天聖經(増補版) 第五篇 真の家庭

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目次
  1. 第一節 家庭とは何か
  2. 第二節 創造本然の家庭
  3. 第三節 家庭は真の愛の訓練場
  4. 第四節 家庭は幸福の基台
  5. 第一節 思春期の変化と男女の愛
  6. 第二節 祝福結婚の意義と価値
  7. 第三節 祝福結婚を通じた重生
  8. 第四節 祝福家庭の歴史と意義
  9. 第五節 祝福家庭の責任と入籍
  10. 第一節 家庭の法度と「家和万事成」
  11. 第二節 理想的な夫婦と父子関係
  12. 第三節 理想的な子女と兄弟関係
  13. 第一節 教育の真の意味と最高の教育
  14. 第二節 家庭は天国の教本
  15. 第三節 父母の愛と責任
  16. 第四節 子女教育の主要内容
  17. 第五節 子女たちの行くべき道
  18. 第六節 真の家庭と家庭天国

第一節 家庭とは何か

第一章 神様のみ旨から見た真の家庭

第一節 家庭とは何か


1 家庭という言葉を見ると、「家の庭」と書きます。庭には色とりどりの美しい花が咲くのと同じように、家庭にも兄弟がいて、父母がいます。家庭は、お互いが喜び、楽しみ、歌い、踊れる所にならなければなりません。そこでお互いにけんかをすれば、その庭は荒れ地になります。

植物は、良い音楽を聞けばよく育ちますが、そうでない場合はよく育ちません。家庭も同じです。愛が宿っているメロディーを聞いて育てば、素晴らしく生きることができます。その素晴らしく生きることができる、その何かをもった心が愛なのです。

2 家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、子女がいなければなりません。それだけでなく、周囲には親戚もいなければなりません。家庭には祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘がみな入っています。

ここで何を中心として一つになるのかというと、言葉を中心として一つになるのではありません。お金を中心として一つになるのではありません。御飯を食べて暮らすことを中心として一つになるのではありません。一軒の家に住む家族だからといって、みな一つになるのではありません。そこにある高低を克服して乗り越え、心情を中心として一つにならなければなりません。愛を中心として一つにならなければならないのです。

家庭は、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、それだけでなく祖父母の愛、孫と孫娘の愛を中心として、縦横と左右全体が和合するのです。心情が核になって全体が一元化されて動く一つの連体的基盤です。家庭は愛情を中心としてつくられるのです。

3 家には、祖父母がいて、父母がいて、自分の妻がいて、息子、娘がいます。それでは、なぜ家が良いのでしょうか。そこは、祖父の最高の愛があり、祖母の最高の愛があり、父母の最高の愛があり、夫婦の最高の愛があり、兄弟たちの最高の愛がある所です。最高の愛を好むのは人間の本性であり、本質なので、不可避的に家庭に帰らなければなりません。

祖父母は天の国を代表した天の国の特使として存在し、父母は家庭の中心として世界の国の王として臨在したのです。過去の父母が祖父母であり、現在の父母が父母であり、未来の父母が私たち夫婦です。この三代が一つになることによって、天上世界の過去の時代を束ねることができ、現実の世界の家庭を越えたこの地球星の歴史的愛の圏を束ねることができ、未来において天理とともに通じることができ、万民が一つになることができ、ユートピア家庭と一つになれる、そのような核心的な結合体が私たちの家庭なのです。

4 過去、現在、未来が連結される最小限の基準が家庭です。家庭は世界の縮小体と同じです。そこでは、過去と現在と未来が連結されます。家庭には、祖父と父と息子が共存します。父が祖父の立場に上がるようになれば、自分が父の立場に上がって息子、娘をもつようになります。祖父から父、自分の三代が一つにならなければなりません。すなわち過去、現在、未来の三つの関係が一つにならなければならないのです。そのような家庭は、世の中がいくら揺らぐとしても、揺らぐ社会の侵犯を受けず、幸福の土台を保つことができるのです。

5 家庭には、祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘の四段階が存在します。これを拡張したものが世界です。世界にいる自分の父母のような年代の人々、自分の夫と妻のような同年配、自分の息子、娘のような人々を愛さなければなりません。家庭において父母の愛を中心として一つになったのと同じように、世界の全人類をそのような基準で、自分の祖父母、自分の父母、自分たち夫婦、自分の息子、娘のように愛さなければなりません。神様が愛の相対を造るためにより投入したのと同じように、自分の家庭よりも愛さなければならないのです。

6 祖父母、父と母、自分たち夫婦、息子、娘を東西南北に拡大したものが宇宙です。家庭は、すべての愛を統一した一つの理想的モデルなので、教科書と同じです。ここに適用されるすべての愛の理念を、世の中に拡大させなければなりません。

自分の祖父や祖母のような年齢の人に対しては、人種を超越して自分の祖父や祖母のように尊敬できなければならず、全世界の自分の父や母のような年齢の人に対しては、愛を中心として、家庭で自分の父と母を愛するように、愛することができなければなりません。そのような人が、天国を所有できる人です。この天下の版図、天国の版図を受け継げる者です。

また、夫と妻が互いに愛し合うように、世の中の男性と女性を愛する心を世界的に平準化させ、子女たちの年齢の愛を世界的に標準化させなければなりません。そのようにして、家庭が一つの教科書となった、その教育方法を世界全体に正しく適用する人は、神様の愛の王子、王女となるのです。

7 神様が原因者であられるので、原因であるそのお方を中心とした代表者として、この地上の私たちの家に住む人が祖父母であり、その祖父母の伝統を受けて現れ、血肉が通じ、生命と愛と血縁が直結している人が父母であり、また、「私」と共に直接血統を一緒に分かち合ったのが兄弟です。真の愛、真の生命、真の血肉を通して連結されている一族が家庭なのです。その愛は、東西南北のどこに行っても、前後左右のどこに行っても変わらない、一つの核心的な統一された愛であることは間違いありません。

8 家庭における日常生活は、正分合作用を具現します。すなわち、朝、お互いの仕事のために別れるときも喜びで別れ、夕方再び会うときも喜びで会わなければなりません。また、家庭に帰ってきては、その日にあったことを妻と子女たちに話し、相談して、誤ったことは直すようにしなければなりません。家庭全体を愛で結びつけて、笑顔で結びつけなければならないのです。

子女たちが「うちのお父さんは素晴らしい!うちのお母さんは素晴らしいお父さんとお母さんが互いに愛し合うのを見ると、本当に素晴らしい!」と言って、誇ることのできる家庭が、子女たちの安息の住まいです。ほかにはどこにも行きたくないと思うほど、永遠の喜びの根拠地となり、自慢の根拠地となる夫婦にならなければなりません。

9 皆さんは、なぜ愛が好きなのですか。好むまいとしても好まざるを得なくなっているからです。父母の互いに愛し合う力が、個体のために生きる力より強ければ強いほど、より理想的なのです。父母を完全に一つに束ね合わせる、それは愛のロープです。鉄でつくった綱は時間がたてばさびついて切れますが、愛の綱は永遠です。父母と子女の関係は、御飯でもお金でも、縛りつけることはできません。ただ父子関係の愛でのみ束ね合わせることができるのです。兄弟同士が一つになるのも、愛でのみ可能なのです。

10 家庭を見るとき、家屋が良く、その周囲の環境が良いといって、良いわけではありません。反対に、いくら環境が悪くて家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の事情と生涯と生活のあらゆる基準を結びつけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いのために思いやる心情があります。これが追憶の本郷であり、あらゆる生活の動機になるので、私たちの生活で幸福を左右する基礎になります。それはなぜでしょうか。父母と子女の間には、誰も侵すことのできないたった一つの愛の関係と、たった一度しかない血統的な愛の関係があるからです。そこでは、父母と兄弟の愛が動機となっているので、私たちの生活に慕わしい対象として連結されるのです。

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第二節 創造本然の家庭

第一章 神様のみ旨から見た真の家庭

第二節 創造本然の家庭


1 創世記第一章二十七節を見ると、「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」となっています。神様はいかなるお方でしょうか。神様の中に主体と対象がなければなりません。すべての種は根源に似ています。神様が宇宙の根本的な原因であられるので、その原因であられる神様の形状に似て、すべての種が生じるようになります。

種を見ると、どんな種でも、二つの部位が一つの外皮に覆われています。それは神様がそのようになっているという意味です。それにプラスとマイナスの性格があり、生命の根源が連結されています。そのように、神様が自らの形状を相対的に造られたのですが、主体的な形状がアダムであり、相対的な形状がエバでした。なぜそれをお分けになったのでしょうか。それは、男性と女性を別のものとして完成させるためだったのです。

  

創造本然の理想家庭


2 男性が完成し、女性が完成すれば、その二人が主体と対象として互いに一つになるのです。彼らが互いに一つになる前は、神様の息子、娘として愛を受けました。そのように愛を受けて成長したあとには、一つにならなければなりません。

互いに出会って夫婦になるのですが、それが家庭の起源になります。その二人が一つになるので、誰に似たのかというと、主体であられる神様に似たのです。ですから、神様とそっくりな、神様の対象になります。そのようになると、主体がしていたことを対象もすることができるというのです。ここから強い愛の力で、神様のように主体と対象の関係を結べる位置に進むので、新しい生命が生じるのです。神様が人を創造したのと同じように、人間も愛の力を通して息子、娘を生むことができます。

神様の愛と、神様と同等な位置と神様の創造の能力を備えるだけでなく、天地万物を造って愛していたその楽しさ、その妙味まで感じるようにするために、息子、娘を愛する心が私たちにあるのです。結局、神様がもつ子女の愛、夫婦の愛、そして父母の愛まで、私たちがすべて引き継がなければなりません。これが人間にとって幸福の源泉なのです。

3 私たちが生きている世界は、本来、神様が理想としていた世界ではありません。数多くの宗教は、人間の意志に従うのではなく、神様のみ旨、神様の意志を求めていきます。

それでは、神様のみ旨とは何でしょうか。これがはっきりしなければ、み旨成就の道を見いだすことはできません。神様のみ旨とは、神様の創造理想を完成することです。神様の創造理想を成し遂げることです。神様の創造理想とは何でしょうか。神様は万物を創造してから人間を創造しました。

結局は、人間の先祖アダムとエバを中心として万物を主管し、これだけでなく神様の愛の家庭をつくるのです。統一教会ではこの基準を「四位基台の完成」と定義しています。

4 神様のみ旨とは、創造理想を完成することですが、具体的に言えば、四位基台を完成することです。四位基台は、完成したアダムと完成したエバが、神様の愛の中で祝福を受け、そのお方の息子、娘になると同時に神様が願う夫婦となり、その次には、神様が願う家庭を築くためには子女がいなければならないので、子女を完成させることです。結論として言えば、創造理想世界は、神様の愛を中心として神様と息子、娘であるアダムとエバが一つになり、その次には神様の愛を中心としてアダムとエバが父母になって、子女と一つになった一つの愛の理想的な家庭です。

5 神様のみ旨とは、神様がこの宇宙を造った創造理想、すなわち創造目的を完成することです。創造するときは、必ず目的をもって創造なさいました。ですから、その目的を成し遂げるのです。その目的の中心はアダムとエバでした。

統一教会では、神様の創造理想を完成することが神様の創造目的だといいます。その創造目的はアダムとエバを中心とした理想を実現することであり、その理想実現は正に四位基台を完成することだといいます。神様を中心としてアダムとエバが完全に一体になり、神様の愛の圏から抜け出そうとしても抜け出すことができず、上には神様を父として侍り、下には地上で人類の先祖の立場に立って結合した、一つの愛の基点をつなげていける家庭が中心だったというのです。

アダムがエバと向き合う位置は、神様が創造したアダムの理想、エバの理想を完成するための一つの一体理念を成就する愛の結合の位置です。アダムとエバがそのような愛で一つになった夫婦として子女を生み、その子女と父母が一つになる愛を実現し、神様の愛を中心としてみ旨が成就していれば、アダム文化圏が形成されたのです。

6 神様の創造目的の完成とは、神様の愛を中心として四位基台を完成することです。四位基台は、真の子女と真の夫婦と真の父母、すなわち神様を中心としたアダムとエバ、そして子女によって完成されます。四位基台が完成すれば、三対象目的が完成します。

神様を中心として見れば、アダムに行く愛の道があり、エバに行く愛の道があり、そして子女に行く愛の道があります。この愛が一つの実を結ぶのです。子女として実を結ぶのです。ですから、子女は父母、すなわち父母の愛の結実であり、それから神様の愛の結実です。真の子女をもったということは、宇宙全体の愛と向き合うことのできる立場に、初めて自分が立つようになったということです。

7 人間の先祖を中心とした神様の理想は、理想的な男性と理想的な女性が理想的な家庭をつくることでした。理想的な家庭をつくるその中心は、男性でもなく女性でもありません。家庭は結局、父母と子女の集まりです。また、夫婦は男女の一つの束を言います。その束の中心が神様の愛です。したがって、神様のみ旨の完成とは、神様の愛を中心とした夫婦、神様の愛を中心とした家庭の完成を意味するのです。

8 神様がアダムとエバを造っておいたのは、ただ見るためではありませんでした。男性と女性を造ったのは、男性は男性なりに、女性は女性なりに老いて死ぬようにするためではありませんでした。彼らが成長し、互いに異性に対する相対的な心情を通して、神様を中心とした人類の真の地上天国を建設させるためでした。神様を中心とした愛の巣を造るようにするためだったのです。

ここで男性であるアダムは天を代表し、女性であるエバは地を代表します。ですから、彼らは二人ですが、彼らが横的に一つとなれば天と地が統一されるのです。神様の愛を中心として二人が統一されれば、天宙は自動的に統一されるのです。

9 統一教会で教える内容の核心は簡単です。神様が喜ばれる理想家庭の編成です。神様の属性を見れば、原理の内容である性相と形状、陰陽の属性がありますが、その属性は神様の愛を中心として連結されています。愛という属性がすべての属性の主流です。

その愛は、属性として絶対性をもっています。唯一性、不変性、永遠性をもっています。ですから、神様の愛によって束ねられた夫婦は、絶対の夫婦、唯一の夫婦、不変の夫婦、そして永遠の夫婦です。その息子、娘も同じです。そのように、神様の真の愛に連結された三代家庭圏を編成することが理想です。

そのような家庭では、父母としても絶対の父母、唯一の父母、不変の父母、永遠の父母であり、夫婦と息子、娘もすべてそうです。そのような絶対、唯一、不変、永遠の結束体が、神様が理想的に考えられる家庭です。その家庭には神様が臨まれます。そのような家庭が氏族、民族、国家、世界と天宙まで拡大すれば、地上天国と天上天国になります。その中で、父母、師、そして王としていらっしゃるお方が神様なのです。

  

神様に侍って生きていく理想の基地


10 神様の二性性相の実体は、アダムとエバでした。神様の心の中には、愛の最高の理想として完成した子女の愛の理想、完成した兄弟の愛の理想、完成した夫婦の愛の理想、そして完成した父母の愛の理想以外に何もありません。見えない霊的世界と見える実体世界も、神様の二性性相から分かれて出てきました。

子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、そして父母の心情を完成することが、神様が望む最高の目的です。それらが実体的に完成すれば、神様がそこにぴったり合うように降りてこられます。子女の愛と兄弟の愛だけでなく、すべての愛が一点で結ばれるのが夫婦の愛です。

ですから、男性と女性が結婚した初夜に、愛の一体圏が生まれるのです。東西南北に通じるその一体圏が生じる場合には、神様と完全に一つになって最高の喜びが生じます。アダムとエバが完成することによって、神様が創造の喜びを得ることができるのと同じです。

11 アダムとエバが堕落していなければ、天の王宮がどこから生じたのでしょうか。天と地が一つになる所から生じたでしょう。それでは、なぜアダムとエバを分けたのでしょうか。それはアダムとエバが成熟する時までの期間が必要だったからです。その二人が横的に成熟しなければなりませんでした。そのように成熟して一つの完成形態を成し得る段階にまで至らなければなりませんでした。そうしてこそ、そこに縦的な神様が入ってきて統一することができます。横的なアダムとエバが成熟して一つになるその場に、縦的な神様が入ってくることによって真の愛の家に、アダムとエバの家庭になるというのです。神様が住むことのできる真の愛の家がアダムとエバの家庭でした。アダムとエバの家庭が神様のいる所なのです。

12 アダムとエバは、神様が祝福されたその希望を心に抱いて生きなければなりませんでした。神様が「取って食べるな」とおっしゃったみ言をアダムとエバが信じて従うとき、神様のみ旨を成し遂げることのできる一男一女として、一つの家庭を出発することができました。これが原則となっていました。

ですから、人間は、必ず希望をもった人にならなければなりません。その次に、私たちが希望をもって永遠の関係を結び、縁を結ぼうとすれば、信仰の過程を通らなければなりません。したがって、この希望が成し遂げられ、信仰が成し遂げられる日、初めて私たちは神様の愛を受けることができるのです。これが原則です。

13 神様は、子女に対する愛の主体、男性と女性に対する愛の主体、夫と妻に対する愛の主体、父母に対する愛の主体、そして祖父母に対する愛の主体です。

そのような単位の基準を中心として家庭を見るとき、家庭は最高の愛を中心とした所なので、堕落していないアダムとエバが愛を中心として完成したとすれば、彼らは神様の長男と長女になったはずです。また、その家庭は愛の巣になったはずなのです。

14 アダムが完成することによってエバも完成し、そのアダムとエバが完成することによって愛を中心とした家庭が出発するのです。そのようになったなら、完成した家庭から氏族、民族、国家、世界は、神様に侍る一つの国になり、民族になったに違いありません。そして、その中心は神様とアダムとエバになったでしょう。

そのように、神様がその中心になることによって、生活やアダムとエバの一生の路程は、神様と共に生活する歴史的伝統として残ったのです。そのようになれば、生活様式や習慣、風習、歴史的伝統は、神様と共に生きる生活、神様の愛で結びつけられた伝統となったに違いありません。

15 人類始祖アダムとエバが堕落せずに家庭をつくっていたとすれば、その家庭をつくった日が神様の創造理想を完成する日となり、神様の喜びの日となったでしょう。それだけでなく、初めて地上で神様と人間の愛が結ばれる日となったのです。またその日は、アダムとエバが真の父母として出発する日となり、人間だけが喜びを享受するのではなく、万物までも喜びを享受する日となったというのです。

16 アダム家庭は、神様の理想と一致した真の愛の家庭を完成しなければなりませんでした。人間始祖のアダムとエバは、神様の無形の性稟を実体的に完成し、神様のみ旨と愛を宇宙に伝えることを期待される中で創造されました。アダムとエバとその子女たちは、全人類が従うことのできる根本原理を生活の中で確立したはずです。

アダムとエバの子孫たちは、心と体を一つにして完成し、神様と一つになった個人、そして夫婦が一つになった家庭、また子女たちと共に一つになった家庭を編成し、自由と平和、幸福と希望が地上全体に満ちる安定した基盤を編成したはずです。その典型が家庭や国家にとどまらず、世界と全宇宙に広がることが神様の理想でした。真の家庭において形成された天国のモデルが国家全体に拡大され、国家圏の天国が世界に拡大され、世界圏の天国が全天宙に拡大されるのです。

17 神様の王子と王女になれば、神様と父子関係になって神様のすべてを相続することができます。そのような子女が真の愛を中心として夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になるのであり、その家庭は平和と理想の基地になります。片方の男性と片方の女性が一体になり、神様の相対として神様の理想の愛を完成するようになるのです。

神様とアダム家庭を中心として見てみれば、神様は一代、アダムは二代、アダムの子女は三代になるはずでした。神様は祖父母の立場であり、アダムとエバは父母の立場であり、子女は息子、娘の立場です。この三代が一つの家庭に安着するようになるので、祖父母は天上天国の神様の立場であり、天上世界の王と女王の立場であり、父母は地上天国を代表する王と王女の立場であり、子女は未来を代表する天上天国と地上天国を相続する王子と王女の立場なのです。

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第三節 家庭は真の愛の訓練場

第一章 神様のみ旨から見た真の家庭

第三節 家庭は真の愛の訓練場


1 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛、この三つの愛が一つになったところに現れます。これらが絶対的に一つになったところには、神様が絶対的に永遠に共にいらっしゃいます。変わらない父母の愛、変わらない夫婦の愛、そして変わらない子女の愛、この三つの愛が存在するところには、いつも神様がいらっしゃるのです。統一教会の四位基台の理論は、このような基盤から現れたのです。

  

家庭は真の愛の定着地


2 理想的な愛は、家庭で形成されます。しかし、神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の夫婦をもつことができず、父母になれませんでした。このようなことを成就しようとするのが、神様のみ旨です。そのみ旨が成就されるところであってこそ、愛がとどまることができます。このような愛が形成されるところには、人々が世の中のあらゆることを捨てて、訪ねてくるのです。最も重要なのは愛なのです。

3 皆さんは「神は愛である」(ヨハネI四・八)という言葉を知っているでしょう。その愛がどこに現れなければならないのでしょうか。すべての人々は自分に現れることを願います。しかし、その愛が一人に現れるとすれば、個人で終わってしまいます。男性なら男性、女性なら女性にだけ現れるとすれば、一世紀だけ過ぎれば、すべて刈り取られて終わってしまうのです。言い換えれば、一人がその愛を相続することができずに死んでしまえば、一代で終わる愛にしかならないというのです。

それでは、いかにして永遠の血統的な愛の基準を立てるのでしょうか。一人の男性と女性に現れた神様の愛でつくられた家庭において、血縁関係を結んだ子女にその愛を植えることができるとすれば、永遠の愛が人間に現れるのです。すなわち無形の神様の愛が実体として顕現する基点が現れるというのです。神様の愛を完成できる基盤は、結局、家庭だというのです。

4 アダムはエバのために、エバはアダムのために、そしてアダムとエバは家庭のために存在します。愛を中心としてそのようになっているのです。このような一つのモデル、訓練場をつくり、それを再現し、感じて体験した事実を横的に拡大させるのが、国家の形成であり、世界の形成であり、天国の形成なのです。

5 縦的な三代と横的な三代を中心として暮らさなければなりません。一家族で三代が連結されて暮らさなければならないというのです。縦的にも、横的にも、三代が連結されなければなりません。息子、娘の相対を探すときは、祖父母がいて、父母がいて、そして息子、娘がいる円満な家庭から相対を探さなければなりません。男性が妻を得るとしても、そのような家庭から得なければなりません。そのようにすることによって、夫も円満だというのです。そして、低いものも知り、高いものも知って、前後左右をすべて測れる円熟した夫と妻になります。円満な球形の心情圏を互いに訓練するのです。そのような愛の訓練、心情の訓練をするのです。

6 皆さんが内外で互いに愛し合うことのできる家庭にならなければなりません。家庭での愛は、国の愛を縮小させたものであり、世界の愛を縮小させたものです。ですから、家庭で皆さんが心情的な訓練を受け、皆さんによって本質的に生活化され、神様のみ旨を成就しようという切実な心情に同化されて、その心を氏族に適用するだけでなく国家的にも適用しなければならないのです。

7 まず、「私」が父母を誰よりも一層愛さなければならず、兄弟を誰よりも一層愛さなければなりません。家庭をもったなら、互いに最高に愛し合わなければなりません。そうして花の中の花であり、香りの中でも一番の香りとして、宇宙を代表した価値の結実がそこで結ばれることを慕わしく思いながら、お互いが一つに結集する、その関係が強固にされなければなりません。そうしてこそ、そこで完全な種が発芽するのです。生命の起源もそのような愛から、存在価値の起源もそのような内在的な愛を基盤としたところから始まります。人格的な価値は、相対を中心として決定されるというのです。

8 実というものは、一年十二カ月の間、風霜を経たすべての要素が圧縮されて実を結びます。それでは、愛はどのように結実しなければならないのでしょうか。それが分からなかったので、今日、世の中がよこしまな世の中になってしまいました。家庭の破綻が生じたというのです。

父母が中途半端に必要なのではありません。愛を中心として見てみるとき、絶対的に必要です。子女も中途半端に必要なのではありません。絶対的に必要です。妻と夫も中途半端に必要なのではなく、絶対的に必要です。兄弟も絶対的に必要です。その人々が互いの愛を鍛錬するところが家庭であり、その愛を実現する場が天国なのです。

9 統一教会では、神様が人間の家庭の中で、人と一緒に喜んで暮らすことを願われると言います。私たちが愛を授け受けするのを学ぶ所も、調和の喜びを創出し、育成し、体恤する所も正に家庭なのですが、これが信仰の核心です。家庭的な愛の養育なしには、幼児期と青年期を通して、いかなる人も配偶者や子女を愛する能力を啓発できないのです。

10 愛を宇宙に適応させるためには、家庭が絶対的に必要です。家庭で父母を愛することができてこそ父母のような年齢の人々を愛することができ、家庭で祖父母を愛してみてこそ、そのような年齢の人々を愛することができます。それから、小姑を愛してみてこそ、小姑のような人々を愛することができ、夫の弟と夫の兄を愛することができてこそ、夫の弟と夫の兄のような人々を愛することができます。それでこそ、全世界の人類を愛することができるというのです。

11 真の愛の理想的な訓練を、どこでするのでしょうか。真の愛の理想的な基礎訓練の道場とはどこかといえば、家庭です。自分の父はどこから来ましたか。天の国から、大きな世界から来たと考えなければなりません。天の国から来たと考えなければならないというのです。それから「世界から来た」、「国から来た。国のある氏族を通して来た。そのようにして、私の父として現れた」という観念をもちなさいというのです。母に対しても同じです。母はどこから来ましたか。「私の母は天の国の代表だ。私の母は世界の代表だ。私の母は国の代表だ。私の母は氏族の代表だ。それで私たちの家に派遣されてきた」と考えなさいというのです。

12 家庭は、人間が天国に入るための愛の修練所であり、教材です。そこには、祖父母、父母、夫婦、そして兄弟姉妹たちがいます。その祖父母、父母、夫と妻、そして息子、娘の関係が拡大したものが世界の人類です。人類を祖父や祖母のように愛し、父や母のように愛し、夫や妻のように愛し、息子、娘のように思いやることのできる家庭だけが、天国を相続することができます。神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権がそこにあります。

世の中でも、昔、官吏の家庭で、祖父母や父母などいくら大勢の家族がいても、その家でより苦労し、よりために生き、より家庭を愛した人が相続者になりました。同じ理屈です。それが愛の特権です。

無限で永遠であられる神様だとしても、神様と愛の関係を結ぶようになるときは、即時に同位権と同参権をもつようになります。それだけでなく、宇宙の相続権を受け継ぐことができるのです。

13 夫婦間で互いが横的な愛を求めなければ、神様の縦的な愛も探し出す道がありません。人間始祖が堕落しなかったとすれば、天国は家庭から始まったでしょう。家庭を拡大したものが世界の人類だからです。ですから、家庭は天国に入るようにする愛の修練所です。神様の愛を所有した人だけが、天地の権勢を相続できる特権を得るようになります。

生命が先か、愛が先かというとき、愛が先です。家庭でも父母の愛によって子女が生まれます。ですから、子女は、父母の愛に同参(一緒に参加すること)した立場で、生命を受け継げる特権をもつようになります。愛の関係を結べば、対等な立場、同じ位置に立つことができるのです。

14 家庭に祖父母、父母、自分の夫婦、そして息子、娘がいます。これを拡大すれば、国になり、世界になります。これを縦横に結んで一カ所に集めたものが家庭です。それゆえに、三代が住んでいる家は、世界を縮小させたものです。

世界を見れば、祖父や祖母、父や母、夫や妻、そして息子、娘のような人々が暮らしています。ですから、このような家庭は、世界万民と和合できる一つの共同訓練所です。世界と心情的な絆を結び、超国家的、超人種的に和合し、和動できる相対と主体の権限をもつための訓練場です。愛を中心として訓練するのです。

  

家庭を中心とした三対象の愛


15 神様は愛の神様です。その神様の愛が人間の中で父母の愛として現れ、夫婦の愛として現れ、そして子女の愛として現れます。いくら優れた人だとしても、男性は女性を求めていくものであり、女性は男性を求めていくようになっています。そうして、子女を生まなければならないのです。

16 神様のみ旨は、創造目的の完成であり、創造目的の完成は愛を中心として行います。その愛は、どのようにして完成されるのでしょうか。言い換えると、愛を中心とした創造目的の完成は、いかにして成就されるのでしょうか。それは四位基台の完成です。ですから、原理の本で創造目的の完成を、四位基台の完成だといったのです。

それでは、四位基台の完成とは何でしょうか。父の愛は母の愛であり、母の愛は父の愛であり、父母の愛は子女の愛であり、子女の愛は父母の愛であり、兄弟の愛です。すべてが一つです。愛はどこにでも通じます。縦的に見れば三段階になっているのですが、平面的な基準では、互いが一つに統一されます。そこはどこでしょうか。父母です。父母が中心です。ですから、父母の愛を中心として男女の愛が一つになり、その次には神様の愛が一つになるのです。

17 完全な夫婦の愛が完成すれば、一つの球形のように四方が丸くなります。幸福と満足は、愛の要素に接するところでのみ可能です。愛を除けば、すべてのものが終わります。「統一原理」では、創造目的の完成は四位基台の完成ですが、父母の二人だけが完成しても駄目だというのです。その父母が一つになって神様の愛が臨在すると同時に、その神様の愛が父母を通して子女にまで行くことができるように、絶対的に愛さなければならないというのです。

「私がこの子を育ててこそ、老いて死ぬときに気が楽だ」ということで愛するのではありません。天から出発した軌道が家庭を通じて、今後、終着点に向かう息子、娘の前に、間違いなく同じ軌道で愛の包みが移されるようにしなければならない責任があるのです。

そのようにするためには、息子、娘に対して神様に仕えることを教えてあげなければならず、神様を愛することを見せてあげなければなりません。妻は、夫と息子、娘を愛するのを見せてあげなければならず、夫は、妻と息子、娘を愛するのを見せてあげなければなりません。それを統一教会では三対象の愛の完成といいます。

18 愛が自分から訪れる道理はありません。愛というものは、相手から訪れるのです。相手がいなくなるときは、愛が訪れることができません。神様も私たち人間を中心として見れば、相対的です。男性には女性も相対的であり、また父母には子女も相対的です。愛というものは相手がなければ成り立たないのです。それを統一教会では三対象の愛といいます。

三対象の愛を体恤きない人は、神様の愛を体験したという位置に立つことはできません。「神様がアダムとエバを造っておいて喜ばれたように、私も息子、娘を生んでそのように喜ぼう!」というのが「統一原理」の教えです。

