天聖經(増補版)/第四篇 真の人間

目次

第二章 人間の責任分担と堕落

第二節 人間の堕落


1 聖書の内容を観察してみれば、人類始組が不倫の愛により、悪魔サタンを中心として父子の関係を結んだという事実を否定することができません。神様の血統を受け、神様の絶対的な愛の中で、神様の直系の息子、娘として生まれなければならない価値をもった人間が、悪魔サタンの血統を受けてサタンの息子、娘として生まれたというのです。

2 堕落は、どこから始まったのでしょうか。男性と女性の間で堕落したというのは、どういうことでしょうか。聖書の文字どおり、善悪の実を取って食べたのが堕落でしょうか。果物を取って食べたのが原罪になることはあり得ません。異性間で堕落し得るのは、誤った愛しかありません。人間始祖が果物を取って食べた罪によって、その子孫が千代、万代、罪人になり得るでしょうか。それは血統的に罪の根を植えたので、遣伝の法則によって永遠に持続するのです。不倫の淫行関係によってエバは天使長と一つになり、天使長と一つになったエバが再びアダムと一つになることによって、アダムとエバは神様を中心とせず、天使長を中心とした夫婦関係を結んで家庭を築くようになったので、アダムとエバの子孫であるすべての人間は、結局サタンの血統を受け継ぐようになったのです。

  

間接主管圏と直接主管圏


3 神様の実体にならなければならず、人類の真の父母にならなければならなかったアダムとエバが、思春期になる前に堕落してしまいました。言い換えれば、秋に良い実を結ぶために春に種を蒔いたのですが、これが秋まで行くことができず、夏に落ちてしまったというのです。堕落とは正に、このように途中で脱落したことを意味します。

4 本来、アダムとエバが完成すれば、神様がその完成の位置に入っていって、アダムとエバと一つになるのです。それで結局、霊的な立場と肉的な立場が一つになり、霊肉を中心として神様の愛に連結されなければならないのです。成熟した思春期を迎えていない未成年のときに堕落しました。霊肉が神様の愛と連結されていない未発達の時期に堕落したというのです。そのため、愛が分からずにいます。いが栗はいが栗なのですが、中身のないいが栗の姿と同じなのです。

5 宇宙の根本に、脱線はあり得ないというのです。ところが、エバが成長する前、未成年のときに天使長のルーシェルを見ると、天地の道理をすべて知っているかのように話すのです。神様のみ使いとして、天地創造についても話すことができるというのです。アダムは無愛想で、鳥でも捕まえようと駆け回っていたのです。棒を持って鳥でも捕まえようと駆け回り、蛇でも捕まえようと駆け回り、蛙でも捕まえようと駆け回っていたというのです。自然にあるすべてのものを将来主管し、管理して親しくなり、一つになろうとしたので、そのようにしたのです。エバに対しては関心がありませんでした。

6 堕落しなかったならば、アダムとエバは青少年の時期を過ぎ、思春期を迎えて、自然に一つになったはずです。誰が教えなくても、自然に一つになるようになっています。誰を中心として一つになるのですか。アダムでもなくエバでもありません。愛の根となる神様を中心として一つになるのです。

花が咲くとき、その花自体が咲くのではなく、根を通して咲くのと同じように、神様がそのような立場で人間と共に完全に相対的理想を完成し、愛を完成していたならば、すべてのものが公認されたでしょう。すぐにそこから天国生活です。このように見るとき、堕落したという事実は、神様が人間に願った理想の愛の完成基準を失ったということを意味します。

7 神様はなぜ、責任分担というものを与えたのでしょうか。人は大きくならなければならないというのです。成長して上がっていかなければなりません。十五、十六、十七、十八歳の思春期まで成長しなければなりません。成長するまで待たなければならないのです。そのため、これを原理結果主管圏、または間接主管圏と言います。育って成熟する前は愛を知らないというのです。ですから、成熟するまで待つのです。育ち切って、平面的な極において二人が一つになることのできる、その時に神様が来られ、彼らの結婚式をしてあげれば、それで終わったというのです。

