第三節 男女の真の愛と真の結婚
1 男性が生まれたのは愛のためです。男性の愛は、男性から来るのではありません。男性の愛は女性から来ます。女性の愛は男性から来ます。愛を中心として見てみるとき、男性は自分のために生まれるのではありません。男性が生まれて探し求めていく真の愛の道は、自分のために生きる場においては絶対に探し出せません。前進することができず固着してしまいます。神様が、御自身をすべて投入して宇宙創造をした道に従っていくべき立場なので、男性が生まれるのも、人のために生まれるのです。真の愛のために生まれたのに、自分のためだと考えれば、真の愛を探すことができないのです。ですから、男性が生まれたのは女性のためであるという結論が出ます。そして、女性は、真の愛を中心として男性のために生まれたのです。
男性と女性は互いに相対のために存在する
2 神様が愛をもって喜ぼうとすれば、この宇宙はどうなるべきでしょうか。神様だけが喜んではいけないので、この宇宙もすべてペア・システムで造ったのです。鉱物世界にもペアがあります。水品の結晶もペアでくっついています。そのような相対的概念が連結され、拡大するのです。私たちの目には見えませんが、すべてそのような作用をします。
宇宙が愛の概念を標準として造られたので、すべてのものはその愛に和動して従うようになっています。ですから、すべてのものがその愛に和動しようとすれば、主体と対象の関係がなければなりません。一人では愛することができません。主体と対象の概念を中心として愛によって連結されるので、宇宙はペア・システムになっているのです。
3 男性と女性は、お互いのために生まれました。男性は女性なくして愛を探す道がありません。愛ゆえに男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。それが貴いのです。真の愛は、自分を主張する所にはありません。ために生きる所にあります。ですから、互いのために生まれたのです。神様は真の愛をもった方なので、ために生きようとします。そのために人間を造ったのです。神様のために人間を造ったのではありません。真の愛のために存在するのです。
4 男性は女性ゆえに生まれました。聞きたくないかもしれませんが、それが天理です。億千万年変わることのない真理です。これが分からなかったというのです。男性にとって最も貴く、一番のものが愛なので、男性には女性が絶対に必要なのです。
男性と女性が結婚するとき、何を見て結婚するのですか。生理的構造において異なる一点、それを見て結婚するのではないですか。女性同士でも結婚できるのに、なぜ男性としなければならないのですか。それは絶対的です。生理的構造が違います。男性の愛の貴い生命のひもを受け継ぐことができ、愛の伝達を通して宇宙と関係を結ぶ道が生じるのです。
男性が探し求める愛の道は、女性を通してやってきます。女性が探し求める愛の道は、男性を通してやってきます。ですから、その愛でなければ、理想の基盤、すべての価値の基準を探し出すことができません。この愛と一つになって進み出るときは、この宇宙が歓迎するのです。東西南北、四方の方向を克服することができ、主管することのできる能力がここにあります。愛は偉大な力をもっているのです。
5 春の季節になり、鳩が「クククッ!」と鳴くのは、愛の歌です。それは悪いものではありません。自然はすべて、人間に教える教材です。すべての鳥や動物はペアになっています。互いが愛を中心として和動するのです。これは天地の調和です。宇宙の極と極が愛を中心として和動し始めるのです。
渡り鳥も同じです。南にいた鳥が北に飛んでいき、北にいた鳥が南に飛んでいって、地域を行き来しながら愛するのです。永遠に回ります。人間は、神様が造った博物館の教材を通してこのような愛を学びます。人間と神様が良いといって愛するようになれば、天下のすべての万物は、そこに拍子を合わせて和動するのです。神様が愛し喜ばれれば、天使世界も喜び、このすべての被造物が喜んで拍手を送り、賛美を送るのです。
6 芸術は、情緒的な背後が深く介在していなければ価値がありません。千年前のものを何千年後に見ても、そのとき以上の感情を感じれば、名作だと言えるのです。一つの絵を見ても、そのような感動や刺激を感じるとき、傑作と言うのです。
