皆様の先祖も、機会さえあれば、皆様の生涯を協助して自分たちの罪を蕩減しようと涙で皆様の生涯を見守っています。数千、数万の先祖の瞳が、皆様の一挙手一投足を、時には悲しんで泣きながら、時には喜んで注視しているという事実を、このようにはっきりと教えてあげているのに、霊界の実相を信じることができない人がどこにいるというのですか。

7. 神様との一心、一体、一念の境地

貴賓の皆様。このように、神様を明確に知り、生活の中で侍って暮らし、霊界の実在はもちろん、実相までも信じて知れば、私たちの生涯は、高速道路を走る自動車のように簡単で、何の心配もなくなるはずです。運転手が高速道路の法規を守ってハンドルを握り、居眠りさえしなければ、無事に目的地に到達できるように、私たちは、天が下さった良心の指向に従って、一生懸命に生きさえすればよいのです。

ここで私たちの心と体も一つになるのであり、ここで人間完成の花が咲いて実が実るのです。深い山中に入っていったからといって個性完成ができるのではなく、図書館に整然と並んでいる聖書や哲学書を習得したからといって心と体の統一が成就できるのではありません。

神様は、知恵の大王でいらっしゃいます。人間が完成に達する道を遠い所には置きませんでした。私たちと最も近い所、最も秘密で安全な所、正に皆様の良心の中にその道を準備しておいてくださったのです。

皆様。良心は皆様の主人です。皆様の師です。皆様の父母の代わりです。良心は、皆様のすべてのことに対して誰よりも先に知っています。皆様の考えまでも、隅から隅まで知っているのが皆様の良心です。師より、父母より、神様よりも先に知っています。このような良心が、皆様のために一生の間どれほど多くの忠告をしてくれるでしょうか。

昼も夜も、悪いことを考えただけで、「こいつ!」と叱りながら、疲れもせずに皆様を引っ張っていき、川を越え、峠を越えようとどれほど苦労したでしょうか。良心は、いつも真の主人の姿で皆様を保護して助けようとしたのに、いつも裏切った皆様だったのではないでしょうか。天から譲り受けた一つしかない貴い師であるにもかかわらず、この師を徹底して冷遇した皆様の体をどうするつもりですか。

皆様の本然的愛を引き継がせてくれた父母の代わりに送ってくれた良心を、無慈悲に蹂躙した肉身ばかりにしがみつき、その肉身の欲望に捕らわれて無為に歳月を過ごして一生の幕を降ろしますか。それでレバレンド・ムーンも、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成!」という標語を立てて修養の道を開拓したのです。そして、心と体の葛藤を解決できる唯一の道は、「真の愛の道」であることを探し出しました。

心が体のために犠牲を繰り返しながら神様の代わりの立場に立ち、「ために生きる真の愛」を実践するときに、初めて心と体の統一が成就されるのです。

このように、良心が指向する道に従えば、宇宙が皆様の心の中に抱かれてきます。その場では心と対話するようになります。何かをしようと思っただけで、すぐに良心がその答えを見せます。神様が皆様の心の中に臨在された証を見るようになるのです。

このような位置に進んでいった人は、神様と一心、一体、一念の境地に入っていき、一元、一和の世界を成就して生きるようになるのです。その世界が、正に神様が太初にアダムとエバを創造して願われた理想世界であり、地上天国です。

8. 神様と人類の解放、釈放のための一生涯

尊敬する貴賓の皆様。私がこのような途方もない天の秘密を探し出し、人類救済の道を歩み始めて以来、既に八十有余年です。歴史上、空前絶後の苦難と逆境をかき分けてきたかわいそうな男の姿でした。遍在される神様の実在性を証明し、教えてきた道でした。

青盲の人になって一寸先も見ることができなくなった人類の歴史は、哲学者や神学者でさえも、天の真理に対して明確にすることができないまま、神様の胸に恨を植えつけてきたのです。

神様に、ために生きる心、かわいそうに思う心、すなわち真の愛がなければ、復帰摂理歴史は当初から出発することもできなかったはずです。私は、このような神様の内情的心情の世界を知ってから、どれほど多くの日を涙と痛哭で夜を明かしたか分かりません。

御自身の子女として創造し、永遠の真の愛の対象の位置に立てようとした人間の先祖が堕落の道に落ちたのち、数千、数万年の蕩減復帰路程を摂理してこられた神様の恨に満ちた姿を、誰が想像できたでしょうか。哀れで無念な神様であり、爆発するような憤りと恨に満ちていたのが神様の路程でした。

栄光のお父様であり、大王として来られた神様が、その王座と父母の位置を怨讐サタンに奪われました。厳然と生きて役事していらっしゃるのに、「死んだ」と嘲弄され冷遇されても、忍苦の道を歩んでくださり、人間が自ら悟るその日だけを待ち望まれた神様であられます。

ために生きる真の愛を土台として、永遠を前提として創造の摂理をされた神様であられるので、子女が堕落の奈落に落ちるのを目撃しながらも、宇宙を爆発させて最初からやり直すことはできない神様であられたことを、皆様は知らなければなりません。

全知全能の権限で全世界とサタンまでも一度に審判し、粉砕してしまうことができる神様であられ、そのような能力をもっておられる方であられるのに、今まで神様は、孤独単身であらゆる侮辱と讒訴を甘受されながら、自ら進んで監獄生活をしてこられた私たちのお父様でいらっしゃいます。

9. 全人類を教育してきた犠牲的路程

皆様。このような天のお父様の前で、一日でも真の同情と懺悔の涙を流してみたことがありますか。悪魔の血統を受けてサタンの走狗になっている人類を前にして、舌をかんで耐えてくださり、解放と釈放の一日だけを待ち望んでいらっしゃる神様のみ前で、見えないふりをして目を閉じることができますか。

したがってレバレンド・ムーンの生涯は、歴史上誰よりも深刻な命の歴史でした。サタンを罪ある者として審判できる審判主としての個人完成の道を歩まなければならなかったのであり、愛する子女を四人も幼い年齢で霊界に送らなければならず、残った子女さえも荒野に放り投げたまま歩まなければならない、宿命的蕩減復帰の路程でした。

私は、神様を解放、釈放させてさしあげ、その土台の上に人類を解放、釈放させてあげるための救世主であり、真の父母の天命を受けて皆様の前に立ったのです。お金、権勢、名誉や富貴を必要としてきた人ではありません。

雪の降る極寒期に、雪と雨に打たれて三度の食事に飢えながらも、八十年以上の生涯を、朝夕、昼夜を忘れてひたすら一本道、天の道を走ってきた男の生涯でした。肉が裂け、血を吐く拷問室でも、「救ってください」という祈祷をしたのではなく、むしろ、子女の悲惨さを見て嗚咽される神様の心情を、慰労してさしあげるために血の涙を流し、孝子、忠臣、聖人、聖子の道を歩んできた私の人生でした。

父母と故郷山河を捨てたまま、「ために生きる真の愛」で人類救援をすることで貫いた生涯であり、天命に従って命を懸けて天の道を歩まなければならなかった男としての一本道であり、決して妥協を知らず、少しも卑怯なことをせずに生きてきた私の生涯は、この世的な目で見れば、限りなく哀れでもの悲しい一生に見えるかもしれません。

しかし、世の中のいかなる拷問も刑罰も、私に天の道を挫折させることはできませんでした。今まで六回にわたる監獄生活も、子女を探し求める真の父母の道を妨げることはできませんでした。

冷たい監房に座って、軒先から落ちる雨の滴を眺めながら、「あの水滴が、いつしか岩に穴を開けるように、私の目から落ちるこの熱い涙が、必ず恨で凍りついた神様の心を溶かして解放、釈放するその日が来る!」と決意して誓って生きた男の生涯でした。怨讐を実子以上に愛する生涯で六十億の人類を教え導いてきた犠牲的路程でした。

そのような次元で、私は、一九七〇年代初めにいち早くアメリカに入っていき、「私は火を消す消防士として、そして病気を治す医者としてここに来たのである!」と宣言しました。それから三十年以上の月日が流れた今日、人類は、今新しい時代を迎えているという事実を知らなければなりません。ついに天運が地球星に臨んでいます。人類救援のために八十年以上の間、私が流した血と汗と涙の蕩減復帰路程が、今その結実を結び始めたのです。

10. 神様が直接主管される真の愛の炎

二十一世紀の冒頭である二〇〇一年には、「神様王権即位式」を奉呈することによって、ついに神様の解放と釈放の日を迎えるようにしてさしあげたのです。神様の直接主管の時代が開かれ始めたのです。その基台の上に、今年(二〇〇四年)の三月二十二日には、アメリカの首都ワシントンDCの国会上院ビルにおいて、「世界平和王戴冠式」が挙行されました。ユダヤ教、キリスト教、イスラームの世界的な指導者たちとアメリカの国会議員が集まり、満場一致でレバレンド・ムーンを「世界平和王」に推戴する登極式を行ったのです。これをどうして人間業と言うことができるでしょうか。

あの有名なフランスの予言者ノストラダムスが予言し、東洋一の予言書「格菴遺録(キョガムユロク)」にはっきりと記録されているように、レバレンド・ムーンは、天命を受け、宿命的責任を完遂した人類の真の父母であり、平和の王として顕現したのです。そのため、世界随所から、レバレンド・ムーンに従ってこの地上に平和王国を創建する隊列に参加しようとする各界各層の指導者が、波のように押し寄せています。

そして、世界で唯一、民主と共産の対決によって罪のない民族と国土が分断された韓半島はもちろんのこと、今日世界平和を脅かす最も深刻な流血の紛争地になってしまった中東地域でも、今はレバレンド・ムーンの助けがなければ平和は期待できないと告白してきているのです。

11. 全地球星を覆っている真の愛運動

今年、二〇〇四年の四月十日を期して、私は、「天使世界の釈放」、「カイン・アベルの釈放」、さらには「天宙天地天地人父母釈放の日」を宣布しました。そしてきょう、五月一日を期して、「神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」を宣布することによって、神様が全体、全般、全権、全能の権限を実体的に行使できる様々な段階の霊的条件を立てました。

神様の解放、釈放とともに、今はこの地上に、名実共に自由と平和と統一と幸福の世界が広がっています。このような意味で、私が設立した「世界基督数統一神霊協会」の創立五十周年を迎えたきょうは特別な日です。

この席に参加した皆様全員には、天運が共にあります。短い時間ですが、きょうレバレンド・ムーンが教えたとおり、第一に、神様の実在を皮膚で感じて生きること、第二に、霊界の実相をはっきりと知り、地上界での生涯を永遠の霊界での生涯のために徹底的に準備して生きること、第三に、良心を師と思い、神様のように、父母のように侍って暮らせば、皆様は既に天国人になっているということです。

真の愛の炎は、今二十一世紀の春風に乗って地球星全体に燎原の火のように広まっています。怨讐の国の人たちとの交叉祝福結婚が、若者たちの間に新しい信仰として定着していっています。水、空気、光は、隙間さえあれば無条件に入り込んでいくように、今真の愛運動は、全地球星を覆っています。神様の愛、神様の生命、神様の血統を伝授され、この地上に平和の王国を定着させる若い知性ある人たちが眠りから覚めています。

高名でいらっしゃる世界指導者の皆様。皆様も「神の国と神の義」を探し立てなければならない天一国主人の隊列に加わり、与えれば与えるほど大きくなる真理を自ら実践する、真の愛の革命軍となることをお願いします。ありがとうございました。

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第二篇 11 摂理史的終末期と私たちの使命

第二篇 11

摂理史的終末期と私たちの使命

日付:二○○四年十二月十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット・ワードマン・パーク・ホテル

行事:真の父母様世界平和の王戴冠式

世界各国から来られた超宗教・超国家圏を代表する指導者の皆様。きょう、私たちは、まず全員の心を合わせ、万有の真の父母でいらっしゃり、真の愛の主人でいらっしゃる神様に、心からの感謝と栄光をお捧げしましょう。そして、きょうをアメリカの歴史に新しい礎石を置く最も貴い記念日となるようにしましょう。

1. 無節制と放縦に対する警告

半世紀にわたり、人類を焦燥と不安の中に閉じ込め、様々な権謀と術数を動員して天と人間を欺瞞してきた冷戦時代が終わり、今新しい世紀を生きている皆様。果たして、どのくらい安定し幸福な生を営為していらっしゃるでしょうか。

皆様の周囲を一度見渡してみてください。冷戦の桎梏から抜け出た世界の若者たちは、自由を満喫するにとどまらず、無節制な放縦の沼に向かって走っています。神様の創造理想を根本から排斥し、極度の利己的個人主義の傘の下で、フリーセックスの奴隷となって各種の社会悪をつくり出しています。

いわゆる、ゲイ・ムーブメントという旗印を掲げ、同性愛者たちは「同性間の結婚」という到底許し難い蛮行を犯しています。彼らの主張が貫徹した世の中を一度想像してみてください。人類は二代を越えることができずに絶滅するでしょう。

また、天のみ旨から顔をそむけ、淫乱と不道徳の中に墓を掘っている、この時代の邪悪な群れに下された天罰の表象がエイズという難病です。今この時間にも、一日に数千人ずつ、無辜の生命がこの呪いの天疫(天の疫病)に感染し、死亡の道へと落ちていっているではないですか。

「離婚」という疫病、これもまた崇高な家庭の価値を破壊する主犯となり、人類を新しい次元の危機と苦境に陥れています。突然父母と離別し、継父や継母のもとで、甚だしきは孤児院で、幼い心に消すことのできない傷を抱えて生きていく、かわいそうな子女たちに何の罪があるのですか。彼らが奪われた父母の愛は、誰が取り戻してあげることができるのですか。

さらには、宗教間の葛藤によって始まった中東地域の紛争は、各種のテロと殺傷により世界を恐怖のるつぼに追い込んでいます。不幸にも、私の祖国韓半島も、やはりいまだに世界で唯一、国土が両断されたまま、首を長くして統一されるその日を待っているのです。このように、道徳が地に落ち、家庭の価値が完全喪失となった今日の世界を、果たしてどのような方法で救い出すことができるのでしょうか。

2. 真の父母の顕現

指導者の皆様。私は、きょうこの席で、天がこの時代を生きていく人類に下さった、新しい戒律的啓示のみ言を伝えようと思います。「摂理史的終末期と私たちの使命」という題目のみ言です。

人類の最初の先祖であるアダムとエバの堕落は、人類を偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の束縛から抜け出すことができない、呪いと恨の歴史の中に閉じ込めてしまいました。そして、数千、数万年の長い歴史の中で、誰一人として例外なく、サタンの偽りの血統を相続させられ、偽りと罪悪が点綴(てんてつ=点を打ったように物がほどよく散らばること。ひとつひとつをつづり合わせること)する生を営為せざるを得ない人生行路へと転落してしまいました。堕落の後裔である人間の努力だけでは避けることのできない、宿命的路程のようになってしまったのです。

ですから、人類は、誰かがサタンの血統とは無関係の天の血統をもって顕現し、罪悪と偽りの中で苦しむこの堕落世界を救ってくれることを待っています。汚れた醜悪なサタンの血統から解放してくれる真の父母を待ち続けてきたのです。

不幸にも私たち人間は、サタンを父母として生きる野生のオリーブの木の身の上に転落してしまったので、人類の救世主であり、メシヤの使命をもって顕現される真の父母は、数千、数万年放置された野生のオリーブの木を無慈悲に切ってしまい、真のオリーブの木に接ぎ木して人類を真の血統に転換してあげる、超宗教、超国家的次元の革命的な大役事を完成するようになるのです。

だからといって、真の父母は、時と場所を選ばずに、願ったからといってどこにでも顕現するのではありません。長い歳月をかけて展開してこられた天の復帰摂理が、最後の結実を結ぶようになる摂理的終末期になって、初めて顕現されるのです。言い換えれば、天運と共に本然の真の父母時代が到来しなければならないという意味です。

皆様は、天が経綸される摂理の時を知ることができません。天の真の愛と真の生命と真の血統をもって来られた真の父母だけが摂理的な時を知り、そこに合わせて人類救援の摂理を完結されるのです。真の父母だけが全霊界を治められ、四大聖賢たちと善の祖先たちを総動員させ、皆様の永生問題にまで責任をもつことができる権能をもってこられるのです。

指導者の皆様。皆様が知らない間に、人類は、既に天運到来の新しい恩賜圏に進入しています。天の印を受け、人類の真の父母の使命を委任された私は、天と地を懸けて堂々と宣布します。

人類歴史の終末摂理時代を迎え、双合十勝圏の後天開闢時代を広げていく祝福(血統転換)の時代を迎えました。善悪の分別が難しく、悪い者がむしろ豊かに暮らしていくような先天時代の病弊は、これ以上天が看過しないはずです。

したがって、皆様は今、希望をもって天道に従って生きなければなりません。絶対、唯一、不変、永遠を属性としてもっていらっしゃる神様に似て、真の愛を実践する生活を通して人格革命を完遂しなければなりません。この道こそが、私たちが共にこの地上で願い、さらには天が何よりも念願し望んでこられた地上天国、すなわち平和王国をこの地球星の上に創建できる道なのです。

3. 祖国光復の使命

皆様には、祖国光復という言葉が聞き慣れないかもしれません。祖国を失ってみたことがないので、祖国を再び取り戻す必要がないと思われますか。しかし、きょうここで語る「祖国」は、皆様が通常考えているそのような「祖国」ではありません。人間始祖のアダムとエバの堕落によって失ってしまった創造本然の「祖国」、すなわち地上天国を意味するのです。

元来、アダムとエバの堕落がなかったならば、どのような世界になっていたと思いますか。彼らは、神様の祝福結婚を受け、罪のない真の子女を生み、真の父母になっていたでしょう。そして、その家庭は、地上天国を創建する基本核になっていたでしょう。その家庭の子女たちは、神様を中心として三代圏を形成し、この地上に永遠の平和王国を創建する主役になっていたはずです。

さらには、アダムとエバは、三時代圏を代表するアダム氏族、アダム民族、アダム国家の王と王妃になっていたはずです。彼からアダム王国は永遠に存続していたはずであり、その国が正に人類の永遠の祖国、すなわち平和王国になっていたはずです。

しかし、不幸にも人類歴史は、そのように平穏な出発をすることができませんでした。アダムとエバの堕落は、数千、数万年の間、人類を真の父母のいない孤児の身の上に転落させたのであり、祖国を失ってしまったまま、乞食になって流浪する民にしてしまったのです。

神様を縦的な真の父母として侍り、世界万民が一つの家族圏を形成し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たしながら生きていくべきだった人類は、あきれたことに、サタンが植えておいた各種の境界線と国境線の出現によって、ばらばらに分かれてしまいました。

それでは、私たちの真の祖国光復とは何であり、どこから実現されなければならないのでしょうか。祖国光復は祖国創建です。それは、既存の世界から祖国を探し立てるのではありません。堕落と無関係な本然の次元で、国境のない新しい神様の祖国を創建する真の愛の再創造役事です。

したがって、祖国光復は、怨讐までも赦して抱く真の愛の生から始まります。豆を植えれば豆が出て、小豆を植えれば小豆が出ます。復讐するサタンの種を蒔けば、血を見る悪の実が結ばれます。

しかし、怨讐までも赦し抱く真の愛の種を蒔いた所には、善の木が育つのです。これは、少しの誤差もない宇宙の法則です。このように、人類の祖国、すなわち神様の真の祖国は、怨讐を愛する道から訪れてきます。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的次元で怨讐を愛する真の愛、真の生命、真の血統の伝統を立てた道から神様の祖国は訪れてくるのです。

世界の指導者でいらっしゃる皆様の使命は何だと思われますか。サタンの主権が世の中を支配している限り、皆様には国がありません。この地上に約二百の国家がありますが、果たしてどの国が神様のみ旨を成就した、神様と人類の真の祖国になりましたか。人類は、選択の余地なくすべて偽りの血統を受けて生まれたサタンの後裔なのです。

皆様がアメリカの国民であれ日本の国民であれ、あるいはどの国の国民であれ、例外なく皆様の体には、サタンの愛、サタンの生命、サタンの汚れた血がもつれて流れているという事実を知らなければなりません。この汚れた堕落の遺産を皆様の体から除去しない限り、祖国光復の夢は成し遂げることができません。したがって、皆様は、すべて新しい人格革命、すなわち真の愛の革命を完遂しなければならないのです。

4. 真の愛の三大革命

それでは、神様に似るための人格革命を完遂する道はどこから探し出すことができるのでしょうか。人類は、堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔なので、皆様には、真の愛の三大革命を完遂して人格完成を成就しなければならない課題が残っています。それは、蕩減革命、良心革命、心情革命です。

蕩減革命とは、皆様のすべての内的、外的所有権を取り戻し、完全に蕩減されて勝利するばかりでなく、その蕩減圏を超越する基準を立てなさいという意味です。過去、サタン支配圏時代だった先天時代に習得した、個人、家庭、国家時代圏のすべての習慣と思考までも果敢に捨て去る革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいという意味です。

その土台の上に新しい後天時代の生活の座標である絶対価値観的真の愛の理想家庭を実践して完成し、永遠に神様の真の幸福の子女として生きなさいということです。神様の理想家庭での絶対価値観とは、父母、夫婦、子女の三代圏を中心として完成されます。

父母が真の愛の主人の立場に立つことができる道は、子女の出生によって完成されるのであり、夫が真の愛の主人になるのも、結婚して妻を迎えるときに初めて可能になるのです。同じように、兄弟間の関係において、兄を真の愛の主人にしてくれるのは弟なのです。

したがって、主体である人は、自分を真の愛の主人の位置に立たせてくれる相対に対して、ために生き、投入し、その投入したことを忘れ、より大きな目的のために犠牲になる生活をしなければなりません。正にここから永遠不変の絶対的価値観が創出されるのです。このように、家庭の父母、夫婦、子女は、三代圏を形成し、お互いが真の愛の主人を完成させてくれるので、永遠の一体圏を定着させ、神様と共に永遠に共生共存する絶対価値観的生活を営為するようになるのです。

さらに、皆様のすべての財産や外的所有権も、一旦未練なく天のものとして帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別した後に、再び天の祝福によって伝授されなければならない革命的実践過程を通さなければなりません。すなわち、サタンが二度と所有権を主張できない聖別された財産として天の富を積んでいきなさいということです。

良心革命は何を意味するのですか。良心の声に絶対服従しなければならない内的革命です。そして、皆様の中では、いまだに善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑が、絶えず葛藤を続けているという事実を否定することはできないのです。このような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用を明確に知らなければなりません。

そして、良心は、皆様の一挙手一投足を、さらには皆様の考えまでも、一点一画すべて把握しています。皆様の先生より先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。

このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様御自身が呵責を受けるのです。皆様の霊魂にほこりがつき、垢がついて傷が生じるというのです。この傷は、永遠に消すことができずに、そのまま霊界に抱えていかなければならない恐ろしい重荷です。したがって、革命的な次元で御自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて神様のみ前に出ていくその日まで、天意に一体となる生、すなわち汚れなく明るく純粋な霊魂を保つことが至上命令なのです。

皆様、心情革命の意味は何でしょうか。神様は人間を御自身の子女として創造したと既にお話ししました。そうだとすれば、神様と皆様をつないでくれる綱はどのような綱でしょうか。父母と子女間の真の愛であり、真の心情です。父子の間に真の心情が通じなければ、どうして父母と子女が真の愛と真の尊敬の関係を維持できるでしょうか。

数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷となっています。この束縛から抜け出すためには、サタンが最も嫌う、赦して、与えて、犠牲になる真の愛の生活を絶えず継続しなければなりません。そうして、神様の心情的所有権に帰着できなければなりません。

皆様の心情の綱が、いまだにサタン世界の虚栄を追い求める利己的個人主義に結ばれているならば、皆様の将来は暗く、暗澹たる絶望と嘆息の道となるでしょう。しかし、ために生きる生活、すなわち他のために先に譲歩し、与える生産的な生活を送れば、皆様の心情の綱は神様の心情と永遠に一つになるのです。言い換えれば、偽りの父母との心情的因縁を完全に断ち切り、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受けて接ぎ木され、天の真の愛と真の血統を確保しなさいという意味です。

5. 密使の使命

尊敬する指導者の皆様。今まで皆様は、平凡な生活を生きてこられました。しかし今から皆様は、天の密使の使命を果たさなければなりません。個人個人を見れば、大きい小さい、広い狭い、高い低いの差はあるかもしれませんが、今から皆様は、神様から特別に派遣された天の密使として堂々と天の善の血統を固守し、祖国光復の呼び掛けに、天的権威をもって奮然と立ち上がる愛国者にならなければなりません。

密使は、どのような使命を果たす人ですか。祖国創建への望みが現実の望みよりも千倍、万倍強い心をもち、命を捧げても必ずそのみ旨を成し遂げるという悲壮な覚悟で行かなければ、密使の資格はないのです。食べて、寝て、行って、来るすべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。

聖書にも、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三三)とあります。皆様は、「たとえ私の体はサタン世界の圏内に属していたとしても、私は真の血統を受け、祖国光復のために新たに生まれた天の密使だ!」という確信をもっていかなければなりません。

神様は、突然子女を失った父母になり、激しく追われ冷遇される立場で、一度として御自身のみ旨を思う存分繰り広げることができなかった方です。皆様は、このような神様の悲しい心情を推し量ることができる孝子、孝女にならなければなりません。真理を知って、その真理を実践しなければ、どうして指導者と言うことができるでしょうか。

世界の指導者の皆様。皆様は、今日この場になぜ来られたのかをもう一度深く考えてみてください。主催者側の招待を受け、興味半分でクリスマスパーティーでも楽しむためですか。自分の意思であれ、他人の意思であれ、皆様は今、天の召命を受けました。

この場に立ったレバレンド・ムーンが、十六歳の青年の身で突然天命を受け、神様を解放、釈放してさしあげ、人類をサタンの支配下から救い出すために、八十年の生涯を血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様も、今からは超宗教的で超国家的な次元で、人類の和合と平和を安着させる崇高なみ旨、すなわち祖国創建の聖業を完遂させなければなりません。そして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を共通分母として、皆様とレバレンド・ムーンは一つです。したがって、皆様も真の父母となり平和の王にならなければなりません。

今こそ、私たち全員の祖国、さらには天の祖国を建てることができる天運が、私たちと共にあります。その祖国には主権がなければならず、その祖国には国土が必要であり、その祖国には民が満ちあふれていなければなりません。そして、その祖国には、天の善の血統が力強く広がっていなければなりません。ほかのどこにも見いだすことができない摂理史の鼓動が脈打っていなければなりません。

このような祖国を創建するのに、躊躇する皆様になるのですか。必ず生きて天の密使としての使命を完遂してください。永生を約束される先覚者の生を営為してください。

6. 後悔のない生き甲斐ある人生を生きよう

皆様。私は、最近「蒙古斑同族圏世界平和連合」を創設し、全世界に広がっている蒙古斑同族を糾合する運動を出発させました。決して新しい民族主義運動を始めようということではありません。歴史的にアダム家庭での失敗を蕩減復帰した立場であるアダムとノア家庭の長子の血統、すなわちカインとセム族の後裔として、摂理の結実期を迎えて人類の長子たる使命を呼び起こす総体的平和運動です。

そして、堕落によってアダム家庭でアベルを失い、百三十年目にセツを再び探し立てた神様の悲痛な心情を、慰労してさしあげることができる長子圏を立てるための運動です。言い換えれば、一つの兄弟、一つの家族となり、お互いに心の壁を崩し、国家間の国境を除去し、共に暮らそうという共生共栄共義社会の実現運動です。神様の祖国創建を早める摂理的召命です。

このように、途方もない摂理的時を悟らせてくださり、天的王権を立てるための栄光の密使の使命まで賦与してくださった神様と真の父母様に、私たちは感謝と栄光をお返ししなければなりません。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放、釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、感謝と称賛と栄光を永遠に捧げる平和の王戴冠式を奉呈してさしあげなければなりません。

今、あの東方の天に燦々と昇ってくる太陽と共に、天運が全世界を照らしています。数千、数万年の間、覆われていた闇の幕が取り除かれつつあります。皆様の胸の中には、既に天意を完成させようという天命が根を下ろしています。避けられない宿命の道です。勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる後天時代が私たちと共にあります。

レバレンド・ムーンも皆様も、例外なくいつかは霊界に入っていくでしょう。生命を捧げて祖国光復の聖業を達成し、神様の創造理想である平和王国をこの地球星の上に必ず創建しなければならないという悲壮な覚悟をしなければなりません。

きょう受けた天命を胸の中に深く刻印され、今からは、神様から相続された祖国の主人として、どうか後悔を残さない美しく生き甲斐のある生活を送ることを誓ってくださることを望みます。これが今日、私が皆様にお伝えする新しい時代の神様のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の密使的使命の上に永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。

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第二篇 12 本然の創造理想圏とカイン・アベル圏復帰完成完結

第二篇 12

本然の創造理想圏とカイン・アベル圏復帰完成完結

日付:二〇〇五年二月十四日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天宙清平修錬苑

行事:天地人真の父母様御聖誕記念式および天宙統一平和の王戴冠式

世界各地からいらっしゃった尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。歴史の大転換期である天一国五年の明るい太陽は、この時間にも、私たち人間はもちろん、森羅万象の生命と愛を花咲かせてくれています。すべてが神様の恩寵であり祝福です。

皆様。私は、過去八十年以上の生涯を神様のみ旨に仕え、人類救援の生で貫いてきました。一万回以上の大衆講演を行い、真理のみ言の伝播を私の生の目的として生きてきました。私たちが歴史を観察して理解するためには、歴史的人物と事件を観察して分析する一般的な方法である横的な方法と、摂理的な視角から光を当てる縦的な方法があります。

1. 空前絶後の天宙統一戴冠式

きょう皆様は、歴史上空前絶後の「天宙統一戴冠式」に参席しました。歴史は、きょうを永遠に記憶することでしょう。この貴い日を記念する意味で、そして、二〇〇五年から二〇〇八年まで続く、天一国摂理の第二次四年路程を出発する恩賜圏内に生きている私たちが、この時代に必ず理解して実践躬行すべき天理を皆様にお伝えしようと思います。「本然の創造理想圏とカイン・アベル圏復帰完成完結」という題目です。

皆様。本来、人間始祖のアダムとエバが堕落せずに完成、完結し、神様と心情一体圏を形成していたならば、彼らは、神様だけに相対して生きる絶対対象的子女の立場に立つようになっていました。しかし、彼らは、堕落を通してサタンと血縁関係が結ばれることによって、サタンにも相対しなければならない立場に転落してしまったのです。すなわち、堕落直後、いまだ原罪だけがあり、ほかのいかなる善行も悪行もしていなかったアダムとエバは、神様にも相対することができ、サタンにも相対することができる中間位置に立つようになったのです。したがって、神様は、このような中間位置に立っているアダム家庭をサタンから分立される作業を、堕落したアダムの子女たちとその子孫たちを中心として展開されたのです。アダムの三人の息子のうち、長子のカインは堕落した順序にしたがってサタン側に立て、次子のアベルを天の側に立てて蕩減復帰を通じた救援摂理を進められたのです。

サタンが血統的な因縁をもって堕落したアダムとエバに相対していたので、このように分立させて、彼らが自ら蕩減条件を立てるようにしなければ、天の側に復帰させることができなかったからです。またサタンも、本来人間の創造主は神様でいらっしゃることを知っていたので、堕落人間自身に再びサタンが侵犯できる何らかの条件が成立しない限り、彼らを勝手に扱うことはできない立場でした。

このように、神様とサタンの間には、真の愛の血統復帰を懸けて見えない条件的闘争が起き、正にアダム家庭からカイン・アベルを中心として歴史を通して実体的に展開されたのです。しかし、聖書を見れば、不幸にも、長子カインが次子アベルに自然屈伏する代わりに、彼を殺害するという結果に終わってしまいました。御自身が天理原則として立てた本然の真の愛の心情を中心として創造された子女たちを、サタンに奪われてしまった神様の心情が、どれほど悲痛で胸痛むものだったかを、皆様は想像することもできないでしょう。子々孫々、永遠に伝授されるべき天の血統が崩れていった瞬間だったのです。

神様は、アダムとエバを御自身の子女として創造され、彼らが完成すれば、真の愛の道理を立てるための祝福結婚をしてあげ、御自身だけが対し愛することができる家庭を待ち望んでいらっしゃったのです。しかし、二代のアダムとエバはもちろん、三代の孫と孫娘を真の愛で抱いてみることができなかったことが、歴史的な神様の恨として残されてきました。アダム家庭が神様を中心として三代圏を完成していたならば、人間の堕落や、数千、数万年間、人類歴史を踏みにじって籠絡してきたサタンの存在さえも現れなかったでしょう。

2. 人類歴史の悲劇の原点

人類は、神様を中心として、三代を形成して暮らす一つの家庭の姿になっていたはずです。しかし、創造原則に基づいて、天が責任分担として下さった条件的で限定的な責任を、結局アダム家庭において、二代から三代にわたって失敗してしまったのです。人類歴史の悲劇の始原が正にここにあったのです。だからといって、神様は、御自身の創造理想を放棄することはできませんでした。原理と原則と法度の主人でいらっしゃる神様は、サタンが奪っていった子女たちを何としてでも再び取り戻してくるために、蕩減復帰摂理歴史を展開してこられたのです。アダム家庭で失ってしまった三代圏をそのまま放棄すれば、御自身の創造摂理を放棄してしまう立場に立つので、神様は、カインがアベルを殺害したのちに百三十年お待ちになり、再びアダムの三番目の息子のセツを中心人物として立てられたのです。

したがって、セツは、長子権を取り戻さなければならなかったアベルの責任はもちろん、その血統までも復帰して立てなければなりませんでした。このように天は、セツの血統の子孫たちをしてふさわしい蕩減条件を立てるようにされながら、サタン分立の復帰摂理を展開してこられました。このように、最初から神様の創造理想を踏みにじり、人類の真の父母であり、真の師であり、真の主人として絶対的権限をもって天宙を統治すべき神様を、歴史の裏道へと追いやってしまったアダム家庭のカイン・アベルを中心とする善悪分立の役事は、摂理的に人類歴史にどのような影響を及ぼし、今日、天一国五年を出発している私たちにはどのような意味をもっているのかを知らなければなりません。

神様は、真の愛の主人としてすべての創造物の表題である絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準の上で、人間を御自身の子女として創造されました。絶対肯定の立場で絶対投入をされたのが神様の創造歴史です。対象である人間が主体である天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従を捧げなければならない論理が、正にここから創出されるのです。悪の側を代表するカインと善の側を代表するアベルの関係も同様です。対象の立場であるカインは、絶対的基準でアベルを通して天のみ前に出ていかなければならないのが天理です。アベルを、父であり、主人であり、師として侍らなければなりません。

一方、アベルの立場は、神様のように絶対信仰、絶対愛、絶対服従を通して、カインを子女のように抱き、愛し、人格的に信じて尊敬される位置で、カインをして自然屈伏させるようにしなければなりません。摂理歴史の中に現れた数多くのカイン・アベルの関係において、このような天理の法度を守ることができないときには、葛藤と戦争の中で血を流す歴史が継続したのであり、そのたびに摂理は延長せざるを得ない受難を経てきたのです。数千年の人類歴史を通して見せてくれた生きた証です。

摂理史に現れた事件の一つ一つをすべて列挙することはできませんが、アダム家庭においてセツを立て、血統復帰を通して長子権復帰を完成しようとした摂理は、再び千六百年という長い年月を経てノアを中心人物として立て、彼の家庭を通してアダム家庭の失敗を蕩減復帰しようとする摂理が展開しました。しかし、アベルの立場に立っていた二番目の息子ハムの失敗によって、ノア家庭を中心とする蕩減復帰摂理もやはり失敗に終わってしまったのです。その後、天は再び四百年を待ち、サタン世界の象徴である偶像商テラの長子アブラハムを呼び立て、長子権復帰と血統復帰の条件的役事を展開されました。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の横的な三代圏を、再び縦的にアブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたって展開した復帰摂理歴史が、ジプシーのような荒野路程でサタン分立圏を勝利したヤコブによって、ついに長子権復帰と血統復帰の条件が立てられました。

その勝利的基盤の上に、ヤコブは天使との闘いに勝利し、ついに「イスラエル」という天の祝福まで受けるようになったのです。エサウとヤコブの関係はカインとアベルの立場だったのであり、ヤコブの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原則的道理と母子協助の勝利的条件を通して、ついに父イサクはもちろん、兄のエサウを自然屈伏させ、長子権を奪還したのです。

イエス様を中心として展開された復帰摂理歴史を見ても、この点は明確です。ヤコブ家庭において、ヤコブの天の側の妻ラケルの実子であるヨセフが先にエジプトに入っていって蕩減路程を勝利し、カイン的立場である十一人の兄弟を自然屈伏させ、アベルの勝利的位置を確保しました。その時、もしエジプトの総理大臣だったヨセフが、ヤコブの家族と共にエサウの家族まですべてエジプトに移住させていたならば、イスラエル民族は、モーセに従って歩んでいかなければならなかった四十年の荒野路程はもちろん、歴史的なカイン・アベルの闘争にも終止符を打つことができました。

ヤコブ家庭の勝利的基盤の血統を受け継いで、ついにイエス様が顕現されました。アダムとエバの堕落後、数千年を準備して探し立てた北朝十支派の北イスラエルと南朝二支派の南ユダが、再び内外でカインとアベルの関係でした。実体のメシヤを迎えるための環境創造の一環として、政治圏を代表するカイン的立場にイスラエルを立てられたのであり、宗教圏を代表するアベル的立場にユダヤ教を立てられました。

洗礼ヨハネとイエス様の関係もまたカイン・アベルの関係でした。四千年復帰摂理の道しるべとして下さった旧約の教えを明確に悟ってさえいれば、イスラエルとユダヤ教は内的外的に一つになり、洗礼ヨハネを先頭に立ててイエス様を王の王、真の父母としてお迎えし、神様の創造理想である地上天国をイエス様の当代に創建していたでしょう。さらには、洗礼ヨハネがカインの立場を明確に理解して、カインとしての責任をすべて果たしていれば、イエス様がどうして十字架の露として消えることがあったでしょうか。天が直接啓示を与え、幻で見せてあげ、イエス様が自分の主人であり、アベルであることを悟らせてくださったにもかかわらず、洗礼ヨハネは、とうとう絶対信仰、絶対愛、絶対服従の峠を越えることができませんでした。

3. 後のアダムとして来られたイエス様

神様から祝副結婚を受けて真の家庭をつくり、永遠に天の真の血統、すなわち純潔、純血、純愛、純和の血統を伝授する真の人類の先祖が、後のアダムとして来られたイエス様の家庭を中心として出発していなければならなかったのです。しかし、ここでも神様は再び悲痛で惨憺たる立場に落ちてしまいました。失ってしまったアダムの位置に、御自身のひとり子であるイエス様を後のアダムの印を押して送られ、彼を通して四千年復帰摂理歴史を完結しようとされた神様のみ旨が、再び挫折する瞬間だったのです。歴史の中心軸として立てたその中心が、再び根こそぎ抜かれていったのです。

この時点において、天の復帰摂理は、加速度がつき始めました。だからといって、御自身が創造原則として立てられた原理原則の軌道を外れた変則摂理を運行することはできないのです。したがって、人類の永遠のアベルとなっているべきイエス様を失った神様は、再び二千年という長い歴史路程を経てこられながら、これ以上失敗があり得ない環境条件を準備され、その基盤の上に、ついに再臨主の印を押してレバレンド・ムーンを送られたのです。かといって、私の生涯は決して平坦なコースではありませんでした。全知全能であられる神様の心情まで蹂躙するほどに、凶悪で悪賢いサタンです。過去八十年以上の私の生涯は、文字どおり波瀾万丈な生の連続でした。アダム家庭から始まったカイン・アベルの葛藤と闘争は、ついに世界的次元の共産と民主の闘争へと飛び火した二十世紀の転換期を、私は、摂理的に必要なすべての段階の蕩減条件を立てて勝利しました。

その基盤の上で、ついにアベル支配圏の真の愛時代である天一国時代が宣布されたのであり、去る二〇〇一年には、神様の王権を即位させてさしあげました。その勝利的基盤の上に、二〇〇三年には、エルサレムで第一イスラエル圏を代表する平和の王としてイエス様を即位させてさしあげました。そして、二〇〇四年に入ると人類の真の父母の資格で、私が第二イスラエル格であるアメリカと第三イスラエル格である韓国で、そして、世界的次元の超宗教、超国家の平和の王として登極する戴冠式と即位式をもちました。

このような一連の摂理的な勝利基盤の上に、六十億の人類は、二〇〇五年から天一国創建の長成級である第二段階に差し掛かり、入籍摂理を完結するための血統転換、所有権転換、そして心情圏相続の三大目標完成のために総進軍命令を受けました。主人が剣を首に当てるその瞬間までもおとなしく従う羊のように、私たちは、絶対服従を通して私たちの永遠のアベルであり、実体の平和の王であられる真の父母様に命を捧げ、全体カイン圏を代表する責任と道理を果たさなければなりません。

皆様は、摂理歴史上、今日皆様が立っている位置が果たしてどのような位置なのか、とても気になっていらっしゃるでしょう。人間的な目では見ることができない大転換期の一時です。特に、二〇〇〇年代に入り、天の摂理は、とてつもない速度で完結摂理に向かって突き進んでいます。

これまで、多くの組織と団体が摂理を促進させる機関として創設されました。その中でも、私が近来に創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連」は、サタン圏を包容してアベル的立場に立ち、カイン格である「蒙古斑同族世界平和連合」とサタン圏を解放させて統一世界を形成し、人類歴史にこれ以上カイン・アベル間の葛藤と闘争が点綴(てんてつ)することがないように、責任を果たさなければならない位置に立っています。世界宗教圏を代表するアメリカはアベルの立場に立って、カイン的な国連を愛して一つになり、人類救援の責任を果たす国家にならなければなりません。

皆様。私たちの究極的なアベルは真の父母であられます。アベルの位置は、天が定めてくださる位置であり、したがって死んでも離れることができない宿命の位置です。自分は死ぬとしても、真の愛の種を植えてから逝かなければならない位置です。天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければならない位置です。その道が、逆にカインを自然屈伏させる道になっていたからです。無形の神様の実体として顕現された真の父母様を縦的な軸、すなわち永遠のアベルとして侍って暮らす生が、私たち人間が歩むべき宿命的路程です。真の父母は、人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、地上天上天国の平和の王であられます。したがって、神様が太初から創造理想として願ってこられた理想天国は、すなわち私たちが願う真の父母を中心とする地上天上天国であり、平和の中心的王国であり、二〇〇五年とともに人類に開いてくださった後天世界の完成です。数千、数万年間、人類を様々な理由と名分をつけて分けていたすべての垣根と国境線を撤廃し、超宗教超国家次元で全人類を一つの家族として結び、真の父母様を真の師、真の王として侍って暮らす解放と釈放の世界です。

このような途方もない天の祝福圏内に暮らす皆様は、今から何よりも自身の生を徹底して整備し、準備しなければなりません。まずは個々人を中心として、心と体の絶対的一致圏を探し立て、汚れなく明るくきれいに輝く個性真理体を完成しなければなりません。これ以上蕩減が必要ない生、すなわち蕩減革命を完遂しなければなりません。永遠にわたって、良心の前に一点の恥ずかしさもない生、すなわち良心革命を勝利しなければなりません。ために生きる真の愛の生を実践躬行し、真の父母様と全人類に心情的な負債を負わずに暮らす生、すなわち心情革命を完成しなければなりません。

その次には、皆様の家庭で天国を築いて暮らさなければなりません。家庭は愛の王宮です。その家庭において、四大心情圏と三大王権を完成しなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭も、その家庭が基礎となって輩出されます。神様の心情を体恤できる最高の場が、正に家庭です。夫婦間の幸福と未来を約束してくれる所もやはり家庭です。皆様の先祖が再臨し、皆様を天の道へと導いてくれる所もまた家庭です。家庭は真の愛の花です。その花に実を結ばせてくれる所です。

4. 真の父母に侍って生きる新天新地の世界

皆様。今からの皆様の人生は、単純な人生ではありません。いつ、どこで、何をしても、皆様には数百数千の先祖たちが共にあるのです。地上で真の父母に侍ってみることができなかったことが恨となっている彼らは、地上の子孫たちを兄弟の立場でアベルとして侍り、協助し、皆様を通して実体的に真の父母に侍る生活を、今後四年間するようになります。このような条件を通して、彼らも皆様と共に天国に入城しようとするのです。したがって、六十億の人類はだませても、皆様の先祖たちはだますことができません。善悪の基準において、皆様の人生は徹底して分析され、賞罰が決定されるでしょう。炎のような瞳で皆様の一挙手一投足を見守り、皆様と喜怒哀楽を共にする皆様の善の先祖たちを、これ以上悲しませないでください。今年から四年間は、皆様の善の先祖たちはもちろん、四大聖人、そして霊界のすべての善霊たちが総動員再臨完成し、地上天国、すなわち天一国の完成のために総力を注ぐようになる深刻な時です。

私たちの人生の中で、上下、前後、左右で、神様を中心として創造前からの表題だった絶対信仰、絶対愛、絶対服従的なカインとアベルの責任を果たして一つになり、包容と許しと愛の道理を果たせば、後天時代は、文字どおり真の父母様をお迎えした太平聖代の平和王国となるでしょう。

私たちはみな、今からこの貴い天のメッセージの種蒔きをするために出発しなければなりません。真の生命と真の愛の種を蒔くために出発する新しい創造主と、その家庭の代身者としての道を出発しなければなりません。世の中の虚栄と不道徳に便乗し、風の吹く虚空に種を蒔く愚かな人にならず、最も謙遜で低い所を訪ね、つまり、堆肥が埋まってよく肥えた地の奥深い所に種を埋めるために出発しなければなりません。

人種の壁を崩し、国境を撤廃し、超宗教超国家的次元の交叉結婚の実を収穫し、神様の真の血統を永遠に保存させる大役事を起こしましょう。蒙古斑同族圏は、交叉祝福結婚の摂理を通して、永遠な神様の真の愛の蒙古斑血統圏を中心とする血族に昇華させなければなりません。

ソドムの城を離れたロトの妻は、天の命令を無視して後ろを振り返った瞬間、塩の柱になってしまいました。皆様は、きょう天命を受けました。昔も今も天命は、祝福と審判という二つの側面をもつ諸刃の剣です。選択は皆様のものです。明確なことは、きょう私が皆様全員にこの途方もない天の秘密を明らかにしてあげたということであり、皆様が受けた天命は、二度と後戻りできない弓から放たれた矢だという点です。これ以上折衷や妥協はありません。ただ摂理の完成完結だけが決勝点で待っています。

太初にアダム家庭において失ってしまった神様の家族三代を、私たちの手で取り戻しましょう。これ以上カイン・アベルの闘争がなく、真の愛で満ちた新天新地の世界、私たち全員が一つの家族を形成して暮らす平和王国を、私たちの時代にこの地上に完成し、真の父母様に侍って暮らす永遠の平和王国の生を誓いましょう。ありがとうございました。

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第二篇 13 真の神様の祖国光復

第二篇 13

真の神様の祖国光復

日付:二〇〇五年三月四日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天宙清平修錬苑

行事:天一国定着実現のための前進大会

愛する祝福家庭の皆様。今日皆様は、二〇〇五年の意義深い摂理的時代を迎え、「天宙統一平和の王戴冠即位式」を勝利された天地人真の父母様に直接侍り、新天新地の世界を開いています。そして、全霊界の協助を受け、神様の創造理想世界である地上天上天国、すなわち平和世界創建のための役軍として召命され、この場に駆けつけてきました。

私は、きょうこの意義深い二〇〇五年三月を迎え、平和王国の本殿聖地であるここ天城旺臨宮殿において、神様が何よりも願ってこられた「真の神様の祖国光復」という題目で、この時代に皆様が必ず知って実践すべき天のメッセージを伝えようと思います。訪れてきた新春とともに、皆様もきょう心の門を大きく開き、後天時代の春を迎える意義深い日としてくださることをお願いいたします。

1. 神の国と神の義を求めなければならない

皆様。今日この地上に生きている人間たちは、神様が予告された神の国と神の義を求めることができずにいます。それで、神の国と神の義を求めることが今日の私たち人類の希望であり、今まで数千年の歴史過程を生きていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。

それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残るようになったのでしょうか。それは人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となることができる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場に置かれるようになりました。堕落によって天の血統を喪失し、代わりにサタンの血統を受けたサタンの子女となってしまったからです。

すなわち、神の国と神の義の中心である真の父と真の家庭、そしてその真の国家に対して無知な人間に転落してしまったので、神様は、このような無知な民と人類を目覚めさせ、その真の父と真の家庭と真の国家がどのようなものかを教えてあげるために、今まで歴史路程において苦労してこられました。それで、神の国と神の義を探し立てることが、今でも私たちの希望であり、目標として残るようになったのです。

皆様。この世界には、現在約二百の国家が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から「私の祖国」だと本当に愛を受ける国は一つもないのです。ですから、このような堕落世界を徹底して否認し、新しい神の国を再び創造しなければならないというのが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的です。

それで、神様は、歴史を通して御自身の国を取り戻す摂理をしてこられたというのです。その国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とする真の国家が存在しなければなりません。したがって、神様は、ある一時を迎えて御自身の特定の国を取り戻されるのです。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とする摂理歴史でした。

2. 私たちが願う国

皆様が願う神の国はどのような国ですか。神の国は、今日皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がないのです。

国がなければ国籍をもつことができません。国がなければ、入籍できる基盤がないのです。ですから、私たちがすべきことは、神の国を取り戻すことです。

国があってこそ、私たちの千秋万代の子孫にそっくりそのまま残してあげられる伝統も残り、私たちが血と汗を流したすべての努力も残り、天の苦労を祝賀できる記念塔がこの地上にでき、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべてが徒労に終わるのです。

ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題だということを知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受けることができる国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子になり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を常にもって暮らさなければなりません。

私たちが訪ねていくべき道は本当に行きたいと思う道であり、私たちが成し遂げるべき国は、永遠に、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちがもつべき財物は、天宙的なものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。心で理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。皆様にそのような国がありますか。ないので、その国を探し立てなければならないではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国、平和の国です。六十億の人類が一つの家族となって共に暮らす国です。それは、天宙統一平和の王を私たちの真の主人、真の師、真の王として侍り、永遠の太平聖代を謳歌する平和の王国を意味するのです。

ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するでしょう。霊界までも総動員され、五大聖賢はもちろん、皆様の善の先祖たちも皆様の一挙手一投足を見守りながら協助するでしょう。そして、心と体の統一を土台として、一人の個人を統一することができ、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで統一することができるのです。

3. 天のみ旨は地上で成し遂げなければならない

神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければならないのです。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、彼らを神様がすべて子女として主管できるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨だということは間違いありません。

もし、地上で国家を復帰することを自分の生涯で果たすことができずに死ぬ場合、皆様は霊界に行っても、天の国に属した真の人としての価値をもつことができなくなります。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければならないのです。それが本来の神様の創造基準だからです。

皆様。私は今まで一生の間、世上のことには関心がない生活をしてきました。「神様が保護できるその国で死ななければならないではないか。私がそのように生きて逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。したがって、死ぬ前に神の国を取り戻し、たった一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが、私の生涯の願いとなりました。

そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいます。皆様は休んでも、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動員してでもやらなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行くべき道です。

このように天一国時代を結実させていく天の道には、失敗はあり得ません。これ以上サタンの妨害による折衝や延期、延長もあり得ません。完全完結の摂理は、文字どおり私の生涯において摂理の総体的完結を見せ、神様の創造理想である平和王国を完成しなければならない大団円の摂理です。

したがって、国のない者はいつでも攻撃を受けるようになります。かわいそうな立場に立つようになります。あっけなく倒される場合がいくらでもあります。ですから、神様が願う国がどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国をどこで見いだすのかということが問題です。

私たちがこの国この民族のために血と汗を流すのは、結局永遠の天の国を成し遂げるためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福祉国家を成し遂げるためです。その国は、神様を中心とする直系血統の子女たちが、天命に従い、すなわち神様を身代わりする命令と王権をもって治めるそのような国であることは間違いありません。

そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。このようなことを考えるとき、皆様自身がそのような国の民になれなかったという事実が無念なことではないかというのです。そのような一つの国をもてなかったことを嘆息しなければなりません。皆様自身がそのような国で暮らすことができないことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権を探し立てられなかったことを、私たちは悔い改めなければならないのです。

そのような主権と国と国土を立てるために、神様は、人類歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程において数多くの人が死に、数多くの民が犠牲となり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきた事実を私たちは知っています。

そのように犠牲になった数多くの人々の中で、天の側にいる人たち、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての恨多き霊人たちは、いつかそのような一つの国、そのような世界が立てられることを願っているというのは間違いないことです。人類始祖が堕落したのち、歴史は神様が主管されたのではなく、サタンが主管するようになったことを私たちは知っています。しかし、本来神様がこの世の主人にならなければなりませんでした。

神様と愛の関係を結んだ直系血統の子女、その子女によって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管できる世界、神様が主管できる国、神様が主管できる家庭、神様が主管できる個人になっていたはずです。

ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界だということを知らなければなりません。

したがって、この世界をこのまま放置しておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な真の愛の世界を成し遂げることができず、そして、絶対者でいらっしゃる神様は、本来意図された創造理想を実現させてこそ本来の権威を取り戻すことができるので、その位置を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の真の世界へ導いてこられるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。

ところが、この地には今、約二百の堕落主権の国が散在し、あたかも国家展示館をほうふつさせていますが、神様が願われた神の国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることができる神の国を立てるために、人間が知らないところで歴史を通して時代を摂理してこられました。一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管することを希望としてアダムを造り、また完成に向けて育てていきました。

しかし、アダム一人の堕落によって歴史は四分五裂してしまいました。これを収拾し連結させていくのが救援摂理歴史です。アダムはすべての人間の先祖なので、アダム一人を失ってしまうことは全体を失ってしまうことと同じです。

したがって、これを再び立てなければならないのであり、再び立てられるその一人の方は、サタン世界の氏族と民族と国にまでもとらわれることのない人でなければなりません。神様のみ旨のためには、命までも差し出す真の人でなければなりません。

4. 摂理史の中心人物とイエス様

皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通の目的をもっています。その代表として、皆様もよく御存じのキリスト教の歴史を一度例に挙げて見てみましょう。

ノアは、民族的な環境に身を置いていても、そこに属することを願わなかったのであり、国に属していましたが、その国にとらわれず、自分の希望の国を訪ねていきました。希望の国を探し立てるために、彼はあらゆる試練と逆境を経ていかなければなりませんでした。

ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨の国を追求してきました。ノアに願った神様の希望は、神の国と神の義を求めて個人的環境を屈服させていくことでした。彼が、春夏秋冬の一日も休まず百二十年の試練過程を越える、その苦衷はどれほどのものだったでしょうか。

家族までも彼を捨てましたが、ノアはあらゆる反対の矢も受け止めて百二十年を耐え抜きました。神の国と神の義を求めることよりも食べたり飲んだりすることを優先すれば、あとですべての蕩減を受けなければならないという原則をノアは、あまりにもよく知っていたのです。

アブラハムは、カルデヤのウルを出てハランに住んでいましたが、神様の啓示を無条件に信じて服従する心をもってそこに向かっていきました。サラもまた、パロ王に引っ張られていっても決してアブラハムを恨んだり、背信したりしませんでした。このように、希望の国に向かっていく彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せてきても変わることがありませんでした。

ヤコブを見てください。彼は自分に与えられた祝福には希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を曲げることができなかったのです。このようにみ旨は、個人、家庭、氏族へと広げられ、私たちの先覚者たちは、次第に世界的な希望を掲げて進んでいったのです。

イエス様の生涯はどうだったでしょうか。彼はユダヤ民族の不信とイスラエルの迫害によって流浪する境遇になり、結局、十字架の祭物として消えることによって、霊肉ともの希望を成し遂げることができませんでした。

しかし、メシヤは天と地のすべての障壁を崩し、一つに統一された国を探し立てなければならない使命をもってこられる方です。この堕落した地を中心として構成された理念国家は滅んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨なのです。

アダムを中心として願われた神様の希望は、アダムの個体にだけとどまるのではなく、アダムを中心とする家庭と氏族と民族と国家と世界を成し遂げることでした。メシヤが何よりも成し遂げようとし、目的としていた国が、イスラエルの不信によって崩れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があります。その方には、アダムを完成させ、アダムを中心とする家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるというのです。

神様が歴史を通し、時に合わせて中心人物を地上に送り、絶対的な一つの国家を立てることを進めてきましたが、いつも彼らは失敗しました。そのたびに再び義人を探し立て、そのことを営為させ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの復帰摂理歴史だったのです。

したがって私たちは、神様が私個人を犠牲にしたとしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしたとしても感謝できなければなりません。そのような私とそのような国が現れてこそ、新しい世界は収拾されるのです。しかし、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界の犠牲まで、再び継続するのです。

5. 私たちの使命

皆様。今日皆様がこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。国と世界を愛するためです。神様が今まで摂理されてきた目的も、その国と世界を愛するためです。主権のない国の民は悲惨です。

それで、イエス様が心配して話されたことは、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一~三三)とおっしゃったのです。

神様は、堕落した人間の前に、神様を身代わりする一つの実体として、天の血統を代表できる方として、イエス様をこの地上に送られました。すなわち、イエス様は、この地上に初めて神様の歴史的希望を成就してさしあげるためにこられた方だったのです。四千年目に初めてそのような立場に立てられた息子として、ユダヤ教を中心としてヨセフ家庭を通して現れた真の種としてこの地上に立てられたその方が、正にイエス様でした。しかし、このときサタン側は、既に国家を立てて天の側を攻撃していたので、天の側でも完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。それで神様は、悪の世界で一つの国を編成するために四千年間苦労されたのです。

皆様。イエス様は、国を求めてこの地上に来られました。一つの国を求めて来られたというのです。しかし、イエス様は、天が長い間苦労して準備したイスラエルとユダヤ民族の不信によって、神の国を霊肉共に取り戻すことができず、霊的にだけ取り戻されたのです。ですから、今日のキリスト教は、今もこの地上に実体の国がないのです。

これは、神様がこの地上のどの国、どの民族に対しても、「愛する私の祖国、私の愛する民族」と呼べないことを意味します。まだ神の国の基盤がこの地に立てられていないことを示しています。

それで、今までキリスト教徒たちは、国がなく主権のない民のような立場に落ち、どこに行っても殺されたのです。殉教の血を流すことによって発展したのです。そのように植えたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ発展できなかったからです。

しかし、もう血を流して迫害されていた時期は終わりました。それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基準を中心として、失ってしまった実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち望んできたのが正に再臨思想です。

愛する祝福家庭の皆様。今では、人類も後天時代に差し掛かり、新しい天運を受けています。その多くの不信と背信の渦の中で苦しんできたこの地球星にも、今、新天新地が開かれています。二〇〇五年の暖かい春が近づいてきているのです。すべての祝福家庭が奮然と立ち上がるべき時が来ました。

天一国創建のための縦的アベルの位置に「世界平和超宗教超国家連合」を立て、世界人口の七〇パーセント以上を含む蒙古斑同族を、祝福結婚を通して蒙古斑血族として連結し、横的カイン圏として立てることによって、六十億の人類を一つの家族にする摂理的責任を、私たち祝福家庭が完遂すべき時が来ました。人種間の垣根、宗教間の壁、そして国家間の国境線もきれいに崩してしまわなければなりません。

神様は、今、救世主、メシヤ、再臨主、王の中の王、すなわち平和の王であり、人類の真の父母である私に全権を伝授してくださいました。人種と国家、そして宗教を超越し、人類を一つの大家族として連結する唯一の方法は、交叉祝福結婚の道しかありません。きのうの怨讐がきょうの親戚となり、伝統と文化が異なる異邦民族同士で一つの大家族になる道、この方法以外にどのような方法があるでしょうか。

皆様、何よりもまず、皆様の家族と氏族を祝福してあげ、彼らを中心とする氏族訓読教会を設立してください。家庭連合運動の勝敗はもちろん、大韓民国の統一、さらには人類大家族化の摂理的勝敗がここにかかっています。

先天時代の慣習と思考の枠から一日も早く脱皮してください。「正午定着」的生活の実践を通して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を天と真の父母様に奉献してください。皆様は、天一国の国民として、永遠の平和と自由を享受するようになるでしょう。皆様の子孫は、未来永劫、皆様の業績を褒めたたえ、誇るようになるでしょう。霊界に行っても、真の父母様に侍って、永遠に共に暮らすようになることでしょう。

どうか、きょう天が下さったメッセージを骨に刻み、新しい天と新しい地を開いていく天一国の精兵となった覚悟で出発してください。皆様の胸の中に燃え上がる真の愛の炎が皆様を導いてくれるでしょう。天の勇気を抱き、真の主人、真の師、真の父母の道へ邁進してください。

神様の祝福が皆様の家庭の上に満ちあふれることを願います。ありがとうございました。

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第二篇 14 本然の真の愛理想の王権を、私から天宙まで

第二篇 14

本然の真の愛理想の王権を、私から天宙まで

日付:二〇〇五年五月一日

場所:韓国、全羅南道、麗水、清海ガーデン

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十一周年記念式

世界各国からいらっしゃった尊敬する蒙古斑血族連合の指導者、内外の貴賓、そして愛する統一家の祝福家庭の指導者の皆様。きょうは、今から五十一年前の一九五四年五月一日、私が大韓民国の地において「世界基督教統一神霊協会」を創設した意義深い日です。

韓国動乱が終わった直後の一九五四年、三年余りの戦争によって灰の山となったこの韓国の地で、世界の基督教を統一し、究極的には世界のすべての宗教と思想を一つに結び、全人類を神様に復帰させようという遠大な志を込めた「神霊協会」を創設しましたが、その目的の達成は到底不可能なことに見えたかもしれません。

しかし、十六歳(数え)の時、いち早く天命を受けて出発した私の道は、世上の視線や誤解を問題とすることはありませんでした。ただ天の命令に従って、摂理を成し遂げる道に邁進してきたのが私の全生涯でした。

皆様。人類歴史は、サタンの背信からもつれ始めた歴史でした。人間の真の父母であられる神様が、人類の始祖であるアダムとエバを創造され、彼らが責任分担を全うし、成長して完成し、御自身の真の子女となることを願われたのです。

しかし、サタンは、アダムとエバを堕落させ、人間が天から賦与された最も高貴な真の愛の道を台無しにしてしまいました。アダムとエバの堕落は、サタンの誘惑に落ち、淫乱によって引き起こされた人間の最初で最大の悲劇だったのです。

今日、全世界に燎原の大のごとく広がっている退廃の風潮を一度考えてみてください。聖書で指摘されたように、サタンは淫乱の王であり淫乱の神です。このようなサタンの奴隷となってしまった人類が、方向感覚を完全に喪失したまま、もがきつつ生きてきたのが六千年の人類歴史でした。

今では、フリーセックスの毒きのこが、スワッピングという仮面をかぶって皆様の居間にまで押し寄せてきています。神聖な人間の権限であり義務でもある子女を生むことを拒否し、ホモとなって極度の利己主義的生活を追求している数千、数万の若い生命を、どのようにされるのですか。天が下さった高貴な家庭の階級秩序まで破壊したまま、祖父と孫娘が、父と娘が、互いにもつれて引き起こしている近親相姦という到底許し難い罪の代価を、どのようにしてすべて支払うことができるというのでしょうか。

天が賜った真の愛、真の生命、真の血統を保全して完成し、真の家庭を成就するべき崇高な義務を、私たちは、きょう襟を正してもう一度確認しなければなりません。崩れるだけ崩れた人類の位相を再び探し立てる運動は、今から若い二世たちをまっすぐに天のみ旨を中心として教育する道です。フリーセックスやホモの沼で極度の利己主義的生活に走っている彼らに、純潔、純血、純愛、純性の教育を徹底してしなければなりません。

皆様。二世を失えば、人類の未来は約束することができません。そうかといって、このような教育運動が人間の理論や意志でのみ成し遂げられるのではありません。歴史を調べてみれば、六十億を超える人類を、今日この位置まで導いてきたのは、背後で摂理してこられた天があったからです。御自身の最初の息子であり、最初の娘だったアダムとエバを失ってしまった神様は、歴史の背後で言い表すことのできない涙と恨の路程を経てこられました。背信と失敗を繰り返す摂理的中心人物たちを見守りながら、最後まで放棄されず、人類の復帰歴史を進行させてこられたのが天です。

アダム家庭からカインとアベルに分けて分立歴史をしてこられた天が、今では世界的次元で、より悪の側を代表するカイン圏とより善の天の側を代表するアベル圏を一つに結び、統一させる血統復帰の歴史を進行していらっしゃいます。

私が以前に宣布した「プリチャッキ(ルーツ探訪)連合運動」とは何でしょうか。天の真の愛、真の生命、真の血統を探し立てようというものです。人間の根本の根がそこにあるからです。数千、数万年を偽りのオリーブの木として生きてきた人類が、今真のオリーブの木として来られた真の父母様の祝福結婚を通して接ぎ木され、真のオリーブの木の根を伝授してもらおうという摂理的次元の革命を意味するのです。

そのような脈絡から、世界人口の七〇パーセント以上を占めている蒙古斑同族圏をカイン圏として立て、「世界平和超宗教超国家連合」をアベル圏として立てて和解と統一の道を模索しようというのです。そうして、究極的には、真の父母様の祝福結婚を通して、人類を「蒙古斑血族圏」、すなわち「祝福血族家庭圏」として再創造しようという新天新地創造運動です。

皆様。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げてから、既に半世紀を超えました。この間、私が天の印を受けて地上界に顕現した横的真の父母として、天のみ旨を成し遂げてさしあげるために、どれほど多くの血と汗と涙を流したかということは、天だけが御存じでしょう。

今は新しい天と新しい地が開かれています。神様を中心とする平和の王権が出発しています。歴史の始まりから、背信と偽りの王として君臨してきたサタンまでも天に自然屈伏し、復帰の恩賜圏内に入ってくる天地開闢の時代が、今日の私たちが身を置いているこの時代だということを知らなければなりません。

争う所には平和はありません。和解と赦しは、平和と理想世界の前提条件です。今私たちが心を合わせて追求すべきことは、すべての障壁と国境を撤廃することです。まず皆様の心と体の間を分けている葛藤の壁をきれいに除去するのです。

儒教で言う修身も、このような脈絡から見なければなりません。それは、体が心に徹底して服従し、永遠に良心の呵責を感じない本然の状態を意味します。個人を越え、家庭、社会、人種、国家、宗教など、人間生活のすべての分野でも、私たちは、サタンの残骸である垣根を崩し、神様の創造理想である地上・天上平和の王国、すなわち天一国を創建しなければなりません。

私は、正確に一年前のきょう、この場で「先天時代が過ぎ、新しい後天時代が到来したこと」を天上天下に宣布しました。それから一年、世界は急速度で変化しています。世界の至る所で私が主唱する「真の愛を中心とする平和運動」に呼応していく指導者たちが、数え切れないほど現れるようになりました。

二世圏を代表する若い中高生たちと大学生たちを中心とする真の愛運動が、純潔運動、すなわち「ラスティング・ラブ・ムーブメント(Lasting Love Movement:永遠の愛運動)」という名称で全世界に拡散しています。悪の勢力のサタンが屈服したので、今からはもうこれ以上この運動を阻止する人がいません。霊界の数千億の先祖たちも総動員され、協力しています。この地上に永遠の平和王国を創建することは、もう時間の問題です。皆様は、全員希望をもって力強い前進の一歩を踏み出さなければなりません。

皆様が努力すればするほど、その日は早まるでしょう。聖書のマタイによる福音書第十六章二十五節にも、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」とあります。神様の直系眷属である祝福血族家庭の拡散に、皆様全員が総力を傾注しなければなりません。

悲壮な覚悟で平和の大平原に向かって、新しい半世紀を力強く走りましょう。天が皆様を必ず守ってくださるでしょう。皆様は必ず勝利されるでしょう!

きょう皆様は、私を通して貴い天命を受けられました。今からは、皆様がいつ、どこで、何をされても、私たちは全員、神様と真の父母様を中心軸として集まった一家族であり、真の家庭だということを肝に銘じてくださることをお願いします。天は、皆様の良心を通して役事され、ために生きる真の愛の生活をする基準によって皆様の善の先祖たちが動員されることを、必ず記憶してくださることをお願いします。

神様の祝福が皆様と皆様が新しく創建する真の家庭の上に、永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。

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第二篇 15 家庭盟誓の価値とその意義

第二篇 15

家庭盟誓の価値とその意義

日付:二〇〇七年六月十三日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:天正宮博物館入宮戴冠式一周年記念式

愛する祝福家庭の皆様。きょうこの意義深い日を期して、天が人類に下さった最も貴く幸福な人生の里程標である「家庭盟誓」の摂理的価値とその意義に関して、御説明しようと思います。

「家庭盟誓」は天一国を完成する絶対基準であり憲法

「家庭盟誓」は、一九九四年五月一日、「世界平和統一家庭連合」の創設とともに、天が人類に下さった祝福の中の祝福です。旧約時代と新約時代を完成、完結する成約時代を宣布し、先天時代の暗闇を貫いて、明るい後天時代の新天新地、すなわち天宙平和統一王国が天地開闢の時代を開いていく道案内として下さった里程標です。

一九五四年に、「世界基督教統一神霊協会」を創設して以来、四十年の長い蕩減路程を、真の父母が直接闘って勝利し、越えた基台の上に、今では、個人的な次元の「私の誓い」ではなく、天国入城の基本単位となる真の家庭が共に唱え、実践しなければならないのが「家庭盟誓」です。涙なくしては唱えられない、天と真の父母様の恨が宿っている誓いです。腐敗した宗教の仮面を剥がせ、解放された場で、千年、万年唱えることができる人類の表題です。家庭が天国に入城する基本単位になるからです。

皆様。世の中で「家庭盟誓」という言葉を聞いたことがありますか。歴史上、初めて出てきた言葉です。太初に神様が御自身の子女であり、人類の最初の先祖として創造された男性と女性が、堕落によって真の家庭を失ってしまいました。したがって神様は、御自身の創造理想を絶対的基準で成し遂げなければならない摂理的召命のために、「家庭盟誓」を設定、宣布されたのです。人間がこの地上で、本然の理想家庭である真の家庭の母体を完成し、神様に永遠の喜びをさしあげることができ、さらには、皆様の家庭で直接神様に侍って暮らせる地上、天上天国を創建する必然的な道具として下さった祝福です。

したがって、「家庭盟誓」を朗唱する前提条件は、何よりもまず皆様の心と体が完全一体となり、一心、一体、一念、一和の境地まで行かなければならないということです。皆様の主人であり、父母であり、師として下さった良心の命令に従い、体が一〇〇パーセント従順屈服し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人格完成基準が前提とならなければならないという意味です。

さらには、皆様の家族全員が、天のみ旨を中心として一つになる、心身統一、父母統一、夫婦統一、父子統一、兄弟統一の基本形、すなわち真の愛の一体圏が完成してこそ、「家庭盟誓」を唱えることができます。したがって、「家庭盟誓」は、成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法と同じです。これからは、出世するときも、個人ではなく家庭がするでしょう。万人が認め尊敬する真のモデル家庭であってこそ、世界を指導する指導者的家庭の位置に立つようになるという意味です。このように家庭は、天の最大、最高の祝福であり、恐ろしい現実です。天一国を創建する礎石になるのです。真の家庭を成し遂げることが、天一国の市民権を獲得する近道になるということです。

愛する祝福家庭の皆様。祈りの中で最高の祈りが「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」は、真の父母様の戦勝記録です。侍義時代である成約時代の教えを授ける法度です。「家庭盟誓」は、真の愛を骨とし、真の家庭を心臓として立て、皆様の人生を神様と連結させてくれる橋です。神様を占領する「真の愛の核爆弾」です。「家庭盟誓」は、縦と横、南と北、前と後を連結する中心に真の愛を迎え、永遠の球形運動を出発させるエネルギーであり、知恵です。「家庭盟誓」は、天国の門を開く鍵です。天国の門は、金や銀で作った鍵で開ける門ではなく、真の愛で完成した真の家庭の鍵で初めて開かれる門です。それで、「家庭盟誓」は一節から八節まで、すべて「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」で始まるのです。

皆様。侍義時代とは、神様に侍って暮らす時代です。聖書でいう第一の戒めも「神様を愛しなさい」というみ言ではないですか。後天時代には、神様御自身が真の父母の姿で万人の前に顕現します。したがって、真の父母に侍る統一教会の位相は、世の中のどのような力や勢力とも比較できない天の権勢として現れるようになるのです。

生きていらっしゃる神様を皆様が直接目で確認し、感覚で体恤できる圏内において、侍る生活をする皆様を、誰が妨げることができるというのでしょうか。人類先祖の堕落以来、初めて真の父母によって歴史が統治され、真の父母によって新しい世界へ移っていける起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な関係が決定し、真の父母によって神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定したのです。したがって、真の父母と共に生き、真の父母から直接命令を受けて生きていくことができる、この驚くべき恩賜の前に、皆様はまず感謝しなければならないでしょう。皆様が真の父母と完全に一つになるとき、皆様の国家があり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のすべての栄光の価値を総合した実体的な基準が真の父母です。皆様がこのような価値をはっきりと知れば、たとえ世の中のすべてのお金をあげると言われても、真の父母と取り替えられますか。皆様の生命と引き替えても得ることができない価値をもっているのが真の父母です。

「家庭盟誓」の各節の解説

「家庭盟誓」の一節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」です。「家庭盟誓」を唱えることが、歴史上どれほど福音の中の福音かを知らなければなりません。

ここで言う創造理想とは、神様を中心とする創造理想を意味します。地上天国と天上天国をつくるのが神様の創造理想でした。ところが、堕落によってそれをつくることができなかったので、復帰しなければならないのです。本郷の地を中心として、創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければならないという意味です。

堕落のために家庭を失ってしまったので、家庭をつくらなければならないということです。私個人ではなく、天一国の主人である私たちの家庭が真の愛を中心として本郷の地を求め、そこに本然の神様の創造理想である地上天国と天上天国を創建しようということです。本郷の地です。家庭を中心とする本郷の地です。皆様全員が、故郷に戻って地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。今、故郷さえ取り戻せば、国と世界、すべてが自然に一つになるのです。心配する必要はありません。

地上天国と天上天国が一つになり、そこで神様の真の愛を中心として一つとなった家庭生活をしながら地上で生きた人が、天上天国の家庭に移動して越えていくのです。個人救援時代ではありません。キリスト教では「個人救援だ」と言いますが、それは違います。家庭救援が神様のみ旨です。堕落が家庭で起きたので、復帰も家庭でしなければなりません。そのような時が来ました。今まで、地上にこのような歴史時代がありませんでした。初めて、家庭が新しく定着する時代に入ってきたのです。

本然の創造理想である地上天国と天上天国を、私がつくらなければなりません。家庭を失ってしまったので、私たちの家庭がつくらなければなりません。本郷の地は、家庭を中心とする本郷の地を意味します。国ではありません。それで、故郷に帰らなければならないということです。皆様にそのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。

今、故郷さえ取り戻せば、自然に国と世界が一つになるのです。地上天国と天上天国が自然に成し遂げられるのです。それが真の家庭を中心として展開します。「本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」とありますが、ここに「創建」という言葉を使いました。なぜ「創建」という言葉を使ったのでしょうか。これは、私たちが再びつくらなければならないという意味です。ただそのままでできるのではありません。再創造しなければなりません。世の中は既に地上地獄になっており、天上地獄まで連結されているので、これを私たちが再び創造して、一八〇度変えなければならないという意味です。

本郷の地を求めて本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することは、祝福家庭がしなければならないことです。皆様個人だけではなく、皆様の家庭を中心として地上天国と天上天国を完成しなければならないのです。これが祝福家庭になった皆様の最初の誓いであり、使命です。

二節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」です。

「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」とありますが、真の愛は、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになった基準の上で広がる愛です。このような基準の真の愛を実践できずに皆様が霊界に行くようになれば、間違いなく引っ掛かります。「家庭盟誓」は、そのように恐ろしいものです。常に「家庭盟誓」に従って生きなければなりません。

もし皆様の家庭で、父親が「家庭盟誓」のどれか一つにでも引っ掛かるようになれば、母親も共同で責任を負うようになり、子女たちの共同責任にもなり、家族全員が共同で責任を負わざるを得なくなるのです。エバが堕落することによってアダム家庭全体が堕落したという結果を招いた、そのような意味をもつということです。

「神様と真の父母様に侍り」となっています。本来人間は、神様と真の父母様に侍らなければならないのに、追い出してしまったというのです。しかし、人間は、神様と真の父母に侍らなければ、その存在価値さえなくなるのです。神様と真の父母、すなわち縦的な真の父母と横的な真の父母の二つの真の父母が一つになって、初めて私が出てくるのです。

言い換えれば、神様は縦的な真の父母であり、完成したアダムとエバは横的な真の父母になり、その二つの父母が一つになった基台の上に私の心身統一が成し遂げられ、天国と神様が連結されるということです。したがって、神様と真の父母に侍らなければ何もできないという結論を下すことができます。

それでは、天宙の代表的家庭とは、どのような家庭ですか。堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた家庭です。ですから、天宙の代表的家庭と中心的家庭とは、天上においては代表であり、地に降りてくれば、八段階の円錐の垂直に位置する家庭です。垂直的な立場で天上の代表と中心が一つになった位置だということです。

そのような家庭の中心で孝子、孝女にならなければならず、そのような国家では忠臣にならなければならず、そのような世界では聖人、そのような天宙では聖子にならなければなりません。「聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのは、個人的には家族全員が聖子の位置まで行くことができなければならず、そのような聖子の家族全員が集まって聖子の家庭を築くようになるという意味です。これを誓うのです。

神様と真の父母に侍り、代表的な家庭になり、中心家庭になって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理など、天が望むすべてのものを私たちの家庭で完成しようということです。父母は子女の教育、国家では民の教育、世界では聖人教育、天地ではその天国の一族、すなわち聖子の家庭の家族として合格者になれるようにしようということです。

それで、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのです。

三節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。

四大心情圏と三大王権は、堕落する前のアダムとエバの完成を意味します。皇族圏を除いて、これらのすべては、堕落する前のアダムとエバが、四大心情圏と三大王権を成し遂げ、皇族になることでした。それで、この節は、堕落した人類を復帰して、皇族をつくっていくことを意味するのです。私たち祝福家庭が、この使命を完遂しなければなりません。

女性が男性の愛を受け、男性が女性の愛を受けるためには、この位置に立たなければなりません。そうでなければ愛せないようになっています。夫婦関係で愛するのは、四大心情圏と三大王権の位置で愛するようになっています。愛がなければ、四大心情圏と三大王権はあり得ません。ですから、女性には男性が絶対に必要であり、男性には女性が絶対に必要なのです。祝福家庭は、これを標準として毎日のように努力しなければなりません。「神様がこのように完成されるから、私たちもこのようにすればよいだろう」という、このような観念的な信仰だけでは完成できません。これは実際問題です。皆様の目前に来ているというのです。

神様の理想は天宙大家族の形成

四節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。

神様の理想は、すべての世界が一つの家庭になることです。一つの家庭です。四大心情圏と三大王権を完成した人たちが唱えるものが「家庭盟誓」ならば、神様を中心とする一つの家庭になるのであって、二つの家庭にはなりません。創造理想の天宙大家族を形成し、「神様のもとの一つの家族」です。空気で言えば、低気圧圏に空気がなくなれば、高気圧圏の空気が流れて満たしてくれます。水は、高い所にあるとき、下にくぼみがあれば、自動的に流れて埋めてくれます。バランスを取ることが理想です。

今日、世界には、先進国と発展途上国があります。先進国は、たくさんの物が余って捨てますが、発展途上国はすべての物が不足し、飢えて死んでいっています。一年に二千万人が飢餓で死んでいます。これが神様のみ旨ですか。宇宙の自然な運動圏を害しているのが先進国家の形態です。このまま行けば、先進国は天罰を免れることができないでしょう。天が、そのままにしておかないということです。既に、このような審判の兆候があちこちで現れています。その一例がエイズと麻薬です。フリーセックスやホモのような、本然の価値を失った人間たちの狂乱です。これらが正に、神様が最も憎み、反対にサタンが最も好むことです。正反対です。

レバレンド・ムーンは、消費の天国であるアメリカのような先進国を飢えさせるようなことがあっても、一日で数万人ずつ飢えて死んでいく発展途上国を生かしてあげようという運動を展開するのです。自然界は、すべてバランスを取っています。「天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」というときの「自由」は、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人たちの自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の統一であり、大家庭の幸福です。

全人類がすべて幸福である、そのような状態を意味します。ですから、全世界の津々浦々に統一運動を発展させなければなりません。どこであっても、豊かな所では分配できる組織をつくらなければならないというのです。大家族世界は、私たち祝福家族の世界です。

皆様。霊界に行けば、全世界の人たちが一度にすべて集まって暮らしても、国境がありません。五色人種(すべての人種)が集まっています。しかし、その中で誰が過去、現在、未来まで、すべてを一つにできる家庭的理念をもって準備しているのかが問題です。そのような人が、霊界でも中心指導者になるのです。ですから、地上界で訓練しなければなりません。心と体が一つになった上で、そのような訓練をしなければならないのです。

世の中では、良心をだましながら、あらゆる詐欺、謀略、中傷をしてお金を集める者たちが大勢いますが、そのようにしてお金を集めれば、かえってお金が彼らを打つのです。審判の棍棒になるのです。霊界でも同じです。いくら勉強をよくしたとしても、知識が全体のためにならず、自分だけのためならば、その知識が私を打ってしまいます。地獄に放り込むのです。神様のみ旨である世界一家族の理念を中心として、世界のために生きることができる個人となるべきなのに、世界を無視して個人だけのために生きれば、世界が審判するのです。

先生が「家庭盟誓」を制定したのは、「統一教会は先生の家庭を中心として誓いなさい!」ということではありません。皆様は、皆様の家庭を中心として誓うのです。平等です。先生は、先生の家庭です。全体を代表するのです。ですから、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。

「家庭盟誓」の五節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。皆様はまず、主体的天上世界を考えなければなりません。人類の分布を考えてみるとき、霊界にいる人が多いでしょうか、現在のこの世界にいる人が多いでしょうか。どのように思いますか。地上界の人口とは比較にもならないほど、多くの人々が霊界で生きているのです。したがって、どこが主体でありプラスかといえば、霊界です。心が体に対して主体的立場であり、プラスであるのと同じです。体は地上界を代表し、心は霊界を代表します。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。

ですから、主体的な心を忘れる生活、心の世界を忘れる生活をすれば、地獄に行くようになっているのです。体が心を打っていた人生から、今からは心が体を打って屈服させる人生を営まなければならない時だというのです。

私たちは、生活の中で毎日、天上世界が主体になっているという観念をもって生きなければなりません。皆様の日常生活が、主体的天国に対して、その相対的な地上での完成形態を備えなければ、天上世界に行って完成基盤を形成できません。直接的関係です。その直接的関係が、毎日、毎年、一生を通して関係を結んでこそ、あの世に行って自分の第二活動舞台となり、居住地になるのです。

言い換えれば、「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」とは、主体世界と対象世界が統一されなければならないということです。「統一に向かって前進的発展」とは、前進していく発展です。「促進化することをお誓い致します」とは、促進化、すなわち早く、早く、もっと早くするということです。停止してはいけません。停止すれば、すぐに落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じます。停止は下って地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。

寝てばかりいて怠け、食べて楽しむ、そのようなことは容認されません。一生は短いので忙しいのです。休まずに走りなさいというのです。先生のように、寝ることもせずに走りなさいというのです。そうしてこそ、自分か望んだその世界と関係を結べるのであって、どうして考えもしない世界と関係を結べるでしょうか。そうしてこそ統一が成し遂げられます。霊界と地上界を一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。

六節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。

「神様と真の父母の代身家庭として」とあるので、皆様の家庭が、神様の家庭と真の父母の家庭の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」とは、私だけが祝福されて幸せに生きようというのではありません。結局は、王族となり、すべての人たちを天一国の民にしなければならないということです。

言い換えれば、天のすべての祝福を万民に平等に分けてあげる、家庭的な祝福の基になるという意味です。神様と真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、たくさんの祝福家庭がいるので、全世界に広がり、神様の家庭と真の父母の家庭を身代わりして福を受ける基となり、分けてあげる家庭にならなければならないということです。それで、みな等しく福を受けるようにしてあげようという意味です。

七節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

皆様。信仰の道において最も重要なことは、どのようなことがあっても本然の血統を汚してはいけないということです。それは何かというと、皆様の子孫が、アダムとエバが堕落したのと同じように、再び血統を汚すことがあってはならないということです。「本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

神様の心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界もすべて一つです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。これが私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。堕落した世界は、文化が複雑で雑多です。心情文化世界を通してこそ、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国、世界天国、永遠の世界の天国に連結されるのです。その心情でなければ、個人、家庭、氏族を連結できません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結できません。ところが、今までの世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしていたので、数千年をかけても終着点に到達できていません。しかし、心情文化世界では一瞬のうちに行きます。ただ真の愛によってのみ可能です。

地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏の完成

八節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します」です。家庭において心と体が一つになった夫婦となり、王家ができなければなりません。これが神様の創造理想であり、成約時代の完成であり、新しい家庭の出発だということを知らなければなりません。男女が真の愛で一つになった家庭は、王権に属するのです。本来、アダム家庭は王家を意味します。そこから氏族王、民族王、国家王が出てくるのです。そうすれば、自動的に永遠の霊界まで進んでいきます。地上で、その国に永遠に連結されるのです。それが成約時代です。

成約時代は、新しい時代に進入することを意味します。家庭から氏族、民族、国家、世界まで、一つの平和世界を成し遂げられる、統一された世界になる時をいうのです。したがって、これは全体を代表するのです。家庭単位に限定させるのではありません。世界を越え、全体を越えてこそ、成約時代に行くのです。四大心情圏と三大王権を完成した新しい家庭を通して、世界の版図を越え、成約時代の型を備えるようになるとき、一つの世界、すなわち平和の理想天国の世界になるのです。

皆様。絶対信仰、絶対愛、絶対服従、これが神様の創造理想です。神様は、絶対信仰の上で万物をつくり始めました。絶対愛の対象のために、創造を始められました。絶対服従の基準で、神様御自身の意識観念がない状態で宇宙万象を創造されたのです。完全にゼロです。完全に無の境地です。無に帰ることによって、自動的な循環運動が起きるのです。すべて完全に与えて何もないので、私のもとに戻ってくるのです。これが宇宙運動の起源になっています。完全に投入したのちには、完全に戻ってくるのが原理です。

したがって、自己主張をしてはいけません。そのようにすれば悪魔的な存在になるのです。皆様の五官を通るすべてのものが、サタンの利用物になってはいけません。神様の目の代身、神様の鼻の代身、神様の口の代身、神様の足の代身、神様の手の代身として、絶対信仰を中心として絶対愛で愛し、絶対服従する基準を立てて生きてみてください。そのような人には、いつでも神様が同情して協助されるのです。自分がないところには、神様が共にいらっしゃるのです。

皆様。神様は、御自身を絶対投入して愛の絶対対象をつくられました。愛の実体対象が必要なのでつくられたのです。地上世界はもちろん、天上世界でも、実体がなければ実体の子女に相対できないので、形状として体をまとわなければならないということです。これが完成した真の父母の形態です。そして、神様は、地を中心として愛する愛の対象が必要だったために創造の摂理をされたのです。その基台の上に神様は、御自身の絶対対象として造られた人間をして、永存できるようにするために、繁殖の機能を許諾されたことを知らなければなりません。これが神様の三大創造要素です。

神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚する時、神様は、アダムとエバの心の中に入っていって、彼らと一体的な愛を成し遂げていたはずです。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母になっていたことでしょう。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分となって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができていたでしょう。

このように、神人愛の一体圏を形成することによって、心身一体を完成した子女は、神様の息子、娘になるのです。神様の王子、王女になれば、神様と父子の関係となり、神様の全体を相続できるようになります。このような子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になり、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分の男性と女性が一体になり、完全な神様の相対として、神様の理想的愛を完成させる基地になるということです。

言い換えれば、真の愛を中心として、神様は、人間を無限の価値の存在として完成させることによって、神様も真の愛を完成し、永遠の理想の愛が宿る創造理想世界を完成されるようになるという意味です。

神様とアダム家庭を中心として見れば、神様は一代の祖、アダムは二代の祖、アダムの子女は三代の祖の位置を形成するようになっていました。神様は祖父母の位置であり、アダムは父母の位置であり、子女は息子、娘の位置だというのです。同じように、皆様の家庭でも三代が一つの家庭に安着すれば、祖父母は、天上天国の神様の位置であり、本然の地上世界と天上世界の王と女王の位置であり、父母は、現在の地上天国を代表する中心の王と女王の位置であり、子女は未来を代表する地上天国と天上天国を相続する王子、王女の位置なのです。

このように、アダムの一族は、神様を中心とする王族となって暮らし、天国に移動して永遠の世界に移されるのです。これが、人間が成就しなければならない目的です。祖父と祖母は天を代表するので、神様に侍るように祖父母に侍り、父母には現在の世界の王のように侍り、子女に対しては未来の王子、王女のように愛し、そのように暮らしてから行く所が天国だというのです。そこにおいてのみ、人間の欲望と希望、そして幸福が完成するようになります。

「家庭盟誓」の八節は、地上天国に入る方法を提示しています。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人生を通してこそ可能な道です。創造当時、神様もエデンの園で絶対信仰と絶対愛で絶対投入し、絶対服従された基準があったからです。

皆様。良心は、父母に優り、師に優り、神様に優ります。多くの人々がそのような価値を知らずにいます。体が良心を思いどおりにしています。堕落した世界である享楽の世界では、そうです。お金にばかり頼って暮らせば、享楽に流れていってしまいます。男女間の乱雑な愛の関係をつくり出していくのです。それで、滅んでいきます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして神人愛一体圏の愛が形成され、堕落していない時の神様と人間が完成して一体圏が形成されなければならなかったのですが、それをすべて失ってしまいました。

ですから、その一体圏、すなわち地上・天上天国を建設しなければなりません。解怨しなければなりません。恨を解かなければ解怨ができません。それを先生が内外ですべて解決してきました。それを復帰の完成と言うのです。復帰を完了したのです。今、それを宣布しています。終わりをきちんと締めくくらなければならないからです。

天の伝統が家法

愛する祝福家庭の皆様。皆様はこれから、神様から受けた純粋な真の血統を、どのように保全するかということが問題です。汚染されていないエデンの園でも堕落があったのに、この邪悪で汚れた罪悪世界で純粋な血統を保全するということは、決して容易なことではないでしょう。罪悪世界に根をおいて生まれた一世の父母たちは苦労したとしても、祝福を受けて生まれた二世の子女たちには、汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です。

したがって、皆様の家庭は、因習に染まった、習慣的で世俗的な家庭であってはいけません。どのように暮らすことが、未来のために正しく暮らすことなのでしょうか。子孫を徹底的に教育しなければなりません。子孫に残してあげられる、手本となる生活を送らなければなりません。いくら難しい荒野路程を歩むようになったとしても、イスラエル民族がカナン七族と闘って勝ったように、闘って必ず勝利しなければなりません。父母は、死ぬとしても、天道を植えつけてから逝かなければならないという意味です。皆様の人生が、天のために生き、真の父母様のために生きる人生になれば、皆様の子女は、天運を受けて自動的に天の伝統を相続されるようになるでしょう。イスラエル民族がカナンを復帰したのちに滅亡してしまったのは、彼らが既存の環境に同化して習慣化してしまったためです。彼らは、より良く生き、より良く食べて、贅沢をする生活に幻惑されました。彼らは、権力を貪り、知識優先主義に流れました。異邦人でも、お金持ちの家ならば結婚しました。結局、彼らは、選民の精神を売り渡すようになり、天の伝統まで失ってしまったのです。

「家庭盟誓」が教えてくれる教訓は、天宙主義です。個人主義ではありません。現実の様々な困難を避けていては、生きていけないでしょう。現実を果敢に撃破して、勝利を勝ち取らなければなりません。その武器が、正に「家庭盟誓」の伝統で武装された皆様の家庭です。皆様一代だけを中心とする家庭ではありません。少なくとも三代圏を成し遂げて、確固不動たる天の伝統を立てなければなりません。子々孫々、選民の真の血統が流れる一族を定着させなければならない使命があるという意味です。

祝福家庭の皆様は、真の愛の基台を広げて万民の心情を集め、ろうそくの明かりをともして香を焚きながら祈りを捧げ、天と地、そして万民と共に、真の愛の関係を結んで暮らしてから死のう、という家庭にならなければなりません。そのような家庭になれば、どのような患難が襲ってきても、神様がその家庭を保護してくださるでしょう。天が種として残したい家庭が、そのような家庭だからです。

皆様全員が、「家庭盟誓」に立脚した真で善なる家庭の伝統を立て、必ず勝利してください。後天開闢の時代を生きていく皆様の人生は、勝利者の歩みにならなければなりません。環太平洋圏時代の明るい太陽が、皆様の歩みを照らしてくれています。この祖国の地、大韓半島に真の生命と真の愛、そして真の血統の根源である神様が共にお住みになり、神様が永遠の価値の祝福を下さった真の父母様が、皆様を導いています。今、皆様の前途には不可能がないことを、はっきりと知ってください。神様の祝福が、皆様と皆様の家庭に永遠に共にあることを願います。

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第二篇 16 中断のない前進

第二篇 16

中断のない前進

日付:二〇一二年九月一七日

場所:韓国、京畿道、加平郡、清心平和ワールドセンター

行事:基元節勝利のための統一教会世界指導者特別集会

尊敬する内外の貴賓、そして全世界の祝福家庭の皆様。今日私たちは、実に重要な神様の摂理的経綸の中において、空前絶後の歴史的で、革命的な大転換期を迎えています。人類の善なる血統の根として来られた再臨主、メシヤ、救世主、そして真の父母様であられる私の夫、文鮮明総裁が霊界に旅立たれました。したがって私たちは、真の父母様の勝利圏を相続し、「一人の神様のもとの一つの家族」の平和理想王国を創建すべき摂理的出発点に立つようになりました。

真の父母様の顕現

真のお父様の聖和は、全生涯を共に歩んできた私や、私たち全員にとって、量り知れない苦痛と悲しみです。人類の永遠の愛の本体であられ、真の父母であられる神様の心情も、到底量り知ることはできません。しかし他の側面から見れば、太初の天地創造から神様が立てた天法に従って、この地上で人類歴史以来、誰一人として成就できなかった摂理的課題を完成、完結、完了され、霊肉界を主管されるために、今や霊界へと生を移されて、新しい次元の摂理を開くようにされる、希望の時でもあります。人間が知るどのような言葉や文章をもってしても表現できない万感迫る中で、今日の摂理的転換期を迎えています。

皆様も御存じのとおり、私は清く純粋な少女時代に、天の導きを受けて真のお父様にお会いし、天が準備してこられた摂理に従い、十七歳という花のような年齢で、天宙史的な「真の父母様の御聖婚」の恩賜を受けるようになりました。摂理の道において、私は、真のお父様の伴侶となって、全生涯をその方に侍り、天倫の摂理の道を共に乗り越えてきました。

私は幼くはありましたが、この摂理の道を出発してから、大きくは二つの使命を完遂するために全力投球してきました。第一に、私の当代において、恨の積もった神様の蕩減復帰摂理を終結することであり、第二に、神様のみ旨である理想世界の具現を真のお父様に侍って、当代で完成してさしあげることでした。

人類の先祖、アダムとエバの堕落以後、神様の救援摂理歴史は絶えず進められてきましたが、今まで誰一人として蕩減復帰の摂理路程を完成できないまま、真の父母様の顕現を待ち望んできたのです。サタンが霊肉界における主権をもち、全権をもって君臨する、凄絶な摂理的状況の中で、真の父母の路程は出発しました。

六千年間主権を握ってきたサタンが悪の先祖として最も恐れるのは、善の先祖となる「真の父母」が出現することだったので、どれほど激烈な反対と悪逆の限りを尽くしてきたことでしょうか。真のお父様は、一九六〇年、私との聖婚を通して「真の父母」の位相が確立されるまで、量り知れない蕩減の摂理路程を通過してこられました。人類にとって真の父母は、たった一度しか迎えることができないのであり、その一度の真の父母が永遠に真の父母様であられます。

一九四五年、第二次世界大戦の終息とともに、真のお父様は公的生涯の摂理路程を出発されるようになりました。天が準備してきたキリスト教の二千年の精誠の基台の上に、神霊運動を中心とした韓国のキリスト教が、「摂理的新婦」の使命をもって天が送られた再臨のメシヤを新郎として侍り奉り、「実体的新婦」をお迎えする摂理を展開しなければなりませんでしたが、キリスト教はその摂理的責任を果たすことができませんでした。

二千年のキリスト教の霊的基盤と連合国軍の勝利を通した実体的な摂理的基盤を全て失ったので、真のお父様は、千辛万苦の摂理的事情の中で独り、興南監獄という地獄の底から、再び蕩減復帰の摂理路程を展開され、ついにサタンの激烈な攻撃に忍耐して打ち勝たれ、サタン分立の勝利的基盤を打ち立てられました。その基盤の上に、キリスト教に代わる「摂理的新婦」の使命をもって、一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を設立され、その基台の上に「実体的新婦」として私を迎え、歴史的な聖婚式を挙行することにより、ついに一九六〇年、真の父母の路程が出発するようになったのです。

真の父母様の摂理路程

尊敬する貴賓の皆様。愛する祝福家庭の皆様。真のお父様が捜し出された天のお父様は、どのようなお方でしょうか。栄光と尊敬の玉座にいらっしゃる創造主ではなく、罪悪によって死の境地に陥ってしまった子女を捜して、千万里を駆けてきた真の愛と心情の「真の父母」であられます。真のお父様は生前、とても大事にされたみ言「天地人真の父母定着実体み言宣布」の講演文の中で、神様の実在に対して、このようにお話しされています。

「皆様! 億劫(一劫の億倍、極めて長い時間のこと)の時間と精誠を注ぎ、御自身の子女として創造した人間が、堕落によってサタンの血統を受け、暗闇の中に隠れてしまったその瞬間から、神様が受けられたその苦痛がどれほど大きいか御存じですか。骨がきしみ、身が震える凄絶な苦痛の中で数千、数万年を耐え、待ってこられた皆様の父が、どれほど長く険難な蕩減のトンネルを経てこられたか、考えてみましたか。このようなかわいそうな父のために、一瞬でも涙を流してみたことがあるのかというのです」。

そうです。真のお父様は、このように苦痛を受けておられる神様を全身で感じられる実体となられ、血と汗と涙で真の父母の路程の四十年間を勝利され、ついに二〇〇一年、「神様王権即位式」を奉献されました。

内外の貴賓の皆様。「神様王権即位式」が奉献されるまで、真の父母様の四十年摂理路程は、誰も想像することのできない凄絶な峠を越えていく道でした。悪主権のサタン勢力圏との生命を懸けた「七顚八起」(チルチョンパルギ=七転び八起きのこと)の闘争が続き、一瞬たりとも緊張を緩めることのできない死生決断、全力投球の路程でした。特に六千年摂理歴史の完結と人類救援のための荒野時代を締めくくるため、真のお父様が自ら進んで選ばれた地獄の底、ダンベリー刑務所で受けられた苦難と血のにじんだ蕩減路程等のすべてを、どのようにして筆舌に表すことができるでしょうか。

人類が望んでいた救世主であるにもかかわらず、日本の圧制や北朝鮮の共産党の権力、そして韓国の自由党政権によって囹圄(獄舎)の身となられ、ひたすら蕩減の人生を貫いて歩んでこられた真のお父様が、アメリカの牢獄に向かいながら語ってくださったみ言を、私は今も鮮明に記憶しています。「心配しなくていい。牢獄の向こうに新しい希望の世界が待っているだろう!」。

しかし、一番近くでその崇高な御生涯を直接見つめ、共に歩んできた私としては途方もない悲しみでした。特に共産主義者たちが真の父母様の生命までも狙う、そのような切迫した状況の中で、サタンの巣窟である牢獄におられる真のお父様のことを考えるとき、胸が詰まる心情でお父様の身辺と健康を案じて、天のみ前に切実に祈り求めました。そのような蕩減復帰の摂理的事情を、天だけは覚えてくださるでしょう。

一九八五年八月、ついに真の子女を代表して、次男の興進君の犠牲と真のお父様のダンベリー苦難の勝利的基台の上に荒野時代が終結し、「一勝日」を期して新しい摂理が始まりました。そしてサタン主管圏の中心人物だった共産主義の首脳、ゴルバチョフ大統領と金日成主席に会い、天の愛によって屈服させました。その基盤の上に再び「摂理的新婦」格として「世界平和女性連合」を創設し、私は人類歴史上、最初で最後の再臨のメシヤに侍る実体新婦の立場で、再臨主、メシヤ、救世主、真の父母を満天下に宣布するようになりました。

このような基台の上で私は、摂理の中心である真のお父様に侍り、「母子協助」の摂理を七年間展開して勝利圏を奉献し、ようやく天一国時代を開くようになったのです。

一九九九年(天暦)五月一日、「真の万物の日」に真のお父様は私に大きな祝福を下さいました。人類歴史上二度とない、母子協助時代の勝利を祝賀する授賞式をされながら、私をしっかりと抱いて「オンマ、御苦労だったね。摂理的に大きな山を越えたよ」とささやかれたとき、私は万感の思いで涙を流しました。韓国の大学街で左翼学生たちの反対をくぐり抜けて、カインとアベルを抱かなければならなかった危機的な瞬間、世界百八十五カ国を七年の間巡回し、数百回講演しながら、あらゆる危険と緊張感に耐え忍んだ記憶が走馬灯のように駆け巡る中、真のお父様の慰労と祝福を受けました。

尊敬する平和指導者、そして誇らしい食口の皆様。振り返れば本当に険難な蕩減復帰の路程でしたが、真の父母様はこれら全てのものをきれいに締めくくって勝利され、神様の王権時代、神様直接主管圏の時代が定着する天一国時代を開かれました。

「私の誓い」を「家庭盟誓」に格上げさせ、「真の父母様の名」で祈る時代から「祝福中心家庭の名」で直接報告する時代になる、過去からは想像することもできなかった変化の中で、新しい摂理の時代、天一国時代を開いてくださいました。

神様の王権のもと、善主権の秩序は、真の父母を中心とする中で、心情文化の実体化として縦的、横的に拡大されました。私の六十歳(二〇〇三年)の還暦を期して、「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」と「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を通して天の主権が縦的に根づき、また百二十の氏族と百二十カ国における平和の王即位式を通じて、全世界に定着するようになりました。「天宙平和連合」を通じたアベル国連の創設とともに「天地人真の父母天正宮入宮戴冠式」を奉献し、初めて創造理想の実体化か確固たる基盤を構築するようになり、ついに真の父母様の五十年路程の勝利により、摂理的禧年を迎えながら、「天暦時代」、天基元年が去る二〇一〇年に宣布されたのです。

真の父母様の勝利圏

真のお父様がこの三年間、一瞬たりとも手離されなかったみ言、非常に大切にされ、機会さえあれば訓読されながら説明してくださった「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」のみ言と「神様の祖国と故郷は韓国」のみ言から「人類のための遺言」の小項目の内容を見ると、次のようなみ言があります。

「この教本は、皆様が霊界に行っても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教材、教本だからです。皆様。正午定着の人生は影をつくらない人生だと言いました。私たち全員が発光体となって光を与える人生を生きれば、影が生じる隙間がありません。受ける者は借りをつくる者です。皆様はみな、過ぎし日の借りを返すために、これから、かわいそうな貧しい人の涙を拭ってあげ、暗い所を明るくしてあげる永遠の真の愛の発光体となる人生を生きるように願います。……既に真の父母様御夫妻は最終一体をなして、完成、完結、完了の基準の上に立って、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」。

真のお父様はどのようなお方か

尊敬する平和の指導者、愛する祝福家庭の皆様。これから新しい摂理的転換期、新しい時代を開きながら、私は何よりも真のお父様の摂理的位置が確固たるものとなることを願います。全生涯をひたすら神様のみ旨のために全力投球で一分一秒を惜しまれながら、五大洋六大州、そして霊界まで絶え間なく渉猟されながら、血と汗と涙で積み上げられ、勝利された天宙史的な摂理的業績が、人類に永遠の基準となり、見本となることを願います。

第一に、真のお父様は人類の善の先祖、真の父母様であられます。人類の先祖アダムとエバは、堕落して悪の先祖になりました。イエス様が証言されたように、偽りの先祖です。神様は、アダムとエバの堕落によって創造本然の人間、すなわち御自身の形状を失われてしまったのです。

このため神様は復帰摂理を展開され、最後の再臨のメシヤとして真のお父様を送ってくださり、真のお父様は自らの責任分担として真理のみ言を究明され、蕩減復帰摂理を完成されました。祝福と聖和(ソンファシク)式を通して、堕落人間が行くべき肉界と霊界の重生、復活、永生の道を開いてくださいました。したがって創造本然の真の愛、真の生命、真の血統は、ただ善の先祖であられる真の父母様を通してのみ相続を受けることができるのであり、その関門は正に祝福結婚です。

第二に、真のお父様は永遠の真理、すなわちみ言の主人であられます。神様はみ言によって被造万物世界を創造されました。すなわちみ言は真理であり実体です。神様の愛と心情は、み言を通して有形として現れます。人類の偽りの先祖アダムとエバは、神様のみ言に背いて堕落し、み言の実体化を成し遂げることができませんでした。したがってメシヤは、出発のための摂理として、天の真理のみ言を取り戻さなければならないのです。

真のお父様はこのような摂理的要請に従って、自ら千辛万苦の精誠とサタン分立の勝利、神様の認証を通してみ言を究明され、全生涯を通してみ言によって摂理の陣頭指揮を執ってこられ、み言によって生命力を吹き入れ、愛で育み、再創造の摂理を完成してこられました。その結果、真の父母様の路程の禧年を迎え、八大教材・教本を完成され、訓読会の伝統を打ち立てられて、万民が家庭でみ言と愛によって天一国を定着させることができる道を開いてくださいました。したがって八大教材・教本のみ言の権威は、ただ真の父母様だけにあるのであり、これはそっくりそのまま、子孫万代まで永遠の伝統として守られなければならないのです。

第三に、真のお父様は神様の救援摂理の完成者であられます。『原理講論』で規定しているように、人類歴史は救援摂理、すなわち復帰摂理歴史です。人類の先祖アダムとエバが堕落して、偽りの先祖を中心とした悪主権の世界が生じました。

人間の不幸、苦悩、罪悪、疎外、そして総体的葛藤と反目によって引き起こされた戦争は全て、人類先祖の堕落に起因しています。このような罪悪世界を創造本然の理想世界、すなわち幸福と犠牲と奉仕と愛があふれる平和な世界に復帰するための摂理が始められ、それは人類歴史の中で一瞬たりとも休むことなく続けられてきました。

しかし蕩減と復帰の繰り返しの中で進められてきた救援摂理は、中心人物や集団の責任分担が完成されずに延長を繰り返してきました。二千年前、神様のひとり子、イエス様がメシヤとして来られましたが、当時のユダヤ民族の不信によって十字架にかかって亡くなり、再臨を約束されました。

予定された約束のとおり、二千年が過ぎて再臨のメシヤとして真のお父様が来られ、全生涯を通して全歴史を蕩減する摂理的路程の中で、勝利を成就されました。真の父母の生涯路程を一言で表現すれば、「緊張と苦痛」であると言っても過言ではありません。その理由は、蕩減復帰摂理におけるサタンとの生死を懸けた闘いだったためです。したがって、メシヤ路程四十年、真の父母路程四十年、そして平和の王、万王の王としての十年の路程を通して摂理を完成、完結、完了されました。

第四に、真のお父様は平和の王、万王の王であられます。神様のみ旨は平和理想世界の完成、すなわち神様のもとの人類大家族世界の完成にあります。個体的に見れば、心と体が統一された個人完成、そして夫婦、父母、兄弟、子女の統一を通した家庭完成、さらに拡大して社会、国家、世界が一つになって、愛と平和のあふれる世の中を築こうということです。

しかし堕落以後、個体から全体に至るまで、善と悪の葛藤は絶えず繰り返されてきたのであり、結局、人種、国境、宗教の壁は、人類に量り知れない苦痛を抱かせてきました。真の父母様は、神様の解放と人類救援、そして平和理想世界の完成という生涯の摂理的目標をお立てになり、全生涯を全力投球してこられました。霊性回復のための宗教活動を中心として、政治、経済、社会、文化、芸術、教育、言論、スポーツを通じて人類平和運動を展開してこられ、特に天国の最小単位を「真の家庭」に置き、真の家庭の祝福と怨讐間の祝福結婚の門を開いてくださいました。

すべての葛藤を解消する国際交叉祝福結婚を通して、名実共に人類大家族理想を現実のものにされました。その結果、百二十の氏族と百二十余カ国で平和の王、万王の王に推戴されて戴冠式を挙行し、人類の夢は現実となっています。

第五に、真の父母様は「天地人真の父母」として、神様の位相を確立され、この地上で初めて創造本然の完成を成就されました。真のお父様は僕の僕の立場から蕩減復帰摂理を展開され、その勝利的結果に従い、サタンの主権は徐々に縮小していき、神様の位相は次第に創造本然の位相に格上げされたのです。

二千年前、イエス様が神様を「父」として啓示しましたが、そのことによって、ユダヤ人たちから神様を冒瀆したと言われ、十字架の苦難を受けるようになったことを皆様も御存じでしょう。しかし真の父母様は、この地上において実体的に蕩減復帰を完成され、神様に本然の創造主、すなわち天と地と人間を主管される真の父母としての尊さと栄光を取り戻してさしあげたのです。

このように真の父母様の摂理的位相は、摂理の基準に従って変化してきたのであり、その基台の上に神様の解放と釈放圏が成し遂げられました。メシヤから真の父母、天地父母、天地人父母、祝福家庭王、平和の王、万王の王を超えて、二〇一〇年に「天地人真の父母定着」を宣布されました。すなわち神様は「無形の天地人真の父母」であられ、真の父母様は「有形の天地人真の父母」として定着し、創造主、神様の本質的アイデンティティーを実体で完成、顕現されたのです。

愛する食口の皆様。天も干渉できない蕩減復帰の摂理路程で、真のお父様と私が経験してきた苦痛は想像を超越するものです。私たちは、真の家庭の子女たちを摂理の祭物として捧げることまでしました。その険難な蕩減復帰の路程を、誰が量り知ることができるというのでしょうか。私は全生涯を捧げて真のお父様の伴侶として、苦楽を共にし、万難を克服してきました。その勝利的基盤の上に、真の父母様は天が下さった摂理的次元の同等権、同居権、同位権をもつようになったのです。

今後の私たちの行くべき道

尊敬する内外の貴賓、そして愛する全世界の祝福家庭の皆様。これから真のお父様は、天法に従って霊界を拠点として、自由自在に霊肉界を往来されながら、天一国の拡張のために摂理されるでしょう。真のお父様は夜の神様の実体として肉界に再臨協助され、昼の神様の実体として地上摂理を継続する真のお母様と一心、一体、一和、一念の境地で、摂理を経綸されるようになるでしょう。

そして、真のお父様は、基元節の勝利を通して本然のエデンの園をこの地上に創建するために、皆様と共にいらっしゃるでしょう。天の摂理は中断することができないためです。これから私は、このような歴史的摂理の新しい転換期を迎え、真のお父様の勝利的基盤を相続して、この地上を中心とする摂理を主導し、先頭に立つことを明らかにしながら、皆様に次の幾つかのお願いをしたいと思います。

第一に、私たちは真の父母様が立ててくださった伝統を、絶対生命視しなければならず、子孫万代まで相続し、伝承させなければなりません。真の父母様は愛と心情の伝統、み言と規定、規則と儀礼の伝統、心情文化の伝統を立ててくださいました。特に真の父母様の蕩減復帰摂理路程の結晶体であるみ言を訓読する訓読会の伝統は、各家庭ではもちろん、教会や天を中心とする集会で、最も中心的内容となるようにしなければなりません。それとともに、私たちはこの地上で新しい秩序を立てていかなければなりません。ですから、組職の秩序と伝統も、真の父母様を中心とする真の家庭とアベルを中心とする中で、一糸乱れず統一体を築いていかなければならないことを肝に銘じてくださるようお願いします。

第二に、天が祝福された祝福家庭の理想を完成しなければなりません。家庭は真の愛、真の生命、真の血統の揺りかごであり、神様の創造目的を実現する基盤です。「家庭盟誓」の八大項目を中心とする中で、善なる血統の伝統を絶対信仰によって守らなければなりません。私たちの平和のビジョンは「純潔な愛、幸福な家庭、平和な世界」です。夫婦が絶対愛で天に侍って一体となる伝統の中で、子女を愛とみ言によって養育しなければなりません。家庭において訓読会を通して天一国の秩序がしっかりと定着するようにしなければならず、正午定着の基準で縦的、横的に心情的伝統が定着していく祝福の理想を完成しなければなりません。

第三に、皆様全員は氏族的メシヤの祝福を受けたので、この地上に天一国が完成されるときまで、その使命と責任を果たさなければなりません。氏族的メシヤは真の父母が下さる祝福の中で最も大きな祝福です。蕩減復帰摂理の勝利的基台でなければ、堕落人間を氏族のメシヤとして立てることはできないためです。ですから、真の父母様の全生涯の摂理的経綸の中には、いつも氏族的メシヤの使命が強調されてきたのです。

この地上における天一国の天宙的完成は、氏族的メシヤたちがその使命を果たして、各氏族にみ言と祝福とために生きる生活を相続させ、善の主権を立てて、平和な世界、人類大家族の実現を通してこそ可能になるのです。各氏族において勝利的基盤が形成されるようになれば、その基台の上にアベル国連が自動的に安着し、善主権は完成するようになるのです。

第四に、私たち全員は真の父母様と真の家庭を中心として、和合と統一の心情文化共同体を築いていかなければなりません。皆様全員は、例外なく天の選択と先祖の功績、そして自らの後天的天稟によってみ旨の道と関係を結び、数多くの迫害を顧みず真の父母様のみ跡に従い、今日の勝利圏を迎えるようになりました。ですから、私たち全員は、一つの父母を中心とする一家族心情共同体です。世の中はいまだに分裂と葛藤に満ちていますが、私たち統一家は、人種、国境、およびいかなる障壁も軽く越えて、一つの兄弟姉妹になることができます。ために与えて生きる人生の見本を見せれば、確実に達成できる夢です。特に、このような摂理の大転換期には、私たち全員が真の父母様と一つにならなければならないことを、肝に銘じてください。

基元節の勝利のための誓い

尊敬する平和の指導者、愛する統一家の食口の皆様。真のお父様は今、霊界で私たちといつも共にいらっしゃいます。ただ無形でいらっしゃるだけであり、一瞬たりとも私たちの傍らを離れることはないでしょう。今私たちに何を望んでいらっしゃるでしょうか。正に中断のない前進です。

神様の摂理は、全世界に真の父母を中心とする中で愛と平和が満ちあふれ、心情文化が定着し、新しい秩序が定着するときまで続けられなければなりません。その上に基元節の勝利を土台として、より一路邁進し、天と真の父母様の前に大きな栄光をお捧げし、世界と歴史の前に大きな希望を抱かせてあげなければならないでしょう。

愛する食口の皆様。私はこのような摂理の勝利圏のために最善に最善を尽くしながら、全生涯を見せてくださり、指導してくださった真のお父様の生涯と伝統に忠実であり続けるでしょう。

皆様にきょうお伝えするこの願いは、霊界に行かれる真のお父様の遺言です。全員が胸深く刻み、勝利者になられることを切に願います。皆様の家庭と国家の上に、神様の祝福と愛がいつも共にあることをお祈りいたします。ありがとうございます。

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第三篇 1 お一人の神様と一つの世界宗教

第三篇 1

お一人の神様と一つの世界宗教

日付:一九七二年二月三日

場所:アメリカ、ニューヨーク、リンカーン・センター

行事:アメリカ九カ都市巡回講演

紳士淑女の皆様。今夜、このように悪天候にもかかわらず、大勢の方々が集まってくださったことに対して、心から感謝申し上げます。皆様に会ってみたいという思いは、数十年前からありました。今晩、初めて皆様にお会いでき、まず皆様の前に感謝申し上げると同時に、神様に心から感謝を申し上げる次第です。

1. 神様は実在するのか

きょう、お話しするタイトルは、「お一人の神様と一つの世界宗教」です。このニューヨークに住んでいる方々は、「神様」と言えば、「神様は死んだ」という言葉を連想するかもしれません。しかし、神様が存在しているのに、存在する神様を「死んだ」と言うのは、これ以上の罪はないと思うのです。神様が存在しないのに「神様は存在する」と言うほうが、それよりまだ良いと見ることができます。

きょう、お話しする「お一人の神様と一つの世界宗教」というタイトルを見ても、ここに人がいなければ何の問題にもなりません。人がいるので、その人と一人の神様が必要なのであり、人がいるので、その人と一人の神様が一つになってつくられる宗教が必要だというのです。

万一、絶対者である神様がお一人でいるならば、その神様がいる所は幸せな所ではないと考えざるを得ません。神様であっても、その神様が一人で喜ぶならば、神様も正常な神様ではないでしょう。しかし、その神様がいくら小さな相対だとしても、その一つのものを見て「ははは」と笑いながら喜ぶとすれば、それは正常なのです。いくら小さなものでも、それを見て笑う神様に対して「狂っている」と言えば、そのように言う人がかえって狂った人になるのです。ですから、相対的存在がどれほど貴いかということを、皆様に最初にお話ししているのです。「不幸」や悲しみ」という言葉は、相対がいないところから始まる言葉です。

それでは、神様が相対を好むとすれば、この世界でいったいどのような存在を好むと思いますか。感覚がない鉱物のようなものでしょうか。鉱物ではありません。植物でもありません。植物よりは動物のほうがより関心事になるでしょう。このように見るとき、この被造物の中で神様の関心事になり得る中心存在とは何かと尋ねれば、幼稚園児であっても、人間だと指摘するでしょう。皆様は、そのように思いませんか。このように見れば、人間は被造物の中で最高傑作だということを否定できないのです。ですから、神様も対象を訪ねていくとすれば、人間を除いては訪ねるべき対象がないという結論が出てきます。

今日、この複雑な情勢の中で、今後のアメリカの運命や、あるいは世界の運命を考えるとき、神様がいれば良いのか、いなければ良いのかという問題は、深刻に考えてみる問題にならざるを得ません。

絶対者がいて、真は真とみなし、悪は悪として処断することができれば良いですが、そのようなお方がいないとすれば、今後の世界は問題にならざるを得ません。ですから、神様がいないより、いるほうが良いというのが、私たちの願いです。ですから、神様がいるか、いないかということが問題です。

2. 二性性相の神様

この宇宙は、存在世界であることを私たちは知っています。それは誰もが認めています。存在するためには、力がなければならないことを知っています。その力が存在するためには、力が先か、存在が先かということが問題です。力がなければ、存在もありません。ところが、その力というものは、作用をせずには現れないのです。力がある前に、作用という現象が必ず必要です。

また、作用をするためには、そこには必ず先行条件として、主体と対象が絶対必要だということを否定できません。この主体と対象が授受するところから作用が始まり、作用が始まることによって力が存続するのです。言い換えれば、力が存在する前になければならないものとは何かというと、主体と対象だというのです。

主体と対象は互いに異なる立場にあるので、これらが作用をするためには、互いに相手の内容に合うようにしなければならないのです。そのようにしなければ作用することができません。ですから、主体と対象が作用するためには、主体の目的と対象の目的が一致できる基点がなければならないのです。そうでなければ作用しないというのです。

私たちが何かの用で外に出ていくとき、自らが損をするために出ていく人はいないでしょう。ニューヨークのタイムズ・スクエアを大勢の人々が往来していますが、その人々が家から出るとき、「私はきょう、一ドルでも損をするために家から出ていく」といって出てきた人は一人もいないはずです。出てくる時は、必ず自分に利益になることを望み、自分にプラスになる何かを望んで出発するのです。

皆様が友人たちに会って交流するとき、お互いがマイナスになり、今よりも悪くなりかねない立場では、絶対に一つにならないのです。甲と乙の二人が一つになるには、今よりプラスになる共通の目的があるからこそ、そこで作用が起こり、一つになるということが起こるのです。このように見るとき、力が作用するには、二重目的、すなわち主体と対象が互いの目的にプラスになるものがなければ、一つになることもなく、作用もしないという結論を出すことができます。

原子を例に挙げれば、原子は陽子を中心として電子が取り囲んでいます。それもやはり、二つの目的を結合して与え合う立場にあるので、一つの原子型を形成するのです。ですから、電子の目的と陽子の目的が追求するものを中心として、合わせているのです。大きく見れば、神様も存在者です。神様が存在するならば、実存体としていらっしゃるのです。そうだとすれば、神様もやはり主体と対象の関係になっていて、完全に与え合うことができる二重目的を中心として、結合した位置に立たなければ、永遠に存在することはできないのです。それは、神様も結局は、主体と対象が一つになって、お一人の神様としていらっしゃるという話です。

3. 神様のかたちに創造された人間

聖書の創世記第一章二十七節を見れば、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」という聖句があります。それを帰納的に追究してみれば、神様は、一人の男性と一人の女性を合わせた方だという結論が出てきます。

そのような神様が一人でいてはいけないので、対象を必要とされ、そのために、この世界を創造せざるを得なかったというのです。それで、造られたのが一人の男性であり、一人の女性です。一人の人について見ても、人には心と体があります。この心と体が与え合うのです。もしこれが食い違ってくると苦痛を感じるようになります。どちらか一方が傾くというのです。しかし、これが一つになって上がっていけば喜びがあるのです。これが完全に一つになった男性がいるとすれば、彼は完全な男性です。

もし絶対者がいるとすれば、どのような男性を要求するでしょうか。そのような男性を要求するでしょう。女性も同じです。心と体が完全に一つになった女性がいるとすれば、神様は、その女性に会おうとせざるを得ません。絶対者の威信から見ても、最高の男性、最高の女性に会わなければならないというのです。そのように、天のみ前に堂々と立つことができる人を天は求めるのであり、私たちも望むのです。

私たち人間を見れば、原因的な存在ではないことを否定できません。人は結果的な存在です。皆様は、存在する、しないを自由に決めることができますか。できません。原因になれないので、結果的な立場にいることを否定できないのですが、結果的な存在も、原因が絶対的ならば、絶対的な相対の位置に立つことができるのです。

4. 人体の神秘を通して見た神様の実在性

皆様。神様がいるか、いないかについて、少しの間お話ししてみましょう。私たちが人類始祖を求めてさかのぼれば、最初の人類始祖が出てくるでしょう。その人類始祖は大地で生まれたのです。その生まれた最初の人間が、大地に生まれるとともに、太陽があることを、それ自体が知っていて準備して出てきたか、そうでなければ、それ自体は知らずに出てきたかということを考えてみます。

この地に出てくるとき、目は太陽があることを知らなかったでしょう。しかし、それ自体は知らなかったとしても、あらかじめ天体に太陽があって、見ることができることを知り、目をそのように生じさせたのです。皆様の目を見るとまばたきしています。それは、地の熱を受けて目の水分が蒸発するので、湿らせなければならないことを知っていたからです。また、まつげは、ほこりを防止しなければならないことを知って生じました。これを見れば、人間は博物学的、天文学的知識を基盤として生まれたということです。

そして、目はあらかじめ汗が流れてくることを知っていました。それを知って、この貴重なところに異物が入れば大変なことになるので、防波堤をつくっておいたのです。そして、人が立って行き来することを知っていたというのです。また、耳を見てください。あらかじめ音波が来ることを知って、それを聞き取れるようになっています。また、鼻を見てください。鼻がなぜこのように下に向かうようになっているのかというのです。鼻に汗や雨水が入ってはいけないので、防波堤をつくって下に向かうようにしたのです。すべて知ってつくられたというのです。それらが自然にそのようになるでしょうか。

このように私たちの人体を見れば、神秘の王宮のようになっています。これがただそのままそのように生じることはありません。このように見るとき、人間が生まれるとき、自分自身は知りませんでしたが、それを知っていた方がいたか、いなかったかということが問題になります。そのように生まれたことに対して、「ただ生まれた」とは言えません。それをあらかじめ知っていた方が誰かというと、神様でいらっしゃいます。

5. 神様との関係から見た人間の本然の価値

それでは、神様が人間を造ったとすれば、私たち人間をどのような立場に置いて、どのような関係を結ぶために造ったのかを調べてみましょう。神様が人間を造ったとすれば、造った神様の目的があったはずです。また、そのように造られた人間ならば、その人間自身にも目的があるのです。造られた人間の目的と造った神様の目的が別々だということはありません。必ずある一致点がなければならないというのです。その立場は神様も望み、私たち人間も望むでしょう。

ここに来た人々の中で、世界的に著名な大統領がいらっしゃるとすれば、その大統領よりも偉くなりたくないと思う人がいますか。偉くなりたいと思いますか、偉くなりたくないと思いますか。偉くなりたいと思うのです。最高に偉くなりたいと思います。世界で一番偉い人がいれば、その人と関係を結びたいと思うのが人間の欲望です。

そして、その偉い人を中心として一つになったとしても、それよりも偉い人がいれば、その人とも一つになりたいのです。男性も女性もそのような思いをもっています。いくら愚かな人だとしても、そのような思いをみなもっているというのです。もし天地を創造した絶対者である神様がいらっしゃるならば、その神様と関係を結びたいと思うでしょうか、結びたくないと思うでしょうか。

そして、その神様を占領したとしても、神様の中にただ一つしかない愛を占領できないときは、安心できないというのです。神様を占領し、神様の中に一つしかない愛までも占領すれば、万事OKです。そのお方の愛さえ占領する日には、そのお方のものは、私のものになるというのです。良心は私たちを、そこまでせき立てる作用をします。本来の人間は、そのような価値のある立場にいるので、そのような作用をしていることを否定できません。

神様は愛の神様ですが、私たち人間を愛そうとするならば、どのような立場で愛したいと思われるでしょうか。また、私たち人間は、どのような立場で神様の愛を受けたいと思うでしょうか。その立場は父子関係、すなわち父と息子の立場しかないというのです。ですから、今日、キリスト教で「父なる神」と呼ぶのです。父と息子なら上下関係です。人間の欲望を見るとき、その高い父の位置に私も一度行きたいと思わざるを得ないというのです。ですから、神様はそれまでも心配して、私たちの心、すなわち内的なところに入ってきて、私たち人間自身を外側、すなわち神様の体と同様の立場を許諾しようというのです。そのようになれば、同等な立場に立つようになります。

人間で見るとき、その父が貴いとすれば、一人しかいないその父を、どこかに持っていって保管したくはないのです。あの遠いところに置きたくないというのです。いつも自分と共にいて、自分だけに会い、自分だけが喜べるところに持っていって置いておきたいと思います。ですから、神様が見えないことを願うのです。神様をどこかほかのところに置いてはいけないというのです。私だけが分かる心の中に置きたいというのが、私たち人間の欲望であるに違いありません。

ですから、創造主である神様は、被造物である私たち人間を神様と同じ立場に置くというのです。私たち人間を、神様の息子の立場で愛することができるように、神様と同等な立場に立ててくださったのです。

神様は天地を創造する能力をもったお方なので、その創造の能力までももつようにさせたかったというのです。神様が人間を創造したあと、私たち人間を造ってみると、どれほどかわいく、愛らしかったのか、そのような妙味までも、私たち人間が感じるようにさせたいと思われたというのです。

その神様の創造の能力を受けようとするなら、神様はお一人の中に完全な男性と女性の姿でいらっしゃるので、分かれて生まれた男性と女性も、完全な男性と女性が一つになって、神様の相手にならなければなりません。神様の相手になることによって、創造的役割を身代わりできるのです。

ですから、夫婦の愛を通して一つになることによって、神様のような立場で創造の能力を果たせるのが子女です。赤ん坊を生んで、どれほどうれしいかということを私たちに感じさせるために、神様は子女を愛する心を下さいました。このように見ると、神様は最も良いものを私たち人間に、すべて注いでくださったというのです。このように、永遠であられる神様の愛と一つになって、幸福と満足の中で、平和なエデンで生きるように私たち人間を造られたのです。そのようになることによって、絶対的な神様のみ前に、神様の愛を中心として永遠に相対となる立場で、別れようとしても別れることができない幸福な人として生きるのが、人間の本然の姿だったということを、私たちは知らなければなりません。

6. 世界を救うべき宗教の使命

絶対的な神様が造られた存在物は、一つの目的をもたなければならないことは間違いありません。それでは、神様の愛を中心として、絶対的な相対の立場に立った人間がこの地にいると思いますか。いません。絶対的な神様が造ったので、一つの目的を指向する人間になるべきですが、人間を見れば二律背反的な、反対の目的となるもう一つの道に立っているのが分かります。ある人はこれを、人における主体と対象の関係と見ますが、そうではありません。良心が内的なプラスだとするならば、邪心はまたほかの一つのプラスなのです。ですから、反発が起こるのです。そのような立場に立っているのが、この地上に生きている私たち人間です。

神様が私たちに高貴な偉業としてくださった愛の理念、絶対価値の理念を喪失してしまい、反対の二つの現象世界で呻吟して生きる悲惨な人間だということを知らなければなりません。言い換えれば、故障した人々になっているというのです。ところが、絶対的な神様は人間に相対するしかないので、このような人間をそのまま放置することができず、歴史過程を通して再生させる運動をしてきたというのです。すなわち、修理工場を造ったのですが、それが宗教なのです。

世界には多くの宗教がありますが、文化が異なり、あるいは民族の背景が異なるので、その基準によって、多くの宗教を立てて糾合してきたのです。宗教が望む目的は、世界を救うことです。神様が望む目的も、世界を救うことです。世界を救おうとする宗教でなければ、長く存続できません。

皆様、宗教指導者たちは、民族主義者ではなく、世界主義者であり、天を中心とした世界的な運動を提示した人々です。私たちは今、四大聖人として、イエス・キリスト、釈迦牟尼、孔子、ムハンマドを挙げます。ある人はソクラテスを挙げていますが、ソクラテスは哲人であって聖人ではありません。知識では生命を救うことができません。天だけが生命を左右するのです。

ですから、四人聖人とはどのような人々かというと、すべて世界的な大宗教の教主になっています。天に仕えなかった人はいません。皆様、聖人を尊重しながら、天を無視する人になってはいけないというのです。

7. 世界的中心宗教はキリスト教

したがって、この修理工場のような使命を宗教がするのですが、神様が絶対者ならば絶対者が一番好む宗教とはこの四大宗教の中でどの宗教かということを、私たちは知らなければなりません。儒教を見れば、神様に対するはっきりとしたことを教えられませんでした。善を行えば天が福を与えて、悪を行えば災いを与えるという程度しか教えることができなかったのです。仏教を見れば、法則的な神様は認めますが、人格的な神様は知らずにいます。また、イスラームを見れば、これはキリスト教を受け継いだ中間的な宗教です。

ところが、ただイエス・キリストだけは、主張した内容が異なります。彼が現れて「私は神のひとり子だ」と言いました。人類歴史上に、神様のひとり子だと主張した人は、イエス様しかいないのです。その次に「わたしを見た者は、父を見たのである」(ヨハネ一四・九)と言いました。「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ一〇・三八)と言いました。それだけでなく、「私は花婿であり、あなたがたは花嫁である」という立場で語られたのです。このようなことを見るとき、誰を中心としてこれを成し遂げようとしたのかといえば、神様を中心として成し遂げようとしたというのです。言い換えれば、神様を中心として息子になり、一つの体になり、一つの新郎新婦になり、一つの家庭をつくろうというのがキリスト教の目的なのです。私たち人間に最高の価値として与えられた息子の位置と同等な立場、そして創造の偉業と創造したそれ以後の喜びまでも感じられる家庭的起源を、イエス様は教えてくださったのです。

8. キリスト教の限界

ところが、イエス様は神様の息子であり、天の父と一体になりましたが、相対である新婦を準備できませんでした。もし、イスラエルの国とユダヤ教が、その時、イエス様と一つになった立場で、イエス様が新婦を迎えられるようにしたならば、イエス様は神様と直接の相対となって、創造の能力を発揮できる基盤をもったはずですが、それを成し遂げることができずに逝きました。

このような神様を中心とした息子、娘が出てきて、家庭をつくって、新しい氏族と民族と国家と世界になったとすれば、この地球星はすぐに天国になったでしょう。神様を中心とした天の国になったでしょう。イスラエルの国の人々が信じることができず、ユダヤ教徒たちが信じることができなかったためにイエス様が死んだのであって、信じたとすればイエス様は死ななかったでしょう。

もし、そのとき、イスラエルの国とユダヤ教がイエス様を信じて、神様が理想としていた新郎新婦を迎えて新しい出発をしていれば、第二次世界大戦中に六百万人のユダヤ人がヒトラーに虐殺されることもなかったでしょう。歴史始まって以来、初めて現れた、神様の対象となり、神様が愛することのできるお方を打ってしまったので、そのようになったのです。それ以上に大きな罪はないというのです。

今、ここにもイエス様を信じる人が大勢来ていると思います。しかし、皆様の信じているキリスト教がこのまま進んでいけば、追われていくイスラエル民族のようになるかもしれません。今日、全世界に散らばっているキリスト教徒たちは、神様を中心として一つになり、再び来られる主がこのような使命をもって来られるので、再び追放することがないように基盤を築く運動をしなければ、今後、この世界の展望は悲惨だと見ざるを得ません。

そのお方が来て、新郎として新婦を迎えて婚宴をするというのが、ヨハネの黙示録に出てくる「小羊の婚宴」です。堕落したために、私たちは偽りの父母をもちました。神様がモデルとして考えていた善の真の父母は出てきませんでした。このように計画していたことを、終わりの日に来て、再び合わせなければならないというのです。真の父母が現れて、再び生み、再び接ぎ木するみ業をしなければ、世界のすべての人は救援されないのです。

9. 新しい愛の理想世界建設のために出現した統一教会

今後、来られる主はどのような使命をもって来られるのでしょうか。堕落せずに善の父母の立場で完成する真の父母を失ったので、それを再び完成して、神様の愛を受ける真の父母の家庭から人類が再び愛される道を開くために来られるお方が、再臨主です。

神様の愛を受ける息子、娘たちがこの地で生きて、家庭的に天国に行くのが幸福でしょうか。今日、キリスト教で信じるように、ただよく信じて、母は天国に行き、父は地獄に行くようになって、別々に別れていくのが幸福でしょうか。父母から子女に至るまで、全体が入らなければならないというのです。家庭が入り、氏族が入り、国が入り、世界がすべて入らなければなりません。

このような新しい父母を中心とした世界的な家庭がこれから生じ、そこから人類歴史上になかった新しい愛の理想を中心とした文化と伝統がこの地球星に顕現するようになるとき、今日のこの複雑で罪悪に満ちた世界ではなく、新しい地上の天国になるのです。そのようになるためには、皆様がどのように手続きを踏まなければならないのかを知らなければなりません。ですから、そのような内容を教えるのが、私たち統一教会の使命です。

膨大な内容をこのように要点を整理して短時間で話そうとするので、飛躍も多く、理解しづらい点もあったかもしれませんが、皆様が了解して聞いてくださったことに対して、心から感謝を申し上げます。

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第三篇 2 キリスト教の新しい未来

第三篇 2

キリスト教の新しい未来

日付:一九七四年三月九日

場所:アメリカ、バーミンガム、ハイアット・ホテル

行事:アメリカ三十二カ都市巡回大講演会

今晩このように集まってくださった紳士淑女の皆様。心より感謝申し上げます。きょう皆様と共に考えようと思うタイトルは「キリスト教の新しい未来」です。このようなタイトルで、少しの間お話しいたします。皆様がよく御存じのとおり、アメリカといえば、キリスト教を中心として世界で一番の国家です。

1. 神様のみ旨成就のために来られる主

きょう、お話しする内容は、今日、私たちの信仰生活、あるいは従来の神学を通して知ることができ、学ぶことができる内容に関するものではなく、全く新しい分野のものですので、アメリカの多くの国民が聞かなければならないものだと思います。そのために、私がここに現れるようになった次第です。

今、終わりの日がやって来たので、歴史的な事件や事実を明確にしておかなければなりません。私は、神様から「三年間アメリカに行って宣べ伝えなさい」というみ言を聞き、一九七二年から一九七三年と一九七四年の今年まで、アメリカの皆様を訪ね、津々浦々でこのように壇上に立つようになりました。その点を理解してくださるようにお願いします。

皆様も私も、神様のみ旨のために生き、神様のみ旨を成就する兄弟の立場にいることを理解して寛容な気持ちをもち、皆様が信じてきた信仰生活と相反するからといって、それを直ちに判断なさらずに、深い祈りの中で、あるいは瞑想の中で探知、探求して判断してくださることを願ってやみません。

キリスト教は今まで、二千年間、再臨主を待つ信仰生活をしてきたことを私たちは知っています。しかし、今は終わりの日がやって来たので、信じるだけではなく、来られる主を迎えるために準備をしなければなりません。その段階を経ていかなければならないと思うのです。

私たちが一つの小さな大会を行うときにも、プログラムを組み、そのとおりに間違いなく動いてこそ、その大会を円満に終えることができます。今日、主が来るというこの事件は、歴史始まって以来最も大きな事件であり、人類歴史上で最も重要な事件なので、それが盲目的に漠然となされるとは考えられません。ですから、私たちは今、その内容がどのようなものなのかを知らなければならないのです。

例えば、皆様がバーミンガムに向かって汽車に乗っているときは、汽車に乗ってさえいれば安心して目的地に到着することができますが、一度バーミンガムに到着すれば、行くべき新しい方向と目的が明確でなければならないのです。今まで信じていたキリスト教の中で、主が来ることを準備するある団体が存在しなければならないということは、理論的に明白な事実です。

主は間違いなく来なければなりません。それでは、主はなぜ来るのでしょうか。神様のみ旨成就のために来ます。それでは、神様のみ旨とは何ですか。今日、信仰する人々は、神様が救援摂理のみ旨を通して摂理すると思っていますが、本来、神様のみ旨は一つしかあり得ないことを知らなければなりません。

今日、この救援摂理というものは、神様が本来計画した創造理想世界において必要だったものではありません。人間が堕落することによって、神様のみ旨を成就できなかったために、そのみ旨を再び取り戻していく過程が救援摂理だということをはっきりと知らなければなりません。

神様が決められたみ旨に背くことはできません。神様は絶対的なお方なので、そのみ旨を完成させてこそ、権威を保て、堂々とした立場に立つことができるのです。これが事実である以上、目的としていた本然の基準で堕落した人間を完成させることができなければ、神様が絶対的な神様になれないことを、私たちは知らなければなりません。

2. 人類救済のための神様のみ旨とキリスト教の使命

それでは、人類の先祖アダムとエバが堕落しなかったならば、どのような世界になったでしょうか。神様の愛の中で保護を受けて彼らが完成していたならば、神様がアダムとエバを呼んで祝福し、結婚式をしてあげたでしょう。そのために男性と女性を造ったのです。

もしそのようになったとすれば、この地球星には、堕落した人類の先祖ではなく、神様の愛される、罪のない完成した人類の真の先祖が暮らすようになり、真の父母になっていたはずです。つまり、神様が本当に愛することのできる真の新郎と真の新婦が、この地上に誕生していたというのです。お互いが怨讐の兄妹ではなく、完全に神様のみ旨に協助する、神様の愛の中にいる神様の真の兄妹がこの地上に生まれたでしょう。そうすることによって、神様を中心とした家庭をこの地球星に形成し、罪のない父母として罪のない息子、娘を生んで、罪のない氏族、罪のない民族、罪のない国家、罪のない世界をつくり、この地球星の人類は、名実共に神様の主管を受け、神様はこの地球星の王になったでしょう。そのような結論になります。

そうなっていたとすれば、救世主は必要ありません。宗教は必要なく、祈祷は必要ありません。救世主が必要で、宗教が必要で、救援が必要になったのは、堕落の産物だからです。それを、今まで知らなかったというのです。

救援するというのは、落ちたからです。病気になったので、病人を直す病院が必要であり、故障したので修理する工場が必要なのです。ですから、宗教とは何でしょうか。修理工場と同じであり、病院と同じです。それはすべて救援です。病気になったので、救援が必要だということです。このような原則的な基準を、今日、キリスト教は規定しておかずに、漠然と無条件に信じていますが、それではいけないというのです。

それでは、この世はどのような世の中なのかについて、聖書を通して調べてみましょう。ヨハネによる福音書第十二章三十一節を見れば、「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう」とあります。「この世の君」とはサタンのことです。なぜサタンが、人類の王になることができたのでしょうか。それは、人類が堕落したからです。神様とサタンとは怨讐関係です。人間始祖が偽りの夫婦関係によって堕落することで、私たち人類は堕落した先祖をもったのです。

そして、互いに殺し合う偽りの兄弟関係が成立したというのです。夫婦が罪のある息子、娘を生んで、罪のある家庭から罪のある氏族、罪のある民族、罪のある世界に広がっていったのです。ですから、自動的に悪魔サタンが王にならざるを得ないというのです。

このような世の中から、罪のない世の中に移行させなければなりません。それが救援です。移すということは、救援であり、復帰だということを知らなければなりません。本来、神様のみ旨とは、救援ではありません。ですから、本来の神様のみ旨に戻らなければなりません。メシヤが来る目的は、神様のみ旨を成就するためのものです。神様のみ旨とは何でしょうか。悪魔サタンから世の中の人をすべて救い出すことであり、最後には悪魔サタンを屈服することです。

今日、皆様が暮らしているところには、人間が罪を犯せば、それを讒訴する悪魔サタンがいます。それを屈服しなければなりません。今日のキリスト教は行くべき目的が何かを知らずにいます。「私一人が救われて天国に行こう」というのは、本当の救いではありません。人類を救援することが神様のみ旨であり、人類を滅ぼし蹂躙する悪魔サタンを、この地球星から永遠に追放することが、神様のみ旨だということを今まで知りませんでした。

そのような世界を復帰するためのメシヤを、そのまま個人の次元でサタンのもとに送れば、サタンが捕まえてその命を奪います。ですから、個人から家庭と氏族を経て、民族を経て、一つの国家形態を用意しておき、その国家の国民が一つになったところに、世界を料理するために送られたお方がメシヤです。それを準備すべきユダヤ教であり、選民だったということを、ユダヤ教の信者は知らなかったのです。その延長として世界的な主が再び来るときにも、そのみ旨は同じなので、世界的な終わりの日が来るとき、そのみ旨を拡大して、世界的な足場をつくるのがキリスト教の使命であることを知らなければなりません。

3. 聖書に見るユダヤ民族がイエス様の命を奪った背景

それでは、今から問題になるのは、主がいかにして来るのかということですが、これを私たちははっきりと知らなければならないというのです。聖書のみ言を通して見れば、終わりの日については、イエス様御自身が、「天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」(マルコ一三・三二)とおっしゃいました。ですから、いかにして来るのかという問題については、神様と談判して知る道と、私たち人間の知恵で求めて知る道があり、その道は昔、メシヤ、主がどのように来て、逝ったのか、ということから判断して知ることができるのです。その二つの道しかないことを、皆様は知らなければなりません。

皆様がもし神様と談判し、霊界に入って啓示を受けて分かったとしても、それを信じることができますか。このレバレンド・ムーンがそのような話をしても信じることができないというのです。ですから、はっきりとした証拠のある内容によって、真理に基づいた提示をしなければなりません。それゆえに、来られたメシヤについてはっきりと知ることによって、未来を推測することができるのです。それは言うまでもないことです。

今日、キリスト教でメシヤが来ることを願うのは、あたかも今から二千年前にユダヤ教徒たちがメシヤを望んでいたのと同じ立場です。今のキリスト教を見れば、二千年間メシヤが来ることを望んできましたが、ユダヤ教を見ると、神様はアダム以降、四千年間数多くの預言者を送って犠牲にさせながら、メシヤを遣わしてあげようと約束したのです。神様がメシヤを送ると約束したので、その民族は、そのお方が来るとすれば、鉄石のように固く一つになって神様のみ旨を成し遂げようと精誠を込めて信じてきました。

ですから、神様はメシヤであるイエス・キリストを約束どおり、その民族に送りました。また、約束どおり、その民族は受け入れなければならないという立場に立っていました。ところが、メシヤが来ることを願った民族が、メシヤを受け入れたのではなく、むしろ迫害し、捕まえて命を奪ったのです。皆様、それがなぞではないでしょうか

その事件を例えて言えば、メシヤが来ることを願っている今日のキリスト教徒たちが、メシヤが来たにもかかわらず、カトリック教会の最高指導者であるローマ教皇や枢機卿、司教、あるいはプロテスタント教会の牧師のような人たちがすべて動員され、メシヤを捕まえて命を奪ったのと同様の結果をもたらしたというのです。簡単に「死ぬために来た」という話は通じません。理論的に合わないというのです。死ぬためならば、何のために彼らを訓練し苦労させてきたのですか。四千年の間、数多くの預言者の命を捧げさせ、イスラエル民族に大変な苦労をさせてまでメシヤを送る理由が分かりません。準備していない悪党のもとに送れば、どれくらいよく葬ってしまうでしょうか。このように言えば、口があっても答弁できません。

ですから、ユダヤ民族が、そのように待ち望んだメシヤを神様が送ったにもかかわらず、どうして彼らはメシヤを捕まえて命を奪ったのかというその原因を、はっきりと知らなければなりません。このような話を初めて聞くからといって、あまり深刻になりすぎないようにお願いします。なぜ捕まえて命を奪ったのかという問題を知らなければなりません。

なぜそのようにしたのかというと、第一に、旧約聖書の内容がそうするようになっています。皆様が御存じのように、旧約聖書のマラキ書は、新約聖書のヨハネの黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と鉄石のように固く預言されているという事実を、私たちは知らなければなりません。

エリヤはどのような人だったかというと、イエス様が来られる約九百年前に、火の車に乗って昇天した人です。神様がこの民を愛して、このように時を決めてエリヤを送ろうといったので、火の車に乗っていったエリヤ自身が降りてくるものと思い、そのように信じたのです。「エリヤが来る」と聖書にはしっかりと書かれているのに、エリヤそのものは来ませんでした。旧約聖書はどのような本かというと、イエス様まで約二千年の間、イスラエル民族の思想の基調となり、ユダヤ教の信仰の中心となっているとともに、全生命を傾けて信じてきた本です。そのような旧約聖書を、イエス様の話を聞いて簡単に捨てることができるのかというのです。

皆様、それを信じますか。その話は、主が雲に乗って天から降りてくることを信じ、それを願っているのに、突然、ある人が来て「私が主である」と言うのと同じことです。それを今、キリスト教は信じることができますか。そのような事件であるがゆえに、イエス様が御苦労されるしかなかったのだということを、イエス様のみ言を通して調べてみることにしましょう。

マタイによる福音書第十七章十節以下を見てみましょう。イエス様の弟子たちは聖書の内容をよく知りませんでした。無知な彼らがイエス様を救世主として信じて伝道に出掛け、「メシヤが来たので信じなさい」と言うとき、祭司たちが「おいおい、あなたたちの先生がメシヤだとすれば、マラキ書のメシヤが来る前にエリヤを遣わすとある、そのエリヤはどこに来たのか」と言いました。ところが、弟子たちはその意味が分からないので、イエス様に尋ねる場面が出てきます。

エリヤそのものが来なかったので問題です。聖書に、「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった……」。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ一七・一〇~一三)と書かれています。

洗礼ヨハネはエリヤそのものですか。皆様なら信じますか。エリヤが来てもいないのに、洗礼ヨハネがエリヤだと言うのです。それで、「あなたが洗礼ヨハネをエリヤだと言うのは、メシヤを装うためだ」と言って、イエス様に対して疑い、彼を、約二千年間神様が立てたイスラエル選民を滅ぼし、ユダヤ教を滅ぼそうとする親王だと言い、悪霊の頭ベルゼブルだと断定してしまいました。「間違いなく悪魔サタンの息子だ。エリヤは来ていないのに、エリヤが来たとこじつけるやつを、誰が救世主として信じるというのだ」と思ったのです。

4. 旧約聖書を間違って解釈し、イエス様の命を奪ったユダヤ民族

今まで、ユダヤ教はキリスト教と怨讐の関係にあります。ここで私たちは、聖書がどのようなものかということを知って、その怨讐関係を越えていかなければなりません。サタン世界において神様のみ旨を成就できる人や家庭や国家をつくるためには、彼らは怨讐国家に送られた情報部員と同様の立場なので、神様は、彼らに情報をあからさまに指示したとすれば、彼らは捕らえられ、みな滅びるようになるのです。

ですから、神様は暗号で指示せざるを得なかったという、その記録が聖書であることを知らなければなりません。アメリカ中央情報局(CIA)がソ連に情報部員を送るとき、手紙で「このようにしなさい」とあからさまに書いて送るでしょうか。暗号でその指示を送るのです。もしその指示内容をはっきりと教えてしまうならば、情報部員はみな捕まえられ、その命を奪われるでしょう。これと同じように、神様はユダヤ教徒に彼らの任務を暗号で教えてあげ、終わりの日に遣わすメシヤの命を奪われない環境をつくり、教えてあげて、導くべき神様のみ旨があったことを知らなければなりません。

ところが、ユダヤ教徒たちは、暗号で書かれた旧約聖書を解き間違えて、メシヤの命を奪ってしまったということを知らなければなりません。CIAの局長が、その暗号を最もよく知る人物であるのと同様に、旧約聖書の暗号を最も的確に解くことができるのは神様しかいないのです。

そこで、神様のみ旨を成就するためには、必ず神様はあらかじめ教え、時を迎えたあとに再び教えるのです。アモス書第三章七節を見れば、「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」とあります。

しかし、旧約聖書を信じていた人々が、旧約聖書を解き間違えてしまったために、来られたメシヤの命を奪うという歴史的な罪を犯してしまった事実を、私たちはよく知らなければならないのです。その時のユダヤ教の信者たちは、それでもまだよいというのです。洗礼ヨハネをエリヤだと主張するイエス様がなされたことは、当時のユダヤ教徒から見ると尋常でありませんでした。数多く奇跡を行い、歴史始まって以来の新しいみ言を語り、奇異なみ業をたくさん行うのを見たとき、それを否定もできず、かといって肯定もできないので、「さあ、それなら洗礼ヨハネをエリヤだと主張するのだから、彼がエリヤなのかどうか一度尋ねてみよう」といって議論が始まりました。

そのことが、ヨハネによる福音書第一章十九節以下に記されています。洗礼ヨハネに、「あなたはどなたですか。……あなたはエリヤですか。……では、あの預言者ですか」と尋ねたとき、洗礼ヨハネはエリヤであることを否定しました。エリヤ自身ではなくても、また、あの預言者(申命記一八・一八)ではないにしても、洗礼ヨハネは、自分が預言者の中の一人だということを強調しなければならなかったのです。にもかかわらず、それを否定してしまいました。

それはなぜでしょうか。自分のことを預言者の一人であるとイスラエルの人々がせっかく信じているにもかかわらず、なぜ否定したのでしょうか。既にイエス様の言動を不信する状況が起こっており、事態が不利になっていたというのです。やがて国から追われるイエス様であり、教会からも追われる立場にあったイエス様でした。イエス様が語ることを問題視したユダヤ教の指導者やパリサイ人たちが、イエス様を葬り去ろうと話し合っている実情を感じ取っていたというのです。

このように、洗礼ヨハネは、人間中心的な立場に立ったために、天を代弁することができず、エリヤではないと言ったのみならず、自分は預言者の中の一人でもないと否認してしまいました。ですから、人々はイエス様の話を信じるでしょうか、洗礼ヨハネの話を信じるでしょうか。現代のアメリカで言えば、ある若者が出てきて、「ビリー・グラハムはエリヤであり、私は再臨のイエスである」と言えば、それを誰が信じますか。歴史が交錯する中で、同じように、神様が、アダム以降、約四千年間準備してきた摂理歴史の中で、ユダヤ民族を信じ、希望を抱いてそのもとにイエス・キリストを送ったにもかかわらず、ユダヤ民族が無知のために不信してイエス様の命を奪ったという事実を否定できません。

それが事実なのか、そうでないのか、新約の使徒たちを通して一度調べてみましょう。イエス様の十字架後の初代教会のとき、ユダヤ教徒たちやイスラエル民族がイエス様の弟子たちを迫害するとき、その一番の扇動者であり、代表者として立ち上がった人とは誰かというと、使徒パウロでした。ステパノの命を奪うことにも賛同しましたが、他のイエス様の弟子たちの命を奪おうとダマスコに行く途中、天からの光に打たれて悔い改め、イエス様を証した人が使徒パウロです。

使徒パウロは、イエス様がメシヤであったことを誰よりもよく実感したので、使徒行伝第十三章四十六節で、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ」と堂々と宣布しました。

このようにして、来られた主が、当時のユダヤ民族の不信によって悲しみの十字架の道を行かざるを得なかったことが、どれほど胸の詰まることかを、私たちは考えもせずに、ただ無条件に十字架を信じてきました。本当なら、ユダヤ教徒の不信によって死んではいけないイエス様が死んだにもかかわらず、「死ぬために来た」と信じてきたのです。ですから、どうしてイエス様の前に行けるでしょうか。救いを受けても、行って会う自信がありますか。

5. 洗礼ヨハネの失敗によって亡くなったイエス様

ユダヤ教徒は、旧約聖書を文字どおりに信じ、エリヤが来てもいないのに、自分こそメシヤだと言うイエス様の命を奪ってしまったのですが、その一方で、洗礼ヨハネはどうなったのでしょうか。マタイによる福音書第十一章二節以降を見ると、洗礼ヨハネがヘロデ・アンティパスの結婚の不道徳問題に口をはさみ、獄中に入れられて死ぬような運命に置かれたとき、自分の弟子たちをイエス様のところに送って「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねます。洗礼ヨハネは、イエス様をメシヤとしてよく信じましたか、信じませんでしたか。かつてヨルダン川のほとりで、多くの群衆に「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ一・二九)と証したのに、どうして再び尋ねる必要があるのですか。かつて証したその同じ口で、人を送って「あなたはきたるべきかたですか、ほかの人を待つべきでしょうか」と尋ねたというのです。

この話を聞いたとき、イエス様は、世の中で自分を認めてくれる人が一人もなく、国全体が反対する中、わずかな生命線のような一縷の希望としていた洗礼ヨハネまで、最後に来て「メシヤなのか、違うのか」と尋ねたので、どれほど胸が詰まる思いがしたか考えてみてください。ですから、六節で「わたしにつまずかない者は、さいわいである」と指摘したのです。

そして、七節以降では、洗礼ヨハネがヨルダン川のほとりでイエス様を証するとき、群衆が見聞きしたことを風刺的に指摘したのです。イエス様は、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる」と語られました。そして、十一節では、「あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」と言いました。どうして、そのような矛盾する話を語ることができるのですか。あの世に行っている預言者も、すべて女性を通して生まれたのであって、石の間から生まれたのでしょうか。すべて女性から生まれ、洗礼ヨハネも女性から生まれ、イエス様がメシヤであると証したのですから、あの世でも大きな存在でなければならないはずなのに、彼はなぜ小さくなるのかというのです。

なぜかというと、あの世に行っている過去の預言者たちは、歴史的な距離をおいてメシヤを証してきましたが、預言者として送られた洗礼ヨハネは、直接的にメシヤを証する使命をもっている立場なのですから、一番大きくならざるを得ないのです。

しかし、なぜ天国では最も小さい人も洗礼ヨハネよりは大きいと言ったのでしょうか。霊界に行っている最も小さい預言者も、イエス・キリストをメシヤだと思って迎えます。ところが、洗礼ヨハネはイエス様を証し、イエス様に直接従って、大きい人になるべきだったにもかかわらず、それができなかったので、最も小さい者になるしかないというのです。このような内容でおっしゃったことを知らなければなりません。

事実かどうか、十二節を見てみましょう。「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」とあり、洗礼ヨハネと、のちのイエス様の弟子との間で、天国を奪い合う争奪戦が展開していることを語っています。これは、洗礼ヨハネが自らの使命を中心として、尽力できなかったことを示しています。もし、洗礼ヨハネが努力したとすればどうなっていたでしょうか。洗礼ヨハネは、イエス様の一番弟子になっていたでしょう。

もし、洗礼ヨハネが一番弟子になったとすれば、洗礼ヨハネの弟子たちは十二弟子に入るのであり、洗礼ヨハネに従う群れが七十門徒、百二十門徒になり、ユダヤの国全体の忠臣たちがイエス様に従っていくのではないかというのです。イエス様に反対するために洗礼ヨハネを送ったのですか。それでは、洗礼ヨハネがどれほど偉大な人なのかを調べてみましょう。神様が、メシヤのために公認して送った彼は、どれほど特別な人なのか、イエス様のみ言を通して調べてみます。

十三節に、「すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである」と旧約聖書を完成させる結実的存在として来たとイエス様は宣布しました。洗礼ヨハネがイエス様と一つになれば、ユダヤ教の聖書、旧約聖書を信じていた人々はみなついてきて、一つになるようになっています。そうすれば、誰がイエス様の命を奪うでしょうか。神様の王子であるメシヤというお方は、築いておいた基盤を活用するために来られるのであって、貧しく聖書にも無知な漁夫や売春婦や取税人たちを従えさせて彼らを食べさせ、彼らの主人になり、師になるために来られたのでしょうか。

それでは、洗礼ヨハネがイエス様に従ったか従わなかったかを、もう一度はっきりと調べてみましょう。ヨハネによる福音書第三章二十六節以下を見れば、洗礼ヨハネの弟子たちがイエス様のことを聞いて、「先生、ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒にいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、そのかたのところへ出かけています」と報告すると、洗礼ヨハネは「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と言いました。これをキリスト教では「洗礼ヨハネは立派な預言者なので、イエス様をそのように高め、自分は滅びると謙遜に言った」と解説しています。

メシヤのために三年間以上苦労し、願っていたそのメシヤに出会って証したのなら、当然、死んでもメシヤのために死ななければならないというのです。これはどういうことかというと、一緒に共同歩調を取ったなら、メシヤが栄えれば自分も栄え、メシヤが滅びれば自分も滅びるべきです。それなのに「わたしは衰える」と言ったのは、「従わない」という決定的な事実をありのままに告げたことなのです。

このように見るとき、第一に旧約聖書を文字どおり信じたゆえに、第二に洗礼ヨハネの不信ゆえに、イエスが十字架で亡くなられるようになったことを、私たちは今まで知らなかったというのです。

6. 主は雲に乗って来られるのではない

その次に、第三の理由を調べてみましょう。その時にユダヤ教の人々が信じていたのは、来られるメシヤが雲に乗ってくるということです。それはなぜでしょうか。ダニエル書第七章十三節を見ると、「人の子のような者が、天の雲に乗ってきて」と預言されているので、旧約聖書を生命視する彼らは、雲に乗ってくると信じざるを得なかったのです。

ここにいる牧師先生たちは、「レバレンド・ムーンは、間違って理解したためにそのように語っているのかもしれない。そのみ言は再臨の時の話であって、イエス様の時の話ではない」と言うかもしれませんが、とんでもないことです。イエス様のみ言どおりにすれば、洗礼ヨハネの時にすべて終わるのです。旧約聖書のあらゆる預言と預言者は、洗礼ヨハネまでにすべて終わったというのです。

雲に乗ってくると思っているのに、人として生まれたマリヤの息子であり、ヨセフの息子、その兄弟をもみな知っている彼が、メシヤになる資格のある人物に見えたと思いますか。今日のキリスト教徒たちは、再臨主が雲に乗ってくると思っているのに、人として来たとすれば、その人物を信じられるかというのです。同じことです。それが使徒時代に問題になったのかどうか、聖書を通して調べてみましょう。

使徒行伝第七章五十二節を見ると、このような話があります。「いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった」と、ステパノは当時のユダヤ教指導者らの不信を断罪しています。弁明する方法が全くありません。今、私が語っているのは、すべて皆様が信じている聖書の話です。神様のみ旨を誰よりも愛し、神様のみ旨の道を正しく行こうするので、このような話を皆様にせざるを得ません。

皆様は「レバレンド・ムーンが何の権威をもって話しているのか」と言うかもしれませんが、そのような話をする権威があります。私が霊界のイエス様や、洗礼ヨハネに会ってみると、このようになっていて、またそれを聖書で探してみるとそうなっていました。両面が合ったので、間違いないというのです。皆様の信じていることが正しいのか、レバレンド・ムーンの話したことが正しいのか、世界中に尋ねてみてください。もし皆様が信じることができなくても、皆様の息子、娘は間違いなく信じるでしょう。

7. 十字架はあらゆるものを失った場

このようなことを見るとき、イエス様は本来、十字架で死ぬために来られたのではないにもかかわらず、ユダヤ民族の不信によって死ぬようになったことは、神様の悲しみであり、人類の悲しみであり、歴史的な悲しみであり、未来の悲しみとして残っているのです。私たちは、今までこのことを知らなかったというのです。旧約聖書は、メシヤが来ることを両面で預言していました。イザヤ書第九章、第十二章、第六十章を見れば、「栄光の主として現れる」と言っていますが、第五十三章には苦難を受けるだろうと預言されています。なぜこのように両面の預言をしなければならなかったのかを知らなければなりません。

私たち堕落した人間のことを、神様も恐れ、サタンも恐れます。なぜかというと、一時、神様を熱心に信じていても、すぐ裏切ってサタンと組んで神様の世界を台無しにし、またサタンと組んで一つになっていても、再び神様のもとに来て、サタン世界を滅ぼす、そのような人間だからです。ですから、神様も恐れ、サタンも恐れていることを知らなければなりません。

ユダヤ民族がイエス様を信じたなら、栄光の主となっていたはずなのに、信じなかったことによって、十字架で亡くなるようになったのですが、十字架を背負うようになったのは、急変的な事件であることを皆様は知らなければなりません。それでは、十字架で亡くなることを、いつ決定したのでしょうか。聖書を通して調べてみましょう。

ルカによる福音書第九章三十節、三十一節を見れば、「すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」となっています。変貌山上のその時に決定したというのです。

なぜなら、ユダヤ教が反対し、イスラエルの国がそうであり、洗礼ヨハネまで反対する立場に立ったので、既にみ旨を成就する足場はすべて崩れたのです。それで、神様も仕方がないので、霊と肉を中心として地上天国と天上天国の両面を救援完成しようとするみ旨を捨てて、霊的救援の世界だけでも立てるために、二次的摂理を中心とした十字架の道に送り出したのです。もし彼が十字架で亡くならなければ、両面をすべて失うようになります。仕方なく一つの分野だけでも残すために、イエス様を十字架に差し出さざるを得なかったことを、皆様は知らなければならないというのです。

今日、キリスト教徒たちは、聖書のマタイによる福音書十六章二十二、二十三節のみ言をもって、イエス様が間違いなく死ぬために来られたと主張します。そのみ言が何かというと、イエス様がエルサレムに行って死ぬだろうと言ったとき、一番弟子のペテロが、「主よ、とんでもないことです」と言いました。そのとき、イエス様は強く叱咤しました。「サタンよ、引きさがれ」と言ったのです。それで、キリスト教徒たちは「死ぬために来たイエス様が、死のうとするのに反対するので、サタンよ、引きさがれと言った」と考えています。しかし、それは変貌山上で、十字架で亡くなることを決定した以後なので、このような返事をせざるを得なかったことを、皆様ははっきりと知らなければなりません。

もし、洗礼ヨハネとユダヤ教徒とイスラエル民族がイエス様を信じたなら、どうなったでしょうか。イスラエル民族はイエス様と一つになって団結し、その時に中東圏までイエス様と一つになるのです。そうなっていたなら、ローマに対抗して四十年以内にローマを天の側に引っ張り込むのです。死んだイエス様が四百年間でローマを征服したので、生きたイエス様を中心として、四十年以内に天の国の憲法を宣布できるのです。それができれば、今日までの、プロテスタントとカトリックの歴史はなくなります。すべて、イスラエル民族の立場でみ旨が成就していったからだというのです。

み旨が成就していれば、イスラエルの国があのように悲惨に滅びることもなく、キリスト教徒たちも悲惨に血を流すこともなかったでしょう。王権を統一して、キリスト教が世界を動かすことができるようになったとすれば、誰がイエス様の命を奪うでしょうか。

世界は既に、神様のみ旨どおりに、天の国になり、世界はすべて一つになっていたというのです。主が再び来る必要もないのです。キリスト教は、このことを知らなければなりません。ですから、イエス様が十字架で亡くなったその場は、神様とイエス様がすべてのものを失った場だということを、私たちは知らなければなりません。十字架は、神様の勝利ではなく、悪魔サタンの勝利です。神様の息子を釘づけにした場です。

十字架でイスラエルの国を失い、ユダヤ教の基盤を失ったのであり、摂理史的な時を失ったのであり、ペテロをはじめ弟子たちをみな失ったのであり、のちには、右側の強盗までも死んでしまったのです。そこにはキリスト教がなく、キリスト教の出発もありません。すべて失ってしまいました。キリスト教はいつから出発したのでしょうか。イエス様の復活後、そして四十日後にキリスト教が出発しました。キリスト教が十字架ではなく復活から出発したことを、今まで知らなかったのです。それは、二千年のキリスト教が根本的に教えています。聖書を見れば、否定できません。イスカリオテのユダがイエス様を捕えに来たとき、「今はやみの支配の時である」(ルカ二二・五三)と言ったではないですか。

もし、イエス様が死ぬために来たとすれば、ゲッセマネの園で三度祈る時、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言うでしょうか。理由もなく、このような祈祷を捧げれば、メシヤの資格がないというのです。なぜそのような祈祷を捧げたのでしょうか。死ぬことが恐ろしいからですか。キリスト教徒たちは、「ああ、イエス様も肉身をもっていたので、その死の苦痛のためにそのように祈ったのだろう」と言いますが、とんでもないことです。死が恐ろしくてそう祈ったのではありません。

自分が十字架で死ねば、全世界のキリスト教徒たちが十字架の道に従ってこなければならず、自らが血を流すことによって、全世界のキリスト教徒の体にサタンが侵入できる条件が成立するので、数多くの人が血を流して犠牲になる、そのことを考えるとき、そのような祈祷を捧げざるを得なかったのです。また、四千年も準備してきたイスラエルの国とユダヤ教が滅びて足場もなくなることを知って、神様が四千年摂理されたその苦労を思ったとき、そのような祈祷を捧げざるを得なかったというのです。

ですから、イエス様が十字架上で落命する前に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七・四六)と言いましたが、このような祈祷はどういうことでしょうか。また、三時間も暗闇になったというのは、成就すべき一つのみ旨がまっ暗な世の中に占領されたことを表示したものだったのです。皆様は、歴史時代において、死なずにみ旨を成し遂げていくべきメシヤが、このように死んでいったことを、もはや否定できないことを知りました。

8. 女性の体を通して来られる再臨のイエス様

それでは、今後、来られる主はいかにして来られるかということを考えてみましょう。新約聖書にも両面の預言があります。旧約と同じだというのです。今日のキリスト教徒は、当時のユダヤ教徒と全く同じ立場です。範囲が世界的に発展しただけです。しかし、キリスト教は霊肉ではなく霊的のみです。国がありません。イスラエル選民のように国家基準の基盤ももっていないというのです。なぜですか。イエス様が死んだからです。昔のユダヤ教にさえ及ばないことを知らなければなりません。

イエス様は霊的王としてのみ成就しました。ですから、神様のみ旨は世界人類を救ってサタンを追い出し、神様が王になることであるにもかかわらず、イエス様が死ぬことによって地上でサタン世界を復帰することはできませんでした。サタンを追放してイエス様が王になり、神様が主管する国を建てるというみ旨が成就できなかったのですが、そのみ旨を成就するのはメシヤなので、再び来なければなりません。ですから、全世界のキリスト教徒たちが一つになって、来られる主を中心として、この地上に天国を形成するために、失敗したイスラエル民族以上に強い世界の国家をつくらなければならないということです。

聖書のヨハネの黙示録第一章七節を見れば、「彼は、雲に乗ってこられる」と預言されています。テサロニケ人への第一の手紙第五章二節を見れば、「主の日は盗人が夜くるように来る」とあります。雲に乗ってくるのに、盗人のように来ることができますか。皆様の思いどおり、盗人のように来る主は信じず、雲に乗って来る主を信じようと決定できますか。雲に乗ってくるのは、昔、旧約聖書のエリヤと主、メシヤが雲に乗って来ることを信じるのと同じであり、人として来るとすれば盗人のように来るということです。

旧約時代を中心として神様の役事(働き)を見るとき、イエス様が雲に乗ってくると思いますか。そのように信じていては、また十字架にかけるようになります。イエス様を信じる人々が、来られるお方の命をまた奪うというのです。私たちは、両面の預言をどちらも信じようというのです。雲に乗っても来ることもでき、人としても来ることもできるということです。雲に乗って来ると思って信じていた人は、人として来れば迫害しかねませんが、人として来ると思って信じていて、主が雲に乗って来るとすれば、間違いなく迎えるというのです。ヨハネの黙示録第十二章五節を見れば、「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である」と女性が産むといいました。それを教会では、仕方なく今まで雲に乗って来ることと結びつけて解釈してきました。

それでは、聖書の中で、雲に乗って来ては成り立たないというものを紹介してみましょう。ルカによる福音書第十七章二十節以下を見てください。「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、『神の国は、見られるかたちで来るものではない』」とあります。雲に乗ってくるのに見ることができないでしょうか。また、二十二節では、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう」と語られました。

雲に乗って来るのに、見ることができないでしょうか。二十五節、二十六節を見ると、「しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう」となっていますが、雲に乗って来る主が苦難を受けるでしょうか。ノアの時のように凄惨でしょうか。もし、人として来るとすれば、このようになるのです。人として来れば、間違いなくこのようになるでしょう。

全世界のキリスト教徒たちは、主は雲に乗って来ると思っているのに、人として来るとすれば、ローマ教皇や枢機卿や、全体の勢力基盤をもった人々が、「キリスト教を滅ぼし、神様のみ旨を滅ぼす異端を捕まえて葬ってしまえ」と言うのではないかというのです。皆様、そうではないでしょうか。聖書のみ言がこのようになっています。歴史的な事実から見て当然そのような結論をつけるべきだという立場から見るとき、このように神様が生きていることをここから探し出すことができ、神様のみ旨は計画的であり公式的であることを、私たちは探し出すことができるのです。

このレバレンド・ムーンがここに現れて、このようなことを熱心に教えてあげたのですが、もし教える人がいなければ、また捕まえて命を奪うのであって、ほかに方法があるかという話です。時が来たということです。レバレンド・ムーンがこのような話をしなかったとすれば、皆様がそのようにはしないと保障できますか。

それからまた、ルカによる福音書第十八章八節を見れば、「人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」という言葉があります。それは信じる人ではなく、信仰がない人の話です。雲に乗って来るのに、信じられないでしょうか。ユダヤ教徒と同じことになります。雲に乗ってきて、エリヤが先に来ると思っていたのに、人として来たとすれば信じる人が一人でもいるでしょうか。イエス様の使徒の中に書記官がいますか、祭司がいますか。一人でも信仰をもった人を見ましたか。このようなことを見るとき、雲に乗って来てはこのような話が成り立たない、というのが聖書の話だというのです。

9. 人として来られる主を迎えるべきキリスト教

神様のみ旨とは何でしょうか。キリスト教の教派の神様になることでしょうか、人類の神様になることでしょうか。神様のみ旨とは、世界的な人類の神様になることです。救世主が来たのは、キリスト教だけを救うためではありません。世界を救うために来たのです。皆様がよく知っているヨハネによる福音書第三章十六節を見れば、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と言ったのであって、「一教派を愛し、一個人を愛する」と言ったでしょうか。「世の中を愛する」と言いました。それでは、世界がその神様を探し出しましたか。サタンを追放しましたか。地で失ったので、地に来て取り戻さなければならないのです。

ですから、マタイによる福音書第十六章十九節を見れば、イエス様が霊界に行かれる前に、天国の鍵をペテロに与えながら、「あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」と地上の重要性を説かれました。地上ですべてのことを解決しなければならないというのです。

全世界の人類を中心として、神様がすべてを主管する王権をこの地上に立てましたか。サタンが王権を握っているので、そのようにしなければ、神様が計画どおりにできず、失敗した神様になります。誰ゆえにですか。サタンゆえにです。そのようになればサタンにさえ及ばないという結論になります。ですから、イザヤ書第四十六章十一節を見れば、「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」という言葉があります。

結論を下しましょう。私たちは、悪の人類の先祖をもっていて、悪の夫婦の起源をもっていて、悪の兄弟の起源をもっています。善なる人類の真の先祖と善なる夫婦と善なる兄弟をもって罪のない息子、娘を生むことができなかった私たちなので、地上でこれを成し遂げなければなりません。ですから、神様を中心とした家庭を取り戻すことができなければ、国を取り戻すこともできず、世界も取り戻すことはできません。

ですから、イエス様はこの地に再び来て、神様が愛する家庭をつくらなければなりません。すなわち新郎として新婦を見いだしてこそ、真の父母も生まれ、真の夫婦も生まれ、真の兄弟も生まれるのです。これを完全に成し遂げることができなかったので、再び来て成し遂げることを預言したのが「小羊の婚宴」であり、新郎が新婦を迎えることなのです。

家庭をもってこそ氏族を取り戻し、民族を取り戻し、国家を取り戻し、世界を取り戻すことができるので、家庭が問題です。そのために新郎新婦として来るようになるのが、「小羊の婚宴」です。新郎新婦が出会わなければならないのです。神様が、堕落していないときに成し遂げるべきだったアルファのみ旨を、ひと回りしながら悪の世の中を除去してしまい、オメガとしてもってきて合わせるということです。

最初のアダムが失敗したことを、二番目のアダムであるイエス様が来て復帰しなければならないのですが、それができなかったので、三番目に再臨主が来て成し遂げなければならないというのです。聖書のコリント人への第一の手紙第十五章四十五節から四十七節に、イエス様のことを「後のアダム」「第二の人」と言ったのはそのためです。雲に乗って来ては成し遂げることができないので、人として来なければなりません。それで、人類の真の先祖と真の夫婦と新しいキリスト教を中心として、世界の王権をつくって天の国を成し遂げなければならないのが、来られる主を迎えるキリスト教の使命です。

今、そのような時が私たちの目前に近づいたことを知り、皆様が祈る中でそのような場に同参(一緒に参加すること)することを願います。今晩皆様にお話しできたことを感謝し、皆様が否定的に速断することなく、神様に祈ることで解決することをお願いしながら、お話を終えようと思います。ありがとうございました。

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第三篇 3 今日の知識人と宗教

第三篇 3

今日の知識人と宗教

日付:一九八一年五月十六日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:著名人招請講演会

大韓民国の重鎮である皆様をこの場にお迎えし、きょう知識人たちとの集いをもてるようになったことを、限りなく光栄に思う次第です。この場は、「今日の知識人と宗教」という主題をもって集まりましたので、私の所見の一端をお話ししてみようと思います。

1. 人間は次元の高い価値を追求する

皆様は、統一教会の主張に関心があるのではないでしょうか。団体ならば団体の主張があり、国家ならば国家も、国策を中心としてそれ相当の主張があるものです。その主張に従って、その指揮下にあるすべての行政あるいは組織機関が動き、その目的とすることに向かって進んでいくのと同様に、統一教会にもその主張があります。

周知のように、人の欲望は極めて大きいものです。個人においては個人の欲望、家庭においては家庭の欲望、社会ならば社会、国家ならば国家、世界ならば世界なりの欲望があります。このように見るとき、人間がその欲望を通して何を得るのかを考えてみれば、その欲望を通して、より次元の高い目的や価値あるものを追求するということは、言うまでもありません。この宇宙、さらには宗教的に見るとき、見えない新しい世界があるとすれば、「私」はどこを終着点として進展するのかということが問題です。これが今まで、哲学あるいは人生問題を扱うすべての宗教が重要視する点です。人生はどこに向かっていくのでしょうか。人はそれぞれ異なる欲望をもち、自分なりに歩んでいます。そして、その欲望が指向する最高の目的とは、最高の価値でしょう。

皆様は自分の専門分野において、世界で一番の学者を標準として動くでしょう。これと同様に、この宇宙の中で、私たちの目的となる主体である偉大なお方がいらっしゃるとすれば、そのお方を標準としてすべてのものは動いていくでしょう。それで、人間世界においては、聖人という問題、さらには宗教的に見れば、神様という問題が登場するようになります。このように見るとき、私たちのあらゆる欲望は、神様というお方を目的とし、そこに終着点を置いていくものだという結論が出てきます。

2. 神様が必要とされるものは何か

もし私たちが神様を発見し、神様を探し出したとき、神様が必要とするものとは何なのか、尋ねてみたいと思わないでしょうか。神様として望むこととは何でしょうか。神様が望むことがあるとすれば、私たちは神様を発見したその時から、神様が望むことに向かって前進せざるを得ないでしょう。

神様が望む欲望とは何でしょうか。その神様の望むものは、今日、私たちが生きている人間世界において語る物質でもなく、お金でもありません。ここに列席した高名な学者の先生方が追求する知識でもありません。神様は全知全能のお方なので、知識ではありません。権力でもありません。そのお方の欲望は、人間にとっても第二次的な立場で、さらに追求すべき重大な問題になるでしょう。このように総合して結論づけるとき、その結論とは何でしょうか。生命力ですか。それも違います。正に「愛」という一言に集約されるという結論を下さざるを得ません。

全知全能のお方に、何のために愛が必要なのでしょうか。なぜ神様に愛が必要なのかという話です。愛は個体自体で成立するものではなく、必ず相対的関係で成立するものだからです。愛というものが、一つの個体から自発的に出発できますか。いくら自分が愛をもっているとしても、自分自体で自発的に出発できないというのです。必ず相手が必要です。相手を通して愛を追求するようになっています。

それでは、神様は何を目的として創造したのでしょうか。神様が独断的な面において、一般的な目的の追求のために、この被造世界を造ったのでしょうか。それは喜びのためです。神様も喜ぶために造られたのです。喜び楽しむためです。何を中心として喜び楽しまれるのでしょうか。お金でもありません。この宇宙の万象をもって人間が喜ぶ、そのようなものを中心として喜ばれるためではありません。愛を中心として喜ばれるために万物を造られたのです。このすべての万物を、そのような目的のもとに造ったというのです。

それでは、万物が願う最高の願いとは何であり、最高の終着点とは何でしょうか。神様が愛を通して喜ぶことを目的として万物を造ったとすれば、被造世界の万物は、愛を通して連結される関係を抜け出すことはできません。あらゆる万物は、神様の真の愛を受けるために相対的関係をもって授受作用するのです。

3. 力が先か、作用が先か

今日、多くの科学者たちは、この宇宙について「宇宙は力によってできた」という結論を下しています。力が存在することによって宇宙が形成されたというのです。それでは、力があって宇宙が形成されたのでしょうか。力が存在する前に何かがなければなりません。力だけではできません。力が存在する前に必ず作用という過程を経なければならないのです。心臓の作用が終われば、私たちのすべての力の原動力となる生命も終わります。皆様は、自動車に乗られると思いますが、自動車のエンジン作用が止まれば、走る力が、すべてなくなるのと同じです。ですから、力が先か、作用が先かという根本問題に至るようになります。力が先ですか、作用が先ですか。作用が先です。このように見るときに、作用のないところには力が存在できないのです。

私たちのすべての細胞構造から人体を見るとき、あらゆるものが作用圏内を総合して力を維持しています。いくら強い力があるとしても、その力自体が突発的に顕現することはできないと見るのです。細胞作用を通してのみ力が出てくるのであって、そのまま大きな力が出てくることはできません。必ずここには、力が存在する前に作用が必要だというのです。力が存在する前に作用がなければなりません。その作用は一人でできません。作用する要件を形成するためには、主体と対象の関係を絶対に離れることはできません。皆様はこの点をはっきりと知らなければならないというのです。

それでは、宇宙形成はどこからなされるのでしょうか。力からではありません。主体と対象の観念があって、その主体と対象の作用から形成されるのです。それから力の活動方向が変わります。その力は、こちらに作用すればこちらに行き、あちらに作用すればあちらに行くのであり、総合的に作用すれば一つの方向に行くでしょう。

このすべての作用を統一できる作用とは何なのかが問題です。例えば、私たちの腕がするような作用ですか。私たちの心臓が作動するような作用ですか。血管作用ですか。神経作用ですか。この全体を総合できる一つの方向性を定め、主体的力の主流圏を占めるものとは何かというのです。このようなすべての問題は、近世において多大な関心事でした。知識人たちには大きな問題とならざるを得ません。

この主流的で統合的な作用として、ある大きな目的を連結させるのは自己中心ではありません。接すれば接するほど、ぶつかればぶつかるほど、喜びが増し、うれしくなる、主流的な力の総合的な作用形態があります。それが何かというと、真の愛です。真の愛という作用には、すべてが和合するようになっています。

その理由は、神様が喜ばれるために愛を追求するというとき、その愛は私たちの第一の欲望と同じ立場に立つからです。すべての被造世界は相対のために造られたので、被造世界は真の愛を主体として拍子を合わせざるを得ない存在になっています。

ですから、近所に愛のある裕福な家があるとすれば、近所の犬たちもその家に行って大便をするというのです。そこを通る犬もそこでとどまろうとし、また飛んでいくすずめもその垣根に来てとどまろうとします。すずめがチュンチュン鳴くその家は、大抵愛のある裕福な家です。子犬もそうであり、小さな昆虫もこのような愛の理念に拍子を合わせ、宇宙の大作用圏の方向性に一致する作用形態をもって存在していると見るのです。これは人間自体においてもそうです。ですから、愛の道に従っていくためには、どうしなければなりませんか。この作用も、必ず主体と対象の関係によるのです。

4. 主体と対象が一つになるのが愛の作用

人間を見るとき、人間は二重構造になっています。人には心の作用があります。心を見ることはできませんが、それは誰も否定できません。また、体も作用をしています。これはみなよく知っています。

この体がなぜ作用し、心がなぜ作用するのですか。これを主体と対象として考えるならば、一つは男性型であり、一つは女性型です。プラス的なものは見えない内的な私、マイナス的なものは見える外的な私です。それがどうなりますか。それぞれ異なる作用をします。皆様、一度手を握ってみてください。様々な形態で手を握ったでしょう。このように上げて握る人がいて、このように下ろして握る人がいます。

すべてのものが連結されるためには、主体と対象の観念圏内で動くので、必ず円形運動をします。主体と対象を基準とした作用圏内では、絶対不可避な作用をしなければならないからです。それで、どの一面であろうとすべて円形に似ているのです。

男性と女性を見れば、相対的であると同時に、根本的に作用が異なります。概して男性は背が高く、女性は背が低いのです。両手は、運動することを中心として、関係を保ちながら一つになっていきます。二つが作用するのですが、出会うところから愛の作用を成立させることができると見るのです。独りではできません。二つが共同目的をもって和合できるところから愛の作用が爆発します。

それでは、どうしてその愛が爆発する作用が必要なのですか。運動をすれば必ず消耗が生まれます。力学で入力と出力を見るときに、出力は必ず入力より小さいのです。したがって、このような原則の作用世界において、いかに作用を永続化させるかということが、極めて重要な問題です。

ですから、偉大な科学者である神様は、互いに異なるすべての作用が接触するとき、爆発的な作用を加えることを考えないでしょうか。この二つが合わさることのできる次元において、作用の決着点から関係が結ばれるものが愛の作用です。おもしろい話です。ですから、もし二人がぶつかり合えば、押し出すというのです。来ては戻り、愛によって押して戻すというのです。ですから、連続作用を拡大する主流的な作用圏の行為を継続すると見るのです。

ですから、一つのプラスがあれば一つのマイナスがあります。このプラスとマイナスがどのように合うのですか。合わせるのは主体と対象による作用です。マイナスは作用しますが、絶対に損をするようには動きません。これは、自分にプラスになる基準を探すためです。プラスを探して、より大きなプラス圏内に発展し、より大きな最高の欲望の目的、最高の価値の終着点に向かって走っていくのです。そうすることで、より高い次元にある愛の位置に進んでいこうという結論が出てくるのです。

5. すべての存在の最後の目的は神様の愛

今日、人間の欲望というものは、すべて党派的です。経済学者は経済、知識人は学問、政治家は権力、あるいは世の中の自分の欲望、家門、歴史的背景、環境的要件などなど、とても多様な環境に引っ張られて党派的に作用しています。それは、それ自体で終わってしまうのです。人は欲望をもっていますが、ここから根本問題が生まれています。自分が主体だからです。自分が主体になって、「お前も私のところにきて、私に従いなさい」と言っています。

今日、世界人類の弊害は何ですか。お金がないことが弊害なのではありません。知識がないことが弊害なのではなく、何かの社会組織の主権がないことが弊害なのではありません。自分を中心として引っ張って、自分に従わせようとすることが弊害です。個人個人がすべて自分を主張すれば、プラス・マイナス理想の形成基盤が、一度に完全に崩れるというのです。作用は作用どおりに行い、自らを完成させながら、それがもう一つの主体と対象の関係に連結される道に行かなければなりません。

すべての存在物が自分を中心として一つになろうといえば、止まってしまうことになります。この中に入ろうといえば止まってしまいます。ぶつかってしまいます。ここでは、大宇宙の形成は不可能なのです。ですから、神様がいるならば、神様はどのような考えをもたなければならないのでしょうか。これを連結させるためには、いつも「ために生きなさい」というでしょう。ために生きる行路を行かなければならないというのです。

すべての存在は、より大きな目的のためにあります。個人は家庭の目的のために、家庭は氏族の目的のために、氏族は国家の目的のために、国家は世界の目的のために、世界は霊界があれば天地の目的のために、天地は神様の目的のために前進しなければならないのです。神様の目的それ自体は何かというと、愛の目的です。すべて愛の進路があります。一つの細胞から、微生物なら微生物から、すべてが一つの支流のようになって、本流に流れて大河を形成し、大海に連結される偉大な愛の流れがあります。この流れの原則と内容を公認しなければ、大海に行くことができないのです。このような内容を先に知ったので、すべてを新しく革命しなければならないというのです。大革命が起こるでしょう。

孝子は必ず苦労の道を通ります。受難の道を通るには、その受難と苦労を超越して、価値のある内容に消化させていくことができる、ある刺激的な力の源泉がなければなりません。これを付加できる、その主体は愛です。有名な学者の先生方も、これを否定できないでしょう。

愛国者とは誰ですか。同じ理屈です。国のために国民を愛し、主権者を愛するときに、この宇宙の原則の愛の要素と一致化できる和合の実体として、国を抱く人です。その民を愛で抱くところでは、頭をたたかれてもうれしいというのです。

皆様。聖人とはどのような人ですか。国ごとに愛国者が大勢います。国ごとに偉人が大勢います。それでは、聖人と愛国者と偉人とは、何が異なるのですか。聖人というものは、天に侍り、人類を愛した人を言います。人類を愛するとき、天地の大道と一致する道に接近させる旗手の立場に立った人が聖人です。聖人で終わるのではありません。その次には、天子(聖子)にならなければなりません。天子の道とは何ですか。神様と人類の受難の道を収拾して、愛の目的を決着させることができる人こそ天子、すなわち神様の息子だということができるのです。

統一教会は何を主張するのですか。「私」を中心として、宇宙の愛の本然の道に順応できる道に入って、私がいるのは父母のためであり、子女のためであり、民族、国家、世界のためにいるというものです。このように、より高い愛の段階に発展することです。それで、最後には一つしかない神様の愛を占領できると見るのです。

このように見るときに、このような思想でのみ統一できるというのです。その位置に進めば、一つになるようになります。しかし、皆様の心と体は、この作用がうまくできません。それは、堕落して人間が故障したからです。それで、実存哲学で言う「極限状況」をいかに克服するかということが問題です。それを愛で克服しなければなりません。

「今日の知識人と宗教」という主題について、現在の立場で皆様が考えるべきことは何でしょうか。愛を必要とする人は、いくら優秀な学者や博士、世界の政治家、あるいはいくら聖人だとしても、神様を信じる宗教から抜け出すことはできないという結論が出てきます。その愛が必要でなければ、宗教の道、神様を求める道を無視してもよいのです。

それで、皆様がきょう、この場に来られたので、私の話を一度参考にして、皆様の生活において、あるいは社会において、人倫や道徳、各分野にこのような内容を適用すれば、大韓民国と世界は新しい次元の発展基準、理想と幸福の基準が拡大するのではないかと思います。そのような意味で、少しの間お話しいたしました。ありがとうございました。

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第三篇 4 アメリカと宗教の自由

第三篇 4

アメリカと宗教の自由

日付:一九八四年六月二十六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂上院議員会館

行事:アメリカ上院法司委員会憲法小委員会、宗教の自由に関する聴聞会

尊敬する議長、上院議員、そして紳士淑女の皆様。私はきょう、宗教の自由のためのこの上院聴聞会に私を招請してくださった事に対し、深甚なる感謝を捧げるものです。また、議長が私の大法院上訴を支援してくださったことに対し、感謝を申し上げます。憲法が付与する個人の権利を守護する貴殿の高貴な行為は、数多くのアメリカ人から末永く尊敬を受けるようになるでしょう。

アメリカと宗教の自由

大法院上訴棄却が発表されて以後、アメリカ全域には、この大法院の不当な処置に抗議する宗教指導者決起大会が続々と起こっています。この大会に参加した全国一千人以上のユダヤ教、キリスト教、イスラームの指導者たちが、宗教の自由守護の大命題のもと、もし私が監獄に行かなければならないとすれば、自分たちも一緒に行って一週間ずつ服役しようと決議しました。私はこの事実を知って、大きく感動しました。私はこのような宗教の自由の闘士たちに敬意を表すものです。

きょう、この場は、歴史的な場です。私はきょう、アメリカの国会に対してのみこの証言をするのではなく、歴史と神様の前に証言するものであると考えます。私には、神様がアメリカを愛していらっしゃることが分かります。しかし、アメリカの偉大さは、豊富な資源にあるのではなく、豊かな繁栄にあるのでもありません。アメリカの偉大性は、正にアメリカの建国精神にあります。その精神は、すなわち「万人のための自由と正義が存在する、神様のもとの一つの国」というものです。

しかし、神様の望まれることは、そこで終わるのではありません。神様の究極的理想は、「お一人の神様のもとの一つの世界」というものです。私たちは、神様の子女です。五色人種(すべての人種)が兄弟姉妹として、人類大家族を形成するのです。私たちがみな、神様を父として迎えるとすれば、神様のこの理想は現実化されるでしょう。

しかし、神様は宗教の自由がなければ、その理想を実現なさることはできません。アメリカの清教徒たちは、宗教の自由は正にすべての自由の核心であり、宗教の自由なしには、それ以外のどのような自由も意味がないことを知っていました。ですから、彼らは生命を、まるで、ちりあくたのように捨てながら、信仰の自由を勝ち取ろうとしました。

ところが、今その信仰の自由は危機に瀕しています。現代のアメリカは、無神論の暗雲の中に包まれ、あらゆる宗教生活に対して、ますます弾圧を加えています。そうかと言って、私たちがこの世界を捨てて避難できる新世界は、地球上にありません。私たちは、必ず本然のアメリカを取り戻さなければならず、宗教の自由を回復しなければなりません。そうしなければ、アメリカは結局、滅びるようになるでしょう。そのようになれば、明らかに世界も滅びるでしょう。

アメリカで果たすべき使命

一九七一年、神様が私にアメリカに行きなさいとおっしゃいました。そうして、キリスト教の復興を試みて、アメリカを建国精神に戻す運動を展開しなさいとおっしゃいました。神様は私を、医師と消防士の役割をしなさいとアメリカに送られたのです。アメリカに行って、一大霊的覚醒運動を起こすために送られたのです。全世界の生存問題が、神様が賦与した使命をアメリカが果たせるか果たせないかにかかっていています。アメリカは自由世界の最後の橋頭堡です。

去る十二年間、私はアメリカのためにあらゆる心血を注ぎ、一粒の汗と涙を惜しみませんでした。このような使命を遂行してくる過程で、私は問題の人物になりました。一部では多くの非難も受け、また迫害も受けました。しかし、歴史上、迫害を受けた宗教指導者は、私一人だけではありません。旧約と新約を通して主要な預言者は、蔑視され、迫害と苦難の道を歩んだ事実を知ることができます。今日、私はこのような神聖な伝統に参与することを光栄なことと考えています。

神様はこの地上で、真の自由を勝ち取ろうとされます。自由に対する最大の脅威は、共産主義の独裁です。共産党は既に一億五千万人の無垢の人命を虐殺しました。そのうちの多くの犠牲者が宗教者です。私も北朝鮮共産党の強制収容所から九死に一生を得て助かりました。共産主義は、今日の世界最悪の非人道主義です。

しかし、最近になり、自由は後退の一路にあります。一九七五年、自由は東南アジアから後退しました。そして、数百万の人命が、また犠牲に遭いました。アフリカとラテン・アメリカの様々な国々が、続々と共産化されました。少なくとも十五億の人類が共産治下で捕らわれの身となりました。今のこの時点では、アメリカの裏庭とも言える中米一帯が第一線になりました。自由の敵たちは、彼らの最後の目標であるこのアメリカを征服するその日まで、その前進を止めないことを私は知っています。

アメリカで達成した十二年間の業績

私は、一九八〇年、レーガン大統領の選挙を支援しました。私はこの大統領が共産主義の侵略を防ぎ、国を神様と建国精神に戻すことを望みました。ところが、残念なことに、最も多くの宗教界の支持を受けて当選したその大統領指揮下の政府が、そのどの時よりも教会を侵害し、歴史上かつてないほどに、宗教の自由が致命傷を受けているのです。これはどういうことでしょうか。

去る十二年間、私はアメリカのために、最善を尽くしました。私にはただ一つの目標があっただけです。それは、アメリカを道徳的に強くし、神様が賦与した使命を果たし得る力量を、どんなことをしてでも育てることです。そのような一念でした。

私は、「国際宗教財団」をつくって世界の宗教の統合運動を起こし、「ニュー・エラー(NewERA:新しい宗教一致運動)」という超教派運動を始めています。各宗派の神学者たちが集まり、神様に対する理解を増進し、互いが融合するようにしながら、現代の最も偉大な神学者と哲学者たちが集まって神様の会議を開催します。

また、学界に神様のみ旨を覚醒させてきました。私は「国際文化財団」を創設して、年次で「科学の統一に関する国際会議」を開催しながら科学と絶対価値を議論させ、志ある教授たちが集まる「世界平和教授アカデミー」と「パラゴンハウス」という出版社、そしてアメリカ、ワシントンDCに政策研究所を造りました。

また、文化の分野を通して神様に対する畏敬思想の強化に努力してきました。マッカーサー元帥の仁川上陸作戦を描いた「オー! 仁川」という映画の製作がその一例です。私は、マッカーサー元帥の愛国心と神様と人類を愛する精神を、この映画で描き、その精神をアメリカの若者たちに植えつけ、彼を英雄として推戴することが、この国を愛する道へと導いていくことになると信じていたのです。

宗教的理念は、必ず社会奉仕で表現されなければならないという原則のもと、私は、教会の社会活動を支援する協議会(NCCSA )、また「国際救護財団(IRFF)」、そしてプロジェクト・ボランティアをつくって全世界の貧しい人と困難者たちを助けています。

共産主義からの解放のために韓国と日本に「国際勝共連合」を創設し、大学街の青年の道徳運動のために原理研究会を創設し、国際カウサ運動を展開しました。責任言論の暢達のためには「世界言論人会議」と「ニュース・ワールド・コミュニケーション」を創設して、世界の至る所で日刊紙を発刊し、そのうちの一つがアメリカの首都にある「ワシントン・タイムズ」です。これは民主主義の暢達のために、バランスの取れた言論の重要性を認めているからです。この「ワシントン・タイムズ」の事業一つだけでも、何と一億ドル以上が投資されました。しかし、このような公共的事業は莫大な財政が必要であり、また数多くの人たちの献身的努力によって成り立っているのです。既に数億ドルがアメリカに投入され、この莫大な資金は、主に海外から送られてきました。統一運動においては、他とは異なり、アメリカが受恵者の立場であって、援助者の立場にはありません。それは、アメリカを失えば、世界をすべて失うという私の所信だからであり、神様がアメリカを差し置いては、ほかに期待できる国が地上にないからです。

アメリカの意図的な宗教裁判

皆様が私のこのような膨大な公益事業の範囲を御存じならば、私がアメリカで二万五千ドルの脱税を試みたとは、誰も思わないでしょう。私の裁判事件は、初めから脱税事件ではありませんでした。これはアメリカ政府の意図的な宗教裁判でした。

彼らが統一教会を選んだのは、統一教会が攻撃を受けても、誰も同情しないだろうと信じたからです。しかし、政府はここで大きな誤算を犯しました。すべての人の人権が保障されない限りは、人権を保障されたとは言えず、ある一人が脅威にさらされれば、国民全体が脅威にさらされることをアメリカの宗教界は、あまりにもよく知っています。

政府が権力を乱用すれば、恐るべき事態が起こります。見てください。ローマ帝国はイエス・キリストを十字架にかけたではないですか。このアメリカでは、政府がシャーマンたちを焼き殺し、カトリックを迫害し、ユダヤ教を弾圧し、また黒人奴隷制度を延長させました。正に政府がモルモン教の教祖ジョセフ・スミスを投獄し、暴徒によって殺害されるのを傍観しました。今はその政府が私を捕まえようとし、その過程で私たちの宗教の自由を侵しています。私たちは今すぐ、この政府の職権乱用を防がなければなりません。そうでなければ、次の被害者は誰でしょうか。

正にこのような重要な時点で、レバレンド・ムーンがアメリカの宗教の自由を決定づける新しね破口になったということには、歴史的で摂理的な意味があるのです。私の有罪判決は、宗教活動自体を実践することが罪になるという意味です。宗教指導者であるゆえに、私は処罰されようとしています。

このような唖然とする事実は、アメリカの良心を揺り起こしました。宗教指導者たちと信仰人たちがついに立ち上がったのです。彼らは怒りに震えながら、闘うために行進を始めました。最も重要な事実は、広範囲な宗教界が一つの目的のもとに団結したという事実です。この宗教界の団結が、アメリカの生存を保障するでしょう。

世界最大の対立

今日、世界の中の最大の対立は、アメリカとソ連の対立ではなく、資本主義と社会主義の対立でもなく、民主主義と共産主義の対立でもありません。それは神様を信じる人と神様を否定する人の対立だというのです。

共産世界は神様を否定する世界であり、人類の夢を実現することに失敗しました。ところが、自由世界も物質万能主義に陥って神様に背き、世界の問題に対してはお手上げです。今日、民主と共産の二大世界が、すべて暗闇と混沌の中にあります。新しいビジョンがどこかで現れなければなりません。それは神様を中心とした世界観でなければなりません。

私はその新しい理念が「神主義」であることを宣布します。この理念こそ、新しい解答を提示してくれるでしょう。この理念は、神様の愛の心情の中から湧き出たものです。これはすべての宗教者と良心的な人々を統合するでしょう。真の霊魂の自由を具現するでしょう。そして、この理念が結局は地上天国の基盤になるのです。

私が発表した神様を中心とする膨大な思想体系の内容は、高次元的な理論であるため、聞く人が衝撃的な感動を受けるようになるので、いわゆる「洗脳」という言葉が出回るようになりました。これによって、一部、親の世代と言論機関の誤解を招く結果となり、私を怨讐視する共産主義者たちは、統一運動に対するデマとして世界的にこれを利用してきました。

私はきょう、アメリカの宗教の自由を保全するために、私が犠牲の祭物になったことを光栄に思います。もし私が、危機に立ったアメリカ歴史の未来を警告する灯台の光になるならば、私の犠牲は偉大な目的を達成したのです。

きょうの私たちが直面する課題は、正にアメリカと自由世界の生存そのものです。このアメリカと世界の生存と繁栄を保障するために、私はどんな屈辱も甘受し、どんな険しい所にも行き、どんな苦役でも辞退せず、どんな十字架でもこれを喜んで背負うでしょう。もし、この宿命の道を行く途中で、たとえ倒れるとしても、それによってアメリカが生き、世界がよみがえって、神様のみ旨が成就するならば、私はただ神様に対する感謝に満ちるでしょう。

神様、アメリカを祝福してください

私には怨讐がいません。自らを槍で刺す人たちを十字架上で赦されたイエス・キリストの伝統に従って、私もとうの昔に自分の怨讐たちをすべて赦しました。さらに私はアメリカ政府に対しても、敵意をもっていません。私はむしろアメリカのために祈ります。

今、この瞬間、私の心情は神様に対する感謝で満ちています。それは、神様がこの重大な時期に私を選ばれて、この国の宗教の自由を勝ち取る闘いの先頭に立つ大将になるようにされ、アメリカの大覚醒を促す導火線になるようにしてくださったからです。

議長。この機会を下さったことに重ねて感謝を申し上げます。私は次のような言葉で、私の証言を結論づけようと思います。神様、アメリカを祝福してください! ありがとうございました。

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第三篇 5 世界平和のために宗教間で和睦しよう

第三篇 5

世界平和のために宗教間で和睦しよう

日付:一九八四年八月十四日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第四次宗教一致会議および世界宗教青年指導者セミナー(代読)

尊敬する議長、高名な学者および聖職者の皆様、世界宗教青年大会の参席者、そして紳士淑女の皆様。私は、「神様に関する今日の討議」の第四次会議の場所であると同時に、「第三次世界宗教青年セミナー」の終着地でもある韓国にまで来られた皆様を、心から歓迎するものです。

この二つの行事がきょう、このように韓国で合流するようになったのは、偶然のことではありません。歴史的に見るとき、韓国は世界の宗教が唯一、集結した地でした。早くから仏教と儒教がここでその根を深く下ろし、互いに調和しながら、在来の檀君神話と土俗信仰の流れの中に習合して受け継がれてきました。そして、一九八四年はカトリックの韓国伝来二百周年であり、プロテスタントの韓国伝来百周年になる年です。単一文化圏の中で主要宗教の相互共存と相互発展の過程が歴史的に進行してきたこの地では、多様な宗教的教訓が「隠遁の国」の民たちの胸に深く入り込んでいます。

正にこのような土壌に私たちの統一運動が宿り、出現してきたので、この運動は、汎世界的次元で「多様性の中での合一」を模索し、「神様のもとに全人類が一家族」であることを悟った基盤の上で、愛と共感と調和の世界を成し遂げようとする運動です。

このような理想世界を創建するために、私たちは全体的なモデル、すなわち青写真をもたなければなりません。統一運動が提示する理想世界の姿は、心と体が一致した完成した一人の人間に比喩することができます。神様を中心とした人間の精神および霊的生活から、人生の理想と目的が出てきます。神経組織は心がしようとすることを各細胞に伝達し、四肢五体から入ってくる情報を頭脳に伝達します。この授受の過程が順調なとき、個人は調和が取れた状態にあると言うのです。

人類全体の精神的および霊的生活が、一個人のそれと比べることができるならば、人類社会の経済的で外的な側面は、個人の身体と比べることができます。人類の霊的理想と神様に向かう念願と愛は、宗教を通して社会と文化の中に表現され、それを中心として神学、哲学、芸術およびあらゆる文化が巡っていくのです。ここにおいて、宗教指導者、神学者および哲学者は、あたかも人体の神経組織のように、神様から来るメッセージを解読して、全人類に伝達しなければならないのです。

きょうの現実を改善し、新しい文化革命を成就するに当たって、宗教指導者および学者の皆様が、決定的な役割を担当できると私は信じています。歴史的に見るとき、宗教指導者たちと学者たちは、古代インド、中国、中近東およびギリシャで文化創建の先駆者たちでした。これは初期のキリスト教とイスラーム文化圏でも例外ではなく、文芸復興と宗教改革、または啓蒙思潮においても同じでした。

しかし、今日の科学技術の急速な成功とともに、宗教は現実世界の諸問題を解決することに失敗し、宗教のこのような姿に幻滅を感じた数多くの人々が、共産主義の反宗教的旗じるしのもとに集まりつつあります。しかし、共産主義は暴力を手段とし、究極的に神様を拒否して、諸宗教の目標を挫折させ、人類の主眼を物質的次元に限定させようとしています。共産主義に傾いた相当数の人々は、自分なりに高い夢をもち、人種と国家の垣根を越えて活動しようとしている事実を、私が知らないわけではありません。しかし、この人たちの情熱と理想主義は、神中心の思想と活動によってのみ補完され、完成に向かう道を見いだすことができるのです。

正に、ここに宗教指導者たちと学者の皆様が、献身的に先頭に立つべき時代的要請があるのです。「神様会議」と「世界宗教青年セミナー」、また「国際宗教財団」の諸般の活動は、このような理想を実現するための機構であり、テストケースであり、フォーラムなのです。

皆様は、学問をもって皆様自身を世界と神様のみ前に奉献するよう召命されています。皆様は共同体の中で神様を代弁し、神様から来る愛と希望を隣人に伝達して、世の中の人々が人類と神様に奉仕する仕事をするに当たって、その手伝いをする使命を受けています。これは、皆様の教会や寺院や会衆を悟らせ、神様を中心とした自由と平和の世界を築くために動員されることに連結されるのです。

この世俗化した時代に宗教のできることは何かと、尋ねてくる方が大勢います。それに対する私の所見は、世界の宗教が価値観の普遍的かつ不変的な土台、すなわち絶対価値を提示し、すべての政府がその上で真の調和をつくり出せるようにすべきであり、科学技術が正しい価値観のもとで人類に有益な方向に進むように指導すべきでしょう。地上のすべての文化圏が神中心の伝統のもとに純化され、高揚されて万人に共有されるとともに、末永く後代に伝承されるようにしなければなりません。

私が語るこの理想は、地上に神様の王国を建てることであると、心から言うことができます。そして、私はこのことが可能だと信じます。ある方々は、私がとても理想主義的だと評していますが、私もこれを認めます。しかし、私には他の選択の余地がありません。神様が私を直接呼ばれたのであり、このような使命を下さったからです。

私は今まで、神様の理想を教えることだけに終わったのではなく、地上に神様のみ旨を実現することに生涯を捧げてきました。これまで私が推進してきた宣教、教育、学術、勝共、教団および教団間の和解、社会奉仕などの活動がそれです。これらの中でも特に強調したいのは、教団および教団間の和解運動です。

今日、人類が直面している大きな問題は、数多くのキリスト教の教派と様々な世界宗教、そして各世界宗教の内部からもたらされている相互無理解の現状です。この問題を解決しようとする多様な努力にもかかわらず、宗教の共同体間の対立と敵対感は依然として続いています。過去数世紀の間に繰り広げられた宗教戦争は、きょうも終結することなく続いています。相互一致のために数多くの運動が試みられてきましたが、篤実な信仰者たちの間では、まだ非寛容、宗教的偏狭および傲慢の風潮が澎湃(ほうはい=物事が盛んな勢いでわき起こるさま)しています。そのために、大部分の宗教が同じ神様に仕え、甚だしくは同じ教理をもっているにもかかわらず、宗教者たちは相互弾圧と敵対行為を継続してきました。

私たちは、神様が教団主義や教理的党派主義を超越していらっしゃるという事実を悟らなければなりません。神様の目的は、いつも全人類を救援されるところにあり、特定の民族や人種や宗教団体だけを救援しようとされるのではなく、これは今、この時間にも変わることはありません。宗教者として私たちが相互間の争いと敵対行為を終息させなければ、世の中を救援しようとされる神様を助けることはできません。多くの宗教指導者たちがこれを痛感してきましたが、様々に複雑な理由のために、この問題の解決はいつも挫折してきました。

私が強調してきたことは、世界平和のための必須の条件が正に宗教間の和睦であるということでした。今まで、ある一つの宗教が神様を完全に代弁することは不可能だったので、宗教がもっている多様な見解は、必然的な産物です。しかし、私たちは、お一人の天の父母の子女であるがゆえに、私たちは一つの大家族の中の兄弟姉妹なのであり、したがって、宗教間の葛藤と憎しみは不必要なものです。

私はかつて霊的探求の道で神様と何度も対面し、世界宗教の創始者たちとも霊的に出会いました。今も私は、引き続き神様の臨在とそこから来る霊感による交信を、生活の中で体恤しています。神様がいらっしゃらないとすれば、抑圧され、搾取されていた弱小民族の地の片田舎で生まれたこの人が、どうして無理解と迫害の中で世界的な霊的基盤を築き上げることができたでしょうか。そして、きょう、世界の宗教指導者たちのこの水準高い集いを主催し、このような演説をすることができるでしょうか。私たち統一運動の目標と手段は、神様が下さった指針によって設定され、採択されてきたという事実を、明らかにしておこうと思います。すなわち、このすべてのものは、私の私的所見や活動ではなく、正に神様に由来したものなのです。

「国際宗教財団」は、一九九三年に世界宗教議会を開催しようと計画しています。この行事は、一八九三年にシカゴで開かれた世界宗教議会の百周年を記念するためのものです。一九九三年のこの行事を準備するために、二度の予備集会が開催される予定ですが、その一つは一九八五年末にニューヨーク市近郊で行われる予定であり、もう一つは、一九八九年に開かれるようになるでしょう。この予備集会には、それぞれ七百人以上の宗教指導者、学者、一般信者代表、芸術家、そして青年たちが参加するようになるでしょう。この二つの予備行事と一九九三年の主行事は、それで終わることなく、未来のより大きな集いに連結されるよう推進されるでしょう。

いずれにせよ、このような行事は世界的に超宗派の広場を準備するように計画され、その目的はすべての生命体に内在している普遍的な原理を明らかにしていき、その原理の多様な発現を十分に高揚させようとするところにあります。これとともに世界宗教議会は、全人類が希求する世界平和の成就も模索するでしょう。その会議の参席者全員に、現代の霊的状況と当面の問題に関する各自の意見をやり取りする機会が提供されるでしょう。

世界宗教議会の目的は、政治的または数理的な立法をすることではなく、世界宗教間の相互に対する尊敬心を培い、宗教間の協力を奨励するところにあります。そして、その議会の主題は「霊的刷新と神中心の世界平和実現」であり、これに関連するその他の多様な問題も合わせて討議されるでしょう。

この場に来てくださったことに対して、重ねて感謝を申し上げます。私は今回の大会が人間の考えを標準として神様を考える集いでなく、神様の本来の理想を探索する集いになることを願います。皆様の真剣な研究と討議によって、この時代に対する神様の願いが大きく発現することを祈ってやみません。ありがとうございました。

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第三篇 6 統一運動に参与することを期待します

第三篇 6

統一運動に参与することを期待します

日付:一九八五年二月二十八日

場所:アメリカ、コネティカット、ダンベリー連邦刑務所

行事:アメリカ牧師に送った獄中書信

親愛なる牧師の皆様。ダンベリーから貴殿と貴殿の教会信者たちに心からの御挨拶を申し上げます。私は文鮮明牧師と申します。獄中から貴殿にこのような書信を差し上げたことに驚かれるかもしれません。貴殿は恐らく、三十年ほど前に私が韓国で創設した宗教運動についてお聞きになったことがあるだろうと思います。

十六歳(数え)の復活節に出会ったイエス様の啓示

貴殿がこの宗教運動についてお聞きになったことや読まれたものは、恐らく敵意に満ちたものであり、歪曲されたものであると推察されます。このような事実が私を甚だ胸痛くさせています私はこの誤解を解いてさしあげたいと思います。しかし、それよりも重要なことは、貴殿が私と統一教会に関してどのような意見をもっていらっしゃったとしても、世界的な国家であると同時にキリスト教国であるこのアメリカに対する私の衷心に満ちた観を、貴殿と共に議論したいと切に願っています。私がお話ししようとするすべてのことに対して、貴殿が賛同するとは決して期待していませんが、貴殿が私の声に耳を傾けてくださり、考慮してくださることを望む次第です。

私は、北朝鮮にある一地方のまじめな儒教家庭で生まれました。十歳の頃、全家族がキリスト教に改宗しました。私は改宗とともに深い感銘を受けました。私はこの新しい信仰に愛着をもち、以前に誰かを愛した以上にイエス様を愛しました。

私は数えの十六歳の時に、普通では考えることができない経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈祷のうちに、イエス・キリストが私に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、深奥かつ驚くべきことについて、多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類ゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして私に、「地上での神様のみ業に対する、特別な役割を果たしてほしい」と要請されました。

それは既に四十九年前のことです。その後、多くのことが起こりました。私は学業を続けながら、聖書を勉強しました。私は、万民が聞いて知ることのできる深奥なみ言をイエス様から受けました。このみ言を人々に教えたといって、私は何度も逮捕され、収監されて激しい拷問を受けました。三年間、北朝鮮の死の監獄にいました。この監獄では人々が数カ月もたたずに死んでいきますが、主が三年間私を保護なさり、また私をして激しい苦痛から生き残るようにされました。その後、数年間多くの人々にみ言を伝播する機会がありました。そのようにして今日、統一教会は百二十余カ国に約三百万の信徒をもっています。

今日、神様には頭痛の種が三つあります。第一に、無神論的全体主義、特に共産主義の拡大です。共産主義は制度的に宗教に反対し、神様に対する信仰をなくそうという理念をもつ偽りの宗教です。過去六十年間に、共産主義は何と一億五千万人の生命を奪い取っていきました。私は直接、共産主義の監獄で死ぬような拷問と苦役に服しました。共産主義は世界的に拡大し、また宗教と神様を信じる人々を抹殺しようとしています。

第二に、神様の頭痛の種は道徳的没落です。特に全世界の青少年たちの退廃の姿です。伝統的な家庭の価値の没落と腐敗した大衆媒体の影響は、若者たちをして使命感を失わせました。数百万のアメリカの青年たちは、神様に対する信仰を失い、価値に対する尊敬心を失い、自分への尊敬心さえ失いつつあります。麻薬の乱用、性的不道徳が荒れ狂っています。若者たちはこの世界の未来を担っています。彼らが腐敗すれば、次世代のどこの誰が宗教を信奉して、神様に仕えるでしょうか。

最後に、神様を最も悲しませるのは、キリスト教信仰の不協和および分裂です。神様はお一人でいらっしゃいます。イエス・キリストもお一人です。しかし、今日、五百ないし千種類のキリスト教の教派が乱立しています。この地球上のある所では、キリスト教徒だと自任する人々が、神様の名のもとにお互いの命を奪い合っています。時には平和に共存もしますが、彼らの信仰は日増しに力を失い、退廃し、また冷めていきつつあります。キリスト教の信仰は熱気を失い、問題の多い現在の世界での挑戦に失敗を繰り返しています。

善であり慈悲、正義の勢力と暗黒の勢力との宇宙的闘いにおいて、神様はこの国アメリカに特別な祝福をされました。神様はキリスト教をして真の信仰を取り戻させ、神様の愛を中心とした天国の家庭を形成する場所としてアメリカを立てられました。神様はアメリカを、この上なく愛されます。アメリカの偉大性は、その膨大な自然資源にあるのではなく、また途方もない繁栄にあるのでもありません。それは、この国の建国精神、正にそこにあります。「神様のもとにおける万人の自由と正義のための国」を建国しようと勇敢な男女たちがここアメリカに来ました。アメリカは様々な種族と様々な背景をもった人々が、一つの調和を形成した世界で唯一の国です。白人、黒人、黄色人のすべてが兄弟姉妹である一つの人間家族です。神様を私たちの父と認定するとき、この理想は実現されるのです。

神様が私をアメリカに呼ばれた理由

一九七一年、神様は頭痛の種を解決しようと私をアメリカに呼ばれ、キリスト教を復興させる運動を導かれました。その後、私はキリスト教を団結させ、道徳性を回復し、無神論的共産主義を撃破する運動のために、神様のみ言を伝播し、アメリカの人々を鼓舞させました。

アメリカは本当に天が選択した国であり、キリスト数的愛と統一の手本として選択された国であるとともに、苦痛の中にあるこの世界のために自ら犠牲となり、奉仕するように選択された国です。しかし、今日のアメリカは危険な岐路に置かれています。一方ではキリスト教の復興、神様を中心とした道徳と家庭の価値の回復および無神論的共産主義に抵抗するために叫ばれる神様の声があります。そうであるかと思えば、他の一方では、暗い宗教の非寛容性がアメリカで幅を利かせています。この偉大なアメリカ全域にわたって、信仰的な人々は迫害され続け、罰金を出さなければならず、逮捕され、投獄され有罪宣告を受けています。皮肉なことに、この偉大な社会の一部では、宗教的理想を復興させているかと思えば、一方では暗黒勢力が神を恐れぬ不道徳および腐敗に向かって走っています。

きょう、監獄にいながらも、私が神様に対して感謝していると言えば、驚かれるかもしれませんが、これは絶対に本当のことです。なぜなら、このような獄中の難しい過程を通して、私は貴殿とこのようなお話を分かち合うことのできる機会をもつようになり、直面した危機を貴殿にお知らせし、また歴史的なこの瞬間に私たちに与えられた恵みの機会を、貴殿と共にもつようになったからです。

私がいかにして、きょうこの監獄にまで来るようになったのかを、簡略に御説明申し上げようと思います。私は自らの禍福については無関心です。私の入獄が神様のみ旨に役に立つならば、これ以上感謝することはありません。しかし、明らかなことは、私がアメリカ政府によって迫害を受け、差別待遇を受けたということです。すなわち、アメリカ政府は信仰的な熱意に対して、ますます敵意を抱く、驚くべき兆しを見せています。

国税庁の起訴は職権濫用

この歴史的な裁判について少しお話しいたします。大勢の統一教会の信者たちがこの国に到着し始めたとき、国際的教会事業のための特別基金がつくられました。長い間の名誉な伝統に従って、教会の信者たちがこの基金を管理する人として、教会に代わって私を選択するようになりました。私はこの基金を公開して取り扱い、隠匿しようとしたことは一度もありませんでした。事実はと言えば、ニューヨークの主要銀行に預金をしていました。「この基金は、教会の目的のために使われる教会基金ではない」という何の証拠もありませんでした。

それにもかかわらず、IRS(国税庁)は私を起訴しようと際限のない努力をし始めました。途方もない公的な圧力と議会次元の圧力がIRSに加えられたあと、大掛かりな調査が始まりました。結局、数百万ドルの納税者たちの税金であるお金を使ったあと、IRSは教会基金として預けた私名義の銀行預金において、利益に対する収益報告をしなかったとして、私を起訴しました。政府の論理に従うならば、いわゆる脱税総額が七千ドルないし一万四千ドルでした。実際において委任された教会基金を、宗教指導者が取り扱う慣習は、長い間の光栄ある慣習です。カトリックの司教たちから一線の牧会者に至るまで、多くの宗教指導者たちは、まだ毎日この慣習に従っています。そして、私が実際に私個人の経費のために引き出した基金に対しては収入税金を納付したにもかかわらず、アメリカ政府はこの事実を黙殺してしまいました。すなわち彼らは、一人のなじみの薄い宗教指導者を告訴したのです。

政府が私を迫害しようとやっきになって犯した権利の乱用をすべて表現しようとすれば、限りないでしょう。しかし、この権利の乱用は善良な正義の人々には知られていません。統一教会は、多くの人々にとって聞き慣れない教会であるにもかかわらず、私に対する告訴と有罪判決の状況に対して、未曾有の抗議が起こりました。私が連邦最高法院に出した嘆願書には、四十団体以上の「法廷の親友たち」の支持を受けました。これらの有名な機構と個々人は、政府の反宗教的権利の乱用に対する深刻な憂慮を現す、十六種類の訴訟摘要害を出しました。私の嘆願を支持する法廷の親友たちの中には、次のような方々がいます。

全国キリスト教協議会、カトリック宗教および市民権擁護連盟、長老派、アメリカ・バプテスト教会、全国福音伝道師協会、南部キリスト教指導者会議、アメリカ・キリスト教学校協会、アフリカ監理監督教会、キリスト教法律協会、末日聖徒キリスト教会、アメリカ市民自由連合など、これら有名な互いに異なる機構は異口同音に、IRSが今日知られていない一つの宗教を効果的に迫害できるならば、あすは既存の教会の自由が脅威を受けるだろうと語りました。私が熱心に祈祷するのは、IRSが私と私の教会に下した権利の乱用が、正義と自由を愛するアメリカの人々の注目の対象になることです。この偉大な国を復興させ、キリスト教建国精神を復興させようとする神聖なみ業に、貴殿も参与されることを要請するものです。

私たちは、アメリカの重要性とキリスト教と伝統的価値改善の緊迫性を痛感しているため、統一教会の運動はこの目的のために貢献する多くの事業を運営、または後援しています。国際宗教財団、新しい福音研究協会、神様会議などの事業を通して、神様とすべての宗教の間の理解を増進、改善しようと、あらゆる宗教の神学者たちを迎えて努力しています。

私たちはまた、神様のみ旨を学界に展開することもしています。「国際文化財団」は科学と絶対価値に対する例年の会議を後援しています。「世界平和教授アカデミー」、「パラゴンハウス出版社」、「ワシントン公共政策研究所」などの機構に学者を迎えています。宗教の理想は人類に奉仕することによって現れなければならないので、私たちは「国際救護財団」と「自活奉仕団」などの事業を始めました。全体主義の理念から万人を救援するために「国際勝共連合」、「大学原理研究会」、「カウサ(CAUSA :南北米統一連合)」のような機構を設立しました。大衆媒体の責任性の基準を樹立しようと「世界言論人会議」、「ニュース・ワールド・コミュニケーション」を創設しました。後者は、いくつかの新聞を発行しています。その中で「ワシントン・タイムズ」は国家の政策に対する代案を提示しようと創設されました。この事業だけのためにも、一億ドル以上のお金がかかりました。

アメリカのために数多くの事業を展開

これらの事業には、教会信徒たちの愛を通した犠牲はもちろん、途方もない財政的資源が要求されます。数億ドルがアメリカに投入されました。なぜなら、この国が世界の運命を決定するからです。私の運動において、アメリカは基金の受取人であって基金の出処ではありません。もしアメリカを失えばすべてを失うという確信のもとで、私たちは働いています。神様が頼れる国はこの国だけです。貴殿が私の事業の範囲を理解されるならば、私が七千ドルないし一万四千ドルの、アメリカ政府に出す税金を詐取するためにアメリカに来たと信じることができるでしょうか。

今から、貴殿と貴殿の教会信者が地上で神様のみ旨を成就するために、共に働く統一運動に参与してくださることを願います。統一教会の信仰と慣習に対する多くの誤解と誤認があることは、私もよく知っています。アメリカの立派な紳士たちが、統一運動において私たちを理解し、協力するとともに、私たちと建設的対話を分かち合うことを切に望みます。統一運動をしている私たちの信仰を、この手紙ですべて御説明申し上げることはできませんが、私たちの信仰の教義を詳しく説明するビデオテープと印刷物を貴殿に送るよう、私たちの教会幹部たちに要請しました。まだ貴殿がこの贈り物を受け取っていないとすれば、近いうちにお受け取りになれるでしょう。

貴殿がこれらを評価して、また私が貴殿に申し上げようとするお話を考慮してくださる時間があることを願います。私たちの根本的な使命は、全世界がキリストの中で愛し合い、団結するようにし、家庭を復帰するとともに、神様を中心とした観点で無神論に反撃することです。このような意味で貴殿がこのビデオテープとその他の印刷物を受け取られるものと信じます。

この手紙を読んでくださって、誠にありがとうございました。貴殿が、私が申し上げたことに賛同されようと賛同されまいと、私たちは互いに愛し、尊敬し、手を取り合って神様に奉仕できることを、心から祈るものです。神様の祝福が貴殿に、永遠に共にあることを願います。

一九八五年二月

文鮮明牧師より

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第三篇 7 神様のみ旨

第三篇 7

神様のみ旨

日付:一九八五年八月二十日

場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ・ショーハム・ホテル

行事:宗教の自由連盟主催ダンベリー連邦刑務所出監歓迎晩餐会

尊敬する宗教の自由連盟委員長、そして委員の皆様、全国から集まってくださった聖職者の皆様、そして紳士淑女の皆様。このように挙国的に、超教派的に意義深い場を準備して、私の出監を歓迎してくださったことに対して、心から感謝を申し上げます。

さらに、私が法廷闘争を行っているときから法廷嘆願書、宗教の自由に関する集会、特別祈祷会、同苦の会、カウサ聖職者連合に参加するなど、積極的な支援をしてくださった聖職者の皆様に、重ねて感謝を申し上げます。また、多くの方々が私に激励の書簡を送ってくださり、祈祷で支援してくださったことなどに対し、忘れることのできない感謝の気持ちをもっています。

神様のみ旨と人間の完成

私は今回で、私の生涯において六度目の監獄生活を経験しました。難しい立場でも神様と感動的な交流をすることができました。以前もそうであったように、今回も私が個人的な理由や失敗によって監獄に入ったのではありません。ですから、獄中で迫害者を恨み、自らの無念さを訴えることよりは、神様のみ旨を立てるために、神様のみ旨に従うべきアメリカと世界を心配する、深い瞑想と祈祷を捧げる有益な時間をもつことができました。

私の決意と生涯は、世の中が知ることのできない神様の恨を解いてさしあげ、神様のみ旨をこの地上に成し遂げることです。私と私たちの運動は、今日に至るまで、深刻な無理解と迫害が続いてきました。神様のための至上課題の前には、親族から認められないことが問題ではなく、一般大衆や教団、または国家や世界が反対することが問題ではありませんでした。私は生涯を通して神様の深い心情と愛を確認し、これを証してきました。ですから、私にとって神様は、想像の中の漠然とした神様ではなく、生きていらっしゃる神様であり、私の心情と私の細胞一つ一つで体恤される神様でいらっしゃいます。

神様のみ旨のための道において、同役者(共に働く人)であられる牧会者の皆様。皆様がきょう、私の出獄をこのように歓迎されるのは、レバレンド・ムーン個人に対して歓迎しているのではなく、神様のみ旨のために生きてきたレバレンド・ムーンを歓迎するものであると思います。この機会に、私たちすべての最大関心事であり、一番の課題である「神様のみ旨」について一考することで、きょうの私の挨拶に代えようと思います。

神様は、永遠、絶対、不変のお方です。ですから、そのお方のみ旨も、永遠、絶対、不変であるに違いありません。神様が人間を創造されるとき、目的と理想をもって創造されました。その目的が成し遂げられた世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす、神様を中心とした人類大家族の世界です。

愛の本体であられる神様は、愛のために人間を創造されました。愛は独りで成立するものではありません。したがって、神様が絶対に必要とされる唯一のものは、その愛を施せる対象、すなわち神様が愛することのできる対象なのです。相対がいてこそ愛することができます。愛と心情の本体であられる神様は、その愛が動機となって宇宙を創造されたのであり、特にこの期間に、創世記第一章二十七節のみ言どおり、神様に似た実体対象として人間を創造されたのです。ですから、万民において、神様は永遠な無形の内的父母であり、完成したアダムとエバは永遠な有形の外的父母(先祖)になるのです。最大の愛は、主体と対象が永遠の愛を与え合い、完全に一つになるときに現れて結実します。真の愛の中では自動的な統一が展開し、また生命が連結されて理想が実現されるのです。

神様のみ前で最も貴い対象存在であるアダムとエバが、神様の愛を中心として父母と子女として、主体と対象として、また無形の創造主と有形の実体として、完全調和統一された永遠の愛と生命の理想を成就することが神様のみ旨でした。よく、創造主と被造物は対等な立場に立つことができないものだと言われてきました。もしそうだとすれば、その創造主の前には愛の理想の実践は不可能なのです。神様の愛の理想は、子女であるアダムとエバを有形実体対象として立て、永遠に彼らと合一するというものでした。コリント人への第一の手紙第三章十六節のみ言のとおり、神様は人間の中にいらっしゃることを願われます。無形である神様の愛の理想が実体の人間を通して実現される起点は、人間が神様の対象体として完成する瞬間です。人間が神様を中心として人格的に成熟し、心と体が完全に一つになることによって、神様の愛と理想と生命の永遠の対象になることを意味します。アダムとエバが神様の子女として理想的個体になれば、やがて理想的家庭に発展し、次に理想的社会、国家、世界へ発展して、絶対愛に対する感応で得た生命の喜び、幸福の理想、そして調和統一の天国を完成するのです。

無形の主体としていらっしゃる神様は、果てしなく遠い始源から、愛の宇宙史的刺激を充足させる対象を慕わしく思ってこられ、有形無形の完全な対象体として人間と相まみえるその愛の刺激がどれほど大きかったでしょうか。神様がアダムとエバを地上に造られたので、天国は地上で先に造られ、地上で理想的な生活をして霊人体が天上の永遠の天国に行くようになっているのです。

人間は主体と対象、すなわち相対的なカップルとして造られ、また人間のために存在する全万物世界も愛の原理のもとに調和し、また人間の愛によって生命と理想を実現するようになっています。

万物世界は人間にとって、特に成長するアダムとエバにとって愛の教科書であり、愛の真髄が無尽蔵に陳列された博物館です。神様の一つの性をそれぞれ代表したアダムとエバが、神様が許諾された愛の教科書である自然の中で愛を体恤しながら、完全に育って横的に一体となる相対理想を実現することが、宇宙史的な神様の創造の希望でした。

神様の愛は、神様と人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成することだけを目標とされたのではありません。縦的な愛を完成してアダムとエバ自身の横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が正に、内的父母であられる神様が、外的父母であるアダムとエバと完全一体となるために臨在される、愛の理想成就の瞬間です。無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をまとわれて、有形世界に永存なさる父母になるのです。この時、アダムとエバは真の父母、真の先祖になるのです。

救援歴史は神様の血統に接ぎ木する重生の歴史

このように真の愛は貴いものなので、真の愛を蹂躙することは宇宙的な犯罪になるのです。不倫、青少年たちの淪落、家庭破綻、近親相姦、同性愛、形容し難い性犯罪など、今日の現実は神様を悲しませています。創造理想は崇高で、永遠の愛を中心とした家庭理想の成就にあるのですが、なぜこのような結果を招いたのでしょうか。それは終末を迎え、人間始祖の堕落した結果がそのまま結実することによって、蒔いたとおりに収める世紀末的様相を呈するようになったからである、と言うことができます。

時間の関係上、ここで詳しく説明することはできませんが、私が糾明した原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭において起きた天使長との不倫の事件でした。「統一原理」でいうサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。神様の愛の理想を破壊し、神様の血統を、サタンを中心とする血統に変えた元凶です。イエス様も、ヨハネの福音書第八章で、人類の父が悪魔であることをはっきりと語られました。神様が、御自身の外的な体であるアダムとエバを通して実現しようとされた愛の理想を剥奪した愛の姦夫が、正に悪魔サタンなのです。皆様にはなじみがないかもしれませんが、私が霊界を開拓し、宇宙の根本の曲折を糾明しようと、血の涙を流す闘争をした結果として得た結論がこれです。皆様も真剣に祈ってみれば、解答が得られるでしょう。

神様が長い間、サタンを即決処断なさることができなかった理由とは何でしょうか。サタンが、神様の愛の理想を奪っていき、神様の代わりに偽者として、内的父母の立場で人類を管掌しているからです。ですから、このサタンの血統的な基盤を清算できなければならないのです。

堕落によって神様と人間の愛の関係が断絶し、また人間相互間にも、愛を中心とした本然の授受関係が成立できなくなってしまいました。人間相互間における愛を中心とした調和統一も、生命の喜びも、そして理想と幸福の関係も完全に破壊され、互いに怨讐になって敵対視し、不信に思う世の中になってしまったのです。神様の創造の計画は、人間を真のオリーブの木として造り、これらが繁殖した真のオリーブの園を地上全体につくろうとするものでしたが、サタンが人間始祖を堕落させて偽りの血統の始源を形成することによって、偽りのオリーブの園をつくってしまったのです。神様はサタンが掌握する偽りのオリーブの園では、条件なしに切って接ぎ木することはできません。

神様が宗教を立てて教育してきたのは、神様のみ旨のままに切って接ぎ木できる、すなわち神様が管掌できる野生のオリーブの園をつくる摂理なのです。このような宗教的な基盤の上に、真のオリーブの木であられるメシヤを送り、より大きな神様の愛に接ぎ木しようというのがメシヤ思想です。聖書の中にある重生の根本の道理も、このような点から理解ができるのです。

神側では、サタンの偽りの愛の圏にいる人間を、より大きな神様の愛で取り戻してきて重生させるのです。人間は偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通して生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の愛の血統を通して再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になるのです。イエス様の十字架の血潮の貴さも、最後の晩餐の儀式も、すべて血統転換を通して神様の子女になる摂理を形象的、象徴的に表すものです。人類は生まれ変わらなければなりません。これは堕落人間の運命的な道です。

私たちはどのような困難があっても、この道を行かなければなりません。救援歴史が神様の血統に接ぎ木する重生の歴史だとすれば、私に属した過ぎし日のすべてのもの、すなわち所有観念、伝統、意識の一切を完全に否定しなければなりません。既に持っているものは、神様のみ前にそのまま認定を受けることができないのです。ひとまず取り消し、整理したあとに生まれ変わらなければなりません。これは木を接ぎ木するとき、根元の部分だけを残してみな切って、なくしたあとに接ぎ木するのと同じです。

真のオリーブの木として来られたイエス様は、すなわち真の父母でいらっしゃいます。私たちを生み変えてくださる真の父母です。ですから、私たちに過去の因縁を捨てなさいと強くお教えになりました。聖書のマタイによる福音書第十章三十六節以下を見れば、人の怨讐が自分の家族だと言われ、また自分の父母や子女を捨てて御自分についてきなさいと言われていますが、これも、捨ててしまわなければならない偽りの血統であるという点から理解しなければなりません。

神様とメシヤのために生きて死ぬことがキリスト教徒の特権

敬愛する聖職者の皆様。神様のみ旨を受け入れ、これを実践して成就すべき聖業が私たちの課題です。私たちは神様のみ手に結ばれた人にならなければなりません。神様の求めに応じる人にならなければなりません。自分の必要に応じて自分だけの救援、私だけの天国のために神様を求めてはいけません。神様とメシヤのために生きて死ぬこと、これがキリスト教徒の特権ではありませんか。偉大な神様のみ旨を成就する宗教であり、教派にならなければなりません。狭い教派的な自己主張の中に神様がお入りになることはできないのです。私が知っている神様は、宗派や教派主義者ではありません。枝葉的な教理理論にしばられた神様ではありません。神様の父母の心情、そして大きな愛の心のもとでは、民族と皮膚の色の区分がありません。国家や文化伝統の壁もありません。神様はきょうも、万民を同じ子女として抱くために努力していらっしゃいます。

聖職者の皆様。宗教の自由の天国だと信じてきたアメリカで、レバレンド・ムーンの投獄が契機となって、宗教の自由の運動ののろしが全国を席巻したということが、偶然なことでしょうか。それは、背後で役事される神様の経綸があったからです。また、自由民主主義の旗手として自任しながら、共産主義の脅威があるとは想像もしなかったこの地で、カウサ(CAUSA)運動を通して全世界が共産主義の脅威の深刻性を悟り、教派の障壁のない、真の超教派的運動が燎原の火のように燃え上がっている、このような現象が偶然でしょうか。

アメリカは神様を愛する建国精神で立てられた国です。特に第二次世界大戦直後から神様はアメリカを本格的な世界救援の先導国として、また歴史始まって以来、初めて世界統一圏を主導する国としてお立てになり、再臨のメシヤの臨在を準備するとともに、世界を見守るようにされたのです。しかし、不幸にもアメリカは、このような大きなみ旨を知らず、世界から徐々に手を引こうとし、自国だけで定着しようと企図したとき、内外的に受難と問題に直面するようになりました。今、アメリカは人種問題、価値観の混乱と社会の倫理と道徳の退廃問題、霊的枯渇とキリスト教信仰の没落問題、無神論に立脚した共産主義の問題など、深刻な問題を抱いています。私が神様の召命を受けてこの国を訪ねてきた理由は、ここにあります。

今日のキリスト教は大きく覚醒し、団結しなければなりません。私たち牧会者たちも今まで果たしてきた役割を再点検し、悔い改めなければなりません。あたかもイエス様が来られて、悔い改めよと叫ばれたその時の情景が、二千年過ぎた今、この地上で繰り返されていると見なければなりません。私たちは、神様がアメリカに命令された重大な使命を果たさなければならないのです。今、このままでは絶対にいけません。新しい宗教改革が起こらなければなりません。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト数的に世界的文化革命を主導するところまで進まなければなりません。

私たちは、きょうを契機として大きく奮起し、神様の愛のもとで固く手を取り、一つになって、来られるメシヤを迎え、神様の願いを成し遂げてさしあげる、キリスト教の本然の道に総進軍しなければなりません。神様の祝福が、皆様と皆様の家庭、そしてすべての教団とアメリカに満ちあふれることを祈ります。

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第三篇 8 対話と連合

第三篇 8

対話と連合

日付:一九八五年十一月十六日

場所:アメリカ、ニュージャージー、アメリカーナ・グレート・ジョージ・リゾート

行事:「世界宗教議会」創立総会

尊敬する議長、各教団から集まってこられた指導者および学者、そして紳士淑女の皆様。私はこの「世界宗教議会」の創始者として、代表の皆様を心から歓迎するとともに、私たちがきょう、この場を共にしたことが、簡単な出来事ではないことを想起していただこうと思います。

世界八十五カ国から、あらゆる宗教と文化、伝統と儀式、血統と環境の垣根を越えて、このように集って心の門を開けて和合し、人類の未来を心配すること自体が、一つの偉大な成就であり、また神様も、この歴史的な場を喜んで見つめられることでしょう。

1.永遠なる真の愛、理想、幸福、平和を願ってきた人間

きょう、この場に私たちが、たとえ人生の根本問題に対する解答や人間の苦悩の本質に対する理解、また人類の平和を模索して完成する方法などが互いに異なる、様々な宗教の伝統を背景として集まったとしても、私たちは神様を中心として各自の究極的関係を確立し、すべての問題を解決しようとする共通の期待をもっています。

洋の東西を問わず、人間はたとえ罪悪と不信と混沌の中に生きているとしても、永遠で真の愛と理想と幸福と平和を絶えず願い続けてきました。悪を指向する欲望の誘惑を退け、善を追求する欲望に従って本心が喜ぶ幸福を見つけようと、ありとあらゆる努力をし尽くしてきました。歴史を通した人類の経験では、このような目的を成就することは不可能だという結論が出てくるのですが、人間の本性は、これを簡単に放棄することはできません。民族と伝統に関係なく、人生が追求する究極の道は一つなのです。

この目標の成就が人間の力だけでできないとすれば、私たち人間を超えて永遠で真であられる絶対者を探し、そのお方に依存せざるを得ないはずです。私たちは、自らの人生が有限であることを知っている唯一の存在です。人間は、自分自身を超越し、自らの運命を開拓していくことができないので、これができると思う対象者、すなわち神様に依頼するようになっているのです。その神様が真の愛、真の理想、真の平和と幸福を願われるとすれば、そのお方を通してのみ、これが可能になると思うのです。神様を通して人類が追求してきた理想的要件を成就するためには、そのお方が提示する内容を私たちが知って、具体化しなければならない、という結論に至るようになります。

私は霊的体験を通して霊界に対する内容を知り、神様との深い交流をもちながらそのみ旨と愛と心情を確認しました。宗教は単に真理や倫理を教えるだけではなく、神様に絶対的に依存し、関係を結びたいと思う人間の本然の心情に連結されています。

人生において、真の宗教的直観は絶対的であり、無限なのです。私たちはこの直観によって、私たちそれぞれに対する神様の召命を聞くことができます。この境地は宗教の形式を超越し、何かの制度によって遮ることのない本然の交流です。ですから、これは宗教のもとにあるのではありません。このような関係においてのみ、人間は完成と幸福を所有します。この境地において、神人の関係は一つであるとともに、全体なのです。

そして、神様がこのように人生の背後で作用してきた超越的な力とその関係性は、もし人類が願いさえすれば全体に通じるものなので、人生が進むべき道は二つにはなり得ないのです。個人の道がそうであり、その理想的な個人が歩む家庭の道、国家、世界の道もまたそうなのです。すべての道は、絶対者、神様が理想とする愛と幸福と平和の世界を指向するのです。愛や理想、幸福や平和という言葉は、独りでは成立しない言葉なのです。これは、必ず相対的関係において成立する言葉なので、絶対者であられる神様だったとしても、その理想は独りでは成し遂げることができないのです。

2. 宗教の究極的目標は平和理想世界の建設

神様が一人だけで何かを愛して、一人で理想をもって何をするというのでしょうか。神様の創造の動機も、このような点から理解しなければなりません。神様の理想を成就させ、神様の愛を成就させる対象が人間です。人間を通してのみ、神様の愛と幸福と平和の理想的要件が成就されるので、本然の人間とはどれほど貴い存在でしょうか。神様と人間の関係は、たとえ格位は違うとしても、愛と幸福を中心として一体理想を形成する関係なので、本然の父母と子女の関係になります。神様が永遠で絶対的なように、その対象である人間も絶対的であり、永遠の内容をもった価値的存在になるのです。人間は神様の理想を実践する目的体です。神様の永遠で絶対的なみ旨は、人間と完全一体となったところで成就するので、人生の目的もまた、絶対的で永遠なのです。

神様は永遠、不変、絶対なので、その理想とした創造目的も、永遠、不変、絶対であり、一つの目的で統一された単一の理想世界を形成することでした。今日の罪悪と分裂と不信の世界は、人間が本然の道から離れて堕落したからです。このような人間を救援される神様の摂理は、宗教的基盤の上で人間をして原状回復をさせることです。ですから、救援摂理はメシヤによる復帰摂理なのです。

神様の創造目的が絶対的なように、復帰摂理の目的も必ず成就されるのです。したがって、メシヤの理想は、決して漠然としたものではなく、具体的な私たちの生活圏で必ず成就される神様のみ旨です。このような点で宗教の目的は、私たちの実生活で神様のみ旨を具体化するものです。神様が救援の全体的摂理のために、時代と民族と環境によって適切な宗教をおかれ、神様の基台を広げてきました。したがって、全宗教の究極的な目標は、神様のみ旨である平和理想世界を成し遂げることなのです。宗教は、教団内での救援や個人救援を考える前に、世界の救援という神様のみ旨を心配しなければなりません。今の時は、汎宗教的に神様の真意を再探求すべき時だと思います。

私が知っている神様は、宗派主義者ではありません。枝葉的な教理理論に縛られたお方ではありません。私たちは、教義の文字や儀式の条件に融通性なく縛られる、神学的葛藤から早く抜け出し、神様と生きた交流をもたなければなりません。信徒たちの信仰が蘇生し、各自の心霊が神様と交信する、純粋な宗教風土の造成が急がれていると思います。

神様と父母の心情、そして偉大な愛には、民族や皮膚の色の区分がありません。国家や文化の伝統や、東洋と西洋の壁もありません。神様はきょうも、万民を同じ子女として抱くために努力していらっしゃいます。私たちは教団間の対話と和合を通して、神様の創造目的であり人類の共通の希望である、単一平和理想世界を必ずや実現しなければなりません。

3. 汎宗教的浄化運動、実践奉仕運動

尊敬する宗教議会の代表の皆様。私たちが今日の現実を直視するならば、私たちは信じてばかりいるときではなく、行動すべきときであることを直感するのです。私たちの社会に澎湃している深刻な問題点、価値体系の混乱、道徳的退廃、麻薬とテロ、戦争と大量虐殺、人種問題、人権と富の均等問題、無神論に立脚した共産主義の問題など、数多くの弊害は何を物語っているのでしょうか。神様を離れた人類が、無神論に立脚した物本主義、世俗的な人本主義、享楽主義などに便乗してたどり着いた、世紀末的な現象なのです。このすべては、この世代の精神的・霊的枯渇と信仰心の衰退に根本原因があるという結論とともに、宗教者たちをむち打っているのです。

今日の世界に誰が責任を負うことができますか。軍事力や政治力ですか。でなければ、財力や技術力ですか。決してそのような力ではありません。神様はこの時代の預言者であり祭司格である宗教指導者たちに、この問題を解決しなさいと勧告していらっしゃいます。

すべての宗教者たちは、この世代の霊的基盤の欠乏に対して責任を痛感し、深く痛悔しなければなりません。長い宗教の歴史の中で、宗教者たちは生きていらっしゃる神様を正しく証することに不足だったのであり、愛の実践をおろそかにすることで無神論が蔓延し、また共産主義が世界に澎湃していることを、痛切に自ら叱責する宗教者になるべきだと思うのです。

今日、神様は私たちを呼んでいらっしゃいます。すべての宗教者は、深い自己反省の内的基台の上で、力強く立ち上がり、あらゆる不正が乱舞する現実に挑戦し、神様のみ旨を地上に実現するめに、創意的な努力を果たさなければなりません。生きていらっしゃる神様が願われる人間との関係は、経典や礼拝儀式の中だけでの関係ではありません。信義を抱いて二十四時間の生活の中でこれを実践する、自覚された心の中に住まわれながら、人間と共に生活されることを願われます。

私は、世界と人類の未来に対する長年の省察と祈祷を通して、今の世界を覆っている神様の情熱的な願いと強い聖霊の役事を感じてきました。これは、世界が必ず新しくならなければならず、宗教指導者が世界的に団結するだけでなく、懺悔と真の奉献の姿勢を整える汎宗教的浄化運動、実践奉仕運動が起こらなければならないと教示しています。世界は変わらなければなりません。新しい宗教改革の炎が燃え上がり、至る所で生活信仰、実践信仰の価値を高く、高く、とどろかせなければなりません。そして、無神論者たちの前に生きていらっしゃる神様を証明する、生きた信仰の炎がなければなりません。真の平和世界は、宗教を通した精神革命、愛と慈悲による大きな和合によってのみ実現されるのです。

4. 教団間の和合を通して平和世界実現を早めなければならない

尊敬する代表の皆様。私たちは神様の崇高な召命の前で、反目と誤解の無知が氾濫する世俗の泥沼を抜け出し、相互尊重および親善で、世界の教団が大きな協同体制を構築しなければなりません。そうして、行動する宗教者の意志と実践を地球星の隅々に見せなければなりません。

宗教は単に未来を待望することで終わるのではありません。神様の最初の創造目的の地が地上なら、私たちが地上に実現すべきそのお方のみ旨を忘れてはいけないのです。天国や極楽が神様の理想的な居所ならば、行くことだけが希望ではいけないのです。現実において理想の起源になる対象存在のために生き、愛し、与える実践と、その実績が必要条件になるのです。

宗教が現実的規範原理や所在を超越しているからといって、その現実的作用までも無視してはいけません。宗教は現実問題自体に至大な関心をもって、神様のみ旨の適用可否を深く調べなければなりません。また、政治、経済、社会、教育など、各分野の現実問題を解決すべき人々の心の中に、神様を中心とした新しい変化を起こすことによって、彼らが新しい人となって問題を解くようにさせなければなりません。

生きた心霊をもった宗教者たちが、宗教の真理をもって現実社会に飛び込むことを、神様は求めていらっしゃいます。真理をもった人、神様と根本的な交流をもった人は、どこでも生命の役事を起こし、影響を与えるようになっています。真の宗教は世の中についていくのではなく、神様のみ旨に立脚して世の中を諭し、万人を先導しなければならないので、反対と迫害と騒乱が起こるようになっています。教団間の和合と大同団結、そして実践信仰の新しい運動は、孤独な開拓者的な道を行くかもしれませんが、これは歴史的・世界的次元で考える多くの清新な人々の、大々的な呼応を受けることになるでしょう。

私はこれまで、神様が願う摂理の方向に従って世界を改革し、地上に神様の理想を実現することに尽力してきました。また、統一教会を最も優先的に動員して、宗教間の和合を通した世界平和の目標のために投入してきました。

皆様が属する各教団も、積極的にこの道に協力して、共に行くことを私は心から願います。これは、私がこの分野の努力を中断するからでもなく、統一教会の援助を惜しんでいるからではありません。全宗教の伝統の霊的資源と創造力を動員して、神様が願われる方向に総結集することによって、平和世界の実現を早めようとしているからです。

5. 神意の地上実現という「世界宗教議会」の成果

皆様が御存じのように、この「世界宗教議会」は歴史的な企画であり成果です。世の中でも国連機構などをつくって和平を模索していますが、教団間に争いがあっていいでしょうか。私は長い間、既存の教団や指導者が出てきて、宗教議会を積極的に推進してくれることを待ち望みました。しかし、誰かが必ず果たすべきこのことを待ちきれずに、私が始めました。

この集い自体が意味のあることですが、今後、回を重ねれば重ねるほど驚くべき成果を上げるようになることを期待します。

第一段階は、世界の宗教の伝統が互いに尊重されながら、相互に交流する関係の中で和合し、集約されることによって、少なくとも宗教間の葛藤と戦争を防止することに寄与し、第二の段階は、宗教会議の共同決議を通した宗教者の実践生活と汎教団間の協力体制よって世界に奉仕し、人の心霊を啓発することが促進されることによって、万人を神中心の価値観で生きるようにし、第三の段階は、実質的な教団代表たちが参加する議会にまで発展しなければならないと思います。

そうして、宗教議会で神意に立脚した高次元の価値観と生活規範が確立され、これが全宗教者と団体、国家に波及するようにしなければなりません。このような個人、団体、国家であってこそ、神様のみ旨の地上実現のための基盤となり、単位になるのです。すべての代表の方々は、今回の会議の期間中、全体会議あるいは分科会議で発表や討議、各宗教芸術の発表、瞑想と祈祷などのプログラムを通して、今日の世界を指導し、宗教界を改革して明るい未来を創出する霊的基盤を造成し、互いに和合することに大きく寄与してくださることを願います。

私たちは、今から和合した力で、「神意の地上実現」という世界史的宗教の使命を完遂するために、総進軍しなければなりません。最後に、この議会の準備委員会の代表の皆様の企画と準備のための労苦に感謝申し上げ、また実務要員たちの苦労をたたえます。神様の御加護と祝福が、この歴史的な大会と代表の皆様にあることを祈ります。

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第三篇 9 根本思想

第三篇 9

根本思想

日付:一九九〇年一月十二日

場所:韓国、ソウル、中区、長橋洞宗教会館

行事:文鮮明先生御夫妻韓国宗教協議会訪問歓迎式

各教団の重鎮であられる皆様に、このようにお会いできましたことを、感謝を申し上げます。宗教指導者たちが教団のために奉仕し、その教団自体が自分の使命を果たすとき、大韓民国の未来に希望があると思います。そのためには、一つの教団だけではいけません。互いにどのように和合しなければならないかという問題ですが、単に宗教界だけでなく、世界の政界を見ても、思想界を見ても、問題になります。いずれ人類は一つの目的点に向かって帰結されるということです。

1. 人生問題と神様を中心とした聖人の教え

内外の世界を見れば、政治、経済、文化、社会を中心として、歴史をつないできた数多くの国家群があります。そして、内的世界を見れば、各教団が存在します。これらの教団の各教主は異なりますが、世界を指導すべき責任があるのです。これを人に比較すれば、宗教は心のようなものであり、一般社会は体のようなものです。

しかし、人間自身を見るとき、その体と心がいつ統一されるのでしょうか。どのような聖人でも、「私の教理を通して体と心を一つにした。心と体が争うこの戦争を平和にした」と自信をもって宣言した人がいないことを、私たちは知っています。外的世界と内的世界がこのように対立していて、外的世界である国家主権者たちから今まで宗教界は弾圧を受けてきました。多くの犠牲に遭ってきたというのです。反面、宗教界は打たれるだけで、外的世界を打ってみたことがありません。いつでも、打たれながら大きくなってきたのです。これが根本問題です。それで、きょうのお話の題名は「根本思想」です。

私は大韓民国の白衣民族の一人として生まれましたが、宗教という問題を中心として誰よりも苦心した人です。さらには、人生と人間の問題について深く苦悩しました。人間の問題を誰が解決しなければなりませんか。人間同士では解決できないというのです。それでは、何によって解決しなければなりませんか。聖人の教えで解決しなければなりません。

聖人といえば、皆様が御存じのとおり、特に四大宗教の教主をいいます。その教主たちは、何を中心として生涯の道を歩みましたか。それは絶対的な価値の問題なのですが、神様がいるかという、神様に関する問題でした。

宗教が哲学と異なるのは何かというと、宗教は神様と共に始まりましたが、哲学はそうではないというのです。宗教を見れば、その背後には神秘境と連結されていますが、神様という背後で動く主体を中心として、み旨を広げるために出発しました。ですから、その教主たちは、生活舞台で神様と共に歩んだ人たちです。

神様と共に出発するその生活とは、どのような生活でしょうか。個人的生活でしょうか、そうでなければ家庭を中心として出発した生活でしょうか、氏族を中心として神様と共に生きる宗教の生活でしょうか。あるいは、私たち白衣民族を中心として出発したものでしょうか。これが問題になります。また、国家と共に出発したのでしょうか。世界問題と霊界と肉界、天と地までの問題になるのです。

宗教が出発するとともに、家庭救援の論理を唱えた宗教がどこにありましたか。社会救援、氏族救援、国家救援を主唱して出発した宗教がありましたか。大多数の宗教は個人の救いを主張します。個人が救援されなければならないというのです。個人を中心として出発しました。ですから、高次的な宗教であるほど、その教主が教える教理は、現世と隔離させる内容です。出家を強調するのです。単に仏教だけでなく、キリスト教も同じです。

出家というものは何ですか。大韓民国の民としてある氏族を通して生まれたなら、その伝統的歴史の背景がすべて私を包囲しているので、その背後の前衛隊のような家庭を否定するのです。出家するということそれ自体は、国を否定しなければならず、社会を否定しなければならず、家庭を否定しなければならず、家庭において父子関係までも否定しなければならないのです。これが問題になるのです。

私たちが生活するうえで、運命の道は私たち個々人が努力して開拓できますが、宿命の道は開拓できないのです。父子の関係を切ることができるものとは何かというのです。これが問題になります。ある独裁者が「あれはお前の父親ではない! あれはお前の息子ではない!」と千年、万年教育したとしても、その関係を切ることはできません。

出家において、父子の関係まで否定していく原因がどこにあるのでしょうか。これは問題が大きいのです。出家は、父母との関係をそのままにしていくのですか。それを拒否して自分自らの道の目的を成就するために、自分を中心としたすべてのものを片づけて自己完成を標準としていくのですか。それはあくまでも、自己完成のみを標準にしたものなのです。

2. 宗教の起源、そして神様との関係

すべての宗教は自己完成を標準としています。ですから、すべての高次的な宗教は、独身生活を強調します。父母の血縁までも否定させ、その次には後代までも否定させます。深刻な問題です。カトリックや仏教も同じです。世界を否定し、国を否定し、自分の家庭を否定し、自分の父母を否定し、男性が女性を否定して、女性が男性を否定しますが、なぜこのようにしなければならないのですか。根本問題がここから出てきます。そのような問題が、深刻な問題にならざるを得ないというのです。

なぜ否定しなければならないのかという論理、その教理をどのように教団で探し立てるのかということです。キリスト教も曖昧です。仏教や儒教もそうです。「元亨利貞は天道の常であり、仁義礼智は人性の綱である」という言葉があります。どれほど良い言葉ですか。ここで「天」とは神様のことですが、天が存在しても、始まりとともに永遠に関係を結ぶことのできるものでなければ、理想的な天として侍ることができないのです。始まりとともに過程と終わり全体が、永遠に天でなければなりません。その天と共に私が幸せでなければなりません。不幸ではいけません。その天と一つになるとき、すべての存在が羨まなければならず、すべてのものがそれを崇めながらついていくことができなければなりません。そして、その個体が生まれたある特殊性、韓国民族なら韓国民族にだけ限定された内容ではいけないというのです。人種を超越し、思想を超越していくものでなければなりません。

このように見るとき、神様と共に生きるところから教団が始まったというのです。ここで教主と神様との関係を見るとき、神様についていかなければならないか、教主についていかなければならないか、ということが問題です。教主と神様の関係では、教主も神様についていかなければならないのです。その神様が絶対的な神様ならば、絶対的についていかなければならないというのです。その絶対的についていくことのできる神様と私の関係、神様と教主の関係を知らなければなりません。神様と教主の関係と、教主と私の関係をいかに連結させるかということは、簡単な問題ではありません。

私が霊界と宗教界に関する問題を中心として苦心してみると、神秘的な世界があることを知るようになりました。神様がいるのか、いないのかというとき、神様は間違いなくいます。最近では、関係の世界が問題になっています。一つめ家を見ても、父子の関係、夫婦の関係、兄弟の関係から成っています。それだけでありません。家庭と家庭の関係もあります。いくら自分が立派だったとしても、家庭の関係において脱落してはいけません。自分と家庭の関係、家庭と家庭の関係、氏族と氏族の関係で、中心は何ですか。人間は関係の世界を離れることができないのです。

「家和万事成」という言葉があります。「家和万事成」になろうとすれば、祖父と祖母の関係が理想的でなければなりません。夫婦関係と兄弟関係が理想的でなければなりません。祖父と祖母が自分たちだけで喜び、夫婦同士、あるいは兄弟同士だけで喜んではいけません。祖父と祖母と父母、父母と息子、娘、縦横の前後左右ですべて和合してこそ、「家和」になるのです。「家和」は難しいというのです。なぜですか。私たち個々人の体と心が争っているからです。三十八度線が問題ではなく、世界の戦争が問題ではありません。戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。

3. 宗教生活は体を主管し、心に従って生きる生活

「人」といえば男性と女性がいます。男性と女性は心と体の両面をもっています。宗教を信じるのに、心と体で信じなければならないでしょうか、心でだけ信じなければならないでしょうか。心と体が一つになって信じるのが理想的ですが、それを一つにできなかったとき、神様は先に心を中心として一つになるようにします。主体である心を通して一つにするのです。

心がまっすぐだというのは、垂直を前提に語る言葉です。心を中心として神様と完全に一つになって、体を一つにしなければなりません。これが今日、宗教者が一生をかけて達成すべき課題です。どのようにすれば心が体を支配できるでしょうか。そこには二つの方法があります。神様と共に生きながら、神意を知る立場に立たなければなりません。神様のみ旨を中心として生きなければならないのです。ところが、体がうまく従ってきません。心がプラスなので、体がマイナスになれば、どれほどよいでしょうか。しかし、体もプラスになろうとするというのです。プラスとプラスとになるので、反発するのです。

それでは、どのように一つにしなければならないのでしょうか。根本理想を求め、強力な信仰心で、その変わらない心で絶対的な姿勢を備えて、体を弱体化させなければならないので、苦行をするのです。苦行を好む人がいますか。苦行を好む人が世の中のどこにいるかというのです。千人いても万人いても、すべての人が嫌います。数億の仏教信者がいるならば、その中で苦行を好む人がいるかというのです。

それでは、それを無理やりするところで、理想が実現できますか。それは理論的に矛盾です。喜んで行っても難しいのに、無理に行って完成するというのは矛盾です。宗教生活は体を主管する生活ですが、プラスである心を中心として、体をマイナスにするためのものです。マイナスさえつくっておけば、「一つになれ」と言う必要がありません。体がマイナスに戻ることによって、体と心は一つになるのです。

神様はなぜ体を打たなくてもよいように創造できなかったのかと言いながら、神様を否定する人々がいます。理由は分からなかったとしても、人間が病気になったのは事実です。僧侶たちがいらっしゃいますが、いくら修行に励みながら念仏を覚えても、肉体の欲望を捨てることはできません。その欲望は生きています。どれほど強いか分かりません。精誠を込めて修行に励んでも、うまくいきません。欲望が行こうとする道と、その世界の前進過程は、公式のようなものです。

それでは、宗教を中心として、なぜ体を苦労させなければならないのですか。良心基準に対して体を弱化させることによって、体が心に従うようにするためなのです。体を弱体化させて、およそ三年間引っ張っていきながら、習慣になるようにしなければなりません。それは絶対的に信仰を強調するためです。絶対的にほかのことを考えてはいけないというのです。父と母、兄弟、自分が愛する人、国と世界の雑多なことをすべて捨てて、絶対的な道理を立てて体を修養し、帰一点を見いだすのです。どのような宗教もみな、そのように教えなければなりません。そうでなければ、宗教世界の発展をもたらすことはできません。人格革命をもたらすことはできないのです。

ですから、断食と絶食をし、苦行しながら社会に出ていって迫害を受け、反対を受けなければなりません。修養の目的成就のためには、体が死にそうだといって大騒ぎしても、物ともせずにすべてのことを忘れなければなりません。心に体が順応できる自我を見いだすためのつらい生活が宗教生活です。そうでない人はみな偽者です。普遍的で妥当なこのような観を中心として見るとき、良心と体を一致させるために、経典が教える内容以上の境地にまで体の修行をしようという人が、仏教で言えば真の仏教信者です。またキリスト教で見れば、真のキリスト教信者です。

申し訳ない話ですが、僧侶たちが妻を得て、息子、娘をもったとすれば、家族を率いて心の世界の統一圏を形成するということが、どれほど大変でしょうか。彼らを背負っていくことがどれほど大変でしょうか。そのような問題を簡素化するために、出家するのではないかというのです。

出家して何をするのでしょうか。完全な道の成就、その目的を成就したあとで、男性と女性の修行者が一つにならなければなりません。それで、終わりの日には、今まで教えたすべての修行の時代が終わり、修行者たちも結婚しなければならない時が来るのです。

外的な世の中では、結婚に失敗し、多くの問題が現れています。悪神の巣窟、悪魔の巣窟、サタンの巣窟になっています。神様は、「この滅びる者たち、お前たちは人倫、道徳を中心として背信の道を行くので滅びるだろう。しかし、お前たちを正すために標本が必要だ。僧侶が結婚し、神父や修道女たちが結婚して標本になるべきだ」と語るでしょう。経典を通してこのようなことを解釈できますか。経典にはありません。四大聖人はすべて教主です。宗教の教祖です。その教祖を中心として数千年の歴史を経てきながら、人類を教化させてきました。神様は天運を動かす中心の絶対的神様ですが、教主たちの志が良いので、彼らを立てて教材として使ったのです。ですから、「私たちの教主は神様だ!」と言ってはいけません。教主を「絶対的神様だ」と言うならば、問題が大きいというのです。

4. 宇宙の根本真理を探すために神様と談判

人間は第一原因から始まりました。第一原因とは何ですか。その名前はどうでもよいのです。そのお方は私たち人間が描く理想をもったお方です。行ったり来たりしながら、適当なことを考えるお方ではありません。絶対者なので、そのお方が考える理想は絶対的です。どの教主でも、そのお方以上にはなれません。優秀な教主や宗教指導者、世の中を騒然とさせるほどの宗教者がいるとしても、神様を中心としなければなりません。自らを中心とすれば、大変なことになります。それは、人間はあくまでも第一存在ではなく、結果的存在だからです。

第二存在である人間は、どのようにして生まれましたか。私にとって第一存在は父と母です。その父と母の第一存在は祖父と祖母です。このようにさかのぼるのです。祖父と祖母の第一存在は先祖です。先祖の第一存在は第一先祖です。人間の第一先祖の第一存在は神様です。神様がいるとすれば、そこまでさかのぼるのです。

その神様のみ旨とは、どのようなものですか。宗教を立てて個人を救うのですか、家庭を救うのですか、国家、世界、天地を救うのですか。地上と天上に地獄がありますが、救いというものは、天上天下の地獄をなくし、天国をつくろうとするのです。そのようなお方が絶対善なるお方です。

私はこのような問題について非常に悩み、宇宙の根本真理が何かと、談判祈祷を捧げました。そうして、神様を発見しました。「あなたを発見したので、死に物狂いです。根本を教えてください」と談判しました。私は身もだえしながら、神様に「あなたはどのようなお方ですか」と尋ねながら、根本思想を明らかにしたのです。

今日、神様がいるのか、いないのかということが世界的問題です。そこから唯物史観と唯心史観の二元論が生じました。心が先か、体が先かということです。ところが、分かってみると、心も先ではなく、体も先ではありません。体と心が一つにならなかったために、このようなことが広がったのです。民主世界は心を拡大させたものであり、共産世界は体を拡大させたものです。これが互いに争うのです。この争いをどのようにすれば止めることができますか。民主世界と共産世界を一つにすることより、皆様自身の心と体を一つにすることが先決問題です。

このような問題を考えながら、悩んで標語として立てたのが「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」でした。第一標語がこれでした。すべての人、すべての教団が世界と天地を支配しようとしますが、自分自身を主管できずにいるのです。そのように身もだえしながら、十年間さまよい歩きました。涙もたくさん流しました。

自分の家の父母を中心として、絶対的に一つになりなさいと教えるのが孝子の道理です。国を中心として教えるのが忠臣の道です。孝子と忠臣は通じます。それをもう少し拡大して言えば、聖人の道です。皆様が信じている教祖たちは聖人ですか、聖者ですか。イエス様も孔子も釈迦牟尼も、聖人です。

5. 真の信者とは、教主の愛を受けられる人

四大宗教において教主の中の教主とは誰ですか。最高の頂上は二人ではありません。山頂に登るときは東西南北の方向から登りますが、山頂は一つです。真の信者はどのような人でしょうか。

仏教の僧侶たちが大勢参加し、高位の僧侶も来られましたが、釈迦が「私たちの高位の僧侶がナンバー・ワンだ」と言えば、どれほど良いでしょうか。それでは、釈迦が願うこととは何でしょうか。霊界に行ってみれば、お金は必要ありません。知識も必要ありません。そこに行ってみるとそうでした。権力が必要ありません。お金をいくらでも創造でき、ダイヤモンドの星も造ることができる神様です。絶対者であり、知識と権力の大王であられます。春夏秋冬の四季を越えて、永遠に自由自在に行使できるお方です。そのお方に何が必要でしょうか。

仏教信者は釈迦の信任を受ける人ですが、信任されることが第一ですか。違います。結局はどこに行かなければならないのかといえば、外的関係から内的関係に行かなければなりません。誰よりも釈迦の愛を受ける人でなければなりません。皆様は信任される人になりますか、愛される人になりますか。母は子女を絶対的に信じますが、息子だといって絶対的に信じているだけで、じっとしていてはいけません。懐に抱いてお乳を与えながら愛してこそ喜びます。本性がそうなっています。

ですから、教主と信者も、先にお話ししたような関係です。「家和万事成」の関係ですが、その関係をどのようにしてもたなければならないのでしょうか。教理を中心とした関係は立派です。しかし、教理は道を教えるのです。道理を教えるのです。道というものは、行く道を言います。方向を教えるのです。行って何をするのでしょうか。釈迦に会い、イエス様に会って何をしますか。みな教主に会ってみたいと思いますが、出会って何をしますか。イエス様のものを自分のものにし、自分のものがイエス様のものになるとすれば、どれほど良いでしょうか。結局は帰依だというのです。同等な立場に行くことが信者の願いです。

その同等な立場に行こうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。釈迦を中心として父方の叔父の関係が良いでしょうか、母方の叔父の関係が良いでしょうか、僕の関係が良いでしょうか。信者たちに「あなたはどんな関係になることを願うか」と尋ねるとき、「釈迦の息子になり、娘になることを願う」と言うでしょう。それが最高の結論です。息子、娘は相続を受けます。そして、共に住みながら、どこでも一緒に行くことができます。どこでも同参できます。父子の関係において愛を中心とするようになれば、相続を受けることができます。愛の属性の中には相続権があるのです。

男性と女性が互いに愛し合うとき、夫のものは誰のものになりますか。夫のものは妻のものになります。また妻のものは夫のものです。ですから、貯金通帳を二つもって暮らす夫婦がいるとすれば、その夫婦は偽者だということができます。それは荷物をまとめるための準備と同じだというのです。それを正さなければなりません。根を直しておかなければなりません。

釈迦と弟子の関係はそれと同じですが、イエス様に「信者たちに何を望まれますか」と尋ねれば、「私たちの何代の孫よ、僕のように働け」と言うでしょうか。キリスト教の牧師たちは、「神様の僕」と言いながら祈祷を捧げます。なぜそのような祈祷を捧げるのですか。神様のみ前に、僕にしかならなくてよいのですか。僕の上には養子がいて、庶子がいて、直系の息子がいます。僕から三段階を越えてこそ、息子、娘になるので、同じ価値なら息子と言えばよいのに、なぜ僕と言うのでしょうか。

6. レバレンド・ムーンは真の愛の哲学者

皆様の中にイエス様を信じる人がいるならば、イエス様の息子、娘のように近い立場に立ちたいですか、隣の家のおじさんのような立場に立ちたいですか。これをイエス様に尋ねれば、「横的ではなく、縦的な一番近い父子の関係だ」と言うというのです。なぜ父子の関係ですか。それは縦的な関係だからです。夫婦関係は横的です。それでは、縦が先ですか、横が先ですか。縦が先だとすれば、どうしてでしょうか。世の中のすべての物が創造されるとき、創造主は水平を見ながら造ったというのです。ですから、良いものは垂直になっています。茎はすべて垂直に育ちます。穀物を見ても、葉はすべて曲がっても、茎だけはまっすぐです。茎には根の茎と芽の茎があります。これらはすべて垂直です。

人間の始祖が第二原因者ならば、第一原因者である神様は高いところにいて、人間は低いところにいます。その中で神様の愛と人間の愛について語るとき、愛は縦的にならざるを得ません。ここで一つの概念の定義を下すことができます。完全に縦的な垂直を作る動作は何でしょうか。知識ではできません。それでは直行できません。知識は回りながら進みます。また、お金は天から下りてくるのではなく、地を転がっていきます。権力も垂直にできません。しかし、真の愛は直短距離を通るのです。

私はこれを発見し、どれほどうれしかったか分かりません。この原理でなければ解明できないのです。宇宙を解くことができません。真の愛とは何ですか。直短距離を経るものです。ですから、上から下に通じる真の愛があるならば、それは垂直にならざるを得ません。少しだけずれても垂直ではないのです。直短距離ではありません。何が宇宙の中で直短距離である垂直を占領できるのでしょうか。それは真の愛だけです。

私が最近、真の愛の話をするので、世界的に有名になりました。レバレンド・ムーンは真の愛の哲学者として知られるようになりました。父母は愛する子女が危険に直面したとき、反対に走っていって救うと言いますか。自分の生命は貴いですが、それが問題になりません。直短距離で駆けつけていくのです。これこそが偉大な福音です。それでは、宇宙の中心とは何でしょうか。直短距離で結ぶ垂直の場を占有できるものは何ですか。それがすべての価値の中心になっていれば、世界はそこから位置の策定が可能なのです。その垂直を中心として東側にあるのか、南側にあるのか、北側にあるのかを決定するのです。

垂直という言葉は、垂直自体を前提として語る言葉ではありません。横である水平を前提条件として語る言葉です。上という言葉は、上を中心として語る言葉ではありません。先に下を認めて語る言葉です。右側という言葉は、左側があることを先に認めて語る言葉です。女性だけで、女性という言葉は使いません。そのような言葉は不明確な言葉です。女性という言葉は、男性を先に存在する先有条件として語る言葉です。相対的概念を中心として語る言葉です。ですから、宇宙で一番まっすぐな垂直を探そうというとき、知識で探すことはできません。権力でも探せません。お金でも探せません。しかし、愛では可能だと見るのです。神様は絶対的なお方であり、神様の愛も絶対的なので、絶対に真だというのです。ですから、その愛は最短の距離を占有するのです。これが根本思想です。

7. 宇宙の根本は愛と生命と血統

哲学に入門する人は、本を見ながら、「私はなぜ生まれたのか」と言いながら悩みます。女性たちは「男性たちに冷遇されるのが無念で悔しい。男性に生まれて一度復讐できたらいい。輪廻転生してそうなったらいい」と考えかねませんが、そのように考えてはいけません。

女性や男性、人が生まれるのは、誰のために生まれたのですか。子女は父母のために生まれました。父母はなぜいなければなりませんか。子女のためにいなければなりません。父母という言葉は、子女を前提として語る言葉です。子女という言葉は、父母を先有条件として語るものです。ですから、先有条件のために関係が結ばれるのです。自分を中心としては関係が結ばれる道理がありません。男性が生まれたのは、女性のために生まれました。真の男性になろうとすれば、先に真の息子にならなければなりません。真の息子になろうとすれば、孝子にならなければなりません。その次に、真の女性に会って真の夫婦にならなければなりません。真の夫婦において、妻は女性を代表したものであり、夫は男性を代表したものです。全世界の男性と女性の代表者です。動物世界は雄と雌、分子の世界は陽イオンと陰イオンから成っています。宇宙はすべてペア・システムになっています。そして、雄雌はすべて縦的な愛を中心として繁殖し、生きていくのです。

僧侶たちは、「女性との関係は考えてもいなかったのに、これは大変なことになった」と言うかもしれませんが、天上世界に行けばどうなるのか、すべて分かるようになるでしょう。男性として生まれたとすれば、何をするためにそのように生まれたのでしょうか。凸が凸のために生じましたか。その根本問題がここから出てきます。凸は凹のために生じたのです。また凹が凹のために生じましたか。凸のために生じました。天地の道理です。東洋思想も陰陽を中心として話をしますが、陰陽が合徳(和合)しなければなりません。そうでなければ未完成品です。その陰陽の合徳は何によってするのですか。愛です。ですから、男性が女性のために生まれたのは何のためですか。愛のためだというのです。男性の愛は男性にあるのではなく女性にあります。女性の愛は男性にあります。私自体に愛があるのではありません。

宇宙の根本は、愛と生命と血統です。神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体です。それがなければ、人間は愛を感じられません。私も愛をもっています。生命をもっていて、血統をもっています。それは、自分一人では分かりません。しかし、自分の相対が現れれば、愛の周波数が来ます。生命が動くのです。血が沸きたちます。それは誰に似てそうなっているのですか。根本がないところでは生まれることができないのです。

それを見るとき、神様も同じだというのです。神様も愛をもっていて、生命をもっていて、血統をもっています。それでは、成熟したということはどういうことですか。成熟するということは、異性に対して愛を求めるということです。その時は、世界がみなその中に入ります。そして詩人にならない人がいません。思春期には、すべての人が詩人になるのです。

一人の男性ならば、それは男性を代表したものです。「私は男性を代表している」と考えないですか。何をもってそのように考えることができるのでしょうか。勉強して、お金を集めて、権力をもってそのように考えることができますか。絶対にできません。世界の男性たち中で、愛することにおいて負けない代表者として立ったというときは、すべての男性たちが「それは正しい!」と言うのです。愛の代表者になったとすれば、すべての人が好むというのです。悪い人、良い人を問わず、みな好むのです。女性も同様です。

そして、人間は一番上に行きたいと思います。何を中心としてそのように思うのですか。お金ではありません。愛を中心としてそのように思うのです。男性が生まれたのは女性のためであり、女性が生まれたのは男性のためです。ですから、神様は互いに貴いものを入れ替えておきました。女性の愛のふろしきは男性が主人です。男性の愛のふろしきは誰が主人でしょうか。女性が主人です。女性が主人ですが、何の主人ですか。愛の王権です。取るに足らないわらぶきの家に住む夫の妻としてではありません。愛の王権を代表した主人です。そのように考えて結婚式をしてこそ、大地が振動するほど太鼓をたたいて良いと言いながら、ウエディング・マーチを響かせるのです。そうでなければ、真っ暗闇な世の中になって、何をしても興味が湧かないというのです。これは文総裁が、歴史始まって以来初めて語る話です。このような話を聞いたことがありますか。仏教の経典にもありません。

それでは、男性と女性がなぜ結婚するのですか。愛のためです。何の愛かというと、絶対的な真の愛です。父子の関係は誰かが分けることはできず、革命できません。父子の関係は絶対的です。そこに流れる愛も絶対的なのです。その関係が絶対的ならば、母と父も絶対的でなければなりませんか、相対的でなければなりませんか。母と父も絶対的でなければなりません。母と父と息子、娘の関係が絶対的なので、母が離れ、父が離れても、息子、娘は離れることができないというのです。ところが、最近の家庭を見れば、母と父が、子女たちを捨てて離れたりしています。

夫と妻が生きていくにおいても、絶対的な愛がなければなりません。ところが、結婚して一週間もせずに離婚する人たちがいます。それが真の夫婦ですか、偽りの夫婦ですか。それは偽りの夫婦です。愛のために生まれたというときは、気分が良いのです。僧侶たちも、精誠を捧げる生活によってこの国の仏教界の高僧になりましたが、昔の母と父の懐が懐かしく思いませんか。忘れることはできません。それは革命することができないのです。そこを求めて入ろうとする気持ちがあるのです。なぜでしょうか。愛が根源だからです。愛が動機になっているので、愛の動機で流れる過程は、愛の関係をもたなければ連結されないのです。

8. 神様と真の愛、そして永生

それでは、神様はいったいどのようなお方ですか。神様は私たちの父です。仏教からは人格神は発見できません。万象の帰一法を論じながら、どのように人格神を発見しますか。内外に情、知、意の感情に通じることのできる神様をどのように発見しますか。愛する孝子をもった父母が、その息子が帰ってくるとき、どのようにするでしょうか。「ああ、私の息子よ!」と言いながら、高僧も教主もみな無視したまま、満面の笑みを浮かべて抱きかかえるのです。

根本に戻ってみましょう。自分のために愛すれば大変なことになります。宇宙はそれを歓迎しません。自分のために生きなさいという愛ならば、大変なことが起こります。

宇宙の根本である神様は絶対的なお方です。創造の根本に入ってみるとき、私が信じる神様は本当に偉大なお方だと思います。その絶対者が信じることのできる絶対的なことは何ですか。神様も絶対的な平和、絶対的な幸福を求めます。

それでは、それをもたらし得るものとは何ですか。お金ですか。お金はいくらでも作ることができます。知識ですか。神様は知識の大王です。権力ですか。神様は全知全能です。それでは、何でしょうか。愛です。真の愛だというのです。絶対的な神様にとっても、愛は絶対的です。

神様にいくら力があっても、真の愛の息子、娘に会えば、「私のものをすべて与える」と言うのです。真の夫は真の妻に「私のものをすべて与える」と言います。「私のものは私のものだ」と言えば、真の愛ではありません。完全に改心して与え合わなければなりません。神様が天地を創造するようになったのも、そのような理由からです。

キリスト教の牧師たちは、「創造主は神聖であり、被造物は卑しい」と言います。しかし、分からないからそのように言うのです。そのような話は、愛の神様という論法を取り消す結果を生み出すのです。神様の愛もイエス様の愛も、愛という言葉は相対性を離れては成立しません。神様の相手は誰でしょうか。「万物之衆唯人最貴(マンムルチチュンユインチェキ)」(万物の中で人が最も貴いの意)という言葉があります。正しい言葉です。神様がなぜ天地を創造しましたか。愛のためです。神様御自身がその理想的な愛を立てる道は投入です。完全な投入です。一〇〇パーセント以上、一二〇パーセント投入です。ですから、真の愛をもって生きる人は、いくら迫害を受けてもて一二〇パーセント、何百パーセント以上投入できる本性の起源と連結されているので、支配を受けません。

独裁者がその時代を破綻させてしまい、すべてを無に解消させたとしても、世界は再現されます。母と父がいくら老いても、愛を再現させるのと同じです。独裁者が抑圧しても、歴史を超越して再現され、権威を堂々と立てるのです。ですから、宗教世界の教主たちはその時代に迫害を受けるのです。しかし、投入したものは、取り戻される環境になれば、その時代以後には実を結ぶのです。

神様は人格神なので、体と心があるのかというとき、あるというのです。神様も愛があるのかというと、あるというのです。生命があるのかというと、生命があり、血統があるのかというと、血統があるというのです。このすべてのものは、自分一人では成り立ちません。相対がいなければなりません。神様は縦的なので、縦的な基準を中心として連結しようとするのです。縦的な立場である子女の立場で大きくなって夫婦になるのです。そして、世界までみな知るようになります。そうして、一つになるのです。どこに行って一つになるのでしょうか。縦的な立場です。その中に息子、娘がいて、神様が入ってきているのです。

円には弦がありますが、アダムとエバは、上弦と下弦を縮小したものになって、扇のような一つの連体になります。骨と肉のようになるというのです。それで、「父なる神」という言葉は、血統関係でなければ成立しません。神様が誰かというと、私たちの父です。真の愛を中心とした縦的な父です。アダムとエバが堕落しないで完成したとすれば、そこに神様が臨在します。アダムとエバが結婚して、夫婦として横的に一つになれば、縦的な神様が降りてきます。降りてくる力の運動が起こるのです。すべてのものは、球形を中心として作用することで、存在するようになっています。ですから、皆様の体と心は誰に似たかというと、神様に似たというのです。

それでは、神様の心と体は、堕落した人間のように争いますか。争いません。それでは、なぜ人間は争うのですか。故障したというのです。事故が起きたというのです。これをキリスト教では堕落といいます。何の故障ですか。腕を一つ切断されても生きます。脚が切断されても生きられます。神様が最も嫌うことは、愛の秩序を破壊することです。アダムとエバが堕落したのち、下半身を隠しました。これが問題です。縦的な真の愛の父、そのお方が創造主ですが、人間が堕落しなかったなら、縦的な位置は九〇度です。男性と女性も、真の愛に通じる道は直短距離です。天地が通じる真の愛の道は直短距離なので、垂直の前に九〇度にならざるを得ないというのです。球形の一番高いところはどこかというと、その中心です。

皆様は、あらゆる存在の中心存在になりたいと思います。なぜでしょうか。そこに行ってこそ、神様の愛に接することができるからです。神様の愛に接すれば、どうなるのでしょうか。神様が私のものになり、神様が所有されたすべてのものも、私のものになります。男性と女性が結婚するのは何のためですか。愛のためです。愛して、何をしようというのですか。中央に行って神様と愛の関係を結ぶことによって、神様を私のものにし、神様の愛を私のものにし、神様の所有を私のものにしようというのです。愛を中心として相続権が連結されるのです。その次には、同居権、永遠に共に暮らすことができるのです。

ですから、真の愛が動くところに永生があるという論理を立てることができます。永生がどこにありますか。息を永遠に吸い込んでもよく、永遠に息を吐いても幸せだというのです。そのような愛を中心として呼吸する世界に、真の愛の永生があるのです。そのような父母を通して愛を受け継いだ「私」です。ですから、男性も女性も、愛をもっていない人はいません。男性も女性も父母の血肉を受け継ぎ、父母の生命を受け継いだので、みな愛をもっていて、生命と血統をもっているというのです。

9. 万教の平和基準と愛の道理

心とは何ですか。縦的な神様の愛と血統を通して受け継いだ、内的な「私」です。内的な私は、縦的な私です。それでは、体とは何ですか。堕落しなかったなら、本然の根本理想を受け継いだ私は、九〇度に立つようになります。堕落しなかった真の父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれれば、体と心が一つになった人になるのです。一つは心的な内的神様を中心とした人格、もう一つは体的な外的父母を中心とした人格です。そこにおいて、その二つは、愛を中心として生命と血統を中心とした男性と女性の混合的な統一圏を形成します。ですから、神様に似たものが心なので、心は内的な私だというのです。

宇宙の秘密が何であるかと祈祷してみると、答えは簡単でした。父子の関係だというのです。父子の関係が、ただ形だけの父子の関係ならば、堕落した世の中にもあります。父が子女を売り、子女が父の命を奪う世の中です。

堕落とは何ですか。神様の最も貴いものを盗んだのです。悪魔の行為です。最も貴いものとは何かというと、愛と生命と血統ですが、これを汚したというのです。ですから、歴史時代において神様が最も嫌うものは淫乱です。ローマが滅びたのはどうしてですか。外敵の侵略によって滅びたのではありません。淫乱のためでした。悪魔が淫乱で悪をばらまいたので、人類が世界的に淫乱の風に巻き込まれていくときは、鉄槌が加えられるのです。

教団がそのようになるときは、教団が滅びていき、国がそのようになるときは国が滅びていき、歴史がそのように誤れば、その歴史の方向がみな壊れていくのです。誰がそのようにしますか。そのようにしたのは人間ではありません。国ではありません。神様が嫌うので、そのようになったのです。今まで救援してきた神様は、理想的な神様ではありません。堕落がなかったなら教主を教育し、導かなければならない神様ではないのです。ですから、真の宗教を求めなければなりません。宗教において求めるのは本当の神様です。

神様は何をもって生きたいかというと、愛を中心として生きたいというのです。答えがそれです。何の愛でしょうか。神様と同様に心と体が九〇度で一つになり、完全に一つになった愛です。何が神様の心を統一させることができますか。真の愛です。それでは、真の愛とは何ですか。完全に犠牲になり、一〇〇パーセント投入しては忘れる愛です。そうでないとすれば、神様は今まで、人類が歴史時代に誤ったものを見て、耐えることができたでしょうか。世の中の人であれば、みな抹殺してしまったでしょう。

真の愛は堕落した世界に一つだけ残っています。縦的な基準だけが残っています。それは、父母が子女を愛する愛です。神様の代身の立場で、それだけが地に残っているというのです。ですから、救援摂理も可能です。幸福がどこにありますか。皆様の心にあるのです。神様御自身も何を中心として生きたいと思うでしょうか。真の愛を中心として生きたいと思うのです。真の愛をもった男性と女性と、共に生きたいと思うのです。父母は子女たちを共に抱きたいと思います。神様は、真の愛をもった息子、娘をこの地でかき抱いて生きたいと思うのです。

10. 神様の人間救援の目的

仏教の僧侶たちが、「文総裁は釈迦より偉いと言っている」と言って、大騒ぎしました。「イエス様より偉い、孔子より偉い、誰よりも偉いと言っている」と言って、宗教者たちが大騒ぎしているのです。一生涯において、教主の中で私ほど働いた人がどこにいますか。私は世界中の国々から反対を受けても、基盤を築き上げました。一代を中心として見るとき、私ほど仕事をした人がいません。それを人間の力で行ったとすれば、既に死んで久しかったでしょう。私利私欲のために働いたなら、そうなったでしょう。善の道である統一教会の行路は、愛を通した理想を中心として行く道です。個人的愛観、家庭的愛観ではありません。統一教会の愛観は垂直です。垂直的愛観をもって、思想的観を変えなければなりません。垂直的観を備えた水平の愛です。これが分かるので、民族を超越し、人種を超越するのです。

統一教会の信者たちは、日本人もアメリカ人も、「あなたは黒人と結婚しなさい!」と言えば、喜んで結婚します。なぜでしょうか。何千年前に失った兄弟を取り戻すことだからです。知ってみれば、彼らは私の兄弟です。顔が黒いためにどれほど苦労したのかと言いながら、抱きかかえて泣きます。そのように痛哭から始まります。その痛哭を忘れることはできません。何がそのようにするのでしょうか。真の愛です。統一教会はそうです。私は賢い人です。世界の優れた人に会い、理論的に論じてすべて信頼を勝ち取った人です。ですから、世界の宗教指導者たちは私のことを好みます。

理論に合わない教理は、二十一世紀に必要ありません。理論に合わず、現実生活に利益をもたらすことのできない宗教は、必要ないというのです。統一教会の信者たちはそうです。無邪気に見えますが、むやみに見過ごしません。神様だけでなく、神様の心情を論じます。

神様は世界の救援が目的なので、家庭を犠牲にさせても神様の民族を取り戻そうとします。国家を犠牲にさせても世界を救おうとします。この地上の世界を犠牲にさせて、万代の霊界に行ったすべての霊人たちを解放しようとします。そして、最後には神様御自身が解放されなければならないというのです。

私はそれを知ったので、十字架を背負うのです。「世界の宗教界において、分かった人が十字架を背負うべきだ」と言いながら、四十年の年月を風霜に苦しんだ男が、ここに立っているこの人です。その気迫を見れば、天地を塞いで余りある気迫です。私は神様のみ旨を知るようになったときから、統一教会を犠牲にさせてでも、万教を犠牲にさせてでも、世界救援をしなければなければならないと唱えたのです。ですから、統一教会に使う予算より何百倍も多くのお金を投入して、超教派運動、宗教連合運動をしています。そして、世界舞台では宗教財団をつくって、莫大な資源を投入しています。統一教会の人々は心血を注ぎ、その仕事をしているのです。

