統一教会の主張と思想/統一教会と食口たち


統一教会と食口たち
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第二節 統一教会の主張と思想

一 統一教会が追求するもの

1 統一教会出現の目的

 今日、この統一教会が現れたのは人間が堕落したからです。堕落がなかったなら、統一教会が生まれる必要がないのです。堕落したので統一教会が生まれたのです。それでは、統一教会が生まれた目的は何でしょうか? 堕落しなかった本然の世界を復帰するのです。復帰しなければなりません。では、復帰するにはどのように復帰していくのでしょうか? 本来、万物が人間の下にあるはずでしたが、人間が堕落することによって、アダムとエバ、父母とその次に子女となりうる人々は万物よりも低い所へ落ちたというのです。無原理圏の世界に落ちてしまったというのです。(一九八六・一一・二、本部教会)

 神様がおられるなら、神様のみ旨と一致しうる教会がなければなりませんが、既成キリスト教会が神様のすべてのみ旨を全体の分野で代身して成就させることのできない宗教だということを知ったので、これはある一時は変更しなければならないということを予想しました。そうして、その時に必要な責任を果たすことにより、神様のみ旨を引き継ぎ、世界に発展することのできる教会を神様が願うことでしょう。そのような意味でわが統一教会という名前も出てきたと私は考えるのです。(一九七五・三・三、ベリータウン修練所)

 わが団体が創立されたのは、ある個人の目的を達成するために創立されたのではありません。神様のみ旨の完成のために、神様のみ旨の成就のために、この団体が始まり出発したのは言うまでもありません。

 では、神様のみ旨の全面的なその内容とは何でしょうか? それは再創造歴史過程を経てアダム完成を期することであり、アダム完成の勝利的基盤を築いたその土台の上にエバ完成をし、エバ完成をしたその基盤の上に家庭と子女完成を成すのです。その子女完成を成しうる基盤を連結させるために、ここには氏族圏というものが、あるいは民族を代表した実体的氏族圏が形成されなければなりません。これが救済摂理の中心であり、また救済摂理完成の主流の内容だということを皆さんは知っているのです。(一九八一・五・一、本部教会)

 統一教会にはどのような使命があるのでしょうか? 歴史以来、天の前に背反したすべてのことを完全に清算し、罪のない状態の下で、神様の理想の出発を地上に再現させるために統一教会は生まれたのです。(一九八六・五・一、本部教会)

 統一教会がなぜ現れたのかと言えば、何文にしかならない人々を天地の大主宰であられるお方の堂々たる息子と娘にするために現れました。すべての人に神様を信じさせるために、先生が統一教会をつくったのです。皆さん、統一教会がすべての人々を統一させる可能性がありますか、ありませんか?(あります)(一九七一・一・一五、麗水教会)


2 統一教会が追求してきたもの

 理想と言うと、真なる・・・。この理とは中国の字で言えば、王の里を言うのです。王たちが暮らす里だと言うのです。では、王という存在はどのような存在でしょうか? 「その国で一番よいことだけ責任を持つのが王である」そうですか、「一番悪いもの全体に責任を負うのが王である」そうですか? どちらが王になるのですか?(悪いことに責任を負う・・・)善なる王とは何でしょうか? よいことは欲しくなく、悪いことに責任を負おうと言いながら暮らしていくのが善なる王だ、このように見るのです。

 では、この宇宙の中で王の中の王はだれでしょうか? 神様です。神様はどのような方でしょうか? よいことだけに責任を負おうという方ではありません。歴史の中で一番悪いことに責任を負ってくる王です。それゆえ、神様は王の中の王です。その王の前ではいいことを私がいいと言うといけないのです。何の話か分かりますか?(はい)王が暮らす里(理)には、そのようなことに責任を負う人となってこそ入ることができるというのです。

 さて、この想という字は木に目(芽)があるという意味です。木の目(芽)の中に思いがあったよというのです。木には目(芽)があるというのです。木の芽、分かるでしょう? 高い所にあっても、低いところにあっても、四方にあっても全部同じです。その木の芽を思ってあげる心を持ったと一度考えてみなさい。何ごとでも全体を思わないのではなく、全体を考えるのです。そうなれば「王が全体を思う里の家だ」これが理想だというのです。それが何かと言えば、アイディアル・ハウス(ideal house=理想の家)です。それはどういうことでしょうか? 神様がいるならば、神様がそのような方だというのです。さあ、それでは私たち統一教会が一体何をする所でしょうか? 「理想的な家を築いてみよう」それが私たち統一教会の目的です。統一教会の目的は理想的な家を求めていくとか、理想的な家をつくってみようということです。(一九七九・一一・四、ベルベディア修練所)

 それゆえ、私たち統一教会が追求してきたのは何でしょうか? 天運を中心とする家庭を追求してきたという事実を知らなければならないのです。また、これから来られる再臨主も結局は宇宙公法において天運を中心とする家庭を築き、世界に向かって行く立場に立たなければならないのです。また、すべての人がこのような家庭を築かなければなりません。

 その家庭は、自分の氏族のための家庭ではありません。自分の親せきとの前後関係を中心として動くのではなく、天運に従って動くので、彼らと行く方向が違うのです。だから、ここで大騒ぎになるというのです。国家と行く方向が違うので紛争が起こるというのです。国家の指弾を受け、親せきたちの指弾を受け、自分を教えた師たちの指弾を受けるというのです。そうだからと言って、直ちに滅びるのではありません。なぜなら、そこには天運と一致しうる方向性が必ず残っているからです。皆さんはこれを知らなければなりません。(一九六九・八・一七、前本部教会)


3 統一教会の目的

 私たちの目的とは何でしょうか? 統一教会が指向する目的とは何でしょうか? 天国実現です。地上に天国を成すことが統一教会食口たち全体の目標です。天国と言うとき、漠然とした天国ではなく、具体的な天国はどのようなものかを私たちは知らなければなりません。天国は私とどのような関係になっているのか? 私を中心として私の家庭があり、私の家庭を中心として氏族があり、その次には民族があり、国家があります。その国家を中心として世界とどのように連結されているかということを知らなければなりません。

 私たち統一教会教会員たちは、この世界があると同時に、霊界があることを知っています。それでは、その霊界と天国とはどのような関係があるでしょうか? 地上に天国が実現され、霊界に天国が完成されるならば、その次にはどうなるのでしょうか? それで終わるのではなく、神様とはどのような関係になっているのかというのです。これは天国を成そうとする人々においてはこの上なく重要な問題とならざるをえません。すなわち、成就すべき内容となるのです。その内容がはっきりしなくては、私たちが現実においてその内容を実践することができないので、それを私たちは知らなければなりません。

