真の御父母様の生涯路程 4

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目次
  1. 第一節 一九六〇年 生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう
  2. 第二節 一九六一年 父の代身者となろう
  3. 第三節 一九六二年 見せてあげて誇り得る者となろう
  4. 第四節 一九六三年 勝利的主管者となろう(一)
  5. 第五節 一九六四年 勝利的主管者となろう(二)
  6. 第六節 一九六五年 勝利的主管者となろう(三)
  7. 第七節 一九六六年 勝利的主管者となろう(四)
  8. 第八節 一九六七年 勝利的主管者となろう(五)

第一節 一九六〇年 生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう

真の御父母様の生涯路程 4



第一節 一九六〇年 生涯中、
     最大の実績を残す年となるようにしよう


一 一九六〇年の出発と摂理的意義


年頭標語:生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう
      (一九六〇・一・一、韓国前本部教会)


 一九六〇年の標語は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」です。一九六〇年は縦的な歴史を横的に蕩減復帰する年です。それで、神様の前に最大の実績を残さなければならない年なのです。戦うこと、それ自体は蕩減ではありません。今は天のものとして立てなければならない時です。「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」というのは、実績を立てて、サタンの讒訴条件から抜け出さなければならないということを意味します。

 それでは、先生が、生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来の最高の贈り物とは祝福です。

 皆さんは今年を、皆さんの生涯路程の中で、天の前に捧げることができる最大の実績を残す年となるようにしてください。み言をいい加減に受け取って、あとで後悔することがないようにしなければなりません。何に対しても、自分ができる最大の努力をしなければなりません。

 各々が生涯において、何でもみ旨の前に残すことにより、面目を立てなければなりませんが、特に今年は、自分の使命分野で最大の実績を残すようにしてください。

 生涯中で最高の実績を上げようというのは、どういうことでしょうか。何よりも勝利の結果をもたらさなければならないということです。七年路程のこの標語は、皆さんにとって、常に永続的な標語になるでしょう。


歴史的な大変革期一九六〇年度


 統一教会を中心として満四十歳の時である一九六〇年度までに、天的なプログラムを転換する基盤を築きました。それゆえに、世界は一九六〇年度から新しい歴史時代に入っていくというのです。歴史家たちは、外的な結果だけを見ていて、その内的な動機がどうなっていたのかを知らずにいます。
 一九六〇年度から今日まで、世界の多くの国の解放が起こったのです。国連に加入した三分の一近くの国家が、一九六〇年度以降に解放されたのです。それはどうしてでしょうか。父母が来る時だというのです。そのことは人々には分かりませんでしたが、父母が来れば兄は弟を愛さなければ雷を落とされることを、その心で感じられる人を通じて、一九六〇年代に異質的な歴史的転換期が到来したのです。

 また、世界的な流れが、一九六〇年を基点として、主義を中心とした形態から国家を中心とした形態をもって現れるようになりました。世界的な共産主義が、国家的な共産主義と民族的な共産主義に分かれるようになったのです。それでソ連と中共が争うようになったのです。

 それで、一九六〇年度以降の世界は急変しました。今日まで急激に変化してきたのです。六〇年以降の二十年間は、歴史上で類のないほど、そのような激動と変化を迎えた期間だと見るのです。

 一九六〇年度からサタン世界は、激しく揺れ動くのです。一九六〇年度から四十年間、二〇〇〇年までそうなるはずですが、なぜ大揺動が起こるのでしょうか。それは清算する期間だからです。六〇年度を中心として見ると、先生は四十歳なのですが、八十歳まで行かなければならないのではないですか。蕩減復帰路程四十年間の悲しい歴史の中で、神様との因縁が結ばれたからには、神様が喜ばれる希望の基盤を私の一生でつくらなければならないのです。


二 真のお母様の選定とその背景


清州韓氏家門の韓鶴子お母様


 定州がまず、私たちの本郷であるというのです。それから、帰る途中には、安州に立ち寄らなければならないのです。平安道は、平安であるという道なのですが、平安北道と平安南道を合わせて平安道です。定州と安州です。

 また、忠清というのは、真ん中の「中」に「心」、そして「清い」という字が合わさってできた言葉です。心の中心が清らかであれば道人です。忠清道とはそのような言葉です。「忠清」というのは、現実ではなく、遠くを望みながら進んでいく所です。また、皆さんは清州、すなわち清い州の人々です。

 清州という名前は、清澄の「清」に、「州」という字でしょう? 澄んだ州です。澄んだ水をのぞいて見ると、川なら川、海なら海の、底まですべて透けて見えて、魚がいれば、魚が戯れるのも見え、黒い砂や白い砂がみな見えるのです。ところで、お母様は韓氏です。平安街道の韓氏ですが、韓氏の先祖はどこにいるのでしょうか。清州なのです。それできょう、私が、妻の実家方の道に訪ねてきたということになるのです。(笑い)だから、息子、娘がみな、お母様の本家を訪ねていくとすれば、清州の地を訪ねてくるようになるのです。統一教会の本山の地の中で、半分になるお母様が生まれただけに誇りとし、喜ばしく思いなさいというのです。その代わり、人に負けない努力をしなければならないのです。

 お母様の名前が良いのです。韓鶴子です!それでも、女性が先生の相対になろうするなら、学者(注:韓国語でハクチャと発音)にならなくてはならないでしょう。(笑い)(拍手)韓は何のハンかといえば、漢学もハンですが、恨めしい学問の恨です。誰よりも、神様に対して最高に勉強した学者にならなければならないのです。韓鶴子。女性がそのようになれば、間違いなく神様の相対の立場に立つと見たのです。それで、姓も良く、名前も良いのです。今は結局、その位置にまで来たのです。

 また、お母様の名前は鶴子ですが、どうして鶴子でしょうか。鶴女となるべきであるのに、どうして鶴子となったのでしょうか(注:子は息子を意味する)。私は、「ははあ、そこに息子の子の字を付けたのは、神様の息子と因縁を結んであげるためだったのだなあ。本来そのように生まれたので、統一教会のお母様の名前をもったんだなあ」と、そのように考えたのです。それはすてきなことでしょう? お母様! 「韓」といえば韓国を代表することもでき、宇宙を代表することもできるでしょう(注:ハンは大きいという意味がある)。「ハン」は一つ(ハン)であって、一番だという意味なのです。

 お母様の韓氏のことですが、女性を誇ることができる家門があるとすれば、文先生の奥様の韓氏以上に誇れる家門がどこにありますか。今日、人類歴史路程で、このような複雑多様な夫に侍って、迫害を受け、困難な道を乗り越えてくるのに、どんなに秘話が多かったことでしょうか。様々な事情がどんなに多かったことでしょうか。それでも年が若かったので、あのくらいなのであり、年を取っていたならば、背中が曲がって、すっかり翁草のようになっていたことでしょう。そう、それで、韓氏家門を糾合するのです。


独身三代の母性


 お母様を選ぽうとするには、すべての条件が合わなければなりませんでした。前後において合わなければならず、左右で合わなければならず、上下で合わなければならないのです。合わなければならない第一の条件とは何かというと、どのような血筋を引いて生まれたかということです。サタン世界から讒訴される血統の因縁をもって生まれたか、でなければ、それを越えることのできる血統的内縁をもって生まれたかが重要です。

 お母様は、エバがアダムを通して造られたのと同じように、何も分からないところから出てこなければならないのです。親戚が多くてはいけません。三代が後ろについてきてはいけないのです。縦的な基準においては、それは駄目なのです。正常であってはいけないのです。兄もなく、父もなく、一人です。

 お母様一人が生まれるためには、三代が独り子であると同時に、三代が、来たるべき主の前に功労の基盤がなければならないのです。有り難くもお母様の歴史は、お母様の母方の祖母(趙元模氏)から洪順愛ハルモニ、お母様と、三代が一人娘です。

 そうしてみ旨のために……。幼い時にも後援を受けないで、一人で暮らした一人娘……。七代続いての独り子だということでしょう? そのような独り子をつくったのは、サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためなのです。それで、お祖母さんも一人娘で、お母さんも一人娘なのです。三代が巻き込まれていくのです。ですから、お母様は三代の受難を受けたのです。お祖母さん、お母さんの二人が、信仰に夢中になって歩き回っていたので、「おむつ」と言ってもきちんとつけてくれ、「御飯」と言ってもちゃんと食べさせてくれたでしょうか。

 皆さん、これを知らなければなりません。人間世界の情を知らず、天情の道理を受け継がせるために、骨身が溶けていくのも意に介さず、一片丹心、神様の前に絶対服従し、絶対従順する道を歩んだのです。

 洪ハルモニのような方は、男だろうが女だろうがすべて、信仰の道のためにみなほうり投げて、荷物をまとめて、主を迎えるために歴史的な受難の道を歩んできたので、お母様も、そのような訓練をした歴史があるのです。それが一番簡単でしょう。み旨のために行く夫の道であるならば、情熱を尽くす夫の道ならば、さらに情熱的に尽くすことを望む心をもった家門が必要だというのです。そのように考えるのです。そうして、先生もお母様を選んだのです。


再臨準備信仰の主流の継承


 お母様を見れば、三代が再臨主を迎えるための準備をしたのです。既成教会から反対を受け、カトリックからどれほど反対を受けたでしょうか。李龍道牧師を中心として、新イエス教をつくったとき、どれほど迫害されたでしょうか。神霊的役事と韓国の骨髄をみな連結させて、お母様が祝福を受けるようになったのです。

 再臨主を迎えることができる団体で、重要な幹部として教育を受けてきたのです。そうして、避難してくる時、お母様は、新婦の装いをして新郎を迎えるように準備していた教祖からすべての祝福を受けてきました。最近になって、それがすべて成し遂げられました。そう、先生とは二十三年の年の差がありますが、二十三年苦労したのは、お母様がそのような祝福を受けた基盤で、天がそのように準備したためです。それゆえ、お母様の一族は、新しい主を迎える役事をみな通過してきたのです。祖母の時代から金聖道、許孝彬を通じ、その祝福を受けたのがお母様です。

 お母様の母親(洪ハルモニ)は、お母様が四歳の時にその集団に連れていったのですが、そのとき許女史がお母様を祝福しました。それは、お母様に使命が継承されるという意味でした。お母様は、もちろんそれを知りませんでしたが、先生は一九六〇年にお母様に会った時、そのような事実を知りました。神様によって準備されたすべてのものが、一九六〇年に一つに入ってきたのです。

 その間の苦労は、言葉では語り尽くせないものです。周辺にいる兄弟だとか、親戚だとか、同志など、みなが避けるこの道を、一人で歩みながら、生食をしたり、ありとあらゆる歴史を経たのです。しかし、最後まで、中心の思想を曲げることなく歩んでくることにより、お母様が先生と会うことができる基台を造成したのです。


素晴らしい性稟と資質


 お母様の顔はかわいいのです。ですから、ありとあらゆる誘惑があったはずです。そのようなお母様を迎えてはならないので、天が聖別生活をさせました。学生時代には、「お嫁に行かず、女子修道院に入り、果樹園を作って一人で暮らす」と言っていたそうです。

 また、お母様を見ると、女性として非常に端正だというのです。お母様がつつましくじっとしているときは、誰にも劣らない、尊敬できる内的性稟をもっています。

 元来はつつましいのです。今、四方にくまなく目を注ぐことができるのは、私と会って、そのように訓練されたからなのです。実際はつつましい女性です。青坡洞に行ったり来たりするときも、一つの道だけ歩くのです。いつも、決まってその道を通って来て、行く時はまた、その道を行くのです。(笑い)私は注意して見ていました。二度目に来た時、見ていたところ、一度目に来たその道をしっかり帰っていくのです。次に来る時もまた、その道を通って来るのです。きちんとした道を通るので「ははあ……!」と、そう思ったのです。

 また、伝統的に「ため」に生きる愛をもった代表的女性を探してみたところ、お母様があらゆる面で合うために選んだのです。文総裁の目は、偽物ではありません。

 顔が美人だからといって素晴らしいのではありません。心が美しいので顔が美しいのです。心が美しいから声も美しく、姿も優雅なのです。(拍手)壇上でも、とても自然なのです。壇上で最初に歌を歌ったのがいつかというと、十六歳の時です。高等学校二年の時です。さっと歌うと、とても有名になりました。先生がいようが、誰がいようが、壇上に上がれば、チャンピオンのように堂々としていたのです。

 見かけはつつましいのですが、度胸があるのです。見ればすぐ分かります。手を見れば分かるのです。お母様の顔は優しそうに見えますが、手を見れば違います。厚くて度胸が据わっています。壇上に立っても全然動じません。それゆえに先生は、お母様として迎えたのです。「今は何か言われるだろうが、今に見てなさい」そのように考えたのです。

 先生は、どのような女性でも結婚しようと思いました。み旨のために先生を一〇〇パーセント歓迎する人であれば、一番醜い人でもいいと思ったのです。それで一番優れたお母様を得たのです。(歓呼)(拍手)お母様が言うには、「自分もどうなったのか分からないまま、先生のところに、このようにお嫁に来ることになった」というのです。それは、避けようとしても避けられないようになっていたということです。何かに心を奪われていたのです。


十七歳の新婦


 み旨がなかったなら、先生は、お母様と会うことができません。お母様になる人は、二十代を越えてはいけないのです。本来は十八歳を越えてはいけないのです。十八歳を一日でも過ぎては、満十八歳を越えてはいけません。エバが十六歳で堕落したので、三年を経て、十九歳に連結されるのです。また、堕落圏で見れば、十代が問題なのですが、韓国的な立場から見るとき、年齢が若いほど地上の女性世界の純潔基盤に近いのです。

 お母様御白身も、愛を中心として、羊のように従順でなければなりません。あらゆる面で、絶対従順する条件を取り戻さなくてはならないのです。それで、全面的に夫のために犠牲にならなくてはなりません。夫を愛することにおいて、絶対的でなければならないというのです。「私の父にも及ばない。私の兄ほどにもならない」と、比較の基準を置いてはならないのです。世の中のいかなる男性よりも、先生よりも、おじいさんよりも、誰よりも優れていると思わなくてはなりません。なぜそうかというと、エデンの園では、エバは男性というものを見ることができなかったのです。男性についてあれこれ考えたり、他のことを思う余地がなかったのです。

 お母様と私とを比較すれば、私は、お母様よりも二十三歳も年上でしょう。この世で見れば、私は父親のような年齢です。娘のような女性と結婚する男性がどこにいますか。しかし、真の愛は年齢を越えるのです。真の愛には、億万歳になるおじいさんなのに、億万歳という考えがそこに及ばないというのです。記憶できないのです。ただそのまま新しいのです。ただそのまま良いのです。ただそのまま和合なのです。ただそのまま統一です。ですから、真の愛は悪くないというのです。お母様と私では、年の差が大きいですが、真の愛の世界にぱっと行けば、「おっ、二十三年してから来なさい」と言いますか。それは問題にならないというのです。

「年齢が四十になったといえども、天のために若い妻子に侍り、忠臣的な夫に一度なってみよう」というのが心の願いでした。また、「四十歳にして、自分勝手に生きてきた女を連れて暮らすとすれば、どうして、その年齢の高い花嫁から、一生ほめたたえてもらえる真の夫になり得るだろうか」と、そのような意味から、幼いお母様を迎えてきたのです。

 また、四十以下の人の心情圏を何をもって一つにしますか。お母様を代わりに立てて降りていき、お母様と共に上がっていく基準を中心として、四十代に家庭的心情圏をつなげていくのです。そうすれば、思春期以下の男子、女子はみな、同じケースですべて連結されるのです。

 しかも、先生は二十年の間に、十二人の息子、娘を生まなければならないのです。そうして初めて、二千年を蕩減できるのです。ひたすら尻が丈夫で、腰の力があって、毎年ぼんぼん産んだとしても、無事に生まれるかどうか分からないのです。それは年を取った人では大変なことになるので、やむを得ず、できるだけ年の幼い、十六歳以下でも良いと考えたのです。


花嫁候補たちの競争


 お母様を迎えるころ、先生が四十歳に近づいてくると、「ああ、宇宙のお母様を迎える。先生がお母様を迎える年になってきた」と言うのでした。三年前の三十八歳の時から大騒ぎでした。親戚の中で上品できれいな娘、器量が良いという娘がいれば、全部手帳につけて、引っ張ってきて、「ああ、うちの先生が何、どうのこうの言うから、うまくいけば、お前が先生を夫として迎えるんだ」と言ったり、ありとあらゆる妖しい事件がたくさんあったのです。

 そうして、霊界からの啓示はみな、自分が先生の相対だというのです。七十になる老人から、六十、五十、四十、三十、二十、十代まで、みなそうです。それはそうならざるを得ないのです。そうなるしかないのは、全歴史を、縦的歴史を代表するので、霊界が代表的な女性を立てて証するからです。それで、百年の歳月というのは、一万年、十万年、千万年の歳月に匹敵します。ですから、女性という女性は、みな入るのです。それは、女性たちが神様のために精誠を尽くしたものをみな合わせて、一つの結実として実が結ばれるということなのです。それは避けられないのです。それで、そのように啓示してくれたのです。

 七十歳になる年を取った人たちから少女に至るまで、すべての女性たちが、「命を懸けて先生と結婚したい」と思ったことは、歴史上の記録です。多くの女性たちが精誠を込めて、命を懸けて相対になろうとしたことは、記録に残さなければいけません。サタン世界のどんな女性よりも、彼女たちが記録とならなければならないというのです。一人の男性が登場したところに数多くの女性たちが登場し、相対になるために全体の女性たちが動員されたのは、歴史的に初めてだというのです。そのような男性は、どのような王を見てもいないというのです。

 統一教会内では、おばあさんから、お母さん、娘まで、三代が精誠を込めるのです。自分の家から先生の相対が出なければならないと精誠を込めれば、(霊界が)すべて教えてくれるというのです。すべて教えてもらい、間違いないと信じたのです。そのような人がたくさんいたのです。また、霊界を通じて、先生が今まで復帰の業をなしてくるのに、重要な仕事をさせたおばあさんたちもみな、先生の結婚相手として、自分が選ばれなければと思っていたのです。

 さて、そのような環境だったので、うわさが立たないでしょうか。先生が誰かと少しでも近く接すると、「先生は何、どこの家の娘と結婚するだろう。何、どのようになるだろう!」と言ったり、また、霊通する人々は、祈祷の中で「誰々がなるだろう!」と、受けたりしたのです。様々なうわさが飛び交う時代でした。お金があって、勉強をして、大学を出て、立派な家門をもった女性たちは、非常に自信をもって、そのように考える人々も多かったのです。その時、先生が四十歳だっただけに、二十五歳以上、二十八歳、三十歳を中心として、その前後の女性たちの夢は実に高かったのです。先生はその時、結婚をしていなかったので、そのような女性たちがたくさんいたのです。

 ですから、心の中でお互いに競争しているということを、お互いが知るようになりました。それで、二十代そこそこの女性や経験もない人が入ってきては、この統一教会では長く持ちこたえられないだろうし、よくわきまえて振る舞うこともできないと判断したのです。ですから、その環境で、どれほど神経戦が熾烈だったか考えてみてください。銃弾が飛び交ったりはしませんでしたが、心情弾がどれだけ交差しただろうかと考えてみなさいというのです。


八段階の女性の心情伝授


 神様が見る時、全世界の女性は一人です。一人と見るのです。堕落する時、アダムとエバが堕落しためで、全世界を代表したアダムの前に、全世界の女性たちは、エバの立場に立っているために、年を取ろうが若かろうがみなエバです。八十代のおばあさんから橋を架けなければなりません。花の橋、愛の橋を架けなければなりません。彼女らをみ言で導き、娘のように育て、導いて、東西南北のすべてのものを収拾し、橋を架けなければならないのです。

 そのためには、数多くの女性たちの、その事態を踏んで上がってこなければなりません。踏んで上がってきながら、愛の綱をみな奪ってこなければならないのです、骨髄を引き抜いてくるのです。そうして、天の前に立つことができる本然的姿勢を備えたという勝利の印を受けなければなりません゜解放を受けなければなりません。すべてのどぶの水を浄水する作業をしてあげるのです。そのようなぽろ切れのようなものを縫い合わせなくては、お母様が渡ってくる橋がありません。八十歳から七十歳、七十歳から六十歳というように、霊界の霊人たちを動員してつないで、基盤を築いてあげたのです。

 垂直線は、サタンが侵犯できないのです。それで真の愛を中心として、すべて連結してあげなければならないのです。それゆえ、八十になるおばあさんたちの愛を全部七十代に渡してあげ、七十代の天の愛は六十代に渡してあげ、六十代の天の愛は五十代に渡してあげ、五十代の天の愛は四十代に渡してあげ、四十代は三十代に、三十代は二十代まで渡してあげてこそ、この穴を通るのです。お母様が越えるべき八段階の条件物をつくらなければなりません゜お母様となるためには、八十代から七十代、六十代、五十代、四十代、三十代、二十代、十代まで、ずーっと、その心情を伝授されなければいけません。そのような過程を通過しなければ、お母様の位置に立てないのです。


真のお母様の選定


 先生は、何も分からないお母様に、十四歳の時に一度会い、そのあと、嫁に来る時までに二度会ったのでした。正式に会ったのは、十四歳の時です。その時、私が呼んで、今後資格があるか、全部試験をしたのです。

 どん底で黙々と犠牲になり、さらに行かねばならないと心に誓いつつ歩む人の娘が選ばれたのです。そうして、教会で献身生活していたおばさんの娘、高校二年になる娘を選びました。妻を得るにしても、私の欲望を中心としてではなかったのです。

 また、私がお母様と結婚する時、「神様、私は結婚する時になりましたので、結婚します」と言って結婚したのではありません。神様が「結婚する時になったのでしなさい」と言ったので、したのです。それが原理です。お母様も、私と結婚するという思いをもたずに来たところ、どうにかなって、そのようになったのです。

 お母様はその時、高校に通っている娘でした。ところが、「おいおい、文総裁がお前を呼んでいる」と言うので、「なぜですか。知らないのに、どうして?」と言いながら、来たところ、「あすの朝、結婚式をするのだそうだ」と言うのです。それで「そうですか」と言うのです。反対するすべを知らなかったのです。

 私が試験をしたのです。試験として、絵を描かせても、本当にかなり上手に描くのです。絵を描いて広げて見せるにも、恥ずかしそうにしました。その心の姿勢が絵よりも素晴らしいのです。お母様はその時、実に気立ての優しい娘でした。立派だったのです。


真のお母様と洪順愛大母様の一体圏


 女性にも、母の立場の女性と娘の立場の女性がいます。それはレアとラケルを象徴しているのです。これは、来たるべき新郎の本意ではありませんが、天理原則によって、そのような役事が起こるのです。ところで、洪順愛氏という、お母様の母親がいますが、その母は僕の立場で自分の娘のような人を大切に育てなければならないのです。そうして、正にその僕の娘を、神様の娘として入籍する相続式をしなければならないのです。その式をして初めて、新郎として来られた主の前に、新婦が策定されたと、新しい時代の前に宣布式をすることができるのです。その時は、統一教会で言えば、一九六〇年度に該当します。

 母を失ってしまったがゆえに、二人の母が必要だというのです。それはどうしてかというと、母というものは縦的なのです。母と娘は、縦的、横的となるのです。先日、洪氏ハルモニに対して、大母という言葉を使ったのもそのためです。このお母様から直系になっていないのです。それで、このようなすべてのことを蕩減条件に連結させて、その位置をつかまなければならないのです。それゆえに、先生を中心として見ても、二番目のお母様なのです。第一のお母様が代を継ぐのは難しいのです。

 レアとラケルが一つにならなければならないのです。心情圏の分裂が起きてはいけないのです。ここで一体圏が成されなければなりません。レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを全くすり替えても一つになることができる心情圏、兄が弟になっても良く、弟が兄になっても良いと言える内的基盤の一体圏をつくっておかなければならないのです。そのような過程を経て、お母様を迎えるようになったのが一九六〇年度でした。


二人のお母様の三位基台


 金聖道のあとを許孝彬が継いで、許孝彬の娘が主を迎えるように準備されたのです。そこで十二弟子のような準備をしたのを見ると実に不思議なのです。そのようなすべての内外を合わせて、主が来て、三人の女性の協助を受け、結婚式をするようになるのですが、その時の三人の女性とは何かというと、蘇生、長成、完成と同じなのです。おばあさん、母、娘の三代が一つに、なったというのは、旧約時代、新約時代、成約時代が連結されたということです。そうして初めて、父母が定着できる時代に入るのです。それゆえに、今日、私たち統一教会も、お母様を中心とした三位基台があるのです。縦的にあった三位基台が、横的に展開されるのです。それでは、どこが中心でしょうか。お母様が中心です。

 その中で崔元福もそうなのです。崔先生が第一ではありません。お母様が第一です。「女性」と言えば、堕落した女性と、堕落していない女性に分けられるのです。エバの直系の後孫と希望の女性です。希望の女性は、イエス様の前に新婦となるのです。堕落した女性は、イエス様の前に裏切り者です。裏切り者を指導し、許してあげ、アベルに仕えさせるのです。アベルが行くべき法度を立てて、許してあげるのです。それゆえ元福も、お母様の行く道を平らにしなければならないのです。堕落した母の立場から復帰することができる個人的十字架、家庭的十字架、すべての十字架を負って、お父様の前に、エバが失敗したすべてのことを蕩減することにおいて、主導的な役割をしてあげるべき一人の女性がいなくてはならないためです。

 これに対して、サタン世界を生かしてあげようとするなら、お母様の三位基台を中心とした基準があると同時に、そのお母様のお母さんの三位基台がなければならないのです。すなわち、お母様のお母さんの三位基台である、おばあさん三代を置いて復帰しなければならないのです。それで三人の老人たち、池承道老人、玉世賢老人、李奇完老人は一つの家に住まなければなりません。この三人がどういう人かといえば、お母様の三位基台の土台になるのです。元福氏の三位基台の象徽的土台なのですが、これが一つにならなければ、統一教会のすべての伝統的歴史を曇らせてしまう立場の代表者となります。それゆえ、彼女らは一つの家に住んで、一つにならなければならないのです。

 このように、おばあさんたちを三位基台で一つにして、母子協助することができるサタン世界の三人の娘を立ててきたのです。そのおばあさんたちはすべて、先生が呼んだのではありません。霊界で会わせてくれた人たちです。


三 「父母の日」設定(一九六〇・三・二七(陰暦三・一)、前本部教会)


 一九六〇年陰暦三月一日(陽暦三月二十七日)早朝四時、ソウル龍山区青坡洞一街七一の三、前本部教会で真の御父母様の約婚式が挙行された。そしてその翌年の第二回真の御父母様の約婚式記念日に、真のお父様は「父母の日」を公式宣布された。その後、毎年陰暦三月一日を「父母の日」として記念してきた。
 「父母の日」が「真の父母の日」に公式名称が変わったのは、一九九四年第三十五回父母の日記念礼拝の時、真のお父様が四大名節に「真」の字をつけて記念するようみ言を語られたのちである。


霊肉合わせて勝利した真の父母


 本来は、アダムとエバが神様を中心として一体となり、真の父母にならなければなりませんでした。そうすれば、「父母の日」が立てられるようになるのです。そうなれば、全宇宙が父母の名と共に、誦詠を捧げるようになるのです。しかし、人間始祖が堕落することによって、このような「父母の日」を天も失ってしまい、地も失ってしまいました。それで神様は、本来計画されたことを成就するために、「父母の日」を取り戻すために、今まで経綸してこられたのです。

 「六千年の復帰摂理歴史は、真の父母を取り戻すための歴史」と言っても過言ではありません。真の父母は、六千年の摂理史全体に代わる方です。それで、真の父母を取り戻すことができなかったことが、人類全体の悲しみに代わり、全体の苦痛に代わり、全体の悲哀に代わるということを、私たちは知らなければなりません。

 数多くのキリスト教徒たちは、イエス様の再臨のその日を待ち焦がれています。それでは、その再臨の日はいかなる日でしょうか。その日は、本然の一つの存在である再臨主、すなわち、本然の男性を立てる日であり、ひいては、愛を中心とした本然の真の父母の因縁を立てる日です。

 まず、真の父母は、霊的な父母の因縁の相続を受けなければなりません。そのような式を経なければならないのです。イエス様以外の聖人たちは、僕の父母であり、イエス様は、養子の父母だというのです。例えば、ある国の王がいるというとき、その王は、生まれながらにして王権をもって出発するのですか。そうではありません。その王権を懸けて戦い、勝利しなければならないのです。一つの国の主権者が出現するには、どのような条件を中心として出現するのでしょうか。その国家の非常時を迎えて、最後の決戦で勝利を収めることなくして、国の主権者は誕生しないのです。

 それと同様に、この地上に真の父母が、真の父母の立場で来るためには、必ず実力戦をしなければなりません。真の父母としての資格を備えて勝利しなければなりません。まずサタンを屈服させて、そののちに霊界に行き、養子の父母を屈服させなければなりません。このようにして、蘇生、長成、完成と、父母の三代の役事を経ていくのです。その中で、最後に残る父母は、肉界や霊界やサタン世界において、勝利の決定権をもって現れる父母です。

 一九六〇年度に「父母の日」が設定されましたが、この「父母の日」は、歴史時代に父母が誤ったすべてのことを、霊的に、肉的に蕩減した勝利の基盤の上においてのみ設定されるのです。それゆえに統一教会では、イエス様の名前で祈祷せず、真の父母の名前で祈祷するのです。一段階、先を行くのです。聖父(神)・聖子(キリスト)・聖霊の三位一体としてましますならば、聖父・聖子・聖霊の名前で祈祷すべきなのに、どうして、イエス様の名前で祈祷するのですか。何ゆえお一人の名前だけをもって祈祷するのかというのです。


「父母の日」設定


 私たち統一教会で、歴史上初めて「真の父母」という言葉を中心として、「父母の日」が設定されたのです。神様の本然の愛を中心とした男性と女性が夫婦を成す「父母の日」が設定されたという事実を知らなければなりません。それにより、神様を中心として、男性の心と体、女性の心と体が完全に水平線で、神様が願われた理想的完成圏が出発すると見るのです。

 「父母の日」は、一九六〇年三月二十七日に設定されました。今や、初めて歴史上に「父母の日」が生まれたのです。失われた神様の栄光に代わり、人類の勝利をほめたたえ、悪に対し、公義の法度で審判の権限を行使できる、私たちの父母が現れたのです。これは、この地上では福音の中の福音です。この「父母の日」を宣布した日が、まさしく陰暦の三月一日なのです。

 この日がないことには、天宙の恨みを解くことができません。この日が来なくては、神様のみ旨を奉ずることができません。この日が立てられなくては、サタン世界であるこの地上に神様の勝利の土台を築くことができないのです。神様が勝利の日を決定する日もこの日であり、聖徒たちが解放してもらえる日も、正にこの日です。天宙間に、願いと理念が一つになる日もこの日であり、天地が開闢する日もこの日だということを皆さんは知らなければなりません。

 「チャム・プ・モ」(真の父母)というその名前、三文字を思う時、真の父母により歴史が治められ、真の父母により新しい世界に移っていくことができる起源が生まれ、真の父母によりサタンを屈服させることのできる内的な因縁が決定され、真の父母により外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めて神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定されるのです。それゆえ、真の父母と共に生き、真の父母の命令を奉じて行動できる、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。

 私たちは、「父母の日」を迎える中で、喜びを感じることができ、喜びを感じる場で再び生まれることができる基準をもたなければならないのです。また「父母の日」は、子女が生まれる日を天と地の前に公布する日でもあります。

 私たちは「父母の日」を立てましたが、この「父母の日」が、今日、統一教会だけの「父母の日」となってはいけません。世界万民が迎えることのできる「父母の日」にならなければなりません。この日は、統一教会の垣根の中の少数の群れだけが祝うことができる日ではなく、万民が祝うことができる日です。全歴史にわたって永遠にほめたたえることができる日です。未来の万民たちがこの日を、誇りの日、喜びの日、栄光の日として、永遠に記念し、ほめたたえることができる日です。

 皆さんが「父母の日」を迎えるたびに思わなければならないこととは何でしょうか。私たちが「父母の日」を迎えるのは、御父母様が訪ねていく家庭をつくるためなのです。また、「父母の日」とか、記念する日を祝うのは、その家庭の、輝ける愛と理想を高めるためだと考えなければなりません。皆さんが成婚式を挙げたなら、成婚式を挙げたその日が皆さんの氏族を中心とした「父母の日」になるのです。


四 真の御父母様の聖婚式(一九六〇・四・一一〔陰暦三・一六〕、前本部教会)


 一九六〇年陰暦三月十六日(陽暦四月十一日)午前十時、文鮮明先生と韓鶴子女史の聖婚式がソウル龍山区青坡洞一街、前本部教会で全国各教会から選抜された七百余名の男女聖徒たちが参席する中で挙行された。


長成期完成級復帰


 解放直後から七年と七年、満十四年が過ぎたのち、聖婚式をしたのです。蘇生旧約時代、長成新約時代の基準を越えて、アダムとエバが長成期完成級で結婚したので、蘇生、長成の各七年の期間を越えて、完成蘇生級を連結させることのできる位置に出なければなりません。国家基準を越えなければならないのです。

 統一教会の群れを集めて、六〇年度に、全国に少なくとも百二十箇所以上の教会基盤を築いたのです。それは、世界百二十ヵ国の国家を代表しているのです。そこでどんなに国家的試練を受けても倒れずに滅びない、そのような基盤を築いてきたのです。そのような基盤のもとで、一九六〇年度に新しい聖婚式を挙げたのです。

 聖婚式をするのですが、その聖婚式は、自分の思いのまま女性一人を連れてきて、「します」と言ってできるものではありません。歴史を解かなければなりません。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の縦的な二千年、そしてアダム、イエス様、再臨時代というように復帰歴史が流れてきたのです。お母様を選び立てるために、アダム、ノア、アブラハム以後、摂理史的に問題となった人物たち、歴史的に問題になったことに対して、蕩減条件を立てました。

 また、世界の有名な霊通人たち、霊界に通じる人々、仏教代表、儒教代表、イスラム教代表など、すべての宗派の代表たちが来て、私に敬礼しなければなりません。東方博士の三人がイエス様に敬礼したのと同じように、敬礼しなければなりません。そのように蕩減復帰は複雑で多様なのです。


激しい迫害の状況


 一九六〇年に行われた聖婚式の背後には、アダム以後、イエス様の時までの四千年、イエス様から今日に至るまでの二千年の歴史過程において、引っ掛かったすべてのことを、蕩減条件を立てて解決しなければならない内容がありました。それを準備するための一九五三年から一九六〇年までの期間は迫害の時期でした。その期間に、少なくとも三百六十万人以上の人から迫害を受け、三つ以上の教派と国家から迫害を受けました。

 イスラエルの国と、ユダヤ教と、イスカリオテのユダが一つになってイエス様を殺したことと、全く同じ運命に追い込まれたのです。その時が正に一九六〇年の四月です。その時は反対の絶頂でした。一歩さらに行けるかどうか、死ぬか生きるか、ここで新しく出発できるかどうかという、境界線に到達したのです。

 イエス様の十二弟子がイエス様を否定したのと同じように、統一教会に反対する輩たちも、ちょうど十二名だったのです。十二人が署名捺印して告訴をすることによって、先生は、裁判所に行って調査を受けました。その当時、建国大学から有名な学者たちがたくさん入ってきていたのですが、そのような悪い知らせを聞いて、地区長をしていた金正賓も荷物をまとめて逃げていったではないですか。その時、統一教会を支持せず反対したのです。

 お母様を迎える前日まで、内務部で調書を捏造されたりしながら取り調べをされました。それでお母様まで呼ばれていって戦わなければならなかったのです。イエス様が法廷で死んだので、法廷から取り戻してこなければなりません。蕩減復帰です。十一時に法廷で殴られながら、朝の三時に結婚式を始めました。そのような闘争のまっただ中において基準をつくったのは、万人の平安と喜びの幸福の基台をつくってあげるためなのです。

 それは誰も知らないのです。劉協会長はそのような意味では功労が大きいのです。そのような局面で、一九六〇年四月十一日に聖婚式が行われることにより、一つの峠を踏み越えて上がるのです。そこからサタンたちが屈服し始めるのです。


四十歳の峠を勝利


 先生がそのまま満四十の峠を越えれば大変なことになります。それで大急ぎでしたのです。それを偶然に越してしまうようになれば、すべてのものが、ぼとっと落ちてしまうのです。どれだけ深刻だったか、皆さんには分からないことでしょう。復帰路程で、この四十数を越えることがどれだけ重要な一つの峠であるかということを、皆さんは原理を通して学び、みな知っていることでしょう。四十の峠を越える時までは、死んではなりません。へたばってもならず、後退してもなりません。どんなに追われ追われても、最後まで前進しなければなりません。

 怨讐に出会うその峠ごとに「私が倒れてはならない。私が死んでは駄目だ。私が死ねばこのみ旨を誰が立てるだろうか。どんなに苦労をしたとしても、四肢が切られ不具になり、伏して生きるとしても、私は死んではならない」と、どれほど心の中で念を押したか知れません。

 ゆえに先生は、死なずに四十の峠を越える日を待ち焦がれ、歳月が早く過ぎ去ることだけを黙々と願いました。「青春よ、早く過ぎ去れ。歳月よ、早く過ぎ去れ。自分にあるすべての宝物が奪われるとしても、来たるべき四十の峠で私は、敗者とならず勝者になるんだ」と思いつつ歩んできたのです。また、それは先生の宿願であったのです。


三代にわたった家庭的恨


 来たるべき主の家庭はいかなる家庭でしょうか。悲惨というならば、それ以上悲惨な家庭がないぐらい悲惨な家庭です。言い換えれば、その家庭においては、今までの歴史過程を通してすべての男女が引き起こした悲惨事が、少しの間でもかすめていくのです。そうでなくては蕩減にならないのです。

 それゆえに、その新婦が流さなければならない涙の種があるなら、それは歴史上の数多くの女性を代表した涙の種にならなければなりません。そして、耐えることがあるならば、それも歴史上の数多くの女性を代表した忍耐にならなければなりません。そして、男としてなさなければならないことは、心情世界において悔しい思いをしながら、犠牲を受けて愛の道を行った男たちがいるだろうし、無念な思いで愛の道を行った男たちもいるだろうし、「死んでもその道は行けない」と言った男もいるはずなのですが、彼らのそのような運命の道の責任を負って行かなければならないのです。そうせずしては、歴史上に絡み合った悪の根を根こそぎ抜き取ってしまうことができないのです。

 それで、イエス様も耐えられない心情の十字架を先生が負ったということを皆さんは知らなければなりません。国を失った悲しみ、教会を失った悲しみも悲しみでしたが、それよりも、六千年の恨を解くための、家庭的な基盤をもてなかったイエス様の恨を解くために立てた家庭的土台を再び失うべき立場だったので、それがもっと悲しく悔しかったのです。これを再度編成して、家庭的基盤を再び立てたのが現在の家庭です。一九六〇年度に聖婚式をすることによって、初めて家庭の型をもつようになったのです。

 そのようにして初めて、縦的な歴史を横的に蕩減するようになりました。六千年歴史の中で、アダム、イエス様、再臨主の時代までの蕩減が起きるようになりました。エバに該当するのが聖進の母であり、マリヤに該当するのが喜進の母であり、再臨時代の母に該当するのが現在のお母様です。そのようなお母様が出てきたので、初めて四位基台が成されました。


聖塩の分配


 聖塩がどこから始まるのかというと、父母が現れる時から、すなわち、御父母様の結婚式場から始まるのです。堕落した父母の愛からすべてのものが汚され始めたのでしょう? それで、聖塩は御父母様の愛を中心として聖婚式から出てきたのです。

 サタン世界のサタンの血筋で汚されたものを神様は使うことができません。それで、結婚して、真の父母の因縁を通じた本然的愛、本然的生命、本然的血統の内容を代表できる主体者として、これらは燃やしてしまわなければならないのです。しかし、とりあえず人類は、着て、食べなければならないので、燃やす代わりに聖別という条件を中心として、サタンと関係のない世界圏で食べたり着たりすることが地上で初めてなされたという事実を知らなければなりません。

 皆さんは、真の父母を取り戻さなければならず、真の父母と一つにならなければならず、真の父母と共に国を復帰しなければなりません。それなのに私たちは、そのような国を見ることができず、そのような国の中で生きることができず、そのような国の中で作り出した商品を手にすることができないということを無念に思わなければなりません。ですから、私たちは聖塩で聖別をするのです。その国(神様の国)では聖塩は使わないことでしょう。聖塩を使う必要はないでしょう。

 聖塩は麹と同じです。物を買った時に聖別し、外の生活をしてから家に入る時も、垣根で、大門で聖別するのが原則です。聖別したものはサタン世界に渡してはいけません。どうしようもない時は、左手であげなさい。聖別は「聖父(神)、聖子(キリスト)、聖霊と真の父母と私の名前で聖別いたします」と言いながら、聖塩を十字、北南東西の順で振りまきます。聖別した不動産などを処分しなければならないときは、段階を通じ、承諾をもらって処分するのが原則です。


小羊の婚宴


 黙示録に現れた小羊の婚宴とは何かというと、私たち人類が堕落によって、神様の愛を受ける真の父母を失ってしまい、堕落した偽りの父母をもつようになったがゆえに、神様が人類歴史の終末時代に真の父母を探し出し、神様を中心として人間の先祖として結婚式をしてくださるということなのです。創世記はアルファです。人間はアルファで落ちたので、黙示録であるオメガに行って合わせるというのです。

 それでは何ゆえ、父と母が今日、私たちに再び必要なのでしょうか。私たち人間は堕落によって過って生まれたので、再び生まれなければならないためです。それで「重生」、すなわち生まれ変わるという言葉があるのです。皆さんは、生まれはしましたが、父母もなく生まれたのと同じ立場です。それゆえに、もう一度、母の腹の中に入っていき、出てこなければなりません。これが今までの救いの歴史なのです。

 先生が聖婚した一九六〇年四月十一日、その日は何の日ですか。その日、聖婚式を挙げた日は、他のBとは全く異なるというのです。現れたものは簡単に見えますが、それが全体を集約させた代表的な核となるとき、歴史はその日を研究するようになるのです。六千年の間、天が願ってきたアダムが来て、この地上で蕩減を果たし、一九六〇年度に聖婚式を挙げたというこの事実が、どれほど途方もない事実かということを皆さんは知りません。天から見る時、どれだけはらはらし、生死を分ける薄氷を踏んでいくような、どんなに息の詰まる、そのような期間であったことでしょうか!