神様の作品の中で、最高の傑作は人間です。そして、人間の中にある愛です。神様が願われた愛の主体の前に、対象的な愛の美を備えて立てば、神様が涙を浮かべるのです。思わず溶けて美しい迷路に引き込まれていくのが、愛の美しさです。
暖かな春になれば、私たちの目にはよく見えない小さな虫たちも、雌、雄が愛を交わします。それを見れば、本当に不思議です。雌がいれば雄がいて、互いに愛し方を知っているのです。それを誰が教えてあげたのか分かりませんが、愛し合って子を生むことができるのです。それはすべて、神様が人間に愛を教えるための愛の博物館なのです。
7 アダムとエバが互いに愛するとき、神様は喜ばれます。御自身が愛するからです。神様御自身が、御自分の体であるアダムと、その相対であるエバを通して衝突を起こすのです。極と極が分かれてから合わされば爆発しますが、そのような爆発的な衝動を感じるとき、神様も愛に酔ってひっくり返るのです。このように話すからといつて、不敬なのではありません。愛には不敬というものがありません。神様が好む愛さえあれば、それでいいのです。
世の中で、女性にとって一番良いものが男性です。いくら優秀で、天下が羨ましがるほどの美しい女性だとしても、その女性に愛することのできる男性がいなければ、何も始まりません。家に入っても寂しく、すべてのことが煩わしくなります。絹の布団を広げておいたとしても、蹴飛ばしてしまうのです。しかし、男性さえいれば、ぼろぼろの薄い布団を敷いて寝るとしても、味があるというのです。
8 自然は、すべて愛の展示場です。主人になることのできるアダムとエバが、中心から東西南北を眺めるとき、そこに見えるすべての存在が教材になるのですが、それは愛の教材です。植物もすべて相対的条件であり、動物も同じであり、昆虫も同じであり、すべてが相対になっているのです。それは、アダムとエバが理想的な愛の道を歩むように教えてあげるための博物館です。愛の教示をするための一つの自然博物館になっています。それは、アダムとエバのためです。ですから、自然を愛せない人は、人を愛することができません。人を愛せない人は家庭をもつことができないのです。
9 男性は女性のために生まれました。また女性は男性のために生まれました。ですから、男性の生殖器と女性の生殖器は自分のものではありません。神様は知恵深い方です。主人を入れ替えておいたのです。統一教会では、浮気することを絶対に許しません。
「右」と言うときは「左」を先有条件として語るのであり、「上」と言うときは「下」を先有条件として語るのです。「女性」と言うときは「男性」を先有条件とするのです。男性は男性のために生まれたのではありません。
凸が必要とするのは凹です。凸の主人は男性ではありません。それは、この上なく神聖なものです。ここから神様の生命、神様の愛が連結されます。永遠の愛が発掘されて継続する、愛の源泉地です。男性は、この源泉地を通らなければ、神様の愛に接近することができません。それが愛の源泉であり、生命の源泉であり、血統の源泉です。愛が動くとき生命が沸きたち、血が躍動します。父母の愛を一つに交流させて一〇〇パーセント、球形に混ぜたのです。
10 神様は、愛の至聖所にいようとされました。堕落していなければ、人間の生殖器が神様の至聖所です。その至聖所は、人が作ったものではありません。それでは、神様が作ったものの中で最も複雑で、最も刺激的で、最も神経が鋭敏なものとは何でしょうか。男性と女性が愛し合うことのできる接触部分を何と言いますか。稲光が避雷針に接触するときは、先端に接触します。人間のすべての神経の先端が、男性と女性の唯一異なる器官です。その一点が異なるがゆえに、女性であり、男性なのです。それが何かは、説明しなくてもみなよく知っているでしょう。それは貴いものです。堕落していなければ、神様が臨在し、神様の愛が宿る至聖所だったというのです。
11 本来、至聖所は、完成したアダムとエバを象徴します。二つの石板やマナとうずら、そして芽が出たアロンの杖は、アダムとエバを象徴します。聖書の秘密の話は、アダムとエバについての内容が多いのです。雲の柱と火の柱もアダムとエバであり、生命の木と善悪を知る木もアダムとエバを意味します。アダムとエバの秘密の愛を暗示的に、すべてそのように記録しておいたのですが、それが分からずにいるのです。ですから、アダムとエバが堕落せずに成熟して夫婦になったならば、万事がすべて終わるのです。そこから天国が始まります。神様が愛した基盤の上で天国が広がるのです。しかし、堕落することによって、その愛した基盤がないというのです。
