天聖經(増補版)/第七篇 地上生活と霊界

目次

第二章 霊界とはどのような所か

第二節 霊人の生活


1 私たちは霊界で、あたかも創造主である神様があらゆる種類のものを真の愛の概念を中心として新たに造り出せるように、愛を中心として本来の力を発揮して、すべてのものをつくることができます。「私」が、愛を中心として指示すれば、実在の物が完全に姿を現します。「このような工具、現れなさい!」と言えば、正にその工具が生じます。それはどれほど素晴らしいことですか。また、晩餐会場に数十万人、数百万人が参加する時、「このような食べ物を準備しなければならない」と願うだけで、食事が問題なく出てきます。金色のスーツが欲しければ、即座にそのようなスーツが出てくるのです。

2 霊界は時空を超越しているので、一秒間に何億万里も行くことができます。広大な世界が時空を超越しています。千年前が見え、数万年前が見えるのです。何を見ようと思うのでしょうか。何に会いたいと思うのでしょうか。男性として生まれれば女性を、女性として生まれれば男性に会いたいと思うのです。

  

考えるとおりに成し遂げられる生活


3 霊界では、「これこれこのようにしたい!」と思えば、実際にそのようになります。ですから、あの世では愛の切実な心をもって望む願いは、いつ、どの時でも、何であろうと可能なのです。自分が愛する相対に、千万種類の貴い服を一度に着せたいと思えば、着せることができるところです。黄金の糸で編んだ服を着せようと思えば、想像したその姿そのままに現れます。その前に、ばっと現れるようになっています。「私も同じ服を着よう!」と思えば、既に同じ服を着ているのです。そうすると、天上世界で、すべての霊人たちがワルツを踊りながら天の宴が開かれるのです。ですから、霊界は最高の愛をもった人々が行く栄光の世界です。その栄光の場に立っているすべての被造万物が、和動の対象にならざるを得ない、驚くべき世界だというのです。

4 すべてのものは循環運動を通じて生命が連続します。循環しなくなれば、すべて元素に帰るのです。神様は、どんな方でしょうか。神様は、この宇宙の存在世界の心のような方です。神様がどのような方か、分かったでしょう?実際、知ってみれば、宇宙の心のような方なのです。皆さんは、心を見ることができますか。霊界は、心が体となって生活する世界ですが、これは時空を超越した場所です。

そこでは、御飯を思いどおりに食べることができます。御飯の心配をする必要がありません。水の心配をする必要がありません。飲料水の心配をする必要がありません。服の心配をする必要がありません。衣食住のすべてを超越しているのです。そこに自動車が必要ですか。自動車工場、食品工場、服の工場、織物工場があるでしょうか。すべて必要ありません。そこでは、億千万里を瞬間的に往来するのです。愛の力をもってそのようにします。愛する人に会いたいと思えば、すぐに現れます。

5 あの世の生活は、どうなっているのでしょうか。食べる物の心配がありません。住むことの心配がありません。着るものの心配がありません。自らの心霊状態のままに、願うすべてのものが可能だからです。あの世でも食べます。自分を触ってみれば、あの世でも血管に脈拍が走るのが分かります。今と同じです。霊的な体ですが同じなのです。私が「何々を食べたい」と言えば、すぐに現れます。「このような物を食べたい」と言えば、すぐに現れるのです。それは、どこから来るのでしょうか。根源世界を動員できる、能動的な自主性を行使できる世界が霊界です。全体を動員できる主体的な能動権をもっているのは、権力でもなく、知識でもなく、お金でもありません。愛なのです。

6 霊界では、衣食住は問題になりません。衣食住は完全に自由自在です。愛の一体圏、神様の相対圏に立てば、神様がすることを、私たちもできます。何でもできます。何億万年の歳月も一瞬にして超越できます。愛の速度は超高速です。愛する人がいるところに行ってくるというとき、時間がかからないのです。瞬く間に行ってくることができます。ですから、愛の相対者に会うことは瞬間です。そこは絶対圏なので、何の障害もありません。そのような限界を越えた世界、時空を超越した世界です。そのような無限の世界が人間のために準備されています。

7 皆さんが霊界に行ってすることとは何でしょうか。そこでお金を稼ぎますか。服が必要で、家が必要でしょうか。皆さんが願うことは、瞬間的にすべてかなえられます。霊界は、すべてのことを解決できる世界です。願うものは、「現れなさい」と言えぱ即座に現れる世界です。しかし、「私」のために「現れなさい」と言えば、いくら死ぬほど大声を出して騒いでも駄目です。反対に、神様を愛し、世界を愛し、天国の王子の立場で、「王をお迎えするのに必要だから現れなさい」と言えば瞬間的に現れます。想像が及ぶことは、すべて可能な世界が霊界です。