世界のために投入します。神様のように投入すれば、蘇生の春の日、歓喜の愛の理想を中心として踊りを踊ることのできる、本然の理想世界が訪れることを知っているからです。このことのためには、十字架を東で背負おうと、西で背負おうと、家で背負おうと、必ず人類のために誰かが背負わなければならないというのです。そのようにしなければ、くぼみにたまった腐った水はきれいになりません。このような思想をもって生きる人たちが、統一教会の人々です。

興亡盛衰の道は、ために生きることから分かれます。自然科学の力学で入力と出力を見れば、いつも入力が出力よりも大きいのです。しかし、愛の世界では入力よりも出力が大きくなります。愛があることによって、壊れていく世の中で均衡を取ることができるのです。ために生きて犠牲になる基盤と、ために生きて、さらにために生きたいという心をもつ真の愛の伝統を受け継ぐところでのみ、この世の中を収拾することができます。それが天理です。ために生きる道は、孝子の愛の道です。忠臣の愛の道、聖人の愛の道です。聖人の愛は人類のための愛です。聖子は天地を愛し、天の王宮法まで守ることができます。神様まで心情的に侍ることができるのです。そのような縦的な立場をつかまなければなりません。

聖子の道理と神様の愛の道理を学ばなければ、万教の平和の基準を見いだすことができません。これこそ宗教協議会が到達すべき目的地ではないかと申し上げつつ、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。

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第三篇 10 真の愛の伝承と伝統

第三篇 10

真の愛の伝承と伝統

日付:一九九〇年八月十六日

場所:アメリカ、サンフランシスコ、ハイアット・リージェンシー・ホテル

行事:第二回「世界宗教議会」

尊敬する議長、そして全世界からお集まりになった宗教指導者と学者の皆様。私たちの宗教の伝統を、若者たちと社会に伝承する問題を主題として開催される、第二回「世界宗教議会」に参加した皆様を心から歓迎するものです。

この重大な人類史の転換期において、私たち全員が摂理的な召命を共に受けていると確信する私は、格別な感慨と期待をもってこの場に立ちました。

よく御存じのように、偉大な宗教の創始者たちは、無理解と深刻な迫害を受けなければなりませんでした。彼らは肉体的・精神的迫害と死に対する恐怖までも克服し、真理の道を切り開きました。しかし、宗教が実際に歩んできた道は、その創始された本来のみ旨を離れて、時として分裂と矛盾を見せ、宗教間の葛藤と戦争もたくさんありました。今日の世界においても、誤った宗教的情熱と形式だけの信仰が社会問題にもなっています。これは宗教の真の目的でないことは明確であり、またこのような誤った伝統を伝承させることはできないのです。

それでは、その真の目的は何であり、後代に伝承させるべき伝統とは何でしょうか。宗教の目的を正しく把握するためには、神様の創造理想を先に知る必要があります。永遠絶対の神様に、創造はなぜ必要だったのでしょうか。神様に絶対に必要なものとは何でしょうか。物質や知識、あるいは権力でしょうか。そのようなものは、神様が願いさえすればいつでも創造なさることができ、神様御自身が自由に調節できるのです。しかし、真の愛だけは、神様も御自分の意のままにできません。すなわち真の愛は相対圏を通してのみ見いだすことができ、一人だけでは刺激を感じることができないのです。これが、神様が相対的な被造世界を必要とした理由です。

神様は、真の愛の理想のために世界を創造されました。鉱物界、植物界、動物界を観察してみると、たとえレベルは違ったとしても、すべて愛の理想を中心として、相応、和合できるようペア・システム、すなわち主体と対象で創造されていることを知ることができます。そして、人間は被造世界の中心であり、最高レベルとして造られた神様の最も近い愛のパートナーです。このように人間は、神様の真の愛の対象として、人間がいなければ、神様の真の愛の目的は成就されないのです。

神様は、その創造理想である真の愛を最高の絶対価値としてお立てになりました。絶対的な神様だとしても、真の愛の前には絶対的に服従したいと思うのです。神様がこのような方なので、人間と万物もその真の愛の前に絶対服従するようになるのです。このような点で、神様の真の愛の相対である人間の価値が、どれほど貴いものなのかを知ることができます。

神様の創造理想は、ために生きる愛から始まり、ために生き、また与え続けても記憶しない、そのようなところで真の愛が成立するのです。太初に神様は無限に投入することで創造し、そのために生き、投入するその原理によって被造世界が和合し、授受の運動をしながら、永生、永存するようになっています。

人間がなぜ生まれたのかというと、ために生きる原理によって生まれました。すなわち男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。神様の創造理想であるために生きる原理で存在するようになった真の愛を享受しようと、男性と女性はお互いのために生まれ、夫婦になり、縦的には神様の愛を所有するために生きるのです。これが、すなわち男女が存在する目的です。結婚しようとする男女は、自分の相対となる人が優秀であることを願うものであり、父母は子女たちが自分より優秀で、立派であることを望むのです。

このような希望は、神様から由来したものであり、誰もが真の愛を中心としてそのように願うのです。同じ理由で、神様も愛の相対が御自身よりも優秀なことを望むからなのです。したがって、神様も一〇〇パーセント以上を投入し、また投入したいと思うところから、真の愛が継続して存在するのです。

真の愛の起源である神様は、父の立場から人間に絶対不変の真の愛を相続しようとされたのです。真の愛の中では完全調和と統一が達成されるので、神様の真の愛は、その対象である人間に完全に相続されるのです。それだけではなく、このような真の愛の属性によって相続権、同居権と同参権も自然に生じるので、人間も神様の子女として、生死を共にすることができるようになっていました。また、人間の相互間においても、真の愛を中心として相続権、同居権、同参権を享受するようになっています。そうして、人間は神様の真の愛を中心として、各自の理想と幸福を所有しながら、また自然にこれを先代から後代に伝承するようになるのが創造本然の世界でした。

しかし、現実世界は、神様が理想とされていた本然の世界ではなく、罪悪と闘争と苦痛に満ちた地獄世界になりました。自然界と霊界は、本然の秩序の中にありましたが、ただ人間始祖だけが病気にかかり、むしろ自然界と霊界にまで害を与えています。このように病気にかかって故障した人間世界について、宗教的には堕落したと表現します。神様はこのような世界を原状に戻そうとする救援摂理をされるようになり、またその救援摂理は復帰摂理であり、すなわち再創造摂理だと、私は今まで教えてきました。

天意に従って、復帰摂理の主役を担ってきたのが宗教です。宗教は、神様の真の愛と真の父母思想を中心とした本然の理想的な家庭、さらには理想的な世界を復帰する目的をもっているのです。メシヤの使命を、神様の愛を実現する真の父母の使命として理解する場合、私たちはこの使命を追求し、成就するために召命を受けています。またメシヤの使命は、今まで神様に反対してきたサタンを追放し、その文化生活圏を追放し、またその血統を天の側に転換させることによって、神様を中心とした理想世界に変えなければならず、実際にそれがすべての宗教が遂行すべき、宇宙史的な使命なのです。

聖書に記録された神様の最初の息子と娘だったアダムとエバは、神様の真の愛の中で育ち、また結婚の祝福を受けて罪のない子女たちをもつことによって、彼ら自身が真の父母となり、直接天国に入っていくようになっていたのです。そのようになっていたならば、この世界は地上天国となり、神様の真の愛と神様の生命と神様の血統を受け継ぎ、永遠な神様の理想家庭がつくられ、国家と世界まで神様が直接主管する血族になっていたでしょう。

ところが、アダムとエバが未完成期に天使長と不倫な性的関係を結び、天使長はサタンになり、アダムとエバは悪の先祖になって、死亡の世界が始まったのです。すなわち、この世界はサタンの血族になってしまったのです。

このようにサタンは淫乱の神となったため、神様は淫乱を最も嫌われます。ソドムとゴモラ、ローマ、そして今日のアメリカとヨーロッパも、淫乱で滅びていく時に遭遇しました。アダムとエバが青少年期に淫乱の種を蒔いたので、今日、青少年たちを通して淫乱の実を刈り取られるのを目撃するとき、私たちは終わりの日になったことを知り得るのです。人類はサタンの愛、生命、そして血統から解放されようとするので、真の父母を再び探さなければなりません。そのお方が、正にメシヤとして来られるお方なのです。

アダムとエバが堕落して、本然の責任を果たせないことによって、神様は真の子女を失い、人類は真の父母をもつことができない一大悲劇がもたらされたのです。その結果として、神様の真の愛と真の父母理想を具現する実体がなくなりました。この悲劇的失敗を正し、原状回復をするように指導する目的のもとに、神様は宗教を立てました。

これに対し、メシヤは真の父母として、これまで偽りの父母が植えた偽りの根を抜いてしまい、本然の創造理想を復帰する重大な責任をもってくるお方です。神様は、宗教を創設し、メシヤを遣わすことが本当の理想ではありませんでした。神様の不変の目的は、真の愛の家庭と国家と世界の実現です。

宗教はこの目的にどれほど寄与するかによって、その価値が付与されます。このような点から見るとき、宗教の目的が達成されれば、真の愛と真の家庭が現実化されるのです。これと反対に、このような目的に寄与せずに、その宗教自体だけのために存続する宗教は、たとえ神様を口実にしても、神様とは関係がないのです。人間の家庭を見ても、血縁と兄弟関係は父母を前提としてこそ存在します。この世の中が真の愛と真の家庭の領域に入るためには、まず真の父母の位置が確立されなければなりません。正にこの使命を果たすために、神様は私を召命しました。この目的のために、私はすべてのものを捧げてきたのです。

私が世界的に展開している統一運動をはじめとして、超宗派的な活動はもちろん、学術、教育、言論、科学技術、企業、金融など、各分野で展開してきたすべての事業も、すべてこの目的のためです。私は苦難と迫害の峠を越え、死地をかき分けてきながらも、自分を生んだ父母よりも、自分の兄弟よりも、世界の五色人種を愛そうという、ために生きる父母の心をもって生涯を生きてきました。真の愛が訪ねていく道は直短距離を通るようになります。真の愛の実践には、前提条件や言い訳があり得ず、そのどのようなものも障害になりません。ただ自己犠牲によって、ために与える道のみを直行する道です。全人類が真の父母を迎え、真の愛の生活をしない限り、世界平和は実現されません。真の父母の理想と世界平和の理想は直結しています。すべての国家と民族と文化と宗教が、互いに一〇〇パーセント以上ために生き、寛容でありながら、和合することによって、世界平和を成し遂げなければなりません。

尊敬する宗教指導者の皆様。私はきょう、皆様の前に「世界平和宗教連合」の創設を唱えます。根幹の外的な世界情勢は冷戦の終息、東西和解に進んでいます。対決と分裂を克服し、人類一兄弟、世界一家族として和合していく統一の時代を指向しています。

二十世紀を締めくくる最後の十年は、神様が人類に本然の世界へ復帰できるように許諾した貴重な機会です。私は既に去る六月一日、外的基台として「世界平和連合」の創設を提唱し、アメリカ、ソ連など、世界各国の指導クラスの要人数万人が呼応してきています。この機構の目標を達成するための内的基台が存在しなければならないのですが、それが正に「世界平和宗教連合」です。

数多くの人々が真の和合と一つの世界を成し遂げるために苦労してきましたが、どうして真の調和一体の世界がまだ成就していないのでしょうか。誰もが和合を願いますが、真にその動機がどこから来るのか知らずにいるのです。真の和合と一体の動機は、自分の相対、息子、娘、隣人、国家、世界のような相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。自らが本心を中心として、調和一体を成し遂げた心と体をもつ和合の実体になったかどうかが問題です。人間が神様と真の父母の心情をもつようになるとき、初めて人のために生きることができ、また相手と真に和合する真の愛が中心となった生活を貫くことができます。

これらは信仰の領域です。究極的平和世界の実現のための宗教の役割は絶対的なので、これから宗教者たちが宗派の壁を崩し、神様が願う目的のもとで、連合された力によって世界平和具現に立ち上がらなければなりません。世界平和のための宗教者の役割が不足だったことを自省し、世界和合の動機であり根本要素である真の愛を、宗教の中で啓発し、これを実践する「世界平和宗教連合」運動を大々的に展開すべきときです。

尊敬する宗教界指導者の皆様。神様は宗教者たちの実践と模範を求めています。宗教のために神様が存在するのではありません。世界のために生きる本然の状態に回復させようとする、神様のみ旨を成就するために宗教が立てられました。神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、真の父母の宗教です。真の父母の心情を抱いた宗教、真の愛を実践する宗教こそ、葛藤と不正に満ちた今日の世界において、神様のみ旨を実現する宗教になるでしょう。

歴史的に見れば、今まで養子レベルの宗教、庶子レベルの宗教、子女レベルの宗教などの各レベルの宗教があります。しかし、そのどのレベルを問わず、宗教は自分の宗教が第一であり、自分の宗教を通さなければ世界平和を成し遂げることができない、という偏狭性から抜け出さなければなりません。そうして、すべての宗教の教えは、究極的に真の父母レベルの宗教に吸収され、統合されなければならないのです。そのようになれば、すべての宗教が体験している宗教の斜陽化も終わるのです。真の愛を中心として絶対的にために生きる立場に立った宗教は、互いに統合して世界平和を成し遂げるために、そして地上の天国のために前進するでしょう。

このようなことを知れば、私たちは今、世界が直面した深刻な問題を解決するためにも、真の宗教者の実践生活を見せなければなりません。世俗化された信仰から生活信仰に変える問題から、混乱した価値観の再確立、荒廃した人間の本性の回復、道徳基準の高揚と退廃文化の清算などの問題の解決は、すべて永遠の神様の真の愛と真の父母様の真の愛主義によってのみ可能になるのです。

今日、世界の若者たちは、私たちの前に置かれた、このような偉大な機会を直感的に認識していると思います。宗教指導者としての私たちは、今日の若者たちに対して真の師の役割を果たさなければなりません。永遠に不変な絶対価値の基準である真の愛を指向して、私たち自らの心身の統一はもちろん、唯心論と唯物論の世界までも連結、統一させなければならないのです。そのことこそ、世界平和の土台をつくることになります。

このような基盤の上に、私たちは内的世界である宗教界を統一し、外的国々を統合して、結局は永遠の世界平和を成し遂げなければならないのです。このような目的を達成するためには、すべての宗教者たちが、男女を問わず責任的役割を果たさなければなりません。

多くの若者たちが真の愛に飢えています。他のために生きる人生を実践するのが真の愛です。したがって、宗教指導者である私たちが、神様の真の愛と真の父母様の絶対価値の道を手本として見せなければならず、宗教の伝統も真の愛の道に進む姿を見せなければなりません。そのようになれば、神様と人類が一つになって新たな希望の世界に前進するようになり、神様の創造理想も達成されるようになるのです。したがって、新しい時代が開かれたことをはっきりと見せましょう。

結論として、今回の大会の期間、皆様の活発な議論が、神様のみ旨のもとで真の宗教の具現と真の愛の発見に連結され、世界平和に対して大きく寄与することを願います。神様の祝福が常に共にあることを祈ります。

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第三篇 11 イスラームと世界平和の定着

第三篇 11

イスラームと世界平和の定着

日付:一九九〇年十月二十一日

場所:エジプト、カイロ

行事:世界宗教協議会イスラーム指導者会議(代読)

尊敬する宗教指導者、学者、そして内外の貴賓の皆様。このように重要な会議に参加してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。平和のための本会議を、開催直前にお知らせしたにもかかわらず、このように参加してくださった皆様の歩みは、神様の大きな喜びになると思います。

1. 平和の根源は神様

皆様も御存じのように、私たちは驚くべき緊張感の中に囲まれています。政治および経済的対立と歴史的怨恨が極に達し、ついには、誰が見ても私たち人間の生存が大きく脅威にさらされていることが分かります。被造万物のように人間も絶滅の危機を迎えており、緊急な対策を講じなければなりません。これこそが、私たちがあらゆる分野で多大な活動を見せている理由でしょう。

残酷な悲劇を防止しようとする努力の一環として、指導者たちは自分たちの良心作用によって必死に解決策を模索し、ある者は軍事的解決策を、また他の指導者たちは政治や経済的解決策を提示します。しかし、そのような解決策は、一時的に平和に寄与するかもしれませんが、恒久的な平和を定着させるための根本的な代案には、決してなり得ません。真の宗教者と信仰者だけが闘争の本質と原因を理解することができます。そして、無秩序の真の原因を知る人だけが、このような問題を解決することができます。そのため、このように緊急に皆様に会議の参加を要請したのです。

もちろん地上の平和には、究極的に人間の政治、経済、言論のようなあらゆる分野からの洞察力が必要です。しかし、平和の根源は神様にあり、その平和は、自分たちの人生を神様のみ旨に合うように生きる人々を通して、この地に実現されます。

世界平和は、究極的に神様のみ旨に対して、人間が従順に従うかどうかにかかっているということを悟った私は、既にかなり前に「国際宗教財団(IRF)」を創設しました。統一運動の草創期から、私は常に私たちの財源の大部分を、他宗教のために捧げてきました。大部分の統一教会の信者たちが、十分に食べることもできなかった一九五〇年代には、宗教間の和合のために私が使う資金について、彼らが不平を言いました。

私は、統一教会の信者たちが苦労する姿を見るのがつらかったのですが、サタンが人類の未来を破滅させるために、究極的に人種間の紛争や宗教戦争を起こすという事実をよく知っていたので、忍耐して耐えていこうと、お願いしました。宗教者たちの間に真の愛と和合と協力を強調しながら、四十年以上の間、私は「国際宗教財団」に、あらゆるものを捧げました。

あらゆる高等宗教から「国際宗教財団」の偉大な宗教指導者および平和の仲裁者たちは、今やサタンの計画を未然に防止し、恒久平和を切り開くべき偉大な使命をもちました。

皆様がよく御存じのように、サタンは人類を破壊と暗黒に追いやるため、常に攻撃してきました。今世紀にかけてサタンの計画は、神様を否定する共産主義を通して攻撃することでした。国家の抑圧と統制によって、全体の国民には神様の真理のみ言の聴取が禁止されたのです。神様がいない社会を建設するという名分のもとに、数百万人を虐殺しました。この反逆者、悪魔サタンの計画は、六十年以上の間、繁栄し、世界の三分の二を制覇しましたが、いかにして、今この帝国が一日で没落するようになったのか、政治学者たちでさえも説明できずにいます。しかし、霊的な洞察力をもった方々は、それが神様のみ業だったのであり、天法に従って生きる方々の力がその原因になったという事実を、はっきりとお分かりになるでしょう。また、ついにはサタンを屈服させて、邪悪な恐怖政治を終わらせるようになることを、はっきりとお分かりになるはずです。

サタンは人類を破滅させるために、最後の大攻勢を展開しています。その戦略は、共産主義よりも一層悪辣で脅威となる二つのもの、すなわち宗教戦争と人種間の紛争を起こすことです。

今日、私たちが、正にそのような破壊的な人種間紛争が起きる直前の危機に置かれていることが誰にでも分かるでしょう。もし、そのような問題が勃発して人類を暗黒の中に追い詰めるならば、人類は蹂躙され、破壊された地球星で、辛うじて生を維持することになるでしょう。また氏族、宗教、民族が、彼らの思考を自分たちだけの利益にのみ限定させるならば、利益を得る唯一の存在は、神様の敵であり、人類の敵であるサタンだけでしょう。

このような理由ゆえに、永遠であられる神様は、この二つのことに関心をもっていらっしゃいます。なぜ神様は預言者に預言を与え、世界の宗教を立てるのでしょうか。もちろん、それは堕落した人間を神様のもとに帰ってくるようにして、その祝福のみ旨と完全に一体となった一つの平和世界をおつくりになるためです。

人間は世界に対して、神様が展開しようとされた理想を知らなければならず、なぜ神様が預言者たちに啓示を下さったのか、その理由を知らなければなりません。どこの誰も言葉だけでなく行動において、神様の根本理想を預言者ムハンマドよりも深奥に表現した人はいないでしょう。

限りない愛をもたれた神様は、いくら取るに足らない人だとしても、その人の滅亡を願われないでしょう。宗教間の闘いが神様の希望と正反対になるという事実を知っても、私たちが知らないふりをしてやり過ごしたとすれば、どうなるでしょうか。純真無垢な子供たちを破滅させ、人類を言うに言えない暗黒世界に引きずり込もうとするサタンの計画に、私たちの力を貸す結果になるでしょう。

人種間の紛争においても同じです。私たちは一つの先祖から生まれた一家族です。神様は、すべての人種が一つの兄弟姉妹として、調和をつくりだして生きることを願われます。預言者ムハンマドはこの事実をよく知っており、歴史もまた、彼が生涯を通してこれを理解していたことを明確に見せてくれています。人種と宗教の間の平和と和合と協力のために、神様の全体の計画を知らせることが、この時代の私たちの至上課題です。

神様が啓示した真理の一部分だけを追求する人は、他の人々に本来のみ旨とは逆のことを伝播して神様に背くようになります。私たちは、神様の啓示を理解するために、私たち自身を宗教指導者や霊的な指導者たちに任せたように、完全に大衆や政治、経済、そして軍事指導者たちに頼ることはできません。人類は神様の起源と平和および兄弟の幅広いビジョンについて、教育を受けなければなりません。今世紀の人類歴史にあって、宗教戦争や人種間紛争以上に、神様に大きな苦痛と不快感を与えるものはないでしょう。

2. 神様とサタンの対決の場である中東

地球で最も深刻な緊張感が、どうして中東で繰り返しているのでしょうか。軍事的侵略者が偶然に、中東のある国家から出たからですか。でなければ、中東地域が、石油が豊富だからですか。違います。いくら鋭利な分析力をもった天才だとしても、また歴史と政治の知識にいくら通じていたとしても、それに対するより深い現実的原因を説明するには足りません。これは正に、この地域が神様とサタンが対決を繰り広げる所だからです。

中東の多くの預言者が神様の啓示を受けました。神様のメッセージは、単純に中東の人々だけのために予定されたのでしょうか。もちろん違います。神様のメッセージは、世界のすべての人々の人生を導かれるために下さいました。

したがって、中東の現在の緊張と衝突は、この地域の人々だけの問題ではありません。全世界の運命が中東の発展にかかっています。神様のビジョンを全世界の人々が活用できるように、偉人な預言者たちは、闇の勢力と戦わなければなりませんでした。それと同様に、皆様の平和仲裁者の使命は、宗教戦争と人種間の紛争で世界を支配している悪魔の力を否定し、全世界の平和のために神様のみ旨を知らせることです。

人類歴史は、善と悪の絶え間ない闘争歴史でした。神様の愛と心情に一致した社会と人間の生に復帰する過程では、当然のことです。私たちがこの過程をもう少し詳しく調べるならば、偉大な聖人たちや預言者が悪の勢力を屈服させた原理が分かります。サタンは常に神様より先にその勢力圏を形成します。

そして、サタンはその強い力で神側を攻撃し、神様のみ旨を破壊しようとします。サタンが常に先行します。勢力圏の形成も先であり、攻撃も先です。実際、攻撃はサタンの専有手段です。攻撃を先に受ける側は、いつも神側です。それにもかかわらず、神様は原理に従って準備をします。

天の側は先に攻撃を受け、苦痛と犠牲を克服して繁栄しました。言い換えれば、天の側は犠牲の代価を払い、不義に打たれながら、道理に従って勝利してきました。皆様は、預言者ムハンマドが生きている間、彼をマッカ(メッカ)から追放させた悪の勢力たちをよく知っています。ムハンマドがすべての氏族と民に、平和と兄弟主義に立脚した希望のメッセージをもたらしたとき、悪を中心とした政府勢力は、神様の使者とその追従者たちの命を奪い取ることに彼らの力を動員しました。

そのため、イスラームを信じる群れは、これらの侵略と不義に耐えなければなりませんでした。神様の「打たれて復帰してくる法則」によって、ムハンマドと彼の追従者たちは、これらの勢力を完全に屈服させることができたのです。結局、ムハンマドは栄光ある勝利者として、カアバ(KAABA)に帰ってきて、それを神様に捧げました。

しかし、彼についての話は、神様のこの原理を示す単純な話ではありません。イエス様とアブラハム家庭、そして他の預言者たちについても、それは同じでした。実際、皆様が今日の世界のどのような宗教を調べても、その宗教が正に打たれて復帰してくる自己犠牲と蕩減の原理によって繁栄したという事実を、明らかに知るようになるでしょう。

このように攻撃されたからといって、全知全能であられる神様が、そのやり方を変えるだろうと考えるとすれば、それはどれほど愚かでしょうか。真理は決して変わりません。第一に、攻撃はサタン側に属し、第二に、天の側は攻撃を受けても忍耐し、蕩減と犠牲を払ったあとに勝利を得るのです。

この二つの事実は、政治、経済、軍事学などの基本原理を越えた真実であり、永遠の真理です。その唯一の真理は、すなわち神様の真理であり、復帰の法則になるでしょう。

打たれて取り戻してくる戦法を通した復帰と勝利の原理以外にも、不変の歴史的原理がありますが、それは神様が常により大きな目的のために生きる人々を支援するということです。例えば、自分自身のためだけに生きる人と自分の家族のために生きていく人々がいるとすれば、神様は自分の家族の利益のために生きる後者を支援するでしょう。家族のために生きる人は、自分以外の家族のために自らを犠牲にするからです。

一方で、自分の家族のために生きる人と自分が生きる地域の利益のために自らの愛する家族を犠牲にする人がいるとすれば、神様は地域のために生きるその人を後援するでしょう。これもやはり、神様の変わらない真理です。

一方、私たちはこの原理を知って、その原理に従って生きた標本として、預言者たちを挙げることができます。預言者たちは、自らの氏族や部族のために生きましたか、でなければアラブ民族のために生きましたか。そうではありません。彼らはある特定のグループや氏族に限定されず、常により高次的な目的のために生きました。

預言者たちのメッセージは、神様と霊的に交流するすべての貴重な方々のためのものでした。もし、最も偉大な人が私たちの中にいるとすれば、彼は世界のために最後まで努力する人でしょう。また、最も大きな目的があるとすれば、それは神様のために生きることです。神様にどれほど近づきつつあるかを調べてみる最も良い方法は、自らの言葉と生活がより大きな目的のためになっているかを調べればよいのです。

すべての行為は、人類全体の利益のためのものでなければなりません。単に一団体や一つの民族、宗教あるいは氏族だけのためのものではいけません。神様に最も近い人がいるならば、全体の利益のために生きる人でしょう。ですから、中東の現状が一時混乱するとしても、私たちは、あらゆる分析と洗練された解釈に依存しようとする誘惑に打ち勝たなければなりません。私たちに重要なことがあるとすれば、神様の摂理の原則、すなわちサタン側は攻撃をし、天の側は全体目的のために個体を犠牲にするという法則が、決して変わらなかったということを記憶することです。

3. 宗教間の紛争解決の道

宗教指導者たちだけが、このような真理と平和の方法を知っています。したがって、私たちは神様のみ旨と神様の原理を知らせる伝達者にならなければなりません。平和は私たちにかかっています。

私たちは、現状について、私たちの同志、すなわち私たちの意見に従う政治および軍事指導者に話をするとき、どちらか一つの国家の利益を考えるのではなく、何か全世界のために最も利益になるのかを考えなければなりません。また、私たちは一様に、真の愛に立脚して、人のために生きていかなければなりません。

この時代、最も大きな不幸は、中東でのユダヤ教とキリスト教、イスラーム間の戦いです。アメリカだけでなくヨーロッパ、中東など、全世界がこの点を悟るべきでしょう。私があらゆる国の指導者たちに、このメッセージを送る理由がここにあります。

人はただ一つの目標のために生きなければなりませんが、それは中東の状況を宗教間の紛争から保護し、安全にすることでしょう。宗教指導者である私たちに、最も大きな責任があります。中東紛争が平和的に解決されるよう、私たちがあらゆる力をすべて注ぎましょう。私は今までお話し申し上げたとおり、平和のために夜も昼も心から祈ります。宗教指導者の皆様も、一緒に同参してくださることをお願いいたします。

いま一たび、神様と人類の平和のための皆様の神聖で崇高な愛に衷心から感謝申し上げながら、皆様と皆様の家庭とこの世界に、神様の祝福が常に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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第三篇 12 平和世界のための宗教の使命

第三篇 12

平和世界のための宗教の使命

日付:一九九一年八月二十七日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和宗教連合」創設大会

尊敬する各教団の最高指導者の皆様。世界各国から来られた宗教学者と宗教界の指導者、そして満場の宗教者の皆様。私は一九八五年、アメリカのニュージャージー州で開催された第一回「世界宗教議会」の際に、創始者演説を通して三つのお願いをしました。

一つ目は、各宗教の伝統は互いに尊重しなければならず、少なくとも宗教相互間の衝突や紛争を防止するために努力すること、二つ目に、私たちは、宗教共同体として協力しながら世界に奉仕すること、三つ目は、宗教の使命を完遂するために、すべての宗教指導者が参席し、世界平和のための一つの組織として発展しようという内容でした。そして、ちょうど一年前、アメリカのサンフランシスコで開かれた第二回「世界宗教議会」において、私は「世界平和宗教連合」の創設を主唱しました。皆様を含めた志のある宗教界の指導者たちの協力とともに、きょうこの場において、世界のあらゆる宗教の指導者たちが同参し、世界平和のための宗教連合体が歴史的な誕生を迎えるのです。

今は、世界の宗教が世界平和の実現のための中心的責任を果たすために、積極的な実践の道に立ち上がるときです。幸福な人類の未来は、物質的繁栄を追求することだけで実現されるのではなく、宗教間の理解、精神的な和合を通して思想と文化、人種間の葛藤を克服してこそ迎えられるのです。ここで私は、「平和世界のための宗教の使命」という主題でお話しし、「世界平和宗教連合」の創設メッセージに代えようと思います。

神様の真の愛を中心とした、他のために存在する利他主義的創造理想とは、心と体が調和一体をなした理想体としての個人を通して、理想的な家庭、社会、国家、さらには理想世界を成し遂げるというものです。

しかし、人間は堕落することによって、その心と体がサタンの偽りの愛を受け、自分を第一と考える個人となり、このような人々が集まった家庭、社会、国家、世界は、立体的に増幅された葛藤と紛争を自体の矛盾としてもち、相互不信と分裂、闘争をするようになるのです。言い換えれば、サタンの願いである自己中心主義によって、民主世界は個人第一主義化され、サタンと人類は滅亡に向かうのです。これを救うために、神様の真の愛を中心とした「頭翼思想」と「神主義」が必要なのです。

私たちの社会と世界の紛争が、サタンの偽りの愛による個体の中の心身の葛藤から始まったので、真の平和は、神様の真の愛によって、まず個体の中の和合統一を通してのみ達成されるのです。平和世界を実現すべき基地は世界ではありません。心と体がサタンの主管圏を超えて、神様の真の愛で調和一体を成し遂げた個人、さらにそのような男性と女性が夫婦として結合した家庭が、すなわち世界平和を生み出す場になります。偽りの愛によって心と体が一体化できなかった堕落の結果は、私たちをして生活の中で縦横、多方面で心的な面と体的な面との分裂、葛藤、混沌を経験させます。例えば、個人や社会の価値の体系が、精神と物質、宗教と科学、唯心論と唯物論、理想と現実の間で、多くの混乱を経てきました。

創造理想によれば、心と体が理想的な神様の真の愛によって、個体の中で和合一体を形成するように、心と体の拡大の連結である心的世界と体的世界も、相克や闘争の関係ではなく、神様の真の愛で調和しなければなりません。心的世界を代表するものが宗教と思想の領域ならば、体的世界を代表するのは政治と経済の領域です。しかし、人間において心が主体であり体が対象であるように、宗教と政治の関係も、主体と対象の立場において、神様の真の愛で調和統一圏を成し遂げてこそ、理想社会が到来するようになるのです。

それでは、神様が聖人や預言者たちを地上に送られた目的とは何でしょうか。神様が願われる人格と生活の手本を見せながら、神様の真の愛のみ旨を万民に教育することです。特に、為政者や指導者たちに天道を教育し、実践させることによって、心の世界と体の世界が、神様の真の愛のみ旨を中心として和合するためです。

しかし、良心が願うとおりに体がついていかないように、多くの為政者たちは聖人や賢人を理解できず、その教えを受けずに警告を黙殺してきました。価値観の混乱、道徳的腐敗、麻薬中毒、テロ、人種差別など、現代社会の惨状と病弊に誰が責任をもてるでしょうか。

特に、いつの時よりも多元化した社会、また国際的に互いにもつれ合っているこの時代に、政治家たちの判断と選択に伴う責任はどれほど重大でしょうか。為政者たちが重要な事案を決定するときは、謙虚に天から聞こえてくる声に耳を傾け、天道に従って解決の道を探し求めていかなければならないと思います。

一方、私たちは、心の世界を代表する宗教自体が、平和世界を成し遂げるための主体的責任を全うできなかったことを反省しなければならないと思います。宗教が現実世界を指導し浄化する生命力をもつことができず、むしろ本来の使命に逆行していることを否定できないはずです。

各宗教は、神様の真の愛で内的純粋性と生命力を蘇生させなければならず、また果敢な自己改革とともに、神様の真の愛のみ旨の中において、兄弟宗教たちと一つの家族のように調和した関係を発展させていかなければなりません。神様とそのお方の真の愛の大きなみ旨に献身することが各宗教の使命ならば、教団自体だけの発展が宗教の目的になることはできません。神様は、経典研究と宗教的儀式よりは、神様の世界を救援しようとする大きなみ旨を知って、それを生活の中で実践することを求められます。長い間、宗教は、生きていらっしゃる神様をはっきりと目撃し、関係を結ぶことに失敗してきました。

私が知っている神様は、人間が論理を整えて集大成した教理の内容に執着されません。神様は、私たちすべての父母であられ、根源者であられるので、真の愛を中心として人種と宗派と文化を超越していらっしゃり、差別をしません。ですから、宗教者は、当然、万民救援とともに平和理想世界を実現しようという神様の真の愛のみ旨に、完全に従わなければなりません。宗教は、現実に安住することなく、生きていらっしゃる神様と共に、真の愛と真の生命力のある対話を行っていく、生きた信仰の道に進まなければなりません。

今の宗教的雰囲気ではいけません。新しい次元において、超宗教運動の推進力を通して、全世界的規模で破格の変革が要請されるのです。神様の真の愛の実践に誠実でない宗教者たちの偽善が、この地上に無神論者の拡散をもたらしました。

世の中は変わらなければなりません。各宗教は自浄努力で、新しい改革の主役にならなければなりません。すべての宗教は自らの利益を離れ、神様が願う世界救援のみ旨に従って、世の中の貧困と疾病と犯罪をなくすことにおいて先頭に立ち、終わりの日の暗黒世界に光明な光になって、政治、経済、社会の各界指導者を訓導しなければなりません。

尊敬する宗教界指導者の皆様。私は、神様の摂理の方向に従って世界を改革し、地上に神様の真の愛の理想を回復することに、あらゆる精誠を尽くしてきました。「国際宗教財団」(IRF)を中心として世界的に展開した「新超宗派研究協会」(New ERA)、「世界宗教協議会」(CWR)、「超教派牧師会議」(ICC)、「世界宗教議会」(AWR)、「世界宗教青年セミナー」(YSWR)、「青年宗教者奉仕団」(RYS)等の活動を通して、教団間の理解と和合と宗教者がすべき神様の真の愛の実践の手本を示しながら、平和世界理想のために尽力しています。五年前に世界の宗教指導者の合意と私の指示によって、今回出版した『世界経典』は、世界宗教の普遍的価値の内容が集大成された神聖な経典として、人類の心霊を照らしてくれる最高の光になるでしょう。特に一つの地球村家族として和合して暮らすべき青少年たちに、宗教と皮膚の色と文化の塀を跳び越えることができるように教育する、大切な教科書になるでしょう。

すべての人は、この経典を通して宗教的な無知と独善から抜け出すだけでなく、宗教の相互間には差別性より普遍的基台と共通性がはるかに多い、という事実を悟るようになると信じます。これまで『世界経典』の出版のために苦労してくださった各教団の監修委員と学者の皆様に、この場を借りて感謝と称賛を捧げます。

私は、世界平和のための心的であり主体的である「世界平和宗教連合」の創設に続き、あすには体的であり対象的である「世界平和連合」を本芸術会館で創設する予定であり、このために全世界から指導者たちが到着しています。この二つの機構が内外に調和、協力しながら、天意に従って真の愛で統一を実践するならば、平和世界は実現されるでしょう。ここに、神様の真の愛によって、心と体の統一と世界を越えて宗教と政治が統一されることによって、平和の世界が訪れるのです。

尊敬する宗教界の指導者の皆様。私たちが真実の目でこの時代を見つめるとき、今こそ宗教者の信仰だけでなく、実践の行動まで求められる切迫した時であることを知るようになります。

人種間の紛争や宗教戦争などの不幸な闘争をはじめとして、無神論、快楽主義、世俗的人本主義、そして真の宗教に対する歪曲などが蔓延することによって、引き起こされたこの世界の問題は真に深刻です。西側社会においては、共産無神論が立つ場所を失ったと安心する風潮もありますが、これは本質を知らずに下した速断です。神様を中心とした新しい真の愛の覚醒運動が、社会全般にわたって起きない限り、西欧社会が中心となった現代文明の没落は、共産圏の没落よりもさらに悲惨な形で近づくでしょう。世界をこのまま放置できません。時間がありません。誰がこの世代に責任をもつことができるでしょうか。軍人でも政治家でも科学技術者でもありません。正に、私たち宗教界が責任を負わなければなりません。

私は皆様の積極的な協力を要請します。「世界平和宗教連合」の運動を通して、歴史的な伝統宗教が調和しながら、世界平和に向かう実践運動として前進するとき、世の中を導いていく精神的基礎が固く立てられ、神様の真の愛を中心とした平和理想は完成されるでしょう。結局、全世界の宗教界が統一された方向をもつとき、統一された平和世界は到来するのです。

「世界平和宗教連合」の未来と各教団を代表した皆様と皆様の家庭に、神様の御加護があるとともに、皆様が世界平和を増進させる真の愛の人になることを祈りながら、これで終わりたいと思います。ありがとうございました。

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第三篇 13 新文化創建と宗教の役割

第三篇 13

新文化創建と宗教の役割

日付:一九九二年八月二十六日

場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル・ホテル

行事:第三回「世界宗教議会」

尊敬する各教団の最高指導者の皆様。各国から来られた宗教学者と宗教界の指導者、そして満場の宗教者の皆様。第三回「世界宗教議会」に参席してくださったことを歓迎しながら、韓鶴子女史と私の祖国である韓国、ソウルで皆様を迎えるようになったことを、うれしく思います。皆様が韓国にとどまられる間、満ち足りた有益な時間をもたれるよう祈ります。

1. 宗教が追求してきた道

今回の会議は第三回「世界宗教議会」です。一九八五年に開催された第一回会議において、私は「世界宗教青年奉仕団」を創立し、また「世界宗教協議会」の最初の会議を発表したことがあります。

私が毎年支援しているこのプロジェクトは、昨年に発刊した『世界経典』とともに、全世界の宗教間の和合運動の最前線となってきました。特に各教団の青年代表たちが一カ所に集まって献身し、奉仕しながら他教団を理解し、和合の足場をつくったことは、幸いにも人類の未来のためになる伝統を立てました。

第二回会議は一九九〇年、アメリカのサンフランシスコで開かれ、正にその場で「世界平和宗教連合」を創設することを発表したのです。その翌年である一九九一年八月、ソウルで歴史的な「世界平和宗教連合」の創設大会がありました。そうして、今年には「国際宗教財団」とともに「世界平和宗教連合」が会議を共同開催するに至ったのです。

皆様が御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われることになります。ソウルオリンピックが開催された今から四年前、私は地球村の和合と交流協力の新しいページを開く「世界文化体育大典」に関する計画を公式的に発表しました。オリンピックは、大変重要な役割を果たしていますが、神様と縦的な価値および霊的な面が欠如しています。

宗教は、文化の中心なので、「世界宗教議会」と「世界平和宗教連合」は、「世界文化体育大典」の中心に位置するようになります。宗教的理想とその知恵と価値が、世界の中の教育、学問、芸術、体育、言論、政治、経済の根幹となり、その基準にならなければなりません。

「世界文化体育大典」は、人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を取り戻し、神様と人間と万物が調和された平和的な新しい文化世界を志向する歴史的な行事になるでしょう。

2. 平和と幸福の世界を取り戻してきた道

尊敬する宗教界の指導者の皆様。私たちの世界が深刻な苦痛に陥っていることは、周知の事実です。たとえ冷戦は終わったとしても、世界随所で依然として紛争が起こっており、罪悪と憎悪と不義が猛威を振るっています。

物質的に豊かな先進国でも、絶望と霊的な貧困の中で苦痛を受ける人々が大勢います。多くの人々は麻薬と無分別なセックスの中に快楽を見いだそうとしますが、霊肉両面で破滅の道を突き進んでいます。誰がこのような罪悪と戦争と絶望の世界を望みましたか。誰も願いませんでした。

人類の本性は、どうすればこのような不幸を清算して、平和と幸福にあふれる世界を成し遂げることができるかという問題の解答を求めてきました。宗教が追求してきた道が、正にこの道ではありませんか。しかし、いまだに人類が願ってきた理想世界は実現されていないというのです。宗教の核心には、人類の不幸と苦痛の根源を明らかにしようとする欲求があります。私たちが苦痛の根源に対して無知ならば、苦痛をなくすことができる希望さえないのです。しかし、この問題の解決は、神様の啓示による知恵をもってのみ可能なことなのです。

3. 人間は真の愛のために生まれた存在

私はきょう、この問題に関する根本的な原因を明らかにし、その解答を提示しようと思います。神様は、人間始祖アダムとエバを造られて、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記一・二八)という三大祝福を下さいました。

第一の祝福である「生めよ」というのは、すべての人間が成長して、神様を中心として完成した人格者になりなさいという意味でした。第二の祝福は、完成した男性と女性が真の夫婦となり、子女を生んで真の父母の道理を果たしながら、理想家庭を成し遂げなさいということでした。第三の祝福は、人間が神様から許諾された環境の中で、不便や不足のない地上天国の環境を所有しなさいということでした。

真の愛の本体であられる神様は、愛の対象であり子女として造られた人間が、真の愛の完成体となり、その次に真の愛による夫婦の理想を成し遂げて、天国の環境をもつことを願いました。

しかし、不幸にもアダムとエバは、神様が祝福として下さった愛を完成する前、未成熟の段階で非原理的な愛で堕落し、エデンの園から追い出されてしまいました。そうして、生命の根源である真の愛と本来の神聖な資質を失った人間始祖は、神様の祝福によらずに、サタンの愛を中心として結婚生活を始め、サタンの愛と生命と血統を、子々孫々に相続するようになったのです。

神様は、人間の堕落によって成し遂げることができなかった創造目的を原状回復し、人間を不幸から救援しようというみ意を抱かれ、宗教を立てて指導してこられたのです。したがって、神様は全人類を生み変えるために、偽りの父母になったアダムとエバに代わってメシヤ、すなわち真の父母をお送りにならなければならないのです。

神様の摂理の究極的、不変の目的は、真の父母を探し立てることです。真の父母は、真の愛の化身体であり、真の生命の種として来られます。真の父母から真の家庭が始まり、この家庭は、復帰されるべきすべての家庭の標本となるのです。

神様の真の愛は投入して、また投入しても、その投入したことを忘れる愛です。神様御自身も愛の相対を創造されるとき、神様御自身がために生きる立場に立って、御自身が所有しているすべてを百パーセント投入して、また千パーセント、万パーセントをさらに投入したいと思うのです。なぜなら、愛の相対と愛する子女は、自分よりも優秀なことを望むからです。このように真の愛が行く道は、与えてまた与える道です。真の愛の化身体である真の父母が行く道も、他から受けようとする道ではなく、人のために犠牲になる道です。

神様の救援摂理のために立てた宗教が見本を示すべき道も、この一つの原理です。人の生命は愛の理想を中心として育まれたものなので、人間の生命の本質は愛です。

ですから、愛を本質として生まれた生命は、神様がそうであられたように、ために生きる生活を送らなければならないのが天理です。それで人間は、真の愛のために生まれた存在だと言うことができます。真の愛はために生きるところから始まります。

創造本然の人間は、その心と体に神様の真の愛を備え、それにそのまま感応しながら生活するようになっています。言い換えれば、心は真の愛を中心として神様に感応し、体はその心に自動的に共鳴するのです。心と体が闘うことのない真の統一の起源は、神様の真の愛をそのまま受け継いで体感するところにあります。

心と体が統一体になる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに成し遂げられるのです。心と体が真の愛を中心として統一されるところから、真の自由と平和の理想が出発できるようになります。そして、心と体が統一された基盤の上で、自由で平和な個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を成し遂げることができるのです。ですから、世界と国家の中においてではなく、個人の心と体の間において平和の基点を探さなければなりません。

尊敬する宗教界の指導者の皆様。昨日は世界全域から集まった三万以上のカップルが神聖な祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統確立を誓いました。皆様も参観しましたが、その行事がある一教団の重要な結婚儀式とだけ考えてよいでしょうか。性道徳の紊乱、青少年の脱線、そして家庭破綻で社会がその根元から揺れる現実を、何によって解決しますか。

サタンと人間始祖がばらまいた不倫が歴史的に実を結んでくるとともに、天道と人倫を破壊し、人間を獣にする地上地獄の終末的現象が起きているのです。このような悲劇は、不倫が美化されるようなフリーセックスを容認する風潮や、極端な利己主義により一層深刻化しつつあります。現実世界は精神的、道徳的に深刻な危機に置かれており、秩序正しい家庭が崩壊するだけでなく、次世代を担当する青少年の心と体を害しています。

4. 家庭は創造理想の基本単位

このような人類の危機は、神様の真の愛と真の生命の主人であられるメシヤ、真の父母様を通してのみ解決されます。神様が願われる結婚観は、世の中の風潮に反して、神様のみ前に永遠の一夫一婦制、愛と性の尊厳、神様の祝福、そして子孫のための結婚を強調します。世界百六十カ国以上で人種と国境を越えて、神様の愛を中心として永遠の夫婦と家庭理想を成し遂げようとするこの運動は、人類の明るい未来であり、希望なのです。

神様の創造理想の基本単位は家庭です。家庭は、国家と社会を形成する基礎になります。人種を超越した神様の真の愛によって、世界一家族理想は平和世界の具現と直結します。人類は、神様の真の愛の理想のもとで祝福家庭をつくり、模範となる夫と妻になるとき、善の子女をもって正しい倫理を実践することができるのです。

このようになるとき、真の愛が実を結ぶ理想的な家庭が完成し、理想的な社会、国家、世界を形成していくことができます。そして、国際合同結婚行事を通して本然の家庭を復帰することによって、現代社会の慢性的な弊害を根本的に解決していきつつあるのです。

世界から来てくださった宗教界の指導者の皆様。今、宗教が世の中でその指導力を発揮する時になりました。指導力とは、盲信的で、かつ偏狭から来る傲慢で独善的な態度からは出てくることはできません。真の指導力は、天のみ旨に自分を従属させ、利他的であるときに生じるのです。宗教者たちは、この時代の状況と様々な非道に対して責任を感じ、深い自己省察がなければならない時だと思います。

今まで宗教者たちは、愛の実践において手本になることができず、自分個人の救援や宗派の利益に汲々とするあまり、全世界の救援のために尽力できなかったことを悔い改めなければなりません。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が求められている時です。神様は私たちを呼んでいらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを熱望していらっしゃるというのです。

すべての宗教が一心になって、神様の人類に対する熱望を代弁して実行しなければなりません。信じる者たちは儀式や教理の論争を越え、生きていらっしゃる神様との深い霊的対話と交流を通して心霊が成長することを、神様は望んでいらっしゃいます。

宗教は、情熱をもった人間が関係を結ぶべき霊的秩序を確立し、これを制度化して論理的に表現する人生の形態を、この世の中に創造しなければなりません。宗教指導者たちは自らの浄化の先頭に立ち、さらに他教団の指導者たちと互いに尊重し合いながら、影響力のある宗教協力体を育てていかなければなりません。

5. 教団間の和合を通した世界平和の実現

尊敬する宗教界指導者の皆様。私は昨年、「世界平和宗教連合」を創設するときまで、千辛万苦の困難を乗り越えてきました。誰も果たすことができなかった教団間の大和合と神様のみ旨を中心とした世界平和の実現という目標をおいて、私は四十年以上、ために生き、与える献身の路程を歩みました。

特に世界各国の偏狭な一部教団の迫害と歴代政権の無理解の中でも、終始一貫した歩みによって、超教派運動をはじめとして、超宗派的な神学校設立、世界的な新しい教会一致運動、世界宗教協議会活動、『世界経典』刊行、教団間の和合のための様々な会議の持続的な支援、世界宗教議会創設など、私ができることは、これまであらゆる犠牲を顧みず、すべて行ってきました。

私はこのようにして、何をしようというのでしょうか。私の宗教議会開催も、「世界平和宗教連合」の組織活動もすべて、人類の父母であられる神様のみ旨を成し遂げてさしあげようという一念なのです。私が願うことは、自覚された宗教指導者、学者の皆様と共に、神様と人類の希望を地上に実現することしかありません。

今、ここから私たちが一段階さらに進んでいく道は、教団間の和合に満足せず、学会、政界、言論界等の社会指導者と共に、世界平和のための汎統一機構を構成し、より積極的な対社会活動をすることです。宗教は、この機構が神様のみ旨を地上に実現できるように教育し、率先しながら、ために生きる道において模範にならなければなりません。

私たちは、もう一度、心霊を高め、天の声に耳を傾け、謙虚な姿勢で神様の勧告に従いましょう。そうして、神様がこの時代の宗教指導者たちに任せた使命を自覚し、人類の心霊を正しく指導して、新しい文化世界に霊的、精神的秩序を確立しなければなりません。

今回の会議が人間的な見識の次元を越えて、天の知恵を中心とした討議になることを願います。大会議長として組織と運営に模範を見せたシリア東方正教会のグレゴリウス司教の献身に敬意を表しながら、分科議長団と代表の皆様の労苦に感謝を申し上げます。皆様と皆様の教団と家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終えようと思います。ありがとうございました。

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第三篇 14 宗教と理想世界

第三篇 14

宗教と理想世界

日付:一九九五年八月二十一日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル

行事:「世界平和宗教連合」第三回世界大会

尊敬する全世界の各教団の最高指導者の皆様。国内外の貴賓、宗教界の学者、そして宗教指導者の皆様。韓鶴子総裁と私は、皆様を温かく歓迎するとともに、皆様が韓国にとどまる間、満ち足りた時間をもつことを願います。

1. 世界の宗教の核心主題は理想世界

「世界平和宗教連合」の第三回世界大会の主題は「理想世界の実現と世界の宗教の責任」です。「理想世界」は、今まで世界のあらゆる宗教の核心主題でした。各宗教は悪の実体を認め、悪と無知の世界に対する代案を教えています。この代案の世界が正に理想世界なのです。

理想を追求するのは、単に宗教にだけ限定された現象ではありません。なぜなら、全人類は宗教性を離れても理想を追求しており、理想の実現が不可能なときでさえ理想を追求しているからです。

しかし、どのような努力と立派な意図があるとしても、天の法度に背いてこれを追求するならば、何の効果もなく、かえって害になる結果をもたらすようになるでしょう。ですから、神様をはっきりと知り、創造理想とそのみ旨を明確に知らなければなりません。

私たちは、誤った理想の追求がもたらした悲劇を、無神論的共産主義によって胎動された、今世紀の様々な災難を通して明確に経験しました。共産主義は、神様を否定し、神様がいない理想的な人間社会をつくろうとした空想的な社会運動でした。民主体制は、共産主義より優れてはいますが、民主体制もまた、神様の摂理を無視するとすれば、継続して腐敗し、衰退してしまうでしょう。

善の道と神様の法度は一つであり、同一です。人間の善と理想は偉大な神様と直接的な関係なしには、成就することも維持されることもできません。このような理由で、どこの誰でも理想を追求するとすれば、神様のみ旨と宗教の重要性を理解しなければならないと言うことができます。

私は幼い頃から、人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探し出そうと必死に努力してきました。私は、神様が理想の実現が不可能で、罪と苦難、そして不和がいつも猛威を振るう世界を創造されたとは、信じることができませんでした。私は、私が経験する世界がなぜこのように悪で満ちているのか、理解できませんでした。私の青少年期の経験を詳しく皆様にお話し申し上げる時間はありません。私の青年時代は真理に向かう渇望に満ちていたと話すことで十分でしょう。

私が明らかにした「統一原理」は、平凡に得られたものではありません。「統一原理」の根本は、徹底的な祈りの中で、霊界の聖人や賢人たちとの交流は言うまでもなく、神様との深い交わりから見いだしたものです。サタンとの血みどろの闘いを通して得た勝利なのです。私はこの「統一原理」を教えて実践するために、生涯の一瞬一瞬を捧げています。「統一原理」は全世界に伝播され、人をして、生きていらっしゃる神様と新しい関係を結ばせ、その人生を変化させています。

2. 神様の理想と真の愛の家庭

私たち人間は、神様によって創造されたので、理想世界に向かう熱い望みをもって生まれました。「理想世界」と言うとき、その「理想」とは、本来神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、あるいは富のために世の中を創造したのではありません。神様は、権力や栄光、富に対する欲望はありません。しかし、神様は、いかなる欲望ももたないというのは、正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。愛を体恤するためには、神様も関係を結ばなければならないからです。真の愛の体恤は、主体と対象の関係を通した経験でのみ可能です。どのような存在も、独りで孤立していては、愛を感じることができないのです。

愛の関係は、自由に与え合うことができる存在だけが結べます。神様は、神様と自由に愛を与え合うことのできる存在、すなわち神様の愛の完全な対象体として人間を創造されました。人間は、真の愛の主体性をもつように創造された、神様の息子と娘です。ですから、神様は人間の真の父母でいらっしゃいます。神様は人間を神様の真の愛に同参させ、その愛を相続する存在として立て、その垣根として万物世界を創造されました。神様と人間はすべて、真の愛を通して最高の喜びと幸福を経験できるのです。

神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを希望されました。神様は、彼らの生物的な成長と栄養供給のために、環境を満遍なく、あらかじめ備えておかれました。しかし、神様のより深い関心は、人間の内的性稟と人格にありました。彼らは愛の経験を通して、神様の真の愛に似て完成するのです。神様は、愛の力を内的であり非物質的な力の中で、最も強力なものとして創造されました。そのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤するということは、人間が神様に似て一体となり、完成するということです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉になる理由も、ここにあります。

アダムとエバは、神様の愛の中で真の人になったのちに、お互いが真の愛で真の夫婦になり、それから子女をもって真の父母になるようになっています。人間が神様の利他的で無条件的な父母の愛を伝授された人格完成体となるとき、真の父母になります。

人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得します。生活の中の経験を通して、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛を順次的に体得するようになっているのです。この四種類の愛と心情がとどまる基台が家庭なので、家庭は人間の愛と幸福、そして生命と血統の基地になるのです。このように真の愛の家庭は、人間の願いであると同時に、神様の創造目的の根本でもあります。人間の個体や家庭、そして社会や環境の真の完成は、家庭の中で真の愛の具現にその根を置いています。神様の真の愛の実体となった人間は、神様のみ旨に背いたり、他の人を侵害したり、または万物世界を悪用することができなくなります。

3. 堕落と復帰

今日の現実はどうですか。戦争と葛藤、暴力と麻薬など、あらゆる不正と弊害が人類を不安にさせています。より一層深刻なのは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増して、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が、人類社会の根底を揺るがしているということです。これはすべて、堕落に起因したものです。アダムとエバが、成長期間に純粋な愛の理想を汚したためです。エバが、蛇すなわちサタンによって果実を取って食べたということは、エバが原理を外れた愛の行為で堕落したことを象徴します。

アダムとエバは、愛する父母であられる神様を不信し、結果的にサタンに対して従順となり、偽りの夫婦になり、偽りの父母から人類歴史がスタートするようになったのです。彼らの子孫は暴力と殺人、罪と苦痛の中に陥る結果を招いてしまいました。このようにアダム家庭から人類が受け継いだ遺産は、罪と偽り、不浄な愛、暴力、殺人などでした。今は終末を迎えて、アダムとエバが蒔いた種の結果が、世の中に満開になって実を結んでいるのを見ることができます。神様の心情はどれほど悲しいでしょうか。

神様はどのようにしてでも、本来計画された真の愛の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理のために宗教をお立てになり、善の版図を広めてきました。神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結する総責任を負って来られるお方です。ですから、メシヤは真の父母として来られなければなりません。真の父母の使命は、人類を真の愛で重生させて真の人に回復させ、真の夫婦となり真の父母になるようにすることです。

4. 宗教の責任

神様のみ旨に逆行する世界の問題は、誰が収拾しなければなりませんか。不正と罪と苦痛の現実を変える責任は、宗教指導者たちが引き受けなければなりません。私は神様の召命を受けた日から、この責任に自分自身を捧げてきました。私は、原理と摂理の道を徹底して守りながら、人類の具体的な人生に時間と空間を超越して深々と浸透してきた悪に向かって、挑戦してきました。私はいつも、私自身と自らのすべての基盤を使って、他の宗教と世界の偉大な宗教指導者たちと協力を図ることに最善を尽くしました。そのようにする間、一度も神様に対する責任を果たさなかったことはありません。

「世界平和宗教連合」の創設を主唱した一九九〇年の「世界宗教議会」(サンフランシスコ)において、神様の創造目的、真の愛の根本、そして真の父母の役割を説明しました。社会倫理を正しく立て直して退廃文化を一掃し、真の愛と真の父母主義を実践しようと訴えました。真の愛による理想家庭を取り戻し、社会倫理を正しく立て直すことは、この時代の宗教指導者たちに賦与された貴重な責任です。

また、宗教指導者たちは、世の中の不法と不正などをなくすために先頭に立つ責任があります。世界的に澎湃した不法と不平等、不条理を傍観したまま、宗教だけが理想郷に向かって現実の泥沼を抜け出すことはできないのです。儀式に溺れた信仰から生活信仰に変え、人間がその精神的荒廃から本性を取り戻せるよう、宗教者が模範を見せなければならないと思います。

そして、宗教指導者たちは他の人々のために、無制限の犠牲的生活を送り、またそのままそれを教えなければならない責任があると思います。まだこの世界には貧困と飢餓状態にある人が大勢いて、不平等が深刻化しています。これに対する宗教者の責任は、非常に大きいといえます。

私は過去二十年間、海洋資源の開発のために直接先頭に立って船に乗り、物心両面で多くを投入しながら努力しました。高蛋白質のフィッシュ・パウダー(魚粉)を開発することに成功し、人体に大切な製品を研究し、開発することを続けています。このすべての成果は、既に「国際救護親善財団」(IRFF)を通して、アフリカなどの地に効果的に支援されています。そして、今年初めから、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンの四カ国に広い土地を準備し、「新しい希望農場」を始めました。地球上から飢えの惨状をなくすという私の決意を実践しています。農業開発と海洋企業を通して食糧を生産し、低開発国家を支援することに、教団が互いに連合し協力すべきだと思います。教団が先導するこのような人的物的投資を通して、真の愛が実践されれば、世界に希望を与えることができると思うのです。

神様の真の愛による投入と注入がなかったなら、宇宙は生じませんでした。宇宙の存在法則は、主体が対象のために生きることです。ところが、堕落した世界では、主体が対象のために生きるのではなく、むしろ自己中心に利用しようとするので、滅びるのです。宗教は相手を先に喜ばせたあとに、自分が喜ぼうとする天理原則を教育し、実践しなければなりません。

尊敬する宗教界の指導者の皆様。「世界平和宗教連合」は宗教間の和合と世界平和のために、建設的に一緒に仕事をしていかなければなりません。「世界平和宗教連合」が世界の良心のような機能を果たさなければならないのです。政治、経済、教育など、世界の各界の指導者たちに助言し、指導するだけでなく、模範を示すべきでしょう。偉大な宗教は迫害と殉教の土壌の上に立てられ、創始者の貴い伝統基盤の上に立ったので、私たちは、犠牲を忌避することなく宗教本来の名誉を探し立てなければなりません。

最後に、私は今回の「世界平和宗教連合」の議会が、理想世界の実現のための宗教の責任に対する深い議論とともに、大きな成果を上げるだろうと思います。皆様と皆様の家庭、そして皆様が行われることに、神様の祝福が常に共にあることを願います。ありがとうございました。

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第三篇 15 生死に対する理解

第三篇 15

生死に対する理解

日付:一九九八年十二月十九日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントン・タイムズ・ビルディング

行事:一九九八世界平和宗教連合大会

尊敬する議長、世界の宗教指導者、ならびに内外の貴賓の皆様。キリストの聖誕日を前後して、各宗教では重要な日程と儀式が予定されているにもかかわらず、このように参席してくださったことに、心より感謝申し上げます。この時間をお借りして、これまで各宗教がその解答に苦しんできた問題である「人間の生と死」に対する私の見解の一端をお伝えしようと思います。

私たちはこの地上に住んでいますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあることを知っています。霊界は間違いなくあるのです。そして、この地上と霊界は、全く異なる二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。したがって、私たち人間は神様から生まれたので、いずれにせよ再び神様がおられる霊界に帰らざるを得ないのです。

1. 死は根源の世界への回帰

皆様。韓国語ではおもしろいことに、「死ぬ」ということを「帰る」と表現します。どこに帰るというのでしょうか。これは単に墓地に行くことを言うのではありません。もともと人生が出発した、本来の場に戻るという意味です。はるかかなたの、歴史の起源を越えて帰るということです。

だからといって、韓国人として生まれたので、韓国人に帰るという意味ではありません。私たち人類始祖の根源となるその世界に帰るという意味です。すなわち創造主がいらっしゃるならば、その創造主がいらっしゃる所に帰るという意味です。そこから出発したので、そこに帰るのです。

宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな沢を通って流れ、さらにはいくつかの川を通って大海へと流れていきます。大海へと流れていったその水は、水蒸気となって再び帰るのです。このように循環運動を通して、より高まる所へ、より良い所へと帰ることを願うのです。

それでは、私たちが行って、永遠に生きなければならない所とはどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界に向かって進んでいるのです。私たちはこの世に生まれると、十代、二十代、三十代、そして中年と壮年と老年の時代を通過します。このように青春時代を過ぎて壮年時代を経て、老年の峠を越えつつ、日が沈むように人生を終えていくのです。しかし、霊界があるという事実を知っている人々は、地上で肉身をもって生きる一生はわずかなもので、死んだのち、私たちが迎えるべき世界は永遠だということをよく知っています。ですから、地上での生涯というものは、永遠の世界に行く準備をするための期間なのです。

学生を例に挙げれば、学生が一学期あるいは一学年を終えるときには、学校が定めたすべての学科の単位を取らなければならない単位の基準があるのです。その最高基準を百点とするとき、その基準にその学生の単位がどれほど到達したかという割合によって、学校の評価が決まるのです。しかし、単位が足りなければ足りないほど、その学生は学校が立てたその基準から遠ざかります。

このようにあらゆることは、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっているのです。私たちが一生の間、肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校でいい点数を取るために準備する期間のようなものなのです。言い換えれば、私たちの生涯をすべて懸けて単位を取る準備期間だということになります。

すなわち、私たちの一生において責任を追及するある基準に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、私たちは日々の生涯路程を歩んでいるのです。ところが、ほとんどのこの世の人々は、本来人間がこの世に生まれて生き、求めていくべき本然の世界がどこなのかをはっきりと知らずにいるのです。すなわち死後の世界があるのかないのか、神様が存在するのかしないのかも知らずに生きているのです。

2. 人類は一つの兄弟、一つの国民

皆様。私たちはいずれにせよ、いつかは霊界に行くようになっています。その霊界は一つの国です。地上世界のように、いくつもの国に分かれているのではありません。

だとすれば、霊界で生活する内容はどうなっているのでしょうか。例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が生命維持の絶対的な条件となります。だからといって、魚も一カ所だけで棲むのではありません。魚の中には淡水を離れ、海水と接するきっかけをつくって産卵する場合もあるのです。二つの世界に通じなければならないという意味です。

私たちの体と心も、このように互いに通じなければならないのです。人類歴史を互いに比較して考察してみるとき、もし私たちの先祖であるアダムが生まれた日と結婚した日、そして死んだ日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は、一つの兄弟となり、一つの民となっていたことでしょう。すなわち、一つの世界で生きる人類になり得ていたという意味です。そのようになっていたならば、アダムの生活風習は、そのまま人類歴史を通して継承され、そのとき形成された文化は人類が生存する限り、永遠に継承されていたでしょう。

人間は誰しも、いつ死ぬかを知らずに生きています。いつ交通事故に遭って死ぬかもしれないというのです。死んでから、「ああ、レバレンド・ムーンの話は正しかった!」と言って後悔する人もいるでしょう。私たちは、実はとても深刻な人生の道を歩んでいることを知らなければなりません。私たちは永遠の世界に行くための準備をするために、寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の岐路に立っていることを、私たちは知らなければなりません。

一般的に霊界に行く人にも、二通りの人がいます。自分のもって生まれた運命のとおりに生きてから逝く人と、自分の運命のとおりに生きられずに逝く人の二種類です。自分の運命のとおりに生きられずに逝く人の中には、早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために代わりに逝く人たちがいます。

もし神様が千人の価値をもった一存在を中心的な立場に立て、すべての人の代わりに死の道を行かせたとすれば、千人がみなその人の恩徳に感動し、その人のために生き、その人の生涯を見習い、その人のように生きようとするでしょう。そのようになれば、人々はその人と同じ恵沢圏内に入っていくのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の生き方に従おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入ろうとする欲望のためなのです。

人間の中には、希望をもって生きる人もいて、希望をもてずに生きる人もいます。この希望は、人間を中心とした希望と天を中心とした希望の二種類に大別することができます。

私たちは生まれたその日から、母の懐が何よりも一番いいものと思って大きくなりますが、ある程度大きくなれば、母の懐を離れるようになります。私たちはまた、成長しつつ友達と付き合い、友達こそこの世で一番いいものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れていくのです。このように人間は成長しながら、愛する親も愛する夫婦も愛する兄弟も、さらには愛する子女も自分の希望のすべてにはなれないという事実を知るに至るのです。

人間は、いつも多くのことを希望します。しかし、その希望する心も結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望をもっていますが、年齢を重ねるにつれて、希望する心もだんだん弱くなっていくのです。

事実、多くの人々は自分たちの希望を全体的な希望として誇り、自分の生命を失うようなことがあったとしても、その希望を捨てることができないという確固たる信念をもてずにいるのです。私たちは一生の間、あらゆる希望を抱いて生きますが、結局、死に直面して、自分が抱いていた希望のすべてを捨てて逝ってしまうというのです。私たちは、きょうも生きることを願い、あすも生きることを願い、新たな希望を求めてさまよっていますが、死に直面するときには、そのすべての希望をあとにして、最期の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。

人間は自分を中心として見るときは、希望をもっているようですが、死の峠を越えることのできる希望をもってはいないのです。私たちが人生観として、死さえも乗り越えることのできる一つの希望を見つけなければならないのが、今日、この地上に生きている人間たちが考えるべき重要な問題なのです。

3. 死と闘って勝利できる希望

皆様。この世のすべてのことは過ぎ去るのです。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはどのような主義や思想もすべて過ぎ去るのですが、最後まで残らなければならないものとは何でしょうか。それが正に、死と闘って勝利できる希望です。私たちにそのような希望がないとすれば、「私たちは人生の敗北者である」と言わざるを得ないでしょう。この世には、生まれながらにしてこの世的なすべての希望を一切拒み、人間の世の希望ではない天の希望、すなわち永遠の希望を抱いて生きる人たちがいます。

天は正にこのような人々を助けているのです。ですから、信仰生活をする人々は、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死の峠までも乗り越えることのできる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生きなければなりません。

私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど、死について徐々に深刻になります。ここに座っている皆様も、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、運命の関門です。

誰も避けられなこだからです。私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という単語を使った目的とは何であるか御存じですか。生の意味を知らせるためです。生の価値は、誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人には分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。

それでは、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちはなぜ生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知りません。それで哲学でも最初に問う質問が、人生とは何であり、人間はなぜ生まれたのかということです。

皆様。私たちが死ぬということは、神様の愛の中に生まれることなのに、人間世界では「ああ、死ぬ!」と言って大騒ぎです。それを見る神様は、にこにこ笑われるでしょうか。それとも驚き、悲しむでしょうか。喜び、うれしく思うのです。限られた地上の愛の圏内から無制限の愛の圏内へと突入できる喜びを迎える瞬間が、肉身が死ぬ瞬間、すなわち第二の出生の瞬間だからです。

だとすれば、神様は、私たちがこの肉身世界に生まれた日を喜ばれるでしょうか。それとも第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子、娘として生まれるその時間をもっと喜ばれるでしょうか。もちろん後者です。私がこのような話をするのは、皆様が死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結ぶことができないという事実を知らなければならないからです。

神様は人間が生まれたときから、成長していく過程を見守り、また直接参与しながら喜ばれるのです。赤ちゃんが成長するにつれて、神様の心に動く愛の鼓動も増大するからです。

神様があるしぐさをすれば、子女たちも一緒にそのしぐさをします。神様がお笑いになれば子女たちも共に笑い、悲しまれれば共に悲しみながら、このようにだんだんと神様に似ていくのです。また、その子女たちは、成長しつつ親たちの姿に似るようになります。言葉も習い、生活規範も親たちから学ぶようになります。

もちろんこのすべてのことは、本来神様に由来したものです。だとすれば、神様が私たち人間と共にこの地球星に暮らしたのち、あの世に飛んでいくとき、私たちはどうすべきでしょうか。「ああ、私もついていきます」と言えば、「こいつ、お前は誰だ」と言いながら、神様が私たちを切り離してしまうでしょうか。それとも一緒に連れていかれるでしょうか。もちろん連れていこうとされます。ところが「今は連れていくことができないので、お前がもう少し大きくなって、もう少し完成したのちに連れていく」と言うとき、人間は「今は逝けないが、いつかは私たちも逝く時が来るだろう」と思いながら待つのです。地上で肉身をもって生きる間、人間はいつも神様に付いて回ることはできません。

4. 真の愛のために死ぬことができなければならない

さあ、それでは何が問題でしょうか。私たちが神様に似たいと思い、神様も私たちを神様の息子、娘として御自身に似させたいという願いをもつのは当然のことです。

それで、人間は再び神様に似ることのできる体をもって生まれなければならないという結論が出てくるのです。神様と人間は共に永遠に飛び回ることのできる日を待ち望むのです。そのように飛び回ることのできる人として生まれる日、そのような体に生まれる日、その日が正に肉身を脱ぐ、死の日なのです。

だとすれば、人間は死を歓迎しなければならないでしょうか。それとも悲しまなければならないでしょうか。もちろん歓迎しなければなりません。それでは、私たちが死ぬときは何のために死ななければならないのでしょうか。神様の真の愛、すなわちために生きる愛のために死のうとしなければならないのです。ですから、肉身を脱ぐというのは、無限の神様の愛の活動圏に私たちが同参するためであり、神様の愛の世界のためだという結論になるのです。

皆様。皆様は一度、そのような真の愛を受けて実践する神様の本当の息子、娘として生まれてみたいと思いませんか。神様がお金持ちなら、どれほどお金待ちでしょうか。皆様、一度考えてみたことがありますか。無限の星の中に、ダイヤモンドの星がないと言えるでしょうか。純金でできた星がないでしょうか。神様こそ全知全能のお方です。御自分の子女たちに、何でも与えようとされないでしょうか。どうでしょうか。

神様はこの無限の宇宙を、あっという間に往来することができます。皆様も関心がありますか。それなら私たちは、どのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければならないのです。そうしてこそ、神様と共にいられるのであって、私たちの勝手にしてはいけないのです。

5. 水中、地上、天上の三時代を通過しなければならない

皆様。神様が「してはいけない、しなさい!」と言うことを守る自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体であり体は対象なので、心が体に従って一つになるのではなく、体が心に従って一つにならなければならないのです。

人間はまた三段階の世界、蘇生時代、長成時代、完成時代を通過します。すなわち、母の腹中での水中時代、地球星の世界、天上の空中世界です。私たちは腹中の水の時代を経て地上に生まれ、肉身をもって百年ほど地の時代を経るようになり、最終的には飛んでいく空中時代へと三時代を通過するようになるという意味です。私たちが母の腹中にいるときは、外の世界に出ていくまいと抵抗します。その中に残ろうとします。

なぜなら、私たちが腹中から出るときは、家がみな破壊され、私たちが栄養を取って生きていたすべてのものも崩壊していきます。そうして、分娩過程を通過しながら頭も伸びなければならず、体も伸びなければならないのですから、誰がそれを好むでしょうか。生まれるその瞬間まで、みな「ノー」と言うのです。子女は、羊水がどっと出てくるその水に従って出てくれば、安産になります。母が赤ちゃんを分娩するのを見れば、本当にかわいそうです。赤ちゃんを生んだことのある母親たちは、よく分かると思います。力を入れるときは、顔がいくら美人でも、ものすごい形相で顔をしかめるので、夫さえもその顔を見ていられず、逃げていくほどです。このように、産婦も最後の瞬間まで大変な苦痛を通過したのちに、子女が生まれてくるのです。

この過程でおへそについているへその緒は、そのままにしておかなければなりませんか、それとも無慈悲に切ってしまわなければなりませんか。「それは人の命綱なのに、人と人の命綱をどうして切ってしまうのですか」と抗議する人がいるかもしれません。生まれてくる赤ちゃんも「死にそうだ」とおぎゃおぎゃと泣きじゃくります。しかし、それを見つめる神様は、喜びのほほえみを隠しきれないのです。そうなると生まれた新しい生命には一つの世界は完全になくなり、新しい一つの世界で「ふうっ! ふうっ!」と息をするようになるのです。

皆様。人間は初めに生まれるとき、水の中から生まれるのです。腹中時代は水中時代です。胎児が母の胎中にいるときは、水の中に浮いています。ちょっと考えると母のおなかの中の時代では、息ができずに生きるのが大変なように感じられます。

水の中で生きているので、当然、水を飲んでは吐き出さなければならないのではないですか。そのために腹中の胎児は、ホースをおなかに連結して生きるのです。腹中の胎児は、どこを通じて栄養分を供給されるのでしょうか。おへそを通じてです。へそは腹中の胎児には口なのです。それで、私たちはおへそを冷遇してはいけません。「おへそよ、お前は昔、苦労したな」と言って触ってあげなさいというのです。おへそをよく、軽くたたいてあげると健康になります。笑い話ではありません。

そのように運動をしなさいということです。へその運動を通して健康になりなさいということです。その例として、いくら寒い部屋で寝たとしても、へそさえよく包んで寝れば下痢をしません。私たちはまた、へそを昔の口だと呼ぶこともできます。ある者は「この愚か者、昔の口がどこにあるか」と言うかもしれませんが、へそが私たちの過去の口だったことだけは間違いありません。このように私たちの呼吸器の役割もしていたへその段階が終われば、次は口だというのです。どんどん上に上がっていくのです。

同じように、この地球上で空気を呼吸して生きる肉身に宿っている私たちの霊人体は、肉身が老いてしまえば、それを捨てて外に出ようとするのです。

それなのに、その時に、肉身が「ああ、死にたくない、死にたくない」と言って悲鳴をあげるなら、神様はその姿をどのように御覧になるでしょうか。苦痛に直面したその肉身に同情されるでしょうか。あるいは静かにほほえまれるでしょうか。

大変な苦痛を甘受し、母の腹中を飛び出してきた赤ちゃんが成長して、父母の愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴を振り切って、無形の父である永遠の神様の相対として再び生まれなければならないというのが、原理的な結論です。

地上世界でも子女が生まれたのちに大きくなれば、父母と友達になれるのです。父母と愛を共に分かち合うことのできる地上世界に生まれるからです。胎児が母胎の中で泳ぎ回るのと同様に、人間の地上生活は空気を吸い、空気のふろしきの中で生きるようになるのです。

そのような過程を経ながら地上でこのように父母と愛を分かち、呼吸する人であってこそ、「死なずに生きている」と言えます。同じように私たちは、霊的な無限の世界に通じる、親であられる神様と愛を分かち合うことのできる霊界に、再び生まれなければならないのです。

6. 神様の法則のとおりに生きなければならない

それでは、霊界とはどのような所でしょうか。私たちが霊界に入れば、頭の上にあるひよめき(泉門のこと)と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は、地上の空気ではなく愛です。呼吸を通して愛の要素を受けるというのです。

私たちが地上で生きるときも、御飯だけ食べていてはいけません。御飯だけ食べて、水だけ飲んで生きるというのは、胃袋を満たしているだけです。結局、そうして死んでいくということです。地上で生きている私たちの姿は、私たちの第二の存在です。

私たちがこの期間にすべきことは、新しい愛の人格を形成することなのです。この地上で私たちが最も必要とするものは愛です。孤児とは何でしょうか。母と父の愛を受けられない子女たちを、どうして孤児と呼びますか。霊界と永遠に連結できる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で生きる人をかわいそうだというのです。

もう一度お話ししますが、私たちが死ぬということは、第二の呼吸をしていた肉体に連結されたこの器官を壊し、愛の要素を受け継ぐことです。ですから、私たちは、いずれにせよ肉身を破って出ていかなければなりません。愛は見えないものです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛など、このすべての愛を中心として私たちの内的な構造が成長するのです。

それで、私たちが神様の法則のとおりに生きるときにのみ、胎児が母の腹中で正常に育つのと同じように、私たちがこの地でも正常に成長できるのです。ですから、むやみに生きてはいけないというのです。私たちが自然界を調べてみると取るに足らない昆虫、実の中の種、そして鳥まで飛ぶことができるのに、ましてや万物の霊長たる人間が飛べなくていいでしょうか。たんぽぽの種を見てください。風が吹くと自然に飛ぶようになっています。このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかに飛べるように創造されたに違いありません。ある者は性急に「神様、ほかのものたちはみな飛び回るのに、どうして私たちは飛べないように造ったのですか」と神様に抗議しかねません。しかし、神様は「お前たちは数十年待って完成すれば、飛べるようにしてあげよう!」とお答えになるでしょう。

7. 地上で愛する訓練をしなければならない

それでは、その時まで私たちは何をしなければなりませんか。その時になって、その世界に適応できるように、私たち自身を訓練しなければならないのです。父母を愛し、夫婦同士愛し合い、子女を愛しながら、この地上世界で訓練をしなければならないのです。そうして、時が来れば、永遠の世界に入り、永遠に神様に侍って生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死ななければなりません。

私たちがせみの一生を調べてみれば、せみも飛ぶようになる前に、幼虫の段階を経ます。そのせみが「ぼくは幼虫のまま暮らしたい。殻を脱ぐのは嫌だ。ああ、陸地も空気も何もかもみんな嫌いだ!」と言って反抗したとしても、いざ殻を脱いでみると飛ぶようになるのです。

とんぼも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで暮らし、地上に上がってきて、しばし這い回り、その次は殻を脱いで飛び回りながら、食べるとは想像もしなかった虫を捕まえて食べるのです。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように昆虫類の中には、三段階の世界を経るものが多いのです。

それで昆虫には羽があります。水と陸地と空中の三時代を過ごしながら、羽をもつようになるのです。万物の霊長という私たち人間に翼がありますか。人間には次元の高い翼があるのです。皆様も肉身を脱いで死ぬのは嫌だと言うかもしれませんが、いざ死んで肉身を脱げば、私たちの霊人体が第二の出生の恵みの関門を通過して、飛んでいくのです。

前にもお話ししたように、人間はいずれ死にます。私たちは、善なる自己を永遠の世界に第二の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。母の腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善良な赤ちゃんとして生まれるのと同じように、私たちの地上世界での生活も、よく準備しなければなりません。

私たち人間は、神様の形状を見習い、神様の心情を見習い、神様の聖なる神性を見習いつつ、育たなければなりません。育ってからは、また命を懸けて越えていかなければならないのです。したがって、どんなに恐ろしい暴風雨がやって来ても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。よくやっていても、境界線の前で倒れてはいけません。

私たちがこのような人生の境界線に立つとき、私たちは果たして何をしなければならないのでしょうか。気持ちを引き締めて頑張っても、最後まで行けるかどうか分からないのに、あたふたしていれば、途中で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ、勝利者になれません。人として生まれたのなら、一度やってみるだけの価値のあることです。

いくら後ろで反対し、横から迫害したとしても、自分の行く道を行けばいいのです。人の反対に関与する余地がありません。一歩ずつでも早く行って、この運命の道を通過していこうという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちは、そのように行かなければなりません。

私たちはよく「心がまっすぐだ」と言います。それはどのような意味ですか。まっすぐに垂直に立ったものを「まっすぐだ」と言います。木も横に傾いたものを「まっすぐだ」とは言いません。「心がまっすぐだ」というのも同じです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそまっすぐなのです。

自分の心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線になるのです。このように垂直と水平が私たちの内部で形成されるとき、垂直から引っ張る力と水平から押す力がバランスを取り、求心力と遠心力が形成されるのです。ですから、私たちは、私自身を見つけなければなりません。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母にそうだと認定されなければなりません。その土台の上に私たちは親戚、一族、一国に発展させていき、私たちの生活環境を拡大していくのです。

この世で危険な伝染病の患者たちを隔離して収容するように、遠からず神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯した人々は、隔離して北極のような寒帯地方に収容する時が来るでしょう。彼らは完全に悔い改めて改悛するその日まで、そのような所に放り出して、食べ物も寝る所もなく、大変な苦痛の道を歩むかもしれません。

8. 私の目的は世界の救援

皆様。私は心苦しく思うことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成就する責任を下さったので、私は生きている間に神様が満足する水準までみ旨を成就しておかなければならないということです。その前には、死ぬに死にきれないのです。よって、死地に入っていっても、神様が導き引っ張ってくださるというのです。私はこのみ旨を成就するために、御飯を食べるときも、寝ても覚めても世界と人類のために祈り、努力しています。

私は、ある特定の国や民族のためには苦労しませんでした。私の目的は世界の救援です。その目的のために今まで死を覚悟し、犠牲的に命を捧げて働いてきました。皆様も世界のために生き、死ななければなりません。世界を救うためなら、愛する妻を抱いて、家庭を抱いて、自分の氏族を抱いて、民族をまるごと抱いて、死ぬこともできなければなりません。

さて皆様は、未来のある日、死を迎えることになり、死を前にして過ぎし日を回顧するようになりますが、そのときにどんな一言を残して逝くのかということを考えなければなりません。死の道は、友もいなこです。愛する父母もいなこであり、愛する兄弟もいなこであり、愛する夫婦や子女もいなこです。ただ一人で行かなければならなこです。

もう一度行くこともできず、行って来ることもできなこ、一度行けば永遠に帰ることのできなこですが、この道を行くときに、人間はどんな心をもって行くかが重要です。人間が死に逢着するその瞬間に、その死を乗り越えられる希望がないとするならば、そこでおしまいです。

今日まで神様のみ旨に従い、神様のみ旨を立ててきた多くの人々は、どのような人々だったかと言うと、死の道の前で後退した人たちではなく、死をあざ笑い、死を凛々しく乗り越えた人々でした。そのような人々が天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通じてよく知っているのです。

9. 死ぬことなく復活はできない

それでは、天の願いを抱いて生きる人とは、どのような人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も、喜びで越えることのできる人です。そのような人が天の願いを抱いた人だということを知らなければなりません。ですから、私たちは死を前にして、この世のすべてのことを恨み、嘆く人にならずに、天の前に立って喜び、自分の死の価値を誇る人にならなければなりません。

それでは、死ぬとどうなるのでしょうか。死ぬ前までは私のものですが、死んだのちには神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受けたからです。ですから、死ぬまでは、私たちの生命のすべてはサタン側の因縁を抜けきれないのです。しかし、死んだのちは神様と関係が結ばれるのです。死ぬことなく復活はできません。一つの時代を通過しなければ、次の時代を迎えることができないのです。

「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という聖書で言う命を失う「死」とは、何を意味するのでしょうか。神様が下さった永遠である真の生命を失いなさいということではありません。サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を否定しなさいということです。それで、み旨のために死のうとする人は生きるというのです。

この言葉は逆説のようですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ、復帰ができないというのです。これは復帰の正常な論法です。人生の勝敗は、数十年の期間を通して決定されるのではありません。それは一瞬で決まるのです。私たちの一生を通して見ても、皆様が生まれるその瞬間は、長い期間ではありません。

もちろん生まれるまでの腹中の時期がありますが、その腹中の十カ月という期間は、出生する一瞬のための準備期間なのです。ところが、十カ月の間、いくらよく準備したとしても、決定的な一瞬をうまく越えられなければ、生まれるその赤ちゃんは悲しい運命を迎えることになるのです。

この地上に来て、運命の瞬間を迎える最期の場で、過去を悔い改める人がいるとすれば、その人の心には過去のすべての事実が映像として回想されるでしょう。その中で「真なるものがあった。自分の生命よりも貴い何かを残した」という人がいるとすれば、彼はこの地に来て逝くとき、甲斐のある一時を楽しむ人になるでしょう。

しかし、過去のすべてのことを回想してみるとき、頭を振って回想したくない過去をもっているならば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜が満ち、自分のすべての問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一場面として飾られるでしょう。過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間ではなく、ほかの何かを残すなら、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。

そうすることのできる過去をもった人は、必ず民族がついていくことができる縁をもった人であり、世界万民がついていかざるを得ない縁を残した人であると見ることができます。神様のみ前に一人で立つことができるかという問題を考えるとき、真と善は自分から始まって自分で終わるのではありません。自分から始まって人に結果を結ばせるか、人によって始まり、自分に結果をもたらすことができてこそ、善になるのです。

過去の生活が人のために与える生活だったならば、死の道でも恐怖がないはずです。人のためにすべてを与え、人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら、涙も人のために流し、自分の生命も人のために投入し、自分の願いも人のためのものなので、自分のすべての生命力を寄せ集めて人のために投入するならば、その過去の生活は光り輝く過去になるでしょう。

10. 直観的感覚が現実化する世界

聖賢が行く道と凡人が行く道は違います。聖賢は歴史と共に生きようとし、世界と共に生きようとし、未来と共に生きようとした人です。しかし、凡人は自分のために生きようとし、世界も自分のためにあると考えて生きた人です。

霊界にも霊界としての世界があり、国があり、氏族があり、家庭があり、個人がいます。個人を中心として見るとき、「私はそこで絶対的に必要な存在だ」と言える自主性なしには入れないところが天国です。家庭を中心として見るときも、氏族を中心として見るときも、「私が絶対的に必要だ」と言えるそのような自主性があって、初めて行けるところが天国です。

霊界では、地球というものは、一つのほこりのようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情をもって地上に生まれ、生きて死んだ人がいれば、ここに直接現れよ!」と言えば、その人が瞬時に現れます。そのように直感的感覚が現実化される世界です。そこには食料を作る工場もなく、自動車を造る工場もなく、何もありません。

人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書をもって行かなければなりません。「私はこのように生きた。このようなことをやった」と言える生涯の証明書です。そのような証明書は自分自身が書くことはできません。初めはサタンが書きます。まずサタンに証明書をもらってから、メシヤの証明書をもらわなければならないのです。その次に神様の証明書をもらわなければなりません。この三つの証明書が必要だということを知らなければなりません。

11. 霊界は真の愛を中心としてために生きる所

霊界に行けば霊界は膨大ですが、三段階になっています。誰が一番高いところに上がるかというと、より人のために人生を生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は反対の位置に立つようになります。自分のために生きた人はみな反対し、人のために生きた人はみな歓迎します。霊界に行けば、自分の親や妻も関係ありません。高いところに行く人はみな、人のために生きた人々です。

世界のあらゆる国を回りながら、自分の母と家庭に対する愛を拡大したような心情をもってために生き、世界の人々をみな悪から救おうとする聖人の心をもった人々が、高いところに行くのです。自分のために生きた人は地獄に行くのであり、人のために生きた人は天国に行くのです。この二つの世界が死において分かれます。

ですから、全体のために生き、より大きなもののために生きなさい、というのです。世界のために生き、神様のために生き、人類の解放のために生きなさい、というのです。これからは、互いにために生きようとする競争が始まるでしょう。

天の国では、ために生きる人が高い位置に行くので、その高い人のために私が生きれば、その人に乗ってジャンプできるのです。その人のために生きるのは、神様が創造して相対を造ったのと同じなので、その人の愛の対象圏に立とうということです。

人のために一〇〇パーセント生きる人に対しては、「私を踏み越えていってください!」と言うのです。どんなにアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもその国の国民のために生きる人がいれば、その人が大統領を踏み越えていっても、みな歓迎するのです。しかし、自分の利益だけを得ようとするときは、みな怨讐になります。

霊界でも同じです。より大きなことのために生きようとするときは、自然に通過します。より大きなことのために生きるようになれば、自然に通じるのです。ですから、世界のために生きる人は、アメリカのために生きなくてもいいのです。世界の中にアメリカが含まれます。すべての国がみな含まれるのです。

みなが歓迎するその方向の内容とは、真の愛を中心としてために生きる愛の道以外にないという結論が出てきます。死ぬときにもっていくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的人間としての自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。

人類を愛し、神様を愛したことが、最後に残り、あの世の所有権決定の基準になります。霊界に行けば、伝道した人の数によって皆様の所有権が決められることを知らなければなりません。霊界に行って誇るべきものが何かというと、どれほど人を慕って生きたかということです。

あの世で必要なものは、ほかのものではありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子、娘よりも、神様をもっと愛したことです。妻が話すとき、「あなたは私より神様をもっと愛してから私を愛してください」と言ってこそ、夫からより高い次元の神様のような愛を受けられるようになるのです。

12. 心情圏の世界は愛が普遍化される世界

今日、レバレンド・ムーンは心情圏を説いていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化される世界が心情圏の世界です。

そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きたとしても、天と地、天宙を中心とした夫婦の愛でなければなりません。ですから、その世界に合格できる愛の基盤をどこで築くのでしょうか。レバレンド・ムーンは、この世でそれを築いていかなければならないと教えているのです。この世で何よりも貴いとされているものではなく、心情圏世界の合格者になるためです。

ですから、霊界には家庭を連れて入らなければならない原則があるのです。どうして息子、娘がいなければなりませんか。子孫とは本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混ざって生まれたものです。したがって、子孫をもてなかった人は、霊界に行って天地の調和を形成することができず、東西南北に拍子を合わせられないのです。子孫をもてなければ、あの世に行っても、楽しみ、安息できる場所がありません。

皆様。霊界では宗教や宗派は必要ありません。そこに行って長老派やカトリックというものは必要ありません。神様との生活圏内に入るのです。

あの世に行けば、世界を愛した人もいて、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちがみないるでしょう。しかし、レバレンド・ムーンが知る限りでは、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないのです。何かを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。霊界に行けば、そのような原則にどれほど同化し、どれほど一致したかということによって、今後、地獄から中間霊界、楽園、天国まで連結されるのです。

何が一番貴こかというと、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世のどこでもパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人同士は一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができます。

宗教圏は、一つの世界を願って歩み、一つの神様を信じていくので、一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々がこの世の人々と違うこととは何かというと、彼らは一生の間霊界を標準として生活するという点です。

宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様なら神様がいらっしゃるところと神様が住んでいらっしゃるところを中心として、私たちが関係を結ぶことのできる内容を教えてくれるのです。

13. 世界宗教国連創設の主唱

世界の各宗教を代表して、きょうこの場に参席された皆様に、私がこれまでお話ししたとおり、人間の生死の問題を中心とした生の価値を集中して取り上げたのは、他意があってのことではありません。生と死に対する正しい教えを伝えるのは、私たち宗教指導者たちの責任であることを強調するためです。

今日、この世界の政治指導者たちは、国連を通じた世界平和と人類の繁栄を追求しています。しかし、私の判断では、政治、経済、軍事的側面を中心とした国連の機能だけでは、世界平和の道は不完全だというのです。政治、経済、軍事的手段は、外的、肉的、物質的側面にすぎません。ですから、より内的、霊的、精神的な側面は、宗教的教えと世界のすべての宗教の連合と一致した行動を通してのみ可能なのです。

私は、きょうこの場を借りて、既存の国連に世界の主要宗教とその指導者たちが参与する、世界宗教国連の機構が創設されなければならないことを主唱するものです。世界と人類の未来のために、きょうこの時点で、世界宗教国連の創設とその役割の重要性について、これから皆様と世界のすべての国々が、さらに深く論議してくださることをお願いするものです。ありがとうございました。

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第三篇 16 人間の行くべき生涯路程

第三篇 16

人間の行くべき生涯路程

日付:一九九九年一月十七日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場

行事:真の家庭世界化前進大会

高名な紳士淑女の皆様。きょう「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、真冬の寒さとあらゆる現実の困難をものともせずに、満場の盛況を呈してくださいましたことに、心より感謝申し上げます。

今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人では心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破綻、国家と世界においては不信と戦争が絶え間なく続いています。この諸般の問題の解決は、神人愛一体理想を体恤することによって克服することができます。

1. 神様が人間を創造された目的

人間はなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本問題です。ある人たちは自分の国のために、あるいは自分の父母のために、または自分自身のために生まれたと考え、信仰者たちは神様のために生まれたとも考えます。しかし、神様が宇宙を創造された目的は人間だけのためであるとか、神様御自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結された様々な目的、すなわち神様が人間を創造された目的や天使が人間の創造に協助した目的、あるいは万物が人間に投入された目的と人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに違ってはならないのです。全体が喜ばなければなりません。人間の創造に関連した神様も喜び、天使も喜び、万物も喜び、そして人間自体も喜べる、そのような共通の内容でなければなりません。

それは、もてばもつほどうれしくて喜ばしく、一度もてば永遠に手放したくないと思う、そのような何かなのです。それは外的な内容ではなく、極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件にすぎません。それはみな人間のためにあるものなので、人間には当然そのようなものを所有する権限があるのであって、そのようなものを所有するために生まれたとは考えられません。それはみな流れていくものです。それは自分と一時的な相対関係を結べるかもしれませんが、永遠の相対関係は結べないのです。

さらに神様は、お金が必要なのではありません。全能であられる方なので、お金はいくらでもつくることができます。神様は万物を造るとき、原理原則を通して造ったので、知識の根本でもあられます。そして、神様御自身は創造主として権力の主体であられるので、権力が必要なのでもありません。そして、それは、人間の努力だけで追求できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かす、そのような何かでなければならないのです。

このように見るとき、それは、真の愛であると言わざるを得ないのです。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければなりません。そして、死ぬときも愛のために死ななければならないのです。ですから、私たちの人生を見るとき、生命より愛がもっと貴いだけでなく、愛が生命よりも先なのです。ですから、愛のためには生命まで喜んで捧げるのです。愛は永遠です。小説や詩のような文学作品を見ても、「不変の愛」や「私の永遠のあなた」という表現が多く存在するのを見ることができます。このようなものを見ると、私たちが瞬間的な愛、一時的な愛を願うのではなく、永遠の愛を願うことが分かります。

愛は神様も身動きさせない権威をもっています。神様も愛には弱いというのです。全能であられる神様も人間の愛の香りを嗅ぐならば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も愛の話がお好きなのです。話だけでも好きなのに、実際に愛すれば、どれほど喜ばれるでしょうか。私たちの人体の様々な器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれましたが、どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。鼻も臭いを嗅ぐために生まれましたが、臭いの中でも愛の香りを嗅ぐために、耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中でいくら聞いても嫌気がせず、好きな言葉は「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。

ですから、あらゆる存在が互いにみな喜ぶことのできるテーマは、愛以外にはないのです。その愛とは、大宇宙が歓迎できる真の愛です。神様も、天使世界も、万物も、そしてすべての人が公認できる愛なのです。愛というふろしきを持ってきてかぶせておけば、その中から抜け出そうとはしません。このような点から見るとき、宇宙創造の起源や生命の発祥地とは、正に真の愛だというのです。

2. 真の愛は宇宙創造の起源

人間が宇宙を愛する境地に入れば、宇宙のすべての門が開くことを経験できます。また、自分が今、ここの空間に、ただ極めて小さなものとして存在しているとしても、愛を中心とすれば、極めて大きな存在と共同で共通な、そして同等かつ対等な相対的権限をもつようになります。その極めて大きな存在が絶対的な神様ならば、私は愛の権威によって、その絶対的な神様の相対的な立場に上がることができるのです。神様の属性が愛だからです。

ですから、神様の愛の公約を立てておいて、その公約の中に存在するようになれば、宇宙のどこに行こうと自由なのです。神様の愛に酔えば、一つの砂粒を千年見つめても飽きません。自分の手を見つめれば、自分の手から光が出ることが分かります。夜に一人で横たわっていると、暗い夜にもかかわらず、自分が黄金の板に横たわって黄金の光を発して寝ている自らを感じるようになります。夢のような話です。そのようになれば、丘に上がっても万物が喚声をもって歓迎するのを感じることができます。皆様もそのような経験をしたことがありますか。

私たち自身が愛の宇宙の中に生まれたと考えれば、無限に幸福に感じられるだけでなく、世の中に「私を見なさい」と誇るに値する自分です。神様が実験室で研究している途中に、最も理想的で、驚異的な発見があったとすれば、それは正に自分だったというのです。このような観点から、神様の愛の相対的立場に立てられた自分自身を破綻させることは、罪の中の罪であり、これを愛して保護することは善の中の善であるという結論が出てくるのです。ですから、自殺することは最も大きな罪になります。宇宙を破綻させる行動です。

監獄に入って、拷問で血を吐くことになったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって神様が骨髄にしみる愛で抱くことのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき、死ぬような環境も、幸福な場だと考えて歩むことができるのです。このようなことを考えるとき、男性も女性も、愛の力の中にいる人は、強い人なのです。国や世界を与えても変化させることができません。そのような人の前には、サタンも屈服せざるを得ない驚くべき結果が現れます。

ですから、神様がこの宇宙的愛を中心とした人間を代表して呼ばれるとするなら、その方は正にメシヤです。イエス様がその代表者だというのです。メシヤを通さなければ、宇宙愛を見いだすことはできません。ですから、万民はそのあとについていかなければならないという論理が成立するのです。イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・六)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言ってこそ、論理がより明確になるのです。私たち人間は、父母の愛の中で生まれました。その父母の愛の一番中心の、主人として生まれたのです。ですから、父母は、私一人をつくり出すために愛し合ったという結論が出てきます。

ですから、父母に対して同等な立場で権利を主張することができます。「お父さんとお母さんは私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、父母は「そうだ」と言うのです。そして、自分も父母がいなければ不幸だというのです。なぜなら、父母が原因で、私は結果だからです。父母と自分は愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって愛の実体圏を形成するのです。これが宇宙の道理です。

統一教会の原理では、主体と対象が一つになるところから力が出てくると言います。ですから、原因である父母が自分と一つになれば、主体と対象が一つになって一体となったので、新しい対象となって、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体ならば、その神様と一つになるのです。すなわち、神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体と対象の関係を形成すれば、神様と人間は完全に父子関係になって、一つになるのです。神様と人間の愛の圏が形成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。

自分は、父と母の二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるというだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには、自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和というものがすべて入ります。父母にとって、自分が世の中で成功したときの喜びがいくら大きくても、失った子女に出会ったときの喜びとは比較になりません。子女は父母の最高の理想と一体だというのです。

自分には父と母の生命の綱、愛の綱、そして理想の綱が連結されていますが、この綱は誰も切ることはできません。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ、宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。ですから、私がどこに行っても、父と母がついてくるようになります。あの霊界にまでも、父と母はいつも共にいようとするのです。ですから、父と母が同行するのを嫌うのは、大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為だというのです。父母を連れていくことを嫌うのは、既にその人が宇宙の原則から離れていくことを意味します。

ですから、父母を自分の体のように思って愛し、父母に孝行することが、人間において最高に価値あることです。「和睦する家庭に福が来る」という言葉も、そこから来るのです。反面、父母が離婚することは、刀で子女を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母はどこに行っても災いを受け、不幸がついて回るのであって、幸福になることはできないのです。

3. 物質世界、父母、神様は三大父母

自分は三大父母を通して生まれました。第一の父母は物質世界です。物質の世界からあらゆる要素を取り出して、物質の中心として、物質の複合的な存在として自分は造られました。このような観点から、その物質の元素自体が自分を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は愛の理想の立場においてのみ安着するように、宇宙はできています。愛の理想の立場において、すべての細胞が平安に生きられるようになっています。もし腹を立てたりすれば、すべてがこじれてしまうのです。

次に、自分の体を生んでくれた父母が第二の父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてくることができるようにしました。しかし、この父母はどんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。

愛の主人は神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは三大父母をもっているのです。

私たち人間の一生は、腹中時代の十カ月、肉身時代の百年、そして霊界時代の千年、万年を永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば、口、鼻、目の三段階になっていますが、これは人間が生きてゆく三時代の姿を見せてくれているのです。口は物質世界である腹中時代を象徴し、鼻は人の世界である地上時代を、目は霊界の天上時代を表します。

胎児が育つ母のおなかの羊水の中は、胎児には正に自由天地です。母のおなかの中では、いつも背中を曲げていなければならず、鼻も口もみな塞がっているのですが、胎児には自由天地だというのです。胎児に必要なすべてを供給するパイプがへそについていて、へその緒だけで生きなければなりませんが、そのような世界が胎児には自由天地なのです。胎児がおなかの中から生まれるとき、「私は世の中に出て、口で蜂蜜も食べ、餅も食べ、御飯も食べる」と考えて生まれますか。むしろ、そのおなかの中から外に出る時になって「ああ、ここがいい」と思うのです。しかし「出たくない」と思っても、時が来れば出るようになるのです。羊水が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、このようにして生まれることを安産といいます。

赤ん坊は生まれるやいなや、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第二世界、すなわち空気世界に連結されます。おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の袋をみな壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に、地球星の母の所に生まれるのです。生まれてからは、口で食べて鼻で息をするのです。ところが、地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であって、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。ですから、この世の中でも愛という空気を吸わなければなりません。母と父からの愛の空気を吸わなければならないのです。

赤ん坊が生まれると、母の愛の電波に沿って自動的に乳首を探しにいきます。美女であるかどうかは関係なく、愛ある母であればいいのです。これこそ創造の妙味、かつ神聖な姿なのです。人は愛で生まれ、愛を受けながら成長します。

このような立場で見るとき、「私」というものは、父母の愛の実です。父と母の愛がどのようなものなのかを実際の実として見せたのが自分なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。その実を通して無限な愛がまた実を結ぶのです。個人的愛、家庭的愛、氏族的愛、民族的愛、国家的愛、世界的愛、宇宙的愛、そして本質的な神様の愛にまで連結できる道がここにあるというのです。

4. 私は父母の愛の実

出生したのち、肉身時代には、生んであげた父母が子育てを受け持って正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育され、個体として完成すれば、愛を中心とした横的な基盤に連結させなければなりません。それが結婚です。父母は結婚するときまで責任をもつようになります。結婚して、父と母が互いに愛し合っていたその愛を引き継ぐのです。父母が自分を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子女を生み育ててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって、自分は愛を完全に受けることができ、与えることができる人になります。そうして、完全な一人の男性、女性として成熟するのです。

父母の縦的な愛で生まれ、成熟し、横的に愛するようになって、初めて総合的な愛の圏を見いだすことができます。天地は球形世界なので、縦横と上下、左右、前後の愛が連結されてこそ、それを与え合いながら回り、すべてがまとまって一つの調和のセンターとして現れるのです。ですから、天地の縦的愛が内外に軸としてしっかりと立てば、その次に横的な愛が必要なので、思春期というものがあるのです。

思春期には、ただ秋風に吹かれて落ち葉がころころ転がるのを見るだけでも笑うのです。乞食が訪ねてきて物乞いの歌を歌っても、思春期には「ああ! また来た。またやっているな」と言って歓迎します。そのように四方に拡大されるのです。ですから、おとなしくしていた女性たちも、髪の手入れや化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲も強くなるのです。それが愛の横的な現象です。ですから、人生行路は旅のような道ですが、ここで備えるべきことは、縦横の愛を体恤していかなければならないということです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を築いたのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を広げておかなければなりません。そうして、彼らが縦横を連結できる真の家庭を形成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏で神様と真の愛で連結されるとき、その世界を天国というのです。

夫婦が愛し合うということは、神様を迎えることです。本来、父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は互いに他の一方の神様になります。そして、息子、娘はまた一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されれば、みな同じ体になります。父母は神様の代身として生きている神様であり、夫婦も神様の代身であり、子女も神様の代身です。このように三代が真の愛を中心として神様の立場を身代わりするのです。

ですから、父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです。このように真の愛を中心に形成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を形成しなければ、天国が実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。今日、人々は自分の家庭が、国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭だということを、知らずにいるというのです。ですから、家庭を破綻させることは、国と世界と宇宙に対する反抗になります。家庭の完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。この場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の立場にいらっしゃいます。

5. 真の愛を中心とした家庭が行くべき道

真の愛を中心として男性と女性が一つになり、理想的な夫婦となって家庭を築けば、彼らは神様を身代わりする立場に立つようになり、宇宙のすべてに連結されます。そのようになるとき、神様のすべてが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから、私たちは万物を征服したい気持ちになるのです。男性と女性が合わさって家庭と社会と国家、そして世界を築くがゆえに、男性と女性が中心になって築いた家庭は氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければならないのです。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。ですから、理想的な国が出てくるためには理想的な家庭がなければなりません。

尊敬する市民の皆様。真の愛が偉大な理由は、真の愛で私自身が神様の対象になることができ、神様も私自身になることができるからです。聖書にも「父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ一〇・三八)とあります。父が息子の中に、孫が祖父の中に、祖父が孫の中にあるという言葉は、ここから生じた言葉だと考えます。

祖母と祖父は、孫を中心として情を結ばなければなりません。それでこそ、愛の垂直線が始まるのです。また、孫は、祖母、祖父と一つにならなければなりません。祖父と祖母は神様と同じ立場なので、神様のように侍らなければなりません。そうでなければ、縦的な愛の軸を見いだすことができません。これを立てたのちに、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、縦的なものはただ一つの方向です。横的なものは東西南北、三六〇度に動くことができ、縦的なものは一つの点で動くことはできますが、分離することはできないのです。

ですから、愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。そして、神様を中心とした縦的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして、未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければなりません。ですから、真の愛を中心として、犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界と全世界の人類を愛する生活を送れば、人間は自動的に中心的存在になって、二つの世界を主管して一つの世界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在されるようになるのです。

全霊界と全宇宙が合わさったものを天宙と言いますが、すべての霊界と宇宙は、真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一できるのも、全体の家庭を理想化させて一つにできるのも真の愛です。それで今日、人間が地上で暮らしても、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。

真の愛は、人間や霊界だけでなく、すべてが好みます。ですから、真の愛をもった人は、動物や植物たちからも好まれ、彼を主人として迎えようとし、どのような存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとするのです。被造世界のあらゆる存在は、真の愛をもって生きる男性と女性の前に近づこうとし、彼と共に生き、彼により主管されることを理想とします。ですから、この世の中で一番貴いものとは、真の愛をもった男性と女性、すなわち真の人だという結論が出てくるのです。

人間には翼がないので、どんな昆虫や鳥よりももっと遠くに飛び、どんな飛行機よりももっと速く地球星を回るには、実体の肉身ではできません。どんなに走っても、いくらも行けないのです。人は万物の霊長として神様と対等な相対的立場にあります。ですから、一秒間に三十万キロメートルを走る光よりもっと速い作用ができなければなりません。それを可能にするものが霊人体です。今、私がソウルにいても、霊人体はさっとニューヨークに行ってくることができるのです。稲妻よりも速いというのです。このように、思いとともに歩調を合わせて作用できるのが霊人体です。しかし、世の中で一番速い作用とは、愛の作用です。世の中で一番速度が速いのは光や電波ではありません。世の中で一番速く、高く飛べる力をもったものが愛です。この地の果てとあの地の果てにいる人間同士で互いに愛し合うようになれば、その地の果てを越えて引っ張り合うのです。愛はそのような力をもっています。

真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界では、神様が願うあらゆることを即座に所有できる能力と権限をもちます。そして、そのような資格は地上でもたなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点が真の家庭において形成されてこそ、そのような立場に進むことができるからです。

神様の真の愛は、同胞を愛しても、世界の人を愛しても、万物を愛しても、感じることができます。どの国の人でも、五色人種を愛する心をもたなければならないのです。人だけではなく、微々たるものまで愛することができる心をもたなければなりません。自動的にそれが湧き出てこなければならないというのです。花が咲けば、その美しい色や香りは自然に出るのです。同様に、愛の花が咲かなければならず、愛の香りが自動的に宿らなければならないというのです。

そうするには、その愛の花を咲かせ得る栄養素を受けなければなりません。植物が地と太陽から栄養素を受けるのと同様に、私たちも肉身と霊人体を通して栄養素を受けるのです。それで、肉身を通して生力要素を受け、その次には霊人体を通して生霊要素を受けます。そうすることによって、自分は愛を完備した実体となり、どこでも飛んでいくことができます。そのようになれば、太陽系をはじめとする大宇宙は、すべて自分の活動舞台になるのです。

6. 霊界は愛を中心とした世界

人間が肉身生活を終えたのちには、第二の出生をします。これが死です。第二の出生をする所、死んで行く世界が正に霊界です。その世界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表した愛が供給されるのです。理想的な愛が供給されるというのです。ですから、霊界では統一されざるを得ません。

死ぬ瞬間からは第二の空中世界を振り切って、新しい第三の愛の呼吸器官に連結されなければなりません。父母の愛、兄弟の愛を振り切って霊界に入り、結局は大宇宙の神様の本体と和合する愛の世界に入ります。種が本体から出てきたので、結果を結んで、また本体に戻らなければならないのです。霊界は愛の空気でできている世界です。愛の空気で満ちています。ですから、私たちはこの地上世界で、愛の息をすることができるもう一つのパイプ装置を準備しなければなりません。ですから、霊界を体験し、霊的な愛を感じて呼吸できる人になってこそ、霊界で死なないのです。

霊界は愛を呼吸し、愛を中心として暮らす世界です。ですから、完全な愛の人格をつくれなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じません。門を通ったとしても一つの門だけを通らなければならないのと同じです。春夏秋冬、いつでもどこでも合わせて暮らせる資格を備えようとすれば、完全な愛の人格を具備しなければなりません。ですから、三時代を経るように人間を造ったのです。

とんぼも、幼虫が水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきてしばらく這い回ります。その次にはひらひらと飛び回り、食べるとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように昆虫類の中には、羽があって三段階の世界を経るものが多いのです。昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らすのですから、万物の霊長である私たち人間は、もっと次元の高い翼をもっているのです。

私たちは神様に代わって愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生み、愛の目的地に到達して、永遠に神様と共に生きるために神様の所に帰るのです。すなわち、私たちの一生とは、愛で始まり、愛で熟し、愛の実として刈り取られるのです。人が死ぬということは、愛の実を収穫することです。

私たちは、父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、一生をかけて実を結んで収穫し、あの世に逝くのです。ですから、私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が合わさってこのような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に、永遠に「相対としての神様」になるのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになります。ですから、神様で始まって神様で締めくくるのです。

人間が死ななければならない理由は、体をもっていては制限された愛でしか愛することができないからです。無限大の神様の真の愛の対象的実権をもって現れようとするなら、制限された肉身だけではできないのです。ですから、無形の霊にならざるを得ません。さらに、真の愛の理想を全天地とともに同一化するためです。死は苦痛の道ではなく、宇宙的な真の愛を所有できる幸福の門を開門する時間です。死ぬということは、這って歩き回る陸地の世界から、ひらひらと飛び回って暮らせる世界に移ることです。全宇宙を自分の舞台にして、真の愛で旅行を楽しめる資格をもった人になり、そのような世界に入門するために死の道を行くのです。ですから、死ぬことは正に新しく生まれることです。

私たちは初めに母の胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、すべてを振り切って生まれるのと同様に、私たちの霊人体に対して肉身はふろしきのようなものなので、これを振り切って飛んでいくのです。ですから、人間は結局、水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠な真の愛の世界で暮らすようになるのです。

霊界では生命の要素が愛なので、愛を通した命令には不可能がなく、即座に実現されます。そこでは億万人が一度に夕食を食べるとしても、そこに合う食べ物を準備して、あっという間に宴会をすることができます。そのとき、列席する貴賓たちが、みな王女、王子になりたいというときは、すべて本物の王女、王子になります。それが可能なのです。

皆様、そのようなことを理解するなら、この地上で暮らしたいですか。あの世に行きたいですか。腹中にいるときは「腹中が一番いい」と言いながら、腹中でただ足をばたつかせながら暮らします。途中で引き出そうとすれば「嫌だ」と言うでしょう。そして、母のおなかの中から外に出るときは、一度死んでから目覚めます。地上での死というものも、一度死んでから目覚めるのと同じ作用なのです。ですから、肉身の死とは、正に第二のお産です。

7. 神様と人類は父子関係

満場の市民の皆様。きょう一時を生きていく人生の道というものは、平坦な道ではありません。それは人間が堕落したからです。人間は堕落の因縁をもって生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程を、いずれ乗り越えなければならない運命をもって生まれ、数千、数万年の歴史過程を経てもそれを越えなければ、その恨の道は私たちの前に永遠に残るようになるのです。

エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、人間は不幸の要件をもって出発しました。ですから、人類が幸福の世界に帰るためには、必ず不幸の世界を跳ね返して進まなければなりません。そうでなければ、誰も幸福な世界に帰ることはできません。

人類始祖が堕落したことによって人間だけが不幸になったのではなく、神様までも共に不幸になりました。人間が生涯を捧げて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様に積もりに積もった悲しみと悲痛さをどのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。ですから、人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になるのです。神様と人類は父子関係だからです。このように神様や人間は同じ立場に立って、一つの目的を指向し、歴史過程を経ながら今まで歩んできました。神様はアダムとエバを失うことによって、険しこの中でも険しこ、世の中の誰も願わず、また行きたがらなこを歩んでこられたのです。人間もやはり堕落で残された、この避けることのできない運命の道を、救いの一日を願ってやって来ました。

神様に対して人間は、その方の息子、娘になることが最高の願いです。なぜなら、父母と最も近い立場は父子関係だからです。「私」という人間は、父母の愛と生命が合わさって、父母の理想を実現するために生まれました。愛や理想という言葉は、一人について語る言葉ではありません。生命も一人で独断的に出てくるものではなく、連結された立場で出てくるのです。ですから、神様が人をお造りになるとき、神様の真の愛と真の生命と理想の対象として造られたのです。これは驚くべき偉大なことです。自分がいなければ、父母の愛は現れることができません。父母の愛と生命と理想は、自分と共に関係しているのです。自分は父母の愛と生命と理想の結実体です。ですから、息子の立場は最高に価値のある立場です。神様と人類は父子の関係だからです。

父母と自分が一つのところから共に出発したという事実は、驚くべきことです。父母の愛は自分の愛であり、父母の生命は自分の生命であり、父母の理想は自分の理想として決定することができるのです。ですから、父母は子女を見つめるとき、これは自分の愛する息子、娘だと言います。子女とは、自分の愛と自分の生命と自分の理想の実体だということを、父母は感じて悟り、知っています。愛する息子、娘は、一日だけ会わなくても、会いたいと思い、今見ても、またすぐ見たいと思うのです。それはどんなに離そうとしても離すことができない、骨の中の骨であり、肉の中の肉です。いなければ死ぬほどつらいと思うのであり、そこにはすべての理想がかかっているのです。

今日、堕落によって真の愛と真の生命と真の理想をもつことができない人間世界に生まれた父母でも、そのように子女を愛そうとするのですから、そのような父母の主体であられる神様は、それよりもっと愛するというのです。

8. 救援摂理の完成

本来、堕落していないアダムとエバは、神様の直系の息子、娘として神様の血統を引く存在です。アダムとエバは、天上天国と地上天国を受け継げる王子、王女だったのです。王子、王女であると同時に、無形の神様であり、主体であられる神様のみ前に対象として造られた存在であるがゆえに、神様から愛を受けられる実体なのであり、無形の神様が実体として顕現したものです。

神様の息子の特権とは、その方は自分のものであり、その方がもっているすべてのものも自分のものだというのです。神様の愛までも、生命までも、理想までも自分のものです。このように驚くべき偉大な本然の価値を、人間は再び回復しなければなりません。ですから、神様が主体的真の愛であり、永生するのなら、その真の愛の相対も永生しなければなりません。神様の真の愛と一つになれば、神様が自分のものになるのです。

堕落していないアダムとエバの体は、神様が住むことのできる家です。アダムとエバが神様を心の中心として、真の愛で永遠に統一された愛の体、生命の体、血統の体になっていたならば、今日、私たちの心と体は闘わないでしょう。堕落とは、悪魔の愛を中心として、悪魔の生命体と血統を受け継いだことです。偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血統を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないというのです。そうするためには、接ぎ木をして三代以上経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準を取り戻すようになるとき、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰されます。そのとき、救いの摂理が完成するのです。

このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子、娘にするために、神様がこの地上に救世主として真の父母を送るのです。救世主は人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるお方です。

私たち人間は、誰でも最高になりたいと思い、神様の息子、娘になって、神様の王子、王女として王権を受け継ぐ相続者になりたいという本然の欲望がありますが、他の血統を受け継いだがゆえに、生まれても嘆かわしく、生きても嘆かわしく、死んでも嘆かわしいのです。人生は苦海だという言葉が、ここから出てきました。ですから、自分の体と心の闘いをどのように中止させ、一つに統一させるかという問題が重要です。自分の体と心を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、そして霊界統一も、自分とは何の関係もなくなります。

主体と対象は、対応的な関係を結んだのちには、より大きなものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになったあと、より大きなプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天宙的次元で聖子の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えたのちにこそ、神様に接ぎ木することができるのです。

ところが、私たちは発展を願い、大きなものを願い、高いものを願う、このような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として、自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生は塗炭の苦しみの中で呻吟しているのです。これを見いだすことができないために、世の終わりの日になれば、その道を見いだすために多くの努力をしても不可能なので、自殺がだんだんと増えていくのです。私たちは何としてもこれを克服する道を探さなければなりません。

人類は世界の舞台で一番になることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になることができなければなりません。アダムとエバが神様のみ前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になるのです。しかし、彼らが堕落したことによって、彼らが占有すべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。ですから、人類は神様の真の愛を再び探そうと、最初の息子と最初の娘の立場を求めていく人生の道を歩んできたのです。

そのような真の愛を受けるためには、自分自身を中心に生きるのではなく、神様を主にして、兄弟である人類を主にして生きなければなりません。父母に代わって兄弟のために最も多く血と汗を流しながら、長く耐えて克服した真の人であるほど、深く、広く、高い愛を受けるのです。そのような息子になり、娘になってこそ、父と母の全体を相続することができるのです。この道は男性も女性もみな行かなければなりません。ですから、十回でも百回でも死の峠を経て、また死んだとしても絶えず神様の真の愛を求めていかなければならないのが、人生において行くべき最高の道なのです。

統一教会の原理は、人間が神様の真の愛の圏内から脱したことが堕落であり、神様の愛の圏内に再び入ることが復帰だと教えています。そのような真の愛の圏内に入れば、自分の手一つを見ても、千回、万回激しく称賛するようになります。その世界では、自分の体も神様の真の愛を受ける体になるので、その喜びは言葉で表現できないのです。そのように素晴らしい世界が天国です。

9. 宗教の使命

私たち人間の心が神様の真の愛を占領する日には、千年、万年歌い、踊ることができるのです。神様の真の愛に酔うようになれば、酒や麻薬のようなものに酔うこととは比較にもなりません。天下に存在するものすべてを呼べば、そこに応えないものはありません。流れる水だけを見ても、千年間歌を歌うことができます。そこにおけるささやきの甘味は、無窮無尽だというのです。その時は世の中のすべてを成し遂げたことになるので、金銀財宝も他の何も、みな必要ありません。世の中でそれより貴いものがないというのです。

このようなことを見るとき、人間の価値は、愛を通して、真の愛の感覚を通して宇宙と和合できる主人格だというのです。これを成し遂げることが人生の行くべき道です。霊界は今まで未知の世界でした。その世界は神様の存在原則である、ために生きた人だけが行く所です。そのような内容で形成された世界が理想天国です。そこが、私たち人間が求めていくべき本郷なのです。

今日、私たちは堕落した人生によって本郷から追放された人間となったがゆえに、本郷の地に向かって帰るべき運命にあります。しかし、そこは人間自体だけでは帰ることができません。それで、神様は人間が帰ることのできる道として、その民族の文化背景、風習あるいは伝統に従って数多くの宗教を立て、歴史的に収拾してこられたのです。宗教は本郷の地に帰る資格をもつ人に鍛える訓練の場です。神様は東西南北、四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界に導いてこられたのです。

そのような本郷の地に導く宗教なので、宗教は「ために生きなさい」と教えてあげざるを得ません。それで、高等な宗教であるほど、ために生きなければならないという原則を強調し、温柔、謙遜であれと教えるのです。無数の人々を高め、彼らのために生きる立場に立って、犠牲になり、奉仕しなさいと教えるのです。

今や、私たちの前に到来する二〇〇〇年以降は、世界の全人類が神様を中心とした真の本然の人間の価値を取り戻し、天地父母と一体となった祝福を受けた真の家庭を成し遂げ、神様と真の父母様を中心として、永遠にために生きる、真の愛の道理を実践する、真の平和と真の理想の天国時代を迎えなければならないのです。新年に皆様の家庭と国家に、神様の愛と祝福が一層満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第四篇 1 真の家庭と私

第四篇 1

真の家庭と私

日付:一九九五年六月七日

場所:ブラジル、ブラジリア

行事:中南米十七カ国巡回講演

今晩、ブラジルに来て貴賓の皆様にお会いし、このような歓迎パーティーの場をもてたことを、心から感謝申し上げます。

皆様はたくさんのうわさを聞いて御存じかと思いますが、ここに立っているのが、正にレバレンド・ムーンという者です。世界に多くの問題を起こし、多くの話題を提示しながら今日まで歩んできたのは、天に侍ってきた歴史的事実ゆえであると言わざるを得ません。きょう、ひと時の間お会いし、喜びの環境の中でお話ししようと思うのは、「真の家庭と私」という内容です。世界で問題となっているのは家庭ですが、真の家庭とはどのような家庭かということを中心として、お話ししたいと思います。

1. 真の家庭とはどのような家庭か

「今、私たちが生きている世界は、善の世界か、悪の世界か」と尋ねてみれば、誰もが「悪の世界である」と答えるでしょう。なぜ、悪の世界なのでしょうか。全世界の歴史を見ても、ブラジルの歴史を見ても、どの国の歴史を見ても、戦争の歴史が続いてきたという事実を、私たちは知っています。戦争を通して争うという事実は、一つの平面的な基準から落ちていくということです。そして、世界が悪であるとすれば、ブラジルという国も悪であるという話であり、ブラジル人も、私たち自身も悪であると言わざるを得ないのです。

私たち自身をよく見れば、私たちの体と心も闘っているという事実を否定できません。そうだとすれば、この闘いの起源はいったいどこにあるのかということが問題にならざるを得ないのです。私自体内に紛争があって平和の基地をもてないときは、いくら家庭が平和で、国と世界が平和だとしても、幸福になり得ないというのです。

皆様が御存じのように、第一次、第二次、第三次世界大戦も終結しました。また、戦争中でも、いくらでも休戦はできますが、私たちの体と心を中心としたこの闘いは、昔から歴史を経て、現世はもちろん、未来まで続く闘いであることを、私たちはまるで知らずにいたのです。このような問題を中心として考えるとき、神様がいらっしゃるのであれば、私たちの体と心の闘いが、なぜこのように歴史性を帯びて続くようになったのかということが大きな問題になります。人間が罪を犯したというとき、罪を犯した人がそれを蕩減しなければなりません。罪を犯したこと自体に神様が責任を負い、干渉することはできないのです。

それでは、体と心が闘う起源地はどこでしょうか。私たちの生命は父母から受け継ぎましたが、また父母をさかのぼっていけば、第一代の私たち人類の先祖の位置までさかのぼるようになります。すなわち、第一代の先祖であるアダムとエバの夫婦の愛に問題があったために、このようになったと見るのです。生命の起源は父母の愛によって始まります。ですから、私たちの生命が出発する前からこのような闘いが始まったと見るならば、父母が愛し合うその場が問題になったという事実を、私たちは考えざるを得ません。アダムとエバの愛が喜びの愛になれずに、相反する愛の起源となって生命の根が打ち込まれたことによって、私たち人間自体の紛争が始まったと言わざるを得ないのです。

聖書は、アダムとエバが堕落することにより、エデンの園から追い出されたと記しています。追い出された人類の先祖が、子女を繁殖したのは事実です。追い出したアダムとエバについていって、神様が結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。誰のもとで結婚式をしたのだろうかと考えるとき、堕落することによってサタンのもとで結婚式をしたということを、私たちは認めざるを得ないのです。

2. 体と心、夫婦、子女統一を願う真の父母

堕落は、サタンによってエバが誘惑され、その誘惑されたエバがアダムを誘惑したところから始まりました。ですから、私たちの先祖であるアダムとエバが愛を中心として夫婦関係を結ぶとき、喜びの関係ではなく、相反する関係で結ばれることにより、その関係に根を置いている私たち人間も、体と心の闘争の起源を連結せざるを得ないという事実は、何よりも理論的なのです。

堕落は淫乱によって始まりました。このような願わない愛の関係によってサタンと一つになり、善の先祖になれず悪の先祖となって、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。このようなことが事実であれば、私たち全人類の堕落した子孫が、家庭を越えて、氏族を越えて、国家と世界まで発展した今日、五十億の人類はサタンの子孫であり、悪の父母の血統を受け継いだことを否定できないのです。私たちの体の中に、神様が最も嫌うサタンの血が蠢動しているという事実を、誰も考えられませんでした。これが問題です。

それでは、この根をどのように清算するのでしょうか。サタンが愛の根をどこに打ち込んだのかというと、体、すなわち肉身に根を下ろしたのです。もし堕落していなければ、体と心が一つになるのは自然の道理です。堕落することによって、天に相対する良心のプラスと、これに反対する体のプラスが衝突しているために、ここから闘争の歴史が始まったという事実を、私たちははっきりと認識しなければなりません。

このため、神様は善悪の分立歴史を展開せざるを得ないのです。神様は公的であられるので、全体のために生きる道を選びながら、愛と平和の目的に向かう反面、サタンは私的立場を取り、全面的に善の側を破壊しようとする立場に立って、憎悪と戦争で永遠に人類が天の側に行けないよう、天と地上世界を滅ぼそうとしています。神様は、サタン側に回った人類を打てないので、人類を取り戻すために天の側が打たれて取り戻し、サタンは打って奪われる作戦を取らざるを得ません。サタンは私的なことを中心として、憎悪と闘争によって天を滅ぼすための破壊を、歴史を通して行ってきており、天は反対に公的な立場で、愛と平和によって再創造してきているのです。

終末になれば、サタンは人類を支配してきた立場を天の側に奪われるようになるので、「神はいない」という無神論を提示して、人本主義と物本主義、そして共産主義の出現を助け、天の側の右翼とサタンの側の左翼の闘争を世界的に展開したのですが、天の側の勝利によって、第二次世界大戦以後、キリスト教文化圏の勝利と平和の世界に転換する大変革時代を迎えるようになるのです。

今の時代は個人主義の王国時代です。真の愛を中心として願う天の家庭を完全に破壊させたフリー・セックス時代と父母否定時代であり、夫婦否定時代と子女否定時代であり、ホモやレズビアンなど、天の側を完全に破壊する地上地獄の時代ですが、これを天国に転換するためにメシヤの再臨があるのです。そのため、メシヤは真の父母として体と心の統一、夫婦統一、子女統一を願うのです。

3. 神様が願う家庭と私と世界を知らなければならない

全世界的に今、問題は、私的にも公的にも、物質が先か精神が先か、無神論か有神論か、観念か実在か、進化論か創造論かということです。これをはっきりさせなければなりません。

例を挙げてみましょう。動物世界を見れば、生まれるとき、目が先に生じます。その目は、物質それ自体です。その目が生まれる前に、太陽があることを知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。その目という物質自体は知りませんでしたが、生まれるときは、先に知った立場で、太陽を見ることができるように生まれたのです。知った上で生まれたというのです。

空気があることを、その目自体は知りませんが、既に空気の中にはほこりが飛ぶことを知っていて、目をカバーするまつげが準備されていることが分かります。そして、目自体は知りませんが、あらかじめ涙を蒸発させる輻射熱があることを知り、目に涙腺を置いて防備するようにしたのです。本来の物質自体は知りませんでしたが、生じる前にそのような事実を知った上で生まれたというのです。結論として、私たちはこのことから、思惟と存在、精神と物体、観念と実在、有神論と無神論、創造論と進化論について論争する問題を解決できるというのです。ですから、確かに神様によって創造されたということを否定できません。そのため、本然の神様の創造理想世界に帰り、神様が願う家庭と私と世界をはっきりと知らなければならないのです。

私たちの体と心を見れば、体は地獄の基地になっており、良心は天の国の基地になっているという、この二つの世界の分岐点をもっている人間であることが分かりませんでした。このような立場に立っている私たち自身を見ると、体が心を引っ張り回しているというのです。歴史を通じて、体が心を自由自在に引っ張ってきたというのです。もし良心が強くなれば、自然と天に帰っていくので、世界は既に天のみ前に立つことができたはずだというのです。

またこの良心よりも、肉身が良心を引っ張り回すというのは、堕落するときにサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が、堕落するときの良心の力よりも強かったということです。神様はこのようなことをよく知っているために、堕落した人類を放っておくことができず、この体が良心を引っ張り回す力を弱める作戦を行わざるを得ないのです。このように、歴史的に天が働くその救援的な役割をもたせて立てたのが、宗教だというのです。

4. 宗教の目的

神様は、異なる文化的背景に従って多くの宗教を全世界に立てたのですが、心を引っ張り回す体を弱め、その力を取り除くことが宗教の目的であることを、今まで宗教を信じる信仰者は知らずにいたのです。堕落がなかったならば、宗教は必要ありません。誤ったので、これを修正するために宗教が必要だったというのです。ですから、神様は宗教を通して何をしようというのでしょうか。心を引っ張り回すこの体を追い詰めようというのです。

皆様は、宗教を信じることによって救われ、キリスト教を信じることによって天国に行き、仏教を信じることによって極楽に行くと思っています。しかし、天国は神様の真の愛を中心として一つになった子女が入るようになっています。天国に入れるアダムとエバの家庭は、神様の子女として、血族であり、神様の愛を中心とした家庭とならざるを得ないのです。そのような家庭が入る所が天国であることを、今まで誰も知りませんでした。ですから、良心の力を強化するために、この体を打たなければならないのです。良心を解放させ、良心が体を自由自在に引っ張り、堕落していない本然の神様の愛の懐に帰らなければならないというのです

それでは、宗教がしなければならないこととは何でしょうか。体が最も嫌がることを提示することです。体が嫌がる「断食をしなさい」、「奉仕をしなさい」、「犠牲になりなさい」ということを言うのです。それだけではなく、最後には「祭物になりなさい!」と言います。祭物は血を流すようになっています。生命を懸けることができなければならないというのです。ですから、聖書で「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という逆説的な論理を教えてくれたのも、肉身が生きるままに行けば地獄に行くのであり、肉身を抑制して良心の解放圏を形成すれば天国に行くという意味です。私たちの体を完全に屈服させ、良心が絶対的な主体の立場に立つようになれば、私たちの良心は無限の欲望と無限の希望をもつようになっているのです。

今日、歴史時代において数多くの宗教があり、数多くの宗教指導者がいましたが、その宗教指導者と宗教を信じる人々は、体を完全に占領して無の状態に立ち、良心を中心として本然的基準で天と相対できる立場に立った、解放された人間になれませんでした。

私たち人間は、堕落することによって偽りの愛の根を中心として野生のオリーブの木になってしまいました。神様の真の愛を中心として根を打ち込むべき人間が、悪魔の愛を中心として根を打ち込んだために、野生のオリーブの木になったという事実を、どのように清算すべきでしょうか。これは現在、生きている私たち人類が解決すべき、重大な宿命的課題として残っているのです。

皆様自身を中心として見るとき、皆様の良心は、皆様のあらゆることについて、知らないことかありません。良心は私にとって、父母よりもさらに近い位置に存在することにより、永遠の愛をもって、永遠に神様の懐に抱かれることを願っているのです。世の中の父母とは、結婚すれば別れることがありますが、良心は私を中心として、私が生まれる前から私と共に存在し、私を愛しながら、永遠に神様の子女として解放しようとするのです。それが良心作用なのです。

5. 良心の願いは絶対的中心者を占領すること

良心の世界には、師は必要ありません。ある国の教育を担当する大臣が、「良心を教育しよう」と宣布したという話を聞いたことがありますか。良心が本然の道を行くとすれば、私が一生の間、行くべき道をはっきりと知って、間違いなく神様の懐に帰っていけるようにすべて教えてくれ、導いてくれるということです。皆様が良心を中心として見るとき、良心が自分の一生のあらゆることを知っているのと同じように、霊界に行けば、地上で行ったすべての事実がはっきりと分かるようになっているのです。傷のない子女、すなわち永遠な神様の真の息子、娘になるように働き掛けるのが私の良心の作用であることを、今まで知らなかったのです。

霊界に行かない自信のある人はいますか。いずれにせよ、誰もが行くのです。皆様が霊界に入れば、すぐに名前が分かるようになっていて、皆様の一生だけでなく、数千代の先祖も一瞬にして分かるのです。そこは時空を超越した世界なので、良心に背く内容を残してはならないのです。そのため、良心は師よりも優っているという事実を知らなければなりません。

ここには著名な方々と教授が来ていると思いますが、皆様は良心以上に教えてあげられる内容をもっていません。皆様の良心は、航海する船におけるコンパスと同じ役割をしています。皆様の中には、年を取った方々と若い方々がいらっしゃいますが、結婚するとき、相手が自分よりも劣ることを願う人はいますか。いません。また、「愛する相手が自分より十倍優れていることを願うか、百倍優れていることを願うか」と尋ねるならば、ためらうことなく「百倍!」と答えるのです。可能であれば、千倍、万倍、億万倍、もっと優れていることを願うのです。

その時に、良心の願いは最高の愛であり、絶対的中心者を占領しようとするのです。私たちの先祖も、私たちの子孫も同じです。このような質問を神様にしてみても、同じ答えが返ってくるでしょう。

皆様。欲心と欲望をすべてかなえようとするとき、ブラジルの上院議員は国家のために大統領になりたいと思い、南米全体、ひいては世界のために貢献する一番高い立場に立ちたいと思うのが、良心に基づく欲望です。歴史始まって以来、今まですべての人々が、「良心の願いは達成できない、不可能である」という結論を下しています。しかし、ここに立っているレバレンド・ムーンは「可能である」という結論を下しているのです。

皆様の良心のふろしきはどれほど大きいでしょうか。良心の大きさはどれくらいでしょうか。良心が神様を占領したというとき、それで終わると思いますか。神様よりもっと大きいものがあれば、そのもっと大きいものを占領したいと思うのが良心の願いでしょうか。それとも、そこまでは願わないでしょうか。神様よりもっと大きいものがあれば、そのもっと大きいものを占領したいと思うのが良心の願いなのです。それでは、良心の願いはいったい何をしようというのでしょうか。宇宙で最高のものがあるなら、その最高のものも占領し、それ以上に大きなものがあっても、また占領しようとするのです。良心は、それほど大きなふろしきだというのです。

6. 神様が一番占領したいものは人間の真の愛

それでは、神様の心はどれほど大きいでしょうか。人間の良心のふろしきと神様の心を比較すれば、どちらがより大きいでしょうか。神様の心が人間の良心より大きいとすれば、神様が一番占領したいと思うものは、この上なく大きな人間の真の愛だという結論が出てくるのです。

神様が絶対的な方であるなら、一人でいて寂しいでしょうか、幸福でしょうか。皆様がいくら大統領でも、妻がいなくて一人で暮らすようになれば、かわいそうなのです。愛の対象がいなければかわいそうになるのです。神様も相対が必要でしょうか、必要ではないでしょうか。

いくら神様でも、一人では寂しいのです。人間はお金がなければ寂しく、知識がなければ寂しく、権力がなければ寂しく思うのですが、神様はお金を必要とせず、知識も必要とせず、権力も必要としません。創造主だからです。神様に一番必要なものとは何かが問題です。神様のことを何と言いますか。神様は愛の王であられ、愛の主人であられます。もし愛の王であられ、新郎であられる方が神様であれば、相対者である王妃が必要だというのは絶対的原理です。それでは、「絶対的な神様の愛の相対になる方とはどなたでしょうか」と尋ねれば、どのように答えますか。それは、真の人間であるというのです。

皆様はお金を必要とし、知識を必要とし、権力を必要としますが、妻がいなければ、すべて意味がありません。夫には妻が必要であり、子女が必要であり、妻は夫が必要であり、子女が必要です。そのような愛の対象が暮らす所が家庭です。

私はここで、良心の願いをいっぱいに満たせる愛の主体であられる神様に侍り、その神様の愛の対象である男性と女性が一つになって、その愛の中で息子、娘を生み、幸福で豊かに暮らせる家庭こそ、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発基地になるということを主張します。

私たち人間が、愛する相対が自分より何千万倍、無限大の価値ある存在として現れることを願うのと同じように、神様も、御自身の愛する相対が無限の価値のある存在になることを願うのです。そのような人が、真の人間です。皆様、そのような男性と女性が、正にアダムとエバだったという事実を知りませんでした。私たちに高い良心の願いが与えられたのは、神様が主体であれば、人間は対象の立場にある存在だからです。ですから、神様の分身ではなく、神様とはまた違う別個の人格者だというのです。そのような対象に、神様より数千万倍価値のある存在になることを願う良心に基づく欲望を許してくださったのです。それが良心の作用だということを、私たちは知らなければなりません。

神様が創造当時、理想として願った真の愛、偉大な愛を中心として、人間と愛の関係を結び、一つになれる神人愛一体の家庭を築いたならば、今日、私たちは天国や地獄を語ることもなく、ただそのまま天国に入るようになるのです。ここで問題になるのは、神様の真の愛と人間の真の愛が、一つの主体的愛と相対的愛として一つになって一点から出発しなければ、神様の愛と人間の愛が異なる二つの愛として出発するようになり、二つの愛の方向と目的地になるということです。このようになるとき、神様と人間が願う絶対的理想世界を見いだすことはできません。この二つの愛が一点から出発できることを願った神様のみ旨は、堕落によって完全に停止してしまったというのです。

7. 真の愛と真の生命と真の血統を受け継ぐことによって救いが成就する

サタンの愛を中心に偽りの父母が生まれ、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ子孫なので、すべて地獄に行くのです。天国とは関係がありません。ですから、体の強い力を制御して、心が思いどおりにできる人を中心として、良心を通して神様の愛を占領しなければなりません。ところが、私たち人間はその事実を知らなかったのです。

皆様。恋煩いというものを知っていますか。恋煩いにかかった人は、恋煩いにかかった動機を解決してあげれば、万事が解決します。堕落した人間ですが、堕落していないアダムの本性が残っているので、それが恋煩いにかかったように神様の愛を慕い、また慕うというのです。良心は、「神様の真の愛を、どのようにして占領するか」と言います。お金があり、知識があり、権力があっても、自分の生命を懸けても、愛する人を失ってしまえば、何の役にも立たないのです。

皆様が心を解放して解怨成就させ、良心世界において三六〇度に解放圏を形成すれば、その良心は自然に神様の真の愛と連結されるようになっています。愛のふろしきと良心のふろしきのうち、どちらが大きいかと言えば、愛のふろしきが大きいのです。なぜなら、良心は愛から始まったからです。良心を解放し、神様の真の愛と一つになって暮らしてから入る所、神様を中心とした愛の血族を準備して、彼らを中心に暮らしてから入る所が天国です。その愛を占領できなければ、永遠に天国に入れず、その日のために数千万年、待たなければなりません

堕落した人間は、神様の真の思想と経綸の明かりが神様の真の愛とともにともされて一体にならない限り、天国とは関係がありません。真の良心と真の愛が一つになって暮らす人は、自動的に天国に入ります。イエス様を信じても、神様の愛と結合できなかった人は、天国に入れないのです。

体と心が闘う人は天国に入れません。サタンの血統を受けて紛争が起きている人は、天国に入れないというのです。このようなことを開拓すべきすべての宗教が自ら争うときには、終わりの日に、すべて滅びるのです。争う所には神様がいらっしゃいません。ですから、宗教を信じるというのは、体を打って良心を解放する断片的なものであって、これが救いの門を開く鍵ではないのです。神様の真の愛を中心として、真の愛と真の生命と真の血統を受け継がなければ、救いはあり得ないという事実を知らなければなりません。宗教を信じることによって救われるのではありません。宗教を信じるのは、体を追い込むためです。良心の解放圏を備えるようになれば、良心の願いは神様よりも高まるというのです。

8. 人間は神様に帰らなければならない

皆様。自分がすることを良心が先に知るでしょうか、神様が先に知るでしょうか。良心が先に知るというのです。私たち人間は相対的な存在なので、夫と向き合う妻のように、個性も人格も異なっているのです。

もし神様が先に知るとすれば、人間は神様の分身であり、一つの体なのです。一人では、相対的な理想を完成できないというのです。それで、アダムとエバが堕落したあと神様は、「アダムよ! お前はどこにいるのか」とまず尋ねたのです。人間は神様の真の愛から出発したので、対象的な人格者として神様に帰るのです。神様に帰らなければなりません。父母が百歳になり、息子も年を取って八十歳になれば、父と息子は父子の関係はもちろん、友達にもなるのです。

女性と男性は、力で比較すれば相手にもなりませんが、愛というものが介在すれば、妻と夫が互いに押したり引き寄せたりしながら、一つになるというのです。人間が神様のみ前に対象的な愛の存在になったとすれば、神様が喜ばれるでしょうか、喜ばれないでしょうか。

神様は、神様の理想的な対象を未来の希望として願いながら、愛の対象が完成する前にこの宇宙をお造りになったのですが、愛の対象として完成したのちに、アダムとエバがそれ以上に大きいものを再び創造してほしいと言えば、神様にそれを創造できる能力があるでしょうか、ないでしょうか。私たちの良心の願いが無限であっても、それを創造してくれる神様であるということを知らなければなりません。

このように無限な神様の真の愛を中心として、対象の価値をもつ存在として人間を造ったのですが、これを完全に失った人間になったので、再びこれを回復しなければならないのが人間の生涯であり、人類歴史の目的であるという事実を知らなければなりません。各宗教では、宗教の主人たちが再び来ると言いました。イエス様が再臨すると言い、仏教では弥勒仏が来ると言い、儒教は新しい孔子が来ると言い、イスラームのシーア派ではマフディーが来ると言ったのです。

神様が宗教を立てた目的は何でしょうか。神様が一番愛する息子、娘、神様の骨と肉が一つになる、そのような愛する息子、娘を中心とした愛する家庭、愛する氏族、民族、国家を形成することが神様のみ旨に違いないということを、はっきりと知らなければなりません。そうだとすれば、メシヤはどのような方かということを知らなければならないのです。永遠な神様の真の愛を根として初めて地上に訪ねてこられ、すべての宗教が願う理想を完成する方が、再臨のメシヤであることを知らなければなりません。

9. 神様の真の愛によって夫婦が一つにならなければならない

そうして、真の父母となり、失われた真の愛を中心として、真の生命と真の血統を理想家庭として地上に探し立てようというのが、救援摂理の目的でした。堕落によって神様は、アダム家庭の真の母と息子、娘をすべて失ってしまいました。神様が触れられる真の息子、娘がいなかったというのです。神様の真の愛を中心として、血統的な関係をもてる神様の家庭がなかったのです。

堕落した父母によって偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結ぶことにより、私たちの体と心の闘いが起こりました。アダムとエバが怨讐になりました。アダムの二人の息子の間で殺戮戦が起こったのです。

ですから、神様がこれを復帰するための救援摂理は復帰摂理なので、失われた真の体と心が一つになった息子、娘として、絶対的に一つになった夫婦と息子、娘が、神様の真の愛を中心として完全に一つとなり、神様と永遠に一緒に暮らせる真の家庭を築くのです。そして、新婦格であるキリスト教と連結させて、神様と血縁関係を結ぶことにより、神様の真の愛で統一された家庭、氏族、民族、国家、世界を再び編成しなければならないというのです。これが神様の救援摂理の完成です。

ブラジルの指導者の皆様。ブラジルが神様の祝福を受けることを願うでしょう。そのためには、神様の真の愛を中心として、体と心が一つとなった民にならなければなりません。神様の真の愛を中心として、夫婦が絶対的に一つになれなければならないというのです。神様の真の愛を中心として、子女が絶対的に一つになれる家庭の数がブラジルに多くなるとき、神様がこの国に来て暮らすようになるというのです。そのようになれば、自然にこの国も世界の中心国家にならざるを得ないのです。

人間も、自分の一番愛する人が農村や貧民窟にいるとすれば、その愛する主体は対象が暮らす所に行って、共に暮らしたいと思うのです。どのような所でも、愛する人がいる所に行って暮らしたいというのです。それと同じように、神様も一番愛する息子、娘がいる所であれば、農村や貧民窟も天国になるのであり、上流層が住む所、中流層が住む所、どのような環境でも天国になるのです。

きょう、統一教会の教主という人がここに現れて話をしていますが、統一教会とはいったい何をする所なのでしょうか。神様の真の愛を紹介する所であり、真の愛を中心として体と心を一つにしようとする所であり、体と心が一つとなったその夫婦を、絶対的に一つになるべき理想的夫婦にしようとする所です。その息子、娘は絶対的に別れることのない、統一された兄弟にしようという、そのような主義をもち、神様の命令によってその使命を遂行するのが、統一教会であることをお伝えします。

10. 国際合同祝福結婚の意義

偽りの愛による偽りの父母から、偽りの愛と偽りの生命とそして、偽りの血統によって始まったすべての汚されたものを完全に清算し、真の神様と真の父母の愛を中心として私たち夫婦が真の父母となり、神人愛が一体となった真の愛の種、真の生命の種、真の血統の種を接ぎ木してあげるための礼式が、国際合同祝福結婚式になるのです。

堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の種を受け、偽りの結婚式をした家庭を反対に復帰するため、新しい結婚式に国際的に多くの家庭を参加させ、天の大きな祝福を伝授してあげようという礼式が祝福結婚です。ブラジルの全国民が大きな祝福を受け、天国家庭に転換されて、地上天国に入籍する国民になることを願ってやみません。こうして、超国家的な血縁関係を結成し、神様を中心とした天宙的大家庭主義を形成することにより、真の父母主義、夫婦主義、兄弟主義を宣布して心情文化世界を成し遂げ、地上から天上世界まで、天国に入っていける解放された地上天国の世界を完成しようというのが、統一教会の目的です。

第二次世界大戦以降、レバレンド・ムーンは全世界的に五十年間、迫害を受けてきました。罪があったからではなく、自分たちを救うために多くの迫害を受けたことが分かる時代になったので、今や反対に、一番立派であると考えるようになりました。レバレンド・ムーンの手によって共産主義が滅びました。ゴルバチョフ大統領と金日成首席を教化させた人がレバレンド・ムーンです。滅びゆくアメリカを救おうと「レバレンド・ムーンでなければならない」と言う、希望的な体制をつくっておきました。

韓半島の困難な政治的背景にも、レバレンド・ムーンが関係しているのです。中東もそうです。アメリカの共和党が四十年ぶりに勝利したのも、レバレンド・ムーンが背後から影響を及ぼしたためであるという事実を知らなければなりません。アメリカの共和党が民主党に勝ったということに関して、背後でレバレンド・ムーンが関与していたという事実を皆様は知らなかったかもしれませんが、このような事実を見るとき、ブラジルがレバレンド・ムーンをアメリカよりも先駆けて絶対的に占領するようになれば、世界の一等国家になるでしょう

レバレンド・ムーンは今まで、語ったことはすべて成し遂げてきました。全世界がレバレンド・ムーンをたたき潰し、葬り去ろうとありとあらゆることをしましたが、死なずに堂々と世界の頂上に立ち、きょうもこうして叫ぶことのできる立場に立ちました。それは天が愛するからであり、神様が絶対的に保護するからであることを知って、統一教会について生命を懸けて学んでみなければならないと思うのです。

11. 解放と自由と統一と幸福の天国

きょう、このような意義深い日に出会い、信じるに値する立場で一番重要な事実について紹介したことを理解してくださり、どうか忘れずにこの道に従って、皆様が新しい覚醒のもとに決意し、皆様の家庭と皆様の国に祝福を誘導する指導者となるようにお願いします。これにより、理想的家庭が皆様の国に出発し始めるのです。

皆様も御存じのとおり、レバレンド・ムーンと妻は真の父母として全世界に知られています。今日、私たち夫婦が本当に真の父母として、真の愛、真の生命、真の血統によって天と連結されたことが事実であれば、この地上には平和を成し遂げた「真の家庭と私」から、解放と自由と統一と幸福の天国が芽生えてくることを心に留めてくださるようにお願いします。皆様の家庭と国に神様の祝福があることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第四篇 2 理想家庭と平和世界

第四篇 2

理想家庭と平和世界

日付:一九九五年八月二十三日

場所:韓国、ソウル、ロッテワールド・ホテル

行事:「世界平和女性連合」第二回世界大会(真のお母様)

内外の貴賓の皆様。「世界平和女性連合」会長団、各界の女性指導者、そして会員の皆様。私はきょう、この集まりが平和世界を実現しようとする私たち全員の念願を早める重要な契機になることを信じながら、この壇に立ちました。世界各地で献身的に奉仕しながら、より平和な社会と世界を建設するために歩む皆様の労苦に感謝いたします。 ”

地上に平和世界を成し遂げることが、簡単でしょうか。それは歴史を通しての人類の夢でした。この夢が達成されるためには、まず平和な国と世界が先に形成されなければなりません。平和な国と社会は、睦まじく楽しい家庭が前提とならなければなりません。このように見るとき、和やかで楽しい理想的な家庭は、すなわち平和世界を築く出発であり、基本単位になるのです。

真の愛を基盤とした理想家庭

理想的な家庭は、どのようなものでなければなりませんか。神様の理想世界に対する計画は、創世記に記録された祝福のとおり、アダムとエバが善の夫婦、善の父母となり、理想的な家庭を築くことでした。その家庭を根源とし、子孫が父母に似て、理想的な家庭を永続的に築いていくことを願われたのです。

私の夫である文鮮明総裁の教えによれば、神様は真の愛の本体であられます。神様の根本属性である真の愛を動機として、創造が始まったのです。神様の真の愛は、愛してために生きる対象を必ず求めるからです。神様の創造の動機は真の愛です。被造万物は、神様が愛するために造った実体対象です。その中で人間は、神様と最も近い関係にある愛の対象です。神様は人間の真の父母であり、人間は神様の真の息子と娘です。神様と人間は、真の父母と子女の関係です。本来、人間は父母の愛を受けて子女の心情を体恤しながら育ち、その次に兄弟同士で愛し合いながら、兄弟の心情を体恤して育ちます。成長して真の人格を備え、完成した真の人になれば、夫婦生活を通して互いに愛し合うことにより、夫婦の心情を体恤するようになります。被造物はすべてそうですが、特に人間は、真の愛を感じ、真の愛の生活をするようになるとき、幸福になるのです。

愛を受けるとき、生命力が躍動します。生命の香りも愛の中で漂います。愛は人間の幸福と生命と喜びの源泉になります。このように貴い真の愛は、知識や外的な要因によって得るものではありません。経験を通して感じ、生活を通して体恤するようになっているのです。

このように人間は、成長期間に生活と経験を通して、神様の真の愛を段階的に体恤するようになっていました。すなわち、人間は子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情など、四大心情を段階的に体恤しながら完成するのです。人間の人格と幸福の尺度は、愛をどのように、またどれほど感じ、与え合うかによって区分されるのです。

夫婦愛における自律と責任性

四大心情の関係において、縦的な愛、すなわち父母の子女に対する愛は、第一子、第二子と続きながら分けて与えられても、その完全性は減少したり、変わったりはしません。そのため、一組の夫婦が何人もの子女を生んで愛することができるのです。

お一人の神様が、全人類を子女として対し、愛されるのも、この原則があるからです。しかし、代表的な横的愛である夫婦間の愛は、他の相手に向けると完全な愛になれません。夫婦間の愛は、分けるとすぐにその完全性が破壊されてしまうのです。万人の本性は、夫婦間の愛の中に第三者が介入することを許しません。神様の創造の原則は、夫婦間の愛が他の相手に向かって裂かれることを許さなかったからです。

神様は人間に、他の動物とは違って、夫婦間の愛の自由を下さいました。子を産むときにだけ関係をもつ動物の愛とは、根本が違うのです。

責任のない自由は、本当の自由ではありません。夫婦間の愛にも責任性が求められるのです。夫婦が愛の神聖性と永遠性を信じる基盤の上で、互いの責任性を守るとき、初めて家庭が安定するだけでなく、幸福の住み家となるのです。人間はこのような、分けることもできず、否定することもできない夫婦の愛を通して、息子、娘をもつようになっていました。本然の人は、真の人として育ち、その次に、分けることのできない愛によって真の夫婦となり、子女をもって真の父母になるようになっていたのです。

堕落と愛の秩序

聖書を読まれた方は御存じかもしれませんが、人間の先祖は、神様が喜ばれ、祝福してくださる結婚をし、そこから神様の愛を受ける息子、娘である子孫を繁殖したのではありません。アダムとエバは、既に神様に対して罪を犯し、楽園から追い出されたのちに子女を生んで、後代へと繁殖してきたのです。アダムとエバは神様が願われる真の夫婦にも、真の父母にもなれませんでした。私たち人類は、真の父母と真の家庭を根源として生まれた子孫になれなかったのです。本性としては夫婦の愛が永遠不変であることを願うにもかかわらず、そのようになれないのは、人類の先祖の堕落の根源が偽りの愛の因縁、不倫によってつくられたからです。原罪が子々孫々に遺伝し、終わりの日に近づくほど性道徳が乱れ、家庭が破壊されるのも、すべてそのためです。

神様が最も嫌われるのが、愛の法度に背き、倫理的に誤ることです。洋の東西を問わず、次第にひどくなっていく青少年の脱線、家庭破綻、十代の未婚の母の問題などの現象を、誰が解決するのでしょうか。このような現象は、飢餓や戦争、どのような疾病よりも、さらに恐ろしいものです。なぜならこの問題は、今日の私たちの問題だけでなく、子孫の問題として、人類が未来に対する希望を失うものだからです。今日の絡み合った愛の秩序は、子孫に直接的に影響を与えるのです。

子女の情緒教育

家庭は、子女の内的成長に決定的な要素を提供します。子女の基本的な性稟と生活態度は、家庭で形成されるのです。赤ん坊は愛を感じる天賦の素質をもっています。非常に幼い頃から、母親の愛情あふれた懐を他の女性の懐と区別できるのです。父母の愛と兄弟の愛を自然に体得して育ちます。人の情緒と性格の大部分は、赤ん坊のときの家族関係を通して体得され、愛情と幸福感が基礎となって形成されるのです。

子女の目に映った父母の生活、特に愛の関係は、その子女の情緒生活に決定的な影響を与えます。天道によれば、父母は、子女にとって真の父母になるとともに、真の師になるようになっています。赤ん坊にとって最も重要な教えは、知識教育や技術教育ではありません。

家庭で父母がすべき心情(情緒)教育と規範教育が重要です。この人生の根本教育は、父母が家庭を土台にしてこそ、可能です。赤ん坊は最も貴い愛情と基本秩序に関して、父母が見せてくれるとおりに学び、あるがまま感じて似るのです。子女は、彼らが従い、習うことのできるモデルが必要です。父母が自ら、子女に対して最も重要な師になることを自覚するかしないかに関係なく、子女は既に父母のものを真似し、学んでいるのです。人生の正しい出発をするにおいて、父母以上に重要な師はいないのです。

父母の愛の結実体である子女は、自分の父母が最も理想的な愛の夫婦であることを願います。その愛の関係の中で、幸福を感じるのです。子女にとって、父母の離婚は受け入れ難いことです。なぜなら、子女は父母の愛に同参(一緒に参加すること)した、同参者だからです。子女にとってその父母の愛は、自分自身の根源であり、根だからです。自分の存在基台が破壊されることを、本性が許さないのです。

父母と子女の関係が変わらない天倫の関係であるとすれば、どうしてその動機であり、根となる夫婦関係が永続的な天倫の関係になり得ないと言えるのでしょうか。不倫と家庭破壊、そして性道徳の紊乱は、天道に背く大きな過ちです。このような現象は、神様が願われず、人間の本心も願わない、堕落の結果なのです。

子女は父母の愛に同参した存在

世界の女性指導者の皆様。今日の混濁したこの秩序を、どのように収拾するのでしょうか。人類は道徳社会、人が人らしく暮らす社会、正しい価値観のもと、明るい未来を保障できる社会のために、たゆまず努力してきました。それにもかかわらず、勢いよく押し寄せてくる反倫理やフリーセックスなどの天道に背く堕落の風潮は、日がたつにつれてひどくなっています。エイズの問題も、単純な病魔ではなく、人類の子孫と未来が連結された深刻な問題です。このような問題は、学校における師の教えによっても、父母の説得によっても、国家の行政的措置によっても、根本的な治癒がなされずにいます。既に実験は終わりました。

もはや、人ができる治療方法を探すときは過ぎ去りました。宗教者でなくても、救世救民の道理を天から探し求めるべき切迫した状況です。このために、神様はメシヤを送られます。メシヤは真の父母として来られなければなりません。天道に逆らった不倫の現実社会を根源から治癒しなければならないからです。

人間の先祖、アダムとエバが真の父母になれず、堕落の先祖になったので、アダムとエバに代わって真の愛、真の生命、真の血統の根源者として真の父母が来てこそ、解決されるのです。真の父母はサタンを屈服させた真の愛、真の夫婦、真の父母の手本をお見せになり、全人類を教育されるのです。理想家庭のモデルをつくられ、地上に天国である平和世界、愛の世界を築くでしょう。これが神様の救援摂理の根本です。

神様は、私の夫である文鮮明総裁をメシヤとして送られました。夫は、神様のみ旨、創造理想をこの地上に回復してさしあげるために、生涯を捧げて歩んでいます。世界的に理解されない中で、罪もなく罪人の扱いを受けました。

真の父母と理想家庭

私は、聖人の道が何よりも困難で、口惜しこであることを最も近い立場で見つめながら、毎日のように胸が詰まるのです。夫はあらゆる苦難と迫害を受けながらも、その歩みが止まることはなく、真の愛の道理を教え、実践によって模範を見せてきました。また霊的には、サタンと血のにじむ闘いをしてきたのです。

サタンは、自らが享受している非原理的な偽りの愛の主権を奪われないようにするため、夫を総攻撃するのです。霊的にも肉的にも、サタンが讒訴できない勝利の基台を築いた上で、私たち夫婦は真の父母の使命を遂行しています。

愛する女性指導者の皆様。今回の第二回「文化体育大典」は、これまで私の夫が愛の統一世界を成し遂げるために献身してきた多くの運動が結集したものです。「世界平和女性連合」をはじめ、「世界平和家庭連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和青年連合」などの機構は、すべて平和世界を成し遂げるためのものです。

この期間において、これらすべての機関と「国際文化財団」などが主管する多くの会議と行事は、人の本性を悟らせ、歴史を先導し、人類の未来に希望を与えるでしょう。特に(一九九五年)八月二十五日に挙行される国際合同祝福結婚式は、歴史的な行事です。この地において、誰がこれを真似できるでしょうか。

五大洋六大州の百六十カ国において、皮膚の色と文化を異にする三十六万双が、共に神様の祝福を受け、理想家庭を築くための新しい出発をするのです。平和世界の基盤となる愛の理想家庭を目標とした、神聖な行進が始まるのです。神様が願われる真の愛の文化、心情文化の主役が誕生し、善の子孫が約束される神聖な行事です。

理想家庭と女性の役割

私は「女性連合」の創設当時から、天運と歴史が求めるのは愛と奉仕の生活であり、理想家庭を通した平和な世界であると強調してきました。今まで男性が主導してきた世界における誤った愛の秩序と堕落の実状は、果敢に清算しなければなりません。不倫と憎しみ、そして自己を中心としたあらゆる不正は、切り取らなければなりません。女性は自覚をもった心で、この世界の誤った慣行を、整理していかなければなりません。

女性が既存の文化と慣習の秩序の中で男性を真似し、またその中で女性の立場を高めようとすることが、「世界平和女性連合」の目標になってはいけません。女性は天道に従って、真の父母に侍り、新しい心情文化世界を形成する主役にならなければなりません。堕落の属性を根本的に脱ぎ捨てて、新たに成し遂げる本然の文化、人類の本性が訪ねてきた愛と善と平和の文化を花咲かせなければなりません。

今から女性は真の父母と接ぎ木して、真の家庭を生み出すべきであり、真の社会と真の世界をつくっていくべきです。そのためには、皆様が真の母の分身にならなければなりません。到来した女性時代とともに、すべての女性は真の愛で男性を指導する、新しい時代の先駆者にならなければなりません。家庭でも真の愛の化身として、夫を抱き、子女を真の父母の心情で養育すべき使命があるのです。

神様の愛の祝福がとどまり、本然の愛の秩序が立てられた家庭を、誰が築きますか。真の父母と連結された、私たち女性の使命です。私たちが先頭に立って成し遂げなければなりません。真の愛による本当の女性解放と真の平和世界を成し遂げるために、皆様全員が主役になってくださるようにお願いします。皆様と皆様の家庭、そして皆様の活動に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第四篇 3 真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙

第四篇 3

真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙

日付:一九九七年五月十九日

場所:ウルグアイ、モンテビデオ、ビクトリアプラザ・ホテル

行事:「新救国連合」国家指導者晩餐会

尊敬する内外の貴賓の皆様、特にこの場に参席してくださった著名な紳士淑女の皆様。公私共に御多忙にもかかわらず、この場に御来席くださった皆様に深く感謝申し上げます。

このような貴い日に、私が心から皆様に差し上げたい最も貴い返礼の贈り物があるとすれば、それは私がこれまで世界を巡回しながら説いてきた、最も代表的な二つのみ言を御紹介することです。

それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」というみ言です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つのみ言は、その根本的な解決方案を提示しています。各自が帰って、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このみ言を読んで深く考えれば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなるでしょう。皆様はこの二つのみ言を、皆様の年の数ほど読んでくださるようにお願いします。年齢が八十歳を超えていれば、八十回以上読まなければなりません。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあるでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むので、何度も読んでくださるようにお願いします。

最初のみ言の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダムの家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られ、これを国家的な次元で復帰しなければなりません。ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであるイエス様は第二次アダムとして来られたのですが、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることにより、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真の父母の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。ですから、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰であるという事実も明らかにしています。

二番目のみ言の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間の堕落の根本が愛によって成立したため、人類は真の愛を失ってしまいました。ですから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。真の愛を失ってしまったというのは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として誤ったので、これを取り戻そうとすれば、その反対に、正しく行かなければならないということです。

このように、誤った愛がエデンの園で植えられたので、終わりの日の刈り入れのときに、その結果として現れる現象が青少年問題です。それで、「性」の混乱時代が来るというのです。これを清算するのは、絶対「性」でなければなりません。この絶対「性」の概念によってのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。

1. 三大主体思想とメシヤ思想

この時間は、「真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」という新しい主題で、み言を分かち合おうと思います。ここに集った皆様には父母がいます。そして、師がいて、その次に国の主人がいます。彼らは、誰にとっても絶対的に必要です。しかし、いくら父母だとしても、真という基準を中心として見るときには、様々な基準があるものです。

皆様自身は、果たしてどれほど真の父母になったと思いますか。また師といっても、アメリカにあるハーバード、エール、そしてコロンビアのようなアイビー・リーグ(アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学の教授であれば真の師でしょうか。国の主人も、真という基準から見るとき、同じにはなり得ないのです。皆様は、アメリカのような強大国の大統領であれば、真の大統領だと思いますか。

事実、今日の家庭では、子女が父母を信じられず、夫婦同士も互いに信じられず、兄弟同士でも不信する関係になっています。学校では師を信じられず、国では国の責任者を信じられないというのが今日の実情です。このように、皆様が願うこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、そして国の主人の中で、真という基準を中心として、どれか一つでも合格できるのか、ということが問題なのです。

皆様が真の父母になり、真の師になり、真の主人にならなければならないとすれば、そのような世界最高の基準、そのすべてのモデルの中心とは誰でしょうか。その方が正に神様です。神様は父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。

神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の息子、娘になるとすれば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければなりません。そして、神様のような真の主人となる道を行かなければならないのです。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは神様です。

旧約聖書に記録されている、イスラエル民族に送られるメシヤとは誰のことでしょうか。メシヤは、正に真の父母として来られる方であり、真の師として来られる方であり、真の王として来られる方です。しかし、イエス様はこの地上で家庭をもち、民族を一つにできなかったので、再び来なければなりません。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と真の師権と真の王権を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所であれば、いつでもどこでも、三大主体思想が正しく確立されなければなりません。

人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形になるのです。

皆様の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題、国の問題、もしくは世界の問題を扱うときに、公式は一つです。個人を中心として、上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。

これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心になるのです。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様にまで行かなければならないのと同じ道理です。皆様には宇宙の中心になりたいという気持ちがあるだけではなく、そのようにもなれるのです。

2. 宇宙の核のような真の家庭

このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事(働き)するとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点でなければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけません。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。

ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように、七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となり、調和と統一を形成する家庭になるということです。私たちがよく「ラッキーセブン」と言うのも、このような観点から見れば、一理あることなのです。そうして、これが一つに定着して回るようになれば、八数だというのです。

真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったというのです。神様の真の愛をすべて追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。

西洋と東洋は、その生活習慣においてあまりにも異なる点がたくさんあります。多くの面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きをしますが、西洋の人に対してそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか」と誤解するようになっているのです。西洋の文字は横的で、左側から右側に進みますが、東洋の文字は縦的で、本来、上から下に書いて読むのです。ですから、西洋の本は左側から開いて見ますが、東洋の本は右側から開いて見るのです。西洋文明は一種の横的文明です。握手で挨拶するのは、横的な挨拶です。頭を下げながら挨拶する東洋文明は縦的です。

東洋には、家庭制度の核が先祖にならなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心です。すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべて動きません。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせても、すべて合うというのです。

祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟間も一体であると言うのです。一つの体です。

何を中心としてこのような関係が一体なのかというと、愛の中心である神様の真の愛を中心として一体になるのです。真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同じなのです。このようになることにより、すべてのものの価値が同等になるのです。

3. 人間が行くべき真の真理の道

それでは、神様がその子女に願うこととは何でしょうか。お金をたくさん稼いだ億万長者になることでしょうか。国の最高権力を手にした大統領になることでしょうか。神様が息子、娘であるアダムとエバに願われたのは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。それでは、皆様は神様が願われるように、家庭で孝子になろうという考え、国では忠臣になろうという考え、世界では聖人になろうという考え、そして天地の前に聖子になろうという考えをもったことがありますか。歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子となり、忠臣、聖人、そして聖子になりなさいと教えてきたのです。

今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間のその人格完成に必要なものが、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理であるという観点から見るとき、ここに合格したと見ることができますか。このような内容を知らなければ、家庭で真の父母の役割を果たせません。真の父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的な内容を教えてあげなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、そののちに神様まで行くべきだということを、自分の子女たちに教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様が御覧になるとき、真の父母、真の師、そして真の主人であると考えるのです。

皆様に真の父母の資格があり、真の師の資格があるというときには、真の主人の資格も備えるようになり、さらには真の王になれる資格まで備えるようになります。堕落した人間に、真の孝子という概念があるでしょうか。忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もないのです。ですから滅びるのです。誰が聖子になることを願うのでしょうか。神様が願われるのです。聖人になることを誰が願うのでしょうか。世界が願います。国は何を願うのかというと、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真の真理の道です。

愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知りませんでした。それで、真の父母になれなかったのです。国の真の主人になれませんでした。聖人や真の聖子になれなかったのです。イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がおらず、国と世界にそのような真の主人がおらず、結局、天地に真の主人がいなかったのです。どのようにしてその道理の道を行くのかを知らなかったのです。しかし、もはや知らなければなりません。

真の父母は、「孝子になったから、忠臣にはなるな」とは言いません。真の父母はその孝子に、「お前は家庭を犠牲にして、忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして神様を訪ねていかなければならない」と教えてあげなければならないのです。

そのようになるためには、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければならないのです。聖人は、自分の国を犠牲にして世界を救わなければなりません。聖子は世界を犠牲にして、天の国と地、地上天国を築かなければならないのです。

ですから、すべての父母の中で、より子女のために生きる父母が真の父母であり、どのような師よりも、よりために生きる師が真の師であり、どのような大統領よりも、よりために生きて犠牲になろうという大統領が真なのです。このような概念があることを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に訪れません。

4. 自分のために生じたものは一つもない

個人主義を主張する根拠はどこにあるでしょうか。自分の中で、自分だけを主張する部分は一つもありません。子女が父母の愛によって、母親のおなかの中で精子と卵子が結合して生まれてきますが、九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉を受けて育ちます。父親の精子は○・○○一パーセントにすぎません。そこには自分という概念はありません。誰でも生まれるときは、自分自身という概念がなかったのです。いくら立派だという人でも、自分一人で立派になったと言える人は一人もいません。レバレンド・ムーンも、皆様も同じです。骨や血、肉など、すべて母親のおなかの中で譲り受けたのです。この体の重要な部分は、母親の体の延長だという事実を認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、卵子と精子に含まれていたというのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。

「上」というのは、「下」を認めたうえで語る言葉です。「上」というものだけで、個人主義が成立するでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで語る言葉です。「前後」を見ても、「前」というのは「後」をまず認めたうえで語る言葉です。「男性」という言葉も、男性一人を念頭に置いて語る言葉ではありません。「女性」を先有条件として語る言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉ではなく、宇宙的な事実です。

男性はなぜ生まれたのでしょうか。男性はよく、「自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がない」などと言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないのです。結局、自分のために生まれたものは一つもないというのです。

私たちの五官を見てください。自分の目は、自分の目を見るために生じたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生じたのです。五官を総動員して集中させられる力とは何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、そして手は、真の愛のために生じた、真の愛の道具なのです。

自分のために生じたものは一つもありません。他人のものを自分のものにする人をどろぼうと言うのです。人のものをもってきて、自分のものとして使う人はどろぼうではないでしょうか。ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人はどろぼうなのです。

男性と女性は、何が互いに異なりますか。まず、性の器官を含む体が異なります。それでは、男性の性の器官は誰にとって絶対に必要でしょうか。男性の性の器官は、女性のためにあるのです。人間の性の器官の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになっているのでしょうか。二つとも尖らせたり、二つとも平たくしたりすることもできるのに、なぜそのように違う形になっているのでしょうか。すべて、相対のためです。男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。女性のものは絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものであるという事実を知らなかったのです。それを占領することにより、愛を知るのです。

二人が一つになるような経験を通してのみ、最も高い境地の愛を知ることができます。どのような者も、このような事実を絶対に否定できません。誰もがみな、認定しなければならないのです。二人が完全に一つになるその場から、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在するのです。ですから、絶対「性」は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家、もしくは経済人たちは、文学作品や言論を通して、フリーセックスの刺激を与える場合が多くありました。ですから、今から私たちは、政治家や経済人、作家、言論人と一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは完全になくならなければならないのです。

5. 神様から玉璽を受けたレバレンド・ムーン

レバレンド・ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは一八〇度違う人になり、違う国になり、違う世界になります。間違いなく変わるというのです。変化させるべきこの悪の世界を完全に変化させるのは、絶対に必要なことです。ところが、サタンを含む悪の世界の人々は、神側の人々を好みません。それで、世の中のすべてがレバレンド・ムーンに反対してきたのです。国家と世界的次元においても反対したのです。

しかし、レバレンド・ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド・ムーンを保護してきました。サタンはレバレンド・ムーンを嫌いますが、神様は好まれるのです。いくらレバレンド・ムーンを悲しませ、下に押さえつけて無視するとしても、レバレンド・ムーンは意に介しませんでした。レバレンド・ムーンは下がっていきませんでした。かえって、最も高い立場にまで上がっていくようになりました。そうして、今は誰もレバレンド・ムーンに反対できないようになったのです

レバレンド・ムーンはあらゆる迫害を受けながら、どのようにしてこのような世界的基盤を築けたのでしょうか。どのような力でもって、世界の碩学と最高の指導者を教え導く基盤を築けたのかというのです。神様がそのような力をレバレンド・ムーンに下さったので可能だったのです。神様が保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も続けて保護し、教えてくださるので、レバレンド・ムーンは常に成功の道を進んでいるのです。

歴史始まって以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者がいましたが、レバレンド・ムーンほど霊界を知り、あの天の国、霊界を統一してきた人は、この地上に一人もいないことを知らなければなりません。そうして、レバレンド・ムーンは神様から玉璽をもらいました。そうでなければ、地上統一はできないのです。神様が霊界で誰よりも訓練させて育てられたように、この地上においてもそのように引き続き導いていらっしゃることを知らなければなりません。

二十年以上の間、レバレンド・ムーンは新教(プロテスタント)の地、アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられてから二千年間、途方もない殉教の血を流したキリスト教をこの国に定着させようという神様のみ旨を知ったので、アメリカを捨てることはできなかったのです。旧教(カトリック)の地、南米も同じです。四十年以上前にレバレンド・ムーンを受け入れていたならば、南北米がどのようになっていただろうかと考えてみてくださることをお願いします。韓国は、なおさら考えてみる必要があります。

6. 「神様のもとの一つの世界」を成し遂げるための努力

それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか。自分の生命を投じたのち、また復活して、三度以上より投入しようというところから、真の愛が始まります。私たちは堕落した血を受けたので、自分の生命を懸けてでも、これを越えなければなりません。それで、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と言うのです。イエス様もこの地上に来て、その道を行きました。それによって世界を治めたのです。利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は一生の間に数百億ドルのお金を稼ぎましたが、一銭も私たちのものはありません。すべて、世界のために投入して忘れてしまい、また苦労して稼いでは投入するということを反復するのです。

「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか。一部のアメリカ人は、「神様のもとの一つの世界」が好きではありません。また一部の白人は、黒人が好きではありません。アングロ・サクソン系の白人の新教徒がアメリカの支配的位置を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えをもたなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのであれば、存続できないのです。

今は、時代が変わってきています。到来する時代は、「神様のもとの一つの世界」が成し遂げられる時代です。神様はこのような世界のために働いていらっしゃり、また、そのような摂理のために働く人を助けていらっしゃいます。そして、これからも永遠にそのような人を助けられるでしょう。ところで問題は、すべての人々がこのような世界で暮らすことを願いながらも、その摂理の同参者になることは好まないということです。一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦は様々な努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。

医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけでなく、東西文化の和合を通して、東洋と西洋の葛藤までも収拾するという次元で、「統一思想」と「統一医学」を開発しなければなりません。東西思想と医学が合わさってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになるでしょう。韓国では、医学教育を全く受けていない農村の若者の中に、エイズのように現代医学でも治すのが難しい病を治せる特別な治療法を霊界から教えられた人々がいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。

このすべての課題は、既にアメリカのブリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心として、実践に移されつつあります。さらに私たち夫婦は、既にアメリカの「ワシントン・タイムズ」だけでなく、南北米すべての国々を

カバーする言論機関をつくりました。この言論機関は、間もなく世界百八十五カ国にまで拡張され、世界が一つになって学び、協力することに大きく貢献するでしょう。

レバレンド・ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが世話になったのです。天から受けた祝福で、レバレンド・ムーンはアメリカを祝福してあげました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド・ムーンを歓迎し、アメリカのような祝福を受けるようにお願いします。いくら反対しても、より多く愛する人が主人になります。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れてしまう人が中心存在になるのです。これが正に天法です。

これから皆様は、家庭において父母に孝行し、国の前に忠臣となり、世界の前に聖人となり、神様のみ前に聖子となる道を行くべきです。誰であろうと家庭、国家、世界、天地の前に恥ずかしくない自分、この宇宙と自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築かなければなりません。

そうして地上天国に転換し、天上天国に入籍して、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と幸福と統一の世界を訪ねていく国際合同祝福結婚式を迎えなければなりません。皆様も全員、今年の三百六十万双祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同祝福結婚式に参加してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になり、永生の道を見つけてくださるようにお願いします。

私たち全員が神様と真の父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真の家庭と真の世界(宇宙)文化創建の主役になって、来たる二十一世紀には平和と統一の世界を建設することを願いながら、これで私の話を終わります。

皆様と皆様の家庭、そして行っている事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第四篇 4 人類を救う真の家庭運動

第四篇 4

人類を救う真の家庭運動

日付:一九九七年十一月二十五日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ホテル

行事:「世界平和宗教会議」創設大会

世界のあらゆる偉大な宗教の伝統を代表する宗教指導者、そして著名な学者の皆様。皆様が世界文化体育大典とこの重要な宗教議会に参加してくださったことに、感謝申し上げます。私はきょう、多くの指導者の方々の前で、私が展開してきた真の家庭運動の根本を明かそうと思います。来たる十一月二十九日に、皆様は真の愛と真の家庭運動の驚異的な現場となる三千九百六十万双の祝福結婚行事を目にするでしょう。

私は、世の中が分かってくれようとくれまいと、どのような評価をしようとも意に介さず、神様のみ旨を成し遂げてさしあげるために、一つの道を貫いて歩んできました。真の家庭の理想のために、私は一九六〇年、最初の三双の祝福家庭を輩出して以来、回を重ねながらその数を拡大してきました。一九九二年には三万双、一九九五年には三十六万双の祝福家庭を世界的に輩出しました。彼らはみな、神様のみ前に永遠な愛と信頼によって夫婦になることを誓約し、また子女を高こ徳と純潔の中で育てることを約束して生きています。

今回、短い準備期間であるにもかかわらず、全世界百八十五カ国において三百六十万双を目標とした当初の計画を、三千六百万双も超過した三千九百六十万双が、肌の色と宗教を超越し、真の家庭のための祝福結婚儀式に同参することになりました。これはその趣旨から見ても、規模から見ても、人間が動機となった行事であるとは言えません。神様のみ旨が中心となって達成された、摂理的な成就なのです。

皆様を含め、各教団の多くの指導者が、この真の家庭運動こそ、青少年の脱線と家庭の破綻を防ぐ根本的な方案であると共感し、多方面にわたって支援してくださり、また多くの国の指導者が、救国運動の次元で積極的に協力してくださったことを、感謝申し上げます。

1. アダムは体をまとった神様御自身

真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てられました。神様の愛の理想は、人間を通してのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高、最善の愛の対象として造られました。ですから、人間は創造物の中で唯一、神様の実体をまとった対象です。無形の神様のみ前に、見える体として生まれたのです。

人間は完成すれば、神様の聖殿になります。神様が自由に、また平安に、いつでも入ってきて住むことのできる有形の実体になるというのです。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通し、父母と子女の縦的関係として実現、完成します。神様は御自身の体として、アダムをまず造られました。

アダムは神様の息子であると同時に、体をまとった神様御自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをお造りになり、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成する新婦でもあったのです。アダムとエバが完成して、神様の祝福のもとで結婚し、初愛を結ぶその場は、すなわち神様の実体の新婦を迎える場になるのです。

アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参することにより、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点において結実、完成するようになるのです。

神様の創造目的は、アダムとエバが真の愛の主体であられる神様の戒めを守り、真の愛の人として完成することです。さらに、神様の真の愛によって一つになった真の夫婦になることです。

ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追い出されるとき、彼らは子女を連れていませんでした。神様が追い出したアダムとエバを、エデンの外まで訪ねていって祝福し、結婚式をしてあげたはずは絶対にありません。全人類は、神様の愛と関係なく繁殖した子孫、追い出された先祖の子孫なのです。

アダムとエバの堕落は、神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成の段階、すなわち成長期間に堕落しました。人類先祖の初愛の結合は、神様御自身の愛の完成でもあるので、当然神様も、アダムとエバも、宇宙万象も、歓喜と祝福の中に酔う、幸福な宴の連続でなければなりませんでした。神様の愛と生命と血統が人間の中で始原を形成しながら定着する、幸福な儀式でなければならなかったのです。

ところが、彼らは下部を覆い、木の後ろに隠れて不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくる不倫の関係を結んだからです。そのように堕落したアダムとエバの子孫である全人類は、子々孫々、生まれるときから原罪をもつようになるのです。人類が個体の中で心と体の衝突を矛盾として感じるようになるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱な社会の中で本心が願わない人生を生きているのも、すべてここに原因があるのです。

本来、アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦になっていれば、神様は理想とされたとおりに、御自身の実体であるアダムの体の中に住まわれながら、エバを愛するようになっていたはずです。さらに、アダムとエバは神様の実体をまとった真の父母になり、善の愛、善の生命、善の血統の始原となるはずでした。

ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となり、悪の夫婦、悪の父母、悪の先祖になってしまいました。結局、彼らの結合は、悪の愛と悪の生命と悪の血統の根になってしまったのです。人類は、この根に根源を置いているので、生まれるときから神様の怨讐であり、姦夫であるサタンの子孫となり、悪の父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。

絶対的な神様の創造理想も絶対的なので、悲しい救援の役事をせざるを得ませんでした。神様の救援摂理は、失われた真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。このような点で、復帰摂理の根本は、どのようにすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を探し出すかにあるのです。神様が最も嫌う姦夫サタンの偽りの愛に由来した生命と血統を清算しなければなりません。

それでは、神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのように誕生させるのかというのです。人間の先祖が自己の責任分担を完遂できず、不倫の血統関係を結んでサタンの主管を受けるようになったので、神様が直接進み出て、原状回復させることはできません。神様はサタンの側に回った人類を、条件なく善の立場において取ることも、打つこともできないのです。

神様は、善の側にいる中心人物を立てて、先に打たれながら蕩減条件を立てさせ、復帰してくる作戦を取ってこられました。その反面、サタンは先に打ち、奪われる立場になったのです。

2. 長子を屈服させることによる善の血統復帰

復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブのとき、モーセのとき、イエス様のとき、すべてそうでした。堕落の張本人であるエバに代わって責任をもつ母を立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立しようとする摂理が行われてきたからです。

神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接相対することはできません。神様は善の側を代表する次子を相対として条件を立てさせ、悪の側を代表する長子を屈服させることによって、善の血統を復帰してこられたのです。

人類の堕落は、アダム、エバ、天使長の三存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘惑して霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘惑して肉的堕落をすることにより、神様に背いたのです。堕落した天使長はサタンになりました。したがって、救援摂理は復帰摂理であり、復帰の原則は一八〇度、反対の道を通して行われるのです。

真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。創造のとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落とは無関係の息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のために、まず母がいなければなりません。母が息子を生むとしても、ただそのまま生むことはできないのです。必ず、復帰の公式を通して生まなければなりません。

復帰摂理の中に現れた母子協助はすべて、天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子が共にサタンの攻撃を免れる条件を立てた土台の上に、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してきたのです。

神様の摂理歴史を記録した聖書の中に、理解できない記録が多くあります。リベカは夫イサクと長子エサウをだまし、次子ヤコブを助けて、彼が祝福を受けるようにしました。

神様は、一見不当に見える方法を動員したその母子の側に立たれ、彼らに祝福を与え続けました。アダム家庭では、カインとアベルの兄弟が母の胎の外で争って、次子アベルが命を失いました。ヤコブはアベル以後、善の側に立った多くの人々の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンにさらに追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。

結果的に、ヤコブはヤボク川のほとりで天使を屈服させる霊的勝利の条件と実体の天使長の立場であるエサウを屈服させることにより、歴史始まって以来、初めて勝利したというイスラエルの祝福を受けるようになりました。しかし、そのときは既に、年が四十代でした。

サタンの偽りの愛の種がエバの胎中に蒔かれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しなければ、天の息子が胎中から誕生できなかったのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、いまだ分別されていない妊娠から四十代までの期間も、サタンが分立されなければなりませんでした。

結果的にこの責任を引き受けた偉大な母が、タマルでした。タマルはユダの長男エルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなく、死んでしまいました。当時の慣例に従い、ユダは次子オナンをタマルに与え、子を生ませようとしましたが、オナンは生まれる赤ん坊が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様のみ前に罪となり、オナンも死んでしまいました.

タマルはユダの三番目の息子シラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした.タマルによって二人の息子が死んだと考えたユダは、シラまで死んで、家系が途絶えることを心配したからです。

タマルは、選民の血統を継がなければならないという一念で、売春婦に偽装し、義父であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。そして、その赤ん坊が生まれるとき、先に手を突き出して出てこようとした長子の赤ん坊が再び腹中に入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄となって先に生まれたのですが、彼がペレヅでした。

そうして、タマルの胎中で長子と次子が争い、分立される胎中復帰が成し遂げられたのです。このような条件の上に、選民の血族を集め、二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを懐胎することができたのです。神様の息子の種が、準備された母の胎中にサタンの讒訴なく定着できるようになった、国家的勝利の土台が造成されたというのです。

このような基盤の上で、聖母マリヤが摂理の主流に登場しました。ヨセフと婚約したマリヤは、自分の体を通してメシヤが生まれるというガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないというのが当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ一・三八)と言いながら、絶対信仰で神様のみ旨を受け止めたのです。

マリヤは、親族であり、尊敬を受ける祭司ザカリヤの家に相談に行きました。神様はマリヤとザカリヤとエリサベツに、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。

ザカリヤ夫婦は、マリヤを自分たちの家にとどまらせました。マリヤはザカリヤ家庭において、イエス様を懐胎しました。歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それにより、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになったのです。

3. ザカリヤ、エリサベツ、洗礼ヨハネはイエス様に侍るべきだった

神様の息子がたとえ着地したとしても、サタンの世界において無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護を受ける垣根が必要でした。神様はザカリヤ家庭の三人が、その基盤となってくれることを期待されました。しかし、このようにイエス様は私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、またヨセフとの難しい条件において、心情的に途方もなく寂しい境遇で育ったのです。メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成就するに当たって深刻な障害要因であることを、独りもどかしく思ったのです。

本来、メシヤは第二のアダムであり、真の父です。その使命のためには、実体の新婦、真の母を迎えなければなりません。もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵のもと、最初にもった絶対的な信仰をもち続けていたならば、イエス様を神様の息子、メシヤとして、これ以上ない精誠を尽くして侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったでしょう。

そして、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネでしたから、彼が悔い改めさせた民がイエス様を信じ、救われるように導く責任を果たさなければなりませんでした。しかし不幸にも、ザカリヤはもちろん、エリサベツや洗礼ヨハネも、神様の息子としてイエス様を証しただけで、侍ることはなかったのです。

尊敬を受ける祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことにより、かえってイエス様の行く道をさらに難しくしてしまい、民が従えないようにしてしまったのです。ましてや、彼らが信仰を失って人間的な考えに流れたとき、イエス様が願われた新婦を迎えることを助けるはずは絶対になかったのです。

イエス様は母マリヤからも、ザカリヤとエリサベツからも反対を受け、最後には洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念せざるを得ませんでした。イエス様は、新たに摂理的基盤を探して、再び復帰摂理をするために家を出ました。家を出たイエス様は、行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・二〇)と嘆息されたのです。

家庭や氏族の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を探しに出掛けたのです。これがイエス様の三年路程でした。しかし民族が不信し、弟子たちの信仰が弱くなってサタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は崩れ、十字架の道を行かざるを得なかったのです。本来、イエス様はメシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信されて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂できませんでした。それで、再臨することを約束されたのです。

第三アダム、真の父として来られる再臨主は、イエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するために来られます。すなわち、創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母理想を完成するために来られるのです。

再臨主は、既にイエス様のときまでに神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられるときまでの勝利的な基盤の上にそのまま立たれて、イエス様が果たせなかった新婦を探し、真の父母となられ、祝福によって万民を復帰してくださるのです。真の父母は、血統を伝授する新しい祝福結婚の行事を通して、全人類を神様の真の愛と真の生命、そして真の血統に接ぎ木し、真の人として救って、さらには真の家庭を築いて地上天国を建設されるのです。

4. 祝福結婚は最も貴い贈り物

尊敬する宗教指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願います。そして、これから「世界平和統一家庭連合」は真の家庭運動により一層拍車を掛け、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。

価値観の崩壊と倫理的な堕落によって青少年が淪落し、家庭が根こそぎ破壊されています。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という聖句があります。エデンの園においてアダムとエバが、未完成期に不倫を植えました。終わりの日にそのような現象が世界的に再現され、青少年の極めて深刻な堕落現象が、罪悪歴史の結実として現れるのです。

滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させようという私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動を広げていかなければなりません。

人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が中心となり、率先してくださることを切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入って、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。

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第四篇 5 真の家庭理想による平和世界の実現

第四篇 5

真の家庭理想による平和世界の実現

日付:一九九七年十一月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、キャピタルヒルトン・ホテル

行事:第四回「世界平和会議」

尊敬するシドキー議長、基調演説者の皆様、著名な元、現職国家元首と紳士淑女の皆様。「二十一世紀に向かう世界ビジョン」という主題で開かれた「世界平和連合」の第四回「世界平和会議」に参席してくださった皆様に、深く感謝申し上げます。

私は来たる土曜日、RFKスタジアムで行われる特別な行事に、皆様を直接招待したいと思います。世界宗教の代表的指導者の祝福の中で、私と妻は、百八十五カ国から参加した三千九百六十万双に対する祝福結婚式を挙行いたします。当初の目標だった三百六十万双を超え、再び三千六百万双を超過して達成いたしました。皆様の国からも多くの夫婦が同参するでしょう。百八十五カ国の代表を含めた三万双の夫婦がスタジアムに参席し、同時に人工衛星とビデオを通じて、世界的に祝福結婚式が連結され、進行するでしょう。

この祝福を受ける夫婦は、自分の家庭と夫婦の結合を神様のみ前に誓約し、配偶者には永遠の信頼と純潔を誓い、そして子女には高こ徳と純潔を教えながら養育することを約束します。この夫婦たちは、言語と人種と国家と宗教の背景が様々です。しかし、彼らは神様の愛、そして世界平和は神様を中心とした完全な家庭から始まるという信念ゆえに、この祝福式に同参するのです。

私は、皆様がこの歴史的な式典を見物するだけではなく、皆様もまた、関係ある周囲の人々と共に神様のみ前に出て、自らの結婚の誓約を新たにすることを願って、その場に招待いたします。

1. 人類共通のビジョンのために

きょう私は、人類共通のビジョンを見つけ、実現するために歩んできた過去の五十年を回顧しようと思います。人類は第二次世界大戦の痛手を踏み越え、すべての国が平和になる道を探そうとしました。

神様は私に、二千年のキリスト教の基盤の上に神様の天国を建設する世界的な運動を指示されました。啓示の中心は、真の父母と真の家庭を探し出す公式路程でした。しかし、当時の韓国のキリスト教指導者は、この真理を受け入れることができず、神様に大きな失望を与えました。私は迫害と反対を受け、罪なく投獄される苦難の路程を歩まざるを得ませんでした。

キリスト教のこの歴史的な過ちが讒訴条件となり、韓国で悪が勢力を得て、韓半島が完全に分断され、半世紀にわたる受難の歴史を生み出す摂理の内的原因となったのです。

神様が下さるメッセージを拒絶したことが、なぜこれほど不幸な結果を生んだのかということを知るためには、神様が五十年前に私を通してキリスト教指導者に下さったメッセージの意味を知る必要があります。そのメッセージは、本質的にきょうのメッセージと同じです。ただし、キリスト教のためだけのものではなく、ユダヤ教、イスラーム、仏教、ヒンドゥー教、そしてすべての宗教と宗派のためのメッセージです。それは、神様を中心とした真の家庭の理想だけが、個人相互間や家庭と社会、そして国家相互間の真の関係と平和を達成する土台になるということです。

私は青少年のときから、人間の罪と苦痛の根源を探そうと必死に努力してきました。私はこれまで多くの涙を流し、誰も理解できない長い歳月の祈祷生活と孤独な霊的闘いをしてきました。長年、聖書に対する研究と広大な霊界を遍歴したのちに、ようやく神様が真で理想的な人生を啓示してくださったのであり、また人間の苦痛の根本原因が、エデンにおいて人間の先祖によって始まったことを教えてくださいました。

2. 真の愛と真の家庭の理想

尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様が真の愛と真の人のために、万物を創造なさったことを知らなければなりません。被造物はすべてペアになっています。動物界、植物界、鉱物界、すべて主体と対象の関係でできており、互いによく与え合うことによって形成される調和は、それらが存在して繁殖するすべての力、そして愛と善の基盤になるのです。

人間もまたこの原則に従って創造され、個人は心と体でできており、そして男性と女性になっています。神様の理想は、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった個人と、そのように完成した男性と女性が一つになる家庭です。このようになれば、人間は神様の神性を正しく反映できるのです。また、神様の真の愛の対象体となり、子孫に神様の真の愛、真の生命、真の血統を伝えられるようになるのです。

アダム家庭は、神様の理想と一致した真の愛の家庭を築かなければなりませんでした。人間始祖アダムとエバは、神様の無形の性稟を実体的に完成し、神様のみ旨と愛を宇宙に伝えるという期待の中で創造されました。アダムとエバとその子女たちは、全人類が従うことのできる根本原理を生活の中で確立するはずだったのです。

アダムとエバの子孫は、心と体を一つに完成し、神様と一つになった個人、そして夫婦が一つになった家庭、また子女と共に一つになった家庭を成し、自由と平和と幸福と希望が地上全体に満ちた、安定した基盤を築いたでしょう。その典型が家庭や国家にとどまらず、世界と全宇宙に広がるのが神様の理想でした。真の家庭において形成された天国モデルが国家全体に拡大され、国家圏の天国が全世界に拡大され、世界圏の天国が全天宙に拡大されるのです。

人間の最も基本的な心の姿勢と人格は、家庭で形成されます。家庭は愛と人格、そして生活の出発であり、その根本基台となります。人生は家庭基盤の上で、父母の愛によって生まれ、息子、娘の段階から夫婦の位置、父母の位置、祖父母の位置へとその位相を異にする愛の人格体として完成し、結局、子孫の愛情の中で天の国に行くようになっているのが創造原理です。家庭を通して歴史と国が生じ、理想世界が始まります。これがなければ、個人の存在する意味もなく、血統の伝承もありません。ですから、家庭はすべての価値と理念、そして制度と体制より優先される、最も貴い人間の愛と生命の本拠地になるのです。

3. 人間の罪の根本と真の家庭理想の回復

しかし、悲惨なことに、神様が理想とされた真の家庭は実現されませんでした。エデンの園で蛇はエバを誘惑し、エバはアダムを誘惑して、利己的な偽りの愛をこの世に植えたのです。人類の罪と不幸は、人間の先祖アダムとエバがサタンを動機として結んだ不倫の愛の結果から始まりました。堕落によって人類の始祖は善の先祖になれず、悪の先祖となり、悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。

このように誤った愛から出発した最初の家庭は、真の愛の完成人格である真の人、真の夫婦、真の父母の始原をつくることができなかったのです。偽りの愛の結実である堕落人間の利己主義は、真の愛の秩序を破壊し、自身の心と体の葛藤から、家庭、国家、世界的な葛藤によって、分裂と闘争を拡大してきているのです。

人間の不幸を治癒する解決方案は、神様に帰る蕩減復帰しかありません。ために生きる真の愛によって心と体の闘いを中断させ、本然の真の愛の人格に復帰しなければならないのです。人類が真の愛の人格の始原と標本となる真の父母を迎えて祝福を受けることによって、理想家庭を築くべき理由がここにあります。

個人を復帰し、真の家庭を復帰して、真の愛と善を世界的基準に拡大しなければなりません。ただこの真理だけが、争っている教派を一つに統一でき、また地上天国を成し遂げることができるという事実を知っている私は、五十年前にこの啓示をキリスト教の人々に明らかにしました。私は、もう一つの教派をつくる意向は全くありませんでした。しかし、神様のメッセージは既存の教団から拒否され、迫害を受けました。私はやむを得ず他の基盤を築かなければならなかったのであり、そのために過去四十三年間、苦労してきました。一九五四年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」を創立し、日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして全世界に宣教師を派遣しました。この基盤の上に、私たち夫婦は多くの団体を立て、真の家庭の原理が学術、言論、宗教、芸術、産業分野などで扱われ、この世界を蕩減復帰できる標本と典型をつくろうと努力したのです。

4. 神様の三つの悩みの種

罪の根源であるサタンの戦略は、真の家庭理想が実体化され、根を下ろすことができないように、常に破壊することです。これが過去五十年の間に、神様の三つの悩みの種にもなりました。第一は神様の存在自体を否定する共産主義であり、第二は不道徳と堕落であり、第三は教派と宗派間の分裂と葛藤です。

考えてみてください。どれほど多くの罪なき人々が、共産主義によって命を奪われたでしょうか。一億以上の人々が犠牲になり、また数億の人々が追放されて強制的に奴隷生活を強いられ、虐待と飢えに遭い、戦争で傷を負って、生涯を苦難の中で送らなければなりませんでした。それだけではなく、神様を否定する非真理を伝播することにより、人間が究極的な価値を見いだせないようにした罪科は、本当に大きいものがあります。

神様の二つ目の悩みの種である不道徳と堕落は、まるで押し寄せる荒波のように、家庭と国を破壊し、命を奪っていっています。道徳の崩壊は離婚と家庭破壊、青少年の淪落と未婚の母の問題、そして麻薬中毒などの悪の実を結びます。

これは特定の国の問題ではなく、世界共通の問題になりました。世界的に広がっていくエイズは、淫乱と乱雑な性生活の直接的結果です。日ごとに増えていくエイズをこのまま放置すれば、何百万、もしくは何千万の人命が失われていき、人類の存立を脅かすでしょう。

神様の三つ目の悩みの種であるキリスト教の教派間、または世界の宗派間の葛藤と分裂はどうでしょうか。神様にとって、宗教者は世界の良心でなければなりません。彼らは悪に打ち勝てる伝統と価値と実践力をもっていなければなりません。ところが、互いに反目し、分裂しながら争っているので、無能になって感化力を失い、悪に打ち勝って世の中を正しく指導する力を喪失したのです。以上の三つの根本問題は、五十年前に宗教指導者たちが神様の摂理に対して無知で、神様のメッセージを受け取れなかったことにより生じた結果です。

5. 人間の責任分担の重要性

世界の高名な指導者の皆様。神様の見解では、過去五十年間、世界のすべての不幸と絶望と破壊が必然だったとは捉えません。避けることができたのです。もし一九四〇年代の後半に、キリスト教を中心とした宗教界が神様の啓示に従い、真の家庭の理想と一つになっていたならば、共産主義はいち早く衰退していたでしょう。また、各教団の影響力ある指導と模範を見せる実践生活により、青少年の退廃、家庭破壊、エイズなども世界的な問題にならなかったでしょう。

共産主義者は、私を中傷して謀略を巡らし、評判の悪い問題の人物に仕立て上げました。私にファシスト、または似非宗教者というレッテルを貼り、世界的に誹謗を浴びせました。アメリカでは脱税という捏造の罪をかぶせ、監獄にまで送りました。しかし私は、過去二十五年間、アメリカが摂理的な使命を悟れるよう、私のすべての精誠と魂を注いできました。西洋を中心に、世界に寄与した私の思想的な指導と立体的な活動を通して、アメリカが共産主義に打ち勝てるように助けることができたのです。今や共産主義は、ほぼ消えつつあります。

不道徳と淫乱、そして退廃の風潮は、享楽主義と共に家庭を組織的に破綻させています。一部の現代人は、「伝統的な家庭以外に、同性愛の人々もまた別の類型の家庭を築くことができ、彼らは養子や人工授精によって子女をもつことができる」と考えるまでに至っていると言います。

これは、長い歴史を通して人類が存続してきた人類の存立の霊的根本土台を破壊する、恐ろしい結果を生み出しています。皮肉なことに、科学者は絶滅する植物や動物の種類に対して嘆いていますが、根本が破綻する家庭については悟れずにいるようです。

今日、神様は私たちに質問されています。「人類は救いを得るまで、人類の三分の一ほどをエイズや戦争によって失わなければならないのだろうか」、「神様が本来計画したとおりに、人間が万物と調和して暮らすことを悟る前に、地球の自然資源と環境がすべて破壊されるのではないだろうか」と。

神様は、決して諦めたりはされません。どのようなことがあっても、神様は真の家庭理想を通して人類と世界を救い、回復されるでしょう。疑問なのは、どれほどの代価を払うかということです。人間の生命だけではなく、経済的な損失や環境の破壊まで含めた代価のことです。堕落と不道徳のゆえにもたらされた社会問題は、経済的な崩壊とともに、さらに悪い環境をもたらします。世界の指導者はこの点を深く反省してみる必要があります。

神様の希望は、人間の苦痛が終わり、真で平和な世界一家庭を形成することです。神様は、私たちが自ら責任分担を完遂することを願われます。もし、人類が神様のメッセージを受け入れ、また確信をもって行動すれば、神様の国はそれに比例して早く、喜びの中で成就できるでしょう。そのようにしなければ、神様と人類の苦痛は延長され、不必要な死亡と不幸が続くでしょう。

6. 真の愛による祝福結婚

それでは、神様の悩みは、どのようにして解決されるのでしょうか。どのようにすれば、家庭が根本的に健全になれるのでしょうか。どのようにすれば、分裂した諸宗教が神様のもとで和解、協力できるのでしょうか。その答えは、国際祝福結婚式の中にあります。私と妻は、一九六〇年に三家庭を前にして主礼を行い、祝福結婚式を始めました。そのとき人々に、全世界の何千万双が神様の祝福を受けるようになると話せば、誰が信じたでしょうか。しかし、超国家、超人種、超宗教的に神様の祝福のもと、夫婦が純潔と貞節を守ることを誓約する三千九百六十万双の祝福式が、皆様の前で現実として進行されることになったのです。

尊敬する指導者の皆様。私はこの場で、過去五十年間の祝福歴史の中における困難だった事情を語ることはしません。ただ、祝福結婚式によってのみ、崩壊していく世界の家庭が根本的に安定し、その本然の役割を果たせることを重ねて強調します。各自が神様に侍る真の愛の人格を形成し、真の夫婦、真の父母になろうとする厳粛な誓約なくしては、真の家庭が回復されません。祝福結婚式によって創出された楽しく和合する家庭であってこそ、平和な社会と国家、そして世界をつくることができます。特に、国家と人種と宗教を超えて行われる祝福結婚それ自体が、世界平和の礎石になるのです。これが神様の願われることではないでしょうか。

今回の祝福結婚に、奇跡のように多くの家庭が同参するようになったのは、世界の志ある各教団の指導者の積極的な支援によるものです。そして、多くの国家指導者が、青少年の淪落と家庭破綻の問題は、この真の家庭運動によってのみ根本的に解決できるということに共感し、積極的に協力したので可能となったのです。私はこの場を通し、これらすべての支援者に、もう一度感謝申し上げます。

祝福結婚式は、人々、特に若者たちに真の愛の価値を自覚させ、絶対純潔の必要性を共感させる動機と媒介になるでしょう。この運動によって自覚した世界の善男善女が集まり、神様の祝福のもとで永遠の夫婦となる、真の愛の革命が起きなければなりません。このようにして築かれた新しい家庭が、神様のみ前に新たに誓約した既成祝福家庭の支援を受けながら、正しい倫理を実践し、世界に道徳の模範を見せることによって、真の愛が結実した理想的な家庭、社会、国家、世界を創建していかなければなりません。

祝福結婚式は、偽りの愛の因縁を清算して、絶対「性」を中心とした結婚の神聖な内容と価値の回復を目指します。真の夫婦の愛、真の父母の愛、真の子女の愛を回復するための儀式です。ですから、祝福結婚式に参席する当事者は、純潔と信頼を生命視し、不変の夫婦の愛を誓約します。その真の愛の基盤の上で、真の家庭をつくり、真の子女を養育し、生活の中で真の国家と平和世界の実現に献身することを誓うのです。

到来する未来の世界は、神様と人間と万物が調和する新しい心情文化、真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いのために生きながら、和合、協力し、共に暮らす共生共栄共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する若者たちが、人種を超越した真の愛によって、真の家庭と真の父母中心の真の家族理想で、「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。

尊敬する世界の指導者の皆様。祝福結婚は、神様が私たちに下さる最も貴い贈り物です。私たち夫婦は、皆様がこの歴史的な儀式に同参し、神様の祝福結婚を受けることを願っています。

これから「世界平和統一家庭連合」は、一層拍車を掛けて真の家庭運動を展開し、二〇〇一年まで三回にわたり、三億六千万双の祝福結婚式を挙行するでしょう。価値観の崩壊と倫理的な堕落によって、青少年が不倫に陥り、家庭が根こそぎ破綻しつつあります。

滅亡の道を転げ落ちる人類を危機から救うこと以上に、急がれる重要なことがどこにあるでしょうか。人類を救う根本的代案である真の家庭運動と祝福結婚式を世界化させ、普遍化させようとする私の活動は、尊敬を集めている皆様の積極的な後援を必要とします。国別に志のある指導者が結束し、真の家庭祝福結婚運動の支援部隊をつくって、国を救う運動をしなければなりません。人類を本然の姿に復帰するこの意味ある活動において、多くの指導者が主役となってくださるように、切にお願いします。そうして、万民が一日も早く真の家庭を築き、神様を中心とした地上、天上王権時代に入り、勝利と自由と平和と統一の世界で暮らせるように指導しなければなりません。

皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に、神様の愛が満ちあふれることを祈りながら、これで終わりたいと思います。

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第四篇 6 祝福と永生

第四篇 6

祝福と永生

日付:一九九八年一月二十三日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園重量挙げ競技場

行事:四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生み言訓読大会

世界人類は、終末期に生きています。今、世の中の家庭が壊れつつあり、父親と母親、そして子女たちが怨讐の関係になっています。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。真の愛がないからです。一番重要なことは、永生の問題が分からないからです。霊界があるか、ないかということを知らずにいるのです。

1. 永生問題を知らなければならない理由

人間は間違いなく永生するということを知れば、他の人が「罪を犯せ」と言っても、犯さないでしょう。「自分のために生きよ」と言っても、そのようには生きないのです。これが分からなければ、キリスト教を信じても、何の宗教を信じても、絶対に天国に行けません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛は、生命を投入しなければならないのです。

この永生問題と連結されなければ、社会の革命も不可能です。現在よりもっと疲弊して没落した環境に陥るとすれば、誰もが「その場には行かない」と言うでしょう。しかし、永生問題、永遠の生命の問題というときは、環境的条件をすべて克服できるのです。宗教はそれで偉大なのです。永生問題がかかっています。永生問題の概念さえ確立しておけば、そしてそれが事実であるという主観が立つようになれば、自分の息子、娘と家族を引っ張っていくのです。

今までの宗教は、そのような思想界を包括し、習慣性によって環境に編み込まれた現在の文化背景の根拠を、すべて消化させることができないのです。それはなぜでしょうか。永生という概念を確立できていないからです。キリスト教もそうです。

キリスト教も、今まで信仰してきたとしても、終わりの日になって環境が変われば変わるほど、すべてかき回されてしまうのです。なぜでしょうか。それは、永生という概念がないからです。

永生問題においては、自信がないというのです。神様がいるのかいないのか、分かりません。生命を懸けて、環境を越えていけるかという問題について見るとき、すべてそこに所属して四方を見回しながら、現在の生活の方便に従ってその道に陥りつつあるのです。

信仰の道というものが、今生きている人生、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界の生活のための準備であるという信念さえもつようになれば、その人は放っておいてもいいのです。人は時間が立てば立つほど、四十歳を超えて五十歳を超えるほど、死ぬ日が近づいてくるために、永生の概念について深刻になります。

愛というものは、年を取るほど希薄になりますが、永生の概念さえ分からせれば、年を取るほど、だんだんと深刻になるのです。そのため、真の宗教理念だけが、今後、世界を料理できるのです。邪悪な環境、混乱した変化がどれほど頻繁に起こっているでしょうか。しかし、永生の概念さえ徹底すれば、頻繁に変わる環境を貫いて越えていくことができ、どのような所から悲喜劇が起こってこようとも、すべて問題にならないのです。

神様は、アダムとエバを真の愛の相対として造ったのではないでしょうか。それは間違いありません。そのように造ったのですから、真の愛の対象となって生きなければなりませんでした。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大かということさえ感じるようになれば、「この道を行ってはいけない」と言っても、行くようになっているのです。

そのため、生活するときにいつも力を注がなければならないことは、どのようにして永生の概念を確立するかということです。それさえ確立されれば、すべて終わるのです。これを確立するときにも、理論的にそれが的中し、ぴったりと当てはまるときに心に響きます。肉身と一番近い位置で一つになるのは青少年のときです。

十六歳以前は、堕落前の本性基準を一〇〇パーセント活用できるときです。十六歳以前はアダムとエバが堕落する前なので、本性基準が生きています。ですから、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避的な関係が分かるのです。「その関係が、なぜ不可避なのだろうか」ということを分からせるために、永生概念を確立しなければならないのです。いつもこれを考えなければなりません。

2. 一生と永生

皆様は、どれくらい生きると思いますか。「七、八十年は生きるだろう」と思うでしょう。その前には死ぬと思わないのです。皆様は欲張りです。自分は「八十歳で死ぬ」とか、「百歳になって死ぬだろう」と絶対に信じたとしても、あす死ぬか、きょう死ぬか、分からないのです。御飯を食べながら死ぬか、または今晩、靴を脱いで部屋に入り、寝ている途中で死ぬか、分かるでしょうか。皆様は、「ああ、私は若いので、これから少なくとも四十年、五十年は生きる」という欲心をもっているでしょう。神様に保障されていますか。皆様はできるだけ短く、一年以内に死ぬものと考えてください。この短い期間に準備をすべてしなければなりません。そのような観念をもって、できるだけ短く見積もるほど良いのです。短く見積もるほど、損をしないのです。短い期間に正しく準備すれば、その内容が自分の永遠の生命の家を建てるのです。

それでは、その短い期間に神様を愛してみたでしょうか。神様と一つになって、神様と愛し合いたいのに、愛することができないのです。神様は、「愛しなさい!」と言われます。人間の世界で暮らす間、すべての人の中で一人でも神様に紹介するために、二十四時間、精誠を尽くしてみなさいというのです。そのように生きて死ねば、永遠の生命の主体になるのです。

皆様は何歳まで生きてから逝きますか。神様の命令によって、すぐに死ぬ場に出ていくとすれば、どうしますか。だとすれば、何かを残さなければなりません。天が自分を褒めることのできる何かを残すべきなのですが、自信はありますか。寝る時間が惜しく、食べる時間が惜しいというのです。心配しようにも、心配する暇がありません。

一生と永遠の問題ですが、その一生を短く見積もるほど、価値があるのです。他の人をどれほど愛するのか、人をどれほど愛する人になるのか、その次に、家庭をどれほど愛したのか、氏族をどれほど愛したのか、このように個人を愛し、家庭を愛し、氏族を愛するのは、全人類を愛するための教材です。彼らを愛するのは、全体を愛するための教材を愛することです。これをすれば、私たちの一生において絶対に損をしないので、この上なく知恵深い考えなのです。

3. 永遠の生命を追求する人間

永遠の生命の世界を追求するのが信仰生活です。永遠の神様の愛を追求するのが信仰です。永遠の生命とともに永遠の愛と一致するために、神様の喜びと私の喜びが出会い、二つの喜びではなく一つの喜びとして感じられる結着点を求めていくのが信仰の道です。

ですから、信仰生活をする私たちの個体が、どれほど主体的愛と生命力をもって生きるかということが、何よりも重要な問題にならざるを得ません。私たちが五官を通して感じる感覚の一切を統合して、この生命、または真の愛とどれくらい関係を結んで生きるかによって、人間としてどれほどの価値をもっているかという問題が左右されるのです。そのため、私たち自身が、生命力と湧き出る真の愛の心をもって対人関係を結び、社会生活をしてきたかという問題を、再び考えざるを得ないのです。もしそのような立場に立っていることができなければ、それは停止、もしくは後退することなのです。

人は一生だけでなく、永生します。宗教は今まで、地球星からなくなることなく、文化背景と風習が異なるすべての環境を経てきながら、世界的な版図を拡大させてきました。人は一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。

人は、この時代においてのみ生きるのではなく、宇宙と共に生活しなければなりません。一生は百年以内の短い生涯ですが、生涯を限界として、そのままなくなるのではありません。その限界線を克服すれば、限界としていたこのすべての地球村の生活を越え、超然とした立場で生存し続けられるのです。そのような世界は厳然と実在しますが、ないとしても、今に至るまで苦痛の中で呻吟しながら生きる人類を同情して助けるためには、理論的にでも永生論を主張しなければならず、理論的にでも神様を中心とした理想国家の形態を推理しなければならないのです。そのような面からも宗教が必要です。

しかし、理論的に考えられた宗教理想という事実を知れば、誰が満足を感じるでしょうか。「ある!」と断定できなければなりません。「ある!」というのは、自分が定めるのではありません。「ある!」というのは、創造の初めから定められているのです。根本から「そうだ!」と言えるところまで明らかにしなければならないのです。ですから、皆様の永生問題とともに、宗教問題を中心として、神様の問題まで解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されているのです。

4. 永生しなければならない理由

神様は、人間をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値となる、真の愛の対象者として造りました。これは驚くべき事実です。近頃、人間の生命の価値はどのくらいになりますか。いくらになりますか。そのような無価値な人間ではありません。神様のみ前に、宇宙を与えても取り替えられない高貴な価値、真の愛の相対圏として男性を造り、女性を造ったという驚くべき事実を知らなければなりません。

人は真の愛で生まれ、真の愛で大きくなり、真の愛で生き、真の愛で死にます。しかし、そのままなくなるのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一なので、その方のみ前に対象的な真の愛の立場に立つようになれば、永生するのです。永生という理論がここから出発するのです。生命から始まるのではありません。

今日、この地上で一番の真の人は、どのような人でしょうか。神様と内外で一体となり、子女の立場で完全に真の愛を受けられる人が、真の人です。そのような人が神様と共に暮らしていく生活を、真の人生の道というのです。

人々は、誰もが最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものです。また、私は神様のものです。そのようになれば、私は神様の息子になり、神様御自身と一つになるので、宇宙は誰のものになるでしょうか。私のものになるのです。

それでは、神様が一番愛し、一番貴く思う物があるとすれば、それを一日、もしくは十年や百年ぐらい共に過ごしたあと放り投げるように造ったでしょうか、永遠に共にいるように造ったでしょうか。永遠に共にいるように造られたのです。人も同じです。人が生まれて死ねば、終わりになるのがいいでしょうか、永生すべきでしょうか。水生しなければなりません。なぜでしょうか。人は、絶対者である神様が、絶対的な真の愛を中心として喜べる対象だからです。

それでは、皆様は永生を願いますか、願いませんか。漠然とですが、永生を願っています。自分にとって貴い物があれば、避難するときにそれをもっていきますか、もっていきませんか。もっていきます。それを誇りたいと思うのです。それを一日、二日だけ誇るのではありません。自分が死ねば、それを自分の後代に残したいと思うのです。永遠に残したいと思うのです。それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であるなら、その方が愛する対象も永生しなければなりません。ですから人々は、昔から永生することを願うのです。これをはっきりと知らなければなりません。ですから、絶対者であられる神様は、永生する価値をもった、愛する息子、娘を探さざるを得ないのです。

私たち人間は、神様が造られた傑作であり、神様に似ています。神様が永遠であられるので、私たちも永遠の性稟をもたなければならないので、私たちの心は老いることがないのです。

ですから、人は永生してこそ、その傑作としての存在価値をもつことができます。人間は万物の霊長です。ここから霊という言葉が出てくるのです。人は永生しなければなりません。

5. 創造主の永遠な真の愛の相対

永生の論理をどのように探しますか。神様は知恵深い方です。もし、神様が愛の理念を立てなければ、孤独単身で、喜怒哀楽を感じられない神様になるでしょう。愛は絶対的愛ですが、この愛を失われた神様は、歴史始まって以来、誰も体験できない、深刻で息の詰まる立場、絶対的に悲惨な立場に立ったのです。誰も慰められません。永遠に慰めることができないのです。

その本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足するのではなく、御自身が夢見た願いである真の愛の理想的相対を再現させて、それを抱いて千里、万里移動しながら、もっと輝くように装い、もっと美しく表示できなければなりません。万宇宙を彼らのために、そのように和動するように造ったのです。

大気圏に絶対低気圧圏ができれば、高気圧圏が生じ、自動的に循環運動が起こります。神様は本当に知恵の王です。なぜ投入し、忘れてしまわなければならないのでしょうか。自動的循環原理を通じて永遠の回転が始まるので、永世論理が設定されるのです。投入して、また投入するところから、永生の論理が始まります。ために生きるところでは滅びません。小さなところから大きなものに成長し、大きなものがその次にはどこに行くかと言えば、中に入って核が生じるのです。

神様が絶対的な真の愛の相対を求めるとするなら、誰をもってきて立てるのかと言うとき、「それは間違いなく人間である」と結論づけることができます。ですから、「万物之衆唯人最貴(マンムルチチュンユインチェキ=万物の中で人間が最も貴い)」という言葉が出てきたのです。これが、創造主の永遠な真の愛の相対、創造主の真の愛の相対になるという結論を出すとき、その真の愛と一つになった真の愛の相対は、永生するという論理が生じるようになるのです。

永生というのは自動的な産物です。永生はここから始まるのです。真の愛の関係を中心として、永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では極めて大切な話です。男性だけで永生があり、女性だけで永生があるのではありません。神様の真の愛と一つになるところに永生があるという結論が出てくるのです。

6. 真の愛によってのみ救いが可能

今日、キリスト教の人々は「イエス様を信じれば永生する」と言います。話としては良い話です。「それでは、永生はどのようにするのですか」と尋ねれば、「永生をどのようにするも何も、そのようにしてするんだ!」と言います。永生というのは、継続的な作用をつなげていかなければなりません。彼らは体をもったまま人生の道を永遠に行くことができるというのです。そのためには、心臓の動脈と静脈のような循環器官が正常に動かなければならず、神経系が正常に動かなければならず、大脳と小脳のあらゆる作用が正常に動き続けなければなりません。

では、どのように永生するのかと尋ねれば、皆様はどのように答えますか。イエス様を信じれば永生しますか。信じれば救われますか。とんでもないことです。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見るとき、真の人だけが神様の真の愛の同伴者なので、真の愛をもてば、永遠に生きられるのです。その真の愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で暮らすとき、自分がどこに行って暮らすのか、すべて目にするようになるのです。

皆様。大洋を行き来する大きな船が破損する危険が生じるときは、その船の中で暮らしていたねずみが錨綱(いかりつな)をつたって陸地に逃げるという話を聞いたことがありますか。微々たるものにすぎなぱ物も、未来の自分の生死の境を見極められるのに、万物の霊長である人間は、それができないのです。これは堕落したためです。この堕落の仮面をどのように脱ぐかという問題は、すなわち悪魔の愛と悪魔の生命と悪魔の血統からどのように抜け出すかという問題です。これを中心として、解脱という言葉を使うのです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという意味です。

7. 永生に必要な観念

私は永生する人です。その次に、真の愛を実践する人です。私は永生と真の愛を、ここで実践する人だというのです。自分がここで何をするにしても、その活動や、工場で働いたり何かをしたりすることが、永生を延長させる材料だというのです。

永生できるように訓練し、永生できるように育てる訓練材料を探し出すことが、私のすべきことだと考えなさいというのです。皆様にとって永生と真の愛は、いつも必要です。永遠に必要なのです。

「私たちは永遠に生きられる。永生を願う!」というように、永生を願うのですが、変わらないものは真の愛です。他のものはすべて変わります。環境的に変わるのです。それでは、なぜ真の愛は変わらないのでしょうか。真の愛はすべての生命力の中心なので、変わらないのです。真の愛はなぜ変わらないのでしょうか。真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなるまでは、なくなりません。真の愛は宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様が残っている限り、残っているというのです。

真の愛とは何でしょうか。皆様が結婚するとき、結婚相手は優れている人を願うでしょう。また、自分の息子、娘が、自分より優れていることを願わない人がどこにいますか。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。それは何かと言えば、神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願うということです。それを否定できますか。

絶対的な神様が私たち人類の父であれば、その父は絶対的に行わないのに、その息子、娘の前で絶対的に行いなさいと命令できますか。命令できません。神様も、真の愛の相対は自分より優れていることを願われるという原則から見るとき、人間の価値は最大の価値をもつのです。真の愛を中心として、神様より高い価値があるというのです。

8. 真の愛と直結した永生

そのため、皆様の心は最高のものを願っています。それは不可能なことではありません。万人が平等に可能なのです。堕落しなかったならば、可能なのです。天上の高く貴い立場からこの宇宙を眺めて管理し、主導するようになっているのであって、他の何かを眺めて、無理やり服従するようにはなっていないのです。

皆様の心がそうでしょう。解放された心です。誰の支配も受けたくないのです。これは万人共通です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天の国の玉座に思いどおりに行けるのです。神様の友達になれるのです。

真の愛ゆえに人間を造ったというとき、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様なので、その真の愛に一致した人間が永生するというのは、自然な論理です。ですから、永生しようとすれば、その真の愛の圏で暮らさなければなりません。真の愛によって永生が可能です。なぜでしょうか。創造の出発、動機、過程から、すべての目的が真の愛を中心として完成するのです。過程を通じて結果が出てきます。

自分の体と心の完成というのは、真の愛に属することによって根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは、真の愛しかありません。真の愛によって、真の愛を中心として、神様も永存しているのです。

神様は何を中心として永存するのでしょうか。永生は、真の愛によって連結されるのです。ですから、永生の環境を形成するためには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏をもつには、真の愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。

皆様は、神様が霊界のどこにいらっしゃるか、はっきりとは分かりません。皆様は、神様のこのような絶対的な中心、愛の中心という観念をはっきりと知らなければなりません。その真の愛の力は、最も早い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。それで、このようなことを教えてあげるのです。なぜ文先生が、このようなことを強調するのでしょうか。それを知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知っているからなのです。神様を知り、永遠の世界を知れば、いい加減に生きることはできません。

9. 神様、永生、真の愛を知らなければならない

第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。一〇〇パーセント以上、投入です。一〇〇パーセント以上、投入するところに永生があります。真の愛をもたなければ、永生がありません。永生しない人は神様に出会えないのです。

これから、世界をどのように収拾するのでしょうか。第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は利己主義です。これはサタン側と通じるのです。

その次に真の愛です。真の愛とは何であると言いましたか。自分の生命を投入し、それ以上に投入しなければなりません。生命を投入し、それ以上に投入しないところには、真の愛がないのです。レバレンド・ムーンはアメリカに来て、生命と財産と統一教会のすべての精誠を注ぎました。ここから真の愛が成立するのです。真の愛が成立しなければ、永生はありません。

なぜでしょうか。皆様の悪の生命の最高の起源は、サタンの血から受けたのです。サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。これ以上にならなければいけないというのです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七~三八)とあるのです。この言葉はどういうことでしょうか。心を尽くして、思いを尽くしなさいと言ったのは、生命まで懸けなさいということです。これが第一の戒めです。

第二の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)ということです。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というのは、どういうことでしょうか。生命を懸けて、真の愛を実践しなさいということです。生命を投入しなければならないというのです。

なぜ生命を懸けなければならないのでしょうか。生命を懸けなければ、第一にサタンを屈服させられず、第二にサタンの環境から抜け出せず、第三にサタンの血統から抜け出せないのです。この三つです。しかし、サタンの環境は抜け出せたとしても、メシヤ抜きではサタンの血統をどうすることもできません。

10. 真の愛と関係を結んだ死後の世界

神様には時間という概念がありません。時間の概念がないというのは、永遠に初めであり、終わりであるという意味です。過去も現在も未来も、同じだというのです。そのようになっても嫌でないように作用を起こすことのできる、神様が安息できる本質は何でしょうか。そのようなものが問題になります。

それは何でしょうか。全知全能の能力でしょうか。違います。神様の知恵、全知全能ではできないというのです。それによっては、安息できないのです。真の愛の力だけが可能です。神様も「真の愛!」と言えば、「そうか!」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ではないのです。

私たちは最後、どこに行かなければならないのかといえば、霊界です。それは何を意味するのでしょうか。一般的に死後の世界だと言いますが、死後の世界ではありません。なぜ、死後の世界にならないのでしょうか。真の愛と関係している世界だからです。真の愛と関係している世界なので、死後の世界ではないのです。真の愛を中心として出発したものなので、自分が真の愛の立場に立つようになるときは、既に今ここが霊界です。ですから、真の愛が偉大なのです。真の愛によって縦的な球形運動をしてこそ、上下、前後、左右が和合できるのです。縦は縦、横は横になって和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できないのです。統一が起こりません。真の愛だけが統一できるのです。そのため、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論じるのも、原理観に一致した結論なのです。

神様は人間を引っ張ってくださろうとします。神様も息をするのです。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙に拍子を合わせるので、真の愛を中心として、宇宙が永遠に続くのです。真の愛に永生があるというのです。ですから、皆様はここまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏に入っていくのです。

真の愛も息をするのです。宇宙の脈拍がこのようになるので、男性や女性が「ああ! 私は嫌だ!」とは言えないのです。拍子が合うときは、互いが本当に愛し合わなければなりません。方向がすべて同じです。一方向です。すべて、神様を中心とした一つの方向なのです。

11. 天国に行くためには祝福の門を通過しなければならない

霊界も肉界も、真の愛に従って動きます。その縦的な真の愛の主軸を中心として、環境的条件は自分自ら自動的に拍子を合わせるのです。「その共通分母は何か」と言うとき、過去の人も、現在の人も、何と答えるでしょうか。「永遠性と同伴できる資格は何であり、私たち人間の世界で必要とするすべての欲求の要因は何か」と言うとき、それは真の愛だというのです。それは取るに足らない愛ではありません。真の愛です。

それでは、真の愛とは何でしょうか。縦横を通じて九〇度を備え、どこであれ角度がすべて合わなければなりません。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南方型の家にも合い、北方型の家にも合い、五色人種(すべての人種)、文化背景、宗教背景がすべて違ったとしても、この道を一緒に行けるのが、正に真の愛です。今日、この世界には多くの人々が暮らしています。世界に六十億以上の人が住んでいますが、統一教会で言う「祝福」の意味を知る人は、多くないでしょう。この祝福という言葉は、統一教会で初めて始まった言葉であり、その祝福という言葉を中心として、今まで祝福結婚行事をしてきたのです。

それでは今後、人類はどこに行かなければならないでしょうか。すべての人類は、祝福の門を通らなければ天国に行けません。数多くの人がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天に行けないのです。このように言うとキリスト教では「統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な発言をたくさんする」と不平を言います。このような考えをもつ人、またそのように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの話であって、統一教会で語る祝福結婚は、堕落した人類にとって必ず行くべき道です。いくら反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていくべき重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。

今日、一般の宗教を信じる人々は、「救い」と言えば、個人の救いを考えます。よく信じれば、自分は天国に行くと信じる立場です。しかし、本来の神様の理想について見てみれば、天国は一人で行くようにはなっていないのです。

12. 夫婦の霊人体

私たちは、真の愛の理想を訪ねていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想を自分の体に、現実に身につけて、その真の愛をどれほど横的な世界に植えるのか、種として蒔くのかという、ここから真の愛の心をもって互いに与え合いながら育つのです。

このようにして、真の愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠な真の愛の圏に抱かれて、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。人は、この地上においてその殻がすべて老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は美しくなります。

それはどういう意味かと言えば、人間が長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高の円熟した美男、美女になるということです。肉身という殻は服のように脱いでしまわなければならないのに、これが若いままでくっついていれば、どうするのですか。ですから、老いれば外的な面の殻はすべて使えなくなりますが、内的な中身は成熟して、永遠の未来の相続者となり、最高の美人になるのです。秋の豊かな実りになるのです。

ですから、神様を直接愛する前に、皆様の足の先から、皆様の食べる食べ物を愛し、物質を愛し、万物を愛し、皆様の体を愛さなければなりません。万物を愛することによって、万物の要素を吸収し、自分の体を愛さなければなりません。

13. なぜ結婚しなければならないのか

皆様の第一の父母は皆様を生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆様は、皆様の肉身が大きくなれるように、地からその要素を供給されるのです。地が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に帰るのが死です。

第三の父母のところには、そのまま行くのではありません。第三の父母のところに帰ろうとすれば、本来の父母だった神様の姿に似なければなりません。ですから、結婚はなぜするのかといえば、神様の姿に似るためにするのです。神様は二性性相としていらっしゃる方として、その二性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性的な位置に帰らなければならないのです。

ところが、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚をしなければならないので、生まれながら真の愛を受け、成長しながらも真の愛を目標にして成長し、暮らしながらも真の愛を中心として暮らし、逝くときにも真の愛に帰るために逝かなければならないのです。その真の愛の道を行くという結婚の目標を中心として訪ねていかなければ、永生の方向が狂うという事実を、皆様は知らなければなりません。

祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体になるというのは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することなのです。真の父母が生まれた所は人類の祖国であり、地上天国と天上天国の出発地になるのであり、神様の全権時代を迎えるようになるのです。ですから、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は、訓読会を通して真の父母と超国家的に一体となり、万国に勝利圏を備えて、万国の祖国となりましょう! ありがとうございました。

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第四篇 7 真の家庭と世界平和

第四篇 7

真の家庭と世界平和

日付:一九九八年六月十一日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ・アストリア・ホテル

行事:一九九八世界文化体育大典

著名な学者の皆様、尊敬する宗教指導者、そして各界の指導者の皆様。「真の家庭と世界平和」という主題のもとに進められるこの特別会議に御参席くださったことを、心から歓迎いたします。

私たちは、深刻な道徳的混乱、世界紛争、環境問題、犯罪などに染められた二十世紀を清算し、希望の中で二十一世紀を迎えるべき歴史的な大転換期に立っています。人類は、戦争と苦痛のない平和の世界を渇望しています。しかし希望よりも、かえって次第に悪化していく物質万能主義の傾向と共に、国家権力と宗教が正しい影響を及ぼせない中で、青少年の退廃、家庭破綻、麻薬とエイズなどが、人類の将来をさらに暗くしています。高度に発達した科学技術も、便利な情報通信の発達も、経済開発と政治的努力も、人類の幸福と平和な真の家庭を通した世界をもたらすことができずにいます。

1. 真の愛の創造理想

人類は長い歴史路程を通して、ある一時も、完全な幸福の真の主人公になれませんでした。個人的にも全体的にも、家庭は多くの不幸を経験しながら過ごしてきました。それにもかかわらず、人間はいつも諦めずに、粘り強く幸福を追求してきたのです。それは本来、人間が幸福に生き、真の家庭の中で豊かに暮らすように神様が造ってくださったからです。人間は堕落の罪によって苦痛の生活をしてきましたが、その本性においては本然の幸福な自我を希求し続けてきたのです。

それでは、真の幸福の本質とは何でしょうか。神様は何によって、人間が本当に幸福になるようにしてあげようと思ったのでしょうか。神様は真の愛の本体であられます。神様は真の愛の理想ゆえに、無限に投入しながら創造をされました。真の愛は一人で、独断的にするものではありません。主体と対象の関係を通して、成就できるものなのです。したがって、愛を成就して体恤するためには、神様も主体と対象の関係を結ばなければならなかったのです。正にそれが、真の家庭でした。

2. 堕落によって失われた真の愛

神様の創造の根本目的は、真の愛とその対象である真の人です。絶対者である神様のみ前に、人間はどのようにしてその相対的な立場に立てるのでしょうか。努力や外的な条件によってではありません。ただ、真の愛の関係によってのみ可能なのです。主体と対象が完全な真の愛の関係を結べば、一度に同位権、同参権、相続権を互いにもつようになるのです。

神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとって最も貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を築くことです。真の愛は、人間を本当に幸福にする根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があります。真の愛の中で、永遠の調和が成し遂げられるのです。

神様は無形の主体であられ、人間は有形の実体対象です。神様は人間の真の愛の主体であり、真の生命の主体であり、真の理想の主体です。したがって、人間は真の愛の対象であり、真の生命と真の理想の対象になります。神様は父なる創造主であられ、人間は真の愛によって一つの体となる、その方の子女として造られたのです。

本来、真の人は心と体がいつも神様の真の愛を中心として一つになり、それに酔って喜びの中で生きるようになっていました。神様は真の愛によって幸福を感じる真の家庭を御覧になり、御自分も無限の喜びを感じると同時に、共にお住まいになろうとして、人間を創造されたのです。神様は真の愛によって人間と調和一体を成し遂げようとされたのです。ところが、人間の先祖が堕落してしまいました。

人間は個体の中で、悪の欲望を達成しようとする邪心の指向性と善の欲望を成就しようとする本心の指向性が、それぞれ異なる欲望を前に立てて、熾烈な闘争を繰り広げていることを感じながら生きていきます。私の体と私の心なのですが、気づいてみれば、体と心が対立している自分であることが分かるのです。このように人間の体と心が葛藤する矛盾性は、正に人間の先祖の堕落のためです。このような体と心の分裂、衝突は、家庭と社会だけでなく、国家、世界、天宙の分裂と不幸として続いてきたのです。

堕落とは、サタンの利己的な偽りの愛によって天道に逆らったことであり、結果的には、神様と真の愛が分からない無知に陥ったことです。こうして人間はサタンに従い、神様を失って、本然の価値も失ってしまったのです。創造本然の理想完成である心身一体を成し遂げた真の人になれず、幸福の根本要因である真の愛を中心とした真の家庭を築けませんでした。

3. 心身の統一基地

すべての被造物は愛の法度に従って創造され、また存在しています。人間の完成も、知識や権力、もしくは財力によって成し遂げられるのではなく、真の愛によって成し遂げられるのです。すなわち、真の人は、真の愛の経験を通して、神様の根本的な真の愛に似た人格として完成するようになっているのです。個性完成とは、心と体が一体となって調和することを意味します。人間は神様の真の愛の核と一致する場にいるとき、心身が一体となるのです。

心と体は、神様の真の愛の基盤の上で、生活を通して授受作用を永続しながら完全に一つとなり、真の愛の人格を成就するようになっています。心身が統一基地をつくってこそ、その上に真の愛の完成である真の家庭が安着するのです。真の愛だけが、心身の理想的な関係を永遠に成し遂げられるというのです。心身統一の基地の上に神様の真の愛が臨めば、真の愛の門が大きく開き、真の人は神様と宇宙の真の愛と共鳴するようになります。そのようになった真の人は、見て、聞いて、感じるもので真の愛でないものがなくなり、自動的に無限の自由と喜悦の主人公になるのです。

このとき、真の人は真の愛に酔い、最高の芸術的情感の中で暮らすようになっています。真の人の人格は、自然な形で相対世界と情によって同化し、共に酔いながら生活の中で美しさを体恤しつつ、全体的な創造目的を完成するのです。このようになれば、神様のみ前に完全な対象となり、神様に似て、その方の真の愛を相続するようになるのです。神様が感じることをそのまま感じ、神様が喜ぶことをそのまま喜ぶようになります。

人間にとって最も神聖で貴いものが真の愛です。真の愛は、自分一人だけでは生じません。自己中心的なところでは生じないのです。真の愛は、相対のために与え、また与え、与えたことをすべて忘れ、また与えて施しながら、一つになろうとするのです。ですから、真の愛はすべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個人だけの所有にはなりません。真の愛を相続したのちには、私のものであると同時に万民のものであり、宇宙共有のものになるのです。神様の希望は、真の愛を人間と共有することです。神様は御自身の息子、娘であり、最も高く最も貴い被造物である人間と、心情世界において真の愛の喜悦と幸福を永遠に共有したいと思われるのです。

4. 真の愛の完成

人間世界において真の愛を完成すれば、政治的や文化的、環境的に何か問題があり得るでしょうか。真の愛の世界では、解決できない問題がありません。真の愛の世界は、すなわち歓喜と理想が満ちあふれた自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散する世界になるのです。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、根本的な解決が可能です。

人間は成長期間を通して、神様の真の愛を段階的に体得しながら成熟するようになっています。真の愛によって生まれた人間は、真の子女の愛、真の兄弟の愛、真の夫婦の愛、真の父母の愛を順番に体恤しながら、完成するのです。

個体について見れば、心と体が一つになるところから真の愛が現れます。その次に、心身一体となった完成した男性と女性が真の夫婦の真の愛を交わし、その次に、彼らが真の神様の真の愛と連結して、子女を正しく愛する真の父母にならなければなりません。夫婦の心と体の中に神様の真の愛が臨み、その真の夫婦が一つになって、息子、娘を生むようになっているのです。そうしてこそ、完全で理想的な家庭ができるのです。

父母の真の愛、夫婦の真の愛、兄弟の真の愛、子女の真の愛など、四大愛を完成し、四大心情を体恤できる最小単位が真の家庭です。したがって、真の家庭は人間の真の愛と真の幸福の土台であり、真の生命と真の血統が芽生える所となります。ですから、真の家庭は人間が創造本然の真の愛と真の人格を育て上げる修練所であり、真の愛の学校なのです。このような真の愛の真の家庭は、人類の願いであると同時に神様の創造目的の根本になります。この真の家庭から輩出される真の愛の真の人格によってのみ、真の社会、国家、世界の完成があり、すべての環境圏の創造理想が具現されるのです。

私が常々、地上における真の家庭天国を強調する理由もここにあります。真の家庭天国が形成されれば、地上天国が形成されるのです。真の家庭天国で教育され、完成した真の愛の人格は、他人の幸福を阻害したり、環境と不調和を起こしたりはしません。いつでもために生きる真の愛によって調和一体を成し遂げる、真の人になるのです。

男性は神様の陽性の性稟を、女性は神様の陰性の性稟を代表する主体と対象です。神様の創造理念は、両性の中和体としていらっしゃる神様の性相を二性に分立し、再び神様の本性相に似た姿に合性一体化することです。真の夫婦は神様の二性をそれぞれ代表しているのであり、天と地を代表した立場で互いに調和一体を成し遂げるために生まれたのです。すなわち、男性も女性も、本来自分のために、自己中心的に生きるように創造されたのではなく、相対のために存在するように創造されたということです。真の夫婦はそれぞれ、相対のために生まれたことをはっきりと知らなければなりません。

真の愛は、一人では実現されないと言いました。真の愛は必ず相対的基盤を通して実現されるのです。夫婦間の真の愛は、自分たち夫婦のためだけのものではありません。神様の創造理想を中心とした真の愛です。絶対的な真の愛の主人は神様です。神様の真の愛によって、自分の相対と一つになろうとするとき、絶対的な神様の真の愛が臨在するのです。

真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した希望をもって未来の世界に向かって進まなければなりません。子女の誕生も、家門の繁栄も、この基台の上で可能になるのです。夫婦の真の愛が生活の環境圏を越え、神様の真の愛理想と一致する家庭を完成することが、究極的な願いになるのです。

5. 家庭の重要性

堕落はアダム家庭から起きたので、本然の姿に戻っていく目的は、アダム家庭の復帰完成にあります。神様は世界と国を求める前に、民族と教会を求める前に、御自身の相対を求め、一つの中心家庭を求めます。神様は歴史を通して、御自身の理想的な対象となる真の家庭を訪ねてこられました。この真の家庭は、私たちが習慣的に生活してきた家庭とは根本的に異なります。神様を中心とした理想的な真の家庭を探し出せなければ、理想的な国と世界も探し出せません。本然の真の家庭を先に立てる原則がここにあるのです。ですから、個人が救いの目標ではなく、真の家庭が救いの基本単位になるのです。

堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えたでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦となり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になったでしょう。

アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を形成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げたでしょう。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真の家庭を探し立て、これを中心として編成されるのです。このとき、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始原となり、人類の平和と幸福の起点になるのです。

6. 真の愛の革命

「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六・七)という言葉があります。人類の先祖がサタンを中心とした偽りの愛によって、悪の人格、悪の夫婦、悪の父母から、悪と偽りの種が蒔かれたのです。今の時代は、それでもこれまで人間社会を支えてきた父子の関係や基本倫理、道徳律までもがすべて崩れてしまいました。動物よりも劣る破倫行為が起こり続けています。その程度がひどくなっていくのです。エデンの園における堕落によってそのように植えられたので、その現象が歴史的、世界的に実を結ぶ収穫期になったという意味です。

本然の真の愛は、時代による発展もなく、そのままで完全なものです。原形そのものが真であり、永遠、不変、絶対的なものです。ところが、人間の先祖が成長期間において未完成のまま堕落し、偽りの愛の始原を形成したのです。利己的で悪の偽りの愛を土台として積み上げた人類文明は、このまま続くことはできません。このままではいけません。人類が滅んでしまうのです。

家庭の基盤が崩れ、子孫が根本的に誤っていくのに、外的な発展と物質的な豊かさに何の意味がありますか。歴史的な過ちと不条理は、根本的に清算されなければなりません。人類にとって最も至急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくしては、人類の幸福や平和な世界は望めません。今日の問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義、神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。

尊敬する指導者の皆様。私がこれまで世界的に展開してきた平和運動とともに、真の愛主義の理念を深刻に評価してくださることをお願いします。青少年に対する真の愛と純潔運動、そして国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による真の家庭運動などを、統一教会の教団的行事としてのみ考えてはいけません。

世界平和は、平和な国家がまずあってこそ、実現されます。国家の平和は家庭の平安が前提でなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富貴や知識が、平和と幸福の必要十分条件にはなり得ません。真の幸福は、所有に比例するのでもなく、外的な生活の利便さによって左右されるのでもありません。このようなものが真の愛と共にあるとき、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。本当の平和も無限の幸福も、真の愛で他のために生きて施すとき、そしてその施したものが全体を巡って再び訪ねてくるときにのみ、確実に得られるのです。

尊敬する指導者の皆様。今に至るまで皆様は、各分野において並外れた信念をもって、人類の福祉と社会発展のために大きな実績をもって寄与してこられたことを知っています。もちろん、その分野においてさらに大きく寄与されるでしょう。しかし今、人類は総体的に危機の時代を迎えています。特定分野だけの備えや努力だけでは足りません。指導者たちが時代の良心となり、積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり前提条件である真の家庭を創造し、指導するために進み出なければなりません。

十三日に私が執り行う三億六千万双祝福結婚式の第一次儀式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育してきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、既に神様のみ前に婚約し、神様の真の愛を中心として真の夫婦、真の父母となり、真の家庭を築く人々です。平和世界の実現のために、真の家庭運動を通した歴史的な真の愛の革命を勢いよく進行しているのです。

親愛なる指導者の皆様。人類を家庭破綻の道から救うことよりも、さらに急がれることがどこにあるでしょうか。平和世界に向かう真の家庭運動に積極的に同参してくださることを重ねてお願いします。

神様の真の愛が皆様と皆様の家庭、そして国と共にあることをお祈りいたします。誠にありがとうございました。

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第四篇 8 祝福家庭と理想世界

第四篇 8

祝福家庭と理想世界

日付:二〇〇二年四月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン・ナショナル・ホテル

行事:十四万四千双聖職者祝福結婚式祝賀晩餐会

内外の貴賓の皆様。まず、歴史的な超宗教、超人種、超国家で構成された十四万四千双聖職者祝福結婚式に参加した当事者の皆様に、心からお祝い申し上げます。真の家庭理想を中心として、宗派と教理を超越して五色人種が一つになったきょうこの日は、葛藤と紛争に明け暮れてきた人類文明史に対して、愛による和解を勝ち取った新しい歴史の一日として記録されるでしょう。

1. 真の家庭の重要性

私は、過去八十年以上の生涯を通して、自ら創設した教団を飛び越え、唯一なる神様のもとの一つの平和世界を建設するために全身全霊を注いできました。その実が結ばれたこの意義深い場において、多くの教団の指導者の皆様と今から分かち合おうと思うみ言は、「祝福家庭と理想世界」です。この世の中には数多くの人々が暮らしていますが、彼らはみな、家庭に属しています。しかし、真の家庭がなければ、真の子女を育てることはできないのであり、真の社会の形成も不可能です。このように、真の家庭が基礎となり、真の社会、真の国家、真の世界が成し遂げられるというのは、当然の事実です。その真の家庭とは、神様の真の愛を中心として築かれた家庭を意味するのです。

今までの歴史時代には、真の家庭とは何かということに対する定義がありませんでした。それだけでなく、真の人が目指すべき目標とその限界点が何かも、明確ではありませんでした。人はどこから来て、どのように生き、死後はどこに行くのかが分からない、無知に陥っている人間だというのです。そして、このような人間が、自らの到達すべき目的の標準、修養の基準、人間完成の限界点を規定できないまま、歴史を経てきたのです。

個人がそのような立場に立てなかったので、人間が願う最高の家庭的な基準が形成されるはずがありません。このように見るとき、数多くの人間が、各自行くべき人生行路において苦しんでいることも問題ですが、私たちが忘れてはならないより大きな問題は、真の個人を基盤として真の家庭基準を成し遂げるべき課題が、人類の行路と発展する人類歴史の途上に残っているという事実です。

それでは、人間の霊的な無知を打開してきた宗教が目指すべき最後の目的は何でしょうか。個人の救いにも意味がありますが、さらに家庭を救わなければならないのです。まず家庭を取り戻し、悪主権に属している人間を罪悪の中から解放しなければなりません。

本当の意味で歴史を代表し、時代を代表し、未来を代表する家庭を取り戻さなければなりません。さらには、世界人類が共に喜べる家庭の土台と家庭が行くべき正道の基準を確定しなければなりません。その家庭の制度がどこから出発し、どこに向かうべきかということが決定されなければなりません。そのようにならない限り、この地上に平和の世界を創建できないというのです。外的なものがいくらよく成し遂げられたとしても、家庭が健全でなければ、世界は一時に破綻し得ることを知らなければなりません。

2. 家庭は真の平和の起点

家庭には、父母がいると同時に夫婦の関係があります。父母がいなかったり、夫婦が別れたりしていても不幸なことですが、愛する配偶者を失うときには、この上なく悲惨で不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女をもてなければ、それもやはり不幸に違いないのです。たとえ外的に見れば大きく成功できなかったとしても、家庭で真の父母、真の夫婦、真の子女を中心とした愛を完成し、誰もがその家庭を手本にしたいと思うほどに平和に暮らすならば、その家庭は、幸福な家庭であることを否定できないでしょう。

今日まで、聖人や賢人が平和を語ってきましたが、家庭が真の平和の起点であることがよく分かりませんでした。それは、神様の創造理想が、理想家庭を土台とした平和世界建設であることを知らなかったからです。今まで、この世界の歴史の中では、各種の革命が数多くありました。革命の結果として世界を動かした事実が多くあったとしても、それはすべて過ぎ去ってしまうのです。最後の問題は、真の家庭を築くための革命を起こせる一つの中心が、地球上に顕現しなければならないということです。

そうして、そこから新しい世界の創建、新しい歴史的な理想の出発が現れなければならないという事実を否定する道理はありません。これが第一イスラエルであるユダヤ教から、第二イスラエルであるキリスト教を通して伝授されてきたメシヤ思想です。正しい家庭の起源をもてなかった人が、正しい方向に進むでしょうか。進んでも、安定した目的点を見出せずに戻ってくるしかありません。ですから、再び家庭を訪ねて入っていかざるを得ない運命をもっているのが人生行路なのです。

3. 堕落した人類を救うための最初の起点は家庭

本郷を追求していく人間の力が、歴史全体とすべての環境に影響を及ぼすことができ、幸福の土台を築く動機にならなければなりません。そのような人間の力の基盤となる家庭が、どこに築かれるのでしょうか。今日、すべての宗教は、社会に公的な利益をもたらす前に、家庭に公益となる基盤をまず整えなければなりません。なぜなら、宗教が社会に公益となる業績を立てたとしても、その社会を形成している家庭の基盤が歪むときには、社会の土台も崩れてしまうからです。

このような点から見るとき、神様が堕落した人類をお救いになるための最初の起点とはどこなのでしょうか。ある文明を誇る特定の国家でしょうか。違います。社会のある組織が理想的な組織だからといって、それを中心にするのでしょうか。違います。それでは、天才的な素質をもったある個人を中心にするのでしょうか。違います。これらすべてのものを超越できる一つの起点が真の家庭であるということを、皆様は知らなければなりません。ですから、今日、人間はそのような家庭の門を通過した資格を備え、勝利者の称号を掲げて世界に向かっていける人にならなければなりません。そのような主義と思想に応ずることのできる個体が現れなければならないのです。

それでは、どうして仏教とカトリックでは独身生活を強調してきたのでしょうか。独身主義が人間の幸福の土台であると本当に言えるでしょうか。違います。それは、どのような宗教や主義も、真の幸福の根源がどこにあるかということを提示してあげなかったために、独身生活をしながら、今後現れる純潔で正しい家庭を約束してきたのです。

昨今、提起されているカトリック内の深刻な問題は、十三世紀以降、継続されてきた独身主義に対する根本的な再考を意味するのです。神様のみ旨は、真の男性と真の女性が形成する真の家庭を通して成し遂げられるようになっています。聖職者たちが先頭に立ち、理想家庭を築いて手本を見せるのは、当然のことです。

今日、アメリカだけでなく全世界において、青少年の脱線と堕落は健全な社会を脅かしています。世界は、人間の努力と人間愛では収拾できない終末的な状況に到達したというのです。ですから、必ず新しい運動が起こらなければなりません。誤ったことを清算してしまい、本来の基準で出発しなければなりません。

そのような意味で、歴史とは本然の理想世界に向かって古いものを清算し、新しいものを再創造していく再創造復帰摂理歴史です。ですから、古いものと新しいものがぶつかるのです。今まで、個人が家庭を好きなように立ててきましたが、これからはそのように立ててはいけません。そのような時代に私たちは立っているのです。

多くの宗教の創始者の中で、イエス様は、特に家庭に関して深刻なみ言を多く語られました。イエス様は、神様をどのような方だとおっしゃいましたか。「神様は私の父であられる」とおっしゃったのです。創造主である神様と人間の関係を、父母と子女の関係であると説いたのです。さらに、自分は神様のひとり子だと言いました。これは、イエス様が神様の最初の息子であり、一人息子であるということです。

神様が愛の本体であるとすれば、人間とは父子の関係とならざるを得ません。ですから、私たち人間と創造主の関係は、単純な造物主と被造物の関係を飛び越え、真の愛、真の生命、真の血統によって連結された関係となるのです。

4. 神様を中心とした家庭を築くことがイエス様の願い

また、イエス様は「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られました。新郎と新婦が結婚すれば夫婦になります。家庭を築こうというのです。結局、家庭を築いて子女を生もうということです。ですから、結婚した夫婦は必ず息子、娘を生んでこそ、家庭がしっかりと築かれるのです。妻が憎くて離婚したくても、子女を生んでおけば、いい加減に別れることもできないのです。子女は、夫婦の愛の実です。

イエス様は、神様のひとり子、天の国の王子としてこの地に来られました。それも、神様の第一王子として来られたというのです。神様の全権を相続するのにふさわしい王子として、神様の印を受けて生まれた息子なのです。そのような神様の息子を迎えて、神様の長子の嫁にならなければならなかったユダヤ民族でしたが、そのようになれませんでした。

それでは、皆様の中で、その王子の新婦になる自信のある人がいますか。新郎新婦は神様を父として侍り、天の王子と王女として関係を結ばなければなりません。このように、神様を中心とした家庭を築くことが主の願いでした。外的な天下を所有しようということではなかったのです。

それでは、キリスト教は何をするべきなのでしょうか。全人類が共同で願う、来られるその方に新婦を準備して、その方が願われる環境をつくってさしあげなければなりません。これを聖書では、「小羊の婚宴」と比喩したのです。このような歴史的な責任を背負ってきたのが、正に新婦の宗教であるキリスト教の使命であるという事実をはっきりと知らなければなりません。

結局、イエス様が肉身をもって地上に来られた目的は、新婦を得て家庭を築こうということです。問題は家庭です。真の家庭を築いたならば、イエス様は、何にならなければならないのでしょうか。家父になるべきです。家父になると同時に、家長にならなければなりません。さらには、氏族の長にならなければならないのです。しかし、イエス様は家庭理想を完成することなく、十字架で亡くなられました。イエス様が築くべきその家庭は、神様をお迎えして千年、万年暮らしたいと言える家庭です。韓国の民謡の中に、「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ。あの、あの、あの月の中に桂の木が植えられたので、父母に侍って千年、万年暮らしたい」という歌があるのです。

5. 祝福とは神様の願いである真の家庭を築くこと

それでは、家庭を築いて何をすべきなのでしょうか。子女を生まなければなりませんでした。すなわち、神様の孫と孫娘が出てこなければならなかったのです。結局、神様が直系の孫と孫娘を見ることができなかったことが恨です。神様は今まで、すべての人間の標本的な家庭を立てようとされたのです。

ですから、神様はそのような家庭をどれほど慕われたでしょうか。また、堕落によって結ばれた人間が、どれほどその家庭を慕ったでしょうか。皆様も、その家庭を慕ってみましたか。理想家庭を中心として、すべての人類が一つにならなければなりません。そうして、人類は何を探し出さなければならないのでしょうか。真の家庭を迎えなければならないのです。

今日、堕落した世界の家庭は、神様のみ前に立つことができません。このような曲折があるので、「あなたの家族が怨讐である」と言われたみ言は正しいというのです。イエス様はこの地に来て何をしようとしましたか。神様を中心とした一つの家庭を築こうとしたのです。ところが、この家庭を築けなかったので、再び来るとおっしゃいました。再び来られて、何をしなればならないのでしょうか。家庭を築かなければならないというのです。そうして、その家庭において息子、娘が後代に繁殖し続ければ、氏族が形成され、民族が形成され、国家が形成されるのです。

そのような純粋な神様の家庭を築こうとすれば、神様の愛を中心とした家庭の血族がこの地上に現れなければなりません。ところが、その家庭を築けなかったので、神様が再びこの地上に、神様の創造理想だった本然の基準、すなわち本然の家庭を中心とした復帰の血族を形成するために、今まで救援摂理をしてこられたのです。

そのような家庭を立てるために、皆様がよく御存じの「祝福」というものをしてあげているのです。その家庭を「祝福家庭」と言います。その祝福家庭とは、どのような家庭でしょうか。神様を中心とした理想的な家庭のことを言うのです。その家庭は、来られる主を迎えるべき家庭であり、これからの後代の人々も迎えるべき家庭であり、すべての人間が最後にもたなければならない共同の目標です。

それでは、行くべき共通の関門は何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。本然の家庭です。民主主義の世界に、真の民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。この本然の家庭が現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ないというのです。

ですから、私たちが願うこのような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探し出すべき家庭が、この地球上に必ず現れ、人類歴史と運命を共にできる一時が来なければならないのです。それでこそ、地に対する神様の摂理が成し遂げられるのであり、安息の福地、安息の住み家が出発するのです。このように、家庭を生かし、地域社会を新たにし、国を強健にする運動において、聖職者が先頭に立たなければなりません。

内外の貴賓の皆様。きょう、祝福を受けた聖職者の皆様は、今から先頭に立って、皆様の教会と皆様の地域社会において、この祝福運動を主導し、平和の国、平和の世界を成し遂げていく先駆者となることを願います。神様の祝福が皆様の家庭に共にあることを願いながら、話を終えようと思います。ありがとうございました。

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第四篇 9 真の愛と真の結婚

第四篇 9

真の愛と真の結婚

日付:二〇〇四年八月二十一日

場所:韓国、ソウル、ロッテワールド・ホテル

行事:真の心情革命と真の解放・釈放天一国入籍祝福式祝賀宴

尊敬する元・現職の世界首脳と国内外の貴賓の皆様。まず、万有の真の父母、真の師、真の王、真の主人であられる父なる神様に、きょうを迎えさせてくださったことを、私たち全員で心から感謝しましょう。

1. 真の愛と血統転換

きのう、私たちが一つの心で同参し、勝利を収めた「真の心情革命と真の解放・釈放天一国入籍祝福式」は、神様の摂理と歴史的見地から見るとき、歴史上、空前絶後の人類の勝利であり、神様の喜びです。

人間の先祖の堕落によって、人類は神様のみ旨ではない偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を伝授されました。しかし、堕落とは無関係の位置にいらっしゃる神様ですから、御自分ではどうすることもできず、数千、数万年を耐えて待ち続けてこられたのです。昨日はそのような父なる神様の恨を解いてさしあげる真の父母様の勝利であり、解放と釈放の日でした。

サタンのくびきの中で苦しんでいた六十億の人類が、今や天の真の父母と地上の真の父母を仰ぎ、侍って暮らせる新天新地の世界、すなわち後天開闢の時代である安着太平聖代を謳歌できる門を大きく開く天地合一の祝福式だったのです。

今や皆様は、後天時代を迎え、天が下さる真理のみ言を皆様の家庭と国で実践躬行し、永生のための準備を徹底的にしなければならないときです。先天時代の葛藤と衝突、そして対決主導の世界から、天地父母様であられる真の父母様の勝利的基盤の上に立ち、今から私たちは、共生と和合統一の実体的天国、天一国を創建しなければなりません。そのような意味で、きょう私は、皆様がこれから実践して生きるべき「真の愛と真の結婚」という題名で、私が生涯説いてきた真の愛の原理の一端をお伝えすることにより、晩餐の辞に代えようと思います。

皆様。真の愛とはどのような愛でしょうか。明らかに、世の中でよく言う世俗的な愛のことではありません。気の向くままに与えてはやめてしまう、そのような愛ではありません。肉身の欲望に引きずられ、本心に釘を打つ、そのような放縦と放蕩の愛では決してありません。真の愛は、公益性を帯びた無形の秩序であり、平和であり、幸福の源泉です。世界人類のための共同の財産であり、神様の意志と力の象徴です。

真の愛は、その根を神様に置いているのです。真の愛は、与えれば与えるほどもっと与えたくなり、もっと豊かになり、もっと大きな喜びを抱かせてくれる神秘的な愛なのです。私たちの生命の動機と過程、そして終末までも動かせる偉大な力を所有しています。人間は、真の愛から生まれ、真の愛によって育てられ、真の愛の道を歩み、真の愛によって死んでいく一生を送るように創造されているのです。ですから、真の愛は最高、最上の価値をもっているのです。

真の愛は、永遠に一緒にいて、永遠に一緒に見ながら、永遠に一緒に語り、永遠に一緒に聞いて、永遠に一緒に感じても、ただうれしいという愛です。万民が一緒に喜ぶ愛です。小さければこの上なく小さいものであり、大きければこの上なく大きい愛です。真の愛の中では、目が一度瞬きするだけでも天地が揺れ動く喜悦を感じることができ、にっこりと笑う一度のほほえみにも、私たちの一生が行ったり来たりする超人的な力を感じるのです。見えると思えば見えず、見えないと思えば見えたりする、神秘の塊です。真の愛の色彩はどのような色彩でしょうか。夜なら真っ黒で、昼には白く、夕方には黄色いと思いますか。真の愛の中心の色彩は、和合と統一、そして平和と幸福です。

原子爆弾は人間の生命を奪う力しかありません。創造ではなく、審判と破滅の象徴です。しかし、真の愛には死んだ生命を生かす復活の力があるのです。したがって、世界を一つに束ねて統一させる力は、核爆弾を前面に立てた武力と権力にあるのではなく、真の愛にあるのです。国ごとに固有な文化的背景があり、国境がありますが、このようなものを越えられる武器は、真の愛しかありません。今日の世界人類が抱えているあらゆる難問題も、真の愛の完成を通してのみ、解決できるのです。

2. 真の父母と血統転換

皆様。真の愛を求めなければなりません。真の愛を皆様のものにしなければならないのです。皆様の生活の中で、真の愛を完成しなければなりません。どこに行って探し出せるのでしょうか。まず、真の愛の存在像を調べてみれば、真の愛は東西南北の四方性を備え、人種と文化と宗教と国境を超越して存在し、作用します。生命よりも先に作動するので、生命の根源となるのが真の愛です。真の愛は変化もなく、どのような革命もありません。真の愛は、原形そのままで完全なのです。真の愛は最高に自然なものであり、最高の真実の愛です。世の中のどのような作用よりも早いのが、真の愛の作用です。

真の愛は、縦的な真の父母の実体として来られた横的な真の父母から、真の祝福を受けることによって神様の血統に接ぎ木され、初めて種を受けるのです。偽りの堕落世界においては探し求める道がありません。絶対に不可能なことです。堕落の結果として生じた人間中心の世界では、善の血統を探し求める道がないのです。

真の父母を通して真の善の血統に接ぎ木されてこそ、皆様の体と心の闘争も克服でき、ひいてはカインとアベルの関係、宗教、人種、国境問題、民主と共産の問題を解決できる道を見いだせるのです。今日、世界の最も危険な紛争地域である中東の平和と韓半島の統一も、ここから探し出せるのです。

このように、血統転換は重要で深刻なことです。六十億人類の生死がかかった空前絶後の出来事です。正にこのような理由から、二〇〇四年八月二十日、皆様全員が大韓民国の国会で共に奉呈した「真の心情革命と真の解放・釈放天一国入籍祝福式」は、皆様の一生で最も大きくて貴い恩賜であり、祝福なのです。皆様は今、世界平和の王に即位した真の父母から祝福を受け、真の血統を伝授され、真の愛の種を受けました。この種をよく育てて花を咲かせ、真の実を結ぶようにしなければならないのが、皆様の残された生涯であるということを忘れてはいけません。

3. 結婚は愛する訓練のためのもの

皆様。結婚はなぜするのでしょうか。一言で言えば、神様の姿に似るためです。神様は、二性性相で存在される方として、二性が合体化した一体的存在でいらっしゃり、神様の分性的人格が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に戻らなければならないのです。結婚の最高の神性を私たちは謳歌しなければなりません。男性と女性が愛し合える道は、結婚生活だというのです。結婚によって一つとなり、誰に似ようというのでしょうか。神様に似ようというのです。男性と女性が一つになってこそ、御自身の形どおりに造られた神様に似るのです。そのようになってこそ、神様が臨まれるのです。

男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。したがって、男性と女性が合わさって調和を形成し、平和を成就しなければなりません。天地合徳(和合)とは正に、夫と妻が神様の真の愛を中心として、完全一体を完成した境地のことを意味するのです。夫と妻が真の愛で抱擁するのは、宇宙が一体を形成することと同じです。神様の理想の中で形成される創造本然の姿がそうなのです。結婚は、世界と万民を愛する訓練を受けるためにするのです。結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権が賦与されることを意味します。したがって結婚の目的は、世界を代表した男性と世界を代表した女性の心の世界を一致させようということであり、男性と女性の愛を完成させようということです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を達成したならば、家庭理想を実現したと見ることができます。そのような土台の上で死ぬならば、皆様は間違いなく天国に入っていくのです。

なぜ結婚が重要なのでしょうか。真の愛を訪ねていく道だからです。生命を創造する道だからです。男性と女性の生命が一体になる道であり、男性と女性の血統が混合する道だからです。結婚を通して歴史が生まれ、その基盤の上に国家も生まれ、理想世界も始まるのです。結婚は、自分よりも相対のためにするという信念をもってしなければなりません。自分本位に立派で美しい人をもらおうというのは、誤った考えです。人間は、他の人のために生きるように生まれたという原則を知れば、結婚も当然、相対のためにしなければならないということが分かるでしょう。

いくら醜い人でも、世界最高の美人よりもっと愛そうという信念をもつのが、原則的な結婚観でなければなりません。人間として生まれ、自分の相対を神様のように愛し、人類を愛するように愛し、世界の誰よりも愛そうという覚悟がなければ、夫婦として天の国に復帰できないのです。一人の男性として、一人の女性を真に愛することができない人が、どうして神様と人類を愛せるでしょうか。

結婚は、幸福の宮殿の門を開いて入っていく儀式だと言えます。そのような意味で、結婚は人倫の大事になります。愛は時空を超越して存在し、役事(働き)するので、人間社会の出来事の中で最も偉大なものであり、結婚は正に、そのような愛を現して確認する儀式になるのです。

尊敬する貴賓の皆様。今晩、私は真の愛と真の結婚に関する天の教えの一端をお伝えしました。新婚の夫婦でも既婚の夫婦でも、皆様は今、天の印を押された真の夫婦としての道を歩むように、天の命令を受けました。

皆様は真の父母との関係によって真の愛の種を受けたので、真の結婚生活を通して真の実を生産する真の夫婦になってください。真の父母になってください。真の家庭を築いてください。真の国家を建ててください。天運が皆様を助けるでしょう。ぜひ、天の期待に添う真の愛の生活を実践されることをお願いしながら、これで私の話を終えようと思います。ありがとうございました。

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第四篇 10 祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道

第四篇 10

祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道

日付:二〇〇五年八月二十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:平和の王即位一周年記念式

尊敬する内外の貴賓、そして愛する祝福家庭の皆様。まず、神様の祖国創建と人類平和の具現のために、世界各地で苦労される皆様に、深甚なる感謝の言葉を申し上げる次第です。

1. 創造理想的家庭

皆様も御存じのように、きょう私たちは、二〇〇四年にアメリカと韓国の国会において私を「平和の王」に推戴し、戴冠式を行った歴史的な日を記念するため、このように席を共にしました。思えば、きょうはまた、私が過去八十年以上の生涯を捧げ、天のみ旨を成し遂げてくる過程で、口惜しい謀略と迫害によって経なければならなかった六度の獄中生活のうち、その最後であるアメリカのダンベリー刑務所における獄苦に勝利した出監記念日でもあります。この意義深い日を記念する場で、私はきょう、皆様に祝福結婚の価値とその意味に関する天のメッセージをお伝えしようと思います。み言の題名は、「祝福結婚は天地合徳、宇宙合一の道」です。

宇宙万物の創造主であられる神様は、どのような姿で存在されるのでしょうか。神様は二性性相でいらっしゃいます。ここで言う二性性相とは、男性格主体と女性格対象の二性性相を意味します。したがって、神様の男性格を分立させて創造したのが人類最初の男性格先祖であるアダムであり、神様の女性格を分立させて創造したのが人類最初の女性格先祖であるエバです。そして、アダムとエバを再び合わせた姿と同じものが彼らの子女です。神様の創造は、このように正分合の原則に従って展開します。神様を一代として、アダムとエバが二代であれば、彼らの子女は三代の位置に立つようになり、一つの家庭で三代圏を形成し、未来永劫、罪のない子孫が繁栄するように祝福されたのが、神様の人間創造でした。

アダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個性完成、すなわち人格を完成し、神様の祝福の中で夫婦関係を結んで神様と完全一体を完成したならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されたでしょう。これを総称して、人間に対する神様の祝福と呼ぶのです。

一般的に祝福とは、福を祈ってあげるという意味です。それでは、福の中の最高の福とは何でしょうか。人間にとってどのような福が、最も貴い福かというのです。お金ではありません。名誉でもありません。権力や知識でもありません。アダムとエバが神様の祝福の中で結婚し、罪のない子女を繁殖することさえできたならば、それ以上に貴い福はなかったでしょう。宇宙万象も喜びで応じ、神様にとっても最高の喜びの日になっていたのです。このような祝福の場は、摂理的に見るとき、地上天国と天上天国が出会う場なのです。

もしエデンの園で、神様が女性を創造せず、男性だけの創造で終わっていたとすれば、どのようになったでしょうか。奇跡の中の奇跡は、男性と女性が共存するという事実です。片方だけの存在では、何も存在しないのと同じです。人類はそのまま、百年もたたずに終わっていたでしょう。男性と女性が共にいるところから、初めて天道が立てられ、人倫と道徳が始まるのです。

したがって、完成したアダムとエバの結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバは神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、有形、無形共に両面で人類の真の父母になっていたはずです。

しかし、人類歴史は人間の先祖の堕落により、最初の一歩から罪悪と闘争の歴史に転落してしまいました。当然、神様を真の父母として侍って暮らすべき人類は、偽りの父母となった悪魔サタンの支配を受けて生きる地獄の主人になってしまったのです。神様の分聖殿となり、神様が臨在される、神様と同じ価値をもつ人間になるべきだったアダムとエバの体は、様々な罪悪と偽りの温床、悪魔の舞踏場になってしまいました。

具体的に堕落とは、神様の祝福の中で挙げるべき結婚式を、サタンを中心として挙げたことを言うのです。創造原理によれば、真の愛、真の生命、真の血統は父母から相続します。したがって、サタンを父母として生まれた人類は、選択の余地なく偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を伝授されたのです。生まれながらにして体と心の葛藤の中で苦しみ、死ぬ瞬間までもその問題を解決できずに旅立っていくかわいそうな人間になってしまったのです。

2. 堕落と復帰

人間の中で神様の声を代弁している良心の声を無視し、サタンの走狗となっている肉身の欲望に従って、振り回されながら一生を生きているのが皆様自身の姿です。大部分の人は、自分がそのように寂しく無念な境遇に陥って生きているという事実さえ悟れずにいます。前後左右を見回しても、みな同じなので、自らの盲目的人生をごく当たり前のこととして受け入れて生きている、愚かで哀れな人間になってしまったのです。皆様はいつまで、この悲劇を好んで生きるのでしょうか。

「結者解之(キョルヂャヘヂ=自分の過ちは自分で解決すべき)」の原則に従い、人類は堕落のゆえに誤った偽りの結婚の根を抜いてしまわなければなりません。誤った愛によって堕落したために、偽りの愛の痕跡までもなくしてしまわなければならないという意味です。その土台の上に、神様の真の愛を中心とした真の祝福結婚を受けて、真の家庭を出発させなければなりません。子々孫々、罪のない真の子孫を繁殖できる、真の根を下ろさなければならないという意味です。

だからといって、誰でも望めばその目的を達成できるのではありません。数千、数万年の間、人類歴史が進行してきましたが、誰もこのような境地に到達して、人類を罪悪から救ってあげられなかったではないですか。歴史上、数え切れない浮き沈みを繰り返しながら発展してきた多くの宗教も、このような目的を成し遂げるためにそれぞれ努力してきましたが、結局、彼らも堕落性の壁を越えられず、挫折したり、迂回したりしてしまったのです。

しかし、神様は真の愛の父母であられます。人類歴史上、初めてイエス様に御自身のひとり子の資格を賦与し、この地に顕現させられました。救世主、メシヤの使命をもってこられたイエス様は、この天のみ旨を成し遂げてさしあげるために、三十三年の生涯を捧げられましたが、結局、途中で十字架の祭物として消えてしまいました。イエス様は完全な人間、すなわち完成した「後のアダム」の資格で御自身の新婦候補を訪ねてこられましたが、実際は、天が数千年を経て準備しておいたユダヤ教とイスラエルが、そのみ旨を推し量れないまま、かえってイエス様を十字架に追いやってしまいました。

罪のない純粋な天の真の愛の種として顕現されたイエス様も、その種をこの地に植えることもできないまま、再び天に帰ってしまわれたのです。この地で新婦を探し出し、天と地の前で「小羊の婚宴」を催して真の愛の家庭を立て、罪のない真の天の血統を繁殖させようとされたイエス様のみ旨は、結局、途中でこのように挫折してしまう結果となりました。

3. 真の父母の顕現と祝福の価値

神様の真の愛の属性が絶対、唯一、不変、永遠であるように、神様が立てられたみ旨もまた絶対的で、唯一、永遠、不変でなければなりません。神様の創造理想は、必ずこの地上に完成されなければなりません。アダムとエバの堕落によって失ってしまった御自身の子女を訪ねてきた天の摂理は、必ず成し遂げられなければなりません。イスラエルの不信によって、イエス様は霊界に逝かれてしまいましたが、天は再び、人類の救世主であり、再臨メシヤである真の父母をこの地に送られ、救援摂理歴史を完結していらっしゃることを知らなければなりません。二度と延期も、延長もできない復帰摂理のプログラムに従い、絶対的で永遠不変な摂理を展開していらっしゃるというのです。

皆様はきょう、重要な摂理の現場に立っていらっしゃいます。耳がある人はお聞きください。目の開いている人はしっかり御覧ください。口のついている人は、万邦に証をしてください。皆様の目の前に立っているこのレバレンド・ムーンが、正に天から印を受けて顕現した、人類が何よりも待ち望んできた救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、平和の王であり、真の父母です。これは決して私の叫びではありません。霊界の四大聖人はもちろん、数千、数万の聖人や賢人も異口同音にそれを証するメッセージを送ってきています。

神様も直接メッセージを送られ、人類すべてが真の父母を中心として、この地に平和王国を創建することを促していらっしゃいます。このようなメッセージを収録した本が既に出版されています。もしこの事実を信じられなければ、生命を懸けて祈祷してみてください。天は必ず皆様の祈祷に明確な回答を下さるでしょう。

それでは、堕落の後裔として野生のオリーブの木になってしまった人類が行くべき道はどこにあるのでしょうか。真の父母様を通して神様から祝福結婚を受けなければなりません。野生のオリーブの木は、千年待っても野生のオリーブの木のままです。必ず真のオリーブの木に接ぎ木され、真の血統権を確保しなければなりません。真の父母様を通して受ける祝福結婚が、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜の祝福です。

よく世の中では、レバレンド・ムーンが主導してきた祝福結婚式を、単に統一教会式の結婚式にすぎないと言います。しかし祝福結婚式は、簡単に男性と女性が出会って一つの家庭を築く婚礼式ではありません。今までの世の中の結婚式は自分たちを中心とした結婚式でしたが、祝福結婚式は、神様に喜びをお返ししてさしあげるのにふさわしい内容を備え、歴史を蕩減する貴い条件として神聖で盛大に挙行する、それこそ祝福と復活の儀式です。人間始祖アダムとエバの堕落によって始まった神様の恨を解いてさしあげ、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通過するものであることを知らなければなりません。

したがって祝福結婚という言葉は、統一教会から始まった言葉ではありません。創世から堕落以後、今まで歴史過程を通して神様の内心の中で一つの願いとして残され、常にこれを追い求め、また願ってきたことを知らなければなりません。歴史上、そのような一日を探し出すために、形容し難い受難の道を歩んでこられなければならなかった神様の事情を知る人がどこにいるでしょうか。ですから、その一日を探し出せば、その日は歴史的な解怨成就の日であり、摂理的な所願成就の日になるのです。

このような次元で見るとき、祝福結婚はどれほど福があり、一方ではどれほど途方もなく恐ろしい祝福であるかが分かります。言い換えれば、祝福結婚の位置は、過去から今まで綴ってきた歴史過程におけるすべての悲しみを清算できる場であり、今まで成就されなかった神様の願いが新たに出発できる場であり、新しい人間の未来が出発する契機となる起点でもあります。先天時代のサタン支配圏を完全に抜け出す、最も確実な方法です。皆様は祝福結婚を通してこそ、真の父母との関係を継承することができます。天の全権を譲り受ける過程的結実です。祝福を受けた家庭は、霊界に行っても真の父母が責任をもってあげます。真の父母様の主管のもとで生きるようになるという意味です。このように、祝福結婚を通して真の父母様と天的な関係を結ぶようになれば、それは永遠不変の関係になります。祝福結婚は天国の門を開く鍵になるのです。

4. 祝福が結実する後天時代

それでは、祝福が成し遂げられる今の時代は、どのような時代でしょうか。サタンの支配圏にあった先天時代が終わり、平和王国が建てられる後天時代が到来しました。六千年間苦労してこられた神様の恨は解かれ、平和に向かう人類の願いが成し遂げられる最高のときです。

この地に来て、み旨を完成できずに逝かれたイエス様の願いが成就するときです。それだけでなく、人間創造以後、初めて真の愛が花を咲かせて実を結ぶときであり、万物からも歓迎と尊敬と栄光を受けられるときです。神様もこの日をどれほど待ち望んでこられたでしょうか。罪悪は消え、光り輝く太陽が昇ってくる新天新地を迎える日、すべての万物が和動し、万象が踊りを踊る勝利の新しい朝、新しい時代を迎える日です。天国理想は、祝福結婚を通して家庭を探し立てなければ、成し遂げられないと言いました。天国理想は、私たちが天道に従って神様のみ旨を成就するときに完成し、天道は、家庭において真の愛を中心として立てられます。

それでは、真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛は公益性を帯びた無形の秩序であり、平和であり、幸福の根源です。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。神様の人類創造は、返してもらおうという期待も条件も何もなく与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造だったのです。

真の愛は宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人をつくってあげる愛です。真の愛は神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。したがって、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。

天道とは一言で、天の伝統です。天に根を置いている真の愛の実践の伝統です。天道の人生は、世の中のすべての法を超越した崇高な人生です。したがって、真の愛に革命が必要ないように、天道にも革命が必要ありません。皆様は、ただ真の愛の道、天道に従って、ために生きる犠牲と奉仕の生活を実践しなければなりません。その道は、神様の愛を爆発させる道です。言い換えれば、神様の血統を発展させて拡大させる道であり、神様の血統を永遠に守る道だというのです。

そして、今から皆様は、「神様が変わらない限り、私も変わらない。いつどんな状況が展開しても私は行く。このサタン世界で今まで守ってきた生命、愛、理想を私から完全に奪っていくとしても、私は行くだろう。たとえ神様が変わるとしても、私が神様を元に戻して立たせ、共にこの道を行くだろう。神様が絶対的でなければ、私が絶対的神様にしてでも行くだろう」という覚悟で、この後天時代を駆けていかなければなりません。

結婚するのは何のためだと言いましたか。天国に行くため、そして人類を救うためであると言いました。祝福結婚を通して夫婦になれば、夫の前にいる妻は神様の娘であり、人類の娘であることを知らなければなりません。人類が愛するほど、神様が愛するほど、妻を愛してあげることができれば、夫になる資格があります。女性も同じです。自分の夫だと思って、「あれは私の男性だ!」と言わないでください。そのように主張する前に、彼は神様の息子であり、人類のすべての男性を代表した男性だと考えなければなりません。

夫婦は互いに、夫が右足ならば妻は左足です。共に神様のために生き、人類のために生きていく人生の足跡を残さなければなりません。その足跡が、正に皆様の家庭です。ところが、右足でも左足でも、どちらか一方でも完全になれなければ、足を引きずってしまいます。引きずった足跡を残す人生を送る皆様になりますか。妻は夫を天として敬い、夫は妻を地のように大切にして慈しむ夫婦になるとき、彼らが互いに抱擁するその場は、天地が合徳する場であり、宇宙の合一が形成される場になるのです。

5. 私たちの使命

皆様は今、良い時代を迎えています。神様の創造理想である地上天国、すなわち平和王国が皆様の目前で創建されつつあります。八十年以上の生涯を、血と汗と涙で綴られた一本道、ただ天の道だけを歩んできた私の人生が、今や六十億人類のための勝利的結実を収めています。世界の百八十カ国以上で、天のみ旨と伝統を相続した数千、数万の平和大使が、真の愛と真の家庭の価値を叫び、昼夜なく走っています。この地に平和世界を創建しようと総進撃しているのです。世界の火薬庫である中東でも、レバレンド・ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームが新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド・ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド・ムーンの主導のもとに進行しています。

しかし、私は決してここで満足できません。天命を受けて出発した生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。

私はこの貴い場を借りて、人類の平和と福祉のための結実として、歴史的で革命的なプロジェクトを宣布しようと思います。歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているベーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「ベーリング海峡橋梁・海底トンネル」を完成し、世界を一日生活圏にしようというのです。

これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和世界を、この地球星に創建しようというのです。

アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家と宗教が共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和王国を創建するために、決定的な役割を果たすようになるでしょう。このように途方もないプロジェクトを、どのように完成できるかと疑問をもつこともあるでしょう。しかし、神様のみ旨がある所に道があります。二十一世紀の現代科学技術は、今やベーリング海峡にトンネルを通すことは問題にもならない水準にまで発展しています。工事費用も問題になりません。アメリカが過去三年間、イラク戦争に注ぎ込んだ戦費がどれほどになるか御存じですか。二百兆ウォンを超えようとしています。そのくらいの予算があれば、ベーリング海峡プロジェクトは完成して余りあるのです。

なぜ私たちが、互いに殺し合う戦争にこのような途方もないお金をばらまく愚かな蛮行を続けなければならないのでしょうか。人類はもうこれ以上、戦争のための戦争に子女の生命を犠牲にさせ、天文学的なお金を使い果たすという罪悪を繰り返してはいけません。世界のすべての国家の力を総動員して、大宇宙の主人であられる神様が願われる平和世界創建に総邁進すべきときが来たのです。人類は今、レバレンド・ムーンの教えである真の愛、真の生命、真の血統の平和思想を受け入れなければ生きていけない、袋小路に足を踏み入れました。皆様の善の先祖が動員され、後天時代の天的権勢が押し寄せれば、いくら強大に見える国家や民族だとしても、天地の運勢に順応するしかなくなるでしょう。

今や選択は、皆様のものです。無知には完成がありません。皆様に伝えるこのメッセージは天の警告であり、祝福です。天運に従って栄え、勝利していくレバレンド・ムーンと歩調を合わせ、この地に真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界を創建する主役になりますか。それともサタンが喜ぶ旧態依然の宗教の壁、文化の壁、民族の壁、人種の壁の捕虜となり、余生をうめきと後悔の中で終えますか。天は、この邪悪な世界をひっくり返して、この地に新天新地を創建する勇将を呼び求めています。

ぜひ、きょう私がお伝えした天のメッセージを胸深く刻み、真の父母を通して受ける祝福結婚こそ、天地合徳の統一的価値と宇宙合一的な価値をもっているという事実を肝に銘じて、皆様の人生に新たな座標を立てる賢い先覚者となってください。後天時代の伝統となった天道を守る天の勇将になることを誓い、今後の世界と人類を導いていく指導者になってくださることを願いながら、これで話を終わります。ありがとうございました。

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第四篇 11 神様の理想家庭と平和理想世界王国

第四篇 11

神様の理想家庭と平和理想世界王国

日付:二〇〇六年二月二日

場所:韓国、京畿道、一山、キンテックス

行事:第一回「天宙平和連合」世界大会

天宙的な理想郷に向かって、世界平和具現を成し遂げようと、地球星の至る所で並々ならぬ苦労を惜しまれない世界の指導者の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、「天宙平和連合」をモデル国際連合(国連)とし、全世界の各国が力を合わせて平和理想世界王国である「天一国」を創建していくために、「天宙平和統一家庭堂」を世界的次元に拡大、格上げし、「天一国平和統一堂」として生まれ変わらせる本大会に御出席なさろうと、数千、数万里を駆けつけてくださった皆様に感謝申し上げます。

皆様。二十一世紀に入った今日の人類は、実に歴史的な大転換期に置かれています。永遠の世界平和を定着させられるのか、あるいは、二十世紀まで反復してきた暗鬱な戦争と対決の歴史を再び繰り返すのかを決定せざるを得ない時点に来ているのです。

皆様も御存じのように、私は二十世紀に入って本格化した植民地争奪戦と第一次、第二次の世界大戦、韓半島における六・二五動乱、東西冷戦など、絶え間なく続いてきた戦争と反目の時代を経てきながら、生涯の全過程を神様の平和理想世界王国具現のために捧げてきました。その過程において私は、第二次世界大戦が終わって創設された国連が、永遠の世界平和実現のために、神様のみ旨を支えられる平和の機構となることを切に祈ってきました。しかし、一九四五年に創設された国連は、世界平和のために貢献した素晴らしい業績がないわけではありませんが、創設六十年を超えた今日の姿は、その本来の創設目的遂行において、深刻な困難を経験していることを、自他共に認めています。

加盟国が二百カ国に肉薄していますが、自国の権益ばかりを代弁し主張する国連代表部の役割は、今、世界紛争の解決と世界平和具現において、生まれながらにして抱える限界を露呈しています。したがって、きょう私は、昨年九月十二日、アメリカのニューヨークで出帆したのち、世界百二十カ国を巡回しながら宣布した「天宙平和連合」の創設メッセージを、もう一度天と地に宣布しようと思います。「神様の理想家庭と平和理想世界王国」という題名のみ言です。

神様の永遠の創造理想である平和理想世界の実現のために、カイン格である既存の国連の刷新とともに、新たな次元で平和理想世界王国の機能を発揮できる天宙的次元のアベル格の国連の立場にあるのが、正に「天宙平和連合」です。この創設メッセージこそ、全人類が胸深く刻み、後天時代を生きていく座右の銘として、実践躬行するために下さった天の特別な祝福であると同時に、警告になのです。

尊敬する世界の指導者の皆様。神様が人間を創造した究極的な目的は、どこにあると思われますか。それは真の愛を中心とした理想家庭の完成を通して、喜びを感じることでした。それでは、理想家庭とはどのような姿でしょうか。神様が創造された最初の人間は、男性格を代表したモデルであるアダムと女性格を代表したモデルであるエバでした。彼らが真の愛の表題となる人格者と主人になる道は、どのような道だったのでしょうか。一言で言えば、神様を父として侍って暮らせる、父母と子女の関係を確保するモデル的な平和理想家庭でした。神様と一つの家族を形成し、永遠に喜びを感じながら暮らす道だという意味です。

皆様も、祈祷を通して神秘的な境地に入っていき、この宇宙の中心が何かと尋ねてみてください。「父子関係」という答えを聞くでしょう。父母と子女の。関係以上に重要で貴いものはないというのです。これが、この宇宙を創造された神様と人間の根本関係だからです。

それでは、父子の関係がもっている特性とは何でしょうか。真の愛、真の生命、真の血統の関係です。真の父母の真の愛が前提とならなければ、私たちの真の生命は存在できません。すなわち、神様のみ前において人間は、絶対的な真の愛の相対として創造されたというのです。そこが正に、神様は父となり、人間は息子、娘となる軸が立てられる所なのです。もし、それよりもっと高く貴い位置があれば、人間の欲望は、またそこを追求するでしょう。しかし、そのような所はありません。全知全能であられる神様が、最高の位置は御自身のために隠しておき、御自身の子女であり、愛の絶対相対者であるアダムとエバを、二番目に良い位置に立てて創造したとは、想像することもできません。

私たちの永遠の真の父母であられる神様は、一〇〇パーセント、御自身の全体を投入して人間を創造され、同位権、同参権、同居権、相続権を賦与されました。神様のすべての属性を下さったというのです。

神様がいくら絶対者だとしても、御自身一人では幸福になれません。「良い」という言葉や「幸福だ」という言葉は、一人では成立しない言葉です。必ず相対的関係を備えたところであってこそ成立するのです。一生を声楽家として生きてきた人でも、無人島に捨てられて、一人で喉が張り裂けるほど歌を歌ったとして、幸福でしょうか。自存なさる神様も、喜び、幸福であるためには、必ず与え合うことができる愛の相対が必要だというのです。

それでは、絶対者であられる神様に喜びをお返しすべき相対者としての人間は、どのような姿でなければならないのでしょうか。神様が「息子よ、娘よ」と呼ぶことができ、御自身と同格の位置に立て、共に創造の偉業を完成でき、天地万物をすべて相続させてあげられる子女の姿は、どのような姿でなければならないかというのです。神様が創造の理想的出発点をどこに置かれたのか、御存じですか。「相対のために存在する」という原則に、御自身の理想的出発点を立てたのです。言い換えれば、真の愛の希望的相対のための実践が、神様の創造の出発の核だというのです。