12 なぜ男性が生まれたかということが問題なのですが、男性のためではなく、女性のために生まれたのです。男性にとって最も重要なのは女性です。女性も、自分のために生まれたのではありません。生存の起源が自分ではなく、男性なのです。女性が女性として生まれ、もっているその美貌は自分のものではありません。胸は女性のものですか。大きなお尻が女性のものですか。女性のためにそのように生まれたのでしょうか。男性のために生まれたのです。また、男性の肩が大きいのは、威張って力を振るい、暴力の魁首になれといってそのようになったのではなく、女性を保護するためなのです。それで女性はお尻が大きく、男性は肩が大きいのです。そのようになってこそバランスが取れるのです。
生まれたのは自分のためではありません。自分のために生まれたと主張するようになるとき、真の愛はすべて破錠してしまうのです。真の愛は神様から始まりました。人類のためにいらっしゃる神様です。神様の愛は、与えて、与えて、与えて忘れてしまうのです。それが真の愛です。
13 生命の根源地、愛の根源地、血統の根源地が皆さんの生殖器です。それをひっくり返して打ち込んだので、一番下品な言葉になったのです。それを誤って使わなければ、下品な言葉ではなく、王の言葉です。神聖な言葉です。人間が堕落していなければ、男性と女性の生殖器が愛の王宮です。それをいい加減に使用することはできません。そして、生命の王宮です。そこから生命が生まれます。また血統の王宮です。そこから自分の生命が血統を受け継いで生まれるのです。「私」の生命の根源地であり、「私」の血統の根源地であり、「私」の愛の根源地です。
14 私たちの器官のうち、最も貴いものとは何でしょうか。愛の根本もここから、生命の根本もここから、後代の人類のすべてのものも、ここから連結されます。構造的に見るとき最も貴く、すべての神経系と結びつけられているのが生殖器官です。ですから、真の愛を願う人は、生殖器官を守ることができなければなりません。生殖器官を犯せば、自分の先祖を侵犯し、神様を侵犯し、生命の根源を侵犯し、血統と愛、すべてのものを侵犯する罪になるのです。それは、人類を蹂躙することであり、歴史時代のすべての人間を蹂躙することであり、すべての理想的愛を破綻させることなのです。
15 男性と女性の血と肉は、どこで和動するのでしょうか。これは夫婦関係において行われます。男性と女性が、このように目だけ見つめることによって血が交わるのではありません。夫婦生活、夫婦関係で交わるのです。夫婦関係をする所が生命の源泉地です。男性と女性の生命の血が他の所で交わるのではありません。ただ一ヵ所しかなく、夫婦が愛する関係において交わるというのです。次に、血統が連結されるのもその場です。生命の結合、生命の癒着もそこであり、血統の起源もそこであり、愛の結着もそこで行われます。愛が一つになる、その点しかありません。
責任分担と理想相対
16 人が福を受ける道とは、どのような道でしょうか。正常な原理原則に従って、神様の最高傑作である人間を愛する道です。それでは、愛の順序があるのですが、どこからでしょうか。子女からではなく、父母から愛を受けるところから始まるのです。そして、一番麗しい時期、花がいっぱいに咲く青春時代がいつかというと、思春期からです。その時期が正に、十八歳から二十四歳までの七年間です。この七年間は一生に二度とない、愛の花が咲く時期です。一度しかない麗しいこの時期が、どれほど貴いかというのです。
芍薬の花は、そのつぼみが色の違う黄色の花房によって、簡単に散らされないようにしっかりと包まれています。男性も女性もこれと同じです。皆さんの赤い愛、責色い花のようなその愛のつぼみをいつ、いっぱいに咲かせるのでしょうか。天地の調和の中で美しさが最もよく現れる時が、その時期です。人間として見ても、最高に咲く時です。神様の傑作となり、最も中心の結晶として輝く期間です。成長しながら最も麗しい時期、最も美しい時期が青春時代です。
17 愛は円形を描いていきます。だんだんと小さくなるのではなく、だんだんと大きくなっていかなければなりません。愛は、さらに大きくなっていかなければならないため、個人的愛よりも家庭的愛を追求します。そのためには、「私」の家庭だけではいけません。氏族が必要です。氏族が必要なので、螺旋形に拡大運動をしながら発展する作用をするのです。