8 人間が堕落することによって、間接主管圏内にのみ、とどまるようになりました。直接主管圏は、いまだに連結されていません。アダムとエバが責任分担を果たせなかったことにより、間接主管圏から直接主管圏を連結できなかったのです。

ここに責任分担が関係しています。そのため復帰摂理は、責任分担のゆえに何度も延長されていくのです。神様の直接主管圏に連結される神様の愛の圏に行くためには、すなわち完成するためには、間接主管圏で自らの責任分担を完成しなければなりません。

9 間接主管圏と直接主管圏を連結させるために、責任分担を完成しなければなりません。責任分担完成というのは、男性が虞熟し、女性が成熟しなければならないのです。エデンの園における完成とは、神様のことしか分からないことです。神様を第一に愛さなければなりません。その次に男性は女性を愛し、女性は男性を愛する、そのような人にならなければなりません。このようになるとき、責任分担を完成することによって、間接主管圏から直接主管圏内に行くことのできる新しい次元に越えていくのです。

10 皆さんは、原理結果主皆圏から直接主管圏に至るまで、家庭を中心として蕩減条件を立て、自ら責任分担を完遂したという条件を立てなければなりません。そのようにして、神様の愛を中心として直接主管圏と関係を結ばなければ、天国に入る道がありません。これが原理です。

それでは、責任分担をなぜ立てたのかというのです。神様のすべてのものを相続し、神様の対象者にするために蕩減条件が立てられました。その次に、直接主管圏はなぜ必要ですか。直接主管圏を連結せずしては、愛が人間と神様に連結されないからです。この愛が連結されなければ、神様から宇宙を相続することはできません。愛を中心として相続させるようになっているのです。そのため、すべての国や、すべての家庭も、愛する子女を中心として相続させようとするのです。それは、原理がそうだからです。

11 責任分担圏は、愛を中心として一つになった場所です。完成して縦的な神様の愛と連結されたとき、間接主管圏と直接主管圏が連結されます。直接主管圏と間接主管圏が連結されれば心情圏が連結されるので、サタンがそこに存在できないのです。その前に堕落したので問題なのです。人間としては、いくらやってもこれが分かりません。ですから、万民がすべて地獄に行くのです。ここの中間で復帰摂理の道を立て、中間良心圏を啓発しながら、それを固めてきた歴史的背後の基盤が宗教です。

12 直接主管圏は、アダムとエバが愛を中心として同参できる場所です。ですから、間接主管圏は責任分担未完成圏です。責任分担完成と同時にアダムとエバが愛を中心として夫婦になり、神様は内的父母となり、アダムとエバは外的父母となって内外に一つとなるとき、初めて直接主管圏が設定されるのです。そのため、この過程では結婚が絶対に必要です。独身では越えていけないのです。

13 神様の愛を中心として、完全な神様の愛が顕現するとき、サタンは現れることができません。それが責任分担完成です。責任分担を完成したならば、間接主管圏と直接主管圏において愛の関係が結ばれるのです。そこで縦的愛と横的愛が連結されるのです。そうなれば、その縦横の愛を通じて、神様の血統的関係が生じるのです。血統が生じます。神様の愛を中心として一つになった縦横の愛と関係を結んで生まれた血統は、サタンが干渉できません。サタンと関係がないのです。ですから、心情を受け継ぐためには、純粋な神様の愛を中心とした本然の伝統的血統を受け継がなければなりません。

  

人間の責任分担と堕落


14 エデンの園でアダムとエバが神様の命令に従順であったならば、堕落はなかったでしょう。神様の命令に従順であったならば、その個人によって家庭が築かれ、その家庭によって国家、世界が形成され、地上天国、すなわち神様だけが主管できる世界になったでしょう。