 天国を成すにおいて重要な一つの基準が何でしょうか? 天国を成すことのできる一つの要因が何でしょうか? それは統一だというのです。統一という原則過程を経なくては天国は実現されえないのです。こうなるのです。一つになる所でだけ天国が成されるのです。今日、人間たちが願う平和や、もしくは幸福とかいうすべての要件もどこから成されるかと言えば、一つになる所で成されるのです。私たちが知っているように、体と心が一つとならない所では、どんなに私が幸福になろうとしても幸福になることができないのです。どんなに平和の基準を維持しようとしても維持することができないのです。それゆえ、ここ(地上)で一つになることが何よりも重要だということを知らなければなりません。(一九七六・二・一、前本部教会)

 皆さんが先生を愛しているのを私は知っています。私も皆さんを愛しています。ところで、私は皆さんを愛しますが、神様を中心として、神様の愛を通して愛しています。その神様の愛というのは、世界人類の中にとどまる愛であり、統一教会の内にとどまる愛ではないというのです。世界にその愛を残してあげ、その愛を植えてあげるためには、皆さんを立たせてそのようなことをせざるをえないというのです。

 皆さんを犠牲にし、皆さんを苦労させて、この愛に貢献することのできる貢献者をつくるのは、世界を代表した愛の結実をもたらすのに貢献することによって神様の愛を受けることができ、人類の愛を受けることのできる統一教会の人をつくるためなのです。その運動を今しているということを知らなければなりません。神様の愛を受ける人をつくり、人類の愛を受ける人をつくるのが統一教会の目的だというのです。人類の愛、神様の愛を・・・。(一九七五・一二・三一、ベルベディア修練所)

 統一教会の目的とは何でしょうか? 人類を相手に神様とメシヤと地球星で踊りを踊り、サタンまでも皆福を受けるように一度してみようというのです。これが統一教会の道です。偉大でしょう?(はい)どれほど偉大ですか? それが統一教会です。そこまで行こうというのが統一教会です。さあ、話を聞いてみると、統一教会が素晴らしい所ですか、つまらない所ですか?(素晴らしい所です)そうですか? この世の人々は統一教会がどうだとか、異端だとか、邪教だとか言いますが、私たちは何とも思いません。神々しい人々が道を行くのに町内の犬がほえたのだ、このように考えるのです。(笑い)(?)

 私たちが生まれて住んでいる故郷は皆さんがよく知っています。けれども、人間が捜し出すべき本郷の地はまだ現れていません。

 元来、私たちの人間始祖が堕落しなかったなら、その本郷はどこでしょうか? アダムとエバが住んだエデンの園であり、その村であり、その山川であることに間違いありません。今日、堕落した父母の血統を受けて生まれた人間たちは「本郷!」と言えば、自分たちが生まれた所を考えますが、それでもって今日人類が追求し慕っている理想的な本郷を考えるにはあまりにも掛け離れています。

 今日、私たち統一教会が捜していく最高の目的地はどこでしょうか? 私たちは失った本郷を捜していかなければなりません。その本郷には父母がいて、兄弟がいて、親せきがいます。彼らが悲しみの中で私たちを迎えてくれるのではなく、永遠なる喜びと幸福の中で私たちを迎えてくれうる所、そしてその喜びが一時的な喜びで終わるのでなく、永遠に継続しうるその本然の場を私たちは捜していかなければなりません。(一九六九・五・一一、前本部教会)


二 統一教会の教理の骨子

 統一教会の教理の骨子とは何でしょうか? 神様を父母として侍ろう、人類の根本の父母としよう、心情の根本たる父母として求めようというのです。その次には何をしようというのでしょうか? 先祖を捜し出そうというのです。ここで帰結点を見るのです。これが統一教会で願うことです。私たちは堕落した父母を持ったので、偽りの父母の後孫として生まれたので、これを否定し、そのような歴史的な実情を、世界的な実情を結んだこれを否定し、神様を中心とした愛の起源の下で、一つである神様の愛を受ける相対的立場の人類の真なる父母を捜し出そうというのです。ここが統一教会が行くべき最後の目的地であり、これを追求すべきなのが統一教会員たちの心情生活ではないか。

 そのような観点から見るときに、今日統一教会はこの地上に人間を中心として心情的問題を論じるのではなく、天から私たちの先祖を起源とした心情的歴史を論ずる立場にあるので、心情の世界を見つめてくるのを皆さんは知らなければなりません。私たちは神様の心情と関係を結ばなければなりません。心情の世界を成さなければなりません。それは次元が違うのです。既成の次元とは違います。これは革新的な次元であり、より高次的な次元です。そこから関係を結んで出発したものは、平面的な情緒でなく、立体的な情緒的内容を持って出発したものです。(一九七二・八・二〇、前本部教会)

 さあ、それではレバレンド・ムーンが今行う骨子の事業は何ですか? レバレンド・ムーンが皆さんにさせる骨子の仕事が何でしょうか? これが問題です。一体皆さんに何をさせるかというのです。統一教会は一体何をするのでしょうか? それをして何をするのですか? それが何の関係がありますか? 統一教会と何の関係があるのですか? 関係があるのかないのかということをはっきり知らなければなりません。

 第一に、何をしようと?(神様の心情を実現させることです)統一教会では原理を教えてくれるのです、原理。一体その原理が何ですか? その原理とはオリジナル・トゥルース(original truth=本然の真)ということです。真と同じだというのです。私たちが言う真の原理というのは何か科学を踏まえて言うのではありません。人間世界を中心として言う言葉です。神様の原理観を中心として言う言葉であるのを知らなければなりません。そのような観点で見ると、摂理的原理だというのです。

 それで、ディバイン(divine =神聖な)とは何ですか? ディバインは神を意味します。神様を意味するというのです。神的摂理という言葉、プロビデンシャル・プリンシィプル(providential principle=摂理的原理)という言葉が成立するでしょう。その言葉は何かと言えば、プロビデンシャル・オリジナル・トゥルース(providential original truth=摂理的本然の真)です。その道を教えてあげるのです。摂理的原理を教えてあげるのです。それを知らなければなりません。

 では摂理的原理とは何でしょうか? 第一がオリジナル・ゴッド(original God=本然の神様)、その次がオリジナル・マン(original man=本然の人間)、その次がオリジナル・アークエンジェル(originalarchengel=本然の天使長)このようになるのです。その次が何かと言えば、オリジナル・オール・シングス(original all things=本然の万物)、このようになるというのです。本然の神様、本然の人間、本然の何?(天使長)本然の何?(万物)そうなるのです。このオリジナルというものは互いに通じなければなりません。通じないものがあってはならないというのです。皆通じなければなりません。