したがって、神様の子女である人間の責任は、何よりもまず神様に似ることです。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たす真の愛の化身になりなさいというのです。神様の深い心情の内情を知って、アダムとエバの堕落以来、数千、数万年を苦痛の中で生きてこられた神様の恨を解いてさしあげなければならないというのです。全能であられる神様が、苦痛の場から抜け出せず、歴史の背後で受難に耐えてこられたのは、神様が愚かで能力がないからではありません。堕落によって失われたアダムとエバの本然の位置、すなわち完成した「後のアダム」の顕現を待たなければならない、復帰摂理に絡まった言うに言えない事情があったからです。いくら全権をもった神様だとしても、御自身自ら永遠の基準の上に立てた天理原則を無視することはできなかったのです。

ところで、アダムとエバの堕落以来、歴史にわたって神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何か、御存じですか。それは、天の血統を失ってしまい、兄弟権と所有権まで失ってしまった事件です。生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実が血統だということです。

神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想の人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように創建されるのです。血統の重要性は、いくら強調しても足らないことを皆様も肝に銘じなければなりません。

血統がなければ、生命はもちろん、愛も離れてしまいます。血統が残ってこそ、愛した自分の伝統が残され、血統が存続してこそ、父母の息遣いが継続していくのです。言い換えれば、父母に愛の実、生命の実、喜びの実を提供する最初で最後の必要十分条件は、真の血統であることをはっきりと知らなければなりません。

ところが、生命とも取り替えられないこの血統を失ってしまったのです。真の生命と真の愛の実を結べなかったというのです。地球星を覆っている六十億の人類が、天とは何の関係もないサタンの実に転落してしまったのです。神様が農作業をして大豊作となり、秋に収穫しようとされたその園が、エデンの園でした。アダムとエバの二人の息子、娘を育て、真の愛を花咲かせ、真の生命を花咲かせ、真の血統を花咲かせたそこで、永遠の愛、永遠の生命、永遠の血統の主人と家庭、そして神様の平和理想世界王国を収穫しようとしたのが、神様の人間創造の理想だったのです。

しかしその場に現れたのは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でした。神様の愛と生命、そして血統が、愛の怨讐である姦夫、サタンの所有権に落ちてしまったのです。天地が真っ暗になって地獄に変わってしまい、神様までもいなくなってしまった、そのような凄絶な世界になったという事実を、人間は今まで知らずに生きてきたのです。

怨讐の血統が生命線であるかのように錯覚し、そこに命を懸けて生きていく群像が、今日の堕落の後裔となった人類の哀れな姿です。それで、この世界を地上地獄と呼ぶのです。このような悲惨な姿を見つめられる神様の胸は、どれほど痛んだことでしょうか。本来、神様はエデンの園にアダムとエバを創造されたのち、彼らを御自身の祝福のもとで結婚させ、天の所有権までも完全に伝授してあげようとしたのです。宇宙万象の所有権をアダムとエバに相続させてあげようとされたという意味です。

しかし、堕落によってこのすべてのものがサタンの手中に落ちてしまいました。愛する子女に相続させてあげるために、一生の間、汗を流して集めた財産を、一晩のうちに強盗に根こそぎ奪われてしまった父母の立場になってしまったのです。このように、サタンに血統権を奪われ、子女を失い、すべての国と世界の所有権まで差し出してしまった神様の悲しく無念な心情を知る人がいなかったというのです。したがって、血統権と所有権を再び取り戻せる道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法とは何でしょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によってのみ、可能なのです。

人類の真の父と真の母を喜んで迎え、楽しむことができる一日を送り、ひと月を送り、一年、十年、あるいは一生を送ることができる、そのような時間をもてなかった神様だったのです。一年はおろか、たった一時間でもそのような人に出会えなかった神様の苦痛を、誰が慰労してさしあげられたでしょうか。数千、数万年を経てきながらも、なぜ神様と人間の間には、到底狭められない距離が生じ、父母と子女の関係も結べない悲惨な間柄になったのかを知る者がいないのです。アダム家庭で始まったカインとアベルの闘争歴史は、人類歴史をすべて戦争と葛藤の歴史にしてしまいました。小さくは人間個々人の体と心の葛藤から、大きくは国家と国家、さらには全世界が物本主義と神本主義に分かれ、対立闘争をしてきたのです。

極度の利己的個人主義は、きょうも私たちの生活を脅かしています。人類の希望であり、未来の約束である若者たちを、フリーセックスと麻薬の奴隷に転落させています。物質万能主義に陥った先進国は、自国の利益にばかり目がくらみ、一日に数万人ずつ飢えて死んでいくかわいそうな生命から顔を背けています。誰が、この数千年たったカインとアベルの歴史的な問題を解決してくれるのでしょうか。世界平和を主唱しながら出発した国運にできると思われますか。

国連は、過去六十年間を捧げて努力しましたが、いまだに世界平和ははるか遠くにあるままです。体と心のカイン・アベル関係も解決できない人間の努力だけでは不可能なことです。今や、天命を仰いで出発したアベル的平和理想王国の創建が必要なときが来ました。神様は、このようなすべての悲劇をきれいに清算してくれる一人の方を、首を長くして待ち望んできましたが、この地上にふさわしい相対と国家が現れませんでした。もしそのような人がある国に現れて、真の父母の位置にさえ立つことができていたならば、神様は夢でも現れ、ヘリコプターで太陽を運搬し、月を移してでも空中で喜びの稲光をつくり、歓喜の雷を鳴らしたかったでしょう。

このような意味で、人類歴史上初めて、失われたアダムの位置を探し立て、真の愛の主人の位置を確保し、神様から人類の真の父母として印を押されて顕現したレバレンド・ムーンが、きょう、皆様と同時代圏に生き、同じ空気を呼吸しているという事実は、奇跡の中の奇跡にほかなりません。堕落の後裔となった人類を救う横的真の父母の位置で勝利しました。その基台の上に、二〇〇一年一月十三日には、復帰摂理に責任をもってこられた縦的真の父母、すなわち神様を解放、釈放してさしあげる「神様王権即位式」を奉献し、お捧げしました。これは人類のための歴史上最高最大の祝福であり、絶対、唯一、不変、永遠の勝利であることを知らなければなりません。ついに、神様の体と心が完全に解放、釈放されるようになった、摂理史的絶対勝利だったのです。

したがって、人類は今、これほどまで執拗に苦しめられてきたサタンの偽りの血統を果敢に断ち切り、真の父母様の真の血統の根に接ぎ木されなければなりません。これ以上、野生のオリーブの木として一生を終える愚を犯してはならないということです。野生のオリーブの木では、千年生きても、野生のオリーブの種を生産するしかない悪循環が続くからです。それでは、私たちはどこにおいて野生のオリーブの木の立場から脱出する道を見出せるのでしょうか。天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です。血統を変えなければ、種を変えることができないからです。祝福は、重生、復活、永生の三段階の祝福を経るようになっています。

真の父母様から祝福結婚を受けて理想家庭を築き、罪のない純粋な真の種を受ける最善の道は。交叉結婚です。人種、文化、国境と宗教の壁を飛び越え、神様のもとの人類一家族をつくる大役事です。神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境が存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。これらすべてが、数万年の間、人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔、サタンの術策にすぎないのです。

最も呪いたいと思い、夢でも会いたくない怨讐の家庭と祝福結婚を通して一つの家族になってみてください。怨讐の感情に浸っていた父母たちの血統は消え去り、新しくて強力な真の愛の血統が創造されるのです。

両家の子女が夫婦となり、互いに愛し合いながら幸福な家庭を築いて暮らすことを呪う父母がどこにいるでしょうか。いくら憎い怨讐の娘だとしても、自分の息子の愛を受ける嫁となり、水晶のようにきれいで澄んだ真の天の孫と孫娘を抱かせてくれるとき、喜びのほほえみを見せない祖父、祖母がどこにいるでしょうか。

白人と黒人、東洋と西洋、ユダヤ教とイスラーム、さらには五色人種が一つの家族になって暮らせる道は、交叉結婚の道意外に、何か方法があるでしょうか。共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を基盤として、兄弟姉妹間は互いに信じて助け合いながら一つになって暮らす家庭が、正にモデル家庭だというのです。ここに、私たちが生命を懸けてでも真の父母様から祝福結婚を受け、天の伝統である理想家庭を探し立てるべき根本的な理由があるのです。

真の愛の本体であられる神様に似る最善の道が、真の愛の実践を通した真の愛の人格者、真の愛の主人になる道であり、その道だけが、私たちも真の父母になれる道だと言いました。

それでは、真の愛の生活とは、どのような生活なのでしょうか。真の愛は、公益性を帯びた無形の秩序であり、平和であり幸福の根源です。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。神様の人類創造は、返してもらおうという期待も条件も何もなく与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造だったのです。

真の愛は宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人にしてくれる愛です。真の愛は神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、誰でもこの真の愛を実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむようになり、同参権まで享受するようになるのです。このように、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。

尊敬する指導者の皆様。皆様は今、祝福結婚と結実の時代を迎えています。神様の創造理想である地上天国、すなわち平和王国が皆様の目の前で創建されつつあります。真の父母として八十年以上の生涯を、血と汗と涙でつづられた一本道、ただ天の道だけを歩んできた私の人生が、今や六十億人類のための勝利的結実を収めているのです。霊界からも、四大聖人はもちろん、数千、数万の聖賢と皆様の善の先祖が地上界に降りてきています。皆様の一挙手一投足を見守り、天道に背く人を罰して、多くの人の戒めとされるでしょう。

世界百八十カ国以上で、天のみ旨と伝統を相続した数千、数万の平和大使が、真の愛と真の家庭の価値を叫び、昼夜なく走っています。この地に平和理想世界王国を創建しようと総進撃しているのです。

世界の火薬庫である中東でも、レバレンド・ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームが新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド・ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド・ムーンの主導のもと、急速に進行しています。

しかし、私は決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。この地球星に毒きのこのように君臨してきた様々な国境と壁を完全に撤廃し、万人が共に手を取って暮らせる平和理想世界王国を創建しなければならないのです。

尊敬する平和大使の皆様。皆様はきょう、私がお伝えする神様のメッセージを通じて多くのことを学び、悟ったことと思います。いまだに方向感覚を喪失したまま漂流している人類は、いつのときよりも、天に代わる皆様の助けを必要としています。今や皆様は、新たな覚悟と決意で天命を仰いで出ていく天の密使にならなければなりません。そのような次元で、もう一度きょうのメッセージを要約しながら、私たちの使命を胸深く刻んでみようと思います。

神様の子女として創造されたアダムとエバが、堕落によって失ったのは何であると言いましたか。第一に、神様が下さった血統権を喪失してしまいました。血統は、父母が子女にだけ与えることのできる特権の中の特権です。しかし、堕落によって彼らはサタンの偽りの血統を受け、サタンの子女に転落してしまいました。

したがって、今日の全人類は誰彼を問わず、例外なしにサタンの血統を受け継いで生きている、堕落の後裔であるという事実をはっきりと悟らなければなりません。神様は、御自身全体を一〇〇パーセント投入して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準でアダムとエバを創造され、彼らの愛と生命の種として血統を下さいました。したがって今、皆様の位置は違います。真の父母様がお許しになった聖酒式を通して血統転換し、祝福を受けて真の家庭を探し立てる道が大きく開きました。

第二に、人類の最初の家庭であるアダム家庭で、兄のカインが弟のアベルの命を奪うことによって、兄弟権を失ってしまいました。天が下さった家庭において本然の秩序であり、祝福である兄と弟の間の愛と和合の人生が、妬みと怨みの怨讐関係に落ちてしまったのです。したがって人類は今、レバレンド・ムーンが主導してきた世界的次元の交叉結婚を通して血統復帰を完成し、より天の側であるアベルが主体格である兄の位置、すなわち本然の秩序を確立しなければならないのです。

皆様。このようなサタンの秘密を暴いたレバレンドムーンの人生は、言い表せない迫害と苦難、すなわち恨の生涯とならざるを得ませんでした。しかし、今や万難に打ち勝って勝利し、天の権勢が現れる後天時代を宣布しました。その基盤の上に、世界人口の七八パーセントを超える宗教圏と国家圏を糾合して、新しい世界的次元のアベル圏を立てつつあります。合わせて、新しい世界的次元のカイン圏を確立するために、全世界の人口の七四パーセントを占めている蒙古斑同族圏を糾合しています。

したがって、今から超世界的次元でこの二つのアベル圏とカイン圏が一つになり、アベル王国の立場で出帆した「天宙平和連合」と一体にならなければなりません。そして、この地に平和理想世界王国を創建するために、超宗教、超国家的な次元ですべての国境と塀を撤廃しなければなりません。そうして、全人類が本然の創造理想世界に入ることができ、アダムとエバの堕落によって失われた本然の所有権までも探し立てるべき宿命的責任があるという事実を、いま一度、皆様に想起していただきたく思う次第です。

天の側の新アベル圏が天宙的次元でカイン圏を消化し、本然の創造理想的権限である天の全権をもって、新天新地、すなわち地上・天上天国創建に向けて新たな出発をすべきときであることを肝に銘じてくださるようにお願いします。

世界の指導者の皆様。私はきょう、この貴い神様の摂理歴史的完成の場を借りて、もう一度、神様と人類の摂理的最後の目的である平和天国創建のために、そして神様の祖国と本郷の創設のために、実に摂理的で革命的なプロジェクトを宣布しようと思います。

歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているベーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「ベーリング海峡橋梁・海底トンネル」を完成し、世界を一日生活圏にしようというのです。これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教と国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和理想世界王国を、この地球星に創建しようというのです。

アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家と宗教が一つになって力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和理想世界王国を創建するときに、決定的な役割を果たすようになるでしょう。

皆様。このように途方もないプロジェクトを、どのように完成できるのかと疑問をもつ人もいるでしょう。しかし、神様のみ旨がある所には、必ず道があります。二十一世紀の現代科学技術は、今やベーリング海峡にトンネルを通すことくらいは問題にもならない水準にまで発展しています。工事費用も問題になりません。世界が戦争という名のもとに費やしているお金はいくらでしょうか。人類は今、歴史と後代の前に、実に恐るべき罪を犯していることを自覚すべきときです

例を一つ挙げましょう。アメリカが過去三年間、イラク戦争に注ぎ込んだ戦費がどのくらいになるか御存じですか。二百兆ウォンを超えようとしています。そのくらいの予算があれば、ベーリング海峡プロジェクトは完成して余りあるのです。なぜ私たちは、互いに殺し合う戦争に、このような途方もないお金をばらまく愚かな蛮行を続けなければならないのでしょうか。聖書のイザヤ書第二章四節の教えのように、銃や刀を溶かして、すきとくわをつくるべきときです。

人類はもうこれ以上、戦争のための戦争に子女の生命を犠牲にさせ、天文学的なお金を使い果たすという罪悪を繰り返してはなりません。世界のすべての国家の力を総動員して、大宇宙の主人であられる神様が願われる平和理想世界王国の創建に総邁進すべき時が来たのです。

皆様。人類は今、レバレンド・ムーンの教えである真の愛、真の生命、真の血統の平和思想を受け入れなければ生きていけない、袋小路に足を踏み入れました。皆様の善の先祖が総動員され、後天時代の天的権勢が押し寄せれば、いくら強大に見える国家や民族だとしても、天地の運勢に順応するしかなくなるでしょう。

今や選択は、皆様のものです。無知には完成がありません。きょう、皆様にお伝えするこのメッセージは、天がこの時代に下す警告であり、祝福です。天運に従って栄え、勝利していくレバレンド・ムーンと歩調を合わせ、この地に真の家庭、真の社会、真の国家、真の平和理想世界王国を創建する主役になりますか。それともサタンが喜ぶ旧態依然の宗教の壁、文化の壁、民族の壁、人種の壁の捕虜となり、余生をうめきと後悔の中で終えますか。天は、この邪悪な世界をひっくり返して、この地に新天新地を創建する勇将を呼び求めています。

今、皆様と共に誕生した「天宙平和連合」は、神様の勝利であり、真の父母様の血と汗と涙の結実であり、皆様の希望であり、願いです。カイン的な既存の国連の前に、天一国を代表するアベル的王国の使命を果たすようになるでしょう。神様の創造理想世界の実践郷を成し遂げなければならない使命が、正に皆様に下された天命であることを肝に銘じてくださるようにお願いします。

世界平和軍の名で出発した国連軍の役割をもう一度考えてみてください。朝鮮戦争とベトナム戦争でも、その使命を果たせずに途中下車してしまったではないですか。したがって、私は世界百二十カ国を巡回しながら「天宙平和連合」の創設メッセージを宣布していた二〇〇五年十月二十日、ウクライナにおいて人類の福祉と未来のための「平和王国警察」と「平和王国軍」の創設を、全世界に宣布しました。この二つの組織は、今から新しい世界の秩序と平和を守る警備隊の責任を果たすようになるでしょう。いまだに先天時代の残滓である分裂と利己主義の罠から抜け出せずに慌てふためく人類を、真の個人、真の家庭、真の国家、真の世界と天宙を創建する後天時代の真の愛の教育の先鋒隊にするのです。皆様も、今から新しい時代において新しい甲冑をまとい、天のために、そして人類万代のために全力投球する賢明で勇猛な天宙的平和王国軍になってくださることを願います。

ぜひ、きょう私がお伝えした天の警告を胸深くに刻み、真の父母様を通して受ける祝福結婚こそ、天の血統を取り戻す唯一の道であり、神様が何よりも願ってこられた解放圏と釈放圏を確保し、神様の理想家庭と平和理想世界王国を永遠にこの地に定着させる道であることを肝に銘じてください。合わせて、「天宙平和連合」の発展と成功のために、神様の理想世界と理想国家、そして平和王国を創建するために、真の父母と共に最善を尽くす皆様となってくださることを願います。万民の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女となってください。真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和王国を創建しましょう。神様の祝福が皆様の家庭と国家の上に満ちあふれることを願います。ありがとうございました。

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第四篇 12 神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国

第四篇 12

神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国

日付:二〇〇六年三月十六日

場所:韓国、ソウル、マリオット・ホテル

行事:韓国平和大使指導者大会

天宙的理想郷に向かって、世界平和の具現を実現しようと、地球星の至る所から来られた尊敬する平和大使の指導者と祝福家庭の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、「天宙平和連合」をモデル国際連合(国連)とし、全世界の各国が力を合わせて平和理想世界王国である「天一国」を創建していくために、「天宙平和統一家庭堂」を世界的次元に拡大、格上げし、「天一国平和統一堂」として生まれ変わらせる本大会に御出席なさろうと、数千、数万里を駆けつけてくださった皆様に感謝申し上げます。

1. ただ前だけを見つめながら歩んできた八十数年の人生

今年は、私が生まれてから八十七年目となる年です。後天時代を大きく開いていく「天宙平和連合」の創設者として、私はきょう、この貴い席を借り、「神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国」という主題で、私が一生の間教えてきた、天の下さった真理の一端をお伝えしようと思います。

皆様。振り返ってみれば、実に夢のような私の生涯でした。青雲の志に胸を膨らませていた十六歳(数え)の青年の年に天から召され、世俗の夢をすべて諦め、天命に従って出発した私の人生でした。決して平坦な道ではありませんでした。ただ前だけを見つめながら歩んできた八十数年の人生でした。私のためにあらゆる犠牲に耐え、言い表せない受難の道を歩いてこられた愛する父母、兄弟が哀切な思いですがりつく、その手さえも振り払わなければ歩めなかった宿命的な生涯でした。この地に六十五億の人類が生きていますが、その誰一人として理解できない荒野路程でした。今まで六度の獄苦を経験しながらも、最後まで摂理の舵を放さずに生きてきたのが、私の人生だったのです。

私がこのような人生を歩んできたのは、数千、数万年待ち続けながら訪ねてこられた神様の、恨に固まった悲惨で痛ましい心情を、あまりにもよく理解した私だったからです。万民の根源であられ、宇宙万象の創造主であられる神様の恨を解いてさしあげなければ、人間の人生には何の価値もないという事実をはっきりと知ったからです。

それでは、神様の恨はいつ、どこで、どのように固まったのでしょうか。いったい誰が、絶対者であられ、万能なる神様に、恨を植えつけることができたというのでしょうか。神様はアダムとエバを創造し、人類の最初の先祖として立てられました。御自身の全体を一〇〇パーセント投入され、愛と生命、そして御自身の血統が連結された息子、娘として立てられたというのです。父子の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させる唯一の道が、正に父母と子女の血統関係しかないからです。

しかし、生命より貴く重要なこの父母と子女の関係が、アダムとエバの堕落によって切れてしまいました。永遠のひとり子として立てた御自身の血筋が、怨讐サタンと血縁的関係を結ぶことによってサタンの子女となり、離れていった現実の前に、神様の胸には、歴史的な恨によって血の塊ができたというのです。歴史上、誰も理解できず、誰も解いてあげられない、無念極まりない悲しみの恨として残ってしまいました。

アダムとエバを中心として、御自身の血統を永遠に伝授する真の家庭を立てようとされた神様の創造理想は、このように第一代で挫折してしまいました。したがって、神様の恨を解いてさしあげられる唯一の道は、正にサタンの血統と関係のない真の家庭を探し立てることです。ここに、私たち全員が神様の創造理想である真の家庭を立てなければならない理由があります。「天宙平和連合」創設の根本的な趣旨と目的も、ここにあるのです。

旧約聖書の創世記第一章二十七節を見れば、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」という聖句があります。この節を帰納的に推理してみれば、神様は一人の男性と一人の女性を合わせた方であるという結論が出ます。神様が、お一人でいるのは良くないと思われ、御自身の対象として創造したのが被造世界です。宇宙の万象は形状的対象の位置に、そしてその中心に実体的対象として人間を創造されたのです。このように、神様の実体対象として創造した最初の男性格代表がアダムであり、女性格代表がエバです。神様がこのように人間を一男一女に分立して創造されたことには、目的があるのです。

2. 神様の創造理想

第一に、二性性相の中和的主体として自存されながらも無形であられる神様が、実体世界と向き合うのに必要な体をまとうためでした。男性の体だけでなく、女性の体だけでもない、アダムとエバの二人の体をまとって、実体世界と自由自在に通じ合い、作用するためだったのです。体をまとっていない無形の神様だけでは、有形実体世界と向き合うのに限界があるからです。

したがって、アダムとエバが心の中に神様をお迎えし、一体となって完成した土台の上で、結婚して子女を生み、家庭を築いていたならば、アダムとエバは外的で横的な実体の真の父母になり、神様は内的で縦的な実体の真の父母になったでしょう。このようにさえなっていれば、アダムとエバは内外両面で一〇〇パーセント、神様に立体的に似た立場に立つようになったはずです。このように、神様に完全に似たアダムとエバが人類の真の父母になっていたならば、彼らの姿を通して、人類は日常生活の中で神様の実体を認知して、生きるようになっていたでしょう。

第二に、愛の完成のためです。アダムとエバが完成して完全一体となった愛の実体になれば、その上で神様が臨在し、人類の真の愛の父母になろうとされたのです。神様の形状的な実体父母の立場に立つアダムとエバが、実体の子女を繁殖することにより、理想家庭と理想世界を築くことができたでしょう。そのようになれば、人間を通して霊界と地上界が連結されます。このように、神様は霊界と地上界を連結する目的をもって、人間を創造されたという結論を下せるのです。

神様は、真の愛を中心としてアダムとエバに臨在されることにより、人類の真の父母、実体の父母としていらっしゃり、アダムとエバが地上の生涯を終えて霊界に入れば、そこでもアダムとエバの形状で、彼らの体をまとい、真の父母の姿で顕現されるようになるのです。しかし、アダムとエバの堕落によって、神様のこの夢は挫折してしまいました。

神様が必要なのは、お金でも知識でも、あるいは権力でもありません。神様は絶対者であられ、全知全能な方なので、そのようなものは必要とされない方です。いくら現代科学が目覚ましい発展を重ねても、そのすべてが、神様の創造圏内で新しい諸事実を発見していく過程にすぎません。膨大な宇宙は、人間の思考と科学が及び得ない秩序の中で、法度に従って運行しています。このように、神様は絶対的科学者でもあるのです。

それでは、人間の創造を通した神様の理想は何だったのでしょうか。それは正に、四位基台を造成することです。ここで言う四位基台とは、神様を中心として、アダムとエバが神様の愛の圏内から抜け出そうにも抜け出すことのできない、完全一体の境地を意味します。神様と一体となることはもちろん、彼らが互いに一つになって理想的な夫婦となり、理想的な子女を繁殖することによって成し遂げるようになる、神様中心の家庭的基台を言うのです。このように家庭的四位基台が完成すれば、これが正に神様の願われた創造理想家庭になるのです。

一般的に、家庭とは結局、父母と子女、そして夫婦の結合によって形成された一つの束ですが、この束の中心は、神様の愛でなければならないというのです。ここで夫は天を代表し、妻は地を代表するようになります。ですから、夫婦は二人ですが、彼らが横的に一つになるとき、天と地が統一される立場に立つようになるのです。神様の愛を中心として夫婦が一つになれば、天宙が統一される道が開かれるという意味です。

皆様。神様が被造世界を創造された目的は、究極的に喜びを享受しようというところにあります。しかし、絶対者であられる神様も、一人では喜びを感じられないので、愛を与え合うことができる対象が必要だったというのです。喜びは学ぶものではなく、相対を通じて感じるものだからです。言い換えれば、神様は人間と万物が神様の愛を中心として一つになり、和気あいあいとした愛の世界を築くのを見て、喜びを感じるためにこの世界を創造されたのです。そのような基盤の上で、人間が神様の愛を中心として真の夫婦の関係を結び、真の愛の家庭と氏族、民族、国家、世界を築くのを見て喜びを感じるために、この被造世界を創造された神様であるというのです。

このように、神様の愛の理想を完成するには、人間は絶対に必要です。そのような次元で、絶対価値とは、絶対的相対から創出されるものだという言葉も理解できるでしょう。

神様は父であり、人間は子女として、縦的な軸を形成するようになっていたのが、人間の創造です。もしこの軸が完全に連結されてさえいたならば、すなわち人間と神様の間に真の愛で一体となった関係さえ結ばれていたならば、宇宙のどのような力も引き離せない、絶対不可分の関係になっていたでしょう。神様の本然の愛にひもを結び、その愛を味わった人が、どうして分かれることができるでしょうか。

蜜蜂は春になれば、長はごもりから目覚めて新鮮な蜜を味わうようになります。夢中で花の蜜を吸っている蜂のしっぽをピンセットで引っ張ってみてください。しっぽが抜けて体から取れても、蜜から口を離すことのできない蜂がいるのを目にします。皆様はいかがでしょうか。皆様が本当に神様の真の愛の味を知るようになれば、たとえ逃げていっても、また戻ってきて、その真の愛にくっつこうとするのです。このように、神様と連結させてくれる縦的な真の愛の力は、生命の力よりもっと大きいというのです。

3. 家庭の価値と三代が調和して暮らす家庭

皆様。私たちが遠く離れた家族を慕うのは、そこに、ために生きる愛があるからです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親戚の愛が、一つ一つ宿っている所です。このすべての関係が、ために生きる愛によって結ばれていて、すべてを抱きかかえたいと思う、温かい所です。

そこに、解放された自らとして堂々と現れ、自然を抱き、家族や親戚を愛しながら歓喜の歌を歌いたいのが、家族のもとを離れた旅人の郷愁であり、希望でしょう。故郷を追われ、本郷の心情の根を失ってしまい、家族に会いたいと思っても行くことのできなかった永遠な孤独の敗亡者として、独り流浪しながら生き、地獄に行くしかなかった身の上が、正に堕落の後裔である人類だったというのです。

しかし、人類は今や後天開闢時代を迎え、このような足かせの沼から解放され、夢にも忘れられなかった故郷を訪ね、家族に会える道が開かれたのです。人類にとってこれより大きな祝福の日が、いつあるでしょうか。アダムとエバが堕落によって失ってしまった本然の家庭を、私たちが再び探し立てられる天運の時が到来したというのです。

皆様が失われた本然の家族を訪ねていくときは、アダム完成の位置で、イエス様完成の位置で、そして再臨主を代表する完成した位置で行かなければなりません。その家庭には、神様が臨在され、祖父母、父母、子女が共に調和して暮らす三代の家族になるでしょう。祖父を歴史的な先祖の根として侍り、暮らさなければなりません。

共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭だというのです。真の愛の根に真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を探し立てなければならないという意味です。

そのような家庭には歴史の根が生きており、天の国の根が張っているというのです。地上天国の根が下りている所が、そのような家庭です。永遠に続く神様の王権の根も、ここに定着するのです。過去、現在、未来の根が、それぞれ祖父母、父母、孫と孫娘に代表され、過去の根は霊界を代表し、現在の根は現世界を代表した王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子、王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿です。それを建てて暮らすのです。

このように、祖父母、父母、孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることは、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

神様も、どこかへ外出しても懐かしくて、再び訪ねてこられる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねてくる家庭を準備しなさいというのです。それが正に、神様に侍って暮らす生活です。その家庭に、神様を縦的な良心の主体として侍り、その縦的主体に従って皆様の体と心を統一するのです。そこでは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛など、四大愛圏である四大心情圏が完成するのです。このような家庭でこそ、上下、前後、左右が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存する神様のモデル的理想家庭と国家と平和王国になるのです。

4. 永遠な平和理想王国時代

皆様。なぜ結婚しなければならないのでしょうか。主人の位置を探し出すためです。男性も女性も、一人では半分の人間にしかなれません。神様の創造がそのようになっているのです。それで、神様は愛の器官である生殖器の主人を互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。互いにために生きる愛を中心としてこそ、相手の主人の位置に立てるのです。このような主人の位置を確保するために、人間は結婚をするのです。

それでは、主人の位置を探し出して何をしようというのでしょうか。その位置で神様の愛を占領しようというのです。神様は三大愛の主体であられます。天宙の主人として、真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母であられるのです。これが正に、真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真のモデル的家庭の生活を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも、モデル的理想家庭の平和王国に変えることができるのです。

尊敬する指導者の皆様。皆様は今、歴史上、最も恵まれた貴い時代に生きています。歴史上、生まれては逝った数千億に達する皆様の先祖が、霊界で何よりも願い、待ち望んだ後天開闢の時代、すなわち平和理想世界王国時代の出帆を宣布します。

四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖が総再臨し、皆様の天の道を導いています。悪なる者たちが適当に生きて裕福に暮らす、そのような不条理で腐敗した世界が威勢よく振る舞う時代は過ぎ去っていくのです。天の印を受け、人類の真の父母、万人の平和の王として顕現したレバレンド・ムーンは、天との約束を必ずや守り抜くでしょう。この地球星に、必ずや平和理想世界王国時代を花咲かせるでしょう。したがって、真の父母であられる平和の王をお迎えし、この地上に永遠の平和理想世界王国を創建する主役が、正にきょう、この場にお集まりになった皆様であるという点を、肝に銘じてくださるようにお願いします。

アベル国連の旗を掲げて、全世界の不条理と悪を掃き出しましょう。誇らしい「天宙平和連合」の「平和王国警察」と「平和王国軍」になり、世界中の祝福家庭を守り、祝福の地であるこの地球星を守り抜く警備隊の役割を完遂しましょう。

きょう、このようにこの場に参席してくださった各界指導者の皆様に、天の恩寵と祝福が満ちあふれることをお祈りいたします。合わせて、「天宙平和連合」の発展と成功のために、神様の理想家庭と理想国家、そして平和王国を創建するために、真の父母と共に最善を尽くす皆様となってくださることを願います。

万民の平和の王であられる神様を真の父母として侍って暮らす、真の王子、王女になってください。真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和王国を創建しましょう。神様の祝福が皆様の家庭と国家の上に満ちあふれることを願います。ありがとうございました。

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第四篇 13 神様の絶対平和理想モデルである絶対「性」家庭と世界王国

第四篇 13

神様の絶対平和理想モデルである絶対「性」家庭と世界王国

日付:二〇〇六年十一月二十一日

場所:韓国、京畿道、一山、キンテックス

行事:第四十七回「真の子女の日」記念式

愛する世界の祝福家庭、尊敬する平和大使と各界の指導者、そして内外の貴賓の皆様。きょうは「子女の日」を宣布してから四十七年目となる、摂理史において意義深い一日です。人間始祖アダムとエバの堕落によって喪失してしまった神様の創造目的を完成するための蕩減復帰摂理路程には、必ず探し立てるべき四大里程標があります。「真の神の日」、「真の父母の日」、「真の子女の日」、「真の万物の日」がそれです。

二〇〇一年の「神様王権即位式」の勝利と今年六月の「天正宮博物館入宮・戴冠式」、そして同時に宣布された天一国摂理が始まってから、初めて迎えた摂理的四大里程標の一日が、きょうの「真の子女の日」です。皆様、このような意義深い日を記念し、私たちの覚悟を新たに固める意味で、きょうは私がこの一年間、世界六十五億の人類を相手に伝授している天のメッセージを総体的に要約し、摂理的観点から見た皆様の位置と使命、そして皆様の置かれているこの時代的重要性を、もう一度想起していただこうという意味で、「神様の絶対平和理想モデルである絶対『性』家庭と世界王国」という主題で、天のみ言をお伝えしようと思います。

このみ言は今、世界的な宗教指導者百二十人が真の父母様から直接伝授され、世界百二十カ国を巡回しながら宣布している生命のみ言です。真の父母様の家庭三代圏が世界を回り、天のみ言と祝福によって人類の救いの道を開いておいたその基台の上に、今やカイン世界を代表した宗教指導者がバトンを受け継ぎ、地球村の至る所を奔走しているのです。

1. 神様の創造目的

皆様。人類は今まで、歴史を通して絶えず人間を中心とした平和運動ばかりを展開してきました。その良い例が民主と共産の対決です。個人の権益と自由を認定し保障する程度が違うだけで、民主主義も共産主義も、すべて父母を失った子女たちがカインとアベルに分かれて争う、兄弟間の紛争の範疇を抜け出せなかったのです。

不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してきました。世界平和実現の華やかな夢を抱いて出発した国連は、今日、その生まれながらにしてもつ限界点にぶつかり、人類にこれ以上希望を与えられずにいるのも、正にこのような理由からです。一言で言えば、天が直接運行し、歴史を摂理できるときを迎えられなかったということです。したがって、神様の永遠の創造理想である平和理想世界実現のために、カイン格である既存の国連の刷新とともに、新たな次元で平和理想世界王国の機能を発揮できる天宙的次元のアベル格の国連の立場にあるのが、正に「天宙平和連合」です。今、皆様と共に誕生した「天宙平和連合」は、神様の勝利であり、真の父母様の血と汗と涙の結実であり、皆様の希望であり、願いです。カイン的な既存の国連の前に、天一国を代表するアベル的王国の使命を果たすようになるでしょう。したがって、神様の創造理想世界の実践郷を成し遂げなければならない使命が、正に世界的指導者であられる皆様に下された天命であることを肝に銘じてくださるようにお願いします。

尊敬する世界平和指導者の皆様。神様が人間を創造した究極的な目的はどこにあると思われますか。それは真の愛を中心とした理想家庭の完成を通して、喜びを感じることでした。それでは、理想家庭とはどのような姿なのでしょうか。神様が創造された最初の人間は、男性格を代表したモデルであるアダムと女性格を代表したモデルであるエバでした。それでは、彼らが真の愛の表題となる人格者と主人になる道は、どのような道だったのでしょうか。一言で言えば、神様を父として侍って暮らせる、父母と子女の関係を確保するモデル的な平和理想家庭でした。神様と一つの家族を形成し、永遠に喜びを感じながら暮らす道だという意味です。このように、神様はモデル的な平和理想家庭を築こうとアダムとエバを創造し、人類の最初の先祖として立てられました。御自身の全体を完全投入され、真の愛と真の生命、そして真の血統が連結された天宙の総合実体であり、霊肉界の媒介体であり、万物の主管主である息子と娘として立てられたのです。

皆様。ところが、アダムとエバがモデル的な平和理想家庭を築くためには、絶対必要条件があります。絶対者であられる神様が、絶対的基準の上で絶対的価値を賦与するために、御自身の子女として創造した人間は、天道が要求する絶対基準の道を行かなければならないのです。絶対者であられる神様を父母として侍るために行くべき、宿命的路程の生活が必要だということです。言い換えれば、人間が神様に似て完成し、絶対者の息子、娘と呼ばれる人格者の位置を確保するには、天が定めておいた絶対的基準の道を歩まなければならないという意味です。その中で最も重要なものが、正に絶対「性」の基準です。

2. 絶対「性」

第一は、結婚式のときまで守るべき絶対「性」、すなわち絶対純潔の基準です。人間は誰もが、生まれてから成長過程を経ていくようになります。父母の愛と保護のもと、比較的安全で無難な幼少年時代を経たのち、周囲のすべての人々はもちろん、万物万象と新しい次元の関係を結び、新しく躍動的な人生を出発する青少年期に入っていきます。外的に成人になるだけでなく、内的に人格完成を通じた絶対人間の道に入る瞬間なのです

ここで、人間なら誰もが例外なく守るべき絶対必要条件が、正に純潔です。純潔が私たち人間にとって絶対モデル「性」の必要条件であるのは、神様が創造理想を成し遂げるために、御自身の子女に下さった宿命的責任であり、義務であり、天道が、正に絶対モデル「性」を完成する道だからです。

神様が人間始祖アダムとエバを創造し、下さった唯一の戒めは何だったでしょうか。天が許すときになるまでは、互いの「性」を絶対的基準で守りなさいという戒めであり、祝福でした。

善悪の実を取って食べれば必ず死に、取って食べずに天の戒めを守れば、人格完成はもちろん、創造主であられる神様と対等な共同創造主の立場に立つようになり、さらには、万物を主管し、永遠で理想的な幸福を謳歌する宇宙の主人になるであろうという聖書のみ言は、正にこの点を踏まえて語ったことなのです。婚前純潔を守り、真の子女として天の祝福のもとで結婚して真の夫婦となり、真の子女を生んで真の父母になりなさいという祝福でした。

これは、神様の創造原則である絶対「性」を離れて実現されるものではないという事実を、確認させてくれる内容です。すなわち、神様のこの戒めの中には、人間が神様の子女として、歴史を通して個性を完成し、万物の主管位に立つためには、神様の創造理想である絶対モデル「性」を相続しなければならないという深い意味が隠されていたのです。

第二は、夫婦間において、生命よりも貴く守るべき絶対モデル「性」、すなわち絶対貞節の天法です。夫婦は、天が定めてくれた永遠の伴侶であり、子女を生むことによって真の愛、真の生命、真の血統を創造する共同創造主の絶対、唯一、不変、永遠性の本源地なのです。

一人では、千年生きても子女を生めないというのが天理だからです。婚前純潔を守り、純粋な天の夫婦として結ばれた人たちが、どうして天道を外れて浮気をすることができるでしょうか。神様が人間を御自身の子女として創造されたそのみ旨を知っているなら、想像することもできない背信と悖逆であり、自ら破滅の墓を掘る道です。人間堕落の結果としてもたらされた創造理想圏外の結果です。

皆様。絶対「性」は、このように天が人間に賦与された最高の祝福です。絶対「性」の基準を固守しなければ、人格完成、すなわち完成人間の道が不可能だからです。さらには、神様も人格神、実体神の位置を立てるためには、完成人間を通して真の家庭的絶対「性」の基盤を確保しなければ、不可能だからです。

絶対者であられる神様が、私たちの人生を直接主管され、私たちと同居し、共に楽しまれるためには、御自身の対象であり、子女として創造した人間が、神様のように絶対「性」的基準で完成した家庭の姿を備えなければなりません。絶対「性」を中心とした家庭という範疇の中でこそ、祖父母、父母、子女までの三代圏を含んだ、人間の本然の人生の理想的モデル「性」の関係が創出されるのです。この基台の上でこそ、神様の永生はもちろん、人間の永生も可能になることをはっきりと知ってくださるようにお願いします。

したがって、絶対「性」を中心としたアダムとエバが、神様のみ旨のとおりに個人完成、すなわち人格完成を成し遂げ、神様の祝福の中で夫婦関係を結び、神様との完全一体を成し遂げていたならば、神様が彼らの中に臨在できる関係が決定されていたでしょう。さらには、彼らの子女にも、神様と直接的に父子の関係を結べる愛の基準が連結されていたでしょう。言い換えれば、完成したアダムとエバの絶対「性」を中心とした結婚は、神様御自身の結婚になっていたのです。神様であると同時にアダムであり、エバであると同時に神様となり、アダムとエバが神様の体になって、神様は彼らの心の位置に安着され、共に有形と無形の二つの世界で絶対「性」を中心とした、人類の真の父母になっていたでしょう。

それでは、アダムとエバの堕落以来、歴史を通して神様の胸に最も痛む恨として残されてきたものが何であるか、御存じでしょうか。天の血統権を失ってしまい、兄弟権と所有権まで失ってしまった事件です。生命とも取り替えられないこの血統を失ってしまいました。真の生命と真の愛の実を結べなかったというのです。地球星を覆っている六十五億の人類が、神様とは何の関係もないサタンの実に転落してしまったのです。

3. 血統の重要性と真の愛

皆様。生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。この中で、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その結実が血統だということです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っており、真の生命の体が生きています。

したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国である理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このように絶対「性」の関係を通して創建されるのです。

皆様。血統の重要性は、いくら強調しても足らないことを肝に銘じてください。父子の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させる唯一の道は、正に父母と子女のモデル血統関係しかないという事実を、はっきりと知らなければなりません。

しかしその場に現れたのは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統でした。神様の愛と生命、そして血統が、愛の怨讐である姦夫、サタンの所有権に落ちてしまったのです。天地が真っ暗になって地獄に変わってしまい、神様までもいなくなった、そのような凄絶な世界になってしまった事実を、人間は今まで知らずに生きてきたのです。怨讐の血統が生命線であるかのように錯覚し、そこに命を懸けて生きている群像が、今日の堕落の後裔となった人類の哀れな姿です。それで、この世界を地上地獄と呼ぶのです。

このような悲惨な姿を見つめられる神様の胸は、どれほど痛んだことでしょうか。堕落によって血統権、長子権、所有権がサタンの手中に落ちてしまったのです。愛する子女に相続させてあげるために、一生の間、汗を流して集めた財産を、一晩のうちに強盗に根こそぎ奪われてしまった父母の立場になってしまったのです。このように、サタンに血統権を奪われ、子女を失い、すべての国と世界の所有権まで差し出してしまった神様の悲しく無念な心情を知る人がいなかったというのです。

皆様。真の父母の使命を完遂すべきレバレンド・ムーンの生涯もまた、言い表せない苦難と迫害で綴られた恨の生涯でした。第一アダムと第二アダムが失敗したすべてのものを蕩減復帰し、完成すべき第三アダムである真の父母の使命は、救世主、メシヤ、再臨主の使命はもちろん、すべての教主の使命までも総体的に完遂しなければならない人生なのです。

神様の宇宙創造がそうだったように、それは少しの誤差も許容できない人類再創造の大役事でした。どこの誰とも相談できない孤独な路程でした。神様までも顧みられず、徹底して独りで訪ねていかなければならない茨の荒野路程でした。数えきれないほど反復される生死の岐路で血を吐きながらも、天との約束を成し遂げるため、不死鳥のように再び立ち上がってモデル「性」を立てなければならなかった人生でした。

かつて日本留学時代に地下で独立運動を行っていたとして、また解放直後、共産治下の平壌で天のみ言を伝播していた時、そして自由国家として誕生した李承晩(イスンマン)政権下においても、さらには、民主主義の世界的な代表国であると誇るアメリカにおいてさえも獄中の苦労を経験するなど、一生に六度も無実の獄中闘争を経なければならなかったレバレンド・ムーンの波瀾万丈の人生、すなわちモデルとしての「性」を完成するための人生を、誰か理解する人がいたでしょうか。

かわいそうな天のために、そして死亡圏で苦しむ堕落した人類を救ってあげるために、歯を食いしばって耐えて生きてきた悲惨な生涯でした。今でも誰かが、私のこのような心情の内情を見つめ、一言でも投げかければ、私の涙は滝のように流れるでしょう。

血統権と長子権、そして所有権を再び取り戻せる道は、サタンを自然屈伏させる道しかありません。サタンを自然屈伏させる秘法は何でしょうか。怨讐を自分の子女よりもっと愛する真の愛の力によって、初めて可能なのです。

それでは、真の愛とは、どのような愛なのでしょうか。真の愛は、受けようという愛ではなく、他のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたということ自体を記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を懐に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。

真の愛によって結ばれれば、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくる愛です。堕落の後裔となった人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終息させる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠なので、誰でもこの真の愛を実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむようになり、同参権と相続権まで享受するようになるのです。このように、天国に入っていく絶対必要条件が、正にために生きる人生、すなわち真の愛の人生だというのです。

4. 実在する霊界

皆様。人間には体と心があり、心の上には霊人体があって、その霊人体が入っていって暮らす霊界はもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様は遍在されます。そして、人間は真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿だったとしても、歴史全体を代表する存在であり、また、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値をもつようになるのです。私たちが本当に人間のこのような天宙的な価値を知るならば、生きていくにおいて、心を先に立てて従っていき、絶対「性」を完成する人生を生きるべきだという点が明確になるでしょう。

ですから、皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知して、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従しながら生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されます。神様の創造がそのようになっているのです。

人間の構造をよく見てみると神様は本来、人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり主人として立てるために、霊人体を創造されました。したがって、人間は地上界で百年くらい生きて肉身の機能が尽きれば、自然に、そして自動的に無形世界である霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長にすぎないのです。神様が創造してくださった、人間の永遠な本郷です。

霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠で不変な方であるように、御自身が創造された霊界も永遠で不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結びながら暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持しながら生きていかなければならない宿命的存在です。

ところで、人間の霊人体と肉身の関係について見るとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きれば死にますが、霊人体は、時間と空間を超越して永生するのです。いくら地上界で良い服を着て良い物を食べ、豊かに暮らす人でも、結局は死ぬのではないでしょうか。したがって皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が合わさった完成実体となって暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり、有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。ところが、霊人体の完成は自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体となった生活の土台の上でこそ、完熟した霊人体が結果として実っていくのです。

皆様。秋になって、倉庫に入るよく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。怠惰で無知な主人に出会った果樹園の果物は、様々な疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として選別されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべてが同じ果物なのではありません。すべての果物が、市場に出して売れる完成品になるわけではないのです。

木の上で完熟した果物は、そのまま主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場である地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を築き、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるというのです。地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿なのです。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れます。神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自身の審判官になるという意味です。

このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて、地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で快楽ばかりを追い求める背徳の人生として終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行で決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてくださるようにお願いします。

しかし、皆様の人生をよく見れば、外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、闘っていることを否定できないでしょう。あとどのくらいこの争いを継続されますか。十年ですか、百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間をそのように不完全な状態で創造されてはいないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切って、内なる人である良心の道に従って絶対「性」を完成し、人生の勝利を達成することが、皆様の人間としての義務であり、責任であることを知らなければなりません。このような人生を生きる人には天運が共にあり、霊人体も完成できるのです。

5. 天国と家庭

皆様。天国はどのような所だと思いますか。一言で言えば、天国とは神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり、内容である世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って、次の世界である霊界に移っていく人生を生きる人々の世界です。したがって、その世界には反目や妬みがあり得ず、お互いがために生き、与え合うことが自然に行われる世界です。お金や名誉、または権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜べば全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。

天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸しながら暮らす世界です。いつどこでも、生命が躍動する世界です。すべての構成員が、真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。天国は、神様の本質的愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も真の愛のために存在されるのです。

皆様が失われた本然の家族を訪ねていくときは、アダム完成の位置で、イエス様完成の位置で、そして再臨主を代表する完成した位置で行かなければなりません。その家庭には、神様が臨在されるでしょう。祖父母、父母、子女が共に調和して暮らす三代の家族になるでしょう。祖父を歴史的な先祖の根として侍り、暮らさなければなりません。

皆様。共に暮らす人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根から真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を探し立てなければならないという意味です。このように、祖父母、父母、子女を中心として、三代が一つの家庭で、永存なさる神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

皆様、神様も、どこかへ外出しても懐かしく思い、再び訪ねてこられる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねてくる家庭を準備しなさいというのです。それが正に、神様に侍って暮らす生活です。このような家庭では、神様が縦的に良心的な主体となり、その縦的主体に従って皆様の体と心が統一されるのです。

そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛など、四大愛圏である四大心情圏が完成するのです。このような家庭でこそ、上下、左右、前後が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存する神様のモデル的理想家庭と理想国家と平和理想王国になるのです。もし全世界が、このような真の家庭ばかりで満たされるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。

皆様も一度考えてみてください。誰が皆様の善し悪しを一番よく知っていますか。皆様の祖父母であり、父母であり、皆様の夫、皆様の妻、皆様の子女たちです。

家庭の中で解決できないことがあるでしょうか。父母と子女が、夫と妻が、兄と弟が互いにために生きる人生の模範を見せるとき、許し難い過ちがどこにあり、罪を犯す隙間がどこにあるでしょうか。天理と天道が治める世界は、自然な世界です。遮るもののない真理と道理に従う世界です。影が生じない、絶対価値による正午定着の世界です。

6. 交叉祝福結婚

尊敬する貴賓の皆様。人類は今、執拗に苦しめられてきたサタンの偽りの血統を果敢に断ち切り、真の父母様の真の血統の根に接ぎ木されなければなりません。これ以上、野生のオリーブの木として人生を終える愚を犯してはならないということです。野生のオリーブの木では、千年生きても、野生のオリーブの種を生産するしかない悪循環が続くからです。それでは、私たちはどこから野生のオリーブの木の立場から脱出する道を見いだせるのでしょうか。

天の真の血統をもってこられた真の父母様を通して祝福結婚を受けることが、正に真のオリーブの木に接ぎ木される恩賜です。血統を変えなければ、種を変えることはできないからです。祝福は、重生、復活、永生の三段階の祝福を経るようになっています。人種、文化、国境、宗教の壁を飛び越え、神様のもとの人類一家族をつくる大役事です。

神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境が存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。これらすべてが、数万年の間、人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔、サタンの術策に過ぎないのです。

交叉祝福結婚を通して絶対「性」の人生を完成することが、正にこの地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることをはっきりと教えてあげなければならないのが、皆様の使命です。そうして、皆様の家門と氏族が、全員共に絶対「性」の完成を通して、祝福結婚の神聖な隊列に進み出なければなりません。

皆様。今、皆様の位置は違います。真の父母様がお許しになった聖酒式を通して血統転換し、祝福を受けて真の家庭を探し立てる道が大きく開きました。

7. 真の父母様の平和運動

世界の指導者の皆様。私は、きょうこの貴い場を借りて、もう一度、人類の平和天国創建のために、そして神様の祖国と本郷の設定のために、実に摂理的で革命的な新プロジェクトを宣布しようと思います。

歴史的にサタンによって東と西、南と北に分けられ、地理的には北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているベーリング海峡に、橋梁を建設し、海底トンネルを通そうというのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンティアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できる「世界超高速道路」を連結する「ワールド・ピース・キング・ブリッジ・海底トンネル」を完成し、世界を解放、釈放させる一日生活圏にしようというのです。

これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、サタンがつくった人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和理想世界王国を、この地球星に創建しようというのです。

アメリカとロシアが一つになり、ヨーロッパ大陸だけでなく、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家、そしてすべての宗教が一つになって共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功こそ、人類にとってこれ以上、戦争と分断が必要ない平和王国を創建するにおいて、決定的な役割を果たすようになるでしょう。

愛する祝福家庭の皆様。皆様は今、歴史上、最も恵まれた貴い時代に生きています。歴史の中で生まれては逝った数千億に達する皆様の先祖が、霊界で何よりも願い、待ち望んだ後天開闢の時代、すなわち平和理想世界王国時代の出帆を宣布します。四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖が総再臨し、皆様の天の道を導いています。悪なる者が適当にやって裕福に暮らす、そのような不条理で腐敗した世界が威勢よく振る舞う時代は、もはや過ぎ去っていくのです

私たち全員の究極的目標である、神様を中心にお迎えして暮らす「神の国」と「神の義」を探し立てなければなりません。「神の国」とは、どのような国でしょうか。三代が調和して互いに信じ、尊敬し、頼り、愛で一つになって暮らす真のモデル理想家庭と同じ姿である平和理想王国を意味するのです。すなわち、人類が今までユートピアとして願ってきた神様の主権の国が、正に「神の国」だというのです。

人類が一つの家族となり、互いに心の塀を崩し、天宙的次元で国家間の国境までも除去しようという共生共栄共義社会の実現運動も、このように一つの家庭から始まるのです。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において天宙平和王国の創建を早める摂理的召命であるという点を、肝に銘じなければなりません。

世界の火薬庫である中東でも、レバレンド・ムーンの平和思想の影響を受け、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが、新しい次元の平和的対話を行っています。東西間の冷戦に終止符を打つよう決定的な役割を果たしたのも、レバレンド・ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的な背後での作業も、今、レバレンド・ムーンの主導のもとで急速に進行しています。

しかし、私は決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を押し、人類の真の父母として顕現した私は、天との約束を必ず成し遂げなければなりません。この地球星に毒きのこのように君臨してきた様々な国境と壁を完全に撤廃し、万人が共に手を取って暮らせる平和理想世界王国を創建しなければならないのです。

8. 私たちの使命

皆様。天地開闢の後天時代は、天と真の父母様が大きく開門してくださいました。しかし、この恵まれた栄光の時代を花咲かせ、実を結ばせるのは、今や皆様の手にかかっています。

「アベル国連」の立場を確立していく「天宙平和連合」の旗のもと、「平和王国警察」と「平和王国軍」の二重的使命を果たす天の密使となってください。天が下さった祝福家庭とこの恵まれた地球星を、皆様でなければ誰が育て、守り抜くのでしょうか。

皆様。後天時代は、真の父母様から受ける祝福結婚を通して、アダムが堕落によって失ってしまった真の血統を取り戻さなければならない時代だと言いました。個人、家庭、氏族、民族、国家の五段階を経て、祝福摂理を完成すべき時代だというのです。世界的次元で三代圏の理想家庭を探し立て、後天時代の祝福家庭の使命を完遂しましょう。イエス様がこの地に来られ、死ぬ前に成し遂げようとされた願いも、正にこの三代圏の理想家庭を探し立てることだったのです。

したがって、氏族的メシヤと国家的メシヤは、真の父母様を中心として一つになり、カイン圏を代表した政治圈とアベル圏を代表した宗教圏の歴史的な流血闘争を、永遠にこの地において終息させなければなりません。世界人口の七四パーセントを占めている「蒙古斑同族連合」も、その役目を果たし、国家単位の祝福を通して世界を復帰し、人類の最初の家庭から始まったカインとアベルの闘争を終息させる摂理的なときになったことを肝に銘じてください。

皆様、真の父母様を中心としてカイン・アベルの二人の息子が一つになり、本然の立場で天宙平和の王であられる真の父母に、復帰された本然の理想家庭を奉献すべき摂理的召命のときが来ました。人類の先祖の堕落によってサタンに差し出してしまった兄弟権と所有権までも、絶対「性」の完成を通して真の理想家庭を立て、再び天に還元させる天命が皆様と共にあるときが、正にこの時代であることを特に肝に銘じてくださるようにお願いします。

皆様は今、摂理的第四次アダム心情圏の時代である解放・釈放時代、すなわち後天開闢の時代に入っています。蕩減復帰の染みで汚れた旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利した、影のない正午定着時代であり、アダムの堕落以前の本然の理想世界を創建していく時代です。平和の王、真の父母を中心として、霊界と肉界が一体圏を形成した全体、全般、全権、全能の真の愛の心情圏の時代、すなわち天宙平和統一王国の時代を意味するのです。

皆様。万民の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女となってください。救世主、メシヤ、再臨主が必要ない永遠の解放と釈放の世界で、天宙平和の王であられる真の父母様に侍り、真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和理想世界王国を創建しましょう。絶対「性」の戒めを固守して真の家庭を完成し、真の父母様が勝利された三代圏蕩減復帰の完成を相続して、堕落圏以前の本然の世界を完成しましょう。

天宙的理想圏である解放・釈放圏を安着させるモデル理想家庭と本然の絶対、唯一、不変、永遠の太平聖代を享受する善の王国を建て、億万歳の賛美を受ける天宙平和の祖国となりますように! 神様の祝福が、皆様の家庭と国家と世界に、永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。

平和メッセージが完成した日、二〇〇六年十一月十五日、巨文島にて

天正宮博物館にて、二〇〇七年一月八日、午前四時四十二分、完成完結を宣布した記念日

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第四篇 14 天国を開く門 真の家庭

第四篇 14

天国を開く門 真の家庭

このみ言は八大教材教本の一つであり、私たち人間が生きていくうえで

必要なみ言を、真の父母様がまとめてくださったものです。

第1章 家庭は天国の中心モデル

1. 家庭はすべての存在の中心モデル

人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様は上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形を備えるのです。

皆様の上下、左右、前後の関係、そして家庭の問題や国の問題、世界の問題を扱うにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません。

これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭モデルを築くのです。

モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心です。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様まで行かなければならないというのと同じです。皆様はで宇宙の中心になりたいという気持ちがあるというだけではなく、そのようにもなれるのです。このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです。

兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として仕事をするとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけないというのです。

この中心点が狂えば、上下、左右、前後の関係の均衡がすべて崩れるのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように、七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となって、調和と統一を成し遂げる家庭になるということです。

真の愛が永遠に変わらない限り、この中心核も変わらないで永遠に回るようになり、真の家庭理想が成就されるようになります。また、すべてのものが核から連結されるので、この中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等な価値になるのです。祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになります。

この愛を中心として見るとき、父子関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟間も一体であると言うのです。一つの体です。何を中心としてこのような関係を一体であるかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。

2. 家庭は宇宙の愛に接することができる愛の教材

宇宙とは何でしょうか。被造世界のすべてのものは、神様が愛する息子、娘が愛の理想を探し求めていけるように、教材としてつくっておいたものです。それで、すべてが相対的構造です。鉱物も主体と対象の関係として作用します。原子もそうです。陽子と電子も、主体と対象の関係として作用します。作用しなければ存続できません。運動をしなければ、永続、存続できないというのです。ですから、宇宙は人間を中心として、その中点に到達できるように創造された世界だというのです。

宇宙は、家庭を拡大したものです。愛を完全に完成した家庭を見れば、上中下(父母、夫婦、子女)があり、左右があり、前後があります。これが原則です。それで、上下と言うときは父母と子女のことを言い、左右と言うときは夫と妻のことを言い、前後と言うときは兄弟のことを言うのです。このような全体が、何によって一つになれるのでしょうか。力や知識やお金でもできません。それでは、どのようなものでできるのでしょうか。真の愛です。これは間違いない真理です。そうでなければ、球形にならないのです。

上中下の関係は、私たちの家庭において愛の教材です。宇宙の愛に接することのできる愛の教材です。そのようなことを、社会に出て実践しなさいというのです。どのように愛するべきでしょうか。イエス様も「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)と言いましたが、どのようにすればよいのでしょうか。漠然としています。世の中に出ていって、老人に接するときは、皆様の祖父、祖母のように侍りなさいというのです。自分の母と父、息子のように接しなさいというのです。世の中に出れば、そのようにしなければなりません。上中下と前後、左右の関係に当たる人たちが、世界という展示場に展示されているのです。人の博覧会が世界だというのです。皆様がそのような愛をもってすべてのものを愛することができれば、その中に神様が共にいらっしゃるのです。

天国とは何でしょうか。自分の家庭のように、世界の人を愛せる所が天国であり、そのような人が天国の民です。祖父母、父母、自分たち夫婦、子女、この四代は何でしょうか。天の国の民として、宇宙の真の愛を体験するための教材が家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だというのです。

私たちは、宇宙の愛を学ばなければ生きていけません。神様は教本や経典のようなものをつくり、「あなたの祖母、祖父を愛しなさい。地上にいる祖母と祖父は、霊界の祖母と祖父を代表して送ったので、その祖母と祖父を愛せば、全体を愛することにしてあげよう」と公約するのです。その次には、「あなたが母と父をこの上なく愛することを、この世界の数多くの母と父を代表する教本のように愛するモデルとしたので、全体を愛したという条件にしてあげよう。また、男性として女性を愛したことは、世界の男性が世界の女性を代表して束ねて愛したものとして認めてあげよう」と言うのです。またその次は、「あなたの息子、娘を愛したことで、全体の息子、娘を愛したことにしてあげよう」と言うのです。ですから家庭は、その訓練を受ける訓練所です。経典による世界愛の訓練過程なのですが、その訓練を受けた人に、「今から世の中に一度出て、あなたの祖父と祖母のように、世の中の祖母と祖父を愛せるか」と尋ねたとき、「はい」と言えば、その人は世界を救えるのです。

3. 愛の王国に入籍するための愛の修練場

愛の王国を築くことが、神様のみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようというのが神様のみ旨だというとき、小学校の卒業から大学、修士、博士卒業までパスできる実験場がどこかと言えば、家庭です。家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見れば、祖父と祖母が住む世界、その次に、叔父と叔母が住む世界、兄と姉のような人たちが住む世界、青少年が住む世界、子女たちが住む世界があります。ですから、老年から壮年、中年、青年、少年が集まって住むこの場は、形が大きく、数が多いだけであって、家庭を拡大したものなのです。

家庭は天国に入っていける最小単位の修練所であり、教材です。人類を自分の兄弟姉妹のように愛し、父母のように愛し、息子、娘のようにために生きられる家庭だけが、天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権がここにあります。

家庭は、霊界に行く時に天の国の平和の王宮に入籍する権利を得るための愛の教科書です。家庭が愛の修練場だというのです。自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として神様を愛するように、全世界の人を愛せば、それが天国に続くまっすぐな道となるのです。したがって、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)というのが第一の戒めです。第二は、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)というものです。神様を愛して人類を愛せば、すべて終わるのです。それができなければ、いくら修養してもすべて無駄です。

宗教者がいくら修業を積んだとしても、神様を愛することを知らず、人類を愛することを知らず、宇宙を愛することを知らなければ、すべて落第だというのです。家庭において、全体宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。そのようにできる訓練場として引き継いだのが、皆様が成長した、母と父が住む家庭だというのです。

ですから、自分の妻を愛する以上に父母を愛し、息子、娘を愛し、人類を愛し、神様を愛せば、すべてOKです。だからといって、自分の妻を捨てなさいというのではありません。そのようにすべての人を愛せば、その愛を受けたすべての人々が、自分の妻を愛するようになるのです。それ以上、栄光の場がどこにあるでしょうか。自分の妻を愛そうとするならば、そのようにしなさいというのです。

4. 家庭は天国のモデルであり教科書

子女の立場にいる人は、どのような運勢を受けなければならないのでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母はなぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は、過去の生きた歴史を代表します。その次に、父母は現在を代表します。そして、子女は未来を象徴します。そこには東西も入っており、南北も入っています。そして、全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、神様の中心、このすべてのものが真の愛を中心としたものなのです。ですから、祖父を愛し、祖母を尊敬するのは、過去をすべて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶためです。父からは現在を学ぶのであり、子女を愛するのは未来を学んでいくことです。祖父と祖母、母と父を通して、何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。「祖父と祖母は年を取っているが、二人が真の愛と一つになっていて、母と父が一つになっているから、私たちもあの方々のようになって、未来に引き継ごう」というのです。ですから、真の家庭にならなければ、絶対に未来に引き継ぐことができないのです。

家庭のこの三代を見れば、それは宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は、現在と未来を代表した真の家庭にあります。動物世界を見ても、雌を愛し、雄を愛しますが、これは宇宙の愛を学べる教科書です。祖母がいなければ不安定です。祖父がいなくても不安定であり、どちらがいなくても不安定です。二人が一緒にいてこそ、そのまま天の国に移っていくのです。祖父母、父母、子女がいてこそ、そのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に入っていけるのです。天国のモデルであり教科書が、真の家庭です。

家庭は、天国を築くための教材です。天がつくっておいた教材です。世界のどこに行っても、祖父の年齢の人を自分の祖父のように愛せば、その人は天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人を自分の父母のように愛する人は、どこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線が生じないのです。万国の若者を自分の息子、娘だと思う心をもてば、その人は、十二の真珠門があり、十二の方向があっても、天国のどこにでも通じるというのです。ですから、家庭は天国と関係を結ばせるための教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、すなわち聖子になるのです。人間は皆、そのような欲望をもっています。

皆様は五色人種の息子、娘を抱き、その孫と孫娘を抱くことができなければなりません。そうして、神様の真の愛をもって、真の父母として世界の人を愛する家庭の主人になったという立場に立たなければなりません。神様の愛を中心とした本然の父母の関係の中で、真の愛の家庭基準を代表できる立場に立つことにより、初めて天国に入っていけるのです。

5. 家庭は三時代の愛が結集した核心体

歴史を抱き、現代を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから、神様が今まで六千年を経ながら探し求めてきた最後の基点が、正に家庭です。その家庭は、愛が連結された、愛によって結束した家庭です。存在するすべてのものは皆、真の愛の主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛の関係を離れることはできません。このような家庭をつくるのが、神様が創造当時にアダムとエバに与えた本来の使命でした。

神様は、男性のアダムと女性のエバとしてだけで終わるのではなく、互いに結合して築く新しい家庭を夢見られたのです。これが、神様が男性と女性を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから、真の家庭を探し求め、その家庭圏内で神様の愛を中心として、この世で充足を感じられる境地に入って生きてこそ、天国も無事に通過するのです。そのようになってこそ、この世界も越えられるのです。

愛の家庭圏を形成するためには、絶対的でなければなりません。自分が一つの時代において一人の相対を愛するのは、神様が世界に対するのと同じです。ここにおいて父母と夫婦と子女が一体となり、天宙を代表して「私たちの愛を見習いなさい」と言うことができ、子孫に対して「私たちに従いなさい」と言うことができ、内外共に主張できる心の本郷、天情が通じるその場所は、天地に記憶されるでしょう。

今まで神様は、何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。神様を手本とし、御自身が造った世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点は何でしょうか。家庭です。家庭より宇宙を代表できるものはありません。父母と一つになるのは、歴史と現実が出会うことです。ここで私は、父母を愛することによって過去を愛することができ、相対を愛することによって現実を愛することができ、子女を愛することによって未来を愛することができるのです。ですから、私は三時代の愛を体験できるのです。この三つの愛が結集した核心体が、正に家庭です。

それでは、天国生活はどこからでしょうか。家庭からです。他の所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏から外れたものではないというのです。ですから、皆様が自分の妻や夫を抱くときは、世界のすべての男性と女性を代表した二人が一つになるのだと考えなければなりません。このように、世界人類を愛したという条件を立てられる場所が、正に家庭です。皆様は、そのように生きていく道を訪ねていかなければなりません。父母を愛するのは歴史と現在を連結させることであり、神様が訪ねてこられる道を整えることです。ですから、父母を愛さなければなりません。歴史的な存在と時代的な私を連結させること、すなわち過去と現在を一つにすることが、父母を愛することです。また、自分を中心として子女を愛することは、現実と未来を連結させることです。そして、このような愛を、千年、万年たたえるようにしようという思想が「統一思想」です。

6. 家庭は心情的な訓練場

私たちは、心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せる所がなければ、生きられないのです。自分が率いる人々や閣僚、もしくは追従する人々に対しては、心情的な満足を感じられません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じなければなりません。そうして、その喜びを他の人に誇れなければならないのです。その喜びは、一次的な喜びであって、二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のない神様は喜べないというのです。結局、家庭がなければならないのです。

家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では師を中心としなければなりません。父母は自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、このようにして情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校とは何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場であれば、学校は社会生活のための実験的な訓練場です。だからといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかと言えば、国に帰結するのです。

国には国王がいます。人々がみな、大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、その次にどこに行くのかと言えば、より大きな所に行くのです。大統領と言えば、蘇生と長成の段階を越えて、三つ目の完成段階の結実です。種は根から始まって、循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲いて実を結ぶのです。そのため、学校は国のための貴重な棟梁、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強は、訓練です。ですから、学校は訓練場であり実験場です。訓練は、実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはいけません。

家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、愛情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、愛情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のそのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるというのです。父母は、情緒的なすべてのものを子女たちに伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きるべきであり、社会ではこのように生きるべきであり、国のためにはこのように生きるべきであるという情緒的基盤をつくってあげなければならないのです。

皆様が家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって、良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を関係づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです。

7. 人間の永遠の本郷は家庭

家庭は良い所です。なぜ良いのでしょうか。母と父がいるから良い所であり、姉や兄がいるから良い所であり、弟や妹がいるから良い所であり、親戚がいるから良い所です。ですから、人間なら誰でも本郷の地、すなわち故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷にもっと思いを馳せるのです。大韓民国が好きでありながら、大韓民国に住みたいと思いながら、また大韓民国で暮らしながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、自分の心情を四方に、立体的にすべて引き上げる所です。

その心情は、愛によって結びつけられています。上には母と父が結びつけられており、左右には夫婦の関係が結びつけられており、下には息子、娘、親戚が立体的な愛によって固く結びつけられているところが本郷です。人は、真の愛を中心として幸福の基点を最高に求めるので、本郷を慕わざるを得ないのです。

それでは、神様の本郷はどこでしょうか。この地球星において、神様の本郷の地はどこなのでしょうか。愛の神様であれば、この地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこかというのです。それを知るためには、神様がその基点を整えるために、どのように準備してこられたのかを知らなければなりません。神様の家庭を整えられる、本郷の基点になる所は、他の所ではありません。神様を本当の父だと知っている息子がいる所です。すなわち、神様の愛を独占できる息子、ひとり子がいる所です。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して、完全な家庭を築く所です。

それでは、その本郷の地には、誰がいなければならないのでしょうか。会いたい人々がいなければなりません。父母がいらっしゃらなければならず、兄弟がいなければなりません。そして、会いたい人がいなければなりません。また、そこで一緒に暮らしたいのですが、一瞬だけではなぐ、永遠に一緒に暮らしても嫌にはなりません。そのような所を訪ねていかなければなりません。そこが、宗教で目指す天国です。

私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にどこの誰よりも近い父母がいて、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を導いてくれ、また私がいつどのようなときに訪ねていっても、私を昔のように迎えてくれ、私が困難に遭えば、その大変な事情に同情しながら慰労してくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそうでなければ、本郷が懐かしく、喜んで訪ねていっても、切実に慕っていた当時の心情は消え、かえって嘆息の思いをもって帰ってくるというのです。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません。

8. 家庭は天宙主義を完結させる最終基準

すべてのものは、一つから多くのものに分かれ、結局、一つの大きなものに統合されます.すなわち、一つから様々に分かれ、一つに統合されるのです。ここからまた分かれて、より大きなものになる反復運動です。そこには家庭がありますが、形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦になった所であり、その夫婦を一つにする所です。氏族は家庭を一つにする所であり、民族は氏族を一つにする所です。民族が合わさって一つの国家にすべて入ります。しかし、どこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開すれば、横的な世界になるのです

ですから、どのような社会だったとしても、家庭を除くことはできないのです。家庭を復帰できなければ、世界を復帰できません。その次には、その家庭を中心に天宙主義を完成しなければなりません。天宙は、天地を総合したものです。天と地は、人間において体と心と同じです。この体と心が一つにならなければなりません。一つの主体があれば、一つの相対が必要なように、一人の男性には一人の女性が必要だというのです。男性と女性が一つになった所が家庭です。この一つの家庭を中心としなければ、神様の愛の基盤が定まらないのです。

天宙主義というのは、体と心を合わせたのちに、神様の愛の本体になる家庭を築き、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は、家を意味します。それで、天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要だというのです。

皆様が家庭において一つになれなければ、天宙主義と関係ありません。家庭こそは天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌えず、幸福を賛美できない人は、この地上においても霊界に行っても、不幸な人になるのです。

天国は、どこからできるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。それでは、私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義です。このようになってこそ、天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十六巻は、すべて理想的な家庭を願ったみ言です。また、万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。また女性として生まれて最も願うことは、理想的な夫に出会うことです。

女性がいくら博士になって世界に対して大きなことを言ったとしても、その女性の願いは理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会い、かわいい息子、娘を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。

それでは、天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの主義は、父母の主義です。これは、私たちの家主義であり、私たちの国主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったならば、世界はアダム主義になっていたでしょう。そのアダム主義が、正に真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の主義はあり得ないのです。そのため、統一教会は心情的な問題を、この本然の理想的な家庭の範疇の中において、真の父母という理念を中心として、天の主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の関係が残っている限り、統一教会は滅びません。

第2章 愛を中心とした人生行路

1. 人間はなぜ生まれたのか

「生命が先か、愛が先か」というとき、果たしてどちらが先でしょうか。愛が先です。宇宙の根本は、存在の起源に先立って愛の流通がなければ、存在価値は出てくることができません。

生命が先ではなく、愛が先です。先になったものの前に、あとになるものは順応しなければならないので、愛のためには生命を捧げるのが当然なのです。このように収拾しておかなければなりません。「それでは、人生を正しく生きる道はどこなのか」という問題が出てきます。人生は愛から生まれたので、愛の道を行かなければならず、愛のために死ななければならないという結論が出てきます。小宇宙ではなく、大宇宙が歓迎できる愛を探して、神様が公認し、天使世界が公認し、万物が、さらには私たちの父母が公認できる大宇宙の愛の中に生まれ、その中で愛し、死んでいくのが、人生の目的だと見るのです。

人間とは、自分が希望して生まれた存在ではありません。それでは、父と母の希望によって生まれたのでしょうか。そうではありません。神様の希望によって生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して生まれたのです。神様の代身である父母の愛を通して、新しい生命体として生まれたのが私です。そして、愛は全体を創造する力をもっています。宇宙の愛をすべて受けて、全宇宙の中心的な存在として生まれたのが、正に私です。愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、また愛を残すのが人生における最高の目的です。自分の家庭において、宇宙の中心である愛の使命を果たすのが、最も価値あることです。

人がなぜ生まれたのかということを知らなければなりません。人は、知識や権力ゆえに生まれたのではありません。人は愛ゆえに生まれ、また愛から生まれたのです。それでは、愛は何ゆえにそのように偉大なのでしょうか。それは、生命の源泉だからです。皆様は、父母の愛の中から生まれました。お金を数えるところや知識を追求するところから生まれたのではありません。このように愛の中から生まれたので、愛によって結実しなければなりません。それで子女が必要なのです。夫婦が一つになり、息子、娘という相対がいるとき、完全なのです。人間自身も、愛を離れては存在できません。ですから、私という存在は、愛を土台として生きていくと言えるのです。

すべての万物も、その存在の始まりは神様の愛から出発しています。万物の存在が愛を土台として始まったとすれば、被造世界の中心存在である人間は、より一層、愛によって出発した存在であることを否定できません。人間は、愛から出発し、愛によって完熟するので、愛の基準を離れては生きられない存在なのです。

2. 愛を中心とした創造本然の人生

人間が存在する理由とは何でしょうか。人間が存在する理由は、愛から始まりました。それでは、人間が存在する目的はどこにあると思いますか。それは、愛の理想を完成することにあります。人間は愛を原因として存在するようになったので、愛の基台を築いて拡張させ、連結して完成させることが目的になるのです。すなわち、出発が愛なので、目的も愛をもって到達しなければならないというのです。そのためには、相対的関係にある男性と女性が愛を中心として一つになり、前後、左右、上下に連結されなければなりません。

私たちはいくら絶対的な存在を確定し。いくら絶対的な目的を確立したとしても、そこでうれしくなければ何の意味もありません。生きて生活するのがうれしくなければなりません。生活は、目的のためにするのです。その目的を成就したというとき、そこには存在それ自体以上の新しい何かがあるはずです。男性なら男性、女性なら女性を中心として見るとき、彼らにとって何よりも貴いものは何でしょうか。愛です。愛だけが、これと連結させられる幸福の要因になるのです。人が目的をいくらよく立てたとしても、その目的を主管する主体的な愛の権威を立てられなくなるときには、再び新しい目的を追求しなければなりません。目的の限界点が、愛より上にはなり得ないのです。

皆様は、何ゆえに生きていますか。「食べるために」と答える人もいて、あるいは「仕事をするために」、または「何の目的もない人生を生きている」と言う人もいるでしょう。人間は何のために生きるのでしょうか。「愛のために生きる」と言えば、どれほど素晴らしい答えかというのです。人間は、愛の実として生まれ、愛しながら生き、永遠の愛である神様の懐に帰るようになっているというのが、創造本然の人生です。愛によって生まれ、愛の中で成長し、その次に、再び異なる次元の愛に連結されるのです。

誰でも、父母の愛を離れ、相対の愛を訪ねていきます。父母の愛は蘇生的愛ということができ、夫婦の愛は長成的愛ということができます。夫婦同士いくら愛し合っても、子女がいなければ愛の完成を見ることはできません。ですから、子女が必要です。これが完成的愛です。ですから、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が人生の根本であり、神様の愛を中心とする創造理想を実現する根本の道です。

生命は愛から生まれます。愛から生まれ、父母から愛を受け、愛によって成長し、愛する妻に出会ってまた愛し、その愛の中で死んでいきます。これが人生です。ですから、悲しみと苦痛はあり得ないのが、本来の人生だというのです。

本来、宇宙の根本位置は、愛を中心として総合的に、縦横に同時に結合する基準ができることで、父母の愛と夫婦の愛、子女の愛が一つになる位置となります。その位置は、全宇宙が集中する場となり、全宇宙の細胞の方向が集中する場になります。霊界のすべての霊人が、ここに集中します。それだけでなく、この位置を誰も侵犯できないように保護するようになっているのです。ですから、この位置が破壊されれば、大変なことが起こります。それで、完全に保護を受けるためにはある形態が必要なのですが、その形態を統一教会の用語で「四位基台」と言うのです。

3. 人間の永遠の生命の要素は愛

人間は胎児のとき、母から供給される栄養を受けただけでなく、愛を供給されました。そのように、地上で暮らしている人間も、宇宙(自然)から物質的な栄養を供給されるだけでなく、生命の本質的要素である愛を神様から供給されているのです。

すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては愛が生命の要素になるのです。私たちの希望は、永遠に愛と共に欽慕しながら暮らせる地上天国と天上天国が建設されることです。

男性や女性が行く道は、愛のゆえにあり、愛のためにあります。私の道は、愛の道です。愛を得るために、愛を守るために、愛の環境圏を築くために行くのです。女性が化粧をし、マッサージをするのも、愛のためです。何かを願うのも、仕事をするのも、すべて愛のためです。高貴な愛を得るために、苦難に打ち勝っていくのです。

私たちは生まれるときから父母の愛を受け、父母が生存している限り、少年時代、青年時代、壮年時代、どの時代においても、愛するのです。父母の愛を受けて成長すれば、横的な夫婦の愛が各自に起こるようになっているのです。

結婚とは何でしょうか。男性は女性について知らなかったことを学び、女性は男性について知らなかったことを学ぶために、家庭という愛の学校に入学するのです。すべての履修単位がAプラスになってこそ、夫も喜び、妻も喜ぶのです。さらに、息子、娘を生むのは、世界を愛する方法を学ぶためです。息子、娘がいなければ未来と連結されません。未来の世界と連結できる教育の材料として、息子、娘を与えたのです。そして、先祖や祖父、祖母に孝行するのは、霊界からの教育を受けるためであることを知らなければなりません。愛を中心として、これらすべてのものが連結されます。祖父と祖母、夫と妻、息子、娘が一つの愛を中心としてすべて連結されているのです。

私たちは、愛を中心として霊界の千万代の先祖までも尋ねて、行き来し、遠い子孫までも通じるのです。それが、霊界の組織であり、宇宙の組織になるということです。すべてのものがここに征服されてしまうのです。愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だと言えるのです。

4. 神様の愛はどのようなものか

皆様が神様の愛を一度調べてみてください。神様の愛をどのように表現できるでしょうか。それはまるで、暖かい春の日に、空には白い雲がふわふわと浮かんでいて、地にはかげろうがぼんやりと立ちのぼり、虫が飛び回って、ありも世の中を見物しようとちょろちょろと巣を出たり入ったりし、さらさらと流れる小川のほとりには猫柳の花が芽吹き、蛙は春の日の新しい歌を歌い、群れをなして飛んでくる蜂や蝶を見て喜ぶ、そのような環境と同じです。そのような環境に酔って、まどろみそうで、気分が良くていつまでもこうしていたいと言える、そのような味だというのです。

神様が探し求められる理想相対を中心として感じる気分は、このように蝶が飛び、蜜蜂が飛んでくる花の園のようなものです。これを考えただけでも気分が良いですか、悪いですか。この鈍い男性たちは、それが分からないでしょう。気分が良いというのです。懐かしい人に会えば、手を強く握って握手します。懐かしければ、手を強く握るのです。そのように喜んでつかめば、手がほどけないというのです。女性たちは、お嫁に行って夫が自分を愛してくれれば、気分がどうか一度考えてみてください。良いでしょうか、悪いでしょうか。人は率直でなければなりません。愛してくれるなら、この世の中に羨ましいことなどないのです。ずっと夫の横にぴったりとくっついて暮らすのです。

愛は永遠です。愛は二つではなく一つです。一つになるというのです。男性と女性がカップルになって愛し合えば、ぴったりくっついてしまいます。そのようにして理想の心情まで行くというのです。それが正に、神様の愛です。そのような愛をもって暮らせば、一つになるようになっています。

男性と女性が愛し合うようになれば、ありとあらゆることがすべて起こります。神様を訪ねていける道を知り、神様の愛を本当に味わえば、どうなるでしょうか。神様の愛は、世の中のどのようなものとも比較できません。そのような愛を味わった人がいれば、どのような苦難もその人を占領できず、どのような悲しみもその人を占領できないでしょう。そのような絶対的な解放圏があるはずです。これを探し出すことが問題です。

神様の愛は、大きく三大愛として現れます。それは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三人愛が一つに一致する中心が、神様の愛です。

5. 愛と喜びの相続のための神様の祝福

神様にとって、一番の栄光の新しい朝は、肉身をまとえるときです。そして、愛することのできる人(夫婦)をもつときであり、その次には、孫を愛せるときです。息子、娘より、孫を愛せるときがさらに栄光のときです。ところで、神様がアダムを造ってどれほどうれしかったかということを、どのように教えてあげたのでしょうか。「いやあ! 私はこんなにうれしかった」ということを教えてあげなければなりませんでした。それは、息子、娘を生むことによって教えてあげられるのです。人は幼いとき、父母の愛がどのようなものか分かりませんが、のちに家庭を築いて赤ん坊ができれば、父母の愛がどのようなものかを知るようになるのです。「私の父母が、私を育てるとき、このように愛してくれたのだな」ということが分かるようになっています。ですから、子女が配偶者を得る日は栄光の日であり、その息子が子女を目にする日が栄光の日なのです。

神様の愛を知らなければなりません。父母の愛を知り、父母に侍ることができなければならず、夫の愛を知り、夫に侍ることができなければなりません。子女の愛を知り、子女に侍ることができなければなりません。子女に命令するだけではなく、侍ってみることもできなければならないのです。理解することもできなければなりません。それでこそ、神様の愛を理解できるのです。子女がいなければ、未完成状態です。神様の愛が分かりません。神様が子女としての人間を、どれほど愛したか分かりません。また、夫になってみなければ妻が分からず、妻になってみなければ夫が分かりません。子女も父母になるまでは、父母の愛がどのようなものかが分からないのです。ですから、息子、娘がいなければ、真の父母になれないのです。

父母が子女の結婚を願うのは、子女に父母の愛をすべて相続させ、伝授してあげたいからです。父母は死んでいきながら、子孫にその実体を残しておきます。ですから、子孫が必要なのです。愛は永遠に続くのです。愛は人間の最高の願望なので、万民が両手を挙げて相続しようとします。その愛を残しておくことにより、霊界でも堂々と神様のみ前に出ていけるのです。そのような愛を完遂できる所が家庭です。家庭を通して天国に行くというのは、すなわち、愛の一体圏が形成されるということです。

人間は、原理原則に従っていかなければなりません。春になれば種を蒔き、夏になれば生い茂り、秋になれば実を結び、冬になればすべてのものを整理して、新しい生命の根源を自分の内心に備えなければなりません。そのようにしてこそ、再び春を迎えるようになるとき、またこれが植えることのできる種になるのです。これは何の話かと言えば、これから皆様は父母となり、皆様のような息子、娘を生まなければならないということです。皆様の息子、娘を、皆様のように育てなければならないというのです。

皆様は、息子、娘がいなければなぜ寂しいのでしょうか。それは、循環の回路が途切れるからです。鳥が雛に餌をあげるのを見れば、母島のこの上ない愛を知ることができます。東洋では、大人に対しては礼儀正しく敬い、息子、娘にはこの上ない愛を惜しみません。息子、娘を生んで育ててみることによって、父母が子女をどれほど愛したのかを悟るようになるのです。人間は誰でも、結婚したのちに子女を生んで育ててみなければなりません。そのようにしてこそ、子女の愛と父母の愛を所有できるのです。

息子、娘を生んで育てることを忌避する人が多くいます。自分たちが結婚し、離婚するときに息子、娘が妨げになると考えているので、子女をもつことをはばかるのです。しかし人間は、生まれて四位基台を造成しなければ、神様が人間を愛する心情を知ることができないので、天国に行けないのです。

6. 愛のセンターを訪ねていく人生行路

人間は、愛によって生まれ、父母の愛の中で成長し、横的に愛を広げていきながら成熟するようになります。横的な愛は、異性の相対に出会って一つの段階を完成するのですが、天地の愛を代表できる基準に入れば、その結実として子女をもつのです。子女は、核心的な心情の位置で生じた愛の結果として生まれます。男性と女性が心情的な愛を与え合うことで生まれた息子、娘は、愛の核心に通じる道をつくってくれるのですが、そのセンターを通っていけば、正に神様と出会うのです。

人間は、愛の結実として子女をもつことによって、神様が万物を創造し、人間を創造された愛を体恤するようになります。また、父母の愛によって生まれて受けた愛を、子女を愛してみることによって、父母の心情を体恤するのです。父母が子女に注いできた愛は、物質的な愛ではなく、本質的な愛です。天地が変わっても、歴史が変わっても変わらないのが、父母が子女に与える愛です。父母になって子女を愛することにより、神様が人間をどのように愛してこられたのかを推し量るようになり、体験を通して確認するのです。父母になり、子女を愛することによって、父母が私をどのように愛し、どれほど愛したのかを感じ、悟るようになります。そうして、老いた父母をさらに敬い、愛によって孝行の道理を果たすようになるのです。そうできなければ、父母の資格がないだけでなく、子女に対する愛も、偽善であると言わざるを得ないのです。

人間は、父母になって子女を愛してみることによって、神様が人間をどれほど愛してこられたのかを感じ、悟らなければなりません。また、神様をより一層、心から愛さなければなりません。子女よりも、老いた父母をもっと愛するべきであり、老いた父母よりも、神様をもっと愛さなければならないのが愛の秩序であり、法度であることを知らなければなりません。

人間は生まれるとき、愛によって生まれ、生まれてからは愛を受けながら、幼い時期を成長するようになります。しかし、ある程度まで成長すると父母の愛だけでは足りなくなり、兄弟間の愛と氏族の愛を中心として、横的な愛を広げ始めるのです。すなわち、天宙間のすべての愛を受けながら成熟していきます。特に思春期に入ると異性間の愛を切に求めるようになりますが、異性間の愛によって、総合的な愛の圏に入るようになり、初めて愛のセンターを訪ねていけるようになるのです。

天地は球形の世界なので、横的な愛を分かち合い、回転しながら円形を一次的に形成するようになります。特に、異性を相対者として選んで愛を与え合うとき、その結実として子女が生まれて父母になるのですが、このとき、互いが相互間において愛を与え合って回転すれば、横的な愛に続いて縦的な愛も完成するようになり、球形世界を形成すると同時に愛のセンターを探し出すようになるのです。愛の運動を通して生じた愛のセンターは、すべての被造世界の存在の核でもあります。地球が存在するのも、この愛のセンターを中心に運動を続けているからです。愛のセンターは、運動を継続できる無限な力が集まった所です。このような愛の球形を通じて生じるセンターは、正にその場に神様がいらっしゃる所でもあります。ですから、世の中に存在するすべての被造物は、神様の愛によって創造され、存在し、神様の愛のセンターを訪ねていくのです。神様は、正に愛の溶鉱炉です。

7. 三時代を生きる人生路程

人間は、母親のおなかの中で過ごしてから生まれ、一定期間を地上で生きてから死を迎えるようになっています。人間は、世の中に生まれる前に母親のおなかの中で十カ月を過ごします。おなかの中にいるとき、幼い胎児の自由には限界があります。胎児はで母親の栄養をへその緒を通して受け取って成長しながら、両手を伸ばしたり引っ込めたり、口を開けたりすぼめたりし、両足でばたばたするのが精いっぱいです。しかし、その胎児にとっては母親のおなかの中が自由天地であり、生の全領域なのです。その胎児は十カ月目に世の中に生まれて育っていきますが、それ以後の世界が、今日、私たちの暮らしている現在の地上世界であり、人間社会なのです。

人は愛のために生まれました。ですから、真の父母の愛に根を下ろし、母親と父親の保護と愛の懐である腹中で育ってから生まれ、二十歳までは分別もなく、寝床が湿っていても乾いていても父母から責められることもなく、汚い物でもそれを忘れて、すべて喜んで消化できる愛の中で育ち、そして愛の相対者に出会い、互いのために生きる天理の愛に接ぎ木しなければなりません。そのような一生の過程を通過しながら、神様の愛がどのようなものかを体験してこそ、神様の対象愛の実体圏が完成するので、息子、娘を生んで、愛するようにさせるのです。

この世に生まれた人間は、胎児のときの母親のおなかの中にたとえられる宇宙で生きています。一言で言えば、宇宙という母親の懐の中で、人間の百年の生涯を生きているのです。胎児が、母親のおなかの外の人間の世界を知らなかったように、今日、地上世界で生きている人間は、死後の無形実体世界に対する実在が分からずにいます。ただ、母親のおなかの中の胎児が地上世界の存在について分からなかったのと同じように、自分たちが分からないだけで死後の世界もあるかもしれないという、漠然とした心証をもつだけです。しかしはっきりとしていることは、人間の死後の世界に関する心証的な証言に関わりなく、霊界は確実に存在しているということです。しかし死後の世界は、人間が感知できる五官作用の外にあるので、宗教を通した信仰をもって、不信を克服しなければなりません。

人間の人生には三時代があります。動物界にも水中時代があり、陸地時代があり、空中時代があります。すべてのものがこの三時代を経なければなりません。人も同じです。万物の霊長として、すべての万物を主管できる資格を備えるためには、人にも水中時代があって、どのような存在よりも完全な生活体を備えなければなりません。次に陸地時代があって、どのような動物よりも最高の資格をもった存在でなければなりません。その次には空中時代がなければなりません。ところが人には、翼がないのです。

翼がないのにどのようにして飛べますか。飛び回るどのような鳥よりも、どのような昆虫よりも、高く飛び、遠くにも飛べなければならないというのです。そのためには、どのようにしなければならないのでしょうか。それは、実体である肉身をもってしてはできません。いくら飛び跳ねてみても、飛ぶことはできません。しかし、人は万物の霊長であり、神様が霊的な存在なので、主管権をもとうとしたり、相対的立場に立とうとしたりすれば、その活動舞台が神様と同じでなければなりません。電気や光で言えば、光の速度は一秒間に三十万キロメートル進みます。しかし、それよりもっと速く移動できるのが人の霊人体です。

私たちはこの世に住んでいますが、この世だけがあるのではなく、霊界があります。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所はどこでしょうか。霊界です。霊界は、愛の空気が満ちあふれた永遠の世界です。ですから私たちの一生は、永遠の世界に入るために準備する期間なのです。

8. 地上生活は霊界に拍子を合わせるための訓練

私は霊界の体験をたくさんもっている人ですが、霊界は愛の成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛によって包まれている所です。人間は、地上で空気を吸ってガスを吐き出しますが、霊界では愛を吸いながら暮らすようになっています。霊界は、今日の人間の世俗的な愛を中心として愛し合うようにはなっていません。霊界で愛し合う愛は、真の愛です。

霊界に行ってみれば、その世界は次のようになっています。父母、夫婦、兄弟姉妹、子女に対する愛を十分にもった人、すなわち家庭生活で深い愛の経験をした人は、多くの自由を享受できるのです。その人は、何の制限もなく、どこにでも、どの方向にでも行けるのです。その反対に、愛の経験のない人は心が狭く、霊界でも自分一人で孤立していて、自由が全くありません。父子間の愛は縦的な関係であり、夫婦間の愛は横的な関係であり、兄弟姉妹間の愛は旋回して取り囲む関係です。この三つの関係は、互いに異なります。

ですから、地上でこの三つの互いに異なる方法で、深い愛の経験をもってこそ、制限なく縦的に、横的に、円形に旋回できるのです。例えば、父母が早く亡くなることによって、父母の愛を味わえなかった人は、とても重要な愛の経験ができなかったために、かわいそうな人であり、同じように家庭生活、すなわち夫婦関係を経験できなかった人は、生の重要な部分が不足しているので、霊界では非常にみすぼらしい人になります。また、兄弟姉妹の心情を体恤できなかった人は、すべての分野の欠乏によって、完全な愛の人生を生きられなかったので、霊界で哀れな立場に置かれるのです。

皆様はなぜ結婚しなければならないのでしょうか。父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛を体験するために結婚するのです。それでは、それがなぜ必要なのでしょうか。霊界に拍子を合わせる訓練をするために、家庭をもたなければならないということを知らなければなりません。愛の空気が満ちあふれた所が霊界ですが、これを感じられずに行く人は、向こうの国に行って拍子を合わせられないのです。このような愛の空気のにおいを嗅ぐ鼻がない人と同じだというのです。

皆様は、父親と母親から生まれました。その次に、さらに根本的なことは、父親と母親のおなかを借りて、神様から生まれたという事実です。皆様は宇宙の父母を通して、肉身の父母を通して、真の父母を訪ねていくのです。ですから死の瞬間は、真の父母に会いにいく歓喜の時間です。そこには、真の父母の真の愛があります。そこを天上天国と言います。そこの構成要素は愛であり、そこは父母の愛で満ちあふれているのです。

その愛は、私のためのものではなく、奉仕と犠牲の原則のもと、一方的な法度に通じる愛です。そこに合格するためには、宇宙を愛し、人類を愛さなければなりません。地上生活は、そのような愛のための訓練場です。

この地上での生活が、どれほど重要か御存じですか。一度しかありません。瞬間ですが、一度しかないのです。地上生活を永生に比喩すれば、これは一つの点にすぎません。あまりにも短い瞬間です。しかし、この瞬間のときに、肉身生活を越え、霊界のために準備しなければならないのです。

第3章 創造本然の男女の愛

1. 創造本然の男女の愛

男性と女性が愛し合っても、それが、神様の立てようとしたみ旨と一致するか、また神様が人間に願ったその基準に一致するかが問題になります。男性と女性が愛し合うとき、神様がお考えになるモデル的な愛と一致するかということです。神様を中心として、最初の男性と女性が愛によって一つになっていたならば、それは、愛を中心とした宇宙のモデルになったでしょう。神様も人間に、そのような愛を願われたのです。男性と女性も同じように、互いに相手に対してそのような愛を願ったでしょう。そのような真の愛は、宇宙の核にならざるを得ません。一つの標準型になるのです。

神様の愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は一つになろうとする力です。男性と女性が互いに恋しく思う理由は何でしょうか。男性は女性を、女性は男性を通してのみ、神様を所有できるからです。なぜなら、男性と女性が愛によって一つになった場に、神様が臨在されるからです。

二性性相の母体が神様であることを考えるとき、男性と女性の尊厳ある価値を賛美すると同時に、神様の貴い価値をさらに賛美できる人にならなければなりません。

男性の心の中には、神様が愛される女性がいて、彼の対象である女性の心の中にも、神様が愛される男性がいて、共にたたえるようになる場合には、神様もそれを見て喜ばれ、あらゆる万物も互いに喜ぶようになるでしょう。彼らが互いに抱擁する喜びの内容が、天と地が共に喜ぶ価値となるのです。男性と女性が互いに喜んで抱擁するそれ自体が、宇宙が一体になる場となります。神様の理想の中で形成される創造本然の姿は、そのようなものです。

本来、男性は自分が喜べる女性を迎え、女性もやはり、自分が喜べる男性を迎えなければなりません。それだけでなく、その限界を超えて、神様も喜び、すべての万物が喜ぶ出会いでなければなりません。そのようになれば、この世のすべての存在物がその夫婦のために動員され、彼らに主管を受けることを願うようになります。鳥は彼らのために歌を歌い、蝶は喜びながらひらひら舞うようになるのです。神様も喜ばれ、人も喜び、あらゆる万物も喜ぶのです。このような立場に立って、人間の先祖が歴史を出発させていたならば、それこそ創造本然の理想世界になっていたでしょう。

2. 男性と女性が生まれた理由

本来、男性が生まれた本当の意味はどこにあるのでしょうか。女性のために生まれたことを否定できません。その反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性のために生まれたという事実を自らが確信できなければ、問題が生じるのです。これを、天地創造の大主宰であられる神様が創造の原則としたので、その原則に従っていかなければ、善で、真で、幸福で、平和な世界、あるいは愛と理想の世界に入っていけないというのです。

女性は男性に出会うために生まれ、男性は女性に出会うために生まれました。これが最高の真理です。この原則に従って祝福圏を訪ねていかなければなりません。最高の真理圏を離脱することは、最高の悪になるのです。

男性と女性は、生理的に反対です。一般的に女性は一方的なのに比べて、男性は三方、四方的です。また、女性は主に家の中にとどまっていますが、男性はあちこち、世の中を歩き回るのです。このように性格が反対です。それでは、このような主体的な男性と相対的な女性が、何を中心として一つになるのでしょうか。愛を中心として一つになるのです。人間と神様を一つにさせるのも愛です。男性の骨格が女性よりも大きいのは、自分だけが稼いで生活するためではなく、子女と妻を養うためです。男性がもっている器官と女性がもっている器官は、互いに異なります。それを誰のためにもっているのでしょうか。それは、自分のために生じたのではありません。男性のものは女性のために生じたので、女性のものです。女性のものは、もちろん男性のものです。

男性と女性の愛の象徴は何でしょうか。愛の終着地点はどこですか。男性と女性が一つの体になるようにする性の器官です。それは、愛を中心として心と体が完全に合わさることのできる通路となるのです。男性がもっているものは男性のものではなく、女性がもっているものは女性のものではありません。男性は女性のものをもっており、女性は男性のものをもっているのです。生まれたのは、自分のために生まれたのではありません。相対のために生まれたということを、はっきりと知らなければなりません。

なぜ、男性と女性が地球上に生まれたのでしょうか。互いに愛し合うために生まれたのです。神様は知恵の大王であられるために、愛の器官を互いに取り替えてあげたのです。男性のものだといっても、その主人は男性ではありません。女性の場合も同じです。主人を差しおいて自分勝手に行動した人は、愛に違反したことに対する審判を受けなければなりません。法の中でも最も恐ろしい法の罰を受けることを知れば、夫は自分の妻をさておいて、他の女性のことを考えたりすることはなく、反対に妻は、夫を放っておいて他の男性のことを考えたりしないのです。

3. 男性と女性は互いに絶対的に必要な存在

愛は絶対に必要なものです。その愛に絶対に必要な要素は人間です。男性と女性です。女性には男性が必要であり、男性には女性が必要です。どれほど必要でしょうか。国よりも、世界よりも、さらには神様よりも、もっと必要なのです。女性がいなければ、百年もたたずに人類は滅亡します。ですから、男性がいくら天下を統一したと威張っても、女性がいなければ百年以内にいなくなるのです。ですから、女性が絶対に必要です。

「人」と言えば、男性と女性のことを意味します。一人の男性について見れば、女性がいなければならず、女性について見ても、男性がいなければなりません。その男性は、自らが願って生まれたのではありませんが、その男性に必要なその女性も、自分が願って生まれたのではありません。生まれてみたら、男性であり、女性だったのです。

自分は知らずに生まれましたが、自分を生んでくれた方は知っていたというのです。自分が女性として生まれたのは、自分を必要とする男性がいるからです。同じように、自分が男性としてこのように生まれたのは、自分を必要とする女性がいるからです。すべて知って、そのように生まれたというのです。

男性にとって絶対に必要な存在は女性です。神様を絶対に必要とする前に、女性という相対的な存在がいなければなりません。人類歴史が不幸だったのは、男性が、絶対に必要な存在として女性を正しく認識できなかったからです。同じように女性も、絶対的に必要な存在は男性であることを知らなかったのです。真の愛の味を感じるためには理想圏をもたなければならないのですが、男性には女性が必要であり、女性には男性が絶対に必要です。真の愛のための絶対的男性と女性は、一心に努力することによって結ばれ、絶対的男性と女性が一つに結ばれたとき、神様が二人の真ん中に臨在するようになるのです。真の愛によって結ばれた夫婦が別れるのは神様も嫌うので、絶対的男性と女性の愛は永遠になるのです。

神様は、全知全能の方ですが、その絶対的な存在も、お一人では何の意味もありません。それと同じように、ある男性が美男子で、健康な人だとしても、女性がいなければその意味がないのです。自分の容姿や健康に酔って一人で生きる男性や女性は、どこにも使このない存在にすぎません。そのように自己陶酔に陥って生きる男性や女性が世の中に多いことが問題であり、歴史が悲劇として流れてきた原因でもあったのです。自己陶酔に陥って回っている世の中を改善し、変化させてきたのが、神様の摂理だったことを知らなければなりません。

4. 愛は相対から来る

愛は一人では成立しません。愛は私から出てくるのではなく、相対を通して出てきます。相対から出てくるので、私が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。「ために生きなさい」という天理が、ここから生まれるのです。極めて高貴なものが私に訪ねてくるのですが、それを受けようとすれば、相対を高めて、ために尽くさなければならないという、「ために生きる哲学」を実践しなければなりません。

人には愛があります。しかし愛とは、自分一人では現れません。男性が一人でいるときは、愛が現れません。男性の前に相対となる女性が現れてこそ、愛が生じるのです。

父母の愛が良く、夫婦の愛が良いと言うとき、本当の愛は、自分を中心とした愛ではありません。愛というのは、私から始まるのではなく、相対から始まるのです。夫から、妻から愛が生じるのであり、息子から、兄弟から愛が始まるのです。愛は自分自身から始まるのではなく、相対から始まるというのです。ですから、愛の主人は誰でしょうか。相対が愛の主人です。

愛は相対から現れます。相対が醜くて好ましくなければ愛の作用は遅くなり、相対が美しく好ましければ愛の作用もその分、早まります。相対の言葉、美しさ、香り、味など、相対の要素によって愛の作用が決定するのです。

愛の根拠地はどこでしょうか。愛の根拠地は、「私」ではありません。愛という言葉は、相対的観念から語るものです。相対がいなければ、いくら美男子であっても、一人では愛することができません。愛の根拠地は、私ではありません。「愛は私からだ!」と言うのは、サタンが今まで利用してきた言葉です。愛の根拠地は私ではありません。愛の根拠地は自分であると考えるのですが、このような考え方を改めなければ、未来の歴史も発展がありません。今まで、妻は妻なりに自分が中心であり、夫は夫なりに自分が中心だと言って、互いが「私のために尽くしなさい」と言ったので、破綻に至るのです。愛の根拠地は私にあるのではなく相対にあるので、その愛を私が手にするためには、私自身がその愛の前に犠牲にならなければなりません。

愛は必ず犠牲を求めます。また、愛は克服を必要とします。このような観点から、サタン世界を克服できる内容は、この天地間において、他の所からは見いだせません。神様を中心とした愛の原則に従うことによってのみ見いだせるので、神様は愛をしっかりつかんでいるのです。「慈悲」という言葉も、愛がなければ出てこないのです。「仁」という言葉も、一人では出てきません。「慈悲」や「仁」という言葉も、すべて相対的観念から語るものなのです。

5. 異性間で愛の調和を形成すれば

男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。したがって、二人が合わさって調和しなければなりません。男性と女性は、互いに異なっています。男性の体つきはごつごつしていて、女性はしなやかです。男性は髭が生えますが、女性は髭が生えません。声も違います。男性と女性を比べれば、相対的に釣り合っています。調和が取れるのです。人は肉的構造を見れば、左右に相対的です。半分と半分をぴったりとくっつけたからです。

皆さんは、高いだけ、あるいは低いだけのものが良いですか。調和しているのが良いのです。水平線を中心に、下には魚類が棲み、上には哺乳類、鳥類などが棲んでいます。女性は、ひと月に一度ずつ、生理が起きます。月を中心として潮の流れが変わるように、女性もそのようになっているのです。呼吸作用と同じです。男性と女性が調和してバランスを取らなければなりません。なぜ人々は、昇ったり降りたり、回ったりする様々な施設があるディズニーランドを好むのでしょうか。宇宙がそうなっているからです。男性だけで和動するのと、男性と女性が和動するのでは、どちらのほうが気分が良いでしょうか。男性と女性が和動するほうが良いのです。宇宙がそうなっているからです。宇宙が陰陽の調和を形成して和動するので、拍子を合わせなければならないのです。

異性間で愛の調和を形成すれば、一つの円形運動をするようになります。異性が愛で一体となって愛の実を結べば、神様は降りてきて、人間は上がっていくようになり、中央で出会うのです。神様がこの円形の求心点となって球形運動が行われるのです。求心点からは四方のどこにでも通じることができます。その求心点は、愛の調和が形成される所であり、生命が胎動する場であり、共生共栄主義の始発点です。そこには愛の力があるからです。ですから、宇宙のすべての作用と包容の力は、愛なのです。

人間にとって、愛は永遠なものであり、二つではなく一つです。男性と女性が愛で結ばれれば、地上において偕老同穴(共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られること。転じて夫婦の信頼関係が非常にかたいこと)を果たさなければならず、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つですが、一つになって回ることにより、一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様のように回って愛の四位基台を造成するのですが、それが正に、愛の理想世界です。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛のみが臨在するようになります。神様を中心として、男性と女性が祝福を受けて完成した位置に立てば、神様はいつでも訪ねてこられるようになります。愛の四位基台を造成すれば、相手側の体を通して心まで愛するようになり、心を愛するようになれば、体まで従ってくるようになっているのです。

6. 真の愛に酔った本然の人間

この世で最も神聖なものとは何でしょうか。真の愛です。真の愛は、神様から出発します。神様が存在されるならば、それ以外の道はありません。神様が心から願うのは真の愛の道であり、真の愛の道を通らなければ、神様のみ前に出ていけないということを知らなければなりません。神様は、愛を通して、見て、聞いて、食べて、触れてみたいというのです。人間も、神様から愛の口づけを受けたならば、内部が爆発するような喜悦を感じるでしょう。神様の願いはここにあるのであって、ダイヤモンドや宝石を所有したといって、うれしいとおっしゃるのではありません。

人間の体を見れば、人体は五官をもっています。人間は誰でも五官の認識によって真の愛を感じ、確認するようになっています。目が真の愛に向かっていれば、その目は真の愛に酔うようになっています。酔った瞳の色は、どれほど美しく輝くでしょうか。真の愛に酔っている人のほほえむ唇は、どれほど魅力的なのか、考えてみてください。人間の五官が真の愛に酔って動く姿、神様に向かって動く五官の調和が、どれほど美しいかを想像してみてください。そのような美しさを通した喜びを、神様お一人では体験できないのです。そのような美しさは、実体的な相対がいてこそ体験できるのです。これが、神様が人間を創造された目的でもあります。

真の愛に酔った瞳を見つめてみたい、唇に口づけをしたい、心の旋律を一度奏でてみたいという、美しい男性と女性がいるとすれば、神様はどのようにされるでしょうか。真の愛の女性がいれば、その女性の心情世界を旅行したいという思いをもつはずです。美しい女性の心情世界、心情圈がどれほど広く深いかを確認したいという衝動が起こるはずです。神様は、御自身が天地を創造された以上に美しい内容を所有したアダムとエバの心情世界を旅行したいと思われたでしょう。

神様は真の愛の人間に対して、宇宙を旅行すること以上に、その心情世界を旅行したいという思いをもたれるのは確実であり、アダムとエバの真の愛の心情世界を永遠に離れたくないという思いをもたれるでしょう。神様が人間を造られたのち、人間の真の愛に溺れて愛の迷子になったならば、世の中はどのようになっていたでしょうか。人間の中に神様がお住まいになるので、神様と人間が一つになって造り出した世界は、喜びと美しさが満ちあふれた世界であるということが、はっきりしているのです。

真の愛が完成したならば、感応される神様は、その真の愛に頭まで浸かっても後悔なさらないでしょう。真の愛の中であれば、どのようなことが起こっても、ひたすら喜ばれる方が神様です。真の愛の世界で人類が暮らすとすれば、一生、後悔のない幸福な生涯になるでしょう。また世の中に戦争の歴史もないはずであり、不満や不幸のない世界になるでしょう。

7. 愛は極めて自然なところで形成される

先生が幼かった頃、ある日、鳥を一つがい捕まえて、二羽のくちばしを合わせようとしたことがあります。二羽が口づけするのを見るために、垣根を造り、餌もあげながら観察しました。互いに愛し合い、楽しそうに歌うのを見たいという子供心からそのようにしたのです。それは、すべての自然の道理をはっきりと知るための、一つの好奇心に満ちた実験でした。今考えれば、全くもって意地悪な行動をしたものです。愛は自然に形成されることを、随分あとになってから悟ることができました。愛は最高に自由な雰囲気の中で形成されるものであってこそ、真実の愛です。先生が愛について正しく知っているのは、長年の実験を経た結果なのです。

愛の価値を失った人々に対して大学教育を施すといって、何が変わるでしょうか。彼らは、知識を蓄えるだけで、個人主義者や物質主義の信仰者をつくり出すだけなのです。テンジャンチゲ(肉、野菜などをみそとともに煮た煮物)は土焼きの器に入れてこそ、その味が出るのと同じように、人格修養も愛を土台にしてこそ、その目的を達成できるのです。世界文明の花は、美術的調和を整えた基盤の上で咲かせなければなりません。焼いたカルビは皿に盛らなければならないのであり、テンジャンクッ(韓国風みそ汁)は土焼きの器に入れてこそ、本来の味が出るのと同じです。濃厚で香ばしいテンジャンクッの味は、一度覚えればどこに行っても忘れられないのです。同じように、人もそのような愛を一度覚えれば、変わることがありません。単純な味のインスタント食品はやがて嫌気が差すように、愛もインスタント食品のように、どこででも簡単に求めることができれば、それは真の愛とは言えないのです。

最近は、インスタント食品のような愛で愛する人々が至る所に散らばっていますが、それが問題です。香水風呂に入って沐浴したからといって、愛が深まるのではありません。山奥の僻村に住みながら、冷水に浸かって体を洗い、寝床に入る夫婦の愛のほうがもっと純粋であり、長く続いて深まるものなのです。

人間が、愛する人と出会えば、抱擁したいと思い、口づけもしたいと思うのは、自然な異性間の本能です。私が環境と接しているのは、この宇宙を好きになるためです。それは相対を探し立てるための、人間の自然な行為です。すべての人間が相対的理念のもとで、男性は女性に対し、女性は男性に対するとき、ここには愛の秩序に違反する行為や事件がないでしょう。真の愛の秩序は、相対的な理念を基盤として男性と女性が出会うときに生まれるのです。

第4章 人生路程

1. 神様の目的

神様には体がありません。それで、すべての万物に神様の体を現すために、アダムを神様の代わりの顔として現したのです。それが創造理想です。神様は本来、霊的な中心であり、アダムは本来、肉的な中心です。その二つが九〇度をつくるのです。それが神様の創造目的です。アダムとエバが堕落しなかったならば、霊界に行って父母として永遠に現れるのですが、堕落したためにそのようになれません。堕落しなかったならば、自分の父母に神様のように侍れば、誰でも天国に行くようになるというのです。

この世界は丸くなっています。太陽も丸く、地も丸く、星も丸く、口も丸くなっています。どのような物も、すべてそのようになっています。そのため、宇宙はくるくる回りながら関係を結ぶのです。そして、丸くなっているとしても、個別にも、全体にも関連性を結びながら、球形を維持するのです。それでは、私はなぜ生まれたのでしょうか。この大宇宙と拍子を合わせるために生まれたのです。したがって、海の波がざぶんざぶんと音を立てれば、私の心もざぶんざぶんと音を立て、風が気持ち良く吹けば、私の心も気持ち良く、花が咲いて香りを漂わせれば、私の心も香りを漂わせることができるのです。

愛の中で生まれ、愛の中で育ち、愛の中で生きて、愛の中で死ぬようになるときは、生まれたことも有り難いことであり、生きることも有り難いことであり、死ぬことも有り難いことなのです。皆様は、母と父がこの上なく愛する場に同参して生まれました。同参者だというのです。父母の愛によって生まれたので、父母の愛の証の旗として生まれたと思いなさいというのです。ですから旗が動くのは、愛を表示するために動くのです。一生の間、愛のために生きるのです。そうして、母のためにも愛の旗を振ってあげ、父を見ても愛の旗を振ってあげ、兄弟たちのためにも愛の旗を振ってあげなさいというのです。

2. 瞬間(一日)と一生の関係

皆様の生活全体が栄養素を吸収できる足場にならなければ、生命体を完成できません。これが、自然の現象世界で展開するのです。生命の分岐点は、長い期間にあるのではなく、一瞬にあるのです。瞬間を無視する人は、貴いものをもつことができません。偉大な人にもなれず、神様の王座と王冠を受け継ぐこともできません。

ですから、瞬間を輝かせるために、皆様は言葉一つにも、行動一つにも注意すべきであり、考えることにも注意すべきです。自分の生活で起こるすべての内容が、世界と関係する現象として残るという信念をもって解決するところにおいてのみ、勝利圏が決定されるのです。勝利圏が決定されるのは瞬間です。したがって、歴史的な勝利圏、天宙的な勝利圏も瞬間に決定されます。瞬間を輝かせることのできる無限の価値を感じながら生活する人は、偉大な人になれるのです。聖人にもなることができ、神様の息子、娘にもなれるのです。生死の分岐点は瞬間にかかっています。

今日、私たちの姿勢が問題です。まず、み旨の国が来ることを願い、み旨が成就されることを願うことも必要かもしれませんが、それより、自分がどのようにすればみ旨と一致していくかということが重要です。一時間なら一時間、どのようにすればみ旨と一つになれるかということが、み旨の国が成就されることを願うより重要なのです。ですから、まずみ旨を継承できる個人的な環境、家庭的な環境、氏族的な環境、民族的な環境を築いてこそ、み旨の国と関係を結べるので、神様を中心として、一日の生活圏内で、一時間なら一時間、どのようにみ旨と関係を結ぶかということが、重要な問題とならざるを得ません。

復帰摂理歴史を見れば、アダム家庭からノア家庭、アブラハム家庭、モーセとイエス様の家庭まで、四千年の歴史が流れてきていますが、彼らが失敗するようになった動機は、ある一年を中心としたものではありません。アダム家庭において、アダムとエバが堕落したのも、一年や十年、あるいは何十年を計画して失敗したのではありません。その失敗は、一瞬にしてもたらされたのです。その一瞬の失敗が、億千万年続いてきたことを考えるとき、その瞬間、瞬間がどれほど恐ろしく、どれほど怖いものかを知ることができます。

一瞬の失敗によって、歴史時代において修行の道を歩んだ数多くの人々が受難の報いを受けなければならず、そのみ旨に従っていかなかった数多くの民族が、滅亡のどん底に落ちなければなりませんでした。それが、途方もない蕩減の祭物の起源になったのです。ですから、カチッ、カチッという一瞬が恐ろしいのです。永遠の天国も、一瞬を離れてはあり得ません。

永遠の出発は、自分が死んで始まるのではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続くのです。ここにおいて、一瞬でも時間の飛躍があって深い穴が生じれば、永遠は中断されるのです。ですから、私たちが生涯路程を中心として信仰の道を行くときに、今年行けなければ来年行き、来年行けなければ再来年行き、十代に行けなければ二十代に行き、二十代に行けなければ三十代に行き、三十代に行けなければ四十代に行き、四十代に行けなければ五十代に行く、このようにしてはいけません。一生をこのように生きていけば、一生の間、み旨と一つになる一日の生活も送ることができずに死ぬでしょう。もしそのように生きたならば、その人は天国に行けません。いくら自分が暮らしているその国が良いといっても、一日の勝利基準をもてなければ天の国に行けず、一年の勝利基準をもてなければ永遠の世界に入れないのです。

そのため、信仰者は永遠を夢見て進むことも重要ですが、それより重要なことは、現実においてどのように悪を清算し、善の旗手になるかということです。このような問題が何よりも重要です。

このような点から見るとき、アダムの瞬間的な失敗が、億千万年の恨を残したのです。アダム家庭において、カインとアベルが父母の恨を解き、兄弟の壁を崩して、一つの家庭の起源をつくらなければなりませんでした。このように復帰摂理の代表として立てられたアベルが死んだのも、瞬間的な事件でした。百二十年かけて箱舟を造ったノアの苦労の路程において、神様が「願いを成就する日が来たので、船に乗りなさい!」と言われた命令も、一瞬の間に下されました。この命令に同調した人は、永遠な神様の祝福を受けられましたが、そのようにできなかった人は、永遠の審判圏内で水葬されたのです。

アブラハムも同じです。神様が、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるでしょう」(創世記一五・五)と祝福されましたが、その祝福の命令もカチッという一瞬に下されたというのです。アブラハムが象徴献祭を行った時間も、何十年間、象徴献祭を行ったのではなく、たった一日の時間圏内でした。供え物を裂いて象徴献祭を行う時間はわずかでしたが、ここにおいて歴史的なすべての生死禍福の起源が組まれてきたのです。今日、信仰者が恐れるべきことは、終わりの日に訪ねてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内で訪ねてくる時間をどのようにみ旨と一致させるか、どのようにみ旨と共に交差路を形成していくかという問題です。

3. 幼児期と三段階秩序

アダム、エバを、神様はどのように造ったのでしょうか。土でこねて造ったのなら、どのような土で造ったのでしょうか。どこから出発したのでしょうか。どこから始まったのかというのです。アダムとエバを、最初から成長した人間として造ったとは考えられません。赤ん坊から造ったのです。神様は、胎児を宿した母親がおなかの中で育てるのと同じ過程を経て造ったという論理を立てなければ、このすべての三段階の秩序を通じた存在の形成というものを説明する道理がありません。それで、アダムとエバにも幼児期があったというのです。その次に長成期がありました。その次に完成期があったのです。これは天理です。幼児期とは、どのような期間だったのでしょうか。無形の神様が、無形の世界から有形の世界へ行く過程で、赤ん坊という存在を抱いて育てたという論理から始めなければなりません。

4. 私たちの人生の道

私たちが暮らしている社会、国家、世界は、自分の志に符号する環境になっていないので、あらゆる苦衷が生じており、善悪の分岐点が食い違っています。百人なら百人、各々自分なりの一日の生活を営むために環境の中で苦闘しており、志を推し進めているのです。

ですから、朝に計画した一日の活動に対して、誰も自信をもてないということを、私たちは一日の生活の中でよく感じています。その上、その環境の範囲が大きければ大きいほど、自分の一日の生活を勝利として結果づけるためには、それに比例して決意と推進力をもたなければなりません。そのようにしなければ、その日が勝利の日になり得ないのです。そのような一日一日が加わってひと月になるのであり、ひと月ひと月が加わって一年になるのです。

そのひと月も、私たちが計画したとおりに生きられる環境になっていません。私たちがひと月の勝利をもたらすためには、そのひと月の環境に備わった複雑なすべての事情、すべての条件を打破できる推進力と決意がなければなりません。それがなければ、ひと月の計画を勝利で終えることができないのです。一年を推し進めるためには、三百六十五日を克服できる闘志力、あるいは推進力を備えなければなりません。そのようにしなければ、一年を勝利で飾れません。このような一年に十年が加わり、二十年、あるいは三十年が加わった日々を過ごしているのが、私たちの人生の道です。

今日、この地に暮らしている人間は、時間性から抜け出せません。人類歴史を見ても同じです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界も、そのような時間圏内で動いています。人が生きていくのに、必ず達成すべき目的があります。その目的を中心として、十年、二十年、三十年、七十年、一生の間、行くべきなのです。目的が大きければ大きいほど、内的にもっと強く決意しなければなりません。そのようにしなければ、その目的に到達できません。時間という過程を通して、その目的を凌駕する内的な決意を続けない限り、その目的を達成できないというのです。

5. 私たちが訪ねるべき本郷

皆様は、霊界の事実が分からないかもしれませんが、先生は神様の特別な恵沢を受けて、未知の世界についてよく知っています。その世界の根本を掘り返してみると原則は簡単でした。その世界は、神様の天地原則である「ために生きる生活」をした人だけが行く所です。そのような内容で形成された世界が理想天国です。そこが、私たち人間の訪ねるべき本郷です。

私たちは堕落した人生として、本郷から追放された人間なので、本郷の地に向かって帰るべき運命にあります。しかしそこは、人間自体では帰ることができないので、神様は人間が帰れる道を歴史過程に設定せざるを得ません。それで、その民族の文化背景、風習、あるいは伝統に従って、数多くの宗教を立てて収拾してきたのです。そのように収拾するための訓練場として立てたのが宗教です。ですから宗教は、本郷の地に入る資格をもつ人を錬磨する訓練場です。

東西南北、四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界へと導いてきています。そのような本郷の地に導かなければならない宗教なので、宗教は「ために生きなさい」ということを教えざるを得ません。ですから、高次的な宗教であるほど、「ために生きなければならない」という原則を強調しなければならないので、「温柔、謙遜であれ」と言い、「多くの人を高め、彼らのために生きよ」とし、「犠牲になり奉仕しなさい」と教えるのです。その理由は、その国の法度に合う訓練をしなければならないからです。

人生の行くべき道とは何でしょうか。神様の愛を占領することが、人生の行くべき道です。神様の愛を占領することが、人生の行くべき最高の終着点です。この道は、男性も行かなければならず、女性も行かなければなりません。すべての人が行くべきなのです。人生の行くべき道は、無限な愛の神様を探すことです。十回でも百回でも、死の峠を経てでも、たとえ死んででも、絶えず神様の愛を探すのが、人生において行くべき最高の道です。欲望の果てはどこまででしょうか。神様の愛を占領することです。神様を占領したといっても、その中にあるもっと貴い愛を占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。ですから、神様の愛を占領しなければなりません。

愛さえ占領すれば、神様はいらっしゃらなくても構わないというのです。神様のものが私のものであり、私のものが神様のものになるとき、初めて内外が一つになります。そのような国が、上下の等級のない理想の本国になるのです。そのような場所に横になれば、天下にあるすべての存在で良く見えないものがなく、天下にあるすべての存在で自分のために存在しないものがないと感じられるのです。そのようなものが神様の愛なので、今日、人間が行くべき天上世界、すなわち天国は、愛で満ちあふれた所です。

6. 誤った出生の基準

世の中の人々は、自分自身が高貴な人だと言っていても、いくら博士だと言っていても、自分の出生が誤ったことを知らずにいます。神様の怨讐であるサタンの愛、生命、血統をもって生まれたことを知らないというのです。重要な問題です。堕落によって人間は、サタンの愛から生まれたのです。サタンの愛がその父母にまでつながってきました。母の生命、父の生命にサタンの血が流れており、その血が今日、自分につながってきたのです。そのような結実体が、正に自分です。ですから皆様は、サタンの血統に属しているのです。言わば、皆様の血管を通ってサタンの血が流れているというのです。ですから、自動的にサタンは自分の理想的な実を結ぶのであり、神様はそのような男性と女性を本然の純粋な完成人間として救おうとされるのです。

皆様は、サタンの愛から出発しました。サタンの血統をもって生まれたのです。ですから、出発が誤ったというのです。出発が誤ったので、再び帰らなければなりません。それでは、帰るには帰るのですが、どこに行くべきでしょうか。堕落前に帰らなければなりません。偽りの父母によって始まったので、真の父母によって再び始めなければなりません。ですから、どれほど深刻でしょうか。自分が神様の愛と神様の生命と神様の血統を引き継がなければならないのです。それで、祝福を受けるとき、血統転換式をするのです。それを、自分の生命よりもっと信じなければなりません。

統一教会の一つの礼式だといって、ただ一般の宗教儀式と同じに考えてはいけません。これは、死んだ立場からよみがえらせる注射薬と同じです。解毒注射です。私たちの先祖が誤ったのです。このために、歴史を経てきながら数多くの人々が犠牲になりました。これを知る私たちは、再びその道を行くことはできません。絶対に行けないのです。不倫の愛で堕落したことにより、歴史を通して受けたその代価が、途方もなかったというのです。個人、家庭、社会、国家、世界に及ぼした影響が、途方もなかったのです。

7. 生涯の基準

ここにおける人間の「生涯」とは、永遠の生涯です。それは地上界のことだけを言うのではありません。霊界においても生きている永遠の生涯です。私という存在は、神様の愛の対象として造られました。絶対的で主体的な神様の対象が、正に私です。神様の愛の相対が、私だというのです。神様が御自身よりもっと貴く思うのが、真の愛の概念です。神様は絶対的で、永遠な生命の中心です。神様の理想は永遠なのですが、その理想の中心が、正に真の愛です。その愛の相対が私です。

愛の属性は、主体と対象を一つにすることです。それは、国家をも一つにします。それゆえ愛において、どのような場にも同参でき、どこでもついていけるのです。愛によってすべて相続できます。神様の心情までもすべて相続するのです。先生は悲惨な過程を経てこれを発見することにより、その基盤の上に立つようになりました。これは何ものとも換えることはできず、崇高で、尊厳ある高貴なものです。驚くべき恩賜です。そのため、神様と同じ立場に立つのです。永遠な真の愛の場に同参するのです。

霊界は、制限された地球星とは次元が違います。制限された所では自由に動けませんが、霊界は次元が高い世界なので、何でもできる所です。時間を飛び越えることができます。愛を中心として何でも願いさえすれば、いつでもどこでも、すべて得られるのです。私たちは本来、永生体として造られました。真の愛を中心とした対象体である私は、永遠の生命体だというのです。ですから、霊界に行けば自由です。そのためには、生涯の基準として、第一は善悪の基準が重要です。善悪の基準が第一であり、第二は本然の出発点に返ることであり、第三は永生問題です。

第5章 有形実体世界と無形実体世界

1. 人生路程に対する祈祷文

愛するお父様、天が辱めを受けることがあってはならないと思い、幼い頃から今まで闘ってきた私を守ってくださったお父様の恩賜に、感謝申し上げます。この地において何が良いといっても、お父様が運行される本然の心情に連結されたこと以上に貴い基準がないことを知っております。その立場を限りなく慕わなければなりません。お父様の真の愛に触れた人は、世の中の万事を捨てたとしても未練がない立場にあることを、私たちは知らなければなりません。第三の生の自由権限を手にできる解放児として出生するその日を、今日、この地上世界において準備しなければなりません。

愛するお父様、私たちが新しい春を迎えるためには、私の生命が同化される関係を備え、そこに完全に吸収されなければならないということを知っております。そうしてこそ、初めて春を迎え、花を咲かすことができるという事実を知らなければなりません。「一生において、あるひととき春を迎えたことがあるか」と聞かれ、「迎えたことがある」と答えられない、哀れな霊になってはいけません。

愛するお父様、お父様をお迎えし、慎ましく敬拝を捧げたいという思いのない人は、永遠なあの世でお父様と関係を結べないことが分かるようにしてください。今、私たちが心の門を開き、お父様の心情を感じられるようにしてくださり、今日、私たちの心からあふれ出るお父様のみ声を聞いて、失った自分自身を探し出せるようにしてください。お父様が私一人を探すために、私の背後であらゆる艱難と苦労の歴史過程を経てきたことを感じ、自ら頭を垂れる私たちとなれるよう、許諾してください!

2. 死に対する理解

この地上には父母がいて、師がいて、親戚がいます。この地には、そのような関係を結んでいける道がありますが、霊界にはそのようなものがありません。霊界では、誰もが神様を中心として、全体のために生きるのです。位置がすべて区別されています。ですから、上にいる人が下に来ることもできず、下にいる人が上に行くことも難しいのです。本来は、地上で完成してこそ霊界に行けるようになっています。一度あの世に入れば、終わりです。いずれにせよ、人間は死ぬのです。

生涯の路程は、あまりにも短いのです。一生はあまりにも短いのです。人の寿命が八十年だとすると、あまりにも短いというのです。霊界の時間では、すなわち永遠の世界の時間で考えれば、八時間にもなりません。ですから、真の愛の力は偉大です。真の愛は時間と空間を超越し、私たちが認識できないほど速く作用します。

間違いなく霊界はあります。間違いなく霊界は実在し、私たち人間は神様から生まれたので、いずれ神様がおられる霊界に帰らざるを得ません。韓国語の中でおもしろいのが、「トラガンダ(帰る、亡くなる)」という言葉です。どこに帰るのでしょうか。墓地に行くのは、帰ることではありません。出発した故郷に帰るということです。その出発地は、墓地ではないというのです。果てしなく遠い歴史の起源を越えて、帰るという意味です。

人間が帰る(亡くなる)ということは、韓国人として生まれて、韓国人として帰る(亡くなる)ことを言うのではありません。韓国人として死にましたが、韓国人として帰るその道ではないというのです。私たち人類の先祖の根源の世界に帰るという意味です。それは何を意味するのでしょうか。創造主がいらっしゃるのであれば、その創造主がいらっしゃる所に帰るということです。そこから出発したので、そこに帰るというのです。

宇宙は循環作用をします。山に積もっていた雪が溶ければ、小さな沢を通じて流れていき、多くの支流を通じて大海に流れ込みます。大海に入れば、それが水蒸気になって、再び帰るのです。循環運動をします。同じように、帰るとすれば、どこに帰るのでしょうか。より高くなる所に、より良くなる所に帰ることを願うのです。誰も小さくなることは願いません。しかし、すべての自然界の運動する力というものは、作用すれば小さくなるようになっています。作用すれば、だんだん小さくなるというのです。私たちが何かを転がしてみても、それが永遠に転がるのではありません。早く転がっていた物も、だんだん遅くなり停止するようになるのです。

私たちはこの世に暮らしていますが、この世だけがあるのではなく、霊界があります。ところが、この地上界と霊界は二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。それでは、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所とは、どこでしょうか。もちろん私たちは、肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かっているのです。人は誰しも、世の中に生まれて、十代、二十代、三十代、中年、壮年、老年時代を経ていきます。青春時代を過ごして壮年時代に入れば、一つの峠を越えて、その次には老年時代に入るのです。このように、沈む太陽のように一生を終えるのです。しかし、霊界があるという事実を知る人々は、一生というものがわずかな間であり、死んだのちに私たちが迎えるべき世界は永遠であるということを知っています。そのため、一生は永遠の世界のために準備する期間であることを知って、準備する生活をするのです。

「死」という単語を使った目的は、人生の意味を知るためです。それでは、人生の価値は誰がよく知っているのでしょうか。ただ生きようとする人には分かりません。死の境地に入って、生死の岐路で天にすがり、人生の価値を判断して極めようとした人でなければ分からないのです。

人間は、死を歓迎すべきでしょうか、歓迎してはならないでしょうか。歓迎すべきです。死ぬ時に、何のために死ぬのかといえば、「神様の真の愛のために死ぬ」と言わなければなりません。それゆえ、肉身を脱ぐのは、無限な神様の愛の活動圏に私が同参するためであり、神様の愛の世界のためなのです。

死ぬことは、神様の愛の中で再び生まれることですが、人間世界では「ああ、死ぬ!」と大騒ぎします。制限された愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎えられる瞬間が、死ぬ瞬間です。ですから、死ぬ瞬間は第二の出生の瞬間です。それでは、神様は皆様の肉身が生まれた日を喜ぶでしょうか、第二の無限世界の愛のために活動する息子、娘として生まれるその瞬間を喜ぶでしょうか。なぜこのような話をするのか分かりますか。皆様が死の恐怖から解放されなければ、神様と関係を結べないからです。

3. 三段階の人生行路

人の一生は、蘇生、長成、完成の三段階を経ていきます。腹中の水の世界、地上の陸地世界、天上の空中世界で暮らすのです。言い換えれば、母親の腹中の水の時代、地上に生まれて生きる百年の地の時代、飛んでいく空中の霊界時代、このように三時代を経るのです。

人は生まれるとき、水の中で生まれます。腹中時代は、水中時代です。胎児が母親の胎中にいるときは、水の中にいます。水の中で暮らすために、水を飲んでは吐き出さなければなりません。それで胎児はホースを母親のおなかに連結して生きるのです。胎児は、どこから栄養分を供給されますか。へそから供給されます。へそが口なのです。ですから、それをぞんざいに扱ってはいけません。「へそよ、お前は昔、苦労した」と言ってたたいてあげなさいというのです。へそをたくさんたたいてあげれば、健康になります。そのように運動しなさいというのです。へその運動をたくさんすれば、健康になります。いくら寒い部屋で寝るとしても、へそさえきちんと覆いかぶせて寝れば、下痢しません。

腹中での皆様の口はへそです。その次の段階の口は何でしょうか。皆様が食べ物を食べる口です。口がついている場所が上がるのです。それでは、へそについているへその緒を、どのようにすべきでしょうか。切ってしまわなければなりません。同じことです。

空気の世界では、霊人体が肉身に宿って胎児のように成長していくのです。そうして肉身が老いれば、それを捨てて霊人体が出ていくのです。ちょうど胎児が生まれて、父母の前に愛の対象となるように、霊人体が霊的父である永遠の神様と相対できる人として、再び愛で呼吸する世界に生まれなければならないのが、原理原則です。

父母と愛し合う地上世界に生まれるのと同じように、霊的な無限の世界の父母であられる神様と愛を分かち合える霊界に、再び生まれなければなりません。腹中から出て、何を発展させるのでしょうか。それは愛です。愛の要素を受けるというのです。だから御飯だけを食べていてはいけません。御飯だけを食べているのでは生きているとは言えません。第二段階の人生を、愛を中心に生きなければなりません。したがって、地上生活では何を満たすべきでしょうか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなければなりません。

この地上で、皆様に必要なものは愛です。母と父の愛を受けられなかった子女を、なぜ、孤児と言うのでしょうか。霊界と永遠に連結させる愛を受けられずに生きるからです。それで、独身生活をする人を、「かわいそうだ」と言うのです。

死ぬというのは、第二の呼吸をしていた肉体に連結された器官を壊して、霊界における愛の要素を受け継ぐことです。愛は見えません。父母の愛、夫婦の愛を中心として、一つの内的な構造が育っているというのです。ですから、神様の法則どおりに胎内で正常な赤ん坊として育つのと同じように、地上でも天理に従ってしっかりと育たなければなりません。

昆虫類の中には、三段階の世界を経るものがたくさんいます。昆虫と言えば大概、羽があります。昆虫も水と陸地と空中で暮らすのですが、万物の霊長である私たち人間には羽があるでしょうか。次元の高い羽があるというのです。肉身の死は、第二の出生の恵みの関門です。死ぬということはどういうことでしょうか。地上生活は、空気中において「胎中で泳ぎ回って暮らすこと」と同じです。空気のふろしきの中で暮らしているのです。死ぬというのは特別なことではなく、霊界での第三の人生として出生することなのです。その瞬間が、死ぬ時間です。

4. 霊界と肉界の中心は神様の愛

皆様は霊界のことが、相当気にかかるでしょう。世界には、数多くの宗教がありますが、その宗教が行く道は、霊界と関係を結んで永生する世界、永遠に生きる世界、すなわち神様と共に暮らす世界を訪ねていくのです。そのような世界が、宗教の目的地です。しかし今日、宗教はどのように変わったでしょうか。だんだんと堕落して、「宗教は、弱者が信じるものだ。私たち人間に必要ないものだ。それは道義的な一つの表象として、人間が捏造したものだ」と、このように結論を下す時代に入りました。宗教の中心になるキリスト教だけを見ても、そのようになりました。アメリカは全世界のキリスト教国家の代表国ですが、そのようなアメリカの家庭で育った人々が宗教を離れ、今に至るまで自分勝手に暮らしているのです。

世界の中心であり、すべての理想の中心が神様ですが、その神様がいらっしゃる霊界を中心として理想を描いたキリスト教を信じていたのに、なぜ離れるのでしょうか。第一の原因は、霊界があることをはっきりと知らなかったからです。知能をもった比較能力のある人間なので、良い所があれば悪い所を捨てて、そこに行くようになっており、より次元の高い価値のある所があれば、そこに行くようになっています。それが人間の本性です。人間は、霊界の実在をはっきりと知らなければなりません。その次に、第二の原因は、神様を知らなかったからです。堕落によって神様との関係が断絶し、孤児として生きてきました。そして、第三の原因は、霊界の中心となり、神様の中心となる愛によって結ばれることを知らなかったからです。

この三つが分からなかったというのです。たとえ神様を知り、霊界を知ったとしても、愛を中心とした世界であることが分からなかったのです。愛がある所では、上がっても良く、下がっても良く、真ん中にいても良いというのです。愛する夫が自分より高いといって嫌がったり、愛する妻が自分より低いといって、それを憎んだりしますか。一つになれば思いどおりに、低い所から高い所に上がることもでき、高い所から低い所へ下りてくることもでき、中間にいることもでき、どこにでも行けるのです。制裁されることはありません。それで世の中では、「この世界は、一つの世界でなければならない。統一の世界でなければならない。平和の世界でなければならない」ということをよく言うのです。

霊界と肉界、霊的な存在と肉的な存在も同じです。ここは神様の愛、神様が中心になっています。堕落した人間は、神様が中心になっていません。人間は心と体から成り立っていますが、心と霊界は違います。次元が違うというのです。

霊界と肉界とは、神様の愛を中心として語るものです。したがって、霊界と肉界が一つになるためには、必ず神様が介在しなければなりません。神様の愛が介在しなければ、正しく、霊界とは通じないのです。神様を中心として、霊界というものが連結されるのです。「自分の心も霊ではないか」と考えるかもしれませんが、それは混同しています。心は霊界ではありません。堕落したために、心は霊的世界と関係を結んでいないのです。骨のない人のようなものが、堕落した人間の心であると考えれば、実感が湧くでしょう。骨のない人のような形態が、堕落した人間の心だというのです。

霊人体を見れば、霊人体にも体の要素があり、心の要素があります。その霊人体の心のようなものが霊的世界です。それは、必ず神様と関係を結んでいます。ですから、神様と関係を結ばなければ、霊人体の生心は啓発されないのです。霊と心は違うというのです。神様が離れているのです。神様御自身は人の心と関係をもてず、直接主管することはできません。人間の心は、ああなったりこうなったりしながら変わります。しかし、霊的世界や霊的存在は変わりません。それは永遠に一つの目標を立てて、たゆまずに進むのです。

なぜでしょうか。神様の側に立っているからです。心は人間に属しています。行ったり来たりする人間にあるというのです。

皆様は原理を学んで知っているかもしれませんが、生心とは何でしょうか。生心とは、心と霊が合わさって、新しく一つの目的に向かって動くものです。神様を中心として私たちの良心と一つになり、理想的な自分をつくり出せる動機的な心です。ですから、その生心がなければ、霊界と真の愛と関係を結べる、自らの根源を探し出せないのです。生心が私に生じれば、体も喜び、すべてそれについていきます。自動的にこれが一つになるのです。今に至るまで、人間にとって一番問題となることは、体と心が互いに離れているということです。霊的な力が私に臨み、生心的な起源さえできれば、心と体が自然に一つになるのです。そのような根本から革命が起こり、根本から是正する根源を発見できない限り、私たちは理想を訪ねていく道理がありません。動機があってこそ結果が出てきます。宗教は生心を啓発しようということです。生心を中心として、数多くの宗教があります。ありとあらゆる形態が、すべてあるのです。

神様は、尊厳あるお方です。霊界と肉界は一体にならなければなりません。真の愛が現れなかったために、霊界と肉界が統一できなかったのであり、真の愛が現れなかったために、心と体が分かれたのであり、真の愛が立たなかったために、宗教と政治が分かれたのです。真の愛を中心として、すべて一つになるのです。個人、家庭、社会、国家、世界、天宙が、すべて連結されます。私たちの手で、そのようにしなければなりません。そのようにしなければ、本然の天上天国と地上天国を相続できないのです。霊界と肉界の一致をどのように成し遂げるのでしょうか。真の愛によって一つにするのです。

世界人類の中で、霊界を知らない人は数多くいます。神様を信じる人々も、「霊界はあるだろうか、神様はいらっしゃるだろうか」と言いながら、はっきり分からずにいるのです。しかし、霊界はあります。世の中のお金持ちがこれから幸福の園を造ろうというとき、自分のすべての財産をつぎ込んでも造りたい気持ちがあるのと同じように、天地を創造された神様は、御自身の住む所をどのようにお造りになったのでしょうか。霊界は、どの部分を探して凝視しても、千年眺めても飽きない美しい世界です。想像を絶しています。世界で最も良いものがあるとしても、霊界に比べれば何でもありません。霊界の一角にもなれません。ですから欲しいのは、この地上ではありません。先生に言わせれば、この地上は神様の願いにかなっていないので、帰りたいのです。

一般の人の大部分は、今も霊界を考えません。「生まれたので、ただ父母に侍って家庭で暮らしている。このように生まれたから、このように生きる」と思って生きています。そのように生きるすべての生活の中心は何でしょうか。どのように食べ、どのように暮らすかということです。ですから、一番重要なことを衣食住と捉えています。どのように住むかという問題、どのように食べるかという問題、どのように装って暮らすかという問題、これが中心です。もちろんそこには、人間関係において人倫と道徳があって向上する、互いが発展し互いが喜べる内容がありますが、その道徳基準が異なり、民族が異なり、国家が異なり、世界のすべての文化背景の違いによって、生活基準や社会制度がすべて異なるのです。このように見ると人間が探し出すべき本然の基準、すなわち創造本然の基準と今日、私たちが暮らしている生活の標準として立てていく人倫と道徳の基準の間には、途方もない差があります。これが一つに収拾されずにいるのです。

本然の世界に基づいて、私たちが生まれ、生きてから、行くべき所はどこでしょうか。これがはっきりしていません。ですから一般の人たちは、霊界があるのかないのか、神様がいるのかいないのか、分からずにいるのです。しかし、「統一原理」を学んだ人たちは、霊界が確実にあることを知っています。信じているだけではなく、知っているのです。なぜでしょうか。多くの体験を通じて知るのです。今日、統一教会が世界的な基盤を形成するに至った背後を調べてみるとき、多くの体験過程を経てきたというのです。そのため、霊界がないとは言えない立場にいる人々が、「統一原理」を知る人々です。

「統一原理」を知っている人々は、どのような道を行くべきでしょうか。神様が願う道に従っていかなければなりません。天意の道に従っていくのです。天意とは何でしょうか。個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会、国家、世界、霊界が行くべき天意の道があります。霊界は、間違いなくあるのです。

神様がいて、霊界があるなら、どのようになるでしょうか。ある人は、「神様がいるとしても私たちとは関係ない」と思うかもしれませんが、それは誤った考えです。「霊界があるとしても私とは関係ない」と言うのは、まるで「私は家庭の一員であって、国は必要なく、世界も必要ない」と言うのと同じです。そのため、より大きい神様がいて、より大きい霊界があるとすれば、より大きいものと関係を結ぶことを、私は願うのです。関係しているだけでなく、関係して何をすべきなのでしょうか。一つにならなければなりません。一つの目的に向かって行かなければならないのです。

使徒パウロが霊界の第三の天(コリントⅡ一二・二)を見て体験したことが、彼にとって根気強く宣教活動を続けることができた原動力になりました。そのような体験がなければなりません。先生もそれと同じです。

先生は、死を恐れません。何がそのようにしたのでしょうか。愛です。いくら獄中に放り込まれても、先生は消化できます。ですから今日、このように反対する環境を消化して、屈服させてきたのです。私の手ですべて屈服させたのです。

5. 霊界の創造

霊界は天使世界に相当します。そして、今日の世の中は、アダムとエバのような立場にあります。ところで、霊界は、アダム、エバを造る前に造られました。霊界が神様のみ旨に反対することによってサタン世界が生じたので、霊界が神様のみ旨を歓迎してこそ、その世界が復帰されるのです。また、霊界を屈服させなければ、地上世界に主が来られません。それで、統一教会が今まで霊界を屈服させてきたので、霊界は統一教会に協助しなければならないのです。

霊界は、皆様の体の中にもあります。ですから、皆様は常に霊界を背負って歩き、連れて歩いているのです。したがって、逃げることはできません。

霊界はあります。霊界はこの世界のためにあるのです。また、この世界は永遠の世界のためにあります。「世の中のどこに神様がいて、霊界がどこにあるのか」と言うかもしれませんが、神様のいらっしゃる所が霊界です。

私たちの人生が七、八十年で終わるとすれば特に問題はありませんが、永遠の生を中心として生きていくので深刻です。それでは、霊界があると言うとき、死後に霊界に行くとすれば、何をもって行くのでしょうか。真の愛を実践する生活をしなければ、霊界と関係を結べません。霊界は広大な世界です。皆様は知りませんが、広大無辺な世界です。霊界という所は、愛の電気で満ちあふれた世界です。愛の電気をもってすれば、できないことがありません。私たちの意識構造をもって治めることができる圏内が霊界だと言えます。霊界は永遠の要素を願う所です。霊界は、すべてのものが愛で満ちあふれた調和の世界です。ですから、愛のボタンを押せば、宇宙が作動するのです。

地上天国はどのような所でしょうか。すべての愛の電球に、明かりをともせる所です。それでは、天上天国はどのような所でしょうか。愛の電球に、明かりを永遠にともせる所が天上天国です。そのため、皆様が愛の心さえ抱いて、愛の綱さえ引けば、すべて引っ張られてくるのです。後ろに引けば後ろに行き、横に引けば横に行きます。思いどおりに操縦できるのです。嫌でそのようにするのではなく、自動的にそのようになるというのです。ですから、霊界という所は愛の空気で満ちあふれた所です。愛の神様が愛の心で、世界人類に対して一度にすべて食べさせて喜ばせたいと思って、「御飯よ、出てきなさい!」と言えば、出てくるのです。

霊界では、愛の食べ物を食べます。互いを見るのも、愛の目で見るのです。そして、言い表せないほど神秘的な所です。何かを聞いても、ひたすら聞き続けたいと思う、眠気や疲れという観念がない所です。今日、人間は何であってもすべて、愛と関係を結ぼうとします。なぜ、愛と関係を結ぼうとするのでしょうか。霊界に拍子を合わせるためです。そのようになっているので、そこに応じるしかないのが人間という存在です。その位置を離れられないのです。

皆様が夢で先生に会う現象は、神様の愛の波長を通して現れるのです。そのためには、自分があってはいけません。自分を犠牲にしなさいというのです。真空状態をつくらなければなりません。真空状態になったあとには、共鳴圏をつくり、電気抵抗が最も少ない黄金にならなければなりません。黄金というのは、他の要素が混じっていません。純粋そのままです。

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第五篇 1 世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務

第五篇 1

世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務

日付:一九七二年十一月二十六日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ウォルドルフ・アストリア・ホテル

行事:第一回「科学の統一に関する国際会議」

人間は社会生活を営む中で、誰しもが幸せな生活を追求するようになります。幸福になりたいと思うのは、誰しもがもつ抑え難い人間の欲望であり、理想です。数千年の人類歴史において、このような理想をもたなかった人は一人もいないでしょう。

1. 人間生活と幸福な世界

理想は常に現実とは相反するものであるにもかかわらず、人間は、現実生活の中で理想を実現するために不断の努力を傾けできました。そのようにして、政治、経済、社会、宗教、科学など、人類文化の全般にわたって、目覚ましい発展が遂げられてきたのです。そうして今日、人間は、古代や中世に比べれば、比較にならないほどの高度な福祉社会を実現しました。

このような発展において決定的な役割を果たしたのは科学でした。科学の発達がなかったとすれば、今日のこの驚くべき繁栄は不可能だったでしょう。この事実は、科学者はみな、幸福な理想社会の実現を自らの使命としてきたことを意味します。

すなわち、科学者たちは、人間の夢を実現させようという熱い使命感をもって科学技術を発展させてきたことを意味するのです。たとえ科学者の研究成果が、時には一部の権力者の不義の目的に悪用されたことがあったとしても、科学者の基本精神だけは、常に人類の福祉社会の具現を目指していたのです。

2. 科学の総合化、統一化の傾向

このように科学は、人類の夢を実現することに、その目的があります。ところが、過去において科学は、立派な発明がなされたとしても、民族的、国家的障壁に遮られ、それが直ちに人類全体の福祉に寄与することにはならなかった時がたびたびありました。科学文明にも国境がなければならないという主張も時としてあったのです。しかし、科学文明は本質的に、人類全体のものであるべきであって、ある特定の国家や陣営の専用物であってはならないのです。そのため、強い使命感をもつ科学者たちが、共同福祉の目的を妨害する不義の勢力に対しては、強力に抵抗したことを私たちは記憶しています。

科学者の中には、各自専門分野によって、時には当面の研究に没頭するあまり、人類福祉に貢献する精神を忘れてしまう科学者もいましたが、ほとんどの科学者たちが基本姿勢として、人類の平和と繁栄に寄与しようと努力してきたことは疑う余地がありません。

科学には様々な分野がありますが、そのどれを取ってみても、人類幸福の実現を目標にしない部門は一つもありません。物理学、化学、医学がそうであり、生物学、地質学、天文学がそうです。

もちろん過去数世紀の間に、科学はあまりにも分析的方法に傾き、多くの部分が専門化され、科学の細分化現象が起きたことは事実ですが、最近になって、総合的な方法によって細分化された知識を総合し、統一する、希望的な傾向が現れつつあります。「統一科学」は、その顕著な例と言えるでしょう。いずれにせよ、今日までの科学が、たとえ細分化現象を起こしたとしても、各部門がそれぞれの立場で、ひたすら福祉世界の実現という一致した目標、一致した方向を指向してきたことは事実であり、また今後もそれを指向していくことを信じて疑いません。

しかし、今日の世界情勢を見ると、非常に嘆かざるを得ない現象が続いています。それは目覚ましい科学の発展と驚くべき経済の繁栄とは裏腹に、いまだに不幸な事態が世界の随所で起きているという事実です。

3. 善の世界と幸福の世界

科学者たちのかくも切実な念願と努力にもかかわらず、いまだに発展途上国では貧困と文盲と疾病が、そして国際間には緊張と戦争と敵対行為が続いており、人類は華やかに発展した文化の陰で、依然として悲しみと不安と苦痛の生活をしているのです。多くの指導者がこの不幸を取り除き、平和と安定を樹立しようと努力しているにもかかわらず、ただ「平和」の言葉だけが世界にあふれているばかりで、人類は日に日に不安と苦悩と危機意識の中に陥りつつあるのです。これはいったい何か原因なのでしょうか。

それは、人類の行動を規制してきた従来の価値観が崩れたからです。倫理と道徳がその機能を喪失したからであり、善の基準が消え失せてしまったからです。西欧社会における神中心のキリスト教の価値観、東洋社会における天道思想中心の儒教の価値観など、従来の人間の精神を指導してきた価値観は、すべてその機能を喪失してしまいました。これが今日、科学者たちの熱意に満ちた努力にもかかわらず、人類の不幸が消えない根本原因なのです。

このような事実は、何を意味しているのでしょうか。それは、科学者たちの念願が実現されるには、必ず先に善の世界が実現されなければならないことを意味するのです。善の世界とは、価値観が確立された世界のことをいいます。それは道徳の世界であり、宗教の世界です。しかし、この価値観は全く新しいものでなければならないでしょう。現代有識者の実証的で論理的な精神を指導できる新しい価値観でなければなりません。

ここに、今日の科学者たちは、また一つの使命を担わなければならないという結論に至りました。物質的生活の向上だけを試みてきた自然科学だけでは、人類の真の幸福を保障することが難しくなったのであり、人間の精神を改革する作業までも、科学者が遂行しなければならなくなりました。それでは、その理由について説明することにします。

人間をはじめとした万物は、すべて質料的な側面と形相的な側面とを兼ね備えた統一的存在であることは、誰も否定できないでしょう。人間は心と体の統一体であり、動物は本能と体、植物は生命と物質、そして無機物は作用と物質の統一体です。ところが、存在論的に見るならば、宇宙は結果の世界であって、そこには必ずその究極の原因がなければならないとしたときに、唯物論はそれを物質であると主張し、唯心論、すなわち観念論はそれを精神であると主張しています。

4. 統一的原因と統一的結果

しかし、結果の世界がそのような統一体であることから推論すると、その原因も、質料と形相の二つの要素を統一的にもち合わせている一元的存在でなければならないのです。一元的で統一的な原因であってこそ、そこから統一的な結果の世界が生じるのであり、また統一的結果には、必ず統一的で一元的な存在がその原因にならなければならないのです。

したがって、宇宙の根本原因を物質としてのみ考える唯物論は誤りであると言わざるを得ません。その原因となるものは、決して物質ではなく、それより先んじている非物質なのです。ですから人間というのは、その統一的原因から生じた統一的存在であって、人間を物質的存在とだけ見てはならず、また精神的存在とだけ見てもいけません。

したがって人間生活を向上させるにしても、肉身の物質的生活だけを改善しては完全な幸福は実現されないのであり、物質と精神の両面の生活を統一的に同時に改善していくときに、初めて真の幸福が到来するようになるのです。

今日までの科学は、その担当した分野が物質的な領域だったために、特に物質的生活の改善にばかり力を注いできたのです。ですから、残念ながら、科学者たちの切実な念願と熱心な努力にもかかわらず、人類はいまだに不安と混乱の中から抜け出すことができずにいるのです。ここでやむを得ず、科学者たちは、人類の真の福祉のために、そしてこれまで成し遂げてきたその高貴な努力の成果を守護するためにも、精神生活の改革運動に参加しなければならないという結論に至りました。精神生活の改革というのは、新しい価値観を確立することによって、善の世界を建設することであり、新しこ徳社会を建設することです。

5. 神様に似るための愛の実践

それでは、精神改革運動は、どのように展開するのでしょうか。それはまず善の中心を確立しなければならず、そこには愛の中心が決定されることが絶対に必要です。なぜなら、善というのは、愛の実践だからです。

それでは、その愛の中心とは何でしょうか。それが正に神様なのです。宇宙生成以前からある唯一、永遠、不変の存在なのです。この愛というのは心情の流れです。内的な心情が外的に流れていくのが愛です。ですから、神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。

この根本原因からの宇宙の生成こそが神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様は心情をもっているからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が起きるからです。その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものが目的を指向するものだからです。

ですから、創造の目的は、心情を充足させる喜びにあると言わざるを得ません。そして、この喜びは、被造物、特に人間が神様に似た時に訪れるのです。ですから、神様の愛と創造性に似た人間と国(天国、福祉世界)が、神様の創造しようとされた目標だったのです。そのことは、人間の理想がそれを追求することを見ても知ることができます。理想とは、当然享有するようになっている世界を追求する熱望なのです。

人間が幸福の世界を常に理想として追求するのは、その幸福の世界が、正に人間がその中で生きるように計画された創造の世界であることを意味します。このような世界が正に神様の愛と創造性に似た世界であり、喜びの世界なのです。

ところが、今日まで科学の驚異的な発展によって、この世界は、神様の創造性に似るようにはなったのですが、神様の愛にはまだ似ることができずにいるのです。神様の愛に似るためには、愛を実践しなければならず、善の生活をしなければなりません。愛の実践が、すなわち善だからです。

ところが、善の生活のためには、愛の主体である神様を善の中心基準にしなければなりません。神様は中心であり、本質なので、現象の世界がいくら変化流転でも、神様の愛は永遠不滅であり、したがって神様を善の基準とすれば、ここに絶対的な価値観が確立されると同時に、永遠な幸福の世界が実現されるのです。

6. 神様と人間が願う理想的な人間像と世界像

このように理想の世界は、創造の目的が実現されなければならない世界であり、神様に似なければならない世界なので、人間は、常に愛に満ち、調和し、平和な生活を願っているのであり、いつも新しいものを創造しながら環境を改善していくことを願っているのです。創造とは、単に製造だけを意味するのではなく、創意的な活動全体を意味するのであり、常に新しいものを創案し、計画し、改善し、生産するなど、あらゆる活動を意味します。

ところで、神様は統一的存在なので、人間も統一的でなければならず、社会生活も統一的でなければなりません。すなわち愛しながら創造し、創造しながら愛する統一的な人間、統一的な世界にならなければなりません。

今日まで人間は、輝かしい科学的発展を成し遂げることによって、創造的生活面においては神様に似たと言うことができますが、愛の生活においては、全く神様に似ることができずにおり、そのために悲しみと苦痛と不幸が継続しています。愛は調和なので、愛のないところに調和はあり得ず、調和のないところに平和や幸福はあり得ないので、ここから様々な悲惨な様相が起こるようになるのです。

こうして、神様も人間も、神様に似た理想的な生活、理想的な世界を願っているのです。これを言い換えれば、神様が願い、人間の本心が願う理想的な人間とは、創造的であり、なおかつ神様を中心とした愛を実践する善の人間です。また神様と人間が願う理想的な世界とは、環境を改善する創造的活動が継続されながら、個人と個人、国家と国家の間に愛が満ちあふれる大調和の統一世界なのです。このような新しいタイプの人間が新しい統一世界で生活できるようになってこそ、長い間人間を苦しめてきた一切の悲しみや苦痛、争いは永遠に跡形もなく消えていくのです。

7. 万民共通の方向

このように本然の人間と世界は、神様に似た善の人間と善の世界であるにもかかわらず、今日、現実的な人間と現実的な世界は、神様に似ていない悪の人間、悪の世界になっています。

これは、人間と世界がまだ本来の姿になっていないからです。したがって、今日の人類を不安と混乱の中から救い出すためには、本然の人間の姿勢と世界の姿を回復して、これを現実に具現しなければならないのです。そのためには、善の絶対基準を探し立て、善の生活をしなければなりません。

善の基準とは、愛の中心である神様のことを意味します。今日、全人類が苦痛と混乱の現実を抜け出そうと激しく身もだえし、自由と平和を何よりも渇望しているのは、人類の本心が善の基準を探し求めており、愛の中心を探し求めていることを表しているのです。愛の中心を求めて、地上に永遠の幸福の世界を成し遂げようとすることが、万民共通の願いであり、方向なのです。

ここまで、神様と人間が願う世界は、創造的生活と愛の生活を営む統一世界であるということ、この世界で初めて神様と万民の願いが実現するようになるということ、そして愛を実践するためには、愛の中心を探し立てなければならないということをお話ししました。この愛を実践するためには、ここに必ず規範が確定されなければなりません。なぜなら、愛の生活だけでは、決して調和をつくり出すことができないからです。愛の生活は秩序を必要とし、秩序のためには規範が要求されるのです。

規範とは、人間の行為を規制する理法であり、原理です。これが正に道徳であり、倫理なのです。したがって愛の生活をうまく営むためには、真の道徳と倫理を確立し、それを実践しなければなりません。これを言い換えるならば、統一世界に適用される道徳と倫理は、現代人にしっかりと守られるものでなくてはならないということです。過去の道徳や倫理が崩れてしまったのは、現代人の生活が物質主義へと流れたこともその原因ではありますが、その価値観が現代人の理性に合致していなかったからでもあります。ここに新しい価値観、新しこ徳、新しい倫理の確立が切実に要求されるのです。

8. 完全な善の統一世界建設

それでは、新しい価値観は、どのように確立されるのでしょうか。それは過去のすべての思想と宗教の教理を統一できる一つの高次的な統一的思想体系によって、初めてその確立が可能なのです。過去のすべての思想と宗教はそれぞれ、それなりの価値観(倫理観)をもっており、それぞれ長所をもち、また今日でも有益な点があるにもかかわらず、新しく訪れる時代には適用されなかったので、今日ではほとんど捨てられたようになりました。したがって新しい価値観を確立するためには、過去の倫理観の長所をすべて生かしながら、同時に現代人の生理に合致する内容の価値観が立てられなければならないのですが、そのためには、過去のすべての思想と宗教の教理を統一した「統一思想」が出現しなければならないのです。

なぜなら、過去のすべての価値観と倫理観は、その時の思想や宗教を基盤にして確立されたものだからです。こうして「統一思想」による新しこ徳、新しい倫理が立てられるようになるとき、初めて完全な善の統一世界が建設されるようになるのです。このように統一世界の建設のために、新しい価値観を世界的に立てていくことが、正に世界道徳の啓蒙なのです。

結論として、「統一科学」の役割について一言お話ししようと思います。「統一科学」がかなり以前から、細分化された分科科学の真理を統一しようとする意図のもとに体系化されてきたことに対して、まず深い称賛を捧げる次第です。科学の細分化は、ちょうど機械を部品に分解するように、科学の専門化だけでは科学全体の統一的機能が麻痺してしまい、科学の使命を完全に遂行する上で支障を来すと言っても過言ではありません。

9. 「統一思想」と一つになるべき「統一科学」

このことから、一部の先覚的科学者たちによって、「統一科学」の旗のもとに過去の多くの科学者たちが発展させた科学的真理が一つに総合的に統一され、一貫した一つの新しい哲学的な科学体系として整理されたことは、実に高く評価されるべき慶事と言わざるを得ません。それはあたかも、精神的な面において、現代的な新しい価値観を樹立するために過去のすべての思想と宗教を一つに統一する「統一思想」が出現したのと同じように歴史的な事件なのです。

既に先ほど繰り返し指摘したように、科学は人間の物質的生活を改善することがその本領なので、「統一科学」は実践面において、前よりも一層効果的に物質的生活の改善に寄与することが期待されます。しかし、本然の人間が精神と肉身の統一体であるように、社会生活も、精神と物質が統一された生活です。

理想世界も、愛と創造が統一された世界なので、ここで何度も明らかにしたように、物質的生活の改善だけでは、本当の幸福の世界は実現できません。したがって、不可避的に「統一科学」はその役割を完全に果たすために、「統一思想」と再び一つにならざるを得ないという結論が出るのです。

このような統一が成し遂げられるようになるとき、長い間の課題だった宗教と科学の統一が実現され、名実共に福祉世界、幸福の世界、善の統一世界が成し遂げられるのです。この時こそ、古い制度と思想は完全に消え、新しい制度と思想による理想的な統一世界が実現されるのです。ありがとうございました。

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第五篇 2 現代科学と人間の道徳的価値観

第五篇 2

現代科学と人間の道徳的価値観

日付:一九七三年十一月二十一日

場所:日本、東京、帝国ホテル

行事:第二回「科学の統一に関する国際会議」

私はきょう、世界最高の知性である科学者の皆様が大勢集まる中、この第二回「科学の統一に関する国際会議」が日本の東京で開催されたことを心よりお祝い申し上げ、併せて、本会議の締めくくりに当たり、しばらくお話しできる機会を頂き、限りなく光栄に存じます。

これまで本会議の開催のために、様々に御苦労された日本の準備委員会の教授の方々の労苦に対し、まずは称賛の言葉を捧げたいと思います。特に「現代科学と道徳的価値」の問題を今回の会議のテーマとして採択した準備委員会の決定と、それに呼応して世界各地から来られ、このテーマに関して発表し、討議された多くの学者の方々の積極的な熱意に対し、深甚なる謝意と敬意を表す次第です。

1. 人類共同の福祉と科学の進路

皆様のこの画期的な集会を慶祝する意味で、しばしこのテーマと関連して、私が考える所感の一端を披瀝しようと思います。本会議において科学と道徳的価値の問題が扱われるようになったのは、今日の科学的現実がこの問題を緊急に扱わざるを得ない状況下に置かれているからだと思います。この問題について、今回の会議では十分に討議がなされたことと思います。

今まで目覚ましい発展を持続しながら、人類の福祉増進に大きく寄与した現代科学が、今日においては若干の副作用を呈していると見るのは、単に私だけの考えではないでしょう。今日の人間は、科学に対してその主体性を失いつつあり、自ら発展させた科学技術を統制する能力が次第に弱まりつつあるように、私には思えます。

今後このような状況が続くならば、近い将来に惨憺たる事態が現れるだろうと言い切ったとしても、それは過言ではありません。このように主体性が次第に失われていく理由について、私は次のように考えます。すなわち、科学は価値観の問題を軽視せざるを得なかったと、そのように理解しています。月日の経過に伴い、科学が次第に分派的に流れ、ついには道徳や価値の問題を全面的に無視する傾向が現れ、科学に対する人間の主体性と主管性が弱化、または喪失し始めたのではないかと思われます。

人間が科学を発達させた動機には、様々なものがあると思いますが、究極的にはあくまでも、人間共同の福利、すなわち人類共同の平和と繁栄を実現することにあると見て間違いないでしょう。しかし、科学の領域が細分化され、その方法がより一層分析主義へと流れたために、人類共同の福利という価値の方向とは少し異なる方向に発展してきたのです。

人間が科学に期待したことは、「人類共同の福利」だったのであり、主体である人間の幸福でした。これに対して、科学が成し遂げた成果というのは、対象としての物質的環境の改善、まだ生活手段の開発だったのではないでしょうか。人間が望んだのは、主体の福祉でしたが、科学が成し遂げたのは、対象の改善だったのです。

したがって、私は、人間の要望と科学の成果との不一致から、人間の主体性の喪失がもたらされたのではないかと思います。科学では、生活環境と手段の改善、開発のような対象の問題解決に力を注ぎながらも、それと同時に、主体性の問題も共に扱うことが望ましいことであると言うことができます。物質的で分析的な方法とともに、精神的で統一的な方法を併用し、さらには、人間の尊厳性を肯定しながら、一定の道徳的価値観の土台の上で科学が扱われなければなりません。人間の尊厳性が尊重される科学的風土が造成されるとき、公害のような不安な問題は、未然に防止できるのです。ここに人間の本然の姿、すなわち人間の本性が問題になるのではないかと思います。

2. 人間本然の姿と価値基準の設定

私は人間の姿を、心身の調和が取れた統一体と見ています。価値または善の目的を中心として、精神と肉身が調和の取れた統一を成し遂げている統一的存在が本然の人間なのです。

ですから、科学の本来の姿というのは、このような人間の二重性に似て、精神的側面と物質的側面の両面を統一的にもち合わせたものではないでしょうか。ここで精神的側面とは、道徳的価値の領域のことであり、物質的側面とは、物質の現実を扱う従来の科学の領域を意味します。したがって、これからの科学は、自然科学と社会科学の統一だけにとどまらず、道徳的価値観の問題までも扱う総合的な科学になることを、心から切に願うというのです。

このような科学は、「文化科学」と呼べるのではないでしょうか。このような科学が道徳的価値観を扱うためには、その価値基準の決定が問題になるのではないかと思います。しかし、一般的に価値基準というものは、時代や環境によって異なるものです。古代の価値基準と現代の価値基準とは異なり、東洋と西洋の価値基準が同一でないことが分かります。

したがって、人間共同の福祉のための価値基準を決定しようとすれば、時代と環境を超越した、普遍的で絶対的な要素を見つけ、それを基準として立てるしかありません。このような絶対的な基準の設定は、取りも直さず新しこ徳的価値観の樹立を意味すると言えるでしょう。

まずその絶対的基準の本質を考えるとすれば、それは正に家庭倫理の根幹になる「愛」です。なぜなら、家庭倫理の愛こそ、真の愛であり、隣人への愛、同胞への愛、そして人類愛の基本であると見るからです。またその愛はアガペー的な愛であり、絶対的な愛なので、太陽が万物を一律的に照らすように、万人に真の喜びをあまねく与えることができ、古今東西を問わず不変であると見ることができるからです。

ここで私たちは、このような絶対的愛の主体である絶対者の存在を考えることができるでしょう。このような絶対者がいるとすれば、そのような存在を新しい価値観の基準として立てることが最も望ましいことではないでしょうか。

少なくとも私はそのように考えています。なぜならば、この絶対者は、決して観念的存在ではなく、歴史を通してそれ自体を現してきた実在的存在だからです。私たちは歴史上に数多くの宗教指導者や聖賢たちが、時や場所を変えて出現したことを知っています。彼らはみな、人間の良心と心情に訴え、隣人への愛を実践することを促しました。彼らの教えに従った民族や国家は平和と興隆を享受したのであり、従えなかった民族や国家は混乱と衰亡に陥ったのです。

今日も、多くの人たちは、この世界的な混乱の中で人類を救うことのできる現代の聖賢の出現を、意識的にも無意識的にも待望しています。このような事実は、愛の主体者である絶対者がいて、歴史や現実の背後で宗教指導者や聖賢たちを立て、彼らを通して自らの愛を現し、道徳的価値の世界を実現しようと計画していることを示していると言えるでしょう。

したがって、このような絶対者を全人類が共に認め、受け入れるならば、道徳的価値の世界の実現はそれほど難しくないと思います。ですから、このような絶対者を道徳的価値の基準として立てるのが最も望ましいと言えるでしょう。以上、私の所感の一端をお話しいたしました。

最後に、皆様が今回行われた立派な研究と真剣な討議が、人類の真の平和と福祉に大きく寄与する画期的な成果として現れることを心から祈りながら、これで私の話を終えようと思います。ありがとうございました。

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第五篇 3 科学と絶対価値

第五篇 3

科学と絶対価値

日付:一九七四年十一月二十二日

場所:イギリス、ロンドン、ロイヤル・ランカスター・ホテル

行事:第三回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、高名な科学者、著名な教授、ならびに学者の皆様。「国際文化財団」により発起された第三回「科学の統一に関する国際会議」に御参加された皆様を、心より歓迎する次第です。

過去二回の大会が、第一回は一九七二年十一月にアメリカのニューヨークで、第二回は一九七三年十一月に日本の東京で開催されたことは、皆様も御存じのことと思います。本大会の期間、自由で率直な意見交換が行われる雰囲気がつくられ、持続することを願い、そのような雰囲気づくりのために私は最善を尽くしてきました。また大会による豊富な成果に大いに満足し、その成果のために物心両面から協力してくださった関係者の方々に感謝の意を表す次第です。

1. 科学の発達と人類の当面の課題

今日においては、ますます深刻な問題が発生し続けており、それらが人類の当面の課題として登場しています。このような挑戦的な問題に対する解決には、偏向的、あるいは局部的なアプローチよりも、全世界的なアプローチが求められます。ですから、本大会にお集まりになった多くの著名な学者の方々の英知と知識が実に求められ、渇望されているのです。

私も一科学者として、多大な関心をもって科学と技術の発達を注目しています。科学や技術、そしていわゆる科学的方法と呼ばれるものが、人類の生活に多大な影響を及ぼしてきたことを私は知っています。科学は、現象界を観察し、研究することで、肉体の感覚によって感知できる枠を越えて、現象界を拡大、拡張させてきました。

顕微鏡によってのみ見えるバクテリアの存在を私たちは知っています。人間の心など及びもつかないほど、天文学的なスピードで計算するコンピューターに導かれ、月の世界へ旅行した人もいる反面、それを日常的に可能なものにしようと語っている人もいます。

肉眼で見れば地球は平らに見えます。しかし、科学は私たちをして地球が丸いことを認めさせたのです。ダイヤモンドは硬い固体のようですが、実際それは真空の空間を回転している散乱状態の原子群であることが分かるとき、驚かざるを得ません。より抽象的な次元になると、ある実体から拡大された実体への変化は、古典力学から量子力学への変化と決定論的方式から蓋然的方式への変化とによって描写されるのですが、その二種類ともが、常識的に生きている人々を当惑させるのです。

科学の発達は私たちに途方もなく多くの知識を提供してはくれますが、私たちはいまだにその知識を自分のものとして受容できない無能さと、情報を体得し、その知識がより深く暗示するところを十分に理解できない苦痛を味わっているのです。この無能力は、不安と混乱と半信半疑の状態へと引っ張っていくのですが、それは確固たる思考の基盤と基準を喪失してしまったところに起因するものです。結局、私たちは、自分自身と科学の発達によって突然膨張した現実との間において、不均衡な状態に置かれていることを感じているのです。

2. 超国家的世界観と協力の必要性

人間の限定された思考機能の不調和と不均衡に対する解答を、私たちが精神界で探し出す可能性を考えるとき、禅や瞑想、そしてその実践が東洋で長いこと行われ、また大切にされてきたことが、最近、西洋でも科学的研究の論争対象になっていることは決して偶然ではないと言えます。霊感に関する研究は、学問世界で学者の相当な関心を引いてきました。特に、いるかが人間と明らかにコミュニケーションがとれるという発見は、注目に値します。同じ分野で、植物が人間の愛と感情の状態によって反応することが実験で立証されてきました。このような発見は、動物や植物の世界が意識や理性的な面で欠けているという現在の私たちのもつ見解が、限定されたものかもしれないということを示唆するものです。

人間と別の被造物との間に調和の取れた共存の実現が可能であり、すべての存在の中心である人間が、本質的な調和と一致の中で、全被造世界を回転させる回転軸として役立っていることを、私たちはまた想像することもできます。他に注目に値する事項としては、教育者と医者の役割です。それらは途方もなく多くの量の情報を正確かつ速やかに処理するコンピューターの能力によって、徹底して影響を受けると言っても過言ではないでしょう。素粒子と宇宙論に関する未来の研究が、空間と時間に対する私たちの観念を変化させるかもしれないと幾人かの科学者たちは示唆しています。

ローマクラブによって示されたある研究は、近い将来に公害、人口増加、天然資源の枯渇、そして急速な工業化によって悲惨な結果がもたらされることを告げています。最近繰り返される核実験のために、オゾンが減少していることが発見されています。皆様も御存じのように、大気圏におけるオゾンの存在は、地球上の生物の生存にとって絶対必要不可欠なものです。なぜなら、オゾン層がなくなる場合には、蛋白質の分子が破壊されるからです。このような諸問題に対する解決策は、科学者たちだけの努力や、ある特定の人やグループまたは国家の努力だけで見いだされるものではありません。先ほど言及したローマクラブの研究は、世界の資源と環境の限界を明確に指摘し、このような世界的な問題に対する妥当で完璧な解決のためには、全世界的なアプローチと協力という努力が絶対に必要であることを明白に提起しました。

このような問題は、世界のすべての民族間に献身的態度と協力を必要とし、いかなる社会や国家の利益をも超越した世界観を必要とするものです。そのような協力精神は、全人類が同じ家族の構成員であると自覚する時にのみ、成し遂げられるでしょう。そのようなイデオロギーに対する人間の革命的な変化は、長い間必要とされてきたのであり、またそれは人間の生存のために必要不可欠なことです。そして、世界のすべての国の教育制度において、競争に勝利した人だけが獲得できるという競争の長所と適者生存の論理が過度に強調されてきました。これは平和な共存の世界へと導くための健全な人間の努力を侵食する伝染病のようなものです。いずれにせよ、現在の有識者の間では、そのような競争の強調が変わりつつあり、生存のために協力が不可欠な要素であることを悟り始めているのです。このような見解に照らしてみるとき、教育の目的とその哲学は、深層から変革が起きなければならないのです。

過去に人間生活を豊かにすることに対する科学と技術の貢献を、私たちは深い反省もなしに受け入れました。今や私たちは疑問を抱き始めています。いくつかの不安に満ちた疑問が心に生じているのです。私たちはより幸せになっているのか。私たちは道徳的により健全になっているのか。他の人を愛し、関心をもち、思いやりをもつようになりつつあるのか。

このような問題に対する解答は、統計的な結果分析によって単純に発見されるものではありません。なぜなら人間は、別々に測定することのできない、数多くの様相として現れるからです。実例として愛、理想、創造の喜び、神様に対する信仰を、皆様各自が考えてみてください。このような人間らしい人生の姿を保存し、啓発する問題は、私たちの探求すべき最大の課題として残されているのです。

3. 科学を正しく利用する問題

このような課題を考えれば、科学的探求の発見によって考案された莫大な量の情報を判断し、正しく利用するという問題は、深刻かつ真剣なことです。科学の価値を過度に強調する風潮を再検討しなければならないかもしれません。科学的真理というのは限定的なものです。すなわち、一時代の科学的真理が、次の時代には認められないこともあり得るのです。限られた事実に基づいて設定されたモデルの設定過程で、理想化、単純化、近似化の過程を繰り返します。結局、真理に近いものを知ることができたとしても、絶対的真理は知ることができないのです。科学は高度に成長し、それが人間を支配する様相を示しています。

科学は事実の決定に際しては、厳格に徹頭徹尾、精密で細密でなければなりません。しかし、科学情報や業績を活用する段階に際しては、人間の創造力の一領域として、その位置を忘れてはいけません。科学は、美術や音楽作品のように、使われ、調整され、評価されるように、人間の領域内にとどまらなければならないでしょう。

人類歴史を振り返ってみるとき、いかなる時代でも、新しい未開拓の分野、文化の発展である程度の頂点、そして医学や他の科学の全盛期など、多くのものの発展が歴史上にありました。それでも過去における科学と技術の発達は、自然の征服と開発を主な目標としてきました。

今日、正にその科学は、私たちに、新しい倫理的基準の確立を要請しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討する問題、そして人間相互間における協力の必要性と関連していなければなりません。地球上のすべての生物が調和して共存する理想世界を建設できる新しい価値観と新しい倫理、道徳的基準を確立できるよう努めなければなりません。

科学と技術の発達は、私たちが人間として存続し、私たちの生活の中で人間愛を大切に守っていくことが必須不可欠であることを真剣に反省するよう促す論争点を提示してきました。科学技術界が、人類の福祉のために動員され、人間活動の協力精神が科学技術を扱う人間にとって有効なときにのみ、これらすべてのものが可能であると私は確信します。

私は、皆様からそれに対する解答が出てくることを心より渇望し、期待しています。皆様の見解と知恵に従い、各自の研究結果を収集することによって、これは間違いなく実現されるでしょう。現在の世界をより高い次元と絶対価値の世界へと連結させて導いていく架け橋の役割を遂行してくださることを、私は心から強く求めてやまない次第です。御清聴いただき、誠にありがとうございました。

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第五篇 4 科学の調和と絶対価値の探求

第五篇 4

科学の調和と絶対価値の探求

日付:一九七六年十一月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ホテル

行事:第五回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、著名な科学者、そして教授、学者の皆様。きょう、このように第五回「科学の統一に関する国際会議」に参加された皆様を心より歓迎する次第です。特別にこの会議に引き続き参加してくださった皆様。誠にうれしく思います。

皆様は、多年にわたって絶対的な価値の問題を討議してこられましたが、今年も「絶対価値の探求」というテーマのもとに、きょう再びここにお集まりになりました。

1. 人間と宇宙万象の存在の始原

絶対的な価値を究明しようとすれば、人間と宇宙万象の存在の始原を明らかにしなければなりません。宇宙の始まりが「有」からか、「無」からかということが問題になりますが、皆様も御存じのように、自然科学も、社会科学も、哲学や宗教も、無の世界から真理を探求するのではなく、有の世界からある原因的存在を探し出し、そこから始まって生成された人間を含む森羅万象の存在と運行の原理を見つけだそうというものです。結局、存在の内容を明らかにし、存在物の間を関係づけることによって、すべての存在の理由と価値を探し立てようということなのです。

物質形成に必要な最小単位を元素とすれば、それは有として規定されています。その元素形成の基本が無であるはずはなく、絶対に有から始まったという論理が成立するのです。現代科学は、物質の最小単位である原子までも、その根本となるある力によって存在すると見ていますが、その力もやはり有から生じたという結論に達するのです。

極小から拡大した大宇宙であり、原因から出発した結果だという観点から考えるとき、私たち人間も原因的な存在ではなく、あくまでも結果的な存在なので、その原因的な存在が必ずあるということが分かります。

無から有が発生したという一部の学者たちの非論理性を是正し、起源となる絶対有から小有、大有に生成、発展したという論理体系を立てるということは、すなわち、この上なく科学的な存在がまず存在し、それが万有の原因となり、その結果である小有から大有までを連結して有機的に作用するようになるということなのです。

このような点から見て、従来の進化論は再検討されなければなりません。進化しようとすれば、作用しなければならず、作用しようとすれば、力によってのみ可能なのですが、それならば、作用しながら、より大きい力を生み出すことができるのでしょうか。作用では力を消耗するだけであって、より大きい存在をつくり出す力が生じるということは絶対的に不可能なことです。力は作用すれば消耗するのが原則なのですが、それが退化するのではなく、逆に進化することが可能なのか、そしてより価値ある、高次元的なものへと発展する方向性をもてるのか、ということが問題です。

2. 相応作用と相克作用による宇宙の発展

一見進化のように見えますが、宇宙万物の段階的生成過程において、ド・フリースの言う突然変異という説明は決して成立しません。より価値のある発展的なものになろうとすれば、そこに第三の力が加えられずしては不可能なことです。今日、すべての動物が進化せず、人間で進化が停止したとすれば、結果的な存在である人間を生み出した第一原因的な存在の究極的目的が、明らかに人間だったということは否定できません。ここで私たちは、まず「第一原因的存在が先にあった」という論理を確立できるのです。

次は、この宇宙の中で、存在が先か、力が先かが問題になります。いかなる存在も、何らかの力なしでは、生存し、作用することができません。各存在の個体内で作用する力と存在と存在の間の作用を可能にする力があります。それでは、このような力はいかにして生じるかということが問題です。力が生じるためには、それに先立って、何らかの主体と対象がなければ絶対に生じることができません。

すなわち、主体と対象の関係が先有条件となって、力が生じるのです。例えば原子にも、主体である陽子と対象である電子があって、初めて作用するのです。力の作用は、主体と対象が一つになるための目的から始まるものなので、力が先か、主体と対象が先かと問う場合は、間違いなく主体と対象が先であって、力の作用は、主体と対象が一つになるための過程的現象なのです。

そして、この主体と対象との関係の差と軽重によって、力の作用がそれぞれ異なるので、様々な力が作用するたびに、その方向性と目的性が変わるようになっており、それによって多種多様な存在世界が形成されるのです。このように、いかなる主体と対象の間の力の作用にも、方向性と目的性を帯びて作用するようになっているのは、第一原因的存在の中で基本的な主体と対象が先に存在し、方向性と目的性を帯びて作用しているからなのです。

個体内で主体と対象が完全に一つとなった存在は、他の存在と関係を結ぶために、主体的立場、あるいは対象的立場を取り、それと一つになることによって、より大きな方向性と目的性を帯びた存在へと発展するのです。主体的存在と対象的存在が作用するところでは、常にある共同利益のためにやりとりしながらより大きな存在に発展するのです。

3. 病気と宇宙力の保護

この広大無辺な大宇宙は、主体と対象の共同目的体なので、それ自体を保護する宇宙力をもっており、同時に主体と対象が完全に一つとなった存在を保護し、育成します。その一方で、主体と対象が一つになれない存在や、一つになったものを侵害する存在があるときには、これを排斥する作用をするのです。

ですから、存在の永続性が可能なのです。このように助ける力を相応作用といい、反対の力を相克作用と言うことができます。あるいは作用、反作用とも言うことができます。

これは物質世界においても人間世界においても同じです。私たちの心と体が一つになっているときは、これを助ける宇宙力の保護を受けているので喜びを感じるようになりますが、心と体が一つにならないときは苦痛を感じて反発するようになります。

病気によって受ける苦痛も同じです。体内で主体的な要素と相対的な要素が調和統一されない場合、宇宙的な保護力を喪失する一方、その反作用によって苦痛を感じるのですが、それが大きな病苦となるのです。このとき、早く主体と対象が調和統一する道を開いてあげるためのものが、医者の診断による投薬です。これは個人でも家庭でも同じです。

結婚前は、男性は男性同士、女性は女性同士で一緒にいることを好んでいたとしても、結婚後には、夫婦となった二人の間に誰かが介入してくることを喜ばないのも同じ道理です。結婚後の家庭は、主体と対象が完全一体化して、宇宙的保護力に力を与えられて、幸福と満足を感じるようになるのですが、そこに第二の女性や第二の男性が介入してくると夫婦が一つになる力が破壊される恐れがあるので、反発作用を起こすようになるのです。

その反発作用というのは、必ずしも悪いというわけではなく、このような刺激によってその人もその夫婦のように、早く出ていって主体あるいは対象を迎え、一体を成し遂げることによって、宇宙力の保護を受けて永続するように促進する、そのような力になるのです。すなわち、完成を促進させる力になるのです。

4. すべての存在物は第一原因に似て繁殖する

電気作用も、主体であるプラスと対象であるマイナスが一つになれば、円満に作用しますが、プラスとプラス、マイナスとマイナスの間では反発するようになっています。いかなる存在であれ、このように主体と対象を探し求めて関係を形成すれば、同じ法則によって安定と喜びを感じるようになるのです。

以上のような論理により、ある主体と対象が授受作用によって一つになれば、宇宙的な保護圏に入っていくようになるのです。私たちが見る宇宙の中のいかなる作用も、第一原因的存在に由来する結果的作用なので、その中心となる原因的作用体としての存在があるということは当然の理論です。子女が父母に似るように、結果は原因に似るので、万物を見てその原因的存在を究明することができるのです。

すべての植物の種を見れば、その内部は相対的に二片になっていますが、それが完全一体となったまま一つの皮の中で胚子を通じて授受作用をすることによってのみ、生命を繁殖するのです。卵を見ても、黄身と白身の間に胚子があるのですが、一つの殻で包まれて一体になっているのです。人間の胎児も同じです。

すべての生物は、主体と対象が授受作用によって一体化すれば、人間なら人間、植物なら植物は、その原因に似て繁殖し、結局根本に還元するのです。これらすべてが究極の第一原因に似ているとすれば、その第一原因的存在も主体と対象が完全に一体化した基本形態をもっており、すべての存在に対して主体格の立場にあるという結論になります。

5. 宇宙万物の段階的生成の目的

それでは、宇宙万物のこのような段階的生成の目的は何でしょうか。人間という存在のために形成され始めたと見るのです。すなわち人間は、すべての存在世界の実であり、縮小体であると同時に、モデルと言えるので、鉱物と植物、動物のあらゆる要素をすべて合わせもっている最も高次元の存在なのです。しかし、人間もあくまでも結果的存在なので、ある第一原因的存在があり、それに似て生じたという結論が成立するのです。

すなわち、人間を対象とする絶対主体的存在が必ずあるのですが、私たち人間が人格的存在であるならば、その主体も明らかに人格的存在に違いないのです。その第一原因的絶対者のことを、哲学では原存在と言い、宗教では神様と呼ぶのです。

今日、進化論や唯物弁証法、認識論、唯心論、唯物論などにより、世界の思想界は矛盾と混乱に陥っているので、これを再検討し、絶対真理を樹立してこそ絶対的価値の世界の形成が可能です。絶対価値的な存在は永遠、不変、唯一の存在です。それでは、宇宙の中で、永遠、不変、絶対の原理とは何でしょうか。それは原因と結果、主体と対象の関係であるという結論になります。

これを人間社会に適用すれば、親子関係と夫婦関係がその核心になるのですが、一つは縦的な主体と対象の関係であり、一つは横的な主体と対象の関係です。両者は次元の高い主体と対象の関係にありながら、縦的に合わさったものが新しい主体となり、横的に合わさったものが新しい対象となり、円満な授受作用を通して、渾然一体となって立体化し、調和した球形運動をするのです。

それが愛を中心とした力の作用であり、人間社会の基本単位である理想的家庭のモデルです。そのような意味で、愛を最も価値的なものと認めざるを得ません。

6. 絶対価値の永遠の幸福が約束される世界

愛の究極的な根源は、私たち人間から始まったのではなく、絶対不変の原因的主体から始まったので、それを中心とした愛の家庭が、人間社会の理想を具現する基本単位となるのです。ここで初めて絶対価値の理想実現のための愛の家庭から、国家、世界へと拡大し、愛を完成した統一圏の世界、それこそ絶対価値の永遠の幸福が約束される理想世界が必ず訪れるのです。

私は今回の大会が、今日直面する人類社会の諸般の問題を解決して、今後の進路を正し、「絶対価値の探求」という共同目標を達成するために、学問が調和、協力することによって、人類の平和と幸福と愛を成し遂げた理想世界を建設することに大いに貢献することを願いながら、お話しいたしました。ありがとうございました。

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第五篇 5 科学の限界と神様

第五篇 5

科学の限界と神様

日付:一九七九年十一月二十三日

場所:アメリカ、ロサンゼルス、センチュリープラザ・ホテル

行事:第八回「科学の統一に関する国際会議」

親愛なる議長、ならびに参席者の皆様。この度、第八回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださったことを感謝申し上げます。皆様が参加してくださることで、この会議の重要性が年々高まりつつあることを、本会議の創始者として光栄に思います。

今回のテーマである「絶対価値の追求における学術的責任」に関連した「科学の限界と神様」について、いくつかの意見を述べたいと思います。近来の科学の発達に伴い、人類は大きな期待をもち、科学技術の進歩を通して、霊的、物質的困難から抜け出せるものと信じてきました。

人類に貢献することを本来の使命として自覚してきた科学者たちは、究極的な科学的真理を追求すると同時に、科学技術が人間の生活におけるすべての面で応用できるように努力してきました。その結果として私たちが得たものは、目覚ましい経済的発展、物質的豊かさ、そしてそれ以前には見いだすことのできなかった肉体的平安でした。

しかし、このような功績にもかかわらず、今日の科学技術は大きな欠点をもっており、公害、資源の枯渇、非人間化、核兵器の蓄積といった問題をもたらしています。すなわち、人類の幸福を目的として始まった科学は、その成功とともに恐怖と不安感までももたらすようになったのです。その理由は何でしょうか。それは、科学的中立性を固守するあまり、目的や価値に関して考慮しなかったからです。

私がここでお話ししようと思うのは、人間は、その起源から価値をもっているということです。人間は神様の創造物です。そして、人間は創造目的に一致した明確な価値観をもって生きるように創造されました。本来、非常に大きな価値を所有してきた創造物であるにもかかわらず、人間はその価値観を無視して科学の万能性を信じ、それを万能薬としています。その結果、科学技術は次第に損害を増大させる原因となっているのです。

科学は、人間生活において単なる手段であって、目的にはなり得ません。人生の目的は、神様の創造目的を実現するところにあります。人間は霊と肉の結合体です。したがって人間は肉的な生命を土台として、価値ある人生、すなわち愛と真、善、美の生活をするようになっています。便宜的に言えば、科学技術は、霊的生活に適合した肉的生活に必要なものです。

ですから、価値ある生活を強調しなかったり、無視したりする科学は、かえって価値観の破壊をもたらし、今日のような恐怖と不安の現実を招くのです。真の価値観を追求し、発見することによってのみ、この不安な現実の中から人間を救うことができるのです。したがって科学は、絶対価値に基づくこの価値観に一致しなければなりません。

それでは、この絶対価値はどこで発見することができるのでしょうか。私の考えでは、絶対価値は神様の愛の中でのみ見いだすことができ、神様の愛による真理と善と美こそが、正しく絶対価値なのです。結論的に、科学技術の悪用による被害から人間を解放するためには、科学自体が神様を認識し、神様の愛と同じ方向に沿ってその技術を応用しなければなりません。

次に、自然界の真理を追求するためには、科学だけでは限界があるということについてお話ししたいと思います。二十世紀に入り、科学はついに哲学の領域に入って真理を追求するようになりました。東洋と西洋の古代哲学がそうだったように、科学は宇宙の起源に関する問題を扱わずにはいられなくなったのです。

特に物理学と生物学は、これまで長い間議論されてきたにもかかわらず、いまだに解決点を見いだすことができずにいる本体論の問題に直面しています。実際に量子物理学や分子生物学における一部の実験は、このような本体論的問題を探求するために行われました。

すなわち、物理学は科学的な実験を通して、物質の本質が何であるかという疑問をもって、本体論を研究してきました。最初の回答は原子であり、二番目の回答は素粒子でした。結局、量子力学の回答は、物質の素粒子をエネルギー自体に結びつけるものでした。同様に、生物学では生命の本質とは何かという本体論的問題を扱った結果、生命の秘密はDNAの特性にあるという回答を得ました。

このようにして、宇宙の真理を追求する中で自然科学は多くの事実を発見し、驚くべき知識の数々を集めています。しかし、これらも人間が提起する問題を究極的に解決するにはほど遠いと思います。

量子物理学は、物質の土台がエネルギーであることを確信していますが、私たちはいまだにエネルギーの根源を知り得ず、それ以前の存在段階が何かも分からずにいます。また、エネルギーがなぜ、どのようにして、それ以前の段階から存在の段階へと移行するのかも分かっていません。なぜ多様な分子が存在するようになったのか、なぜ分子は陽イオンと陰イオンという独特な形態をもっているのか、などという問題は、いまだに明白になっていません。

分子生物学は、生命の本質がDNA情報に含まれていると主張していますが、そこにも重大な問題が残っています。すなわち、DNA情報を構成する四つの構成単位は、どのようにして、その情報を得るようになったのか、などの問題です。

科学が真理を追究する中で、驚くべき発展を遂げたにもかかわらず、このように、いまだに科学自体に多くの問題が解かれずに残っているという事実は、何を意味しているのでしょうか。これらの残された科学的問題は、今日、自然科学の領域の外にあるものと考えるしかありません。

今日までの科学は、真理を追究するに当たって、特定の現象に対する直接的原因を研究してきましたが、存在の全体的動機や理由に対する探求を扱ったことはありません。したがって、科学が直面した最後の挑戦は、存在の究極的理由に対する問題です。物質の本質とは何かという問題において、いまだに探求されていないのが「存在の理由」です。生命の本質とは何かという問題において、生命の存在理由それ自体が探求されていません。

私が提起しようとする内容をさらに明確にすれば、まず目的性を認めなくてはならず、その目的性を認める前にその目的をつくり出した意志、すなわち万物を超越する宇宙的意志を認識しなければならないということです。この宇宙的意志を「神様」と呼ぶとき、未解決の問題を明確にする第一段階は、神様の創造目的を悟ることであり、第二段階は、物質と生命の現象において、物理学的、化学的要素とともに、各自を一定の目的へと向かわせる原因的動機の存在を感知することです。

以上の内容を整理すると、人間の幸福のために発展してきた科学は、今日、人間の生活に障害と被害までもたらしました。このような被害から抜け出す唯一の方法は、神様の愛を中心とする真の価値観のもとで科学を発展させるところにあるのです。より多くの科学者たちが、科学が限界に達したことを認めるようになれば、その限界を超越する鍵が、すべての物質および生命的現象の背後で、神様の創造目的に従って動く動機にあるということを、彼らは発見するようになるでしょう。

以上、私が申し上げた点が、今日、科学が直面している最も重要で切実な問題であると確信する次第です。著名な学者の皆様が今回のテーマに関して討議なさる際に、このような内容が参考になれば幸いです。

最後に、絶対真理に関する皆様の研究と真理の追究が成功することを願います。この会議の発表に現れる皆様の努力の結実が、世界平和に貢献することを確信する次第です。ありがとうございました。

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第五篇 6 絶対価値と人類平和のための模索

第五篇 6

絶対価値と人類平和のための模索

日付:一九八〇年十一月二十七日

場所:アメリカ、マイアミ、フォンテンブロー・ヒルトン・ホテル

行事:第九回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、著名な科学者、学者各位、ならびに紳士淑女の皆様。第九回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださった皆様を、心より歓迎する次第です。本大会はこれまで、科学と絶対価値に関して真摯な討議と研究を重ね、大きな成果を上げてきました。また、それだけではなく、私はこの会議が人類の切実な願いである平和の模索にも、多大に寄与したと考えております。

今回の会議のテーマは「絶対価値と人類平和のための模索」です。このテーマに関して、「いかにすれば世界平和は達成されるのか」ということに対する私の見解を表明したいと思います。

1. 人類平和を渇望する今日の世界

皆様も既に御存じのように、今日の世界は、ますます混沌とした状態に陥りつつあり、これに比例して、人類は日増しに平和をより一層渇望しています。それならば、平和はどのようにして達成されるのでしょうか。

今日の世界は、秩序が破壊された状態にあります。したがって、平和を成し遂げるということは、破壊された秩序の回復を意味します。秩序を回復するためには、主体と対象が自らの位置を知らなければならず、相互に統一された関係を確立しなければなりません。

平和は、世界的段階に限って求められるものではなく、国家や社会、または家庭の段階においても願われています。さらには、個人においても心と体の平和を渇望しています。このような平和に対する様々な段階のうちで、最初に成し遂げられなければならないものはどれでしょうか。先に世界平和が成し遂げられるならば、その基盤の上に国家、社会、家庭、そして最終的には個人の平和も成し遂げられるだろうと考えがちです。しかし、これは誤った見解です。

それは、実際に平和を成し遂げるために必要な順序とは反対です。ですから、先に個人的な平和が実現されなければなりません。その次に、家庭の平和が成し遂げられ、そのような基盤の上に、社会と国家、そして世界といった、それぞれの平和を期待することができるのです。これは個人が家庭の基本単位であり、家庭は社会と国家の基本単位だからです。

多くの指導者たちは、優れた組織と立派な思想を通して、社会秩序と世界平和を回復することができると信じています。しかし、現実において、ただ単にこのような二つの手段だけでは、人類平和は絶対に実現されません。

国連のような国際機構と共産主義や民主主義などのような思想体系は、それぞれ独白の方法で世界平和を実現するために努力してきました。しかし、平和はまだはるか遠く、世界は時間がたつにつれ、ますます混乱状態に陥っていくのです。

2. 絶対愛で一つになってこそ真の平和が実現

平和に対する追求が個人の平和から出発しなければ、それは再び失敗せざるを得ません。それでは、個人の平和はいかにして成し遂げられるのでしょうか。

それは、個人が絶対愛を所有し、それを実践することによって成し遂げられるのです。なぜなら、愛はすべての統一の前提条件だからです。統一は愛の基盤の上で成し遂げられ、平和は統一の基台の上でのみ達成されるのです。

愛には、相対的な愛と絶対的な愛があります。相対的な愛というのは、時と場所によって変わりますが、絶対的な愛は、変わることのない永遠の愛です。相対的な愛は、自己中心的なので、利害関係によって変わりますが、絶対的な愛は常に人のために生き、全体に奉仕する不変の愛です。このような愛こそが、正に神様の愛に違いありません。

相対的な愛によっては、統一は決して成し遂げられません。ただ絶対愛によってのみ、統一は可能なのです。個人は、絶対愛によって心と体が一つになるとき、そこで平穏、喜悦、満足、生き甲斐などを体恤するようになります。そのような個人においてのみ、平和の基準が確立されるのです。

一つの家庭において、父母と子女、夫と妻、兄弟姉妹などが各自の位置で絶対愛を実践するとき、その家庭の統一は成し遂げられるのです。そのようになるとき、その家庭には幸福と調和、そして何よりもまず平和が満ちあふれるでしょう。

したがって、このような平和の家庭が集まって形成される社会もまた、平和の社会になるのです。家庭と家庭が互いに調和して助け合うようになれば、その社会は明るく平和な社会になることは疑う余地がありません。なぜなら、秩序が確立され、統一が成し遂げられるからです。同様に、このような平和の社会が集まって統一された国家は、間違いなく平和の国家となるのです。

3. 神様の愛が基盤となった世界平和

国家というものは、様々な社会の単なる集合によってのみ形成されてはいけません。国家は、愛の個人と愛の家庭を基盤として成立した有機的な構成体でなければなりません。そこで完全な秩序と統一が成し遂げられなければならず、それでこそ国家において真の平和が実現されるようになるのです。

言い換えれば、国家が平和を実現し、維持するためには、神様の愛を必ず必要とするという意味です。いくら国家の基礎になる家庭が絶対愛の中にあったとしても、有機体としての国家は、国家的な水準で絶対愛を実践することができなければなりません。そして、内的には、政府と国民が統一体を形成しなければならず、外的には、隣国と絶対愛で一つになることによって国家間に真の平和が立てられるようになるのです。

言うまでもなく、世界平和は、すべての国の平和が成し遂げられるとき、初めてそれを基盤として成就することができるのです。各国が、貿易や交流の面で自国の利益を優先する国家的利己主義を清算し、絶対愛で他国と世界に奉仕する国家となるとき、そして各国がそのような国際的な風土を恒久的にもち続けるとき、人類の永遠の平和が保障されるのです。

4. 世界平和は美、真、善の絶対価値の実践から

以上のことから、世界の平和は、個人の平和に始まり、家庭の平和を経て、社会、国家の平和へと拡大した結果、樹立されるということが、はっきりと分かります。このような観点から、私は絶対愛と絶対価値についてお話ししようと思います。美、真、善などの価値は、愛を土台として形成されます。例えば、愛の実践は善として評価されます。すなわち愛が実践されるとき、善として現れるようになっています。したがって神様の愛である絶対愛を実践するとき、そこに絶対善が現れるようになるのは自明なことです。

そして、平和のために絶対愛を実践する個人の行為は善です。同様に、平和のために愛を実践する家庭の行為もやはり善となります。社会や国家、世界においても同じです。言い換えれば、個人、家庭、社会、国家を問わず、真の平和を樹立するためには、絶対価値、すなわち絶対美、絶対真、絶対善を実現しなければならないのです。特に絶対的な善の実践が切実に求められます。そのようになれば、秩序を乱し、破壊する、いかなる悪の要素も介入することができないからです。ところが、美、真、善などの精神的価値は愛を土台として成立するので、絶対愛、すなわち神様の愛を知らなければ、絶対的な美、真、善は実現されません。

このような絶対価値が実現されない所に、真の平和は存在することができません。したがって、人類の真の平和のためには絶対愛が実践されなければなりません。ところが、絶対愛が実践されるためには、まず絶対愛に対する理解がなければならないのです。

私は先ほど、絶対愛は利他的で、全体に奉仕する愛であり、永遠不変であると言いました。それでは、なぜ絶対愛は利他的であり、不変なのか、また、なぜ平和は、ただ愛を通してのみ成し遂げられるのか、という疑問が解決されなければなりません。

5. 真の平和のためには絶対者を正しく理解しなければならない

このような疑問を完全に解くためには、絶対者がどのような方であり、その方が宇宙と人間を創造した動機と目的が何かということが明らかにされなければなりません。創造の動機と目的は、愛の実践、平和の樹立において不可欠な標準となるからです。概して、いかなる計画も、それが実践されるためには必ず一定の目的が先に立てられます。目的を立てない行為は無意味なものです。

人間が絶対者によって創造され、絶対者の愛を実践するようにつくられたとすれば、人間の創造に動機と目的があったことは明らかです。その動機と目的を明らかにするためには、絶対者がどのような方かという問題、すなわち正しい神観がまず立てられなければなりません。

このように正しい神観が立てられることによって、絶対者の創造の動機と目的が明らかにされるのであり、それによって平和のために絶対愛を実践しなければならないその理由も明白になるのです。そのように見るとき、人類の真の平和のためには、絶対者を正しく理解することによって、その方の愛を実践できるようになり、最終的にはその方の絶対価値を実現できるようにならなければならないという結論に至るのです。これが、私が皆様にお話ししようとする結論です。

最後に、皆様がぜひ、今回の会議を通して輝かしい業績を上げられ、人類平和の探求に大きく寄与されることを衷心より願いながら、私の話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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第五篇 7 絶対価値と新しい世界の創造

第五篇 7

絶対価値と新しい世界の創造

日付:一九八一年十一月十日

場所:韓国、ソウル、世宗文化会館

行事:第十回、「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十回「科学の統一に関する国際会議」に参加するために韓国にお越しくださり、深く感謝の意を表します。

韓国は私の故国でもあります。皆様は、韓国動乱の時に参戦した十六カ国の軍人たちの犠牲に思いを馳せられるでしょう。また、韓国は南北に分断された哀れな国ですが、大きな意味のある国でもあります。韓国とアジアを知り、研究してくださることを願ってやみません。これから私がお話しする内容は、政治的というよりは、高次元的な宗教的内容の話として理解してくださることと思います。

1. 人類社会における上下階層間の統一

今日の人類社会には、多様な対立闘争が存在します。人種や民族、あるいは社会において、上下の階層間の対立がありますが、その中でも最も深刻な問題は、貧富の差による上下間の対立です。

白人を中心とした北半球において、アメリカとヨーロッパの先進諸国の人口は概して八億ほどと推定され、世界的に見ると上流層に属しています。それに比べ、中国やインドなど、アジア諸国には三十億の人口が住んでおり、中間の位置を占めています。ここに、五億のアフリカ、中南米、オセアニアなどの黒人を中心とした勢力が、経済的に最も貧困な下流層を形成しています。このような経済的貧富の差は、今日の世界における最も深刻な問題であり、いわゆる「南北問題」として国連などでも常に取り上げられている問題です。

このような問題の解決に対して最も可能性のある道は、欧米の白人社会とアフリカの黒人との中間に位置するアジア人を中心として、上下層を融合することです。二十世紀の今日において、あらゆる重要な問題は、世界的な規模で解決されなければなりません。そのような観点から見るとき、上流層の人々にいかにして自らの意志で進んで下に降りてくるようにさせるかが問題になります。

それだけではなく、有史以来人類は、この上下層間の格差を解消する方向へと歩んできたのは、紛れもない事実です。このような潮流の中で最も代表的な例が共産主義です。共産主義思想は、人類社会における階級間の搾取をなくし、階級のない社会を建設しようとするものです。しかし、共産主義の最大の問題点は、無神論であるということであり、神様を否定した土台の上にそのような理想世界を建設しようとしたところに問題があります。また、共産主義は一部の独裁者の私意によって、すべてを行おうとしたところに問題があるのです。

このような諸問題を克服し、新しい解決の道を探すためには、私たちが今まで固守してきた人本主義を離れ、神本主義による新しい思想、すなわち新しい中心核が必要になります。上下を中心核に一致させる中心的機能が必要です。それがすなわち宗教です。個人や一家庭の救援よりも世界救援を目指している宗教は、本来このような使命を成就しなければなりません。このような上中下の各層を結集するためには、その中心核的使命を果たす宗教が必要になります。

それでは、統一教会とは一体いかなる宗教でしょうか。正にこのような歴史的な使命を果たす運命をもっているのが宗教なのです。この目的のために私は開拓の道を歩んできました。世界の多くの人々が私に会おうとするのは、実に歴史的に見て避けられないことなのです。

2. 韓半島の文明的位置

私たちの住む地球は、陸地と海洋とに分かれています。その中でも半島は、地理学的に見ると大陸と海洋を連結する中間的位置にあります。したがって、古くから半島は、文明の形成において常に注目に値する場所となってきました。古代文明が繁栄したギリシャやローマも半島であり、イベリア半島にあるスペインとポルトガルの文明も半島で発達しました。しかし、このような文明は、今日、世界へと拡大し、新しぴ西文明が出現しなければなりません。アジアの韓半島は、正にこの文明の出現地なのです。

世界文明の方向は、世界を一周しながら発達していきます。すなわち、エジプトの大陸文明、ローマとギリシャの半島文明、イギリスの島嶼文明、アメリカの大陸文明へと発達し、そして文明は西進して太平洋を渡り、日本の島嶼文明へ、ついには韓半島文明として結集するためにアジアに連結されているのです。ここで結束した文化は高次元的な文化として新世界を創造するでしょう。

島国の日本は、アジアで初めて西洋文明を定着させました。次は半島文明時代です。韓半島は、東洋と西洋の文明が一致する場所です。歴史学者シュペングラーが指摘していますが、文明は、一年に春夏秋冬があるのと同じように、興亡を繰り返してきました。今は、大西洋文明時代が過ぎ去り、太平洋文明の時代が訪れるときです。

韓国の地政学的現状を見ても、アメリカ、日本、中国、ソ連という四大強国の中央に位置しています。アメリカはソ連に対抗するために多大な努力を傾注しています。そのソ連が、ヨーロッパではドイツを東西に分割して半分を占拠し、またアジアにおいては韓半島を南北に分けてその半分を支配圏に置いています。

ところが、その四カ国の勢力が対立しているのは、ヨーロッパではなく、韓半島を中心としたアジアです。ですから、アメリカは、より大きな大陸であるアジアに関心をもたざるを得ない立場にあります。このような情勢から見ても、韓国はすべての面で東西南北間の宿命的対決を解決すべき、そのような基本的役割を果たす国であると思います。

ここで現実的な可能性を見ることにしましょう。韓国人は正義感が強く宗教的で、極めて有能であり、多方面に能力を発揮します。一つのことで行き詰まれば、直ちに大胆かつ勇敢に他の所へと方向転換できる適応能力があります。これは韓国人の優れた特徴であると十分に見ることができるでしょう。

私はこのような韓国民族の中で生まれ、統一教会はこのような背景で発展してきました。私たちはこのような歴史的結実として、黄色人種を中心として上下階層の人々を融合、一体化させる世界的な使命を果たすべきであると思っています。統一教会はこのような目的を果たして余りある宗教的な内容を具備しています。この目的のために、私は世界の至る所で、あらゆる部門において最善を尽くす決意をもっています。

3. 絶対的価値である神様の愛

歴史的に、上流層と下流層の人を一体化させるためには、上流層の人々は下流層に同化させ、下流層の人々は上流層へと引き上げなければなりません。そうするためには、絶対的価値の中心点が必要です。それが神様の愛なのです。

神様の愛とは何でしょうか。それは最上級の人とも共有でき、最下級の人とも共有できるものです。神様の愛は一方的なものではありません。神様の愛は、球形で回転作用をする力です。最上から最下に至るまで自由に移動することができます。それがどこに現れても、すべての所で全体から歓迎されます。そして、いつでもどこでも同化します。

また、神様の愛は、いつでもどこでも絶対的な価値をもっています。私たちが神様の愛の中にいれば、幸福で、すべてが満たされ、保障されます。最下の所にいても最上の人を愛することができ、最上の立場にありながらも最下の立場にある人を愛することができます。このように極めて自由なのです。

このような神様の愛の中にいる人は、世界のどこへ行っても大歓迎を受けるでしょう。これが、統一教会の会員たちが世界中のどこに行っても、人々が心から喜んでついてくる理由なのです。

統一教会は、救いを神様の愛に求めてきました。そして、統一教会が掲げた新しい理念が、共産主義や資本主義よりもはるかに優れたものであるということを知り、神様の愛によって地上天国が実現されるなら、万民はこれを喜んで受け入れるでしょう。

今日の世界情勢を理解するためには、神様のみ旨のある韓国の事情を理解しなければなりません。なぜなら、韓国それ自体の中に、世界のすべてが縮小されて存在しているからです。例を挙げれば、韓国は、現在の世界における主要思潮である民主主義と共産主義をはじめとして、キリスト教と仏教、儒教、イスラームなどの四大宗教がすべて存在し、高い水準を形成しています。東西文化の接点であると同時に、四大強国の政治勢力がこの地を中心としてぶつかり合っています。すべてが韓国自体の中に象徴的に存在しているのです。韓国は、必然的にそれらをみな融合させようとする神様の摂理的運命を担っているのです。

結論的に、韓国は、統一運動を中心とした、次の四つの大きな課題を克服しなければなりません。第一に、超教派超宗派運動による宗教の統一、第二に、勝共運動を通した唯物共産主義の克服による思想的統一、第三に、東西文化を融合した新しい生活様式による文化の統一、第四に、新しい理念による経済の統一です。

そして、私たちの統一運動は、絶対価値である神様の愛で万民を親兄弟以上に愛することによって、統一世界を形成し、地上天国を実現するでしょう。そうして、神様と人類が願う新しい世界の創造が完成されるのです。神様の愛においてのみ、真の勝利があり、真の平和と真の幸福が永遠にあるのです。

4. 韓国を中心としたアジアの将来

先に列挙した四つの点において、韓国は、統一運動によってすべてを統一する能力があります。そのうち、最初の三つの点においては、既に成し遂げられつつあると言うことができます。しかし、最後の経済問題に関しては、今、成し遂げようと努力しているところです。韓国は今、経済が急速に発展しています。しかし、いまだに世界的な先進水準に到達したとは言えません。

それでは、どのようにすれば、これを成し遂げることができるのでしょうか。これを成し遂げることが、私たちの統一運動の使命です。この目的のために、私は高度に発達したドイツの機械技術と韓国の産業との提携を図っているのです。霊的には既に統一運動は、日本とアメリカを連結することに成功しました。アメリカとヨーロッパは文化的に既に連結されています。

今まで神様はこのような摂理を成就するために、第二次世界大戦後、ドイツと日本を経済的に復興させました。特に日本は、今日、世界的な経済大国になりました。ドイツさえも、日本の経済的成功に脅威を感じています。ドイツがこれを防御するためには、韓国と手を結び、品質の良い物を廉価で生産して日本に販売する道と、第三世界圏を同位利益圏に参加させる道以外には希望がありません。そのようにして、日本を参加させれば、世界的な経済統一の道が新たに開かれるようになるでしょう。

現実的に世界に共産主義勢力の侵略政策が存在する限り、世界平和の到来はあり得ず、また経済的統一も不可能です。もし韓国とアメリカ、ドイツ、日本、そして中国が一体となれば、世界的にソ連の侵略に対抗することができます。現在、中国は共産国家ですが、自国の近代化のために日本やアメリカ、ドイツに対して友好関係を維持することを望んでいます。歴史的に見て、中国はソ連に接近することを願わないでしょう。

アメリカは、ソ連に対抗するために軍備の強化を急いでいます。日本、ドイツ、中国とも手を握ろうとしていますが、日本は過去の事情や国内の事情により、軍備増強に意欲的ではありません。

一方、韓国は現在、国家的立場から見ると軍備増強に極めて意欲的です。アメリカとしては、韓国を軸にしようとする考えもありますが、韓国だけではあまりにも小さいので、韓国と中国を合わせて対ソ防衛の軸とすることを考えるでしょう。しかし、中国は、自国の重工業の発展を願ってはいても、その基盤が貧弱なので、今後も相当な期間を必要とするでしょう。

また中国としては、ドイツなどの進歩した産業技術を導入しようとしても、地理的にあまりにも距離が遠く、文化の差も相当に大きいので、それは非常に無理があることです。しかし、ここで中国にとっては良い選択肢があるのですが、それは中国東北部に居留する三百万の朝鮮族を起用することです。

そのような面で韓国とドイツの技術を大幅に活用できるので、統一教会は韓国とドイツを連結しようとするのです。韓国の同胞たちは、中国と日本とアメリカを連結しています。韓国は、過去の歴史的経緯を見ても、他国を侵略した例がないので、中国としては無理なく提携していこうとするはずです。日本は軍備を強化することは願わないとしても、武器を作る技術と能力はもっているので、中国で生産することができるのです。

ここで私たちは一つの結論に到達します。もし韓国が統一教会と共に一つの役割を担当するとしたら、日本とドイツ、そしてアメリカの技術を中国に移転して対ソ防衛を強化し、第三世界圏に最高の技術を連結させて、平和世界へと進み出るでしょう。

これらの国々が韓国を仲介として相互連結することが、様々な面で有益であるということを理解するでしょう。このようにして、アジア三国の経済的連合が形成されると同時に、アメリカとドイツも同時に連結されるので、ソ連共産主義の脅威を防止するだけではなく、勝利の道が築かれるものと見ています。韓国も、そのような意味で東西文明の新基地となり、太平洋文明の中心地として登場しつつあるのです。

5. 私の提案

以上のような内容の結論として、私から一つ提案したいことがあります。それは中国から韓国を通り、日本に至るアジア圏大平和高速道路を建設し、全世界に通じる自由圏大平和高速道路を建設することです。中国大陸から韓半島を縦断して、トンネルか鉄橋で日本列島に連結し、日本を縦断する自由が保障される国際平和高速道路圏のことをいうのです。

もしこれが建設されるならば、アジア三国は文字どおり、平和高速道路で連結され、一体化することができます。そのようになれば、経済や文化交流が頻繁になり、文字どおりアジア文明共同体が形成されるでしょう。中国もこれに賛成し、韓国はもちろん、日本も言うまでもなく賛成するでしょう。アメリカとドイツも自然に加担するようになるのです。

このように、私たちが提唱する理念によってこの案が成就すれば、アジア各国の国民は、お互いに自由に往来できるようになり、その結果、北朝鮮は軍事力による侵略の野望をあきらめて、平和的統合の道を選択せざるを得なくなるでしょう。こうしてアジア人の結束を固め、黄色人種を中心とした上下層を連結するようになるのです。

そして、このような理想を具体化するために、私たちを中心として、日本とアメリカと中国に居住する韓国同胞を結束させ、技術圏を形成するのです。そうすれば、日本とアメリカの方向も自動的に一致し、全世界的に自由が保障された新経済基盤の上に平和高速道路圏を発展させるのです。このようにして歴史的宿願だった上層圏と下層圏を一つにする理想が果たされ、アジアの自由高速道路が完成することによって、黄色人種の大移動が実現されるのです。

私たちはアジアを起点として、絶対価値である神様の愛を中心に、現実的統一経済圏を実現して、東西新文明を結合し、新しい世界の平和を具現しようというのです。このように西洋文明が東洋文明と結合し、新しい太平洋文明を迎えようとする、そのような文明の移動期において記念するに値する、韓国で開かれる「科学の統一に関する国際会議」に参加された百数カ国の著名人の皆様の洞察と理解と具体的な協力があることを希望してやみません。ありがとうございました。

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第五篇 8 絶対的価値観

第五篇 8

絶対的価値観

日付:一九八二年十一月二十五日

場所:アメリカ、フィラデルフィア、フランクリン・プラザ・ホテル

行事:第十一回「科学の統一に関する国際会議」

私たちは今、歴史的な都市フィラデルフィアにおいて、第十一回「科学の統一に関する国際会議」を開いています。大会に責任をもつ高名な議長、および議長団と世界各国から参加された教授、および紳士淑女の皆様が、この大会を輝かしいものにしてくださったこと対して、私は深く感謝を表する次第です。

1. 大混乱の世界と絶対真理

今日の世界を一言で表現すれば、大混乱の世界だと言うことができます。洋の東西を問わず、世界の南北を区別することなく、国家の先進後進の区別なく、社会はすべて矛盾と不条理、不正と腐敗などによって病んでいます。世界の随所で紛争、衝突、反乱、戦争などが絶える日がなく、先進国は、豊かな物質生活を楽しんでいますが、第三世界、特にアフリカでは、数多くの人々が飢餓に苦しんでおり、餓死する群れが続出しています。

このような世界的な混乱の様相が、より一層悪化し、より一層加速化されるならば、人類が滅亡の危機から抜け出すことは難しいのです。このような世界的な混乱の直接的な原因は、果たして何でしょうか。その原因は、様々に分析できるかもしれませんが、最も根本的な原因は、価値観の相克にあると見なければなりません。何が美なのか、何が真であり、何が善であるかということに対する見解が、一人一人異なり、国家ごとに異なり、人種ごとに異なり、また思想ごとに異なるので、このような混乱が起こると思うのです。

ある行為を、Aは善だと考え、Bは悪だと考えるならば、Aはその行為を何としても実践しようとし、Bはその行為に最後まで反対するでしょう。このようなときに、対立や不和が生じ、ついには衝突までも生じてしまうのは必然的なことです。このように、今日の混乱は、価値観の衝突、価値観の相違に起因すると考えざるを得ません。

それでは、そのような価値観の相違は、どこに起因しているのでしょうか。それは第一に、利己主義に起因しています。極めて少数の例を除いては、個人は個人なりに利己主義にとらわれており、国家は国家なりに、人種は人種なりに利己主義を追求しています。

第二に、思想の違いに起因しています。世界には様々な種類の思想があり、それぞれ多くの追従者の心を捕らえ、特に共産主義と民主主義は、相反する価値観をもって人類を大きく分けています。

したがって、人類を滅亡の窮地から救い出す道は、第一に、利己主義の清算にあり、第二に、思想的相違の解消にあると言わざるを得ないのです。利己主義を清算しようとすれば、まず人間が自己中心主義に陥るようになった経緯を知らなければならず、思想的相違を解消しようとすれば、人間になぜ思想的相違が生じるようになったのかを理解しなければなりません。

人間が自己中心になり、各々異なる思想をもつようになった遠因は、堕落して神様を失うことによって、神様の愛を喪失し、神様のみ言を失ってしまったからです。神様の愛は、価値の根本です。したがって、神様の愛は、絶対価値の基台であり、絶対価値はすべての徳目の根本、すなわち統一価値なのです。

そして、神様のみ言は、すべての真理の根本であり、絶対真理です。また統一的な真理です。人間は、堕落して神様を失うことにより、絶対価値と絶対真理を喪失し、統一価値と統一真理を失ってしまいました。絶対価値と絶対真理から絶対的価値観が立てられます。「観」とは観点であり、見解であり、理論です。したがって、今日の世界的混乱を収拾する方案は、絶対的価値観を確立することだと言わざるを得ないのです。

神様は、愛と真理を人間たちに伝えて人間を救済しようと宗教を立てました。時と地域によって様々な宗教を立てました。例えば、約二千四百年前にインドに仏教を立て、中国に儒教などを立て、二千年前には、ユダヤにキリスト教を立てました。したがって、絶対的価値観は、神様を信奉する宗教を通して初めて立てることができるという論理が成立するのです。すなわち、宗教を基盤としない人の思想や哲学によっては、今日の混乱を収拾できる方案を立てることは難しいのです。言い換えれば、人類を混乱から救い出すのは、ただ神様を中心とした宗教によってのみ可能なのです。

歴史を顧みるとき、儒教、仏教、キリスト教、イスラームなどは、各々一定の時代と一定の地域で社会的不安と混乱を一掃し、平和と安全の基台の上に輝かしい文化を花咲かせました。例を挙げてみましょう。中国の漢朝における儒教文化がそうであり、ヨーロッパの中世におけるキリスト教文化がそうであり、古代インドのアショカ王時代の仏教文化がそうだったのです。また中東におけるイスラム文明(サラセン文明)もその顕著な例の一つです。

しかし、残念ながら、今日に至って、あらゆる宗教が、混乱を収拾する機能と人間精神を指導する能力を喪失してしまいました。今日の宗教は、ますますその生命を失っていきつつあり、信仰はますます形式化されつつあります。人類は既に、宗教から関心が次第に遠ざかりつつあり、本来、烈火のように燃え上がるべき信仰の姿勢は、少数の例を除いてはますます消えていきつつあります。これは、実に重大な事態であると言わざるを得ません。

なぜなら、人類の精神を先導しなければならない宗教が、その機能を完全に喪失した場合、世界は無法天地と化し、人類はあらゆる暴力と乱行と殺戮の海の中に落ちてしまうからです。実際に、今日そのような現象が起き始め、共産主義の策略によってそれが加速化しています。これを一言で、宗教的価値観の崩壊現象と表現することができます。

それでは、その崩壊の原因は何でしょうか。それは第一に、科学技術の発達と経済成長などによって、人間の精神が物質主義へと流れているからであり、第二に、共産主義をはじめとした各種の無神論と唯物論思想が急速かつ広範に蔓延していっているからであり、第三に、政教分離の名のもとに、国家の教育政策において、宗教を教科目から排除することにより、幼い頃から無神論思想を注入するという結果をつくり出しているからであり、第四に、共産主義者が赤化工作のために、残っている価値観さえも意図的に破壊する戦略を取っているからであり、第五に、宗教的価値観を理論的に守護すべき確固たる本体論が欠如しているからです。

2. 絶対者に対する本体論の欠如

このうちで最も重要なのは、本体論の欠如です。本体論というのは、絶対者に関する理論のことを言います。宗教ごとに、その教理が成立する根拠としての絶対者がいます。ユダヤ教の絶対者はヤハウェであり、キリスト教の絶対者は神様であり、イスラームの絶対者はアッラーです。儒教や仏教は絶対者を明示していませんが、儒教の徳目の根本である「仁」は天命と連結するので、「天」が儒教の絶対者と見ることができ、仏教では、諸法は常に変化しており、真理は諸法の背後にある「真如」から見いだすことができるとしているので、「真如」が仏教の絶対者と見ることができるのです。

ところが、そのような絶対者に関する説明が、非常に曖昧です。絶対者の属性はどのようなものであり、なぜ創造し、創造の動機は何であり、どのような方法によって創造し、いったい神様(絶対者)は実際に存在するのか、などに関する解明が、宗教ごとに明確になっていません。したがって、各宗教の徳目が成立する根拠が明確でないので、今日の宗教の説得力が弱まっているのです。

すべての宗教の教えである徳目、すなわち実践要目がきちんと守られるためには、その宗教の本体である絶対者の属性と創造の目的、その絶対者の実在性などが十分に明らかにされなければなりません。中世時代、または近世以前までは、人間の頭がそれほど分析的、論理的でなかったので、「あなたの隣人をあなたの体のように愛しなさい」、「王に忠誠を尽くし、親に孝行しなさい」と言えば、無条件にその教えが正しいと思って従順に従いましたが、科学が発達した今日においては、人間の精神がとても分析的になり、論理的になっているので、いくら宗教指導者が「このようにしなさい」と教えても、「なぜそうしなければならないのか」とその理由をしつこく尋ねてきます。したがって、その疑問に答えてあげなければ、その教えは説得力を失ってしまうのです。

宗教の教えに対する疑問には、様々なものがあります。「果たして神様はいるのか」、「神様は、全知全能であり、遍在され、至善、至美、愛であり、審判の主であり、人類の父などと表現されるが、それをどのように知ることができるのか」、「じっとしていてもよい神様が、なぜ宇宙を創造したのか」、「神様の創造の目的は何か」、「創造には方法があるはずだが、その方法とは何か」、「絶対善である神様が創造した世界になぜ弱肉強食の現象が展開しているのか」、「人間が堕落して罪の世界になったというが、完全な神様が創造した人間がなぜ堕落したのか」などの疑問です。このような疑問に対して合理的な答えが与えられない限り、今日の有識者たちは、宗教を受け入れようとしないのです。したがって、キリスト教の愛の徳目、儒教の家庭倫理の規範、仏教の修行の実践要目、イスラームのコーランの要目は、捨てられたものになってしまうのであり、時には有識者が反宗教的な行動までも起こすようになるのです。

歴史的にキリスト教の世界であるヨーロッパの土壌に、近世以後、唯物論と無神論が発生し、今日、全世界を席巻しているのは、その根本原因が実にこの本体論の曖昧性にあるのです。その最も顕著な例が、マルクス、レーニン、スターリン、ニーチェなどが、キリスト教の家庭に生まれていながらも、無神論者、反キリスト教者になったという事実です。

さらに嘆かわしいことは、人間の闘争を仲裁し、人間の精神を先導すべき宗教が、今日、時として紛争を起こすことによって、宗教の威信と権威をより一層失墜させているという事実です。ユダヤ教とイスラームが闘い、旧教と新教が闘い、キリスト教と仏教が闘い、甚だしくは同じ宗教の教派間で闘っています。

このような宗教紛争の根本原因も、やはり本体論の曖昧性にあります。絶対者はただ一つであり、二つや三つあるということはあり得ないにもかかわらず、各宗教の指導者たちは、「自らの絶対者だけが正しい神であり、その他の神は真の神ではない」と思っているので、結局、宗教ごとに絶対者がいることになり、絶対者が複数になるという背理が成立してしまうのです。

これを言い換えれば、すべての宗教の神様は、相対的な神様にすぎないという結論になり、各宗教を通して立てられることになっていた絶対的価値観、すなわち神様の愛と真理に関する理論は、相対的なものにとどまってしまったことを知ることができます。すなわち、今までの宗教は、混乱を収拾する絶対的価値観を立てることができないという結論になるのです。それは、すべての宗教が、絶対者に関する正確な解明ができなかったことから生じる必然的な結果だと言わざるを得ません。

このような状況下において、絶対的価値観を確立しようとすれば、文字どおり、唯一絶対の神様に対する、正確で正しい解明をしてくれる本体論をもつ新しい宗教の出現が、必然的に要求されるという論理が成立します。

従来の様々な宗教は、神様が立てた宗教なので、それらの宗教を通して絶対的価値が実現されてきたと見なすことはできますが、今日、宗教紛争が起きていることから見て、各宗教の神様は絶対神になり得ず、絶対的価値観が従来の宗教を通しては立てることができないことを確認できます。したがって、絶対的価値観の確立のためには、新しい宗教が出現せざるを得ないという結論が成立するのです。

3. 新しい宗教と新しい本体論

新しい宗教のための新しい本体論は、従来の各宗教において絶対者とされていたものが、各々別個の神様ではなく、同じ一つの神様であるということを明らかにしなければなりません。それと同時に、その神様の属性の別な部分をそれぞれ把握したのが各宗教の神観だったことと、その神様の全貌を正しく把握して、すべての宗教は唯一の神から立てられた兄弟的宗教であるということを明らかにしなければなりません。それだけでなく、その本体論は、神様の属性と共に創造の動機と創造の目的とその法則を明らかにし、その目的と法則が宇宙の万物の運動を支配していることと、人間の守るべき規範も、この宇宙の法則、すなわち天道と一致することを解明しなければならないのです。日月星辰の創造の法則、すなわち天道によって縦的秩序の体系が形成されているのと同じように、家庭においても、祖父母、父母、子女によって形成される縦的秩序と兄弟姉妹によって形成される横的秩序の体系が立てられると同時に、相応する価値観、すなわち規範が成立していることを明らかにしなければなりません。さらにこの本体論は、その理論展開が自然科学的知識とも矛盾してはならず、人間の良心の判断によっても納得できなければなりません。

そして、さらに歴史の中で「天に順(したが)う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という命題が適用されてきたことが証明されなければなりません。そのような本体論によって立てられる価値観こそが、真の美の絶対的価値観であり、このような価値観の確立とその絶対価値(絶対真、絶対善、絶対美)を理解し、実践することによって、人類の精神改革が成し遂げられると同時に、世界の混乱は次第に消えていくでしょう。

新しい本体論によって、神様に関するすべてのことが解明され、すべての宗教の神様が、結局、唯一の絶対神として、すべて同じ一つの神であることが明らかにされれば、すべての宗教は、各自の看板をそのまま維持しながらも、実質的な宗教の統一が成し遂げられ、神様の創造理想である地上天国の実現に向けて共同歩調を取るようになるでしょう。そして、すべての宗教の教理における不備な点、未解決な点が新しい本体論によって補完され、実質的な教理の一致化までも実現されるでしょう。かくしてすべての宗教は、神様が宗教を立てられた目的を完全に達成するようになるのです。

以上のように、今日の世界的な大混乱を収拾することができる絶対的価値観に関するもろもろの問題点を解決するために、新しい宗教として登場したのが統一教会であり、その内容は、広範で、理論的で、有識者までも洗脳すると言われている、かの有名な「統一原理」と「統一思想」なのです。今回の会議に参加された皆様の絶対価値に対する、たゆまぬ努力と研究がより深まることを願い、神様の加護が共にあることを祈ってやみません。ありがとうございました。

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第五篇 9 統一主義は新しい文化革命の基礎

第五篇 9

統一主義は新しい文化革命の基礎

日付:一九八三年十一月二十五日

場所:アメリカ、シカゴ、シカゴ・マリオット・ホテル

行事:第十二回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、議長団ならびに著名な教授各位と紳士淑女の皆様が、第十二回「科学の統一に関する国際会議」に参加するためにシカゴにお越しくださったことに対し、深く感謝の意を表します。

第一回「科学の統一に関する国際会議」以来、本会議は大きく発展してきました。「科学の統一に関する国際会議」の成果は、皆様が、周囲の激しい圧力や迫害をものともせずに成し遂げた、相互協力と献身的な努力の賜物です。皆様の業績とは、全世界で誰も凌駕することのできない会議を「科学の統一に関する国際会議」で創造したことです。私は、皆様のこのような努力と寄与に対し、深い感謝を捧げると同時に、皆様が成し遂げた成果に対してお祝い申し上げる次第です。

1. 新文化革命は絶対価値に根拠をおくべき

今や世界は、科学と技術の驚くべき発達に伴う急激な変化を体験しています。したがって、社会の既存の価値は根本から揺らいでおり、あらゆる分野で混乱と葛藤を引き起こしています。このような傾向は、次第に高まる無神論的唯物論の影響力によって加速化されてきました。簡潔に言えば、多くの難題が今日の世界を脅かしており、いまだにこのような問題に対する真の解決策を見いだせずにいるのです。

民主主義や共産主義も、社会悪を清算する方法を提示できずにいることは明らかです。根本的に、民主主義と共産主義は、人類共通の問題を解決しようという欲望から発展しましたが、民主主義は、このような課業に成功できなかっただけでなく、共産主義の破壊活動に対し、それを克服することも、阻止することもできないということが明らかになりました。

共産主義は、人類に一層大きな問題を引き起こしました。したがって、世界は苦境に陥るようになり、民主主義と共産主義は、窮地に追い込まれた勝者のいない状況に陥るようになりました。これが、私たちが直面している現実であり、人類の将来は暗鬱で予測不可能に見えるのです。

それでは、民主主義と共産主義は、なぜ解決策になり得ないのでしょうか。二つの思想を注意深く分析してみると、この二つは、いずれも究極的な意味における真理の核をもっていないのです。民主主義は、政治制度の根幹として貢献しているかもしれませんが、それは決して明確で包括的な世界観ではありません。共産主義は、包括的で体系的な世界観をもってはいますが、それは偽りの仮定と歪曲された事実に根拠を置いています。

したがって、新しい真理に立脚した運動として、第三の代案が必要です。その代案は、真理と絶対価値に立脚した、完璧で体系的な世界観である「統一思想」、「統一運動」です。新しい文化革命が起きています。私は、すべての学者と専門家の皆様が、この新しい文化の創造に参加してくださることを願う次第です。

民主主義と共産主義の欠点を知るならば、新文化革命は、絶対価値にのみ根拠を置いてこそ可能であると結論を下すことができます。このような絶対価値は、現状の変化に立脚した相対的な価値であってはいけません。むしろ、このような価値は、不変の世界の原因と結果、神様と人間と宇宙の根本的な関係に立脚した、普遍的で究極的な価値でなければなりません。

私たちは、このような第三の世界観の発展と現世の問題解決を目的として、「科学の統一に関する国際会議」を始めました。十二年前に「科学の統一に関する国際会議」を創設するとき、私は絶対価値を中心テーマとして立てました。絶対価値をテーマとしたのは、変わることのない普遍的価値は、創造世界の本質的な基礎であると考えたからです。

「科学の統一に関する国際会議」以外にも、全人類が夢見て願ってきた理想社会を建設する、その準備として、様々な会議やプロジェクトを私は創設しました。私が生涯にわたって追求してきた統一運動の目的は、新しい体系的な世界観に立脚した新文化革命を創造することです。私たちの運動は百三十カ国以上に拡張され、私たちの指導理念である「統一思想」が新しい真理体系として、多数の有識者たちに認められてきています。

一般的に民主世界では、「統一思想」に対して開放的であり、その潜在力に多大な関心を寄せています。一方、共産世界は統一運動に絶えず敵対し、民主主義体制を、私たちを破壊する道具として利用してきました。共産主義の指導者たちは、私たちを目の敵にし、レバレンド・ムーンに関係するすべてのプロジェクトに反対してきました。

「科学の統一に関する国際会議」の組織も例外ではありません。共産主義者たちは、レバレンド・ムーンがこの会議を創設し、常にこの会議を最も重要視していることを知っています。これが正に「科学の統一に関する国際会議」が始まって以来、受けてきた非難と迫害の重要な原因です。

2. 統一運動に対する共産主義の反対活動

共産主義は、自由世界を衰えさせるために、あらゆる策略と暴力に明け暮れています。私が統一運動に対する彼らの反対活動を知っているように、皆様も、御自身の国における共産主義者の虚偽宣伝と破壊行為をよく御存じのはずです。

私たちはこれ以上、この問題を看過することはできません。したがって私は、すべての自由世界と統一運動に対する共産主義者たちの攻撃の実際に関して、皆様に明らかにお話しできる機会として、今回のこの席を選びました。私は、皆様御自身と学問の自由の保護、そしてすべての自由世界の守護のために、このような事実を知る必要があると思います。

統一運動の世界的な発展に伴って、共産主義をはじめとした多くの敵対勢力の迫害があり、様々な所で妨害を受けました。私たちの活動が社会にとっては有益なものであるにもかかわらず、反対を受けるのはなぜか、その理由が理解できません。そこで、反対のその実質的な根源を明らかにするために調査しました。

きょう私は、統一運動が成功し、非常によく知られている日本で明らかになった事実をお話ししようと思います。私たちの運動だけでなく自由世界を破壊しようとする共産主義の画策が世界の随所で続いているだけに、この情報が、すべての国の国民にとって有益であると私は確信します。私が明らかにする、より詳しい暴露の内容は、まもなく本として出刊される予定であり、その本が皆様に広く読まれることを願う次第です。

日本もまた、アメリカのように国民の自由を誇りにしています。しかし、その自由のもとでKGB(ソ連国家保安委員会)と日本共産党が、私たちの運動に参加することを決意した人に対して逆宣伝し、自由を破壊していることを知っている人はごく少数です。彼らは、甚だしきは裁判所の協力を受けたこともありました。

私たちのこのような調査によって、共産主義者たちが私と統一運動を破壊しようとする陰謀を計画し、うそや事実の歪曲、流言飛語を組織的に吹聴してきたことが、結論として明らかになりました。共産主義者たちは、統一運動を妨害するために、偽りの情報を組織的に流布し、大衆動員を起こして統一戦線を結成し、対立と葛藤、闘争を引き起こしているのです。共産主義者たちは、常にすべての反対者を除去するために、このような状況を助長しています。

日本共産党は、統一運動を彼らの第一の敵とみなしており、統一運動に対する闘争は、日本の資本主義やアメリカの帝国主義に対する闘争よりも急を要するものであると公式的に宣言しています。

日本共産党が一九七八年六月五日から七日にかけて開催した全国指導者会議で、宮本顕治議長は、統一運動を破壊することは「後世の歴史に記録される『聖なる戦い』」であると発表しました。さらに彼は、この歴史的課業を成就するために民主派人士たちに、団結して、すべての努力を傾注することを促しました。日本の共産主義者たちは、数百の団体を動員して私たちに反対してきました。

私は、人類と神様の究極的理想である地上天国を実現するために統一運動を創設しました。私たちの運動は、すべての人間の努力を傾注して宗教を復興させ、人間を教育する運動です。私たちのような霊的な運動が、異なった関心事や方向を宣言する既成勢力から反対を受けるのは、歴史的に避けられないことでした。

宗教運動はみな、その始まりから激しい迫害と敵意を呼び起こしました。このような困難を克服した運動だけが、未来の世代のための主流思想と指導力になることができたのです。ユダヤ教やキリスト教、さらには民主主義と共産主義さえも、このような典型的な例でした。

3. 共産主義の戦略戦術を克服すべき

このように、当初からレバレンド・ムーンと統一運動は、宗教の領域だけでなく、政治、経済、文化、科学、技術、言論、教育の領域で、途方もない誤解と非難、迫害と試練に耐えてきました。私たちは一般大衆と為政者から社会全般にわたって、反対と迫害を受けてきました。

ある意味では、全世界のすべての人々に、直接、または間接的に統一運動の運命に対して責任があります。しかし、世界的な反対は、特に共産主義者たちによって利用されてきました。共産主義者たちの標的には、いかなるものにも、レバレンド・ムーンの名前がついています。

これまで、ほとんどの人たちが、統一運動について正しく理解することは非常に困難でした。人々が私たちに関して見聞きすることのほとんどは、反対者たちが数年間、吹聴してきたうそと扇動的な非難でした。統一運動とレバレンド・ムーンに関して、人々が信じやすいのは、ただ単に、昔、捏造された流言飛語の繰り返しにすぎない言葉でした。

「うそも百回繰り返せば真実となる」というレーニンの教えに従い、共産主義者たちは人々に確信を与えるために、同じ偽りのうわさを繰り返し続けてきました。例えば、過去十二年間、日本共産党は彼らの宣伝機関紙である「赤旗」と彼らの出版物に十六億枚の反統一運動の記事を印刷しました。それは日本の国民一人当たり十六枚に相当する悪意に満ちた宣伝でした。

これは私たちの運動を破壊しようとする共産主義者たちの陰謀の中の一つにすぎません。反統一運動の宣伝は、中国、北朝鮮、東ドイツ、ソ連、キューバ、ニカラグア、リビアとその他の国々からも絶えず流れ続けています。このような偽りの宣伝は、公務員、政府指導者、知識人、宗教指導者、言論媒体と一般大衆に浸透しています。そうして、人々が歪曲された内容を数えきれないほど聞くようになり、結局、それが事実であると信じるようになるのです。

しかし、最も下品で卑しい行為は、統一運動に参加している人に対して非人間的処置を行う、いわゆる「ディプログラミング(脱洗脳)」というものです。それは共産主義者が協力していることは明らかです。人権の擁護者である裁判官と裁判所は、しばしば基本的な宗教の自由の権利を侵害することに協力することがあります。皮肉なことに、その権利の侵害は、人権と宗教の自由を最も声高に叫ぶ国家で発生しているのです。

ディプログラミングに使われる方法は、共産主義の政治犯の収容所で施行される方法と同じです。ディプログラマーたちは、少数派宗教の信仰をもつ人を監禁するために、親や親戚を利用して精神病院に委託したりもしました。その他の典型的なディプログラミングの手段としては、拉致、不法監禁、暴力、精神的な脅迫、睡眠妨害、アルコールと麻薬使用への誘引、性的誘惑と強姦などが含まれています。

このような脅迫と嫌がらせ、手練手管により、職業的ディプログラマーたちは信仰を捨てるように強要します。多くの人々が、このような犯罪行為によって、肉体的にも、精神的にも傷つくようになります。

私の愛する多くの人々が、その信仰と理想ゆえに苦痛に遭うのを見るときに感じる私の深い悲しみを、皆様は想像すらできないでしょう。信じられないことに、ディプログラマーたちは、自分たちの行っている方法を私たちが使っていると言って非難しています。皆様は、なぜ共産主義者たちがレバレンド・ムーンと統一運動に対して、そのように敵意と恐れを抱いており、なぜ彼らがそのように命懸けで私たちを破壊しようとするのか、不思議に思われるでしょう。

皆様も御存じのように、共産主義の究極的目的は、無神論的唯物論の旗のもとに、全世界を征服し、共産党独裁を実現することです。実際に、労働価値説、剰余価値説、弁証法的唯物論、史的唯物論のようなマルクス理論は、真理と正反対であり、暴力革命を正当化するために主張されたものです。今まで、共産主義の恐るべき実体を克服できるものが何一つとして存在しませんでした。

4. 「統一思想」は共産主義を克服する実体的基盤

しかし、「統一思想」は共産主義の虚構を暴露しています。彼らはこのような事実を知っているので、統一主義を根源的に根絶しようとしているのです。共産主義者たちは、自分たちの正体を暴露するすべてのものに対して恐れを抱いています。

これまで無知ゆえに数百万の人々が共産主義に利用され、無慈悲に虐殺されてきました。少数の人々だけが勇気をもって戦いましたが、理念と組織の力が弱かったために、彼らは孤立し、弱まり、簡単に敗れました。

今日、数億の人類が絶望の涙を流しながら、共産主義からの解放を待ち望んでいます。私は、三年近くの間、金日成独裁下にある北朝鮮の思想犯収容所で過ごしました。彼らは私をそこに投獄し、命を奪おうとしました。しかし、私は生き残り、結局、国連軍によって自由の身となりました。その時から、私の生涯の使命は、共産主義よりも優れ、共産主義から世界を解放できる絶対的真理をいかにして樹立するか、ということに集中してきました。

今や、私が目撃したその犯罪の数々に関して、明確に話すことができます。私は、共産主義に対して批判し、闘い、共産主義を克服するための実体的基盤をもっています。

以上のことから、皆様は、なぜ共産主義者たちがレバレンド・ムーンとその組織を恐れるかということについて理解できるでしょう。共産主義者たちにとって非常に理解し難いのは、なぜレバレンド・ムーンの運動は、あらゆる反対と迫害と中傷にもかかわらず、成功裏に成長し続けているのかということです。例えば、「国際勝共連合」の会員は、日本に三百五十万人以上います。

第一に、共産主義者たちは、神様が生きておられることと実際に統一運動の背後で神様が働いておられることを悟れずにいます。第二に、彼らは、宗教の真の本質を理解できず、また人間の本心は、ただ神様の真理と愛によってのみ、本当の満足を感じるという事実を理解できずにいます。最後に、彼らは、霊的な世界とこの宇宙を統治する神様の法が、弁証法的唯物論によって動くものではないことを悟れずにいるのです。

統一運動は、宇宙の根本的真理に基づいた深い宗教的体験と鍛錬によって触発され、裏づけられています。ですから、私たちは世界と人類の本心を動かすことができるのです。統一運動に参加する会員は、許すということを知るようになりました。彼らは、自分を迫害した人々を恨むのではなく、むしろ迫害と試練を霊的成長の糧として受け入れています。簡単に言えば、統一運動の真の会員は、いかなる反対にも屈せずに推進する力と揺らぐことのない信仰をもっています。これは、既に私たちが確固たる世界的基盤を確立したという事実から証明されているのです。

5. 世界の各地に新文化革命の火を燃やそう

レバレンド・ムーンと統一運動は、神様と人類のための生死をかけた重大な使命を担っています。しかし、この使命は、統一運動の独占物ではありません。この運動の会員たちは、良心的で理想を抱いたすべての人々と共に、新しい文化革命の隊列で働くことを願っています。自由世界の人々、特にキリスト教徒をはじめとした宗教者たちはみな、統一運動の偉大な友とならなければなりません。悲惨にも彼らは、共産主義者たちの戦略に対して無知であり、友と敵とを区別することができませんでした。結果的に彼らは、たびたび自分の真の友を攻撃し、破壊してきました。

しかし、最近の状況は変わりつつあります。人々は共産主義の不義と威嚇に対し、憤慨するようになりました。最近の事件は、共産主義者たちが初めから使ってきた戦略と戦術を明確に暴露しています。自由世界と宗教の未来に関して、より一層憂慮するようになった良心的な学者、経済人、宗教指導者が、統一主義の普遍的な旗のもとに集まり始めました。また人々は、道徳的退廃と闘うその力と共産主義に対抗するその潜在力のゆえに、統一理念に魅力を感じるようになりました。

今日、皆様は、私と共同の運命に直面しています。共産主義から学問世界を保護し、歴史がこの時代の私たちに与えた課題を成し遂げるために共に働きましょう。私と統一運動の会員たちは、この実に困難な課題にぶつかることを決意しました。全世界の学者たちは、きょうから各分野で指導力をもつために合流しましょう。共産主義者側では、マルクス主義の学者たちが、学生とキャンパス活動を指導することによって指導力を行使しています。彼らは労働階級および少数民族の組織者たちと提携し、究極的には人間の真の幸福を破壊することになる途方もない理念的、社会的戦線を構築しました。したがって私たちは、教授と学生の責任ある協力を通し、組織的で社会的な基盤を、一刻も早く確立しなければなりません。

私は、この悪の世界では、正義を擁護する人が、何らかの実質的基盤をもてなければ簡単に除去されることを骨身にしみて悟らされました。したがって、学者と学生の連合戦線とともに、キリスト教徒をはじめとしたすべての宗教の信仰者たちは、共に働かなければなりません。

このような、歴史で最も重要な時代に生きている私たちは、生死の岐路に立たされています。私は、皆様が大志を抱いた義の学者、教育者として、世界に実質的で建設的な変化を起こすことを熱望しています。人生のすべての領域を包容する、統一された戦線で共に働きましょう。そして、歴史の頂点に立って、世界の各地に新文化革命の火を燃やしましょう。

神様のあふれんばかりの恩賜が皆様の国と皆様の御家庭、そして皆様と共にあることを願います。神様がこの第十二回「科学の統一に関する国際会議」総会における皆様の討論を、お導きくださることをお祈りします。ありがとうございました。

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第五篇 10 世界平和教授アカデミーと私たちの決意

第五篇 10

世界平和教授アカデミーと私たちの決意

日付:一九八三年十二月十八日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」

尊敬する世界大会議長、「世界平和教授アカデミー」の七十二カ国の議長団の皆様、そして韓国の「世界平和教授アカデミー」会員教授の皆様。きょう、この意義深い「世界平和教授アカデミー」世界大会において、これまで私が抱いてきた所信の一端を表明できますことを、誠にうれしく思う次第です。

「世界平和教授アカデミー」の究極の目標

きょう、この場に外国から来られた多数の議長団の皆様は、去る十一月末にシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会議」を終え、お別れしてからほんの数日もたっていないときに、突然の通達により、それも一週間のうちに集まってくださるように連絡を差し上げたにもかかわらず、六大州から駆けつけてくださいました。既にあった御計画や年末の忙しいスケジュールを取り消され、私の招待に応じてくださったことに対し、心から感謝を捧げます。

常識的には理解し難い招待を受け、難しい条件を乗り越えて集まってこられた皆様の今回の大会が、歴史的なものであり、摂理的な意味があることを、徐々にお分かりになるでしょう。

私は、歴史を収拾し、人類の理想を実現するために、学者たちの研究業績と良心的な決断、そして人類を先導する先駆者的な実践が非常に重要であるということを当初から考えてきました。そうして、一九六八年、困難な教会運営にもかかわらず、「国際文化財団」を創立し、一九七二年から「科学の統一に関する国際会議」を毎年開催してきています。

このような大会は、個人や宗教団体で主催するものではなく、国家主権の後援のもとに開かれなければならないものです。しかし、誰もこの点に関心を向ける人がいないため、最初に思い立った私自身が実践しなければならないという信念で、国際会議を開催したのです。そして、今年は「世界平和教授アカデミー」がここ韓国で創立されて十周年を迎える年でもあります。

今日、人類は数多くの危険を抱えています。その中で最も深刻な問題は、人類が正しい価値観を確立し得ず、思想的な対決と混沌の中で、世界大戦の可能性と核の恐怖に直面しているということです。

このような脅威は、人間の心霊を正しく導いていくべき宗教が本来の責任を果たし得ずにいる間に、様々な政治的、経済的欲求を中心とした体制やグループが、科学的知識を誤用したことにより、より一層加速化されています。このような脅威は、人類文明それ自体を根本から危うくしています。

地域を超越した相互協力と共同研究

私は「世界平和教授アカデミー」が、人間の英知を啓発するために一生を捧げて尽力してきた有識者の皆様によって、この危機の時代を転換させ、世界平和の根源を模索する牽引車のような機構になることを願いながら、これを創立したのです。

「世界平和教授アカデミー」の究極の目標は、平和と繁栄のための新しい理念と方法論を研究しようとする勇気ある学者たちの献身的な努力によって、正義と調和と秩序の世界を創造することです。

また、「世界平和教授アカデミー」は、今日の時代において危機意識をもっている学者や指導者に、人類が直面している最も根本的な問題を検討するのに必要な資料を提供しなければならないと思います。

皆様が既に御存じのように、十二回にわたる「科学の統一に関する国際会議」を行ってきたその背後には、容易なことばかりがあったわけではありません。莫大な財政負担は言うまでもなく、このような意義あることをしながらも、多くの嫉妬と誤解と耐え難い迫害も受けました。最近において、皆様をはじめとして、多くの碩学たちが積極的に呼応して、世界が段々と私の動機に理解を一層深めてくださっていることは、私にとっては大きな慰めです。

歴史的に人類は平和を念願してきましたが、この地上には依然として戦争が存続しています。不幸にも強大国や権力者たちは、「平和」という言葉をたびたび誤用してきました。彼らは平和をうんぬんしながらも、実際には内面的にも外面的にも、人々を平和でないものによって苦しめてきました。特に共産主義者たちは、挑発を事としながら、「平和」という言葉を口癖のように使ってきました。このように「平和」という言葉は、多くの場合において、ただ不義を実現する手段として利用されてきたのです。

真の平和は、知識や富、そして社会的な地位や政治的権力のような外的条件によるものではありません。この世では、世界的関心事を公平に判断する絶対的基準がないので、変化していく世界の中で衝突する利害関係に縛られ、真の平和の維持は不可能なのです。真の平和は、ただ真の愛の基盤の上に立ち得るものであり、愛の関係は、人類を一つに結びつける、神様を中心とした絶対価値を理解するときにこそ、体験するのです。

私の考えでは、「世界平和教授アカデミー」はその目指す目標から見て、国際的、汎専門的でなければならず、また未来指向的、実践的知性の機構にならなければならないと思います。今世紀の人類が直面している諸問題を解決するためには、ある一分野だけで、または局地的処方だけでは解決不可能です。国家や地域を超越した相互協力と専門を超越した共同研究が絶対的に要請されているのです。

今日の学問は全般的に専門化されており、その課題もまた広大で、特定の学者やある学問分野のもとだけに一元化することはできません。問題解決のためには、多様な訓練を積んだ専門家たちの協力を通じたアプローチが求められ、そのアプローチもまた、個人的次元ではなく、全体的、宇宙的な均衡を取ってしなければならないので、そのための組織的機構や有効な運営は容易なことではありません。

それのみならず、没価値的な方法論が、学問研究の基準であるように認識されてくる間に、研究の結果が多くの場合において、より大きな上位の目的や善の意志に反して、策略家たちに利用され、人類の悲劇を招きました。このような不条理を解決するために、私は絶対価値を中心テーマとした「科学の統一に関する国際会議」で、その代案を求めようと努力しているのです。

平和実現のための「世界平和教授アカデミー」の実践方法

絶対価値はもろもろの価値の基準となるので、すべての学問の中心点になります。もしも専門化された学問が没価値的な方法によってのみ研究され、また人によってその価値基準が異なる場合、人類の本性が願う共同理想を実現する基準は、どこから見いだすことができるのでしょうか。また、人類は真の生き甲斐と価値性の保障をどこから受けることができるのでしょうか。

例えば、自由について考えると価値基準の異なる個人相互間、あるいは社会や国家などの体制相互間においてぶつかり合う矛盾、すなわち自由の陰でもたらされる不公平な犠牲は、どこでその補償を受けることができるというのでしょうか。

善を指向する人類の本性を見ても、絶対善の基準が求められていると言えるでしょう。また世界は次第に一日生活圏に縮小され、地球村を築きつつあり、人類が宗教や人種、国籍を越えて緊密に協力し、調和せずにはいられない歴史的な趨勢から見ても、絶対価値の基準は打ち立てられなければなりません。

世界が抱えている問題を克服するためには、多くの指導者が必要です。私は、「世界平和教授アカデミー」の会員である全世界の教授の皆様が、受動的ではなく能動的な、人類の理想の研究と実現に、積極的に参与してくださることを望んでやみません。ですから、「世界平和教授アカデミー」は、研究のみならず、世界福祉のために実践し、その手本を示す機構とならなければなりません。

この点において、他の様々な学者の集まりとは異なると思います。すべての会員は、学生たちを積極的に支援するだけではなく、社会世論に影響を与え、歴史を引っ張っていかなければならないと思います。

私たちは、非暴力的な態度で、それでいて所信をもって、この時代の最も難しく複雑な哲学的、社会的課題として人類が直面している未解決の問題を解決することに心酔し、献身的でなければなりません。「世界平和教授アカデミー」の目標である平和の実現は、理想と理論の基準においてではなく、実践的方法によって到達される目標です。

私は、「国際文化財団」と「世界平和教授アカデミー」の基盤を通した世界大学連盟の理想を抱いてきました。今や実現する段階となり、六大州に少なくとも七十の総合大学を順次に設立し、高い次元で若い世代を育成、指導するでしょう。大学相互間の交換教授制度、交換学生制度、協同研究などを通して、体系性を帯びた教育により、人類が一つの兄弟となる平和世界の理想を実現しようと思う次第です。

そして、「国際文化財団」のシニア・コンサルタントたちには、絶対価値に立脚した大百科事典の編纂計画を既に発表したところであります。現在、権威ある大百科事典がないわけではありませんが、一貫した価値観に立脚して集大成された新しい大百科事典は、後進のための絶対的な要請なのです。私の考えでは、十年以上の時間が必要だと思いますが、全世界の「世界平和教授アカデミー」の会員たちが動員され、この歴史的な作業が成就されなければならないと思います。

それだけではなく、生活を通した大衆教育のために、世界的な新しい月刊雑誌を一九八五年一月から刊行する予定で、既にその準備作業が始まっています。一千ページ以上の膨大な内容が収録されるこの雑誌は、一度見て投げ棄てるような内容ではなく、生活全般にわたって知性の泉となる指針書であり、生活の教育書になるものと期待しています。

また、良書を大量に出版し、人類社会を底辺から教育する計画を立てました。本の質や内容よりも収益性のほうに焦点を合わせている出版界の現実ゆえに、良い本が出版される機会が少なくなっています。数年間は膨大な出血をしたとしても、今後十年間に最低三千巻の本を出版する予定であり、既にその作業が始まっています。

韓国で世界大会を開催する理由

それでは、私がなぜ皆様を韓国にお招きして、勝共国民大会と共に、第一回「世界平和教授アカデミー」世界大会を開催したか、ということについて、若干の説明をいたします。

第一に、韓国は、昔から地政学的に大陸と海洋の橋頭堡である半島国家で、強大国の勢力拡大のための要衝となって、歴史的な犠牲を払ってきました。現代でも、東西両陣営の要衝であり、ソ連と北朝鮮の侵略の野望によって真っ先に試練を受ける立場に立っている国です。韓国は共産主義の犠牲となるか、自由世界の一員として生き残れるかの岐路に立つ、世界的な試験台の上に置かれている国です。私は、このような韓国の状況を神様の摂理的観点から、世界と歴史の縮小体として見ています。

ですから、すべての歴史的関係と世界的問題が直接・間接的にここに連結されており、したがってここでの問題解決は、すなわち全体解決であると考えます。今回このように世界の碩学たちが集まって発表する決議や宣布は、すなわち皆様の国と世界全体と関連するものなので、世界的な関心事となり、世界的に波及する影響力をもつようになります。

第二に、韓民族は、約五千年の悠久なる歴史をもった文化民族であり、早くから敬天思想を信奉し、豊かな精神的生活をしてきました。私たちの先祖は、仏教と儒教を受け入れ、その文化を燦然と花咲かせ、長くはないキリスト教伝来の歴史にもかかわらず、今日名実共に世界を代表する篤実なキリスト教国家となりました。

それだけではなく、この様々な高等宗教は、民族の精神文化の中に溶け込み、調和して、善の影響を及ぼしており、現実においても、この地は諸宗教が共存している特異な様相を見せています。本来、敬天思想が強い韓民族の本性を考えれば、無神論の共産主義が韓半島に根を下ろすようにはなっていなかったと思います。神様が生きていらっしゃるならば、韓民族を立てて、共産世界を打破する模範を世界に見せることと私は確信しています。

第三に、韓民族はその気質が活動的であり、奇抜であり、義に酔い、積極的に行動します。韓民族が一般的に時代観と歴史の発展推移に鋭敏な反応を見せるのも、この気質のゆえです。韓民族が一旦「共産主義は悪い」ということが分かれば、直ちに実践し、行動に移すようになるので、実践的な勝共活動は世界を指導する標本運動となるでしょう。

第四に、韓国は東西文化の交流の接合点です。既に皆様も御存じのように、多くの碩学たちが西洋文明の未来を悲観的に予測しており、これに対する解決方案として、新しい宇宙的、精神的一大転機が到来することを待ち望んでいます。西欧社会が東洋に対して徐々に多大な関心をもつようになり、東洋精神や東洋宗教に心酔するのも、東西文化の調和統一が成就されることを予告しているものと言えるでしょう。

平和理想実現の障害要因である無神論共産主義

東洋で生まれたレバレンド・ムーンが動機となり、中心となって、世界の碩学たちが人類平和と理想世界の創建のために、「世界平和教授アカデミー」を組織し、「科学の統一に関する国際会議」を開催し、学界に新しい転機をもたらすことは、過去の歴史になかったことであり、新しい文化が胎動する歴史的な壮挙だと言えるでしょう。

神様を父母とする「世界は一家庭、人類は一兄弟」という理想から見れば、東洋と西洋の最短距離の調和統一体は、宗教思想を中心としてのみ可能です。

「世界平和教授アカデミー」が本当に世界平和を目標とし、学問的な良心と知性を尽くしてこの目標を成就することを願うならば、私たちには再覚醒と再決意が必要だと思います。真の人類平和というものは、価値観の異なる人間相互間の平面的関係の改善だけでは得られるものではありません。神様を求心点とした絶対価値のもとにだけ真の平和世界を見いだすことができるのです。

この平和理想実現に対する根本的な障害要素は、無神論的共産主義です。私は、資本主義も神様が願われる主義ではないことをはっきりと教えています。しかし、共産主義は、神様の存在自体を否定しているので、「神主義」の前に一次的な障害となるのです。

私は、以前にシカゴで開催された「科学の統一に関する国際会義」の際、共産思想を学者たちが積極的に防がなければならないと既に宣布いたしました。ある人は、皆様に対する私の宣布と勧告があまりにも強い表現であると言うかもしれません。流れる時間の中で、きのうときょうが同じように繰り返されますが、歴史と摂理の中においては節があり、重要な転機があります。いつも繰り返されているような時間ではなく、決定的な意味をもって決断を下す時があるのです。今が正にその時です。私は人類の将来に対して深く感じることがあって、このように勧告をするのです。

急を要する明確な価値観による後進養成教育

皆様が後援する韓国における今回の勝共国民大会は、皆様の祖国と自由世界の至る所で行われなければならない標本となる大会です。自由世界の指導者たちが共産主義に対して決断を下し得ず、優柔不断であるならば、世界制覇の野望をもつ共産主義の膨張運動は防ぐことができません。特に教授の皆様が、一時的な安逸や一身の無事を願うがゆえに、正しいものと間違ったものを区別して積極的に証し得ないとすれば、若者たちの将来を誰に期待すればよいのでしょうか。教授の皆様の断固たる決心と明確な価値観による後進養成教育こそが、この時代の要請であるばかりでなく、教える者の基本姿勢でもあります。この点で、宗教指導者と教授には共通点があると思います。というのも、私たちは、知識を伝達し、また研究結果を教育するだけではなく、人生について責任をもって教えなければならないからです。

きょう、この場にお集まりの七十二カ国の代表の皆様。世界平和のための「世界平和教授アカデミー」の歴史的目標を達成しようという確固たる決意と、また有神論に立脚した献身的な信念は、皆様の国のみならず、勝共の世界的な民間連合基盤を構築する決定的な契機になると私は確信する次第です。

皆様の国と皆様の御家庭に、神様の祝福が共にあることをお祈りしながら、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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第五篇 11 絶対価値と新しい文化革命

第五篇 11

絶対価値と新しい文化革命

日付:一九八四年九月三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット・ホテル

行事:第十三回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、著名な教授、学者、そして紳士淑女の皆様。私は、第十三回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」に御参加いただいた皆様に、深い感謝の意を表します。直接お会いすることはできませんが、私の心は皆様と共にあります。十三年間、私はこの著名な学者たちの会議で演説をする中で、全世界的な状況と問題を解決すべき科学と学界の責任に関する疑問を提起してきました。

私の演説の中で扱った内容は、毎年多様に変わりながらも、その基礎となるテーマの焦点は変わることかありませんでした。その焦点には二つの核心があります。一つは、一般的に科学と知識の統一の必要性を強調することであり、もう一つは、科学は絶対価値と人類の福祉を保障するという目標によって導かれるべきであるということを強調することです。

神様は、宗教的真理の根源であるだけでなく、科学的真理の根源でもあります。神様は、最初の説教者であると同時に、最初の科学者でもあります。私はこの事実が宇宙の根本真理であると固く信じており、私の人生の課業は、そのような前提に基づいたものでした。私は、生きておられる神様の使徒として、全被造世界に、実体的にも、霊的にも明らかに現れておられる神様の本質的な存在のすべての面を、より一層広く、深く、また明確にし、統一させることを試みてきました。人間存在の物質的福利を増進させようという欲望とともに、その人生の意味を探求するということは、私が十六歳(数え)の時にこの道を出発して以来、様々な障害を越えながら、全生涯をかけて課業を成し遂げる、その背後の動機的な力となってきました。現在、知識を追求する中にあって最大の悲劇の一つは、学問分野が分裂しているということです。機械を分解するように、科学と知識を部分ごとに細かく専門化するということは、究極的には、全体的な機能を麻痺させることであり、科学をしてその使命を成就できなくさせてしまうのです。

私たちがどう考えようと世界は一つです。ある分野が他の分野よりも、ある事実に関して完全な見解をもっているといった考えや、異なった分野における発見や発展は互いに関連性がないという考えは誤ったものです。科学や学問のあらゆる分野は、互いに絡み合っています。すなわち、各分野はそれぞれ特異性をもってはいますが、実際は、全体における部分的な見解にすぎないのです。すべての研究分野が、事実に関する統合された見解を形成するために、共に研究するということは、人類の全体的な進歩や幸福にとって有益なことです。しかし、私が申し上げた科学と学問の統一に関する見解というものは、すべての知識を単に一つの学問分野に縮小させようということを意味するのではありません。それは、究極的目標に基づいた統一を意味するのです。

科学には多くの分野がありますが、そのすべては人間の幸福実現を追求しています。今日の学問は、細分化されてばらばらになっているという問題に直面していますが、より重大な脅威ゆえに、私たちは、「絶対価値の探求」という、この「科学の統一に関する国際会議」でずっと取り扱ってきたテーマに関心を向けざるを得ません。ほとんどの科学者と学者たちが、平和と繁栄を実現しようという切実な熱望をもってたゆまぬ努力を続けてきたにもかかわらず、貧困と文盲、疾病と分裂と戦争は、先進諸国でもいまだになくなっていません。科学と技術は非常に発展しましたが、人類は、悲しみと苦痛と貧困によって苦しみ続けているのです。多くの指導者たちは、このような不幸を取り除き、真の平和と安定を実現しようと努力していますが、世界では平和に対する形ばかりの約束が繰り返されているだけです。民主的資本主義や共産主義的社会主義のいずれも、世界の問題を解決することができずにいます。どちらも、世俗的人本主義をして人間存在を唯物論に陥らせ、生命の価値を落としてしまいました。いわゆる自由世界といわれる体制は、その無気力と方向性の喪失によって、このような状況をもたらし、共産世界は唯物論という理念体系によってこのような事態を引き起こしました。

目的喪失の状態が全世界に広がり、混乱をより一層加重させています。なぜこのような状況が起きるようになったのでしょうか。その主要な原因は、人間の行為を規制する価値基準が徐々に弱まったからです。倫理と道徳がその力を失ったために、善の基準というものが、ほとんどなくなってしまったのです。このような力の喪失の原因は、部分的には科学の基盤が誤った方向へと引っ張られたことにあります。

価値中立的であろうとするあまり、科学はその発展過程において、人間性と道徳的価値に関する問題を除外してきました。科学は次第に分化し、各分野はより一層専門化され、分析的、物質的になり、道徳と価値に関する問題については顧みなくなりました。その結果、人間の科学に対する支配が、この地球星において誰も人間の運命を確信することのできない状況にまで弱まってしまったのです。

価値と道徳を喪失するようになった、もう一つの理由は、過去の価値と道徳の基準では、現代の有識者たちをこれ以上満足させることができないということです。新しく妥当な道徳と倫理は、現代人にとって明確で適応し得る新しい価値基準に由来すべきです。その基準はひとえに、過去や現在の世俗的、または宗教的な思想を統合することのできる、超越的で統一された思想体系から引き出されるのです。

私は長年、宗教と哲学と科学が追求しなければならない目標に対して関心をもってきました。既に申し上げたとおり、私が主導してきたこの会議は、正にこのような関心から始まったものです。宗教が形而上学的なものや道徳的な問題に関連する反面、科学は空間と時間における自然法則とエネルギーと運動との間の変化に対する理解にとどまっています。科学が、過去数百年にわたって知識の驚くべき発展に貢献したことは事実です。しかし、それを導くことのできる価値基準をもてなかった科学は、世界を破壊へと導くこともあり得るのです。神学から科学に至るまでのすべての範囲における知識は、それらを正しく導くことのできる、認識された目標や価値基準なしには無意味だというのが私の見解です。私は、このような価値の方向と基準は、ひとえに神様を中心とした宗教から始まると信じています。これは、数多くの偉大な科学者たちの哲学的な著述が知られている科学界においては、さほど驚くことではありません。

私は、「科学の統一に関する国際会議」で行った演説を通して、「統一神学」と「統一思想」こそが、神様を中心とした、統一された新しい思想体系の基礎になるものであると宣言してきました。この理念によると、人間は存在自体として価値を所有しようとする本性をもっています。そして、人間は、神様との間に、親子という唯一の関係をもつようになっているのです。したがって、すべての人は、真の愛の関係を確立しようとする神様の創造目的に立脚した明確な価値観をもって人生を生きていくように創造されたのです。そこで私は、私たちの追求する絶対価値は、神様の絶対的な真の愛に基づいているという事実を提案しようと思います。

絶対的な美、真、善とは、正に真の愛の基盤の上で形成されているのです。すべての科学者と学者が、道徳的価値に対する確固たる見解の基盤の上に、各々の分野を発展させ、物質的で分析的な方法だけでなく、精神的で統一的な方法も採択することによって、人間の尊厳性を高めることを、私は切に願うものです。世界の問題に対する解決は、このような人間存在に対する全般的なアプローチによってのみ可能になるのです。断片的なアプローチの姿勢とその理想との衝突よりは、集合的な知恵と知識を中心とした調和の取れた努力が、この会議にお集まりになった著名な学者の皆様に求められているのです。私はこの会議が、神様が世界をおつくりになられた時に実現しようとされた理想のために寄与することを心より願います。皆様の努力が、真の愛と善と平和と幸福の世界を成し遂げる、新しい文化革命の実現に、必ず貢献することを願います。

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第五篇 12 跳躍と契機

第五篇 12

跳躍と契機

日付:一九八五年十一月二十九日

場所:アメリカ、ヒューストン、インターコンチネンタル・ホテル

行事:第十四回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長、高名な教授、および科学者の皆様、そして紳士淑女の皆様。ここヒューストンで、第十四回「科学の統一に関する国際会議」を開催するに当たり、この会議ならびに「絶対価値と新文化革命」と題する今会議のテーマに深い関心と支持を寄せてくださった皆様一人一人に感謝申し上げます。昨年ワシントンDCで開かれた第十三回「科学の統一に関する国際会議」に、私は参加することができませんでした。それだけに、きょうの朝、こうして皆様の前に立つことができた私の心は、格別に感慨深いものがあります。

1. 人類の大覚醒と跳躍の必要性

周知のとおり、私はアメリカの刑務所で十三カ月間過ごし、今年(一九八五年)の八月二十日に出監しました。これまで私の身辺と無念な事情を御心配され、刑務所まで訪ねてこられ、ねぎらいの手紙を下さり、多くの努力と精誠を尽くして当局に嘆願をしてくださった皆様に、この場をお借りして、改めて感謝を捧げます。

私を何としても犯罪人に仕立てあげ、迫害し、投獄することに血眼だった人々は、莫大な予算と時間と労力を投入して、私の天命遂行を妨害しました。しかし、そのような反対にもかかわらず、統一運動は世界的に成功を収めています。私が収監されれば、統一教会の活動が瓦解するであろうという彼らの予測に反して、既成キリスト教の聖職者をはじめとした社会各界から、前例のない理解と支援の表明を受けてきました。このような出来事を通して「神様を中心とする正義は、迫害を受けることによって勝利する」という私の持論を改めて確認しました。

私は刑務所において、世界が深刻な危険に直面していることを、はっきりと経験し、また、全人類的な大覚醒と跳躍の必要性を痛感しました。結果的に私は、世界平和と人類の繁栄のために、私自身と統一運動が、さらに大きな犠牲を甘受してでも、先頭に立って走らなければならないという決心と緊迫感を抱いて出監したのです。

今日の世界は、驚異的な科学の発達、便利な技術、そして物質的な豊かさにもかかわらず、世界の随所で不幸な事態が続いています。国家間には絶えず緊張と戦争が継続しており、地球上の多くの所で、いまだに窮乏と貧困、文盲と疾病の困苦があり、世界の至る所の暴力と犯罪、麻薬と精神疾患、社会的不条理と不平等、青少年の淪落と家庭破綻など、数多くの問題点が地球星の未来を陰鬱なものにしています。

多くの指導者たち、とりわけ良心的な碩学たちが、幸福な理想世界を実現しようと努力してきたにもかかわらず、不安と苦悩の危機は日ごとに加重されていく、その理由は何でしょうか。その根本は、人間の精神的枯渇と道徳的、霊的危機によって引き起こされたと見なければなりません。そうして従来の価値観が、かつてないほどの速度で移り変わる現実社会を受容することができなくなり、また倫理と道徳が、その本来の機能を喪失し、善の基準も消え失せてしまいました。これらの問題の中で、個人の生活や社会全般にわたって、矛盾、葛藤、分裂が連続して引き起こされているのですから、道徳的基準や永遠性というものを、どこに立てることができるというのでしょうか。

2. 逆説的な契機を肯定的に消化しなければならない

このような現実の中で、もし神様がいないとするなら、人間は完全な理想や幸福を永遠に期待することはできず、世界は滅びていかざるを得ないという結論に到達することになるでしょう。しかし、もし絶対なる神様がいるとすれば、現実の否定的な契機を踏み台として、一つの標準、すなわち絶対価値に向かって跳躍することによって、絶対(完全)肯定の境地に変える摂理をされるという結論を下すことができます。真の愛をもった、人間の父母であられる神様の、人間に対する否定の摂理は、破綻を目標としたものではなく、前進と飛躍のための過程的否定であり、希望的な新たなものをあらかじめ準備された上での否定なのです。

私たちは、歴史の中で多くの跳躍の契機があったのであり、現実に対する完全否定の契機と跳躍の過程を通して、超越者であられる神様に接した事例を、多々見ることができます。ありきたりの契機が跳躍の踏み台となることはまずないでしょう。先覚者たちは、逆説的な契機を肯定的に消化することによって跳躍し、驚くべき新たなものをつくり出しました。イエス様は、十字架上において完全に否定される切迫した契機を、完全肯定に変えながら跳躍される、神様の摂理を証したのであり、その結果として復活摂理の新たな一ページが開かれたのです。

私自身や統一教会は、迫害の歴史の中で、世界的な記録をもっていると思います。しかし、そうした迫害は、統一教会にとって必ずしも悪いものではありませんでした。無念の苦難にもめげず、むしろこれを契機に跳躍し、神様のみ旨に従って生きるならば、苦難それ自体は絶対者を中心とした永生の準備となるでしょう。そのように見るとき、私たちは、今日の現実に対して絶望とばかり見るのではなく、神様が私たちに新しい文化世界へと飛躍する契機を与えようとなさっていると解釈しなければなりません。

人間が科学を発達させた究極の動機は、人類の平和と繁栄の実現にありましたが、専門化された科学の具体的方法は、当初の価値的方向と一致できませんでした。人間の科学に対する期待は、主体である人間の福利でしたが、科学の成果は、人間の対象である物質的環境の開発が大部分だったと思います。したがって、機械技術による物質的生活の向上を試みた科学や政治、経済的平等の理論が、人類の真の幸福を保障することは難しくなったので、科学者たちは、もう一つの使命を自覚しなければならない、という結論が導かれるのです。

科学時代に生きている現代人は、人間の内面性の洞察を通して、絶対秩序を根本にした新しい倫理的標準を確立することを強調しています。その新しい倫理は、自然を愛し、人間の価値を再検討し、人間相互間の愛、そしてその愛の根本である神様を探すように、私たちに求めています。学者たちは、外的な科学技術革命とともに、人間の完成と平和世界の理想を成就する文化革命、精神革命を成し遂げる課題を抱えているのです。

3. 神様の真理と愛を中心とした新文化の創造

私は「科学の統一に関する国際会議」が出発する以前から、善と希望に満ちた未来社会を築くに当たって、学者たちが決定的な役割を果たすべきであるという信念をもっていました。過去十数年間の「科学の統一に関する国際会議」に対する私の支援と情熱は、世界の諸問題を解決するための学者の方々の潜在力に対する尊敬と期待から生まれ出たものです。そのような潜在力が、「科学の統一に関する国際会議」を通して啓発、結集され、責任感のある学者たちが新文化革命の実現に積極的に貢献されることを願うのです。

「科学の統一に関する国際会議」は、今回で十四回目を迎えました。統一教会では、七数は三数とともに完成の意味をもつ重要な数です。そして、十四数は七数の二倍です。これまで「科学の統一に関する国際会議」は、学問(科学)の研究を、「絶対価値の発見とその実現」と結びつけることに没頭してきました。さらに「科学の統一に関する国際会議」は、知識の統合、すなわち、学問の各分野間の協同および統合的アプローチのためにも力を注いできました。絶対価値の基準は、すなわち絶対愛の主体である神様であり、また絶対価値を軸として立てない限り、学問の統合的アプローチは不可能です。今や多くの人々が、絶対価値の必要性を認めるようになりました。今まで議長団ならびに準備委員の皆様が、無理解の中でも開拓者の道を歩んでこられたことに対して、私は有り難く思っています。

これから、「科学の統一に関する国際会議」はどこへ向かって行くべきでしょうか。毎年恒例の行事として集まって討議するだけで満足できるのでしょうか。私が近年になって新文化革命を強調してきた内容をもって、これにお答えしようと思います。今日、人類は悪からの、最も本質的かつ深刻な挑戦に直面しており、人類の本然の理想と幸福を実現する潜在力や素質が根本から破壊される、そのような危機に処していると思います。

「科学の統一に関する国際会議」の皆様は、新文化世界の創造を必ず成就すべきその大業に積極的に乗り出さなければなりません。絶対価値の探求は、探求自体で終わってはいけません。真理は永遠の方向性を内包しており、絶対価値を中心とした理想世界は必ず実現されなければなりません。そのためには、私たちの信念に基づく決行と現実の困難を跳び越える跳躍がなければなりません。

今日の世界は変わらなければなりません。神様の真理と愛を中心とした新文化革命を目指して、学者たちは責任をもって先頭に立たなければならない時です。新文化革命とは、人類と被造世界のための、神様の理想を指向しなければなりません。この理想を実現しようとすれば、私たちは各自が、知識の実現ではなく、真の愛の絶対価値の実現において責任を果たさなければなりません。

人類は今や飛躍しなければならないのです。人間が感じる現実の限界状況を根本的に克服するような新しい次元の文化的創造行為が求められています。人間の本性の深い所で感じられる神様の期待や、激動する歴史の背景にある神様の摂理と何の関係もなしに、人間自らの理性的能力によって自己完成と世界完成が可能であるという幻想と傲慢さから目覚めなければなりません。私たちは、人間の限界を謙虚に認め、神様の摂理によって到来した歴史的契機を見失ってはならず、跳躍によって神人合一の理想を成就しなければなりません。人間のための神様の創造理想でしたが、その理想は、神様の総合的な配慮の上に人間が応答することによって成就されるというのは、当然の帰結なのです。

4. 絶対価値を実践する勇士となろう

尊敬する学者の皆様。私は神様のみ旨に対する人間の応答、すなわち人間の責任分担を全うするために、生涯を捧げてきました。それがいくら険しい開拓の道だったとしても、避けていこうとはしませんでした。例えば、私はニュースと情報の既存の報道姿勢と体制に対して代案を準備することを決心しました。私は報道機関が大衆に正しい情報や間違った情報を伝える過程を深刻に観察してきました。多くの方々も御存じのように、私は経験を通して、報道媒体の力の誤用が、真実を歪曲し、善を蝕むことがあるという点を知りました。

ですから、私は過去数年間、多大の犠牲を甘受しながら、「ワシントン・タイムズ」を育ててきたのであり、最近、ニュース週刊誌「インサイト」を発刊し、さらに月刊誌「ワールド・アンド・アイ」を来月創刊する予定です。これらのプロジェクトは、真理や普遍的善の価値に貢献する教育やニュース、および公的情報伝達の代案的媒体となることを目的としています。

特に皆様は、「ワールド・アンド・アイ」誌に積極的に寄稿をしてくださり、持続的真理探究とその暢達に参与なさることによって、新文化革命の旗手となってくださるよう勧告いたします。さらに、「世界平和教授アカデミー」の基盤と「パラゴンハウス出版社」の出版活動を連結して、絶対価値に立脚した学問の諸分野の専門事典の編纂を計画しています。これらのすべては、絶対価値のもとにおける、人間の本性に対する正しぷ察となり、正しい教育資料となる人間事象の大百科事典を編纂するための準備作業の一環です。

尊敬する学者の皆様。既存の矛盾する世界を、代案なしに傍観、放置しながら、自分の指導的力量と社会的責任を果たしたと言えるでしょうか。一時的な契機ではなく、神様が歴史的、世界的にお許しになったこの貴重な契機を逃すことなく、私たちは模範を示さなければなりません。私たちは万民に、不義に対する確固とした覚醒を悟らしめ、私たち自らが跳躍することによって、模範を示さなければなりません。飛躍には、冒険がつきまとうものです。逆説の基盤の上での立体的な冒険は、より大きな困難が予想されます。しかし、真理のあるところには、それに伴う実践があるものです。私たちは絶対価値を実践する勇士となって、積極的に世界を指導しなければなりません。

今回の会議が、自由討論の場から有益な結論が導き出される会議となるだけではなく、私たちの決意によって、陣痛の中で身もだえする世界をして、身ごもった新文化世界を一日も早く出産せしめるように促進する歴史的な行事となることを願います。最後に今回の会議のための準備委員会の会員の皆様の労苦に感謝しながら、参加者の皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が臨むことを祈ります。

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第五篇 13 真の愛と統一世界

第五篇 13

真の愛と統一世界

日付:一九八六年十一月二十七日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット・ホテル

行事:第十五回「科学の統一に関する国際会議」

敬愛する議長と議長団、著名な教授、ならびに紳士淑女の皆様。御多忙中にもかかわらず、このたび第十五回「科学の統一に関する国際会議」に御参加いただき、心から感謝の意を表する次第です。

この時間、私は「真の愛と統一世界」と題してお話ししようと思います。今日の世界における混乱は、その根本を突き詰めると唯心論と唯物論の対立、善側と悪側の対立であり、また善神と悪神との対決であるとも考えることができます。

人類の願いは平和ですが、平和は統一によってのみ成し遂げられます。統一には、世界の統一だけではなく、国家の統一、家庭の統一、個人の統一もありますが、これらのうち、最も基本となるのは個人の統一です。そのような統一運動において、今日、レバレンド・ムーンは、名実共に現実社会では欠かせない人物となりました。

神様の願われる平和の世界を実現するためには、第一に、統一運動は、思想界で頂上の位置に立たなければなりません。既存の哲学思想だけではなく、宗教思想とも闘って勝利しなければなりません。第二に、統一運動は、科学技術の分野において最先端の位置に立つと同時に、科学技術を平準化させなければなりません。今日まで、先端を行くアメリカは南米を従属させ、ヨーロッパはアフリカを従属させてきましたが、この弊害をなくすためには、科学技術の平準化が必要です。第三に、経済問題です。今日、世界は国際金融危機に直面しています。これを調整する道は、世界の数多くの財閥が株主となって超国家的な銀行を設立することです。第四に、言論界においても頂上に上がらなければなりません。現在、「ワシントン・タイムズ」を基盤として、アメリカの千七百五十以上の新聞の頂上に上がりつつあります。これにより、情報分野を席巻することができます。現在のリベラルな「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」を凌駕し、アメリカのみならず、世界中から重要な情報を続々と入手し、世界を指導しなければなりません。

しかし、いくら思想、科学、技術、経済、言論、情報分野などで頂上を極めたとしても、なおも問題が残っているのです。その問題とは、国家と民族を越えることができる人をいかにつくるかということです。自分の祖国を中心とした人が責任をもつようになれば、アメリカ人ならアメリカ人に一元化しようとし、イギリス人はイギリス人に一元化しようとし、フランス人はフランス人に一元化しようとするでしょう。したがって、世界的な平和統一を構想する前に、このような民族性をいかに克服するのかが問題です。

世界の半分を赤化した共産主義でさえ、それ自体の国家や民族を抜け出すことができず、「民族的共産主義」に転落してしまいました。二十世紀の後半から、ほとんどの人たちは、神様の存在有無の問題に対し、「神はいない」というヒューマニズムに傾き、物質万能主義となり、世界の半分が物本主義である共産主義の手に落ちてしまいました。神様を見いだすべき哲学は、神様を探し求める中で失敗し、神様と共に生きるべき宗教は、神様を失い、無気力になってしまいました。

世界統一に当たり、問題は人間です。世界を統一する前に家庭統一、家庭統一の前に人の統一がなければなりません。人の統一とは、個人の統一のことをいい、心と体を統一することです。個人が苦しめば家庭も苦しみ、家庭が苦しめば国家も苦しみ、国家が苦しめば世界が苦しみます。ですから結局のところ、一人の真の人間を見いださなければなりません。世界と宇宙がために生き、神様が信頼できるような真の人間を探し求めなければなりません。

人間は変わらないものを好みます。ですから、宝石を好むのです。ダイヤモンドの硬さ、金の輝き、真珠の優雅な色合いなどは、常に不変なものだからです。人においても、変わらない人が貴いのです。そのような人が真の人間です。したがって、誰しもが、変わらない夫、変わらない父母、変わらない師、変わらない主権者、変わらない国を願うのです。

今日、多くの人々は神様が明確には分かりません。それは個人において、心と体が闘っているからです。ヘーゲル左派の流をくむ人は、宇宙の根本法則を矛盾として捉え、「神はいない」という闘争理論がより一層確固たるものとなってしまいました。しかし、いくら神様を知らない人でも、「人間は何かが間違っているのではないか」と考え始めれば、「神はいるかもしれない」という論理も立てられるようになるのです。そのようにして、宗教でいう堕落や救いなどといった概念を通して、神様を発見できるようになるのです。

公的なものと私的なものとのうち、公的なものとは全体のためのものであり、私的なものとは自己のためのものです。皆様が御自身のことを静かに反省すると、自分が公的なものと私的なものとの狭間にいることに気づくでしょう。ですから、宗教は、自己を中心として進んでいこうとする体の欲望を主管するために、「断食せよ、苦行せよ、柔和、謙遜であれ」と教えるのです。

神様は明らかに存在します。真の人間とは神様に似た人のことです。そのような真の人間が暮らす世界を実現しようとすれば、人間革命ではなく、人格革命を起こさなければなりません。神様の神格に似ることが人格革命です。神格と同等になり得る基準まで至るようにするのが人格革命です。神様は、知識も、お金も、権力も必要ありません。

聖書のヨハネによる福音書第三章十六節に「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とあります。これは、ある特定の教派だけのために、神様はひとり子を遣わされたのではないということを意味します。全人類を愛しておられるがゆえに、イエス様を遣わされたのです。ですから、神様は、死に至るまで世界を愛するそのような子女を願っておられるのです。神様が最も喜ばれるのは愛の文化です。神様が人間に顕われているのは、お金持ちになることでも、学者になることでもありません。愛する人になってほしいと願われているのです。聖書には、「敵を愛しなさい」、「隣人を愛しなさい」、「信仰、希望、愛のうちで最も大いなるものは愛である」など、愛に関する教訓がたくさんあります。妻は夫を、弟子は師を、国民はその国を心から愛しているでしょうか。

皆様。男性にとって最も貴い存在は何か御存じでしょうか。それは正に女性です。同じように、女性にとって最も貴い存在は男性です。人間が生まれた目的は、男性は女性のために、女性は男性のために生きることなのです。男性と女性は、お互いのために生きることを目的として生まれたのです。身体の骨格や愛の器官が、そのようになっています。このような事実を皆様がはっきりと知ったならば、皆様は百科事典よりも貴い真理に精通したことになります。知恵の偉大な王である神様は、愛の器官を互いに取り替えてもつように創造されました。

ですから、自分のもつ愛の器官の主人は、自分ではなく、愛する相対なのです。したがって、愛は相対からくるものです。これを知らず、愛の器官をいい加減に使う夫や妻は、審判を受けなければなりません。夫婦がこの事実を悟って仲むつまじく暮らすならば、そこから孝子、孝女が生まれ、それが成長すれば、忠臣と烈女になり、聖人と聖女になり、神様の子女である聖子となるでしょう。夫婦間に互いに相対的な横的愛を見いだせないならば、神様の縦的愛を見いだす道はありません。もし人間が堕落していなければ、天国は家庭から始まるようになっていました。家庭を拡大したものが、世界の人類だからです。ですから、家庭は、天国に入るための愛の修練所なのです。