アダムとエバを造っておかれて、「これから世界を主管するだろう。私たちの家が世界の中心家庭になるだろう。早く大きくなれ、早く大きくなれ!」と言いながら、神様は、希望をもって保護、育成する中で喜びと満足を感じつつ、彼らが育って結婚することを望みました。それと同じように、父母は息子、娘をよく育て、立派な相対を選んで、良い夫婦の縁を結んであげなければならないと考えるのです。良い夫婦の縁を結んであげれば、その家は栄えるのです。

19 本来、アダムが完成し、エバが完成して夫婦になっていたならば、その夫婦を中心として愛が成立し、その次にはその愛の中で息子、娘が生まれたでしょう。そのように見ると、夫婦の愛が成立する前には、兄弟の愛の圏内にいながらだんだんと個人が完成し、その次には、夫婦の愛を中心として父母の愛に発展していくのです。個人は、兄弟の愛から夫婦の愛を経て子女の愛まで体験できる道を通して、初めて神様のみ前に完全な息子、娘として完成するのです。

本来、神様を中心としてアダムとエバが兄弟から夫婦になり、子女まで生んで完成していたならば、もう行くところはありません。これ以上のものがあり得ないというのです。アダムとエバが完成し、夫婦となって息子、娘を生んで、完成した父母となってその息子、娘を愛したといえる立場に立ち、神様がそのような全体を愛することによって、創造のすべての愛が出発できていたのです。

20 誰でも育つときは、男性や女性、兄や弟、妹として一軒の家で育ちますが、生理的に見るとき、あらゆる生活が異なります。男性たちは開拓精神が旺盛で荒々しいのですが、女性たちはおとなしくてつつましいのです。女性たちは、動かずに愛を受けようとし、垣根の中だけで生きようとします。ですから、その二人が一つにならなければなりません。そのようにすれば、父母の心情圏を中心として子女の心情圏、兄弟の心情圏の上に、夫と妻の心情圏が爆発するのです。

21 兄弟のように愛し、兄弟として互いに愛し合う相対になって、夫婦の愛を完成するようになれば、互いに離れようとしても離れることができません。そのようになれば、父母の心情が実を結び、兄弟の心情が実を結び、そして男性と女性の心情が完成して、神様の創造理想である愛を中心として一つになるように直行するのです。愛の道は直短距離を通るので、直線です。曲線では行きません。

その二人がどこに行ってぶつかるかといえば、垂直に行ってぶつかります。男性が一歩進めば、女性も一歩進み、結局、離れたくないのでぶつかるようになります。愛することにおいて、男性は女性に負けたくないと思い、女性も男性に負けたくないと思うので、対等な立場になります。家庭には愛の核があり、ここに父母の愛が結ばれ、兄弟の愛が結ばれ、そして、夫婦の愛が結ばれているのです。

22 愛が全体の基準に符合できる根本なので、相対性をもった夫や妻がいなければ、神様のみ前に完全な存在として、完成した合格品として立つことができません。父母がいなくても同じであり、子女がいなくても同じです。息子だけでも娘だけでもいけません。

なぜ息子だけいる人は娘を生みたいと思うのですか。息子だけ生んだ人は娘を下さいと言います。それはなぜでしょうか。相対性をもっているからです。人は父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛の中にいなければなりません。父の愛も受けてみなければならず、母の愛も受けてみなければならず、そして夫の愛も受けてみなければならず、妻の愛も受けてみなければなりません。息子を愛してみたり、娘を愛してみたりしなければならないのです。

23 父母、夫と妻、息子と娘が本来の位置にいることが天宙の公法です。それが宇宙を構成する理想的で根本的な標準なので、これに完全に符合するとき、その内容と完全に一致するとき、うれしく思うのです。この原則に符合できないときに不幸が宿るのであり、その原則に完全に符合するとき、喜びがやって来るのです。この原則に符合することが善なのです。そして、この善にプラスする人が善の人であり、悪を増加させる人と、善を減少させる人は悪の人なのです。

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第四節 家庭は幸福の基台

第一章 神様のみ旨から見た真の家庭

第四節 家庭は幸福の基台


1 私たちは、心情を離れては生きることができません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なあらゆる権威を備えているとしても、心情的な喜びを表示する所がなければ生きることができません。自分が率いる人々や閣僚たち、あるいは追従する人々からは、心情的な満足を感じることができません。

それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通して喜びを感じ、また子女を通して喜びを感じることができなければなりません。そうして、その喜びをほかの人々に誇ることができなければなりません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭がない神様は喜ぶことができません。結局、家庭がなければならないというのです。

  

幸福の基地は家庭


2 家庭は良い所です。父母がいるので良い所であり、兄と姉がいるので良い所であり、弟と妹がいるので良い所です。人間ならば誰でも、自分の家庭のある本郷の地、故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷を一層思うのです。大韓民国に住みながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、「私」の心情を四方に、立体的に引き上げてくれる所です。その心情は愛で結びつくものです。上には父母が結びつき、左右には夫婦が結びつき、下には息子、娘が立体的な愛でしっかりと結びついている所が本郷です。人間は愛を中心とした幸福を最高のものとして望むので、本郷を懐かしく思わざるを得ません。

それでは、神様の本郷とはどこでしょうか。神様の家庭が整えられる本郷の基点とは、神様が父であることを知る息子、娘がいる所です。すなわち神様の愛を独り占めできるひとり子がいる所なのです。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して完全な家庭を成す所なのです。

3 「統一原理」と創世記を見れば、すべての万物は人のために造られたとなっています。また、私たちが望む理想世界も、人のためにあるのです。ですから、人を愛し、人のために生きようとする世界が天国です。天国がほかにあるのではありません。人のために生き、人を愛そうとする人々が暮らす世界が天国です。

それでは、人のために生き、愛そうとする、そのような所とはどこでしょうか。自分自身を中心として見てみるとき、人を愛し、自分自身を高めることができる所は家庭です。父母の目で子女を見るとき、その子が聞き分けのないいたずらっ子で、一から十まで誇るに値することが一つもなくても、父母はその子を誰よりも愛します。家庭は、愛に満ちた所であり、自分を高めることができる所です。自分の価値を無限なものとして現し得る所です。そこは幸福な所なのです。

4 家庭は、万古不易(ばんこふえき)(永久に変わらないこと)の起源であり礎です。これは父も変えることができず、兄弟も変えることができず、どの国も、いかなる制度でも変えることができません。また世界的にも変えることができず、神様も変えることができません。ですから、家庭には永遠に革命という言葉が必要ありません。家庭は愛の場所なので、革命が必要ないというのです。男性が女性を、女性が男性を愛することにおいては、昔、祖父母が若かった時に互いに慕い合っていたことも、今日、現代の若者たちが互いに慕い合うことも変わりはありません。同じです。思春期の時に感じるものは同じです。

しかし、家庭を築く基礎は千態万象に変わっています。愛する心は同じなのに、家庭としてのその形態は変わっています。これは結局、滅びてしまうようになっています。革命の要素を加えることのできない礎として築かれた家庭は、いかなる主義や思想にも吸収されません。むしろ主義や思想を治め、凌駕します。このような基準が立てられた家庭は、十年、百年、千年たっても永遠に変わることはなく、民族と国家の形態を維持するようになるのです。

5 皆さんの幸福の基地は、国でもなく、世界でもなく、皆さんの家庭です。皆さんの理想も、世界ではなく、皆さんの家庭です。ですから、その家庭の中に理想的な人間がいなければならず、その家庭の中に理想的な愛がなければなりません。そのような家庭があるとすれば、その家庭の父は理想的な父であり、母は理想的な母です。そして、息子も理想的な息子であり、娘も理想的な娘です。また私たちは、理想的な家庭の礎だというのです。ですから、理想的な家庭をつくらなければなりません。

6 人にとって幸せな環境とは、どのようなものでしょうか。幸せな環境にある人とは、父母の愛を受けられる立場に立った人です。その次には、夫婦の愛を互いに授け受けできる立場に立った人です。その次には、子女を愛せる立場に立った人です。その次には兄弟の愛が分かる立場に立った人です。そのような内容が分かってこそ、国家と世界を発展させることができます。したがって、幸福の母体になることができるのは、完全な家庭の円満な父母と夫婦、そして子女を中心とした愛の基盤なのです。

7 私たちは、家が絶対的に必要です。完全な幸福の根拠地である家を離れては、国も、世界も、いかなる目的も成立しません。私たちは、神様が望む家を中心とした父母、夫婦、兄弟にならなければなりません。幸福の要因や願望の要因も、家を中心として国家と世界に広がっていきます。神様が望む出発点と決着点は家です。

しかし、私たちは神様が理想とする家を築くことができませんでした。むしろ破滅と不幸に近づいているのが、私たちが暮らしている家だというのです。最高の幸福の根拠地である家が絶望の根拠地になり、不信の根拠地になるとは誰も知りませんでした。神様は、これを蕩減復帰するために、今まで役事(働き)してきました。そのような家庭的な不幸は、アダムとカインの時から始まったのです。

8 私たちは、良いものがあれば誇りたいと思い、宣伝したいと思います。宣伝したいというのは、関係を結びたいということです。なぜ宣伝や自慢をするのでしょうか。「あなたもこのような関係を結びなさい!」というのです。

人にとって一番良いものとは何でしょうか。父母が一番良く、その次には「私」であり、その次には子女です。このようにして歴史が継承されます。このような内容が集約された所とはどこでしょうか。私たちの生命を結びつけ、生命に連結されたその環境を中心として愛が花咲く根拠地が家庭だというのです。

9 家庭は、一つの代表的な人間が暮らしているモデルです。いかなる人も家庭の基盤を通して人生の道を整え、そこで生み、それを中心として東西南北を往来し、上下を往来しながら生き、そして逝くのです。このように見るとき、家庭の幸福を得ることができなかった人は、国の幸福を求めることができません。いくら国を求めたとしても、国のどこに住みますか。自分が行くべき所がなければ不幸なのです。家庭に行ってこそ、父母がいて、家庭に行ってこそ夫や妻がいて、そして家庭に行ってこそ子女がいるのです。

10 ある人は、「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は、人同士が自分の権益を得る所です。そして、宗教も、神様を見いだすありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。それで神様を見いだすことはできますが、愛は見いだせません。真の愛は、家庭で探さなければならないのです。いくら会社に出ていってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭のない人は不幸な人です。また、いくら政治の分野に進出して大統領になったり、国会議員になったりしたとしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭がなくなるときには、不幸な人です。有名な牧師になり、立派な霊的指導者になって教会の信者から愛を受けるといっても、その愛だけでは駄目です。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。

11 世界をいくら統一したとしても、自分の家庭を統一できない人は不幸な人です。愛の理想は、家庭から実現しなければなりません。家庭は幸福の巣です。ですから、天国は家庭から始まります。この地上に天国をつくるために来られたイエス様が「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」という立場で語られたのも、家庭を標準として語ったのです。

家庭は愛で結ばれています。愛で一つにすることができます。愛は変わることがないので、祖父母の愛が一つになることができ、父母の愛が一つになることができ、夫婦の愛が一つになることができます。愛には統一性が介在しているので、一つになることができます。また、愛には生命あ動機が伴っているので、祖父母の生命が連結されるのです。また理想がここに連結されるのです。祖父母は父母に相続します。すなわち子女に相続するのです。祖父母の子女は父母であり、父母の子女は私たちです。このような愛を中心とした所が天国なのです。

12 人間の生活において、ある人を幸せな人だというとき、何を基準として幸せだと言うのですか。外的な能力、権勢、権威をもっているからといって、幸せな人だということはできません。何不自由ないほどお金があるといって幸せな人ですか。違います。世界的な知識を有していて、世界を意のままにできる位置にあるといって、彼が幸せな人になることができますか。決してそれだけで人が幸せなのではありません。

この地のすべての人間が、幸福の根拠地は家庭だと一般的に感じ、体験し、認めながらも、いまだに幸せな家庭の基準をもつことができずにいます。ですから、問題は家庭です。家庭には父母がいなければなりません。世の中では父母のいない子女を孤児と呼びながら、その孤児はかわいそうな人として扱われます。

家庭には、父母がいると同時に夫婦がいます。父母がいないのもかわいそうなのですが、夫婦のうち一人がいないのもかわいそうなのです。いくら仲むつまじく暮らしていた夫婦であっても、愛する配偶者を失うようになるときは、この上なく悲しみにくれ、不幸になるのです。それだけでなく、夫婦が子女をもつことができなければ、それもやはり不幸にならざるを得ないのです。

13 ある人が社会に進出して成功できず、または社会の一員として堂々とした権威と資格をもつことができなかったとしても、真の父母、真の夫婦、真の子女を中心とした家庭を築き、誰もがその家庭を手本にしたいと思うほど平和に生きているとすれば、その家庭は幸福な家庭であることを否定できません。そのような家庭は、家庭の真の幸福に限定するのではなく、その社会、または氏族を経て民族や国家の前に影響を与えなければなりません。そのような家庭があるとすれば、民族や国家全体が欽慕すべき家庭に違いないでしょう。このように、民族を代表することができ、さらに国家を越えて世界が欽慕(きんほ)できる一つの家庭がこの地球上に顕現するとすれば、全世界の人類はその家庭をあがめるに違いありません。

14 「私」個人が犠牲になって家庭を探し立てなければなりません。犠牲になって探し立てたその家庭の人たちは、「ああ、お父さん、お疲れ様です!」、「あなた、お疲れ様です!」と言うのです。夫に対すれば「ああ、あなた!本当にありがとうございます」と言いながら、感謝の涙を心から流すのです。人間の真の姿が現れるのです。

個人は家庭のために犠牲になります。その家庭に夫もいて、子女もいます。このような思想で一元化された家庭は、幸せな家庭です。母も、自分の夫と子女たちのために存在し、子女は、父母と兄弟のために存在するのです。そのように互いにために生きようとする家庭は空になるので、誰が下りてくるのかといえば、神様が下りてきます。ですから、神様に侍ることのできる家庭が、永遠不滅の理想的家庭にならざるを得ないのです。

  

家庭は天国生活のための訓練所


15 天国は「私」が父母を愛するように、年を取った人々を愛することができる世界、兄弟を愛するように世界の人類を愛する世界、そして、夫婦同士で愛し合うように自分と同年配の人々を愛する世界です。家庭的な心情を中心とした、大宇宙的な人格観を中心として生きる世界です。そのような人々の家庭が全体化した社会的形態が、天国社会だというのです。天国は、私の家庭を拡大した世界、私の兄弟を拡大した世界なのです。

16 天国とは何でしょうか。自分の家族を愛するように、世界の人たちを愛することができるところが天国であり、そのような人が、天国の民です。

祖父母、父母、夫婦、兄弟と子女、この四代とは何でしょうか。天の国の民として、宇宙の真の愛を体験するための教材としての家庭です。教材として「私」に教えてくれる基盤が家庭です。

そのように生きた人は、霊界に行っても国境はありません。どこに行っても、思いどおりに道が開けるのです。

17 天国は、神様の愛を中心として、完全に一体となった夫婦が入るところであり、そのように一体となった夫婦によって生まれる子女たちが入るところです。神様を中心として一体となった家庭と氏族、そして民族をすべて率いて入っていくところです。

ですから、地上で家庭をもてなかったイエス様は、天国に入ることができず、楽園にとどまっています。神様の愛を中心として結ばれた夫婦でなければ、天国に入ることはできません。天国は相対的理念の世界です。それで、家庭が入らなければならず、自分の氏族と国が入らなければならないのです。

18 皆さんの家庭は、天国の主権に代わる立場にあります。父母は主権に代わるものであり、子女は民に代わるものであり、物質はその国の国土に代わるものです。ですから、父母に孝行することが国に忠誠を尽くすことであり、父母に孝行することが聖人の道理を果たす道に通じるのです。

19 父母の愛、夫婦の愛、そして子女の愛の三大愛をすべて実現するようになれば、四位基台が形成されます。その四位基台が備えられたところには、神様が間違いなく来られるのです。四位基台の愛があるところに神様が臨在されるのです。ですから、神様を迎えて千年、万年暮らしたいと考えなければなりません。その場所が天国の基盤なのです。

20 無形の神様の愛の理想が実体の人間を通して実現される起点は、人間が神様の対象として完成する瞬間です。

人間が神様を中心として人格が成熟し、心と体が完全に一つになることによって、神様の愛と理想と生命の永遠の対象になるのです。

アダムとエバが神様の子女として理想的な個体になれば、理想的な家庭に発展し、理想的な社会、国家、世界に発展し、絶対愛に感応して得た生命の喜び、幸福の理想、そして調和統一の天国を実現するのです。

21 天国生活は家庭から始まります。ほかのところから始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏を離れたものではありません。ですから、自分の妻や夫をかき抱く時、これは世界の男性と女性が一つになるのだと考えなければなりません。このように、世界の人類を愛したという条件を立てられる場所が、正に家庭なのです。

22 家庭の理想を拡大したものが国家の理想であり、国家の理想をそのまま拡大したものが世界の理想であり、世界の理想をそのまま拡大したものが天宙の理想です。天の国は、家庭をモデルとして拡大させたものなので、家庭で真の愛の道理を体験した人は、世界のどこに行っても歓迎されるようになり、天上世界のどこに行っても、ただそのまま自由に通じることができるのです。

23 家庭は、天国に行くことのできる訓練所です。修練所だというのです。世界には、祖父や祖母のような人々も暮らしています。家庭を拡大すれば、世界と全く同じなのです。父母の年代、夫や妻の年代、息子、娘の年代を拡大したのが世界の人類です。ですから、家庭で訓練されたことを四方に拡大させて、ために生きる愛をもって生きる人は、天国に行くことができます。家庭は、天国に直行できるようにする修練所なのです。

24 人間が、見えない神様の代わりに創造の喜びを感じる所が家庭です。世界を見れば、子女のような人々がいて、自分のような人々がいて、父や母のような人々がいて、そして祖父母のような人々がいます。

彼らを測ることのできる物差しがあると考えてみてください。子女の物差し、夫婦の物差し、父母の物差し、そして祖父母の物差しがあるとすれば、その一つの母体が家庭です。これを拡張すれば世界になります。そのように、自分の家庭の代わりにこれを主体とみなし、この世界を相対のようにして、プラスとマイナスのようにして回るのです。そのように回りながら暮らした人々が入る所が天国です。この世の中は、天国に入れるようにする訓練場なのです。

25 家庭は、理想の国と理想の世界を愛で占領できる訓練場です。さらには、天の国と神様までも占領できる訓練場です。ここから愛を投げて力いっぱい引っ張れば、世界がつながってきて、霊界がつながってきて、そして神様までつながってきます。結局、理想的な家庭とは、宇宙を愛で釣り上げる所です。

26 神様は縦的な父母です。永遠に離れることはできません。家庭で父母に侍るのは、永遠の世界で神様、すなわち縦的な真の父母に侍るための訓練です。そして、天の国は愛の世界です。愛の世界は空気が愛からなっています。そこに適応するために訓練する所が家庭です。真の愛の概念には、与えるという意味が入っています。思いどおりにするというものではありません。それは皆さんが家でするように、容易なことではありません。難しい道なのです。

27 家庭において、祖父母と父母に侍る孝の道理を教材として世界に適応する人は、霊界に行っても、何億万年の拡大されたその歴史を過ぎてきたとしても、通じない所がなく、どこでも歓迎されるのです。ここに平等があり、調和があり、そして統一があります。東西南北が平等、調和、統一です。このような中心が現れれば、自由が広がります。自由は神様と共にあるのです。その位置に通じるようになれば、全被造万物が歓迎します。それが自由の本当の意味なのです。

28 神様の愛を受けることのできる息子、娘として、神様の愛を受けることのできる兄弟として、そして神様の愛を行使できる夫婦として暮らしながら、神様がアダムとエバを愛したのと同じように、第二創造主の立場から、自分の息子、娘を愛し、それから逝くのが人生行路です。始まりも愛であり、過程も愛であり、終わりも愛です。愛の教科書に一致する完成品として入っていく所が天国です。そこに入っていく場合には、個人として入っていくのではありません。家庭全体が入っていかなければならないのです。

29 家庭には、祖父母、父母、それから息子、娘がいます。世界も同じです。自分の祖父母よりも世界の祖父母の年齢の人々を一層愛し、自分の父母より世界の父母の年齢の人々を一層愛し、自分の息子、娘より世界の息子、娘の年齢の人々を一層愛することのできる訓練さえできていれば、天上世界で数多くの人々といつも通じることのできる完成体になるのです。

30 家庭で父母を中心として、夫婦を中心として、子女を中心として、家庭の人たちが不変的な愛で一つになった家庭になっているでしょうか。家庭的宝物になっているでしょうか。宇宙が見つめるときに、失うことのできない、あらゆる人間が願うことのできる家庭をもったのでしょうか。そのような家庭を単位として、それを横的に拡大するとき、神様が愛することができ、放っておくことのできない氏族圏をもたなければなりません。それから、その基盤を拡大して民族圏をもたなければなりません。その民族圏を拡大して国家圏をもたなければなりません。その国家圏だけではいけません。世界圏をもたなければなりません。また世界圏だけではなく、霊界圏まで地上世界に連結される愛の統治の舞台と統一された権限をもたなければ、人間は完成できません。人間が解放される道がないというのです。

31 本来、神様が創造理想として男性と女性を造られたのは、愛のためでした。ですから、愛の生活をした人が天国に入るのです。天国が実りを収穫して刈り入れる倉庫ならば、愛を中心として夫婦になって築いた家庭の入る所が天国です。その家庭を標榜して地上で私たちの家を完成することによって、「私」の故郷全体が自分を歓迎するようになります。その人は、神様の愛の懐に抱かれて、愛を受けることのできる代表的な息子、娘であり、孫、孫娘です。これを皆さんの家庭で実践躬行することによって、天の国に直行できる立場に立つのです。

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第一節 思春期の変化と男女の愛

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第一節 思春期の変化と男女の愛


1 神様には、アダムとエバを万物の主人公として立てて願われた目標がありました。彼らに神様の愛の感情が宿り、万物を造られた神様の創造の感情が宿ることを願われたのです。思春期に差し掛かると、万物に接するときに神秘的な感覚を感じるようになります。皆さんも情熱が最高潮に燃え上がるときに詩を書けば、驚くべき詩を書くことができます。同じように神様は、大宇宙の心情を備えた人間として完成することを目標に設定し、人間を造られました。

そして、人間がその目標どおりに成熟することを待ち望まれました。時を待ったのです。彼らが成熟すれば成熟するほど、男性が女性に、女性が男性に接するとき、それぞれ互いを大宇宙全体の実体として感じるように願われたというのです。彼らの感情世界に神様も入り、万物も入ることができる程度にまで人間が成熟するように願ったのです。

  

思春期の変化と成長


2 思春期の時期には、天下の王者になった気持ちになります。自分を中心としてあらゆることを考える時期です。このように思春期の時代は反発する時代なので、自分を分かってくれなければ、いくらでもほかの道に行きかねません。ですから、今日、青少年たちの問題が世界的な問題になったのです。

思春期の時は、どんなことでも自分を中心にしなければ喜びません。しかし、自分と関係を結んだときは、それがいくら微小なものだとしてもうれしくなります。二十歳前後になる娘たちをよく見ると、訳もなく笑います。秋に葉がみな落ちた柿の木から、熟した柿がぼとりと落ちるのを見ても笑います。それは訳もなく通じるというのです。すべてのものが自分と関係を結んでいるので、最高の感情が誘発されるのです。

したがって、思春期というものは、あらゆるものに接して縁を結ぶことができる転換点です。神様の愛を中心として、男性と女性を一〇〇パーセント一つにするための神様の創造本性が土台になっているからです。

3 思春期の時、未婚の男性と女性が互いに出会って会話を交わすときは、胸がどきどきします。そして、興奮するようになれば、心臓に変化をもたらします。しかし、その心が神様を中心とせずに反対の立場に立てば、悪になります。

心は神様を中心にしなければなりません。その神様を中心とした心と心情が一つになる立場に上げてくれるのが愛です。このような立場において一生涯を過ごすべき人間なので、人間は愛を中心とした理想と希望をもたなければならないというのです。

4 男性を完成させ、女性を完成させるときには、主体と対象の関係を結ぶための愛の力が存在します。愛の力は、男性が完成し、女性が完成して思春期時代を過ごして生じます。愛の力は、男性よりも強く、女性よりも強いので、統一させることができるのです。

ですから、男性も女性も、互いに夫婦にならなければならないのです。愛の道においては、自分の生命までも捨てます。それは生命よりも強いのです。男性や女性が成熟すれば、思春期の時代に必ず立体的な力によって、相対を慕わしく思うのです。

5 人間にとって最高に幸せな所は、人倫と人情、天倫と天情が一つに一致する場所です。神様が人間を対象として造られたとすれば、神様が主体者として、その対象としての完全な価値を認めることができる時は、成熟した時です。愛を中心として与え合える時です。相対者が主体者を見分けることができる時は、成熟した時だというのです。男女が成熟すれば、思春期に入るのです。

6 思春期に、女性たちが男性たちを考えるとき、「その男性は世界を代表した男性だ」と考えようとします。その時は、すべて詩人になったり、作家になったりします。天下を引き込んで自分の胸に詰め込みたいと思い、大海を抱いて歩きたいと思うのです。それゆえに、青春時代は良い時代です。横的な立場で主体と対象が相まみえるに伴って、互いに距離が近くなり、縦的な立場で神様と人間が近づくからです。男性と女性が成熟して真の愛で結ばれるとき、神様が創造される時に、投入して消耗したあらゆるものが結実し、初めて返ってくるというのです。

7 いくらきれいな娘にも、思春期はたった一時しかありません。その時は花の中の花であり、一生で最も貴い時です。それにもかかわらず、「私一人で暮らそうか」と考える女性がいますか。それは女性ではありません。また男性たちの中でも、体格が良くて立派で、とても良い若者に、自分一人で生きよう、という人がいますか。そのような時には、必ず相対を求めるようになります。誰に似てそのようになるのでしょうか。神様に似てそのようになるというのです。神様がそうではないのに、そのような人が出てくるでしょうか。神様がそうだというのです。一生の最も貴い時である若者の時、相対を求めていくのは男性も女性も同じです。

8 皆さんは今、愛を思いどおりにできるようになっていますか、できないようになっていますか。街頭で男性が呼ぶからといって、ついていくようにはなっていません。皆さんは、時が来るまで、自分の身をよく保護しなければなりません。純情を得体の知れない男性に任せてはいけないというのです。街頭で偉そうに振る舞い、ふらふら歩き回る男性たちは、すべて得体が知れない者たちです。自分の運命をそのような男性に任せますか。簡単な問題ではありません。一生に一度しかないので、一歩間違って踏み込んだ日には、自分の一生が左右されるのです。これは男性もそうだというのです。ですから、今までは女性に節操を守りなさいと言いましたが、これからは男性も節操を守らなければなりません。いくら世の中が不道徳で、いくら世知辛い世の中でも、皆さんは行くべき正常な道から外れる行動をしてはいけないのです。

9 青春時代に純情を失ってしまったアダムとエバの恨を踏み越え、蕩減できる貴い時である思春期に、純情を汚してはいけません。その純情をきれいに貴く保存して、「千代、万代、一人で行くとしても、愛が蹂躙されることは絶対にあり得ない」という志操と決意をもたなければなりません。

民族を愛し、国を愛さなければ、「私」が愛することができる人に出会うことはできません。世界を愛さなければ、愛する人を得ることができないというのです。これが統一教会の伝統的な思想です。ですから、神様を愛し、世界を愛し、民族を愛したあとに、自分の妻を愛し、夫を愛することができます。これが原則なのです。

10 「万物之衆惟人最貴(マンムルチチュンユインチェキ)(万物の中で人が最も貴い)」という言葉があるように、最も貴いという人間においても、春の節気があり、秋の節気があります。そのように見るとき、結婚する前までの成長期間にある若い男女は、春の節気だと言うことができます。春の節気では、寒い気候がだんだんと暖かくなって、花が咲き、香りを漂わせる緑の園をつくり、生い茂る夏を迎えるためのあらゆる準備をするのです。そのように夏の節気を過ぎ、秋の節気を迎えて収穫期を迎えるのです。人間にとって春の時がいつかというと、皆さんが成長真っ盛りの思春期の時期なのです。

  

創造本然の男女の愛


11 女性として生まれ、男性として生まれたのは、真の愛の合徳(和合)のためだと考えればよいのです。女性も陰と陽から成り立っていて、男性も陰と陽から成り立っています。「統一原理」で見れば、陰と陽は性相と形状の属性だといいます。個体を見れば、「私」にも陰と陽があります。陰と陽は、性相と形状を受け継ぐための属性です。本来、これは愛のために分立されたものです。

12 主体と対象、すなわち陽性と陰性は何を中心として一つになるのでしょうか。愛は概念であり実在です。愛が定着できる実在とは何でしょうか。男性が男性となり、女性が女性になるようにするものが何なのか知らなかったというのです。それが正に生殖器です。すべての男性たちはそれが自分たちのものだと思い、また、すべての女性たちもそれが自分の所有だと考えるので、世の中がこのように滅びていくのです。お互いに主人を間違えています。皆さんは、愛は絶対的であり、永遠なものだといい、夢のようなものだと考えていますが、その永遠の愛の主人が入れ替わっていることがはっきり分かったとすれば、世の中がこのようにはならなかったでしょう。

13 愛を占領しようとすれば、投入して忘れ、また投入して忘れてしまわなければなりません。なぜそのような愛をもたなければならないのでしょうか。愛は、動けば動くほど小さくなるのではなく、大きくなっていくものだからです。力学世界での自然現象は、動けば動くほど、作用すれば作用するほど小さくなります。真の愛の世界は、動けば動くほど大きくなっていきます。神様がそれを御存じだったので、真の愛を中心として創造を始めることができたのです。

人が成長して、初めて動き始めるとき、愛を中心として動こうとします。未婚の男女もみな大きくなったあとには、愛を中心として動こうとします。自分一人だけで考えていた、その目が変わります。横を眺めるのです。恥じらうことなく澄ました乙女たちも、思春期になれば、わき見をしながら、父母だけを見つめていた目が横に行くのです。それは悪いことではありません。自然現象です。自己保存のためであり、大きな舞台で相対世界をもつためなのです。

14 皆さんはどのように生きたいですか。簡単です。目が飛び出るほど見たいと思い、鼻が詰まるほどにおいを嗅ぎたいと思い、鼓膜が破れるほど聞きたいと思い、手がこわばるほど触りたいのです。そのようなものが世の中にあるでしょうか。それはお金でもなく、知識でもなくて、権力でもありません。愛です。愛は握れば握るほど、もっと握りたいと思うのです。また放せば、ただそのまま一度に完全に解放させてくれるのです。すべてのことを可能にするものが愛です。

