天聖經(増補版)/第二篇 真の父母

目次

第三章 真の父母と重生

第二節 重生と血統転換


1 アダム家庭を見れば、アダム家庭にはカインとアベルがいます。彼らは兄第です。彼らの中で、誰が兄なのかといえば、カインです。愛は、一つの原理であって、二つの原理ではありません。愛に、二つの原理がありますか。『原理誰論』には、非原理的な愛となっています。堕落は、非原理的な愛の立場に立ったことです。愛を中心として一つにならなければならないのであって、二つになることはできません。誰かに息子が百人いるとしても、その息子たちは一つの兄弟であって、二つの兄弟になることはできません。ところが、非原理的な愛をもつようになれば、その息子たちは誰のものですか。サタンのものです。そのようになっています。

  

カインとアベルを通じた血統転換


2 アダム家庭で、カインをサタン側に立て、アベルを神側に立てたと言いました。アダムが、神様の立場にならなければなりません。このような正しい位置になっていますか。正しくないので、順序が逆になったのです。本来、愛の実を神様がもたなければなりません。ところが、天使長が先にもっていったのです。愛を受けることができる人を復帰してくる過程において、愛を受けることができる立場に立てた人が、アペルです。復帰歴史路程で、神様の愛によって関係を結んで召命された人々は、長子ではなく、次子です。

ですから、聖書を見れば、出エジプトの時代、エジプトでも長男の命を奪ったのです。言い換えれば、次子は天の側であり、長子はサタン側なのです。このサタンの血をなくさなければなりません。サタンの血統を切ってしまわなければならないのです。しかし、神様が、カインだからといって命を奪ってよいでしょうか。ですから、神様は、接ぎ木をされるのです。接ぎ木して、神様のすべての考えと生活観を完成した立場に立てるために、すなわち神様の思想をそのまま接ぎ木してあげるために、人を送るのです。これがメシヤ思想です。

3 復帰摂理歴史は、長子を打って、次子の前に屈服させる歴史です。カインとアベルもそうであり、エサウとヤコブもそうであり、ペレヅとゼラもそうであり、ヨセブと彼の十一人の兄弟もそうであり、イスラエル民族と世界の国家もそうであり、世界の人類と神様の息子、イエス様もそうです。長子を打って滅亡させるのではなく、先に打ったものを審判して屈服させるのです。天道が逆さまになったのです。それで、兄が先に出てこなければならないのですが、弟が兄の上に乗って先に出てくる役事が起こるのです。それで、聖書でも、ヤコブがヨセフの息子、エフライムとマナセを祝福するとき、彼らの頭に手を交差して祝福してあげたのです。兄は左手で、弟は右手で、逆に祝福をしてあげたのです。天地がなぜこのようになったのか誰も知りませんでした。

4 私たちにはメシヤが必要なのですが、その目的とは何でしょうか。救援されることがその目的です。救援の根本基点は、神様との愛の接触点です。そこに再び戻らなければなりません。戻らなければならないのですが、私たちはサタンの血統をつくっています。一から十まで、神様の血統と関係のない人間になっています。これは、神様の愛とは正反対なのです。それを蕩減しなければなりません。それを蕩減するためには、原罪を取り除かなければなりません。原罪を取り除くには、血統的問題が根本的な問題になっています。これをどのようにして抜き取るかという問題、これは、堕落した人間自身では到底解決することができません。それで、人間にはメシヤが必要なのです。

5 イエス様は、なぜメシヤなのでしょうか。新しい生命の種、神様の愛を中心として、神様の生命と、神様の血統を受け継いだ代表的な息子として、歴史始まって以来、初めて血続を転換した歴史的結実として生まれたからです。それがイエス様です。それで、ひとり子なのです。歴史において血統を清め、神様の愛と生命と血統を受け継いだ代表的な息子として生まれたので、ひとり子なのです。

歴史時代に聖人たちが生まれては死んでいきましたが、イエス様が彼らと違うのは、血統を転換して、初めて神様の生命を中心として生まれたからです。そのように生まれた代表的立場に立っているので、メシヤです。メシヤは、新しい生命を中心とする中心存在になることができます。イエス様が今から二千年前に来られたので、人間が堕落して以降、聖書の歴史で四千年の歴史を通して、初めて血統転換の代表者が出てきたのです。その人がメシヤです。

6 来られるメシヤとは何でしょうか。堕落した父母が生まれたので、堕落していない父母が生まれなければなりません。堕落していない父母になろうとすれば、神様と同じ立場で、悪魔サタンも愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、天国に入ることができる道がありません。これが今まで、霊界の秘密であり、人間世界と天上世界に横たわる悲哀の落とし穴でした。これを誰も知りませんでした。先生がこれを明らかにしたので、サタン世界には、一大悲運の歴史が始まりました。