ところが、神様の命令に従順に従わず、反逆することによって、サタンを中心とした個人、家庭、氏族、民族、国家が形成されたので、本来神様が意図した神様の国は、いまだにできていないのです。本来神様が意図した世界と反対になったために、反対の中心存在であるサタンが生まれ、サタンが主管する個人と家庭と世界になったというのです。

15 アダムとエバが堕落する前、神様に先に尋ねていたならば堕落しなかったでしょう。「天使長がこれこれこのように言うのですが、どうしましょうか」と尋ねなければなりませんでした。そのようにしていれば、神様が答えたはずです。この尋ねてみることが、責任分担の五パーセントです。尋ねてみるのは自由です。しかし、尋ねてみずに横的関係を結んでしまったのです。尋ねずに行動したので、問題が起こったのです。いつもそうです。皆さんは、自分の責任分担の五パーセントを果たす自信がありますか。ないのに騒ぎ立てる、ありとあらゆる人たちが大勢いるのです。

16 アダムとエバが、なぜ堕落したのでしょうか。責任を果たせなかったからです。責任分担は、アダムやエバが一人でできますか。まず神様と一つにならなければなりません。神様と一つにならなければ責任分担を完遂することはできません。

その次に、原理と一つにならなければなりません。この二つの粂件が成立しなければなりません。ですから、「信仰をする人は絶対的に神様を信ぜよ!絶対的に神様のみ前に帰依せよ!神様を中心として完全に立て!」というのが信仰の第一条です。いかなる宗教でも、これが信仰をする人々にとって第一条です。その次に原理です。神様が立てた法度と完全に一つになれというのです。

17 責任分担があったので蕩減も生じるようになったのです。もし責任分担がなかったなら、神様はいつでも主管なさることができます。堕落するとき、「おい、それはいけない」と言えるのですが、人間の責任分担があって神様が干渉できない立場にいたので、人間が堕落し、サタンが活動するのを防ぐことができませんでした。責任分担をアダムとエバが果たせなかったのです。その責任を果たせなかったことが、アダムとエバだけで終わったのではありません。アダムとエバが根となり、幹となり、枝となり、葉となって、全人類は結局、責任を果たせなかった立場にとどまっているのです。

18 アダムとエバが罪を犯しました。アダムとエバが罪を犯したことに対しては、神様が思いどおりにできません。サタンは、罪を犯したアダムとエバをつかんで、神様のみ旨を滅ぼすよう、思いどおりにできるのです。いつかこの地上に再臨主、メシヤが来て、悪魔を屈服させるその日が来なければ、神様御自身が解放されません。

宗教を信じる人々は、このようなことを夢にも考えず、神様は全知全能なので思いどおりにできると言います。いくら権限があっても、定められた憲法を遵守しなければなりません。天地創造の大原則基準を中心として、神様が定めたその法を破って自分の思いどおりにする神様ではありません。

ですから、堕落したアダムとエバに干渉できなかったのです。干渉できる位置は、完成の位置です。その位置に立ってこそ神様が収穫して、干渉するようになっているのです。堕落したアダムとエバに干渉できなかったのは、長成期完成級にいたからです。中間段階にいるので、まだ実となり、種になることができないので、それを収めることができないのです。神様は完全に結実した、完熟した実を収めてそれを拡散させるのであって、完熟していないものには干渉できません。

19 アダムが罪を犯したので、アダムが解かなければなりません。未完熟のアダムによって無知の立場で堕落したため、完熟したアダムが現れて、悪魔が知り、神様が知っているすべての秘密を明らかにし、悪魔を引っ張っていって神様のみ前に告訴できなければなりません。ですから、天国に行こうとするとき、イエス様が烙印を押すのではありません。悪魔に勝利したという証明書がなければ天国に入れないのです。このような内容を完全に明らかにし、神様の内密の事実、サタンの内密の事実、歴史過程におけるサタンの行動を証拠的事実として挙げ、このような原則に背くというすべての論理的根拠を提示しなければなりません。個人と家庭に背き、氏族にも背き、民族にも背き、国家にも背き、世界にも背き、神様が理想とした天上天国と地上天国の理念に背くという確実な根拠のもとでサタンを糾明し、糾弾しなければなりません。そのような証拠資料を提示するとき、サタンは罪を犯した悪魔として屈服するのです。