8 エデンの国で、アダムとエバは、お金を出して食べ物を買って食べたりしたでしょうか。すべてただでした。すべての環境条件をつくられた神様は、人間に無限の価値をただで与えてくださったので、霊界に行っても、無限の価値の存在がすべて自然に供給されます。その霊界は、神様が住まわれる本郷の地です。そこでは、お金を出して買って食べたりはしません。私たち人間の想像が及ばないほど、すべてのことが可能な補給地です。

9 霊界がどれほど広大か分かりません。時空を超越した無限の世界です。「ある時代にこれこれこのような心情をもって地上で生きてから逝った人がいれば、ここに直接出てきてみなさい!」と言えば、その人があっという間に現れます。そのように直感的感覚が現実化する世界です。一瞬で百万人の宴会をしたいと思えば、それも問題ありません。食事も、果物も、問題ありません。あっという間に、望みどおりに現れます。そこには炊事場もありません。そこでは、いかなる心配もする必要がありません。そこには食糧を作る工場もなく、自動車を造る工場もありません。花は、多くの種類の花があります。家も、愛の心情基準に相応する家を、自分が願うとおりにいくらでも造ることができます。

10 霊界の動きを阻むものは何もありません。すべて通じるようになっています。時空を超越しているので、何億年前にいた人も一緒にいます。それらの人々もすべて若者として、自分が願う年齢で現れます。そのような人に、いくらでも会うことができます。ですから、説明が必要なく、言い訳が必要ありません。見れば、すぐに分かるのです。あの人が「私」の下なのか、横なのか、高い位置なのか、すぐに分かります。何億年前の祖父だった人々も、会えば愛の序列がすぐに分かります。その序列は絶対的です。その序列の高い人は、自らその序列に合わせて自分が立つ位置に立つようになっているのであって、むやみに立ちません。この世の中と違います。

  

地上の人生で位置が決まる霊界


11 霊界に行けば、自らの記録が一〇〇パーセント、コンピューターに入っています。記録されたことが、すべて現れるのです。良心は、永遠の世界に展示するコンピューターのディスクのようなものです。すべて入っています。ボタンを押せば、子女が母に抱かれてお乳を飲む時から一生の間に何をしてきたのか、すべて心の映像によって知ることができるようになっています。そのような世界が、皆さんを完全に鑑定するために日ごと記録しているのです。その日がいつ来るのかといえば、死ぬ時です。万能の鑑定コンピューターの前に立てば、誰もうそをつくことができません。霊界は映像が影のように現れる世界です。すべてが記録されています。

12 良心は欺くことができません。自分の一生がすべてビデオテープのように記録されます。自分の番号が付いたその記録が霊界にあるのです。そこに行ってその番号を押せば、あっという間に分かります。生まれてからその時までが、あっという間に分かるのです。どうすることもできません。

その記録を見るから良心が痛哭する程度に比例して、地獄と天国の境界線を出たり入ったりするというのです。その世界はただむやみに、大ざっぱな計算によって動くのではありません。数理的な世界です。理論的に動くのです。神様は科学者の王です。天国は、自分勝手にするようにはなっていません。

13 私たちは、好きでも嫌いでも、死んでも蕩減の峠を越えていかなければならない運命をもつ堕落の子孫です。それを否定することができません。この道を越えていかなければなりません。それを自分の一生で越えずに霊界に行けば、何百万年もかかるかもしれません。あの霊界には蕩減がありません。そこは解放された完成圏なので、愛の波で満ちあふれているところです。蕩減や再創造はありません。再生産もありません。そのような刺激がないので、一度固着すれば、それで終わるのです。神様はそのようなことを御存じなので、この地上にメシヤを送られたのです。

個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様という八段階の蕩減の道が残っています。その道を一気に通過することはできません。それで、神様は歴史を通じて、個人蕩減時代、家庭蕩減時代を経て、イスラエルの四千年歴史を通じてキリスト教文化圏の世界蕩減時代まで導いてこられたのです。

14 霊界は愛が一番です。愛の主体である神様のみ前に行くことが、最高の願いです。それを知ったので、先生は一生の間、十字架を背負って血の汗を流しながら来ましたが、自分がどこに行くか心配していません。先生が行くところは、先生がよく知っています。

