第五章 入籍時代に私たちが行かなければならない道/祖国光復と入籍
祖国光復と入籍
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第五章 入籍時代に私たちが行かなければならない道
一、私たちが行かなければならない道
生涯をずうっと生きてきたとしましょう。三十歳を過ぎて、四十、五十、六十、七十、八十歳になり、いよいよ近いうちに霊界に行かなければならない事実に気づいて、み旨や摂理の内容を知っている基準から、自分の過ぎた日を振り返ってみるとします。自分のことは皆さんがよく分かっているのです。み旨のために成そうと思い立ちはしましたが、どれほどみ旨のために役立ったのでしょうか? 言い換えれば、大海のように濁った水が、今この世界に流れていますが、自分自身がその濁った水を、どれほどきれいにしたかというのです。その濁った水に染まることなく、それを全部きれいにすることのできる自分自身の環境を、どれほど開拓したかというのです。それは深刻な問題なのです。このように考えるとき、人生は深刻な時間を計りながら行くものなのです。(一四二−一六〇、八六年三月九日)
私たちの行く道は何でしょうか? 一つの国を探して立てることではありません。大韓民国という一つの国を探し求めることではないのです。この世界を探して立てなければならないのです。この世界を父の国にするのです。天地を創造された絶対者がいれば、この世界はその絶対者が造られたゆえに、この世界に生きる民たちはその主人、すなわち父の息子・娘として再び入籍したいと思うようになります。皆さんは堕落した立場にあるゆえに、孤児と同じだというのです。父母をみななくしたのです。父母がいますが、その父母は真の父母ではありません。偽りの父母です。人類の大本の先祖を確かめれば偽りの父母であり、偽りの先祖です。真の先祖ではないというのです。(四一−三三八、七一年二月十八日)
統一教会の思想は、愛を中心とした唯一の世界観です。個人、家庭、氏族がいかに暮らしていくべきかということが、はっきりとしているのです。その法度はレバレンド・ムーンの構想ではないというのです。天国の法度の反映体なのです。そうでなくては、天の国に行って入籍することができないのです。
小学校から中学校を経て高校、大学を経て大学院、博士コースと進むのが秩序的発展過程です。霊界も同じです。したがって「あなたは何をして生きたか?」と言われたとき、「私は誰々という夫に出会い、息子・娘を何人生んで生きました」と言っては通じないというのです。
神様は世界をなくしました。「このようにして息子・娘を生んで生きてきましたが、『神様を愛し、神様のみ旨を成すため』、『人類を愛し、神様と生きるため』、このような精神で私たち家庭は迫害を受けてきました」と言えなければなりません。「私の父は、このように生きて飢え死にしました」と言うのは、誇りです。恥ではありません。「私の母は伝道に行って、打たれて死にました」と言うのは誇りであって、恥ではないのです。準備しない者たちの生きる姿は、死亡の罠に飛び入る怨声の音であることを知らなければならないのです。(一四七−一九四、八六年九月二十一日)
悔い改めをしなければ、皆さんは公義の審判を受けなければなりません。悔い改めをしなければ、愛の法度の前に立てる者がいないのです。その時には、先生が弁護士になり、先生の家族一族が弁護士になり、皆さんを指導する統一教会のすべての人々が弁護士になります。そして、神様や、先生や、先生の家庭や、教会の指導者までもが弁護したとき、その弁護の範囲が、讒訴圏よりも大きければ善の天国の国民として入籍できますが、その讒訴圏より小さければ、入籍することができないのです。(一四七−三三一、八六年十月四日)
皆さんは今まで息子・娘を誇り、夫を誇ってきました。しかし、これからは母の使命を果たさなければならないし、妻の使命を果たさなければならないのです。その次には兄弟の使命を果たさなければなりません。そうしてこそ、神様の息子・娘の愛を中心として、完成者として天国に入籍し、天上世界の永遠な血族になるのです。ですから、家庭に行って早く種をまけというのです。周囲から反対されてもしろというのです。(二三五−一二六、九二年八月二十九日)
真の御父母様に従う皆さんは、今後真の父母の後孫となりうるためには、必ず自分の故国に定着して入籍し、再び世界へ出て行かなければなりません。これは私たちの行くべき運命なのです。(二四五−三一二、九三年三月十四日)
皆さんが考えなければならないことは何でしょうか? ドイツであれ、どこの国であれ、何主義であれ、「私」という観念をすべて捨てて考えるべきことは、神様・真の父母・兄弟・一つの世界、それしかないというのです。ですから、私たちの国、一つの国、一つの世界、天地の一つの世界を考えなければならないのです。
それでは、どのように生きなければならないのでしょうか? 個人は家庭のために、家庭は宗族のために、宗族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は天地のために、天地は神様のために、神様の愛のために生きなければなりません。このように生きて死んでいくのが私たちの伝統です。このような「観」がしっかり立っているというのです。どうしてでしょうか? そのように立てなければ、天の国に行って入籍する所がありません。天の国がそのような組織になっているので、そこに合わせなければ天の国に入籍することができないのです。入籍する場所がないのです。堕落しない本来の人間として、再び現れて入っていかなければなりません。そのような人にならなければ入ることができません。これが原理観です。(一三一−五六、八四年四月一日)
原理的に考えれば、先生は韓国に帰らなければなりません。それでヨーロッパの責任者を全部米国に派遣したのです。米国でみな苦労させるのです。今回、その中でよく活動した人々は、先生に「おい! おまえたちついて来てはいけない」と言われたとしても、まちがいなく先生について来ることのできる権限があります。「だめだ」と言われても、自分が行きたければ、ついて来ることのできる権限があるのです。ただ一つの問題は、「自分の国を愛する以上にこの米国をもっと愛したか?」ということなのです。その条件が成立したかどうか、自分の心に尋ねてみなければなりません。まちがいなくそうであるなら、いつ飛行機に乗って韓国に来ても、先生は「この野郎! なぜ来たのか?」とは言わないのです。そのようなときは、歓迎すべき原理的条件があるということを知らなければなりません。
これらはすべて訓練なのです。もしも韓国について来たならば、米国を愛した以上に韓国を愛することによって、天国に入籍が可能なのです。そこに座ってその人が「私はここで暮らします」と言っても、先生は追い出すことができないし、韓国の国民が追い出せない立場に立つのです。もしも追い出したとするならば、天の国に行って問題になるというのです。その次には、皆さんの息子・娘と韓国の祝福家庭の子女が、同じ一族として結婚もするのです。それで一つの国になるのです。(一三四−二二二、八五年七月二十日)
今後家庭を中心として、どのように進むべきかということは、まだ教えていません。ただ一つ知らなければならないことは、大移動時代が来るということを知らなければなりません。先生が話した氏族的メシヤになって、一六○家庭を祝福させた家庭は入籍が可能です。先生が一代ならば 二代、三代、四代と先祖を設定しなければなりません。先祖を立てれば王権が生じるのです。王権血族をつくらなければなりません。
このような順序でなされるために、全世界の統一教会の信徒たちは兄弟になるのです。祝福を受けた家庭はみな同じように見なされるのです。同じ家庭であるために、全世界の氏族復帰をした一族たちは、すべて天国の氏族になるのです。先生は一六○か国です。一六○か国と連結しようとすれば、神様と先生を中心として、一六○家庭を連結しなければなりません。それによって、一六○か国が連結されるのです。それが蘇生・長成・完成になるのです。
それゆえこれは絶対的に必要です。これをしなければ入籍をすることができません。天国に入籍することができません。婚姻届けと同様に、一族が天国の氏族として加入するのです。それは、真の父母と神様の指示によって蕩減復帰した実績として、勝利的基準の条件となるために入籍するのです。今まで皆さんが反対したことを、先生はすべて許してあげましたが今後はそうしません。とんでもないことです。まちがいなくそのような時が来るのです。(二七三 四六、九五年十月二一日)
実績のない人は神様にとって必要ありません。愛を中心とした実績がなければなりません。それゆえ皆さんも三六家庭、七二家庭、一二〇家庭の一族を率いてこそ、天国に入ることができるのです。それができなければ入籍することができません。原理がそのようになっていますね? そうですか、そうではありませんか? 自分は三六家庭であるといって、威信を保とうとしていますが、ただそのようにすればいいと思うのですか? 恐ろしい立場です。サタンもその前で攻撃するかもしれないのです。(三〇三−一六六、九九年八月十七日)
エバが地獄を押しのけ、天の願う本然の夫を求めるためには、カインとアベルが一つにならなければなりません。そうでなければ帰れないのです。これが原則です。蕩減復帰がそうでしょう? ですから、家庭の代表者にならなければなりません。皆さんがお互いに代表者にならなければなりません。その家庭の代表者として公認を受けた後には、国のために家庭的愛国者にならなければなりません。家庭的孝行者ではありません。家庭的愛国者にならなければなりません。