 聖婚式は一個人のことではありません。世界史的なことです。そのような世界史的な神様の摂理に対して、そのような心情的起源を総合した場で、誰よりも愛する一つの家庭的起源を宣布するというとき、その家庭的起源を中心として天倫は、天地の運勢は、動かざるを得ないのです。

 一九六〇年度に家庭という基盤をもったので、滅びないというのです。家庭基盤をもつことができなかったならば滅びるようになるのです。一九六〇年度の聖婚式がどれだけ歴史的な事件だったことでしょうか! 今まで六千年の間の摂理歴史時代で、アダム一人を探すために苦労したその基盤の上に、アダムが地上に基準を築き、エバを完成した女性として迎え入れることができるということは、霊界と肉界に分かれたものが初めて地上世界に連結されるということなのです。男性は天の代身であり、女性は地の代身です。分かれた霊界と肉界が連結されるのです。アダムとエバが怨讐だったその群が崩れるのです。アダム・エバと神様が会えなかったこの群が崩れるのです。サタンが抜け出ていくというのです。


聖婚式と世界的女性運動


 地上に永遠の基台として相対者を立てることが、統一教会で言えば聖婚式であり、一九六〇年のきょうでした。第一次世界大戦以後の七十年間は女性の運勢圏です。米国でも女性が先頭に立つようになったのはほんの少し前のことです。それは七十年間、地上で許しを受けた女性の祝福圏です。その祝福圏は、真のお母様がこの地上に生まれ、その真のお母様を中心として始まらなければなりません。

 イエス様が地上で実体を備えれば、新婦は天道のすべての内容を知って、すなわち、真理の中に新婦の資格を完遂し、新婦としてメシヤが来ることを待ち望み、彼を迎える準備をしなければなりません。そうして一つの家庭を準備し、一つの国家を準備し、世界を準備しなければならないのです。それが新婦のすべき責任なのです。

 それゆえに、一九六〇年代に入って女性運動が世界的に広まったのです。女性は、男性が解決できないことを解決しなければなりません。この地上にどんなにたくさんの人がいるとしても、すべて悪なる血統を受けて生まれた堕落の後孫であるため、母的な使命を果たせる真の女性が現れなくてはなりません。終わりの日が近づけば近づくほど、そのような代表的な存在が出現できるその時が近づくので、世界的な女性運動が起こるのです。終末期は、堕落したものを女性が復帰できる時であるので、終末である今、天的なエバを代表して女性たちが乗り出すことができる恵沢圏にいるのです。


真のお母様の内的試練


 ここにお母様もいますが、洪ハルモニに「三年間、絶対にこの表門から出入りをするな」と言ったのです。皆さんの社会から見れば、年老いた義理の母なのですが、その年老いた義理の母に命令するのに「娘だからといって、絶対に目の前に現れるな。正門から出入りするな。三年間は私の目の前に現れるな」と言ったのです。それは、なぜそうなのか分かりますか。内輪の議論をしていては、すべてを滅ぼしてしまうのです。

 お母様は、この世の女性のように内輪の議論をすることはできないようになっているのです。お母様はエバの位置を代わって継いでいく人なのです。内輪の議論をする人は、お母様を堕落させるための天使長の立場に立つのです。それが十回あれば十回とも立つという原則があるのです。ですから自分の娘として内輪の議論をしていては、お母様をつくることができないというのです。お母様の考えの中には、お母様の頭の中には、アダムだけがいなければなりません。夫しかいてはいけないのです。

 そしてお母様は、親戚たちに対する観念を絶対にもってはならないのです。「全部切りなさい」と言いました。自分がしなければならない主流の責任を残しておいて、傍系的な心情に蹂躙されてはいけません。そうなれば問題が生じるのです。そうして三年間、お母様を金寅哲の家に間借り暮らしをさせたのです。

 他人の家で寄食するのです。さらに、教会に一日二回も来られないのです。一日のうち、夕方に一回だけ来るのであって、二度来てはならないのです。それも、来る時は正門から入っても、出ていく時は裏門から出なくてはなりません。世の中のどこにそんな道理がありますか。外泊暮らしです。

 そこでは、お母様も涙をたくさん流しました。結婚をしたので、どこかへ行こうとすれば、夫について歩かなければならないではないですか。しかし、おばあさんの三位基台、お母様の三位基台があるのです。先生がどこかに行くとしても、その人たちを連れていくのであって、お母様は連れていかないのです。ですから、どんなにあきれ返ることでしょうか。峠を越える時までそうしたのです。

 少なくとも百二十人以上の女性たちが競争したのです。ですから、それをそのままにしておけば、この世よりも恐ろしいのです。毒薬を飲ませて殺すようなことが起きるのです。ですから、その憎しみの矢を防ぐために、三年の間外泊させたのです。そのような時、譽進を産んで風に当たり、産後の病が生じたのです。寒い所でぶるぶる震えて、夫も行かない所にいました。そこに先生が毎日行くことできますか。

 また、おばあさんたちから始まって「あのお母様はどうだこうだ。ほかのお母様を選ぶ」とか、例えば、先生と誕生日が同じことまでも「それは全部、四柱観相を合わせるために、そのようにしたのだ」とか、ありとあらゆるうわさが立ったのです。しかし、そこで対抗すれば二つとも砕け散ってしまうので、無言のまま行かなければなりません。無言のまま行きなさいというのです。ですから、どれほど息が詰まったことか、そのような環境を経てきたので、誰もが「本当に偉い」と思うようになるのです。「あの方でなければ駄目だった」と思う基準がだんだん出てくるのです。

 その背後で、先生がどれだけ苦労したのか分かりますか。ある女性などは、お母様が息子を産んで住んでいる部屋にぱっと入って来て「この部屋を明け渡せ。私の場所だ」と言って、寝転がって手足をばたばたさせて大騒ぎをしたのです。「明け渡せ。出ていけ」と大騒ぎしたのです。そんなことがあり得ますか。どれほど息が詰まったならば、いかばかりであれば、そのようなまねをするのかというのです! 「千年、万年も越すことができる精誠を尽くしてその日を成就しようとしたのに、精誠も込めていないようなお母様が来て座り、天下の位置を占めているので、あきれて物も言えない」と言うのです。「本来は私がお母様になるべきなのに」と思っていたのです。それはどれほど悲惨ですか。私は黙って見ていましたが、お母様も黙って見ているのです。お母様が立派なところは、それを見てもじっとしていることです。

 心情的なカインを包容できなければ、心情的なアベルは立つ位置がないのです。これが原理です。アベルの位置、心情的なアベルになるためには、心情的なカインの基盤を全部消化し、全部生かしてあげなくてはならないというのです。

 ですから、おばあさんたちをはじめとして統一教会の女性たちが、一番最初のころは憎いと思ったのですが、自分たちがよくよく見ながら考えると、「先生もやり過ぎだ。お母様を迎えたならば一緒に住むべきでしょう。何ですか、外にほうっておいて、一緒に住まないなんて」と同情したのです。そのようにして悪口を言ったのを全部蕩減復帰するのです。見方も変わって、お母様の味方になるのです。そうして、おばあさんたちがお母様の味方になり、おばさんたちがお母様の味方になり、その次には若い娘たちがお母様の味方になり、みなお母様の味方になるので、その次には、本来の場所に入るのです。


五 真の御父母様の聖婚以後の七年公式路程(一九六〇〜一九六七)


摂理的完成期七年路程


 世の中では、正月一日を新年の出発の日としていますが、復帰摂理のみ旨を中心として見る時は、四月に聖婚式をしたので、四月から四ヵ月間が常に問題になるということを皆さんは知らなければなりません。

 先生においては、一九四六年から一九六七年の末までが、二十一年路程に該当するのです。一九六〇年度は先生の第二次七年路程の最後の年です。統一教会においては、一九六〇年度から家庭出発です。統一教会を中心として見れば、第一次七年路程が出発する年です。一九六〇年度を中心として、私たちは定着し、出発したのです。

 原理的に見れば、間接主管圏と直接主管圏があるのです。その期間で、間接主管圏と直接主管圏が連結し、完成したアダムが神様の直接主管圏内に連結されなければなりません。それで、七年路程とは何かといえば、長成期完成級から残された七年の期間を蕩減する期間です。

 先生自身も一九六〇年度を中心として聖婚式をしましたが、成婚式をしたその家庭というのは、あくまでも世の中に勝ち、世界に勝って、霊界と肉界、全体勝利の基盤を築いた上になされたものではありません。ゆえに、霊界と肉界が束になって攻勢をかけてくれば、そこで戦ってこれを越えなければなりません。そうしてこそ、本来、人間がサタンの侵犯を受けなかった位置に立ち、神様の直接的愛圏内に至り、天国に入ることができる本然の家庭基準になるのです。そのように途方もない歴史的な事情が残っていることを誰も知らなかったというのです。そのために、先生は一九六〇年度に家庭を祝福しておいて、蕩減復帰歴史をなしてきたのです。


真のお母様の蕩減復帰路程


 理想相対とは何ですか。私が創造した男性、私が創造した女性が理想相対です。神様がアダムとエバを造り、共に生きるようにしたのと同様に、再創造して生きるのです。神様が七千年歴史を経てきたのは、エバー人を探し出すためでしょう? それで全体蕩減を七年期間にするのですが、それが第一次七年路程の期間であるというのです。

 天的な家門や家法による教育をしてきたのです。お母様は知りませんが、堕落の結果失ってしまった娘の基準と、その相対基準と、神様の前に真の父母の基準、この三つを実体において復帰したのです。

 うれしくて「うれしい」と言ってしまったその言葉一つが誤っても、それが教育に変わり、先生がたまにうれしくて、背中でも一度触れば、「きょうはどうして特にこうなのかしら」とあれこれ考え、それが教育に変わり、後ろをちょこちょこついてきながらも「これはまた何の教育になるのだろう」と気をつけるようになれば、またそれが教育に変わります。あれやこれやと東西南北に自由がありません。

 いつも神経をとがらせて薄氷の上を歩くように、「きょうは無事だろうか、あすは無事だろうか」と考えつつ、一日一日を過ごしながら神様に感謝する、そのような生活をしたのです。それを私は知っているのです。ですから立派な夫ですか、暴悪な夫ですか。(笑い)かといって、私はくどくどと説教はしません。さっと一言言うのです。そのようにして、そこに拍子を合わせてみると、神聖なる聖母マリヤ以上のお母様になったというのです。(拍手)

 蕩減復帰の解怨成就において、エバの完成のための蕩減復帰歴史がなければなりません。先生はアダム復帰完成のための闘争の歴史を経て、勝利の基盤を築いてきた堂々たる男性として立っていますが、女性が堂々たる女性として立つためには、エバの蕩減復帰路程があるのです。

 七年という期間は、お母様の試練の期間です。その七年間は女として絶対服従し、神様の前に試練を克服した蕩減条件を立てて、先生の前に相対的な基準を完全に備えなければならないのです。そのような期間は、お母様としての試練の期間です。女性として、人間の世界で受けるべきすべての苦衷を味わい、神様のみ旨を中心として消化し、克服して越えなければならない期間であるということを皆さんは知らなければなりません。

 統一教会の女性信徒たちが黙ってほうっておかないのです。やたらといじめるのです。目玉をくり抜きたい、唇をかみそりで切り裂きたい、そのように思うのです。ですからお母様は、お母様としての合格証を受けるために試験を受けるのです。試験を受けるとき、教師たちは引っ掛かってだまされるような条件のみ探すのです。一番難しいことで引っ掛けるのです。お母様の位置に立ってはいますが、訓練を受ける時はお母様ではありません。アベルとして、統一教会の女性たちをすべて慈しむことができる位置に立たなければならないのです。そのようにして、すべての人が喜ぶようにならなければならないのです。それが難しいのです。統一教会の婦人たちは、お母様を最高に讒訴したのです。突き刺して倒そうというのです。

 そのように最も憎しみを受けるところから解放され、憎んでいた人が太鼓判を押し「最も愛する女性の代表である」と、「私の福をすべてあげてもいいです」と頭を垂れるようになるとき、お母様は、初めてお母様の位置に上がるのです。


夫婦愛の完成路程


 第一次七年路程とは何かといえば、相対基盤を完成させる時です。家庭的完成基盤を越えていく時なのです。性格的な面で先生と合わないのですが、ある一時期に来ると合い始めるというのです。そうすれば、合わなかったことは切り捨てて、合う所から出発するのです。それが七年路程です。第一次七年路程がどういう期間かというと、み旨を中心としてお母様と一つになることができる基準を合わせてくる期間です。

 信仰で一つにならなければなりません。夫が行く道の前に、妻がああだこうだと言いながら反対する日には引っ掛かるのです。その次には、体で一つにならなければなりません。実体で一つにならなければなりません。その次には、愛で一つにならなければなりません。すべて神様を中心として、信仰で一つになり、実体で一つになり、愛で一つにならなければなりません。

 それで先生が、先生の家庭の前に讒訴できる内外のすべての基準を整理して勝利した期間、心情的な面において、家庭を中心として発展してもサタンが讒訴できない起源を完全に決定した、その期間が七年路程だということを皆さんは知らなければなりません。そこには内的な問題など、複雑な問題がありました。お母様と先生が一つになったといえる心情的基盤は、この世界の分かれたすべてのことを総合できる、代わりの立場にもなるというのです。世界を一つにまとめた心情の基盤の上に立たなければならないので、そのようなことをしてきたのです。

 それで先生は、皆さんを直接指導することを中断したのです。先生は一九六四年の夏まで、この場所で日曜の礼拝の説教をしました。ところで、どうしてそれをやめたのでしょうか。それは外的な問題より、内的な問題がより一層切迫していたためです。


真の御父母様の家庭完成の十字架路程


 七千年歴史を区切りとして完成してこそ、安息圈を越えて、八数の新しい出発ができます。これが第一次七年路程であるのですが、これは皆さんが行くのではありません。その期間は統一教会の文先生が家庭的基盤を築いていく時です。祝福式、聖婚式のあとから、先生の家庭は幸福な家庭ではありません。家庭的十字架を背負って行く道です。誰かが家庭的十字架を背負って勝ったという勝利的な立て札を打ち込むまでは、第二次である皆さんの家庭の行く道がありません。

 先生の家庭を中心として四位基台の基盤を広めてきたのです。今、その基盤が広まるとともに皆さんが復帰されるのです。ここにいる先生の家庭の子供たちの名前を見れば、全部復帰歴史と関係しています。

 うちの息子、娘たちは、みなこの中から生まれ、必ずお母様の話を聞いて一つにならなければなりません。この期間には、先生の家庭で蕩減を受けることがたくさん起きるのです。子供たちまでも、この期間には気を休めることができずに育ったのです。この期間には、家庭で思いがけない不祥事も起きたりするのです。

 そしてお母様を迎え、約束して定めたことは、どんなに悔しく無念なことがあっても、今後食口たちの前で「うちの先生夫婦はけんかをしたんだな」ということを見せてはならないということです。育つ子供たちが多くても、子供たちの前で涙を流して、お母さんとお父さんがけんかしているという表示を絶対にしてはならないのです。私もそうです。子供たちは小さな神様です。愛を中心としてよ力近い神様です。絶対服従です。もしお母さんのい心時、子供たちが「お母さん!」と言って入ってきたら、笑っている子供たちに「なあに!」と言うのです。

 また、私は子供たちを見てあげることができませんでしたが、全部はできなくても、四番目の息子と娘までは、いつどんな時でも、)十二時を越えて帰ってきても、寝ている部屋に入ってキスをしてあげ、祈祷をしてあげました。私は父母として、子供たちの生活に対していちいち指導はできませんでしたが、保護すべき責任があるので、朝夕に祈祷してあげて生活したのです。

 父母と子女と万物が一つにならなくては、神様の愛の圏に到達できません。それで七年の間、お母様を中心として訓練をし、お母様と子供たちを中心として迫害を受けて大変だったのです。そのような過程を経たのです。

 堕落したがゆえに、夫の責任を果たせず、息子の責任を果たせず、万物を失ってしまったのです。それゆえ、そのようなことを内的な面で蕩減しなければならないのですが、そのような過程を経ながら、「万物の日」、「子女の日」、「父母の日」を設定し、すべて蕩減してくるのです。それをこの七年期間にしたのです。そのようにしてこの七年期間が終わることによって、「神の日」を立てて蕩減の峠を越えるのです。


世界的氏族編成期間


 今日、統一教会が一九六〇年度を中心として、このような父母を迎えましたが、この父母は心情の父母です。父母の因縁を立てておいて、その次には氏族基準を立てるのです。氏族を中心として内的編成をすると同時に、サタン世界にいる死亡の家庭たちが天の前に進み出ることができる道を教えてあげるのです。

 私たち家庭が行くべき所は、今後、氏族解放の基盤を築くための道だという確固たる信念をもったので、私がどんなにやられて傷を負ったとしても、勝利の基盤を立て、氏族解放のメシヤの使命を完全に果たさなければならないという厳粛な天意の宿命的課題を前にして、前進命令をしなければならない時が、一九六〇年度からの七年期間でした。

 イエス様の家庭とイエス様の氏族が行くことができる道を切り開かなければなりません。それでこの七年期間に、み旨は個人のみ旨ではないので、全世界と連結させるため、世界を一つの氏族圏の内外の因縁に連結させるために、合同結婚式、祝福という問題を掲げて連結させてきたのです。

 一九六〇年代に天とサタン世界の家庭に新しい分立が起きたのです。それで世界史的な観念を中心として祝福をしたのです。祝福家庭たちは新しいイスラエルの国を編成するのです。私たちは第三イスラエルの国をつくりあげなければならないのです。それで一九六〇年から上がっていくのです。


六 三家庭の合同祝福結婚式


 真の御父母様の主礼(媒酌)により、一九六〇年四月十六日(陰暦三月二十一日)午前十時、前本部教会で金元弼・鄭達玉、劉孝元・史吉子、金榮輝・鄭大和の三双が永遠の夫婦の契りを結ぶ祝福の礼式を挙げた。


真の御父母様の聖婚前に三家庭約婚(金元弼・鄭達玉、劉孝元・史吉子、金榮輝・鄭大和)


 復帰してくるときの一番の中心問題とは何でしょうか。最初にノアを中心としてしたので、ノアの三人の息子が問題です。一九六〇年に「父母の日」を立てると同時に、ノアの三人の息子のような三家庭を立てなければなりません。そうすることによって、アダムからノアまでの死んだ霊を救うことができ、その勝利の基台の上にヤコブのような家庭を立てることができるのです。

 この三家庭が、アダム、ノア、アブラハムを代表した家庭であり、カイン型を復帰した家庭です。またこの三家庭は、イエス様の時代に反対した弟子の代わりに再臨時代の子女として立てられたカイン型の人物です。ゆえに再臨主に侍ることによって、復帰した天使長の立場に立たなければなりません。それゆえ三家庭は、天使長を復帰した型の家庭になります。

 アダムの身代わりがイエス様であり、イエス様の身代わりが再臨主であられます。その再臨主も、完全に服従する三名の信仰の子女をもたなければ真の父母の立場に立てないのが公式となっています。自分の生死の境地を越えて、迫害のまっただ中でも従っていき、孝行できる三名の弟子をもたなければなりません。先生は、そのような三弟子を一九六〇年四月に探し立てました。

 アダム家庭のカイン、アベル、セツの三人の復活体として相対基準を成し、その基台の上で約婚の立場を越えて、実体的に父母の立場を決定したのが一九六〇年の聖婚式でした。神様の恨となるアダム家庭における三人の子女と父母が一体となった立場を成したということ、それがこの地上において歴史始まって以来初めて韓国で成就されたということは、世界的な事件であり、この時から韓国に新しい歴史の運勢が回り始めたといえるのです。


三家庭祝福結婚式(一九六〇・四・一六〔陰暦三・二一、前本部教会)


 一九六〇年に先生は、聖婚式を挙げる前に三十六家庭の中の、三家庭を約婚させ、先生が聖婚式を挙げたのちに、その三家庭を祝福しました。

 復帰摂理路程において、子女たちの結婚式には必ず父母がいなくてはいけないということは皆さんがよく知っていることです。それゆえに神様が今まで六千年間、復帰摂理をなさった目的も、必ず中心の基準を立てておいて、そこから子女たちに対して祝福なさろうというものでした。そのような時が来ることを大変待ち焦がれていたのです。

 また、婚礼の儀式をしてあげるためには、必ず子女として天の前に立つことができる式がなければなりません。父母の前に子女になるという式がなければなりません。それでまず先に子女として天の前に立つことができる式があるのです。父母の祝福を受けて天の前に立たなければなりません。

 そうして子女たちの宣誓式があって、次に問答があって、その次には祝福することにより、第一次の式は終わるのです。それが終わったのちに新郎新婦たちが礼服を着て、ここに入場するのです。あそこから三子女たちが出てくるでしょう。出てきて、ここに立つのです。

 このような婚礼の儀式が神様の願いであり、理想でした。アダムとエバが成熟すれば成してくださろうとしていた婚礼の儀式なのです。創造理想の心情の中にあったことであり、実に歴史的なことです。このような式典は創造以後初めてなされたということを痛感しなければなりません。イエス様の時の三弟子は、師と生死を共にしなければなりませんでした。ですから、これからは皆さんの体は皆さんの体ではないということを肝に銘じて歩んでください。祭物の立場であるという心情をもって生きていかなければなりません。


三家庭とその子女たち


 三十六家庭の代表となるこの三家庭の中で、一番目の家庭が金元弼です。歴史は、誰でもその位置に立てることはできません。これこれこのようなプログラムによる、これこれこのような背後の内容が霊的な世界になっていないと、長子の立場に立てることができないのです。そのような人が金元弼だというのです。その次に二番目が誰かといえば、劉孝元です。そして三番目に金榮輝です。

 元弼と劉協会長と金協会長でしょう。元弼は協会長をさせませんでした。どうしてでしょうか。それは元弼自身も考えているかもしれませんが、アダムの位置に立たなければいけないからです。

 劉協会長の立派な点とは何かといえば、足に力もなくて欠如した点もありますが、み旨の前に、先生の言葉に絶対服従したことです。絶対服従したというのです。また、元弼も先生の言葉に絶対服従します。で、金榮輝はどうでしょうか。この人は純真なところがあります。この人たちが一つにならなければなりません。個人的にそのような基準に立って一つになれば、その次には家庭的に一つにならなければなりません。この三家庭が一つになれなければ、個人が被害を受けるようになり、家庭が被害を受けるようになり、氏族が被害を受けるようになります。さらに先生の家庭にまで被害が及ぶというのです。それゆえに、この三家庭が重要だというのです。

 文先生は神様の心情世界に行く原理原則を教える人です。先生は今まで金協会長の子供も知らないふりをしました。抱いてあげることもしませんでした。それは先生が、世界が愛する立場で神様の祝福を受けた息子、娘を抱きたかったためです。また、元弼にも娘がいますが、いまだに何もしてあげていません。

 死んだ劉協会長の息子を私は一回も抱いてあげなかったのです。それはすべて、原理の道があるので、原理どおりに生きていくために、そのようにしたのです。協会長の幼い子供を外国の人たちがちょっと抱きたがるようになります。世界の人の愛を受けたのちに、先生が愛してあげなければならないのです。


み旨にかなった子女の愛の伝統


 先生は聖進をまともに愛してあげることができませんでした。一九六〇年の聖婚式を迎える前までは、学費もあてがうことができず、本一冊も買ってあげられませんでした。それは皆さんも見て、よく知っていることでしょう。それは、肉身の息子、娘より信仰の息子、娘をもっと愛さなければ復帰にならないためです。また、幼い喜進をあちこちに転々とさせながら、他人の家に住まわせたその父母の心は、口では言い表せないものです。

 その反面、統一教会の人のためには私の骨と肉を削りながら、監獄に入り血を吐く場にいたとしても、彼らのために祈祷しました。私の子供は祭物として捧げながら、そのような精誠を尽くしてきたのです。それが統一教会の伝統的思想です。

 三家庭の祝福前は、先生は聖進、喜進と一緒にいることができませんでした。しかし三家庭がお父様と一致する基準を探し立てたので、聖進と喜進を天の前に取り戻すことができました。三家庭を祝福してあげたのちに、米国に行ってきて、初めて聖進と喜進を連れてきて一つの家に住んだのです。

 先生は公的な立場では無情な人です。子供たちの代にまでも、その原則を適用しているのです。聖進が十八歳になった日の朝、手を挙げて宣誓をさせました。「お前が過ったら父とは関係ない」と言いました。子供を立たせておいて、そのような公的な宣誓をさせる父の心情はどうだったでしょうか。それは国を愛し、世界を愛するためです。子供の過ちがその一家の過ちとなることはできないというのです。過れば国が滅び世界が滅びるので、条件を立ててでも、滅びることがないよう、サタンに対する防衛線を張らなければならないのです。


信仰の三子女と直系子女


 皆さんも先生と同じ立場であるがゆえ、信仰の三人の息子、娘を立てて、アダム家庭の基準を復帰できなくては、自分の息子、娘を愛してはいけないのです。

 信仰の父母は、自分が伝道した三人の息子、娘がいるならば、男性が伝道した三人の息子と、女性が伝道した三人の娘を置いて、第一、第二、第三として、そのまま結婚させなければなりません。そうして八人の家族を取り戻さなければなりません。アダム家庭の八人家族を失ってしまったので、その八人家族を取り戻すことができなければ、復帰の道に入っていけないのです。

 祝福家庭の信仰の子女たちは、信仰の父母の子女を希望の対象として侍らなければなりません。さらに彼らの赤ちゃんが生まれるのを待ち焦がれながら、妊娠したならば腹中から赤ちゃんに侍らないといけません。これを確実にやらなければ復帰の道を行くことはできません。信仰の子女が自分の直系の子女に腹中から侍り、それと一つになった立場に立たなければ、三天使長の協助によって神様がアダムを創造なさったのと同じ立場には立てません。

 三人の信仰の子女が、腹中から直系の子女に侍り、子女が結婚するまで力を尽くしてすべてのことを協助する伝統を立てなければ絶対に完全復帰はできません。

 神様の愛によって初めて生まれた子女が、堕落しない圏、長成期完成級基準圏を通過するのです。それが原則です。それゆえ神様の愛により生まれる自分の子女、祝福を受けて生まれる子女によって完成時代が初めて開かれます。

 そうして、皆さんの息子、娘たちが「彼らを私と同じように愛してください」と言うことができる立場に立ってこそ、三人の信仰の息子、娘が天国の相続を受けられる圏内に入っていくというのです。

 私たち統一教会の家庭で言えば、ここに三家庭がありますが、その家庭全体が先生の息子、娘をあまりにも愛したため、先生の息子、娘たちが「あの三家庭も祝福が受けられるようにしてください。天国に連れていって一緒に住みましょう」と言うことができてこそ、そのあとに従って入っていくというのです。祝福を受けた家庭は、先生の息子、娘と同等な立場に立てません。先生の息子、娘たちがみな「彼らを愛していますので、祝福をしてください」と言える特権を付与してもらうようになれば、相続者となるのです。

 皆さんの息子、娘たちが、皆さんの信仰の息子、娘にそのようにしなければならないし、皆さんの信仰の息子、娘たちと一つになったその家庭が、先生の息子、娘とそのようになってこそ、天国に行くのです。

 皆さんは今、教会の祝福を受けましたが、国の祝福と世界の祝福の位置をすべてすませて初めて、そのような時代が過ぎ去るようになるのです。神様から受け継いだ後孫、中心人物、中心家庭、先生の家庭において、今後直系を受け継ぐべき一つの中心があるはずです。先生はすべての系列から、その中心一人だけを立てればよいのです。先生の一族に対してそうなのではなく、一人の人だけを中心として一つになれば、すべてのものがそこへ行くというのです。

 その時は、先生の後孫たちもそのセンターを中心として一つになるのです。同時代において皆さんと一つになるのと同じことでしょう。それは三大祝福圏内に移っていってこそ可能なことであり、それ以前は、絶対的に先生の一族を中心として、そのような運動をしなければなりません。


七 「心情復活の日」宣布(一九六〇・四・一七、三清園)


 一九六〇年四月十七日、真のお父様はソウル市内にある三浦公園に七百名余りの食口が参席する中、復活節礼拝を主管されながら、この日を「心情復活の日」として記念すると宣布された。


神様の心情解放宣言


 一九六〇年四月には、御父母様の聖婚式があり、三子女の成婚式があり、「心情復活の日」宣布がありました。このような日々を私たちは深く考えなければなりません。

 神様の心情を解放し、神様の心情的十字架を人間世界を代表して地上で解かなければならないのです。心情的な受難の道を通じて、夫婦が愛の十字架を負うといった、そうした代身者がいなければなりません。その十字架を背負い、その次に、この人間世界の個人と家庭と氏族と民族と世界的峠を越えなければなりません。その峠を越えたと宣言する日がなければなりません。「神様が愛するのと同じように、私の心情を投入するであろうし、神様が子女を愛し、万物を愛するように、この二人がいたします」と言わなければなりません。

 それで、一九六〇年四月十一日、御父母様の聖婚式が過ぎて七日目になる四月十七日を期して、「心情復活の日」を宣布したのです。天と地の上に心情復活を宣布した日です。それにより神様の心情的なすべての事情が、人間世界に残された心情問題が、世界的に解決される日には、地上天国、天上天国は必ず成し遂げられるのです。

 真の父母が現れたとすれば、その真の父母の前には何がなければなりませんか。そこにはアダムとエバを中心として、カイン・アベル・セツの三兄弟の基準がなければなりません。三兄弟を中心に八人家族が地獄に落ちたので、これを復帰するためにノアの八人家族が出てきました。したがって、この基準を越えるためには、八人家族を備えなくては越えていくことができません。先生もそうしたことをなさなければなりません。それゆえにノアの三兄弟のような立場を中心として祝福をしてあげるのです。そうしてこそ、堕落したサタン世界の人類を収拾できる門が開かれるのです。

 その基準を中心として心情復活の条件を立て、「心情復活の日」を宣布したのです。言い換えれば、カイン・アベルを中心として見るとき、アベル的な心情の因縁をもったという基準を立てなければならないのです。なぜならカイン的な心情的基準を通じて復帰の役事をしてきましたが、それをもって、そのままアベル的な心情的基準を通過させることができないので、心情復活という条件を立てていかなければならないというのです。言い換えれば、皆さんが心情復活をするためには、先生の息子、娘と連結し、カイン的兄の立場で心情的に一つになっていかなければならないということです。


忠・孝・烈の心情開門


 私たちはいずれにしろ心情の門を通過しなければなりません。心情の門を通過したという条件を立てずには復活することができません。イエス様も心情の問題を解決できなかったために天国に入ることができなかったのです。ゆえに第一に心情であり、二番目も心情です。この心情の門を開いてこそ天国の門が聞かれます。天国の門が開かれる日、その体と心、心情に傷を受けなかった人が天国に入っていくことができるのです。

 きょう、この復活節に、私たちの心情が問題です。現実において、天が願われるとおりの価値的な味のある人にならなければなりません。これまで復活を完結したという人は、天にも地にもいませんでしたが、このかわいそうな民族が住む韓半島から復活がなされるということは、頭を垂れて感謝しなければならないことです。この基準を成した人がいるとすれば、その人は億千万のお金を出しても換えることのできない人です。彼はすべてのものを失った者のようですが、すべてのものをもった人です。心情の主導権をつかんで来られる父の前に、喜びと幸福と楽しさをお返しする息子であり娘なのです。そうして、私たちはその方の心情世界に接ぎ木されなければなりません。

 神様は私たちの父であり、主は私たちの新郎です。天は私たちに恋しさと神主義と忠誠を教えてくださいました。今や私たちは、父子の心情、夫婦の心情、君臣の心情をもって、「主義」を統一していかなければなりません。その父の名のもとではお互いに許し合えないことがなく、曲折がわだかまることがありません。新郎の名をもって、譲歩できないことはありません。一人の王のもとで忠誠をなす時には、一つとならざるを得ません。これが心情復活の総結論です。四十年の生涯で一度、このような話をすることを願っていましたが、きょう、とのようにすることになりましたので、これを聞く皆さんは無限なる栄光に思い。肝に銘じるよう願います。