人間は、霊界に行ってまた戻ってくることができればよいのですが、霊界というところは、一度行けば、再び戻ってくることができないようになっているので心配です。逝ったのちには帰ってくることができません。そこで知って解決しようとすれば、億万年かかります。そこには、きれいに掃除できる刺激的な装置がありません。

この世の中には不安定なことが多く、変動が多いのです。一日にも千態万象の変化があります。もまれることが多ければ多いほど、殻をたくさん脱ぐことができます。ところが、霊界には愛の刺激的な要素はありますが、罪悪を脱がせてくれる蕩減的な要素がないので、数多くの歳月がかかるというのです。

15 神様を失ってしまったことは、万宇宙の大主宰を失ってしまったことと同じであり、私たちの父を失ってしまったことと同じです。その父は、私たちが肉身をもって生きる百年余りの短い期間だけ呼び求める父ではありません。永遠無窮に呼び求める父です。永遠にその方が喜べば共に喜び、その方が悲しめば共に悲しまなければなりません。それが地上で決定するのです。

ですから、地上で生きている間に神様が喜ぶことができる立場で、悟りの道、信仰の道を守った人が行くところが天国であり、神様が悲しむ立場で生きた人が行くところが地獄です。ところが、私たちは、神様が悲しむ立場で生きています。このような曲折が堕落によって生じたのです。

16 霊界では、赤ん坊を生みません。霊界は縦的な世界です。神様を中心として円形を形成している世界なので、赤ん坊を生む必要がありません。体をもつ人間を造られたのは、横的な基盤が必要だったからです。それは繁殖する畑です。霊界の民は、すべてこの地球から行くのです。

それでは、世の中では今、なぜ産児制限をするのでしょうか。それは天命によるものです。悪の血統を、これ以上繁殖させてはならないというのです。統一教会の祝福家庭はどうでしょうか。皆さんにとっては、どれくらい天国の国民を繁殖させるかということが財産です。信仰の息子、娘より、自分の生んだ息子、娘のほうがもっと価値があります。信仰の息子、娘は、祝福を通じた血統関係ではありません。そのような息子、娘をどれほど残していくかによって、天国での自分の位置が決定するのです。

17 心臓が止まった時、死んだと言います。霊人体の心臓は永遠に止まりません。その心臓の根が神様です。神様の根を受けたので、心臓という実に対して神様と同じ人として刈り取るのが霊界に入ることです。それでは、皆さんが霊界に行けば、どうするのでしょうか。霊界は肉界と同じです。むしろ善化されて神聖化されたものが霊人体です。それは、人間的な五官よりも立体的な感覚で生きるのです。私たちは、地上で縦横の関係、上下の関係、前後の関係を通じることによって生命の脈を感じますが、霊界に入っていけばこれが宇宙的です。大きくなるのです。

18 霊界の生活で、すべての価値の中心は何でしょうか。霊界に暮らす人たちは、各個人が霊界の社会に属しています。霊界にも人間世界と同じように、霊界の家庭があり、一族がいて、一つの国があり、世界とつながっています。今日、地上に生きている人が、好きでも嫌いでも、誰彼を問わず、みな帰ってとどまるところが霊界です。そこには、未開人から文明人まで、歴史時代に生まれては逝った千態万象の多くの人間が集結しています。

ここで生きた人があの世に行って、突然変わることはできません。「三つ子の魂百まで」という言葉があります。もって生まれた性格は直すのが難しいのです。あの世に行っている霊人体は、私たちが今まで暮らしてきた内容と特別に違うのでしょうか。突然に変わるのでしょうか。そのようなことはありません。ここで生きた、その姿どおりに収穫されていくのです。

霊界に行っているすべての霊人体は、結局は地上で生きた人々の霊人体です。今日、人々が生きている世の中と違いのない世界です。

  

夫婦が一心同体で生きる生活


19 霊界に行けば、本当に一心同体になった夫婦は、いつでも男性が女性と一つになり、女性が男性と一つになることができます。女性の中をのぞいてみれば、男性が入っており、男性の中をのぞいてみれば、女性が入っています。神様の二性性相と全く同じです。性相と形状が分かれて出てきたので、その本体に帰るには、愛のはしごに乗らなければなりません。創造の基準が愛から始まったのですから、このはしごに乗って入らなければなりません。結局、終着点は、神様と共にいるのです。

20 愛の器官を誤って使えば、父と母も、死亡の世界に入っていきます。自分自身も同じです。ですから、愛の器官をつけて生まれた存在物は、それを犯すようになれば死亡に直結するのです。赦す道がありません。このような観念を、しっかり入れてあげなければなりません。その愛を中心として神様が人間と和合し、人間は神様と愛で一つになるのです。神様と一体化するのです。神様の二性性相が分立されたものが完全に愛で一つになれば、霊界に行ってみると二人が一つになっています。見れば間違いなく男性なのですが、その中に女性が一体化して入っているというのです。愛の目で見れば、すべて統一です。醜い人も美しく見え、美しい人も美しく見えます。