家庭だけでなく国家的愛国者、国家的聖人としての道理を立てなければならないのです。国家的基準で世界のために生きる国が現れてこそ、サタンが支配した国を越えて、神様が管理でき支配できる国に入籍されるのです。それを越えることができなくなっては、だめなのです。それで「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」というのです。堕落圏を越えた、そのような国家理想の基準を持たなくては、天国に行くことはできないのです。(二七二−二二九、九五年十月五日)
国境を越えて大陸を渡り、世界人類全体が、自分の兄であり、弟であり、妹であり、姉であり、あるいはおばさんであり、おじさんであり、おじいさんであると思えるような心をもって生きてから、さらにもっと愛したいという心を持って天の国に行くようになるとき、天の愛の主流に乗って、天上世界の愛の国である天国に入籍できるのです。(一九四−二二三、八九年十月二十二日)
宗族的メシヤがたくさん生まれることによって、宗族的メシヤが一つになって、宗族的メシヤを中心として、私の国を探し求める運動が起こるのです。束から西から、三六〇度いたる所から祝福家庭が生まれて、だれが頂上に上がるかを競うのです。天国に入籍するまでは、先祖の立場に立つことができません。先祖の立場に立つことができなければ、いつ押し出されるか分からないのです。(二六九−九三、九五年四月八日)
統一教会に入籍することは世界のために生きるということです。世界のために生きられないならば国家のために生き、国家のために生きられないならば宗族のために生きるということなのです。そのような足場を持たなければ、生き残る所がありません。皆さんは、召命を受けた責任が重要だということを知らなければなりません。(二六九−六二、九五年四月七日)
神様と真の父母から歴史をつづって、今後は入籍時代が来るのです。そして皆さんが入籍するのです。神様の息子・娘として、皆さんは神様のようになり、真の父母のようになりましたか? 言うのは簡単でしょう。寝ても覚めてもそのことを考えなければなりません。食べても寝てもどこに行っても、そう考えなければなりません。そのようになるためには、祖国(神の国)で暮らさなければなりません。それから(霊界に)行かなければなりません。ですから、韓国語を学ばなければなりません。人間は本来、二つ以上の言語はありませんでした。ただ一つなのです。(二〇一−二三四、九〇年四月二十二日)
入籍時に私たちが取るべき姿勢
私たちが霊界に行く前に、自分が何をして生きてきたのかと、自分の生活を一つ一つ振り返って反省してみるとき、それは深刻な問題なのです。皆さん、霊界は未知の世界です。霊界は、どの道行かなければならない世界ですが、未知の世界なのです。無限拡大の世界です。そこに行けば、皆さんの先祖にすべて会えるのです。数千数万の先祖に、ずらっといっぺんに会える所です。彼らは皆さんを迎えるとき、評価するのです。
例えば、新婦がかごに乗って、新郎についてその家まで行ったとしましょう。新郎の家に着いて、その一族に入籍し入門した瞬間から、自分を中心とした考えは通らないのです。自分を中心として、それまでは自分の家で暮らしてきました。しかし、だからといって、今まで成長しながらやってきた行動の一切が、(新郎の家で)受け入れられるでしょうか? これが問題です。新郎の一族は、すべてを受け入れることができるでしょうか? 受け入れてくれと言えるでしょうか? そうは言えないのです。私の行動の一つ一つ、視線からはじまって聞くこと、話すこと…、行動の一切が、新しい分野で出発するにあたって注意を要するのです。何に対して注意するのでしょうか? 新郎の家門に、新しく出発するその環境に、どうしたらぶつかることなく、役に立っていけるかということを注意するのです。それは極めて難しいことなのです。
嫁に行った新婦が出発する初日、その瞬間に一生が左右されるというのです。「私の好き勝手にするわ! 夫の祖父や祖母、舅、姑がそろった中で、どうやって生きていくっていうの?」と言ってはいけません。最近の人は「ああ、私はこんなにも勉強をして、すべての面で夫の家族よりも上なのに、教養のない祖父母、舅、姑…、夫もそうだし、夫の兄弟もみんなそうだわ。私の好き勝手にしてもかまわないんじゃないかしら…」と言いますが、それはいけないのです。それゆえ、嫁に行った新婦たちは初日の出発が、その決定の第一歩が、自分の一生を左右するということを考えなければなりません。そうでなければ、その女性の行く道は悲惨になるのです
それは女性だけではありません。歴史が新しく出発するときも同じです。歴史は転換して発展していきますが、その度ごとに、それを受け継ぐことのできる人はどんな人でしょうか? 発展することができる転換期において、新しい舞台と拡大展開していく発展途上において、それを受け継ぐことのできる人とはどんな人でしょうか? 常習的な生活観念で貫徹しようという人は落後者になります。通じないのです。その転換期に新しい時代を迎えることができる人は、深刻にすべての問題を考えて転換時期に対処することができ、急変する環境に拍子を合わせることのできる、自分の整備と自分の内情を決定した人でなければなりません。そのような人でなくては、それを受け継ぐことができません。(一四二−一六〇、八六年三月九日)
入籍できる内容を備えよう
統一教会に入って、初めて原理のみ言に触れたとき、どれほど興奮しましたか?「ああ、これさえあれば天下統一は問題ないだろう。もっと前にこういう内容があることを知っていたなら、私が主になっただろうに…。先生が父母であれ何であれ、私がメシヤになって真の父母になっただろうに…」というような思いがわくというのです。学校であれ何であれ、みな途中でやめて、毎日のように教会に行きたいときがありましたか、ありませんでしたか? そのように考えなかったとすれば、正常な統一教会員ではありません。
世の中の万事すべて、父母も忘れ、ご飯を食べることも、眠ることも、故郷も忘れてしまうことのできる立場になってみれば、霊界と通じるのです。アダムとエバと同じ所に行けば、みな教えてくれるのです。皆さんは霊界から教えられたことがありますか? 先生が今回驚いたことは、日本の女性食口たちに会ってみたら、百パーセント霊的な体験をしているのです。韓国の統一教会の女性たち、そのような体験がありますか?
皆さんは、韓国人に負けまいと努力する世界の人々がいるということを知らなければなりません。皆さんがみ旨を思う思いと、外国の先端技術を誇る先進国家の国民がみ旨を愛する思いは違うのです。
先端科学技術を持っている先進国家であるほど、原理のみ言の深い谷間を掘り下げていきます。将来だれが主体になりますか? より深く知っている人が主体になるのです。学者の世界では、単語一つでも多く知っている人が主体になるのです。今後、統一教会でいいかげんな者は全部改宗されるのです。ぼんやりした人は全部、荷物をまとめて追放されるのです。入籍時代になれば、統一枚会員はみな韓国に移住する時が来るというのです。
そのとき、入籍できる内容を持っていない韓国人は追放されるのです。ふろ敷を抱えて去っていくのです。大移動の時代が来るのです。そうなるかどうか見ていなさい。韓国人であることに誇りを持ちたいでしょう? 韓国の金だけが二十四金ですか? 米国の金も二十四金であり、ドイツの金も二十四金です。各国の金がみな最高であるときは、金塊の多いところが主体になりますか、少ないところが主体になりますか? 多いところなのです。
今後、宗族的メシヤになって入籍できる数が、統一教会の本部ぐらいしかないとするならば、本部にいる者たちが荷物をまとめて、わきに退かなければならなくなるのです。そのことを知っていますか? 民族的な大移動が起きるのです。実績がなければ屈服するしかないのです。実績の前には天下も屈服するのです。先生の世界的な実績の前に天下は屈服しなければなりません。その実績が主体と対象の実績にならなければならないし、世界の実績にならなければなりません。個人・民族・国家・世界・天宙・霊界・地上世界のすべての実績が、表象として現れるときには、その実績を持っていない人は屈服させられるのです。そのとおりでしょう? それは何ですか? 愛の理想なのです。(二五三−二〇四、九四年一月二十三日)
最初の者が後になり、後の者が最初になるということを知らなければなりません。皆さんに、宗族的メシヤになって一六○家庭を成し、早く入籍の準備をするように言ったのに、それをしないならば、今後キリスト教団の牧師たちが統一教会に入教するようになるとき、一日にいっぺんに一六○か所が復帰され、入籍しようという列が続くというのです。そうなればどうするつもりですか? 時が来たというのです。神様は世界の救いが目的なのです。(二五五−三一、九四年二月二十七日)
二、所有権決定
所有権回復のための条件と手順
今は所有権を復帰しなければなりません。旧約時代には万物を犠牲に、新約時代には息子を犠牲に、成約時代には父母を犠牲にすることによって神様に仕えたので、今は何をしなければならないでしょうか?皆さんが父母の代身の立場に立たなければなりません。息子・娘は新約時代で、万物は旧約時代です。この旧約時代・新約時代・成約時代が、すべて神様の真の愛を中心として解放されることによって、サタンが主人であったのを全部蕩減し、本然の主人のところに戻って、それを捧げなければならないのです。捧げなければなりません。
