第一節 三時代の人生
1 「私」は、「三大父母」を通して生まれました。最初は物質世界の父母です。自分は、物質の世界からすべての要素を受け継いで、物質の中心として、物質の複含的な存在として造られました。このような観点から、その物質の元素自体が「私」を生んでくれた先祖でもあり、また自分の延長が物質世界でもあります。宇宙は、この物質が愛の理想の立場においてのみ安着するようにできています。愛の理想の立場で、すべての細胞が平穏に生きられるようになっています。もし腹を立てたりすれば、みなぶつかり合うようになってしまいます。
二番目は、自分の体を生んでくれた父母です。自分を生んでくれた父母が、自分をして一つの形態を備えて生まれてこれるようにしました。しかし、この父母は、どんなに頑張っても愛の主人になることはできません。自分の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれません。愛の主人は神様です。愛を宇宙化させ、愛を永遠化させるために神様はいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、三番目は、神様が父母です。このように、私たちは三大父母をもっているのです。
腹中、地上、天上の三時代の人生の道
2 人間は、腹中時代の十カ月、肉身時代の百年、そして霊魂時代を千年、万年、永遠に生きていきます。私たちの顔を見れば、目、鼻、口の三段階になっていますが、これは人間が生きていく三時代の姿を見せてくれているのです。口は物質世界の腹中時代を象徴し、鼻は人間世界の地上時代を、目は霊界の天上時代を象徴しています。母のおなかの羊水の中は、赤ん坊にとって正に自由天地です。母のおなかの中ではいつも背中を曲げていなければならず、また勝手に足蹴りもできず、鼻も口もみな塞がっているのですが、胎児にはここが自由天地だというのです。胎児に必要なものをすべて供給するパイプがへそについていて、へそだけで生きていかなければなりませんが、そのような世界が赤ん坊には自由天地なのです。
3 皆さんが腹中で、「私は陸地の世の中に出て、口で蜜も食べ、餅も食べ、御飯も食べ、牛肉も食べ、すべて食べる」と考えてみましたか。「ここを抜け出たら死ぬ」と思いながら、へその緒を通じて生きているのです。今それを思えば、息が詰まります。それにもかかわらず、腹の中から外に出るのが心配で、「出なければよい!」と思うのです。しかし、時になれば、すべて出ていきます。破水すれば、その水によって外に出て、出産になります。無事に生まれるのです。
4 地上生活は、胎内にいた時のように、空気中で動き回って暮らすのと同じです。空気のふろしきの中で生きています。死は、第三の人生に向かって出生することです。その瞬間が死ぬ時です。とんぼも、初めは幼虫になって水中で泳ぎ回っていますが、地上に上がってきて、一時は這い回ります。その次には、パタパタと飛び回り、地上では食べようとは思わなかった虫を取って食べます。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。昆虫の中には、三段階の世界を経るものが多いのです。昆虫には、ほとんど羽があります。昆虫もこのように水の中で生き、陸地で生き、空中で生きるのですが、万物の霊長である私たち人間が、地上で生きるだけでよいでしょうか。次元の高い羽があるというのです。
5 腹中時代は水中時代です。赤ん坊が母親の胎内にいるときは、水の中でぷかぷか浮いています。母親のおなかの中の時代は、息が詰まって生活しづらいように感じられます。水の中で暮らしているので、当然、水を飲み込み、送り出すことをしなければならないのではないですか。そのために腹中の胎児は、ホースをおなかに連結して暮らすのです。腹中の胎児は、どこを通して栄養分が供給されますか。へそについたへその緒を通して受けます。へそは、腹中の胎児にとっては口なのです。
6 母の腹中にいる胎児は、何で生きていくのですか。へその緒です。これが母の体とつながったホースです。しかし、第二の世界、空気の世界につながっていることを知っています。腹中で暮らしたのちに、それを壊して出てくれば、その時は、泣くと同時に息ができるようになっている呼吸の穴、鼻の穴が空気の世界につながるのです。鼻の穴が絶対補給路です。
腹中で、空気の世界のために準備したのですが、それを連結させて出てくる時は、腹中の世界で暮らしたへその緒と羊膜を、すべて破壊して出てこなければなりません。腹中のへその緒は破壊されるのです。それと同時に、宇宙にある地球星という母の懐に現れます。口から栄養を補給されて生きるのです。腹中でへその緒を通して栄養補給するのと同じように、この体は、空気のパイプである鼻の穴を通して息をするのです。腹中でその準備をして、空気世界に出てくる時に、それに切り替えて息をするのです。