21 天国に行くとき、結婚式をするように礼服を着て入っていき、神様のみ前に愛の挨拶をします。神様のみ前で夫婦が愛するのです。そこで愛すれば、神様御自身が喜びと同時に縦的な立場で包み込み、横的な夫婦ばかりでなく、宇宙全体の感情が入ってきて酔いしれるようにするのです。想像もできない仕掛けが施された世界に入っていくのです。愛するようになれば、見えない二つの力が訪れてきて、すべて一つになって光の世界に同化されるという、驚くべきことが起こります。真の愛がなければ、そのような生活にはなりません。

22 霊界に行けば、天のお父様だけがいるのではなく、天のお母様がいるのです。父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。そのような父母のように、アダムとエバの背後には、分かれて出ていた神様が一つになっています。ですから、母を通してもそうであり、父を通しても天の国に行ける道が生じるという話になります。そのようになったならば、あの霊界の天上天国の主人公とは誰でしょうか。実体をもって生きていた「私」の真の父母が、あの世に行って永遠の天国の王、女王になるのです。

  

善霊と悪霊が共存する生活


23 霊界は、善の霊界と悪の霊界、このように二つに分けることができます。その世界は、実在する世界です。地上世界の人たちには分かりませんが、そこは、確実にある世界です。霊界でも、善の霊人たちと悪の霊人たちが闘争しています。霊界にも闘争があります。

サタンを中心として、悪の霊がつながっていますが、その悪の霊の統治圏内に、今日、地球星の人間たちが暮らしています。なぜでしょうか。

今まで逝った先祖たちは、善の霊も悪の霊も、すべて霊界に行っているので、その善の霊も、堕落した世界と区別されたという条件をこの地上で立てて、善の側に立っているのであって、神様が御覧になるとき、完全な善の立場に立っているわけではありません。

神様の本然の理想世界、本然の人間になることができる、理想的な善の圏内に向かっていくときに、善の霊たちはそこへ前進しようとし、悪の霊たちはそれを妨げようとしています。悪の霊界と悪の世界というものは、いつでも通じます。いつでも連結できます。善の霊は、悪の世界で対立して、反対される立場で生きて死んだ霊なのです。それは、宗教を信じて行った霊人たちです。

24 あの世に行けば人の命を奪った者と命を奪われた者、様々な人たちが一カ所に集まっているので、そこでは刃物で相手を脅かしたり、復讐したりしようとすることも起こるのです。ですから、数多くの塀で塞がっています。ですから、悪霊が怨讐の子女を訪ねていって事故に遭わせて、連れていったりするようなことが起こるのです。これをすべて解かなければなりません。これを解くためには、まず地上世界で解かなければなりません。解くには、それ以上に良いものを与えなければなりません。死ぬことよりもっと良いもの、怨讐関係になったことより、もっと良いものを与えなければ解くことができません。

25 霊界は、歴史始まって以来今まで生きていた数多くの私たちの先祖たち、今生きている数多くの人たち、これから来る数多くの人たちが、みな行ってとどまるところです。その霊界にも善の霊界、悪の霊界があります。すべて死んで消えてなくなるのであればそれまでですが、神様が何らかの関係を結べる人間が残って一つになった集合体が霊界だとすれば、その霊界も不可避的に二つの種類になります。悪の種類と善の種類です。

ここで問題となるのが、いったい悪の種類とは何であり、善の種類とは何であるかということです。神様も悪の霊界と善の霊界が和合して、人間世界が和合できることを望むでしょう。それで、各自がもつ目的も達成すると同時に全体目的も達成できる、理想的に二重の結果が出る立場を追求するのです。

26 愛の実を取って倉庫に送れば天国が成し遂げられ、天国の家庭と天国の国と天国の民になっていたはずですが、これが途中ですべて腐って落ちるようになったので、地獄の家庭となり、地獄の民となってしまいました。そのようになったことを堕落と言います。落ちたというのです。

私たちは、生きてはいますが、理論的に否定できない地獄に落ちて生きていることを認めなければなりません。堕落し、地獄に生きているというこの二つの事実は、嫌でも認めなければなりません。愛の実を結んで天国の倉庫、天国に行くべきなのですが、堕落したので地獄の倉庫で腐ってしまっているというのです。

誤植・修正提案

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