 「わたしはアルバであり、オメガである」というみ言はどういう意味か分かりますか。聖書がアルファとオメガになっていますか。創世記からヨハネの黙示録まで、六十六巻の一章一章がみな違うのに、アルファとオメガになり得るのかというのです。それは心情を掲げておいての言葉なのです。心情は変わることがありません。そのまま永存します。それが私たちの生命の根本です。

 私たちはこの心情を抱き、新郎新婦の位置を経て、孝子、孝女の位置、忠臣、息女の位置まで進んでいかなければなりません。そのような位置に入っていくようになれば、天上天下どこに行っても、その人は飢えて死ぬわけがありません。


八 三年路程出発と四十日伝道


第一次七年路程の前半三年期間


 一九六〇年にも先生は、「三年間服役しに行ったつもりで、そこで僕暮らしをしなさい」と言って送り出しました。先生も青い囚人服を着て、蕩減復帰して勝ったという条件を立てなければなりませんでした。この三年の期間がどういう期間か分かりますか。皆さんが血と汗と涙を中心として、サタン世界に行き、失った息子、娘を捜し出してくる期間です。

 その当時は、学校にも行けなかったというのです。学校をみなほうり出し、会社もほうり投げました。みな切ってしまえというのです。会社が何だと、全部捨てるのです。服も三着以上あれば、(誰かにあげて)一着で暮らせというのです。先生自身がそのように暮らしたのです。

 誕生日も断食から始めるのです。三年間、誕生日には食事の膳をもらっても食べませんでした。それから、三種類以上の料理は食べなかったのです。そうしてこの基盤を築いたのです。ですから私たち統一教会の信徒たちはみな三年間、誕生日の時に断食をしなければなりません。完全蕩減して完全な愛の世界に行こうとするので、人間世界にない逆説的な路程を私自体の喜びとして行くために、そうするのです。

 たとえ私が、その体は本部にあり、寝床に伏しているとしても心はつらいのです。冷たい風、北風寒害が吹きまくる夜に、幼い息子、娘たちが四方八方に散らばり、死の先端で天に代わって涙を注いでいるのに、そのような立場に追い込んだ私は、偽りの者とならないよう、これまで祈祷してきたということを皆さんは知らなければなりません。


三年路程の四十日伝道期間


 皆さんが真の父母の息子、娘になるためには、蕩減法を通じて、父母の骨髄を通って出てきたという原理的な条件を立てなければなりません。そうしてこそ息子、娘の位置に上がることができるのです。このような条件を立てる期間が一九六〇年度を中心として一九六一年、一九六二年の三年間にわたる四十日伝道期間でした。

 この期間には麦飯を食べました。何ゆえ麦飯を食べなければならなかったのかというと、その三年間が蕩減期間だったためです。この期間は先生の直系の子女を中心として四位基台を復帰して越えていく期間でした。そして、皆さんが父母を中心としたカイン・アベルの関係を立て、カイン・アベルを一致化させていく期間でした。どこから一致化させるべきかというと、お母様の腹中から一致化させる位置に立たなければなりません。

 そうすることによって、皆さんは、真の父母の骨髄の中から心情的に接ぎ木されるのです。それをもって、真のお母様の腹中を通じて本然のアダムとエバの立場で生まれたという条件を立てるのです。そうしなくては復帰にならないのです。ですから、皆さんはお母様を中心として復帰されていかなければなりません。先生の息子、娘がお母様の腹中にいる時に、その赤ちゃんを中心として、皆さんはカイン・アベルを復帰するのです。

 そのように先生の家庭を中心として一つになれば、天使長がサタンの立場でなく忠臣の立場に立ち、神様の息子、娘に従順屈服して蕩減復帰した立場で、養子に対して代を受け継がせてくれるというのです。それで、長子の立場を取ってきたサタン側を次子の立場に立たせ、神様の祝福された本来の直系の息子、娘を長子の立場に立てるためのものが、今日の私たち統一教会の三年路程の歴史なのです。

 それでは、皆さんがどのようにしなければならないのかというと、先生を中心とした愛の因縁を通じて一つになったという条件を立てなければなりません。お互いが争うのではなく、お互いが一つになるために努力しなければなりません。それゆえにお母様も麦飯を食べると同時に、皆さんも麦飯を食べなければなりません。赤ちゃんも麦飯を食べて育つのです。

 こうして心情的に一致した内容を中心として、腹中で争うのはでなく、天のために国家を掲げて戦い、根本復帰の条件を立てたがゆえに、ここから初めて平面的な家庭の因縁と縦的な因縁が誕生してきたのです。


一九六〇年の四十日啓蒙伝道
夏季:一九六〇・七・二〇〜八・三一、四百十三地域 六百五十九名
冬季:一九六〇・一二・二五〜一九六一・二・二、七百七十地域 九百九十三名


 今後三年間は、地上の聖徒が天の国の聖徒と力を合わせ、責任を完遂しなければならない期間です。過去においては、善霊が度数の一致する時だけ少しの間役事したのですが、これからはそうではないはずです。この期間はすべての霊を動員しなければなりません。

 啓蒙運動は外的知を呼び覚ますための運動であり、原理のみ言は内的知を啓発するために必要です。ゆえに両面の教育が必要です。

 皆さん、三千万民族(韓民族)は行くべき道を知らずあえいでいます。ゆえに、飢えたこの民族の前に指導者とならなければなりません。死亡の世界で血と汗を流しながら、哀願する民族の前に、生命の鉄の杖をもって死亡の金網を切り進み、「同志よ、兄弟よ、私がここにある」と叫ばなければなりません。そうして父子の因縁を高く立て、兄弟の因縁を立てて、氏族と民族を形成し、天の民として登場する日、天上の主権が回復されるでしょうし、天上に奥深くしみ込んだ心情の怨恨が解怨されることでしょう。

 皆さん、着ている服が惜しいですか。脱いでしまいましょう。宝物をもっていますか。宙に投げてしまいましょう。それは、天の前に進んでいくときに、サタンのえさになるということを知らなければなりません。善のために血と涙を意に介すことなく進み出る人たちの前に、一寸の土地でも一着の服でも提供するため、眠りにつくことができない民族になってこそ、その民族は世界を支配することでしょう。

 これまでは個人のために歩んできましたが、今後は民族のため、世界のために進まなければなりません。そのためには、もっと多くの汗と涙と血を流さなければなりません。新たな覚悟と誓いをなしましょう。天に向かう徹した心情をもちましょう。汗は地のために、涙は民族と人類のために、血は天のために注ぐ私たちとなりましょう。私の体と心は私のものでなく、父のものなので、頼る所なく信頼する所のないこの民族と人類のために、私の体と心をすべて捧げましょう。

 今、始めなくては時がありません。先生が追い立てる時にしなければなりません。先生がいる間に始め、行動したという条件を立てるようにしなさい。先生は時を知っているがゆえに、そのように言うのです。三年後には歴史を編纂するはずですが、そこに名前があれば、数多くの人が追慕し、裸足でそこを巡礼することでしょう。


全国の伝道地を巡回(一九六〇・七・三〇〜八・一九、二十一日間)


 先生は、皆さんを送り出して巡回した一九六〇年がとても印象に残っています。近ごろでは巡回をしてみると、数多くの人たちが先生が来られるといって道路に列をつくってあいさつをします。しかしそれよりも、冷たい風が吹く所で寂しく立っていたみすぽらしいその時の姿、死亡世界の歩哨であるかのように、あるいは生命を誓う天の旗でもあるかのように、精誠を尽くし頭を垂れて祈祷するその心に、神様は失地の因縁をつくってくださるのです。このようなことを見れば、難しい立場にいる時に神様と心情的な因縁が結ばれるということが分かります。

 二十一日同地方を巡回した当時、考えたことは、この道は、今は険しい山奥の道であるが、将来数多くの人々が車で走るようになる時、「最高の道だ」と言える道を、私たち統一教会の食口たちの手でつくったならば良いだろうなあということでした。

 この道は私が歩んだのちに、数多くの人類が従ってこなければならないが、先生は三千里(韓半島)を遍歴する時にも、行ったり来たりすることを、その日で終わるのではなく、連続的なものとして考えました。汗を流すにしても人よりも多く流し、差し伸べる手一つとっても人よりももっと動き、仕事も人以上にしようという心をもって、連続的に行わなければなりません。


九 「子女の日」宣布(一九六〇・一一・一九〔陰暦一〇・一〕、前本部教会)


 真のお父様は、一九六〇年陰暦十月一日(陽暦十一月十九日)、ソウル龍山区青坡洞一街の前本部教会で「父母の日」を制定されたその基盤の上に「子女の日」を宣布された。


「父母の日」と「子女の日」


 人類の父母となるべきアダムとエバの二人を失ってしまったので、人類の真の父母となるべき二人が一緒に現れなければなりません。この真の父母が現れなくては「子女の日」を迎えることができないのです。

 「真の父母の日」は天地間に勝利を決定する日であり、神様が望んでこられた勝利の日として立てられる日であり、人間たちが望んできた歴史的な結実を結ぶことができる日であり、万宇宙が失った主人を取り戻すことのできる日です。このような「父母の日」が現れないことには、「子女の日」は想像することもできません。

 それで、一九六〇年、「父母の日」を設定したのちに、「子女の日」を設定したのです。人類の父母が登場する時、子女も決定づけられるのです。子女を決定づける位置に出る前に父母の出発線があるというのです。

 横的な基準で「父母の日」を設定し、「子女の日」を宣言したので、天地間の歴史始まって以来初めて、その日が現れるようになりました。この日は天地間に勝利の歓声を上げることができる日です。この日が設定されることによって霊界は時を迎えたので、積もっていたものが解けていくのです。それゆえこの地上の悪い勢力は、統一教会が行く道の前でだんだん消滅していきます。世界歴史は先生によって左右されるというのです。

 堕落した人間にとって、名節の中で、一番大きな名節は「父母の日」よりも「子女の日」です。その日は父母の権限を再び取り戻す日であり、六千年の間、人類歴史を蹂躙してきたサタンを退け、勝利の旗を掲げて現れる日です。堕落した人間はその日を迎えてこそ天国に入っていくことができ、天の父母に侍ることができるのです。


神様の子女の栄光に同参する日


 きょうは秋収(秋の刈り入れ)の日であり、「子女の日」です。春に種を蒔けば、秋に刈り入れることができますが、神様は秋収の日をもてませんでした。また刈り入れしたものを蒔く日をもてませんでした。父母の手で刈り入れたものは、愛する子女たちの手を通して蒔かれ、刈り入れされなければなりません。神様はアダムを造って種を蒔こうとしましたが、育つ途中に折れてしまいました。神様は再び蒔く日を待ち焦がれましたが、その日が審判の日です。

 私たち統一教会で「子女の日」を決定したということは、アダムとエバが蒔いた罪悪の種を取り除いてしまい、人類を悪から解放させることができる起源をつくったということです。これらの日を決定づけるには、サタンを立ち会わせた三角圏内で決定するので、その日が歴史を支配する日になるということを皆さんは知らなければなりません。ゆえに一九六〇年代は新しい時代に移っていく時代です。

 神様がすべての日々を忘れてしまわれ、満天下に喜悦が広まった中で、御自分の姿を現すことができる日が正にこの日です。父母が子供を失った時、再び取り戻すことができる道がありさえすれば、死の道も意に介さず走っていくことでしょう。一人しかない子供を失い、その子が自分の生命に換えられない貴い子だということを感じる父母は、その子を探すためなら山も海も意に介さないことでしょう。

 ところで、神様を身代わりしたその父母が、地上世界で待ち焦がれた息子、娘の価値をもった子女を取り戻したと、天の前に宣布し報告できるその日が「子女の日」です。「子女の日」とは何でしょうか。「世界の頂上に立つ息子、娘の権限をもって、サタンを屈服させた永遠なる神様の息子、娘となり、永遠無窮に幸福なだけでなく、神様の愛を永遠無窮に受けながら、天国の主人になるべし!」と言えば、サタンが゜アーメン」と言う日なのです。

 私たちが「父母が死ぬような場において父母のために生き、神様が受難を受けるような場において神様のために生き、たとえ私が死んだとしても、父母と神様は受難を受けることはありません」と言える立場に入っていってこそ、自分を中心として堕落したアダムとエバ以上の立場に上がることができるのです。「生命とあらゆるものは神様のため、真の父母のためにあり、私たちは死の道を選ぶのであって、これを否定する道は行くことができない」と言える、決定を下すことができる統一教会の公式的な日が「子女の日」であるということを知らなければなりません。このような宣布の日がなかったならば、皆さんは息子、娘になれる道がなかったのです。

 この「子女の日」は、子女として勝利して宇宙的な栄光の位置に進み出られるようになる日です。堕落により、神様の栄光の位置に同参できなかった人間たちが、ついに歴史始まって以後初めてそのような立場に同参できるようになったことを、子女として最初に記念する日なのです。

 今後、世界がこの日を永遠に記念する日として宣布しなければなりません。この日には牛を五十頭くらいつぶして宴会を開き、行き来する人々を全部呼んで接待しようというのです。皆さんは家庭的環境からこの日を記念しなければなりません。子女たちが、その日が来るのを待ち焦がれるようにしてあげなければなりません。この世で子供たちが名節(韓国固有の盆・正月)を首を長くして待つように、「晴れ着を着て、おいしいものが食べられるその日がいつ来るか」と言いながら、指折り数えて待つ心をもって、「子女の日」が来ると喜ぶことができるよう準備しなければならないのです。

 この「子女の日」を迎えるためには四十日前から精誠を尽くさなければなりません。三日前から斎戒沐浴をして、前三日と後三日の間断食をしなければなりません。


十 全国伝道師修練会と主要記念行事


 一九五九年十二月二十一日の夜から前本部教会で始まった第三回伝道師修練会は、合宿を実施、行動を統一する中、四十日の間、霊肉ともの徹底した修練を終え、一九六〇年一月三十日午前十時、第一部修練生が修了した。第二部は、夜間だけの七十日修練を経て同等資格を得た修練生を意味するが、彼らは都合上、延長を重ね、八十四日目である三月十六日に修了した。修了者は合計百六十四名、昼夜間聴講生は合計八十三名であった。


第三回伝道師修練会
昼間:一九五九・一二・二一〜一九六〇・一・三〇、前本部教会
夜間:一九五九・一二・二一〜一九六〇・三・一六、前本部教会


 心を尽くすこと、思いを尽くすこと、精誠を尽くすことは重要なことです。寝ても覚めてもこれをすればいいのです。神様は終わりの日にそのような者たちを立てて、サタンの前にうちの息子、娘たちはこのようにしたと自慢をなさりたいのです。

 これまでは守備戦をしてきましたが、今年からはそのような立場を取ることができないというのです。父の代わりの存在として立てることができる者がいなかったし、父の代わりに戦う者がいなかったために守備戦をしてきたのですが、今はそれを転じて突撃命令を下さなければならない時が来たのです。

 この命令を下すには心情問題が重要です。天地がなくなったとしても、父との関係は変わり得ないという心情をもって、この戦いをみな終え、父の栄光の息子、娘にならなければなりません。

 父のものを受け、父のものをもってサタンと戦わなければなりません。修練生の皆さんも、父の心情的偉業を受け継がなければなりません。父の万物、戦いの偉業を担って出ていかなければなりません。父の戦いを代わってしなければなりません。

 任せる人がいなかったために、今までサタンの讒訴を受けてきましたが、私たちの時代においてはサタンを、「許すことができない」と言わなければなりません。

 このような覚悟をもっていけば、いかなる峠もうまく越えられるでしょう。そのようにしてこそ宣誓どおり、天的な体面を立てられるようになります。


「成和青年会」創立五周年記念式(一九六〇・二・二一、前本部教会)


 きょうここは「成和青年会」創立五周年を記念する場ですが、今、五年が過ぎるということは、太初に神様が創造五日目を過ぎて、人間創造の六日目に近づく瞬間に該当すると言えるのです。

 私たちは徹頭徹尾、何を感じるべきですか。第一に「私はお前たちと同じではない」という心情が備えられなければなりません。「お前たちはやり遂げられないのか。私にはできる!」というような精神を常に備えていなければなりません。

 どんな困難の中でも「私はお前たちと同じではない。歴史的にも、時代的にも、平面的にも、どこを見てもそうだ」と言えなければいけません。「すべての難しい事には私が動かなければならない」という決心がなければなりません。皆さんのその動きがサタン世界のソンファ(注:心配という意味。成和と発音が同じ)の種になるようにしなければいけません。


巡石分配(一九六〇・三・一三・日、御聖誕四十周年後四十日、関東地方巡回帰還の日、前本部教会)


 真のお父様は、一九六。年三月九日から十三日までの関東(嶺東)地方巡回期間中、御白身で東海(日本海)沿岸の名もない海辺から石を選んで拾ってこられ、これらの石を一九六。年三月十三日の聖日礼拝後の午後二時半、二百四十八名の教会員に、一つ一つ番号をつけて分けてくださった。真のお父様は、これらの石を「巡石」と命名されたが、十二個一組として組をつくられ、それぞれ写真を撮るようにされたのち、餅と果物を直接分け与えてくださった。

 先生の生涯のモットーは「神様の代弁人」でした。きょうからは、皆さんが天的な代弁人になってくれるようお願いします。そして神様の代役になりなさいというのです。また神様の代身存在になりなさい。さらには神様の大使になってくれるよう願います。

 この石が、あげる先生ともらう皆さんとあいまって三位的な条件物になるよう心に深く記念し、大切に保管してください。この石の名前は巡石です。これからは先生がなすことに対し批判をせず、不平も言ってはいけません。(注:食口たちはこれを歓呼で約束した)。

 先生のそばにいる人たちは、一生の間死ぬ時まで気を休めることができません。皆さんが行った今までのすべてのことは、みな忘れなさい。そしてこれからは用心しなければなりません。

 父の心情に対しては弱者の中の弱者にならなければなりません。歩んできてみると、天のことは、そのほとんどが「泣く旅」でした。


第四回伝道師修練会
(一九六〇・一一・一一〜一二・二〇、八十四名)


 第一回より第三回までは、教会試験合格者のみ修練を受ける資格をもつことができたが、急激に教会が増えたため、第四回からは自然と多くの伝道師が必要になり、例外的な修練会となった。
 先の夏季伝道以前には六十五箇所だった教会が、直後には二百十箇所に増加、一九六〇年十二月二十日当時は、教会数が既に二百五十箇所を超えていた。

 み言を学ぶ目的、人格を錬磨する目的、心情を備える目的は、神様の心情を知り、サタンを打ち破ってサタン側にいる人を奪ってくることができる人になるためです。そうであってこそサタンに対し勝利したという、勝利の栄光を享受することができます。悔しさを抱き、悲しみを抱き、恨を抱き、間違いなく勝利するという皆さんをつくること、怨讐を退治する時まで総団結して戦うことができる天の兵士をつくることが先生の目的です。

 今は、これまで続いてきた種子の中から悪いものはすべて切ってしまわなければなりません。実を結ばないものは切らなければなりません。イエス様は実を結ばないいちじくを呪われました。終わりの日の姿を見せてくださいました。終わりの日には、切って新しい枝に接ぎ木しなければなりません。新しい修練生は時が遅いことを知ることでしょう。切って第二の結実を取り入れしなければなりません。

 神様は第一線から息子、娘を探して来られます。一番後ろから探して来られます。神様は天民思想をもっている信徒を必要となさいます。皆さんは民族の底辺から歩まなければなりません。この世界をはっきり眺めてみなさい。世界情勢は天の動きと共に回っていくので、今や皆さんは信念をもたなければなりなせん。

 お父様は皆さんを最後の勝利者にするため、三年を期限とし、この道を開拓され、皆さんを修練させるのです。


再来的クリスマス行事終結礼拝(一九六〇・一二・二五、前本部教会)


 一九六〇年十二月二十五日に出動した本部の冬季啓蒙隊員たちとソウルの食口たちが二十四日の晩から徹夜をして迎えたクリスマスの早朝、真のお父様は、「今回のクリスマスはこれまでの歴史的な意義のクリスマスとしては最終的なもの」であると語られた。

 今日私たちは、神様の歴史的な目的とイエス様の生涯の目的を成してあげ、祝ってあげることができるようにしなければなりません。しかし、私たちはまだそのようになっていません。神様をお父様と呼び、人類を食口と呼んで「すべて成し遂げました」と言えるまでになっていません。これを成していない立場では、イエス様に完全な祝賀を捧げる資格がないのです。皆さんは今その中で、神様の摂理的な使命とイエス様の生涯の目的を引き受けなければいけません。皆さんがイエス様の生涯の目的を代わりに成し、神様に祝福してくださいと言わなければならないのです。

 私たちは神様のみ旨とイエス様のみ旨を成し遂げなければなりません。これを成すためには、イエス様が完結することができなかったその使命を完結しなければなりません。そうしなければ祝っても何の意義もありません。時と場所と習慣は違っても、神様の目的とイエス様の目的は変わることがありません。イエス様は闘いの途中で逝かれたのですから、皆さんはこれを受け継がなければなりません。その目的を成し遂げる実体として現れてこそ、皆さんは真の父母を取り戻すことができる歴史的な存在となれるのです。














▲ 目次へ

第二節 一九六一年 父の代身者となろう

真の御父母様の生涯路程 4



第二節 一九六一年 父の代身者となろう


一 一九六一年出発と摂理的意義(一九六一・一・一、前本部教会)


年頭標語:父の代身者となろう


 私たちが今年一年間、標語としていくべき題目は「私たちは父の代身者となろう」です。皆さんは、これまでももちろんそうでしたが、今後、この一年間は特に父の代身者ということを、皆さんが自ら体験してくださるようお願いします。

 神様と私は本来どのような関係でしょうか。一体であるということを私たちは忘れてはなりません。神様と私は切っても切れない一体の関係にあります。

 それでは、一つになるには何が一つにならなければならないでしょうか。第一に、願いが一つにならなければならず、第二に、事情が一つにならなければならず、第三に、心情が一つにならなければなりません。すなわち、天が心情的に喜べば、私も喜び、天が悲しめば私も悲しみ、天が動けば私も動き、天が「静」であれば私も「静」とならなければなりません。このように心情から事情、願いがすべて一体とならなければならないということです。

 では、私たちは事情が同じで、望みが同じで、心情が同じになるためには、どのようにしなければならないでしょうか。神様自らが私たちに対し「お前は私の息子、娘だ」と認め、私たち自身も神様の息子、娘だと認めることができなければなりません。ひいては、天と地の前に造られた万物が、「あなたは間違いなく天の息子であり娘です」と認め得る、そういう立場にまで行かなければなりません。そうなるまでは、私たちは天の代身者として立つことができません。

 私たちは父の代身者であり、来られる真の父母の代身者です。男性は父の分身であり、女性は母の分身だというのです。すなわち、神様は男性と女性の二性性相の中和的主体としてあられるので、男は神様の男性性稟の代身として生まれ、女は神様の女性性稟の代身として生まれたのです。

 み旨と事情を知ったからには、父は後ろにお連れして、私たちが先頭に立たなければなりません。韓国を訪ねて来られる父に「どうか韓国だけは安心してくださいませ」と言えなければなりません。行動しても世界的な舞台で行動をしなければなりません。そのためには、民族的な環境を整備して、残された二年間は天のみ旨を抱き、泣いている同胞を訪ねていかなければなりません。彼らよりももっと困難な立場に入っていき「神様が戦ってこられた能力を私にください」と言わなければなりません。私たちは福を受ける良い立場ではなく、難しい立場に行かなければなりません。


二 一九六〇年冬季四十日伝道と譽進様誕生


年初、地方伝道地巡回
(一次:一月六日から、二次:一月二十三日〜二十五日)


 今年の夏の伝道地域を選定して報告しなさい。全国巡回に出発する前に伝道地域を配置しようと思います。今年は、一千五百から二千箇所以上の地域の責任者を出さなければなりません。今から準備しておきなさい。

 先生は今までは命令をしませんでした。しかし今からは、命令しなければなりません。歴史的な焦点を転換するか、しないかという、とてつもない使命を果たすため、先生は命令をせざるを得ません。ゆえに、命令する先生の覚悟は悲壮なものです。

 先生は今回の動員のために、数えきれないほど祈祷しました。それでも安心するのは、私が私を信じ、神様を信じ、皆さんを信じるからです。孝子は孝子をもつことができ、忠臣は忠臣をもつことができるのです。

 これからは祈祷の期間です。皆さんは今、厳粛な時間を送っています。心情の同伴者となるためには苦労をしなければなりません。皆さんの誇りは、父の代身として天を愛し、母の代身として地を愛し、神様が抱き締めて踊ることができる息子の代身として人類を愛することです。そのようにすれば、憤懣やるかたなく死んだ霊人たちも面目がなくて、地に向かって頭を下げるようになるのです。

 これまでは、三位神の解怨のために仕事をなしてきました。しかしこれからは、歴史的なみ旨を代身して苦労した先烈たちの解怨のために仕事をしなければなりません。ですから皆さんは祝福の条件を立て、精誠を込めて忠誠を尽くしなさい。

 あす(一月二十三日)から、先生が帰ってくる時まで、毎晩入浴して祈祷しなさい。今回のこのような意味での巡回は最後です。誠意を込めて料理でも作って食べ、和やかに過ごしなさい。先生が地方で語られているだろうと感じられる時間まで、夜遅くまで寝ずに、各自が精いっぱい、精誠を込めなければいけません。

 四日間、巡回しながら感じたことは、歴史上、君主を愛する忠臣、孝子、烈女は多かったのに比べて、神様のみ旨を愛する忠臣、孝子、烈女はいなかったという点です。彼らはすべて、地の基準に立脚した自由解放のために捧げてきたのですが、神様の前に憂いの対象にはなっても、慰安や喜びの対象にはなれなかったのです。しかし、今日の私たちは違うというのです。


譽進様誕生と奉献式
誕生:一九六一・一・二七、陰暦一九六〇・一二・一一・一九:一四
奉献:一九六一・二・二、四十日啓蒙伝道最終日


 一九六〇年陰暦十二月十一日(陽暦一月二十七日)、真の御父母様家庭の最初の御子女様誕生をもって、真の御父母様家庭の四位基台が成立した。譽進様誕生七日目になる日、女性を代表した奉献儀式が挙行された。

 神様の摂理は外的なものから取り戻してこられます。私が信仰の三人の息子を祝福しましたが、聖進君に対してはできませんでした。信仰の三人の息子を取り戻してくる途中で彼によく接すれば接するほど、彼が不幸になるためです。

 きょうは赤ん坊(譽進様)を神様に奉献する日です。昨年、重要なことをしようと言いましたが、四十日伝道が終わるきょうをもって、それが終結します。娘は生まれて七日目になる日に奉献し、息子は八日目になる日に行います。

 きょうこの時間においては、過去に子供を愛したその基準の上に立っていなければなりません。事実、誰でも自分の子を生んで、自分の子供以上に他の人を愛したという条件を立てなければなりません。「その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」(マタイ二四・九)という言葉の意味はここにあります。

 啓蒙に出るのは心情的因縁を結ぶためです。喜びで参加した人が自分の悲しみで式の喜びを失ってしまう時は、各自が責任を負うという条件のもとで、式に参加するようにしました。ゆえに彼らが落ちてもサタンの讒訴は受けません。きょうの式は女性を代表した式です。男性は聖進君がいて、立つことができる基台となっていますが、男性を代表した式があることでしょう。


天的四位基台復帰儀式(わかめスープ、御飯、牛乳、米、豆、栗、十圜硬貨を分配)


 既に肉身をもって生まれ成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体中の種の立場に戻ることはできません。それゆえ私たちは真の父母、およびその父母から生まれた真の子女と一体化することによって、生まれ変わるための条件を立てていくのです。カインがアベルに完全に屈服することによって、両者がすべて復帰されるという原理があるので、この原理により私たちカインの立場にある人間は、アベルの立場にある真の父母、罪のない真の子女と一体化しなければならないのです。彼らと一体化することによって、私たちは復帰された子女として同じ恵沢を受けることができるのです。

 そのような理由で、罪のない真の子女が真の父母を通して生まれるようになる時、私たちは飲食物など、同じ成分のものを分けてもらったという条件を立てなければならないのです。このようにして、私たちは真の子女の立場に参与する路程を通過して行かなければならないのです。

 女性はすべて、真の父と真の母とその真の娘と一つにならないといけません。それでは男性はどうでしょうか。真の父母とその真の息子と一つにならないといけません。このような罪のない真の子女の誕生により、天的四位基台は歴史上初めて復帰されるのです。これが私たち統一教会においての天的四位基台の復帰です。

 先生は一九六〇年代に聖進、喜進、譽進、孝進を中心として、腹中から復帰してくることによって、すべてそのような条件を立てました。その時皆さん、わかめスープを食べたでしょう。そして牛乳も飲み、御飯も食べたでしょう。それが全部条件です。また、一九六一年度だったか、私が十圜(注:韓国の昔の貨幣単位)玉の硬貨を分け与えたことがありました。今それをもっている人は手を挙げてみてください。それをなくしてはなりません。


譽進様誕生記念地方巡回(一九六一・二・一五〜一八)


 きょう(二月十五日)は陰暦で正月の一日です。一九六一年一月一日、この日は復帰摂理のみ旨を知る皆さんにとっては、重大な日です。この世の人であれば、正月一日には福になる話をし、また良い贈り物もあげ、心が何かとても開かれて、やりとりしながら喜々として過ごします。私たちがそのように過ごすことができる環境になればいいのですが、そのようになってはいません。

 神様をお迎えして正月一日を過ごした人は多くはなかったのです。また、神様が自ら訪ねてこられて「誰それや、今日はお前が一つ年を取ったから、私に新年のあいさつをしなさい。餅を準備して、私と楽しく過ごそう」と言って、そのように過ごしたことがあるという人に会ったことがありますか。ないのです。

 これまでの歴史路程では、数多くの正月一日を、天を悲しませた日として迎えましたが、今日ここに現れたこの一人の男は「きょう、この日だけは天が慰めを受ける日`としてお返ししなければならない」と言うのです。けさ先生は、巡回路程を出発しながら、とても大きな望みをもちました。皆さんに会うのがうれしくてそうなのではありません。先生が言葉に言い表せない一つの目的に向けて、眠りについている三千里半島(韓半島)に考えるところがあったからです。この考えを万民が記憶しなければならないことでしょう。それゆえに、その考えをもっている神様は、この日が喜びの日として記憶できる日となるよう希望していらっしゃるのです。


三 「実体復活の日」宣布(一九六一・四・一七〔陰暦三・三〕、ソウル国立墓地裏山)


 教会では毎年四月十七日をイエス様の復活節として記念している。一九六〇年のこの日は、特に「心情復活の日」として宣布された。一九六一年のこの日は、その基盤の上に「実体復活の日」が宣布され、堕落前の実体の真の子女として復活することができる大きな恩賜の道が開かれた。


真の御父母様の実体復活圏


 真の父母の基準を中心として見るとき、堕落によって汚された心情的基準を越えて、神様の心情を中心として連結した最初の基準を設定したのが「父母の日」であることを皆さんが知らなければなりません。それで神様と心情で一つになった真の父母と因縁を結ぶことができる子女の基盤を広めるために、ここに「子女の日」を設定する業が起きるのです。

 縦的な立場で息子の位置を決定し、その次に中心の目的である父母の位置を決定しなければならないのです。それで先生を中心として、一九六〇年度にそのような父母の位置を縦的に決定づけて「父母の日」を設定し、横的な立場で「子女の日」を宣布するようになったのです。そうして先生を通して、み言復活、実体復活、心情復活がなされたのです。

 そのようになったがゆえに、ここで初めて一人の男性を中心として、祝福を成し、新しい歴史時代に入っていくことができるのです。そうして皆さんに対しては父母になったので、皆さんを新しい時代の息子、娘として祝福をしてあげるのです。それゆえに皆さんは、蕩減路程で先生のように実体復活の過程を経なくてもいいのです。なぜなら先生がそれをみな接ぎ木をしてきたので、先生について行きさえすれば、皆さんはサタンの讒訴を受けずに進むことができるのです。


子女たちの実体復活圏


 地上に顕現する神様の愛を中心とした心情的復活圏を成就しなくては、完成という基準を立てられないのです。そのような復活を中心として、私たち統一教会で「心情復活の日」を宣布しました。その心情復活を基盤にしなくては実体復活を探す道がないというのです。心情を中心として、神様の愛を中心として、心と神様が一つになり、その一つになった心と神様を中心としたその愛を中心として、横的に体が一つにならなければならないのです。横的に体が心情圏を成すためには、これまでサタン圏内から侵犯されていた讒訴基準を超越しなければなりません。越えなければならないというのです。

 それゆえに実体復活圏を成就させることなくして、神様の心情を横的に連結させることができないというのです。一九六〇年度と一九六一年度に各々「心情復活の日」と「実体復活の日」を宣布することによって初めて、完成したアダムならばアダム、完成したエバならばエバが、ここから現れることができるというのです。

 霊的な心情的復活を宣布したので、実体復活圏では、子女たちを中心とした父母が復活圏になっていますが、子女たちはどのように復帰するのでしょうか。実体復活圏に連結するのです。それで譽進が生まれることにより、一九六一年四月十七日、「実体復活の日」を宣布したのです。それによって、統一教会の信徒たちは再び生まれるのです。そうして家庭的基盤を中心としてこの家庭が三次七年路程を行くのです。

 ところで、堕落した順序を見れば、天使長が問題となり、その次は体と心を通じて心情まで問題になりました。全部引っ掛かってしまったのです。このように三段階がすべて引っ掛かっているのです。それゆえに復帰路程では反対にしなければならないのです。心情的復活を先に宣布し、実体復活を宣布して、その次は天使長の復活を宣布しなければならないのです。このようにして、息子の前に完全に一致しなければならないのです。心情復活、その次に実体復活、その次に洗礼ヨハネ策定、すなわち天使長を復活させなければならないのです。


実体復活を通じた完成復活


 四月十七日、この日はイエス様が復活された日です。イエス様の復活は霊的な復活なので、実体の復活を成し、彼の目的を達成したのちに祝わなければなりません。完全な復活をしてこそイエス様に対して「兄弟」と言うことができます。神様は涙と嘆息でこの日を迎えられました。

 一九六一年は天的に重大な意義のある年です。私たちはイエス様と天地を代表して行かなければなりません。皆さんは心と体が復活した実体として、天地の前にこの日を祝うことができる存在として立たなければなりません。

 統一教会に来ると不思議でしょう。ここに来れば、心が完全に荷物をまとめてここに入ってきたいと思うのです。家から荷物をまとめて来るのが、どんなに希望か知れないというのです。ひたすら反対されるのではないかと案じて、ほとんど逃げてくるようにするのです。そのようなことがなければなりません。そのような心の動きがなければならないというのです。そうなれば、それが実体復活です。体が天の圏内に入ったというしるしを受けるようになります。実体復活圏だというのです。そのようにして心情復活と実体復活圏が成されてこそ、神様の愛を通じた血統的な因縁が連結できる出発が成されるのです。そのようになれば、どこに行っても磁石のように、教会を中心として私が動いたり引っ張られたりするのであって、絶対に反対にはならないというのです。

 それゆえ実体復活のために統一教会で生活しなければなりません。心情復活を天から引き継ぎ、実体復活を中心として地上で最高になるためには、統一教会でなくてはならないようになっているというのです。

 皆さんは、再び誕生する実体復活の条件を立ててこそ、祝福を受け、神様の前に立てる恩賜圏内に移っていくことができるのです。そのようになれば絶対壊れないのです。

 皆さんは今後、「心情復活の日」をこの上なく神聖な名節として記念しなければなりません。また「実体復活の日」を記念しなければなりません。これまでそのようなことを知る人はいませんでした。これを復活節を中心として宣布しました。


四 三十六家庭(三十三双)合同祝福結婚式(一九六一・五・一五、前本部教会)


 一九六一年五月十五日早朝四時三十分より、青坡洞一街七一の三、前本部教会において、真の御父母様の主礼(媒酌)により、直接儀式を主管される中、三十六家庭(この日は三十三双、三双は前年度に)成婚式が挙行された。


復帰された人類の先祖


 三十六家庭が何を意味するのかというと、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭が失敗した歴史的な二千年の期間のすべてのことを初めて蕩減したということを意味するのです。これは歴史的全摂理を代表した型となるのです。摂理史観的な立場から見る時、これは人類の先祖たちだというのです。

 アダムからカインとアベル、そしてノアまでが十二数であり、ノアからアブラハム、イサク、ヤコブまで十二数であり、ヤコブには十二人の息子です。そのようにして三十六数です。三十六数は何かというと人類の先祖数です。

 六千年の歴史をアダム、ノア、ヤコブを中心として見れば、イエス様の時代はノアに該当し、再臨時代はヤコブに該当するのです。数的基準を中心として、同時性の歴史から見る時、それぞれの時代を象徴していると言うことができるのです。

 三千六家庭とは何を意味するのでしょうか。それはすなわち、実体で地上に再臨して、復帰路程において私たちの先祖たちが神様の前に召命されながら遂行できなかったすべての使命を勝利することによって、サタンによって蹂躙された歴史を再度神様によって縦的歴史性を復帰したことになるのです。

 すなわち、三十六家庭を復帰摂理に基づいて見るとき、神様の復帰摂理の心情を継承して完成した人類にならないといけないのです。すなわち、先祖とならなければなりません。神様の摂理において、失敗した先祖ではなぐ、勝利した先祖の基準を地上に確立させたのが三十六家庭です。復帰された人類の先祖です。