二つの目の焦点が合わなければならず、鼻も焦点が合わなければなりません。耳も焦点が合ってこそよく聞こえます。三半規管で均衡が合ってこそ、バランスが取れます。すべて焦点上において生きるのが人間です。その統合的な焦点とは何でしょうか。目の焦点、耳の焦点、鼻の焦点、口の焦点、触覚の焦点がありますが、そのすべての焦点の根とは何でしょうか。焦点の根になり、動くようにすることができるのが愛なのです。愛のほかにはないというのです。

15 相対がいなければ、愛の主人の位置に、永遠に立つことはできません。男性を完成させるのは女性です。女性だけが男性を愛の主人とし、男性だけが女性を愛の主人にするのです。そのほかの主人は、偽者たちです。その鍵は、一つであって、二つではありません。

16 神様のみ旨とは、創造目的の完成です。個人は、神様の愛の圏内に入らなければならないのです。堕落人間は、いくら努力しても、万事に通過して合格する道はありませんが、神様が絶対的な条件をもって万事がすべて百点と認定される愛の道を許諾したので、その愛の特権を受けるために宗教圏を形成し、絶対的に信仰を維持する型が生まれるようになったのです。心と体が一つになった中で、神様の愛が共にある相対的基盤を備えた男性と女性が祝福を受けて結婚してこそ、初めて火山が噴火するように爆発するのです。天地が振動するのと同時に、愛が成立するのです。

17 神様の愛が人間の三大愛を中心として、共に花咲く家庭を完成することが世界の願いであり、人類の願いであり、未来の願いです。これが、天地の法度の前に歴史の香りを放ち、新しい花として登場する貴く美しい夫婦の愛なのです。

18 統一教会でいう理想的な夫婦とは、最高の芸術を実体として展開させる夫婦であり、最高の文学を展開させる夫婦です。最高の理想、世界最高の文化世界に接する前に、最高の愛で夫婦が授け受けする甘い愛が、世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければならないのです。

19 結婚して夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国と天上天国の出発地です。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭を築いて、平和と理想の出発基地になるのであり、片方の男性と片方の女性が一体となって、神様の相対として神様の理想の愛を完成させるようになるのです。

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第二節 祝福結婚の意義と価値

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第二節 祝福結婚の意義と価値


1 「祝福」とは、福を祈ることです。祝願するの「祝」の字です。福を祈るのに、どのような福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。このような宇宙の公約を代表した最も核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。祝福が最高の福なので、統一教会では結婚式を「祝福」と言います。統一教会で「祝福を受けた」といえば、今日、この世で言う「福を受けた」というものではありません。統一教会の先生を通して結婚式をするようになったということです。

  

結婚する理由


2 結婚は、神様の姿に似るためにします。神様は、二性性相としていらっしゃるお方であり、各一性が合体した一体的な存在であり、その神様の分性的な人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。

3 男性と女性は互いに半分にしかなりません。ですから、女性は男性の世界を占領しなければならず、男性は女性の世界を占領しなければなりません。そのようにすることによって、完成するのです。正の位置にいらっしゃる神様から分立された二性性相を、再び愛で合わせて神様に似ていくのです。

神様と人間は、主体と対象の愛を中心として一つになるようになっています。神様が二性性相をもって生きるのも、愛のためです。人間にとって貴い代表的なものが息子、娘であり、兄弟であり、夫婦であり、父母です。人は子女、兄弟、夫婦、父母の過程を経なければ、完成者になれません。ですから、結婚しなければならず、息子、娘を生まなければなりません。これが公式であり、回っていく一つの軌道なのです。

4 なぜ結婚をするのでしょうか。アダムとエバが自らの愛を求めていくためではありません。縦的な神様の愛を核として、その核を中心として、客体として一つの球形をなすためなのです。神様の創造理想もそのような愛を中心として決着するのであり、人間の男性と女性も成熟してそこで愛の結着点が展開し、生命が連結されるのです。ですから、生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的な父の愛と横的な夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるのです。

5 結婚は、神様を愛するためにします。神様を愛して、神様の軸と一致するためです。一致すれば、絶対的な神様の永遠であられる愛を中心として、永生が展開するのです。それだけではありません。そのように接触したところから宇宙の相続権が伝授されるのです。愛を中心として造られた被造世界は、神様のものですが、「私」のものとして相続されるのです。

6 男性と女性が個性完成をしようとすれば、相対完成をしなければならないので、結婚しなければなりません。結婚しなければ、愛の圏内に行けません。なぜ結婚しなければならないかといえば、互いに神様の愛に接するためです。神様の愛に接するために、男性と女性は結婚しなければなりません。男性と女性が結婚するようになって、神様の愛を中心として一つになるその時から、宇宙と神様御自身を相続させてくださるのです。神様の愛まで相続させてくださり、神様に属するあらゆるものを相続させてくださるのです。

7 結婚は、自分の個人的愛を完成させると同時に、相手側の愛を完成させるためにするのです。個人の愛を完成すると同時に、神様の愛を完成させるために「私」が結婚するというとき、気分がどれほどいいでしょうか。

地上に神様が愛することのできる土台を準備するために、男性と女性は結婚しなければなりません。二人が愛で一つになったその基準の上に、初めて神様の愛が訪ねてくるのです。結局は、神様の愛のためなのです。神様の愛を自分がもつためです。

8 男性の前にいるその女性は神様の娘であり、人類を代表した女性であることを男性たちは知らなければなりません。自分の花嫁である以前に人類を代表した女性であり、神様の娘であることを知らなければなりません。人類が愛する女性として愛することができ、神様が愛する娘として愛することができるとすれば、夫になることができるのです。そうでなければなりません。女性はその反対です。「あの人は私の男性だ」と考えてはいけないというのです。「私」の男性だという前に神様の息子であり、人類のすべての男性を代表した男性と考えて、人類が愛する以上に「私」が愛し、神様が愛する以上に「私」が愛し、ために生きてあげなければならないのです。

9 「男は右足になり、女は左足になって人類のために生き、神様のための愛の足跡を残す家庭をつくって幸せになろう」という夫婦になることを神様は願われます。右足は夫であり、左足は妻だというのです。片方の足を引きずるようにして歩いてはいけないというのです。「私が間違いなく正しく歩きます」と言わなければなりません。そして、まっすぐに歩かなければなりません。そのようにしてこそ、結婚する資格があります。「私が夫と会って喜ぶのは、人類と会って喜ぶことであり、神様と会って喜ぶことだ。私が夫を愛するのは、人類を愛することであり、神様を愛することだ」と言わなければならないのです。

  

祝福の意義と価値


10 統一教会では結婚を祝福といいます。自分が独りで愛を求めていく孤独な道を捨て、男性と女性が孤独なときに互いに慰労することができ、うれしいときに一緒に喜ぶことができ、困難なときに力になってあげられる相対的立場に立ち、一人は右足になり、一人は左足になり、一人は右手になり、一人は左手になって、神様を称賛して神様の愛を自分たちの生活舞台に広げていく生活が結婚生活なのです。

11 人間の先祖であるアダムとエバが堕落したその日から、人間は神様が祝福してくださるひと日を待ち望んできました。その祝福の日のために中間の役割を果たすのが宗教です。統一教会は、嫡子を探し立て、すべてのものを相続しようとするのです。

蕩減の過程を経なければ祝福を受けることはできません。その理由はサタンが存在するからです。地上にいる祝福家庭のみ旨に対する基準に従って、相対的に霊界にいる先祖たちのあらゆることが決定されます。この日のために先生は、精誠を尽くしながら闘ってきました。祝福は、真の父母を継承することです。ですから、真の父母がサタン世界と闘った看板を掛けて祝福するのです。

12 祝福が行われる今の時は、神様の願いが成就される最高の時であり、六千年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地に来て苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成就される時です。それだけでなく、その息子の家庭を中心として愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊敬と栄光を受けることができる時です。罪悪がすべて消え、光明の太陽が昇る明るい天地を迎える日であり、すべての自然が和鋤し、すべての動物が踊りを踊るのどかな朝、勝利の朝を迎える日なのです。

13 結婚する時間は、神様の愛を相続する時間です。そして、再創造の権限を相続します。神様がアダムとエバを造っておいて感じられたその喜びが、結婚を通して広がるのです。その次には、主管圏が広がります。完成圏で祝福を受けることによって、このように一番貴いものを受け継ぐようになります。ですから、結婚式というのは、愛の顕現をいうのであり、理想的な創造圏を賦与されることをいうのであり、主体者や対象者として互いに主管圏を賦与されることをいうのです。

14 神様が男性と女性を造り、三大祝福をしてくださったのは何であったかというと、家庭完成の理念によるものでした。「生めよ、ふえよ……地に動くすべての生き物とを治めよ」(創世記一・二八)と言われた三大祝福は、個人が完成するものではありません。家庭において完成するものです。ですから、家庭は個人が定着できる安息の場です。一つの理想の基地です。いくら優れた男性や優れた女性だとしても、その家庭に父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、兄弟がいなければならないのです。

15 なぜ絶対的に男性には女性が必要で、女性には男性が必要なのでしょうか。絶対的な愛のためです。絶対的な愛は、なぜ必要なのでしょうか。神様を占領するためです。なぜ神様を占領しなければならないのでしょうか。神様を占領すれば、神様が「私」のものになるからです。愛には相続権があり、同居権と同参権もあります。ですから、神様が私のものになり、神様の被造物すべてが私のものになるのです。

16 結婚の目的は、自己完成と宇宙の主管にあります。自己完成とともに宇宙を掌握し、未来の世界を包容するのです。自分を完成して神様を占領し、永遠に神様と共に創造理想を完成することに協助した相手として残ろうというのです。ですから、神様が善の息子、娘を創造されたので、善の息子、娘をたくさん生んで、育てなければなりません。子女を生もうとしないのは罪です。

そのようにして神様が治める世界、神様が創造された被造世界を無限に拡張するのです。神様が御覧になって喜ばれる理想世界をつくるのです。これが三大祝福です。個性を完成すれば、神様が治める世界に対する所有権が生じます。そうなると、喜びが倍加されます。子女を繁殖すれば、横的な世界に喜びが満ちあふれるのです。

17 霊界に行ってある女性の中をのぞいてみると、笑っている顔の男性がいます。それで、「男性の顔が見えますが、それは誰ですか」と尋ねれば、「夫です」と言うのです。一つになっているので、二つに分けられません。死んでも、永遠に共に生きていくのです。そのように愛し合った男性は、女性の胸の中で一つになっています。また男性の中には愛する夫人がいます。それが幸福です。結局、これは神様に帰るということです。

二性性相の実体圏は、真の愛によって神様の相対として立ち、神様のところに帰るのです。正分合です。一つだった性相と形状が分かれたあと、実体としてまた出会う、それが男性と女性の祝福です。ここに神様も来て一つになり、男性と女性も一つになって、ここですべて統一されるのです。

18 男性の完成は女性がいなければできない、ということが分かりませんでした。男性と女性は互いに半分なので、互いにために生きるところでのみ、完全な存在になります。二人が一つになって互いにために生きるので、神様がために生きてくだされば、お返ししてさしあげる資格をもつ者になり、神様の愛の相対になります。

ですから、女性は男性を完成させ、男性は女性を完成させて、男女の愛で完成した人たちは、神様の愛を完成させることができます。神様より偉大だというのです。愛の相対は自分より優れていることを願います。千倍より万倍、万倍よりも億万倍、億万倍より無限億万倍優れていることを願うのです。無限億万倍より永遠に無限億万倍優れていることを願うのです。それはどこから来ましたか。先祖から来たのです。先祖の根本は神様なので、神様から来たというのです。神様も自分の愛の相対は自分より何億万倍優れていることを願うのです。これが天地の原則です。

19 アダムとエバが堕落せずに完成していれば、祝福の場に参加していたはずです。言い換えれば、アダムとエバは、神様の実体対象として、神様が主体となれば彼らは対象になります。そのような立場で、愛の主体となられる神様から対象的な立場の愛を連結させることのできる土台は、結局、完成することによって形成されます。

完成とは、結婚のことをいうのであり、結婚とは神様の愛の顕現をいうのです。結婚がなければ、人類世界に愛が始まりません。その愛の主人は、人間ではなく神様です。その神様の愛が人間の中に現れるようになるとき、真の愛になります。また、人間の中にその天的な真の愛が形成されるようになるとき、それが神様の誇りとなり、喜びとなるのです。神様の愛として感じることができるのです。

20 福の中で最も貴い福は、神様の愛です。最初は、神様の愛の福を受けるのです。その次には、神様の創造の権限を引き継ぐのです。神様が愛を中心としてアダムとエバを創造し、喜ばれて希望をもったのと同じように、人間にも平面的な、横的な基準で創造の権限が賦与されるというのです。その喜びを賦与されるのが子女です。

皆さんは、なぜ子女を愛さざるを得ないのでしょうか。それは、神様の創造の偉業を横的な実体圏で受け継いだのと同じだからです。アダムとエバを造って神様が喜んだ、その喜びを人間も感じるのです。神様の愛を受け継ぎ、神様の創造の権限を受け継いだのです。神様が全天地万物を主管されるのと同じように、私たちは横的な立場にありますが、私たちに万物を主管できる権限を賦与したのです。

21 皆さんは、祝福の価値を知らなければなりません。その一時を望む再臨時代には、祝福の基準を完結しようというのです。歴史を代表し、天地を代表し、万民を代表して、摂理の全体を代表してすべての問題を解決し、すべてのものを決定して一カ所に越えてくることによって、新天新地が出発するようになります。祝福の関門とは、このように途方もないのです。これは、イスラエル民族を差し出しても買えないものであり、数多くの預言者や烈士たちと取り替えられないものであり、六千年間神様が苦労されたすべてのものとも取り替えられないものであり、二千年間イエス様と聖霊が苦労したすべてのものとも取り替えられないものであり、今まで万民が苦労したすべてのものとも取り替えられないものなのです。

22 先生の生涯で最も貴いと考えたものが何だったかというと、祝福でした。皆さんにとっても、有史以来、最高の贈り物は祝福です。神様の祝福を受けた者は、神様の代身者です。したがって、皆さんが祝福を受ければ、家庭を備えてサタンを屈服させなければなりません。サタンを審判しなければならないというのです。その次には、四位基台を復帰して勝利的な主管者にならなければなりません。

23 天の父母と地の父母が愛を中心として一つになるのが結婚式です。初日に男性と女性が一つになるのです。「合徳」という言葉があるでしょう。一つの体になったところには神様が入っています。内的な性相と形状である神様が外的な性相と形状、アダムとエバに入り、愛によって二つの世界が一つになります。

霊的世界の見えない性相と形状がプラスであり、見える世界の性相と形状がマイナスです。大きなプラスと大きなマイナスが初めて一つになります。どこで一つになるのかといえば、愛の器官で一つになります。そのように一つになってこそ、そのアダムとエバの体を通して生まれた子女が、神様の息子であると同時に真の父母の息子になるのです。

24 完成して祝福を受けることができなければ、神様の形状も失い、神様の愛の相対も失います。神様のみ旨どおりになろうとすれば、第一に、形状をまとって愛の相対を探さなければならず、第二に、家庭のために、その子孫のために、国のために息子、娘が必要です。それが家庭です。家庭が完成する日、その家庭が成立する日、神様の形状をもつようになり、愛の相対をもつようになり、愛する息子、娘をもつようになります。それでは、これが何で一つになるのでしょうか。血統です。中心の根と幹と芽がすべて一つです。根が一つです。神様の血統を受け継がなければなりません。見えない神様の血統と、見える神様の血統を受け継がなければならないのです。

  

祝福を受ける人たちの姿勢


25 祝福は、天地で最も貴いものです。同時に、極めて恐ろしいものです。もし夫婦が、互いに他のことを考えるとすれば、相手を蹂躙することです。皆さんから善の先祖、地、国が生じるのです。ですから、祝福を受けた人は、日を開けさえすれば、天地を考えなければなりません。祝福は、人に福を分けてあげるためのものです。夫婦は、お互いに心の母、父にならなければなりません。世の中の人たちが、「私たちもあなたたちの家庭のような家庭をつくりたい」と言うようにしなければならないのです。

26 統一教会は、家庭の伝統を尊重します。ですから、先生がしてあげた祝福には、万世のいかなるものとも替えられない価値のある内容があるというのです。ここに汚点や傷を残すことは一族の恥になり、一国の恥になり、そして、人類歴史を代表する恥になることを知って、家庭の再創建の確立のために全力を尽くさなければなりません。

27 祝福の場は、途方もない場です。ここでは、適当に自分の感情を通してすることは不可能です。一つの生命の価値は宇宙よりも貴いのです。したがって、一人に責任をもつときは、永遠を中心として責任をもたなければなりません。このような問題が左右される場が祝福の場です。ですから、自分の一生においてそのような一時をもったとすれば、彼は幸せな人です。このような途方もない祝福の場に皆さんが加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。

28 祝福の場は、皆さん自身の一代にたった一度しかない、最も貴い関係を決定する場です。ですから、皆さんはたくさん祈らなければなりません。精誠を尽くして祝福の場に来なさいというのです。相手を見ようとしてはいけないというのです。一番醜い人と結婚しようという考えをもたなければなりません。「私があの醜い人と巡り合うとしても、その人と幸せに暮らそう」と考えなさいというのです。

それなのに、唐突に自分一人で浮き足立ち、この人に心が飛んでいったり、あの人に心が飛んでいったりすれば、困ったことになるのです。自分のために祈る人は欲張りです。かえって祈らずに、「あなたのみ前にすべて委ねます。愚かな私が迎えるべき相手はいないでしょうか。ただ父の計らいのままにしてください。そのまま一人で老いて死になさいと言われれば、喜んでそのように生きて死にます」と考えなさいというのです。

29 結婚は、むやみにするものではありません。道端でたまたま出会った人同士でするものではありません。自分たち同士で親しくなったといって結婚すれば、結婚してすぐに異変が起こるというのです。自分たちなりの立場で通過しようとする、そのような立場に絶対に立ってはいけないというのです。祝福とは国のために、世界のためにするのです。また、それがすなわち後代のためなのです。

30 男性も女性も、今までみ旨が分からないときは、自分の思いどおりに生きたでしょう。未婚だというのは名ばかりで、男女の関係をもったという過去の汚点があるとすれば、とめどない涙で悔い改めなければなりません。そうすれば、祝福の期間を通して神様が赦してくださるでしょう。

一番福のあることは、純潔な女性なら女性として、純潔な男性なら男性として、神様が喜ぶ立場で天上のみ旨に従って互いが敬拝を捧げることです。そのような人は天地の幸運児です。天下の人生行路において、万事において成功した人です。そうでなかったならば、はらわたがひっくり返り、腹の中がひっくり返る立場で、天地がひっくり返る懇切な悔い改めをしなければなりません。きれいな心と体をもって「お父様、私は恥ずかしい体でございますので、どういたしましょうか」と言うとき、お父様が「分かった、私はあなたの気持ちをみな知っている。赦してあげよう。そのようなつらい峠を越えてきたことが父の喜びだ」とおっしゃるというのです。ですから、「すべて分かったうえで私が赦してあげよう」という、天の同情の力が自分自身にとどまることができる立場で祝福に参加しなければなりません。そのようにしなければならないのが、原則的な姿勢なのです。

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第三節 祝福結婚を通じた重生

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第三節 祝福結婚を通じた重生


1 アダムとエバは、エデンの園で、霊肉を中心として神様と一体にならなければなりませんでした。ところが、アダムとエバは神様と一体になることができず、真の父母の位置を失つたので、人間は神様を中心とした真の父母から再び生まれなければなりません。

聖書を見れば、イエス様がニコデモに「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」ハネ三・三)と言いました。すると、ニコデモは「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」ハネ三・四)と尋ねました。人は新しく生まれなければなりません。自分が生まれたこと自体を否定し、再び生まれなければなりません。重生するためには、自分自体を否定しなければなりません。否定しなければ、再生の動機を整えることができないのです。

  

重生と血統転換


2 堕落した人間は、神様を中心とした直系の血縁関係をもって生まれることができませんでした。ですから、これを否定し、神様と新しい関係を結んで、本来の位置に戻らなければ、祝福の位置に進むことはできません。言い換えれば、私たちは、堕落した死亡の世界で生まれたので、神様を中心とした生命の世界に戻るためには復活しなければならないというのです。新しく誕生しなければならないのです。

3 重生されるには、イエス様を誰よりも愛さなければなりません。堕落圏内のサタンの愛の日陰の前に立てられた、どのような愛よりも、神様を中心として一層愛し、このサタン世界の愛を凌駕しない限り、神様と連結される道がありません。これが受難の道であり、宗教者たちが行かなければならない困難な道です。

キリスト教徒たちもイエス様を思慕し、目が抜け落ちるほど、心がとろけるほど、「新郎であられる主よ、おいでください」と二千年間叫んでいます。体が裂け、胸が張り裂け、骨髄が溶け出るような路程を通過して、体の中にいるのか体の外にいるのか分からず、神様とイエス様しか存在しないという境地に入るようになるとき、初めて聖霊が臨んで、霊的な赤ん坊として再生できる霊的重生の役事が起こるというのです。

4 皆さんが祝福を受ける最後の目的は、どこにあるのでしょうか。真の家庭を取り戻そうということです。これが堕落した人間が探し求めてきた最高の目的です。この真の家庭を形成するためには、真の人が現れなければなりません。真の人の中でも真の男性が先に出てこなければなりません。そして、その真の男性が真の女性を探し立て、神様を中心として聖婚式をすることによって、初めて真の家庭が出現するようになります。

人間が堕落することによって、このような起源をもつことができなかったので、私たちは今までのすべての家庭を否定し、新しく神様の摂理のみ旨に従って、このような家庭の基準を踏み越えていかなければなりません。もし、その基準を越えていくことができなければ、堕落した人間は本然の世界に戻ることができない、というのが原理的な見解です。堕落した人間は、誰でもこの公式的な条件を経ていかなければ、神様のみ前に立つことができないのです。

5 神様の心情は、理論では連結されません。血統を通してのみ連結されるのです。皆さんは、神様の心情の血統を受けましたか。今までは知らなかったというのです。ですから、皆さんが祝福を受ける前に、血統転換式があります。その時は、「私」は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が私から始まるという信念をもたなければならないのです。

6 神側では、サタンの偽りの愛の圏にいる人間を、より大きな神様の愛で取り戻して重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通して生まれたので、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の血統を通して再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になります。

人間は新しく生まれなければなりません。これは堕落人間の運命の道です。私たちは、いかなる困難があっても、この道を行かなければならないのです。救援歴史が神様の血統に接ぎ木する重生の歴史なので、「私」に属した過ぎし日のすべてのもの、すなわち所有観念、伝統、意識、その一切を完全否定しなければなりません。既にもっているものは、神様にそのまま認定を受けることはできません。一旦取り消して整理したあと、新しく生まれなければなりません。これは木を接ぎ木するとき、根元の部分だけ残してみな切ってなくし、接ぎ木するのと同じなのです。

7 人類が願うのは真の父母に侍ることです。六千年前にアダムとエバの聖婚によって、全人類が神様の子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落によって人間は、サタンの子孫になってしまいました。ですから、六千年前に失った天の側である真の父母を、再びこの地上に探し立て、真の父母の愛を通して重生しなければなりません。そうしてこそ天国の民になることができるのです。

8 エデンの園で結婚を誤ったのが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させてあげることによって、再びひっくり返すのです。

偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃して数百、数千億の霊界の先祖たちまで祝福をして、本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。

9 養子は、真実の息子に接ぎ木されなければなりません。野生のオリーブの木を切って、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木になるようにする運動をしなければなりません。重生するためには、真の父母の血統を受け継がなければならないのです。人類が願うのは真の父母であり、イエス様と聖霊が願うのは小羊の婚宴です。

10 サタンの血統を取り除いてしまうことは、メシヤがします。しかし、除去されるようにする行動は、自分がしなければなりません。そこに一体になって従順にしなければなりません。このような基準が成立しない以上、私たちは救援されません。それは、死ぬか生きるかという境地を通過しなければならないのです。そこを通過してこそ、悪の血統が除去されます。生死が交錯する境地に入らなければなりません。死の境地を手探りしていかなければならないのです。

11 血統転換は、誰もできませんでした。先生がしてきたのです。それで、先生が涙ぐましい心情的十字架を負って現れたのです。そのような偉大な基準があるので、皆さんは何の功労もなく祝福を受けました。そして、祝福を通して新しい血統を受けました。

血統転換の勝利圏を立てるとき、数千年の神様の労苦を土台にして、実体を中心とした先生の労苦の生涯が付け加わって立てられたのです。その上に、神様と先生を踏み台にして立った人々が皆さんです。祝福を受けるということは、悪の血統を切ってしまい、新しく接ぎ木することです。接ぎ木することによって、血統が変わるのです。

12 真の父母が必要なのは何のためでしょうか。心情圏を中心としてその根を下ろすためです。今は根が違います。堕落によって幹と枝がすべて変わりました。ここで新しく統一教会が根を下ろし、真の父母から始まって、幹と枝が出てきて接ぎ木するのです。切り取って接ぎ木し、それが宇宙の大きな主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根っこまで切ってしまわなければならないのです。

  

血統転換のための主要儀式


13 約婚式をしたあとには聖酒式があり、その次に結婚式があります。この約婚式と聖酒式、そして結婚式は、何かの前例に従つて行う式ではありません。堕落したすべての内容をもう一度、象徴的に再現させて、それを蕩減するために行う不可避な行事なのです。

14 堕落した人間は、サタン世界の偽りの愛によって汚された過去のすべての愛を否定して、新たに神様の愛を中心として真の父母の愛を再現させることのできる復活の実体を備えなければ、祝福の場に進むことができません。ですから、聖酒式は真の父母の愛の関門を通して、新しい生命の基準を完成することを約束する儀式です。

15 聖酒式は、アダムとエバが堕落したその反対のコースで行います。結婚しようとすれば、約婚式がなければなりません。その次には聖酒式です。そうしてこそ、結婚式に進むのです。皆さんは堕落したために神様の息子、娘になれませんでした。約婚式は、息子を探そうとする神様のみ前に、真の父母の前に「堕落した息子より優れたアダムとエバになりました」と御報告するものです。アダムとエバは婚約段階だったのです。

16 私たちは、サタンの血統を受けたので、これを取り消す式をしなければなりません。その式が聖酒式です。私たちがサタン世界の血統の跡を残していては、神様のみ前で祝福を受けるということが、原理的な観点で絶対に不可能です。ですから、サタン世界から受け継いだすべての血統、それから今までのすべての罪を清算しなければなりません。

罪の中には遺伝的な罪、歴史的な罪、個人的な罪などたくさんありますが、そのすべての罪が清算される条件になるのが聖酒式です。その聖酒には二十一種類の物質が入っています。すべて聖別したものです。このすべてのものは、霊界とサタンと神様の間で対峙して、勝利的条件として立てたそのような物質です。この一杯の聖酒を飲むことは何でもないようですが、そうではありません。皆さんが信じて飲む日には、そのような勝利的条件の基盤の上に立って、サタン世界の血統を切り、皆さんの先祖たちが犯した罪、先祖たちと結ばれたすべての縁故を切るというのです。

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第四節 祝福家庭の歴史と意義

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第四節 祝福家庭の歴史と意義


1 統一教会の祝福を受けるようになれば、版図が広がります。それは神様を中心として、主流的家庭圏を形成していくからです。それで統一教会の祝福を受けた家庭同士を氏族といいます。真の父母という新しい父母に従って、天倫の内的心情を受け継いだ家庭が生まれ、家庭が横的にたくさんできるということとは何かというと、統一家において氏族形成から民族形成、国家形成になっていくということです。

2 祝福家庭は、新しいイスラエルの国を編成しなければなりません。ですから、一九六〇年から上がっていきます。繰り返すのです。そこから歴史時代は、家庭、氏族、民族、国家、世界時代に進みます。それで統一教会は、ヤコブのような先生が家庭を中心として一つにして、その次には氏族と民族を編成しなければならないのです。

3 先生の家庭を中心として結び合っている家庭は、新しい氏族です。それが日増しに発展していけば、新しい民族になります。もう少し発展すれば国家、世界圏を形成するようになります。新しい民族、第三イスラエル民族になるのです。新しく神様による血統圏を受け継いだ子女になれるようにするところが統一教会です。

私たちが立つところは、世の中の人とは違います。サタンの讒訴を防ぎ、勝利圏を形成できる内容を皆さんに教えました。皆さんは、長成期完成級の基準にも上がってくることができなかったので、祝福が問題です。一人の男性と一人の女性が追い出されたのが堕落なので、祝福を受ける二人は、歓迎されない境地を乗り越えなければなりません。その境地を乗り越えて受けるのが祝福なのです。

  

三十六、七十二、百二十四家庭の摂理的意味


4 天の歴史は、氏族から民族の編成運動なので、先生を中心として一九六〇年代の聖婚式、祝福式以後から本格的な氏族編成が始まるのです。それが三十六家庭から七十二家庭です。三十六家庭は、イスラエルの民族歴史、ユダヤ教の歴史の中において、先祖たちを再び探し出したものです。先祖の代表として立てたものです。

5 三十六家庭と七十二家庭は、すべての家庭の前にアダム家庭のカイン・アベル家庭に該当します。今まで、この時代に影響を与えてきたすべての先祖たちが、摂理の中で、カインとアベルを一つにするのに失敗しました。そのカインとアベルを一つにできる基盤を形成できなかったので、堕落の世界が延長されたのです。それによって、三十六家庭を中心として七十二家庭型をつくり、カイン家庭とアベル家庭を連結させた一つの先祖の家庭をつくるのです。

6 十二使徒が一つの氏族的基準だといえば、七十二人門徒は民族的基準であり、百二十人門徒は、世界的国家に代わる基準です。それで、統一教会はこのようなすべてを再び蕩減復帰して、解怨成就しなければなりません。イエス様が失敗した歴史的内容を解怨成就しなければならないのですが、来られる主が解怨成就しなければ、世界は生きる道がありません。それで三十六家庭を立て、七十二家庭を立てておきました。これが一つになることによって、民族的中心を確定することができるのです。

7 三十六家庭は、アダムからアブラハムまで、二千年の間にいた先祖たちを身代わりした家庭です。ですから、三十六家庭の前にはカインとアベルがいなければなりません。この立場に立てられた家庭が七十二家庭です。また十二数を中心とした、全体数のために立てられた家庭が百二十四家庭です。百二十四家庭のうち四家庭は、この世で既に結婚していた人によって立てました。これは堕落した人間の立場を復帰するものであり、イエス様が歴史の中で探し出そうとした家庭を復帰するためのものです。