神様の愛を所有する人だけが、天と地の権勢を相続できる特権を得るのです。生命が先か、愛が先かというとき、愛が先です。愛は宇宙の第一存在であり、生命は愛から生まれた第二存在です。家庭でも父母の愛によって子女が生まれます。ですから、子女は、父母の愛に同参(一緒に参加すること)した立場で生命を受け継ぐことのできる特権をもつようになるのです。愛の関係を結べば、対等な立場である同位圏に立つことができます。神様は、愛の相対として人間を創造するとき、御自身が人間のために生きる、そのような立場で創造されたのです。ですから、人間も神様を手本として他のために存在するようになっていたのですが、堕落によって、自分だけのために生きる人間になってしまったのです。愛は相対から来るものなので、「ために生きよ!」という哲理が生じたのです。

今日の人間社会は腐敗し、多くの哲学は自己を中心としています。そのような哲学を一掃するのは、ただ神様の愛、真の愛のみです。真の愛は、ために生きる愛であり、いくら与えても、すべて忘れてしまうのです。神様の愛と関係を結べば、主管性、独立権、相続権をもつ特権が与えられます。神様の対象圏を確定し、愛が不変であることを悟るようになるとき、人間の愛を中心として永生の倫理を妥当化させることができます。

神様は、そのような対象圏を求めてさまよう哀れなお方です。神様は、アメリカにいる数多くの聖職者を差し置いて、獄中にいる私を愛の対象者と思って訪ねてこられ、ニカラグアにおける事態の収拾を命令されました。韓国の南北統一をはじめとした世界統一は、軍事力では決して達成できません。それは怨讐の国までも愛する神様の愛によってこそ可能なのです。

私は今日までこのことを実践してきました。第二次世界大戦の時に敵同士だった韓国と日本、日本とアメリカ、アメリカとドイツのそれぞれの国の人たちが互いに愛し合うように、愛の道を実践させています。怨讐の国の人々を自国の人々よりも愛する伝統を立てなければ、世界の統一は実現しません。怨讐の国を自国以上に愛することができるのは、ただ神様の愛だけです。

世界の統一を果たすには、その前に国家の統一、そして家庭の統一が先に果たされなければならず、家庭の統一が果たされる前に、個人の統一が果たされなければなりません。個人の統一とは、愛による心と体の統一のことであり、この個人統一の土台の上に、愛による夫婦の統一が果たされ、家庭統一、国家統一、世界統一へとつながっていくのです。それが新文化世界を実現する唯一の道です。

したがって、ここに参加してくださった多くの教授の皆様も、心と体が一つになるように努力なさると同時に、夫婦が互いに愛し合い、統一世界、新文化世界の建設に寄与してくださることを願ってやみません。終わりに、今回の大会におきましても大きな成果が上がることを心から願いながら、これで私のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。

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第五篇 14 絶対価値と現代社会の再評価

第五篇 14

絶対価値と現代社会の再評価

日付:一九八七年十一月二十七日

場所:アメリカ、アトランタ、ストーファー・ウェーバリー・ホテル

行事:第十六回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長団、分科委員長団、著名な教授の方々、そして紳士淑女の皆様。私は、「科学の統一に関する国際会議」の提唱者として、このように第十六回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださった皆様を、心から歓迎いたします。今年の会議のテーマは「絶対価値と現代社会の再評価」です。

1. 現代社会の再評価が必要な理由

今日、世界は、各分野に対する再評価が切実に求められています。このような再評価を行うに当たって、知識のすべての分野を代表し、またすべての文化、宗教、人種、および国家を代表する碩学たちの集まりである「科学の統一に関する国際会議」のような優れた評価団体を、私はほかに知りません。

世界のあらゆる学術団体の中で、「科学の統一に関する国際会議」のみが、科学の真の目的と統一性を発見しようと根本的に努力していると思います。今日の世界のあらゆる学者の集まりの中でも、「科学の統一に関する国際会議」は歴史的な使命をもっていることを、皆様に知っていただきたいと思います。世界が抱える複雑な問題は、学問の個別分野の偏狭な視野からだけでは十分に理解することができません。

現代世界に対する適切な再評価は、個別的な専門学会の能力の範囲をはるかに超えています。それは、世界の問題は、根本的に人間の問題だからです。人間は、物質的欲求の感性をもつ肉身と霊的欲求の感性をもつ霊人体をもっています。

正にそのような二重構造をもつ人間たちが、一定の秩序のもとで相関関係を形成したものが、国家社会であり、世界なのです。世界の問題の解決のための学問の共同研究に、宗教、文化、芸術などの要因が大きく関与しなければならない理由も、ここにあると言えます。

今日、私は、「科学の統一に関する国際会議」で、現代世界を再評価することは、結局、現存する東西の両陣営とその体制について再評価すると同時に、科学の両体制における役割がどのようなものであり、またそれが科学の究極的目標にどれほど近い立場で影響力を行使したのか、ということも再評価しなければならないと思います。

そして、今日、東西の両陣営の指導者たちがいかに弁明しようとも、既存の体制や秩序が、人類の真の幸福を保障することに対しては、既にその限界をあらわにしており、現存の世界自体が没落しつつあるという事実は否定できないのです。

2. 世界の再評価のための統一的な標準とその中心点

「科学の統一に関する国際会議」が今日の世界を再評価するためには、統一的な基準とその中心点がなければなりません。その中心点は、人間の肉身と霊人体との二重的な欲望を共に関連づけなければなりません。中世の神本主義思想と宗教的独断論が、科学的探究を阻害し、肉体的充足を制限したと私は認識しています。

しかし、啓蒙思想の時代から、人本主義の思想家たちが「宗教的信仰は人間の理性よりも劣るだけではなく、人間の霊性の要求は人間の理性と相反する」と主張してきたことも、大きな誤りでした。

啓蒙主義や人本主義が合理性を強調したことは、科学者が自然界の合理的法則を探求する、大きな推進力として働いてきました。しかし、理性だけでは、二重構造をもつ人間の究極的目的から離れていき、独自的に立つことができず、正しい方向を立てることさえもできません。

人間の霊性を無視し、理性と知的成果に満足しているうちに、人類は自己の究極的目的に関連した先決問題を検討せずに放置してきました。その結果、人間は唯物主義と物本主義に陥り、基本的な人間の尊厳性までも喪失してしまいました。

真理は一つであり、それは自然と人間世界を治める一つの原理です。自然におけるこの原理は宇宙万物万象の根源です。人間においてこの原理は、その霊性と肉性の調和を通して人格を完成し、美、真、善を実現するように導く真の愛の絶対的価値なのです。

私は、今日までの神本主義や人本主義、そして物本主義のそれぞれの主張の対立を、互いに和解できない価値同士の争いとしか見ていないというわけではありません。むしろ、それぞれが一つの原理、つまり絶対的価値についての、未完成で一面的な表現であり、不完全な主張だと見ています。人間と現実世界の諸問題を根本的に解決するためには、既存の主義や主張を超越し、全体を収拾できる絶対価値である一つの原理を見いださなければなりません。

絶対的価値は究極的に、神様についての根本的な問いにたどり着きます。神様が実在することを受け入れることは、自然界と人間世界に恒久的に作用する一つの普遍的原理の存在を認めることになるのです。そのような土台の上で相対的なものとして現れる様々な価値は、絶対価値の基盤の上に、相互に密接な関係があるものとして理解し得るのです。

3. 神様の愛に土台を置く絶対価値

絶対価値は、今日の学者の間では人気のあるテーマではないことを、私は知っています。まずは絶対価値と絶対主義とを混同する過ちを犯さないでください。

私は「科学の統一に関する国際会議」で、数回にわたって絶対価値とは神様の愛に土台を置いたものであると強調してきました。神様の愛は党派的なものではありません。神様の愛は、人間の本性の奥深いところにある心情にあり、その生活の中に真の愛を噴出させる根となっています。

ですから、神様の愛は、万人が一つの心情的同化圏をつくる根本要素となり、すべての相対的な価値を包括、受容します。ですから、神様の愛に基づいた絶対価値は、一連の理性的な前提、あるいは相対的な主義や信念に基づいた価値よりも、深く、広く、また恒久的なのです。

絶対価値は、合理的思考と矛盾するものではなく、むしろ背後にあるその究極的な目的を再発見させてくれるのです。私たちを人間たらしめるのは、何も理性だけではありません。知的分析が、情緒や意志、そして霊性までも十分に評価しなければ、欠陥だらけになります。理性的探究は、それが真の愛に基づいた絶対価値によって導かれるときに、初めて人間の真の幸福に貢献するようになるのです。

私は、「科学の統一に関する国際会議」が、今日の世界に対する包括的な再評価を始めることを要請いたします。因習的な心や姿勢は、現実の山積した諸問題を扱うには不十分でした。

現代社会が直面する問題の収拾は、人間の事情だけでは解決できません。さらに、人類歴史に対してこられた神様のみ旨が成就しなければなりません。したがって、神様の愛に根を置いた超国家、超主義、超世界的な絶対価値に立脚して、現代社会は再評価されなければならないのです。

4. ただ一つの絶対価値を発見してこそ学問の統一は可能

そして、今日の知識人たちが相対主義的観点に支配されている限り、科学の統一や、人種間、文化間、宗教間における和合統一も、決して実現できないのです。したがって、ただ一つの絶対価値観のために、自ら進んで危険を顧みず、激しい迫害に耐えることのできる勇気ある先駆者が必要です。言い換えれば、数多くの既存の部分的観点が、一つの一貫した原理の中に編入されていくためには、困難を克服すると同時に大胆な決断が必要なのです。

私たちは、今日の科学と哲学が世界の問題を解決するのに、しばしば失敗してきたことを認めなければなりません。自然科学がしてきた偉大な約束は、悪の方向に利用されることが多く、人類の真の幸福のためだけに利用されたわけではありません。

社会科学の分野も、利己的で党派的な政権の影響のもとで、あまりにも腐敗し、多くの場合に本来の目的から外れて機能してきました。哲学もまた、善や人間の究極的理想を目指した偉大な探究を放棄したまま、命を失った学問となってしまっています。そのような傾向は、学者たちの無気力と消極的な態度によって、ますます深刻になりつつあります。

学者たちは、自らの研究の業績だけで満足するべきではなく、積極的な指導を必要とする世界の要請に応えなければならないと私は思います。世界は、正しい価値観によって主体的力量を行使する学者たちの責任ある実践を求めています。そして、自覚した有識者たちによって、学問の研究成果が誤用されることを防がなければなりません。さらに学問の業績は、部分的、相対的価値にするのではなく、宇宙と人類全体のための絶対価値にかなったものにしなければならないのです。

5. 急がれる「絶対価値と学問の統一性」に関する論議

学者たちは、政治、経済、社会などの潮流に押し流されるのではなく、歴史的な眼識と使命感をもって全体を教え導く、積極的な役割を発揮しなければなりません。現代社会は、いつの時よりも、超国家的、超人種的な協力を通してのみ解決する問題を山のように抱えています。国際化し、多元化した社会においては、特殊分野の個別的研究成果に劣らず、行動する多くの有識者たちが調和、協力しながら実践することが貴いと言えるでしょう。

世界の多くの学術会議の中で、「科学の統一に関する国際会議」のみが「絶対価値と学問の統一性」という究極的な問題をテーマとしています。これ以上に切迫した問題はありません。一つの絶対価値を発見することができなければ、学問の統一性という問題の解決は不可能です。私はこの使命を皆様に託しました。

この集まりが現代社会を正しく評価し、新文化創建の門を開く、歴史的な課業が果たされることを願います。神様の祝福が皆様の仕事と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。

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第五篇 15 絶対価値と現世の再評価

第五篇 15

絶対価値と現世の再評価

日付:一九九一年八月二十四日

場所:韓国、ソウル、シェラトン・ウォーカーヒル・ホテル

行事:第十八回「科学の統一に関する国際会議」

尊敬する議長と分科委員長、著名な学者ならびに紳士淑女の皆様。私の祖国である韓国で、皆様に再びお会いすることができ、大変うれしく思います。この韓国の地で皆様と共に「未来の世界文明」について議論してから、はや十年になります。そのとき私は、東アジアから始まり全世界を連結する国際平和高速道路プロジェクトを提案しました。また私たちは、皆様の学問的研究成果を出版し、全世界の新しい世代に肯定的な影響を与えることを目的とする計画にも着手しました。十年前は、このような計画が夢のように感じられましたが、今ではその輪郭が定まり、基台が既に造成されています。既に、日本と韓国をつなぐトンネルの基本設計図が作製され、試験トンネルが建設中です。

私たちは、皆様の論文や著作物を出版する「パラゴンハウス出版社」をもっており、雑誌「ワールド・アンド・アイ」を出版しています。昨年提唱し、皆様に案内状をお送りした、「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」が、この度、皆様の立ち会いのもとに創設されるでしょう。

尊敬する世界の碩学の皆様。私たちは、再評価を要する転換期の現代世界で生きています。価値問題を重要視した私たちの会議のテーマは、以前には単なる予言的なものとしてしか捉えられなかったかもしれませんが、今日に至っては、所々で新しい価値に対する要求が起きており、現実の重要課題となっています。東ヨーロッパとソ連で起きた劇的な変革以後、さらに普遍的に、これを実感するようになりました。人々は、共産圏の没落以後、西欧社会の既存価値と体制の優秀性を語り、自負心をもっています。しかし、共産圏と対決した自由陣営を含む、その他の世界はどこへ向かっているのでしょうか。人類の幸福を保障する、希望的な前進をしていると思いますか。現世界のもつ問題点は、共産陣営の没落だけで解決されるのではなく、根源から原因を究明して解決しなければなりません。現代社会は、すべての体制と生活様式が根本的に再評価されなければならず、覚醒された人類の新しい心に適応することが求められています。

結論から言えば、今日の価値体系の混乱は、根源的に神様と人間との本然的な縦的秩序が崩れたことに由来します。正しい軸を失って横的に立てた人為的な秩序、すなわち世界の中の様々な体制と価値が、方向を失ったまま揺れ動き、ぶつかり合っているのです。

宇宙は、個々の物質だけを基盤として存在するのではありません。世界は孤立して、独立した個体の単純な集合体ではありません。物質は関係性を通して現れる一次的エネルギーによって存在しています。社会は、個体間の授受と相対関係の中で生存、繁栄、発展します。二つの物質の関係性の背後に、また二つの個体の授受関係の背後に、共同の動因と目的性を付与する高次元の縦的秩序が先に存在しています。例えば、人間には、神様と人間自身のために、至高な喜びと愛を感じることができるように自由が与えられています。人間がその存在目的を成し遂げるためには、まず神様の真の愛を相続しなければなりません。

人間生活の中で、ために生きる真の愛がすべての相対関係の基本ですが、これは父母の真の愛を動機として体恤するものです。神様の真の愛を根とした父母の真の愛によって、人間の個体は完成するようになります。完成した個体が、真の愛の理想的な夫婦となった家庭で、その子女に真の愛を伝授するのが、創造の秩序なのです。地上の理想世界は、完全な一人の人から、真の愛による家庭、社会、国家、世界へと拡大していくのです。現在の世界は、このような理想世界とは、その出発から異なっている世界です。人間が、神様の創造原則のうちで最も貴い真の愛の秩序から離れた、そのような堕落の結果が拡大して現れた世界です。神様の創造秩序を度外視したまま、人為的な組織形態や法則、秩序ばかりを重視する今の世界は、理想的な個人、家庭、そして民族を養成することはできません。人類の真の明るい未来は、何によって保障されるのでしょうか。

尊敬する碩学の皆様。皆様は自然界と社会の発展について、誰よりもよく御存じのはずです。私たちの自然と社会は、毎日、暴力と毀損が絶えません。私たちが普段、呼吸する空気、飲んでいる水、口にする食糧が、日増しに汚染されています。私たちの社会は、科学が発達し、生活が便利になっていくにもかかわらず、絶望的現象が加重されつつあります。二十一世紀の人間は、宇宙を創造した神様の根本原理を逸脱しては、これ以上地球星の主人として存在することはできないでしょう。人々が願わなかったとしても、人類の未来は、より密接な人間関係を求めています。将来、人々が地域と民族と肌の色の違いを超越し、より一層近く交わって生きていかざるを得ない「地球一家族時代」が近づいています。多様な宗教や伝統、文化、そして互いに異なる生活意識を、利害関係の次元を越えて、互いに調和して受け入れざるを得ない世界が近づいてきています。個人やある集団が、利己的な選択により自分だけの分別された逃避先を所有することはできなくなります。人間は、自然万物をこれ以上利己的な目的だけで強制的に占領することはできず、全体と後代のための、より大きな目的のもとに活用し、開発しなければなりません。

このように迫りくる新しい時代、新しい社会の基本秩序は何であり、その社会の主人はいかに養成されるべきでしょうか。それは、神様の創造の秩序、真の愛の秩序を基本軸としてこそ、その答えを得ることができます。

尊敬する世界の学者の皆様。生涯を捧げて、一貫して神様のみ旨を実践してきた私が、二十年間に十八回もの「科学の統一に関する国際会議」を続けて開催してきた理由を、そのような点から理解することができるでしょう。既に数十年前に、到来する未来社会を予見した私は、周囲の無理解の中にあっても、確信をもって、この大会のために物心両面の支援をしてきました。一九七二年、本大会が初めて開催された時から、通例を打破した構成で、自然科学者と人文・社会科学者を一つ所に招き、諸学問間の調和と統一を強調してきたのも、未来の人類のためにという一念によるものでした。

各学問の分野別の特性や研究の専門化は重要ではありますが、学問研究が相互に協力し合い、補完されなければならず、その研究成果が、善の目的を中心として統合され、活用されなければなりません。科学者たちにとってはさほど歓迎できない「絶対価値」を主題として価値問題を強調してきたことも、その理由からでした。今では、皆様を含む世界の多くの学者が、私の意向に共感し、協力して会議を組織し、研究を続けてきてくださっていることを有り難く思っています。

絶対価値を軸として、総合的な学問研究をする「科学の統一に関する国際会議」は、これから、その研究成果を積極的に教育し、実践しながら、人類の将来に寄与する段階へと飛躍しなければなりません。「科学の統一に関する国際会議」が産室となって、世界の九十数カ国に「世界平和教授アカデミー」が組織されたのも、文化世界を成し遂げる事業に、各地の学者たちを積極的に参加させるためです。

良心的な碩学たちの実践運動に、多くの人々が期待を集めています。社会において最も尊敬を受ける有識者たちが率先し、次世代の若者たちに正しい価値観と世界観を伝授することこそ、専攻分野の教授に劣らず重要なことであると思います。既に、韓国と日本で実施して良い成果を上げたように、世界の学者たちがチームを構成し、各国を歴訪しながら幅広く指導することも重要です。現代人、特に若者たちを、麻薬と享楽、暴力と戦争の罠から保護し、彼らにビジョンを植え付ける運動に、学者たちの全世界的な参加が求められています。私は、「科学の統一に関する国際会議」を母体とした皆様の創意的な実践が、新しい文化世界を創建することを確信しています。

最後に、私の祖国で開催される今回の大会で、多くの有益な討議が行われ、良い結論が導き出されることを期待する次第です。私は、韓国が受難の歴史の中でも、家庭の伝統をはじめとする美しい文化遺産を守ってきたことを誇らしく思います。また、連続した戦禍の中から急速な繁栄を成し遂げた韓国経済の基盤にも感心しています。皆様がこの国に滞在される間、韓国を訪問した価値を感じていただければ幸いです。神様の御加護が共にあることを祈りながら、私の話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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第五篇 16 絶対価値と新しい世界秩序

第五篇 16

絶対価値と新しい世界秩序

日付:一九九二年八月二十日

場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル・ホテル

行事:第十九回「科学の統一に関する国際会議」および

第五回「世界平和教授アカデミー世界大会」

尊敬する議長、著名な学者各位、来賓ならびに紳士淑女の皆様。第十九回「科学の統一に関する国際会議」と第五回「世界平和教授アカデミー」世界大会の開幕総会において、皆様の前でお話しできますことを大変うれしく思います。併せて、皆様が私の祖国である韓国に来られましたことを心より歓迎いたします。

1. 宇宙の原理の根源は神様

昨年私たちは、科学者大会以外にも、非常に特別な二つの会議に参加しました。それは、正に「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」です。この二つの機構は、新しい世界秩序の構築のために創設されたものです。特に「世界平和宗教連合」は、世界平和の建設を目的として、世界の宗教を一つにすることに貢献するようになりました。最近の湾岸戦争で、皆様は、世界がどのように宗教戦争に陥るのかを目撃しました。また、宗教による地球の災難は、今後も起き続けるでしょう。

これまで多くの政治家たちは、自らの目的のために宗教間の対立を利用してきました。それにより、宗教は無力化し、混乱するようになりました。また、宗教者たちは、世界平和のための責任を明確に悟ることができずにいます。今後、「世界平和宗教連合」を通して、全世界から来た宗教指導者たちは、互いに和解するようになり、平和のための指導者となるでしょう。

すべての文化において、宗教は中心核でなければならず、公義の標準でなければなりません。各宗教は、自らの伝統を絶え間なく守り続けてきたことに対して、誇りをもっています。それぞれが、自分の宗教は他のあらゆる宗教よりも優秀な宗教であると考えているのです。しかし、宗教的な教えは、宇宙的な要素をもっているだけでなく、それ自体は神様から出てきたものです。お一人であられる神様は、すべての宗教の神様です。したがって、宗教は自らを浄化させなければならず、宇宙的な原理として昇華させなければなりません。宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は「人のために生きなさい」という教えによって説明することができます。個人は家庭のために生き、家庭は社会のために生き、社会は国家のために生き、国家は世界のために生きるのです。同様に、各宗教は他の宗教のために生きなければなりません。このような原理が真理なのです。

宇宙的原理の根源は神様であられます。宇宙を創造されるとき、神様は御自身の創造物のために、御自身のすべてを投入されました。また歴史を通して、自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられたお方が、正に神様なのです。神様のみ旨を知った預言者と聖人、そして賢人は、自らの人生の中で神様の願いに従いました。

そして、自分たちが真理を守ることでは満足せず、他の人々を指導するために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様などは、苦難を受け、人々を指導する際にも迫害を受けた聖人たちでした。人類を呼び覚まし、解放させるために、自らの人生を犠牲にしました。

「世界平和連合」は、世界平和のための政治家と国家機関の協力機構です。今日の世界は、国家主義では支えることができません。現在、東ヨーロッパで燃え上がっている民族の紛争は、民族主義の破壊的な特性を立証しています。民族的誇りや民族自決というのは、ただ世界共同体に貢献する中で得られるときにのみ、正しく善のものとなるのです。自国のみを優先し、他国に対する憎しみを増幅させる覇権主義は、ために生きるという宇宙の原理に相反するものです。宇宙の原理に反する主義はすべて、消滅するようになるのです。

今、数々の国が、ヨーロッパ共同体のような多国籍連合体に加入しようとする傾向を見せています。このような傾向は、今後、より一層深化するでしょう。したがって、今後すべての国家は、地域共同体として連合するでしょう。すなわち、ヨーロッパ国家連合、東アジア共同体、イスラム共同体、アフリカ共同体、南北米共同体などです。

2. 先行されるべき宗教間の調和と統一

政治家たちが、国家的利己主義を超越するためには、他の国々と共有できる統一された価値観がなければなりません。それでは、ヨーロッパの国家を連合できるものとは何でしょうか。それは経済政策だけでは不十分です。ヨーロッパには、いまだに産業国家と農耕国家との間に多くの葛藤があります。また、ヨーロッパ国家連合における社会政策は、もう一つの論争の的です。もし私たちがヨーロッパ統合の要素を見つけようとすれば、それは正にキリスト教文化圏にほかなりません。

中東人や東洋人と比べるとヨーロッパ人は多くのものを共有しています。すなわち、共通の文化、共通の社会慣習、そして最も重要なのは共通の論理と世界観を共有しているということです。このような共通するヨーロッパ文化の根は、キリスト教精神です。キリスト教文化は、ヨーロッパの知的、社会的、政治的生活の基礎となっています。

しかし、ヨーロッパのキリスト教それ自体が、根強い歴史的な分裂によって苦しんでいるのです。北アイルランドやユーゴスラビアなどでの紛争に見るように、私たちは彼らの葛藤がプロテスタントとカトリック、そしてギリシャ正教との間における、解くことのできない宗教的紛争によるものであることを悟ることができます。したがって、宗教の調和と統一は、政治的、社会的な平和と統一よりも先行される必要性があるのです。

新しい世界秩序は、国家共同体によって形成され、各共同体は、共通の宗教文化によって結ばれた基台の上で、経済的、政治的に円満な関係を通して結びつくでしょう。私はこのような歴史の流れを、数十年前から予見していました。これが、四十数年間にわたり、多くの犠牲を顧みず、宗教間の対話と和合を図る活動を増進してきた理由です。

新しい世界秩序が実現されるためには、宗教間の対立と戦争を防止しなければなりません。このような問題を解決するために、私はすべての宗教を抱く基盤を築こうと、惜しみなく苦労してきました。私は聖職を始める前に、霊界にいるイエス様と釈迦と孔子、そしてムハンマドに、私が啓示を受けた原理を提示しました。彼らは私の原理が正しいことを認めました。志のある宗教指導者たちは、世界平和のために、すべての宗教者たちが本来の教えを中心として互いに和合し、一致する実践運動に立ち上がるべきであることを悟っています。神様を中心として宗教を一つに統一することが、神様が私に下さった使命です。

「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、各々、心と体の関係をもって共に有機的に働くでしょう。堕落した人間は今まで、体が個々人の人生を支配することを許し、自分の喜びのために他人を抑圧し、排撃する、利己主義的な人間による悪の世界をつくってきました。

これこそが地上地獄です。それとは反対に、少数の人々だけは宗教を追求し、体の誘惑を振り切りなさいという良心の善の声に従ってきました。ただこの少数の人たちだけが、神様に会うことができ、地上に天国をつくることができるのです。同様に、国家の政治家は、誰も宗教の声に耳を傾けませんでした。政治的な喧騒の中で、道徳的で霊的な価値の声は、かすかに聞こえただけです。

東洋だけでなく西洋でも、政治家たちは神様とは関係なしに、経済的、政治的政策だけで繁栄を成し遂げようと努力しました。しかし、彼らの努力は無駄に終わりました。いかなる国も、神様の祝福なしには繁栄することができません。神様は、心と体、そして宗教と政治が一つとなって「ために生きよ!」という原理を実践する国だけを祝福するのです。

しかし、天の権能について考えようとしない、見境のない政治家たちは、いまだに地上ばかりを眺めています。共産主義の指導者たちは、七十年以上もの間、神様を抜きにして富を実現しようと努力してきましたが、彼らの国は既に破産してしまいました。同様に、西欧諸国も景気後退、犯罪、社会的腐敗などで、恐ろしい熱病を患っています。

しかし、このような問題は、宗教指導者たちが目を覚まし、それらの真の原因を発見するまでは解くことができません。また、宗教指導者たちが、神様を中心とする一つの平和世界の建設を目指して心を一つにしてこそ、政治家たちが宗教の教えに従うようになるのです。そのとき初めて、心の世界を代表した宗教と体の世界を代表した政治および経済の協力が形成され、世界の国々が自然と一つになるでしょう。「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、このような原理的基盤をもっているので、国連など多くの国際機構の腐敗とその他の多くの誤りを止揚するところから出発し、成功を収めるでしょう。

3. この時代における最も大きな課題

尊敬する学者の皆様。新しい世界秩序のための学者の役割は非常に重要なものです。全人教育のためには、社会の各分野の連携が必要です。人々は、家庭、教会、学校と社会の中で人格を学ぶようになります。文明社会を発展させることのできる人材を育てるために、家庭、教会、学校と社会は、絶えず協力し合わなければなりません。この時代における最も大きな課題は、多元的な地球村社会において、いかに全人教育を実施するかということです。皆様は、この社会における知識の宝庫です。皆様の学生たちは、皆様が教える知識よりも皆様自体からより多くのことを学びます。

学生たちは師の習慣を模倣し、師の社会に対する態度を学び、師の価値観から深い影響を受けます。皆様は常に師の立場に立たなければならず、未来に対して望ましい人間のモデルとならなければなりません。神様を中心とした絶対価値である真の愛が基本となる、新しい文化の伝統を立てるという皆様の使命は、非常に貴いものなのです。

皆様も御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われます。人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を探求し、神様と人間と万物が調和した平和で新しい文化世界を目指す歴史的な行事です。全世界の学者、宗教者、言論人、政治家、青年の代表が地球村家族の一員として一つ所に集まり、人類の和合のための知恵と経験と実践を結集する祝典です。

特に(一九九二年)八月二十五日には、世界全域から集まった約三万組のカップルが、聖なる祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統を確立することを誓います。家庭は、国家と社会の最も基本的な単位です。社会問題の解決は、家庭問題の解決から始まります。人種を超越した「真の愛による世界は一家族」の理想は、平和世界の具現に直結します。人類は、神様を中心とした家庭において模範的な夫と妻となることを誓約し、祝福家庭となることによって、正しい論理を実践し、道徳の模範を示すようになります。このようになるとき、真の愛が実現される理想的な家庭、社会、国家と世界を成し遂げることができるのです。全世界から、約六万人が祝福を受けるために一カ所に集まるという事実は、神様と真の父母のもとに一つになったことを象徴します。

皆様を、この歴史的な祝福の場に御招待いたします。最後に、私が計画し、推進している三つの事業を皆様に御紹介したいと思います。一つ目は、思想と宗教世界を統一するための一つの経典を既に発刊したことであり、二つ目は、二十一世紀の人類の知識と文化の結集を試みる「国際文化財団」が大百科事典の編纂を始めたことであり、最後の三つ目は、知識の交流と全世界の教授と学生たちの相互交流を推進する「世界大学連盟」のためにブリッジポート大学を引き継いだことです。この三つの新しいプロジェクトは、未来の地球村の新文化世界を創造し、増進することに大きく寄与するでしょう。

改めて、この意義深い会議に参加するためにソウルまでお越しくださった皆様に、感謝の意を表します。そして、科学者大会の議長を務めてくださるゲルホルム博士とカプラン博士に、特別に感謝を申し上げます。今回の会議でも皆様の討論が大いなる実を結ぶことを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護と祝福がありますようお祈りいたします。ありがとうございました。

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第五篇 17 真の知識、真の家庭、そして世界平和

第五篇 17

真の知識、真の家庭、そして世界平和

日付:一九九五年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、シェラトン・ウォーカーヒル・ホテル

行事:第二十回「科学の統一に関する国際会議」および第六回「世界平和教授アカデミー世界大会」

世界百二十カ国からお越しの学者、国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。韓鶴子総裁と私は、韓国のソウルで皆様を歓迎することができ、大変うれしく思います。皆様は、今日、私たちの世界が抱えている最も深刻な問題を討議するだめにここにお集まりになりました。

1. 科学の発達と人類の危機

二十世紀は、科学の驚くべき発展によって生活条件が大きく発達した世紀です。しかし、その反面、世界的な紛争と道徳的混乱の世紀でもあります。科学知識と文明の発達は、人々に豊かな生活を享受できるようにした反面、自然と環境の破壊、地球の温暖化、大気中のオゾン層の破壊など、全地球的な問題が生じるようになりました。一方では、産業化と現代化の過程において、家庭が破壊され、麻薬とエイズが蔓延し、暴力、犯罪が頻発し、人間の内面における深刻な問題が人類の危機を予告しています。人々は、様々な面で平和と幸福を継続して追求してきましたが、満足のいく成果を得ることができませんでした。

第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を阻止するために結成された国際連盟と国際連合の両機構が展開してきた世界的な活動でも、平和の世界は訪れませんでした。宗教団体の努力によっても、幸福な世界は実現しませんでした。国際共産主義の理想とファシズムの夢でも、理想世界の実現は失敗しました。高度な技術によっても、政治的な努力によっても、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。今も、世界の各地で悲惨な戦争が起こっています。ボスニア、チェチェン、ソマリア、そしてラオスなどの各地で紛争は続いています。平和と人間の幸福は、人々の道徳性と霊性の啓発にかかっています。平和な世界や平和な国も、その構成員個々人と家庭によって形成されるからです。科学と技術も善の人々によって活用されるとき、それは人類の生活向上のために義なるものとして使われるのです。

歴史を通しても聖賢や偉大なる師が、平和で幸福な世界のために、家庭、社会、国家の指導に身を捧げてきました。私たちは二十一世紀に挑戦するため、道徳的に、霊的に完璧な指導者を育てることのできる人類の真の父母、真の師、真の主人を必要としているのです。

神様は真の愛の本体であられるので、この世界と人間を、御自身の愛する実体対象であり、喜びの対象として創造されたというのが、私の確固たる信念です。神様は人間の父母であり、人間は神様の子女です。父母であられる神様は、人間の喜びや苦痛を共に感じるのです。神様は、子女である人間に真の愛を相続させてあげることを願っておられます。

神様の真の愛は、人間の幸福と喜びの源泉であり、人間はこの真の愛を体恤することによって完成するようになっています。愛は経験と生活を通して体恤できるのですが、人間の成長期間は、正に愛を段階的に体恤する貴重な期間です。

言い換えると人間は、成長期間を通して神様の愛を体恤するのですが、最初は子女の心情、二番目は兄弟の心情、三番目は夫婦の心情、四番目は父母の心情、このように四段階で体恤するのです。神様の愛が結実する最小単位が家庭です。したがって家庭は、人間の幸福と理想と生命の基台となるのです。私が生涯を通して家庭の大切さを教育し、理想家庭のための祝福行事を世界的に主導してきた理由も、ここに由来しています。

今日、世界は、人々が平和に共存し、すべての民族、文化、宗教を包括できる理想社会のモデルを必要としています。私は、今年三月と四月に「サンパウロ宣言」と「ニューホープ・ファーム(新しい希望農場)宣言」を発表し、まずブラジルをはじめとする南米数カ国でモデル社会を建設し、徐々に様々な国に拡張していくことを促しました。

2. 真の愛の共同体と共生共栄共義主義

現在、四十カ国の代表たちが集まり、このような社会を建設する作業に取り掛かっています。調和の取れた一つの社会は、その構成員間の生活水準が同等でなければなりません。このような共同繁栄は共同責任の土台の上で、愛によって自発的に進められなければなりません。理想社会では、いかなる不正や差別、さらに堕落も存在してはいけません。このすべては真の愛の実践が前提とされるときにのみ可能なのです。それは、民族や肌の色、伝統が異なる人々が、真の愛の共同体をつくる歴史的な運動なのです。

私たちの世界は、深刻な環境危機に直面しています。環境汚染と自然破壊は、神様が創造された美しく神聖な世界を冒瀆するのと同じことです。真の愛のない人は、自然世界を単に利己的に利用しようとばかり考えます。堕落がもたらした深刻な結果の一つは、アダムとエバが神様の真の愛を相続できなくなることによって、人々や動植物や地を正しく愛することができなくなったことです。万物は、人間の真の愛を待ち望んでいます。私は南米で、模範的な理想社会の建設と共に、人間が自然と正しい愛の関係を結ぶように、一つの模範を示そうとしています。

私はまた、飢餓のない世界をつくろうとしています。科学技術が発達した今日においても、いまだに飢餓によって数百万の人が犠牲になっている残忍な現象が起こっているのを傍観しているわけにはいきません。私は既に二十年以上も、数千万ドルを支援しながら、海洋産業を開発してきました。高蛋白質のフィッシュ・パウダー(魚粉)を開発し、「国際救護友好財団(IRFF)」を通してアフリカなどの地を支援しています。ブラジルとアルゼンチンなどの各地の農場で生産された食糧や農業収益を、世界の飢餓問題の解決のために投入するつもりでいます。

私は、共生、共栄、共義の社会建設を教えてきました。理想世界は、経済的には共生主義であり、政治的には共栄主義であり、そして倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、神様の真の愛を基盤とした共同所有をその中心内容とします。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではなく、神様の愛を基盤とした共同所有です。家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、家族の個々人は、各々部屋と衣類、そしてお小遣いをもつようになります。

このように、家庭においては、家族が共有を基盤として個人的な所有も認められ、全体目的と個体目的が調和するようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へと拡大されたものが、理想社会の所有形態です。

3. 真の愛を土台とした理想世界

神様と人間の本然の関係は、真の愛を中心とした関係です。神様と私の共同所有、全体と私の共同所有、また隣人と私の共同所有など、様々な場合がありますが、神様の真の愛が中心となった感謝する心をもって共同所有するようになっているのです。

神様の愛を完成した人間がつくりあげる理想世界においては、全体目的と個体目的は自然に調和するようになっています。人間には欲望もあり、愛の主体性をもっているので、個人所有や個体目的が許されているのです。だからといって、無制限な個人所有、あるいは全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって、自分の分限に合った所有量を取るようになるのです。

特に、真の愛による万物の真の主人の人格をもった理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺とするので、欲張ることや不正はあり得ないのです。同時に全体目的に反して地域や国家の利益が強調されることはあり得ず、経済活動の目標は、利潤の追求ではなく、全体の福祉に焦点が絞られるのです。

共栄主義とは、神様の真の愛を基盤として共同参加し、自由、平等、幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参加の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治の単位が愛中心の家族関係の拡大であることを理解するとき、代議員の候補者は互いに敵対関係にはなり得ません。一人の神様を父母として侍る兄弟関係によって周辺から推薦され、奉仕する使命感をもって候補になるのです。

そして、いくつかの選出段階の過程を経るときや最後の決定には、不純な人為的条件が介入されることなく、神様のみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式によって抽選で当選者を確定する方式になるのです。神様のみ旨と天運によって当落が決定されるので、みな感謝し、その結果を喜ばしい心で受け入れます。理想世界の国家の重要機関と部署は、共同目的のもとで、互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が、頭脳の指示による共同目的のもとで、合目的的、あるいは自律的に協助し合うのと同じです。

共義主義とは、真の愛を中心とした普遍的な倫理、道徳を守り、構成員すべてが善と義の生活を追求する主義のことをいいます。これは、神様の真の愛による絶対価値のもとで、万民が倫理と道徳を普遍的に実践する道義社会を目指す思想となるのです。

理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提としています.真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります.また、完成した人間は、真の愛によって心身が調和統一を成し遂げた人です。このように完成した人々が、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、主体的に善と義を行う最高の愛の世界、道義世界が正に理想世界なのです。

いかなる専門的な知識があったとしても、真の愛に比べればそれは十分なものではありません。私たちは、何が人間を幸福にしてくれるのか、ということに対する知識をもたなければなりません。その知識というのは、正に全知全能であられる神様のみ旨なのです。ですから、真の知識とは、神様のみ旨を知ることです。神様が理解され御覧になるのと同じ基準で、世界と歴史と人間を理解して見ることができなければなりません。

すべてを御存じであられる神様が創造された、結果の世界に対する一部の知識を習得したからといって、自慢したり、独裁者のように振る舞って他人を支配したりすることは、学者として望ましこ理ではありません。皆様の目標は物理学と化学、そして生物学などの新しい発見を論じることだけではありません。そのような発見や学問的な成就が、個人と人間の全体社会にいかなる利益となるのか、そして人間と世界と万物との調和の取れた関係をいかに成し遂げるのか、ということに関しても理解し、検討しなければなりません。

科学の発見は、あまりにも頻繁に、一個人、あるいは一国家の征服や繁栄のための利己的な目的に誤用されてきました。学問的な発見や発明は、神様が人間に与えてくださった大いなる祝福です。神様は、人類全体と世界のために、このような祝福を下さるのです。もしも祝福によって得られた学問的成果が、ある部類の利己的な目的にだけ利用されるのだとしたら、それは善の可能性が悪に変わってしまうのです。

4. 「世界平和教授アカデミー」に対する期待

ゲルホルム議長、これまで第二十回「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」のために注いだ教授の努力に対して、個人的に深甚なる感謝を捧げます。教授は、「ICUS」の創設以来、ずっと共に働いてきており、また「ICUS」のビジョンの最高の位置を代表しています。

今回の会議に、遺伝学と生物学、そして人間の老化問題など、最近の数々の研究に関する論議のために、全世界の碩学たちを集めました。これらの研究は、新しい可能性を切り開きましたが、その正しい使い方のための新しこ徳的、あるいは社会的挑戦が付きまとうことと思います。私は、今回の「ICUS」が甲斐ある収穫を収め、世界に大きく寄与する成果があることを祈ります。

「世界平和教授アカデミー」は、一九七三年、世界平和のための学者たちの積極的な探究と実践のために創設されました。特に、大学社会において、世界平和のための能動的な研究と実践の機会を提供してきました。世界に山積した問題は、良心的な碩学たちの指導を待っています。

教授たちは、理論を教えるだけでなく、学生たちに人格と価値を植えつけてあげるのです。教授たちは、学生たちの人格形成と発展に重要な影響を与えることになるので、彼らを善の道に導き、助けなければなりません。

私と私の妻は、「世界平和教授アカデミー」を通して、世界の若者たちが、超国家、超宗教的に和合する未来社会の立派な指導者となるよう教育することを目標に、「世界大学連盟」を開設しました。尹世元総長とルーベンシュタイン総長の知恵深い指導のもと鮮文大学とブリッジポート大学を中心に、私の構想が実践されることを期待しています。

「世界大学連盟」の活動によって、世界各地の学生たちは、世界最高の学者たちの教えに接し、また教授たちは、国境を超越して多くの学生たちを指導することができるので、より良い未来のために、より大きく寄与するようになるでしょう。教授たちは若者に多くの影響を与えます。しかし、人は父母を通してより大きな影響を受けるのです。個人の性格と人格形成に最も大きな影響を及ぼすのは家庭です。

人生において、家庭は、最も重要な愛の学校です。子女たちは、家庭において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てられます。これが子女の人格をつくる礎石となります。また、家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないというのが天道です。

父母は、子女に真の愛を施す真の父母になると同時に、真の師となって心情教育と規範教育を正しく行うようになっています。たとえ父母が真の師であることを自覚できなくても、子女は、父母からありのままの姿に似て学ぶようになるのです。父母の役割は、このように重要です。子女は、父母が与える真の愛と父母の愛の生活に似ていきながら、愛の人格が形成され、霊性が啓発されていくのです。今日、全世界にわたって、家庭が変わりつつあり、伝統的な家庭は様々な面から挑戦を受けています。産業化と現代化が加速するにつれて、人類の価値観は崩壊し、倫理と道徳の基準が揺さぶられています。さらには、個人主義、快楽主義、拝金主義などによって人間性が抹殺され、フリーセックスと不倫はますます助長され、家庭が破壊されつつあるのです。

5. 真の家庭を立てるために先頭に立つべき

尊敬する学者の皆様。これはどれほど不幸な風潮でしょうか。このまま放置すれば、人類は、未来に希望をもつことができなくなります。いくら社会的条件が変わったとしても、父母と子女の関係の重要性を揺るがすことはできず、家庭の大切さもまた変わりません。重ねて申し上げますが、愛は人間の幸福と喜びの源泉であり、家庭はその幸福と平和の基台になるのです。

数日後に私が執り行う歴史的な三十六万組の祝福結婚式は、私が生涯を捧げ、理想家庭に対して教育をしてきた結実の一つです。祝福儀式に同参する人は、理想家庭を築くことを既に神様に誓約し、不変の愛を祝福によって許された人たちです。神様の真の愛を中心に真の夫婦となり、父母となって真の家庭を築く人たちです。祝福行事は、一教団の結婚儀式だけではなく、病んだ人類を生かし、愛の秩序を回復させ、家庭の危機を救う救世の儀式なのです。統一教会でこの祝福行事のモットーを「理想家庭を通じた世界平和」に定めた理由もここにあるのです。

家庭の未来を診断する今回の「世界平和教授アカデミー」世界大会を開催するために御苦労されたカプラン議長の指導力に感謝申し上げます。百二十カ国から参加した碩学たちと共に真の家庭像を打ち立て、不正と不倫の現世代に挑戦しなければならないと思います。皆様は、問題の分析や理解だけではなく、責任を負って、理想家庭を創造し、指導していかなければなりません。理想家庭によって社会を先導し、明るい未来を創造すると期待しています。

今回の期間に、神様の加護のもとに行われる全体会議と分科会議が、皆様の熱を帯びた討議によって立派な成果を収め、さらに皆様が韓国に滞在する間、意義のある、有益な経験をすることを願ってやみません。皆様の家庭と皆様が携わるお仕事の上に神様の御加護があることを祈りなから、これで私の話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。

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第五篇 18 社会の諸問題と言論の責任

第五篇 18

社会の諸問題と言論の責任

日付:一九八二年十月四日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第五回「世界言論人会議」

尊敬する議長、内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。第五回「世界言論人会議」に参加するために韓国を訪問してくださった皆様に、深い感謝の意を表す次第です。

「世界言論人会議」は、著名な言論界の重鎮たちが集まり、今日の社会における言論の責任という命題について理解を深めようとするところから出発しました。

1. 韓半島は世界の縮小体

本言論人会議の範囲は全世界的であり、私たちが追求し達成しようとする理解は、国際的な理解です。そのような意味で、本会議が今から三十二年前、北朝鮮の共産党による不法韓国侵略当時、自由世界の二十一カ国が団結し、その侵略を打ち破ったことのある、この韓国で開催されることに、より大きな意味があると思います。このような自由諸国の団結した実力行使は、崇高な国際協力の標本として、その類例をほかに見ることができません。

韓国人は、六・二五動乱当時、祖国が危機に瀕し、世界平和が脅威にさらされていたとき、国連の名のもとに世界の多くの自由国が韓国の自由守護に貢献してくれたことに対し、決してその恩を忘れることはできません。また私は、本会議が韓国で開催されることに、もう一つの重大な意義を見いだしています。それは今日、韓国が世界のあらゆる主流文化の融和点となりつつあるという事実によるものです。

韓国は、アジア諸国の中でも特異な国です。韓国は、過去五千年間、東洋固有の文化と生活様式を保ってきました。ある意味では、最も純粋な本然の東洋文化の神髄が維持されている所が、正に韓国であると言えます。また韓国には、世界の主流宗教が入って栄えました。今は西欧文明の精神的核心と言えるキリスト教が、韓国に深く根を下ろし、発展の一途をたどっています。世界各地の教会が、閑散としていくのとは反対に、韓国のキリスト教会では昼夜、礼拝と祈祷の声が高まっていっています。

韓国のキリスト教は、西欧の精神文明の根となるヘブライ思想の結実と言えます。古代ヘブライの預言者によって証され、キリスト教の聖者によって継承されて、今日の世界の主流宗教となってきたキリスト教は、正にヘブライ思想を根源としたものであると言うことができます。そうかと思えば、休戦ラインの以北の北朝鮮では、ヘブライ思想とは正反対の伝統を継承してきたヘレニズムが極端な形で結実しています。これが正に唯物思想に立脚した、神様を否定する共産主義です。この相反する二つの主義をそれぞれ信奉する二つの世界が、正にこの韓国において互いに衝突しているのです。

朝鮮戦争は、この二つの主義の世界がぶつかった戦争でした。ですから、朝鮮戦争は局地戦争ではなく、それぞれ結束した共産主義世界と自由世界の二つの陣営が正面から対立して戦った世界戦争でした。したがって韓半島は、世界の縮小体と見ることができます。世界のすべての問題が縮小され、韓半島で引き起こされているのです。したがって、韓国で得られる経験と成功した解決策は、韓国における問題の解決策であるのみならず、世界問題の解決策になるのです。それでは、私たちはどのような形態の解決策を求めているのでしょうか。

共産世界と自由世界の対決は、一言で言えば理念の対決です。さらには哲学の対決であり、究極的には主義と思想の対決です。もし神様がいるとすれば無神論はうそになるのであり、もし神様がいないとすれば、唯物論は真理になるのです。神様を中心として、いるいないという、相反する二つの主義が、どちらも真理であるということはあり得ません。ですから、この二つの主義は、宿命的に必ずぶつかるようになっており、二つのうちの一つ、すなわち真の真理だけが残るでしょう。

ですから、神様の実在を信じる私たちは、その神様を私たちの日常生活で、実証をもって見ることができなければならず、世界が否定できない神様として浮き彫りにしなければなりません。「神はいない」という思想に対しては、「神はいる」という徹底した実証さえあれば勝つことができます。そのようになれば、共産主義問題はその根本から崩れていくでしょう。そのような使命をもって始まった精神運動が、正に私たちの統一運動であり、またこの運動が、ここ韓国から始まらざるを得ない論理的根拠があるのです。

2. 社会問題の解決方案と言論の責任

私はこの機会をお借りして、私が統一運動を起こすことになった背景を説明したいと思います。弱冠十六歳(数え)だった年のことですが、当時、私は北朝鮮の地におり、その時、極めて意味深い一連の霊的な経験をしたのです。

幼い時に体験したこの体験を、言葉でもって、皆様にすべてを表現することは非常に難しいことです。一言で言えば、霊的な世界が突然、私の前に開かれて、私はその霊的な世界にいる聖賢たちと自由に、思いのままに交流できるようになりました。北朝鮮の地、静寂な山中で、私は何度もイエス・キリストと直接対話をしました。そのときから啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心なのです。

最近アメリカの法廷で、私はイエス様とモーセと釈迦と会ったことがあると証言しました。そのとき、世界の言論は大きな衝撃を受け、全く信じ難いことであると言いました。しかし、私は、経験した本当の事実を語ったにすぎません。私が宣布したいことがあるならば、それは、「霊的世界は厳然として存在し、人間の生命は永遠である」という真理です。このような体験をして以来、私は統一教会を創立し、その統一教会から統一運動が始まりました。この統一運動は、今日、人類と世界の前に置かれた深刻な問題に対し、解決策をもたらそうとする運動なのです。

第一に、統一運動は、共産主義問題に対して積極的な解決策をもたらす運動です。共産主義問題の解決のためには、自由世界に新しい心霊的覚醒が訪れなければなりません。そして、この心霊的覚醒が基礎となり、人類のすべての実際問題に対する解決方案が出てくるようになるのです。

第二に、統一運動は、世界のすべての宗教が相互協力できる足場を構築する運動です。世界のすべての宗教は、お一人の神様を信じる勢力として団結しなければなりません。人間の本心は、創造主、または人類の父であられる神様を認知できるようになっています。お一人の神様を人類の父としてお迎えする所に、一つの世界統一家族が具現されるのです。

第三に、統一運動は、道徳的な世界を具現する運動です。これは、今日の若者たちにとってより重要なことです。今日、絶対的な道徳基準がないために、非道徳が蔓延しているのです。貪欲的で利己的な生活、人がどうなろうと関係なく、また人を利用してでも自分だけが利益を得ようとする風潮が助長され、蔓延しつつあります。このような状態が続くようになれば、結局、社会は破滅を免れないでしょう。

善の世界を建設するための価値観の絶対道徳基準は、創造主であられる神様を離れてはあり得ません。なぜなら、神様だけが永遠、不変であられるからです。その神様は、観念の神様ではなく、私たちの一日一日の生活に臨在されなければなりません。世界の善男善女が神様と常に交流しながら暮らすとすれば、そこに非道徳はあり得ないのです。

これは厳然たる真理です。真理の前に偽りは砕かれるものであり、その偽りがたとえこの上なく大きな経済力と政治力、社会的力によって支えられているとしても、結局その偽りは真理を克服することができません。強大な力をもつ共産主義であっても、彼らの主義が真理に立脚していないならば、必ず真理の前に砕かれる時が来るのです。

このような「統一思想」運動を展開する中で、私は世界各地で言論から多くの誤解を受けてきました。言論に対し、甚だ遺憾に思うような立場にある人がいるとすれば、私こそ正にそのような立場にあると言わざるを得ません。

しかし、私は、言論の攻撃に対して悔しく思い、報復しようとする代わりに、むしろ言論が私に対して多大な関心を寄せてくれて、有り難く思っています。もちろん、私は言論人たちに貴重な奉仕をしてきました。皆様が使える数多くの資料を提供しました。レバレンド・ムーンを追い回せば、言論は決して倦怠感や退屈さを感じる暇がないでしょう。

実際、私は言論人たちに対して嫌悪感を抱いていません。私は、言論がもつ善の無限の可能性が達成される日が来ることを堅く信じているからです。今まで私は多くの誤解を受けてきました。その誤解は無知によるものであり、その無知と誤解によって歪曲された記事が生まれたのです。きょう、私が皆様にこのように演説するのも、結局は、皆様と私の間の理解を深めようとするところにあります。私は、言論を忌避しようとはせず、どんなに不可能に見えたとしても、真実を伝えることにあらゆる努力を傾けるでしょう。

3. 映画「オー! 仁川」の製作目的

最近、私と映画「オー! 仁川」の製作をめぐって、多くの話題が行き交っています。この映画には、五千万ドルという多額の製作費が費やされ、ハリウッドの名高い俳優たちが動員されました。多くの人々が、宗教指導者である文牧師がなぜハリウッド映画に関心をもつようになったのかといぶかしく思いました。私自ら、その理由を説明しようと思います。

この映画に関心をもつようになったのには、二つの大きな理由があります。一つ目は、朝鮮戦争の侵略者が誰なのかということを歴史的事実として証することに目的があります。過去三十年間、共産主義者たちは、歴史的事実を歪曲するために不断の努力を続けてきました。彼らの宣伝がとても効果的だったためか、今日、多くの若者が、アメリカと韓国が北側を侵攻した侵略者であると思っています。しかし、実際のところは、北朝鮮の共産党が、ソ連と中国の支援を受けて韓国を侵略してきたのです。これにより、数百万の罪のない人々が彼らの侵略の前に犠牲の供え物となりました。この歴史的事実は明白に描かれなければならず、共産侵略者たちの正体が正確に記録されなければなりません。この映画「オー! 仁川」は、正にこの目的のためにあるのです。

二つ目は、マッカーサー元帥の功績に対し、尊敬と賛辞を送ることに目的があります。マッカーサー元帥は、神様を愛し、人類を愛し、また人類と神様の一番の敵である共産主義を正確に知って嫌悪していた偉大な将軍です。一九五〇年、北朝鮮が南侵してきた危急な状況にあって、韓国と韓国人たちの存亡が危うくなったとき、マッカーサー元帥は共産侵略を防ぐことこそが神様のみ旨であると信じました。神様を信じる信仰の中で、彼は仁川上陸作戦を計画して実践しました。これは軍事戦略の傑作であり、不可能な条件を偉大な勝利へと導いた歴史的功績となりました。

マッカーサー元帥はまた、戦略の天才であるだけでなく、この上ない人類博愛主義者でした。第二次世界大戦当時、日本の降服に次いで、マッカーサー元帥は征服された日本の最高司令官として君臨するようになりました。彼はその権力の座で暴君になることもできましたが、それとは正反対に、敗戦国の日本を、父のような愛と慈悲で統治しました。

マッカーサー元帥は、朝鮮戦争をいかに究極の勝利へと導くかということとアジアでの共産主義問題を完全に解決する方案が何かということを正確に知っていました。もしそのとき自由世界が彼の忠告に従って、マッカーサー元帥の意図することを実践していたなら、韓国が分断される悲劇はなかったはずであり、アジア全域における共産主義の膨張と無限の犠牲はなかったはずです。自由世界に羞恥と汚点を残したベトナム戦の敗戦もなかったでしょう。

私は、今日の世界の若者たちがマッカーサー元帥の偉大さについて理解してくれることを熱望しています。また、彼らがマッカーサー元帥を英雄として推戴し、マッカーサー元帥の歩んだ道を模範として、神様と人類に奉仕する働き手となってくれることを切実に願っています。

最後に、この映画を作るに当たり、私にとって個人的に忘れられないもう一つの縁があります。朝鮮戦争が起きたとき、私は北朝鮮の共産刑務所に収監されていました。その刑務所の悲惨な状況は、とても言葉では表現することができません。そこに収監された政治思想犯たちのある者は、六カ月足らずで死んでいきました。

私は神様の特別な御加護のもと、三年近い長い歳月をその刑務所で耐え抜きました。仁川上陸作戦に続いて国連軍が北へ北へと攻め上がっていく中で、焦った共産主義者たちは、収監されていた政治思想犯を処刑し始めました。私に最後の瞬間が迫ってきていました。ところが、私は連れていかれて処刑される前の日に、劇的に国連軍の助けによって解放されるようになりました。ですから、「オー! 仁川」という映画は、私がマッカーサー元帥に捧げる感謝のしるしとも言えるのです。

私は、マッカーサー元帥に生前に会うことができませんでした。しかし、この朝、幸運なことに、私たちはマッカーサー元帥の甥である、ダグラス・マッカーサー二世大使を基調演説者として迎えることになりました。私はこの瞬間、マッカーサー大使からマッカーサー元帥が実際に来られていることを感じています。マッカーサー大使をお招きできたことは、実に大きな喜びにほかなりません。マッカーサー大使とラッシャー議長が参加され、この壇上にいらっしゃる貴賓と世界各国の著名な言論人が参加された、この「世界言論人会議」に、私は大きな期待をかける次第です。

ぜひ、これからの数日間、熱心に会議に臨んでくださることをお願いし、この会議が終わり次第、皆様を招いて、短い間でも楽しい時間を過ごせるようにしたいと思います。私は、皆様に我が国のことを詳しく紹介したいと思っており、皆様が韓国を発つとき、この国にまた来たいという気持ちをもってお帰りになるのなら、それ以上に大きな栄光はありません。

最後に、皆様がこの会議に参加してくださったことに改めて感謝しつつ、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。

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第五篇 19 言論の信頼性と社会的責任

第五篇 19

言論の信頼性と社会的責任

日付:一九八四年十一月二十日

場所:日本、東京、ホテル・ニューオータニ

行事:第七回「世界言論人会議」

名誉議長、共同議長、そして紳士淑女の皆様。東京にて開催する第七回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことは、私の喜びとするところです。私が東京に行くことができないのは残念ですが、私の心は皆様と共にあると思っていただき、どうか御了解くださることを願います。

私は、日本人および日本という国に対して、最高の敬意を抱いております。日本は、現代世界において優秀な国の基準になっています。現代において奇跡的な経済発展を遂げ、世界の強大国の一つとなったアジアの国、日本から、私たちは学ぶべきことが数多くあると思います。電子機器および活字を駆使しながら言論界に従事する一員として、皆様は現在、地球上で最も強力かつ影響力のある選ばれたグループを代表しています。自由主義諸国のほとんどの国では、他の職業に比べて、言論の活動を規制する法律はほとんどありません。それは良いことです。自由の中で暮らせる恵沢を受けた人々は、自由な報道が、専制主義に対して最も強力な歯止めになることを知っています。

政治的、経済的、あるいは学術的な手段よりも、言論が社会に与える影響は迅速です。これが正に「世界言論人協会」の信念です。しかし、外部からの規制がない場合、それによる威力の乱用という問題が提起されることもあるのです。自由とは、実に創造主から与えられた最も貴重な賜物の一つです。人間は自由な精神的存在として創造されています。しかし、人間は、自由な存在として創造されると同時に、神様から責任も与えられているのです。自由というのは、自己規律と自己抑制とを必要とするからです。

自由は法則から離れて存在することはできません。宇宙には物理的法則と精神的法則が働いています。それらが自由を究極的に制限しているのです。例えば、皆様は自由にホテル・ニューオータニの屋上に行って、そこから飛び降りることもできます。それは皆様の自由です。しかし、その自由な行動は、皆様の自己破滅を招きます。なぜなら、それは自然の法則に反することになるからです。また、海に入って空気の代わりに水で呼吸するのも自由ですが、自然の法則はこのときも働きます。皆様の肺はそれに耐えることができず、結局のところ皆様の生命が破壊されてしまうでしょう。誰もこれには異論がないはずです。

精神的法則はそれほどはっきりしたものではありませんが、自然の法則と同様、絶対的なものです。精神的法則を知るためには、人間が宇宙の中で神様によって創造された最初の精神的存在であることを認識しなければなりません。神様は創造主として、自ら創造目的を定め、精神的法則を定められました。すべての価値は神様から始まります。人生の目的や、人間がいかにしてその目的を成就するかは、既に神様によって定められているのです。これが絶対的価値の基盤です。この絶対的価値の基盤の上に道徳の源が立てられます。これらの道徳の源が精神的法則を構成するのです。

人間は精神的存在として創造され、精神的法則によって生きています。私たちは、創造主が定めた人間の根本的な目的を成就するために、この地上に存在しているのです。人間の精神的幸福は、人間が神様によって定められた道徳律に従って、個人としての責任を果たすことによって増進するようになっています。人間がこの法則に違反すれば、自然の法則に違反したときと同様、自己の破滅を招いてしまうのです。

皆様は、言論人である前に、まず人間です。人間の第一の責任は、基本的な道徳的原則に従って、自由を行使することです。言論人にとって報道の自由は、すべての自由人に共通する道徳の基準によって行使されなければなりません。ここに言論における責任の重要性が問題となってくるのです。このような理由で、私は「世界言論人会議」の創設者として、報道の自由とともに言論の道徳的責任を強調し、そのために闘っているのです。

トーマス・ジェファーソンが、「報道は人間の心を啓発し、人間を理性的、道徳的、社会的存在として向上させるための最良の道具である」と言っているのは、全く正しい見解です。ジェファーソンは、私たちの自由そのものが報道の自由に依存しており、報道の自由は決して制限されてはならず、少しでも制限されるならば、すべてが失われてしまうとまで語っています。この言葉の中には、大変含蓄のある真実が込められています。しかし、私たち自身がまず理性的、道徳的、社会的存在にならずして、どうして人の心を啓発したり、人をして理性的、道徳的、社会的存在となるよう、人を鼓舞したりできるでしょうか。私たちがそのような道具となるためには、何が道徳的であり、何が非道徳的であるかを決める基本的原則を先に理解しなければなりません。すなわち、私たちは、神様の精神的法則を基本的に理解できなければならないのです。

民主主義は、報道の自由なくしてはその機能を発揮できません。そして、報道の自由は、道徳的責任と共に行使しなければ、真の自由とはなり得ません。自由な報道とは、道徳的な報道であると私は信じています。言論を職業としている私たちは、この点に特別の誇りをもっています。言論人が社会の中で、特別な位置を占めていると言えるのは、正にこのような理由によるのです。言論人は、不正に対して闘う正義の闘士であり、自由の守護者です。

しかし、最近の報道は、道徳的で責任あるものとなっているでしょうか。アメリカにおける報道の例を取り上げてみましょう。アメリカは民主主義制度が最も模範的に運営されている国とみなされています。報道の自由は、アメリカ合衆国憲法で保障されています。それにもかかわらず、言論の信頼性と評価が低下しつつあるのは明らかです。

調査によれば、以前に比べてニュース・キャスターを信用しないという人の数が徐々に増加しています。言論は傲慢であって信頼に値しないという人の数が徐々に増加しているのです。そのような認識が、次第に社会組織の中で広まりつつあります。昨年、アメリカ軍がグレナダに派遣されたとき、言論人たちは現場から除外されました。NBCの夜のニュース解説で、言論界の多くのメンバーがどう感じているかを報じていました。それによると「アメリカ政府は、大衆の代表が誰も見ていない所で、やりたい放題のことをやっている」というものでした。

しかし、手紙や電話でNBCの各支局に続々と寄せられた反応によると、六人中五人の視聴者が政府の行動を支持していることが分かったのです。ABC放送のアナウンサーは、グレナダから報道陣を閉め出したレーガン大統領の決定に対し、投書の九九パーセントがこれを支持していると語っていました。「タイム」誌にも多くの投書が寄せられましたが、それらは九人中八人が報道機関の見解に反対するものでした。

一九七六年に全米世論研究センターが行った世論調査では、「報道を大いに信頼する」と答えた人は、アメリカの人口の二九パーセントにすぎないことが分かりました。当時でも、一般大衆の評価指数は非常に低いものでしたが、八年後にはその数字がさらに低くなっています。

最近の調査では一三・七パーセントになっており、日に日に下降の一途をたどっています。それはどうしてなのでしょうか。人々はなぜ言論を信頼しないのでしょうか。大衆はニュースの背後にある利己的な動機を疑い、言論の行動が、全般的にますます無責任で扇動的かつ無節制になってきたと見ているからです。

言論の信頼性が低下の一途をたどっていることに無関心でいることはできません。世界の将来に対する責任に対して知らないふりをし、目をつぶっていることはできません。皆様は、言論媒体の創設者として、オーナーとして、また報道に携わる者として、世論や歴史の判断、そして神様の審判台に堂々と立たなければならないのです。

「世界言論人会議」および「世界言論人協会」の役割は、言論の信頼性の低下を回復し、言論の質を健全な水準にまで引き上げることです。ですから、今年のテーマを「言論の信頼性と社会的責任」としたのです。私たちは大衆の信用を回復し、歴史を正確に記述し、創造主であられ、私たちすべての最終的な審判官でもあられる神様の承認を得なければならないのです。自由世界の将来と同様に、言論も岐路に立たされています。一方において、法的手続きによって報道の自由を制限しようとすれば、自由のすべては破壊されてしまう確率が高く、また他方において、言論が規制からはずれて好き勝手に行動をすれば、真摯な大衆の信用を失うことになり、その結果、報道の自由の基盤を失ってしまう危険が生じるからです。

このジレンマに対する唯一の有効な解答は、健全な立場を失うことなく、独立性を堅持するように自ら努めることです。言論のもつ権力の乱用を防ぐことのできる人は、言論関係者である皆様しかいないことを忘れないでください。

皆様は政府からの干渉にも抵抗できるほど強く、かつ自由でなければなりません。それと同時に、道徳的で正しく、正義のためには立ち上がらなければなりません。さもなければ皆様は、人々の信頼を悪用することになり、結局は報道の自由を失うようになるでしょう。歴史は、権力を乱用すれば自由を喪失する結果をもたらすことを教えています。

皆様が偉大な言論人になるためには、神様の道徳律に従って生きる偉大な人間にならなければなりません。また、正しい言論が存在するためには、まず道徳的で正しい人間になることから始めなければなりません。

私は、第七回「世界言論人会議」において、言論が自己の番人となる必要性をよりよく認識するのに役立つ一つの方法として、言論倫理委員会を構成することを提案いたします。このような委員会は、いかなる政府の影響をも受けないものでなければなりません。それは世界言論界の著名な代表者で構成され、次のような目的のために奉仕するものでなければなりません。

一、言論界における特定の事件、問題、あるいは支配的な傾向を監視すること。

二、共通の報道倫理を採択するために、探求可能な現実的実施基準を、各報道媒体の代表者に要求すること。

三、言論による権力の乱用を強く指摘し、大衆の前に明らかにし、言論自らの行動を問題視するとともに、言論人の倫理のために貢献した個人や団体を評価すること。

四、「言論倫理賞」を創設し、言論の最高の理想を具現化し、また言論界に対する信頼性を高めることに最も貢献した個人や団体にその賞を授与すること。

この会議がこのような新しいことを誕生させる出発点となるならば、それは自由な報道を守ることに貢献するとともに、言論の責任を促進し、高める、歴史的に記念すべき善を成し遂げたと言えるでしょう。私は言論こそ自由の守護者であり、真実の擁護者であるという確固たる信念を抱いています。自由で責任ある言論を促進することほど、全体主義体制と闘う良い方法はありません。

私はいま一度、「ペンは剣よりも強し」という格言を繰り返したいと思います。現代においては、ペンに加えてマイクやカメラも合まれます。そのように見るとき、「世界言論人会議」は、地上における最強の勢力の集会です。この強力な勢力がその力を正しく行使していくならば、全人類の自由と全世界の平和を確保することができると私は確信しております。

紳士淑女の皆様。私はこのメッセージを、コネティカット州のダンベリーにあるアメリカ合衆国連邦刑務所から送ります。私は誰よりも自由の尊さを理解しています。しかし、自分自身の自由のために原則を曲げることはできません。私は自分の自由に対してだけでなく、地球上の何百万もの抑圧されている人々の自由に対して加えられている不義や、政府の侵害に対しても闘っているからです。

皆様と東京において皆様が進める「言論人会議」の上に神様の祝福が臨むことをお祈りします。ありがとうございました。

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第五篇 20 分断された世界における言論の責任

第五篇 20

分断された世界における言論の責任

日付:一九八七年九月二十一日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第九回「世界言論人会議」

尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。第九回「世界言論人会議」に参席するために、はるばる遠方からお越しくださったことを、心から感謝申し上げます。

私の祖国で開催されるこのたびの会議で、皆様に再びお目にかかり、心からうれしく思います。私は、会議という次元を超えて皆様を韓国にお招きすること自体に、個人的に大きな関心があることをお伝えしておきます。

周知のとおり、私たちは、一年後にソウルで開催されるオリンピックの準備をしております。このような栄光は韓国の歴史上初めてであり、全韓国民は、間もなく訪韓してくる数十万人もの人々の期待に応えるために、準備に忙しく余念がありません。

私は、言論に従事される紳士淑女の皆様に、事前にオリンピック大会の準備状況を見ていただき、世界に出て証人となっていただくことを願う気持ちから、今回の第九回「世界言論人会議」を韓国で開催することを勧めました。韓国人は、八八ソウル・オリンピック大会の成功と安全を保障できるほど、あらゆる苦難を克服していく強靭な信念と意志をもっている民族です。

今回の会議のテーマは、「分断された世界における言論の責任」です。韓国はこの会議の開催地として最もふさわしい場所です。ちょうどここから三十マイル北では、共産主義世界と民主主義世界が対峙しています。この二つの世界のうち、一方は神様を認める世界であり、もう一方は神様を否定する世界です。

韓半島ほど、対極的な二つの世界の違いを顕著にはっきりと現している所はありません。韓半島は、自由と独裁、善と悪、民主主義と共産主義とが闘争する全世界の縮小版なのです。

今日、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、この二つの世界は戦争の渦中にあります。皆様は、この状況を第三次世界大戦と呼ぶかもしれません。その戦争の形態は、過去の二度の世界大戦とは全く違うものだとしても、それは全面戦争なのです。この戦争は、正に二つの人生観、二つの世界観の闘争です。二つの相矛盾する価値観は、社会全般において対立しています。それは軍事のみならず、政治、社会、経済、文化、スポーツまでもが戦略的に利用される戦争です。

一方は、神様によって賦与された神聖不可侵の権利、すなわち生命と自由と幸福の追求を主張しており、他方は、人間の運命は国家によって決定されるという立場をとっています。また一方は、人間の生を神聖なものとし、人間はすべて神の子であると認めるのですが、他方は、人間を最も高度な社会的動物以上の何ものでもないと主張しているのです。

一方は、永遠の存在と絶対価値を認めていますが、他方は、すべてのものを物質とみなし、一時的で相対的なものに固執しています。この二つの世界は、古代の闘士たちが死ぬまで戦ったのと同じように、死に至る闘争状態で固められています。

多くの人々は、この二つの世界が平和的に共存できると信じています。しかし、私はそのような楽観論に共感できないのです。この宇宙の中では、到底共存できないものであることを看破しているのです。

光と闇は共存することができません。光は闇を一掃します。真理と偽りは共存することができません。真理は偽りを克服します。また、生と死とは共存することができません。死んだ者は埋葬されなければならず、生きた者は続けて生を営まなければなりません。

今日の民主主義と共産主義の世界的対決は、光と闇の戦いであり、真理と偽りの戦いであり、生と死の戦いです。周知のように、七十年という短い歴史の間で、北朝鮮の強制収容所やソ連の集団労働収容所、東南アジアのジャングル地帯など、世界のあらゆる所における、共産主義による犠牲者は、およそ一億五千万人を超えているのであり、今日もなお、その殺戮は継続されているのです。

私は韓国動乱以前に、北朝鮮で投獄されたとき、共産体制の残虐性を、身をもって体験しました。そこは刑務所というより、正に死の収容所であり、ある囚人は六カ月も生存することが困難でした。

一九五〇年十月十四日、私の死刑執行が予定されていた日の前日、私はマッカーサー元帥の率いる国連軍によって救出されました。これは全的に神様の恩寵によってもたらされたものです。二年八カ月の収容所生活で、私は共産体制の邪悪さを骨身にしみて体験しました。

私はこの目でマルクス主義の極悪な非人間性を目撃し、もしも共産主義を阻止することができない場合には、全世界は彼らの手によって破滅させられることを知るようになりました。それ以後、私は共産イデオロギーと闘争し、これを克服するためにこの身を捧げることを決心したのです。

火を火で制するように、一つのイデオロギーはまた別のイデオロギーによってのみ克服することができるのです。ですから、今日、私たちが決着をつけるために命懸けで臨んでいる闘争は、理念の戦争です。この戦争は軍事力だけで戦うのではありません。共産主義者を買収して放棄させることはできません。共産主義に勝つ道はただ一つしかありません。光が闇を追い出すように、誤った理念は正しい理念によってのみ征服できるのです。

さらに私は、共産主義の邪悪さの核心が、神様の実在を否定するところにあることを知り、また、人間の永遠の生を否定するものであることを発見しました。人が神様を否定するとき、人間の尊厳性の根拠を失うようになります。人間が神様の位置を占有してしまうのです。このような信条に立脚して共産主義理念が出現したのです。

私たちは共産主義の本質が無神論にあることを看破するとき、これを克服するイデオロギーは、神様を認め、神様を中心とする理念でなければならないということは言うまでもありません。私たちは、このイデオロギーを「神主義」あるいは「頭翼思想」と呼びます。絶対的な神様中心の世界観こそ、共産主義から人類を解放する最も効果的な武器です。それは、「神は存在する」という真の真理のみが、「神は存在しない」という偽りを一掃することができるからです。

そして、無神論に基づいた共産主義世界は、人間の希望を充足させることに完全に失敗しました。そうかと思えば、自由世界も漸次、物質万能主義へと流れ、神様を忘れてしまいました。それは、自由世界が共産主義世界と同じような立場に転落してしまい、昨今の甚だしい世界の危機を克服するのに、何の役にも立っていない理由なのです。世界は今、混沌というものによって深い闇に覆われています。「神主義」はこのような世界に新しいビジョンを提示しているのです。

多くの人々が、私の教えと統一運動は宗教界ばかりでなく、社会の様々な側面において、この世に新鮮で建設的な衝撃を与えてきたと証言しています。共産主義の支配下で呻吟している多くの人々を解放することが、私たち自由人が団結して履行すべき神聖かつ重大な義務であることを私は信じてやみません。

そうだとすれば、私たちの目的は反共ではなく、共産世界の解放です。一九七六年、私たちはワシントン・モニュメント広場において、三十万人のアメリカ人を集めた大会を開きました。これは、私がアメリカで行った大衆演説の絶頂でした。

そして、正にその翌日、私はそのような形態の集会を、次はモスクワで開催すると公表しました。この解放運動の原動力は、憎悪ではなく、正に真の愛なのです。私たちはすべての人間が自由を勝ち取れるように努力しなければなりません。そして、全世界の隅々で自由の鐘が鳴り響くようにしなければなりません。

共産独裁の統治下に生きている、二十億に近い人々が解放の日を渇望しているという事実を私は知っています。自由人たちが躊躇し、優柔不断で、義務感を喪失している間に、他方で数百万人もの人々が、毎日死んでいることを私たちは忘れてはいけません。

このような戦争の中で、言論は、その勝敗を決する重要な要因になるか、または決定的な要因になるかもしれません。理念を表現する言論人である皆様は、民主主義と全体主義の闘争で、主要な役割を果たしています。

このような使命を悟っている言論人は、勝利的結果に大きく貢献できる一方、この責任を忘却する言論人は、必ず敵に利用され、巧みに操られてしまうのです。今までになく「ペンは剣より強し」という格言が、重要な意味をもつようになりました。その権限が大きくなればなるほど、それに正比例して、その責任も大きくなることを知らなければなりません。言論の絶大な力は、開かれた自由社会の正義を擁護するために、大きな責任を有しているのです。

私は自由言論の信奉者です。それでいながら、その自由言論は「責任言論」でなければならないと確信する者です。そして、責任言論は、すなわち「道徳言論」でなければならないと信じています。それでは、道徳言論というのは何を意味するのでしょうか。私たちは人間が神様から賦与された権利と尊厳性をもっていることを認めています。人間の権利と尊厳性の擁護が、すべての倫理と道徳性の標準とならなければなりません。ですから、言論は、自由を守護し、不義と闘う最前線に立たなければなりません。

言論は、全体主義に対抗する闘争をリードしていかなければなりません。さらに道徳言論として、腐敗と人種差別主義に反対しなければならず、不当に迫害されている人々を擁護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用や猥褻な本や映画など、社会の様々な破壊的な非行に対抗し、憤然と立ち上がって闘いをリードしていかなければならないのです。すなわち、言論は社会の良心とならなければなりません。

私は、言論が抑圧されているところには言論の自由を促進させるため、そして既に言論の自由があるところには、責任言論を具現するために、「世界言論人協会」を創設しました。また私は、すべての言論人が真理のためには妥協しない、真理の闘士となれるようにするために、同協会を設立したのです。

私たちはこの「世界言論人会議」を毎年開催してきました。そして、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中南米など、全世界にわたって言論人たちが共に旅行しながら、多くの事実を学び体験する言論人世界視察旅行を数回敢行しました。このような旅行は、真理を模索する旅程であり、言論人たちが世界を肌で感じる機会を提供するためのものです。

私は、この「世界言論人協会」が過去九年間にわたり成し遂げてきたその業績を誇りに思っています。皆様がテレビや新聞を通して、私に関しての多くの話を聞いておられるとしても、私に直接会うのは恐らく今回が初めての方々が多いのではないかと思います。レバレンド・ムーンに関する数多くの興味ある話は、皆様の新聞をますます売れるようにし、皆様の番組の視聴者を増加させました。

このように、私は長い間、皆様の事業を援助してきましたので、今度は私が皆様に一つお願いしても御理解いただけるのではないかと思います。それはほかでもなく、私の思想と生涯を一度研究してみてほしいということです。心の扉を大きく開けて、一度研究してみてください。そして、皆様御自身の結論を出してくださるようお願いします。韓国はこのような研究を始めるには、絶好の場となるでしょう。

もしもここでの私たちの努力が、自由世界の理念具現に重大な貢献をすることができるならば、私たちはその高貴な目的の達成のために、自身のあらゆる努力と資源と生命までも捧げなければならないでしょう。私は、この価値ある課業における皆様の御参加を心からお祝いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りします。

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第五篇 21 言論の規範と記者の責任

第五篇 21

言論の規範と記者の責任

日付:一九八九年三月二十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ・ショアハム・ホテル

行事:第十回「世界言論人会議」

尊敬する議長、貴賓、そして紳士淑女の皆様。ワシントンDCで開催される第十回「世界言論人会議」に皆様をお招きできたことを、誠にうれしく思います。今年は、選ばれた主題の発表者だけではなく、参加者の皆様が、歴代のどの会議よりも立派な方々がいらっしゃると聞いております。皆様にお会いできて、誠に喜ばしい限りです。ほとんどの方は、今回初めて参加されたことと思います。私が皆様にお会いして喜ぶように、皆様も私に会って喜んでいただければ幸いです。

皆様も御存じのように、私は本来、宗教指導者です。それにもかかわらず、私の活動領域は宗教に限られていません。私は言論に対しても、多大な関心をもっています。一九七五年以来、私は世界各地で多数の新聞社と出版社を設立してきました。

一九七五年に、日本の東京で日刊紙「世界日報」を創刊し、一九七六年には、ニューヨークで「ニューズ・ワールド」紙と「ニューヨーク。シティー・トリビューン」紙を創刊しました。アメリカの主要都市でスペイン語の日刊紙「ノティシアス・デル・ムンド」も発行しました。一九八一年からは、ウルグアイのモンテビデオで、日刊紙「ウルティマス・ノティシアス」を発行し、中東地域では「ミドルイースト・タイムズ」紙を発行しました。しかし私は、アメリカの首都ワシントンDCで、代案の声を出す人物として最もよく知られています。百二十八年の歴史をもつ「ワシントン・スター」紙が廃刊になってからは、ワシントンには、ただ一つの新聞だけが残りました。

「ワシントン・タイムズ」は創刊して七年にも満たないですが、優秀な新聞として成長し、秀でたデザインと編集内容で多くの受賞経歴をもつようになりました。この新聞は、アメリカで最も多く引用される三大新聞の一つとして、AP通信会社によって選ばれました。ワシントン・タイムズ社はまた、週刊誌「インサイト」と月刊学術誌「ワールド・アンド・アイ」を発刊しています。さらに、私が行ってきた韓国では主要日刊紙「世界日報」を創刊しました。この新聞は二カ月足らずで、発行部数が百万部を超えました。私はこのような出版物の発行に加え、言論の倫理と責任に関連した問題を探求するために、一九七八年に「世界言論人協会」を創設しました。

ここで、宗教指導者がなぜ多くの資金を投入して言論事業に力を尽くすのかという疑問があるようです。私がそのようにする理由はとても簡単です。それは言論によって支配される時代だからです。電波媒体と印刷媒体は、今まで地上に知られた最も強力で影響力ある伝達手段です。

紛争に苦しみ、互いに異なるイデオロギーが衝突する世界で、私たちが平和に暮らすのか、それとも戦争に巻き込まれるのかを決定する上で、言論は重大な役割を果たします。私の究極的な目標と願いは、恒久的な平和、言い換えれば真の価値観、すなわち真の愛に基づいた平和を実現することです。このような目標の達成は、軍事力によるよりは、言論の活動によるほうがはるかに大きい可能性をもっています。それだけに、この会場には、全世界から来られた最も影響力のある方々が集まっていると言ってこそ、正確な表現になるでしょう。言論人は人類の将来を、より良い方向か、または悪い方向に導いていける影響力をもっています。

言論は、強大な力を保有してはいますが、多くの自由国家では、世界の大多数の職業と比べ、顕著なほどにその言論活動を規制する法律がほとんどありません。そのような状況において、言論の自由という名のもとで強大な力を振りかざすことを念頭に置かずにはいられません。したがって、言論人たちは絶えず自省する努力を傾けなければならないということは自明の理です。

自由とは、神様が人間に賦与した最も大切な贈り物のうちの一つです。人間は創造されるときに、自由意思を与えられました。そして、自分の行使した自由に対しては、責任を負うように創造されました。正しい自由の意志行使に当たっては、正否に関する根本的な理解に基づく修養と節制が求められます。正否に関する定義を下す必要に迫られたとき、他人を害さなければ、いかなるものも許されるという回答をしばしば耳にします。しかし、明らかなのは、何が害することなのかを決定するための絶対的基準がそこに求められるということです。

創造主であられる神様は、人生の目的を既に定めておられます。人間の精神的幸福は、神様がお立てになった法度に従って人生の目的を実現してこそ得られます。人間がこのような原則から外れるならば、自然法則を違反したときのように自己の破滅を招くことになるのです。

私がこのようなことを話すのは、人間というのは、言論人や学者、聖職者、さらには夫や妻などの区分を問わず、誰もが神の子だからです。私たちは、自分たちを創造してくれた神様の息子であり、娘なのです。人間の神性と特有の尊厳性は神様に由来しているのです。人間の第一の責任は、神様から賦与された人間の価値を守るために、自由を行使することです。これを履行するためには、私たちは神様から賦与された根本的な道徳律に従って生きなければなりません。

アメリカは、個人の自由に高い価値を与える国です。アメリカ人とアメリカに住む人は誰でも、好きなだけ神様をあがめることができ、集会の自由があり、いかなる内容でも出版したり話したりすることができます。同時に、アメリカの建国の父たちは、自治という概念を強調しました。私たちは今日のアメリカにおいて、自由があふれている反面、自治が欠如していることを発見します。

言論が自由でなければならず、独立的でなければならないことは自明です。そして、独立的な言論は、道徳的な言論にならなければなりません。それでは、道徳言論とは何を意味するのでしょうか。道徳言論とは、神様から与えられた人間の権利と尊厳性を保護し、維持しながら、増進させるために自由を行使する言論です。人間の権利と尊厳性の保護が、すべての倫理と道徳性の基準にならなければなりません。

ですから、道徳言論は、人権と自由の守護の最前線に出なければならず、いかなるたぐいの不正に対しても対抗しなければなりません。このようにすることだけが、世界平和を保障する最善の方法なのです。道徳言論は、あらゆる形の抑圧に対抗する闘いの先頭に立たなければなりません。さらには、道徳性の回復という次元において、腐敗と人種差別主義に対抗し、不当に差別や迫害を受ける人々を保護しなければなりません。道徳言論は、麻薬の乱用と猥褻な書籍、その他、私たちの社会における多くの破滅的な悪習と対抗して闘うときに先頭に立たなければなりません。そうして、道徳言論は、私たちの社会の良心にならなければならないのです。

今年の会議には、ソ連と中国の言論人の代表の方々が初めて参加しました。私たちは、ソ連と中国から皆様をお招きできたことを誠にうれしく思います。共産主義世界は、急速に変化しています。私は、ソ連のグラスノスチとペレストロイカという新しい開放・改革政策と中国が採択した改革政策に賛辞を送ろうと思います。ソ連と中国のこのような変化に対しては、両国の言論が主導的な役割を果たしています。「世界言論人協会」は、皆様が参加する今回の会議において、自由で公開的な討論が行われるように進んで努力をしています。

民主主義世界と共産主義世界は共に、腐敗と貪欲、搾取など、諸般の問題を解決するために努力しています。しかし、この両世界ともが、依然としてこの目標を実現することができずにいます。私の見解では、両社会は共に根本的な問題を抱えています。両世界は、自分たちの問題を、神様を排除したまま解決しようとしています。神様は忘れられた存在なのです。私たち人類が神様を捨ててしまったことは、今世紀の最も深刻な問題です。皆様が全体主義や無神論的世俗主義の名のもとで、神様から離れるならば、いかなる場合においても自己破滅という同じ結果を招くようになります。共産圏と西側諸国は、このような根本的な問題と闘っているのです。

私は、言論が抑圧を受ける所では、言論の自由な表現を増進するために、そして言論の自由が既にある地域では、責任言論を具現するために「世界言論人協会」を創設しました。さらに一歩進んで、私がこのように意味ある団体を立てたのは、真実報道の精神を鼓舞し、言論に携わる人たちが、妥協しない真理の闘士になるようにすることにあります。

私たちは、「世界言論人会議」をほぼ毎年開催してきており、言論人のための世界視察旅行を数回推進しました。このような実態調査の旅行の対象国家には、ソ連、中国、南アフリカ共和国、モザンビーク、アンゴラ、カンボジア、中米国家などが含まれます。言論人たちはこのような旅行を通して、現地の実情を取材し、世の中を直接体験できる機会をもつようになります。諺に「百聞は一見にしかず」という言葉があります。この言葉のように、言論人たちは事実を正確に報道するために、常に世の中の状況を見ていなければなりません。私たちが今回の会議で数日間にわたって議論するテーマは、「自由で道徳的な言論活動の考察」という重要な内容です。

最後に、皆様は、テレビや皆様の新聞で、私に関する内容をたくさん御覧になっていることと思います。皆様はレバレンド・ムーンに関する興味深い話が、新聞の販売部数を上げ、より多くの視聴者をニュース番組に引き込むのに役に立ったという事実を認めるでしょう。

このように私は、長い間、皆様のお役に立ってきたのですから、今度は私が何か一つお願いをしたとしても、御了解くださるのではないかと思います。そのお願いというのは、私の思想と生涯を一度研究していただきたいということです。心の扉を大きく開いて、一度研究してください。そして、皆様御自身で結論を下してください。今回の会議は、そのような研究を始めるのに絶好の場となるでしょう。

ワシントンDCに滞在しながら会議に参加する間、楽しい時間をお過ごしください。御参加くださったことに感謝申し上げ、神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあることを祈ります。

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第五篇 22 真の統一と一つの世界

第五篇 22

真の統一と一つの世界

日付:一九九〇年四月九日

場所:ソ連、モスクワ、ソビン・センター

行事:第十一回「世界言論人会議」

親愛なる議長団、尊敬する元国家元首、首相、貴賓、そして紳士淑女の皆様。歴史的な第十一回「世界言論人会議」を皆様と共に、ソ連の首都モスクワで開催することとなり、限りなく栄光に思います。今回の大会のテーマは「世界のコミュニケーションと協力の増進」であり、これについて討論できる場所として、正にここソ連が最も適していると思います。また、今回の大会の開催は、私にとってはこの上ない喜びであると言うことができます。なぜなら、世界平和を追求する素晴らしい二つの団体の会議、すなわち第三回「世界平和のための頂上会議」と第九回「中南米統合機構総会」が同時にここで開催されているからです。今回のモスクワの訪問は、私にとって個人的にも温かい情を感じることができる良い経験になっています。ソ連政府、特に「ノーボスチ通信社」の幹部の皆様がこの地で施してくださった手厚いおもてなしに対して感謝の言葉を伝えたいと思います。私と妻、そして子女たちは、皆様の御親切に深い感銘を受けています。今、ここにいらっしゃる元国家元首および首相、各国貴賓の方々もみな、私と同様、主催国であるソ連に対して深い感謝の意を表すると思います。

最近私は、ソ連の言論人たちから、社会、経済、政治的発展の前提条件として「霊的ルネサンス」の重要性に対する見解を問われたことがあります。この機会を借りて、そのことについていくつかお話をしようと思います。「霊的ルネサンス」はとても重要だと思います。そして、このためには、人間に関する、より深い理解が必要です。ですから、いくつかの哲学的な主題と宗教的な主題を考察してみる必要があります。これは、コミュニケーションや言論とは直接的な関連がないかもしれませんが、このことに対する理解は、世界の真の平和のために必要だと思います。その上、これは私が生涯をかけて探究し、発見し、教えてきた真理の本質でもあります。

宇宙を観察してみれば、すべての存在は、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって存在していることが分かります。これは、鉱物という次元から出発してすべての場合に当てはまります。分子は、陽イオンと陰イオンの結合を通じて形成されます。植物の場合、生存と繁殖は、雄と雌を代表する雄しべと雌しべの結合を通じてなされます。動物の場合、このような二性性相がよりはっきりとします。魚類、鳥類、哺乳類など、すべての動物は雄と雌によって存在します。最後に、神様の最高の創造物である私たち人間も、男性と女性に区分されています。最初の男性アダムと最初の女性エバは人類の始祖です。このような二性性相の存在目的とは何でしょうか。神様は、なぜこのように創造されたのでしょうか。創造主は、万物を陽性と陰性に区分して創造し、それらが互いに愛を与え合うことを通して結合するようにされたのです。愛の行為を通じて、すべての種はその数を増やし、系譜をつないでいくのです。

人間の欲望は、終わりもなく限りもありません。それでは、このような人間の限りない欲望の真の目標とは何でしょうか。女性の場合、それは男性です。そして、男性の場合、それは女性です。男性と女性は、お互いを通じてのみ真の愛を発見することができるのです。人生や宇宙、そして神様に対する歴史上の様々な見解は、解決することのできない問題ばかりを提示しました。これらの問題に対する解答は、真の男性と真の女性が真の愛の中で神様と一つになって絶対的な存在を創造するときに発見することができます。これが絶対価値の根源です。男性は女性のために存在します。女性は男性のために存在します。各々は、互いの愛の対象にならなければなりません。

神様は絶対的な愛の存在です。神様は愛の対象である人間を創造され、御自身の愛をその上に注ぐことができることを願われました。そのようにされることによって、神様は、自然に男性と女性から返ってくるその愛を受けることを期待されたのです。このような方法によって、神様は無限の喜びを感じたでしょう。アダムとエバは、まず自分たち同士が愛の中で一つになってこそ、神様の愛の完全な対象となることができたのです。したがって、アダムとエバが一組の成熟した人間となって神様に似るようになり、神様の愛を受け、また愛を神様にお返しするためには、成長と成熟の期間を必要としたのです。真の愛の模範は、仕えられることではなく他に仕えることです。神様は、最初に御自身の愛の対象を創造されるとき、御自身のすべてのエネルギー、すなわち御自身のすべてを一〇〇パーセント投入されました。このようにして神様は、真の愛の模範をつくられたのです。言い換えれば、神様は、御自身を完全に消耗し尽くす真の愛の伝統を立てられたというのです。そして、真の愛は宇宙の中心になったのです。人間を創造されるとき、神様は御自身を完全に投入し尽くしました。神様は、御自身を全く空にされたのです。大気中に低気圧の部分が生じると高気圧の部分は自動的に低気圧の方に引っ張られていくようになります。同様に誰かが他に絶対的に侍るようになるときには、常にその人を満たしてあげるためにエネルギーが結集するようになります。したがって、御自身の完全な愛の対象を創造するために神様が下さったすべての愛を、男性と女性は究極的に神様にお返ししてさしあげなければなりません。

ただ愛のみがすべての障壁を超越します。私たちが真の愛の中で神様と一つになるとき、肉的、霊的被造物に対する私たちの主管が可能になります。徹底して他のために生きるとき、私たちは初めて神様の本質に到達することができます。そうすれば、神様の思いが人間の思いとなり、神様が感じられることが自然に人間に伝達されるのです。このように生きていくとき、人間は神様の心情と愛に共鳴する器となり、二つの音叉が共鳴するように、人間と神様も常に共鳴するようになるのです。それが正に究極的な人間の原状なのです。この原状に到達するとき、神様の愛は私たちの愛となり、神様の生命が私たちの生命となり、神様の血統が正しく私たちの血統となるのです。神様の創造された世界が私たちの世界となるのです。私たちは地上と天上のすべての存在と共に神様の愛を分かち合うようになります。私たちは父母の心情で天国の民となるのです。

因果法則は歴史を通じて明白に現れます。蒔いたとおりに刈り取られるようになっています。人間始祖であるアダムとエバは、成長する過程において性的に愛を乱用しました。それにより、人間は楽園から追放されるようになったのです。神様は、アダムとエバが神様の祝福を受けて結婚するときまで、自分たちの純潔をしっかり守り、神様の真の愛、真の生命、真の血統の土台となってくれることを願われました。このようにして、アダムとエバが完成して祝福を受けていたならば、その子孫は、自然に神様の息子、娘となり、創造主の愛を享有し、地上天国と天上天国で暮らすことができていたはずです。

しかし、アダムとエバが完成期に至って神様から祝福を受ける以前、すなわち彼らがまだ十代の青少年のとき、天使長がエバをそそのかして姦淫したのです。それにより、天使長はサタンとなりました。そして、アダムもまた、堕落したエバと関係を結ぶことによって堕落しました。人間の歴史は、このように不倫の種を蒔くことによって始まったのです。その結果、今日不倫の関係が蔓延しています。特に、十代の青少年たちは、性的堕落の犠牲者となっています。先進国の社会は、聖書の中のソドムとゴモラとほとんど変わりません。神様は、このような不倫の愛を嫌われます。私たちは、神様の怒りを恐れなければなりません。

神様は善の中心です。サタンは悪の中心です。また人類の歴史は、人間を通じて起こる善悪の闘争史、すなわち神様とサタンとの間の闘争史です。しかし、神様とサタンは正反対の戦略を取ります。高慢で欲の深いサタンは、常に善の側を攻撃します。神様の陣営は常に攻撃を受け、苦痛を受けます。しかし、これは神様をして正義を立てさせる機会を与えてくれるのです。善の側は、正当であることが立証され、新しい領土を占有するようになります。その反面、サタン側は弱まり、敗退せざるを得なくなるのです。一例として、第一次世界大戦のとき、戦争を挑発した国は究極的に敗北しました。第二次世界大戦のときも同様でした。日本、ドイツ、イタリアの同盟国は、結局は連合軍に敗北しました。搾取する勢力はみな、究極的には衰退し、その反面、善のために迫害を受ける人は、いつかは神様によって高められるようになるのです。私の生涯がそれをよく証明しています。私は善のために、そして神様のために苦痛を受けてきました。相手は常に無慈悲で、残忍でした。数十年前、私は拷問を受け、むちで打たれ、何回か投獄されました。迫害した人たちは、恐らく私の活動が消滅し、忘れ去られるだろうと思っていたと思いますが、正反対の現象が起きたのです。私は、世界的な財団や団体を設立し、事業と活動が発展し続け、栄えています。

すべての人間は、一生の間、各自自分の中に最も貴重な師をもっています。それにもかかわらず、その師を冷遇し、踏みにじり、乱用しています。その師こそ、すなわち人間の良心です。私たちの良心は、常に私たち自身にも助けになるように話し掛け、私たちを真の愛と連結させてあげようとしています。私たちの良心は、私たちをして善で、非利己的な人になりなさいと父母のごとく促し、神様のみ旨に従って行動するように導いてくれます。しかし、各自の心の中にはまた、常に良心の声に逆らう反乱者がいます。その反乱者こそ、すなわち肉体です。肉体は、良心を散々に踏みにじり、乱用してきました。私たちがこのことを悟ったとき、私たちは、自らの良心の敵だった肉体、すなわち自分の生命と人性をひどく損傷させた肉体の味方につくことができるのでしょうか。

私たちの良心は常に、心の中の師として、また父母として、人類の究極的な父母である神様と一つになるように導いてくれなければなりません。このとき、良心は、私たちの中にいる神様の代身者となり、さらには良心を「第二の神様」とも呼ぶことができるのです。皆様は、良心の敵である肉体に対して同情し、肉体を保護しなければならないと考えますか、それとも肉体を統制し、抑制しながら、良心が正当であることを立証しなければならないと考えますか。肉体は、肉体的な欲望のみを追求するだけです。おなかが空けば、盗んででも飢えをしのごうとします。肉体は常に楽なことを追求し、他を利用しようとします。肉体は、肉体なりの領域をもっています。すべての人は各自、肉体の領域を主管すべき莫大な責任を負っています。肉体の領域を主管するようになるとき、縦的な自我としての精神と横的な自我としての肉体は、完全に調和の中で一つとなって、その人は完全となり、神様の愛の中で永遠に一つになるのです。

神様は、真の愛、真の生命、真の血統の源泉です。私たち人間は、正にこの源泉に由来しているために、私たちもまた、真の愛、真の生命、真の血統をもたなければなりません。しかし、人間は堕落によって、不幸にも神様の子女という位置に至ることができなくなりました。男性と女性は、神様からではなく、サタンから愛と生命と血統を受けました。人間の堕落によって、今日、愛は根本的に自己中心的になってしまいました。このような自己中心的な愛は、精神から来るものではなく、肉体を中心にしています。肉体はサタンが活動する所です。肉体はサタンの舞踏場であり、停泊地です。精神は神様が住まわれる所、すなわち主体の位置になります。しかし、精神の対象の位置にあるべき肉体がもう一つの主体になろうと努力しながら引き続き精神を誘惑し、だましています。人間の生活で、このような関係を修正することはとても重要です。

ですから神様は、堕落した人間を蕩減復帰しようと宗教を立てられました。神様は宗教を通して、神様中心の精神を強化する方法、生活と人格に対する肉体の支配を逆転させる方法を人々に教えていらっしゃいます。宗教が断食、奉仕、従順で謙遜な態度などを求める理由は、正にこのようなところに由来しています。これは、肉体の勢力を減少させ、肉体をして精神に服従させる方法です。信仰生活を通して肉体を中心とした生活習慣から抜け出て、新たに精神を中心とした生活様式をつくりあげるまでには、普通三年ないし五年かかります。

また、聖書に「絶えず祈りなさい」(テサロニケⅠ五・一七)という聖句があります。これもまた、とても重要なみ言です。なぜならば、サタンは堕落した世界を支配しているからです。サタンは、一日二十四時間、あらゆる方向から堕落した人間を誘惑し、苦しめています。その反面、神様はただ一つの方向から、すなわち精神の垂直的方向からのみ、力を及ぼすことができるのです。神様の目には、堕落した世界は霊的死の世界です。神様は、死の世界を生命の世界へと蕩減復帰しようとするみ旨をもっていらっしゃいます。ここで復帰とは、救援のまた別の表現です。本来の理想的な状態を喪失したときには、これを復帰しなければなりません。健康な人が病気にかかれば、医者が来て、再び本来の健康な状態へと回復させてあげなければなりません。同様に、神様が意図された本来の創造理想が失われたので、神様は、この堕落した世界を原罪のない本来の状態へと復帰しなければならないのです。これを成就するために、神様はメシヤを送られます。

しかし、メシヤが来る前に、神様は、特別に選んだ人々を通してメシヤを迎える準備をさせます。このことは、野生のオリーブの木の果樹園に例えることができます。野生のオリーブの木の果樹園は、堕落した領域の中で神様が依然として指示し、統制できる特定の区域を象徴しています。これが準備されたのちにメシヤが来ます。メシヤは、神様の果樹園における野生のオリーブの木をすべて切って、ここに生命の真の枝を接ぎ木します。そうすることによって、野生のオリーブの木は、すべて真のオリーブの木になります。そのようにして人間は、本来の状態へと復帰されるのです。

今日の信仰者は、正に神様の果樹園にいる野生のオリーブの木です。しかし、最も篤実な信仰者だとしても、神様の真の血統をまだ受けていないので、依然としてメシヤを探さなければなりません。メシヤは、人類の真の父母としてこの世に来て、本来のアダムとエバの位置に人間を復帰させてあげなければなりません。したがって、神様の真の血統と連結されるためには、すべてメシヤであられる真の父母と一つになって、真の愛を受けなければなりません。そのようにすることによって、すべての人は、神様の真の息子、娘になることができます。そのような方法で、メシヤは人類を救ってくださるのです。メシヤは真の父母の立場で、悪い種から育った木を根こそぎ抜き取って、サタンを屈服させなければなりません。そのようにして、メシヤは、真の愛の中で人類を神様と一つになるように連結し、すべての人を神様の真の息子、娘にしなければなりません。このような方法で、地上天国が建設され、人類はついに本当の自由を享有するようになるのです。

それでは、一つになる方法とは何でしょうか。まず私たち人間の家族というものを考えてみましょう。まず神様がいらっしゃいます。その次にアダムとエバがいます。アダムは男性で、エバは女性です。彼らは神様の愛を先に独占しようとお互いに競争します。彼らの動機が利己的なものであるならば、彼らは一つになることができません。しかし、彼らの動機が利己的なものでないならば、アダムは「エバ、私はただあなたのために神様の近くに先に行きたい」と言うでしょう。その言葉を聞いたエバは、喜びに満ちあふれるでしょう。彼女も「アダム、私もあなたのために神様の近くに行きたいです」と言うでしょう。そうすれば、アダムもとても満足します。そこには闘争がありません。二人は競争の中でも一つになることができるのです。これは、夫と妻が一つになる方法だけでなく、それ以上のことを意味しています。これは、すべての人々が一つになる鍵となるのです。

歴史を通して見るとき、神様は人間の良心を通じて役事(働き)されました。しかし、人間は、本来の始発点、すなわち神様の心情へと復帰させようとされる神様の努力にもかかわらず、今までのすべての試みは失敗しました。今もなお、誰かが来て人類をこのサタンの世界から解放し、真理と真の愛を成功裏に取り戻すことができるように導いてあげなければなりません。それが正に私たちの「統一運動」の使命なのです。

「神主義」は、神様中心の世界観であり、その本質は真の愛の理想です。「神主義」は、二つの明白な使命をもっています。すなわち神様と人間が一つになるようにすることであり、また精神と肉体が一つになるようにすることです。この二つの根本的な問題、すなわち精神と肉体の統一と人間と神様の統一に関する解決策を発見したので、私は、この真理を何のためらいもなく最も明白で効果的に宣言せざるを得ません。

皆様がこの教えに従うならば、皆様は、自分の肉体がもつ欲望を間違いなく主管できるようになると私は確信します。皆様は、自分の精神と完全に一つになることができます。そうすれば、皆様は神様の真の対象となり、さらには神様と真の愛の同伴関係を結ぶことができる資格を備えるようになるのです。

二人が真の愛で一つになるとき、彼らは常に三つの主要な権利、すなわち第一に相続権、第二に同位権、第三に同参権をもつ資格をもつようになるのです。夫と妻の関係を例に挙げてみましょう。夫は、偉大な国家の大統領であり、その妻はとても身分の低い家柄の出身で、教育もさほど受けていない女性だとしましょう。

もし、彼らが互いに本当に愛し合えば、彼らは同等です。彼らは、すべてのものを共に所有し、共に生活し、すべてのことに同等に参加するのです。同様に、男性と女性が真の愛を通じて神様と連結されるとき、彼らは相続を受ける権利、参与する権利、神様と永遠に暮らしていくことのできる権利を享受することができます。このように深奥な立場に至るようになるとき、常に神様が存在することを体恤し、神様は人間と共に住まわれるでしょう。

また、縦的な真の父母と横的な真の父母の真の愛は、常に最も速い速度で最短距離を通過します。したがって、神様から地上に降りてくる真の愛は、最短距離である垂直線で降りてきます。男性と女性の愛もまた、最短距離で通過し、水平線を形成します。垂直的な真の愛が水平的な真の愛と出会うようになるとき、その交差点は絶対的に九〇度になるしかありません。その他の方法では、これらの愛の線は交差できないのです。

神様はどのような方でしょうか。神様は、真の愛を中心とする縦的な真の父母です。神様は、私たちの縦的な父母であられるので、私たち一人一人ととても親密であられます。完全となった人類の先祖、すなわちアダムとエバを真の父母として迎えるとき、私たちは、神様の垂直的な真の愛と真の父母の水平的な真の愛の間に九〇度の交差点をつくり出すのです。私たちには、このように二組の真の父母がいるのです。この方々から私たちは、真の愛、真の生命、真の血統を受けます。これは、真の愛と完全に共鳴する一つの世界を創造するのです。

紳士淑女の皆様。私は、神様と人間の本質に関するこのような考えを、皆様と共に分かち合う機会をもつことができ、とても感謝しております。私はまた、ここソ連に来ることができ、とてもうれしく思います。私の心は、本当にソ連の国民に対する憐憫の情であふれています。皆様の中の多くの方々が耐え難い苦痛を受けてこられており、そのことは私を悲しい思いにさせます。私は、皆様の国、ソ連とソ連の国民をとても愛しています。私は、この地に、そして全世界に、途方もない影響を及ぼす道徳的、経済的ルネサンスが必ず到来すると思っています。私は、このルネサンスを鼓舞し、支持するために、私のできる限りのことをすべてするつもりです。

皆様は、新しいソ連革命を遂行しています。しかし、これは流血や銃声のない革命、すなわち心と精神の革命でなければなりません。私は、家族の重要性について力説してきました。きょう皆様にお話ししたいことは、私は、心の奥底からソ連の国民を私の家族の一員として感じているということです。私の妻と子女たちも同じように感じていると確信します。また、統一運動に参与している全世界のすべての人々が、人類の未来の繁栄と福祉のために、最善を尽くして皆様と共に仕事をすることをお約束いたします。私は、真の平和が持続する世界を建設しようとされる神様の計画で、ソ連がとても重要な役割を担当すると信じます。私の祖国韓国と国境を接する極東から、西欧文明の発祥地であるヨーロッパの中心部までに至る、この広大なソ連は、ヨーロッパとアジアとをつなぐ架け橋の役割を果たす運命を生まれながらにもっています。私たちは、自分たち自身を、地球という一つの家の中で共に暮らしている一つの地球家族であると考えなければなりません。神様の恩寵がソ連とソ連の国民の皆様に共にあることを祈ります。この歴史的大会に御参加いただき、本当にありがとうございました。

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第五篇 23 神様の勝利戦略

第五篇 23

神様の勝利戦略

日時:一九九二年五月二十一日

場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ・ショアハム・ホテル

行事:「ワシントン・タイムズ」創刊十周年記念式

内外の貴賓と「自由の賞」受賞者、ならびに紳士淑女の皆様。私は「ワシントン・タイムズ」の創設者として、「自由の賞」の受賞者に祝賀の意を表する次第です。皆様は、自由守護のための業績を認められる資格が十分にある方々です。今夜、このようにして振り返ってみると、「ワシントン・タイムズ」の設立を決定した一九八一年当時のことが思い出されます。

共産主義の崩壊に決定的な役割を果たす

私と共に、当時の状況を回想してくださることをお願いいたします。「ワシントン・スター」が廃刊になることによって、アメリカの首都であり、自由と民主主義の世界的な灯火であるワシントンDCに、リベラルの代表的新聞である「ワシントン・ポスト」だけが残るようになった事実は、許容し難いことでした。

当時、「ワシントン・ポスト」が築き上げていた領域に、新しい保守系紙が挑戦するということは考えられないことでした。はっきりと申し上げますが、政治的影響力の増進や宣教の手段、あるいは個人的蓄財追求のために私がこれを行ったとすれば、「ワシントン・タイムズ」の設立は、それこそ誤った事業だったはずです。実際、私は、これまでの十年間、この新聞に十億ドル近い資金を投入しました。

私が「ワシントン・タイムズ」を設立したのは、ただ、この事業がアメリカとアメリカのユダヤ教とキリスト教の遺産を愛される神様のみ旨であり、神聖な計画であることを理解したからでした。

神様はアメリカに、伝統的価値観の崩壊から世界を救うための中心的役割を引き受けてくれることと、共産主義の脅威から自由世界を守ってくれることを望んでおられます。ですから、神様のみ旨成就のために全生涯を捧げてきた私は、アメリカがこのような摂理的な役割を遂行するに当たって責任ある指導力を備えさせるために、少しのためらいもなく、「ワシントン・タイムズ」を創刊しました。

今回の十周年記念式は、「ワシントン・タイムズ」が共産主義の崩壊に決定的な役割を遂行したことを祝って、アメリカと世界の将来を輝かしいものとするための行事です。私はこの機会に、世界の平和統一実現の原則を皆様に明らかにしたいと思います。

平和統一の根幹は真の愛

紳士淑女の皆様。この世で最も大切なものがあるとすれば、それは神様を中心とした真の愛です。皆様がお金や権力で買うことのできない何かがあるとすれば、それは真の愛です。

真の愛は、関係がつくられなければ実現できない特性があります。その関係とは、主体と対象という二つの存在が互いに与え合うことを必要とします。夫と妻の愛、父母と子女の間の愛、兄弟姉妹の愛は、そのような関係の中でつくられるのです。同様に、神様も、真の愛の理想を実現するためには、御自身の対象である宇宙を創造する必要があったのです。

神様のすべての創造物の中で、人間は愛における最上級の存在としてつくられました。私たちは、真の愛を通してのみ、神様と人間、男性と女性、そしてすべての被造物の間に真の調和を形成することができます。

真の愛は、すべての統一体と絶対価値の究極的な中心です。この真の愛は、人のために生きる行為から始まります。他人のために尽くしたのち、その行為を忘れて再び尽くすのが真の愛の属性です。それで、神様が愛する対象を創造されるとき、神様自らが、その創造のために尽くされたのです。神様は御自身がもっておられるものをすべて投入されました。その後も、神様はさらに投入され、また再び一〇〇パーセント投入されるのです。

自然界で空気が移動するとき、真空状態になったとしても、空気は素早く回転運動をしながら、その真空を満たすようになります。人間の人生においても、私たちが愛を施し、それ以上与えるものがなくなれば、神様の限りない愛が私たちの心に直ちに伝わり、空いたところを満たすようになるのです。これが根本的な精神的真理です。

したがって、人のために絶対的に尽くすようになれば、私たちは無限の力を得るようになります。神様は人間を愛する主体的立場におられます。神様が繰り返し愛を施そうとされる本性は、不滅の動的作用となり、神様の永遠の存在の特性を形成するようになります。

これは論理的な方式で現れます。永生は、真の愛を実践する生活の自然な結果なのです。愛には、相続権と同位権、そして同参権という特性があります。アメリカの大統領になった人の中で、妻は高等学校も出ていない人もいるでしょう。しかし、彼らが互いに真の愛で愛し合うようになれば、夫に属するものは同時に妻に属するようになります。彼らは昼夜を共に暮らすので、大統領夫妻としてそれぞれホワイトハウスを占有する権利があり、共に国家の運営に参加するようになります。

愛にはこのような重要な三つの特性があるので、皆様が神様の絶対不変の愛を占有する位置につくようになれば、神様と共にいるようになります。皆様は、いつも神様と共に暮らす権利をもつようになるのです。

皆様がこのような真の愛を、皆様の心と体に一〇〇パーセント受け入れれば、神様の愛の根が、皆様の心で育つようになるのです。そうして皆様は、神様が感じるすべてのことを感知できるようになり、皆様の体は自動的にそこに共鳴するようになります。

したがって、皆様自身を神様の真の愛でいっぱいに満たすことは、心と体を統一させ、神様の永遠の対象になるための必須条件です。私たち人間が、神様の愛に共鳴し、神様と統一される領域内に入るようになれば、神様の愛は皆様の愛になり、神様の生命は皆様の生命になります。そして、神様の血統は皆様の血統になって、神様の創造物は皆様の創造物になるのです。

人間の生は、神様の生に似ています。神様の生の核心は、対象のために生きる真の愛です。ですから、人間は他のために創造されたというのが、神様の原理です。他のために生き、犠牲になることによって、愛の理想が実現されるのです。

このような原理を念頭に置いて考えるとき、各自が自分のために生きる、現代の個人主義哲学からは、世界平和は期待できません。個人が神様の対象として生きる領域を破壊することが悪の目的です。そのようなことが起これば、自分のために生きる個人だけが残るようになります。これが、家庭破壊と人種間の葛藤、経済的不平等と宗教間の葛藤をもたらす根本的な原因になるのです。

アメリカに来た目的は若者たちを覚醒させるため

アメリカは、ユダヤ教とキリスト教を中心とした愛の精神の上に建てられました。それなのに、なぜアメリカはこのような個人主義文化を発展させてしまったのでしょうか。私は、共産主義と闘いながら、アメリカの若者たちを呼び覚ますために、絶えず努力してきました。そして、私は、自由世界に対し、退廃的傾向に陥ってはいけないと繰り返し警告しました。しかし、アメリカはいまだに数多くの社会的弊害に苦しめられています。麻薬との戦争、エイズ、次第に増加する暴力犯罪など、ありとあらゆる弊害現象が、暗い将来を予告しています。アメリカがもつ軍事的、経済的、知的な力を動員したとしても、このような悪弊を退治することはできません。

これこそが、私がアメリカに来ることになった理由です。私は傷を治すために呼ばれた医者のような立場にあります。私はアメリカで不当に起訴されても、それに応じるために進んで韓国から戻りました。なぜなら、真理が勝利すると信じたからです。私は不当に起訴され、収監されました。それでも私は、アメリカを救おうという思いに変わりはありません。

私は裁判を受ける間、被告席に座り、「ワシントン・タイムズ」創刊のため最初の小切手に署名しました。「ワシントン・タイムズ」は、ニュース報道と論説を通し、共産主義の脅威に対してアメリカ人に警戒心を呼び起こすことに決定的な役割を果たしました。また、ダンベリーの監獄にいるとき、この国を助けるという精神から、雑誌「インサイト」と「ワールド・アンド・アイ」を発行するよう指示しました。

雑誌「インサイト」は、アメリカ議会の議員の指導力がどの方向に発揮されているのかを一般大衆に知らせるために、彼らの投票実績を毎週公開しました。そして、「ワールド・アンド・アイ」は、世界的に有名な学者たちの、人々を善導する論文を掲載し、人類の将来における思想的な地平を広げようと試みてきました。

私がアメリカの衰退を案じて、「アメリカ自由連合」を設立するようにしたのも、ダンベリーの監獄でのことでした。「アメリカ自由連合」は、全国的な組織網を通し、一般国民を対象に、より良い社会を建設するための教育をしています。私は最近「アメリカ奉仕連合」を発足させました。この組織は、神様の真の愛でキリスト教を覚醒し、再結合させる運動をしています。

この国が私のことを拒否し続けても、私は引き続き、アメリカが摂理的な責任を負っていることを諭すために、最善の努力をしてきました。神様が人間を救うための作戦は、まず打たれて奪われたのちに、奪われたものを利子までつけて、ゆっくりと取り戻してくるというものです。

一方、悪は、先に打って、最初は勝利を主張しますが、最後にはすべてを失ってしまいます。皆様も御存じのように、第一次、第二次世界大戦と冷戦期間にも、先に打った国家は、結局敗北しました。イエス様の生涯は、このような原則を最もよく示してくれる事例です。

イエス様は、激しい迫害を受けて悲惨な状況で亡くなりましたが、結局は数十億もの人類がイエス様に従って神様のもとへと戻ってきています。義なる人が迫害に耐えるようになれば、信念を守るための彼の努力は、迫害者の良心に尊敬と称賛の種を植えるようになるのです。この種は成長したのちに、多くの世代の心を変化させます。このような心情の静かな革命が、天の秘密兵器なのです。私は正に真実な世界平和の道を開拓するために努力しながら、言葉では言い表すことのできない苦難を経てきました。

私が「ワシントン・タイムズ」を設立したとき、協力はおろか、私の意図を理解してくれる人は、ほとんどいませんでした。しかし、私はこれが神様の勝利の戦略であるということを知っていたので、事を進めました。私は「ワシントン・タイムズ」が、私と私の統一運動を犠牲にしたとしても、アメリカと世界を救う道具となることを予見したのです。

神様と人間の愛は、垂直の一直線である軸を形成します。一方、アダムとエバ一組の愛は、横に走る水平な軸を形成します。したがって人類は、神様、そしてアダムとエバという二つの父母の愛と生命と血統を相続するために、神様を垂直的父母とし、アダムとエバを水平的父母として侍らなければなりません。ところで、垂直的自我である心と水平的自我である体は、真の愛で一体となります。この地点において、人類は神様の永遠の対象となるのです。神様と人間は、父と息子のように、真の愛の中で一つにならなければなりません。

人間の心と体も、神様の心と体のように真の愛で統一されなければなりません。しかし、堕落によって、人類は、サタンの愛と生命と血統を受けるようになりました。それで、私たちの心は神側に立っていますが、私たちの体はサタンの支配を受けているのです。私たちの心と体は、その内部の矛盾と絶えず闘っているのです。

今やアメリカが目を覚ますとき

このような状況を克服することが私たちの一生の課業です。神様はこのことを御存じであられ、私たちを修理する工場のような宗教を立てられたのです。宗教は、心が体に対する自然な支配権を取り戻す方法を教えてくれます。断食と犠牲、他人に対する奉仕など、いつも修道者の苦行が、すべての宗教の修行の必須要件になるのは、正にこのためです。

聖書には、アダムとエバが善悪の実を食べたことによって堕落したことが記述されています。しかし、その果実を食べたのち、アダムとエバはどのようにしましたか。アダムとエバは、口や手を隠さず、下半身を隠しました。それは、アダムとエバが、神様を中心とするのではなく、サタンを中心として自分たちの家庭をつくったことを意味します。悪の種はそのときに蒔かれ、邪悪な血統の根源となって代を継ぎ、繁殖するようになったのです。

人間の先祖は、彼らが神様の愛の中で完成する前の若い頃に、神様から遠ざかって堕落しました。これが、今日までも世界各地の若者がアダムとエバの場合と同様に、愛の道義を破って淫らな性行為を続ける原因となったのです。これは、歴史的にも、淫らで非道徳な文明が滅亡する原因として、常に作用してきました。歴史的に見るとき、ソドムとゴモラ、そしてローマまでも淫乱ゆえに滅亡しました。もしアメリカがそのような道をたどるならば、アメリカもまた、滅亡することになるでしょう。

アメリカは今や、目覚めなければなりません。この先十年間、私たちの課業は、実により一層困難になるでしょう。私たちは、単に共産主義との戦いが終わったからといって、緊張を緩めるわけにはいきません。最も先進化され、文明化された国々、例えばアメリカやヨーロッパ、そしてアジアの主要国家で、どのようなことが起きているか、見回してみてください。

地球村を襲っている淫乱の波を、誰が防ぐことができるのでしょうか。世の中は享楽的な生活を重視し、ますます肉体的な欲求を刺激する生活ばかりを追求しています。麻薬との戦争は、完全に、そしてはっきりと失敗に終わりました。麻薬は、その流通を増し続けて、氾濫しています。これは、心の求めている道ではありません。体が追い求めているものです。また、これは死に至る道となります。誰かが立ち上がって、このような堕落した環境から人類を救い、彼らを救いの道へと導かなければなりません。

紳士淑女の皆様。皆様は、メシヤが誰なのか御存じでしょうか。メシヤは人類の真の父母として来られます。真の父母は、偽りの父母から始まった偽りの根を絶やし、すべての人が真の愛の中で暮らす、自由な天国を建設するようになるのです。真の父母は、このような重大な責務を帯びて来られる方です。

私たちが、神様の真の愛の起源を見つけ、自分の心と体が一つに統一され、心から人のために生きたいと思うようになるとき、永遠に変わることのない平和の世界が訪れるでしょう。それは、私たち皆が願う栄光の日となるのです。

何週聞か前に、ロサンゼルスで発生した人種暴動は、単に警察力をより多く動員したり、法を強化したり、あるいは資金をさらに投入したり、政治的交渉をしたりすることでは解決できない問題です。地上に神様の真の愛、すなわち他のために生き、犠牲になる愛がなければ、このような問題を根本的に解決することはできないのです。

真の愛の革命を通した世界平和

私たちに必要なのは、道徳的な革命です。私はこれを「真の愛の革命」と呼んでいます。そして、このような革命は、どこにおいても必要とされています。私と私の妻は現在、韓国でこのような仕事をするための組織をつくっています。

尊敬する指導者の皆様。他のために与え、犠牲になることが、皆様を真の家庭、真の社会、真の国家の指導者にする唯一の道であることを悟るように願います。皆様の家庭と社会、そして国家が、皆様に従って、ために生き、犠牲になる真の愛の大原則を実践するようになれば、皆様は世界平和実現の闘士となるのです。

皆様も御存じのように、私は昨年の十一月に北朝鮮を訪問しました。そのことは世界を驚かせました。私は一生を通して共産主義に反対する立場を取ってきたので、北朝鮮を訪問することは不可能なことのように思われました。私は以前、一九八五年に、共産主義とソ連の崩壊を予言し、宣言した人です。

北朝鮮訪問は、私と妻にとって、生命の危険を顧みない旅でした。私は、自分の国を愛する心で、そして母国の統一を渇望しつつ、北朝鮮を訪問しました。私は金日成主席と会い、意義深い意見を交わしました。

見解の差はあったとしても、対話というものは、いつも有益なものです。しかし、孤立はいつも危険を伴います。金主席は、核問題について、アメリカが満足できるように収拾すると私に約束しました。この問題に対する真相が明らかになる瞬間が、遠からず訪れるでしょう。全体的に見るとき、私の北朝鮮訪問は、アジアと世界の緊張緩和に大きく寄与したと確信しています。

私は、無神論の北朝鮮で、神様と真の愛について説破しました。真の愛は、国家的統一と恒久的な平和のための基本原理であり、精神だからです。ビリー・グラハム牧師が、共産主義国家で初めて説教したことに対し、常に自負心をもっていることを知っています。しかし、今回私は北朝鮮で、それよりも一段階前に進みました。

「ワシントン・タイムズ」とその姉妹紙は、きょう、アメリカと神様に対して奉仕する新たな十年に向かって出発します。しかし、私たちの前には実に、より大きな挑戦が立ちはだかっています。このあらゆる挑戦を克服するために、皆様すべてが闘士にならなければなりません。この先十年間、道徳的なアメリカと道徳的な世界、そして私たちの子女たちのために、より良い世の中をつくりましょう。皆様は、私の支援を十分に期待していただいて結構です。

紳士淑女の皆様。「ワシントン・タイムズ」は、皆様の新聞です。私たちは共に、この有力な新聞をさらに影響力のある新聞へとつくりあげることができるでしょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第五篇 24 二十一世紀における言論人の使命

第五篇 24

二十一世紀における言論人の使命

日付:一九九二年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル

行事:第十二回「世界言論人会議」

敬愛するマッカーサー議長、尊敬する貴賓、そして言論界の重鎮の皆様。私は、皆様が第十二回「世界言論人会議」に参加するために私の祖国である大韓民国を訪ねてくださり、深い感謝の意を表する次第です。

世界平和建設のための様々な活動

今年の第十二回「世界言論人会議」は、例年とは異なり、「世界文化体育大典」という非常に大きな枠組みの中の一環として行われています。「世界文化体育大典」は、私が生涯をかけて成し遂げてきた、すべての事業と業績を一カ所に集め、神様のみ前にまとめて捧げる一大祝祭期間として設定され、開催されています。

ここには、十九年の歴史をもつ「科学の統一に関する国際会議」に参加するために来た学者たちの集まりがあり、宗派と教派を超越した世界の著名な宗教指導者たちの集まりである「世界宗教議会」があり、元大統領や国家元首、そして首相を網羅し、世界の著名な政治家たちの集まりである「世界平和のための頂上会議」があります。さらには、世界の著名な女性指導者たちは、私の妻が総裁を務めている「世界平和女性連合」のシンポジウムに集まり、世界の若者たちは、「世界大学生大会」の旗印のもとに体育大典を開き、二十一世紀の指導者を目指す熱気あふれる討論も行われる予定です。

私が、一生を通じて渾身の努力を尽くしてきたすべての事業の究極的な目的は、世界平和の建設にあります。一九九一年に「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」を創設したのも、そのためです。

私は世界平和の核心を家庭に置き、これまで「理想家庭を通した世界平和」を唱えてきました。このような平和理念の具現として、三日後の八月二十五日には、空前絶後で地上最大の国際合同祝福結婚式が挙行される予定です。百三十数カ国から集まった善男善女が、国境と人種を超越し、創造主である神様の真の愛の中で一つとなって理想家庭を実現し、それによって世界平和の働き手になろうというこの荘厳な儀式は、真の未来世界の平和の働き手の創造を意味するのです。

皆様は言論人なので、このような地上最大のイベントを目撃することを望まれると思い、世界の言論界の重鎮である皆様を、貴賓としてその場にお招きしました。これは、皆様に報道記事の特ダネを提供するわけですから、実際は、皆様が私に大きな代価を払ってしかるべき、歴史的な空前絶後の出来事です。

しかし、皆様は、この行事を単なる地上最大のショーとして見るのではなく、真の意味での世界平和軍団の創設として御覧になり、心からお祝いしてくださることと思います。これからは、言論界と言論人全体が、先にお伝えした世界平和の大構想の中で和合し、渾然一体となって、私たちの念願である世界平和の理想を実現していかなければなりません。

皆様。私は去る五月にアメリカのワシントンで、私が創設した「ワシントン・タイムズ」創刊十周年を記念する晩餐会で講演をしました。私が一九八二年に「ワシントン・タイムズ」の創刊を発表したとき、アメリカの朝野では嘲笑の声が上がりました。ある専門家は、「レバレンド・ムーンがまともに新聞を発刊すれば、『ワシントン・タイムズ』は資金不足で六カ月ももたないだろう。あるいは、統一教会の宣伝紙に転落し、読者なき週刊誌のようになるのが落ちだろう」と予想しました。

しかし、十年が過ぎた今日、「ワシントン・タイムズ」は、名実共にアメリカの千七百五十の日刊紙の中で、最も影響力を行使する三大日刊紙の一つに数えられるようになり、アメリカ大統領が朝、目を覚ますと読む新聞となり、去る八月十三日には、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領が、今この会議に出席中の「ワシントン・タイムズ」のウェズリー・プルーデン編集局長との単独インタビューに応じ、「ワシントン・タイムズ」に特筆大書したことがあります。これは、ブッシュ大統領が初めて応じた日刊紙の単独インタビューでした。

「ワシントン・タイムズ」は、新聞のデザインにおいて毎年優秀賞を受け、去る一九八九年には。審査員十二人の満場一致で決定された最優秀賞を受けるに至り、論説面においても二年連続で論説部門最優秀賞を受けました。これは、アメリカ言論界の歴史にかつてなかったことです。

共産主義の終焉に決定的な役割を果たす

皆様。私はこのような「ワシントン・タイムズ」をつくるために、これまでの十年間、約十億ドルを投入しました。もし私が、政治的影響力や宗教的宣伝、個人的な富の追求が目的であるなら、そのように投入することはなかったでしょう。

私が「ワシントン・タイムズ」をつくった理由は、一言で言えば、神様のみ旨を成し遂げるためでした。私は、神様がアメリカを愛しておられることを知っています。そして、アメリカは、伝統的ユダヤ教とキリスト教の本山であり、キリスト教精神の揺りかごです。ですから、神様は、このアメリカが全世界を救い出す中心的役割を担うことを願われ、薄れていく神様中心の伝統的価値観を守っていくことを望んでおられるのです。

その上、冷戦時代の絶頂にあって、神様はアメリカを先頭に立たせ、共産主義の世界制覇を防ごうとされました。このような神様のみ旨を中心として見た場合に、何よりも重要なことは、哲学と理念のある新聞として、アメリカ国民と特別にアメリカの政治指導者たちを正しく教え導くことにほかなりません。

私は、アメリカの首都ワシントンDCを、リベラルで容共的な新聞である「ワシントン・ポスト」の奴隷として放っておくことはできませんでした。十年が過ぎた今日、結果はどのようになったでしょうか。共産圏はついに、一九八九年十一月九日、ベルリンの壁の崩壊とともに、その崩れる音が聞こえたかと思いきや、一九九一年十二月二十五日のクリスマスを期して、七十四年の間、世界を恐怖のるつぼに追い込んだ、無神論に立脚した共産主義帝国が地上から完全に消滅してしまいました。

そして、私は「ワシントン・タイムズ」が、このすべてのことをやり遂げたとは言いません。これは神様の摂理歴史の中で、なければならない必然的な結果です。しかし、神様も、地上のことは人間を通してなされるのです。私は、「ワシントン・タイムズ」が共産主義の終焉をもたらす決定的な役割を果たしたと堂々と主張することに対しては、いささかの疑いもありません。

神様は、「ワシントン・タイムズ」を道具としてお使いになり、歴史上一度もなかった共産主義という独裁勢力に終止符を打ち、数千万の市民たちに自由を抱かせることに決定的な役割を担わせたのですから、十億ドルどころか、百億ドルを使ったとしても、これ以上に価値ある投資がどこにあるでしょうか。しかし、そうかと言って「ワシントン・タイムズ」の使命が終わったわけではありません。

共産主義の崩壊が自動的に平和世界をもたらすわけではないからです。神様の願う理想世界も自然と実現されるわけではありません。今日、自由世界は、勝利の祝杯を挙げるには、あまりにも緊迫した問題が心胆を寒からしめています。

人本主義思想の膨張

今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの間にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。

私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。

これが、マルクス・レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。

このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。

私は、「明けゆく二十一世紀は精神文明の時代である」と宣布しました。物質文明の時代は暮れかかっています。私たちの世界が、暮れかかった闇を退かせて生き返るには、共産体制の滅亡によってもたらされた理念の空白を穴埋めしてあげ、自滅の日か審判の日を待っている自由世界を、共に救い出す精神的ルネサンスが起きなければなりません。これはすなわち、精神的人間革命を敢行できる新しい思想と理念の創出がなければならないということを意味しています。

神様は人類の父

皆様。私はこれまでにも、言論人大会で、私が召命を受けた摂理的な使命に対し、幾度か表明したことがあります。私は新時代の開拓者としての使命を受けました。それは、二十一世紀を目指す新しい精神文明の開拓者であるという意味です。

私は、神様が下さった、新しい時代の確固たる理念を宣布しています。その理念とは正に「神主義」であり、「頭翼思想」です。科学が発達すればするほど、神様の実在は、否定しようとしても否定できない真理となっていきつつあります。私は、その真理の宣布にとどまらず、生きておられる神様に侍り、神様を実感しながら暮らす人生観を教えているのです。

神様は、観念的なものではなく、私の生活圏の中に生きておられる、肌で感じることのできる神様です。私は神様の脈拍を聞きながら生きています。また、神様と呼吸を共にし、神様の体温を感じながら生活しています。私は神様の心情の中に、人類の堕落による悲しみが満ちていることを知り、とめどなく涙を流しました。

私はまた、その神様が今、私たち人類に願っておられることが何であるかを、あまりにもはっきりと見ました。最も重要な事実は、その全知全能であられる神様が私の父であるということです。神様は人類の父であられます。

ですから、神様が人類を御覧になる心情は、親の心情です。人間社会でも、最も熱く切実で無条件の愛が、親の愛ではないでしょうか。神様の本性は真の愛です。その神様の真の愛を見習い、すべての人間が親の愛によって世の中を見つめ、真の愛を実践することを願っておられるのです。そのような真の愛の実践によってのみ、永生が確保されるのです。真の愛は、与えても忘れる愛です。

神様は天地を創造し、人間を創造されるとき、一〇〇パーセント投入し、また投入したことを完全にお忘れになりました。なぜでしょうか。人間においても、愛する相手や自分の子女が自分よりも優れていることを誰もが願うように、神様も、そのように投入し、また投入しても忘れてしまうのです。

皆様。これまでの人間の歴史は、兄弟時代の歴史でした。兄弟はけんかをするのが普通です。ですから、兄弟時代は闘争の時代であり、戦争の時代でした。人類歴史は、兄弟げんかから闘争の歴史が始まりました。人間始祖アダムとエバの子であるカインとアベルがけんかをし、結局、兄が弟アベルの命を奪うことによって人類の罪悪歴史が出発したのです。

第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして思想的な第三次世界大戦に至るまで、これらのすべての歴史は、兄弟国家間の争いでした。しかし、第一次、第二次、第三次世界大戦が終わった今日、神様の摂理歴史は、新しい次元へと突入しました。

今や兄弟の歴史時代は終わり、父母の歴史時代が到来しました。父母の時代は真の愛の時代です。神様が私たちを父母の心情で御覧になり、愛されるように、私たちも父母の心情で人類を見つめ、愛する時代です。

ここには涙があったとしても闘いはあり得ません。真の愛の中に、闘争の概念はありません。私が宣布した「神主義」は、すなわち「真の父母主義」であり、「真の父母主義」は、すなわち「真の愛主義」なのです。

新しい言論の使命

私は昨年の十一月三十日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。生涯を反共と勝共のために生きてきた私が北朝鮮に行ったという知らせは、全世界を驚愕させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。

そして、私は彼と熱い抱擁を交わしました。彼は私のことを怨讐視し、命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。

私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念はなく、憐憫の情があるだけでした。与えては与え、さらに与えても足りないという、温かい父母の心情だけがあったのです。

皆様。私が宣布した「神主義」、すなわち「真の父母思想」は、二十一世紀をリードする真の平和の真理であることをここに明言します。この「神主義」と「頭翼思想」によって、二十一世紀の平和世界を建設することができるのです。その核心は、父母の心情であり真の愛です。二十一世紀は真の父母の時代であり、すべての人が霊的、心情的に成熟して、真の父母になる時代です。

世界の言論人の皆様。私は過去に、自由言論と責任言論を強調してきました。自由言論のない所には自由言論を与え、自由言論がある所では責任言論を実践しようというのが、私が「世界言論人会議」を始めた理由です。

私は最近、新しい言論の使命を設定しました。それは、道徳言論という新しい使命です。したがって私は「ワシントン・タイムズ」に、今後十年間の目標として「道徳社会の具現に貢献する言論となりなさい」という命題を与えました。そして、「世界平和に寄与する新聞」、その世界平和は理想家庭をつくり出すことによって初めて可能になるので、「家庭の倫理を育む新聞になりなさい」ということです。

平和世界具現の重要な使命をもつ言論

言論は、立法、司法、行政に次ぐ、第四の権力と言われるほど、社会に強大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。

言論人である皆様も、専門職の人間である前に、本来は神の子です。皆様は、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命を受けた平和のチャンピオンであられます。このような言論人の自由討論の広場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」が存在するのです。

世界言論界の指導者の皆様。全世界と人類が、神様の摂理の中を、究極の真の平和世界に向かって進むこのときにおいて、言論は、神様の召命を受けた平和世界具現の重要な使命があることを悟らなければなりません。

言論は、平和を熱望する他のすべての人々と連合し、地球村時代に人類大家族の理想を具現するために強大な影響力を行使して、真の平和、道義世界実現の主役となり、勇敢に、そして大胆に前進しなければなりません。これからの数日間、より意義深い討議と研究を通して、より根本的な言論の使命を考えてくださることを願います。最後に、皆様の携わるお仕事と皆様の御家庭に、神様の祝福が満ちることを祈りながら、創始者の演説とさせていただきます。ありがとうございました。

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第五篇 25 二十一世紀の言論の方向と役割、そして責任

第五篇 25

二十一世紀の言論の方向と役割、そして責任

日付:一九九五年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、新羅ホテル

行事:第十三回「世界言論人会議」

尊敬する議長、ポール・ジョンソン博士をはじめとするすべての発表者と大会の参加者、そして内外の貴賓の皆様。私はこのたび「世界文化体育大典」の一環として開催される第十三回「世界言論人会議」に参加するために、世界各国の各地域からここ大韓民国のソウルを訪問してくださった皆様に、心より感謝と歓迎の言葉を申し上げます。

特に「言論の責任と役割」をテーマに開催される今回の「世界言論人会議」は、私たち人類が今、二十一世紀の新時代を目前に控えており、わずか五年後には、紀元二〇〇〇年代へと進入する歴史的な大転換期を迎えるという事実を考えてみたとき、非常に時宜にかなった、意義深い会議であると思わざるを得ません。

言論の役割と責任が強調される時代

今まで人類は、歴史を通して安楽な生活環境のための物質的開発とより合理的な社会制度の改善のために、あらゆる努力を傾けてきました。しかし、私たちがより安らかな環境を整えて自由な生活を営むほど、私たちには新しい霊的覚醒が必要だという事実をますます痛感せざるを得ません。今こそ全人類は、人間の本質的な価値問題に視線を転じて、新しい次元の生き方を模索しなければならない時を迎えているのです。

私たちは次の二つの観点から、言論の役割と責任が強調される時代に暮らしていると言えます。第一に、世界の全域に広がった民主主義の成長によって、言論の自由が持続的に伸張してきたという事実です。特に民主的な手続きを踏んで指導者を選ぶ現代の政治体制においては、大衆と最も密接な関係をもっている言論の役割と影響力が、非常に大きく、重要であると言わざるを得ません。

第二に、世界のニュースを伝えてくれる通信技術が極度に発達したという点です。その中でも、電波媒体と印刷媒体は、その技術が最も効果的でかつ広範に開発され、時間と空間を最大限に短縮してくれています。通信衛星や、地球村の国々を連結した世界的なインターネットといった新しい通信技術は、一個人の考えが、正しい正しくないにかかわらず、世界中の誰にでも思いのままに伝達できるようにしてくれます。

このように自由な先端技術を土台とした諸般の環境は、今日の言論をして世論形成に多大な影響を与えるのです。政治的な面では、一国の政府を、高く尊敬される立場に立てたり、没落の道を歩かせたりします。また、社会が高い道徳的基準をもつように先導することもできれば、その社会を混沌の渦の中に追い込むこともあります。

さらには、歴史とは、歴史的事実そのものよりは、歴史的事実に対する一つの記録としてつくり上げられるものである、という観点を考えた場合、このような転換期において、一瞬一瞬の歴史を記録していく言論媒体の責任は、他のいかなる分野よりも重大なのです。このように見るとき、言論の役割と責任は、絶対に歴史的な認識と分離して考えることができないのです。

したがって言論のもつ様々な機能、すなわち事実報道から、事実に対する評価や批判のそのすべてが、歴史の正しい方向性と歴史的責任を前提として形成されなければならないのです。宗教指導者として私が見つめる人類歴史には、明らかな方向性があります。

なぜなら、神様によって創造された人類歴史の背後には、必ずその目的を成し遂げようと摂理される神様のみ旨が内在しているからです。したがって、歴史を記録していく言論人の皆様は、神様のみ旨をはっきりと悟り、神様のみ旨と一致した観点で、歴史的事実を記録していかなければならないのです。

尊敬する言論界の指導者の皆様。第二次世界大戦が終わったのち、人類が体験してきた過去半世紀は、言論の役割と責任を最も切実に覚醒させてくれる時期でした。この時期において言論に与えられた最初の使命は、共産主義の虚構性とその戦略を暴露し、その共産主義の脅威を自由世界に悟らせることでした。しかし、かえって大部分の言論自体が、この時期に非常にリベラルな視角をもつことによって、混沌たる状態になってしまったのです。

特に世界を導いていくべきアメリカの首都ワシントンDCに、たった一つのリベラルな言論だけが陣取り、世界を誤った方向に導いているという事実が、私をして重大な決心をさせたのです。そうして私はあらゆる精誠と精魂と力を傾けて、十三年前に「ワシントン・タイムズ」を創刊しました。保守言論の旗手として共産主義と闘うために、私は莫大な財政的負担はもちろん、あらゆる謀略と誹謗を一人で耐え抜かなければなりませんでした。

私には、偽宗教家というレッテルが貼られ、捏造された脱税疑惑によってアメリカで刑務所生活まで体験しました。しかし、世界の流れは、神様のみ旨に逆らうことができませんでした。今、私は、「ワシントン・タイムズ」が、共産主義に勝利し、世界の自由を守るに当たって数多くの決定的な貢献を果たしたことに対し、深い賛辞と共に、これを歴史的な名誉として大切に残そうと思います。

言論が世界統一の先頭に立つべき

過去半世紀において、言論に与えられたもう一つの使命とは、人類をして人間の本質的価値を回復させ、道徳社会を建設させることです。一九九一年、冷戦時代が幕を降ろし、東西間の緊張と葛藤が終わりを告げるとき、私たちは、これから平和時代が到来するものと期待していました。しかし、冷戦以後には、かえって社会的な葛藤と不安がより一層加重されつつあるというのが実情です。アメリカだけを見ても、フリーセックスや同性愛のような乱れた性道徳が徹底的に家庭を破壊しています。

急増する離婚率は、道でさまよう青少年たちを日々増加させています。彼らは麻薬に陶酔し、暴力に没頭するようになり、挙げ句の果てには自殺の道を選択するようになります。十代の自殺率は、三十年の間に倍に増加しました。エイズをはじめとずる数多くの病気は、乱れた社会生活に起因しています。アメリカとヨーロッパの一部地域では、既に同性結婚が合法化されるまでに至りました。実際、多くの生態学者や環境論者たちが語る植物や動物の絶滅危機は、深刻な警告として受け止められながらも、人類種族の破壊現象に対しては、みな無感覚で無防備な状態です。

私たちは、これが既に世界のある地域だけの問題ではないことをよく知っています。このような現象は、人類の危機であると同時に、神様の危機なのです。家庭が破壊されることによって、人類生活の最も高貴な要素である愛が、その立つ場所を失い、神様の愛を大切に保管する基盤が崩れてしまうのです。

ですから、私は「ワシントン・タイムズ」創設十周年を迎える会場で「真の家庭の重要性」を力説しながら、人間の本質的な価値観の回復に関心を傾けることを強力に促しました。これは「ワシントン・タイムズ」にだけ与えられる勧告ではありませんでした。全世界の言論と指導者たちに与えられた神様の啓示でした。

今、「ワシントン・タイムズ」は、誰よりも声を高めて、真の家庭の回復と道徳再建を叫びながら、アメリカと世界を生かすために先頭に立っています。アメリカの新しい精神革命の旗手になっているのです。皆様も御存じのとおり、今、アメリカだけでなく、世界の各地で、家庭の重要性は、社会問題の次元を越え、教育、宗教、文化、そして政治および経済分野にまで重要な問題になっているのです。私が一九七八年に「世界言論人協会」を創設したのも、言論人の皆様に言論媒体の倫理および責任に関連した問題を討議する場を提供することによって、このような最も根本的な問題解決に役立てようとしたのです。

三番目に私が強調しようと思うことは、言論は世界統一の先頭に立たなければならないということです。今日における交通と通信の発達は、既に人間の意思疎通を遮るすべての自然的障害物を克服できるようにし、物理的な距離を短縮し、世界中の人類を近づけました。「世界は地球村である」という言葉がとても実感できる時代です。しかし、いくら科学と技術が空間的な障害物を人類から取り除いてくれたとしても、人類を一つの地球家族と呼ぶには、あまりにも多くの人為的な障壁が人類を分けています。

私たちは、ヨーロッパで行われる人種戦争のニュースに、毎日のように接しています。慣れ親しんだ故郷を離れる長い避難民の行列、愛する家族を失って嗚咽する場面、苦痛と疾病で苦しむ姿は、今ではもう見慣れないことではありません。同じ国の手の平ほどの地域の中でも、人種、言語、文化、宗教、慣習または政治や経済的体制の差によって、熾烈な葛藤と戦争で血を流すのが今日の現実です。それだけでなく、一年に数百数千万の人命が飢餓と疾病で失われているにもかかわらず、何の対策もないのが実情です。人類自らがつくったこの様々な利害関係の鎖を、どうしたら克服できるのでしょうか。

それは、人類が外面的に現れる人種、言語、文化、政治、経済面などでは異なるとしても、その本来の根は実は一つだったということを教える方法しかありません。人類の根はお一人の神様です。神様の真の愛と真の生命と真の血統が人類の根源です。その神様のみ前に全人類は、共に愛を分かち合える同じ子女たちです。一つの血統、一つの生命から出た兄弟姉妹なのです。

真の家庭は真の平和世界の出発地

きょうから三日後の金曜日の朝、私と私の妻は、全世界的に三十六万組の聖婚式を主宰します。この式はソウル・オリンピック競技場で開かれるのですが、その競技場がいくら韓国では最も大きい施設だとしても、そこには十万人しか収容できません。ですから、残りは世界の主要都市に集まり、衛星中継によって、聖婚式を挙行する予定です。

私たち夫婦は、一九六〇年から始めて、今まで五万組以上を祝福してあげました。したがって、今回、金曜日の行事は、今まで実施した祝福行事の中で最も大きな規模になります。

このように数多くの人々が人種と国籍と宗教と文化と伝統的な慣習を超越して、一カ所に集まり、一生で最も意義深い聖婚式を共に挙げるということは、様々な面で大きな意味をもっているのです。これは、このすべての人たちにとって共通で、誰もが尊敬する一つの価値観が実在するという事実を物語っているのです。

さらに一歩進んで、これは神様の真の愛を中心として一つとなった真の家庭を成し遂げることを、皆が望んでいるという事実を実証するのです。互いに異なる人種と文化背景をもった夫婦だとしても、神様の真の愛で一つとなった家庭をつくったとき、そこから生まれた子女たちの間に人種や文化的な葛藤はあり得ません。仮に皆様の父親が黒人で、母親が白人であるならば、どうなるでしょうか。また仮に父親がアラブ人で、母親がユダヤ人の家庭で育ったとすれば、果たして皆様はどちらか一方の人種や文化に対して悪い偏見をもつことができるでしょうか。

皆様は父母を愛するそれ以上の心をもって、両方の文化と伝統を愛し、大切にするでしょう。世界各地で深刻な社会問題になっている人種間の葛藤を、政治的にのみ、あるいは経済的にのみ解決しようとすれば、その結果は失敗にならざるを得ません。

人種差別は、赤ん坊の揺りかごから始まるものなので、真の愛を中心とした真の家庭の理想をもたなければ、この問題の根本的な解決は不可能なのです。したがって、たとえこの祝福行事が大規模なものだとしても、その中心理想はやはり、お一人の神様の真の愛を中心とした真の家庭を成し遂げることです。

親愛なる言論界の指導者の皆様。人類が歴史の始まりのときから神様と一つになっていれば、人類は真の愛を中心とした真の家庭を成し遂げて、ために生き続ける真の愛を実践することによって、真の国家と真の平和の世界を既に成し遂げていたのです。

しかし、人間始祖であるアダムとエバが堕落し、サタンと一つになることによって、神様とサタンが人間を真ん中に置いて闘う立場になりました。心はいつも神様に向かい、体はサタンの主管を受けるようになっているので、心と体はいつもぶつかり合い、闘わざるを得なくなりました。

したがって、たとえ人類が偶発的な第一次、第二次、第三次の世界大戦は避けられたとしても、この心と体の闘いは決して避けられないものでした。結局、この心と体の闘いは歴史を通して、個人、家庭、社会、国家、世界的な次元へと拡大してくるようになったのです。

この歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず神様を中心として、個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真の男性と真の女性が、神様を中心として真の家庭を成し遂げることによって、その中に神様を再び迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様が住まわれる地上基地になるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地になるのです。そして、これによって真の自由と幸福の世界が開かれるというのです。

先導的役割と責任を全うしなければならない言論人

昔から人類が熱望してきた地上での夢は、「いかにして自由と平等の理想を共に実現できるか」ということでした。自由の理想のもとでは、平等の実現が極めて難しい課題だったのです。その反面、平等のスローガンのもとでは、自由の理想が激しい抑圧を受けるようになったという事実を、歴史的に経験しました。

そうかと言って、そのうちどちらか一つだけでは、決して人類の欲望を完全に満足させることはできませんでした。このような理念上の根本的な矛盾は、もっぱら真の愛を中心とした真の家庭の理想の中でしか克服されません。すなわち、真の愛の中でのみ、真の自由が保障されるのであり、真の愛によってのみ、真の平等が可能なのです。

したがって、自由と平等が共に実現された真の平和世界の実現は、真の愛の根源である神様を見いだし、神様と一つになってこそ可能なのです。このような事実は、今日、「神はいない」とか「神は必要ない」と主張する無神論者たちにとっては、大きな警鐘であると言わざるを得ません。したがって、歴史が新しい次元へと転換されるこのときにおいて、有神論的な宗教的価値観を強調しなければならないことは、言論人であるすべての人に与えられた必然的な課題とならざるを得ません。

今日、世界各地で行われた世論調査を見ると、言論媒体に対する不信が次第に高まっていることが明らかになっています。言論と大衆媒体が独善的であり、自分たちだけの利益を追求し、家庭と社会を堅持する価値観を軽視しているという批判です。

様々な面で一般大衆のこのような叱責は、ある程度根拠をもっていると思われます。それは、人類全体が共通に尊重し、追求しなければならない絶対的な価値基準と言論媒体の多様な見解との間に、激しい格差があるという意味でもあります。したがって、互いが尊敬し、尊重される、神様の真の愛を中心とした真の家庭が、言論と社会に共通した絶対的な価値基準として確実に定着しなければなりません。

人類が希求する真の平和の世界は、上から下へと形成されるものでもなく、下から上へとつくられるものでもありません。神様を中心にすべての個人が真の家庭をつくり、神様に侍って暮らしてこそ、自由で平和な永遠の世界が建設されるのです。

尊敬する世界の言論指導者の皆様。新しい時代は既に明けつつあります。有史以来、分かれた神様と人類が、真の家庭の理想の中で共に出会うときが来たのです。言論人の皆様は、この貴重な時代において先頭に立つ人となり、その先導的役割と責任を全うしてくださることを願います。迫りくる未来は、共生、共栄、共義の時代になります。誰よりもまず神様のみ旨と一致して、歴史的勝利者として残る言論人になってくださることを期待します。この会議が成功裏に開催され、大きな成果を収めることを願います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることを願います。ありがとうございました。

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第五篇 26 世界化と世論、二十一世紀を展望しながら

第五篇 26

世界化と世論、二十一世紀を展望しながら

日付:一九九七年十一月二十六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、JW・マリオット・ホテル

行事:第十四回「世界言論人会議」

尊敬する議長、そして著名な発表者、会議の参席者および紳士淑女の皆様。私は、アメリカのワシントンDCで開催される第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれる、第十四回「世界言論人会議」に御参加くださった皆様に、深い謝意を表する次第です。

急変する言論を取り巻く環境

私は、今回の会議において参席者の皆様が、数年後に到来する二十一世紀の世界化時代に対応すべき言論の諸般問題を主題として討論することは、非常に意義深いことだと思います。なぜなら、地球の環境の変化があまりにも急速に進んでいるこの時代において、言論が他のどの分野よりも迅速、かつ正しく対応しなければ、人類の未来は、より一層混乱と不安に満ちるようになるからです。

今、地球を変化させている最も重要な要因は、通信手段の光速化にあるというのです。一言で言うと時間と空間を超越して、全世界の隅々をたった数秒間でつなぐ科学技術が日増しに開発されているということです。

今まで新聞の編集者は、取材記者に地域の便りをどこの誰よりも早く入手し、速やかに報道することを求めてきました。しかし、二十一世紀をわずか三年後に控えた一九九七年の世界の現実はどうでしょうか。

取材記者が地域共同体を考えるとき、自分が住んでいる物理的、地理的地域だけを考えるのではなく、電子メールをはじめとして、つながっている全世界の同僚、隣人たちのことも一緒に考えるようになりました。彼が様々な問題について取材をするとき、インターネットを通して、全世界を相手に情報を探さざるを得ません。情報を取材する人たちにとって地域共同体とは、自分の住む地域を意味するのではなく、全世界を意味するようになったのです。

二十世紀が始まった百年前でも、ニュースは、汽車、汽船、時には鳩を通して伝達しました。ですから、第一次世界大戦の戦場の状況といった重要なニュースも、数日または数週間待たなければ知ることができなかったのです。

しかし、二十一世紀を目前に控えた一九九〇年代後半である今は、インターネットと電気通信技術が、ニュースを瞬間的なものにし、主要なニュースは全世界がほとんど同時に知ることができるようになったのです。ですから、地球全体が正に私たちの地域共同体となり、地域のニュースとは、すなわち世界のニュースを意味するようになったのです。

このように電気通信技術が全地球を一つに結んだことによって、経済交流と文化交流は既に国境のない時代に入りました。地球市民全体が、共に影響を与えたり、受けたりする時代が来たのです。ですから、いかなる地域、またはいかなる国の経済といえども、世界的な影響を受けざるを得ません。したがって、私たちは、全世界を一つの共同体として認識しなければならないのです。ここにおいて、私たちは、「世界化時代の言論」とは、どのような形式と内容でなければならないのか、という問いを提起せざるを得ないのです。

世界化時代における言論の責任

このような問いに対して、皆様が今回の会議で、多様な話題による多くの討論と発表を通し、有益な結実を収めることを願います。私もきょうこの席で、「二十一世紀における世界化と言論」について、いくつかの見解を表明しようと思います。

まず世界化時代の言論は、正に「機能言論」から「価値言論」へとその方向を定めなければなりません。言論とは、ニュースを事実のとおりに読者たちに報道することだけで、その使命を果たしたことになるのではありません。なぜなら、論評と批判を通して、彼らに真実を呼び覚まし、社会の精神的で道徳的な価値を高揚し、先導することもしなければならないからです。

二十一世紀の世界化、情報化時代は、国境を越え、民族相互間で深い影響を及ぼし合うようになるので、ある主導国家の非道徳的な文物は、容易に他の国に否定的影響を及ぼすようになるのです。情報通信産業と先端技術の発達によって情報化された世界こそが、すべての人類に情報の共有化を催促する根本的な要因です。

このように情報化された世界では、ニュースを事実のとおりに報道することは、あまりにも初歩的な機能にならざるを得ません。その事実をいかに解釈して評価し、いかなる方向に教え導くかが言論の重要な使命になるのです。ここで私たちは、言論機関と言論人のもつ世界観、人生観、歴史観という価値認識に注目するようになるのです。

言い換えれば、言論人は、人類と世界全体の繁栄と平和に対する、肯定的で理想的な価値観を共有しなければなりません。それはつまり、世界的な視角をもとうということです。読者の低級な欲望と趣向に、単なる商業的動機だけで迎合する言論が大勢を占めることを放って置けば、二十一世紀は一層憂鬱で不幸な世界になってしまうでしょう。

私たちは、二十世紀の最も深刻だった理念戦争を体験しました。冷戦時代の理念戦争では、いわゆる共産主義と弁証法的唯物論という無神論的物本主義が、社会の各分野に攻勢をかけてきました。自由世界の数多くの知識人や言論人までも、その影響下で混乱をきたしたのが、わずか数年前のことです。

私は、その時代を誰よりも深刻に対処してきました。数多くの誤解と非難を甘受しながら、一方で自由世界の理念的、道徳的混乱を収拾するために「統一思想」運動および理想家庭実現運動を主導し、他方では、共産陣営を解放し、共産圏の知識人と青年学生に、共産主義のあとの世界に備える価値体系を教えました。

私は冷戦の渦中で、自由陣営が最も大きな困難に直面した一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊しました。当時世界の首都ともいえるワシントンDCには、新聞が「ワシントン・ポスト」しかなかったときです。

私は既に「ソ連共産帝国は間もなく終焉を告げるであろう」と警告したことがあります。一九八五年、ジュネーブで開かれた第二回「世界平和教授アカデミー」世界大会のテーマを「ソ連共産帝国の滅亡」とするように世界の碩学たちに通達しました。

学者たちは、初めはもちろん当時の米ソ関係を見て、私のこのような主張にとまどいながら、非常に困り果てた様子でした。しかし、私の説得力ある主張を受け入れて、その大会のテーマが私の提案どおり採択されました。

第十一回「世界言論人会議」が一九九〇年四月、モスクワで開催されたとき、私は「ワシントン・タイムズ」を中心につながっている自由世界の言論人たちを多数伴い、ゴルバチョフソ連大統領(当時)に会ったのです。私は、ゴルバチョフ大統領に会ったとき、無神論的唯物論の未来は自己破滅しかなく、唯物論を放棄して、宗教を中心とした霊的価値観の復活を試みるように忠告しました。

その後、二年もたたないうちに、共産主義帝国は崩壊に至りました。一九八五年にソ連帝国の終焉を主張した私の予見は的中したのです。そして、この事実を知った数多くの学者たちは、私に対して改めて驚嘆しました。

世界人類を苦しめる最も大きな問題は不倫と退廃

皆様。レバレンド・ムーンのこのような歴史と世界の変化に対する予知能力はどこから来るものでしょうか。それは言うまでもなく、私は宗教指導者として、神様との深い交流と、人類の未来に対する神様の計画とみ旨を具現しようとする私の絶対的な献身に起因したものであることを、きょう皆様に率直に公開する次第です。

私はいつも、神様の御計画にある未来世界の建設に対する準備を委託された現在の各界各層の指導者たちに、その責任を全うすることを訴えています。今や、冷戦時代は、終止符を打ちつつあります。人類は今、地球星で一人の神様のもとで全人類が兄弟姉妹として共生、共栄、共義の新千年のために準備しなければならない重要な時を迎えているのです。今はもう、共産主義か民主主義かと言って、いたずらに争い、競っていた時代は終わったのです。

二十一世紀以降の世界は、人類が、戦争のない平和の世界で自由と繁栄を謳歌しながら、愛と幸福を共有するようにしなければならないのです。東西間の理念対決の問題が終わったので、南北間の貧富の格差問題も、このような観点からアプローチしなければならないでしょう。

私がかつて科学技術の平準化を唱えて国際平和高速道路の建設を主唱したのも、世界が一つの家に統合され、相互依存せざるを得ない、そのような未来に対する洞察に起因したものです。

このような東西冷戦が終わり、科学技術が日に日に発展して、全世界が一つの共同体になるならば、二十一世紀において人類は、何の問題もなくすぐに平和と幸福を謳歌できるようになるのでしょうか。それはあり得ないことです。

冷戦時代よりも根本的で危険な問題が二十一世紀の人類社会を脅かすようになるのです。世界で人類を苦しめる最も大きな問題は、私が洞察したところによれば、正に家庭の価値を破壊する不倫と退廃の問題です。道徳的退廃こそは、人類を苦痛と絶望のどん底に陥れる原罪なのです。

未来の世界は、家庭の純潔を保存し、家庭の価値を守護する道徳律が定着するかしないかによって、天国と地獄の岐路に置かれるようになるでしょう。世界各国が共に悩む青少年の退廃と絶えず起こる麻薬犯罪、増加する家庭破壊と離婚、エイズの猛威、性犯罪などを政治権力で解決できるのでしょうか。現在の学校教育や宗教的教えでも解決できずにいるのです。

すべての家庭の悩みが解決されずにいる社会が、経済的に豊かになって何をし、政治的に自由になって何をするというのでしょうか。人類は今、家庭の価値を守護し高揚できる教えとその方法を探し出さなければならないときに来ています。冷戦以後の時代は、正にこの家庭の価値を守護し高揚しなければならない時代です。これはきょう、この場に世界の言論人を代表して参加した皆様に、レバレンド・ムーンが伝えたい最も重要なメッセージです。

二十一世紀の人類のための革命は祝福世界化運動

今、ワシントン市内一円で開催されている第三回「世界文化体育大典」のすべての行事と二十九日のRFKスタジアムと全世界で挙行される国際合同祝福結婚式の行事は、当初三百六十万組が参加する予定でした。

ところが、驚くべきことに、当初の目標の十倍を超え、三千六百万組となり、それ以外にも数百万組が参加することになりました。このような汎人類的祝祭こそ、未来世界のために家庭価値を守護し高揚する、人類の決断を促す荘厳な出発となるでしょう。

今後この行事は、三億六千万組に達する全世界的祝福行事へと発展していくので、言論人の皆様と今回の大会に参加された指導者の皆様が、国家的次元で積極的に協力してくださることをお願い申し上げます。この真の家庭運動を世界的な運動に拡大、定着させることが、二十一世紀の人類のための最も貴重な精神革命、文化革命運動となるでしょう。

私は去る六月に、「ワシントン・タイムズ」創刊十五周年記念講演で、世界百八十五カ国に新聞を創刊し、全世界を地域共同体に連結させる新聞の発行と通信サービスを始める予定であることを発表しました。このような巨大なプロジェクトは、先ほどお話ししました未来世界に対する私の信念に基づいており、未来世界で生きていく人類のための私の献身的な贈り物です。この場に参加された各国の著名な言論人の皆様の参与と御協力をお願い申し上げます。

今回の大会で皆様が討論し、議論する多くの内容に、より一層価値ある結実を期待します。ありがとうございました。

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第五篇 27 新千年における言論の統一された方向

第五篇 27

新千年における言論の統一された方向

日付:二〇〇一年一月十五日

場所:日本、東京、京王プラザ・インターコンチネンタル・ホテル

行事:「二〇〇一世界言論人会議」(代読)

尊敬する元・現職国家元首、言論界の指導者、そして紳士淑女の皆様。私たちは今や新千年が始まる時代の第一歩を踏み出しました。人類はつい十年前まで、冷戦時代の恐怖の中で暮らしてきました。当時、全世界は、恐るべき破壊力をもつ核の脅威に震えなければなりませんでした。

しかし、今日では、政治、経済、文化など、ほぼすべての分野の障壁が崩れ、世界は一つの地球共同体へと変化しつつあります。私たちは、特に時間と空間を短縮させるマスメディア技術の発展により、人類歴史上、最も幅広い変化を経験しています。過去のいつのときよりも、個人は世界と、世界は個人と、より一層密接な関係をもつようになりました。

例えばインターネットは、皆様もよく御存じのように、ニュースや娯楽情報を得る方法を変化させており、誰でも自分のささいな意見まで全世界に伝達できるようにしてくれます。同様に、世界の重要なアイデアとイシューが、すべての人のコンピューターの画面に映ります。

二十世紀の初めにおける、科学技術開発の決定的な牽引車は電気でした。この頃は、巨大な情報の高速道路であるコンピューターの伝送容量がその役割を担っています。今日、ラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどの言論媒体を通して、たった一日で得ることのできる情報量だけでもものすごい量です。問題は、人類がこのようなあらゆる情報を十に消化して、善の目的のために正しく活用する意志と能力をもっているかということです。

ニュースと情報がこの世に氾濫し、その過程で私たちは商業化が進んでいく趨勢を目撃しています。情報は次第に商品として売られるようになっていくのです。そして、情報のもつ倫理的、社会的、道徳的影響よりは、情報の市場性、すなわち情報がいかに多く売れるかに重点が置かれています。「情報高速道路」が及ぼす影響を正しく評価するためには、この時代の驚くべき科学技術の発展のような外形的変化を見越す見識がなければならず、また言論に影響を及ぼす様々な内的側面に注目しなければなりません。

私たちは、より本質的な立場で虚心坦懐に、情報化時代が人類の心と霊魂にどのようにして肯定的、あるいは否定的な影響を及ぼすのかを検討してみる必要があります。地球村時代を迎え、私たちの願う言論とはどのようなものなのかを自問しなければならないときになったのです。今日は、歴史に対する言論の責任を明確に認識しなければならない時代です。

言論は人間生活の本質と家庭、国家などの諸般の制度と世界に影響を及ぼすという面から、言論の役割について皆様と共に考えようと思います。核心的な問題は、情報の伝達を誰が掌握するかということです。現在、先端情報技術を最も活発に活用する分野としては、商業広告、政治宣伝、それから大衆文化などが挙げられます。

情報技術が飛躍的に発展したからといって、私たちがより良い人間に変化し、より健全な社会になったと言えるわけではありません。情報技術の発展には、肯定的な面がある反面、かなり否定的な面もあるのです。

親は、子女たちが勉強を疎かにし、インターネットを通して非常に非道徳的で性的に乱れた環境でチャットに熱中して夜を明かす姿を時々目撃するでしょう。大衆文化にあふれる暴力的で扇情的な娯楽物は、現実からかけ離れた世界を形成し、人をして他人の途方もない現実的な苦痛に対して鈍感にさせながら、神様の願われる本然の愛の行為までも行うことができないようにさせるのです。

二十一世紀の人類は、冷戦時代よりも一層根本的で、危険ですらある各種の懸案に直面するようになるでしょう。私たちが直面することになる問題は、東西間の対立ではなく、価値世界の葛藤です。言い換えれば、道徳と非道徳の間の世界的な戦いになるでしょう。度が過ぎた商業化は、人間の尊厳性に否定的な影響を及ぼすようになり、それによって、神様が私たちの生活の中で共にいらっしゃることができないという結果まで招くようになるのです。言論媒体は、道徳水準の高い公平な基準を強調しようと努めていますが、その過程において、価値観とは関係なしに働く利潤追求という市場論理とその力に屈服する危険性があるのです。

不幸にも今日の社会的、文化的環境は、道徳的に堕落した状態に置かれています。家庭の尊厳性が破壊され、地上のすべての国家が苦痛と絶望の沼に追いつめられており、エイズによって、すべての国家が破壊される境地に至りました。道徳的規範を認めない言論文化が、いかにして若者が自己破滅の道へと向かうのを防ぐことはできるのでしょうか。そのような言論が、いかにして麻薬犯罪、離婚の増加、家庭崩壊、エイズ、性犯罪などを防ぐ方案を提示できるのでしょうか。これに対する答えは、私が言わずとも、皆様御自身がよく御存じだと思います。

現代の通信技術は、言論の自由の範囲を広げてくれています。インターネットによって、誰もが出版できるようになりました。おかしな表現に聞こえるかもしれませんが、私たちは今日、表現の自由があまりに多く、その中に溺れてもがいているのです。したがって、表現の自由をいかに行使するかは本当に重要な問題です。

今回の会議のメーンテーマは「新千年における言論の統一された方向」です。このようなテーマに対し、皆様のなかで一部の人は異なる意見をもつかもしれません。言論の自由という概念は、明らかに中心的方向がないことを意味するからです。しかし、ここで言う「統一された方向」というのは、言論の自由を行使する量的拡大よりは、人間の尊厳性と真の家庭、信仰の価値に重点を置いた社会規範を正しく立て直すための言論の質を念頭に置かなければならないことを意味します。

個人の価値と尊厳性は、真の家庭の安定した基盤の上で一層高揚され、光り輝くようになります。家庭は、男性と女性が互いに尊重し合い、和合しながら暮らすことを学べる最高の場所です。結局、人々は、人生で最も重要な要素である真の愛を、家庭の中で完全に学ぶようになるのです。世の中に対する価値認識は、一次的に両親や兄弟姉妹から影響を受けるようになります。家庭は、愛を学ぶ最初で最高の学校です。家庭こそが、理想社会と平和世界の礎石なのです。ですから、真の家庭の価値は、言論によって保護され、尊重されなければなりません。

いくら社会が豊かで自由であり、すべての家庭にコンピューターがあって、光ファイバーによるインターネット・サービスが可能な環境を造成できていたとしても、その社会が家庭崩壊を防ぐことができないとすれば、市民に幸福をもたらす健全な社会にはなり得ないのです。

人間の尊厳性の根拠は、どこにあるのでしょうか。人類は本来、神様によって、神様の子女として創造されました。私たちが神様のことをしばしば「父」と呼ぶのはこのためです。そして、私たちの目標は、神様に似た子女として成長し、神様の神性を相続することです。さらに神様を中心とした個人は、同様に神様を中心として生活する家庭を形成するようになります。結局、全人類は、この真の家庭で、真の父母であられる神様の愛と生命と血統を受け継ぐようになるのです。

人間社会における宗教の役割は、人間と神様の関係を向上させる上で重要なものです。そのような意味で、信仰は必須的なものです。皆様がいかなる宗教を信じたとしても、その宗教が提示する皆様と神様との関係が核心となります。特に人間が信仰を通して、絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるときに、人間の内的価値も、絶対、唯一、永遠、不変になります。ですから、信仰は、人間の尊厳性に必須不可欠な価値をもっているのです。

そのような意味で、信仰の自由、信仰生活、信仰に基づいた活動などは、理想社会を建設するための柱になるのです。このような信仰的価値観を土台とした人間の生活は、ために生きる神様の真の愛の世界へと人類を導いていくでしょう。すべての宗教が、信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界は神様のもとの一つの兄弟姉妹として結ばれるようになるのです。

私が一九七八年に創設した「世界言論人会議」は、言論が抑圧されている地域では、言論の自由な表現の増進のために努力し、言論の自由が既に保障されている国家では、責任ある言論の自由を行使できるようにすることに寄与してきました。私は今回の会議が、今日の新しい環境において、言論の最善の行動指針を設定することに貢献することを期待します。

言論人は、人間の生で最も価値ある要素と世界平和を実現できる最善の方法に関する真理を伝達し、人類を啓蒙する、そのような勇気をしばしば見せてくれました。未来は、言論人である皆様の努力により、人類の絶対、唯一、永遠、不変の尊厳性が花咲き、私たちを世界平和へと導く真の家庭を実現する時代にならなければなりません。

そのような観点で、きょうはとても意義深い日です。世界各国の言論界の指導者である皆様は、今夜、私がお話しした内容を胸の奥深くに刻み込んでくださるようお願いします。健全な家庭と理想社会、そして平和世界の構築という使命は、私だけに与えられたものではありません。このような課業に、皆様も参加することを神様は願われています。

情報化時代に生きる皆様は、世界のどの地域にも行くことができ、世界のどの場所とも即刻的に意思疎通が可能なのです。しかし、皆様と皆様の国と世界のための神様のみ旨を成し遂げるために、皆様はニュースと情報がいかなる価値をつくり出し、世界にいかなる影響を及ぼすかということに対して責任感をもたなければなりません。さらに皆様御自身の生活は、真の価値をもつ生きた手本にならなければなりません。それさえできれば、皆様は、神様に栄光をお返しし、人類には希望と幸福をもたらすことができるでしょう。

私は今回の会議で、皆様の真摯な努力が、立派な結実を収めると期待しています。私たちは、すべての情報とニュースの伝達に必要な技術を、既に確保しています。皆様は神様と結ばれた中で、このような技術を効果的に適用できる真の人間の心情的価値と本性に関心をもってくださることをお願いします。神様の祝福が、皆様と皆様の御家庭に共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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第五篇 28 神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告

第五篇 28

神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告

日付:二〇〇二年五月二十一日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ヒルトン・ワシントン・ホテル

行事:「ワシントン・タイムズ」創刊二十周年記念式

尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、このように「ワシントン・タイムズ」創刊二十周年を迎え、私としては、とても感慨深いものがあります。一九八二年五月、私がニューヨークのマンハッタン連邦裁判所において、無念な思いで宗教裁判、人種裁判とも言える裁判を受けていた最中に、天の命令に従い、「ワシントン・タイムズ」創刊のための最終決定を下したときのことが鮮やかに思い出されます。

世界共産主義の波が怒涛のごとく全世界を襲っており、アメリカさえもそれに対して、なすすべがないという時でした。私は、民主世界の最後の砦であり、第二イスラエル圏のキリスト教国家であるアメリカを共産主義から守り、天がキリスト教を中心として立てようとした平和の理想世界、すなわち地上、天上天国を創建しなければならないという、天の崇高なみ旨に従ったのです。決して、新聞社をつくって、お金を儲けようという思いからではありませんでした。これまで「ワシントン・タイムズ」だけでも十数億ドル以上を投入しましたが、決してそのことで後悔したり、誰かを恨んだりしたこともありません。それが、天と人類のための真の愛の実践だったからです。

アメリカに送る最後のメッセージ

私がアメリカに来てから既に三十年が過ぎました。今では私の年も八十二歳になり、還故郷の時が来たことを感じています。最後に私は、第二イスラエル圏国家であるアメリカと人類に、神様と霊界の実相についてのメッセージをはっきりと伝えてから、ここを発とうと思います。このメッセージは、単なるレバレンド・ムーン個人のメッセージではありません。この時代に人類が守らなければならないメッセージとして天が下さったものです。

天のみ旨について、今まで人類は無知な状態で生きてきました。第一に、神様について無知であり、第二に、私たちが死んだのちに、否応なしに選択の余地なく入って暮らさなければならない霊界について無知でした。

しかし今は、人類歴史の終末を迎え、既に天上においては四大聖人をはじめとする数多くの宗教団体の指導者たちが、私の教えである「統一原理」を真の真理として受け入れました。彼らは今、真の新しい家庭編成のための祝福結婚を通して、地上の弟子や子孫に再臨協助することに総動員され、役事することを始めました。

第二イスラエル圏であるキリスト教国家のアメリカのためには、特別に霊界から、イエス様を中心とする四大聖人と歴史上で有名な弟子たちが、それぞれ百二十人ずつ選抜され、統一された連合戦線を構築しました。今や彼らは、地上再臨を通して、「超宗教超国家連合」と「超NGO(非政府機構)連合」の活動を本格化させ、この地上に平和世界を完成しようとしています。

彼らは、真の父母の思想である「ために生きる生活」、すなわち真の愛の実践でなければ、人類の将来はないと叫んでいます。したがって私は、「神様のみ旨から見たイエス様の生涯と終末である現代に対する神様の警告」という題目で、アメリカと人類に、この最も貴いメッセージを伝えることによって、きょうの記念の辞に代えさせていただこうと思います。

イエス様の十字架の摂理を注意深く見ると、右の強盗と左の強盗、イエス様とバラバがいたのですが、そのような形で種が蒔かれたというのです。「自分のまいたとおりに、刈り取る」という原則ゆえに、最初に現れたのが、イエス様を中心とする「右の強盗型」と「左の強盗型」である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場した「バラバ型」であるイスラーム圏です。イエス様によって恵沢を受けることになった「バラバ型」のイスラーム圏は、キリスト教の対立勢力を中心として出発したのです。

このように種が蒔かれた歴史は、世界の形態が四大陣営に結束するという時代の運勢に入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラーム圏を統合して、アラブ統一国家の夢を抱きました。そうかと思うとキリスト教は、「すべての宗教を統合しよう!」と叫びながら、世界的な新しい趨勢に入りつつあります。

このような世界的な傾向を見ると悲運の種が蒔かれた歴史が、ようやく今、神様を中心とした善の結果として現れつつあることが分かります。終末時代になれば、このような現象がますます露骨に現れ、最初に蒔いたものが、それと同じ姿の実が結ばれて刈り取られるようになるのです。それは、摂理の法度によって現れざるを得ない、不可避的な現象です。すなわち、真の愛主義である「真の父母思想」によって統一されるのです。

右の強盗とキリスト教

民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、今後来られるメシヤは、神様を尊重する民主世界の内的な基盤の上に来られ、外的な環境圏を吸収し、主流のキリスト教文明圏を中心として、様々な文明圏を統合する運動をしなければなりません。歴史の最後には、このような運動が起きるのです。そのようなことが偶然とばかりは言えません。そのような動機の種が蒔かれたので、そのような結果が結ばれるのです。

十字架で亡くなられたイエス様は、強盗殺人犯である右の強盗とともに亡くなられました。もし右の強盗がその場にいなかったとすれば、イエス様は、地上に対して、また人間に対して、関係を結ぶ何の縁も探し出すことができなかったでしょう。しかし、右の強盗が、死ぬ立場にあったにもかかわらず、イエス様の味方に立ってイエス様を擁護したのです。人類歴史上、イエス様の味方に立った最後の人は誰だったでしょうか。それは、ペテロでもなく、イエス様の父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗だったのです。

死の場において、自分の因縁を通告し、死を乗り越えて、イエス様に全幅の信頼をかけた、ただ一人の人がいました。その人が、正に右の強盗だったのです。もし、右の強盗がいなければ、イエス様が復活して地上摂理を再開できなかったという事実を、皆様は知らなければなりません。

四千年の歴史を締めくくり、三十数年間の生涯を締めくくるその場において、ただ一人でしたが、初めてイエス様と関係を結び、死の道に同参してまでも、イエス様を希望の主体とし、イエス様に侍ることができた人が、右の強盗だったのです。彼が中心になっているという事実は、彼が使徒たちよりも勝っていることを物語っているのです。ペテロよりも勝っているのです。

なぜならば、右の強盗は、内容は知りませんでしたが、死の場において、その生命が尽きるときまで、イエス様に侍る方向性を備えたからです。しかし、ペテロやヤコブのような十二使徒たちは、内容を知っていながらも、そして一つの方向性を備えるという誓いまでした人たちでありながらも、最後まで、その方向性を備えることができませんでした。ですから、右の強盗が、人類の歴史上において、地を身代わりして、未来を再起させることのできる中心的な存在になったという事実を知らなければなりません。

聖書を見たときに、イエス様が、個人的、家庭的、民族的、国家的な条件を立て、サタンと闘って完全に勝利したことがあったでしょうか。勝利したことがありませんでした。イエス様にも屈服しなかったサタンが、ましてやイエス様を信仰する人に対して屈服すると思いますか。六千年間、神様に讒訴し、神様のみ旨を蹂躙して、神様の摂理を台無しにしてきた、偽りの知恵の大王であるサタンが、イエス様を信仰する人が、「退け」と言ったからといって、退くと思いますか。そのためには、相続権が伴わなければならないのです。

私たちには、歴史的な相続権がなければなりません。アダムからノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス様以後までの伝統と基盤を受け継いで、歴史的な祭物を身代わりした相続者にならなければなりません。そのようにして、サタンに、「お前は、歴史路程において、ノアに敗れ、ヤコブに敗れ、モーセに屈服したではないか。私は、彼ら全員の勝利の基盤の上に立っているのであり、摂理歴史のすべての伝統を相続したのだから退きなさい、このサタンめ!」と叫んでこそ、退くようになっているのです。

無条件に「サタンよ、退け!」といくらでも祈祷してみてください。六千年間、神様に讒訴し、蹂躙しながら、復帰摂理を破綻させてきたサタンが、「私は、イエス様を信仰しているのだから退きなさい」と言ったからといって、容易に退くと思いますか。それはあり得ないことです。「私は、間違いなく、歴史的な神様の心情を通して神様が探し求めてこられた者である。私は、イエス様の神聖な聖体に接ぎ木された者である」と言うことができなければなりません。

イエス様が神様から受け継いだ相続の系譜、すなわちイエス様をこの地に送られるときまでの四千年間の神様の心情的相続譜に載っていなければならないのです。そうして、十字架上においてサタンに勝利するのではなく、十字架にかからずに屈服させて勝利しなければなりません。肉身をもって実体復活しなければならないのです。そのような実体の相続者として認定された人であってこそ、天国に入っていくことができるのです。

霊的救いの摂理の土台を残したイエス様

今までのキリスト教は、霊肉の地上天国を願ってきたのではなく、肉的世界は放棄してしまい、霊的救いを目標として、霊的王国における霊的メシヤとしてのイエス様に侍ってこざるを得ませんでした。言い換えるとイスラエル民族には国があり、選民的国権をもつことができたのですが、今日、全世界のキリスト教は、第二イスラエルの霊的国家なのであって、主権国家、すなわち国がないのです。キリスト教徒は、霊的第二イスラエル圏内に立っているので、肉的基盤をもつことができず、霊的基盤だけをもっているのです。したがって、霊肉を中心とした地上天国を完結しなければならないという、神様の本然のみ旨を成し遂げることができなかったので、主は再び来ざるを得ないという事実を知らなければなりません。

きょうここで、皆様に一つ宣言しようと思うことがあります。それは、十字架の場においては、神様は勝利されたのではなく、サタンが勝利したという事実です。ゲッセマネの園で、イエス様が、「今は……やみの支配の時」(ルカ二二・五三)と宣布されたことを、皆様も覚えていらっしゃるでしょう。十字架の場は、神様が四千年間、準備してこられた国を失ってしまった場であり、イスラエルの教会を失ってしまった場であり、洗礼ヨハネの一党と十二弟子、右の強盗など、すべてを失ってしまった場になったことを知らなければなりません。

十字架上には、キリスト教がなかったのです。それでは、キリスト教は、いつ出発したのでしょうか。イエス様が、亡くなられてから三日目に復活され、四十日の間、自分に背いた弟子たちに会われ、聖霊が降臨した後に出発したのが、キリスト教です。しかし、キリスト教徒たちは、二千年の間、十字架の道理ではなく、復活の道理によってキリスト教が生まれたことを知らずに、信仰してきたのです。このような事実を悟るならば、皆様は、すべて悔い改めなければなりません。イエス様が復活された土台の上からキリスト教が始まったので、キリスト教は、霊的なキリスト教なのです。

イエス様のみ言を詳しく調べてみましょう。イエス様が、十字架にかけられて亡くなられることが、神様のみ旨の成就だったとすれば、ゲッセマネの園におけるイエス様の祈祷は、間違っていたことになります。メシヤとしての資格がない祈祷だった、ということになるのです。それは、全く驚くべき事実です。メシヤとして、一度ならず三度までも、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。

しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)という祈祷をすることができるのかというのです。もし、イエス様が亡くなられるために来られたのだとすれば、イスカリオテのユダには賞金を与えなければなりませんが、イスカリオテのユダについて語られた「その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」(マタイ二六・二四)というイエス様のみ言を、どのように解釈したらよいのでしょうか。

イエス様が、十字架上で亡くならなかったら、どのようになっていたでしょうか。イスラエルの国は、イエス様の教えに従って安定し、そのまま残り、ユダヤ教もそのまま残ることを、イエス様は知っておられたのです。しかし、御自身が十字架で亡くなれば、後世の数多くの人々が、十字架の道に従っていかなければならなくなるので、血を流さずしては、その道を行くことができず、数多くのキリスト教徒たちが苦労し、また、主が再び来られても苦労されることを、イエス様は知っておられたのです。

ですから、ゲッセマネの園において、イエス様は、そのような祈祷をせざるを得なかったことを知らなければなりません。今日、キリスト教徒たちは、イエス様も肉身をもっていらっしゃったので、死の苦痛が恐ろしくて、そのような祈祷をされたのだと言っています。しかし、イエス様がそのように取るに足らないメシヤだったのでしょうか。

皆様。十字架上で息を引き取られるとき、「すべてが終った」(ヨハネ一九・三〇)と言われたイエス様のみ言は、どういう意味でしょうか。イエス様は、霊肉共に救うための使命をもってこられたのですが、基盤のないこの地上では、神様のみ旨を完全に成し遂げることはできないことを悟られたのです。ですから、十字架を背負ってでも、霊的救いの摂理の基台を残し、また霊的救いの摂理を出発させることができる条件を立てるために、御自身のすべてを捧げて「すべてが終った!」と言われたのです。

盲目的信仰の時代ではない

皆様は、このようなことは夢にも考えなかったでしょう。神様のみ旨を成就するために、サタンの国を滅亡させ、サタンの王権をなくし、人類を取り戻そうとされた主が、このように悲惨に死んでいかれたという事実を今からでも知って、キリスト教とユダヤ教は悔い改めて、一つにならなければなりません。一つになって、再び来られる主を迎える準備をしなければなりません。

真理は、理論に合わなければなりません。今こそ、盲目的な信仰の時代をはねのけ、新しい世界に向かって、この世界を収拾し救うために、全世界のキリスト教徒は、一つに団結しなければならないときが来ました。ですから、「統一」という言葉が必要な時が来たことを知らなければなりません。

イエス様が亡くなられた後、三日間、苦しみを受けられたという事実は、何を意味するのでしょうか(ペテロⅠ三・一九)。天地は死亡圏にあり、地獄も死亡圏の因縁をもっているので、イエス様が天地を主管されるためには、この死亡圏を下にも乗り越え、上にも乗り越えなければならなかったのです。ですから、地獄のような、一番底の境地に行って苦痛を受けたとしても、それを乗り越え、生命の関係を追求し、神様を慰労する希望の道を行かなければなりませんでした。

したがって、イエス様が、地獄のようなその環境を経ることによって、希望の天国に向かって再出発できる道がつくられたのであり、地上では、捨てられ、追われ、死の道を行かれながらも、希望の道を後世に残すことができたのです。ですから、イエス様は、三日路程を行かざるを得なかったのです。

三日間、イエス様は、地獄を見物するために行かれたのではありません。地獄を知らないイエス様ではありませんでした。イエス様は、そこに行かれて判決を下し、死亡世界から生命の世界に行く道を開いておかなければならなかったのです。そのようにして、死亡の地獄世界であるこの地上に、勝利の基盤を築かれたのであり、天国に行くことのできる起源をつくっておかれたのです。

イエス様は、教団の前では異端者として、民族の前では律法の破壊分子として追われました。御自身の氏族から追われ、家からも追い出されました。洗礼ヨハネの一党からも追われました。それで、イエス様は荒野に出ていかれたのですが、そこでもまた、サタンに追われたのです。しかし、それだけでは終わりませんでした。最後には、全体が動員されて、十字架の死の道、ゴルゴタの道に追いやられたのです。

しかし、反逆者として追いやる民族に向かって、かえって涙を流されたイエス様でした。イエス様は、ユダヤ教団から異端者として扱われたのですが、イスラエルのいかなる祭司長よりも、彼らのために、より多くの血の涙を流された人でした。その時代の誰一人として、御自身の味方になってくれる人がいなかったのですが、イエス様は、その時代の友でした。民族の反逆者として迫害されたのですが、民族の忠臣であられたのであり、教団の異端者として迫害されたのですが、教団の忠臣であられたのです。

イエス様の道は、始めから終わりまで、引き裂かれ、追われ、倒れる、十字架を背負った凄惨な歩みでした。しかし、それだけだったでしょうか。むちを持った無謀な悪党たちによって追いやられるという、そのような境遇に追い込まれることもありました。このような立場で、もし、イエス様がエリヤのような人だったならば、彼も、「ただわたしだけ残りました」(列王紀上一九・一〇)という祈祷をしたでしょう。

しかし、イエス様は、ゲッセマネの園で、三人の弟子を後ろにおいて祈祷されるとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と祈られました。そのことが偉大だったのです。御自身の事情も哀れでしたが、自分の一身は民族の祭物であり、人類の祭物であり、天倫の祭物であることを御存じだったのです。

イエス様の悲しみと神様の恨

そのようなことを御存じだったイエス様は、御自身の悲しみも悲しみではありましたが、天の悲しみがどれほど大きいものかを心配する気持ちのほうが大きかったのです。民族のために現れたにもかかわらず、民族に裏切られる、そのような自分を見つめられる天の悲しみのほうが、どれほど大きいかということをより心配されたのです。イエス様は、天の王子であられ、万宇宙の主人公であられ、メシヤであられました。そのようなイエス様が、「凄惨な十字架で落命とは、どういうことでしょうか」と言って嘆息しようとすれば、この宇宙を動員して嘆息することもできたのですが、嘆息できない自分であることを感じられたので、追われる立場に立つようになったことを、むしろ天に面目なく思われたのです。

教団を糾合し、民族を糾合して、天の王国を建設し、世界を父の懐に抱かせてさしあげなければならない責任を担われたイエス様は、その使命を残したまま十字架の道を行かれるようになるとき、恨みは何も感じられませんでした。イエス様が、「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈祷されたのも、自分の一身の死が悲しかったからではありません。自分の一身の死によって、民族の悲しみと天の悲しみが加重されることを知っておられたので、そのように祈られたのです。

イエス様は、自分が十字架で倒れれば、後代の世界人類に加重されることになる十字架が残され、そのことによって、悲しみの歴史は終わらないことを御存じでした。ゴルゴタの道が終わらないことを御存じでした。死の道が終わらないことを御存じだったのです。そして、自分がゴルゴタの道を行けば、自分に従う人々もまた、ゴルゴタの道を歩まなければならないことを御存じでした。

十字架だけでなく、それ以上の困難な道が残されることを御存じのイエス様でいらっしゃったのです。両手両足に釘が打ち込まれ、わきを槍で突き刺されて血を流す立場、茨の冠をかぶる立場に立ったとしても、それが自分で終わらないことを御存じだったイエス様は、天に向かって「すべてが終った」と言われました。そのみ言は、人間世界において、十字架の道がすべて終わったということではありませんでした。十字架のために涙しながら案ずる心の訴えが、天に通じたことを示しているのです。このように、イエス様は、数多くの預言者や烈士が、天に対して犯したすべての過ちを背負われ、天を慰労してさしあげるために、自分自身を生きた祭物として天に捧げられたという事実を、私たちは知らなければなりません。

それでは、ここでイエス様に対する神様の心情は、どのようなものだったでしょうか。死にゆくイエス様のその姿、天を案じながら十字架の峠を越えていくその姿を見つめられるとき、人間世界に対する憤りがあるとすれば、これ以上の憤りはなかったはずであり、天の四千年間の歴史路程を見ても、これほど大きな憤りはなかったでしょう。しかし、イエス様御自身は、死にゆくその中で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と言われました。神様には、即座に、ノアのとき以上の審判をしたいという思いがあったのですが、イエス様が、民族をつかんで亡くなられ、教団をつかんで亡くなられ、十字架をつかんで亡くなられたことによって、人間を捨てることができず、そのままつかんでこられたのです。そのような心的な関係が、後代の人間、残されたイスラエル民族と結ばれていたので、神様は、背反する後代の教団と人間たちを捨てることができずに、つかんでこられているのです。

四千年間、復活摂理を通して救いの役事をしてこられた神様は、イエス様を復活させる摂理だけでは、天上のみ旨と地上のみ旨を合わせて完結させることができないので、新しい契約を立てられ、それをもって、天上と地上のみ旨を合わせて、約束された本然の園を取り戻す摂理をしてこられたことを、皆様はよく御存じだと思います。

聖書を見るとイエス様は、与えた杯とパンが、すなわち新しい契約であるとおっしゃいました。イエス様が昇天されたのちに、私たちは、そのイエス様の血と肉を受けたのですから、これは、やがて成し遂げるべき全体の生命を身代わりすると同時に、全体の摂理を身代わりしたものであることを、皆様は知らなければなりません。イエス様の血とイエス様の肉を受けるということは、何を象徴するのでしょうか。それは、イエス様一個人の血と肉を意味するのではありません。大きくは、天と地を意味するのであり、小さくは、中心と個体を意味するのです。また、肉は真理を象徴し、血は神霊を象徴します。これらすべてのものを、イエス様は、私たちに何の条件もなしに下さったのです。

神様と人間との間を塞いでいるものは何でしょうか。天のみ旨が地上に現れ、地上の全体の状況が、天のみ旨に帰結され、一つの目的をもって動かなければならないのですが、それが塞がってしまったのです。

イエス様が、新しい契約を立てていかれたので、彼が亡くなったあとは、霊的な世界と肉的な世界が、人、すなわちイエス様に従う使徒を中心として連結されなければならない、という条件が残されました。イエス様が亡くならなければ、イエス様を中心として、天と地が連結されて一つになっていたのですが、亡くなられることによって、イエス様は、天に代わって条件を立てるようになったのであり、聖霊は、地に代わって条件を立てるようになったのです。

今は天一国を安着させるとき

尊敬する貴賓の皆様。しかし、今や時が来ました。神様が六千年間、待ち続けてこられ、キリスト教徒が二千年間、待ち望んできた超宗教、超国家、超NGO(非政府機構)圏次元の平和統一世界である地上、天上天国を建設すべき天の時が来たのです。ついに天運が到来したのです。天上のイエス様とペテロ、ヤコブなどの弟子たちはもちろん、数千、数万の宗教指導者が一心一体となって、自由自在に地上に再臨し、真の父母様に侍って、神様のみ旨である「天一国」、天と地が一つになって、永遠の平和を享受して暮らす天国を、必ずやこの地上に安着させるでしょう。

今や、第二イスラエル圏であるキリスト教国家のアメリカが、先頭に立つべき時が来ました。銃剣によるのではなく、真の愛と真の生命と真の血統を基盤とした、真の真理とために生きる真の愛で、全世界の人類を教え導かなければならない責任が、アメリカにあるという点を、私はきょう、この場を借りて満天下に宣布する次第です。

最後に、このような崇高な天命に従い、「ワシントン・タイムズ」とUPI通信のような主要言論媒体も、これからは、超宗教的な側面と超思想的な側面を通じた汎人類教育に、より一層、積極的に乗り出してくださることをお願いする次第です。併せて、霊界の指導者たちが送ったメッセージを収録した冊子を配布しましたので、熟読してくださるようお願いします。ありがとうございました。

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第六篇 1 アジアと世界を救う真の愛運動

第六篇 1

アジアと世界を救う真の愛運動

日付:一九九一年九月十七日

場所:日本、千葉、東京ベイNKホール

行事:第一回「アジア平和女性連合」日本東京大会(真のお母様)

尊敬する大会委員長、「アジア平和女性連合」の会員の皆様、来賓の皆様、そして日本全国各地から集まってこられた女性指導者の皆様。今日の歴史的な大変化のただ中にあって、これまでわずか五年足らずの間に、「アジア平和女性連合」がこれほどの成長を遂げ、かくも立派な大会を開催することになり、衷心よりお祝いを申し上げます。

皆様の国、日本は、終戦の廃墟の中から立ち上がり、「現代の奇跡」と呼ばれるほどに、わずか四十年で世界一の経済大国を建設し、世界の人々の羨望の的となっています。さらに幸いに思うのは、このような驚くべき産業発展を遂げながらも、日本は東洋に受け継がれてきた伝統的価値を失うまいと努めながら、家庭と社会教育の問題に多大な関心と努力を傾けてきたことです。このような立派な成功の背後には、誰よりも女性の皆様が、細やかで犠牲的な母として、また献身的な主婦として、家庭を健全に育て守ってこられたことが、その大きな基礎となっていることを、私もやはり女性の一人として、誇りに感じています。

「アジア平和女性連合」の指導者の皆様。世界は今、歴史的な大転換期を迎えております。一九一七年のロシア革命以来、七十年近くにわたって、世界の半分以上を席巻しながら数億人もの人々の血を流し、全人類を恐怖と戦慄のるつぼに追い込んできた共産主義の宗主国ソ連が、ついにその赤い旗を降ろし、歴史の彼方へと消え去ることになりました。

これは取りも直さず、神様を否定する無神論の世界観が敗亡したことを意味し、葛藤と闘争と憎悪の哲学が、その限界を露呈し、共産党による一党独裁体制がその破滅を宣言したものです。しかし、このような共産主義の滅亡は、私たちに一つの重要な事実を悟らせてくれます。それはすなわち、共産主義の滅亡は、決して自由民主世界の勝利を意味してはいないという点です。経済的平等を主張して出発した共産主義が、かえって経済的な破綻によってその終焉を告げたように、自由の理想を唱えて立ち上がった自由民主世界もまた、その自由というものの陰で、性道徳の紊乱や暴力、麻薬中毒など、激しい価値観の混乱による社会的破綻を迎えているのです。

戦後四十数年にわたる冷戦時代は、結局のところ、左右双方が敗者となって勝者なしのゲームの幕を下ろすことになったのです。今こそ共産主義世界だけでなく、自由民主世界も新たに救済されるべきときであることを悟らせてくれているのです。

このように、西洋を出発地とした資本主義と共産主義は、いずれもそれ自体が物質的価値に基礎をおいているため、精神と肉体を兼ね備えている人間の真の欲望を満たすことができず、その限界があらわにならざるを得なかったのです。そのため、今日の世界においては、精神的価値を強調してきた東洋社会の中心的役割が、絶対的に必要な時代になりました。歴史的にも、アジア大陸は世界の精神文明の産室となってきましたが、ついに今や東洋が精神的な主体として、世界史的使命を果たす時が来ているのです。今の時代が「アジア太平洋時代」と呼ばれるのもその意味であり、これは実に、「もう一つの歴史的大転換期」と呼ばれるようになるのです。

尊敬する女性指導者の皆様。過去半世紀にわたり、日本が産業を発展させ経済的に豊かになりながらも、日本社会がその歴史的価値を立派に守ることができたのは、女性たちが自発的に、献身的、犠牲的に家庭を守ってきたからであると私は思っております。事実、歴史的価値の中で最も重要なものは、家庭を中心とした価値観であると思います。

昔の諺に「家和万事成」という言葉があります。これはすなわち、家庭こそが平和の根本であるという意味です。

そして、このような家庭を築く上で最も重要な要素が真の愛です。真の愛とは、愛の中でも神様を中心とした絶対愛のことをいいます。すなわち、愛せないものまでも愛するのが真の愛なので、真の愛によれば怨讐までも愛さざるを得なくなるのです。さらに相手のために生命までも捧げる犠牲的な愛が真の愛です。そのため、真の愛のもとでは、個人はもちろん、社会や国家間の対立や葛藤さえも完全に超越し、溶かされて、真の平和が成就するのです。

この真の愛は、創造と繁殖と発展の原動力となります。つまり、すべてのものは投入すれば消耗し、終わってしまいますが、真の愛は投入すればするほど大きくなり、さらに増加して返ってくるのです。そのため、このような真の愛の中でのみ「永生」という言葉が可能となり、真の愛を実践する家庭と社会は永遠に滅びることなく発展するのです。

このような点から見ますと、私の夫である文鮮明牧師が教えてきた「ために生きる」という言葉は、平和な世界を建設する基本的な指針となるものです。このような真の愛の起源は、神様にあります。そして神様は、このような真の愛を実現するために人間を創造されたのです。

神様は、人間を創造されるとき、なぜ男性と女性が互いに相対となるように造られたのでしょうか。それは真の愛ゆえにそのようにされたのです。真の愛の中で、夫は妻と、妻は夫と愛を分かち合うようにするためにです。夫と妻がこのように互いに横的な愛を分かち合うことによって、夫と妻の根源であられる神様の愛を所有するようになるのです。

すなわち、横的な男性と女性の愛によって、人間は縦的な神様と愛で結ばれるようになるのです。言い換えると男性と女性が結婚するのは、真の愛を中心に互いの世界を横的に占有するためであり、縦的には神様の愛を占有するためなのです。真の愛には相続権があるので、創造主と被造物が自分の所有となります。人間の欲望は、ここにおいて達成されるのです。

このような点から、女性は男性がいなければ神様の愛と出会うことができず、男性は女性がいなければ神様の愛を所有できないのです。そのため、男性と女性は、神様の愛を所有するという立場において、互いに平等な価値をもつことになり、一体になった夫婦が神様の真の愛のパートナーになると同時に、創造主と人間は、真の愛を中心として平等の価値をもつようになるのです。

このようにして、神様によって最初に造られた男性と女性が真の愛を成就すれば、彼らは真の父母となり、神様の愛を実現する始発点となるはずでした。しかし、不幸にも、人類は、神様の代身として真の愛の実体となるべき真の父母を失ってしまったので、このような真の父母の理想を再び回復し、真の愛を中心とした真の家庭と社会、国家、世界を実現する起源をつくらなければならなくなったのです。

ですから、これからの世界は、単に地理的に近くなる地球村時代ではなく、真の愛を中心としてつながる地球家族時代を迎えなければならないのです。文鮮明牧師は、この真の愛の絶対的な道を知るがゆえに、数多くの迫害と苦難を受けながらも、自分のためではなく、神様と人類のために生きてきたのであり、その結果、今日のこの世界的な統一教会の基盤を築いたのです。

のみならず、このように世界的な仕事をしてきた文牧師の妻として、私自身も、この真の愛を中心とした勝利の縁があるので、夫の痛みを骨身に深く刻みつつ家族全体と分かち合うことができたのであり、いかなる困難にぶつかったとしても、孤独な立場である夫のことを思いながら、表情に出さず、笑顔を失わないように努力してきたのです。

そのようにして、女性としての真の幸福を、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛の中に見いだそうと、ために生きる生活を続けているうちに、自然と私の生涯の目標が、真の愛を中心として、きょうはきのう以上にために生きて感謝し、またあすはきょう以上にために生きて感謝しながら、一層努力する人生になったのです。また私が今日、立派に成長した十三人の子女の母親として、その役割をうまく果たし得たのも、やはりこのような真の愛を中心として私の家庭が一つになれたからだと思います。どの家庭でも神様が臨在されれば、父母も子女もみな、神様の愛と生命と希望を共に分かち合うことができるからです。

尊敬する「アジア平和女性連合」の指導者の皆様。来たる二〇〇〇年代は、米ソ両国の対立時代でも、多国による混乱の時代でもなく、神様の真の愛を中心とした神様の世界にならなければなりません。経済力や軍事力による世界支配の論理が存在していた弱肉強食の時代は過ぎ去り、今や神様の真の愛を教える「神主義」に基づいて、東と西、南と北、そしてすべての文化と人種と思想が一つに溶け合い、一つの世界をつくらなければなりません。

「神主義」は今、アジアから出発して、アジア太平洋文明圏を建設しなければなりません。「神主義」を中心としたアジアは、これ以上の反目や葛藤、闘争があってはなりません。自分のためよりも、全体のために生きようとする真の愛の実践によって、アジア人自らが世界平和を成就する見本を示さなければなりません。

世界から富の祝福を受けた日本の行くべき道は、今や世界のために生きる「真の愛の精神」を土台として、世界の痛みを自分の痛みとし、世界の問題を自分の問題として、世界のために犠牲となり、奉仕することによって、世界平和建設の主役にならなければなりません。

既に文鮮明牧師は、今年の八月二十七日と二十八日に、韓国のソウルで「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」を結成しました。地球上の諸宗教は、唯一の神様を中心として全人類を結集させ、真の愛をもって結束させる使命をもっているにもかかわらず、歴史の流れとともに数百、数千に分かれてしまい、かえって宗教相互間の葛藤や闘争はおろか、真の神様を指向する人類の信仰の道までも、混乱に陥れてきたのが現実です。

宗教の名のもとに無実の人々を罪ある者と決めつけ、神様の名を借りて血を流す戦争を数多く経験してきた歴史的事実を直視したとき、このような宗教が一つにならなければ、人類の心の世界は一つになれないばかりか、地上の平和世界ははるか遠くに追いやられてしまうしかありません。このような点から見て、今年、世界の宗教が連合する機構が結成されたことは、正に歴史的な壮挙と言わざるを得ません。

また過去、第一次世界大戦時には国際連盟、第二次世界大戦時には国際連合が、それぞれ戦後の問題を解決するために設立されましたが、今日、第三次世界大戦と言える、過去四十数年間の冷戦時代が残してきた数多くの深刻な問題を解決するには、全く力不足であるというのが実情です。

人種や文化の葛藤の解決、貧富の格差の解消や自然保護、そして真の倫理的価値観の確立などが、現代の人類が世界的次元で新たに取り組んでいかなければならない課題です。このような観点から、「世界平和連合」という新しい国際機構が、真の愛と「神主義」という新しい理念を中心として設立されたことは、実に時宜にかなったことだと言わざるを得ません。

さらに一歩進んで、人間の心と体を代表するこの「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」が共に、世界平和という共通の目標に向かって一致した方向を取り、互いに協力し合うことのできる相互基盤が築かれたという事実は、既に世界平和の建設が目前に迫っていることを示すものです。また、文鮮明牧師は、世界平和のための重要な環境的条件を、既に準備したのです。

尊敬する日本の女性代表の皆様。これから皆様がアジアと世界のために与えようとする真の愛の実践者となるならば、きょうのこの歴史的な大転換の時点は、日本はもちろんのことアジアが世界へと飛躍できる重要な出発点となるでしょう。

皆様がアジアの母、世界の母として生活舞台の幅を広げ、次元を高めて、新しいアジア、新しい世界建設の先頭に立ってくださることを切に願うものです。これこそが、誰も避けることのできない、歴史が今日の私たちに与えた宿命的課題なのです。

アジアが神様の真の愛を中心として正しく立つとき、アジアの未来は無限に明るくなります。さらに、この世界に永遠の平和の秩序が定着する希望の未来が約束されるのです。新しいアジアの平和と世界の未来のために、より一層の努力をしてくださることを切にお願いいたします。ありがとうございました。

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第六篇 2 世界女性時代の到来

第六篇 2

世界女性時代の到来

日付:一九九二年四月十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック・メーンスタジアム

行事:「世界平和女性連合」創設大会および「アジア平和女性連合」ソウル大会

韓鶴子総裁、満場の「アジア平和女性連合」の会員の皆様、そして各国から参席された代表の皆様。私はきょうのこの大会が今後、韓国の女性史はもちろん、全世界の女性史において重大な意味を記す偉大な集会となることを信じて疑いません。

なぜなら、今日まで歴史を発展させ導いていく主体的な力量は男性によって発揮されてきましたが、きょうのこの大会が「世界女性時代の到来」を宣布する世界的転換の契機となるからです。

私は、今日まで男性が主導してきた世界の実情を一言で言うと、闘争と罪悪の歴史であると結論を下さざるを得ません。ですから人類は、このような罪悪と闘争の世界から解放される、善と平和が満ちあふれる幸福な世界を夢見てきたのではないでしょうか。

人類を子女として造られた創造主の神様がいらっしゃるならば、人類が今日まで数千年間戦争と罪悪の中で、どうにもなすすべがなく苦しんできたその現場を見つめながら、人類を救援する方策を講じずにはおられませんでした。それがすなわち、宗教による人類救援の摂理です。

私は宗教指導者として、宗教による神様の救援摂理だけが人類に残された最後のただ一つの希望であることを説いてきました。有史以来今日まで、数多くの偉人や英雄たちが身命を賭して努力してきましたが、戦争と罪悪の世界は一度も根本的に変化したことがありませんでした。すなわち、政治的や経済的な方法によってはこの罪悪世界を変える道はないのです。

それは今日、世界的な強大国であり先進国だと自負する国々の現実を見れば、あまりにも明白な事実です。道徳の退廃は、人類の未来を脅かしています。不倫と退廃は、家庭の存立基台までも破壊してしまいました。経済的な富に比例して、道義の退廃と性道徳の乱れ、麻薬の拡散は深刻な事態に至っています。人類は、今やこの性的退廃という持病のような一番の罪悪からいかにして逃れるかという問題に直面しています。このような退廃の沼から人類を救援する道は、政治や経済、軍事力によっては不可能なのです。

女性連合の会員の皆様、そして各国の代表の皆様。今から七十二年前、私が生まれた一九二〇年の頃、韓国は日帝の植民地下にありました。そのとき私は、強大国に蹂躙される弱小民族の苦痛と悲しみがいかなるものかを骨身にしみて体験しました。青少年時代だったその当時の私は、この悲惨な戦争と罪悪の世界を救援する道とは何であるかを深刻に悩まざるを得ませんでした。結論は、政治や軍事、または経済力による救援は表面的、一時的なものにすぎず、宗教による救援だけが根本的な道であることを悟ったのです。

なぜなら、宗教を通じた神様の救援摂理は、悪のサタン勢力が奪っていったすべての所有権を、反対を受けながら取り戻す戦略だからです。悪の勢力は善を打ちながら滅んでいき、善は打たれながら悪を自然屈伏させるというのが、宗教による解決方法なのです。そのようにして私は、十代の青少年時代以降、今日まで六十年以上の間、ただ一つの道である宗教的真理の悟りと教え、その実践運動に全生涯を捧げてきました。今や私の解き明かした真理の大系である「統一原理」は、全世界百六十ヵ国以上に広がっており、その中には共産国家だったソ連や東ヨーロッパはもちろん、北朝鮮の地にも急速に伝播されているばかりでなく、イスラーム圏である中東地域にも多くの信徒が生まれつつあります。

今まで韓国をはじめ、いくつかの国で統一教会が多くの迫害と苦難を受けてきました。しかし、統一教会は今や、地球星のどこにおいても、誰も抜き取ることのできない確固不動の根を下ろしました。

満場の女性連合会員の皆様。神様がこの罪悪世界を救援される根本的な手段であるすべての宗教では、メシヤ、すなわち救世主を待ち望む思想がその中心に入っています。

キリスト教ではイエス様の再臨を信奉し、仏教では弥勒仏の顕現を期待し、儒教やイスラームでも、その教団の教主が再来して罪悪と闘争の世界を審判し、全人類が願う善の理想世界、すなわち天国を実現するようになると預言しています。すなわち、すべての宗教が、その教主の再臨によってのみ、この罪悪の世界が救援されると教えているのです。これがすなわちメシヤ思想です。ですから、すべての宗教的教えの根本を統一し、全宗教人たちが待ち望むメシヤ、弥勒仏、真人、正道令などの役割を果たすことのできる真理の指導者、真の愛の指導者でなければ、この世の中を救援できないのです。

その指導者は、人類の始祖が堕落することで罪悪と闘争の世界になったその原因を明らかにするでしょう。あらゆる罪悪の根本の根である原罪を解明することによって、人間を罪悪から解放する真理を究明するでしょう。人類の始祖アダムとエバは、自分らの犯した原罪によって偽りの父母になったため、再臨されるメシヤは人類の善の始祖として、全人類を新しく生み直す真の父母として来られるようになるのです。真の父母は、空中で雲に乗つて再臨されるのではなく、今日この時代、私たちが生きているこの地上に、韓国人として来られ、平和の統一世界を主導されるようになるのです。

私は過ぎ去った七十年の生涯にわたり、数多くの迫害を受けてきながらも、屈することなく、このような教えを全世界で実践してきました。このように見ると私の妻である韓鶴子総裁は、私と共にこの苦難の道を歩んできた全世界の女性の代表者であると言わざるを得ません。私が、天のみ旨に従い正義の道を歩む間、不義の勢力から迫害を受け、投獄される辛苦を共に味わいながら、私の妻は良心的で正義感のある女性たちによる新しい平和運動を起こす決意をしたのです。それが正にきょうのこの大会として結実したのです。

民主と共産に分断された韓半島は、世界の中心地であり、私は、南北統一こそが世界平和統一の鍵になることを知り、今日まで世界の至る所で、この課業のために全身全霊を傾けてきました。昨年(一九九一年)の十一月、私が北朝鮮を訪問して金日成主席と会談をしたのもこのためでした。今や世界のすべての宗教が統一される日も遠くありません。韓半島における南北統一の日も遠くないのです。

私の妻が総裁を務める「アジア平和女性連合」のソウル大会に世界七十ヵ国以上の女性代表が列席する中で、きょう「世界平和女性連合」を創設する趣旨もここにあるのです。大韓民国が神様の救援摂理の中心国家であり、その祖国だからです。あらゆる宗教を見ると、女性が男性よりも多くの精誠を尽くし、数的にも男性を圧倒しています。聖書には、来られる再臨のメシヤを新郎として迎えるために、新婦の準備をすることがキリスト教信者の真の信仰であると記録されています。このみ言は、すべての宗教は来られるメシヤの前に、女性、すなわち新婦の使命を果たすために準備されたという意味でもあります。

今やメシヤとして来られる真の父母の前に、今まで男性たちが主導してきた戦争と暴力、抑圧と搾取、犯罪の世界を終結させ、平和と愛、そして自由があふれる理想世界を実現する真の働き手が、正にこの時代の女性たちなのです。今まで正義と善を打って反対し迫害してきた悪の勢力が、これ以上横行できないようにすることも、女性たちの使命です。きょう、この場に列席した十五万人の韓国の女性たちは、韓鶴子総裁を尊敬し、「世界平和女性連合」の基本理念である「頭翼思想」と「神主義」で武装し、訪ねてくる世界の女性たちを教育できる指導者にならなければなりません。

人類の真の父母となられるメシヤが再臨するこの時代、韓国と北朝鮮が愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が一つになる正にこの時代、全人類が人種と理念を超越して、平和の新世界を創造するために召命された皆様に、神様は無限の祝福を与えてくださるでしょう。「アジア平和女性連合」ときょう創設される「世界平和女性連合」の前途に、神様の偉大な祝福と栄光があることを祈りつつ、これで私の激励の辞を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

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第六篇 3 世界の統一と人類の責任

第六篇 3

世界の統一と人類の責任

日付:一九九二年四月十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック・メーンスタジアム

行事:「世界平和女性連合」創設大会および「アジア平和女性連合」ソウル大会(真のお母様)

貴賓の皆様、世界各国から韓国を訪ねてこられた「世界平和女性連合」七十数ヵ国の代表の皆様、各界の女性指導者ならびに満場の会員の皆様。きょう私は、「世界平和女性連合」創設および「アジア平和女性連合」ソウル大会に、このように満場の盛況を呈してくださることによって、平和世界実現のための女性連合の決意を高め、その壮途を祝福してくださる皆様に心からの感謝を捧げます。

女性たちが中心となって、このように多くの女性が一堂に会するのは初めてのことだと思います。この日を契機として、世界の女性たちが、その高貴な本然の役割を自覚し、平和と幸福と自由のあふれる理想世界を創建する道が開かれることを確信しながら、「世界の統一と人類の責任」と題してお話ししたいと思います。

昨年(一九九一年)の十一月三十日、私は、夫の文鮮明総裁と共に北朝鮮を訪問しました。一週間、北朝鮮に滞在しながら、金日成主席をはじめとする各界の指導者たちに会い、様々な場所を見て回りました。一般には知られていませんが、夜を明かしながら祖国統一のために精誠を尽くし、また天運と現実の世界を合わせるために血のにじむ努力をする夫を、私はこれまで間近で見守ってきました。

考えてみてください!今回の北朝鮮訪問は命を懸けた冒険といえないでしょうか。皆様もよく御存じのように、文総裁は共産主義者たちの最も嫌う宗教創始者であると同時に、世界一の勝共指導者です。北朝鮮は思想的にどれほど統制された所でしょうか。北朝鮮の指導者たちは文総裁を一番の怨讐と定め、全世界に悪意に満ちた数々の宣伝をしてきたではありませんか。そのような地に、文総裁は神様だけを頼りに入っていき、最高指導者に天命を説き、「『主体思想』では統一できない。『神主義』で統一しよう」と提議したのです。

私たちの北朝鮮訪問は、共同投資や事業を目的としたものではありませんでした。何らかの計略を抱いて行ったわけでもありません。故郷訪問や親戚との再会が目的ではありませんでした。摂理のみ旨に従って、心から与え、尽くしたいと思う神様の心、真の愛を抱き、天命を証して諭し、北朝鮮の指導者たちの心の扉を開き、真の統一への突破口を開くためでした。

夫は、北朝鮮に滞在する間、最高の国賓としての礼遇を受けましたが、一晩たりとも楽に休むことはできませんでした。切なる祈祷で天運を連結し、神様のみ前に統一のための条件を立てながら夜を明かしました。韓半島の統一は、政治協議や経済交流だけでは成し遂げられません。天運と共に神様の真の愛によってのみ、統一は成し遂げられるのです。統一は神様の摂理と直結しており、また世界の統一を成し遂げるための必須段階だからです。

世界各国からお集まりになった女性連合会員の皆様。私はこの歴史的な場で、儀礼的な挨拶をしようとは思いません。過去と現在、そして未来の意味を歴史の前に宣布するお話を語ろうと思います。きょう、私が宣布するメッセージは、周辺でよく耳にするありきたりな内容ではありません。今日の女性たちが必ず知らなければならない天の秘密を明かす内容です。

今日、現世は病み、死に向かううめき声で満ちており、このような環境は、過去はもちろん、未来においても、そうならざるを得ないというのが歴史的事実です。それは、人類始祖の失楽園が原因です。すなわち、私たちの始祖が重病にかかったという意味であり、宗教的な用語を借りるならば「堕落した」ということです。このように堕落によって病にかかり、人類歴史は病魔とサタンを中心として出発したのです。

神様が願われた創造理想に相反する悪の主人サタンと悪の子女になったアダムとエバが結婚し、悪の先祖として出発したことは、人類歴史の悲運でした。こうして人類はサタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継がざるを得なくなったのです。

本来夫婦が合徳(和合)できる愛の器官は、真の愛の本宮であり、真の生命の本宮であり、真の血統の本宮でした。愛は、夫婦の生命を激しく動かし、その夫婦が一体化して愛で合徳することによって、血統を継ぐ子女を繁殖するようになっています。生命の中心は愛であり、血統は、夫婦の愛と生命によってつながるのです。愛と生命と血統を連結しなければ、歴史はつながりません。堕落以降、人類は、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統権の捕虜になっているのです。

アダムとエバは、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を青少年期に蒔いたので、終わりの日である終末の時代が来ると、青少年の淪落問題が全世界的に起こるようになるのです。今が正にそのときです。

サタンは堕落した愛の条件を中心として、神様の本然の真の愛の世界を永遠に滅ぼす舞踏場をつくりました。サタンは、性解放、青少年の倫理と麻薬問題などによって家庭破綻と伝統の打破を計り、現世を地上地獄にしてしまいました。したがって、真の男性、真の女性、真の兄弟、真の夫婦、真の父母、真の社会、真の国家、真の世界は、夢にも考えることができなくなったのです。

人類は、サタンという存在ゆえに、このような罪悪の世界をつくるようになったことをはっきりと知り、その根源と堕落の起源を明らかにしなければなりません。人類は、サタンとアダムとエバが三位一体になったことを暴露し、創造理想である神様とアダムとエバの三位一体を回復しなければならないことを悟らなければなりません。

この世界的な難題の解決のためには、サタンが犯した罪と人類始祖が犯した罪の根本をはっきりと知って、彼らを讒訴する証言者が必要です。神様とサタンは、堕落に対する内容を知っていましたが、アダムは未成年者だったのでよく分かりませんでした。しかし、終わりの日に、復帰されたアダム完成者が来れば、これをはっきりと明かすようになるでしょう。そのお方は歴史的なサタンの罪状を明らかにし、サタンを追放できる時代をもたらすでしょう。そのとき、初めて人類は希望と平和、幸福と自由の転換時代を迎えるようになるのです。

人類は、偽りの父母であるサタンを中心とした偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統を清算するために、接ぎ木の方法を通して、野生のオリーブの木を真のオリーブの木に戻さなければなりません。すなわち、人類は、神様と真の父母様に接ぎ木され、真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、地上天国と天上天国を実現しなければならないのです。これが、救援摂理、復帰摂理、再創造摂理の目的となるのです。

このように真の父母の顕現は、途方もない歴史的な重大事件なのです。真の父母様は、人類歴史の終結であり、結実体であり、また人類文化の完成であり、宗教歴史と哲学史の勝利なのです。それでは、真の父母の顕現に先立ち、蕩減復帰と再創造路程が必然的なものなので、その路程がどれほどつらい大変な歴史路程だったかを詳しく見ることにしましょう。

それを知るようになれば、私たちの責任がどれほど重要であるかが分かるからです。聖書に立脚した歴史路程は、命には命、目には目、歯には歯で蕩減される路程でした。堕落の責任は、サタンを中心として、エバから始まり、アダムに移りました。すなわち、偽りの生命の種を受けたエバの立場からすれば、神様に代わってサタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり堕落がなされました。

こうしてエバは、天使長とアダムを各々父と息子のような立場に立てて堕落したので、蕩減復帰路程で探し立てられた神様のみ旨にかなう血統を受け継いでいこうとしなければなりません。聖書を研究してみると、私たちには到底理解できない摂理歴史が秘められていることが分かります。エバは本来、天の父とその息子であるアダムと一体にならなければならない立場でしたが、堕落して逆に天使長と一体化して、次にアダムをも堕落させて、彼をサタンの立場に立ててしまいました。

これを逆に蕩減復帰するために、たとえ堕落したとはいえ、永遠性をもって創造された原理的な基準のあるアダムの家庭から摂理をされました。したがって、サタンがエバを奪った最初の愛の象徴であるカインをサタン側に立て、本来エバの夫となる立場にあったアダムとの二番目の愛の象徴として生まれたアベルを天の側に立て、善悪闘争の歴史を通して根本的な蕩減復帰路程を展開してきたのです。

サタンの占有する長子権を天の側の次子権が復帰して占有しようとするので、次子を祝福してあげなければならない歴史が現れるようになるのです。例えば、カインとアベルが同時に供え物を捧げたときも、神様はカインの供え物は受けず、アベルの供え物だけを受けられましたが、その理由は正に、次子が天の側に立っていたからでした。カインが自分の供え物を、アベルを通して捧げていたなら、神様、アダム、天使長の本来の秩序を形成して復帰することができたはずでしたが、カインがアベルの命を奪うことにより、天はセツを立てて摂理を継承させました。

このように、カインとアベルが別々に生まれた兄弟としてみ旨を成就できなかったので、母の腹中にまで戻っていく歴史が展開するのです。双子であるエサウとヤコブの兄弟が母リベカの腹中で闘うので、リベカが不思議に思って神様に尋ねると、「二つの国民があなたの胎内にあり、・兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・二三)とおっしゃいました。そのときからリベカは次子として生まれたヤコブに、より関心をもつようになったのです。先に生まれたエサウから、次子のヤコブを通して長子権を蕩減復帰させるために、リベカはエバの立場に立って責任を果たさなければならなかったのです。

出エジプトのとき、イスラエルを中心としてエジプトの長子を打ったことも、ヤコブがヨセフの息子マナセとエフライムの手を交差して祝福したことも、長子権と次子権を入れ替えるための、天の隠されたみ旨があったからなのです。エバが、父である神様とその息子であるアダムをだまして堕落したので、リベカは反対に天の側に立って、父イサクとその息子エサウをだまし、ヤコブが祝福を成就できるように母子協助したのです。ですから、ヤコブは長子権を取り戻し、母子協助の基盤の上に勝利したイスラエル選民を出発させることができたのであり、天の側の長子権、次子権を条件的に得て、勝利的選民編成を成し遂げることができたのです。

しかし、ヤコブが長子権を獲得したのは四十歳以降のことだったので、依然として四十歳以前の圏内は、サタンから勝利したという条件を探し立てることができませんでした。したがって、歴史は再び、ユダの嫁タマルを通して腹中で分別の勝利を得るために、もともと弟であるはずだったペレズが、腹中において双子の兄ゼラを押しのけ、先に兄として生まれたのです。このように押しのけて出てきたという意味でペレズと名づけられたのです。

有史以来、母の腹中に植えつけられたサタンの血統を神側に復帰し、腹中で長子権と次子権を天の側が取り戻し、本然の血統権を探し立てるようになり、その基盤の上にユダ支派を通してメシヤ誕生の基盤を築くことができるようになったのです。

タマルという女性もまた、エバの立場を清算するために舅と息子を否定する立場をとり、蕩減条件を立てました。タマルによる胎中聖別によって、真の血統がサタンの讒訴なしに天の子女として懐胎、出産できる蕩減条件が確立したのです。腹中勝利を収めたこの基準は、続いてイスラエル民族とユダヤ教の子孫たちへと引き継がれ、真の父母であるメシヤを送ることができるときを待たなければなりませんでした。なぜならば、サタン側では既に世界的国家が立てられていたので、イスラエル民族もこれに相応する国家的版図を形成したのちにメシヤを送り、世界の国々を蕩減するためでした。

神様が約二千年間待ち続けて、国家基準の上でエバのような立場の女性を再び探し立てて摂理されたのが、マリヤを通した摂理です。リベカやタマルはアダム再創造過程において召命を受けた重要な革命的女性でした。アダムとエバが約婚段階にあったように、約婚段階にあったマリヤも、死を覚悟して絶対的に神様と一体となり、父子を欺いた立場で蕩減復帰歴史を完遂した烈女でした。そうして懐胎したイエス様に対してサタンは、マリヤの腹中にいるときから血統的にいかなる讒訴もできませんでした。

このように勝利した女性の体から生まれたイエス様は、神様だけが取ることのできる初愛の実となり、有史以来初のひとり子として誕生したのです。このような血統聖別の過程を通して生まれた聖者はイエス様しかいないので、イエス様を聖者の中の聖者と呼ぶのです。したがって、キリスト教文化圏は世界的に大きく拡張し、神様は第二次世界大戦の勝利とともに、キリスト教文化圏を通して世界統一のみ旨を果たそうとされたのです。

第二次世界大戦を摂理的に見ると、堕落によってサタン側のカインと神側のアベルに分かれました。神側の世界国家次元で結実したエバ国家である島国イギリスと、そこから生まれた次子権のアベル国家であるアメリカ、長子権のカイン国家であるフランスが連合国を形成し、アメリカは世界の連合国を代表した位置に立つようになりました。これに対抗して、サタン側のエバ国家である日本、サタン側のアダム国家であるドイツ、そしてサタン側の天使長国家であるイタリアが枢軸国を形成しました。神様は天の側である連合国が枢軸国と対決し、サタン側に完全勝利した基盤の上に統一世界を探し立てようとされました。

ここで、神様の真の愛をたずさえて来たアダムである真の父母が中心となり、偽りの父母の種を受けた人類を一度に清算し、真の父母の本源的真の愛、真の生命、真の血統を連結して、新しい真の人間の種を継承することを、神様は願われました。しかし、来られる真の父母は、キリスト教から反対を受けることによって荒野へと追い出され、結果的にイスラエルの四千年の歴史を通して築いた蕩減の道を再び失ったことになり、真の父母は一代で四十年再蕩減路程を通して完結しなければならなかったのです。

来られる再臨主は第三次アダムとして来られる方であり、天界の真理をもって来られ、サタン側の個人、家庭、国家、世界路程によって蕩減し、アダムの失敗とイエス様が成し得なかった使命を完全蕩減復帰することによって、統一世界を創建するのです。このように第三次アダムは、第一のアダムが家庭基準で堕落したことを国家基準で蕩減復帰し、さらには世界全体を蕩減復帰して勝利しなければなりません。

統一教会の創始者である文鮮明牧師とその妻である私は、真の父母の立場で、歴史的なサタン側の讒訴条件をすべて背負い、子女たちの解放のために、神様と一体となって苦難の世界的蕩減の道を歩んできました。真の父母は、イエス様とは反対に、ゴルゴタの峠を生きて越えなければならない歴史的召命を担い、運命的な開拓者の道を歩まなければなりませんでした。

アベル的なユダヤ教とカイン的なイスラエル国家が一つとなってイエス様をお迎えしていれば、世界版図は、イエス様を中心として統一圏として結ばれていたはずであり、その基盤の上にイスラエルは、イエス様の真の愛を中心として接ぎ木され、新たに生まれた世界的長子権国家となっていたはずでした。

ところが、その当時、選民圏を誇っていたイスラエルは、メシヤとして来られたイエス様を中心として全世界を救おうとされた神様のみ旨を知ることができなかったのです。彼らは、「メシヤが来れば、全世界がイスラエル王国をあがめ、そこに仕えるようになる」ということだけを信じたのであって、「神様のみ旨は、個人や家庭、国家の救援のみに限られたものではなく、世界復帰にある」ことを悟ることができませんでした。今日のキリスト教も同じ立場に立っています。

神様は、イエス様が三十年余りの生涯をかけて心血を注ぎ、成就できなかった国家復帰の使命を、二十世紀に入り、キリスト教の中心国になったアメリカを第二のイスラエル圏として立てて完成しようとされたのです。また、第一イスラエル圏であるイスラエルとユダヤ教が失敗したことを蕩減するために、再臨のときには、第二イスラエル圏のアメリカとキリスト教がカインとアベルの立場に立って、世界的な蕩減復帰の版図を造成し、統一を完遂しなければならない使命があるのです。

イエス様が十字架にかかって亡くなることにより、イエス様の時代に完遂しなければならなかった使命が成就されなかったことは言うまでもなく、イスラエルの国まで失ってしまいました。したがって、キリスト教は、霊的に国家の形態を追求しながら、その命脈をつないでくる歴史を形成しました。ですから、再臨のときにはイスラエルの失敗を再蕩減しなければならないので、再臨のメシヤとして来られる方は、世界的レベルで勝利しなければならないのです。イエス様が十字架にかかって亡くなられるとき、共に十字架にかかった右の強盗と左の強盗、そして凶悪な強盗バラバは、地上のイスラエルが失敗することによって生まれた三つの類型です。

再臨のときには、右の強盗の立場にはキリスト教圏、左の強盗の立場にはサタン側の共産主義世界、バラバの立場にはイスラーム圏、このように三つの類型として分かれます。今や再臨されるイエス様は、責任をもって左翼と右翼を一つの方向に結び、バラバ圏であるイスラーム圏まで合わせて蕩減復帰し、一つの方向に収拾しなければならないのです。その方はこれまで地獄に向かって走ってきた人類の方向を一八〇度転換させ、天国に向かうように収拾しなければならない重大な使命をもっているのです。

このように、人類の真の父母としての資格をもって来られる再臨のイエス様は、神様が勝利された基盤を世界的な版図として再整備するために、全霊界を収拾して、地上の先進諸国を、キリスト教を中心として再編成しようと絶えず努力してこられました。特にキリスト教を中心とした、イギリス、アメリカ、フランスが真の父母に反対したので、天は統一教会をキリスト教の代わりに準備させました。

そうして、統一教会は、世界的サタン圏である共産主義はもちろん、キリスト教諸国を含めた全世界をも反対する試練の峠を越えさせ、サタン側を天の側が取り戻して歓迎する立場に立たせなければなりません。そうやって韓国と日本とドイツが真の父母に仕えることのできる世界的国家として現れるようになりました。神様は再びこれらの国家を中心として蕩減の役事(働き)を展開してくることができたのです。

真の父母がなす世界摂理から見ると、韓国はアダム国家、日本はエバ国家、アメリカはアベル国家、そしてドイツはカイン国家として立てられました。日本と韓国は怨讐関係であり、アメリカと日本も互いに怨讐の関係であり、アメリカにとってはドイツも怨讐国でした。

真の父母は、この摂理的四大中心国家を協力させ、第二次世界大戦後にキリスト教を中心としてアメリカが果たすことのできなかった責任を、再び成し遂げるための二十一年の蕩減路程を直接歩まれました。その路程に成功することによって、勝利圏を探し立てたのです。今や、個人、家庭、国家、世界、そして天宙的なゴルゴタを勝利的に越えてきた真の父母の宗教である統一教会は、アメリカに新しい方向を提示してあげ、また希望を失ったキリスト教に新しい希望を植えつけてあげ、さらには、共産圏はもちろん、イスラーム圏まで収拾してきました。また韓半島では、二十世紀において、ヤコブとエサウとが南北の形で対決する、すなわち真の父母と偽りの父母格である金日成主席との対決において、真の父母は、真の愛によって勝利的父母権を蕩減復帰しました。

これをもって、韓国を歴史的勝利を成し遂げた第三イスラエル圏として立てられ、新しい統一世界の選民国家とするのです。今や第三イスラエルである韓国は、統一世界、平和世界を願う真の父母とその子女がみ旨を成し遂げる基地となり、地上天国と天上天国の基盤を構築する中心となるのです。

第二次世界大戦後、韓国、日本、アメリカ、ドイツが大きく復興したのも、摂理歴史の視点から見るとき、韓国はアダム国家、日本はエバ国家、アメリカはアベル国家、ドイツはカイン国家の位置に立つことによって、神様の祝福を受けたためであることを知らなければなりません。

本来エデンの園でアダムとエバが天使長と共に堕落し、蒔かれた種が世界的結実として現れるときが来たので、アダム国家である韓国を中心として、エバ国家である日本と三大天使長国家であるアメリカ、中国、ソ連が権益の争奪戦を繰り広げている所が、正にこの韓半島なのです。しかし、神様の御加護により、韓国を中心として日本、アメリカ、中国、ソ連が共に連合し、イエス様が当時、果たすことのできなかったアジア諸国の統一を世界的次元で復帰すべきみ旨が成し遂げられつつあるのです。

アジア太平洋文明圏時代が到来するのも、真の父母を中心としてイエス様が成し遂げようとされた霊肉ともの世界実体圏を、アジアで完成しようとするところにみ旨があるのです。言い換えれば、今日アジア諸国は真の父母様を中心として統一世界を成し遂げなければならないということです。今や、世界史的勝利の伝統を立てた真の父と、歴史的な女性の代表として勝利した世界的女性の代表である真の母に侍り、真の男性像はもちろん、真の母、真の妻、真の娘の理想像を確立しなければなりません。

私たちは、新しい家庭から新しい社会、国家、世界へと新たに出発する起源を迎え、真の父母の伝統を引き継ぎ、勝利を収める先覚者にならなければなりません。男性たちを正しく導き、アダムとエバを滅ぼした恨を歴史的に解かなければならない使命が、私たち女性にはあるのです。

愛する女性会員の皆様。きょうの大会は「アジア平和女性連合」が母体となって「世界平和女性連合」が創設される意義深い大会です。会員の皆様は、到来した女性時代とともに、夫を抱き、子女を正しく養育する真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません。そうして、夫と子女たちの積極的な支持を得て、「世界平和家庭連合」へと発展しなければなりません。「世界平和女性連合」の運動は、女性だけのための運動ではありません。

まず、夫と子女のために生きる真の愛の運動として、理想的な家庭を結実させなければなりません。このようにして築かれた理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界を築くようになるのです。「世界平和女性連合」が「世界平和家庭連合」へと発展しなければならない理由がここにあります。そして世界平和の具現のために、政治、経済、文化、そして社会の各分野において女性たちが先頭に立たなければなりません。

左翼と右翼を統一し無神論的唯物論を克服して、二十一世紀以降の永遠の歴史を先導していく「頭翼思想」、「神主義」こそ、私たち女性連合が堅持しなければならない基本的な価値観です。女性として救援摂理史の主役を担ったリベカやタマル、マリヤのような、苦難と迫害の烈女たちを胸に刻みましょう。命を懸けた冒険と逆境に勝利し、天倫の道理を立てた彼女たちのその強靭な意志を受け継ぎ、私たちの家庭を真の父母、真の夫婦、真の子女の家庭として育てていくことにより、今日のこの罪悪世界を天国世界に変える聖業に、私たちは共に決起しましょう。真の愛の主人公であられる真の父母を中心とした平和の世界に向かって総進軍しましょう!神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国と共にあることを祈りながら、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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第六篇 4 理想世界の主役となる女性 I

第六篇 4

理想世界の主役となる女性 I

日付:一九九二年五月十一日

場所:韓国、仁川、仁川室内体育館

行事:「世界平和女性連合」全国二十一カ所市道大会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓の皆様、ならびに「世界平和女性連合」会員の皆様。きょう、このように各界の女性指導者の皆様が満場の盛況を呈してくださる中で、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上ない光栄と存じます。

きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。今日の時代は、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界へと突入する重要な転換期を迎えています。私たちは、今やこの地上からあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真の自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。

これまで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた「神主義」の理念は、過去の力だけに基づいた男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和解と協力を指向するこの歴史的な転換の時代に、私は「神主義」を基本とした永遠の平和世界を建設するための大原則を提示するに際し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの目標とするために、文総裁が発表した「頭翼思想」を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。

本来神様は、喜びを得るために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの作品を作るために、昼夜の別なく若さを燃やしながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしょうか。それは、喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしょうか。存在世界を見ると鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているのか御存じですか。それは互いに作用するためなのです。

鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素同士でも、互いに近づけたからといってすべてが結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様であっても結合させることはできません。それとは逆に、互いに相対的要件が合うときは、神様も結合をやめさせることはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も、愛の創造理想型のモデルになるように造られたのです。

ですから、真の愛の本質を中心とするときには、神様の心情と人間の心情と万物、動物界までも互いに通じるようになっているのです。その境地に入れば、岩とも通じるのです。皆様がそのような境地に入れないことが問題です。深い神秘の境地に入ると森羅万象のすべてが友になるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入って自分が笑えば、すべての万物と神様までもが和動するのです。

皆様。愛する夫、愛する妻がいらっしゃるでしょう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、一千億ウォンのお金を上げるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてを上げるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてがために生きようとする真の愛のためなのです。男性と女性が陰陽の調和によって愛の理想を成就するために、神様がそのように創造したのです。真の男性と女性を通してこそ、統一された真の愛を見いだすことができるのであり、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するのです。

結婚というものは、男性と女性の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛によって占領されるのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てたのです。

真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題に対する解決の糸口を見いだすことができるのです。神様の真の愛は、投入してはまた投入し、与えてはまた与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけないのです。続けて与え、また与えても、記憶に残っていないがゆえに流れるのです。

それでは、天地と引き換えることのできない価値のある愛を、誰が皆様に与えてくれたのでしょうか。皆様の父母が与えてくれたのです。言い換えれば、根本に入ると神様が与えてくれたということです。神様はこの無限の価値をもつ愛を、父の立場で与えてくださりながらも、それをお忘れになります。その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしても、さらに与えようとされるがゆえに、そのような果てしない神様の愛のお陰で、きょう皆様もこの場に参加できるようになったのです。

ですから、真の愛が行く道とは、施しを受けるための道ではなく、ために生き、犠牲となる道なのです。ですから、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身がために生きる立場に立たれて、御自身が所有しているすべてを一〇〇パーセント投入しては、さらに投入したいと思うのです。このような心をもち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。

ですから、真の愛は、ために生きることにおいても、一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与えて真空状態になるのです。空気でいえば、絶対低気圧が生じると自動的に高気圧の循環運動が起こるのと同じことです。ですから、絶対的にために生きようとするところには無限の力が発動するのです。

親愛なる「世界平和女性連合」の会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なく弱いのですが、女性が母として愛の主体的立場に立ったり、または妻や娘として愛の中心的役割を果たしたりするときには、女性はこの上なく強くなるのです。なぜならば、女性は母、あるいは妻や娘として愛の主体的立場に立って、一〇〇パーセント相手のために与えたならば、その空白を神様の愛が満たしてくれるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。

だからこそ女性だったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場に立つようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような十六歳(数え)の少女が、国全体に独立運動の波を起こさせたことは、正に国を生かそうとする熱き愛国の衷情が起こした奇跡だったのです。

神様も、このように人間に対し、ために生きて与える愛の主体的な立場に立たれ、与えてはまた与えようとなさる本性がその作用を続けることによって永存できるのです。ですから、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様にとって真の愛の同伴者として造られた人間が、神様の願いどおりに成熟し、絶対不変である真の愛を神様から相続していたなら、人間世界には、根本的な統一の歴史が展開されるのであって、戦争や血を流すような悲惨な歴史はなかったはずです。

真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様御自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠の愛を相続する人になるのです。愛の属性には、相続権があり、同居権があり、また同参(一緒に参加すること)権があります。たとえ愛する夫が大統領で、たとえ妻が小学校すら出ていなかったとしても、愛する夫婦の関係になれば、夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも同居できることはもちろん同参する権限もあるのです。

愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様のいらっしゃる所に私たちも加担することができ、いつでも同居、同参できる権限をもつようになるのです。

そうなれば、目を閉じなくても神様を見ることができるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら、母の愛は、もし我が子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かるような場合がたくさんあります。寝ていても名前を呼ひ、大声を上げて目覚めるのです。

もし、神様の本質的な真の愛、千年、万年をために生きては、さらにまたために生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に一〇〇パーセント吸収できる内容をもつようになるとき、心には神様の真の愛の根が生え、神様の感じるすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を成し遂げるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません。

このような真の愛に共鳴する論理を中心として見ると、私たち人間がそこに一体化して共同一体圏に入れば、「神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界である」と言うことができるのです。したがって、天下を抱く父母の心をもって、天国に入籍するようになるのです。

それでは、愛が先でしょうか、生命が先でしょうか。それは愛が先なのです。人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として宿るものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。ですから、愛を本質として生まれた生命は、ために生きるのが天理であり、また人間は生まれたときから他のために生まれたと言えるのです。「私は自分だけのために生まれた」、「すべてが私だけのために存在しなければならない」ということであれば、決して愛の概念は成立しません。相手のために与え、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発され始めるのです。家庭のために犠牲になれる人は、家庭の愛を誘発させることができるのです。

他のために犠牲になれば、すべてを失うかのように思えますが、それは全く反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人となるだけではなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。級友たちのために犠牲になり、奉仕する人は、そのクラスの委員長になるのであり、村のために犠牲になる人は、その村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり、奉仕する人は、その国の主人になるのです。

愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教がイエス様の復活によって出発できたのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。

イエス様はゲッセマネの園で、「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と祈祷され、罪なく死んでいく十字架上においてさえも、自分を槍で刺すローマ兵に対しても、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と神様に切願したのです。これが正に神様のようにために生き、犠牲となって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源となり、キリスト教の核心的伝統思想にならなければならなかったのです。他のために命までも捧げ犠牲になるとき、さらに高い次元の命を得るようになるのです。

親愛なる女性連合の会員の皆様。私は一九九一年十一月三十日、夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でした。

皆様もよく御存じのように、文鮮明総裁は、彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐視してきた宗教指導者であり、国際勝共連合の指導者だったがゆえに、彼らは私の夫を葬り去ろうと国内外においてあらゆる工作をしてきた時だったのです。そのような所に、ただ神様だけを頼りに北朝鮮に入っていき、「『主体思想』では統一できない。『神主義』でのみ統一は可能である」と主張できたのは、ただただ心から彼らを生かしたい、ために生きたいと思う真の愛の心があったからです。それにまた、祖国統一の門を開くためならば、いかなる犠牲も甘受しようという、殉教者の精神をもっていたからなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」という言葉を実践されたのです。

真の愛こそ、地獄までも占領できる土台となるのです。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛も、真の愛の中では喜びに昇華されます。言い換えれば、この個人的な権力、知識、財力などをもって主張するそれ以上の絶対的権限として残したいと思うものが、人間の本性の欲求である真の愛なのです。

このような観点から見ると歴史を通じて、人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打って奪われていくのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を考えてみてください。先に打ったほうが滅んでいきました。しかし、神様は、裏切られ奪われたからといって、その人の命を奪って取り戻してくるわけではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って取り戻してくる能力をもちながらも、打たれてあげるのです。

父母は犠牲になることによって、不孝者を悔い改めさせる道を行くのです。神様は、天理の公道を立てるために自らサタンを訪ねていき、主人が来たらああしなさい、こうしなさいと教えてくださるのです。

しかし、歴史的に見ると、教えて導こうとして行った主人が、むしろ打たれたのです。しかし、打たれたのちはどうなるか御存じですか。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国に、罪人として命を奪われました。みな歴史が過ぎたのちに、聖人の名がつけられたのです。在世中に聖人になった人はどこにいるでしょうか。

このように、彼らは、その当時においては悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。打たれたことへの損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてほしいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占領するようになるのです。数千年の間、耐えに耐えて、損害賠償額をすべて計算してみると銀行に預金したお金に利子がどんどんと付いて、のちにはその銀行まで買い取っても余りあるお金になるのです。

神様は待ちながら訪ねてこられる方です。打たれて取り戻してくる戦略戦術を取られる方なのです。悪のこの世が全面的に迫害して破壊しようとすれば、天運が助けてくれて、すべてを乗り越え跳躍させてくれるということなのです。

神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださいました。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして、神様から愛される人は、常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその人を愛する父母や妻、息子、娘がいることを御存じだからです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を誰よりも愛する父母や妻、そして子女たちの心情を体恤されるとき、むち打つことができないのです。

そのような神様の心情を本当に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと逆に怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ、天理の大道である愛を中心として、一つに抱こうとするその大道の前に私たちは近づくようになり、そこに天地が振動しながら神様も涙を流すようになるのです。神様も御自身に似たと喜ばれるのです。

このような立場で見つめられる神様であるがゆえに、「怨讐を愛しなさい」という言葉が理解できるのです。そのような力が生まれるところは、知識でもなくお金でもありません。権力でもありません。真の愛のみにあるのです。ですから、皆様は愛する息子、娘、父母のために、南北が敵視するその峠を越え、ために生き、犠牲となる真の愛をもって統一を願わなければなりません。

私たちが願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛する、ために生き、犠牲となる真の愛の精神によってのみ可能です。父母が子女の面倒を見るように、兄弟同士がいたわり合うように、北朝鮮の同胞の痛みを自分の痛みとして分かち合い、神様の変わることのない真の愛の中で共に会うことができるようにしなければなりません。

真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着できる交差点は、九〇度を形成するのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は、最短距離である垂直以外になく、完成したアダムとエバを夫婦として連結する真の愛の道は横的で水平なので、正にこの垂直と水平が出会う点は、自動的に九〇度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点なのです。

しかし、アダムとエバが成熟する前に、天使長のゆえにこの角度がねじれてしまったのですが、これが正に堕落なのです。大工が家を建てるとき、水平を先に見るでしょうか、垂直を先に見るでしょうか。水平を先に見るとすれば、それは既に垂直を認めているのです。同じように、女性という言葉も、男性が先にあってこそ出てくる言葉なのです。また男性という言葉も、女性を先有(前提)条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認めて語る言葉なのです。したがって、横的という言葉は、縦的という言葉を前提としなければなりません。

このように先有存在圏を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ここにおいて真の愛は、相対のために生きようとする目的をもって成立するものなのです。

それならば、神様と本然のアダム、エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度以外にありません。この点が真の愛を成立させる公式点なのです。

神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母なので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な「私」となり、体は横的な「私」となるのであり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体になるとき、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるのです。

神様は真の愛と真の生命と真の血統をもっていらっしゃり、私たちもそこから出てきたので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は、神様の真の愛を中心として父子一体の関係をもって生まれたので、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。

ところが、サタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、サタン側の体と神側の心を分ける一線に立って、絶えず闘っているのです。このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があります。この体が悪魔の舞踏場になってしまったというのです。悪魔の錨綱が掛けられた杭のようになってしまいました。心は天に代わるプラスの位置にあるのですが、体がまた別のプラスになり、心をもてあそんでいるのです。これを是正しなければならない道が、私たちの生涯にわたる義務なのです。これをご存じであられる神様が、修理工場としてつくったのが宗教です。

ですから、宗教は断食や犠牲、奉仕をすることによって、体を心に屈服させる教育をするのです。言い換えれば、体の欲望を弱化させ、心がすることに従えるように、三年から五年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また、絶えず祈祷することを強調します。

神様は縦的な立場にのみいらっしゃるので、心が通じなければ活動ができないお方です。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動できるので、サタンの活動に負けるようになっているのです。

心は垂直の位置にあるので一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、心は環境に引っ張られやすいので、垂直の立場において精誠を尽くして祈祷し、三倍、四倍の強い力を心に受け、体を自由に制御し、三年から五年かけてそのような習慣を身につけなければならないのです。この二つの方法以外に修理できる道はありません。

そのような修養を行う宗教の門を通過しなければ、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。

ところで、人間の心と体が神様の理想と一つにならないようにした、その堕落の起源は何でしょうか。聖書には、善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは、その善悪の実を取って食べたあと、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います!下半身を隠したのです。ですから、サタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。

しかし、考えてみると、人間にとって真の愛と真の生命と真の血統の根源地は、正に愛の器官です。堕落によって、この神聖であるべき愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまいました。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったというのです。

十代の未成熟なときに人間始祖アダムとエバが堕落しました。そのようにして悪を植えつけたので、歴史的に人間の世界に悪の血統が広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れていくのです。このような現象を見ながら、サタンの全権時代がこの地上に到来したことを知らなければなりません。そしてこのときこそ、神様が鉄槌を下す審判の日になるのです。

歴史的に見ると神様のみ前に淫乱の都市や淫乱の国は滅びました。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたのも、ローマが滅んだのも、ほかの理由で滅んだのではありません。法度を守れずに淫乱に陥り、減んでいったのです。

アメリカ、ヨーロッパ、日本など、今日の世界の先進諸国を見てください。東西、四方に広がるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるでしょうか。乱れた愛だけでは物足らず、末梢神経を刺激する享楽主義、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。

それはすべて、肉体が死へと引っ張っていく道なのです。決して心の願う道ではありません。心は手を上げて痛哭しているのです。天理大道において人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。

誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。堕落してサタン側に立った人類は、野生のオリーブの木に例えることができます。その中でも、神様が分立させて探し出した人類は宗教圏ですが、それは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。

ですから、神様が自由に主管できるのです。再臨主が来られれば、一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたのです。そうして、野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態に返っていくのです。

ですから、宗教を信じる人も、本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らは本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからです。言い換えれば、本来の真の愛を中心として、神様の血統に連結した真の息子、娘としての一体理想を果たせなかったのです。ですからメシヤが来なければならないのです。

皆様。メシヤとは何か御存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれることによって植えつけられた偽りの根を取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、皆が歓迎する自由解放の天国世界を創建しなければならない、そのような重大な責任をもって来られるお方なのです。

皆様。皆様が神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるでしょう。そして、「私」の心と体が統一されたところから、永遠の平和の世界は出発するのです。

尊敬する「世界平和女性連合」の会員の皆様。私たちは、父母の心情を抱き、僕の体の道理を果たしましょう。私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる私たちの父母の恨を解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道へと前進しましょう。

私たちの目的地は世界の果てですが、私たちの出発点は、正に自分の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるときに初めて、私たちが願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。

私たちの「世界平和女性連合」の運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」の運動に昇華、発展し、五色人種(すべての人種)が永生を謳歌しながら、子々孫々がために生きてはさらにために生き、与えんとする真の愛の世界を建設するでしょう。この歴史的な聖業に私たちは決起し、先頭に立つことを誓いましょう。皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わります。ありがとうございました。

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第六篇 5 理想世界の主役となる女性 II

第六篇 5

理想世界の主役となる女性 II

日付:一九九二年六月十日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:全国四十カ所市郡区大会(真のお母様)

満場の女性会員、同志の皆様。私はきょう、「世界平和女性連合」の総裁の資格をもって皆様の前に出ることができたことを大変うれしく、また光栄に思います。きょうのこの大会を準備してくださったすべての女性会員と後援会員、および日本から来韓された皆様に深く感謝を申し上げます。

私がきょうお話しする題目は「理想世界の主役となる女性」です。皆様、誰かに「この世の中は善の世の中ですか、悪の世の中ですか」と問われたら、皆様は何と答えますか。間違いなく悪の世の中だと答えるでしょう。私たちが生きているこの時代の世の中だけが悪なのではなく、過去、歴史時代のすべての国と世界が悪だったと言わざるを得ません。

ですから、善行よりも罪悪が、平和よりも戦争が、正義よりも不義が、愛よりも憎悪が、統一と和合よりも分裂と葛藤が、より猛威を振るう世の中になっているのです。

人類は、このような罪悪の世界を誰も望んでいません。ですから人類は、いかにすればこの罪悪の世界を清算し、平和と自由と幸福があふれる真の愛の理想世界を創建することができるかということを追求せざるを得ないのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべての構成員や指導者が一様に望んでいることも、平和と自由と幸福があふれる世界を実現することです。人類の歴史が始まって以来、数千年の間、このような夢と理想に向かって身もだえしてきましたが、いまだに人類が望む理想世界は実現していません。

私はきょう、この問題に対する根本的な原因を皆様に明らかにしようと思います。併せて、私たち人類が何よりも願ってやまない理想世界を実現できる解答が何であるかを提示しようと思います。これは、人間の知識や思考の結果として生まれ出た内容ではありません。既に皆様がすべて御存じのように、私の夫、文鮮明牧師は、一生をかけてこの問題を解決するために献身してきました。私は、そのような夫に仕えて暮らしながら、その教えと神様と人類を愛するために実践躬行する生き方に、あまりに多くの感化と感動を受けました。夫に仕えて暮らしながら、真理に対する深い悟りを得、夫の人格と人生から絶えず感化と感動を受けたならば、それは世の中に広く知らせるべきでしょう。なぜならば、今日のこの世界が犯罪と闘争と退廃が荒れ狂う悪の世界になってしまった根本原因は、ほかならぬ夫と妻の根本的な関係の破綻と不和に起因しているからです。

今日、この地上に人類が暮らしていますが、突き詰めれば、二人の人が暮らしているのです。男性と女性、すなわち夫と妻という二人の人が暮らしているということです。無数の人間が共に暮らしながら、あらゆる関係と問題を起こしていますが、そのすべての問題の核心は、男性と女性、この二人の間の関係と問題なのです。このように見るとき、私たちは、神様が人類の最初の先祖をこの地上に創造されるときにお立てになった、人間の男性と女性の行くべき天道が何だったのかを探らざるを得ません。

聖書の創世記の記録によれば、神様が天地を創造されたのち、最後に人間始祖である男性のアダムと女性のエバを創造され、彼らに三大祝福を下さると同時に、責任分担も下さいました。三大祝福とは、すなわち「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」というものでした。そして、彼ら二人の男性と女性に「善悪の実を取って食べてはならない!」という責任を一緒に下さったのです。

これは、神様が人間とこの宇宙を創造された目的が何であるかを教えてくれる内容であると同時に、人生の根本を明らかにした内容でもあるのです。「生めよ」という祝福は、すべての人間は、地上に生まれ、完成した人格者として成長しなければならないことを意味します。完成した人格を備えた男性と女性が夫婦の関係を結び、子女を生んで育てる父母の道を行くようにしたことが、人生の二つ目の祝福です。そして、家庭を率いていく夫と妻、すなわち父親と母親がその道理を果たしながら、この世界をより便利で豊かな福地世界として建設し、地上天国を立てることが神様の創造目的なのです。この創造目的は、人間始祖が「善悪の実を取って食べてはならない」という神様の戒めを守ってこそ成就されるようになっていました。ところが、人間始祖であるアダムとエバは、完成した人間になる前、すなわち未成年の時期に神様の戒めを守ることができず、天使長の誘惑によって堕落し、全人類に悪の血統を受け継がせたのです。

皆様。神様が人間始祖アダムとエバに「取って食べてはならない」とおっしゃった善悪の実とは何でしょうか。それは木の実ではありません。それは正に、人間始祖が将来、夫と妻として結婚するときに実るその愛が未成熟な段階にあるときに、第三の存在によって誘惑されて不倫な性的関係が起きてはならないことを意味しているのです。

実際にエデンの園には、アダムとエバ以外に第三者として天使長がいました。聖書では、エバを誘惑して不倫の罪を犯した天使長についてルーシェルであると明らかにしています。これがまさしく人間始祖の堕落であり、人間世界に罪悪の根を下ろすようにした原罪なのです。したがって人間は、天地の大主宰者であられる父なる神様のみ前に不倫の罪を犯し、人間始祖のときから、不倫の愛で子孫を生む悪の世の中を築いてきました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大した人間社会には、いつどこでも、この男性と女性の不倫関係による悪の血統が根を下ろし、それがこの世を地上地獄につくりあげ、犯罪と戦争と恐怖があふれる偽りの世界にしてしまいました。堕落した人間始祖アダムとエバは、人類の永遠の善の先祖として、真の父母の位置を確定しなければならなかったのですが、悪の血統を残した偽りの父母に転落してしまったのです。これが正に全人類が抱えている不幸と悲劇の第一原因なのです。

この世界の全人類が真の父母を失い、偽りの父母の子孫になったこと以上に悲惨で憤慨すべきことがどこにあるでしょうか。人類の父母であられる神様としても、真の人類の始祖を立て、善の人類を生み殖やそうとした創造目的が、人間始祖の不倫の堕落によって全人類を罪悪の血統に転落してしまったその悲しみと苦痛はいかに大きいでしょうか。

疾病に苦しむ人を救うためには、その疾病の原因を探り出して治療しなければならないのと同じように、人間社会がこのような罪悪と不幸の苦痛から解放されるためには、この罪悪と不幸の根本原因を明らかにして治さなければなりません。その根本原因こそが人間始祖の堕落、すなわち原罪です。したがって、原罪という病気の原因を除去しなければ、人間世界から罪悪と不幸の根を抜き取ることはできないのです。どんなに多くの偉人や英雄、博士学士、政治家、哲人が現れて、法律や制度の改善、倫理道義教育などでこの世界を正そうとしても、人間堕落の原因、すなわち原罪を解明しなければ、それは不可能です。どんな薬を使っても効き目がありません。罪悪と不幸の根本の根が生きており、引き続き生えてくるからです。

しかし、宗教では私たちに人間が堕落したという事実を教え、この堕落の内容を明らかにして人間を罪悪から完全に救援しようとされる神様の摂理を直接、間接的に教えてくれています。ですから、すべての宗教は、この罪悪世界を善の世界へと変化させ、救援する最も積極的な処方なのです。

「宗教」という言葉は、すべての教育と教えの中で最高の教えであるという意味です。孔子、釈迦、イエス、ムハンマドのような四大聖人の教えをはじめとした各宗教の創始者たちの教えは、時代と環境を超越して人間の良心と道徳を守り、文化を発展させてきた原動力でした。したがってすべての宗教は、罪悪の世界を清算し、神様と人間が望む理想世界建設のために共に働く存在であり、協力者なのです。その中でも、神様の救援摂理が最も直接的に啓示されている経典が、正にユダヤ・キリスト教の聖書です。

聖書によれば、人類の歴史は、人間始祖アダムとエバが堕落し、偽りの父母となることによって喪失した神様の創造目的を再び回復しようとされる復帰摂理であることを知ることができます。偽りの父母になったアダムとエバに代わり、全人類を生み変えるために、メシヤ、すなわち真の父母が来られなければならないというのが、聖書でいうメシヤ思想の要点です。

アダムは人類の真の父にならなければならず、エバは人類の真の母にならなければならないというのが、神様の創造本然の目的でした。この創造目的を再度原状回復するために、神様はアダムを再創造される摂理をせざるを得ないのです。これがまさしく、イスラエル選民を準備してイエス様を誕生させた摂理の骨子です。

神様は、アダムとエバが堕落してサタンの血統を中心とした人類が生み殖えると、すぐに善と悪の血統を分立する役事を行われました。アダムの家庭で、神様の相対的立場にいる次子アベルと、サタンの相対的立場の長子カインを分立し、カインがアベルに自然屈伏するようにさせることによって、創造本然の秩序を原状回復しようとされたのですが、カインがアベルを殺害することによって、長い間にわたって善悪分立の闘争歴史が展開するようになったのです。

ノア、アブラハム、イサクを経てヤコブの代になり、母リベカの協助により、双子の兄エサウを自然屈伏させることによって、ヤコブはイスラエル選民を立てる決定的役割を果たしました。ヤコブの息子ユダにより、その嫁タマルはペレズとゼラという双子の兄弟を身ごもりました。ペレズは、タマルの腹中でゼラと争い、先に生まれようとするゼラを押しのけ、自分が先に生まれた息子です。善悪闘争である長子と次子の争いは、腹中で弟が兄に勝ち、長子として生まれる腹中復帰を成就させたのです。

腹中復帰によって生まれたペレズの血統を通じて約二千年後に誕生したお方が、メシヤとして来られたイエス様でした。イエス様を身ごもり、生むときには、母マリヤの命を懸けた冒険と精誠がありました。神様の救援摂理は、すなわち復帰摂理なので、サタンになったルーシェルの誘惑によって不倫な性関係を結んで堕落してしまった結果、人類に伝承された罪悪の血統を清算する、そのような復帰摂理を行わざるを得ませんでした。それが正に、カインとアベルからイエス様が誕生されるまでのイスラエル選民の歴史だったのです。

したがってイエス様は、堕落によって偽りの父の立場に落ちたアダムを、善悪分立闘争の復帰路程を経て蕩減復帰した基台の上で、人類の真の父、すなわち第二の善の人類始祖として来られたのです。ですからイエス様は、その相対格であるエバの立場にいる女性を復帰して夫婦となり、子女を生み、万物を主管される位置まで進まなければならないのです。これがまさしくイエス様がメシヤとして来られた目的でした。

アダムとエバを創造され、「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」とおっしゃった神様の三大祝福を復帰するために、イエス様がメシヤとして来られたということです。イスラエル選民は、父として来られたお方をメシヤではないと不信し、十字架で処刑してしまいました。

これはどれほど啞然とする親不孝であり、途方もない罪悪でしょうか。十字架で亡くなられたイエス様は、再びこの地上に来ると再臨を約束され、それと同時に「再び来るときは新郎として来るので、地上の人類は新婦の装いをして待たなければならない」という内容を語られました。

ヨハネの黙示録第十九章を見ると、そのイエス様の再臨は、地上に来られ「小羊の婚宴」をされると記録されています。これは正しく、エデンの園のアダムとエバが堕落していない家庭を築くために、真の夫婦と真の父母の位置を復帰するという内容なのです。

きょう、この女性大会に参加してくださった会員ならびに女性同志の皆様。私たちの家庭を破壊しようとするすべての性犯罪と不倫、退廃が蔓延するこの社会を、何をもって、またどのように正すことができるのでしょうか。もし、この性の問題を解決できなければ、人類社会はソドムとゴモラのような滅亡を自ら招いてしまうでしょう。既にこの審判の火は降り始めています。エイズという恐ろしい性病こそ、性道徳の紊乱に対する天の懲罰であり、警告です。

イエス様は、この罪悪の世の終わりの日になれば再臨するとおっしゃいました。再び来られるイエス様は、人類の父として来られ、この世のすべての男性と女性が行くべき真の子女の道、真の夫婦の道、真の父母の道が何であるかを示してくださるはずです。そうしてこそ、人類の原罪によってもたらされた淫乱や退廃問題が根本的に解決されるようになります。これこそ、人類をこの罪悪世界から救援してくれる真の福音にほかなりません。

人類が真の父母、真の夫婦、真の子女の道を喪失することによってもつれてしまった罪悪歴史を清算するその道を教えることが、メシヤ、救世主の使命です。私はきょうこの場を通して、私の夫、文鮮明総裁こそ、一生をかけて、このメシヤ、真の父母の道を開拓してこられた方であることを満天下に宣布いたします。皆様がよく御存じのとおり、私の夫、文鮮明総裁は、これまで悪の世の中の激しい迫害の中でも、神様の創造目的を明らかにし、人間始祖が犯した原罪を究明することによって、人類の未来を開拓してこられた方です。

私の夫、文総裁の教えである「統一原理」によれば、すべての宗教人が待ち望む教主たちの再臨理想、すなわち弥勒仏、真人、新しい孔子の再臨とイエス様の再臨思想は、一人のメシヤ、人類の真の父母の再臨によって実現するものであり、すべての宗教も連合、統一するようになっています。

メシヤ、真の父母は、一部のキリスト教信徒たちが信じているように、二千年前に亡くなられたイエス様御自身が空中で雲に乗って再臨されるのではなく、イエス様の使命を相続した新たなお方がこの地上に誕生されるのです。その方の生まれる国は、我が国大韓民国であり、したがって人類の真の父母となられるメシヤは、驚くべきことに私たちと同じ言葉を使う韓国人として来られるのです。

それでは、メシヤは、いつ再臨されるのでしょうか。「統一原理」によれば、この罪悪世界が終結するときが終末ですが、再臨されるメシヤは終末に来られるようになっています。一言で言うと終末は、第一次世界大戦が終わった一九一八年から二〇〇〇年までの約八十年の期間に該当します。この期間は、人類の真の父母であられる再臨主が韓国の地に誕生し、罪悪と戦争と闘争に満ちたこの世界を、自由と平和のあふれる善の理想世界にしていく、世界史的な転換時代に該当するのです。

ですから、この時代は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るすべての構成員の相互間で善と悪の対立と闘争が展開される大混乱の時代となるのです。人類はこの期間に第一次と第二次の世界大戦を経験し、第二次世界大戦後には、民主と共産の両陣営間の絶え間ない対決と闘争がありました。その間、韓国は四十年の日帝植民地下、八・一五解放と南北分断に続く六・二五動乱の惨状を経験し、今日まで世界最後の分断国として残っています。

韓半島の南と北は、人類始祖の堕落によりアベルとカインに分立されて蒔かれた善悪の種が、世界的な実となって現れた結実体です。すなわち、北朝鮮の共産主義は、歴史上に現れたカイン型のすべての人生観と体制の世界的な結実体として、宗教的価値観を否定する無神論共産国家を形成したのであり、それは世界の共産陣営を縮小し、代表したものです。

これとは反対に、韓国は、歴史上に現れたすべてのアベル型の人生観と体制の世界的な結実体として、宗教繁栄国家となり、自由世界を代表する国となっています。すなわち、全世界を善悪で分立し、善侧として分立された韓国が、悪側として分立された北朝鮮と最後の対決の場を形成する全世界の縮小版が韓半島なのです。したがって、韓半島の南北統一こそが、世界平和と統一の鍵になるのです。ですから、韓半島の南北統一は、単純な政治的事件や課業ではありません。これは、神様の救援摂理歴史の最終目的である地上天国の復帰、すなわち共生、共栄、共義の理想世界を実現する関門となる摂理史的歴史性を帯びており、地上世界を経ていった数多くの霊人たちとも関係のある立体的な課業なのです。

したがって、大韓民国の統一は、政治家だけで解決される問題ではありません。ですから、韓半島に絡み合っているこのような天のみ旨をよく知っている私の夫、文鮮明総裁は、皆様がよく御存じのように、一九九一年十二月の初めに、七日間の北朝鮮訪問を決行し、北朝鮮の統治者金日成主席と会い、韓半島の統一問題に関連した天のみ旨である天命を通告しました。

「『主体思想』では南北を統一することはできない。『神主義』と『頭翼思想』である『統一思想』によってこそ南北が平和的に統一され、全世界を主導する統一国家となる」と説破し、彼らの常套句となっている六二五北侵説に対しても、六・二五は南侵であると正面から激しく反駁したのです。

私は、夫に従って全世界を歴訪し、各国首班と数多く出会ってきましたが、先回の平壌訪問の時は、本当に悲壮な覚悟と深刻な決意をもたざるを得ませんでした。私たち夫婦は、ちょうど聖書に出てくるヤコブが、彼の命を奪おうとする兄エサウを千辛万苦の苦難と知恵と精誠で感動させ、最終的には彼の心を動かし、お互いが和解したように、この北朝鮮の金日成主席との談判を成功裏に成就させました。

今や南北統一は政治家だけに任せるものではなく、神様が干渉されるものになったのです。私の夫、文総裁は、今も全世界的な基盤を動員して、神様のみ旨どおりに南北統一を成就し、淫乱と退廃のない理想的平和の世界を建設するために、昼夜を分かたず努力しています。

満場の女性同志の皆様。きょう私が語ったメッセージは、私と私の夫に従っている統一教会員だけが信奉する内容ではありません。全世界百六十ヵ国以上の各界指導層の人士と数多くの青年男女がこの教えに従い、自由と平和のあふれる新しい統一の世界を創建するために汗水を流しています。世界各地で、大韓民国が人類の真の父母の来られた国として既にあがめられ始めており、韓国の言葉と文化を習い、礼儀作法を学ぶために我が国を訪ねてくる外国人たちが急速に増えています。

「世界平和女性連合」は、性道徳の退廃、麻薬の拡散、淫乱で紊乱なあらゆる性関係によって私たちの家庭が脅かされているこの現実を救済するために、その根本的な処方をもって、去る四月十日、ソウル・オリンピック・メーンスタジアムで世界七十ヵ国以上の代表と十五万人の韓国の女性たちが集まって創設された世界的な女性機構です。

私たちは、男性が女性を抑圧してきた堕落した社会風土とすべての淫乱、退廃により腐っていく人類社会の未来を救うために、これ以上待つことはできません。真の父母、真の夫婦、真の子女の道理を学び、実践するための私たちの行進は、最終的に「世界平和家庭連合」を結成し、五大洋六大州のこの地球星のどこにも不倫と退廃が足を踏み入れることができないようにしなければなりません。そうして、人類がエデンの園で淫乱という原罪を犯して以来、今日まで苦痛を受けてきた悪の血統を清算した新世界を迎える準備を急がなければなりません。

今までは、人類を滅ぼしてきた淫乱と不倫に対して、誰もが手をこまねいているだけでしたが、今やこの問題を完全無欠に解決する希望の新しい真理が、私たちの生きているこの時代に、我が国韓国から出てきました。真の父母様によって明らかにされたこの新しい真理は、南北を統一し、平和の世界を建設する人類の灯火となるでしょう。私たちは、この新しい真理を知り、有史以来私たちを苦しめてきたこの罪悪の世界を終結させ、自由と平和と幸福のあふれる統一の世界を建設する女性勇士となるために総決起しましょう。

真の母の道を行きましょう。真の妻の道を行きましょう。真の娘の道を行きましょう。どうもありがとうございました。

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第六篇 6 世界平和と女性の役割 I

第六篇 6

世界平和と女性の役割 I

日付:一九九二年八月二十六日

場所:韓国、ソウル、シェラトン・ウォーカーヒル・ホテル

行事:「世界平和女性連合」世界大会(真のお母様)

世界各国から韓国を訪ねてこられた「世界平和女性連合」の指導者の皆様、そして韓国の各女性団体の指導者の皆様。きょう、このように世界各国の女性指導者および韓国の各界女性指導者たちが会場を埋め尽くす中、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上なく光栄に思います。

今の時代は、正に理念の障壁や言語、もしくは文化の違い、または人種的葛藤を越えて一つの世界へと侵入する重要な転換期を迎えています。私たち女性が、愛と平和の新しい世界のためにきょうの集会を開催するようになったことは、単なる偶然ではなく、神様の摂理であり、滔々(とうとう)と流れる歴史の必然であり、宿命なのです。

これまでの歴史においては、男性の役割が強調されました。男性中心の世界であり、社会体制でした。しかし、不幸にも、男性たちが主導してきた世界の実情は、一言で言うならば闘争と罪悪の歴史だったと結論づけざるを得ません。ですから、人類はこのような罪悪と闘争の世界で、善と平和があふれる幸福の世界を夢見てきたのではないでしょうか。戦争、革命、闘争、抑圧、支配、葛藤、暴力などが人類歴史の大半を占めており、男性的な力の論理が通用し、男性的なイデオロギーが支配してきたのです。

しかし、今の時代は違います。今日の歴史は平和、和解、慈悲、愛、奉仕、犠牲を要求しています。男性的な力の論理だけでは現実問題を解決できない時代です。これ以上、人類を抑圧するイデオロギーは必要ないのです。より女性的な愛の論理で現実問題を解決し、歴史の方向を正さなければならない時です。二十一世紀をわずか十年後に控え、暴力革命と階級闘争を掲げて人類を無残に蹂躙してきた共産主義が、その結末を告げているのも、これ以上戦争を許してはならないという世界の言論のひたむきな声も、新しい女性時代の開幕を知らせる兆候であり、女性解放の時代、世界女性時代の到来を宣布する世界史的転換ののろしです。

世界各国からお集まりになった女性連合指導者の皆様。私はこの歴史的な場で、儀礼的な挨拶をしようとは思いません。過去と現在、そして未来の意味を歴史に宣布するお話を語ろうと思います。理解と協力を指向する、この歴史的転換時代に、私は「神主義」を基本として、永遠の平和世界の建設のための大原則を提示しようと思います。すなわち、未来世界を開拓する女性たちの表題とするために、「世界平和と女性の役割」という題目で、夫である文鮮明総裁が主唱してきた「頭翼思想」と「神主義」を再び皆様にお伝えしようと思う次第です。

本来神様は、喜びを享受されるために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの傑作を作るために、夜を徹し、精力を消耗しながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしょうか。喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしょうか。存在世界を見ると、鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。人間世界には男性と女性、動物世界には雄と雌、植物世界には雄しべと雌しべがあります。

また、分子世界には陽イオンと陰イオン、原子世界には陽子と電子があります。一言で言えば、すべての存在世界はペア・システムになっているのです。ペア・システムとは、すべての存在が愛を中心として互いに相対性を帯びて存在することを意味します。互いがために生き、愛することのできる相対がいなければ存在できないということです。なぜペアで存在するのか御存じですか。それは互いに愛を中心とした理想的な作用をするためなのです。世界のどこにも愛を与え合うことのできる相手がいなければ作用できないのであり、作用できなければ、存在と繁殖ができないのです。したがって、それは既に死んだ存在のようなものです。神様が人間を創造されたのは、愛する対象が絶対的に必要だからです。人間世界において、我が子が親の自分よりも立派になることを願う父母の心は、正に神様が人間をお造りになるときに抱かれた真の愛の心情にその根を下ろしています。自分より相字が立派であることを願う心は、本来神様から来た真の愛によるものです。すなわち、神様は、百を投入すれば百だけの存在にしかならないので、百以上を投入するために、忘れて、また投入するのです。しかし、自分よりも大きな対象が現れるようになるので、引き続き忘れては投入し、最後には生命までも投入するのです。ここから真の愛は始まります。

神様の真の愛は、投入してまた投入し、与えてまた与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることができないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけません。与えてまた与え続けても記憶に残らないので流れるのです。

本来真の愛とは、神様の絶対愛のことをいいます。そして、愛には相続権があり、一体となることによって永生の論理が成立するのであり、真の愛を実践する家庭と社会は、永遠に滅亡せずに発展するのです。神様の相対として造られた人間が、神様のみ言に逆らわず、神様のみ旨のままに成熟して、絶対不変の真の愛を神様から相続していたならば、人間世界には根本的な平和の歴史が展開されるはずだったのであり、戦争のような血を流す悲惨な歴史はなかったはずでした。その真の愛の中で、個人はもちろん、社会や国家間における対立や葛藤までもが完全に超越され、溶かされて、真の平和世界が形成されていたはずでした。

しかし、人間始祖の堕落により、そのような真の愛を私たち人間は完全に相続することはできませんでした。不幸にも人類は、神様の真の愛の相対者として完成できなかったがために、神様の代わりに真の愛の実体として立つべき真の父母の位置を失ってしまったのです。それでは、人間始祖の堕落の起源は何でしょうか。聖書を見ると善悪の実を取って食べたことが原因となっています。ところが、その善悪の実を取って食べてから、どこを隠したでしょうか。本来は口や手を隠すはずですが、下部を隠したのです。それは、サタンを中心として行われた誤った愛を意味します。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。

人間にとって真の愛と真の生命、そして真の血統の根源地は正に愛の器官なのです。しかし、堕落によって、この神聖でなければならなかった愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿となってしまいました。悪の本拠地になったのです。ここに、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられました。十代の成熟していないときに、人間始祖のアダムとエバが堕落したのです。そのように悪を植えたので、歴史的に人間世界に悪の血統が広がっていきました。

ですから、終末である収穫の時が来れば、全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れるのです。このような現象を見たら、サタンの全権時代が極に達したことを知らなければなりません。そのときこそが、神様が鉄槌を下す審判の日となるのです。歴史的に神様のみ前に淫乱な都市、淫乱な国は必ず滅びていきました。

今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進国を見てみてください。東西、四方に吹き荒れるフリーセックスと淫乱の波を誰が押さえることができるでしょうか。堕落してサタン側になった人類は、野生のオリーブに例えることができます。その中で、幸いにも神様が分立して探し出した人類が宗教圏の野生のオリーブですが、これは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。ですから、神様が自由に主管することができるのです。再臨主が来られれば一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたというのです。そのとき初めて野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態へと返っていくのです。

私たち人間は、真の愛を中心として神様の血統と連結された真の息子、娘としての一体理想を成し遂げることができませんでした。ですから、メシヤが来なければなりません。メシヤは真の父母として来られる方です。真の父、真の母として来られ、サタンを追放し、自由解放の天国世界、平和世界を創建しなければならない重大な責任を負って来られる方です。

今や、世界史的勝利の伝統を立てた真の父と歴史的な女性の代表として勝利した世界的女性の代表である真の母に侍り、真の男性像はもちろん、真の母、真の妻、真の娘の理想像を確立しなければなりません。男性たちを正しく導き、アダムとエバを滅ぼした恨を歴史的に解かなければならない使命が私たち女性にあるのです。

尊敬する国内外の各界女性指導者の皆様。今や私たちは、到来した女性時代とともに、夫を抱き、子女を正しく養育する真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません。

そうして、夫と子女たちの積極的な支持を得て、「世界平和家庭連合」へと発展しなければなりません。「世界平和女性連合」の運動は、女性だけのための運動ではありません。まず、夫と子女のために生きる真の愛の運動として、理想的な家庭を結実させなければなりません。

このようにして築かれた理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界を築くようになるのです。「世界平和女性連合」が「世界平和家庭連合」へと発展しなければならない理由がここにあります。

そして世界平和の具現のために、政治、経済、文化、そして社会の各分野において女性たちが先頭に立たなければなりません。左翼と右翼を統一し、無神論的唯物論を克服して、二十一世紀以降の永遠の歴史を先導していく「頭翼思想」、すなわち「神主義」こそ、私たち女性連合が堅持しなければならない基本的な価値観です。

私たちの家庭を真の父母、真の夫婦、真の子女の家庭として育てていくことにより、真の愛の主人公であられる真の父母を中心とした平和の世界に向かって総進軍しましょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国に共にあることを願いながら、お話を終えさせていただきます。ありがとうございました。

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第六篇 7 理想世界の主役となる女性 III

第六篇 7

理想世界の主役となる女性 III

日付:一九九二年九月二十四日

場所:日本、東京ドーム

行事:「世界平和女性連合」日本大会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、「アジア平和女性連合」の会員、そして紳士淑女の皆様。このたび開催される「世界平和女性連合」の七大都市講演会を前に控え、きょうはこのように盛況を呈してくださり、心からの感謝を申し上げます。

私は昨年(一九九一年)の九月十七日にも、ここ東京において、「アジア平和女性連合」が主催する全国大会で、迤調講演をさせていただきました。そして、その後一年の間に、日本だけでなく、国際的にも大変な反響を得て、女性連合は目覚ましい発展を遂げることができました。昨年の十一月二十日には、大韓民国のソウルで、「アジア平和女性連合」の第一回大会が、一万五千人以上の韓国女性の代表たちにより、大盛況のうちに開催されました。そして今年の四月十日には、世界七十ヵ国以上から集まった平和を渇望する十五万人を超える女性の代表たちが、ソウル・オリンピック・メーンスタジアムをあふれんばかりに埋め尽くす中で、世界の女性運動史上類類例のない、最大の女性大会が開かれ、「世界平和女性連合」が結成されたのです。その間、この大会がこのように驚くべき成長を遂げるために、献身的な苦労と努力を惜しまれなかった関係者の皆様に、心から称賛を捧げたいと思います。

私はこのような国際大会ののちにも、韓国国内で八十一カ所の主要都市を巡回し、「理想世界の主役となる女性」という主題で講演を続けました。行く先々で、雲霞のように集まった延べ百万人を優に超える韓国の女性たちから熱狂的な歓迎を受け、大変な好評を頂きました。私はこの熱気の中で、私たち女性には、未来の世界平和のために寄与できる無限の可能性と潜在力があることを実感できました。

これらの大会は、二十一世紀までわずか八年を残すこの時において、戦争と暴力、搾取と破壊に染まった、男性を中心とした力本位の時代が過ぎ去り、今や愛と赦し、和合と協力によって人類を導いていくべき女性たちの新しい時代が到来していることを覚醒させる、重要な契機となりました。これらの大会を通じて、私は「女性の本然の役割を自覚し、平和と幸福と自由の礎を据えよう」と力説いたしました。すなわち、神様の真の愛が定着する真の家庭を築くことこそが、真の平和の国、平和の世界を建設する近道であると強調したのです。

去る八月二十五日、大韓民国のソウルオリンピック・メーンスタジアムで行われた三万組の国際合同祝福結婚式は、理想家庭を通じて世界平和が実現できることを示す、最も実証的な大役事でした。第一回「世界文化体育大典」の行事の一環として行われたこの日の国際合同祝福結婚式は、一言で語れば、地上に世界平和の門を大きく開け放つ歴史的な宣布でした。そして神様の愛を中心に、世界は一つの家庭、人類は一家族であることを万民に誇らしく示す、一つの巨大な愛のパノラマだったのです。この日、私の夫である文鮮明総裁と私は、真の父母として、世界百三十一ヵ国から参加した六万人を超える善男善女たちに、翡翠色の青空のもとで祝福を授けました。

翡翠色の青空と輝く太陽のもとで繰り広げられたこの愛の一大祭典で、彼ら新郎新婦は一斉に、神様の愛を中心として真の家庭と真の平和の世界を成し遂げることを、神様と真の父母と全人類に宣誓しました。この日、神様の真の愛を中心に結ばれた約束は、永遠で、絶対的なものです。決して条件的あるいは制約的なものではありません。なぜならば、限りなく与えても、さらに与えようとする真の愛の中での出会いは、互いが離れようにも離れられない、永遠の関係として残るものだからです。ですから彼らには、今日の社会でよく目にする性道徳の紊乱や離婚のようなことは、考えることすらできなくなるのです。

神様の真の愛を中心として出会う彼らには、国籍や人種、言語、風習などが障害になることはありません。すべての障害を溶かしてしまう神様の真の愛の中で、彼らは共通の真の愛の言語を発見し、共通の真の愛の広場で出会うようになるのです。こうした超国家的、超人種的、超宗教的な次元における出会いは、彼らをして世界のために生き、世界を抱くことのできる、未来の世界人に成長させてくれるのです。彼らが世界の至る所でために生き、犠牲になって生きる真の愛の根を下ろすときに、この地上からは憎悪と闘争の哲学が消え去り、戦争と殺戮の惨劇が終わりを告げるでしょう。ただひたすら永遠に互いのために生き、愛し合う真の理想家庭と平和世界が実現されるでしょう。

既に文鮮明総裁は、去る一九八八年に六千五百組を超える永遠の平和の橋を架けました。日本と韓国の若者たちが、神様の真の愛を中心として共に夫婦となって以来、彼らの家庭は真の血統の関係として、両国の国民と伝統、文化を誰よりも愛し、大切にするようになったのです。少なくとも北東アジアの平和は、彼らによって保障されるようになったと言えるのです。

昔から、家庭を守り、育むことは、私たち女性に与えられた固有の特権であり、使命でした。ところが、今日のこの社会には、私たちの家庭を脅かす根本的な要素があまりにも多くあります。実に今日の世界の問題は、軍事力や経済力を発展させたからといって解決できるものではありません。むしろ外的な成長と開発に比例して、伝統的な価値観の崩壊や社会秩序の混乱など、より多くの内的な問題が増加の一途をたどっているのが実情です。今も地球上では、数千万の人々が飢餓にあえいでいます。しかし、これは食糧問題である以前に、飢えに苦しむ彼らを自分の息子、娘、自分の兄弟、自分の父母として見ることができない、愛が枯渇してしまっているところに、より根本的な問題があるのです。今日の社会は、日ごと犯罪によって蝕まれ、麻薬のために衰えつつあります。人類は、たとえ核戦争の危機を避けることはできたとしても、希望のあすより絶望の暗雲が、未来を一層暗くしているのです。

こうした世界の問題は、決して部分的、表面的な治療だけでは治せない、根本的なものです。もし歴史を背後で摂理してこられた神様を排除したまま、人間だけを中心としてその解決点を模索しようとすれば、その結果は失敗に終わるしかありません。

ですから文鮮明総裁は、「頭翼思想」と称される「神主義」を宣布し、あらゆる苦難を経ながらも、ついに人類が今日の問題を解決できる、勝利の新しい地平線を切り開いたのです。つまり、人類が神様との関係を回復し、神様の真の愛を中心として、本然の理想家庭を取り戻して築いてこそ、平和世界の門が開かれるということなのです。

この「頭翼思想」は、アメリカだけでなく、無神論の共産主義思想によって統制されてきたロシアまでも、既に数万人の若者と知識人たちに神様の実在を確認させ、彼らを真の家庭の理想に目覚めさせています。理想家庭を通して、自分を犠牲にし、他のために生きる真の愛を訓練することによって、人種間の対立や暴力、貧富の葛藤、環境破壊、ひいては国家や民族の利己主義など、今日の諸問題に対し、その解決の糸口を見いだすことができるのです。

文総裁は「神主義」を実現するために、生涯にわたって多方面に努力してきました。統一教会をはじめとして、「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和のための頂上会議」、「世界宗教議会」、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界大学原理研究会」、「世界大学連盟」、そして「国際芸術公演団体」など、すべて等しく神様を中心とした平和世界の建設を、その理想と目標にしています。特に理想家庭を通じた世界平和の実現に心血を注いできた文総裁は、「アジア平和女性連合」と「世界平和女性連合」を創設した主人公でもあるのです。そればかりでなく、これまで築き上げた世界平和のための統一された基盤と努力を連帯的に強化するために、世界各国に「世界平和統一堂」を創設しました。

誰が何と言おうとも、文総裁は、宗教界、思想界、学術界、言論界、教育界、科学技術界、そして文化芸術界など、あらゆる分野において、世界の頂上の基盤をつくり上げました。今やこのあらゆる分野が結束して大行進を始める日には、私たちの願う平和世界が、私たちのすぐ目の前に展開するでしょう。

真の愛とは、本来限りなく与えては、またさらに与えようとするものなので、その前に怨讐という言葉は容認されません。そのため、これまで真の愛を中心とする「神主義」を実践するために、あらゆる無理解と迫害、中傷、謀略、そして数え切れない苦難を経験してきた文総裁ではありますが、その前に怨讐という概念はあり得ないのです。そうして過去の世紀に自由世界の仇敵と見られてきたソ連を訪問し、ゴルバチョフ大統領にも会い、また北朝鮮を訪問し、金日成主席にも会って、神様の真の愛を中心とする平和の原理、「頭翼思想」を訴えたのです。ために生きた上に、さらにために生きようとする真の愛を実践するために、文総裁は地の果てのどこまでも行かれるのです。

敬愛する日本の女性指導者の皆様。今この瞬間にも文総裁は、日本をアジアと世界から最も尊敬される国にならしめるために、先頭に立って道を整えています。また日本の若者たちが正しい道を行くように、昼夜を分かたず教育しています。あの純粋で、健康に活動する若者たちを御覧ください。総裁が築いた世界的な基盤を通じて、既に数多くの日本の若者が世界に出ていき、全世界の人々から限りない愛といたわりと尊敬を受けながら活躍しているのです。

文総裁は、きょうのこの夕べにも、皆様一人一人に、本当に日本を生かす道が何であるのか、勧告したいことがたくさんあるのです。私は、夫がこの国とこの国の国民をどれほど愛しているか、よく知っております。しかし今夜は、その深く大きな愛をすべて伝え切るにはあまりに不足な私だけが、一人でこの壇上に立っています。一部の偏見にとらわれた人々が、何も知らないまま無条件に迫害と反対に熱を上げていますが、文総裁の愛と真意が理解される日が一日も早く来ることを望む次第です。

皆様。日本がアジアに出ていくには、韓国と一つになって出ていってこそ、より多くの友を得て、より多くの基盤をつくることができます。近くて遠い国が、これからは近くて近い国となって、アジアの未来を共に背負って進んでいかなければなりません。日本は何よりも韓国の統一に大きな力を注ぐべきであると思います。過去の日本の韓半島支配が結局、分断という結果を招いてしまったことに対する痛切な心の傷は、統一のための真心のこもった皆様の努力によって、きれいに癒やすことができるのです。そのためにはまず、この国には民団と朝鮮総連という二つの韓国人の機構がありますが、それが一つになるように導き、統一のための基盤を整えなければならないでしょう。この二つの機構は、真の愛を中心とした「頭翼思想」によって一つになることができます。韓国と日本が互いに争えば、互いにもっているものをすべて失ってしまいます。

しかし、二つの国が力を合わせれば、未来のアジアと世界の平和建設の最も偉大な主役となるでしょう。古くから世界の精神文明を主導してきたアジアから、世界を生かす新しい女性運動、新しい家庭運動、新しい平和運動が起こることは、歴史の必然なのです。

これまで私が繰り広げてきた世界女性運動は、男性の権威に対する挑戦や、女性の権利ばかりを強調するフェミニズム運動とは、根本的にその性格を異にしています。今まで西欧社会で発展してきた女性運動は、相克的で衝突的な西洋の闘争精神を反映したフェミニズム運動ですが、私たちの運動は、互いに相応的で相補的な東洋の調和の原理が土台になった、和合の女性運動なのです。男性たちにできないこと、すなわち女性たちだけができることを探し出し、男性たちと相互補完的に協力することによって、真の家庭を建設することをその理想としています。

今日、誰も手のつけようもない最も深刻な社会問題として登場しているのは、家庭崩壊の現象です。人類の生存する基盤が、その根底から揺さぶられているのです。アメリカにおいて家庭の価値や社会道徳の問題が、大統領選挙の最も深刻な争点の一つとなっているのも、このためです。これは単に、アメリカや西ヨーロッパに限った問題ではなく、全人類的な危機なのです。日本や韓国も、その例外ではありません。経済発展と同時に、道徳的な危機を憂慮せざるを得ない段階を迎えています。これを防ぐ道は、摂理史的観点による「神主義」と「頭翼思想」を教えること以外にはありません。