 ここにおいて初めて、天宙統一の基盤を地上に立てることができるようになったというのです。三時代を通して先祖が目的を果たせずに失敗してきた神様の恨めしく悔しい歴史を、現世において横的に勝利したのが、統一教会の先生が成し遂げた歴史なのです。霊界が地上に降臨した結果として見るべきです。そうして神様が御臨在される所は、天上ではなく地上圏であるという基準が成されたのです。それでここから神様が地上にいらっしゃるようになり、世界的発展基準が造成されるようになりました。

 三十六家庭は三十六代の先祖であり、縮小すれば十二部族を代表した蘇生、長成、完成を象徴した家庭です。三十六家庭はイエス様を中心として、あるいはイスラエル民族を中心とした十二部族の部族長です。

 十二数を蕩減しなければならないので、十二部族を選び、十二ヵ月を代表して天の国の十二の真珠門を代表した天道に合わせるために、十二数の方位を開門しなければならないのですが、それが三時代に延長されてきたので、圧縮して一つにしなければならないというのです。


人間像の代表型家庭


 この地上の人間像を眺めてみると、既成家庭がいると同時に、未婚の男女として愛したが、思いを遂げることができなかった者がたくさんいるというのです。それを連結させなければなりません。それと、純然たる未婚の男女がいます。それでこの三十六の家庭を引き抜いて、この世界に広がった全体の群像を、形態を代表して、どの級であっても救うことができる道を連結させなければならないというのです。

 そのような意味で先祖たち、この地球にいるすべての人間像の代表的な先祖型として天国と連結させることができる道しるべを築いておかなければなりません。このような意味で十二家庭を三倍に拡大した三十六家庭を選択したのです。

 祝福を中心として家庭を三つに分ければ、その中にはどのような家庭があるでしょうか。横的に見れば既成家庭のような者たち、それから自分勝手に生きて自分勝手に愛の関係を結んだけれど思いを遂げることができなかった者たち、そして未婚の男女たちです。この三つの部類があるのです。

 それでは、三十六家庭の中の、第一家庭は何かといえば、自分勝手に結婚した者たちを連れてきて神様の前に連結させたものです。その次に第二家庭とは何でしょうか。愛の思いを遂げられなかった者たちを全部つなぐのです。ただむちゃくちゃにペアを組んで祝福するのではありません。どうしてでしょうか。世界の人々を救うためです。その次に第三家庭はどんな家庭でしょうか。未婚の男女たちです。

 三家庭はどの家庭を中心としたものでしょうか。ヤコブ家庭です。既成家庭が蘇生です。その次に第二家庭がノア家庭であって長成です。そしてヤコブ家庭が完成です。したがってヤコブ家庭が中心家庭です。そのようになっています。どこを中心として地上に連結するかといえば、ヤコブ家庭を中心として連結するのです。霊界と地上を抱き込もうとするので、三家庭、三十六家庭が出てきたのです。

 元来キリスト教文化圏が完全に一つになっていれば、そのようにする必要がないのです。キリスト教文化圏がそのようになれば、世界的に一遍に編成することができるのです。今日、この蕩減過程がないというのです。ヤコブ家庭の基盤を中心として未婚の男と女、神父、修道女を中心としてすべてくくるのです。

 三十六家庭の中で、第三家庭は手を挙げてみてください。あなた方三十六家庭が結婚をする時にした、その式が何かというと蕩減式です。あなた方が結婚式する時、聖進と金東淑(聖進様の相対)を前に立たせておいてしたことを覚えていますか。そのように条件を立てなければならないのです。

 それゆえに統一教会が越えていくべき道において、一時に三家庭が責任をとらなければなりません。三家庭が統一教会の協会長にもなり財団理事長にもならなければなりません。


三時代の氏族的蕩減基盤


 父母が結婚をして、その次には三家庭が結婚をして、その次には三十三家庭が結婚をしたのです。それによって先祖を救ったのです。ここから崩れることがないようになったのです。

 最初にイエス様は三弟子をそろえたでしょう。その次に十二数を満たして、十二の祝福数を立てなければなりません。イエス様の十二弟子の型を蘇生、長成、完成の三段階を延長させたのと同時に、横的に過去、現在、未来の三時代を延長させたのです。それが三十六家庭だというのです。

 どうして三十六家庭をつくったのでしょうか。十二家庭を中心として、その基盤の上に旧約時代、新約時代の氏族基盤を連結させるためです。完成基準の十二だけであれば、歴史的な蘇生、長成段階に連結されないのであって、三十六家庭は旧約時代と新約時代を代表した数として、縦的な基盤を連結させるために避けられない数なのです。

 このような基盤を築くことによって、統一教会においてはイエス様を中心として成し遂げるべき氏族的蕩減条件を立てて、国家時代に向かって前進できるのです。それゆえ、私たち統一教会は、今や一つの氏族基盤を中心として全国的な活動を展開しなければならない時へと移っていくのです。

 天の役事は、氏族から民族編成運動であるがゆえに、統一教会の先生を中心として一九六〇年代の聖婚式、祝福以後から本格的な氏族編成が起こるのです。それが三十六家庭から七十二家庭なのです。


約婚相対者の決定


 私が三十六家庭を祝福する時、私が「よくないから、絶対やめなさい」と言われてやめた人たちはみな良いのです。ところが「それでもします」と言い、(私に)「そうか、お前がしたければしなさい。私は責任をとらない」と言われた人たちはみな良くありません。結婚してみて良くなかったのです。それは三十六家庭がみな知っている事実です。それで先生に結んでもらうほうが理想的だという評判がたったのです。ほんの三年ほど暮らしてみなさいというのです。三年間暮らしてみてから評価しなさい。

 皆さんの目には、夏の青い木のように見えるのです。青い木であって、美しい実がなり、からすやかささぎが飛んできたりしているのでよく見えるのです。その実が何の実なのか分かりますか。松の木は松の木同士で接ぎ木しなければならないのですが、分科があるのです。分科の境界線があるのです。

 それゆえに、女性の運命というものは、どんなに勉強をしたところで、男性に従っていくのです。そのようなことを考えてみましたか。そのように考えている女性たちならば、自分がどのような道を行く人であるのかということと、自分がどのような女性であるのかということを知って、どのような男性を相対とすべきなのかを知らなければいけないのです。


既婚家庭の中で新しく結ばれた家庭


 劉孝永、劉孝敏、李耀翰牧師を結婚させて、それからもう一人は誰ですか。安昌成です。この四人を、世の中から見れば悪口をいわれるようなことをしたのです。この人たちにはぴんぴんしている妻たちが待っているのに、思いもよらない娘たちを迎えさせたのですから、それは悪口を言われるようになったのです。その中に柳光烈もいるのです。妻も教会に対して忠誠を立てているのに、そのような統一教会に反対しない、つつましい妻をそのままにして、祝福したのです。

 何のためにそのようにするのですか。なぜそうしなければならないのでしょうか。仕方なくそうしなければならないのです。蕩減条件なので仕方がないのです。そのような条件を立てたので、今はいくらやってもサタンが讒訴できないのです。

 それは世界の人のために、全体が行くべき道を切り開こうとするので仕方がなかったのです。道をつくるには、ハイウェイを通す所に宗家が王から号をもらって名前を刻んだ石碑があるとしても、それらは全部壊してしまわなければならないのです。氏族だろうが民族だろうが厳重に処理しなければならないのです。そうしようとするので仕方がないのです。

 安昌成と崔禮貞という共に暮らせない人が一緒に暮らし、李耀翰牧師と元心猿という共に暮らせない人が一緒に暮らし、柳光烈ときみ子という共に暮らせない人が一緒に暮らしたのではないですか。そう言われるとそうでしょう。息苦しいことが多かったでしょう。それはそうでしょう。でも仕方がないというのです。誰かがそうしなければならないのです。そうしなければ平坦な道をつくることができないのです。私が悪口をいわれても仕方がないのです。設計する人は、悪口を言われようが何をいわれようが、平坦な道をつくるためには、煙突が出てこようが王の財産である金塊が出てこようが、それを掘り返さなければならないのです。

 そのような門を開かなければ、世界のすべての家庭の行く道がないのです。三十六家庭のうちの既成家庭型の中に、そのような家庭がなくてはならないので、そうなっているのです。蕩減復帰して生かしてあげるための代表家庭として立ったならば、犠牲にならなくてはならないのです。


家族たちに一方的な通牒


 天の宇宙的な運勢をもって復帰路程を完結するのにおいて、誰に相談しなければなりませんか。三十六家庭は何かというと先祖たちです。先祖となる人間をつくりあげるのに、肉身の父と母に相談できますか。神様に相談しなければならないのです。先祖と同じなのですから、彼らが祝福を受ける時は、絶対自分たちの父母に相談してはいけないのです。相談するようになれば天法に引っ掛かるのです。人類の先祖たちが誤ったことを蕩減復帰しなければならない立場に立っているため、何百代、何千代の後孫のような立場の自分の父母であるのに、相談したらよいでしょうか。絶対いけません。

 神様が意図されたことは、サタン世界の誰にも知らせたり、相談できないようにすることです。それゆえに神様の特権で、皆さんが行くべき道を決定したのちに招請状を送ったのです。

 その息子、娘は、自分たちの息子、娘ではありません。天の息子、娘です。蕩減復帰しなければなりません。夜も昼も彼らを天の息子、娘にするために、私が彼らの父母以上に愛したのです。彼らの父母たちは寝ながら、世の中のことをすべてしましたが、私は昼夜を分かたず、ありったけの精力を全部投入したのです。心情的再創造のために、心情的相対圏をつくるために、環境の反対をものともせず、克服と打破を覚悟して前進を誓って出発した事実を知らなければなりません。

 しかも、父母のところに行って、相談したとしても、どこの父母がその子のことを喜ぶでしょうか。それは分かりきっていることです。父親や母親が来れば、それがとげとなり、目のごみとなるに決まっているのに、先生ともあろう人がそれを重々承知の上で、その父親、母親に聞いてみてから紹介してあげるようなことをするでしょうか。通牒はしなければならないので、結婚式をする前日の数時間前くらいにちょうど到着するようにするのです。「あなた様の息子、娘の神聖なる結婚式をいたしますので、御来臨賜りますようお願いいたします」(笑い)そのように通牒はすべてしたのです。

 一週間前に招待状を送るのですが、内容をどのように書くのでしょうか。何月何日に新郎誰々と新婦誰々が結婚しますが、嫁が誰で婿が誰でと、全部記録して送るのです。来なさいと言うのですから来ないわけにはいきません。来るようになっています。ところが、来るには条件があるというのです。「統一教会で着る礼服をどうにかして手に入れて着て来てください」というのです。それは来るなという話です。(笑い)来てはならないというのです。来れば大騒ぎになるのです。統一教会の礼服というのは真っ白い服なのですが、それを見たことがあるでしょうか。夢にも見たことがないでしょう。そのように自分の息子、娘が結婚式をするのに、「何々を着て来なさい」と命令する人がいったいどこにいますか。


奪う戦いであった祝福式


 結婚式をする時、一つは夜に、一つは昼に、一つは夜明けにしたのです。神様のみ旨から見る時、偽りの父母から出発したがゆえに、真の父母の立場からすべてのことをコーチしなければならないのです。父母たちも反対しましたが、国も反対をしました。

 新聞にも出て大騒ぎになりましたが、結婚式を三回しました。十二家庭ずつ三回したのです。戦いながらしたのです。親戚や父親、母親が来て大騒ぎし、遠い姻戚や友達が来て大騒ぎしたのです。けれども、あなた方はけんかをしなさい、私は結婚式をするからと言ってしたのです。

 アダムとエバが堕落する時、天地が真っ暗であったので、それを蕩減復帰するために、統一教会の三十六家庭の祝福も真っ暗な夜中にしなければならなかったので、門を閉めて成婚式をしたのです。その時「私の息子を出せ、私の夫を出せ、ひとの息子、娘を連れていって何をするつもりだ」などと、ありとあらゆることを言われました。自分の子供を結婚させるのが父母の思いであるのに、統一教会の先生が独断で結婚させてしまうといって騒ぎ立てるのです。神様の息子、娘をサタンが奪っていったので、先生がサタン世界の父母から再び奪って蕩減復帰するのです。歴史的に失った息子、娘を再び捜し出して蕩減復帰するためでした。それで式を早く終わらせたのです。

 龍山署の警察官に、「怪しげな反対する輩たちが来るから守ってくれ。殺人事件が起きたら警察署の責任だ」と言ったので、守らないでいられるでしょうか。それで、警備員を立てたのです。また、うちのでかい男を二人、ばしっとやればひっくり返せるような、そんな見張りを置いてから取りかかったのです。何に取りかかるのですか。結婚式に取りかかったのです。

 だからといって、私がお金を一銭でももらうでしょうか。私のお金を使って、結婚式の指輪から、服からみな私が用意してあげたのです。私が何かお金をもらって、何かの商売をするのですか。そんなことをしてレバレンド・ムーンに何の利益がありますか。どんな利益があるのですか。悪口を言われるだけです。人類が必要とするもの、愛の秩序が必要であるためにするのです。天命として人類の願いに基づく神聖な仕事を進行するのです。それに反対する人々は、十年もしないでみな屈服するのです。

 さて、結婚させてみると、あれほど悪口を言って大騒ぎした父母であったので、全部統一教会と怨讐になると思っていたのに、今はみな「文先生! 本当に良かったです」と言うのです。「本当に、統一教会の嫁のような嫁はいない。一番だ」と言うのです。「統一教会の婿みたいな婿はいない」と言うのです。

 郭錠煥牧師の夫人は姉妹で教会に来ていました。その父親は江陵師範学校の先生でした。(結婚式の時)誰が反対しに来たのかと見ると、その父親が、自分の娘が結婚するというので入って来ようとしているのです。しかし、礼服を持ってこなかったということで中に入れないのです。仕方がないので、知り合いの所へ行って礼服を借りてきて、下は黒の洋服を着て、それが見えているという格好で座っているのです。結婚式の時、私が祝祷をしてあげて立っているのですが、それがどれほど憎かったでしょうか。悪口を言おうとしても自分の体面があるので、悪口が言えるでしょうか。いわゆる師範学校の校長だという人がそのようなことができるでしょうか。体面があるのです。

 私を見て悪口を言おうとして手を「えいっ」と、このようにしているのです。(笑い)ところが近ごろでは、仁川統一教会の情熱分子になって活動しているのです。「うちの婿が一番だ。あの婿でなかったら大変なことになっていた」と、そう言っているのです。「過ぎてみれば、良い婿を与えてもらったの、悪い婿を与えられたの?」と尋ねてみれば、「本当にすみません」と言っています。


祝福過程での復帰儀式


 約婚式をしたあとは聖酒式があって、その次に結婚式があります。それでは、この約婚式と聖酒式、そして結婚式とは、そもそも何でしょうか。これは前例によって行われる式ではありません。堕落したすべての内容をもう一度象徴的に再現させ、それを蕩減するために行う、避けることができない行事なのです。

 堕落したアダムとエバの後孫である人間たちは、どこの誰を問わずメシヤを迎えられなければ原罪を脱ぐことができないのです。それではそのメシヤとは誰でしょうか。真の父母です。それでは真の父母がなぜ必要でしょうか。真の父母の愛で再び接ぎ木しなければならないからです。それゆえにメシヤである真の父母が現れることなくしては、堕落した人間が原罪を脱ぎ捨てて、罪のない解放された立場で、完成段階の祝福を受けることができる位置に出られないのです。

 そのため、約婚式は、人間の先祖アダムとエバが約婚段階で堕落したことを復帰する式です。そして聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜き取ってしまう式です。言い換えれば、原罪を取り除いてしまう式だというのです。

 天使長を通じてエバが堕落したので、復帰歴史においてはエバがアダムを通して天の前に立ち、天使長復帰をしなければならないのです。そのためにするのが聖酒式です。聖酒式をする時、先生は先に女性に(聖酒を)あげるでしょう。なぜそうなのか分かりますか。それは失ったエバを復帰する式なのです。聖酒式をすることによって霊的に一つとなり、心情的に一つとなり、肉的に一つとなるのです。絶対的な内約なのです。

 聖酒は意味もなくつくられたものではありません。サタンと神様の立ち会いのもとで、霊界にいる数多くの天使たちの立ち会いのもとでつくられるのです。そしてそこには、皆さんの知らない二十一種類の物が入っています。万物世界と人間の復帰歴史過程で形成されるすべての物が入っているのです。聖酒をつくる時は、霊界の霊人たちが来て、「どうか一杯だけ注いで自分に飲ませてください」と言うのです。聖酒を飲めば復帰されることを知っているからです。

 この酒にはイエス様が、「生命水を飲んだ者は永生する(わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう)」とおっしゃったみ言のようなものが入っています。この時間の前と後では異なります。この酒を飲むことは新郎新婦が愛の因縁を結ぶことよりも重要です。これは生命的な因縁を代表できるものです。この聖酒は酒ですが、生命の原液と同じです。この式のあとには、偽りがあってはいけません。過去を問うことなく、これからは祝福の夫婦とならなければなりません。

 聖酒式は三人の母から生まれた条件を立てる式です。聖酒には蕩減の血が入っているのです。

 祝福行事の時に、蘇生、長成、完成を意味する十二人の付き添いを立てます。これは三数を代表するものであり、また、イエス様の十二弟子を意味するものです。十二部族の二十四長老の霊的基準を立てるため、付き添いを立てるのです。敬拝をすることによって蕩減条件が立てられるのです。

 真の父母が聖水をふりまくのは、皆さんが蕩減復帰したという条件を立てるためです。また、霊界の先祖たちが築いた基盤を越える条件を立てようとするものです。

 そして祝福をする時、最初に、「君たちが過ちを犯す時は君たちが責任を負いますか」と尋ねるのです。ゆえに条件的な祝福です。


祝福式後の復帰儀式


 蕩減棒という言葉を聞いたでしょう。男女間においては、これまで姦通したり、非常に多くのありとあらゆる歴史が繰り広げられてきたので、これを一度に取り除いてしまわなければなりません。尻を間違って使ったがゆえに、打たれるのでしょう。それは遊びではありません。三時代の血統を汚した怨恨の峠を越えるための条件物です。この痛みが引くようになる時、息子、娘が解放兵の立場から天の前に両手を挙げて万歳を叫ぶことができるのです。その時には天地万物と天の国全体が「万歳!」と叫んで和合しなければなりません。

 その次に、この式をしたのちには、四十日間の聖別期間が必要です。それが何かというと、四十年期間に該当するのです。先生の四十年期間に匹敵するのです。皆さんは四十数を越えなければならないのです。復帰路程ではヤコブから四千年後に再臨主を迎えるのです。その四千年の数を越えなければいけないというのです。

 ですから四十日は、その蕩減的な条件を立てる期間です。この期間は、全体のみ旨を思い、天の国を恋い慕うのであって、自分の妻や夫のことを考えるのではありません。共同的な立場で、その国とみ旨のために精誠を尽くすのです。四十日間は夫婦関係を結ぶのではないのです。

 それでは今、どのような立場に立たなければならないかというと、夫婦と言えば夫と妻のことですが、妻が母の立場にならなければなりません。母となり、夫を愛で生んであげなければなりません。結局は、再臨主までエバが生んであげなければならないのです。

 先生を通して、妻は母の使命を再び付与されるのです。それで、これを三段階をもって産んであげる形式の愛をしなければなりません。それをする時は「完成した息子として分娩されました」というようにして進行しなければなりません。それは女性が祈祷するのです。


祝福家庭の道


 祝福がどれほど恐ろしいものかを考えてみなさい。皆さんは祝福が、偶然にどうにかして、一瞬にしてなされたものと考えるかもしれませんが、その祝福が成されるまで探し求めてきた道、そこには創世以後の人類歴史が関与しているのです。この時代だけではありません。

 これからは侍ることによって救いを受けるのです。侍義時代が来るというのです。個人救援時代は過ぎ去りました。今は、家庭を中心とした家庭救援時代です。

 今後はすべて越えていかなければなりません。越えていく時は整備しなければなりません。自分たちで心を合わせ夫婦の日記を書かなければなりません。その次に息子、娘の公認を受けて、皆、入籍をしなければなりません。入籍時代が来るのです。清算して越えていかなければなりません。その時はサタンはついてきません。そのような深刻な時が来ます。祝福を受けた家庭は今後すべて日記を書かなければなりません。こっそり越えていってはいけないのです。祝福は貴いというのです。

 祝福も三回受けなければなりません。まず教会で受けなければなりません。そして国家基準、世界基準を経なければなりません。この地上で受けることができなければ霊界に行ってでも受けなければなりません。それが統一教会の伝統的な家庭の道なのです。

 祝福がどうして遊び人や売春の仲介人のまねですか。神様の愛の圏、神様の生命圏、神様の血統圏を植えるための、途方もない天地の大道を明らかにするための光明の道なのです。解放の道なのです。すべての圏内に現れないことがない確実な道であるにもかかわらず、これを蹂躙するようになれば、悪魔よりも、もっとひどいというのです。悪魔は長成期完成級で堕落しましたが、完成期完成級にいる祝福の子女たちがこれを汚すようになれば、その目と手足を刃物で切ってしまわなければなりません。私、文総裁がこれを明らかにするための歴史を蕩減するために、どのような受難の道を歩んだのか皆さんは分からないことでしょう。


三十六家庭の立場と使命


 三十六家庭を愛することにおいては私の息子よりも、もっと愛しました。それは三十六家庭自身が証することでしょう。私は三十六家庭を偶像のように崇拝したのです。お金がなければ私が食べさせてあげ、着せてあげたのです。私はこのようにむやみに生きながらも、Jそのように愛してあげたのです。なぜでしょうか。世界のすべての人に施すことはできないので、代表を立てて愛してあげたのです。しかし、それを「いつも必ずそうしてくれるだろうから」と思ったら困るのです。

 私が三十六家庭にそのようにしてあげれば、三十六家庭が先生の息子と娘をみな愛して、私に向かって「先生の息子、娘を私たちよりもっと愛してください」と言えるようにしなければならないのです。それが原理的なのです。アダムとエバを天使長が教育するのと同様に、先生の息子、娘はこの三家庭と三十六家庭が教育するのが原則なのです。

 本来、三十六家庭の三人の息子は先生の縦的基準に連結しなければなりません。それゆえ、元弼は聖進の責任をもち、劉協会長は喜進の責任をもち、金協会長が孝進の責任をもち、二代が一つとなり、カインとアベルが一つとなって、先生の息子、娘に侍らなければならないのです。それが分からなかったのです。ですから統一教会が受難を経たのです。三十六家庭が、三家庭が代表し、三十六家庭がまた垣根となって、その中で生きるようになっているのに、三十六家庭ができないことによってサタンが自由勝手に狼藉を働いたのです。

 先生の家庭に困難があれば、皆さんがその困難を中断させ、先生の家庭が負わなければならない十字架があれば、皆さんの家庭でその十字架に責任を負い、金城鉄壁なる垣根をつくらなければならないのです。皆さんが背後で垣根となり、肥料となって、先生の家庭が発展できるようあらゆる精誠を尽くさなければなりません。そうなってこそ、皆さんの家庭が発展するようになるのです。

 そして、三十六家庭が縦的三位基台、横的三位基台を成すようになるのです。そのように見る時、兄が豊かに暮らしながら弟の事情を分かってあげなかったり、弟が豊かに暮らして兄の事情を分かってあげないとしたら駄目です。天の前には共同運命なのです。今は、家庭を中心として行く時です。家庭を中心として私たちは氏族編成をして一つとなり、愛で絡み合っていかなければならないと見る時、三十六家庭がそれをしたのかというのです。

 金寅哲が立派なのはそこです。「み旨のためにあなたの家を出しなさい」と言う前に、彼は家を明け渡したのです。それは私が忘れないのです。自分のすべての月給袋は、はたいて出して、食口を食べさせるために苦労したのです。私は忘れないというのです。

 三位基台の家庭を通じて、いかに共同生活の体制を成すかというのが問題です。三位基台を中心として、生活も共になし、生活感情も同じでなければなりません。三年ならば一年ずつ順に回りながら三位基台の責任を負って生きなければなりません。それで天宙主義なのです。家庭天国を成せなければ天国には入れません。皆さんはすべての家庭を救うことができる救世主のような立場です。

 統一教会の三十六家庭を見てみると、小学校も出られなかった人もいるでしょう。また、一対一で見れば、生活でそれほど際立つものが何もないというのです。しかしながら、この統一教会の歴史を立てるにおいて、迫害され反対されたその時代において、統一教会を愛するところにおいては、心情的基準においてはいかなる人よりも代表的な立場で愛したために偉大だというのです。このようなことを知らずに、個人的に「何だ、誰々を見てみろ。三十六家庭なのにあのざまは何だ」と批判する人は、間違った人です。先生の思考方式はこうなのです。

 先生を幹に例えるならば、その中心の枝のような三十六家庭を通じて皆さんがそこにぶら下がっているがゆえに今祝福の場にいるのであって、そうでなければ存在していないのです。絶対不可能だというのです。本来、既成家庭を祝福してあげるのは、切り捨てて代わりに接ぎ木をしてあげるのと同じことなのです。それを知らなければなりません。そのような意味で皆さんはどのような立場にあるのかを知って、先祖家庭、先輩の家庭をいつも尊重視しなければなりません。この伝統を受け継いで、それを現在から未来に、いつでも厳粛に引き継いでいく使命をなさなければならないのです。

 しかしながら、祝福を受けた三十六家庭が「私たちはアベル家庭なのだ。君たちは私に仕えなさい!」と言ったら、それは駄目なのです。七十二家庭に向かってカイン家庭であるといって「私が先に生まれたから、君たちは弟の立場に立ちなさい」と言うのではなく、「私は兄の位置にいますが、弟の位置に行っても良いです」と言うことができる立場に立ってこそ、サタンの讒訴から抜け出るのです・反対にしなければならないのです。


三十六家庭任地派遣(一九六一・五・一八、前本部教会)


 皆さんは神様を中心とした一つの家族であるということを徹底的に認識しなさい。心は天を代表し、体は地を代表したものです。ゆえに天と地が私を中心としているということを知って、すべての生活を天地のために、大きな私を生かすために、祭物となる生活をしなければいけません。私たち一人を立てるために、神様には悔しい曲折があったのです。

 天と地が動員されるにも、自らの価値が決定されなければ駄目です。私たちは後代のすべてのものの前に模範とならなければなりません。私たちいかんによって統一の理念が決定されるのです。神様は私たちを信じて立てました。私たちに価値があって立てたのではありません。ゆえに、出発のいかんが私たちの運命を左右します。

 韓国各地にいる食口たちが今、飢えています。歯を食いしばって、逆境を切り抜けていきなさい。霊界の善霊人たちもこれを見て悔しがり無念がっています。復讐のその日を思いつつ敵愾心を抱かなければなりません。このようなことを思えば、御飯を食べていても痛哭する人にならなければなりません。

 天民とならなければなりません。すべての人類が、私たちに命を懸けています。神様は、御自身が祝福した基準と、責任を負わせたその基準から皆さんに対そうとされます。縦的な面で恩恵を受けたならば横的な面で基台を立てなければなりません。

 心情は父母の心情で、体は僕の体でなしてこそ主人になるのです。それが神様の遺業です。これは父の心情をもって、涙と汗と沸きたつ血を流してこそ得ることができるのです。真なる指導者になろうとすれば、真なる指導を受けなくてはなりません。私の個体のために涙を流すなというのです。天の道を行く真の父母の涙、真の父母の汗、真の父母の血を受け継がなければなりません。伝統として残す涙と汗と血を流さなければなりません。

 皆さんは山河の至る所に、自らが流した涙の因縁を多く残さなければなりません。み旨のために、どの程度忠誠を尽くすかによって、どれくらい良い子女が生まれてくるかが決定されるのです。

 先生がアダム格の家庭に苦労させようとするのは、ノア格の家庭やヤコブ格の家庭が、自分も知らないうちにそれに乗って越えていき、他の家庭もその家庭に乗って越えていくようにするためです。それで韓国各地に任地を与えて派遣したのです。血と汗を流し、戦う家庭がなくてはなりません。


三十六家庭四十日期間終了集会(一九六一・六・二四、前本部教会)


 後代に見せてあげ、残してあげ、証することができる条件がなければなりません。先生はこれまで、父の代身者になれと教えてきました。祝福後には贖罪の使命を果たさなければなりません。皆さんは、自分の先祖を代表して立つことができる祭司長です。「苦労して教会を立てなさい」と言いました。皆さんは、皆さん自身に代わって「やります」と言う、自発的に進み出る三人の人を立てなければなりません。

 これからは実体の子女を繁殖しなければなりません。父と心情的な因縁を結ぶことができる子女を生ませてくださいと祈祷しなければなりません。心情的な祭司長になれる子女を生むために祈祷しなければなりません。先生は、天と地を代表することができる心情的基準の上に子女を生んでくれることを望みます。

 先生が一度祝福をすれば、責任を負うのです。その間の四十日間は四千年を蕩減する期間に該当します。実際の結婚生活は、きょうからです。これまでは蕩減期間でした。

 四十日期間を終えたきょうからは新しい出発をしなければなりません。栄光は自分を中心としたものではありません。三年、四年、涙を流しなさいというのです。アダム、イエス様に続き再臨主の時代であるので天の血統を汚してはなりません。罪の中の罪が天の血統を汚すことです。


五 全国伝道師修練会


第五回伝道師修練会(一九六一・二・一二〜三・二三、前本部教会、百十八名)


 今から四十日間の修練を終えて民族の前に現れる時には、一人の人格者として現れるようになろうというところに今回の修練会を開く意義があります。

 この四十日間は歴史的な勝利者を養成する期間です。私たちの勝利の目標は、個人や部分的な面での勝利ではなく、全体的な面における勝利です。全体的な勝利者にならなければなりません。いかなる環境の中でも勝利するという確固たる信念をもった人格者にならなければなりません。

 三年間は飢えの中で涙を流し、お父様のみ旨に向かって命を懸けて戦っていかなければなりません。生命の因縁と祝福の因縁をもって、三千万民族(韓民族)をみ旨と連結させ、祝福してあげるために進まなければなりません。過去の学生時代の基準や、その他、既成信仰の観念をもっていてはいけません。皆さんは新しい荒野に向かって進んでいます。そこは涙の種類も違い、血の種類も異なる所です。民族的な勝利の隊列に立つためには指導者に絶対的に従わなければなりません。

 この期間は歴史的な四十数を蕩減する時であるので、天と地、人類と私をもって四位基台を成しなさい。御飯を食べても、そのことを思いつつ食べなければなりません。どんなにおかずがない御飯であっても、ここで食べる御飯は最高の御飯です。ここが正にそのような場所です。

 今回の啓蒙期間において、勝利するという一念で耐えて戦って勝利し、それによって、反対していた者たちも頭を下げたという報告を受け、痛快に思いました。民族が反対すれば民族を代表しても戦わなければなりません。修練は戦いです。民族を代表し、世界を代表し、天地を代表して戦わなければなりません。先生も個人的な戦いで勝利したのちにおいてこそ、戦いの舞台が広がったのです。

 ここに百十八人いても、みな同じではあり得ません。神様は百十七人を除いてしまった一人であっても、真の息子、娘を望まれるのです。三千万の中に一人しかいないとしても、神様は真なる息子、娘をお望みになるのです。

 今回の第五回修練会は一九六一年に行われ、特別に意義があるのです。父を愛することにおいて、誰にも負けてはなりません。私が食べて、着て、見て、寝て、聞く、すべてのことは父を愛するためにしなければなりません。そこに反対となるものは容赦なく切るべきです。

 これから皆さんが地方に行けば、その地方のすべてのものに対し「これは私のものだ」と、あたかも主人の代身のように振る舞わなければなりません。天地に散在しているすべてのものは、父のものであると同時に私のものであり、私のものであると同時に父のものです。すべてのものは私たちのものです。

 皆さんが地方に行ったら、その面(韓国の地方行政区画)や部落を包囲する気持ちで祈祷しながら回らなければなりません。お前たちは私の中にあり、私の中にいるお前たちはこのように生きなければならないという腹をもって実践しなければなりません。言葉なく戦おうとすれば、その間神様と先生が戦ってきた方法を使わざるを得ないのです。すなわち、僕のように実践して、心の主人、行動の主人、心情の主人として認定を受けなければなりません。今は難しいことはありません。時が来たのです。


第六回伝道師修練会(一九六一・四・七〜五・一三、前本部教会、百十五名)


 一九六一年四月七日より五月十三日まで進められた第六回伝道師修練会の特徴は、現役伝道師(未了者)も参加が許された点と、四十日の全期間制と、二十一日の半期間制の二部に、分別実施するようになった点である。修了資格が異なったのはもちろんである。百十五名が修了したが、三十六家庭祝福行事の関係で、五月十六日に予定されていた終了式は、三日繰り上げられ十三日になった。

 私たちの目的は最高の責任者になることです。ですから先生は、皆さんを社会、国家、世界、天地、絶対者の前に、一時的でない永遠なる責任者になるように指導しようというのです。

 皆さんが各地方へ行くようになる時は、責任を負うことができる創造主の立場、父母の立場、主人の立場を代表して行かなければなりません。万物は神様がなくて嘆息しているのではなく、神様の代わりに責任を負ってあげられる人間がいなくて嘆息しているのです。皆さんは自分自らに責任を負わなくてはなりません。責任を負うべき所があれば、雪が降ろうが雨が降ろうが行かなくてはならないのです。

 今回の第六回修練会は、他の時より特別な意義があります。創造や復帰においても六数は非常に大きな意義をもっています。この期間に修練を受けた皆さんは格別なる使命を感じなければなりません。天と地の罪悪を清算することにおいても六数は重要であり、サタンとの戦いにおいても六数は意義が大きいのです。皆さんが各自散らばって戦っても第六回修練生だということを忘れてはなりません。神様が人間を造られたあと、祝福なさろうとされた価値的な基準も六数でした。この期間は歴史的に、天宙的に重要な期間です。この期間を過ごした皆さんは中心的な責任を負わなければいけません。皆さん、第六回修練生を中心として、新しい活動が展開されるということを感じなければなりません。

 四十日伝道師修練会を終えるこの場において、皆さんにお願いしたいことは、「自覚してほしい」ということです。皆さんは自分自身を知りませんでした。そうした中で、み旨を知ってからは、自覚の心情をもってこの門をたたいてきました。皆さんは、歴史を経て、時代を越えて、未来を立てていく「私」であるということを自覚しなければなりません。

 常に自分自身を自覚し、天に不忠不孝な自分であるということを忘れてはなりません。不忠不孝の姿であることを感じるたびに、忠臣の名、孝子の名でも呼びながら「忠誠を尽くします」と誓わなければなりません。

 皆さんがここを発ち、第一歩を踏み出すときには、涙と希望と懇切なる心にあふれなければなりません。そうでなければ、まだ忘却の立場にあるのです。どこにいるとしても、皆さんは共通の心をもたなければなりません。各自が自覚した位置で、三千里の山河に向かって出発しなければなりません。命あるこの国土、この民族、この主権のために、忠誠を尽くし、闘争しなければなりません。


第七回伝道師修練会(一九六一・六・一〜七・一〇、前本部教会、百三十二名)


 皆さんが修練を受けるのは、皆さんの前にいる怨讐を退け、怨讐を審判するためです。そのためには第一にみ言を勉強しなければなりません。このみ言はどこから出てきたのですか。創造当時の心情から始まり、復帰の路程を経て出てきたのです。この事実を忘れてはなりません。み言を身につけることなくしては実体を立てられず、実体を立てることなしには心情を立てられないので、み言を聞く時は体で聞き、心で聞き、心情で聞かなければなりません。

 修練生の皆さんに、歴史始まって以来なかった、うんざりするような肉体的訓練をさせるのです。それをみ言と心情で耐えて打ち勝たなければなりません。皆さんはアダムを学び、モーセを学び、イエス様を学び、先生を学んで、アダムやノア、アブラハム、モーセ、イエス様、先生の立場に立ってみなければならないのであり、み言と体と心が一つとなって神様の心情を体恤しなければなりません。

 皆さんが今回受ける修練は第一次の修練です。第二次はこの民族の前で、飢えと死の恐怖にも屈しない修練を受けなければならず、三次は世界の前で、四次は霊界の前でこのような修練を受けなければなりません。

 復帰原理において、天地はもちろん神様までも悲しみに満ちていると言いました。第七回修練生の皆さんは、愛着心をもった人々になるようお願いします。この地は太初から私たちの地であったのに、先祖が息子、娘の資格を失ってしまったので、六千年の間失っていました。今や再び取り戻さなければならないこの地です。この地をつかんで痛哭しなければなりません。


第八回伝道師修練会(一九六一・九・二〇〜一〇・二九、前本部教会、三十五名)


 一九六一年九月二十日より前本部教会で始まった四十日伝道師修練会は、男性二十九名、女性六名、合計三十五名参加のこぢんまりした修練会となった。

 皆さんがここに来た目的は何でしょうか。それはある環境的な問題を解決するために来たのではなく、人間の根本の問題を解明し、絶対者から認められ確定を受け、その絶対者の前に立つことができるために来たのです。

 父母が孝子を愛するように、神様も、人類の悲しみや苦痛を自分のものとして感じる人を愛されるはずです。皆さんは善だけを追求する人よりも、苦痛を追い出す実戦の闘士とならなければなりません。悲しみの世界と苦痛の世界を打破するのに必要な人とならなければなりません。後ろから従っていく人になってはいけません。喜びを謳歌する資格がある人とは、悲しい環境を永遠に取り除いた人です。