20 罪の基盤、堕落の基盤、悪の基盤、地獄の基盤、このようなものが具体的にどのように生じるようになったかということが問題です。これは、アダムとエバまで戻って考えてみなければなりません。アダムとエバがなぜ堕落したのかという根源を掘り返してみれば、アダムとエバは、神様が命令した「善悪の実を取って食べるな」というみ言を不信して堕落しました。二つ目は、自己中心的だったことです。三つ目は、自己を中心として愛そうとしたことです。これが堕落した中心的骨子の内容なので、この内容のようにするのはサタン側であるという結論が出てくるのです。堕落した人々は、不信の愛、自己中心の愛で愛した人たちです。結局、自己中心の愛を主張するのがこの世界の人々だと見るのです。

21 神様は取って食べるなと言ったのですが、何を取って食べるなと言ったのですか。エデンの園の生命の木や善悪を知る木は、アダムとエバを意味します。アダムの生殖器が生命の木です。善悪を知る木はエバの愛を意味します。マフィアと愛し合えばマフィアの息子、娘が生まれ、王と愛し合えば王の息子、娘が生まれます。ですから、血統的に、悪魔の血統を受け継いだということです。

22 善悪の実は未完成のエバの貞操、さらにはエバの生殖器を指すのです。忠臣が息子、娘をしっかりと生んで育てたというとき、その根源は愛です。その愛がどこから成されるかと言えば、父母の生殖器です。それは悪いものではありません。この上なく神聖なものです。天の国の王権をどこで失ったのですか。貞操を失うことにより、それを通して失ったのです。神様の家庭、神様の理想圏をどこで壊してしまったのですか。それを壊してしまうことにより、すべてのものが壊れていったのです。それを壊してしまわなければ、それが神の国の王宮を造ることのできた本源地になったのです。ですから、生殖器は愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮だというのです。忠臣もその門を通って、聖子もその門を通って、神様の息子、娘もその門を通って生まれるのです。神様もその門を通って血統を植えたいと思ったというのです。

23 聖書を見ると、善悪の実を取って食べて堕落したとあるのですが、下部を覆ったというのはどういうことですか。キリスト教で聖書をもう少し知性的に解釈しようとする思いさえあれば、すぐに堕落の起源が分かるのです。なぜ下部が恥ずかしいのですか。口を覆い、手を覆わなければならないはずなのに、なぜ下部を覆ったのですか。下部だからといってとがになるのではありません。下部で堕落することにより、天の愛を蹂躙した恥ずかしい宮殿になったのです。真の愛の泉が湧いてこなければならないのですが、悪魔の愛を中心とした偽りの愛の泉が噴き出てきたのです。ですから、これが愛の基台の中で最も悪い愛の基台になったのです。

  

堕落の動機と理由


24 聖書には、善悪の実を取って食べたと書かれています。そして、「口にはいるものは人を汚すことはない」(マタイ一五・11)とあります。善悪の実を取って食べるなら、目で見て、その次には手で触って口に入れなければなりません。

ところが、善悪の実を取って食べたあと、どうしましたか。口や手、目を隠すのではなく、下部を覆ったのです。全く関係がない部分を覆ったというのです。天使と姦淫をしたという事実と、エバが下部を覆ったという問題を見るとき、私たちはここに共通した内容があると考えざるを得ません。