7 地上世界に生まれてからすべきことは、愛を体恤することです。愛という空気を吸わなければなりません。父母から、愛の空気を吸わなければなりません。愛の空気を供給されていかなければなりません。ある家庭の赤ん坊として生まれ、サインカーブのように、上がれば下がらなければなりません。赤ん坊として生まれて、その次には分解されます。赤ん坊として生まれて、赤ん坊に帰るのです。
その時は、どのようになるのでしょうか。第二の地上世界を振り払って、第三の愛の世界の呼吸器宮につながらなければなりません。父母の愛、兄弟の愛を振り払い、大宇宙の神様の本体と和合した愛の世界に入ります。霊界は、愛の空気でいっぱいに満ちています。ですから、皆さんは、今この地上世界で愛の息ができるパイプ装置を準備しなければなりません。それで、霊界の体験が必要なのであり、霊的愛を感じて呼吸できる人にならなければなりません。
8 母のおなかの中のような地球星を振り払って出てくるとき、皆さんは愛の呼吸器官で、愛の息の穴で呼吸をします。第三の愛を受け継いでこそ、永生を得るのです。そのように愛を連結させて神様に帰るのです。愛の呼吸器官に連結されて霊界に帰りますが、神様の本体に帰る道が残っているのです。種が本体から出てきたので、実を結んで本体に帰っていかなければなりません。
9 人間を見れば、腹中時代は水の世界です。人間の約三分の二は水です。地上世界は空気の世界です。ですから、水の中にいる時は、目、鼻、口など五官が必要ありません。腹中の十ヵ月間で成長するとき、鼻で呼吸してみましたか。鼻で呼吸しては死んでしまいます。即死です。どうして鼻が必要なのですか。次の世界のために準備するのです。その次の地上世界では、水のふろしきではなく、空気のふろしきです。空気のふろしきでは何をしなければなりませんか。水のふろしきでは肉身の五官を準備したように、空気のふろしきでは霊的五官を準備しなければなりません。天国に行って愛を吸収できる耳と目と鼻、霊的五官を準備して、死の峠を越える時にそれが開かれるのです。無限の世界で必要なのが霊的五官です。
10 人間の顔は、三時代を象徴します。母親の腹中は口の時代です。次に、地上は鼻の時代です。母親の腹中から生まれて空気の時代を生きるのです。それから、霊界は目の時代です。太陽時代、日の光の時代です。愛は光とも言います。明るくなると言いました。それで、光の世界です。このように、人間は三時代を経て生きるのです。とんぼも、水の中で暮らして、地上に上がって生き、殻を脱いで飛び回りながら、虫を捕まえて食べます。三時代を経ます。
万物の霊長も同様です。腹中時代から、母親のおなかの中から出てくるとき、自分が暮らしていた所帯道具を抱えて出てきますか。すべて破壊し、捨てて出てきますか。一つでもぶら下げて出てくれば大変なことになります。へその緒で食べ、生きていたのですが、それを切ってしまえば死ぬようになります。
しかし、母親のおなかの中から出てくれば、それを切ってしまわなければなりません。無慈悲に切ってしまわなければならないのです。すべて破壊して出てくるのです。
11 人間は、時になれば誰でも母親の腹中での生活を清算して、地上界での生涯を始めるようになっています。本人が願おうと願うまいと、宇宙の法則がそのように運行しています。想像もできず、夢にも見ることができなかった広大無辺の新しい世界が広がるのです。水中生活の一生涯が終わり、地上生活の一生涯が展開します。腹中生活の十ヵ月が地上生活の百年に変わり、発展するのです。
そして人間は、色とりどりの変化無双な生涯を生きていきながら、最終段階である霊界、すなわち死後の世界のために準備する生活を送るようになります。ですから、死ぬことを心配してはいけないというのです。もっと良い所に引っ越しするのです。
12 腹中生活の期間には、地上界の生活が想像もできなかったように、肉身をもって暮らす人間としては想像もできない永遠無窮な、また別の世界が待っています。絶望の世界ではありません。限定された地上界での百年の生涯が、時間と空間を超越した永遠の世界へと変貌するのです。
腹中では、へその緒を通して母体から栄養を供給されて生き、地上生活の期間は、宇宙の水と空気、そして光の三大基本要素と栄養素を中心として生を営むのですが、一旦霊界に入っていけば、物質的な栄養素はそれ以上必要なく、愛を呼吸しながら永生するのです。あの国に行けば、食べたければ食べ、食べたくなければ食べません。このように人間は、誰彼を問わず、水中生活十カ月、地上生活百年、そして霊界においての永生、このように三段階の生涯を生きるようになっています。