統一教会では、「個人は家庭のために」と言いますが、国は世界のために、世界は天宙のために、天宙は神様のために、神様は愛のために生じました。ですから、この地のすべての存在は、愛に吸収されようとします。人も、夫と妻が二人で暮らすときは夫がよく愛したのですが、夫に夫婦の愛よりもっと強い愛があれば、夫はその愛に熱中するというのです。夫婦で暮らす人も、世界を中心としてすべてをかき抱ける愛の世界があることを知れば、家庭を捨てて旅立つのです。それは悪いことではありません。その大きな愛に従って歩んでいく人々が、さらに神側に近づくので、それを善と言うのです。
18 神様は、アダムとエバが完全に成熟することを願いました。これはいが栗と同じです。六月や七月くらいになれば、いが栗の大きさは、収穫する時の大きさと同じになります。しかし、このときにそれをむいてみれば、中身がないのです。栗の実の形はすべてあるのですが、食べられる実がまだできていないのです。それと同じです。まだ実ができていません。成熟してこそ実ができるので、神様は実ができるまで待たれたのです。
アダムとエバが成熟すれば、宇宙の中心になります。存在するすべてのものが、宇宙の中心の位置に立つようになるというのです。ですから、十七、十八歳以上に育つまで、神様は待たれたのです。神様は、アダムとエバを成熟した人間として造ったのではなく、自然の法度に従い、幼子として造りました。アダムとエバがそのように成長し、神様と一つになって愛したならば、今日の人類は悲惨なことにはならなかったでしょう。
19 神様の愛以上に貴いものがないので、神様の愛さえもてば宇宙は「私」のものです。神様のものであると同時に私のものです。女性がもっているその愛の器官は男性のものであり、男性がもっているその愛の器官は女性のものです。あなたの体が私の体であり、私の体があなたの体であるという言葉が、それで成立するのです。そのように入れ替わっているのです。
男性にあるからといって男性が主人ではなく、女性にあるからといって女性が主人ではありません。ですから、いい加減に使えば大変なことになるのです。それは絶対的です。そのため、統一教会では自己本位な恋愛をさせません。初めての情を夫にあげなければなりません。アダムとエバも同じです。それで初愛が貴いのです。初愛は神様が導きます。神様が初愛の橋に乗り、地獄と天国を連結するのです。このようになれば地獄はなくなります。
20 責任分担が重要であることを知らなければなりません。責任分担について神様がアダムに、先生のように説明してあげていれば、アダムは堕落しなかったでしょう。「責任分担!取って食べるなと言った。責任分担、責任分担!」と言いながら、夜でも昼でもいつでも責任分担を叫んだならば、堕落しなかったでしょう。
女性たちは、体格の良い夫を得なければならないと考えます。男性は体格が良くて背も高くなければならない、気前がよくなかったり背が低かったりしてはいけない、と考えるのです。それで先生は、そのような女性には一番背が低い夫を与えなければ、と思うのです。それが蕩減復帰です。そして、背が低い人は、背の高い女性を一度もらってこそ恨が解けるのです。痩せた人は、太った男性をもらってこそ恨が解けるのです。
21 春夏秋冬のように季節が異なるのと同じように、人間もみな異なります。生まれるとき夏の季節に生まれた人がいて、秋の季節に生まれた人がいて、冬の季節に生まれた人がいて、春の季節に生まれた人がいます。春の季節に生まれた人は夏を通らなければならず、冬の季節に生まれた人は春の季節についていかなければなりません。行く方向が違うのです。地球が回るので方向が変わるというのです。一つは上がっていく運勢で行かなければならず、一つは下りていく運勢で行かなければなりません。
ところが、下りていく運勢で行く人が下りていく人に会えば、二人とも粉々になるのです。事故が起きて二人とも死ぬなどということが起きます。ですから、下りていく運勢であれば、力を入れずに上がっていける運勢に乗ってこそ生き残るのです。それで、そのような男性は、できるだけ押し上げていける女性をもらわなければならないのです。