特に青少年に対する道徳教育は、とても切迫した実情にあります。私は、少し前に日本で開かれた「柳寛順烈士精神宣揚大会」が、日本の多くの市民から大きな反響を得たと聞いて驚きました。もちろん東洋のジャンヌ・ダルクといわれる柳寛順は、若い青少年たちの愛国心を鼓舞するには最も良い手本であり資料になると思いますが、私をより深く感動させたのは、過去のぎくしゃくした関係を乗り越え、一人の人間に対する新しい相互理解の突破口を開こうという、日本国民の進取的な姿勢とその幅広い包容力でした。

世界の深刻な家庭問題を解決するため、これから特別に、日本の女性の皆様が先頭に立ってくださるようお願いします。それというのも、皆様は、長い歴史を通じて愛と犠牲の精神で皆様の家庭と国を守ってきた、世界で最も立派な女性の伝統をもっているからです。皆様の国が第二次世界大戦の廃墟から立ち上がり、世界一の経済大国にまで発展するにおいて、その隠れた主人公の役割を果たしたのは、正に女性の皆様だったことを、私はよく知っています。

伝統的に守られてきた皆様の犠牲と奉仕の美徳を、今や世界の全人類のために、与え続ける、世界的次元の真の愛へと昇華させなければならないからです。過去の二十世紀を通じて、男性たちが成し遂げられなかった平和世界の建設は、今や私たち女性の手に委ねられています。理想家庭を通じた世界平和の建設は、私たちに与えられた天命なのです。一般的に男性は自分を中心とする生活を営みますが、女性たちは自己を犠牲にする生き方をします。ですからこれからは、自分のために全体を犠牲にするのではなく、全体のために自分を犠牲にする、そのような真の愛が発揮される新しい歴史が出発しなければならないのです。

私たちは、まず「頭翼思想」で武装して立ち上がり、平和世界の主役とならなければなりません。退廃の一途をたどる家庭倫理を、私たちが立て直さなければなりません。脱線の道にさまよう青少年たちを、私たちが正しく導いてあげなければならないのです。今や女性たちが主体的に立って、世界平和に貢献する新しい転換の時代がやって来たのです。誇らしきこの平和の隊列に、皆様すべてが参加し、先頭に立ってくださることを切にお願い申し上げます。

これから開催される全国の巡回講演会のために声援を送ってくださった皆様に、もう一度感謝を申し上げ、皆様と皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第六篇 8 神様と女性、そして世界平和

第六篇 8

神様と女性、そして世界平和

日付:一九九三年九月七日

場所::アメリカ、ニューヨーク、国連本部

行事:国連本部招請講演(真のお母様)

尊敬する議長、そして敬愛する来賓と紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださり、深い感謝の意を表す次第です。皆様は国際連合の指導者として、世界を、やがて訪れる千年王国へと導くべき責任を担っています。平和で繁栄する未来に対する約束は、きょう、私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。

神様の創造理想

御存じのように、今日の世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちています。私たちは、家庭破壊と社会的道徳の退廃の問題などに直面しているのです。

私たちはこのような問題に対して幾度となく論議しましたが、解決策はいまだに見つかっていません。なぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、表面的な問題だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするために、まず神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に置かれているという事実を悟らなければなりません。

歴史上、このような重要な時点で、神様は私の夫である文鮮明牧師に、全世界の人々に新しい啓示を伝えるようにと指示されました。私は、そのような夫を助けてきたのですが、ここ一年間は十二ヵ国を歴訪しながら、「真の父母と成約時代」という題目で講演をしました。数週間前、アメリカ五十州巡回講演の最後に、ワシントンDCでアメリカの国会議員たちに同じ主題で演説をしました。これから国連総会の代表と来賓の皆様に、この重要なメッセージをお伝えしようと思います。

神様が人類始祖アダムとエバを創造された理想は、彼らが真の愛で完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統を備えた善の家庭を完成することでした。そのような善の家庭は、家族全体が神様のみ前に心情的に一つになった基盤の上にのみ現れることができるのです。

神様は、息子と娘としてアダムとエバを創造したとき、彼らが御自身よりも立派になることを願いました。このような話は、伝統的な考え方に反していると言えます。ですが、この点についてしばらく考えてみましょう。私たちが親の立場で我が子の顔を見つめるとき、彼らに無限の愛と希望が共にあることを願います。私たちは、子女が成長して私たちの夢をかなえてくれることを願います。

同様に、神様も、御自身の子女たちに対し限りなく与えたいと思われます。神様は一〇〇パーセント与えただけでは満足されません。御自身がもっておられるものの千倍でも与えたいと思う方が正に神様です。神様の愛は、すべてを完全に与えても、与えた事実さえも忘れてしまわれる愛です。ある人は、自分が与えたものがどれほどになるか計算し、これだけ与えたら十分だと自ら決定してしまいますが、神様は永遠という時間の中で、十分に与えたとは判断されない方なのです。

実のところ、神様が被造世界を創造された目的は、愛の相対を探し立てるためでした。親と子、夫と妻、そしてこの世のすべての万物をペアに造られた目的は、御自身の創造を通して真の愛を実現するところにありました。同じように、父母は子女のために生きるようになっており、子女たちは父母のために生きるようになっています。また、夫は妻のために、妻は夫のために生きなければなりません。被造万物のすべては、このようにために生きなければならず、与えながら生きるように創造されたのです。

もしアダムの家庭で神様の真の愛の理想が成し遂げられていたならば、正にその家庭が天国の始発点になっていたはずでした。そうして、そのような天国家庭が歴史的な発展を経て、氏族、国家、世界へと拡大し、この世界が真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたのです。さらには、霊界でも天国が水平に拡大していたでしょう。

偽りから始まった人類歴史と救援摂理

もし神様の根本理想が実現していたなら、メシヤはもちろんのこと神様の人類救援摂理も必要ありませんでした。一つの家庭にすぎませんが、アダムの家庭が正に、氏族、国家、世界の中心になったのです。その家庭こそが将来生まれるすべての家庭のモデルになったのです。また神様の理想世界を実現するためのモデルとなるはずでした。

しかし、人間始祖の堕落により、神様の救援摂理が始まらざるを得ませんでした。神様の救援摂理歴史は、旧約時代、新約時代、そして今日の成約時代に至るまで、複雑で苦痛な路程を経ながら、類似した路程を繰り返しながら延長を重ねてきたのです。

神様がアダムの家庭を中心として成し遂げようとされた真の家庭と天国理想は、アダムとエバが神様から離れることによって成し遂げられませんでした。堕落ゆえに、今日の現実世界も、神様の善の理想世界とは程遠い世界となりました。実際、今日の世界は偽りの世界であり、利己的な愛が氾濫しています。これは正にアダムとエバがサタンを中心とした利己的な偽りの愛を土台として、偽りの父母になったからです。彼らは善ではなく、悪を繁殖し、偽りの家庭を形成して、偽りの生命と偽りの血統をすべての家庭にもたらしたのです。こうして、偽りの氏族、偽りの国家、偽りの世界が現れるようになりました。

そのため、神様の救援摂理の目的は、アダムとエバに代わり、一人の男性と一人の女性が神様の真の愛を中心とした真の父母として復帰され、真の家庭を完成することです。そうなれば、その家庭を始発点として、真の氏族、真の国家、神様が本来理想とされた真の世界が実現されるはずでした。言い換えれば、神様の真の愛、真の生命、真の血統が育つことのできる種が創造されなければならないのです。

来賓の皆様。このように罪悪と腐敗に満ちた世界が、どうして善と愛の根源であられる神様から始まったのか不思議に思われたことはありませんか。聖書を詳しく読んでみると、アダムとエバの堕落により、アダムの家庭全体を失う結果がもたらされたことに気づくでしょう。第一に、アダムとエバが堕落によって父母の位置を失い、第二に、カインがアベルを殺害することによって子女の位置を失いました。こうして理想家庭と完成した世界を成し遂げようとされた神様の計画は崩れてしまったのです。

したがって、その本然の家庭を復帰するために、神様は堕落した経路と反対の経路を取り、先にカインとアベルの位置を復帰したのちに、真の母と真の父の位置を復帰する摂理をしなければならないのです。すなわち、真の父母を復帰するための基台として、先に子女のカインとアベルが和解しなければならないということが、復帰歴史を通して現れた神様の変わらない公式となってきたのです。

堕落した人間をカイン側とアベル側に分立する歴史が、ユダヤ教とキリスト教の歴史に繰り返し現れます。堕落によってもたらされた僧しみを取り除こうと、神様は堕落した人間を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立てる役事をしてこられたのです。神様は、アベルが先に打たれて犠牲になる作戦をもちいてこられました。その結果として、アベルは自分が犠牲になったその基台の上に、カインを包容し、長子に与えられた祝福まで得るようになるのです。

例を挙げれば、救援の目的について見るとき、最も先を行く宗教は、いつもサタンから最もひどい迫害を受けるようになります。そのような宗教が行く道には、いつも反対がありますが、彼らは罪悪世界を救うために絶え間なく努力しながら犠牲の道を行くのです。同じように、善の人々はいつも先に打たれて犠牲になる道を歩みます。

今日、堕落した世界を見ると、至る所で、カインとアベルが闘争したように、善悪間の闘争を容易に目にすることができます。このような闘争は、一個人の心と体の葛藤から始まります。アべル側に立っている心は、カイン側に立っている体に勝つために身もだえします。個体内のこのような葛藤が、家庭、国家、世界にまで拡大するのです。

その結果、人類は常にアベルのような善の側とカインのような悪の側に分かれ、各階層で闘っているのです。

しかし、神様のみ旨は、片方がもう片方に勝って、負けた側を破壊するのではなく、両方とも復帰されることを願うのです。

このような分立の例として、イエス様が十字架にかけられたときの、アベル側である右の強盗とカイン側である左の強盗を挙げることができます。したがって、神様の救援摂理上の核心的な課題は、真の母と真の父を探し立てるための基台を造成するために、そのように分かれた二つの側を神様の創造理想を中心として一つにすることでした。

家庭崩壊と不倫の愛

紳士淑女の皆様。もし家庭が神様の愛の理想を中心として立っていなければ、家族に対立が生じるようになります。神様の愛を絶対的な中心としなければ、やがてその家庭は壊れてしまうのです。さらには、そのような家庭が集まってできる国も、衰亡の道をたどるようになります。

最初の家庭が不貞で利己的な愛の奴隷となってしまったので、利己心と貪欲が個人、家庭、社会、国家、世界的な次元で、人類歴史を汚し続けてきたのです。正にそのような理由から、神様の復帰歴史は個人の次元から始まります。ところが、サタンもそれを知っているので、人間個々人の次元から集中攻撃をするのです。

終末である今日、利己的な個人主義が普遍的な生活様式になったことは、決して偶然ではありません。人々は日がたつにつれ、周囲からだんだんと疎外感を感じるようになり、自分の属する国家、社会、そして甚だしくは自分の家庭にさえ、さほど責任感をもたないようになっています。離婚率が日に日に増加しているという事実は、夫婦が互いに結婚に対する責任感をほとんど持ち合わせていないという証拠です。父母も子女に対してしかるべき責任をもちません。個人においても人間の尊厳性を失い、自分に対する責任すら取ろうとしません。

アメリカと世界のいくつかの国では、このような現象が一九六〇年代の青年運動とともに現れるようになりました。理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求すると言って物質主義を排斥して立ち上がりましたが、その過程で、彼らは物質主義だけでなく人間の道徳性と責任感までも忘れてしまいました。自分たちの追求してきた真の愛を見いだせなくなると、多くの若者たちは自殺、麻薬中毒、フリーセックスに陥ってしまったのです。このような現象の中でも、神様が最も胸を痛めたのがフリーセックスです。フリーセックスこそ、神様のみ旨や家庭の理想とは完全に相反するものです。愛というものは純粋な情緒の刺激から誘発されるものですが、フリーセックスは純潔や真の情緒とは全く関係がありません。

どれほど多くの人が不倫の愛の関係や離婚のために苦痛を受けているでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。親から性的暴行を受ける子女たちは、どんなに悪夢でうなされるでしょうか。親のフリーセックスで片親の子女が生まれてもよいのでしょうか。

同性愛、フリーセックス、麻薬、そしてアルコール中毒が横行するところは、真の愛とはかけ離れています。今日サタンは包み隠しもせずに、「酒を飲め。煙草を吸え。麻薬を使え。フリーセックスを楽しめ!」といって扇動しています。一方、神様のみ旨を成就するために働く人たちは、それとは一八〇度異なる人生を生きています。歴史的に自己の犠牲を甘受しながら霊的な価値を追求する道を歩んできた人たちは、異なる人生を生きる人たちから形容し難い反対と迫害を受けてきました。

例を挙げるなら、全世界的な反対をものともせずに統一教会が発展できたのは、ひとえに神様の愛と祝福のゆえでした。戦争で灰と化した韓国の地で無名の教会として出発した統一教会が、三十八年で世界的な宗教にまで成長した事実だけを見ても、神様が絶えず導かれ、お守りくださっていることが分かります。

今も統一教会に反対し、根拠のないうわさを広めながら統一教会の宗教活動を妨げようとする人たちがいます。重ねて申し上げますが、サタンはいつも神様が最も大事にされるものを先に打ちます。しかし、神様のみ旨に逆らう道を行く人たちは、決して繁栄することができません。神様の側に立ち、不当な迫害に耐え抜く人々が天の祝福を取り戻すことのできる権限を獲得するという原理が真理であることを知るようになります。神様の作戦は常に、先に打たれてから取り戻してくるのです。

真の愛の復帰

紳士淑女の皆様。聖書を見るとエバが先に神様の命令に背いてサタンと関係を結んだとあります。堕落によってエバはもちろん、アダムとその息子であるカインとアベルまでも、利己心と偽りの愛を中心としたサタンの血統を受けるようになりました。このようにサタンによって原理軌道を離脱したアダムとエバの子孫になった私たち人類は、誰しもがサタンの血統を受けて生まれているのです。このような理由から、イエス様はヨハネによる福音書第八章四十四節で、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって」といって叱責されたのです。

旧約聖書を見ると、「目には目、歯には歯」という公式に従って救援摂理を展開してきたように説明されています。『原理講論』では、過ちに対する復帰過程について「蕩減を払う」と表現しています。堕落したエバが自らの失敗を復帰するためには、すべての責任を一人で負わなければなりませんでした。エバは自らの堕落行為と反対の経路をたどって再び正し、堕落のすべての段階を、霊的、肉的両面で復帰しなければならなかったのです。エバが次子であるアベルを助け、神様のみ旨に従うように協助しなければならないというのが天のみ旨でした。創世記を見ると分かるように、神様はアベルが捧げた供え物を受けられました。しかし、それがアベルに期待したことのすべてではありませんでした。アベルの愛を通して、カインはアベルのことを神様が選んだ人として認め、彼と一つになることを期待し、エバが彼らを助けて、二人の兄弟が一つになることを願われたのです。

カインとアベルが一つになっていれば、堕落によってもたらされた二つの問題のち、二番目のものは解決されるはずでした。エバを中心としてカインとアベルが一つになったならば、アダムの家庭全体を復帰できる基台を造成していたのです。摂理歴史を通し、堕落したエバの役割を代行し、カイン的人物とアベル的人物を一つにさせるために神様から召された特別な女性たちが、エバと同じ使命を遂行するのを見ることができます。

リベカの模範的事例

聖書に出てくるこのような特別な女性の一人がイサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母である、イサクの家庭のリベカは、アダムの家庭におけるエバと同じ立場にいました。

しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。長子エサウはヤコブに祝福が降りたことを知って、カインがアベルの命を奪ったように、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの母子協助とヤコブの努力によって、結局この二人の兄弟は暴力を行使することなく抱き合って和解しました。

この和解は、神様の摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは象徴的な血統転換を意味するにすぎなかったのです。実質的な血統復帰は、腹中で行われなければなりませんでした。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にあったことを理解すると、彼女の血統であるユダ族の中からイエス様がお生まれになったその理由を理解することができます。

皆様も、聖書でタマルが生んだ双子の息子にまつわる物語を読まれたことと思います。彼女は舅であるユダと関係をもち、双子の息子ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、その二人の息子は母の腹中で長子権をかけて闘ったことが記録されています。

タマルが出産するとき、ゼラの手が母のおなかの中から先に出たのですが、産婆がその手首に赤い糸を結ぶとその手は再び母の腹中へと入り、手首に赤い糸を結んでいないペレズが先に生まれました。このようにしてカインとアベルの位置が、生まれる前の母胎で転換されたのです。イスラエル民族がメシヤを迎える選民としての摂理は、正にこの時から始まったのです。

伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。それにもかかわらず、なぜ神様が彼女たちに祝福を与えられたのかという問題は、今日まで神学界の謎となっています。実は、神様はイエス様の誕生のために、サタンから神様の血統を取り戻す必要がありました。このように探し立てた純潔で真の愛の血統の基盤の上に、イスラエルの国は成長し始めました。イスラエルという言葉は、勝利を意味します。この二人の女性の勝利によって、血統の復帰がなされたのです。

マリヤの生活と危険な路程

それからユダの勝利圏は代を重ねながら発展し、氏族、社会、国家基準へと拡大していきました。正にこの血統を受け継いで、二千年後のイスラエルにマリヤが生まれたのです。マリヤには、しかるべき蕩減条件を立てて長子権を復帰することによって、家庭、氏族、国家基準でカイン型とアベル型を一つに結ばなければならない責任がありました。マリヤは他の人たちの目から見れば、彼女の親と、彼女が婚約した男性ヨセフを裏切ったことになりましたが、神様の命令を受けてイエス様を身ごもりました。

その当時は、結婚していない女性が他の男性の子女を身ごもるようになれば、石で打ち殺されるのがならわしとなっていました。しかし、アダムの立場に立っていたヨセフは勇敢に立ち上がり、婚約者マリヤを捨てることなく保護しました。マリヤの信仰とリベカとタマルの貢献で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対し、所有権を主張できなかったのです。

ですからイエス様は、神様の完全な直系の血統である真の息子の位置でお生まれになりました。イエス様は堕落した血統を善の血統に転換した後に生まれた、神様の最初の真の息子でした。

正にその理由で、神様のひとり子として生まれたイエス様は、すべての聖人の中の聖人であり、神様の真の血統の先祖となるのです。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。マリヤは、堕落したエバを復帰した位置まで進むべき立場で、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていたイエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにしなければなりませんでした。この二人が一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして受け入れるための決定的な鍵だったのです。

洗礼ヨハネは兄の立場でした。多くの人々が彼に付き従い、広く尊敬される位置に立っていました。イエス様が弟子たちに語ったように、洗礼ヨハネの使命は、「来られる主の道をまっすぐにするためにエリヤが先に来る」という旧約聖書の預言を成就することでした。

それでは、神様の摂理を中心として見たときに、いったい洗礼ヨハネは使命を果たしたのでしょうか。ルカによる福音書を見ると、洗礼ヨハネはエリヤの権勢と使命をもって来たとあります。しかし、洗礼ヨハネは自らエリヤであることを否定し、ヨルダン河でイエス様に洗礼を施すときに、天からはっきりとした啓示を受けたにもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑ったのです。また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬される人物である一方、イエス様は貧しい大工の家に生まれた私生児として映ったのです。したがって、洗礼ヨハネの協力なしには当時のユダヤ人たちがイエス様を信じてついていくことは不可能なことでした。しかし、イエス様はたつた一人で、御自身がメシヤであることを宣布していかなければならない困難な道を歩まれたのです。

洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者となることができるように助けるべきでした。もし、その当時、洗礼ヨハネがその使命を果たしていたならば、アベルの立場にあるユダヤ教とカインの立場にあるイスラエルの国がイエス様を中心として一つとなっていたでしょう。

果たされなかった夢

このように、カイン的存在とアベル的存在が一つとなっていたなら、そのときに「小羊の婚宴」のための基台が造成されたのです。イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となるはずでした。イエス様の福音は、七年以内、すなわち彼が四十歳になる前に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも取り戻すことができたのです。究極的にイエス様は、新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国を完成することができたはずでした。

しかし、このような栄光の夢は実現しませんでした。宗教人であると自負する人たちがイエス様のみ言を拒み、イエス様を十字架上へと追い込んだのです。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のために霊的救いの道だけでも開くために、命を差し出すことを決心したのです。しかし、イエス様は、霊的救いに加えて肉的救いを行うために再び来なければならないことを御存じでした。

ですから、人間の心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。使徒パウロも、肉身の欲望と心の欲望との葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な伝道者たちも、このような矛盾ゆえに苦しんできました。ですから、成約時代が開かれて直面している主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを受けるかということです。

イエス様が十字架に架かって亡くなられることにより、イエス様と共に処刑された両側の強盗に象徴される左翼と右翼の闘争が始まりました。これは、アダムの堕落によってカインとアベルが分かれたのと同じです。同様に、キリスト教とイスラームが出現し、争いを始めました。このような分立闘争はイエス様が十字架に架かって亡くなられることによって引き起こされたので、神様は再臨のときに、これらカイン側とアベル側を一つにするために役事されるのです。

統一の不可避性

神様は再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で一体化した基台が必要でした。この基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教圏を代表したイギリス、アメリカ、フランスの連合国はアベル圏です。国粋的軍国主義の影響下の枢軸国だったドイツ、日本、イタリアはカイン圏です。この戦争は、カインとアベルの闘いが世界的次元へと拡大したものです。

連合国が勝利した直後、キリスト教を中心として世界平和を具現するための大々的な努力がありました。イギリスは世界的なエバの位置に、そしてフランスとアメリカはそれぞれカインとアベルの位置に立って、共に再臨主を迎える準備を完了した状態にありました。

しかし、このような準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方はあまりにもひどい迫害とほぼ全世界的と言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨をイスラエルの民が待ち望んでいたように、キリスト教信徒たちは、イエス様御自身が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。

ヨハネの黙示録を見ると、イエス様の再臨について語られたみ言の中に、イエス様が新しい名をもって来るという内容があります。これは正にエリヤの再臨がそうだったように、イエス様も再臨の時には他の人の姿で来られることを予示したものです。

第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒に新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、韓国のキリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。イエス様の当時、ユダヤ人たちがイエス様の権限を不信したように、韓国のキリスト教の指導者たちも再臨主が人の姿で地上に生まれるという事実を信じることができなかったのです。

もしもその当時に、キリスト教が私の夫と一つになっていたなら、地上世界はもちろん、天上世界までも天国を成したはずです。新約時代が終わる一九四五年から一九五二年までの七年間に、神様の摂理に従って全世界が一つに統一されていたはずです。

茨の道を歩まれた文鮮明牧師

彼ら宗教指導者は、私の夫と一つになることはおろか、夫に付き従う人たちが増えることを嫉みました。私の夫の話を聞くこともせず、盲目的に反対しました。甚だしくはうそまでつきました。彼らは人格を抹殺しようとして、私の夫の教えとは正反対の淫乱の教祖と強欲の中傷を広めたのです。

神様は、キリスト教を育て発展させて、再臨主のための道を整えさせるために、アメリカのような強力なキリスト教国家を立てられました。彼らが悟ろうが悟るまいが、その当時、韓国のキリスト教の牧師たちは全世界のキリスト教を代表する位置に立っていました。第二次世界大戦後、アメリカと世界のキリスト教が私の夫と一つになれなかったので、彼らはそのときから下り坂に差しかかり始め、彼らの道徳的権威も失墜し始めたのです。

第二次世界大戦後、アメリカとキリスト教は、カインとアベルが一つになった勝利的な基台の上に立っていました。再臨主を迎える時が熟していました。しかし、その良い機会は実現せず、全世界が私の夫の活動に反対するようになり、夫は荒野へと追い出されました。どん底まで落とされ、そのときから再び上がってきたのです。

そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアベル圏とに分かれました。イエス様の左側にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側の世界です。右の強盗のように神様の存在を認めるキリスト教民主主義はアベル側の世界です。

再び来られる主は、神様のみ旨に従って、このように敵対関係にある二つの世界を一つにしなければならないのです。ですから、私たちは教会組織を動員し、自由世界を代表する右翼と、共産世界に代表される左翼との対決を終息させるために最善を尽くしました。また、私たちはユダヤ教とキリスト教に代わる位置でムスリムとの和解を促進する役割をしてきました。

過去四十年の冷戦の期間中、夫は、失った四千年のメシヤを迎えるための基台を再造成しようと個人的、家庭的、氏族的、国家的、世界的な障壁を崩すために闘争しました。夫は、四百年や四千年も生きることができないので、この短い四十年の間に全人類の歴史を蕩減しなければならないことを知っていました。

この四十年間で、私の夫はアダムからイエス様の誕生までの四千年の歴史と、これまでの六千年の聖書歴史を蕩減復帰したのです。このような蕩減を払ったのちに、ついに、カイン側の国家とアべル側の国家との冷戦が終わったのです。この課業は、世界の百六十ヵ国が韓国を訪れソウルオリンピックが開かれた一九八八年に、統一教会によって完了しました。

過去数十年間、私の夫は言いようのない無理解の中で生きてきました。北朝鮮の共産主義治下で強制労働収容所に連れていかれ、三年間も牢獄生活をするなど、神様の仕事をする中で、これまで六度も無実の罪で牢獄暮らしをしたのです。その上言論は、夫が私利私欲のために若者たちを洗脳する悪魔のような者であるといって罵倒しました。

皆様の中で、文鮮明牧師こそ全世界的に最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える方はいらっしゃいますか。私の夫がいかなる苦痛を受けてきたのかを思うと私の胸は張り裂けるように痛みます。しかし、夫はいつも、「神様の摂理を遂行する中で迫害に遭う者に対して、神様は深く理解しておられる」と言い、かえって私を慰労してくれました。夫と私は、旧約時代と新約時代を含む歴史上のすべての失敗を復帰するために、明確な目的をもって蕩減の道を歩んできました。

韓国は旧約時代に例えることができます。一方、アメリカはキリスト教文化が最高に開花した国として、新約時代に例えることができます。最初の二十年間、私の夫は韓国において、イスラエル国家の立場である韓国とユダヤ教の立場である統一教会を中心として、旧約時代の蕩減路程を歩みました。この基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な基盤の上で、家庭的な次元の真の父母の聖婚式を挙行しました。

その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。過去二十年間私たちは、アメリカで新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。その結果、私たちは神様を中心とした真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の家庭を探し立てることができたのです。

統一教会が貢献したこと

神様が私の夫に啓示してくださった原理が、『原理講論』という本として出版されています。摂理史的観点から、人類歴史と聖書の内容を考察するとき、『原理講論』は、数千年間人類が解き得なかった疑問を解いてくれます。特に、『原理講論』の内容を真剣に研究した人たちは、この本こそが、神様が下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面している問題を解決できる唯一の解決策が載っていると強調しています。

また、ほんの少し前まで共産主義を信奉していた国々においても、数多くの旧ソ連時代の政府指導者たちと数千人の若い青年たちが、「神主義」または「頭翼思想」として知られている私たちの教えを研究し、新しい人生を見いだしています。ついに共産主義思想の抑圧から解放された彼らは、自分たちの国家を導くことのできる霊的な真理を渇望しているのです。それ以外にも、若者たちに希望を与え、新しい生命を植えつけてくれる『原理講論』の威力に対する証は、数え切れないほどたくさんあります。

昨年私たちは、韓国で三万組の合同結婚式を挙行したのですが、彼らは、命を懸けて互いのために、そして世界と神様のために生きようと立ち上がった人たちです。今日、多くの家庭では、親でさえ子を正しく導くことができない状態になっています。特に、愛や結婚などのような個人的な問題については言うまでもありません。しかし、夫と私は世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な儀式を経て、彼らの最も大切な愛の夢を成し遂げてあげたのです。

この出来事こそは、正に現代における偉大な奇跡です。将来人々がこのように貴い家庭の価値を理解するようになる時には、数百万人の人々が、このような祝福結婚を望むようになるでしょう。神様はそのような家庭を通して、サタンが破壊してしまった家庭を復帰されるのです。このように、神様を中心として復帰された家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。

真の父母を迎える世界的基台

親愛なる皆様。イエス様がメシヤの降臨について語られた内容を見ると、新郎が来るのを待つ新婦の例え話があります。これは復帰されたアダムとエバとして、本来の男性と女性の位置が立てられ、真の男性と女性の平等圏まで行くことを意味します。最初にキリスト教が新郎を迎えることに失敗したので、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。このような復帰歴史上の転換点で、真の母の位置にいる女性が真の父を迎える世界を準備しなければなりません。

そうして、一九九二年の四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。昨年一年間、私は真の母の心情でロシアと中国はもちろん、韓国、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、イタリアを訪問しました。各国で女性たちを集めて糾合し、「世界平和女性連合」の支部を創設しました。このようなことを中心として、第二次世界大戦と冷戦以来、カインとアベルの関係に分かれていた国々が、真の母を迎えて真の父に侍る基台を造成するために再び一つになったのです。このような基台の上に、夫と私は初の真の父母として世界的な水準に上ることができました。私たち夫婦は、真の父母として成約時代を先導しています。

このような歴史的な転換点に立った私たちは、神様を中心として個人の心と体が統一されなければならないという原理を、世界的な次元で実践しなければならないのです。このような目的を達成するため、私たちは世界平和を具現する二つの組織を創設しました。

「世界平和宗教連合」は心の世界を代表し、神様の愛を基盤として世界の宗教を一つに結ぶ内的使命を帯びている組織です。一方、「世界平和連合」は体の世界を代表し、世界的な政治界、経済界、言論界、学会、科学、芸術分野の指導者たちと共に理想世界を建設する外的な使命を帯びています。

真の父母様の家庭的基台の完成宣布

縦的な観点から愛を見るとアダムとエバは、自ら子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛の四大愛を啓発し、体恤することによって、神様と直接、関係を結んで生きるようになっていました。したがって、アダムとエバは、本来神様の真の愛を中心として、四大心情圏である完成した子女、完成した兄弟姉妹、愛する夫婦、そして完成した父母の心情圏を経なければならなかったのです。そうして、彼らは完成した家庭を築かなければなりませんでした。

アダムとエバは、家族たちの模範となる生活をしなければなりませんでした。子女たちは、親である彼らを理想的な標本として侍って生きなければならなかったのです。子女たちは、親が自分たちを愛するように、互いに愛し合う兄弟姉妹となっていたでしょう。結婚した夫婦としても、その親の愛を手本として、理想的な夫婦間の愛を学んだはずでした。最後には彼らも子女を生むようになり、彼らの親が見せてくれた先例に従って、もつ一つの完全な家庭を完成していたはずです。父母と子女、兄弟と兄弟、そして夫と妻が、縦的、横的両面で一つになった、理想的で破綻のない家庭を完成することによって、私たちは、地上はもちろん、天上までも天国を建設できる基台を造成するようになるのです。そうして、神様を中心とした一組の先祖から生まれた世界のすべての家庭は、アダムとエバと同じ神聖な価値をもつようになるのです。

完成した各家庭では、祖父母は神様と善の先祖を代表し、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表し、王と女王の位置に立つようになります。そして子女は未来の子孫たちを代表する位置で、王子と王女の位置に立つようになるのです。この三代が一つになるとき、過去、現在、未来が共に仲睦まじく暮らすようになるのです。

紳士淑女の皆様。私はきょう、人類初の真の家庭の完成を皆様に宣布することができ、大変光栄に存じます。夫と私は十三人の子女と二十人の孫と共に、神様と人類のために絶対的な信念をもって献身しています。三代が一つの家庭で共に暮らしながら、私たちは家庭的な次元で、聖書に言及されている生命の木の中心の根(祖父母)、中心の幹(父母)、そして中心の芽(子女)を確立しました。皆様も、理想国家と理想世界を創建するための私たちの努力に協力し、それによって、このような善の血統に象徴的に接ぎ木されることを心から願います。また、それは正に成約時代の出発を意味するのです。

氏族的メシヤによる家庭理想の実現

紳士淑女の皆様。成約時代が開かれる今の時代は、世界救援摂理を完遂するメシヤ的使命を各家庭が果たさなければならない時です。皆様の家族を復帰した後に、皆様の氏族と国家と世界を救わなければなりません。私たちはこのような使命をもった人を氏族的メシヤと言います。

成約時代においては、母の役割が重要です。母は子女と夫を一つに結び、家族を真の父母と連結しなければなりません。既に私たちは数多くの氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界で実現されるでしょう。世界が成約時代へと突入すれば、私たちは再び神様に侍って生きるようになるでしょう。これを悟った私たちは、心と体、父母と子女、そして夫と妻が一つにならなければなりません。そうして、神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。

そのような家庭が立てられれば、今日、腐敗し病んだ社会の兆候がきれいになくなるのです。神様の子女としての確信をもつことで、これ以上アルコールや麻薬中毒などの誘惑に陥ることはないでしょう。そして、夫婦間の愛の神聖さを知るようになるので、私たちはいかなるたぐいの不信仰や乱れた性生活にも対処する強い道徳観を確立するようになるでしょう。

最後に、私たちは一つになって、戦争、人種差別、世界的飢餓のような問題を根絶するために活動していきます。このような基台の上に、私たちは真の幸福の世界、真の自由の世界、真の平和の世界を具現できるようになるでしょう。そのような世界では、窮乏する人を心から同情し、世界各国は世界の平和と正義を維持するために自然と互いに協力するようになるのです。

今日私たちがボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で見る悲劇的状況が起これば、効果的に物質的支援をし、事態を平和的に解決できるよう、関係諸国に迅速に統一された決定を下すことを断固として促します。そうして、これが人類に対する神様のビジョンであることを理解し、苦痛と葛藤で苦しむ世界の各地に平和と和解が実現するよう、すべての国が神様に侍り一つの共同体として団結しなければなりません。

敬愛する来賓と紳士淑女の皆様。きょうこの場にお集まりになった皆様は、たとえ宗教が異なり、国籍が違ったとしても、深い心情で心の扉を大きく開き、私がお伝えしたメッセージを御理解してくださることを願ってやみません。神様のみ旨に従い、私たちが神様の祝福圏にまで進むことができるよう切に祈ります。皆様と皆様の御家庭と国家に、神様の祝福が共にあることを願います。どうもありがとうございました。

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第六篇 9 二十一世紀と女性の使命

第六篇 9

二十一世紀と女性の使命

日付:一九九四年十月十二日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:女性指導者セミナー(真のお母様)

中国からお越しいただいた女性指導者の皆様と国内各界の女性指導者の皆様、そして「世界平和女性連合」の幹部の皆様。きょう、韓国と中国の二国の女性指導者が一堂に会し、平和世界を模索し、また世界女性時代の到来を確認するこの場において、私が激励の言葉をお伝えできますことを光栄に思います。

二十一世紀を数年後に控えた私たちは、激動の二十世紀とともに、また別の新世紀を自らの生涯の中で経験できる特別な立場にある人たちです。これは単に二つの世紀にわたって生きるという意味だけではありません。人類歴史を貫く摂理は二千年を単位として進行するので、二十世紀を締めくくり、二十一世紀を準備することの意義は、実に大きなものなのです。

歴史とは移り変わるものではありますが、今世紀はその変化の幅があまりにも大きく、予測ができないがゆえに、現代の人々は恐れさえも抱くようになるのです。科学技術が高度に発達した未来社会は、果たして人類に幸福ばかりをもたらしてくれるのでしょうか。何年かのちに近づく二十一世紀の人類は、高次元の情報化社会において、いかなる生活様式で暮らすようになるのでしょうか。未来を暗くする人類が直面している数々の問題は、いかに解決されるのでしょうか。倫理と道徳と新しい価値観の確立の問題、犯罪と麻薬、エイズ問題、青少年問題、戦争と飢餓、宗教紛争などは、どのように解決するのでしょうか。このような問題に対する根本的な解決がない限り、二十一世紀にかける人類の夢は決してかなうことはないでしょう。今や、各国の個別的な問題としてではなく、人類の全体的な問題として解かなければなりません。天から啓示された新しい真理によって、問題が解決され、将来が明確に予見されなければならない時なのです。

二十一世紀を目前に控えた女性たちは、これまで女性の真の価値を知らない男性たちから、きちんとした待遇を受けられませんでした。十九世紀の西欧における女性の参政権獲得運動から始まった近世以降の女性運動は、女性解放の旗印のもとに発展してきました。フェミニズム、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした女権回復の運動でした。このように女性運動の主流は、女性だけのために男性と対決する形態が大半でした。しかし、私が「世界平和女性連合」を通して展開する運動は、これとは異なるものです。神様の創造理想を中心とした新しい理念基盤の上で推進される、女性だけのためではなく、全体のための女性運動なのです。

男性優越論者は、男性と女性がその生まれながらにしてもつ気質と役割ゆえに、自然と男性が優越した位置に定まったと主張します。言い換えれば、男性と女性は、その気質が生まれたときから異なり、それに従って男性と女性の役割が異なるようになり、それによって男性と女性の身分と位置が上下の地位、すなわち男性優位に定まったという理論です。これまでフェミニストたちは、この理論に過敏な反応で立ち向かってきたと思います。女性は、あらゆる面で男性のまねをし、また男性のような役割を受け持つことによって、男性と対等な地位を確保しようと努力してきました。

それにもかかわらず、完全な男女平等は成し遂げられませんでした。これは問題の本質を知らなかったからです。女性の役割が男性と異なり、その生まれながらにしてもつ気質が男性と区別されたからといって、女性の価値が男性よりも劣り、その地位が低いわけではありません。女性の不幸は、女性が神様からもらい受けた本性と役割がいかに貴いものかを知らないところに由来しているのです。多くの女性たちが、自分のもっているものを忘れたまま、別な一方の男性の気質と役割を女性の標本であるかのように、まねしようというところから問題が引き起こされてきたというのです。

敬愛する女性指導者の皆様。女性は、無形の神様の性相と形状、そして陽と陰の二性のうちの一性を代表する個性真理体です。ですから、女性は、もう片方の神様の一性を代表する男性と競争関係にあるのではありません。また男性の単なる補助者ではなく、男性を全きものにしてあげるべき独立したパートナーなのです。神様は、男性と女性の人間を造られるとき、それぞれを互いの理想的対象体として立て、真の愛によって一つになるようにしました。

真の愛の理想を中心として見ると、女性は男性の完全な愛の対象であり、価値から見て、男性と女性は絶対平等の存在なのです。ここにおいて、男性と女性の気質が異なることは問題になり得ず、かえってそれが愛の刺激を誘発する要因となるのです。本来、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いに同じ地位となる同位権をもつようになります。また真の愛によって一つになった男性と女性は、いつどこでも共にする同参権をもちます。さらには、真の愛によって一つになった男性と女性は、互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るのです。このように、神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものをもつことによって価値的に完全に平等な存在となるように創造されたのです。

したがって男性と女性は、相手の気質と役割をまねたり、それを羨んで取得したりする必要のある対立関係ではありません。真の愛によって、自分のものを相手に与えることによって、相手側をさらに完成させてあげながら一つになることによって、互いを共有する関係なのです。

女性指導者の皆様。女性は、神様が女性だけにお許しになった貴い本性と愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱き、育てる自己犠牲を通して、一族と人類の代を継いでいきます。外的な母親の労苦も重要ですが、胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。

今後人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で暮らさざるを得ません。未来の世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会全体が切実に求めるようになるでしょう。つまり、人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的な次元の母親の役割であると言えます。母性の役割がないとするならば、人類の希望と明るい将来はどこに宿るというのでしょうか。未来の主役である善男善女たちはどこから生まれ、誰から基礎教育を受けるのでしょうか。

敬愛する女性代表の皆様。歴史は長い間、男性主導のもとに続いてきました。ほとんどの男性たちは力によって人類を誤った方向に導いたのであり、葛藤と分裂、そして不条理な社会をつくってきました。そのように、歴史の遺産として山積し、清算すべき問題として直面している課題もまた多いのです。人類が二十一世紀を希望の中で迎えるためには、今や女性の役割が絶対的に必要とされるようになったのです。真の父母を中心として天運と共に到来した女性時代を迎え、世界の女性たちは、施しを実践する真の愛運動を生活化し、新しい家庭と新しい社会をつくっていかなければなりません。一つの世界家族として共に暮らすべき二十一世紀に向かう、そのような国際化と世界化の趨勢の前に大きな障害要因となるのは、極端な個人主義と利己主義です。しかし、その道へと突き進む人の心は、真の愛によってのみ克服することができるのです。

真の母と一つになった女性が、愛の感化力によって天道にかなった子女を養育し、母子協助によって夫を全きものにしてあげ、理想家庭を築かなければなりません。これは正に真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を受け継ぐ運動なのです。このように立てられた理想家庭を通して理想的な社会、理想的な国家、理想的な世界を創建していかなければなりません。女性指導者の皆様は、この運動の主役となってくださることを願います。

この目標を達成するために、自覚した各国の女性たちの協力と国際的な活動が求められています。各国の指導者たちは世界の共同利益を国益よりも優先しなければならない地球環境の条件と国際関係を切実に感じて実践する時が来るでしょう。

今回の韓中女性指導者たちの集まりと交流が、理想世界を成し遂げるための国際的な女性活動の模範となることを期待します。国境と人種と宗教理念の壁を跳び越え、一つの世界を指向する歴史の進行の前に、両国の女性指導者たちの協力が、アジアの平和はもちろん、世界の平和を成就する転機となることを祈りながら、激励の言葉を終わりにします。

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第六篇 10 世界平和と女性の役割 Ⅲ

第六篇 10

世界平和と女性の役割 Ⅲ

日付:二〇〇二年四月十日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和女性連合」創立10周年記念式(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓、各界の女性指導者、そして会員の皆様。きょう私は、「世界平和女性連合」の創立から、これまでの十年間、愛で導いてくださった神様に深い感謝を捧げながら、あふれんばかりの感慨をもってこの場に立ちました。「世界平和女性連合」は、「女性時代の到来」を宣布するとともに、女性平和運動の中枢機関として、私の夫であり、共同創始者である文鮮明総裁によって創立されました。

本連合は決して、この世の一つのありふれた女性団体として出発したのではありません。それは第一に、真の父母理想を中心とした神様の創造理想世界実現のための摂理史的意義をもって創設されたからです。第二に、女権拡張、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした外向的で闘争的なフェミニズム運動ではないからです。文総裁の教えによると女性というのは、男性と対決、闘争する存在ではなく、無形の神様の性相と形状、陽性と陰性の二性のうちの一性を代表した個性真理体なのです。

ですから、女性は男性の単なる補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてあげる独立した人格者です。真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対平等な存在なのです。本然の真の愛で一つになった男性と女性は、互いに同じ地位になる同位権をもつようになります。また、いつどこでも共にいる同参権をもちます。

さらには互いのものを第二の自分のものとして共有する相続権を得るようになります。このように神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを共有することによって、価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、相手の特性や気質、役割をまねたり、それを羨(うらや)んで奪ったりする必要がある対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって互いに共有する関係なのです。

女性は、神様が女性だけにお与えになった貴い本性と女性特有の愛情をもち、子女を身ごもり養育しながら家庭を指導するという、重要な役割をもっています。女性は、愛の結実を抱いて育てる自己犠牲を通して、一族の血統を継いでいきます。胎教から子女の心性を正しく育て、人格を涵養する母性の役割というものは崇高なものです。人類は、だんだんと世界化と多元化が進む社会の中で、互いに共に暮らさざるを得ません。未来の文化世界において、女性の崇高な役割は、家庭単位ではもちろんのこと、社会、国家、世界で絶対的なものとして公認されるでしょう。

人類の未来全体を宿し、生んで養育することが、歴史的次元の崇高な母の役割だからです。母性の役割が無視されるならば、人類の希望と将来はどこに宿るというのでしょうか。このような意味で、本連合の世界平和運動は、固有の領域と共に、摂理的意義をもっていることに対して、会員の皆様は誇りをもたなければなりません。そして真の父母様の直接的な指導のもとで、誇らしい活動をしてきたことに感謝しなければなりません。

私は過去十年間、国連本部、そしてアメリカ、日本など多くの国の国会議事堂での講演、数々の国際大会での基調演説など、世界的に数百回の講演をしてきました。少なくは数百人、多くは十万人を超える人々を前に、教育を兼ねた講演をしました。北米大陸、ヨーロッパ、ロシア、中国、アジア、オセアニア、アフリカの奥地に至るまで、五大洋六大州を何度も巡回しながら「女性時代の到来」を宣布し、世界平和と女性の役割について教育してきています。

それとともに、倫理と道徳と新しい価値観の確立問題、青少年の腐敗と家庭破壊、未婚の母の問題、エイズ、麻薬犯罪の問題など、深刻な危機に処した現代文明を診断し、警鐘を鳴らしてきました。今や各国で自覚した女性たちによる救国救世の運動が起きながら、希望的な基盤が造成されつつあります。世界百八十ヵ国以上の会員の皆様の積極的な参加によって、驚くべき実績が成し遂げられたことに対して、この場をお借りして、もう一度、感謝と称賛を捧げます。

皆様。今後十年間、女性平和運動の方向とその中心となる内容は何でしょうか。文総裁は、二〇一二年を神様と人類が願う平和理想世界の結実期として定め、率先して行動しておられます。私たち女性連合にとっても、今後十年間はとても重要な期間です。平和世界は、世界や国において、先に成し遂げられるのではありません。すべての組織の基盤となる家庭において、先に平和が成し遂げられなければなりません。

世界平和の最も核心的な内容は、家庭の平和をいかに成し遂げるかということにかかっています。真の父母と真の夫婦、そして真の子女が神様に侍って平和の家庭を築き、ひいてはこのような家庭が氏族、国家、世界へと拡散するとき、真の世界平和が実現されるのです。家庭の平和のための母親の使命、また妻の役割は絶対的です。

今日のように不倫や退廃が蔓延し、青少年たちの放縦や離婚などによって家庭が崩壊する状況の中で、私たち女性連合が世界的に展開する真の家庭祝福運動と青少年純潔教育は、根本的な平和運動なのです。神様の真の愛による唯一の救国救世の平和運動です。

宇宙の公法と原理に立脚して、家庭を全きものとし、社会を再建しながら、国を正しく立てる仕事に特別な使命感をもって進んでいかなければならないと思います。女性の政治参加、女性の経済参加、教育および文化分野への女性の参加、女性に関する法律制度改善など社会分野への参加、それ以外にも多様なNGO(非政府機構)活動が必要です。

しかし、何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育に伴う真の家庭運動であることをもう一度強調します。女性たちはまた統一運動の旗手にならなければなりません。本連合の事業にも、南北統一のための様々な活動を明示しておきました。女性は南北統一のために、正しい理念教育と真の愛の実践によって手本を示すことで、先導的役割を果たさなければなりません。戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。私たち女性連合が今まで心血を注いで展開してきた「隣人と社会のための奉仕と分かち合いの活動」は、平和運動の貴い礎石となるでしょう。

今年、北朝鮮の同胞、特に子供や女性たちを支援するための「北朝鮮愛一パーセント運動」を展開したことも、本連合の創立精神を高めるものであると思います。各国において国際的に展開するこの真の愛の実践と分かち合い運動は、超国家的、超宗教的、超人種的に葛藤の溝を越え、平和を堅固なものにしつつあります。

これまで文総裁の指示により、日韓の女性三十二万人が姉妹結縁を行うなど、世界各地で、国際間に平和の掛け橋を渡すために、多くの努力をしてきました。この運動は、国際会議や平和運動の実践の一つの儀式として定着しました。

愛する会員の皆様。二十一世紀は、女性が男性と共に堂々と一つの軸を形成し、世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀ではなく、愛と文化の世紀を創建していく中心において、女性の役割はますます重要になりました。世界平和実現の根幹である真の家庭回復運動を主導的に引っ張っていく会員の皆様となられることを期待します。自覚ある女性は、家庭を守る愛と平和と奉仕の中心です。世界平和も、その出発の起源は、愛と道徳の学校である、健全な家庭の中の母親にあると言えるでしょう。

たとえ世界が満身創痍(そうい)で汚れてしまったとしても、神様の真の愛のビジョンのもとに一体になった女性連合の実践運動によって、必ず浄化できるという確信をもって邁進してくださることを皆様にお願いいたします。神様と霊界の大いなる加護と導きが臨むでしょう。きょうは御多忙中にもかかわらず、この場に参加してくださった内外の貴賓と会員同志の皆様に深い謝意を表しながら、私のお話を終えたいと思います。

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第六篇 11 天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会記念の辞

第六篇 11

天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会記念の辞

日付:二〇一二年三月四日

場所:韓国、大田、コンベンション・センター

愛する「世界平和女性連合」の会員の皆様、満場の女性平和指導者の皆様。きょう「世界平和女性連合」創立二十周年を記念して開催される「天地人真の父母勝利解放完成時代開門継承成就大会」に、このように大盛況を博してくださり、まずは神様と文鮮明総裁に深甚なる感謝を申し上げます。それとともに、皆様にも感謝の気持ちをお伝えする次第です。

「世界平和女性連合」は、一九九二年四月に、ソウル蚕室のオリンピック・メーンスタジアムにおいて、世界七十ヵ国以上の女性代表と十五万人以上の韓国の女性指導者たちが雲霞のように集まる中で、「世界女性時代の到来」を宣布し、女性平和運動の中枢機関として、天意に従い文鮮明総裁と私が創立しました。

本連合は決して、この世のありふれた一つの女性団体として出発したものではありません。それは女権拡張、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とする外向的、政治的、あるいは闘争的、世俗的な女権回復の運動ではなく、神様の創造理想世界の実現という摂理史的意義をもっているのです。

このような創立の摂理史的意義をもって出発した「世界平和女性連合」は、去る二十年の間、地球村の津々浦々で、真の母性愛に基づいた真の愛の家庭確立運動と女性の地位向上のための多様な支援および教育プログラムを運営しながら、目覚しい発展と成長を遂げました。

私は、女性連合の創設初期より、世界の各大陸や国々での巡回講演を通して、女性連合の世界的な組織と活動基盤を築いてきており、早くから世界百六十ヵ国に派遣した千六百人の日本の女性連合のボランティア会員をはじめとして全世界の会員たちを総動員しました。

文総裁が女性連合創設時のメッセージにおいて、その核心として下さったみ言、すなわち「歴史的な女性代表として勝利した世界的女性代表である真の母に侍り、真なる母、真の妻の理想像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず、世界平和具現のために、政治、経済、文化、社会の各分野において、ために生きる真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません」というみ言に従い、私たちは、世界の津々浦々で人種と宗教、言語と国境の障壁を越え、女性固有の母性愛をもって、多様な奉仕活動と教育プログラムおよび国際的な葛藤解消と和解運動を展開してきたのです。

また一九九三年九月に、ニューヨークの国連本部で開かれた私の特別講演をきっかけに、「世界平和女性連合」は三年にわたる努力の末に、国連経済社会理事会NGO(非政府機構)の最高の地位である「第一領域NGO諮問機関」の地位を獲得しました。

それ以降四年ごとに活動実績の厳正な評価によって、その地位を連続して再承認を受けるという快挙を達成してきたことをうれしく思います。三千四百以上の国連傘下のNGOのうち、このような最高のNGOは、たった百四十団体しかないのですから、より一層その価値を認められていると考えられます。

特に、新千年紀を迎えながら国連で制定した「新千年開発目標」を実現するために、全世界的に展開した多様な現場プログラムが、今や各国家や地域社会に根を下ろして結実を収め、該当国家の政府からも認定と支援を受けるようになり、大きなやりがいを感じております。

一九九七年から私の指導のもとに、毎年一年も欠かさずに開催されている「中東女性指導者平和会議」は、中東二十ヵ国以上の女性指導者たちの大きな関心と参与の中、徐々に具体的な現場活動へと拡大発展しながら、中東の女性指導者たちが宗教の葛藤を超えて、人権と平和のための活動の求心点になりつつあることは、実に大きな成果と言えます。

そして二〇〇〇年から毎年各大陸を巡回しながら開催されている「世界女性指導者ワークショップ」は、地球村の津々浦々での現場活動の経験と知恵を分かち合い、未来のビジョンを共有しながら協力する美しい集会として定着しました。

そこからさらに一段階発展し、世界本部である韓国をはじめとして、日本、アメリカ、国連事務局、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、カナダ、中南米、アフリカ、北東アジアなど、世界の大陸別や国別に、現場の要求に応じた多様なプロジェクトを開発、運営しているのを見ると、とても誇らしく、また有り難く思います。

そのほかにも、私たちは、地球村各地の自然災害と飢餓問題の解決のために、積極的に支援活動を展開しています。特に北朝鮮の子供や女性を援助する事業において、「私たちがもつもののうち、小さなものから分かち合おう」というスローガンのもと「地球家族愛一パーセント運動」を展開し、多くの実績を収めています。そして地域社会に女性連合の領域を拡大し、連帯のための地域特性化事業など、効果的な様々な事業を通して、女性の力が社会を変え、平和世界の建設に驚くべき成果を上げていることを実感しています。

何よりも女性指導者たちに霊性を回復させ、人生の正しい方向を提示する「指導者招請平和原理セミナー」は、既に三十回にわたって開催され、多くの指導者たちに深い感動を与え、人生の新しい転換期を迎えさせています。

このように創立以来、今日、国連のNGOの最高の地位である「第一領域諮問機関」の地位に至るまでに、初心を忘れず、変わらない心で、黙々と女性平和の道を開拓してこられた会員の皆様、そして激励と参加を惜しまなかった女性指導者の皆様に、限りない感謝と愛の拍手を送りましょう。

愛する「世界平和女性連合」の会員の皆様。そして女性平和指導者の皆様。今日人類の行くべき道は、どこにあるのでしょうか。今も世界の至る所で、戦争と疾病、飢餓、また自然災害によって、毎年数千万人の罪なき人命が犠牲になっています。宗教、政治、教育、文化、思想など、どの分野を見渡しても、個人はもちろん、集団に至るまで、極度の利己主義と我執の沼に陥り、徹底して門を閉め、鍵をかけています。疎通のない、不通の世界に転落してしまったのです。

結局、人類の諸般の問題は、真の父母である私たち夫婦が天より授かり、生涯をかけて主唱し教育してきた「神様のもとの人類一家族」思想、すなわち、真の愛の教えによって解決するしかないのです。この思想だけが、人類に平和と幸福の道を探し出してくれる唯一の道だからです。

皆様。今日、私たちが生きているこの時代は、歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない歴史的な天宙的大革命期です。これ以上、延期したり延長したりする時間はありません。

天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日が正にその日なのです。今や一年も残っていません。ですから、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸していらっしゃる真の父母様の導きに従い、残された一年間を全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時間が、今日の私たちの前に近づいてきたのです。

皆様。億劫の時間と精誠を注ぎ、御自身の子女として創造した人間が、堕落によってサタンの血統を受け、暗闇の中に隠れてしまったその瞬間から、神様の受けられたその苦痛がどれほど大きなものか御存じでしょうか。骨がきしみ、身が震える凄絶な苦痛の中で数千、数万年を耐え、待ち続けてこられた皆様の父が、どれほど長く険難な蕩減のトンネルを経てこられたか、考えてみましたか。このようなかわいそうな父のために、一瞬でも涙を流してみたことがあるのかというのです。

皆様。神様は、数千年間、静かに韓民族を育て、準備させてきました。二千年前、御自身のひとり子イエス・キリストをこの地に送られ、彼を通して人類を救援しようとされた歴史を皆様もよく御存じでしょう。

しかし、結果はあまりにも悲惨に終わってしまいました。イエス様をメシヤとして受け入れ、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければならなかったユダヤ教の指導者たちとイスラエル民族が、逆に彼を十字架の道に追いやってしまったではないですか。しかし、「成し遂げられた」という霊的救援の一言の言葉を静かに残して忽然と逝かれたイエス様の再臨は、二千年間の悲しみの準備期間を経て、ついに遠く離れたこの韓半島で実を結ぶようになったのです。

韓民族は、昔から神様を先祖の中の最高、最上の先祖としてあがめ敬って生きてきた天孫民族です。ただお一人であられる万人の先祖、その方を「お一人のお方」、すなわち「ハナニム」と呼び、主人(昼と夜の創造主)として侍ってきたのであり、したがって、すべての数の根源も「ハナ(一)、トゥル(ニ)」から始まったのです。このような「ハナニム(神様)」を原初の先祖として侍ってきた民族なので、韓民族の精神と伝統の中には、共生、共栄、共義の魂が宿り、それを入れた霊人体をもって存続してきたのです。

五千年を超える歴史を守ってきながらも、他の国や民族を侵略したり、略奪したりしていない「弘益人間(ホンイクインガン)」(広く人間世界に利益をもたらす人間のこと)の血脈が通っている選民です。さらには韓国の歴史の中には人間の人生の根本徳目になる孝と忠と烈の魂が生き生きと息づいています。

花のような乙女の年頃に自らの体を海に投げ出し、年老いた父の目が見えるようにした孝女・沈清(シムチョン)の真の孝こそ、父母に侍って暮らす韓国人たちの孝の基準です。夫との約束を天のように敬い、命を差し出すところまでいった春香(チュニャン)の哀切な愛と志操はすべての韓国女性たちの人生の見本となっています。自分を捨てた王と指導者たちの前でも白衣従軍で命を懸けて国家と民族を救った李舜臣(イスンシン)将軍の不撓(ふとう)不屈の忠誠こそ、韓民族の誇りであり、気概です。

このような崇高な伝統は、偶然に歴史上に現れた単なる出来事ではありません。天がこの民族を準備し、その伝統の上にメシヤを立てるための基台の摂理だったのです。そうしてこの韓半島の精気を受けて、人類の真の父母、万王の王が、天の印を受けて顕現されるようになったのです。

愛する女性連合の会員の皆様。そして、女性指導者の皆様。今や人類の行く道は明確になりました。天が真の父母様を通して明らかにしてくださった「Dデー」を前にして、何を躊躇することがあるでしょうか。あと一年しか残っていません。皆様の忙しい壮途には、天の祝福が共にあるでしょう。

人類歴史の流れを摂理史的な目で見てみると、時代の変遷は大きく三段階に大別されます。一番目は「物情時代」、すなわち物本主義的物質優先時代です。そして二番目には、「人情時代」、すなわち人間の知識と天の公平な感情を前に立てて世界を支配してきた人間中心主義時代です。

しかし、このような時代は過渡期的な時代です。人間が堕落性を脱ぎ捨てて本然の姿を取り戻し、神様を父として侍り、統一された一つの家族となって暮らす時代に入っていく上で、通過しなければならない過程的な時代なのです。

祝福結婚を通して内外両面で聖別された基台の上に絶対的な基準を立て、ために生きる人生の道を行く最終段階の時代が「天情時代」です。すなわち、お一人の神様の心情に回帰する天一国の時代を開いていく時が、今日の私たちが生きている、正にこの時代だということを重ねて肝に銘じてくださることを願います。

実体的天一国時代が広がれば、この地上に「霊連世協会」が中心軸の位置に立ち、初めて万有を治めるようになるでしょう。霊界と肉界を連結して実体的な統一を完成し、天理と天道によって摂理を経綸するようになるという意味です。

この地で世俗的な次元の選挙をこれ以上見る必要はなくなり、交叉祝福結婚を通して人類は一つの家族となり、太平聖代を享受しながら平和と幸福の真の愛を享受するようになるでしょう。そのような日が、もう私たちの目の前に迫ってきているのです。

今から皆様は、真の父母様の教えを骨に刻みつけて実践する人生を生きなければなりません。選択の余地がありません。天地人真の父母様の勝利解放完成時代の開門の祝福を相続し、継承し、成就することだけが残っているのです。

今から準備しなければ、間違いなく落伍者になるからです。七千メートルを超えるヒマラヤ山脈を往来し、越冬する鶴(アネハヅル)の勇気と気概を私たちも学ばなければなりません。会員の皆様は、宇宙の公法と原理に立脚して、家庭を天道に合うように全きものとし、社会と国を正しく立てる仕事に特別な使命感をもって進んでいかなければならないと思います。

しかし、何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育に伴う、ために生きる真の愛の真の家庭運動であることをもう一度強調します。また女性たちは、統一運動の旗手にならなければなりません。本連合の固有の目的事業にも、南北統一のための様々な活動を明示しておきました。女性は、南北統一および世界平和にも、理念教育と真の愛の実践によって、先導的役割を果たさなければならないのです。

戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。ために生きる人生の道を行く最終段階の「天情時代」に、冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速に地球星に広がっています。

新しい世界的現実から顔を背け、直視できない指導者は、荒波のように押し寄せる変化に洗い流されてしまうでしょう。今、私たちは、新たな機会と価値観を迎えるに当たって、果敢に進んでいかなければならない時であると確信します。

愛する女性連合の会員の皆様、そして女性指導者の皆様。女性は男性の補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにし、より男性らしくしてあげる独立した人格者です。また真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対的に平等な存在なのです。

このように神様の真の愛の理想のもとに、本然の真の愛で一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを自らのものとして共有することによって、真の愛を中心として価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、互いに相手の特性と気質と役割をまねたり、それを羨んで奪ったりする対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって互いに共有する関係です。

そうして二十一世紀は、女性は男性と共に平和世界の創建のため、牽引車の片方の車輪を担当する世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀を越え、愛と平和文化の世紀を創建していく核心軸となる女性の役割は一層重要になりました。

たとえ今日の世界が混乱と混沌を繰り返しているとしても、神様の真の愛のビジョンのもとに一体になった本連合の女性平和運動は、過去二十年間の活動の実績を踏み台として、一段階高い次元へと飛翔しなければなりません。世界的な女性平和運動の拡散のために世界的女性指導者たちとネットワークを強化し、必ずこの世界を、神様の創造理想が実現される美しい平和世界に浄化させることができるという確信をもって、私たちは、邁進しなければなりません。そうするならば、神様の絶対圏と霊界の大いなる加護と祝福が共にあるでしょう。

皆様。私たちは、真の自由と平和と幸福があふれる統一の世界を建設する、真の母の道、真の妻の道、真の娘の道、そして真の女性指導者の道を行きましょう。最後まで傾聴してくださった皆様の御家庭と事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第六篇 12 後天時代の女性の役割と女性連合の使命

第六篇 12

後天時代の女性の役割と女性連合の使命

日付:二〇一二年三月五日

場所:日本、東京、ANAインターコンチネンタル・ホテル東京

行事:「世界平和女性連合」創設二十周年記念大会(真のお母様)

尊敬する内外の貴賓の皆様、そして、「世界平和女性連合」日本会員の皆様。「世界平和女性連合」は今年、創設二十周年を迎え、これまで十九年間の足跡を振り返りながら、女性連合が世界的に発展し、成長できるように背後で役事してくださった神様と天地人真の父母様に栄光をお返しいたします。そして、世界各地で活動しておられる会員の皆様、特に日本の会員の皆様の御尽力に深く感謝の意を表します。

女性連合創設の背景

私はきょう、皆様に「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言を中心として、「後天時代の女性の役割と女性連合の使命」という主題でお話ししようと思います。

私の夫、文鮮明総裁は、一九九二年四月、大韓民国のソウルにおいて、世界七十ヵ国以上の女性代表および韓国の女性十五万人が参席する中で、「世界平和女性連合」創設大会を通して、「世界女性時代の到来」を宣布しました。この日は、全世界の女性史において重大な意味を残す偉大な歩みの始まりでした。なぜなら、この時から歴史を発展させ導いていく力の主体が、男性から女性へと移り変わる世界的転換の契機になったからです。

文総裁は当時、「今まで男性たちが主導してきた戦争と暴力、抑圧と搾取、そして犯罪の世界を終結させ、平和と愛、そして自由に満ちた理想世界を実現する真の働き手が、正にこの時代の女性たち」であることを強調し、女性連合の基本理念である「頭翼思想」と「神主義」で武装し、新しい平和運動を先導する女性指導者になりなさいと激励しました。私は、夫が天のみ旨に従って正義の道を歩む間に、不義の勢力によって迫害を受け、投獄されるつらい痛みを共に体験しながら、良心的で義なる女性たちによる新しい平和運動を起こす決意を固めました。私も基調演説を通して、これから私たちは、真なる母、真なる妻、真なる娘の理想像を確立し、まず夫と子女のために生きる真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならないことをお願いしました。

女性連合は、女性だけのための運動ではなく、理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界をつくる運動であるという点を明らかにしました。創設大会以降には、韓国の主要都市での講演を皮切りに、日本、アメリカ、ヨーロッパでの八大都市をはじめ、モスクワ、オセアニア、アフリカ、アジア、中国に至るまで、女性連合の世界的組織基盤と活性化のために、世界巡回の大長征の途につきました。

「真の父」の勝利的伝統を立てた文鮮明総裁のあとに従っていく立場にあった私は、「真の母」として歴史上初めて対等な位置に立って女性解放を世界的に宣布しました。

また、脱冷戦時代の扉を開くに当たって決定的な役割を果たし、「神主義」を基本とする文総裁の「頭翼思想」を、永遠の平和世界を建設するための大原則として提示しました。人類が真の父母、真の夫婦、真の子女の道を喪失することによってもつれてしまった罪悪歴史を清算する道を教えることが、メシヤ、救世主の使命です。私は行く先々で、夫、文鮮明総裁は一生を通して、このようなメシヤ、真の父母の道を開拓してこられた方であることを満天下に明らかにしてきました。

アダムとエバが「家庭」において堕落したので、復帰も「家庭」で成就しなければなりません。真の父母様の家庭と一体になることによって家庭復帰が可能となり、完成勝利者となります。さらには、氏族、国家を超えて世界統一、そして地上、天上統一を成し遂げ、ついに神様を中心とする「太平聖代」が広がるようになるのです。

新天新地の後天時代と真の父母宣布!

文総裁は、エバの代表として私を立て、堕落の根源だけでなく、それと関連する聖書の比喩と歴史の秘密に関するすべてのことを発表しました。エバが犯したすべてのことを、直接、世界的に発表しなければならないみ旨があったのです。

わずか三ヵ月の短い期間に地球村の至る所を訪ね歩き、世界の百十三ヵ都市で女性大会を行って勝利したという事実は、本当に奇跡のようなことでした。女性連合創設の摂理的意味がどれほど大きく、必然的なものだったのかを思い起こす出来事でした。

このような精誠の限りを尽くした努力により、創立初年度に、既に国内外の組織と活動基盤をもつようになった女性連合の全世界の会員たちは今、「母性愛を土台として、真の愛の家庭をつくり、健全な社会、平和の世界を建設しよう!」という創設精神を具体的に実践するために活動しています。

皆様。昨年、韓国をはじめとして、ヨーロッパの八ヵ国とアメリカ、そしてナイジェリアで開催した「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」は、真の父母様の生涯において、すべての復帰摂理歴史の終結と完成を宣布するための巡回路程でした。

真の父母様が歩んでこられた道は歴史的標本となる伝統なので、皆様は、自らの生涯においてもその道を模範として歩まなければならず、真の父母様が完成されたみ旨を相続し、完結させることを誓い、実践する家庭となることを宣布するのです。

文総裁は、二〇一〇年(天暦)三月十六日、第五十二回聖婚記念日を迎え、罪悪と蕩減の「先天時代」を終了し、真の愛に立ち帰って新天新地を成し遂げていく「後天時代」を宣布しました。今回の巡回路程を通して、後天時代の生活が展開することを、皆様は肝に銘じなければなりません。

真の父母様の生涯路程は、自叙伝を通して皆様に公開され、伝えられています。今回の「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」が完結するまで、皆様はすべて、真の父母の代身者と相続者になられ、真のお父様がこの地上に生きていらっしゃる間に勝利の覇権を立てるために、生涯の必勝を記録した自叙伝や実績、語られるみ言など、すべてのものを相続し、皆様の生涯においても、真の父母のように必ず勝利されることを願う次第です。皆様は、真の父母様がそうだったように、自分の周囲のすべての親族と一族を天の国へと案内する縦的な梯子にならなければなりません。このような真の父母の宣布を受け入れ、肝に銘じ、実践することを誓ってくださるようお願いいたします。

文総裁は、新しい女性時代の到来を宣布するとともに、これまで世界各地で神様の真の愛を中心とする新しい女性運動を展開してきました。「世界平和女性連合」の各国の支部は、真の家庭の倫理確立のための多様な社会教育活動、隣人と社会のための奉仕と分かち合いの実践運動、国連のMDGs(Millennium Development Goals:新千年開発目標)成就をはじめとする国連刷新活動、および国際間の交流と連帯活動、「北朝鮮愛一パーセント運動」と南北和解および統一運動を行ってきました。このほかにも世界各国の支部では、それぞれその国の事情と状況によって多様な活動を展開しています。

一九九四年の一年間、三十八回にわたって日韓女性十六万組の姉妹結縁の行事が行われました。それはまた、第二次世界大戦終戦五十周年となる一九九五年に行われた終戦五十周年記念日米両国女性姉妹結縁の行事へとつながり、二万組の日米の姉妹が誕生し、のちにはアメリカ国内の黒人と白人の女性の間にも拡大されました。怨讐関係である両国の女性たちが、神様の真の愛を中心として互いに抱擁し、和解する場面は、実に美しく感動的でした。

このような伝統は、次元を異にして発展していきました。昨年、「神様の祖国と入籍出帆大会」を通して、百七十二人のアメリカの牧師たちが韓国の姓を付与され、その姓氏の代表と姉妹結縁を結びました。「神の国」に入籍したのです。「神様のもとの人類一家族の理想」が実現しつつあるのです。このような活動を基盤として日本の女性連合のボランティア会員たちは、アフリカや中東、中央アジア、南米など、世界の貧困地域で、人種や宗教、国境の障壁を超え、学校を建て、技術を教えるなど、愛と精誠で献身的な奉仕活動を展開しながら、女性連合の世界的な活動基盤を築きました。

もっているものの中から小さな部分を分かち合う心を意味する「北朝鮮愛一パーセント運動」は、現在、全世界の女性連合の支部が連帯して展開しており、その活動と支援領域を広げようと「地球家族愛一パーセント運動プロジェクト」へと拡大して展開されています。

女性連合はこれまで、このような多様な活動を行いながら、あらゆる人種の女性指導者たちが世界各国から大挙参加し、真の平和世界を建設するための女性の役割について、お互いのもつ経験と知恵を分かち合いつつ、実に「世界は一つ、人類は一家族」という強い連帯感をもつようになりました。何よりも世界的に有名な女性指導者たちと共に深い情の交わりをもてたことは、私たち女性連合の大きな資産だと言えるでしょう。

基元節を控え、深刻な立場にいる私たち夫婦

尊敬する女性連合の会員の皆様。私たち夫婦が一生の間、世界平和のために創設し、運営してきた世界的規模の組織や機構も数百に及んでいます。宗教、社会、文化、体育、教育、言論など、多くの分野に天文学的な支援を行い、人類救援と平和増進のため、成功裏に発展させています。

人々は、ここまで来れば「一人の人間として、万人の祝福の中で自らの人生を振り返りながら、満足して余生を楽しむ資格がある」とたたえるでしょう。また、「あらゆる重荷をすべて下ろして、もう思い残すことなく人生九十年の成功を誇って暮らしなさい」と言うでしょう。

しかし、私たち夫婦の生涯は、世俗的な目で見るような次元の人生ではありません。人類の縦的真の父母であられる神様の印を受け、実体の真の父母の使命を完遂しなければならない私たち夫婦は、今、実体の天一国完成まで最後の一年を残し、いつの時よりも深刻な日々を送っています。九十年の生涯を捧げて生きてきた文総裁の生涯は、ただ天宙の真の父母であられる神様を解放し、父母の位置を取り戻してさしあげ、死亡圏であえいでいる人類を救い、神様の懐にお返しするものでした。このみ旨のため、総裁は独りで万難を排して勝利し、父母を失った孤児の身の上に転落してしまった無知蒙昧な人類を導き、この世界の救援の道を歩んできました。

そして人類始祖の堕落によって偽りの血統を受け継いだ人間は、誰一人としてサタンの束縛から抜け出すことができないまま、今も暗闇の中をさまよっているではありませんか。そのような点からも、六十五億の人類を導き、地上天国創建の道を歩んでいく私たち夫婦の人生が、どうして深刻でないことがあるでしょうか。

皆様。今日、私たちが生きているこの時代は、歴史的な天宙的大革命期です。歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない天宙的大革命期です。これ以上、延期したり延長したりする時間はありません。天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。

実体的天一国の始発であり、起源となる日が正にその日なのです。一年しか残っていません。ですから、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸していらっしゃる真の父母様の導きに従い、残った一年間を全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時間が、今日の私たちの前に近づいてきたのです。霊界のすべての善霊たちも総動員され、皆様よりも一歩先に立ち、再臨して走っています。

愛する日本の女性連合会員の皆様。今は「太平洋文明圏時代」です。この時代の中心国は韓国と日本です。「アダム国家」は韓国であり、「エバ国家」は日本です。そして、「天使長国家」は、周辺のアメリカや中国、そしてロシアです。これは神様が選択したことです。

日本がエバ国家の使命を果たすためには、新しいエバ国家の伝統を韓国の女性世界に連結しなければなりませんでした。それは女性連合の創設を通して成し遂げることができました。日本は、エバ国家を超えて「母の国」としての摂理的位置をもっています。これまで蕩減復帰路程において、娘の役割と妻の役割を担い、責任と義務を果たそうと先頭に立ってきました。

しかし、エバ国として日本が天のみ旨に従い、その使命を完遂しなければならないにもかかわらず、かえって文総裁の入国に反対し、活動を迫害しています。このような日本に対して私は、夫婦一心一体の愛の心情をもって、天の心情と事情、日本に願われるところを教え、伝えてきました。

文総裁は日本を、摂理的に復帰された本然のエバ国家として、父に対する娘の立場、新郎を迎えることのできる新婦の立場、夫に対する妻の立場という、それらの立場を超えた母の国として立てるために、心血を注いでいらっしゃいます。それは、常に新しい生命と愛を吹き入れることによって、新しい生命に復活させて救おうとされる真の父母様の限りない愛と精誠が込められている犠牲の路程であることを、いま一度かみしめなければなりません。どの国の女性連合会員よりも日本の会員たちが先頭に立ち、より一層奮発しなければならない理由がここにあるのです。

人類のための遺言である八大教材教本

皆様。真の父母様は、既に人類のための遺言を準備し残しています。一生に六、七度もの生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言書です。永遠の人類の教材教本として八種類の本を残しました。巻数で言えば千巻を超える分量です。『文鮮明先生御言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神経」、『天国を開く門真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、このような八種類の書籍です。

これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読んで、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から生まれた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった、天道を教える教材教本だからです。

皆様は、今からまず御自分の家庭で先に列挙した教材教本を中心として、訓読会の伝統を立てなければなりません。一つの家族三代が新しい一日を始めるに当たって、まず天のみ言を訓読し、新しい心で訓読の生活を実践する伝統を立てなさいということです。

霊界と肉界が同時に真の父母様に侍り、同じ天道のみ言を毎日訓読する世の中をつくろうということです。このようになれば、いくらサタンが皆様の血統に乗じて蠢動するとしても、訓読会の伝統の前には立つ場がなくなるのです。また、「正午定着」的基準で影のない人生を生きていくそのような家庭に、神様が祝福を下さらないとすれば、誰に下さるというのでしょうか。このような天の家庭がこの地に満ちるとき、この地球星は自動的に「神様のもとの一家族」のみ旨が完成した地上天国と天上天国となるでしょう。

皆様、文総裁の一生を率直にそのまままとめて公開した自叙伝が二〇〇九年に出版されました。総裁はこの本を通して人類のための天のみ旨がどこにあり、子女である私たち人間の歩むべき道がどこにあるかを詳しく示しています。「初不得三」(精進すれば必ず成功するという意味)、「七顚八起」(七転び八起きのこと)の典型的な人生でした。私はこの本もまた、訓読教材教本に引けを取らない、実証的次元で真理の人生を見せてくれる教本であると自信をもって皆様に勧める次第です。天命に従って九十年の生涯を歩んできた文総裁の人生をそっくりそのまままとめたこの真の愛の記録をもう一度精読され、大いなる悟りを得てくださることを願います。

「正午定着」の人生は、影をつくらない人生だと言いました。私たちが発光体となって光を与える人生を生きるならば、影が生じる隙間がありません。受ける者は借りをつくる者です。皆様はこれから、その借りを返すために、かわいそうな貧しい人の涙を拭ってあげ、暗い所を明るくしてあげる永遠の真の愛の発光体となる人生を生きてくださるようお願いいたします。

この時代における私たちの使命

貴賓の皆様。このような深刻で貴い時代を迎えて、皆様の人生にもこれから革命的で天宙的な変化が訪れるべきでしょう。そのような意味で、天が下さるきょうのメッセージを、もう一度要約してみます。

第一に、全祝福家庭は、まず家庭の中で神様を中心にお迎えし、父母と子女が完全に一つになる訓読教育を毎日実践しなさいということです。言い換えれば、原理教育、真の父母様が下さった教材教本教育、真の父母様の自叙伝の内容の教育、そして原理本体論の絶対性教育を徹底的に行わなければなりません。

第二に、天は既に重生と復活の聖和権の恩賜を家庭単位まで許諾されたのです。ここには、父母と子女間の完全一体を必要条件としています。絶対父母、絶対子女の基準を立て、絶対家庭を自然に築きなさいということです。

第三に、真の父母様の血と汗がにじむ苦難の恩賜により、人類は既に蕩減復帰時代圏を抜け出したということです。したがって、私たちは、真の父母様の御在世時に、天が臨在できる家庭、氏族、民族、国家、世界まで、地獄圏を解放すべき責任があることを忘れてはいけません。蕩減復帰時代が終わったので、これからどのような時代が到来するのでしょうか。神様と真の父母様を中心とした勝利圏の太平聖代だけが永遠に続くようになるでしょう。

第四に、私たちは既に神様の直接主管圏時代に進入しているという点です。皆様。天が宣布したDデーまで一年しか残っていないと言いました。霊界の親族や家族までも地上に再臨させて原理本体論教育を受けさせ、一つの家庭で八代まで苦楽を共にしながら共に暮らすべき天宙安息圏の時代に入ったという事実を肝に銘じ、さらに肝に銘じてくださることをお願いします。

皆様。霊肉界の先生であり教祖であるレバレンドムーンが一生を通して功を立て、最終的なこの結論を立てるための、宗教世界と地上世界、霊界と肉界、カインアベル世界のための大会の終結、完了に向けて努力した総論的結論をお話しいたします。

これまでの歴史過程には、このような内容が出てくることはありませんでした。今の時は、神様が摂理を完結させ、最終段階の収穫をする時です。ネパールでは、きょうこの時刻にも、真の父母様が伝授した原理本体論を、国営放送局を通して全国民に教育をしています。国連を中心とした活動も、いまや本格的な軌道に乗っています。

私たち夫婦が創設した「世界平和女性連合」が、国連の本来の創立目的と志に一致する活動を広げてきた実績が認められ、国連に登録されている三千四百以上のNGOグループの中でも、最上グループである第一領域の中にいることはもちろん、女性の人権と子女たちの貧困問題と教育問題を解決するための活動に卓越した実績を収めています。

既に数回にわたって受賞もしています。また、国連のMDGS(新千年開発目標)に一致した多くの活動を国内外において展開しながら、四年ごとに実施される再審査において、一九九七年に承認されて以来、二〇一〇年に三度目の再承認を受ける快挙を果たしました。

真の母の道

愛する日本の女性連合会員の皆様。日本の女性連合は今後、より積極的に文総裁の平和統一思想と理念を中心に会員教育に拍車を掛け、対外的には、真の家庭倫理の確立と平和世界の実現に対して備える女性指導者たちを養成しなければなりません。そして、「人類一家族平和世界」の理想実現のために、女性指導者たちの国際的なネットワーク構築にも努力を惜しんではいけません。

また、神様が私たちに基本的に賦与してくださった貴い本性と価値をより一層大切に育て、訓練し、会員各自が母の愛と母性を備えた、かぐわしい女性指導者となるよう努力しなければなりません。そうして、私たちの家庭と社会に愛と平和を植えつけ、さらには、平和の地球村建設の先頭に立って、人類一家族の平和世界実現のために最善を尽くす努力を惜しまないでください。

日本は、摂理的にエバ国家の使命をもっています。そのため、日本には異質な二人の息子がいます。それが北朝鮮の朝鮮総連と韓国の民団です。朝鮮総連と民団を一つにしなければ、エバ国家として立つことができません。カインとアベルのような朝鮮総連と民団が一つになることによって、エバがこれを抱えていき、その伝統を韓半島に連結しなければならないのです。

韓国と日本の女性連合会員は、一体となって新しい国家復帰という目標を定め、神様が探し求めてこられた「神の国」を復帰する時まで進んでいかなければなりません。

皆様。今は真の父母様を中心として世界が回っています。歴史的に怨讐だった韓国と日本、日本とアメリカ、アメリカとロシアのような国々も、ルーシェルから受けた堕落の血統を根絶して、新しい天の血統を受け継ぐために交叉祝福結婚に汎国家的な次元で参与するようになるでしょう。

文総裁が満天下に宣布して推進中である日韓海底トンネルプロジェクトとべーリング海峡トンネル事業も、世界的な次元で宗教人たちが先頭に立ち、解放された神様をお迎えして完成するでしょう。この世から神様の実在を否定する無神論の思想、すなわち共産主義を廃棄して、神様が本来理想とされた「万民疎通・和通」の世界を成し遂げていくでしょう。

私たちの目的地は世界の果てですが、出発点は正に私の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、私の家庭が永遠の幸福と真の愛の定着地になるとき、初めて私たちの願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。

皆様全員が、この歴史的で摂理的な革命の隊列において必ずや勝利者になってください。天地人真の父母様を通して賜る天運が皆様と共にあるでしょう。

これこそ正に、「世界平和女性連合」が神様と真の父母様、そして私たちの隣人と社会から愛され、真の人生の恵みと幸福を感じる「真の母の道」だからです。

真の母の道を行きましょう。

真の妻の道を行きましょう。

真の娘の道を行きましょう。

皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国家の上に天の祝福が共にあることを、真の父母様の名によってお祈りします。ありがとうございました。

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第六篇 13 アベル女性国連創設大会基調演説

第六篇 13

アベル女性国連創設大会基調演説

日付:二〇一二年七月十六日

場所:韓国、京畿道、加平郡、清心平和ワールドセンター

尊敬する世界百九十四ヵ国からお越しいただいた内外の貴賓、ならびに親愛なる「世界平和女性連合」の指導者の皆様。歴史的な「アベル女性国連」創設大会に、全世界百九十四ヵ国から来られた女性代表、平和指導者、そして女性連合会員の皆様を、私の妻である韓鶴子総裁と共に、温かい心で歓迎する次第です。

早くから私たち夫婦は、天のみ旨に従い、創造本然の平和理想世界のビジョンを満天下に宣布し、来たるべき基元節以降この地球上において、これ以上葛藤と戦争のない、永遠の平和世界を創建しなければならないという摂理的目標を達成するために、「アベル女性国連」の創設を発議し、アメリカでの忙しい摂理の日程を終え、きょうこの場に到着いたしました。

私たち夫婦が既に宣布したように、大韓民国は神様の故郷であり祖国です。そのため、摂理史的に新しい時代において平和世界の創建の主役となる「アベル女性国連」の創立大会は、必ずここ大韓民国で、神様のみ旨に従って宣布されなければならないのです。

愛する世界の女性指導者の皆様。皆様もよく御存じのように、国連は第二次世界大戦が終わり、世界の全人類が悲惨な戦争の惨禍の中で耐え難い苦痛を受けながら、これ以上この地上に戦争があってはならないという、平和への切なる願いを込め、神様のみ旨によって創設されました。一九四五年六月、世界四十五ヵ国の代表がアメリカのサンフランシスコに集まり、「国連憲章」に調印することによって、その創設がなされました。そして今、国連は世界百九十四ヵ国が会員国として参与する、世界唯一の世界的平和維持機関として発展してきました。

世界の平和指導者の皆様。しかし、今日の現実はどうでしょうか。過去六十年余りの国連の歴史の中で、朝鮮戦争をはじめとする数多くの局地的戦争を防ぐことができず、今も世界の至る所では、冷戦が終息したにもかかわらず、貧富間の葛藤、人種間の葛藤、さらには宗教間の葛藤により、大小の戦争が絶えることなく起こり、国連は、創設主旨にのっとって究極的世界平和を維持するという、その本然の使命を果たせないまま、挫折を重ねているではありませんか。

創設当時から国連は、冷戦の対決構図によるアメリカとソ連との妥協の産物だったため、個別の国家利益を超越して究極的世界平和を成し遂げるには、生まれながらの限界をもっていました。したがって、私は神様のみ旨から見て、今の国連はカイン的位置を抜け出すことができないと公表したのです。そのため、永遠の創造本然の世界平和定着のためには、国連の刷新が絶対的に必要であると主張しているのです。

そして具体的な行動として、私は、アベル的な「超宗教超国家平和協議会」を国連の中に設置し、個々の国家利益争奪の場である現在の国連総会を下院とし、その上に世界の宗教指導者たちで構成された「超宗教超国家平和協議会」を上院とする両院制の国連に改編されなければならないと主張し、フィリピンを代表国家として、既に国連にその改正案を提出しました。

尊敬する指導者の皆様。しかし、今の国連は問題解決のためにそれぞれの国家利益を調整する段階から壁に突き当たり、一歩も前進できずにいるのではないですか。そのため、現在まで歴史的に男性中心のGO(Governmental Organization:政府機構)に依存してきた世界平和定着の限界を克服するために、これからはNGO(Non-Governmental Organization:非政府機構)を中心として女性平和運動が現場の問題を解決する新しいシステムとして定着しなければならないと主唱するのです。そしてこの女性平和運動は、個人や一つのNGOの次元では成し遂げることができず、全世界的な組織との連携のみがそれを可能とするため、今日のこの「アベル女性国連」の創設が絶対的に必要なのです。

きょう、このように「アベル女性国連」の歴史的な創設大会を行うことができたのは、私と韓鶴子総裁が共同で、一九九二年四月、ソウル蚕室のオリンピック・メーンスタジアムにおいて、世界七十ヵ国以上の女性代表と十五万人を超える韓国の女性たちが雲霞のように集まる中、「世界女性時代の到来」を宣布し、天意に従って女性平和運動の中枢機関として「世界平和女性連合」を創設したのがその出発でした。その後、女性連合は今年で創設二十周年を迎えるまでに、全世界百六十ヵ国を超える国々に支部と活動基盤を構築し、世界の女性たちを中心に平和運動のネットワークを結成し、世界平和運動を絶え間なく展開してきたのです。

女性連合の創設は、決して一つの女性団体をつくって残すことを目的としたのではありません。それはフェミニズム、男女平等、女性労働運動など、主に男性を相手とした、外向的で、政治的で、闘争的な、世俗的女権回復の運動ではなく、神様の創造理想世界の実現という摂理史的意義をもつ、新たな次元のグローバルな平和運動です。

このような創立の摂理史的意義をもって出発した女性連合は、去る二十年間、地球村の至る所で、真の母性愛を土台とした真の愛の家庭を確立する運動や、女性の地位向上のための多様な支援および教育プログラムを運営しながら、目覚しい発展と成長を遂げました。

女性連合は創設当時から私と韓鶴子総裁が共同創始者として活動し、世界の各大陸や国々に組織と活動基盤を築き上げ、早くから世界百六十ヵ国に派遣された日本の女性連合のボランティア会員千六百人をはじめとする全世界の会員を中心として、平和運動を展開してきました。私たち夫婦が二十年前、女性連合の創設時に明らかにしたメッセージの精神に従い、「勝利した世界的女性代表である真の母に侍り、真なる母、真の妻の理想像を確立し、真の愛の運動によって理想的な家庭を結実させなければならず、世界平和具現のため、政治、経済、文化、そして社会の各分野において、ために生きる真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければならない」という覚悟で、きょうも世界の津々浦々で、人種と宗教、言語と国境の障壁を越え、女性固有の母性愛をもって、多様な奉仕活動と教育プログラムおよび国際的な葛藤解消と和解運動を展開しています。

また一九九三年九月にニューヨークの国連本部で開かれた、韓総裁による特別招請講演をきっかけに、「世界平和女性連合」は三年にわたる努力の末に、国連経済社会理事会NGOの最高の地位である「第一領域NGO諮問機関」の地位を獲得し、それ以降四年ごとに活動実績の評価を厳正に受け、その地位を三回連続して再承認を受けるという快挙を達成してきました。三千四百以上の国連のNGOのうち、このような国連で最高のNGOは、たった百四十団体しかないのですから、より一層その価値を認められていると考えられます。

一九九七年から私たち夫婦の指導のもとに、毎年一年も欠かさずに開催されている「中東女性平和会議」もまた、中東二十ヵ国以上の女性指導者たちの大きな関心と参与の中、徐々に具体的な現場活動へと拡大発展しながら、中東の女性指導者たちが宗教の葛藤を超え、人権と平和のための活動の求心点になりつつあることは、実に大きな成果と言えます。

今年も去る六月に、ジュネーブにおいて国連人権理事会と合同で「災難と葛藤で苦しむ子女たちのための対策」という主題をもって、中東十八ヵ国の女性指導者とジュネーブ駐在の各国の大使をはじめとした外交官、国連機構の代表、そして世界的なNGOの代表など、百八十人以上の参加者が真摯に懸案を討議し、その合意内容を現場の活動につなげることを決議したとの報告を受けました。

また女性連合のすべての組織では、地球村各地の自然災害と飢餓問題の解決のために、積極的に支援活動をすることはもちろん、特に北朝鮮の子女や女性たちを援助する事業において、「私たちがもつもののうち、小さなものからでも分かち合おう」というスローガンのもと「地球家族愛一パーセント運動」を展開し、多くの実績を収めていることをうれしく思います。このように女性連合が創立以来、国連のNGOの最高の地位である「第一領域諮問機関」の地位に至るまでに、初心を忘れず、変わらない心で、黙々と女性平和運動の道を開拓してこられた会員の皆様と女性指導者の皆様に、限りない感謝の拍手をお送りいたします。

しかし、女性連合が中心となって繰り広げてきた世界平和運動は、この段階にとどまるわけにはいきません。

一段階さらに発展させ、全世界の女性指導者やNGOと連携して力を合わせ、究極的平和世界創建の道に邁進しなければならないのです。そのためには、女性連合が女性NGOの次元を超え、全世界の政府や団体、個人を一つにまとめて共に前進する「アベル女性国連」という大きな機構の創設が絶対的に必要であり、これは神様の摂理的な絶対命令なのです。私たち夫婦は、今日このような天宙史的で革命的な変化の時代を迎え、全人類の半分を占める世界の女性たちが、このような歴史的使命を認識し、活動の幅を全地球的な領域に拡大するために「アベル女性国連」の創設を厳粛に宣言する次第です。

愛する女性平和指導者の皆様。今日人類の行くべき道はどこにあるのでしょうか。結局、人類の諸般の問題は、真の父母である私たち夫婦が、天より授かり、生涯をかけて主唱し教育してきた「一つの神様のもとの一家族」思想、すなわち神様を中心とした真の愛の教えによって解決するしかないのです。この思想こそが、人類に平和と幸福の道を探し出してくれる唯一の道だからです。

今日、私たちが生きているこの時代は、歴史を変え、霊界と地上界を一つにし、神様が太初より願われた理想天国をこの地上に創建しなければならない歴史的な天宙的大革命期です。これ以上延期したり延長したりするような時間はありません。天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。したがって人類は、これから天命に謙虚な姿勢で従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上で摂理を経綸しておられる真の父母様の導きに従い、残された期間を、全力投球、死生決断をしなければならない宿命的な時が、今日私たちの前に近づいてきたことを肝に銘じてください。

愛する女性指導者の皆様。今や人類の行くべき道ははっきりしました。天が真の父母を通じて明らかにしてくださった「Dデー」を前に、躊躇することがあるでしょうか。もう一年も残っていません。皆様の「アベル女性国連」を中心とした平和世界創建の多忙な前途には、天の祝福が共にあるでしょう。しかし、「アベル女性国連」が何よりも優先すべき運動は、正しい価値観の教育と、よりために生きる真の愛の真の家庭運動であることをもう一度強調したいと思います。戦争や葛藤は、利己的な動機から、領土や財産など、他人の物を奪おうとするときに起こるものです。その反面、平和は、他人のために自分を投入するとき、すなわち真の愛を与えるときにやって来るのです。

新しい世界的現実から顔を背け、直視できない指導者は、荒波のように押し寄せる変化に洗い流されてしまうでしょう。今、私たちは、新たな機会と価値観を迎えるに当たって、果敢に進んでいかなければならない時であると確信します。

皆様。女性は男性の補助者や保護の対象ではなく、神様の片方の一性を代表した立場で、むしろ男性を全きものにしてあげる独立した人格者です。真の愛の理想を中心として、女性は男性の貴い愛の対象者です。価値から見て、男性と女性は絶対平等な存在なのです。

本然の真の愛で一つになった男性と女性は、互いに同じ地位になる同位権をもつようになります。また、いつどこでも共にいる同参権をもちます。さらには互いのものを第二の自分のものとして共有する理想的な相続権を得るようになります。このように神様の真の愛の理想のもとに一つになった男性と女性は、同位権と同参権だけではなく、互いのものを自らのものとして共有することによって、真の愛を中心として価値的に完全に平等な存在となるように創造されました。ですから、男性と女性は、互いに相手の特性と気質と役割をまねたり、それを羨んで奪う必要性が生じたりするような対立と敵対の関係ではありません。真の愛で自分のものを相手に分け与え、相手側をさらに完成させてあげながら、より大きな次元で一つになることによって共有する関係です。

二十一世紀において、女性は男性と共に、平和世界の牽引車の片方の車輪を担当する世界史の主役にならなければなりません。力と技術の世紀ではなく、愛と平和、文化の世紀を創建していく中心として、女性の役割は一層重要になりました。真の自由と平和と幸福があふれる統一の世界を建設する、真の母の道、真の妻の道、真の娘の道、そして真の女性指導者の道を行く皆様となってくださることをお願いいたします。ありがとうございました。

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第六篇 14 平和世界の主役になろう

第六篇 14

平和世界の主役になろう

日付:一九八四年十一月三日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:第一回原理研究会世界大学生総会(代読)

世界大学生総会のために、この場にお集まりになった内外の貴賓、そして各国の「大学原理研究会」の指導者、ならびに会員の皆様。きょうこの集会で皆様の活発で希望に満ちたお顔を直接拝見することが私の願いでしたが、やむを得ない事情によりそれがかなわず、実に残念に思います。たとえ私がこの制約された現実の中で、体は皆様とこの場を共にすることができないとしても、今回の期間は心情的に、また霊的に皆様と共にいますので、私たちは、あすの、より感動的な出会いを約束することにいたしましょう。

私の体はダンベリーの収容所にありますが、歴史と世界に向けた私の理想と実践は、いささかも揺らぐことなく進行しています。私を慰労しようと世界の至る所から多くの名士や碩学たちが来訪し、神様の経綸を聞いています。また最近、アメリカの既成キリスト教団の指導者たちの積極的な協助と反応は、私たち全員にとって大きな励みとなっています。

今回、第一回世界大学生総会を韓国で開催することになったことは、非常に貴重な意義をもっています。韓国は私の出生地であり、原理運動の発祥地であるばかりでなく、かつて私が深い祈祷生活によって霊界の秘境と深層をたどりつつ、血のにじむ闘争を通して神様の教えを「統一原理」として確立し、未来を設計しながら青春を捧げた所です。

世界各国の「原理研究会」の指導者、ならびに会員の皆様。これまでの皆様の労苦に称賛の意を表します。皆様は学問探究の道とともに、実践運動として神様のみ旨を立てる素晴らしい仕事をしています。皆様が大学のキャンパスや通りで、数多くの不義、不正、退廃に立ち向かい、闘って勝利してきた事実を私はよく知っております。ベルリンの壁を崩すための皆様の立派な行進、また日本とアメリカでは左翼勢力の威勢にも屈することなく、殉教者的な心情で闘って勝利したことなどは、「原理研究会」の歴史の金字塔であると言うことができるでしょう。

私が希望の中で見つめている「原理研究会」の運動が、既に世界七十ヵ国以上の国々に根を下ろして以来、いつしか三、四年の歳月が経過しました。このような基盤の上で、きょう開催する第一回原理研究会世界学生総会に、共産圏の国々で活動中の会員たちが参加できなかった点に、私たちは胸を痛めます。

私が「原理研究会」を創設した動機の一つは、大学生の若さと情熱にあります。皆様は、過去に依存して生きているのではなく、未来に対する果てしない希望の中で生きています。皆様は義を尊重し、真と美を憧憬しています。清純な若者の心は、天のみ旨が臨むのに最も適した土台をもっているのです。

私は、神様のみ旨に従い、善民完成の目標を立て、若い知性ある人たちを心情教育と天才教育による「愛天、愛人、愛国」の人格者として育成し、新しい歴史の主役にしようと思うのです。神様の究極的摂理が、特定の民族や文化や地域、そして教団的、または宗教的範囲に限られることがないようにするためには、進取的であり、開放的で未来指向的な若い世代がその牽引車とならなければなりません。これが、「大学原理研究会」に対して私が期待をかける、また一つの重要な側面です。

神様のみ旨が、神学的、または教理的な枠を越え、文化全般にわたって実現されるためには、まず新しい世代の文化伝承者としての大学生に伝えられなければならず、そこから学問的、理念的、実践的展開にまで至らなければならないのです。特に、大学街を重要な対象として、神様に敵対する赤化運動を進める、国際共産主義者たちの策略をよく知っている私は、世界の若者たちが偽りのものにこれ以上もてあそばれないことを切に願うようになり、ついに共産主義を克服する新しい理念と実践運動としての「大学原理研究会」を出発させることになったのです。これは日本の大学街では既に実験済みであり、世界各地の原理研究会が理論的対決によって大学生を先導し、また神様の愛を中心とした奉仕と実践の生活によって手本を示しているのです。

今日、世界の問題は共産主義問題だけではありません。産業革命と二回にわたる世界大戦を経ながら、人類は既存の宇宙観の没落を目の当たりにしてきましたが、現代の科学技術の躍進を消化する新しい宇宙観が提示されないまま、人類は、手のほどこしようのない価値観の混乱の中で漂流しているのです。ここで、このような渦に巻き込まれて傷つきやすい世界の若者たちに対して、神様は既に代案を立てられ、語りたい多くのみ言をもっていらっしゃいます。

神様と人間が願うものは、平和の世界、理想的な一つの世界です。平和な理想世界は、争いのない統一の世界です。ところが、全世界にわたって統一を模索する以前に、一国家の統一について先に模索されなければなりません。同様に、統一された国家がある前に、統一された氏族がなければならず、統一された氏族がある前に統一された理想的な家庭がなければならず、さらに統一された家庭がある前に、矛盾や葛藤のない理想的な個人がいなければなりません。

このように、個人から世界に至るまでの問題解決は、自体内の善悪二方向の相克的対立を克服することによってのみ可能なのです。この解決を成就するための歴史的な教えは、宗教を通して与えられてきたのであり、メシヤはこのような摂理の中心人物であり、標本なのです。真の平和世界が成し遂げられれば、その世界は永遠に存続するのであり、また超国家、超人種、超宗教的にならざるを得ないので、それは実に、全人類が一組の父母のもとにおける一つの兄弟姉妹の関係で結ばれた一つの大家族社会になるのです。

神様のみ旨と人類の念願がこのようなものであるにもかかわらず、今日の世界はどうでしょうか。人々は地球村や一つの世界について語りながらも、多元化と専門化の趨勢は、個人主義的で利己主義的な風潮をあおり立てており、個別化の現象はその極に達し、存在世界の連体的秩序まで大きく害しています。環境汚染と自然破壊は、地球全体を生態学的危機へと追い込んでいるかと思えば、その操作をコンピューターに任された戦争の武器により、今やその発明者である人間がその下で奴隷のようになって恐怖に震える、そのような状況を招いているのです。

宗教を中心とした既存の価値体系は、なぜ崩壊していったのでしょうか。それは、宗教自体が本来の任務を忘れたまま、分裂と紛争はやむ暇がなく、それゆえに現実に対する指導力を失ってしまったからです。既存の宗教が神様と人生と宇宙について明確に教えることができなかった結果、善と悪、義と不義の区別をはっきりさせることができず、特に、神様が存在するかどうかということに対する質問に、明快な答えを与えることができませんでした。宗教が無力化するやいなや、物質は、人間の前に手段ではなく目的と化し、享楽が当然なこととなり、人間性は肉欲と物欲によって麻痺し、動物化してしまいました。このような土壌の上には、真の愛や奉仕、そして義や神聖などの既存の価値観は引き続き存立することができないのです。

なおかつ、現代社会の組織化、大型化、機械化の傾向は、非人間化、または人間疎外の現象を加速化させ、個人の矮小(わいしょう)化、部品化の趨勢をあおり立てています。人間の創造本性が塞がれているこの状況と束縛の中で、人類を解放する新しい価値観の出現は、私たちすべての絶対的要求と言わざるを得ません。

新しい価値観は、現代の問題を消化し、現代人を説得できる新しい宗教に根源をおかなければなりません。神様が人類の父母であられることを教育し、宇宙の始原が物質ではないことを究明し、人間には霊性と人格があり、神様の相続者として宇宙を治める権限があることを明らかにしなければなりません。また、創造本然の愛の理想を確認させ、森羅万象が二重目的の連体になっており、宇宙の大秩序の中では調和のみが存在するようになっていた太初の理想を明らかにするなど、新しい価値観は、そのような役目を果たさなければなりません。

原理運動は天理の伝播運動であり、神様を証する大学生の実践運動です。理論の前提がないところに社会的意志が結集するはずはなく、これを具体化させる運動なくしては世界にその結実はあり得ません。私たちが推進している原理運動は、古く病んだ既存の文明を部分的に回復しようとするものではなく、その根源から新しい出発をしようという運動なのです。

皆様は神様が下さったところの個性真理体として、各自の品性を原理によって陶冶(とうや)し、烈火のような情熱と純潔な心で不義と悪を整理し、打破しなければなりません。皆様の体はたとえ堕落の世界に処しているとしても、原理とサタンの讒訴に皆さん自身をさらすことなく、天を突く意気で過去の悲哀を乗り越え、希望の実体となって、他の模範になりながら、あらゆる辛苦の中でも委縮することなく、希望に満ちた瞳で未来を見通さなければなりません。神様が皆様に対して求めるのは、皆様の特技や専門知識ではありません。神様は皆様御自身、すなわち皆様の心と志と精誠を求めていらっしゃるのです。

かつて私が死地においても希望を失わなかったのは、神様のみ旨と心情を常に実感していたからであり、世界と宇宙、人生と歴史が私の心中からひと時も離れたことがなかったからです。これは、肉身の疲労を感じる暇もありませんでした。歴史の大きな転換期が訪れるたびに、新しい文化を担当した勢力は若い層から現れたということは、わざわざ青年の釈迦や青年のイエス様の例を挙げなくても、私たちは、よく知っている事実です。私が統一運動のための公的生涯を出発したのも、二十代の中盤でした。

世界の若者たちを代表してここに集まった「大学原理研究会」の指導者、ならびに会員の皆様。私たちは、万人が共に願う新しい世界に向かう道の先鋒にならなければなりません。私たちは、神様の理想による平和世界を成し遂げる主役です。私の伝統を引き継いで、より一層前進しなければなりませんが、これは、世界的基盤を築いていく外的な面だけではなく、神様の心情世界と信仰の伝統を継承する内的なものまで含まれなければなりません。

皆様は、四十億の人類が乗った船の舵を取る航海士です。私たちの正しい姿勢と奉仕、犠牲の実践によって全人類に希望を与え、西暦二〇〇〇年代に向かう新時代の夜明けを開く新文化創建の旗手になりましょう。生きておられる神様の祝福と加護が、全世界の「原理研究会」の生命ある運動の上に共にあるでしょう。ありがとうございました。

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第六篇 15 真の家庭を取り戻そう

第六篇 15

真の家庭を取り戻そう

日付:一九九五年一月八日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和青年連合」全国代議員総会(真のお母様)

愛する「世界平和青年連合」会員の皆様、そして、世界の各国から来られた代表者と内外の貴賓の皆様。この場を通して、皆様の支持と声援に心から感謝の意を表します。

本連合は、一九九三年十月の文鮮明総裁の提案によって、一九九四年七月二十六日、ワシントン大会でその幕を開けました。そして、韓国では一九九四年十二月十五日、全羅南道支部の結成を筆頭にして、一九九五年二月までに全国三十七の市、道の支部結成を完了し、六月末までに全国二百七十三の市、郡、区の支部結成を終え、今は三千七百の邑(ウプ)、面(ミョン)、洞(トン)の支部結成が進行中であると思います。このような短い期間における飛躍的な発展は、「青年連合」に送られる皆様の熱い声援と関心から湧き起こった結果です。皆様の労苦と発展する「青年連合」に、重ねて喝采を送ります。

愛する「青年連合」会員の皆様。私たちはこのような外的な実績だけでなく、内的な向上と実践により関心を注がなければなりません。混乱によって起こった過去の世代の葛藤と不条理を、これ以上繰り返してはいけません。なぜなら、私たちは青年世代の良心であり、世の中の中心にならなければならないからです。

青年の正しい倫理と道徳的価値は、随分前に消えてしまいました。今日、若者たちはそのような価値や退廃的戯れの善し悪しを見分けることができません。古い感覚の文化による病弊と中心を失った人生観は、どのように生きるのが正しく、間違っているのかという判断まで麻痺させてしまいました。あえて探し出さない限り、真の愛や「頭翼思想」、そして、神様に対する概念は、彼らにとって目に見えない不透明な理念にすぎません。

愛する「青年連合」会員の皆様。皆様の価値を御存じでしょうか。皆様の理想と志がどれほど尊く、貴重な財産であるかを感じていらっしゃるでしょうか。それらが実践的な行動を伴うとき、大きな山までも動かす力の原動力になるという事実を、皆様は知らなければなりません。知らずに行動しないのは、当然のことかもしれません。しかし、この世界を導き、主役になる人は、世の中をまっすぐに直視し、実践できる人でなければなりません。皆様はどのような人になりますか。勇気ある中心になりますか、あるいは押し流されて引きずり回される周辺の人間になりますか。昔、私たちの知恵深い先祖は、花郞道(ファランド)(儒教・仏・仙・三教・三德の精神を尊び、五戒を信条として愛国を標榜した)や国仙道(ククソンド)(韓国の道教系の武術)や経堂(キョンダン)(正祖-チョンヂョ-の時代の武術)を通して、何年、いや何十年の間、青少年を修練の場に送り、体と心を鍛えるようにしたといいます。私たちがよく知っている李舜臣将軍や金庾信(キムユシン)将軍などが、その代表的な人物です。

私たち「世界平和青年連合」は、近年になってさらに忘れ去られた価値観と混乱した倫理と道徳のために、セミナー、修練会、青年教育などを通して、真の価値観確立のための運動を展開しています。この運動を通して、青年たちは真の愛と真の人生の価値を啓蒙し、人間の本然の姿により一層近づき、理想世界の実現のための様々なモデルを形成していけるようにするでしょう。そして、変わらない神様の絶対価値を青年の不変の価値観として立て、この時代の青年運動の中心となるようにしていくでしょう。神様は歴史を超越して、いつの時代、どの場所においても青年を貴重に思い、歴史の中心に立たせてきました。青年が正しい生き様で自らを磨き上げながら進むとき、神様の姿は日常生活の中で鮮やかに甦るでしょう。

体と心を鍛えるのは、一生にわたってすべきことですが、特に青年の時期において、その重要性は本当に大きいと言えます。なぜなら、青年期は人間堕落が起こった時期であり、人間の第二成長期ともいえる精神的誕生の始まりを意味するからです。

皆様はそのような重要な時期の青年として、新しい時代の口火を切っていく、輝かしい勇気と気迫をもった先駆者にならなければなりません。私たち「世界平和青年連合」はこのような重要な活動を実行に移すため、これから「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和統一家庭連合」など、本連合の理念に同意するすべての団体と互恵の原則のもと、相互に連帯していくでしょう。現在、中南米をはじめとした世界各国で、数多くの青年が私たちの運動に参加しており、特に新旧教の統一と南北米統合運動に、本連合の青年が積極的に参加しています。このような南北米統合運動と新旧教統一運動は、根本的な側面において、私たちの祖国韓半島の統一にも肯定的な役割を果たすものと信じています。

一方、私たち「青年連合」は世界平和と真の統一世界を実現するために、国際的な青年学生の兄弟的交流と協力、統一運動を通して、青年国連の使命を展開し、二十一世紀の新しい文明時代を準備するための諸般の機構を編成していくでしょう。本連合は、すべての人類が神様の真の愛を中心として自由と平等を謳歌し、人間的な生活を営んでいけるよう、社会と国家の民主化と経済的な均等分配を通して、共に豊かに暮らせる共生共栄共義の理想世界を建設する運動を展開していくでしょう。いまだに地球上の多くの発展途上国では、飢餓と疾病により数多くの人々が無残に生命を失っています。これは他人事ではない、私たち全員の問題です。死んでいく地球村の兄弟の悲劇を見て、ただかわいそうだと考えるよりは、実質的に彼らを助けてあげる全世界的な最後の救世運動を展開していかなければなりません。

現在、本連合の創始者である文鮮明総裁は、飢餓と貧困で苦しんでいるアフリカを解放するため、そこの数多くの青年を教育し、統一運動に同参させています。そして、アフリカの次に発展が停滞している中南米の国家を生かすために、中南米統合機構を中心として、多様なプロジェクトを推進しています。そして、このような計画を成果のあるものとして実現するために、去る七月、私と共に中南米の数十ヵ国を歴訪し、各国の頂上の人々と会い、中南米の明るい未来のために共同で努力することを約束してきました。

今や、本連合を中心とした統一運動は、全世界百六十ヵ国以上で根を下ろしており、共産主義の崩壊によって理念的座標を喪失したロシアと東ヨーロッパ国家の青年と知識人の未来を照らしています。そして、去る四月三日の午前五時に、世界百六十ヵ国を代表した指導者の前で、夫と私は「ニュー・ホープ・ファーム宣言」と「サンパウロ宣言」を発表し、理想的な社会、理想的なモデル国家を建てるための歴史的な長征を出発しました。性道徳の紊乱と個人主義の氾濫、飢餓と貧困、そして、肥大した科学の発展による今日の人類の危機と地球環境汚染問題は、これ以上放置できない実情にまで陥っています。そのような危機を克服するための対策として、ブラジルとアルゼンチンなど、中南米において数十億坪に相当する巨大な地を開拓し、「ニュー・ホープ・ファーム」という名で理想的な社会、理想的な国家のモデルをつくっています。

そして、このような理想的なモデルを全世界に拡大していくでしょう。この運動こそ、私たち「青年連合」の会員が中心的立場に立って推進していくべき、最も重要な事業だと言えます。そして、これは神様の願いであり、創始者の願いであり、また本連合が目指す理想社会の姿でもあるのです。このような創始者の開拓の意志を手本とし、皆様もまた、皆様だけの改革の意志を見せなければなりません。

時代の激動期のたびに、人類の危機と終わりの日の混沌に対抗し、奮闘してきた数多くの良心的な先祖がいたように、会員の皆様は、各自の明確な信念と努力によって、皆様に与えられた使命を果たさなければなりません。迫りくる二十一世紀の平和な地球共同体を建設するために、このような使命は必ず目指されるべき課題であり、私たちは力の限り、全世界的な次元において統一された努力を鼓舞しなければなりません。

「世界平和青年連合」会員の皆様。皆様の心情に、中身のあるよく熟した神様の理想とみ旨の種を蒔かなければなりません。そうして、誰よりも神様に似て、新しい時代と到来する未来に深い根を下ろすことができる若者にならなければなりません。今は心情文化と心情の熱気で行動するときです。混沌とした世界を正しく立てられる文化プログラムを開発し、共に喜んで楽しめる芸術を創造しなければなりません。

創始者の理念のとおり、神様を中心として、新しい価値観を創建できる高い志の「青年連合」をつくりましょう。神様を否定する堕落したこの世界に神様の摂理を理解させ、神様と人間が一体になる人間革命においても先頭に立ちましょう。個人完成、すなわち神様を中心とした私を完成し、家庭と氏族を神様のみ前に復帰させ、民族と国家を神様に導いて進むとき、世界と天宙はおのずと天の理想に近づくのです。神様を私たちのすべての思いと行動の中心的位置にお迎えするときにのみ、その結果は善のものとなり、新しい歴史創建の主役になるのです。

愛する「青年連合」会員、そして、各国の代表と内外の貴賓の皆様。私たちは、燃え上がる心情で、新しい道義世界を導いていく創建者になりましょう。失われた人類の良心に、正しい価値観と倫理と道徳を探し立て、彼らの前で前進する若者になりましょう。

皆様には無限の神様のエネルギーと信念があり、いかなる困雛にも再び立ち上がる不屈の意志があります。「天は自ら助くる者を助く」と言います。皆様の気概は、あの朝日よりもっと赤く、力強いのです。私は、皆様の覇気ある希望に満ちた姿を見るたびに、本連合の創始者であり、私の夫である文鮮明総裁のことを思わずにはいられません。私の夫は、青年時代に人類を救うという使命を神様から受けたのち、今に至るまで、人生を捧げて神様の摂理歴史の恨を解くために力の限り努力しています。世の中が全く理解せず、あらゆる迫害を受けながらも、ただ神様の心情を握り締め、涙を流して祈りながら悪の勢力と闘争し、ついに真の父母と成約時代を宣布することによって歴史的な勝利を収めたのです。

生死を行き来する共産治下の監獄と李承晩独裁政権の監獄、そして、白人優越主義と宗教的弾圧のくびきをかけられたアメリカのダンべリーの苦難に至るまで、長い生涯路程を逆境の中で生きてきながら、神様のみ旨に背かず、不屈の闘志によって独り勝利し、今日、神様と全世界万民に誇れる世界的な基盤を築いたのです。

私は、夫がひとえに神様の救援摂理の恨を解くために、一生を生きてきながら、一時も平安に休むことのできない不憫な姿を間近で目にするたびに、夫がどれほど神様のみ旨に徹して生きているのか、感じざるを得ません。もうすぐ八十歳になろうという老躯(ろうく)にもかかわらず、いつも若者よりもっと熱い情熱と努力によって世界平和と人類の救援事業を絶え間なく推進している創始者の精神を青年の皆様は相続し、理想世界の創建に向かう神聖な大長征に同参していきましょう。

人類の未来を率いていく「青年連合」会員の皆様。二十一世紀、新しい世紀に向かう救いのみ手が、私たちを待っています。皆様の心情に、神様に対する不変の中心を立て、真の父母様の生涯路程の輝く伝統を相続し、神様の創造理想である民族と国境と人種を超越した、「世界は一つの家庭、人類は一つの兄弟姉妹」と言える統一された平和世界を創建する主役になりましょう。人類の繁栄と幸福のために両腕の袖をまくり上げ、先頭に立った皆様を歓迎いたします。私たちは、共に神主義と真の愛を中心として、祖国統一と世界平和のために真の愛の実践運動を展開しましょう。考えだけにとどまる人ではなく、実質的な行動の同参者として、心情文化の火をともすこの時代の若い主軸になりましょう。神様と真の父母様に侍って、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に広がっていき、理想世界を建設する誇らしい若者として、真の青年運動の中心になりましょう。

新しい世紀を開いていく青年会員の皆様。二十一世紀は正に、皆様のものです。愛と平和がいっぱいに満ちた二十一世紀、新しい文明時代を開け放つことに目覚めた青年として、人類の未来の火をともす新しい時代の開拓者になりましょう。もう一度、皆様の労苦と熱い声援に感謝いたします。そして、最後までこの場を輝かせてくださった内外の貴賓の皆様と各国の代表者の方々にも、深甚なる感謝を申し上げます。私は「世界平和青年連合」の総裁として、皆様全員を胸深く、心から愛しております。

最後に、「青年連合」会員の皆様と、内外の貴賓の皆様に、神様の祝福と恩恵が満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第六篇 16 道義世界の創建

第六篇 16

道義世界の創建

日付:一九九五年八月二十日

場所:韓国、ソウル、奨忠(チャンチュン)体育館

行事:「世界平和青年連合」韓国大会

満場の内外貴賓の皆様、そして「世界平和青年連合」の会員の皆様と各国からお越しいただいた代表者の皆様。このような意義のある場で、私が本連合の創始者として祝辞を語ることになり、大変うれしく思う次第です。

昨年(一九九四年)七月二十六日、「世界平和青年連合」を創設して以来、本連合の発展のための会員の皆様の努力と御苦労に対し、この場をお借りして称賛の意を表します。皆様の労苦は決して無駄にはならないと私は確信いたします。今や青年連合は、世界平和と人類理想社会の建設のために先頭に立つ若者たちの、和合と統一の場となりつつあります。私は、人類の平和と統一の世界を開いていく良識のある青年たちが「世界平和青年連合」に集い、声援と支持を下さることを期待する次第です。

親愛なる「世界平和青年連合」の会員の皆様。私はきょう、「道義世界の創建」と言う主題のみ言を通して、「世界平和青年連合」の進むべき方向性について語りたいと思います。皆様も御存じのとおり、現代は重大な危機に直面しています。物質文明の高度化による人間性の喪失と道徳的堕落が極限の状況へと突き進んでいます。これは人類が本然の父母であられる神様に背いたところに起因しています。人間始祖の堕落によって、人類は神様を中心とした本心を失ってしまい、堕落した世界へと流されていっているのです。

善を指向する絶対価値と絶対中心の基準となる神様を知らずにいる人間は、闘争と憎悪と退廃と堕落の奈落にますます落ち込んでいかざるを得ませんでした。しかし、人類の父母であられる神様は、御自身に背いた人間たちを見捨てることなく、人類を救援するための摂理を続けてこられました。

数多くの預言者や聖人、そして宗教指導者たちをこの地上に送られ、人類救援の歴史を願ってこられたのです。二千年前に人類のメシヤとして来られたイエス様をはじめとして、仏教の釈迦、イスラームのムハンマド、儒教の孔子のような聖人たちは、人類を善の方向に導くために努力した人たちです。

歴史上存在してきた数多くの宗教が、根本的な面で善を指向しているのも、このような理由から理解できると言えるでしょう。しかし、数多くの宗教や思想が明滅を繰り返してきましたが、いまだに人類に真の平和や幸福を抱かせてくれる理想世界を建設できずにいます。これは、既存の宗教や思想が本質的な面で限界をもっていることを示唆するものだと言うことができます。

愛する「世界平和青年連合」の会員の皆様。このような限界状況をいかにして克服するのでしょうか。私たちは本然の理想を実現するために、神様の真の愛を中心とした心情文化運動を展開することによって、より良い世界を建設していかなければならないのです。青年時代に神様を知り、歴史の中で神様の目的を果たすために、疲れることなく、人類救援のための努力と情熱を投入してきた私は、若者である皆様がこのような神様のみ旨を相続し、真の父母に似ることを切にお願いする次第です。そして、このようなみ旨を成就するためには、まず「神主義」と「頭翼思想」で世界平和と祖国統一を指向しながら、人類の繁栄と幸福のために先頭に立たなければなりません。

私たちがあまりによく知っている統一に関する問題は、そのような面から一番先に解決すべき課題です。民族が解放されて以来五十年が過ぎましたが、韓半島は、依然として分断された姿で残っています。

最後のイデオロギーの象徴とも呼ばれているこの韓半島の分断は、今や私たち韓半島だけの問題ではなく、世界の問題に拡大しています。そうかと言って、統一を成就する力や方法を準備しないまま、スローガンだけを叫んでいてはいけません。

韓半島が南北に分かれたのは、我が民族が望んだからではなく、米ソ両国と中国と日本などの周辺強大国の影響によるものです。したがって南北統一は、アメリカ、ソ連、中国、日本などが、我が国を分断させたまま国際秩序を主導していく既存の状況を変えないことには、成し遂げられないのです。すなわち、韓半島の統一に対して周辺強大国が協力できるように韓国の主体的影響力を養わなければならないということです。これが正に一九九一年十一月末に、私が平壌を訪問した理由です。

今や南北統一は、この文総裁が築き上げた国際的な基盤と影響力を抜きにしては論議できない段階に入っています。なぜならば、北朝鮮も、このような私の活動の力量をよく知っているからです。最近では、北朝鮮当局が積極的に参与できるよう、統一に対する様々な方面にわたって信頼を築いてきています。民族に対する「神主義」と真の愛で北朝鮮の同胞を兄弟のように接し、父母の心情で彼らが必要とする経済援助のために多様なプロジェクトを推進しています。

金剛山開発計画、軽工業産業の育成支援計画、定州平和公園造成計画など、すべてが我が民族の統一のための基盤を築いていく事業です。特に定州平和公園造成計画は、私の生まれた生家を中心に造成されるのですが、北朝鮮当局は既にそこを聖地に指定し、途方もない広さの土地を貸すなど、聖域化事業に積極的に協助しています。

愛する青年連合の会員の皆様。統一とは何でしょうか。それは、真の愛を中心として、相手と条件なく一つになることです。相互間に信頼を与えることができる真の愛の実践運動を通じて、統一に向かう最も具体的な方法を提示しなければなりません。このような原則のように、我が民族の統一も、神様の絶対的真の愛を通して南と北が互いに和解し、協力して、一つになる道に進んでいかなければなりません。これは、私たちが北朝鮮に対して無条件の投入と支援を推進している理由でもあります。また、私は、中南米の数十ヵ国を訪問して各国のトップと会い、南アメリカの統合と支援を約束しました。これは、南北アメリカを統合し、旧教と新教を統一し、世界平和統一の基盤を造成するための一環として行われているのです。

今後「世界平和青年連合」は、祖国統一の成就のために先導的な位置に立って進んでいくと私は確信します。

皆様は、祖国と世界が一つになるよう、良心ある青年として先頭に立ってください。良心的で悟りのある青年だけが、歴史を変革し、人類をより善の道へと導く資格があるのです。私は、このような人間本性に一致する最も根本的な基準は良心であると思います。良心は、堕落した人類が本来の父母であられる神様を再び探し出し、より善の世界へと進んでいくための物差しです。人間は、良心の基準に従って善を指向することによって、人類理想社会を実現していくことができるのです。

歴史を振り返って見ると、数多くの預言者や聖賢たちが存在しました。しかし、彼らは外的な統一を成し遂げましたが、心と体の心身統一は成し遂げることができなかったので、根本的な限界に直面せざるを得ませんでした。しかし、今や神様の真の愛を中心として、真の父母がこの地に顕現し、真の家庭を築き、統一された理想社会を実現していきつつあり、これによって神様の救援摂理の主流圏を形成するようになりました。

真の父母様は、神様と人類を接ぎ木してくださる仲保者です。真の父母なくしては、人類が神様のもとに行くことはできません。真の父母は、人類を堕落から救援してくれる唯一の道を提示してくださる方なのです。皆様は、真の父母の意味を再度、胸に刻まなければならず、その方を迎え、その方に従って人類救援の摂理に同参する準備をしなければなりません。

愛する会員の皆様。私が「世界平和青年連合」を創設したのも、このような救世運動を繰り広げていくためです。そして、私の妻である韓鶴子総裁を立て、その陣頭に立つようにしました。韓鶴子総裁は、私の妻であり、十三人の子女をもった家庭の母としてだけではなく、「世界平和女性連合」の総裁として真の女性運動を主導しており、人類理想社会の実現のために全世界的な次元で熱心に努力しています。韓鶴子総裁は、去る一九九三年に全世界四十ヵ国巡回講演をはじめとして、国連本部、韓国、アメリカ、台湾各国での国会講演、韓国四十カ所大学講演など、数百回の講演を通して、人類の行くべき真の道を提示し、参席した人々から熱烈な支持と歓迎を受けました。

今後、「世界平和青年連合」は、創始者の意図により、韓鶴子総裁を中心として、南北統一はもちろん、暗闇の中にいる人類に真の救援の道を開くことができる真の光になると期待する次第です。そして全人類に、二十一世紀に対する新しい希望とビジョンを提示できる青年運動団体になることを希望します。人類を救援と解放に導く先駆者としての「世界平和青年連合」が発展していくためには、皆様の決意に満ちた努力が必要です。

「世界平和青年連合」の会員の皆様。真の愛とは、無限に与えてもさらに与えるものであり、与えたということさえも忘れてしまう自然な心情です。条件なく与えることが正に最も自然であり、貴いことにほかなりません。真の愛があるところに、人間の本心は反応し、真の愛があるところに、人間の良心はとどまることを望むのです。

私は、ここにいらっしゃるすべての方々が、このような真の愛の実践者となってくださることを願います。そうして全人類が「世界平和青年連合」と共に活動できるようになることもまた、心よりお祈りいたします。限りない真の愛の生命力が「世界平和青年連合」の名によって全世界に及ぶことができるよう、私もまた韓鶴子総裁と共に力強く前進していくでしょう。

既存のいかなる団体よりも、人間の本性により一層近く進んでいく真の愛と真の生命と真の血統により、道義世界の創建のために先頭に立つ若い青年たちとなってくださることを心から願ってやみません。

最後に私がお願いしたいことは、皆様が「世界平和青年連合」の真の主人であることと、青年連合を皆様自身そのもののような存在と思っていただきたいということです。このような召命と実践が一致するとき、皆様は間違いなく、「世界平和青年連合」の会員として生きてきたこの時期を大いに誇り得る日がやって来るでしょう。皆様のすべてに神様の祝福と恩寵が共にあることを願います。ありがとうございました。

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第六篇 17 青年は真の愛実践の主役

第六篇 17

青年は真の愛実践の主役

日付:一九九七年十一月二十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ハイアット・リージェンシー・ホテル

行事:第三回「世界平和青年連合」世界大会

親愛なる「世界平和青年連合」の会長、尊敬するリチャードルービンシュタイン共同議長、世界各地よりお集まりになった内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょう、世界百三十ヵ国を超える各国の代表の皆様と共に、「世界平和青年連合」の第三回世界大会を、ここアメリカのワシントンDCで開催できたことを心からうれしく思います。

特に、きょうのこの大会が、歴史的な三百六十万組の祝福結婚式の行事を中心とする第三回「世界文化体育大典」の一環として開かれたことは大変意義深いことと思います。なぜならば、地球星の各地から人種と宗教と国籍を超越して、世界的に開催されるこの祝福結婚式の行事の主軸が、正に善男善女として選ばれた青年の皆様であるということだけではなく、二十一世紀を眺望して開かれるこの期間のすべての会場で、青年の皆様がその実践の主体となるからです。

これまで世界各国、そして社会の各分野と階層において、世界平和の実現のためにあらゆる心血を注いで努力し、貢献してこられた青年連合会員の皆様に、深い称賛と感謝を捧げたいと思います。

特に、皆様の活動が「世界大学原理研究会」、「世界平和女性連合」、そして「世界平和統一家庭連合」とともに、真の家庭理想の世界的な実践として、今年の祝祭の祝福対象とする家庭数の目標を三百六十万組から、その十倍を超える三千六百万組に、その上にまた数百万組超過して達成した成果に対し、天と皆様に感謝を捧げます。今後、三億六千万組に拡大して展開されるこの祝福結婚式の行事に、青年連合の会員の皆様が、より一層積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。

青年は歴史的転換期の主役

今日、私たちは二十一世紀の入り口に立っています。既に世界各地では、二十一世紀を迎える行事の準備のカウントダウンが始まっています。新世紀を迎える人類の心には、みな等しく、私たち人間が経験した過去のどの時よりも良い、神様の新しい絶対的真の愛で一つになった家庭の価値を探し立てる、そのような新しい世界になることを願う熱望に満ちています。

新しい真の愛の理想を指向する人間の情熱が、世界歴史の変化の原動力になったことを考えるとき、誰よりも高い真の家庭理想を追求し、強い実践の意志をもつ青年の皆様こそ、この歴史的大転換期の主体であり、主役とならざるを得ません。ですから、新世紀の扉を開き、新しい理想的家庭の変化を渇望する人類の前に、皆様は希望の象徴として現れるのです。

歴史上には、文学作品に、青年たちの役割と特性、またはそれに対する礼賛の言葉が数多くありました。しかし、今日ほど、家庭や国家、また世界において、青年の役割と責任だけではなく、真の家庭に対する革命が強調される時というのは、まれなことだと思います。ですから、今回の大会で「真の家庭と国家と世界のための青年」という大きな主題を中心に議論することは、非常に時宜にかなったことであると言わざるを得ません。

現在は、家庭や国家、世界のすべてが深いジレンマに陥っています。世界的に産業が発展し、機械文明が発達し、人間の生活が便利になるほど、かえって私たちの生活の基礎となる家庭は破錠に向かっているのです。アメリカ統計局の資料によると、急増する離婚率は、一九七〇年から一九九〇年までで三倍も跳ね上がり、六家庭に一家庭は離婚するという結論が出てきています。そして、全国的に三〇パーセントの子女が片親のもとで育っているという実情です。さらにその上、同性愛の夫婦という世紀末的な奇現象までますます広がっているのです。

実に四〇パーセントに達するアメリカの十四歳から十九歳までの少女たちが、妊娠を経験するという報告があります。三十年前に比べ、青少年の自殺率が三〇〇パーセントになるという爆発的数値を示しているのは、衝撃的なことであると言わざるを得ません。家庭の崩壊現象は、現代社会が抱える最も深刻な危機要素となっているのです。国家的な次元においても、慢性的経済不均衡と麻薬、暴力、エイズなど、街の隅々に硬直した社会問題の前に、政治の力はその限界をさらけ出しています。

さらには、今日の世界は依然として戦争とテロの脅威、人種間の葛藤、宗教間の反目、そして環境破壊のような全人類的な課題を抱き、苦悩しています。数多くの地域の人々が飢餓と疾病の苦痛の中でむごたらしく苦しんでいる様子は、いまだに私たちが無視できない現実として残っているのです。このような現実こそ、今まで人類が経験してきたすべての理念や活動に対する総体的な成績表となります。そしてその内容は、不幸にも落第点なのです。

ですから、すべての家庭と国家と世界は、新しい変化を切実に追求しています。新たな二十一世紀を迎えながら、私たちは自ら、すべての家庭と国家と世界を新しく変化させなければならないという、主体的自覚が先立っていかなければなりません。

私たちに与えられた課題は、変化の主体として新しい青年像を確立し、新しい真の家庭と真の国家、そして真の世界のための新時代を開かなければならないのです。すべてが新しくならなければならないときに、新しくなれなければ破壊されてしまいます。

一粒の種は、芽を出すことができなければ腐ってしまいます。新しい朝が来れば、新たに身支度をしなければなりませんし、新しい季節が来れば、新しい生活環境を整えなければならないのです。重要なことは、新しい変化の風によって真の世界をつくるために、私たち自身が、真の家庭と真の国家によって新しくならなければならないということです。

青年連合の会員の皆様。自分自身を新しくし、家庭と国家と世界、そして歴史を新しくする方案とは何でしょうか。二十一世紀の入り口に立った私たちにとって、本連合の創始者であられる文鮮明先生が教えてくださり、手本を示してくださった真の愛の家庭と国家と世界の理念は、平和世界の基本理念として、新しい歴史を開いてくれています。

真の愛の初舞台は真の家庭

本来、神様の創造理想は、投入しては忘れ、また投入しては忘れるという犠牲的な真の愛から出発します。神様のすべての創造の労力は、御自身の力を投入する犠牲ですが、それは愛の力を動機としているので、数千万倍大きな喜びとして再び神様に返ってくるのです。父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになり、父母は大きな喜びでその犠牲を満たすのです。このように犠牲的な真の愛の力は、与え合う作用を発展させ、真の家庭で、そして真の世界で永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところで、永生の理想世界が顕現するのです。

しかし、このような真の愛が欠如した家庭と国と世界は、抜け殻にすぎず、むしろあらゆる不信と反目と不倫の納骨堂になってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長して完成する場は、真の家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして真の兄弟の愛が共に完熟して実践される場は、真の家庭なのです。

真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟愛を通して、真の国と世界人類に対する普遍的な真の愛を訓練する場は真の家庭です。それだけでなく、父母と子女の間に受け継がれる真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結していく、歴史的な鎖の基本単位も真の家庭です。

やせた土壌からは充実した実が期待できないように、破壊された家庭から、正しい社会人や世界人は形成されません。ですから、この時代に青年の皆様に与えられた召命の第一は、皆様が真の愛の主体となり、真の家庭文化と真の家庭伝統の基礎を築く主役になることです。

青年の理想と情熱が現実的に展開されるところは、真の家庭の上に立った国です。そのため、国家の評価は、政治、経済、軍事力、または文化力に基づいて行われるのではありません。正に家庭では孝子、国家では忠臣となるような青年の精神と愛国の衷情によって行われるのです。青年は芽であり、芽が枯れた木は未来がないのです。

しかし、すべての国々に見られる青年の実情はどのようなものでしょうか。すべての国々が抱えている最も究極的な問題は、青少年の問題となっているのです。政治、経済、社会、そして環境的な問題は、制度的な改善や財政的投資によって、その解決点を見いだすことができますが、青少年の問題は、法律や軍事力、または経済力によって正すことができるものではありません。また誰一人として強制的な力によって改善することはできないのです。それには、もっぱら青少年が自ら、自分に対して責任をもつことができるようにしなければなりません。そのためには、青少年たちをして、真の愛に同化させ、その主人として定着させなければなりません。

すべての理想の原点であり、未来に向かって永遠に作動する真の愛は、青年たちにとって生命以上の力になります。青年たちが真の愛を中心とした新しい国家観をもつとき、国家は新しい発展の可能性を見いだすのです。真の愛の姿勢を備えることによって、すべての諸団体は、衝突する利害関係の枠を跳び越え、協力と調和と発展の社会を成し遂げるのです。

真の愛を中心とした国家観をもたなければならない

国を動かし引っ張っていく原動力は、犠牲的な愛国の衷情の真の愛から生まれてくるのです。私たちが尊敬する多くの愛国的英雄、烈士たちのうちで、真の愛を中心として犠牲の生涯を通過しなかった人はいません。世界的次元でもまた、地域、人種、宗教、文化、慣習、言語、国籍など、一つの平和世界のために跳び越えなければならない挑戦の課題が山積しています。しかし、宇宙万象を創造なさった神様の真の愛の目を通して世界を見るとき、世界は、人種、言語、宗教、理念的な違いを越えて一つに見えるのです。青年たちが、神様の真の愛を中心に犠牲と奉仕の努力をするならば、世界の貧困と飢餓問題、貧富の格差と歴史上の葛藤と憎悪は、解決の糸口を見いだすことができるのです。

愛せないものまでも愛するという真の愛の定義から、私たちは、葛藤する関係が克服される明確な方向性を発見するようになります。自由と平等の理念的矛盾も、真の愛の場で初めて一つの出会いの場を見いだすのです。

歴史的に対立してきた神様と人間、そして人間と人間の和解も、真の愛の理念の中でこそ可能なのです。与えてはまた与え、そして与えたことを忘れて、もっと与えることを願う神様の真の愛を実践することによって、利己主義を克服し、和合と繁栄の世界に進んでいくことができるのです。特に、「家庭は国のために、国は世界のために、そして世界は神様のために犠牲になる位置に進まなければならない」という真の愛の倫理展開においてこそ、民族的利己主義や国家的利己主義を越え、永遠の平和世界を望むことができるのです。

真の青年文化を確立しなければならない

過去のどの時よりも今日の問題は、人類全体を総体的な運命圏として考えなければならない特徴をもっています。ですから、ある地域や国家で起きた問題は、世界の勢力の均衡と、経済に即座に影響を及ぼすばかりでなく、言論の発展によって、世界は既に、分、秒の生活圏へと差しかかっています。

今この瞬間にも、インターネットのシステムにコードさえ入力すれば、全世界とリアルタイムで意思疎通できる扉が開かれます。空中に浮かぶ二百個以上の通信衛星によって、地球は既に一つの囲いのようになり、人類はその中で一緒に生きていく地球家族となりました。すべての個人をはじめとして、世界の家庭、国家、そして人類の問題を一つの統一された課題として解決し、どこでも同時に一貫した次元の平和を実現できる万能の鍵は、正に真の愛の力、真の愛の理念です。そして、その真の愛の実践の主役は、正に真の愛の青年の皆様なのです。

純粋さ、新鮮さ、情熱、力、勇気、挑戦、前進、犠牲、忍耐、理想、希望などは、真の青年たちに特権として与えられる祝福の単語です。このすべての単語は、真の青年たちが、家庭と国家、そして世界において真の愛を実践するとき、初めてその真価を発揮するのであり、ひいては真の青年たちは、真の希望の実体として登場するのです。新しい方向とビジョンを提示し、実践に移すことのできる人だけが、新しい時代の主人公になるというのは、歴史的に実証された真理です。

祝福結婚運動は人類的文化革命

皆様は、いかなる環境においても歪曲されない絶対愛、絶対純潔の運動を通して、真の愛を中心とした真の青年文化を確立しなければなりません。真の愛を中心とした真の家庭を守護すべき真の青年たちにとって最大の敵は、退廃や享楽のような非道徳的風潮であることを肝に銘じなければなりません。真の愛の基盤となる真の家庭を築くことこそ、今世紀の生死を分かつ至上課題なのです。

このような観点から、今後繰り広げられる三億六千万家庭の祝福結婚運動は、全世界が歴史的に死活をかけて成就しなければならない人類的文化革命なのです。人類歴史において見ることのできなかった精神的で道徳的な新紀元を成し遂げるのです。

皆様のような真の青年たちが真の愛の主体となり、真の家庭、真の国家、真の世界の建設の主役となるとき、私たちに近づいてくる二十一世紀は、希望と展望ある未来へと広がっていくことを私は確信します。今後成就される三億六千万組の国際合同結婚式の完成に向かって、皆様がお帰りになりましたら、国家的次元で後援会を結成し、積極的な御支援をお願いする次第です。神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第七篇 1 真のプリチャッキ(ルーツ探訪)運動の方向

第七篇 1

真のプリチャッキ(ルーツ探訪)運動の方向

日付:一九八九年六月二十三日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:韓国プリチャッキ連合会文鮮明総裁推戴式

尊敬する会長、内外の貴賓、そして韓国国民を代表する各氏族の宗長と指導者の皆様。きょう、私を「韓国プリチャッキ連合会」の総裁に推戴してくださるこの意義深い式典を、皆様の合心一体の精誠によって準備してくださいましたことを、心から感謝申し上げます。

1. プリチャッキ連合会の総裁職を受諾した理由

御存じのとおり、私は、統一教会の創始者として、また世界の碩学たちの集まりである「科学の統一に関する国際会議」、元・現職の国家元首の集まりである「世界平和のための頂上会議」、宗教界の指導者の協議体である「世界宗教議会」、言論界の指導者で構成された「世界言論人会議」など、多くの集まりと団体を設立し、世界的に統一運動を展開する中で、重要な組織から総裁、もしくは名誉会長などに推戴されてきました。しかし、摂理的に見て、きょうのこの式典もまた非常に貴いものであると言えます。この運動を通して、すべての人々が、万有の根であり生命の根源であられる神様を正しく見いだし、さらに神様に正しく侍る契機となることを強く希望しながら、ここに喜んで総裁職をお受けいたしました。

我が民族は、いにしえより氏族意識が強く、先祖と家門の根を尊重してきました。この伝統は、定着生活が求められ、同姓地域を基盤とする農耕社会が長く民族史を形成してきたところに由来するとも言われていますし、近親倫理を核とする儒教の教えが原因となって形成されたとも言われています。しかし、根本の理由は、さらに深いところにあるのです。我が民族は、古代より驚くべき敬天思想をもち、美徳の中でも孝行を根本と考え、重視してきました。それは、天がみ旨を中心として、特別にこの民族を育ててこられたからです。神様はこの民族を、人類の根源であり父母であられる神様に侍る人類の宗孫(宗家の長孫)とならしめるために、祖先をあがめ、父母に対する孝の道を歩む民族として育んでこられました。こうして我が民族は、世界に類例のない敬天・忠孝思想と礼節を尊重する精神的求心点をもって、氏族と家門を培ってきたのです。

この場にお集まりの氏族の代表の皆様は、我が国の貴い伝統を守り、後進たちにそれを教育するため、多くの御苦労をなさってきたことと思います。しかし韓国社会は、急速に進行する産業化と都市化の過程を経る中で、温かい共同体意識が薄れ、家庭も様々な面で試練を受け、その位置も変化しつつあります。最近に至っては、私たちの伝統文化と美風良俗が根本から揺らぐ危機に直面しており、こういった不幸は、世代間の葛藤と労使間の対立などによって、ますます加速化しています。

2. 幸福な世界への出発点

このような現実の中でプリチャッキ連合会は、各々の祖先を訪ね、それに侍る運動であることはもちろん、誰もがみな一つの根をもつ一つの子孫であることを確認させる、挙国的で世界的な運動として発展しなければなりません。氏族単位の族譜を正しい民族譜へと、その次元を高めていかなければならないのです。

民族単位を支える狭い根源意識ではなく、民族全体、人類全体の求心力としての根源意識に昇華させなければなりません。私たちは本来、相手を葬り去って自分たちが生き残ろうという対立関係にあるのではなく、同じ根の養分を受けた運命共同体なのです。したがって私たちの運動は、民族内に限定されてはならず、五色人類の根も結局は一つであることを悟らせ、人類は一つの根を通して和合し、ただ一つの地球星という一隻の船に乗った運命共同体意識で生きていくことを教育しなければならないのです。

科学技術の発達とともに、人類は過去のいかなる時よりも、共に生きる国際協力を必要とするようになりました。全世界的な情報交換と資源の共同開発が切実に要請されているのです。子孫の生存のためには、地球環境と大気が共に大切に保存されなければなりません。現代人は、東西理念の対決、科学兵器の大量生産、国際的なテロや犯罪、退廃的風潮の流行と拡散などによって、世界の運命を予測できずに、不安を感じています。

すべての指導者が心の扉を開き、国際的協力をしながら全体目的のもとに和合し、世界の火急な諸問題を解決していかなければなりません。私たちは過去のいかなる時よりも、人類全体を一つの有機的共同体として理解し、人種間の壁を崩し、文化と文化を調和させ、統一していかなければなりません。それでは、何によって人種間の壁を崩して理想世界を成し遂げることができ、いかにすれば平和に対する様々な障害を根本的に除去できるのでしょうか。氏族会議を見ても、各個人の意見がいかにまちまちであり、一つの家庭内においても和合がいかに難しいでしょうか。どこからであろうと解決の糸口は必ず見つけなければなりません。また、世界の異なった文化と伝統を調和させ、戦争のない人類一家族の幸福な世界を成し遂げる出発点は、果たしてどこにあるのでしょうか。人類が、万有の根本であられる神様に対して、各自の始源であり、根であることを自覚し、天理に従うただ一つの道から根本的な解答を見いださなければなりません。

私が神様と交わりながら天理を探し求めてさまよい、七十年の生涯を通じて修道と実践の路程を歩んできたのも、正にこの根本問題の解決のためでした。人は心で生きるのであって、体で生きるものではないように、外的にこの世界がどんなに繁栄したとしても、神様との根本問題が解決されなければ、突如として人類最後の瞬間が訪れることもあり得るのです。

3. 人類は一組の始祖から出発

尊敬する氏族の指導者の皆様。この宇宙は、単に物質を起源とするものではなく、自然発生的に生じたものでもありません。宇宙の第一原因者であられる創造主、神様がいらっしゃるのです。その方は絶対者であり、永遠不変であり、善なる方です。宇宙万象は、神様の基本設計である創造目的によってつくられた被造物なのです。心情の本体であられる神様の創造目的は、喜びを得ることです。喜びは一人では感じることができません。ある主体が喜びを感じるためには、必ずその対象としての実体が必要なのです。喜びの中でも最高の喜びは、主体と対象が愛を交わす時に感じるものです。

人間は、神様が無限に愛することによって永遠に喜びを得ようとして創造された、神様に最も近い対象である子女なのです。このように神様は、人類の祖先として一男一女を造られましたが、聖書では彼らのことをアダム、エバと呼んでいます。絶対的な神様は、その真の愛の対象である一男一女以外に、別の愛の支流をつくることはできません。名前が何であれ、神様の真の愛の対象である人類は、ただ一組の始祖から始まったのです。

私たちの始祖アダムとエバが、神様の愛を完成し、互いに真の愛を交わしながら善の子孫を繁殖していれば、どのような世界になっていたでしょうか。彼らは、創造主、神様を無形の縦的な父母として侍り、愛の夫婦となって、横的な真の父母となる理想家庭を築くようになります。その真の家庭を根源として繁栄した一族、すなわちアダム一族が民族として栄え、彼らが築く国家や世界は、神様の愛と善に満ちた幸福な文化世界にならざるを得ません。このような世界がすなわち天国であり、神様の創造目的であるこの天国は、間違いなく地上に築かれたでしょう。

人類始祖を根とした全人類は、本来、地上天国で生きて、その後、その霊人体が天上天国へ行くようになっていました。このように神様の創造目的は、人類が神様を中心とした大きな家庭を形成し、人類全体が一つの兄弟となり、一つの一族となることでした。神様を中心とした始祖アダムの家庭の善の家法がやがて伝統となり、代々に伝授されながら、一つの根から出た一つの言語、一つの文化、一つの天の主権のみが存在する統一世界となったことでしょう。そこに悪や不正、理念の葛藤、戦争などが想像できるでしょうか。

しかし、今日の現実はどうでしょうか。神様の理想とは正反対の世界になってしまいました。個体の中では、心と体が葛藤し、そのような個人個人が築いた家庭、氏族、民族、そして社会、国家の中でも、矛盾と分裂と闘争が続いています。あらゆる不倫と退廃、非道と暴力、戦争と虐殺、価値観の混乱、文化と伝統との衝突、理念の対決など、この世界は惨状の連続です。

時間の関係で詳細に説明することはできませんが、何かが大きく間違ったこの世界を元の状態に回復するために、天は聖人を立てて天道を明らかにし、宗教を通して人類を教育してこられました。悪の世界において善を立てて実践するということは、たやすいことではありません。義人や烈士たちの犠牲もそのためだったのであり、真の修養の道が、骨を削るような自己犠牲であり、無条件に施す道でなければならないことも、その一例です。

4. プリチャッキ運動の真の始源

私たちのプリチャッキ運動を通して真の始源を求めていくと、自分の先祖とその先祖の先祖となる人類始祖に行き着くことになります。さかのぼって善の根を探し求める道は、まずあらゆる邪悪と不条理の動機と曲折を解き明かさなければならず、ひいては、神様を知り、人間始祖に対する神様の心情を尋ね求めていってこそ、真の根を見いだしたと言えるでしょう。

木は、外的に見ると季節によって様々な姿をもっていますが、そのすべての変化する要素を順番に除去していくと、残るものは結局、根の根本となる種と生命に帰着するのです。そのように、人類を根源に返らせる真のプリチャッキ運動は、まず、さかのぼって復帰の方向に従い、悪のすべての要素を消化し、えぐり出さなければなりません。そして神様の生命と真の愛に接ぎ木され、純化された神様の息子と娘にならなければなりません。

韓国が根の深い立派な族譜を世界に誇るようになり、また族譜学の根源になったのは、偶然ではありません。本来、韓国は、先進国となり経済的に富み、外的に豊かな国になることだけが、私たちの目標となってはならないのです。神様はこの民族、この地を通して、全人類の幸福の始源をつくり、真の愛の新天新地を築こうとしておられます。私が神様の啓示に基づいて、有史以来、初めて神様の心情と創造目的を明らかにしたことは、我が民族にとって奇跡のような祝福です。私が創造した宗教理念を中心として繰り広げている真の愛の統一運動は、既に東西や文化圏を超越して超国家、超民族的次元で、世界を生かす運動として拡大しました。百三十七ヵ国に燎原の火のように人格革命、道徳革命を起こしながら、拡大しています。

私はこの席で、真の愛の理論を説いているのではありません。世界的な無理解と激しい迫害、宗教的な偏見のもと、死線をさまようような苦難の道を通して、真の愛を世界的に実践した実績をもってお話ししているのです。これは私自らの力だけで成し遂げたことではありません。神様の導きと加護なくしてはできないことでした。神様の真の愛と生命力を動機として成し遂げた結果なのです。

5. 真の愛の実践運動となるべきプリチャッキ運動

尊敬する氏族の代表の皆様。プリチャッキ運動は、神様を根源とした真の愛の実践運動にならなければなりません。私たちは、真の愛の化身体であるイエス様をはじめとする聖人たちの教えを、生活の中で受け継がなければなりません。私たちは、根源であられる神様を通して互いに接し、愛の関係を広げて、この時代の葛藤を克服し、歴史的な不和の壁を崩し、調和の世界を築く主役とならなければなりません。特に民族の宿願である南北統一も、真の愛によるプリチャッキ運動を活性化させることによって、民族的同質性を強固にしつつ、成就しなければならないと思います。

今の時は、すべての人が謙虚になって根に返り、愛で一つにならなければならない時です。個人の利益のために全体が滅亡することを傍観していてはいけません。世界の情勢は、これ以上ためらう時間を与えてはくれません。神様がこの民族に下さった祝福を、愛の実践によって花咲かせなければならないのです。私たちは、総決起して、万民を私たちの運動に連結し、真の根、真の愛の灯台を通した人類和合の理想を必ずや実現しましょう。

皆様と皆様の御家庭と御氏族に、神様の祝福があることを祈りながら、話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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第七篇 2 ユニバーサル・バレエ・アカデミー開校の祝辞

第七篇 2

ユニバーサル・バレエ・アカデミー開校の祝辞

日付:一九九〇年九月六日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ユニバーサル・バレエ・アカデミー

尊敬する貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。私たち夫婦がユニバーサル・バレエ・アカデミー(UBA)開校の祝賀式に、このように参加できましたことを誠に喜ばしく思います。この教育事業は、私にとって大きな関心事でした。

皆様。様々な芸術の中で、私は古典バレエに対して特別な愛着をもっています。私の家族の中でも、嫁の一人がブロのバレリーナです。私がバレエを好むのは、そこにシンブルでありながらも深奥な意味が秘められているからです。バレエは神様を賛美する芸術であると思います。私は常々、バレリーナたちが、自らの手足を可能な限り広げ、伸ばし、天におられる神様に触れようとしているように感じてきました。つま先で立ち、天に向かって手を振り、互いを抱き上げて空中へと舞い上がるのです。バレエ芸術は、体全体を使って、人間が神様を慕うその様子を表現しようとします。そのような意味で、私はバレエこそが究極的な芸術美の表現であると思うのです。

一九八九年のある日、偉大な現代芸術家の一人、キーロフの芸術監督オレグ・ヴィノグラードフ氏が私を訪ねてこられました。そして、バレエに対するビジョンについて、彼と語り合いました。その時に私は、この世界的な芸術家が、何としてでも神様から与えられたその天賦の才能を、ソ連のみならず、世界のために発揮したいと切に願っていることを知りました。この出会いによって合意され、UBAを設立する目標が確固たるものとなりました。きょうは、まさしくその夢がかなう日なのです。ヴィノグラードフ氏がこのような使命をもってここに来られることになったのは、神様のみ旨であると思います。また、ヴィノグラードフ氏がこのような使命を帯びてアメリカに来られたことを歓迎し祝う手紙を、私はジョージ・ブッシュ大統領から受け取りました。

紳士淑女の皆様。私はこの時間をお借りして、しばし芸術に対する私の所信を打ち明けたいと思います。根本的に、神様は創造主であられ、人類の父母であられ、同時に宇宙における最初の芸術家であられます。神様の創造された世界の美しさと奥妙さは、いつ見ても、これが正に究極的な美、真、善の芸術的表現であることを私たちに示してくれているではありませんか。

男性と女性は、創造主であられる神様の芸術的創造力による表現の極致であり、その人間は、神様の創造を理解し観賞できる能力をもった唯一の被造物です。さらに人間は、神様に似た芸術家であり、神様と共に、神様のもつ内的真理と美と善を展開し表現しようとする欲望をもっています。究極的に、私たちが神様と共に創造しようとする偉大な芸術作品は、正に人間の生命と愛が調和を形成するところに現れます。人間は、神様の生命と真の愛を体験し、完全な神様の調和的な相対となることによって、人生の偉大な価値的存在となるのです。

創造する過程は、人間に深奥な経験をもたらしてくれます。真の愛と真の芸術は、誠実で美しく、善なるものを栄えさせたいという願いから湧き出てきます。私たちは、天賦の芸術的素質を活かして、真の愛と地上の永遠の平和を創造していかなければなりません。そうすることによって、私たちは崇高な人間としての価値をもつようになるのであり、最善を尽くして愛の具現に貢献し、神様の心情を慰めてさしあげ、新しい芸術世界の創造に貢献しなければなりません。

二十世紀の後半期は、混沌の時期であると言われています。その混沌が、東西はもちろん、各界各層を問わず、人間の生活全体に及んでいます。それは、根本的に突き詰めれば、価値観の混乱なのです。何が正しく何が間違っているかという混沌が起き、何を取って何を捨てるかという混沌が起きているのです。

このような価値観の混沌は、芸術界も例外ではありません。現代の芸術や芸術家のほとんどが、芸術は人類に奉仕する道であり、神様に栄光を捧げることが本来の目的であることを忘却しています。ある芸術家においては、芸術が単に自分の利己的情熱を満足させる道具となってしまっています。快楽的性行真の紊乱や、悪を分別する能力の喪失といったものが現代芸術の風潮となりつつあるのです。

私はこのような内的芸術世界の腐敗を大変残念に思っています。そこで、私はいくつかの芸術団体を新たに創設し、芸術の本然の本質を復帰する陣頭指揮官として立て、それらの団体を通して神様を中心に美、真、善を追求しています。正にこのような理由で、「ユニバーサル・バレエ財団」を創設したのです。

私はこのような芸術界の復興における、この至大な使命を遂行するに当たり、ソ連の有能な芸術指導者の皆様と協力できるようになり、大変喜ばしく思います。私たちは、力を合わせて、この重要な共同の目標を達成しましょう。そのような意味で、いま一度ヴィノグラードフ氏御夫妻の使命を大きく評価し、共に来られたロシアの芸術家の皆様に謝意を表します。

私はこの機会に、ソ連政府がきょう、私たちのこの事業のために多大な尽力をしてくださったことに対し、この場をお借りして、ソ連大使に感謝を捧げます。同時に、この事業の成功のために惜しまずに支援をしてくださったアメリカ政府当局にも感謝を捧げる次第です。また、本アカデミーの傑出した諮問委員の皆様にも感謝を捧げます。皆様の貴い諮問により、本機関は芸術界の最高峰を占め、名高い機関に発展していくでしょう。

芸術は世界平和の重要な要の一つです。UBAは単なるバレエ学校ではありません。才能ある学生たちが人種や宗教、国籍、文化の背景の違いを超えて全世界から集まることによって、この学校は一つの地球村家族の実現体となるでしょう。また、本校の開校は、米ソ両国の友好増進に大きく寄与するでしょう。神様の祝福が、皆様と共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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第七篇 3 平和世界建設の主役になろう

第七篇 3

平和世界建設の主役になろう

日付:一九九二年八月二十四日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジヱルス芸術会館

行事:第一回「世界文化体育大典」合同祝賀晩餐会

第一回「世界文化体育大典」の議長団、内外の貴賓の皆様、ならびに国内外の参席者の皆様。今夜は、このように「世界文化体育大典」の成功を祈る心で満場の盛況を博すようにしてくださったことに対して、この大典の創設者として深甚なる感謝を申し上げます。私がこの場をお借りしてお伝えする題目は「平和世界建設の主役になろう」です。

1. アダムとエバの堕落による闘争歴史

皆様も既によく御存じのように、私は、日本が韓半島を占領していた一九三〇年代の半ば、十六歳(数え)の時に天からイエス・キリストを通して宗教的召命を受けて以来、今年七十三歳になるまで、一瞬たりとも天のみ旨、すなわち天命を忘れて暮らしたことはありません。

私は日帝植民地下で青少年期と青年期を送り、弱小民族の悲劇と苦痛、その悲しみがいかなるものであるかを骨身にしみて体験した人間です。その上、全人類の親であられる神様の心情とそのみ旨をくむ者として、強大国が弱小国を踏みにじる凄惨な状況と第二次世界大戦による殺戮の現場を目撃しながら感じた、その悲しみと苦痛は筆舌に尽くすことができないものでした。

不幸なことが重なり、韓半島は第二次世界大戦が終わった直後、南北に分断され、六・二五動乱が勃発し、同族が相争い、命を奪い合う戦争に、全世界が左右に分かれて参戦し、闘うという悲劇を経験しました。私は、このような悲劇的な歴史の現場を直接目撃しながら、平和世界を失った神様と人類の苦痛と悲しみを、骨の髄まで体恤せざるを得ませんでした。

創世以来、カインがアベルを殺害する兄弟間の闘争の現場を見守り続けなければならなかった、天のお父様の心情はいかばかりだったでしょうか。有史以来、この地球上で起こったすべての戦争は、本質的に兄弟間の闘争なのです。聖書はこれを、エデンの園から追放されたのちに起こったカインとアベルの殺害事件として教えています。

それでは、なぜこのような兄弟間の闘争が、家庭、氏族、民族、国家、世界の次元で絶え間なく繰り返されてきたのでしょうか。それは正に、カインとアベルの父母であるアダムとエバの犯罪に由来しているのです。

アダムとエバは、神様の創造理想を実現すべき人類の始祖として、すべての男性と女性を代表する立場に立てられた存在でした。彼らが神様の戒めを破ることによって、将来生まれる全人類の始祖である善の真の父母の位置を喪失し、堕落した偽りの父母となった罪悪こそが、人類社会のすべての犯罪と不幸の根本である原罪となったのです。

人間始祖の原罪とは、アダムとエバが神様の戒めを破り、不倫な淫乱の罪を犯すことによって、悪魔と血縁関係を結んで堕落した偽りの父母となり、人類に偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を引き継がせたことです。したがって人類は、再び真の父母に出会い、生まれ変わることによって、この原罪を脱ぐための真理と方法を探し出し、それを実践せずしては、罪悪と闘争にあふれるこの世界から抜け出すことができないのです。

2. 世界文化体育大典は神様に捧げる神聖な式典

私が天の召命を受けた十六歳(数え)の時から十年間、正にこの問題の解決のために、頼る所のない孤独な身で真理を探究した結果が、今日、「統一原理」、「神主義」、または「頭翼思想」と呼ぶ新しい真理です。

私は、この真理を一九四五年八月十五日、韓国が日帝から解放されたときに、初めてこの地上に発表し始めました。私は、この真理を発表したために、これまで途方もない迫害と非難を甘受しなければならなかったのです。

私が生涯にわたり六度も投獄された事実を思い起こしてみてください。皆様は、その非難と迫害の度合いがどれほどのものだったかを推し量るすべもないでしょう。「統一原理」を発表してから四十七年目になる今年、開催される第一回「世界文化体育大典」は、これまで神様と人類の解放と平和世界の具現のために、独りで種を蒔き育ててきた私のすべての実績を満天下に現し、神様にお捧げする神聖な式典なのです。

私が生涯をかけて尽力してきたすべての内容は、父母なる神様のみ前に世界人類は一つの兄弟姉妹であり、一つの家族であることを確認するものです。人種や民族、国境を超越して、人類は父母であられる神様を中心とした家族なのです。

3. 世界平和のための活動

「統一原理」が提示する私のこの教えを、最も主流となって実践する機関が「世界基督教統一神霊協会」、すなわち統一教会です。今や、地球上に統一教会のない国はありません。

あす、ソウルのオリンピック・メーンスタジアムで挙行される三万組の国際合同祝福結婚式は、正に「人類は神様を中心とした大家族である」ことを証する現場となるでしょう。また、私は統一教会を根として、これまで各方面にわたり、神様を中心とした人類大家族が自由と理想と幸福を謳歌する平和世界の建設のために数多くの機構を創設し、広範囲に及ぶ活動を展開してきたのです。

今回の「世界文化体育大典」では、その代表的な機構の活動を一堂に集めて示しており、今後、相互間で一層緊密な関係と協力を固めるために、統一された組織と機構を創設するようになるでしょう。すなわち「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和のための頂上会議」、「世界宗教議会」、「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「国際芸術公演団体」および「世界大学生原理研究会」などが国際合同祝福結婚式と前後して、平和世界建設のための私たちの心霊・知性啓発と献身を誓う場を設けるでしょう。

私が執り行う統一教会の国際合同祝福結婚式こそ、人類が原罪を清算し、神様の真の愛、真の生命、真の血統を取り戻す復活と重生の祝福なのです。そしてこの祝福結婚式は、人種と民族と国境を超越し、真の人類兄弟大家族の理想を実現する平和の産室になるのです。

今私は、このすべての団体と機構の創設者として、改めてこれらの団体が神様と人間の理想である世界平和を具現するためのものであるという事実を闡明する次第です。

そして、特定の団体や教団、特定の民族や国家の利益のために創設されたのではなく、万有の主人であられる神様と全世界の人類の幸福と平和と自由のために創設されたのです。

したがって、私たちの運動は地球星に住む全人類の家庭を救い、すべての民族と国家を救い、さらにはこの世界を救う、救家庭、救国、救世の運動にならなければなりません。

4. 真の愛運動と女性の役割

不倫と退廃の一途をたどる性道徳の紊乱は、私たちの家庭を破壊しています。どの国家も道徳の破壊と犯罪で苦痛を受けており、党派と階層間の対立はもちろん、貧困と無知がいまだに存在しています。世界は国境紛争や宗教間の偏見、人種間や民族間の葛藤が解決される兆しが見えず、国家や民族の利己主義によって世界平和は脅威にさらされ続けています。

また、地球星全体が今、あらゆる環境破壊と汚染問題にさらされ、人類の未来に甚大な危機が到来しています。国境を超越し、超民族的な愛と人類愛を発揮できなければ、人類は共に破滅の道に転落しかねない危機の状況が、私たちのすぐ目の前に来ているのです。

私は、人類が直面しているこの危機を打開する道は、「統一原理」、すなわち「神主義」に立脚した真の愛運動だけだと考え、一つの統一された世界を建設する基盤を築かなければならないことを重ねて強調する次第です。今年の七月の初めに、韓国の五大都市で開催された「世界平和女性連合」指導者大会で、私と私の妻である韓鶴子総裁は、私が人類の真の父母、救世主、再臨主、メシヤであることを宣布しました。

私がなぜ韓国の女性指導者たちの前でこのような驚くべき、かつ恐ろしい発表をすることになったのでしょうか。それは、人類の歴史を罪悪で染めた悪魔サタンに、人類の母である女性エバが堕落させられたからです。そして、神様はサタンを屈服させる第二の完成したアダムとしてメシヤをお送りになり、女性を代表した、完成したエバを探し出す摂理があるからです。

また女性たちは、家庭を守る愛と平和と奉仕の中心です。世界平和も、その出発の起源は健全な家庭の母でなければなりません。メシヤの役目を宣布した私の最も中心となる教えは、神様を中心とする家庭倫理の確立と二世教育の問題です。家庭は、汚されたこの世界を浄化させなければならない聖所なのです。

ですから、私はメシヤとして、妻であり完成したエバの立場である韓鶴子総裁を中心とした女性指導者たちに、このような宣言をせざるを得なかったのです。

そしてこの宣言は、私の教えに従うすべての人々に対して、「共に真の父母の道理を果たしながら、神様を中心にお迎えし、この世界を救援する犠牲と奉仕の道を、私たち夫婦と共に歩んでいこう」という勧告と通報のメッセージだったのです。

5. 「世界平和統一堂」創設の提案

内外の貴賓の皆様、そして各国代表の皆様。これから私は、この演説の結論に代えて、私たちのこれらのすべての救世運動を効果的に推進するために、「世界平和統一連合」の機関として「世界平和統一堂」の創設を提唱する次第です。

誤解がないようにするために、「世界平和統一堂」の「堂」の字は、「家」を意味する「堂」であって、「群れ」を意味する「党」ではないことを明らかにしておきたいと思います。言い換えれば、私の言う「世界平和統一堂」は、通常の一国の政権を勝ち取るための政党の機能を意味するのではなく、世界平和のために世界が統一された基盤と努力を増進させる連帯活動を強化する殿堂、すなわち「家」の意味をもっているのです。

男性を「天」と表すなら、女性を「地」と表します。家は女性の生涯の舞台であり、母はすべての家族の愛のための家の中心であり、母を中心とした家庭は国家と世界を結ぶ単位です。「堂」という言葉は、母を中心として地を高める意味があり、「教育する」という意味があります。それでこの「堂」を使ったのです。すなわち、母を中心として「女性を教育する家」という意味になります。

ですから私たちは、世界の平和を具現するために、各国の政治指導者、学者、宗教人、言論人、教育者、芸術文化人、女性指導者、青年指導者たちが、全世界の女性を代表する母たちに、神様を中心とする愛によって心と体が一つになり、家庭を中心とした世界平和のビジョンを提示し、積極的な交流と教育の機会を提供できるように拍車を掛けてくださるよう願います。

6. 二十一世紀の平和の扉を開く主役になろう

今夜、この場に参席してくださった国内外の各界指導者の皆様。私のこのような提議を快く受け入れてくださり、共に同参(一緒に参加すること)してくださるならば、必ずや二十世紀を締めくくるこの八年のうちに、神様が望まれる平和世界は正に私たちによって全人類のものとなるでしょう。今夜、この場に参加した私たちが主役となる二十一世紀の平和世界の扉が開かれるでしょう。

この祝典の期間中、皆様の無事と、今後皆様が行うすべてに神様の祝福と加護が共にあることを祈りながら、以上で私の晩餐の辞を終えさせていただきます。ありがとうございました。

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第七篇 4 心情文化世界の創建のために

第七篇 4

心情文化世界の創建のために

日付:一九九四年五月一日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:「世界基督教統一神霊協会」創立四十周年記念式

尊敬する内外の貴賓、紳士淑女、そして世界の食口の皆様。私はきょう、協会創立四十周年を迎え、深い感慨を抱いてこの壇上に立ちました。一九五四年、数人の人たちとソウル北鶴洞(プッカクトン)の小さな家に「世界基督教統一神霊協会」の看板を掛けて、公式的な出発をしたのがきのうのことのようですが、四十年もの歳月がたちました。

1. 協会創立四十周年の感懐

私がこの協会を創立したのは、ある個人的な目的を達成するためではありませんでした。ただ神様のみ旨を地上に成就するためでした。考えてみれば、迫害も多く、様々な形の受難の道を歩んできました。親も兄弟も親戚も理解できなかった道であり、さらには社会と国家から追われた生々しい記憶もあります。

最も胸が痛むことは、神様が準備されたキリスト教徒たちからの迫害であり、今でも一部では道理に合わない批判をしています。実に多くの障害物を越えてきました。

このすべての苦難の過程において、背後から守り、導いてくださった神様の深い愛に感謝を捧げます。それでは、神様の救世のための聖人の道理とは何でしょうか。神様が聖人を立てられた目的はどこにあるのでしょうか。神様が求められる聖人は、彼が死んだのちに次の歴史の中で賛美される、そのような聖人ではありません。神様は、この悪の世界を救うことのできる聖人、この時代を神様の善のみ旨で消化できる聖人を求めておられるのです。

この地上の罪悪歴史を清奠するために、悲惨な罪悪の中に入ってそれを撃破して整理する聖人、神様が最も心苦しく思われる問題に一人責任をもち、解決しようと堂々とこの世の悪と対決しながら、勝利の行軍をすることのできる聖人を求められるでしょう。したがって、聖人の行く道は平坦ではあり得ず、無理解と迫害が必然的について回るのです。

私は生きてこのみ旨を成し遂げてさしあげると神様に誓い、寝ても覚めてもその思いに没頭しました。千万回誓いながら、決意を固め、監獄のどん底でもこの誓いを立て、残酷な拷問により死境をさまよう時にもこの誓いを立てました。

2. 神様の人間創造の動機は真の愛

神様のみ旨は、信じる人だけのものではありません。万民万象が神様のみ旨のもとにあります。神様のみ旨は漠然としたものではありません。太初に神様の中心にあった創造理想、すなわち創造目的が神様のみ旨です。字宙万象と人間は、すべてその創造目的のもとに造られたのです。

永遠で絶対の神様になぜ創造が必要だったのでしょうか。神様にとって絶対に必要なものとは何でしょうか。物質や知識、または権力でしょうか。そのようなものは、神様が望みさえすれば、いつでも作って手に入れることができ、また神様自身が自由に調節することができます。しかし、真の愛だけは神様も思いのままにすることはできないのです。

真の愛は、ただ相対圏を通してのみ見いだすことができるのであって、一人だけでは愛の刺激を感じることができません。これが、神様が相対的な被造世界を必要とした理由です。神様は真の愛の理想ゆえに世界を創造されたのです。

鉱物界、植物界、動物界を観察すると、たとえそのレベルは違うにせよ、愛の理想を中心として相応、和合、授受できるよう、ペア、すなわち主体と対象に創造されていることが分かります。そして、人間は被造世界の代表者であり、中心であり、神様に最も近い愛の相対として造られました。人間は神様の真の愛の対象なので、人がいなければ神様の真の愛の目的は成就されないのです。

このような点で、神様の真の愛の相対である人間の価値がどれほど貴いものかを知ることができます。神様はその創造理想である真の愛を、最高の絶対価値をもつものとしてお立てになりました。絶対的な神様でも、真の愛の前では絶対的に服従したいと思うのです。

そのような原理のもとに造られた人間と万物も、神様のようにその真の愛に絶対服従するようになるのです。より高次元の真の愛に向かって、すべての生命力が一目散に走っていくのです。宇宙万象の存在秩序と価値も、すべてこの原則のもとに決定されます。真の愛を中心とした神様と人間の関係は縦的な親子の関係です。

神様の息子、娘として造られたアダムとエバは、まず神様から父母の愛を受けながら子女の心情を感じて成長していきます。そして、互いに兄弟姉妹の心情を感じながら成長します。その次に、神様の祝福のもとに真の夫婦となり、互いに愛し合いながら夫婦の心情を感じるようになっているのです。それとともに、子女をもち、真の父母となるとき、子女を愛しながら父母の心情を感じ、さらには神様が自分たちを子女として愛される、その父母の心情を経験するようになっています。

このような子女の心情、兄弟姉妹の心情、夫婦の心情、父母の心情を四大心情といいます。人間が完成するためには、神様の真の愛のもとで四大心情を完全に体恤しなければならないのです。この基台が理想的な家庭です。人間に対する神様の創造理想が成就される最小単位が、四大心情圏を完成した家庭です。

真の愛の主人であり、起源であられる神様は、父の立場でこのように人間に絶対不変の真の愛を相続しようとされたのです。真の愛の中では完全な調和と統一が形成されるので、神様の真の愛は、子女である人間に完全に相続されるのです。

それだけではなく、真の愛の属性として、同居権と同参権も自然と生ずるので、人間は神様の子女として同行し、共にいることができるようになっていました。そうして、人間は神様の真の愛に酔って各自が理想と幸福を所有すると同時に、自然にこれを相対と共に子孫たちに伝承するようになるのが創造本然の世界でした。

3. 真の愛は直短距離を通る

しかし不幸にも、人間始祖は天使長の偽りの愛によって堕落することにより、結果的に彼らは真の愛による真の夫婦になることができませんでした。彼らは、神様の許諾なしに子女を生んだ偽りの父母、偽りの先祖になったのです。このように人類は、真の先祖、真の父母から生まれることができず、神様が願われない血統をもって生まれるようになったのです。

自然界を見ると、レベルは低くても、すべて愛の秩序のもとに調和していますが、ただ堕落した人間世界だけが愛の秩序を守れずにいます。数限りない罪悪の闘争と苦痛はここに由来しているのです。神様が意図されたこととは反対になった人間世界を、神様は放っておくことはできません。

神様は、堕落した罪悪世界を創造理想の世界、すなわち原状に回復させようという救援摂理をされます。ですから、神様の救援摂理は創造目的を復帰する摂理であり、それはすなわち再創造摂理となるのです。天意に従って復帰摂理の主役を担ってきたのが宗教です。宗教は、神様の真の愛と真の父母思想を中心とした本然の理想的な家庭、さらには理想的な世界を復帰する目的のもとに立てられたのです。

メシヤは真の父母として来られ、偽りの父母から生まれて植えられた偽りの根を引き抜いてしまい、本然の創造理想を復帰する重大な責任をもって来られる方です。この世界が真の愛と真の家庭へと復帰されるためには、まず真の父母の位置が確立されなければなりません。正にこの使命のために神様は私を召命したのです。堕落によって本来のみ旨が成就されなかったので、神様は失ったものを回復するための摂理において宗教を立てられ、メシヤを送られたのです。

神様の不変の目的は、真の愛の理想世界の実現です。宗教の目的は、真の愛と真の家庭が実現化されることです。反対に、このような目的に寄与せずにそれ自体のためだけに存在するならば、その宗教は、神様の名を語ったとしても、神様とは関係がありません。宗教のために神様や世界があるのではありません。

本然の真の愛、真の家庭の世界へと回復しようとされる神様のみ旨のために、宗教は立てられました。そして私が過去四十年間、世界的に展開してきた超宗派的な活動をはじめとする学術、教育、思想、文化、芸術、言論、科学、技術、産業などの事業は、すべてこの目的のために推進しているのです。

私の生涯は、このことのためにすべてを投入して捧げてきました。私は監獄の道と凄絶な迫害の峠を越え、死地を乗り越えながらも、世界の五色人種(すべての人種)に対して、私を生んでくれた親よりも、私の兄弟よりも愛そうという天的な父母の心をもって生きてきました。

真の愛の行く道は、直短距離で通じる道です。真の愛の実践には前提条件や弁明があり得ず、いかなるものも決定的な障害にはなり得ません。ただ自己犠牲によってために生き、与えることで直行する道です。

私の世界的な業績に対し、たくさんの方から称賛を頂き、有り難く思います。実際、外的に現れた今日の結果も重要ですが、その動機と過程は、もっと重要なのです。どの分野の仕事も、整った良い環境と条件の中から簡単に始めたものではありませんでした。

神様のみ旨をこの地上に成し遂げてさしあげようという一念で情熱を燃やし、投入できるものはすべて投入しながら、礎石を据えて出発し、収めた業績です。どんなに悪の勢力が吹き荒れても、大胆に立ち向かい、既に始めた公義の仕事を育成し、守っていくために身もだえしながら、投入しては、また投入してきました。

4. 心情文化世界の創建と祝福

紳士淑女の皆様。神様がこの時代を経綸するために願われる宗教は、「父母の位置にある宗教」です。父母の心情を抱いて進む宗教を求められるのです。私は、真の父母思想を教育し、各自がその伝統に似た真の父母になりなさいと教えています。まず家庭において真の父母となり、氏族において真の父母となる氏族的メシヤの使命を果たすように指導しています。

真の父母の心情を抱いた信徒、真の父母の心情を実践する宗教となってこそ、葛藤と憎悪の罪悪世界で神様のみ旨を実現させることができるのです。他の宗教や教派を軽蔑し、敵対視する宗教は、世界平和の実現にも、神様の摂理にも有用ではありません。

天運は調和した平和世界を指向します。ところが、現実はどうでしょうか。冷戦時代が終息したにもかかわらず、いまだに克服すべき対決と紛争の素地があまりに多いのです。人種間の紛争、宗教間の葛藤などの根本問題を解決し、人類一兄弟、世界一家の和合時代を成し遂げなければならない課題は、「真の父母主義」を通してこそ解決が可能です。

統一教会の四十年の開拓の基盤の上に、真の父母と成約時代を迎えた私たちは、「真の父母主義」の実践によって、新しい心情文化世界を創建していかなければなりません。神様と人間が、真の愛の父子関係として統一されるとき、その愛の調和の中で、人間は理想と幸福の実体となります。

この真の愛で形成された心情圏は、どんなに小さくても宇宙と連結され、その中で起こる出来事の波紋は、万象と霊界にまで波及するのです。霊界を含む天宙は、すべて同じ神様の真の愛の原理のもとに存在するからです。

神様と人間との間の縦横、前後的真の愛の関係は、人間相互間の理想的真の愛の関係の根本であり、その完成は四大心情圏を体恤した理想家庭においてのみ成し遂げられるのです。心情文化は、このような四大心情を完成した理想家庭の統一圏の中で、平和と幸福と自由と理想の心情を交感し、共同体恤する生活の中で花咲くのです。

このような世界には宗教が必要ありません。特別な信仰儀式が要求されない、生活全体が神様に侍り、真の愛の一体心情圏の中で共に暮らすのです。「生めよ、ふえよ、よろずの物を治めよ」とおっしゃった神様の祝福を成し遂げて暮らす、天国生活そのものです。神様が理想とされた創造目的の完成なのです。

心情文化世界を創建するために、私たちは、真の愛、真の父母思想の教育を通して人格を涵養し、神様の祝福のもとに真の愛の家庭を築く運動を、より一層広げていかなければなりません。生活信仰の鍛錬を通してために生き、投入しては、また投入する真の愛の人格がつくられてこそ、理想的な夫婦、理想的な家庭が形成されるのです。この道こそが極端な利己主義、個人主義、物質主義の惰性から抜け出し、人類に明るい未来を期待できる道です。この道こそが不倫と青少年の堕落、そして家庭破綻を防ぐ道なのです。

国際合同祝福結婚を通した真の愛の家庭運動によってのみ、民族間と人種間の紛争を根本的に解消することができます。宗教の壁を越えて、このような天意に従う真の愛で家庭理想を完成するという奇跡的なことが成し遂げられ、来年行われる三十六万組の国際合同祝福式には、より多くの宗教団体が参加するでしょう。

また、「世界平和女性連合」の活動を通して、真の愛の母の理想像を教育しています。すべての女性たちが、真のお母様の心情をもって子女を正しく養育し、教育してこそ、真の家庭の理想が実現されるのです。今こそ、神様のみ旨に従って自覚した女性たちが、堕落した世界の男性たちを正しく教育する時が到来しました。全世界的にこのような運動が拡大されていくでしょう。

5. 心情文化世界創建のための学術、言論、海洋事業

心情文化世界を形成していく過程において、宗教の役割は、実に大きいのです。宗教間の和合と協力なしに、世界平和を成し遂げることはできません。これまでも、このことに全力を尽くしてきましたが、これからも、宗教人たちが宗派間の高い壁を崩し、神様のみ旨を地上に実現するという大きな目的のもとに連合活動をしていくことに率先していきます。「世界平和宗教連合」を積極的に支援し、また『世界経典』を配布、教育することによって、宗教相互間の共同善を悟らせるために努力するつもりです。宗教人たちが実践と協力と模範を通して、神様のみ旨を成し遂げていくために先頭に立つでしょう。

私が創設し運営しているいくつかの機構の活動も、一層活性化させようと思います。実質的で現実的な世界の問題を解決し、神様のみ旨を成就する基盤を築いてきた数多くの組織があります。元・現職国家元首たちで構成された「世界平和連合」は、世界の紛争や国家間の葛藤を仲裁し、平和が持続するように努力し続けるでしょう。

「国際勝共連合」と「南北統一運動国民連合」も国家的、または国際的に対峙する思想や理念を、「神主義」と「頭翼思想」によって消化する実践運動を広げていくでしょう。

先端科学技術の発達と情報通信の革命的開発によって、未来の人類の生活様式が想像を超越して変わっていくことが予見されます。また一方では、人間の無限な欲望と利己的開発によってもたらされる全地球星の環境問題と大気圏の管理問題が、人類の存亡に直結しています。次世代の主役たちが、自己中心的な思考と短絡的満足への一途をたどっていくことをそのまま放置するならば、人類の未来はどうなるでしょうか。

実践する真の愛、真の父母主義を中心とした絶対価値が立てられなければなりません。人が四大心情圏によって縦横に連結された不変の愛圏である家庭の上に安定するとき、初めて文明の利器が真の幸福の手段となるのです。

ですから、「国際文化財団」の「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授アカデミー」の活動を通した良心的碩学たちの献身と教育と実践が、より価値あるものとして要請されます。私が新しい百科事典を編纂する意図も、新世代の正しい教育のための作業です。様々な教育機関を運営し、学術活動を支援しているのも同じ目的です。韓国の鮮文大学とアメリカのブリッジポート大学などを育成し、「世界大学連盟」に発展させる計画も、すべては、到来する心情文化世界の基盤を教育するためのものです。情報化時代を迎え、新聞などの印刷媒体と電波媒体を世界的に支援、育成することによって、正しい言論を通じた大きな次元の社会教育をしています。

神様の心情では、地球上に飢える人がいるということが、どれほど胸痛むことか分かりません。私はこれまで、産業技術を開発し、発展途上国に伝授することにより、技術の平準化を成し遂げようと努力を重ね、今年、「世界平和技術研究所」を設立し、既存の研究所と共に世界技術の標準化に寄与しています。

海洋摂理にも二十年以上の間、投入し続けながら、海洋資源を通した食糧資源対策を立てています。「国際救護親善財団」の活動とアフリカなどの地における農業と軽工業指導活動を通して、多くの成果を上げています。今年、韓国でも二つの総合福祉財団を設立しています。

6. み旨を相続する者となろう

満場の貴賓の皆様。食口の皆様。私はきょうのお話を終えるに当たり、改めて神様に感謝を捧げたいと思います。神様のみ旨のために生きるという、極めて純粋な動機の一心で生涯を駆けてきた私を見つめながら導いてくださった神様は、私の何千倍もの困難と苦痛を耐え忍んでこられました。ここにすべての栄光を神様にお捧げいたします。

また、四十年の業績がどうして私だけのものでしょうか。多くの苦労をした食口の皆様と後援者の皆様に対し、心から有り難く思っています。神様のみ旨は、本来万人の願いなので、皆様すべてがその代表者となり、また真の父母の代身者となって、み旨を相続する人となり、義であり、善なるみ旨を広く結実させてくれるようお願いします。

そして、神様が願われる本然の心情文化世界が一日も早くこの地に実現されるよう共に努力しましょう。最後に、国内外の貴賓の皆様が、きょうこの場に参席してくださったことを感謝申し上げます。皆様の御家庭と皆様の行われることに神様の祝福が常に共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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第七篇 5 正義の旗手になろう

第七篇 5

正義の旗手になろう

日付:一九九五年八月二十七日:

場所:韓国、ソウル、孝昌運動場

行事:第二回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会

親愛なる内外の貴賓の皆様、そして本大会に参加するために心情の本郷である韓半島を訪ねてこられた全世界の青年、学生の皆様。最初に私はこの場で皆様の若くて純粋な情熱に惜しみない賛辞を送り、歓迎します。本大会は、「世界文化体育大典」の一環として、既存の体育行事とは性格が異なる体育大典です。なぜならば、「世界ハンマダン体育大典」は、世界の若者が力を競い、知性ある人たちが和合の知恵を集めるという人類の本然の姿を希求する心情から出発しているからです。

創造本然の理想世界は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の四大心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。人間始祖は、神様のみ言を不信し、天使長と不倫な血縁関係を結ぶことによって悪の種を受け継ぐようになりました。このような愛の関係によって、人類は、悪の父母と悪の子女を通して、悪の生命と悪の血統の根をもつようになったのです。

このすべての堕落の起源は、正に青少年期に発生しました。青少年期は人生で最も重要な時期です。今日の若者たちは、無分別な価値観の混乱により、人類始祖がそうだったように堕落のふちの中へと落ちています。フリーセックスや利己主義が横行し、道徳と倫理を否定し、父母と子女を否定しながら、家庭を大切に考えません。

今日はこのような地上地獄の時代なので、地上天国をつくるためには、このすべてを、神様の絶対的真の愛の基準を中心として、神様の側に一八〇度転換しなければならないのです。すなわち、悪魔が人類の家庭を破壊したので、神様は人間を救援するために、その反対の経路を通して、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててきたのです。

神様は創造本然の立場で、愛と平和の世界を望んでいますが、悪魔は、人類が自分だけのために生きる立場で、憎悪と闘争と罪悪の歴史をつくることを願ってきました。また、天との連帯関係を破壊するために、酒、たばこ、麻薬など、自分の最大の実権を駆使してカイン文化の風潮を全世界に広めてきたのです。終わりの日とは、このようにエデンの園の堕落が全世界的に再現される時です。ですから、メシヤとして再び来られる真の父母は、このような問題の核心を根絶し、これを収拾していかなければならない重大な虫貝任があるのです。私は、人類に入り込んだ罪の根と、堕落の動機と経路を解明したところ、この問題こそが人間社会の倫理的退廃をもたらしていたことが分かりました。このことで闘争の歴史が始まったという事実を、私たちははっきりと認識しなければなりません。

二世の摂理時代である今日は、まず退廃的文化と慣習をきれいに脱ぎ捨て、淫乱と暴力を追放し、神様を中心とする新しい心情文化と真の愛の伝統を安着させなければならない時代です。このために私は生涯をかけて、神様の真の愛と絶対価値を中心に立て、世界の指導者たちを糾合し、組織を育成し、その影響力を世界的に拡大させてきたのです。

神様の真の愛は、投入してはまた投入し、無限に与え、そして、その与えた事実すら忘れてしまう絶対的な愛の基準です。このような神様の真の愛の絶対的基準を、縦的に連結し、横的に拡大していくことで、人類が願う理想世界を尋ね求めていくのです。

神様は、真の愛を中心とした環境圏を造成するために、真の愛の実体である真の父母を中心に、世界的な基盤を造成してきました。世界の碩学たちと共に絶対価値を探求する「科学の統一に関する国際会議」と「世界平和教授アカデミー」、言論の自由と倫理的責任を追求する「世界言論人会議」、各宗教間の和解と一致を模索する「世界平和宗教連合」、世界平和を模索する「世界平和連合」、女性の社会的参与を通した理想社会実現のための「世界平和女性連合」、真の家庭理想を実現してその理想を全世界的に拡大するための「世界平和統一家庭連合」、そして二十一世紀の新しい青年文化運動を主導する「世界平和青年連合」の結成および組織拡大などは、そのような背景から出発したのです。特に、新しい四十年路程が出発する第二回「世界文化体育大典」は、各分野の世界的な基盤が根を下ろす人類和合の大典です。

皆様。きょうのこの大典は、五大洋六大州の多様な文化圏の伝統と価値が根を下ろt統一的新文化創造の地平を開いていく場です。このようなすべてのものの土台となるこの原理運動は、本然の血統と連結された心情文化運動であり、新しい真の愛の実践運動です。世界化された原理運動は、退潮した共産圏を生み変える共生共栄共義主義の「頭翼思想」により、数多くの社会主義の若者の希望の原動力となっています。

特にモスクワ大学をはじめとした独立国家連合(旧ソ連)の七百以上の大学で、原理研究会の理念が、マルクス・レーニン主義思想に対する代替理念として広く拡散し、北朝鮮の金日成総合大学を中心とした主要大学でも、原理研究会の「頭翼思想」が新しい理念として検討されていることは周知の事実です。

二十一世紀における人類の未来を導いていく青年、学生の皆様。私は、生涯をかけて、「ために生きよ!天宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」とい、2具の価値観の理念で、今まで世界の若者たちを指導してきました。

皆様は、真の父母、真の師、真の主人の三大主体思想で武装し、真の父母のように、強靭な肉体と健全な精神の調和を成していかなければなりません。原理的に見るとき、完全な人間は、精神と肉身が神様の心情と絶対価値を中心に統一的な関係をもち、正しい役割を果たさなければなりません。

つまり、いくら健全な精神をもっているとしても、健康な肉身をもつことができなければ、完全な人になることはできず、それと反対に、健康な肉身を所有したとしても、精神が正しくなければ、正しい人の役割を果たすことはできません。このような事実を認識し、皆様全員が、心と体の正しい統一を成就していくことができるよう、絶えず精進してくださることを願います。これが今回の体育大典の中心的な目標でもあります。この体育大典を通して、このような心と体の正しい統一を成就していかれることを、皆様にお願いします。そして五大洋六大州の若い青年たちが、国境、人種、宗教の壁を越えて一つになる、新しい画期的な芸術世界を創造するように適進しなければなりません。若者たちの純粋な情熱と努力によって神様の心情を体恤する万世の願いの勝利者となれるよう、不屈の挑戦と努力を惜しまないことを切にお願いする次第です。

皆様は、若者の特権である熱い情熱と聡明な理性、不撓不屈の気力によって、真の家庭の理想を完成するために、最後まで前進していかなければなりません。このような観点から、きょうのこの大会は、新しい二世の摂理時代の青年文化運動創建の広場として、とても意義深い行事であることは間違いありません。

皆様はこの場を通して、近づく二十一世紀の新しい主人公の立場で、復帰摂理の中で生じた、神様の胸痛む恨を解いてさしあげようという決意をしなければなりません。神様は、御自身の恨を解かれるために、若い時代の私を神様の代理使命者として召命され、人類救援摂理の主流圏を形成するように御命令されました。皆様には、このような真の父母の摂理的な責任を歴史の前で蕩減してさしあげるべき責任があります。これが正に青年の時代に真の父母と共に一時代を生きていく若き青年、学生たる皆様の進むべき方向です。どうか皆様の気概と決意で、理想世界実現のための牽引車の役割を果たしてくださるようお願いする次第です。

親愛なる世界の青年、学生の皆様。皆様は真の愛の光明体として暗闇を押しのけ、悪を審判する正義の旗手とならなければなりません。さらには、神様を中心とした四大心情圏と三大王権を復帰した窝の息子、娘として、強く大胆でなければなりません。真の父母の勝利圏を相続した真の子女として、二十一世紀を導いていく新たな青年指導者となるために、健康な心と体の所有者になるよう、真心を尽くしてくださることを願います。

皆様の将来に、神様の無窮な祝福と加護が共にあることを祈りながら、祝辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。・

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第七篇 6 青年文化として定着すべき純潔運動

第七篇 6

青年文化として定着すべき純潔運動

日付:一九九七年十一月三十日

場所:アメリカ、ワシントンDC、コンベンション・センター

行事:第三回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会

尊敬するマリオン・ベリー・ワシントン市長御夫妻、著名な国内外の貴賓、スポーツ祝祭に参加された「世界大学原理研究会」の会員、そして紳士淑女の皆様。きょう、この朝に世界的な都市、ワシントンDCの中心に位置するコンベンション・センターにおいて、勇ましくはつらつとした世界各国の若者の皆様とお会いでき、とてもうれしく思います。

特にこの場をお借りして、今回「世界文化体育大典」の行事を誘致してくださっただけではなく、この期間に多くの便宜を提供してくださったべリー市長とワシントン市民の皆様に、改めて深く感謝を申しあげます。

1. 世界文化体育大典は真の愛の祝典

全世界が、きょうこの場に雲霞のように集まられた若者である皆様を注視していますので、皆様もまた、皆様を見つめるこの世界に対して責任をもつと誓う場となることを願います。

私は「世界文化体育大典」のビジョンを、一九八八年、ソウル・オリンピックが終わった直後に、私の祖国である韓国で公表しました。様々な面から見て、当時のソウル・オリンピックは、近代史において一つの大きな転換点でした。東西の冷戦によって一九八〇年のモスクワ・オリンピックと一九八四年のロサンゼルス・オリンピックが、部分的なボィコットの中で開催されて以降、初めてソウル・オリンピックを通じて、全世界の国々が一家族として再び集まったのです。

東の共産圏と西の民主世界の若者たちが、ソウルで共に走って一つになるのを目撃しながら、民主世界と共産世界を塞いでいる障壁がすぐに崩れることを、私は予見していました。そして、これから人類がもつべき未来の祝典は、人間の肉体的な技量だけを競うオリンピック競技から、一歩進んで、文化と道徳、精神の高揚を共に目指す全人格の形成に焦点を置かなければならないと思いました。さらに、このような全人類的祝典の核心は、人間の心と体の中心となる真の愛を実現する真の家庭を築く祝福結婚の行事でなければならないと強調してきました。

ですから、「世界文化体育大典」は、全人類の心が共に調和する真の愛の祝典であり、全世界の学術、政治、宗教、言論、芸術など各分野の最高指導者たちが一堂に会して開かれる知性の文化大祭典であり、また健全な肉体を競い合い、世界の人々の団結を図る若さのスポーツの饗宴でもあるのです。

一言で言えば、真の愛を主軸として、人間の精神と肉体の調和と発展を期し、世界の各分野の指導者が知恵を集め、平和世界を設計しながら二十一世紀の新文化創造を模索する場、それが正に「世界文化体育大典」なのです。

2. 絶対「性」による純潔運動

「世界文化体育大典」は、韓国で一九九二年と一九九五年に、各々第一回、第二回の大会が挙行されました。そしてきょう、私たちは、世界的な首都であるワシントンDCで、第三回大会の最後の行事を迎えているのです。

人類の未来を担うべき若者の皆様に、きょう私がお願いしたいことは、絶対「性」を強調する純潔運動です。この大会の期間に皆様は、絶対愛と絶対純潔を叫びながらワシントンDCの中心街を行進しました。私は、この行進こそは、今日地球上のどこを探しても見つけられない価値ある一場面であると思います。

既に昨今の世界では、「純潔」という言葉の価値やその重要性に関する論議さえも、陳腐なものとして扱われる環境になっています。純潔な愛の不在は、家庭の破綻を促し、人類の未来を暗くする根本要因になっているのです。

人類が歴史を通して純潔を強調し、これを大切にしてきた理由は、純潔それ自体が生命の尊厳と直結するものだからです。したがって、純潔を尊重する心は、命を貴く思う心と通じるのであり、それは取りも直さず、自らの氏族と全人類を大切に思う心につながるのです。さらには、この純潔の立場は、神様と出会うことのできる心と最も近く通じるのです。

いくらアメリカが強大国といっても、この純潔の問題に関して決して強いとは言えないことは、否定できない現実です。ワシントンDCが世界の首都としての体面を守ろうとするなら、何よりもこの純潔の問題において一番にならなければならないでしょう。ワシントンDCが純潔と真の愛の聖都となる日には、アメリカ全体が、全世界の尊敬と愛を受けるようになるでしょう。

3. 青年運動として定着すべき純潔運動

人類始祖アダムとエバをはじめとして、人類の歴史上、大勢の英雄や修行者たちが越えることのできなかった峠が、正に純潔の峠でした。純潔に対しては、家庭はもちろん、学校と教会、そして政府さえも責任をもてないというのが今日の問題点です。

純潔を守る最善の方案として私が教えてきたものが絶対「性」です。これは、神様のもとで結ばれた愛の相対は永遠であり、いかなる条件下においても変わることのない絶対的な愛の関係だという意味です。なぜかというと、二人の配偶者の出会いは、永遠で絶対的な神様の愛を中心として実現されるものだからです。これは男性にのみ強調されるものでもなく、女性にのみ該当するものでもありません。男女共に絶対的に守るべき天倫なのです。

フリーセックスこそは、この地球星から完全に根絶すべき邪悪な風潮です。このフリーセックスと関連した要素は、麻薬、暴力、同性愛、エイズなどのように人類を破滅へと追い込んでいく要因なのです。

このように「世界文化体育大典」の目標が、完全な人格体を育て、真の愛の土台である真の家庭を築くことなので、この大典に参加された皆様にとって、純潔の意味はさらに格別であり重要です。皆様が展開するこの純潔運動が地上に定着するとき、真の家庭運動は最も大きな力を得るのです。

ですから、皆様は、この純潔運動を新しい青年文化として、一日も早く世界中に定着するようにしなければなりません。既に三百六十万家庭、そして三千六百万家庭が、今回の祝福結婚の行事を通して、純潔と絶対「性」を誓いました。皆様はこれから、踊りと歌とスポーツを楽しむ祝祭を終えて、純潔と真の愛のメッセージを、大学街、そして世界の津々浦々に伝えなければなりません。

4. 真の家庭運動は新しい平和運動

韓国の諺に「民心はすなわち天心である」という言葉があります。既に三千六百万組に至る家庭が、神様の真の愛を中心とした真の家庭を築くことを誓って立ち上がったとすれば、それは正に神様が共におられるという意味にほかならないのです。

ですから、三億六千万家庭を新たな目標として引き続き推進されるこの真の家庭運動は、正に神様をこの地球星にお迎えする新しい平和運動なのです。したがって、人類が新しい二〇〇〇年代へと進入するための最上の準備は、三億六千万組の祝福結婚行事を成功裏に成し遂げることであると言わざるを得ません。

今回の祝典に参加された皆様は、これから御自身の国にお帰りになり、一層自信をもって純潔運動を活発に展開してくださり、真の家庭の理想がこの地に定着するよう積極的に後援してくださることを願います。

きょう行われる皆様のスポーツ大会が、若さを燃やし、友誼(ゆうぎ)をさらに固める機会となり、本大典の有終の美を飾る行事となることを期待します。皆様と皆様の御家庭と将来に神様の祝福が共にあることを祈ります。ありがとうございました。

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第七篇 7 真の愛は誰もが願う

第七篇 7

真の愛は誰もが願う

日付:二〇〇〇年二月十三日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:第四回「世界文化体育大典」祝賀会

尊敬する内外の貴賓の皆様。公私共にお忙しい中を、「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝を申し上げます。

1. 一人の神様のもとの一つの世界

理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた各種の平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として、推進されてきました。分裂と葛藤の一世紀が終わり、平和と統一を模索しながら出発した新千年の希望は、漠然と成就するわけではありません。

神様の創造理想を中心として全世界が、「一人の神様のもとの一つの世界」を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。

私は、かつて十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖人たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、神様のみ旨を成就する一念で、全身全霊を投入してきました。その中で私は、神様のみ旨は、地上と天上に、自由と平和と解放の天国の建設にあることを知りました。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。堕落とはその断絶を意味し、復帰とは父母と子女の関係を回復することをいいます。

私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、「一人の神様のもとの一つの世界」を構想してこられた神様のみ旨成就のためのものです。特に、皆様が参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和し、真の夫婦として出会うことにより、「一人の神様のもとの一つの世界」を追求する、聖なる理想が実現するのです。

きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」の歴史的大会を終えながら、皆様と共に考えてみようと思う話の題目は「真の愛は誰もが願う」です。

2. 愛は必ず相手を求める

皆様。人間にとって最も重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力、あるいは知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりも必要なものは、真の愛です。真の愛が、私たちにとってこれほどまでに貴く、重要なのは何のためでしょうか。

人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいとお思いになります。しかし、神様が人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいとおっしゃるならば、恐らくもう片方が不平を言うでしょう。

ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ前に立てれば、男性と女性は一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で最も貴いものがあれば、男性と女性は互いに自分のものにしようと争うのですが、それが愛であるということが分かれば、二人は互いに一つになって、互いのために所有しようとするのです。

このように、愛は、誰もが好むということだけではなく、愛のみが人間の欲望をすべて均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。

愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有できるものではありません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、または女性一人だけでは愛は成立しません。ですから、男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も、醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。

ですから、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラスとマイナスのペアになっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もすべてペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。

そして、この宇宙の中で絶対に一人では所有できないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。同じように、子女なしでは、子女を愛することのできる父母の愛は現れず、子女に対する父母の愛の主人にもなれないのです。

ですから神様も、真の愛で愛するために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛のすべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象が一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるとするならば、真の愛が破壊されるのです。本来、離婚という概念はあり得ないのです。

3. 真の愛の本質

男性が愛を感じるからといって、それは自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもまた自分によるものではなく、相対である男性に由来するものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから、愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、ために尽くしてあげなければなりません。

これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が、互いにために生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統が根絶されるのです。

真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成就されます。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんとその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、その場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。その位置では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛と化し、そして花咲くことができるからです。

ですから、宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和合することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生き、愛のために死ぬということになります。

真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから、万物の霊長である人間は、神様の造られた万物を抱いて愛してあげるべき責任があることを知らなければなりません。万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。

宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、それぞれの位置で相対と共に存在していますが、結局さらに高い愛の次元に吸収され、上昇するようになるという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、そして結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。

ですから、すべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、さらに高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける位置にまで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質です。

ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再解釈されなければなりません。ですから、ありや微生物までも真の愛を願うだけではなく、自分を愛してくれる主人のところに行って死のうとするのです。このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物を食べたり、所有したりできる立場にいるのです。

私たちは、すべてのものを食べ、所有したとしても、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べたり、所有しなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや、魚が好きなみみずのようなものは、大概、薬材として使われるのです。どの段階であれ、すべてが食物連鎖しています。そうでなければ、宇宙は存立することができないのです。

4. 男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本

神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って繁殖するのです。私の言葉とチャールズ・ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の言葉のとおりに成し遂げられるのです。なぜならば、これが創造理想を実現する根本原理だからです。

進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には、既に「創造主であられる神様がいらっしゃることを認める」という意味が前提にあるのです。神様が主体と対象の授受作用を通じて形づくられた被造世界には、方向性と目的観が前提となっていますが、唯物論に基づいた共産主義の理論には、このような方向性も目的観もありません。神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるのみなので、結局すべて消え去ってしまうしかないのです。

すべての万物の中でも最も貴い存在が人間、すなわち男性と女性であり、その中でも最も重要な部分は、鼻や目、手、頭脳ではなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてが再創造されるのです。

植物も動物も、この生殖器によって繁殖し、拡大していくのです。最も価値があり、一つとなった素晴らしい家庭も、それが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まります。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結する絶大な価値をもつ所なのです。

神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すというものです。この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、そのペアが二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければならないのです。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバを二人造ったのでもありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。

ところが、今日の世の中を見ると義理の父が十人もいるケースを見かけます。いかに偽りで汚れた世の中でしょうか。女性も男性も貞操を守り保護することは、宇宙を保護することと同じことなのです。それは男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。

ですから、これを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は神様なのです。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つだけであり、絶対に一つなのです。

5. 真の愛と関係を結ぶには

「真の愛」とは、誰も語れるものではありません。唯一、神様のみが、本当の真の愛で愛することができ、真の愛の絶対主人になられるのです。ですから、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本的な本質は真の愛なのです。

また、この真の愛と関係を結ぶには、神様と関係がなければなりません。自分の父母がけんかをせずに豊かに暮らしているからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛する若い未婚の男性と女性が、互いに命を懸けて愛し合っているからといって、それが真の愛であるというわけではありません。神様が介在していないので、真の愛ではないのです。真の愛は必ず神様を中心としなければならないのです。

神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければなりません。権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界では歓迎されません。真の愛は誰もが願うものですが、愛とは、ために尽くすことによって可能であるという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていってしまうのです。

このような利己的な個人主義は、サタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですから、その結果は地獄にほかなりません。全体のために生きなければなりません。人のために、全体のために犠牲となって奉仕すれば、みなやって来て、私を愛してくれるのです。

6. 神様と共に永生する道

子女として造られた人間が、兄弟となり、夫婦となり、そして父母の位置に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。すなわち、人間が育つ過程を見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として定着されるのです。

したがって、神様をしてすべての愛の主人とならしめた人間こそは、神様よりも貴い存在であると見ることもできるのです。ちょうど自分の愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があるものとして貴く思うようにです。

ですから、より貴いもののために、神様は投入しては忘れ、また投入してはお忘れになるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセントお忘れになるので、続けてさらに投入できるのです。

自分の夫が立派になることを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させることができます。投入して忘れることを続ければ、その愛の段階が高まって、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を結んで永生するのです。

誰もが天国に行きたいと思うのですが、「私のために生きよ!」という思いばかりをもっていては天国に行くことができません。真の愛は、神様がお造りになったすべての傑作を抱き、ために生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様のために生きることによって、天国に至るようにするのです。

一生に三回以上は、生命を懸けて、ために生きようとしなければなりません。人類は、アダムとエバの堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。

神様に出会うには、三度死の境地を通過しても、神様に自分のことを分かってもらうことを望むより、神様のためにもっと尽くそうとしなければならないのです。そのような人々が生きる世界がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっているのです。

7. 愛によって形成される存在はすべて球形

子女は父母の愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって形成されるものであることを知らなければなりません。子女たちは「自分のもの」を主張しますが、「自分のもの」の出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母につながっている愛の梯子を切ってしまったら、根と幹につながつて生きることはできないのです。

真の愛の起源となられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。また父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。父子の関係が縦的な垂直関係であるのに比べ、夫婦関係は横的な水平関係です。

ですから、父子関係と夫婦関係が互いに直角を形成し、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係が球形を形成するようになるのです。それで、愛によって形成されたすべての存在は球形なのです。宇宙全体が球形になっているのです。このように形成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着するのですが、その場に神様がいらっしゃるのです。すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として、男性の愛と生命と血統が右に定着するならば、左には女性の愛と生命と血統が定着するのです。

ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、そのすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになるのですが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にして見れば、愛の根、生命の根、血統の根、そして良心の根に神様がいらっしゃるのです。

このように神様を中心とした家庭では、縦と横、そして前後の愛が一つになるのですが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していくのです。その根本的中心は、常にお一人の神様であられるのです。

8. 善悪の転換点で善人と悪人を共に祝福

アダムとエバが堕落していなければ、真の夫婦の愛のモデルが現れていたはずであり、彼らから愛の教育、すなわち愛することを学んでいたはずです。彼らが子女をもてば、誰がその子女を結婚させるのでしょうか。それは父母です。それでは、果たして今日、この社会で父母がどれほど子女たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。

統一教会には真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で祝福結婚させてあげています。ここでは、人種の差別を超えるだけでなく、誰でも分け隔てなく一緒に結婚させているのです。

真の父母は、悪の愛、悪の生命、悪の血統を、接ぎ木によって転換し、否定させることによって、アベルの命を奪ったカインを排除せずに、同じ立場で祝福してあげるのです。潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出会い、水平になった時のように、歴史的に救援摂理の蕩減復帰が終結する善悪の転換点において、善人と悪人を共に祝福してあげることによって、サタンが完全に追放されるのです。

そしてエデンの園で誤った結婚をしたことが堕落なので、今は真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。

こうして、神様の創造理想である八段階の真の愛のモデル的な主人を完成するようになります。すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と真の王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。

9. 新しい家庭革命と道徳革命を主導せよ

真の神様の真の愛と真の生命、そして真の血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変な真の愛を中心としたモデルとして相続されるのです。そして真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。

父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟です。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。

真の愛の主人になるためには、相手を自分よりも高め、相手のために尽くさなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、そして国家一体を形成し、八段階の理想モデルである愛圏を完成するのです。

そうして父母と子女、夫婦、兄弟姉妹、そして国々がすべてこのような真の愛を中心に八段階モデルの主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここから永遠の世界的平準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。

今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で活動している私たち祝福家庭が、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新しい家庭革命、世界的な道徳革命を主導することによって、すべての地上と天上に永遠の平和と統一と幸福の理想天国を創建することが神様の願いなのです。

皆様がこの神聖な聖業に同参し、神様の真の愛圏を受け継ぐ主人になってくださることを願います。皆様の御家庭に神様の祝福が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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第七篇 8 二〇〇〇世界ハンマダン体育大典開会式の祝辞

第七篇 8

二〇〇〇世界ハンマダン体育大典開会式の祝辞

日付:二〇〇〇年二月十四日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:第四回「世界ハンマダン体育大典」

内外の貴賓の皆様、そして本大会に参席するために異国まで万里の遠い道をいとわず、心情の本郷であり、信仰の祖国である大韓民国を訪ねてきた全世界の青年会員の皆様。本大会は、世界の若者たちが、統一された平和世界の具現という神様の絶対的な願いをこの地上に定着させるために、力と技と美を競い、人類本然の姿を取り戻し、心情文化世界を発展させるための平和の祭典です。

今回、第四回として開催される二〇〇〇年の「世界文化体育大典」は、世界の各分野を代表する著名な学者や宗教指導者、政治家、言論人、青年指導者、女性指導者、学生などが、神様を中心とした地球村の一つの家族の一員として出会う祝典です。本然の理想世界は、神様の真の愛と真の生命と真の血統を受け継いだアダムとエバが、真の子女、真の兄弟、真の夫婦、真の父母の心情圏を完成することによって成し遂げられる世界です。そのような世界において、神様の息子、娘たちが一つの場に集まり、力と技、そして美を競い合う心情文化の祭典の中で、純潔な善男善女が祝福を受け、真実で幸福な家庭を成し遂げていれば、神様はどれほど喜ばれていたでしょうか。

しかし不幸にも、人間の始祖であるアダムとエバは、青少年期に神様のみ旨に背き、天使長との不倫な血縁関係を結んで悪魔の血統を受け継ぎ、人類の歴史は悲惨な罪悪の歴史となったのです。

このすべての堕落の起源は、正しく青少年期に発生したのであり、そのことによって人間は悪魔の奴隷となってしまいました。この事件が、神様の胸にぬぐい難い恨として残されたのです。青少年期は、人生において最も重要な時期です。青少年期に正しい価値観を形成し、純潔な価値観を確立して、真の家庭を通じた健康な社会、希望にあふれた国家と世界をつくっていかなければなりません。

ところが今日、青少年と青年たちは、悪魔の仕業によって利己主義化、個人主義化され、性倫理と性道徳が崩壊し、フリーセックスや性暴力、若年層の未婚の母、堕胎、同性愛、エイズ問題などにより、健全であるべき家庭が破壊され、青少年の犯罪が急増しているのが実状です。また、至る所に淫乱物が氾濫し、売春と援助交際が過激さを極めています。

このことにより今日、全世界の人類は地上地獄で苦痛と不幸を味わいつつ生きているのです。ですから、神様は、人類を救援するために悪の文化を一掃し、地上地獄を解放し、神様の絶対的な真の愛の基準を中心として、このすべてのものを復帰してこられたのです。すなわち、神様は、人間と家庭を破壊している悪魔と対決して人間を救援するために、その反対の経路を通じて、真の父母を中心とした真の家庭のモデルを立ててこられたのです。それで、再び来られるメシヤである真の父母には、堕落文化を根絶して、それを収拾すべき極めて重大な責任があるのです。

私は、人間堕落の根源である罪の根と堕落の経路を究明した結果、それは正に悪魔との不倫の愛であることを知りました。私たちは、人類社会のすべての闘争の歴史がそこから始まったという事実をはっきりと認識しなければなりません。ですから、今日、二世たちが先頭に立って、まず淫乱と退廃の文化と不義を清算し、フリーセックスと暴力を追放して、神様を中心とした新しい心情文化を創建し、真の愛の伝統をこの地上に定着させ、地上天国を建設していかなければなりません。

私は、宗教と文化、思想と理念、人種と言語、信条などで引き裂かれた人類を一つにまとめ、統一された理想世界をつくるために、生涯をかけて血と汗と涙を流してきました。神様の愛と絶対価値を中心として、世界の指導者を糾合して各分野別に団体をつくり、その影響力を世界的に拡大し、神様が望まれる一つの世界に向かって進軍してきました。そのために私は、神様の真の愛を投入しては、また投入しながら、真の愛と真の家庭の実体である真の父母を中心とした世界的な基盤を造成してきたのです。

一九六〇年の三家庭の祝福をはじめとして、数多くの祝福行事を挙行してきました。昨年の一九九九年には、三億六千万組の祝福の基盤の上に、「天地父母天宙統一解放日」を宣布したのです。また、青少年の純潔運動を通じてのサタンの血統根絶とともに、昨日は四億組の祝福式を盛大に執り行うことによって、名実相伴う第四次アダム圏の時代が到来するようになりました。また、「科学の統一に関する国際会議」、「世界平和教授アカデミー」、「世界言論人会議」、「世界平和宗教連合」、「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和統一家庭連合」、「世界平和超宗教超国家連合」などを結成して、神様を中心とした善の環境的基盤を拡大してきました。

今回、「二〇〇〇年世界文化体育大典」は、このような神様の総体的基盤が一つの場に集まり、人類大和合と新しい心情文化世界の創建のため、意義深い跳躍の基台を準備するための祭典なのです。このような意義深い行事の一環として開催される第四回「世界ハンマダン体育大典」は、人種や宗教、思想、理念を超越し、五大洋六大州の多様な文化圏の伝統と価値が一つになることができるという信念を再確認させる平和の祭典として、心情的統一文化の地平を開いていく大和合の場なのです。

そして、このような心情的統一文化運動の土台は、原理運動であり、新しい真の愛の実践運動です。世界各国の若者たちに広く知られている原理運動は、没落した共産圏はもちろん、価値観の混沌の中で彷徨する自由民主世界を生かす「共生共栄共義主義」と「頭翼思想」によって創造本然の理想世界を具現しようという若者たちにとって、希望にあふれた原動力となっています。

新千年紀の初めに執り行われる今回の第四回「世界ハンマダン体育大典」は、今までのいかなる時よりも、神様と人類の前に胸いっぱいの期待と希望を抱かせる祝福された大会であるという事実を知らなければなりません。

二十一世紀の未来の世界を導いていく青年、学生の皆様。皆様の生涯の中で最も重要なものは何でしょうか。

それは、真の愛の実現であり、真の愛は独りで成し遂げられるものではなく、相対から来るものです。ですから、相対のために生きてこそ、真の愛を成就することができるのです。人間の価値の中で最も高貴な価値があるとすれば、それは正しくために生きる価値です。皆様は、ために生きる価値観を確立して、未来を準備していく若い青年、学生たちとならなければなりません。

人間は、健全な精神と強靭な肉体が一つとなった関係の中でのみ、創造的、自主的、統一的な活動をすることができます。どんなに精神が健全であっても、肉身が衰弱すれば、自らの理想を開くことができませんし、肉身が健康であっても精神が正しくなければ、正しい人の役割を果たすことができません。このような事実をはっきりと知り、皆様すべてが今回の体育大典を通じて、心と体の正しい統一を成就していくことができるよう、精進を重ねてくださることを願います。

皆様は、熱い情熱と純潔な人生、そして聡明な理性を通して、長い歳月にわたって神様が追求され、人類が念願してきた真の家庭を完成し、真の父母、真の師、真の主人の三大主体思想で武装し、一つの統一された平和世界の建設のために共に進軍しましょう。

今後、皆様は、国境と人種、宗教と文化の障壁を越え、統一文化世界を具現し、私たちの前に残された当面の課題である南北統一と東西文化の格差、そして南北の貧富の格差を平準化して、統一の世界を創建し、神様と人類の念願を果たしていかなければなりません。

皆様の純粋な情熱と不撓不屈の精神で神様の心情を体恤し、万世の願いの勝利者となれるよう、惜しみなく心と体を投入することを懇切にお願いします。これが正しく、新千年を迎え、真の父母と共に一つの時代を生きていく若い青年、学生たちの進むべき方向です。

どうか皆様の気概と決意で、理想世界の実現のために強く大胆であってくださることをお願いいたします。皆様の前途に、神様の無窮の祝福と天運が常に共にあることを願いつつ、祝辞に代えさせていただきます。ありがとうございました。

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第七篇 9 文明間の対話と調和

第七篇 9

文明間の対話と調和

日付:二〇〇一年一月二十七日

場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部

行事:「二〇〇一世界文化体育大典」国際特別会議

尊敬する議長、世界各国からお越しになった元および現職の国家元首、各国を代表する世界の指導者であられる皆様。皆様は、今大会の主題である「文明間の対話と調和(家庭、普遍的価値、世界平和)」について論議を行うために、各国の様々な活動現場からお集まりになりました。

この主題は、簡単なものではありません。この大会は、超越した平和文化世界を指向するこの時代において、超道徳的責任を実践する、人類の良心の理想的な場と見なければなりません。

1. 文明間の平和と超宗教的対話

私たちは、歴史を通して、多くの文明が興亡盛衰を繰り返してきたことを知っています。様々な文明が、一時は巨大になり栄華を極めたとしても、その後、滅亡し、忘れ去られていきました。

このような文明の衰退は、気候や疾病、あるいは外敵からの侵略、自然災害のような外的な要因によるものもありますが、その多くは内的な腐敗、特に宗教や道徳性が衰退したことによるものです。

現在、私たちは、宗教間の誤解と不調和によって発生した様々な紛争と、そのことによる深刻な危険性の増大に直面しています。もし宗教が、超宗教的な対話や調和を優先し、これを積極的に実践していかないとすれば、文明間の調和と平和は不可能でしょう。

宗教が世界文明の内的な中心だとしても、その根底の軸として家庭があります。皆様がよく御存じのように、人類は、父と母の愛の関係の中で血統の関係を通して生まれ、またそれは、代々受け継がれてきています。

家庭は、個人的な人間性を啓発し育成することにおいては、学校や政府よりも重要な訓練場です。また家庭は、文化や文明を創造、発展、再生産する発源地としての役割を果たしてきました。家庭なくしては、時代を越えて文明を持続させることはできません。

家庭は、愛を学ぶ最初の重要な学校です。また父母と子女の愛、夫婦の愛、兄弟姉妹の愛はすべて、神様の真の愛に基づかなければなりません。もし、家庭が神様の真の愛と直接的に連結されるならば、その家庭は、神様の真の愛の文化を実体として成し遂げるようになります。真の愛と平和の文明は、そこから創建されるのです。真の家庭は、真の男性と真の女性の二人にかかっています。真の家庭の完成は、全人類と世界の問題を解決するモデルとなるのです。

2. 真の愛と平和の文明は真の家庭から

今、私たちが暮らしている国と世界を見ても、悪の戦争史によって綴られてきたという事実を私たちは知っています。また自分自らを探ってみると心と体が闘っています。そうだとすれば、最初にアダムとエバが愛によって夫婦関係を結ぶとき、喜びの関係ではなく相克的な関係において結ばれ、それが闘争の起源となったというのは論理的なことです。聖書の「腰に巻いた」(創世記三・七)という言葉は、堕落が淫乱によってもたらされたということです。私たちの体の中で、神様の姦夫となったサタンの血がうごめいているという事実が問題なのです。

本然の人間であれば、心身統一が完成するはずなのですが、サタンの血を受け継ぐことによってプラスとプラスが相克し、そこから闘争が始まったという事実をはっきりと認識しなければなりません。今や時代は終末となり、個人主義の王国時代であり、フリーセックス時代、父母否定時代、夫婦否定時代、子女否定時代であり、同性愛、エイズと麻薬が理想家庭を完全に破壊する地上地獄時代です。神様は、これを天国に転換するためにメシヤを再臨させるのです。メシヤは、真の父母として来られ、心と体の統一、夫婦の統一、子女の統一、家庭の統一、国家の統一、世界の統一を成就していかれるのです。

現在、私たちの体は地獄の基地、良心は天国の基地となっており、二つの世界の分岐点を自体の中に抱えていることを知りませんでした。良心よりも肉身が強くなったのは、堕落するときにサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が、良心の力よりも強かったことによるのです。したがって、この点が人生問題における重要な解決点になるのです。

このようなことをよく御存じの神様は、宗教を立て、良心よりも肉身を弱め、救いのための体制を立ててこられたのです。ですから、過去にも宗教が必要だったのであり、現在でも宗教が必要なのです。

3. 心と体の争いを解決するために宗教が必要

それでは、宗教が果たすべき使命とは何でしょうか。体が最も嫌うことを提示し、実践するようにすることです。「断食をせよ」、「奉仕をせよ」、「犠牲となれ」、そして「供え物になれ」というのです。供え物は、血を流して生命を捧げることができなければなりません。

堕落した人間は、偽りの愛の根を中心として偽りのオリーブの木となりました。言い換えれば、私たち人間は、真のオリーブの木となることができなかったのです。これを清算するには、どのようにしなければならないのでしょうか。終末に再臨のメシヤであられる真の父母が来られ、神人愛一体理想を完成し、真の愛、真の生命、真の血統の家庭を成し遂げられるのです。

地上のすべての人間はもちろん、天上の霊人たちもすべてここに接ぎ木され、真の家庭的真のオリーブの木となるための二次祝福結婚を受け、復帰完成するのです。そうして、本然の血族を立て、真の家庭と真の国家を築き、真の地上、天上天国に入っていくことができるのです。

これまで私は、世界平和の実現のために、超宗教、超文化、超人種、超国家的な祝福結婚によって真の家庭を完成することが、とても重要な神様のみ旨であることを教えてきました。そして、この崇高な理想を実現しようと決意し、全世界から同参した数億組の人々に祝福行事を施してきました。理想社会と平和世界の礎となる真の愛の家庭のために、私は生涯を捧げてきました。

偉大な宗教を研究してみれば、そこには文化と人種、宗教と国家間の境界を跳び越える、人類の普遍的な価値がみな含まれています。宗教の教えは、結局、真の愛の実践を通して、絶対者との関係を復元するということです。

言い換えれば、信仰を通して、絶対、唯一、不変、永遠の神様と一つになるとき、人間は神様と父子の関係を回復し、その本然の価値を取り戻すようになるのです。

真の愛によって形成された心情圏は、いくら小さくても天倫に従って宇宙と連結するのです。人は、神様の真の愛の中においてのみ、共生、共栄、共義の理想を実現することができます。それは、霊界を含めた天宙がすべて同一な神様の真の愛の原理のもとに存在するからです。

4. 真の愛と真の家庭実践運動で平和世界を成し遂げよう

きょう、私たちは、平和の殿堂として設立された国連において大会を行っています。国連が、その創立精神を実現する真の平和機構としての役割を果たすことができるよう、私たち全員が積極的に支援していかなければなりません。

人類は、超国家的な公益を第一に心配しなければならない時を迎えました。国家の公共機関はもちろんのこと超宗教活動とともに、非政府の民間機構が一つとなって、真の愛と真の家庭実践運動をしなければ、平和世界を成し遂げることはできません。世界の指導者であられる皆様が、他のために生きる真の愛運動と真の家庭運動に積極的に同参し、新しい心情文化の世界を成し遂げてくださるようお願いいたします。

神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に常に共にあることを願います。ありがとうございました。

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第七篇 10 天国には誰がどのようにして入るのか

第七篇 10

天国には誰がどのようにして入るのか

日付:二〇〇一年一月二十九日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ヒルトン・ホテル

行事:「二〇〇一世界文化体育大典」閉会式および真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

尊敬する元・現職国家元首、高名な宗教指導者の皆様。「二〇〇一世界文化体育大典」に出席してくださった皆様の御苦労を心より慰労いたします。また、私のビジョンと業績を称賛し、今後のさらなる協力を約束してくださり、感謝を申し上げます。

今晩は、そのお礼として、世界の指導者の皆様に、貴い贈り物となるお話をお伝えしようと思います。このお話は、私が若い頃より筆舌に尽くし難い受難の境地において、広大無辺な天上世界を巡り歩いて直接探し出した真理です。誰も避けることのできない死後の世界である霊界の原理と、人々が行くことを心から願う天国の内容のうちその一部を紹介しようと思います。

人間始祖は、堕落によって神様の祝福の中で結婚式を挙げることができませんでした。彼らは神様に背き、成長期間に姦夫であるサタンと不倫の罪を犯して堕落しました。怨讐であるサタンの血統を受けたことが問題です。神様の愛を中心として心と体が一つとなり、夫婦が一つとなり、子女が一つとなって、地上天国生活を経たのちに、天上天国に入るのが創造の原則です。人間は、神様の血統を受けて霊界に直通するようになっていました。

結婚して最初に愛の関係を結ぶ瞬間は、男性完成と女性完成が成就される場です。また天地の中心として地上に定着する愛の王宮がその中で始まるのです。初めて愛の本源地が出発するのです。そして生命がそこから連結します。血統がそこから連結し、それと同時に、そこから国が生まれるようになるのです。地上天国と天上天国は、初愛の扉を開くその場から始まるのです。

男性と女性が愛によって一つになり、息子、娘を生むことは、目に見えない神様の創造の業を目に見える実体となって行うことです。血を混ぜることのできる力は愛です。血を混ぜることのできるその軸がどこにあるのか、どこが発電所なのかというと、男性と女性の凸凹(でこぼこ)が初愛をするところです。

真の愛の発展、真の生命の発展、真の血統の発展、真の家庭とともに地上天国の発展、天上天国の発展の基地が正にそこです。神様の実体対象であるアダムとエバの結婚式は、取りも直さず神様の結婚式となるのです。神様の解放と自由がここから起こり、神様の歌と踊りもその上で繰り広げられるのです。

初愛がどれほど貴重で恐ろしいものであるかを知らなければなりません。初愛が間違えば愛の王宮を失い、生命の王宮、血統の王宮とすべてを失ってしまいます。人間始祖の堕落はそれほど恐ろしいものだったのです。地上天国と天上天国の起源を失ってしまったのです。天地がすべて地獄に変わったのです。生殖器が卑しい言葉になってしまったのも、それが天地を滅ぼした亡国の種となったからです。それで今まで最も悪なるものとして扱われてきました。

本来は男性と女性が結婚して、凸と凹が初愛の関係を結ぶその場から、神様の愛の理想が完成される定着地が生じるのです。男性と女性の愛を中心とした神様の相対的位置として、完成の位置が決定されるのです。

これは宇宙の核です。これが動くと字宙が行ったり来たりするのです。これは愛の本源地なので、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、人間が望む自由と幸福と平和がここから始まるのです。さらに個人、家庭、氏族、民族がここから連結されるのです。平和の基地もそうであり、地上天国、天上天国のすべてが愛から生じるのです。凸凹の結合によって男性のすべてと女性のすべてが混ざり合うのです。

人生の善の実も悪の実も、みなここで結ばれます。生殖器がどれほど貴く大切なものであるかを知らなければなりません。天道は、男性であろうと女性であろうとその生殖器をいい加減に使えるようになっていません。

アダムとエバは、サタンの偽りの愛によって不倫の罪を犯し、偽りの夫婦、偽りの父母となり、サタンの血統を子孫に相続させる堕落した家庭を築きました。救援摂理はすなわち復帰摂理です。正にこの誤った根本を探して復帰しなければならないのです。神様の真の愛による復帰されたアダム、真の父母を立て、真の生命の接ぎ木をするのです。真の愛によって完成した男性と女性は、神様の祝福のもとで真の家庭を築くようになります。

人は地上で理想的な家庭を築いて暮らしながら、その内なる人である霊人体を完成させ、天上世界に行くようになっています。霊人体が神様の愛の中で永遠に生きる天上天国が、私たちの故郷です。堕落によって霊性が零落したので、霊人体も天上世界も分からないのです。人間は、動物とは違って霊人体があり、必ず行くべき天上の世界があることを知らなければなりません。

家庭は、人間が心情を完成し、愛を施す主人となるための学校であり、訓練所です。したがって、家庭は天国完成の基本単位です。真の愛の主人であられ、大王であられる神様に侍り、愛に酔いしれて暮らす天国は、家庭を単位として入籍するようになっています。

生命をもつすべての存在の最高の理想は、神様の愛の対象となり、神様を占有することです。すべてのものを投入し、神様のように多くのものを投入した人は、より高い所に行きます。個人よりも家庭、家庭よりも氏族、さらに民族、国家、世界、天宙、そして神様のために犠牲になる人が、神様により近い真の愛の相対になるのです。宇宙をつくった神様は、誰よりも宇宙のために生きてこられた代表者であられます。

したがって、その方と会って共に生きようとするならば、真の愛によってために生きる訓練をしなければなりません。神様は知識の大王、権勢の大王、物質の大王ですが、「知識や能力や物質をもってきなさい」とはおっしゃいません。「誰もが真の愛のために生きてから来るようになれば、みな私のもとに来ることができる」とおっしゃりながら、待っておられるのです。

尊敬する世界の指導者の皆様。多くの人々が、「絶対者の神様、全能なる神様、栄光の神様」と、いとも簡単に語ります。しかし、私が道を求めて発見した神様は、そのような立場におられる神様ではありませんでした。

人間始祖の堕落により、神様は愛する子を失った父母となりました。子女が監獄生活をしているのに、栄光を受ける父母がいるでしょうか。神様の心情は限りなく痛みを感じているのです。また堕落によって、人間のためにつくつた宇宙万象までも、すべてサタンの主管圏に渡してしまいました。

真の愛の主人であられる神様は、その愛の対象を失ってしまった瞬間から、限りなく孤独な神様になられました。万物の主宰者としての権能を一度も主張してみたことがありません。不完全な堕落人間たちでさえ、みな自らを誇って生きているのに、神様は創造主の威信を一度も立ててみることができなかったのです。すべての生命の主人であられながら、彼らに自らの尊さを現すことができませんでした。原理の主人であられるので、非原理世界に落ちた結果世界で、どうして自由に運行できるというのでしょうか。あらゆる不信と背反の道を歩んできた人間たちは、無形の真の父母である神様を「いない」と言い、「死んだ」とまで言いながら、無視して生きてきました。神様は長い歴史を、恨を抱いて生きてこられ、非常に長い間、耐えてこられたのです。

アダムとエバが未完成期に堕落し、偽りの父母となって起きたことなので、神様が直接現れて、その権能によって治めることはできないのです。歴史の中でメシヤが第二アダムとして、また第三アダムとして現れ、第一アダムの失敗を蕩減し、真の父母の理想を完成することによって、すべてのものを回復しなければなりません。その時まで、神様は焦燥たる思いで待たなければならないのです。これが、多くの恨をもつ神様の復帰摂理歴史です。

私は真の父母の使命を完遂するために、生涯にわたって努力をしてきました。自分の安楽や地位は問題になるはずもなく、教団が目的でもありませんでした。ただ一つ、神様の願いを果たし、神様の心情に残っている恨を解いてさしあげようと一本道を走ってきました。神様を解怨し、自由にしてさしあげること、神様を万有の主宰者、天宙の大王様として侍ること、このために至誠を尽くしてきました。

このことは、簡単に言葉だけでできることでしょうか。天地でサタンを屈服させ、霊界の地獄を隔てている壁を崩さなければなりません。地上人たちと霊界人たちを、神様を中心とする祝福の道に自由に出てくることができるように整備しなければ、真の愛の神様の心情を自由にしたり解放したりすることができないのです。このすべてのことが、サタンの公認を受けることはもちろん、宇宙の公法に合致しなければなりません。既にサタンが国家基準の主管権を行使している地上では、超国家的な世界的基準の勝利的条件が立てられなければならないのです。

指導者の皆様。喜ばしいことに、私はこのすべての条件を立て、去る一月十三日、韓国において「神様王権即位式」を挙行しました。全体摂理歴史の中で最大の慶事の日でした。

初めて神様が解放された心情で、真の愛の全権、全能の役事(働き)を始めるようになりました。今や天地の人類は、有り難くも、解放された神様に侍ることのできる新時代を迎えました。今からは、神様が生きておられる証が多く現れ、霊界からの超能力的な役事が私たちの周辺でたくさん起きるようになるでしょう。どうか霊界について熱心に研究し、神様を中心とした祝福を受け、真の家庭を築き、ために生きる生活を通して永生の準備をするようお願いします。

今後人々は、有限な人間の能力とは比較にもならない天運の手を感知しようと努力しなければなりません。生きておられる神様のみ前に、実に温柔、謙遜の姿勢で、天の孝子、忠臣、聖人、聖子の道を歩む人が、恵みを受ける人なのです。神様の王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するために共に働く人となってくださることを願います。神様の祝福が常に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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第七篇 11 平和の根は真の愛に

第七篇 11

平和の根は真の愛に

日付:二〇〇二年二月十五日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル

行事:「二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超宗教超国家連合二〇〇二総会」

尊敬する議長、世界各国からいらっしゃった元・現職の国家元首、ならびに内外の貴賓の皆様。希望にあふれる新千年紀の二年目の年を迎え、私の愛する祖国、韓国の地で開催される「二〇〇二世界文化体育大典」が、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、感謝申し上げます。

1. 神様の創造理想と平和の根本

人類は今、歴史上のいかなる時よりも急速に変化する時を迎え、宗教間の対話、人種間の和解、そして文化間の理解が切実に必要であることを肌で感じています。ですから、今回の「二〇〇二世界文化体育大典」の主題も「新しい平和文化世界に向けて」に決定されたのだと思います。

私はこの大会の創始者として、きょうこの場をお借りして、私が生涯を通して信じ実践しながら教えてきた平和思想の一端を皆様と分かち合うことによって、創始者のメッセージに代えさせていただこうと思います。

内外の貴賓の皆様。私たちが何よりも切実に願い、叫んできた平和のその根本は何であると思いますか。どこで、どのようにすれば平和を獲得できるのでしょうか。また何が人類の平和を妨げている障害物なのでしょうか。極度の個人主義と利己主義が蔓延する今日の混乱した世界において、果たして私たちに平和世界を成就できるという希望はあるのでしょうか。平和の根本を知るためには、神様の創造理想を深く探ってみなければなりません。まず神様と霊界について理解しなければ、平和を実現することはできません。

創造主である神様の真の愛によるみ業が、正に天地創造であり、その世界の主人として創造された人間は、神様の創造理想、すなわち創造本然の世界である地上天国を築いて慕らしたのち、霊界に行っても永遠の平和天国を築いて暮らすようになっているのです。

地上において、平和世界である地上天国を築いて暮らすことができなければ、霊界においても、そのような世界は期待できません。ここで言う天国とは、宇宙万象と人間、そして人間と人間が互いに、ために生き、一つとなって調和統一を成し遂げて生きる所をいいます。

しかし、人間始祖の堕落によって、神様の創造理想は無残に挫折してしまいました。そして、今もその完成をみることができずにいるのです。神様と人間の関係が父子の関係であることさえも分からない無知の状態に転落してしまったのです。

2. 救援摂理は原状回復摂理

皆様。堕落した世界である今日の現実を直視してください。本来なら、平和と幸福の歌が満ちあふれるべき家庭は、背信と離婚でばらばらになり、父母の温かい愛のもとで未来の夢を抱いて無限に成長していくべき子女たちは、挫折と失望の中で街にさまよい、酒と麻薬の奴隷となり、挙げ句の果てはフリーセックスに心身を投じるという途方もない現実を目撃するようになります。

国民に責任をもち、国運を両肩に背負った為政者たちの姿からは何を見るでしょうか。国家の将来や国民の安寧よりも、自分たちの権力維持に血眼になっている人たちを多く見るようになります。国家と国家の間にも、理解と平和がなければならないところに、不和や葛藤、そして戦争ばかりが荒れ狂っているのが、今日の現実ではありませんか。人類の平和文化が定着する道が塞がれてしまっているのです。

したがって神様は、何としてでも、本来御自身の計画された真の愛と平和の理想を再び探し立てる救援摂理を展開せざるを得ないようになったのです。神様の救援摂理は原状回復の摂理、すなわち復帰摂理なのです。

3. 復帰摂理の完成と「神様王権即位式」

このような復帰摂理のために、神様は、歴史を通して時代と伝統、そして文化によって各々異なる宗教を立てられ、善の版図を広げてこられたのです。

いち早く人類救援の天命を受けた私は、全生涯を通して名状し難い迫害と苦難の路程に勝利し、ついに二〇〇一年一月十三日「神様王権即位式」を奉献しました。すなわち、人間始祖の堕落以後、数千年間耐えて待ってこられた神様に、心情の解放とともに王権を取り戻してさしあげたのです。

その基盤の上に、今や霊界と肉界が一つになって自由に通じる時代が開かれました。霊界が私たちと共に呼吸しているのです。イエス様の十二弟子はもちろん、四大聖人までも、私が人類の真の父母であり、メシヤであることを証するメッセージを送ってきています。

このように、二つの世界を分けていた壁が完全に撤去されました。今からは、天道に従わなければ生きることができない時代に入りつつあることを、皆様の前で宣言いたします。

今や人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの立場で二代圏を立てて夫婦になり、子女を繁殖することによって父母となり、三代圏まで完成して暮らす真の家庭を探し立てなければなりません。その道だけが、罪のない、自由と平和と幸福の満ちる世界をつくり、神様の直系の血統を子々孫々、永遠にこの地上に植えつけることができる道だからです。このように、神様を知り、霊界をはっきりと知るようになれば、平和を実現できる道が見えるのです。

皆様。平和の意味は何でしょうか。一言で言うと、平和とは人間関係において主体と対象が互いに一つとなって水平を形成することをいいます。起伏のない平らで、完全な均衡状態のことをいいます。「平」は水平を意味し、「和」は調和と和解、つまりハーモニーを意味します。

4. 真の愛の根源は神様

このように平和とは独りで成し遂げる「独平」ではありません。独りではいくら努力しても幸福になることができないのと同じです。ですから、上下関係、左右関係、そして前後関係がすべて調和し、どの一方にも偏ることなく、いっぱいに満たされて充満し、円満な状態になってこそ、真の平和がやって来るのです。

縦横と前後左右で完全な立体的軸を立て、互いに絶対相応する調和の世界が平和の世界です。虹の七色を合わせると調和と平和を象徴する白光色となるように、平和は、すべての条件と状況が一カ所に融和し、調和した姿の純粋な白色なのです。

すべての方向が一点で完全に調和すれば、自動的に平面性を超越して立体性を帯び、球形運動を通して永続性をもつようになります。人類の恒久的な平和はこのようにして成就することができるのです。しかし、平和は独りで存在するものではなく、その根を真の愛に置いています。自由と幸福の根が真の愛にあるように、真の平和も真の愛を成し得なければ成就することができないからです。それでは、真の愛とはどのような愛でしょうか。一言で言うと与えても忘れてしまう、条件なしに与える愛です。犠牲的な愛です。

父母が子女を生んで養育しながら与える愛には何の条件もないのと同じように、真の愛は無条件に与える愛です。怨讐までも許して与える愛です。与えてもまた与える愛です。条件なく与えるものなので、与えたというその事実さえも記憶しない愛です。無限に与える愛です。神様が人間を創造される時に与えてくださったものが、正しくこのような愛なのです。

したがって、真の愛の根源は神様です。正にこのような真の愛の土台の上に平和が立てられるとき、その平和は真の平和になるのであり、自由と幸福までも伴うようになるのです。

それでは、私たちが真の平和を実現する姿として備えるべき条件とは何でしょうか。第一に、皆様の心と体の関係について考えてみてください。対象格である肉身は、主体格である心が指向するとおりに一〇〇パーセント従わなければならないのが天理です。

5. 真の平和は心と体が一体となった場

いつ、どこで、いかなる状況に置かれても、私たちの体は、絶対対象の立場で心と完全に一つになって動かなければならないというのが、天が下さった法度です。したがって、このように心と体が完全に一つになった人間こそ、完成人間になるのです。神様が本来願われた人間の姿が、まさしくこのような真の人間でした。

神様を実体の父として侍り、苦楽を共にできる人間が、正にそのような真の人です。しかし、私たちの生活を少し深く調べてみただけでも、私たちは自らの姿がこのような真の人間の姿からどれほどかけ離れているかをすぐに感じることができるのです。

神様の息子、娘と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい自分であることを悟るはずです。心は願うのですが、体が従ってくれない時がどれほど多く、良心の呵責を感じながらも、肉身の欲望の奴隷となり、本意でない失敗をした時がどれほど多かったでしょうか。

したがって、いかなることがあっても、私たちは真の愛の実体である心と体が完全に統一された姿とならなければならず、自らを完成段階まで引き上げなければなりません。天と地の前に一点の恥ずかしさや、わずかの影もなく、「天のお父様」と呼び求めることのできる真の人にならなければなりません。そのようにさえなれば、私たちは天の父の真理と愛を発する永遠の発光体の姿となって、地上での生を終えたのち、霊界でも神様の実の子である聖子の姿で永遠に生きるようになるでしょう。

第二に、私たちは、社会や国家といった共同体の一員として、真の愛の実践である、ために生きる生活を通して互いの人権を尊重し、いかなる状況でも他人の人権を蹂躙する愚を犯してはなりません。

世界の五色人種は同等な価値をもって生まれました。人種に関する限り、神様は色盲であると言えます。人種差別や宗教的葛藤、そして国粋主義は、人権蹂躙の原因をもたらします。力で支配する時代は終わりました。二一世紀は共に生きる超人種、超国家、超宗教の時代です。真の愛が治める時代が開かれたのです。

6. 平和世界を実現する道

世界の指導者の皆様。イエス様も「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるため」(マルコ一〇・四五)と言われました。平和世界を実現する道は、ほかのところにあるのではなく、ために生きる人生の天道を実践するところにあることを明らかにされたのです。平和の根は真の愛にあると言われたのです。したがって、私たちはみな真の愛の根源であり主人であられる神様を信じ、天理に従う正道を歩まなければなりません。そのような人には天運が共にあり、万事が思いどおりにうまくいくでしょう。

どうか、心と体の統一によって人格完成を成就し、ために生きる人生の実践を通して、皆様各自の心の中に平和の基地を定着させるよう願います。私たちが怨讐までも赦し、ために生きる人生を実践するとき、小さくは個人から、大きくは世界まで、平和文化を成就できるようになるのです。それで、昨年、私は「天一国」の開幕を天上天下に宣布しました。天一国とは、二人が一つになって生きる世界のことをいいます。

小さくは個人の心と体が一つになって個人として完成体となることであり、大きくは夫婦が一つとなり、父母と子女が一つとなって、三代を通して家庭を一つにしなければならないことはもちろん、全人類が神様のもとの一つの兄弟姉妹として苦楽を共にできる世界を創建しなければならないということなのです。

このように、神様の創造本然の世界である天一国の安着のために、既に私は一万人以上の平和大使を全世界に派遣し、その拍車を掛けています。

そのような脈絡から、私はまた国連本部において、「世界のすべての国境を撤廃すべきである」と主張したのであり、国連に対し、最終議決機関である超国家、超人種、超宗教的機構を置き、世界的に名声と人望の高い霊的指導者たちが平和世界創建の先頭に立たなければならないと促したのです。

7. 家庭は神様が下さった最も貴い贈り物

第三に、私たちは真の愛の花が大きく咲き開いた真の家庭を立てなければなりません。家庭を築くには、男性、女性を問わず、独りでは築くことができません。真の愛で完成した男性と女性が夫婦の関係を結び、子女を生んで育てるとき、その家庭は真の家庭となって、自動的に平和が宿り、幸福があふれるのです。

また子女たちは、父母が結んであげる配偶者と出会い、夫婦となる時まで純潔を守り、夫婦となってからは貞節を守り、父母に似た二代目の真の家庭を築くようになるのです。

このように、真の家庭によって連結される真の血統が三代まで連結すれば、神様はその家庭に安着されるようになり、人類が何よりも願ってきた世界である地上天国が成し遂げられるのです。そのような真の家庭の拡大版がまさしく地上天国であり、天上天国なのです。

その世界は共生、共栄、共義、共愛の世界であり、みな共に兄弟姉妹となって、共に生き、共に繁栄し、正義の世界を立てて、互いが互いのために生きて愛し合う平和世界となるでしょう。

このように、家庭は大切なものです。家庭こそ、神様が人間に下さった最も貴い贈り物なのです。それで、人類の平和と幸福の基本単位も家庭であり、地上天国を形成する基本単位も家庭なのです。

いくら個人が完成したとしても、家庭をつくってその真の血統を伝授してあげる子女がいなければ、彼はただ一代で幕を下ろさざるを得ないからです。このような神様の創造目的の見地から見れば、今日、世界の至る所で毒きのこのように生え出る同性愛の風潮は、亡国の種の現象と言わざるを得ません。人類を教え導き、責任をもつべき指導者であられる皆様は、この点を肝に銘じなければならないでしょう。

天が下さった真理を信じ受け入れたならば、何を恐れることがあるでしょうか。天の真の血統を破壊し、人類の平和はもちろん、私たちの生存までも脅かしているフリーセックスと同性愛のような病弊を根絶するために先頭に立たなければなりません。今や、皆様も、葛藤と憎悪の鎖につながれているこの世界に、平和文化を定着させる先駆者の役割を果たしてくださるようお願いいたします。

8. 創造本然の世界回復に先導的役割を果たすべき

第四に、私たちは、社会と国家の指導者として、いかなる状況においても公金を略取したり、着服したりする行為を禁じなければなりません。小さくは公的財物や公的資産に手をつけてはならないことはもちろん、大きくは私たちが生きることを可能にし、豊かにしてくれている環境を破壊する行為を根絶しなければなりません。公金を着服して子女に与えることは、毒薬を与えることよりも恐ろしい行為です。

ここで言う環境破壊とは、自然環境の破壊による各種環境汚染と毀損、そして自然の枯渇問題はもちろん、私たちの共同生活を提供してくれる社会環境の破壊も含まれます。神様は人間を創造する前に環境を先に創造されたのであり、私たちが神様のみ旨のとおりに環境をよく治め、環境と共に楽しく暮らすことを願われたのです。

したがって、私たちは、地上の一株の草や、空の一点の雲を見ても、天のみ前に感謝できる真の人となって、各種の公害を退治するために、先導的役割を果たさなければなりません。神様の創造本然の世界を探し立て、その前に謙虚な心をもって生きなければなりません。

自分を生んでくれた父母はもちろん、周囲のすべての人にも感謝する心をもって生きなければなりません。そして、自分が生きているというそれ自体に対しても、常に感謝する心を忘れてはなりません。今回の期間、真摯な討論と研究を通して、人類の平和増進に寄与する皆様に生まれ変わるようお願いいたします。ありがとうございました。

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第七篇 12 世界と国家の真の救援のための道

第七篇 12

世界と国家の真の救援のための道

日付:二〇〇二年二月十七日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「二〇〇二世界文化体育大典」および「世界平和超宗教超国家連合総会」祝賀晩餐会

尊敬する世界の指導者の皆様。二〇〇二「世界文化体育大典」と「世界平和超宗教超国家連合」総会の代表者の皆様。この数日間、皆様が地球星の重要な問題に対する解決策を模索するための「世界文化体育大典」および国際会議に最善の努力を傾けてくださったことに称賛の意を表します。私はこの行事全体を終える御挨拶を通じて、いくつかのお願いをしようと思います。

1. 真の父母の使命成就のための一生涯

きょう、私の誕生日を記念する式典で、いく人かの方々から私の業績に対して称賛のお言葉を頂き、大変有り難く思います。私の成し遂げた目に見える実績に対して驚嘆され、称賛もされました。しかし、その背後にある目に見えない内的な精誠の深さと霊的基盤について、また摂理史的意義についても、より多くの関心をもって研究してくださるようお願いする次第です。

私の生涯は、生まれた時から神様の摂理史を完結することと直結されていました。人間による研究や評価を超越し、天道とともに霊界が公認し、さらに神様が先駆けて立てられた驚くべき条件があったことを明らかにしたいと思います。生と死の境界線を行き来しながら、奔走してきた私の背後に、神様の無限の加護と愛がなかったとしたら、恐らく私は、きょうこの場には立っていなかったでしょう。もう一度、神様に感謝と栄光をお返しいたします。

皆様は世界の指導者であり、平和大使です。皆様が私との関係の中で天道を悟ったならば、それを皆様の影響圏のもとにいる人たちに必ず教育しなければなりません。特に全世界の平和大使たちが、この天道を中心として互いに横的に連携しながら心を合わせて努力すれば、この世界を平和理想世界に変えることができます。

私はきょうも、摂理完成のために焦る心情ゆえに、肉身の年齢を忘れて生きています。一分一秒でも早く罪悪の中にいる人類を救い出し、平和理想世界を成し遂げ、神様を完全に解放してさしあげなければなりません。そのために、私が提唱して推進する運動に積極的に参加し、共に成し遂げていってくださることを、皆様にお願いする次第です。特に、青少年に対する純潔運動と結婚の神聖性と不変の夫婦愛を実践する祝福結婚、真の愛運動の先頭に立ってくださるようお願いします。

人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの位置において夫婦の関係を結んで、二代圏を形成しなければなりません。彼らが子女をもって父母となることにより、三代圏まで完成して暮らす真の家庭を形成してこそ、神様の莫の愛の理想が完全に定着するようになるのです。

堕落圏でサタンと因縁を結んできた愛とすべての所有権を否定し、純潔、貞節、信義の生活を誓って、神様の真の愛圏に入籍する儀式が祝福結婚です。このように祝福を受けて真の家庭を築くことは、旧約、新約、成約時代を貫く全体摂理史の最も尊い慶事になるのです。

これは超国家、超人種、超宗教和合運動とともに展開される神聖な救世救国運動です。平和大使はもちろん、指導者の皆様が率先して、積極的に指導を行ってください。国ごとに千人、万人の私の代身者が活動することによって、神様が願われる天宙平和統一国の理想を完成してくださることを切にお願いします。

世界の指導者の皆様。私は、神様の召命を受け、これまで真の父母の使命を完遂するために生涯を捧げてきました。私の行く道には、いかなる補助者も指導者もいませんでした。案内書もありませんでした。誰一人として歩んだことのない開拓の道でした。真の父母の勝利は、取りも直さずサタンにとっては破滅を意味するので、サタンの総攻撃を避けていくことはできませんでした。

サタンは霊的な存在なので、直接、霊的に攻撃することもあれば、様々な実体の代理人を立てて攻撃することもあります。空中の権勢を握る偽りの王であるサタンは、時空を超越し、あらゆる権謀術数で攻撃し妨害しました。そのような怨讐に打ち勝つ秘訣はただ一つ、真の愛で与え、自ら犠牲の蕩減条件を立てる道しかないのです。力によるのではなく、真の愛によって怨讐を自然屈伏させることが、神様の原理だからです。

神様を知らず、真理を悟れずに反対する彼らに対して、私は終始一貫してために生きてきました。人知れず迫害者の子女のために愛を投入しました。反対する国や政権を、むしろ助けながら生きてきました。

今や世界が公認し、反対していた者たちも私を尊敬するまでに至ったのです。私たちはここで、天の戦略とサタンの戦略がいかなるものであるかを学ぶことができました。すなわち、天の戦略は先に打たれて得るものであり、サタンの戦略は先に打って失うものなのです。

2. 平和世界は地上、天上世界の協助のもとに成就される

尊敬する指導者の皆様。私が開会の基調演説で言及したことですが、この地の完全な平和世界は、もう一つの世界である天上世界との調和と協力の中で成就されるという重要な事実をお話ししようと思います。

天上世界、すなわち霊界では多くの霊人が暮らしています。肉身を脱いだ永遠の実体である霊人がすべてそこにいます。皆様の先祖たちがそこで暮らしています。

堕落によって霊性が失われ、霊的五官がまともに機能しなくなった人類は霊界をよく知らずにいます。私は早くから全霊界を巡り、これまでも継続して霊界と通信してきました。今も四大宗教の聖人たちが私を真の父母と証言し、私の指示によってメッセージを送ってきています。

霊界は無限で、永遠の世界なので、現象世界よりもはるかに複雑な世界です。心霊発達の程度により、多くの階層とグループに分かれています。霊人に対する祝福と霊界の調和統一のために、私はこれまで多くの努力をしてきました。地上と同じように、霊界でも真の愛の犠牲的な条件によってのみ、勝利的基盤を築くことができます。これまで多くの祭物的な条件が投入されてきました。サタンと悪霊を制圧するため、血みどろの霊的な闘いも多く、善霊を収拾し教育するために特別恩賜も施しました。特に霊人に対する祝福は革命的な恩賜だといえます。

私はこれまで地獄を解放し、地獄と楽園の境界を撤廃する宣布と条件を立て、また霊界祝福をやっとのことで開門し、天宙解放宣布式、天地父母天宙統一解放圏宣布、霊界解放式など、重要な条件を立て、霊人に対する祝福の恩賜が大きく開かれるようにしました。奇跡のようなことです。

皆様の知らない間に、皆様のすべての先祖が祝福の恵沢圏に入りました。そして、「神様王権即位式」の奉献によって、神様の絶対圏が全霊界に生命の恩恵として及んでおり、天宙平和統一国の理想が全霊人の願いに連結されたことによって、霊人の再臨協助が活発に行われているのです。

世界の指導者の皆様。今や善の霊人の再臨協助によって地上人が導きを受け、真の愛で葛藤を解消するよう指導されるその日が近づいています。指導者の皆様が天道を実践することによって霊界の協力まで受け、人間の本性が願う理想家庭を通した理想世界を実現しなければなりません。その世界は平和文化の世界、すなわち心情文化の世界である天宙平和統一国なのです。

もう一度、「二〇〇二世界文化体育大典」の参加者の方すべてに感謝を捧げます。皆様の御家庭と国と世界に神様の祝福が満ちあふれることをお祈りしながら、御挨拶といたします。ありがとうございました。

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第七篇 13 神主義による教育

第七篇 13

神主義による教育

日付:二〇〇二年四月十四日

場所:韓国、忠清南道、牙山、鮮文大学

行事:文鮮明総裁・韓鶴子総裁名誉博士学位奉呈式

内外の貴賓、教授、学生、役員と職員の皆様。きょう鮮文大学の本館の奉献式を執り行った意味のあるこの日に、大学院委員会の総意によって、私は名誉神学博士の学位、妻である韓鶴子総裁は名誉人文学博士の学位を取得することになり、神様に感謝を捧げる次第です。

奉献式の場でも言及したように、私の教育機関の設立趣旨は、神様の真の愛の理想の教育と実践にあります。創造主であられる神様の根本属性は、絶対、唯一、不変、永遠、全知、全能など、様々に説明できると思いますが、根本の中の根本の属性は、真の愛です。

愛の理想は、相対と共に、相対を通してのみ成就します。真の愛それ自体の特性ゆえに、神様もために生きるべき愛の相対的存在を必要とするようになるのです。これが、絶対者であり、自存者であられる神様が被造世界を創造された動機です。

すべての被造物は、直接・間接的に神様の愛の対象です。その中で人間は神様に最も近い存在であり、すべてを相続できる子女として創造されました。人類にとって神様は無形の真の父母であられます。

人間は宗派や教理によって、神様を様々に表現しますが、根源者の神様は、国境と人種、宗教と言語、そして肌の色と文化を超越し、人類すべてを一つにまとめることのできる真の愛の真の父母であられ、求心点になるのです。

宗教は、自分の宗教が他の宗教よりも優れていると考えるので、最近アメリカで起きた世界貿易センタービルのテロ事件や、パレスチナ紛争で見られるように、宗教戦争の渦に巻き込まれているのを目撃することができます。しかし、すべての宗教は普遍的な真理をもっているだけではなく、その教えは、唯一の神様から、共同の目標を指向しながら設立して出てきたものです。一人であられる神様は、すべての宗教の決着点であり、主人なので、宗教人たちは、互いに異なる点よりも、共通点を見ようと努力しなければなりません。

宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は、ために生きることであり、個人よりも家庭、家庭よりも氏族、氏族よりも民族、民族よりも国家、国家よりも世界、世界よりも天宙、天宙よりも神様のために生きることをいいます。このとき、神様は最初に戻って、子女である人間のために生きられるのです。これは普遍的な真理です。同様に、宗教は他の宗教を理解し、他の宗教のために与えて進んでいかなければなりません。

私は、宗教を通した平和世界実現のために「世界平和宗教連合」、「世界平和超宗教超国家連合」、「世界非政府機構連合(ワンゴ:WANGO)」などを創設し、全世界の宗教人を一つにまとめる活動を展開してきたのであり、宗教間の対話と和合を図るために、世界宗教の代表的な学者たちが編纂した『世界経典』を刊行しました。信じられないかもしれませんが、統一教会自体の予算よりも、超教派超宗派活動により多くを投入してきています。

また神様は、すべての知識体系と真理の根源であり、出発点となります。鮮文大学は世俗的な物質的価値を教える以前に、神様を愛する姿勢を教えなければなりません。すべての学問と価値観、そして真理の源泉が神様であるという事実を理解し、そのような姿勢で教え、学ばなければなりません。

また建学理念である「愛天思想」とは、神様を中心とした正しい価値観を立て、それを生活の中で実践することを意味します。唯物論と無神論、そして世俗的な価値観と快楽主義が乱舞する現代社会は、実に価値観が混同し、破壊された社会であると言わざるを得ません。愛天理念は、価値観が崩壊した現代社会において、その代案として提示された神様中心の価値観、すなわち「神主義」をいうのです。

一九九一年の末、私と私の妻が金日成主席の招請で北朝鮮を訪問した時のことです。その何年か前でも、世界的な宗教指導者であり勝共運動の第一人者である私を消し去ろうと、ソ連のKGB(国家保安委員会)や共産テロ団が暗躍したことがあったので、思想的に統制された北朝鮮の地に入るということは、命を懸けた冒険でした。

しかし金日成主席との出会いは、統一問題を解決するためには避けられないことであり、神様の摂理歴史において必然的にぶつかっていかなければならない摂理的要請であることを知っていたので、私は神様だけを頼りに北の地に入っていったのです。北朝鮮に入ったのも、何か共同投資や事業をするためではなく、神様の願いである南北統一のために、人類の真の父母として北朝鮮の住民を誰よりも愛する憐憫の心情を抱いて、堂々と入城したのです。

そして、北朝鮮の最高指導者に、「『主体思想』では統一できない。南北が共に生きることのできる『神主義』で統一しよう」と提議したのです。当時、私に随行していた人たちは、「わあ、これで、生きて帰れない!」と思ったと後日、話してくれました。既に一年前、ソ連を訪問して、ゴルバチョフ大統領に会った時も、危険を顧みず、神様のみ旨を宣布したことがあります。

私にとっては、生死が問題ではなく、天命と天意を守って従うことが重要だったのです。私の語る「神主義」は、してもしなくてもいい、そのような思弁的なものではありません。厳然として生きて役事される神様を無視したまま、無神論や唯物論、主体思想を主張しながら、偽りの思想を宣伝することは、天道に背くことであり、歴史の前に流れていくことなのです。ただ天道と正義と真(まこと)だけが歴史の前に残るのです。そのような意味で、神様の真の愛を中心とした「神主義」だけが、統一の基礎になることができるというのです。

私が主導した「科学の統一に関する国際会議」もそうです。世界で我こそはというノーベル賞受賞者などの碩学たちを、文総裁が押したり引いたりしながら、「ああしなさい、こうしなさい」と言えるでしょうか。大会を一度開くたびに途方もない予算がかかる国際大会を、なぜ毎年行ったのでしょうか。

二十世紀に入り、驚くべき速度で発展した科学文明は、人類に豊かな生活を享受できるようにしてくれましたが、一方では自然と環境の破壊、大量殺傷武器の開発、大気オゾン層の破壊など、暗い影を落としたのも事実です。科学技術を利己的な動機で使用するとき、科学技術は人類を破滅させるかもしれない凶器に急変するのです。

科学的理性を固く信じた人類は、二度にわたる世界大戦を経ながら、人間の野蛮性に対して驚愕するようになり、科学的理性に対する信頼が落ちるようになりました。また現代産業社会において、人間は物質文明の奴隷となってしまいました。これらすべての現象は、科学の誤用から来る結果なのです。科学は、科学者たちが好んで使う言葉のような「価値中立的な学問」なのではありません。科学こそは、人類のために正しく使われなければならない「価値指向的な学問」なのです。

私は、毎回開催される「科学の統一に関する国際会議」の主題を「絶対価値の探求」と関連させて設定しました。私が提案した絶対価値というのは、「神主義」に立脚した神様の真の愛を意味します。宇宙万物を創造された神様は、科学者の中の科学者であり、芸術家の中の芸術家であられます。科学者が、神様の創造された宇宙万物に対する知識を一部知っているからといって、驕慢になったり、自己満足に陥ったりするならば、それは正しい道理ではありません。

したがって科学者の目標は、物理学や化学、あるいは生物学など、関連分野の研究だけに終わってはいけません。諸学問の分野別特性も重要ですが、学問の研究が相互協力、相互補完されなければならず、その研究の成果が善の目的に活用されなければならないのです。

科学が科学だけのための盲目的なものとなるとき、誤ってしまう可能性があるからです。したがって、科学者たちの学問的な成果が、他の学問との関連性においても扱われるべきであり、さらには全体社会に対する有用性と目的性の可否とも関連しなければなりません。そのような側面から見るとき、「科学の統一に関する国際会議」は、最上の権威を備えた国際会議であり、人類社会に大きな足跡を残したと自負します。

今後の世界文明を主導する思想は、現代文明から失われた、生きておられる神様を再発見し、神様を中心とした絶対価値を基盤にした思想でなければならないのです。西欧文明は人間の理性を過度に強調した結果、人本主義思想に染まり、神様を見失ってしまいました。唯物論の哲学は、神様を追放し、神様からの解放を装いながら、物質至上主義に陥ってしまいました。

しかし、神様を離れた自由は真の自由ではありません。何よりもまず大学教育から、神様を中心とした新しい価値観を教育することが急がれる時です。また、現象世界を越えた本体世界、すなわち理想的な霊的世界が存在することを知らなければなりません。肉的五官では感知されませんが、厳然と存在する実体世界です。

私は、その世界と数多く交わりをもち、体験的真理を語っているのです。神様と霊界を正しく知るべき、もう一分野の学問研究が残っています。二十一世紀は霊界と霊的現象がだんだんと可視的、体恤的に私たちに迫ってきています。

すべての学問と教育は、究極的に主体となられる神様に依存して関連性を結ぶことが、真の大学教育の要諦であると思います。神様を中心とした絶対的価値体系を樹立することは、世界文明を主導する大学がもつべき一次的な条件です。

教育は、単純に知識と機能を伝達する行為になってはいけません。少なくとも道徳性と倫理、および良心を啓発する教育がその主軸を形成しなければなりません。したがって真の教育とは、機能的な知識人や利己主義者を量産するのではなく、人格の完成と道徳性を実現するときに、その意味をもつようになります。

ぜひとも鮮文大学が「神主義」に立脚した教育思想を実践して、この国と人類文明に大きく寄与する大学として発展していくことを祈ります。ありがとうございました。

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第七篇 14 鮮文ピースカップ創設の意義

第七篇 14

鮮文ピースカップ創設の意義

日付:二〇〇二年六月十二日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「鮮文ピースカップ」創設大会晩餐会

尊敬する内外の貴賓、ならびに紳士淑女の皆様。きょうのこの場で、皆様と貴い時間を共に過ごすことができ、心からうれしく思います。特に今回、韓国と日本において開かれている第十七回ワールドカップ大会に参席され、そのお忙しい中でも、本大会に参加してくださった指導者の皆様に、重ねて心からの感謝をお捧げいたします。

平和世界実現のために精誠を尽くした八十年以上の生涯

きょう六月十二日は、ワールドカップが開幕して十三日目です。サッカーの熱気が全地球村を熱くしています。連日、異変と波乱、歓喜と挫折が交差する葛藤のドラマが演出される中で、人種や理念、国境を超越し、感動と友情の祝典が繰り広げられています。

きょう、私たちがこの場に集まって深く考えてみることは、スポーツを通じた人類平和実現の道を模索しようということです。今まで私は、聖書の記録のように、「平和をつくり出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれる」(マタイ五・九)というみ言の実践と天意に従い、宗教と学術、言論、文化、芸術、スポーツなど、各分野において、八十年以上の生涯をただ一つの道、神様に侍り、神様のみ旨と理想である自由と幸福、そして平和の世界を実現するために、あらゆる精誠を尽くして生きてきました。

皆様もよくご存じのように、和平や平和という問題は、今まで長い歴史の期間を通して、全世界がすべての手段や方法を動員し、あらゆる努力を注いできましたが、ある一つの国家の政治力や経済力、軍事力だけでは、完全に解決できるものではありませんでした。

問題は、最も近い家庭から氏族、民族、国家、そして世界を越えて天宙までも含めて通用する根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。

真の理想、真の愛、真の生命、真の血統、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に、人間の希望です。それでは、理想であれ、幸福であれ、愛であれ、平和であれ、その起源は、どこにあるのでしょうか。それは、ただ一つ、相対のために奉仕し、犠牲になって、ために生きるところにあります。そこに根本真理があるのです。

宇宙の根本原則はために存在すること

宇宙は、神様のように互いに、ために生きて存在することを根本秩序として存在しています。神様は、知恵の王であられ、全能のお方です。ですから、すべての存在世界において、真の愛と真の幸福と真の平和を成し遂げるためには、その世界で主体と対象が互いに、ために生きては、またために生きる、そのように存在するようになっているのです。

すべての存在は、二重目的をもつ連体です。存在の中心には、より大きな全体のために生きようとする性相的な目的と、自体を保護し、自体を存続させようとする形状的な目的があります。

例えば、陽子と電子の作用によって原子が存在し、その原子である陽イオンと陰イオンが分子を形成し、その分子でできた栄養素が植物を育てます。その植物が繁殖して動物の餌になります。動物と植物の間においても、酸素と炭酸ガスを交換します。蜂と花は互いに共存します。天体を見ても、太陽と惑星が互いに授受作用をして、一定の距離を維持しながら公転と自転によって運行されています。

このように、すべての存在は、互いに、ために存在しているという宇宙の根本真理があることを、私はいち早く悟りました。この原則が適用される場、言い換えれば、父子の関係にこれが適用されるならば、真の父母がそこに存在するようになり、真の息子、娘がそこに存在するようになるのです。

ために存在するのが、宇宙の根本原則です。この原則の上に立ってこそ、すべての幸福と平和と理想と真の愛が完成するのです。

互いにために生きなければならないという公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して互いにために生きる世界を成し遂げるならば、その世界が正に私たち人間が願うユートピア的真の愛の世界であり、真の理想の世界、真の平和の世界、真の幸福の世界だということは間違いありません。「ために存在する」というこの原則を掲げていくならば、どこにも通じない所がないのです。

もし皆様が霊界に行くことになったとしても、ために生きる真の愛を実践したならば、神様は、天地の中心存在としていらっしゃるので、そのお方から千年、万年福を受けて暮らすようになり、それ以上の幸福はないことを知ることができます。

ために生き続ける存在は中心存在となり、中心存在となることによって、完全に統一的な環境や平和の世界をここで造成できるという事実を、私たちは知らなければなりません。いくら数多くの宗教があり、数多くの教典があったとしても、その核心の教えは、「ために存在せよ」というこの一言に帰着するのです。

真の宗教、愛の宗教、理想的な宗教、幸福の宗教、平和に導く宗教はどのような宗教でしょうか。個人のために生き、家庭のために生き、氏族のために生き、民族のために生き、国家のために生き、世界のために生き、天地のために生き、神様のために生きて、先に犠牲になろうという宗教が真の宗教であり、理想的宗教であり、万民を平和の場に導き、幸福の場に導く宗教であるという結論も、皆様は知ることができるでしょう。

相対的概念から生まれる平和

平和は、相対的な概念から生まれる言葉です。幸福もそうです。一人では幸福になることはできません。このように考えると、私が一つになろうとするところから幸福が生まれるのであり、平和や、私たちのあらゆる理想的な要件も、私が一つになろうとするところから関係が結ばれ、出発がなされるのです。

人の力だけでは、人間世界において平和の紐帯を結ぶことができません。なぜかというと堕落した人間は、それぞれ自分だけがうまくいくことを考えます。互いに利用しようと考えるのです。自分の利益を追求し、自分を中心として良いものを結びつけようとします。

ここに来られた皆様はそうではないですか。指導クラスの人士だとしても、自分を中心として主導権の争奪戦を行い、自分の利益のために闘って大騒ぎしています。今までのこの世の中では、これが私たちの生活の本質的な基礎になっているのです。自分だけのために生きる世の中では、闘いに終わりはなく、継続されるのです。

ここで、私たちの体の構造を見てみましょう。この目は、自分のために生きようとして生じたのでしょうか。相対のために生じたのです。口は自分のために生じたのでしょうか。相対のために生じたのです。この耳は自分のために生じたのでしょうか。相対世界の音を聞くために生じたのです。

鼻は自分のために生じたのでしょうか。手は自分のために生じたのではありません。さらには、男性と女性の生殖器官自体も、自分のためではなく、夫のものは妻のために、妻のものは夫のために生じたのです。平和は、そこから、すなわち、ために生きようとするところから生まれるのです。母親の体は、母親だけのためのものではなく、夫と子女のために存在するようになっています。

一つの平和な世界、ために生きる世界をつくるために、私は妻と共に、全生涯を通して様々な方面に努力を注いでいます。その中でいくつか代表的な例を挙げるならば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越し、未来世界の基盤を固める超宗教、超国家、超NGO(非政府機構)、超与野党教育活動をしてきました。また「世界平和統一家庭連合」では、真の家庭運動と純潔運動を展開してきました。学術分野においては、アメリカのブリッジポート大学と韓国の鮮文大学を中心に平和思想の教育と実践運動に尽力しています。

さらに、言論分野においては、既にアメリカの「ワシントン・タイムズ」とUPI通信社をはじめとして、韓国と日本では「世界日報」、そして南米、北米のすべての国々をカバーする言論機関をつくり、やがて世界百八十五ヵ国に拡大され、世界が一つになって協力する上で、大きく寄与することになるでしょう。

スポーツと世界平和

きょうは、サッカー人たちの大会です。今、この韓国では、かつてないサッカーの熱気が高潮し、全世界の人々が一つの祝祭の雰囲気に巻き込まれています。しかし、究極的にスポーツの世界が行かなければならない正道は、オリンピックやワールドカップを通して、世界の人々を和合と平和の道へと案内することです。

時には、過熱した競技がお金や権力と結びつき、純粋なスポーツ精神が薄れつつあるのではないかと、非常に危惧されています。選手の報酬が法外な価格であることや、独占資本家たちの横暴のようなことがないか、よく見守っていかなければなりません。

私は、スポーツを通じた世界平和実現のために、韓国でいち早く一和プロサッカー・チームと鮮文大学サッカー・チームを結成し、韓国サッカーの発展に大きく寄与してきたのであり、ブラジルでもセネ・プロサッカー・チームとソロカバ・プロサッカー・チームを運営しています。私がこのようにサッカー・チームを運営するのは、単純なビジネスの次元を越えて、大学連盟の青少年たちにスポーツマンシップを教育し、スポーツを通して世界平和に寄与することが、その優先的な目的であると言うことができます。

御存じのように、サッカーは、もともとイギリスで始まりました。貴族の子弟ばかりが通うイギリスのイートン・スクールで、指導者としての資格を備えるには、知識だけではなく体力も必要とされる中、体力増進を目的に初めてサッカーが考案されたのですが、今では貴族だけの遊技にとどまらず、チームワークを重要視するその魅力ゆえに、すんなりと大衆スポーツとして定着し、飛躍的に発展するようになりました。

特にサッカー競技は、個人の技術がいくら優れていても、チーム全体が支えてくれなければ、勝利は難しくなります。ボールは、丸くてあちこちに転がりますが、同時に正直なのです。ボールは、選手が蹴る所にだけ飛んでいきます。

サッカーには、正直性とチームワークを重要視する合目的的共同体の原理が隠されているのです。サッカーは、既得権層の分配式の利害打算的な計算もなく、ゴールを決めるのに順番が決まっているわけでもありません。サッカーは、大国や小国、強い国や弱い国に関係なく、公平に競技をすることによって、すべてに喜びと幸福をもたらします。サッカーには、チームプレーから生まれる躍動的な共同体的ハーモニーがあるのです。

サッカーをはじめとして、すべてのスポーツと遊技文化は、人類歴史と共に長い間一緒に発展してきました。スポーツは本来、丈夫な体と安全な社会を維持するために創造されたのであり、今日、数十億の人々の生活を楽しませ豊かにしながら、全世界の隅々に拡散しています。このような万民のスポーツを通して、万民の平和に寄与できる方法を、様々な側面から模索しなければなりません。

公正な競争原則が支配するスポーツ

世界は、再び新千年紀のスタートを迎えました。情報と技術の画期的な発展を通して、「地球村は一家族」という概念が現実化しつつあります。しかし、一方では、道徳的危機を迎えるようになり、精神的価値の崩壊の脅威に直面していることも事実です。今日の享楽主義と青少年たちの自己中心的な価値観を克服するために、互いに健全なスポーツ精神特有の建設的な代案を提示しなければなりません。

スポーツは、公正な競争の法則が支配します。闘争と競争とは、その概念が異なり、次元が違います。闘争は、腕力や武力、または物理的な力で相手の存在を否定し、抹殺しようとする、残忍で殺伐とした動物たちの弱肉強食の法則です。

スポーツの競争は違います。競技では、ルールを定め、その規定に従って優劣を決め、相手を認める紳士の精神があります。スポーツ競技とは、多くの人が見守る中で、選手たちの正々堂々とした態度と公明正大な精神をもって、各自自分の技術と才能と力を競い合うのです。互いに約束した法と規則を守りながら、審判の公正な判定を受けるのです。

ゲームで最も重要なことは、フェアプレーです。順法と準則です。反則は、減点となり、退場となり、権限が剥奪され、選手は処罰を受けます。運動選手は、個人と国の勝利と栄光のために、すべての力とすべての精誠と勇気を尽くして全力投球します。

勝利した選手には、常緑樹の月桂冠を与え、栄光の金メダルを掛けてあげ、花束を与えながら、万雷の拍手喝采で祝い、国旗を掲揚し、国歌を歌ってあげるのです。そのような儀式は、感激の極致であり、栄光の絶頂であり、私たち全員の祝宴なのです。

またスポーツの世界には、競争で敗れた選手たちも、自分の残念な思いを抑えて、勝利者の労苦に心からの拍手を送る美徳があります。スポーツは、美しい友情の香りがあり、同志愛があります。選手は、スポーツマンシッブを守るときに美しいのであり、絶え間ない努力によって血と汗を流さなければならず、名技と神技の境地に到達しなければなりません。公正と秩序と礼節の徳を修錬しなければなりません。

スポーツは、現代社会に多大な貢献をしました。人間の心身を健康にし、競技の技術によって喜びと感動を与えました。特にスポーツは、宗教のドグマや政治的なイデオロギーを跳び越えることができ、誰もが一つになることができ、さらには、全世界の人々の心を一つに結ぶ和合と平和の饗宴です。

冷戦時代が終息はしましたが、世界は、依然として苦痛の束縛から逃れることができずにいます。アメリカにおける九・一一事件で示されるように、民族紛争と宗教的葛藤によって世界が争っており、地球の環境は、破壊の一途をたどっています。

未来に責任をもつべき青年は、世間に対して冷ややかになりつつあり、一部は、物質主義と享楽主義に心酔したり、そうでなければ、麻薬に溺れて非行に没頭したりすることもあります。

このような諸般の問題の解決法案は、先ほど申し上げたように、正しい真理、すなわち、互いに「ために生きよう」という理想的真理の基盤の上に、正しいスポーツ精神を接ぎ木させ、その精神を神様のように実践し、和合と平和と統一の世界を創建しなければならないのです。

「鮮文ピースカップ」は人類共同体の祝祭

ですから、私は、今回、平和世界の創建を願いながら、「鮮文ピースカップ(SUN-MOON PEACE CUP)」を創設したのです。「鮮文ピースカップ」は、太陽(sun)と月(moon)のカップ、天地父母のカップ、平和のカップです。純粋、純潔を象徴する光で永遠に輝かなければなりません。

「鮮文ピースカップ」は、神様を抜きにして、単に興行性のある競技ばかりをあおり、スターを誕生させるなど、そのような既存のカップとは区別されなければなりません。神様をはっきりと知り、霊界の実相について詳しく知り、平和の正道をわきまえて進んでいかなければならないのです。

「鮮文ピースカップ」は、神様が理想とされた創造本然の世界を成し遂げるための宗教と科学、政治と経済、女性、青年、体育など、各界各分野の努力を一ヵ所に集め、人類が一つの大家族となることを念願する祝祭の場となるでしょう。

特に、人種、国家、民族、宗教、理念の壁を越え、神様の真の愛を中心とする真の平和の理想に向かって出発する始発点になるという点において、実に重要であると主張できるのです。

「鮮文ピースカップ」は、人類の健全な精神世界はもちろん、霊性の啓発と共に人類共同体の内外的和合と調和を実現する祝祭の場であり、神様の創造理想を中心に、平和と自由と幸福の世界を開いていく一つの心、一つの家族、一つの心情の大同の場となるでしょう。

最後に、ここにお集まりになった皆様は、「鮮文ピースカップ」を発展させる上で主役となり、大きく寄与してくださることを約束した「ペレ財団」、そしてFIFA(国際サッカー連盟)と共に、すべての協助と指導を惜しまれないことを重ねてお願いいたします。

皆様と皆様の御家庭に神様の愛と祝福が満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第七篇 15 宗教間に恒久的な和合を成し遂げよう

第七篇 15

宗教間に恒久的な和合を成し遂げよう

日付:二〇〇三年七月十日

場所:韓国、忠清南道、天安、柳寛順体育館

行事:「二〇〇三世界文化体育大典」

尊敬する元・現職の国家元首、高名な宗教界の指導者、世界各国からいらっしゃった各界指導者、各教団を代表する青年代表、紳士淑女の皆様。ここ大韓民国において開催される「二〇〇三世界文化体育大典」に参加されましたことを心から歓迎いたします。韓半島は、私の祖国であると同時に、神様が復帰摂理を終結させる所でもあります。

霊界が全面的に支援する祝祭

私は、少年時代から驚くべき霊的体験によって神様を知り、イエス様をはじめとする聖人たちと交流してきました。そして、深い境地における霊的体恤を通して、神様のみ旨と心情を悟り、天道と、人生の本然の道を究明したのです。

人の命というのは、地上において肉身が死んだからといって終わるわけではありません。天上世界、すなわち霊界では、聖人や賢人たちはもちろん、私たちの先祖が、肉身とは異なる、人格体である霊人体として生きています。神様が創造された根源の世界、すなわち無限で永遠の世界と比較するとき、私たちの肉身が生きるこの自然界は、ごく小さな一部分にすぎません。

そして霊界は、永遠の世界であると同時に、この現実世界の主体となる根源であり、本質の世界です。私は、堕落によって断絶した地上世界と霊界との間に、原理的な交流を回復させることに多くの精誠を尽くしました。それは、地上と天上にふさわしい条件を立てなければ不可能な、実に難しい課題でした。

現在、私は、霊通者を立て、霊界に指示するメッセージを送り、またそれに対する回答とともに、霊界での実相に関する報告を送ってくることもあります。さらに驚くべき事実は、霊界において五大宗教の代表たちが一堂に会し、神様が人類の父母であられることを宣布すると同時に、私に対して、人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母であると宣布し、また「統一原理」が人類救援のための平和のメッセージであり、天宙平和統一は、真の愛を中心として超宗教、超国家、超人種の「愛によるために生きる人生」を通して完成することを宣布しました。さらには、真の父母に侍り、神様の国と世界平和のために、和合、統一、精進することを決意しました。これが二〇〇一年末に霊界で起きたことです。

根源であり、主体である霊界において起きたことは、その反応が地上においても起きるようになっています。地上に多くの霊的役事が起きるようになり、同じ決意をするという出来事がだんだんと増えていくのです。「世界文化体育大典」は、人間の考えだけで始まった行事ではなく、神様のみ旨を動機とし、霊界が全面的に協力、支援する中で進行する、愛のチャンピオンを神様に捧げる祝祭なのです。

宗教の和解と協力は世界平和の前提条件

今回参加された皆様の善の先祖と教団指導者が、霊界から皆様に声援を送っていることを記憶してくださるようお願いします。宗教の重要な使命の一つは、人々に霊界に関する正しい内容を教育することです。人間が神様と霊界について、はっきりと理解するならば、確信と希望の中で責任を果たしながら完全なものとなるでしょう。

現在に至って、多くの国々が、自国の安全は自国だけに限られた問題ではないという事実に気づくようになりました。戦争やテロ、核兵器の脅威などの国際情勢と無縁な国は一国もありません。

また、世界の指導者たちは、世界平和のための基盤として、宗教間の調和と協力が必要であるということに共感しており、九・一一事件以降は特にそうです。過去半世紀の間、私が粘り強く警告してきた宗教間の葛藤と戦争の致命的な危険さを、人々は今、正に深刻に感じているのです。

宗教間の和解と協力は、世界平和のための前提条件です。今回の文化体育大典の主要な行事は、この宗教間の和合を恒久的に成し遂げようとする行事です。指導者、特に宗教界の指導者は、人の血統の重要性を理解し、正しく教えなければならないと思います。

神様が人類始祖として最初の男性と最初の女性を創造された意図は、彼らがそれぞれ真の愛によって完成し、夫婦として完全な相対理想を成し遂げることによって、神様を中心とする家庭を築き、善の血統を受け継ぐ子孫を神様の民として繁殖することにあります。

人類始祖は、神様の祝福を受けた最初の家庭を完成することができませんでした。彼らは、サタンの偽りの愛の因縁によって堕落し、エデンの園から追放されてしまいました。結果的には、神様の真の愛とは無関係な家庭を築いてしまったのです。人類始祖は、神様の善の息子、娘、善の夫婦、善の父母になることができませんでした。したがって人類は、偽りの父母、偽りの先祖から出発し、偽りの血統によって罪悪の子孫を繁殖してしまったのです。

そして人類始祖は、子孫に神様の真の愛、真の生命、真の血統を相続させることができませんでした。ですから、偽りの先祖の子孫である人類は、真の愛によって神様が願われる真の家庭を再び回復しなければならない宿命のもとに置かれてしまいました。もちろん真の愛、真の生命、真の血統は、共に重要なものですが、その中でも、一生涯の期間を越えて代を受け継いでいく真の血統が、より貴いのです。

超宗教的にお集まりになった青年学生代表の皆様。新しい心情文化世界を指向するこの祝典の主役が正に皆様です。皆様は、実に貴いものをもっています。

若さ、情熱、純粋、義俠心、勇気など、神様の本性に最も近い性禀を備えているので、神様は、皆様と共にいることを願われます。皆様がその開かれた心で、排他、反目、葛藤などの壁を越え、宗教和合のしっかりとした根を下ろさなければなりません。

そして、私の生涯を通して実践し、教育してきたことの一つが壁を崩すことです。私たちは、人種と宗教と国家の境界を越えて、共に調和して暮らさなければなりません。

最も大切な愛の器官

私たちは、神様を中心とした「世界一家庭の家族」です。スローガンや飾り言葉としてではなく、実際にそのように暮らさなければなりません。神様は、青年や大学生たちに最も大きな期待をかけていらっしゃいます。私たちは、ある特定の人種、言語、宗教、国家、文化に属しているという意識を超えなければなりません。

私はきょう、皆様に実に貴い教えを伝えようと思います。人々、特に若者たちは、愛の器官に対する価値を正しく理解し、これを大切にしまっておかなければなりません。愛の器官は、愛と生命と血統の中心であり、根源です。

そして、愛の完全な結実も、新しい生命の懐妊も、愛の器官を通してこそ可能なのです。愛の器官を通さなければ、父母の血統が次の世代へとつながりません。このような理由によって、愛の器官は、人体の中で最も大切な部位になるのです。

不幸にも、現代社会は、あまりに多くの状況において、この貴い愛の器官を間違って使っています。社会的、文化的環境、特に映画、音楽、言論、インターネットなどを通して、愛の器官を間違って使うように、誤った方向に向かっているのが世界的な趨勢です。若者たちは、いとも簡単にフリーセックスの波にのみ込まれ、家庭は崩壊していきます。この現実は、悲惨なことです。宗教界の指導者たちをはじめとする志のある指導者たちは、正しい意見を大きな声で叫ばなければなりません。

いかなる場合においても、家庭の貴さが取り戻され、男女の愛の関係が正しい倫理基準の上に立てられなければなりません。真の父母様を通じた真の愛の祝福結婚行事と若者の純潔運動が、超国家・超宗教的に普遍化されなければならない理由がここにあるのです。七月十三日に行われる超宗教・超国家的祝福結婚行事の貴重な意義も、この点から見いだすことができるのです。

私は、これまで超国家的、超人種的、超文化的、超宗教的祝福結婚を奨励してきました。また、過去に怨讐関係にあった国民同士の祝福結婚を奨励しています。特に韓国と日本、アメリカの黒人と白人、キリスト教とイスラーム、イスラエルとパレスチナとの間においてです。もしもこのことが普遍化されるならば、平和世界に向かう道がどれほど短縮されるでしょうか。

すべての人が、このように怨讐を愛することを実践することによって、私たちの指導力を満天下に示しながら、心の障壁を崩し、愛で奉仕する、神様の平和大使とならなければなりません。

宗教と霊性の重要性を見過ごした国連

尊敬する世界の指導者の皆様。私たちは、今まで代表的な平和機構は国連であると言ってきました。しかし、国連はこれまで、加盟国が五十一ヵ国から百九十一ヵ国に増え、また五十八年という歴史が物語るように、内外の環境と条件が大きく変わりました。

国連が成し遂げた業績も大きいのですが、今は内外に多くの試練を迎えています。安全保障理事会を中心とする特権の問題、強大国と小国との公平性の問題、強制制裁圏の問題、予算の問題など、多くの制限と困難があります。

特に国連がその活動において、宗教と霊性の重要性を見過ごすことによって、心のない体のような運命の道を自ら招くことになりました。多元化した世界において、国連が頭のない体となって、地球星の諸問題に能動的に対処できなくなり、世界の問題を分析して対応する際には、公正性を失い、一方にばかり偏ってきたということができます。国連がこのままいくとすれば、本来の創設目標は、決して達成することができなくなり、発展どころか、存廃の危機を迎えるようになるでしょう。

私は、三十年前から国連が世界平和のための機構になることを心から願い、心配してきたのであり、ここ四年間は、機会があるたびに国連の刷新を主張してきました。国連の刷新に関する私の持論は、国連内に超宗教議会を上位機関として設置しようというものです。

幸いに、フィリピン政府が私の提案に基づいた国連刷新案を、今年の九月に開かれる第五十八回国連総会において、アメリカなど数々の国の支援を受けて提案する予定です。多くの国家が協力し合い、国連が本当に平和実現の躍動的な機構となるよう、皆様が支援してくださるものと確信しています。

霊界においても、既に五大聖人たちをはじめとした指導者たちが協力することを決意しています。国連内に設置される超宗教議会の代表たちは、宗教の創始者たちが成し遂げようとした高貴な理想を、真の愛の手本となる人格と知恵でもって実践しなければなりません。

そのためには、宗教自体が利他的な実践の道にしっかりと立っていなければなりません。もしそれができないとするならば、超宗教議会は、何の価値もなくなります。今世界は、教派主義、狂信主義的宗教、自教団利己主義を超えて、真の愛を実践する宗教指導者を必要としています。

心情文化世界を実現するための祝祭

今回の期間に進められる超宗教祝福結婚行事、超宗教青年平和体育大典、国際平和会議、世界原理研究会総会、平和のための奉仕活動など、文化祝典における行事は、すべて世界平和のためのものです。私は、教育部門と芸術分野にも世界的な基盤を築いてきました。また、今月十五日に開幕する、世界の有名なクラブのサッカー対抗戦である鮮文ピース・キング・カップ大会も、すべて心情文化平和世界のための一連の活動です。

今から私たちは、数日間、霊界とこの世界が注視する中で、私たちの平和のビジョンと決意、そして指導力を万邦に示すでしょう。万民の心の中に感動と共感を呼び起こし、希望のメッセージとして植えつけられることを期待します。

最後に、神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして全世界に満ちあふれることをお祈りいたします。

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第七篇 16 真の理想家庭の絶対価値観は真の愛の主人を定める

第七篇 16

真の理想家庭の絶対価値観は真の愛の主人を定める

日付:二〇〇四年七月二十三日

場所:韓国、忠清南道、天安、柳寛順体育館

行事:「二〇〇四世界文化体育大典」

世界百二十ヵ国からいらっしゃった高名な内外の貴賓、宗教界、学界、政界、市民団体など各界の指導者、「超宗教平和スポーツ・フェステイバル」に参加する青年、国際祝福結婚式の参加者、世界からお集まりになった青年、大学生、そして紳士淑女の皆様。

世界文化体育大典の目標は心情文化世界の創建

一九八八年に私が創設した「世界文化体育大典」は、その核心的主題と目標が、心情文化世界の創建にあります。全人類が神様と真の愛を中心に調和と統一を実現し、共生共栄共義の世界を具現するためのものです。

したがって、世界文化体育大典の行事は、人間のつくった障壁を崩し、超国家、超人種、超宗教的な和合一体を指向する文化祝典なのです。今年の「世界文化体育大典」は、摂理史的に「先天時代」に終止符を打ち、「後天時代」が開かれるこの時点において開催されるという点で、より一層大きな意義があります。

この場をお借りして、私はきょう「真の理想家庭の絶対価値観は真の愛の主人を定める」という題目で、今日、天が人類に下さった真理の一端を紹介しようと思います。

皆様。神様が人間を創造された目的とは何でしょうか。全知全能であり、遍在される神様も、独りで存在することを望まれなかったがゆえに、まずは天宙を人間のための環境として創造され、その上に神様の真の愛で創造されたのが人間です。