8 先生は、先生の家庭を中心として三家庭を祝福して、三家庭を中心とした十二家庭を中心に、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を祝福しました。これは先生が世界史的な闘争を経て祝福したのです。これはイエス様を中心とした三弟子と十二弟子、七十人門徒、百二十人門徒と同じです。イエス様が神様の息子の立場で父の代わりに勝利的責任者になったのと同じように、皆さんも息子の立場で責任を果たさなければなりません。

9 国家と民族を代表した立場において、生死の岐路で、最後の決戦を下すべき息詰まる過程を通過しつつあります。一九六〇年代の先生の聖婚式を中心として、三十六家庭から七十二家庭、百二十四家庭、このように発展してきたのです。三十六家庭を選ぶために三家庭を、その次に十二家庭を中心とした三時代型を、すなわち旧約時代、新約時代、成約時代型を代表として全体を連結させたのです。十二数が横的基盤だけになってはいけません。縦的な立場において霊界と連結させる基盤をつくらなければならないので、三十六家庭を中心として、それを一つの先祖が再臨した基盤として、七十二家庭、百二十四家庭に連結したのです。

10 七十二家庭は、氏族から民族を編成して、天を代表する中心者を選び立てた立場です。モーセが七十二長老を中心として民族的な指導基盤をつくったのと同じように、先生も氏族圏から民族圏に発展しなければなりません。それが何かといえば、家庭です。どこまでも家庭を中心として天が役事するというのです。その次に百二十四家庭とは何でしょうか。イエス様の時代を中心として見るとき、百二十人門徒を中心としてイエス様が昇天することによって、五旬節に百二十人門徒が結合して世界的な出発をしたことと同様です。これは、世界の国家が終わりの日に百二十カ国になるとき、主が顕現できる限界点を提示したものです。ですから、地上においてそのような基盤を磨き上げるための百二十家庭、世界代表型の家庭を天の前に立てておかなければなりません。そこに四家庭を合わせて百二十四家庭を祝福したのです。

11 民族を中心とした七十二家庭の基盤の上に、世界の代表百二十カ国を糾合したならば、イエス様はこの地上でみ旨を成就することができたというのが摂理観です。これを蕩減復帰しなければならないのが統一教会の責任です。統一教会の責任であると同時に、統一教会の祝福を受けた家庭の責任です。

百二十四家庭の祝福が終わることによって、一九六五年に先生が全世界に聖地を選定しました。神様のみ旨を中心として三十六家庭を探し出し、その次には七十二家庭を探し出して民族的中心とし、世界国家型の百二十家庭の碁盤をつくっておいたので、世界国家を管理しなければなりません。そのような時代に入るので、全世界四十カ国に、百二十カ所の聖地を選定したのです。

12 三十六家庭は、堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、七十二家庭はその先祖たちの息子、娘たちが復活した型であり、その次の百二十四家庭は世界の人たちが復活した型です。これが一つになれば、家庭と息子、娘が一つになり、世界が一つになります。

ですから、百二十四家庭までは、先生が責任を負わなければならないと考えるのです。今からは皆さんも、先生のような考え方をもたなければなりません。一つの世界を探し出すためには一つの国を立てなければならず、一つの国を探し出すためには私の一族、文氏であれば文氏の氏族を動員しなければなりません。氏族を動員して、この大韓民国の民族を救わなければならないというのです。

  

民族を代表した四百三十家庭


13 世界的に聖地を選定したのちに、四百三十家庭を祝福しました。それは、ユダヤ民族のエジプトでの四百三十年に該当し、韓国歴史においての四千三百年に該当します。それは、新しい歴史の出発を意味しました。また四百三十家庭は、世界の家庭を代表します。そののちに、先生が第二次世界巡回の時、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本で四十三双を祝福しました。

先生は、その四十三家庭を、世界的な次元で四百三十家庭に連結したのです。四十三家庭を四百三十家庭と連結させることによって、先生は、韓国で成し遂げた勝利の基盤を再び世界に連結することができました。先生は、その基台を西洋世界に連結することができたのです。これをすることによって、統一教会の食口たちだけではなく、世界のすべての家庭は。その時に、天的な運勢が受けられる立場に立つことができたのです。

14 四百三十家庭は、四千三百年の歴史とぴったり合います。イスラエルは、四百三十年目に四代を中心としてエジプトから出てきました。それと同じように、四千三百年目に四十三数の地上基盤を経て出発することができる、国家と民族を天のみ旨の前に立てる土台を広げるための代表家庭が、四百三十家庭です。四十三数の四と三を合わせれば七数になり、これを掛ければ十二数になります。

このような原則を通して四百三十家庭を韓国で祝福したのです。このようにして四百三十年目にイスラエルの解放が始まり、移動が始まったのと同じように、統一教会でも移動が始まったのです。ですから、全羅道の人は江原道に行き、江原道の人は全羅道に行き、みな交ざって大移動が始まったのです。

15 先生が四百三十双を祝福したことは、世界的な次元の使命を遂行できる門が開かれたということを意味します。皆さんが世界的な次元でその目標を達成したあと、それは皆さんが氏族的な次元でメシヤになる立場にあるという意味です。祝福を受けた人々として、皆さんは今、死んだイエス様の立場にあるのではありません。祝福を受けたからです。皆さんは、氏族を復帰するために再び来たイエス様の立場にあるのです。

  

七百七十七、干八百、六千、六千五百家庭の祝福


16 合同結婚式の歴史は、まず三家庭、次は三十六家庭、その次には七十二家庭、その次には百二十四家庭、その次には四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭へと続きました。そして、世界のいかなる民族でも神様の祝福圏内に入ることができるように開門する時代になりました。それでアメリカとドイツと日本を主体国として祝福したのです。一九七〇年に七百七十七家庭を祝福することによって、初めていかなる民族でも神様の摂理圏内に入ってくるようになったのです。

17 一九七〇年代に大移動が起こりました。全世界から十カ国以上の祝福家庭を韓国に呼び、カナン復帰をしたのです。韓国に呼んで一つに束ねておいたのです。これが七百七十七家庭の祝福です。

18 七百七十七家庭からは、超民族的結婚時代に入るのです。ですから、統一教会は一つの大韓民国を中心とした教会ではありません。既に七百七十七家庭を祝福することによって、統一教会には世界人類を通して新しい民族形成の基盤がつくられました。七百七十七家庭から世界民族を形成できる新しい超民族的時代、超氏族的時代に入るというのです。その時から、統一教会は世界的出発をしなければなりません。

19 韓国のあらゆる宗氏(モうし)(同じ姓同士の人たち)たちが、天国に行ける門をすべて開けておきました。これを塞いではいけません。神様の愛が普遍的な愛であり、全体的な愛である以上、門を閉めることはできません。すべて開けておかなければなりません。そこから拡大するのです。四百三十家庭、その次に七百七十七家庭です。これは世界舞台に立つものです。国家舞台を越えて世界舞台に行くのです。

20 祝福をしたというのは、父母を中心として、この地上に天的血族圏が生じたということです。その血族圏には数多くの氏族が入っています。韓国を中心として様々な氏族がすべて入っています。その門を開けてあげるのが、四百三十家庭の祝福から七百七十七家庭の祝福です。

21 サタンは、家庭を中心として堕落したので、神様の主管圏に家庭を束ねて超国家的な運動を展開してきたのです。七百七十七家庭、その次に千八百家庭です。千八百家庭までで最後です。

サタン数である六数の三倍、蘇生、長成、完成で十八数です。サタン世界において千八百家庭を先生が立てたということは、氏族圏を超えることになります。国家基準に連結された勝利基準は、世界に連結される道の始まりです。千八百家庭は、サタンの主管圏となる六百数の三倍の数です。それを基準として家庭を立て、サタン圏の家庭を蕩減する基準になるのが千八百家庭です。

22 全世界圏を中心として千八百双の祝福をしたのは、完全に世界的基準に向かって基盤を築いて越えていくということです。千八百双とは何でしょうか。六数プラス六数プラス六数で一八数です。これはサタン世界を制圧するという意味です。完全に制圧するというのです。私たちが世界的基盤を築き上げたので、国家を中心として思いどおりに動き、世界を動かすことのできる時代に入るというのです。

23 六千家庭は、全世界の縦的なキリスト教徒と一般の人が、縦的なキリスト教徒と横的なカイン世界が一緒に連結されたものです。六千家庭を先生が連結するようにしたということは、サタン世界が家庭的に攻撃する時代は既に過ぎたということです。霊的な長成基準を国家基準において形成しました。世界的な基準においては、霊的なキリスト教が世界的な基盤になるので、世界的実体基準をキリスト教文化圏に連結するためにアメリカに行き、全国的に復興活動をし、行く先々で歓迎を受けました。そのようにして、国家基準を代表して韓国に連結しました。そのように勝利して帰ってきたのです。

24 六千家庭を中心として、監獄にいる、地獄にいる家庭もみな集まるというのです。カイン世界だけでなく、天上世界と地上世界と地獄に対して門を開けるのが六千数です。六千家庭が門を開けるのです。すべて開けたので、世界的にすべて現れました。天国に入っていく門を、いかなる人にも、地獄にいる入にもすべて開けておいたので、公開するのです。

25 日本の人たちと韓国の人たちを六千五百双として交叉結婚させました。日本の人たちは韓国の男性と女性を得て、韓国の人たちは日本の男性と女性を得たのです。日本と韓国のエリートたちを交叉結婚させるということを、日本の統一教会の責任者たちには、ずっと以前から話をしていたのです。

26 アダム国家を代表した韓国人と、エバ国家を代表した日本人が交叉祝福をしたということは、意味が大きいのです。交叉祝福することによって、統一的家庭を連結させるときに、国家的次元を通り越すというのです。国家的次元を通り越すので、世界的時代に越えていくというのです。

今まで国家が問題でした。サタンが国家を中心として支配してきました。この国家的基準を家庭的に消化して、日本と韓国がいかにして一つになるかという問題は、家庭を中心として一つになる二世を中心とした体制をつくっていくことによって解決されるのです。ですから、六千五百双の交叉結婚が重要なのです。

天が韓国を中心として統一的運勢を迎えようとしましたが、天のみ旨に従うことができないことによって、サタン世界が侵入して南北が分立し、世界が問題になったのです。分かれたものを合わせ得る運勢を収拾しなければ、本然の地に戻ることができません。しかし、先生がアダム国家とエバ国家の交叉結婚をさせることによって、条件的ではありますが、家庭的国家基準を越えるようになりました。

27 韓日交叉祝福をした人は、日本人ではなく、韓国人でもありません。アジアを通り越すのです。自分たちの国を指導し得る思想をもっているという観点において、韓国に来ている日本の家庭は、中国をも開拓できなければなりません。本郷の地に派遣して世界を包容できる基盤を築こうと、アダムとエバの一体圏を先生が束ねています。歴史は、そのようになっていくというのです。

  

三万家庭、三十六万家庭、三百六十万家庭の祝福


28 一九九二年には三万双の祝福が開かれました。三万双は国際的です。一九五二年に、父母を中心として世界的に祝福できる世界時代を失ったのですが、四十年ぶりに世界的祝福時代に入るので、三万双の結婚が開かれるのです。これは世界的な時代の蘇生なのです。

29 三万双の祝福は蘇生です。国際的な基準でした。人種や文化、すべてのものを否定するのです。アダムとエバの愛のためにつくったものが結婚です。アダムとエバはサタンを中心として天を否定しましたが、神様を中心として、真の父母を中心としてこれを肯定することによって、蕩減復帰するのです。

30 一九九二年四月十日に、ムスリムをはじめとして八カ国の人々を祝福して、ムスリムまで統一する条件を立てたのです。その祝福の場に参加しなかった人はいません。ムスリムも祝福に参加しました。また三万双の祝福は世界的な祝福です。中国人、北朝鮮の若い人たちもそこに惹かれて入ってきました。共産主義から転換し、祝福を受けた人たちさえいます。これは全世界的に祝福したという話なのです。

31 世界の若者たちの三万双が一カ所に集まって結婚するということは、宇宙史的な慶事です。ある王国の王子と王女が結婚するといって一国が称賛するよりも、もつとすごいことです。三万双は、百三十一カ国から来た人々です。これはいくら否定しようとしても世界的とならざるを得ません。世界的な次元だというのです。

32 三万双の祝福は国際的な祝福です。初めて父母が現れて、対等な立場で真の父母の勝利圏を全世界の国家に植えるために、蘇生的国際結婚が展開したのです。その次に長成的な国際結婚が三十六万双であり、完成的な国際結婚は三百六十万双です。三万双の時から、どの宗教でも、どの民族でも、誰でも祝福を受けられる道を開いたのです。三十六万双で本格的な長成時代を経て、三百六十万双は、信者でない人まで、対等な立場でこれを相続してあげようとしたのです。

33 三万双、三十六万双、そして三百六十万双を超える時代、そのような世界的な基準の解放圏を、今日に至って造成しながら万歳を叫び始めました。今日まで、先生の生活は悲惨でした。天下が喜ぶべきその日を迎えるために、歯を食いしばって死の道を歩んできました。四千年の歴史を四百年で復帰しなければなりませんが、四百年生きることができないので、一生涯の四十年以内に、生涯をかけて成し遂げなければならない先生として、どれほど深刻だったか考えてみなさいというのです。

34 世界に真の父母圏の基盤を備えるために、世界的な運動をしています。それで祝福も三万双から三十六万双、三百六十万双をするのです。蘇生、長成段階を超えました。長成段階を超えたというのは、国家的基準を通り越したということです。イエス様が失敗したイスラエル圏、国家を失ったものを復帰できる時が来ました。今、先生を中心とした家庭と氏族と民族と国家を探し出して、入っていくべき時が来ました。王権時代に超えていくのです。

35 三百六十万双の結婚、これは蘇生、長成、完成の完成です。三万双から三十六万双を経て、完成段階に至ったのです。これを水位で例えて言えば、六時間先に入ってきた水も、六時間後に入ってきた水も、同じ水位に立つのです。先に入ってきたものを押しのけて入ってくれば、むしろ新しく入ってきた水が先になることもあるというのです。ですから平準化時代に入ってきたのです。

36 家庭を中心とした世界的な拡大は、祝福家庭を中心として行うのです。三万双から三十六万双、三百六十万双を中心として家庭的世界版図になることによって、神様個人よりも、神様の家庭が行くときに、真の父母の家庭が行くときに、縦横を経ずに神様がこの地上に住める時代圏を迎えたので、「天地父母天宙安息圏」を宣布したのです。世界の統一家庭たちが動くとき、障害物なく歓迎される時代になったので、神様がどこに行っても休むことのできる時代が来たというのです。

37 三百六十万双の祝福をして世界の最後の峠を越えていくには、国家的メシヤを中心として越えていかなければなりません。三百六十万双の祝福を勝利するとき、各国家的メシヤたちがその国の閣僚を動かす基盤ができることによって、国連にいる大使を中心として、「国連に必要なのは真の父母の設定と女性国連の加入、青年国連の加入だ」と言うのです。そして、父母とカイン・アベルとして、女性国連と青年国連、学生国連が加入するようになれば、統一天下の世界が広がるでしょう。

38 家庭を中心として、世界の基準を超えなければなりません。それで統一教会は、そのことを実現させるために合同結婚式をしたのです。

三十六家庭から十数を中心として三万双、その次には三十六万双、その次には三百六十万双までして頂上の峠を越えるのです。分水嶺を越えたというのです。

ここまでは大変でしたが、今は世界にすべての祝福の門を開きました。三百六十万双、絶頂の横的基準が展開することによって、縦的な基準もそれに比例して高まるのです。地上で全世界のどの氏族、民族、国家も超えて祝福を受けたのと同じように、天上世界、天使長圏世界まで、すべて祝福を受けるというのです。

  

三億六千万家庭の祝福


39 アダムが堕落せずに祝福を受けたとすれば、これは宇宙史的な祝福です。しかし、堕落することによって分かれてしまったので、家庭は宇宙史的な祝福の恵沢圏内に入れませんでした。アダム家庭で失敗して失ってしまったものを、世界の家庭圏で対等な立場の価値を共に担うための出来事が、世界三億六千万双の祝福です。

40 蘇生、長成、完成、三億六千万双まで十二の峠です。そこから下りてこずに四千万双をすべて終わらせたので、水平が広がったのです。ですから、祝福家庭が四億双になりました。三億六千万双の祝福は、地上においての平準化の祝福です。世界の万民の平準化の祝福だというのです。

41 「天地父母天宙安息圏」の宣布によって、神様がこの地上に訪ねてくることができるようになりました。家庭的基盤、氏族的基盤を連結させる世界大祝福の時代です。三百六十万双、三千六百万双、三億六千万双を祝福することによって、全人類のサタンの血統を断絶しなければなりません。サタンの血統をもった人が一人も残ってはいけないというのです。

42 三億六千万双の祝福が終われば、先生が祝福するのではなく、自分の父母がするようになります。これが第四次アダム圏解放時代です。蕩減がありません。一次、二次において、旧約時代にはアダムが失敗し、新約時代にもアダムが失敗しました。成約時代には迫害を受けながら来ましたが、今からは解放圏に入っていきます。堕落していない本然の世界、第四次アダム圏時代に入っていきます。ですから、堕落していない父母が息子、娘を祝福するのです。神様が創造した内的、外的全体理想を相続する家庭になるので、父母が祝福するのです。その父母が、真の父母の代身の立場に立つのです。したがって、世界は一つにならざるを得ません。

43 三億六千万双の祝福をすれば、この世界の塞がったすべての壁を崩してしまうのです。サタン世界の個人的な壁、家庭的な壁、氏族的な壁、民族的な壁、国家的な壁、世界的な壁、天宙的な壁、神様の心情圏の壁まで、すべて崩してしまうのです。

  

既成および独身祝福の意義


44 祝福した中で、既成家庭は、自分の思いどおりに結婚した人たちです。その次には、男女間において関係をもちましたが、結婚生活に至らなかった人たちがいます。今日の自由世界で言えば、家庭をもっていない人たちをすべて救わなければなりません。既成家庭を救わなければならず、家庭を築くことができず、愛を通して誤ったすべての人たちを救わなければならず、その次には、直系の子女を救わなければなりません。

代表としてその道を築き、門を開けるようにしたのが、三十六家庭です。三十六家庭には、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭の型があります。ここでアダム家庭というのは、既成家庭です。本来、来られる再臨主、真の父母は、既成家庭とは何の関係もありません。しかし、既成家庭それ自体が堕落したアダムの体を通して生まれたので、アダムの体を通して生まれたものを、アダム完成者が放棄することはできないというのです。

45 完成したアダムがこの地上に現れて、未完成段階にいるすべての人たち、堕落した人たちも、アダムの息子、娘であり、天の側に戻してあげなければならない立場にいるのです。天の側に戻してあげることによって、この世界の人類全体がサタン圏から抜け出るのです。既成家庭は、堕落することによって自分勝手に愛の関係を結んだアダム家庭と同じ立場にいます。

46 今後、統一教会は、カインたちを祝福してあげなければなりません。今の時は、既成家庭の祝福をしなければなりません。自分たちの思うままに結婚していた人々も、祝福を受けなければなりません。祝福を受けなければ、天国に行くことができません。結婚式を誤ったがゆえに堕落しました。偽りの父母が偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を中心として誤った結婚式を行ったことによって地獄が出てきたので、これを反対にするためには、真の父母が現れて結婚式を正しくしなければなりません。それが祝福です。その祝福は、韓国的ではなく天宙的であり、超民族的なのです。

47 皆さんは、氏族的メシヤにならなければなりません。とりわけ既成家庭には、氏族的メシヤという言葉がどれほど有り難い言葉か分かりません。それがなければ、物事が進みません。ですから、息子、娘を育てて、必ず祝福を受けるようにしなければなりません。そうすれば、その息子が生んだ皆さんの孫は、神様のみ前に完成型になります。この息子、娘を中心として、先祖たちの赦しを請いなさいというのです。

48 既成家庭と新しく祝福を受けた家庭と先生の家庭と、三つが一つになってこの国を取り戻さなければなりません。国を取り戻してこそ、イエス様の願いが果たされます。イエス様が失敗したことを解怨成就できなければ、息子の恨を解くことができません。息子の恨を解くことができなければ、神様の恨が解けません。父母の前に解怨成就してさしあげられる道が生まれないというのです。ですから、まず息子の恨を解かなければなりません。イエス様が国家を中心として世界的にやって来て、神様の息子としてやって来て恨が募ったので、これを解かなければならないというのです。

49 皆さん既成家庭は、来婚の男女が祝福を受けた家庭以上の家庭になることができなければ、祝福を受けた既成家庭の面目を立てることができません。神様のみ旨の中に、エデンの園で既成家庭の祝福がどこにありますか。この者たちを生かすために、先生がぼろぼろの看板をすべて縫い合わせる門を開いておいたのです。それが、三十六家庭で既成家庭を祝福したものです。

50 皆さんが独りで独身祝福を受けることより、二人が地上で祝福を受けるほうが福です。本来、祝福は独りでは受けることができません。本来、エデンの園での祝福は、女性の前には男性が、男性の前には女性がいなければなりません。創造理想から見るとき、男性と女性が神様のみ前に祝福を受けるのが原則です。ですから、この独身祝福は非正常的です。

皆さんが独身で祝福を受けるようになれば、将来、霊界に行って皆さんが相対を選択できる権限をもつようになります。女性たちが先生を通して祝福を受ければ、数多くの霊人たちの世界において男性を選ぶことができます。ですから、霊界に行って、このような式をまたしなければなりません。そのようなことを、地上で真の父母様の名によって許諾を受けるのです。

霊界の数多くの霊人たちの中には、今まで、相対がいて、結婚した霊人がいません。結婚というものは、真の父母から真の子女として生まれてするものなのですが、霊界に行っている霊人たちは、地上で真の父母を通して生まれていません。サタン世界の血統を通して生まれたので、結局、真の父母を通して接ぎ木することによって、新しい血族として登場することができるようになるのです。地上にいる皆さんと霊界にいる未来の新郎、あるいは未来の妻と、そのような関係を結ぶことができるという条件をかけて祝福を受けるのです。

51 独身家庭を祝福すれば、霊界にいる自分の相対者を中心として結婚することができる時代も来ます。国家的基準を越え、世界的基準を越えて霊界に行って、初めてその時代を中心として祝福を一緒に受けることができるのです。今まではそれが不可能でした。既成祝福を受けるときは、本来はすべて分かれて、それから祝福を受けました。今からは一緒になって受けなければなりません。地上でそのような恵沢を受けるので、一双を祝福すれば霊界の祝福までするので、共に一元化同位圏に立っていることによって、地上で霊界にいる相対と祝福を受けるのです。

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第五節 祝福家庭の責任と入籍

第二章 本然の男女の愛と祝福結婚

第五節 祝福家庭の責任と入籍


1 皆さんの家庭の中心は、真の父母です。エデンの園で真の父母と共に暮らす家庭をつくることができませんでした。皆さんがそれを復帰しなければなりません。そのようにしようとすれば、父母様の命令に絶対的に従わなければなりません。父母様の前では、皆さんの意見はあり得ません。皆さんに個人的な概念がなくなることによって、初めて真の父母の名が皆さんの家庭に定着し始めるのです。そうでなければ、理想的な家庭を復帰することができません。これは先生の考えではなく、本然的な神様の創造の概念です。

2 堕落したアダムとエバを中心として、カイン、アベル、セツと彼らの相対を含んだアダム家庭の八人家族がみな落ちていってしまったので、神様のみ前に蕩減条件を立て、再び完成級に向かっていかなければなりません。そこでは父母の愛を感じなければなりません。生命は父母の愛を通して生まれます。このような生命の価値を世界の何よりも尊重できる立場を経てこそ、新しこを行くことができるのです。

3 今の個性完成は、完全な全体個性完成になっていません。条件完成です。復帰過程での条件完成だというのです。それで、彼らが父母の立場に立っていますが、神様の心情圏を知りません。自分の妻は宇宙と取り替えることができず、夫は宇宙と取り善えることができないということ、天地を支えて二人が愛するところに行くことができる偉大な力があることを体験できなかったというのです。

ですから、祝福を受けた家庭は、この堕落圏を通り抜ける時までは、条件完成圏内に立っているというのです。天国完成圏ではなく、条件完成圏です。条件完成圏にいるので、ここで生きてから霊界に行けば、異なる手続きをしなければなりません。その手続きを済ませて、完成的完成をしたといえば、通行券をもらって天国に入るのです。

4 神様が許諾した真の自由は、責任性を前提とします。もし、責任性なしに個々人が愛の自由ばかりを主張して実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成し遂げるべき人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。

その責任性は、次の三つとして考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修養、自己管理で自由な真の愛の主体者になる責任です。人において愛の責任性は、法や世間体ゆえに守られるものではなく、神様との生命的縦的関係の中で自己主管、自己決断で守られるのです。

第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子女の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられれば、もはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間で絶対的な愛の一体を形成するようになっている創造原理のためです。人は絶対に自分の相対のために生きなければならない愛の責任性があります。

第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は、父母の愛です。子女たちは、真の愛で和合し一体となった父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。生活の経験を通して体得する真の子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は、真の家庭以外、そのどこからも得ることはできないのです。

5 生殖器を、盲人のように方向を失ったまま使えば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の基準に合わせて使えば天国の高い所に行くのです。整然とした結論です。今、青少年の問題が深刻です。エデンの園でアダムとエバが青少年期に淫乱で堕落し、フリーセックスを植えたので、収穫期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。

6 愛の器官をむやみに扱えば罰を受けるようになっています。それは愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛はそこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源がそこから形成されるというのです。神様の笑顔の根本がそこから出発するのです。愛を求めて神様が踊りを踊ることのできる場が、その場所です。その場を訪ねていかなければならないのです。

7 国がなければ国籍がありません。国がなければ入籍できる土台がありません。私たちは、民族を編成して、新しい入籍をしなければなりません。この地上で天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真の善の父母の血統を受け継いで勝利した息子、娘として、自分の一門、あるいは家族を率いて生きてから逝ってこそ、天上世界の天国に入ることができます。それが原理です。

8 嫁いでいく花嫁が新郎についていくようになれば、籍を移さなければなりません。そのような人は、自分が生まれた本然の籍を抹消し、ほかの所に移さなければなりません。この地上に住んでいるすべての人は故郷をもっています。その故郷で生まれると同時に、その国ならば国に入籍するようになります。入籍することによってその家の父母の息子であることが証明され、その国の民であることが証明されます。その国がある限り、その父母がいる限り、入籍した子女を取り除いてしまうことはできません。

9 これから入籍する時が来ます。先生の一族、皇族圏を中心として連結されるところに、皆さんが加入するための入籍時代が来ます。しかし、入籍時代が来ても氏族復帰ができていない人は、ここに入籍することができません。十二支派と同じです。氏族復帰をする前には人籍することができません。人々が氏族復帰のこの内容を知るようになれば、統一教会に先に入ろうと、群れをなして押しかけます。

入籍するときは、どのようになるのでしょうか。今までは、人からあらゆる万物まで神様の所有ではありませんでした。サタンの愛によってサタンのものとなっていたものを、今、神様のみ旨を成し遂げた先生を中心として、息子、娘と万物を探し立てなければなりません。今、先生には国がありません。国を探さなければならないのです。

10 皆さんには今後、入籍の時期があります。祝福を受けることは、入籍することではありません。これは象徴的な入籍でしかありません。ですから、私たちは入籍できる国を求めていくのです。その国は、どのような国でしょうか。主権は父母を身代わりし、民は息子を身代わりし、国土は物質を身代わりして、三位一体を形成する国です。国家を形成するためには、主権がなければならず、民がいなければならず、国土がなければなりません。宗教も同じです。

11 アダムとエバが家庭的に堕落することによって、サタンの前にすべてのものが入籍したのと同じように、今度は皆さんの家庭を中心として、皆さんの国と全体が入っていき、天のみ前に入籍して戻ってこなければなりません。これが原理です。堕落するとき、家庭を中心として堕落しました。ですから、それを蕩減しなければなりません。この原理があるので、世界の大統領がいるとすれば、その国を天のみ前に登録しなければなりません。登録する日には、その国全体が救われるというのです。

12 神様の愛を受け、真の父母の愛を永遠に受けることのできる息子、娘の立場に入籍しなければなりません。これから入籍しようというのです。天の国の生命録(生命の書)に入籍しようというのです。新しい「真の父母主義」、「神主義」を中心として、新しい入籍が始まると同時に、支派編成が始まらなければなりません。イエス様の十二弟子、十二支派などのように、支派編成をしようというのです。

13 統一教会の祝福は、教会祝福であって国家祝福ではありません。世界祝福まで三段階を越えていかなければなりません。教会祝福時代を経て、南北統一をして、一つの国をもって天の国を中心とした祝福時代が国家祝福時代であり、その次は地上・天上世界が一つになる祝福時代です。三大祝福圏時代を越えなければなりません。

アダム一代で成し遂げていたはずのものを、再臨時代になって先生の一代ですべて終えなければなりません。二〇〇〇年までに世界的な祝福を一度にしなければならないのです。それで本格的な入籍になるのです。

14 統一教会の結婚は、三段階を越えていきます。教会祝福、国家祝福、世界祝福です。ですから、今、祝福を受けた家庭が今までの段階を越えていかなければなりません。本来は蕩減条件がない解放された人々が結婚するはずなのですが、蕩減条件に引っ掛かっています。教会の前に迫害する国があり、国の前に世界があるので、これを越えていかなければなりません。

したがって、家庭を導き、追害のない解放された立場に越えていき、一つの統一された世界において、アダム家庭で天が祝福していた相続圏が始まるのです。解放が始まるのです。ですから、教会圏、国家圏、世界圏があります。世界的な王権復帰の圏を越えていき、サタン世界の讒訴圏を抜け出すことによって、地上、天上世界の解放が始まるので、その位置に上がって祝福を受けなければなりません。

15 救いの道は、皆さんが今まで生きてきた、ただそのままの習慣的な生活を通して得ることができるものではありません。完全に蕩減の道を行かなければなりません。救援摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。ですから、再創造されるためには、堕落する前と同じように、本然の位置、ゼロの位置に帰らなければなりません。そこには意識もなく、習慣もなく、今自分がもっている金氏だとか李氏だとか、このような姓もありません。そのようなゼロの位置に帰らなければなりません。天の創造本然の基準から考えれば、造られたすべての万物は、ゼロから出発したのです。

