サ 心情世界を中心として動くP.51
人は、沈着な心の深い所に、心の落ち着く所があるのです。心の眠る所があるのです。その所まで私の心が入らなければなりません。そこで眠って、起きた時には鋭敏になるのです。そこで雑念を除いて、精神を集中すれば、あらゆることに通じるのです。ですから修養や、祈祷が必要なのです。先生も祈祷するのです。精誠を尽くすのです。いつでも、精誠を尽くさなければならないのです。ある時、精誠を一回だけ尽くしておいて利用するものではありません。
いつも刀は磨かなければなりません。刀を使って一回でも磨かなければどうなるでしょうか? いつも磨かなければなりません。ですから一回だけではなく、いつでも磨いておかなければならないのです。それが問題なのです。静かに、心の位置をつかんでおかなければならないのです。
そうすれば、皆さんの成すべきことがすべて分かるようになるというのです。それをしなければなりません。良くない考えを持って、若い女性のあとをついて回って、よこしまなことをしてはなりません。皆さんは方向感覚をよくつかんで、それを中心として、それに従わなければならないのです。方向は一つしかないのです。ですから皆さんは、万般の準備をしなければならないし、整備をしなければなりません。毎日のように、自らが押し出すことのできる推進力をつけなければなりません。それは、自分一人でしてもだめなのです。
十八歳にもなれば、自分がどんな人なのかということが、すべて分かるのです。ですから、苛立ちやすいのです。友人の力が必要になったり、先生の力が必要になったり、神様の力が必要になるのです。
先生も、自分自身が今持っている力よりも大きな世界的なことをする前には、深刻になるのです。より大きな力が必要な時は、それをどこから持ってくるのかということが問題になるのです。持ってくることができない時には、後退しなければならないのですが、そうするわけにはいかないのです。
ですから、祈祷が必要であり、神様が必要なのです。それで、心情の世界が必要なのです。愛の世界は、いくら引っ張り出しても終わりがないのです。物質の世界も、知識の世界も、権力の世界も、すべて、崩壊するのですが、心情の世界は無限なのです。それで、心情の世界を中心として動かなければならないのです。(一九八二・一〇・二〇)
心情の世界の中央では、降りていったり、昇っていったり運動するのです。自動的に運動するのです。これが息をするということなのです。地球も息をするということを知っていますか? 地球も一メートル近く息をするのです。そのようにしながら調整しているのです。円形に、曲がっているのを調整しているのです。したがって、心情の世界も中央はすべて、軸を中心として、昇っていったり、降りていったりするのです。運動するというのです。
また、あらゆる存在物は楕円形で形成されているのです。分かりますか? それが分からなければ、心の、心情の中心へ入ってみなさいというのです。そこでは、無限なる力が伝わってくるのです。それで、九〇度の角度だけつくれば、無限な力を維持することができるのです。
ですから、道を選んで行かなければならないのです。精誠を尽くして、世の中のすべての面で、深い心霊世界を体験しなければなりません。なぜかというと、一生涯、生きていくために、推進力を無限に補給できる一つの源泉が必要なので、そのような業をするのです。(一九八二・一〇・二〇)
精誠を尽くして、自分の行く道を自分で見分けて行くべきなのです。本性の行く道があるのです。絵の素質のある人は、絵を描く時、一見して鏡のようなところに画幅がぱっと現れないといけません。何のことか分かりますか? 既に心で絵を描いているのです。それと同じように生まれついているのです。ですから、生まれつき持っているものから出発しなければなりません。そのようなものを捨てて行けば、すべてに失敗してしまいます。深刻なことです。すべて流れていってしまうのです。(一九八二・一〇・二〇)
うちの孝進のような場合、私にこのように話をするのです。「お父さん、変なんです。三時になると、音楽が聞こえるのです。静かに深刻に…」。彼は、そういう素質を持って生まれているのです。誰でも、何らかの天才的な素質を持って生まれるのです。生まれつきというのは、既にそのように生まれついたということです。よい素質を持って生まれているので、これを無限に活用すれば、無限に発展できるというのです。(一九八二・一〇・二〇)
かつて、譽進が学校に行くようになって、「お父さん、私、おかしいわ」と言うのです。何がおかしいのか話しなさいと言うと、子供たち皆が、何か忘れたりすると、自分に聞いてくるというのです。そこで譽進が、「あなたの家のどこどこを探してみなさい」と言うと、そこで探し出せるというのです。それは理解できますか? すべて分かるようになっているのです。分かるのです。
また、恩進の場合は、さっと誰かが来た時、「お母さん、私はすぐ行こうとするのに、心がしきりに戻ろうとするの、何でこうなのかしら?」と言うのです。すると誰かが、「その人は、あなたが応対してはだめです」と教えてくれるのです。霊的に分かるのです。そのような磁石の作用のような何かがあるのです。皆さんに、そのような面があるのに、そのような方向感覚を感知できなければ、大変なことになるのです。
譽進もそうだし、仁進もそうだし、恩進もそうです。「お父さん、変だわ。誰かが失敗するわ」と言うのです。それで、気分が悪いというのです。そのようなことは予感で分かるのです。どこに行こうと、さっと出かける時、何が悪いのか良いのか、予感で分かるのです。
それで、約束した人が悪い時には、必ず時間を遅らせて行くとか、一時間前に早く行くとかしなければなりません。行く前に、霊的に戦って出発するのです。そうすれば、それを免れることができ、コントロールすることもできるというのです。ですから、道の生活が重要だというのです。このようなことをコントロールできるので、このように自分の運命を避けることができ、防ぐことができる自制力を育てることができるのです。(一九八二・一〇・二〇)