 神様の涙の谷間を経なくては、父の前には立てません。父母の悲しみが分かる人が孝子であり、国の悲しみが分かる人が忠臣です。涙を流してこそ歴史的な人物となり、宇宙的な人物になれるのです。復帰歴史は条件の歴史です。ゆえに、許しを受けようとすれば、神様の涙の谷間を埋めなければなりません。

 今正に出発する修練生の皆さんに願うことは、僕と養子の立場を越えて、少なくとも息子、娘の立場で行きなさいということです。息子、娘になってこそ、父の栄光の立場に同参できるのです。私たち統一信徒は、これまで困難な道を歩んできましたが、消えてなくならないでいます。最後まで残る人が父の代身者です。

 神様は、「息子、娘として、そして代身者として、この国の三千万同胞のために行け」と、のどが痛くなるほど泣き叫んでいらっしゃいます。あらゆる所に、父の代身者、父に愛された息子、娘を送りたがっていらっしゃるのです。神様は「お前は私の代身者であり、息子、娘である」と言える、サタンを退け、天の真の愛を受ける者となることを願っていらっしゃるのです。


第九回伝道師修練会(一九六一・一一・五〜一二・一四、前本部教会、六十名)


 皆さんにとって、第一の問題は神様のみ旨を知ることです。み旨を知ろうとすれば、歴史がどのように流れてきて、この時代がどのように流れているのか、未来はどのようになるのかを知らなければなりません。また、神様はいかなる方なのかを知らなければなりません。歴史的な神様はどのような神様であり、いかなる闘争の歴史を編んでこられたのでしょうか。この時代においてはどのような闘争をされているか、その神様のみ旨は必ず未来へと連結するはずなので、そのみ旨の内容は何であるかということを知らなくてはなりません。

 ここに入れば一週間断食をしなければいけません。強制ではありません。自ら実行するのです。私は、私自らが父から受けた訓練を皆さんにもそのまま見事にさせたいのです。そうして見事に天国を建設したいのです。

 今は三年伝道期間中の二年目を越える時であり、今回の第九回修練会は今年最後の修練会になります。また、九数はすべてのものを清算しなければならない意味をもっています。今夜、第九回修練生の皆さんにお願いしたいことは、永遠に残る者となれということです。

 今年は、民族の前で殴られても、しっかりと殴られなければならない時です。ですから強い覚悟と誓いをなさなければなりません。最後の戦いの峠で、「私が砲弾の先になる」という覚悟をしなければならないのです。心情を中心としてみ言を伝え、心情を中心として生活し、み言を中心として行動して、み言を中心として理念を広げなければなりません。純粋な心で分け与えてあげなければなりません。


六 四十日伝道と地区巡回


全国地区巡回(一九六一・七・一三〜七・一八)


 韓国各地をくまなく回り、五日ぶりに帰ってきました。大田を経て、全州を経て、光州を経て、馬山に行き、大邱を経て、三陸へ、その次は提川を経て春川に行って帰ってきました。

 今回巡回をしながら感じたことは、今、私たちは戦うべき時にあるということです。地方にいる青年男女たちが大変な決意をしているのを見て、今回の戦いは勝利の成果をもたらすだろうと見ています。

 ところで今回、胸痛く感じたことは、食口たちが、先生が行くという場所に数十里の道のりを歩いてくるということでした。世の中の人々はお金もあり、車に乗ってくることもできるのですが、ここに来るのが嫌なので来ないのです。ところが、統一教会の青年たちは数十里の道を歩いてくるのです。

 光州に行ってみると、木浦から、あるいは務安から二、三日、「昼も夜もずっと歩いて来ました」と言うのです。このようなことを見た時、私たちの教会が目標とし、立てようとしているみ旨は成されると感じます。

 二十歳前後のまだ若い人が、我知らずみ旨のために命を捧げる覚悟をなしている姿を見る時、どんなに殊勝に見えたか知れません。そのような食口が本当にたくさんいるのです。

 今回、ずっと巡回をしてみると声もたくさん枯れました。行く先々で約三、四時間以上み言を語り、初めて会った食口たちと夜が明けるのも忘れて話をしたのです。

 ある時はこんなことがありました。夜九時に三陸に到着することになっていたのですが、途中で車が故障してしまい、その日の夜が過ぎ、翌日の明け方四時四十分に到着したのです。ですから、三陸の食口たちがどんなに待ったことでしょうか。とても疲れていたのです。夜明けに集会をもったのですが、東海(日本海)に位置しているため警備が厳しく、長い時間話すこともできませんでした。一時間ほど話してから原州へ行き、春川に行ったあと、きょうの朝、皆さんに会うようになったのです。

 そのようなことがある時、先生は何を思い、どのような祈祷をしたと思いますか。今年は青年食口たちが先生の命令を受けて伝道に出て、神様のみ旨を共同の使命と感じ、それを成していくために苦労とでいます。そのようなことを心配しながら、「皆さんの困難を身代わりするため祈祷しますので、分かってください」という祈祷をしたのです。


夏季四十日伝道(一九六一・七・二〇〜八・三一、千四百五十の面に千六百名動員)


 教会の本格的三年国内伝道の期間中、第二次年度を迎える一九六一年夏の四十日伝道は、七月二十日より八月末までを期限とし、全国千四百五十地域を計画、一斉に出動した。中間報告による統計では、事情により赴くことができなかった場所もあり、千二百地域となっており、教会設立が可能な中間予想教会数は五百箇所に達している。

 ソウルの食口を一番苦労できる地域に送ろうと思います。伝道や啓蒙を良くやったことを誇りたいのではなく、涙を流し、飢えて震えて、石の角をつかんで祈祷したことを誇りたいのです。

 今回、伝道に出かけていき、物質に対する苦衷と人に対する苦衷と心情に対する苦衷を体験しなさい。悪い人にまでも同情心を起こさせ、後援してもらって帰ってこなければなりません。今回の夏はお金をたくさんもっていってはいけません。

 統一信徒は血と汗と涙を壁に塗らなければなりません。それが家を建てるのです。自分の名前の字が刻まれた場所を訪ねていきなさい。そうでなければ自分から三代以上の父祖の名前のある場所を訪ねていきなさい。津々浦々へと、祝福を受ける場所を探し求めていかなければなりません。先生は、皆さんが建てるわらぶき三間の家(小さな家)で祝福したいのです。教会を建てるのに後援を受けてはなりません。

 今回十八歳以上六十歳以下の年齢に該当する人は伝道に参加しなければいけません。今回の伝道は、まだ若い人も出ていくのです。幼い皆さんは、昔、幼い人をたぶらかした怨讐を撃破するぞという信念をもって出ていかなければなりません。

 皆さんは今回の四十日期間は麦飯を食べなければなりません。皆さんは祭物にならなければなりません。祭物には自我意識と所有観念があってはなりません。一九六〇年一月一日の朝、先生は皆さんに「三年間服役する立場に立て」と言いました。

 今回の夏季伝道期間中に動員される巡回師の数は、地区長、地域長、一般巡回師、特別巡回師を合わせ、全部で百二名です。この百二名が四十日間巡回するとしたら四千八十回になります。

 「心では父母の心情をもち、体では僕の立場に立ち、血と汗と涙で祭物になり、祭司長の位置に立って贖罪の責任を負い、息子、娘の位置に立って父の代身者となり、サタンを審判しよう」。

これが私たちの標語であり、実践要綱です。

 この一九六一年は三年期間の中でも総進軍をしなければならない年です。各面(注:郡の下の行政単位)の単位まで私たちの歩哨所がなければなりません。そうして人間をつかんで苦しめるサタンを監視し、一時に追い出さなければなりません。来年は里(注:地方行政区域の最小単位、面の下)の単位まで計画しています。このようなみ旨のため、皆さんは幼い体であっても、祭物になると言えなければなりません。先生は裸足で三千里山河(韓半島全土)を回りたい心情です。それも着た切り雀の格好で回りたいのです。復興団はそのような心情を見せてあげるためのものです。子女を探し求める父母の姿です。


冬季四十日伝道(一九六一・一二・二〇〜一九六二・一・二八、二千六百余名派遣)


 一九六〇年の冬、全国七百七十箇所に九百九十三名が派遣され、啓蒙運動を行い、有終の美を飾った。また、一九六一年十二月二十日より二千六百余名が動員され、啓蒙と伝道が行われた。
 各隊員たちには、出発するとき、各所在の地区長発行の隊員証(身元証明書)が与えられ、その他、ポスターが一箇所につき四枚、挨拶状が二、三枚、「啓蒙教本」が一人一冊ずつ与えられた。

 公的な仕事に責任を負ってでることが、どれほど貴いことか! 今回の動員は全体動員です。特別の事情がある家庭は、夫婦のうち一人でも出なければなりません。

 皆さんが地方に行って啓蒙をする時、たとえ「か」の字、一文字を黒板の上に書きながら講義するとしても、前に座っている数少ない人に対して講義をするのではなく、全天宙に対して講義をしなければなりません。汗を流すにも天宙復帰の心情で「復活の汗」を流さなければなりません。そうすれば、歴史的な因縁をもっている後孫であるので、善霊を感動させ、善霊の良心と因縁を結び、実を結ぶようになるのです。

 今回の期間、皆さんが受け持った地域に行ったら「面の人たちよ、みんな来い。この面出身の霊人たちよ、みんな集まれ。忠誠大会をしよう」と言える覚悟で仕事をしなければいけません。ある反対者が生じたら、皆さんは、その人が自分の子女にも与えられない大きな愛で、父母の立場からその人に対してください。被造物の生命の要素となるのが神様の愛なので、極致の愛はそのような者を屈服させることができるのです。また、父母が自分の子女のために仕事をするよりも、もっと大きな奉仕をもって、その反対者のために仕事ができる子女の立場に立ちなさい。そうすれば、その反対者を屈服させることができるようになります。

 定めておいた三年は、歴史的な蕩減期間を縮めた最小限の年数であり、個人の蕩減期間です。それゆえ今後、統一教会の食口は誰もがこの三年期間を経なければなりません。心情一体であると言ったので、皆さんはすべて先生の心情が分からなければなりません。今晩、先生は何をされるだろうか、今夜は寝ないで明かすのではないだろうかと考え、先生の代身の立場に立って形だけでもまねて感じてみなさいといって、承諾したのが三年という特赦期間なのです。三年の間、一年に四十日の啓蒙伝道を二回実施して三年間合わせても一年にならないのに、それさえもできないと言うならば話になりません。本来この期間は、断食しながら越えなければならないのです。

 皆さんにこのような因縁の時は一回しかありません。どうか今回の期間で皆さんが立つ所を探し出し、目的を探し立てるようお願いします。


七 全国教会食口組織管理


家庭三位基台編成


 私たち食口には、これから三位基台の編成が出てきます。今から三位基台編成が出てくるようになれば、これら三家庭が必ず一つの家の暮らしをしなければなりません。これまでは堕落した人間なので全部別れていったのですが、その別れていったものが今は、復帰時代を通過して、合わさっていくというのです。

 それゆえ、皆さんが「私を中心として私の家庭だけ良ければいい」という時代は過ぎ去りました。そのような時はすべて過ぎ去りました。今は、皆さんが一つの家庭を中心として、三家庭が一つの暮らしをしなければならないのです。三位基台を中心として一つの暮らしをしなくてはなりません。そして、その三つが合わさって、少なくとも最小限十二家庭が一つにならなければならないのです。三×四=十二、十二家庭が一つの家となって同じ生活ができる基準を経ていかなければならない時です。

 そうすれば、生活方式と制度はみな同じです。三家庭があれば、もちろん各々自分の家で誠意を尽くし、毎日、朝食・昼食・夕食、自分の食べるものまでも全部準備しておかなければなりません。食事を作っても年上の方のものを一番最初によそるのであり、その家に別の家族の人が訪ねていけば、自分の生活基準に従って、いつでも真心のこもった態度で接しなければならないのです。誰が行っても、例えば、お父さんが行って「御飯をくれ」と言えば、どんな時でも即席で準備してあげることができるくらいにならなければならないのです。

 それゆえ、今後そのような準備をしたという時には、公的な概念をはっきりさせなければならないことでしょう。天の父の代わりに大きなみ旨に責任を負っていく食口たちがいるからには、ある村があればその村において、統一食口がいるということを道端に必ず表示しておかなければなりません。これからはそれを知らなければなりません。

 全国に散らばっている我々の信徒を中心として、これからそれを実践しようというのです。各地域のあちこちに大きな道があれば、その大通りに必ず看板を掲げなさい。看板を掲げるときは、必ず案内図を描かなければなりません。自分の教会がどこに位置し、どちらの方向だという案内図を詳しく描くのです。それから、教会周辺の通りの内容をすべて明示しておかなければなりません。

 そうすれば、今後、食口たちが公的なみ旨のために行き来している途中で、あるいは、み旨の道を歩んでいる途中で、昼食時となり、その家を訪ねてくれば、いつでも昼食を接待できるのです。父に捧げるためのものを、公的なみ旨のために苦労する子女たちへと、父の代わりに捧げるのです。すなわち、父の代わりに来て食べてくれる食口を恋しがりながら生活していかなければならないのです。三家庭ならば三家庭、自分一家庭ならば一家庭において準備したものを食口たちにもてなし、父をもてなすための準備をすることが原則だということです。ですから自分たちが先に食べるのをいつも恥ずかしく感じなければなりません。


教会を守る


 今後は霊力が増えて、霊が明るくなります。そこに汚点があってはなりません。公的な立場を離れて生活してはなりません。教会を守るにおいては、祝福を受けた者同士が三位基台を編成して守らなければならず、そこで寝てはなりません。サタンが主管する夜まで私たちが主管するために、徹夜して守らなければなりません。教会を空けてはなりません。四方を見ても、安心できるまでそうしなければなりません。

 ですから暗号訓練をしなければなりません。全国にいる食口たちは三日から七日以内にお互いに連絡できなければなりません。暗号はサタンが知ってはなりません。それでサタンを審判しなければなりません。食口が七十名、百二十名になる所では夜があってはいけません。居眠りしてもいけません。三年が過ぎたのちには、絶対に夜を徹してしなければなりません。

 今後、集会は夜にするでしょう。暗やみの世界をかき分けていかなければならないためです。そのようにするためには切実な心情をもたなければなりません。

 今後は公開的な命令ではなくて、系統的な命令をしなければなりません。ゆえに系統を失ってはいけません。組織を離れては生命が存在できないのです。上下、前後、左右の関係を失ったら存在価値がなくなります。


食口たちの質的向上運動


 これからは、少なくとも自分の地域においては、世界のどこに出しても信仰者として不足なしと誇れる人をたくさんもちなさい。それを、責任もってしなければなりません。いたずらに実情を知らずに過ごしては駄目なのです。

 先生も今後はこれをなすため、ここ本部に特別命令を下し、巡回に出すのです。「どこどこの地域長のところへ行って把握してきなさい」と、そのように地方を巡回させることでしょう。その実情を把握して報告させれば、教会の実情を知らないはずがないというのです。くまなく探り出して全部知らなければならないのです。

 皆さんがどこかの村に行ったら、里長ならばその里長を中心として親戚のおじいさんが何親等で、どうなっていて、どんな家に住んでいるか、その家の環境がどうで、どんな人がどんなふうに住んでいて、質がどうだということを全部知らなければならないのです。漏れなくそれを知らなければなりません。知らなくてどのようにするのですか。教会の責任者はそのように動かなければなりません。そのように動き、そこに責任をもった食口たちを誇れるようにしなければなりません。

 「サタン世界に誇れる息子、娘をたくさんもて、サタン世界に誇れる食口をたくさんもて」というのです。これからはそのような運動をしなければなりません。そのような運動をすることにより、今後私たちの運動においては、次第に実績をもって団結し、質的に向上するというのです。
















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第三節 一九六二年 見せてあげて誇り得る者となろう

真の御父母様の生涯路程 4



第三節 一九六二年 見せてあげて誇り得る者となろう


一 一九六二年出発と摂理的意義


年頭標語:見せてあげて誇り得る者となろう(一九六二・一・三、前本部教会)


 父の前に誇れる何かをもたなければなりません。今年は、父の前に何を見せてさしあげ、誇るのでしょうか! ただひたすらな心情のみです。統一教会に誇るものがあるとすれば、心情を通じた個人と家庭です。

 一九六二年、この年は歴史的にもう二度とない年です。今年は、皆さんはサタンの讒訴を避け、神様の心配の対象となることなく、前後、左右、上下、内外において不足することのない存在とならなければなりません。神様がこれまで摂理してこられながら誇りたかった希望の実体とならなくてはなりません。また、天と地、全被造万物の前に認定を受け、さらにはこの地とサタン世界にまで、見せて誇れる実体とならなくてはなりません。

 今年の標語は「見せてあげて誇り得る者となろう」です。逃げるサタンをどこまででも追いかけていかなければなりません。神様は個人を見せて誇りたがり、家庭を見せて誇りたがっていらっしゃるので、このために戦い、勝利しなければなりません。そうなってこそ、霊界と肉界を連結できる息子、娘になるのです。戦いに勝ってこそ誇れるのです。皆さんは天の家庭の復帰のために戦わなくてはなりません。

 見せてあげようとすれば、苦労の最高基準を立てなければなりません。苦労は一人でしないで、夫婦同士、食口同士でしなければなりません。今は個人的にでなく、家庭的に、民族的に苦労する時です。今年は、民族的に世界の前に見せてあげられる道を歩んでいかなくてはなりません。


三年路程と一九六二年


 この三年は歴史的な転換期です。皆さんには分かりませんが、内的にそうなのです。この期間に参加したことは非常に大きな栄光です。

 今年、この年はみ旨から見る時、重要な年であり、一日一日が重要な日です。イエス様が越えた一つの峠を越えなければならない時です。イエス様は先頭に立って戦われました。イエス様の思想を相続し、神様のために戦える信仰者、最後までサタンと戦える信仰者が必要です。

 この三年は短い期間ですが、重要な路程を、形象的に象徴的に歩む期間なので、いかなる困難があるとしてもしっかりと越えなければなりません。この民族が行きたがらない道を行くところにおいて先頭に立ち、世界の民主主義陣営がやりたがらないところにおいて先鋒とならなければなりません。復帰的な心情、希望的な心情をもって歩んでいる中で倒れるならば、肉身はサタンが引いていくことができても、精神は引っ張っていけません。霊的に占領されないからです。

 その次は、栄光の時代に入っていかなければなりません。絶えず戦わなければなりませんが、そのような中でも幸福を謳歌することができなければなりません。また、そのような中において内部では、環境を整理しなければなりません。

 一九六〇年に三年路程を約束して出発しましたが、既に二年が経過し、もう一年しか残っていません。私は寝ても覚めても常に、今年この一年をどのように送るべきかを考えています。み旨の前に勝利的な成果を上げるため、惜しげなく捧げる覚悟で行動しなさい。


二 七十二家庭合同祝福結婚式(一九六二・六・四、前本部教会)


 一九六二年六月四日、真の御父母様が直接典礼を主管される中、七十二双の男女聖徒たちによる合同結婚式が、ソウル青坡洞一街七一の三の前本部教会で挙行された。
 同式は、一度に二十四双ずつ、大きく三回に分けて挙行された。一回にかかる時間は三時間。その次の回までに一時間の休憩。このようにして、十一時間という非常に長い時間の末、七十二双合同結婚式は幕を下ろした。


カイン・アベルの家庭的復帰型


 三十六家庭はすべての人類の先祖を代表した先祖が再臨復活をした型です。復活した先祖たちです。その次に三十六家庭の二倍である七十二家庭が出てこなければなりません。カイン・アベルが一つにならなかったので、三十六家庭の二倍なのです。言い換えると、アダム家庭において、カインとアベルが一つになってこそ、アダム家庭が成立するのです。

 アダムとエバの息子であるカインとアベルから戦いが始まりました。そうしてこの世界をこのように滅ぼしたのです。それはどういうことかというと、その後孫たちが争う世界をつくったということです。これを蕩減復帰しなければなりません。そのためには、三十六代の息子、娘たちが神様の前で争わずに一つとなったという条件を立てなければなりません。それでカイン・アベルに分立した数、すなわち三十六を二倍にした数である七十二家庭を立てたのです。

 この七十二家庭が立てられることにより、カインとアベルが争わずに四位基台を成すことができる歴史的な先祖の基盤を築いたのです。そうして、サタンを防備できる絶対的な基準が立てられたのです。

 七十二家庭はヤコブの時までの地上に横的基盤を築く時までの家庭を中心として、カイン・アベルの二つの型として復帰した基準で立てたものです。それにより、今までの直系先祖の家庭がすべて復活した形態の家庭として地上に顕現したのです。これにより、重要な中心が決定されたのです。

 先祖家庭を中心としてカイン・アベル家庭が一つになるので、摂理歴史においてそれは、家庭を中心として必要なすべてのものが備わったことになるのです。家庭復帰を完成したことになるのです。それが七十二家庭までの祝福です。それが成就することによって、初めて地上に神様を中心として平面的にも立体的にも、一つの段階を成すようになったのです。


イスラエルの氏族編成型家庭


 この七十二家庭はイエス様の七十人門徒に該当する数です。私たちが家庭を復帰することによって、この家庭は、イエス様が十二弟子と七十人門徒を中心として氏族を編成しようとしたものを成就した型です。すなわちイエス様の十二弟子と七十人門徒を復帰した氏族型が七十二家庭です。言い換えれば、この三十六家庭と七十二家庭はイエス様のイスラエル民族を中心とした十二弟子と七十人門徒のようなもので、イスラエル民族を指導できる代表的な型を復帰した型だということなのです。これは、神様がイスラエルを中心として復帰しようとされた基本数がすべて復帰された型なのです。

 聖書を見ると、七十人とあり、七十二人ともありますが、本来はこの七十二数が正しいのです。十二部族を中心として六数、六名の族長を合わせれば七十二です。七十人だと数が合いません。ゆえに、七十二家庭が本来正しいのです。

 イエス様の当時、十二使徒を連れて回り、七十二人門徒を生死の岐路まで連れて回ったのは、イエス様の目的を成就しなければならないからでした。これは共同の運命だということです。

 神様の願いは何でしょうか。個人の救いではありません。家庭の救いを求め、氏族の救いを求めているのです。ですから、イスラエルの十二部族(支派)の部族長(支派長)だけいても駄目なのです。族長が必要だというのです。七十二門徒は族長になるのです。族長圏ができるのです。七十二族長はカインも抱き込み、アベルも抱き込まなければなりません。これが一つにならなければなりません。それゆえに三十六家庭が先祖ならば七十二家庭は先祖の垣根だというのです。第一の垣根です。

 そうすることによって、統一教会に初めて氏族圏ができたのです。ヤコブが七十二人(聖書では七十人)を中心としてエジプトの地に入っていったのと同様に、そのような移動が起こり得る一つの氏族になったというのです。三十六家庭はアダム時代なので家庭時代であり、七十二家庭は民族時代です。氏族にもなり民族にもなるというのです。

 今回の六月四日の祝宴は、皆さんがしなければなりません。先生は父母の立場にあるので、カイン的な息子、娘たちに祝宴をしてあげたのちに、アベル的な息子、娘に祝宴をしてあげられるのです。先生がお金を出してはいけません。皆さんがしなければなりません。

 また、式を終えたあと、すぐに追い立てることを私は願わないのですが、サタンを防ごうとするので仕方がありません。


三 四十日伝道と聖地選定および全国巡回


三年路程の最後の公的巡回(一九六二・七・四〜七・一一)


 今年までは内的に迫害を受けます。これを越えれば、入ってくるのが難しいでしょう。入ってこようとすればどれだけうるさいか知れません。それで七月四日、巡回に発ちます。その日が意味のある日なのです。

 三年期間の公的な巡回は、今回が最後になるかもしれません。今回だけでも共に巡回する心情をもつようにしてください。全体を代表する時は、特に気を引き締めるようにしなさい。そのような期間に精誠を込めると、皆さん自身が生きるのです。八日間行ってきますので、協会長と団結して、祈祷しながら暮らすよう願います。

 今回の巡回が三年期間の公的巡回では最後です。次からは、巡回を直接しなくても神様は問責されません。

 巡回に出発し、公的な立場に立てば、子供に対する思いさえももつことができません。先生は新しい歴史の創造のために生きているのです。


四十日動員伝道
夏季:二九六二・七・二〇〜八・三一、三千余箇所
冬季:一九六二・一二・二〇〜一九六三・一・二八、四千余箇所


 私たちは、この民族だけでなく、世界まで探し立てなければならない群れです。このような立場にある皆さんですから、いかなる所に送られたとしても、最後まで屈してはなりません。死の峠で、誰が最後まで残るかが問題です。最後まで残る者が貴い者です。

 皆さんは三つの国家ぐらいは掌握する腹をもたなければなりません。皆さんが地方に配置されれば、皆さんはその地方の哨兵のような立場に立つようになります。ゆえに、皆さんが倒れたら全体が倒れるようになるということを知らなければなりません。皆さんは任地に出ていき、揺るがすことができる人にならなければなりません。最低の場で揺さぶり、最高の位置にまで伝達されるようにしなければなりません。このような信念をもって少なくとも三年以上、十年は戦うことができなければなりません。

 信仰の息子、娘を立てる前は、自分の子女を愛せないのです。自分が伝道から抜ければ、先祖がないのと同じで、その後孫が礼儀を身につけることができないのです。赤ん坊のいるお母さんたちも伝道しなければなりません。天国に行く人は自分の赤ん坊よりも神様をもっと愛する人です。神様もアダムとエバより自分の理念を重視されました。白分の赤ん坊を見ながら神様の心情を体恤しなければなりません。

 婦人は赤ん坊をおぶって苦労することによって、夫をして忠誠を尽くさせなければなりません。赤ん坊を任せてでも三位基台を中心として伝道しなければなりません。先生が語られたことを実践できる方案を立てなければなりせん。もし伝道の地に出ていくことができなければ、気をもむ祈祷でもしなければなりません。


全国地域本部設立計画


 一九六二年度に全国に地域本部を立てるため、全国の地区長を集め、その方法を教え、その通りにしなさいと命令をしました。ところがその時、地区長たちは「できない」と言ったのです。もしその時、先生の命令どおりにさえしていれば、どんなに困難であってもすべてできていたはずです。時を逃せばこのように難しいのです。それで結局は先生が責任を負ったのです。食口たちが責任を全うし、天の前に功労を立てることができなかったので、先生が責任を負ってきたのです。

 先生が地域本部をつくりなさいと命令した時、全国的に、少なくとも百五十地域に完全につくっておかなければなりませんでした。先生が「家を売りなさい」と言った時、皆さんがそのようにさえしていれば、今日、教会の発展に至大なる貢献をなしたはずです。ところが一時を逃すことによって、今までの教会の発展に莫大なる被害をもたらしたのです。ですから、皆さんは二度と時を逃してはなりません。


全国聖地選定と聖別(一九六二・九・一〇〜一〇・八〔陰暦九・一〇〕)


 隊員たち同士で三位基台を成し、お互いが接触できる機会を頻繁にもつようにしなさい。隊員たちが互いに出会う場所は、聖別をして、万物復帰の基準を立てるようにしなさい。そうして、その付近を通る食口たちが往来時に立ち寄り、祈祷していけるようにしなければなりません。このようにして、聖別地域に対する関心をもたせ、聖地を遍歴する習慣を養うようにしなさい。

 万物の価値に対する刺激によって、自分の価値を感じるようになります。イスラエル民族が倒れたのは祝福を受けたことに対する愛着を失ってしまったためです。

 隊員がいない所も聖別し、聖別した所を死守するための目的で伝道しなければなりません。四方八尺以上の地を午前〇時三十分に聖別するのです。陰暦九月十日以内に、各地方の聖地を決定して聖別しなさい。アブラハムが、自分の死体を聖別した地に埋めてくれることを願ったように、過去には聖塩を外部にまくことができなかったのです。


全国地区本部巡回(一九六二・一二・一一〜一二・一九)


 先生が今話すのは、思いの限りを込めて話しているのです。本当です。責任があるのです。数多くの人が「来なさい」と言われて来たのですから、帰る時には、来る時よりも良くなくてはならないのです、来たときよりも少しでも良くなっていなくては駄目なのです。責任を負わなくてはならないのです。「来なさい」と言ったならば、「百里の道を歩いて来なさい」と言ったならば、百里の道を歩いて来たことに対して責任を負わなくてはならないのです。四方から数多くの人がここに寄り集まったならば、この数百名の人々の努力と、彼らの心の中にある千態万状の曲折がたくさんあるはずです。心の線上に成された内容があるはずです。そのすべての内容の上に一点でも良い点を添付してあげて帰してこそ、先生として責任を全うするのです。

 また皆さんもそうです。そのような先生に対して、皆さんもやはりそのような立場に立ち、自分自身の内容において善を成すことができる基礎をもち、それが相対的に喜び得る一つの因縁としてうれしいという決定を下して帰っていってこそ、皆さんがどこへ行こうが、その良い気分を奪われないというのです。一度根を張った良い気分を奪われなければ、皆さんはこの険しい、統一教会の行く道を行くことができるのです。

 今日、統一教会の信徒たちはかわいそうな群れです。韓国は世界においてかわいそうな国です。かわいそうなこの国の中でかわいそうな群れは誰でしょうか。私たちが血と汗を流したことを誰が分かってくれるのかというのです。私たちは教派を拡張するために、御飯を食べられずに飢えながら伝道するのでしょうか。そうではありません。先生にはそのような欲望はありません。

 ある人は、「あ! 統一教会のあのなにがしは、地方に至るまで信徒を派遣して、将来の大きい何か、政治的な野望を抱いて思いを巡らしている」と、あらゆることを疑うのです。彼らはよく分からないのです。そんなふうであるならば、私はこの韓国の地にはいないのです。

 けれども神様は宝物を、一番探すのが難しい谷間や薄暗い所に埋めておいたのです。世界の終末時代に、神様が万民の前に、愛する息子、娘の前に相続させるために宝物を埋めておいた場所は、誰も知らない深い谷間です。泰山峻嶺(大きな山と険しい峰)を越えて、人けのない所を訪ねていくのと同じ道理です。今日、私たち統一教会の信徒たちもそのようなものです。

 それゆえに、この国、この民族が理解してくれない道で、私たちは痛哭し、涙を流し、汗を流しました。また、私たちは血を売って伝道をしたのです。そのような話を聞いて先生は、人知れず痛哭しながら、「父よ! 私が罪人ならば大罪人です。私を知ったがゆえに彼らは血を売り、私は彼らの血をもてあそび、彼らの肉をもてあそんだので、天罰を受けねばなりません!」と祈祷しました。しかしこれは、私のためのものではありません。


四 天の子女代表の授賞と「私の誓い」公布

(一九六二・一〇・二八〔陰暦一〇・一〕、第三回子女の日、前本部教会)


 一九六二年度「子女の日」の行事は、十月二十八日(陰暦十月一日)より三日間にわたって本部教会で行われた。式は二回に分けられ、第一次は午前六時に二階で、第二次は引き続き一階講堂で昼の礼拝時間を兼ねて行われた。
 この三日間にわたる大行事の中、二十九日の晩には、全国百四十四地域を抽選に基づいて三個地域単位に基台を形成し、手紙による連絡および、可能な限りの協助による有機的紐帯をもつこととした。その次に、代表的に苦労をしながら顕著な伝道実績をあげた「天の子女代表者」を、全国から四名(李月星、崔允和、張徳姫、趙貞姫)選抜、栄誉の褒賞をした。また、大人事異動が行われ、「私の誓い」が制定、公布された。


天の子女代表の授賞(李月星、崔允和、張徳姫、趙貞姫)


 統一教会で一番多く苦労した人に、先生自らが賞を与えるのは、この前の「子女の日」に、天に祈祷して賞を与えたのが初めてです。先生がサインをして賞を与えるのは生涯で初めてです。祝福はしてあげたでしょう。すべての条件を天と地に掲げておいて賞を与えるのは、この間の「子女の日」が初めてです。三年目を越える「子女の日」にしなければ駄目なのです。

 それで、彼らを立てておき、彼らが歩み出てくることにより、人間としての誓いの文を宣布することになったのです。歴史的な意義があるのです。皆さんは彼らを見習わなくてはいけません。そうかといって、天が彼らを見る時に、完全に誇ることができる基準かというと、そうではないというのです。そこにおいては、心情的な立場においては、先生が彼らのために精誠を尽くした、その精誠があるのです。それが問題になるのです。皆さんが苦労したのが問題ではないというのです。先生がみ旨に対して、このような期間に対して精誠を尽くしたのです。一日一日を、一時間も忘れることなく思うその精誠とともに、そこにそのような基準を立てたので、今後世界的な運勢が近づいてくるのです。

 では、どうして女性は、三人を選び立てなければならないのでしょうか。女性は復帰歴史過程において、新婦復帰をするためです。アダムから今日まで、女性たちがすべて失敗したでしょう。三時代を経てきたのです。そのような人々を立たせておいて、彼女たちを中心として、すべてをなすことによって、すべてのものが全部解決されるであろうと、そのようにしてきたのです。

 「子女の日」に賞を与えたのは神様が与えたのです。それゆえ、私たちは誓いをなすことができるのです。息子、娘に賞を与えることによって、世の中の人々が入ってくることができる契機をつくったのです。皆さんは、この期間に同参したということだけで、世界の他の民族に先立つことができるのです。


「私の誓い」(全五節)制定公布


 誓いという意味は、第一に、神様の前に約束するという意味であり、第二に、未来に対して約束するということです。その誓いの文の第一の誓いが何かというと、神様が宇宙を創造したのに、その創造した世界を、宇宙を失ってしまったことを言い、二番目は、息子、娘を失ったことを言い、三番目は、神様の権限を言い、四番目は、理想を言い、五番目に入って条目的な内容が出てくるのです。言い換えれば、三番目は何かというと、神様が蕩減復帰路程のために苦労されていらっしゃる内容です。四番目は何かというと、私たち個人が平和の世界を建設するため、家庭、氏族、民族、国家をもって復帰していかなければならないという内容です。五番目になると何でしょうか。総論です。

 これまで神様の前に誓いをなした人がいないのです。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いをなそうとすれば、心情が通じなくてはなりません。この誓いとは何かというと、真の息子、娘になるという意味の誓いです。それでは、みんな立ちなさい。立って一度唱えてみましょう。皆さん各自が誓うのです。


〈私の誓い〉


 一、天宙の中心存在として、父の御旨(創造目的)と任せられた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。

 二、父は六千年間供物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続圏を与えたまわんとなさる聖なる御旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。

 三、怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代りに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。

 四、父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。

 五、我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を賭けて闘うことを私は宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。


五 全国伝道師修練会と成和学生総会


第十回伝道師修練会(一九六二・三・五〜四・一三、前本部教会、百六名)


 第十四伝道師修練回が一九六二年三月五日より四月十三日までの四十日間にわたり、前本部教会で修練生百八名が参加する中で開催され、百六名が修了した。

 皆さんがここに来る前は、生活環境と生活方法が各自異なりました。しかし、いったんこの修練会に参加したからには、これからは過去のすべての習慣と観念を捨て、新しい生活をしなければなりません。最初の六日ないし一週間は、皆さん自身の試験期間になるでしょう。ここでは目をぎゅっと閉じて、「私は無い」という立場を取らなければなりません。

 過去においては、「私の家庭」、「私の村」と言ったのですが、修練を受けたのちは、この世界を抱き、さらにはこの天宙の願いをつかんで進まなければなりません。終わりの日に神様はこのような人々を召集なさいます。今日でもこのような人を必要としています。このような人をつくるのが統一教会の使命です。

 私たちの任務は、この三千里領土(韓半島)に散らばっている青年男女を呼び集め、修練をさせ、歴史的な恨の曲折を総清算する忠臣、孝子、烈女をつくることです。統一信徒は悲しみと苦痛の場に追い込まれもするのです。そこで力を尽くして倒れるならば、滅びるでしょうか。その道が正道であるならば滅びません。先生にはそのような道に追い込むことができる腹があります。

 道を行くところにおいては、協助を受けないでください。それぞれが散らばり、責任をもった場所に行く時は、「ここは私でないと駄目だ」という覚悟をもって行かなければなりません。父の仕事のため、三千里の津々浦々に力強く出ていかなければなりません。そうしてこそ祝福を受けることができるのです。


第十一回伝道師特別修練会(一九六二・四・一九〜五・八 二十日間、前本部教会、百八十五名)


 七十二家庭の祝福行事に先立ち、約婚期間でもあった第十一回修練会は、通常の伝道師修練会と兼行する形式で、現職伝道師と地域長が、所属地区長の指示に従い、二週間ずつの短期修練を受けるようになっており、全国各地に派遣され何年も苦労してきた未婚男女、中堅信徒たちが参加し、二十日間行われた。四月二十八日からは、本格的な約婚が始まり、その事務が終わり次第に任地などへ出発するという特殊な性格の閉会がなされた。

 神様の偉業を相続するために真の父母がいるのであり、皆さんは、真の父母の偉業を相続するためにある存在です。私たちは、真の父母の心情と摂理歴史の悲しい内容を知らなければなりません。真の父母と一体となってこそ、祝福の場に進み出ることができるのです。そのためには、真の父母の悲しみと苦痛と喜び、イエス様の悲しみと苦痛と喜びを、私のものとしなければなりません。完全に一つとなって生活し、代身者の立場に立たなければ何の必要もないのです。