16 皆さんは、絶対信仰、絶対愛、絶対服従する立場に立たなければなりません。エデンの園の家庭には、自分の所有物はありません。神様の絶対愛で一つになった息子、娘にさえなれば、この宇宙すべてが息子、娘に相続されるので、自分の所有になるというのです。愛によって一つになれば、「私」のものとなるのです。

17 皆さんが祝福を受ければ、絶対に堕落してはいけません。堕落すれば、どのようなことが起こりますか。真の父母が来て救援できる時代は過ぎ去ります。祝福は、変わつてしまった血統を完全に転換し、三時代の先祖を代表した王権を受け継いだものです。その血統は、千年、万年たっても、汚してはいけません。汚れた血統を受けてはいけないのです。純潔を守らなければなりません。深刻だというのです。「真の父母の名によってお赦しください」と、赦しを乞うことができません。純潔な血統を残さなければならないのです。

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第一節 家庭の法度と「家和万事成」

第三章 家庭の法度と秩序

第一節 家庭の法度と「家和万事成」


1 家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の土台となります。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を模索するためのものであるに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の土台を求めていくのですが、人間から離れたところにはそのような理想はあり得ません。人間と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭において、情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとするのです。

  

三代が共に暮らす家庭の法度


2 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛として現れます。この三大愛は、人間に絶対的な観念を超越させる永遠の実存的権限をもっています。ですから、この三大愛が結合するとき、人間は幸せになるのです。これが完全ならば幸福も完全なものであり、これが欠如すれば不幸が宿るのです。

母がいない人が幸せですか。母がいない分、不幸なのです。また父がいないのに幸せですか。父がいない人は、父がいる人を羨ましく思うのです。幸せだと感じるには、羨ましいと思うことがあってはいけません。愛にも羨ましいと思うことがあってはいけません。羨ましいと思うことがあれば、「幸せだ」と言うことができないのです。

3 祖父母、舅と姑、小姑、孫まで一緒に住もうというのです。センターを中心として蘇生、長成、完成の三代が定着するのです。父母だけを愛するのではなく、祖父も愛せてこそ、神様を愛せるのです。父母の上に祖父を置いて愛することができてこそ、神様を愛せるというのです。それでは、なぜ夫がいなければならず、父母がいなければならず、息子、娘がいなければならないのでしょうか。彼らがいてこそ、神様に侍ることができるからです。父母がいなければならず、息子、娘がいなければならないというのは原則なのです。

4 世の中で一番経験が豊かで、経歴が豊富な神様のような存在が誰かといえば、祖父母です。年を取っているので、あまり眠れません。ですから、「私たちの家で祖父は寝ずに守ってくれる神様だなあ!私たちを守ってくれて、そのように年を取ったのだなあ!しわを見ると年を取ったなあ!」と考えなければなりません。ですから、命令に絶対順応しなければならないのです。それがどれほど美しいでしょうか。

祖父母が寝ていないときは、「神様、うちの息子、娘に福を下さい」と祈るというのです。祈るので、「誰それよ!お前はきょう出歩いたら危険だ。言うことを聞きなさい」とみな教えてくれるのです。理想的な本然の形態で暮らそうとする人は、宇宙が保護してくれます。愛をもてば、祖父母も踊りを踊り、父母も踊りを踊り、兄弟同士も踊りを踊るというのです。このような形態を備えて暮らす人は、宇宙が保護します。誰かがその人の命を奪おうとすれば、自動的に宇宙が防いでくれるというのです。

5 誰でも個人完成、夫婦完成、そして息子、娘の完成によって四位基台を造成しなければ、三代を中心として結実すべき実が結ばれません。木が春に新芽を出して、夏と秋の三つの季節に連結されなければ、実を結ばないのと同じです。息子、娘として、夫婦として、父母として連結するのです。自分の息子、娘がいれば、神様と同位、同参させて、神様が抱き、キスするようになることによって、「私のすべてのものはあなたのものだ」という相続が行われるようになります。誰でも神様が願われる以上の基準を立てれば、一気に相続が行われるようになるのです。

6 無形の神様と実体の人間が一つになるところが根本です。根本が出発できる基準は家庭です。神様の家庭、真の父母の家庭です。その家庭は、四位基台を完成しなければなりません。祖父の時代、父の時代、孫の時代、この三代を経なければなりません。人間が堕落したので、神様は三代をもつことができませんでした。三代を備えることのできる基準が広がらなければならないので、一心、一体、一念を中心とした世界の最も縦的な基準があれば、三代を通して連結されなければならないのです。

7 すべての歴史的な祭物的結実体が、正に皆さんの家庭です。物質は旧約時代、息子、娘は新約時代、自分は成約時代を身代わりしたものとして、その三時代に対する負債を支払わなければなりません。歴史時代の負債を皆さんが蕩減すべき立場にいるので、自分の物を自分の物として扱わず、自分の息子、娘を自分の息子、娘として、自分の夫を自分の夫として扱ってはいけないというのです。

このような公法、天理の原則に従って、理想的な考え方に一致できる基本的な姿勢を備えて、評価しながら生きようとする男女になり、祖父母、父母、夫と妻、息子、娘にならなければなりません。これを合わせれば、家庭が形成されます。このような愛によって、所有権の版図と共有権を受け継ぐことのできる基盤ができなければ、地上天国の一番の基盤となる家庭になり得ないのです。

  

家和万事成


8 「家和万事成」の「和」は、一和の「和」の字です。化学の「化」は、本質が変化しながら和合することですが、一和の「和」は、本質が変化しながら和合するのではありません。男性なら男性が、女性なら女性が、変わらずに和合することです。どちらが貴いでしょうか。本質が変わって和合するよりも、そのまま和合するのが貴いのです。

男性と女性が一つになれば和合するのであり、大人と子女が一つになるのも和合することです。老若男女、前後、左右、上下を間わず、和合するものは「万事成」です。理想的な存在基準になるからです。そこにはあらゆるものが支持し、一つになろうとします。それを中心として一つになろうとするので、「万事成」という言葉も出てくるというのです。

9 「家和万事成」です!「家和万事成」になろうとすれば、祖父母の関係が理想的でなければならず、夫婦の関係が理想的でなければならず、姉妹関係と兄弟関係が理想的でなければなりません。だからといって、祖父母が自分たちだけで喜び、また夫婦だけで喜び、兄弟だけで喜んではいけません。

祖母と息子、息子と息子、嫁と息子、縦的に横的に、前後左右ですべて和合してこそ「家和」になるというのです。「和」という字は、「穏やか」を意味します。化学の「化」は本質が変わって一つになることをいいますが、この「和」は本質が存在するのです。

10 東洋には「家和万事成」という言葉があります。この言葉は、平和を成し遂げようとすれば、愛を中心にしなければならないということです。この原則は宇宙にも合い、東洋と西洋にも通じ、どこでも通じます。養老院に入っていれば幸せですか。先生はそのような所を嫌います。父母が行けば息子、娘がついていかなければならず、家族がついていかなければならないのですが、そのようになっていないので心配です。家庭で一つになれずに暮らしているのに、世界のどこに行って一つになれるでしょうか。天国のどこに行って一緒に暮らすことができるでしょうか。

11 心から自分を愛してくれる人が、自分のために百万ウォンを貸してくれたというとき、その百万ウォンから少し減らして九十万ウォンだけ返そうという人はいないというのです。その何倍も返したいと思うのが本心です。これはどういうことでしょうか。愛の本性が連結された作用においては、入力よりも出力が大きいということです。そのような論理が形成されます。

「家和万事成(いえわしてばんじな」といいますが、家庭が和合するためには、運動しなければなりません。運動すれば、力の理屈からすると小さくなるはずですが、和合すればどうして万事が思いどおりになるのでしょうか。愛を中心とすると、和合すれば和合するほど、投入すれば投入するほど、小さくなるのではなく大きくなるのです。

12 「家和万事成」という言葉で、和を成し遂げようとすれば、忍耐しなければなりません。たくさんの困難を経験しなければならないというのです。困難にぶつかる人が中心者になり、責任者になります。真の男性は変わらず、真の女性も変わりません。真の愛を中心として絶対的に変わらない男性と絶対的に変わらない女性が現れたとすれば、宇宙全体がその前にひざまずくようになります。

13 「家和万事成」というとき、金塊を中心として喜んだからといって、「家和万事成」が成就されますか。それを分けずに互いに見ているときには「家和万事成」になりますが、分け合おうとするときには争いが起こるのです。しかし、愛をもって分けようとするときには、分ければ分けるほど「万事成」が起こるのです。お金をもって分けるときには、分ければ分けるほど分裂が起きますが、愛をもって分ければ分けるほど統一が起き、和合が起き、平和が宿るのです。愛をもって「家和万事成」です。父が母を愛し、母が父を愛し、父母が子女を愛し、子女が父母を愛し、愛の交流で和合することによって、「万事成」になるのです。

14 生命の世界と死亡の世界を見れば、死亡の起源はサタンであり、生命の起源は神様です。神様を中心として見てみるときに、サタンの世界は反対になる世界です。サタン世界の家庭が平和な家庭ですか、不和な家庭ですか。不和によって出発したので、どこに行っても不和な家庭です。不和な家庭によって始まり、不和な家庭によって成り立った世界は、天の世界ではありません。

15 「家和万事成」とは、よく言ったものです。もし夫が妻と家で争ったあとに職場に行けば、その夫は職場でも争わざるを得ないことが起こります。鬱憤を晴らすようなことが起きるのです。ある社長が家で自分の妻と争って会社に出てきたとすれば、彼が社員や部長たちを見るとき、気持ちが良くありません。家庭で気分が悪かったことは、必ず社会で繁殖するようになるのです。

16 一番耐え難いこととは何でしょうか。愛し合う人同士、互いに恨が積もることです。これ以上に耐え難いことはありません。アダム家庭から不和の種が蒔かれることによって始まった家庭は、偽りの父母によって始まったので、不和が宿っている家庭はサタン世界の家庭であり、平和が宿り和合が宿っている家庭は天の世界の家庭です。このように反対だというのです。

不和の固まりの家庭がサタン世界の中心になります。サタン世界の中心とは何かというと、悪です。不和の固まりは毎日のように争うのです。このような家庭を中心として見ると、父母が互いに相入れません。夫婦同士、互いに相入れないというのです。

17 息子、娘から一生の間、「私たちの父母はけんかした」という声を聞かないようにしなければなりません。「私たちの父母はよくけんかした」という話を聞けば、いくらうまくやっても地獄に行くのです。息子、娘が、「私たちの父は神様の代身だ。私たちの家の神様だ。私たちの父は私たちの家の大統領だ。私たちの父は私たちの家の聖人だ。私たちの母もそうだ」と言わなければなりません。

昔、聖人たちは、「家和万事成」と言いましたが、統一教会で主張するのは、「天和」です。天宙を中心として天と和合しなさいというのです。「天和万事成」です。

18 「家和万事成」といいますが、聖書にも「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五:九)とあります。平和をつくって一つにできる人が、神様の息子になるというのです。この世の中で、平和の使者となり、戦いの壁を崩し、統一の起源を備えて一つの主人に向かっていこうという運動があるとすれば、神様が関心をもつのです。

神様は平和の王であり、平和の主人なので、平和の心をもった人を見つめています。神様は忍耐の神様です。数千数万年の歴史時代において、悲しい事情に独りでぶつかり、苦痛の道を独りで歩みました。困難なところを独りで克服されましたが、誇ろうとせず、認められることを願わず、独りで耐えてきた立場にいらっしゃいます。そのような主人の前に、そのようにできる道を堂々と行こうと思う人がいるとすれば、神様はそのような人に関心をもたざるを得ません。

19 「家和万事成」という昔の言葉がありますが、「自和」ができずに「家和」になるでしょうか。「家和万事成」をする前に、自分が死にそうな境地にいるのに、「家和」になるでしょうか。初めから人間が「自和」でないのであれば、神様は存在しません。人間が誤ったために、今日まで唯物論のような思想が発展してきたのです。

絶対者が構想されたその目的は、絶対に二つにはなり得ません。一つにならなければなりません。しかし、人間は未完成品です。人間はいまだに未完成品として存在しているので、絶対者は再創造という力を加えて完成品にしようとされるのです。それで神様は歴史過程を通して、人間を完成品にし得る工場に投入されるのです。ですから、人間が願わなくても新しい作用体が歴史路程に現れなければならないのですが、それが正に宗教団体なのです。

20 「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ!」というのが、先生が原理の道を開拓していたときの標語でした。「宇宙主管を願う前に、この世の万事と何らかの関係をもつ前に、自己主管を完成せよ」と言ったのです。

主人になることができ、師になることができ、父母になることができる心に、「私」の体が千年、万年仕えても不足だという自分自身を発見するときに、初めてここに天運が臨むのです。心は体のために生きたいと思いますが、体は心のために生きません。これが問題なのです。

21 問題は自分自身にあるのであって、社会にあるのではありません。私たちの家に問題があれば、兄が悪く、姉が悪く、父が悪いのではなく、自分が悪いからです。自らを正しく立ててから、人を批判する第二、第三の基準を立てなさいというのです。自分が一つになってこそ、堂々と一つになった世界で暮らせるのであって、自分が一つになることができなかったのに、全体が一つになったところにどうやって加わりますか。自動的に後退するようになります。

ですから、心を踏みにじり、心を無視し、心を疲れさせて、気をもませる体が主人になってはいけません。体を主管して心のように大切にできる「私」になったときには幸福が訪れます。ここに神様が臨在するというのです。それで「家和万事成(いえわしてばんじな」といいました。私の家、私の個人が安らかになるには、心と体が一つにならなければならないのです。

22 宇宙は円形に似ています。太陽系だけでも、九個の惑星が球形に沿って回ります。太陽系のようなものが一千億個あるという大宇宙も丸いというのです。それで、「円満に生きる」という言葉も使います。「家和万事成」といいましたが、円満に和合しなければなりません。祖父母だけが和合するのではありません。祖父と孫が和合しなければならず、息子と父母が和合しなければならず、夫と妻が和合しなければならず、すべて和合しなければなりません。そのようになれば、「万事成」、すべてのことが成し遂げられるのです。円満になって球形ができなければならないというのです。円満な人でなければならないのであって、とがった人は問題が起こります。それは、宇宙が運動をするからです。

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第二節 理想的な夫婦と父子関係

第三章 家庭の法度と秩序

第二節 理想的な夫婦と父子関係


1 新郎新婦が結婚して、初夜の部屋を設けて入っていくとき、どのようにして愛し合うのか、父母が呼んで教えてあげる必要はありません。昆虫も教えてあげなくても上手にしています。まして万物の霊長なのに、何を教えるのでしょうか。神秘的なベールに覆われているものを、主人になって開かなければなりません。

しかし、そのような道理の原本、教育の原本が出てこなかったので、統一教会で教えるのです。ですから、夫婦になるためには、子女の愛と兄弟の愛をみな備えて、万人を愛する男性の代表と女性の代表が出会わなければなりません。宇宙的な男性と女性、左弦と右弦の代表になって一つに束ねられるのです。縦的な神様の愛と対等な価値として束ねられるのです。

  

理想的な夫婦の愛


2 真の愛は直短距離を行きます。縦的な愛は九〇度の一点しかありません。九一度も八九度も直短ではありません。唯一、最短距離は九〇度しかありません。垂直は九〇度を通らなければならないのです。男女の真の愛も垂直に行かなければなりません。最短距離を通るためには、九〇度以外にはありません。兄弟の愛も九〇度です。これを切り取って、どこにもっていって合わせても、みな合致するのです。ここには損失がありません。

「天地」が「地天」になっても、「父母」が「母父」になっても、「兄弟」が「弟兄」になってもかまいません。反対になっても大丈夫であり、混ぜ合わせてもみな合うというのです。そこから理想郷が広がります。ですから、祖父母の愛は「私」のための愛であり、「私」が兄弟を愛するのは、その祖父母の愛を証するためです。また、「私」は、父母の愛を実証する人です。夫婦になって父母を迎え、息子、娘と一緒に暮らしたい、そこが家庭です。そのような家庭をもてない人は、天国の家庭をもつことはできないのです。

3 統一教会の家庭は、家庭天国を完成しなければなりません。家庭天国を完成すれば、間違いなく地上天国が形成されます。未来の天国に対する実感を現在の立場で刺激させようとするので、不可避的に相対が必要なのですが、それは、家庭で相対によってその刺激を受けることによって、未来の天国理念をきょうの生活感情で体得できるからです。それを体得するために夫婦が必要なのです。その刺激によって夫婦が永生することができます。

発展は刺激がなければできません。夫婦の愛は、理想天国を建設できる刺激を与えるのです。言い換えれば、未来の喜びを現在圏内に引っ張ってきて、刺激を与えて推進力を補給させ、その場まで行かせるのが夫婦の愛です。その愛の中には国の愛も入っていて、世界の愛も入っていて、神様の愛も入っています。したがって、その愛はどこでも無事通過なのです。

4 女性は一人の男性を愛しますが、世界の男性を代表した男性として愛さなければなりません。その男性は、父を代表し、兄を代表し、弟を代表したものです。夫を父のように考え、祖父のように考え、兄のように考え、弟のように考えなければなりません。このような関係を通して、父を愛し、祖父を愛し、兄を愛し、弟を愛することのできる女性であってこそ、相対を得ることができます。

全世界の男性をすべて愛することができる心をもち、その結実のような男性を自分が抱き、愛するのは、世界の男性を代表して愛するのだ、という観をもたなければなりません。それが人類愛です。「私」の父のように、「私」の兄や弟のように、万国を超越して、心をもつようになれば、国境を超越して愛することができるその人は神様の娘だと言うことができるのです。

5 真の夫とは、どのような夫でしょうか。「私が生まれたのはあなたのために生まれたので、あなたのために生き、死ぬのもあなたのために死ぬだろう」と言う人です。真の妻も同じです。「私が生まれたのもあなたのために、私が生きるのもあなたのために、また私が死ぬのもあなたのために!」と互いに通じ合いながら、自らを越えて相手のために生きる原則をもった家庭ならば、この家庭は理想的な家庭であり、愛の家庭であり、幸福の家庭であり、平和の家庭に間違いありません。

6 男性がいくら優れているといっても、男性が生まれるようになった動機は、男性自身にあるのではありません。女性のために生まれたというのです。その反対に、女性が女優のように美人だと自慢してみても、女性のために生まれたのではありません。ですから、真の愛、真の理想、真の幸福の妻と夫はどこにいるのでしょうか。妻のために生まれ、妻のために生き、妻のために死のうとし、妻もやはりそのようにするとき、理想的な夫婦が現れるのです。この原則に立って考えてみるとき、理想的な人、幸せな人、愛の人、善の人は、どこで探し出すことができるのでしょうか。自分のために生きる人からは探し出すことはできず、人のために生きようとする人から探し出すことができるのです。

7 アダムとエバが立てることのできなかった基準を立てなければならない祝福家庭なので、神様の愛を中心として連結されなければなりません。ところが、皆さんは神様の心情を中心として、互いにどれほど絶対視しましたか。互いに絶対視して絶対的な愛で愛さなければなりません。このような愛を中心として一つになって、和動の中心体にならなければなりません。夫婦同士は、前方の山を跳めながらも、あの山が生まれたのは誰のためかを尋ね、全宇宙を考えながらも、この宇宙が生まれたのは誰のためかを尋ねます。すると、「私」のためであると同時に、あなたのために生まれたものだと答えるのです。夫婦とは正にそのようなものです。

この宇宙が生まれた目的を成就させ、主体的な目的を重要視することが、夫婦が一つになる道です。夫婦は心を中心として、人格を中心として、愛を中心として会話するのです。夫婦は同じ道に行くのです。田舎育ちの娘でも、大臣と結婚すれば同じ道に行きます。その田舎育ちの女性が小学校も卒業していないとしても、すべての人が「大臣の奥様だ」と言いながら頭を下げなければなりません。このように夫婦は一緒に行くのです。夫婦であるのに、あなたの愛が別にあり、「私」の愛が別にありますか。あなたの愛であり、「私」の愛です。君の愛であり、「私」の愛なのです。

8 夫婦が互いに愛し合うときに、いつまで愛するのかと尋ねるとき、若かった時まで愛すると言えば気分が良いでしょうか。死ぬ時まで愛するように願うのです。その次には、永遠に愛することを願うというのです。永遠は未来を中心として全体を身代わりするのです。死ぬ時まで愛するということは、自らのすべてのものを与えて愛するということです。「永遠に」は、全体的であり、「死ぬ時」までは、すべてを愛するということです。それでこそ喜ぶのです。娘たちが嫁入りすれば、間違いなく夫に「あなたは私を愛しますか」と尋ねてみるでしょう。愛すると言えば「私のすべてを愛しますか、一部を愛しますか」と尋ねたとき、すべてを愛すると答えてこそ、気分を良くするというのです。男性もそうです。神様の調和がそうなっているというのです。

9 互いがみ旨を忘却して自分たちだけで愛し合いながら生きたとすれば、天の前に恥ずかしさを感じなければなりません。これが祝福家庭の夫婦生活です。み旨を前におき、自分たち同士で闘係を結び、自分たちだけの幸福を求めて家庭をやりくりしていく立場に立てば、発展できないのです。絶対に発展できないというのです。したがって、家庭に良いことがあれば、それは国と、世界と、天と関係を結ばなければなりません。その家庭の喜びは、国の誇りであり、世界の誇りであり、天の誇りでなければなりません。

10 互いが愛し合い、互いがために生きるようになれば、被造世界が互いにために生きようとするので、天運の福が自動車よりも速くついてくるというのです。行く道までも闘拓して飛んでいくというのです。ために生きて天理の道理に従ってために生きる夫婦は、天地が保護するので、滅びずに栄え、繁盛するのが天理の道理です。

真の愛の夫婦になり、その次には真の血統の種を生まなければなりません。真の愛を中心として夫婦が一つになり、父母の伝統を相続した子女を生むようになれば、家庭の定着です。神様の一心、一体、一念、一和の本性と永遠の主流である愛の絶対性と一つになり、同じ信仰を中心として、その拡大のために絶対信仰、絶対愛、絶対服従で投入して忘れながら暮らせる人は、天理大道のモデルとして生きているので、滅びても栄えるのであり、栄えても栄えるのです。サタンは存在することができません。

  

理想的な父子関係


11 子女を生み育ててみた父母たちは分かるでしょう。大切にかわいがっているその息子、娘を通して福を受けたいと思い、幸福を感じたいと思うでしょう。また喜び、福を受けることができる基準があれば、その息子、娘に永遠に残してあげたいと思うでしょう。そのような希望の心をもって息子、娘が美しく育ち、万国から尊敬され、万世にわたって称賛される息子、娘になることを、堕落した人間でも願っています。夜も昼もその息子、娘が傷つかないかと保護し、切ない心情で気をもむのが父母の思いです。堕落した父母の心もそうだというのです。

子女が大小便をして臭いがしても、愛でその環境を忘れられるのが父母の心です。皆さんが赤ん坊を抱いて育てるときに、寝床で歌を歌ってあげ、話もしてあげ、すくすくと育つことを願うその心は、父母なら誰もがもっているでしょう。いくら愚かで不足な子女でも、その子女に足らないところがあれば、父母の心は、その胸がいっぱいになるほど最高の苦痛を感じるのであり、これが解決すれば、その苦痛に反比例して喜びが同伴するのです。

12 力では一つになりません。力の強さで一つになるとすれば、その世界はいつも力が強い人が主管するようになります。しかし、愛をもってするときには、大きな愛をもった人が与えなければなりません。愛の大きな人がために生きなければならないのです。上にいる人が下のために生きなければなりません。主管するのではなく、ために生きて一つにするのです。ですから、母がじっとしていれば、子女たちが来て、母の懐にただ駆け寄るようになります。それは愛でのみ可能です。

父母がいくら困難で苦痛を感じていても、愛する子女が愛の懐に抱かれれば抱かれるほど、力が生じるようになります。もっと困難で苦痛を感じなければならないのに、反対に力が生じます。そこからは喜びが出てくるようになります。疲れ果てていても、愛にぶつかることによって、力が出るのです。

13 父母の心情について見てみるとき、母親の顔がきれいだったとしても、その母親が抱いている赤ん坊を見て、通っていく人が「その子は、奥さんより何千万倍もきれいだ」と言えば、その母親は喜び、うれしく思います。それは、母親がその赤ん坊より何千万倍も醜いという話です。しかし、そのような話を聞いて、「なんですって。私より何千万倍もきれいなら、私は何千万倍も醜いという話ではないか」と言いながら、食ってかかる母親はいません。ただうれしくて、どうしていいか分からないのです。これが母親の気持ちです。

そのような心は誰に似たのでしょうか。母親は結果的存在であって、動機的存在ではありません。息子が父親より劣ることを願う家があれば、その家は滅びるのです。父親は大統領なのに、息子がそれより劣るときは、何代か過ぎていくうちにその家はだんだんと衰退していくのです。最後には、恥ずかしくて穴があれば入りたくなるような身の上になります。

14 父母が子女を愛する、その愛の起源と動機はどこから始まったのでしょうか。男性と女性を中心とする愛は変わる愛ですが、そこから生まれた息子、娘を中心とする愛はなぜ変わらないのでしょうか。これは、その男性と女性を中心とする愛を起源とするものではなく、横的な夫婦の関係によって出てきたものではなく、縦的なある流れの起源を通して出てきたからです。そのような縦的な愛の主体とは誰でしょうか。そのような主体を、私たちは神様といいます。

変わらない愛の主体として、縁をもち得る関係において、連続的に相対を追求する本然の位置に立っている、ある絶対的な主体を必要とするのです。その愛は、夫婦が自分勝手にできる愛ではありません。その愛の前に「私」がしたければして、したくなければしない、そのような愛ではありません。それは切ろうとしても切ることができません。横的な人間としては、どうにも手をつけることができないのです。ですから、父母が子女を愛するその愛は万古不変です。

15 父母は、子女のへその緒が離れる瞬間、子女を愛する心が自然に発生するのです。すべての生物は、いかなる上下も問わず、自分の子を愛さざるを得なくなっています。愛するときに、生命を投入して、生命を踏み石にしてでも愛したいと思う作用があるのを見るとき、万古不変に近いものが父母の愛です。それは絶対性を求めていくときに、絶対それ自体にはなれませんが、人間に一番近い踏み石にはなることができます。たった一つの足場になり得るのです。これが人間の世の中において、それでも永遠の足場になっています。

そのような父母の愛は、どこから来たのでしょうか。それは、父から何か勧告を受けて学んだものでもなく、自分の相対から忠告を受けて学んだものでもなく、自分自身がそうしなければならないと考えて出てきたものでもありません。自然にそうなったのです。愛というものは、自然にそうなるところで成立するのです。

16 先生が幼かった時、鳥の巣を本当にたくさん観察しました。すると、小さな鳥たちは、体の大きな人が上って巣を観察する所にもやって来て、やたらにつつきます。そのようなときは、命懸けなのです。追い払えば、飛んでいったあと、またやって来てつつきます。そのようなものを見るとき、自分の生命を越えて愛する子を保護しようとする、動物世界の力があるのを否定することはできません。人も同じです。愛のために生命を投入することができなければなりません。そのような人が真の人です。本当に善の人とは、どのような人でしょうか。愛を根として自分の生命を投じていきながら、愛する人を保護しようとする人です。

17 子女に向かう父母の愛の限界点とはどこでしょうか。父母は、子女が幼い時にだけ愛そうとするのではなく、生涯を通して、さらには永遠を通して愛そうとするのです。愛することによって、希望を感じることができ、愛することによって、一層価値を感じることができる父子関係が結ばれるとすれば、無限の力と無限の刺激と無限に新しいその何かが、その関係圏内で発生するというのです。

18 愛はどこから出てくるのでしょうか。自分からではありません。それは父母から出てきます。愛の起源は自分ではなく、父母だからです。原因のない結果はありません。愛を中心としては、主人は自分ではないということが分かるので、自分を前に立ててはいけません。ですから、父母の前では「はい、お父様、お母様、そうです」と言うのです。父母が「お前にいくら名声があり、力が強くても、父母の前では果たすべき道理に外れることはいけない」と言えば、「はい、お父様、お母様、そうです」と言うのです。愛があるからです。父母は主体であり、子女は対象だからです。

主体は対象のために生き、対象は主体に従わなければならないのが天理の原則です。これを破綻させる日には、その家は全くの無価値な結果に落ちてしまいます。この天理の原則というものは、いくら無知な人間だとしても、天性によって生まれたので分かるのです。ですから、いくら外的に力の強いチャンピオンだとしても、父母の前では頭を下げなければなりません。

19 何より父母の愛が最初です。その愛を動機として、その愛で円満に育った人ならば、愛がどのようなものかということが分かります。父と母の間にある愛がどのようなものかということを、父母を通して学ぶようになります。父が母を愛し、母が父を愛するその事実は、子女たちには二つとない喜びになります。

ですから、個々人において縦的な立場、すなわち一対一の立場に立って愛を受けることができ、体恤することができるのは、父母をもつ立場でなければなりません。また父母たちは、一対一の立場だけでなく、一人の息子なら息子を中心として、一対二の愛を与えることができます。一対二の愛を受けることのできる立場が子女の立場です。

20 息子、娘たちが父母に対して、「うちの父母は世界で一番良い人だ。神様に代わる存在だ!」と言わなければなりません。二人の間の終始一貫した変わらない心と愛を見て、子女たちが「その愛を見習って子女である私たちも一つになろう!」と言うとき、理想的な家庭が形成されます。

心と心情が一つになる相対を訪ねていくのですが、もし結婚を通してこれができなければ全体が破壊され、全体が全滅するのと同様なので、それを何よりも尊重し、それを立てるために何よりも努力するのが男性の行く道であり、女性の行く道です。ですから、父母も神様の心と神様の愛に一致し、子女たちも父母に似て神様の心と神様の愛に一致し得る家庭にならなければなりません。

21 先生は、神秘的な境地に入っていき、宇宙の根本とは何かと尋ねてみたことがありました。神様からの答えは、「父子の関係だ。父と息子だ」というものでした。一般の人であれば、自分を生んでくれた父と母と考えやすいのですが、父母と息子、娘が出会える最高の場所とはどこでしょうか。愛が交差するその中心、生命が交差するその中心、理想が交差するその中心で出会うのです。

そのように見ると、愛と生命と理想が一つの場にあるというのです。その場に行けば、神様も愛であり、「私」も愛であり、神様も生命であり、「私」も生命であり、神様も理想であり、「私」も理想になるというのです。それを決定することのできる最初の関係と最初の統一の場所が、父子関係が形成される場です。

