第二節 祝福結婚の意義と価値
1 「祝福」とは、福を祈ることです。祝願するの「祝」の字です。福を祈るのに、どのような福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。このような宇宙の公約を代表した最も核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。祝福が最高の福なので、統一教会では結婚式を「祝福」と言います。統一教会で「祝福を受けた」といえば、今日、この世で言う「福を受けた」というものではありません。統一教会の先生を通して結婚式をするようになったということです。
結婚する理由
2 結婚は、神様の姿に似るためにします。神様は、二性性相としていらっしゃるお方であり、各一性が合体した一体的な存在であり、その神様の分性的な人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。
3 男性と女性は互いに半分にしかなりません。ですから、女性は男性の世界を占領しなければならず、男性は女性の世界を占領しなければなりません。そのようにすることによって、完成するのです。正の位置にいらっしゃる神様から分立された二性性相を、再び愛で合わせて神様に似ていくのです。
神様と人間は、主体と対象の愛を中心として一つになるようになっています。神様が二性性相をもって生きるのも、愛のためです。人間にとって貴い代表的なものが息子、娘であり、兄弟であり、夫婦であり、父母です。人は子女、兄弟、夫婦、父母の過程を経なければ、完成者になれません。ですから、結婚しなければならず、息子、娘を生まなければなりません。これが公式であり、回っていく一つの軌道なのです。
4 なぜ結婚をするのでしょうか。アダムとエバが自らの愛を求めていくためではありません。縦的な神様の愛を核として、その核を中心として、客体として一つの球形をなすためなのです。神様の創造理想もそのような愛を中心として決着するのであり、人間の男性と女性も成熟してそこで愛の結着点が展開し、生命が連結されるのです。ですから、生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的な父の愛と横的な夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるのです。
5 結婚は、神様を愛するためにします。神様を愛して、神様の軸と一致するためです。一致すれば、絶対的な神様の永遠であられる愛を中心として、永生が展開するのです。それだけではありません。そのように接触したところから宇宙の相続権が伝授されるのです。愛を中心として造られた被造世界は、神様のものですが、「私」のものとして相続されるのです。
6 男性と女性が個性完成をしようとすれば、相対完成をしなければならないので、結婚しなければなりません。結婚しなければ、愛の圏内に行けません。なぜ結婚しなければならないかといえば、互いに神様の愛に接するためです。神様の愛に接するために、男性と女性は結婚しなければなりません。男性と女性が結婚するようになって、神様の愛を中心として一つになるその時から、宇宙と神様御自身を相続させてくださるのです。神様の愛まで相続させてくださり、神様に属するあらゆるものを相続させてくださるのです。
7 結婚は、自分の個人的愛を完成させると同時に、相手側の愛を完成させるためにするのです。個人の愛を完成すると同時に、神様の愛を完成させるために「私」が結婚するというとき、気分がどれほどいいでしょうか。
地上に神様が愛することのできる土台を準備するために、男性と女性は結婚しなければなりません。二人が愛で一つになったその基準の上に、初めて神様の愛が訪ねてくるのです。結局は、神様の愛のためなのです。神様の愛を自分がもつためです。
8 男性の前にいるその女性は神様の娘であり、人類を代表した女性であることを男性たちは知らなければなりません。自分の花嫁である以前に人類を代表した女性であり、神様の娘であることを知らなければなりません。人類が愛する女性として愛することができ、神様が愛する娘として愛することができるとすれば、夫になることができるのです。そうでなければなりません。女性はその反対です。「あの人は私の男性だ」と考えてはいけないというのです。「私」の男性だという前に神様の息子であり、人類のすべての男性を代表した男性と考えて、人類が愛する以上に「私」が愛し、神様が愛する以上に「私」が愛し、ために生きてあげなければならないのです。
9 「男は右足になり、女は左足になって人類のために生き、神様のための愛の足跡を残す家庭をつくって幸せになろう」という夫婦になることを神様は願われます。右足は夫であり、左足は妻だというのです。片方の足を引きずるようにして歩いてはいけないというのです。「私が間違いなく正しく歩きます」と言わなければなりません。そして、まっすぐに歩かなければなりません。そのようにしてこそ、結婚する資格があります。「私が夫と会って喜ぶのは、人類と会って喜ぶことであり、神様と会って喜ぶことだ。私が夫を愛するのは、人類を愛することであり、神様を愛することだ」と言わなければならないのです。