 それらが互いに運動しながら、神様の愛であるとか、理想的主体・対象を描きながら和動することのできる統一圏を愛でもって成すというのです。神様もそのような本然の理想を考えることができるというのです。その理想というのは何ですか? 理想というのは一つと通じるものを言うのではありません。全体が通じなければなりません。分かりますか、何の話か? そうしてこそ、この全体が・・・。理想はこのようにも通じることができ、あのようにも通じることができるのです。皆さんの目を通してもいいし、鼻を通してもいいし、心を通してもいいし、どこでもすべて通じるのです。これが理想です。神様がそれを願うなら、人間も願い天使も願い万物も願うというのです。程度は、その内容は違いますが、そうだというのです。

 統一教会では何だと言いましたか? 統一が何だと言いましたか?(本然の神様)その次には何ですか?(人間)オリジナル・マンが何ですか? トゥルー・ペアレンツ(true parents=真の父母)、その次には何?(天使)その次には何?(万物)万物です。そこにはすべて入るというのです。神様に会い、天使に会い、万物に会い・・・。堕落前のアダムのような立場を言うのです。そうなれば、思いのままだというのです。サタンだけ追放すればいいのです。(一九八二・二・二一、アメリカ)

 しかし、今日、全世界の人類は救済摂理も知らず、復帰摂理も知りません。また、その中で特別に宗教という名前を持って天に侍って進む数多くの宗団(=宗教または宗派の団体)がありますが、その宗団自体が復帰摂理ということを知らないのです。復帰していくということも知らず復帰摂理をしていくのに、再創造の原則に従って行うということを知る宗教もないのです。

 今日、統一教会が現れて宗教摂理歴史を究明するのに、復帰摂理だという言葉で究明したというこの驚くべき事実、その復帰摂理は再創造の歴史であるので、本然の創造原則で進んでいくというこのような特異なみ言を語ったということは歴史的な宣布です。

 ではどこに帰るのでしょうか? 本然に帰るのです。堕落とは何でしょうか? 彷徨の道に乗り出したのです。だから、堕落した人類は本郷を忘れてしまい、全世界は彷徨する状況に置かれているのです。彼らが道を整えて、隊列を整えて帰るべき運命の道を模索せずしては帰ることができません。

 そのような意味で世界人類の前に帰るべき新しい道を模索して宣布するのが統一教会が宣布するみ言であり、そのみ言は復帰の方向を捜していかなければならないというみ言です。その復帰の方向を捜していく場合には峠がどこにあり、山がどこにあり、川や谷を渡ろうとすれば何の橋を渡らなければならないという原則を提示して、真っすぐ事故なく本郷に帰ることのできる道を全世界の前に宣布するのが、統一教会の運動だということを知らなければなりません。

 帰るという言葉を中心としてみるときに、救済摂理は復帰歴史です。その復帰歴史は堕落によって生じたので、堕落歴史は神様を否定する歴史です。人間本然の理想を否定する歴史です。それゆえ、堕落の始まりは否定的父母から始まったのです。これを知らなければなりません。私たち人類始祖アダムとエバは否定的父母になりました。すなわち、神様が願う父母にならず悪魔が願う父母になりました。(一九八六・四・九、本部教会)


三 統一教会が提示するもの

1 真の父母の思想を提示

 今日、人間は堕落したので、神様が原理的に人間を再創造しなければなりません。原理的に再創造しなければならないのです。無原理圏の土の塊のような人間をどのようにしなければならないでしょうか? 神様が土の塊でアダムとエバを創造したのと同様の立場で、神様のみ言と一つとなることをしなければならないのです。み言は漠然としたものではありません。原理による、原則に通じたものです。人の目はこのようになって、鼻はこのようになるという原理原則、設計図がみ言なのです。その設計図に一致することができる人とならなければなりません。そうしてこそいいのではないですか?

 このような立場でありがたくも、私たち統一教会では何を提示しているでしょうか? 私たちは絶対的な価値観を提示するとともに真の父母を提示しているのです。私たちが望む絶対的な価値のその基準がどこでしょうか? どこが終着点でしょうか? 真の父母の息子・娘となることです。永遠なる生命を持つことができ、永遠なる愛を持つことのできる神様の息子・娘となることです。そのほかには道がありません。そうではないですか? (一九七三・七・二九、前本部教会)

 皆さん各自の血統的内容が違い、背後が違っても、父母と似るためには接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木しようとすれば、皆さん自体に残された蕩減路程をすべて清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通して清算されなければならないのです。だから、真の父母に接ぎ木しなければならないというのです。アダムが真の父母となることができず、偽りの父母となったので、神様は今まで真の父母を捜してこられたのです。再臨時代に花婿花嫁だとか、小羊の婚宴だとかいうのも、すべて父母を捜し出すためなのです。(一九六九・八・一〇、前本部教会)


2 家庭を提示する

 今日、統一教会が提示する内容とは何でしょうか? 統一教会は家庭を提示します。これは父母を中心とする新しい家庭です。新しい家庭制度で新しく出発する息子・娘たちは過去を清算していで立たなければなりません。

 未来の世界の前に希望を提示するためのすべての革命の目標は、国家ではありません。世界ではないというのです。このような歴史過程において国家の革命観を提示し、世界の革命観を提示した人はいましたが、家庭の新しい基盤を準備するために家庭の革命観を提示した主体勢力はなかったというのです。

 では統一教会は何をしようとするのでしょうか? 家庭の革命がある前に氏族の革命がありえず、氏族の革命がある前に民族の革命がありえず、民族の革命がある前に国家の革命がありえず、国家の革命がある前に世界の革命がありえないのです。それゆえ、個体の完成とともに家庭的な革命をしようとするのです。(一九七〇・一〇・二五、前本部教会)

 女性がどんなに学博士になり、世界に大口をたたいたとしても、その願いは理想的な男性と出会うことです。愛することのできる理想的な男性と出会って福々しい息子・娘を産むことです。これが幸福の根っこです。このような家庭に統一教会の教理を打ち込んでおいたので、抜く者がいないというのです。

 統一教会の理想は他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です。今までこのような問題を解決した人がいないので、それを願ってきました。そして、そこに幸福があるので、これを体系化させ、天宙化させて無限なる価値を表したので、統一主義が公認されたのです。したがって、この主義を嫌う人々がなく、すべてが頭を下げて好きになれば、世界は自動的に統一されるのです。(一九六九・一〇・一八、大邱教会)


3 サタンに公認される方法を教えてくれる

 統一教会は何を教えてあげる教会でしょうか? サタンに公認を十分に受ける方法を教えてあげる所です。ところで、サタンから公認を受けますが、霊的にだけ公認を受けてはなりません。霊肉を合わせた実体で公認を受けなければならないのです。今まで六千年の間、受難の中で血と汗を流し、祭壇を導いて血のにじむ逆境の路程を歩んできたキリスト教の歴史が、今日、霊的基準しか成就できなかった立場に立っているというのです。ここに霊肉を一遍に完成することのできるそのような天倫の道があるなら、私たちはどんなに難しいことがあるとしても、その道を行かなければなりません。多くの人々は自分たちだけで押し進めていってもその道を行くことができると信じていますが、そのようにはなりません。そのような人々を見れば、考え観察するのが不足だと感じられます。どんなに優れていて、何かしたという人でも、皆こっけいに見えます。(一九六六・一二・一一、前本部教会)