皆さんが父母を通して生まれるためには、父母の愛が芽生えなければなりません。互いに相対的関係が成立しなければなりません。ですから、その愛の環境において生命の一致点で生命が連結されなければならないのです。夫と妻が互いに嫌いだというのではなく、互いが理想的でなければなりません。夫婦が愛を結んで一つになってこそ、夫婦の愛が形成されます。夫の愛は「私」の愛であり、夫の生命は「私」の生命であり、夫の理想は「私」の理想になるのです。

22 神様の種は、創造理想の種ですが、それが子女です。夫婦同士でいくら鳩のように仲良く暮らすとしても、それは一代で終わります。息子、娘がいなければ父母になれません。女性は男性がいないときは、男性を愛するということが分かりません。男性も女性も、愛が何か分かりません。愛が分かるためには、相対が絶対にいなければならないのです。神様が望んだ願いの標準的な結実体が、相対だというのです。それでは、その相対が自分より劣ることを願う男性と女性がいるでしょうか。父母は、息子、娘が自分より劣ることを願いますか。また息子、娘は、父母が自分より劣ることを願いますか。みな自分より立派であることを願うのです。

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第三節 理想的な子女と兄弟関係

第三章 家庭の法度と秩序

第三節 理想的な子女と兄弟関係


1 子女とは何でしょうか。神様がどれほど人間を愛したかを教育することができ、それを教えてくれ、体恤させるためのものが子女です。その子女を通して、神様がアダムとエバを造っておいて、どれほど喜んだかを知るようになります。皆さんが子女を愛するのは、神様が人類始祖を造っておいて喜んだのを体験するのです。神様と同じ立場で、子女を愛することのできる人にならなければならないので、息子、娘を生まなければならないのです。

  

子女の意味と必要性


2 自分の息子と娘を、王子と王女のように育てなければなりません。そして、王と王妃のように、自分の父と母によく侍らなければなりません。天の国の家庭法がそのようになっています。そこに争いはあり得ず、命令一下で一瀉千里(いっしゃせんり)です。その家庭全体の背景の根本思想は、「ために存在する」というものです。そうでなければ、平和が訪れることができません。

3 本来、アダムとエバは王子と王女でした。神様の恨は、王子と王女がどのように生きなければならないのかを教えてあげられなかったことです。そのように教育できなかった恨を解かなければなりません。アダムとエバは王子と王女です。本来、男性は王子であり、女性は王女だったというのです。

ですから、天国に入ることができる人は、王子と王女の心情を経た人でなければなりません。そうでなければ天国に入れないようになっています。アダムとエバは、神様の息子、娘として、神様から王子と王女としての教育を受けられませんでした。それから、兄弟の教育を受けられませんでした。兄弟の教育を受けていたならば、万民兄弟の縁を中心として、満天下が一つになり得たでしょう。このように、本来、人間は、天の王宮で王子権、皇族権の心情を体恤して暮らした人々なので、天国に行くというのです。

4 子女は、未来の王権を伝授されます。皆さんは、大きな国の王として送るために、王位継承者を育てているという心をもたなければなりません。ですから、生んで教育し、育てて出世させることを願います。生まれた時に、真の父母になり、真の師になって、真の主人の立場に立てようとするのが、人類のすべての父母と国家が望む願いです。子女は未来の王なのです。

5 息子、娘は第三の神様です。第一の神様は自分の祖父母であり、第二の神様は父母であり、第三の神様は息子、娘です。ですから、息子、娘を神様のように愛しなさい、というのです。世の中の父母たちもそうです。兄弟たちが父母を愛することよりも、兄弟同士が争わずにより愛し合うことを願います。父母の愛にプラスして、兄弟同士がもっと愛し合わなければなりません。自分の父母を標準として、それ以上にもっと素晴らしく生きよう、と考えなければなりません。

本来、私たちの先祖が生きていた以上に、幸せに生きようと考えなければなりません。それが標準です。そのように生きる人は、間違いなく天国に行くのです。エデンの園には、これを教育する方法がありませんでした。しかし、私たちには、これを教育できる原典があります。天の国の皇族にならなければ、本然の天の国に入ることができません。それを教育できる本然の教材のような生活環境圏の舞台が、私たちの家庭なのです。

6 息子、娘を生んで大切にするのは、世界を愛することを学ぶためです。息子、娘は世界と連結され、未来と連結されます。息子、娘がいなければ、未来と連結できません。未来世界と連結できる教育の材料として、息子、娘を与えたのです。その次には、先祖たちや祖父母は、霊界に対する教育のためにです。霊界に対する教育を受けるためのものなのです。

7 先生は、どこかに行ってくれば、子女たちにキスをしてあげます。それが私の生活の習慣になりました。また、子女たちは、父に挨拶するときにも、父とキスをします。どこかに行くときも、父に話してから行き、良いことがあれば父のところに来て話します。そのような思想を育てなければなりません。そうすれば、神様が喜んで御覧になるのです。

神様のために、世界のために育ててあげなければなりません。自分の息子、娘もその道を行かなければなりません。子女を生むのは神様のためです。子女を育てるのは世界のためなのです。

8 聖書を見ると、愛を中心とした話が多いのです。父母が子女をたくさん愛すれば愛するほど、父母と子女は不幸になりません。このような法度があるので、愛のために苦労すれば、その愛を占領するようになります。ですから、神様のために苦労することは、神様の愛を吸収することなのです。

9 子女の多い人を見れば、苦労が多いと言うかもしれませんが、その一面では子女のいない人が感じることのできない幸福を感じるというのです。子女を育ててみた人は、それが分かるでしょう。子女を育ててみた人と子女を育ててみることができなかった人を見てみるとき、子女を育ててみた人は、自分の子女たちにいくら複雑な事情があっても、人生に満足を感じますが、子女がいない人は、そのようなことを感じることができないというのです。

子女たちによって人生の満足を感じるのです。置かれている環境が複雑だといって、不幸なのではありません。そこにはあすの希望が接ぎ木されています。他人がもつことのできない息子、娘が多ければ多いほど、各分野で四方性を備えて、新しい希望をもつことができるので、自らの困難な環境も克服できるというのです。

10 子女が多いことは福です。子女が多いことがなぜ福であり、子女を抱える人がなぜ福が多いのでしょうか。この心情圏を中心として大きくなるので、それだけ天の国の同位権の基準に近い、高い位置に上がるのです。それだけの系列が生じるのです。神様のあらゆる福を受けることのできる相続権をもつので、神様が福を与えることができます。「あなたは福を受けなさい」と言えば、福を受けるのです。そのような権限があるというのです。

11 夫婦に子女がいなければ、一代でみな終わります。上下、前後、左右の相対的理想関係がないので、そこで終わるのです。ですから、霊界に行くようになれば、息子、娘を生むことができなかった人は苦しいのです。神様が中心軸にいるのですが、反対の立場で永遠に暗闇を見つめて生きるのです。ですから、子女をたくさん生んで育てた人々は罪を犯せません。また、誰かを憎めません。十二人の息子、娘を育てれば、人間が生存する標準である十二種類の型の人を連れて暮らすことになるので、彼らが動くすべての目的が理解できるのです。

12 自分に一番近い相対を中心として、それだけで満足せずに、なぜ子女を残そうとするのでしょうか。子女を残すのでも、子女が少ないほど良いのでしょうか、多いほど良いのでしょうか。人の欲は自分が善の位置に立ったか、高貴な位置に立ったか、自らが価値的存在だと考えれば考えるほど、その価値的存在を中心として子孫をたくさん残したいと思うのです。それが人の本性です。

  

理想的な兄弟姉妹関係


13 家庭には父母がいて、その膝下には多くの子女たちが育っています。その多くの子女たちには、各自の個性があります。様々な個性をもつ兄弟たちが自分を主張できるのは、父母の愛と根が同じだからです。そのような主張は、いくら幼い弟と妹の主張だとしても、兄弟たちが無視できません。なぜ無視できないのでしょうか。父母の愛を中心とするからです。大きくても小さくても、父母が共にある立場では、いくら弟と妹の立場にあっても、その弟と妹は父母の愛と一つになった立場にいるので、彼が主張することを認めなければなりません。また、それが歓迎されるように動くのが、家庭生活なのです。

14 兄がいて姉がいるならば、兄の意志と姉の意志が違うこともあり得ます。しかし父母の意志はそうではいけません。兄の意志も父母の意志と連結されなければならず、姉の意志も父母の意志と連紹されなければなりません。そうして、その意志を論じるようになるとき、権威があるのです。兄としての権威があり、父母が認めることのできる基盤に立って主張するときは、父母の代わりの兄としての権限をもつのです。そのような立場で主張をしなければなりません。姉は姉としての権威があるのです。いくら弟や妹であっても、父母の愛と一つになって主張するところには、父母と同位圏、同参圏に立つことができます。同じ立場に同参できる権限があるというのです。

15 神様を中心として一つになるとき、千態万象に回るようになります。ですから、兄弟間で愛し合うのも、父母が子女を愛するのを見習って、兄は弟や妹を愛さなければなりません。そのように愛し合って一元化された家庭は、家庭愛が花咲くのです。これがまた、社会愛になります。これがさらには民族を愛する民族愛になります。このように愛すれば、世界愛になるのです。

16 皆さんが父母の愛を受けるのは何のためですか。夫婦である父母が互いに寄り添い、互いに愛し合うその動機が皆さんによってできているからです。ですから、その動機を中心として兄弟同士が互いに愛し合うその愛は変わりません。それを中心として隣人を自分の体のように考えて生活するとき、正しい社会環境が広がるのです。家庭を中心として見れば、その家庭が蘇生であり、社会が長成であり、国家が完成なのです。

17 父母の愛を中心として兄の立場に立った人は、自分を犠牲にしていきながら父母の代わりに弟や妹を愛するのが愛の秩序であり、伝統です。兄という立場は、兄弟の中で一番苦労しなければならない責任がある立場です。父母のために、兄弟のためにです。それが兄だというのです。父母は子女を代表して、子女たちよりもっと苦労するのです。子女のために愛を中心としてそうするのです。その場は涙が交差しても離れたいと思いません。涙を流しながらもついていく道がそこにあるのです。

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第一節 教育の真の意味と最高の教育

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第一節 教育の真の意味と最高の教育


1 息子、娘を神様のように育てなければなりません。これが教育の標準です。それでは、神様のような人とは、どのような人でしょうか。顔が大きくて生命力のある、能力の豊かな人ではありません。神様のように愛する人になりなさい、というのです。そのようにしようとするには、完全な人になって神様のような愛で愛そうとすればよいのです。それでは、神様の愛とは何でしょうか。それを分析すれば、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。それ以外にはありません。その三種類の愛しかないというのです。

  

教育の真の意味


2 人間を救援するには、教育が必要です。人間の先祖が無知の中で堕落しました。原理結果主管圏から直接主管圏まで行かなければならない段階にあったアダムとエバは、神様の摂理の全般的なみ旨を知りませんでした。したがって、人間の世の中に今まで歴史を通して数多くの偉人たち、あるいは宗教指導者たちが現れましたが、私たちの先祖が分からずに行った道を理解し、神様の本然の基準と一致させる基点を整えることはできませんでした。いかなる宗教、いかなる哲人、いかなる偉人も、その内容を明らかにすることはできませんでした。

ですから、人間の歴史は、無知な私たちの父母から受け継いだ伝統に従って、無知の中で、神様の本来の理想的摂理基準とは一致できないまま流れてきたというのです。ですから、この無知な人間を教育していかなければなりません。

3 父母は、生むことだけではいけません。生んで育てなければなりません。教育しなければなりません。何をもって育てなければならないのでしょうか。天の国に行くことのできる教育をしなければなりません。ほかの教育はできなくても、天の国に行くことのできる教育をしなければなりません。天の国に行くようになるとき、自分の一族がとどまるその場に行くことができなければならないのです。ですから、教育をしなければなりません。天上の法に対する教育です。それが一番の教育なのです。

4 愛の生命力がそのまま通じる家庭を愛するのが孝子の道であり、国の生命力を中心として愛するのが忠臣の道であり、世界の生命力と愛を連結していく道が聖人の道です。このように見るとき、この方向を通して人倫道徳を教育してきたという概念は、はっきりしているというのです。それが正しかったということを知らなければなりません。世界を愛することが聖人の道理です。これが人倫道徳教育の標準なのです。

5 誰もが学びの道、あるいは教育の道に従いますが、その目的は何でしょうか。より善の世界に前進するためです。より価値のある内容を備えるためです。ですから、より高い次元の前進を誓うのは、より価値のある中心と一致するためなのです。間接的でも、そのような目的追求の道を行くというのです。

6 教育の中で、最高の教育とは何でしょうか。天国の版図となる起源地が家庭です。家庭で最大限の教育をするのが息子の道理です。神様から、その道理を教えてもらわなければなりません。神様は、父であると同時に、師であり、王です。王室内で教育をするとき、王室の王子、王女に対して教育するときは、「あなたは、この国で暮らす何百万であろうと、何億であろうと、その半分を占める男性、女性を代表した自分であることを知りなさい!」と教育するのです。しかし、王孫として代表的息子、娘の立場で教育を受けることができなかったのです。

その次には、「兄弟としてあなたたち二人が一つになることは、世の中に平和をもたらすことであり、男性と女性の国民全体は兄第のような立場なので、あなたは長兄の立場で、国民を弟や妹のように愛さなければならない!」という教育を受けられませんでした。

ですから、小さな家庭ですが、大きくは国の版図を代表した家庭であり、世界を代表した版図であり、天地を代表した版図だというのです。その標本となるモデルの原則を教育しなければならないので、家庭からこのような世界の版図に合う内容を息子、娘に教育しなければなりません。兄弟同士で愛し合うのは、人類を愛することです。より大きなもののために生きるようになれば、より価値の小さなものは、大きな価値に吸収されるのが天理の道理なのです。

7 本を持って壇上で教えることだけが教育ではなく、一つの言葉、一つの行動がすべて教育です。女性たちの服装についてもそうです。服装を見れば、その人がどのような人かが分かります。体は心の反映なので、服装はその人の人格を反映するのです。そのような問題において、私たちの日常生活のすべてが教育の生活圏を形成することによって、その生活圏自体がすべての人に刺激的な影響を与えるのです。教育強化の実効性を私たちの生活を通して連結させていけば、そこから社会が発展していくというのです。世界の新しい希望がその場から広がるのです。

8 学校は、幼児の時代から成長する期間、成人になって社会に進出するときまで教育するのです。大学は、学士、修士、博士コース、社会に進出する時まで教育するのであり、その次に社会に出た人々を教育するのは言論機関です。しかし、これらが破綻させています。言論機関が世の中で、自分たちを中心としてお金をもうけるために、ありとあらゆることをするのです。先生は、世界に社会的な道義の影響を与えるために立ち上がったという自負心をもっています。

9 学校に行って勉強するにしても、自分のために勉強するのではなく、神様が造られたあらゆる自然の妙味を自分が深く知るために、神様の心情世界を把握するために勉強しようというのです。神様を知ることによって、より深く愛し、より高く愛するようになります。先生が自分に厳しい教育をしても、「それは自分をして天の愛と自然の愛を吸収させ、自分を中心人物にするためにそうするのだ」、と考えなさいというのです。愛の主人にするためだというのです。自分が社会に出て働くことも、その激しい風が吹いてこのようにしても、愛を広げるため、愛の真価を現すためだと考えなさいというのです。

10 実力は、短い時間で備わるものではありません。あらゆることを経験することによって、実際に苦しんでみることによって、実力を錬磨することができるのです。皆さんが学校に行って勉強する目的は、人々が実践したあらゆる経験をそのまま受け継ぐためです。学ぶことによって、それをそのまま受け継ぐためのものが学校教育です。ですから、その学んだあらゆる人々の良い実績を受け継いで、自分のものにするためには、それらをすべて実践してみなければなりません。結局、知って実践することによって、それが自分のものになるのです。

11 正しい指導者は、「死ぬときには、愛のために死になさい」と言います。教育の中で最高の教育とは何でしょうか。「死ぬなら愛のために死になさい」、これが最も偉大な教育です。それは、ハーバード大学に行って十の学位を取ることよりも、もっと偉大な教育です。統一教会は、「最高の愛のために死のう。神様と人類と世界のために死のう」と言うのです。

「このような作用も愛のために始まり、このような方向も愛のために始まり、このような目的も愛のために始まった。男性と女性も愛のために始まり、父と母も愛のために始まり、息子、娘も愛のために始まり、宇宙のあらゆるものも、愛の贈り物のために始まった」ということを教える以上の教育はありません。このように生きてから逝った人は、間違いなく神様のみ前に行くのに恥ずかしく思わないでしょう。

  

真の愛の実践原理と教育目標


12 先生が食口たちを生んで育てたのと同じように、皆さんも昼夜原理を勉強して、自分の息子娘を育てなければなりません。自分の息子、娘を

よく教えるために、サタン世界に出掛けて訓練をし、勉強もしなければなりません。それだけでなく、主人にしようとするので、父母の心情と師

の心情と天の心情を知り、所有権を相続しなければなりません。教会に入ってきて、生まれ変わり、教育を受けて完成します。成長すればすべて

のことが分かるようになり、「私も主人の立場に立ちたい」と言うようになります。すべてを相続するのです。

13 神様は、アダムとエバを通して愛そうとされました。しかし、そのアダムとエバの完成的基準において、理想的な愛の相対圏を備えることができず、悲惨になりました。それゆえに、神様は、真の父母の位置に立つことができなかったのです。人類の始祖は、真の息子、娘を生み育て、そして立ててあげなければなりません。生むのは父母であり、育てるのは師であり、立ててあげるのは主人です。これは、どこで語る言葉かというと、世界で語る言葉ではなく、一つの家庭で語る言葉です。父と母は、父母であると同時に、育ててあげる師であり、主人なのです。

14 堕落によって神様がアダムとエバを教育できなかったその恨を解いてさしあげるために、三大主体思想を相続して教育しなければなりません。三大主体思想こそ、真の愛の実践原理であり、生活哲学です。同時に、三大主体思想の教育とその実践を通して、長子権、父母権、王権を復帰することができるのです。

そして、アダムとエバが教育を受けることができずに、神様のみ旨である理想家庭を完成できなかったので、真の愛で再び子女教育、兄弟教育、夫婦教育、父母教育を実践し、全体統一の基本である家庭を形成しなければなりません。そのようになるとき、理想的な国家と世界が形成されます。アダムとエバを正しく教えていたならば、アダム文化圏の統一世界が自動的にできていたのです。

15 先生という存在は父母の延長です。国の主人である国王は師の延長であり、父母の延長です。国王は、父母の代身にもなり、師の代身にもなり、また国の主人にもなります。これが統一教会で言う三大主体思想です。三大主体思想は、取り除こうとしても取り除くことができないものです。家庭で教育を受け、学校で教育を受け、国で教育を受けなければなりません。

今、世界的に見るときに、国においてそのような教育をする制度がありません。国が進めることのできる教育的な体制、このようなものすべてが、みなそれぞれに分かれています。父母は父母の思うままに、師は師の思うままに、あるいは国は国の思うままに、自分勝手に分かれているのです。

16 最高の真理とは何でしょうか。第一に、天をよく知り、その中心であられる神様を明確に知ることです。第二に、世界の中心である人間を明確に知ることです。第三に、神様と人間が一つになって成し遂げようとする理想の国をよく知ることだというのです。このような重要な大目標と関係を結ばせるものは、唯一、愛だけがその要だと結論づけざるを得ません。ですから、教育目標を「愛天愛人愛国」に定め、真の教育とは、この目標を実践するところにあると教えてきたのです。

17 「愛天」とは何でしょうか。私たちは漠然とした天を追慕するのではありません。「愛国」といえば、それは漠然とせずに具体的です。国には主権があり、国土があり、国民がいます。「愛天」

というときのその天は、漠然とした天ではありません。そこでも国になっているとすれば、その国にも主権があり、民がいて、土地があるのは同じです。天の国、地の国、このような話になります。

そうすると、天の国や地の国というものは、神様御自身がつくるものでもありません。国王がつくるものでもありません。民を通して形成されるのです。これは、天があり、地があるとすれば、その中に人がいることによって天の国が形成され、地の国が形成されるということです。その形成されるすべての内容は、愛によって連結されます。天にも愛が必要であり、国にも愛が必要であり、人間にも愛が必要だというのです。

18 「愛天」とは何ですか。いくら天が大きくても、それは外的です。愛が内的です。神様を動かし、神様に「来てください」と言うことのできる力をもったものが愛です。神様を動かすことのできる力は、知識ではありません。権力でもありません。お金でもありません。愛です。天を動かすことのできる力をもっていれば、天がついてくるのです。「愛人」と言うときの「人」は個人ではありません。人類を意味します。人類が愛に従わなければなりません。「愛国」の「国」は、ほかの人について行くのではなく、国を誰よりも愛する人について行くのです。

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第二節 家庭は天国の教本

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第二節 家庭は天国の教本


1 家庭は一つの教本です。家庭は、一つの理想郷、理想国家を形成できる一つの教本であり、その国は、理想世界を形成できる教本です。その教本には、家庭教本、国家教本、世界教本、宇宙教本の四つがあります。この教本は、家庭で教育しなければなりません。家庭で基本教育をしなければならないのです。

2 家庭とは、天国と関係を結ぶための教材です。教育の教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、聖子になります。人間はみな、そのような欲望をもっているというのです。

  

家庭は愛の学校


3 家庭では、父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では、先生を中心としなければなりません。父母は、自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発達を助け、惰緒的な面を助けてくれます。学校は、社会生活、未来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場だとすれば、学校は社会での実験的な訓練場です。家庭は心情的な訓練場所だというのです。

ですから、学校において情をもって兄弟のように生活しなければならず、国においても情をもって兄弟のように生活しなければなりません。父母のそのような教育は、学校のための教育になり、社会のための教育になり、国のための教育になります。父母は、情緒的なあらゆるものを子女たち、後継者たちの前に伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きなければならず、社会ではこのように生きなければならず、国のためにはこのように生きなければならないということを中心として、情緒的土台を築いてあげなければならないのです。

4 悪が行く道は、教育が必要ありません。教育を受けなくても、誰でも行くことができるのです。悪から始まった歴史なので、教育を受けなくても誰でも行くことができます。悪の道を行くように教育する必要性がありますか。自らそのようになったので、今日、人倫道徳を中心として、良心の標準をわきまえていきなさいと教育するのです。何を中心とした教育でしょうか。善を中心として、良心を中心として教育したにもかかわらず、その教育の標準に立脚した人がどれほどいますか。悪は習わなくても、誰でもみなすることができます。誰でもみな、満点になるのです。

5 子女を愛するにおいて夜も寝ないそのような父母たちは、天の近くに行くのです。ですから、家庭を絶対基盤として立てておき、「この家庭は、天国の家庭を生産するための工場だ。生産基地だ」と考えなさいというのです。したがって皆さんは、息子、娘を生んでそのような幸福な家庭をつくることができるように教育しなければならず、そのようにすることができるように保護してあげなければなりません。

6 天国を築く一つのモデル的な地上の基盤が家庭です。今まで神様の恨は、人間を真の息子、娘になるように教育できる教本を作ることができなかったことです。なぜなら、人間が堕落したからです。神様が人間にすることができなかった真実の息子、娘の教育を、いつするのでしょうか。これが歴史を通した願いです。

その次には、人間が愛の世界を築けるように教育する教材を作れなかったことが恨です。兄弟の中には、女性の兄弟もいて、男性の兄弟もいます。それは二人だけではありません。十人にも、二十人にもなり得ます。その兄弟たちに、どのように生きるべきかを教える教本を作れませんでした。アダムとエバが息子、娘として生まれ、兄弟として育って兄弟の教本を作り、その次には夫婦の教本を作らなければならないのですが、それを作ることができませんでした。今、そのようなものがありません。それから、夫婦になれば父親と母親になりますが、その父母はどうあるべきかという伝統的な教材を作れなかったのです。

7 理想世界の体制は家庭単位です。家庭が天国の基盤であり、天国創建の礎石です。どれほど民がたくさんいても、家庭を拡大した愛をもって国家に対する人は、天国のどこに行こうと通過します。ですから、家庭において教本どおりに教育を受けた、そのような心をもたなければなりません。家庭には、祖父母、父母、夫婦、息子、娘がいます。四代です。これを拡大すれば、世界のどこに行こうと、祖父や祖母の年齢の人がいて、父や母の年齢の人がいて、自分たち夫婦の年齢の人がいて、自分の息子、娘の年齢の人がいます。

ですから、家庭において教本のとおりに愛の内容を体験した人は、世界のどこに行こうと何の問題もありません。教本どおりに生きることができるフォームをもっているので、合格者になります。このように生きる人は、今後、どこの家に行ったとしても食事を与えてあげなければならず、泊めてあげなければなりません。そのような時が来ます。この教育さえできていればよいのです。したがって、家庭が絶対基本教本です。家庭で教育されたとおりに生きれば、どこに行こうと国境がなく、遮るものがありません。

8 家庭は、あの世に行って完全な合格者となるための一つの教育場所です。家庭の主人は誰でしょうか。家族全員を最も愛する人が主人です。この世の中の主人は誰かというと、天の国を大きな家庭として見れば、この地上に住んでいるすべての人々を愛する人が主人です。白人たちは、白人だけが一番だと考えますが、違います。そのようにはなっていません。東洋と西洋がありますが、西洋だけがあって東洋がなければ、西洋はないのと同じです。これは、相対的にみな一つになるようになっているのです。

9 地上にある家庭は、天の国に連れていく民を再創造する工場です。ですから、私たちは、その工場の主人の役割を果たしたのちに霊界に行くのです。正しこさえしっかりつかんでおけば、息子、娘を教育する必要がありません。自然にそのようになるというのです。自分の神様をすべてもっています。教育は必要ありません。堕落したのでこのようになったのです。堕落して根本が分からなくなったのです。

10 家庭は、個人完成の基準となり、教会完成の基準になります。個人がいくらみ旨の前によくやったとしても、家庭ができていなければ駄目です。ですから、家庭が問題です。家庭を見れば、ここには一面だけがあるのではなく、両面があります。男性がいて女性がいます。その次には、男性と女性を中心として子女がいます。このように四方性が備えられています。

この四方性を中心として見るとき、家庭は人間の意志で形成されたものではありません。家庭こそ、み旨を中心として個人を完成することができる所であり、教会の出発点です。もし誤れば、教会内で収拾するのではなく、家庭自体内で収拾できる起源をもたなければなりません。そのような起源をもてない人は、教会でも収拾する道がありません。天国は個人を中心としてできるのではなく、家庭を中心として四方性と立体性を備えた土台からできるのです。

11 堕落がなかった家庭の男性と女性は、神様の息子、娘として完全に愛を受ける人々です。神様と完全に一つになった人々です。そのような男性と女性が、愛を中心として完全に一つにならなければなりません。

その夫婦は、夫婦としての目的だけがあるのではありません。子女のための教育が必要です。それは四方を備えなければならないからです。

12 家庭は、人生において、最も重要な愛の学校です。子女たちは、家庭圏において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てます。これが子女の人格をつくる礎石となります。また家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。

人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないのが天道です。

  

胎教と子女教育の重要性


13 息子を生むことを待ち望んでいた夫婦は、息子を生んだとしても、その息子を生んだことだけで喜んではいけません。その息子に喜びを感じるほど、どのように価値ある息子に育てるかという問題を中心として心配しなければなりません。このような心配をしながらその息子を愛する人であってこそ、天理を知る人です。

しかし、このような心配もなく、ただ息子を生んだことだけを喜ぶとすれば、彼は出発から誤った人です。この息子をいかに国に必要な人として育てるのか、という心配ができなければならないのです。そのような息子として育てるために息子を望んだとすれば、それは出発から、国のために出発したという条件になります。これは重要な問題です。

14 愛は、どこから響いてくるのでしょうか。母のおなかの中からです。先に母の愛から受けるのです。子女を中心として、相対的に先に愛する人は母です。父も愛しますが、子女がおなかの中にいる十月の間、大事に抱いて、けがをするのではないか、傷つきはしまいかと、愛する心で言葉にも気をつけ、生活にも気をつけ、すべての態度も端正にして、胎教期間を経る過程で、腹中にいる赤ん坊を自分の生命よりも愛した人が母だというのです。愛は母から始まるのです。

15 私たち自身を見るとき、「私」が一生の間暮らすところはどこから始まるのでしょうか。結局は父母から始まるというのです。皆さんはどこから暮らし始めたかといえば、生まれて生きる前に、父母の腹中で暮らし始めたのです。腹中にいるときは、母のすべての要素を吸い、すべてを吸収して大きくなります。腹中にいる赤ん坊が望むことがあるとすれば、母がいつもうれしく思い、喜び、歌を歌って幸せそうにすることです。それが腹中にいる赤ん坊の最高の願いでしょう。ですから、胎教というものが必要です。美しい歌を聞き、美しい景色を見て、美しいことを考えなさい、というのです。そうすれば、赤ん坊にも良いのです。

16 女性が妊娠するようになれば、胎教というものをします。これは行動しながら望めば、そのようになるというものです。精神力というものは、強いものであり、神様が創造する時のその精神力が、直接連結されるものなので、今でも再生する能力を投入して忘れ、投入して忘れ、また投入して忘れながら、無限に投入するのです。投入して小さくなるのではありません。真の愛は、投入すればするほど大きくなるのです。

17 神様を心に迎えなければなりません。神様を心に迎えて、子女たちを正しく教育しなければなりません。責任をもっている人は、「適当にしなさい」と言ってはいけません。それが父母です。自分の子女に間違ったことを教える父母はいません。師は弟子に間違ったことを教えることもあり得ます。怨讐の立場にいる師ならば、滅びるように教えることもあり得ます。師には二つの種類があり得るのです。兄弟も二つの種類があり得ます。しかし、父母はただ一つです。いくら悪い父母だとしても、子女には正しく教えるのです。

18 神様が男性なら男性、女性なら女性、それぞれを求めてこられるとき、二重の目的をもっていらっしゃいます。すなわちアダムとエバを復帰することだけではなく、彼の息子、娘まで復帰して、四位基台を復帰することです。四位基台は、皆さん各自が復帰しなければなりません。自分がしなければならないというのです。自分自身が神様と一致し、また息子、娘と一致しなければなりません。霊の息子、娘を復帰して教育し、死の道を代わりに行くことができる信仰の息子、娘として立てておかなければなりません。そのようにして初めて一つの完全な安息の基盤がつくられるのです。

19 父母ならば、誰もが子女に、「あなたは国のために、国の偉大な人物とならなければならない」と教えます。世界が目の前に迫ってきているのですから、「あなたは国家的人物になりなさい」と教える時代は、既に過ぎ去りました。今からは、「あなたは世界的な人物にならなければならない」と教育しなければなりません。世界と共に生きなさい!皆さんの心理がどうなっているのかを先生が知っているので、このように結論を下して話しているのです。