神様は、その対象である人間が、神様御自身よりも立派で大きな存在となることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも父母は、子女が自分よりも成功し立派になることを願うでしょう。これは、すべて神様が祝福として下さった父母の愛なのです。

相対のために生きる人生が愛の主人になる道

子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の子女を繁殖し、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て、喜びを感じようとしたのが神様の創造目的でした。愛の主人となる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にして投入する、そのような真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様は人間を創造されるときも、まず御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てて、一〇〇パーセント投入されたのです。相対圏を絶対価値圏として立てるのです。

愛の主人は、独りでなるものではありません。必ず対象を通して成立するものなのです。この絶対的価値圏の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、父母は永遠に愛の主人になれないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。絶対主体と絶対対象の価値観が生まれて、初めて完成するのです。

宇宙の秩序を見れば、大きいからといって、小さいものを無条件に犠牲を強いて、摂取するようにはなっていません。ヘレニズムに基づいた弱肉強食による適者生存の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる絶対服従の対象として、主体的愛の主人として完成させようという絶対価値観を、彼らは見落としているのです。真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るのです。

しかし、神様の「創造原理」は、闘争を通した生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で相互に授受作用をしながら、絶対価値観に基づいて調和統一を追求するのです。「小」が「大」のために犠牲になるとしても、それを闘争と見てはいけません。相互発展のための投入と見なければならないのです。個人は家庭のため、家庭は国家のため、そして国家は世界のために譲歩し、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。

このように、絶対的価値圏とは、まず相対を真の愛の主人格として立ててあげる真の愛を完成させるためのものです。したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底的にその根を抜かなければなりません。これは堕落性の根と同じもので、すべての悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義の行動や集団個人主義的行為も同様です。それは真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲となって与えるのではなく、自分のために他を犧牲にし、自分の利益だけを追求する破廉恥な行為です。堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中で、巧みに掘り下げて、サタンが人類に植えつけた毒きのこです。自分の栄達と慰めのため、見た目が美しいからといって、一度食べたら中毒に陥り、一生、努力しても抜け出すのが難しい悪の罠です。

すべては相対のために存在する

「前」と「後」のことを考えてみてください。「前」という言葉を語るそれ自体が、既に「後」を前提条件として認めているのであり、「上」という言葉も「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」は「右」を前提とする言葉です。同じ論理で、「男性」という言葉も「女性」という存在が先にあってこそ成立するものです。すなわち、男性は女性のために生まれたのであり、女性は男性のために生まれたと言うことができます。男性がいなければ、女性は必要ありません。同じように女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。

結局、自分のために生まれたものは一つもないということです。すべての存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。人間の五官について考えてみてください。皆様の目は自分の目そのものを見るためにできていますか。目、鼻、耳、口、手、これらすべては相手のために生じました。そうであれば、この五官を総動員し、生命を維持して活動を続けるようにする力は何でしょうか。真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛を実践するために必要なものとして生じた道具にすぎません。

このように、自分のためにできたものは一つもないのです。相対のために与え、愛で犠牲となり、服従で愛の主人を完成させる生き方こそが、神様の創造理想にかなった生き方なのです。相対のために創造されたのですから、当然のこととして、相対のために生きてあげなければならないのは天理なのです。そこから真の愛の絶対価値が創出されるのです。

生殖器は天国と地獄の境界線

皆様。天国と地獄がどこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、教会でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になっているのです。これが人類歴史上、天地を覆す最大の悲劇をもたらしたのです。

目の見えない盲人のように方向を失ったまま、生殖器をいい加減に使うようになれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、天国に行きます。誰がこの事実を否定できるでしょうか。疑わしければ、私が天理として発表した『原理講論』を熟読され、それでも疑いが解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得るでしょう。

レバレンド・ムーンの教えを受け、今や世界の若者たちがフリーセックスを撤廃し、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のごとく広がっています。フリーセックスが、自分の欲望とサタンを中心とした偽りの愛である反面、絶対愛は神様を中心とする真の愛なのです。多くの文学作品とマスコミが、歴史的にフリーセックスを刺激し、そそのかしてきた傾向がありました。しかし、今からは政治家、財界人、文化人、言論人、宗教家、哲学者など、すべての分野の指導者が声をそろえて先頭に立ち、人類の「亡国病」であるフリーセックスを追い出さなければなりません。

世界平和のための礎石を据えることも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、先祖であるアダムの家庭が重要であることを、肝に銘じなければなりません。

私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を降ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたのも、既に時が来たからなのです。地獄となってしまったこの世界を、果たしていかなる方法で変えられるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践こそが、唯一の絶対価値観を見いだせる道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければならないのです。

世界平和の礎石は真の愛の絶対価値観をもった家庭

皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは父母の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目はいくらみすぼらしくとも、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人間で構成される本然の家庭となるとき、そこにおいて人間はもちろん、神様までもが真の自由を感じられるのです。愛が欠如した自由は、真の自由ではありません。私たちがある家に客として行ったときに不自由さを感じるのは、まだその家と深い愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、愛の関係が四方性を備えることができずにいるので、ぎこちなく不自由なのです。

それでは、本然の家庭で最高、最上の価値は何でしょうか。それは本然の父母です。本然の父母は、なぜ素晴らしいのでしょうか。永遠の愛の主体だからです。愛を中心として一生の関係を結ぶことができる最も近い場所にいらっしゃる方が、正に本然の父母なのです。私たちが生まれて最初に、喜びを交わし合う相手が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。

私たちが喜ぶとき、最初に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流す方が本然の父母です。ですから、父母のない子女を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。次に、愛する夫と妻が本然の家庭で最も尊い価値的存在となるのです。

夫と妻は条件的な愛ではなく、無条件的な本然の愛を交わす夫婦でなければなりません。たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠な次元の愛の関係で始まった愛ではなかったとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の愛になれば、その愛こそが家庭に幸福と喜びを抱かせてくれる根幹となるのです。しかし、このような理想的な本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わってしまったら、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びにはなり得ません。夫婦の前には、必ず本然の子女がいなければならないということです。夫婦二人だけで子女を生まず、幸福に暮らそうとしてみてください。そうすれば人類は二代を越える前に滅亡してしまうでしょう。本然の子女から返ってくる愛を受けて暮らすことができてこそ、真の夫婦が本然の父母の位置まで上がるようになるのです。

その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の愛です。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲となり、愛することができたとすれば、その愛は、家庭の幸福のための、純粋で真実な価値としての本然の愛となるのです。

このように本然の家庭で三代圏を形成し、本然の父母の、子女のための犠牲的な本然の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による、本然の父母のための真の愛が完璧に備わった本然の家庭があるとするならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭となるのです。

三代圏を形成した家庭が真の幸福の始まり

世の中では、どのような人を幸福な人と言うでしょうか。幸福の基準をどこに置いているのかということです。外的に、人のもち得ない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人と言えるでしょうか。誰もが羨むほどお金をたくさんもっていることが幸福でしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む地位に昇ったからといって幸福なのでしょうか。絶対にそうではありません。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障してはくれないのです。幸福を見つける条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体にはなり得ないということです。

結局、愛する本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の子女がいるとき、その家庭から真の幸福は始まるのです。

国内外の貴賓の皆様。今や人類は、この韓半島を中心に展開する真の愛の大革命を目撃するようになるでしょう。数千年間、サタンの偽りの愛の中であえいでいた人類が、今や真の家庭の絶対価値観を確立し、定着させ、この地上からあらゆる偽りの価値観を一掃し、喜びの鬨の声を耳にすることになるでしょう。手の平も、二つを打ち合わせてこそ音が出るのです。天は既に真の父母であるレバレンド・ムーンの勝利的基盤の上に、「後天時代」の門を開きました。私たちの責任は今、絶対的主体である天のみ前に絶対的相対となり、天地開闢の新時代を開いていかなければならないのです。

霊界と地上界が一つに統一され、地上と天上に、神様が天地創造の時から理想とされた平和王国である天一国が創建される歴史的な時代です。全世界の知性ある人たちが総決起して、神様を人類の縦的な軸として迎え、横的な真の父母の使命をもって、八十年以上の生涯を犠牲と奉仕で貫いてきたレバレンド・ムーンの教えを受け、真の人間、真の夫婦、真の父母、真の家庭、真の世界を探し立てなければならない時が来ました。

この歴史的な天の課業を完遂するために、皆様、一緒に同参してくださるようお願いします。皆様の絶対価値観を中心とした理想家庭に、神様の祝福が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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第七篇 17 真の心情革命と真の解放、釈放時代開門

第七篇 17

真の心情革命と真の解放、釈放時代開門

日付:二〇〇四年七月二十六日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「二〇〇四世界文化体育大典」祝賀晩餐会

尊敬する元・現職の国家の首班と内外の貴賓の皆様。「二〇〇四世界文化体育大典」によって成し遂げた実績と勝利を感謝するその感謝の心をみな一つに合わせて、神様に栄光を捧げましょう。

今日の世界は、前後左右、東西南北、どこを見ても、混沌と絶望の中から抜け出すことができずにいます。方向感覚を喪失した人間の姿が、不憫であるどころか、悲惨な姿としてあらわになりつつあります。誰一人として万人が共感する解答を提示することができず、六十億の人類を乗せた地球号は座礁寸前に来ています。しかし、聖書には、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)とあります。

私が「二〇〇四世界文化体育大典」の開会式で言及したように、人類のための平和世界の創建は、単に人間の努力だけでは不可能な課業です。そこには天運が必ず共になければなりません。もうあすになれば、皆様は再び別れていきます。

私が今晩、皆様に差し上げようと思う贈り物は、神様のみ言を収めた天運の贈り物です。これは、新千年紀である後天時代を開くとともに、天が人類に与えてくださる大きな恵みであり警告です。このみ言をつかんで死なんとする者は、必ず天が新しい生命を下さり、無視する者は、自然淘汰されるでしょう。注意して耳を傾けてくださり、天がこの特別な時に皆様を召命されたことをお忘れにならないようお願いいたします。

皆様。この時代は、人類歴史や摂理史的な次元から見るとき、実に途方もない意味をもっています。先天時代を締めくくり、後天時代を開いてくださった天は、一日を千年のような思いで、忙しく摂理を成し遂げていらっしゃいます。このような天の心情を悟り、きょう、皆様の立っている位置が摂理的にいかなる位置なのかをはっきりと知らなければならないという意味で、「真の心情革命と真の解放、釈放時代開門」と題してお話ししようと思います。

皆様。神様は、私たち堕落した人間にとって、師の中の師であり、父母の中の父母であり、王の中の王の位置にいらっしゃいます。その理由として、神様は、全知全能であられ、遍在していらっしゃり、真の愛の根であると同時に、絶対性、唯一性、不変性、永遠性をその厲性としてもっていらっしゃるからです。

今日の堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。神様の息子には、個人的な息子、家庭的な息子、氏族的な息子、民族的な息子、そして国家的な息子がいます。それらをすべて取り戻さなければならないのですが、そうしようとすれば、人類はどれほど多くの苦労の路程を経なければならないでしょうか。

ですから、天は、国家的基準に立っている息子圏を代表したメシヤを送られるのです。このメシヤを探し出す日が、正にメシヤ降臨の日なのです。神様の個人、家庭、氏族、民族、国家的な息子まで、すべてを探し出す立場に立つからです。堕落の後裔である私たちは、サタンの讒訴圏を抜け出た神様の息子に出会わなければならず、その次には、神様が愛することのできる父母を中心として形成された家庭を取り戻さなければなりません。

その基台の上に立ってこそ、私たちは神様の愛を探し出すことができるのであり、究極的には、神様と直接出会うことができるのです。このように、神様の愛を中心として愛の関係を結ぶことができるのは、ただ完成したアダム、すなわち真の父だけです。しかし、父一人だけでは父母になることはできません。真の相対を探さなければならないのです。その相対は、真の女性でなければなりません。絶対的基準の女性でなければなりません。世界的基準で女性を代表しているのが新婦格であるキリスト教です。なぜなら、キリスト教の中心思想は再臨主、メシヤを迎える新婦の思想だからです。

しかし、真の父母は、ただ一人の男性と、ただ一人の女性によって成立するのです。男性も絶対的に一人であり、女性も絶対的に一人です。二人ということはあり得ません。このように、唯一の男性と唯一の女性が出会って真の父母となるのです。真の父母は、神様の創造理想を中心とした真の理想的夫婦です。ですから真の父母は、個人から世界、天宙までの統一的中心となり、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的なすべての次元で接ぎ木できるのです。

レバレンド・ムーンは、今まで、生涯にわたってこのことを準備してきました。人類が復帰を目標と定めて神様に向かって進んでいくに当たって、必然的な条件が何かというと父母の門を通過しなければならないということです。なぜなら、真の父母の門を通過しなければ、心情を連結させることができないからです。

今日の世界は、心情的に、民族と民族が通じず、宗教と宗教が通じず、家庭と家庭が互いに通じない世界になってしまいました。このように、前後左右が完全に塞がつている垣根を壊し、互いに通じるようにするためには、まず神様の心情と関係を結ばせてあげなければなりません。果たして、誰がそのような使命を果たすことができるのでしょうか。天の真の仲保者として来られる真の父母様以外にはいないという結論が出るのです。したがって、失ってしまった真の父母を探し出すことは、神様の願いであることはもちろん、人類の夢だったのです。

皆様。人類始祖アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、すなわち人類の真の父母にならなければなりませんでした。その真の父母の血族として、私たち人類は生まれなければならなかったのです。このように、歴史の出発から始まるべきだった人類の真の父母、その真の父母は、神様の栄光の実体として、また人類の前には永遠の勝利の実体として現れなければなりませんでした。アダムとエバの失敗は、正にここにあったのです。

これが、今までの悲しい歴史を綴ってきた怨恨の土台になったことを、私たちはよく知っています。堕落によって人類は、天の法度から離れ、自らの実体を失ってしまい、神様の心情を蹂躙した邪悪な群れとなってしまいました。

したがって人間は、神様のみ言により、再び自らの実体を取り戻し、真の心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているのです。堕落により、万物よりも劣る立場に落ち、神様と自由に向き合うことができない悲しい立場に落ちるようになったのです。このような人間は、自分で自分を回復できないので、神様は、人間を悟らせながら再創造の役事をしてこられたのです。

僕の僕の位置から僕の位置を経て、養子と庶子の位置を経て、直系の息子の位置を経たのち、真の夫婦の位置まで進んで、最終的には、勝利的な主管権を備えて真の父母の位置まで復帰してこられたのです。六千年の摂理史の背後には、このような途方もない秘密が隠されていたという事実を、皆様ははっきりと知らなければなりません。

神様が御覧になるとき、この世は堕落した世の中なので、孝子も、愛国者も、聖人、聖子もいませんでした。かわいそうな人類を救おうとしても、堕落圏以下ではどうすることもできません。なぜならば、堕落とは無関係の神様であられるからです。ですから、神様は、堕落していないアダムとエバ以上の立場、すなわち完成した、後のアダムとして来られるメシヤが、神様の家庭を築き、真の父母になるその日だけを待ち続けてこられたのです。

そのような家庭の上に、初めて真の孝子が現れるのです。そのような家庭を基台として立てられた国家基盤の上に、真の愛国者も現れるのです。その基盤が世界的に広がれば真の聖人、そして天宙的次元では聖子が輩出されるのです。そのような真の家庭の基盤の上に、初めて天の代身者が現れ、相続者が生まれるのです。

本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘を意味します。そのような父子が築いた家庭が集まって国を建設します。万民は、平和の世界を願っています。しかし、その平和の世界は、今日の先進国が追求しているそのような世俗的な方法や、そのような次元の文化を通して築かれるのではありません。真の父母を通して伝えられる真の愛の文化を中心としなければ方法はありません。

たとえ、来られるその方が、いくらむしろをかぶり、ぼろのふろしきを背負い、色あせた服を着て、千尋万尋の穴から出てきて疲れきった姿で現れたとしても、堕落人間には選択の余地がありません。その真の父母を通して、神様の心情に接ぎ木されなければならないのです。

そうだとすれば、どの程度、心情的に接ぎ木されなければならないのでしょうか。父の骨髄に入り、その父と一緒に生きたという条件を立ててから、再び母の腹中を通して生まれなければなりません。生まれてからも、真の父母に絶対的基準で侍って生きなければなりません。

しかし、それで終わるわけではありません。周囲の親戚とも関係を結び、さらには氏族的次元で関係を結ばなければならず、民族、国家、世界、天宙、そして最終的には神様とも心情的に関係を結んだという条件を立てなければなりません。そのようにしてこそ、神様は、「お前は私の息子である!」とおっしゃるのであって、自分自身の事情と利益だけを中心として関係を結んだ人は、神様とは何の関係もないのです。

皆様。「真の父母」という言葉は、神様の創造が始まる以前から神様の心の世界にあった言葉です。神様の創造によって関係を結んだすべての理想は、真の父母を中心とする真の愛の理想を表題として出発したので、「真の父母」という言葉は、創造以前から神様が願われた希望の言葉だったことを知らなければなりません。

真の父母を探し立てるまで、神様の摂理路程において数えきれないほどの多くの人々が犠牲になってきたという事実も、皆様は知らなければなりません。神様は、摂理の路程において、その時々に適切な宗教を立てて摂理してこられました。したがって、宗教の中には、天使級の宗教、カイン的な宗教、アベル的な宗教、養子的な宗教、庶子的な宗教、養父母的な宗教、真の母格の宗教、そして真の父格の宗教があります。

キリスト教の歴史を見れば、アベル格の新教とカイン格の旧教が、神様の摂理全体のみ旨に合わせ、世界の各地域における様々な文化圏を中心として人類救援のために努力してきたすべての宗教圏を統合し、一つの国、一つの世界、すなわち一つの平和世界を建設しなければなりませんでした。あらゆる宗教の中の主流宗教がキリスト教だったからです。

皆様。見えない針の先が神様だとすれば、見える針の先は私たち人類の先祖です。ですから、神様は縦的な真の父母です。そのような神様が、霊界で子女を生産できればどれほどよいでしょうか。しかし、霊界では生産することは不可能なのです。

したがって、神様は、アダムとエバを横的な人類の真の父母の位置に立て、彼らを、天国の民を輩出する生産工場にされたのです。垂直は、一つの焦点しかないので、体積を必要とする生産を行うことはできません。生産に必要な体積は、垂直と水平が出会って、面積が形成されるときに初めて生じるのです。

赤ん坊は、神様が生むのではありません。真の父母を通して生むのです。ですから、神様は人類の縦的な真の父母であり、その縦的な真の父母に対して、真の愛を中心として九〇度に合わせ、横的な真の愛をもったレバレンド・ムーンが、正に人類の横的な真の父母の位置に立っているのです。

真の父母の立場は、人類が何よりも探し求め、待ち望んできた救世主、メシヤ、再臨主の立場を総体的に代弁する立場であり、あらゆる宗教の目的の教えの上に立っているのです。縦的真の父母と横的真の父母を探し出して、その方に侍り、真の愛の子女を生産するようになれば、ほかに何の言葉が必要でしょうか。「真の父母」という言葉の中には、救世主、メシヤ、再臨主という言葉がすべて含まれているのです。

ですから、霊界の五大宗教の代表やすべての聖人、賢人、さらには歴史上最も邪悪なサタンとみなされているスターリンやヒトラーのような者たちも、「レバレンド・ムーンは人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母である」と宣布し、「その方の教えを実践することに生命を捧げます」と決意する決意文を続々と送ってきているのです。

生命の創造には、二つの父母の愛が絶対的に必要です。一つの父母は、創造主であられる天の父、すなわち縦的な無形の真の父母であられ、もう一つの父母は、その無形の真の父母が御自身の創造理想を実現するために、実体をもって地上に顕現した横的な真の父母です。ですから、神様は、心的な真の父母の位置にいらっしゃり、横的な真の父母は、体的な位置にいらっしゃるのです。

たとえ堕落の後裔に転落してしまったとしても、私たち人間は、このような姿に似て、縦横の愛を自由に展開して楽しむために、二重構造になっているのです。縦的な「私自身」は私たちの心です。今日まで、人々は心について正確に知ることができずに苦悩してきました。仏教においても、儒教においても、自分たちなりに心の正体について定義しようと努力してきました。しかし、心の根である神様の正体を正確に把握しない限り、心を知るというのは不可能なことです。

レバレンド・ムーンの教えは、心の正体を手に取るようにはっきりと説明しています。神様の創造理想によって縦的な真の愛を軸とし、横的な真の愛を中心として人間の心が定着するのであり、前後を連結する神様の真の愛が増し加わって、球形的で立体的な理想が実現するのです。

そのような基台の上でこそ、東西南北のどの方向を通しても力の消耗がなく、またいつ作動しても喜びだけがあるのです。そこには、嫌なものや悪いものが入り込む隙間がありません。全く衝突がないのです。縦的な私と横的な私が、神様の真の愛を中心として一つになるのです。

皆様の心が今も葛藤と衝突の中で闘っているのは、真の愛がとどまることのできる縦と横の交差点が、堕落によって九〇度を形成することができずにいるからです。一言で言えば、神様の真の愛がなければ、絶対に心と体の完全統一を成し遂げることはできないのです。

皆様の所有権の問題を見ても、すべてのものは人類のものであり、堕落によるサタンの讒訴圏を抜け出た本然の所有決定のための土台、すなわち神様の真の愛を中心として一つになった心と体の一体圏を確保しなければなりません。天が絶対的基準で所有権を主張できる位置にまで行くことができてこそ、皆様も天から再び所有権をもつことを許されるのです。

言い換えれば、皆様の全所有権を完全に天に捧げ、天の認定を受けてこそ、地上の真の父母様を通して天的な所有権として再び返してもらうようになるという意味です。このような天道があるがゆえに、先生は、一度手にしたものは、いかなる困難があっても手離そうとはしないのです。真の父母様が捨てるという手続きを経なくてはならないからです。

皆様は、ただの一個人ではありません。自分は世界全体を代表する中心だという確信を抱いて生きれば、そのようになることもできるのです。実際、気がつくと誰もがそのような考えを抱いて生きています。息子、娘は父母を代表し、父母はその家族を代表しています。同じ論理により、今、皆様は、世界的次元で勝利したレバレンド・ムーンの確固たる基盤の上に立っているので、必ずレバレンド・ムーンの身代わりとする立場で心情を相続しなければなりません。

皆様が労働と努力をするのは創造です。一生の間、仕事ばかりして生きたとしても疲れを感じることなく、ただただ楽しく、神様の真の愛の世界を感じることができ、そして神様を慰労してさしあげることができる、そのような道を訪ねていくのが愛の一生なのです。自分は、神様が創造したものをもって趣味とし、楽しく天の記念品をつくって暮らしてから死のうという考えと態度で一生を送ってみてください。東西南北、前後左右、どこにも遮るものはありません。

ですから、先生は一生の間自然を愛し、自然を訪ねて友として生きてきたのです。地球上の海という海、五大洋と六大州で訪ねていかなかった所がなく、川という川、山という山はすべて訪ねていきながら生きるのです。皆様も、先生のように、神様の愛をもって自然を訪ねていって友とし、主人と出会うことができずに嘆息圏に置かれている自然を解放してあげようという心を抱いて生きなければなりません。

そのような意味で、統一運動には「山水苑」運動が必要なのです。都市の退廃した文化のとりこになり、個人中心の利己主義的生活の奴隸となって環境を破壊し、各種の公害の中で苦しみながら、子女たちの情緒的発展を妨げる愚かな生の枠組みから一刻も早く脱出することが、知恵深い人生となるのです。

不幸にも、人間始祖アダムとエバの堕落により、神様が創造とともに理想とされた真の家庭は実現しませんでした。エデンの園において、エバは、天使長に誘惑され、アダムは、エバの誘惑に打ち勝つことができず、利己的な偽りの愛をこの世の中に植えてしまいました。このように、人類の罪と不幸は、人間始祖アダムとエバがサタンを動機として結んだ不倫の愛の結果に由来しているのです。ですから、神様の復帰摂理は、まず人間の心と体を引き裂いた葛藤の壁を除去し、真の家庭を復帰し、真の愛と善の世界を世界的版図に拡大していく歴史を展Ifaしてきました。

早くからこのような天の真理と秘密を見抜いた私は、今まで半世紀以上にわたり、キリスト教徒、さらにはすべての宗教家と全人類に集中的に説いてきたのです。数十、数否に分かれている宗教界やキリスト教はもちろんのこと、全人類にはこの真理以外に統一できる道は全くないのです。

神様の恨とは何でしょうか。民を抱いて泣き、地に対して泣いたことはありましたが、神様の願われる勝利した息子を抱いて、喜びと感激の涙を流したことはなかったのです。それが神様の恨です。すなわち、天から、「お前は勝利した息子である」と認められる人がいなかったことが、人類歴史を通じて神様の恨として残されてきたのです。言い換えれば、失ってしまった息子、娘を復帰するために、気が遠くなるほど長い歴史の裏街道をさまよってこられた神様にしがみつき、声を上げて泣いたことのある人は一人もいなかったのです。

私たち人類は今や、新しい後天時代を迎え、真の愛を中心として神様を完成させてさしあげなければなりません。それは、神様御自身に未完成な部分が残っているという意味ではなく、完全な主体であられる神様の対象として創造された私たち人間が、完全な対象、すなわち絶対価値をもった真の対象にならなければならないということです。

既にその位置に立っていらっしゃる真の父母様に似て、神様が、絶対的位置で絶対相対を確保し、解放される真の理想家庭の愛の主人になることが私たちの貴任です。主体的神様を中心として、先生がそのマイナスとなって完全統一を成し遂げたように、皆様も、真の父母を中心として、実体的にプラスとマイナスとなれば、神様と一つになった位置に思いどおりに入っていくことができるのです。したがって、皆様は、皆様の肉身の父母に所属した息子、娘ではなく、まず神様の息子、娘であることを刚明して立ち上がらなければなりません。たとえ、今はまだ、皆様自身が神様の息子、娘と叫ぶには不足な点があったとしても、真の父母から祝福され、真の父母の息子、娘になったという条件的基準においてでも、自信をもって進んでいかなければなりません。

誤った根をもって生まれましたが、その根を切ってしまい、幹も切ってしまって、真の父母様の真の血統に接ぎ木され、新しい芽を育て上げるのです。それが、皆様が神様を解放してさしあげる近道です。

皆様がいくら忠真の家庭になったとしても、国家がなくなれば何の役にも立ちません。いくら忠臣であっても、国がなければ歴史に定着できる基盤がなくなるからです。ですから、家庭を通して国を復帰しなければならず、国を通して世界を復帰しなければならず、世界を通しては天宙を復帰できなければなりません。そのような位置を確保したとき、皆様と皆様の家庭は、天宙の主人と同じ価値をもつようになるのです。

皆様。私たちは、後天時代を開くとともに、新しい真の天の文化と伝統を立てています。その例として、私は、天の命に従い、去る四月十八日に「安侍日」を制定して宣布し、既に十一回を過ごしています。去る七月十六日は、第一回「安侍日」を迎えた四月二十七日から満八十日目になる日でした。再出発数である八数が、帰一数であり完成数である十数と共に八十数を形成しています。この日は、真の父母様の年齢が八十歳になった時に結実し、宣布しなければならなかった天の勝利と後天時代の新しい出発を、五年延期して完結し、宣布するという、そのような深い摂理的意味が秘められている日です。

天一国主人である皆様は、この摂理的な行事に参席して神様の心情を相続し、新しい袋に入る新しいぶどう酒として再び醸造されるためにここに来ました。昼夜を分かたず、八十年以上の生涯をいちずに邁進してきた真の父母様の摂理の現場を直接目撃し、平和王国創建の先頭に立つ働き手となるために、ここまで遠い道のりを駆けつけてきたのです。先天時代の古い習慣に執着することなく、心と体のすべてを天のみ前に捧げ、真の天一国を皆様の家庭から探し立てなければならないという天命を受けるために来られたのです。天命とは、背くことのできない天の命令です。死ぬ前に、自らを生きた供え物としてでも天の前に捧げ、責任を完遂しなければならない絶対命令なのです。

皆様。今や人類は、歴史上、あとにも先にもない真の解放、釈放の時である後天時代を迎えました。太初にアダムとエバの失敗によって偽りと罪悪の血に染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出し、天の召命に対して悲壮な覚悟で立ち上がらなければならない時が来ました。イスラエル民族の出エジプトの歴史を皆様もよく御存じだと思います。二十一世紀の出エジプトの歴史は、今、皆様を中心として展開しています。イスラエル民族がそうだったように、皆様は、汚れた醜悪な今日の現実世界に対するすべての未練を振り払うべき時が来たのです。

人類の真の父母という天命を受けた私は、天一国四年の今年になって、天の摂理を勝利と栄光で完結するために悲壮な覚悟で走っています。去る三月二十三日、アメリカの国会の上院ビルにおいて、私は、アメリカの国会議員はもちろん、世界の著名な宗教指導者が席を共にした中で、「世界平和の王」に推戴され、即位式を行いました。六十億の人類のための世界平和は、真の父母を軸として、すべての宗教と思想が真の愛の圏内で和合統一されてこそ可能であるという厳粛な天の命令に従い、私は、そのみ旨を成就するために、さらに多くの心血を注いでいます。

「安侍日」が制定、宣布された今、神様は、七日に一度巡ってくる日曜日だけを聖日とするのではなく、失ったすべての七日間はもちろん、八日目を「安侍日」と定めて慶祝され、御自身の創造された霊界は言うまでもなく、地上界の万人と万象から喜びと敬愛と栄光を受けられる天の真の父母様となられたのです。これからは霊界も総動員され、地上界を協助することのできる道が大きく開かれました。

去る五月五日の第二回「安侍日」には、歴史的な「双合十勝日」を制定し、宣布することにより、天の摂理が、帰一数であり完成数である十数を迎える、すなわち摂理の完結を見る十勝圏の世界を開門しました。後天時代の脈をつないでいく双合十勝圏の完成は、宣布し、記念式を行ったからといって決して自動的に成就されるものではありません。双合十勝圏は、真の心情圏の完成を意味します。神様と心情一体圏の立場まで入っていき、「お前は私の息子であり、私の娘である!」という天の印を受ける立場にまで進んでいかなければならないという意味です。

そして、第四回「安侍日」である去る五月二十一日には、「真の愛の和合統一は真の理想家庭の絶対価値観」を宣布するに至りました。真の愛の実践が皆様の日常生活となるとき、個人や家庭、国家、世界までも和合統一が成就されるのであり、真の理想家庭の絶対価値も正にそこから創出されるのです。

神様の人間創造を探ってみると、絶対的主体の立場に立っていらっしゃる神様も、御自身の絶対相対になってほしいという天命によって人間を創造されたのです。しかし、人間は、堕落により、その天命に最後まで従うことができませんでした。そうして、絶対価値は夢にも見ることができず、相対的価値観にばかりすがってきた人生を生きる人類となったのです。

しかし、今は、真の父母の八十余年という生涯の生の姿がいきいきと皆様を導いています。真の愛の生の姿とは果たしてどのような生なのかということを、はっきりと示してくれています。与えてはまた与え、赦してはまた赦してあげる真の父母様の怨讐に対する愛の標本的生涯の前で、誰が弁明できるというのでしょうか。ただ絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道だけが、皆様の宿命的人生になることをはっきりと悟らなければなりません。

蕩減革命、良心革命、心情革命の三大革命を皆様の日常生活の中で実践して完遂し、真の解放と釈放の時代を開門する、天の特攻隊となることを覚悟して立ち上がる人は、両手を挙げて天のみ前にその決意を誓いましょう。

今からお帰りになったら、どうかレバレンド・ムーンが今晩、皆様に差し上げたこの貴い天運の贈り物を大切に使ってくださるようお願いいたします。これは、子々孫々、皆様の家庭における永遠の伝統となり、宝物となるでしょう。神様の祝福とともに、気をつけてお帰りください。ありがとうございました。

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第七篇 18 神様は真の父母、真の師、真の王

第七篇 18

神様は真の父母、真の師、真の王

日付:二〇〇五年四月二十七日

場所:韓国、全羅南道、麗水、清海ガーデン

行事:根本先祖(平和の王)侍衛教育大会

尊敬する世界の平和大使、NGO(非政府機構)代表、蒙古斑同族連合の指導者、内外の貴賓、ならびに愛する世界の祝福家庭の皆様。このように美しくのどかな春の日に、山高く水麗しいこの大韓民国の麗水と順天の地において、貴い皆様にお会いすることができ、実に胸がいっぱいの思いです。

真の根は神様の真の愛

皆様も御存じだと思いますが、私の八十有余年の生涯は、名状し難い迫害と苦難の道でした。いち早く、十六歳(数え)という若き年齢で天の召命を受け、天命に従って出発し、歩んできた過去七十年間は、サタンとの闘いで生死の岐路を行き来する茨の路程でした。

天地万物を創造され主人であられる神様を知り、私たち人間の真の父母であられる神様を知るすべのなかった人類は、偽りと桎梏(しっこく)の沼から抜け出すことができないまま、長きにわたり漂流してきました。人間の始祖として創造されたアダムとエバの堕落によって、人間は父母を失った天涯孤独な孤児の立場に転落してしまったからです。偽りの父母サタンの術策のもとで、子々孫々へと代を引き継いでいき、偽りの血統と様々な虚像の中で生きてきた数千年の歳月が、当然の現実として固まってしまった今日の世界を私たちは直視しています。

偽りのオリーブの木として数千年を生きてきた人類は、どれが偽りのオリーブの木で、どれが真のオリーブの木なのか識別する能力さえも喪失してしまったのであり、とうとう地球星は、汚れたサタンの血統の後裔である六十億の偽りのオリーブの木によって、ことごとく覆われた地獄圏になってしまったのです。ここにたった一本の天の真のオリーブの木として印を押されて出発した道が、私の過去七十年の生涯でした。

事実、二千年前、イエス様も真のオリーブの木の使命を賦与されて地上に顕現されました。しかし、イエス様の生涯は、皆様もよく御存じのように、天がその時代にイエス様を特別に選んで送られたそのみ旨を正しく悟ることができなかったユダヤ教の不信と、権力闘争ばかりに目がくらんでいたイスラエルの失敗によって、真のオリーブの木の祝福の実を一つも実らせることができないまま、生涯を終えてしまったのです。

したがって、イエス様の死後、天は再び二千年の長い歳月の間、真のオリーブの木を植え、安全に育てて花を咲かせ、実を実らせることのできる基盤を築いてこられたのです。

六十億を超える偽りのオリーブの木が全地球星を覆っていると言いましたが、このままでは、数千、数万年待っても、偽りのオリーブの木は偽りのオリーブの木のままであり、突然変異を起こして真のオリーブの木に変わるという奇跡は現れません。根本的に根が異なるからです。サタンの偽りのオリーブの木の血統が、誰もが願うからといって天の真の血統に変わるわけではありません。そこには、必ず天から真の血統の根とその内容をもってこられる真のオリーブの木が必要なのです。

偽りのオリーブの木は、根元から完全に切ってしまわなければなりません。枝一本でも残せば、真のオリーブの木に生まれ変われる資格を喪失します。言い換えれば、偽りのオリーブの木の痕跡が全くない白紙の状態であってこそ、真のオリーブの木の芽を受けて接ぎ木できるということです。このようにして、真のオリーブの木の実を収穫できるようになるのです。

したがって、選択の余地もなく偽りのオリーブの木として生きてきた全人類の立場は、火を見るよりも明らかです。何よりもまず、皆様は真の根を探し出さなければなりません。そうだとすれば、その根はどこから探し出すことができるのでしょうか。今日、想像を絶するほどの速度で発展を繰り返している現代科学を通してでしょうか。あるいは、数千年の伝統を誇りながら発展してきたすべての哲学書を読みあさってでしょうか。それでもなければ、今日、万人が認める、世界四大宗教の教理を精通することによってでしょうか。結論から申し上げれば、真の根は、超科学、超哲学、超宗教、超天宙的次元でこそ探し出すことができるのです。

天の真のオリーブの木として来られる方は、皆様を生み直してくれる真の父母として来られる方でなければなりません。生命は、必ず父母を通して受けるのが天理だからです。

真の父母は、この地に天の真の愛、真の生命、真の血統の根を持って顕現されます。サタンの偽りの愛を根として生まれた人類を無慈悲に根元から切ってしまい、真の愛の芽を植えつけてあげる使命を果たすために来られる方が、正に真の父母であられます。

このように、私たち人類が探し出すべき真のオリーブの木の根は、神様の真の愛の根であり、その根は、真の父母からであってこそ可能なのです。したがって、プリチャッキ(ルーツ探訪)連合運動は、「平和の王」である真の父母を通して接ぎ木されることによって神様を訪ねていく、超世界的で超天宙的な真の愛の摂理の革命なのです。

祝福結婚によって接ぎ木

皆様。神様の真の愛の根を、どのようにしたら偽りのオリーブの木である堕落人間に接ぎ木できるのでしょうか。偽りのオリーブの木だからといって、根まで完全に抜いてしまえば死んでしまいます。死んだ木には接ぎ木することができません。問題は、真の種か、偽りの種かにかかっているのです。

堕落の後裔である皆様の体には、誰でも例外なくサタンの偽りの血が蠢動しています。したがって、皆様が命を懸けて成就すべき一世一代の目的は、天の真の種をもって来られる真の父母から祝福結婚を受け、真の根である真の愛、真の生命、真の血統を受け継ぐことです。これが正に真の人間を探し求めてきた救援摂理歴史の目的です。すなわち、サタンの偽りの血を完全に除去し、天の真の血統を受け継ぎ、天の真の子女として生まれ変わるようにする人間再創造の運動です。

このように、真の血統を受け継ぎ、真のオリーブの木としての人生を出発するようになる人たちは、真の根の家庭を定着させる義務があります。二度とその家庭にサタンの偽りの根が足を伸ばすことができないよう、真の父母を中心軸として、人類の長子格である「蒙古斑単一同族圏」を、新しい種の地上統一血族圏として立てなければなりません。祝福結婚を通して伝授された真の血統を保全し、皆様の家庭で祖父母、父母、子女の三代の連帯圏を形成することによって、神様の創造性を継承していかなければなりません。

そして、サタン世界と因縁を結んで蓄積したすべての所有権を天に献納し、天から新しい所有権を相続しなければなりません。真の根の真髄である神様の心情圏を相続し、歴史的に生じたカイン・アベル間の恨を解放、釈放させるための真の愛の実践が、皆様の生活の伝統にならなければなりません。

尊敬する貴賓の皆様。今、皆様は、悲壮な覚悟で新しい出発をするべき時が来ました。天運がこの国、この民族に臨んでいます。皆様が優れており、大韓民国が特別だからではありません。天がお立てになった人類の真の父母が、韓民族を中心として真の血統を伝授してあげる摂理を始めたからです。

永遠に偽りのオリーブの木としてしか生きられなかった私たちに、根本的な真の根を下さった神様と真の父母様に、私たちは真心から限りない感謝と拍手を捧げなければなりません。

今から皆様は、先天時代の偽りのオリーブの木的な惰性と虚栄の殼を脱ぎ捨て、後天時代の真のオリーブの木的な真の愛の生活、すなわちために生きる生活を実践躬行する天の精兵とならなければなりません。その道が正に永遠に途切れることのない真の父母の根、真の師の根、真の王の根を皆様の家庭に定着させる道なのです。

皆様。遠からず国家単位で天一国に入籍する時が来るでしょう。宗教単位で看板を外し、天一国の隊列に合流する時が来ています。数千数万の世界的氏族たちが、蒙古斑単一同族圏に合併する現象が起きています。

霊界の大勢の皆様の善の先祖たちが、皆様を通して真のオリーブの木に接ぎ木されることを望み、焦る思いで待っています。偽りのオリ・ブの木として霊界に入った皆様の先祖たちは、地上界でいくら善の人生を生きて霊界に行った人でも、浮草のように根を下ろすことができないまま遊離し、彷徨しています。祝福を受けた皆様の家庭がなければ、永遠に根を下ろすことのできない立場が皆様の先祖たちであるという意味です。したがって皆様は、御自分の家庭で真の血統、すなわち真の愛の根を守る天の目となり、皆様の先祖たちが信じ、頼り、渡っていくことのできる橋にならなければなりません。

真の父母様を通して受けた祝福結婚が、このように貴重で、途方もなく貴いものであることを知らなければなりません。現在の皆様の一族の永生はもちろん、皆様の先祖と子孫の永生にも関わっている無限な価値の祝福なのです。

皆様。私は、今年、二〇〇五年を出発しながら、超宗教・超国家的な次元で、「天宙統一平和の王」として推戴されて即位し、その事実を天上天下に宣布しました。今から世界は、天の主導によって急激に変化していくでしょう。新天新地を創建していく天地開闢の鬨の声が、霊肉界の至る所で響き渡っています。

きょうこの摂理的な地である麗水と順天において、私たちは、解放と釈放の新しい歴史の出発を、喉が張り裂けんばかりに叫ばなければなりません。あの烽火山(ポンファサン)の頂上に永遠に消えない真の愛ののろしを揚げなければなりません。あの広大無辺な太平洋の海の上に祝福家庭の橋を架け、超宗教、超国家、超人種、超世界的次元の天一国を創建する主人となり、先頭に立つ大将のような人にならなければなりません。

最後に、きよう特別に私が皆様に差し上げる贈り物があります。霊界に行っている四大宗教の代表者たちと世界的に知られた王、大統領、言論人、学者たちの代表が送ってきた、感激的で切迫した証言のメッセージを収録した本を差し上げます。きょう私がお伝えした主題講演のお話とともに、この本は、皆様が生涯の必読書とし、皆様の永生を準備する教材としてくださることを願います。神様の祝福が皆様すべてに共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第七篇 19 摂理的観点から見た三大主体思想

第七篇 19

摂理的観点から見た三大主体思想

日付:二〇〇七年七月四日

場所:韓国、忠清南道、天安、柳寛順体育館

行事:「二〇〇七世界文化体育大典」

尊敬する国内外からいらっしゃった貴賓の皆様、ならびに各種大会に出場される選手団の皆様。人類の真なる平和の祭典として、その位置を確かなものとする「二〇〇七世界文化体育大典」に参席してくださり、心から感謝を申し上げます。「天宙平和神文明開闢時代の到来」という旗を高々と掲げて出発する今回の大典は、世界六十五億の人類を神様のもとの一家族にするための、和合と平和の新しいパラダイムを創出する大会となるでしょう。

皆様。今日の世界を観察してみてください。世界のどこで、本当に人類の将来を案じ、超宗教、超国家的次元で、人類の和合と平和のために「殺身成仁(サルシンソンイン)」(自己の命をなげうって仁道のために尽くすこと)する指導者を探し出すことができるでしょうか。人類は今、父母を失った孤児や、師を見ても分からない不良児、主人を失った僕といった、そのような境遇となって、目は開いていても一寸先も見ることのできない人に転落しています。

世界には今、約二百の国家がありますが、国家間の関係を見ても、各国が互いに自国の利益にのみ目がくらみ、直接、間接的に熾烈な戦争を継続しているではないですか。人類の福祉と平和のための崇高な志を立てて出帆した国連もまた、今やその限界点にぶつかり、戦争、飢餓、疾病などの世界的危機に直面しても、万策尽き袖手(しゅうしゅ)傍観に明け暮れる、有名無実の機構になりつつあるではないですか。

人間は、自らを「万物の霊長」という位置に立て、歴史をつくり出してきました。恐るべき殺戮戦と天災地変を経てきましたが、人類は今も生存し、繁殖を繰り返しながら、漠然とではありますが、より明るく幸福な世界を追求しているのです。それでは、なぜ人類は、いまだに罪悪と疾病の泥沼から抜け出すことができずにいるのでしょうか。

皆様。人類が直面するこのような悲劇的な現実を打開し、神様のもとに太平聖代の人類一家族をつくる摂理的召命を完遂するために、私は、去る二〇〇六年六月十三日、「天正宮博物館奉献式および天宙平和の王戴冠式」を期して、天一国の市民であれば、誰もが知って実践躬行しなければならない天道的次元の基本義務と使命を宣布しました。

それとともに、きょうは、「摂理的観点から見た三大主体思想」に関する内容のお話をお伝えしようと思います。人類の未来を導いてくれる重要な教えとして天が下さった祝福です。どうか心の扉を開いてこのお話を受け入れ、皆様の永生のために準備してくださることを願います。

皆様。人間には、太初に創造されるとき、神様から賦与された基本的な三大主体思想があることを知らなければなりません。その第一は、真の父母にならなければならないという思想です。神様は、人間を御自身の子女として創造されました。

したがって人間は、神様から受け継いだ原理結果主管圏(成長期間)を経て、自ら人格完成し、真の子女の位置を確保して真の夫婦になり、子女を繁殖させることによって、真の父母の位置にまで行くようになっていたのです。創造とともに賦与された真の愛を実践躬行し、人間完成を成し遂げなければならないという意味です。

しかし、今日の世界は、人倫と道徳が手のほどこしようもなく崩れていっています。父母と子女間の天倫が地に落ち、夫婦間の貞節は既に旧世代の産物として捨てられ、兄弟間の友愛も、今や利己的個人主義の沼に埋もれ、見いだすこともできない世の中になりつつあります。したがって、人間は、何よりもまず真の愛に基づく真の家庭を築かなければなりません。真の父母を中心として三代圏を形成し、真の愛で一つになって生きる家庭を完成しなければならないという意味です。

第二は、真の師にならなければならないという思想です。たとえサタンの影響圏から抜け出せずにいる今日の世界であっても、人間は一生を送りながら、どんな形態であれ、教える人と学ぶ人との関係の中で生きていくようになっています。まずは家庭において、父母を通して学ぶようになります。師の中の最初で最高の師は、皆様の父母です。真の師の位置で、真の子女を育てなければならない最初の責任が父母にあるということです。

このように、真の父母から真であり善の家庭教育を受けて成長した子女は、自動的に学校教育に連結されます。学校教育は、一段階発展した制度圏内での教育です。しかし、学校という枠の中でも、師は、真の父母の心情をもち、すべての学生を真の子女として育て教育する責任があります。横的な学問教育も、縦的な人性教育に基づいて展開しなければならないという意味です。したがって、師はまず、真の父母の心情を所有した師にならなければなりません。

第三は、真の主人にならなければならないという思想です。本来、万有の真の主人は、宇宙を創造された神様であられます。そして、神様の創造は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で達成された完全投入の結実です。ここから私たちは、真の主人になる知恵を学ぶことができます。真の愛を絶対基準で投入する秘訣のことです。このように、真の主人になる前提条件も、真の父母の心情を所有することです。

ところで、この三大主体思想は、相互絶対不可分の有機的関係をもっています。真の父母、真の師、真の主人の三つすべてが主体的位置に立つこともでき、対象的位置に立つこともできるからです。言い換えれば、真の父母の位置だけを確保しても、そこには真の師と真の主人の位置が生じ、真の師の位置に行けば、そこには真の父母と真の主人が共にあり、真の主人の位置だけを確保しても、真の父母と真の師に会うようになるという意味です。

人間は本来、神様の完全な三大主体思想を相続して生まれてきたからです。皆様が、このような三大主体思想を完成した人格者になろうとすれば、神様のようにならなければなりません。神様のような心をもたなければならず、神様が万有を愛されるのと同じような絶対的基準で人間を愛し、万物を愛することができる神人愛一体の境地まで行かなければならないということです。そのような境地には、真の父母、真の師、真の主人がすべて同じ場所で出会うのです。

世の中は、様々な組織体とそれに関係するものとの調和の中で運行されています。複雑で多様なこの世で、真の主人にならなければならないという思想は、人間と人間の関係はもちろん、人間と万物の関係にも適用される思想です。問題は、どのような人間に対して、「真の主人である」と言うことができるのかということです。より他のために配慮して献身、奉仕するために生きる人生、すなわち真の愛の人生を実践躬行する人が真の主人になるのです。真の愛をもって万物を愛し、保護、育成する人が、万物に対しても真の主人になるのです。

このように、真の主人になるのは、その地位や位置によってではなく、その人の人格と愛にかかっているのです。父母の心情ですべての社員たちを愛し配慮する社長は、その会社の真の主人になるのであり、父母が子女を育て大切にするように、国民を愛し、国民と苦楽を共にできる大統領であってこそ、その国の真の主人になるのです。

皆様。神様の創造は、実に神秘的で奥妙さにあふれています。人間を、御自身の子女として創造され、万物の霊長としてお立てになった神様は、人間に良心という、最高、最善の贈り物を下さいました。人間が地上界で一生を航海するのに必要な羅針盤として与えてくださったものが、良心という特別な贈り物です。

よく人生百年と言います。しかし、人間は誰彼を問わず、生まれてから死ぬ瞬間まで、良心の作用圏から抜け出すことはできません。そして、良心の作用の中で、最高、最上の機能が正に、真の父母、真の師、真の主人の機能です。言い換えれば、良心は、私たちが生まれたときから真の父母、真の師、真の主人の位置で私たちの人生を指導し教育する、神様の代身者なのです。私たちの一挙手一投足を、一時も逃すことなく導き、監視する責任をもつのが良心の機能です。

ですから、良心は、私たちのすべての言行はもちろん、考えまでも父母よりも先に知り、師より先に知り、神様よりも先に知るのです。神様が、人間の人生を指導し監視する本源的な機能を良心に伝授してくださったからです。

水晶のように清く透明でなければならない人間の良心に、堕落性の垢がつき、今まで各種の罪悪と疾病の中で本来の機能を発揮し切れずにいるのです。したがって、サタン主管圏のこの邪悪な世界から一日でも早く解放され釈放されたいと泣き叫んでいる良心の声を聞ける皆様にならなければなりません。

しかし、堕落した人間の力では、良心の機能を本然の位置に戻せる道はありません。天との縦的な関係が垂直を形成することができずにいるからです。六十五億の人類すべてが、自分なりの角度をつくり、それが正統であり最高のものであると錯覚して生きているのです。絶対的基準を形成し、測定できる最短距離の垂直の角度が出てくるまでは、誰一人として救われる道を探し出すことができないのです。

愛する世界の指導者の皆様。歴史上、いまだかつてなかった位置で、人類をサタンの束縛から救い、天国へと導いてくれる鍵をもって来られる方が、正に今、皆様の目の前に立っているレバレンド・ムーンです。本人が願ったとしても、決して探し出せる位置ではありません。天が印を与え、人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母として立てた位置です。サタンの影響圏外にある絶対的な解放、釈放の位置です。

六十五億の人類を、九〇度の垂直の道に再び連結させてくれる真の父母、真の師、真の主人の道、すなわち良心を主人として侍って生きる真理の人生を、直接実践して見せてくださる方が、正にレバレンド・ムーンなのです。三千億を超える、絶対善霊になった霊界の人類も、この事実を異口同音に証しています。イエス様をはじめとする四大聖人はもちろん、共産主義者を含むすべての思想家や哲学者までも、この驚くべき現実を前に感謝の涙を流しています。霊界に行っている彼らまでも、真の父母の祝福の恩賜を通さなければ、救われる道がないからです。

皆様。今や人類は、真の父母であられるレバレンド・ムーンの教えを受け入れ、交叉祝福結婚を通して、「神様のもとの人類一家族」の天命を果たすべき時を迎えました。人種、文化、宗教、国家を超越して、人類を一つにし、戦争と葛藤のない創造理想世界、すなわち地上、天上天国を創建できる道は、全人類が神様のもとで一つの家族になること以外にあるでしょうか。皆様の知らない間に、真の父母様は、既に人類はもちろん、神様までも解放、釈放する後天開闢の時代を宣布し、世界の至る所で革命の炎をともしています。真の父母、真の師、真の主人にならなければならない真理の革命です。

皆様。「二〇〇七世界文化体育大典」の基本精神も、人類を一つの家族にする聖業の完成にあります。宗教家、文化人、体育分野に携わる人など、すべての人たちが一つとなって、「天宙平和神文明開闢時代」を花咲かせる使命が、皆様にあることを忘れないでください。特に、すべての宗教家が、この神聖な真の愛の革命の隊列の先鋒隊にならなければならないことを、肝に銘じてくださるようにお願いします。レバレンド・ムーンは、既にすべての準備を完了しました。

この地球星を神様の願われる理想天国にするため、五大洋六大州を連結し、巡回して疾走できる「世界平和超高速道路」建設の一環として、べーリング海峡にトンネルを通す、世界最大のプロジェクトを進めています。

世界平和具現の崇高な志を抱いて出発した国連が、有名無実な機構に転落した現実を無視することができず、私は国連の刷新を推進しています。それと並行して、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」という次元で、私は、人類を「天宙平和神文明開闢時代」へと導く新しい「平和国連」、すなわちアベル国連(天宙平和連合)を創設し、世界百二十ヵ国以上の国々から支持を受けています。

皆様は今や、真の父母を信じて従いさえすればよいのです。良心の羅針盤に従い、真の父母、真の師、真の主人の位置を確保し、永生を保障する真の愛の人生を実践躬行してください。皆様の壮途に天運が共にあり、皆様の、祝福を受けた善の先祖たちも、皆様の活動に積極的に協力するでしょう。勇気をもって前進的発展を促進化してください。皆様すべてが、三大主体思想による太平聖代平和王国時代の到来に、億万歳を叫ぶことができる真の家庭理想を完成されることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第七篇 20 自叙伝五万部普及勝利慶祝大会

第七篇 20

自叙伝五万部普及勝利慶祝大会

日付:二〇一一年三月五日

場所:アメリカ、ラスベガス、シーザーズ・パレス・ホテル

尊敬する世界各国の指導者、ならびに内外の貴賓の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、この地域で、私の自叙伝の五万部普及勝利を記念する本大会に御出席され、このように満場の盛況を博すようにしてくださった皆様を、私と私の家庭全員の名で歓迎し、心から感謝の御挨拶を申し上げます。

海洋は資源の宝庫

貴賓の皆様。今日、私たちが身を置いて生きているこの世界は、歴史上のいかなる時よりも多くの問題を抱え、苦しんでいます。世界の人口六十五億のうち、九億を超える人たちが、今この時間にも飢えで苦しんでいます。その中で、六秒ごとに一人の子女が栄養失調で命を失っているのです。国連は、二〇一五年までに飢餓人口を半分に減らすと宣布しましたが、地球温暖化により穀物生産量が減っていき、逆に二〇二〇年には世界の飢餓人口が二倍に増加すると専門家たちは予測しています。

深刻な飢餓問題を解決する代案はどこにあるのでしょうか。地球星の七五パーセントを占めている海洋圏こそ新しい資源の宝庫です。海は、各種の公害や資源の枯渇により死につつある地球星を神様の名によって回生させ、人類の明るい未来を約束してくれる新しい原材料の宝庫なのです。このことをお忘れにならないように願います。

私は、飢餓に苦しむ人類を解放するため、既に一九六〇年代からこれまで五十年以上の間、海洋産業に投入し、海洋技術を開発してきました。一九八〇年から、沈まないといわれるグッド・ゴー船舶を建造し、アメリカはもちろん世界的に普及し、海洋産業の基地を構築してきました。

一九九〇年代には、ブラジルとウルグアイを中心に南米の海洋産業に投入するなど、全世界五十二ヵ国に世界的な海洋ネットワークを造成しました。このような祖国の基盤の上に、二〇〇〇年代に入ると大韓民国南海岸の代表港湾都市である麗水と、太平洋の中央に位置し南北太平洋の中心であるハワイ、アラスカのコディアク、そしてラスベガスのフーバーダムを結び、「環太平洋圏」の海洋産業のハブとして発展させてきました。

大韓民国の麗水は、私が築いた基盤を中心に、二〇一二年世界海洋エキスポ都市として選定され、今その準備に拍車がかかっています。

特に、去る二月十七日、世界の指導者たちが参席する中、私が生涯を通して研究し創案した、不可能だと言われてきた石膏モールド工法を紹介し、各種の新技術を開発、適用して世界で最初に製作された「天艇号」の進水式を行いました。

そして、最近では、ここフーバーダムのミード湖の清浄水資源とグランドキャニオン、ブライスキャニオン、ザイオンキャニオン、セドナなど、周辺の秀麗な名勝地を開発して環太平洋圏に含め、神様の祖国である韓国とアメリカのラスベガスを中心として、神様が承諾される宗教圏の恩賜を通して、世界最大、最高の観光レジヤ一団地である神様の理想的な基地を造成し、新天地を建設する計画を進めています。

天が人類に祝福として承諾された自然環境を、原状のまま保全して育み、子孫万代にわたって感謝しながら楽しむことができる地上楽園をつくろうというのです。

皆様。私は一生を通して、神様の真の愛を実践するために生きる人生の道を教え、世界人類の福祉と平和のための努力を、海洋産業だけではなく、多方面において持続的に展開してきました。

波瀾万丈の九十二年の生涯

去る二〇一〇年には、このような世界平和運動の成果を集大成する「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」をアメリカのニューヨークとラスベガス、そして韓国で立て続けに開催しました。今年、私の年齢は九十二歳の高齢ですが、人類平和のための努力を止めることなく、先頭に立って走っています。

また去年の三月には、アレクサンダー・ヘイグ将軍の逝去を契機に、生前に永生の道を準備する昇華式の意義を世界の人々すべてに教えてきました。

ここに参席された皆様は、私の自叙伝『平和を愛する世界人として』を研究しながら、様々な考えをおもちになったことと思います。この自叙伝は、二〇〇九年の初めに韓国で出版されて以来、これまでベストセラーとして全国民から愛されており、今は英語、フランス語、スペイン語、中国語、日本語など、世界の四十三ヵ国の言語に翻訳され、世界で広く普及されています。

私は生まれながらにして神様の印を受け、個人としての人生は夢にも見ることができないまま、このように波瀾万丈の九十二年の歳月を走ってきました。上では神様を解放し、下では人類を罪悪のサタン主管下から救援して、天上と天下に唯一なる神様を中心とする平和解放の世界を創建しようと「寤寐不忘(オメブルマン)」(寝ても覚めても忘れられない意)、「死生決断」の姿勢で五大洋六大州を隣の家のように行き来しながら、はや九十有余年の生涯を生きてきました。

もう隠退して安らかな余生を楽しむべき年齢ですが、天のみ旨を実現するために、昼夜を分かたず一本道を歩んできた私は、今もなお、すべきことがたくさんあるのです。様々な犯罪と飢餓、そして疾病に苦しむ人類をこのまま放置して天の国に旅立つことはできません。

私が世界の人類に遺言書として伝授している八大教材教本と私の自叙伝を中心とする汎世界的な教育を大々的に展開し、真の家庭の理想を定着させるのです。人類の真の父母である私たち夫婦の責任が正にここにあります。

自叙伝は人生の告白であり、戦勝記録

貴賓の皆様。私の自叙伝は、平凡な一人の人間の人生を記録したものではありません。神様のみ旨を成就していく真の父母様の緊迫した人生の日々が赤裸々に描かれている、真の父母様の告白書であり、日記帳であり、人類救援のためにサタンとの闘いにおいて、血みどろの闘いを展開してきた戦勝記録なのです。

霊界と肉界を行き来しながら、地球星の軸をつかんで格闘してきた真の父母の汗の滴が結実しているのです。汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流そうという覚悟で、数限りなく生死の峠を行き来しながら歩んできた、真の愛と真の家庭の標本であり、座標です。

きょう、皆様は、どうぞ心の扉を開いて、私の自叙伝を精読してください。人類救援の孤独な道を歩んでいる私の手をつかみ、皆様と皆様の家庭の永生はもちろん、かわいそうな人類の永遠の生命を神様のみ前に取り戻してさしあげましょう。

皆様。私たちすべての究極的目標は、神様を生活の中心にお迎えして生きる「神の国」と、「神の義」を探し立てることです。イエス様が強調された「神の国」とはどのような国でしょうか。それは、祖父母、父母、子女の三代が調和して、互いに信じ、尊敬し、頼り合って、愛で一つになって暮らす真の本然の理想家庭と同じ実相である平和理想王国を意味するのです。すなわち、人類が今までユートピアとして願ってきた神様主権の国が、正に「神の国」なのです。そのような伝統と法度を最もよく教えてきた国が韓国です。五千年の歴史を通して継承してきた、三代圏が一つの家族として共に暮らしていく韓国的伝統の大家族主義制度は、人類の行くべき家庭倫理の座標を示したものです。ですから、いち早く天は韓国を天一国の中心国家として準備してきたのです。

また、人類が一つの家族になり、お互いに心の壁を崩し、天宙的次元で国家間の国境までも除去しようという共生共栄共義社会の実現運動も、このように真の父母を中心とした真の血統が連結した一族の一つの家庭から始まります。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において神様を中心とする天宙平和王国の創建を早める摂理的召命なのです。

今日、私たちが生きているこの時代は、歴史的な一大転換期です。歴史を変え、霊界と地上界を一つにして、神様が太初から願ってこられた理想天国をこの地上に創建しなければならない天宙的大革命期です。これ以上、延期したり延長したりする時間はありません。

天は既に二〇一三年一月十三日を「基元節」として宣布しました。実体的天一国の始発であり、起源となる日が正にその日なのです。二年しか残っていません。

したがって、人類は今、天の命令に謙虚な姿勢で従順に従わなければならない時です。平和の王であられる神様の実体として地上界で摂理を経綸していらっしゃる真の父母様の導きに従い、平和世界の定着を完成、完結、完了すべき宿命的な時間が、きょうの私たちの前に近づいてきたのです。

天のメッセージである実体み言宣布大会のみ言

貴賓の皆様。このような深刻で貴い時代を迎え、皆様の人生にも、今や革命的で天宙的な変化が訪れるべきでしょう。そのような意味で、これまでの二年間、全世界の人類に宣布し、教育してきた「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の結論部分を要約し、天のメッセージとしてお伝えしようと思います。

第一に、まず家庭の中で神様を中心にお迎えし、父母と子女が完全に一つになる教育を毎日実践しなければなりません。家庭において父母と子女が、真の父母様が下さった教材教本と真の父母様の自叙伝などを共に訓読して一つになる家庭教育を、徹底して行いなさいということです。

第二に、父母と子女が神様を中心に絶対父母と絶対子女の基準を立て、絶対家庭を立てなさいということです。天は既に重生と復活の昇華権の恩賜を家庭単位まで許諾されました。神様のもとで父母と子女が完全一体になれば、その恩賜を受けることができるので、絶対家庭を立てなさいというのです。

第三に、真の父母様の御在世時に、神様と真の父母様を中心とする勝利圏の太平聖代を開かなければなりません。真の父母様の血と汗がにじむ苦難の恩賜により、人類は既に蕩減復帰時代圏を抜け出しました。今から私たちは、真の父母様の御在世時に、家庭、氏族、民族、国家、世界まで、地獄圏を解放させなければならない責任があることを忘れてはいけません。

第四に、神様が直接主管される平和時代への進入が二年しか残っていない切迫した時点だということを忘れてはいけません。「人類一家族」のビジョンを中心として、あらゆる家庭で八代までの氏族が、苦楽を共にしながら共に暮らすべき真の愛の天宙安息圏の時代に入ったという事実を肝に銘じてくださるようにお願いします。万人が平等となり、万国が兄弟国となる「神様のもとの人類一家族」の世界が皆様の目の前で展開しています。

遠大なプロジェクトのために共に祈ろう

ここアメリカ西部の主要地域であるフーバーダム―ラスベガス、グランドキャニオンと東欧圏のロシア、アジアのキリスト教文化圏地域、アラスカのコディアク地域を中心として推進している私の開発計画も、遠からず大きく世に知られることになるでしょう。「神様のもとの一つの家族」の理想を成し遂げるために、大きな一助となり得るでしょう。

皆様は人類のためのこの遠大なプロジェクトに参与し、共に祈り、共に汗を流す働き手となられることを願います。自叙伝で明らかにされている私の精神と皆様が一つになれば、これまで「シン・シテイ(sin city:罪悪の都市)」と呼ばれてきたここラスベガスが、神様を迎えてアベル国連の基盤を定着させる世界的な代表都市として、今後神様の真の愛が支配する「シャイニング・シテイ輝く都市)」、さらには「サン・シテイ」となることを信じて疑いません。

貴賓の皆様。このような歴史の大転換の終着点において、希望の価値を神様のみ前に奉献しましょう。皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国家の上に天の祝福が共にあることを真の父母様の名によってお祈りします。ありがとうございました。

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第八篇 1 世界の中の韓国

第八篇 1

世界の中の韓国

日付:一九七五年六月七日

場所:韓国、ソウル、汝矣島広場

行事:救国世界大会

敬愛する同胞の皆様。この場に参加された内外の貴賓、そして六十ヵ国から集まってこられた世界の統一教会信徒の皆様。この五・一六広場(汝矣島広場)は歴史的な場所です。この歴史的な広場で、きょうまた一つの歴史がつくられる救国世界大会に御参加されました皆様に、厚く感謝申し上げます。

1. 救国世界大会の意義

きょう、一九七五年六月七日は、私にとっても、また神様にとっても、歴史的な宣布の日となります。これまで、一つになるこの広場では、インドシナ事変に乗じて、虎視眈々と再び南侵を狙う北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会が行われ、人々の喊声は既に天に達し、全天地を揺れ動かしました。安保総力のための決起大会も幾度かありました。

しかし、この救国世界大会は、二つの意味から唯一無二の歴史的な大会となるのです。その一つは、きょうのこの集まりが、国民の名と人類の名だけではなく、神様の名によって、北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会なのです。そして二つ目は、この大会が、大韓民国の人だけが集い、韓国の自由と韓国主権の守護を決意するものではなく、人種、血統、言語、風習が異なる世界万邦を代表して、六十ヵ国から集まった一千人以上の代表たちが、ここに席を共にして、自由の韓国と全世界の守護を決意する世界的大会なのです。

この救国世界大会は、全世界が決起して韓国の自由守護のための決意を満天下に誇示する世界的祭典です。この世界大会の目的は、カンボジアとベトナムの赤化によって引き起こされた祖国の緊迫した情勢の前に、内的には、祖国安保の次元の高い実力を誇示して祖国を死守しようとする五千万韓国国民を総団結させ、外的には、世界の人々の行くべき方向と座標を立てようとするところにあるのです。

そしてその結果として、北朝鮮の金日成主席に対し、軽挙妄動して六・二五動乱のような誤算と悲劇を再び招かないよう糾弾し、自粛するよう警告するところに、その意義があります。

2. 共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐

皆様。共産主義とは何でしょうか。私たちは、共産主義が一九一七年、ボルシェビキ革命から始まり、過去半世紀の間に世界の半分を襲いながら、人類に対して犯してきた残虐無道な蛮行と罪悪の様相をあまりにもよく知っています。共産主義は恐ろしい悪魔の哲学であり、その実践は恐怖に満ちた犯罪と破壊力をもっています。

そして私たち韓国人は、世界中の誰よりも、彼らが敢行した犯罪の被害者として、彼らの悪辣さを体験したため、骨身にしみて知っているのです。私たちは、共産主義のゆえに誰よりも大きな犠牲を払った民族です。そしてこの瞬間にも、あの北方では千四百万の同胞たちが、悪の頭、共産主義の供え物となっているのです。しかし共産主義の犯罪は、これに尽きるものではありません。

きょう、私たちは共産主義を糾弾し、地上からその罪悪を一掃しなければならない、もう一つの重大な新たな理由を発見しました。それは共産主義が人類の敵である以前に、神様の敵だということです。共産主義は、政治や経済の思想体系である以前に、無神論に立脚した一つの宗教形態なのです。なぜならば、共産主義は人間の考えや哲学や行動を完全に支配するからです。それはただ宗教のみがもつことのできる力です。ところが、この共産主義は「神はいない」と語る宗教です。そして「神はいない」と言うだけではなく、その主義自体が、人間の思考や哲学や行動の中に、神様の代わりに登場し、人間を奴隷や機械のように扱っています。ですから、共産主義は、神様に挑戦する、許すことのできない怨讐です。神様をこの地上から抹殺してしまおうとする悪魔の宗教なのです。共産主義がこの地球上を完全に支配するということは、神様がこの地球上から完全に追放されるということであり、それは民主主義や自由世界の敗北である以前に、神様の敗北を意味するのです。ですから、共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐となるのです。

しかし、全知全能の神様は敗北者にはなり得ません。また、共産主義の地上制覇を傍観される神様でもありません。ですから、きょうこの大会で私たちは、「神はいない」と主張する悪の宗教、共産主義に対して、「神はいる」と主張する統一教会をはじめとする多くの善の宗教によって勝利することを、はっきりと覚醒しなければなりません。神様を殺そうとする不倶戴天の怨讐、共産主義は、神様を父と呼ぶ統一教会員とすべての宗教人たちが孝と誠と信念をもって撃退しなければならないことを、厳粛に宣言する次第です。

ですから、私たちすべての信仰者はもちろん、統一教会員たちは、勝共戦線の最前線に召された神様の闘士であり、神様とサタンの闘いにおいて先頭に立った大将であり、旗手であることをはっきりと知らなければなりません。武力にばかり頼っていては、決して共産主義に勝つことはできません。人間の固い信念は、武力や原子爆弾では到底打ち壊すことができないからです。

3. 共産主義を倒す神様の闘い

偽りに勝つ力は、真の真理と信念と理想です。誤った共産主義の妄想に勝つことのできる力は、ただ真に立脚した次元の高い、いま一つの精神的信念と思想なのです。

今日、私たちは国力を養わなければなりません。防備し得る武力も備えなければなりません。堅固な陣を張らなければなりません。しかし、それよりも重要なことは、真理で武装することであり、固い信念と思想で精神武装することです。私たちは、「神はいる」という思想で武装しなければならず、天のお父様のみ旨を行うために命も惜しまないという信念と決意で精神武装されなければなりません。共産主義者たちの誤った信念と思想は、より強い真の信念と思想によってのみ勝利できるのです。

「神はいない」とする真っ赤なうその思想は、神様が厳然として存在されることを示すことのできる真の思想だけが滅ぼすことができるのであり、偽りの上に立った共産主義思想は、その偽りが白日のもとに暴露されるとき、完全に砕かれてしまうのです。これが、私たち統一教会員とすべての宗教人と全世界の人々が果たすべき至上課題です。そして、これが共産主義の根を絶やし、共産主義に完全に勝利する方法なのです。

今日、この世界では「神はいる」という思想と「神はいない」という思想が対決しています。一つは物質を中心とする世界であり、もう一つは精神を主とする世界です。「神はいる」という世界は神側であり、「神はいない」という世界はサタン側です。この二つの世界が衝突するとき、その結果は神様の存亡を決定するのです。ですから、共産主義を倒すこの闘いは、すなわち神様の闘いとなるのです。

この二つの世界の力の対決が、今韓国において熾烈に起きています。韓国は、世界の相反する二つの理念が衝突しようとする決戦の場なのです。韓国の自由守護は、韓国だけのためではなく、自由民主陣営の永遠の自由を守護するものであり、さらには、神様に勝利をもたらすものです。これが正に、自由を守護するためにこのように世界の人々、自由愛護の烈士たちが決起しなければならない理由となるのです。

自由世界の人々にとって、韓国の安保は他人事ではありません。これが自由世界の存亡に直結するものであり、自由世界の安保はすなわち神様の安保となるからです。ですから、韓国の自由守護のために六・二五動乱の時も、神様は十六ヵ国の人々を送られ、血を流してまでもこの地を守らせたのですが、今回もしも北朝鮮が再び南侵してくるならば、十六ヵ国でなく、六十ヵ国の熱血青年たちが血を流してでもこの地を死守しようとするのです。

4. 神様の名によって共産主義を打破しよう

きょう、世界六十ヵ国から集まってきた統一教会の信徒たちは、正にこのような決意のもとでその使命を果たすために、この意義深い広場で、神様と全世界の人々の名によって決起し、結束するのです。

統一教会は、このように「共産主義はほかでもない神様の不倶戴天の怨讐である」という信念で、自由世界の先鋒に立って、共産主義と闘う旗手、橋頭堡の役割を果たしてきました。神様のことを明らかに示す宗教、このような宗教は、共産主義に勝つことのできる真理と信念と思想を明確に悟らせるのです。

韓国において、すべての宗教人たちが解決すべき目標は平壌でなければなりません。共産主義の奴隷になった北朝鮮の同胞たちは、神様による解放を待っています。金日成主席の徒党は、南侵を目標にトンネルを掘ったのです。私たち宗教人たちは、より次元の高い自由統一のトンネルを平壌の真下まで掘り、愛と事情が通じる解放の日を必ずつくるのだという気概にあふれなければなりません。

あの平壌の真ん中に、神様の愛と真理の爆弾を爆発させるために、祈るだけでなく、闘わなければなりません。北朝鮮同胞千四百万は、今、神様の救いの手を切に待ち望んでいます。ですから、私たちのこの手が、正に神様の救いの手にならなければなりません。

旧約聖書を見ると、九尺の長身で槍と剣を持って立ちはだかる巨人ゴリアテに対して、少年ダビデはただ素手に石を持って闘う場面があります。きょう、私たちはそのダビデの叫び声を聞かなければなりません。

ダビデは「怨讐よ、私の石を受けてみよ」とは言いませんでした。「私はたとえ体が小さくとも力持ちだ。目に物見せてやる!」とも言いませんでした。ダビデは大きく叫んで、「わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう」(サムエル記上一七・四五)と言いました。そして、主の力によって、将軍ゴリアテを見事に倒してしまったのです。

私たちは金日成主席に立ち向かうときも、毛沢東主席を打ち破るときも、ソ連を打倒するときも、すべて神様の名によってしなければなりません。勝利は信念からのみ、もたらされるものです。私たちは、強く大胆な信念の陣を張りましょう!そして、神様の聖なる闘いのために命を懸けて最後まで闘いましょう!勝利は必ず私たちのものです。神様は私たちの味方であられます。

5. 共産主義者たちの偽装された平和攻勢

皆様。また、私たちはきょう、共産主義の戦略をはっきりと知らなければなりません。ここに立った私は、誰よりも共産主義のことをよく知っていると言えるでしょう。私は解放後、北で布教している間、何度も共産党に命を奪われそうになりました。私は共産党に反動の罪を着せられ、一九四八年に興南の監獄に閉じ込められたのですが、その強制労働収容所というのは、政治犯や思想犯をじわじわと抹殺していく死刑場だったのです。

その鉄格子の中で三年近くの長い歳月を送り、一九五〇年に神様が派遣された国連軍によって解放されるまで、私は共産主義の真相を真底から知り尽くしてきたのです。私は彼らの戦略と策謀をあまりにもよく知っています。

一九三一年、ソ連共産党中央委員会の重要幹部だったドミトリー・マヌイリスキーが、レーニン政治戦略学校の核心党員たちに、次のように共産主義の基本戦略を説いたのです。「共産主義と資本主義との共存はあり得ない。今は、我々が攻撃するにはまだ早い。我々のチャンスは二十年ないし三十年後に来るであろう。勝利は必ず奇襲によってもたらされる。資本主義世界を何としても飽食させ、眠らせるのだ。そのための一番良い方法は、いまだかつてない平和攻勢を敷くことである。彼らは、何も知らずに太平聖代を謳歌し、話し合おうと言えば、どんなことにでもすぐに飛びついてくるであろう。このように資本主義国家は自ら墓穴を掘って協力してくれるであろう。我々は友のように偽装し、時間を稼ぐのである。そうするうちに彼らが油断している時に、我々は鉄拳で一撃を加え、一度に打ち倒すであろう」。

これが正に、レーニンが使ったソ連の赤化戦略であり、毛沢東主席の中国制覇の戦略であり、北べトナムがベトナムを制覇した戦略だったのです。彼らはみな成功しました。そして、これは虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の戦略なのです。しかし私たちは、この戦略に二度とだまされないでしょう。また、私たちは絶対に金日成主席に対して再び誤算を繰り返さないでしょう。私たちはきょう、金日成主席に私たちの実力を見せつけましょう!

6. 統一聖徒は信仰の祖国韓国を死守する

祖国を愛する五千万の同胞たちは、命を懸けて祖国の領土を守るでしょう。私たちは絶対に一寸の土地も彼らに譲歩しないでしょう。そしてまた、私たちには強力な友邦がいます。アメリカが正にそのような友邦国であり、日本がまたそのような友邦国です。「天は自ら助くる者を助く」と言われるように、私たちが神様の名によって金日成主席を糾弾し、神様の名によってこの地を守るとき、私たちは第二のベトナムになることは絶対にないのです。

それだけではありません。北朝鮮の金日成主席が知らなければならないもう一つの力が、きょうこの五・一六広場の救国世界大会において示されています。韓国と韓国国民が知らなければならない、そして信じられるいま一つの大きな友がいます。それは韓国を自分たちの信仰の祖国として信じている世界の統一教会の信徒たちです。

彼らは徹頭徹尾、勝共主義者たちであり、絶対的に韓国を愛する若者たちです。彼らは果たしてどの程度韓国を愛するでしょうか。彼らが韓国を愛することは宗教的な信念によるものなので、韓国は彼らにとって信仰の祖国、聖域となるのです。

篤実な信仰者にとって、自分の聖域が侵されるということは、取りも直さず自分の体と自分の家が侵されることと同じ痛みを感じるのです。これは正に世界の統一信徒たちは、韓国を自分の体のように愛するということなのです。ですから、信仰の祖国である韓国を守ることは、世界の統一信徒たちの信条です。ですから、もし韓国が北朝鮮から侵略を受けたときに、信仰の祖国、聖域である韓国を共産主義の魔の手から守ることは、世界の統一信徒たちの神聖な義務なのです。

皆様。きょうここに参加した六十ヵ国の代表者千人の人たちは、このように命懸けで韓国を守ってくれる、韓国に最も近い、そして固い信念で結ばれた救国同志たちです。彼ら世界代表たちはこの歴史的な広場で、有事の際、すなわち北朝鮮が大韓民国に対して武力侵略を敢行するときには、信仰の祖国である韓国を死守することが神様のみ旨であると信じ、世界統一十字軍を編成し、義勇軍として参戦し、韓国と自由世界を守護することを決意するでしょう。

7. 神様が愛する国、韓国

「東海の水が乾き、白頭山が擦り減るまで、神が守り給う我が国、万歳」。私たちは解放以来ずっとこの「愛国歌」を歌ってきました。実にこの「愛国歌」は我が民族に下された神様の啓示だったのです。「大韓民国万歳」は、ただ神様がお守りになってこそ成し遂げられるものとして啓示されたのです。

神様は大韓民国を最も愛しておられます。檀君聖祖以来、あらゆる風霜を経ながら他の国を一度も侵略したことがなく、強大国の間にはさまれながらも、単一民族のその正しい気風と伝統を守るようにしてくださった神様!国を奪われた私たちに、感激の八・一五解放をもたらしてくださった神様!六・二五動乱の際、ベトナムのように滅びるほかなかった韓国を、十六ヵ国を動員して守ってくださった神様!

一九六一年、国民の和合が揺れ動き、またもやこの国が共産侵略の危機の中にあったとき、強力で献身的な新しい指導者として現大統領を立てられ、この国の綱紀を立ててくださった神様!アジアで責任を果たすことができずに、ベトナムとカンボジアから後退するアメリカを覚醒させて韓国を再び守らせ給う神様!

今度はこの地に統一教会の名により、新しい真理運動と精神運動を立てられ、早くから世界に跳躍させ、今我が祖国がもう一度危機に瀕すると、六十ヵ国の統一教会の熱血青年たちを動員してこの地に送られ、有事の際には水火も辞さずにこの地を死守させようとされる神様!韓国において世界的な決戦のために、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時のように、北朝鮮、中共、ソ連と韓国、日本、アメリカを対決させ、神様とサタンの最後の決戦を私たちの側に勝利させようとされる神様!その神様の特別な恵みと保護のもとで、私たちはきょう勇気を出して、総決起しなければなりません。

8. 韓半島は人類文明の結実地

神様は韓国を愛されて、この地に全世界を代表する「総和文明」の結実体を成し遂げようとされているのです。人類文明は神様の摂理的なみ旨に従って、その次元を高めながら世界を一周し、ついにその結実を見ることになるのです。

人類の古代文明は大陸で発生しました。エジプトのナイル川河畔で胎動した文明は、半島文明へと変遷し、ギリシャ、イタリア半島で地中海文明圏を築きました。その半島文明は、再び島嶼文明に移り、島国イギリスを中心として大西洋文明圏を形成しました。ついにイギリスの島嶼文明は大西洋を渡り、アメリカ大陸において現代文明の奇跡を起こして太平洋文明圏を形成したのです。

しかし、歴史の流れはそこで終わりません。この文明圏は、太平洋を渡ってイギリスに相当する島国の日本で新しい島嶼文明の花を咲かせ、イタリア半島に該当するこの韓半島で、昔のローマ文明に相当する総和文明を成し遂げて、アジア大陸に連なる一つの世界を成し遂げ、新しい統一文明圏を形成しようとするのが神様のみ旨であることを私はよく知っています。

韓国は新しい時代の寵児であり、韓民族は神様がお選びになった民族です。韓国は神様が願われる新しい文明の揺籃です。ですから、世界文明の結実体として、神様の摂理を決定する国なのです。これは神様の愛する韓国人の誇りでなければなりません。

9. 「統一思想」は統一世界を成し遂げる思想体系

偉大な子女を生むときには、まず陣痛が来るのは不可避なことです。韓国は今その陣痛期にあるのです。私たちが今受けている試練が正にそれです。神様はこの試練を通して私たちの底力と闘志と資格をテストし、陣痛を克服したのちの栄光の子女の出産を期待しておられるのです。

ですから、サタン側の強大国は、神側の韓国を欲し、狙っているのです。私たちはこのような試練に、神様を愛する信仰と希望で勝利しなければなりません。私たちが危機に瀕しても、その最も困難な逆境を克服して、共産主義に徹頭徹尾勝利するということは、今後、いずれ神様のみ旨である勝共による統一世界の構築において、韓国がその主導権を握るということです。それはまた韓国が世界の旗手になるということです。

そのためには、それにふさわしい思想と理念が絶対になければなりません。これが統一教会の主張です。韓国が生んだ宗教統一の「原理」が正にこれなのです。「勝共理念」が正にこれです。「統一思想」が正にこれなのです。

神様を父として侍るすべての宗教は、「神はいない」という不倶戴天の怨讐である共産主義に立ち向かうのです。統一の結束のもとに、愛と真理によって彼らに勝利し、誤りを悟らせ、最後は彼らを兄弟として受け入れなければなりません。このような「原理」に立脚した「勝共理念」は、共産主義を分析、批判し、それを克服できる確実な代案を提示しています。また「統一思想」は、今日の世界の様相をつくったすべての間違った哲学や主義思想を暴き、神様を中心として一致団結できる統一された思想体系です。

このような原理と理念と思想が韓国で生まれたのです。これがすなわち「神主義」です。神様を中心とし、神様に問い尋ねながら国を治めるのですから、与野の区別があってはいけません。すべての宗教人たちと良心のある人士たちは、誰彼を問わず政府と一体となり、「神主義」で悪魔の共産主義を退かせ、祖国の地と我が民族を統一する時が訪れたのです。その時が正に今この瞬間なのです!

10. 東方の光となる韓国

苦労のあとに楽が訪れ、逆境の中から新たな道が開かれるものです。私たちはこの時に一度、天に侍る倍達民族(韓民族のこと)の底力を、遺憾なく満天下に発揮しましょう!あまりにも有名なインドの詩聖タゴールは、預言的な詩を次のように歌いました。

心には恐れがなく

頭は空高く上げられる所

知識は自由であり

狭い塀で分けられていない所

真理の深い所からみ言が湧いてくる所

絶え間ない努力が完成に向かい

両手を広げる所

知性の清い流れが

固まつた習慣の砂原においても道を失っていない所

無限に広がりゆく想いと行動で私の心が導かれる所

そのような自由の天国へと

我が父よ、我が国を目覚めさせたまえ

また、タゴールは日本統治下の韓国に対して次のような詩も詠んでいます。

かつてアジアの黄金時代に

灯火の一つだったコリア

その灯火が再び明かりを照らす日に

あなたは東方の明るい光となるであろう。

愛する同胞の皆様。韓国は遠からずして東方の光となって満天下を照らすでしょう。全世界の万民が天のお父様の治められる輝く大韓民国を祖国として侍る日が必ず来るでしょう。いや、既に来ているのです。

11. 神様の名によって平和統一世界を成し遂げよう

皆様。韓国を信仰の祖国として、世界万邦に伸びゆく百二十ヵ国の統一信徒たちは、ただ、父なる神様の名のもとに、人種と国境と言語を超えた兄弟姉妹として一致団結し、神様の怨讐金日成主席と、天人共に許し難い悪魔的な共産主義打倒に全員、総進軍しましょう!

愛する自由韓国の兄弟姉妹の皆様!きょうの課題は何よりも、「共産主義」は人類の敵である以前に神様の不倶戴天の怨讐であることを悟ることです。ですから、きょう私たちは神様の名によって金日成主席を糾弾するのです。

神様は金日成主席の南侵を絶対に見逃さないことをはっきりと宣言いたします。そして、自由世界と韓国の名をもって、金日成主席と共産主義国家を打ち倒すために命懸けで闘いましょう!勝利するまで闘いましょう!

神様が共におられて永遠に守られる我が大韓民国の愛する同胞の皆様!私たちには天下に恐れるものがありません。強く大胆に、神様の名によって総和団結、勇敢に前進しましょう!

神様の地であるあの北朝鮮を再び取り戻す時まで、血肉を分け合った私たちの兄弟たちを再び取り戻す時まで、死を決する覚悟で闘いましょう!

神側の全世界の自由主義諸国は、サタン側の共産主義諸国を完全に解放させ、平和な統一世界を神様の名によって必ず成し遂げましょう!

神様は私たちの味方として闘われますので、勝利は必ず私たちのものです。

神様の名によって固く団結して総決起しましょう!

総進軍しましょう!総進撃しましょう!

ありがとうございました。

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第八篇 2 祖国よ、輝け

第八篇 2

祖国よ、輝け

日付:一九七八年十月十九日

場所:韓国、ソウル、朝鮮ホテル

行事:韓国地域社会開発研究院招請朝餐講演会

尊敬する各界の指導者の皆様。きょうの朝、この意義深い集会に私をお呼びくださり、国家中興の大課業において中枢的役割を担当していらっしゃる皆様に、お話し申し上げる機会を与えてくださり、心から感謝申し上げます。

1. 神様に選ばれた韓国

私は海外において、様々な逆境の中でも、ひたすら神様の国の具現のために宣教事業に没頭し、二年半ぶりに再び懐かしい祖国の土を踏みました。普通ならば、その間に何度か帰ってこなければならなかった祖国ですが、今回は、執拗に捕らえて放さないフレーザー委員との熾烈な対決において、最終的決着をつけようとしているうちに、懐かしい祖国への帰りが二年半も遅れてしまいました。

フレーザー議員は、去る九月十二日、民主党の予選でついに落選しました。人間的に見ると彼は大変かわいそうな人です。私は、「怨讐も愛さなければならないので、彼のために祈りなさい」と信徒たちに勧めました。彼は今回、負けられない闘いで負けました。その理由は何でしょうか。彼は天意に背反したことによって、敗北したのです。聖賢の言葉に、「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とあります。いわば彼は、神様の審判を受けたのです。

韓国を第二のベトナムに仕立てようとする彼の努力は、韓国を選んで天の大きな摂理を全うしようとする神様のみ旨とは正反対の努力でした。そのような神様の摂理を知ってみれば、韓国は重要な国なのです。韓国は、今後世界が共産化されるのを防ぐ、決定的役割を果たす国です。神様は、共産主義の究極的目標である世界制覇を許すことはできません。それは、神様御自身の敗北を意味するからです。そして、この歴史的な有神と無神、二つの理念の最終対決において、韓国は神様の選手として選ばれたのです。

ですから、韓国を破壊しようとするフレーザー議員の陰謀は、とても容認し難いことでした。私は、神様の審判が彼に下ることを明確に予知できました。彼は天に逆らう者の立場に立っているので、いかに彼の威勢が盛んだったとしても、彼の末路が悲惨なことを知っていました。誰でも、天理に背反しては生き残る者がいないのです。今回のフレーザー議員の敗北は、神様の審判であると言わざるを得ません。

このように、こよなく韓国を愛される神様を骨髄にしみて実感しながら帰ってきた、今回の帰国の道でした。何度も降り立った金浦空港ですが、今回はいつになく私を喜んで迎えてくれているようであり、故国同胞の温かい歓迎は、私の霊魂を揺さぶりました。帰るやいなや私は、祖国の地、錦繍江山(クムスガンサン)(=韓国の別称)千五百里を、南北にわたって走ってみました。韓国の山河は、とりわけ青々と美しく、世界に類例を見ない秀麗な山河でした。民族中興に向かって突き進む祖国の復興の姿は、十分に満足して余りあるものでした。

故国にいらっしゃる皆様。本当にお疲れ様でした。私たちは、ただ先進国家につき従っていくことに満足する国となってはいけません。私たちの祖国大韓民国を通して、神様は偉大な課業を成し遂げようとされておられます。二千年前、人知れぬ小さな村、ユダヤの国ベツレヘムの地に、偉大な思想が出現しました。

それがすなわち、イエス様の思想でした。神様は、その救世思想を中心として二千年間、救世運動を推し進めてこられました。今、もう一度、共産主義の魔の手から世界を救い出し、地上に天国を建設する新しい救世理念の誕生地として、神様は、東方の小さな国、韓国を訪ねてこられるのです。私たちは、神様が与えてくださるこの任務を甘受しなければなりません。これは正に、私たちの祖国大韓民国が、永遠に栄える道であり、いつまでも光り輝く道です。

2. 堕落によって創造理想と正反対になった世界

きょう、私は皆様をお迎えし、私のこのような所信の一端を披瀝しようと思います。世界のすべての宗教は、宇宙の根本原因を、創造主または神様という方として認定するところから出発します。その神様は善であり、永遠不変であり、唯一であり、絶対的な方でなければなりません。その神様がこの世をお造りになったとするならば、そこには必ず創造目的が先行したはずです。そして、その創造目的も、やはり永遠、不変、唯一、絶対的なものでなければなりません。

神様の創造目的は「喜び」です。喜びを得ようとして、人間と世界を造られたのです。その喜びというのは、一人では感じることができません。喜びを感じるためには必ず対象、または相手が必要です。主体と対象が互いに相対基準を結んで与え合うとき、喜びを感じることができるのです。そして最高の喜びは、愛を与え、受けるときに感じることができます。そのように、神様が私たち人間を対象として造られ、その対象とともに無限の愛を与え合い、永遠に喜びを得ようとされたのです。それが、すなわち創造目的だったのです。

このような創造目的を果たすために、人間始祖として一男一女を造られたのですが、聖書では彼らを「アダム」、「エバ」と呼びます。そのアダムとエバが、神様の完全な喜びの対象となり、愛を与え合いながら、善の子女を繁殖していれば、その家庭が拡大して社会となり、その社会が発展して国家となり、その国家は世界に発展して、この地球は、このアダムの一族で満ちあふれ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が築かれていたのです。その世界を、すなわち天国と称し、その天国は明らかにこの地上にできたはずだったのですが、その世界は、すなわち地上天国と言わざるを得ないのです。

この地上天国は、神様を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟です。そこには一つの伝統と一つの文化がある一つの統一世界にほかなりません。そこには人種差別はあり得ず、言語の衝突もなく、国家の分裂も、理念の対決も、殺戮して相争う戦争もあり得ません。このような神様の理想世界を描きながら、今日の現実を眺めてみるとき、私たちは、神様の理想とは正反対の世界に住んでいることを痛感させられます。まず私たちの一つの体の中に、心と体の分裂を見ることができるのです。

今日の私たちの世界は、分裂の世界です。国家の分裂、言語の分裂、文化、伝統、人種、理念、愛の分裂など、このような分裂の中で、人類歴史は殺戮の闘争と戦争の連続でした。これはどう見ても、天国と言うことはできません。私たちは地上地獄に住んでいるのです。これは、人間始祖アダムとエバの堕落によってもたらされた結果です。堕落したということは、神様に逆らったということであり、神様から離れたということです。それによって、神様が臨在できない歴史が始まりました。人類歴史は、神様に逆らう歴史の連続によって今日に至りました。

3. 人間世界の救援のために遣わされたイエス様

私は先ほど、神様の創造目的が、永遠、不変、唯一、絶対的であると言いました。たとえ人類始祖の反逆によって堕落世界ができたとしても、神様の根本理念とみ旨は変わることはありません。神様は必ず初志を貫徹される方です。神様は必ず、神様本然の創造理想を果たさなければなりません。人間の堕落以後、神様は無為無策だったわけではありません。人間の堕落以後の神様のみ旨は、堕落した人間を救援する「救援の歴史」でした。

「救援」とは何でしょうか。病にかかった人を病気以前の状態に治すことが救援です。病にかかったこの堕落世界を、堕落以前の本然の世界に戻すことが、すなわち救援です。ですから、救援というのは、本然に帰ること、すなわち復帰なのです。ですから神様は、この堕落世界を清算し、堕落以前に神様が計画された本然の理想世界へと復帰するみ業をされて、歴史を歩んでこられているのです。

今から二千年前、神様は、イエス・キリストを救世主、メシヤとして、この地上に遣わされました。彼を遣わした目的は、正に堕落人間の救援です。救援は、すなわち復帰のことをいいます。メシヤがこの世を救援されるということはすなわちこの世を天国へと回復するということです。ところが、二千年前、メシヤは明らかにこの地上に来られましたが、いまだにこの地上には、天国が建設されていません。これは重大な問題です。イエス様は、「天国は近づいた」と天国の到来を宣言されましたが、その天国の到来が成就した痕跡はありません。むしろイエス様は、罪を着せられ、十字架に打ちつけられるという悲運を招きました。これはつまり、神様がメシヤを遺わされたみ旨が、二千年前に完全には成就されなかったことを立証しているのです。

その理由は何でしょうか。その理由は、イスラエル選民の無知と不信にあったのです。神様がメシヤを遣わされる以前の四千年間、イスラエルという選民を集めて摂理されてきたのは、メシヤが来られるとき、そのメシヤを迎えて、神様のみ旨を成就することを願ったからでした。しかし、イスラエル選民は、いざメシヤが来られたとき、神様のみ旨を正確に知ることができませんでした。彼らは、メシヤが来れば、ロ・マの虐政下にいる自分たちの怨讐を討ってくれ、力でローマを征服し、一躍、選民イスラエルが君主の権勢をもって、世界に君臨することを夢みました。彼らが望んだメシヤは、権力のメシヤ、武力のメシヤでした。

しかし、メシヤの天国理念は、武力で成し遂げるものではありません。神様の天国理念は、真理と愛で果たされるのです。その上、メシヤは、イスラエルだけを解放して彼らに王権を与えようとして来られる方ではなく、むしろ、イスラエル選民を犠牲にさせてでも、世界の救援を計ろうとして来られることを、彼らは知りませんでした。政治的な勝利と利己的な権勢争奪を夢見たイスラエル民族の目に映った裸足のみすぼらしい無力なイエス様の姿は、メシヤとしては受け入れ難い姿でした。

それでイスラエル選民は、メシヤを十字架にかけてしまいました。これは、神様にとってこの上ない悲劇であり、人類にとってこの上ない不幸です。神様の天国実現のみ旨は、その時点では成し遂げられず、未来のある時点で、再びメシヤを地上に遣わさざるを得ない破局を招いたと言えるのです。神様が、メシヤ、すなわち救世主を再び遣わされる日を、私たちは「再臨の日」と呼びます。神様のみ旨は、イエス様の時に完結することができず、再臨の日まで延長されてきました。イエス様が十字架につけられたその日から、神様は、再臨の日を準備することに余念がありませんでした。それから歴史は約二千年が流れました。今は、正に終末であると叫ぶ声が高まり、メシヤの再臨を待望する声は四海に満ちています。

4. メシヤの再臨のための第二イスラエル

それでは、神様は過去二千年間、どのような歴史をつくってこられたのでしょうか。そして、新しい歴史の糸口はどのように解けるのでしょうか。神様が第二のメシヤを遣わす前にまずされることは、もう一つの選民を起こすことです。基礎がなくては家を建てることができないのと同様に、選民という基盤なしに、メシヤを遺わすことはできません。ですから、イエス・キリストの降臨の前に、神様はイスラエルという選民を準備されたのです。

結論的に申し上げるなら、新たに来られるメシヤを迎えるために世界的選民として築いた土台が、すなわち今日、世界的版図をもつキリスト教です。ベツレヘムの馬屋で生まれたイエス様の教えは、これまで二千年の歳月が流れる中で、世界的な宗教となりました。これはどこまでも、再臨という一時を望みながら世界的な選民を造成しようとされる神様の摂理から来た結果なのです。

今日のキリスト教徒の使命は、神様がメシヤを再び遣わされるとき、そのメシヤを歓迎して、彼に侍ることです。二千年前のイスラエル選民たちのように、絶対に彼を再び十字架につけてはならないのです。今日、キリスト教は名実共に第二イスラエルの位置に立ちました。

それのみならず、神様には、メシヤを再び遣わす前に必ず成就しなければならない、二つの重要な宿題がありました。その一つは、高度な物質文明の発達です。神様のみ旨が成就するということは、すなわち地上天国が成就するということですが、それは霊的な天国だけを意味するのではなく、肉的天国、または物質的楽園をも意味するのです。ですから、メシヤの降臨とともに成就される高度な精神文明を入れる器、いわば高度な物質文明の世界を準備する必要がありました。さらに、神様の理想では、世界が一つの国なので、その世界が科学の発達によって、交通と通信手段が高度に発達し、全人類が一日生活圏内に暮らすということは、地上天国の建設においてこの上なく重要な要素です。これは統一世界文化の創造に必要不可欠な条件です。ですから、イギリスで起こった産業革命を始発点として、わずか数世紀の間に高度な物質文明を成し遂げたことは、神様の設計図の中に計画されていたことなのです。最近、アポロ十一号の月面着陸を全世界の人類が同時にテレビを通して見たこと自体が、今日、人類が共同生活圏内に住んでおり、神様の時が満ちたことを意味するのです。

神様が準備されたもう一つのことは、メシヤが降臨できる環境を造成することです。これはどんなことでしょうか。それは、みだりに人を捕らえて命を奪うことができない法治制度の創建のことをいうのです。イエス様の時代では、人の命は権力者の前でははえの命のようなものでした。イエス様は、為政者や権力者たちが願えば、いつでもはえを取るように捕まえて命を奪ことができた、無法天地の制度下に生まれました。根本的な人間革命を叫んだ革新的なイエス様のみ言は、その社会制度のもとでは容認されませんでした。イエス様が十字架につけられたことは、当時の制度下においては避けられない事情だったと言えます。これをよく御存じであられる神様は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なことは、人々をみだりに捕まえて命を奪うことができない法治制度であることを知っておられたのです。

このために、二千年間、汗水流して準備された制度が今日の民主主義です。民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義というのは、少数派も多数派の中に混じって生き残ることができる制度です。民主主義は自由を保障する制度です。その自由とは、すなわち言論、宗教、結社、出版、集会の自由です。

その民主主義の代表と見ることのできるアメリカの憲法を見れば、自由の中で最も絶対視する自由が宗教の自由であり、アメリカ議会と政府は、宗教を規制するいかなる法もつくることができないようになっています。この制度は、たとえ神様の息子が再び現れて革命的な布教をしたとしても、彼がそのことによって再び十字架にかからずに生き残ることができるようにするための制度なのです。これは神様が再臨の日のために努めて準備された制度です。ですから、身近な例を挙げれば、革命的な新しい真理を伝える統一教会が、いくらアメリカ人たちの気分を多少害するとしても、今日のアメリカのもつ法と制度によっては、これを十字架にかけることができないのです。

5. アメリカは神様の摂理の中心国家

そして、いざ再臨の時が近づいてくれば、神様は第二イスラエルの世界的版図の中から、神様が中心となるキリスト教国家をお選びになる必要があります。これは、どういうことでしょうか。神様が成し遂げようとされる究極の地上天国の理念は、この地上に実際に成就する理想なので、ある中心点から出発して、漸次世界へと波及しなければなりません。いわば標本となる国家がなければならないということです。そしてさらに、言うまでもなく、終末にその中心的な神様の摂理を十分に担うことのできる国として、かなり以前から予定され、その予定に従って選ばれた国が、すなわちアメリカなのです。

今しばらく、アメリカの国家の形成過程を探ってみることにしましょう。アメリカ大陸は、あのように途方もない大陸でありながらも、一五〇〇年代までは発見されないまま放置されていた大陸です。これは「終わりの日」に、神様が特別に使おうと密かに隠しておいたものと解釈することができます。またアメリカは、その国家形成が移民によってできた国です。言い換えれば、アメリカは主人のいない国でした。原住民であるインディアンがいましたが、インディアンは主人の役割を果たせませんでした。結局、主人がいないということは、神様が主人なのです。ですから、神様がお選びになった特別な人々だけが行き、住むようになった国です。

ヨーロッパ大陸ではアメリカを新天地と呼び、最初に新天地に望みを抱いて移民した人々は、すなわち、信仰の自由を求め、神様に侍るためにやって来た人々でした。旧時代の圧政下において完全に望みを失ってしまい、「仮に大西洋の海で命を失ったとしても、ただひたすらに神様に心ゆくまで侍ることのできる所に行こう」と言って、悲壮な心で出発し、メイフラワー号という帆船に乗り、五十七日間の難航海の末に、アメリカのニューイングランド地方に上陸したのが、すなわちアメリカの先祖である清教徒たちでした。

彼らは航海中に多くの犠牲者を出し、上陸して初めの冬を越すときに、またその半分が犠牲となりました。彼らは、神様と信仰を、命よりも大切にした人々でした。彼らが間もなくアメリカの先祖となり、彼らの精神がアメリカの建国精神になったことは、偶然だとは絶対に言うことができないのです。

神様に侍る唯一の国、すなわち「神様のもとの一つの国家」というモットーが、アメリカの建国精神になったことは、この国を建てて、メシヤを再び迎える世界キリスト教国家の中心にしようとした神様のみ旨を、明確に立証するものです。そして、神様が隠しておいたこの肥沃な大陸に、神様を信奉する五色人種(すべての人種)が集まり、超民族的キリスト教国家をつくったのですが、これは、将来つくられる地上天国のモデルなのです。

今やアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである世界救援のみ旨を達成し、神様の世界家族、そして統一文化を成し遂げなければならない重大な使命を背負うようになったのです。また、終末に起こる人類歴史最後の悪の勢力である共産主義に備えるために、神様はわずか二百年の間に、この荒地から生まれた新生国家アメリカを、世界の最強国家にされたのです。

今、アメリカ国民が悟らなければならないことは、今日、アメリカが享有している神様の祝福が、アメリカのためだけの祝福ではないということです。この祝福は世界のためのものであり、神様のみ旨を成し遂げるための祝福なのです。今日、アメリカ国民は、キリスト教精神で完全に武装し、世界人類救援のために、いかなる犠牲と十字架をもはばからないという決意に燃えていなければなりません。そして神様のみ前において、アメリカがもつ最も重大な使命は、共産主義の魔の手から自由世界を保護し、究極に至っては、共産主義さえも解放できる原動力にならなければならないということです。

6. アメリカで起こる不吉な徴候

ところが、そのアメリカは、一九四五年の第二次世界大戦の勝利から今日に至るまで、神様の本然のみ旨を離脱していく不吉な徴候が見えており、これは甚だ恐ろしいことであると言わざるを得ません。私はアメリカを愛するがゆえに、このことを語るのです。次の話は、アメリカの国会議員たちが集まった講演会において語ったことです。誰かがアメリカを悟らせなければならないので、この話をしました。

第一に、二度の世界大戦を勝利に導いたのは神様であり、またアメリカをして世界国家型である国連を編成させたのも、神様のみ旨でした。神様のみ旨から見れば、本来、国連はキリスト教精神を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家を含む国連は、絶対に神様のみ旨ではありませんでした。

またアメリカは、戦勝後、戦後処理を誤りました。第二次世界大戦に勝利した連合国と敗戦した同盟国家が統治した国々まで正しく保護し、天のものとして管理する責任がアメリカにありました。万一、アメリカが神様のみ旨をはっきりと知っていたら、サタン側国家であるソ連を堂々と制圧して、世界万邦の自由国家を集めて民主世界に結束させ、神様のみ旨の中で全世界を復帰できる良い機会だったのです。しかし、アメリカは、アジア諸国と東欧衛星国家を共産側に渡してしまい、韓国とドイツを両断させる悲劇を招いてしまったのです。

第二次世界大戦の勝利は、神様が、自由世界の版図を広げて共産主義を制圧できるよう祝福されたものだったのですが、結果的にアメリカは、若者たちの血の犠牲を無駄にして、神様を否定する不俱戴天の怨讐である共産主義世界を有利にしただけでした。若者たちの怨恨と血の訴えが、今もやんでいません。のみならずアメリカは、自由陣営を守護しなければならない聖職から後退することによって、ベトナムのようにアメリカの保護下にあった国々を、一朝にして共産圏に供え物として渡してしまったのです。これによってアメリカの国際的威信は地に落ち、恨みの声は日に日に高まっていきます。

今日国連は、その本然の機能を喪失したまま、共産主義国家の宣伝の舞台となっています。アメリカでは、様々な尋常でないことが日ごとに増えています。白人と黒人の人種問題が正にそれであり、若者たちを腐敗させる麻薬問題がそれです。青少年の淪落と家庭の破錠、そして日ごとに激増する暴力犯罪など、それらのどれ一つをとってみても、深刻でないものはありません。その中で浸透してくる共産主義の問題は、最も致命的な打撃です。極度の個人的な人生観と価値観によって肉的享楽に飛び込んでいくアメリカの現社会において、このままでは神様は間違いなく離れ、アメリカが神様の願いと希望と計画を失敗に導くことは、火を見るより明らかです。

この時点で、神様はどうされるでしょうか。神様は、このアメリカの現実を如実に見ておられます。ですから、神様はアメリカがこのようになることを予想されていた、と言っても過言ではありません。物質文明を中心とする西欧文明が、今日のアメリカのような事態を引き起こすことは、必然的な結果であると言えます。物質文明は、どこまでも体であって、心ではありません。今日のアメリカが神様の造られた体とすれば、この体に注入する心は、本来、東洋から起こすことを計画された神様です。そして、東洋の心と西洋の体が合わさって一つになるとき、初めて世界は欠点のない人の役目を果たせるように設計されました。今、西欧文明は一大心情革命、あるいは精神革命を待っています。しかし、この精神的革命は、西欧社会では期待できない立場です。これは必ず、東洋から起こらなければなりません。

ここでしばらく、イギリスの碩学アーノルド・トインビー博士の予言について触れてみることにします。彼は有名な歴史家であると同時に哲学者です。彼の透徹した歴史観はあまりに鋭く未来を見通すため、彼は歴史家の領域を脱し、一人の預言者とまでみなされ、尊敬を受けた人です。トインビー博士は、驚くべき予言をしました。「キリスト教を中心とする西欧文明は、今、その滅亡の直前にさしかかった」と、西欧文明の没落を予言したのです。そして彼はまた、次のように言いました。「歴史の目的は文明の発達にあるのではなく、文明の興亡は、実は高等宗教の出現のための手段である」と。言い換えれば、トインビー博士は、「歴史の流れにおいて、歴史の目的は文明を発展させることにあるのではなく、文明はあくまでも手段であり、むしろ宗教の進歩発展こそが歴史の真の目的である」と言ったのです。そして彼は、「没落する西欧文明を救い出す新しい高等宗教は、東洋から湧きいずる」と言いました。「光は東方より!」この言葉は、トインビー博士の有名な予言です。

7. 韓国から上がる新しい宗教理念の烽火

きょうの朝、革命的な発言になるかもしれませんが、私は、トィンビー博士が言われるその「光」、すなわち世界を生かすことのできる新しい宗教理念は、韓国から出現すると躊躇なく宣言する次第です。その精神革命の烽火は既に韓国から上がり、世界に向かって赤々と燃えています。既に西欧文明の中に飛び火して、超国家、超民族的次元で、数十万の若者たちの胸に火がともりました。彼らには、新しい価値観と新しい人生観が打ち込まれました。徹底した道徳革命が起こっています。世界人類救援のための犠牲的な奉仕が実践されています。その精神革命の烽火が、すなわち統一教会運動なのです。

この精神革命がしっかりとアメリカの物質文明と接ぎ木されれば、心と体が出会うことになります。その瞬間から、アメリカは心と出会うので望みがあり、韓国は体と出会うので望みがあります。さらに韓国とアメリカが一体となって世界救援運動に携わるとき、世界には望みがあるのです。この精神革命の力は、共産主羲に打ち勝つことのできる力です。この精神革命の衝撃がいかに大きいか、次のような実例を挙げて申し上げましょう。

アメリカで多くの物議を醸した私に対する非難の焦点は、アメリカの若者たちを洗脳するということでした。私たちの精神運動の衝撃があまりにも大きいので、賢いアメリカ人たちは私に、「自分たちを洗脳している」と言うのではないでしょうか。私は一九七五年十二月十八日、アメリカの下院議員たちの前で講演したとき、このように言いました。「賢明な議員の皆様に一言質問いたします。アメリカ人たちは韓国から来たこの人、いつも通訳をおいて説教するこのレバレンド・ムーンに洗脳されるほど、愚かな人たちですか」。私のこの言葉に、議員たちは名答を得たということでした。

アメリカの統一教会内に密かに侵入した一人の新聞記者は、統一教会の棚の隅々をくまなく探し、レバレンド・ムーンが洗脳工作に使う薬の瓶を探すのに血眼になったそうです。何か薬を飲ませて洗脳しているものと思ったようです。そのうち、彼は一和の高麗人蔘茶の瓶を見つけたのです。「ああ、これだ!」と言って持っていったのですが、いくら飲んでみても、何の精神的な変化も起こらず、気分だけが良かったそうです。

アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたわけではなく、神様が私に下さったみ言を聞いて、人格革命が起こるのです。韓国の地を通して神様が下さった新しいみ言は、一度聞けば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人たちが、世界のために犠牲になろうと立ち上がります。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱の過去から解放されます。父母には孝行、国には忠誠、神様には生命を捧げて奉仕しようとする、高潔な人格者となっていくのです。のみならず、彼らは、共産主義を神様の怨讐として認め、共産主義と闘おうという信念が、この世のどの信念よりも強く燃えるようになります。

なぜ神様は、この世を救援しようとする最終理念を、私たちの祖国大韓民国を通して現すのでしょうか。「終わりの日」にこのような選ばれた国になったのは、韓国にいかなる資格があるからなのでしょうか。一言で言えば、韓民族は神様の事情を知り得る民族だからです。歴史上において、神様が喜びの方ではなく、悲しみの帝王であられることを、知る人がいませんでした。神様は、創世の時から子女を失った父母でした。いかに帝王であろうとも、子女を失った父母は悲惨でかわいそうです。歴史の中におられる神様は、かわいそうな父でした。そのかわいそうな父にとって、最大の孝行息子は、その父の痛みと悲しみを身代わりする息子です。韓民族は正にそのような立場で選ばれたのです。

8. 韓国は苦難の中で選ばれた国

韓国の五千年の歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力から苦しめられる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に遭ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子女を見て嘆息される神様の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。ですから、涙の神様を理解できるのです。韓国人は古くから悲劇を好みました。それが、堕落という悲劇を体験した神様に同情できる資格なのです。諺に、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。私たちは、喜びと栄光の中に権勢を享有される神様であると思っていましたが、その神様は、実は子女を失って涙を流される、悲痛で孤独な父だったのです。その神様の心情を慰労する真の孝子となることを信じ、神様は私たちを捜し求めてこられたのです。

韓国人は古くから、忠孝の志操が強い民族です。国軍の日を迎え、五・一六広場に招待され、国軍の威容を見て心温まる思いがしました。その国軍の勇士たちが査閲台の前を過ぎるときに叫ぶ「忠孝」という掛け声は、本当に印象的でした。神様に選ばれた民族として叫ぶこの掛け声は、あまりにも啓示的でした。世界のいかなる国でも、このような掛け声を叫ぶ軍人はいないでしょう。

韓国は最終的に、神様に忠誠を尽くし、孝の道を尽くす民族であるがゆえに、その忠孝精神が今日、国家の中心思想になったのです。沈清(シムチョン)の親に尽くす哀切な孝、春香(チュニャン)の夫のための志操、鄭夢周(チョンモンヂュ)の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神といった忠孝の志操は、古今東西、どこにも類例を見ない韓民族の魂です。このような忠孝精神と不変の志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的な思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父なので、その父に永遠に孝の道を歩まなければなりません。世界の数多くの民族をいかに試験してみても、韓国のように、その忠孝の熱と志操の強い国はないので、神様は韓国をお選びなって訪ねてこられたのです。

また韓国は、平和を愛好する白衣民族です。私たちは一度も侵犯したことのない人々です。このような平和愛好の民族が、五千年の固有の歴史を抱いて耐え忍んできたこと自体が、奇跡であると言わざるを得ません。これは、ただ神様の保護のもとにのみ可能だったのです。俗に言えば、私たちは神様を背景にもつ民族なのです。

五千年の歴史において、様々な強大国が、何度も私たちをのみ込みましたが、そのたびに消化不良を起こさなかった国はありませんでした。食べたら、必ず吐き出さなければなりませんでした。

これは誰の力でしょうか。神様の力でした。八月十五日の解放は、誰がもたらしてくださったのでしょうか。神様の力でした。六・二五動乱のとき、共産軍の南侵を防いでくれたのは誰の力でしょうか。神様の力でした。六・二五動乱当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、私たちは釜山の海に追い込まれて飛び込んでいたでしょう。

韓国動乱のとき、国連軍の派兵は、国連安全保障理事会においてソ連の拒否権があるので、絶対不可能なことでした。ところが、韓国派兵問題を討議するときに、ソ連代表は欠席したのです。その隙に派兵案は、一瀉(いっしゃ)千里で可決されました。国連外交史では、その時なぜソ連代表が欠席したのか、今なお誰にも分かりません。それは、誰がそのようにしたのでしょうか。神様の力だったのです。

9. 私たちが究極的に始めるべき新しい愛の運動

韓国は、神様の特別な保護がある限り、誰が攻めてこようと指一本触れることもできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つ敗れ去っていきます。今回、アメリカの議会で韓国を潰そうとするフレーザー議員の敗北は、その良い例です。

皆様。我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神様の寵児です。私たちは、長い間の苦労の末に、新しい時代の王者として登場する時が来ました。このとき、私たちは悟らなければなりません。神様が韓民族を召命されたのは、韓国のみを良くするためではありません。

世界を救援するために召命されたのです。韓国は、世界の救援摂理のために召命された国であることを悟らなければなりません。私たちは神様に召命されたので、神様の世界の救援摂理のために、誰よりも一番先に、自分を犠牲にできる愛の王者にならなければなりません。

私たちが、神様のみ旨のために死ぬことは、すなわち生きることであり、苦労することは、すなわち栄光の位置に登る道です。イエス様が「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失ものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と言われた意味が、正にこのことだったのです。

韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例を見ない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本やドイツの復興をも凌駕する記録です。加えて、このような急速な成長を、虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の目前において成し遂げたということは、大きな意義があります。

アメリカ人たちは、私に対して、朴正熙大統領と何か密接な関係がないかと罪を着せようとしていますが、それはばかげたことです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。

しかし、成功しているのを見て、よくやっていると言うことができないのであれば、それは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者であると私は確信します。この方でなければ、我が祖国の復興は言うまでもなく、金日成主席の赤化野望から、もちこたえることさえ難しかったと私は思います。

天がこの歴史的な時点に、このような指導者を立てて、我が祖国を急速に復興させたのには理由があります。今や、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たので、その韓国が今後は、もうこれ以上苦難の中に貧しく苦しんでいてはいけないからです。

いわば神様は、韓国をこれから全権特命大使として世界に送ろうとされるのですが、その大使を、ぼろぼろの雑巾のような服を着せて送り出すことはできないのです。礼服を着せて、世界の前に立たせようというのが神様のみ旨です。

韓国は名実共に、世界の指導者像を備えなければなりません。これから韓国は、どの面から見ても世界各国において模範となり、羡望の的となり、彼らから尊敬を受けなければなりません。

韓国のセマウル(新しい村)運動は、「我々も一度良い暮らしをしてみよう!」という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界を良い暮らしができるようにする運動に昇華されなければなりません。そのようなセマウル運動が、セマウム(新しい心)運動へと前進したことは、あまりにも神様のみ旨にかなったことです。

セマウル運動が自分の体をよく生かす運動だとするなら、セマウム運動は自分の霊魂をよく活かす運動だからです。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたものなので、セマウム運動が世界に伸びていくとき、世界は私たちから真の忠孝精神を学ぶでしょう。このセマウム運動も、さらに一段階、前進しなければなりません。

私たちが究極的に始めようとする運動は、セサラン(新しい愛)運動です。セサラン運動は、神様を父として愛し、隣人を自分の体のように愛する運動です。新しい愛の極致は犠牲です。神様と世界と国と同胞のために犠牲となる運動に昇華されなければなりません。

イエス・キリストの究極的な教えがこれでした。しかし、キリスト教の歴史は、このセサラン運動をするところでいつも失敗しました。自分だけ生き、自分だけのためにする運動は必ず滅びます。自分を犠牲にして相手を生かす運動こそが、永遠に残るのです。

イスラエル選民たちには、正にこのような悟りがなかったので、イエス・キリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛期を享有したローマは、自分を中心とした利己主義に翻弄されるとき、その帝国も内部から崩壊してしまったのです。

10. 神様の召命を受けた祖国であることを悟ろう

ある時期、神様はイギリスを祝福されました。その当時イギリスは、その領土に「日の沈むことがない」と言われるほど、その威勢が全世界に広がっていました。しかし、彼らが神様の真の祝福のみ旨を忘れ、世界植民地政策が自己中心になったとき、イギリスは秋の落葉のように衰退しました。彼らも、セサラン運動ができなかったことで衰退したのです。

今日、アメリカも、ローマ帝国などを羡むことがないほどの権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動もよくやり、セマウム運動もよくやりました。しかし、「終わりの日」に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動ができなければ、アメリカの将来は暗澹たるものでしょう。

韓国も、この神様の原理から逃れることはできません。私たちが究極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にし、自分の国を犠牲にしてでも共産主義を防いで、良い暮らしができる世界にしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、私たちもまた、一度は良い暮らしをしたとしても、今の先進国が滅んでいくその落とし穴に共に陥ることになるでしょう。

統一教会は今、そのセサラン運動を五大洋六大州、百二十ヵ国に広げているのです。そしてこの運動は、神様が共にされる運動となるでしょう。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となる理想が実践されています。そして、統一教会が導くセサラン運動の故郷は、我が祖国、大韓民国なのです。

「私の愛する祖国よ、輝け!お前はついに神様の召命を受けたのだ!世界を生かすセサラン運動の本郷になったのだ!」。これが本日の朝、皆様に申し上げる私の証言のすべてです。

私たち韓民族の急務は、自覚です。悟ることです。私たちは悟らなければなりません。私たちは神様から召命を受けたことを悟らなければなりません。私たちが選民であることを悟らなければなりません。自分だけが良い暮らしをするための選民ではなく、世界が良い暮らしができるようにする選民であることを悟らなければなりません。

この使命を悟り、一致団結してこのことを実践するとき、神様の祝福は永遠に私たちの祖国と共にあり、私たちは神様の王子となる立場で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光も永遠無窮となるでしょう。最後に皆様の御家庭と社会生活に、そして大韓民国と指導者の皆様に、万福が臨むことを祈りながら、きょうの朝のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。

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第八篇 3 世界と韓国の決意

第八篇 3

世界と韓国の決意

日付:一九八三年十二月十四日

場所:韓国、慶尚南道、馬山室内体育館

行事:全国八大都市勝共決起大会

万場の愛国市民の皆様、勝共会員、そして内外の貴賓の皆様。久し振りに、再び皆様にお目にかかれて、実にうれしく思います。

去る九月と十月のKAL(大韓航空)機撃墜事件とラングーン暗殺爆破事件のとき、どれほど驚愕と悲痛が大きかったでしょうか。私もその時、外地でその衝撃的な消息を知り、故国の皆様と共に驚きと悲痛を禁じることができず、憤怒もまた大きかったのです。

しかし国民の皆様は、その途方もない衝撃にも挫折することなく、その試練によく耐え抜かれました。その時私は、数多くの国難に不死鳥のごとく耐え抜いてきた伝統的な民族の魂を、故国の皆様に再発見し、心強さを感じたのです。きょう、私がこの場で皆様にお伝えしようとする講演の題目は、「世界と韓民族の決意」です。

1. 危機状況に置かれた今日の世界

まず、今日の危機状況についてお話ししようと思います。今日の世界は一言で表現すれば、大混乱の世界であると言えます。東洋や西洋を問わず、世界の南北を問わず、また先進国と発展途上国との区別なしに、今日の社会はみな病にかかっており、不正、腐敗、殺人、強盗、搾取、抑圧、暴力などが絶える日がありません。そして日増しにより一層増大しています。

また、国際的には国と国との間に、民族と民族との間に、宗教と宗教との間に、紛争、衝突、反乱、戦争などが至る所で起きており、最近ではKAL機事件、ラングーン爆破事件、ベイルート爆破事件などの大量虐殺の蛮行まで続出しています。

一方、先進国の国民が豊かな生活を楽しんでいる反面、アフリカのような発展途上国の多くの国々においては、数多くの人々が飢餓線上で苦しんでおり、飢えで死んでいく群れが増えつつあるのです。このような混乱と惨状の中でも、特に嘆かわしいことは、宗教が本来の役割を果たせず、互いに闘っているという事実です。

北アイルランドにおける新教と旧教との闘い、イスラエルのユダヤ教とアラブのイスラームとの闘い、イラクとイランのイスラーム内の教派相互間の闘い、プロテスタント内部の教派争いなどがそれです。人類の精神を先導して闘いを中止させ、和解させなければならない宗教が、かえって闘いに明け暮れているのです。

こうして世界は今、無法天地と化してしまい、人類は様々な暴力と殺戮、破壊と蛮行の海の中へ落ちていきつつあります。さらに共産主義の野蛮な策動によって、混乱はより一層深化されています。こうして人類文化は今、絶望的な危機状況に置かれてしまいました。

2. 世界の混乱の原因と問題解決の限界性

それでは、このような世界的な大混乱の根本原因は、果たして何でしょうか。それは従来の価値観が総体的に崩壊してしまったからです。どのように生きるのが正しい生き方なのか、その基準を喪失してしまったからです。何が善であり、何が真であり、何が正義であるのか判断が難しくなったからです。

価値の基準が国ごとに違い、団体ごとに違い、甚だしくは個人ごとに違います。さらに、共産主義が現れ、従来のすべての道徳観念を破壊しています。これは何を意味するのでしょうか。これは民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も、今や世界のすべての問題を解決し得なくなったことを意味するのです。

民主主義は、人間の権利の平等と多数決主義によって、すべての難問題を解決することを目標として出現したのですが、今日に至って、民主主義の社会であればあるほど、価値観の崩壊が一層深まりつつあり、これは民主主義が社会や世界の問題解決において、自信を失ってしまったことを意味するのです。

一方、共産主義は、革命によって社会主義社会を実現し、資本主義社会の構造的矛盾を一掃して労働者と農民を解放し、すべての社会悪を除去するという名分をもって出現しました。それにもかかわらず、今日、ソ連をはじめとするすべての共産国家は資本主義よりも、より深い構造的矛盾を露呈しており、より甚だしい社会悪をほしいままに行っています。そして、宗教は宗教なりに、人類の精神指導には全く関心をもたず、争いに明け暮れているのみならず、宗教内部にも不正、腐敗が蔓延しつつあります。また、哲学は哲学で観念化されてしまい、現実から遊離して、現実問題の解決には何ら助けにもなっていないのです。

このように見るとき、民主主義も共産主義も、宗教も哲学も、社会や世界の問題解決において、完全に限界性を露呈してしまったのです。今や人類は、世界の混乱を収拾するに当たり、そのいかなる主義や宗教や哲学にも、期待をかけることができなくなりました。これはこのまま行けば、人類文化が滅亡せざるを得ない状況になることを意味するのです。

3. 神様の実在を前提とした解決方案

それでは、果たしてこの世界的な大混乱を収拾する真の解決方案はないのでしょうか。人類は今やすべてを諦めて、滅亡の日のみをただ待っていなければならないのでしょうか。決してそうではありません。問題の根本的な解決方案はあるのです。その解決方案とは、絶対神(神様)の実在を前提とした解決方案です。それは、絶対神が、この地上に実現しようとした世界が、正に混乱のない平和の世界だったからです。

ですから、神様の実在と神様の創造を認めなければ、今日の世界の問題の解決は不可能なのです。これを言い換えれば、人間が、このような神様の実在と創造目的を知らなかったがゆえに、今日、大混乱の世界をもたらしてしまったのです。

神様が地上に実現しようとした世界は、真のユートピアであり、それは自由と平和と幸福に満ちあふれた世界です。このようなユートピアの理想を胸に抱いて、神様は今日まで切ない心で、地上の人々を訪ねてこられたのであり、人間は人間なりに混乱の中で苦痛を受けながらも、ユートピアを求めてさまよってきたのです。

与えようとして切ない心で来られた神様の理想と探し求めてさまよう人間の理想は同じなので、神様と人間が出会いさえすればユートピアは直ちに実現されるようになっているのです。それにもかかわらず、全体的な分野において、その神様と人間の出会いがなかったので、人間は長い間苦痛を受けてきたのです。

4. 「統一思想」と統一運動

私は早くから、悲劇と苦痛の中で呻吟する人類を救出する方案を模索することに、長い間心血を注いできました。それは瞑想と苦悩と探求の道であり、凄絶な精神的闘いの茨の道でした。

千辛万苦の努力の果てに、ついに実在される神様に出会うことができたのです。神様に出会ってみると、神様は栄光の神様ではなく、ユートピアを地上に実現するために、焦り、もどかしく思われる父母としての神様であられ、またその神様は、天道を明らかにして万物を抱く真理と愛の光でした。

神様の限りなき真理と愛に接したときに悟ったのは、神様と人間と宇宙の関係を人間にはっきりと知らせるために、神様が深く抱いてこられた深奥な思想でした。この思想によって世界のすべての問題は完璧に解かれ、ユートピアが実現されることが証明されたのです。この思想が正に「統一思想」であり、私が今、世界的に展開している統一運動の基本的理念になっているのです。

神様と出会って以来、私は今日まで、神様の思想をもって神様と人類の夢であるユートピアの実現のために、生涯にわたって統一運動を展開してきたのであり、その間の経験を通じてこの「統一思想」が問題解決の鍵であり、混乱収拾の鍵であることを、より一層確認することができたのです。

人生問題、社会問題、宗教問題、歴史問題など、各種の難問題のために苦悶した末に、疲れ果てた多くの青年男女たちと壮年たちが、この思想に接してからは、あたかも旱魃(かんばつ)で干からびた草木が、甘雨(かんう)によって蘇生するように、彼らは希望と喜びと活気を取り戻して立ち上がったのです。

統一運動は、いまだ既成世代によって故意の迫害を受けているにもかかわらず、彼らは世界問題の根本的な解決の道は、統一運動だけであることを確信して私のあとに従っており、この数は急速に増大しているのです。

最近では、全世界から多くの著名な碩学たちまでが、この運動に参加し始めました。このようにして、民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も解決し得なかった各種の難問題の正しい解決方案は、ただ「統一思想」のみであることが、漸次、一般の人たちにも認識されつつあります。

5. 共産主義の党派性

統一運動が世界的に拡散していくのに、最も障害となるのが共産主義です。共産主義は弁証法的唯物論、唯物史観などの独特な哲学をもっていますが、民主主義はそれに対応する哲学をもっていません。その代わり、民主主義は「統一思想」を受け入れることができます。しかし、共産主義は、その党派性と階級性ゆえに、これを全く拒否しています。

こうして共産主義は、私の統一運動に対して、様々な手段を用いて妨害し、迫害したのです。虚偽宣伝と悪辣な謀略、各種の印刷物と集会を通じて、共産主義は、私と私のグループに対して中傷と迫害を加えてきたのです。

政治家、言論人、学生、宗教人、文化芸術人、ひいては婦人たちまでも動員して統一運動を悪宣伝しました。統一運動に対する日本共産党の中傷と迫害に関する詳細な調査資料は、間もなく本として出版される予定です。

そして、彼らの迫害の方法も多様であり、襲撃、誘拐、拉致、不法監禁、暴力行為、強制的改宗の企て、洗脳、強迫、精神病院への強制収容と外部との完全な遮断、睡眠薬の投与による精神麻酔などがその例です。

こうして今日に至っては、私と統一運動に反対し、迫害するいかなる団体も、いかなる個人も、その背後には必ず共産党があって、これらを直接・間接的に操っていることが綿密な調査によって明らかにされたのです。

それでは、共産主義は、何の理由で私の統一運動をそれほどまでにしつこく反対するのでしょうか。それは「統一思想」が、神様を彼らにはっきりと知らせるのみならず、体恤させることによって、無神論的共産主義の虚構性が白日のもとに暴露されるからです。

悪魔が太陽の光を避けて夜にだけ暴れるように、共産主義は神様を避けて、今日まで闇の世界でのみ権勢を振るってきました。「統一思想」によって、神様の真理の光を照らすとき、悪魔の正体が暴露されるので、彼らは必死で統一運動に反対しているのです。実際に共産主義者のうちには、「統一思想」に接して共産主義が虚偽であることを悟り、転向して統一運動に加担した例が少なくありません。

しかし、共産主義の反対と迫害にもかかわらず、統一運動は弱化するどころか、かえって驚異的な速度で成長し、全世界的に拡大されてきました。なぜでしょうか。それは神様が保護してくださり、助けてくださったからです。

「統一思想」は正に神様の愛であり、統一運動は正に神様の願われた運動だからです。神様はこの運動を通じてすべての矛盾と社会悪を除去し、統一された一つの真のユートピアを実現しようとしておられます。ユートピアとは、宗教的用語では地上天国のことをいうのです。

6. 統一運動の最終目標

それでは次に、私が展開している統一運動の最終目的を具体的に明らかにしようと思います。既にお話ししたとおり、神様の真理と愛の理念である「統一思想」によって、第一に社会的、世界的なすべての問題を解決し、共産主義をこの地球上から完全に一掃し、真の自由と平和と繁栄の世界を実現することであり、

第二に、新しい価値観と新しい倫理、道徳による大家族主義の世界を実現することであり、

第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消え去った、共生共栄共義主義の大統一世界を実現することが、最終目標なのです。

一言で言えば、真のユートピアを実現することです。そして、このような社会を実現する方法も、共産主義式の暴力や闘争の方法ではなく、真理と愛による平和的、理想的精神運動によるのです。このすべては神様のみ旨であり、神様が成就しようとされる最終目的となるのです。

7. 韓半島における善悪の対立

韓半島において、大韓民国は共産主義と闘って勝たなければならない宿命的な立場に置かれています。大韓民国は、共産主義と闘って勝利すれば、世界に雄飛するのですが、共産主義に負けるときには、跡形もなく消えてしまうのです。敗北の悲惨な運命は、ベトナムの例がよく示しています。

大韓民国は北朝鮮だけに勝つのではなく、全世界の共産主義に勝たなければなりません。

北朝鮮は悪の側で、世界共産主義を代表して北の地を占有しており、大韓民国は善の側で、世界民主主義を代表した立場で北朝鮮と対峙しています。こうして休戦ラインを間において、北朝鮮と大韓民国は各々共産世界と民主世界の先端に立ち、両世界を代表して生死を懸けた運命的な歴史的対決をしているのです。

北朝鮮は悪側を代表し、大韓民国は善側を代表しています。北朝鮮はサタンが背後にあり、大韓民国は神様が共にいてくださるのです。こうして韓半島は、世界において善と悪が最も鋭く向かい合っている、世界史的な地域となっており、この地域で善が悪を打ち破って勝利したとき、世界のすべての悪は滅びるようになるのです。神様は全摂理史をかけて、このような韓国国民と全世界の自由人が一つとなって、全体的な勝利を収めることを、待ち望んでおられるのです。

最後に韓民族の決意についてお話ししようと思います。休戦ラインを中心とする南北の対決は、総力体制の対決なので、国力において大韓民国が北朝鮮を凌駕しなければならないことはもちろん、思想的な面においても北朝鮮を凌駕しなければなりません。総力戦において、最後の勝敗は思想戦にかかっています。ベトナム戦争がこれをよく示してくれています。アメリカは最強の軍事力をもってしても、思想戦に敗れたために、結局ベトナム戦争で敗退してしまったのです。

思想戦という点から見ると、大韓民国は現在、非常に不利な立場にあります。共産主義が巧妙な偽装戦術によって、宗教界と大学街に浸透しており、農村と都市には共産スパイの地下組織が根を下ろしつつあります。全国民は団結しなければなりません。

教授たちは大学街を、宗教人たちは宗教界を、官僚たちは国民を、責任をもって思想教育を急がなければなりません。そして、共産主義の理論を論破する「勝共理論」によって早く武装し、共産主義の偽装浸透とスパイの地下組織網を摘発、粉砕したとき、初めて思想戦に勝利できるのです。このときになって、初めて北朝鮮の南侵を実質的に阻止できるのです。

8. 勝共国民運動基盤の造成が急務

ここにおいて留意しなければならないことは、北朝鮮は全共産世界を代表しているので、北朝鮮の背後にはソ連をはじめとする多くの共産国家がつながっているという事実です。北朝鮮とつながったこれらの国家は、世界制覇という思想的な連帯関係をもっているために、有事の際、北朝鮮は、これらの国家、特にソ連と中国から軍事的、経済的な支援を受けることができますが、大韓民国はそうではありません。

今後、有事の際、六・二五動乱のように自由の友邦が私たちを助けてくれると期待してはいけません。なぜならば、民主世界には世界統一という思想的な内容がないからです。六・二五動乱の時とは事情が全く異なってしまいました。これは、自由の友邦が世界のための思想で一致しているわけではなく、自国の利益を追求するだけではなく、選挙による主権者の変動が可能であり、だんだんと自由化されつつあるからです。

私は、自由陣営のこのような脆弱(ぜいじゃく)点を早くから知っていたので、これまで、日本、アメリカ、ヨーロッパ、中南米などを往来しながら、世界の青年、学者、言論人、政界人などを糾合して、超国家的な「勝共思想」で彼らを覚醒し、彼らの国家に民間的な勝共基盤を造成して、歴史的、摂理的、世界的な全体共産主義との対立地である大韓民国を守護するために全力を傾けたのです。特に、アメリカと中南米には、カウサ(CAUSA:南北米統一連合)運動を通じて「勝共思想」を国民に定着させることに成功し、日本では強力な民間の勝共基盤を構築しました。

アメリカと日本において、この基盤は今後、一層急速に拡大されるでしょう。韓国もこれまで私が勝共連合に指示して、全国の里、統単位の指導者を選定し、全国民的基盤を立てるようにしました。このようにして、少なくとも、韓国と日本とアメリカにおいて、為政者のレベルではなく、民間のレベルで、思想的に強力な連帯関係を形成するようになったのであり、有事の際、迅速に支援を得られる土台がつくられたのです。

これから世界を代表するこの三国の勝共国民会員は、姉妹結縁と相互交流、教育などを通じて、団結をより強くするように指導しようと思います。北朝鮮の直接的な脅威のもとに置かれている韓国には、まだまだ勝共国民要員が大幅に足りません。一つの里、統内に、少なくとも百人以上の勝共国民会員がいなければなりません。そうすれば、約七百万の勝共国民会員となり、勝共の主体国として国際的威信をもつようになるでしょう。

したがって、一つの里、統内で、できる限り父も母も、勝共国民の働き手にならなければならず、兄も弟も姉も妹も、そして夫も妻も勝共国民会員にならなければなりません。そうなるとき、町内会は勝共国民町内会となり、民防衛隊は勝共国民民防衛隊となり、セマウル運動は、勝共国民セマウル運動となるのです。そうして初めてこの国に強力な勝共国民基盤が造成されるようになり、確固たる安保国民基盤が構築されるようになります。国の為政者がたとえ代わったとしても、この国民基盤造成は決して中断されてはいけません。

しかし、これで満足してはいけません。この国民基盤を、再び外国の勝共国民基盤と連結しなければなりません。そうして強力な国際的勝共国民連合戦線を形成しなければならないのです。国際的な勝共国民連合戦線によって、北朝鮮を含む全世界の共産主義と闘って勝利するとき、初めて北朝鮮を打倒し、北朝鮮の地を解放するのです。

9. 国際的な勝共国民戦線の結成

私が今回、韓国に帰ってきたのは、正にこのような仕事をするためです。各国の勝共国民基盤を韓国と連結させ、強力な国際的な国民連合戦線を形成するために帰ってきたのです。

今日、ここで勝共大会を開くのも、国民の皆様に国を生かすために、早く「勝共思想」で武装してくれることを訴え、併せて国際的な勝共国民戦線を形成するためです。

私がここまで来るのに、多くの迫害を受けてきました。国家を越えて世界的に迫害を受けてきたのです。今や、国民の皆様がこれまで積み上げた実績を通じて悟る時になりました。韓国が生んだ偉大な神様の思想を受け入れなければなりません。この思想は私の思想ではなく、神様の思想であると同時に、皆様と人類の思想です。

この場には七十ヵ国の「世界平和宗教授アカデミー」の議長団七十人の方々も来られています。この方たちは、著名な世界的碩学者で、私の統一運動と勝共運動に賛同した方々であり、本大会を支援し、韓国と各国の勝共国民の紐帯強化を図るため、今回訪韓したのです。

こうして、この地球上から共産主義を完全に一掃するとき、初めてこの地上に、長い間、神様の希望であり、人類の夢だったユートピアの世界が建てられるようになり、我が民族の念願である祖国統一が達成されるのです。

その日のために、私たち全国民は、一致団結して共産主義と闘うことを固く決意し、全世界の国民と心を合わせて一体となり、共産主義の打倒のために総決起し、総進軍しましょう!

大韓民国と皆様の御家庭に神様の加護と祝福があることを願ってやみません。ありがとうございました。

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第八篇 4 世界のために祖国が行くべき道

第八篇 4

世界のために祖国が行くべき道

日付:一九八五年十二月十一日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル

行事:真のお父様勝利帰国歓迎晩餐会

各国からお集まりの貴賓、そして紳士淑女の皆様。今晩、私をこのように盛大に歓迎し、心情的に祝ってくださることに対し、心から感謝申し上げます。とりわけこの日のために、様々な御事情を差し置いて、私の帰国の道を輝かしいものとするために世界各地から来席された、各国の最高指導者の方々、ならびに著名な宗教界、学界、言論界、財界などの指導者の皆様に深い謝意を表します。

1. 理想と愛と幸福の起源は相対のために生きること

昨日の朝に帰国し、慣れ親しんだ故国の山野と空を眺め、また今夜、皆様の前に立つことになった私の心は、いかなる時よりも感慨深いものがあります。皆様が、きょうこのように私を歓迎してくださるのは、レバレンド・ムーン個人に対してではなく、神様のみ旨と公義のために徹して生きてきたレバレンド・ムーンを歓迎しておられるのだと思います。

思えば、きょうこの集まりは重大な歴史的事件です。私一人の進退に世界の関心が注がれており、世界の最高指導者たちが遠路はるばる韓国に駆けつけて、私の帰国を祝うというこの事実が、どうして簡単なことでしょうか。神様のみ旨を中心に、一生涯をために生きてきた私の理想と実践を見守り、感化、感動されたからではないかと思います。

宇宙の存在秩序は、ために生きることを根本としています。真の理想、真の愛、真の平和世界は、神様の創造理想であると同時に人間の希望です。ですから、理想と幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。宇宙を見れば、いかなる存在物も自分だけのために存在するものは一つもありません。

動物界は植物界のために、鉱物界と植物界は動物界のために、またこれらすべてを合わせた万物は人間のために存在しています。それでは、人間は誰のために存在するのでしょうか。人間は神様のために存在するのです。その神様はまた万物のために、万物を存在たらしめ、成長、発展するようにされるのです。

このように、ために生きることは存在世界の基本秩序なので、いかなるものも、ために生きる存在として生まれたのであって、自分だけのために生まれたのではありません。男性が生まれたのは男性のためではなく、女性のために生まれたのです。女性の場合も同様です。

いくら美しい女性でも、女性が生まれた本来の意味は、女性のためではなく、男性のためなのです。男性と女性がもつ素性と感情もすべて相対のためのものであって、自分のためのものではありません。

夫婦の場合も、結婚して「ああ!私が生まれたのはあなたのため、生きるのもあなたのため、死ぬのもあなたのため」と言うようになれば、これを理想的な夫婦、幸福な夫婦というのですが、存在世界の基本秩序から見て、これは極めて当然のことだと言えるでしょう。

そこから真の愛は始まるのです。このように、真のものは、ために生きるところから起源を求めなければなりません。真の父母の愛も、真の子女の孝の道も、真の夫婦の愛も、相対のために生きるところから起源を見つけるのです。

この公式を適用すれば、真の父母は子女のために存在するのであり、真の孝子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のために存在するのです。このすべてに真があり、幸福があります。宇宙の存在秩序がこのようになっているように、神様のいらっしゃる本然の世界、すなわち天国や楽園もために生き、ために死んでいった真の人々が入っていく所です。

すべての宗教が犠牲や奉仕を教え、ために生きる愛の実践を強調する理由はここにあります。ために生きる所は自然に中心となり、尊敬される場になるのです。例えば、兄弟の中で、幼い弟がために生きる愛をもてば、家族の慈しみと羨望を独り占めにするようになるのです。

ために生きる生活は、個人的な基準の秩序で終わるのではありません。家庭的な基準において、その構成員がために生きるとき、初めて家族の真の和合と幸福の理想が実現する家庭天国が築かれるのです。さらに国家的基準で、全国民がために生きるところに国家天国が築かれ、世界的な基準で全人類がために生きるときに、全人類の真の和合と幸福の理想が実現し、世界天国が築かれるのです。

2. 神様のみ旨に背いたアメリカ

理想世界とは、永遠、不変、絶対的な神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹としてために生きながら仲むつまじく暮らす大家族の世界です。このような世界を築くために、神様の摂理を全体的に指導する方を救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路が塞がった世界で、ために生きる生活によって手本を示してくださるこの方は、人類の理想の動機であり、目標です。

メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤に世界を救援するために、彼らが世界のために生きるように目覚めさせようとしましたが、その過程において、不信され、十字架にかけられるようになりました。イエス様のみ旨は「世界のためのユダヤ教とイスラエル」になることを願ったのですが、彼らは、自分たちだけのための神様や救世主であることを求めたからです。そうして復活されたイエス様は、世界のキリスト教圏を霊的に導いてこられました。

アメリカは、神様のみ旨を中心に世界救援の旗手にならなければならない、世界キリスト教の代表として選ばれた国です。アメリカは、キリスト教精神を通じて、神様のみ旨を世界的に結集させなければならない重大な使命をもつようになったのです。アメリカに下さった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、世界のための祝福であり、またアメリカだけのためのアメリカではなく、世界人類のためのアメリカでなければなりません。このような神様の心情と摂理を知った私は、アメリカに行かざるを得ませんでした。そして過去十三年間、アメリカを目覚めさせるために気も狂わんばかりに働いてきたのです。

アメリカは第二次世界大戦以後、その戦後問題の処理過程において、世界のために生きる使命を忘れたことがたくさんありました。世界を優先的に心配しなければならない神様の期待に背き、アメリカだけのことを心配したので、アメリカは自由世界の多くの国家を失ってしまいました。アメリカがキリスト教精神に徹することができなかったとき、国内に多くの諸問題が生じたのです。人種問題、麻薬問題、青少年の淪落と家庭の破綻、暴力と犯罪、共産主義の浸透などがそれです。様々な原因が考えられますが、これらのすべてはアメリカの精神的な枯渇によってもたらされたものです。

神様はアメリカから、世界のために生きる代表的な個人が現れることを期待され、また、世界のために生きる代表的家庭が現れることを期待され、また、アメリカが世界のために生きる代表的な国家となることを期待されたのです。ところが、アメリカの現実からは、神様の願われる個人や家庭は探し出すことができず、アメリカという国も、信仰の基盤がことごとく揺れています。ですから、神様は私に、その使命を全うするように激励されたのです。

3. 天命に従って歩んできた開拓の道

東洋の韓国からアメリカに渡った私が、神様のみ言を中心に積極的にアメリカを覚醒させようとしたとき、既に信仰的基盤が崩れていたために、悔い改めて従ってくるどころか、誹謗と謀略で反発する抵抗がどれほど激しかったでしょうか。私が受けた天命は、準備された基盤をもって人々を覚醒させる教育をし、できなければ、途中で勝手に放棄できる、そのような性質のものではありません。

過去十三年間、激しく迫害され、冷遇される中でも、私は、神様が理想とされる、世界を代表するために生きる個人、そのような家庭、そのような氏族の代わりにならなければなりませんでした。そして、アメリカの若者に、私が実践して手本を示すことによって、神様に従って世界を代表する、ために生きる家庭と氏族を編成しました。アメリカと全キリスト教に代わって、世界のために生きる新しい天民を育成していく作業でした。

私は天命に従って孤独な道を開拓してきました。神様の願いは、人々が神様を漠然と信じることにとどまるのではなく、自己の責任分担として実践し、成就することであることをはっきりと知る私は、そのために生涯を捧げてきました。

過去三十年間、私は第一に、神様を中心とした理想の普遍化と教育のために、全世界の学者を動員して、たゆまず努力してきた結果、既に百ヵ国以上に確固たる思想的基盤を構築しました。第二に、地上天国の理想は、霊的な要求だけで成し遂げられるのではないため、技術と真の先端科学分野の発展のための投資と努力を続け、驚異的な成果を収めました。第三に、神様のみ旨を地上に実現するための世界的な経済基盤を確保し、各種の経済活動と未来の金融秩序のための国際協力方案を模索し、研究しています。第四に、正しい言論によって社会を教導するために、世界的な言論機関を育成してきました。このほかにも多方面で創意的な活動を積極的に展開していますが、これらのすべては神様のみ旨を地上に実現するという課題と直接関係のあるものです。

皆様も御存じのように、私はアメリカで獄中の苦しみを体験したあと、この八月に出監しました。彼らは私を罪人に仕立て上げて投獄しましたが、私は獄中での十三カ月間、胸を痛めながら神様に祈りを捧げ、アメリカと世界の運命のために、一日たりとも心配しなかった日はありませんでした。「アメリカの罪を赦し、私の使命を全うさせてください」と祈りながら、霊的、信仰的基盤を再び覚醒させるために、数多くの行事を陣頭指揮してきました。アメリカでキリスト教の基盤を中心とした奉仕活動を展開するために、大型トラックを数百台購入して支援しました。また、ソ連帝国の滅亡を宣言する国際学術会議、宗教連合運動、新しい週刊誌「インサイト」と新しい月刊誌「ワールド・アンド・アイ」の創刊など、新たに数十ものプロジェクトを獄中から指導し、着手しました。

私は歴史的な反対を受ける場にあっても、投獄される悔しさの中においても、神様のみ旨を中心に、アメリカのいかなる個人や団体、教団以上に、アメリカのために生き、アメリカを愛しました。それだけでなく、天命を遂行する過程で、いかなる公人が歩んだもの以上に息の詰まる、血と涙ににじんだ供え物の道を、個人的に、家庭的に、教団的に歩みました。骨身を削る痛みであっても、アメリカを生かし、世界のための道であるならと考え、感謝しつつ克服しました。

天の召命を受けて立った私の道は、茨の道でした。日帝時代に、学生だった私は、独立運動をして投獄され、北朝鮮で宣教した時には、社会紊乱(びんらん)の罪を着せられ、興南の監獄で死の峠を越えました。韓国では草創期に、異端として追われ西大門の監獄で苦しみを味わいました。そして先回、アメリカでは人種の偏見と宗教迫害がきっかけとなり、獄中の苦しみを味わってきたのです。このように私の道は苦難の連続でした。しかし、私は死なずに生き残り、このように皆様の前に立っています。

反対の竜巻が起ころうと迫害の波がいかに激しくとも、敗者とならず、ために生きる天道に従って勝利の祭物をもったまま、このように帰ってきました。この勝利は私個人だけのものではなく、神様と共に成し遂げた勝利です。人々に理解されず、さらに迫害のまっただ中で、このような驚くべき基盤を築けたことは、容易なことでしょうか。皆様に、自らこのような基盤のことを話すのは、私自身を誇るためではありません。一つ一つ私を導き、役事され、守ってくださった、生きておられる神様を証し、栄光を帰すためです。

4. 韓国は摂理の中心国家

人間の力だけでは想像もできない奇跡が、私たちの前で現実に展開しているこの瞬間、皆様全員が奇跡の目撃者になりました。歴史上、空前絶後の勝利を祝う世界的な式典に参席されたこと自体が、永遠に誇りとなるでしょう。願わくは、皆様も、きょうのこの場が奇跡に駕嘆する場にとどまるのではなく、摂理的な意義に対する確認とともに、奇跡の実体と確固とした関係を結ぶことによって、生涯の跳躍の契機とされるようお願いします。

これは個人のためにも、民族と国家のためにも、勧告せざるを得ません。韓民族が、私が歩んできた歴史的な勝利の基台に立つならば、韓国はやがては世界に飛躍するようになるでしょう。

尊敬する貴賓の皆様。神様のみ旨を中心として見るとき、韓民族は神様が選んだ民族であり、韓国は神様の願われるために生きる生活の手本を示すべき摂理の中心国家です。歴史上の数多くの事情と曲折がもつれ合った韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と歴史の功罪を受け持ち、整理して清算しなければならない摂理的な使命があります。優れた天稟と文化をもった民族でありながらも、世界で類例を見ない苦難の道を歩んできたことは、このような点から理解されなければなりません。

この民族の試練はこの民族自体だけのものではなく、摂理的なものであり、神様はこの民族がこれを克服することを待ち望んでいます。世界史の総合的な遺産と呼ぶことのできる東と西、南と北の出会い、精神と物質、唯心と唯物の対決と混沌が集約された韓国で渦が巻き起こるのも、ちょうど新しい時代をはらんだ産婦の産みの苦しみのようなものです。

韓民族の民族的、国家的な苦難は、神様のみ旨と摂理を離れては解決できず、韓国単独としてではなく、世界との関連の中でのみ解決が可能であると思います。韓民族は今や天のみ旨を悟り、神様が世界の精神界を指導する目的をもって送られた方に従って、苦難を越えていかなければなりません。

私と統一教会の基盤は、徹底して天のみ旨に従って、ために生きながら築いてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を貫き、東と西の無理解を跳び越えて勝利した基盤なのです。私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が世界の、ために生きる生活をするようになるならば、神様はアメリカに与えた歴史的な祝福以上の祝福を韓国に下さるだろうと思います。そのようになれば、韓国は苦難を克服するだけではなく、世界の前に真と愛と平和の中心となるでしょう。神様が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき、初めて神様が韓国に与えてくださった祝福は結実するのです。

尊敬する内外の貴賓の皆様。私がアメリカで法廷闘争を続けているとき、私の無罪と潔白を裁判所に嘆願し、声援を送ってくださった各界の指導者の皆様に、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。神様の祝福が皆様の御家庭と私たちの祖国の上に永遠であることを祈りながら、私の挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。

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第八篇 5 神様のみ旨と韓国

第八篇 5

神様のみ旨と韓国

日付:一九八五年十二月十六日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

行事:国際勝共安保決意大会

満場の国内外の貴賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で最もお忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださり、深く感謝を申し上げます。

1. 神様の摂理の焦点となっている韓国

きょう私が勝共会員の皆様がお集まりになったこの場をお借りして、皆様にお伝えしたいメッセージについて考えるとき、「神はいない」という共産主義に勝利するには、神様に対する確信と体験がなければいけませんので、そのような観点から題目を「神様のみ旨と韓国」に決めました。韓国は神様の摂理の焦点になっていることと、今日の世界問題の解決の鍵は韓半島にあることを明らかにしようと思います。

今日の世界情勢を様々な面から見つめると、誰もが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。

世界の指導者たちの絶え間ない努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義や共産主義も、宗教や哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが明らかになってしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史なので、神様の摂理のみ旨が分からなくては、世界の問題の解決は不可能な段階に至ったのです。

神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理していらっしゃいます。ですから、神様のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなければなりません。韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、左翼と右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線です。

今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることが私たちには分かります。ですから、韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型です。ここに神様の深奥な経綸の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して、世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理なのです。

2. 休戦ラインとヘブライズム・ヘレニズムの対峙

韓半島の休戦ラインの、もう一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明とヘレニズムの流れを継承した共産主義文明が、この休戦ラインで対峙しているという事実です。へブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマを中心としてイエス様によって統一されることになっていましたが、イエス様の十字架の刑によって統一の起点がなくなってしまい、それが今日まで平行線を描いてきました。

時には一方が優勢になったかと思えば、時には他方が優勢になりながら、今日に至り、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に受け継がれて、韓半島の休戦ラインを間において対峙しているのです。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されることが神様のみ旨であることを考えるとき、そのような点から休戦ラインは摂理的な意義が大きいと言わざるを得ません。

韓国は、地政学的に四大強国に囲まれていて不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国なので、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。

それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の人を摂理的中心に立て、彼を通じて神様の愛を実践するように摂理するのです。その愛とは、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではなく、国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛です。

敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までも捧げる愛が神様の愛です。二千年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公でした。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。

3. 休戦ラインは世界分断の摂理的代贖のための民族的十字架

ここでしばらく、イエス様の十字架の刑について触れてみようと思います。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことは御存じのことと思います。ここにも神様のみ旨があったのです。

右の強盗はイエス様を証して善の側になったのであり、左の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になりました。特に右の強盗は左の強盗に比べ、イエス様を擁護しながら、左の強盗を最後までたしなめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点となるようになったのです。

道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪をそれぞれ引き連れたことには、非常に深い摂理の意義があります。そこには神様の愛を中心にした和解の原理、統一の原則が内包されているのです。

それは、善の側と悪の側の対立をはじめとして、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを示しているのであり、いかなる困難な状況下においても神様の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを示してくれているのです。

そして、十字架を中心とした左右の強盗は、遠い将来の歴史的終未点において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場だという事実を理解しなければなりません。「右翼」と「左翼」の名称が今世紀に現れたのも、イエス様の十字架に起因するものです。

今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二千年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型にもなったのです。今日の左翼と右翼という名称の歴史的起源は実に十字架の左右の強盗にあったのです。

特に、命を懸けて左の強盗に対抗しながらイエス様を証した右の強盗が、死んでから復活して楽園に行ったように、今日、右の強盗と同じ立場にあるアメリカが、左の強盗に該当するソ連に対して、最後まで強力な対決を堅持していったならば、必ず神様の公認を受けて地上天国に入ることができるのです。そのことを示しているのです。

十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の休戦ラインがそのまま集約的に表現しています。ですから、南北に分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架なのです。ここで韓半島は、十字架上のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。

4. 韓民族は摂理史的な祭物

神様はなぜこのような摂理をされるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたには、この民族を召命するためです。この民族は長い間、天を敬い、道義精神と平和精神をもって長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であるがゆえに、召命されるに至ったのです。

そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのです。数千年間、苦難の歴史を過ごしてきた韓国は、最後に人類救援の祭物となって、分断という世界史的な十字架を負い、あらゆる試練に打ち勝ちつつあるのです。

祭物として召命された民族であるがゆえに、摂理の焦点が韓国に置かれているのです。これは韓民族として、栄光であると同時に恩賜であり、恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすときは、最も光栄な祝福を受けるのですが、責任分担を果たせないときは、最も過酷な不幸に襲われるからです。二千年前のユダヤ民族は責任分担を果たせず、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを私たちは知っています。

民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践とともに神様の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体として、御自身を、道であり真理であり命であるとおっしゃいました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。

これは、善の側と悪の側を和解させ、怨讐を悔い改めさせるには、愛とともに真理が必要であることを意味しているのです。真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛に関するみ言をいいます。神様の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として地上に伝達されます。神様の真理は絶対的真理です。絶対的真理は万能の鍵のようなものであって、この真理を適用すれば、いかなる難問題も解けるようになるのです。

5. 神主義と愛の統一

私は、長きにわたる祈りと瞑想の生活の末、ついに実在する神様と出会い、絶対真理を伝授されました。それは、宇宙と人生と歴史の背後に隠されたあらゆる秘密を明らかにする驚くべき内容でした。この内容を社会に適用すれば社会の問題が解決され、世界に適用すれば世界の問題が解決されます。

それだけでなく、宗教の未解決問題や哲学の未解決問題も解決されるのです。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日のもとにさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられるものだったのです。

これは、かつてなかった新しい世界観であり、新しい宇宙観であり、新しい人生観であり、新しい摂理観であり、新しい歴史観です。また、あらゆる宗教の教理や哲学の特性を生かしながら、全体を一つに包容できる統合の原理でもあるのです。

私はこれを「統一原理」または「神主義」と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開しています。この運動は現在、燎原の火のごとく広がっています。すべての対決の和解と統一のためには、神様の愛の実践と真理が必要だということを明らかにしました。

休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理をもって悪の側の思想の過ちを論しながら、愛で抱いていくならば、統一は必ず成し遂げられるでしょう。

6. ために生きる愛の道理は天道

ここで私は、愛についてもう少し具体的にお話をしたいと思います。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来るのであり、ために生きるところに真の愛が成立します。相対がなければ愛は存在できません。

自己のために生きるのではなく、先に相対のために生きるのが愛です。すべての被造物はために生きるように創造されたのであり、ために存在するのです。人間のみならず、動物、植物、鉱物も、ために存在します。原子の世界も、ために存在し、太陽と月と星の運動もすべて、ために生きる運動なのです。

また、人間の男性は肉身の構造から見て女性のために存在し、女性もまた身体構造から見て男性のために存在します。同様に、父母は子女のために存在し、子女は父母のために存在します。ために生きることの原則は、学校、職場、国家においても同様です。しかし、そのために生きる愛は、国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。

全宇宙のすべての個体は、ために生きながら存在し運動しています。ですから、ために生きる愛の道理は天道であり、天理なのです。いくら困難な中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて、彼は決して滅びることがありません。しかし、いくら快適な中で生活しても、ために生きる道理を守らなければ、いずれは衰退していくのです。「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という言葉は、この天理のことをいうのです。

このように見るとき、民族的十字架を背負つた韓民族は、統一の達成が難しくとも、真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、ために生きる生活を、個人、家庭、社会、国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救援の道も早められるでしょう。

それは、韓国に焦点を置かれた神様の摂理のみ旨と一致するからです。南北統一が早められるばかりでなく、この方式が一つの公式となって、全世界も同じ公式に従っていくでしょう。そうしてこの愛と真理の運動のもとに、世界のすべての難問題は解決し、人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、初めて永遠の幸福と平和が訪れてくるのです。歴史を通じて学んできた祖国は、神様に頼る以外に方法がありません。

7. 世界勝共運動の先頭に立つべき

私と統一教会と勝共の同志たちは、これまで外国の地で世界的な勝利基盤の造成に全力を捧げてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させ、韓国をして世界に跳躍させる契機となることを望んで、このたび帰国しました。

特に韓国の勝共指導者の皆様は、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国と共に世界の手本となってくださることを願ってやみません。終わりに、皆様の御家庭と私たちの祖国と世界に、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第八篇 6 南北統一運動国民連合創設のメッセージ

第八篇 6

南北統一運動国民連合創設のメッセージ

日付:一九八七年五月十五日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「南北統一運動国民連合」創設大会

統一を熱望する愛国同胞の皆様。きょう、私たちは「南北統一運動国民連合」の結成のために、この場に集まりました。

南北統一は我が韓民族の念願であり、宿願です。私たちは倍達の同胞であり、五千年の悠久なる歴史において、燦爛(さんらん)たる文化と美しい風俗、優れた言語を駆使する平和愛好の単一民族です。このような一つの血統を引き継いだ倍達民族であり、一幅の絵のごとき三千里錦繍(クムス)江山(カンサン)!私たちは、宿命的に断ち切ろうにも断ち切ることのできない同一運命体だったのです。

しかし、人も山河も願わなかった南北分断の歴史が、既に四十二年目を迎えました。愛国の独立志士たちの血と精誠によって勝ち取られた独立の喜びも一瞬にして消え失せ、民族が南北に分断されて嗚咽して以来、四十年余りが過ぎました。この民族の悲劇はいつまで続くのでしょうか。いくら見回しても、南北統一の明るい兆しがないからといって、民族の出会いと祖国統一の希望を全く放棄すべきなのでしょうか。

皆様。私はきょうこの席で、私たちの祖国の南北統一は、必ず成就されることを宣言する次第です。また、その時が近づいています。私たちはきょう、その南北統一の機運醸成のために、ここに「南北統一運動国民連合」を創設するのです。

一九四五年の私たちの祖国光復は、いかにして成し遂げられたのでしょうか。祖国光復と私たちの独立は、二つの要因によって成就されたのです。その第一の要因として、三十六年間の日本帝国主義の弾圧にも屈しない自主精神をもって、多くの憂国の志士たちが国内外で血を流しつつ戦った独立運動の成果でした。第二の要因は、第二次世界大戦の終結と日本帝国主義の敗北という世界的運勢がもたらした結果です。正にこの二つの要因によって、私たちの祖国に解放がもたらされたのです。南北統一もまた、同じ原理によって訪れるのです。

七十年の歴史をもつ国際共産主義は、実質的にその終末期に処しており、ソ連を中心とした全共産世界の崩壊が目前に迫っています。彼らは今や、七十年間の虚構と欺瞞と失敗の歴史を、もうこれ以上隠蔽しようにもできない状況に至りました。共産主義理念の衰退は、すなわち北朝鮮の金日成主席の運命とも直結しており、これはまた、世界的に南北統一の機運を醸成する要因なのです。

このような国際情勢の推移によって、今後の私たちに必要なことは、国内外で国民の皆様が互いに力を合わせて南北統一を信仰化する運動なのです。統一を熱望する心に火をつけなければなりません。「意のある所に道あり」という言葉があります。また「誠を尽くせば天も感動する」という言葉もあります。北朝鮮の天と地が感動するほどの私たちの熱い統一への意志と情熱なくして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。これが正に、私たちがきょう「南北統一運動国民連合」を結成する理由なのです。

今日、韓国と北朝鮮を断ち切っている怨恨の三十八度線は、ただ地理的な三十八度線でもなく、血縁的な三十八度線でもありません。相反する思想の三十八度線であり、価値観の三十八度線であることを、まず私たちは知らなければなりません。六・二五動乱のとき、私たちが互いに命を奪い合う同族の争いの原因は、血統が違うからでもなく、互いが同じ民族であることを知らなかったわけでもありません。それは譲歩できない価値観の違いから起こった戦いであり、その価値観の違いが民族を断ち切り、血縁を断ち切り、さらには父子の縁までも断ち切る恐るべき壁になってしまったのです。

それでは、その相反する価値観の基本的な違いとは何でしょうか。三十八度線でぶつかり合う最も基本的な価値観の対決とは、有神論と無神論の対決です。共産主義の思想は徹頭徹尾、神様を否認するところから出発しています。神様は存在しないと主張するので、絶対価値はあり得ず、絶対価値がないので、善悪の基準もありません。そこから「目的が手段を正当化する」という、共産革命の原理が出てくるのです。

共産主義は、科学を標榜しながら神様を否定しました。共産主義のみが科学的であるとし、科学の発達は、神様と宗教とあらゆる神話を、迷信にすぎないとして失墜させるものと信じました。そして、宗教は民衆のアヘンであると宣言したのです。

それでは、二十世紀の科学は、果たして共産主義が予言したとおりに、神様と宗教と神話をこの地球上から追い出すことができたでしょうか。できませんでした。二十世紀の科学は、それとは正反対に、科学的であることを誇っていた共産主義を十九世紀の迷信として墜落させ、かえって神様を証すものとなっていきつつあります。その一つの例を挙げてみましょう。十九世紀までの宇宙観は、「この宇宙は分けようにも分けることのできない絶対個体(究極粒子)でできている」というものでした。このような十九世紀の科学に基づいて、共産主義はその基本哲学として「宇宙の根本は物質である」という唯物論を主張したのです。

ところが、二十世紀の原子物理学は、この十九世紀の宇宙観を完全に覆すものでした。なぜならば、物質はほかならぬ無形のエネルギーからできていることが証明され、エネルギーと物質は相互変形的であり、相互交流的なものであることが、否認できない真理として明らかになったからです。さらに、二十世紀の先端を行く原子物理学においては、宇宙の形成は宇宙の中に何らかの意志がなければ成立しないことに意見が一致しつつあります。科学の因果関係の法則によって、宇宙の森羅万象が偶然の所産であるはずはなく、宇宙の中に太初から存在する第一原因の実在が次第に明白になりつつあります。

科学が究明していくところの、宇宙と人間を存在せしめる第一原因を、宗教においては「神様」と言います。その神様は、知情意を備えもつ人格的神であり、人間の創造は神様の自己表現だったのです。神様は御自分に似せて造った人間を通して、愛を与えたり受けたりしながら喜びを享受しようとしたのです。それが創造の目的です。

ですから、今日私たちが「神はいない」と言えば、まるで子女が「親はいない」と言うのと同じことです。あらゆる人間社会の価値観は、正にこの創造主を認め、その創造主との関係を正常化するところから出発するのです。その神様を地球上から抹殺しようとした共産主義は、彼らが固く信じた二十世紀の科学によって虚偽であることが明らかにされてしまい、「共産主義こそ、この地球上から消滅すべき間違った価値観である」ということが、はっきりと暴かれてしまったのです。

共産主義は、人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械のように扱います。神様を否認する共産主義としては、あまりにも当然の結論です。共産主義は、人間の起源を猿が進化したものとみなしており、猿は労働を通して道具を使用することによって言語を使い始め、言語から理性が発達して人間になったと定義しています。ですから労働は神であり、人間は高等動物であると主張しているのです。

共産主義の人間観には、根本的に問題があり、このような間違った人間観から人類に対する恐るべき犯罪が引き起こされるのです。人間が単なる高等動物であるとすれば、人間が人権を主張する何の理由もなくなるのであり、人間が単なる機械であるとすれば、その人間には、自由や愛や創造力をもち得る何の土台もなくなります。

共産主義の人間観は、ただ暴力革命の一手段にすぎないのです。彼らの主張によると人間が共産主義の目的に一致する時にだけ、人間として扱われるのであり、それ以外の人間は無価値的な存在であるとされるのは、あまりにも当然のことなのです。共産世界で人間がはえの命のように軽視される理由はここにあります。ソ連共産革命以後六十年の間に、一億五千万人の罪なき人命が、共産主義という美名のもとに虐殺されたという事実は、共産主義の人間観を知るならば、あまりにも自明な結果です。

人間の尊厳性は、人間が創造主神様の子女だというところに起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているという点から、人間の高貴な価値が生まれるのです。人間を害することは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人一人は神様がお造りになった個性真理体であり、人間一人一人は神様御自身を現す実体であり、人間は、神様が永遠であられるのと同じように永生するのです。

共産主義が人類に対して犯した最大の罪悪は、その思想が神様を否定するだけでなく、人間を動物視するところからくるものです。共産主義は人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械とみなします。ですから、共産主義を信奉する国々では、人権の尊厳性は、驚くべきことに体制自体によって根源的に否定されているのです。

この相反する二つの価値観の対決は、韓半島のみならず、今や世界の至る所で起こっています。今は、世界的な価値観の南北戦争の時代なのです。この価値観の対決を世界的な次元において解決しなければ、共産主義の問題は解決できず、私たちの南北統一も妄想にすぎません。ですから、世界の問題の解決なしに南北統一はあり得ず、韓国の問題の解決なしに世界の問題の解決はあり得ません。同じ方法で、世界の問題も韓国の問題も解決されるからです。

皆様。私がこの世界的な価値観の混沌を解決する鍵として提唱してきた思想が、「神主義」であり、「統一思想」です。「神主義」とは、神様の実在を明白にして、その神様から賦与される神聖不可侵の人権を明らかにして、共産世界を思想的に解放し、もう一方では、今日没落していく西欧文明を、世俗的な人本主義と退廃的な物質万能主義から解放しようとするものです。この思想をもって、私たちは北朝鮮を解放し救出できるのです。ですから、南北統一運動は、まず価値観の確立と提示から出発するという理由がここにあります。

このように、相反する価値観の対決を考える時に、私たちがまず肝に銘じるべきことは、自由統一のみが私たちの願う真の統一だということです。私たちの統一は、神様と自由と民主主義を基礎とする統一でなければなりません。その他のいかなる形態の統一であっても、それは真の統一ではありません。

自由とは、神様がすべての人間に賦与した神聖不可侵の権利です。これは私の権利であり、皆様の権利であり、北朝鮮の同胞たちの権利です。北朝鮮の同胞たちは、その権利を四十二年の間、剥奪されてきました。彼らも、私たちと同じように自由を享有できるそのような統一になってこそ、真の統一なのです。

私たちは、あのベトナムの例から大切なことを学ばなければなりません。ベトナムは統一されたのではなく、ソ連の奴隷になったのです。それは真の統一ではありません。ベトナムの赤化十二年の間に、自由を求めて脱出した数十万の人々がボート・ピーブルとなって海上で息絶え、数百万の人々が粛清されました。いわゆる統一されたという共産国ベトナムは、国民所得が百ドルにも満たない世界最悪の貧困国に転落してしまいました。誰もこれを「統一」と呼ぶ人はいないでしょう。北朝鮮の同胞に必要なのは解放です。彼らが待ち望む解放は、私たちが先頭に立って、世界の運勢を集めてくる時にのみ可能になるのです。これは、過去四十年間以上、より自由で幸福な生活を享受してきた私たちの、北朝鮮同胞に対する神聖な義務なのです。

北朝鮮の共産党は、過去四十年間、赤化統一政策を堅持し、その機会を虎視耽々と狙い続けてきました。彼らの南朝鮮解放の究極の目標とは、「韓国をアメリカ帝国主義の支配から解放することにより、祖国を統一し、韓国国民を北朝鮮人民と同じように主体思想化させること」と規定しています。韓国国民を主体思想化するということは、いわゆる「金日成唯一思想」によって武装させるということであり、それは正に金日成親子の絶対的な支配に屈するということなのです。すなわち、金日成主席のもとで奴隷化されることを意味します。

このような狂信の中で、一日も休むことなく南侵を準備し続けて四十年余り。彼らが六・二五動乱の時に失敗した苦い経験を生かして、三十年以上さらに準備してきたのですから、今や、いわゆる「呻吟する韓国人民を解放するための革命的南侵の機運」は、その絶頂に達しているのです。このような南北対峙の緊張が高まっている状態の中でも、大韓民国はこれまで経済成長と国際的地位の向上において、目覚しい発展を成し遂げてきました。

韓国と北朝鮮の国民総生産(GNP)の対照は、一九八五年末に五・五対一という格差を示しています。韓国はGNPにおいて世界の中で二十位を記録するようになり、世界で十二番目の通商国にまで発展しました。したがって、一九八八年のソウル・オリンピック以後、韓国は経済的にも軍事的にも、絶対的有利な立場に置かれることは火を見るよりも明らかな事実です。そのようになれば、北朝鮮が信仰的に信奉してきた武力赤化統一の機会が永遠に消え去ってしまうことを見通した北朝鮮は、手遅れになる前にこれを阻止する目的で、あらゆる策略をしかけてくるに違いありません。

韓国を混乱に陥れるためのありとあらゆる宣伝と策略! 韓国の政治的混乱を契機に、ソウル・オリンピックの開催を阻止するために、韓半島の不安と緊張を高めると同時に、最後の渾身の死力を尽くして軍事的冒険を選択する可能性も少なくないため、今後の十二年が決定的な時期であることを断言します。このような重大な時点に、私たちが「南北統一運動国民連合」を結成するようになったということは、実に歴史的なことなのです。

私たちの「南北統一運動国民連合」は、この時点において何をするべきでしょうか。まず初めに、私たちは民族の和解と一致に向かう真の価値観を確立し、その価値観を中心として思想武装をしなければなりません。アメリカをはじめとした自由世界の弱点は、思想の空白が存在するという点です。物質の豊饒(ほうじょう)と自由の澎湃(ほうはい)(物事が盛んな勢いでわき起こるさま)が、価値観の混沌と世俗的な人本主義の台頭をもたらしたという事実です。自由世界は、思想的な面において繰り返し後退してきました。これは滅びゆく共産世界が、最後まで世界赤化の野望を放棄しない理由なのです。

第三次世界大戦は思想戦です。共産主義を軍事的にのみ敗北させることはできません。共産主義思想を凌駕する、より優れた思想でなければ、共産主義を敗北させることはできないのです。その思想というのは、正に真理に立脚した思想をいうのです。偽りは真によってのみ征服できるのです。その思想がほかならぬ「神主義」です。今後、自由世界は、「神主義」、すなわち「統一思想」で武装して理念的攻勢に転換しない限り、共産主義に打ち勝つことはできません。

「南北統一運動国民連合」は、汎国民的思想武装運動において先鋒に立たなければなりません。「神主義」は北朝鮮の同胞を解放するばかりでなく、全世界の共産主義を解放して余りあるものです。またこの理念は、放縦と不道徳によって腐敗していく西欧世界において、精神大覚醒運動を起こしています。

それで私は、一九七六年にアメリカの首都ワシントンDCで歴史的な「神主義」を宣布する大会を行ったのち、「次の大会はモスクワで開く」ことを宣布したのです。「神主義」は共産主義の世界を解放できるという信念があったからです。共産主義が速やかに衰退しない原因は、私たちにはっきりとした代案がなかったからです。また、より優れた思想によって武装されていなかったからです。これからは大韓民国から思想運動を起こし、共産主義克服のための汎世界的な運動を展開しましょう。私たちが思想的攻勢を取って、虚偽と欺瞞で飾られた金日成唯一主体思想を圧倒できずして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。

また、私たちの「統一思想」、「神主義」は「頭翼思想」であることを明らかにしたいと思います。右翼でもなく左翼でもない「頭翼」です。人類の真の平和は、右翼によっても、左翼によっても成し遂げられません。その理由は、右翼も左翼も、その根本的な動機が利己主義を脱することができないからです。己を中心とし、自国の利益を中心とするとき、そこには永遠になくなることのない利害の衝突があり、そこには統一もあり得ず、平和もあり得ません。

利己主義を打破する新しい世界観が現れなければなりません。自分よりも他のために生きるという利他主義は、ただ神様の理想からしか生まれてきません。それは神様が愛の本体であられ、愛の本質は、自己を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛であり、その思想は、人の四肢五体を動かす頭に相当する中心思想です。それで「頭翼思想」というのです。

右手も左手も実は同じ体についているものです。頭がなければ、それらは互いに他人同士のように闘いますが、頭が中心に定着して入れば、右手も左手も共に頭の命令に従って、体全体のために働く一つの共同体になるのです。

ですから、南北統一も「頭翼思想」によって成し遂げなければなりません。それは北朝鮮が韓国を赤化することでもなく、韓国が北朝鮮を侵略することでもありません。共生、共栄、共義の「頭翼思想」で南と北の価値観を統一することによって、南北統一を成就するのです。

第二に、私たちは、統一を熱望する心をもたなければなりません。熱望のないところに実践は伴いません。私たち国民連合は今後、南北統一を信仰化する運動を繰り広げていかなければなりません。統一は我が民族の宿願であるのみならず、必然であり信仰です。統一を目指す私たちの湧き上がる真心があるとき、神様はこれを成し遂げてくださるでしょう。この点において、私たちは北朝鮮に負けていると言っても過言ではありません。彼らは、強制によるよらないはともかくとして、韓国の解放を熱望する心をもっています。そして、これを成し遂げるためにすべてを投入し、犠牲になろうとする姿勢をもっています。

今や、私たちの統一への熱望、自分が犠牲になってでも必ず哀れな北朝鮮の同胞たちを解放してみせるという熱望なくしては、南北統一は幻にすぎないのです。そこで私は、この国民連合の宿願事業として、休戦ラインの近くに「統一祈願殿」と「統一訓練院」を建て、私たち四千万の熱い統一への熱気を北に送る事業を計画しています。

第三に、私たちは実力を養わなければなりません。私たちの統一の方案は、平和的な統一方案であり、そのためには各方面で実力を育成しなければなりません。私たちは、金日成主席の赤化野望を放棄させ、その閉鎖された社会を開放し、究極的には彼の南侵の意図を放棄させなければなりません。金日成主席の主体思想を放棄させるためには、彼をあらゆる面において凌駕する実力がなければならず、その実力で溶かすことができなければなりません。その実力で、彼がやむなく承服し、おとなしく従うように導かなければなりません。

ここで、第一に重要な実力は価値観の確立であり、思想武装であることは既にお話しいたしました。次には我が国の国力伸張であり、国際的な地位の向上です。さらにこの実力の中で重要なものの一つは、我が祖国の先進的民主社会の建設です。真の民主主義のみが独裁に打ち勝つことができる要素なのです。個人崇拝の独裁集団に対しては、健全な民主政治の発展によって、それを無力化させることができます。「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければならない」と宣言したエィブラハム・リンカーンの言葉は真理です。ですから、我が祖国の民主化は、歴史の命題であり、国民良心の至上命令なのです。

最後に、私たちの南北統一のために養うべき実力の中で最も重要なものは、国際的に我が祖国統一の機運を醸成することです。言い換えると、世界的に思想武装を急がなければならず、アメリカを中心とした世界情勢、日本と中国を中心とした韓半島周辺の情勢を通して、統一の機運を盛り上げる積極的な方向に導いていかなければなりません。ソ連までも動員して、閉鎖された北朝鮮を開放させ、究極においては北朝鮮が閉鎖された現体制では存立できないことを自覚させなければなりません。

彼らをして、国際的な圧力と運勢に耐えられずに脱共産主義を宣言させ、民族大同団結の次元から考えざるを得ないという運勢を集めてこなければならないのです。虚構の基盤の上に立つ金日成体制は、一面、非常に強いもののようでありながらも、一旦崩壊し始めれば、絶壁を転がり落ちる物体のようなものです。

早くから私がアメリカに世界宣教本部を設け、自由世界の思想教育に努力してきたことは、皆様も御存じのとおりです。「ワシントン・タイムズ」をはじめ、各種の言論機関を世界の各所に設け、世界の言論人を教育し、世界の各大学の教授に方向性を提示し、世界各国の学生運動を主導し、退役将校をはじめとした在郷軍人を糾合し、南米諸国を統合する運動を起こし、世界宗教一致運動を以前から直接遂行してきました。

このように、私はこれまであらゆる力を尽くして、アメリカと日本に影響を及ぼし、ヨーロッパと南米の各国にも基盤を築き、ついには中国にまで影響を及ぼして、北朝鮮解放の国際的条件の造成に全力投球してきました。

韓国は、地政学的に極めて微妙な位置にあります。韓国を巡る四大強国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島においてそれぞれ重要な関心と利害関係をもっています。私たちはこの四大強国に影響を及ぼして、私たちの統一の課業に有利な方向に導いていかなければなりません。そのようにしなければ、私たちの祖国統一は到来しません。そのような影響力と実力を、私は国際舞台における思想教育運動を通して、そしてその他様々な分野での成功を通して成し遂げてきたのです。

このような基台の上で出帆する「南北統一運動国民連合」は、韓国だけの単独的な団体であってはならず、アジア各国、ひいては世界各国との紐帯をもつ国際連合運動にならなければなりません。ですから、私たち国民連合は、今後「アジア国民連合」へと発展し、さらにまた「世界国民連合」へと発展していくでしょう。これが全世界人類の念願であり、また神様の念願でもあります。

皆様。私たちは今、ここで民族的であり、世界的なこの課業を受け入れなければなりません。歴史的な統一の課業は、皆様のような義人の支援を待っています。皆様は、このような歴史の召命を受けて、「南北統一運動国民連合」を結成するこの場に集まったのです。

檀君国祖の開国精神は、「敬天愛人」の思想です。今日、私たちのその崇高な開国思想が昇華されて、世界を価値観の混沌から救援する万民救世の思想、すなわち「神主義」として、この地に発祥したのです。

私は先ほど、韓国の問題は世界の問題の縮小体であり、世界の問題の解決は韓国の問題の解決と不可分の関係であると説明しました。このことは言い換えると、私たちの韓国から、世界の問題を解決する処方が生まれるという意味にもなるのです。私たちが南北統一の処方として使える「神主義」は、世界を共産主義から、さらには世俗的な人本主義から解放する処方ともなるのです。

愛国同胞の皆様。私たちは共に私たちの価値観を確立し、国民の思想武装に総決起しましょう。私たちは共に南北統一を熱望する心をもち、これを信仰化して、鉄壁も貫いていく情熱を燃やしましょう。私たちは大役事の行進の最前列に立っているのであり、「永遠の民族史の中で最も雄壮な南北統一の場を、神意によって私たちの手で成し遂げる」という自負と決意をもって、この国民連合を通じて、世界的な実践の基盤をつくりましょう。

皆様。きょうこの場所は、皆様が共に統一の働き手として召命され、任命状を受ける神聖な場所であることを心に刻み、両手のこぶしを固く握り締めて統一の誓いを立てましょう。私たちの願いである南北統一が成し遂げられる時まで、一つとなって総進軍しましょう。皆様個人と皆様の御家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、「南北統一運動国民連合」創設のメッセージといたします。

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第八篇 7 私たちの時代の真の平和 韓国の統一と東西協力

第八篇 7

私たちの時代の真の平和 韓国の統一と東西協力

日付:一九九〇年二月二日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第二回「世界平和のための頂上会議」および第八回「中南米統合機構」総会

親愛なる議長、そして尊敬する元国家元首、首相、国会議員、大使とその他の紳士淑女の皆様。この重要な会議のために韓国にお越しくださった皆様に、歓迎の辞を述べることができますことを喜ばしく思い、また光栄に思います。

1. 対決の時代から和解の時代に転換する国際情勢

私たちは、第二回「世界平和のための頂上会議」に共に参席し、「韓国の統一と東西協力」という主題について論議できることを、心から喜ばしく思います。

また、本頂上会議の開催と同時に、過去七年間にわたってラテン・アメリカの和合と団結という面で多大な業績を収めてきた団体として、いわゆる「AULA(アウラ)」と呼ばれる「中南米統合機構」の第八回総会を開催できますことを、一層喜ばしく思う次第です。

私は、本会議が開催されるこの時点のもつ意義は、極めて重要であると思います。この時点は、一九九〇年の始まりであり、新しく開かれる一九九〇年代の出発だからです。あと十年で私たちは西暦二〇〇〇年を迎えることになります。私たちは自分の生涯の中で、新しい世紀の出発を目撃するようになるのです。

このように重要な時期を生きながら、人間生活の劇的な変化を目撃するのみならず、人間生活を変化させる事件の数々を実際につくっていくという事実の重要性を、私たちは感じなければなりません。「新しい世紀は、真の平和の世紀」になればいいというのが、私たちの共通の念願です。これを実現するためには、今後十年間、多くの挑戦を克服し、努力も傾けなければならないでしょう。

きょうこの場で開催される「世界平和のための頂上会議」と「AULA」は、今後十年間、極めて重要な役割を担当しなければなりません。今まで平和達成のために尽くしてこられた皆様の労苦と業績に深い称賛の言葉を申し上げながら、同時に皆様に対して、一九九〇年代も続けて平和の闘士となっていかれることを督励する次第です。

第二次世界大戦の終結時から四十年余りの期間は、互いに正反対に対立するイデオロギーを崇敬する二大陣営の対決の時代だったと見ることができます。世界の所々で、人々の間の紛争および国家間の紛争が数え切れないほど起き、軍備の支出も競い合うように増加し続けてきました。この時期に、人々が心の中で平和を感じることができた瞬間は、実際にはありませんでした。

ところが一九八五年から、ゴルバチョフ氏がソ連の政権を取り、一連の変化を見せ始めました。彼は、ソ連内により多くの表現の自由を保障し、ソ連経済の構造的な改編を断行しましたが、それよりも重要なことは、彼がブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)*を否認したことです。そうしたことで、この短い期間内に、ソ連陣営では劇的な政治的変化が連日のように起きました。

去る数カ月間に、私たちは、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、そしてついにはルーマニアまでもが民主化されるのを目撃しました。これらの事件に続いて、東西対決の象徴であるべルリンの壁が崩壊しました。その後、和解の新しい時代が開かれつつあります。

私たちをして新しい協力の時代を迎えることができるよう、このような建設的な変化を主導できた勇気と指導力を備えもつゴルバチョフ書記長に、私は心から称賛の言葉を伝えたいと思います。私は、個人の人権を尊重し、経済改革、そしてもっと重要な信仰の自由を実現しようとするソ連の真の努力を支持することをお約束いたします。

皆様も既に御存じのとおり、私は中華人民共和国と共に仕事をすると約束したことがあります。その巨大な国家は、世界の四分の一に当たる人口を有しています。ですから、この十三億の中国人を抜きにしては、世界の平和を論ずることはできないと思います。必要な雇用創出、技術提供、および所得向上を援助するために、私は今、中国に世界最大規模の自動車組み立て工場を建設しています。これは、私たちの世界平和を成し遂げるための努力の一環なのです。

さらに皆様も御存じのように、一九八一年に私は、国際平和高速道路プロジェクトに着手しました。この高速道路が完工すれば、乗用車で東京からロンドンまで行くことができるようになります。私は今、日本、韓国、そして中国政府とこのプロジェクトについて真剣に論議しており、ソ連もこのプロジェクトを歓迎してくれることを願っています。

もちろん、これは極めて高次元の夢です。しかし、すべての偉大な事業は夢から始まります。少し前までは人が月面を歩くということは、誰一人として夢にも見ることができませんでした。しかし、将来を見通したビジョンと勤勉な努力の結果として、それが現実として迫ってきたのです。同様に国際平和高速道路も、夢ではなく現実になるでしょう。

2. 混乱した世界を救うことのできる「神主義」

ここまでは、私の未来に対する楽天的な大きな希望を皆様にお話ししましたが、これからは、一部の人たちが平和の到来を性急に考えている危険な動向についてお話ししようと思います。

たとえベルリンの壁は崩れたとはいえ、両陣営はいまだに途方もない困難を抱えています。自由世界の主導国家群は、膨大な物質的富を享有しながらも、道徳的な堕落の問題に直面しています。彼らは、湧き上がる物質主義の犠牲者であり、自由も時として濫用されています。特に西欧での無神論的な世俗主義の蔓延は、道徳的基準の没落をもたらしました。

その結果、西欧社会は、家庭の破綻、麻薬の常習的な服用、性犯罪および性病の蔓延、政府の無能力化といった深刻な社会悪に染まっています。端的に言って、東西が直面している問題は、究極的には同じ源泉、つまり価値観の混乱から来るものです。

共産主義は、マルクス主義の価値観が虚偽であることが立証されたために失敗しました。私が生涯をかけて常に、共産主義に対して熱烈に反対してきたことは既によく知られています。私が共産主義に反対した理由は、神様を否認し、闘争を通して進歩が達成されると信じることでは、決して理想社会を成功裏に建設できないことをよく知っていたからです。

直接的な生活経験を通じて私は、神様は真の方であられ、人生で最も大切なものは真の愛であることを確信するようになりました。そして人類の進歩は、人類が神様に仕え、愛を最も大切にするときに可能なのです。はっきりと申し上げれば、現在、共産主義や自由世界は共に、平和の二十一世紀へと人類を導く準備ができていません。

一九九〇年代を迎えて早急に必要なことは、自由世界と共産世界の価値観の崩壊によって発生した価値観の真空状態を満たすのは、真の価値観の確立です。この新しい価値観は、神様を中心とする世界観である「神主義」に基礎を置かなければなりません。

全生涯を通じて私は、この神様を中心とした世界観に対する理解の幅を広げるために、すべての宗教、宗派の人たちと共に努力してきました。このような方法で、絶対的な価値観の探求と真の平和の樹立を目標とする広い基盤をもった多くの学術団体、および宗教団体を創設することができました。

私はまた、芸術機関はもちろん、教育機関と言論機関も設立しました。世界的な私たちの財団は、皆様のように真の世界平和を成し遂げようと努力する人たちを援助する準備が常にできています。真の世界平和は、万人が共有できるはっきりとした価値観なくしては達成できません。

価値観が明確になるとき、人類はこれ以上暗黒の中にとどまることはなくなります。「神主義」は、各個人をして自らの人生の意味と価値を明確に見つめることができるようにしてくれます。したがって、各個人は責任ある人生を送り、他人に奉仕し、自分の心霊的な喜びを追求できるようになります。正にこれが苦難の中の世界を救う究極的な解決策なのです。

言い換えれば、私たちの世界が救援されるために今日、必要なことは、劇的な霊的覚醒です。世界は、神様の実体の中に覚醒して入ってこなければならず、神様を肯定する原理に立脚した世界観をもたなければなりません。この世界観こそ、両陣営の価値観の混乱状態を除去してくれるものです。国家間の関係の本質も、このようなより崇高な価値観の覚醒に立脚して変わらなければなりません。

今まで経済発展の原動力は、利益を得ようとする欲求でした。これを原動力として、人間の途方もない潜在能力が啓発、発揮されたのであり、輝かしい世界発展が遂げられてきました。しかし、利益を得ようとする欲求は、すべての人々が神様の子女だという根本的な理解と均衡を取らなければなりません。

3. 韓国統一の方向性

私たちは兄弟姉妹です。地球上での私たちの人生の目的は、物質的な財貨を蓄積することではありません。私たちがこの世に生きているのは、私たちの永遠の霊性を啓発し、完成させるためです。そのための唯一の方法は、真の愛を実践すること、すなわち他のために生きることです。

真の愛は、国家間の関係を含んだすべての次元の生活において実践されなければなりません。先進諸国は、自国を通して他の国を助けることができるように神様が祝福してくださったことを自覚しなければなりません。彼らは、発展途上国のために喜んで自分たちを犠牲にしなければなりません。もしこれらの富裕な国家が、利益追求欲よりも高尚な次元で考えることができないならば、自らの繁栄を維持しようといくら努力したとしても、それは無駄なことになるでしょう。

韓国は、中国、日本、ソ連とアメリカなど、主要国家の利害が交錯する場所にあります。韓国動乱当時、韓半島の未来を決定するために、多くの国家の国民が、偉大な犠牲を払いました。きょう私たちは、その時と同じ精神をもってこの場に集まりました。全世界の政治指導者たちが、韓国の統一問題を論議するためにここに来られたということは、その意義がとても大きいのです。歴史的に見てもお分かりのように、韓半島の統一は、一国の問題ではありません。これは、国際社会全体の問題なのです。

皆様が韓国の統一問題を論議される時の参考にしてくださることを願いながら、いくつか方向性についてお話ししようと思います。第一に、北朝鮮は、韓国を武力で征服しようとする計画を捨てなければなりません。第二に、北朝鮮は、開放政策を実施して、住民たちに信仰の自由を与え、北朝鮮指導者を神格化することを中断しなければなりません。

そのようになった時に、初めて北朝鮮は効果的な経済改革を行う準備を整えるようになるのです。北朝鮮が韓国およびその他の国々と協力し始めることによって、北朝鮮の住民たちがより良い生活のための現実的な夢をもつことができ、また彼らにこのような誘引策を使わない限り、生産性の,向上はほとんど不可能であることを徐々に、より確実に悟るようになるでしょう。

そしてまた、韓国においても変化が起きなければならないという点を強調したいと思います。韓国は、前例のない繁栄の波に乗っています。このような繁栄を神様の祝福と思って、その繁栄を他と共に分かち合わなければなりません。今後韓国は、北朝鮮にいる兄弟姉妹を包容し、彼らの苦痛を減らしてあげる準備と覚悟をしなければなりません。

4. 民主と共産の二つの世界はエサウとヤコブのように和解すべき

同様に自由世界は、東欧、ソ連と中国で発生した自由に向けた計画を全面的に支持しなければなりません。聖書には、ヤコブとエサウの兄弟に関する話が記録されています。この兄弟は共に神様の摂理に従って重要な役割を担当するように定められていましたが、彼らの間には大きな葛藤がありました。ヤコブは、父をだましてその祝福を受けました。エサウはこれを知って、ヤコブの命を奪おうとしました。それでヤコブは逃げていきました。

互いに離れて二十年余りを生活したのちに初めて、ヤコブはエサウに対する深い愛と多くの贈り物をもって戻ってきました。長い期間を離れて生活したあとで、兄弟が互いに出会ったとき、ヤコブはエサウに近づいて、「あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います」(創世記三三・一〇)と言いました。エサウはヤコブを赦し、互いに涙を流して抱き合いました。エサウは、もうヤコブの命を奪おうとはせず、かえってヤコブと共に暮らそうとし、ヤコブから何でも学ぼうとしました。

今日、自由世界はヤコブの立場にあります。共産世界はエサウの立場にあります。キューバと北朝鮮のような共産国家は、自由世界がヤコブのように彼らの祝福を盗んでいったと教わってきたのです。彼らはエサウと同じく、過去に自由世界の国家を破壊しようとしました。自由世界はヤコブと同じく、何年もの間、賢明にも強力な武力を維持し、共産世界によって破壊されるような位置に落ちないように努力してきました。

今からは、自由世界は共産世界と和解しなければならない時が到来したと思います。長い期間、共産主義制度のもとで苦痛を受けてきた兄弟姉妹たちを見るとき、私たちは彼らの顔から神様の顔を見なければなりません。私たちは、彼らを助けてあげ、慰めてあげ、信頼感を吹き込んであげ、彼らが民主国家の国際社会の中へ入ってくることができるようにしてあげなければなりません。

紳士淑女の皆様。このあと二日間の皆様の討議が実り豊かなものとなり、価値あるものとなることを願います。皆様のこのような努力があるがゆえに、韓国は一九九〇年代が終わる前に統一国家になると私は希望いたします。韓国と北朝鮮の六千万同胞に代わり、ここにお越しくださった皆様に感謝申し上げます。皆様の努力が実を結ぶことを願いながら、神様の恩寵が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第八篇 8 真の愛と統一世界

第八篇 8

真の愛と統一世界

日付:一九九〇年四月三十日

場所:韓国、水安堡(スアンボ)、ワイキキ・ホテル

行事:モスクワ大会勝利帰国真の父母歓迎大会

きょうのお話の題目を決めるとすれば、「真の愛と統一世界」です。「統一」という言葉は、高い人、低い人、善の人、悪の人、誰もが願い、永遠に人類が存続する限り残る言葉です。また、統一は、人間はもちろん、万物と神様までも望まれることです。人間世界での「真」の基準は変わるものであり、誰もが不可能に近い欲望をもっています。東洋や西洋を問わず、それはどこも同じです。また人間は誰しも最高の位置に行こうとする欲望の方向があることは否定できないのが現実です。

それでは、このようになりやすく、大きな欲望をもっている人間が探し求める本当の「真」とは何でしょうか。男性の前に本当の「真」は女性であり、女性の前に本当の「真」は男性です。親の前には子女が本当の「真」であり、子女にとっては親が本当の「真」です。そして、神様のみ前に本当の「真」は人間であり、人間の前に本当の「真」は神様です。以上の話は、本然の世界での話です。なぜなら、真の男女を通してのみ、統一的な真の愛を見つけることができるのであり、神様と人間も真の愛を中心としてその統一が成立するのです。真の愛を中心として見ると、男性と女性の絶対はここにあり、生命を捨ててまでも服従しようとするのです。絶対的神様も、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てておくのです。したがって、神様も真の愛に絶対服従しながら生きたいと思うのです。したがって、人間の結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的にして絶対服従して生きることによって、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようとするものなのです。

ここに、人生には、なぜ生まれたのか、なぜ生きるのかという原因と目的があり、神様の創造理想があるのです。人類歴史について見ると、人生観、宇宙観、神観など、すべての問題の解決は、真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として絶対に統一されるところにあります。これが絶対価値の根源地なのです。この世界で、人間の欲望の限界線を否定できる、そのような存在が何であるかを探してみたところ、真の愛以外にはありません。愛の中のどのような愛でしょうか。真の愛です。

文総裁を中心とした統一教会の教えは、真の愛を実践する救世の真理です。人類が永遠に必要とする真の愛である生命のみ言です。真の愛のためなら、困難も問題になりません。自分の生命をなげうってでも行くことができる力が、真の愛にはあるのです。

ところが、今までの人類歴史を見ると、「真の愛と統一世界」を成就した人はいません。なぜなら堕落したからです。統一を願うすべての人々が、その動機がどこにあるのか分からずにいるのです。それを知らなければなりません。真の統一の動機は、自分の妻と夫、息子と娘、親戚、国家、天と地など、相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。

私は、自分の基盤を連結し、多方面に世界的基盤を築いてきました。特に、この国と世界のために科学技術が必要であることを知り、韓国の「統一産業」とドイツの最先端機械工業、日本の先端電子技術を連結しなければならないことを知って準備してきました。このように、国家と民族のために第二次世界大戦後、四十年以上もの間、多角的に準備してきたにもかかわらず、この国、この民族は関心をもちませんでした。

しかし、これからは韓国も私に期待をかけざるを得ない時になりました。歴史を通して見ると神様の戦略戦術とサタンの戦略戦術は正反対です。神様は打たれて損害賠償まで請求して取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打っても奪われるのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を見てください。第三次世界大戦は思想戦ですが、すべて先に打ったほうが滅びました。

私たちのような人は、公的な人として、公的な立場に立って打たれてきたのです。しかし、歴史を見ると孔子も「喪中の家の犬」と言われました。その当代に聖人になった人がいるでしょうか。またイエス様はどのような方でしょうか。ローマ帝国に反乱罪に問われて死んだ方です。このように彼らは、その当代にはみな悲惨に死にましたが、歴史時代を経ながら次第に上がっていくのです。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する一つの方法なのです。ですから、宗教世界では迫害を受けるときに発展します。神様が本当に愛する人は、いつも天運の保護を受けるのです。

皆様。真の愛というものは、目には見えませんが最も貴い宝です。それでは、私たち人間の中で宝のような存在は誰かと考えてみると、それは正に聖人たちです。聖人たちの教えは、気まぐれに変わるようなものではありません。ある聖人が地上で一つになることを教えたならば、霊界に行っても彼の教えは天上の法にも通じる不変のものでなければなりません。

今日のキリスト教徒たちは、神の道理が何であるのか、水がどのように流れ、起源がどのようになっているのか、天理大道がどのようなものなのかということを知りません。目はくらみ、大口をたたいたところで誰が聞きますか。ふらふらしていると、そのうち事故に遭うのです。このような無知を悟らせるために、文総裁は全生涯を捧げてこの道を開拓してきました。何のためにそのように苦労したのでしょうか。真の愛を探し出すためでした。すなわち、神様の真の愛を最高の絶対中心として立てておいたので、そこに一致するためだったのです。

神様が父であり、私たちが子女であるならば、父が先にやってみてもいないのに子女に「やりなさい」と言うことができるのでしょうか。これは論理的に不条理なことです。ですから、神様が私たちに絶対服従を命令するためには、神様御自身もその貴いものに絶対服従してから命令しなければならないのです。

このように、神様までも絶対服従しながら生きたいと思う真の愛こそが、地獄までも占領できる基盤になります。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみと苦痛も、その真の愛の中で消化され、喜びとなるのです。それでは、真の愛はどこから来たのでしょうか。根本となる神様の真の愛から来ました。神様もそのような愛を望んでいるので、そこに由来しているのです。

結婚しようとしている男性と女性に聞いてみてください。新婦は心の中で「男性は私よりも立派であってほしい」と思い、新郎も「新婦が自分よりも立派であってほしい」と願います。また、親は誰しも自分の子女たちが自分たちよりも立派になってほしいと期待しながら生きるのです。そのような心は神様から来たものであり、真の愛を中心として言っているのです。神様の根本がこのようなものであることを、帰納的に結論を下すならば、神様も、真の愛の対象が御自身よりも立派であることを願う心をもっているというのが本性の起源になるのです。それで、神様は投入し、また投入しようとされるのです。神様が真の愛の相対として造られたのが人間です。

「万物之衆唯人最貴」(マンムルチチュンユインチェキ)(万物の中で人が最も貴い)という言葉は理にかなった言葉です。神様も愛の相対的パートナーが必要で造られたのが人間です。ですから、中心である人間をかたどり、和合し吸収されるように、すべての万物を創造したのも、愛の理想のためです。

被造世界を見てみると、鉱物世界を見ても、プラス・イオンとマイナス・イオンが作用しています。元素と元素同士も、くっつけたからといって必ずしも結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様も思いどおりにできないのです。たとえレベルは低くても、このように鉱物世界の作用も、愛の創造理想型モデルの核に反応することができ、そこに通ずることができるように造ったのです。

したがって、真の愛の本質を中心とした場合、堕落していない人間は、神様の心情からすべての万物、動物世界まで通じるようになっているのです。その位置に入るようになれば、岩とも通じるのです。皆様がそのような位置に入ってみることができなかったことが事件です。私たちは、深い神秘境に入るようになれば、森羅万象がすべて友になるのです。喜悦に満ちた愛の境地に入り、私が笑えばすべての万物と神様までも和動します。

皆様。愛する夫、愛する妻がいるでしょう。どれだけ愛していらっしゃいますか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてために生きようとする真の愛のためです。男性と女性をして調和によって愛の理想を成し遂げさせるために、神様がそのように創造されたのです。

それでは、ペア・システムになっている天地の被造物の中で、神様御自身にとって最大の愛の相対であり、主人の位置に立てた傑作の存在とは果たして誰でしょうか。人間です。「女性」という言葉は男性が先にいて出てきた言葉です。また「男性」という言葉は女性を先有条件として出てきた言葉です。「上」という言葉は下を考え、「右」という言葉は左を先に認めて語る言葉です。したがって、「横」という言葉は縦を確定して語る言葉です。このように、先有条件を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ために生きることを目的として成立したのが真の愛による創造だったというのです。

神様の真の愛は、投入し、与え、また投入して、また与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたという記憶に留まっていてはいけないのです。与えて、また与え続けても記憶に残らないので、流れるのです。

神様は、この無限の価値をもった愛を父の立場で与えても忘れ、仮にその愛を受けた息子、娘たちが天に背いたとしてもまた与えられるので、そのような限りない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に来て座っていられるのです。したがって、真の愛の行く道は、受けるための道ではなく、与えるための道だという結論が出るのは当然のことです。それで、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身が与える立場に立ち、御自身のもっておられるすべてのものを一〇〇パーセント投入し、また投入したいと思うのです。

そのような心をもっている本然の中心存在が、天地を創造された神様です。それで真の愛は、ために生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント与えて真空状態になるのです。空気で言えば、絶対低気圧が生じるようになれば、高気圧は自動的に循環運動が起きるようになるのと同じ理屈です。ですから、絶対にために生きようとするところには、無限の力が連結されるのです。神様は正に、このようにさらに与えようとする本性の作用が絶えず続くことによって永存されるのです。したがって、真の愛の道には、永生の論理が介在するのです。

皆様。私たちは何を中心として、きょうも生き、あすも生き、十年、百年、千年、万年を生きたいと思うのでしょうか。お金ではありません。この世の国ではありません。統一の絶対的起源となる神様の真の愛です。このように、神様の真の愛はために生きようとするところに根を下ろしているのに反して、今日の人間世界の愛は自分のために生きてくれることを願うところに根を下ろしているのです。堕落したために生じた結果です。自分だけのために生きてほしいという、そのような論理の中には統一がありません。これは、相対圏が犠牲となって破壊をもたらします。ですから、全宇宙が独裁者を支援することはないのです。理想的な相対を破壊するもの、それが悪魔です。それで、統一教会が医者となって治癒しなければならない召命を受け、実践しているのです。

それならば、このように救世的責任をもつべき統一教会が主張する教理も、理論に合わなければなりません。真の愛を中心として、統一的理論の根拠をどこに立てるのでしょうか。神様がいて、それからアダムとエバがいますが、男性であるアダムは大きく、女性であるエバは小さいですが、神様さえ占領すれば万事OKなので、アダムが前を行き、エバはついていって神様を発見したというとき、その神様を誰が先につかまえるのでしょうか。

自分を主張するところには、統一はありません。しかし、神様と共にために生きるという立場で考えるとき、アダムが「私が先に神様をつかまえようとするのは、あなたのためです」と言えば、小さなエバが、「早くつかまえてください!」と言うのです。

また女性が「私が神様を先につかまえようとするのは、あなたのためです」と言うとき、夫も喜ぶようになります。ここで統一が成し遂げられるのです。このように、神様のために生きようとする天地の真の愛の世界から統一の理論を発見できたために統一教会が現れたのです。

私は、怨讐の側にいる衛星国はもちろん、ソ連の主要都市に統一教会の宣教師たちを配置して、救援のための準備をしたのですが、彼らが極限的な迫害の中で死刑宣告を受け、国境を越え、また越えて、一度も出会ったことのない師に従い、最後に東方の韓国に向かって「私は逝きます」と両手を合わせて祈り、最期の道を行った彼らを、引き止めることができず、生かしてあげることのできなかった文総裁の心情を皆様はお分かりになるでしょうか。

悪魔からの苦難を受け、苦痛を受けて、捕虜兵となっている彼らを不憫に思う天の心を知りながらも、昼も夜も前進を決意せざるを得ませんでした。私はまた、共産主義は七十三年を超えることができないことを、天理を通して知ったので、待ち続けました。そうしたところ、なぜかソ連は、私たち統一教会の真理を調べ、これこそが偉大な真理であり、ソ連に新しい希望を植えつける真の真理であることを知るようになったのです。しかし、このような大きな国と天宙の和合も問題ですが、私自身の和合がより先決問題なのです。

皆様。私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。その主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることを知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。

真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、一つしかない宇宙から貴い師として与えられた先生であるにもかかわらず、その先生を容赦なくぞんざいに扱ったこの体、また私の本然の愛の心を引き継ぐことができるよう、父母の代わりに送ってくれた良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐になったこの体を、皆様は愛するのですか。それではいけません!

私を守ろうとし、私の主人と師と父母の位置に立って、私を正しい人にし、天地の大父母であられる神様、天地の大師匠であられる神様、天地の大主人であられる神様のみ前に一致させるために努力する第二の主人である良心を蹂躙し、無視し、冷遇したこの体を保護すべきでしょうか、占領すべきでしょうか。体をつかんで心のようにために生きる自分になったときに、幸福が訪れるのです。そこに神様が臨在されるのです。それで、「家和万事成」という言葉があります。私の家、私個人が安らかであるためには心と体が一つにならなければなりません。

皆様。今日の人間世界での愛は、自己を中心とした愛ですが、それがどこと関係があるかといえば、心ではなく体です。この体が悪魔の錨綱(いかりづな)を掛ける杭となっているのです。心が天に代わるプラスの位置にいるのですが、体がもう一つのプラスとなって、心を弄(もてあそ)んでいるのです。これを改めなければならない道が、私たち人間の生涯の義務なのです。これを御存じであられる神様が修理工場としてつくったのが宗教です。したがって、天は「心を中心として、より悪の体があるので、その体を強制的に屈服させなさい」と通告するのです。それで、「断食せよ、犠牲になって奉仕せよ」と言うのです。

体の欲望を弱め、心の言うとおりに従う習慣性を、三年から五年以上かけて伝授してもらうのです。それが宗教生活です。その次には、「絶えず祈りなさい」と言いました。それで、心は環境に引っ張られていきやすいので、中道の位置で精誠を尽くして、三倍、四倍の強い力を受けて体を引っ張っていきながら、習慣化させなければなりません。その二つの方法しか修理する道は絶対にありません。そのような修養の宗教の門を通過しなければ、本然の人間の道を求めていくことができないのです。哲学の道、知識の道、習慣的な良心の道だけではできません。

心と体が一つにならなければなりません。心は縦的であり、体は横的です。しかし、人間が堕落していなければ、最初から心と体は一つになっていたはずですが、神様の本然の理想と一つになることができなくなった事実をつくったのが怨讐です。それが正に堕落した天使長なのです。その悪魔サタンが人間を堕落させたのですが、善悪の実を取って食べて堕落したといわれています。その善悪の実を取って食べたアダムとエバはどこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。下半身を隠しました。これが悪を撒いた種になったのです。

青少年時代、成熟していないときに堕落しました。そのようにして植えられた悪の種によって、人間世界に悪の血統が及ぶようになったので、終末になると全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮に流れれば、サタンの全権時代が地上に到来したと思ってよいのです。このようになるとき、神様の鉄槌と審判が訪れるのです。

今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進諸国を見てください。東西、四方から押し寄せるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるのでしょうか。刹那的な刺激を求めていく享楽主義、紊乱な愛では飽き足らず、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。それらは、体が死亡へと引っ張っていく道です。決して心の道ではないのです。

心は手を挙げて痛哭しています。天理大道において、人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまいました。誰かが人類をこのような環境から救いの道に導くことができなければなりません。それが統一教会です。世界には希望がありません。

統一教会は、真の愛の理想によって神人と心身を統一する所です。神様が、真の愛、真の生命、真の血統を所有していらっしゃり、私たちはそこから出てきたので、私たちにも、真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければなりません。人間は、神様の真の愛を中心として、父子一身の関係をもって生まれることにより、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されていなければなりませんでした。

ところが、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだ堕落人間となり、体と心がサタンと神様の第一線となって、闘い続けているのです。ですから、唯一このような内容をよく知っている文総裁は叫ばざるを得ないのです。

誰もが文総裁の言うとおりにさえすれば、体を屈服させて、心と一〇〇パーセント一つになるようにできるのです。そのようにして、心と体が一つになった皆様は、神様御自身の愛のパートナーとして永遠の対象となるのです。

愛には相続権、同居権、同参(一緒に参加すること)権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な真の愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、いつでも同居できる権限をもつようになります。そうなれば、皆様は目を閉じなくても神様を見るようになり、神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭する、そのような体恤世界があるのです。堕落した世界でも、母の愛は、息子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かる場合が多々あるではないですか。寝ていても名前を呼び、大声を上げて目覚めるのです。

愛にはそのような力があるので、その愛と一つになれば、二つの世界は共存し、通じるようになるのです。言い換えれば、神様の本質的な真の愛、千年、万年ために生きても、さらにために生きようという、そのような真の愛を私の心と体に一〇〇パーセント吸収できる属性をもつようになるとき、心には真の愛の根が生じ、神様が感じるすべてのことが通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。

真の愛を中心として、心の世界の共鳴体となることができるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を備えるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません

このような真の愛に共鳴する論理を中心として見るとき、私たち人間がそこに一致して同一圏に入れば、神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界であると言うことができるのです。そのような、天下を抱く父と母の心をもってこそ、天国に入籍するようになっているのです。

そのようなことを知っている文総裁が、峠を越え、川を渡り、五色人種を自分の親よりも、兄弟よりも愛するという心をもって生きていくと、今日、統一教会を世界最高の位置にまで引き上げることができました。天運が助けてくれるのです。真の愛の宿る所には天運がついてきて、神様の愛が永住するのです。

ですから、統一教会の教会員は、老若男女を問わず文総裁のことが好きです。本当に先生の生涯が哀れであることを知り、我知らずしきりに涙を流すようになれば、夢うつつに教えを受けるようになります。どれだけ霊的に明るくなるか分かりません。統一教会を信じればそのような世界が間違いなくあるのです。

皆様。御覧ください。先進国の代表といえるアメリカの青年男女、大学を出て修士号や博士号を取った人たちを数万人集めて何をしているでしょうか。アフリカ人も南米の人も東洋人も西洋人も、五色人種をすべて一つ所に集めて結婚させてあげるのです。

皆様。結婚問題はどれだけ重要な問題でしょうか。それをすべて文総裁に任せるというのですから、歴史上に新たな革命的事件が起こっているのです。

アダムとエバが堕落せずに成熟していたなら、神様の愛の対象、愛の配偶者となっていたはずです。あすには夫婦の契りを交わし、結婚式を挙げようとしているところに、盗賊が入ってきて新婦を強奪し、一緒に逃げていって暮らし、のちになって忘れられずにその女性が訪ねてきたとすれば、その男性が平然と「ああ、よく来た!」と言えるでしょうか。違います。憎しみで気が狂うというのです。

それでは、私たちの先祖であられる神様はどうされるでしょうか。同じです。神様はこの世界に手を触れたくても触れることができません。悪が植えられたために、胸痛む心情を抑えながら、悪の水が満ちて滅びるまで待っていらっしゃるのです。影の下で淫乱で蒔かれた種が、秋になり、全世界の村々に拡大した青少年の淪落として現れるのです。今が正にその時なのです。

人間は本来、神様の息子、娘となるべきだったにもかかわらず、怨讐の息子、娘となって抜け出すに抜け出せない塗炭の苦しみを味わっているのです。そのような人類を御覧になられる神様がどれほど悲痛であられるかを、はっきりと知っているキリスト教徒たちはどれほどいるでしょうか。

皆様。真の愛が求めていく道は直短距離を通るようになります。神様とアダムとエバを連結する真の愛の道も直短距離で形成された垂直しかなく、東西に連結する夫婦間の真の愛の道も直短距離で一つになる点として、九十度の一点しかありません。

人間も成熟し、男性と女性が真の愛を中心として縦的、横的な直短距離で行って出会えば、縦的な垂直線と横的な水平線とも出会い、自動的に九〇度になるのです。この点が、正に垂直と水平の出会う点であり、絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結んでくれる中心点であり、モデルとなる点なのです。

ところが、アダムとエバが成熟する前に、天使長によって、この角度が狂ってしまったのですが、これが正に堕落です。人間は堕落を通して悪魔の血統を受けたのです。自分のことだけを考える主義と自覚性、そして自主性をもって行うのが悪魔の行動なので、堕落した人間は、自己第一主義ですべてを考えるようになったのです。

神様は全体第一主義です。神様に似た善の人は、全体のために生きるのであり、サタンに似た悪の人は自分のために生きるのです。ここで天地が分かれ、天国と地獄が分かれ、善の人と悪の人、公人と私人が分かれるのです。

今日、自分の肉身を満足させようとする愛の道を走る退廃した者たちは、この地球星からすべて一掃しなければならないのです。だからといって、すべて抹殺するというわけではありません。サタン側の人類を例えて言えば、野生のオリーブです。神様が分立して探し出した人類は、宗教圏の野生のオリーブで、神様の所有権の中にいます。ですから、神様が自由にできるのです。再臨主が来られれば、一度に切って接ぎ木しやすいよう、準備してきたのです。

そのようにして、真のオリーブとなって本然の状態へと返ります。ですから、宗教を信じる人も真の父を探さなければなりません。彼らも真の父の生命の種を受けられずに生まれたからです。本来の真の愛を中心として、神様の血統と連結された真の息子、娘としての理想を果たすことができなかったのです。それでメシヤが来なければならないのです。

皆様。メシヤとは何か御存じでしょうか。偽りの父母から生まれ、偽りの根を植えたものを引き抜いてしまい、真の父母として来られ、本然の形態を復帰してサタンを追放し、すべての人が歓迎できる自由解放の天国世界を創建する重大な責任をもって来られる方です。しかし、今日のキリスト教は、果たしてそのようなことを考えているでしょうか。

それでは、神様はどのような方でしょうか。神様は縦的な真の愛の父です。どれだけ近い方でしょうか。それで、堕落していない本然の真の父母、すなわち再臨主が来られれば、神様の垂直と人間の水平が九〇度で合うことができるようになるのです。九〇度の角度で合わせることのできる教育をするのです。真の愛の共鳴圏に入れば、天と地がはっきりと見えるようになります。

釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったその言葉も、その共鳴圏の核心に入ってみると、天下がすべて自分の手中に入っており、神様が自分の中におられ、天理が自分と共に連結されているので、そのような言葉を言うことができたのです。真の愛の共鳴圏に入るようになれば、信仰も必要なく、救世主も必要ありません。解放です。すべて終わるのです。

このように、神様が人間を創造された理由は、第一に真の愛の対象を得るためであり、第二に体をまとわれるためです。体が貴いのです。天上天国に体をまとって生きていた息子、娘たちが来るようになるので、神様も形体を備えた父として臨在されなければなりません。

その体が何の形態かと言うと、本然のアダムとエバの内的な形態です。それでは、神様と本然のアダムとエバは、どこで出会うのかが問題です。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度しかありません。この点が、真の愛を成立させる公式点なのです。

神様は縦的な真の愛の父母であられ、完成したアダムとエバは、横的な真の愛を中心とした父母です。このような二つの親の愛と生命と血統を受け継いで生まれた私の心は、縦的な私となり、体は横的な私となって、この縦的な私と横的な私が統一されるとき、人間は永遠の神様の真の愛の対象となるのです。

それでは、人間において、真の愛の起源と真の生命の起源、そして真の血統の起源は、果たしてどこでしょうか。驚かないでください。生殖器です。ところが、この生殖器が天理を破壊した凶悪な宮殿となってしまいました。悪の本源地となりました。そこが天地の一番の悪になったので、下品なものになったのです。皆様、夫と妻も、それを中心として生きているではないですか。父と母、祖父と祖母も、それによって生きるのに、なぜ下品でなければならないのでしょうか。天理を破壊したものだからです。

したがって、神様のみ前に淫乱な都市や淫乱な国は滅びるのです。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたように、ローマが滅びたのも、何もほかの理由で滅びたのではありません。節操を守れなかったために、淫乱に陥って滅びたのです。

アメリカがなぜ滅びつつあるのか分かりますか。私は早くから警告しました。近親相姦の関係がどれほど多いか御存じでしょうか。祖父が孫娘を連れて暮らし、母がいるにもかかわらず、父が娘を連れて暮らすのです。終末的な滅びの兆候が満ちたので、天から審判される時代に入る、この恐ろしい事実を知らないのが先進諸国です。ですから、審判されないために私と統一教会が必要なのです。

アメリカのキリスト教も、プロテスタント、カトリックを問わず、私の言葉さえ聞けば統一することができます。なぜならば、統一できる内容をもっているからです。しかし、キリスト教徒たちの態度はどうでしょうか。誰よりも彼らを心配し、生かしてあげようとしても、かえって私を怨讐扱いしてきました。聖書にも、「飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる」(イザヤ書五八・一〇)とあり、神様も、戦争に負けて白旗を振る人を打てば、神様の怨讐になると言いましたが、果たしてキリスト教はそのようにしているでしょうか。

皆様。はっきりと知らなければなりません。皆様が、神様の愛と神様の生命と神様の血統、真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を相続した真の息子と娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘わない統一天下の根になる起源が生じるのです。このように、ために生きる真の愛と合一してこそ、家庭の統一も可能になるのであり、黙々と十年、百年、子女のために愛を与える親の愛が光るのです。神様はそのようなお方です。

それでは、文総裁が今日、全世界の統一教会員たちを率いて指示していることとは何でしょうか。創造の原則に従って、ために生きては、またために生きなさいという真理です。理想的愛の対象を探し出すためのものが失敗したために、正義の血統を根付かせることのできなかったこの世界に、皆様が新たな生命の種をもって浸透しなければならないと教えています。

皆様。共に父母の心情で僕の体を使い、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大主人である私たちの天の父母の恨を解いてさしあげる歴史的な十字架を背負ったことを忘れず、救世の道へと前進しましょう。

皆様。真の統一の群れが国境を越えて全世界へと広がり、五色人種が地球星に向かってために生きてはまたために生き、投入してはまた投入する、それが子々孫々に及んでいき、歓喜の叫び声と共に私たちの旗が十旗、百旗と増えて翻るようになるとき、どのようになるでしょうか。その世界は地上天国となるのです。宗教が必要ありません。国境が必要ありません。警察官も必要なくなります。統一教会員になれば、罪を犯しなさいといっても犯すことはできません。生理的に既に分かるようになるのです。

ですから、このような運動から真の愛の統一は始まるのであり、真の統一世界は不可避的に顕現するのです。このようなみ旨を中心として、天運と神様が直接主管し保護できる永生の真の道に向かって前進しましょう!皆様は一人ではありません。皆様の一家と一族が合同し、この驚くべき道に向かって前進することを決意する方々は、この時間、文総裁と共に両手を挙げて歓迎しましょう。神様の祝福があることを、そして「真の愛と統一世界」の主人公となられることを願いながら、私のお話を終えたいと思います。ありがとうございました。

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第八篇 9 天は韓国を呼んでいる

第八篇 9

天は韓国を呼んでいる

日付:一九九〇年七月六日

場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル

行事:対ソ、韓日経済使節団派遣説明会

今夜、私の招請でこの場に参加されました韓国の経済界の指導者の皆様。この場をお借りして、私が生涯を捧げて神様のみ旨を地上に具現するために尽力してきた内容とその目的について、お話しできることを喜ばしく思います。大変動が予想される今日の韓半島を中心とした世界の経済界が、今後どのように発展しなければならないかということについて、平素、私が抱いてきた根本的な考えの一端を披瀝したいと思います。

「天は韓国を呼んでいる」という題目でお話をさせていただきます。祖国の繁栄と統一のため、また人類と世界の福祉のために御苦労される皆様のお役に立つことがあれば幸いです。

人類は歴史を通し、「真」の根源を探し求めてきました。神様の存在の有無に対する問題もまだ解決できていません。哲学は、歴史を通して神様を探し出そうとしましたが失敗し、宗教の教祖である聖人たちは、神様のような基準で生活をしながら人類を教え導きましたが、現在の世界を見ると「神さえも死んだ」と言われる終末となってしまいました。

歴史的に重要な問題も神様に対する解決であり、人類の重要な問題も神様に対する解決なのです。神様をはっきりと知るようになれば、すべての問題が解決し、解放されるのです。人間に対する問題、万物に対する問題、世界と宇宙に対する問題なども、自ずと明らかになるのです。

そこで私は、神様を発見しようと千辛万苦の努力の末に、神様が存在することをはっきりと知るようになりました。その神様は、永遠、不変、唯一の方です。その方はまた、絶対的存在なので、その方を通してのみ、絶対的価値を見いだすことができるのです。

それでは、神様にとって絶対に必要な絶対的存在は果たして何でしょうか。物質、知識、権力でしょうか。それらは、願いさえすればいつでも創造できるものであり、神様御自身が自由に調節できるものです。しかし、真の愛だけは神様も自由にできません。

すなわち、真の愛は、相対圏を通してのみ探し出すことができ、顕現し、成立するものなので、一人ではその刺激を感じることができないのです。相対的創造世界が必要なのです。したがって、神様が被造世界を創造されたのは、真の愛の理想のためです。

被造世界の構造を観察してみると、鉱物世界、植物世界、動物世界は愛を中心として相応できるように、すべてペア・システムになっており、レベルによって低いレベルは高いレベルに吸収されるように創造されています。そして、結局は被造世界最高の存在である、神様の対象格である人間に到達するようになっているのです。

人間だけが神様の真の愛の相対となるように造られたというのです。それで人間について、「万物之衆唯人最貴(万物の中で人が最も貴い)」と言ったのです。その言葉は、理にかなった言葉です。人間がいなければ神様の真の愛も成立させることができません。絶対的な神様も、絶対的真の愛の前には絶対的に服従したいと思うのです。これは貴い言葉です。この言葉が成立しなければ、神様に喜怒哀楽という概念は見いだすことができないのです。神様はこのように最高の価値の位置に真の愛を立てておかれました。神様は、御自身が先に絶対服従して、初めて「人間と万物もその真の愛に絶対服従しなければならない」という命令ができるのです。

それでは、神様の真の愛の相対である人間をどれほど貴くお造りになったかを見てみましょう。若い男性と女性が結婚するとき、相手が自分よりも素晴らしく立派であってほしいと願わない人がいるでしょうか。また、子女をもった親なら、自分の子が自分よりも劣った人になることを願う人がいるでしょうか。絶対にいません。そのような心はどこから来たのでしょうか。すべて神様に由来しているのです。

それは言い換えれば、神様も、御自身の真の愛の対象である人間が、御自分よりも立派であることを願っておられるということになるのです。このように、人間の価値は神様の高貴な傑作です。皆様、そのようなことを考えたことがありますか。人間は神様の傑作なのです。

創造当時、神様は一〇〇パーセント、御自身を完全投入され、無限に投入されて忘れる、そのようなところで循環運動を始められることによって、永生の起源を備えてくださったのです。投入して、また投入するところから、循環運動が続くのです。ここで、永生の論理を見いだすことができます。真の愛は、このように与えても記憶しないところから始まるのです。真の愛とはいったい何かというとき、正にそうだというのです。すなわち、神様の創造理想は、ために生きる愛から始まり、ために生きては、またために生きる愛から真の愛が成立するのです。

宇宙創造の目的は、神様を縦的父母として侍り、堕落していない人類始祖を横的父母として、ために生きては、またために生きる真の愛の存在として、永遠の生命を存続させる真の愛の圏内でのみ成就されるのです。真の愛でのみ完全一体と統一が成立し、また相続権と同居権、同参権を得ることが可能になるのです。

それでこそ、人間にとっては神様の愛が私の愛となり、神様の生命が私の生命となり、神様の血統が私の血統となり、神様のみ旨が私のみ旨となるのです。すなわち、神様の理想が私の理想となり、私たちは永存される神様の子女として永生する理想家庭と理想世界を築くのです。

しかし、今日の世界を見ると神様が理想とされた本然の世界ではなく、罪悪が氾濫し、戦争の歴史を繰り返しながら、疾病と苦痛に満ちた地獄世界となってしまいました。人間を除いた自然界は何の罪もないのに、人間世界のために害を被っているという事実を考えるとき、人間世界が病んでいることは否定できません。

このように、病んで故障した人間世界のことを、宗教的には「堕落世界」と表現するのです。神様は、このような世界を原状に戻そうと救援摂理をされるようになったのです。救援摂理は復帰摂理です。救援摂理は再び帰る復帰の摂理です。それで、復帰摂理は再創造摂理だというのです。故障したので、元の青写真を中心として、再び制作しなければならないということです。すなわち、本然の世界で、ために生きる真の愛を中心として、永生の世界で利他主義を実現して生きるようになっている人間が、偽りの愛の中で死亡の世界に向かう、自分を中心とした堕落世界に転換されてしまったというのです。本然の世界の主人である神様と堕落した世界の主人であるサタンが対立するようになった理由も、闘争の歴史を経てくるようになった理由も、ここにあるのです。

また、人類歴史は善悪の闘争史です。共産党のいう唯物史観的闘争史ではありません。神様は、真の愛を中心とした真の父母、真の子女、真の家庭、真の国家、真の世界、そして真の宇宙を立てて、真の愛の理想で主管しようとされたのですが、サタンが偽りの愛を中心として、偽りの父母、偽りの子女、偽りの家庭、偽りの国家、偽りの世界、そして偽りの天宙を立てて主管してきたのです。

これを取り戻すために、人類歴史は善悪の闘争史として反復してきたのです。すなわち、個人から永遠の世界に至るまで、サタンは神様の原理的歴史発展に従いながら、原理的世界を真似て、真のものが来る前に、あたかも真のものであるかように振る舞い、先手を打って原理の世界を破壊しようとするので、善悪の闘争が不可避になるのです。

したがって、私たちが知らなければならないことは、神様が利他主義の立場に立って再創造摂理をされながら、ために生き、またために生きながら、打たれて取り戻してくる作戦を取られる反面、サタンは自分を中心とした立場に立って、先に打って損害賠償までする道を歩んできているのです。神様の作戦は打たれて取り戻してくる作戦であり、サタンは打って滅びるのです。このように善の側は、打たれ、迫害と犠牲を払いながら発展していくのですが、サタンはその反対なのです。

世界の戦争史を見てみましょう。第一次世界大戦もサタン側から先に打って滅び、第二次世界大戦も悪の側から先制攻撃をしましたが、かえって敗北してしまい、第三次世界大戦である思想戦でも、共産主義が民主主義を先に打ってきましたが、ソ連は滅びてしまったではないですか。このように、善の天の側は、迫害を受けながら発展してきました。したがって、迫害は、サタン側、あるいは怨讐側のものを相続させてくれる一つの方法になるのです。迫害されるのはただ苦痛を受けることではありません。迫害は、怨讐世界の所有権を相続する一つの手段なのです。

善の神様は先に打つことができません。神様は先に打つことができないので、打たれて取り戻してくるのです。このような神様の作戦法を通して見るとき、神様の側に立った善の主流は宗教にならざるを得ないのです。そのような主流宗教として歴史路程を通し、血を流しながら成長してきたのがユダヤ教でした。選民思想をもった民族だという理由で、追われ、追い込まれながら、犠牲の血を流し、その代わりに打たれる蕩減条件を立ててきたのです。

旧約時代には、供え物を通して子女たちが行く道を築いてきました。そして、四千年後、メシヤであるイエス様を送られ、子女たちが信じて侍るようにし、サタン世界であるローマを復帰し、サタンを追い出して、神様だけが主管する世界にしようとされました。

このように、善主権を復帰するのがイエス様の使命であり、イスラエルを中心としたユダヤ教の使命だったのです。ユダヤ教とイスラエルが一つとなり、全世界のために投入し、また投入する原理を実践していたなら、イスラエルが世界へと出ていく道が開かれたはずでした。しかし反対にイスラエルとユダヤ教は、かえって世界のほうが彼らのために生きなければならないという思想で、「怨讐を愛せよ」と言われたイエス様までも十字架にかけました。それで、キリスト教は血を流す二千年間の受難の歴史を通して、父母であられる再臨主の時を待ってきたのです。

迫害の歴史を経ながら、キリスト教が第二イスラエルの立場に立ち、イエス様が果たし得なかったみ旨を果たすために、世界的天側のローマ型であるプロテスタント独立国家アメリカを中心として、第二次世界大戦後、世界統一圏として国連を立てて自由世界に復帰しようと限りなく血を流してきたのです。

アメリカを中心として再臨主であられる真の父母が現れ、神様の統一圏が形成されれば、全世界は統一世界へと前進したのであり、キリスト教を中心とした世界の文化圏が形成されたのです。すなわち、真の父母思想を中心とした成約時代を完成できたはずでした。

しかし、キリスト教とアメリカ、さらには自由世界が、自らを投入して他のために生きる生き方を実践することができず、アメリカはアメリカ自体を中心として世界を主管しようとする立場に立つことにより、統一教会は迫害と苦難の道を歩まざるを得なくなりました。韓国を中心とした統一教会は、血を流す迫害の道を歩んできましたが、これからは世界の頂上の位置にまで上がるようになったのであり、「頭翼思想」で左翼と右翼を共に収拾できる時代に来ているのです。

真の父母様は、血を流す道を通して、地上に神様をお迎えする使命を遂行しているのです。真の父母様が十字架を背負うのは、神様を地上にお迎えするためです。旧約時代に万物を犠牲にしたのは、子女を迎えるためであり、新約時代に子女たちが血を流したのは、父母が来る道を準備するためです。そして、父母が来て血を流すのは、神様をお迎えするためなのです。歴史はそのような過程を通して発展するのです。

今や「頭翼思想」は民主と共産、左翼と右翼を横的な立場で収拾し、「神主義」を通して縦的に霊界まで統一して、天地父母時代である統一時代を迎えるようになりました。そうして、サタンの反対がない本然の世界、神様と真の父母様の真の愛を中心としてために生きる世界から、私だけのために生きてほしいという、そのような利己主義的世界を越え、天上天国、地上天国世界へと前進するのです。その世界は、真の愛を中心とした利他主義世界となるので、謀略、中傷、不信の風潮などが蔓延する、死亡の世界とは関係がない世界になるのです。こうして、全世界的に真の父母を中心として、真の家庭の基盤の上に人類を接ぎ木する理念を通して、新しい復帰家庭と新しい秩序を確立し、神様を中心とした永遠の理想世界になっていかなければなりません。

韓国は、統一教会を中心とした第三イスラエル選民国となり、サタンに勝利した勝利国家となるのです。第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを勝利圏に立て、神様のみ前に奉献しなければならないのです。第一イスラエルはユダヤ教、第二イスラエルはキリスト教、第三イスラエルは統一教会ですが、統一教会がこの全体の歴史を蕩減し、この宇宙を神様のみ前にお捧げする使命を果たさなければならないということです。

文総裁と韓国は、天の作戦を中心として見ると、歴史的な善を代表する人と国です。それで、文総裁は悪の側から世界史上、個人的な立場で最も多くの迫害を受けた代表です。そして、家庭、氏族、民族、国家、世界的にも、そのように迫害を受けた代表です。さらには、霊界から最も多くの迫害を受けた代表ですが、打たれながらも、すべての面で勝利的結果を獲得し、世界的に発展したのは、神様が保護してくださったからなのです。これが、文総裁の築いた世界的基盤です。

しかし、これからは迫害から解放され、誰一人として行く道を遮る者がいない時代に入ったので、すべての勝利的世界の時代へ進出することだけが残っているのです。韓国の歴史において数多くの忠臣、烈女たちが、あれほど多くの血を流した悲痛な歴史を残したのも、天の作戦によるものであり、单一民族として「東方礼儀之国」の面目を守りながら、歴史上類例を見ない九百回以上の侵略を受けながらも、その血統を守らせてきたのも、福を与えるための天の作戦だったのです。

また、白衣民族として、純潔で高尚な敬天思想を固守してきたのも、天の選民へと向かう道のためだったことを知らなければなりません。六・二五動乱のときも神様がお守りになり、人類の祖国回復のために国連の旗幟(きし)のもと、世界十六ヵ国の若者たちが韓国の地で血を流しました。祖国光復のためにです。

皆様。このようなことは、天理を知らなければ分からないことです。それが事実だとすれば、韓国はどのようになるのかということが問題です。韓国は、善悪の闘争史を清算しなければならない最終的対決の地です。北朝鮮はサタン側に代わる最悪の地なので、金日成主席のことを「父母なる首領」と呼んでおり、四十年以上の間、金日成主席が全権を行使しているではありませんか。四十年前に韓国とキリスト教が、神様に侍り、文総裁と統一教会を天の側の父母の位置に立てていたなら、今日の韓国は世界的父の国となっていたはずです。

しかし、キリスト教と韓国の反対にぶつかり、真の父母の立場を世界的に立てることができないまま追い出され、金日成主席は偽りの父母の位置を占有し、天の側に反対しながら、共産圏の先頭走者として悪の父母となって振る舞ってきたのです。それは、蕩減法によってそのようになったのです。今や最後です。真の父母というものがサタン世界に立ったのは初めてです。

しかし、文総裁と統一教会は、全世界の反対を受けながら最悪の立場から、天の作戦によって、打たれながらも世界的基盤を築き、世界共産圏を屈服させる勝利的な立場を確立したのであり、中国とソ連を越えて怨讐格であるゴルバチョフ大統領に会い、歓迎されることによって、摂理的新起源の世界が始まったのです。これは、旧約時代のエサウとヤコブの出会いのようなものです。

ヤコブの立場にあるアメリカ、日本、韓国を代表した文総裁が、エサウの立場にあるソ連、中国、北朝鮮を代表したゴルバチョフ大統領に会い、彼の心の中に天の真の愛を植えてあげたということは、サタンを自然屈伏させるヤコブの還故郷となるのです。これから、エサウには兄弟と一つとなり、天の父母に侍る道だけが残っているのです。兄弟である自由世界と一つとなり、天の父母に侍ることだけが、共産圏が生きる道なのです。

これは、有史以来、最大の事件であり、天の側の勝利をもたらす新起源となるのです。ですから、文総裁は、直ちに帰国し、大韓民国の国民と民族に真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布したのです。そうして初めて天は、金日成主席の基盤、悪のサタンが退くように陣を張るのです。今後どのようになるか、今後の道を見ていてください。

真の父母歓迎大会を全国でしましたが、真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布することによって、北朝鮮と金日成主席の集団に対峙できる天の側の基盤を確立したのです。金日成主席を中心としたサタンを愛し、救ってあげなければならないのです。金日成を中心としたサタンを愛し、救ってあげようと、天の側の立場にいる文総裁と統一教会は走っているのです。

金日成主席は「神はいない」というサタン側の共産主義世界の代表者である反面、文総裁は「絶対的に神は存在する」という民主世界の代表です。韓国を中心として北朝鮮を消化し、吸収することによって、一つの父母である真の父母の心情をもち、歴史的な善悪闘争を越えて平和世界を創建しなければならない宿命的な課題の前に、今回「世界平和連合」を創設し、摂理史的なみ旨に合わせようとするのです。これから「世界平和連合」という言葉が出てくるでしょう。

結論的に、これからは文総裁と統一教会と韓国が一つとなり、北朝鮮を消化する時代へと入るのです。私たちがソ連と中国と北朝鮮を中心として平壌で大会を開催しようとするのも、摂理史的な意義をもっているのです。

天の側であるアメリカ、日本、韓国は、力を合わせ、物質万能のユートピアを慕いながら物質的地獄世界に落ちた共産世界を救うために、放蕩息子を歓迎して迎える兄弟の立場に立たなければなりません。この道こそが、サタンを自然屈伏させる道となるのです。神様は悪を打って屈伏させてはいけません。自然屈伏させなければなりません。

このようになれば、サタンも天の側に屈服し、天上と地上に闘うことのできる基盤がなくなるので、自動的に世界平和は成就されるのです。そうして韓国は、神様を中心とした祖国となり、神様の創造以後、初めて理想の基盤を築くようになるのです。創世以後から始まったサタンとの闘いが、ついに終わります。六・二五動乱とともに始まった世界的冷戦時代は、八八年のソウル・オリンピック大会を起点として、その幕を降ろすようになり、これからは文総裁の思想を精神的な支柱として、韓国は新しい太平洋時代の中心国として世界を領導していく道が大きく開かれるようになったのです。

この先、太平洋時代が来ることが、世界の学者たちの研究結果であることは、皆様も御存じのはずです。それがどのようになるのかということが問題です。神様がこのように文総裁と韓国を祝福してくださったのです。

皆様。これから私たちは、経済人でも誰でも、すべての人たちが、心を合わせて、北朝鮮を解放し、世界の統一に向かって進んでいかなければなりません。地球家庭時代を迎え、「天の真の父母様に侍って千年、万年暮らしたい」と言うことのできる基盤を築かなければなりません。この文総裁と統一教会は、摂理史的使命を完遂する中心である心的な立場に立っており、体的な立場には、物質的なものを追求する経済的分野が立っているのです。

皆様。ここで一つお話ししたいと思います。どうして統一運動が経済行為をするのでしょうか。心と体が分かれています。天と人間、真の中心と偽りが対峙しているので、これを統一しなければなりません。ですから、このような心の中心である天の完成のみ旨を中心として、体の中心が相対にならなければなりません。これが反発してはいけないのです。ですから、統一運動は経済的行為をするのです。また、共産主義と闘争せずにはいられません。そのようなすべての摂理史的内容をもって始めるのです。

物質的立場を追求する経済的分野は、体の立場に立っています。本来は、心と体が一つにならなければならなかったその理想が、今ここでも成就されなければならないのです。心のような天のみ旨に、体のような経済界が従わなければなりません。一体となって、地球家庭を形成し、平和世界をこの地に創建するためにも、北朝鮮をはじめとする共産世界を支援しなければならない義務があるのです。

それで、韓国、日本、アメリカが共に努力し、兄弟を助ける、そのような真の愛の精神で団結しようという崇高な志をもって、きょうこのように皆様をこの場所にお招きした次第です。天意に従い、この文総裁と共に世界を中心とした経済観をもって進んでいくならば、天が助け、万事が意のままになるでしょう。ぜひ世界の選民の経済観をもって、祝福を受ける韓国と世界に向かって進んでいきましょう。神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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第八篇 10 真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞

第八篇 10

真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞

日付:一九九一年十一月三十日、十二月六日

場所:北朝鮮、平壌、牡丹館(モランクァン)招待所、ソジェゴル招待所

行事:真の父母様北朝鮮訪問歓迎および歓送晩餐会

<歓迎晩餐辞>

私は四十年ぶりに平壌にやって来ました。そして、平壌が世界的都市として美しくつくられているのを見て、とても驚きました。あの清くて青い大同江(テドンガン)の水が、「今までどこに行っていたのか」と私を歓迎してくれているかのようでした。私は北朝鮮の約二千万人の同胞を本当に愛しています。「血は水よりも濃い」と言います。私たちは同じ血統を引いた歴史的兄弟姉妹です。

親愛なる北の兄弟姉妹の皆様。家族たちと会った瞬間、私は喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを感じざるを得ませんでした。愛する人たちが南と北に別れ、きょうも出会いの喜びを分かち合うことのできない一千万人の同胞たちがおり、多くの人たちは、永遠に再会の機会を得ることがないまま、死に別れるしかないということを考えるとき、民族分断の悲劇は一日も早く終結しなければならないことを、きょうほど痛切に感じたことはありません。

我が民族は単一民族として悠久なる歴史において輝かしい文化を誇ってきました。しかし不幸なことに、我が民族は外部の意思によって強要された分断四十六年を生きてこなければなりませんでした。

これからは、二度と外部の勢力によって民族の運命が左右されることがあってはいけません。しかし、神様が守ってくださり、今では統一の時が近づいています。統一は民族の宿命であり、私たちの時代の課題です。私たちの時代に祖国の統一を実現できないならば、私たちは、先祖や子孫に永遠に頭を上げることができないでしょう。

祖国統一の聖業に関する深い対話を期待

七千万同胞が対話と和解で大同団結し、今回の出会いを契機として万難を克服し、統一のその日に向かって躍進していかなければなりません。そのために私たちは協力しなければなりません。祖国の経済復興も共に成し遂げなければなりません。私は祖国統一のために身命を捧げる覚悟ができている人間です。私が、ここの同胞たちのために何をするかは、金日成主席と金正日秘書の構想を聞いて決定しようと思います。

このたびの私の北朝鮮訪問が還故郷の意義深いものであることは言うまでもありませんが、この歴史的な機会に金主席にお会いし、直接感謝の言葉をお伝えし、民族の団結と祖国統一の聖業に関して深く話し合う機会があることを切に願う次第です。

最後に、祖国統一に向かって私たちが共に総進軍することを誓い、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。

<歓送晩餐辞>

尊敬する尹基福(ユンギボク)委員長、そして尊敬する金達玄(キムダルヒョン)副総理、また今夜この場にお越しになった北朝鮮同胞の皆様。私は去る十一月三十日、夢にまで思い描いた故郷の地、北朝鮮にやってまいりました。これはもっぱら金日成主席の温かい御配慮があったからこそ可能だったと思います。私は北朝鮮に滞在中、歴史も深い、美しく建設された平壌はもちろん、名実共に世界一の名山である金剛山も生まれて初めて鑑賞し、四十八年ぶりに私の故郷、定州も訪れる機会をもつことができました。

故郷を訪ねてみると、私の生まれ育った家が七十二年も過ぎた今日まで、そのまま保存されており、家族や親戚たちが四十二人も集まり、私たち一行を歓迎してくれました。年を取れば取るほど、遠く離れていれば離れているほど、行ってみたくなる所、会ってみたくなる人たちのいる所が故郷です。私はその故郷に来たのです。しかし私は、家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを覚えました。それは、今日、私と同じように幸福になれないでいる一千万人の離散家族たちのことを思ったからです。

私も、もはや七十歳を超えていますが、私のような高齢者たちは、愛する人たちと会うこともできず、近いうちにこの世を去らなければならなくなるでしょう。このような悲劇がどこにあるでしょうか。

ところが、思いがけず、金日成主席の温かい人道主義的な御配慮によって、悲惨な離散家族たちが再会できる希望が生まれました。来年から離散家族が再会できる制度を設けることを約束したのです。

皆様。私にとって南に持って帰る贈り物で、これ以上良いものはありません。離散家族再会のこの知らせは、南の約四千万人の血を沸き立てるでしょう。南では、にわかに金日成主席の徳望に感謝して敬うようになるでしょう。

統一の原動力は真の愛

私はきょう、金日成主席と長時間にわたって会談する機会を得たことを、光栄の至りと存じます。もちろん、人それぞれ意見や見解の差はあるのは事実ですが、寛大で温かく、徹頭徹尾民族を愛されるその愛国精神は、私に大きな感銘を与えてくれました。私は今回、金主席にお会いし、直接感謝の気持ちを伝える機会をもつことができ、私にとってこれ以上の幸せはありません。

皆様。私は今回、八日間の故郷訪問中、国賓として手厚いおもてなしを受けました。尹基福委員長、そして金達玄副総理、その他私たち一行のために御苦労された方々に、熱い感謝を捧げます。皆様は真心をもって私をもてなしてくれました。私も心から北朝鮮同胞の皆様を愛しております。

私は今まで、統一の原動力は真の愛であると強調してきました。私は今回、北と南の間に真の愛の絆が結ばれたことを経験しました。

私は、最初にここに来たとき、「血は水よりも濃い」ということを強調しました。今、この地を離れるに当たり、民族をつなぐ愛が永遠であることをお祈りいたします。そして、ここを発つに当たって一言申し上げたいのは「愛は血よりも濃い」ということです。

二十一世紀の経済的奇跡と祖国統一

皆様。昨日、尹基福委員長と私は共同声明を発表いたしました。そこにおいて私たちの祖国統一は、外勢の介入や干渉なく、自主的に対話と交渉を通して、平和的に実現しなければならないことで意見が一致しました。

また私たちは、我が民族が二度と戦争の惨禍を被ることがないように、南と北が相互不可侵に合意し、核エネルギーは、ただ平和的目的にのみ利用し、韓半島においては、核兵器の製造や配置があってはならないと主張しました。このような北朝鮮の平和的な真意を曲解する人がどこにいるでしょうか。また私たちは、北朝鮮に向けた海外同胞たちの経済的投資を歓迎し、私は北朝鮮当局が推進している経済事業に、様々な形で投入していく用意があることを披瀝しました。

私は、北朝鮮の豊かな資源と訓練された労働力と賢明な知恵、それに世界的な技術と資本が合わされば、二十一世紀の経済的奇跡は、正にここ北朝鮮の地で起こるという事実に微塵の疑いもありません。これはまた、統一に向かう偉大な建設なのです。

皆様。結論として、私は、北朝鮮訪問を通して受けた、熱い感激を胸に抱いてここを発ちます。統一への熱望はより一層熱くなり、統一の可能性は目に見え始めました。私たちは共に和解し、理解し、愛し合い、そして一致団結して、私たちの宿願である祖国統一の日を一日でも早めていきましょう。最後に、尊敬する金日成主席と金正日秘書の御安泰をお祈りしつつ、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。

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第八篇 11 真の父母様北京到着の談話文

第八篇 11

真の父母様北京到着の談話文

日付:一九九一年十二月七日

場所:中国、北京空港

行事:北朝鮮訪問後の北京到着談話文

私は今回、妻と共に北朝鮮政府の招請を受けて、平壌を訪問することになりました。これは、私が北朝鮮を最後に離れた一九五〇年十二月から、満四十年と十一カ月ぶりに実現した歴史的機会でした。

私は、北朝鮮に対して恨が多いと言えば誰よりも多い人間です。私は、宗教指導者であることと一貫した反共の信念のため、北朝鮮政権から到底語ることのできない迫害を受けた者です。また、到底形容できない拷問を受けながら、三年近く興南で監獄生活をする中で、多くの罪なき囚人たちが死んでいくのを見ました。私が今日、健在なのは一つの驚くべき奇跡であり、ただ神様の特別な加護と恩賜によるものであると思います。しかし今回、私は統一教会の創始者として、真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました。真の愛というのは「愛することができないものまでも愛する精神」です。ですから、イエス様も「汝の敵を愛せよ」とおっしゃったのではないかと思います。

平壌に入っていく私の心情は、秋の空のように晴れ渡ったものでした。怨讐の家に行くのではなく、私の故郷、私の兄弟の家に行くようでした。「許せ、愛せ、団結せよ!」という私の終生の信条をもって北朝鮮の地を踏みました。

また、私が過去四十年の東西冷戦時代に、世界の誰よりも徹底した反共主義者であり、「国際勝共連合」の創始者として一生を勝共闘争に捧げてきたことは、世界中の知るところです。しかし、私の勝共思想は共産主義者を葬る思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救援の思想です。私はベルリンの壁の崩壊以後、共産国家が崩れると、すぐに彼らに新しい価値観を教育し、それらの国を生かしていくことに全力を尽くしてきました。特にソ連と東欧のみならず、新生民主主義国家の政治家、知識人、教授、大学生たち数千人が、私の招待でアメリカと日本に来て、真の民主主義を学び、「神主義」と「頭翼思想」に感銘を受けて帰り、進んで自分の国を活かす運動の先頭に立っていることは、既に広く知られている事実です。冷戦時代の終焉とともに到来した平和の運勢を世界的に拡散させるために、私は「世界平和連合」を創設し、国際的な平和運動を主導しているのも、私の信念の所産なのです。

私は北朝鮮で、離れていた家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が張り裂けるような痛みを感じました。それは、愛する人たちが南と北に別れて、きょうも再会の喜びをもつことができずにいる数多くの同胞たちを思い起こしたからです。そのうちの多くの人は、永遠にその機会をもてずに死別してしまうしかないことを考えたとき、我が民族の分断と離散の悲劇を一日も早く終結させなければならないと骨身にしみて自覚させられました。そして、このたび金日成主席との会談で、私は南北離散家族相互訪問問題を前向きに解決していく努力をしてくれるよう要請しました。しかし、共産主義問題を解決し、世界平和を実現することは、ただ理念的な対立の解決や教育だけでは達成できないと考えます。世界を生かすには経済的支援も非常に重要なことだからです。ですから、私は既に中国に二億五千万ドルを投入して、「パンダ自動車工業都市」を建設しているのです。

私が北朝鮮を見る視点も同じです。一つ違うことは、北朝鮮は他人の国ではなく、私の同族の国であり、私と血統を同じくする兄弟姉妹だという点です。「血は水よりも濃い」と言います。私は北朝鮮の二千万同胞を私の兄弟姉妹として愛しています。熱い心で彼らを愛しています。しかし、我が民族の宿願である祖国統一は、政治的、経済的、軍事的方法だけでは成し遂げられません。それよりも先行しなければならない基本要件があります。真の愛を原動力とした政治、経済、軍事問題の関係改善が統一の土台にならなければならないという点です。真の愛というのは、父母の愛のような無条件の愛です。そして、隣人のために自分の生命をちりのように捨てることのできる犠牲精神がすなわち真の愛です。そのような意味で、私は北朝鮮との経済協力および交流を広げ、経済開発事業に積極的に参与する意思があることを表明しました。

私は今回、「平和の使徒」として平壌に入城しました。私は、どんなことがあっても、この韓半島に再び同族同士の戦争を自ら招くことがあってはならないという固い信念をもっています。その意味で最近、アメリカの朝野で持ち上がっている北朝鮮の核施設空襲論は極めて危険な発想です。北朝鮮はイラクではありません。これは、全面戦争を引き起こすことは明らかであり、その恐るべき結果は誰も予測できません。アメリカは、韓国国民の生存権を脅かすことに対して、何よりも慎重に判断することを願います。

北朝鮮との核問題については、平和的に解決できると私は考えます。相互に尊重する真の対話を通して、必ず平和的に解決しなければなりません。私はその対話の道を開こうと平壌に行ったのです。そして、対話を通して平和的に解決しようとする使命感でその道を大きく開いて帰ってきました。私は、今回の北朝鮮訪問の成果が、大韓民国政府と北朝鮮当局者間の発展的な対話と交流を増進させていく良き契機となることを心から願う気持ちで、北朝鮮を訪問したのであり、今やそれが成功裏に成し遂げられるという確信をもつに至りました。

今日、私たちの課題は祖国統一です。これは私たちの宿命であり、私たちが生涯をかけて成し遂げなければならない終生の聖業です。私は、今まで神様のみ旨に従って統一の聖業を成し遂げる一念で生き、残りの人生もひたすら神様のみ旨を成し遂げる一念で生きていくつもりです。統一を念願する韓国と北朝鮮七千万同胞のすべてが、これから葛藤と闘争を終息させ、和解と愛で、民族の同質性を回復する事に、民族を挙げて取り組んでくださることを願う次第です。「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時が今であると考え、統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急がなければなりません。

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第八篇 12 韓国統一と世界平和

第八篇 12

韓国統一と世界平和

日付:一九九二年八月二十二日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第五回「世界平和のための頂上会議」

尊敬する元・現職の大統領、国家元首と首相の皆様、ならびに各界からお集まりの世界の指導者の皆様。きょう私は、「世界文化体育大典」の一環として開催される第五回「世界平和のための頂上会議」の開幕を心からお祝い申し上げます。

また「韓国統一と世界平和」を大きな主題とする今回の会議に参加するために、世界各国から私の祖国を訪ねてこられた、たくさんの指導者の皆様に熱い感謝を捧げます。

1. 未来の新しい理念

今日の世界問題は、あらゆる多様な分野が相互複合的に連結されていることがその特徴です。したがって今回、「世界文化体育大典」という名のもとに、思想や政治分野をはじめとする学術、宗教、言論、科学、芸術など、すべての文化的分野の世界問題を幅広く一つ所で扱うようになったことは、世界平和の真の道を模索する上で画期的な貢献となるだろうと思います。

さらに今回の会議は、体育オリンピックと共に開催され、人間社会の精神的な面と肉体的な面を、均衡を保ちつつ発展させる方向性を提示する意義をもっています。

特に世界百三十ヵ国から、国籍と人種を超越して三万組の善男善女たちが集まる中で挙行される、歴史上最大規模の合同祝福結婚式は、二十一世紀とともに新しい歴史時代を迎える世界人類が、神様を中心に互いに和合することによって世界平和を実現する、平和の大道を見せてくれる壮挙になるでしょう。

過ぎ去った人類の歴史を振り返ってみると、一瞬たりともこの地上に真の自由と平和と幸福が実現された日はありませんでした。実際に、経済的平等という理念のもと、「人類を搾取から解放する」と言った共産主義は、むしろ闘争と貧困の凄惨な結果ばかりをもたらしました。

そればかりでなく、自由の理想を前面に立てて共産主義と対決してきた自由民主主義も、結局は、甚だしい利己主義と道徳的価値観の崩壊の中で呻吟しているという事実を、私たちは目撃しているのです。戦争の砲煙がこの地球上から消えるどころか、かえって一層激烈な葛藤と混沌ばかりが横行し、未来の世界を暗くしています。

しかし人類は、自ら経験してきた数多くの試練や苦痛に対して、誰も恨むことはできません。なぜならば、人間自らが、歴史の背後から人類を摂理してこられた神様の理想と目的を完全に排除したまま、人間のみを中心とした思想体系を立ててきたからです。

たとえ神学的な思考が時折考慮されたことはあったとしても、神様の根本的なみ旨と理念をはっきりと知らないまま、歴史の究極的な方向に対して、皮相的な観察ばかりが行われてきたからです。

したがって、未来の新しい理念は、人間に対する神様のみ旨と理想をはっきりと究明するだけではなく、神様と人間の関係を明確にできなければなりません。

2. 真の愛は世界共通の平和の原理

本来人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を形成すようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭を完成するようになれば、その家庭は、神様の真の愛を中心として一体となることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。

神様の真の愛は、相対のために無限に与えようとするものです。愛の心をもつ父母は、自分の子が自分たちよりも立派になってくれることを願うので、子女のために多くのものを与えては、またもっと多くのものを与えようとするのです。愛する夫と妻もまた、相手が自分よりも優れた人になることを願うので、相手のために投入してはまた投入して、それを忘れるのです。

このように真の愛の特性は、相手のために投入してはまた投入しようとするところから、その作用が誘発され始めるのです。神様は、このように人間のために与える真の愛の主体的な立場にいらっしゃり、与えてはまた与える愛の本性がその作用を継続させることによって永存されるのです。人間は、神様のみ前に永遠の愛の対象として立ち、神様と共に永遠に愛を受けては返す、愛の一体関係をつくることが、神様のみ旨であり、人間の理想でした。

このように、神様と人間が真の愛を中心として、その理想の統一点を共有するようになるとき、初めて人間は、真の自由と平和と幸福を享受するようになるのです。このような原理は、一人の個人だけでなく、家庭と社会と国家、そして世界に至るまで共通の平和の原理として適用されるのです。このように人類は、神様の真の愛を中心として、神様と統一体の理想を成し遂げていかなければなりませんでした。それが人類歴史の根本的な方向だったのです。

3. 韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則

しかし人類歴史は、このような神様の方向と一致した道を歩んでくることができませんでした。それは正に人間の堕落のゆえです。人類歴史を通して、誰一人として、神様の真の愛を中心とした一体になった夫と妻になれなかったのであり、したがって、神様の真の愛に基づく真の父母の理想を成し遂げることができなかったのです。

反対に人類は、悪魔を中心とした結婚生活を通して、偽りの愛と生命と血統を受け継いできたので、これを清算して、神様の本然の愛と生命と血統を再び取り戻すために、真の父母として来られるメシヤを待ち望み、準備してこざるを得なかったのです。

人類歴史が初めからこのような神様の理想的方向と一致していたならば、人類は、幾重にも分かれて互いに争い、葛藤と搾取と抑圧によって屈折した、そのような姿を見せることはなかったはずです。真の愛を中心とした真の父母、真の家庭、そして真の社会と国家と世界の統一的歴史をつくってきたはずなのです。

分断された韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則は、神様の真の愛を通して心と体が一つになった真の個人と真の家庭を完成するときに初めて可能なのです。さらにこの原則は、取りも直さず、世界が真の自由と平和と幸福を実現するための平和の原則にも拡大できるのです。

ですから、韓半島の統一は、未来の統一された一つの世界、さらに神様と人間までも一つにできる重要な契機をつくるものなのです。

きょう「韓国統一と世界平和」について議論する、ここ韓半島は、人類歴史を通じて葛藤してきた神本主義であるヘブライズムと人本主義であるヘレニズムの二つの思潮が、自由民主主義と共産主義という名のもとに鋭く対峙する、理念的対立の歴史的現場です。ですから、韓半島での理念的な分断克服は、すなわち統一された一つの世界を指向する理念的指標になるでしょう。

一九五〇年に勃発した韓国動乱は、第二次世界大戦後、全世界が米ソ両国を中心とする冷戦時代に突入する最も具体的な始発点でもありましたが、実に韓国動乱は、世界の民主陣営と共産陣営が鋭く対立する縮小版として、歴史の二つの系統となってきた神様の勢力と悪魔の勢力が対決する最前線だったのです。

このような観点から考えてみるとき、韓国動乱は、世界の善側を代表して悪魔の勢力と戦った聖戦とならざるを得なかったのです。今、冷戦時代の始発地域である韓半島が統一されなければ、本当の冷戦時代の終息は期待できません。

去る一九八八年にソウルで開催された第二十四回オリンピックがもつ意味は、大変大きなものです。十二年間も米ソ両陣営が互いにボィコットしたオリンピックに、初めて東西の両陣営が共に参加し、東西和合の始発点がつくられました。また類例なく世界から百六十ヵ国の国々が参加し、全世界の和合の象徴になったりもしました。

そしてこのオリンピックは、世界を健全なものにするには、肉体的な面だけではなく、精神文化的な面での発展がより一層重要だという認識をもたらす契機にもなりました。

そうして私は、八八年のソウル・オリンピックの幕が下りると同時に、全人類の精神と肉体の両面を、均衡を保ちつつ啓発させることのできる、新しい次元の人類の大祝典「世界文化体育大典」を開催するための準備に着手し始めたのです。

4. 霊的な大覚醒が必要な時

韓半島の葛藤は、先進国と発展途上国との間の葛藤だけではなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界問題の解決に対し、重要な方向性を提示する指標になるのです。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。

個人や国家や世界のすべてが、神様の実在に対する新たな理解だけではなく、神様と人間が再び出会い、切っても切れない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために私が提唱したのが、真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく、右翼でもない「頭翼思想」と呼ばれています。

私は、真の父母の使命を引き継いだのち、この「神主義」を通して世界平和を実現するために、あらゆる受難と試練を経験してきました。この「神主義」は人々に、人類歴史を通して人本主義に押し出され、物本主義によって忘れ去られた神様を再び探し出させ、神様と人間が共に出会う一致点を教えています。

無神論の本山として知られている旧ソ連でも、既に数万人の政治指導者、学者、宗教人などが、四泊五日の修練会を通して、「神主義」を悟り、新しい霊的ルネサンス運動に拍車を掛けています。

神様と人間が出会って一つになる場は、正に真の愛の場です。真の愛の中で、人間は神様に会い、永生を追求できるようになることによって、すべての世界問題を克服できるのです。すなわち、自分を犠牲にして、他のために生きる真の愛を通して、人種間の対決や、暴力、貧富の葛藤、環境破壊などに関する解決点を見いだすことができるのです。そして、真の愛を中心として一つになった家庭は、永遠と連結されるので、倫理、道徳の腐敗や青少年の堕落を防止できるのです。

5. 真の愛によって一つになるとき、人類の未来は明るい

二十一世紀の新しい歴史は、神様と人間が真の愛を中心として再び一体化するところから、その出発の起点を探し出さなければなりません。個人や家庭、社会、国家、世界のすべてが、真の愛の中で一つになるとき、人類は明るい未来が約束されるのです。

尊敬する世界の指導者の皆様。今日の時代は、既に政治、経済、文化などすべての面で国境を越えた超国家主義時代に差し掛かっています。これまで皆様が責任を負い、奉仕してきた国家単位の時代は過ぎ去り、これからは世界が一つに協力しなければならない新しい世界の舞台が開かれつつあるのです。

今日のこの世界はわずか何人にもならない小数の指導者たちによって、影響を受けて導かれています。この場にお集まりの皆様すべてが団結して、世界の人類を導く小数の指導者を教育し結束させるために先頭に立つ人になるならば、世界の未来は、皆様の手に委ねられるでしょう。

平和世界の達成は、すぐ目の前に見えています。二泊三日の皆様の会議が成功裏に行われ、人類の未来に新しい里程標がつくられることを願います。皆様のすべてに神様の加護が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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第八篇 13 世界と南北の統一は真の愛で

第八篇 13

世界と南北の統一は真の愛で

日付:二〇〇〇年二月十日

場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場

行事:「二〇〇〇世界文化体育大典」開会式および真の父母様御聖誕八十周年記念式

世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今、正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。

初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にあってくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。韓半島を取りまく列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それから生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することによって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったということを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。

これまで私は、世界各地の公式の場で、一万回以上にわたり、み言を通して「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。

1. 人類歴史は蕩減復帰摂理歴史

我が国の統一は、単に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって分かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に分かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理史的な側面から理解しなければならない事案であり、したがって、摂理的な次元で解いていかなければならないのです。

人類歴史は、人間始祖が堕落によって失ってしまった本然の世界を、再び取り戻すための蕩減復帰の摂理歴史です。ですから、歴史は、神様の創造理想の実現を目標とした、サタン側と天側との間で起こる善悪闘争の歴史なのです。

歴史の背後ではいつも、善の側には善霊が協助し、悪の側には悪霊が協助してきました。人間の堕落によって始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。

二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていれば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一し、十二支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、万王の王にならなければならなかったのです。しかし、イエス様が十字架にかけられたのち、外的な肉身を中心とした文化圏である人本主義のへレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。

一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。

人間始祖の堕落によって分かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか。神様をはっきりと狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、太初に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。

神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められるでしょう。サタンが神様に、「神様!最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。それとも、永遠の愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。

神様は、「永遠に愛するために立てた」と語られるでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な愛の神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使できなくなるのです。ですから、神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないというのです。

2. サタンを自然屈伏させるための神様の戦法

それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、いかなる環境の中でも、堕落してサタンになった天使長を愛さなければなりません。神様は、サタンがいくら暴れ回ったとしても、罰したり、打ったりすることができないのです。

いかなる状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられます。降服します」と告白しない限りは、神様は、完全な勝利を果たすことができません。それが問題なのです。神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、その道を歩まなければなりません。

世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ!」というものでした。言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。

神様がサタンを敵や怨讐とみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとすれば、絶対に勝利の絶頂を占有することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ!」と言って、愛の作戦を展開してきました。

神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事(働き)して自分の命を奪おうとする怨讐に対して、「彼らを赦し給え」と祈ったことは偉大なことです。もしイエス様が十字架で死んでいかれながら、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転していたでしょう。福を祈る、愛する心をもって死を克服したので、サタンが自然屈伏したのです。

永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生じたのです。サタンもこれを是認し、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。

ですから皆様も、神様のみ前で、「サタンよ、私は神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」と答え、それだけではなく、「神様の息子として相対圏を拡大していくであろう。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理と原則なので、仕方がありません」と答えるように行動しなければならないのです。

神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。

私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。

怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上の消化すべき主義は生じません。韓国が日本帝国主義治下にあったとき、韓国を含めた日本、ドイツ、アメリカの主要摂理四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐同士であり、日本とアメリカが怨讐同士であり、アメリカとドイツが怨讐同士だったのです。

私は、このような怨讐関係にあった日本人とドイツ人をアメリカに連れていき、「アメリカが神様を無視して失ってしまえば、滅びて死んでしまうので、アメリカを活かさなければならない」と言って、真の愛の道理を実践しました。日本人やドイツ人に、「敵対関係のアメリカを、自分の祖国を愛する以上に愛する伝統を立てなければ、天の願う新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。

怨讐の関係である国家を、自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を築かない限り、この地上に天国は顕現できません。このような歴史的伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。

私は、アメリカ連邦政府から屈辱を受けながら、罪なく法廷に立ったとき、アメリカの未来を心配しながら保守紙「ワシントン・タイムズ」を発行したり、放送局を設立させたりするなど、むしろアメリカのために、あらゆる努力を尽くしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類に及ぶ各種の教材を出版して、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。

3. 限りない犠牲による受難の道の克服

皆様。日帝治下において反日地下運動をした私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は日本人を愛しました。地下独立運動をしたかどで私を引っ張っていき、激しい拷問をした日本の警察官たちは、私の一言で処刑される運命だったのですが、反対に追われている彼らを安全に日本に送ってあげたのです。

今日、日本の多くの若者たちが、なぜ私に命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるからです。それは、国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛しながら生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、彼らは我知らず天命に従っているのです。

私は、日帝治下において、当時の日本にも恨みがありました。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びた者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する人に対しては、哀れみをもって対するのです。

そのような天であるので、敗者に向かって再度打つならば、打った者の子孫が滅びるのです。アメリカもまた、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥ったアメリカを救うため、父母、兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。

また、キリスト教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。互いに愛で和合しなければならないのです。二つが和合し、大韓民国を天のみ旨の前に立てて、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つになっていたならば、すべてが解決されていたのです。

しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前には、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐などと対峙してきながらも、闘わない条件を立てるために、限りない犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。

4. 南北を統一する方案

内外の貴賓の皆様。既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成主席の主体思想で武装をしています。私たちは、彼らを消化できる神様の真の愛を中心とした思想で武装しなければなりません。

北朝鮮は、ソビエト連邦から来た冷たい風が吹きつける北方文明です。私たちは、温帯圏の文明で、彼ら自身を溶かすことができるような作戦を取らなければ、互いが滅びるのです。ですから、私たちは、徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。

私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として物事を進めようとします。それで彼らは、自分の敵が現れれば、除去してしまうのです。

私たちは、そうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を結ぼう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう!」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕できる私たちにならなければなりません。

私たちが彼らに影響を与える環境をもたなければ、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になる復帰の国家が成立しないのです。したがって、韓国と北朝鮮は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。

お互いが利益となる愛を探し求めなければならないのです。皆様。現在、南と北の方向が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする、二つの分かれ道があるのですが、その目的が異なっているのです。どのように統一されるかという問題について見るとき深刻です。その主体的な使命は誰がしなければならないでしょうか。

それを韓国が主導するようになれば、北朝鮮が反対し、北朝鮮が主導するようになれば、韓国が反対するでしょう。互いが「自分のいうとおりにしよう!」と言うときには、統一されないのです。

自分自体に固執する立場からは、必ずまた決裂するでしょう。これをどのように克服するのかということが問題です。問題は、韓国を愛する以上に北朝鮮を愛する人が韓国に現れなければならないということです。同様に、北朝鮮を愛する以上に韓国を愛する人が北朝鮮に現れればよいのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。

韓国の誰よりも相手の国を愛する人、北朝鮮の誰よりも相手の国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。どんなに考えても、それ以外に道があるでしょうか。

それでは、これをどのように実践するかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも苦労し、韓国の人よりも苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決の方案なのです。

悪の世界と善の世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張できる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾できるのです。そのような意味から見るとき、イエス様は偉大でした。

ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない状況に立たされたとき、神様のため、イスラエル民族のための道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬ以外にはないと考えたのです。それが十字架の道理です。

人類を愛することにおいて、有史以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、有史以来、誰よりも愛したので、滅びる歴史がそこから新しい方向を取り、より次元の高い善の目的の世界へと進むようになったのです。それがキリスト教文化圏です。それは歴史的な事実です。

5. 南北統一はどこから何によって成し遂げられるのか

ですから、南北を統一できる方案は、南と北のために死ぬことができる群れになる道しかありません。それ以外に、統一できる道はありません。心から一緒に暮らしたいという心がなければならないのです。

人間はどのように生きるのか、あるいは私たちの人生航路はどのように行くべきか、ということを念頭において見るとき、その骨子を要約すれば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。

一つになって永遠に一緒にいたいと思い、一緒に暮らしたいと思う心です。上下を問わず、一緒にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、一緒に暮らしたいという思いに徹した人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。

「一緒に暮らしたい!」という、その内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に「一緒に暮らしたい」という思いがあるでしょうか。明らかに、私たちが共に暮らすことができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。

このように見るとき、上下、前後、左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通して認定できる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛です。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。

また愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万人をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。

したがって、愛国者の心のように、民族と共に暮らしたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びではなく、私たちすべての永遠の喜びとして残るものでなければならないと誓う、真の心情基盤が問題なのです。真の愛と心情の関係をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。

皆様。学歴のない女性でも、博士と結婚して愛の関係を結べば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に暮らそうという情の関係をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席できる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方なので、一つになることができる生活内容をもてば、同参できる資格が自動的に付与されるのです。

それでは、南北統一はどこから、何をもって成し遂げるのでしょうか。力で屈服させれば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。そのやり方では、統一を成し遂げることはできません。たとえ韓国の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと一緒に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道は開かれるのです。

北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、「あなたたちの困難と共に私は生きている。解放の一日を準備し、あなたたちの前に現れるであろう」と誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。

皆様。その最初の段階として、郷土とともにどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に暮らしたいと思わず、郷土とともに慕らしたいと思わない人が国を愛するというのは偽りです。国とともに生きてこそ、世界とともに生きるようになっています。そして、世界とともに生きてこそ、神様と生きるようになっています。ですから、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。

政治の指導者たちは国をどれほど愛しているでしょうか。彼らに、国民と真心から一緒に暮らそうという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。

分かれた南と北がそのまま一つになることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服できる心の決意と実践が必要なのです。「本当に一緒に暮らしたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい!」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。

南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国の問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来と世界の将来を見通さなくてはいけません。

そして、「私は、あなたたちと一緒に暮らす運動を本当に展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の愛の相続者」、あるいは「み旨の後継者」になるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆様にこのようなみ言を伝えているのです。

6. 真の愛とは何か

内外の貴賓の皆様。神様の真の愛を中心として互いに縁を結べば、必ず主管権と所有権、そして相続権をもつことができる特権が賦与されます。力学では、入力より出力が小さいですが、真の愛の世界では、入力よりも出力のほうが大きいのです。

真の愛とは、ために生きる愛であり、与えてはそれを忘れてしまうものです。与えたことも記憶しないのです。また、どんなに注いでも、疲れることがありません。九十歳を超えた父母が、七十歳になった息子に、「息子よ、車に気をつけなさい!」と言っても、不自然ではなく、何十年間、その言葉を繰り返したとしても、嫌気が差したり、疲れたりすることがありません。

堕落した世界の父母もそうであれば、ましてや本質世界において父母なる神様の愛を与えたり受けたりするとき、疲れることがあるでしょうか。人生で、神様の真の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であることを、初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。

私が、去る一九八四年に何の罪もなくアメリカの監獄に入り、獄中のベッドに一人で横になっているとき、神様が訪ねてこられ、「信じられる人はあなたしかいないので、ニカラグアの事態を解決しなさい」と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。

先進国を代表すると言われるアメリカには、二億四千万という国民と数限りない大勢の宗教家がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず、私を訪ねてこられた神様は、どれほど哀れであられるか、推し量ることができるはずです。

神様は、強い引力の愛を訪ねようとされるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。そのとき、私が「ワシントン・タイムズ」を前面に立てて援助する仕事を展開していなければ、南米は思想的に既に廃墟になっていたでしょう。

紳士淑女の皆様。我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息できる基盤を、皆様の家庭と私たちの教会、そして国に築くことを天は願っているのです。

7. 南北統一は真の愛で

それでは、何をもって神様に侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないのでしょうか。何をもって洗い流せば、神様はきれいだとおっしゃるのでしょうか。ほかでもありません。自分の父と母を愛する以上、夫や妻を愛する以上、子女を愛する以上の真の愛を中心として、その環境を築き、祭物的な祭壇を築こうというその立場から、初めて理想的な南北統一が出てくるのです。理想的な東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的な統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれます。それで、真の愛の鍵が必要なのです。

私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができます。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、民族、国家、世界、天宙、和合した真の人間が愛を中心として神様と一体になった世界が、真の愛のユートピアではないでしょうか。

すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛とともに、慕いながら生きることのできる地上天国や天上天国が建設されることです。しかし、この世の中に、すべてのものの主人格として登場できる驚くべき人生の価値とその特権的な権限をもった真の愛の主体者、あるいは対象者が、果たしてどれだけ存在するでしょうか。

きょう、この場に参席された皆様は、どうかこのことを忘れずに、心と体が一つになるように努力することによって、自らの夫婦同士で、より高くために生きる愛で愛し合い、家庭と民族と国家と世界を愛する真の人と家庭となることを願います。

もし、そのようになれば、南北統一は既に成就したのと同じです。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では、力なく収拾され、消滅してしまうでしょう。本当に愛する心をもつようになれば、南北統一は問題になりません。

それだけでなく、東西問題や、世界的南北の貧富の格差の問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結できる理想が成し遂げられることによって、この地上には、真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。

内外の貴賓の皆様。私は、四十年以上前から、ここでお話ししたように、統一の根本原則を宣言し、国内外で「神主義」を中心とした理念運動を土台として、周辺四大強国に、統一の国際的な基盤を造成してきました。

韓国と日本、そしてアメリカなどに、それぞれ数百万人を超える会員たちが、「国際勝共連合」と「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」の活動などを通して、民間基盤を構築してきたのです。これまで、私が主唱してきた「神主義」は、唯物論や無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されたものです。

8. 世界平和のために南北統一を信仰化しよう

南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。私たちは共に、真の愛の「神主義」によって私たちの価値観を確立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族、そして世界平和のために、南北統一を信仰化しましょう。そしてこの時代に、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。

真心から一緒に暮らしたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。特に、人類歴史の始まりに、エバの失敗によって歴史が誤ったので、「終わりの日」には、女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。

女性の使命は、子女格の青年男女および学生たちを、真の教育を通して真の子女として復帰していくことです。さらには、母と子女が一つとなって手本を示し、夫までも教育を通して真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心として侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。いま一度、きょうのお話が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会うその日を早める全国民運動となることを願いながら、お話を終えようと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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第八篇 14 神様の王子、王女が行くべき生涯路程

第八篇 14

神様の王子、王女が行くべき生涯路程

日付:二〇〇〇年三月八日

場所:韓国、全羅南道、木浦室内体育館

行事:真の父母様御聖誕八十周年祝賀南北統一前進大会

南北統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。

初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。

私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それからのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったことを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。

これまで私は、世界各地の公の場で、一万回以上のみ言を通して、「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。

きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目で、お話ししようと思います。

1. 世界のすべての国家の起源はどこか

内外の貴賓の皆様。皆様はどの国の国民ですか。ほとんどが韓国の国民であると思います。韓国が皆様の祖国です。それでは、神様の祖国はどこになるのでしょうか。神様の祖国は、今はありません。この世界のすべての国家の起源はどこでしょうか。神様が起源になっているのでしょうか、それとも、他のところが起源になっているのでしょうか。このような国家の歴史的な起源が問題になっているのです。

この世の国々は、闘いによって分かれて生じました。ですから、ある二つの国があるとき、その二つの国の境界線は、深い恨みのこもった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心として、より熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があることを私たちはよく知っています。このように二つの国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。

闘いは常に、何万里も離れた所に行ってするのではありません。昔から、隣接する二つの国家の境界線を中心として闘いが展開してきました。ですから皆様も、最も近い隣人と闘うようになっているのです。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間で闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。

堕落とは何でしょうか。神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明するものであると結論を下すことができるのです。そのようにして生じた国々はどこに行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求するのですが、平和の世界に行くことができるのでしょうか。このような問題が、今、人類共通の課題として残されているのです。

平和の世界というのは結果の世界ですが、誤った出発、すなわち誤った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。ですから、このような戦争の起源を克服して越えていく運動を展開することにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができるのです。原因が完全なので結果が完全であり、平和で始まったので平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。

このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家だからといって、憎み続けようとすれば、永遠に平和の世界には到達できないのです。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まったその動機を否定し、誤った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容をもって主張する運動が必要なのです。

2. 私たちが探し出さなければならない祖国とは

内外の貴賓の皆様。皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったでしょうか。歴史上に、「私の国だ」と言うことができる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、もつことができなかったのです。それは、その国を探し出すために苦労する人がいなかったからでしょうか。

そういうわけではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えた位置では、探し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を探し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。私たちが探し出さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。

私たちは、次元の違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がいるとすれば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国をつくろとするならば、その国の主権を中心として国民が一致できる国になることを願わなければなりません。そのような国民性を備え、国家の形態を備えなければなりません。

一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。このうちどれ一つとして欠くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何でしょうか。世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。

国のために生きる基準で、実際に行動をしている中で死んでいった人々は、死んでもその国の国民になるのです。その国がなくなる時まで残されるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければならないのですが、主権とは何でしょうか。根源的な神様と関係を結ぶことです。国を統治する人は、国民が深く寝入った後に、神様と関係を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。

そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして、国民は万民です。国土は地球星です。

地上天国は誰に似たのでしょうか。「私」に似たのです。一つの国を見れば、主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は「私」に似ていて、「私」という個人が集まって国になるので、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければならず、人間に万物があるように、国土がなければならないのです。このような原則から、国土は人に統治され、国民は主権に統治されるのです。この国土、国民、主権が、国家形成の三大要素です。そのようになっています。

人を見ると、心は体を統治し、体は万物を統治するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば「天、地、人」であるという決定的な結論が出るのです。「天」は何でしょうか。人間の心と同じなので主権と同じです。「人」は国民であり、「地」は万物です。結局、国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。

いくら大きい社会、いくら大きい国家だとしても、人に似なければならないのです。それは、神様が御自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何でしょうか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのでしょうか。人に似なければなりません。「天地人」に似なければならないのです。

統一教会の用語で「祖国」というのは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世の中でも使われるので気分が良くありません。このような「祖国」を探し求めていく主義を統一教会では「天宙主義」というのです。その祖国は、大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国でもなく、アメリカでもなく、共産国家でもありません。その祖国は神様が願う祖国です。ですから、私たちは、新しいその祖国の文化を成し遂げなければならず、その祖国の歴史を成し遂げなければなりません。

私たちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めて私たちの生活を変えなければなりません。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理結果主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」といった重要な言葉を、世の中の人々は知りません。ですから、違うのです。

3. 神様の祖国光復はどこから実現されるのか

統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。

大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければなりません。世界のための宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。

満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様。神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、その人はいかなる主張をしなければならないと思いますか。この世の人々が好む、そのような方向に行きなさいという主張は絶対にできません。

むしろその反対の道に行きなさいと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい!」というものです。「怨讐を愛せ!」というこのみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものとして、台風に押し流される船の錨のようなものであり、錨綱のようなものです。

しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛せ!」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛する人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備え、世界的な版図を確保しなければなりません。

このような結論が出るので、そのような運動を神様が提示されなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動なのです。

今まで、神様が最も愛する人は誰でしょうか。イエス様です。イエス様は、争っているこの世界に新しい方向を提示してくれました。ローマやイスラエルのように、抑圧国家と被抑圧国家との間には、互いに怨讐視し合う高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまわなければならないというものでした。

イエス様は「ローマよ、お前は力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛をもってお前を征服する」と考えたのです。それで、十字架にかかりながらも、怨讐のために福を祈ってあげたのです。

そのような思想は、ローマの兵士たちのために「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)という驚くべき祈りとして現れているのです。

イエス様がそのようにされることによって、世界のすべての国が互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることのできる一つの原型、または模範となりました。

イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないことを知っていました。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐が四方から縛りつけていることを知っていたのです。

これは、私に従い、私が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待ち受けているということなのです。そして、家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるのですが、そのたびに怨讐を愛しなさいという言葉なのです。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるのです。

それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国光復はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。

ですから、神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて、怨讐までも抱こうという運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。

大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、恨みを晴らす悪魔サタンの種を蒔けば、恨みを晴らす悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の道理なのです。

神様の祖国は、どこから、どのような道を通して訪ねてくると言ったでしょうか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残す道を通して訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないことを、皆様は知らなければなりません。

考えてみてください。アメリカが反対し、国務省が反対し、国会が反対したので、私は、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、アメリカで勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。

それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、私に返ってくるようになっています。私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対されれば反対されるほど、怨讐を愛するこちらの気持ちがより大きくなるので、たとえ反対が大きいからといって落胆する必要はありません。

自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になるようになっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。アメリカの国務省が高い所から反対するとき、私が低気庄圏を形成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカの国務省は私に屈服してしまうでしょう。私は、非難されながらも闘わずに彼らを愛していったところ、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。

怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想郷となることができ、人類が入っていく理想郷になることができることを知らなければなりません。

私、文総裁は、みすぼらしい男です。皆様は「そうではない」と言いますが、世の中の人たちは、私を愚かな人と思っています。しかし、神様は、私のことが一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めてくださるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。

怨讐を愛する心をもてば、語れない言葉がありません。なぜでしょうか。神様が送った男性を美男子というならばそのような人が美男子であり、すてきな人というならばそのような人がすてきな人であり、堂々として勇ましい人というならばそのような人が堂々として勇ましい人であると考えるので、私は、それを光栄に思い、世の中に対して自信をもって攻勢をかけるのです。

私一人がその境地に浸って活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにすることによって、神様が喜ぶ青年男女が生まれ、神様が喜ぶ五色人種の家庭が生まれ、神様が喜ぶ民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。「怨讐を愛しなさい」とあるので、最も憎むべき人でも愛さなければなりません。

一番の美男子に一番の醜女を結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛することにおいて、最高の王子の旗を掲げて前進する候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください、そのような人は、民族の国境を越えることができるのです。愛する心さえもって暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮され、天国が近づいてくることを知らなければなりません。

私の哲学は簡単です。より大きなもののために犠牲となり、奉仕をすることです。私は、やってみなかったものがありません。農民にも、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってまぐろも釣りました。そのようにして生涯を送ってみると、一人だと思っていたのに、あとからイギリス人もついてきて、アメリカ人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてきてはいけないと蹴飛ばしても、またついてきて、後ろに行ったと思っても、またついてきます。

4. 私たちの行くべき地上の第一目的地

内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今から行くべき道は何でしょうか。いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆様は国のない人々です。ここが皆様の国でしょうか。皆様には国がないのです。たとえ氏族があったとしても、その主権が天を中心とした主権でない場合は、主権が民族を排除してしまうこともできるのです。

ですから、天が歓迎できるその国を探し求めていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎できる、そのような地になるべきなのですが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎する立場に立っていません。

そのようになることができませんでした。方向が違います。大韓民国が進んでいるのは外的です。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいるのです。この国の主流的な思想がありません。

したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家以上の内容をもって実現しなければ、祖国光復を迎えることはできません。

今日の解放というのは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要です。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。

大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないのです。その国はどのような国でしょうか。

その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらなければならず、蕩減復帰原則に一致する国民性をもたなければならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。

今日の大韓民国がそのような国になろうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。

北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた韓国と北朝鮮を一つに統一しなければなりません。カイン国家とアベル国家に分かれたように、南北に分かれたのですが、これを統一しなければ、一つの勝利的なイスラエル国家が現れないのです。

それでは、大韓民国を中心として、北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないのでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなければ統一できません。この時に備えて、「新しい思想をもって進んでいこう」というものが、今日の統一教会が主張する「統一思想」です。

今後、私たちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることのできない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることのできない鉄のような信仰で団結した宗教国家をつくらなければならないのです。

このような思想を中心として、南北が統一された国家を成し遂げなければなりません。そうでなければ、神様の国、世界に誇る天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私たちの行くべき地上の第一目的地であることを知らなければなりません。

祖国を得ることができなければ、サタン世界の国家を凌駕できる、天を中心とした一つの国をもつことができません。その国をもつことができなければ、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。統一教会ではできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければならないのです。

そのような問題が残されていることを知らなければなりません。このような点から見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教だったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教のような立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。

今後は、国教にまでなるべき時が来なければなりません。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。

5. 祖国光復の密使として取るべき姿勢

紳士淑女の皆様。今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大きい小さい、広い狭い、高い低いという差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活を離れてはいけません。ここには、いつも生死の脅威が介在しています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。

ですから、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれる私たちの祖国を探し出すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ、密使の生活はできません。

その祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶということを考えて、新しい歴史を創建し、祖国光復の一日を迎えるその時に、自らの功労が表れることを思いながら、現在の立場にとらわれないようにしなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。

言い換えれば、祖国光復のための希望が現実の希望より千倍、万倍強くなってこそ、今の生命と引き換えるようなことがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、その位置には新たな密使を再び派遣できるのです。

既にその人が死んでしまったとしても、その人の友人になることができ、その人の味方に立つ人々が現れるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたので、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の味方に立つ人々が残るのです。

そのような人々が残っている限り、神様はその基台の上に代わりの人を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んだ場合には、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。

このような立場で、皆様は、今や新しい時代を迎え、いかなる姿勢を取らなければならないのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりも強烈に胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間、神様が待ち望まれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この途方もない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。

過去に生きた数多くの人々がもつことを望みましたが、もとうとしても、もつことができなかった特権、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。

したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として、凜々しく「見事にこの使命を遂行するのだ」と言って立ち上がってくれることを、神様がどれほど待ち望んでいらっしゃるでしょうか。

今までは、激しく追い込まれ、追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のそのみ旨、祖国を立てることができる、そのみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。

今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、国土があり、国民がいます。また、そこには、単一民族の血統の関係が結ばれており、他の民族がもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。

そのような使命を自分自ら早いうちに完遂すればするほど、祖国光復の基台が自分によってどんどんと近づくのです。きょう、苦労の代価を払うことが祖国光復の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆様は生きて密使の使命を完遂するという決意をもって進んでいかなければなりません。

そうでなければ、これから神様が私たちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができません。私たちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を探し出し、その国の中心と一つになって、天が願った希望の基準を備えて帰ってこそ、お父様の前に面目を立てることができるのではないでしょうか。

皆様に国がありますか。ないことを考えると死ぬに死ねません。死んだら、どこへ行くのでしょうか。行って、その面目のない立場と恥をどのように免れるのでしょうか。私の生命の寿命は制限されているので、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。

そのうえ、悪のサタンの環境が私たちに反対し、怨讐たちが私たちの道を妨げるのではないでしょうか。これを切り開いていこうとするのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。私が行くことも、来ることも、その国を探し出すため、祖国光復の建国の功臣になるためです。

そのような使命を果たすために、天の密使として指令を受け、今日の悪の世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。そのようにしなければ、皆様は、今後訪れる国の国民としてその威信と体面を立てることができないことを知らなければなりません。

皆様は個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか、世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとすれば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆様の国がありますか。

ですから、私たちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、生きているのです。そのことゆえに生まれたことを知らなければならず、天地を中心として誓う生活をしなければなりません。寝るときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の数多くの人種を集めた頂上に座っているという心をもたなければなりません。天の息子はそうでなければならないのです。