22 皆さんがもって生まれた天性は、どんな季節に一致しているのでしょうか。下りていく季節か、上がっていく季節か、それとも横切る季節か、相対型か、反対型か、すべて違うというのです。それを、最初は合わせていくのです。合わせるのも、何カ月ではできません。三年間は合わせなければなりません。そのような運命の道を開拓すべき道が残っているというのです。
皆さんが結婚したからといって、すべて解決するのではありません。結婚が本当に問題です。結婚をうまくしなければなりません。道端で会って、良く見えるからといって結婚すれば、長く続きません。若い男性と女性の目には、すべて夏なので青く見えるのです。青々とした木に美しい実があり、からすとかささぎが飛び回っているので良く見えるのです。しかし、その実が何の実か分かりますか。松の木は、松の木同士で接ぎ木しなければなりません。それぞれ科が分かれていて、科の境界線があるのです。
23 完全なプラスがあれば、完全なマイナスは現れるようになっています。完全なマイナスが現れなくても、完全なプラスがなくなるということはありません。そのようになれば、完全なプラスの立場にいる神様自体も、マイナスがなくなるときにはいなくならなければならないという結論が出ます。そのため完全なプラスは、完全なマイナスを創造するのです。
このような点から見るとき、神様がアダムのあばら骨を抜いてエバを造ったというのは、アダムを手本として造ったということです。完全なプラスがあれば完全なマイナスは自然に生じるので、アダムが完全なプラスであれば、完全なマイナスであるエバは、アダムを通して生まれたということになります。これが天地の道理です。このように分かってみれば、神様は真の科学者です。
24 神様が完全な男性を造ったのは、その完全な男性のためではありません。完全なプラスは完全なプラスのためにつくったのではなく、完全なマイナスのためにつくったのです。完全なマイナスである女性のために造ったのです。
根源的な神様が絶対的な主体者であれば、神様は絶対的な対象をつくらなければなりません。言い換えれば、神様が完全なプラスである絶対的主体者であれば、完全なマイナスの対象を創造しなければならないのです。ですから、完全なプラスはなくなるのではなく、完全なマイナスをつくり出すのです。完全な人格者は、じっとしていても、その環境のすべての良心的な存在がその周辺に集まり、その人に似ようとするのです。それと同じことです。
その主体者の前に対象圏を確保するために、すべての存在物、すべての元素世界、すべての物質世界は動くのです。より価値があり、より次元の高い段階に上がるためです。すべての元素は、一段階上がって、高い段階の、より円満で、より理想的な自分を追求するのです。
25 「私」が完全な主体になるか、完全な相対になるかということが決定されてこそ、完全な理想相対が出てくるのです。ですから、先決問題は、どのように自分自身が完成するかということです。皆さんが思春期になれば異性に対して愛そうとするのですが、それよりも父母様をもっと愛したという条件を立てなければなりません。「孝子だ、孝女だ」、このようになってこそ神様と愛の関係を結べるのです。これが天理原則であり、創造原則です。
理想相対を考える前に、まず自分自らが父母の前に孝子にならなければならず、父母が孝子として公認できる愛の関係をもたなければなりません。そのためには、父母と一つにならなければなりません。孝行しようとすれば、兄弟同士でも一つにならなければなりません。家庭において誰もが、真の模範であると言うことのできる話が出てこなければならないのです。それが終わったあとに理想相対が始まるのです。
26 神様は、人を見るとき、心を見抜き、その次に過去を見て、現在を土台に未来を見ます。若者たち、年の幼い皆さんは、これからそのような面を重要視しなければなりません。顔を見て人を選ぶのではなく、その人の心がどうか、その人の過去と生活を中心にして未来はどうか、このような面を見て選ぶことができなければなりません。