エバは善悪の実を取って食べてから恥ずかしいことを悟り、アダムに善悪の実を取って食べるように強要しました。エバは天使と不倫の貞操関係を結んだ結果、自分の本当の夫が天使ではなくアダムであることを知ったのです。神様のみ前に帰らなければならない自分自身が恐ろしいので、自分がとどまることのできる場所を探すためにアダムを誘い出したのです。そうしてアダムとエバの二人が関係を結び、二人とも下部を覆って隠れました。覆ったという事実は、結局恥ずかしい所ができたということです。すなわち、神様のみ前に見せることのできない科(とが)ができたということです。

25 聖書のヨブ記第三十一章三十三節を見れば、「わたしがもし人々の前にわたしのとがをおおい、わたしの悪事を胸の中に隠したことがあるなら」という聖句があります。世の中においても、男性でも女性でも顔に何かの傷があれば、それを隠そうとするのが本性です。このような点から見るとき、アダムとエバにとがが生じたのは口でもなく、手でもなく、目でもなく、下部であるということを否定できません。

またヨハネによる福音書第八章四十四節を見れば、イエス様が不信する人々を責めながら、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と、決定的なみ言を語られました。結局イエス様は、人類の先祖が悪魔サタンであると言ったのです。

洗礼ヨハネも不信するイスラエル民族に向かって「まむしの子」(ルカ三・七)と指摘しました。それは蛇と関係があるということであり、蛇はサタンと関係があるということです。人類始祖が悪魔サタンによって堕落したため、私たちはそのサタンの血を受けた子孫になったのです。皆さんの肉には許すことのできない、神様が最も恐れる怨讐の血が流れているのです。

26 悪魔がどのように堕落させたのですか。アダムとエバは、善悪の実を食べて下部を覆いました。これが悪を蒔いた種になりました。十代の成熟していないときに堕落したのです。この歴史的な人間世界の血統がそこから広がったので、それが人間の終末時代において盛んに行われるのです。全世界的に青少年がアダムとエバのように、陰で独自的に愛の倫理を破壊し、天地を恐れることを知らないときになれば、サタンの全権時代が地上に到来したと思わなければなりません。その時には、神様の鉄ついが目前に近づいてくるのです。

27 アダムとエバが堕落したこと、その一日の失敗が恐ろしい結果をもたらしました。ですから、男女問題が恐ろしく、結婚することが恐ろしいのです。相対が「私」をつかみ、「私」が相対をつかんで、相対が「私」を解放してくれ、「私」が相対を解放してあげるのです。何から解放するのでしょうか。愛の落とし穴から解放するのです。

その愛の落とし穴は、個人的愛の落とし穴、家庭的愛の落とし穴、国家、世界、天宙的愛の落とし穴です。神様がその穴の中に落ちてしまったのです。真の父母が理想としたすべての創造世界が、愛の落とし穴に落ちたのです。その愛の落とし穴が、誤った生殖器を中心とした愛によって一つになった場所です。そこに落ちたのです。

28 堕落とは生殖器を誤って使用したことです。生殖器を誤って使用することにより新郎が替わり、愛する相対が替わりました。ですから、根本的な堕落です。これを犯すことにより、宇宙のどこにおいても、動物世界や植物世界、鉱物世界のどこにおいても、ねずみの世界や何かの虫の世界においても、これを前面に立てることができないほど誤ったので、この宇宙から追い出してしまわなければならないというのです。それでエデンから追放したのです。

29 女性と男性のそれは、毒蛇です。毒蛇の罠です。蛇が惑わしたというのはどういうことですか。それは正に生殖器のことを意味するのです。女性の生殖器は、毒蛇よりも恐ろしい生殖器がどれほど多いですか。同じく男性の生殖器も、毒蛇のような生殖器で惑わし、奪おうとするのです。それに誤ってかみつけば、大変なことになります。国が滅び、世界が滅びるのです。天の国が、永生の道が塞がるのです。