13 人間は、水中時代、その次には陸地時代、さらに太陽の時代の三時代を生きるようになっています。これが一つの範疇になっています。太陽の時代は、昼のようにいつも明るいのです。地球星には昼と夜がありますが、霊界は常に明るいのです。このように水の時代と空気の時代、その次には愛の時代です。愛は、常に消えてはいけません。太陽の光のように、夜も昼も愛がなければなりません。朝も昼も夜も、北極も熱帯地方も南極も、どこでも愛は変わりません。それで、愛の時代の霊界に行くのです。霊界は、春夏秋冬のすべてが結実したものを収める倉庫のような所であり、そこが太陽の光のように輝いているのです。
14 私たちは初め、母の胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、すべて振り払って生まれるのと同じように、私たちの霊人体にとって肉身はふろしきのようなものなので、これを切ってしまって飛んでいくのです。したがって、人間は、水の世界、陸地の世界を経て、空中の光の世界である永遠の真の愛の世界で暮らすようになるのです。
霊界では生命の要素が愛なので、愛を通じた命令には、すべてに不可能がなく、即座に成し遂げられます。そこでは、億万人が一度に夕食を食べるとしても、そこに合う食べ物をあっという間に準備して、宴会をすることができます。
15 霊界で照らすその光が、真の愛の光です。真の愛は、霊界と肉界の日の光のようなものです。ですから、鼻の生活を離れて、目の生活をして生きるのです。目の生活は、すべてのものがはっきりしていて、分からないものがありません。鼻の世界を過ぎれば、光の世界です。目の世界に入っていくのです。目の世界とは何かというと、この目は、世の中も見ますが、霊界も見ます。天の父母も見ることができ、地上の父母も見ることができ、天国がどれほど膨大で、地上の国と比べてどうだということをすべて見て生きるようになっています。
ですから、皆さんは、霊界と地上が二つではなく、一体だということを知らなければなりません。この目は、二つを見るようになっているのです。
地上で愛の呼吸器官を準備
16 赤ん坊が出生するようになると、生まれるやいなや、泣くと同時に鼻の穴で息をするようになり、第二世界、すなわち空気世界に連結されます。
おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊膜をみな破壊して出てこなければなりません。それらを破壊すると同時に、母である地球星のところに生まれるのです。生まれて、口で食べて、鼻で息をするのです。
ところが、地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的な生命要素ではありません。本質的生命要素は、正に愛です。したがって、この世の中で愛という空気を吸わなければなりません。母から、父から、愛の空気を吸わなければなりません。
17 人間の一生は短いのです。生涯において十年がいつ過ぎたのか分からないのです。結婚して三十年以内に、すべてのものが決定します。ですから、人生の道はいつも待っていません。忙しいのです。そして、一度はみな死ななければなりません。死なない自信がありますか。死ななければなりません。死ねば、霊界に行きます。この世はつかの間です。十カ月の腹中生活と同じなのです。
18 霊界は愛の空気でできていますが、皆さんの霊人体が準備できずに天国に入っていけば、息ができません。地上世界は空気でできていますが、あの世は愛の世界です。皆さんの霊人体が愛を感じられるように準備しなければなりません。そのようにできずに霊界に行けば、関係を結ぶことができません。問題が大きくなります。何千万年もかかるのです。
19 地上に生きている人間は、この地上で生きるとき、第三世界である本然の世界に帰らなければならないので、この愛の世界に行って暮らすために、愛の世界の呼吸器官を準備しなければなりません。この肉身を彼裂させて出ていくのです。赤ん坊が、自分の家を壊しておなかから出てくるのと同じです。それで、生みの苦痛を受けます。第二の生みの苦痛が死です。
肉身が生きている間は、何を準備しなければならないのでしょうか。水の中で、空気とすべてのものに合わせることができる呼吸器官を準備するのと同じように、この肉身の世の中では、霊界に行って呼吸できる愛の器官を準備しなければなりません。体をすべて破裂させて出ていくようになれば、愛の器官を中心として呼吸し、それまで生きていた制限的環境を越え、無制限に自由奔放な人間として生きるようになるのです。
20 地上で愛を呼吸する人は、死んでいるのではなく、生きているのです。腹中で生きるときは、未来の空気世界でのパイプを準備して生きています。生きていますが、へその緒に連結された胎を破壊させて出てくるときは、新しい次元 、高い次元へと変化するのです。高い次元で供給を受けるのです。空気の供給を受けて出てきます。地上に出てきてからは、何を発展させますか。愛です。空気ではなく、愛です。愛の要素を受けるのです。御飯だけ食べていてはいけません。この期間に何を満たさなければなりませんか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなければなりません。