顔は窓口と同じです。この顔を見れば、目、耳、鼻、口の四つしか見えません。顔は良くなくても、品行を端正にし、厚徳な心をもちなさいというのです。神様が世界をすべて回って人を探すとすれば、どのような人を探そうとするでしょうか。世界くらい大きな人です。しかし、仮にそのような人がいるとすれば、目も世界のように大きく、手も世界のように大きいので、どこに行っても歓迎する人は一人もいないでしょう。しかし、心が世界のように大きければ調和するのです。顔よりも、徳の高い心をもって生きなければなりません。そうだとすれば、皆さんは未来において顔の良い奥さんを迎えますか、心の良い奥さんを迎えますか。心の良い人を迎えなければなりません。
真の結婚は創造理想を完成すること
27 結婚は、創造理想を完成するために、すなわち創造目的を完成するためにするのです。創造目的は、アダムの目的である前に神様の目的です。ですから、アダムが喜ぶ前に神様が喜ばなければなりません。このように見るとき、結婚は神様のためにするのです。言い換えれば、神様の創造目的というみ旨のためにするのです。み旨とは創造理想を完成することです。
創造理想は、自分を中心として完成されるのではありません。すべての心情が主体的な神様と一体になり、その方が動けば「私」も動き、その方が静まれば「私」も静まることによって心情的一致点を形成し、内外が一つにならなければなりません。このように、神様のみ前に和合できる基準を立てなければ、創造目的を完成することはできません。皆さんが創造目的を完成したアダムになり、エバになろうとすれば、結婚をしなければならないのですが、この結婚は、神様のためにするのであり、神様のみ旨のためにするのです。
28 「私」が生まれたのは愛のためです。宇宙の根本は真の愛です。男性も女性も同じです。男性と女性がなぜ結婚するのですか。結婚するのは神様を占領するためです。先に横的に移動するのではありません。縦的な愛、垂直的な愛が先です。神様が直短距離で九〇度を立て、その垂直になった所に九〇度で合わされば、それで終わるのです。そのようになれば皆さんの体と心は、永遠に闘いません。常に和合するのです。
29 男性と女性は、愛のために結婚します。なぜ愛のために結婚しなければならないのでしょうか。神様に会うためです。それでは、男性と女性はどこに行って会わなければならないのでしょうか。垂直的な宇宙の中心、父子関係を通して育ってきたその縦的基準に行って、額を合わせなければなりません。女性が一歩早く来てもいけません。男性が一歩早く来てもいけません。一緒に来て、互いにつかんで引っ張れば回るのです。愛する人に会って踊りを踊るとき、そのまま立っていますか、回りますか。引き寄せれば回っていくのです。回れば水平線から上がります。速く運動すれば上がるのです。
30 堕落した世の中では、愛というものが危険なのです。エデンの園にはアダムとエバしかいませんでした。女性はエバだけでした。しかし、この堕落した世の中には女性がいくらでもいます。その女性たちが夜も昼もなく、男性を惑わして転ばせようと騒いでいるのです。ですから、男性は自分の立場を守っていくのがどれほど難しいでしょうか。女性も同じです。結婚したあとは、男性は他の女性と会ってはいけません。結婚したのちには、夫婦が必ずくっついて歩きなさいというのです。堕落したのは管理を誤ったからです。その妻が夫の管理を誤ったからであり、夫が妻の管理を誤ったからです。また自分だけの夫であり自分だけを絶対視するように教育できなかったからです。そのように懇切な愛で愛することができなかったというのです。
31 家庭に息子、娘がいなければ、夫婦だけでいれば、横的基準は立ちますが、縦的基準を立てることができません。ですから、結婚したすべての夫婦は息子、娘を願うのです。天理運行の法度の力が作用して、そのように願うのです。
お嫁に行けば、大変なのになぜ赤ん坊を生むことを願うのでしょうか。なぜ、それほど苦労してまで赤ん坊を生まなければならないのかというのです。自分の生命を犠牲にしてでも夫を愛さなければならず、自分の生命を犠牲にしてでも息子、娘を愛さなければならない、その理由が分からなかったのです。それは宇宙の中心である神様の愛に接するためであり、神様の愛に接することによって万事にすべて勝利し、万事が思うとおりになるので、その愛のためにそのようにするのだという事実を知らなければなりません。それは皆さんによってつくられたのでもなく、皆さんが願ったことでもないのですが、本来、創造なさった神様の創造原則がそのようなプログラムになっているのです。
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