それはサタンの所有地であって、神様の所有ではありません。所有権回復というものがあるゆえに、天下は戦争なしに一つになるのです。今後、一族が財産とすべてを合わせて天に入籍するために、世界歴史上になかった行列ができるのです。そこにだれがまず入籍するかによって、兄であるか弟であるかが決まるのです。
それゆえ、南北統一のためには、万物であれ宝物であれ、全部天の前に返して、このみ旨を成就しなければなりません。それで先生は借金をしながらも、今日までこのみ旨を準備してきたのです。ですから皆さんも自分の所有権を持ってはならないのです。転換しなければなりません。神様が主人になれなかったゆえに、アダムをはじめ、エバ、先生の一族、すべての食口にいたるまで、所有というものはないのです。所有権がありません。それゆえ、天の前に返して、真の父母の所有権が地上の版図に成立してから、再び真の子女としての所有権の伝授を受けるのです。そうしてこそ、世界の人間たちが、神様の愛を受け継いだ所有権の版図で生きるようになるのです。
それゆえ、堕落していない本然の人として、サタンと関係のない人として、理想的な夫婦の愛を中心として家庭を築いて生きた後に、天国に直行できるようになっているのです。それで地上天国というのです。地上天国は天上天国を受け継ぐのです。それゆえ、ペテロに天国の鍵を与えたことが、どういうことかと言えば、天国を成す道は地上にあるということなのです。はっきりと知らなければなりません。
ですから、今後統一教会の人は、貯めるために食事の節約をするなというのです。節約するのは良いことです。しかし、節約はみ旨のためにしなければなりません。そうして、自分の一族と一国家を営むため、南北統一のために、自分の持つ万物をすべて集めて投入しなければなりません。自分の家庭を顧みてはなりません。そのような時です。
ただ持つべきものは、神様の愛に赤く燃え上がる、その心情一つだけです。ですから洪順愛おばあさんのように、二十四時間、神様のみ旨と真の御父母様のみ旨だけを考えて生きなければなりません。洪順愛おばあさんにはそのような思いしかありませんでした。それ以外には考えもしなかったのです。このような立場から考えるとき、私たちが尊敬すべきおばあさんだというのです。それで大母という名前を私が与えました。今日ここで、そのような伝統を相続しようと決意して帰れば、このおばあさんも喜ぶのです。そのような決意を、新たにしなければなりません。
もうずいぶん明るくなりましたね? 早くから祝福を受けた人たちも、先生の後について来ながら、今になって分かったというのですから、ああ……。すでに時は満ちました。夫婦で助け合ってみ旨の愛、永遠の愛、永遠の血族を残さなければならないのです。今までは、ごちゃごちゃの血族でしたね? このごちゃごちゃの血族を、私が永遠の血族に変えてあげたのです。どれほど複雑ですか? この者たち、全部死ぬべき運命だったのに…、荒野の野生馬のような者たちを、走らせ、手なずけ、相手を探して結んであげたのと同じだというのです。(二〇八−三四五、九〇年十一月二十一日)
世の中のすべての物が、堕落した父母から全部サタンの前に流れていきました。今後、真の御父母様を中心としてすべての家庭を復帰するためには、自分の所有物があってはなりません。個人の所有物があってはならないのです。自分の体も自分のものではなく、息子・娘も自分のものではなく、夫も自分のものではありません。全部アダムの所有として決定されなければなりません。エバの所有になってはなりません。個人の所有として決定してはならないのです。
アダムの所有として決定され、それから神様の前に戻して神様のものとして認められ、その後で再び、アダムを通して返してもらってこそ、個人所有権の時代が来るのです。天国に入っていって入籍が終わることによって、そのようなことが行われるのです。そうしてこそ皆さんは地上において初めて、エデンの園で堕落せずに万物を所有して生きた主人の立場を復帰することができるのです。そのようになってこそ、地上天国に入っていくのです。(一六五−二八二、八七年五月二十七日)
入籍するためには、自分が自分のものであってはありません。天使長にとっては、自分の生命も、自分の妻も、自らの夫も自分のものではありません。自分の息子・娘も自分のものではないし、自分の所持品も自分のものではありません。天使長には所有権が許されませんでした。(一九一−二六九、八九年六月二十五日)
入籍するときは個人の所有権がありません。その立場は、天使長の位置を復帰する立場なのです。そうして、皆さんが神様の前に、真の父母を通して捧げたものを、天から再び受けるようになれば、それがアダム所有権の復帰となるのです。天使長の所有権を蕩減して、アダムの所有権となるのです。(二八五−二三一、九七年六月五日)
家庭的メシヤ、宗族的メシヤ、性を中心として入籍することになりますが、そんなことも知らずに、春が来たというのに、昔と同様にぼんやりとしていてはいけません。自分の息子、自分の娘、自分の家庭、自分の財産、自分の国のすべてを、神様の前に捧げなければなりません。そうすればこそサタンを追い出すことができるのです。サタンが出ていくのです。
堕落以降のアダムとエバから連結した人類の血統は、サタン側に属します。自然世界のすべてが同様です。そこから反対に祝福を受けることによって、すべてのがもとに戻るのです。財産・息子・娘・夫婦が、神様の側に属するようになるのです。そのようになることによって、すべての宇宙が神様に連結します。そこから神様が思いどおりにできるようになるのです。そのように帰らないものはサタン側に残ります。すべては神様の側に帰らなければなりません。財産・息子・娘・家庭・先祖までが、本然の位置に帰らなければならないのです。(三〇一−二一九、九九年五月一日)
自分の家、自分の所有を持って、先生の命令に従わない人たちは困ります。今こういう話を聞いている人たちが、後で入籍するとき、自分の家などがあれば引っかかるのです。先生は何もありません。先生はお金をたくさん儲けても、世界のためにお金を儲けるのです。それはどこのだれのためでもありません。万民を救うためには国家をすべて溶かして、水のようにまいて使わなければなりません。(二八六−二三六、九七年八月十一日)
皆さんが今まで所有してきたその所有は、サタンの常習的な習慣によるものであって、本郷の神様の愛を中心として、理想的な夫婦の基盤の上で相続された、相続基盤にはなっていないというのです。サタンによって生まれた因習的な結果であるために、その所有権を認めることができません。
ここでどのようなことが成されるのでしょうか? 父と母はですね、自分の体や自分の財産や、息子・娘までも全部捧げなければなりません。天の所有権に入籍しなければなりません。なぜ入籍しなければならないのでしょうか? サタンの息子・娘として連結したことを終結しなければならないからです。そのまま堕落圏内にあってはならないのです。終結できないのです。終結するためには、つまりサタン側にあったものを断ち切るためには、所有権を天側に全部返さなければなりません。
このように返すことによって、来るべき主の名と権限によって、「あなたと私の家庭は天に所属する」という宣布を受けなければなりません。そうしてこそ、息子・娘も祝福の対象圏内に入り、天の国の指導的な体制の上に入っていくのです。これが原理です。これが原理の行く道です。ですから、皆さんの所有権というものは今決定できません。
皆さんは今所有しているでしょう? 土地だとか家だとか、今自分のものだと言っているものは、皆さんのものではありません。これらはすべて、終りの日には世界的な版図で公納されるようになっています。息子・娘も、すべてこのような原則の世界的基盤の下に、神様の所有圏へと転換されなければなりません。
そういう将来の道があることを思えば、今あなたたちがしていることは何ですか? 自分のものはありえないのです、自分のものは? 皆さんは今家庭を持って、家があれば自分の家と考えていますが、そうではありません。
国家的、世界的な基盤をしっかり備えていけば、相続権の移譲が行われます。そのようになるべきではないでしょうか? それはサタン世界です。相続権の移譲とは何でしょうか? 神様の愛を中心として、真の父母の愛の伝統的基盤の下に、サタンの愛の中で相続権として所有されたサタン世界を、完全に否定することです。移譲時代が来るのです。
それゆえ、世界は天側に戻って来ざるをえないのです。原理がそうなのです、原理が。これがなされなければ、天国に入ることができません! 絶対に入っていくことができないのです。それで、私は今まで皆さんに、所有権を持つなと言ってきたのです。荷物をふろ敷にまとめながら歩くのです。これが幸せだというのです。
アナニヤ夫婦が、ペテロを前にして自分の財産を売ったとき、半分を隠しておいて「これしかない」と言ったら、雷に打たれたような役事が起きました。三六家庭でも首が落ちるのです。家庭が問題です、この者たち! 神様を顧みないこの怨讐の者たち、そのようなことがあっていいのかどうかを、考えてみなさい。
それゆえすべての大統領に、国と国の財産、自身の家庭のすべてを、天の前に返すように言うのです。大統領が移譲すれば、すべてが終わります。先生は、そういう移譲時代を簡便化させるための作戦を行っているのです。自分のものは一つもありません。世界が復帰された基盤になっていないゆえに、世界基盤になるまでは、私はそのような観念を持たないのです。それで、移譲先を探し求めるべき、厳粛かつ歴史的な清算すべき課題が残っているということを知らなければなりません。