サタン世界の権限を凌駕する位置、栄光の位置を占有して生きなければならないのが天の息子、娘の生活であることを、皆様は知らなければなりません。神様が息子と娘を愛そうとするなら、そのような息子と娘を愛するべきであって、サタンにも劣る息子、娘を愛すれば、父としての威信が立ちません。皆様は、そのような信念をもって、今後、全世界と手を結んで日々の生活を送ろうと、新たに決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線基盤は確固たるものになると思うのです。

「私は、たとえサタン世界の圏内にいたとしても、天の密使である。天の大使である」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡できる道があるのです。そのような密使の使命と威信のために生きているという信念をもっていかなければなりません。これを皆様は、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。同じように私たちがこの地上で、そのような使命を果たそうとするならば、神様も私たちの報告と私たちの要望を待っておられるようになるのです。

したがって、私が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。それと同じように、皆様がそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘であることを認識しながら、「私はこれを願うので、成し遂げてください!」と言えば、成し遂げてくれるのです。

そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれることを見ることができるのです。そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の人がいれば病気を治すことができ、困難な時には、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。それでこそ自信が生まれ、それでこそ信念をもって、すべてのことを打開していくことができるのです。

6. 神様の真の息子、娘の行くべき道

尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちが行くべき所はどこでしょうか。個人を訪ねていくことが、私たちの行くべき目的ではありません。また、家庭を訪ねていくことが現在の私たちの目的ではありません。私たちがいくべき道は、国を訪ねていくことなのです。父も、母も、子女も区別なく、これを探し出さなければならないのです。

ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか、教会だとか、私とは関係ない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。

死ぬ時まで国を探し求め、あらん限りの精誠を尽くし、それこそ天国の光復のために勝利の凱歌を上げることのできるその時が来なければなりません。イエス様の言葉ならば何であっても、それがすべてだと思うようでなければなりません。方向を提示するときは、二つではなく一つです。その方向に行こうと言えば行かなければなりません。

そのようになっています。それでは、夫を捨てて、子女を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、どうしなければならないでしょうか。それでも行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか。統一教会のためにそのようにするのではありません。国のためにそのようなことができなければならないのです。

今、北朝鮮では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。それはどういうことだと思いますか。サタン世界が先に行っているのです。国のためには、自分の夫や妻、父母、子女を問わず、すべて捨てて進み出ることができなければなりません。そうでなければ、希望の国を探し出すことができません。

その国を探し出したとき、その国と共に父母を得ることができるのです。国を探し出すことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにあるでしょうか。

国を探し出す前には、妻を愛することができないのであり、父母を愛することができないのであり、子女を愛することができないのです。これがキリスト教の行く道であり、統一教会の行く道なのです。

皆様は、自分を否定して「神の国」と「神の義」のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆様は、自分に対するお父様の希望があることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆様になって初めて、神様の真の息子、娘だと言うことができるのです。

それでは、「神の国」を建設できる人とはどのような人でしょうか。自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して社会と民族、国家、世界のために生きる人が、正に「神の国」を建設できる人なのです。

さらには、国家と世界を否定しても、天のために生きる人が天国を建設できる人です。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ、「神の国」を建設できるのです。

それだけでなく、皆様は、「神の国」と「神の義」を探し立てるその過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。

すなわち、皆様がいかなる立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のいかなる環境の中にあっても、サタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の最も難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。

六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、私は降参します」と言って目を伏せて帰っていくと思いますか。皆様は、雑巾であっても、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雜巾でも、ひっくり返して臭いを嗅いでみてから捨てるのです。

ですから、サタンはそのまま退いてはいきません。がむしゃらな闘いをしてくるのです。したがって、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになる時には負けてしまうのです。方向が合わなければ発展しません。「神の国」を探し出すことは、世界を探し出すためであり、世界を探し出すことは霊界のためなのです。

そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えし、そして定着し、万国が神様を中心に侍り、その神様のみ前に勝利の栄光をお返しして差し上げるために行くのです。そのような闘いをすることが統一教会の使命であることを知らなければなりません。

私たちは、裸足で乗り出していき、祖国を創建しなければなりません。食ベ残したもので、この国を生かすことができるでしょうか。食べること、着ること、乗って行き来することに、いつ神経を使っていられるでしょうか。裸足と素手で開拓していかなければなりません。そのようなことを行う所が統一教会なのです。

皆様は祖国を探し出さなければならない勇士ですか、それとも祖国を滅ぼす亡士ですか。勇士とは国を代表し、他の人ができない仕事をできる人のことをいうのです。誰もができる仕事をする人は勇士とは言いません。そのような人は兵士です。

同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人ならば、その人は勇士です。勇士の「勇」の字は「すばしこい」という意味があります。誰よりも速く走り、鉄砲の玉もよけられるほどにならなければなりません。誰もができる仕事をする人は勇士とは言えないのです。

7. 祖国光復を成し遂げる土台

「神の国」を建国するに当たり、開拓の勇士となるべき、先鋒に立つ将軍は誰でしょうか。「神の国」を成し遂げることができる土台はどこでしょうか。一つの国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。

それでは、天の国を中心として見るとき、国土となる土台は何でしょうか。それは、教会の財産しかないのです。それから、天の国の国民とは誰でしょうか。教会員です。また、主権者は誰でしょうか。皆様です。皆様が里長の代身者であり、面長の代身者であり、郡長の代身者であり、道知事の代身者です。

皆様。主体者になりましたか。サタン世界から爆弾を載せて攻繫しようとしたら、最初に飛び出して準備していかなければなりません。そのような心がありますか。

そして、お金が一銭でもあれば、教会を広げるために使うのです。その国の版図を広め、国民を結集させることに使うのです。教会の責任者は主権者の代身です。里長を身代わりし、父母を身代わりするのです。このような伝統的思想を残さなければなりません。

しかし、私たちには何もありません。この韓国に立てられる国はどのような国でしょうか。互いが流通し、交流するようになる時は、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままになるでしょうか、それとも、どちらでもない、新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について考えると、私たちの時もだんだんと近づいてきていることを感じるようになります。

皆様がこれをきちんと処理し、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、またどの程度の犠牲の代価を払う決意ができているでしょうか。休戦ラインを越えて北朝鮮に入り、北朝鮮の五つの道の市、郡を中心として、私たちの基地を準備しなければなりません。

人員が不足なこの時に、誰が北朝鮮の地、定州ならば定州の責任者になるのかを考えなければなりません。

定州の郡ならば、定州の郡を中心として私が責任者にならなければならないと考え、十年、二十年準備し、それでもできなければ、子孫に「お前は、一生懸命に勉強し、一生懸命に準備をして、その日を迎えたら、定州の地において、天との関係を代表する責任者になりなさい!」と遺言して死ぬことができる、そのような精誠を尽くす皆様になってみましたか。

私は、今まで、そのように考えながら準備しています。そのようなことを考えると、若い人たちは、地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっているでしょうか。そのように暮らすようになっているでしょうか、いないでしょうか。死んでも国を残してから行かなければなりません。死んでも、子女たちに国は残してあげなければなりません。ですから、新たな決心をしなければならないのです。

「私は、あのソ連と満州に隣接する地方に行って、共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら、国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。

国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と引き換えても、神の国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それでこそ満点なのです。世の中は理解してくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべてが明らかになるようになっているからです。

このようなことを考えるとき、人手が足りないことを皆様は知らなければなりません。人が不足しているので、かかしのような男性であっても、ラッパを担がせ、あるいはロボットをつくって北朝鮮の地を歩き回らせ、ラッパを吹かせたいというのが、私の心情であり、神様の心情です。

口があり、感情をもった男性として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。夜は眠らずに勉強をしなければなりません。

おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにしてやせこけた体が、天の愛をことごとく受ける体になるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待をかけることができるのではないでしょうか。

8. 祖国光復のために私たちはいかにすべきか

イエス様も、国を建てるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとするならば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を土台として審判するのです。

祖国は最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれています。この三千里半島(韓半島)が祖国になったでしょうか。そのようになっていないのですから、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、私たちは一片丹心で努力しなければなりません。善とは何でしょうか。

家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国光復のために氏族が犠牲になることが善です。祖国光復のためにすべてが犠牲になって、祖国光復が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。

国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭と氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道の基準は、神様のために絶対的に忠誠を尽くすことです。そのようにすれば、その過程のすべては認められるのです。

私たちはいかにすべきでしょうか。イエス様は「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「みこころ」とは神様のみ旨のことです。

統一教会員である皆様は何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもってきて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。

イエス様は祭物の使命を果たして逝かれました。皆様は世界的な闘争をしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければなりません。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。

指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆様は、民族的な道を築かなければなりません。数多くの人々が光復の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成し遂げられる」という信念をもって死んでいったのです。

統一教会員は、個人から民族と国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは、祖国光復、自由、平等、幸福の日を探し求めていかなければなりません。

その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私の見つめる観点であり、神様が願われる甚準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私たちは祖国光復の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。

韓国は、私たちが責任をもたなければなりません。あすも変わることのない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、預言者と烈士の祖国、神様の祖国を建てられなかった恨を解かなければなりません。

そうでなければ、面目が立たないのです。私たちは、祖国を探し出さなければなりません。祖国を探し出そうとするならば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を探し出すことはできません。

それでは、どのように生きることが祖国のために生きることなのでしょうか。世界を自分の祖国と思って、世界のために生きなければなりません。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものにならなければなりません。

ですから、私たちは、たとえ共産党から刃物で刺されることがあったとしても、行くという覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、私たちが行かなければならないのです。

そのためには、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚するのです。私たちの祖国のためにです。

9. まず神の国と神の義とを求めよ

今は、私が話せば、聞くことのできる群れが生じ、私が方向を提示すれば、動くことのできる群れが生じましたが、それで幸福を感じるような男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国光復を約束できる、そのような土台を広めていくつもりです。

六千年摂理の中心的なみ旨として立てた家庭を信奉できる教団と民族、そして国家がなければなりません。神様を信奉できる土台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたので、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するためには、先頭に立って走らなければなりません。

夜になって寝床に入る時間にも、その希望の国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなければなりません。

見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成し遂げるためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。

やるべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の光復というものは、時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ得られると思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも加えるべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるでしょうか。

起きては腰を曲げて、「お父様!あなたが訪ねていかれるあすの安息の住みかであり、あなたが行使することを願われた世界を統治する勝利的国家の土台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。私自身がそうなのですから、天が探し求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と祈らなければなりません。

疲れたからといって思いのままに横になることはできないのです。死んでも国のために死ななければなりません。

ですから、年を取って疲労を感じる、そのような立場、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。

イエス様は、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一・三三)と言われました。

このように聖書の主流思想は「神の国」です。「神の国」を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたら、その夫は国を代表した夫です。ですから、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻なので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。

死ぬにしても、自分のもつ力をすべて使い果たし、自分はこれ以上できないというその立場で「死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかった」という言葉を残して死んではなりません。

ですから、どんな仕事も、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、私たちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ!サタン世界よ、お前は何もせずに遊び暮らしていろ。我々は神の国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。

南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。特に女性の使命は、子女格である青年男女および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。

きょうのみ言が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会う、その日を早める国民運動になることを願いつつ、私の話を終わりたいと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第八篇 15 神様の平和王国は祝福家庭の真の祖国

第八篇 15

神様の平和王国は祝福家庭の真の祖国

日付:二〇〇五年六月二十五日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ジェイコブ・ジャビッツ・コンベンションセンター

行事:アメリカ四大都市巡回講演

尊敬する全世界の各界の指導者の皆様。公私共にお忙しい中であるにもかかわらず、このように満場の盛況を博してくださり、心から感謝申し上げます。私が、四十七年前の一九五八年以降に、天のみ前に深刻な心情で捧げた祈祷文の一部を、きょう皆様に読んでさしあげることによって、本大会の基調講演を始めようと思います。

1. 『天聖経』に収録されている祈祷文

愛するお父様、天が屈辱を受けるその恥ずかしさを恐れながら、幼い時から今まで闘ってきた私を守ってくださったお父様の恩賜に感謝申し上げます。この地に何が良いといっても、お父様が運行される本然の心情につながったもの以上に貴い基準がないことを思うとき、人間はその立場を無限に恋しく思わなければなりません。お父様のその真の愛に接する人は、世の中の万事をすべて忘れても、未練の残らない立場に立っていることを知らなければなりません。

愛するお父様、今、私たちは、お父様の愛に浸って暮らす理想世界、すなわち私たちの本郷を訪ねていかなければなりません。第三の生の自由権をもって解放児として出生するその日を、今日この地上世界で準備しなければなりません。赤ん坊が胎中にいるとき健康であってこそ、地上界に生まれてからも、その一生が健全であり得るのと同様に、私たちの地上生活が健全であってこそ、天国での生活が健全であることを悟らなければなりません。

天と地が協助し、万宇宙の動的な運勢に拍子を合わせることができる立場に立つためには、今日、私たちが身を置いているこの世は相克的であり、悪が主管する世の中なので、私たちは死を覚悟しなければ勝利できないという事実を悟らなければなりません。私たちの子孫たちは、今日の私たちと同じ立場に立てられてはいけないことを肝に銘じなければなりません。

愛するお父様、今まで歴史を通して、私たちに新しい春の環境を開拓してくださるために、絶えず苦労されたお父様でいらっしゃることを知っております。したがって、私たちが新しい春を迎えるためには、私たちの生命がお父様と完全に同化できる関係を備え、またそこに吸収されなければならないことを知らなければなりません。そうしてこそ、春を迎え、美しい花を咲かせることができることをはっきりと知らなければなりません。

一輪の花が咲いて実を結ぶためには、夏と秋を経なければならないように、私たちの人生行路も、実を結ぶためには、当然通過しなければならない過程があることを悟らせてください。

いくら歳月が過ぎていき、暴風雨が激しく吹き荒れても、内的な生命力は、そのような環境の侵犯を受けずに絶えず発展の路程を継続してこそ、春を迎えて再び沃土に蒔かれる、第二の生命の母体、すなわち完熟した種になることを知らなければなりません。

同様に、私たちの外的な姿は、たとえみすぼらしく、哀れに見えたとしても、内的な姿は、無限の生命力を集約できる母体かつ結実体として、無限の世界に植えられる人であることを忘れてはいけません。その外的な姿が悲惨になればなるほど、内的な価値はより満たされ、充実することが分かるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。

愛するお父様、お父様に侍り、謙遜に敬礼を捧げたい心のない人は、永遠のあの世で、お父様と関係を結べないことを知らなければなりません。

今、私たちが、心の門を開いてお父様の心情を感じさせてくださり、きょう、私たちの心から聞こえてくるあなたの声を聞き、失った自分の体を探すことができ、お父様が私一人を探すために、歴史の背後においてどれほど多くの艱難と苦労の路程を経てきたかを感じて、自ら頭を下げる私たちとなるようにしてください。

2. 永遠で不変の真理

尊敬する指導者の皆様。真理の第一の属性とは何でしょうか。永遠で不変だということです。レバレンド・ムーンが本当にこの地上に天の真理を伝え、人類を堕落の世界から救ってあげるために、天の印を受けて顕現した救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であるならば、その教えは、二十年前も、四十年前も、きょう現在も、一点一画の加減もない不変の真理でなければなりません。

皆様がお聞きになったように、私は、かつて十六歳(数え)の青年の年に天の召命を受け、神様のみ旨をこの地上に成し遂げてさしあげ、人類を救援するために八十年以上の生涯を捧げてきました。

私の教えは、私の知識や哲学から出たみ言ではありません。五十年前にもそうであり、今この瞬間も、そして今後も変わりなく、私の口を通して伝えられるみ言は、天が下される真理のみ言であり、人類が永遠に信奉して実践しなければならない天理です。たとえ六十億の人類全体が反対するということが起きたとしても、私が伝える真理のみ言は、永遠で不変の真理そのものです。一点一画も加減できる余地がありません。

したがって皆様は、きょう私の四十七年前の祈祷文でも聞いたように、心の門を大きく開いて天のお父様の心情を感じることができなければならず、皆様の心の奥深いところから響いてくる天のみ言を聞くことができなければなりません。アメリカを離れた私の足を、再びここまで導かれた天の大いなるみ旨と愛を、皆様は決して忘れてはいけません。

皆様。私たちの人生行路を大別してみれば、人間は愛から生まれ、愛の中で成長し、愛に浸って暮らし、愛の中で死ぬようになっています。したがって私たちは、生まれることも感謝しなければならず、生きることも死ぬことも、すべて感謝しなければなりません。皆様は、生まれるその瞬間から父母の人生を共有する位置に入ります。愛の同参者になるという意味です。

父母の愛によって生まれたので、皆様には父母の愛の旗が掲げられています。一生の間、この愛の旗を守って生きるのです。父母や兄弟たちのために、一生の間、この愛の旗を振ってあげながら生きなさいというのです。

瞬間を無視する人は貴いものをもつことができません。勝利圏が決定するのも瞬間です。歴史的な勝利圏や天宙的な勝利圏も瞬間に決定します。したがって、一瞬一瞬を輝かせることのできる無限の価値を感じて生きる人は偉大な人です。そのような人は、聖人の隊列にも上がることができ、聖子の道も決して例外ではありません。

3. 神様のみ旨と共に生きる人生か

このような観点から見るとき、私たちの人生は、神様を中心として一日の生活圏内で、あるいは一時間圏内で、どのようにみ旨と関係を結んで生きるのかということが、重要な問題にならざるを得ません。み旨が成就されてみ旨の国が訪れることを願う前に、自分自身がみ旨とどれくらい一致して生きているかがより重要だということです。

復帰摂理歴史を見れば、アダムの家庭からノアの家庭、アブラハムの家庭、モーセの家庭、イエス様の時まで四千年の歴史が流れてきましたが、彼らが失敗するようになったのは、十年あるいは数十年の期間をおいて失敗したのではないことを知ることができます。彼らの失敗は一瞬の間に起きたのであり、その一瞬の失敗が数千年を経てきながら、彼らをして蕩減の道を歩ませ、数多くの民族と国家が滅亡の窮地に陥っていくようになったという事実を私たちは知っています。

このような事実を見るとき、私たちの人生の一瞬一瞬がどれほど恐ろしく、途方もない瞬間かということを知らなければなりません。永遠の天国も、一瞬を離れては存在できません。永遠の出発は、私が死んで始まるのではなく、私が天のみ旨を知ったその瞬間から始まるのです。ほんの一瞬でも、飛躍があったり、穴が開いたりすれば、永遠性は消滅してしまうのです。

したがって信仰者は、永遠を夢見ながら進んでいくのも重要ですが、それよりも重要なことは、現実生活でどのように悪を清算し、善を実践するかというところにあります。言い換えれば、今日の信仰者が恐れるべきことは、「終わりの日」に訪れてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内に訪れてくる時間と瞬間を、どのように天のみ旨と一致させて生きるのか、すなわちどのようにみ旨と交差する道をつくっていくのかというところにあるのです。

今日私たちが生きている家庭、社会、国家、世界は、すべて私のみ旨に符合する環境を提供できていないので、私たちは、あらゆる苦真の中で善悪の分岐点を行き来しながら苦しんでいます。一日の生活をすべて勝利するためにも、周囲の環境との闘争を甘受しなければなりません。

一日の日課だけを見ても、朝に計画したことを、自信をもって一〇〇パーセントやり遂げることができないときが多いことを経験します。さらに、その環境の範囲が大きければ大きいほど、自分の一日の生活を勝利として結実させるためには、その範囲の大きさに比例して、より大きな決意と推進力をもたなければなりません。そのような一日一日が積み重なって一カ月になり、一年になり、ついには私たちの一生になるのです。

4. 本郷を訪ねていくべき人生行路

皆様。今日この地に生きている人々は、時間の制約から抜け出すことができません。人類歴史を見ても同じことです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界も、同じ時間圏内で動いています。

人が生きていくところには、必ず達成しなければならない目的があります。その目的を中心として、十年、二十年、あるいは一生を走っていくのです。目的が大きければ大きいほど、内的な覚悟と決心が大きくなければなりません。時間という過程を通して、その目的を凌駕できる内的な決意を確固たるものにしない限り、その目的を成し遂げることはできないのです。

皆様は霊界のことが分かりませんが、レバレンド・ムーンは神様の特別な恩寵圏にいるために、この未知の世界についてはっきりと知っています。その世界の根本をのぞいて見ると原則は簡単であることが分かりました。

そこは、神様の天理原則に従って「ために生きる人生」を生きた人たちは、自動的に天国に入るようになっていますが、利己的で自分だけを中心に生きた人たちは、地獄行きを免れることができない世界です。

ここで言う天国とは、神様が太初に願われた創造理想を完成した平和王国のことをいいます。そこが正に私たち人間が訪ねていかなければならない本郷です。

今日の私たちは、堕落によって本郷から追放された私たちの先祖アダムとエバの後裔なので、本郷の地に向かって再び戻っていく運命に置かれていることを知らなければなりません。

しかし、その故郷は、人間の力だけでは帰ることができません。神様が、歴史過程を通して堕落人間が帰る道を設定してくださってこそ可能なのです。それで神様は、歴史を通じて、それぞれその民族の文化と伝統に応じて異なる宗教を立てて人類を収拾してこられたのです。

宗教は、人間が本郷に帰る資格をもつ存在になれるよう錬磨させる訓練所にすぎません。東西、四方の文化背景によって、より高い次元に前進できる一つの統一された宗教世界に導いていく過程的路程なのです。

そのような本郷の所に導かなければならない使命があるので、宗教は利他的な人生を教えてきたのです。真の愛の真髄である「ために生きる人生」を実践するために、人間は柔和、謙遜を最優先に実践してきました。多くの人を敬い、全体のために生きる位置に立ちなさいということです。犠牲になって奉仕しなさいということです。

人生の究極的目的は何でしょうか。神様の愛を占領することが人生の行くべき最高の終着点です。男性も女性も、すべての人が行くべき道です。十回、百回死の峠を経て、死んでも行くべき道が、神様を求めていく人生行路だというのです。

人間の欲望の終わりはどこでしょうか。神様の愛を占領することだと言いました。しかし、神様を占領したとしても、神様の内的核である真の愛を占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。ところが、神様の真の愛さえ占領すれば、神様はいらっしゃらなくてもよいというのです。神様のものが私のものであり、私のものが神様のものになるとき、初めて内外が一つになるのです。

そのような愛で満ちた所が理想天国だというのです。そのような位置に上がるようになれば、天下のすべての存在物で美しく見えないものはなく、自分自身のためでないものはないのです。

皆様。人類先祖の堕落によって、人間は誰彼を問わずサタンの偽りの愛を受け、偽りの父母であるサタンを父母として生まれました。皆様の父と母を通して、皆様にもサタンの血統はそのまま伝授されたのです。これが今日の皆様の姿です。

出発から偽りの父母に拉致されて間違ったので、再び原点に返って真の父母の血統によって再出発しなければなりません。私たちの人生はこのように深刻です。

皆様は、神様の愛、神様の生命、神様の血統を相続しなければなりません。祝福結婚を通してこそ、これが可能なのです。祝福結婚式は統一教会の宗教儀式ではないというのです。この式を通して、サタンの毒針を打たれて死んでいた皆様を、解毒して回生させる役事をするのです。

5. 神様が人間を創造した目的

神様は、なぜ人間を創造されたのでしょうか。第一に、無形でいらっしゃる神様は、実体をもった人間の父母になられるために実体の人間を創造されたのです。実体がなければ、実体世界の中心の位置に立つことはできないからです。

言い換えれば、神様は形態が必要だったのです。父母としての姿が必要だったということです。アダムとエバを通して、人類の実体の父母の役割をしなければならなかったのです。

第二に、無形に存在する神様御自身は、完成した子女を生産できません。縦的垂直線は一点に留まります。霊的な無形の世界では繁殖がないのです。垂直次元からそれを横的に展開して三六〇度を形成し、球形を形成してはじめて空間ができ、繁殖が可能になるのです。

したがって神様は、天国市民を生産する生産工場が必要だったのであり、その結果、横的なこの地上界を創造されるに至ったのです。男性と女性が出会って夫婦になれば、彼らは授受作用を通して球形を形成し、天国市民の生産工場になります。

御自身が理想とされた理想天国をいっぱいに満たして余りある天国人を、大量生産したいと思う神様であられたのです。結婚した夫婦は、子女を最大限にたくさん生んで育てなければならない理由が、正にここにあるのです。

第三に、愛の相対圏の永遠性を維持するためでした。このように神様は、御自身の愛の相対圏を永続的に保全しようと考えて人間を創造されたのです。

皆様。アダムとエバは、神様を「お父様」と呼びます。だとすれば、彼らの子女は神様を「おじい様」と呼ばなければならないのでしょうか。「お父様」と呼ぶのです。

神様の愛を横的に広げて、繁殖させて生産されるその相対は、時間と空間を超越して、誰彼を問わず平等な価値をもつようになるのです。すなわち、完成した愛の価値は平等だという意味です。

神様の創造過程を調べれば、神様は万物を先に創造された基台の上に、最終的に人間を造られました。神様を中心としてすべてのものが始まりました。

人間の創造を終えることによって、神様と人間、そして万物が平衡の取れた立場で統一するのを願われたのです。

上には神様をはじめとして霊界があり、下では肉界を代表した万物を治める立場が人間の位置です。人間は、このように霊界と肉界を接続させる媒介体の使命をもっています。

今日私たちが生きている被造世界を見てください。そこには二種類の軸があります。それは見える軸と見えない軸のことをいいます。地球が太陽の周囲を公転しながらも、自転を継続するのと同じように、一つの主体を中心として回っている対象も自転しているのです。

心と体の関係を考えてみれば、たやすく理解することができます。体が心の命令に従って動く公転をしながら、体自体も、自ら存在して作用するための自転運動をしているのです。すべての存在物は、このような原則によって存在します。同じように、今日の堕落人間を救う復帰の道においても、この原則は例外なく適用されるのです。

人間には心と体があり、心の上には霊があり、霊の上には神様がいらっしゃいます。したがって人間は、神様と完全に一つになってこそ、完全な人になるのです。

このように完全な人は、たとえ小さな個体の姿でも、全体の歴史を代表した存在であり、また未来のすべての関係を代表した存在なので、天宙的な価値を備えています。

このような天宙的な価値を知れば、私たちは、生涯を生きていきながら、心を前に迎えてついていく生活をしなければなりません。これが天道です。心の命令、すなわち良心の命令に逆らう人は、天が放っておかない時が来ました。

6. 霊人体中心の生活

皆様。今、皆様は後天時代を生きています。後天時代は、皆様の精誠と汗が実を結ぶ時です。霊界の四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖たちが地上界に再臨して、子孫の摂理歴史に同参しています。

不安と恐怖と混沌の世界から脱出し、真の父母様の教えに従い、この地上に平和王国を創建しなければならない時です。民主世界の一等国の国民である皆様ができなければ、天は共産国家の無神論者たちを教育してでも、このみ旨を必ず成し遂げられるでしょう。

皆様。共鳴圏はどのような時に形成されるのでしょうか。自然界を調べてみると、共鳴というのは、振動するときに周波数が同じであることをいいます。音波が同じであれば共鳴圏が形成されます。そして、共鳴圏が形成されれば、回転運動が発生します。回るときには、ただ漠然と回るのではなく、核を中心として回るようになります。同じように、人間は、霊人体と肉身が神様の真の愛を中心として共に調和して回るようになるとき、霊的細胞と肉的細胞が共に作動するようになります。

人間の目を見ても、目が霊的、肉的の両面で完全に作動すれば、皆様の目は、肉界の実状はもちろん、霊界のすべての実状までも見ることができるようになるのです。同じ論理で、もし真の愛の力によって皆様の霊人体と肉身が一体となり、爆発する境地に達するようになれば、天上世界はもちろん、地上世界、そして神様とも共鳴する生活を送るようになるのです。さらに、私たちの心と体を一〇〇パーセント共鳴圏内に追い込んでくれるのは、神様の知恵でもなく、能力でもなく、力でもありません。ただ真の愛です。

人間個人を見ても、私たちは心と体の二重構造になっています。男女を問わず、心の人と体の人でできています。ですから、男性と女性を合わせれば四人になるといえます。しかし、神様の真の愛を中心とすれば、この四人が完全に一つになるのです。共鳴圏が形成されれば、自動的に一つになるのです。

皆様。いかなる存在でも、一つの核心があれば、それを中心として相対的存在が必ず存在します。それが宇宙の法則です。陽子を中心として電子が取り囲んでいるのと同じ原理の中で、神様と人間の関係も成立します。電子のような人間の心が、陽子のような神様の心の核心と関係を結んで作用しているので、神様は人間に対して復帰摂理をすることができるのです。

真理のみ言を尋ね求めていけば、神様の生命力と愛が和動するのを感じることができます。使徒パウロが言ったように、私たちが世の光になることができるのも、神様の真の愛のためです。

真理は永遠不変です。だとすれば、この悪の世の中で、果たしてどのように善と悪を分別しながら真理の道を行くことができるのでしょうか。自分を中心とする生活を脱皮して、より低い位置に下りていきなさいということです。聖書にも、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)とあります。

人間の本質は霊的なものです。ですから、死んで霊界に行けば、人間の本質が人のために生きるようになっていることをより一層実感するようになります。人類がいまだに利己的な個人主義的人生のくびきから抜け出すことができずにいるのは、サタンと血統的関係をもっているからです。

今から皆様は、霊的な御飯を食べなければなりません。霊的な御飯と肉的な御飯のうち、どちらがよりおいしくなければならないでしょうか。皆様が生き残り、また神側に立つためには、霊的な御飯の味のほうが肉的な御飯の味よりも良くなければなりません。霊的な力を中心として生きる味のほうが、肉的な力をもって生きる生活の味よりも良くなければならないのです。

人間を「万物の霊長」と言うときも、結果的存在である人間自体だけを見て語る言葉ではありません。心のためです。万物は変わります。風化作用の前では耐えることができません。しかし、人間の心だけは、永遠に変わらない可能性をもって創造されたのです。したがって「万物の霊長」と言えば、お金や知識、あるいは権力を中心として語る言葉ではなく、神様の愛である真の愛を中心として語る言葉だということを知らなければなりません。

皆様。本然的な人間の関係とは何でしょうか。神様の絶対的な愛の圏内で、お互いが完成した真の愛を中心として楽しむことができ、称賛と尊敬の価値を現すことが本然の関係だと言うことができるでしょう。また天の関係と地の関係がそっくりそのまま和合し、一つに調和して現れたのが人間です。ですから、人間には見えない心と見える体があります。本来、神様が賦与された心と体の関係をそのまま保全していたならば、たとえ機能的には心と体が互いに分かれているとしても、全体的な面では永遠に一つだったでしょう。

皆様の生活を一度調べてみてください。内なる人と外なる人が闘っていることは否定できません。あとどのくらいこの闘いを継続されるのですか。十年ですか。百年ですか。それとも死ぬ時までですか。宇宙のすべての存在には厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間をそのように不完全な状態に創造されたのではありません。

皆様がしなければならないことは、今から体を放り投げて心を取り戻すことです。そこには天運が共にあるでしょう。人間の霊人体と肉身の関係を見ても、より重要なのは肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらいたてば逝ってしまいますが、霊は時間と空間圏を超越して永生するのです。

いくら地上界で贅沢三昧をしながら裕福に暮らす人でも、結局のところは死ぬのです。皆様は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった実体を完成して暮らしてから行かなければなりません。

7. ワールド・ピース・キング・ブリッジ・トンネルの提案

尊敬する世界の各界指導者の皆様。皆様は今、良い時代を迎えています。神様の創造理想である地上天国、すなわち平和王国が皆様の目前で創建されつつあります。八十年以上の生涯を、血と汗と涙で綴られた一本道、ひたすら天の道だけを歩んできた私の人生が、今では六十億人類のための勝利的結実を収めているのです。

世界百八十ヵ国以上で、天のみ旨と伝統を相続した数千数万の平和大使たちが、真の愛と真の家庭の価値を叫びながら昼夜を問わず走っています。この地に平和世界を創建しようと総進撃をしています。世界の火薬庫といわれる中東でも、レバレンド・ムーンの平和思想に力を得て、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム(イスラム教)が新しい次元の平和的対話を行っています。

東西間の冷戦に終止符を打つために決定的な役割を果たしたのも、レバレンド・ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的背後作業も、今レバレンド・ムーンの主導のもとに進行しています。

皆様。しかし、私は、決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を与え、人類の真の父母として顕現した私が天と結んだ約束は、必ず成し遂げなければなりません。

私は、きょうこの貴い檀上をお借りして、全人類に実に重大なことを一つ宣布しようと思います。サタンによって歴史的に東と西、南と北に分けられ、地理的には、北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているべーリング海峡に、橋梁を建設するか、海底トンネルを掘るのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンディアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できるようになる世界超高速道路を連結する「ワールド・ピース・キング・ブリッジ・トンネル」を架け、世界を一日生活圏にしようというものです。

これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和世界をこの地球星に創建しようというものです。アメリカとロシア、ヨーロッパ、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家と宗教が共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功によって、人類はこれ以上戦争と分断が必要ない平和王国の創建に向かって、もう一歩さらに近づいていくことができるでしょう。

8. 天運を動かすレバレンド・ムーンと歩調を合わせよう

皆様。人類は今、レバレンド・ムーンの教えである「真の愛、真の生命、真の血統の平和思想」を受け入れなければならない行き詰まった道に入りました。天の権勢が追い込めば、いくら強大に見える国家や民族だとしても、おとなしく従わざるを得なくなるでしょう。

今から選択は皆様のものです。私が先ほどの祈祷文で明らかにした天道の教えは、今日の二十一世紀を生きていく皆様にお伝えするこのメッセージと一言も違うところがありません。天運に従って栄え、勝利していくレバレンド・ムーンと歩調を合わせ、この地に真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界を創建する主役になりますか。それとも、サタンが好む旧態依然の宗教の壁、文化の壁、民族の壁、人種の壁の虜となり、余生を呻吟と後悔の中で終えますか。

天は、この邪悪な世界をひっくり返して、この地に新天新地を創建する勇将たちを呼び求めています。ぜひ、きょう私がお伝えした天のメッセージを胸深く刻み、皆様の人生に新しい座標を立てる賢い指導者となることを願いながら、これで終わりにしたいと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国の上に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第九篇 1 ウォーターゲート宣言文

第九篇 1

ウォーターゲート宣言文

日付:一九七三年十一月三十日

内容:米紙「ニューヨーク・タイムズ」全面広告

私は十六歳(数え)の時以来、絶えず神様の啓示を体験してきました。そのため、私は今まで世界に対し数多くの奥妙な神様の啓示を宣布するようになりました。

1. 神様の啓示でアメリカに来る

一九七二年一月一日、神様は、私の祈っているときに再び現れて、「アメリカに渡り、アメリカの人々に希望と団結をテーマに叫びなさい」という厳粛な啓示を与えてくださいました。神様の召命に従って、私は、「希望の日」講演会を全米で開催することになりました。そして現在、進行中であるアメリカの全国巡回講演は、「希望と団結」というテーマのもとに、一九七三年十月一日、ニューヨークのカーネギー・ホールを皮切りに、二十一ヵ都市を巡回する予定です。

ニューヨークでの講演に続き、ボルティモア、フィラデルフィア、ボストン、ワシントンDC、ニューオリンズ、ダラス、タンパ、ならびにアトランタなど、合わせて九ヵ都市で既に講演を終えました。これらのアメリカの各都市では、とても温かくて親切な歓迎を受け、私は深く感動しております。とりわけ、ボルティモア、ワシントンDC、ニューオリンズ、ダラス、タンパ、アトランタの市長、そしてジョージア州知事の方々が、私のささやかな努力に大いに賛同し、「希望と団結の日」を宣布してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。

私は今回のアメリカ巡回ツアーの中で、深刻な悩みの中で呻吟するアメリカを発見しました。アメリカの道徳的、精神的没落は、実に悲しく衝撃的なことでした。アメリカ国民は、精神的にも、心霊的にも、致命的な傷を負っており、ウォーターゲート事件によって、抜け出すことのできない悲劇の中で身もだえしている姿をはっきりと見せつけられました。恐らくこれはアメリカ史上、空前の危機と言っても過言ではないでしょう。今日、アメリカが直面しているこのような事態は深刻なものです。それは政治的、経済的、社会的な問題だけではなく、人間の心の危機なのです。この悩みはホワイトハウスの一人に限定された悩みではなく、私たち全体の悩みであり危機であると私は思います。

一九七三年十一月十日、私は四カ月間の「希望の日」の巡回講演の途中、二週間を割いて、韓国に一時帰国し、深刻な祈りと瞑想の中で、アメリカの難局をいかに打開し、どこから新たな希望を見いだせるか、ということについて身もだえする時を過ごしました。今日私たちは、アメリカの煩悶について、あまりに多くの声を聞いています。何が間違っているのか、誰が悪いのか、これはこうしなければならない、それはそのようにはできないなど、人それぞれが叫ぶ世論の声を聞きます。悪辣な非難は、今やアメリカ人の茶飯事となりつつあり、痛烈な憎悪は、アメリカ人の霊魂を枯らしつつあります。

「大統領を弾劾せよ」という多くの人たちの怒りのこもった声が次第に高まりつつあります。世論は無数に分裂し、人々の心は荒れすさぶばかりです。アメリカの大統領をその職にそのままとどまらせるべきか、それとも辞職させるべきか、という深刻な問題は、暗澹たる現実的問題となっているのです。

2. アメリカの危機は神様の危機

私たちは一九六三年に、アメリカのケネディ大統領が、同じアメリカ人の凶弾に倒れたのを目撃しています。しかし、今日、アメリカ国民は、知らず知らずの間に、もう一人の大統領を徐々に死へと追いやりつつあるという恐るべき事実を、どれだけ認識しているでしょうか。

ケネディ大統領を貫いた弾丸!その弾丸は、たとえ悲劇を招いたものだとしても、アメリカ国民の思いを悲しみと懺悔によって一つに団結せしめたのです。しかし、今日、もう一人の大統領を死に追いやりつつある悪という弾丸は、大統領を破壊させるばかりではなく、その巻き添えに国までも破壊する恐るべき弾丸なのです。

悪と不信の争いに、勝者はいません。心あるアメリカの人々は今、アメリカの将来について深刻に心配していることと思います。アメリカは、今やこの致命的な一撃を被ったために、再起不能になってしまうのでしょうか。

アメリカのこの真っ暗で暗澹たる歴史的瞬間に、どうしたことか、誰一人としてその解答を神様に求める声が聞こえてきません。アメリカのこの受難の時期に、「果たして神様のみ旨は何か」と問う人の声を聞くことができないのです。アメリカが本当に「神様のもとでの一つの国家」であるならば、この難局に対する解答は、必ず神様からやって来るというのが鉄則ではないでしょうか。

私は、アメリカの脈拍に耳を傾け、鼓動の音を聞いているのです。しかし、みな大変なことになったと言いながらも、神様にその進路を尋ねる人がいません。アメリカが引き続き混沌の中で、あれこれとあげつらい、騷々しく騒ぎ立てている間に、国は一歩一歩と奥深く火の中に陥りつつあるのです。

今こそアメリカは、「我々は神を信ず」という精神を発揮する時ではないでしょうか。その精神こそがアメリカの建国精神でした。正にその精神ゆえに、神様はこの国を祝福されたのです。その上、アメリカは神様の世界摂理史において、今その重大な使命を遂行しているのです。

神様にとって、今日のアメリカはとても重要です。アメリカの危機は、取りも直さず神様の危機なのです。ですから、アメリカの問題に対する解答は、神様から来なければなりません。神様だけがその解答を知っておられるのです。それで私は神様に祈ってみました。神様がその解答を下さるよう、神様に談判する祈りの時間をもったのです。やはり神様は答えを下さいました。神様が語られた最初の言葉は「赦しなさい」というものでした。

アメリカは赦さなければなりません。誤りがいかなるものであれ、過ちがいかばかり大きなものであれ、アメリカは赦しの美徳を行わなければなりません。ウォーターゲート事件は大きな過ちです。しかし、それは、ある特定の一人の人の過ちではなく、アメリカ全体の過ちであり、アメリカ国民全体の過ちなのです。これはアメリカが共同で責任を負わなければならないことなのです。

主の祈りにはこうあります。「我らに負債のある者を我らがゆるしたるごとく我らの負債をもゆるしたまえ」と。今日、アメリカが、神様に赦してもらうことを望むならば、まずは私たちが互いの罪を赦し合わなければなりません。ウォーターゲートは、アメリカ大統領一人の試練ではありません。アメリカ人全体の信仰の強さの試練なのです。

この国は果たして致命的な危機に直面しても、神様に対する信仰を堅持していくことができるのか。この国は果たして、二百年前の建国当時の美しいキリスト教の精神と伝統を今も維持していくことができるのか。この国は果たして、寛大さと互いに赦し合う愛の精神を発揮できるのか。

これはまさしくアメリカ国民全体の試練なのです。昔、ニューイングランドに上陸したアメリカの最初の移住民たちも、その当時、多くの致命的な過ちを犯しました。しかし、彼らは、神様に対する一つの共通した信仰と精神ゆえに、彼ら自らの過ちを克服しただけではなく、この国を繁栄へと導いてきたのです。

聖書を見ると、律法学者やパリサイ人が、姦淫の女性をイエス様のところに連れてきて、イエス様を試みた話があります。律法によれば、姦淫の女性は石で打たれなければなりませんでした。しかし、イエス様が、この女性を通して教えてくださった教訓は「赦し」でした。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げるがよい」とイエス様は叫ばれたのです。

3. 今は赦しと愛の必要な時

その言葉を聞いた群衆は、年寄りから始まって、一人一人静かに去っていきました。ついに群れのすべての人がいなくなって、イエス様と女性だけが残りました。イエス様はその女性に「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」(ヨハネ八・一〇)とお尋ねになるとその女性は「主よ、だれもございません」(ヨハネ八・一一)と答えました。

するとイエス様はその女性を起こして、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(ヨハネ八・一一)とおっしゃいました。誰もあえてその女性に石を投げる者がいなかったのです。今は、誰一人として罰する石を投げる時ではありません。

今は皆様がお互いに罪を審判する石を投げ合っている時ではありません。本当にやむを得ず石を投げなければならないのなら、自ら自分を審判する石を投げてください。そうすれば神様は赦してくださるでしょう。イエス様はその女性をそのまま帰らせたように、ウォーターゲートをそのまま帰らせてください。そして二度とウォーターゲートを繰り返さなければよいのです。

私はまた、ニクソン大統領のために多くの祈りを捧げました。私は、「ニクソン氏という人に対して、私たちはどうしたらよいのでしょうか」と率直に神様に尋ねてみました。すると神様は、「愛しなさい!あなたの義務は愛することである」と答えてくださいました。私たちは、リチャード・ニクソン大統領を愛さなければなりません。イエス・キリストは自分の敵さえも愛しました。皆様は、自分の大統領を愛することができないのでしょうか。皆様の家族の中で一人が事故を起こしたら、皆様はどうしますか。彼をけなし、非難し、突いて投げ出しますか。もちろん、そうはしないでしょう。

皆様はその家族を助けるでしょう。愛するでしょう。無条件に慰め、愛するのです。皆様は、ニクソン氏を皆様の兄弟の一人として愛さなければなりません。皆様は、アメリカの家長を愛さなければなりません。皆様は、自分たちの大統領を愛さなければならないのです。この国は神様の国です。ですから、アメリカ大統領は、天が与えてくださった聖職です。神様は民意を通じてアメリカの大統領を任命されるのです。

アメリカの大統領は、手を聖書の上に置き、神様のみ前に誓いを立てて、初めて大統領になります。歴史の現時点においては、神様はニクソン氏を選び、アメリカの大統領にお立てになったのです。ですから、ただ神様だけが彼を解任する権限をもっておられるのです。私たちの唯一の義務は、ひたすら大統領の聖職を支援することだけです。もし神様が自らお選びになった人が不適切であると認定されるのであれば、神様はニクソン大統領の良心を通して、そのみ旨を彼に現されるでしょう。私はそのような能力をもっていらっしゃる神様を信じます。

最後に、神様から受けた戒めは、「団結せよ!アメリカは団結しなければならない」というみ言でした。アメリカは赦しの精神で団結しなければなりません。アメリカは愛の精神で団結しなければなりません。愛は団結の原動力です。アメリカは過去において団結するすべを知る国民だったのであり、団結することによって偉大な国を地上に建設した伝統があります。アメリカは五色人種と数多くの国籍の人々と数多くの宗教が合わさって調和を形成した美しい国です。その調和の原動力は、神様を中心とした信仰であり、相互信頼の精神なのです。

4. アメリカの危機は世界の運命と直結

アメリカの今日の危機は克服することができます。私たちは今正に、神様に対する信仰を回復し、愛で団結することによって危機を克服しなければなりません。アメリカの運命は世界の運命と直結しています。アメリカが成功するか失敗するかが、神様の計画に影響を与えるのです。神様の現代の摂理において、アメリカは選ばれた勇士です。アメリカの建国二百周年記念を数年後に控え、神様はアメリカをウォーターゲート事件によって試しておられるのです。アメリカは当然、赦しと愛によってこの試験に合格しなければなりません。

信仰を復活させましょう。神様に対する信仰は、アメリカの繁栄の原動力ではなかったでしょうか。アメリカは現代のダビデとして、悪なる現代のゴリアテに勝利すべき宿命的な使命があると私は思います。アメリカは神様のみ旨に従わなければなりません。それ以外に、アメリカの生きる道はありません。

アメリカの人々にこのような話をする私は誰でしょうか。私はアメリカ市民ではありません。私は韓国人であり、アメリカに来た客です。しかし、私は誰よりもアメリカを愛するからこそ、このような話をするのです。

私はアメリカを自分の国のように愛しております。神様はアメリカを愛していらっしゃいます。また私は神様を愛していますし、神様は私の父であられます。父の国はすなわち息子の国ではないでしょうか。アメリカは、アメリカを最も愛する人のものです。私は、アメリカの出来事が、自分のことのように心配になります。

正にこのような思いから、私はあえてウォーターゲート問題に対し、僭越ながら言及する勇気をもつに至ったのです。その上、私は長い間、待ちました。長い間、待ちに待っておりました。私でなくても、誰か偉大なアメリカの精神的指導者たちが、アメリカを精神的に引っ張り、この暗澹たる状態から、ウォーターゲートを越え、神様に対する信仰によってアメリカを一つにする運動を始めることを心待ちにしておりました。

しかし、残念なことに、誰一人としてアメリカの精神的指導者たちが勇気をもって立ち上がり、赦しと団結を叫ぶその声を聞くことができませんでした。荒野のように荒れ果てて、荒涼とした今日のアメリカを団結へと導いていく「荒野で呼ばわる者の声」を耳にすることはできませんでした。そうこうしている中で、神様は再び私に現れて、「恐れるな!ニネベの町を悔い改めさせたヨナを思い起こせ。信ずるところを叫べ!」とおっしゃいました。私は神様の命ずるままに動いたにすぎません。

5. 私たちはアメリカのために祈る

世界の統一教会の創立者である私は、ここに、十二月一日から、私たち教会員によって千日断食祈祷を実施することを厳粛に宣言いたします。このことを通じて私たちは、アメリカの伝統的キリスト教の信仰に立脚した愛と赦しの精神で、ウォーターゲート事件によって引き起こされた危機を克服する一大覚醒運動を起こすのです。私たちは「希望と団結の日」のための一大精神革新運動を、挙国的な次元で出発するのです。

今は本当にアメリカにとって、道徳的危機であり、意気消沈の日です。しかし、この日はまた、アメリカ人たちがこの国の偉大さと信仰と勇気を誇示できる、いまだかつてない機会でもあります。歴史を通して、偉大な国民は、その国民性の偉大さを、平時においてではなく、危機の状況のもとで常に証明してきました。今は正に神様を信じる偉大な国民であるアメリカ人たちが、偉大な国民らしく行動すべき時です。そうなれば、この日は新しい希望の日となり、団結の日となるでしょう。「我々は神を信ず」というこの言葉に、アメリカの興亡の鍵があります。アメリカは神様のみ旨を目指さなければなりません。そして、アメリカの歴史におけるこの時点において、アメリカに対する神様の啓示は、「赦せ、愛せ、団結せよ」という三つの言葉なのです。

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第九篇 2 アメリカを中心とした神様の計画

第九篇 2

アメリカを中心とした神様の計画

日付:一九七五年十二月十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカス・ルーム

行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会

親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。

1. アメリカ人は洗脳されるほど愚かではない

きょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四カ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。

これまで十四カ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。

アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンド・ムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。

しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。

2. 創造理想世界復帰のための神様の摂理

私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。

神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。

言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。

しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。

ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。

神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。

それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。

神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。

その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。

このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。

3. 中心宗教と中心国家の使命がキリスト教とアメリカに移る

しかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。

彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。

そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。

その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。

ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。

そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。

当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。

このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。

その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。

神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。

当時、神様のみ旨を成就しようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者とプロテスタント運動者が合致して、イギリス全体が一つになっていたとすれば、超国家的な立場で、神様のみ旨の中で一つになり、名実ともの「ユナイテッド・キングダム(United Kindgom:連合王国)」という世界的な国家形態を築いたのです。

しかし、イギリスは、この重大な使命を悟り得ず、神様の祝福をイギリスだけのためのものとして享受し、一方、清教徒を迫害し、植民地から搾取する立場に陥ってしまったので、そこで神様のみ旨は再び移らざるを得なくなったのです。

当時、清教徒が、反対と迫害に耐えかね、苦難を打開し、信仰の自由を求めて、教会と国を捨てて立ち上がったカナンの地のような所がアメリカ大陸でした。天のみ旨を携えて、命を懸けて大西洋を渡ってきた代表的な群れが、皆様の先祖「ピルグリム・ファーザーズ」だったのです。

彼らと共に天の祝福はアメリカ大陸に移りました。そのようにしてここに集まった超民族的清教徒の群れは、信仰の自由のために神様のみ旨の中で強く団結し、独立軍を起こしてイギリスと戦った結果、神様の加護のもとに勝利しました。このようにしてプロテスタントを中心とした超民族的な国家が形成されたのですが、これが正にアメリカの建国の歴史です。

そのようにしてアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである全世界救援のみ旨を果たす重大な使命を負うようになったのです。アメリカの建国理念が「神様のもとに一つの国」だったことは、何も偶然なことではなく、すべて神様のみ旨の中でそのようになったのです。

このように、神様は六千年の摂理歴史を勝利で完結させる目的のために、イスラエルの失敗以後の二千年歴史を、第一イスラエルの国とユダヤ教に代わる立場で相続、継承したのがアメリカとキリスト教でした。

イエス様以降二千年間に失敗した内外の条件を、二百年の歴史を通じて清算し、アメリカは精神文明と物質文明を兼ね備えて、神様のみ旨の中で世界を救うために再び来られるメシヤを迎える条件を具備した国になったのです。そうしてキリスト教とアメリカが一つになって、神様のみ旨を世界的に完結すべき、第二イスラエル型の世界的国家となったことを、皆様は知らなければなりません。

4. アメリカ国民は神様のみ旨を知って覚醒すべき

今や、アメリカ国民は、今日のアメリカを築いた神様の祝福が、決してアメリカだけのための祝福と思ってはいけません。この祝福は世界のための祝福であり、またアメリカ自体も、アメリカだけのための国ではなく、世界人類のためのアメリカであることを深く悟り、全世界人類の救援のために、いかなる犧牲や十字架も避けてはいけません。

イスラエルとローマ帝国とイギリスが、神様のみ旨を受けたにもかかわらず、その使命完遂に失敗した内容を知って、アメリカは必ず神様のみ旨を成し遂げる国にならなければなりません。

アメリカは、超民族的に構成された国という意味で、世界を救うことのできる最もよい条件を具備しています。このように五色人種が合わさって暮らす国は、かつて歴史上になかったのであり、神様の加護がなかったとすれば、既に分裂し、争いながら滅んでいくしかなかったはずですが、むしろ祝福を受けて栄えることができたのは、驚くべき神様のみ旨があったからです。アメリカの国民は、今や神様の祝福の意味を知って、深く覚醒しなければなりません。

アメリカは、精神文明と物質文明の極致を築き上げた、神様のみ旨の中に準備された代表国家として、第一イスラエルがメシヤを渇望したように、再び来られる主を待ち望み、迎えて、創造理想を完結した統一世界を成就する国にならなければなりません。

第一次、第二次世界大戦を勝利に導いたのも神様であり、アメリカをして国連を編成させたのも神様のみ旨でした。本来国連は、キリスト教を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家の加盟は、絶対に神様のみ旨ではなかったのです。

またアメリカは、戦後の処理を間違えました。第二次世界大戦に勝利した連合国と三国同盟国(日独伊)がもっていた国までも適切に保護し、管理する責任が、アメリカにありました。

もしアメリカが神様のみ旨を知っていたならば、サタン側の国家であるソ連を堂々と制圧し、世界万邦の自由国家を集め、民主世界に結束させて、神様のみ旨の中で全世界を復帰しなければなりませんでした。その時こそ、それができる良い機会でした。

しかし、アメリカは、当時アジア諸国と東欧衛星国家を実質上共産圏に与えてしまい、韓国とドイツを分断させてしまいました。

第二次世界大戦の勝利は、神様の版図を広めて、世界へと進出させようとした神様の祝福の結果でした。しかし、アメリカは、結果的に若者たちの血の犠牲を無駄にしてしまい、神様を否定する不倶戴天の怨讐、共産主義世界を有利にしてしまったのです。その時、犠牲となった若者たちの怨恨の血の叫びが、いまだ絶えずにあることを、アメリカは知らなければなりません。

さらにアメリカは、自由陣営を守護すべき聖職から後退することによって、ベトナムのようにその保護下にいた国を一夜にして悲運の供え物としてしまったがゆえに、アメリカの国際的信義は地に落ちてしまい、怨みの声が日々高まっています。

国連はその機能を喪失したまま、共産主義国家の独り舞台となり、イスラエルとアメリカと韓国は片隅に追われる恥辱を受けています。そればかりでしょうか。

アメリカにおいては、様々な尋常ではない国内問題が日増しに深刻になっています。人種問題はもちろん、麻薬問題、青少年の淪落と家庭破錠、犯罪問題などです。どれ一つ取ってみても深刻でないものはありませんが、中でも共産主義問題は致命的です。

神様に侍るとい宗教会が、これらの問題を解決する主役を担わなければならないのですが、教会は日に日に若者を失い、ある所は養老院化しつつある状況です。家庭と国家と世界を見つめながら全体のために生きるという神様のみ旨に背き、極度の個人主義的な人生観と価値観によって生きるアメリカ人は、神様の審判を免れることができないことを恐れなければなりません。

このままでは、神様は離れていかれ、そうなればアメリカは祝福を奪われて悲惨になるのです。既にそのようになりつつある現実を直視しながら、誰よりも国会議員の皆様をはじめとする為政者の皆様が覚醒し、頑張っていただきたいと願います。

皆様の心の中には神様はいらっしゃいますか。皆様の家庭に、皆様の町に、皆様の社会に、皆様の国家に神様はいらっしゃいますか。またホワイトハウスに神様はいらっしゃいますか。もっと重要なことは、教会に神様がいらっしゃるかということです。今では、それさえも疑問です。

神様はすべてを一つにさせる力なので、神様が共にあってこそ、個人の心と体もう一つになり、夫婦と家庭が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになり、東洋と西洋が一つになり、世界が一つになり、天と地もう一つになり、神様と人間が一つとなった統一の世界が来るのです。そのような世界になれば、共産主義は影すらもなくなるでしょう。神様さえいらっしゃれば万事が解決されるのですが、神様を失う日にはすべてを失ってしまうのです。

そのようなことを知ったからには、すべてを犠牲にし、アメリカ全体を犠牲にしてでも、探さなければならないのが神様であり、全世界の人類であることをはっきりと知らなければなりません。アメリカが覚醒し、国民が団結して、神様を中心として再び結束する運動を起こさなければならないのです。キリスト教を団結させ、すべての宗教を糾合して、次元の高いみ旨の世界に向かうアメリカとなれるように、精神的革新運動が起こらなければなりません。

5. アメリカは世界のために先頭に立つべき

しかし、今のキリスト教のままでは、それはできません。汎国民的に教育して、徹頭徹尾精神武装させる新しい指導理念が絶対に必要です。それは現在の民主主義理念だけではできません。共産党を追放し、神様を中心とした愛と真理で、新しい社会秩序を樹立する運動が起こらなければなりません。そのような目的に向かって青年たちを結束、団結させ、アメリカを覚醒させて、世界的使命を担当しようと準備、訓練しているのが正に統一教会運動なのです。

統一教会は、それを成し遂げる内容と理念と実践力をもっています。アメリカを中心とする神様のみ旨とその計画を理論的に明らかに教えてあげ、アメリカをはじめとする西洋の物質文明と東洋諸国の精神文明をつなげて、全世界に統一文化圏を築き上げることによって、神様のみ旨である創造目的を完成した理想世界をこの地球上に建設しようとしているのです。韓国は、西洋文明と東洋文明が連結するアジアの高きやぐらであり、最後に残された基点となるのです。

そのような意味で、アメリカが韓国を保護せざるを得ないのは、神様のみ旨によるものであることを知らなければなりません。そのように東西を連結するという驚くべき歴史的使命を悟れず、自国だけで定着しようとするアメリカを再び覚醒させ、その使命を果たさせるために、神様はレバレンド・ムーンをアメリカに送られ、活動するように命令されたのです。

神様のみ旨の中で、アメリカの果たすべき至上課題は、イスラエルとローマ帝国、イギリスのような国々の前轍を踏まずに、その建国精神に立ち返って、徹頭徹尾神様に侍る国として、み旨の公式どおりに教会と国家が一つになり、アメリカを犠牲にしてでも全世界を救おうとする立場で、神様と共に力を尽くして地上天国を築く時まで先頭を走る旗手としての使命を果たすことです。そうすれば、アメリカは永遠であられる神様のみ旨を完成させ、永遠に祝福を受ける国となるでしょう。

きょうこの会場、この時間が、将来訪れる統一された理想世界、すなわち地上天国の礎を据える契機となることを願います。皆様と皆様の御家庭、皆様の仕事場、皆様の国に、万福が宿ることを願いながら、私のお話を終わらせていたたきます。ありがとうこざいました。

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第九篇 3 アメリカは神様の希望

第九篇 3

アメリカは神様の希望

日付:一九七六年六月一日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ヤンキー・スタジアム

行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会

親愛なるアメリカ市民の皆様。そして世界からいらした尊敬する代表者の皆様。私はきょう、「アメリカは神様の希望」と題してお話ししたいと思います。

きょう私たちは、壮大なヤンキー・スタジアムでアメリカ独立二百周年を祝う歴史的な祭典に集まりました。ヤンキー・スタジアムでのきょうの集会は、次のような意味で唯一無二のものであると言えます。その第一に、私たちが開くこの祝祭が徹頭徹尾神様の名によって行われたことです。

今日、私たちは、「世界における自分の国」を考えながら暮らさなければならない、新しい次元の時代に差しかかっています。私たちが暮らしているこの地上には、二種類の人たちがいますが、その一つは自分だけを中心として生きる人であり、もう一つは個人と家庭を越え、国家と世界のために生きる人です。古今東西を問わず、主導的役割を果たしてきた人たちは、より公的な生活をした人たちでした。個人よりも家庭のため、家庭よりも国家のため、国家よりも世界のため、世界を越えて神様のために生きる人が、より公的な人と言えるでしょう。義人や聖人は、全人類と神様のために生きた人たちですが、イエス様は正にその代表的な人物です。そして、神様こそが最高の公的な方であられます。堕落して御自身に背いた人類を見捨てずに、一途な心で人類を罪悪と塗炭の苦しみから救おうとされるのです。

救援摂理の目的は、ひとり子イエス様を送り、最悪の場合には彼を犠牲にしてまでも、世界を救うことでした。選民イスラエルを立てたのも、彼らを通して世界を救うためであり、キリスト教を立てたのも、それを通して全世界を救おうとされたからです。

ですから、ヨハネによる福音書三章十六節には、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるのです。ひとり子を犠牲にしてまでも世界を救おうとされた神様は、今も中心宗教であるキリスト教を犠牲にしても、世界を救うことを願っておられるという事実を、すべてのキリスト教徒たちは、夢にも思わずにいるのです。神様が願われる家庭と教会と国家は、人種を超越しなければならず、国籍を超越しなければなりません。すなわち、五色人種が仲良く混じって暮らす統一した混合民族型、それこそが神様の喜ばれるみ旨なのです。

それでは、アメリカを見てみましょう。アメリカは果たして神様がお建てになった国でしょうか、それとも人間の意志によって建てられた国でしょうか。このことをはっきりと知らなければなりません。皆様、アメリカはあくまでも神様がお建てになった国なのです。

アメリカの先祖である移民者の中には、二種類の人がいたのですが、一つは自分を中心として一獲千金を夢見て来た人と、神様を中心として自由理想の国をつくろうと、より公的な夢を抱いて来た人です。前者が中心になっていれば、国籍の違う異色民族同士の分裂と闘争が絶える日がなく、不義と罪悪にあふれた国になっていたはずです。しかし、神様が関与されたお陰で、天を中心としたヨーロッパのキリスト教徒たちの移民によって、色の違う民族がみ旨の中で一つになって、家族となり、教会となり、国家となったのです。それがほかでもない、皆様の先祖が建てたアメリカの誇り高い伝統なのです。

皆様の家庭を御覧ください。国籍を超越した異色の民族が混合した世界統一型の家庭です。皆様の血統の中には、五色人種の血が流れています。先祖の時代から互いに怨讐同士だった様々な氏族の血が一つに混ざり合って調和した一つの家庭なのです。そのような家庭が教会を形成し、国を形成するとき、超民族型の家庭から超民族型の教会、そして超世界的家庭が成立するのです。そのようにして神様の理想国家が成立するのです。このような国は歴史上にアメリカしかありません。それは明らかに神様によって成し遂げられたことを知らなければなりません。

アメリカの人々は、世界万邦からやって来ました。ここでは人種を問わず、信仰による差別はなく、文化の背景を問題としません。この地上のどこから来ようと、「私の家」と言える国、それが正にアメリカです。したがって、アメリカは世界の縮小体であり、人種と国籍を超越した理想のモデルとして、長い間隠されてきた新大陸の上に神様が直接お建てになった国です。復帰摂理の中で、特別に油を注いで立てられ、保護し、育成しながら、わずか二百年の間に豊かな祝福を与えてくださった国であることを、はっきりと知らなければなりません。祝福は決して独りでにやって来るものではありません。そこには必ず責任が伴います。それを投げ出すならば、神様を投げ出す恩知らずとなり、天の祝福は余すところなく奪われ、最も悲惨な絶望の国となるでしょう。既にそのような兆候が見えているではないですか。

愛するアメリカの市民の皆様。神様の怒りを恐れ、深く悔い改めなければならない時が来ました。神様を中心とした真の超人種主義者であり、超国家主義者であり、超世界主義者であり、そしてそのような家庭と教会と国家をもつことを誇りと考える人であってこそ、真のアメリカ人と言えるでしょう。神様の目には黒人も、白人も、黄色人種もありません。このような「神主義」的観点から人間を見て、世界を見ることができなければなりません。

皆様の先祖たちが血と汗を流して成し得た建国精神に立ち返りましょう。「神主義」思想に立ち返りましょう。アメリカの建国は、神様が動機であり、原因であり、根本です。常に神様が中心となるならば、一つになって繁栄しますが、神様を無視する日には、人間の力だけでは到底一つになることはできません。

皆様。アメリカには本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の教会に本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の社会に、国家に、本当に神様はいらっしゃいますか。神様がいらっしゃるならば、コンクリートのように強く団結できますが、神様が離れた場合には、洪水の時に砂の一粒一粒が散らばるように、一度に跡形もなく流れていってしまうでしょう。神様と一つになることによってのみ、アメリカは、誇り高き最高の先進国家として祝福を失うことなく、世界的権威と指導力を維持できるのです。もしもそれができず、神様が間違いなく離れていかれる日には、この国がサタンの手に渡ってしまうのであり、そうなればアメリカは今後、世界において最も悲惨な生き地獄と化すのです。神様の与えてくださった祝福が大きいだけに、試練もそれに比例して大きいことを知らなければなりません。

一九六〇年代当時は、世界の希望はアメリカであり、アメリカの希望はこのニューヨークでした。しかし、今、アメリカの国際的信望は地に落ちてしまい、ニューヨークは罪悪の都城、悪魔の都市へと変わりつつあります。シカゴやロサンゼルスもそうです。このようにサタンがアメリカの全域において主人となるならば、神様は顔を背けるしかなく、挙げ句の果てにアメリカを離れざるを得なくなるでしょう。今がそのような時であることをはっきりと知らなければなりません。異色民族の団結の力となっていた神様が離れるので、家庭は破綻し、教会は分裂し、この国は細胞が腐っていく人体のように、体中が致命的な病にかかっているのです。その隙に乗じて、共産主義の火の手が、この国を丸ごとのみ込んでしまおうとしています。じっとしている時ではありません。誰かが何とかしなければならない切迫した状況なのです。

アメリカ建国二百周年の祝祭に、レバレンド・ムーンがなぜ大騒ぎするのかと反対する人もいますが、皆様、考えてみてください!家中が病気にかかれば、医者は外部から来なければならないではないですか。火事が起きた場合にも、消防隊を外部から呼ばなければならないではないですか。このような使命で神様の召命を受けて、この文という人が外部から来たのです。体に効く薬は口には苦く、病気に対して手術をしようとすれば、痛みが伴うものです。救おうとする手が痛いところに触れたからといって、その手を払いのけるべきでしょうか。

私は三年間、千辛万苦してアメリカの青年たちを教え導いてきました。彼らは、天を中心とした家庭と教会と国家の設計を明確に知っています。病にかかって完全に死ぬ前に、火がついてすっかり燃え尽きてしまう前に、このアメリカを救わなければならない緊迫した天の事情をあまりによく知っているので、彼らは夢中になって、熱狂的に命を懸け、深刻な努力を必死にしているのです。皆様の立派で愛らしい息子、娘たちが、神様のみ旨に従って悪と対決する最前線で、天の十字軍となって勇敢に戦っています。悪の勢力を完全に打ち破り、神様の国をこの地球上に建設することが万民の神聖な義務なのです。すなわち、まず神様がかくも愛し、準備されたこのアメリカの地に、地上天国のモデルを立てようとするのです。

皆様。嘆息と涙のない世界を築くために、ここにため息をつき、涙を流しながら立ち上がった青年の群れがいることを覚えておいてください。苦難と闘いを知らない世界を建設するために、きょうも苦労して闘っていることを知ってくださることを願います。私たちの闘いは神様対サタンの闘いです。神様のみ名にかけて闘うとき、いずれ私たちは、いかなる犠牲をおったとしても、絶対に後退することなく必ず勝利するでしょう。

この文という人に反対し、迫害することが問題ではなく、そのことが、神様のみ旨に反対し、神様を迫害することになるのではないかと恐れなければなりません。神様のみ旨でなければ、そのまま放っておいても遠からず自然と減んでいきますが、神様のみ旨である場合は、いくら迫害しても滅びません。文という人は何ゆえにアメリカに来て、このように受難の道を歩んでいるのでしょうか。名誉のためでしょうか。違います。お金のためでしょうか。それはあり得ないことです。権力のためでしょうか。断じて違います。このアメリカという国は、私の愛する神様が非常に愛しておられる国です。ですから、この国の国民たちが神様に背いたとしても、神様は到底見捨てることはできず心を痛めておられるので、そのような神様を父として侍る私としては、苦労を顧みずに命令に従ってきたのです。

御自身がお選びになった国、このアメリカを先に救い出したのちに、アメリカをして全世界を救わせようとされる大きなみ旨があることを、私はあまりによく知っているからです。それを知らずにサタンと組んでいては必ず滅びるのであり、神様をお連れすれば必ず勝利するのです。

皆様。二百年前、建国当時に皆様の先祖たちが独立軍を起こし、神様のみ名によって闘うときに、ジョージ・ワシントンは、フォージ渓谷でひざまずいて神様に祈りました。ついに世界が震えたイギリス軍との闘いで堂々と勝利したのは、神様が義と認め、共にいてくださったからです。その時に神様は、世界の中心となる国家の土台を築いてくださったのです。それから百年後、神様のみ旨に背いた、甚だしい人種差別を御覧になった神様は、エィブラハム・リンカーン大統領を立てて奴隷を解放させ、南北戦争に勝利させることによって、世界の中心となる超民族的土台を築いてくださいました。この時はアメリカとアメリカの国民にとって、外的な試練の時でした。しかし、建国二百周年を迎える今日のアメリカは、現在、大きい内的な試練の時期にぶつかっているのです。それは宗教の試練期であり、世界史的思想の試練期なのです。

一方、神様を否認する悪魔の思想、共産主義が世界的に総攻撃を始めています。神様が、特別お選びになって立てられたこの国アメリカこそが、彼らの最高の目標となっています。今、正にアメリカが、神様のみ前に立つか倒れるかの試練を受けているのです。その内的思想の闘いにおいても、み言と思想の根本であられる神様に侍らなければ、決して勝利することはできません。神様に侍るアメリカが中心となって、唯心民主主義世界と唯物共産主義世界との対決において、共産主義無神論の世界を完全に克服し、超民族的であり、超国家的でありながら、世界的な次元で神側が勝利を収めなければなりません。そうなれば、神様はこの国に、新しい次元の世界的な思想の土台を築いてくださるでしょう。

第三世紀へと向かう今日のアメリカは、建国当時、宗教的迫害に耐えられず、各国から集まってきたプロテスタントの信徒たちを結束し、神様のみ名によって一つの国、すなわち「神様のもとの一つの国家」を建てました。同様に今は、思想的迫害に耐えられず、共産圏から自由世界に越えてきた新たな国民たちを結束して、超キリスト教的であり、超世界的な神様のみ名を中心として、ついには共産世界にまで勝利して、神様のみ名によって一つの世界、すなわち「神様のもとの一つの世界」を必ず成し遂げるでしょう。

そのためには、今日のキリスト教は一つにならなければなりません。今のままでは絶対にいけません。新たな宗教改革が起きなければならないのです。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的、超思想的革新運動を起こし、世界の宗教を統合する方向に前進しなければなりません。

キリスト教はこの西欧的なキリスト教だけでは絶対にいけません。アジアを連結し、東西の文化と思想を統合して、神様のみ前に結束できる世界的思想の土台を整えなければなりません。そのような膨大な内容を備えた新宗教運動が必ず起きなければならないのですが、そのような意味で統一教会が出発したのです。アメリカでそのような運動が成就してこそ、即座に世界へと波及していくことができるのです。

私たちは、キリスト教に立脚した「神主義」の思想でアメリカを覚醒させ、この地に神様の理想国家のモデルを建設するために立ち上がらなければなりません。それが成就する日、全世界はアメリカを模範として、人種と国境を超越した地上天国の建設に加担するようになるので、神様を父母として迎える兄弟姉妹として、互いに愛し合い、仲良く幸せに暮らす人類大家族理念の世界、言うなれば、神様がはるか昔の太初から計画された永遠の理想世界、地上天国を私たちの手で築き上げなければなりません。

それが私たちの至上課題であり、神様が私たちに与えてくださった神聖な義務です。神様は今、私たちを通して声高に叫ばれるので、その声に呼応し、その号令に足並みをそろえて、理想世界へと邁進しましょう!統一の群れが万難をものともせず、先頭に立つでしょう。

親愛なる市民の皆様。きょう私たちは、この場で聖なる神様のみ前に、この神聖な義務に従って成し遂げてさしあげることを共に誓いましょう!満場の皆様。神様のみ名のもとに結束、団結して、地上天国建設へと総進軍しましょう。

私たちは固く団結し、神様に限りない感謝と栄光をお返しし、ここに世界万民の名によって、偉大なアメリカの建国二百周年を祝い、三百年代のアメリカの将来に、より一層大きな神様の祝福があることを祈りながら、私の話を終えようと思います。皆様とアメリカに永遠の神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。

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第九篇 4 神様のみ旨とアメリカ

第九篇 4

神様のみ旨とアメリカ

日付:一九七六年九月十八日

場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントン・モニュメント広場

行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会

尊敬するアメリカ市民の皆様、そして世界の代表の皆様。きょう、神様のみ名によって、アメリカの独立二百周年を祝賀する歴史的なワシントン大会に、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、心から感謝を捧げる次第です。

神様のみ旨を実現できなかった中心的国々

私はきょう、「神様のみ旨とアメリカ」と題してお話ししたいと思います。神様は、永遠、不変、唯一の絶対者であられるので、神様の創造目的も、永遠、不変、絶対的なものであり、一つの目的のもとに統一された単一理想世界を築くことでした。しかし、今日の現実は、統一ではなく、分裂と不調和の世界、すなわち個人において、心と体が分かれ、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべてが分かれ、分裂と闘争で綴られた混乱の様相を呈していますが、ここには根本的に、ある大きな過ちが介在しています。その原因を、宗教では人間始祖が神様に背いて堕落したところにあると見ています。

このような人間を救おうとされる神様は、人間を堕落前の立場に原状復帰するために、救世主、メシヤを送られるのです。したがって、救援摂理はすなわち復帰摂理です。堕落とは、人間が神様に背き、そのみ言を不信することによって、神様に似た人格と愛を具現した個人と世界を完成することができず、かえってサタンと組み、サタンの言葉に主管されることによって、サタン的人格とサタン的愛による悪の世界を形成したことなのです。

したがって、原状に復帰するためには、反対にサタンを排斥し、失った神様を探して、神様のみ言に従順に従うことによって、天的な人格と愛を完成しなければならないのです。神様は最も公的な方であられ、サタンは、徹頭徹尾自己を中心とした私的な存在です。したがって、神様のもとに帰るための復帰の公式は、最終的に神様に似ることなので、徹頭徹尾私的なことを犠牲にし、公的なことを立てて、自己を中心とした利己主義から人のために生きる利他主義へと帰り、奉仕生活をしなければならないのです。公的な人は神様に似ているので必ず栄え、私的な人は神様に背いたので結局は滅びるのが天理なのです。

人類歴史は、これまで闘争の歴史だったので、神様とサタンが人を奪い合う闘いでした。堕落によって悪の歴史が先に出発したので、闘いはいつも悪の側が先に攻撃して善の側を打ち、善は打たれながら守勢にまわりましたが、神様が善の側であられるので、いつも勝利を収めるようになり、結局は打たれて取り戻してくるようになったのです。第一次、第二次世界大戦の時にも、私たちが知っているように、先に打ったほうが結局は滅び、第三次世界大戦を云々している今日も、サタン側である共産国家が至る所で闘いを仕掛けていますが、結局は神側が勝利するようになるのです。

復帰摂理のもう一つの公式は、メシヤを送られる前に、中心宗教と中心国家を立てて役事されることです。神様は先にイスラエル民族とユダヤ教を立てられ、その準備された基盤の上にメシヤであるイエス様を送られ、すべての人間が次第に彼と一つになるようにして善の版図を広げていき、世界復帰、すなわち天国の理念を具現しようとされたのです。

アダムから四千年もかけて準備されたイスラエル民族とユダヤ教が、イエス様を迎えて一体となり、犠牲精神をもって神様のみ旨に従っていたなら、その当時すぐに中東圏とアジアを統合して西洋を連結し、全世界の地の果てまで急進的にみ旨を伝播することによって、神様の主権によって統一された地上天国を建設していたはずでした。しかし、イスラエル民族とユダヤ教が、このような使命を悟ることができず、責任を果たすことができなかったがゆえに、イエス様は十字架を背負うようになり、それによって地上天国の理念は実現されず、霊的にのみ救援を可能とする第二イスラエル型のキリスト教圏を形成するようになったのです。

キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の歴史を清算して勝利し、キリスト教を国教として立てるようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、いかなる犠牲も辞さずに、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心として全世界を結束させ、統一理想世界を建設しなければなりませんでした。

しかし、教皇庁は、そのような重大な使命を悟ることができず、教権を乱用して腐敗が氾濫するようになり、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨から再び離脱してしまいました。これに反対して立ち上がった人本主義の台頭によって、宗教改革とプロテスタント運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日に日に激しくなっていきました。当時のイギリス国王ヘンリー八世がカトリックに反旗を翻し、議会に新しい法を通過させてイギリス国教会を立てましたが、これがヨーロッパ全域のプロテスタント運動を糾合する絶好の機会になりました。

当時、イギリスが、「大英帝国の領土には日が沈むことがない」と言われたほどに大きく祝福されたことが世界のための祝福だったことを悟り、清教徒、プロテスタント運動をする人たちと一つになり、犠牲の先頭に立って復帰摂理を成し遂げてさしあげていたなら、その時に既に準備されていた基盤の上に超民族的な国家として、名実共の「ユナイテッド・キングダム」が形成されていたはずでした。しかし、イギリスが責任を果たすことができずに彼らを迫害したので、彼らは国籍を超越し、神様のみ前に固く団結して、激しい迫害を避けてアメリカ大陸へと渡り、定着してプロテスタント独立国家を形成したのです。これが正に今日のアメリカが誕生するようになった摂理的背景です。

今、キリスト教とアメリカは一致団結し、復帰の聖業を成し遂げてさしあげなければなりません。アメリカはここで結実した西洋文明を抱いて東洋文明と和合し、その上に中東を連結することによって一大統一文化圏を形成して、地上天国を完成しなければならないのです。

摂理的責任を負うべきアメリカ

み旨の主役であるアメリカは、まず神様の摂理の第一中心宗教だったユダヤ教と、ユダヤ教を引き継いだキリスト教と一つになり、新しい啓示を中心として「終わりの日」に神様のみ旨によって現れた統一教会と手をつないで、世界の宗教統一に立ち上がらなければなりません。ユダヤ教は旧約を中心としたみ旨の先祖なので第一世型の長男であり、キリスト教は新約を中心とした第二世型の次男であるとすれば、統一教会は約束を成就する「成約」の内容をもつ第三世型の末の弟です。この三つの宗教は、み旨の三兄弟なので、それらの母体であるイスラエルとアメリカと韓国は、み旨の三兄弟国となるのです。国連でサタン側の共産圏からこれら三国が同じように追われているのは、み旨の観点から見て、共同運命に置かれているからです。この三国が一体化して手をつなぎ、国連本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり、目的なので、必ず成就されるのですが、まず宗教統一をしてこそ可能なのです。一人の父であられる神様に侍り、一人のメシヤのもとで「神主義」によって固く結束すれば、神様が共におられるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題なのです。

既に超民族的に結束したアメリカは統一世界のモデルなので、アメリカに与えてくださった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、同じ神様の子女である全世界の兄弟姉妹たちに分け与えるべき祝福であることをはっきりと知って、世界的に築かれたキリスト教の基盤の上に世界の主導国家としての責任を果たし、選ばれた国家としての使命を完遂しなければなりません。

イスラエルも神様の期待に応えることができませんでした。ローマもそうであり、イギリスもそうでした。これからアメリカはどこへ行きますか。以前に摂理を担ったそれらの国の前轍を踏まず、いかなる犠牲も辞さずに、世界復帰の先頭に立って、統一理想世界、すなわち「一人の神様のもとの一つの世界」を成就する主役の使命を果たすよう悟らせるために、神様はレバレンド・ムーンをこの地に送られ、み旨を代弁させ、特にアメリカの明日に責任をもつべき主人公である青年たちを指導するようにと命令されたのです。

アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落と共産主義の問題など、様々な深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の脅威は最も深刻であり、この時間にも世界の各地で浸食してきているのです。これは、単にアメリカだけの問題ではなく、神様にとって、そしてすべての宗教人と自由世界のすべての人々にとって、深刻かつ切迫した問題です。

皆様。今この時に、神様は悲痛に叫ばれています。神様が二千年間準備されたアメリカは、大きく覚醒し、神様が仰せになった重大な世界的使命を果たさなければなりません。そのためには、最終的にアメリカが徹頭徹尾、「神主義」に帰り、共産主義を克服し、共産世界を解放し、地上天国建設の旗手にならなければなりません。アメリカはきょう、覚醒しなければなりません。あすでは遅いのです。

私は、アメリカを尊敬しているだけではなく、本当に愛しています。神様が愛で祝福され、み旨成就の主役として準備された偉大な国、アメリカが第三世紀へと向かう大きな歴史の入り口にいるので、私たちは共に、全能の神様のみ前に、絶対に失望させず、神様の本然の願いをかなえてさしあげることを固く誓いましょう。

きょう、この神聖な場で、みな共に地上天国の礎石を据えましょう。神様の摂理の同参者、また天国の開拓者として立ち上がりましょう!統一を願う働き手たちよ、きょう、この場とこの歴史的瞬間は、私たちにとって献身の場であり、決意の時間です。私たちの汗と血と命を捧げて神様の召命に応えようとするなら、正にこの場、この瞬間に、天と地と人類の前に誓い、地上天国を私たちの手で成し遂げることをもう一度表明しましょう!

神様の祝福が皆様と皆様の御家庭とこの美しいアメリカに永遠に臨むことを願いながら、私のお話を終えようと思います。多くの御家庭が参加してくださったようです。皆様、ささやかではありますが、今夜、花火を皆様の御家族と共に楽しんでくださることを願ってやみません。皆様の御健康をお祈りいたします。ありがとうございました。

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第九篇 5 神様が私の盾であり証言者

第九篇 5

神様が私の盾であり証言者

日付:一九八一年十月二十一日

場所:アメリカ、ニューヨーク、フォーリー・スクエア・プラザ

行事:アメリカ政府の起訴に抗議するデモ集会

敬愛する同志、そして愛する統一信徒の皆様。私はきょう、皆様の熱狂的支援に深い感銘を受けました。私はソウルでこの知らせを聞くやいなや、即座にすべてを差し置き、自ら進んでニューヨークに戻り、きょうこの歴史的な裁判に臨むことになりました。

皆様。私は無罪です。何の過ちも犯したことはなく、何も隠しているものはありません。私の生涯は公的な路程でした。私は、裁判を恐れるどころか、むしろ歓迎します。なぜならば、この司法手続きを通じて、正義は勝つのであり、真実は明らかにされ、さらには、このアメリカ政府の不当な迫害ゆえに苦労している数百万人の世界の信徒たちに、勝利の日をもたらすことができるからです。

私は、アメリカの司法制度に対し、深い尊敬と信頼をもっています。さらにまた、この事件を扱う判事と陪審員たちを信頼しています。アメリカは世界において、正義を具現するのに最も良い国です。私は、私を告訴した人たちと正面から対決するつもりですし、私には良心の呵責がありません。神様が私の盾であり、私の証言者であられます。しかし、神様が、罪を犯したのは私ではなく、私を糾弾する怨讐たちであることを発見されるなら、私は彼らを赦すつもりです。

私はアメリカの言論の自由に対し、尊敬と信頼をもっています。アメリカの言論は、公正な真実を世界に伝えるでしょう。アメリカの言論をだます者は誰もいません。アメリカの言論は、きょうこの起訴がどれほど根拠のないものであるかを発見するでしょう。

皆様。私は、アメリカを私の祖国のように愛しています。以前、韓国にいるときから、アメリカが神様から任された摂理的使命を果たすことができるようにと祈った人です。数年前、初めてアメリカに来たとき、華やかに賑わうニューヨークの五番街に立ち、熱い涙を流したことがあります。そして私は、昔この国の建国の先祖たちが死地をさまよいながら大西洋を渡ってこの国に上陸し、この地を神様に捧げたアメリカの建国精神を考えてみました。私は、その偉大な建国精神を忘れ、退廃の風潮の中で枯れていくアメリカを見て、涙を流したのです。正にその日、私は、この堕落していくアメリカを何としてでも立て直すことを心の底で固く決心しました。神様は、あまりにもよく御存じです。あれから十年!私は寝ても覚めても、私の血と汗と魂を、この偉大なアメリカの精神復興のために注いできました。

私は全世界の統一教会の信徒たちに、このアメリカのために数千万ドルを寄付するように呼びかけました。一九七二年、私たちはアメリカ全域にわたり、多くのものを投入してアメリカの精神復興運動を展開し、ついに一九七六年九月十八日には、ワシントン・モニュメント広場で三十万人以上が雲霞のごとく集まった歴史的大会を開くに至りました。統一教会の運動はほかとは異なり、アメリカからもらっていく運動ではありませんでした。アメリカは、むしろ援助を受ける立場でした。統一教会の世界の信徒たちは、万難を克服し、自ら犠牲となって、アメリカの精神運動を支援しました。その理由は、彼らはアメリカを愛しているからであり、神様の摂理を中心として見たときこの国こそが選ばれた選民であることを私が教えたからです。

しかし、きょう私は、アメリカの告訴を受けて法廷に出頭しました。私はアメリカに自らのすべてを捧げた人であり、アメリカから何も持ち出してはいません。ただの一銭も誤って使ったことがありません。キリストの伝統を受け継ぎ、ために生きる犠牲的な生き方を教えてきました。もしも、これが罪であるならば、私は罪に定められることを拒みません。それこそが、イエス・キリストが行かれた道です。イエス様はイスラエル選民を愛され、世界を愛され、神様を本当に愛されました。しかし、そのことによって罪に定められ、ついに十字架にかけられました。私がこのアメリカを愛し、世界の人類を愛した、そのことが罪であるならば、私も喜んで十字架を負うつもりです。

きょう私は、自らの栄誉のためだけにアメリカに来たのではありません。私は、政府の迫害を受けるすべての人、人種差別を受けるすべての人、そして宗教的偏見の供え物となったすべての人々の代表としてアメリカに来ました。きょう私は、アメリカ政府の迫害と人種差別と宗教的偏見という恐るべき敵を前に、闘争を宣布するために来たのです。私は、宗教の自由と少数民族の権利と抑圧される民衆の権利を取り戻すために、最後の瞬間まで關うことを宣言する次第です。

私たちは団結しましょう。団結して勝たなければなりません。そうして、私たちの子孫が真の自由平等の地で暮らせるようになることを保障しなければなりません。それこそが、マーティン・ルーサー・キング牧師の唱えた「約束の地」です。

私がもし白人として生まれ、私の宗教が既存の宗教だったならば、きょうここに立ってはいなかったはずです。私が黄色人種であり、私の宗教が改革を叫ぶ統一教会であるがゆえに、私がここで指弾を受けて立っているのです。美しいアメリカの中に最も醜いものがあるとするなら、それは宗教的偏見であり人種差別です。神様は顔の色を問われません。白色人種と黒色人種と黄色人種は、神様の美しい三兄弟です。今日、世界のすべての宗教は、私たちの父であられる神様を、それぞれ違った角度から映して見た鏡に過ぎません。

今日、統一教会は、宗教の目的で使われる財産にまで税金を課されている、アメリカの中で唯一の教会であることを、皆様は御存じでしょうか。私たちがニューヨーク州に納めている財産税だけでも八百万ドルを超えます。このような政府の不当な横暴は、私たちの教会に過酷な出血を強いています。一方、他の教会は財産税を一銭も出していません。なぜ統一教会だけが不当な扱いを受けなければならないのでしょうか。それは単に、私たちの教会の名前が統一教会であり、その創始者がアメリカの市民でない韓国人であり、黄色人種だからです。

レーガン大統領は、その有名な演説の中で「ある宗教団体の基本的人権が蹂躙された場合、それは一宗教団体の苦難と痛みにとどまらず、すぐにアメリカ全体が受ける苦痛と痛みになる」と言いました。もし、この言葉が事実であるなら、今日の統一教会に対するアメリカの不当な宗教迫害と人種差別は、アメリカ全体の恥であり、アメリカ人の屈辱にならざるを得ません。

同志、そして信徒たちよ。この新たな挑戦に勇敢に立ち向かいましょう。この日を大同団結の日としましょう。この日を、私たちの献身の日として定めましょう。世界のすべての悪と不義に対し、妥協なく闘うことを誓いましょう。この闘いにおいて、私たちは孤独ではありません。全能であられる神様が私たちと共におられ、数千万の世界の人類が私たちの味方になってくれるからです。統一教会は、今、アメリカの中で指弾を受ける少数団体です。しかし、神様が私たちと共にいらっしゃる限り、私たちは少数ではなく、絶対多数となるのです。

きょうは、弱小民族の新しい日、新しい闘争の出発の日となるのです。私はきょう、悲しみもなく、不幸だとも思わず、疲れさえも感じません。私はこの日から、少数民族連合会を創設します。

神様。感動、感化なさり、私の闘志と私たちの信念が、新世界の灯台とならしめてください!全能の神様が私に、この巨大な闘いをする機会を下さったことに対し、心から感謝申し上げます。不義と闘う神様の闘士とならしめてくださり、感謝しております。

「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン

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第九篇 6 世界平和のための挑戦と可能性

第九篇 6

世界平和のための挑戦と可能性

日付:一九八七年六月一日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:第一回「世界平和のための頂上会議」

尊敬する議長、元大統領、政府首脳、内閣首相、王族、貴族、内外の来賓および紳士淑女の皆様。平和を追求する一念により、この場にお集まりいただきました世界の指導者の皆様に、このようにしてお話しできますことは、私の無量の喜びとするところです。

歴史を通して見るとき、人間は常に平和を渇望し、その達成のためにあらゆる面において努力を重ねてきました。人類は、平和を得るために他を征服したり、時には平和のために降伏したりすることもありましたが、今世紀に入ってからは、戦争以外の方法により国際間の対立を解決しようと試みた、二つの貴重な事例があります。それが正に「国際連盟」と「国際連合」です。しかし、このようなあらゆる努力にもかかわらず、人類は平和を成就することができず、歴史は紛争を繰り返しており、破壊と暴力が頻発しています。

それでは、なぜ今日に至るまで平和を成就できなかったのでしょうか。その理由は、実に個々人の内部における闘争が解決されないまま、果てしなく続いてきたからです。世界の紛争は、このような個人の内面における闘争の発露なのです。人間の理想と現実の間には矛盾があり、その矛盾の焦点は、正に個人の霊肉間の闘争にあるのです。

人間の精神は、高い理想を追求します。人間の精神は、すぐに神様にまで到達するようになります。肉身は、私たちのその理想を具現する道具なのです。しかし、そこには、努力と鍛錬と自己犠牲が要求されます。人間の精神が追求することと肉身が追求することとの間には絶えず緊張が生じます。

人間の歴史には二つの平行する思潮が生まれました。その一つは、理性的で外面的な肉身の優位を強調するものです。例えば、肉体的な満足や、肉体的な美、そして科学に重点を置くものなどですが、これらすべては身体的感覚を土台にした実証を重視するものです。もう一つの思潮は、宗教的伝統であり、これは人間の肉身を超越する価値を重視するものです。それは精神的法則や価値、また神様の啓示など、科学の実証対象とはなり得ないものです。人間の生活において見ることのできるこれら二つの思潮が、正に今日の世界で見る二つの対立したイデオロギーの根源なのです。

民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発し、発展しました。民主主義の現代的概念は、正に「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・二七)という聖書のみ言に見いだすことができます。人間が神様の子女であるがゆえに、民主世界においては人間を尊重するということです。ですから、人間に対して選択の自由を最大限に許容するのです。なぜならば、自由なくして人間の行動は価値をもつことができないからです。

一方、共産主義は、人類歴史において、より外面的で世俗的な思潮が結実したものです。啓蒙思潮とフランス革命を経たのち、マルクスは暴力と社会工学的技法を応用して、神様に対する信仰を退け、暴力による社会秩序の構築を主張しました。マルクス主義の社会工学的技法は、神様を否定する人間観を根拠にしています。

しかし、その結果はどうでしょうか。たとえマルクスの見解や主張を擁護する人たちがいたとしても、マルクスの理論を実験し、実践してきた七十年の歴史をもつソ連などにおける結果は、一言で言って、ただ悲劇的な失敗であるとしか言えません。共産主義の勢力を堅固にするために、一億五千万の罪なき人命が犠牲となってきましたが、マルクスが約束したような正義と繁栄の世界は、どこにもその実体を見いだすことができません。今日、これら二大イデオロギーとそれを信奉する国々は、地球上でお互いが正面切って対決し、かつて想像することもできなかった巨大な破壊力をもって、全世界を脅かしているのです。

私は、このような観点から、世界平和の問題に対する解決方案として、次の根源的な三つの段階を厳粛に言明しようと思います。この提案は、最も根本的なものなので、大変理想主義的にも見えます。しかし、いかなる建物であっても、粗末な基礎を直さない限り、建物としての役割を果たせないように、私の平和のためのこの提案は、根源的な基礎から出発しています。まず、究極の世界平和とは、神様と人間との平和、次に人間相互間の平和、そして世界の平和という、この三段階を経なければなりません。

私は、全生涯を捧げて修養の道を歩んできました。さらに、宇宙の根本と神様の実在という問題について、誰よりも苦悶してきました。血と涙の出る修道の過程を経て、私は生きた神様の実在を明白に知ることができました。そして私は、生きておられる神様と直接対面する体験までもつに至ったのです。そこで、宇宙の根本であられる神様との平和を得ることができなければ、この地球上において真の平和を論ずることはできないことを悟ったのです。

神様は、宇宙の第一原因であられ、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父であられます。神様は、特別なみ旨を成就するために万物を創造されたのですが、その目的は、正に愛の具現にありました。神様は真の愛の根源であられますが、いかに全能の神様であっても、お一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願っておられるのです。その対象としての最高の被造物が、すなわち私たち人間なのです。このような理由から、人間には目的があるのです。人生の目的は、成熟して神様と永遠の真の愛の関係を実現することにあります。正に、これが神様と人間との間に、平和を築くことのできる根本原理なのです。

神様と人間との平和関係を樹立したのちに、私たち人間相互間の平和を成就できるのです。人間相互間の平和のために、根本的に必要な関係とは何でしょうか。それもやはり、愛の関係以外にはあり得ないのです。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、そして他のすべての世界宗教は、私たちが全能の創造主、すなわち神様の子女であることを教えています。

これはすなわち、私たちは兄弟姉妹であるという意味です。ですから、私たちは神様のかたちどおりに創造された者であることを理解することによって、互いが兄弟姉妹であることを悟らなければなりません。神様の子女を愛することが、神様に栄光を帰す最善の道となるのです。私たちがこのことを正しく理解することによって、人間相互間の真の平和の関係を設定する根拠を得ることができるのです。

世界平和の達成こそは、人類の長い間の念願でした。ところが、その達成もまた、本質的には、先ほどお話しした、人間個々人の平和を成就するのと同じ方法によるのです。世界は今、現実的には二大体制が対立しています。しかし、それは単に自|||世界と共産世界の葛藤だけではありません。それはより根本的に対立する価値観の葛藤なのです。

一方は、神様を肯定する価値体系であり、もう一方は神様を否定する価値体系です。共産主義の出現は、ある面から見れば、そもそも人間が神様の道徳律を実践できなくなったところから始まったのです。共産主義は、ある一面非難のイデオロギーです。それは神様を信奉する人たちが神様の理想を具現できなかったことに対する非難なのです。彼らが非難を受けても当然の内容があったので、共産主義は膨脹することができたのです。

しかし、実際に神様の創造本然の理想世界が具現する時には、共産主義は立場を失ってしまうのです。ですから、世界の問題は、根本的には精神の問題です。世界の問題の解決は、神様の実在を肯定するところから始まるのです。

今日、世界の救いのために必要なことは、正に次元の高い精神的覚醒です。世界は神様の実在を悟り、有神論的原理に基礎をおく世界観によって再武装しなければなりません。この神様中心の世界観のみが、今日の価値の混乱を克服できるのです。

もちろん、このような精神的価値観の運動は、外的には政治、経済、軍事面における結果的現実として現れます。しかし、精神的覚醒の根本は、縦的には神様に対する信仰と横的には人間相互間の真の愛で成就されるものでなければなりません。

このように、高次元的な価値で覚醒した土台の上で、国家間の関係が変化していかなければなりません。これまでは、経済発展の背後における原動力は、利潤に対する欲求でした。それによって人間の潜在能力が大いに発揮され、巨大な世界的発展を成し遂げ、先進経済大国をつくってきたのです。

しかし、このような先進国が利潤追求の動機を超えなければならない時代を迎えました。利他的愛が国際関係の次元に適用されなければなりません。先進国はむしろ、他のために奉仕するその目的のゆえに、神様の祝福を受けていることを悟って、世界の発展途上国のために犠牲を甘受できなければなりません。そのようにして、悲惨な発展途上国の惨状を解消するために、先進国が先頭に立たなければなりません。

皆様。もし豊かな国がそのような態度をもったとすれば、その国は委縮したり、急激に衰退したりするようになると思いますか。決してそういうことはありません。かえって、その反対になります。しかし、もし先進国が利潤追求以上の高貴な理念をもち得ないならば、彼らがいくら努力したとしても、その繁栄は、衰退に転じ、歯止めが掛からないでしょう。隣人が飢餓、疾病、または無知のゆえに犠牲となって死んでいくときに、どうして世界が平和であり得るでしょうか。すべての先進国が結束しさえすれば、飢餓、疾病、無知の三大悪を退ける、世界平和のための前線を構築できるのです。

最後に、国家間の利害を超越する関係を土台として、実際に神様をお迎えした世界共同体が出現しなければなりません。二十世紀の後半に入った今日、世界が日増しに沈滞していく現状に、私たちは気づかざるを得ません。いかなる国も、今や離れ小島ではいられません。また、いかなる人であっても、他の人との相互依存的関係なくして、繁栄を期待することはできません。

したがって、相互理解と信頼を増進するために、国々の共同繁栄を追求する共同体が建設されなければならないのです。世界は今や地球村と言われるほどに、急速に狭まってきています。すべての人々の生存と繁栄が、正にこの協同精神にかかっています。人類は、神様のもとの一つの大家族であることを悟らなければなりません。この協同を通してのみ、私たちは環境を保護することができ、またすべての人々の文化水準の向上と自由、正義および尊厳性の確保を期待し約束できるのです。このような協同精神の土台となるのは何でしょうか。それは、世界共同体のすべての国々は、ただ神様のみに根源をおく共通の価値体系と永遠不変の原理を尊重することです。

私たちは共通の夢をもっていますが、それは、理想世界実現という念願です。かつて預言者たちは、これを「地上天国」と呼んできました。これは今まではるか遠い目標のように思われてきましたが、今や実現可能であり、なおかつ必ず成就すべき目標なのです。なぜならば、正にこれが創造主の本来の理想だったからです。「世界平和のための頂上会議」の重要な意義が、正にここにあるのです。

私たちがあすを展望するとき、ある面においては暗澹たるものがあります。しかし、私は失望しません。なぜならば、神様が本来の理想をこの地上に実現されるという聖書のみ言、すなわち「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イザヤ書四六・一一)という約束の中に、神様の決断を見ることができるからです。ですから私は、世界の平和は必ず訪れるという確信をもっています。

私たちのこの「世界平和のための頂上会議」は、世界平和を論議する最も次元の高い集まりとなるでしょう。この会議は神様の霊感を受けて召集されたものであると私は感じています。私たちは世界平和のために、神聖かつ荘厳な召命を受けてこの場に集まったのです。これから私たちが達成する課業は、私たちの子孫と全人類に残す貴重な遣産となるでしょう。

世界平和の主導的役割を担当するために、皆様が遠い旅路を経て、地球の片隅にある韓国に来られましたことを、心から感謝し、祝賀申し上げます。私は皆様の経験と智恵と卓越した政治的指導力を大いに信頼するとともに、私たちのこの課業を通して、二十一世紀には新しい平和の時代がこの地上に到来することを信じています。皆様が慎重かつ思慮深く始められるこの「世界平和のための頂上会議」の上に、神様の栄光と祝福が共にありますことをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第九篇 7 アジア太平洋時代の主役になろう

第九篇 7

アジア太平洋時代の主役になろう

日付:一九八九年十月十二日

場所:韓国、ソウル、新羅ホテル

行事:中国パンダ自動車工業都市造成説明会

今晩、公私共にお忙しい中であるにもかかわらず、このように会場を埋め尽くしてくださった内外の貴賓の皆様に深い謝意を表し、中国の大規模自動車工業都市造成に関する説明に先立ち、これまで私が抱いてきた所信の一端をお話ししようと思います。

大転換期と韓国

皆様もよく御存じのように、今日、世界はアメリカとソ連を両極として維持されてきた東西冷戦時代は、これ以上存続できない状況となってきています。ソ連の開放政策、中国の改革と民主化の葛藤、そしてハンガリー、ポーランドをはじめとする東ヨーロッパ圏に起きている一大改革など、「革命」という言葉で表現されるにふさわしいもろもろの変化は、共産主義とその体制の限界と合わせ、従来の両極のイデオロギー対立の構造が崩れつつあることを証明しています。

国際経済の面でも、ヨーロッパ共同体が一九九二年まで単一市場として統合されるなど、世界経済は多元化、ブロック化の趨勢へと移行される転換期的状況を示しています。

このような変化と転換の時代に、韓国はいかに対処し、どの方向へと進んでいくべきでしょうか。韓国は、地政学的に非常に微妙な位置にあり、昔から強大国の勢力拡大のための要地となって、歴史的な犠牲を払ってきました。東西両極時代に代表的な苦難を経た我が祖国は、多元化と和解の時代を迎えたからといって、国益が保障され、民族的な問題が解決されたわけではありません。韓国を中心とした四つの強大国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島にそれぞれ重要な関心と利害関係をもって互いに絡み合っています。

私は、このような韓国の状況を、神様の摂理的観点から世界と歴史の縮小体として見つめています。ですから、すべての歴史的関係と世界的問題が、直接的、間接的に、ここ韓半島に連結しており、したがって韓国は世界問題の縮小体であり、世界問題の解決は韓国問題の解決と不可分の関係にあります。

神様の平和理想のための特別精誠

満場の貴賓の皆様。私は早くから天の召命を受け、神様のみ旨を地上に実現するために生涯を捧げてきました。韓民族が神様の摂理の中心民族であることをよく知っている私は、歴史を通じたこの民族の受難の意味を人とは異なる解釈をしながら、分断韓国を統一祖国へと転換させることが、正に平和世界の実現と直結することを確信しています。共産主義とその体制が黄昏(たそがれ)時を迎えたからといって、現今の自由世界が、その思想的な代案を提示できると思いますか。

自由民主主義を信奉する西欧社会の矛盾性を、何によって克服していくのでしょうか。私は「八・一五光復」と「六・二五動乱」を通した分断民族の悲惨な運命を直視しながら、南北統一時代に備えた思想を確立し、国際的基盤を築くことに私の生涯をかけると天に誓約し、これまで四十年間以上、努力してきました。

韓半島の周辺、特にアメリカ、日本、ソ連、中国に対して、私たちが主体的な力量を発揮しながら彼らを動かし、南北統一の支援勢力として動員し、確固たる自由民主の思想的基盤の上に平和統一を成し遂げることが簡単なことでしょうか。もし、ソ連と中国が北朝鮮を支援しないよう積極的な対策が練られるとすれば、どれほど幸運なことでしょうか。

この説明会の場は、一つの企業体の中国進出について説明する単純な集会ではありません。財力に基づく利潤追求を目的としたプロジェクトでもありません。私は、神様の平和理想を中心として、中国大陸のために三十年以上も前から特別祈祷の精誠を捧げてきました。一次的には、彼らの開放を助け、技術支援を通じて近代化を助けながら、私たちと善隣の関係を結ばなければなりません。

国際平和高速道路と日韓トンネル

私は一九八一年、第十回「科学の統一に関する国際会議」において国際平和高速道路計画を発表し、その事実を世界百二十ヵ国の元首に公文で知らせたことがあります。日本の東京から日韓の海峡をトンネルで連結し、ソウルと平壌を経て中国の北京に至り、モスクワ方面と中東方面との二つに分かれ、ヨーロッパの各所、そしてロンドンに至る記録的な大土木工事となる国際高速道路計画です。

一九八二年から、日本で千五百人余りの学者と実業家たちがトンネルに関する研究会を組織し、政治、経済、技術、地質調奄など四つの環境分科に分かれ、活発な研究と予備探査を終え、佐賀県の名護屋で、既にパイロットトンネルが掘られています。中国政府も非常な関心をもち、既に安東・北京間の約千キロに対する路線を決定するために、専門家との協議が進行中です。

私は、中国との交流が困難だったころから、何度も人を送り、彼らへの近代化援助を協議するとともに、延辺(えんべん)大学に工科大学を建ててあげ、毎年五十万ドル相当の実験機器を支援し、交換教授、留学生の派遣などを助けています。

私が設立した国際救護親善財団を通して様々な支援をする一方、アメリカのコーチたちを派遣し、体育の発展を助けています。そして、中国の学者たちに「統一思想」を研究できる機会を設け、彼らが思想的な混乱を克服できるよう支援しています。

尊敬する貴賓の皆様。中国はいまだに共産主義に固執している国です。六四天安門事件が起こったとき、ほとんどの自由世界の経済人たちは中国から撤収してしまいました。

そのような中で、私は自動車工業を推進している実務者に、少しも動揺せず、より一層積極的に推進するよう指示し、六月二十七日、広東省恵州の現地で大々的な起工式を行いました。

困難な事情に追い込まれた中国の指導者たちに、大きな恵沢を与えることによって、深い心情的関係を結び、共に大局について議論し、太平洋時代に共助できるようにするためです。先にも述べましたが、中国に進出する私の動機は、目前の利益を追求するためのものではなく、天のみ旨に従うところにあるのです。

技術平準化と対中国支援

私は、早くから技術の平準化を主張してきました。技術は、その恵沢が人類全体に及ぶようにするための神様の祝福です。先進国が技術力を独占し、それを手段として開発途上国に不利益を与えることは、もう一つの搾取であり、罪悪であると言えます。

このような傾向は、紛争と不和の火種となり、世界平和を脅かすことになるので、私は世界を助けるための技術力を蓄積することに多くの財力をかけて準備してきました。例を挙げれば、ドイツにおいて世界トツプクラスの四大会社を引き継いで育成を続けているのが、自動車のライン生産を含めた機械製作会社です。

また、電子技術力確保のために、日本で先端電子開発会社を育成し続けています。ドイツと日本以外にも、いくつかの先進国で技術基盤を広げていますが、このような背景と実力の基盤がなかったとしたら、私が中国と容易に提携することはできなかったでしょう。

単純な企業の運営を越えて、今回のこの自動車工業都市造成のための投資も、北京の最高指導者たちを啓蒙し、新しいアジア太平洋時代の同伴者としてしっかりと連結し、その結果が北朝鮮の金日成主席に影響を与えるようにするためのものです。

私は、この中国のプロジェクトを、私たちの安保と救国の次元から離れて考えたことはありません。一方、私は、一九七六年、アメリカのワシントンDCでの大集会で、将来モスクワで大きな集会を開くことを宣布しました。世界の碩学たちと宗教指導者、言論界の著名人士、芸術界の代表たちを通し、既にその基盤を築いているのです。

ソ連が金日成主席の説得に乗り出すべき

今、ソウルには私の招請でソ連のノーボスチ通信社のヤコブレバ編集局長をはじめとする五人の中堅言論人が訪問しています。彼らは韓国の発展した姿に驚嘆しており、帰路には日本共産党の様子を視察し、中国を経て、彼らが行きたくないと思っている平壌に必ず寄ってほしいと言いました。

韓国の発展した姿と鮮明な印象を北朝鮮の指導者たちにしっかりと伝えさせることによって、北朝鮮の指導者たちの誤解を防ぐのに一助とならしめるためです。彼らの一行には、韓国を紹介する一時間の記録映画を製作するチームがあり、ソ連に帰れば全国に放映することになっています。

そして、今度の十一月二十六日には、ソ連国営放送の会長、ノーボスチ通信社の会長など六人の代表的な言論人が、同じく私の招請でアメリカを訪問することになっています。今月の初めには、世界トップクラスのキーロフ・バレエ団のオレグ・ヴィノグラードフ団長がソウルを訪問し、私が設立したワシントンDCのユニバーサル・バレエ・アカデミーの学長を兼任することを確約しただけではなく、ソ連内で神様のみ旨のために多大な援助をすることを約束して帰っていきました。

また、十月二十七日から、ロシア正教本部と私が創設した国際宗教財団の共同主催によりモスクワで開催される、教会一致のための会議に、二十人の宗教学者と代表たちを派遣するつもりです。そして、遠からずモスクワで「世界言論人大会」を開催し、ソ連の改革と開放を側面から支援する予定です。

今回、始めた中国恵州の工業都市造成は、これから引き続き造成していく、アジア太平洋時代に備えた多目的工業都市四地区中の第一地区にすぎません。中国の大連・安東(丹東)地区、ソ連のハバロフスクと中国のハルビンを連結する地区、そしてソ連のウラジオストク地区が、残りの三地区です。

大連・安東地区は、新義州を通して北朝鮮にその恵沢が及ぶようにし、ウラジオストク地区は、北朝鮮の雄基(ウンキ)(羅先-ラソン)側と中国の延辺側にも恵沢が及ぶようにする計画です。

このような一連の事業と活動を通し、中国の指導部とソ連の指導部が韓国を正しく理解し、北朝鮮に直接的にも間接的にも大きな影響を及ぼすようにしてこそ、私たちの望む自由と民主の統一理想が実現するのです。

アジア太平洋時代の主役

満場の貴賓の皆様。私たちは、この先十年後には、新しい世紀を迎えます。分断と対決で綴られた二十世紀を終え、高い道徳と価値が尊ばれる和解の時代を迎えなければなりません。ソ連とアメリカの二つの軸が世界を管掌していた西欧中心の時代は過ぎ去っていくのです。

今、アジア太平洋時代が開かれつつあります。私が先ほど皆様にお話ししたように、この時代に備えた四つの工業地区の造成がいくら重要だとしても、政府主導や一国の主管だけで簡単に成就できるような事業ではありません。この事業は、世界的な基盤と多国的企業の特性を生かすことができます。また、基本的に平和世界のための愛の実践という宗教理念に基づいて世界の力を結集することは、私だけができることであると思います。

そこに犠牲や損失があったとしても、私は継続して推進していくつもりです。各界の指導者である皆様が、一つの教会やグルーブの次元ではないこの計画に対して、韓国が主体的な立場を守っていくことができるよう、挙国的な声援と参加をしてくださり、その成果が南北統一と世界平和として結実し、韓国が太平洋時代の主役となるよう助けてくださることをお願いします。

そして、これらの事業は、どの強大国の指導者も、韓半島やアジアの重要性と役割から見て、簡単に無視することができず、部分的にでも同参(一緒に参加すること)、あるいは支援をせざるを得ない、平和の基地造成事業となるでしょう。したがって私は、このような歴史意識によって、太平洋圏に推進してきた多角的な計画とともに、既にアメリカ、中国、ソ連の基盤を通して、東西首脳会談を推進しています。

ソウルの漢南洞国際研修院で、東西四ヵ国の首脳会談を開催することによって、世界に平和のムードを醸成し、その基盤と余韻をもって、金日成主席が真の平和の道へと乗り出せるようにするのです。

新時代の指導理念は神主義

満場の内外の貴賓の皆様。私たち人類は、思想的な葛藤を克服し、道徳性を回復した基台の上に、国際協力を通した愛の地球村家族の理想を実現しなければならない課題を抱えています。長い歴史を通し、人類の精神文化を創出してきたアジアから、新しい時代を指導する理念が現れなければなりませんが、それこそが正に私が主唱し、世界的に教育している「神主義」です。

そして、迫りくるアジア太平洋時代は、一つの隣同士のように近くなった地球村で、全人類が皮膚の色と文化の背景を超えて、共に調和して暮らしていかざるを得ない世界です。今、世界は、個々人の自己の存立のためにも、怨讐を想定できない和合の時代へと向かうように天運が追い立てています。

私たち韓民族は、神様を中心とした堅固な思想的基盤と正しい価値観のもとで生活することによって、新時代の導き手にならなければなりません。私たちは、小さな利害関係を超えて、国際関係に対する冷徹な認識のもとで、全民族的に団結した力を発揮して、アジア太平洋時代の主役にならなければなりません。

改めて、参席してくださった内外の貴賓の皆様に感謝を申し上げ、皆様の御家庭と皆様の携わる仕事に神様の祝福があることを祈りながら、これをもって御挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

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第九篇 8 世界平和に向かう道

第九篇 8

世界平和に向かう道

日付:一九九一年八月二十八日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「世界平和連合」創設大会

尊敬する元・現職国家元首、各国から参加された世界の指導者の皆様、敬愛する学者、世界の宗教指導者の皆様、そして紳士淑女の皆様。きょう私は、「世界平和連合」を創設する歴史的なこの式典に、尊敬する世界の指導者の皆様がこのように大挙して参席してくださり、満場の盛況を博してくださったことに、心からの謝意を表する次第です。

人類歴史が始まって以来、平和を切望しなかった時代がなく、平和を望み求めなかった人は一人もいませんでした。しかし、人類歴史は、人類の希望とは正反対に、常に絶え間ない戦争と罪なき血で染められてきました。これはなぜでしょうか。

近代史に至っては、世界は二回にわたって世界大戦を起こしました。一九一四年、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺される一発の銃声によって点火された第一次世界大戦は、たちまちのうちにヨーロッパ全域を火の海にし、十六ヵ国が参戦した中で三千万人の死傷者を出す凄惨な戦争となりました。

このヨーロッパの惨状を見た世界の指導者たちは、いかなる代価を払ってでも、もう再び戦争を起こしてはならないという痛切な覚醒から、アメリカのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」を結成しました。しかし、「国際連盟」は四十種余りの国際紛糾を処理したものの、強大国間の紛糾の処理に失敗し、ウィルソン大統領の偉大な夢は跡形もなく消え去り、アメリカ上院の批准も得られないまま、「国際連盟」は結局、失敗で幕を下ろしてしまったのです。ここに、戦争を防ごうとする人類の渇望は挫折しました。

そして、それから二十年もたたずして、再び世界は第二次世界大戦の惨禍の中に巻き込まれていきました。第二次世界大戦は大西洋のみならず、太平洋までも火の海にしました。数千万の人類が殺傷され、ついに二発の原子爆弾の投下とともに辛うじてその終結を迎えました。世界が再びこのような生き地獄になるのを防ぐために、今度は一九四五年四月二十五日、サンフランシスコで「国際連合」、すなわち国連を創設するに至りました。「国際連合」の歴史は一九九一年現在まで、四十六年になります。

それでは、過去四十六年間、人類は戦争を知らずに平和に生きてきたでしょうか。そうではありませんでした。戦争は再び数限りなく起こりました。韓国動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争をはじめとして、実に六十回以上も人間同士が殺し合う歴史が繰り返されたのです。

なぜ、このように平和というのは難しいのでしょうか。きょう私たちは、「世界平和連合」の創設に先立ち、平和が成し遂げられないその理由を先に究明しなければなりません。そうでなければ、今後も前轍を踏むのは火を見るより明らかだからです。

紳士淑女の皆様。これまで人間は、平和を叫んでいただけであって、その真の平和の意味を知ることができませんでした。平和の真の哲学をもてなかったのです。ですから、真の平和を成し遂げる方法が現れなかったのです。貴賓の皆様、その理由は、分かってみると簡単なことです。人間は神様を見失うことによって、平和をも失ってしまいました。また人間は、神様を差し置いて、人間同士で平和を見いだそうとしたのです。それは根本的な誤りであり、それが真の平和を得られない根本的理由なのです。

全知全能であられる神様は、愛の神様であられ、平和の神様であられます。その神様が、互いに争い、命を奪い合う世界をつくられたはずは絶対にありません。神様は、人間を神様の形状どおりに造られ、人間は正しく神様の聖なる霊が住まわれる家のような聖殿として造られたのです。

人間一人一人が神様の聖殿として、神様をお連れして暮らす家として完成したならば、どうして人間同士の闘争と殺戮があり得るでしょうか。創造本然の世界において、人間が争うということは、右腕が左腕と争うのと同じことであり、自分が自分の手で自分の目を抜いてしまうのと同じことなのです。そのような本然の世界では、戦争は起きようにも起こり得ませんし、互いに愛し合い、仲睦まじく暮らす世界であり、いかにして神様にもっと栄光を捧げるかという善意の競争だけがある世界です。

そこには葛藤があり得ず、誤解もあり得ず、美しい協調と相互協助でただただ和睦団結して、美、真、善を追求する平和の世界のみが永続するのです。その世界は神様に似た世界であり、神様の理想と本質のために生きる世界なのです。

私たちはこのような世界の基本理念を「神主義」、または「頭翼思想」と称します。ために生きる愛、互いにために生きるところに平和があるのは当然のことであり、そのような世界を宗教的に表現すれば、「地上天国」といいます。少なくとも全知全能であられる神様の作品であるならば、このような平和と幸福の世界をつくられたはずであり、そうでないとすれば、そのような神様はいらっしゃらないのです。これが創造本然の真の平和の理想だったのです。

ところが、このように神様の美しい理想世界を実現しようとする人類歴史の最初に、エデンの園で、人類の始祖は神様を失ってしまいました。言い換えると、人類の始祖である一男一女が神様のみ前に罪を犯し、神様の国から追放されたのです。その瞬間、人間は神様の聖殿になれず、悪魔の巣窟となってしまったのです。そして、その悪魔は利己主義の本山です。

人類の始祖からこのようになったので、その子孫、すなわち今日の人類は、神様が自分たちの父であられることや自分たちが真の兄弟姉妹であることを忘れてしまったのです。そして、人間は怨讐同士の関係になってしまいました。本来は他人の命を奪えば、それは取りも直さず自分の命を奪うことになるのですが、霊性が鈍くなった人間は、兄弟の命を奪っても心の痛みが感じられなくなっているのです。

そこにおける人間は、自分だけがいて全体がないので、利己主義が個人から家庭、社会、国家、世界に広がるようになりました。そうなれば、自分と利益がぶつかる場合には、互いに争い合うようになります。戦争を起こします。それが戦争の起きる原因なのです。

それでは、創造主であられる神様は、この堕落した世界をどのようにしようとされるのでしょうか。神様は厳然として生きていらっしゃいます。神様は、今も全知全能であられます。また、その神様は、愛の神様であるといいます。その神様は真の平和の世界を再び見いだそうとするのです。言い換えると創造本然の世界を復帰、または再創造しようとしていらっしゃいます。ここから私たち人類は、真の平和に対する希望をもつことができるのです。神様は、人間一人一人から邪心を追い出し、御自身が住まわれる聖殿に復帰させようとされるのです。

ですから世界平和は、一個人の完成から始まるのです。個人個人が神様の聖殿として完成した人間にならなければ、世界平和は芽生えません。世界平和の出発点は、正しく皆様一人一人なのです。

皆様。皆様は、私たち一人一人の体の中で、常に戦争が続いていることを御存じでしょうか。それは、個々人の体の中における心と体の熾烈な闘いです。本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできない、一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔に引き渡したのです。その時から人間の体は悪魔の僕になりました。

人間の良心は、神様を代表する心です。良心は自分のために存在しません。天の義のために存在します。良心は常に善に向かって走ろうとします。それに対して体は反抗します。体は自分だけが安らかであろうとし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲のままに行おうとします。良心はこの体を叱責し、心に従わせようとします。ここに常に血の出るような葛藤と闘争が、一つの体の内で起こるようになるのです。

ですから、昔から歴史を通じて、すべての宗教は自分の体を打つ道を教えてきました。宗教とは、肉欲を制御し、体を心に屈服させる道場なのです。人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。

しかし、神様を自分の内に迎えることができなければ、誰一人として自分の体を征服できる人はいません。ひたすら神様の真の愛と真理の力を中心としてこそ、主体である心は対象である体を従わせ、神様と一体理想を完成するようになっているのです。これが、宗教が語る完成した人間なのです。

このように神様を中心として体を屈服させ、完成した男性と女性、すなわち、善男善女が神様の祝福を受け、夫と妻として結ばれるとき、地上に天が計画された理想的な一つの家庭が出発するのです。そしてその理想家庭は、理想的社会、国家、世界の基礎になるのです。

「家和万事成」という言葉があります。一つの家庭が平和であるならば、万事がうまくいくという言葉です。完成した家庭は平和の家庭であり、それは天国の基礎となります。家庭の原動力は真の愛です。自分よりも神様、あるいは対象を命のように愛する、純粋で美しい犠牲的な愛、それが真の愛なのです。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも大きい力を創造されませんでした。真の愛は神様の愛なのです。

神様は万物と人間の創造のために、すべての力を投入されました。すべてを投入し、また投入されました。他のものは投入すれば、すべて消耗しますが、真の愛だけは投入すれば投入するほど、もっと盛んになり生み出されます。真の愛は、百を投入すると百二十が返ってきます。ですから、真の愛を実践する人は、滅びるように見えても、滅びることなく永遠に栄えながら永生するのです。

このように真の愛で築かれた家庭が基礎となって社会が形成され、国家が形成され、世界が形成されます。そのような社会、国家、世界は、真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界です。そこには葛藤の代わりに和睦が、誤解の代わりに理解が、分裂の代わりに団結が、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求がある、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。そのような神様の理想実現が、すなわち真の世界平和の理想なのです。

聖書にある「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・二七)という聖句は、見ることのできない無形の神様が、人間として実体化されたことを意味します。人間の始祖アダムとエバが神様の理想を実践していたならば、彼らによって歴史の中で最初の家庭が完成されたのであり、そこから繁殖される完成した子孫たちが、正しく理想社会、国家、世界を形成したのです。

ですから、無形の神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母であられ、人間始祖アダムとエバは、真の愛を中心とした横的な真の父母として、永遠に人間の歴史上に君臨したのです。

完成したアダムとエバは人類の真の父母であり、人類はこの真の父母を中心として人類大家族、同胞として兄弟主義を完成したのです。ところが人類は、この真の父母を失うことによって孤児となってしまい、兄弟がすなわち怨讐になり、国と国は反目し、敵対視する関係になってしまいました。

ですから、人類歴史の新しい出発に先立ち、神様が必ず成し遂げなければならないことは、失ってしまった人類の真の父母を探し立てられ、人間たちを孤児の状態から解放されることです。ですから、人類の真の父母の顕現は、神様の摂理の中心役事なのです。

皆様。今、創設される「世界平和連合」は、過去の「国際連盟」や「国際連合」とは異なり、真の本然の平和理想と真の父母の理想をもって、最終的に世界平和を達成しようと雄大な新しい出発をしました。人間同士だけで平和を謳歌しようとするのではなく、神様の中で、神様と共に平和を謳歌しなければならないという斬新な覚醒がなければなりません。世界平和の中心は神様であられ、その原動力は真の愛なのです。

世界平和を熱望する貴賓の皆様。きょうこの殿堂には世界各国の政界、学界、各宗教の代表者たちが一つの屋根の下に集まりました。そして、特に最近まで東西に分かれて冷戦を続けていたその両陣営の代表者たちが、東西という障壁の意識をもつことなく、ただただ和解と協調の精神で参席しました。

一九八九年十一月九日に、ベルリンの壁が崩れた時から、世界は正に改革と変遷、和解と親善へと駆け上がっています。世界平和の道が、今や大きく開かれました。

今、私たちは、きょう宣布される平和獲得の大原則に立脚して、真の平和を成し遂げる時であり、発展途上国の貧困を解放し、強大国は犠牲を払ってでも、発展途上にある新しい民主主義国家を手助けしなければなりません。各国家における政策が利己主義を克服する、それ自体が大革命です。その方法は、私たちすべてが父母の位置に上がっていって見つめることです。そうすれば、すべての国家が兄弟にならざるを得ません。一組の父母のもとに一つの兄弟、社会、国家を形成することのできる歴史的な機会に直面しています。

来たる九月の国連総会に、韓国と北朝鮮が共同で加盟することになっています。これは、私たちが平和世界を指向するまた一つの画期的発展です。そうなれば、「国際連合」の総加盟国は、今や百六十三ヵ国になります。それでは、今百六十三ヵ国がすべきこととは何でしょうか。無慈悲な植民地政策によって、弱小国を搾取する時代は過ぎ去りました。

今や弱肉強食は旧時代の残骸になりました。超強大国が武力競争で、世界を恐怖の中に追い込んだ時代も過ぎ去りました。人類は、今、核兵器の恐怖から解放されなければなりません。今は正に聖書にあるように、「そのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書二・四)時です。

相互信頼と道義の時代が明けてきつつあります。「国際連合」のすべての加盟国は、今、互いに尊敬し、愛し合いながら、私たち人類の共同の敵に宣戦布告をしなければなりません。私たち人類の共同の敵は、貧困と無知と疾病と罪悪です。今や人類は、貧困と無知と疾病と罪悪から解放されるべき時が来ました。これからは「私の国」という定義は発展的でなければなりません。もちろん私が生まれて暮らしている国が、まず「私の国」であることに違いありませんが、より大きな見地から見るならば、私の父であられる神様がつくられた世界は、すべて「私の国」なのです。

このように見たとき、先進国が先端技術を独占し、発展途上国に先端技術を分け与えないことは、大きな罪と言わざるを得ません。国家間に良いものがあるならば、早く分け合わなければなりません。新しいものを発見すれば、直ちにその恵沢を互いに分け合わなければなりません。人類に手助けになることであるならば、ためらわずに国境を越え、これを実践しなければなりません。私は世界の技術の平準化のために、長い間全力投球してきた人です。

皆様。皆様は、神様によって平和の働き手として選ばれ、この場に送られた方々です。今後、九年で西暦二〇〇〇年が訪れます。二〇〇〇年というこの峠が、私たちの生きている時に偶然に訪れるのではありません。これは、歴史の新しい転換点です。新しい歴史が胎動しているのです。平和の二十一世紀が近づいてきています。しかし、その平和はただで来るのではなく、神様と人間が協力し、与えられた責任分担を果たす時にのみ可能なのです。そうであるならば、私たちは残り九年間に、平和を阻害するすべての要素を除去する作業を終えなければなりません。

新しい時代、二十一世紀は共義の時代です。新しい時代、二十一世紀は物質が支配することのない、精神と霊性の時代です。新しい時代、二十一世紀は、神人一体になって生きる時代です。新しい時代、二十一世紀は、他のために生きることが、自分のために生きるよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代です。利己主義は色あせ、共生共栄共義の利他主義がついに凱歌をあげる時代、それが正しく明けてくる二十一世紀なのです。

それは平和の時代です。それを名実共に「天国」と言うのです。このような希望と光明の二十一世紀には、私たちがきょう創設する「世界平和連合」がその理念を提供し、世界人類を教育し、摂理に従って今後訪れる平和世界の牽引車の役割を果たさなければなりません。同連合は、また世界の道徳性を明るくする灯台にならなければならないのです。

平和の使徒、貴賓皆様。光明な新しい日が私たちを待っています。きょう、私たちは、使命感に燃えなければなりません。今、私たちの最後の一滴の汗と涙と血までも注いで、人類共同の目的を果たさなければならない歴史的使命が、私たちを呼び求めています。その最初の仕事が、神様を私たち個人、家庭、社会、国家、世界に迎えてさしあげることです。天が共にいらっしゃるとき、これに敵対する人がいるでしょうか。

尊敬する同志であり、兄弟であられる皆様。人類の前に置かれた最後の崇高な課業、恒久的世界平和定着の使命の前に立ち上がり、光明な世界に向かって共に前進いたしましょう。神様をお迎えして、世界の真の平和を成し遂げましょう!ありがとうございました。

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第九篇 9 二十一世紀における島嶼国家の役割

第九篇 9

二十一世紀における島嶼国家の役割

日付:一九九六年六月十六日

場所:日本、東京、京王プラザ・インターコンチネンタル・ホテル

行事:「世界平和島嶼国家連合」創設大会(代読)

きょう、この意義深い会議に、世界からお集まりくださった尊敬する貴賓の皆様。私は世界平和の実現のために尽くされた皆様の努力を高く評価し、心から感謝の意を表します。そして、今回の会議が世界平和のための、より一層の知恵と努力を結集し、近づく二十一世紀を輝かしい平和の時代として迎えることができるよう、友誼(ゆうぎ)と理解を深める良い機会となることを祈ります。

また、この会議によって、世界平和の実現に対する私たちの責任と使命を互いに分かち合い、揺らぎのない決意を互いに強固なものにできるならば、それ以上の喜びはありません。

それでは、私が「島嶼国家連合」という組織を皆様に提唱し創設するに至った経緯と背景を、先に説明することから始めようと思います。人類歴史において文明発展の流れを見ると河川流域から発生した古代文明は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島を含む地中海文明に移動しました。そしてこの文明は、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸を通って、島嶼国家であるイギリスを中心とした大西洋文明として結実しました。さらに文明は、アメリカ大陸を通って西の方に移動し、現在は、イギリスと同じ島嶼国家である日本を含めた太平洋時代を迎えています。

このような文明史の推移を、神様の摂理として理解すれば、今日、天運の中心的な立場に置かれている島嶼国家は、正に日本であると考えざるを得ません。日本は神様の摂理を通して、人類歴史の舞台に立ったのです。日本の繁栄は、神様の摂理との関係において説明できるのであり、それ以外の理由だけでは説得力がありません。日本が神様の摂理の中心に立っているとすれば、私たちの関心は、日本のもつ摂理的使命に傾かざるを得ません。なぜならば、神様の摂理の目的は、世界平和の実現にあるからです。世界平和は万民共通の希望なのです。

全世界の島嶼国家が、ここに連合して、平和世界に対する日本の使命を自国の使命のように考えることによって、島嶼国家の世界的連合による平和創建のための国家連合を完成すれば、人類社会にとってこれ以上の希望はないでしょう。このような希望に立脚して、私は「世界平和島嶼国家連合」の創設を提唱しました。私がこのように語るのは、今まで日本が受けてきた天運を、全世界の島嶼国家が相続し、世界平和創建のための国家群となることによって、一日も早く世界平和の実現が可能になるように祈らなければならないからです。

それでは、島嶼国家の特徴とは何でしょうか。地球は、陸地と海でできています。今日の科学は「海を舞台として最も単純な最初の生命が誕生して広がった」と説明しています。これは、海が生命を身ごもる母の役割を果たしてきたことを物語っています。このような理由から、海を女性の象徴として考えるならば、陸地は当然、男性を象徴するものと考えることができます。

したがって、海洋に位置した島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家であると言えます。島嶼国家が女性型の国家であるとすれば、女性の特徴である対象性、依存性などの特徴をもっていると見ることができます。他方で、男性的な大陸国家は、男性の特徴である主体性、創造性などの特徴をもっていると見ることができます。

島嶼国家が遂行すべき役割は、人類社会において女性が遂行してきた役割とある程度同じであると言うことができます。女性は、結婚して心から夫を愛し、夫に侍り、また夫の愛を受けることによって美しく輝く存在です。そして子女を生み、子女に愛を注ぎ、素晴らしい家庭を築いていくことによって、喜びを感じるのです。女性の中心的な使命は、このように夫と子女に注がれる限りない愛にその特徴があると言うことができます。特に母は、子女にお乳を与えて養育し、教育する重要な責任を負っています。島嶼国家の役割もまた、このような母の役割と同じ内容をもっていると言えます。

神様の人類救援摂理歴史を見ると、そこには必ず神様の摂理を担当する中心民族と中心宗教があります。歴史を導いてきたユダヤ教とキリスト教の核心は、第一に、唯一絶対の神様がおられること、第二に、人間始祖の堕落と罪、そしてその罪からの救いのためにメシヤが必要であると主張すること、第三に、人類の罪悪史には必ず終末があり、その時に「神の国」が到来することを主張することです。そのような救援摂理観によって、旧約時代にはメシヤの降臨を中心として歴史が形成されてきたように、新約のキリスト教時代には、再臨のメシヤを待望し、彼を真の父として迎え、罪を清算し、「神の国」を完成するという希望と信仰を中心として形成されてきました。このような救援摂理の歴史的な背景は、神様の心情と事情に立脚しているのです。したがって、神様の摂理を読み取るためには、時代の兆候を見抜く目が必要です。

第二次世界大戦が終わったとき、世界のキリスト教は、神様の救援摂理史において非常に重要な時点を迎えていました。その中心にいたのが、イギリス、アメリカ、フランスでした。第一次、第二次世界大戦において、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家は、連合国の中枢として民主主義の勝利のために戦い、二回とも勝利を収めました。

これは正しく神様の摂理だったのです。したがって一九四五年、第二次世界大戦が終わった時を契機として、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家が、自国中心主義に陥らず、世界平和の実現のために力を合わせて神様の真の愛を実践し、そして犠牲と奉仕の精神で人類の平和のために全身全霊を傾けたとすれば、国際連合を中心として、人類の恒久平和が達成されたはずでした。しかし、実際の歴史的事実は、世界平和の実現ではなく、共産主義の拡散とそれに伴う数多くの紛争、キリスト教国家の霊的衰退および道徳的堕落でした。戦後四十年以上もの間、米ソ対立の冷戦時代を経てきた人類は、霊的な荒野をさまよってきたのです。

最近、私は、神様の啓示に基づいた世界平和のビジョンを実現するために、世界の人々に神様の理想と摂理を明らかにしてきました。それとともに、世界平和の実現に必要であると考えられる多くの組織と機関を設立し続けてきました。このような平和運動は現在、完成段階に達していると言ってもよいでしょう。それでは、神様の摂理とは何でしょうか。神様の創造摂理はもちろん、平和な世界であることは言うまでもありません。平和な世界は、そこに分裂や争いがあってはいけません。統一と調和と喜びに満ちた社会でなければなりません。それを可能にせしめ、最大最高のものをつくるのは、正に真の愛なのです。真の愛は、統一の要因であり、喜びと幸福の源泉です。ですから、平和の前提は、真の愛であると言えるのです。

神様の真の愛は、どこに根を下ろすのでしょうか。真の愛の定着地は家庭です。アダムとエバが完成し、神様を中心とした夫婦として理想家庭を築いたならば、そこに真の愛が定着するのです。真の愛の家庭こそが、真の平和を生み出す基地となるのです。人類がいまだに真の平和を成し遂げられないのは、真の家庭を知らずにいるからです。その答えは聖書に記録されているように、人類が神様とは関係のない立場に落ちてしまったからです。人類の始祖アダムとエバが堕落して以来、この世界には平和が消え失せてしまいました。代わりに分裂と闘争が人類を支配するようになりました。個人においては心身の葛藤、家庭では夫婦の対立、そして社会では人間同士の闘争が絶え間なく起きています。結論的に言うならば、真の愛の喪失という根本的な原因によって、すべての問題が起きていると言うことができます。人間の堕落は、真の愛の喪失を意味します。したがって、アダムとエバが失ってしまった愛を復帰するために、イエス様は真の愛の王として降臨されたのであり、また再臨のメシヤも、真の愛を立てるために来られたというのが、救援摂理から見た論理の帰着です。

世界平和のための今までの私の歩みは、いかにすれば人類が真の愛を回復できるか、という一点に集約されます。今日、道徳的に退廃した世界を見るとき、神様の悲しみがどれほど大きいかということを、私はいつも痛哭する心情で見つめてきました。ソドムとゴモラのような姦淫の弊害が世界を襲い、未来を背負うべき若者たちがフリーセックスに陥っていく姿は、神様の最大の悲しみであり、それは正に人類を滅亡へと導く道なのです。しかし、今日、世界で一つの希望と喜びを発見できるとすれば、それは、世界が偽りの愛によって破滅しつつあるこの状況を防ぐための女性たちの活動が、世界的に拡散していることです。これは大きな希望です。既にこの日本から女性たちが世界百六十ヵ国に派遣され、ために生きる精神を実践していることは、限りなく喜ばしいことと言わざるを得ません。危機を救うのは女性です。今、私たちは、女性たちの力を尊重しなければならない時が来ました。国家で言うならば、島嶼国家が正に女性の立場に立っているのです。

各国の代表、貴賓の皆様。皆様の国は島嶼国家です。島嶼国家は女性、あるいは母としての特徴を共通して持ち合わせているので、共に連合し、力を結集して、人類に対して母としての使命を成功裏に遂行していくよう互いに協力しなければなりません。私が「島嶼国家連合」を提唱し、創設したのも、このような理由に基づいているのです。

人類歴史を見ると女性は、良い意味であれ悪い意味であれ、重要な役割を果たしてきました。聖書によれば、人類の歴史は、アダムとエバの堕落による悲劇的な事件から出発しました。人間堕落の結果に対して、私たちは責任をもってこれを解決していかなければならないのは当然のことです。しかし、エバが最初に堕落して罪悪の歴史を出発させたという聖書の記述を見るとき、人類歴史は、エバの堕落を女性たちが先頭に立って蕩減する時代が来ることを摂理的に要求しています。二十世紀における男女平等の思想的風潮、また女性の真の解放を求める運動などは、女性が世界平和のために立ち上がって世界的に大きく活動する環境が造成されたことを意味しているのです。

このような神様の摂理をよく知っている私は、一九九二年四月に、私の妻と共に「世界平和女性連合」を創設しました。この連合の運動は、近い将来に世界万民が参加する「世界平和女性連合」の運動へと発展させ、真の愛を家庭の中で定着させることによって、理想世界、すなわち地上天国を建設するのです。今、女性の時代は、一九九〇年代の世界的な趨勢であり、女性の愛と協調、和解、調和の精神が、世界平和のために歴史的な貢献を果たす時代であると言うことができます。

この世界的な女性時代は、そのまま女性の特徴をもつ「島嶼国家連合」にも該当するのです。そのように女性時代と島嶼国家の時代は深く結び付いています。女性が世界平和のために立ち上がる時は、島嶼国家もまた世界平和のために立ち上がる時なのです。すべての島嶼国家が、世界平和の実現という光明な歴史的使命を果たす時は、正しく今なのです。これ以上に誇り得る使命がどこにあるというのでしょうか。

それでは、ここでしばらく、女性たちが歩んできた人類の歴史を振り返ってみましょう。神様に向かう強い信仰心によって偉大な証の書を残した立派な女性たちがいます。アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルの三人の女性がいなければ、イスラエルの歴史はなかったと言っても過言ではありません。また、神様の祝福を受けた血統を命懸けで残そうとしたタマルの絶対的な信仰がなければ、旧約聖書に記録されているメシヤの血統は確立しなかったでしょう。タマルと同様に、イエス様の母マリヤもまた、神様の聖なる血統を継ぐ子孫を生むために、絶対的な信仰を天のみ前に示してくれた女性でした。

エバの堕落は人類に霊的な死をもたらしたのであり、その結果、人類は偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の中で呻吟するようになったのです。マリヤとタマルの歩んだ道は、エバの堕落を蕩減するための道でした。また、か弱い十六歳のジャンヌ・ダルクが立ち上がったとき、存亡の危機に立たされていたフランスが救われたのです。十六歳の彼女が一国を救えるほどの力を発揮したのです。このような女性たちの歴史的足跡をたどってみると、覚醒した女性たちがどれほど立派な活動をしてきたかを知ることができます。女性のもつ奉仕と献身の美徳によって人類愛に燃える「島嶼国家連合」が誕生するとき、人類の前途には、希望の光が明るく照らされるでしょう。島嶼国家は最終的には大陸を求めなければなりません。それは女性が男性を求めなければならないのと同じ原理です。島嶼国家存立の条件と言ってもよいでしょう。

したがって、島嶼国家から始まった世界平和のための諸活動は、大陸国家に良い影響を与えるでしょう。このようにして世界平和実現のための善の影響力が島嶼国家から大陸国家に及ぶとき、世界平和の実現の可能性は、より一層高まるでしょう。目前に近づきつつある二十一世紀は、人類が長い間願ってきた地上天国の輝かしい幕が上がる新世紀となることを私は確信しています。

私が世界平和のために創設した「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」と共に、今回創設される「世界平和島嶼国家連合」は、世界平和のために重要な役割を果たすことを確信しています。そして最終的に、これらすべての組織は、「世界平和家庭連合」として結実しなければなりません。なぜならば、平和の最後の砦は家庭であり、家庭の再建以外に世界平和に至る道はないからです。

「世界平和家庭連合」の目的は、超民族的、超国家的、超宗教的理念に基づき、青少年たちを立派に教育することによって、理想国家を完成し、五色人種が永生を謳歌する人類一家族世界の歴史的聖業を成就することです。皆様の「島嶼国家連合」と「世界平和家庭連合」の偉大な目的に対して大きな賛辞を送り、立派に世界平和の大業を完遂することを信じて疑いません。神様の真の愛による人類一家族世界の夢が「島嶼国家連合」の創設によって、より一層実現可能なものとなったことに対して、皆様に感謝を申し上げながら、私のメッセ・ジを終わりにしようと思います。

皆様と皆様の御家庭に神様の導きと祝福が共にあることを祈ります。御静聴いただきありがとうございました。

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第九篇 10 二十一世紀における半島国家の役割

第九篇 10

二十一世紀における半島国家の役割

日付:一九九六年八月二十日

場所:韓国、ソウル、シェラトン・ウオーカーヒル・ホテル

行事:「世界平和半島国家連合」創設大会

尊敬する議長、全世界からお越しの貴賓、韓国各界の代表、ならびに紳士淑女の皆様。人類の福祉と平和世界の実現のための皆様の労苦に称賛の意を表します。また、私の祖国である韓国の地を訪ねてくださった皆様を歓迎いたします。二十一世紀まで四年を残した現時点において開催される今回の会議が、人類に平和世界に対する確実な希望を与えてくれる意義深い討論の場となることを願いながら、人類の究極的な理想と世界平和実現に対する私の考えを表明することにいたします。

私は、世界の主要強大諸国が、理念と資源をめぐる戦争を起こすことによって、多大な苦痛を受けた韓半島で育ちました。私は幼いときから人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探そうと尽力してきました。生きておられる神様を体恤によって知り、また、その神様が歴史の中で人類と共に歩んでこられた真の愛の主人であられることを知りました。罪と矛盾と闘争に満ちあふれたこのような世界を、神様が計画し、創造したとは、私には信じられませんでした。

今ここで青少年期の経験を長々とお話しする時間はありません。ただ、私の青少年時代は、真理の探究のために没頭し、身もだえする生活だったことを申し上げておきたいと思います。私が究明した、統一教会の教理解説書である『原理講論』は、平凡に得られたものではありません。「原理」の根本は、胸の痛む祈祷の中で、イエス様をはじめとする霊界の聖賢たちとの交流はもちろんのこと、神様との深い交流によって探し出したものです。妨害するサタンとの血闘戦で得た勝利の結実です。私は、この「原理」の教育と実践によって人類を指導するために、緊張の中で生涯の一瞬一瞬を捧げています。「原理」は世界百八十四ヵ国に伝播され、人をして、生きた神様と生命ある関係を結ばせ、その人生を変化させています。

私たち人間は、神様によって創造されたので、神様と関連した夢と理想世界に向かうことを熱望する心をもって生まれました。いかなる悲惨な環境の中でも、人間は理想的な平和世界に向かう希望を捨てません。「理想世界」というときの「理想」とは、原因者であられる神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、または富のために世界をお造りになったのではありません。神様には、権力、栄光、富に対する欲望はありません。絶対、唯一、不変、永遠であられ、万有の原因者であられる神様は、これらすべてを、既にもっておられるからです。

しかし、神様がいかなる欲望ももっておられないと考えるのは正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。神様も愛を体恤されるためには相対が必要です。愛とは、主体と対象の関係、すなわち相対と関係を結んでこそ可能な経験であり、喜びだからです。いかなる存在も、一人孤立して愛を感じることはできないのです。神様も例外ではありません。神様の創造の動機は、真の愛とその対象である真の人です。神様は、御自身と自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は神様の完全な愛の対象体として造られたのです。人間は、神様の息子と娘です。創造主である神様は、人間の真の父母であられます。

神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを願われました。神様は、彼らの外的で生物的な成長のための足場として、美しく繊細に準備した環境である万物世界を創造されました。このような環境の中で、人間は成長して大人になり、発展します。

神様は、人間の内的性稟と愛の人格に、より深い関心をもっていました。彼らは、真の愛の経験を通して神様の真の愛に似て完成するのです。愛の力は、内的で非物質的な力の中で最も強力なものとして創造されました。人間はそのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤することによって、父母であられる神様に似るのです。

人間が無限な真の愛の主人になるためには、責任性を遵守しなければなりません。人間は、真の愛によって神様と一体となって神様に似るとき、初めて愛の完成体、完全な人格を所有するようになるのです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉となる理由もここにあります。アダムとエバは、神様の真の愛の中で真の男性と真の女性となったのちに、互いが真の愛によって真の夫婦となり、その次に子女をもって真の父母となるようになっていました。

人間は、成長期間を通じて神様の真の愛を段階的に体得していきます。人間は生活の中で父母の愛を通して子女の心情を感じ、兄弟の愛を通して兄弟の心情を感じ、夫や妻の愛を通して夫婦の心情を感じ、子女を通して父母の心情を体恤するようになっているのです。この四つの愛と心情がとどまる基台が家庭です。

ですから、家庭は人間の愛と幸福と生命と血統の基地になるのです。家庭以外には、いかなる所でも四つの愛と心情を学び、体恤することはできません。愛は経験を通して感じ、知るものだからです。人間個々人や家庭、社会、国家や環境の完成は、家庭の中における真の愛の具現を根拠としています。

世界の現実はどうでしょうか。人類は、技術の発展によって生活が便利になったにもかかわらず、人間性を喪失するなど深刻な危機を迎えています。戦争と葛藤、暴力と犯罪、そして麻薬など、ありとあらゆる病弊が人類を不安にさせています。さらに深刻なことは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増し、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が人類社会の根底を崩しています。

人々は、様々な面において平和と幸福を追求し続けてきましたが、満足できる成果を得ることはできませんでした。第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を防止するために創設された国際連盟と国際連合の二大機構が、全世界的な活動を展開してきたにもかかわらず、いまだに平和世界は訪れていません。

宗教団体の努力でも幸福な世界は実現しませんでした。また、国際共産主義の理想やファシズムの夢でも理想世界の実現は失敗しました。高度の技術も、政治的な努力も、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。これは、人間の不幸と苦痛の根源が、神様に背いた堕落に由来しているのに、その根源から問題を解こうとしなかったからです。

アダムとエバは、性関係を結ぶことによって神様の原理から離れるようになり、真の愛の中で自ら成長する前に子女をもつようになりました。アダムとエバは、神様を不信し、結果的にサタンに従って偽りの夫婦、偽りの父母となることによって、人類歴史が出発したのです。彼らの子孫が、神様の創造理想とは関係のない、罪と戦争と苦痛の中で生きることになるという結果を招来したのです。神様の心情は、どれほど悲しみに打ちひしがれたことでしょうか。

神様は何としても、本来計画された真の愛と平和の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理は、原状復帰の摂理、すなわち復帰摂理です。このような復帰摂理のために宗教を立てられ、善の版図を広げてこられました。

神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結させる全責任を負って来られる方です。したがって、メシヤは真の父母として来られ、根本から正して回復しなければなりません。メシヤとして来られたイエス様は、真の父母の使命をもってこられました。彼は地上において、人類を真の愛で重生させ、真の人、真の夫婦として回復させ、真の父母となるようにするために来られたのです。不幸にも、彼は地上の不信によってみ旨を完全には果たすことができずに、逝かれながら再臨を約束されました。真の父母として再び来られ、神様の創造理想を完全に回復しなければならないからです。

イエス様はユダヤの地にお生まれになりましたが、ユダヤだけのためのイエス様ではありませんでした。メシヤであり、真の父母の立場で来られたイエス様のみ旨は、地上に神様の理想、すなわち真の愛の平和世界を実現することでした。当時、ユダヤはローマ帝国の属国でした。イエス様のみ旨がユダヤを基盤として成就され、さらにローマを経て世界まで成就されることを願われる神様の摂理があったのです。

私たちは、海に囲まれた半島国家が歴史的に貴重な文明を花開かせたことを知っています。偉大な宗教理念や思想の多くが半島国家で発生し、人類の精神世界を指導してきました。バルカン半島で発生したギリシャ哲学、イタリア半島で花開いたキリスト教文化、インドのヒンドゥー教文化と哲学、アラビア半島のイスラーム文化、東南アジア半島で結実した仏教文化、イベリア半島での航海術、スカンジナビア半島でのノルマン文化などがそうです。このように、半島国家は世界文化史に最も大きな影響を及ぼしました。

人類歴史において文明が発展していく流れを見ると、河川流域から発生した古代大陸文明は、ギリシャ、ローマ、イベリアなどの半島文明に移動していきました。その半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に移り、その島嶼文明は再びアメリカを中心とした大陸文明を経て、日本の島嶼文明に戻ってきました。今この文明の巡礼は、韓国において半島文明として結実しなければならないと見るのが摂理観です。

別の方面から見ると、ナイル川とチグリス川など河川沿岸の古代文明が、ギリシャ、ローマ、スペインなどの地中海を中心とした文明へと移りました。その文明は再び、イギリスとアメリカに続く大西洋文明へと移り、この文明はまた、アメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになります。イタリア半島で結実して世界化されることがメシヤのみ旨だったので、イエス様の再臨、すなわち真の父母の再臨によって摂理の中心にならなければならない所は、半島国家である韓国であるとみるのです。

地球は陸地と海洋から成り立っています。海は、最も単純な生命が誕生して以来、母の役割を果たしてきました。このように、海は、養育し、抱いてくれるので、女性を象徴し、陸地は男性を象徴すると考えることができます。したがって、海洋に位置する島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家だと言うことができます。

特に半島国家の国民には、大陸と海の両面からの敵に備える生活から生まれた強靭さと勇猛さがあります。また、開拓し、探険する進取の気質に富んでいるので、きらびやかな文化を花咲かせ、またそれを世界に伝播するようになったのです。新たに千年を迎えなければならない時点において、半島国家は、摂理的に貴重な使命を果たさなければならない国々です。これらの国は、これまで世界文化に寄与した功労と共通した経験を半島国家連合として結集し、平和世界を実現するために先導的役割を果たさなければなりません。

尊敬する指導者の皆様。今まで私は、人類が平和世界で幸せに暮らすことのできる道を教えてきただけではありません。困難な開拓を行い、平和世界を実現するための様々な組織を創設しながら、多大な支援によって育成しています。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和教授アカデミー」、「世界平和島嶼国家連合」などは、すべてこのような目的のために創設された組織です。今回、「世界平和半島国家連合」を創設するのも同じ目的です。

人類の幸福と平和理想を実現するには、多くの障害があります。政治的、経済的利害関係の衝突をはじめ、様々な否定的要因が数多くあります。その要因の中で最も根本的なものは、人間が自己の中で心と体が衝突を起こし矛盾していることです。長い人類歴史を通して、この心と体の葛藤は、完全に解決されたことはありませんでした。人間始祖の堕落の結果が、このように深刻で悲惨なのです。

自らの内に矛盾と葛藤をもった人たちが家庭を形成しているので、その家庭が完全に和合一体を完成することができるでしょうか。特に、真の愛による心情の完成的な体恤もなしに、愛の責任性も忘却したまま、倫理、道徳の完全な基準を立てられないとき、家庭は揺れ、破壊されるのです。家庭が壊れるのに、平和な社会、国家、世界を期待できるでしょうか。

私は、去る七月三十日から八月一日まで、アメリカの首都ワシントンDCで「世界平和家庭連合」創設大会を開きました。ジェラルド・フォード、ジョージ・ブッシュの二人の元アメリカ大統領をはじめ、四十ヵ国の元・現職国家元首および首相と世界の百二十ヵ国以上の代表が一堂に会し、歴史的な世界大会を開催したのです。これは、これまで私が、真の愛の平和世界実現のために生涯を捧げて築いた世界的な組織と基盤の上に創設した、最も貴い機構です。

今日、人類は、神様の真の愛の中で心と体の調和、一体を完成することによって、本然の人間性を回復しなければなりません。人類は純潔運動と真の家庭実践運動を通じて、永遠の幸福の基盤を築かなければなりません。そのためにこの機構をつくったのです。

神様の経綸と歴史の帰趨を見ると人類は、国境と人種を超越し、神様を真の父母として侍って生きていく巨大な一つの家族です。一つの世界家族として、一つの囲いの中で調和して協力すべき運命共同体なのです。これ以上、隣人と他国の困難が私と無関係ではあり得ない時代が来ました。

私たちは、人類が戦争と犯罪、麻薬と暴力、環境汚染と生態系の破壊、倫理の退廃とエイズなどに巻き込まれ、落ちていくのを傍観することはできません。これから私たちは、神様と歴史の前に応えなければなりません。大きく和合して一つにならなければならない人類が、何をもって、どのように現実を克服し、迫りくる新千年紀を希望の中で迎えることができるでしょうか。

そして、個体や自国の利益を超えてために生き、信頼しながら生きる平和世界を形成し、またこれを支える新しい価値観をどのようにして確立するのでしょうか。科学技術の燦爛たる楼閣の上で、人本主義の眼鏡をかけて偶像崇拝に誘惑されるのではなく、本心の扉を開けて謙虚に答えを探さなければならないのです。地上で見いだせなければ、天から来る声を通して解決しなければなりません。

今回の皆様の討議が、平和世界の夢を実現するために、大変有益で意義のある会議となることを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護がいつも共にあることを祈ります。

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第九篇 11 二十一世紀における大陸国家の役割

第九篇 11

二十一世紀における大陸国家の役割

日付:一九九六年八月三十日

場所:アメリカ、ニュージャージー州、シコーカス・ヒルトン・ホテル

行事:「世界平和大陸国家連合」創設大会

尊敬する北アメリカの代表であられる参加者の皆様、そして紳士淑女の皆様。人類の福祉増進と平和世界の実現のための皆様の労苦に、心からの感謝をお捧げいたします。

私は、二十世紀も残すこと四年余りという現時点において、この会議が、平和世界のための私たちの希望を明快にして拡大させる、有益な討論となることを願います。私はまず、世界平和実現と究極的な人類の理想に対する私の見解を皆様と共有したいと思います。

「統一原理」の宣布と世界宣教

私は韓半島で育ちました。韓国民族は、理念と資源の問題を中心とした世界の列強たちの角逐(かくちく)により、多くの苦痛を受けました。幼年期以後、私は人生と宇宙の根本問題に対する答えを探すため、必死の努力を続けてきました。そして、神様に対する私の経験を通し、生きておられる神様を知りました。

また、神様が歴史の中で人類と共に摂理される真の愛の主人であることを知るようになりました。私は、神様が罪悪と対立、戦争がはびこる世界を計画し、創造したとは信じられませんでした。青年時代の経験について長々とお話しする時間がありませんので、きょうは簡潔に、その当時の真理追究に対する私のあふれんばかりの情熱についてお話ししたいと思います。

私は、「統一原理」として知られている統一教会の教えをこの地上に提示しました。しかし、このような教えは簡単に得られたものではありません。言うまでもなく、私は神様と霊界にいるイエス様、そして多くの聖賢たちと祈祷による十分な交流を通して原理の真髄を伝授されました。その啓示は、サタンとの決死の闘争を通して得られたものです。

私は、このような「統一原理」を教え、実践することに、自らの全生涯の一瞬一瞬を捧げてきました。そうして、「統一原理」に触れ、「統一原理」を通して生きている人たちが、今や百八十四ヵ国に広がっています。「統一原理」は、これに触れた人たちに、生きて働かれる神様と新しい関係を設定させることによって、人々の人生を変化させています。

神様の理想と人間完成

神様によって創造された私たち人間は、私たちの夢を成就し、神様との関係性の中で理想世界を実現する内的な希望をもって生まれました。それだけでなく、最も困難な条件下にあっても、人間は絶対に理想世界と平和世界のための希望を捨てません。私たちが理想世界について語るとき、私たちは、神様こそがその理想という概念の根本であることを知らなければなりません。

神様は、富と権力、名誉のために世界を創造されたのではありません。絶対、永遠、不変であられ、すべての存在の根源であられる神様は、既にそれ自体で満ち足りている存在なので、このようなものは必要ではないのです。しかし、神様は御自身の望みすべてが、既に満たされていると言うことはできません。

神様は、真の愛の本体として存在しているので、私たち人間と同様に、愛を与えたり、受けたりする対象が必要です。愛は、もっぱら主体と対象の関係があるところで経験することができます。いかなる存在も、孤立しては愛を感じることができません。

神様は、自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は、神様の真の愛の対象となるように創造されたのです。神様は人間を御自身の息子と娘として創造したというのです。ですから、神様は私たち人間の真の父母です。神様が最初の男性であるアダムと最初の女性であるエバが、真の愛を中心として純潔なままで成長することを願われました。神様は、アダムとエバが真の人となることを望まれました。神様はこのように美しく奥妙な自然世界を、すべての生命が成長できる環境として創造されました。そして人間は、このような環境の中で成長したのです。

しかし、神様の主な関心は、人間の内的な人格の成長にありました。真の愛を経験することにおいて、神様は私たち人間が、神様の真の愛を体恤し、完全な存在に成長するよう計画されたのです。そして、神様は愛の力をいかなる力よりも強く創造されました。天の愛と法度の領域の中で、人間をして真の愛の力を経験させることによって、私たち人間が父母であられる神様にだんだんと似ていくのです。無限な真の愛を所有するために、私たちはまず責任意識を学ばなければなりません。

人間が真の愛を通して神様と一つとなったとき、人間は、神様に似た完全な人格体として、真の愛の完全な実体となることができるのです。そのような意味から、神様は人間の幸福の本質と生命であり、理想であると言うことができます。アダムとエバは、神様の愛の中で成長し、真の個人となり、真の夫と真の妻となって子女を養育することで真の父母になるようになっていました。人生の成長段階を通し、人間は徐々に神様の愛を経験します。

個人は、父母の愛を通して子女の心情を知り、兄弟姉妹の愛を通して兄弟姉妹の心情を、配偶者を通して夫と妻の心情を、そして子女に対する愛を通して父母の心情を知るようになります。

家庭は、このような四大愛と心情圏を確立する基盤になるのです。家庭は、愛と幸福、生命、そして血統の基盤です。私たちは家庭以外のいかなる所においても、このような四大愛と心情圏を経験することはできません。私たち人間は、実際的な経験を通してのみ愛を知るようになります。個人、家庭、社会、そして環境の真の完成は、家庭の中における真の愛の実現に基づいています。

世界平和と復帰摂理

今日の世界の現実はどうでしょうか。科学と技術の進歩、そして現代生活の便利さにもかかわらず、世界は人間性の喪失という深刻な危機に直面しています。無秩序とありとあらゆる種類の暴力と犯罪、麻薬の乱用、戦争などが人類を蝕んでいます。そして、離婚率の増加、若い世代の性倫理の崩壊と十代の未婚の母問題などを含めた家庭崩壊現象が、私たちの社会基盤自体を破壊しています。

私たちは多方面にわたって平和と幸福を探し求めてきましたが、私たちの中で誰一人として、自らの人生において成就した結果に対して満足できる人はいません。第一次、第二次世界大戦後に国際連盟と国際連合が、未来に発生する葛藤を解決するために創設されましたが、このような機構の国際的な努力や活動も、平和な世界を実現することはできませんでした。

各種宗教団体の努力もまた、幸福な世界を実現することに成功していません。共産主義の理念やファシストの幻想も、一つの世界を建設することには失敗しました。高度に進歩した技術や巧みな外交術もまた、私たち人類に平和と幸福の世界をもたらすことはできませんでした。これは、人類の不幸と苦痛の原因が、正に人間の堕落と神様に対する不従順に起因しているからです。ですから、このような根本原因を除去することによって、問題は解決されるのです。

アダムとエバは、彼らの成長期間の時に真の愛を蹂躙しました。彼らは、真の愛の理想の中で成熟段階に到達する前に、不倫の性関係を結び、子女たちを繁殖することによって、神様の原理から逸脱しました。アダムとエバが、彼らの愛する父母である神様を信じず、サタンに屈伏し、堕落したことによって、人類歴史は始まりました。このような行為によって、彼らは偽りの夫と妻となり、偽りの父母となりました。最初の家庭から始まり、このように相続されたものは、堕落の負の遺産であって、葛藤と苦痛を含んでいます。このような遺産は神様の創造理想とは無関係です。それをご覧になる神様はどれほどやるせない心情だったか、想像することもできません。

しかし、神様はいかなる代価を払っても、本然の真の愛と平和の理想を復帰しなければなりません。ですから、神様の救援摂理は復帰摂理なのです。このような復帰を果たすために、神様は宗教を創始し、善の版図を広げてこられました。

神様によって送られた救世主は、正にこのような復帰摂理を完成する責任をもって来られる方です。メシヤは真の父母として来られなければならず、問題の根源から始まったすべてを聖別しなければなりません。

イエス様は、真の父母の因縁をもって来られたメシヤです。イエス様は、この地の人類を復活させるために来られました。イエス様は、人類全体を真の人間として復帰し、この人類が互いに真の夫と妻となり、真の父母となることができるようにするためでした。

ところが、不幸にもイエス様は、この地の人間たちの不信によって、このような目的を完全に果たすことができなかったのです。しかし、イエス様は昇天する前に、この地上に再び来るという約束をされました。ですからイエス様は、神様の創造理想を完全に復帰するために、再び来られなければならないのです。

原理的観点から見た文明の発展

イエス様はイスラエルで誕生しましたが、ユダヤ人のためだけに生まれたのではありません。イエス様は、救世主と真の父母の立場でこの地に来られ、神様の理想、すなわち真の愛と平和の世界を実現しようとされました。その当時、イスラエルはローマの植民統治下にいました。もしもイエス様がパレスチナ人の中で、その目的を成就していれば、その民族を通して神様のみ言が全世界に伝播されていたでしょう。

事実、アジアとアフリカ、そしてヨーロッパという三大陸の交差点に位置するパレスチナ地方は、キリスト教の歴史において初めの一世紀の間、イエス様の教えを伝播する役割を担当しました。言い換えれば、キリスト教は、南にはアフリカ、東にはアジア、そして西にはヨーロッパへと伝播されたのです。

最終的に、キリスト教は、ヨーロッパと西アジア、そしてアメリカ大陸で、その重要な位置を獲得しました。

キリスト教を通して、これらの広大な大陸は、それぞれ相対的な統一性を形成することができました。そのように統一された大陸の力は、最後には世界を支配するようになりました。

文明は、まずエジプト、メソポタミア、そして中国などの大陸で始まりました。西洋文明の中心は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島へと伝播されました。

このような半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に、その輝かしい地位を明け渡したのち、再び、文明の中心は北アメリカ大陸文明へと移動し、太平洋を渡って、日本を中心とした島嶼文明へと移動しました。そして、その島嶼文明は、再び半島文明へと移動しています。ですから、文明の発展は、韓国において半島文明として結実するというのが摂理的見解です。

半島文化は、主要な文明として成長しました。偉大な宗教や哲学、思想などが、人類の精神の領域を導くために半島文化から現れました。バルカン半島から現れたギリシャ哲学、イタリア半島で開花したキリスト教文化、インド半島のヒンドゥー教哲学と文化、アラビア半島で起こったイスラーム文化、東南アジア半島で隆盛した仏教文化、イベリア半島の航海術、そしてスカンジナビア半島のノルマン文化などを含んでいます。このような半島文化は、大陸に根を下ろすようになりました。ギリシャ、ローマとイべリア文化はヨーロッパとアメリカで隆盛し、イスラーム文化はアフリカとアジアに伝播されました。

また、別の観点から見るとナイル川と黄河、ユーフラテスとチグリス川のような主要な河畔を中心として発達した文明は、地中海沿岸とギリシャ、ローマと北ヨーロッパ地域を中心とした文明にそのバトンを渡しました。その中心は、北アメリカ、フランス、イギリスなどの国家を中心とした大西洋文明へと再び移動しました。究極的に文明は、北アメリカと日本、そして韓国を中心とした太平洋文明として結実するでしょう。モーセ、ゾロアスター、釈迦、老子、孔子、イエス様を含めた歴史的に主要な宗教の創始者たちは、大陸に現れました。イエス様を通して啓示された神様のみ旨は、アジア大陸にあるイスラエルで確立され、半島国家であるローマの影響力を通してアメリカとギリシャ、そしてアジアなど、世界に達することができました。

今日、世界的な力の核心は、北アメリカとアジアにあります。イエス様の再臨に対する神様のみ旨は、これらの大陸国家が、イエス様が再臨する所、真の父母が来られる、正にその場所である韓国を基盤とし、全世界のために完全に投入するとき、初めて成し遂げられるのです。

地球の表面は、陸地と海で構成されています。私は、海が母の役割をするものであると考えます。海において、生命の最も簡単な形態が現れました。海が生命と養育の要素、そして包容性を与えることから女性の特性を象徴しているとすれば、陸地は男性の特徴を象徴していると言うことができます。このことから、海に囲まれた島嶼国家は女性を象徴し、半島国家を伴っている大陸国家は男性を象徴していると言えます。

特に、半島国家の人々は、大陸と海から押し寄せてくる敵たちに対抗することで、強靭さと勇気を培ってきました。このような先駆的で冒険的な精神のもとに、彼らの輝かしい文化が開花し、成長、発展しました。一方、大陸国家の人々は、忍耐力を培ってきました。彼らは、広大な自然環境を開拓してきました。そして、世界の様々な文化から孤立し、多くの世代を経てきた大陸の人々は、地に対する永久的で不変的な価値を付与してきました。そのような意味から、島嶼、半島、大陸の国家の人々が、互いに正しい関係を確立することが、世界平和の実現に貢献できる道なのです。

新しい千年を迎え、大陸国家は摂理的に重要な使命を完遂するために召命されました。大陸国家は、共通した経験とともに、世界のために貢献する大陸国家の力を「世界平和大陸国家連合」に結合させることによって、大陸国家が平和世界の実現において、中枢的な役割を果たすことができるようにしなければなりません。

尊敬する指導者の皆様。しかし、私は、ただ人類が平和な世界で幸福に暮らすことについてお話しするだけでは満足していません。

私は、このような目的を実現するために、実体的な組織を創設しました。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和教授アカデミー」、「世界平和島嶼国家連合」、そして「世界平和半島国家連合」などを創立するに当たって、非常に多くの霊的な支持を受けています。「世界平和大陸国家連合」は、このような目的に貢献するでしょう。

本性の中で新しい希望の答えを探すべき

政治的、経済的葛藤を含めて、人間の幸福を実現するには多くの障害物があります。しかし、最も根本的な障害物は、私たち人間個々人の中にある、心と体の葛藤です。歴史を通して、心と体の葛藤が完全に解決されたことは一度もありませんでした。これは人類堕落の、深刻で悲惨な結果です。

このような側面で、内的な葛藤を抱えている人間たちは、適切な倫理と道徳的基準を立てる家庭を築くことができないので、真の愛に基づく心情世界を経験できないのです。

このような家庭が、完全な調和と統一を成し遂げることができるでしょうか。家庭単位で真の愛を実践する責任を捨てたので、今、家庭が揺れ、崩壊しつつあるのです。家庭が崩壊する中で、社会、国家、世界の平和実現の可能性はあるでしょうか。

私は、今年七月三十日、アメリカの首都ワシントンDCで「世界平和家庭連合」創設大会を主管しました。ジエラルド・フォードとジョ・ジ・ブッシュの二人の元アメリカ大統領と四十ヵ国以上の国の元国家元首、そして世界百二十ヵ国の代表たちが、この歴史的な国際大会に参加しました。「世界平和家庭連合」は、真の愛の平和世界実現のために、私が今まで創設してきたすべての国際機構の基礎となる、最も重要な機構となるでしょう。

今日、各個人は、神様の真の愛の圏内で心と体を調和統一することによって、真の人間性を回復しなければなりません。人類は、「性」の純潔運動と真の家庭実現運動を通して、永遠の幸福の時代のために準備しなければなりません。家庭連合は、そのような使命に貢献するでしょう。

人類歴史の路程において、神様の摂理的立場から見たとき、人類は、国家と人種、そして宗教的な違いを超越し、真の父母であられる神様をお迎えして共に暮らす大家族です。

一つの単一共同体として、全人類が地球家族として、共に協力せざるを得ない運命で結ばれているにもかかわらず、私たちは、隣人と他の国々の問題に、全く関連のない時代に生きているかのような感覚をもっています。しかし、私たちは戦争、犯罪、麻薬の乱用、公害、生態系の破壊、倫理的堕落とエイズの拡散などによって苦痛を受けている人類の現実を無視することはできません。

今日、私たちをめぐる歴史の観点から、私たちは神様の声に応えなければなりません。どのようにすれば人類が完全な調和と統一を成し遂げ、不幸な現実を克服して、希望の新たな世紀を迎えることができるのでしょうか。私たちは、いかにして、個人的あるいは国家的な利害関係とは関係なしに、人を信じ、ために生きながら平和な世界を実現できるのでしょうか。このような理想を実現するための新しい価値体系とは何でしょうか。

私たちは、世俗的な人本主義に引っ張られる科学と技術に依存するよりも、私たちの本性の中で、謙遜にその答えを探さなければなりません。もし私たちが、この地でその答えを探すことができないのであれば、天の声に耳を傾けなければなりません。

私は、この大会での皆様の深思熟考が、平和世界の希望を実現する結実となることを願います。神様の御加護が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第九篇 12 世界平和実現の時代を大きく開きましょう

第九篇 12

世界平和実現の時代を大きく開きましょう

日付:一九九九年二月六日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:「世界平和超宗教超国家連合」創設大会

全世界からお越しの各界の著名な指導者の皆様。きょうこの場で、私が発議した「世界平和超宗教超国家連合」の創設大会を挙行する運びとなったことを大変うれしく思います。

過去四十年間、私が展開してきた超教派、超宗派活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に願ってきた平和世界の実現でした。平和に対するビジョンは超宗派運動の核心です。

人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と葛藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和の時代へと連結されるわけではないことに気づきました。世界の至る所で、激烈な戦争が起こり続けています。今も、旧ユーゴスラビアと中東、またスーダンや南アジアなどの各地で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い葛藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。

現代において宗教的な理想実現のための活動は、しばしば世俗権力と一定の距離を置いて行われてきました。今日の一般的な認識は、これを当然のものとして受け入れています。しかし、世界平和の理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと思います。

いかなる国際機関よりも、国際連合が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために、共に働く、あらゆる国の代表者たちが集まっています。

しかし、国連で国家の代表者たちは世界平和を実現しようとする努力はしてきましたが、相当な障害を抱いています。国連を通じて得た実績や成果を否定してもいけないのですが、国連自体が改善されるべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し、尊重する関係が切実に必要とされる時になりました。

本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。心と体が闘わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様の息子と娘だからです。神様は心と体が闘いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤がありません。心と体が統一体になるという人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五・九)という聖句も、神様を中心として心身一体の理想を成し遂げたことを前提とします。ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤を起こしながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害した犯罪も、ここに由来しています。

歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との間の闘いでした。このようなカイン側とアベル側との闘いは必ず終息し、原状に復帰されなければならず、心と体の対決も終わり、調和一体となって復帰されなければならないのです。

個人の心と体が統一されなければならない、その原理を、世界的な次元に適用、実践しなければなりません。この目的のために、私は、世界平和を具現する、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と体の世界を代表する「世界平和連合」などを創設しました。

人間社会で起こる諸般の問題は、単なる政治的な問題から生じるものではないので、社会的、政治的解決だけでは常に不十分です。人間社会のほとんどは政治的に統治されていますが、その一方で、大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。実際、ほとんどの人々は、その心の中に、宗教的な忠節のほうが政治的な忠誠よりもはるかに重要であるという認識をもっています。今や宗教が、世の中でその真の指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、まずは深い自己省察をすべきであると思います。

宗教人たちは、愛の実践において模範となれませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益にきゅうきゅうとするあまり、世の中のすべての救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が要求される時です。神様は、私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が心を合わせて、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。

体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけではなく、心と内的な世界を代表する世界の宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成されるのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。

両院制の形態をもった国連を頭に浮かべることもできるしよう。国家の代表たちで構成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院と考えることができます。著名な宗教指導者と文化界、教育界など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することも考慮してみることができます。このとき、宗教議会は地域的な個々の国家の利害を超えて、地球星と人類全体の利益を代弁しなければなりません。両院が相互に尊重し協力し合うことによって、平和世界の実現に大きく寄与できるはずです。世界の指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とビジョンにより効果的に補完できるでしょう。

私は、宗教指導者たちの道徳的ビジョンと模範となる生活が、天上世界、すなわち「あの世」にだけ向かうのではなく、「この世」で真の幸福と永続する和平の道を教育しながら、世の中の光にならなければならないと確信します。

宗教指導者たちは、もっている偉大な伝統と、神聖で貴重な知恵を相続し伝承するだけでなく、私心のない奉仕生活をする理想的な指導者にならなければなりません。宗教指導者であれ、政治指導者であれ、そうなれない最も大きな理由は利己主義です。

私は、「世界宗教議会」を継続して開催しながら、超宗教、超国家的に真の愛の教育に努めてきています。そして、昨年は、世界の宗教指導者たちが先頭に立ち、全宗教人が七数の単位の献金をして、世界平和基金をつくることに率先しようと提案しました。国家の経済事情や個人の事情によって差はあり得ますが、七ルーブルでも良く、七百万ドルでも献金することができます。全宗教人が、心を合わせて基金をつくり、この基金で平和の知恵とビジョンを教育し、また真の愛の理想と真の家庭の価値を促進するために、共に効果的に働くことができるのです。

尊敬する指導者の皆様。私たちは最高の宗教的知恵の表現が、世界の最も深刻で緊急な問題が扱われる委員会に上程される、そのようなシステムを実行するために、共に志を集めて働かなければなりません。このようなシステムは、国連機構の中に宗教指導者たちの委員会を創設することによって、つくることもできます。このような様々な目標を現実化するための最初の措置として、皆様がきょう、「世界平和超宗教超国家連合」を創設してくださることをお願いいたします。併せて、この高貴な理想を実現していくに当たって、皆様の経験と知恵、そして努力を傾注してくださることを心からお願いいたします。特に、宗教界は、ために生きる真の愛を教育することに力を注いでくださることをお願い申し上げます。

「世界平和超宗教超国家連合」が世界平和の実現に決定的に寄与することを確信しつつ、皆様と皆様の御家庭、そして、皆様の携わるお仕事の上に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第九篇 13 世界と国連が行くべき道

第九篇 13

世界と国連が行くべき道

日付:二〇〇〇年八月十八日

場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部

行事:「二〇〇〇世界平和超宗教超国家連合」総会(真のお母様)

満場の貴賓、そして高名な各界の指導者の皆様。私はきょう、このように美しく厳粛な国際連合会議場で、皆様と共に、「世界と国連の行くべき道」に対する私の情熱と所見の一端を紹介することができ、心からの感謝をお捧げいたします。

世界平和実現のための国際機構再編の必要性

過去四十年余り、私が展開してきた超宗派、超国家の組織と活動の目的は、すべて神様と人間が共に望んできた平和世界の実現でした。平和世界に対するビジョンは、超宗派運動の核心でした。

人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と葛藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。

しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和の時代へと連結されるわけではないことに気づきました。世界の至る所で、激烈な戦争が続いており、今も様々な所で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い葛藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。

現代において宗教的な理想実現のための活動は、しばしば世俗権力と一定の距離を置いて行われてきました。今日の一般的な認識は、これを当然なものとして受け入れています。しかし、世界平和の理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統との関係を再検討すべき時になったと思います。

いかなる国際機関よりも、国連が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために、共に働く、あらゆる国の代表者たちが集まっています。

しかし、国連で国家の代表者たちが世界平和を実現しようとする努力には、相当な障害があります。国連を通じて得た実績と成果を否定してもいけませんが、国連自体が改善されるべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し、尊重する関係が切実に必要とされる時となりました。

本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。心と体が闘わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様に似たその息子と娘だからです。神様は心と体が闘いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤がありません。

レバレンド・ムーンが展開してきた超宗派・超国家活動

心と体が統一体となるという人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五・九)という聖句も、神様を中心として心身一体の理想を成し遂げたことを前提とします。

ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤を起こしながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害した犯罪も、ここに由来しています。

歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との闘いでした。このようなカイン側とアベル側との闘いは必ず終息し、原状に復帰されなければならないだけでなく、心と体の対決も終わり、調和一体となって復帰されなければならないのです。

個人の心と体が統一されなければならない、その原理を、世界的な次元に適用、実践しなければなりません。この目的のために、私は、世界平和を具現するに当たって、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と体の世界を代表する「世界平和連合」と「世界平和島嶼・半島・大陸国家連合」を創設したのであり、また二つの世界の調和のための「世界平和超宗教超国家連合」などを創設しました。

人間社会の諸般の問題は、根源的に、単なる政治的な問題ではないため、社会的、政治的解決だけでは常に不十分です。人間社会のほとんどは政治的に統治されていますが、その一方で、大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。実際、ほとんどの人々は、その心の中に、宗教的な忠節のほが政治的な忠誠よりもはるかに重要であるという認識をもっています。

国連の両院制構築の提案

今や宗教が、世の中でその真の指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、まずは深い自己省察をすべきであると思います。宗教人たちは、愛の実践において模範になれませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益にきゅうきゅうとするあまり、世の中の救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。

今こそ、信仰生活だけでなく、愛の実践生活が求められる時です。神様は、私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が心を合わせて、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。

体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけではなく、心と内的な世界を代表する超宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成されるのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。両院制の形態をもった国連を考慮することもできるしょう。

国家の代表たちで構成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院と考えることができます。一方、著名な超宗教指導者など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することを、深刻に考慮していただくことをお願いします。このとき、超宗派的な宗教讓会は、地域的な個々の国家の利害を越えて、地球星と人類全体の利益を代弁しなければなりません。

そして両院が相互に尊重し協力し合うことによって、平和世界の実現に大きく寄与できるはずです。世界の指導者たちの政治的な経綸は、世界の偉大な超宗教指導者たちの知恵とビジョンにより効果的に補完できるでしょう。

すべての国境地帯に平和地区建設を

世界は、今も国境線を中心とした衝突地域が増えつつあります。このような紛争地域によって、世界は途方もない人命被害を被っており、数十億ドルに達する戦争費用と平和維持費を注ぎ込んで、あまりにも多くの資源と努力を消耗しています。しかし、どれ一つとして満足に解決の進展を見せる所はありません。

私はこの場で、国家を代表する国連と超宗教の指導者たちが心を合わせ、すべての国境地帯に平和地区をつくることを提案する次第です。山や川、あるいは平原や海を問わず、国境線と紛争地域の付近一帯を緩衝地区、すなわち平和地区にするという案です。

その場所は、国連の直接的な統治と管轄下に置くようにし、全世界から平和定着のために集まってきた人々が暮らせるようにするのです。国連は、そこが国連の創立趣旨と引き継がれてきた平和宣言の内容に符合する、最も模範的な地域となるように指導しなければなりません。

このような平和地区は、平和と繁栄、そして和解のための安息所です。そして、人種や性の差別がなく、人権の侵害や戦争から解放された典型的な地域です。さらにそこは、生態学的にも環境的にも、万象にとって楽園のような場所にならなければなりません。

このような平和と自由、生態学的な調和を追求する地域を確定するためには、該当国家が国土の一部を提供しなければならないという問題があります。私は、この提案に対して陣害となる実質的な問題点を解決するために、少なからぬ努力を傾けてきました。

私は、「冷戦体制の犠牲となった韓半島の分断と戦争には、摂理的な意味がある」と教えてきました。朝鮮戦争は、平和守護のために世界十六ヵ国の若者たちが国連の旗のもとで血を流した、歴史上類例のない聖戦になりましたが、いまだに平和統一は、未解決の課題として残されています。私が、摂理観に立脚して、平和世界の実現のための国連の厳粛な使命を考えるのも、このためです。

去る六月から進展した韓国と北朝鮮の和解と協力のムードが、このまま続いていくことを切に願います。南北が対峙してきた、韓半島の百五十五マィルの軍事境界線周辺の緩衝地帯すべてを、国連の管轄下の平和地区とし、そこに、人類が教訓を得ることのできる展示館と博物館、教育の場と平和公園をつくることに、国連が先頭に立ってくださるようお願いします。

私は、現在、南米のメルコスール(南米共同市場)地域に、約百二十万へクタールに達する肥沃な土地を準備しつつあります。国連の平和地区設定によって喪失した国土の代わりに、これを補償するためです。韓半島の南北の指導者たちに、その一部を寄付すると通告もしました。

私は、このような内容を明らかにすると同時に、心ある世界の指導者たちが、私の提示した趣旨に同参してくださるよう訴えるものです。そして、私と共に、国連管轄区域となる平和地区の確保のために、自らの土地と基金を喜んで寄付してくださるよう願ってやみません。平和地区は、国連の指導下で、自然と人間が共存する理想的な道義社会として建設されるでしょう。

世界平和地区造成のための基金創設

私は、既に二年前の一九九八年十二月に、「対話を超えて実践に向かう超宗教的理想の実現」という主題で開催された国際会議の席上で、世界の宗教指導者たちが集まる中、「世界平和基金」の創設を提案したことがあります。この時に参加したすべての宗教指導者たちは、世界の宗教者がまず世界平和のための基金の募金に率先する意味で、七数に該当する寄付金を出す運動を展開することを決議しました。

各個人と国家ごとに、各々経済的な状況が違うので、ある人は七ドルを出すのも精いっぱいかもしれませんが、七百万ドルを寄付する人もいるでしょう。

この世界に生きている、すべての宗教者が心情的に一つになるならば、基金の募金に積極的に同参するでしょう。そればかりでなく、このように集められた基金によって平和地区を造成し、平和に対する理想と知恵を教えることに用いることができるでしょう。

国連は、宗教者だけでなく、すべての国々に対して、毎年、自発的に平和基金を納付するように指導できるでしょう。富裕な博愛主義者や経済界の指導者、企業人をはじめとして、各界各層の指導者や団体、そして個人たちも、国連平和地区の建設に積極的に加担し、世界的な平和ムードの造成と募金運動をする上で、先頭に立たなければなりません。

私は、国連の上院の使命を果たす超宗教的な宗教議会の基盤とするために、「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。各国家から超宗教的な大使が、既存の大使と共に国連に派遣され、宗教議会、すなわち国連の上院を構成するのです。

超宗教的な理解と修練や、超国家的な平和理想を指導すべき国連の上院議員たちが担当する任務は、狭い視野で特定の国家の利益のみを代弁しようとすることとは正反対になるのです。彼らは、絶対者である神様のみ旨に従って、世界と人類全体の平和理想のための任務を遂行するようになるのです。

国連の上院議員となった超宗教大使は、一旦派遣されたら、それ以降は、国連の世界的なビジョンと議題を代弁できる、全地球星的な業務を遂行しなければなりません。そのような意味で、国連の国際大使とも言えます。

このような国連国際大使は、既存の国連大使と共に、世界のどこに赴いても、平和と福祉社会の具現のための共同運動を代表するようになるでしょう。また彼らは、地球上のあらゆる国で、正義、安全、平和の高い理想を守る、良心の守護者の役割を果たすようになるでしょう。

このような措置は、世界の市民たちと青少年たちに、希望とともに、愛と平和を追求する理想的家庭の安着を、直接確認する機会を提供するでしょう。選出された超宗派超国家的な大使は、各国の後援のもとに展開されている健康、教育、福祉厚生事業などの理想的なプロジェクトが、積極的に遂行されているかどうかも点検できるでしょう。

私は、様々な団体と組織を通じ、宗派と国籍を超越して、真の愛の教育を絶えず展開してきました。このように絶えず投入し、対話と和解の努力を展開した、過去数十年の歳月を通し、人類が一つになるための最も堅固な基礎は、正に真の家庭の理想から始まる、普遍的かつ核心的な愛であることが明確なものとなりました。

国連公認記念日制定

このような内容を土台として、私は、今から国連に属するすべての機構および組織の活動を促し、三つ目の提案をしようと思います。国連を率いている上位の政策を決定する人たちが、国連で定められた規定に従って、世界的な公認の日を制定することです。

私は、国連が「児童の年」、または「平和文化の年」のような多様な宣言的な日と十年周期の記念日を制定していることを知っています。私が勧めようとするのは、意義のある国連公認記念日を制定して、世界が毎年、その日を記憶し、記念するようにしようというものです。

すなわち、「真の父母の日」を制定し、世界的な祝祭の日として記念し、同時に、「真の家庭の日」を二つ目の世界的な記念日として制定することを提案する次第です。人種と宗教、文化を超越して、誰もが愛することができ、大切にできるこのような日を、みな一緒に祝うことによって、人間としての共通した真の根を確認し、真の家庭の大切さを確認できるようになるのです。併せて「国連軍の日」を制定し、国連の正義と平和維持軍の神聖な使命を宣揚するようになることを願います。

尊敬する指導者の皆様。私たちは今、一緒に心を合わせて努力し、宗教と世の知恵の中にある高貴な内容が、緊急で深刻な問題が存在する世界で援用され、適用されるよう、体制と組織を補完していかなければなりません。

このような体制は、超宗教指導者で構成された協議体が、国連の政治指導者および外交官たちと協力し、共同の歩調を取ることで成し遂げることができるのです。「世界平和超宗教超国家連合」は、絶対者と超越の世界(霊界)、そして永生と霊魂の問題に対する正しい指導とともに、このような目標のために献身していくでしょう。さらに、平和のための国連の努力に添って進み、神様を父母として迎える人類が一兄弟となって、宇宙一家庭を形成する、そのような永遠の愛と和楽の天国、神様の祖国を成し遂げていくでしょう。

専門識見と経験、そして知恵を備えた世界の指導者と国連関係者の方々は、私の提示したこのような理想をいかに補完していくべきかについて、よく御存じであると思います。

国連をはじめとする政府機構が、これを成し遂げられないときは、NGO(非政府機構)などの民間組織を通してでも、このことを必ず成し遂げるようになるでしょう。私たちが持続的な努力によって協力していくならば、必ずや地上に平和と幸福の理想が実現されるでしょう。

神様の祝福が、皆様の携わるお仕事と国連の上に、共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第九篇 14 国境線撤廃と世界平和

第九篇 14

国境線撤廃と世界平和

日付:二〇〇〇年八月十八日

場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部

行事:万国平和賞授賞慶祝晩餐会

尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある「万国平和賞」を受け、この受賞の栄誉を皆様と共に分かち合う意義深い場をもつことができ、心から感謝申し上げます。私は、この場をお借りして、「国境線撤廃と世界平和」と題し、しばらくお話しし、それをもって挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。

国境線に潜んでいる悪魔

皆様。この世界にあるすべての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に到来するでしょう。しかし、私たちが記憶しなければならないことは、国境線の主人は誰かというと神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人は悪魔サタンなのです。

国境のあるところには、必ずサタンが潜んでいることを知らなければなりません。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるのです。東洋と西洋も文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこに誰が潜んでいるかというと悪魔が潜んでいるのです。

文化の背景、伝統の背景、人種差別といった、あらゆる種類の差別をつくり、国境線をつくったのは、神様ではありません。神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち一つの世界です。そのような世界は国境のない世界です。神様には国境がないので「敵を討ちなさい!」という言葉は語ることができません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。

しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。ですから、神様の戦略戦術は「怨讐を愛しなさい!」ということなのです。「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略戦術の内容だったということを、人類歴史は知らなかったのであり、現在生きている人間たちも知らずにいます。

しかし、このように歴史が知らず、現実が知らずにいる神様の戦略戦術を、今や統一教会の教会員たちは、歴史と現実を代表して知ることができ、またそれを相続し、実践できる人になったので、自動的に平和を成し遂げる主人公になったのです。

国境撤廃運動の理由

皆様は、どのように思われますか。国境は、皆様の心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動が好まないところにも生じ、自分の言葉が好まないところにも生じるのです。私たちが五官を通して心と体が一つになることができなければ、様々な国境が生じるということです。私たちは、どれほどたくさんの国境をもって暮らしているか、考えてみなければなりません。また「怨讐を退治しなさい。国境をつくるものを処断しなさい!」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。

目も二種類からなっています。「あれも良く、これも良く、何でも見えるものは歓迎だ」と言うならば、その目には巨大な国境ができるのです。皆様が聞くことも同様です。善なる良いみ言や真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いてそこに同調するようになれば、皆様の耳にも国境が横たわるようになるのです。

統一教会では流行歌を歌うことは禁じていません。問題は、名曲を歌おうと流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるかできないかにかかっているのです。その歌を歌って国境をつくるのか、それとも国境を撤廃するのか、ということが問題であるという意味です。国境をなくして神様が喜ぶ無制限の橋を架けることができると言える人は、流行歌を作ろうと、悪い言葉を語ろうと、何をしようと、問題にならないのです。

ですから、自分のすべての五官を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して何かを残し、今生きているこの生活環境に国境があるときには、サタンの一族に属するのです。

その反対に、「どこにも国境はない!」というときには、神側になるのです。サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくす大王です。すなわち、神様は、国境が最も嫌いである大王陛下なのです。

皆様。それでは、大韓民国に休戦ラインがあるのを歓迎する人がいるとすれば、その人を神様が好まれる人でしょうか。それとは逆に、休戦ラインをなくそうという人がいるならば、その人が神様の最も好まれるチャンピオンになるのです。韓国のすべての人、すなわち七千万人が、「私は死んでも休戦ラインを残しては死なない!」という覚悟をして暮らすならば、韓国の統一は自動的にやって来るのです。

しかし、それは決して易しいことではありません。休戦ラインを好む人は、悪魔の側、サタン側であることを知らなければなりません。言い換えれば、休戦ラインがあるところにはサタンが主人となっており、休戦ラインをなくそうとするところには神様が主人となるのです。ですから、統一教会の教会員は、休戦ラインを消化し、なくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。

皆様。怨讐の一族や怨讐の国民同士で「結婚させて婿、嫁にしたい」と言う人ばかりになれば、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。

国境があるところには、必ず悪魔の一族が暮らしているのであり、国境線がなく、互いに愛し合って和やかなところには、間違いなく神様の一族、神様の血統に生まれついた血族が暮らしているのです。

イエス様が再臨される理由

今日、統一教会の人々は、趣味産業という言葉にとても多大な興味をもっています。誰もが行って暮らしたいと思う所、そのような所が趣味として願う喜望峰だとすれば、そのような所は、今後、国連を中心とした新しい超国家連合ができれば、国境地帯でもどこでも、すべて超国家主義の国連の名のもとに従属させなければなりません。このために統一教会のレバレンド・ムーンは、統一教会の教会員たちに、共に総生畜献納物を捧げましょうと言いました。そして、全体を国連超国家連合に従属させるのです。

聖書を見れば、旧約時代までに、人間の代わりに万物を供え物として裂いて血を流すようにし、「左はサタン側であり、右は神側である」というように分けておき、二つの組が奪い合う闘いを続けてきました。

新約時代においてユダヤ民族が不信することによって、サタンと神様は、昔のように供え物を分けて取り合うのではなく、今度は息子を分けて取り合う闘いをするようになったのです。その結果、神様の長子であるイエス様がこの地に来られて血を流したのであり、結局、イエス様の肉身はサタンがもっていき、イエス様の霊人体は楽園に行くことになって、二つに分けられたのです。

しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻さなければならないので、この地に再び来なければならないと言ったのです。このように、息子であるイエス様が分けられることによって、霊界と肉界がすべて分けられたので、大変なことになったというのです。男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これらをすべて統一させるために、霊界の所有権を求めていかれたイエス様は、地上の所有権を合わせ、一つにするために地上に再び来なければなりません。

地上に再びやって来て、何をしようというのでしょうか。結婚して家庭を完成しようというのです。長子として来られたイエス様を中心として、その方の肉身を占領したサタンは、地上世界を占領し、天上世界は天が占領するようになりました。

イエス様は、霊界に行かれて二千年間、精誠の条件を立てながら、天上世界、すなわちすべての心の世界の方向が一つになるようにする一方で、地上でもキリスト教を立てて役事してきました。しかし、キリスト教は、再びカインとアベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となってしまいました。サタン側と天の側に分かれて闘いました。

長子は、サタン側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず国境的な内容、つまり闘争概念を抱いて闘いながら歴史は発展してきたのです。

したがって、これを解放しなければなりません。それで、再び来られる主は、天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のようなキリスト教統一圏を中心として、ついに数千年間分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚式をするようになるのですが、これが正にキリスト教で言う「小羊の婚宴」だったのです。このように、天の国と地上のキリスト教の国が統一される時が、正に第二次世界大戦の直後でした。その時は、キリスト教文化圏が全世界を統一した立場だったのです。

それで、霊界の統一的主導権をもったイエス様が、霊界の勝利的覇権者となり、地上のキリスト教文化圏も統一される、その時が来たので、イエス様と聖霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊の新婦が一つになり、結婚式をすることによって、心と体、そして男性と女性が分かれて闘ってきたすべてを解決して、天下を平和の王国にできる絶好の機会を迎えたのです。漠然とした話ではありません。

国境線を撤廃する方案

神様の創造理想について見るとき、誰から先に結婚式をしてあげるようになっているでしょうか。アダムとエバです。しかし、人類の国境線となっている壁は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地にしなければなりませんでした。それで、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚させれば、私たちのすべての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され、踊りを踊られるでしょう。そのような世界が成し遂げられれば、それが正に地上天国になるのです。しかし、人間の歴史にはそのような日がありませんでした。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻吟し、苦痛を受けてきたのです。したがって、この国境線の打破をどのようにするかという問題に対する答えさえ見つければ、それが平和の起源になることを人類は知らずにいたのです。

人類歴史上初めてレバレンド・ムーンが真の父母の資格をもってこの地に顕現し、その打破の方法を提示して、満天下の善男善女たちを神様のみ前で祝福結婚させてきたのです。もし国境線が百万あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにして撤廃するのでしょうか。それは真の愛があるので可能なのです。そのような国境線を撤廃するためには、神様と同じように判断できなければなりません。神様を一〇〇パーセント知らなければならないということです。

皆様。霊界を見れば、地獄と天国があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜を判断できない人が天国の境界線を主管できるでしょうか。それはあり得ないことです。判断できる人だけが自動的に主管できるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗闇を撤廃できるのです。

神様は全知全能であられるので、神様と同じように判断する人は撤廃できるのです。したがって、問題は神様を知らなければならないということです。それでは、皆様は神様を知っていますか。知っているとすれば、どのくらい知っていますか。お金を好まれる神様だと思いますか。それとも権力を好まれる神様でしょうか。それとも知識しか知らない神様でしょうか。そのような神様であると理解していては、人類の解放をもたらすことはできません。

私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放できるのであり、完全に解消できるのです。神様を知ったとしても、神様の何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃できるのでしょうか。それが重要なのです。神様がこの宇宙の主人であるならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないですか。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を探し求めなければなりません。

しかし、すべての環境圏が国境で塞がれているので、その国境を撤廃することによって神様が喜ぶ世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物が神様に主管されたいと思わないでしょうか。国境線のもとで悪魔と共に呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。

天の国の伝統的思想

皆様。私たちは何よりも神様をはっきりと知り、また天の国をはっきりと知らなければなりません。そのようになれば、どこに行っても、またいかなる状況に置かれたとしても、その国の伝統とその国の文化の内容に対して、どのように対処して生きていくべきなのか、ということに対する答えが自然と出るのです。

天の国には明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界が千々万々の国境によって塞がっているのは、いかなる理由によるものでしょうか。神様を知り、天の国を知る人がなく、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも、地上世界にも、解放圏が展開します。

「おい、サタンよ!」と言えば、サタンが身動きもできずに答える、そのような位置に立つことさえできれば、誰でも天の国と神様の心に一体となる文化背景と伝統的思想をもって暮らす方法が分かるようになるのです。そのような人が正に、ために生きる真の愛をもった真の人です。

自分だけの人生のための愛を求める人ではなく、相対を愛の主人として、愛を通して相対が踊りを踊ることができるようにしてあげようという人が、神様を知り、天の国を美しく装い、保護する生活ができる後継者になるので、そのような神様の後継者をサタンは妨害できなくなるのです。

死ぬことを見て憤りを感じるのではなく、それを越えて怨讐を愛すれば、怨讐の世界を治めることができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるのです。ために生きるときに、自分の父や母や誰よりも、町内の人をこの上なく愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねてこられて千倍、万倍にして返してくださるのです。

サタンが八方に逃げていかざるを得ない秘法とは何だと言いましたか。ために生き、ために死に、ために愛そうとすれば、サタンは間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま立ち去ることはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。そうなれば、どのようになるでしょうか。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇できるという永生の道理が訪ねてくるのです。そこから初めて永生が生じるのです。

神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である、ために生きる真の愛を、千年、万年続けたいと切に思う群れになることによって、主体であられる神様をお父様と呼ぶことができ、そこにおいて永遠の血統を通して、永生の論理と永生の伝統が「私」と共に結実することは間違いのない真理なのです。

永生と愛の属性

永生というのは、本質的な愛の属性です。神様も宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従を基準として立てて創造されたのです。永遠無窮に世の中が過ぎていったとしても、私の愛はもっと大きく投入できるという、そのような心をもって生きる方が神様なので、神様を絶対、永遠、不変の主人として侍る存在にならなければなりません。

永生不滅の位置で創造された息子、娘が、そのような位置に立つならば、神様の国が私の国になり、神様が私の神様になるのです。神様と天の国の伝統的な主人の生活方法と私が一致し、神様の息子、娘であることは間違いないので、永生不滅は自動的な結論です。ですから、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)という逆説は真理なのです。

皆様。神様がいくら全能の方であるとしても、今まで愛の主人になったことがあったでしょうか。真の愛というものは、一人ではできません。男性の前には女性が絶対に必要なのです。女性がいることによって、男性は女性を愛する主人の資格をもつことができるからです。これは驚くべき話です。

女性がいなければ、いくら優秀な男性であっても、男やもめの境遇を免れることはできないのです。「男やもめ」とはどういう意味でしょうか。一人で暮らす父です。ですから、かわいそうな立場です。いくら優秀だったとしても、一人で暮らすその男性は、真の愛を得ることができないのです。

神様には、真の愛、真の生命、真の血統、そして真の良心があります。でこぼこの良心ではなく、水平を描く良心があります。このようにすべてもっていますが、それらをもっていると言える価値を現すものは、何でしょうか。一人では永遠に現すことができないのです。

なぜでしょうか。男性が優れていて総理になり、大統領になって、いくら大口をたたいたとしても、結局は半分の人間であることを免れることはできません。男性も女性も同じです。間違いなく、男性は片方でしかないのです。男性はなぜ半分なのでしょうか。男性には凸だけがあり、凹がありません。しかし、完全な愛をもっためには、凹と凸の両方が必要です。それで、男性にはない凹を合わせるために、もう片方の女性が必要なのであり、女性と一つになって初めて完全な真の愛を得るようになるのです。

しかし、人間始祖の堕落を見ると、心と体が神様の血統と一つになることができず、サタンの血統に連結されてしまい、神様は、御自身の血統の三代目である孫を見ることができなかったのです。

救援摂理を通して、三代を探し出し、神様の血統を連結させて繁殖した子孫は、間違いなく神様が願い、アダムが願う息子、娘の種となり、それをどこにでも植えれば、本然の息子、娘として、父母のお乳を飲んで育ち、自動的に天国へ行くことができるようになっているのですが、堕落によって私たちの体にはサタンの血統がうごめいているのです。ですから、血統を断ち切り、十回、十二回と血を抜き取って死んでも生き返る、そのようなことをしなければならないのです。

しかし、血統が汚染されたものは、簡単には変わりません。これは大変なことです。皆様の体が、そのようになっていることを考えたことがありますか。私たちは、億千万世の怨讐の血が自分の骨と肉を包んでうごめいているという事実、肉身が心を占領し、蹂躙している凄惨な自らであることを知らなかったというその事実に、戦慄させられるのです。

このように、南北に合わせるものを、東西に合わせてしまったのが堕落です。それでは、その間違って東西に合わせてしまったものを、いかにして再び南北に正しく合わせることができるのか、ということが問題です。ここに、再び切り離して付け合わせる治療方法が、統一教会の祝福であり、本然の血統と連結させてあげる祝福結婚式なのです。

統一教会の祝福の意味

本来、アダムとエバは、堕落しなければ、間違いなく神様の愛を中心とする血統が連結された外的父母となるはずでした。内的父である神様と一体となり、絶対的な神様の真の愛と共に生きる霊的、肉的な人類の先祖となって中心の焦点に立ち、愛で一体となることのできる時間が、アダムとエバが神様を中心として一つの体となる、結婚式の初夜に迎える初愛の時間だったのです。しかし、アダムとエバの堕落によって、そのすべてを失ってしまいました。神様の立場から見れば、人間に対して夫婦の愛を植えようとしたのですが、植えることのできる場をもつことができませんでした。それで失敗した神様になってしまったのです。

神様は一人で愛することができるでしょうか。いくら素晴らしい美人でも、器量がどうであれ男性という存在がいなければならないのです。女性の心の中に愛があり、生命があり、血統があり、良心があったとしても、男性が現れなければ発動しないのです。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せずしては、血統は現れません。

また、良心が相対に立たないのです。相対が現れることによって、すなわち女性が現れることによって、初めて男性の愛と生命と血統が現れるのです。アダムとエバが十八歳になるまで待っていれば、神様の祝福を受けて正式に夫婦となっていたでしょう。そして人類の真の祖先になっていました。しかし、彼らは十六歳の時に、分別のない戯れによって堕落してしまったのです。

皆様。神様がなぜかわいそうな方であるか、お分かりになりますか。真の愛の大王陛下であられるのに、人類始祖とともに一つの体となって真の愛で愛したいと思うその位置を失ってしまったからです。一人でいくら真の愛を欽慕したとしても、男やもめの愛、寡婦の愛になってしまったのです。ですから、真の愛の心をもった相対を失ってしまった神様となってしまったので、悲しい神様なのです。

神様の家庭において理想的な相対となり、真の愛の主人の位置を、烙印(らくいん)を押して解放させる責任がアダムとエバにあったのですが、彼らはその責任を果たせませんでした。ですから、彼らの一生の願望とは何かというと、神様を真の愛の主人の位置に立たせてさしあげることでした。

統一教会の祝福は、その最初の条件が何かというと、神様の新郎、新婦の位置で、失ってしまった真の愛で愛する伝統を、自分たち夫婦によって取り戻すことです。神様の真の愛を否定しなければ、私たちは千年、万年、神様の息子、娘と血族であることは間違いありません。

誰が真の愛の主人の位置にするのか

神様が男性と女性を愛する位置、血統的関係を結ぶ真の愛の主人の位置を誰がつくるのかというと、その息子、娘以外にはいません。

息子、娘は、神様の性相が分立されて生まれた立場なので、息子、娘の価値は同等であることを知らなければなりません。神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったので、私たちの家庭に生まれた赤ん坊を通して、愛する息子の主人、娘の主人の位置を復帰するのです。

そうして、幼児時代の主人を通り、子女時代の主人、兄弟時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人になるのです。初めて孫を見ることによって、神様は主人になることができるというのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代なのですが、三代となる孫を悪魔が奪っていったので、その息子、娘を通して、神様の代わりに真の愛の主人の位置を蕩減復帰するのです。

そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定するのです。それは、アダムとエバを真の愛で愛していた位置と同じ父母の位置です。このように三代を経て初めて、子孫万代に完全な種として、神様の孫を祖父が真の愛で愛し、父が真の愛で愛するようになるのです。その孫は、二代の真の愛を受けるようになるというのです。祖父は霊的世界の代表であり、第二代のアダムは現実世界の王権の代表です。

このように、二つの国を代表した真の愛の血統を受けて生まれたので、その孫は未来における天の国の霊界と地上の王権が結実した価値をもつのです。それで初めて息子、娘の時代において地上天国を治めることができ、三世代から万世の結実となって広がっていきます。ですから、宗教が必要なく、父母の言うことだけを聞き、一つになって真の愛で愛していけば、すべての人が天国に行くようになっています。それが八段階の真の愛を中心とする創造理想的本然の形態だったのです。

これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真珠門が開かれ、地上世界の国境を超越して統一された一族として収拾され、地上の解放世界と天上の解放世界、統一の王国である地上・天上天国が開門するのです。腹中時代、幼児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、そして父母時代、祖父母時代、王時代の八段階です。神様は、その八段階の、鉄石のモデル的愛の伝統基盤をこの地に備えられなかったので恨が残ったのです。

それでは、この八段階の真の愛の主人になることができなかった悔しい恨をどのようにして解いてさしあげるのでしょうか。それは、真の父母がこのようなサタン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知って教えてあげ、空白を満たしてあげることによって、多くの穴が開いた八段階を完成させてあげるのです。血統の門を通してのみ、天国に行けるのです。

腹中時代と幼児時代にも、神様の真の愛の相対となり、約婚時代にも神様の相対となり、夫婦時代と父母時代にも、祖父母時代にも、王時代においても、神様の真の愛の相対的実権をもって完成したとすれば、その見える実体圏である半分の家庭が、見えない神様の実体圏と合わさり、心と体が一つとなった真の愛の伝統の血統を受け継ぎ、天上・地上の統一圏の世界に自動的に結束され、天国の民と天国の家庭にならざるを得ないのです。天国の解放的な息子、娘、解放的な主人になるということです。

八段階の真の愛の主人となって国境を撤廃しよう

ですから、男性と女性は、神様の形状的実体として、自負心をもって暮らさなければならないのです。そのような主人にならなければならない伝統的血統が連結されるのが夫と妻の道であり、子女の道です。そのような一族が連結され、国と天宙が連結される血統が重要であることを知らなければなりません。ですから、結婚をなぜするのかというと、半分の男性がもう片方の女性と出会うことによって、完全な真の愛を完成する一組になるためです。

神様は片方だけのものを取ることはできません。男性と女性が出会って完全に一つになるとき、神様も入り、真の愛の関係を結ぶことによって、縦的な真の愛の伝統を樹立するようになるのです。

ですから、先祖を尊重しなければなりません。その民を真の愛で愛さなければなりません。その王権を中心として国民と一つにならなければなりません。国民を忘れて暮らす王は詐欺師です。悪魔の後継者であり、国境をつくっているというのです。

今や人類は革命しなければなりません。天から真の愛の天運を受け、それを家庭に定着させ、その真の愛の絶対的な主人として神様を立てなければならないのです。

私たちは、あくまでも結果的な存在であり、その原因である神様に、絶対信仰と絶対愛と絶対服従で侍り、従っていく大革命をしなければなりません。その道を通してのみ完成があるのであって、自分が異議を提示するときには、二つの主体が生じ、破壊的な国境が生じることを知らなければなりません。

したがって、今から皆様は、愛の道において国境をつくるようなことをしてはいけません。「夫も私のことを愛しなさい。息子、娘も私だけを愛し、父を愛してはならない!」と言う人は死ななければなりません。女性は子女を抱き、本然の父の愛を受けなければならないのです。

さらに母親は、子女を育て、夫の生命の種である精子に対する真の愛の結実に報いてこそ、神様に属するようになるのです。女性ゆえに、神様の八段階の愛の門が破壊されたので、女性が何よりも精誠を尽くして男性たちを再創造し、息子、娘を再創造し、祝福を受けた家庭において、神様の八段階の愛の主人を神様のみ前に完成させなければなりません。

ですから、私たちの家庭を中心として、天下の天国の門、十二の真珠門のどこに行っても、地上・天上天国の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで歩いて回っても、誇って余りある真の愛の王座、王権を備えなければなりません。そのようにできる、神様の血統を完成させた息子、娘の資格をもつ人にならなければ、天上世界と天国の民になれないことをはっきりと知らなければなりません。

改めて申し上げますが、私たちが肝に銘じなければならない最も重要な内容は、国境撤廃です。国境撤廃にも、民族の国境撤廃、宗教の国境撤廃、人種の国境撤廃、天国と地獄の国境撤廃などがあります。また国境線を偽りの父母がつくったので、真の父母以外にはそれを撤廃する人がいないという事実です。神様もできず、サタンもできません。ただ人類の真の父母として来られたその方だけが、このことを成し遂げることができるのです。

皆様は、このような神様の真の愛で解放することを決心してお帰りになり、天の国の主人となってくださることを願います。ありがとうございました。

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第九篇 15 新千年紀における人類とアメリカが行くべき道

第九篇 15

新千年紀における人類とアメリカが行くべき道

日付:二〇〇一年二月二十五日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ブロンクス、ガーデン・オブ・プレィヤー・カテドラル・チャーチ

行事:アメリカ五十州巡回訓読大会

尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、私の話を聴くため、御多忙にもかかわらず参加してくださった、聖職者を中心とする各界各層の指導者の皆様に、心より感謝申し上げます。何よりも常に私と共にあられ、守ってくださった神様に、すべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。

今は天の摂理を完成させる時

私は生涯を通じて、神様の創造理想を実現するという一念で、諸般の難問題の解決のために苦心してきました。神様は、栄光と尊貴な宝座にいらっしゃる方ではなく、堕落によって地獄に落ちた子女たちを捜し出して救うために全力を尽くしてこられた、悲しみと嘆きと苦痛の神様でした。そのような神様のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も、季節も、環境も跳び越え、ひたすらみ旨を成就するために全身全霊を尽くしてきた日々でした。

過去八十年の歳月を振り返ってみるとき、あらゆる迫害があったにもかかわらず、私がきょうこの場に皆様と席を共にすることができたのは、神様が共にいてくださったお陰です。この意義深い日に、皆様と共に神様の摂理的な視点から歴史と世界を理解するために、「新千年紀における人類とアメリカの行くべき道」という題名でお話しいたします。

神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末は、サタン主管の悪なる歴史の終末であり、同時に神様主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって、終末とは天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち個人完成を完結させなければならない「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、さらには天宙の完成を完結させなければならない「終わりの日」なのです。

神様は、摂理路程において終末期を迎えるたびに、神様中心の理念圏に人類を引っ張ってこられましたが、実際、人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善なる立場に立つことを成し遂げられませんでした。しかし、神様は、絶対、唯一、不変、永遠の方なので、神様のみ旨に対する予定もまた絶対的です。ですから、神様は、堕落によって人類が失った真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通して、天上と地上に神様が運行するその世界を探し出して成し遂げられるのです。

神様が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真の父母を中心とした真の世界です。しかし、人類は堕落によって、歴史の過程ではなく、歴史の始まりの時点において、人類の真の父母と真の世界を失ってしまいました。その結果、堕落によって、私たちが住んでいる地も、人類が所有する理念も、どれ一つとして真の父母と直接関係をつないでくれるものはないのです。

誰がこの世界に責任をもつのか

ですから、人類は何よりもまず「真」を見つけなければなりません。そうして、真の父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真の神様の心情を通じて共に動ずることができる、そのような日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」となるのです。そのような理想が実現するその時が「終わりの日」であり、すなわち再臨の時期です。ですから、再臨の時期は、火の審判があり、地が割れ、信じる者たちだけが空中に引き上げられる、そのような天変地異の現象が文字どおり起こるわけではありません。その時期は、絡み合った曲折の悲運の歴史が蕩減され、個人から家庭、社会、国家を経て、世界が正しく立てられる時なのです。

縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び探し出し、横的に連結させて、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成し遂げる時です。人類が願って生きてきたその日が、人類の希望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。

ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。世界では各種の公害問題、食糧問題、さらには宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要原因になっています。誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。過去に共産主義国家も自らの民族主義を越えることができませんでした。今日の強大国アメリカも汎米主義を越えることができずにいます。自国の利益だけを前面に立てる場合には、世界を指導することができません。自らを供え物としてでも世界人類を抱き、より次元の高い理想的な国に前進しようという理念によって団結した、ある民族、ある宗教が必要な時です。

このような側面から、私は、神様の命を受け、アメリカで青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的な危機に対して強い警告を与えるとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。

真の父母の教えの核心

皆様は、レバレンド・ムーンの教えの核心が何か気になるのではないでしょうか。その答えは簡単です。第一は、「より大きなもののために犠牲となって生きよ」ということです。個人は家庭のため、家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のために生きよということです。そのようにすれば、神様は結局、「私」を訪ねてこられ、一緒に暮らしたいと思われるのです。家庭でも、父母は子女のため、子女は父母のため、夫は妻のため、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる人が善の中心者になるのです。

第二は、怨讐を愛することです。神様は、人類を救うために、ひとり子イエス様を遣わして、犠牲の道を歩ませました。怨讐を、実の子よりも愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。いつもサタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて取り戻してくるのが公式的なものとなっています。私が全生涯を通じて、数多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界百八十五ヵ国に宣教の基盤を築くことができたのは、そのような天理に従って生きてきたからです。

キリスト教の宣教の歴史を見ても、イエス様を信じたキリスト教の信者たちの歩んだ道は、追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経ながら、殉教の血の跡が土壌となって、民主世界という巨大な体制を発展させてきたのですが、今日、そのような原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。キリスト教の理念を中心とした国々が、神様を否定し、イエス様を否定し、さらに神様の摂理を否定しています。挙げ句の果てに「神はいない。神は死んだ」という神学まで主唱しているのを見るとき、今まで真の子女を探し求めて、あらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情はいかばかりでしょう。

神様の救援摂理とメシヤ思想

内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったということを知らなければなりません。堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。

ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と言って自覚しない限り、復帰の道はありません。漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできないのです。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできません。

皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。自分自身を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないのです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が再臨主なのです。

人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。その主流の骨髄を調べてみると本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。

主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族は、イエス様を十字架にかけて殺害することによって流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。

メシヤ思想は世界救援、理想家庭、真の父母の回復

それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させる思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」も、新郎と新婦が真の夫婦の段階を経て、真の父母になることを意味するのです。

サタンを中心とした偽りの父母によって、神様が理想とされたアダムの家庭が失われました。神様が望まれた真の家庭、真の氏族、真の国家のすべてを失ってしまったのです。ですから、今日、地上にメシヤを遣わし、その失われたものを取り戻そうとするのが摂理観なのです。

そのような使命のために来られた方、その方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと反対する群れを祝福したのです。ですから、イエス様の生涯は三十三歳で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。

人類文明の発達史とその結実地

内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最も強大な国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類の文化史を見ると古代文明の発祥は、主に熱帯圏で始まりました。

マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。文明論から見れば、人間が堕落しなかったなら、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるべきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる涼帯文明圏に入りました。それが自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。秋の季節に当たる涼帯文明が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後、戦後の冷戦体制は終わったものと考えましたが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。

本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。

それでは、誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。

そのような文化史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。

そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類の課題として残されている南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。実際に、私が生涯を通して人種と理念と国境を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。

宗教指導者の使命と責任

天のみ旨を悟った私は、理論だけではなく、以上のような神様の構想を実現するために、外的に五大洋六大州で私の手が及ばない所はありません。アラスカ、南極、南米の三十三ヵ国、旧ソ連の各国とアジア、アフリカ大陸の国々など、全方位的な宣教と事業基盤を通して、到来した新千年紀の時代に、人類が直面する公害や食糧問題などを解決できるよう準備してきました。近年には、ブラジルのパンタナールとアマゾン川を中心として、地球環境保全に対する実質的な基盤を整えてきました。一方、内的には、これまで「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」を起こし、ここに約四億三千万組が参加し、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車を掛けてきたのです。

内外の貴賓の皆様。これまで世界は、政治、経済、軍事などの分野で優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一線上に立つことができないとき、永遠の国はありません。輝かしいギリシャ・ローマ文明の滅亡が、その良い例です。今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマと同じ立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯というよりは、道徳的な堕落という内的な原因によって、天の運勢が離れたからでした。

一時期は労働者と農民たちを主体とみなす唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の三分の一、地球面積の三分の二を占有したこともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。今後は、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。ですから、全人類が希望をもつことができなければなりません。

宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげるべき預言者の中の預言者です。しかし、今のように四分五裂となって継続されてきた教派間の葛藤と宗派間の争いは、神様の摂理に対して障害となるばかりです。

真の父母は人類歴史の希望であり、望みであり、勝利の結実体

ですから、私はかなり前から教会の全体予算のかなりの部分を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決するために努力してきたのであり、「世界平和宗教連合」を創設し、宗教団体間の和解と一致によって、人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。

最近では、「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでワシントンDCで七回にわたって「国際訓読セミナー」を開いてきました。全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現に向けた神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。堕落によって失ってしまった神様との心情的な関係を回復して、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。

したがって、神様が約束された「終わりの日」は、真の父母が顕現する日です。言い換えると堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体なのです。

統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を跳び越え、黒人と白人、黄色人種の人々が兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神様のみ旨の成就において、最も重要なことの一つです。

今日、そのように人類は、本然の兄弟姉妹、夫婦、親子の関係を回復し、究極的に、我が子を失って嘆いてこられた神様を解放してさしあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。今まで民主主義は「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。それに対して私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決すれば、人間の解放はもちろん、人間の自由回復は自然と成就されるのです。

アメリカは徹底した信仰をもつ清教徒が建設した国

内外の貴賓の皆様。特別にきょう、アメリカの主要都市で、神様の摂理を語っているのは、大変深い意味があります。アメリカは様々な面において、神様の祝福によって準備された国です。

アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて国を探してきた清教徒たち(ピルグリム・ファーザーズ)でした。彼らは真の信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、さらには国まで捨てる覚悟で命を懸けて大西洋を渡ってきました。メイフラワー号がニューイングランドのプリマスに到着したのは、一六二〇年十一月の晩秋のことでした。出発した百二人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫のために翌年に蒔く種を残して飢え死にしていったという事実です。

清教徒たちは、何をするにも神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手に神様に感謝を捧げ、先に教会と学校を建ててから自分たちの住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。

独立戦争当時、かの有名な最後の激戦地であるフォージ渓谷で、ジョージ・ワシントン将軍は、戦闘の決戦に臨んだその瞬間に、命を懸けた祈祷を捧げたでしょう。神様のみ旨を先立たせた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださいました。当時、世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは神様と神様の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという自由信仰のプロテスタント国家が成立したのではないでしょうか。今もアメリカは、国会が開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも、聖書に手を置いて神様のみ前に誓いを立て、聖職者が祈祷をする国がアメリカです。さらには貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれている唯一の国です。このようにして、アメリカはプロテスタントを信奉する世界的な形態を整えた国家となったのです。

ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりも進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。

そのような現実を心配された神様の声を聞いた私は、いち早く一九七一年に祖国と家族をあとにしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来たのであり、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。

既にそのとき、私は、神様がアメリカから離れつつあるのを発見しました。アメリカのあらゆる所に神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に随所から神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、教会から、神様が離れつつあったのです。

振り返ってみるとニューヨーク、マンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れられる神様にすがって、とめどなく涙を流したのがきのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私の予言したとおり、道徳的に衰亡の道を歩んでいます。

皆様。どうしてレバレンド・ムーンがアメリカで反対され、苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は、神様がアメリカを訪ねてこられるまで流された血と汗と涙の御苦労を誰よりもよく知っているので、この三十年間、アメリカにいながら、一日として気を楽にして過ごしたことはありません。

神の国建設のために選ばれた国として資任を果たすべき

アメリカの主人は誰でしょうか。白人でも、黒人でもありません。神様がアメリカを愛されるように、アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人です。アメリカは、地上に「神の国」を立てるために選ばれた長男のような立場の長子権代表国なので、今もイエス様は主に、霊的にアメリカの地におられながら、神様のみ旨を成就してくれることを切実に願っていらっしゃいます。

一方、私は、神様のみ旨に従って、一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊し、アメリカの行くべき正しい方向を提示する保守紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして、真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて強力な救国救世運動を展開してきました。それらすべては、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことができるようにと願う心から投入したのです。

私が一九六五年にワシントンDCを訪問した時に定めた、ホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してアメリカのために祈祷する人々が大勢います。皆様は、心の扉を開いて、あの清教徒をはじめとした歴代の愛国の烈士たちの切なる願いの声を聞くことができなければなりません。

内外の貴賓の皆様。今始まったばかりの新千年紀は、六千年間追求してこられた神様の救援摂理歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。人間の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子女が再会する、これ以上涙のない新しい天と新しい地がつくられる時であり、地上と霊界が一つに通じ、地上と天上に「神の国」が建設される時代なのです。

生きておられる神様の直接主管が全般、全能の勢力として現れる時代です。ひいては、東洋と西洋の全体が天地父母を中心として「唯一なる神様のもとの一つの宇宙」として、地球星大家族主義世界が実現する時です。それは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。

旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代

今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を探し出す時なのです。そのようにして、離れつつある神様を再びお連れしてこなければなりません。

六千年間準備して訪ねてこられた神様が、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。神様に正しく侍りさえすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は、自ずと解決します。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。この時に私たちは、一致団結して人類の行くべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様のみ前に導く先導的な使命を完成しなければならない時です。その歴史的な課題、課業を完遂するために、みな共に参加してくださるようお願いします。

改めてこの場にお越しくださった皆様に深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、私のお話を終えようと思います。皆様の御家庭と国に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうこさいました。

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第九篇 16 摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位相

第九篇 16

摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位相

日付:二〇〇二年五月二十一日

場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトン・ナショナル・ホテル

行事:韓国、日本、アメリカ三ヵ国指導者会議

高名な韓国、日本、アメリカの最高指導者、そして紳士淑女の皆様。皆様がアメリカの首都ワシントンDCにいらっしゃいましたことを心から歓迎いたします。韓国と日本とアメリカは、共に太平洋圏の国家です。そして、韓国と日本は、隣同士であるばかりでなく、両国ともアメリカと同盟関係を結んでいます。この三国とも、互いに内外に連結した共同目標をもっています。

二十一世紀は太平洋時代

私たちは今、二十一世紀に入っておりますが、この二十一世紀は太平洋時代だと言われております。言うまでもなく、太平洋時代は、この日韓米の三国によって主導されるでしょう。それだけでなく、世界は、この三国のモデルに従っていこうとするでしょう。しかし、指導的な立場というものは、自動的に成り立つものではありません。それは、関連国家の相互間における強力な連関性を土台として成り立つものであり、特にその指導者レべルにおいての相互連関を絶対に必要とするものです。

したがって、皆様がこの日韓米三ヵ国会議を通して、緊迫した当面の問題を論議すると同時に、お互いの友誼を誓うことによって、新しい二十一世紀を開拓する基盤を準備してくださることを願います。

三ヵ国の指導者の皆様。私は、この会議に参加するために、六千マイルにもなる遠い所からここまで訪ねてこられた代表者をはじめとした、すべての参加者の皆様に儀礼的な挨拶をしようと、この壇上に立ったのではありません。

神様と一心、一体、一念で生きてきた私の生きた経験によれば、神様は、歴史と現実の中で生きて役事される方です。このような摂理的観点から、韓国、日本、アメリカの位相を知るということは、とても重要なことです。

神様の創造理想は、アダムとエバが神様の真の愛によって真の人として完成し、真の父母となり、真の家庭を成し遂げることです。その真の父母と真の家庭を始原として、人類は、真の社会、真の国家、真の世界、さらには天宙へと繁栄しながら、地上・天上天国を成し遂げるようになっていました。ところが、不幸にもアダムとエバは、未完成段階において、天使長の偽りの愛によって堕落してしまいました。また、真の父母ではなく偽りの父母となったアダムとエバが築いた最初の家庭において、兄カインが弟アベルを殺害することによって、罪悪が結実してしまったのです。

イエス様の死と第三アダムである再臨主

本然の創造目的を回復するために、神様は、第二アダムである救世主をこの地に送って摂理を進められました。その摂理のための最初の基盤がユダヤ教とイスラエルの国でした。その基盤の上に、イエス様が救世主として来られたのです。

イエス様は、このように真の父母と真の家庭の理想を、選民イスラエルの国において成就し、それを全世界に伝播するために来られたのです。しかし、ユダヤ教とイスラエルの国は、イエス様がメシヤであることを理解することができず、イエス様を不信したのです。その不信はとうとう極に達し、イエス様は、再臨を約束されながら十字架の道を行かれました。復活されたイエス様は、霊的に第二イスラエルであるキリスト教の基盤を立て、これを世界的に築いていかれました。世界のキリスト教によって摂理される神様のみ旨は、第三アダムとして来られる再臨主を迎える準備をすることです。

アメリカは、すべてのキリスト教を代表した国家、すなわち第二イスラエルの長子国家です。アメリカは、建国の始祖たちの信仰も、建国の精神も、すべてキリスト教に由来します。神様が準備された地において、アメリカが短い歴史の中で世界を指導する強盛な国になることができたのは、再臨主として来られる第三アダムのみ旨に従うという神様の摂理によるものなのです。第二次世界大戦のとき、アメリカ、イギリス、フランスを中心とした連合国が、日本、ドイツ、イタリアを中心とした枢軸国に勝ち、キリスト教の基盤を極大化したことや、韓半島に熱烈に受け入れられ結実するキリスト教を宣教した主な国がアメリカだったという点、第三イスラエルである韓国の防衛に、国連軍の旗のもとで十六ヵ国の派遣軍が一つになって犠牲的な支援をし、二つの国が特殊な関係を維持している点など、すべて神様の摂理の中で行われているのです。

準備されたキリスト教が、第二次世界大戦直後に、私を通して神様の教えを受けていたならば、七年以内に神様が望まれたみ旨が成し遂げられていたでしょう。アダム国家である韓国の統一も成し遂げられていたはずであり、共産圏の世界的な膨張もなかったでしょう。ところが、不幸にも、キリスト教が先頭に立って私に反対し迫害したのです。摂理の中心存在を拒絶したキリスト教は、衰退の道へと落ちていきました。第二次世界大戦直後と比較するとき、今日の教会は、信仰も、熱意も、純粋性も、生命力も、すべて失いつつあります。

世界のキリスト教が責任を果たせなくなることによって、エバ国家(母の国)になるべきイギリスの代わりに日本が選ばれました。実際、神様の中心摂理であるキリスト教圏とは関係の遠い日本は、天の特別な恩恵で選ばれたのです。このような点から、日本は神様の使命を果たしてくださることを願います。

それでは、神様が送られた摂理の中心である救世主は、なぜいつも不信されるのでしょうか。堕落によって築かれた悪主権の世界なので、善の実体を歓迎しないのです。これを憂慮された神様は、イスラエル選民とユダヤ教を立ててイエス様を迎えるようにされたのであり、世界的なキリスト教基盤を築いて再臨主を迎えるようにされました。しかし、選んで準備した第一イスラエルと第二イスラエルの、摂理に対する無知と自己中心的な思考のために救世主は苦難を受けられたのです。

メシヤが雲に乗ってやって来るものと思っているユダヤ教徒の前に、人として現れたのですから、信じられなかったわけです。旧約聖書を間違って解釈することによって、メシヤの命を奪ってしまったという事実を知らなければなりません。また聖書の預言は、両面で預言されていることを知らなければなりません。

なぜかというと堕落した人間は、気まぐれにああしたりこうしたりするからです。神様と一つになっていた人が、背を向けてサタンと組んで神様を滅ぼし、サタンと組んでいた人が、神様のところに戻ってきてサタンを滅ぼすということがあるのてす。

イスラエル民族が不信した背景

旧約聖書を見れば、イザヤ書第九章、第十一章、第六十章の三つの章を見ると、救世主が栄光の主として堂々と来ることが記述されていますが、第五十三章では苦難を受けることが預言されています。信じて迎えることができずに、イザヤ書第五十三章の預言が成就され、栄光の主の預言は延長して再臨のときに成就されるようになることを、皆様は知らなければなりません。

新約聖書も、旧約聖書と同じように、メシヤが来ることに対する預言は、蕩減復帰の原則によって両面で預言されています。ヨハネの黙示録第一章七節を見れば、再臨するメシヤは、間違いなく雲に乗ってやって来ることが記述されています。しかし、テサロニケ人への第一の手紙第五章二節を見れば、「主の日は盗人が夜くるように来る」と預言されています。雲に乗って来るのに、盗人が夜くるように来ることができるでしょうか。今日のキリスト教徒たちは、雲に乗って来ることは信じ、盗人のように来ることは信じていません。

ですから、私たちは、知恵深くなければなりません。旧約時代の実情から見て、主が雲に乗ってくることもあり、人として来ることもあることを私たちは知らなければならないのです。ユダヤ民族が何よりも待ち望んだメシヤを神様が送ってくださったにもかかわらず、どうして彼らは、来られたメシヤを殺害してしまったのでしょうか。

旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と堅く預言されているという事実を私たちは知らなければなりません。

エリヤは、イエス様が来られる九百年前の人であり、火の車に乗って昇天した人です。人々は、火の車に乗って行ったエリヤがそのままの姿で来ると信じていたところに、エリヤが来たという話もなく、突然イエス様がメシヤを宣布したのです。

すると人々がイエス様の弟子たちに、「あなたの先生がメシヤであるならば、エリヤはどこにいるのか」と質問するので、弟子たちがイエス様のところに来て尋ねる場面が、マタイによる福音書第十七章十節から十三節の内容です。

「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」。

するとユダヤ人たちの不信はより一層深まり、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤだと言ったのは、自分がメシヤを装うためであると不信したのです。さらに、ユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす魁首だと言い、ベルゼブルの頭だと決めつけてしまいました。

このように、イスラエル民族が信じていた観点が、イエス様を送られた神様の摂理のみ旨とは異なっていたという事実を知らなければなりません。この地上に神様のみ旨を成し遂げるために、万民に神様から送られたメシヤは、ユダヤ教徒たちが従わなかったことによって、食い違いの事情を抱えたまま死んでいったという無念の歴史が、私たちの知らない中で起こっていたのです。

イエス様は、ユダヤ民族中心の救世主を待つ信仰の前に現れました。実際にイエス様を通した神様のみ旨は、ユダヤ教とイスラエルの国を越え、全世界を救おうとされるものでした。地で期待する希望と天で成し遂げようとするみ旨がずれてしまったのです。

再び来られる主の場合も同様です。再臨主のために準備された基盤は、せいぜいキリスト教徒だけの救援を願うというのが精いっぱいの信仰基盤でした。しかし、再臨主は、神様が願われる世界と万民の救援、さらには創造本然の理想世界を成し遂げようとして来られるのです。

その世界は、信じて救われるような宗教圏の世界ではありません。堕落とは無関係で、宗教が必要ない、宗教を卒業した真の愛と真の父母の世界を成し遂げようとして来られるのです。

創造主神様の根本は真の愛です。真の愛は、与えて、また与えて記憶しない利他的愛です。この真の愛によって天国を成し遂げようとされる神様のみ旨のために、私は、生涯を投入して与えながら生きてきました。

摂理の中心三ヵ国である韓国、日本、アメリカは、平和理想世界を形成する模範にならなければならない位置にいるのです。天道に従い、世界と全体のために生きて大きく与えるとき、無限な神様の祝福による繁栄を成し遂げるでしょう。もし、自国の利益だけを追求すれば、摂理の中において中心の位相を守ることができず、もっているものも失うことになるでしょう。

より大きいもののために投入して生きてきた生涯

ユダヤ教とキリスト教の歴史的な実例まで挙げてお話しする、私の深い心を受け入れてくださることをお願いいたします。キリスト教の知識がさほどない指導者たちは、理解に支障があるのではないかと思います。しかし、今日の日本は、キリスト教圏を摂理してこられたその歴史的な神様が自ら主管される摂理の中心に置かれている、そのような立場であることを悟ってくださるようにお願いいたします。

神様の創造理想を地上と天上世界に成し遂げようというのが、より大きいもののために投入して生きてきた私の生涯なのです。このような摂理的な観点から、これまで私が力を注いできたいくつかのことをお話ししようと思います。

第一に、今晩、「ワシントン・タイムズ」創刊二十周年を祝賀する祝賀宴を行うに当たり、なぜ「ワシントン・タイムズ」を創刊したのかということです。私はこれまでの二十年間、途方もない財力を投入してきました。ここに何らかの政治的な目的は微塵もありません。神様の摂理の中心国家であるアメリカを正しく立て、救世救国の理念によって世界を指導する立場に立つことを願って創刊したのです。

アメリカが享受している政治、経済、軍事的な強国としての祝福は、アメリカだけのためのものではありません。「唯一なる神様のもとの一つの国」という理想がアメリカ建国のスローガンであるとすれば、今からは、「唯一なる神様のもとの一つの天宙」を指向しなければなりません。

第二に、宗教間の対話と和合が、平和世界実現の決定的な条件だということです。信仰儀式や教理が異なっているとしても、善を指向する根本的な教えは一つです。さらに、宗教の出発は、霊的無知を打開するための神様の摂理の一環として、文化圏の背景に適合するように出発したのです。今からは、「家庭理想を通じた平和理想世界の実現」をモットーとして共に出会わなければなりません。

私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」、超NGO(非政府機構)であるWANGO(世界NGO連合)運動、そしてアメリカで真の家庭運動を主導しているアメリカ聖職者連合運動もその一環です。宗教間の対話と和合のために、去る四十年間、私が創設した統一教会自体の予算よりも多くを超教派超宗教運動に投入してきたのは、このような神様のみ旨を知っているからです。

第三に、人種間の葛藤を解消し、唯一なる神様のもとの一つの兄弟姉妹として、地球村大家族の世界を指向してきたことです。五色人種すべての人は、共に平等な神様の子女たちです。肌の色や歴史的な背景が優劣をもたらすことは微塵もありません。神様を中心とした祝福結婚を通して、超人種的に真の家庭の理想を実現することは、一つの世界を創建していく近道なのです。

これを看破した私は、一九六〇年代以降、人種や国境、文化を超越して国際交叉祝福結婚を主導してきたのです。特に、日韓米三ヵ国の女性たちを世界の男性たちが配偶者として迎えたいと考えるケースが多くなります。世界がだんだんと近くなるに従って、国際祝福の貴い価値は、より一層輝くようになるでしょう。

日韓米三ヵ国の摂理的位相

この機会に、三ヵ国の根本的な関係を摂理観的側面から探ってみようと思います。人類歴史は、神様の救援摂理歴史であり、救援摂理とは、失ってしまったものを取り戻す復帰摂理です。

したがって、エデンの園において堕落したアダムとエバと天使長との関係と堕落した家庭の最初の結実であるカインとアベルとの関係が世界的に拡張されたものが、今日の韓国と日本、そしてアメリカと世界の関係なのです。六千年の全体歴史を総蕩減する終末において広がった国際関係も、摂理的な理解から探ってみなければなりません。日本は、伝統的に女性神である天照大神を信奉する国です。

ですから、今回の会議に、日本からは、エバ国家、女性国家の代表として男性指導者たちが参加し、韓国とアメリカからは、主に女性たちが参加したのです。韓国は、摂理的にアダム国家であり、さらには父の国なので、その女性指導者たちは父の妹格となり、神様のみ旨のために共に思い悩み、精誠を尽くさなければなりません。

本来キリスト教は、来られる主の前に新婦の立場です。したがって、キリスト教の代表国家であるアメリカの女性は、再臨摂理の前に娘の使命、妹の使命、新婦の使命を果たさなければなりません。日本は、堕落したエバの立場を世界的に蕩減するために、今からは成熟した神側の母の国としての使命を果たさなければなりません。そのために日本が摂理的に歩んでいく道は、娘として、妻として、母として、女王として、世界の前に犠牲になってでも愛する、そのような道を行かなければなりません。

さらに、日韓米の三ヵ国が中心となって平和世界を成し遂げていくためには、理想的な愛の一家族にならなければなりません。怨讐関係だった過去の恨みを洗い流して一つになる道は、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちが互いに交叉結婚をすることです。互いが親戚関係を結び、血縁関係が成立すれば、真の愛の理念に基づいて平和世界を成し遂げていくモデルが生まれるようになるのです。

このように、神様の立体的なみ旨を知っている私は、以前から怨讐国家同士だった韓国と日本、さらに日本とアメリカの若者たちを一つに結ぶ国際交叉祝福結婚を主導してきたのです。先ほどもお話ししましたが、アメリカは、第二イスラエルの使命国家、さらには長子国家として、天の父母に侍ることの先頭に立ち、世界の兄弟国家を助け、導いていく使命をもっています。ですから、アメリカの女性たちの使命は大きく貴いというのです。

新しい三国協同体の誕生を期待

私は、今回の会議を通して、人類の未来に影響を与える広範囲な主題に関して、皆様がより深く真摯な討議をされ、共通の合意点に到達されることを願います。併せて、皆様のここワシントンDCでの三日間共に過ごすことによって、心の奥深くからの友誼を増進させる機会となることを願います。

この集いは、三ヵ国の指導者たちが中心となり、二十一世紀を開く新しい基礎を固める契機となるでしょう。皆様の三ヵ国間において、多様な分野で継続して議論し、協力し合いながら、相互連帯を強化させることができるよう、新しい三国協同体が誕生することを期待します。

紳士淑女の皆様。このような日韓米三ヵ国の連帯のための新しい活動は、世界的次元の平和と奉仕の文化を創建する真摯な目標を掲げて持続されるのであり、すべての目標は、必ず成功の座に至るでしょう。この会議が、皆様と共に出発したことだけにとどまらず、今後、皆様によってアジアと世界を導く集いに成長することを願います。皆様に神様の御加護が共にあることを願います。

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第九篇 17 平和国連を通して平和天国を完成しよう

第九篇 17

平和国連を通して平和天国を完成しよう

日付:二〇〇三年十月十五日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「超宗教超国家平和協議会」創設韓国本部大会

尊敬する内外の貴賓の皆様。今日の世界は、前後、左右、東西、南北のどこを見回しても、戦争と疾病、人種紛争と宗教的葛藤、そして不倫と腐敗が荒れ狂う絶望の世界です。

大小二百ヵ国以上の国々が五大洋六大州に広がって角逐戦を繰り広げているこの地球星において、果たしてどの国が、今日の人類が直面している様々な問題を解決してくれると思いますか。五十年ほど前、世界平和政府を標榜して出帆した国際連合の現住所はどこにあるのでしょうか。

国連は、自国の利益に血眼になり、政治的な力学関係の奴隷になっている極度の利己主義者ばかりが乱舞する舞踏場となり、一歩も踏み出せない人のような姿に転落してしまいました。世界平和の具現はいうまでもなく、一寸先も予見できない今日の世界情勢に対しても、何の解決策も希望も提示できずにいます。

世界的混乱の原因

皆様。きょう私は、実に感激と感動に満ちあふれた思いでこの場に立ちました。私たちは、まず神様に感謝を捧げましょう。今や人類に光明の新時代が明けてこようとしています。神様の恩寵と愛が全世界を照らす平和の天一国を創建する天地開闢の鬨の声が、地軸を揺り動かしています。きょう私は、「平和国連を通して平和天国を完成しよう」という題目で、天がこの時代に人類に下さったみ言の一端をお伝えしようと思います。

この世界には、六十億に及ぶ人類が暮らしていますが、人間の根源がどうなっているのか、ということについて、はっきりと知っている人は誰もいません。失敗したのか成功したのか分からない不明確な過程で歴史は出発し、その歴史が継続して今日まで続き、今は六十億という人類になったのです。

出発が不明確であり、過程も不明確なので、その終わりも不明確にならざるを得なくなったのです。ですから、今日の世界は、混沌と混乱の連続です。

最初から正しい道を見いだしていたならば、混乱や混沌はなく、そのまま地上、天上天国に向かう一方通行となっていたのです。しかし、人間の堕落によって、そのような一方通行の道を失ってしまった人類の運命は、善でもあり悪でもあり、時には上がっては、また下がったりしながら流れてきました。

それでは、善に向かっていた道が、どうして下がっていくようになったのでしょうか。下がっていきたいとは思わなかったのですが、下がっていってしまったのです。それが問題です。善を続けたかったにもかかわらず、仕方なく下がっていってしまったのです。それでは、なぜ善に向かっていたものが下がったのでしょうか。人間の生活が善の絶対的な原則に反するときには下がってしまうのです。それは何を意味するのでしょうか。善と悪の交差を意味するのです。

この世のどんな王や大統領でも、自分たちの主権がいつ上がりいつ下がるのかを知らずに生きています。主権者は、永遠に上がることを願うでしょう。しかし、いかなる主権者でも、真の善の基準に一致せず符合しないときには、必ず勢いがなくなって滅びるようになり、下がっていくのです。

それでは、善悪を主管するのは誰でしょうか。いくら強大な権力を行使する王朝があったとしても、その王朝の支配権によって善と悪が左右されることはないという事実を私たちは知っています。言い換えると、いかなる主権者も、自分の思うままにこれを調整することはできないのです。何か見えない背後の力によって調整されているという事実を私たちは否定できません。

一つの国を見ると国法があります。善を立てるために国法は存在するのです。あらゆる国の憲法が、このように善を擁護し守るために制定されたのであって、破壊する目的で制定された法はありません。したがって、国法を犯せば、誰でも監獄に行くのです。

ところが問題は、どのような国でも、主権者の資質次第で善の基準が誤って適用されることもあるということです。ですから、人類は今日まで、繁栄する道と滅びざるを得ない道の二股の道であえいでいるのです。

人間の堕落の結果

人間は二重構造になっています。良心はプラスで天の側に属し、肉欲に支配された体はマイナスでサタン側に属します。本来は、心と体は神様を中心に完全に一つになるべきだったのですが、人間始祖の堕落によってそのようになることができず、体がまた別の主体の立場に立とうとしたので、心と体の間に衝突が起こり、ついにはサタンが体を占領するようになったのです。

堕落を通じ、愛の綱を伝ってサタンの血統を連結させ、人類を繁殖させてきたのです。これが問題です。この心と体の争いは、癌やエイズよりも恐ろしい、慢性的争いになっています。したがって、いかなる犠牲を払ってでも、体を再びマイナスの位置に追い込まなければならないのです。宇宙の法則によって、同じ極同士は反発し合うようになっています。しかし、主体と対象が完全に一つになれば、天運を受けるようになり、宇宙が自動的に保護してくれるようになっているのです。

絶対的な主体があれば、絶対的な対象、すなわち相対は生まれるのです。レバレンド・ムーンの生涯を見ても、天命を受けて出発した絶対的な主体の生涯の前に、アメリカが反対し世界が反対しても、絶対的主体はなくならず、かえって絶対的な主体を打った側は自動的に対象圏となって吸収されるのです。それは、善なる側に立って反対を受ければ、周囲すなわち宇宙が保護してくれるからです。そのような原理的な観をはっきりと知っているので、レバレンド・ムーンは、個人的な闘争、国家的な闘争、そして世界的な闘争を経ながら闘って勝利してきました。

人類歴史を調べてみると、今まで神様は、原則的な方向、すなわち真の愛の目的に向かって進んできたのですが、悪魔は、それとは反対の破壊的な勢力によって敵対してきました。サタンが先に人間始祖を堕落させて先手を打ち、家庭、氏族、民族、国家、世界を占有しました。最初に地獄行きとなった人間は、人類の最初の先祖アダムとエバです。天国に入ることができなかったのです。このように、サタン圏によって被造世界が先に占領されたという事実を、皆様は知らなければなりません。

それでは、悪魔とは何でしょうか。神様の民を自分の民にして占有しようとする存在です。他人の子女を拉致して自分の子女にし、厚かましく所有権を主張する恥知らずな者です。ところが、そのような罪悪が露見してすべて奪われるのではないかと心配するあまり、創造の根本となる神様の良心が向かうべき未来の道に、逆に向かって座りこみ、神様と人類の解放を妨げているのです。

その手段として、あらゆる人類の体を占領し、神様が最も理想として重要視される愛をめちゃくちゃにしてしまったのです。今日、皆様が目撃するフリーセックスがその良い例です。愛の道を混乱の中に陥れ、良心が体を自由に主管できないようにするのです。この二つがサタンの戦略であり戦術です。

真の愛の回復のために生涯を生きてきたレバレンド・ムーン

皆様。フリーセックスはサタンの罠です。世の中の裕福な人たちは、その財力でサタンが仕掛けた罠にはまり、享楽にふけりながら死んでいくのです。サタンは邪悪な人々に、より大きな財物の祝福を与え、彼らが絶対に退廃の沼から脱出できないように防御壁を張っておくのです。酒、たばこ、そして麻薬とフリーセックス、この四つがサタンの主な武器であることを、皆様は知らなければなりません。このような武器を通して、サタンは、人類が肉体的な満足に酔って苦しみ、そのまま地獄行きの列車に乗るように導くのです。

それで、レバレンド・ムーンは、「人類はこのような悲慘な地獄行きから抜け出し、良心の呵責を受けない真の人間となって真の愛の生活に戻らなければならない」と教えているのです。心と体を一つにして天国行きの列車に乗ることができる唯一の道がその道だからです。

言い表すことのできない反対と迫害の中でも、レバレンド・ムーンは、八十年余りの生涯を、ひたすら真の愛の回復による人類平和の具現に命を懸け、犠牲の道を歩んできました。決して一瞬たりとも倒れませんでした。命を狙って襲いかかってくるサタンの前でも、絶対的なプラスの立場を固守して、あらゆることを克服し、自動的に絶対的なマイナスを確保してきたのです。一言で言えば、本然の創造原則に従ってきた生涯でした。

レバレンド・ムーンは、宇宙の原則に従って生きてきました。いかなる苦難と逆境の中でも、絶対に妥協せずに天の道を歩む一本道を貫く男です。勝利者の位置まで進みさえすれば、神様をはじめとしてあらゆる被造万物が、万歳して歓迎する道がその道であることをはっきりと知って出発したからです。サタンは、いつも天とレバレンド・ムーンを嘲弄しながら、自分の勢力版図を誇ってきました。

「私の武器は永遠にさびつかない。いくら全知全能の創造主である神様も、このような戦いでは私に勝てない。見よ!体のほうが良心を完全に踏みにじっているだろう。今では愛も、完全に私の計略どおりに転落してしまった。祖父が孫娘と、息子が母親と連れ添って暮らすおもしろい世の中になっているではないか。このような悪の世界を、どのようにして再び神様の理想世界にひっくり返すというのか。どこの誰にそのようなことができるというのか」。

しかし、神様はこのように叫んでこられたのです。「待っていなさい、サタンよ!真の父母であるレバレンド・ムーンの活躍によって、地上界では既に真の愛の影響圏が次第に広がっていっているではないか。真の父母が真の愛の主人である。真の愛の王である。サタン、お前もこの真の愛の前では、なすすべがないではないか」。

救世主、再臨主、メシヤであるレバレンド・ムーン

皆様、それでは、真の愛はどのようにして復帰するのでしょうか。これは真の父母の責任です。いつも良心世界が勝利する本然の世界、すなわち人間にとって最も高貴なその絶対善の世界を探し立てなければならないのです。その秘密は簡単です。

真の父母、真の愛、真の生命、真の血統の前では、偽りの父母であるサタンは、いくらじたばたしてもなすすべがないのです。神様のみ旨に永遠に一致するためには、神様と人類が真の愛を中心として主体と対象の関係を永遠に結んでいくことです。そのような永遠の関係の中に、どうしてサタンが割り込むことができるでしょうか。

皆様が、神様の創造理想であるために生きる真の愛を中心とした生活さえするようになれば、祝福を受けて真の血統に連結され、永生まで保障されるのです。皆様の子孫を通して、真の愛、真の生命、真の血統が永遠に続いていくのです。

しかし、そこには真の父母が絶対に必要です。誰彼を問わず、人類は例外なく堕落の後裔です。堕落によって一寸先も予見できない盲人になっているのですから、誰が誰を救うことができるというのでしょうか。

神様が直接送られた誰かが、すなわち、人間の堕落とは無関係の立場に立って世界を診断し、人類を死亡の道から救い出せる、その誰かが現れなければならないのです。正にその立場でレバレンド・ムーンが来たのです。神様がレバレンド・ムーンを人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母として、印を押して送られたというのです。

したがって人類は、今後真の父母の教えに従って、絶対良心圏を復帰すればよいのです。そこから初めて絶対的な所有権も得られるのです。絶対愛権と絶対生命権、そして絶対血統権も、正にそこから見つけ出すようになるのです。

したがって皆様は、まず、神様と一つになる道を見いださなければなりません。それは何を通して可能でしょうか。ために生きる愛の基盤はどこから出発するのでしょうか。皆様の愛の器官です。皆様の生殖器が、ほかならぬ皆様の愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。そこを通して生命が結ばれ、そこを通して愛が成就し、そこを通して血統が連結される、この厳然たる真理を、人類は今日まで知らずに生きてきたのです。

知ってみれば、これよりも貴い真理はありません。数千、数万年間、人間を支配してきたサタンも、ほかならぬこの生殖器を通して支配してきました。一八〇度方向を変えて、人間の堕落を引き起こしたのです。

真の父母の勝利圏と氏族的メシヤ

もし堕落がなかったならば、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母などの単語は必要ありませんでした。しかし今、人類の真の父母がこの地に再臨したので、人類はサタンの束縛から解放されるようになったのです。堕落によって失ってしまったあらゆるものを再び回復できるようになったということです。また本心を通して、人間の本然の価値を取り戻せるようになりました。二度とサタンがのぞき込めない絶対的な善の世界圏を完成するようになったのです。

真の父母の勝利圏とは何を意味するのでしょうか。サタンとの闘いにおいて、すべて勝利したということです。個人的な圏内で勝利し、家庭的な次元で勝利し、氏族的、民族的、国家的、世界的な基準で完全勝利を得たのです。それは決してたやすくはない険しい路程でした。しかし、万難を克服して勝利を勝ち取り、ついに二〇〇一年一月十三日に「神様王権即位式」を奉献することによって、神様までも解放してさしあげる奇跡を成し遂げました。

世界的な次元で共産主義の根を抜き、アメリカのキリスト教を再び生かしてあげている人もレバレンド・ムーンです。それは、真の父母の任務なのです。それだけでなく、没落した共産主義諸国までも、真の父母は再び真の愛で赦してあげ、抱いていくのです。共産圏を解放させ、生かしてあげているのです。

皆様。レバレンド・ムーンは、既に十年以上前から、世界のすべての祝福家庭に「氏族的メシヤになりなさい」と宣言しました。自分たちの氏族の新しい先祖になりなさいというのです。皆様のあらゆる先祖が歴史を通して切実に抱いてきた願いが、ほかならぬ氏族的メシヤです。

人類のメシヤとしてあらゆることに勝利した真の父母様の基盤を相続させてあげるので、皆様も氏族的次元で勝利したメシヤになりなさいということです。レバレンド・ムーンから祝福を受けて祝福家庭の隊列に入った家庭は、今や世界を率先して導く指導者であり、氏族的メシヤとして人類を救う救世主になるのです。

数千、数万年待ち望んでこられた神様の恨を解いてさしあげる孝子となり、愛国者となるのです。あれほど悪辣だったサタンの反対と迫害に勝利し、あらゆるものを相続させてくださる真の父母の勝利圏を、あらゆる方面に展開する前衛隊となって、全世界を解放し、天のみ前に探し立てるのです。氏族的メシヤは、人類のメシヤから分かれた枝のようなメシヤ格です。この分枝メシヤから葉が出て、花が咲き、実を結ぶようになれば、その実は、大本のメシヤの価値をそのまま一〇〇パーセント所有するようになるのです。善なる霊たちが保護できる圏内に進入するようになるというのです。

還故郷と氏族的メシヤ活動

皆様。人類は、再び故郷を訪ねていかなければならない運命に置かれています。ところが、故郷を一時離れた人はその故郷を再び訪ねていくことができますが、故郷を失った人は、思いどおりに帰っていくことができません。人類歴史の始まりとともに、人間は故郷を失ってしまい、追い出されて彷徨するジブシーとなって生きてきました。帰ろうとしても帰ることのできる立場に立つことができず、帰る道も知らないまま、故郷を失った旅人となって数千年さまよっているのです。

北朝鮮から独り避難してきて失郷民となって暮らしている方々は、その無念でつらい生活がよく理解できるはずです。友人もなく、兄弟もなく、父母もない立場です。

故郷があることは知っていますが、思いどおりに訪ねていくことができる故郷ではありません。訪ねていく道も知りません。極端な環境で生活しなければならない立場です。それこそ何の基盤もなく、ゼロから再び人生を開拓していかなければならない壮絶な立場なのです。たとえ運がよく、避難生活の中で裕福になり、出世したとしても、彼の心の深いところに根づいた故郷に向かう哀切な願いは、消し去ることはできないのです。

同じように、人間始祖の堕落によって天涯の孤児となってしまった人類は、今日まで故郷を失ってしまったかわいそうな立場に転落して生きてきたのです。故郷の主人であられる神様が厳然として待っておられるのに、人類は故郷に帰るという願いまでも忘却したまま生きてきました。天地の前に顔も上げられない恥ずかしい姿になってしまいました。

六十億に規模が拡大する時まで、人類は昼夜を区別できない悲惨な生活を送ってきたのです。そのような子女たちの姿を見つめておられる神様は、どれほど悲惨な心情でしょうか。子女の悲惨な姿を見て、父母以上に悲しく苦痛に思う人がどこにいるでしょうか。神様は人間を御自身の子女として創造されたのです。

そうだとすれば、神様の願いは何でしょうか。何としてでも、道に迷った子女たちが故郷を訪ねてこられるように解放してあげることです。その道を開くための作戦が宗教の出現です。宗教運動を通して、それぞれが置かれている環境、言語、文化、民族的背景、理念、体制、思想を超越して、共に故郷に帰っていくことができる基盤を築いてこられたのです。神様は、皆様が暮らしている環境圏を数限りなく訪ねながら、心を痛め、気をもみつつ、その日だけをお待ちになったのです。

各時代と文化に合う宗教運動を通して摂理してこられた人類の縦的真の父母が、ほかならぬ神様であることを、皆様は知らなければなりません。このすべてのものは、ある特定の宗教団体のためのものではなく、ある特別な国家のためでもありません。すべてが皆様自身の解放のための、神様の真の愛の発露だったのです。皆様が自由に故郷を訪ねていける橋を架ける作業だったのです。

したがって、皆様一人一人は、皆様の家族はもちろん、皆様の国家と人類全体を代表し、さらには霊界に行っている皆様の先祖たち、そして、将来生まれてくる皆様の子孫までも代表する立場に立っていることを銘記してくださるようにお願いします。そのような貴い解放された姿として、天と人類の前に責任を完遂する私たちにならなければなりません。

私たちが故郷を慕うのは、そこにために生きる愛があるからです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親族たちの愛が所々にしみ込んでいる地です。そのすべての縁と関係が、ために生きる愛によって結ばれており、すべて抱きかかえたいと思う情愛深い所です。解放された自分となって、そこに堂々と現れ、山川草木を抱き、一家親族を愛しながら歓喜の歌を歌いたいと思うのが、故郷を失った旅人の郷愁であり、願いなのです。

故郷を追われ、本郷の心情の根を失ってしまい、故郷に行きたくても行けなかった、永遠の孤独の敗亡者である人類が、流浪の旅人として生きたのちには地獄にしか行けなかった人類が、今や解放されて、夢にも忘れられなかった故郷を訪ねていくことのできる道が開かれたのです。人類にとって、これほど大きな祝福の日がいつまたあるというのでしょうか。アダムとエバが失ってしまった故郷を、皆様が見つけ出してあげるのです。

天一国家庭を探し立てることが氏族的メシヤの使命

皆様が故郷を訪ねていく時は、アダム完成の立場で、イエス様完成の立場で、そして再臨主の代身者の立場で行くのです。その家庭には神様が臨在されます。祖父母、父母、子女、孫と孫娘が一緒に暮らす四代の家族となるのです。祖父を歴史的な先祖の根として侍って暮らさなければなりません。

そのような家庭に歴史の根が生きており、天国の根が伸びて入ってきているのです。地上天国の根が下りている所がそのような家庭です。永遠に続く王権の根もそこに定着するのです。過去、現在、未来の根がそれぞれ祖父母、父母、孫と孫娘で代表されるのですが、過去の根は霊界を代表し、現在の根はこの世界を代表する王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子と王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿を建てて暮らすのです。

このように祖父母、父母、子女、孫と孫娘を中心として、四代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが氏族的メシヤの使命であり、神様の願いなのです。神様も、どこかに外出してから、慕わしくて再び訪ねてくる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねていくように、気楽に訪ねることができる家庭を準備しなさいというのです。それがほかならぬ神様に侍って暮らす生活なのです。

そのような家庭には、神様が縦的な良心の主体となり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛の四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。そのような家庭であってこそ、上下、前後、左右が一つに連結され、球形運動を続けながら、永存するようになるのです。

皆様。結婚はなぜしなければならないのでしょうか。主人の位置を見いだすためです。男性も女性も、独りでは片側の人間にしかなりません。神様の創造はそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻なのです。互いにために生きる愛を中心としてこそ、相手の主人の位置に立てるのです。このような主人の位置を確保するために、人間は結婚するのです。

それでは、主人の位置を見いだしてからは何をしようというのでしょうか。その位置で神様を占領しようというのです。神様は三大愛の主体でいらっしゃいます。天宙の主人として、「真の愛の師」、「真の愛の主人」、「真の愛の父母」でいらっしゃいます。これが正に真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真の家庭の生活を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも平和の王国に変えることができるのです。

還故郷する氏族的メシヤの姿勢

還故郷する氏族的メシヤの姿勢は、堂々として毅然(きぜん)たるものでなければなりません。そこには不平はあり得ません。大声で痛哭しながらでも行かなければならない宿命の道です。数千数万年、子女を失った恨の心情を抱いてお待ちになった父なる神様の事情を知るならば、涙なくしては行くことのできない道であることを知らなければなりません。

また、愛の種を蒔くために行く皆様の足取りは、希望に満ちあふれていなければなりません。一度蒔いた真の愛の種は、誰一人として盗んでいくことができません。真の愛の心情の種だからです。その種から芽生えた家庭や国家は、永遠に神様の所有として残り、子々孫々神様の代身者を輩出する天の名門の家となり、一等国となるのです。

皆様。今、神様の人類救援のための摂理は、完結すべき切迫した摂理的時期に到達しました。子女を愛する父母の心情が、取りも直さず神様の人類に対する愛であり、心情なのです。このまま放置しておくことはできないこの世界の淪落と不道徳を正し、永遠に戦争と葛藤の壁を撤廃するために、神様はついにこの地にレバレンド・ムーンを派遣されました。神様御自身の実体として顕現した救世主、メシヤ、再臨主、真の父母の資格を賦与して送られたのです。

そして最近、神様は自ら書信を送られ、レバレンド・ムーンの一生を慰労し、激励するだけではなく、霊界の五大聖人と数多くの歴代の預言者と王たち、そして驚くことに、ヒトラーのような希代の殺人鬼だけでなく、スターリンやレーニンのような赦し難い共産主義者たちまでも、レバレンド・ムーンの教えを受けて悔い改め、感謝の手紙を送ってきています。

しかし、過去を顧みれば、当然、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たして侍り、奉るべき真の父母であるレバレンド・ムーンに対し、人類は逆に、迫害と苦難で綴られた荒野路程八十有余年を歩ませてしまったのです。だからといって、挫折したり放棄したりするレバレンド・ムーンではありません。その程度の人間であるならば、神様は最初からレバレンド・ムーンを御自身の代身者として、この地に降臨させることはなかったはずです。

言葉で言い表せない受難と逆境を克服しながらも、レバレンド・ムーンは、一度たりとも神様を恨んだり、与えられた使命を避けたりすることなく、ついに神様のみ旨を完成させてきました。天の摂理を知らない皆様は、自分だけの志を立てて生きてきたかもしれません。しかし、レバレンド・ムーンの一生は、天のみ旨に従い、天宙の公人として一点一画の狂いもない真の父母の真の愛を実践する生活によって、人類救援のためにすべての蕩減を勝利してきた生涯でした。

真の父母の伝統に従って真の師、真の主人、真の父母となろう

尊敬する貴賓の皆様。今や人類は、希望をもって力強く前に向かって前進できる時代圏に入りました。既存の国連の不正と不条理を根絶し、人類の様々な問題をその根本から解決できる「アベル国連」が誕生したのです。去る十月三日、レバレンド・ムーンの志に従う千五百人余りの世界の指導者たちがアメリカのニューヨークに集まり、この歴史的で摂理的な「アベル国連」の創設を成し遂げたのです。

レバレンド・ムーンは、既に三十八年前、アイゼンハワー・アメリカ元大統領と会って「アベル国連」の必要性を力説したことがあります。ところが、天の時を悟り得ない責任者たちの無知によって、きょうまで摂理が延長されてきたのです。しかし、天はこれ以上待つことができなくなりました。今年、摂理的な要請によって、レバレンド・ムーンに従う数多くの義人たちが、怨讐間の感情を拭い去って立ち上がりました。

同じ場に一緒に座ることも拒否してきた宗教指導者たち、すなわち第一イスラエル圏を代表するユダヤ教の聖職者たち、イスラーム圏を代表する中東の聖職者たち、そしてキリスト教を代表するアメリカの聖職者たちが、エルサレムに結集して、互いの手を握り「エルサレム宣言」を発表しました。続いて、第二イスラエル圏であるキリスト教を代表するアメリカの首都ワシントンDCにおいても、数多くの宗教指導者たちが教派を超えて集まりました。彼らは、霊界から送られた、五大聖人をはじめとする多くの指導者たちの決意文に呼応して、地上決意文を宣布しました。

このように、エルサレムとワシントンDCでの宣布の土台の上に、去る八月十五日には、韓国ソウルで第三次宣言である「ソウル平和宣言」を採択し、参加したユダヤ教、イスラーム、キリスト教などの聖職者全員の名前でこれを満天下に宣布しました。

「アベル国連」が創設されるまでには、このような摂理的な準備と段階があったことを覚えておいてください。「アベル国連」とは「平和国連」のことを言うのです。既存の国連がカイン的国連であり、紛争の国連であるのに対して、「アベル国連」は、世界平和を保障する国連だからです。これこそ神様の人間創造以来、最も革命的で驚異的な事件と言わざるを得ません。

これから世界は急速に変わっていきます。全霊界の千二百億組を越える善なる祝福家庭が総動員されており、地上界でも、今は数万人の平和大使たち、そして世界の至る所でこの「平和国連」の成功のために烽火を掲げた指導者たちの数が数哲万人に達しています。

人類は、今や「平和国連」を通して神様と人類が何よりも待ち望んだ「平和の天国」をこの地球上に創建すべき責任があります。神様を私たちの王として迎え、内的には天一国、外的には第四イスラエル国を中心として、この地上に霊界と肉界の二つの世界を代表する超宗教超国家的平和世界を創建して安着させる責任があるのです。

平和国連を通して地上・天上天国創建

レバレンド・ムーンは、今まで八十年余りの間に血と汗と涙で築いてきたすべての基盤を、今喜んで「平和国連」の所属として帰属させることを満天下に闡明(せんめい)する次第です。また私が創設し、現在世界百九十一ヵ国に宣教部を設置している家庭連合をはじめとして、数十の各種団体と機関が最初に「平和国連」の所属になるのです。アメリカの「ワシントン・タイムズ」とUPI通信社、中東の「ミドル・イースト・タイムズ」、南米の「ティエンボス・デルムンド」、韓国と日本の「世界日報」などのすべての言論機関も、きょうからは「平和国連」の代弁言論となるのです。

さらに、韓国の鮮文大学、アメリカのブリッジポート大学、仙和芸術中高等学校、善正女子中高校などの様々な教育機関も、「平和国連」の崇高な目的のために指導者を養成する専門教育機関となります。スポーツ部門でも大韓民国最高の名門サッカーチームとなった一和天馬サッカーチームはもちろん、ブラジルの有名プロサッカーチームとして定着したソロカバとセネも、同一目的のために力を合わせるでしょう。

皆様。レバレンド・ムーンには、世俗的な未練は何もありません。十六歳(数え)という青年の年から天命に従って歩んできた八十年余りの生涯でした。残る生涯も、引き続き天命を実現するために、未練なく天のみ前に奉献していきます。「平和国連」を通して神様の恨を解いてさしあげ、真の愛を中心とした自由、平和、統一、幸福の地上、天上天国を必ずこの地上に創建してみせます。

貴賓の皆様。どうか今からでも心の扉を大きく開き、一心、一体、一念の精神で天の召命を受けられ、真の父母様の伝統に従って、真の師、真の主人、真の父母の生活を実践躬行してくださるようお願いします。その道が正に天と真の父母様の代身者となる道であり、相続者となる道なのです。そして、平和王国を創建する真の愛の道理であり、使命なのです。

貴賓の皆様。きょうこのように尊い天のみ言に接することになった御縁を大切に心の奥深くに刻み込むように願います。今から新しい次元の生活を開拓していく皆様の壮途に、天の大いなる祝福を祈願する意味で、私の報告祈祷文を代読させて本大会を天のみ前に奉献しようと思います。ありがとうございました。

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第九篇 18 平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道

第九篇 18

平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道

日付:二〇〇四年四月十九日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ニューヨーカー・ホテル

行事:第四十四回「真の父母の日」

尊敬する内外の貴賓の皆様。まずはきょう第四十四周年「真の父母の日」を祝うために全世界からお越しいただき、この場に参加してくださった各界各層の指導者の皆様に心より感謝申し上げます。特別に今回、きょうまで常に私と共にあられ、守ってくださった神様にすべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。

今は解放、釈放の時代

私は生涯を通じて、神様の創造理想を実現するという一念で、諸般の難問題の解決のために苦心してきました。分かってみると神様は、栄光と尊貴な玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し出して救うために全力を尽くしてこられた、悲しみと嘆きと苦痛の神様でした。

そのような神様のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も、季節も、環境も跳び越え、ひたすら神様のみ旨を成就するために全身全霊を尽くしてきた日々でした。今や摂理の進展は、天一国宣布四年目を迎えました。摂理の進展に従って、昨年五月四日の「創造理想主管圏大転換時代宣布」と七月十三日に宣布した「蕩減復帰摂理の撤回」を契機として、蕩減革命、良心革命、心情革命の烽火が燃え上がっているのです。

二〇〇三年八月二十日に宣布された第四次イスラエル国を実体化するための努力と第一イスラエル圏である中東の平和のための精誠によって、ついに二〇〇三年十二月二十二日、エルサレムでイエス様の王権即位式を奉呈しました。このような勝利的基台の上で、二〇〇四年三月二十三日、第二イスラエルであるアメリカの国会ビルで平和王権即位式が行われ、それを契機として、人類に真の解放、釈放の時代が近づいてきました。年頭に宣布した「神様の祖国と平和王国時代」が現実化され始めたのです。

私は去る一九七一年に、天の命令に従ってアメリカに渡ってきました。三十年以上もの間、あらゆる迫害を受けたにもかかわらず、私がきょうこの場に皆様と席を共にすることができたのは、神様が共にいてくださったお陰であると思います。

きょうのこの意義深い日に、皆様と共に神様の摂理的な視点から歴史と世界を理解するために「平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道」という題名でお話しいたします。

神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末は、サタン主管の悪なる歴史の終末であり、同時に神様主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって、終末とは天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち終末は、個人完成を完結させなければならない「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、さらには天宙の完成を完結させなければならない「終わりの日」なのです。

世界を指導する超民族、超宗教の理念が必要

神様は、摂理路程において終末期を迎えるたびに、神様中心の理念圏に人類を引っ張ってこられましたが、実際、人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整備して善なる立場に立つということを成し遂げることができませんでした。しかし、神様は、絶対、唯一、不変、永遠の方なので、神様のみ旨に対する予定もまた絶対です。

ですから、神様は、堕落によって人類が失った真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通して、天上と地上に神様が運行するその世界を探し出して成し遂げられるのです。神様が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真の父母を中心とした真の世界です。

しかし、人類は堕落によって、歴史の過程ではなく、歴史の始まりの時点において、人類の真の父母と真の世界を失ってしまいました。その結果、堕落によって、私たちが住んでいる地も、人類が所有する理念も、どれ一つとして真の父母と直接関係をつないでくれるものはないのです。ですから、人類は何よりもまず「真」を見つけなければなりません。

そうして、真の父母、真の夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真の神様の心情を通じて共に動ずることができる、そのような日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」になるのです。そのような理想が実現するその時が「終わりの日」であり、すなわち再臨の時期です。ですから、再臨の時期は、火の審判があり、地が割れ、信じる人が空中に引き上げられたりする、そのような天変地異の現象が起こるわけではありません。絡み合った曲折の悲運の歴史が蕩減され、個人から家庭、社会、国家を経て、世界が正しく立てられる時なのです。

縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び探し出し、横的に連結させて、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成し遂げる時です。人類が願って生きてきたその日が、人類の希望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。

危機の世界を救うためのレバレンド・ムーンの生涯

世界では各種の公害問題や食糧問題、さらには宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要な原因になっています。誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。

過去に共産主義国家も自らの民族主義を越えることができませんでした。今日の強大国アメリカも汎米主義理想を越えることができずにいます。自国の利益だけを前面に立てる場合には、世界を指導することができません。自らを供え物としてでも世界人類を抱き、より次元の高い理想的な国に前進しようという理念によって団結した、ある民族、ある宗教が必要な時です。

そのような側面から、私は神様の命を受け、ここアメリカに来て、青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的な危機に対して強い警告を与えるとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。皆様はレバレンド・ムーンの教えの核心が何か気になるのではないでしょうか。その答えは簡単です。

第一は、「より大きなもののために犠牲となって生きよ」ということです。個人は家庭のため、家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のために生きよということです。

そのようにすれば、その神様は結局、「私」を訪ねてこられるのです。家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる人が善の中心者になるのです。

第二は、怨讐を愛することです。神様は、堕落して悪魔サタンの子女となってしまった人類を救うために、ひとり子イエス様を遺わして、犠牲の道を歩ませました。怨讐を実の子よりも愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。いつもサタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて取り戻してくるのが公式的なものとなっています。私が全生涯を通じて、数多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界百八十五ヵ国に宣教基盤を築くことができたのは、そのような天理に従って生きてきたからです。

内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったことを知らなければなりません。

堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と自覚しない限り、復帰する道はありません。

漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできません。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできないのです。

キリスト教の使命

皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。皆様は個人を犠牲にして家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないでしょう。そのような絶対的な基準の代表者として来られた方が再臨主なのです。

人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダムの時から二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。主流民族にならなければなりませんでした。

その主流の真髄を調べてみると、本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、キリスト教の最も重要な使命なのです。

そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族はイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命を受けたユダヤ民族は流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。

それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一する思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。

聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体の立場である新婦に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」の後に、新郎と新婦は真の夫婦の段階を経て、真の父母となるのです。

そのような使命のために来られた方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の路程は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。

イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。

ですから、イエス様の生涯は三十三年で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得なかったのです。

文明の循環と温帯文明圏の出発地

内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最高の強大国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類史を文明論から見ると、古代文明の発祥は主に熱帯圏で始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明と中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。

人間が堕落しなかったならば、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるべきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる冷帯文明圏に属するようになりました。それは自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。

秋の季節に当たる涼帯文明圏が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後に、戦後の冷戦体制は終わったと考えていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。

本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、人間の堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を越えて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。

誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。

そのような文明史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。

そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類的課題として残されている世界の南北問題と東西問題を解決するために生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。

実際に、私が生涯を通して人種と理念と国家を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったというのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。

真の父母として展開してきた「神様のもとの一つの世界」運動

天のみ旨を悟った私の活動は、理論だけではなく、以上のような神様の構想を実現するため、外的に五大洋六大州で私の手が及んでいない所がありません。アラスカ、南極、南米の三十三ヵ国、旧ソ連邦の各国とアジア、アフリカ大陸の国々など、全方位的な宣教と事業基盤を通して、到来した新千年紀の時代に、人類が直面する公害や食糧問題などを解決できるように準備をしてきたのです。近年にはブラジルのパンタナールとアマゾンを中心として、地球環境保全に対する実質的な基盤を整えてきました。

一方、内的には、これまで「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」を通して、これまで四億組を目指して式典を挙行し、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車を掛けてきたのです。

内外の貴賓の皆様。これまで世界は、政治、軍事、経済面において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。輝かしいギリシャ・ローマ文明の滅亡が、そのよい例です。今日、超強大国にそびえ立ったアメリカは、過去のロ・マと同じ立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯というよりは、道徳的な堕落という内的な原因によって天の運勢が離れたからでした。

一時期は労働者と農民を主体とみなす唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の三分の一、地球面積の三分の二を占有したこともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。今後は、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。

宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげる預言者です。しかし、今のように四分五裂となって継続されてきた教派間の葛藤と宗派間の争いは、神様の摂理に対して障害となるばかりです。

ですから、私はかなり前から教会の全体予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決するために努力してきたのであり、さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教団体間の和解と一致によって、人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現に向けた神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。

神様を解放してこそ真の解放の道が開かれる

堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復して、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された「終わりの日」は、真の父母が顕現する日です。言い換えると堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時なのです。

したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体です。統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を跳び越え、黒人と白人、黄色人種の人々が同じ兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神様のみ旨の成就において、最も重要なことの一つなのです。

今日、そのように人類は、失った本然の兄弟姉妹、夫婦、親子の関係を回復し、究極的に、我が子を失って嘆いてこられた神様を解放してさしあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。今まで民主主義は「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。それとは違い、これから私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決すれば、人間の解放はもちろん、人間の自由回復は自然と成就されるのです。

アメリカは様々な面において、神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて国を探してきた清教徒たちです。

彼らは真の信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、さらには国まで捨てる覚悟で命を懸けて大西洋を渡ってきました。

メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは、一六二〇年十一月の晩秋のことでした。出発した百二人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫のために翌年に蒔く種を残して、自分たちは飢え死にしていったという事実です。

建国精神を失ったアメリカを生かすために努力してきたレバレンド・ムーン

清教徒たちは、何をするにも神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手にして神様に感謝を捧げ、先に教会と学校を建ててから自分たちの住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。

独立戦争当時、かの有名な最後の激戦地であるフォージ渓谷で、ジョージ・ワシントン将軍は、戦闘をしながら、決戦に臨むその瞬間に、命を懸けた祈祷を捧げたでしょう。神様のみ旨を先立たせた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださったのです。

当時、世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは神様と神様の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという信仰の自由の国家が成立したのです。今もアメリカは、国会が開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも、聖書に手を置いて神様のみ前に誓いを立て、聖職者の祈祷を受ける国です。

さらには、貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれている唯一の国です。このようにして、アメリカは信仰の自由を確立し、プロテスタントを信奉する世界的な形態を整えた国家となったのです。

ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりも進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。

そのような現実を心配された神様の声を聞いた私は、いち早く一九七一年に祖国と家族を後にしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来たのであり、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。

既にそのとき、私は、神様がアメリカから離れつつあることを発見しました。アメリカのあらゆる所に神様がいらっしゃらなければならないのですが、反対に随所から神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、神様が離れつつありました。振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタン五番街を歩きながら、アメリカを離れられる神様にすがってとめどなく涙を流したことが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私の予言したとおり、道徳的に衰亡の道を歩んでいます。

アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人

皆様。どうしてレバレンド・ムーンがアメリカで反対され、苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は神様がアメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の御苦労を誰よりもよく知っているので、この三十四年間、アメリカにいながら、一日として気を楽にして過ごしたことはありません。

アメリカの主人は誰でしょうか。白人でも、黒人でもありません。神様がアメリカを愛されるように、アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人なのです。アメリカは地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような立場の長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的にアメリカの地に主におられながら、神様のみ旨を成就してくれることを切実に願っていらっしゃいます。

一方、私は、神様のみ旨に従って、一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊し、アメリカの行くべき正しい方向を提示する保守紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして、真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて強力な救国救世運動を展開してきました。それらすべては、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことができるようにと願う心から投入したのです。

私が一九六五年にワシントンDCを訪問した時に定めた、ホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してこの国アメリカのために祈祷する人々が大勢います。皆様は、心の扉を開いて、あの清教徒をはじめとした歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができ、そのような叫びを、そのような望みを聞くことができなければなりません。

神様を中心とした真の父母、家庭、国家、世界を探し出すべき時

内外の貴賓の皆様。歴史的な二〇〇四年は、六千年間追求してこられた神様の救援摂理歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。人間の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子女が再会する、これ以上涙のない新しい天と新しい地がつくられる時であり、地上と霊界が一つに通じ、地上と天上に「神の国」が建設される新しい時代が訪れました。

生きておられる神様の直接主管が、全体、全般、全権、全能の勢力として現れる時代です。東洋と西洋の全体が天地父母を中心として「唯一なる神様のもとの一つの宇宙」として、地球星大家族主義世界が実現する時です。それは聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。

第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を探し出すべき時なのです。そうして離れようとされる神様を再びお連れしてこなければなりません。六千年間も準備して訪ねてこられた神様は、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。

神様に正しく侍るならば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は、自ずと解決されます。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルです。この時に私たちは、一致団結して人類の進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様のみ前に導く先導者的な使命を完遂しなければならない時です。その歴史的な課業を完遂するために、みな共に参加してくたさるようお願いします。

神様が直接主管される時代の到来

去る三月二十三日に、ワシントンDCに位置するアメリカ国会議事堂で、天宙・天地・天地人父母様に対する平和王即位式は、神様の王権を地上に実体的に安着させた偉大な宣言でした。さらにまた、当日、議事堂で行われた天宙平和統一理想天国の宣言は、国連国家祝福家庭連合時代を開いていく歴史的な起源となりました。

今や、天宙・天地・天地人父母を中心として理想家庭が基盤となって、地上天国、天上天国が現実的に実現される天一国四年になりました。それで四月のこの期間において、「天使世界の解放、釈放」に続き、「カイン・アベルの釈放」、さらにきょう第四十四回「真の父母の日」を契機として、「父母様の釈放」の日となったのです。

ひいては、今度の五月一日は、「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年を迎え、「国家の釈放」の一日を迎えるでしょう。解放、釈放の時代を迎え、今後、全体、全般、全権、全能の神様にすべてを任せ、直接導かれる神様の直接主管の時代が到来するのです。

改めてこの場にお越しくださった皆様に深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、私の話を終えようと思います。皆様の御家庭と国に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。

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第九篇 19 後天開闢時代の平和大使の使命

第九篇 19

後天開闢時代の平和大使の使命

日付:二〇〇六年十二月八日

場所:韓国、京畿道、一山、韓国国際展示場(キンテツクス)

行事:平和と統一のための平和大使全国大会

尊敬する平和大使の代表指導者の皆様。きょう皆様は、実に歴史的な歩みをされました。新千年紀を知らせる力強い鬨の声が、いまだに私たちの耳元に響いている今日、六十五億の人類の胸の中に、新しい希望と未来を約束してくれる後天開闢時代の双合十勝圏が宣布されてから、既に二年目を越えつつあります。実に一日が千年のようであり、千年が一日のような、天一国創建の多忙な日々が続いています。

このように貴い摂理的な時を迎え、私は、きょうこの場を借りて、選ばれた韓民族の誇らしい子孫として、弘益人間(広く人間世界に利益を与えること)の精神を受けて生まれた全国平和大使の代表指導者であられる皆様に、今後、人類が行くべき方向と使命について、天が下さった特別メッセージをお伝えしようと思います。「後天開闢時代の平和大使の使命」という題目のみ言です。

皆様。古今東西、老若男女を問わず、共通の夢があるとすれば、果たしてそれは何でしょうか。誰もが待ち望んできたものは、「平和理想世界の実現」でしょう。しかし、人類歴史上ただの一度も天が喜ぶ恒久的平和を実現させられなかったということが、歴史的な恨として残されてきました。

何が間違ったために、このようになったのでしょうか。一言で言えば、人間が神様の創造理想を知らないという無知に陥ったからです。数千、数万年待っても、無知からは完成を期待することはできません。

皆様。神様の創造は実に奥妙です。御自身の子女であり愛の対象として創造した人間の完成と幸福のために、森羅万象を先に創造され、環境を準備されました。

神様の創造物の中で傑作の一つである花について、一度考えてみてください。何げなくぽつんと野原に咲いている名もない花に至るまで、花には明らかに創造主の意志と目的が隠されていることを、簡単に発見することができます。花としての生を表現し、完成していく姿は、実に驚異的だと言わざるを得ません。

まず花は、万物の霊長である人間も真似できないほど、美しい色相と陰陽の調和を顕示しています。そして、絢爛な色相に魅了されて寄ってくる蜂や蝶たちの心をとりこにしてしまう、万能の香りも発しています。さらには、あまりにも強くてまぶしい、見つめることも大変な太陽の光を包み、生命を創造して守ってくれる自然の光に変える、和合と平和の光を発散しています。こまめに門前を出入りし、自分の種を繁殖してくれる蜂や蝶たちのためには、甘い蜜を提供することで報いるという道理も忘れていません。

皆様。神様の創造の神秘性は、私たちが言葉ですべてを描写することはできない、実に無限の境地です。したがって、人類最高の画家が描いた絵だとしても、生きた一輪の野性の花とも比較することができません。取るに足らない、たった一つの花を創造するにおいても、このように万物万象と調和し、共生、共栄できる道を開いておかれた創造主、神様であられるのです。ましてや、御自身の子女であり、永遠の愛の相対者であり、相続者として創造した人間の位置はどうでしょうか。

千万種類の花が満開になっても、厳然たる創造の原則のもと、それぞれが個性真理体としての位置を守り、調和した大自然を形成し、共生、共栄する順理(道理に従うこと)を見て、人間も調和と平和、そして自由と幸福を求めて永生しなさいという、天の祝福と恩寵が私たちと共にあります。言い換えれば、人間は、誰もが天が賦与された個性体としての人生の姿と特性があります。すなわち、人間は誰もが個性真理体としての特権を受けて生まれるのです。老若男女、地位の高低を問わず、人間は誰もが自分だけの、固有で個性のある人生の路程を歩まなければならない宿命的存在だという意味です。

皆様。六十五億の人類の中に、皆様と一〇〇パーセント似た人を探し出すことができますか。もう一度考えてみてください。皆様と同じ個性を所有した人がいると思われますか。同じ日、同じ時間に生まれ、同時に死ぬ双子だとしても、彼らの人生は同一でしょうか。世界最高の美男子であっても、最高の醜男がもっている独特な真理体としての個性をもつことはできないのです。知恵の王であられる神様は、正分合作用の変化、発展を通し、今も永遠の個性真理体の創造を継続していらっしゃいます。神様の創造原理がそのようになっています。

ここから私たちは、人間の人間としての絶対価値的基準を発見するようになります。花と蝶の相対的関係と調和のように、人間同士も、お互いにために生きる真の愛を分かち合って生きるようになっているのです。このような真の愛の人生の中で、調和した主体と対象の関係を花咲かせるとき、人間としての絶対価値の基準が設定されるという意味です。

皆様。花と蝶が相互間に主体と対象の関係を設定し、授受作用を通して存在し繁栄していくように、人間と万物、人間と人間、人間と天の間にも、厳然とした創造原理的関係が予知、予定されているのです。森羅万象の個性真理体が調和と統一の中で成し遂げた総合体である大自然は、人間に対して絶対対象の位置に立ち、主体である人間の絶対価値を実体化させる絶対役割を果たすようになります。

同様に、人間は、人間たちの間においても、家庭という基本枠の中で三代圏を形成して暮らしながら、上下、左右、前後の縦的、横的関係を学び、身につけるようになります。個々人全員、個性真理体としての絶対価値を実体化する主体と対象の関係による授受作用を通し、和合と愛の人生を追求するようになるという意味です。

人間と神様の間はどうでしょうか。創造主として、絶対、唯一、不変、永遠の位置をもっていらっしゃる神様も、知ってみれば、御自身が立てた創造原理圏内で被造万物と授受作用を継続しながら、主体的立場に立っていらっしゃるのです。いくら絶対者だとしても、対象と与え合う授受の関係を離れては、喜びを感じることはできないからです。

人類の最初の先祖であるアダムとエバが、もし堕落せずに、創造原理に従って人間完成、すなわち人格完成を成し遂げていたならば、人類は、絶対価値的存在の位置に立ち、上には神様を主体として迎えて絶対服従し、下には自然界の万物を対象として、永遠の平和王国を享受するようになっていたでしょう。地上界だけでなく、霊界でも永遠の天国市民として生きるようになっていたでしょう。

そうだとすれば、全知全能であられ、不可能はない神様の子女として創造された人間、なぜそのように無知の状態に落ちてしまったのでしょうか。人類の先祖アダムとエバが、天使長の偽りの愛に誘惑されて堕落の道へと陥ってしまったからです。この事件こそ、人類歴史上、最初の悲劇であり、最も恨めしく、悲しい恥辱となってしまったのです。

したがって、遠大な創造理想をもって御自身の子女であり、真の愛の絶対的相対として創造した人間を捨てることのできない神様は、長久の歴史の中で、悲壮、凄絶な恨の心情で耐えてこられました。誰も知ることのできない歴史の裏道で、囹圄(牢獄)暮らしをして耐えてこられた人類の永遠の真の父母であられるのです。

人間は今まで、歴史を通して、絶えず人間を中心とする平和運動ばかりを展開してきました。その良い例が民主と共産の対決です。個人の権益と自由をどれくらいより認定し、保障するのか、その程度の差だけであって、民主主義も共産主義も、すべて父母を失った子女たちがカインとアベルに分かれて争う、兄弟間の紛争の範疇を抜け出すことができませんでした。

人類は、誰彼を問わず、例外なくサタンの血統を受けて生まれたサタンの子女たちです。皆様自身のことを一度考えてみてください。日常生活の中でも、時々刻々、あらゆることにおいて善と悪が皆様の内部で主導権の争奪戦を展開しているではないですか。したがって、このような不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してしまったのです。

世界平和実現の華やかな夢を抱いて出発した国連が、今日その生まれながらにしてもつ限界点にぶつかり、人類にこれ以上希望を与えることができずにいることも、正にこのような理由のためです。一言で言えば、天が直接運行し、歴史を摂理できる時を迎えられなかったということです。

皆様。しかし、今では、時が変わりました。過去八十年以上の歳月を捧げ、ただ天の道だけを歩んで勝利したレバレンド・ムーンの勝利的基台の上に、ついに後天開闢の時代が宣布されたのです。罪悪と足かせの沼で苦しんでいた人類を解放、釈放させ、自由と幸福の世界である創造本然の理想世界を創建する天運の時が、私たちと共にあるのです。天がレバレンド・ムーンに人類の真の父母としての印を押され、新時代を開いてくださったことには、いくつかの明確な理由があります。

第一に、ために生きる人生、すなわち真の愛の人生の価値を実践して勝利し、人類に伝授してあげたその勝利的基台のためです。人間は、誰もがために生きるように生まれました。しかし、堕落による無知のために、正反対の道である利己的個人主義に陥ってしまったのです。歴史上、初めてこのような天の秘密を明らかにし、人類を教育してきたレバレンド・ムーンの波瀾万丈の人生を、神様はよく御存じでいらっしゃいます。

第二に、私は、一生を捧げて万難を克服し、勝利的基台を立てたのであり、真の愛の実践教育を通して、神様と人間が父子間の関係を再び回復し、確立できるすべての条件を充足させたのです。愛の怨讐である姦夫サタンの子女となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の奴隷となって生きていた人類に、真の愛の根源であられる神様の真の血統に復活、重生される道を開いてあげました。真の愛の人生を通して個人完成を実現し、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界を立てる道を完全に開いてあげたのです。

皆様。私たちが世の中を生きていってみれば、たくさんの縁と関係が、必然的に私たちの人生に影響を及ぼすようになることを発見します。ところが、大部分の関係は、人間の恣意による選択権の中で結ばれるようになります。皆様が置かれた環境条件の中で、必要によって結ばれる関係だというのです。このような関係は、後天的な関係であり、人間の努力いかんによって、いつでも変えたり、なくしたりできる人倫的次元の関係にすぎません。

しかし、生まれる時から天が賦与してくださった天倫は、私たちの選択権の外にある原初的関係であり、宿命的関係です。血縁だからです。父母や兄弟を、嫌いだからといって取り替え、選挙で選ぶことができないのも、それが血縁的関係だからです。一度、金氏の家門の子女として生まれれば、永遠に金氏の家門の血統をもって生きるようになるのです。

ところが、今も人類が罪悪の落とし穴から抜け出すことができずにいる理由は何でしょうか。最初からサタンの偽りの血統を受けて生まれたからなのです。摂理的なみ旨と目的を中心として天が授けてくださった本然的で、原理的な血縁ではなく、人間の失敗によって引き起こされた後天的で、非原理的な関係だという意味です。

言い換えれば、堕落して父母を失ってしまった孤児の立場になったとしても、天が下さった父母と子女の根本関係がなくなったわけではないのですが、堕落によって無知な植物人間となり、父母が厳然として生きていらっしゃるのに、気づくことができずに生きる、目の見えない人生になってしまったというのです。

したがって、堕落の血統を所有している人間は、誰彼を問わず、例外なく血統転換を経て再び生まれなければなりません。その道だけが、神様が下さった創造本然の血縁に還元する唯一の道だからです。