20 父母は、育っていく息子、娘に、いかにして父母の思想を伝統的に植えつけなければならないのでしょうか。神様には、復帰摂理のために六千年間苦労されながら、サタン世界から御自身の子女たちをどのようにして引き抜いてくるのかということが問題になるのですが、それと同じように、皆さんには、サタン世界でどのように息子、娘たちを教育するのかということが問題です。皆さんは、このような二重の十字架を甘受しなければならないのです。

21 最高の公的な生活は、天宙のために働くことです。統一教会は、天地主義ではなく、天宙主義です。天宙の「宙」は「家」という意味です。天宙主義は、人が主人ではなく、家、すなわち家庭が主人です。国家形成の起源も、人ではなく家庭です。家庭がなければ世界が形成されません。家庭が誤れば、その国は滅びます。ですから、家庭教育は、今後その国が福を受けることができるかどうか、という運命を左右するのです。国のための公的な法理に基づいて暮らしている家庭が多ければ多いほど、その国は繁栄し、私的な基準で暮らす家庭が多ければ多いほど、その国は滅びるのです。

22 一つの国を探し立てるためには、一人の個人から出発しなければなりません。ですから、その一人の個人と、どれほど大切に向き合わなければならないのでしょうか。また、そのような個人が家庭を築けば、その家庭は国を身代わりし、世界を身代わりする家庭なので、その家庭を、どれほど大切に愛し、どれほど貴い立場で一つにしていかなければならないのでしょうか。

今から愛する息子、娘を中心として、この世の中において、サタンから分立した新しい氏族を創設しなければなりません。父母の立場で天情の関係を鼓吹(こすい)するために努力する家庭を築かなければなりません。そのためには、あらゆる精誠を尽くして愛し、教育する生活をしなければなりません。

教育的な面から見れば、「私」が生きているのは、息子、娘の行くべき道を教えてあげ、息子、娘の幸福の基盤をつくるためであり、国と民族の福地の基盤をつくるためです。そのような立場で生きるとすれば、それこそが、新しい世界の起源となる厳粛かつ高貴なものです。これを、天宙に存在するいかなるものよりも貴く思うことができる立場に立ってこそ、神様の息子、娘としての責任が始まるのです。

23 赤ん坊を生んで育ててみることによって、その家庭を通して、すべての人を愛することができる経験を経た上で愛することができます。幼い子女から年を取った人々まで、男性は女性全体を、女性は男性全体を、そのように互いに愛することができる、このような関係の世界が、より価値ある理想的な世界なのではないでしょうか!ですから、家庭というものは何かというと、理想世界を紹介するための教育の場なのです。

24 天国の起源は家庭です。真の愛を中心として、家庭を転換しなければなりません。ですから、家庭の中でも、二世たちが活動しなければなりません。サタンは青少年たちをみな破壊しておきました。青少年たちを麻薬の巣窟に追い込んでいます。悪魔の矢に当たってフリーセックスの場になってしまったのです。これを青少年たちが地域ごとに団結して、その村に乱暴者の連中がいれば、全員が一つとなって警察と共に除去運動を行うのです。その村に悪事を働く一味が現れれば、二世たちが責任をもち、父母と一つとなって彼らを追い出し、地域で教育できる時代に越えていくことによって、私たちの家庭は希望的な家庭になります。そのようにして、平和の王宮的基台を自分の家庭から世界版図まで拡張できる理念的世界が展開していくのですが、それを迎える準備をする人が、知恵ある国民であり、今後、福を受けられる国民になるのです。

25 自分の家庭で祖父母に侍るように、万国でそのように暮らし、侍る心情をもっている人は、天国に入るときに道が塞がりません。万国の統一的教育基盤のために、行動的な統一のために教科書が必要なのと同様です。年を取った人を見れば、自分の祖父母のように考えなさいというのです。お昼時になって食堂に入るのに、お金がなくて困った顔をしていれば、一緒に入って、自分の祖父母のようによく接待しなさいというのです。ために生きれば福を受けるようになり、創造の実績が損害を被る道理はありません。愛を中心として投入するところには、損害を被る道理はないのです。

26 神様の悲しみとは何かというと、三代をもつことができなかったということです。それを横的に解かなければなりません。神様は、アダムとエバが真の夫婦になった姿、真の父母になった姿、そして真の孫になった姿を見ることができませんでした。これが三代です。これが逆さまになっているので、堕落した世界の誤った血統と愛と生命を受け継いだので、これをすべてひっくり返しておかなければなりません。祖父が孫にならなければならず、父が息子にならなければならず、兄が弟にならなければならないという論理が成立します。これを「天地開闢」というのです。天地開闢という言葉は、このときに使うのです。

縦的基準から見るとき、祖父母は最初の神様の立場を身代わりし、二番目のアダムとエバは父母を身代わりし、子女は未来の王子、王女を身代わりするので、家庭に横的に現れた祖父に、神様の身代わりとして侍らなければなりません。これが家庭教育の原論です。

27 家庭において厳格でなければなりません。何かの制裁をしても、サタン世界に染まらないように父母たちが責任をもち、管理し、教育しなければいけない時代です。フリーセックス、性解放、同性愛、これは悪魔の計略です。ここから一八〇度異なる方向に戻らなければならないので、天の国は、この正反対の道を行くのです。

ですから、先生のような人が、この世界の反対を受けるようになっています。それで復帰路程の約束をすべて成し遂げたという宣布式をしなければ、実体完成圏に越えていくことができないというのです。永遠の祝福の基準を越えることによって、神様の創造理想である真の愛を中心とした主体の前に、真の愛の相対として一つになることができるのです。

28 祖父は天国の特権大使、父母は現世の世界の大王陛下、子女は天国の王子、王女であり、地上の王子、王女です。ですから、祖父は、孫と孫娘を自分の子女よりも愛します。先生が祖父になってみると、本当にそうです。

自分が教育的な基盤をつくって自分の学校に送らなければならないのに、そのような基盤をつくることができなかったときは、祖父の使命を果たすことができないのです。二重、三重の責任を追及するのが孫と孫娘です。孫と孫娘は、地上天国と天上天国を再創造するための出発の父母にならなければなりません。ですから、孫と孫娘がそのような立場に立てるように使命を全うする祖父になり、先祖にならなければならないのです。

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第三節 父母の愛と責任

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第三節 父母の愛と責任


1 子女を育てるときは、自分を愛する以上の愛と心情をもって育てなければなりません。そのように父母の責任を全うするようになれば、その子女が父母の事情を知り、彼がまた、自分の子女をもつようになれば、そのように育てることができるのです。そのようになるときに、初めて彼は父母の悲しみが自分の悲しみであり、父母の喜びが自分の喜びであり、父母のすべき仕事が自分のすべき仕事であり、父母の責任遂行が自分の責任遂行だという子女になります。そうして父母が命令しなくても、その父母の怨讐を自分の怨讐として対し、父母の仕事を自分の仕事として、父母の責任を自分の責任として、父母の事情を自分の事情として成し遂げていこうと立ち上がるのです。そのような子女を立てることが、創造の原則だったのです。

2 愛の力はあらゆることを洞察するのです。それは、愛の力だけが可能です。父母の愛の心は、距離を超越します。距離を超越して連絡するのです。皆さんが映画を見ていて、子女に事故が起こると、父母が夢の中で事故が起こるのを見て「ああ!」と驚いて目を覚ます。そのような映画を見たことがあるでしょう。愛の綱を通して反応するのです。愛の綱を通して実像がただそのまま移されるのです。実像だけでなく実体が交流します。ですから、地上で愛の綱に乗って神様の実体に接することができるというのです。

3 愛する子女と向き合う父母は、子女に欠点があっても、その欠点を先に探ることはしません。自分の良い点だけに似ることを願います。子女の悪い面を見て、頬をたたいたとしても、それに同情して後悔するのが父母の心情です。それはその時の悪の面を基準としてたたいたのではないからです。自分の良い面に似た小さな部分でもあれば、それを悪い面より大きく見ようとする基準を中心として理解しようとするのが、子女に対する父母の心情なのです。

4 父母が子女に、親孝行しなさいと教えてあげて孝子にするのではありません。自ら親孝行しようという心が湧き出るようにしなければなりません。このようなことは一日でできるものではありません。長い期間を置いて影響を及ぼさなければならないのです。影響を及ぼすというのは、父がするとおりに、子女が従ってくることができるように、生活で子女に手本を示してあげるということです。このようなことを実践する、み旨に対する専門家にならなければなりません。

5 父母たちは、み旨の生活において模範とならなければなりません。家庭における祈祷生活や家庭礼拝、信仰生活を子女たちに見せてあげなければなりません。また、敬拝時間がどれほど重要かということを認識させてあげなければなりません。その時間には、敬礼式だけで終わるのではなく、み旨を中心として、父母として子女たちを教育しなければなりません。

子女を教育するためには、父母がまず実践しなければなりません。父母が模範となって、み旨の前に忠誠を尽くさなければならないのです。そうして、父母がどのようなことを言っても、子女たちが一言半句も口答えせず、父母を畏敬できる立場に立たなければなりません。そのようにしなければ、子女たちは従いません。子女たちが自分の知っているみ旨と原理を中心として見るとき、教会生活をするに当たって、父母たちが本部で指示する原則を軽視して、その指示に従って生活していないのに、子女たちにだけ原理原則どおりに生活しなさいと言えば、鼻で笑うというのです。

6 子女たちが昔見ていた父母と、現在見ている父母に何の違いもないとすれば、その父母は子女たちを教育することができません。ですから、過去とは格段に違わなければなりません。家庭生活や近所での対人関係において、このようなことが問題とならざるを得ません。子女は、自分なりに、「み旨を中心として行く人はこうでなければならない」という観をもって父母を見つめ、マークしているというのです。

7 子女たちは、自分たちの父母が悪いのか良いのかを、すぐ分かります。み旨のために動く態度を粘り強く押し進めれば、その環境で認められる日が来ます。夫婦は死んでも、天道は残していかなければなりません。家庭は自分の子女のためにあるとしても、まず神様のために生き、国のために生きなければなりません。これが結局は、自分の子女のために生きる道です。そうしてこそ、子女たちが神様の運と世界の運と国の運と共に存在できるからです。

8 祝福家庭を見ると、自分の二世たちに「勉強しなさい」と言います。自分の息子、娘に勉強しなさいと言って、その息子、娘が孝子になり、忠臣になるのではありません。「統一教会で父母は苦労したが、私はそのような道は行かない!」と言いかねません。それを消化できる愛の道理を教えなければならないのです。

ですから、父母が息子、娘を引っ張っていきながら、食べることに困っても近所を愛し、国のために祈って涙があふれなければなりません。そのようなことは物心のつかない時は悪いと思いましたが、物心がついた時には「うちの父母が一番だ」と言うようになるのです。父母は自分の子女のために涙を流すのではない、ということを知るようになります。自分の子女を捨ててでも国を愛そう、神様のみ旨を思い人類を救おうとした事実を、物心がつけばつくほど分かるというのです。自分勝手に生きてはいけません。皆さんが子女を心配したからといって、その子女たちが立派に育つわけではありません。愛の糧を食べさせて育てなければならないのです。

9 子女は、父と母が歩むとおりに歩みます。ですから、皆さんの家庭に神様をお迎えして侍らなければなりません。子女に、「父は祈る人だ」と教育しなければなりません。神様のために生きる父、他のために苦労する父であることを教えなければなりません。ですから、子女がそれとなく自分を尊敬し、自分を立派だと思うことができる基盤を築いて奉仕しなければならないのです。

10 「うちの父は、過去にこのような苦労をした。私を育て、教育するためにこのような受難の道を歩んできた」と、父の背後を探るようになるとき、悲惨で困難な事情が多ければ多いほど、それが子女を不幸にするのではなく、孝行の道へと方向を転換させ得る鍵の役割を果たすのです。このようなことを、私たちはたくさん感じることができます。自分のための涙が途切れない父母の背後を知っている子女は、父母の前に不孝をすることができないのです。

11 愛の世界では、生ぬるいのは嫌だといいます。熱いか冷たいか、二つのうち一方に行かなければなりません。時には冷たさが必要です。子女を育てるとき、愛を与えたのにそれを失ってしまったときには、厳しく叱らなければならないのであって、それでもいいと言ってはいけません。

先生が責任者を集めておいて大声を張り上げたら、「ああ、あんな先生がどこにいるか」と言います。誰よりも恐ろしいのです。先生という人は、慕わしいことは慕わしいのですが、最も難しい人だというのです。悪に対しては無慈悲ですが、善に対しては何千度の溶鉱炉のように熱い先生です。

12 愛の本質は、人のために生きることです。自らの自主的な本質を中心として、他人に与えようとするのが愛の本質です。その愛は、どこからきたのでしょうか。神様から来たのです。神様は絶対的愛の主体なので、与えようとするのが愛の本質です。

父母の愛がその本質に一番近いところにあるので、子女に対して常に与えようとします。子女が受けなくても、昔、与えたその愛よりももっと大きな愛をもって愛すれば、その強盗のような子女でも、悔い改めて改心することができるのです。

13 父母は、神様を身代わりした父母にならなければなりません。父母は子女たちに、「息子、娘よ! お前が私を愛する以上に、お前たちの兄弟を愛し、お前たちの隣近所と国と世界を愛そうとしなさい」と言わなければなりません。このように教育する人であってこそ、父母の中で真の父母の資格をもつことができます。そうしてこそ、息子、娘たちと自分の家がより大きな善の立場、善の中心に発展していくのです。

14 この世で、人間として一生の間生きながら残すべきことがあるとすれば、それは三つしかありません。一つは原理の道です。原理の道のとおりに、み旨のとおりに生きたという事実です。その次には、良い子孫を残していくことです。その次には、この地上で生きる時に、その子孫たちを世の中の立派な人材として育てること、教育することです。このような三大責任があるというのです。

15 皆さんは、息子、娘に、どのように生きるべきか、という伝統を残さなければなりません。皆さんが各国に行き、苦労の闘いをしながら生きるのは、これから皆さんが子孫に伝統を残すためです。「私たちはこのように困難な中で働いた」と子女たちに教育することができ、遺言を残すことのできる伝統的資料を収拾するためです。ですから、伝統が問題です。これは、変更することができません。永遠の伝統なのです。

16 家庭的な伝統を立てることができなければ、民族的な伝統を立てることができず、民族的な伝統を立てることができなければ、国民が形成されません。祝福家庭は、家法を作らなければなりません。そして、子女たちの教育基準と家庭の規範を作らなければなりません。そのようにすることなく、父母が間違って子女の追及を受ければ、弁解の余地がないのです。自分を愛する前に国を、世界を、神様を愛さなければなりません。妻は、「うちの夫は国を、世界を、神様を一層愛する人だ」と言って、尊敬できなければならないのです。

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第四節 子女教育の主要内容

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第四節 子女教育の主要内容


1 父母は、息子、娘にどのような教育をしなければならないのでしょうか。知識教育をするのではありません。愛の教育をしなければなりません。父母が、互いに一つになる教育をしなければならないというのです。天が好む父母であり、また母が好む父であり、父が好む母であり、二人とも嬉むと同時に、息子、娘が好む父母であり、父母が好む息子、娘だということを教えなければならないというのです。

2 神様を中心として見ても、アダムとエバを中心として見ても、四位基台です。このように見ても、あのように見ても、すべて、四位基台だというのです。ですから、神様の愛を中心として神様のみ前に愛の教育を受けなければなりません。その起源とはどこでしょうか。人間から始まるのではありません。神様が父母なので、アダムとエバは神様から愛の教育を受けなければなりません。そのアダムとエバの価値基準の設定は、どこから行われるのでしょうか。神様の愛の教育からです。それでは、愛の教育を受けるのは、いつの時まででしょうか。父が知るあらゆる価値の基準を推し量ることができる時まで、言い換えれば、成熟する時までは、父母の愛を受けて育たなければなりません。

  

愛·本性·祝福教育


3 皆さんが父母になったのは、神様の代身としてです。ですから、愛の道理を教えなければならず、愛の家庭や国の理想を教える師にならなければならず、その主人になる資格をもつ者を養育しなければなりません。

今まで学校が教育をしてきましたが、それは教育ではありません。技術教育です。本性の教育は家庭でしなければなりません。それでこそ、本然の血統を相続することができるのです。千年、万年、血統を通して父母に似た子孫を残さなければならない厳粛な使命があります。運命ではありません。これは宿命的な責任です。父母を分けることはできません。兄弟を替えることはできません。このような原則を知ることによって、家庭の伝統を天の前に立て、真の父母の実、真の師の実を結ばなければなりません。愛を中心として血統を清めるということです。その次には、真の主人の位置、千年、万年同じ血統の主人の位置を残さなければならないのです。

4 祝福を受けた食口は、神様の主権、神様の民、神様の領土について観念的ではなく、実体的に常に考えなければなりません。これに責任を負った立場で活動する時です。ですから、一歩踏み出すときも、この目標を達成するために踏み出さなければなりません。

子女たちを教育するときにも、どのようにすればみ旨に対する使命を果たす人として教育できるのかを考えなければなりません。乳飲み子に乳を飲ませるときにも、このように考えながら飲ませなければなりません。このように生きれば、私たちは個人ですが、全体の生命、願い、価値を身代わりしていることになります。ここにおいて、天地の前に立てられる価値が決定されるのです。

5 子女教育をよくしなければならないのはもちろんであり、祝福を早く受けさせなければなりません。皆さんの家庭の三代が祝福を受ければ、縫い合わせることができます。皆さんが死ぬ前に、三代が祝福を受けなければなりません。そうして越えていかなければならないのです。イスラエル民族も、アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、この三家庭を中心としてすべて連結されたのと同じように、皆さんも三代の基準を連結しなければなりません。

そのようにするためには、どのようにしなければならないのでしょうか。皆さん自身もそのような条件に該当する息子、娘と親戚を中心として、氏族をつくらなければなりません。そうしてこそ、その氏族を中心として譲歩することもでき、譲歩されることもあるというのです。

6 皆さんは、皆さんの妻を、「この娘は、神様の三大愛を受けるときに、世界にまたとない娘として愛を受けた人であり、世界にまたとない妻として愛を受ける人であり、今後世界の誰よりも母として愛を受ける人だ」と思わなければなりません。ですから、皆さんは、子女たちから「私の父母は世界で一番だ。神様以外には、私たちの父母よりも偉大な人はいない」と誇られる教育をしなければなりません。それが統一家庭の教育法です。神様が「そうだ」と言うことができ、皆さんの子孫が「そうだ」と言うことができれば、それが公認されるのです。先生の子女たちも、「神様の次には、私たちの父だ」と言います。皆さんも、そのような思想を子女たちに教育しなければなりません。

7 父母は、兄弟同士が愛し合うことを教えてあげ、父と母を愛することを教えてあげると同時に、「私は、あなたたちを愛するのと同じように、国をこのように愛しているので、あなたたちも、国をこのように愛さなければならない」と教育しなければなりません。そのように教えてあげれば、分かるというのです。ほかの教育は必要ありません。「私たちの家も、父も、私もそのように生きるので、国の家々がすべてそのように生きるのだな。私たちの家のように世界的、国家的な基盤を形成することが、その国のための愛国なのだな」ということが分かるようになっているのです。

8 皆さんは、教育をするのに、国より世界のために生きる人になりなさい、と教えなければなりません。先生は、国の忠臣にならずに、世界のために聖人の道理を果たしなさい、と教えます。聖人の道理だけでなく、聖人の道理は国を治める法があるので、天の国に入って王子の道理を果たしなさい、と教えます。王子の道理、天の国の王子になることのできる道理を教えてあげるのです。

9 子女を前にして走っていきながら、「私が死んでも、お前はこのリレーのバトンを握って走らなければならない。私が苦労して骨を折るのは世界を生かすためだ。それでこそ、そのような世界が来るのだ。それが神様の願いであり、真の父母様の願いであり、お前の父の願いであり、お前の母の願いであり、お前の願いに違いないので、万世に永遠不変、天下の人たちが称賛できる願いであるに違いないので、この道を行かなければならない」という教育ができる真の父母にならなければなりません。死んでいきながらでも、このことを残して逝かなければならないのです。

10 皆さんは、息子、娘をつかみ、「私の愛する息子、娘たちよ!あなたたちは、父母に負債を負ってはならない。父母に負債を負わないだけでなく、あなたたちの兄弟にも負債を負わず、あなたたちの隣人にも負債を負ってはならない」と教えることができる教訓の材料を自らもたなければなりません。「私は、一生を通して、負債を負わないように千辛万苦の努力をして、このように手が曲がってしまい、手が荒れて馬革のようになってしまった」と教育しなければなりません。「この手は、周囲のために生きて、他のために生きてこのようになった」と教えなければならないのです。

11 本当の師は、学問を教える師よりも、愛を教えてくれる立場に立った師です。父母は愛を中心として、血統が連結された一体圏内にいることはもちろんですが、子女に対する教育も愛を中心としてしなければなりません。ですから、「兄弟間ではこうでなければならず、夫婦関係はこうでなければならず、一家を率いるにおいてはこうでなければならない」ということを教育しなければなりません。したがって、あらゆる面において、「家和万事成」と言うことができるように、愛をもって教育し、「愛の主人になりなさい」と教えなければなりません。これが父母の役目なのです。

  

父母が模範を見せなければならない


12 兄弟は、父母が互いに愛し合うのを見習わなければなりません。母の代わりとしての娘であり、父の代わりとしての息子なので、父と母が愛し合う愛の伝統を見習いなさいというのです。しかし今まで、サタン世界にはそのような父母がいなかったので、真の父母を中心として孝行する道理を見習いなさいと教育しなければなりません。

統一教会において、先生の家庭と皆さんの家庭、先生と皆さん個人を見るとき、皆さんの息子、娘も、先生に対する皆さんの心を学ぶでしょう。子女は、父母の心情を学ぶのです。子女たちが、「私たちの父母は、どれほど困難なことがあってもそれを実行する。時間を超越している。また、環境を超越している。疲れを超越している」と言うことのできる父母にならなければなりません。

また、子女たちが父母の命令であればいかなる環境であっても動くことができる伝統を、家庭に立てなければなりません。そうして子女たちが、「この道は、父母が歩んだ道なので行かなければならない。すべての条件から見るとき、実行できることではないか!」と言うことができなければなりません。また、夫婦が父母のために生きるのを、その子女たちをして見習わせなければなりません。そして、子孫たちを教育できる基準を立てなければならないのです。

13 天の教育をしなければなりません。教育するのに、まず皆さんが模範とならなければなりません。先に孝子とならなければならないのです。皆さん自身がまず天の法度に従って孝子となり、孝女となってこそ、そこから天の伝統的な孝が成立します。皆さんはその立場において、天の国のために、み旨の前に忠臣となる道理を、皆さんの息子、娘に教えなければなりません。

大韓民国ならば大韓民国のために、息子、娘が泣く時は、あなたたちは国のない民だと、あなたたちが暮らしているこの大韓民国は、あなたたちの本当の国ではないと、再び迎えるべき国があることを、手を握って涙を浮かべながら教えることができる父母にならなければなりません。懐に抱いた赤ん坊の息の音を感じるがごとくに、天の憂いを共に感じながら涙を流すことができる立場で教育しなければなりません。そうしてこそ、教育の幅が広がるのです。

14 皆さんがもっているものは、父のものだと考えなければなりません。息子、娘は父に捧げなければなりません。イエス様の代わりに天のために忠誠を尽くす息子、娘をつくることができなければならないのです。

父母になれば、どんなことをしてでも、息子、娘が統一教会の正道を行くようにしなければなりません。そうでなければなりません。そして、自分自身も正道を行かなければなりません。自分が先に行ってから、子女に教えなければならないのです。

子女を教育するためには、自分が先にそのようにして、そのあとに子女を教育するべきであって、自分はせずに教育しようとするのは、天道に外れるのです。先生が皆さんに話すすべてのことは、先生が先に実践して勝利の基盤を築いたあとに教えるのです。

15 個人の運勢は家庭の運勢に従わなければならず、家庭の運勢は社会の運勢に従わなければならず、社会の運勢は国家の運勢に、国家の運勢は世界の運勢に、世界の運勢は天運に、天運は神様に従わなければなりません。自分の生活が世界と天運と神様の運勢と接触する心情を中心として、そのような関係をもって今日の生活圏内で生きるとき、その人の生活は、世界を代表した生活圏になります。その人は、天下の誰も止めることはできません。

妻が見て恥ずかしく思う夫にならないでください。妻は神様の特使です。息子、娘は天の特使です。「私」を監視し、「私」を教育して正しこに行くようにするための一番の側近としての特使だというのです。子女の前に恥ずかしい父親になってはいけません。その天の特使たちを食べさせるのに、盗んだものをもってきて食べさせるなということです。詐欺を働いて天に仕えることはできません。先祖に仕えることはできないのです。

16 子女を呼んで教育するときは、「私の願いがこうなので、あなたはこのように行かなければならない」と言わなければなりません。夫が死ぬ時は妻に、妻が死ぬ時は夫に、父母が死ぬ時は子女に、このような遺言をしなければなりません。「私が良心的に見るとき恥ずかしくなく、愛する息子に宇宙で最も良い贈り物を与えたいので、私が歩んだこの道を継承してほしい」と言うことが最高の遺言です。それが遺産の中の遺産です。「そうすれば世界があなたのものになり、神様と宇宙があなたの所有になる」と言うのです。

17 息子、娘たちに、「夫婦とはこのように暮らすものだ」という模範を見せなければなりません。「父母は、あのように仲良く暮らすのだなあ。私も早く結婚してあのように暮らしてみたい」と言わせなければなりません。すべて学んで実践するように、父母が教育するのです。父母にかかっているのです。

18 教育の本堂が家庭です。先生がお母様と結婚する時に約束したことは、子女たちの前で涙を見せる父母になってはならないということでした。子女に何の罪がありますか。いくら腹が立って悔しくても、朝になって子女が父母に挨拶しにくる音を聞けば、いくら涙を流しながら泣いていても、きのうと同じ姿勢をとらなければなりません。ですから、母親は、子女をさっと抱いて自分にキスさせ、父親にキスさせることができなければならないのです。

19 夫婦が一つにならないところには、自由もありません。平和もありません。ですから、皆さんが平和を思い描くなら、心と体が絶対に一つにならなければなりません。これが先生の教育の第一条です。今まで聖賢たちは、世の中がみな悪く、自分たちが優秀だと思いましたが、違います。第一条が誤っています。父母、夫婦同士が一つにならなければ、天下が唾を吐くのです。夫婦同士が一つになり、一代と三代が一つになれば、天下が訪ねてくるのです。

20 孝子にならなければならず、忠臣にならなければなりません。今まで孝子になれず、忠臣になれませんでした。聖人になれませんでした。世界国家を愛する気持ちで、兄弟たちのために祈らなければなりません。それでこそ、父母様に従って、聖子の地位をもって神様のみ前に現れることができます。それが公式です。

皆さんが家庭で先生に侍る姿を、子女たちが教育を受けられるように、みな見せてあげなければなりません。「この方は歴史的な受難の道を経てきたので、私たちがこのように侍ることよって、先生の代を継承したすべての祝福が私たちの家庭にやって来る」と言うのです。

21 皆さんに息子、娘がいれば、その息子、娘に父と母が言い争っている姿を見せてはいけません。絶対にそれを見せてはいけません。約束するのです。先生の家庭も同じです。子女たちが今まで、「私たちの父母は絶対にけんかをしない。私たちの父母は、この世で一番良い父母だ」と言うのです。いかなる国の王よりも、誰よりも希望峰の主人公だと言えるように教育しなければなりません。息子がいれば、「私は父のようになる」と言い、娘がいれば、「私は母のようになる。母のような女性になる」と言えるようにならなければなりません。それが教育なのです。

22 息子、娘たちが、「父母がけんかするのを一生の聞、見たことがない」と言わなければなりません。暮らしてみれば、ありとあらゆることがあります。そうかといって、それにかみついて、しつこく追及してけんかをし、後ろ指を指してはいけません。「いくら父親が残念に思っても、怒った顔で息子と向き合ってはいけない」というのが先生の哲学です。

ですから、「私」の子女たちは、いつも平和で、いつも仲むつまじい父母だと思います。母の中で一番であり、父の中で一番だと思うのです。

父母は第二の神様です。「神様を所有したいか、父と母を所有したいか」と問いたとき、「父と母を所有したい」と言うことを神様も喜びます。それが貴いことです。教育の中で最も貴いことなのです。

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第五節 子女たちの行くべき道

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第五節 子女たちの行くべき道


1 皆さんが二十歳を越えるようになると、家庭をもつようになるはずですが、その時は競争するようになります。すべての家庭が競争です。兄弟同士も競争です。父母は父母なりに、自分の生計を維持していくために競争の舞台に立ちます。このようにあらゆるものが競争です。

そこから脱落しないためには、自分自ら失敗することなく、一年を失うことなく、一ヵ月を失わなこを確実に行かなければなりません。それをどのように行くかというのも競争です。一年離れれば、ついて行けません。一年離れるようになれば、既に家庭には子女が生まれて、一歩遅れるようになります。弓を射るのと同じです。同じ力をもって矢を弓にかけて射るようになれば、先に射たものが先に行くようになっています。そうでなければ、何倍か速い推進力を加える力をもたなければなりません。しかし、そのような人はいません。

ですから、青春時代の一年をどのように消化するかということが、最も重要です。したがって、自分の観点をもって、そこに合わせていかなければならないのです。船が航海するに当たって方向を定めて出発し、航海を始めなければなりません。もし途中で方向を変える日には、それだけ大変だというのです。

2 本性の心が向く道を行くようになれば、宇宙と一つになります。それは弾丸よりも速く、より強いのです。そのようなところに至れば、自分の心と語り合うようになります。そのような境地では心と会話をします。何かをしようと考えれば、既に返事が返ってきます。そのような境地にいる人は、自分の行くべき道が分からないでしょうか。既に行くべき道は明確で、宇宙のあらゆる作用の力が助けるようになります。手を引っ張られて試験場に入るようになれば、すぐにあらゆるものが協助します。それでこそ大きなことができるのです。

そのように偉大な力の背景を中心として暮らせるのが、真の人間です。真の人間はそのように無限の力の背景があり、自分が指向する方向に無限に押してくれるというのです。方向が違えば、直ちに分かります。ですから、皆さんが努力してこのような境地を連結して上がれば、すべてのことが解決します。そのような面で、皆さんが行くべき方向を決めなければなりません。それは自分がしなければなりません。自分が一番よく分かるのです。

