天聖經(増補版)/第二篇 真の父母

目次

第二章 真の父母とメシヤ

第三節 メシヤは真の父母の起源


1 今日、堕落した人間は、希望の理念と一つの帰一点を求め、さまよっています。その最後の目的は、天地と共に喜び、天地と共に通じ、天地と共に和動することができ、天の栄光を表すことができる人を探すことです。そのような一人の人が、信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であるということを知らなければなりません。

復帰原理を通して知っていることですが、信仰基台を立てるための蕩減条件や、堕落性を脱ぐための蕩減条件など、すべてのものは信仰を基盤として出てくるのです。堕落性を脱ぐためには、希望の結実体であるメシヤが来なければなりません。私たちが、今まで希望の一時を願ってきていることは、来られるメシヤに帰結するのです。メシヤは、そのものが信仰の目的体であり、希望の目的体です。それでは、メシヤを中心として目的を果たしたその時には、何が残るのでしょうか。愛だけが残ります。その愛ほ、信仰の完成実体を通じた愛であり、希望の完成実体を通じた愛です。その一つの愛を中心とした代表者として来られる方がメシヤです。

  

メシヤは信仰、希望、愛の結実


2 人間は、不可能なことが可能になる一時を願っています。不可能であるがゆえに、その時、その人を求めてさまようのです。信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であるその一人を求めるために、堕落した人間は苦しんでいます。ですから、私たちが信仰を叫ぶときは、信仰の結実体が必要なのであり、希望を叫ぶときは、希望の結実体が必要なのであり、愛を叫ぶときは、愛の結実体が必要なのです。

信仰と希望と愛の結実体は、堕落の因縁を受けず、堕落の世界とは関係ない真の人です。その方によって天地は収拾されるのであり、その方によって初めて天の栄光が始まるのであり、その方によって父と息子の愛が始まるのです。また、その方によって父子を中心とする夫婦の関係と、夫婦の関係を中心とする家庭の絆が連なり、新しい天地の起源が始まるのです。

3 来られるメシヤは、信仰の実体、希望の実体、愛の実体になる方です。信仰の実体になるためには、信仰を主として世界史的な闘争過程で勝利した資格を備えなければなりません。功労がなければならないのです。希望の結実体になるためには、世界的な希望の闘争歴史で勝利した価値をもたなければなりません。愛の結実体になるにおいても同じです。

信仰生活をしている私たち個人が、信仰と希望と愛を求める目的とは何でしょうか。個人を救うために信仰する場合もあり、家庭を救うために信仰する場合もあるでしょう。さらには、氏族、国家、世界、天地のために、信仰の結実体を求める場合もあるでしょう。個人より家庭を救うことがより難しく、家庭より氏族を救うことがより難しく、氏族より民族を救うことがより難しいのです。範囲が広くなれぱなるほど、救うことがより難しくなるのです。

4 来られるメシヤとは、どのような方でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙すべてにおいて、信仰と希望と愛の実体として立つ方です。その方が、このような場に立ってこそ、人類の歴史上に残っている信仰が結実するのであり、希望が結実するのであり、愛が結実するのです。そうでなければ、信仰と希望と愛は結実することができません。その方が語る言葉は、個人的な言葉ではありません。皆さんも、そのような信念をもって叫ぶようになるとき、その言葉は、個人の口から出てくる言葉ですが、世界史的な内容とその縁を備えた言葉になるのです。

  

メシヤは真のオリーブの木に接ぎ木してくださる方


5 神様は、堕落した世界を救援するために宗教を立てました。世の中は、サタン世界の畑になっています。聖書を見ると、野生のオリーブの木についての内容があります。それはサタンが管理するオリーブの木です。神様が思いどおりにできるオリーブの木の畑をつくるのが宗教です。野生のオリーブの木の畑は、サタンが思いどおりに管理するので、神様が管理するものは一つもありません。したがって、宗教を通してサタンが管理できるオリーブの木の畑を、神様が管理できるオリーブの木の畑にして拡大し、世界のサタン圏、悪のオリーブの木の畑を凌駕する基盤をつくるのです。そのためにあるのが宗教文化圏です。

6 サタン世界は、既に国家になっているので、神様の摂理も、国家を転換させなければなりません。この国家的父母の立場に立てられた方が来られるというのが、イスラエル民族のメシヤ思想です。本来、堕落していなければ、真の父母を中心として、そのまま天国へ行くのです。そのまま天国に行き、天の宮殿を通して天国の国民になっていたはずです。しかし、堕落したので、そのような立場をすべて失ってしまい、地獄に行くようになったのです。神様が、これを収拾するために、野生のオリーブの木の畑に真のオリーブの木を送るのです。真の父母が来られる時に備えて、準備する主人の立場に立てられたのが、宗教圏です。宗教圏は、まだ真のオリーブの木ではありません。この地球星、野生のオリーブの木の畑には、ある程度、神様が管轄する野生のオリーブの木の畑があります。真のオリーブの木が現れれば、それらがすべて切られる一方で接ぎ木するということが起こるのです。

