ス 勉強する姿勢とはP.105
勉強をする時には、ただ学科の時間に教室に入って座って、勉強することだとは思わないでください。すべてこのような課題を中心として、競争することであると思いなさい。なぜかというと、皆さんは運動会の時のスタートラインに立っているのと同じなのです。「パーン」というピストルの音で走り出すのと同じなのです。皆、そのような立場にいるのです。勉強の時間になると、世界中の学生たちと共に一つの出発点に立って、誰が一番速く走るのかという、立場に立っているということを忘れてはなりません。
ですから、先生が指示するこの話は、銃を撃つのと同じなのです。「パーン」と撃つと、瞬く間に、どっと駆けていくようにしなければなりません。それだけ呼吸が一致した位置であるほど、一歩でも先だつことです。たとえ千歩、万歩を走ったとしても、出発に一歩先だっていれば、必ず一等になれるのです。そうでしょう? あっという出発の瞬間を取ることによって、既に勝負が決定するのです。千歩、万歩走ったとしても、最初の一歩で決定するのです。また一時間、二時間走ったとしても、最初の一秒で決定するのです。そうなっているでしょう? 最後の一秒、最後の一歩はとても難しいのです。
勝利するためには、数万歩を犠牲にして、数万時間を投入しなければならないのです。そのような時間と、そのような犠牲を投入する時に、悲嘆にくれながら投入するのではなく、喜びながら投入する人は必ず賞を取れるのです。そして賞を取ったとしても、そこでストップしないのです。しかし、しかたなく賞を取った人は、賞を取るとすべて後退するのです。趣味を持って成した人は、また走れるのです。賞を取ってもまた走れるのです。
皆さんは高等学校を卒業するとどうなりますか? しかたなく大学に行くのでしょうか? 「ああ、勉強がなければいいのに」と言う人は、大学へ入って卒業をしたとしても、ただ流れていく人になるのです。
大学に入ることは、ひたすら知りたいことを知り、やりたいことができるように、早く勉強できるからです。大学へ入って、そこで、勉強する目標を発見できれば、その人は、そこで教室の仲間たちを突破していける人です。そのためには、趣味がなければなりません。趣味があり、面白くなければなりません。精誠を尽くす時にも、面白くなくてはいけないのです。 (一九八二・一〇・二〇)