30 男性の生殖器は、堕落前の天使長と同じです。二つの舌を動かして欺き、惑わして、完全に地獄に放り込んだのと同じように、そのような蛇の頭のようなものを中心として、再び堕落させる行為をするのです。蛇がかみつくというのです。蛇に、取って食べさせたというのです。男性にとって女性を取って食べるというのは、それ以外に何がありますか。食べるというのはそれしかありません。それは恐ろしい器官です。それが天使長、蛇の頭のような男性の生殖器なのです。

31 絶対信仰、絶対愛、絶対服従、それは生殖器についていう言葉です。堕落とは、神様と人間の生殖器が一つになれなかったことです。合徳(和合)できなかったのです。それを絶対信仰しなければなりません。「私」の家庭の歴史の柱であり、「私」の一族の歴史の柱であり、「私」の血統の歴史の柱だというのです。

32 アダムとエバは、神様の万代の一人息子と一人娘でした。万代の一人息子と一人娘であった神様の息子、娘を滅ぼしたのは、愛の器官である生殖器でした。永遠不変の愛の器官であり、永遠不変の神様の心情の主流を受け継いで、永生不滅の福地基盤を形成することを破壊したのが堕落です。

33 何ゆえに堕落しましたか。愛ゆえに堕落したのです。誤った愛が堕落です。誤った愛は、誤った生殖器の行動を通して行われました。これは公式です。アダムとエバの生殖器がなかったとすれば、人類が生まれることができますか。生殖器がなければ地上天国が出発できますか。完全で真の、善の生殖器を通して、真の善の地上・天上天国が生まれるのです。真でない生殖器を通しては地獄が生まれるのです。

34 神様とアダムとエバが一つにならなければならなかったのですが、なぜそのようになれなかったのですか。その原因は天使長でした。天使長の偽りの愛ゆえに堕落しました。垂直に連結されなければならないのに、横から奪ってしまったのです。そのようにして横に関係を結んだのが肉身です。人間は、内的な自分と外的な自分の二重になっています。しかし、心身一体になれませんでした。堕落の結果として心身が分かれた人類歴史が始まったため、闘いによって綴られるのです。それは個人だけではありません。大宇宙がそのようになっているのです。どうやってそれを抜き取ることができるかというのが、神様の救援摂理です。

35 男性は女性の、女性は男性のために生まれたのですが、自体自覚ではない他我自覚をして、自体自覚が再認定されれば、二人の所有権と勝利圏が備わるのです。しかし、相対圏の二人の価値を融合させる前に、自体自覚をして行動に出てしまったのが堕落です。

なぜそれによって、神様がこのように手をつけられず、無力になったのでしょうか。堕落というのが、なぜそれほどまでに深刻かというのです。善悪の実を取って食べたのなら、なぜ下部を覆ったのですか。血を汚したのです。血を汚したというのは生命を汚したということであり、生命を汚したというのは愛を汚したということです。天地大道の神経器官になるべき人間が、未成年期に堕落しました。誰が女性を奪ったのですか。僕である天使長が、神様の娘、未来においては神様の妃になることができ、神様の外的な体になることのできるエバを奪ったというのです。血統を取り替えたのです。

36 サタンは、自体自覚を中心として、すべてのものを自分に結びつけようとします。宇宙は全体のためになることを中心として大きくなることを願うのですが、これと反対に締めつけられるので、窒息するしかないのです。嘆息と怨恨の落とし穴に落ちていくのです。理論的にそうです。否定する道理がありません。

このような論理を拡大するとき、エデンにおいてどのように人間が困難な立場になったかというと、堕落したからです。堕落は自体自覚です。自体自覚をして堕落したので、私たちは自分を否定しなければなりません。自分の家庭から氏族、民族、国家、神様のみ前に行っても、「私は神様の息子ではありません」と言わなければなりません。

37 堕落は、自由意思によってではなく、自体自覚によって起きました。環境的に与えられた条件を忘れ、自分だけを中心として自体自覚をしたのです。全体が和動するのを無視し、全体の主体と対象の連体的関係を無視してしまい、個別的関係において連体関係の理想を占領したので、盗賊だというのです。それがサタンです。創造理想の大宇宙の連体的関係の愛の圏を、個人を中心として垣根を抜け出して支配したということは、神様までも無視してしまったということなのです。