7 父母を身代わりする立場でメシヤとして来られるイエス様は、天使長と闘うのです。「私は神様のひとり子だ」として闘うのです。ひとり子は、神様の愛を初めて受けた人です。ひとり子として、ひとり娘を迎え、本然の堕落していないアダムとエバと同じように完成しなければならないのです。ひとり子、イエス様は、メシヤとして来ました。メシヤは、失ってしまった父母を身代わりできる父母の資格を立て、父母の血統に従って接ぎ木し、再び蘇生させる役事をする人です。ですから、キリスト教では、重生の論理を通じなければ天国に行けないというのです。

8 イエス様は、どのような方でしょうか。神様は、六日間にわたって天地創造をしました。すべての万物を創造し、六日目にアダムを創逡しましたが、そのアダムと同じ方がイエス様です。このように、イエス様は第二のアダム、すなわち後のアダムです。堕落していない本然のアダムなのです。神様が太初にアダムを創造し、そのアダムを中心としてエバを創造したので、この後のアダムを中心として、後のエバを立てなければなりませんでしたが、立てることができませんでした。エバは、誰が立てなければならないのでしょうか。アダムが立てなければなりません。エバが堕落するとき、アダムが責任を果たすことができなかったので、失ってしまったエバを、アダムが探し立てなければなりません。蕩減原則には、容赦がないのです。

  

イエス様と聖霊を中心とする重生の役事


9 本来は、天を夫とし、地を妻として、この夫婦が平面上で向かい合って話し合うべきでしたが、堕落することによって、天と地が分かれたのです。サタンが占領している天と地の境界線を崩すために、神様は、今までキリスト教を発展させてきました。キリスト教で、聖霊を受けられなければ救援を受けられないと言いますが、その聖霊は、正に母の神を意味します。堕落は母が先にしたので、すなわち母が罪を蒔いたので、母が収拾しなければなりません。

それで、聖霊となった母がこの地に来て、出産の苦労をしなければなりません。人間の先祖の堕落によって誤った子女たちがこの地に生まれたので、真の霊的な父と、真の霊的な母が、互いに愛の心情で出会わなければなりません。そして、怨讐の障壁をかき分けてサタンの権限を取り除き、愛のエキスを受けることができる境地に入ってこそ、すべての人間は霊的に重生するようになるのです。父と母の愛なくしては新しい生命が生まれる方法がありません。キリスト教の復活と重生は、正に霊的な父母によって生まれ変わることを意味します。

10 イエス様は、誰であり、なぜ来られたのでしょうか。人類の真の父母にして、真の父の使命者として来られた方です。アダムが堕落していなければ、神様の祝福を受けて、人類の真の父になっていたはずであり、エバは真の母になっていたはずです。ところが、堕落することによってその祝福を失ってしまったので、それを復帰するために神様は、四千年の長い歴史を通して準備した基盤の上に、イエス様を真の父の使命者として送られたのです。

イエス様は、このような摂理的な歴史を相続し、アダムの位置でサタンの讒訴を受けたエバの立場にいる人を屈服させ、その社会のすべての条件を取り戻し、エバの前に立っているすべてのサタンを屈服させてこそ、復帰することができます。ですから、イエス様が来られて主張するのは、「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」ということです。イエス様は、この世界からエバを探し出す活動をしたのです。

11 堕落した子孫である人間は、母のおなかの中を通して生まれるため、母の愛に抱かれて入っていかなければなりません。これが聖霊の愛です。聖霊は母の神なので、愛という感情をもって、父であるイエス様を探し立てて包み込んであげなければなりません。その愛によって、母の神が父を霊的に慕うようになるのです。このように慕うその愛の力が作用して、ぶつかる力を感じることが、正に火を受けることなのです。これを体験してこそ、新しい生命が生まれます。言い換えれば、母のおなかの中を通して、父母を中心とする愛の感覚を感じなければならないのです。その愛の感覚を感じなければ、新しい生命として生まれることができません。愛がなければ、新しい生命が生まれることはできないのです。これが、キリスト教で言う重生です。

12 来られる主は父なので、その父の骨髄の中に入っていかなければなりません。堕落した人間は、本来、父の中に入ったという条件を立てなければ生まれ変わることができないので、イエス様を新郎として侍る聖霊の恵沢を受け、男性であるイエス様の骨髄の中に入っていくようにしてきました。しかし、実体で、イエス様の骨髄の中に入っていくことはできません。それで、愛する心に入っていかなければなりません。愛する心であれば、通じることができるのです。キリスト教徒たちがイエス様を信じる理由は、母の神である聖霊の協助を受けて、イエス様の骨髄の中に入っていくためです。イエス様は結婚をしなかったので、独身の神と同じです。そのようなイエス様の骨髄の中にある赤ん坊の種の立場に入っていくために、キリスト教徒たちは今までイエス様を信じているのです。このようにイエス様の骨髄の中に入っていったのち、復帰された新しい母を通して生まれ変わったという立場に立ってこそ、重生されるのです。