血統転換をして人類を再び神様の子女として探し立てる最上の方法は、交叉祝福結婚です。交叉祝福結婚は、人種、文化、国境、宗教の壁を跳び越え、すなわちすべての怨讐関係の鎖を断ち切り、新しい次元の天的血統を創造する革命的役事です。神様が、この現象世界を摂理されるために、実体をまとって顕現された平和の王、真の父母を通して再創造される神聖な血統転換の儀式なのです。

愛する平和大使の代表指導者の皆様。皆様も一度胸に手を置いて静かに考えてみてください。今日、私たちが身を置いているこの戦争と反目の世の中を、何か他の方法で救うことができるでしょうか。怨讐の家門、さらには怨讐の国とも、交叉祝福結婚を通して、憎みたくても憎めない一つの家族になること以外に確実な方法がどこにあるでしょうか。皆様は、後天時代を導いていく世界百二十万の平和大使を代表する指導者の位置に立っていらっしゃいます。今後、人類の平和と幸福に責任をもち、「平和王国警察」と「平和王国軍」の使命を完遂しなければならない天の密使なので、四大聖人はもちろん、数十、数百代にわたる皆様の先祖たちまでが総動員され、皆様の一挙手一投足を見守っています。

したがって、皆様の使命は、今、火を見るよりも明らかになりました。まずは、皆様の親族と知人たちに、後天開闢の時代、すなわち天一国創建の時が来たことを周知させなければなりません。天がこの時代に、真の父母様を中心として全世界的次元で展開していらっしゃる摂理的内容を、教育すべき責任が皆様にあるという意味です。

さらには、交叉祝福結婚こそ、この地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることを、はっきりと教えてあげなければなりません。そして、皆様の家門と氏族、そしてこの韓民族が、みな共に交叉祝福結婚の神聖な隊列に進み出なければなりません。

皆様。歴史上、空前絶後のこの後天開闢の貴い時代を、肉身を土台とする五感にばかり頼って暮らしている皆様の目では直接感知できないことが、本当に残念に思います。一日も早く霊的な五感も開き、天の摂理が今この時代にどのように成し遂げられていっているのかを、はっきりと認知して生きていける皆様となることを願います。皆様の立場から見れば、代価なく受けたこの天運の時ですが、絶対的基準で設定した摂理的プログラムは、ただ皆様を待ってくれるばかりではないという点を肝に銘じてください。

倍達民族(韓民族のこと)の精神を保全し、白衣民族の気概を守ってきたこの韓民族の平和大使の代表でいらっしゃる皆様は、今一つに団結すべき時が来ました。これ以上無駄にする時間はありません。金氏ならどうで、朴氏ならどうだというのですか。慶尚道と全羅道が一つになれない理由がどこにあるのですか。民団と朝鮮総連も、みな同じ韓半島に根を置いています。韓国と北朝鮮はどうですか。同じ一つの血統を分かち合った兄弟姉妹の関係ではないですか。私たちは、白衣民族の子孫であり、弘益人間の崇高な志を立てて準備させた天孫であり、後天開闢時代に平和王国創建の先鋒に立てるために、天が選び立てた選民の血族であることを肝に銘じるべき時です。

私たち全員の究極的な目標は、神様を中心にお迎えして生きる「神の国」と「神の義」を探し立てることです。「神の国」とは、どのような国でしょうか。三代が調和し、お互いに信じ、尊敬し、頼り、愛で一つになって暮らす真の家庭と同じ姿の平和理想王国を意味するのです。すなわち神様主権の国が、正に「神の国」だというのです。

そうであれば、「神の義」は何に対して語られたみ言でしょうか。天道と天理を意味するのです。あらゆる権謀術数が支配しているこの邪悪な世界を、天的真の愛の権勢によって審判し、正義と真理に基づく解放、釈放の、真の愛と平和の理想世界を創建せよという至上命令です。人類は、いずれ一つの家族になります。現代科学の目覚ましい発展も、一つの地球村家族を編成していくことを大きく後押ししています。白人と黒人が、東洋と西洋が、みな一つの家族として交わって調和し、美しい平和理想王国をこの地球星に創建するようになります。

そのような次元で、私が創設した「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」の役割が、より際立つようになります。「天宙平和連合」は、今既存の国連のアベル的位置に立ち、民族的で国粋的な国連代表部の角逐の場ではなく、汎世界的で超世界的な天宙的次元で、人類の平和と福祉のために崇高な革命を遂行していくでしょう。外的で、形式的なスローガンに縛られる国連ではなく、より根本的で実質的な次元で、人類のためのメシヤ的使命を果たすようになるでしょう。

平和を愛する平和大使の指導者の皆様。世界人口の七四パーセントを占めている蒙古斑同族は、世界で最も大きな単一同族体です。五十億に近いこれらの人々を糾合し、この地球星に真の愛の台風を起こさなければなりません。

皆様とレバレンド・ムーンは、同じ韓半島で生まれ、同じ文化圏を享有しています。皆様は、私の教えである真の愛、真の生命、真の血統を通じた真の家庭完成の真理を伝播し、教育する平和大使であり、天の密使です。平和大使となった皆様は、今から天の真理をもって、死の道も恐れない預言者的な信念と誇りで走らなければなりません。天の密使となって走られる皆様の永生は、天が必ず責任をもってくださるでしょう。

皆様。私たち全員が共有している蒙古斑は、単にモンゴリアンを表示するために生じた生理的な斑ではありません。後天開闢の時代が訪れるとき、真の父母様を中心として全人類を糾合し、統一する求心点とするために、いち早く天が下さった東夷族の印です。さらには、蒙古斑同族の中心軸の位置に立っている韓民族は、六十五億の人類の先頭に立ち、真の父母様の伝統を伝授する代身者としての使命を果たさなければならない選民です。神様が太初に人間を創造され、願われた創造本然の平和理想世界創建が、皆様の目前で、今実現されつつあることを忘れないでください。これが正に奇跡でなくて何でしょうか。

世界の至る所に、交叉祝福結婚家庭が天の真の愛の根を下ろしています。新しい天の血統が実を結んでいます。この美しい地球星を本然のエデンの園に育て、人類は今から永遠の平和と幸福を謳歌し、子々孫々、天一国のハレルヤを心ゆくまで叫ぶ日が近づいています。

皆様と皆様の家庭、そしてこの韓民族の上に、神様の大いなる祝福と恩寵が共にあることを願います。ありがとうございました。

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第十篇 1 真の父母様の再現と理想的家庭

第十篇 1

真の父母様の再現と理想的家庭

日付:一九九二年七月七日

場所:韓国、釜山、社環体育館

行事:「世界平和女性連合」指導者大会

韓鶴子総裁、御来賓、そして満場の女性指導者の皆様。きょう私は、韓総裁の話を通じて大いに慰労を受けました。天命に従い一筋の道を走ってきた私の生涯は、波瀾万丈の苦難の道でした。

人類の根本問題に対する解答

天道を立てる道は、妥協のないまっすぐな道です。人間的な面目や人間的な威信を主張できない道であり、ひたすら神様のみ旨だけのために歩む孤独な道でした。個人に運というものがあるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらには世界の運があります。そして天地全体には天運というものがあります。しかし、どんなに良い運勢をもって生まれた人であっても、気運が傾く時は苦難を受けるのです。良い個人運や家庭運に生まれついた人であっても、より大きな国運が傾く時は、共に没落せざるを得ません。

さらには、国家や世界の方向も、すべてを包括し、あらゆるものの上にある天運の方向と進行によって決まるのです。ですから、この世で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合わせるようにすることなのです。

今日、韓国の国家的病弊や世界の問題を考えてみてください。経済不況、環境汚染、政治的な不条理、人種と宗教の紛争、倫理と道徳の退廃、価値観の崩壊など、様々な病弊や問題に対して、いったい誰が根本的に解決できるのでしょうか。人間の知恵や努力だけではできません。お金の力や権力を総動員しても解決できません。むしろ、人類の病弊はますます深まる一方なのです。

今や人間は、謙虚に天の声に耳を傾け、神様が提示される解決の道を探さなければなりません。この国と人類は、私の教えを受け入れなければなりません。これは自分自らを誇ろうとしているのではなく、神様のみ旨がそのようになっているからです。神様は私を通して天道を明かしてこられ、また人類の根本問題に対する解答を与えてくださいました。

苦難と逆境の中で築き上げた驚くべき基盤

これまで、私に対する歴代政権による無理解と迫害は、私に無念の牢獄生活を強いてきました。また一部のキリスト教徒たちの偏見と悪意に満ちた反対は、様々なうわさをつくりあげ、私の行く道を実に困難なものにしました。しかし、神様の守りがあり、私は世界的に奇跡的な勝利の基盤を築き上げてきました。これは、歴史始まって以来、前例のない驚くべき基盤なのです。特に、全世界のキリスト教を代表した国として準備されたアメリカでは、かつて有色人種の誰もがもち得なかった記録的な基盤を私はもっています。もちろん私はアメリカにおいて、人種差別や宗教的な偏見によって多くの苦難を受け、無念の監獄生活までも耐え抜かなければなりませんでした。

しかし、私は、根底から揺れるキリスト教の基盤を再建し、麻薬や不倫で重病を患っている青少年たちを「アメリカの希望」になるよう教育し、訓練しました。アメリカにおいて、私の基盤は誰も無視できなくなりました。日本やヨーロッパにおいても同様です。既に、世界百六十ヵ国の宣教部は、それぞれの国において、信仰運動とともに、倫理と道徳の再建運動の表象となって発展しています。

私は一九八〇年代の初めから、「ソ連帝国の滅亡」をテーマとして、世界的な学術会議を開くように提案してきました。一九八五年に発行された学術研究誌は、ソ連共産帝国の滅亡を最初に予言した世界的な資料となりました。そのような基盤の上で、ソ連を訪問してゴルバチョフ大統領と会いましたが、今はソ連の十五共和国のうち三共和国が統一教会を国教にしようという動きを見せています。既に数万人の大学生たちが私の思想を学び、七百以上の大学で原理研究会という統一教会の大学生の集まりが組織されました。また、高校の教師と生徒の数万人が、今年に入って修練を受けています。

このようなことは、人間の力だけでできた結果でしょうか。これこそが、生きて働かれる神様のみ業が共にあった生きた証なのです。徹底した無神論者たちが、四泊五日の修練教育を通して、神様を中心とした人生観と宇宙観をもつ人格者へと変わっていく奇跡が起こっているのです。

中国においても大きな基盤を築きました。パンダ工業都市の建設など、重要な事業が数十年前から準備されてきており、私たちのたくさんの地下宣教師たちが苦労してきました。また、昨年(一九九一年)十一月三十日、平壌を訪問し、金日成主席と会ったのも、すべて天命によるものなのです。

今まで南北統一のために尽くした私の精誠は、神様のみが御存じであられます。南北統一は、可視的な韓国と北朝鮮の統一だけではなく、神様が中心となられた摂理的な統一です。南北統一は私の基盤を通さずしては成就されません。摂理が要求する統一は、統一自体が目的ではなく、その統一の基盤の上に永遠の自由と平和と幸福と理想を花咲かせるためなのです。

ですから、力による統一や相手を不幸にする統一であってはいけません。相手のために与えては、また与える真の愛による統一でなければなりません。祖国統一は、一個人や一政党、あるいは政権の利益のために利用されてはなりません。私たちすべての愛の心と実践が、北の地の同胞たちの心に届く時に、真の統一が訪れるでしょう。

世界平和を実現するために創設された「世界平和宗教連合」

女性指導者の皆様。私はために生きる神様の真の愛を中心として、今日まで超教派、超宗派の和合運動を世界的に展開してきました。宗教団体間の和解や交流なくして、どうして世界平和が訪れるというのでしょうか。今も中東、アイルランド、インドなどの地では、凄惨極まりない宗教紛争が繰り広げられているではありませんか。

私は昨年八月二十七日、世界のあらゆる宗教の最高指導者たちを集めて「世界平和宗教連合」を創設し、宗教者たちが和合と協力によって世界平和を実現することに合意しました。実に貴い組織です。宗教は、それぞれの個別性も重要ですが、それに劣らず、互いに共通点も多く、絶対者を追求する同じ目的をもっています。すべての宗教は、神様がその全体摂理の目的のもとにお立てになったということが重要なのです。ですから、お互いに和合しなければなりません。

神様の救援摂理は原状を回復する復帰摂理

韓総裁がその基調講演でも触れたように、キリスト教では「人間が善悪を知る木の実を取って食べて堕落した。すなわち不信の罪を犯して堕落した」と教えています。人間始祖は、堕落していなければ、神様の貴い息子、娘、すなわち神様の王子、王女として、神様の血統を受け継いでいたのです。また、彼らは父なる神様の所有、つまり万有も相続するようになっていたのです。そして、彼らは成長して、理想的な愛の夫婦となり、完成するようになっていました。しかし、彼らは堕落することによって、神様の血統を喪失し、神様の所有を奪われ、神様の心情を失ってしまいました。

神様の救いの摂理は、原状へと回復する復帰摂理なので、人間は血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰の使命を担当しなければなりません。結果的に、堕落することによってサタンと一体になったアダムとエバが、サタンに従って地獄に行くようになったのです。エバのあとには長子カインが、そのあとには次子アベルがついて行くのです。

神様の復帰摂理は、あとに出発した善側の象徴である次子を立てて、先に出発した悪側の象徴である長子を屈服させることにより、サタンを分立する条件を立てながら進めてきました。復帰摂理の根本は、血統と所有と心情を転換する、復帰されたアダム、すなわちメシヤを送るところにあります。しかし、本然の息子の心情的な立場を一遍に復帰することはできません。

僕の僕の立場から出発して、一つ一つ復帰していかなければなりません。サタンが権勢を握っているこの世においては、善側のアベルが、僕の僕の立場から真の愛でカインのために生きることにより、サタンが讒訴することができず、かえって称賛し、公認せざるを得なくなるようにする、そのような使命を果たさなければなりませんでした。

そのようにして、僕の使命、養子の使命、庶子の使命、直系子女の使命を果たして、愛と情の秩序に従って復帰されて上がっていくのです。あらゆる段階ごとに、サタンが讒訴できないように、真の愛でカインのために生きてこそ復帰が可能なのです。

直系の子女の立場でアベルがカインを屈服させて一つになれば、その基台の上に母のエバが立つことができ、そのエバが責任を果たせば、アダムが立つことができるのです。この時初めて神様がその基台の上に臨在できるのです。そこに、縦的で必然的な復帰摂理の八段階の過程があるのです。別の面から、復帰の段階を横的に見ると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、そして神様に至るまで八段階があります。

「頭翼思想」と「神主義」

イエス様は第二のアダムであるメシヤとして来られたのですが、不幸にも、選民イスラエルがイエス様のことが分からず、十字架上で亡くなるようにしてしまったのです。再び来られる再臨主は、聖書の文字どおりに空中から雲に乗って来られるのではありません。今年(一九九二年)の十月二十八日に、信じる者は空中に引き上げられるなどと宣伝する人たちもいますかそのようなことは起きません。私の言うことを信じてくたさい。絶対にそのようなことは起きません。十字架で行かれた主なので、十字架を通してこそ再び来られるのです。

イエス様が十字架で亡くなられる際に、十字架を中心として三種類の人々がいました。罪人ですが罪を悔い改めてイエス様のことを証した右の強盗がその一番目です。二番目は、罪人でありながらその罪を悔い改めずにイエス様を誹謗した左の強盗です。そして三番目がバラバです。彼は当然十字架につけられて死ぬべき罪人だったにもかかわらず、ユダヤ人たちがイエス様を十字架につけて処刑したことによって、代わりに恩赦の恵沢にあずかった罪人です。

再臨の時には、この三種類の人類が世界的に拡大して現れるのです。西欧のキリスト教圏は、一番目の右の強盗の立場です。原罪はあるものの、主を信じる善なる立場です。無神唯物思想の共産圏は、二番目の左の強盗の立場です。中東のイスラーム圏は、三番目のバラバの立場です。バラバは、イスラエル民族がイエス様を十字架で殺害することにより、代わりに命拾いをした立場で中東地域を占有するようになったのです。

イエス様が十字架で亡くなることによって生じたこの三種類の世界的な結実を、イエス様が復活した立場で来られる再臨主は、すべてを収拾しなければなりません。西欧キリスト教の収拾のために新しい宗教改革運動を起こし、その一方では共産主義の無神論思想を克服して、共産圏の全体を神様の側に取り戻さなければなりません。そのように左翼と右翼を克服し、統一調和させる思想が、すなわち私の提唱した「頭翼思想」と「神主義」なのです。

先ほどお話ししたように、既に「頭翼思想」によって左翼と右翼の世界を収拾しているのです。また、閉鎖的で熱狂的なイスラームとも、歴史始まって以来初めて和解し、協力し合えるようになり、去る四月には、中東の八ヵ国の代表が統一教会の合同結婚式にも参加するという奇跡が起きたのです。堕落人間の罪悪を清算する祝福式を主催し、左右両陣営を収拾して、歴史的な葛藤を解消し、さらにイスラーム圏とも和解する奇跡を遂げたのです。

再臨主、救世主、真の父母であることを宣言

これは人間の能力や計画だけでできるものではありません。神様が私をメシヤとして立てられ、これまで救世の摂理をしてこられました。私は再臨主、救世主、真の父母として、その使命を果たしてきたのです。時が来たので、このことをこの場で宣言する次第です。

聞く者は幸いです。この民族が私の言うことを聞けば、この国はどんなに幸いな立場になるでしょうか。為政者たちが私の話を聞けば、どれほどよいでしょうか。聞くか聞かないかは各自の責任ですが、結局は、万民が私の言うことを聞くようになる時が来るのです。多くの人々は、救世主は審判の権能をもっている栄光の主であると思っています。しかし、それは間違いです。神様はこの罪悪世界を御覧になりたいとは思いません。一瞬で審判してしまいたいとも思われるのです。しかし、真の愛の神様は、人間の永遠の生命を常に御心配されます。皆様は、このように長い間耐え忍びながら、真の愛によって自然屈伏させる神様の心情を知らなければなりません。

堕落した人間からすれば救世主ですが、神様からすれば、太初に失ってしまった真の愛の創造理想を成就する真の息子であり、真の父母です。救世主は、堕落によってもたらされた神様の恨を晴らしてさしあげるために、生涯を捧げて犠牲の道を開拓してこられた方です。栄光の中にのみいらっしゃる方ではありません。常に神様の心情と共に痛哭し、サタンを屈服させるために心を痛められる方です。神様の創造目的を成し遂げるために心血を注ぎ、気をもんでいらっしゃいます。救世主は、失った子女を尋ね求めて、サタン世界をさまよいつつ、僕の僕の姿で泣き叫ばれる神様のことを誰よりもよく知っているので、神様の心情が完全に解怨されない限り、栄光を受けることができないのです。

真の愛で真の家庭理想を完成

「世界平和女性連合」の指導者の皆様。皆様は、連日の大会で疲れもあり、「十日ほどしかたっていないのにまた大会をするのか」と口から不平も出るでしょう。しかし、私と共に毎日精誠を尽くせば、神様の善なるみ旨が成し遂げられるのです。

私は皆様を利用するつもりはありません。むしろ皆様にとって私が必要でしょう。韓総裁と一体になり、その分身のようになって、皆様の家庭から子女を正しく教育し、夫を正しく導かなければなりません。そうして、皆様一人一人が真の愛の理想のもとに、神様の祝福を受けることを願います。私の最大の関心事は、皆様の各家庭が真の愛で一つになって真の家庭理想を完成することです。

「世界平和女性連合」の市、郡、面、里、そして洞、統の指導者である皆様によって、道義が再建され、真の愛の実践運動が展開されるならば、それ以上の愛国運動がどこにあるというのでしょうか。麻薬追放、禁酒禁煙運動、売春街の撤廃、指導者たちの不道徳の一掃、青少年の脱線防止、正しい道義を展開する運動など、私たちのやるべきことは山ほどあります。

韓国の社会が、女性指導者の皆様によって浄化され、真の愛により和平を成し遂げた時に、初めて南北統一の民族的宿願も成就するのです。そればかりでなく、私たちの民族が世界を指導する平和な世界が形成されるでしょう。

効果的な女性連合運動にするためには

女性指導者の皆様。私は今日まで、自分が実践していないことを弟子たちに指示したことはありません。ですから、皆様は、私が精誠を尽くした分の百分の一でも真の愛を実践して、救国の大きな運動を起こしてくださるようにお願いします。最も効果的な女性連合運動の単位は面と洞、そして里と統です。このような基本単位から、真の愛の運動が班を越えて家庭にまで定着するようになるのです。このようにして、本来の堕落しなかった本郷に帰ってきて、神様と分立された家庭を取り戻し、永遠に定着するようになるのです。

今日まで神様は多くの御苦労をしてこられました。完成したアダムを育てるために、ありとあらゆる御苦労をしてこられました。そのようにして真の父が生まれ、真の天の男性が生まれたのです。サタン世界は、この男性が真の新郎、主人、地上・天上天国の王として来られる方であることを知っています。ですから、全世界の男性たちは、世界を代表した個人、家庭、国家、世界、天宙を合わせて、その方を滅ぼそうとするのです。

しかし、その方は、サタンが浴びせる迫害と謀略、中傷を歴史的に受ける立場から、世界的個人、家庭、国家、世界、天宙的勝利を収めて神様と一体になり、歴史上初めての勝利者となって、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してくるようになったのです。

真の父のあとに従ってくる立場にいた真の母が、歴史上初めて対等な立場に立てられて、全世界に女性解放を宣布しました。それによって、真の父と真の母が子女を率いて神様のみ前に出て、天の全体、全権、全能を相続して本然の家庭を出発し、氏族と民族、国家、世界天宙を取り戻して、み旨が完成した世界を再編成するのです。すべての男性は天使長の立場にいるので、すべての女性を返さなければならない立場に立つようになったのです。完成したエバである真の母の分身の立場に立った女性は、分身的エバの立場で真の母と一体になった条件で真の父と一体になった条件を得ることによって、真の父母の思想で息子、娘を教育しなければなりません。

真の父母の家庭と一体になって創造理想の家庭を復帰しよう

このような教育を通して、息子、娘が真の息子、娘格の立場で母と子が一体になり、世の中の父を再教育し、再び真の父母の祝福を受けて接ぎ木する立場で、真の父母の家庭的道理を体得するようになるのです。アダムとエバが家庭において堕落したので、復帰も家庭でしなければなりません。

里、統、班を越えて家庭に定着しなければならないので、家庭で真の父母様と出会わなければなりません。真の父母様は個人の峠、国家の峠、世界の峠、天宙の峠を勝利して越え、再び私たちの家庭を救うために、天宙から世界、国家、家庭へと訪ねてこられるのです。そのために準備したのが今回の大会です。去る四月十日の大会は、真の父母様の世界大会であり、国家単位である道、市、郡大会を経て、面、里、統、班大会を経て、家庭にまで至らなければならないという目的があります。

「世界平和女性連合」の組織の責任者は、真の父母様の家庭と一体になることで、家庭復帰が可能となり、勝利者となるのです。そうして、氏族を連結させなければなりません。既に真の父母が全国と世界に氏族的メシヤを配置したので、彼らによって教育を受けて一体になれば、国家復帰も自然に成就するのです。

このようにして、南北統一はもちろん、世界統一と地上と天上の統一を完成し、神様も解放されて、初めて神様を中心とした太平聖代を迎えるようになるのです。真の母と全世界の女性が一つになって新婦の立場に立ち、新郎として来られた真の父と共に創造理想的な家庭を復帰しましょう。ぜひ「世界平和家庭連合」の会員となり、祝福を受ける家庭となることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 2 真の父母と成約時代

第十篇 2

真の父母と成約時代

日付:一九九三年七月二十八日

場所:アメリカ、国会議事堂

行事:アメリカ議会招請講演(真のお母様)

敬愛する上下院議員、ならびに尊敬する紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださったことに、深い感謝の意を表す次第です。皆様はこの偉大な国家の指導者として、アメリカと世界を、やがて来る千年王国へと導く責任を担っています。平和と繁栄の未来に対する約束は、きょう私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。

御存じのように、今日のこの世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちた世界です。私たちは、家庭破壊や社会における道徳的退廃の問題などに直面しています。私たちは、このような問題に関して、幾度となく論議してきましたが、その解決策はいまだに見つかっていません。それはなぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、現象的な面だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするためには、神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に処している事実を知らなければなりません。

神様の創造理想と偽りの歴史の出発

神様は、真の愛を体恤するために、この世をお造りになりました。神様は、アダムとエバとして知られている人類始祖を創造されました。彼らは、真の愛によって自分自身が完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統をもつ完全な家庭を築かなければなりませんでした。アダムの家庭で神様の真の愛の理想が実現されていれば、メシヤが必要ない世界になっていたはずでした。初めて完成した彼らの家庭が、すべての家庭の標本となり、その家庭が氏族、国家、世界へと拡大したのです。そうなれば、その世界は真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたでしょう。

ところが、不幸なことに、このような神様の理想は実現されませんでした。聖書の教えによれば、人間の堕落によって、アダムの家庭全体を失ってしまいました。第一に、アダムとエバが、サタンを中心とした自己中心的な偽りの愛で偽りの父母になることによって、真の父母の位置を喪失しました。第二に、カインがアベルを殺害することによって、真の子女の位置を喪失しました。

その最初の家庭が自己を中心として愛することにより、彼らは善よりも悪を繁殖するようになったのであり、偽りの生命と血統を子孫に相続して、偽りの世界をつくり上げました。ですから、神様の救援摂理歴史が始まったのです。神様は、御自身の真の愛を中心とした真の父母を復帰するために、アダムとエバに代わる一人の男性と一人の女性が必要でした。そうしてこそ、神様の本来の計画に従って真の家庭が形成されるのです。

本然の家庭を復帰するために、神様は、カインとアベルが一つになるようにして、真の子女の位置を先に取り戻し、それから、真の母と真の父の位置を取り戻すというように、人間が堕落するようになった経路とは反対の経路で役事(働き)されます。真の父母を復帰するための基台として、カインとアベルを和解させることが復帰歴史の全路程を通して続いてきた神様の公式でした。堕落によってもたらされた憎悪を取り除こうと、神様は人間始祖の堕落後、二人の兄弟を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立たせる役事をしてこられました。

神様の戦略は、カインに打たれたアベルがそれを耐え忍ぶことによって、カインを抱き、失った祝福を取り戻すことでした。そうすることによって、神側はサタン側に勝利し、神様の位置を復帰してきました。この公式に従って、神側の男性と女性は、大きな苦痛を受けてきたのであり、神様の摂理上、前面に立った宗教は、サタン側から最も過酷な迫害を受けてきたのです。

最初の家庭の侵犯と復帰路程

紳士淑女の皆様。このように自己中心的な不貞の愛のために、人類初の家庭は侵犯を受けるようになり、利己主義と貪欲の歴史が続いてきたのです。神様の復帰歴史は、個人次元から始まります。サタンもまた、それを知っているので、個人次元からその努力を集中して反対します。これこそが、この「終わりの日」に、自己中心的個人主義が人々の生き方を支配する理由です。

人々は、周囲の人から次第に疎遠になるのを感じるようになり、国家や社会、さらには家族に対する責任感さえも、さほど感じなくなっていきます。増加する離婚率の統計は、結婚に対しても責任感をほとんど感じていないことを意味しています。すなわち、父母は自分の子女に対して責任をもとうとせず、人間の尊厳性に対する感覚を全くもち合わせていない人たちは、自分自身に対する責任さえも取ろうとしません。

一九六〇年代、理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求するために、周辺に蔓延する物質主義を排斥しました。しかし、その過程で、彼らは道徳性と責任感まで捨ててしまいました。その結果として今日の社会は、麻薬と不倫、犯罪、そして自殺などにより苦痛を受けています。これらの中で、神様が最も胸を痛められているのは、フリーセックスによる性的な愛の誤用です。

愛とは、純粋な感情の刺激から誘発されます。しかし、フリーセックスは、純潔や真の情緒を破壊します。私たちは、不倫や離婚という犯罪にどれだけ多く接してきたでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。性的に虐待を受ける幼い子女たちは、どんな悪夢にうなされているでしょうか。

エイズの犠牲となった死亡者数が日ごとに増加していく中、学校では妊娠の危険性のない安全な性生活を教え、婚前性交は避けられないと言って学生たちにコンドームを配っているのが現状です。乱婚に寛大な社会は、神様のみ旨とは絶対的に相反する所です。

一方、神様のみ旨に従って生きる人たちは、先ほどお話しした例とは一八〇度異なった人生を生きます。歴史を通して、自己犠牲的で神聖な道を歩んできた人たちは、反対側の世界の人々から、激しい反対と迫害を受けてきました。その一つの例として、統一教会を挙げることができます。統一教会の信徒たちは、純粋で、自己犠牲的に生きようと努力してきました。統一教会は、戦争で引き裂かれ、暗鬱だった韓国で生まれ、世界的なひどい迫害にもかかわらず、わずか三十八年で世界的レベルの宗教運動へと発展し、神様が教え導き、助け続けていらっしゃることを証するに至りました。

紳士淑女の皆様。宗教では、過ったことは、復帰過程を経て回復できると教えています。「統一原理」では、蕩減を払うことによって、過ったものを取り戻す方法について説いています。堕落したエバは、自らの過った行為を正すために、自らに課せられたすべての責任を負わなければなりませんでした。それは、エバが真の父母を復帰するための基台として、まず、子女であるカインとアベルが一つになるようにすることを意味します。

カインは、アベルが神様の代身者として選ばれた人だという事実を悟って、弟と一つにならなければなりません。しかし、カインがアベルを殺害することによって、アダムの家庭を復帰する機会を失ってしまいました。そこで、神様は、堕落したエバの位置を取り戻すことのできる別の女性を待たなければなりませんでした。聖書に出てくる女性の中で重要な一人が、イサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母として、リベカはエバがアダムの家庭で立っていたのと同じ位置にいました。

しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。カインがアベルの命を奪ったように、長子エサウはヤコブが祝福を受けたことを知って、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの協助によって、結局この二人の兄弟は抱き合って和解しました。

この和解は、摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは神様の血統を象徴的に純潔にする意味にすぎませんでした。すなわち、神様の血統の実質的な純粋性は、腹中で取り戻さなければならなかったのです。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にいたことを理解すると、イスラエル選民の血統の中からイエス様がお生まれになった理由を理解することができます。タマルは舅であるユダをだまして、ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、二人の息子が母の腹中から互いに先に生まれようとして闘ったことが記録されています。

タマルが出産で苦しんでいるとき、ゼラの手が母の腹から先に出て、産婆がその手首に赤い糸を結びました。するとゼラの手は再び母の腹中に引っ込み、もともと弟となるはずだったペレズが先に生まれました。このようにして次子が長子の位置を、生まれる前の腹中で復帰したのです。伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。今、私たちが知っているように、神様はイエス様を誕生させるために、サタンから神様の血統を取り戻す役割を果たすように、彼女たちを祝福されたのです。

こうして二千年が過ぎたのちに、聖母マリヤがタマルの勝利圏を相続する立場で現れました。彼女はしかるべき蕩減を払い、アベルを長子の位置に復帰することによって、家庭、氏族、そして国家的次元へと拡大されたカインとアベル的存在を一つにする責任を担っていました。その当時は、正式な結婚以外の方法で子を身ごもった女性は、石で打ち殺すのがならわしとなっていました。マリヤは命の危険を顧みず、神様の召命に応じてイエス様を懐妊しました。

マリヤの信仰とリベカとタマルの役事で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対する主管権を主張できませんでした。ですから、イエス様は、神様の完全な直系の血統をもった真の息子の位置でお生まれになったのです。イエス様が神様の最初の息子として、聖人の中の聖人であられ、神様の真の血統の先祖となられる理由がここにあります。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。

また、マリヤには、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていた、イエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにする責任がありました。多くの人々が洗礼ヨハネに付き従い、彼は多くの人々に尊敬されていました。そのような洗礼ヨハネがイエス様と一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして認めるときに、重要な要因でした。彼らが一つになっていれば、「小羊の婚宴」のための基台が造成されていたのです。そうすれば、イエス様は人類の真の父としての位置を確立し、新婦は人類の真の母となっていたはずでした。さらには、地上天国が建設されていたでしょう。

洗礼ヨハネは、イエス様に洗礼を与えるとき、明らかに啓示を受けたにもかかわらず、イエス様と一つになることができませんでした。洗礼ヨハネの協助なしにユダヤ民族がイエス様を信じ、付き従うことは不可能なことでした。結局、イエス様は独りで、御自身が誰であるかということを宣布する困難な道を歩まれました。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のための霊的救いの道だけでも成就するために、御自身の生命を捧げることを決意されました。しかし、イエス様は、霊的救いと同様に、地上で肉的救いの道を開くために、救世主が再び来られなければならないことを知っていました。

成約時代の開幕とアメリカでの活動

私たちの心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。それで、使徒パウロさえも、肉身の欲求と霊の欲求の葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な聖職者たちも、そのような葛藤ゆえに苦しんできました。成約時代が開かれながら直面した主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを共に成就するかということです。それで再臨主が必要なのです。

神様は、再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で和合できる基台が必要でした。その基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教的連合国はアベル圏であり、国粋的軍国主義の影響下にあった枢軸国はカイン圏です。連合国が勝利した直後、アベル圏の国家は敗戦国を包容し、キリスト教を中心として統一された平和世界を創建するための基台の潮流が形成されました。神様は再臨主を迎える基盤を造成することができたのです。

ところが、このようにすべての準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方は激しい迫害と全世界的とも言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、イスラエルの民が、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨を待ち望んでいたように、キリスト教徒たちは、イエス様が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。

第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒たちに新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、キリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。この宗教指導者たちは、私の夫と一つになるどころか、逆に夫に付き従う人が増えるのを妬みました。彼らは私の夫の話を聞こうともせず、盲目的に反対しました。甚だしくは夫に関するうそや虚偽を広めました。彼らは夫の人格を抹殺しようと、夫の教えとは正反対の淫教であるとか貪欲だとのうわさを広めたのです。悲劇的にも、世の中は神様が選ばれた代表を拒み、その方を荒野へと追い出してしまいました。

第二次世界大戦後、キリスト教が私の夫と一つになることができなかったので、キリスト教の道徳的権威は、驚くほどに失墜しました。アメリカや、キリスト教に基盤を置くその他の国々もまた、文化的、社会的に深刻な危機を迎えていました。そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアべル圏とに分かれました。イエス様の左にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側です。右の強盗のように神様の存在を認める民主主義はアベル側です。

冷戦時代における最初の戦闘は韓国動乱でしたが、その戦争に国連の旗のもとに自由世界十六ヵ国が参加しました。一九八八年のソウル・オリンピック前までは、互いに敵対的だった百六十ヵ国は、平和的に一つの所に集まることができませんでした。結局、一九九一年に世界的次元のカイン側とアベル側を代表する韓国と北朝鮮が国連に同時に加盟することによって、それぞれ百六十番目と百六十一番目の加盟国となったのです。韓国は、神様が真の父母を送った国なので、韓国からこのような多くの調和と和合が達成されるようになるのです。

過去四十年の冷戦の期間中、私の夫は、失ったメシヤを迎えるための基台を再び探し立てるために、すべての障壁を崩す闘争をしました。その期間、人々は私の夫を完全に誤解しました。夫は、神様のみ旨のために、北朝鮮の共産主義下で送った三年の収容所生活をはじめとして、無辜の投獄生活を六度もしました。そればかりかマスメデイアは、「私利私欲のために若者たちを洗脳する残忍な怪物のような存在である」と言って、夫を罵倒してきました。

文鮮明牧師こそ世界で最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える人がいるでしょうか。私の夫が受けてきた苦労を思うと私の胸は張り裂けそうです。しかし、夫はいつも、「神様は、御自身の摂理のために迫害を受けてきた人たちを慰労しておられる」と言って、私を安心させてきました。夫と私は、過去の失敗を復帰するために、蕩減の道を歩んでいます。過去二十年間、私の夫は、二千年前のイスラエルの国とユダヤ教の立場に代わる、韓国と統一教会を中心として、旧約時代を蕩減するために苦労をしてきました。その基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な次元で真の父母の聖婚式を挙行しました。

その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。この国は、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラエルの国と密接な関係にあるため、摂理史において非常に重要な役割を担っています。ですから、その後二十年間、私たちは新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。旧約、新約、成約時代のすべての摂理は真の父母を中心として完結されなければならないことを考えたとき、イスラエルとアメリカと韓国は、神様に選ばれた国だという共通の運命をもっています。ですから、民主世界と自由世界を代表するアメリカは、無神論的共産主義国家である北朝鮮と民主主義とキリスト教が栄えている韓国の統一のために活動しなければなりません。

紳士淑女の皆様。神様が、アメリカ自体のためではなく、世界を救うためにアメリカを祝福されたことを知らなければなりません。アメリカの初期における清教徒たちは、富を求めてアメリカに来たわけではありませんでした。彼らは、この地で神様に侍り、より誠実にキリスト教の信仰を続けるためにアメリカに来ました。アメリカが祝福を受けた目的を想起できなければ、アメリカに対する神様の祝福は中断されるでしょう。

神様は、摂理歴史を導いてきた力が何であるかを、夫と私に悟らせてくださいました。神様が私の夫に啓示してくださった真理は、「統一原理」の中に含まれています。「統一原理」は、摂理史的観点から人類歴史と聖書の内容を考察し、数千年間解けなかった疑問に対する答えを提示しています。

その内容を真剣に研究した人たちは、これこそが、神様の下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面する問題に対する唯一の解決策を提示していることを発見しています。さらには、共産治下の旧ソ連でも、政府指導者と数千人の若者たちが、私たちの教えを学ぶことで、新たな人生を見つけました。結局のところ、彼らは共産主義思想の抑圧から解放され、彼らの国を救う霊的な真理を渇望していたのです。

女性の重要な役割と祝福

敬愛する皆様。第二次世界大戦後、キリスト教の基盤が失われたことによって、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。それで、一九九二年四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。去年、私は真の母の心情で、第二次世界大戦中に、世界的カイン側を代表する国家だったドイツ、日本、イタリアと、世界的アベル側を代表する国家だったアメリカとイギリス、そしてフランスを含む世界の十二ヵ国を巡回しました。

これらの国で、ロシアと中国のときと同じように、私は百万人を超える女性指導者たちに、「共に真の父母を迎える基台を築きましょう」と力説しました。このような基盤の上に、今、夫と私は、最初の真の父母として成約時代の到来を宣布することができました。この場に来られたすべての方が、私たちの導きによって真の父母となることを願います。

各家庭が立ち上がり、全世界の救援摂理を完遂するメシヤ的使命を果たすべき時が来ました。皆様の家庭を復帰したのちには、皆様の社会と氏族と国家を復帰しなければなりません。私たちは、このような使命を果たす人を「氏族的メシヤ」と呼びます。成約時代には、母の役割が非常に重要になるでしょう。母は、子女と夫を一つにし、家族を真の父母に連結させなければなりません。私たちは既に、数千人の氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界的に成し遂げられるでしょう。

すべての完成した家庭で、祖父母は神様と善なる先祖に代わって、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表する王と女王の位置に立つようになります。そして子女は、すべての未来の子孫を代表し、王子と王女の位置に立つようになるのです。これら三代が一つになるとき、過去、現在、未来の三世代が一つの所で調和して暮らすようになるのです。このような理解の基台の上で、最初の真の家庭の出現を皆様にお伝えすることができ、大変光栄に存じます。十三人の子女と二十人の孫をもつ私たち夫婦は、神様と人類のために、私たちの人生を完全に捧げています。この三代は、祖父母が聖書でいう生命の木の中心の根となり、父母はその中心の幹となり、子女はその枝となります。

皆様も、真の家庭と理想国家、そして理想世界を建設するための私たちの努力に協力し、この生命の木に接ぎ木されることを心から願います。成約時代が到来することで、アダムとエバを創造し、再び神様と共に暮らそうとされた、神様の本然の目的を、私たちが完遂するようになるでしょう。このようなことを知って、私たちは、個人的に心と体が一つになり、家庭においては夫と妻が一つになり、父母と子女が一つにならなければなりません。そうすれば、私たちは神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。

一九九二年、私たちは韓国で、神様のため、互いのため、世界のため、自らの人生を捧げることを誓う三万組の合同祝福結婚式の主礼をしました。今日、多くの家庭は、父母が子女を効果的に指導できずにいます。特に、愛や結婚などの私的な問題において、そのようになっています。しかし、私たち夫婦は、世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な方法で、彼らの尊い愛の夢を実現させてあげました。そのように、神様を中心とした家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。

そのような家庭を形成していけば、社会の没落現象はなくなります。確実に神様の子女となった人たちは、これ以上アルコールや麻薬の誘惑の奴隷となることはないでしょう。さらには、夫婦間の愛の神聖さを理解することで、不倫と乱婚に対抗し、強く立ち向かう道徳的な力をもつようになります。最終的にその力が合わされば、戦争、人種の偏見、世界的飢餓を根絶できるのです。このような基盤の上に、私たちは真の幸福と自由と平和を享受する世界を建設できるはずです。

敬愛する皆様。この国の指導者として、皆様は、深い心情で心の扉を大きく開き、このメッセージの意味を御理解してくださることを願います。神様の理想を完遂することによって、すべての人が神様の祝福の場に至ることを心からお祈りします。アメリカに神様の祝福が共にあることを願います!どうもありがとうございました。

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第十篇 3 天地父母統一安着宣布

第十篇 3

天地父母統一安着宣布

日付:二〇〇二年六月二十一日

場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館

この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に御参加された高名な紳士淑女の皆様。愛する祖国の兄弟姉妹の皆様。そして、この歴史的な大会を見守ってくださっている全世界七千万の皆様に心から感謝申し上げます。

私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布の時代を迎えました。六千年間、天と地が何よりも待ち望んできた平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神様の摂理的な内容と神様の心情を完全に知るところから、すべてが解決されるのです。

平和世界はいかにして訪れるのか

今日、人類が平和の世界を語り、一つの世界を語っていますが、まずは私個人から一つになり、平和をつくることが問題です。ですから、そのような実情を知る神様がおられ、心ある人間、偉人がいるとすれば、自分個人を一つにする作業をしようと考えざるを得ないのです。

皆様はよく、「互いに愛し合い、互いに奉仕し、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいく」と言います。「愛しなさい」というのは、「与えよ」ということです。「自分から相手に働きかけよ」ということです。「互いに愛を受けよう」、「愛してほしい」ということではありません。互いに奉仕するようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの立場の磁石が必ずプラスに向かうように、良心の力によって神様を知ることがてきます。

良心の力によって神様に接近すればするほど、何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じることができ、平和の母体となる神様の愛によって、自分の五臓六腑全体が刺激を受け、衝動的な感銘を感じることができる人間になるのです。

「自分は今までこのように生きてきたが、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならない」と考え、気力が足りなければ、ひざまずき、骨が固まって死ぬことがあっても、「私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間に尽くさなければならない」と夜を徹して祈祷しなければなりません。国土を守り、人類が至るべき幸福の基盤を見つめながら生きながらえ、「私が死んだとしても、世界を生かしてほしい」と祈れば、その老人の墓は雑草に覆われたりはしないでしょう。

いくら醜くしわがよっていても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとして現れ、歩く姿が憔悴していても、その道が希望の灯台として輝く座標になると分かるとき、自分の生涯において、悪の友となり、悪の足場を広げてきたこの恨を踏み越えて、「私の生涯に、もう一度だけ善の基盤を加重させて行かなければならない」と切実に願うようになるのです。そのような運命の道があることを知り、休まず急いで行かなければなりません。

そのため、私も今まで生きてきた生涯で、そのような趣旨から六度も投獄の苦難の十字架を背負ったのであり、海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で、異端者だと指弾される時も、反対される時もありました。しかし、私の行く精誠の道理が、皮膚の色が違う民族を通して正統の主流思想であることを知り、天のみ前にひざまずき、天を慕うことに歩調を合わせる道であるならば、私はどこにでも駆けつけるという思いで、一生の間生きてきました。

私たちが天の精兵となって勝利してこそ、神様が永遠に喜ぶと同時に、イエス様と聖霊も永遠に喜び、聖賢たちまで喜ぶ平和の時代が、この地上に到来することを心に銘じなければなりません。それで、個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いまで経るようになるのです。また、神様とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和の時代が訪れるのです。そのような原則的な過程を通して摂理してこられた神様の事情を、皆様は悟らなければなりません。

神様がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和の時代がやって来るのです。神様の悲しい心情の中心を一掃し、解怨する時がやって来ない限り、人類の平和も実現されず、天的な一つの理念もこの地上で結実の時を迎えられないことを、皆様は知らなければなりません。

もし真の人間がいて、人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設する一つの主義と思想をもって現れるとすれば、その人は個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠とその切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。それができないとすれば、人の世には恨のない平和の世界、幸福の世界、自由の園の建設は不可能なのです。

天国創建の時代における永遠の指導者の条件

皆様が宇宙的な天国の理念を代表する存在となり、神様の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開するならば、平和の世界がこの地に建設されるのです。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の子女だけが子女ではないのです。

皆様が、すべての人を自分の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しむ多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめる時も、彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。そのように本当に神様のような皆様になるならば、皆様を中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。

神様は、サタンから先に打たれても、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、命を奪われながら取り戻してくるのです。そのような作戦を取らなければ、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。

皆様は家庭を率い、国と世界のために進まなければなりません。大韓民国において、個人的な時代、家庭的な時代、氏族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家に方向を提示できる案内役を担わなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神様に侍ることができてこそ、霊界と肉界は統一された平和の世界となるのです。

そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天の世界の栄光の表彰を受けるようになるのです。自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流して闘ったとするならば、その人は滅びません。その人が流した血は、死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるからです。そのようにして創建されたその場所こそが、私たちが行かなければならず、とどまらなければならず、残さなければならない基盤なのです。

そして、皆様が天のみ前に「天よ!あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われていたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠にすべての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷するとき、神様が「おお、そうか!」と言える立場で、神様の喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。

神様を中心とした新しいモデルを探すべき

皆様。大韓民国の主人は誰でしょうか。大韓民国を誰よりも愛し、大切にする人です。ですから、皆様が誰よりも大韓民国を大切にし、愛するようになれば、主人になるまいとしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神様が願う平和の時代がやって来るのです。私たちは神様の恨を解いて、神様を解放してあげなければなりません。

そして、神様が自由に万国を統治するに当たって、少しでも差し障りのある障害物があるならば、自分が責任をもってすべてを取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管する堂々たる絶対者として侍るという信念をもった若者がいるならば、その人は実に偉大な若者です。そのような若者によって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。

皆様が、実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、限りない希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の土台になるのです。取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが、互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければなりません。そのような基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱することがなければ、そのような基盤を通して、世界に平和の天国が連結されるのではないでしょうか。

東西南北を中心として、四方に広がって立てれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されなければならないでしょうか。牢獄からつくられなければなりません。牢獄に入って、イエス様のように主管性を復帰した基準と本性的基準の自律的な平和の心情をもって、感謝の歌を歌ったことがありますか。それが問題になるのです。

神様はかつて、使徒たちがそのような立場にいるとき、それを天国化するために牢獄の門を開け、自由に行動できる権限まで賦与したのではないでしょうか。神様は、皆様がかつてのその使徒たち以上に希望と期待をもつ資格を備えることを願っています。終末には、新しい創建の方向を、現世と反対にしなければ生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。それが新しい統一の歴史的な方向性です。第三者を犠牲にしてきた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和は訪れないのです。

私たちは、いかにして十字路を越えるのでしょうか。自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく、国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。それを段階的に、正常に何ら妨げるものがなく行路を通過していくならば、すべての怨讐が待ち受けている十字路は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由化が形成されるようになり、天地に平和の王国、神様の願われる理想世界が実現されるのです。

この世界でも、神様を中心とした新しいモデルを探さなければなりません。家庭での父母が子女を愛する道理が、今日、人倫と道徳の原則になるのではないでしょうか。父母、夫婦、子女の関係を中心とした、統一教会で言う「四位基台」の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を、いかにして決定するかということです。

統一と平和の世界、そして真の愛

世界を掲げて統一と平和を夢見るには、そのような基本問題が残っているので、これを決定しなければ統一世界の到来は不可能です。個人的な男性の形態と女性の形態を中心として、家庭的な形態を形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆様は知らなければなりません。自分が犠牲になり、自分の家庭や国が犠牲になったとしても、国家や世界が良くなる新しい価値観をもって出発できる、そのような思想的な体系があるならば、その思想的な体系を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。

一つが上がれば、別の一つは下がるのであり、一つが下がれば、別の一つは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので、罪悪から脱出できる一つの方向性を備えて勝利の天国を創建する時がやって来るのです。包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、「怨讐を愛しなさい」と語られました。

これまでサタン世界には平等圏がありませんでした。その平等圏をつくる作戦とは何でしょうか。サタン世界で他のために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら、打った人々を屈服させ、恩恵を与えることによって完全な平等圏が生じるのです。怨讐の対決圏を解消する舞台を、このように築いてきたので、ここに初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まります。

天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシヤや、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を負わせ、犠牲を払わせてきたのです。ですから、多くの聖人たちがやって来て、その部分を死で塊めていきました。多くの国々が栄えては滅んでいったのは、その谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等をつくりました。平等とは、平和だということです。

本来、神様の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバが一つになることによって、神様が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う「四位基台」です。この四位基台を完成する基盤を失ったので、いかなる歴史時代を経たとしても、これを設定しない限り、人類の平和やユートピア、理想世界というものを描いてみたところで、何の役にも立たないのです。原則を否定し、原則を離れては、理想郷はあり得ません。

二千年間、ローマ帝国の迫害時代に、形容し難い迫害の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマをのみ込んで余りあったキリスト教が、今日、自由主義のアメリカでは、第二次世界大戦以後の数十年間で、どうしてあんなにも衰えてしまったのか、それが謎です。ユダヤ教が神様を信じ、愛しているのに、なぜヒトラーが六百万人を虐殺したのでしょうか。理解のできない謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったからです。「終わりの日」に、民族を中心として、神様の本然の真の愛と接触点をもたなくなる時は、サタンの餌食として完全に砕けていくのです。

それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのでしょうか。今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知識人たちも語っていますが、世界を指導する人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのでしょうか。経済力と政治力を中心として指導する能力のある人はいくらでもいます。お金がなく、政治体制がなくて、それができないのではありません。神様の理想に通じる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこから初めて平和の起源と私たちの本心が安息できる理想郷が出発するのです。

真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地において、神様の心情に通じる真の愛であれば十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れるとき、大宇宙は私の友となるのであり、そのような真の心情に徹して天下に現れるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。今後、人間世界に理想世界がどのように訪れるか分かりますか。真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は見いだせないのです。

ローマを見てください。アメリカを見てください。アメリカはお金がなくて滅びるのではありません。真の愛の器官の主人が誰なのか、何に由来して創造されたのかを今まで知らなかったのです。サタンのゆえに知らなかったのです。それを明らかにするために、天地のすべての邪悪でよこしまな性の問題で、サタンがめちゃくちゃにしたすべてを一掃するために、真の父母の名をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。

寒帯地方からの風が温帯地方に吹きつけることによって、温帯圏内のすべての木の葉は枯れ落ちるのです。それで冬になって、実まですべて落ちるようになります。しかし、そのような中でも生命をもつ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えます。

解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎えるその時代において、真の生命の種をこの天地に蒔けば、二度と冬を迎えることのない解放の温帯圏に進出するようになるのです。統一教会の思想とぴったり一致します。

自分自身を是正するためには、困難な道を歩まなければなりません。南北を統一するほうが簡単でしょうか、自分の一身を統一するほうが簡単でしょうか。南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、内的な自分自身の統一はできません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現することができません。世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の見込みはいつでも、どこでも見いだすことができるのです。

過去と現在を照らし合わせてみると、結果は必ず一つの目的に向かって進むのです。一つの目的とは統一であり、平和です。一つの平和なのです。二つではありません。しかし、私自体は統一をいつ実現するのでしょうか。私が統一できないのに、統一された世界を管理できるでしょうか。それは理論的に通じません。ですから、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻です。宇宙史的な問題なのです。

アダムの時には国がありませんでした。自分の家庭さえ収拾すればいいのです。家庭さえ正しく立てればいいのです。結局は、良心と肉身の一体と家庭の一体です。夫婦、男女が一つになることが、世界的な問題です。これが一つになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解くならば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体を完成すればよいのです。

この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うからです。男性と女性は二人で闘うようになっています。ですから、世界平和の基地はどこでしょうか。韓国でもなく、日本でもなく、アメリカや世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争するその拠点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。

平和の起源は正に「私」

それでは、どうすれば平和の世界が訪れるのでしょうか。第一の条件は何でしょうか。一つになる起源を見いださなければなりません。それを見いだせなくなるとき、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身が一つになったのかと問うとき、一つになった私を発見できないのです。心と体が闘うでしょう。男性と女性が闘う時、幸福ではあり得ず、平和ではあり得ず、希望はあり得ないのです。

「終わりの日」になればなるほど、心の分野と体の分野とに分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。心と体が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。

統一教会では、神様の内的に統一された真の愛の動機を解き、神様のように真の愛で、よりために生きる論理的な形態を備えているので、思想界や宗教界が追随できない体系として、「終わりの日」において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地になるのです。

神様の、ために生きる真の愛によって神人一体になり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳(和合)を成し遂げ、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対して存続できる人はいません。ですから、みな歓迎するようになっているのです。

それでは今後、世界はどのようになるのでしょうか。今、世界に住んでいる万民は、老若男女を問わず、一つの世界を願っています。その一つの世界は、戦争する一つの世界ではなく、平和で自由な立場での一つの世界です。そこには民族の分裂、あるいは人種間の紛争や文化の違いからくる習慣的な相違による壁のようなものがないのです。

それで世界の万民は、一つの真の愛の文化圏と対応して、自由で平和な一つの国を願っているのです。平和の世界は一つの世界です。平和を目的とした世界に向かう道は、二つあるのではありません。老若男女が願う希望の世界、平和の世界は一つの世界です。しかし、民族を見ても、その中に様々な団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党と与党、そしてありとあらゆる党が現れて、各自が自分たちの道を行こうとするのです。ですから、方向がどれだけたくさんあるでしょうか。そこで問題が生じるのです。

歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を追求しながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりの日に至っては、希望をもってあすにはより次元の高い一つの世界に向かって進む立場で指導できる人がだんだんと少なくなっているのです。

すべての学問を超越し、社会の構成と体制、あるいは慣習を超越して決定しなければならないことは、始まりがどこからかということです。始まりは、真の神様でなければなりません。その神様自体が始まりから過程を経て、神様が人間を創造したとすれば、創造主の理想実現というその目的地まで到達する道を再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかと言えば、平和の世界は一つの世界だからです。人間が進む方向と神様が進む方向との二つの方向があるとすれば、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に結論は、一つの方向にならなければならないのです。

ですから、人間を中心とした世界を打破し、真の神様第一主義の世界を確定しなければ、一つの平和の世界に向かう道を発見できないのです。ですから、心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が、私たちの人生において最も大切な問題です。

心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるのでしょうか。世界でもなく、国でもなく、宗教でもありません。私自身において、心と体が絶対的に統一された平和の基準を確立することが、宗教指導者の目的であり、そのようにならしめることが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義の目的なのです。ですから、皆様がいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、この世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内においては、永遠の神様のような心と体の統一は果たすことができないのです。

神様の真の愛、真の生命、真の血統と平和世界の創建

個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなければ、理想的な宗教や天国といったものは、すべて夢にすぎないのです。神様を中心として真の神様の子女一体圏を見いだすところに統一の起源があるのです。神様は心と体が闘いません。

それでは、人間はどうして心と体が闘うのでしょうか。心身が一つになって、平和の大王である父と息子が一つにならなければなりません。神様の真の愛、真の生命、真の血統が一体になる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子が一つになるところで、真の愛、真の生命、真の血統が一つにならなければならないのです。堕落した私たちは、本然の神様と天の国の理想的な環境圏をはっきりと知らなければなりません。

神様自体とみ旨から見た天国と一体になろうと懸命に努力するところから、父なる神様のようになる道を見いだすことができるのです。そこにおいてのみ、平和の個人、天国と一体になって暮らす、父と子の喜びの平和世界ができるのです。

ですから、今から再臨主である真の父母がこのすべての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体になるようにすることによって、地上・天上天国を完成するのです。霊界に行った聖人、賢人たちを中心としたすべての人々が、この道を共に願っているのですが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一致圏を教えてあげることによって、地上・天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。

愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の皆様。人類の真の父母となるメシヤが再臨するこの時代、韓半島の南北が、銃剣ではなく愛と真理によって統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖賢と先祖たちが降臨し、直接私たちと通じ合って暮らすようになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に幸せな人たちです。

今こそ全人類は、人種と理念、そして国境を超越して、平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくださることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので、参考にしてくださり、全体的な内容は配布された冊子を通して研究してくださるようお願いします。

天も地も、共に永遠の世界で天地父母様に侍り、大家族を形成した天上と地上の天国世界で、真の愛で兄弟となって平和と幸福の中で暮らせるようお祈りいたします。神様の限りない祝福が、皆様の家庭と国家と世界に満ちあふれることを願う次第です。ありかとうございました。

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第十篇 4 再創造の主人

第十篇 4

再創造の主人

日付:二〇〇三年八月十五日

場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館

行事:「二〇〇三世界平和のための頂上会議」

尊敬する元・現職の国家元首、イスラエル圏の指導者および青年学生の指導者、そして紳士淑女の皆様。暗く暗鬱だった先の世紀を跳び越え、新しい夢と希望によって新しい千年紀を祝福してくださった神様に、まず感謝を捧げる次第です。今この瞬間にも、民主と共産の先鋭な対決が続いている、地球上で唯一の国家である大韓民国に皆様を招請し、このような大会を開催したのは、個人的に見れば、この国が私の祖国だからでもありますが、神様の摂理から見れば、この小さな韓半島が人類平和を創出しなければならない二十一世紀の中心国家だからです。

恨の神様を幸福の神様に

私は、きょう「再創造の主人」と題して、神様の摂理に対する皆様の理解を助け、またこれから平和世界を創建しなければならない私たちの使命と責任が、どこにあるのかを明らかにしようと思います。

尊敬する貴賓の皆様。今私たちが身を置いているこの時代は、摂理的大革命時代です。すべての国家と宗教は、これまでのような生活様式を越えて、今から新しい摂理観のとおりに生きなければならない実践的な生活の内容があることを知らなければなりません。この地上界だけではなく、霊界、すなわち私たちが肉身を脱いだのちに入っていって暮らさなければならない死後の世界も同じです。

私が新たに任命した平和大使の数は、全世界的に既に数万人に達しています。新しく任命された平和大使たちは、時折、「私たちはどのように生きなければならないのか」と尋ねます。統一教会が歴史を通して経てきたそのすべての道を公式的に歩むことによって、現在の霊界の実相と地上世界の統一的な内容が、すべて現実生活の中心的内容になっていることを理解して、その内容に合わせて生きてこそ、霊界と一体になることを確信しなければなりません。今からは、自分がその中で生きているという自信をもたなければならないのです。

レバレンド・ムーンの語る内容は、過去も現在も変わっていません。新しい世界のみ旨のために、その内容のために生きるか生きられないかということが、理想天国実現の主役になれるかなれないかを決める原則なので、その原則に従って生きなければなりません。そのように理解して、今まで観念的な生活をしてきたとすれば、実際的な生活として、天国と霊界と肉界と一体化できる生活を、私たちの生活環境を越えて国家圏内にまで一致させてこそ、地上天国と天上天国が実現されるのです。

ある国の国民ならば、国民が生きてきたあらゆる伝統的な思想や観念を中心として考えてきたものを克服し、新しい次元で一体化できる基準を、今全世界的に新しく立てなければならないのが、天一国主人の立場だということを知らなければなりません。

レバレンド・ムーンが再創造摂理をしていくのに、神様の創造した世界をすべて失ってしまい、神様まで失ってしまった人類なので、堕落していないアダムの位置に責任をもち、神様が創造して失ってしまった世界を再びつくらなければなりません。恨の神様を幸福の神様へと解放してさしあげなければなりません。ですから、統一教会は、「神様王権即位式」と「天宙天地真の父母様真の愛平和統一家庭王即位式」まで奉献して捧げたのです。

再創造の主人は私たちの家庭

今日まで神様は、手をつけることができなかった創造された全体世界に対する蕩減復帰を、真の父母様を通して完成しなければなりません。再創造の主人は神様ではなく、蕩減する主人も神様ではありません。それは、アダムの責任だったという事実を知らなければなりません。アダム一代で整備しなければならないのです。そのようにしなければ、神様が本来の理想を中心として出発したその本然の位置に立つ道がないので、全知全能であられる神様が、長い歴史を通して無能な神様の立場で苦労してこられたという無念な事実を、皆様は知らなければなりません。

神様の国と神様の生活圏が発展してきた個人時代、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙時代まで越えていくことができ、天上世界と地上世界を自由自在に往来できる解放された自分だということを自ら悟る皆様となり、神様までもお迎えしてさしあげなければなりません。そうして、神様の王宮から神様の国を創造して奉献しなければ、完成したアダムの使命は終わらないのです。天上世界のすべての聖人、賢人たち、地上世界のすべての聖人、賢人たちは、栄光の中で生きているのではありません。堕落以後、今に至るまで、その目標を中心として完成するために継続して努力しているだけではなく、解放された地上・天上が一体となった真の愛の理想圏が実現される時まで、それが継続することを知らなければなりません。

皆様が地上でこの使命を完結できなければ、あの世に行っても、その完結できない限界内において、越えていくべき峰を前にして、修練過程を経なければならないのです。地上世界でこのような時を迎えるようになったことを天下の何よりも貴く思い、自分の国よりも、自分が現在生きている世界よりも、自分の愛と生命よりも貴い道を、私たちがすべて相続して転換するために、そのようなことをしていることを知らなければならず、現在の私たちの生活がどれほど貴重かということを知らなければなりません。

そのような天理を立てて神様を解放し、神様が創造して完成できなかったものを完成させなければならない責任が、神様にあるのではないことを知らなければなりません。その責任が神様にあるならば、アダムとエバを堕落するような状況に置くこともしなかったのです。堕落の責任がアダムとエバにあったということは、途方もない事実です。今まで人類歴史の中で、そのような内容を知った人が一人もいませんでした。

再創造の主人は、神様ではなく、皆様の家庭です。ですから、本然の国、天一国の主人である「私たちの家庭」が重要なのです。レバレンド・ムーンが若い青年の時に、このようなことをすべて悟り、そのような結論の上に統一教会という看板を掲げて現れたという事実を知らなければなりません。したがって、皆様もその本然の位置から新しく出発しなげればなりません。

純潔、純血、純愛の伝統を残すべき

尊敬する貴賓の皆様。レバレンド・ムーンが家庭堂の創堂式で宣布したみ言の主要な内容は何か御存じでしょうか。婚姻届と出生届に関するみ言です。レバレンド・ムーンの婚姻届ではなく、神様の婚姻届、神様の出生届のことを言っているのです。神様は、アダムと共に結婚式をすることができませんでした。婚姻式をすることができなかったのです。神様御自身が宇宙創造の主人として、アダムと共に出生届をすることができませんでした。誰のせいでできなかったのでしょうか。堕落したアダムのせいです。

それで、真の父母は、「神様王権即位式」を泰献してさしあげた土台の上で、神様を解放してさしあげなければなりません。自主的な立場で天地の微小なものから大きなものまで思いどおりに創造された神様が、堕落のゆえに、自由自在に自己主張できる天一国主人として出発できなかったという、その無念な事実を皆様は知らなければなりません。神様を解放できる再創造の解放圏を、アダムとエバとその家庭が滅ぼしてしまったので、アダムとエバの完成家庭は、神様の再創造の権限を、堕落がなかった本然の世界に返しさえすれば、一度にこの宇宙を新しくできるのです。ですから、皆様は、今から神様のみ旨の方向に従って、新しい家庭の信念をもって決心できるならば、万事が思いどおりに運ぶでしょう。

なぜ私にユダヤ教が必要で、なぜイスラームやキリスト教が必要で、なぜ統一教会が必要でしょうか。それは、怨恨の宿る堕落の結実体を一掃してしまい、真の父母であるレバレンド・ムーンの手によって、解放された神様の本然の王宮圏から、天下のすべてが天国の王権の所有圏に復帰できるようにしているという事実を知らなければなりません。そのような内容を確実に知ったならば、皆様もきょうを新しい出発の日として定め、自信をもって責任を果たす、そのような信念をもった神様の息子、娘にならなければなりません。その次には、神様を中心とした家庭にならなければなりません。

皆様も天の側の政党の側に立って、今まで天を苦労させ、宗教圏を受難の中に追い込んだサタン側の政党に属した様々な国々を整理していこうと決心しなければなりません。私が暮らしたい本郷の地、故郷の地を建設するための主人にならなければなりません。万物にまでも真の愛を施す皆様にならなければならないのです。

万物、すなわち植物も動物も、再創造しなければなりません。彼らは、堕落ゆえに真の愛の相対圏を失ってしまいました。アダムとエバが十六歳になる時までは存在しましたが、それ以降は分割されてしまったのです。自分が失敗して世界全体を滅ぼしてしまったと考え、自分が責任をもって復帰しようというそのような祝福家庭であってこそ、天一国主人になるのです。

全人類が、地獄圏と天国圏、すなわち天上世界と地上世界の双子のように、同時に生まれた立場に立ったことを考えなければなりません。ですから、兄弟です。父と母が愛する兄と弟、そのような同位圏の家庭に入っていって体恤できる心情を感じることができなければ、皆様は、あの世に行って、王宮を中心に家庭完成をして生きることができず、その周辺ばかりを回り続けるそのような生活を、千年、万年繰り返すようになるのです。

皆様は、祝福を受けた新しい家庭の先祖として、純潔、純血、純愛の血統を残すために、すべての精誠を尽くさなければなりません。その峠を越えるために百回、千回死んだとしても、皆様には、死ぬ前に完結しなければならない家庭的責任があるのです。ですから、常に一心、一体、一念の精神でその道を行かなければなりません。神様が深刻な立場に立ち、統一教会を立てたレバレンド・ムーンも深刻な立場に立ってその原則の道理と軌道をつくっておいたので、否が応でも、皆様も最善を尽くして走っていってこそ、目的地に到達できるのです。

新しい天国理念時代が訪れたので、つまり国家形態を皆様と皆様の祝福家庭の上に立てることのできる新しい時代が来たので、徹底して整備し警戒する心をもたなければなりません。天の創造理想的目的を成し遂げるのに不足のない天の王子、王女の家庭にならなければなりません。そうして、勝利の基盤を相続して神様に侍って暮らしながら、地上と天上で万年太平聖代の国、一つの文化、一つの世界、一つの兄弟、一つの家庭を拡大した家庭圏として帰らなければならないのが、統一教会の行くべき全体目的であることをはっきりと知らなければなりません。

イエス様と十字架

イエス様は、蕩減復帰を終え、結婚して家庭を築き、イスラエル民族を一度に天国に従属させる祝福結婚をしてあげ、ローマまで祝福結婚をしてあげていたならば、四十代までに地上・天上天国をすべて成し遂げていたのです。イエス様の命を奪った以降もイスラエルとパレスチナが継続して闘っているのです。兄弟が一つになれませんでした。そこにおいて一つの宗教、一つの文化圏、一つの国、一つの心情圏になっていなければならなかったのですが、その場に、ユダヤ教ばかりでなく、キリスト教が生じ、イスラームが生じたという恨めしい内容を知らなければなりません。

最近アメリカでは、十字架を除去する運動が展開されていますが、それが問題ではありません。イエス様の命を奪ったのです。真の父母の命を奪った罪は、人類が滅亡しても、イスラエルが千代、万代犠牲になっても、赦しを受けることができないのです。イスラエル民族は、罪の代価をすべて満たしたわけではありません。そうでなければ、どうしてヒトラーが、イスラエル民族をあれほど好きなように殺戮することができるでしょうか。罪の代価を蕩減する量が満ちていなかったので、天の承諾を受けてそのようなことが起きたのです。同じように、今日もそのような歴史的同時性の時代に入ってきています。

歴史的にユダヤ教とイスラームとキリスト教が分かれましたが、今や統一教会を中心として、ユダヤ教、イスラーム、そしてキリスト教が全世界的に一つになる同時性の時代が来たのです。蕩減復帰は、同時性圏によって完成されます。この時代は、世界的な同時性圏時代ではなく、天宙的な同時性圏時代です。ですから、再臨主は、メシヤであり救世主でなければならないのです。また救世主は、世界を平和の天国にしなければならず、その世界には、宗教的不和があり得ません。

再臨主というのは、最初に来た主人が定着できずに去っていったので、再び来る主人のことです。再び来て真の父母になり、地上世界と天上世界の解放圏を完成しなければならない歴史的な事実が、摂理史とともに綴られていることを人類は知らなかったのです。今はもうそのことを知ったので、皆様もそのまま実践躬行し、その峠を越えて神様の御殿に進み、天下を治める解放的理想圏に入っていくことができなければなりません。

天一国に入籍すべき宿命的課題

天の国の大勢の高官から称賛を受け、すべての人が新しい国である天一国に入籍し、新しい国民として入っていかなければならない宿命的な課題が厳然として残っている事実を知らなければなりません。このような使命を完遂できずに死んで霊界に行けば、それが引っ掛かるのです。ですから、生きている間にすべてのことを清算するために、あらゆる至誠を尽くさなければなりません。

皆様の五官のすべてを百回、千回燃やしても越えていけないその道に、誤謬を残した自分の一生であり、摂理史だったという事実に、誰が責任をもつことができるのでしょうか。神様が責任をもつことができるでしょうか。神様は責任をもつことができないのです。神様が責任をもつことができるのであれば、アダムとエバを最初から堕落するように放ってはおかなかったのです。

再創造の主人は誰でしょうか。神様ではありません。皆様自身であり、皆様の家庭です。ですから、「天一国主人、私たちの家庭」というのです。神様がつくられた至極小さな動物から天上世界、大宇宙、すなわち太陽系の一千億倍を越える宇宙全体が、神様の愛の圏内において秩序的な存在としてペア・システムになっています。これらすべてを、サタンが血を汚すことによって分けてしまいました。

したがって、真の父母が再びより分けて再創造しなければなりません。皆様も、神様の真の愛で植物を愛し、動物を愛し、地を愛して、真の主人になれなかった恨を解かなければならない解怨の責任があるのです。ですから、新しい人生観、新しい宇宙観、新しい天宙観が確立されるのです。本来は、家庭堂は必要ありません。神様を父母として侍って暮らす家庭が必要なのです。それができていないので、蕩減する過程において、どのようなことがあっても、それを成就しなければなりません。それで家庭堂を立てて、そのことを遂行しているのです。

真の父母の生涯は恨の路程

神様が行きたいと思っていらっしゃるのですが、私たちが代わりに祭物になり、越えていける道を開拓する王子の中の王子であり、王女の中の王女であり、天地の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭に間違いないという自覚をもって行かなければなりません。そうして、神様の愛を受けることができ、神様の心情圏内に千年、万年とどまりながら、恨に満ちた神様と向き合うとき、面目がないと涙を流し、一身全体が血と汗で燃やされても足りないことを感じなければなりません。そのようにして行くのが天を訪ねていく王子、王女の道であり、責任を果たせなかった家庭が、その失敗の責任を免れるただ一つの道であることを知らなければなりません。

皆様自身を中心として、神様までも私が創造し、私が自らの手によって破壊したので、天の国と天の宮殿までも自らの手で再び建設し、その上で解放された神様と千年、万年暮らし、堕落していなかった家庭より、千倍、万倍の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭になると思えば、そこに地獄があり得るでしょうか。それ自体が天の国の王宮の中心部となって、神様が地上のどこにでもついて来て、王宮のようにお住まいになることができるのです。

レバレンド・ムーンも、この統一教会を立てて導いてきながら多くの苦労をしましたが、今までの苦労は、苦労ではありません。深く、広く、高く恵みを体恤し、それを感謝できる心情圏を体得する、そのような立場まで経てきたので、そのように感じることができたのです。その立場に立ってみたことのない人には分かりません。神様はレバレンド・ムーンに誇るものがありません。神様の出発過程を解放し、神様が息子として愛する立場に立つことができなかったのです。それを取り戻し、神様を神様の位置に立て、すなわち神様を父の位置に立ててさしあげ、子女として愛を受けることができなければならなかったのです。ところが、子女が堕落することによって、そのようになることはできなかったので、それが人類の行くべき恨の歴史だったというのです。神様の婚姻届、神様の出生届をしなければ国がありません。

真の父母様の生涯も、やはり恨の路程でした。真の父母は、神様と同じ価値基準で歴史性を帯びて摂理してきたので、今後世界がその内容を知れば、毎日のように痛哭するようなことが起きるでしょう。ちょうどイスラエル民族が嘆きの壁で涙の悔い改めをしているのと同じように、痛哭するというのです。この道を越える恨の解放圏を備えなければなりません。

ついに神様が天地をすべて解放し、結婚式ができる時代圏に入ってきました。神様が婚姻届をしたので、その息子、娘たちも出生届ができるのです。神様が、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの三代圏を越えて、それができるようになることによって、神様が本然の位置に戻られるのです。

天一国の民は天の国の皇族

今や皆様は、天地父母であられる真の父母様の勝利圏の上で、結婚届と出生届ができる二つの権限を、完全に相続できるようになりました。そのように暮らすことを決意して、寝ても覚めても忘れずに一心、一体、一念、一和の生活をする天一国の民となれば、天の国の皇族になることは間違いないという事実を信じて実践してくださることをお願いします。

選民圏を代表した第一イスラエルの「エルサレム宣言」、第二イスラエルの「ワシントン宣言」、そして第三イスラエルの「ソウル宣言」の発祥の地となる鮮文大学の現場において開催された「ラステイング・ラブ・コンファレンス」に参加した二世圏の指導者の皆様、そして、「ソウル宣言」に参加するため、きょうこのリトル・エンジェルス芸術会館の大劇場に席を共にしてくださった一世圏の世界の指導者の皆様に、深く感謝申し上げる次第です。

皆様は今後、天の選民圏を受け継ぐ一世と二世の指導者です。ぜひとも、皆様全員が一体になり、国連の刷新とともに、新しい「アベル国連」の再創造のための歴史的な聖業に召命されて、きょうこの「ソウル宣言」の現場に立っていらっしゃることを、心に刻んでくださるようお願いいたします。このすべてを神様に感謝しながら、参席者の皆様の家庭と皆様の国に、神様の大きな祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 5 メシヤと真の父母

第十篇 5

メシヤと真の父母

日付:二〇〇四年一月二十七日

場所:韓国、ソウル、新羅ホテル

行事:「超宗教超国家平和協議会」創設記念および真の父母様御聖誕祝賀晩餐会

世界各国からお越しの高名な指導者、尊敬する国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。この場は、きょうで八十四回目を迎えた私と、韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために設けられた晩餐会場です。しかし、私たち夫婦は、今晩自分たちがお祝いを受けるよりも、ここに席を共にしてくださった霊界の聖賢たちと霊界の祝福家庭、そして「世界平和のための頂上会議」に参加された皆様にこの晩餐をもてなしたいと思います。

偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだ人類

皆様は、ここ数日間、「世界的危機に対する地球村次元の統治」というテーマのもとで、多くの討論と会議をされたことと思います。皆様の汗と情熱が結集され、日増しに危機へと向かう今日の世界に、新しい希望と夢を植えつける契機になると思います。もう一度、このように私たち夫婦の故郷韓国に来られ、大望の天一国四年を共に開いてくださったことに対して、深甚なる感謝をお捧げします。

今晩私は、八十有余年の生涯をかけて、天のみ旨のみを伝えて生きてきた伝統に従い、「メシヤと真の父母」という題目の天のメッセージを伝えることによって、挨拶の言葉に代えさせていただこうと思います。人間は本来、神様の子女として創造され、神様の子女として成長し、神様から祝福結婚を受けた家庭となり、子孫万代、罪のない善の血統の子孫たちを繁殖させなければならない運命をもって生まれました。人類の始祖アダムとエバは、神様を縦的真の父母として侍り、真の父母であられる神様を軸として横的実体の真の父母にならなければなりませんでした。その世界は、メシヤという言葉が存在する必要のない世界になっていたでしょう。その家庭は、創造本然の理想家庭になっていたのであり、その世界は、神様の創造理想が完成した地上天国になっていたでしょう。そのような世界で暮らして肉身の生を終えれば、人間は誰もが自動的に天上天国に入籍し、永遠無窮に自由と平和と幸福の世界で暮らすようになっていたのです。

しかし、不幸にも、人間始祖の堕落によって、人類は、抜け出すことのできない絶望の奈落に落ちてしまったのです。霊的五官を通して神様と直接通じながら暮らし、肉的五官を通して万物を自由自在に主管し、それと同時に霊界と肉界を代表した真の主人、真の父母、真の王にならなければならなかったのです。

しかし、彼らは、堕落によって霊的五官が完全に麻痺してしまい、目は開いていても見えない、そのような立場に転落してしまいました。肉的五官にのみ頼って生きなければならない片側だけの人間になってしまったのです。父母である神様を見ることも、その声を聞くことも、感じることもできなくなったので、どうして父母の愛を知ることができ、その事情を知ることができるでしょうか。

メシヤは真の愛、真の生命、真の血統の実体

本来、神様が占有する真の父母の位置に、サタンが押し入ってきて、偽りの父母の振る舞いをしながら人類を徹底的に拘束し、奴隷にしてしまったのです。したがって、今日私たちがもっている愛、生命、血統はすべて、サタンがアダムとエバに蒔いた偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだものにならざるを得ないのです。このように直系の子女として生まれた人類が、サタンの偽りの血統を受け、僕の僕の位置に転落してしまったという事実を御覧になった神様の苦痛は、どれほど大きかったでしょうか。

しかし、原理原則の神様は、御自身の立てられた創造原理と創造理想を自ら破ることはできないので、数千、数万年の復帰摂理を通して、救世主メシヤを待ち続けてこられたのです。宗教によって、それぞれ異なる名前で呼ばれていますが、その名前が弥勒仏であろうと真人であろうと救世主であろうと、人類が必要とし、神様が求めてきた方は、真の父母であられるメシヤお一人だったのです。そうだとすれば、メシヤは誰であり、どのような人でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙まで歩み、信仰と希望と愛の実体として立つことができる主人です。そのような方をメシヤとして侍ることができる時に、はじめて人類歴史上に残っている信仰が結実されるのであり、希望が結実されるのであり、愛も結実されるのです。

その結実体には、人類歴史が息づいており、私たちの過去、現在、未来が連結されています。人間はもちろん、天とも連結されています。メシヤは、堕落によって父母を失い、天涯の孤児になってしまった人類のために来られた、実体の真の父母、真の主人、真の師、真の王になる方です。偽りの父母のもとで苦痛を受け、呻吟していた偽りの子女たちを、真の子女として取り戻して立てるために来られた真の愛、真の生命、真の血統の実体であられるのです。

ユダヤ人の不信によって真の父母になれなかったイエス様

皆様。二千年前、天はイエス様をメシヤとしてこの地に送られました。父母を失った子女たちを再び抱き、天のみ前に復帰させるために来られた方が、正に真の父母であられるイエス様でした。アダムとエバは、堕落によって真の父母の位置を失ってしまい、真の夫婦にもなることができず、真の子女をもつことができなかったので、神様に三代圏の血統、すなわち孫と孫娘を抱かせてさしあげることができなかったのです。

したがって、神様は、再び数千年間準備し、選民として立てたイスラエル民族を通して、救世主でありメシヤであるイエス様を送られたのです。歴史上、初めて一つの国の主権と国土と民を立て、その基盤の上に、全世界をサタンの偽りの血統から復帰させ、真の善の血統へと復帰するための闘いの総司令官として来られた方がイエス様だったのです。

しかし、立てられたユダヤ教とイスラエル民族の不信によって、イエス様は、無念にも十字架によってその一生を終えてしまったのです。真の父母となって真の子女をもち、王の王として即位されなければならなかったメシヤが、神様の祝福を通じた真の夫婦の位置まで行けなかったことによって、真の父母になることができなかったことはもちろん、真の子女を繁殖することもできずに、十字架で亡くなってしまったのです。

ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」は、正にメシヤが新婦を迎えて真の夫婦になる儀式を意味するのです。その当時、もしイスラエルとユダヤ教がイエス様を敬い侍っていたならば、神様が望まれた創造本然の世界、すなわち平和の天国は、その時に既にイエス様の血族を通してこの地上に成し遂げられていたのです。

このように、二番目のアダムとして来られたイエス様の真の父母の摂理は、選ばれた人たちの不信によって途中で挫折し、人類は、再び再臨のメシヤを待たなければならなくなってしまったのです。

真の父母の使命を受けたレバレンド・ムーン

皆様。しかし、天は、真の父母の愛によって、かわいそうな人類に再び恩寵を施してくださいました。二千年間のキリスト教の歴史を通して、イエス様を中心とする霊的復帰摂理を展開してきた基台の上に、再臨のメシヤの顕現を祝福されたのです。再臨されるメシヤは、真の父母の使命を完成しなければならないという途方もない重荷を背負って来られます。その方は、何よりも先にサタン圏に勝利し、その次には、霊界圏までも勝利しなければならない使命をもってこられました。肉身の五官では感知できないサタン界と霊界圏を相手に、生死をかけた闘いに勝利し、最後には、悪魔サタンを屈服させることはもちろん、霊界の数多くの道主と教主までも屈服させなければならないのです。かといって、強制してできるものではありません。神様の人格と真の愛を中心として、宗教と宇宙の根本を明らかにし、彼らを納得させ、自然屈伏させるのです。

このような途方もない真の父母の使命を受けてこの世界に現れた人が、正にこの場に立っているレバレンド・ムーンです。「真の父母」という単語は、世の中のいかなる百科事典にもありません。レバレンド・ムーンが作り上げた言葉でもなく、世の中の誰かがつけてくれる名前でもありません。神様が私たち夫婦に下さった天命であり、祝福なのです。

真の父母の位置は、救世主、メシヤ、再臨主の総体的な使命を負わなければならない、歴史上空前絶後の責任をもつ位置です。したがって、いまだに堕落圏に属している人類には、真の父母に侍り、天のみ旨を成就するにおいて必要ないくつかの条件があります。

第一に、蕩減革命を完成しなければなりません。すべてのものを捨てて真の父母に侍り、従っていかなければならないという意味です。友を捨て、師を捨て、さらに自分の父母までも捨てて、真の父母に従わなければなりません。総生畜献納の基準を立てた時にこそ、天は再び私たちに祝福と恩寵を許してくださるのです。サタン世界とのすべての因縁と関係を、少しの人情ももたずに無慈悲に除去し、完全に零点に戻って天地開闢の新しい出発をしなさいという意味です。

第二に、良心革命を完成しなければなりません。すなわち、この世の中のいかなる主権や理念を前にしても、一点一画も加減することなく、神様が賦与してくださった本心の指向性に従い、真の愛、真の生命、真の血統の伝統を守りなさいという意味です。天のみ前でも、万物の前でも、一点の恥ずかしさもない「正午定着」的な生を生きなければならないということです。

私たちの生が、一心、一体、一念、一核の境地に到達し、純潔、純血、純愛の「性」を永遠不変の伝統として安着させ、一和統一時代を花咲かせるとき、初めて良心革命は完成するのです。

第三に、心情革命を完成しなければなりません。神様が訪ねてこられて、すべてのことを共に相談し、共に暮らしたいと思われる真の愛の世界を完成しなければならないのです。言い換えれば、心情革命は真の愛革命です。「ために存在する」という万古不変の真の愛の実践を意味するのです。私たちが他のために生きることを考えてみてください。真の愛の根源であられる神様が、正に私たちの中にお住まいになり、私たちのために生きられるようになるのです。私たちにとって、これ以上の喜びと栄光がどこにあるでしょうか。心情革命が完成したところでは、家庭破綻、人種間の紛糾、国境紛争、そして宗教的摩擦のようなサタン世界の残滓は、見いだすことができなくなるのです。永遠の平和王国が建てられるというのです。

蕩減、良心、心情革命によって天のみ旨を成就しよう

尊敬する貴賓の皆様。私たち夫婦は、平和世界をこの地上に創建しなければならないという天命を完遂するために、去る一九九六年、統一教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として新しい出発をしました。天のみ旨は、真の家庭を根本とする人類平和にあるのであって、ある特定の教会や宗教の定着にあるのではないからです。

私たちは、過去数十年間、超宗教超国家的次元で多くの活動をしてきました。そのような土台の上に、二〇〇三年十月三日には、アメリカのニューヨークにおいて「平和国連」を創設し、世界平和の具現に向かって力強く飛躍し始めました。世界の至る所で、レバレンド・ムーンの宣布に従い、教会の十字架を外す運動が燎原の火のように広がっています。数千人の聖職者たちが、中東紛争の震源地エルサレムに雲霞のごとく集まり、超宗教超国家的次元の平和大行進を行っています。

二〇〇三年十二月二十二日には、大勢のユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの聖職者が、手に手を取って平和を謳歌し、イエス様を王の王として推戴する戴冠式を執り行いました。二万人以上が結集するエルサレムの独立公園において起きた奇跡です。イエス様の恨が解かれる日であり、真の父母様の勝利が天上天下に宣布される日でした。

皆様。私たち夫婦に賦与された真の父母の使命が天命だとすれば、今から私たちと手をつなぎ、この地球村に平和の天国を創建しなければならない皆様の使命もまた天命なのです。今や、天の時が訪れました。燃える希望を心の中に抱いてお帰りになり、皆様各自がメシヤとして、また真の父母として世界平和を具現する働き手となられることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 6 摂理史観から見た価値観的和合と超宗教・超国家圏の解放と安着

第十篇 6

摂理史観から見た価値観的和合と超宗教・超国家圏の解放と安着

日付:二〇〇四年十月二十六日

場所:アメリカ、ニューヨーク、ライ・ブルック・ヒルトン・ホテル

行事:アメリカ四大都市特別巡回講演

尊敬するアメリカと全世界の宗教界、政治界、言論界、そして学界の指導者の皆様。私は、きょう万感の思いでこの場に立ちました。かつて、摂理の国であるアメリカのキリスト教を覚醒させ、他宗教を糾合して世界救援の足場とする天命に従ってこの国を訪れたのですが、既に三十四年の歳月が流れました。

天命を受けてやって来たアメリカ

皆様の中には、私のアメリカ到着時の最初の警告メッセージを、今でも記憶している方がいらっしゃることと思います。レバレンド・ムーンは、この病めるアメリカを手術するために、そしてアメリカの火事を消すために、この国に訪ねてきた」と堂々と天上天下に宣布しました。

一九七〇年代初頭、摂理の国であるアメリカの二十一主要都市で「希望の日」の巡回講演を通して、私は二億七千万のアメリカ国民に大覚醒を促しました。アメリカから神様が離れていらっしゃることを警告したのです。白昼に横行する殺人と強姦、白人と黒人の人種間の紛争、青少年の堕落、極度の利己的な個人主義の拡散、共産党問題、宗教間の対立と葛藤など、これらの問題を清算し、新たに生まれ変わらなければ、この国に希望はないことを、はっきりと警告しました。

そして、このような問題の解決策は、政府や学校で見つけ出せるのではなく、まず心ある宗教指導者たちが一つになり、超宗教・超国家的に力を合わせなければならないということを叫びました。それから三十有余年が過ぎた今日のアメリカは、どのような姿になっているでしょうか。私がこれまで、アメリカをつかみ、世界平和を実現するために、どれほど多くの汗と涙を注いだかということは、神様だけが御存じです。

きょう、この場に参席された皆様が、正に私の汗と涙の結実として選ばれた方々です。しかし、アメリカには、まだ険しい道が残されています。レバレンド・ムーンは、アメリカ人ではありません。私は、既に天の指示を受け、祖国復帰のために、韓国に場所を移して天の摂理を進めています。

今、この国の将来は、皆様のような良心的な指導者の手にかかっています。どこの誰が皆様の国を救ってくれるのでしょうか。アメリカの将来に対して、夜眠ることもできずに心配し、犠牲までも甘受しようと立ち上がる政治家や思想家に、どこで出会うことができるでしょうか。ここにお集まりになった皆様以外にはいません。皆様が奮い立ち、二億七千万のアメリカ国民を導く機関車にならなければならないのです。

そのような意味で、私はきょう、「摂理史観から見た価値観的和合と超宗教・超国家圏の解放と安着」という題目で、天がこの時代に下さった新しいみ言の一端をお伝えしようと思います。どうぞ、このメッセージを胸深く刻み、今からは、この国アメリカと人類のために、皆様が行くべき方向と目的を設定する価値観として考えてくださるようにお願いします。このメッセージは、単に皆様とアメリカだけのものではなく、六十億人類、そして全霊界にまで宣布する「召命的天命」であり、選択の余地のない絶対的真理の新しいみ言です。

神様の絶対相対圏として創造された人間

皆様。神様が人間を創造された目的は何でしょうか。全知全能であられ、遍在される神様も、独りでいることを願われなかったので、まず天宙を人間のための環境創造の一環として創造され、その基盤の上に、御自身の絶対愛の対象として創造されたのが、正に人間です。神様は、その対象である人間が神様御自身よりも立派で偉大な存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも、父母は、子女たちが自分たちよりも成功し、立派になることを願うではありませんか。これはすべて、神様が祝福として下さった父母の伝統的愛なのです。子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の愛、真の生命、真の血統の結実となる真の子女を繁殖して、真の家庭において、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て喜びを感じることが、神様の創造目的だったのです。

真の愛の主人になる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にし、投入して忘れる真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様が人間を創造される時も、先に御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、その上で一〇〇パーセント投入されたのです。絶対相対圏を絶対価値圏として立てるのです。真の愛の主人は、独りで成就するのではありません。必ず対象を通して成就されるのです。

そして、この絶対的価値圏の真の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、永遠に父母が真の愛の主人になることができないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を御自身の真の子女として、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。そうして、絶対主体と絶対対象の価値観が生じて、完成するのです。

宇宙の秩序を見ると、大きいからといって無条件に小さいものを犠牲にして取り込むようにはなっていません。そのような点から見るとへレニズムに基づいた弱肉強食による「適者生存」の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる、絶対服従の対象として、主体的な真の愛の主人として完成させようとする絶対価値観を、彼らは見落としているのです。

また、真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るようになります。しかし、神様の「創造原理」は、闘争による生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で、相互授受作用をしながら、絶対価値観に向かって調和統一を追求する「原理」です。小が大のために犠牲になったとしても、それを闘争と見てはいけないということです。相互発展のための投入と見なければなりません。

個人は家庭のために、家庭は国家のために、そして国家は世界のために生き、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。このように絶対的価値圏は、先に互いが相手を真の愛の主人格として立ててあげる、そのような真の愛の完成を成就させるためのものなのです。

サタンの発悪と利己主義

したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底してその根を絶やさなければなりません。これは、堕落性の根のようなものであり、あらゆる悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義的行動や集団個人主義的行為も同様です。それは、真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲になって与える代わりに、自分のために人を犠牲にし、自分の利益ばかりを追求することは、破廉恥な行為です。それは、堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中に、巧妙に入り込んだサタンが人類に植えつけた毒きのこなのです。

一身の栄達と慰安のために、「目には美しい」からといって、一度、自由行動を取ってしまえば中毒にかかり、一生、苦労しても抜け出すことが困難な悪の計略であり、罠です。私たちの体を見ても、自由に「自分のもの」であると主張できる部分は一つもありません。

父母の愛によって生まれた私たちは、九九・九九九パーセントが母親の血と肉と骨です。残りの〇.〇〇一パーセントは、父親の精子と見なければなりません。そこで私たちが、どうして「自分のもの」と主張することができ、利己的な個人主義に対する名分を見いだすことができるでしょうか。私たちの四肢五体は、すべてが母親の延長だという事実を認めなければなりません。すなわち、私たちの体のあらゆる要素は、既に父母の精子と卵子に包含されていたのです。誰彼を問わず、例外がありません。

「前」と「後」について考えてみてください。「前」という言葉自体が、既に「後」を先有条件として認めているものであり、また「上」という言葉も、「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」と言うときは、「右」を前提として語る言葉なのです。同じ論理で、「男性」という言葉も、「女性」という存在が先にあって成立するものです。

すなわち、男性は女性ゆえに生まれたのであり、女性は男性ゆえに生まれたのです。男性がいなければ女性は必要ありません。同じ脈絡で、女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。結局、自分のためにのみ生まれたものは一つもないということです。あらゆる存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。

また、人間の五官について考えてみてください。皆様の目が、目そのものを見るために生じましたか。目、鼻、耳、口、手、すべてが相対のために生まれました。そうだとすれば、この五官を総動員して生命を維持し、活動を継続させるその力とは何でしょうか。それは、真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛の実践のために生じた必要な道具にすぎません。このように、自分のためにのみ生まれたものは一つもありません。

ですから、ために生きて徳を施し、愛で犠牲になり、服従で愛の主人を完成させる人生こそが、神様の創造理想にかなう生き方なのです。私たち人間は、相対のために創造されたので、当然、相対のために生きてあげるのが天理です。ここから真の愛の絶対価値が創出されるのです。

神様は、エデンの園に人類の始祖であるアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器を共に許諾されました。何のためだったのでしょうか。彼らが成長して完成すれば、彼らを結婚させ、罪のない真の子女を繁殖するようにして、御自身の創造理想である地上天国を、アダムの代でこの地上に完成しようとされたみ旨があったのです。

しかし、問題は、アダムとエバの堕落にありました。彼らの堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が生じてしまいました。神様の愛と生命と血統を保全して伝授すべき彼らが、反対にサタンの血統を受け、サタンの血統を伝授する存在に転落してしまったのです。したがって神様は、無価値的な存在となった彼らを、エデンの園から追い出さざるを得なくなりました。

本来、地上世界で、アダムは神様の体となり、エバは新婦にならなければならなかったのですが、堕落によって自分たちの心と体と理想が病に冒されるようになり、怨讐になってしまったのですから、そのような悲惨な状況を見つめられる神様の心情は、どれほど悲痛だったでしょうか。堕落は、自らを地獄へ葬り去る行為です。人のものをも奪っていく盗賊行為です。堕落は、フリーセックスの根となり、利己的な個人主義の祖になりました。

堕落はフリーセックスの根

今日、皆様が身を置いている周囲を一度、見回してみてください。極度の利己的な個人主義、度を越えた私生活の追求、そして、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延しています。洋の東西を問わず、家庭の尊厳性と価値を弊履のごとく投げ捨てて、肉身の享楽を追い求め、挙げ句の果てに、麻薬中毒者やエイズ患者になって、悲惨な姿で人生を終えているではありませんか。人間の本心は、極度の個人主義や肉身の快楽だけを追い求めるという、とんでもない放蕩の道は願いません。「宇宙と国家、町や近隣、そして家庭において、父母と兄弟の愛を受けながら暮らしたい」と思うのが、天が与えた本心の指向する人生です。

しかし、それとは正反対の道を突き進んでいるので、良心は燃え尽きてしまい、本心との相克を感じるようになり、かえって薬を飲んで自殺する道を選ぶ事件が日に日に増えているのが、今日の現実ではないですか。「自分のまいたものを、刈り取る」という歴史的教訓が、ぴったり一致していることを目撃するのです。

アダムとエバがエデンの園で何の種を蒔いたのでしょうか。フリーセックスの種、すなわち不倫の性関係による種を蒔きました。それで彼らは、堕落直後に下半身を覆ったのです。したがって、秋の収穫期である「終わりの日」には、青少年たちの間にフリーセックスの風潮が世界的に蔓延する現象が必ず現れるのです。サタンは、無秩序な性関係を通して、誰一人として神様のみ前に帰ることができないようにしようと発悪するようになるのです。全人類をめちゃくちゃにして、地上地獄をつくることがサタンの目的だからです。

皆様。幼い子女たちも、親がしまっておいたお菓子をつまみ食いしているところを見つかれば、手を隠し、口を隠すのが本能の作用です。もし、アダムとエバが善悪の実を取って食べたとすれば、罪を犯した手や口を隠さなければならないのに、なぜ下半身を隠したのかということです。これだけを見ても、堕落は淫乱によって行われたことを否定できないのです。血統関係による問題だけに、神様もどうすることもできない悲劇でした。

皆様。天国と地獄は、どこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、礼拝堂でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になったのです。それが、天地をひっくり返す、人類歴史上、最大の悲劇を引き起こしてしまいました。

目の見えない人のように方向を失ったまま、むやみに生殖器を使えば地獄行きであり、反対に、これを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、自動的に天国に行くのです。どこの誰がこの事実を否定できるでしょうか。

疑問が生じたのであれば、私が天理を記した『原理講論』を熟読し、それでも疑問が解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得ることができるでしょう。レバレンド・ムーンの教えを受け、今では、世界の数千、数万の若者たちが、フリーセックスを撤廃して、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のように広がっています。フリーセックスが、自己の欲望とサタンを中心とする偽りの愛である反面、絶対愛は、神様を中心とする真の愛なのです。

今までは、多くの文学作品や言論媒体が、歴史的にフリーセックスを刺激し、あおる傾向にありました。しかし、これからは、政治家、経済人、文人、言論人、宗教人、哲学者など、あらゆる分野の指導者たちが、一斉に先頭に立ち、人類の亡国の病、フリーセックスを追い出さなければなりません。

世界平和のための礎石を据えるのも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、始祖となるアダムの家庭が重要だということを銘記しなければなりません。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたことも、今や時が訪れたからです。

地獄となってしまったこの世界を、果たしてどのような方法で変えることができるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践だけが絶対価値観を取り戻す唯一の道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければなりません。

家庭の大切さと真の愛

皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは、父母の真の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目にはどんなにみすぼらしくても、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人たちによってつくられた本然の家庭になったとき、人間はもちろん、神様までも自由を感じられるのです。真の愛が欠如した自由は、決して真の自由ではありません。

私たちがある家に客として行ったとき、不自由さを感じるのは、まだその家と深い真の愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、真の愛の関係が四方性を備えていないので、ぎこちなく、不自由さを感じるのです。そうだとすれば、本然の家庭で最高最上の価値とは何でしょうか。本然の父母です。本然の父母はなぜ良いのでしょうか。永遠の真の愛の主体だからです。

真の愛を中心に、一生の間、関係を結ぶことができる最も近い位置にいらっしゃる方が、正に本然の父母です。私たち人間が生まれて、最初に喜びを与え合う相対が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。私たちがうれしいとき、一番先に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流される方が、本然の父母です。ですから、世の中では、父母のいない子を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。

そして、二番目は、愛する夫と妻が、本然の家庭において最も貴い価値のある存在になるのです。夫と妻は、条件的な愛ではなく、無条件的な本然の真の愛を与え合う夫婦でなければなりません。

たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠の次元の真の愛の関係をもって始まった愛ではないとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の真の愛になれば、その真の愛こそが、家庭に幸福と喜びをもたらす根幹になるのです。

しかし、このような理想的本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わるならば、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びになることはできません。夫婦には、必ず本然の子女がいなければならないという意味です。「夫婦二人だけで幸福に暮らそう」と考えて子女を生まなければ、人類は、二代を越えることができずに絶滅してしまうでしょう。本然の子女から戻ってくる真の愛を受けて生きることができてこそ、真の夫婦として、本然の父母の位置まで上がっていくようになるのです。

ですから、その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の真の愛なのです。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲になり、真に愛すれば、その愛は、家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての本然の真の愛になるのです。

このように、本然の家庭において三代圏を形成し、本然の父母による子女のための犠牲的な本然の真の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による本然の父母のための真の愛が完璧に具備された本然の家庭があるならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭になるのです。

世の中では、どのような人を幸福な人だと言うでしょうか。何をもって幸福の基準とするのかということです。外的にほかの人がもつことのできない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人でしょうか。皆が羨むほど、たくさんのお金をもっていれば、幸福なのでしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む位置に上がったからといって幸福なのでしょうか。

絶対に違います。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障することはできないのです。幸福を求めていく条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体になることはできないということです。結局、真の愛で一つになった本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の真の子女がいるとき、その家庭において真の幸福は始まるのです。

皆様。天国はどのような所でしょうか。神様の「創造原理」によれば、天国は、先にこの地上世界で完成されなければなりません。本来、人間は、肉身をもって地上で天国生活をし、その肉身を脱げば、自然に霊界の天国に移動して永生するように創造されたのです。

そうだとすれば、私たちが創建すべき地上天国は、どのような姿でなければならないのでしょうか。その答えは遠くにあるのではありません。本然の家庭と天国は、その形が同じなのです。基本的に、家庭には本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄弟姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的に訪れるのです。その基台の上に、真の愛と真の生命と真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです。

本然の祖父母は、本然の父母に真の愛の伝統を相続させてあげることができなければならず、本然の父母は、本然の子女に同じ真の愛の生を譲ってあげることができてこそ、真の本然の家庭であると言うことができるのです。

本然の兄弟姉妹の間においても、祖父母と父母に似て、お互いにために生きる生活を実践する真の愛の本然的関係が形成されるとき、その家庭は天国家庭になります。その中でどれか一つが欠けても、本然の家庭単位の天国は不可能です。夫婦の間で、互いを愛する以上に父母を愛することができなければならず、父母を愛する以上に祖父母を愛することによって、真の愛の価値観を中心とした伝統が立つのです。

本然の家庭が天国の典型であると述べました。したがって、本然の父母は、国家の主人のような立場に立つようになり、本然の子女は、国民のような位置に立つようになり、万物は、国土に代わる位置に立つのです。

個人完成は心と体の統一から始まる

このように、天国の起点は、個人ではなく、国家や世界でもなく、正に家庭なのです。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ったら二度とそこから出たくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思うようになる、愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う本然の故郷です。

しかし、そのような天国は、一度にできるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、棚からぼた餅式に天国が私たちの目の前に現れるわけではないのです。私たちは、まず天国家庭をつくることができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。個人完成を通して真の人格者になるためには、心と体の調和統一を完成しなければなりません。

本来、人間は、心と体が一体になり、何の相克も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体となって生きるように造られたのです。しかし、人類の始祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の相克の中でもがいて生きているのです。

歴史上、誰一人として心と体の一体を完成して生きた人はいません。人類を救おうとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げ、心と体の闘いから解放された人がいなかったのです。数えきれないほど多くの人々が、深い山中に穴蔵をつくり、一生をかけて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人はいなかったというのです。

その理由は簡単です。歴史上、今まで誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。個人的に志を立てて、修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間、進めてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで進み、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないのです。このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、正に二千年前に来られたイエス様でした。

しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、最後にはユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛せよ」と訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。

天倫の秘密を明らかにしたレバレンド・ムーン

天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今や、レバレンド・ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃるのです。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして人類の真の父母としての使命を勝利的に完遂したレバレンド・ムーンを通して、人類が個性完成を成就し、人格革命を完成し、この地上に理想天国を創建できる真の愛の絶対価値観的な真理を明らかにしているのです。

皆様。私たちの心と体を和合統一させる唯一の道は、ために生き、真の愛で投入して忘れてしまい、対象の位置で絶対服従を通して主体的愛の主人を完成させる絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために徳を施す絶対価値観的な人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的な人生を守り通すことができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。

結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だということです。したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に絶対服従する生活を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつでもどこでも軌道修正できる、水晶のように澄んだ心を維持しなさいということです。

いくら体の欲望が強くても、「原理」の教えに従って、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身も従ってこざるを得ないのです。それができなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水が流れるようにすれば、結局、澄んだ池になるのです。

これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の忠告に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。

世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になりなさいということです。自分の心と体の和合統一はもちろん、新しい天下が目の前に広がる、そのような世界を発見するようになるでしょう。

心身一体の境地に達すれば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において、初めて理解できるのです。心に尋ねると神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのかどうかを教えてくれます。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に通じ、皆様の永生問題について、徹底した準備ができる生活を送るようになるでしょう。

絶対信仰、絶対愛、絶対服従

それでは、堕落の後裔となった人類が、果たしてどのような方法で、堕落性を脱ぎ、相対を通して絶対価値観を探し立て、個人、家庭、国家、世界的次元で、神様が願われた平和天国をこの地上に創建できるのでしょうか。

第一に、神様に似なければなりません。神様が宇宙万象を創造されるとき、どのようにされたのでしょうか。神様御自身が打ち立てられた創造の原則と秩序を絶対的基準で信じて、服従されたのではないでしょうか。その上に、また絶対的基準の真の愛を植えつけてくださいました。

皆様の人生も、これからこの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の三大原則に従って実践すれば、天上の五大聖人はもちろん、皆様の善の先祖たちが総動員されて、皆様の幸福を保障してくれるのです。皆様が父母のために、夫婦間が互いのために、兄弟姉妹たちが互いのために、このような絶対的基準の信仰と愛と服従を施してみてください。そこに、どうして利己的な個人主義や、享楽ばかりを追い求める非原理的な根が伸びるでしょうか。皆様が絶対的基準にさえ立つならば、天も絶対的基準で皆様を保護し、守ってくださるのです。

第二に、人類は選択の余地なく堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔であるがゆえに、皆様の個人の人生において、三大革命を完遂するという課題が残っています。蕩減革命と良心革命、心情革命のことです。「蕩減革命」とは、皆様のすべての内的・外的所有権を完全に蕩減して勝利し、その蕩減圏を超越する基準を立てるようにしなさいということです。過去において、サタンの支配圏時代だった「先天時代」に習得したすべての習慣と思考までも、果敢に振り払う革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいということです。

その基盤の上に、新しい「後天時代」を生きる座標である絶対価値観的な真の愛を実践し、永遠に神様の真の子女として生きなさいということです。さらには、皆様のすべてのもてる物や外的な所有権も、一旦天のものに帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別したあと、再び天の祝福として相続する革命的な実践過程を経なければならないのです。すなわち、二度とサタンが所有権を主張できない聖別された財産として、天の富を積んでいきなさいという意味です。

「良心革命」とは、何を意味するのでしょうか。良心の声に絶対服従するという内的な革命です。皆様の中で、今も善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑とが、絶えず葛藤を続けているという事実は否定できません。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用をはっきりと知らなければなりません。

また良心は、皆様の一挙手一投足を、さらに皆様の思いまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆様の師よりも先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。

このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様自身が呵責を受けます。皆様の霊人体にほこりがかかり、垢がつき、傷がつくのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に抱えていかなければならない、恐ろしい荷物です。したがって、革命的な次元で、自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて、神様のみ前に進むその日まで、傷がなく、澄んで、きれいな霊人体を大切にしなさいという至上命令なのです。

「心情革命」の意味は何でしょうか。神様は、人間を御自身の子女として創造されたと述べました。そうであれば、神様と皆様をつなぐひもは、何のひもでしょうか。父母と子女の間の愛であり、心情です。父子の間で心情が通じなければ、どうして父母と子女が、愛と尊敬の関係を維持できるでしょうか。

数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷になっています。このような束縛から抜け出すためには、赦し、与える真の愛の生活を、粘り強く継続していかなければなりません。そのようにして、神様の心情的な所有圏内に帰着できなければならないのです。

皆様の心情のひもが、今もサタン世界の虚栄を追い求める利己的な個人主義に縛られているならば、皆様の将来は、非常に暗澹たる絶望と嘆息の道になるのです。しかし、ために生きる人生、すなわち人のために先に譲歩し、与える、生産的な生き方をするならば、皆様の心情のひもは、神様の心情と永遠に一つになるのです。

言い換えると、偽りの父母との心情的な因縁を完全に切って、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受け、天の真の血統を確保しなさいという意味です。

第三に、皆様は毎日、瞬間ごとに皆様の生を点検しながら生きなければなりません。皆様は学生時代、試験問題を前にして、その答えが「〇」なのか「X」なのか分からず、慌てた経験があるでしょう。皆様の一生も同じです。推し量ることができないほど変化無双に展開される日常生活の中で、瞬間ごとに、皆様自ら御自身の生を「〇」と「X」の概念で分析し、点検して、採点する生活をしなければならないという意味です。その形や性格から見て、「〇」は「X」を包容し、消化することができます。しかし、「X」は「〇」を包容することができません。

皆様の答えが「〇」の時は、皆様の生は肯定的で、希望的であり、縦的に天に軸を立て、影のない「正午定着」的な生を送っている時です。ために生きる真の愛の精神で、怨讐までも赦して包容する、深く広い生です。

しかし、皆様の答えが「X」の時は、不安と焦燥、恨みや猜疑心などの否定的な要素で心がいっぱいに満ちた、恥ずかしい姿なのです。心や考えが狭く、閉鎖的で、周囲の誰も目に入らない、利己的で個人主義的な生の姿です。

したがって、皆様の選択は火を見るよりも明らかです。毎時、瞬間ごとに、「〇」をもらう生活を営まなければなりません。一カ所もゆがんだり、角ができたりしない、完全無欠の「〇」をもらわなければなりません。いつ、どこに投げても、中心と九〇度の直角を形成する「〇」の姿にならなければならないのです。

明るく燃える太陽を見上げても恥ずかしくなく、広大無辺の宇宙に対しても堂々としており、森羅万象を前にしても一点の隠すものがない、真の「〇」を探し立てる人生を送ってください。「〇」は、和合と統一と平和の象徴です。「X」が死亡を象徴するならば、「〇」は愛と生命を意味します。体と心が完全に一体になったとき、皆様の姿は「〇」として顕現するのであり、体と心が葛藤により混乱を引き起こすとき、皆様の姿は、「X」として現れるのです。

後悔のない人生を生きよう

皆様。今や人類は、神様と真の父母様に感謝と栄光をお返しすべき時を迎えました。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放・釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、永遠に感謝と賛美をお捧げしなければなりません。太初に、アダムとエバの失敗によって、罪悪と血で染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出して、天の貴い召命の前に、悲壮な覚悟で立ち上がる時が来ました。

皆様はきょう、この場になぜ来られることになったのかを、もう一度、深く考えてみてください。主催側の招請を受けて、晩餐に参加するためですか。自分の意思であろうと他人の意思であろうと皆様は、既に天の召命を受けました。この場に立ったレバレンド・ムーンが、十六歳(数え)の青年の身で、突然天命を受け、神様を解放・釈放してさしあげ、人類をサタンの束縛から救い出すための八十年の生涯を、血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様もこれからは、「超宗教超国家圏の解放と安着」の崇高なみ旨を成就するため、生命を捧げる覚悟で立ち上がらなければならないのです。

皆様。あの東の空に輝かしく昇る太陽のように、今、天運が全世界を照らしています。数千、数万年間覆っていた暗闇のとばりが、ついに晴れつつあるのです。皆様の心の中には、既に天命が根を下ろしています。避けることのできない宿命の道です。

勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる時が来ました。レバレンド・ムーンも皆様も例外なく、いつかは霊界に行くことになります。きょうお聞きになった天のみ言を深く胸に刻んでくださり、今からは、ぜひとも後悔のない人生を生きなければなりません。これが、私がアメリカを離れつつ最後に皆様にお伝えする天のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そしてこの摂理の国、アメリカに永遠に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。

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第十篇 7 真の父母は神様と人類の希望

第十篇 7

真の父母は神様と人類の希望

日付:二〇〇四年十二月二日

場所:韓国、江原道、龍平リゾート

行事:第二回「蒙古斑同族世界平和連合」世界大会

尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。「蒙古斑同族世界平和連合」運動に参加するために、この場までお越しいただいた皆様に心から感謝申し上げます。

メシヤと真の父母

私が創設したこの連合運動は、また一つの世俗的な国家をつくろうというものではありません。新しい民族主義運動の出発でもありません。蒙古斑同族圏の糾合運動を通して、すべての塀と国境を撤廃し、六十億の人類を一つの家族に結び合わせようという和合と統一の運動です。

したがって、私はきょう、いまだに暗闇の中で一寸先を見ることもできないまま生きている人類に、天が特別に下さった真理のみ言をお伝えしようと思います。心の扉を開き、天が下さる真理を受けて、この乱れた時代において選ばれた人となれるようお願いします。「真の父母は神様と人類の希望」という題目でお話しいたします。

皆様。本来、神様は人間にとって、師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、父母の中の父母、すなわち真の父母であられます。しかし、人類の先祖であるアダムとエバの堕落によって人間は、神様を失って孤児になってしまった自分たちの立場さえも悟ることができないまま、数千年を生きてきました。教えを下さる真の師を失い、従い仕えて生きなければならない真の主人を失い、忠誠を捧げなければならない真の王を失い、永遠の真の血統を伝授してくれる真の父母を失った嘆きの歴史でした。

ですから、堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。堕落とは無関係な方であり、サタンの讒訴圏を抜け出た方です。天の真の愛、真の生命、真の血統をもって本然のアダムとして来られる方です。国家的基準で息子圏を代表したメシヤとして顕現される方です。これがまさしくメシヤの降臨です。

来られるそのメシヤは、完成したアダムの資格で来られるので、まず神様が絶対的基準で愛する真の新婦を迎え、真の夫婦の位置まで進まなければなりません。

神様の創造理想を完成しなければならない本然の夫婦理想を完成する位置です。その土台の上に、純粋な天の血統を受け継いだ真の子女を生むようになるのです。その子女は、二度と堕落の前轍を踏まない、永遠の善の血統を初めて受け継ぐ子女なのです。

真の愛と真の家庭主義

しかし、メシヤの使命はここで終わるのではありません。真の父母の位置まで進み、絶対的な真の家庭を探し立てなければなりません。この真の家庭を中心として、神様の創造理想を完成した地上天国と天上天国を創建できるのです。この目的のために、堕落の後裔である六十億の人類は、誰もが例外なくメシヤの真の家庭に接ぎ木されなければなりません。心情的な接ぎ木はもちろん、伝統的な接ぎ木をしなければなりません。

それでは、どのようにして接ぎ木されるのでしょうか。皆様は、堕落性を受け継いで生まれた野生のオリーブの木です。野生のオリーブの木は、百年、千年待っても、真のオリーブの木に変わる突然変異は起きません。永遠に野生のオリーブの木として残るだけです。その血統が変わらない限り、野生のオリーブの木であるという境遇から抜け出すことはできないのです。したがって、六千年育ってきたこの野生のオリーブの木を幹まで無慈悲に切り捨て、その位置に真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければならないのです。その芽が成長して木になれば、そこには真のオリーブの木の実が実るのです。

同じように、堕落した人類は、罪悪のサタン世界と完全に絶縁して、真のオリーブの木であられる真の父母を通して真のオリーブの木の芽を接ぎ木する祝福結婚を受け、真の血統を出発させなければならないのです。

そのようにして出発した真の血統は、真のオリーブの実である真の子女を得るようにさせるのです。堕落人間にとっては、この道だけが、真の父母の愛を通して生まれ変わり、真の愛、真の生命、真の血統を相続できる唯一の道なのです。

このように、真の子女が生まれて真の父母が生じれば、自動的にそこには真の家庭が定着するのです。ここから正に真の家庭主義が創出されます。真の家庭主義は、神様の真の愛主義です。

国境を超越し、すべての平面的な世界を超越して、主体と対象の間において互いに与え合う生活です。与えても、与えたことを忘れて、絶え間なく与える愛です。受けた人は受けたもの以上にさらに加えて返す発展的な愛です。このような犠牲的で崇高な真の愛の関係が継続されて拡大されれば、その世界が正に真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界として発展するのです。さらに進んで真の霊肉界、すなわち真の天宙が安着するのです。

真の愛の力は、このように途方もなく、推し量ることのできない宇宙創造の力です。結局、真の愛の力だけが神様の創造理想世界、すなわち地上天国と天上天国を創建できるのです。また理想世界は、誰かが大きな権力を握って号令する世界ではありません。その世界は自動的に私たちの心が動いて、神様の愛に呼応して和動する万民兄弟主義世界です。私たち全員が望む世界は、いったい何なのでしょうか。

皆様。神様も成長過程を経て完成しました。人間が成長過程を必要とするのも、神様に似ているからです。真の家庭主義を、より具体的に人間の成長の温床となる家庭の枠の中で見てみましょう。エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされていた真の家庭の典型でした。無形であられる神様の存在を実体として現すための四位基台の創造でした。

創造主である神様は、御自身を主体の位置、人間を対象の位置として創造され、神様の心の中にだけ存在した無形の子女、無形の兄弟、無形の夫婦、無形の父母を、アダムとエバの創造を通して実体として完成しようとされたのです。アダムの家庭を中心に実体の子女としての真の愛の完成、実体兄弟としての真の愛の完成、実体の夫婦としての真の愛の完成、そして実体の父母としての真の愛の理想を完成し、無限の喜びを感じようとしたのです。

四大心情圏と三大王権

したがって、真の家庭主義の核心は、人間関係の一番の根源になり、真の家庭を完成するために絶対必要条件となる四大心情圏の完成と三大王権の完成です。四大心情圏とは、子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏をいいます。人間はこの地に誰かの子女として生まれ、兄弟姉妹の関係を結びながら成長し、結婚して夫婦となり、子女を生むことによって父母となる過程を経ていくようになっています。したがって、四大心情圏と三大王権の完成は、家庭の枠の中で成し遂げることができるように創造されているのです。

それでは、まず子女の心情圏の完成とは何を意味するのでしょうか。人間は、誰もが選択の余地がない状態で、誰かを父母とする子女として生まれます。大統領の息子として生まれることや、世界最高の美人の娘として生まれることなど、それは私たちの選択権ではありません。しかし、生まれたその瞬間から、私たちは宿命的に父母の保護を受けて成長するようになります。

父母に仕えて、一緒に暮らしていきます。この中で私たちは、父母のために命までも捧げようという、子女としての父母に対する愛と孝の道の心情を習得して育っていくのです。

父母が直接教えてくれるのでもなく、学校で習うのでもありません。子女のために献身的に真の愛の生活をしている父母の姿を見て、体恤して悟るのが子女の心情です。成長して分別がついていく中で、この子女の心情は完成されるのです。父母のためにすべてを捧げ、永遠に捧げる生活の基準を完成するのです。父母が口を開く前に父母の心を読み取り、父母の願いどおりに侍って仕える生活をするのです。父母の目を見ただけで、その心情を推し量り、真の子女としての道理を尽くす生活の姿です。横的な真の父母であられる肉親の父母にだけでなく、縦的な真の父母であられる神様にも同じ絶対的基準の子女の心情を捧げる生活です。子女の心情圏の完成は、このようにして成し遂げられていくのです。

次に、兄弟の心情圏の完成もまた、一つの家庭で兄弟姉妹同士が調和して暮らしながら、父母の生活の姿から体恤し、学んで完成する真の愛の心情圏です。父や母に似ていく心情圏です。人間関係でいえば前後の関係です。兄が主体なら、弟は対象の立場です。

しかし、兄を絶対的価値の主体の立場に立ててあげるのは、対象である弟です。兄を父のように仕えて敬い、姉を母のように信じて頼る、そのような美しい兄弟の心情圏が完成するのです。兄は弟に対して、あたかも父母が子女を愛する心情で面倒を見てために生きる生活であり、弟は兄や姉に対して、父や毋に仕えて侍るように敬って侍る真の愛の実践です。

互いに足りない点を補い合い、良い点は育て、学び合う真の兄弟愛が完成するのです。誰も引き離すことのできない血を分けた兄弟姉妹間の愛であり、心情圏です。このように、真の家庭圏で真の子女の心情圏と兄弟圏を完成した子女たちは、世の中に出ていっても、清くて明るい太陽のように輝く生活をするようになります。大人たちに会えば、自分の父母に侍るような同じ心情で敬って仕えるのであり、青少年たちには、自分の兄や弟のために与えるように、真の愛を分けてあげながら暮らす子女、万人から愛される子女となるのです。

いつどこで誰に会っても、人よりもう一つ多く与え、いかなる仕事をしても、人よりも一時間多く仕事をし、いかなる状況でも、自分のことよりも、人の立場や境遇をまず考慮して譲歩する真の愛と心情の所有者として尊敬を受けるのです。たとえ年齢は幼い姿だったとしても、老若男女を問わず、誰もが信じて頼る中心人物になります。このように一つの家庭の垣根の中で体恤した兄弟の心情圏の完成は、人間の永生における絶対的な価値を育てていくようになるのです。

夫婦の心情圏回復と祝福

次に、夫婦の心情圏の完成はどのようにして成し遂げられるのでしょうか。親子や兄弟の関係とは異なり、夫婦の関係は、初めから血縁で結ばれた絶対的関係ではありません。育ってきた環境や境遇が異なる一人の男性と一人の女性が互いに出会い、新しい生を一緒に創造していく、実に革命的な決断と決心で結ばれた関係です。

しかし、夫婦の関係は、真の愛で一心一体になれば、血縁よりも強い、絶対的な関係に変わるのです。夫婦関係の中には無窮無尽な宝物が隠されています。一度天を中心として夫婦の関係を結んだなら、永遠に別れることができない絶対関係になるのです。

アダムの家庭を見ると、アダムとエバは共に同じ神様の息子と娘ですが、エバはアダムの妹の立場で出発しました。アダムはエバの兄の立場でした。しかし、彼らは成長して夫婦になったのです。同じように、夫婦間の関係は一つの血を分けた兄弟姉妹の次元で始まらなければならないのです。

共に神様を真の父母として生まれ、永遠に侍って生きなければならない宿命をもっているのです。ここになぜ離婚という魔の手が伸びてくるのでしょうか。天が見守っており、良心が監視して待ち構えているのに、どうして畏れ多くも自分の永遠の喜びの伴侶を捨てることができるでしょうか。神様の愛が、絶対、唯一、永遠、不変であるように、夫婦間の愛も、絶対であり、唯一、永遠、不変なものです。神様の創造原則、すなわち天理がそうなっているのです。

心身一体で夫婦の心情圏を完成した夫婦は、神様の喜びであり、宇宙の願いです。真の父母の心情圏を完成させる絶対的な必要条件です。神人愛一体を完成させる絶対価値的基準の真の家庭の土台です。したがって、夫婦の位置は、神様と子女が一つになった位置であり、兄弟が一つになった位置であり、父母が一つになった位置なのです。四大心情圏の絶対的主体の位置であり、対象的位置でもあります。妻にとって夫というのは、理想的な天の息子を迎えさせてくれる位置であり、天の兄を迎えさせてくれる位置であり、天の夫、天の父を迎えさせてくれる絶対的な位置です。夫にとっての妻も、同様に絶対的存在です。

しかし、人間始祖の堕落によって、この神聖な人間関係の枠は粉々になってしまったのです。ですから、原理原則の根源であられる神様は、原理と原則から外れない範囲内で、堕落した御自身の子女たちを再び復帰しなければならない、悲しい恨の心情をもっていらっしゃることを知らなければなりません。

ですから、神様の真の愛を中心として、人類の救世主、メシヤとして顕現された真の父母から祝福結婚を受けて真の夫婦が誕生する結婚式は、六千年間積もった神様の恨を解いてさしあげる解放・釈放の瞬間であり、その家庭の幸福が約束される新しい出発の瞬間になるのです。

真の父母と真のオリーブの木

それでは、父母の心情圏の完成は何であり、またどのように成し遂げられるのでしょうか。どんなに貴く立派な夫婦だとしても、子女を生まなければ永遠に父母になれません。父母の位置は、初めての子女が誕生して、産声を上げたその瞬間に決定されるのです。神様は人間を喜びの対象として創造されたと述べました。同じように、夫婦が子女を生んで育てるのは、子女たちを通して神様と同じ永遠の喜びを感じるための創造の役事なのです。

父母は子女を生み、実体の神様の立場で、天の子女として養育しなければなりません。そのようにすることで、無形の神様がアダムとエバを養育した、その真の父母の心情圏を体験して相続できるのです。見えない神様の創造の役事を、自分たち夫婦を中心として、息子、娘を養育しながら体験するのです。

神様の代わりの第二創造主となる栄光を受けるようになるというのです。ところで、神様は、アダムとエバを創造することによって、第二代の創造主の基準は立ててくださいましたが、第三代の創造主の位置に立てられる孫と孫娘を見ることができなかったことが、歴史的な恨みとして残されてしまいました。堕落によって血統がひっくり返ってしまったサタンの子女たちを、御自身の真の血統として立てることができなかったのです。

したがって、野生のオリーブの木として生まれた人間が、メシヤとして来られた真の父母の恩恵によって、真のオリーブの木に接ぎ木されて血統転換をする、祝福結婚を通して善の子女を生むことは、神様に三代、すなわち孫と孫娘を抱かせてあげる摂理観的な次元の孝の道になることを知らなければなりません。第三の創造主の歴史的出現を意味するのです。

このように、一つの家庭を中心として、神様が創造理想として願われたその理想が完成されるのです。そして、この完成された真の家庭が拡大して、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、すなわち地上天国と天上天国を実現するのです。

父母は天に代わる立場なので、家庭の中心です。その一方で、子女は地に代わる立場にいます。天は主体の位置であり、地は対象の立場です。したがって、主体となる父母には、子女を天のみ旨に合うように養育し、結婚させなければならない義務があります。二度とサタンが讒訴できない純粋で善の血統を保全して、子々孫々天の血統を伝授できる土台を築かなければならない責任があります。堕落によって失った本然の父母の位置を再び探し立て、父母の心情圏を完成する唯一の道が、正にこの道なのです。

三大王権と真の家庭主義

皆様。三大王権とは何のことをいうのでしょうか。一言で言うと、四大心情圏が真の夫婦の愛の一体を中心として完成するならば、三大王権は、アダムとエバが罪のない善の子女を生み育てることによって完成します。

神様が一代であれば、アダムは二代、そしてアダムの子女たちは三代目になります。皆様の家庭を見ると、祖父母は神様の代わりの立場として一代になり、父母は二代になり、子女は三代になるのです。祖父母が過去を代表する王と王妃なら、父母は現在の世界を代表する王と王妃であり、子女は未来世界を代表する王と王妃であり、このような三時代圏は、皆様の家庭においてすべて探し立てることができるのです。

このように一つの家庭圏で「正分合」の創造過程が展開されるのです。祖父母が「正」であるなら、父母は「分」になり、再び「合」となる位置は子女が立つのです。したがって、祖父母を愛し、彼らに侍ることによって、私たちは過去を学んで相続します。父母を愛し、彼らに侍りながら、子女たちは現在を学んでいくのです。また、祖父母と父母は、孫と孫娘と子女を愛することで未来を感じ、望みをもつようになるのです。

本来、アダムとエバが完成していたなら、アダムは完成した天国の父になると同時に王になったのであり、エバは完成した母になると同時に王妃になったのです。また、彼らは家庭の主人になったのであり、家庭的王権、民族的王権、国家的王権、世界的王権が生まれていたのです。神様は天上天国の王であり、アダムは神様の実体として地上天国の王になったのです。

したがって、皆様の家庭を見るとき、祖父母は神様が送った天の全権大使であると言えます。祖父母に対して神様のように侍り、敬わなければならない理由はここにあるのです。そして天に侍る父母は、人類を一つの家庭として抱く、家庭の王と王妃です。未来に責任をもつ子女たちは天の伝統を固守し、王である父母に孝と忠誠を捧げ、善の王統を受け継がなければなりません。

さらに進んで、天の三代圏完成を平面的に一代の家庭で総体的に成し遂げることが、真の家庭主義の始まりです。このように、本然の家庭は、神様が創造目的としてお立てになった地上天国と天上天国の典型になるのです。言い換えれば、四大心惰圏と三大王権を完成した家庭こそが、人類が願う平和王国をこの地上に創建できる土台になるのです。

ですから、家庭は天の国の王宮です。その構成員である家族はみな天の王族です。しかし、祖父母、父母、子女のいずれかを問わず、真の愛の一体圏を完成できなければ、三大王権の完成も見ることができず、四大心情圏の完成も不可能なのです。

尊敬する指導者の皆様。聖書を見ると「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(マタイ九・一七)という聖句があります。皆様の知らない間に、古い皮袋だった「先天時代」は過ぎ、既に新しい皮袋の「後天時代」が開門しました。真の父母の顕現とともに天運がこの地に到来したのです。二十一世紀の出発とともに、神様の創造理想である地上天国が、この地球上に創建されなければならない宿命的で絶対的な摂理が活発に展開されています。今や天の召命を受けた皆様には、ただ一本道、平和王国をこの地上に創建する使命があるのみです。

霊界は既に門を大きく開け放し、四大聖人はもちろん、数百、数千億の善の先祖たちが暴風のように集まってきています。皆様の一挙手一投足を監視し、皆様を助けて、地球星に散らばっている数百、数千の各種の境界線と国境線を撤廃し、総心情圏解放の時代、すなわち天一国を創建することを熱望し、皆様を訪ねてきています。真のオリーブの木として新しく生まれ変わった皆様は、新しい目と新しい耳と新しい心で、皆様の善の先祖たちを迎えて、真の家庭主義を実践躬行する先覚者とならなければなりません。

時代的召命と天運の到来

皆様。天命によって私を真の父母の位置に立ててくださった天のみ旨を、私ははっきりと知っています。真の父母は、世界を救う救世主の使命を完遂しなければなりません。人類の罪を拭うメシヤの責任を果たさなければなりません。真の愛を中心とした祝福結婚を通して、新しい真のオリーブの木の畑である真の家庭が、この地球星に満ちあふれるようにしなければなりません。

私に降りたこの召命的天命は、今、革命的速度で完成されつつあります。交叉結婚で結ばれた数多くの祝福家庭が、世界の津々浦々で「超宗教超国家連合」の旗印を掲げ、または「蒙古斑同族世界平和連合」の名前で、天一国創建のために走っている姿を直接確認してください。彼らは正に、命懸けで走る天の特攻隊員たちです。

今はいかなる勢力も、この真の愛の革命の烽火を消すことはできません。天運が共にあり、全霊界が私たちと共に働くこの新天新地創建の風を、誰が止めることができるというのでしょうか。謙虚な姿勢で、津波のように押し寄せる天運を迎えてください。

今は、家庭時代です。天運に逆行する利己的個人主義の行為と人倫を破壊する不道徳な行為は、天罰を免れることができません。神様の創造理想圏に入った真の家庭を創建してください。皆様自らが真の父母になってください。その家庭に神様が臨在されるでしょう。永遠の平和と幸福がその家庭にあふれるでしょう。

「超宗教超国家連合」運動と「蒙古斑同族連合」運動は、既に人類を先導する雲の柱と火の柱になっています。皆様の座右の銘は今や、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」です。蒙古斑を真の愛の斑に昇華させ、この地球星を神様の祖国、私たちの祖国として創建する前衛隊になってください。真の愛の甲冑をまとい、この地から悪の勢力を追い出す勇将となられることをお願いします。

きょう私がお伝えしたこの天命を大事に受け取られたことと思います。今からは、いつどこで何をなさるにしても、私たちは天を中心とした一つの家族です。皆様の良心を通して天は役事されることを、ぜひとも覚えておいてくださるようお願いします。

神様の祝福が、皆様と皆様が新しく創建する真の家庭の上に永遠に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 8 神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう

第十篇 8

神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう

日付:二〇〇四年十二月十三日

場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット・ワードマン・パーク・ホテル

行事:共同遺産朝餐頂上会議

尊敬する元・現職の国家元首、世界の宗教界と各界を代表する指導者、アメリカの高名な指導者、そして紳士淑女の皆様。天が決定され、進行される摂理の時と方向をあまりにもよく知っている私は、きょうこの時点において、全世界六十億の人類に伝えてあげる天の警告的次元のメッセージを持って、この場に出てきました。

歴史上、誰も明確に知ることができなかった神様の事情と心情を、皆様に明らかにすることによって、今摂理的終末期に処している人類が果たす責任と方向性を正しく提示しようと、きょう私は「神様の心情の解放、釈放のための孝子、忠臣になろう」という題目でお話ししようと思います。

神様の恨と悲しみ

真の愛の本体であられる神様が、なぜ人間を創造されたのかというと、独りでいれば刺激がないからです。喜びというものは、相対関係によってわき出るものです。独りでは喜びの刺激を得ることができません。神様も愛の対象が必要なのです。独りでは愛することができません。このために人間は、神様の真の愛のパートナーである子女として創造されたのです。

このように、神様は人間の父であり、人間は神様の息子、娘です。神様の骨の中の骨、肉の中の肉、骨髄の中の骨髄のすべてを投入して創造されました。父と息子が出会うことのできる最高の場所は、愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心です。神様は人間に対して、全知全能であられる御自身と同等、同位の立場に立てるようにおつくりになりました。それで、人間の本心は、最高のものを希望するのです。

創造理想完成は、どこから始まるのでしょうか。それは、神様ではなく、正に人間から始まるのです。神様の理想は神人一体なので、人間の完成がない限り、神様の完成もまたあり得ないのです。そうだとすれば、神様は、人間始祖のアダムとエバが神様に似た無限の価値的存在になることを、どれほど待ち望まれたでしょうか。ところが、アダムとエバが堕落することによって、神様は真の息子、娘をもつことができなくなりました。

したがって、真の愛を中心として血統的な関係をもつ、神様の家庭も成し遂げることができなかったのです。その代わりに、偽りの父母により、偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結ぶことによって、堕落の子孫である私たちには心と体の闘いが起きました。そして、アダムとエバは怨讐となったのであり、彼らの息子、娘たちの間には殺戮が起きました。結果的に神様は、アダムとエバを真の人類の先祖として、人類の父母として、御自身の息子、娘として向き合うことができなくなりました。神様は、二人といない息子、娘、永遠のひとり子とひとり娘を失ってしまわれたのです。

堕落と血統

堕落が男性と女性の間で起きたというのは、聖書の文字どおり、善悪の実を取って食べたことなのでしょうか。果物を取って食べたことが原罪になるのでしょうか。異性間で堕落するのは、過った愛しかありません。人間始祖が果物を取って食べたことによって、その子孫が千代、万代、罪人になることはありません。それは、血統的に罪の根を植えたので、遺伝法則によって永遠に持続されるのです。

不倫な淫行関係によって、エバは、天使長と一つになり、次に、アダムと一つになることによって、アダムとエバは、神様を中心とせずに、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭をつくるようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、結局サタンの血統を受け継ぐようになったのです。本来、創造理想の中で、愛は所有権を決定するようになっています。したがって、一旦、愛の関係を結べば、その愛を中心とした主体と対象は、互いの所有権をもつようになるのが原理です。このような原理的基準で、天使長が堕落して悪神になったサタンは、不倫の愛の因縁を通して、堕落人間に対する所有権を堂々と主張できるようになったのであり、人間の本当の父が神様でいらっしゃるのに、かえってサタンが父の振る舞いをしているのです。それで、ヨハネによる福音書第八章四十四節でイエス様は、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と叱責されたのです。

今日のキリスト教徒たちは、み座の上にいらっしゃる万軍の主は全知全能でいらっしゃるので、自由に号令され、万事思いどおりにできると思っていますが、実際の神様は恨を抱いて悲惨な立場にいらっしゃる方です。純粋な本質的愛をもった神様のみ前に理想的対象として描かれたアダムとエバが、堕落して離れていったとき、神様の心はどれほど悲しまれたことでしょうか。堕落の当事者より、そしてこの世のいかなる人よりもっと悲しまれたのです。失ってしまった内容が深ければ深いほど、そしてその価値が大きければ大きいほど、その悲惨さはより一層大きいのです。そのような神様は、失ってしまった子女を取り戻すために、今まで復帰の道をたどってこられました。

神様は、漠然とした方ではありません。具体的な人格を備えた方でいらっしゃいます。ですから、私たち人間と、最高の真の愛の関係をもとうとされるのです。しかし、最高の愛と喜びを人間と共に永遠に分かち合おうとされた神様は、その出発点を人間始祖によって失ってしまわれました。それは正にアダムとエバの堕落のためです。

本然的真の父母の位置にいらっしゃるべき神様が、父母の位置を奪われてしまったのですから、どれほど悲痛でいらっしゃったでしょうか。偽りの父母である怨讐サタンの血統を譲り受け、真の父母が分からない堕落した子女を見つめなければならない神様の心情は、どれほど痛むでしょうか。人間の悲惨な姿を、その瞬間ごとに見つめる神様の心情、父母の心情はいかばかりでしょうか。

宇宙全体とも取り替えることのできない真の愛の実体対象を失うことによって、万物万象まですべて失ってしまい、創造理想全体が崩れるような悲しみの神様になられたのです。天宙の王座を怨讐に奪われた無念な神様になられたのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理を徹底しながら真の愛を投入されたので、堕落の結果に対して、より一層切なく思わざるを得ない神様になられました。神様は、御自身の理想を強奪され、愛する息子、娘を強奪され、天宙の王権を強奪されて、なおもサタンから讒訴を受けてこられたのです。

このような嘆息の歴史は、堕落以後、世界的に訪れるものだったので、創世記によれば、神様も堕落の結果に対して嘆息されました。使徒パウロは、万物が嘆息し、私たちの先祖も嘆息し、全人類までも嘆息して、「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」(ローマ八・一九)と語っています。それは、すべてのものが嘆息圏を抜け出すことを願ったからです。

ですから、人間の創造本然の特権的価値を喪失して苦しむ無価値な人生を見つめる神様の内情的心情は、どれほど悲惨でいらっしゃるでしょうか。この人間たちは、本来は、愛と生命、そして血統を通して神様の直系の子女となり、天国の栄光を一身に受けなければならなかったのですが、敗者の仮面をかぶり、苦痛と嘆息と絶望の中で苦しんで人生の幕を閉じる立場に立っているので、それを見つめる神様は、どれほど苦しまれているでしょうか。一般的に信じられているように、全知全能で栄光のみ座に座った神様だとするならば、自分の息子、娘が死んでいくのに、神様はみ座に座ったまま、「こちらに上がってきなさい。私は席を立つことはできない!」と言われるでしょうか、それともみ座を蹴飛ばして下りていかれるでしょうか。

神様の恨と創造理想的論理

私たちは、神様が泣き叫びながら、「私の息子よ、私の娘よ!」と数万年、数百万年叫んでこられたという事実を知らなければなりません。全知全能でいらっしゃる神様が、なぜ哀れでいらっしゃるのかと反問する人もいるかもしれませんが、神様は、愛する息子、娘を失った衝撃から抜け出すことができないのです。自ら抜け出す道があったとするならば、神様は今まで長い復帰摂理歴史路程をたどりながら、苦労される必要はなかったのです。

神様はなぜ恨を抱き、サタンを直接懲罰することができないのでしょうか。堕落した世の中でも、子女が犠牲の道を行けば、そのまま放っておく父母はいません。そうだとすれば、愛の本体であられる神様は、愛の対象である人類を死ぬ立場に永遠に放っておくことはできないのです。神様が本来理想とされたその人間、その世界を回復しなければなりません。

それで神様は、救援摂理、すなわち復帰摂理を進めてこられたのです。復帰摂理の過程において、神様の苦労がどれほど大きいかということに対する理解も、とても重要です。神様は真の父母として、堕落した人間の苦痛をそのまま御自身の苦痛として感じて摂理をしてこられました。

堕落した人類の始祖は、悪魔サタンの偽りの愛、偽りの生命を受け継ぎ、サタンが人類の偽りの父母、偽りの主人の振る舞いをしてきたので、救援摂理は容易ではありませんでした。ある人は、キリスト教で全知全能だという神様が、なぜ無力な神様になり、滅びつつある人類を傍観するのかと疑問をもったりもします。

しかし、人間が自ら罪を犯したので、それを解決できる解放圏に対する条件を人間自身が立てなければ、神様は人間を無条件に解放することはできないのです。それができる神様であれば、初めから人間始祖をエデンの園から追い出したりはしなかったはずです。ましてや、サタンが血統的な因縁を掲げて主人として君臨しているので、なおさら難しいのです。

創造理想の本然的基準にはあり得ないことが発生し、本然の父母の位置を奪われることによって、神様は、創造主であられるにもかかわらず、これに干渉することもできず、また全体的に責任をもつこともできない立場に立つようになったのです。

どんなに全知全能でいらっしゃる神様だとしても、堕落した人間世界とサタンに対しては、単に能力で審判してしまうことはできないのです。永遠の真の愛の対象として創造された人間であるがゆえに、一度に整理することはできず、真の愛で復帰摂理を進行してこられたのです。また、サタンから讒訴を受け、蔑視されながらも、犠牲と絶えず与える真の愛で対してこられました。

サタンは神様に、「あなたの創造理想を中心として、愛の絶対圏理想である真の単一氏族圏をつくるための愛の血統圏が、このようにみな減んで破壊状態に至ったのに、今も創造理想的論理が適用されると思われるのですか」とあざ笑ってきたのです。そのようなとき、神様は何と答えたらよいのでしょうか。どれほど呆然とすることでしょうか。それでも、神様が受難の過程を通して長い復帰摂理を進めてこられた理由は、どこにあるのでしょうか。全知全能でいらっしゃるからでしょうか。違います。愛する息子、娘を取り戻すための真の愛の理想のためです。御自身の事情は差し®いて、人間の事情を理解してあげようとされる神様なのです。ですから、悲しい人には悲しい事情をもって訪ねてこられ、無念と悔しさで胸を痛めている人には、そのような事情をもって訪ねてこられたのです。

神様の事情と心情を慰労すべき

尊敬する指導者の皆様。皆様は、神様とどれほど深く事情を通じたことがありますか。神様のためにどれほど涙を流したことがありますか。神様の苦労を身代わりするために、四肢が引き裂かれる道でも訪ねていこうと身もだえしてみたことがありますか。それはできなかったのです。神様は、私たちの事情を慰労しながら訪ねてこられ、裏切った子女に対して変わることのない父母の心情で長い歳月の間、訪ねてこられたのです。

しかし、父母でいらっしゃる神様は、万民が嘆息圏を抜け出さない限り、御自身も嘆息圏から抜け出すことができません。神様はそのような立場にいらっしゃるので、私たちは、神様の事情と心情を慰労し、解放してさしあげなければなりません。それでは、何によって神様を解放してさしあげることができるのでしょうか。神様が、愛の対象である子女を失ってしまい、万民を子女として愛することのできない拘束圏にいらっしゃるので、私たちは、神様が万民を自由に愛する解放圏を、神様のみ前に取り戻してさしあげる責任があります。神様の拘束は、人間の堕落が原因だったので、人間は、堕落線を乗り越えて勝利した息子、娘となって、神様を解放してさしあげなければなりません。

歴史的に人間は、神様の心の中に途方もない苦痛があることを知らずに生きてきました。レバレンド・ムーンは、このような恨と苦痛の神様であることを悟ってから、何日も、何週間も痛哭しました。統一教会の出発には、そのような深い事情があることを皆様は知らなければなりません。

神様が、真の愛に背いて怨讐の懐に抱かれた人間に対して、「私の息子よ、私の娘よ!」と切ない思いで叫んでこられたのですが、そのような父に対して、喉がかれるほど「私のお父様!」と叫んだことがありますか。舌が渇き、息が詰まりながら切実にお父様を呼んでみたことがありますか。堕落した群れは、神様に対する何の内容も備えることができませんでした。私たちのあらゆる感情と五官の作用は、すべて世俗的なものです。本然の神様に対するものは一つもありません。公義の法では、神様に対するものは全くありませんが、ただ一つ、愛の法をもって向き合う道があるのです。

神様の解放と釈放

人間が堕落することによって、神様は自由に振る舞うことができなくなられました。したがって、人類始祖も自由にできないように拘束され、天使世界や数多くの宗教人、あらゆる人類もまた拘束圏内で生きるようになりました。

神様は拘束された方です。息子、娘を失ってしまった父母、孝子を失ってしまった父母の心を解いてさしあげるためには、本然の孝子以上に、あらゆる面でその十倍以上の誠意と努力を尽くして孝行をしたとしても、本然の心へと解放してさしあげることは簡単ではないでしょう。それでも、レバレンド・ムーンは、早くから「神様を私の手で解放してさしあげよう!」と決意して生きてきました。

宗教の真の使命とは何でしょうか。それは、愛の心情で神様を解放し、人類と霊界を解放し、そして地球星まで解放するのです。多くの人々は、神様が私たちを解放してくださるだろうと信じてきたかもしれませんが、事実は神様が心情的に拘束されていることを知って、私たちが神様を解放・釈放してさしあげなければならないのです。

このために、「人類のせいで神様が拘束を受けていらっしゃるのだ。私のせいで神様がサタンの讒訴を受けていらっしゃるのだ。私のせいでイエス様も苦難を受けられたのだ。お父様、解放の位置に移してさしあげます。イエス様も、聖霊も、解放の位置に移してさしあげます」と言うことができる、信仰と希望に飢えた人、愛に燃える人を、神様は長い間探し求めてこられました。

今までこの地には、神様が主管する、統一された神様の民と真の愛の主権を中心とする国家はありませんでした。それにもかかわらず、全能の王を賛美していたのですから、神様の心情は自由であられたでしょうか。神様のみ前に孝子がいなかったのであり、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を果たしながら、天国を守ることのできる真の愛の体制がなかったので、神様がお立ちになる位置がなかったのです。それで神様は、今まで囹圄(牢獄)の身で軟禁状態にとどまってこられたのです。この恨をいかにして解くのでしょうか。神様の本質的な愛の実践運動以外には方法がありません。したがって、最後の宗教は、神様が哀れで無念な方であることを詳細に教え、人間を本然の心情的な世界に連結させることができなければなりません。

私たちは今、真の愛運動を通して神様を解放・釈放してさしあげなければなりません。そうでなければ、天道が立て直されず、この地上に理想世界は訪れないのです。真の愛運動は、私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連(超宗教超国家平和協議会)」がアベル的立場であり、そして「蒙古斑同族世界平和連合」がカイン的立場で一体になり、歴史の恨を植えつけたカインとアベルの分立の歴史に終止符を打ちつつあります。

アメリカは今や、自由世界を代表する兄の位置で、神様のみ旨の完成のために先頭に立たなければなりません。そして政党間において、または人種間において、利害や打算を前面に押し出して国民を分裂させ、欺瞞に満ちた利己的で個人主義的な思考の枠組みから抜け出すべきです。そして、神様が皆様の家庭、皆様の国に臨在して暮らしたいと思われる、自由と平和が花咲く真の国家を立てなければなりません。そのために、私たちは手を取り合い、神様を解放・釈放してさしあげ、創造理想を完成した地上天国、平和王国を創建しましょう。神様の祝福が永遠にこの地に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 9 真の父母は神様の体

第十篇 9

真の父母は神様の体

日付:二〇〇五年八月一日

場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル

行事:「二〇〇五世界文化体育大典」祝賀晩餐会

尊敬する国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。きょうこの貴い日を迎え、私は儀礼的でお決まりの挨拶を申し上げるために、この場に出てきたのではないことを御了承くださるようお願いします。人類を罪悪から救うために、真の父母の資格でこの地に顕現した私です。短い時間ですが、天がきょう、皆様に下さるメッセージの一端をお伝えすることで、私の挨拶に代えさせていただきたいと思います。「真の父母は神様の体」という題目のみ言です。

皆様。神様を御覧になった方はいらっしゃいますか。神様は無形でいらっしゃるので、死んで霊界に行っても見ることができない方です。したがって、肉身をもって生きる人間と関係を結んで生きるためには、神様も体をもった父として、この地に顕現されなければなりません。このような天理ゆえに、神様は、人類始祖であるアダムとエバを創造されました。彼らを通して神様は、御自身の姿を有形と無形の両面で顕現しようとされたのです。そのようになる場合は、有形世界と無形世界が調和して一つになった姿であり、宇宙が一つになったものをも象徴しています。

そうだとすれば、肉身をもって生まれた人間として、どのようにすれば無形でいらっしゃる神様の体になることができるのでしょうか。神様の属性は、絶対愛、唯一愛、不変愛、永遠愛です。神様のこのような属性を完全に伝授して創造された最高の傑作が人間です。有限な物質世界の原理原則を土台としてつくった肉身は、永遠に存在することはできません。それで神様は、アダムとエバが完成に至れば、彼らの中に内在して完全一体をなすことによって、アダムであると同時に神様であり、神様であると同時にアダムであるという永遠の関係を結ぼうとしたのです。

もしアダムとエバが堕落せずに神様の戒めを守って個人完成し、神様の祝福のもとで結婚式を挙げることさえできていれば、彼らの子女たちはもちろん、子々孫々、永遠に神様の属性を相続して生きる神様の体になっていたでしょう。また、真の愛の絶対価値圏は、必ず真の愛の相対圏を確保することによってのみ可能なので、アダムとエバさえその基準に立てられていたならば、人類は、子孫を通じて、自動的に神様の絶対相対の位置で永生福楽を享有することができたのです。結局、人間の堕落は、神様に最も大きな打撃を与える結果を招いてしまいました。縦的には父母と子女の関係であり、横的には神様御自身であると同時に子女である人間を、神様はまるごと失ってしまったのです。

アダムとエバが神様の体を備えれば、神様は、彼らの心の中にお住まいになりながら、有形世界である地上世界と無形世界である霊界を統治するようになっていたのです。それは、神様の統治であると同時にアダムとエバの統治でもあります。それと共にこの地に神様の王国、すなわち平和王国をつくり上げたでしょう。アダムは、地上天国の王であると同時に、天上天国の王になっていたのです。神様の属性をそのまま受け継ぎ、アダムはすべての被造物の上に、絶対的存在であり、唯一の存在であり、永遠で不変な真の愛の実体の父母、実体の王、実体の主人、実体の師になっていたのです。今日の人類は、神様の体をもって生きる分身体となっていたでしょう。

そうだとすれば、何が問題となったのでしょうか。それは、堕落が元凶です。堕落は、人間を無知の世界へ追い込んでしまいました。父母を失った天涯の孤児にしたのです。目の前に広がる山川草木は見ることができても、その根である神様に対しては、聞くことも、見ることも、感じることもできない不感症患者にしてしまったのです。しかし、人間よりも大きな苦痛と悲哀の中に落ちた方が神様です。御自身の創造理想を強奪され、愛する息子、娘を強奪され、真の愛の理想の園として創造しておいた地球星まで、怨讐サタンの籠絡の場として渡してしまったのですから、どれほど悔しさで胸が痛み、寂しい恨の心情だったでしょうか。呆然とせざるを得ません。皆様は、このような神様の立場に対して、どれほど多くの慰労の涙を流したことがあるでしょうか。

愛する息子を怨讐に渡さざるを得なかった神様、権限がなく、能力がないからではなく、天理原則として立てておいた愛の天道を、御自身自らが踏みにじることはできなかったので、涙で耐え忍び、待ち望まれながら、復帰摂理を進めてこられた私たちの父でいらっしゃいます。創造主であられる御自身までも否定しなければならない辱めを受けながら、子女を探し求め、はるか遠い蕩減復帰の道を歩んでこられた方です。全知全能であられる神様も、真の血統を復帰するには、このように地獄よりも大変な路程を経なければなりませんでした。

だからといって、神様が主導してこられた復帰摂理は、天理原則の軌道を外れた無作為の摂理になることはできません。サタンの偽りの父母の血統を受け、堕落の後裔に転落した人類を、再び天の真の血統に復帰してあげる真の父母を探し立てなければならないのです。

アダムが完成し、神様の祝福結婚を受けて立てるべきだった天の血統を、再び取り戻してあげる体をもった神様を、この地上に立てなければならないのです。サタンとは無関係の真の家庭、真の国家、真の世界をこの地球星に立てなければならない天の摂理があるのです。それで、二千年前に送られたイエス様は、第二アダムとして来られたのです。しかし、アダム以降四千年という期間にわたって準備してきたユダヤ教とイスラエルが天のみ旨を果たすことができず、イエス様を不信してしまいました。結果的に、救世主でありメシヤとして送られたイエス様を中心とする人類の血統転換は挫折してしまったのです。再び天は悲嘆の谷間を行き来しながら、天地開闢の一日を待ってこられました。サタンの偽りの血統を完全に根こそぎ抜いてしまい、天の真の血統を出発させることができるその一日を待ってこられたのです。

皆様。このような途方もない天宙的次元の押印を受け、この邪悪な世界に現れた人が、正にきょう皆様の前に立っているレバレンド・ムーンであることを知らなけれはなりません。皆様は御存じないと思いますが、私の生涯を振り返ってみれば、実に推し量ることのできない試練と苦難の生涯でした。サタンの六十億の軍隊を相手に、一騎当千の悲壮な覚悟で闘わなければならない孤独で凄絶な闘いでした。

怨讐サタンを自然屈伏させ、奪われた天の御璽を取り戻さなければならない、決して負けることのできない闘いだったのです。数限りなく霊界を渉猟し、四大聖人はもちろん、神様にまで挑戦状を差し出し、創造の神秘を明らかにし、人類救援のための答えを探し出すために、名状し難い試練を経ました。また、地上界の救援よりも霊界の救援のほうが先でなければならないという天理を知り、まず霊界の救援を完成しました。その土台の上に、神様が安心して体を使うことのできる完成人間としての道を駆けてきました。天の真の血統が二度と汚されることのない、真の血族を出発させた真の父母の道を完遂したのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的次元を越え、霊界の数千億の人類までも、真の血統に復帰してあげなければならない救世主、メシヤの道を歩んできました。青盲(目はあいているが、実際には物が見えない眼病のこと)となった六十億の人類に光をもたらす真理の光をもって尋ね求めてきた道でした。

今や、人類の行く道は、あまりにも確かなものとなりました。後天時代の超高速道路を走っている皆様の生涯に、もうこれ以上障害物はありません。心を大きく開いて天のみ言を受け、人間完成の道を歩んでください。真の父母の分身となり、心ゆくまで天の祝福を伝授してあげる後天時代の横的真の父母になってください。地上で平和王国を創建し、永遠に神様を真の父母として侍って生きる恵まれた天国の主人になってください。地球星の至る所では、いまだに荒々しいうめき声が途絶えていません。人類の未来を心配し、世界平和の具現のために第一線で走っている指導者でいらっしゃる皆様の役割が、非常に大きいことを肝に銘じてくださるよう願います。

私がこのように公的な場でお伝えするメッセージは、私自身の哲学や統一教会の理論ではありません。天が六千年間準備してきた天理であり、天道です。神様は、真の父母である私の体をお使いになり、実体の真の父母としての摂理を進行させていらっしゃいます。どうか、新しい天の希望を抱いてお帰りください。真の父母様に侍って平和王国創建の隊列の先頭に立つ皆様となってくださるよう願います。どうか、真の父母様の代身者となり、相続者となってください。神様の祝福が皆様と皆様の国家の上に永遠に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 10 韓国タイムズ航空金浦航空産業団地起工式

第十篇 10

韓国タイムズ航空金浦航空産業団地起工式

日付:二〇〇六年六月十日

場所:韓国、京畿道、金浦市、大碧里(テビョリ)

尊敬する航空業界の指導者、内外の貴賓、シコルスキーの役員の皆様。お忙しい日程にもかかわらず、はるばる駆けつけ、「韓国タイムズ航空」の金浦航空産業団地起工式に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。また、世界的な仁川国際空港と開港五十年を経た金浦国際空港の中間に位置するこの場に、金浦航空産業団地が名実共に先端の航空技術団地として発展できるよう、外国投資法人の指定と産業団地の承認をしてくださり、きょうの起工式を執り行うことができるようにしてくださった皆様に、重ねて感謝を申し上げます。

私は、一生をかけて神様の真の愛を実践するために生きる人生の道理を教えてきました。これは、個人にだけでなく、家庭と社会、国家、すべての次元に適用される基本原理です。そして、貧しさに苦しんでいた祖国の韓国が、より豊かな生活を享受でき、さらには全世界のために与えることができる国になろうとすれば、精神的な基盤だけでなく、堅固な工業技術基盤がなければならないという信念をもち、約四十年前に統一重工業を設立し、先端の自動車工業技術をドイツの会社から導入し、今日の韓国自動車工業の技術基盤を固めました。

超宗教・超国家的活動によって世界平和を追求してきた私は、べーリング海峡を貫くトンネルか、または橋梁を建設し、世界を一つに連結する大規模なプロジェクトに挑戦し、すべての技術が人類の平和と福祉に寄与するよう、最善の努力を傾けています。三十四年以上にわたる海外活動を終えて帰国する際、私は、工業技術の中でも最高の精密度が要求される航空技術の基盤を確立し、韓国をして二十一世紀の機械産業、特に航空宇宙産業の発展に貢献できるよう「韓国タイムズ航空」を設立し、世界最高のへリコプター技術を誇るシコルスキー社と技術協力を締結するに至りました。

今から「韓国タイムズ航空」は、民需用の大量人員輸送のためのへリコプター開発に力を注ぎ、ヘリコプター産業の新しい地平を開き、韓国の大衆交通体制に革新をもたらすことはもちろん、国土活用の効率を高め、国民生活の質の向上に大きく寄与することを期待します。

また、「韓国タイムズ航空」は、私が世界百八十ヵ国以上に築いた統一グループの基盤を通して、平素から私が主唱してきた「技術平準化」を実現することによって、「韓国タイムズ航空」が、韓国が「工業大国」になるための大きな一助となることはもちろん、世界万民の幸福を増進させることを願います。

皆様。私はこれまで、世界人類の福祉と平和実現のために、多方面にわたって持続的に努力してきました。私は、二〇〇五年九月十二日、アメリカのニューヨークにおいて「天宙平和連合」を創設し、全世界百二十ヵ国にその創設メッセージを伝播する世界巡回を終えました。

「天宙平和連合」をアベル国連の位置に立て、新しい国際平和機構へと発展させていくことはもちろん、カイン格の既存の国連を改革し、国連の中に世界的宗教指導者たちによって構成された上院格の平和議会を創設して、既存の安全保障理事会と同等の位置の議決機関として立てようというメッセージです。既存の国連代表部のように、一定の国家の権益ばかりを代弁する代表ではなく、超国家的で超天宙的な次元で、本当に人類の福祉と平和のために働く平和議会の創設を意味します。人類の平和と福祉のためのこのような途方もないプロジェクトを推進している私は、世界的に平和の王であり、人類の真の父母と呼ばれています。

「韓国タイムズ航空」も、究極的には、このような遠大な志のための、大きな一助となるでしょう。この間の、産業資源部と建設交通部など、関係各署と金浦住民の皆様の御声援に感謝申し上げ、皆様全員に、天の祝福が満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。

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第十篇 11 天一国は太平聖代の理想天国

第十篇 11

天一国は太平聖代の理想天国

日付:二〇〇六年六月十三日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:天宙平和の王真の父母様天正宮博物館奉献式と戴冠式

世界万国の頂上たちよ、地球星の津々浦々から、この貴い歴史的で摂理的な日を慶祝するために集ってこられた天の貴賓たちよ、天一国の市民として再び生まれる霊肉界の民たちよ!万有の創造主であられ、人類の永遠の真の父母であられ、天宙の大王であられる神様に、霊肉界三千億以上の人類すべての名で限りない感謝と栄光をお捧げしましょう。

天一国の民の道

永遠に罪悪と苦痛の中で苦しみ、地獄行きを免れることのできない堕落の後裔となった人類を救うために、自らすべての蕩減復帰を完成された天地人真の父母様、天宙平和の王の前に、勝利を称賛する声を高らかに叫んでください。

皆様はきょう、歴史上あとにも先にもない、驚天動地の摂理歴史的大事件の現場に立っていらっしゃいます。天宙平和の王が、ついに栄光の登極をされる日です。皆様の目には見えませんが、今、皆様一人一人の頭上には、数千、数万人の善の祝福家庭の先祖たちが臨み、共にこの荘厳な瞬間を慶祝しているという事実を忘れないでください。天地万物も喜び、共に叫ぶハレルヤの賛美が、全天宙いっぱいに響き渡っています。

皆様が本当にこの日の価値を知れば、到底このようにじっと座ってばかりいることはできないでしょう。全地球星を回り、喜びと歓喜と称賛の声を限りなく叫ばずにはいられないでしょう。

皆様。二〇〇一年一月十三日は何の日だったか御存じですか。天が何よりも待ち望まれ、願ってこられた「神様王権即位式」の日でした。人類の真の父母として印を押されて出発したレバレンド・ムーンが、名状し難い受難と茨の蕩減復帰路程をついに勝利し、完成した基盤の上で奉献した人類最大、最高の慶事でした。数万年の間、嘆息と恨で綴られた道を父母の心情で摂理してこられた神様に、ついに解放と釈放の日を奉献した日でした。神様を縦的な真の父母であり天宙の大王としてお迎えし、天一国の旗を高々と翻し、新しい天の主権の出帆を天上天下に宣布した、実に摂理的な日でした。

それから三年、台風のように吹きつける天運の鍵を握り、一日を千年のように走って勝利した真の父母様の基台の上に、天はついに二〇〇四年五月五日、「双合十勝日」を宣布しました。長き恨の歳月の先天時代を閉じ、この地に新天新地を創建できる後天開闢の時代を開いてくださったのです。実体的にこの地球星を天のみ前に還元させるための歴史的大革命の出発でした。

愛する天一国の民の皆様。きょう皆様は、実体的天宙平和の王の戴冠式に参席し、天一国の民として入籍できるようになる、実に例えようもない天の恩賜を受けています。数千、数万に及ぶ皆様の先祖たちも、この日の恩賜ゆえに、永遠に皆様に感謝するでしょう。

聖書を見れば、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三三)とあります。きょう皆様は、ついに後天時代の実体的主権となる「神の国」、すなわち天一国が創建される奇跡の中の奇跡を目撃していらっしゃいます。実に天は奥妙に役事されます。新千年紀の元旦に、既に天一国の地平を開いてくださっていたのです。しかし、皆様の生前に、このように、夢のような天宙平和の王の登極の日が訪れるとは、誰が想像したでしょうか。

天の国の民の皆様。きょうこの貴く恵まれた勝利と栄光の日、二〇〇六年六月十三日を期して、私は、天宙平和の王として全天上天下に、天一国の民ならば誰もが知って実践躬行すべき天道的次元の基本義務と使命を宣布しようと思います。

一番目に、皆様は今から、縦的真の父母であられる神様の真の子女として、皆様の家庭で三代圏を形成して暮らし、四大心情圏を完成し、永遠に神様を縦的な軸として侍って暮らさなければなりません。さらには、横的真の父母であられる天宙平和の王を永遠の横的軸として敬い、天一国の市民として絶対服従の人生を率先垂範することを肝に銘じなければなりません。ために生きる人生、すなわち真の愛の実践を、皆様の人生の基準として立て、真の家庭を築いて、子々孫々、天の血統を完全に保全し伝授できる、罪のない純粋な真の子女たちを養育しなければなりません。

二番目に、どのような境遇でも皆様の心と体を一つに統一して暮らさなければなりません。私も、いち早く天の道を決心しながら、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」という標語を掲げ、悲壮な覚悟で出発しました。天は既に、皆様がこの目的を達成する道案内として良心を下さいました。良心は、皆様の師よりも先に、皆様に関して隅から隅まで知っています。皆様の一挙手一投足はもちろん、考えまでもすべて見通しているのです。

良心はまた、皆様の父母よりも皆様に関して先に知っています。さらには、皆様の良心は、神様よりも皆様をよく知っています。したがって、皆様の人生の中で良心を神様の代わりの位置に立て、影のない「正午定着」的な人生で絶対服従の道を行けば、皆様は間違いなく心と体の共鳴圏を形成し、統一を完成するでしょう。

交叉結婚を通じた平和世界

三番目に、霊界は既に統一が終わりました。問題は肉身をもって暮らす地上界の人類です。罪悪と患難の塗炭の中で苦しむ彼らもみな、皆様の兄弟姉妹たちです。彼らを正しく教育し、天一国の民に還元させる使命が皆様にあるのです。人類は、誰もが例外なく堕落の後裔だということを認知し、真の父母様から祝福結婚を受け、血統転換をしなければならないという事実を、はっきりと悟るように教育する使命が皆様にあります。同時に、三千億を超える人類が完全に天の血統に復帰されるその日まで、交叉祝福結婚の恩賜を通して、真のオリーブの木に接ぎ木する役事を継続してあげなければなりません。

四番目に、皆様の一生は、母の腹中で十カ月、地上界で空気を呼吸して約百年、それから永遠の天上世界で永生するように創造されました。皆様が生まれて、正常で健康な人生を営むには、腹中での準備が絶対に必要であるように、皆様の地上生活は、次の段階である霊界の人生のために、徹底した準備の人生でなければならないということです。言い換えれば、皆様は、いつ、どこで、何をしても、霊界の先祖たちが皆様と共にいることを忘れず、霊界と歩調を合わせて暮らす人生でなければなりません。精誠と祈祷で霊界と交わって暮らす、地上で完成した霊界人になりなさいということです。

五番目に、天一国を営み、治めるには、民の力が絶対的必要要件だということです。今皆様は、先天時代の残滓である利己的個人主義の仮面を未練なく脱ぎ捨てなければなりません。天から所有権転換の手続きを受けるためには、皆様のすべての所有権を一旦天のみ前に奉献し、所有権還元式を通して、再び受けるという手続きを経なければならないという意味です。

皆様。さらには、天一国の民は、誰もが天のみ前に人類の福祉と平和のための基金の募金活動に参与するようになります。しかし、税金の形式ではなく献金として、収入の十分の三をまず先に国家に捧げて暮らす模範を示さなければなりません。強制ではなく、自発的に喜んで天のみ前に捧げる心情の奉献でなければならないという意味です。

天一国市民の生き方

六番目に、後天開闢の時代は、人間の堕落によって失ってしまった創造本然の理想世界を再び探し立てる時代です。神様が創造してくださった宇宙万象、すなわち自然環境も、人間の人生を豊かなものにするためには絶対に必要な条件です。人間と自然は、愛の主体と管理の対象として、互いに調和する中で共鳴圏を形成して暮らすようになっています。自然を破壊し、環境を汚染する行為を、これ以上放置し、容認してはいけません。

環境を保護し、愛する知恵深い天一国市民になってください。自然に帰って、解放と釈放の人生を楽しんでください。自然を愛することは、すなわち人間を愛することであり、さらには神様を愛することです。皆様の人生が自然と共鳴圏を形成して生きるようになるとき、その中で人格完成の花を咲かせるようになるでしょう。

その中で、真の心情文化と芸術世界の花が咲き、創造本性を中心として、神様と人間、そして万物が一つに調和して暮らす創造本然のエデンの園となるでしょう。このような真の愛の人生を実践する天一国の民に、どうして天が大いなる福を下さらないことがあるでしょうか。永遠に福楽を享受して暮らすようになるでしょう。

七番目に、天地開闢の後天時代は、天と真の父母様が開門してくださいましたが、この福多き栄光の時代を花咲かせ、実を結ばせることは、今皆様の手にかかっているということです。

アベル国連の位相を確立していく「天宙平和連合」の旗のもと「平和王国警察」と「平和王国軍」の二重的使命を果たす天の密使となってください。天が下さった祝福家庭とこの恵まれた地球星を、皆様でなければ誰が育て、守るのでしょうか。億兆蒼生の平和の王、神様を真の父母として侍って暮らす真の王子、王女になってください。天宙平和の王に侍り、真の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭の道理を果たし、太平聖代の平和王国を創建しましょう。

愛する天一国の民の皆様。きょう、この貴く神聖な日を心から慶祝し喜んでください。これまでのすべての憂いと懸念を払いのけてしまい、心から天の父と真の父母様に侍り、喜んでこの日を慶祝してください。

皆様の貴い精誠が集まり、きょうこの日をより一層輝かしいものにしています。この美しい清平湖畔の山川草木が、皆様の希望に満ちた壮途を祝福してくれています。皆様の子孫たちも、子々孫々、皆様にこの日があったことを誇り、保護し、賛美するでしょう。天のお父様の大いなる恩寵と祝福が、皆様と皆様の家庭の上に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 12 天宙平和統一王国創建の真の主人

第十篇 12

天宙平和統一王国創建の真の主人

日付:二〇〇六年十月十四日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:第五回蒙古斑同族世界平和連合総会

天の摂理的要請によって創設され、今名実共にアベル国連としての位置を立てていく「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」の発展のために、世界各地で苦労しておられる指導者の皆様。お忙しい日程を後回しにされ、今大会に参席するために駆けつけてこられた皆様を、天宙天地人父母である私と私の真の家庭の家族全員の名で歓迎する次第です。

皆様。今回の大会は、特に摂理的に大きく深い意義があります。この「蒙古斑同族連合」創設以後、既に五回目の開催となる世界大会であることはもちろん、「天宙平和連合」が創設されてから一年で、三回の世界巡回を勝利し帰国した本然の真の家庭を代表する韓鶴子総裁を歓迎する、世界的次元の歓迎大会でもあります。

真の家庭一代圏の勝利

私と共に韓総裁は、二〇〇五年九月十二日、アメリカのニューヨークで「天宙平和連合」を創設した直後、その創設メッセージを宣布し、世界百二十ヵ国の巡回を完了しました。この真の父母様の勝利的基盤を受け継ぎ、韓総裁は、今年(二〇〇六年)の春から再び二次として、世界百八十ヵ国でみ言宣布大会を開催し、真の子女たちを直接み言宣布に同参(一緒に参加すること)させることによって、真の家庭の二代が共に勝利する、実に驚くべき快挙を成し遂げました。この勝利は、天宙的次元でカイン圏の子女とアベル圏の子女を一つに結び、真の父母様に奉献する摂理的所有権まで転換する勝利でした。

この勝利的基台の上に、去る六月十三日には、ついに天と地が一つになり、神様と天地人真の父母様が安着される天正宮博物館奉献式と天地人真の父母様の天宙平和の王戴冠式が挙行されました。実に、歴史上空前絶後の大勝利でした。歴史の背後で数千、数万年の間、涙を流され、独りで恨の摂理路程を歩んでこられた神様が解放・釈放を受け、天宙の王であり、主人として、永遠に安着される日でした。

天正宮博物館に入住された神様と真の父母様の勝利は、今、世界六十五億の人類を天の眷属に還元させて抱く、恩賜の大長征へと続きました。去る八月三十一日、私が韓国で最初のテープを切り、三回目として出発させたみ言と祝福の世界巡回が、真の父母と真の子女たちはもちろん、真の孫と孫娘まで帯同し、真の家庭の三代圏が全世界四十ヵ国を巡回し、祝福を施す大長征において、堂々と勝利を勝ち取って帰国した喜びの日でもあります。今回の世界巡回が特別である理由は、真の父母の家庭の三代圏が動員されたという点にあります。

毎日、真理と祝福で一ヵ国ずつを復帰していくための天宙平和王国軍の進軍でした。各国の十二カ所の主要都市で同時多発的にみ言を宣布し祝福を与える、人類最大の慶事でした。歴史上、いかなる聖人も夢見ることができなかった、真の家庭の三代が総動員されたという事実は、人類歴史に永遠に記録され、永遠に称賛される奇跡であり、天の解放的勝利です。さらにきょうは、私にとっても、また一つの忘れることのできない歴史的な勝利の一日でもあります。解放直後から北朝鮮の共産治下で天のみ言を伝播している途中で興南監獄に投獄された私が、二年八カ月間の獄苦を経ている中、国連軍によってついに自由の身となった勝利と解放の日なのです。一九五〇年十月十四日、その日は、天が奇跡を起こさざるを得なかった、実に危険千万の一日でした。人類の真の父母としての印を受けた私が処刑を受ける日だったため、天がどうして顔をそむけていることができたでしょうか。

このような途方もない摂理的背景を含んでいるきょうという日を、私は、神様の保護のもとで、人類の真の父母として、天のみ前には尊敬と栄光を、地の上には祝福と愛を施す歴史的な勝利の一日として宣布するものです。

「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」

世界の指導者の皆様。今わずかに一年を超えた「天宙平和連合」を、私たち全員が力を合わせてアベル国連の位置に立てる使命が私たちにあることを忘れないでください。

新しい天宙平和機構として発展させていくことはもちろん、サタン圏を代表するカイン格の既存の国連を改革して、国連内に世界的宗教指導者たちで構成された上院格の平和議会を創設し、既存の安全保障理事会と同等の位置の、神様の保護を受ける議決機関として立てなければならないというのが天の命令です。既存の国連代表部のように、自国の権益ばかりを代弁する代表ではなく、超国家的で超天宙的な次元で、心から人類の福祉と平和のために働く平和議会を創設しなければならないという意味です。

このような神様の創造理想的目的と趣旨をもって出発した「天宙平和連合」の出現は、決して、ある一人の人間の知恵から出てきた結果ではありません。天が、新千年紀を迎えた人類に下さった最高、最大の祝福です。したがって、「蒙古斑同族連合」も、今から「天宙平和連合」の天が賦与した崇高な志を成就していく伴侶として、その役割を果たすことを願います。

そのような意味から、きょう私は、人類にとって絶対に必要な天の啓示を「天宙平和統一王国創建の真の主人」という題目で、もう一度お伝えしようと思います。この「蒙古斑同族連合」創設の時にお伝えしたメッセージです。どうか心を無にして天の声に耳を傾けることができる、知恵深い指導者になってくださるように願います。

万有の創造主であられる神様は、全人類の真の父母です。ある特定の宗教や人種、あるいは特定の地域の人々だけのためにいらっしゃる、そのような制限された概念の父母ではありません。その名称を「ヤハウェ」と言ってもよく、「アッラー」、あるいは何かほかの名前でもよいのです。重要なことは、神様は確実に存在され、万人の真の父母として、今も生きて創造のみ業を継続していらっしゃるという事実です。御自身が太初に立てられた天理原則に従って宇宙万象を経綸され、歴史を摂理しておられるのです。

実在する霊界

皆様。人間には心と体があり、心の上位には霊人体があり、その霊人体が入っていって暮らす霊界はもちろん、肉身が暮らしている現実世界のどこにでも神様は実在されます。そして、人間は、真の愛を通して神様と完全に一つになるとき、完全な人になるのです。

このような観点から、完全な人とは、たとえ小さな個体の姿だったとしても、全体歴史を代表した存在であり、また、未来のすべての関係を代表する存在なので、天宙的な価値を備えるようになるのです。私たちが本当に人間のこのような天宙的な価値を知れば、生きていくときに、心を先に立てて従っていく人生を生きていくべきだということが明確になるでしょう。

それで皆様の良心は、皆様のすべての言行はもちろん、考えまでも感知し、知っているのです。師よりも先に知り、父母よりも先に知り、神様よりも先に知るのです。したがって、永遠の師である良心の命令に絶対服従して生きさえすれば、皆様の永生は絶対に保障されるのです。神様の創造がそのようになっています。

人間の構造をよく見ると、神様は、本来人間を二重構造で創造されたことが分かります。有形世界である現象世界の縮小体として肉身を創造され、無形世界の代表であり、主人として立てるために霊人体を創造されました。したがって、人間は、地上界で百年くらい生きて肉身の役割が終われば、自然に、そして自動的に無形世界の霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長です。神様が創造してくださった、人間の永遠の本郷なのです。

霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。私たちが地上界で、肉身をもって現象世界と様々な関係を結んで暮らすのと同じように、霊界でも人間は、霊人体をもって霊界のすべての現象と密接な関係を維持して生きていかなければならない宿命的存在です。

人間の霊人体と肉身の関係について見るとき、より重要なのは、肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらい生きて死ぬのですが、霊人体は、時間と空間を超越して永生します。いくら地上界で良い服を着て、良い物を食ベ、裕福に暮らす人も、結局、死ぬのではないですか。したがって、皆様の人生は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった完成実体を形成して暮らしてから逝かなければなりません。現象世界であり有限世界である地上界の人生で、肉身を土台として霊人体を完成させる責任があるということです。ところが、霊人体の完成は自動的にやって来るのではありません。必ず真の愛の実践を通して、体と心が完全一体になった人生の土台の上で、初めて完熟した霊人体が結果として実っていくのです。

皆様。秋になって、倉庫に入っていく、よく熟した果物になるためには、春と夏という過程を経ながら、自然界が提供してくれる栄養素と主人の細やかな世話が絶対に必要です。無精で見識のない主人に出会った果樹園の果物は、あらゆる疾病と悪天候に悩まされ、熟すこともできないまま落果したり、虫に食われた果物として選別されたりしてしまうでしょう。果物は果物ですが、すべてが同じ果物というわけではありません。すべての果物が、市場に出して売れる完成品になるわけではないのです。

木の上で完熟した果物は、自動的に主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場にある地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は、肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を形成し、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるのです。

また、地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様の姿は、肉界での人生を一〇〇パーセント収録した霊人体の姿です。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れるのです。

神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自分の審判官になるということです。このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で、快楽ばかりを追い求める背徳の人生で終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。天国行きと地獄行きが、きょうこの時間、皆様の考えと言行で決定されるという事実を、はっきりと肝に銘じてくださるよう願います。しかし、霊人体自体が真の愛の人生を主導し、実践できるのではありません。皆様の霊人体は、必ず体と心の円滑な授受作用によって展開する肉身の人生を土台とした真の愛の人生を通してこそ成長し、完熟し、完成するのです。

しかし、皆様の中では、外なる人と内なる人が絶えず葛藤し、争っていることを否定できないでしょう。あとどのくらいこの争いを継続されますか。十年ですか。百年ですか。宇宙のすべての存在には、厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間を、そのように不完全な状態で創造されたのではないというのです。外なる人である肉身の誘惑を果敢に振り切り、内なる人である良心の道に従って人生の勝利を達成することが、皆様の人間たる義務であり、責任だということを知らなければなりません。このような人生を生きる人は、天運も共にあり、霊人体を完成することもできるのです。

皆様。天国はどのような所で、地獄はどのような所だと思いますか。どのような人たちが入っていく所が天国でしょうか。間違いなく存在するとすれば、そこはどこにあるのでしょうか。天の向こう側の銀河系の外でしょうか。それとも、人間の想像力の所産でしょうか。人間ならば誰でも、一度くらいは自問し、苦悶してみた内容でしょう。

一言で言えば、天国とは、神様の真の愛が満ちあふれ、真の愛が軸となって立てられた世界です。真の愛がすべての環境圏の外形であり、内容となっている世界です。人生の始まりと終わりが真の愛で一貫している世界です。誰もが真の愛によって生まれ、真の愛の中で生き、真の愛の懐に抱かれ、真の愛の軌道に沿って次の世界の霊界に移っていく人生を生きる人たちの世界です。したがって、その世界には、反目や嫉視があり得ず、お互いがお互いのために生き合うことが自然な世界です。お金や名誉、あるいは権力が支配する、そのような世界ではありません。一人が成功するのは全体を代表して成功することであり、一人がうれしく思うのは全体のためにうれしく思うことであり、一人が喜ぶことは全体が共に喜ぶ、そのような姿の世界です。

天国は、真の愛の空気でいっぱいに満ちている世界です。真の愛を呼吸して暮らす世界です。いつも、どこでも、生命が躍動する世界です。構成員のすべてが真の神様の血縁として関係を結んでいる世界です。全世界が私たちの体の細胞のように、不可分の関係で結ばれている所です。神様の本質的愛である真の愛だけが治める世界です。したがって、神様も、真の愛のために存在されるのです。

そうだとすれば、真の愛とは、どのような愛でしょうか。真の愛とは、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたことすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛が真の愛です。神様の人類創造は、何の見返りも期待せず、条件もつけずに与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造です。

真の愛の人生

皆様。真の愛は、公益性を備えた無形の秩序や、平和や、幸福の根源です。真の愛は、宇宙の源泉であり、宇宙の中心、宇宙の主人を生み出してくれる愛です。真の愛は、神様の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん神様までも引っ張れば付いてくるのです。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもっていることが、真の愛の価値です。したがって、天国に入るのに絶対に必要な条件が、正に、ために生きる人生、すなわち真の愛の人生なのです。

ところが今日、私たちが身を置いている現在の世界を見てください。極度の利己主義の罠にかかり、物質万能を叫び、価値観を喪失したまま、享楽と腐敗の沼にはまり込んでいます。アルコール中毒者がはびこり、麻薬やフリーセックスでも足らずに、今では近親相姦という獣にも劣る蛮行を勝手気ままに行っても、堂々と顔を上げて生きています。

女王格の女性、祖母格の女性、母格の女性、妻格の女性、娘格の女性、このようにすべての段階の女性たちを蹂躙しても、世の中を闘歩する「人面獣心」の者たちが氾濫する世の中になってしまいました。夫婦同士で、お互いの夫と妻を取り替えて楽しむスワッピングが猛威を振るう世の中になってしまいました。このような振る舞いこそ、人倫と道徳破壊の極致であり、堕落行為の断末魔的姿にほかなりません。神様の創造理想世界の完成が、夢にも見ることができない地獄になってしまいました。

このようなすべての問題は、私たちの始祖、アダムとエバの堕落にその根を置いています。長成期完成級にいたアダムとエバが、サタンの誘惑によって堕落してしまいました。時でない時に、性的に堕落してしまったのです。

このように、男女間の不倫な性的結合が正に堕落となったので、数千、数万年を経てきながらも、人類はいまだにその堕落の血統圏を抜け出すことができないまま、おぞましい蛮行を継続しているのです。神様の胸に釘を打ち込む逆賊行為です。

皆様。人間は、男性も女性も独りでは半分の人間にすぎません。神様の創造がそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を、お互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻だというのです。

したがって、お互いにために生きる真の愛を中心として一つになってこそ、相対の主人の位置に立つことができるのです。言い換えれば、人間は、誰彼を問わず、結婚を通して主人の位置を確保するときに、半分の人間ではない、完全な人間になるのです。

人間の生殖器は、限りなく神聖な所です。生命の種を植える生命の王宮であり、愛の花を咲かせる愛の王宮であり、血統の実を結ぶ血統の王宮です。この絶対生殖器を中心として、絶対血統、絶対愛、絶対生命が創出されます。絶対和合、絶対統一、絶対解放、絶対安息が展開するのです。それでは、生殖器の主人の位置を求めて何をしようというのでしょうか。その位置で神様の愛を占領しようというのです。神様は三大愛の主体であられます。天宙の主人として、真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母であられます。これが正に、真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真のモデル的家庭の人生を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも、モデル的理想家庭の平和王国に変えることができるのです。

真の父母の使命

堕落することによって、最初のアダムは本然の真の血統を失ってしまい、したがって、本然の夫婦になることができず、本然の家庭をつくることができませんでした。真の師、真の父母、真の王になるべきだったアダムは、サタンの血統を受け継いだ偽りの師、偽りの父母、偽りの王に転落してしまったのです。イエス様も、この地に降臨した目的が、ほかのところにあったのではなかったのです。

第二アダムとして来られたイエス様が、もし十字架で命を失ってさえいなければ、イエス様も、堕落とは関係のない本然の天の血統をもって最初のアダムの失敗を復帰し、人類の救世主として真の家庭を立て、人類の本郷である平和理想世界王国、すなわち地上天国を創建していたでしょう。しかし、来られた主を理解し、侍ることができなかった弟子たちとユダヤ教の指導者たち、そしてイスラエルの国家指導者たちの不信が、イエス様の生涯をあのように無念で悲惨な姿で終わらせてしまったのです。

一つの血統も残すことができないまま、突然逝かなければならなかったイエス様の恨に満ちた心情を知る人は、どこにいたでしょうか。二千年間キリスト教の歴史が進行してきましたが、本当にイエス様の悲しい事情を想像だけでもしてみたキリスト教徒がいたでしょうか。再臨の約束だけを残したまま、跡形もなく、突然旅立たれたイエス様、その肉身は、既に土になってから久しいのですが、天がイエス様を通して成し遂げようとされたそのみ旨は、今、歴史の終末期を迎え、天の印を受けて顕現された真の父母様を通して完成しつつあります。しかし、真の父母の使命を完遂すべきレバレンド・ムーンの生涯もまた、言い表せない苦難と迫害で綴られた恨の生涯でした。第一アダムと第二アダムが果たせなかったすべてを蕩減復帰し、完成しなければならない第三アダムである真の父母の使命は、救世主、メシヤ、再臨主の使命はもちろん、すべての教主たちの使命までも総体的に完遂しなければならない人生なのです。

神様の宇宙創造がそうだったように、少しの誤差も許容できない人類再創造の大役事でした。誰一人として相談すらできない孤独な路程でした。神様までも顧みられず、徹底して独りで訪ねていかなければならない茨の荒野路程でした。幾度も反復される生死の岐路で血を吐きながらも、天との約束を成し遂げるため、再び立ち上がらなければならなかった不死鳥の人生でした。

かつて日本留学時代に地下で独立運動をしたとして、また解放直後、共産治下の平壌で天のみ旨を伝播しているときに、自由国家として誕生した李承晩政権下でも、そしてさらには、民主主義の世界的な代表国であると誇るアメリカにおいてさえも獄中の苦労を経験するなど、一生に六度も無実の獄中闘争を経なければならなかったレバレンド・ムーンの波瀾万丈な人生を、誰か理解する人がいたでしょうか。

かわいそうな神様のために、そして死亡圏で苦しむ堕落した人類を救い上げるために、歯を食いしばって耐えて生きてきた悲惨な生涯でした。今でも誰かが、私のこのような心情の内情をかいま見て、一言だけでも投げ掛けたなら、私の涙は滝のようになるでしょう。

皆様。しかし、今ではもう罪悪の蕩減復帰時代である先天時代が過ぎ去り、天法によって治める法治時代、すなわち後天開闢の時代が到来しました。真の父母様から祝福結婚を受けて血統転換を完成し、「正午定着」的な人生、すなわち影のない人生を営みさえすれば、皆様は今から自動的に天国に入っていける、恩賜圏の時代に入ってきているのです。まずこの地上界で真の家庭を立てて、天国生活をしてから人生を終えれば、そのまま天上の天国に連結され、永生を享受するようになるのです。

したがって皆様は、今から家庭という枠組みの中で、神様を一番上の父母として侍り、全員が子女となり、血縁を中心に苦楽を共にして生活することによって、完成した父子関係を形成しなければなりません。神様と真の愛の相対圏を形成して暮らしなさいということです。

天国は、地上界で先に完成されなければなりません。有形世界の天国が無形世界の天国を完成する前提条件になるということです。したがって天国は、銀河系の向こう側に隠れている空間の世界でもなく、人間の頭脳の中にだけ存在する想像力の副産物でもありません。皆様の真の愛を中心とした人生を通して、初めて創造される実体的な地上天国のことをいうのです。その基盤の上に肉界を抜け出れば、自動的に無形実体の天上天国に入っていくようになっています。地上界で天国生活をしてから逝ってこそ、天上でも天国生活ができるようになる、ということです。

木の上でよく熟した実であってこそ、食庫の中でも最上の収穫品として選別されるということを言いました。皆様の人生が、木の上から虫に食われた地獄行きの人生になってはいけない理由が、正にここにあります。結局、天国行きか地獄行きかは、皆様が地上での人生を通して、自ら決定することを忘れてはいけません。

三代が調和して暮らす家庭

皆様。共に生きる生活の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭の姿が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根に、真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないということです。

そのような家庭には、歴史の根が生きており、天国の根が張っているのです。地上天国の根が張っている所が、そのような家庭です。永遠に継続する王権の根も、ここに定着するのです。過去、現在、未来の根が、それぞれ祖父母、父母、孫と孫娘に代表され、過去の根は霊界を代表し、現在の根は地上世界を代表する王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子、王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿を建てて暮らすのです。このように、祖父母、父母、孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

人類が一つの家族となり、お互いに心の壁を崩し、国家間の国境までも除去しようという共生、共栄、共義社会の実現運動も、このように一つの家庭から始まるのです。したがって、私たちが真の家庭を探し立てることは、この地において天宙平和王国創建を早める摂理的召命だということを肝に銘じなければなりません。

神様も、どこかへ外出しても懐かしく思って、再び訪ねてこられる家庭を築きなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねられる家庭を準備しなさいということです。それが、正に神様に侍って暮らす生活です。

そのような家庭では、神様が縦的な良心の主体になり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛、このように四大愛圏、すなわち四大心惰圏が完成するのです。

このような家庭であってこそ、上下、前後、左右が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、したがって、永存するようになるのです。もし世界が、このような真の家庭で満ちるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める世の中になるでしょう。皆様も一度考えてみてください。誰が皆様の善し悪しを一番よく知っていますか。皆様の祖父母であり、皆様の父母であり、皆様の夫、皆様の妻、皆様の子女たちです。家庭の中で解決できないことがあるでしょうか。父母と子女が、夫と妻が、兄と弟がお互いにために生きる人生の模範を示すとき、許し難い過ちがどこにあり、罪を犯す隙間がどこにあるでしょうか。天理と天道が治める世界は、自然な世界です。遮るもののない真理と道理に従う世界です。影が生じない絶対価値による「正午定着」の世界です。

尊敬する「蒙古斑同族連合」の代表の皆様。このような驚くべき摂理的な時を教え、悟らせてくださった神様と真の父母様に、私たち全員が感謝と栄光をお返ししなければなりません。「蒙古斑同族連合」は、今や使命が明確になりました。「天宙平和連合」を縦的なアベルとし、そして世界の宗教圏と国家圏を横的なアベルとして侍り、カイン的立場に立ってこの地に平和理想世界王国を創建する主役にならなければなりません。

皆様は、今、摂理的第四次アダム心情圏の時代である解放・釈放時代、すなわち後天開闢の時代に進入しています。蕩減復帰で染まっていた旧約、新約、成約時代までの先天時代を勝利した、影のない「正午定着」時代であり、アダムの堕落以前の本然の理想世界を創建していく時代です。平和の王、真の父母を中心として、霊界と肉界が一体圏を形成した全体、全般、全権、全能の真の愛の心情圏の時代、すなわち天宙平和統一王国の時代を意味するのです。

皆様全員が、億兆蒼生の平和の王である神様を、真の父母として侍って暮らす、真の王子、王女になってください。真の父母様の祝福結婚を受けて血統転換を完成することによって、「蒙古斑同族連合」を「蒙古斑血族連合」に還元させましょう。それが正に皆様に下された天命であることを肝に銘じ、天宙平和統一王国創建の真の主人になりましょう。皆様の国家と家庭の上に、天の恩寵が満ちあふれることをお祈りします。ありがとうございました。

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第十篇 13 神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観

第十篇 13

神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観

日付:二〇〇八年八月二十七日

場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館

行事:重生完成、復活完成、永生完成の日宣布式(ヘリコプター事故後四十日)

世界百九十数ヵ国から、きょう、この貴く摂理的な日を慶祝するためにお越しくださった貴賓の皆様。初めに、私たち夫婦と一行全員を無事に保護してくださった神様に、そして私たちのために祈祷と精誠をもって声援してくださったすべての方々に、心から感謝申し上げます。

私はきょう、実に感慨無量です。八十有余年の生涯は、ただ摂理を成し遂げるためにあらゆる受難と獄苦を経るなど、生死の峠を数限りなく行き来しながら生きてきた生涯です。世の中が知らない中、一人でサタンとの熾烈な闘争を続けてきた人生です。

皆様。神様は真に奥妙に摂理をされます。誰も想像できなかった大型へリコプター事故において、天は霊界を動員し、真の父母である私たち夫婦の身には、サタンも無理に手を出すことができないように措置されたのです。人間の目にはとても神秘的な奇跡の中の奇跡に見えるでしょう。しかし、これはヘリコプター事故の歴史上、類例を見ない不可思議な出来事として記録されています。

二〇一三年一月十三日を祖国光復完成の日として公表し、夜昼なく心血を注いでいる私を、天がどうして見捨てることができるでしょうか。御自身の実体として地上界でこの聖業を成し遂げていくレバレンド・ムーンに、神様が共にいらっしゃらなければ、誰が摂理を完成し、人類を再び神様の懐へと取り戻すことができるでしょうか。

神様の大いなる恩賜を受けて、このように皆様の前に再び立つことができるようになった私たち夫婦は、真に感慨無量です。人類の真の父母として天の印を受けた私たち夫婦は、堕落の血統として生まれ、父母のいない孤児として数千、数万年の間、さまよっている人類を救い、一緒に連れて帰ってきなさいという天の至上命令を受けました。

今から四年余りが残っている二〇一三年度に向かう最後の段階として、「双合七八禧年」を宣布し、霊肉界の万邦に総進軍命令を下したこの時点に、このような不意のへリコプター事故に遭ったのです。

しかし、天はこの事故を通して、もう一度、無知蒙昧な人類に、天が生きて役事していらっしゃることをはっきりと見せてくださったのです。今や皆様は、私と手を取り合って爆発的な真の愛、真の家庭革命を遂行し、全人類を祝福家庭化しなければならない切迫した時点にいることを、一時も忘れてはいけません。

分捧王中心の摂理時代

貴賓の皆様。きょうこの貴い日を迎え、世界各国から来られた皆様にお伝えしようとするメッセージは、去る四月三十日から五月二日にわたって、アメリカのテキサスとワシントンDCで開催された、南北米の首脳たちのセミナーで宣布した天のメッセージです。人類は既に新しい時代圏である後天開闢の時代に入っています。平和の王として即位した私の命を受け、世界各地に派遣された分捧王たちを中心として天が役事され、この地に新天新地、すなわち天一国を完成させる時代です。

皆様。イエス様の前に洗礼ヨハネが責任を果たしていたならば、ユダヤ教とイスラエルの反対にあって十字架の道に追い立てられるイエス様にはならなかったはずです。洗礼ヨハネと共に、イエス様はイスラエル民族を導き、天が数千年にわたって準備してきたローマを平定し、治めることができるようになっていたはずです。

そのような基盤さえ確保していたならば、イエス様は世界へ通じるローマの道を通して、世界全域に分捧王たちを派遣していたでしょう。彼らは平和の王となられたイエス様に代わる代身者であり、天のみ旨を伝授された相続者としての分捧王の役割を果たして、この地球星に、国境がなく、垣根のない解放・釈放の平和王国、すなわち天一国を創建していたでしょう。

しかし、人類はサタンの計略から抜け出すことができないまま、再び二千年間の蕩減復帰の道を歩んできた事実を私たちはよく知っています。洗礼ヨハネ一人の失敗が、このように途方もない結果をもたらしたのです。天の摂理は、決して中断されても、放棄されてもいけないというのが天理です。ついにこの地、大韓民国が天の選択を受け、摂理を完成させる祖国となりました。真の父母様がこの地の精気を受けてお生まれになったからです。

私は既に摂理の三大中心国に、アベル格の分捧王を任命、発表しました。摂理上、祖国の位置にある韓国を代表して天宙平和連合(UPF)世界会長を、母格の国家である日本は日本天宙平和連合会長を、そして摂理的に長子格であるアメリカにはワシントン・タイムズ会長を立てて派遣しました。

それとともに、カイン型の分捧王として、北米圏を代表してジョージ・ブッシュ元アメリカ大統領をその候補に選任し、南米圏を代表してサンギネッテイ元ウルグアイ大統領を立て、南米大陸に平和運動を展開します。そして、摂理的に祖国となる大韓民国のカイン型分捧王の位置には、全国民の元老として尊敬されている素石李哲承総裁を選任しました。

皆様。私はこのように世界各国に分捧王たちを派遣する手続きを躍動的に進行させています。彼らは決して、洗礼ヨハネのような失敗を、二度と繰り返すことのできない時代圏に入ってきています。十字架の道に忽然と去られたイエス様の時とは異なり、平和の王として天の印を受けた私は、必ずやこの地球星に神様の祖国光復を完成させなければならないからです。天が共にいらっしゃり、平和の王が中心軸として立ち、世界津々浦々に派遣された子女たちと分捧王たちを導き、永遠の平和が定着する本然の理想天国を創建するのです。

どうか心と体を一つにして、きょう、天が下さるこの天の秘密の一端を皆様の心の中に刻印してください。今後の皆様の活動と人生を指導してくれる天道のみ言が、きょうのこのメッセージに込められていることを肝に銘じてください。

善主権の時代である後天開闢時代

尊敬するジョージ・ブッシュ元アメリカ大統領、そしてサンギネッティ・ウルグアイ元大統領をはじめとする中南米圏の元・現職首脳および内外の貴賓の皆様。まず、忙しい日程を先に延ばし、このように本国際指導者大会に参加してくださった皆様に、私と私の家庭の名で心から感謝を申し上げます。

貴賓の皆様。国際連合の創設趣旨に従い、世界平和を守るという崇高な志を抱き、朝鮮戦争において多大な犠牲を払った国連軍、アメリカをはじめとする十六ヵ国の参戦国に、み旨を中心として七千万の韓民族に代わり深甚なる感謝の心情をお伝えします。人類を罪悪から救い、御自身の創造理想を完成しようとされる神様の摂理的観点から見れば、朝鮮戦争は、単純な一国の戦争ではありませんでした。神様の摂理を完結するうえで、決定的な役割を成し遂げた歴史的な聖戦だったのです。

私と韓半島を中心として繰り広げられた神様の深い摂理的内容を、ここで一つ一つすべて説明することはできません。したがって、きょうは、私が最近宣布した環太平洋を中心とする摂理的内容を皆様に紹介しようと思います。

貴賓の皆様。私は、昨年の二〇〇七年が始まると同時に、神様と人類が、数千年の歴史上、ただの一度も経験できなかった摂理的次元の禧年(すべてのものが元の位置に戻る年、歴史始まって以来、改めて迎える喜びの年)を宣布しました。天がこの年を大きく祝福されたのです。数千、数万年の歴史を通して、執拗なまでに神様の胸を苦しめ、人類を足かせの沼から抜け出すことができないようにしていたサタン主管権、すなわち悪主権の先天時代がついに終わり、この年を頂点として、今から人類は、神様を中心にお迎えし、新しい善主権の時代である後天開闢の時代を大きく開いていくことができるようになったのです。

このような途方もない天の摂理が、皆様の知らない間に進行しているのであり、今では、世界百八十五ヵ国で、私の教えを相続し、天がこの時代に下さった特命を遂行するために、昼夜を分かたず走っている平和大使たちの数が、数百万になっています。

したがって、きょう私は、皆様に今後人類が行くべき方向と天の摂理的プログラムを宣布するという次元で、「神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観・アメリカを中心とする国連と自由世界の方向」という題目で、天のみ言をお伝えしようと思います。

皆様。人類歴史の発展史を深く観察してみれば、歴史の背後で、絶えず役事される天の意志と息遣いを、はっきりと感じるようになります。世界四大河川地域を中心として第一歩を踏み出した人類の文明史を、一度振り返ってみてください。ナイル川を中心とするエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川を中心とするメソポタミア文明、インダス川を中心とするインダス文明、黄河を中心とする黄河文明、これらを私たちはよく知っています。

その後、人類の文明史は、地中海圏に上陸し、ギリシャ半島のギリシャ、イタリア半島のローマといった地中海の半島文化として、花を咲かせるようになります。歴史は、再び発展を繰り返しながらヨーロッパ大陸文明として定着するかと思われましたが、この大陸文化も、再び大西洋圏のイギリスで島嶼文明の花を咲かせる土台となります。

しかし、四海を平定し、「その地に日が沈むことはない」と叫び、気勢をあげていた大英帝国も、再びその華麗な文化のバトンをアメリカ大陸に譲り渡した事実を、私たちは、歴史の中に目撃します。このように、アメリカ大陸に着陸した人類の文明史は、ついにキリスト教に根をおく民主主義の甲胄をまとい、宗教の自由と人権平等の旗印を掲げて闘い、第一、第二、第三次世界大戦を勝利することによって、無神論的悪主権の代名詞だった共産主義がひざまずくようになります。

しかし、人類文明史の発展がここで終わるのではありません。アメリカが偉大であるがゆえに、成し遂げられた結果でもありません。摂理的ブログラムに合わせ、天はアメリカという国を第二イスラエルの代表として選び立て、中心宗教であるキリスト教を通してアメリカの国民を育て、訓練させ、その結実段階の摂理を成し遂げてきたのです。

皆様。しかし、問題は今からです。地球星を一周回ってきた人類文明史の発展は、ついに太平洋圏に到着しました。今や人類歴史は、環太平洋圏を中心として完成、完結すべき摂理的時点に到達したのです。この摂理的ブログラムは、もはやいかなる力も妨げることはできません。悪主権下で勝ち負けを繰り返していた先天時代の蕩減路程は、飛躍する環太平洋時代の足首をつかむことはできないのです。天が禧年を宣布された特別なみ旨が、正にここにあります。

皆様。環太平洋時代の到来が意味するところは、実に大きなものです。人類のメシヤとして来られたイエス様が、み旨を成し遂げていたならば、世界はどのような姿に変わっていたと思いますか。イエス様は、全人類を救うために来られた救世主、メシヤだったのであって、地中海東方の片隅に位置するイスラエルだけを救うために来られた方ではなかったのです。その当時、人類文化は、既に地中海の中心であるローマを拠点として、四海を掌握し、治めることができていました。したがって、天は、イエス様がローマを教化して統治し、その強大なローマの力を借りて、世界人類を新しい神文明圏へと救ってくれることを期待していたのです。しかし、歴史は、あまりにも悲惨な十字架の惨刑で終わったイエス様の最期を記録しています。

皆様。神様の創造理想を完成する神文明圏の構築は、真の愛の人生を実践躬行し、霊界の実相をはっきりと知り、モデル的理想家庭である真の家庭を探し立てることであり、これは天からの至上命令です。それでは、新しい神文明圏の真の愛はどのような愛であり、真の家庭とはどのような家庭をいうのでしょうか。

皆様。絶対的神様の真の愛は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようという愛です。与えても、与えたという事実すら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に、心身をすべて捧げて孝行しながら喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくるのです。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の絶対的真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠のものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践躬行するとき、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権、相続権までも享受するようになるのです。このように、天国に入る絶対必要条件であるために生きる人生、すなわち真の愛の人生とは、すべての創造の平和理想的モデルとなる、神様を中心として平和に暮らす新しい理想家庭の人生です。人類には今、誰もが真の家庭を探し立てることのできる道が大きく開かれました。

皆様。共にために生きる人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と真の愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって慕らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根に、真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないという意味です。

このように、真の祖父母、真の父母、真の子女を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使と分捧王たちの使命であり、神様の願いであることをはっきりと知らなければなりません。もし全世界が、このような真の家庭で満ちあふれるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。

真の父母様の業績

平和を愛する環太平洋圏の指導者の皆様。私は、実に形容し難い受難の路程を克服して勝利し、今日この地位まで来ました。決して個人の栄達と慰安のための人生ではありませんでした。生死が行き交う茨の道でも、天の印を受け、天のみ旨がどこにあるかをはっきりと知った私だったために、人類救援という天命をつかんで身もだえする、不死鳥の人生を生きてきました。そうして、アメリカと世界の宗教界、学界、政界、および各界各層の指導者たちから、私は次の八つの分野でチャンピオンの呼称を受けるようになりました。

一番目に、レバレンド・ムーンは、神様を最もよく知るチャンピオンです。これまで神様は、全知全能の方であられ、被造万物の世界とは絶対的な主従関係であり、尊敬と栄光の玉座にいらっしゃる方であると考えられてきました。しかし、事実は正反対です。

私は、摂理的使命を出発しながら、神棣と人間の関係が父母と子女の関係だということを知ったのであり、最初のアダムをサタンによって失ってしまったのち、神様は、悲しみと嘆息と恨の神様になられたことを悟りました。私は、生涯を通して、その神様の恨を解怨してさしあげ、神様の心情を解放・釈放してさしあげようと全力を尽くしてきました。ついに、二〇〇一年一月十三日、「神様王権即位式」を奉献してさしあげることによって、神様の栄光と権威の玉座を取り戻してさしあげたのです。

二番目に、レバレンド・ムーンは、サタンを最もよく知るチャンピオンです。これまで人類は人間を堕落させ、すべての悪行を主導する悪魔サタンの正体が何かを知りませんでした。私は、摂理を出発した草創期に、十四年以上の間、血のにじむ霊的な祈祷生活を通して、天上世界のあらゆる秘密を深く調べていく中で、すべての悪の根源であるサタンの正体が何であり、さらには、サタンの戦略と戦術が何かを知るようになりました。

堕落によって血統を汚してきたことがサタンの戦略戦術だったため、私は、天の側に本然の血統を探し立てようと全力を尽くしてきたのであり、このような天の戦法が世界的に広く知られた交叉合同祝福結婚運動なのです。

三番目に、レバレンド・ムーンは、人間を最もよく知るチャンピオンです。人間は、どこから来て、どのように生き、どこに行くのか、堕落した人間は、なぜ心と体が争い、葛藤しているのか、生と死の意味は何か、本当に死後の世界は存在し、このために地上生活はどのようにするべきか、などに対する多くの疑問は、レバレンド・ムーンが明らかにした「創造原理」で詳しく説明しています。

人間の生は、腹中から地上生活を経て、永遠の死後の世界にまで連結されているのです。レバレンド・ムーンは、人を見れば、その人の運命を直観する視覚があります。そのため、世界の大勢の若者たちの配偶者を結び合わせてきました。

四番目に、レバレンド・ムーンは、霊界を最もよく知るチャンピオンです。死後の世界である霊界は、地上生活の延長として、すべての人間が自然に行く世界として実在する世界です。したがって、祝福を受けて原罪を清算したのち、霊人体を完成して肉身を脱ぐ人たちには、死ではなく聖和という神聖な儀式を通して、永生の天の国に行く道を歓送し祝賀するのです。歴史時代に来ては逝った数多くの聖賢、烈士たちが、今霊界に実在しており、真の父母様から祝福を受けて絶対善霊となり、神様の地上摂理を手伝っているという事実を知らなければなりません。地上生活の一瞬一瞬は、そのまま天上に記録され、後日、霊界に行く日に、地上生活の審判材料になるのです。したがって、すべての人間は、より大きなもののために犠牲になることを喜ぶ、真の愛の人生を実践しなければなりません。

五番目に、レバレンド・ムーンは、イエス様を最もよく知るチャンピオンです。神様の息子であり、救世主、メシヤとして来られたイエス様が、準備されていた当時のユダヤ教団の指導者たちから反対され、最後に十字架で処刑されたことは、人類歴史において、最も悲劇的な事件です。イエス様は、第二のアダムとして、神様を中心とする理想家庭のモデルを成就し、全人類を接ぎ木してあげなければなりませんでした。

ローマを経て西欧文明の基礎となり、大西洋と太平洋文明圏の中心核となっているキリスト教は、再び来られる再臨主のための新婦的基盤であることを理解しなければなりません。キリスト教徒たちは、神様のみ旨を広げることもできずに十字架に追われたイエス様の、悲しい心情世界を理解しなければなりません。私の教えを通して、イエス様の使命と十字架による救援の限界、そして再び来られなければならない理由などが、はっきりと明らかにされています。

六番目に、レバレンド・ムーンは、聖書および各宗教の経典の核心内容を最もよく知るチャンピオンです。聖書を中心とする各教団の主要な経書は、人間始祖の堕落によって無知に陥った人間たちを、再び神様のみ前に帰す道が暗示されている秘密の啓示書です。

したがって、重大な内容が比喩と象徴で描写されているのです。比喩と象徴は、天から来るメシヤによってのみ明確にされます。したがって、旧約の律法の核心内容を明確に教えてくださった方がイエス様であり、レパレンド・ムーンの教えを通して、新旧約の聖書全体に貫き流れる神様の救援摂理に関する天の秘密が、明確に現されているのです。聖書は、神様の創造理想と堕落、そして復帰の道が隠された秘密の啓示書です。レバレンド・ムーンが明らかにした「原理」は、各種の経書で疑問視されていることに対するすべての答えが、明快に表されています。

七番目に、レバレンド・ムーンは、人類歴史を最もよく知るチャンピオンです。歴史は、単に漠然と反復しながら循環する歴史ではありません。明確な方向と目的をもって流れているのです。人類歴史は、本然の創造理想を回復していく蕩減復帰摂理歴史であり、救援摂理歴史です。

歴史の始源と方向を明確に知っている私は、このような摂理的観点から、一九八五年、ソビエト連邦の最全盛期に、スイスのジュネーブでの国際学術会議を通して、共産主義の終焉を予言するなど、唯物史観の終末を予見したのです。これからは、すべての国家と宗教がそれぞれの垣根を崩す時です。そうして、「唯一なる神様のもとの一家族(One Family under God)」となる時代が急速に到来するでしょう。歴史の主管者は、神様であられます。今後、天運の到来により、歴史の軸が、アベル国連を中心に、天一国を創建するための超宗教・超国家の世界へと急速に前進させるでしょう。

八番目に、レバレンド・ムーンは、真の家庭の価値を最もよく知るチャンピオンです。神様の創造理想は、神様を中心とする真の家庭をつくることです。アダムの家庭が成し遂げられなかった真の家庭の理想を取り戻し、地上・天上天国の基盤を構築するのです。

私が主導してきた祝福結婚運動は、単純な結婚儀式ではなく、原罪を清算し、本然の真の血統によって天に接ぎ木する神聖な行事なのです。真の家庭は、真の愛、真の生命、真の血統の根源です。本然の真の理想家庭を通して、真の国、真の世界、真の天国が建設されます。家庭における真の父母を中心とする四大心情圏と三大王権の基礎が天一国の土台になるのです。

二〇〇五年九月十二日、「天宙平和連合」の創設以降、レバレンド・ムーンは、三代圏祝福理想の完成を通して、み言と祝福で全人類を神様のもとの一つの家庭にしようと、私と韓鶴子総裁、さらに直系の子女たちと孫、孫娘の三代圏が進み出る世界巡回を完了しました。さらに、アメリカのキリスト教代表百二十人、宗教圏代表千二百人、そして一万二千人の平和大使たちが、国家代表として世界百九十数ヵ国を巡回し、真の父母様のみ言と祝福行事を行うことによって、神様を中心とする神文明世界を成し遂げていくために、真の家庭の価値が人類の普遍的価値として定着するようにしたのです。

以上のように、レバレンド・ムーンは、八つの分野のチャンピオンとして世界に広く知られてきましたが、天の助けにより、全人類が協助して勝利しなければならない標的として残されているのです。

真の父母の勝利的伝統の相続

このように、真の父母と全人類が一致して血と汗と涙で起こした勝利の土台の上に、私は、去る二〇〇三年、イスラエルのエルサレムにおいて、キリスト教、ユダヤ教、イスラームの推戴を受け、イエス様を王の王として天上天下に宣布しました。それとともに、二〇〇四年には、私がアメリカと韓国の国会で平和の王として推戴されました。そして、二〇〇六年六月には、ついに「天宙平和の王戴冠式」を挙行するようになったのです。

皆様。二十一世紀に入った今日の人類は、実に歴史的な転換期に置かれています。永遠の世界平和を定着させられるのか、あるいは、二十世紀まで反復してきた暗鬱な戦争と対決の歴史を再び繰り返すのかを、決定せざるを得ない時点に来ています。

皆様も御存じのように、人類は、二十世紀に入って本格化した植民地争奪戦と第一次、第二次世界大戦を経験しました。そして、神様の祖国光復の摂理的次元で国連軍が動員され、世界の十六ヵ国が参戦した韓半島での聖戦、また東西冷戦など、絶えず繰り返されてきた戦争と反目の時代を経なければなりませんでした。

このような渦の中で、私は、生涯の全過程を神様の平和理想世界王国の具現のために捧げてきました。さらに私は、第二次世界大戦が終わると同時に創設された国連が、永遠の世界平和実現のために、神様のみ旨に従う名実共の平和の機構となることを切に祈ってきました。

しかし、一九四五年に創設された国連に、世界平和のために貢献した素晴らしい業績がないわけではありませんが、創設六十周年を超えた今日の姿は、その本来の創設目的を遂行するに当たって、深刻な困難に直面していることを、自他共に認めています。加盟国が二百ヵ国に迫っていますが、自国の権益ばかりを代弁し、主張する国連代表部の役割は、今、世界紛争の解決と世界平和の具現に対して、創設当時からの限界を露呈しています。

皆様。私は去る二〇〇五年九月十二日に、ついに神様の摂理史を花咲かせる「天宙平和連合」の創設を満天下に宣布しました。「天宙平和連合」は、今から後天開闢時代のアベル国連的役割を果たすでしょう。カイン格の既存の国連の刷新とともに、世界各地において、私の教えである「天父主義」、すなわち真の愛、真の家庭主義を伝授されて走っている数百万の平和大使たちを動員し、「神様のもとの人類一家族」を成し遂げる天命を必ず完遂しなければなりません。

皆様。「天宙平和連合」は、超宗教・超国家的な次元で、交叉祝福結婚を通して堕落前のアダムの本然の血統に復帰する、人類の血統転換の大革命を遂行する前衛隊となるでしょう。ある人は、不可能なことだとあざ笑うかもしれません。

しかし、神様のみ旨がある所には必ず道があります。皆様も一度考えてみてください。実体の神様の名で役事しているレバレンド・ムーンの教えに従い、もしアメリカとロシアが超国家的次元で交叉祝福結婚を決行したとすれば、どのような結果が出てくると思いますか。二つの国は、永遠の絶対主人である神様と一つの家族になるでしょう。数億の孫と孫娘が暮らしている国に向かって、どうして敵対感を抱くことができ、銃剣を向けることができるでしょうか。

召命された皆様。人類を神様の真の同族血統に変え、この地に神様が願われた本然の理想祖国と本郷の地を求め、太平聖代の理想天国を創建する聖業が、地球星の至る所で既に勢いよく燃え上がっています。きょうこの時間にも、世界百八十五ヵ国では、一万二千カ所ずつの訓読、祝福大会の責任を完遂するために、火花を散らす競争が繰り広げられています。きょう皆様がこの場に足を運ばれたのは実に貴いことです。この意義深い聖なる禧年と共にある天運の流れを逃さないでください。

地球星の七五パーセントを占めている海洋圏を、皆様が先頭に立って保護し、発展させなければなりません。様々な公害と資源の枯渇によって死につつある地球星を回生させ、人類の未来を約束してくれる新しい資源の宝庫を、ほかのどこで見いだすことができるでしょうか。

今は、天宙的女性時代を代弁する海洋時代が開かれました。海を中心として、超国家的で超大洋的であると同時に、本性の女性文化圏である海洋圏文化を創出し、環太平洋文明圏が主人となる神文明開闢時代を産出するにおいて、真のお母様を中心としてすべての娘たちがー心一体になり、勝利的産苦を完成完結するための機関車の使命を果たさなければならないという点を、肝に銘じてくださることを願います。

きょうこの意義深い場を共にしてくださった貴賓の皆様は、私がお伝えするこのメッセージを心の奥深くに刻んでください。天上の数千億に至る祝福を受けた皆様の善なる先祖の家庭も、この時間、地上に再臨し、皆様と共にこのメッセージを受けています。彼らも、子孫である皆様を通して地上で完成し、真の父母、真の師、真の主人の位置まで出ていくことができなければならないからです。それだけでなく、彼らは、王の王であられる真の父母様と一心一体になり、堕落前の本然の姿で、その方の命令に絶対基準で従い、同参して侍る人生を通し、地上・天上天国の創建に総動員されなければなりません。このように霊肉界が共に生き、呼吸し、苦楽を共にしているという事実を、忘れないようにお願いします。

それとともに、私がきょう、皆様にもう一つ特別にお願いしたいことは、真の父母様のみ言集一千巻以上の中から要約、抜粋した「平和メッセージ」のみ言を、覚えるほど耽読し、人生の指標としてほしいということです。神様が先頭に立ち、霊肉界が一つになって皆様を保護し、助け、神様が願われた平和理想世界を成し遂げ、永遠の解放、釈放を享受して暮らすようになるでしょう。

後天開闢時代における私たちの責任

皆様は今、後天開闢時代の摂理を主導するアベル国連の「平和軍」と「平和警察」としての使命を果たす歴史的な家庭を探し立てなければなりません。人類の福祉と世界平和のために、崇高な献身の道を歩んだ皆様の人生を、歴史は決して忘れないでしょう。「平和軍」と「平和警察」は、私が創設し、今世界的規模で発展しています。

アベル国連の旗を掲げて「平和軍」と「平和警察」の先鋒に立つ家庭に、皆様のような英雄たちでなければ、誰を探し立てるというのでしょうか。世界各地から集まってこられた指導者の皆様。摂理の結実期であり、神様の祖国光復をこの地、大韓民国でまず完成、完結しなければならない切迫した時点に立った今日、皆様は何をされますか。先天時代と後天開闢時代が交差しながら引き起こされる、極度の利己主義と排他主義の壁に閉じ込められ、自己の安楽と栄達ばかりを追い求めて人生を終える愚かな人になりますか。否が応でも、皆様は既に天から召命を受けました。二〇〇七年九月、私が天と地に宣布して出帆させたアベル国連の輝く旗が皆様を導くでしょう。

一方では、カイン格である既存の国連の改革を速やかに完成し、また一方では、世界のすべての国の政治、経済、文化、教育など、すべての分野において、神様の創造理想である神心情圏を軸として広がっている、アベル国連の神文明圏革命を完成しなければならない天命を受けたということです。

したがって、韓国も例外ではありません。「天宙平和連合天一国双合七八禧年」の天運の前に、すべての壁と垣根が溶け落ちてしまうでしょう。サタン世界で万難を克服して勝利した天宙平和の王、天地人真の父母様のその勝利的伝統を継ぎ、神心情圏時代の主人になってください。今や神様の祖国光復は、私たちの手で成し遂げなければなりません。

今、皆様が身を置く民主主義は、真の家庭、真の父母主義の時代、すなわち神文明心情圏の時代を求めていく過渡期的な兄弟主義であることを忘れずに、敢然と民主主義の峠を飛び越え、革命的な飛躍をしてください。

指導者の皆様。皆様がはっきりと知らなければならないことがあります。摂理的に見れば、「天宙平和連合」はアベル的位置に立っており、「家庭堂」は世の中を代表するカイン的立場に立っています。去る第十八代総選挙に出師の表を出した候補者たちは、真の父母様が天宙的次元の勝利を勝ち取られた、その伝統を相続しなければなりません。

それと共に、世界百九十四ヵ国が参与しているアベル国連の舞台で、大韓民国が祖国の役割を果たすことができるようにするために、皆様全員が、今後行われる大統領選挙と国会議員選挙、そして郡守、市長、道知事などの地方自治団体長選挙はもちろん、各種の長官選任にも積極的に参加し、必ずや最後の時を勝利しなければなりません。皆様の目的は、これからすべての国家の既存政党を一つに結び、皆様の分捧王たちを中心として、この地球星に本当の祖国光復を成就することです。

天のみ前に宣布して始めた日韓海底トンネルとべーリング海峡トンネルプロジェクトも、真の父母様と祖国光復のみ旨を完成させる主人の位置で、必ずや成功させなければなりません。アベル格である天一国とアベル国連、そしてカイン格であるアメリカと既存の国連を一つに結び、天宙的次元の水平を探し立て、万王の王であられる神様を軸とし、平和の王であられる真の父母様と皆様の分捧王、そして皆様が一心一体になり、堕落のなかった本然のエデンの園、すなわち祖国創建を完成しなければなりません。

貴賓の皆様。宇宙に散在する森羅万象も、その大小に関係なく、すべて一つの根から始まりました。堕落によってすべての関係が断絶され、人間が無知に陥ったために簡単に感知することができないだけであって、万物はもちろん、太陽までも、それぞれの基準と形態の中で真の父母、真の家庭に侍って共鳴圏を形成し、ために生きる人生、すなわち真の愛を中心とした真の血統圏の世界で暮らしたいと思うのです。

その世界こそ、死のない場所であり、教育が必要なく、先もあとも必要ない所です。電気学でいう負荷のかからない水平の位置で、万物も人間と共に神様だけを中心として暮らす道理に従う世界、すなわち善の王国を完成し、永遠に太平聖代を享受しながら暮らしたいと思う、そのような世界です。

皆様。堕落によってアダムとエバは、霊肉共にサタンに渡してしまいました。しかし、イエス様は、十字架の苦難を通して、肉身は失ってしまいましたが、四十日の復活期間を勝利して霊的復活を完成され、人類に霊的救援の道を開いていかれました。

そのような次元から見るとき、今回のへリコプター事故は、実に途方もない摂理的意味をもっています。サタンの最後の総攻勢の中でも、真の父母様は、霊肉共に完全実体の勝利を勝ち取られたのです。摂理歴史の中で失ってしまった真の家庭三代圏を、一滴の血も流すことなくそっくりそのまま復帰、安着させたのです。

夢にも忘れることができないその日、七月十九日、ヘリコプター事故の当日には重生完成を、それから二十日目の七八節、八月七日には復活完成を、そしてきょうは、事故から四十日目を勝利で締めくくりながら、永生完成の日を宣布する次第です。神様を中心にお迎えし、摂理の最終的理想圏である新天新地を開き、永遠の解放・釈放を謳歌する永生の新しい日を宣布します。

今、皆様の前には、新しい時代と新しい国を約束する二〇一三年一月十三日のその日が近づいてきています。神様の血統と完全な祝福を保全し、本来の真の神様を万有の父母として侍り、永遠の禧年を享受して暮らすことができる平和の実体王国、すなわち天一国のその日に向かって、私たちは総進軍しましょう!皆様と皆様の家庭、そして祖国光復の聖業の上に、神様の祝福と恩寵が共にありますように。アーデュ。ありがとうございました。

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第十篇 14 父母国連を中心とした平和世界の創建

第十篇 14

父母国連を中心とした平和世界の創建

日付:二〇〇九年一月三十日

場所:韓国、京幾道、加平郡、天宙清平修錬苑

行事:真の父母様御聖誕九旬祝賀宴

尊敬する各国の首脳、そして地球村の指導者の皆様。大望の新年を迎え、公私共に御多忙でいらっしゃるにもかかわらず、きょうこの意義深い行事に御出席してくださった皆様を、私と私の妻韓鶴子総裁、そして私の家族全員の名で歓迎する次第です。きょうは、私たち夫婦が誕生した日です。

寂しく孤独な一本道の人生

皆様。天の摂理は、実に奥妙に進められます。青年期に入ったばかりの十六歳(数え)の身で天命を受け、天の道を出発しました。今でも、きのうのことのようにはっきりと感じられる出来事でした。一九三五年の復活節の早朝、まだ冷たい北風が吹きすさぶ初春の定州の地、猫頭山のふもとで、私は天にすがり、身もだえする一世一代の大決心の瞬間を迎えました。

ただ畏れ多く、夢のような天の命令を前にして、必死に辞退する私の胸は、いつしか神様の熱い涙で満たされていました。山と野原、そして家と学校ばかりを夢中になって飛び回つていた私の思春期の時代は、いち早くこのように生死を懸けた祈祷と果てしない挑戦の海へと飛び込んでいくようになったのです。

そして、九十歳の誕生日を迎えるきょうに至って回顧してみれば、私の人生は実に寂しく孤独な一本道の人生だったことを告白せざるを得ません。天の召命を受けたその日から、私の一生は、ただ天とのみ通じながら神様のみ旨を成し遂げるために走る、マラソン選手のような人生だったのです。

周囲を見渡してみたり、誰かと妥協したりできる、そのような道ではありませんでした。師を訪ね求めていくことができる道ではありませんでした。肉親の父母にさえ孝行できない道でした。天命に従い、六十五億の人類を胸に抱き、息を切らせながら目的地だけに向かって疾走してきた血と汗と涙の長い苦難の歳月でした。

皆様。今私たちの前には、約束の年二〇一三年のその日が厳粛に近づいています。

天が数千年間待ち続け、真の父母様が生死の境を数限りなく行き来しながら築いてきた基盤の上に、数千億の人類が願ってきた地上・天上天国完成のその日が、四年後にそびえ立っています。避けていける道ではありません。休んでいける道でもありません。途中で放棄できる道ではないのです。

またその道は、天運の導きに従い、私たちが共に歩んでいくべき宿命の道です。希望に満ちあふれ、喜びで完走しなければならないコースです。祖父母、父母、子女、孫と孫娘の四代が共に手を取り、ハレルヤを歓呼しながら迎えるべきその日が、皆様の目の前で広がるのです。

国連は一家族の姿で奉仕すべき

世界の指導者の皆様。きょう私たちは、実に歴史的な一日を慶祝するためにこの場に集まりました。去る六十有余年の間、それでも天の側に立って人類の福祉と平和のために総力を注いできた国連の崇高な努力と精神を、歴史は忘れないでしょう。

しかし、三〇〇〇年に向かって怒涛のように疾走する今日の世界は、旧態依然たる既存の国連の処方箋では、はなはだ力不足であることを、自他共に認める時点に来ています。言い換えるならば、今のこの時は、後天開闢時代の「新しいぶどう酒」を入れる二十一世紀の人類にとって、「新しい皮袋」が切実に必要とされる時点だというのです。

この歴史的な要請に添って天が祝福としてくださったものが、正にきょうこの場で宣布する「父母国連」、すなわち「平和国連」です。平和の王である真の父母の資格で、私が人類に伝える天の特別なプレゼントです。それでは、「父母国連」とはどのような意味でしょうか。関心をもっている方々もいるでしょう。しかし、難しく考える必要はありません。

国連とはどのような意味でしょうか。すべての国家の連合体ということです。それで「国際連合」と呼ぶのではないですか。第二次世界大戦直後に、これ以上戦争のない平和世界をつくるという念願の中で創設された世界機構です。百九十数ヵ国が会員国として加盟している世界政府のような機構です。毎年、数千億円の予算を使っている地球村の大企業と同じようなものです。

しかし、私が生涯を通じて説破してきた「神様のもとの一家族(One Family Under God)」の教えの次元で一度考えてみてください。国連も結局、一家族のような姿で、人類の平和のために奉仕しなければならない使命をもっています。人類一家族の範疇を抜け出すことはできないのです。

父母国連格の平和国連

したがって、後天開闘時代を出発して天が宣布した「アベル国連」の立場から見れば、既存の国連はカイン格の位置に立っている「カイン国連」です。既存の国連が百九十三ヵ国の会員国を抱えているのに比べて、わずか二年にしかならない「アべル国連」は、既に全世界的に百九十四ヵ国に支部を置き、躍動的に平和運動を展開しています。

しかし、カインとアベルは兄弟間の横的関係です。したがって、家庭の秩序と法度を立てて治めるには、縦的な父母の役割が必須です。カインとアベルは、兄弟として一つになり、父母に従順に従うという天道と天理に従わなければなりません。

ですから、世界的規模で「カイン国連」と「アベル国連」は、父母格の国連である「平和国連」の名のもとに一体になり、平和世界の創建のために過渡期的な使命を果たさなければならない義務があるのです。

これから「平和国連」は、天宙平和万王の王として登極された真の父母様を中心軸として、世界各国に派遣された分捧王たちを先頭に立て、地上・天上天国完成のその日を繰り上げる使命を果たさなければなりません。

真の父母の代身者と相続者の使命

それでは、分捧王とはどのような意味でしょうか。これもまた関心をおもちの方々がいるでしょう。イエス様当時のことを考えてみてください。イエス様に侍って人類一家族の夢を成し遂げる弟子たちが受けるべき職位であり使命が、正に分捧王でした。

ですから、その分捧王たちが、イエス様の分身として世界に通じるローマの道を通り、地球星の至る所に派遣され、イエス様の代身者、相続者としての使命を完遂しなければならなかったのです。そして、イエス様に侍ってこの地球星に平和の王国を創建することが、その当時の分捧王たちの使命だったのです。

同じように、今人類の真の父母である平和の王から分捧王の使命を受けた世界の指導者たちは、真の父母の代身者と相続者としての責任を果たさなければなりません。つまり、この地に永遠の平和を定着させる天命を完遂しなければならないという意味です。人種、宗教、国家、文化の壁をきれいに崩し、「神様のもとの一家族」の平和天国を創建する真の愛の溶鉱炉の使命を果たさなければなりません。私が既に世界的に組織し編成しておいた「平和軍」と「平和警察」も、この崇高な使命に総動員されるのです。

貴賓の皆様。皆様は、きょうこの歴史的な大会に参席することによって、天の召命を受けました。

肉的五感にのみ頼って生きている皆様の目には見えないかもしれませんが、今皆様お一人お一人の後ろには数千、数万人の善なる先祖たちが共にいるのです。天の命を受け、皆様を助け、激励するために駆けつけてきた有り難い方たちです。彼らは今、喜びと歓喜に満ちあふれてハレルヤを叫んでいます。

皆様の霊的な五官を稼動させてみてください。私たちの人生に絶対的に必要な要素である万物も、両手を大きく広げて皆様を歓迎しています。三〇〇〇年に向かって疾走する今日の時代は、ために生きる人生を中心とした真の愛の時代です。後天開闢の時代です。寂しく野原に咲いている一輪の野菊も、真の愛を与え合うことのできる真の主人を待っているのです。

私が「二十一世紀は環太平洋圏の時代である」と宣布したのも、このような脈絡からです。歴史の中心軸に従い、絶えず発展、移動してきた人類文明圏の帰着地が環太平洋圏です。六大州を抱く太平洋圏を保護し、愛し、今後人類の命を守ることができるように養い育てなければならないのが私たちの責任です。

み言集は大勢の学者たちが研究すべき天理の宝庫

皆様。神様を父母として侍り、一家族となって暮らさなければならない人類に、今まで私が説破してきた天のみ言を記した本が、既に一千巻以上になっています。実に途方もない分量です。一人の人間としては、一生をかけても読破するのが大変なほどの分量です。このみ言集は、歴史を通して大勢の学者たちが研究し、発掘しなければならない天理の宝庫です。

皆様は、きょうこのような膨大な天理の核心内容を記した小冊子を受け取ってお帰りになり、御家族の方々全員で精読され、今後、皆様の家庭の家法、家庭の伝統としてくださることを願います。

もし皆様の家庭が、この冊子が伝える教えのとおりに暮らすならば、天運も皆様の家庭を避けていくことはできず、青史に輝く聖人、聖子の家庭となるでしょう。万王の王、神様の大いなる祝福が、皆様の家庭と国、そして全天宙の上に高く高く、満ちあふれることを祈ります。ありがとうございました。

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第十篇 15 真の平和世界と真の父母国連世界の安着

第十篇 15

真の平和世界と真の父母国連世界の安着

日付:二〇〇九年六月一日

場所:韓国、ソウル、コエックス(COEX) コンべンシヨンセンター

行事:文鮮明先生自叙伝出版記念会

絶対、唯一、不変、永遠の新しい神様の血統を、新たに祝福によって受け継いだ、真に愛する家庭と新しい天一国市民の皆様。きょう私たちは、実に特別で絶対的な摂理時代の一時と一日を迎えました。万王の王であられる真の父母様の戴冠式と金婚式、そして自叙伝の出版を記念することはもちろん、「世界基督教統一神霊協会」が創立以来五十五周年となる意義深い時であり日です。

それとともに、きょうは新しい「真の平和世界と真の父母国連世界の安着」を天上天下に宣布する新しい歴史的大会を行う六月一日でもあります。この喜ばしい時と日に、万有の生死禍福を主管される天のお父様が、このように華やかで美しい季節と一日を開いてくださったことに対し、感謝の意を込めて、一緒に盛大な拍手を神様にお捧げしましょう。神様は、生命が躍動するこの季節に、万物の霊長である私たち人間も、万物とともに心ゆくまで新しい生命の創造に同参しなさいと手招きしていらっしゃいます。花のように美しく咲き、太陽のように明るく、川の水のように澄んだ人生を生きなさいと祝福していらっしゃいます。

歴史の中の摂理的結実

特別に天が新たに愛する食口の皆様。私たちは、去る一月一日と一月十五日、そして三十一日の三回にわたって、歴史的な「万王の王神様の新しい解放圏と戴冠式および金婚式」を挙行しました。特に一月三十一日には、東洋圏を代表する韓国の天正宮博物館において、そして西洋圏を代表するアメリカのニューヨークにおいて、このように同じ日に二カ所で、歴史上、空前絶後の摂理的行事を天のみ前に奉献するという記録を立てました。

今年の四月以降の季節は、私たち夫婦が聖婚式を行ってから五十回目となる季節です。独裁に抗議して咆哮(ほうこう)する若い学生たちの絶叫が、ついに韓半島にやってきた一九六〇年度の陰暦三月十六日、私たち夫婦は、聖婚式を通して天から印を受け、人類の真の父母、真の師、真の王の険しい復帰摂理路程を出発しました。それから五十年、神様を完全解放・釈放してさしあげ、万王の王としてお迎えするまで、私たち夫婦が歩んできた蕩減復帰摂理の路程を、どうして筆舌ですべて説明できるでしょうか。遠い将来、歴史家たちが証明し、記録することになるでしょう。

皆様はよく御存じないと思いますが、真の父母様の戴冠式と金婚式がもつ摂理的意味は、実に途方もないものです。人間始祖の堕落によって神様の真の血統はなくなり、サタンの偽りの血統が人類歴史を支配してきた事実は、皆様も原理を学んで御存じであると思います。血統が入れ替わった人類の歴史は、結果的に肉界はもちろん、霊界までも徹底して善悪のカインとアベルの相いれない対立、闘争の関係で入り乱れてしまったではないですか。このような悲惨な歴史に対し、誰一人として解決法を見いだすことができないまま、今まで放置された状態で歴史は流れてきているのです。

しかし、これからは時代が変わります。真の父母様の戴冠式と金婚式を契機として、カイン・アベルの完全一体圏の門が開かれつつあります。神様の本性的心情を相続し、共有する完成、完結の段階、すなわち堕落の痕跡さえない原状の人間に復帰される恩賜圏に進入する新しい時代なのです。「〇」と「X」の原理的次元から考えてみても、「〇」の立場であられる神様の善主権が「X」の立場であるサタンの悪主権を、痕跡も残さずに根こそぎ抱き、消化させる時代圏を意味します。これ以上、実体の神様として役事される真の父母様と無形の神様を区別する必要のない地上・天上天国が実体的に皆様の目の前で広がる、そのような時代圏が開かれつつあるのです。

そのような特別な意味をもつこのとき、私たちは去る四月二十一日から十三日間、私たち夫婦の戴冠式と金婚式を慶祝し、今後、人類の平和祭典としてオリンピックゲームを凌ぐものとなる「圓球ピースカップ・カイン・アベル天宙連合大会」を盛大に行いました。特に今回の第一回大会には、真の父母様の招待ですべてのことを後回しにして駆けつけてきたブラジルのソロカバ・サッカーチームが、大きな役割を果たしてくれました。二〇〇八年度のブラジル・サンパウロ地域FAカップ優勝チームのソロカバチームは、今回の短い期間を通して、韓国、日本、北朝鮮、そして中国を代表する四ヵ国のチームと競技をもち、南米サッカーの真髄を見せる素晴らしい競技を繰り広げました。皆様、ソロカバチームに激励の拍手を送ってくださいませんか。

皆様。私は、きょうこの貴い新しい式典を天のみ前に奉献する意味で、もう一度去る一月以降、「万王の王戴冠式と金婚式」の時に宣布した天のメッセージを皆様と共に奉読しながら、きょうの行事に対する意味を心の中に刻印しようと思う次第です。

真の父母を求めてこられた神様

真の父母と共に平和を愛する天一国市民の皆様。きょうは実に貴く喜ばしい日です。私たちは、共に歴史的で摂理的なこの日を心ゆくまで慶祝し、私たちの永遠の真の父母であられる神様に、尊敬と栄光、そして限りない賛美をお捧げしましょう。霊界の数千億の人類も、この祝福の一日を祝賀するために再臨し、この場に共にいる厳粛な瞬間です。神様は、万宇宙を創造されたのち、この上なく待ち望まれ、願ってこられた日が、正にこの日です。

御自身の子女として創造したアダムとエバが、天の血統を汚し、暗闇の中に隠れてしまったその日以来、神様は、言い表すことのできない苦痛と悲哀の中で、数千、数万年間耐え忍び、待ち続けてこられました。御自身が万王の王として登極し、失ってしまった子女と万物を再び抱き、千年、万年、太平聖代の平和王国を享受して暮らすその日を、首を長くして待ち望んでこられたのです。

皆様。神様は、創造摂理以前から万王の王であられました。しかし、被造万物を創造された以降には、実体をまとわれ、愛の対象圏であるこの現象世界を治める実体の万王の王として顕現されなければならない天道が残っていたのです。それで、神様は、真の愛を中心として、御自身の代身者であり相続者である地上実体世界の真の父母を求めてこられました。

今日、私たち夫婦が、畏れ多くも天から印を受け、神様の実体として立ち、万王の王戴冠式と金婚式を執り行うこととなり、実に喜ばしく思いながらも、天のみ前には申し訳ない心を抑えることができません。いまだに六十五億の人類を完全に天のみ前に復帰してお捧げできていないまま、私の年は既に九十歳に至りました。

天を真に愛する天一国市民の皆様。時が急がれています。天はもうこれ以上、私たちをお待ちになりません。御自身の実体として役事する地上の真の父母を通して、新しい天法を立て、万王の王の権限をもって、この地球星を復帰する真の愛の革命を促進化するのです。したがって、人類と万物万象を探し立てて治める新しい天法の概要を、きょうこの厳粛な場を通して天上天下に宣布する次第です。

第一に、三〇〇〇年に向かって歩んでいるこの時代は、後天開闢の時代です。後天開闢の時代は、これ以上、神様は蕩減復帰原理に束縛されず、万王の王の職権によって霊界と肉界を治める新しい時代です。環太平洋圏が中心軸となり、この地球星を再び原状に戻す摂理の逃避城(逃れの町)時代です。全人類は、これから新しい天道と天法の時代の枠を抜け出すことができなくなるのです。したがって、皆様の一挙手一投足は、水晶のように清く澄んだ人生にならなければなりません。

第二に、神様を縦的な絶対軸として、絶対「性」の価値を全人類に天の憲法として教育する教育革命を完遂しなければなりません。この道こそが人類に善の真の血統を伝授してあげることができ、神様の真の家庭理想の完成を成し遂げる道だからです。純潔、純血、純愛が今後人類の教育理念となるのです。

第三に、地球星を幾重にも取り巻いているあらゆるサタンの垣根と城壁の囲いをきれいに燃やしてしまい、政党、宗教、人種、文化、そして国家間の和合と平和を探し立てるために、新しい分捧王と平和大使、そして父母国連を先頭に立てるのです。

カイン格の国連の位置にいる既存の国連とアベル国連が一つになり、新しい次元の真の父母国連、すなわち真の平和世界国連を中心として、戦争、疾病、飢餓など、サタン側世界のあらゆる悪の問題を解決していくのです。天の神様が共にあり、真の父母が共にあるので、人類は選択の余地なく必ずこの道に行くようになります。個人の利己主義はもちろん、集団の利己主義までもきれいに洗い清め、これ以上、サタン的な選挙が必要のない良心と道理に従う世界を創建していくのです。

第四に、堕落人間の血統を清め、真の家庭を立てて平和王国を実現する最高最善の方法は、交叉祝福結婚しかありません。和解と平和も血統を通して訪れるのです。黒人と白人、東洋と西洋、仏教とキリスト教、ユダヤ教とイスラームが、お互いに交叉し、交体しながら、真の父母様が立てた祝福結婚の伝統を受け継いでいくならば、この世界は自動的に神様の祖国と本郷を探し立てる一つの家族圏になるのです。「神様のもとの一つの家族(One Family Under God)」の理想天国が実現されるのです。銃と大砲を溶かしてすきをつくり、鎌を作る新しい平和の世の中が開かれるというのです。

第五に、神様は、人間を御自身の愛の対象として創造されました。同様に、御自身の子女である人間のためには、その相対格に自然環境を準備してくださいました。山川草木が欠如した空虚な砂漠に、御自身の子女たちを捨てておく神様ではないのです。したがって、人類は、神様のように自然を保護し、愛してあげる義務があります。一輪の野生の花に出会っても、深い心情の対話を交わし、共鳴圏を形成する本然の人性を開発して暮らしなさいというのです。この道が人間回復の近道になります。

本性の新しい真の家庭

天に選ばれた貴賓の皆様。きょう、皆様は、実に貴い天福を受けられました。万王の王が経綸する摂理的歴史の出征式に参加していらっしゃいます。歴史的な大転換期の渦を直接目撃していらっしゃいます。縦的万王の王であられる神様の実体として万有を統治する横的万王の王真の父母様の戴冠式と金婚式、そして自叙伝出版祝賀式に招待されました。これ以上に貴く、歴史的な瞬間が、またいつ訪れるでしょうか。天宙の数千億の皆様の先祖たちまでも、この時間、喜びと歓喜に満ちあふれ、地軸が揺さぶられるほど歓呼の声を上げ、踊りを踊っているでしょう。

どうか心の目を開け、この奇跡のような歴史的な瞬間を皆様の霊魂に刻印してください。皆様の生涯にいつまたきょうのような祝福と栄光の日を見ることができるでしょうか。きょう私がお伝えするこの天のみ言を、今後皆様の生涯の指針としてくださることを願います。

天に選ばれた内外の貴賓の皆様。奉読したメッセージを通して感じられたことと思いますが、今人類は、新しい天理と新しい天道が直接地上界を治める新しい摂理時代圏に入っています。神様の新しい本性的心情基準を相続しなければ、誰も新しい天国に入っていくことができない、そのような新しい摂理時代である第四次本然のアダム圏時代なのです。

きょうこの新時代の摂理的な真の父母様の戴冠式と金婚式、そして自叙伝出版と協会創立五十五周年記念式の行事を通して、皆様の人生の中でカインとアベルを徹底して区別し、新しいアベル圏に統合し、善を中心に立て、旧約、新約、成約の三時代圏と私たちの家庭の三代圏を復帰する知恵深い新しい天一国市民の家庭となることを願います。新しい真の祖父母、真の父母、真の孫と孫娘が共に手をつないで新しい天国に入っていく本性の新しい真の家庭を完成して暮らすことを願うみ言です。これが正にきょう私たちが共に慶祝する新しい「真の平和世界と真の父母国連世界安着大会」の意味だということを肝に銘じ、また肝に銘じてくださることを願います。

万国の万王の王であられる真の神様の大いなる新しい祝福が、皆様の新しい家庭と新しい国、そして新しい全天宙の上に高く高く満ちあふれることを、勝利された真の神様と真の父母様の名によって祈り、宣布いたします。万天宙に神様の祝福が満ちあふれることを願いながら、私のお話を終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

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第十篇 16 神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観 II

第十篇 16

神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観 II

日付:二〇一二年三月七日

場所:韓国、ソウル、汝矣島(ヨイド)、六三ビル、グランドボールル・ム

行事:強い大韓民国汎国民運動本部出征式

尊敬する内外の貴賓の皆様。皆様とこのようにお会いでき、実にうれしい限りです。私と私の家族全員の名で皆様を歓迎いたします。

皆様。きょうのこの大会は、「強い大韓民国」運動が全国的に基盤を築き、本格的な活動を繰り広げるための出征式です。ですから、私はこの場において、歴史的に韓半島を中心として神様が展開された深い摂理的内容についてお話ししたいと思います。それとともに、私が最近宣布した環太平洋中心の摂理的な内容についても、皆様に紹介しようと思います。

後天時代と環太平洋時代

貴賓の皆様。私は、天一国七年が始まると同時に、神様と人類が、数千年の歴史上、ただの一度も経験できなかった摂理的次元の禧年の期間を宣布しました。

天がこの年を起点として大きく祝福されたのです。数千、数万年の歴史を通して、執拗なまでに神様の胸を苦しめ、人類を足かせの沼から抜け出すことができないようにしていたサタン主管権、すなわち悪主権の先天時代がついに終わり、この年を頂点として、今から人類は、神様を中心にお迎えし、新しい善主権の時代である後天開闢の時代を大きく開いていくことができるようになったのです。

このような途方もない天の摂理が、皆様の知らない間に進行しています。今では、世界百八十五ヵ国で私の教えを相続して、天がこの時代に下さった特命を遂行するために、昼夜を分かたず走っている平和大使たちの数が、数百万になっています。したがって、きょう私は皆様に、今後人類が行くべき方向と天の摂理的プログラムを宣布するという次元で、「神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観・アメリカを中心とする国連と自由世界の方向」という題目で、天のみ言をお伝えしようと思います。

皆様。人類歴史の発展史を深く観察してみれば、歴史の背後で、絶えず役事される天の意志と息遣いを、はっきりと感じるようになります。世界四大河川地域を中心として第一歩を踏み出した人類の文明史を、一度振り返ってみてください。

ナイル川を中心とするエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川を中心とするメソポタミア文明、インダス川を中心とするインダス文明、黄河を中心とする黄河文明、これらを私たちはよく知っています。その後、人類の文化は、地中海圏に上陸し、ギリシャ半島のギリシャ、イタリア半島のローマといった地中海の半島文化として、花を咲かせるようになります。

歴史は、再び発展を繰り返しながらヨーロッパ大陸文化として定着するかと思われましたが、この大陸文化も、再び大西洋圏のイギリスで島嶼文明の花を咲かせる土台となります。しかし、四海を平定し、「その地に日が沈むことはない」と叫び、気勢をあげていた大英帝国も、再びその華麗な文化のバトンをアメリカ大陸に譲り渡した事実を、私たちは、歴史の中に目撃するようになります。このように、アメリカ大陸に着陸した人類の文化は、ついにキリスト教に根をおく民主主義の甲胄をまとい、宗教の自由と人権平等の旗印を掲げて闘い、第一、第二、第三次世界大戦を勝利することによって、無神論的悪主権の代名詞だった共産主義がひざまずくようになります。

しかし、人類文化史の発展がここで終わるのではありません。そして、それは、アメリカが偉大であるがゆえに、成し遂げられた結果でもありません。摂理的ブログラムに合わせ、天はアメリカという国を第二イスラエルとして選び立て、中心宗教であるキリスト教を通してアメリカの国民を育て、訓練させ、その結実段階の摂理を成し遂げてきたのです。

平和世界創建の牽引車の役割を果たすべきアメリカ

皆様。しかし、問題は今からです。地球星を一周回ってきた人類文明史の発展は、ついに太平洋圏に到着しました。今や人類歴史は、環太平洋圏を中心として完成、完結すべき摂理的時点に到達したのです。

この摂理的ブログラムは、もはやいかなる力も妨げることができません。悪主権下で勝ち負けを繰り返していた先天時代の蕩減路程は、飛躍する環太平洋時代の足首をつかむことはできないのです。天が二〇〇七年を禧年の期間として宣布された特別なみ旨が、正にここにあります。

皆様。環太平洋時代の到来が意味するところは、実に大きなものです。人類のメシヤとして来られたイエス様が、み旨を成し遂げていたならば、世界はどのような姿に変わっていたと思いますか。

イエス様は、全人類を救うために来られた救世主、メシヤだったのであって、地中海東方の片隅に位置するイスラエルだけを救うために来られた方ではなかったのです。その当時、人類文化は、既に地中海の中心であるローマを拠点として、四海を掌握し、治める準備ができていました。

したがって、天は、イエス様がローマを教化して統治し、その強大なローマの力を借りて、世界人類を救ってくれることを期待していたのです。しかし、歴史は、あまりにも悲惨な十字架の惨刑で終わったイエス様の最後を記録しています。数千年をかけて準備した土台の上に、ようやく御自身のひとり子であるイエス様をこの地に送られ、心を痛め、気をもみながら、一挙手一投足を見守られた神様の心情はどのようなものだったでしょうか。人類の始祖として創造されたアダムとエバが、堕落によってエデンの園から離れていった時よりも大きく凄惨な恨が骨身にしみる悲劇となってしまったのです。

それから二千年、神様は歴史の裏道で、人間には到底想像もできない受雖の路程を歩まれながら準備してきた第二イスラエルの国がアメリカです。キリスト教国として、新教と旧教が適切に按配されているアメリカは、旧教と新教を一日も早く和合統一させ、イエス様の時代に成し遂げることができなかった二十一世紀のローマの役割を完遂する使命を帯ぴているのです。

七十億の人類の和合と統一を成し遂げ、この地に平和理想世界を創建するための、牽引車の役割を果たすべき摂理的次元の責任が、アメリカという国に負わされているという意味です。これは単にレバレンド・ムーンの言葉ではありません。天が今日、アメリカに下された天命です。

それでは、私たちはいかにして旧教と新教を一つにできるのでしょうか。神様は既にその答えを、人類の真の父母として顕現されたレバレンド・ムーンを通じて送ってくださいました。真の愛の人生を実践躬行し、霊界の実相をはっきりと知って、モデル的理想家庭である真の家庭を探し立てなければならないという、天からの至上命令をもって来られた方が、正に人類の真の父母であられるレバレンド・ムーンなのです。

真の家庭が平和理想王国の土台

皆様。真の愛はどのような愛であり、真の家庭とはどのような家庭をいうのでしょうか。絶対的神様の真の愛は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きる愛です。与えても、与えたという事実すら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。母親が子女を胸に抱いてお乳を飲ませる、喜びと愛の心情です。子女が父母に、心身をすべて捧げて孝行しながら喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。

真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいてもただうれしく、宇宙はもちろん、神様までも引っ張れば付いてくるのです。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもっていることが、真の愛の価値です。

神様の真の愛の主流属性は、絶対、唯一、不変、永遠のものなので、誰でもこの真の愛を率先して実践するとき、神様と同居して共に楽しむことができ、同参権、相続権までも享受するようになるのです。

このように、天国に入る絶対必要条件であるために生きる人生、すなわち真の愛の人生とは、すべての創造の平和理想的モデルとなる、神様を中心として平和に暮らす新しい理想家庭の人生です。人類には今、誰もが真の家庭を探し立てることのできる道が大きく開かれました。

皆様。共にために生きる人生の典型は家庭です。父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹はお互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭なのです。真の愛の根から真の愛の幹が生じて、真の愛の実を結ばせる、真の家庭を取り戻さなければならないという意味です。このように、祖父母、父母、孫と孫娘を中心として、三代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、氏族的メシヤの責任であり、平和大使の使命であり、神様の願いであることを知らなければなりません。

皆様。神様も、どこかへ外出しても懐かしく思って、再び訪ねてこられる家庭を築きなさいというのです。父母が子女の家を訪ねるように、喜びの心で気楽に訪ねられる家庭を準備しなさいということです。それが、正に神様に侍って暮らす生活です。

そのような家庭では、神様が縦的な良心の主体となり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛、このように四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。このような家庭であってこそ、上下、左右、前後が一つに連結されて球形運動を継続するようになり、永存する神様のモデル的理想家庭と理想国家と平和理想王国になるのです。もし全世界が、このような真の家庭で満ちあふれるならば、そこには弁護士も、検事も、さらには判事も必要なく、天道と天法が治める、道理に従う世界となるでしょう。

人類の未来は環太平洋国家圏にかかっている

平和を愛する指導者の皆様。この地球星に現存する七十億の人類の中で、五十億に近い人たちが、皆様の隣人であり、親戚である環太平洋圏の兄弟姉妹です。言い換えれば、私たち全員が根を同じくする蒙古斑同族圏の同族です。神様の平和理想を中心として、私たちが祝福を受けて一つの血統で団結すれば、できないことがどこにあるでしょうか。人類の未来は、今や環太平洋圏の諸国にかかっているのです。

皆様。天の摂理は今、アメリカ大陸を経てイギリスと同じ立場である日本列島において島嶼文明の花を咲かせ、人類の救世主であり、再臨のメシヤとして顕現された真の父母の祖国、韓半島で結実すべき宿命的瞬間を迎えています。

韓半島は、イエス様当時のローマと同じ立場に立ち、世界の問題を解決しなければならない超宗教圏と超政治圏の紛争地域とみなされています。地政学的な次元から見ても、韓半島は今、世界平和を定着させるための、最も先鋭な対立地域として浮かび上がっています。

人類文化が、韓半島を中心とする太平洋圏において結実しなければならないというのは、神様の蕩減復帰原理のためです。朝鮮戦争の時には、有り難くも、アメリカを中心とする国連軍が動員されましたが、神様が願われる祖国と故郷を取り戻すというみ旨を成し遂げることができず、途中下車することによって、物質の略奪、人の略奪、有神論と無神論の対立など、世界的次元の葛藤と紛争は、冷戦という名で継続してきました。

このような難題を蕩減復帰するために、私は、既に七年前に創設した「天宙平和連合」の名で、祝福を受けた天の女性たちを中心として、より平和を愛し、奉仕し、犠牲になる「平和軍」と「平和警察」まで組織編成し、教育して、先頭に立てました。これらは、神様を中心とする世界平和を具現する平和の前衛隊として、神様の願いである平和理想世界を創建するようになるでしょう。

皆様は、よく知らないと思いますが、韓半島の核問題解決のために、最善の国際共助体である六ヵ国協議の背後を助け、民主主義諸国と共産主義諸国を和解させ、その解決策を提示しているのも、レバレンド・ムーンが伝えた新しい天父主義の平和、和合の原則だという驚くべき事実を明らかにしたいと思います。

この切迫した時点において、アメリカと国連の役割は、果たして何でしょうか。環太平洋圏の中心に位置しているアメリカのハワイは、東洋と西洋を結ぶ架け橋であり、南と北を連結する鎖です。韓半島は、アメリカ大陸を背負い、太平洋圏のすべての島嶼国を糾合し、潔太平洋圏を保護し、守らなければなりません。重ねて申し上げますが、それは正に、人類の未来が、韓国と日本、そしてアメリカを中心とする環太平洋圏の保全にかかっているからです。このような天のみ旨をよく知っていた私は、去る七〇年代から三十三年間、生涯の黄金期を、アメリカを中心として世界平和のために精誠を尽くしました。その勝利的土台の上に、私は、再び韓国に戻り、神様の祖国と故郷を定着させる摂理を完成させつつあるのです。

「天宙平和連合」宣布とアベル国連の責任

皆様。昨今の世界情勢を冷徹に分析してみてください。共産主義の仮面を脱いだとはいいますが、今も核兵器と強力な軍事力を誇示している太平洋圏の好戦的な強大国は、虎視眈々と力のない小さな島嶼国を狙っています。どの国家でも、小さな島嶼国としては、単独でこの強大国の政治、経済、軍事的攻勢にはかなわないでしょう。彼らがその気になれば、一日でも無血占領を敢行できる力をもっているのです。

皆様。環太平洋圏に安定と平和が定着するとき、人類の平和も保障されるでしょう。怒涛のごとく押し寄せてくる周辺の強大国の途方もない津波を、単独では阻止することができません。環太平洋圏のすべての島嶼国が一つに団結し、神様が願う神文明圏の祖国を創建しなければならない時が来ました。

赤道を中心におき、南北に散在している太平洋圏の小さな鳥嶼国はもちろん、日本、台湾、フィリピン、インドネシア、ソロモン諸島、オーストラリア、ニュージーランドなど、すべての国家が、一つの国のように連合前線を張り、人類の平和と安定を保障してくれる環太平洋文明圏を守らなければなりません。日ごとに激しくなっていく環境破壊と戦争から、人類の未来の命綱であり生命線である海洋圏を保護して生かし、未来の平和のために本然の資源を守るべき責任が皆様にあるという意味です。

皆様。このような人類の諸般の問題を解決するために、私は二〇〇五年九月十二日に、神様の摂理史を花咲かせる「天宙平和連合」の創設を満天下に宣布しました。「天宙平和連合」は、今から後天時代のアベル国連的役割を果たすでしょう。カイン格の既存の国連の刷新とともに、世界各地において、私の教えである「天父主義」、すなわ真の愛、真の家庭主義を伝授されて走っている数百万の平和大使たちを動員し、「神様のもとの人類一家族」の天命を必ず完遂しなければなりません。

交叉祝福結婚によって血統転換の大役事を成し遂げるべき

皆様。「天宙平和連合」は、超宗教・超国家的な次元で、交叉祝福結婚を通して堕落前のアダムの本然の血統に復帰する、人類の血統転換の大革命を遂行する前衛隊となるでしょう。ある人は、不可能なことだとあざ笑うかもしれません。

しかし、神様のみ旨がある所には必ず道があります。皆様も一度考えてみてください。実体の神様の名で役事しているレバレンド・ムーンの教えに従い、もしアメリカとロシアのような国が超国家的次元で交叉祝福結婚を決行したとすれば、どのような結果が出てくると思いますか。二つの国は、永遠の絶対主人である神様と一つの家族になるでしょう。数億の孫と孫娘が暮らしている国に向かって、どうして銃剣を向けることができ、核兵器を発射できるでしょうか。

七十億の人類を神様の真の同族血統に変え、この地に神様が願われた本然の理想祖国と本郷の地を求め、太平聖代の理想天国を創建する聖業が、地球星の至る所で既に勢いよく燃え上がっています。

愛する指導者の皆様。この意義深い聖なる禧年の期間と共にある天運の流れを逃さないでください。地球星の七五パーセントを占めている海洋圏を、皆様が先頭に立って保護し、発展させなければなりません。様々な公害と資源の枯渇によって死につつある地球星を回生させ、人類の未来を約束してくれる新しい本然の資源の宝庫を、ほかのどこで見いだすことができるでしょうか。

きょう皆様がこの場に足を運ばれたのは実に貴いことです。今や「強い大韓民国」の旗幟(きし)のもとに、皆様は団結しなければなりません。この運動は遠からず大韓民国を越えてアジアへ、アジアを越えて世界へと伸びていく烽火となるでしょう。「天宙平和連合」の思想が、すなわち「強い大韓民国」の叫びであり、真の愛を根幹とする神様の平和思想が、すなわち「強い大韓民国」の根だからです。神様の真の愛の理想である平和思想を凌駕する理念や思想がどこにあるというのでしょうか。天は必ず勝利するようになっています。

きょうこの意義深い場を共にしてくださった貴賓の皆様は、私がお伝えするこのメッセージを心の奥深くに刻んでください。天上の数千億に至る祝福を受けた皆様の善なる先祖の家庭も、この時間、地上に再臨し、皆様と共にこのメッセージを受けています。彼らも、子孫である皆様を通して地上で完成し、真の父母、真の師、真の主人の位置まで出ていかなければならないからです。このように霊肉界が共に生き、呼吸し、苦楽を共にしているという事実を、皆様は忘れてはいけません。

アべル国連の導き手として先鋒に立とう

皆様は今、後天開闢時代の摂理を主導するアベル国連の「平和軍」と「平和警察」としての使命を果たす歴史的な人物にならなければなりません。人類の福祉と世界平和のために、崇高な献身の道を歩んだ皆様の人生を、歴史は決して忘れないでしょう。「平和軍」と「平和警察」は、私が創設し、今世界的規模で発展しています。「天宙平和連合」の旗を掲げ、「平和軍」と「平和警察」の先鋒に立ち、「強い大韓民国」を叫ぶ皆様の英雄的な姿を見たいと思います。

どうか私がお伝えしたきょうのメッセージを胸に抱いてお帰りになり、皆様の子女や若者たち、さらには皆様の国家を教育する教材として活用してくださることを願います。神様の祝福が、皆様の家庭と皆様の国家、そして環太平洋圏と平和国連、また「強い大韓民国」の出発に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。

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第十篇 17 平和の主人、血統の主人

第十篇 17

平和の主人、血統の主人

日付:二〇〇九年七月七日

場所:アメリカ、ニューヨーク、イーストガーデン

行事:アメリカ独立二百三十三周年記念集会

皆様が知らなければならないことは、これから、先天時代から後天時代へ、カイン・アベルの時代へと移行するので、新しい歴史を編成する重要な時代に入るという点です。

一秒で世の中が変わる

時代は変わりますが、皆様の暮らす生活環境は変わりません。私たちは、昼と夜の正確な分かれ目に気づかないように、春と夏が一秒で変わることに気づきません。零時前と零時後の一秒を中心としても気づかないのです。きのうときょうは、同じ日のように続いていますが、新しい日へと変わり、時代や世界も新しい時代、新しい世界へと転換するのです。歴史も同じです。先天時代と後天時代が一秒を中心として分かれますが、それをとらえることができないのです。

皆様は習慣性を中心として、きょうもきのうの時間が延長したものと思っています。だとすれば、昔、かつてあった歴史的事実、千年、万年の歴史的価値はどうなるのでしょうか。その千年、万年持続した生が、一秒で変わることに誰も気づかないのです。

この全体の個人的な転換時代、家庭的な転換時代、それから父母を中心とした子女の時代、先祖が出発する時代、それから王と祖父の時代、祖父と父母の時代、父母と夫婦の時代、夫婦を中心として子女の時代へと転換することが、すべて分からないというのです。

目が瞬きする間に先天時代と後天時代が交差するのです。にもかかわらず、それを知らずに暮らしています。皆様は目が瞬きすることに気づいていますか。息をしていることを考えますか。東と西も分かれ、北と南も赤道を中心として分かれています。しかし、南と北、東と西がどこで分かれているのかはっきり分かりません。それを知らなければなりません。同じ一秒と一秒であっても、先天時代と後天時代、上天時代と下天時代、前天時代と後天時代というふうに、天宙次元で違ってくるのです。

皆様。「圓球」という言葉があります。私たちは、「圓球ピースカップ・カインアベル天宙平和連合大会」を開催しましたが、皆様は、宇宙が変わったことに気づきませんでした。天地が一つになることにも、分かれることにも気づかず、天地が分離して堕落することにも気づきませんでした。ー秒の間に世の中が変わっていることを、私たちは知らずに暮らしているのです。絶対信仰の個人的な存在、絶対愛の個人的な存在、絶対服従の個人的な存在も、すべて一秒で分かれることを知りません。

また、陰暦を使うか、陽暦を使うかによって、世界が二つに分かれました。西洋と東洋に分かれたのです。先祖は同一ですが、どのようにして西洋と東洋に分かれ、国と国に分かれ、兄弟もすべて分かれたのでしょうか。これが問題です。

平和の主人

「わたしはアルバであり、オメガである」(ヨハネの黙示録一八)といいますが、そのアルファとオメガの中心は真の愛です。神様は、創造の根本動機であるその核の位置で相対を創造し、一つになろうとされましたが、それがどうなったのでしょうか。堕落しました。血統が一つになって家庭の基盤をつくり上げようとしたのですが、それが果たされず、なくなってしまいました。

アメリカの家庭が神様の家庭と言えるでしょうか。生命の起源である父母の二性性相が分立した一つ一つのものは、何によって一つにならなければならないのでしょうか。愛ゆえに生まれ、愛を通して出発したので、その目的も愛のためでなければなりません。男性独りでは愛することができません。ですから、女性が必要なのです。

レバレンド・ムーンの思想は平和思想です。レバレンド・ムーンは平和の主人、血統の主人です。アルファの愛とオメガの愛があるとすれば、過程的な愛とは何でしょうか。この二つが遠ざかれば遠ざかるほど、球形の中を満たすものがありません。隙間さえあれば、空気が通り、水が通り、太陽の光が通ります。

生命の根本要因は、空気と水と太陽の光であり、そのうちの一つでも欠けてはいけません。水がなくても、すべての生命がなくなってしまいます。空気がなくても、太陽がなくても、なくなってしまうのです。皆様はなくならない自信がありますか。

ですから、「神様のもとの一つの家族(One Family Under God)」という言葉はどれほど驚くべき言葉でしょうか!神様の生命の綱、神様の空気の綱、太陽の光がそこに通じているというのです。そのような解釈をしてこそ、感動をもって愛の理想相対を求めることができます。そうでなければ、統一天下が成就されません。

皆様。生命を捧げる覚悟ができていますか。ここに、ウェストポイント陸軍士官学校に通う生徒たちもいますが、国のために死ぬ覚悟をしなければならないことを学んだでしょう。

自分の愛と家庭と一族を破綻させても国を生かさなければならない、それを教えるのがウェストポイントの伝統思想なのですが、そのようなウェストポイントの伝統思想は、今どこにあるのでしょうか。アメリカの伝統思想をどこで見ることができるでしょうか。個人主義であふれているのです。

個人主義の世界は存在することができません。個人主義、家庭主義、民族主義、国家主義、世界主義でも存在することができないので、それ以上を主張するのが天宙主義です。「天宙」の中にはすべての国が入っています。それを指向するのがピースカップ主義です。

すべてのことを教えてくれる教材

神様はモーセに、イスラエル民族を率いてカナンの地に入るように特命を与えるとき、「今から故郷に帰りなさい。カナンの地に帰りなさい!」と言ったのです。そのとき、一人でも契約の箱が通る道に妨げとなれば、その国は根本的になくなるようになっていました。一人が誤れば、全体が誤ることになるのです。

その当時、国の興亡をかけた方策をヨシュアに与え、カナンの三十一ヵ国の民たちは、契約の箱が過ぎいく時に、契約の箱に対して礼を尽くして何度も頭を下げて謝罪し、千回、万回、敬拝をしなければならないのです。そのような姿にならなければ通じません。自分に欲と野望があって屈服しない群れは、根本から取り除かれてしまうのです。ですから、一人が屈服しなくなれば、その一門、その国をなくしてしまうのです。

第二次世界大戦は、英、米、仏と日、独、伊の対決でした。イギリスは母であり、アメリカはイギリスの息子です。フランス(「仏」は韓国語でブル)は何でしょうか。いつでも火事(「火」ほ韓国語でプル)を起こす火鉢に火種が残っているのがフランスです。火種が生きているのがフランスです。英、米、仏に対して、日本、アジアが中心になろうとしました。

蘇生、長成、完成の三時代、旧約時代、新約時代、成約時代を経て、第四次アダム圏の時代に定着できる準備をしたのですが、皆様は、そのみ旨が分かりますか。分からないので、今回このすべてを教える教材を作りました。父母たちは、この教材を子女たちに買ってあげるのです。息子が十二人ならば、父母の本を中心として十三数です。十三冊で教育するのです。「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」をこの本で教えることで、息子と娘が神様と分かれることなく、完全に一つになるのです。

イエス様の十二弟子の不信と猟師の歴史

十二人の息子は十二支派であり、イエス様まで入れて十三数です。十二弟子の前に十三数を見つけることができなかったのですが、十二人弟子がイエス様を否定したというのです。それでイエス様が亡くなられたのではないですか。

そのようにして天地を滅ぼした罪の系統が残り、北極の猟師の歴史へと受け継がれたのです。カイン格である北極の猟師たちは、食べ物がないので、川の流域や平野地帯を占有しました。天の民となる人たちが、そこに住まなければならないのに、最も貧しく暮らしていた猟師たちが、銃を造って占領したのです。

猟師たちは血を見ることを好むのです。狩猟に行く時は四人で出発したのに、帰ってくる時は一人で帰ってきます。あの山この山と移動して回りながら、獣を狩猟して捕まえます。そうしていくうちに、「あいつは危険だ。我々の物を奪うかもしれない」といって殺害するのです。春に殺害し、夏に殺害し、秋に殺害して、狩猟をした獲物を独占します。そうして、生活のために狩猟した獲物を一人で食べます。ですから兄弟もなく、親子もなく、親戚もないのです。

そのように捕まえたあとには、帰らなければなりません。帰ってから、春には農業をしなければならないのですが、猟師が農業をすることができますか。ですから、さらに高い山岳地帯を訪ねたり、一部の人たちは釣り場へと向かうのです。

釣り場には主人がいません。審判の時は動物をすべて審判しましたが、魚は審判しませんでした。それでは、釣り場で魚を捕まえるためにはどうしたらよいでしょうか。スウェーデン、ノルウェーが海賊の基地だったことを知っていますか。

狩猟に行けば、各国の人が集まって最後に一つの国の人だけが残るのですが、その純白人が銃を研究して機関銃まで作ったのです。それがチェコ・スロバキアです。ヨーロッパの科学文明がチェコ・スロバキアで始まりました。そのようにして始まったのが猟師の技術です。狩猟に行って、チェコ・スロバキア人同士が命を奪い合うのです。一頭の熊をめぐって二人が闘うというのです。

猟師とアメリカ

狩猟は誰がするのでしょうか。犬にさせるのです。猟犬を飼って狩猟をするのですが、犬は、おおかみ、虎、ライオンがいれば、直ちににおいを嗅ぎつけて分かります。雪の上の足跡を見たり、臭いを嗅いだりして、熊か虎かが分かるのです。平原地帯では、においを嗅いで、熊か虎か分かります。北極では雪の上の足跡を見て分かるのです。足跡が問題です。熱帯地方では、犬がにおいを嗅げば、ライオンでも何でもみな分かります。

水に生息する獣の中で、アナコンダという蛇は体が大きくて、ライオンや虎、おおかみのような、大きな生きものを、巻きついて食べるくらいです。水の世界で残るのは蛇しかいません。それを知っているので、天が水を中心として審判したのです。このような話は、ただ語っているのではありません。文総裁がどうしてそれを知っているのかというと、天が教えてくれたので知っているのです。

アメリカ人は左利きの人が大勢います。白人には左利きがたくさんいるのです。白人たちは主に猟師をしていたので、銃を持って歩き、担いで歩くので反対側の肩を使うことができません。寝るときも左手を枕代わりにして眠り、左手を中心として仕事をしました。それで、左利きが多いのです。

ニューヨークの中で、最も恵まれた地域がイースト・ガーデン地域です。湖があり、釣り場があります。そして、鹿やあらゆる動物を育てられる所は、ニューヨークでこの地域しかありません。泉のほとりです。また、ベアマウンテン(州立公園)とは、熊(ベア)が行って暮らした所で、アメリカ東部における中心のマウンテン(山)という意味です。

先生はここを、なぜ釣りの中心本部としたのでしょうか。ニューヨークの沖合では、冬でもストライプトバス(シマスズキ)を釣ることができます。春夏秋冬、いつでも釣りができるのはニューヨークしかありません。ニューヨークなので、魚も盤石の上にいるのです。地球星が壊れても、ニューヨークは残るようになっています。避難所です。長生きする欅(けやき)がある所がニューヨークです。木の中で、種をたくさんもっているのが欅です。

ところで今、民主主義を滅ぼしているのはアメリカです。すべてが個人主義者に変わりつつあります。神様を中心とする理想主義に帰らなければなりません。また、神様は真の愛を中心とする独裁の王です。サタンは悪の独裁の王として世の中を滅ぼしますが、天の国の独裁の王は、三大王権を守って育てていくようにするのです。

神様の故郷の地

イスラエル民族が救世主であるイエス様を捕らえて命を奪いましたが、再臨の主も同じです。第二イスラエルであるアメリカが、宗教圏を中心として文総裁を捕らえて亡きものにしようとしたのです。これからは、先生がやろうとすれば、できないことがありません。アベル国連の看板をつけて進み、真の理想的な一つの家庭、一つになれる家庭を立てるのです。

世界には六千以上の言葉があります。そのような異なる言葉を一つに統合できるのは韓国語しかありません。カナダラマバサアデャチャカタパハ!この文字は、世界のどんな言葉であれ、上からでも下からでも読み書きできます。四方において主人の振る舞いができる言語なのです。そのような文字をもっているのが韓国の民族です。

「東夷族」とは何でしょうか。東方の国の、矢を上手に放っ戦のチャンピオンです。頭が良いので戦に勝ちます。あらゆる戦法を用いて常に勝利するのです。高句麗は、千年王国を築きました。その高句麗がいまだに死なずに韓国で実を結ぼうとしているので、中国が大騒ぎです。「世界平和と言えば、中国とロシアだ」と言うのですが、中国やロシアという国家はあっても、それらは宗教圏を一つにすることができません。中国がロシアと一つになり、二国が協同して宗教圏を迎えなければなりません。私はゴルバチョフ大統領にそのようなことを話し、「神様さえお迎えすれば、モスクワは統一天下の王国となるだろう」と言ったのです。

しかし、モスクワでもできず、北京でもできず、ニューヨークでもできませんでした。ワシントン地域でもできませんでした。すべて失ってしまいました。どこで成し遂げられるのでしょうか。今や残っている所は、一つしかありません。神様を中心とする王権、神様の祖国と故郷の地は、先生の生まれた平安北道定州の地にならざるを得ないという結論が出ました。それが真の父母の地です。

真の父母によって、真の神様も生まれ、真の先祖も生まれ、真の民族も生まれ、真の国家も生まれ、真の世界も生まれて、統一天下の一つの血統にまとめることができるのです。そのようなことを、強制ではなく道理に基づいて行うのです。

祝福の価値が分かれば文総裁に従わざるを得ません。文総裁の思想を理解する世界では、投票が必要ないのです。すべて祝福を受けたというのに、どうして投票が必要でしょうか。

次の選挙が最後だと言ったでしょう。その次は投票がなくなります。文総裁が看板をつけて前進するのです。「私の言うことを聞きなさい!」と言うのです。国連が、言うことを聞かなければ、「闘うならいくらでも闘ってみなさい!」と言います。それは、最下級の水平にすぎません。その水平とは何かというと太平洋の海のようなものです。

太平洋が満水になれば、残れる島はハワイしかありません。そこにはどんな山があるか知っていますか。そこには地球星で最も高い天文台があります。山の歴史から見て、海底から測れば一番高いのです。そこは海抜四千三百メートル以上ですが、海まで含めれば一番高いのです。海底だけでも一万メートル以上あるので、一万四千三百メートルになります。地球星の一番底から山になっているのが、ハワイのコナにあるマウナ・ケアという山です。世界で一番のコーナー、世界で一番遠い所なのです。

そこに私が入っていき、ハワイ・キング・ガーデン、ハワイ・クイーン・ガーデンを造りました。地球星で最高に高く、一番のコーナーがコナですが、コナで一番良いのがコーヒーです。そこに、最高の品質を誇る、私たちのコーヒー農場があります。文総裁がハワイに歩哨所を造ったのは、四十年前のことです。北朝鮮に行くときも精誠を尽くした所です。北朝鮮の金日成主席のところに行って談判するときも、まずハワイに行って精誠を尽くし、原稿を書いたのです。

ロシアのゴルバチョフ大統領は、韓国語で「均等に縮める」という意味になります。自分しか残っておらず、世界を狭めたり広げたりできるのは私しかいないので、私の言うことを聞きなさいというのです。私の言うことを聞いて宗教を承認したので、ソ連に解放がもたらされたのです。

西欧キリスト教文化圏と東欧キリスト教文化圏の争いが、第二次世界大戦です。一つの兄弟の争いです。ロシアは長子、ヨーロッパは次子、三番目の息子は統一世界文化圏です。歴史の流れと歴史のすべてが、内外の事実と一致するのです。

『統一百科大事典』

先生は、生きた百科大事典として、百科事典にない内容の言葉を使うのです。三分の二以上は百科事典にない言葉を使います。ですから、『統一百科大事典』を作っておきました。録音テーブさえあればよいのです。すべてつくり終えました。ですから、『統一百科大事典』が出ることによって、一つの文化世界が創造されるのです。二つあれば二つの百科事典、三つあれば三つの百科事典、四つあれば四つの百科事典です。そのようになれば、共産圏の百科事典、ロシア百科事典、アメリカ百科事典、インディアン百科事典まで出るようになるのです。

先生はすべてのことを解き明かして、共産圏が何も言えないようにします。「負けました。蘇生的旧約時代も負けました。長成的宗教圏内でも負けました」と言わせるのです。霊界を否定していた共産圏ですが、霊界にいる共産圏の先祖までが降りて来て、「霊界は統一されている」という事実を認めているのに、共産圏は民主世界の宗教圏を握って、王のような振る舞いができるでしょうか。

この中で、祝福を受けて生まれた子女たちは手を挙げてください。皆様は、父と母の愛に同参して生まれた人たちです。父母の血肉を連結できる代表的な人が皆様です。母でもなく、父でもありません。神様の血統を受け継いだということを知らなければなりません。

王となる人たちはもちろん、アメリカの民主主義やあらゆる主義をすべて崩して、二世を中心として父母、祖父、王たちがこの『平和神経』で教育するのです。それが祝福を受けた家庭の訓読会です。

訓読家庭の基準の伝統を受け継げば、一斉に天下が天の国の皇族圏内に入ってきます。そのような教材を作りました。この教材は誰のものでしょうか。皆様の父母の中で、酒を飲み、たばこを吸い、浮気をし、ありとあらゆることをしている人がいるでしょう。彼らをどのようにして救ってあげるのでしょうか。

再びこの本で教育を受けることによって、父母と一つになり、神様の血統を同じ位置で受けたという、同レべルの関係が出発したことになるので、父母に代わる位置に上がっていくことができます。父母に代わる位置に上がるのです。この本で、皆様が主人になるのです。もし父母が誤れば、祝福二世たちが彼らを教育するのです。

今まで分かれていた父と母を、分かれていた民主世界と共産世界を、息子、娘たちがこの教材をもって教育すれば、自動的に統一されます。二世の解放圏が生まれるのです。万民解放の教材として、この本を持っていって教育すれば、その国民は天の国の国民にならざるを得ません。この本は、天の国の教材として作ったのです。

二世が家庭訓読会の指導者

皆様。韓国の幼稚園から小学校、中高等学校を卒業するのです。そうすれば早いのです。韓国の幼稚園を一年、その次には小学校を六年、中高等学校を六年通えば十三年です。高校を卒業し、この本まで知れば、世情に通じるようになります。十三年ですべて分かるようになるのです。

その次に大学と大学院です。カイン・アベルを中心として、アベル圏として博士コースを経るためには、八ヵ国の本を参考にできる能力がなければなりません。そのような能力がなければ、ハーバード大学の正式な博士コースに入れません。子女も、八カ月すれば、一年足らずで親の言葉が大概理解できるでしょう。三年もかかりません。二年半でその国の言葉にすべて通じます。三歳になればすべて通じるのです。幼稚園に入って、その時から一つの国の言葉、一つの言語を学ばなければなりません。

母国語が分からない人は天国に入れません。ですから、このような貴い本を、真の父母様が読む原本で実際に作らなければなりません。それが千年、万年残るのです。今後、ダイヤモンドで作った本、または金や白金で原本を作って保管しておかなければなりません。セーヴルにメートルの原器を保管するのと同じです。セーヴルはフランスにありますが、そこにすべての原器が収められています。

アメリカが三十四年間、文総裁を受け入れなかったために滅びてしまいました。イスラエルの国まで第三イスラエルが相続し、第四次アダム圏時代を連結するものをみなつくっておいたのですが、それをボイコットして皆様の思いどおりに生きるのですか。きょう、二世たちがたくさん集まりました。誰がそのようにしたのですか。今まで誰もできませんでした。ただ一人の人物だけができたのです。このように見るとき、私も心配することがありません。アメリカを離れますが、教材を作りました。これは、皆様の教材です。

皆様の父母が誤ったならば、「お父さん、お母さん、悔い改めてください。私を通して再び祝福を受けなければ、生きる道がありません」と言える皆様にならなければなりません。父母を再び祝福できる教材が出たので、訓読会の祖となるのは皆様しかいません。二世が家庭訓読会の指導者になるのです。

ベ・リング海峡と日韓トンネル

今まで根が抜かれて空中にぽかんと浮かんでいたロシアと中国が、再び共産主義に戻ろうとしています。そうなれは、ベーリング海峡プロジェクトを放り出してしまいます。べーリング海峡プロジェクトを十年前から発表したのですが、どのようになりましたか。日韓トンネルも日本が妨げています。

日韓トンネルとべーリング海峡計画を、「ワシントン・タイムズ」と宗教圏が責任をもって公開し、発表してしまいました。すべて準備して日韓トンネルを掘るのです。日本が掘らなければ、どのようになるでしょうか。

その代替となる島が対馬です。いつでもトンネルを掘ることができます。対馬は、日本本土を中心として長崎県に属しています。自動的に日本の門が開きます。そこから広島、大阪、京都と名古屋の門を開くのです。京都が開けば、東京を中心として門を開き、日本政府の門を開きなさいというのです。

トンネルを掘らなければなりません。トンネルを掘ることが貴いのです。日韓トンネルを掘れば、太平洋まで通じます。日韓トンネルを掘れば、ハワイにまで自由に行く道も開けます。

ハワイは海洋圏北緯二三度、南方を中心として境界線になっているのですが、南北までも私がすべて連結させ、ハワイさえ通ればどこにでも行けるので、どのようになるでしょうか。天下万国に通じる道がすべて開かれるので、べーリング海峡とハワイを中心として旅行できるのです。

韓国の地を中心として、すべての歴史が解かれるのです。祖国光復が成就するというのに、韓国の人は、成就しないと言えるでしょうか。文総裁の教えを受ければ、誰もが「正しいです!」と言います。レバレンドムーンが教える内容を知れば、誰もこの本の内容を否定できないのです。

韓国は神様の祖国

神様の祖国となる国は韓国しかありません。絶対的母国と本郷の地は韓国しかないのです。韓国の神様「ハナニム」は、お一人しかいません。一人の主人を信じてきたこの民族しか残ることはできないのです。レバレンドムーンが神様に代わって一つの王国をつくり、すべてを整理してここに来ました。ですから、その人が願う統一の血族とその人が支持する国が神様の願う国なので、神様が、地上天上のどこでも自由活動することができ、満たされていないものがなく、できないことがないと言える解放された地上天上天国になるのです。皆様も神様に代わって働くことができるというのです。

カインは誰でしょうか。先に研究して基盤を築いた民主世界がカインです。これからはアベルが入れ替わることによって、祖父が孫になり、父が息子になり、兄が弟になって、絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができます。その世界のカイン圏はどのようになるでしょうか。神様のように敬い、父母様のように敬い、自分の一族よりも敬うことのできる人は、天の国の眷族となります。天の国に国庫金を納めなければならず、税金を納めなければならず、通行証をもらわなければなりません。そうしてこそ、神様の祖国と故郷が生まれるのです。

そのような所に帰らなければなりませんか、帰ってはいけませんか。今回、すべてを話してあげたのですが、ここから抜け出したければ、「きょうから真の父母は必要ない」と言って抜けなさいというのです。しかし、唯一残っている中心が真の父母、王の中の王です。お一人しかいない神様、神様の位置を、今初めてつかんだのです。不平は言えないでしょう。神様の代わりとして皆様が侍るのです。そして、宗教の看板をすべて外し、国の看板をすべて外すのです。

天国に行く教材

中高等学校で学ぶことができる教材、その次に大学と大学院の教材、その次にその国を中心とする教材です。天の国と地上世界は違うのですが、サタンの宮ではなく、天国にある本来の堕落前のエデンの園で、神様を中心として、真の父母の王を中心としてどうするのですか。分かれた兄と弟の血統を、父母が一つになって処理しなければ、神様も処理できないようになっています。

サタンが神様に代わって骨となり、本体となりました。そのようになったのです。しかし、父母様が神様と一体になりました。体になれるのが真の父母であり、骨になれるのが真の神様です。その精子は死なず、なくならなかったので、神様の胸骨の中に埋められ、今日の真の父母へと受け継がれたのです。

父母がこの教材を準備しなければなりません。幼稚園、小学校、中高等学校、大学、大学院の博士コースまで、十年、二十年かかるかもしれません。その教材を作る費用は父母が出さなければなりません。その教材の費用を出してあげて博士となり、大学院、大学、中高等学校、小学校、幼稚園の先生、どんな教育機関の先生であろうとすべて消化することができます。真の父母の代身者であり、真の師の代身者であり、真の王の代身者にならなければなりません。

この教材で教育を受けた天下の六十五億の人類は、天上世界においても、教材が必要ない人になるので、天国に行くのです。教材を必要とするなら、天国に行くことができません。教材なしで天国に行ける人をつくるためには、父母になった人たちが、幼稚園の教材、小学校の教材、中高等学校の教材、大学の教材、大学院の教材を準備しなければなりません。その教材を買ってあげれば、教材と共に一緒に御飯を食べ、仕事をしなければなりません。結局、そのようにして天下にこの教材が必要なくなるようにするのです。

そのような家庭の一族、一族の七代先祖たちが一つになり、そのような環境をつくれば、地上に神様が喜ぶ家庭の一族だけが残る、そのような国にならざるを得ません。万万世が太平聖代億万歳を叫ぶことができ、神様が解放され、すべてのものが解放される天国こそが、神様の祖国と神様の故郷、私たちの祖国と私たちの故郷であり、それが同じ血統によって綴られていかざるを得ないのです。血統がなければならないという事実は否定できません。ですから、祝福を受けなければならないのです。祝福がどれほど価値のあるものかということを知らなければなりません。教材は、父母の代身であり、統一教会の代身です。

本然の世界になれば、統一教会もなくなります。皆様の家庭で、神様の代身として、先祖の代身として、子孫の代身として、三代圏がこの教材をすべて備えれば、その天国圏が、神様の統治する世界と国家、全宇宙とならざるを得ません。異議があって弁論できるサタン世界の弁護士、検事、裁判長がいるならば、出てきてみなさいというのです。一時間で面食らって追い出されるでしょう。

万事亨通(すべてが順調であること)で一つの結論が出ました。歓迎するなら、手を挙げて十二回万歳しましょう。「どこかに行きなさい」と言えば命懸けで移動できる、自由解放の民族にならなければなりません。

釈放の相続者として、神様の王子、王女となり、その本郷の場である天の国に一緒に行ってあげるのが、神様の家庭の食口ではないですか。この法を守らなければなりません。永遠に従う天の国の憲法が出発してこそ、新しい天国が始まるのです。

きょうからすぐに本を買って、自分のポケットに入れて歩きなさいというのです。これが鏡となり、そこに映る自分の姿が間違いなくそのとおりにならなければなりません。ほかの人になってはいけません。変わってはならず、色が変わってもいけません。父母たちもこの教材を中心として、息子、娘に神様の息子、娘として侍ることができるようにしなければなりません。

真の父母が保証できる人生

東西南北の四方、北斗七星、南十字星を見つめることができ、それを感じる人が、どうしてがらくたのようになって離婚することができるでしょうか。本来、結婚は一度しかありません。革命です。アメリカも革命ができなければなりません。革命を起こさなければならないのです。

このように、真の父母、真の師、真の王、神様までも解放させた主人が保証する証拠的基準、天の国の弁護士が使うことができ、天の国の検事が使うことができ、天の国の判事が使うことのできる、憲法の中の絶対憲法の基準になるので、これに反する法はこの世にないことを知って、そのとおりに生きてくださることを願います。皆様が「そのように生きる」と言うので、先生は感謝して韓国に帰ります。そして、二、三年以内に韓国で、意のままにどんなことでもするでしょう。

日韓トンネルを掘らなければ、韓国がべーリング海峡トンネルを掘るのです。私一人でやっても余力があります。先生が立ち上がりさえすれば、十分にできるというのです。財閥を一遍に一晩で集めることができるではないですか。集めることができますか、できませんか。今に分かるのです。

絶対信仰、絶対愛、絶対服従をするに当たって、自らの名誉も自らの名分もなく、私という種も元手もないのに、何を主張できるというのでしょうか。神様が再びつくることのできる関係的内容がないではないですか。そのような立場において、父母は祝福を受けた息子、娘に、先生の説教集と『世界経典』、『百科大事典』を準備しなければなりません。

共産世界と民主世界の争いを止める材料が、すべて教材になっています。昼も夜も永遠に暮らせる土台になるので、神様は永遠に死なずに生き、神様と私たちの子孫は、永遠に死なずに先祖と共に生きるので、永遠の天の国に共に入るのです。そのように、永遠の世界、天国に行くのが原理なので、天国の民になることは原則なのです。

この時代は「神様霊連世協会」時代

今や、天の国における相続権、代身者の権限を渡しました。父母の代わりに所有権を相続させ、父なる神様が所有していたものまで相続させてあげたので、皆様が訓読会で父母に代わる位置に立ちなさいというのです。師に代わる位置、王に代わる位置にさえ立つようになれば、すべてのことが可能なのです。

先生は国から追われる環境にありましたが、そのように国から追われれば、もっと大きな所に行って、その世界で私が代身者であり、相続者であると考えました。国の大統領の前に行っても、「私があなたに代わる相続者である。あなたは真の父母の代身者、相続者になれなかったではないか。あなたの権限を中心としてすべて売り払って、私と神様に捧げなさい!」と言うことが可能です。それは天の法によって保障されているのです。皆様が、これから必ず覚えておいて、実践しなければならない点を、最後の結論としてお願いしたいと思います。それは、今、私たちが生きているこの時代が、人間の目には見えませんが、摂理的な目で見れば、歴史上最も重要かつ深刻な時だという点です。人類が直面している最大の転換期であり、分水嶺を越えつつある時なのです。したがって、この時代は「神様霊連世協会」時代です。すなわち、「神愛人協会」の時代であり、「天地父母(天一国)協会」の時代です。言い換えれば、人類は今、神様の祖国と本郷を探し立て、完成解放の天国を成就し、永遠の幸福と安楽を享受できる天の特別恩賜圏の時代に入ったということです。

どうか、皆様の心と体を清く保ち、天の召命に応えて、悔いのない「正午定着」的人生を生きることを願います。このような天の願いを忘れずに生きると決心する人は、拍手で歓迎してください。ありがとうございました。

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