3 少年少女の時代は、重要な時です。この時に決心したことが、皆さんの一生のあらゆる問題を左右します。今、決心したことを四十年、五十年、六十年もち続け、夜も昼も、御飯を食べていても休んでいても、寝ても覚めても、すべての力を傾けていけば、その人は世界的な人物になるでしょう。少年少女の時代に決心したことを、一生の間、いかなる困難があっても、子女が裏切り、父母が反対し、国が裏切り、全世界が裏切り、神様が蹴飛ばしても行かなければなりません。そのようにして進んでいけば、世界的な人物として登場するのです。ですから、少年少女の時代が本当に貴いのです。

4 勉強も自分が一番好きな科目があります。価値基準で見て、どのようなものがいいのかを考えなければなりません。いつまでも好むことができる、少年、青年、壮年、老年を問わず、全体が好むことができ、また過去、現在、未来において好むことができる基準で、「どれが貴い。どれが自分に合う。またどれが自分にはおもしろい」という科目があるでしょう。その科目を中心として集中的に勉強しなければなりません。

そうして過去、現在、未来のすべての偉大な人々とみな比較して、彼らに比べて足りなければ、一層努力をして最高の立場に上がらなければなりません。そのように、各分野で努力して世界の先端の道を行くようになり、世界の各分野の立派な人々を指導できる立場に進むようになれば、世界が短期間で復帰されるというのです。

5 皆さんの一生の問題において、今後、専門分野を決めるには、天と談判して深い自分の本心に尋ねてみてから決定しなければなりません。自分の素性は自分が知っているのです。「私」に何の素質があるのかがよく分かるのです。心が「私」をどこに導きたいと思うのか、ということを知らなければなりません。方向を定められない船は、誰も導いていくことができません。誰かが引っ張っていっても、途中で手を離せば、自分が訪ねるべき方向をもたなければならないのです。

6 祈って精誠を捧げることは良いことです。祈るとなぜ良いのでしょうか。精神が集中すれば、観察が早くなります。学校の先生が講義をすれば、試験に出る問題がすぐに分かります。試験に出すか、出さないか、先生の気持ちが分かるというのです。なぜかというと、それはアンテナを高く掲げているのと同じだからです。アンテナを一段高くして聞けば、小さな音も聞こえるのです。

それと同じなので、精誠を尽くす人は、必ず未来の世界が連結されるというのです。それで、啓示や預言は、精誠を尽くす人から出てくるのです。そして、試験勉強のために精誠を尽くして勉強し、精誠を尽くして点数を取ることが今後の発展のためであり、人類のためであり、神様のためであり、全体のためだといえば、その試験には、あらゆる善の霊たちが、その分野の専門的な善の霊たちが来るのです。間違いなく来るというのです。

7 終わりの日には純潔を強調します。真の家庭、真の愛を強調しなければなりません。これがなければ、世界を収拾できないというのです。これは自然なことです。純潔の血統をもつことができずに、ありとあらゆる人がたくさんいます。そのような血統を連結させ、曲折をひっくり返してきたこの血統を、誰が正すのかというのです。これを正せなければ、天の国に帰ることはできません。

8 「神様の愛が人間を代表してとどまることのできる所とはどこでしょうか」と言うとき、神様は何とおっしゃるでしょうか。神様が願う至聖所、人間世界に必要な定着基地はどこなのでしょうか。「神様も絶対的な愛の定着地、人間も絶対的な神様に対する愛の定着地を願うとすれば、何の器官を通して定着しなければならないか」と、尋ねなさいというのです。生殖器を中心として一つになるという結論が出てくるというのです。これは革命的な宣言です。世界平和、統一平和、理想世界の完成は、そこから展開されるのです。

9 愛する人のために生きなければなりません。愛する人は世の中をもらっても取り替えようとはしません。絶対的であの、唯一的であり、永遠で、不変なのです。その定着地が「私」にあります。「私」に定着してその相対を求め、その対象と一つになる、それ以上の願いはないというのです。そこに神様もいて、宇宙もそこが根になります。愛の根が生じるのです。

ですから、男性と女性の動機がどこかというときには、神様を知らなくても、動機は愛だというのです。それは生理的に否定できません。あらゆる万有の存在が主体と対象、雄と雌の概念で、カップルで動くという事実を誰も否定できません。それは何のために生じたのでしょうか。愛がそのようにしたというのです。

10 神様がすべてのものを投入して、心を尽くして精誠を込めてつくったのが、皆さんの最も重要な生殖器です。それは、悪いものではありません。堕落して神様の世界を破壊するものとして使われたので、悪いのです。そこから人間の幸福が連結されます。そこから人間の歴史が連結されます。それは、本来、神聖なものです。

聖書に至聖所という言葉があります。人間としての至聖所はどこでしょうか。体は聖殿であり、皆さんのそれが至聖所です。それを犯す入は、天罰を受けます。一族が引っ掛かります。この基盤を立てるために、先生がどれほど苦労したか分かりません。愛の十字架を背負わなければならないのです。引きずられて行きながら、涙の峠を越え、血まみれのむち打ちに遭う十字架の峠を越えて、その恨の洞窟を埋めるための苦労をどれほどしたのか知れません。女性は男性に、男性は女性に、近づくなというのです。そのような深刻な過程を通過しなければ、純潔な血統に戻っていくことはできないのです。

11 アダムとエバがエデンの園で非原理的な行動によって植えた愛が、世界の終末期、収穫期になって世界のどこにでも蔓延しています。女性の生殖器、男性の生殖器は、自分たちのものではありません。女性は男性のために生まれ、男性は女性のために生まれたのです。女性の生殖器の主人は女性ではありません。その主人は男性です。男性の生殖器の主人も女性です。自分勝手にする人は滅びます。神様は知恵のお方なので、その生殖器の主人を互いに取り替えておいたというのです。

12 祝福を受けた血統を、千代、万代、汚さずに保存することが。天命を受けた、召命を受けた者たちの責任です。そのようにしなければ、天国に入っていくことができません。先生が正しく教えてあげるのです。正しく、間違いなく教えてあげます。皆さん自身から天国を完成させなければなりません。真の愛を中心として、心と体を一つにしなければならないのです。

13 家庭を中心とした愛の体験を、家庭だけに限定されるように縮小することなく、それ以上に拡大しなければなりません。そのために自分の家庭が氏族のために犠牲になりなさい、というのです。また、国家のために犠牲になりなさい、というのです。さらに大きな愛のために犠牲になりなさい、というのです。そのように段階的に犠牲になり、さらに大きな愛の条件さえ立てておけば、どこでも愛の理想圏と連結されるのです。実際にはできませんでしたが、そのような愛を環境に成し遂げれば、合格者として天上世界のあの国に入ります。垣根の中で愛し、環境の一つの村で愛しましたが、その村を愛した人が、世界国家を愛し、天地を愛した人々と同じ恵沢の立場に同参できるのです。

14 統一教会の思想とは何でしょうか。個人は家庭のために犠牲にならなければならず、ために生きなければならず、愛しながら生きなければならないというものです。家庭は氏族のために、より大きなもののために生きなさいというみ旨があるので、カイン的な全体の代表、世界の代表のような心をもって、ために生きなければなりません。その一つの心をもつことによって、そこで祖父母がそのようになり、父母がそのようになり、夫婦がそのようになり、息子、娘がそのようになるときは、天上世界のいかなる忠臣の位置にも躊躇なく行くことができるという話です。そのように生きるところが地上天国なのです。

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第六節 真の家庭と家庭天国

第四章 真の子女の教育と家庭天国

第六節 真の家庭と家庭天国


1 堕落がどこから始まりましたか。家庭で堕落したというのはどういうことでしょうか。家庭的に堕落が可能だということは、愛が原因であることは間違いありません。善悪を知る木の実を取って食べて堕落するでしょうか。善悪を知る木の実を取って食べて原罪が生じますか。善悪を知る木の実を取って食べたことが罪だと言いますが、善悪を知る木の実が何だからといって、千代、万代の子孫が罪人になるのでしょうか。これは血統的関係です。血統的に罪の根を植えておけば、遺伝の法則によって永遠に続くのです。そのようになるのは愛の問題だけです。誤った愛が堕落の原因なのです。

  

堕落と家庭復帰のための路程


2 アダムとエバが堕落することにより、神様は彼らに、人類の真実の先祖として、人類の父母として、御自身の息子、娘として接することができなくなりました。アダムとエバは、神様にとって唯一の息子、娘であるにもかかわらず、神様が息子、娘として接することができない立場に立ってしまったのです。神様はまた、アダムとエバが成長したあとには、夫婦として祝福し、慰労の対象にしようとしました。しかし、彼らは、息子、娘としての慰労の対象になれなかったのはもちろん、新郎新婦としても慰労の対象になれませんでした。

神様も願われていた希望が大きかったため、彼らに無限の価値を賦与して見つめていたのですが、彼らが堕落することにより、神様は、子女として慰労の心情を感じることができず、新郎新婦として、すなわち夫婦として慰労の心情を感じることができなかったというのです。神様は、アダムとエバが未来の希望の先祖として、全人類の前に一人の君王として、神様のみ前に忠孝の道理を立てる立場になることを願っていたのです。

3 神様は、愛の王であられ、主人であられます。もし愛の王になられ、新郎になられたお方が神様ならば、相対者である皇后が必要だという話は、絶対的な原理です。神様のみ前に、絶対的なそのお方の前に愛の相対になることができるのは、真の人間だというのです。皆さんはお金を必要とし、知識を必要とし、権力を必要としますが、妻がいないとすれば、みな無駄なことです。夫には妻が必要であり、子女が必要であり、妻には夫が必要であり、子女が必要なのです。そのような愛の対象が暮らす所が家庭です。

神様の愛の対象である男性と女性が一つになって、その愛で息子、娘をもって幸せに暮らせるその家庭こそ、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発の基地になります。私たち人間も愛する相対が自分より何千万倍、無限大の価値ある存在として現れることを願うのと同じように、神様も自分の愛する相対が無限の価値の存在になることを願うのです。そのような人が真の人間です。そのような男性と女性が正にアダムとエバだったのです。

4 堕落によって神様は、アダム家庭の真の父母と息子、娘たちをすべて失ってしまいました。神様がもつことのできる真の息子、娘がいませんでした。神様の真の愛を中心として、血統的な関係をもてる神様の家庭がなかったというのです。堕落した父母によって、偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統を結ぶことによって、私たちの心と体の闘いが起こり、アダムとエバが怨讐になりました。そして、アダムの息子、娘たちの間に殺戮戦が起こりました。神様がこれを復帰するための救援摂理が復帰摂理です。

ですから、失ってしまった真の心と体が一つになった息子、娘となり、絶対的に一つになった夫婦にならなければならず、息子、娘が絶対的に神様の真の愛を中心として完全に一つとなって、神様と永遠に共に暮らせる真の家庭を完成して、新婦格であるキリスト教と連結させ、神様と血縁関係を結ばなければなりません。そのようにして、神様の真の愛で統一された家庭、氏族、民族、国家、世界を再び編成することが神様の救援摂理の完成なのです。

5 神様が宗教を立てた目的とは何でしょうか。神様が最も愛する息子、娘、神様の骨と肉が一つになる、そのような愛する息子、娘を中心とした家庭、氏族、民族、国家を形成することが神様のみ旨です。

それでは、メシヤはいかなるお方でしょうか。永遠な神様の真の愛を根として地上に来られ、すべての宗教が願う理想を完成すべきお方が再臨のメシヤです。そのようにして、失った真の愛を中心として、真の生命と真の血統を全地上に連結させ、理想家庭として取り戻そうというのが、神様の救援摂理の目的だったのです。

6 万物は人のために存在しますが、歴史全体は何に帰結するのでしょうか。物質と子女と父母、言い換えれば家庭の基準に帰結します。これが宇宙の根本です。父母がいなくて子女が生まれることができません。父母から生まれた子女が、父母を中心として万物を主管しなければなりません。アダムとエバも万物を主管しなければなりません。これがすべて一度に適用されるのです。

7 人類の先祖であるアダム家庭が破壊されたので、これを復旧しなければなりません。イエス様は、堕落していないアダムの代身として来なければなりません。ですから、イエス様は、二番目のアダムとして来られたお方です。人類の最初の先祖であるアダムは堕落した先祖になったので、神様は本然のみ旨を立てるために、堕落していない真の先祖としてイエス様を送ったのです。そのような真の先祖を中心としてアダム家庭を復帰しなければならないのです。

8 あらゆる事件が家庭から起こりました。すなわちアダムとエバの家庭から起こったというのです。神様をアダムとエバの家庭から追い出しました。男性と女性が誤って一つになったことによって、追い出したというのです。

また、天使世界も男性と女性が誤って出会ったので、追放されました。万物世界を失い、それから人間の価値を失い、人間の愛を失った、このすべてのことは、男性と女性が誤って出会ったためなのです。

9 復帰の家庭とは、どのような家庭でしょうか。歴史的な願いの実体です。神様は今まで六千年の間、この一つの家庭を取り戻すために摂理されました。この歴史的な願いの実体がどこで完成されなければならないのでしょうか。正にこの現実社会で完成されなければなりません。未来に完成されてはいけません。現世に完成されなければなりません。それが完成される時が終わりの日です。これが歴史的な願いの基準であり、現世の万民の願いの基準です。人類の過去、現在、未来の願いの基準です。人間に生まれてきては逝った数多くの聖人、賢人も、この家庭を慕ったのです。

10 来られる主が新婦を迎えることによって、初めて復帰の家庭という言葉が現れます。再び探し出すべき復帰の家庭、それは人類が希望する家庭です。六千年の歴史の中で信じてきた数多くの宗教指導者が、数多くの怨讐の執権者たちや為政者たちに犠牲になりながらも懇切に希望したのは、主が来られて彼らの恨を解くということでした。

しかし、彼らの恨みを解くには、主お一人ではできません。一人でできたなら、既にしていたでしょう。ですから、天の家庭が出てこなければなりません。天の家庭が編成され、この地上に新しい足場を固めなければなりません。そうして、心情の爆弾をもってサタン世界を爆破させることができなければならないのです。

11 私たちの恨とは何でしょうか。アダムとエバがエデンの園で、真の父母として、真の家庭を完成して歴史を出発することができなかったことです。これは、人類の恨である前に神様の恨です。神様が人間を造られた目的は、そのような家庭を立てて、この地上に平和の王国を創建することでした。それにもかかわらず、その家庭が壊れていくことによって、神様は六千年という長い歳月の間、恨を抱かれ復帰の歴史を繰り返してこられました。その過程で、数多くの恨の峠道を数えきれないほど踏み越えて、今までの歴史を歩んでこられたのです。そのような歴史に責任を負い、解決するために来られるお方が再臨主です。それでは、再臨主は何をしなければならないのでしょうか。家庭を完成しなければなりません。家庭を完成するのも空中でではなく、地で完成しなければなりません。それでこそ、そこから氏族が現れ、民族が現れ、国家が現れ、世界が現れるのです。

12 来られるイエス様は、必ず神様が願う家庭を立てなければなりませんが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。どのみち偽りの愛の形態が、家庭や社会に存在してはいけないのです。ですから、万民が共有できる神様の愛を中心とした、人類全体が願う最大の愛を中心とした一つの真の家庭が出現しなければなりません。

そのような家庭が現れなければ氏族を編成できず、そのような民族が現れなければ国家や世界を形成することができません。ですから、神様が人類の前に提示した救援摂理において、人間が対することのできる最高の基準と、神様が願う最高の理想的基準点は家庭にあるのです。

13 歴史時代のすべての宗教は、今まで一人の男性を求めてきました。今までの宗教は、相対をもつことを許諾せず、新しいものを許諾しませんでした。そのようにしていては、滅びることになります。一人の男性を求めてきた歴史時代において、男性を探し出したと言える基準まで行けば、そののちには女性を探し出さなければなりません。女性を探し出すための運動を提示したのが統一教会です。ですから、統一教会は家庭を探し出す教会なのです。

14 今までの宗教の目的は、個人を救うことでした。しかし、統一教会は個人の救いよりも家庭の救いを目的とします。救うとしても家庭を救い、天国に行くとしても自分一人では行きません。統一教会の救援観は、夫は天国に送り、妻は地獄に送ろうというものではありません。二人とも天国に行こうというものです。また父母を地獄に送るのではなく、父母に侍り、また息子、娘も連れて天国に行こうというものです。

統一教会は、自分が愛する家庭、自分が愛する氏族まで、一切を連れて天国に行ける道理を教える所なので、ほかの宗教とは次元が違います。今までの宗教は独身生活を強調しましたが、統一教会は家庭を重要視します。家庭を中心として行くのです。その家庭は、世界のための家庭であり、神様のための家庭です。これが、統一教会の教会員たちが行くべき道であり、今後、皆さんが生活していくべき道なのです。

15 法を超越し、制度を超越し、環境のすべての背景を超越し、自分まで超越して永遠に共にいたいと思う関係を結ぼうとするのが父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛です。これを無視する社会制度はあり得ず、これを無視した国家は形成されません。ですから、統一教会は、個人救援を望むのではなく、家庭救援を望むのです。統一教会は、個人救援を目的とするのではなく、家庭救援を成し遂げようというのです。統一教会はこの点が違うのです。

  

真の家庭と家庭天国


16 天宙主義の天宙とは、天地です。内的な面と外的な面で、神様と一つになった人、すなわち心は天を象徴し、体は地を象徴しますが、これが神様を中心として一つになる主義を意味するのです。元来、エデンの園で心と体が一つになったアダムと、心と体が一つになったエバが、神様を中心として一つにならなければなりませんでした。こうして、神側の家庭を完成すれば、神様がアダム家庭に臨在するはずだったのです。

17 人類歴史は、文化を通して発展していきます。文化世界を形成する背後の目的は、一つの人格を中心とした真理体を探し出すことです。すなわち真理を中心とした人格体を求めていくことです。ですから、人類歴史は真理を求めていく歴史です。すなわち真のみ言と真の道理を求めていくのです。

それでは、主義や思想とは何でしょうか。最初からいかなる主義も思想もあり得ません。強いてその主義や思想に名前をつけるならば、それはアダム主義であり、アダム思想です。アダム主義は、共産主義や民主主義ではありません。父母主義なのです。

18 本来、アダムとエバが堕落せずに神様を中心として出発し、神様を父として侍り、その息子と娘になったとすれば、これらを中心とした主義は神主義です。神様を中心としたその主義は、万民が主体と和動することができ、全体を肯定することができ、全体を吸収することができ、自らを吸収させることができる主義として、そこにはいかなる分派もあり得ません。しかし、人間が堕落してそのような主義が出てこなかったので、再び求めていくのです。これが神主義です。また神様を中心とした息子と娘の主義です。

統一教会では天宙主義を語ります。天宙主義とは、息子と娘が神様を中心として夫婦になって家庭をつくることを意味します。天宙主義という時の「宙」の字は、家という意味です。家を意味する「宙」の字を使う理由は、家は家庭、すなわち夫婦を意味するものだからです。

19 世界を本当に愛するには、先に人を愛さなければなりません。人を本当に愛するには、自分の相対を本当に愛さなければなりません。男性は女性を愛し、女性は男性を愛さなければなりません。それが夫婦です。夫婦になった人たちは、自分の相対を愛する心をもって世界を愛さなければなりません。言い換えれば、女性は自分の相対を愛する気持ちで世界の男性を愛し、また自分が男性から愛される価値のある存在であることを知って、世界の女性を自分と同じ価値のある存筏として愛さなければなりません。男性も同じです。世界の女性たちを自分の妻のように貴い女性として愛し、また世界の男性を、妻が愛する自分と同じ立場に立てて愛さなければなりません。愛の道は、このようにたどっていかなければならないのです。漠然としていてはいけません。ですから、家庭は国家形成の基準になります。いくら大きな世界を形成するとしても、家庭が基準になります。このような立場で、今日、統一教会は天宙主義を叫ぶのです。天の家庭主義だというのです。天宙、天の家だというのです。

20 統一教会の教会貴たちは、今から天宙主義で生きなければなりません。天宙主義は神様の家主義です。神様の家主義なので、その家の暮らしは神主義の暮らしです。神様は世界の王であり、世界のための暮らしを主導していく主体なので、そのような暮らしをしなければなりません。

ですから、天宙主義の思想圏内にいる統一教会の祝福家庭は、自分のために生きてはいけません。自分の夫や自分の妻だけのために生きてはいけません。そのようにはなっていないのです。昔とは違います。ですから、私たちは家庭を本意として進んでいくのです。

私たちは救援を受けますが、一人では救援を受けることができません。一人では絶対に天国に行けないのです。一人で天国に行く道理がありません。そのような理念の土台をこの地上で新しく出発させたのが統一教会です。ですから、今後、何が主人なのでしょうか。家庭が主人です。伝統的家庭です。

21 統一教会の主義は天宙主義です。主義という話は、堕落世界において渡っていく船と同じです。過程的な時代において必要なものです。収拾するための方便の言葉です。これを中心として一つになって結びつくようになっています。天宙の「宙」は家という意味ですが、なぜ家を意味する字をつけたのでしょうか。家がなければ天国を建設することができないからです。第三イスラエル民族になるためには、家を通過しなければなりません。家庭を通過しなければならないのです。エデンに天国がつくられるためには、アダム家庭を通さなければなりません。その家庭の家が、家庭の法度、家庭の秩序、家庭の理念に従っていき、千秋万代の子孫が、その法度を相続して横的に世界化するようになる時に、天国が形成されるのです。

22 天宙主義とは、真の父母主義です。結局、この二つの主義は父母主義です。これは私たちの家主義であり、私たちの国主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落していなければ、世界は誰の主義になるのでしょうか。アダムの主義になるはずでした。そのアダム主義が正に真の父母主義です。父と母の主義だというのです。ほかに、これ以上の思想はありません。ですから、統一教会は、この本然の理想的な家庭の枠の中で、真の父母という理念を中心として心情的な問題が天の主義とつながるようにしなければなりません。このような理念で制度化された家庭が残っている限り、統一教会は滅びることはありません。

23 天国は、どこからつくられるのでしょうか。私たちの家庭からつくられます。私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に家を意味する「宙」の字、すなわち「天の家主義」だというのです。このようになってこそ、天宙という意味が明確になります。ですから、聖書六十六巻はすべて、理想的な家庭を願ったみ言です。

また、万民が願うこととは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。女性が最も願うことは、理想的な夫に出会うことです。女性は、博士になって世界に向かって大きなことを言ったとしても、その願いは、理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会って、福の多い息子、娘を生むことです。これが幸福の根本です。統一教会の理想は、ほかのところにあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭なのです。

24 神様の理想とは、漠然と神様の心の中で成されるのではありません。神様の観念の中で成就されるのではなく、今人間が生きている現実的な生活の基点において成就されます。その生活というものは、私たち個人を中心とした、男性なら男性、女性なら女性の日常生活ではありません。

神様は、家庭的生活基盤を標準にした理想の実現を計画したのです。その理想の実現が完成するとき、そこにおいて真の理想的な子女が形成され、その子女の形成を中心として氏族が編成され、氏族と民族と国家と世界が形成されて、神様の理想世界が完成されます。神様のみ旨はこの理想世界を実現することです。その出発点はあくまでも「私」ではなく、家庭なのです。

25 男性が行く道、女性が行く道はどのような道でしょうか。それは一つの家庭を通して行く道です。男性と女性が一つになる最初の道が家庭という基盤です。そこから出発するようになります。その家庭の一致が実現しない隈り、すべてのことがぱらぱらになるのです。

男性の理想と女性の理想が違ってはいけません。男性の理想も女性の理想も、それが一つになって神様の理想と一致する、すなわちこの三代のすべての基準が一つの人間を中心として、家庭という一つの出発点を中心として一致するところにおいて、神様の理想の実現が始まるのであり、男性としての理想の実現が成就するのであり、女性としての理想が実現するのです。

26 どこから愛の理想を実現するのでしょうか。世界からしなければならないのでしょうか、国からしなければならないのでしょうか。愛という言葉は相対的なので、個人的ではありません。それは私たちの家からしなければなりません。世界をいくら統一したとしても、自分の家を統一できない人は不幸な人です。天国は家から始まるのです。

イエス様が「悔い改めよ、天国は近づいた。みな独身者だけ集まれば天国になる」と言ったのでしょうか。違います。イエス様は何をどのように言いましたか。「私は新郎であり、あなた方は新婦である」という立場で語られた話は、家庭を標準として語った話です。

再臨するのは新婦を訪ねてくるためだと言うのですが、それが私たちの家です。イエス様の家をつくるために来るというのです。神様の原則的理想家庭が形成されなかったので、イエス様によってこのようなモデル家庭を歴史上につくり、それを教本として万民に教育をしようというのです。そのようにして、その家庭を連結させて世界化するのが地上天国の理念です。

27 家庭を中心として幸福を歌い、自由と理想を歌い、世界を抱くことができるのです。それが理想世界であり、満たされた世界です。何一つ足りないものがありません。家庭を探し出して心情的にも物質的にも満足を享受して、感謝と栄光を天に返すのです。そのようにしてこそ、天国に入ることができます。

天国はどのような人が入るのでしょうか。家庭で父母に侍り、兄弟と共に幸福と自由と理想と満足を感じ、天下をつかんで号令できる喜びの立場で栄光を返す勝利者になってこそ、天国に入ることができるのです。

28 神様が理想とする、理想の決定的基盤がこの地上です。それでは、この地上のどのようなところでしょうか。男性と女性が一つになって、神様を中心として愛で成り立った家庭です。ですから、天国といえば、皆さんはどのような観念をもたなければならないのでしょうか。天国は神様と「私」と家庭が一つになったものだという観念を、いつでももたなければなりません。もし天国に行ったとしても、神様がいないとすれば天国になりません。神様が必ずいなければなりません。神様だけがいて天国ができるでしょうか。皆さんの理想相対がいなければ、その神様の愛も「私」には必要ありません。ですから、霊界に行ってみれば、この世で理想的な夫婦生活をした人が、神様のみ前に近いというのです。

29 父母を愛することは天地を愛することであり、子女を愛することは人類を愛することであり、万物を愛することは万宇宙を愛することです。私たちは、旧常生活で父母と子女と万物を愛さなければなりません。これは、この宇宙を縮小したものです。私たちの家庭にこの伝統を立てなければなりません。家庭を中心として伝統を立てることが絶対に必要です。家庭復帰あ債統、理想世界を求める伝統を家庭に立てなければなりません。堕落していなければ、自分の夫を愛し、妻を愛し、子女まで愛して完全に一つになるのです。そうすれば、そのまま天国に行くのです。

30 今日の世界を見てみるときに、数多くの人々が「世界は一つにならなければならない」と言います。平和の世界が来ることを望んでいます。幸福の世界が来ることを望み、さらに宗教的な言葉を挙げていうならば、「地上天国をつくらなければならない」、あるいは「理想世界を建設しなければならない」と言っています。このように需いますが、どんなに大きな世界がそのようになることを望み、またどんなに努力するとしても、それができる基盤がどこかというと、家庭なのです。ですから、家庭から理想を謳歌し、家庭から平和を建設し、家庭から愛と幸福の歌を歌うことのできる基盤を世界的に備えない限り、いくら理想世界、あるいは天国、地上天国を夢見ても、その世界は到来しないというのです。

31 家庭天国は、どのように生まれるのでしょうか。父母が完全に一つになって愛し合えば、息子たちは母のような花嫁を得たいと言い、娘たちは父のような花婿を得たいと言うのです。ですから、その父母がプラスとなり、息子、娘がマイナスとなり、完全に一つになって家庭が一つになれば、そこが家庭天国になります。家庭天国を完成する所で、初めて地上に天国が、神様が理想とするものが定着するようになります。これが四位基台にならなければなりません。創造理想の完成は、四位基台の完成だと原理では言うのです。

32 統一教会は観が明確です。ですから、今日、統一教会の理念をもってどこに行っても引っ掛かりません。このような自信をもってあすの天国を建設しなければなりません。生活天国は「私」の手から、心情天国は「私」の家庭からつくっていこうというのです。すなわち、「私」の家庭を中心としては心情天国をつくり、「私」の手を通しては環境天国をつくろうというのです。

神様がこの地上に臨在しようと、永遠の福地の楽園をつくろうとされたのを、私たちの一代で神様と拍子を合わせ、神様に永遠の福地を成し遂げてさしあげようというのです。物質を備えて神様を称賛し、息子、娘をもって神様を称賛し、自分の兄弟をもって神様を称賛して生きなければなりません。そうでなければ、創造原則である四位基台の理念を備えて生きる息子、娘だということができません。

33 真の愛とは何でしょうか。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。愛は、互いに犠牲となる伝統が備わっていなければ、長く続くことなく壊れてしまうものです。父母は子女のために犠牲となるので、父母が子女を愛する関係は壊れません。そして、真の父母の愛を受けて育った息子、娘であるならば、絶対に自分の父母に親不孝をすることはできません。また、夫は妻に、妻は夫に対して「あなたは私のために生きた」という立場で、お互いに一層ために生き、一層犠牲となる立場が広がれば、その家庭には恵みが訪れるのです。そのような家庭が、神様の訪ねてこられる福地です。

34 一つ一つの家庭を中心として、再度収拾しなければなりません。統一教会の組織は家庭組織です。家庭を主とするというのです。個人を主としてきたものから、家庭を主とするというのです。今まで皆さんは家庭を軽んじてきました。軽んじていた家庭は、分かってみると皆さんに必要な家庭だったというのです。皆さんが今まで無価値に感じた家庭が、今や絶対的な権威をもって現れる時が来たというのです。ですから、祝福が貴いのです。

35 祝福家庭を中心として、氏族が形成されていくようになります。ですから、皆さんは、氏族的なメシヤとしての使命を果たさなければなりません。これからの教会は、族長を中心として成り立ちます。祝福を受けた人々は、すべて族長たちです。

これからは、統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇れることでなければなりません。ですから、家庭全体が来て、礼拝を捧げなければならないのです。そのようにしながら、模範的な家庭の報告は手本にし、難しい家庭の報告はうまくいくように導いてあげなければなりません。そして、家庭天国を建設しようというのです。家庭天国を先につくることができなければ、地上天国はできません。

36 天国には、互いに愛し合う夫婦だけが入れます。ですから、この地でそのような思想をもって互いに愛し合う夫婦は、いつも天国生活をしています。イエス様は、「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」(ルカ一七・二一)と書いましたが、統一教会では「あなたの家庭に天国がある」と言うのです。家庭で天国をつくることができないときは、統一教会の旨が成就されます。このような観点から、皆さんは原理を中み旨が成されません。しかし、それができるときは、そのみ心として正道を選別して歩んでいかなければならないのです。

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