13 キリスト教では、本然を基準として、イエス様の骨髄から生まれた息子、娘の位置に立たなければならないと言います。アダムが堕落する前に、息子、娘の種をもっていたのと同じ位置に立たなければならないというのです。ですから、キリスト教徒たちは、イエス様を中心として父の骨髄から生まれた息子、娘の位置に立たなければなりません。そのためには、「あなたと私が一つになった」という愛の一体の立場を中心としてイエス様と一つになり、聖霊である母を通して生まれなければなりません。生まれ変わらなければならないのです。父だけで重生するのですか。母だけで重生するのですか。父と母の結実体を形成し、神様の創造理想のみ旨である家庭完成、愛の理想家庭を成就できなかったので、これを救援するためには、再び来て新郎の位置で新婦を迎え、神様の愛と一体化しなければなりません。このようにして、堕落することなく完成するエデンの園のアダムの位置が、愛によって一体化して結ばれる日には、いかなるものも堕落させることができないのです。人間は、その日を願っています。

14 イエス様を信じるということは、どういうことでしょうか。イエス様は、男性として、堕落していない本来のアダムです。結局、肉的でありながらも霊的な父です。したがって、この父と一つにならなければ、生まれ変わる道が全くありません。ですから、キリスト教は、人間をしてイエス様の骨髄にまで入っていったという、イエス様を慕い焦がれ、イエス様の愛情に触れることを体恤させるただ一つの教えです。イエス様を、新郎として慕わしく思って迎えなさいという教えです。新郎として迎えなさいという教えは、二重の効果を得ようとするものです。一つは、その骨肉に入っていく赤ん坊の種になろうとすることであり、もう一つは、母のおなかを通過したという条件を得ようとすることですが、これが正に新婦の立場です。

15 本来、人が生まれるとき、霊人体と肉身が分かれて生まれるようになっていません。イエス様が死ぬことによって、霊的重生はできても肉的重生ができなかった立場にいるので、イエス様は再び来ざるを得ません。ですから、イエス様を信じる人々は、すべて世の中を捨て、霊界に行ったイエス様が再臨する、真の父母が来る時に、その真の父母のおなかの中を経て生まれ変わったという条件を立てなければ、生きる道がありません。

言い換えれば、皆さんは、堕落していない、母を迎える前の真の父の骨髄の中に、娘や息子の赤ん坊の種として入っていてこそ、母を通じて出てくることができるのです。そのため、「主よ!主よ!」と言って、すべて主の体の中に入っていこうとするのです。それを霊的にしているのです。イエス様が再臨する時に、霊的に入っていったものが、イエス様の肉身を通して一つになり、母を通じて出てくることができます。それが完全復帰の道です。サタンの血統を完全に取り除いて、初めて復帰されたという立場に立つのです。

16 キリスト教は、霊的な父母を中心とする霊的世界、霊的天国を見つめてきた宗教です。本来の天国は、アダムとエバがこの地で失ってしまったこの世界の向きを再び変え、霊的に勝利した基準を、縦的にではなく平面的に立てなければなりません。真の母と真の父が平面的に愛を授け受けできる地上世界が形成されなければ、根本的に誤ったこのすべてのものを復帰することができません。したがって、再び来られる主は、肉身をもってこの地上に来られなければならないのです。

  

真の父母と重生の道


17 神様は、愛のために人を造ったので、アダムとエバの主人にならなければならず、その次に、愛を中心として愛の主人にならなければならず、生命を中心として生命の主人にならなければならず、血統を中心として血統の主人にならなければなりませんでした。そのような神様が、愛も、生命も、血統も奪われてしまいました。救援とは、病気になった人を、病気になる前の状態に回復させることです。再臨主がすべきことは何かと言えば、血統を転換させることです。神様とアダムとエバが、一つの体になるのです。ここで、縦的な神様と人間の縦的関係がしっかりと結ばれれば、横的関係においてアダムとエバは東西なのですが、この東西も、堕落していない真の愛の原則的な基準に行くようになるとき、直短距離になるのです。縦横が直短距離で出会うのが、九〇度の角度です。縦の神様を中心として、横の人類先祖が九〇度で一致し、前後を中心として理想的な愛の球形体を形成できなかったことが堕落です。