 今日、統一教会が現れてこの世に何を提示したでしょうか? 皆さんにお金をあげたのでもなく、皆さんに社会的な成功を持ってきてあげたのでもありません。皆さんの本性の中に宿っている善の要件、すなわち神様と関係を結ぶことのできる善の中心が啓発されうる内容を提示しました。ほかのことを提示したのではありません。(一九六九・一〇・五、前本部教会)


四 統一教会が教えてくれるもの

1 原理原則を教えてくれる

 今日、私たちはどのような立場にいるのでしょうか? 今日、統一教会という教会が現れて何を教えてくれたのかと言えば、原理原則をはっきり教えてくれたというのです。天使世界はどのような立場に立つのかと言えば、私たちに支配されなければなりません。分かりますか?(はい)その次に、この世界は神様のみ意の中で私たちに支配されなければならないというのです。完成した人から支配されなければならないというのです。未完成なものは完成するのが目標なので、理想であるので、完成基準に立った人の前に未完成なものは完成に向かって進んでいく道が残っているので、支配されなければならないというのです。指導を受けなければならないのです。(一九七六・二・二二、前本部教会)

 統一教会は何をする所でしょうか? 人間の目的を知らない人間たちの前に、人間の目的を教えてあげる所です。神様の目的を知ることのできない人間たちの前に、神様の目

的を教えてあげる所です。神様の目的と人間の目的が相馳(=物事などが食い違うこと)するのではなく、相合(互いに合致すること)する、一致するというのです。神様の目的と人間の目的が一致だけすれば、人間は間違いなく神が求める息子・娘となり、神様が成そうとする世界の主人公となれるということを教えてあげる所が統一教会です。その次に何を教えてあげるのでしょうか? 神様の側から見る過去の歴史、神様の側から見る現世、神様の側から見る未来を教えてあげているというのです。その次に神様の側から眺める世界観、宇宙観を教えてあげます。分かりますか、何の話か? (一九六四・三・二三、大邱教会)


2 神様を教えてくれる

 天国はどこから始まりうるのでしょうか? 神様の悲しみを解かずしては天国に入ることができません。堕落した私たち人間が、堕落して以来今まで悲しい歴史を編んできたので、悲しい歴史のすべての因縁を直接尋ねなければなりません。アダムとエバから六千年歴史において、その因縁を尋ねなければならないのです。そのような悲しみの神様を教えてあげるのが統一教会の原理です。この世の人々は悲しみがあれば皆嫌だと逃げます。そのどのような悲しい内容の事情よりも、もっと悲惨な神様の悲しさを教えてあげるのが統一教会の原理です。この世であれば、悲しいことがあると、全部回避して逃げていきますが、統一教会の原理はこの悲しい所を越えていこうとするのが母体です。この世では悲しいことがあると、全部避けていこうとしますが、元来人間はそうできないようになっています。神様に対する悲しみを知れば知るほど、実際において統一教会は強力な力が出ます。神様の悲惨な内容を知れば知るほど、それを解こうとする力の源泉は無限に爆発的に作用を起こす動機となります。これが統一教会が持った偉大な力です。(一九六八・一一・一七、前本部教会)

 私たちは過去の神様の目的が何であったかを知らなければなりません。過去の神様の方向が、事情が、心情がどのようであったかを知らなければなりません。そうして、現在の神様の目的、方向、事情、心情を知り、未来の神様の目的、方向、事情、心情を知らなければなりません。これだけ通過すれば、人間が自動的に完成するのです。

 それで、統一教会では何を教えてあげるのでしょうか? 摂理的な面で過去の神様、現在の神様、未来の神様の目的と方向と事情と心情を教えてあげているのです。目的は理念の完成を言い、方向は行動を言うのです。ですから目的と方向は互いに一致しなければならないのです。また、事情は生活を言うのであり、心情は通じることを言います。(一九六六・一・二、前本部教会)


3 神様のみ旨を教えてくれる

 統一教会は何をする所でしょうか? 神様のみ旨を教えてあげる所です。個人のみ旨がこうで、家庭のみ旨がこうで、氏族、民族、国家、世界のみ旨がこのようなもので、世界を救うには民主主義の趣旨を持ってもできず、共産主義の趣旨を持ってもできないで、病人たちや腕に障害のある人まで全部駆けつけて、「そうだ」と言うことのできる趣旨、万民がすべて喜ぶ趣旨、すなわち神様のみ旨を教えてあげる所です。(一九六五・一・一〇、前本部教会)


4 神様の愛と心情を教えてくれる

 神様は人間を中心として地上を愛そうとされます。私たちは神様のみ旨(願い)と事情と心情を知り、知った立場で神様と永遠に一つとならなければなりません。この三つを教えてあげようとするのが統一教会です。今まで人間たちは神様のみ旨と事情と心情を知ろうとしましたが、知ることができませんでした。だから、統一教会はこれを教えてあげようとするのです。私たちの体を千回、万回捨てるとしても神様を捨てることができないのです。(一九六二・七・一一、京畿道安養)

 では統一教会は何をする教会でしょうか? 私の願望では、最高の教会だと言いたいです。神様も生きていれば、「や! 今までそんな教会を見たことがなかったので、最高の教会に一度なってみろ!」と要求することでしょう。統一教会は何をする教会でしょうか? 統一教会に初めて来た人々がいるはずです。統一教会が何をする教会でしょうか? 神様の事情と神様の願いと神様の心情を教えてあげる教会が統一教会です。

 また、神様は永遠前から今まで来られた方ですが、過去の願いが何であり、過去の事情が何であり、過去の心情が何であり、この時代において神様のこの時代に対する願いが何であり、この時代に対する事情が何であり、この時代に対する心情が何であり、またこれから来る時代に対する神様の願いが何であり、神様の事情が何であり、神様の心情が何でしょうか? その内容まで教えてあげることのできる宗教であってこそ、万国を包摂することのできる宗教となることでしょう。万民を贖罪することのできる宗教となることでしょう。(?)

 終わりの日に生まれた私たちがなすべき仕事は何であり、解決すべき要件は何でしょうか? そのような要件を解決することのできる人にさえなれば、神様は冷遇することができません。天国の門を訪ねて入るのに歓迎しなければ、天地法度にはずれるというのです。

 だから、終わりの日のこの時代において統一教会がなすべき使命は「神様の願いが何か? 人類の願いが何か? 神様の愛が何か? 人類の事情が何か? 神様の心情が何か? 人間たちの心情が何か?」ということを教えてあげるのです。そのために現れた教会です。そのような世界を教えなければなりません。事実、そのように教えてあげることができ、千人万人皆教育させるとなれば、この理念圏内の世界は統一すまいとしても統一されざるをえません。(?)