そのときに、あなたたちはその家をどうしますか? この泥棒のような者たち! 荒野をさまよいながら、家を持って暮らそうというのですか? みな引っかかります。天国ならば、天国を中心として、清算して越えていくべきではないでしょうか? 何を? 所有権を。
それでは、この所有は何を中心として決定されますか? 真の愛を中心として所有権を移譲しなければなりません。堕落は何ですか? サタンが偽りの愛を中心として、真の愛の反対である偽りの愛によって、所有を決定したのです。これを蕩減復帰するためには、真の愛を中心として、所有権の決定をしなければなりません。そうでなくては、蕩減復帰ができません。このような息が詰まる一線に向かって前進している先生であることを、知らなければならないのです。では、自分の名義で家がある人は手を挙げてみなさい、自分の名義です。手を挙げてみなさい。三六家庭は私が買ってあげたから、あるでしょう。下ろしなさい。それは教会の名義で、教会のものだと考えなければなりません。このようなときに、この収拾作戦で越えていかなければなりません。(一四五−二四、八六年四月三十日)
万物復帰が世界的に行われて、今後は入籍時代が訪れるようになります。今は新郎新婦の理念の時代でしょう? それだけに嫁に来た新婦は、夫の家庭から先に救わなければなりません。エサウを訪ねていったヤコブがどのようにしましたか? 長子権一つを奪うための手段方法として、エサウが受け取るかどうかも分からないのに、自分の財産全部を差し出し、その次には自分の僕を差し出し、その次には自分の息子・娘を差し出し、その次には自分の妻をも差し出して行ったのです。(一五三−一六四、六三年十一月十六日)
先生に侍るためには、自分の持ち物や所有権を主張してはならないのです。ヤコブの路程と同じまうに…。自分の息子・娘、その次は自分の妻…、僕の子は前に置いてもかまわないのです。「すべてを僕として受け取ってください」と言ってこそ、神様の御名のもとに、すべてが長子権として入籍できる特権が与えられるのです。「私には実績がありませんが、この者たちだけは最も大切なものです」と言える人こそ、相続することができるのです。イスラエル圏に加担した歴史的な事実を忘れてはなりません。そこに自分の主張はありえないのです。(一四五−三三、八六年四月三十日)
自分があってはならないのです。自分の妻、自分の四位基台と一つになって、自分の所有のすべてを天の所有権として相続することで、天の息子・娘として登場できるのです。これからは入籍時代が来ます、入籍時代が。原理に従わなければなりません。世界の大統領も原理に従わなければなりません。深刻な話です。そのような時が目の前に追っているのです。それで今、時が国家所有時代へと移るのです。(一四五−三九、八六年四月三十日)
就職して月給をもらって貯金通帳があれば、貯金通帳にいくらあるか調べるのです。そのとき、三分の一を天の前に捧げたいと感ずるような心情圏が大切なのです。母として責任を果たせなかったがゆえに、母として三分の一を蕩減して捧げたいと感ずるような心情圏が大切なのです。捧げたくないなら捧げなくてもよいのです。捧げたければして、捧げたくなければしないでください。今後は、銀行を中心とした貯金通帳調査時代が来るかもしれません。そこに引っかかるような人になってはいけません。
その次には、天の国が独立するときにもまた、三分の一を捧げたいと感ずるような心情圏が大切です。その次には、世界が一つになるときもまた、三分の一を捧げたいと感ずるような心情圏が大切なのです。私は一文なしでもいいというような心情圏が大切なのです。向きを変えなければならないのです。所有権があってはなりません。私は今、一文もない人です。私は一文もありません。借金をしながら、摂理を進めてきました。今も借金をしてみ旨をしています。
自分のすべてを天に入籍してこそ、一八○度向きを変えることになるのです。宗族的メシヤとして一六〇家庭をその国に入籍してこそ、向きを変えることになるなのです。向きを変えるにおいては、ただ向きを変えるのではありません。夫婦、自分の家庭が完全に転換されなければなりません。アダム家庭で失ったものを復帰して、天の前に捧げることによって、夫婦が天の前に整理され、天国に向かって入ることができるのです。これが公式です。(二七二−二三九、九五年十月五日)
皆さんに所有するものが何もないならば、天国を相続することができるのです。つまらない固執一つ残っていても、相続することができないのです。すべてが祭物とならねばならない時が来るというのです。皆さんを完全に、一〇〇パーセント天の前に返さなければならないのです。そのようになってこそ、天の前に祝福される二世圏となるのです。エデンの園なのです。天国の国籍に入籍した家庭として…、宗族を代表し、民族を代表し、国家を代表し、世界を代表した族長としてみな加入してから、その次にすべてを平準化させるのです。その後では私たちは自由なのです。その後からは自由なのです。(一四五−五七、八六年四月三十日)
統一教会の皆さんは、愛の所有権を持つことのできる立場に立つためには、息子や自分自身や万物のすべてを、神様の相対的所有物として、神様の所有圏に属する場所に入籍させなければなりません。ところが入籍できていませんから、これを入籍させなけれなりません。そうしてこそ初めて、愛を中心とした夫婦のすべての因縁と、夫婦の愛の所有権と、万物に対する所有権が決定されるのです。その時こそ、皆さんは私の妻だ、私の夫だ、次に私の息子、娘だ、私の一門だ、私の国だと言うことができるのです。このような厳然たる法度の過程が、皆さんの目の前にあるということを知らなければなりません。(一二一−二五四、八二年十月二十七日)
神様の前にすべてを捧げなければなりません。自分の父母と夫婦と子女と万物まで、みな捧げなければなりません。神様の相続圏内、神様の国に入籍がなされていないゆえに、まず入籍をさせるのです。その次に神様から…、真の父母を通し、自分の父母を通し、自分の息子・娘を通して、自分の家庭に引き継がれるのです。それが順序なのです。それゆえに、この道を行くためには、家庭全体を、国全体を、不可避的に天の前に捧げなければならない時が来るというのです。(一二八−一四八、八三年六月十一日)
韓国…、アダム国家を通してすべてを所有するというのは、神様が復帰しなければなりません。所有権を復帰するためには、物質をすべて、ヨーロッパ社会から日本を経て韓国…、アダム国家を通して神様の前に返さなければならないのです。それから、神様の世界となって、再び返してもらってこそ、私たちの財産になるのです。まだその手続きが終わっていないのです。それをするために、このようにしているのです。その時になって初めて、私の国があり、私の物が存在するのです。それ以前はありえないのです。それを知らなければなりません。
それゆえ、皆さんのものと、皆さんと皆さんの息子・娘すべてを、神様の前に返さなければなりません。今までこれらはサタンの名よって汚されたものでした。全部きれいにして返して、再び伝授されなければ、皆さんは地上で天国生活をしたという基盤がないというのです。そのようにすれば、皆さんの地上天国が成されるというのです。それゆえに、神様の所有権を中心として、皆さん自身の地上天国の基地が生じるのです。サタンの所有を復帰する、復帰的条件になります。
この原則があるゆえに、世界は主の前に自然に復帰されるのです。互いに競争し合って、捧げる闘いが起きます。すべての入籍が行われます、入籍。入籍すれば先祖が決定されます、先祖が。一つの世界です。捧げなければサタンです。泥棒ですよ、神様の前に捧げなければ。それを知らなければなりません。(一三一−一四九、八四年四月二十九日)
いまだに、神様を中心とした所有権の決定がなされていません。偽りの父母によって、所有権がすべてサタン世界に移ったままなのです。真の父母によって再び帰らなければなりません。日本は日本の国ではありません。アジアの国であり、地球の国であり、神様の国です。真の父母によってすべての所有権を相続し、神様に帰らなければなりません。
もし、日本の代表が原理を知った場合にはどうなるでしょうか? 日本の国を収拾しなければなりません。それで王権復帰という時代に入るのです。今後は、国民がみな信じる必要はありません。その国の代表が国の憲法を正して、原理に帰るようにするならば、一気に復帰が可能です。
サタンはそれを知っています。日本もそうでしょう? 日本国民が各自の個人的な所有権を持っているとしても、相続権のようなものは国家に七五パーセント以上奪われてしまいます。泥棒ではないですか?国を離れて本然の世界へ帰るのに便利な基盤を連結するために、神様の摂理がそのようになっているのです。
皆さんはお金を貯めながらも、先生のこのような復帰活動に対して、知らないふりをしてはなりません。かといって、天の前に捧げなさいというのではありません。原則に一致する心情圏の基準からでなければ、持ってきても受け取りません。旧約時代の心情圏一致、新約時代の心情圏一致、成約時代の心情圏一致です。真の御父母様が来たのは、天から来臨する神様に侍るためであるゆえ、神様を中心としなければ、すべてがサタンのものになります。神様の国に属するものであっても、その中心が愛に結着されなければ、すべてサタン圏に流れていくのです。自らの所有観念を持つということは、サタン圏と一致するのです。