 真の父母の代身として立つべき私にならなければならないのが修練の目的であり、この二十一日の期間を過ごす目的です。このような修練とこのような信念をもたない限り、祝福はできないというのです。

 それゆえに、不足な「私」ですが、この期間は、天と、自分自身が再び取り戻され得る、第二の父母の立場に立てられ得る条件的な恩賜を許す期間ですから、この許された期間において皆さんは、これを完全に受けるに不足のない自分とならなければなりません。そうなるよう決意し、皆さん自身がお互いに協力し、お互いに不足なところを補い合いながら、この二十一日期間を過ごしてくださるようお願いします。ですから、もう皆さんは、「私」ではないのです。それゆえに男性は、お父様の代身の立場に立たなければならず、女性はお母様の代身の立場に立たなければなりません。


第十二回伝道師修練会(一九六二・六・七〜七・一六、前本部教会、百二十二名)


 七十二家庭祝福式が終わった三日後の六月七日、夏季伝道を目の前にし、全国伝道師修練会が開催され、四十日目の七月十六日に閉会した。修了者は、男性八十四名、女性三十八名で、合計百二十二名。

 皆さんは、これから四十日間の団体生活をするようになりますので、きょう皆さんは、公的な「私」としての第一歩を踏み出す厳粛な瞬間に置かれています。公的な目的の前に吸収されなければならず、また、その目的を成就するため、各自が材料とならなくてはなりません。

 皆さんの手も、皆さんのものではありません。手で御飯を食べる時も、三千万(韓国全体の人々)のために食べ、世界人類の手を代表して食べると思わなければなりません。たとえ麦だけの御飯に味噌鍋(注:貧しい食事の意味)であっても、公的な立場で食べなければなりません。四肢五体をすべてそのように動かさなければなりません。ですから不平不満はあり得ません。

 本然の人格体とは、万物が敬拝し、神様が懐に抱いてキスしてあげられる幼子のような姿です。ゆえに、皆さんは本然の人格体を標準として修練を受けなければなりません。皆さんは、実情はどうしようもない存在です。ですから最低の立場から訓練しなければなりません。天下を抱くことができる人になるためには、ひいては、サタンまでも屈服させるためには、地獄のどん底の洗礼を受けてもこれを克服しなければなりません。修練は、このような本性の自我を復帰するためのものです。

 今や希望の時を取り戻したので、それを人に伝えたくて涙を流し、生きた祭物となったので、万物に愛を与えたくて涙を流す、涙の所有者にならなければなりません。涙を流すのですが、歴史上に現れた先祖たちのように悲惨な涙を流してはいけません。占有するための涙を流してもいけません。与えるための涙を流さなければならないのです。

 皆さんの心の中には真の父母、真の夫婦、真の実体があります。ですから皆さんは、自分の実体、自分の血統、自分の心情を誇らなければなりません。そして、与えるための生活をしなければなりません。先生もこれまでは、すべてのことを探し立てるための祈祷をしてきましたが、これからは違います。与えるための祈祷と与えるための生活をすることでしょう。


第十三回伝道師修練会(一九六二・九・一〇〜一〇・一九、前本部教会、六十五名)


 夏季四十日伝道が終わった十日後の十日から行われた第十三回修練会は、夏季期間に伝道された新しい食口たちの中より選抜された人を対象とし、四十日の間進行した。輩出した修練生は六十五名。

 この修練会で皆さんは、修練生活を通じて、皆さんがどれほど価値的な存在かということを示しました。今や、神様が与えてくださったことをどれだけ吸収するかということは、皆さんの努力いかんにかかっています。ですから皆さんは、神様の前に何かを残して報いなくてはなりません。

 天地を見せてあげる「私」、神様の代わりに誇る「私」、そのような価値ある「私」とならなくてはなりません。天が見せてあげたいし、地が誇りたいものとは何でしょうか。天地の心情的な因縁でつくられた「私」です。天も地も、「よし、私の息子、娘よ!」といえる息子、娘を求めているのです。

 ののしられながらも、その部落のため、その地域とその民族のために善を紹介することさえできればいいのです。「私」を導いてくださる真の父母を発見し、侍ることが目的ですので、永遠なる愛の心情をもって根気強く訪ねてくださった伝統の父母に侍るため、忠誠を尽くすために生きるならば、その人はすぐに父母の血と肉を身代わりにした存在となるのです。父母の心情と生活観を学ばなければならないのです。皆さんの個体は真の父母を見せてあげるための存在です。

 そのためには左右、すなわち兄弟を探し出さなければなりません。二人が一つにならなくては父母に侍ることができず、父母が一つにならなくては天地が一つになれません。


第一回全国成和学生総会(一九六二・一〇・七〜一〇・九、前本部教会、二百名)


 十月七日より三日間にわたり、ソウル前本部教会で歴史的第一回全国成和学生総会が開催された。全国から約二百名が集まった本大会では、総会開会式のほか、学生原理講義大会と各種授賞式、そして記念野外礼拝も行われ、大盛況をなした。全国学生会初代会長は朱東文。

 全国の青少年たちと、このように会ったのは初めてです。先生の生涯で初めてです。皆さんとこのように出会って本当に気分が良いです。

 皆さんは、世界は私のものであると思って生活し、実践しなければなりません。ですから皆さんを、希望の実体、希望の灯台だというのです。皆さんは天地を相続する神聖な王子たちです。それなのに御飯一握りに気を奪われてまわるのですか。それではいけません。人間の本性を回復し、自分自身の本然の価値を知って、天地の法度によってすべての因縁を結び、現実と未来を連結させなければなりません。

 神様は両手を挙げて叫んでいらっしゃいます。人類の代わりに、神様の代わりに闘う勇士がいないのかと。イエス様の立場で死なずにみ旨を成すべき運命が私たちの前に残されています。死んでいった先祖たちと、私たち自身と、後孫のために、必ず成さなければなりません。個人の恨みを晴らすのも難しいのに、歴史の怨讐、人類の恨みを晴らすのが簡単でしょうか。

 一介の部落のために生きることは、三十億人類を代表して生きるということです。神様と共に一時間でも生活できる時を考え、その時のために仕事をしなければならないのが、父のみ旨の前に立てられた私たちの使命です。十字架まで行くのです。先生はまだへこたれていません。そればかりでなく、いかなる難しい道ももっと歩むことができます。個人的に怨讐がたくさんありますが、全く憎んでいません。まずは世界の恨みを晴らさなければならないからです。


第十四回伝道師修練会(一九六二・一一・一〜一二・一〇、前本部教会、百十五名)


 一九六二年、冬季啓蒙への出動に備える意味も兼ねた第十四回全国伝道師修練会は、十二月十日、終了式を挙行した。修了者総数は百十五名。

 今回が十四回ですから、この時が、原理的な数字において最も貴い時です。私がしっかりと訓練すべき重要な時です。ヤコブの二十一年路程とは何かというと、人間復帰をして万物復帰時代へと越えていく時代です。それゆえ本当に重要です。それで、私たち統一教会で生活するところにおいて、先生がこの道に乗り出し、その数字をすべて合わせてきたのです。その時代、その数の中で、重要な年代が連結されてくるのです。

 それゆえに十四数は、最も良い数であると同時に、最も熾烈な数です。闘争しなければならない数です。最も鍛錬しなければならないのです。それゆえに十四回だけはしっかりと訓練しますから覚悟しなさい。

 今回の十四回は、第十四回だけの伝統を立てなければなりません。ヤコブにとって、十四年という期間は重要なものです。定着して越えていく時であるのに、この時に、つまらない話を残したら駄目なのです。それゆえに今回の修練会だけは強力にやらなければなりません。今、三位基台を結びましょう。

 皆さんが行くべき舞台は怨讐の世界です。荒れた荒野のような所であり、おおかみとライオンがねらっている所です。皆さんはそのような所に行かなければなりません。皆さんは、そのような環境を制圧して立つことができる自分とならなくてはなりません。行くその瞬間から「心よ! 私の行く道において友となってくれ」と言い、決して横道にそれてはなりません。

 神様の心は、今なお、憂いの中から離れられないでいらっしゃいます。同様に、み旨を抱いた人もみ旨が成される時までは、憂いを振り払ってしまうことができないのです。

 皆さんは、もうあすから韓国各地に出発しなければなりません。神様と、皆さんと、ここにいる師がなすべきことは、この憂い事を解決することです。良心の憂いと体の憂いが延長され、家庭と社会と国家と世界に広がっていったので、結局、全天宙が憂いの中にあるのです。

 国を憂う人は愛国者であり、神様を心配する人は神様の息子、娘です。国のために仕事をする人は、国の将来のために心配する子女を生むのです。世界的に見た時も、このような民族と人々をもった国は滅びませんでした。そのような人々だけが古い歴史を正すことができるのです。

 「私を送ってください」という時、「よし! お前が行って、お前の部落と面と郡と道を救って、さらに進んで国を救え」とおっしゃることができるようにしなければなりません。このために決意して行かなければなりません。


六 七ヵ月間の峠と孝進様誕生

    

七ヵ月間の峠の期間(一九六二・陰暦一〇〜一九六三・四)


 ケネディー大統領が死ぬ前の一九六二年十月二十八日、その時、カリブ海岸問題が起こり、ソ連の輸送船を阻止するかどうか、この問題を中心として大騒ぎしました。先生のその時の祈祷は、「殴れ、殴れ、ぶん殴れ、打たなければ歴史がひっくりかえる」という談判祈祷をしたのです。その時になさなければ、この情勢がもっと複雑になるのです。「中共とフルシチョフ、分裂しろ!」と、このような問題を既に一九六〇年度から先生は祈祷してきたのです。分裂するかしないか見てみよ。戦わないか否か見ていなさい。人が知らないところで、このような業をしているというのです。

 荒野時代が終わったなら、カナン復帰のために全力を尽くして戦わなければならないのです。私たちは今、世界的なカナン復帰のための四十年荒野期間の中を生きています。この世界は神様の世界であり、全人類の世界であり、私の世界であると言える日を眺めつつ生きているのです。

 皆さんは血を売って仕事をしていますが、実際は血だけでなく体の一部さえ売るくらいの思いで、天の忠臣にならなければなりません。今は世界のために立ち上がるべき時です。今年の陰暦十月から来年四月までの七ヵ月間が峠です。

 夫婦を成した人は、これから七ヵ月間が特別な期間です。イエス様からの相続はゴルゴタで受けるのです。それも相続を受けるべき人を立たせておいて相続するのです。この相続を受ける者は歴史的な相続者です。この七ヵ月間でイエス様から相続を受けなくてはなりません。そのためには三人以上伝道しなければなりません。この期間はもう二度とない期間です。寝ても覚めても伝道に専念しなければなりません。


孝進様誕生(一九六二・一二・二九〔陰暦一二・三、一七:四九〕)


 先生は、今回三年になる「子女の日」の前にうちの子供が生まれるのではないかと、とても心配したのです。子女の日が過ぎてから生まれたので良かったのです。なぜ心配したのでしょうか。天の全体的な運をもってくる使命的な何かがあるとすれば、そのような基盤を外的に築いておかなければならないからです。

 これまではみな先生が祝福をしてあげましたが、息子を先に生んではいけないのです。娘を先に生まなければならないのです。そう、元弼はいま娘が三人ですが、それはみな天がプログラムを合わせるためにそうしたと見るのです。このような祝福をみなしてあげて、のちに先生から定着してこそ、四位基台の原則的な基準となるのです。皆さんが先に定着してはいけないというのです。そのような見地から「息子を生んだら駄目なのだが」と思ったら、娘を生んだでしょう。みなそうでなければならないというのです。原則的な基準が定着してこそ、すべてのことが解かれていくのです。

 それゆえ、私たちの教会はこれからです。この世の人たちに聞いてみても分かるはずですが、統一教会は大運が開いたと言うことでしょう。また、霊界に通じる人たちは、今はもう、すべて時が終わったと言うことでしょう。そして、善の世界が来ざるを得ないと言うことでしょう。

 陰暦の四月が過ぎる前に、食口同士でわだかまっていたものはすべて解かなければなりません。怨讐に福を祈ってあげるべき理由がここにあります。この期間は、今年出ていった人たちが再び戻ってくることができる期間です。そうすることで、サタン世界に対して、「門を開け」と言える条件を立てられるのです。そのような時があるので私は怨讐を憎めなかったのです。


孝進様奉献式(一九六三・一・一、前本部教会)


 皆さんは、お父様とは一つになりましたが・、お母様と一つになったというそのような因縁をどのように結ぶのでしょうか。それには到底道がないのです。アベルを通じて接ぎ木をする業を腹中時代からしなければならないのです。それが何かというと、譽進の腹中時代から、孝進の腹中時代の三年期間であるというのです。

 皆さん、赤ん坊が生まれるとき、母親がわかめスープと御飯を食べれば、子供は母親が食べたそのわかめスープと御飯を食べて育つのです。それと同様に、譽進が生まれた時に皆さんがわかめスープと御飯を食べたことを覚えているでしょう。そして、孝進が生まれた時も、わかめスープと御飯を食べたことを覚えているでしょう。それが蕩減復帰歴史なのです。この式を、皆さんは知らずにいますが、今後、これを本格的に世界化させ、このような伝統をはっきり教えてあげなければなりません。再びお母様のおなかの中を通じて生まれなければならないのです。

 このように、お母様の腹中というものは、堕落したものを蕩減するためのものですが、今までは、完成した母がいなかったのです。しかしながら、血統的な面など全幅的な面で蕩減した、完成した基準において、お母様が初めて譽進と孝進を産む、そのような立場で、三年間、皆さんが一つとなった条件を立て、再び生まれたという立場に立てられたというのです。それがその業であるのです。

 そのように復帰歴史は、六千年かかってきた大変な歴史であったというのです。その業をなすまで、神様は、その一日を中心として、これまで歴史的試練を経てこられたのです。ゆえに、皆さんの生命が誰と共に復活したかというと、先生と共に復活したのではありません。お母様と共に復活したのです。誰ゆえに? 御子女様ゆえにそうなのです。

 それゆえ皆さんは、間違いなく子女の立場にいるというのです。そうして父母の時代と子女の時代へと、けた違いに違う世界が開かれてくるのです。

 真の父母という言葉が成立するためには、子と一つになることができる起源があって、一つにならなければならないのです。人間が堕落したゆえ、外的子供と内的子供、カインとアベルがいるのです。したがって、一九六一年と一九六三年の間に譽進と孝道の二人の息子、娘が生まれたということは、復帰摂理において至大なる貢献をなす事件であるという事実を皆さんは知らなければなりません。

 イエス様は、三年の公生涯が終わって亡くなられましたが、統一教会は、地上天国の基盤を築かなければなりません。先生の子女の奉献式の時、三大祭物の条件として三種類の贈り物を分配し、わかめスープと御飯と牛乳を食べさせました。三年期間はイエス様が成し得なかった四位基台を成す期間です。

 それゆえ、先生が皆さんに三年間の標語を、第一に「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」、二番目は「父の代身者となろう」、三番目は「見せてあげて誇り得る者となろう」に決めてあげたのです。ここで見せて誇りなさいというのは、四位基台の復帰をいうのです。

 こうしてきょう皆さんは、この三段階を中心として腹中にいる赤ちゃんと共に食べ、共に生きたのと同じ条件を立てるのです。お母様も三年間は、皆さんが麦飯を食べる時、共に麦飯を食べ、皆さんが出ていって活動する時、同じ条件の活動をしたのです。譽進と孝進はお母様が麦飯を食べて産んだのです。言い換えれば、お母様も皆さんと全く同じ心情で生活したのです。

 今皆さんは、腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に子女様を愛する立場に立たなくてはなりません。そうして、彼らと一致することにより、胎内の双子のような序列に同参したという心情的条件を立て、彼らを中心として侍る立場に立たなければなりません。


孝進様誕生三・七日(一九六三・一・一八、前本部教会)


 きょうは孝進が誕生して三×七=二十一、二十一日目になる日です。この日は先生よりも皆さんがもっと喜ばなくてはなりません。本来は、むやみにこの場に参加することはできません。これまで私は、腰の折れた虎のようでした。不安の中で生きていたのです。天があるためです。しかしこれからは、私たちが攻勢をかける時に入っていくのです。

 韓国の風俗では、三・七日(出産後二十一日目の祝い)を大概みな守るでしょう。それを見ると、本当に我が民族はユダヤの民と大変よく似ているのです。旧約聖書を読んでみると、祭祀を執り行う方法だとか、礼式のようなもの、あるいは祭器のようなものなど、その内容と風習において多く通じているのです。

 そしてまた、子供を生んでから普通三日目に胎盤とへその緒を埋めるとあります。ところが、私たちにも昔からそのような風習があったでしょう。また、死後の三日葬だとか、あるいは結婚時、三日後に布団を片づけることだとか、こうしたものを見れば、ここにはすべて、復帰時代における一時のために準備した、実に深い摂理の意義が隠されているということをうかがい知ることができます。

 さらに、子供たちに対して三・七日を守るとか、あるいは百日を守るとかということがあります。百日というのは、いわば帰一数なのですが、再び人間としてこの地上に新しい姿をもって現れたその心情的な基準をもって歩み出すことができる一番重要な期間です。およそ百日を過ぎて、子供たちとも初めて心が通じ合えたりするのです。そのようなことを見れば、天的に大きな意味があるのです。

 なおかつきょうは、この子を生んでから三・七日(二十一日目)ですが、この日は一九六三年度を迎えた日であり、また、三年の峠を越えていく期間にもなり、これらはすべて拍子がぴったり合っているのです。また、この子はうちの子の中の三番目として生まれ、娘も一人いて、復帰歴史の全面的なすべてのこともぴったり一致するのです。

 それでこの日は、皆さんが知ってみると、本当に良い日であるのです。天の心情的な基準として、新しい約束の一つの礼物を中心として、怨讐の世界へと越えていくことができる、そのような一つの条件も立てることができる時です。そのような時にいるというのです。それで皆さんに、きょう早めに来なさいと言ったのです。実際、これは本当にみな踊ったりしなければならないのです。

 先生がこれまで四十年の生涯を戦ってきたのはほかでもありません。四位基台の復帰です。四十年の生涯をこれまで戦ってきたのは四位基台を復帰するためでした。皆さんには分からないことでしょう。今日、このような位置にまで来るため、どんなに苦衷が多かったか分かりますか。それは言葉では表現できません。

 また皆さんは、この子を祝うと同時に、心情的な一つの結実を結ぶことができなくてはなりません。先生もこの子を架け橋として出ていくことができるのです。こうして今や、道の方向が、目的に向かって直行することができる一つの基準が定まったのです。

 したがってこれからは、世界的な運勢や国家的な運勢も、私たちに歩調を合わせることができる道をもっていくならば、そのような面で収拾されると見るのです。見ていなさい。間違いなくそうなります。ケネディー大統領も今後平和運動をもっと強調すべきだと話しましたが、実際、そうでなくてはならないのです。そうあってこそ私たちとも出会うのであって、そうでなければ出会うことができません。
















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第四節 一九六三年 勝利的主管者となろう(一)

真の御父母様の生涯路程 4



第四節 一九六三年 勝利的主管者となろう(一)


一 一九六三年出発と摂理的意義


年頭標語:勝利的主管者となろう(一)
      (一九六三・一・一、前本部教会)


 今年、一九六三年度の標語は「勝利的主管者となろう」です。過去三年間は、人間として相続できるすべての条件を備えなければならない期間でした。しかし、今年からはその段階を越えて万物復帰をする年に入っていくので、今後は継続して同じ標語を使います。

 それで、聖地復帰も必要なので、どのようにしてでも聖地を買わなければならず、いったん買えば絶対に売ることはできません。住むにも聖地の近くへ行って暮らし、死んでも聖地の近くに埋められようとしなければなりません。聖地は血の代価を集めて買わなければなりません。すなわち、人類の父母として来られたイエス様を売った血の代価を払って、買わなければならないのです。

 今から商売をして集めたお金は神聖なお金です。商売するときも、うそをついてはなりません。また、不当な利益を残してもいけません。「いくら出して買ったものだが、いくらもらおう」と、率直に言わなければなりません。利益を三割以上残してはいけません。

 万物の主管者になるためには、まず勝利しなくてはなりません。神様を中心とした勝利です。それが最高の勝利です。私たちの標準はそれです。現在私たちはどんな基準の勝利を収めたのでしょうか。私たちの垣根の圏内において、天地の前で私たちを攻撃してきた戦いが終わっただけです。今は停止状態と同じです。すなわち、後方に来ている立場です。

 これまで私たちについて良いうわさも立ち、悪いうわさも立ちました。これからは準備をして攻勢をかけなくてはなりません。勝利のために歩む期間が今後の四年間です。これまでは防御的な戦いをしてきましたが、今後四年間は攻勢的な戦いをしなければなりません。

 これまで私たちに向けて攻勢をかけてきた霊界と肉界のすべてのものは滅び、私たちは夜のような時を過ぎ、朝に臨みつつ進んでいくのです。

 思想をもったこの地上のどの団体よりも強い信念と目標がなければなりません。そして、その目標のためにお金を使わなければなりません。そのための期間が経済的基盤を築く四年間です。

 今後は、ただ飯は食わせません。神様の世話になってはならないのです。イエス様の血の代価を払わなくてはならないと同時に、先生が歩んだあらゆる苦難の路程に対する蕩減基金も捧げるのが原則なのです。

 今後は言葉から注意して正さなくてはなりません。「ああ、死にそうだ(注:感情が極度に達したときによく発する言葉)」という言葉は使ってはいけません。言葉も、行動も、心情も、サタン世界と違わなくてはなりません。また「観」も違わなければなりません。私たちは常に、生活面においてサタン世界と違わなくてはならず、サタン世界を主管しなくてはなりません。そのような精神で生きなければなりません。少しでもサタン世界に先立たなければなりません。そうでなくては主管者にはなれません。主管者になろうとすれば、少しでも優れていなければなりません。


一九六三年度の重点課題


 教会を離れた人たちに一回ずつ会ってみましょう。そうして心にわだかまっている恨を解かなければなりません。今年は離れていった食口が再び入ってくる時です。

 歴史が複雑になっていくのは、先生の行く道と合わせるためです。四月までが重要な期間です。私たちに任せられた責任と使命を果たさなければなりません。これまでは解怨するために涙を流しましたが、これからは勝利的主権のために涙を流さなくてはなりません。先祖の恨を解くための涙ではなく、世界と国民のための涙を流さなければなりません。再臨主はこの地上、すなわち天使長の世界を収拾しなくてはなりません。地上で霊的、実体的なサタンを整理しなければ、再臨主も息子の位置を復帰できないのです。

 先生の四十年の闘争期間は、霊的、肉的に復帰してくる期間でした。この三年路程の最後の年は、息子の位置に立って三代(アダム、イエス、再臨主)に及んだ悲しみを蕩減復帰してさしあげなくてはならないのです。霊的世界の反映体である地上で、六千年の歴史を三年路程期間で復帰しなければなりません。この期間で、子女復帰から万物復帰までを成し遂げなければなりません。そのためにサタンに讒訴されない基準を立てなくてはなりません。このような勝利の基準を立て、万物の前にまで進み出なければなりません。

 今日、統一の理念は外国にも広がり、日本、米国等全世界に広がっています。韓国にいる統一食口はどれはどかわいそうでしょうか。皆さんを苦労させなくてはならない神様の苦衷があるのです。今からは、世界の伝道を互いが率先してしようとすることでしょう。日本でも、米国でもそうなるはずです。韓国人がしなくても、その国の人々が自分の国、自分の民族を引き受けようと自ら志願しているのです。既に多くの人々が、自分の国の復帰のため、苦痛の道を自任して歩んでいます。私たちは民族、国家を越え、世界を愛したという基準を立てなくてはなりません。

 今後、七ヵ国以上へ伝道に行かなければなりません。皆さんは韓国の中心の先祖となり、復帰の実体とならなければなりません。今年七ヵ国へ伝道に行けなければ、米国の中においてでも七箇所を選び、人を派遣しなければなりません。協会の各部長はソウル地区を分担し、食口に他の地区を割り当てなければなりません。

 本部教会を建築しなくてはなりません。自分のお金で教会を建てられたら良いと考えた人は、建築準備委員になるのです。本部教会は韓国人だけの手で建てなくてはなりません。韓国は本家です。本家は、私たち自らがきれいに整えなくてはなりません。地区長たちは聖殿の新築準備委員にならなければなりません。

 これからは統一教会の歴史をつくり上げていかなくてはなりません。歴史をつくるには家庭と氏族がなくてはつくれないでしょう。お母さん、お父さん、息子や娘もいないのに、どうやってその家の族譜(家系図)ができますか。これまでは統一教会の歴史をつくることができませんでした。けれどもこれからは、統一教会の歴史をつくらなければなりません。この仕事は、韓国にいるある食口たちの仕事ではありません。数多くの民族を代表した仕事として、このような仕事を中心にして歴史を残さなくてはならないのです。


二 既成家庭祝福式と独身祝福式

既成家庭祝福式(一九六三・二・八、二十六双/四・七、二十七双、前本部教会)


 既成家庭は本来、七年間の聖別生活をしなければなりません。過去にもった夫婦の観念で考えてはならないようになっています。既成家庭自体は天の側から見ると、蕩減復帰すべき立場にあるため、一度否定しなければならないのです。自分の相対なら相対、自分の子供なら子供に対して否定的な立場に立ち、これを清算する過程を経て、新たに祝福を受け、これを吸収し、再び収拾する伝統を立てなければならないのが既成家庭ではないかというのです。

 ゆえに、既成家庭や、新しく祝福を受けた家庭が誇るべきことが何かというと、新しい相対を迎えたということです。既成家庭の夫たちは、新しい妻を迎えたのであり、妻たちも新しい夫を迎えたのです。また、新たに祝福を受けた家庭の夫婦も、自分たちはこの世にはない新しい夫婦であるということを知らなければなりません。このように、「新しい」ということを中心とした伝統の起源によって復帰された既成家庭と、既成家庭でなく新しく祝福を受けた家庭の正常な伝統が連結されるということを皆さんは知らなければなりません。

 既成家庭は、既成家庭でない家庭の前に垣根とならなければなりません。言い換えれば、歴史時代にアベルが犠牲になったことを蕩減してあげられる、家庭的な摂理においてアベルが信じられる家庭とならなければならないのです。過去には違いました。過去にはお互いが反発の要因になったのです。

 けれども今は、相手のことを思うとうれしく、問題があれば互いに訪ねていき、相談もできるのです。相談だけでなく、その家庭のことを誰よりも心配し、保護してあげられる家庭とならなければなりません。なぜでしょうか。家庭としてみれば、兄の家庭と同じだからです。兄の家庭ではないですか。カインはお兄さんです。アベルは何ですか。弟です。

 原理的観点において、先生の家庭を中心として、既成家庭でない新しく祝福を受けた家庭と、カインとアベルの立場で一つにならなければなりません。既成家庭の皆さんは、新しく祝福を受けた家庭と生死を共にする運命で立てられたので、皆さんは横的な面で頼みにすべき家庭なのです。ですから、侍らずしては行く道がないのです。


独身祝福式(一九六三・三・二八、前本部教会、四十一名)


 六十歳以上の年齢で「今はもう、このように高齢なので、嫁に行こうとしても行けないし、妻をもらおうとしてももらえない」と自認する人は、今回の「父母の日」に集まりなさいと言いました。死んだのちにあの世に行き、家庭的な楽園型をつくっておかなければならないのです。これまでの楽園は家庭的な楽園ではありませんでした。相対因縁が決定されていませんでした。天使世界と同じように、みな相対がいないのです。

 それで、この時代において先生がすべきことは、そのような年を取った人たちにこの地上で相対理念を備えさせ、あの世に予約された楽園的な家庭をつくっておくことです。天国は本来、家庭を中心として父母、妻子をみな率いて入っていく所なのですが、それができなかったので楽園的な天国が繰り広げられるのです。ですから、その人々をそこで保護してあげなければなりません。そうして先生が行く時にはと約束しておいたので、先生が行けばこれまでの預言者、烈士をみな呼んで、おばあさんになって死んだ人も霊界ではお嬢さんなので、「おい、このお嬢さんを誰が嫁にもらっていくの」というようにして結んであげるのです。アブラハムおじいさんとか、誰それおじいさんなど、そのような人がたくさんいるのです。そのような人をみな呼び集めて相手を組むべき責任があるかも知れません。それが嫌なら祈祷してあげませんよ。

 地上人と相対を結ぶことができずに死んで霊界に行くとするなら、霊人と相対できる基準の約束でもしてから逝かなければなりません。そのようにして行けば、あの世では本当に申し込みが多いことでしょう。あの世では、早く来てくれたらと、もう首を長くして待つことでしょう。そのようにしておいて逝くべきであって、それができずに逝くようになれば困るのです。統一教会を信仰してあの世に逝けば、恩恵圏内にいると思って誰もかれもが押し寄せてくるのです。ですから有利なのです。

 それゆえ、先生はせっかくならばと、このような責任までもって、六年以上苦労した人たちをそのようにしてあげなければならないのです。共に非難されたりしたので、そのような祈祷でもしてあげるために集まりなさいと言ったのです。しかし、六年以下の人たちは、私は知りません。

 また、六十歳を越えたとしても「原理を学んだので、せっかくなら地上で肉体をもっている人間のほうがどんなに貴いだろうか。実体をもったことがどれほど貴く美しいだろうか。私の顔の皮はこのように老いたとしても、私の心は年老いているだろうか。私にも女性、男性がいるはずだ。おぱあさん、おじいさんがいるはずだ」と言って、おじいさん、おばあさんをもらっていくことができる人たちは祈祷しなくてもよいのです。おじいさん、おばあさんを連れてきて、神様の前で先生から認定を受け、祝福を受けたらもっと良いかもしれないのです。枯れ葉のような人であっても、相対を決めておいてからあの世に逝くほうが、ただ一人祈祷を受けて逝くよりは悪くないというのです。


三 協会登録と財団認可


登録のための準備基盤


 先生はこの三年路程を最初に出発する時、獄中生活のような立場で出発しようと言いました。先生は世界的な迫害を考えます。三年路程中に三つの政権を経て、世界的な患難を体験しなければなりませんでした。自由党政権はアダム型、民主党政権の朴順天はエバ型、そして共和党政権は天使長型を象徴しています。米国は現代のローマであり、韓国は財政的には米国の植民地を免れ得ずにいます。

 統一教会が政府に登録された時、政府では大きな闘争が起きました。その時が一九六三年でした。先生はこのような日が来ることを知っていたので、これに備えた天的な基準を立てなければならないと考えていました。それで外国宣教を準備をしたのです。それは、アベルが束縛されたらカインを立てて、蕩減復帰できる準備をするためです。昔はカインがアベルを殺しましたが、今は、外国を中心にカイン的な祭壇を形成し、アベル祭壇を支え、アベル祭壇を救うことができるのです。そのような世界的な因縁をつくるため、追われ追われながらも、外国に宣教師を送ったのです。

 こういう時であればあるほど、必ず国家的な弾圧があるので、それに備えるための内的な準備をしなければなりませんでした。そのような責任を感じ、米国と日本に宣教師を送り、ドイツにまで宣教師を送ったのです。そうして、私たちの教会の登録が問題視される時には、既に米国連邦政府に統一教会が登録されていたのであり、日本にも登録されていたのであり、ドイツにまでも登録されるようにしようとしたのです。そうなれば、世界民主主義の先導国家である米国でも統一教会が歓迎されているのに、韓国で反対し登録を問題視するようになれば、国家的な恥になるからです。

 そうなれば、政府が慌てざるを得ないし、私たちを侮れないということが分かるようになるのです。このような天的な事情があったがため、皆さんを五千五百人以上動員して地方に送り、啓蒙をさせたのです。皆さんが地方に行き、道知事や郡守、また面長から数百枚以上の表形状をもらったことは、本当に素晴らしいことです。皆さんが血と涙を流す苦労と戦いをしたがゆえに、地方の人々が統一教会を擁護できる段階にまでなったのです。


協会登録(一九六三・五・三一、社会団体第二六一号)と財団法人認可(一九六三・一〇・四)


 復帰摂理はカインとアベルの間の戦いです。それで、事件においては常に、文氏がカイン側から現れるのです。いつも先生を迫害する人は文氏です。家庭的レベルと国家的レベルでも文氏が反対したのです。私たちが政府に登録しようとした時、文教部(文部省)が登録を取り扱ったのですが、その時の文教部(文部省)長官であった文氏が私たちの申請を拒否しました。私たちはそれと戦わなければなりませんでした。一週間後にそれが覆されました。その一週間は七十年、七百年あるいは七千年に該当するのです。

 その当時それが覆されなかったならば、私たちはどのような宗教的な運動もできなかったことでしょう。それは覆されるようになっていたのです。ついに私たちは、一九六三年五月三十一日に登録されるようになりました。

 それでは統一教会はいかなる立場にあるのでしょうか。第三イスラエルという祝福を受け、忠孝の道を受け継げるユダヤ教の立場として復帰されているのです。それゆえに登録証が出たのです。ローマ帝国のような米国にも登録され、ユダヤの国のような韓国にも登録されたのです。

 そして先生が出獄してから八年目に(一九六三年十月四日)財団認可が出ました。一九六〇年から三年は、イエス様の公生涯期間三年を復帰する期間でした。

 しかし先生は喜びませんでした。なぜなら第二次の戦いが残っているからです。第四次まで行き、神様が喜ばれる時、共に喜ぼうと思います。三年路程は先生が行く道です。七年で終えようとしていたのを二十一年で終えようと思います。ですから、今から四年で二十一年は終わるのです。

 この民族はますます混乱に陥っていきます。私たちはその時に備えなければなりません。贖罪の祭壇は統一教会しかありません。四年が過ぎたらこの民族を動員し、世界のために犠牲となり奉仕しなければなりません。そうして涙と血でもって世界を復帰しなければなりません。韓国が問題ではありません。


協会登録の奉献祈祷


(一九六三・六・四、閏四・一三〔閏月:陰暦で見ると、閏年に同じ月が繰り返されることがある。ここでは後の月を閏月と呼ぶ〕、前本部教会、登録自祝会)

 一九六三年間四月十三日、この日をお父様が誇りの日として受けてくださいますように。六月四日は私たちの記念すべき一日でした。父の愛の心情を体恤したことを永遠に万民の前にお祝い申し上げ、全天宙の前に表すことができますように。

 泣いても泣いても尽きることがない、悲しみと喜びが交差するこの日であることを私たちは知りました。神様にあっては褒めたたえられる日であり、サタン世界にとっては審判が下されるべき、民族的な勝利の日、世界的な開拓の日とならしめてくださったことに感謝申し上げます。

 今、世界に散らばっている統一食口は、この日を迎えて喜んでお祝いしますので、父の胸中に積もっている恨をすべて解いてください。子女たちをお集めになり祝福なさるこの日、この子女たちをあなたの息子、娘として召命され、天の主権を立て、天の家庭、天の国民、天の国土を復帰して、父の栄光を享受してくださらんことを切にお願い申し上げます。

 今、私たちは一日を迎えました。この日を新しい覚醒の日として立ててくださり、天の前に私たちが悔しく無念なこの心を、サタンに対して悲しみ同情する自分自身にもう一度再整備する日にならしめてくださらんことを切にお願い申し上げます。

 万世の栄光と、父の玉座から心情で造られた万物、そして復帰した子女が全体の上に共に臨むことができるよう切にお願い申し上げます。

 この日、この登録を中心として許可されたすべてのものを、父の前に捧げますので、どうぞお受け取りください。この地上の真の父母を中心として、四位基台の基準を中心として祝福を受けたあなたの息子、娘が、喜びのこの日をすべてゆだねますので、受けて主管してくださらんことを切にお願い申し上げます。


四 三年路程終結と四年路程出発


三年伝道期間終了(一九六三・六・二〇、閏四・二九、前本部教会)


 先生が一九六。年度に聖婚することにより、初めて個人が定着するようになりました。一つの基点を立てたのです。それはいかなる基点でしょうか。モーセが紅海を渡る前の三日期間に立てたのと同じ基点なのです。復帰歴史のすべてがきょうまでの三年間に入っています。この期間を終えることによって成し遂げられた四位基台を中心として、陰暦四月十三日に協会登録の宣布式をもつことになったのです。

 皆さん、四月十三日に私たちは宣布式をしましたね。陽暦だろうが陰暦だろうが、閏四月だろうが、関係ありません。今後その日を全部四月十三日としてお祝いしなければなりません。ですからそこに歴史的な因縁がすべてあるのです。こうして今年、この三年の峠を中心として、皆さんの七次伝道期間と共に、先生が計画したすべてのことに一段落がつくのです。

 今、この三年期間を経て、私たちはどのような新しい方向を開拓していくのでしょうか。この三年間は民族的な基盤を中心として、この民族が私たちの行く方向と同じ方向で生活や活動をしなくては、この民族が救われず、この三千里半島(韓半島)に天国が成し遂げられないことを見せてあげるための試練と戦争の期間でした。しかし、今から私たちが行くべき道は韓国を主体として、世界が行くべき方向を提示しなければならない、より大きな使命をもった新しい道であるということを皆さんは知らなければなりません。