 統一教会で教えるその骨子内容が何かと言えば、神様の心情だというのです。神様も見えず、神様の内にある心情も見えないでしょう? 見えない神様の心情をどのように教えてあげるのでしょうか? これは問題が大きいです。皆さんはハチミツを食べたことがあるでしょう、ハチミツ? ハチミツを食べたことがあるでしょう?(はい)ハチミツを食べてみた人は味を説明することができますか、できませんか?(できます)(一九八八・五・二〇、全州教会)

 さあ、結局問題はどこにあるのでしょうか? いわゆる統一教会で言う心情というものは一体何でしょうか? 心情というものが一体何でしょうか? これは神様の完全なる愛の根本を言うのです。すべての創造はそこからわき出たのです。すべての理想もそこからわき出たのです。すべてのものの完全なる根本を言うのです。すべての完全なる完成は、そこからわき出るのです。それを離れては完全なる完成がありえないというのです。(一九七六・二・一、前本部教会)

 この地球上で一番高い理想的な主義がどの主義かと言えば、統一教会の主義だというのです。それを知らなければなりません。なぜ? 宗教を中心として追求する愛を紹介し、愛の母体である神様を父として紹介し、皆さんの父親以上、皆さんの国以上に愛することのできる実質的内容を提示したので、統一教会はどんな宗教よりも偉大な宗教だというのです。心情を中心とした不変なる神様の愛を教えてあげています。(一九七七・七・三、アメリカ)

 私たち統一教会で言う心情とは、人類がともに願う希望の心情であり、万民が因縁を結ばなければならない心情であり、神様が今まで捜してこられた心情です。その領域においては天地を全部包括することもでき、全体を抱いても余りある心情を言うのです。それゆえ、天の勇士となろうとすれば、第一にこの心情に通じなければなりません。その次に人が問題です。(一九六四・一〇・三、大邱教会)

 今日、統一教会では神様の心情を話していますが、これより高次的なものがありません。神様がおられるか、おられないかも知らない世界では、この話が気の狂った人々が話す話として聞こえるというのです。神様がおられるか、おられないかも分からないのに、神様の心情をどうして分かるでしょうか? この話自体が神様がおられるか、おられないかを明らかにする次元を通り越したものです。

 心情問題というものは生活圏内で起こるのです。そうではないですか? 父母の愛や、夫婦の愛や、兄弟の愛などというのは全部生活圏内で起こるのです。生活圏内に展開するものを言うのです。それゆえ、神様の心情を語るとするなら、次元が違うというのです。(一九七〇・八・一六、前本部教会)

 だから、統一教会は心情の人格観を言い、心情の家庭を言い、心情を中心とした氏族、心情を中心とした民族、心情を中心とした国家、心情を中心とした世界、心情を中心とした天を言います。心情を中心としてこのようになるとき、すべてのものに開放が起こるのです。そうなれば、それは不可侵圏です。これが完成されることによって、地上にいても天国なので地上天国生活をすることができるのです。愛を成して生きることができるので地上天国が形成されるのです。(一九七八・一〇・二八、大邱教会)


5 真の父母との関係を教えてくれる

 では、統一教会というものは何でしょうか? それを知らなければなりません。統一教会とは何でしょうか? 統一教会は何を教えてあげるのでしょうか? 創造主とこの願いを望んできた人々を中心として、ここで真なる父母の前にどのように収拾の手続きを踏まなければならないかということを教えてあげるのです。分かりますか? 収拾の手続きをどのように踏んだらその父母の息子・娘となれるのか? どのようにすれば真なる父母に接ぎ木されうるかというのです。

 今日、真なる父母として来たものは真のオリブであり、偽りの父母から生まれたものは野生のオリブです。真のオリブの実を見るために植えたのに、野生のオリブになったというのです。では野生のオリブをどうしなければなりませんか? 真のオリブを接ぎ木しなければなりません。接ぎ木しようとすれば切ってしまわなければなりません。切ってしまおうとすれば、思想やすべての宇宙観やすべての知識や観念をすべて切ってしまわなければなりません。だから、真の父母として来る方の真なる思想を手本として、生活や世界観を全部そのままその通り移して植えつけなければならないのです。そうしようとすれば、今までのすべての野生のオリブの根を切ってしまい、真のオリブの木の芽を、芽でももらって接ぎ木しなければならないというのです。だから聖書に接ぎ木することが出ています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である・・・」と出ています。接ぎ木をしなければなりません。

 では、統一教会とは何でしょうか? 神様を中心として真の父母と堕落した人間たちを・・・。真のオリブとして今日、堕落した野生のオリブをどのように切って、どのように接ぎ木するのかというその方法を、手続き手順を教えてあげるのが統一教会だというのです。分かりますか?(はい)それで、野生のオリブが真のオリブとなるので統一されるというのです。

 そうすれば、今日善くなりうるというのです。今までの悪なるこの世に真のオリブを植えるとどうなるでしょうか? 野生のオリブになるでしょう? ですから野生のオリブを切って真のオリブを・・・。悪なるこの世に、善がない、真なるものがない私たちの前に、真なるものがはじめて、一つのオリブが来て、これらを切ってしまい、ここに芽を持ってきて接ぎ木をすることにより、はじめてこれらと同じ立場で一つとなるというのです。このような手続き、手順を教えてあげるのが統一教会です。それゆえ、悪なる人も善に参与することができます。そこから統一という名詞が出てきます。分かりますか?(はい)(一九六八・五・一九、馬山教会)

 今、私たち統一教会は世界人類に何を教えてあげなければならないでしょうか? 真の父母について教えてあげなければなりません。真の父母はこのような方だということをはっきり教えてあげなければなりません。のみならず、真の息子・娘はこのような息子・娘であり、真の兄弟はこのような兄弟であり、真の氏族はこのような氏族であり、真の民族はこのような民族であり、真の国家はこのような国家であり、真の世界はこのような世界だということをはっきり教えてあげなければなりません。これを教えてあげるのが統一教会の原理です。(一九七〇・七・一九、前本部教会)

 今日、統一教会を中心として何を教えてあげるのでしょうか? 統一教会の活動を教えてあげるのではなく、先生と皆さんとの関係を教えてあげるのです。その内的な関係を中心として外的な関係に拡大させるためのモデルを形成するのです。それが絶対視されうる価値あるものとして確定されない限り、環境的絶対的な相対圏は形成されないというのです。こうなるのです。それゆえ、これが教会生活において最も貴いものだというのです。(一九七五・二・二、前本部教会)


6 神様の孝子・孝女になれと教えてくれる

 宗教とは何でしょうか? 孝子・孝女の道理を教えてあげる所です。今日、統一教会は何を教えるのでしょうか? 孝子・孝女になれと教えます。(一九六三・一〇・一八、光州教会)