祝福の意義と価値
10 統一教会では結婚を祝福といいます。自分が独りで愛を求めていく孤独な道を捨て、男性と女性が孤独なときに互いに慰労することができ、うれしいときに一緒に喜ぶことができ、困難なときに力になってあげられる相対的立場に立ち、一人は右足になり、一人は左足になり、一人は右手になり、一人は左手になって、神様を称賛して神様の愛を自分たちの生活舞台に広げていく生活が結婚生活なのです。
11 人間の先祖であるアダムとエバが堕落したその日から、人間は神様が祝福してくださるひと日を待ち望んできました。その祝福の日のために中間の役割を果たすのが宗教です。統一教会は、嫡子を探し立て、すべてのものを相続しようとするのです。
蕩減の過程を経なければ祝福を受けることはできません。その理由はサタンが存在するからです。地上にいる祝福家庭のみ旨に対する基準に従って、相対的に霊界にいる先祖たちのあらゆることが決定されます。この日のために先生は、精誠を尽くしながら闘ってきました。祝福は、真の父母を継承することです。ですから、真の父母がサタン世界と闘った看板を掛けて祝福するのです。
12 祝福が行われる今の時は、神様の願いが成就される最高の時であり、六千年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地に来て苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成就される時です。それだけでなく、その息子の家庭を中心として愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊敬と栄光を受けることができる時です。罪悪がすべて消え、光明の太陽が昇る明るい天地を迎える日であり、すべての自然が和鋤し、すべての動物が踊りを踊るのどかな朝、勝利の朝を迎える日なのです。
13 結婚する時間は、神様の愛を相続する時間です。そして、再創造の権限を相続します。神様がアダムとエバを造っておいて感じられたその喜びが、結婚を通して広がるのです。その次には、主管圏が広がります。完成圏で祝福を受けることによって、このように一番貴いものを受け継ぐようになります。ですから、結婚式というのは、愛の顕現をいうのであり、理想的な創造圏を賦与されることをいうのであり、主体者や対象者として互いに主管圏を賦与されることをいうのです。
14 神様が男性と女性を造り、三大祝福をしてくださったのは何であったかというと、家庭完成の理念によるものでした。「生めよ、ふえよ……地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記一・二八)と言われた三大祝福は、個人が完成するものではありません。家庭において完成するものです。ですから、家庭は個人が定着できる安息の場です。一つの理想の基地です。いくら優れた男性や優れた女性だとしても、その家庭に父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、兄弟がいなければならないのです。
15 なぜ絶対的に男性には女性が必要で、女性には男性が必要なのでしょうか。絶対的な愛のためです。絶対的な愛は、なぜ必要なのでしょうか。神様を占領するためです。なぜ神様を占領しなければならないのでしょうか。神様を占領すれば、神様が「私」のものになるからです。愛には相続権があり、同居権と同参権もあります。ですから、神様が私のものになり、神様の被造物すべてが私のものになるのです。
16 結婚の目的は、自己完成と宇宙の主管にあります。自己完成とともに宇宙を掌握し、未来の世界を包容するのです。自分を完成して神様を占領し、永遠に神様と共に創造理想を完成することに協助した相手として残ろうというのです。ですから、神様が善の息子、娘を創造されたので、善の息子、娘をたくさん生んで、育てなければなりません。子女を生もうとしないのは罪です。
そのようにして神様が治める世界、神様が創造された被造世界を無限に拡張するのです。神様が御覧になって喜ばれる理想世界をつくるのです。これが三大祝福です。個性を完成すれば、神様が治める世界に対する所有権が生じます。そうなると、喜びが倍加されます。子女を繁殖すれば、横的な世界に喜びが満ちあふれるのです。
17 霊界に行ってある女性の中をのぞいてみると、笑っている顔の男性がいます。それで、「男性の顔が見えますが、それは誰ですか」と尋ねれば、「夫です」と言うのです。一つになっているので、二つに分けられません。死んでも、永遠に共に生きていくのです。そのように愛し合った男性は、女性の胸の中で一つになっています。また男性の中には愛する夫人がいます。それが幸福です。結局、これは神様に帰るということです。
