◆五 二〇〇一年一月十三日の摂理的意味◆/み旨の道

神様王権即位式
 


 五 二〇〇一年一月十三日の摂理的意味


 新千年の意味は、聖書歴史で七〇〇〇年であり、イエス様以後三〇〇〇年を開く時代です。これは、聖書に預言された旧約と新約の約束が成就されて、霊界が完成することによって、天上と地上に天国が築かれる成約時代の完成を意味します。私は、蕩減復帰摂理歴史のすべての条件を勝利的に立て、去る一月十三日に「神様王権即位式」を挙行しました。これは、人間先祖の堕落によって、囹圄(注:牢屋)の道にいらっしゃった天の父母様を解放してさしあげるという、全摂理歴史の中で最も大きな慶事の日でした。

 今回、三〇〇〇年を出発しながら十三日です。十三日は十三数であり、十三数はイエス様の位置であり中心数です。十二カ月を中心として、中心数が十三数だというのです。西洋ではサーティーン(thirteen:十三)と言えば、最も悪い数です。それがなくなりました。それで、三〇〇〇年を中心として、新しい千年の十三日を中心として神様を即位させることによって、三〇〇〇年全体は、天が主管することができる時代です。サタン世界は影も形もありません。その影は、闇は、光の世界と関係をもつことが千年、万年、億万年の願いです。
 十四人とは誰ですか。十二弟子とイエス様と誰ですか。神様です。このようにして縦が決定し、横の十二弟子が決定するのです。神様は上の軸であり、イエス様は下の軸です。これが十三数になるのです。西洋で「十三」と言えば、最も悪い数ですが、これは、十二の四方数を中心として、男性と女性が一つの心になったことを意味するのです。「合徳」という言葉をこのように分析してみれば、漢字は本当に啓示的だというのです。
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 イエス様にも三弟子がいたでしょう。これを平面的に見れば、イエス様が東側ならば、西側、南側、北側の四方性を備えようとするので、イエス様を中心として一つにならなければなりません。また、三弟子を中心として十二弟子がいるでしょう。イエス様まで入れれば十三でしょう。四方を中心とした中心数は十三です。西洋では、十三数といえば悪い数なのですが、十三数は第一の中心数です。東西南北を中心として中心数なのですが、その中心の位置に立つことができなかったので、悪い数扱いされてきたのです。しかし、今後は、良い数になるはずです。
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 なぜ十三数が悪い数になるのか知っていますか。イエス様が相対的理想を成すことも、定着することもできなかった怨恨の数なので、十三数は悪いというようになったのです。結婚するのは、十三歳が最も良いのですが、これを失ってしまうことによって、個人を失ってしまい、家庭を失ってしまい、国、世界、すべてを失ってしまいました。どれほど悪で悪い数かというのです。最も願った数だったというのにです。
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 今、四十年という歳月を経て、第二次大戦直後に旧教と新教が一つになることができなかったこの舞台と、東洋と西洋が一つになることができなかったことを蕩減した基準を立てて再び蕩減復帰し、失敗した第二次大戦直後のキリスト教文化圏において、カイン圏とアベル圏である旧教と新教が一つになって信奉することができなかったことを、今この時、八十歳を越えながら二〇〇〇年を越えて、新しい三〇〇〇年に向かって出発するこの年の一月十三日、イエス様の十二弟子と中央数の十三数、イエス様の失敗した恨の歴史を踏み越えて、ローマだけでなく、世界だけでなく、地上、天上天国の解放圏を備えて十三数の中心の日を定めて、このような神様の即位式を挙行するようになりました。
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 今年は七〇〇〇年の出発です。六〇〇〇年を越えて七〇〇〇年の安息年に入っていくので、十三日に王権即位式をするのです。十三数とは何ですか。イエス様が十二弟子と中央数を失ってしまったその数字です。それで、四十日前の十二月三日から一月十三日まで、その四十日間で完全に霊界と肉界の統一を整理して、「神様の解放式」までしてあげれば終わるのです。















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