 統一救会は何を教えてあげる所でしょうか? 「神様を中心として真の息子・娘となる道を教えてあげる所である」そうでしょうか、そうではないでしょうか? だから、皆さんは真の子女だと言っています。神様の息子・娘だと言っている群れが統一教会の群れだというのです。説明をくだくだしようとすれば限りがありませんが、そのような結果に立ったものが統一教会の群れです。だから、皆さんは全部名札に神様の息子だという名前をしっかりと付けました。(一九七二・六・五、中央修練院)


五 統一教会の思想

1 統一思想の根源

 統一思想は漠然とした立場を取るのではありません。神様を中心として垂直の方向を取っていくのです。その垂直の方向はどういうものでしょうか? 心情の拠点です。(一九七一・一一・一、南山聖地)

 私たち統一教会の思想は四位基台思想ですが、その思想の土台となることのできる要因は何でしょうか? それは神様の心情です。それは始まりであると同時に過程であり、過程であると同時に結果です。その結果は、悪くなりうる結果ではなく、喜ぶことができる結果です。(一九七一・一〇・二四、中央修練院)

 統一教会は心情の歴史、心情の世界を教えています。なぜ心情の歴史かと言えば、縦的な心情の世界を横的な心情の世界に展開するためです。これが統一思想であるのを知らなければなりません。(一九七〇・一〇・二五、前本部教会)

 思想統一は何の思想の統一ですか? 統一教会の思想を踏まえて言うのでしょうか? 統一教会のレバレンド・ムーンが何と言うのでしょうか? 思想統一ですが、心情を中心とした思想統一だというのです。そこに註釈を付けたというのです。愛を中心とした思想統一だというのです。それが違うというのです。分かりますか? だから、「ああ! その結論は素晴らしい!」と言うのです。私が統一教会を宣伝しようとするのではなく、事実なので話をするのです。分かりますか?

 思想は思想ですが、統一は統一ですが、絶対的愛を中心とした心情、統一教会で言う固有名詞である心情を中心とする思想統一だけが平和の天国と平和の王国を建設しうるのです。人間が願うユートピア的地上天国を完成させることができるというのです。(一九八〇・一一・一、本部教会)

 私たち統一教会は統一思想を主張するのです。この思想がどこから出てきたのかと言うと、人から出てきたのではありません。その思想の骨子は何でしょうか? 愛です。私たちは愛を主張したのです。どういう愛かと言うと、民族を越えた愛です。自分を中心とした家庭の一元化運動ではなく、神様を中心として、家庭を愛するにおいてこの地のどの家庭を愛する度数よりも高い次元の愛を強調して現れたのです。これが可能となれば、これによって新しい家庭を中心とした倫理観が形成されることでしょう。歴史上になかった倫理観が形成されることでしょう。強い愛で結合した倫理形態で家庭の紐帯が横的に発展すれば、これは氏族を越えて民族もしくは国家を形成し、世界に影響を及ぼすことのできる主体的な心情的愛の起源を持って現れることでしょう。それは全世界が公認するに違いありません。そのような意味で私たちは心情の世界を主張したのです。(一九七二・八・一八、清平修練所)

 今日、統一教会を中心としてみると、新しい統一文化の理念が発展していますが、この伝統的な思想の起源はどこにあるのでしょうか? まさに神の日にあります。神の日を捜してこられるお父様がどれほど苦労なさったか? 私一人と出会うためにどのようにご苦労をなさったか? その歴史的な心情、時代的な心情、未来的な心情を通さなければなりません。苦労したお父様に対するのに不足のない孝子・孝女となるためには、お父様の事情と内容を知って慰労して差し上げ、さらにそこに対するすべての責任を負うことができなければなりません。

 したがって、今後の統一教会の思想的な根源はどこにあるでしょうか? 神の日と父母の日と子女の日、万物の日にあります。今まで万物が六千年間嘆息し、神様の息子・娘とたくさんの人類の先祖たちが六千年間呻吟しながら苦労しました。(一九六九・一・一、前本部教会)


2 統一教会は何主義か

 統一教会は何主義を好みますか? 先生の主義ではありません。神主義です。神主義ですが、どういう主義でしょうか? 何、相撲をしてかけっこをしようという、そのような主義ではなく、神様と愛し合うための主義です。永遠に愛し永遠に愛されうる主義、これを夢見る連中が統一教会の連中です。「連中」と言えば気持ちが悪いでしょう、憤敗(=惜敗)を思い出すから。そのような人々が統一教会の連中です。愛はすべてのものを統一させうる原則です。(一九七二・六・四、前本部教会)

 統一教会は何主義でしょうか? 神主義です。このように見るのです。神主義、その観念を通じた個人はどこに放しても心情が通じます。観念的な神様に侍るのではなく、生活的な神様に侍ろうというのです。統一教会では神様の心情を論ずるというのです。(一九七二・七・九、前本部教会)

 世界を支配し新しい歴史を創造する主人はだれでしょうか? 国境を超越して、自分の民族より世界人類をより愛することのできる主義を持って現れた思想があるなら、その思想は世界を制覇します。分かりますか? アフリカの小さな国からそのような主義を持った人々が現れるなら、実際そうすることのできる人々が世界に現れるなら、その人々の主義の前に世界は完全に屈伏するのです。

 では統一教会の主義、先生の主義は何でしょうか? 先生の主義は大韓民国を主とした主義ではなく、世界を主とした主義です。今大韓民国を必要とするのは、世界を愛するためです。また、既成教会を必要とするのも大韓民国を愛するためです。橋を架けるためです。結局は世界を愛し、天地を愛するためです。(一九七〇・八・二一、前本部教会)

 では統一教会は何主義でしょうか? 標準主義です。配達夫の役をしようという主義です。何を配達する配達夫でしょうか? 神様の愛を配達する配達夫です。世界万民が、神様の愛のふろしきを持ってくるのを待ち焦がれますか、待ち焦がれませんか?(待ち焦がれます)それゆえ、皆さんは全部配達夫の役をしろというのです。愛の配達夫は天国に行くのです。(一九七〇・九・一三、水原教会)


3 統一教会の主流思想

 だから、先生が今まで統一思想の伝統的基盤を成立させろと頼んだのです。今まで頼んだのがそれだというのです。それを築いた基盤の下で家庭が成立されなければならず、国家が成立されなければならないのです。その主流思想は何でしょうか? それは自分を中心とした思想ではなく、全体を中心とした思想です。そうしながら、自分は全体のために犠牲になる道を行かなければなりません。これが統一教会思想の主流思想だというのです。分かりますか? そうですか、そうではないですか? (一九七一・八・二八、清平修練所)