7 神様は、今までサタンに創造世界をすべて奪われた立場に立っているのですが、神様は放置することができないので、この世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送ろうというのが、メシヤ思想です。ところで、真のオリーブの木、メシヤ一人で来てはいけません。サタン世界が夫婦を中心として社会を形成し、国家を形成したので、メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になりません。メシヤ、真のオリーブの木とメシヤの相対は、真のオリーブの木を中心として一つになってこそ、真のオリーブの水として実を結ぶことができます。それで、イエス様は、この地に、新郎として来て、新婦を探して真のオリーブの木の畑をつくり、サタン世界の野生のオリーブの木をすべて切って、接ぎ木する運動ができるように準備しなければなりませんでした。

神様が管理する氏族圏として、一度にすべて切って接ぎ木できる環境をつくったのですが、それが選民のイスラエル圏であり、ユダヤ教でした。

8 六千年前、人間を横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心に喜びの出発をすべきだった起源が、サタンによって侵犯されたため、これを再び取り戻して、真の父母の息子、娘になるようにしなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったので、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木されなければなりません。宗教は接ぎ木するのです。これがキリスト教思想です。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければならないという話が出てきます。

9 サタンが人類を、すべて地獄に連れていきました。それで、神様が一つ、二つと分けて別々のものにするのです。すべてがサタン世界の野生のオリーブの木でしたが、天の側のオリーブの木をつくりました。民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブの木をつくり、世界を導くようにしておかれたのです。サタン側の世界が弱化し、キリスト教文化圏ができれば、再臨主が来て、一度に切って、完全に接ぎ木して、一つにして元に戻すのです。

10 真の父母とは、血統を正すための主人です。その秘密、秘訣を知っています。処置方法を知っています。堕落した父母が偽りの父母になったので、真の父母は、このすべてを料理できる内容を知って、注射を打って復活させ、偽りの愛ではなく、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることができる基準をつくることによって、これをひっくり返すことができるのです。

ひっくり返すときに、家庭をすべて一遍に生み返すことはできないので、切って、家庭を接ぎ木するのです。野生のオリーブの木の家庭に接ぎ木しようとすれば、真のオリーブの木の家庭のモデルが一つなければなりません。モデルを接ぎ木して三年さえ過ぎれば、すべて真の家庭の実を結ぶようになっています。誤った野生のオリーブの木の家庭の父母たちに接ぎ木して、真の父母の息子、娘、子女の家庭にしてあげようというのです。

  

メシヤを迎えるための基台


11 人間が堕落することによって、この世界はサタン世界になったので、この世界には、サタン側の個人も、家庭も、氏族も、国家も、いくらでもあります。しかし、天の側はいません。個人はいますが、その基準に上がった家庭や、氏族や、民族や、国家がないのです。結局、メシヤ個人として、家庭に勝ち、氏族に勝ち、国家に勝つ基盤がなければ、一般の人が上がっていく道がありません。神様は、この地上にメシヤが来るようになれば、メシヤに従って共に上がる圏内を、個人から家庭を経て準備しておいたのですが、それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想です。しかし、イスラエルの国は、まだここに上がることができていません。線に引っ掛かったのと同じです。ですから、選民の希望は、この線を越えることです。この線を越えなければならないのであって、越えられなければ大変なことになります。しかし、この線を越えようとしても、自分たち同士では越える道がありません。

12 イスラエル民族の前にメシヤが来て、そのメシヤを中心として、死ぬとしても共に死のうという立場になり、サタンが離そうとしても離すことができないほど完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らを一時に引き上げられるのです。ですから、この世界には選民思想がなければなりません。それで、神様が選んだ民族を中心として、神様が選ぶ国家を形成しなければなりません。選民がいるという言葉自体が、神様がいるという事実を証すものです。このような原則で見るとき、メシヤを送ろうという預言があることは、神様がいることを証しています。

13 私たちがメシヤを必要とするようになったのは、何の目的があったからでしょうか。堕落することによって、私たちは偽りの父母をもつようになりました。神様と一つになった父母がいなくなったということです。神様と一つになる父母の位置を、私たちにもってきてくれる方がメシヤです。これが第一です。第二は、私たちを再び生んでくれるのです。結局、私たちの体にサタンの血があるので、その血を抜いて、サタンの息子、娘でないという立場で、私たちを接ぎ木して再び生んでくれるのです。第三は、メシヤは、人間をして、悪魔サタンを僕として使うことができる人にするのです。すなわち、人間の前にメシヤが来て、私たちをしてサタンを屈服させて僕にすることができ、それを処断できる資格をもつ人にしてくれるというのです。

14 終わりの日には、どのようになるでしょうか。天宙主義です。天宙主義は、神様と「私」の主義です。不足であるがゆえに、天があるのかないのか分からず、終末時代において環境をどのように収拾し、その時がどのようになるのか分からないのが人間です。したがって、その時が来て、環境が形成される時に、天が、収拾できる方として送られた方がメシヤ、救世主です。その救世主は、歴史的な、世界的な、偉大な師ではありません。救世主は父です。神様は内的な父であり、来られる救世主は外的な父です。

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