 きょう、統一教会の信者たちは、三年間を通して第一次勝利的基準をもったといってここで喜ぶのではなく、これからは、第一次勝利を盾にして第二次勝利的基盤を私たちの力で、私たちの手で、私たちの体で築かなければなりません。そうでなくては、今後民族の前に許される世界的な運勢を引き込んであげられないのです。今後この民族の前に許される天宙的な恩恵の因縁を結ぶことができないのです。

 きょう、三年の最後の日を迎えて、皆さんはいかなる立場に立たなければならないでしょうか。私が越えていくこの一つの分水嶺において、除去される、歴史的な恨の陰の中で消えて滅びる者となるのか、それとも、新しい朝の日ざしを浴びるため、その峻嶺(険しい山)を越えて新しい天地を見渡すことができる、新しい希望の中で繁栄し、最上の栄光を受ける者となるのでしょうか。このような瞬間がこの期間であることを皆さんは知らなければなりません。

 皆さんが「三年間苦労する」というこの基準のもとで動いたので、皆さんは今残っているのです。それゆえ天が役事できるのです。もし、統一教会がこのような作戦を取らなかったとすれば、きょう皆さんは、勝利の感謝の祈祷、あるいは賛美を天の前に捧げることができなかったのです。

 皆さんがそこで苦労したので、その苦労、血のにじむ苦難の路程を自ら経験して歩んだ人が、この国、この民族のため、万民に対して涙したそのような道を歩んだことを吐露するならば、最高から最低までが涙し得るのです。讒訴できないのです。どんな学者、どんな権勢をもった人でもその場では涙を流すのです。世間から見ればどんなに足りないそのような微々たる存在であっても、その微々たる存在が国のために忠誠を尽くした、国のために苦労したその心情の前には屈服せざるを得ないのです。これを残そうというのです。

 今から三年半だけ苦労しなさい。前の三年、後の三年がある理由がここにあります。今年、閏四月があるのも意味があるのです。涙と共に神様の苦痛を相続しなければなりません。


百二十四家庭の祝福式と献貢式の延長


 本来は、皆さんが知っている今回の成婚式と献貢式は四月にするものなのです。すべて四月に終えなければならないのです。

 ですから、きょうなぜ集まったかというと、これをすべて終えることができなかったので、天の前に延長させる式をしなければならないからです。そうするには、天の全体的な条件を代表した皆さんの家庭の中に、天地を先祖的な面でくくり、因縁を立て、実質的な基準において延長させるという基準を立てて越えなければならないのです。そうしなければ問題が大きいのです。

 それで、先生は三日前からそれに対して祈祷しました。三日前から祈祷したのです。三日の間にどんなことが起こるか分かりますか。三日間に何か事が起きて、間違いが生じ、最後の日、ここに参席できないかもしれないのです。それゆえ三日前に象徴的な条件を立てておくのです。

 そしてまた、今回も天の役事です。今回の四十日も、なぜか閏四月がありますが、それはみな役事なのです。イエス様の復活四十日と同じなのです。ですからこの四月圏内において、統一教会に反対したことをすべて許してあげるのです。もう一度収拾して、イエス様が復活して役事したように、すべて許してあげる基準を立てて越えていくのです。

 本来皆さんがここに参席し、この道を越えて、この峠を越えていくには、個人では越えることができないのです。祝福という二文字をもって、家庭的な因縁を備えずしては越えることができません。それで今年に入ってからは、先生は既成家庭も祝福してあげ、それからおばあさん、未亡人まで祝福してあげ、未婚の男性と女性も祝福してあげ、みな祝福してあげるのです。それは何かというと霊界と肉界を接触させるのです。

 それから中間にいる男やもめもみな結婚させてあげるのです。すべての代表者を総合して越えていくことができる道を完結させておかなければなりません。それで今回、男やもめ、未亡人も全部結婚させようというのです。

 このようなことをするために聖地を決定するのです。聖地を決定してから苦労した息子、娘を表彰するのです。その表彰を受けた息子、娘は神聖なる人々です。サタン世界において代表的な型を選び出して、彼らの功労の基台の上に祝福の基準を立てて越えていくのです。


七年路程の前半三年と後半四年


 イエス様が三年の公生涯路程を歩んだのと同様に、公生涯路程を歩まなければなりません。公生涯路程を歩む時は何を宣布しましたか。新約のみ言を宣布しました。それでは統一教会の信徒は何のみ言を宣布しなければならないのでしょうか。成約のみ言を宣布しようというのです。こうして、このみ言に従って三年公生涯路程を経て、神様が加護され、喜ばれる条件を立てて初めて神様の前に進み出ることができるのです。

 一九五九年十二月四日に渡米許可が下りましたが、皆さんのために行けないでいます。三年前から米国へ行けるパスポートを財布に入れて歩きながらも、まだ行くことができないでいるのです。皆さんのためです。私が出発したら皆さんがかわいそうなことになるのです。この地でなすべき責任を果たせなかったので、三年の期間をかけて命懸けでなしていくのです。

 三年という期間はサタン分別期間です。三数と四数はサタンを分別する数です。七数を蹂躙されたことが天地の恨です。人間始祖の堕落により神様は息子、娘を失ってしまいました。それで、三数は息子、娘を復帰するための蕩減数であり、四数は万物を復帰するための蕩減数です。ゆえに、この三年間は先生が命を懸けて、世界に散在しているサタンたちと、天上天下に散在している数多くの悪霊たちと、世界にいる人類と対決する期間なのです。

 今後四年間は個人的な万物復帰の期間です。神様は聖殿を建てることを最も願われます。がむしゃらにお金も稼がなくてはなりません。北韓から下ってきた避難民が、約十年目にして韓国の経済圏を握りました。北韓の人が十年目にして経済圏を握ったとしたら、統一教会は何年で経済圏を握るか見ていなさいというのです。私がお金をもうけるのは、世界のかわいそうな人々を抱いてあげるためであり、彼らに施してあげるためです。私が学ぶのは、サタン世界の鉄条網を切る秘密を彼らに教えてあげるためです。

 イエス様がイスラエル民族を掌中に収めることができなかったので、今から私たちは四年路程を歩み、それを蕩減しなくてはならないのです。ゆえに、因縁だけあっても駄目です。土地と主権を復帰しなければなりません。私たちは打たれて奪ってくるのです。今は民族創建のために進むのです。これからの四年で二十一年が終わるのです。

 朴政権との第二の闘争が残っています。また、三千万(韓国民族)を導く闘争が残っています。その次に、民主友邦国家が頭を垂れて従うところまでいかなくてはなりません。そうでなければ、新しい運勢から審判されるのです。


五 百二十四家庭合同祝福結婚式(一九六三・七・二四、ソウル市民会館)


 一九六三年七月二十四日午前十時二十分、百二十四双合同結婚式がソウル市民会館大講堂において、食口たちと貴賓、合わせて三千五百名の人員で埋め尽くされた中で挙行された。午後には、警護用パトロールカーと両脇に「サイドカー」の警護を受けた四台の本部幹部たちの車に続き、「新しい国自動車」百五十台に新郎新婦たちが分乗し、中央庁正門を皮切りに街頭行進をした。


世界百二十ヵ国の代表型の家庭


 百二十家庭は、イエス時代の百二十門徒の立場であり、世界的な部族を編成するところにおける世界百二十ヵ国を代表した国家的な基台です。国家的な基台が十二部族であるならば、その国家的基準を中心として世界に出ることができる世界的な出発基準となるのが百二十門徒なのです。

 百二十門徒が死ぬようになった原因とは何でしょうか。百二十門徒のような百二十名の女性がいなかったからです。それでみ旨を成し遂げられなかったのです。イエス様を中心として百二十人の女性が一つとなり、生死を共にすることができたならば、イエス様がどこかの砂漠に入っていこうともみ旨は成就するのです。このような伝統的な歴史を中心として私たちの統一時代においては、百二十門徒に代わり得る基準を、内外を中心として世界的に分立し、立てておかなければならないのです。

 イエス様が十字架で亡くなり、聖霊が降臨したあと、五旬節に百二十門徒の策定が起こり、世界国家へと発展したのです。これは新しく出発した立場です。百二十門徒とは何かというと、世界国家を代表したものです。

 イエス様の十二弟子の十二数を十倍した百二十数は、平面的な世界を代表できる数です。それでこの百二十門徒と同じ数を合わせるために、百二十双の祝福をしたのです。本来は百二十ですが、四方数である四双を加えて百二十四双を祝福しました。

 イエス様の百二十門徒を身代わりした百二十家庭は、世界的な型です。彼ら自体に世界を統治し、世界を支配できる権限があるというのではなく、世界の代表型として、世界的な蕩減条件を立てることができる基台になるというのです。それで、百二十家庭を立てることによって、神様が世界的に訪ねてこられる基準を立てるようになったのです。

 それゆえ、国連総会に百二十四ヵ国が加入する日には、この地上に新しい終末時代が来るというのです。それは統一教会で行う百二十四双の祝福と一致するものです。


百二十四家庭に含まれた既成家庭四家庭


 統一教会の歴史から見るとき、既成家庭の出発は三十六家庭のアダム家庭からであることを皆さんは知っているでしょう。そのアダム家庭に該当する十二家庭はどんな家庭でしょうか。既成家庭の中から立てたのです。十二家庭を立てたのはどういうことかというと、世界にいる数多くの家庭は神様の前に戻る道がないゆえに、これを連結することができる先祖の立場を決定したのです。そのような先祖を中心として初めて代を継ぎ、百二十家庭が祝福される時、ここに既成家庭が四家庭加わったのです。

 一人の先祖を中心として経てきながら、三十六家庭を中心として、七十二家庭の起源を準備した時、縦的な家庭として初めて地上にその基準を連結することができるようになるのです。そこに、横的な面において初めて、世界的な家庭を代表した百二十家庭の中に既成家庭四家庭をつけ加えて祝福したのです。その四家庭はいかなる家庭でしょうか。既成家庭として祝福した人々を再度祝福してあげた家庭なのです。そのような基台の上に初めて既成家庭が解かれていく歴史的な因縁をもつようになったのです。

 それゆえ、世界的な国家代表を立て、家庭的な門を立てて世界万民が入ってこられる門を立てると同時に、これまで罪を犯し獄中でうめいている人までも通ることのできる門を開けてあげなければならないのです。そのような意味から百二十四家庭を中心とした祝福の基盤が成立するようになったのです。


一つのチームを成す三十六、七十二、百二十四家庭


 三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭は一チームです。分離することができません。三十六家庭は堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、七十二家庭はその先祖の息子、娘たちが復活した型であり、それから百二十家庭は世界の人々が復活した型です。ですからこれが一つになれば、結局、家庭と息子、娘が一つとなり、世界が一つとなるのです。それで百二十家庭までは、私が責任を負わなければならないと見るのです。これからは皆さんの思考方式も、先生のような思考方式にしなければなりません。

 三十六家庭は歴史的な代表家庭であるので、過去からつづられてきたものを代表する家庭です。この家庭を中心として現実的な基盤として立てられたのが、七十二家庭と百二十家庭です。過去から願われてきた家庭的な蕩減条件を防ぐことのできる家庭が三十六家庭ならば、それを現実的な家庭の基盤として防ぐことのできる家庭が、七十二家庭と百二十家庭であるというのです。七十二家庭は氏族を代表した家庭であり、百二十家庭は世界を代表した家庭です。


最初の外部行事である百二十四家庭祝福式


 私たちが合同結婚式を対外的にしたのは、何家庭からですか。(百二十四家庭です)。百二十四家庭。それは世界型であるからです。大韓民国は、既にキリスト教圏から見ても、あるいは現時点の世界から見ても、世界の運勢を中心として摂理を推進させる主体国であるがゆえに、百二十家庭を世界の代表として設定する時であると判断したのです。三十六家庭と七十二家庭は、教会内でしたのです。これは、ユダヤ教を中心として民族形成の基盤を築くものと同じものなので、教会を中心として、内的基盤を確保することにあるのです。その次に外的基盤を見れば、世界史的キリスト教文化圏につなぐために、百二十四家庭を中心として、世界基盤を拡大させていくのです。

 今回百二十双を市民会館に集めて結婚させる時も、その父母に対して「お宅の息子、娘を結婚させてあげます」という公文は出しませんでした。「あなたの息子、娘を合同結婚させてあげるのでどうか承諾してください」と言って、頭を下げませんでした。それなのに、「どうして人の息子、娘を連れていって勝手に結婚させたのか」と抗議する人は一人もいませんでした。いったい誰がそのようにできますか。それは統一教会だけができることです。

 今回の合同結婚式はすごいものでした。タクシー百五十台を走らせたので、「いったいこれはどこから出てきたのか」と驚いたのです。首都ソウルがひっくり返り、三千里半島(韓半島)が揺れ動く場で挙げる豪華絢爛な結婚式こそ、男性でも女性でも一度ぐらいはやってみる価値があるものではありませんか。今後世の中が私たちについてくるか、来ないか見ていなさい。


百二十人伝道課題


 一九六。年から一九六三年までは、外的に家庭と氏族を復帰する期間でした。それで百二十四双まで祝福を完了したのです。先生には第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの責任を完結すべき使命があります。皆さんが第三イスラエルの子孫になるには、三人の息子、娘と、十二人の息子、娘、そして七十人、百二十人まで復帰しなければなりません。

 統一教会の行く道は、父母たちがみな反対します。兄弟たちが反対します。反対するということはどういうことかというと、伝道してはいけない、伝道ができないということです。ですから仕方なく外的な伝道をしてきたのです。それで三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を中心として、一九六三年までで、一九六〇年度から一九六三年度までは先生が代わりにこの道を築いてきたのです。

 イエス様が失敗したすべての基準を、氏族的メシヤの使命を果たせなかったことを、先生が代わりに築いてあげたのです。ゆえに、先生が築いてあげた基盤を中心として、皆さんの時代においては、皆さんの一族、血族を代わりに伝道できる時代に入るのです。それで皆さんのお父さん、お母さんも、結局は一九六三年度を過ぎて、その時から統一教会に対して協助するようになるのです。もし統一教会の基盤が築かれていない時に父母が協助すればどうなるでしょうか。それまで自分の血族の前に築いておいた功績、善なる基盤が全部崩れ去ってしまうのです。そこで終わってしまうのです。それゆえ自分の息子、娘が統一教会に通っても協助できずに反対するのは、結局それを失わないようにするためなのです。

 先祖たちが発動して反対するのです。そのような時代なのです。無性に憎く、わけもなく、見るのも嫌なのです。そうしながら、皆さんは心情的な基準においては、自分の父母よりも神様、自分の兄弟よりも神様というように、そのような二重作業をしているのです。このような過程を経て越えてきたがゆえに、この時代が過ぎて時が来れば、天地の運勢が、家庭の門が開くのです。

 では教会とは何ですか。神様が願われる氏族復帰の一つの型をつくるためのものです。ここで鍛錬し、新しい群れ、この世と異なる新しい宗教をつくるのです。今日、教会がそのような意味をもっていることを知らないのです。ですから、教会というのは七十人を中心として、百二十人に向かって進むのです・それは氏族から始まり世界の代表者を意味するのです。


六 「万物の日」制定と献貢式


「万物の日」制定(一九六三・六・二一 〔陰暦五・一〕)


 天地、万物を造ってくださった神様に蕩減基金を捧げるのです。しかし、聖別して捧げなければなりません。アブラハムは供え物を捧げる時、鳩一羽を裂かずに、すべてを失敗しました。天地がすべて回ったのです。アブラハムが三つの供え物を誤って捧げることにより、すべてのものが落ちたのです。

 今回、私たちがすることの中には、もろもろの役事があることでしょう。血を売る人もいるだろうし、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいることでしょう。今後、そのような役事があるはずです。皆さん自身がそのようにできない時には、恨になるのです。そのような役事を見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。

 宇宙的な理念を中心としたみ旨というからには、その理念圏内に立った父母を中心とした一つの兄弟、そのような兄弟を中心とした一つの家庭、そのような家庭を基盤にした天宙が必要なのです。それで万物復帰のその一日を制定したのです。

 完全復帰のためには本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なくてはなりません。ところが、アダムとエバが神様を裏切ったあとは、ただの一度も父母の立場から供え物を捧げたことがありませんでした。

 ところが皆さんの前に「父母の日」が立てられたので、父母を通じた「子女の日」が現れなければならず、「万物の日」が現れてこなければなりません。これをもって神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情を解怨成就しなければなりません。そのようにして初めて、アダムは堕落したが私たちは堕落しなかったという条件を立て、嘆息圏を抜け出ることができるようになっているのです。

 人間始祖の堕落により、万物をサタン圏内に陥れたゆえ、万物を復帰するためには人類の真の先祖が顕現しなくてはなりません。その次に、子女の因縁を中心として、神様がアダムに祝福された主管性を復帰しなければならないのです。そうして、父母と子女を中心として横的に連結させ、全被造世界を主管できる基準を立てなければなりません。それで私たち統一教会では「父母の日」を中心として、「子女の日」を立て、そこにまた「万物の日」を立てたのです。

 神様の心情と一致する家庭が現れることにより、家庭を中心として造られた万物を通じて心情的な門を開門することができる基盤ができたので、その基盤を決定する式が「万物の日」、の式であるのです。そのような式をしたのが、正に一九六三年のきょうなのです。

 神様と真の御父母様が決定し、サタンが認めたというのです。初めて地上に真の父母を中心として、神様の所有が始まるのです。それゆえ先生のものは私のものではありません。これは人類のものであり、神様の愛を中心として一体となった、堕落の侵犯とサタンの讒訴圏を抜け出た、本然の所有決定の条件基地であると考えるのです。神側の愛を中心として相続された所有物であるのです。


「天勝号」の進水と魚取り(進水式:一九六三・六・二六、京畿道仁川市萬石洞埠頭)


 劉孝元氏の主宰のもと、鄭敢淳氏を棟梁とする一組七名の大工たちが一九六三年五月二日から着手した天勝号は、六月二十六日に建造が終わり、当日、その進水式が仁川市高石洞の埠頭のほとりにある造船場で真の御父母様と食口たち約二百名が参集した中で挙行された。

 皆さん、「天勝号」を造ったことを知っていますか。皆さんは水の中から生まれてきましたね。お母さんの水の中にいたでしょう。ですから水の中に入ってから出てこなければなりません。水の中の試練を経てこそ、陸地で生きることができるのです。

 今度、船が出ていく時、先生は一緒に出ていって漁師になろうと思います。今回も先生は出かけていき、船長にコーチをしてきました。うちの船が西海(黄海)で一番速いです。

 先生の作戦どおりにしさえすれば、たくさん獲れるようになっているのです。同じ時間に仕事をするといっても、多くの努力をし、作戦をうまく立てるならば、たくさん獲れるようになっているのです。そのようにして、魚獲りでも一等にならなければなりません。皆さん、これはお金でするのではありません。心でするのです。


「万物の日」献貢式(一九六三・七・二六〔陰暦六・六〕前本部教会)


 きょう献貢日を迎え、皆さんが参加したこの場を考えてみる時、この道は涙の道です。この場は涙の場であるのです。泣いても泣いても止めることができない涙の場であり、痛哭しても、どのようにも形容できない、何をもってしても止めることのできない場です。

 これが、皆さん全体の中心心情としてわき上がるようになる時、神様はここで初めて六千年の悲しみを私たちに相続させることができるのです。

 では、この場はどのような場でしょうか。神様の悲しみのすべてを厳粛なものとして相続した場です。それを相続し、父が立てようとされた本然の父母と本然の子女と本然の万物を私たちの世界に、方宇宙の上に、父の喜びとして復帰できる、このような基盤を築くという信念が皆さん自身になくてはなりません。それでこそ、ここに参加できる資格者となるということを忘れてはなりません。悲しい歴史の天の曲折を忘れてはならないということを、皆さんは再三、肝に銘じなくてはなりません。

 ここに来られた真の父母と皆さんが一つとなり、神様を安息させなければなりません。そして、皆さんは来られた真の父母を安息させるべき責任があるということを知らなければなりません。このようになる時初めて、善なる神様が国王として君臨されるのです。そのお方が私たちの父として君臨される時、善の天国が初めて地上に再現されるというのです。

 〈祈祷〉

 きょう神聖なるこの日、一九六三年七月二十六日でありますが、閏四月最後の日まで延長することを父の前に通知いたしましたので、通知した日のその翌日である五月一日、この日を万物を奉献する日として宣布しようと思いますので受け入れてください。

 この日があるためには「父母の日」がなくてはならず、この日があるためには「子女の日」がなくてはならないため、「父母の日」を三月一日として父の前に立て、「子女の日」を十月一日として父の前に立て、今、「万物の日」を五月一日として父の前に立てたのでございます。造られし創造の世界において、復帰のその日を見いだすための地上に、平面的な諸条件は具備されましたが、今、これらすべての日を基盤として「神の日」を探し立てるべき一日が残っていることを知っています。

 この日が提唱される日は、天宙と共に宣布する日でありますので、その日の完全なる勝利的な条件の日としてこれらすべての日を立てましたので、その日を延長し、お父様、「神の日」を完結する時まで私たちは戦いますし、私たちは忍耐しますし、私たちは進んでいくつもりでございますので、私たちの隊列に父の直接的な御加護が共にあってください。

 天と地が一体となり、天と民が一体となり、天を中心とした真の父母と子女が一体となりますように。こうして、血肉を中心とした心情の因縁の歴史を中心として、人類を一つの一族としてまとめる時まで、私たちはこの足場より九万里の(非常に広い)地球上を占領しようと思いますので、すべてのことはこの日から始まりますが、成就した基盤として受け入れてくださいますようお願い申し上げます。

 精誠を尽くした統一の信徒、子女たちは、ありったけの心と体を尽くし、ここに万物復帰の日を記念するため、血と涙のにじんだ献金を集め、父の前に捧げようと思います。ここに捧げるこの封筒を中心にして、天勝号を造り、そのほかに運営する工場とすべてのものを天のものとして名前をつける諸万物の基盤の上に、あらかじめ申し上げ消費したことも喜びとして受けてくださることを知っておりますので、自ら父のものとして受けてくださいますように。

 お父様、この献貢金は、万物をすべて父の前に捧げる条件の供え物でございます。これをなさるため、真の父母をお立てになり、真の家庭をお立てになり、真の聖地をお立てになりました。この聖地を基盤として精誠を尽くした基台の上に、条件をお立てになり、多くの子女が集めたこの献金を父の前に捧げました。

 これは、この国の全体を象徴するものであり、天宙を象徴するものであり、父が六千年歩んでこられた悲しみを解怨してほしいという極めて小さな条件物です。物質それ自体を見ていらっしゃるのではなく、その背後に連結した心情を御覧になる父であることを知っていますがゆえに、この条件を父の前に捧げます。

 ここには血と涙が混ざっています。統一信徒たちが聖地を復帰し、涙を流して父の前に訴えた因縁が連結されているので、エデンの地の上に、韓半島の上にある万物を父のものとして、今、掌握してくださり、全世界を掌握できる勝利の基台として受けてくださらんことを、お父様、切にお願い申し上げます。

 ここで活動するあなたの子女のすべての周囲を、父が保護してくださいますように。今、国家的な勝利の基盤の拠点を宣布してから三日目になる日です。これらすべてが栄光的に世界の門を開放し、父の息子、娘が第三イスラエル世界に向かって、全世界に向かって突進し、勝利の歓喜が天上天下に行き渡るようにしてください。実質的な生活の基盤を通じて、これらすべてのものを開放する責任を、私たちが果たすことを誓いながら捧げますので受けてくださいますように。ハレルヤ、アーメン。

 真の父母の栄光と真の子女の栄光、そして真の万物の栄光を父の栄光としてお捧げいたします。永遠無窮に、再び怨讐に汚されることがないようにすることを約束してくださり、このすべてを受けてくださいますように。真の父母の名で万民を代表し、全宇宙圏を代表し、この全地を代表し、天宙に代わって父の前に奉献いたしました。アーメン。


献貢式の前後の時


 神様がイエス様を通して成就できなかった個人的、家庭的、氏族的、民族的な基盤を成就するために、復活の実体として来られ、み旨をなすべき方が再臨主です。その歩みを三年間しました。この三年は子女を復帰する期間(縦的期間)に該当します。この期間は、イエス様がユダヤ教とユダヤ民族を収拾しなければならなかったように、復活の実体である一人のお方を立て、それと同じ歩みをなす期間です。

 先生は、アダム、イエス様、再臨主の三代にわたってしみ込んだ恨を総蕩減しなければなりません。この三年間で三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭を祝福してあげなければなりませんでした。それで、三次にわたった世界的な基準を立てなければなりませんでした。

 信仰を決定したのちに、心情復活、実体復活を宣布しました。そして、縦的に復帰してきたものを横的に立てたのちに祝福をしました。その基準の上に賞を与えました。また、そのような横的な基準が立てられてのち、聖地選別をしたのであり、それを捧げる式が献貢式です。この献貢式をすることで縦的なものが横的に展開されたのであり、平面的な基準が生じたのです。それで、八月からは、世界が別の方向に向かっているのであり、共産世界にも戦いが起こっています。

 今や、私たちは生きた資料をつくるため、苦労しなければなりません。今後四年間は「勝利的主管者となろう」という標語を中心として活動しなければなりません。よく我慢し、耐え忍んできたので、これからは攻勢をかけましょう。

 本部教会において、一九六三年度までは私が指導し、それ以後は劉協会長に任せたのです。私が統一教会の皆さんを苦労させたので、乞食の群れが国家的に現れるということを知っていました。経済問題を解決するために、これまで基盤を築いてきたのです。


万物奉献


 「万物の日」を祝う理由は何でしょうか。皆さんに属した万物を、神様の前に結束させるためです。そのためには、皆さんの私有財産はもちろん、共同財産である国のすべてのものを神様の前に奉献し捧げなければなりません。それが皆さんの責任です。また世界、地球星を神様の前に奉献してさしあげなければなりません。

 皆さんの知るべきことは、これまで自分がもっていた物、あるいは自分所有の財産は、自分が少しの間管理している過程にあるということです。すなわち、皆さんは管理人です。各自がよく管理し、神様の前に奉献すべきこの万物は、真なる父母の懐を経て神様の懐へ帰らなければなりません。言い換えれば、神様のものであると同時に、真の父母のものであるという過程を経ずしては、私のものになれない事実をはっきりと知らなければなりません。

 祝福を受けた人々は、必ず自らのすべてを神様の前に捧げ、神様の名で再び相続しなければなりません。ある期間さえ過ぎれば、神様はそのようなことをされることでしょう。

 皆さんは大きいものを神様の前に捧げ、神様から小さいものをもらったとしても、それを栄光に思うことができなければなりません。それが今後遣る統一世界の経済的な方向です。それに世界的に火がつくようになれば、それは世界で最も長い行列になることでしょう。我先に捧げようとする争いが起きるのです。


万物の公的管理


 万物とは何でしょうか。第三の父母ということを知らなければなりません。自分の体を愛するように万物を愛せる皆さんにならなければなりません。まず天の父母と一つにならなければならず、その次は自分の本然の父母と一つにならなければならず、その次に万物と一つにならなければなりません。第一の父母と第二の父母に侍ることができない人は、第三の父母と因縁をもつことができません。

 万物に対する本当の価値を設定する時になって初めて、聖書で言う万物の解放時代を迎えるようになるでしょう。そうせずして万物に接することは、管理でなくて強奪です。したがって、万物には真の主人が必要です。万物はこれまで公的な権限と価値を賦与されませんでした。今や万物は、そのような立場で扱われることを望んでいます。すなわち、万物は真の愛の管理を受けなければなりません。

 皆さんが着る服や一つ一つの必需品までも万物の一部分であるため、自分が使っている日常生活のあらゆる必需品を自分の生活の限界圏内にとどまっている万物として接してはいけません。すべてのものを被造世界の万物を縮小させた直接的な相対物として接し、その価値を世界的なものとして評価する生活をしなければなりません。

 十分の一は、私が所有している物質の中から十分の一を神様に捧げることによって、全体を捧げるという意味をもっているのです。父に全部を捧げなくても、その中の一つを精誠を尽くして捧げるということは、そのような意味から価値があるのです。そのように一つを捧げることによって、残りの九つも神聖なる物として取り扱われるようになるのです。このように十分の一を捧げる人は絶対滅びることがないのです。日がたてばたつほど、その倉庫が増えるようになっているのです。

 人間を再創造しようとするには、神様の前にアダムとエバがいない世界から再創造しようとするので、神様の前にアダムとエバが存在する前に造られた被造万物がなくてはなりません。しかし、堕落することによって、私にはそれがないのです。それゆえ統一教会では三年ないし三年半以上、七数の半分になる三年ないし三年半の路程で、必ず私を再創造できる天の物質的要件を復帰しなければなりません。それは誰がしなければならないのでしょうか。それは神様がするのではありません。したがって、三年路程が必要になったのです。六数は蕩減路程であり、七数が安息圏だと見るとき、三年ないし三年半路程は絶対的に必要なのです。

 このようにして自らの血と肉を注がなければなりません。自分の血を与えたからといって、それが物質的条件とはならないのです。血と体を投入し、サタン世界の物質を聖別できる立場に立たなくてはなりません。それは自分の欲望のための物質ではありません。その物質は宇宙的で公的なものです。天の公的なものにならなければならないのです。神様のものにならなければなりません。自分を中心としたものになってはいけないのです。この三年路程で、神様の公的な物をすべて聖別し探し出し、そこで私のこの一身を再創造できる物質的条件を探し立てなければならないのです。そうしようとするので、ありとあらゆる冷遇を受けるのです。


七 仙和子供舞踊団創立


 韓国舞踊を全世界に紹介する目的で創立された仙和子供舞踊団が、一九六三年七月二十七日、十七名の子供を中心として、楽園洞会館で創立された。舞踊指導は申順心嬢。


仙和子供舞踊団(リトルエンジェルス、一九六三・七・二七、十七人で創団)

 皆さんがよく知っているように、私たちは、人が米の御飯を食べる時、麦飯を食べ、一銭一銭貯蓄したお金を貧しい人々にすべて分けてあげました。また、伝道隊員が任地へ行くにも、旅費もなく汽車に乗り、捕らえられて留置場暮らしをしたことなど、様々な報告を聞きながらも、先生は国を愛しました。それだけでなく先生は、大韓民国の古代文明国家の権威を二十世紀の現代文明国家である米国に行って紹介してあげることを考え、借金をしながら、子供舞踊団をつくったのです。

 子供舞踊団を始める時も「統一教会は、婦人たちが裸になって踊っていたかと思うと、今度は、子供まで踊るのか。それ見ろ、昼も夜も踊っていたので、また踊る子を生んだのだ」などと、あらゆる話を耳にしました。

 ツイストという踊りは何ですか。それは蛇の踊りです。体をくねらせてお尻を振って踊るその踊りは、蛇の踊りです。それがおもしろいですか。ツイストという言葉はくねらせるという意味ではないですか。神様がくねらせることを喜びますか。サタンがくねらせることを喜ぶのでしょう。それを思うと忌まわしいのです。そのようにしてサタンは世界を自分の網の中にすべて追い込んだのです。そのような世界的風潮をつくったのですが、これを私の手で全部まっすぐに直さなければなりません。

 そして、服を脱いで踊るというのです。このような世間の踊りを阻止しようとしたのが、韓国の踊りを中心として、リトルエンジェルスを世界へ送ることなのです。リトルエンジェルスは服をきちんと着て踊るのです。足を見せないで踊っても世界的に有名になったのです。それは風に乗ったのです。今日、神様が喜ぶことがそれですから、リトルエンジェルスが世界的に歓迎を受けるのです。そのような時に合わせ、神様が支持できる踊りを踊るがゆえに、それを見さえすれば、知らないうちに、気がおかしくなって「ああ、素晴らしい」というようになってしまうのです。好きにならないように努力しても、心がうかれてうれしくなってしまうのです。私はそのように思います。


リトルエンジェルス芸術学校の建学理念


 この芸術学校を建てたのは、統一教会の理想を世界に連結させ、文化創造の基本となる芸術文化を互いに補給し、互いに協力できる関係を結ぶためです。

 この学校の教育目標は簡単です。天を愛する愛天、国を愛する愛国、人を愛する愛人により、世界人類を一つに連結することを教育理念としています。このリトルエンジェルス学校は、韓国で有名な学校です。日本でもそうであり、アジアでもそうです。


八 全国伝道師修練会


第十五回伝道師修練会(一九六三・二・五〜二・一六、前本部教会、二百二十一人)


 第十五回全国伝道師修練会が一九六三年二月五日より三月十六日までの四十日間、ソウル前本部教会において、特別に六、七回成和学生会修了生六十名余りを含み、修練生二百二十一名が参集した中で合宿修練として聞かれた。

 皆さんは公的な義憤心に燃え上がる人にならなければなりません。そのような人をつくろうというのが、修練をさせる目的です。ここはそのような人をつくる所です。

 皆さんがここに来たのは、神様の息子、娘になるためです。修練を受ける目的は、短時日内に神様の息子、娘になるためです。では戦いのあとに、上がっていき、踊りだけ踊ればいいのでしょうか。神様も踊れるようにしてさしあげなければなりません。それは完成した美の実体である息子、娘によってのみ可能です。神様が愛する息子、娘に玩具として与えたのが万物です。ゆえに、神様の万物創造は、息子、娘のためであったと言えます。

 私たちと神様の願いと事情が一致し、心情が通じるようになった時、神様は何をしようとされるのでしょうか。万物を相続させてくださるのです。そのような実体となり、万物を従え、そのような立場で息子、娘を生み、その息子、娘にすべてのものを相続してあげることを願われたのです。

 天は、人をして全宇宙の主人公に立たせるため、役事なさるという結論が出てきます。言葉は理念に代わり、生活は人格に代わり、内容は心情に代わるのです。このようなすべてのものを備えた者が現れるようになれば、皆がその人を慕い尊敬するでしょう。

 統一食口は万民を収拾するために、人が理解できない場の先鋒に立たなければなりません。それでこそ願われた善の主権、善の国土、善の民、善の理念を立てることができるということが分かるのです。そのようにして、三千里領土(韓半島)に向かって一斉に進み、力強く戦ってくださるようお願いします。


第十六回伝道師修練会(一九六三・四・一〜五・一〇、前本部教会、百十人)


 第十六回全国伝道師修練会は、一九六三年四月一日より五月十日までの四十日間にわたって、前本部教会で行われた。百十名の修練生が参加し、九十六名が修了した。真のお父様は七回にわたりみ言を下さった。

 天の父は主権をもっても悲しみの責任を負い、主人の立場でなく僕の立場で戦い、勝利されたので、私たちもそのような位置に立たなければなりません。来たるべき真の父母もそのような道を歩まなければなりません。修練を受けていく皆さんの生活と活動するすべてのことも、この一つの目的を立てるためのものでなければなりません。

 霊界と肉界、そしてこれまで修道の世界に入っていったすべての人々が協助しなければならない時が来ました。過去には、霊界から協助することができませんでした。誤って協助すれば、むしろ損害が甚大であったからです。過去にはイエス様を通して協助しました。今は、第一イスラエルと第二イスラエルが協助しているので、み旨のために心配し、責任を負って戦えぱよいのです。

 今日、再臨時代にいる皆さんは、真の父母のためにみ旨を歩むことができるので、どれほど幸福でしょうか。私たちは三時代の内容をもって出発しました。神様も僕の時代を経られ、四十の峠を越えられ、ゴルゴタを経て三日路程を歩む立場にいらっしゃいます。皆さんは僕の立場で苦痛を受け、子女の立場で苦痛を受け、ゴルゴタを越える父母の立場で苦痛を受けなければなりません。時代的な運勢は、蘇生時代を過ぎ、長成時代を過ぎて完成時代に至りました。


第十七回伝道師特別修練会および百二十四双婚約
(一九六三・五・二五〜六・一三、前本部教会、二百六十三名)


 第十七回修練会は、全国各地区より選抜された青年男女、合計二百六十三名が参加する中、五月二十五日より六月十三日までの二十日間、前本部教会で開催された。同修練会で二百四十八名、百二十四双の約婚基台が造成された。

 きょう皆さんは、この特別修練会という課程に参加しました。今回皆さんを中心として、このような集まりをもつようになったことは、もちろん天的にも大いなる意義がありますが、今からは自然的な環境で皆さんに対し、天が祝福できる道を開けてあげるためです。今年、三年路程の最後として、このような集まりをもつことも、もちろん一面では意味がありますが、今後全体の前に自由な雰囲気を許諾する代表的な集まりであるということを知らなければなりません。

 なぜそうなのかと言うと、三十六家庭と七十二家庭は、プログラムにより、長成基準までの、ある使命的な責任を完結すべき天的な内容があったのですが、完成時代においては、自由な雰囲気で全体を代表し、平面的な基準で広げていくべき使命があるためです。

 皆さんがここに向かって一歩一歩入ってくる時は、どのような帝王が式場に入っていくよりも、より一層厳粛でなくてはなりません。悔い改めなければなりません。堕落の血統を受け継いだので、僕としての基準を通過し、養子へと移っていく手続きを経なくてはなりません。また、この養子の位置から、直系の息子、娘へと進んでいかなければならないのですが、ここでも途方もない手続きを経なくてはなりません。食口の一人として立つときにも、とてつもない式を経なくてはなりません。

 修練期間は、誰についても批評することなく、人に聞いてみてもいけません。聞こうとするなら、自分の心に聞き、神様に聞いてみなさい。三数の基準をもってすべてを決定しなければなりません。決定は先生も神様もしてあげられません。ひたすら自分自身が決定しなくてはなりません。