 ある国が世界のために政策を立て、世界のために国民が一文なしになり、世界のためにその国が滅びたとしましょう。そうだといってその国が本来に滅びますか? そのようにして滅びた国があるなら、その滅びた国は未来の世界を指導することのできる伝統的な思想を立てるようになるのです。それゆえ、その国は滅びるようですが、世界の伝統を立てたので、その国とその民族によって世界は支配され、救われることでしょう。二十世紀末において国がないと嘆息するなというのです。世界を指導することのできる国民性を持ち、世界を指導することのできる一つの思想を持って、その国の民族と国民が希望の場で死んでいくというとき、実践するというとき、彼らには必ず理想天国世界に行って永遠に生きることのできる道が連結されるのです。そうなるのです。だから、私たち個人は家庭を代表し、家庭は氏族を代表し、氏族は民族を代表し、そして民族は国家を代表し、国家は世界を代表しようというのです。それゆえ、私たちの家庭は、統一教会の祝福家庭は、私たち祝福家庭のための家庭ではありません。これが統一教会の主流的な思想です。(一九七二・五・一四、前本部教会)

 それゆえ、神様は悲惨な神様、神様は孤独な神様、神様はこの上なく悲しい神様ですが、この神様を開放させるための旗手となり、一線の将兵となり、血を流そうとも正面で受け、血を流して倒れても、いっしょに倒れようと言うことのできる信念を持って、祖国光復のために、その世界を一つに収拾するために行く勇士の隊列が次第に大きくなるなら、ここから神様の喜びが始まることでしょう。

 そうでなくしては神様はかわいそうな神様となるのです。統一教会の文先生もかわいそうな男と・・・。しかしながら、私が死んでもこの地を中心として鉄石のような闘いのために、また第二次をもって挑戦することでしょう。それが統一教会を指導している統一教会の文先生の主流思想であることを、皆さんは知らなければなりません。(一九七二・一一・一二、中央修練院)

 では統一教会の主流思想とは何でしょうか? 今までの歴史過程を見るとき、他人を殺して自分が出世しようという思想が主流を成してきましたが、これが今までの歴史を台なしにした思想です。この人類歴史は戦争史ですが、その戦争の動機は何でしょうか? 私一人よく暮らすためには、たくさんの人を犠牲にするのも意に介さず、発展を追求してきたのです。(一九七一・一一・六、光州教会)


4 統一思想の理解

 その次に統一思想というのは何でしょうか? この宇宙の根本問題に対して、唯物史観か唯心史観かという二つの史観に分かれるようになったので、この根本的で哲学的な問題を扱い、この問題を解決するための方案を講究し、体系化したのが統一思想だというのです。すべてのものを統合し、新しい世界観、新しい人生観を提示する目的で、新しく定立し、新しく編成したのが統一思想であることを知らなければなりません。(一九七三・三・五、ベルベディア修練所)

 皆さん、健康な人は、普通の人が消化できないものを消化します。ですから、だれでも健康な人は皆好きです。人が健康な精神を持った、精神が健康だというとき、何でも消化してのけるというのです。民主主義も消化し、共産主義も消化し、何でも皆消化するというのです。では統一教会は何主義ですか?(ゴッディズム=神主義)ゴッディズムよりもユニフィケーショニズム(=統一主義)です。ユニフィケーショニズムが簡単ですか、それが?(いいえ)皆さん、見なさい。私たちの四肢百体を見ても、この体には目があり、耳があり、鼻があり、手足があり皆あるというのです。ここに一つの生命が連結され、統一されなければならないというのです。そうしようとするなら、これが一つとなってこうであるためには、「ああ! 私は目が嫌いだ、どこが嫌いだ」それでいいですか? すべて好きだ、すべて好きだとしなければなりません。すべて消化しなければならないというのです。(一九八一・二・一、アメリカ)

 統一教会の思想は物質主義ではなく、神様へと引き上げる主義なので、神様が引き上げることができるのです。しかし物質主義は引き下げる主義なので、下りていくようになれば滅びるというのです。(一九八〇・一・一、アメリカ)

 今、統一教会が闘う闘いがどれほど大きい闘いですか? この戦争がどれほど大きいでしょうか? レバレンド・ムーンが今、起こしておいた戦争がどれほど大きいかというのです。ここに共産党が掛かっており、アメリカの首が掛かっています。日本も掛かっており、皆掛かっています。それゆえ、レバレンド・ムーンが段々有名になります。何をするために? 有名になってからは何をしますか? 有名になって何をしようというのですか?(宇宙創造)何をするためにそうですか?(宇宙創造統一)宇宙創造統一ですか? 宇宙創造は神様がして、統一は私たちがするのでしょう。(笑い)宇宙創造統一なら・・・。創造もするのですか?

 皆さん、それを知らなければなりません。私たちはどこに生きても、あなたが消化されるのか、私が消化されるのかという・・・。共産党と会っては、「共産党、お前が私に消化されるのか、私がお前に消化されるのか?」これです。
 世界で言えば、世界は簡単です。二大思想、二大路線、民主主義世界あるいは共産主義世界、左右に分けて言うのですが、左右に分けて言う左翼は左側、右翼は右側です。それでは、頭はどこにありますか、頭は? 頭がありません。左右という言葉があり、右翼と左翼という言葉はありますが、頭翼と言うか、頭翼はどこにありますか? 足翼はどこにありますか? この腕(=両翼)、腕だけで大騒ぎです、足もなく、これが人ですか?

 ですから、私たちは何翼ですって?(頭翼)「統一翼」です、統一翼。その統一翼を人で言えばこれが何ですか? 頭翼、頭翼の連中。このように言えばまた新しい言葉が生まれ出るというのです。頭翼の連中という言葉がまた何であって? 「あ、一九八六年十月五日の最初の聖日に青坡洞で統一教会の誇りという題目の中で、頭翼という言葉を語った。それ一つまず分かる人は世界的大学者だ。これを知らない人は私に屈伏しろ」そういうときが来るというのです。統一教会は何の連中ですって?(頭翼連中)(笑い)それでは足翼が何ですか? 足翼の連中は何ですか? 足翼連中はあのアフリカ地方の人が足翼連中だと考えます。左右翼があるので、頭翼があり、上翼があるので下翼があればいいのです。

 ではこれを何が、手や足が、左右に動くのが、右手が頭を動かすことができますか? 右手が四肢を動かすことができますか? できません。左手が動かすことができません、どんなに成長しても。右翼が生きるためには・・・。自分一人では生きられません。「ああ、右手がかゆいのでかいてみよう」といってかくことができますか?(できません)その話は何かと言えば、右翼で患ったものは治してあげる道がないというのです。他から来なければなりません。左翼でかゆく患って痛いのに、これをかくことができますか?(できません)こいつたち、左腕がかゆく痛いときには、右腕があんまもしてあげ、ちょっとかいてあげ、注射も打ってあげなければならないというのです。