日本女性一〇万名を早く集めなさい。そうすれば日本は滅びません。すべては女性が握っています。そうでしょう? 女性の隊長は文先生です。「世界の女性の隊長は文先生!」このように言えば、統一教会の女性たち、気分が悪いですか? 気分が悪くないのです。西洋の女性たちも同じです。皆同じです。女性として生まれれば皆同じです。そうでなければ、復帰することができません。(一九八−二四二、九〇年二月三日)
所有権を神様に返すためには、真の父母の御名を通さなければなりません。真の父母の御名を通さずには帰る道がありません。それゆえ世界の統一は、統一教会を中心としてなされるしかないのです。手をつけなくても、互いに我先に入籍しようと、列をなして待つようになるのです。いちばん最初になるか、二番目になるか、三番目になるかを競いながら、必死になって争う時が来るはずです。
今後、最も重要な相続を受けるために列をつくって、最も長い列が歴史に残ることでしょう。それは何かといえば、相続権を神様の側に相続するための基地なのです。ですから、自分のものを自分のものといってはならないのです。自分の息子を自分の息子といってはなりません。自分の妻が自分のものではありません、自分の夫も自分のものではありません。それら全部を父母の前に捧げて、神様の側に返した後に、再び返してもらう立場に立たなければ、所有権決定という世界は考えることができません。
自分のものはありません。体も神様に捧げました。神様の所有決定の理想圏を、世界的な基盤において成した後に、再び分配を受けなければなりません。そのときに、神様からお金をたくさんもらっていきますか? たくさんもらっていくのは、真の息子と娘ではありません。真の息子と娘は、他の為に奉仕する人です。このような世界以外には、今後の世界を収拾する道が決してありません。絶対的です。
考えてみなさい! 自分を中心として今まで世界を服従させてきたその基盤を、いかにして平和に接近させることができますか? 為に再創造する道しかないのです。原理は再創造の道です。神様が完全に投入したその理想に、私たちを完全に投入しなければ、愛も何もないのです。サタン側にいたままで霊界に行けば、暗い世界に陥ってしまいます。これは先生の話ではありません。原理のみ言です。(一九八−二四四、九〇年二月三日)
統一教会員たちは十分の三献金をしなければならない
統一教会の信徒たちは、これからは十分の一献金をするのではなく、十分の三献金をしなければならない時代に入るのです。今まで話したことは、過ぎゆく風の便りや雲のようなものではありません。一つは教会のために、一つは国のために、一つは世界のために捧げなければなりません。共産党式に考えれば、現物税と同じです。三〇パーセントは捧げなければならないのです。
新しい国の教育機関、新しい国のすべての公共機関を、これから創建しなければならないのです。今までのように、他人の世話になることを頼みとして生きる者になってはならないのです。血や肉を育てて、養育していくべき立場にあるのですが、その生の基準を中心として、この十分の三献金を天の前に捧げなければなりません。
皆さんの息子・娘を、今後養育しなければならないでしょう? そのような融通資金がなければならないのです。水道を作るとき、水道局にタンクを作れば、分水道局がなければならないのと同じです。渇水期のときには、食べさせて、生かして、育てることのできる、その何かを準備すべきではないですか?どんな分野であっても、このような公式に従って、自分なりの基準を立てなければなりません。そうしてこそ、天国の家庭として威信を立てることができるのです。
それでは、その分だけ生活を切り詰めることのできる方法を立てなければなりません。会社の公共器物を盗む盗賊になって、捧げろというのではありません。自分の血肉をけずって、後代の歴史を創建する礎となり、支石にならなければなりません。レンガ一枚でも、永遠に残るものとして、積み上げようと考えなければなりません。今後教会を建て、本部を建て、学校を建てなければなりません。すべきことがどれほど多いでしょうか? 借金をして建てるのは良いことではありません。鮮文大学が何の問題もなく建てられたと思ったら大間違いです。
真の御父母様が責任を負う時代は、過ぎ去るということを知らなければなりません。これからは、皆さんが真の御父母様に奉仕して、侍って、奉養すべき責任時代が来るのです。全世界的に税金を捧げる時が来ます。数億の人間が捧げるようになれば、仁川の港に世界の船舶が天に捧げる貢ぎ物を持ってきて、納める時代が来るのです。何かが必要なときは、全世界的にそれを供出して持ってこなければなりません。自分のものではありません。
お金の中でもいちばんきれいなお金、汚れたこの手で触っていないお金を納めなければなりません。そうすれば滅びません。世界の祝福がその家庭と共にあるのです。見ていなさい。そうすれば会社もよくなります。月給を三〇パーセント減らされても、五〇パーセント増えるかもしれません。
今まで皆さんは先生の血肉をしぼりとって生きてこなかったですか? そうですか、そうではありませんか? これからは先生が皆さんの血肉をしぼりとらなければなりません。それは先生が生きるためではなく、国を生かし、南北を統一し、アジアを統一する基金を作るためなのです。学校を作って、世界平和国連大学を構想しているのです。学者たちはすべて先生の指揮下にあるのです。
そして、これから皆さんは、宗族的メシヤの使命を本格的にしていかなければなりません。しないわけにはいかないのです。家庭連合に所属したその家庭は、自分の地域に入るので、出勤も自分の故郷の地でしろというのです。それは先生のすべきことではありません。天地のためであり、人類のためなのです。イエス様は、十字架で血を流して死んでいくときにも、人類の恵みを祈っていったのに、こういうみ旨が私たちの目前に現れて、死なないで何年か十字架を背負えと言うのに、できないのですか? 少々難しい道だからといって、行くことができないならば、死ななければなりません。
皆さんはこれから、霊界を動員する祈祷をしなければなりません。過去・現在・未来において、忠臣の祭壇に捧げられる私が、実体の統一的な祭壇に対して解放の王子になるように、霊界と親族の協助を求める祈祷をすれば、霊界と親族が協助するようになっています。そうなるか、どうか祈祷してみなさい。ならなかったら、涙を流して徹夜祈祷をしてみるのです。一二○日祈祷を三回だけしてみろというのです。それをしない家は雷に打たれるのです。行く途中で突然のたれ死にしたり、問題が起こったりするのです。そのような恐ろしい時代が来るのです。しっかりと気持ちを引き締めなければなりません。
脅迫ではありません。子女となった立場にあるゆえに、率直に忠告するのです。霊界に蕩減の祭物となって流れていく人とならず、霊界を動かして勝利の祭壇で解放された自分となって、自由活発な神様の解放圏が、自分の後ろについてくるようにしなければなりません。これは皆さんの仕事であるため、宗族と民族と国家の活路を開放しなければなりません。これは現在の祝福家庭、家庭協会の責任です。(二六四−二○八、九四年十月九日)
三、総生畜献納祭
「総生畜献納祭」の「総」という言葉は何でしょうか? 旧約時代の清算、新約時代の清算、成約時代の清算…、解放統一時代を清算して越えることが総生畜献納祭だということを知らなければなりません。
旧約時代は万物を裂いて祭物を捧げました。サタン世界の物を神様の前に捧げるときは、裂かなければならないのです。右側が完全に合うようにしなければ、神様の所有権が生まれません。そのままサタンの物になるというのです。万物を祭物として、犠牲にして蕩減の材料として使ったのは、息子、娘が来ることのできる道を整えるためです。祭物を捧げることによって将来、神様の息子、霊界に行ったアダムと失ったエバを、探すことのできる道が生じるというのです。それは旧約時代の歴史です。イスラエル民族がカインであり、ユダヤ教がアベルなのですが、この二つが一つになって、メシヤと一つにさえなっていたら、息子と娘が天国に連結されるはずだったのです。それにもかかわらず、これも失敗したために、息子の代わりに王として来られたイエス様が、二つに裂かれたというのです。霊界と肉界とに裂いたというのです。(二九七−七四、九八年十一月十五日)
皆さんは総生畜献納祭、献納の祭物を捧げなければなりません。エデンの園で偽りの父母が、真の愛からすべてを奪っていったではないですか? ですから、すべてを、総生畜献納祭なのです。生きている物まで祭物として捧げなければなりません。裂いてはいけません。自分を中心として残したり、息子・娘の分を残したりしてはなりません。ペテロの前にアナニヤ夫婦が、家を売って半分だけ捧げたのですが、その場ですぐに死ななかったですか? それを知っていますか? アナニヤ夫婦がそうなったということを知っていますか? 目の前で、目前で葬儀が執り行われたのです。そのような時だというのです。(三〇二−四四、九九年五月十八日)
「総生畜献納祭」これは何でしょうか? 堕落した偽りの父母が天の世界を奪って盗賊になったのですが、真の父母を中心として、世界をすべて一つにして捧げなければなりません。捧げる前は、先生が主人になることはできません。地上の王権、天上の王権を立てて引き継ぎをし、位置を確立し、この地上で生きてから行かなければなりません。そうしてこそ地上・天上天国が完全に合徳一体となります。合徳一体がなされるのです。天地合徳、人間合徳というようにです。(二九九−四八、九九年二月一日)