21 水の時代には必要のない五官を腹中で準備しなければならないことを、誰も知りませんでした。腹中では、それが必要ないのです。しかし、へその緒を切って空気世界に出るようになるときは、それが必要です。空気時代にも、水の時代と同じく、霊的な内的五官を準備しなければなりません。実体、外的、体的五官ではなく、神様的、内的五官を準備しなければなりません。愛の世界に和合できる自由奔放な生活をするために、それを準備しなければならないのです。
22 皆さんは今、制限された立場で、百年間自然界を見る目があり、嗅ぐ鼻がありますが、皆さんの中の永遠の存在は、その存在が生まれるまで鼻を閉め、口を閉じ、耳を閉じてじっとしているのです。これと同じように、皆さんの中に、永遠の世界を見ることができ、永遠の音を聞くことができ、永遠のにおいと永遠の味を味わう感覚が待っています。同じです。その時になれば、すべての人々は、どこへでも行くことができ、何でも聞くことができ、何でもにおいを嗅ぎ、何でも食べることができるのです。
23 霊界に行けば、愛の歌を歌い、愛の言葉を語ります。霊界では、オペラ式に話せば、「私」がオペラ式に答えなければなりません。踊りで表現すれば、踊りで答えなければなりません。ひたすら踊り続けても喜ぶことができ、永遠に飽きることがありません。一カ所で踊れば天国がすべて踊り、一ヵ所で歌えばすべて歌うのです。その時は、自分の愛する妻と踊るのです。他の女性と踊るときは、「私の愛する妻を、あなたよりも百倍愛するためにあなたと踊る」とこのように考えるのです。他の女性と手を取って踊るとき、それはすべて自分の愛する相対を千倍、万倍、もっと刺激的に愛するために、このような過程を経るのだというのです。
霊界に行けば、仕事をする必要がありません。夜がありません。いつも目覚めています。いつもこのすべての器官が働いているのですが、どのようなことをしますか。永遠に目を開けていても、永遠に寝なくても喜べるようなものとは何ですか。愛です。そのような愛の理想さえしっかりともっていれば、「何々、出てきなさい!」と言えば、すぐに出てくるのです。そこでは、本然の愛を中心として生きるのです。
霊界は愛の結実を収穫するところ
24 人は、どうして生まれたのですか。愛のために生まれました。愛の実を結ぶために、父母から愛によって生まれ、愛の懐で成熟するのです。その次には、神様に代わって愛することができる息子、娘を育てるのです。そして、年を取れば、その次にはどうなるのですか。世の中で父母が感じられるすべてのものを感じ、世の中を通じて神様を感じられるすべてのものを感じ、そこで一つの実になります。植物の実と同じです。木のすべての部分からエキスを吸収した実のような立場で神様の懐に帰ることが、人間が生まれた目的です。また、神様が人間を創造した目的です。
愛で一つになることができるのです。ですから、宇宙とも取り替えることができない無限な価値の基準が、愛です。それで、その愛と一つになるところには、ないものがありません。すべてのものが完成して展開するところです。そのようなところが、今日、人間が行くべき理想世界です。そこが霊界であるといえぱ霊界であり、天国であるといえば天国です。そのような実が結ばれていくところが天国です。天国というところは、個人が入っていくようにはなっていません。愛を中心に結実し、神様の愛の所有権を相続した対等の価値をもつ対象、その資格をもった人が入っていくところです。
25 第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。皆さんは地から、皆さんの体が大きくなれるよう、すべての要素を供給してもらいます。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入るのが死ぬことです。第三の父母に入っていくとき、そのまま入るのではありません。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。したがって、なぜ結婚するのかというと、神様の形に似るためなのです。
神様は、二性性相としていらっしゃる方として、各一性が合体化した一律的な存在であり、その神様の分性的人格が男性と女性なので、彼らが合性一体化して結実体のようになり、神様の本性の位置に帰らなければなりません。しかし、その結実体をつなげるためには、愛の道を通じなければならないので、生まれて愛を受け、育つときも愛を目標として育ち、生きるときも愛を中心として生き、歩むときも愛に帰るために歩まなければなりません。その道は、ために生きる目標を中心として訪ねていかなければ、方向がそれてしまいます。