 世界を眺めれば、世界は左右が闘っています。この左右の闘争をすべて遮って、私たちが責任を果たすのです。それが統一教会の連中が果たす使命です。分かりますか、分かりませんか?(分かりました)これが統一教会の誇りです。(一九八六・一〇・五、本部教会)


5 天宙主義の解説

 統一教会は何を持っているでしょうか? 統一教会思想を持っています。それが誇りです。それがどれほど大きいでしょうか? いわゆる天宙主義という思想を持っているのです。これは驚くべき話です。霊界と肉界を永遠に統一しようというのです。そのポケットがどれほど大きいか、世界が入っても片隅しか埋まりません。霊界まで、宇宙まで押し込めてこそ満たすことができる主義だというのです。それが盲目的な、そのような主義ではありません。公式的な過程に連結された、漸次向上的な法度基盤の上に立った主義だというのです。これが難しい言葉なので、はじめて聞く人々は何のことか理解ができないでしょう。(一九八六・九・二一、本部教会)

 皆さんは息子主義という言葉を聞いたことがありますか? 父母は息子主義の立場に立つべきであり、息子は息子主義の立場に立って一つとならなければならないという、そのような話がありますか? その主義は家庭主義の圏内にあっては通じません。家庭主義というのは、家庭を合わせて国家の形成をしようとするので必要なのです。国家主義の前にはこの家庭主義が吸収されるのです。そして国家主義は世界主義の前に吸収されるのであり、世界主義は天宙主義の前に吸収されるのであり、天宙主義は心情主義の前に吸収されるのです。そのような観点から見るとき、今日、統一教会は何主義ですか? 何主義ですか?(心情主義です)統一教会の主義は心情主義です。

 「天宙主義」と言うとき、天宙の「宙」の字はどんな「宙」の字ですか? 天宙主義という言葉に何の必要があって「家の宙」の字を使うのかというのです。天大主義、あるいは天王主義にするとか、天主主義にするとかすればいいのに、なぜこの天宙という言葉に「家の宙」の字を使ったのでしょうか? これは家、家庭を意味するのです。何の宙の字ですって?(「家の宙」の字です)なぜ「家の宙」の字を使いますか? それは天の家から現れたからです。(一九六九・八・二四、前本部教会)

 家がなくては理想的土台とならないからです。皆さんがこの世でつらい仕事をした後に疲れた体を引っ張ってどこに行きますか? 会社に行きますか? どこに行きますか?(家庭です)家に行くというのです。家はすべての幸福の巣であり、世界の出発の起点であり、万福の動機になる基礎です。先ほど話しましたが、天が主体ならば、地は対象です。その主体と対象を中心として見るときに、対象的な立場にある人間の中で愛を論じるようになるとき、アダムならばアダムを中心として、アダムの主体になっている神様の前に完全に垂直関係として一致点に糾合することのできるその点を代身できるのが家庭です。そうでしょう? 宇宙の中心軸がはじめて地上に定着するように決定しうる所が家庭なので、家庭を捜し立てなくては宇宙の中心が立ちません。だから、天宙主義だというのです。なぜ「家の宙」の字を使うのか分かったでしょう? (一九七二・五・二九、中央修練院)

 統一教会の主義は天宙主義です。天宙主義はもちろん天と地を一つに合わせる主義ですが、天宙の宙の字は「家の宙」の字です。言い換えれば、家庭主義だというのです。男性は天であり、女性は地です。この二人が一つに統一されれば、天地が統一されるのです。そうでしょう? それは何の話かと言えば、心情を中心として氏族、民族、国家、世界を超越して、家庭を金城鉄壁のように束ねていかなければならないというのです。民族が問題ではなく、氏族が問題ではなく、人種が問題ではないというのです。これを束ねることができるとなれば、世界は一つになりうるというのです。(一九七〇・一二・二二、前本部教会)


六 統一思想の威力

 それゆえ、統一教会は何をコーチするのでしょうか? 今日、死亡圏に流れ落ちるこの歴史の方向をふさいで、新しい方向を提示しよう、統一方案を提示しようというのです。国のために涙を流し、血と汗を流すにおいては二番目になるなというのです。ご飯を食べず腹をすかせながらも、あるいは夏に犬の飯を食べつつも、「国を生かすために、愛国愛族をしよう、私たちが話すことのできる時と環境が備えられているので、私たちが大きくなれば自然と悪いものは全部なくなるようになるのだ」こうして今まで来ました。

 これからにおける統一史観は何でしょうか? 大韓民国の三千万民族がこの思想とともに一つとなって、世界のためにそっくりそのまま犠牲になることのできる旗を掲げ、アメリカがそこに同調することのできるムードを造成するようになるときは、万国はこちらに来るなと言っても来るようになるのです。(一九七一・九・一二)

 私たち統一教会の理念はだれも飲み込むことができません。共産主義も飲み込むことができません。どんな主義も飲み込むことができません。神様をどこのだれが飲み込むことができるでしょうか? 事実、歴史を通して見れば、神様はでくの坊のようです。いつも踏まれてだけ来られました。しかし、結局はサタンを屈伏させてしまうことでしょう。(一九六一・一〇・二九、前本部教会)

 統一教会の理念はだれも飲み込むことができません。皆さんを教育させて何に使おうというのでしょうか? 天地をとろかそうというのです。天地にあるサタンを一切なくそうというのです。皆さん! ここに立っているこの人がなかば狂ったとか頭がおかしい人でないなら、問題は大きいです。二十七億人類が統一教会に反対する日が早く来なければなりません。反対しても統一教会を屈伏させることができなかったならば、終わりです。

 そのためには勝利することのできる心を待たなければなりません。涙と汗と精誠で民族を越え、世界を越え、神様をとろかそうという心を持たなければなりません。このような心を持ったことがありますか? 涙を流しても神様をとろかそうという心で流し、闘っても神様をとろかそうという心で闘えば、皆さんは天国に行っても余りあります。(一九六一・一一・五、前本部教会)

 統一教会は世界主義ですが、(この世の)世界主義と言えば、民族主義的であったり、国粋主義的であったり、偏ったりする主義を破壊させ、否定するのですが、統一教会はそれを吸収しようというのです。

 ある学者は「ああ! 統一教会の主義は世界主義だ、立派だ、家庭にも通じ、社会にも通じる。社会発展論理、国家発展論理に通じるそのような内容を持って、愛の道理を主張するのを見ると立派だ」と言うのです。(一九八三・五・一、リトル・エンジェルス芸術会館)

 統一教会が偉大なのが何かと言えば、統一教会の思想で四十日もあれば、世界を教化することができるというのです。私たちの言論機関を通せばです。それが偉大だというのです。方向がぴたっと変わるようになるというのです。そうなりうる世界観を持っているという驚くべき事実を知らなければなりません。(一九八五・一二・二九、本部教会)






















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