今まで祭物というものは、全部分けて捧げました。サタン側と神側に分けて捧げました。自分自身の所有圏を決定することにおいては、人間の心と体が一つになり、神様と一つなって捧げてこそ、天に属するのです。けれども、そのような人がいなかったのです。歴史にそのような人がいなかったというのです。
統一家はこれを復帰したのです。復帰は完全復帰です。復帰は蕩減です。蕩減しなければ復帰がなされません。絶対要因が蕩減です。それを知らなければなりません。蕩減なしには、復帰がなされないのです。皆さんの家庭もそうです。神様自身が、この復帰の歴史のために蕩減してきたということを知らなければなりません。歴史以来、だれよりも苦労した方が神様です。また、この地に来て、そのみ旨を心情深く悟ることによって、谷間から天上世界解放の高地まで穴が掘られたのを埋めるのは、真の父母の責任です。真の父母の責任だというのです。父母たちが責任を果たせなかったゆえに、真の父母が責任を負って、このように現れたのです。
真の父母が責任を負った歴史路程において、真の父母の伝統はアベルの歴史です。アダム家庭から失われたアベルの血を復帰しなければなりません。どこから、だれを通してするのでしょうか? 皆さんの息子・娘を通してします。皆さんの息子・娘を通して復帰します。復帰するためには、アベルはすべてを犠牲にしなければなりません。血を流さなければならないのです、血。それを知らなければなりません。(二九七−九四、九八年十一月十九日)
先生は個人時代に、「総生畜献納祭」をしなければなりません。自分の所有がありません。息子と娘がいても、その息子・娘を愛することができません。復帰過程をたどって、世界人類を愛してから、自分の息子・娘を愛さなければなりません。そうでなければ神様が願う地上天国はなされません。サタンが讒訴します。「あなたが天国に入るためには、サタンである私も愛を受けることのできる立場に立つことができなければなりません。そうでなければ、あなたは天国に入ることができません。それが創造の原則ではないですか?」と言って讒訴をするというのです。(二九七−九四、九八年十一月十九日)
皆さんは先生のために生畜の祭物にならなければなりません。祝福を受けた家庭は裂くことができません。裂いてはなりません。男性、女性として、生きた祭物として捧げるのです。(二八〇−二五〇、九七年一月二日)
今ここにいる皆さんは「総生畜献納祭」を捧げなければなりません。解怨統一式をしなければならないのです。今まで神様に祭物を捧げるにあたって、神側の所有物、サタン側の所有物に分けて捧げたのですが、神様にとって、これはどれほどあきれたことでしょう? 二つに分けたのは、右側が神様のもので、左側はサタンのものだということです。それが人間、アベル、アダムの立場でした。しかし今は、神様の愛を中心として、完全に一体となって捧げてこそ、サタンが離れるのです。
この家庭たちは、どのようにして許しを受けるつもりですか? 祭物時代を越えて、神様だけがすべてを所有しうる主人の立場を回復しなければならないのが、真の神様の立場であるため、許しを受けるためには、すべてを捧げることによって総生畜献納をしなければならないのです。ですから、一六数に該当する数を中心として、なさなければなりません。動物も一六〇頭です。四種類です。みなそのようなことを象徴するのです。(二九八−二二、九八年十二月三十一日)
総生畜献納祭というのは、一六○数を中心として、四×四日一六日です。自ら財産全体を捧げないと問題が起こるのです。その数は蕩減条件です。完全なものではありません。時が来ればすべてを完全に捧げるのです。皆さんの国だと信じているのは、皆さんのものではなくサタンのものです。その国をこのように取り戻してくるのです。ですから神様に捧げるのです。そこから神様の所有権が始まって、サタンは退くことになるのです。(三〇一−二二一、九九年五月一日)
皆さんは最善を尽くさなければなりません。それを皆さんは惜しんではなりません。旧約時代、新約時代、成約時代が何ですか? 神様の所有がありません。神様の所有がないのです。怨讐に奪われたので、条件をかけて取り戻すための役事をしてこられたのです。神様のものである十分の一献金から始まるのです。十分の九はサタン側です。これからは反対の時代が来たゆえに、十分の九、十分の十を天ものとして、完全に一つとして捧げなければならないのが、総生畜献納祭というものなのです。そうでなくては、地上の整備がなされないのです。(三〇二−二三、九九年五月十四日)
伝統を伝授しなければならないのですが、どんなことがあっても皆さんがしなければならないことは何でしょうか? 絶対信仰・絶対愛・絶対服従をしなければならないと同時に、総生畜献納祭をしなければなりません。個人のものから、自分の息子・娘、自分の夫、妻までみな捧げなければならないのです。(三〇四−六五、九九年九月十日)
万物解放、子女解放です。ですから、総生畜献納祭を完成して、神様の前に奉献しなければなりません。それゆえに皆さんは所有権を持つなというのです。全部神様の所有です。神様によって始まるというのです。ですから、自分によって関係づけられているという考えは持ってはいけません。(三〇四−一七七、九九年十月二十三日)
これからは、皆さんが統一教会に入教して喜んだ以上に、喜びの心を持たなければなりません。そのような心を中心として、天の前により生畜の祭物になるという立場に立たなければなりません。そのような立場に立たなければ、後ろに立つことになります。後ろに立てば、北朝鮮を中心とした運勢、南北統一の運勢圏を越えることができません。それゆえ、統一教会全体が動員されて、残りの期間に総進軍しなければならない使命が、私たちにあるのです。(一六四−一一八、八七年五月五日)
今全体…、人も全体もすべて否定して総生畜献納祭をするのです。献納祭というのは、堕落圏にある最高に貴い個人・家庭が捧げるものではありません。真の家庭を中心として、地上・天上天国となることのできる立場で捧げてこそ、その価値が認められるのです。ところがここでは、駄犬のようなものを中心として、地獄の糞がつき、地獄の臭いがするものを大切にしているのです。自分の息子・娘を中心としてこのようにしているのです。これを一度に燃やしてしまわなければならないのです。それゆえに、これをしなければならないというのです。(三〇一−二三九、九九年五月二日)
自分の父母をみな否定し、自分の生活を否定しなければなりません。こういうときにおいて、先生の家庭の悲惨な状況を中心として、祝福を受けた家庭までも否定し、自分の息子、娘、一族を、火の穴に投げ込んでも生きた供え物にならなければならないのです。これが総生畜献納祭ということなのです。(三〇四−三一〇、九九年十一月十二日)
完全な分別の血を流して、所有権を分別しなければならないという、神様のうらめしい事実ではないのです。創造されたすべてのもの、生きた供え物自体を、神様の所有権として捧げ切る基準を作らなければ、神の国の皇族となることができないし、皇族圏内に入籍しうる国民になる道がない、ということを知らなければなりません。(三〇二−一八七、九九年六月十三日)
天宙所有権を得ようとすれば無の立場に立たなければ
天宙所有権を得ようとするなら、全体が無の立場にならなければなりません。祝福家庭といっても、その家庭は自分の家庭ではありません。旧約時代、新約時代、成約時代を考えるとき、旧約時代は、万物を犠牲にして子女が救いを受けることのできる道を開くための時代であり、新約時代は、子女を犠牲にして父母が来ることができる道を開くための時代なのです。真の父母が来て四〇年間苦労したのは、神様を地上に迎えるためなのです。
それゆえ、垂直点と真の父母が家庭において結着するのです。このようにして、そのような家庭基準を越えようとするなら、全体においてゼロの立場に立たなければなりません、ゼロの立場。そのときには、所有という概念がありません。アダムとエバが、真の父母の愛を中心として結婚し、そのような立場を越えていくとき、全体がアダムの所有となり、神様の所有となるのです。愛を中心としてです。そのような全段階においては、自分の所有というものがありません。創造圏の立場、無! 無の立場なのです。自分という認識があってはならないのです。
自分の家庭があると言うならば、それはサタンから連結している家庭観念だというのです。自分がアメリカ人であるとか、日本人であるという観念がある場合には、それはサタンに由来した因習、習慣的に残っている観念であるにすぎないのです。それゆえ、完全に無の立場に立たなければなりません。愛以外にはあってはならないのです。
原理結果主管圏と直接主管圏を連結する、五パーセントの責任分担完成というのは、他でもなく愛によるものです。愛以外にはないのです。絶対愛の観念だというのです。その愛を抱くためには、サタンが好む観念を全部なくさなければなりません。祝福家庭の皆さんを見てみるならば、物質は旧約時代、子女は新約時代、自分の実体は成約時代になるのです。それを蕩減復帰しなければならないのです。
それゆえ、この全体を愛に結着させて、所有観念を中心としていたことを越えて、家族と共に所有しなければならないのです。それが天宙所有権だというのです。神様を中心として天宙所有権が現れなければなりませんが、堕落した家庭においては、反対にサタンを中心として、所有の略奪が行なわれるのが問題でした。ですから、これを再び復帰しなければならないのです。それゆえ、これを越えようとすれば、日本も韓国も自らの所有権を捨てなければなりません。