二性性相の実体圏は、真の愛によって神様の相対として立ち、神様のところに帰るのです。正分合です。一つだった性相と形状が分かれたあと、実体としてまた出会う、それが男性と女性の祝福です。ここに神様も来て一つになり、男性と女性も一つになって、ここですべて統一されるのです。
18 男性の完成は女性がいなければできない、ということが分かりませんでした。男性と女性は互いに半分なので、互いにために生きるところでのみ、完全な存在になります。二人が一つになって互いにために生きるので、神様がために生きてくだされば、お返ししてさしあげる資格をもつ者になり、神様の愛の相対になります。
ですから、女性は男性を完成させ、男性は女性を完成させて、男女の愛で完成した人たちは、神様の愛を完成させることができます。神様より偉大だというのです。愛の相対は自分より優れていることを願います。千倍より万倍、万倍よりも億万倍、億万倍より無限億万倍優れていることを願うのです。無限億万倍より永遠に無限億万倍優れていることを願うのです。それはどこから来ましたか。先祖から来たのです。先祖の根本は神様なので、神様から来たというのです。神様も自分の愛の相対は自分より何億万倍優れていることを願うのです。これが天地の原則です。
19 アダムとエバが堕落せずに完成していれば、祝福の場に参加していたはずです。言い換えれば、アダムとエバは、神様の実体対象として、神様が主体となれば彼らは対象になります。そのような立場で、愛の主体となられる神様から対象的な立場の愛を連結させることのできる土台は、結局、完成することによって形成されます。
完成とは、結婚のことをいうのであり、結婚とは神様の愛の顕現をいうのです。結婚がなければ、人類世界に愛が始まりません。その愛の主人は、人間ではなく神様です。その神様の愛が人間の中に現れるようになるとき、真の愛になります。また、人間の中にその天的な真の愛が形成されるようになるとき、それが神様の誇りとなり、喜びとなるのです。神様の愛として感じることができるのです。
20 福の中で最も貴い福は、神様の愛です。最初は、神様の愛の福を受けるのです。その次には、神様の創造の権限を引き継ぐのです。神様が愛を中心としてアダムとエバを創造し、喜ばれて希望をもったのと同じように、人間にも平面的な、横的な基準で創造の権限が賦与されるというのです。その喜びを賦与されるのが子女です。
皆さんは、なぜ子女を愛さざるを得ないのでしょうか。それは、神様の創造の偉業を横的な実体圏で受け継いだのと同じだからです。アダムとエバを造って神様が喜んだ、その喜びを人間も感じるのです。神様の愛を受け継ぎ、神様の創造の権限を受け継いだのです。神様が全天地万物を主管されるのと同じように、私たちは横的な立場にありますが、私たちに万物を主管できる権限を賦与したのです。
21 皆さんは、祝福の価値を知らなければなりません。その一時を望む再臨時代には、祝福の基準を完結しようというのです。歴史を代表し、天地を代表し、万民を代表して、摂理の全体を代表してすべての問題を解決し、すべてのものを決定して一カ所に越えてくることによって、新天新地が出発するようになります。祝福の関門とは、このように途方もないのです。これは、イスラエル民族を差し出しても買えないものであり、数多くの預言者や烈士たちと取り替えられないものであり、六千年間神様が苦労されたすべてのものとも取り替えられないものであり、二千年間イエス様と聖霊が苦労したすべてのものとも取り替えられないものであり、今まで万民が苦労したすべてのものとも取り替えられないものなのです。
22 先生の生涯で最も貴いと考えたものが何だったかというと、祝福でした。皆さんにとっても、有史以来、最高の贈り物は祝福です。神様の祝福を受けた者は、神様の代身者です。したがって、皆さんが祝福を受ければ、家庭を備えてサタンを屈服させなければなりません。サタンを審判しなければならないというのです。その次には、四位基台を復帰して勝利的な主管者にならなければなりません。
23 天の父母と地の父母が愛を中心として一つになるのが結婚式です。初日に男性と女性が一つになるのです。「合徳」という言葉があるでしょう。一つの体になったところには神様が入っています。内的な性相と形状である神様が外的な性相と形状、アダムとエバに入り、愛によって二つの世界が一つになります。
霊的世界の見えない性相と形状がプラスであり、見える世界の性相と形状がマイナスです。大きなプラスと大きなマイナスが初めて一つになります。どこで一つになるのかといえば、愛の器官で一つになります。そのように一つになってこそ、そのアダムとエバの体を通して生まれた子女が、神様の息子であると同時に真の父母の息子になるのです。