26 自分の環境を克服しなければなりません。そればかりでなく、未来に結実できるすべての条件を受け継ぎ、その結実する内容の動機となる力を自分自身がもたなければなりません。そうしてこそ、結実の過程を経て、新しい歴史過程や人類社会に必要な一つの結実体として残ることができます。人は、生まれて必ず環境を克服しなければなりません。
だからといって、それを克服するだけで終わるのではなく、未来に新しい生命を受け継いで、結実の内容をもてる過程を経ていかなければなりません。この過程を経たのちには、正しく実際に効力を現せる一つの位置を所有しなければなりません。例えば、穀物は種が蒔かれ、芽が出て育ち、実を結び、主人の手によって刈り取られて倉庫に保存されるのと同じように、必ずある目的に必要なものとなって刈り取られる過程を経なければならないというのです。
27 この地上での人生は、一つの通過期間です。ですから、霊界に行った子女に対して泣いたり叫んだりする人は、堕落圏内の因縁を抜け出ることができなかった人なので、霊界に行けば、塀に塞がれるのです。人は愛で生まれ、愛で生きたのち、愛に帰るのです。根から始まったので、実は必ず根に帰るのです。
人間がどうして生まれたかというとき、理想的愛のために生まれたというのです。その愛は永遠の愛なので、父と母を取り替えることはできません。自分たち夫婦同士を取り替えることはできません。自分の息子、娘を取り替えることはできません。ですから、愛は貴いのです。愛は、神様から始まるので、絶対的な神様の愛は変わることがありません。愛は永遠なので、神様の愛のために生まれた人は、愛のために生きたのち、永遠の神様の相対の位置に立つことによって永生するというのです。
28 空気の世の中で、霊人体が体にくっついて胎児のように肉身から栄養を得たのち、肉身がすべて老いてしまえば、振り払って出ていこうとしますが、肉身が「死にたくない」と言うとき、神様が見れば笑うでしょうか、同情するでしょうか、しかりつけるでしょうか。赤ん坊が生まれて父母の前に愛の対象になるのと同じように、この肉身が霊的父である永遠の神様と相対できる霊人体として再び生まれなければならないのは、原理原則の結論です。胎児が生まれ、父母と愛の友になれるのが地上世界です。父母と愛を共にできる地上世界に生まれるのと同じように、霊的で無限な世界に通じる父母であられる神様と、愛を交わせる霊界に生まれなければならないのです。そのような相対的な位置を所有しなければ、到底神様の息子、娘になることはできません。
29 見えない神様が発展し、見えるアダムを通して、アダムが初めて愛の主人となり、息子、娘を生んで育てることによって、神様の代身として実体圏を横的に感じるようになります。無形の神様、アダムの実体圏、その次には、孫を中心として二つの国の結実体になります。これは、霊界と肉界の実体になるので、その実体はどこに行こうと、霊界と肉界の完成した実になるのです。
30 人類の先祖が神様の中に抱かれて育っていれば、人間自身も、「神様が、どうぞ平安で幸福になりますように」と願わざるを得ません。神様が不幸を感じればよいですか。人間は、神様が常に美しく幸福であられることを願うのです。腹中にいる赤ん坊が願うことと同じです。絶対的な神様がアダムとエバを造っておかれ、彼らが育つ間は、無限の希望の中に、無限の幸福の中に、夢の中にいたはずです。私たち個人と同じ道理です。皆さん自身にも母親の腹中時代の生活があったのと同じです。その次には、生まれて、一生の間の肉身生活が始まります。今、私たちが一生の間生きることが、腹中生活と何が違うかというのです。宇宙の中に「私」が今、抱かれて育っているのと同じです。
31 私たちは、神様の代身として愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生んで、愛の目的地に到達して、永遠に神様と共に生きるために、神様のところに帰るのです。すなわち私たちの一生とは、愛で始まり、愛で熟し、愛の実として収められるのです。人が死ぬということは、愛の実を収めることです。私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、「私」が一生をかけて実を結んで収め、あの世に行くのです。
したがって、私たちが愛で完全に一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が合わさって、このような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に永遠に相対的な神様になります。真の愛を中心として夫婦が死ぬと、そのようになります。そのように、神様で始まって、神様で締めくくるのです。
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