今、日本の食口たちもそうです。教会がこのような緊急緊迫な経済状況にあるときに、自分の財産が問題ではないのです。世界的、天宙的な対応が必要なのです。それにもまして、自分の物を、自分の子女たちの将来のために残すような人は、天国の国民になることができません。まず神様の所有権として返してから、自分が基準を越えた後に、再び受けることによって、新しい所有権時代、本来の世界に帰るようになるのです。
それゆえ、物質は旧約時代、子女たちは新約時代、自分の実体は成約時代を代表するものなのです。縦的に旧約時代・新約時代・成約時代、横的に万物と子女と自分の実体なのです。これを中心として、神様の所有圏に所属した後に、その神様の所有圏の宇宙を中心として、アダムが完成し、そこから相続権を受けるようになっているのです。
自分が持っている所有圏はすべてサタンの所有です。それゆえ、これをすりかえなければならないのです。全体を否定しなければならないのです。その場合には子女も必要ありません。子女も自分の子女ではありません。お金も自分のお金ではないし、自分たち夫婦も自分のものではないのです。完全にゼロにならなければなりません。
ですから、真の父母を中心とした子孫であるがゆえに、本物の完成圏において、再び入籍する圏において、自分が献納したうちの数パーセントを再び受けなければならないのです。それを受けるにおいては、全部受けるのではなく、自分が必要な基準に合わせて神様から受けるのです。そこから天国生活が始まるのです。これが原理観だというのです。先生が言ったのではありません。このようにしなければ、サタンの所有時代から完全に聖別することができません。
今までは、個人の所有時代を中心としていたがゆえに、民主主義だといっても社会主義制度と同じだというのです。お金があっても、全部税金として持っていかれるでしょう? 共産主義に連結する次の段階になっているのです。最後には神様の所有権以外にはないというのです。全部神様に献納して、そこから地上で生きるのに必要な分だけを再び受けなければなりません。生活消費財として使用するための、永遠の所有ではないのです。自分の一族が死んでいったときには、返還しなければなりません。三代まで続いたあとには返還するのです。そのような時代になってくるのです。
そのような時代になる前の転換期に、それを準備しておくのです。なぜ、そのようにしなければならないかといえば、再創造の時には観念がありません。創造する前には、すべてが完了しているのであり、観念がないのです。日本人であるとか、アメリカ人であるとかいう観念、自分であるとか、自分の所有であるとか、お金だとかいう観念があるかというのです。愛だけなのです。それゆえ、愛を中心として全体が収拾されなければならないのです、ゼロの境地を通過しながら。愛以外にはありません。愛の王族権以外にはありません。それを成すためには、全体を落城したとしても、感謝していくことのできる実体にならなければならないのです。(二一八−三六六、九一年八月二十二日)
総生畜献納祭を捧げなければ
旧約時代に失敗し、新約時代に失敗し、成約時代に失敗し、解放統一時代に神様の前に失敗したすべての内容を、どのように清算するのでしょうか? それゆえに総生畜献納祭を捧げなければならないのです。
皆さんが知らなければならないことは、アダムとエバが結婚する前に自分の所有物がありましたか、ありませんでしたか? ありませんでした。皆さんはどうですか? 皆さんの背後にはサタン世界の家庭、国家、世界が関係しています。結婚する前から、そのように連結しているというのです。それらはすべて皆さんの所有物です。
そのようなものをくつがえして、結婚する前に何もない立場になり、ひとえに、真の愛を中心とした主人と所有権が、形成されるかどうかということが問題なのです。最初に夫と息子・娘を完成させれば、外的な所有権は自ずと連結されるのです。何も心配することはありません。自動的に連結されるのです。それで今、所有権転換という言葉が出てくるのです、所有権転換。
万物は旧約時代です。万物が旧約時代であり、息子が新約時代であり、夫婦が成約時代なのです。このすべてを堕落しない時と同じように、神様の解放圏の上に上げなければならないのです。解放がなされなければ、統一がなされません。
ですから、すべては裂いて祭物として捧げましたが、これは生畜です。生きたままで、すべて生きたままで献納する祭物を捧げなければならないというのです。万物と息子と自分たち夫婦を神様の前に捧げることなしには、天国に入っていくことができないのです。それで主人と所有という真の神様と一つになりうる立場に帰って、そこで再び本然の夫婦、本然の息子、本然の娘、本然の万物を相続してこそ、個人所有圏時代に入っていきます。天国に入っていくことができるというのです。
祝福を受ける前に、皆さんの世界と、皆さんの国と、皆さんの家庭と、皆さんの全体を、すべて捧げなければなりません。そうしてから祝福を受けなければならないのです。堕落しなかったその立場に帰らなければならないというのです。それができなかったので、逆に解放時代を迎えたというのです。世界解放時代に家庭を祝福することのできる時…、怨讐たちが反対することのできない時を迎えました。四〇年前にこういう役事をしていたら、レバレンド・ムーンは打たれて死んでいたはずです。反対が激しいゆえに延長して、ここにおいて一度に清算し越えてくべき、このような日を持ってきたということを知らなければならないのです。
ですから、結婚前に所有というものはありません。絶対的なゼロの立場に立たなければなりません、少しだけ所有があっても問題が起こるというのです。女性たちは先生の命令に絶対服従しなければなりません。金や銀や宝物は、米国の女性たちが管理していますか? 来るべき再臨時代において王妃の立場を奪われ、サタン世界のすべての権限を支持できる時を失いました。四〇年前に失ったことも知らずに、今でもそのようにしているから滅びるというのです。(二九七−七八、九八年十一月十五日)
天国の国民に入籍する時代
このように分かれたのは韓国動乱によってでした。ですから、和合の世界が成されるのも韓国で成されるのです。あのとき、一九八八年のオリンピックの世界チャンピオンたちは、二世のチャンピオンでした。肉的な体のチャンピオンだったのです。そのとき統一教会の二世の宣教師たちは、すべての国のチャンピオンを招待して、リードをして応援もしてあげたのです。このように韓国に来て一体となって、あらゆる交渉をしたので、すべての国の選手たちは、韓国を離れたくない、韓国で暮らしたいと言い出しました。そのすべての費用は先生が出したのです。オリンピックのとき、一六○か国の二世の宣教師たちが帰ってきて、霊肉共に一つになったのです。外的には盧泰愚大統領がいて、内的な大統領の立場にはお父様がいて、一つとなったのです。
そのときを考えれば、国連の加入国の数がどれくらいかといえば、一六一か国です。北朝鮮と韓国が国連に加入したのです。兄弟国として加入したのです。北朝鮮と韓国が加入したのですが、韓国は一六一番目であり、北朝鮮は一六〇番目でした。これを、一六数を中心として払うと、「一」が残ります。それゆえ世界オリンピックによって、すべてが連結したのです。統一教会の皆さんも同様に、それを蕩減復帰した立場に立つために、四位基台を中心として、世界的家庭を成していくのです。ですから一六○家庭(一八〇家庭でもある)と一つにならなければならないのです。一六○家庭を中心として一つになれというのです。一つにならなければなりません。どうしてでしょうか? 国を乗り越えなければならないのです。国家基準を乗り越えなければならないというのです。そうしましたか、しませんでしたか? 四位基台を完成しなければなりませんね? それがなされていないので、四位基台の完成のために、初めて、ジャルジンで家庭教育をしたのです。家庭を教育するのは初めてです、初めて。歴史以来初めてです。
今後国が成立すれば、家庭が入って、憲法と法を中心として全体世界を蕩減して、整理し、天国の国民として入籍する時代がやってくるのです。入籍七なくてはなりません、入籍。今は国がありません。(二九七−八一、九八年十一月十五日)
最小限度の条件的な生畜献納祭物を捧げよう
すべての宗教人たちはこういう観念を持たなければなりません。すでに二〇年前に、先生は宗教議会をつくりました。ですから、これから超宗教で世界を救うためには、国連の大使館は外的な大使館となっているゆえに、精神的な大使館、家庭的な大使館を代表できる、内的な心のような立場に立って、真の主人と所有権を決定しうる国連が構成されなければなりません。そうでなければ、世界が蘇生する道がなく、解放されないということを知らなければなりません。
今の国連は外的なものであり、精神的なものがありません。ですから、今から精神的なものを築かなければなりません。それが一つに連結されるところに、主人と所有権が一つになるのです。ですから、国連に良心を中心とする宗教圏を中心とした大使をつくって、政治世界の盗賊たち、嘘つきたちを全部正さなければならないのです。今すべての国家の指導者たちは詐欺師です。いかにそれを正すことができるかということが問題なのです。
もしも、だめであったとしても、私たちがアベルの国連を作らなければならないのです。それで神様を中心とした圏、神様の「愛の世界」を、愛の主権世界を作ろうというのです。それは宗教圏が願うことです、心の世界の愛を中心とした、本然の道であるがゆえに、万民がここに和合できるのです。