  

サタンの正体を知るべき理由


38 悪魔サタンがどこから来たかということが問題です。悪魔サタンがいなければ、イエス様も来る必要がなく、神様の復帰摂理や救援摂理というのも必要ありません。このすべては、サタンのゆえに必要になったのです。サタンがいる限り神様の復帰摂理は継続し、サタンがいる限り救い主は来なければならないのです。

このように見るとき、サタンという存在は、神様が造った被造物の中から生まれたと言わなければなりません。堕落したということは、それ自体が故障したことを意味します。病気になったということです。誰が堕落させたのかと言えば、悪魔サタンです。ですから、私たちは、この悪魔サタンの正体を知らなければなりません。サタンが今まで残っているのは、悪魔サタンが犯した罪の根本を明らかにし、神様のみ前に讒訴する人がいなかったからです。もしそのような人がいれば、悪魔サタンを処罰することができます。悪魔サタンを屈服させるには、悪魔サタンの正体を暴き、天上と地上で追放運動をすればよいのです。

39 サタンは神様の姦夫(かんぷ)です。したがって、姦夫を許せば天理の原則に反するため、許すことができないのです。それゆえ、サタン世界の人間は百回、千回許すことができても、サタンだけは絶対に許せないのです。それで大審物があるのです。大審判は誰を審判するのですか。人を審判するのではなく、人間の心の中に主人のごとく臨在しているサタンを審判するのです。

40 サタンは元来、どのような存在なのでしょうか。悪魔という存在は神様の僕です。この僕が主人の娘を奪ったのです。これが堕落です。それでは、聖書に出てくる堕落とは何でしょうか。エバが善悪の実を取って食べたのが堕落だと言いますが、善悪の実は果物ではありません。僕が主人の娘を奪ったことです。将来、代を継ぐ息子と娘を生み育て、神様の理想を完成しようとしていたのに、僕としてつくった天使長が主人の娘を奪ったのが、人類の堕落の起源になりました。世の中にそのようなことがあり得ますか。天地がそのようになったのです。

41 本来、人間は、神様を中心として真の生命と真の血統を受け継ぎ、宇宙の権限をもって栄光の生活をしていなければならなかったのですが、堕落することにより、サタンの愛を中心としてサタンの血統、サタンの生命を受けたのです。サタンは神様の愛の怨讐であり姦夫です。「女」の字を三つ合わせて「姦(かん)」と書きます。愛する女性を奪っていったその者を姦夫と言うのです。

42 本来の主人を追い出して彼の妻を奪い、その息子と娘まですべて死の場に引っ張っていった魁首が悪魔サタンです。このように見るとき、神様の怨讐であり人類の怨讐である悪魔サタンを赦す道がありますか。そのようなサタンを赦せば、世の中をすべて破綻させてしまうのです。ですから、皆さん自身が、神様の息子、娘になれると神様から公認されなければなりません。そのため、神様と人類はこれをひっくり返す日まで、うめきと苦痛の道を免れることのできない立場で歴史を綴ってくるのです。

43 神様は、あらゆる精誠を尽くし、希望にあふれた大業を夢見ながら宇宙を創造されたのですが、その大業と生命と理念のすべての条件が一時に破綻して滅びるとき、天地が真っ暗になったというのです。ここに怨讐として登場したのが天使長ルーシェルでした。このルーシェルをたたき潰さなければなりませんか、たたき潰してはいけませんか。神様が最も愛した骨の中の骨であり肉の中の肉である息子と娘を、ルーシェルが自分の息子と娘にしたのです。このような怨讐の首を切らなければなりませんか、そのままにしておかなければなりませんか。このような問題を前にして、歴史始まって以来初めて苦しんだ方が神様です。

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