24 完成して祝福を受けることができなければ、神様の形状も失い、神様の愛の相対も失います。神様のみ旨どおりになろうとすれば、第一に、形状をまとって愛の相対を探さなければならず、第二に、家庭のために、その子孫のために、国のために息子、娘が必要です。それが家庭です。家庭が完成する日、その家庭が成立する日、神様の形状をもつようになり、愛の相対をもつようになり、愛する息子、娘をもつようになります。それでは、これが何で一つになるのでしょうか。血統です。中心の根と幹と芽がすべて一つです。根が一つです。神様の血統を受け継がなければなりません。見えない神様の血統と、見える神様の血統を受け継がなければならないのです。
祝福を受ける人たちの姿勢
25 祝福は、天地で最も貴いものです。同時に、極めて恐ろしいものです。もし夫婦が、互いに他のことを考えるとすれば、相手を蹂躙することです。皆さんから善の先祖、地、国が生じるのです。ですから、祝福を受けた人は、日を開けさえすれば、天地を考えなければなりません。祝福は、人に福を分けてあげるためのものです。夫婦は、お互いに心の母、父にならなければなりません。世の中の人たちが、「私たちもあなたたちの家庭のような家庭をつくりたい」と言うようにしなければならないのです。
26 統一教会は、家庭の伝統を尊重します。ですから、先生がしてあげた祝福には、万世のいかなるものとも替えられない価値のある内容があるというのです。ここに汚点や傷を残すことは一族の恥になり、一国の恥になり、そして、人類歴史を代表する恥になることを知って、家庭の再創建の確立のために全力を尽くさなければなりません。
27 祝福の場は、途方もない場です。ここでは、適当に自分の感情を通してすることは不可能です。一つの生命の価値は宇宙よりも貴いのです。したがって、一人に責任をもつときは、永遠を中心として責任をもたなければなりません。このような問題が左右される場が祝福の場です。ですから、自分の一生においてそのような一時をもったとすれば、彼は幸せな人です。このような途方もない祝福の場に皆さんが加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。
28 祝福の場は、皆さん自身の一代にたった一度しかない、最も貴い関係を決定する場です。ですから、皆さんはたくさん祈らなければなりません。精誠を尽くして祝福の場に来なさいというのです。相手を見ようとしてはいけないというのです。一番醜い人と結婚しようという考えをもたなければなりません。「私があの醜い人と巡り合うとしても、その人と幸せに暮らそう」と考えなさいというのです。
それなのに、唐突に自分一人で浮き足立ち、この人に心が飛んでいったり、あの人に心が飛んでいったりすれば、困ったことになるのです。自分のために祈る人は欲張りです。かえって祈らずに、「あなたのみ前にすべて委ねます。愚かな私が迎えるべき相手はいないでしょうか。ただ父の計らいのままにしてください。そのまま一人で老いて死になさいと言われれば、喜んでそのように生きて死にます」と考えなさいというのです。
29 結婚は、むやみにするものではありません。道端でたまたま出会った人同士でするものではありません。自分たち同士で親しくなったといって結婚すれば、結婚してすぐに異変が起こるというのです。自分たちなりの立場で通過しようとする、そのような立場に絶対に立ってはいけないというのです。祝福とは国のために、世界のためにするのです。また、それがすなわち後代のためなのです。
30 男性も女性も、今までみ旨が分からないときは、自分の思いどおりに生きたでしょう。未婚だというのは名ばかりで、男女の関係をもったという過去の汚点があるとすれば、とめどない涙で悔い改めなければなりません。そうすれば、祝福の期間を通して神様が赦してくださるでしょう。
一番福のあることは、純潔な女性なら女性として、純潔な男性なら男性として、神様が喜ぶ立場で天上のみ旨に従って互いが敬拝を捧げることです。そのような人は天地の幸運児です。天下の人生行路において、万事において成功した人です。そうでなかったならば、はらわたがひっくり返り、腹の中がひっくり返る立場で、天地がひっくり返る懇切な悔い改めをしなければなりません。きれいな心と体をもって「お父様、私は恥ずかしい体でございますので、どういたしましょうか」と言うとき、お父様が「分かった、私はあなたの気持ちをみな知っている。赦してあげよう。そのようなつらい峠を越えてきたことが父の喜びだ」とおっしゃるというのです。ですから、「すべて分かったうえで私が赦してあげよう」という、天の同情の力が自分自身にとどまることができる立場で祝福に参加しなければなりません。そのようにしなければならないのが、原則的な姿勢なのです。
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