こういう全般的な教育を、ここジャルジンでするのです。ジャルジンに来て教育を受け、卒業証書をもらわなければならないということを、知らなければなりません。そして一六○家庭です、一六〇家庭。すべてが一六○数をなんとかして総蕩減しなければならないのです。それゆえ、今でもジャルジンのパンタナールに来て魚を釣るとき、四種類を中心として一六○匹を釣れというのです。なぜでしょうか? 根本においてはすべてが連結します。ノアのとき、動物は審判を受けませんでした、動物は。ですから、四種類の魚を一六〇匹捕まえて、神様に祭物として捧げるのです。それゆえ、生きたものを捧げなければなりません。全体をみな捧げるのです
それゆえに、万物と、息子・娘と、自分たち夫婦…、そして天に引っかかったすべての垣根を壊すために、一六数に該当するすべてを、神様の前に捧げなければなりませんが、そのようにしては問題になるので、最小限度の条件的な生畜献納祭物を捧げようというのです。それで一六数、一六〇数を必要とするというのです。(二九七−八二、九八年十一月十五日)
サタン世界の国を克服するために全体を捧げなければならない
それでは、それをどのようにするのでしょうか? 不便にも物をかついで歩き、昔のように羊や牛を引いて歩きますか? そのすべてを代表したものが貨幣であるがゆえに、お金を中心としてこれに対応しようというのです。現在、ドルが基準となっているので、ドルを中心として金額を策定するのです。ドルは一ドルからお金として取り扱われます。それ以下のものはみな費用、何というのでしょうか、ご飯を食べて払うチップです。
それでは、原理で考えるとき、一〇ドルを蘇生とすれば、一〇〇ドルは長成、一〇〇〇ドルは完成だというのです。それが一つの範躊なのです。一ドルを出すことはできません、一〇数が基準です、一〇数。祝福を一〇数からしました。
一ドルを中心として考えれば、一ドルが蘇生で、一〇ドルが長成で、一〇〇ドルが完成ですが、一〇〇ドルを中心として考えれば、蘇生が一〇〇ドルで、一〇〇〇ドルが長成で、一〇〇〇〇ドルが完成です。蘇生期におけるIドルが蘇生級、一〇ドルが長成級、一〇〇ドルが完成級です。では、その次に長成期はどうでしょうか? 一〇ドルが蘇生級、一〇〇ドルが長成級、一〇〇〇ドルが完成級です。その次の完成期は、一〇〇ドルが蘇生級、一〇〇〇ドルが長成級、一〇〇〇〇ドルが完成級なのです。それでその完成期の長成級である一〇○○ドルに一六数をかけた一万六千ドルになるのです。長成を中心として、なさなければならないのです。いつも中心が問題なのです。全財産です。自分にある財産、息子・娘のすべてを代表することができ、中間となることのできる一〇〇〇ドルに、一六数をかけた一万六千ドルを条件物として、献納しなければならないのです。完成期において、一〇〇ドルは蘇生級、一〇○○ドルは長成級、一〇〇〇〇ドルは完成級ですが、一万六千ドルを中心として、自分の財産と、自分の国と、世界全体の代わりとなる万物を条件物として、生きたものを捧げるというのです。
夫婦が一身になって、子女全体が一つになって、これを集めて捧げなければならないのです。蘇生・長成基準であるサタン世界の国を克服するために、全体を捧げなければならないのです。最小の条件であるだけに、自分の財産があるならば、十六万ドル、一六○万ドル、一千六百万ドルを捧げなければなりません。条件です、条件。国が成立すれば、すべてがそれをしなければならない時が来るということを、皆さんは知らなければなりません。(二九七−八三、九八年十一月十五日)
解放は全体総生畜献納祭を越えてこそ成される
ですから、ここにおいては、GNP(国民総生産)とは関係ありません。すべての人類は同様だというのです。どんなに難しくてもしなければならないのです。ですから、本当に難しい人は十二兄弟と同じように、世界の十二か国を回りながら万物復帰をして、労働をしてでもこれをしなければならないのです。また、先進国家はそのような人々を、自分の弟や妹のように愛して、援助して一つにならなければなりません。そのような運動をすることによって、これを越えていかなければならないのです。こういう最後の総生畜献納の祭物が、私を待っているということを知らなければならないのです。
祝福を受けた三億六千万双が、あらゆる国にいるので、そんな兄弟国家の先進国家に行って万物復帰をするのです。そうなれば、喜びの中で兄弟が一つになって、その家庭が後援してあげなければならないのです。その家庭がこのように後援するということは神様が後援することなのです、先生の家庭に代わって後援するのです。そうなれば、その家庭は同じ祝福を受けるということを知らなければならないのです。兄弟が、一つになることによって、神様と真の父母の立場に引き上げられるのです。
解放は全体が総生畜献納祭を越えてこそ成されます。そうなることによって、理論的にすべてがきれいに整理されるのです。そして、天国の門を開けて天国に入ることができるのです。自分の息子・娘、自分の財産までも神様ものとして、みな捧げれば、神様の代わりに主人の立場に立つことができるというのです。ですから、これを果たすことによって蕩減復帰完成が成されるというのが結論です! アーメン!
夢のような話ですが、夢とはいえない事実を実現したのです。ですから、これはレバレンド・ムーンを否定できない事実です、神様はレバレンド・ムーンと一つにならざるをえない事実であるということを、皆さんは知らなければなりません。このような内容は、世界中にある図書館のどの本にもないのです。先生の図書館、心の図書館にだけあるということを知らなければなりません。(二九七−八四、九八年十一月十五日)
生畜の祭物は不平・驕慢は禁物
皆さん自身の生涯の道を知らなければなりません。一生の間に食べたご飯の量、次に仕事をした量、その次に消費した量、その次に愛した量…、これらを比較するとき、そのすべての中で、愛した量が他のなによりも多くなければなりません。
皆さん、本当に神様を愛して、本当に人類を愛する立場に立ったと言いますが、言葉で言うのは簡単です。本物の涙を流したことがありますか? 本物の汗を流しましたか? 国のため、世界のために血の汗を流し、涙を流せば、それはなくなりません。それは必ず自分の利益となって、自分の子孫万代に返ってくるのです。まちがいなく返ってくるのです。こういう内容を知ったゆえに、愛のみ旨のために、このような人生行路において、力強い勝利者として歩むということを、皆さんは心に決めなければなりません。不平は不平を生みます。ですから、不平を言ってはなりません。
その次には何かといえば驕慢です。自己驕慢は禁物です。なぜでしょうか? 生畜の祭物であるからです。生畜の祭物、そうです、私たちがご飯を食べるときも、祭物の立場で食べるのです。そうなれば、私がご飯を食べることを神様が好むのです。仕事をすることであれ、話すことであれ、感じることであれ、すべてを祭物の立場でなさなければなりません。
祭物が不平を言うことができますか? 不平を言うことはできません。モリヤの山上で、アブラハムが息子のイサクを祭物として捧げるとき、イサクが「お父さん、私はお父さんの息子なのに、なぜ殺そうとするのですか? 羊を捕まえて祭物にしないのですか?」と言いましたか? 不平を言いましたか?
その次には自分を犠牲にしなければなりません。イサクは「わたしはお父さんの息子です。アブラハムの息子です。そんなあなたの祝福を受けた息子なのに、代を継ぐ息子の立場を考えないのですか?」とは言わなかったのです。そのように考えなかったのです。
最初は何でしたか? 不平を言ってはなりません。二番目は驕慢になってはなりません。自分を考えるなというのです。それゆえ、私が不平を言われる立場に立つのは幸せなことです。全体のための立場、不平を言われる立場に立とうというのです。不平というのは外部に出ていくときに不平となるのです。私たちは不平を言わず、天のために生き、人類のためにみ旨をするときにも、外部の人に不平を言われるようにしようというのです。
その次に、人を低くすれば、その人の前に自分が低くなるのです。人を高めてあげるとは、その人のために祈祷してあげることです。祈祷してあげることなのです。その立場はどのような立場かというと、自動的な生畜の祭物の立場なのです。「あなた方のすべての罪を全部私が被ります。恨んだり、不平に思ったり、讒訴したりすることを、全部私が被りますから、あなた方は解放されますように」と言うことが、どれほどすばらしいことかというのです。
祭物は、死んだ後、血を流した後には、すべてが頭を下げます。それゆえ、私が祭物になって死んだ後に、町に碑石が立てられてみなが称賛するのです。国が称賛するのです。先生が死んだ後に米国が悔い改めをし、韓国と日本がひざまずいて悔い改めをするでしょう。韓国は反対していても、先生が死んだ後に悔い改めをして振り返るでしょう。これが祭物の行く道です。これが生畜の祭物です。先生は生涯の間、そのような原則を定めて歩んでいるのです。
家庭が反対しても、宗族が理解するようであれば家庭は屈服します。国が理解するようになれば宗族は屈服するし、世界が理解するようになれば国は屈服します。後には全部屈服してきます。本当に不思議なのです。そのような祭物の道を行くのですが、祭物は恐ろしいのです。祭物を冒涜すれば、冒涜した罪を受けます。それゆえ、祭物を冒涜すればいっぺんに引っかかるというのです。(一〇七−六二、八〇年一月二十日)