18 神様は、血統転換ができません。それができる方は、真の父母以外にはいません。神様は、偽りの父母の友達になることができません。縦的な父母であって、横的な位置に立つことができないのです。横的なところで過ちを犯したので、横的な位置で復帰しなければなりません。牛の皮なら牛の皮を当てなければならないのであって、他の皮ではいけません。偽りの父母から穴が開いたので、真の父母で補わなければなりません。真の父母を苦労させなければ、補うことができません。それは、神様にもできないのです。神様にできるのであれば、既にしています。

19 真の父母が必要なのは、サタンの愛、生命、血統の基盤を清算するためです。なぜ男性と女性が、悲惨な位置に落ちたのですか。それは生殖器のためです。本来、生殖器は愛の王宮です。その愛の王宮が、今、どのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるという、そのように貴いものが人間の生殖器です。それが随落によって汚れたものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、それは汚れたものではなく、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、そして血統がここに連結されています。そのように神聖なものをサタンが汚しました。

20 私たちに必要なのは真の父母です。偽りの父母から出発したので、真の父母から出発しなければなりません。偽りの父母から、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受けました。これをひっくり返さなければなりません。真の父母の愛を中心として、真の生命と真の血統を受け継がなければなりません。言い換えれば、生命の種を誤って受けたので、この本然の種を再び受けなければならないのです。真の父母がいなければ受けることができないので、この地上にメシヤが来られ、そのメシヤの種、真の父母の新しい生命の種をもってきて再度注入し、接ぎ木することを通して、本然の真のオリーブの木の位置に帰らなければなりません。神様は本当に私たちの父母です。ですから、どれほど近いですか。縦的な父母が神様であり、真の父母は横的な父母として理想の愛を成就するのです。

21 真の父母は、堕落していないアダムとエバです。神様が一代、真の父母は二代ですが、祝福家庭を三代圏内に接ぎ木してあげたのです。野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ木したので、真のオリーブの木になるためには、自分が多くの努力をしなければなりません。真の愛と真の生命と真の血統の純潔性を、自分自体から内的、外的に整備すべき責任が、何よりも急務です。真の父母を、自分の血統的な直系の父母と感じなければなりません。真の父母に孝行し、国に侍り、天地に侍る孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を尽くせる基準で、完全に一つになっていなければならないのです。

22 アダムとエバの初愛を中心として、新たに父母のおなかを通して誕生する愛の関係を経なければ、生命の関係が始まらず、原則的な復帰をしなければ完全蕩減ができません。それで、皆さんがみ旨を中心として先生を愛し、先生の感情を中心として、皆さんのすべての感情をそれと一致させようとする心情が、知らず知らずの内に動いてきたのです。皆さんが真の父母の骨髄から心情的に接ぎ木されることによって、真のお母様のおなかの中を通じて、本然のアダムとエバの立場で生まれたという条件を立てるのです。そのようにしなければ、復帰ができません。したがって、皆さんは、お母様を中心として復帰されなければなりません。先生の息子、娘がお母様のおなかの中にいるときに、皆さんは、その赤ん坊を中心としてカインとアベルを復帰するのです。

23 皆さんは、腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に、その赤ん坊を愛する立場に立たなければなりません。そして、彼らと一致化することによって、双子と同じ班列に同参(一緒に参加すること)したという心情的条件を立て、彼らに侍る立場に立たなければなりません。そうしてこそ、腹中における二つの種の反発を防ぐことができます。反発した堕落の起源を防ぐことができ、ここで復帰されるのです。神様は皆さんが知らない中で、このような役事をしてきました。

24 お父様と心情的一致点を備えなければ、お父様の骨髄の中に入っていく道がありません。お父様の骨髄の中にある赤ん坊の種になるだけではいけないので、お母様のおなかの中を通して生まれ変わらなければなりません。それで、先生が一九六〇年に聖婚式を挙げることによって、真の母が立てられました。これによって、皆さんがお父様の骨髄の中にいるときに感じた愛の恩恵を感じてお母様を愛し、侍ることによって、再びお母様と縁を結んだので、そのお母様の愛と連結して出生することができるのです。

25 統一教会の教会員たちは、なぜ、夜も先生、昼も先生と、常に先生について回ろうとしますか。なぜ、そのように愛そうとするのですか。自分の父と母、夫も捨てて、なぜ、そうするのですか。先生の骨髄の中に入って生まれた息子、娘のような心情的関係をもたなければ生まれ変わる道がないので、そのようにするのです。そして、お母様を愛して生まれるという条件を立てなければなりません。皆さんは、夢にでもこのようなことを考えましたか。先生は、このような内容を知り、神様の深い内容をもって、この地上に生まれてから、このみ旨のために今まで生きてきました。

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