 相対を決定するときは喜んでするのでなく、無限なる苦痛の心でしなければなりません。終わる時まで、出発する時と同じく注意深く歩まなければなりません。皆さんにとって、今回の二十日間は、六千年の歴史と時を合わせる重要な期間です。無限なる苦痛の場で、同時に極めて悲しい場で、また死を覚悟した場で決定しなければなりません。最高の苦痛と悲しみと死を味わう場で決定しなければなりません。


第十八回伝道師修練会(一九六三・九・一五〜一。・二四、前本部教会、五十二人)


 皆さんはこの式を終えて帰る時、過去の私と現在の私がどのように変わったのかを考えてみなければなりません。そして戻ってからは、環境に屈服することなく、むしろ環境を屈服させる私とならなければなりません。

 世の中では、喜びと悲しみが、善と悪が、信じられることと信じられないことが交差しています。このような世の中に生きている私にも、過去・現在・未来があるのです。そして先祖がいて、父母がいて、また子孫がいるのです。

 統一の群れは、希望と責任と使命に燃える「第二の自我」を見いださなければなりません。私たちの先祖の中には、真の孝子、忠臣がいませんでした。メシヤがこの地に来られれば、そのお方は、内的には神様を慰労しなければならず、外的には人間を保護しなければならず、自分を基準に孝子、忠臣を立てなければなりません。主が「孝子と忠臣になれる最小限の基準を立てておきなさい」と命令する時が来ることでしょう。私はどうしたらいいでしょうか。忠臣と孝子にならなければなりません。


九 全国成和学生会特別集会


第三回修了証授与および第七回修了予定者修了式(一九六三・三・一五、前本部教会)


 きょう、成和学生会の第三回修了証授与式と第七回修了予定者修了式が重なったことは、偶然の一致かもしれませんが、この三数と七数は二つとも復帰摂理歴史において貴重な数です。

 きょう、皆さんが参加したこの場が福なる場とすれば、極めて福なる場です。この中には学校を卒業する人もいるでしょうし、一線で歩んできた人もいることでしょう。しかし、皆さんの生活内容は、うれしい時も悲しい時も、ただ一つみ旨のためであったし、歩む目標もただ一つみ旨のためだったのです。

 皆さん、第七回修了生と第三回卒業生の中でも、ただ一人が問題になるのです。復帰歴史においては、常にただ一人の人が問題でした。

 皆さんの中には、これから修了式を終え、各自住んでいる所に行けば、迫害を受ける人もいることでしょう。しかし、皆さんはそこでたった一つの存在にならなくてはなりません。時には飢えることもあるでしょう。そこでも見事に勝利し、第一人者にならなくてはなりません。恥辱的なことを受けても、そこでただ一つの存在になればよいのです。

 皆さんは、三千万(全韓国人)が信頼し、世界の全人類が信頼できるただ一人としての統一教会人にならなければなりません。神様は心情を中心としてただ一人を立てようとするのです。ただ一人の人、信頼できるただ一人の人になって、天の偉業を相続する皆さんになるようお願いします。


第一回全国成和学生会特別修練会(一九六三・七・二七〜八・五、前本部教会)


 若者たちはより良い価値のものがないと失望するのでなく、より価値的なものを創造するのだという信念をもって生活していかなければなりません。そのような生活をしていく時、第二の希望を抱くようになり、また、その希望に向かって発展していくことができるのです。腐っていく木の枝のような若者たちを、再び創造し、環境を整理していこうという信念をもたなくてはなりません。

 再創造するには、相対的な位置でなく、主体的な位置に立ち、主体的な存在とならなくてはなりません。再創造の価値がもてないので、学生会が発展できないのです。歩んで途中で倒れれば結局滅びるのです。皆さんは、どこから再創造の目標を立てて行進してきたのですか。私自身から再創造しなければなりません。善を創造する「私」、善を代弁する「私」として再創造しなければなりません。


第二回全国成和学生総会(一九六三・一〇・二〜一〇・四、前本部教会、九十八名)


 ヤコブはハランでの第一次路程で勝利したのち、第二次路程でエサウに勝利しなければなりませんでした。モーセにおいては、パロ宮中で、パロからイスラエル民族を救い出すことが第一次路程でした。しかし、第一次路程で満足してはいけません。紅海を渡ったのち、第二次路程でも勝利しなければならないのです。きょう(十月四日)で第一次的な路程は、勝利に終わりました。しかし、これで満足にしてはいけません。これから第二次勝利路程を行かなければならないのです。

 既に先生が刑務所を出てから八年がたちました。ここで八年を越え「新しい道を行こう」と言う時、八年前の人たちがこのような立場に立てないことが悲しいのです。ゆえに、皆さんがこれをなさなくてはなりません。年を取った人は生活に縛られています。「死んでも行くぞ」という数多くの人々が、先生の四十二年の生涯の間に、来ては去っていきました。神様が世界的な祝福を与えようとなさるのに、家庭で倒れるならば、その子孫はそれ以上の道を行けません。


第一回全国成和同窓総会(一九六三・一一・八〜一・一五、前本部教会、百六十四名)


 第一回全国成和学生会同窓総会が十一月八日、青坡洞にある前本部教会講堂で百六十四名が参席する中で開催された。同総会で総会長金秉浩、副会長宋文金、崔英子等が選出された。

 今日、皆さんを指導する先生の立場はどのような立場でしょうか。考える統一教会、準備する統一教会、実践する統一教会の過程を経るようにしてくるのです。神様の摂理もそうです。考える復帰の世界、準備する復帰の世界、実践する復帰の世界、そして、考える善の世界、準備する善の世界、実践する善の世界、この三段階の過程を経てきているのです。それでは、皆さんが先生に従ってきている現在は、どのような時でしょうか。実践する時です。

 ですから皆さんは、み旨から見て、今がいかなる時代であるかを知り、そこに合わせて、まず個人的な勝利の基盤を築かなくてはなりません。今は、氏族と民族が一遍に連結され、氏族的な勝利の基盤の上に、民族を収拾すべき時代です。

 今私たちがもっている目標においては、学校とか職場とかという世間的なものは何でもないのです。こうして、今回の「子女の日」を期し、全国的にこのような無慈悲な活動を展開しようとするのです。

 きょうこのように、成和卒業生の集いをもつようになったのはすべて、苦労をうんざりするほどさせるためです。そうしてこそ恨が解けるのです。三千万民族(韓国民族)すべてが、反対しても変わらないという信念をもった皆さんになりましたか。なれなかったのです。先生はこれまで、そのような信念を中心として準備したことをもって実践の舞台に立ち、いかなる怨讐にも押し出されませんでした。皆さんにもそのような自信がありますか。

 皆さんは、自分が考える内的な世界で、心を中心として戦い、勝利の基盤を築かなければなりません。そしてその位置で誓いをもってこつこつと準備し、善それ自体にならなくてはなりません。そうして最後の実践の舞台で、韓国でなく世界の舞台で、見事に戦って勝利することによって、最高の栄光の立場に参席できなければなりません。


十 四十日伝道と全国特別復興会


夏季四十日伝道(一九六三・八・一〜九・一〇)


 各地域の食口が二百人以上にならないといけません。人員が足りない地域は、近接地域と結合しなければなりません。地域長としての皆さんは一個人ではありません。その郡の生命と財産までも責任を取らなければなりません。地域の食口は地域長に似るのです。地域長が前進すれば全体が前進し、地域長が後退すれば全体も後退するのです。

 講義録を中心とした啓蒙運動を展開しましょう。抽選による地方配置は、地方色を排除しようというところに意義があります。世界的に民族的相違をなくすためには、このような伝統を立てなければなりません。伝道隊員は中卒以上とし、小学校卒業者の中に特殊な能力をもった人がいれば、彼らも隊員として送り出すつもりです。今後私たちが行く道に中間団体の助けがなければならないので、有志の中に後援者になり得る人を見つけておかなければなりません。

 ここソウルに残っている人が多いですが、この人たちを動員して光復節を中心に約四十日間復興会を開催するようにしなさい。先生が皆さんに四十日期間を特別に命令しますから、皆さんはソウルを中心にして活動してください。今は機関長を伝道する時になりました。

 皆さんは氏族復帰時代というのを知っていますね。そうであるからには、家庭のために伝道し、知り合いのために伝道しなければなりません。八月一日から九月十日まで四十日間を設定したからには、今回の期間、あらん限りの力を尽くして新しい決意で、これまで先生に従ってきた信仰を総結実するという覚悟のもとで伝道しなければなりません。


秋季全国特別復興会(一九六三・九・一六〜一〇・一三、千四百二十箇所)
地区巡回(一〇・一六〜一〇・二三)


 九月十六日より十月十三日までの二十八日間を期間とし、全国八個の地区を南北それぞれ四地区ずつの二大軍団に分け、競争的大復興会を開催した。今回の行事は、過去三年の間、挙国的に伝道と啓蒙を実施し、教会が設立されていたり、設立の基盤がつくられている所をより分け、その結実的な収拾と画期的な再出発の基盤を準備するものとして、合計一千四百二十箇所で実施するようになった。

 今回私たちは南軍、北軍に分かれて全国的に特別復興会を実施しましたが、今回の大統領選挙でもそのような様相が現れました。この国はいつ安定するのでしょうか。天が立てようとする理念が定着してこそ安定するのです。それまでは安定できません。

 この民族が統一教会の理念でなければ駄目だという立場に立たせなければなりません。韓国を万邦に号令できる祭司長の国家にしなければなりません。倒れるとしても韓国民族をつかんで倒れなければなりません。

 七年の大患難は個人を復帰するための七年、家庭を復帰するための七年など、七年ずつ七回行かなければならないのです。しかし、先生だけ信じて行けば七年目に終えることができるのです。第二次大戦後、七年目に行こうとしたのですが、食い違うことによって獄中を経てくるようになったのです。

 ヤコブがハランに行って苦労した二十一年路程が、今や四年の期間で終わることができるようになりました。この期間は一度しかありません。先生は、皆さんが先生と共に苦労する蕩減期間が早く去るようにしてくださいと祈祷しています。皆さんは民族のために、先生は世界のために行くのです。


冬季四十日総動員伝道(一九六三・一二・二五〜一九六四・二・二)


 来年は摂理的にとても重要な時期です。国内情勢から見ても、世界情勢から見てもそうです。特に、今から七ヵ月間は摂理的にとても貴重な時です。今は全体が動員されなければならない時です。先生は時間さえあれば、神様が願われる最高の基準で皆さんを指導しようと思っています。人は自分の環境を収拾し、時を合わせることができなければなりません。

 今から七ヵ月間が峠です。皆さんはいかなる迫害にも打ち勝つことができなければなりません。苦労を多くした人が幸福な人です。先生は苦労においては、生きた歴史をもっています。

 一九六〇年度から一九六三年度の前半期までは、四十日伝道期間を出発する時に、本部が中心になって動いてきました。そのような体制が、一九六三年度後半期からは、各地区、あるいは地域を中心とした活動になっているのです。

 最も重要なことが何かというと、伝統です。伝統は一日、二日で立てられるものではありません。長い間の歴史的過程を通じて立てられるのです。それで一九六〇年代からこれまで強調してきたことが何かというと、伝統を正しく立てようということです。

 統一教会の祝福家庭の子供たちが、任地に出ているお母さんと会い、お母さんを呼んで見つめて立っている悲惨な姿を全部写真に撮っておかなければなりません。その写真を子孫たちが見れば、先祖たちがこのようにしたと言ってひざまずき、ついてこざるを得なくなるのです。
















▲ 目次へ

第五節 一九六四年 勝利的主管者となろう(二)

真の御父母様の生涯路程 4



第五節 一九六四年 勝利的主管者となろう(二)


一 一九六四年出発と摂理的意義


年頭標語:勝利的主管者となろう(二)
      (一九六四・一・一、前本部教会)


 私たちは四年路程を展望しながら、神様が私たちに命じられた四年間の標語として「勝利的主管者となろう」というみ言をもらいました。皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個人の勝利的な基台を築いていかなければなりません。

 完全に勝利するためには、すべてのものから公認を受けなければなりません。戦って勝つことはもちろんのこと、勝ったあとには、天と地の公認を受けなければなりません。そうしてこそ初めて、信仰を中心とした勝利的主管者になるのです。では、どのような公認を受けなければならないのでしょうか。ある限定された時間圏内でのみ公認を受けたのでは駄目です。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなくてはなりません。そこには個人から世界まですべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。

 ましてや一九六四年は、数字的にも良くない年です。ゆえに、この一年間皆さんは、苦痛を受けるにも歴史的な苦痛を受けるのであり、悲惨な目に遭うときも歴史的な悲惨な目に遭うのであり、悲しみに遭うにしても歴史的な悲しみに遭うという姿勢で、すべてものを完結しようという決意をもって進まなければなりません。このような決意をすべき一九六四年です。

 この四年間で皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば民族的な勝利の日を皆さんが迎えるとともに、神様が迎えるようになるのです。皆さんはこれを理解し、ひたすら祈祷しなければなりません。そのようなことが終わったのちには、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。


二 前半期主要行事と活動


 第十九回全国伝道師修練会および第二回成和修了生修練会
   (一九六四・二・二〇〜三・二九、前本部教会)


 一九六四年二月二十日、前本部教会において、全国各地より集まってきた伝道師修練生および、学生修練生百五名を中心とし、第十九回全国伝道師修練会と第二回全国成和学生会修了生修練会が合同で開催された。学生修練会修練生は三月十日に六十名が修了し、伝道師修練生は三月二十九日に七十名が修了した。

 歴史にわたって打つことができる材料、時代にわたって打つことができる材料、未来にわたって打つことができる材料が必要です。それでは、その材料とは何でしょうか。それは血と汗と涙です。心情に通じ得る血と汗と涙、神様に涙を流させ得る血と汗と涙、民族に涙を流させ得る血と汗と涙なのです。それで、個人個人が、世界の人々がそれを聞く時、涙を流し得る血と汗がなくてはなりません。

 その汗の上に築き上げられた勝利の功績が、後世の人が崇拝できる材料となり、後世の人が必要とし得る材料であると認識するようになれば、世界はそれによってすべて吸収されるようになります。それで皆さんに、三年間苦労しなさいと先生が叫んだのです。そのようにしてこそ皆さんは滅びないのです。

 祝福家庭をこの天地の四方八方の前面に立てたので、心が痛いのです。痛哭したいのです!けれども、その心情を抑えて、彼らに対する時は無慈悲な師として現れるしかありません。それは歴史を創造する計画を立て、歴史を収拾する民としなければならないため、無慈悲に駆り立てるのです。正にこれが先生の主張する信念です。このようにしてこそ何年かのちには、皆さんにたくさんの人々が従ってくるようになるのです。

 最近の日本教会の様子を聞くと、日本の高校生たちは学校で勉強を終えると、教会に来るそうです。学生かぱんを教会に置いてから路傍伝道をするのですが、皆一人ずつ伝道して家に帰るそうです。こういう運動をしているというのです。ここにいる壮年、青年たちはこれまで何をしましたか。皆さんが動かなくても神様は休みません。皆さんがしなければ、私がします。


地方巡回 一九六四・三・二三〜二六、大邱、大田、全州、
サラワク(Sarawak)王・アンソニーブルック(Anthony Brooke)卿同伴


 今年一九六四年は、統一教会では、活動において実に重要な年です。皆さんの活動いかんによって、この天地の運勢が左右される、そのような重要な時です。

 なおかつ、今から四月までは、国際情勢も、国内情勢も緊迫します。そのような意味から、私は本部にいる食口たちに話をして指導してきたのですが、今この時が天的に見ると重要な時期なのです。ですから皆さんは、今回のこの期間、四月までは皆さんの地域に戻って、今後地域を運営するときに、画期的に発展することができるよう計画を立てて動いてくださるようお願いします。

 そしてこの間、地区長会議でも話しましたが、今年からは地域において最小限二百人以上を確保しなくてはなりません。もし、この数に満たない地域があれば編入するのです。編入させなさいというのです。

 今日、私たちは二十世紀の奇跡を成しつつあるのです。皆さんにお金が一銭でもありますか。韓国政府ができないこのような業を私たちがなしているのです。お金は一銭もないのです。血を売り、肉を削って、少数のこの一つの集団が、今日、この三年過程において、厳しく強い風と戦っているのです。私たちは神聖なるこの一場面を迎えた集団であるというのです。二十世紀の奇跡があるとすれば、これ以上の奇跡はありません。怨讐の都城が崩壊し、武器をもってきた人々が、涙を流しながら屈服し、頭を垂れて降参する神聖なる場面が展開するのです。ここから歴史が開かれていくのです。

 今この時代の政府は、革命政府となっていますが、統一教会でなければ駄目だということが知られるようにならなければなりません。今や、その最後のページをめくるか、めくらないかという、そのような段階に来たのです。

 皆さんが考える時、約五、六年前は何人かの人しか動かなかったのに、先生が既にこのようになろうとは、誰が知っていたでしょうか。この世では夢にも考えられなかったのです。


大邱原理大講演会(一九六四・四・一〇、十八日間)


 四月十日より二十七日までの十八日間、大邱放送局文化会館で、統一教会原理大講演会が開催された。講義は、郭錠煥、安昌成、崔昌林氏が六日間ずつ交代で行い、動員された伝道隊員数は約二百五十名であった。鄭壽源全北地区長の総指揮のもとで実施された同行事の総聴講者は、一万五千七百九十名で、毎日平均八百七十七名であった。このうち、み旨の道に従うことを決心した聖徒の数は百名程度。

 今や、四十年路程が過ぎ、三年路程が過ぎ、カナン七族に対し得る四年路程を歩むようになりました。ここで問題になることは、カナン七族を身代わりした韓民族をどのように復帰するかということです。韓国復帰を中心として歩む皆さんは個々人ですが、皆さん個人のみが行く道ではないということを知らなければなりません。

 韓国復帰を中心として歩む皆さんは、真の父母の代身として歩む自らであるということを肝に銘じなければなりません。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な真の父母の勝利の基盤を準備することができないのです。

 先生が共に動く今回の期間、皆さんは再起し、昔、み旨を初めて知って恵みを受けて決意した、その心情の感応、感化を呼び起こさなければなりません。そうせずしては、四年路程を最後まで行くことができません。

 皆さんの苦労によって、多くの人々が大きな関心をもって講演会に集まりましたので、あすからは再出発しなければなりません。

 三つの国から苦難を受け、三大主権から苦痛を受け、サタンの三大試練で勝利し、復活しなければなりません。このような勝利の基盤の上でユダヤ教とイスラエルの代身である既成教会と大邱城に対して起こした戦いが、今回の復興会です。

 先生がこれまで大邱でこうしたことをすることができなかったのは、時が熟さなかったからです。今や、大邱を霊的に一段落つけたので、皆さんは地方に戻り、既成教会のために苦労することにより、彼らを自然屈服させなければなりません。既成教会は霊肉を合わせたカインなのです。数千年の基盤を築き上げた既成教会ですから、皆さんは、ヤコブがエサウを自然屈服させたその知恵をもって屈服させなければなりません。

 内的には既成教会、外的には民族を屈服させ、勝利してこそ、第三イスラエルを成すことができるのです。大邱でこの復興会をするため、ソウルでも成功を祈りました。皆さんを必要とする神様の前に七年路程の責任を全うし、神様の計画が成就するようにしなければなりません。


三年路程模範食口 四十人表彰(一九六四・四・一四、大邱教会)


 一九六〇年を起点として始まった三年路程において、様々な功績が多く、心情的にも模範的な足跡を見せ、後世に模範となり得る食口四十名を選抜し、四月十四日、第五回「父母の日」(四・一二)を記念し、慶北地区本部である大邱教会で表彰した。表彰状には歴史始まって以来、初めて真のお父様が直接署名をしてくださった。

 皆さんが三年路程を最善を尽くして歩んだ結果、私たちは所期の目的を達成し、ある段階に上がったと見ることができます。今、私たちは三年路程を終え、四年路程を歩む途上にあります。今後皆さんが四年路程を終えたら、その時は父母賞をあげなければならないと考えています。復帰摂理の途上で顕著な功績を築いた人に、そのような賞を与えなければならないと思っているのです。皆さんは、四年路程を歩む間、み旨に対し、神様に対し忠誠を尽くし、神様が記憶する人となり、賞を受けられる人になるよう願います。そのような人が多く出てくることを願っています。

 表彰を受けるに値する人が多くて、今回、受賞者を決定するのに非常に苦労しました。今回賞をもらえなかった人も、今後、あらん限りの力を尽くし、より一層努力してくださるよう願います。

 これを残った四年路程で、全民族的な路程を開拓するところにおける戦いの盾とし武器として、より発奮し得る力を内的に外的に誓う立場に立たなければなりません。それで今後、この賞を受けた人たちは、民族的な使命を完結するために、より一層犠牲的な努力を傾け、全体の前に見本とならなければなりません。


水原で原理大講演会(一九六四・五・二〇から一週間)


 五月二十日から二十六日までの一週間、京畿地区主催により、水原市内の水原結婚式場において第一回原理大講演会が開催された。約百二十名近い食口たちの伝道活動により、講演場所には、毎日四百名近くの聴講者が集まり、最高で六百四十五名出席した晩もあった。

 三、四年間でこの道が終わるのではありません。七年、あるいは七十年に延長したとしても、粘り強く行こうという気迫が必要です。その期間が長ければ長いほど、その範囲をさらに広げていかなければなりません。

 あることが地区で成功すればそれにとどまらずに、その成功の型をそのまま手本として、地域と区域と教会が成功するようにして初めて、全体が発展するようになるのです。水原で勝利を収めたと喜んでいるだけでは駄目です゜それが区域と教会の勝利に連結しなければなりません。

 先生も空手で出発したので、皆さんも何もない中でも心を合わせ団結して信じて行うならば、神様が助けてくださいます。三年路程は長いようであったが、終わってみれば大勢が変わったように、四年路程もはるか遠いようですが、あっという間に過ぎ去ります。今からは、私たちの行く道はますます容易になります。

 今ワシントンでは、重要な人物百名余りが編成され、私たちのみ言を宣布していますが、来年までには米国五十州が動くようになります。外国の食口たちが韓国には負けないと一生懸命に歩んでいるのです。問題は韓国です。

 皆さんの誇りは、ないところで苦労したということです。米国にいる食口は毎週一日ないし二日断食をして、ソウルに来ている米国食口は、毎週木曜日と金曜日に断食しています。

 今回復興会の期間、「おかゆを食べて活動します」と言っていますが、指導者は時にはそれさえも食べられないよう、砂を振りかけることもあり得るのです。皆さんは復帰の道を知りませんが、先生はよく知っているので、そのようにするのです。


大邱で原理大講演会(一九六四・六・一〇から十九日間)


 六月十日より二十八日までの十九日間にわたり、大邱駅前の慶北文化会館と大邱市鳳山詞の大邱統一教会において、原理大講演会が開催された。毎晩、新参者(新規の人)が一千二百名以上、最高一千五百三十四名に達する超満員を記録した。大邱教会の昼の講義場所も六十名であったのが、最高百六名の聴講者数をあげる日もあった。一方、動員された伝道隊員数は平均二百十名であった。

 今は姿勢を正して活動すべき時が来ました。どうか、へこたれることなく、倒れずに、死なずに生きて残りなさい。今は死んでも勝利、生きても勝利です。一九六七年さえ越せば、霊界が動員されることでしょう。

 先生はこの国を救うために、どのようにすれば国家機関に入っていき、原理講義をできるだろうかということに関する作戦計画を立てています。私たちが活動した実績をもってこの国を生かしましょう。その地方の責任者、すなわち郡守、面長などを動かさなければなりません。そして今回、大邱教会が自ら動ける基盤を立てていかなければなりません。

 戦いにおける、勝利の栄光は、最後まで残った者の子孫が受けるのです。共産主義は既に斜陽です。イスラム教とキリスト教は極と極です。このような視点で世界の一つの焦点に向けて皆さんを押し出すのです。その道は説明しながら行く道ではありません。実績を備えたあとにこそ説明することができます。天のことはそのようなものです。

 今は夜の期間なので何も見えないのです。しかし、日が昇ればすべてが見えるようになります。四年路程の一つの峠を無事に越えなくてはなりません。大邱の集会は、蕩減期間を無事に越えるための一つの条件です。


三 特別宣布儀式


蕩減基金献納式(一九六四・五・一二〔陰暦四・一〕、一二:〇〇、前本部教会)


 一九六四年五月十二日(陰暦四月一日)青坡洞前本部教会で「蕩減基金献納に関する儀式」があった。これ以後教会員は、祝福のための個人的蕩減路程で、蕩減基金一万二千ウォンを献納してきている。

 アベルとイエス様の血の代価を蕩減する日としてこの日を立てます。七年路程において、これまでの四年間は、蕩減条件があり消耗してきたのですが、残りの三年は一致団結して個人が勝利した基準の上で国家的、世界的な蕩減基準で越えていかなければならない期間です。

 蕩減基金はお金の中でも最も貴いお金です。この基金には逸話がたくさんなければなりません。悲惨なことが多くなければなりません。アベルを殺したカインの罪の代わりとしての蕩減基金なので、子女たちにとっては、父と兄の血の代価です。

 縦的な歴史の蕩減路程を歩んでこられたイエス様を殺したので、イエス様以後二千年間、地上では横的な蕩減路程を経てくるのです。横的なすべての血の代価を、来たるべき主を土台として相続しなくてはなりません。この期間が今回の四年期間です。

 来たるべき主が真の父母になるまでは、僕の位置から養子を経て、直系の子女の位置を経るのです。キリスト教徒が来たるべき主を受け入れなかったために、最も悲惨な立場から出発してきたのです。

 それで来たる主は獄中で十二弟子の型を復帰し、そこで勝利して天国を成すことができる土台を立てたあと、それを基盤として発展していくのです。監獄の中でも地獄の底を突き抜け、キリスト教を中心とした民族的な路程を経ていかなければなりません。

 来られた主は歴史の蕩減条件と血を流した目的を達成しました。それで天と地の恨みを解きました。しかし、子女たちが恨を解くことができなかったので、これを解くようにするための条件が蕩減基金です。父母は勝利しましたが、子女たちがサタンに侵犯されたので、勝利された父母の基盤の上に、父母を売った恨を解かなければなりません。蕩減基金を用意してこそ飛躍的に発展する時が来るのです。

 蕩減基金は食べるものを食べずに、着るものを着ずに精誠を尽くし、人の手を経ることなく自らが直接出さなければなりません。この蕩減基金を伝統にして、私たちの後孫たちも皆この峠を越えなければなりません。これを全うすれば国家の運勢は移っていくのです。

 イスカリオテのユダがそのお方を売り、死の谷間に突き落としたその行動は、結局、世界万民が行ったのと同じことになってしまいました。また、それは、摂理圏内にあるすべての民が自らの真なる父母を売った結果となってしまいました。

 一人の人の誤った行動により、真なる父母をこの地上から追い出してしまった立場となり、四方八方で神様の摂理はふさがってしまいました。その結果、四方八方でサタンが勢いを増すようになったのです。

 これを蕩減しなければならないので、真の父母を売ったその実体の代価として、四年間で三数に該当する金額を神側に返さなければならないのです。四年間というのは東西南北に該当するのであり、韓国では一年に三千ウォンずつ四年間で合計一万二千ウォンを献金します。そのお金は、自らの汗と涙と生命の価値よりももっと精誠がこもっていなければならず、神様のみ旨を思う基準で稼いで得たお金を神様の前に捧げるのです。


象徴的な聖殿建築宣布式と生命水(一九六四・五・二三〔陰暦四・一二〕、前本部教会)


 一九六四年五月二十三日、青坡洞前本部教会で、「象徴的な聖殿建築宣布式」が挙行された。特にこの日、真の御父母様は生命水を食口たちに下賜された。

 この式は、地上にエデンの園が立てられ、民族が立てられて、天の基準に合わせていく式です。私たちはこの世界、この国の主人であるという思いをもち、信念をもって戦わなければなりません。天の宮、天の権、天民を立てる日として新しい時代へと越えていく式です。

 また、生命水ですが、心に忌まわしいことがある時、この水を食塩と一緒に飲みなさい。水がなくなったら、六時前、誰かが飲む前に補充しなさい。聖塩は外的分別、生命水は内的分別です。心情の因縁を結んでくれる生水です。

 本来は「万物の日」をまず探し立て、「子女の日」と「父母の日」を探し立てるべきでしたが、統一教会では反対に探し立てました。しかし先生は個人的に「万物の日」と「子女の日」を探し立て、その基台の上に再び「父母の日」を探し立てました。真の愛で訪ねてきた父母が子女から捨てられた心情を感じてみることができずしては、真の父母の立場で「父母の日」を立てることはできません。

 この三つの日が血をもって侵犯されました。ですから父母を殺した罪、子女を殺した罪、さらには万物を捨てた罪をどのように蕩減するのでしょうか。ユダはイエス様を売った血の代価で旅人の墓地を買いました。ゆえに蕩減基金で聖徒がとどまることのできる家を準備しなければなりません。本来は本部を買わなければならないのです。

 神様は、万物と父母と子女の位置を探し立てるため血を流されたので、これを蕩減して、生命の家である聖殿を建てなければなりません。これを解決してこそ、神様を迎えることができる道が開かれるのです。イエス様の代価で、死体の聖殿をつくったので、私たちは蕩減基金で、生きた人の聖殿を造り、民族、国家、世界的な聖殿を建てなければなりません。


実体サタン屈服儀式(一九六四・六・九〔陰暦四・二九〕、前本部教会)


 一九六四年六月九日、青坡洞前本部教会で、「実体サタン屈服儀式」が三次にわたり挙行された。第一次では心情審判の条件を立て、第二次式で、み言を中心として分かれた天と地を合わせるようにする条件を立て、第三次式では人格審判の条件を立てる式が行われた。


〈第一次儀式(七:○○)〉


 きょう、三次にわたって行う実体サタン屈服儀式は、本然の世界の全権をもって善の主権を立て、心情を中心として統治することを意味する式です。今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、神様が被造世界を直接主管できる基盤を準備しなければなりません。

 聖霊時代を蕩減するために、これまでは聖霊も堕落人間の立場にありましたが、これからは聖霊が不義を直接審判できなければなりません。これまでは誤りを放任してきましたが、これからは善なる霊界を動員し、責任を追及しなければなりません。

 この式は、神霊が分かれてしまったものを再び一つに合わせてあげる式です。自分のことよりみ旨をもっと案じなければなりません。これまでは蕩減の苦労でしたが、これからは神様の前に自分の功績を立てるための苦労です。これまでは聖霊が間接的に役事しましたが、これからは神様が直接役事なさいます。皆さんも先生に代わって役事しなさい。


〈第二次備式(一二:○○)〉


 昼十二時に挙行する第二次の式は、不義を容認せず、分かれた天と地を再び一つに合わせ、また、霊界を動員して新しい命令による新しい戦いを展開することによって、地上におけるサタンの実体を清算する式となります。

 み言の前に不義は立つことができないという信念でこのみ言を伝えれば、このみ言によってサタン世界に恐怖が訪れるのです。今後はみ言を中心に長子の嗣業を奪う役事がなされます。私たちがみ言を伝えることによって霊人たちも協助します。

 朝行った式は、心情審判の条件を立てる式でした。昼行う式はみ言を中心にして天と地の前に立ち、分かれた天と地を一つにする条件を立てる式です。これまではこのみ言が世の中の誹膀を受けてきましたが、今後はそうではありません。これからは活動するほど広がることでしょう。


〈第三次備式(二三:○○)〉


 第一次、第二次に続き、この式は人格審判の条件を立てる式です。国(大韓民国)に対する式はこれで最後です。世界のための式はしなくてもよいです。国家と教会が受難を受けることは、サタンの実体を屈服する基準となります。良心を偽らないようにしましょう。これは天に記録されます。

 生命水にあるものを燃やして入れました。これはモーセが偶像を燃やし、それを水に溶かして飲んだように、サタンを燃やして食べるのです。勝利者の快感をもって絶えず苦労しながら進めば、自分の実績として残されます。今、皆さんはこのような条件を立てたので、サタンを屈服させ得る自信をもたなければなりません。

 今回の行事のために神様の前に断食して祈祷した基準があります。ですから私たちが責任を果たせなければ、神様が悲しまれ、サタンたちが私たちをあざけり、讒訴するという途方もない事実を知らなければなりません。

 神様が苦労された四千年の人類歴史は、イエス様を送り、天の勝利を勝ち取る歴史でしたが、この三年間またはこの何ヵ月、何日かの短い期間で覆す時間があったということを知らなければなりません。

 先生は去る陰暦の四月末日、陽暦の六月九日に食口たちと共に、三次にわたって戦い、実体のサタン屈服儀式を執り行ったのです。


キリスト教のための式(一九六四・七・一五〔陰暦六・一七〕、八:〇〇、前本部教会)


 一九六四年七月十五日、青坡洞前本部教会で「キリスト教のための式」が挙行された。この日、真のお父様は「この式により全キリスト教はアベル的立場に、人類はカイン的立場に立つようになり、イエス様当時の役事を再び集中的にすることができるようになった」とおっしゃった。

 一四四はイスラエル全体数であり、世界の第二イスラエル全体数です。全キリスト教を新しい方向へ変えます。この式によって全キリスト教はアベル的な立場に、全人類はカイン的な立場に立ちます。私たち百四十四名の群れは、代わりに忠誠を尽くさなくてはなりません。そうすれば、イエス様の時に役事したあらゆる役事を集中的にできるようになるのです。百四十四名全員が、十四万四千の代表であり、外見はみすぼらしいものですが、極めて大きな意義をもっているのです。

 過去においては、アベル的立場からカインに追われ追われたのですが、今日の私たちはそのアベル的な立場からカインを抱き入れようというのです。打たれて死んでしまうアベルとはならず、打たれたのち、殴った人を自然屈服させて天の前に連れていこうというのです。

 それで今、私たちは既成教会を訪ねていくのです。既成教会の牧師たちが「統一教会が三年間静かにしていたかと思ったら、どうして既成教会を訪ねて来るのか」と言うことでしょう。反対するとしても訪ねていかなければならないのです。天の命令権のもと、この三年路程が終わる時までぶつかるのです。


四 夏季四十日伝道


陰暦八月までの危機(一九六四年七月〜九月)


 皆さんは、最も危機である陰暦八月までを無事に越えなければなりません。今年と来年、その中でも特に来年は本当に重要な時です。統一教会は見掛けは何でもないようですが、内的な面においてはとてつもない天的な責任を担っているということを皆さんは知らなければなりません。

 今先生は、日本と米国、ドイツ、イギリス、この四ヵ国のために祈祷しています。この四ヵ国を中心にして、南北韓に分かれたこの韓国だけあればいいのです。多くの国が必要なのではありません。

 韓国に共産主義理念をおいて、どのように南北統一をするのかということが問題です。これは政治家も問題視していますが、統一教会の先生はもっと問題視しているのです。どうやってするのでしょうか。今皆さんを動かすのはその時に備えてです。私たちのみ旨がここに根を下ろしているのです。よく伸びていくことでしょう。先生はそのような戦いを考えて祈祷しています。

 では、今はいかなる時でしょうか。民族的な精鋭の基盤を築き、世界的な舞台に向かって進むべき時が、既に私たちの目前に追っています。これまで私たちは、むちで打たれ、迫害を受け、あざけられてきましたが、その嘲笑していたサタン世界に対して一気に蕩減できる時が追ってきているのです。


民族的総蕩減のための四十日動員(一九六四・七・二〇〜八・三一、二千百名動員)


 四年路程の第二次年度である一九六四年の七月二十日より四十日間、夏季伝道が始まり、全国から二千百名の有能な食口たちが選抜され活動した。

 今、時は総蕩減の使命をなすべき時代であるので、皆さんは先頭に立ち、民族的な蕩減のため、民族に代わって十字架を背負って進み出て戦いなさい。今はもう、いくつも峠は残っていません。

 今回の伝道期間は、できる限り全員が動員されなければなりません。今回は回数として何回目ですか。今後、何回もすると思いますか。できるだけ時を逃さぬよう参加して、たくさん苦労し、責任をもった立場で任せられた天の精鋭の目的を達成してくださるようお願いします。

 先生は今年、この三千里半島(韓半島)を遍歴したいという懇切なる思いをもっています。今、時はそのような時です。統一教会の信徒たちは三年路程を終えたら、少し疲れたようです。それで、今回大邱で復興会をして、地域長たちを新しく配置したのです。どのようにしたら、来年一年間戦うことができる準備をするのでしょうか。近ごろ先生は、この問題のためにとても心配しています。今回も二千人以上を動員するつもりです。俸給は一銭もありません。むしろ月例献金を出していかなければなりません。ではそれをもって何をするのでしょうか。この民族を生かそうというのです。

 全体のみ旨の前にあって、民族復帰の使命の内的責任は先生が負うのであり、外的責任は皆さんの努力でなしていきなさい。統一教会が出発してから十年がたちました。十年の間、私たちは個人的、家庭的、氏族的に発展してきました。

 先生が皆さんを、実績があろうがなかろうが、できるだけ動員しようとするのは、なぜでしょうか。皆さん、ある皇帝が山で木を切り、担いで宮中に入っていく時、その木の先にありが一匹ついていたとすれば、そのありも宮中に共に入っていくでしょうか、入っていかないでしょうか。くっついて共に入っていくでしょう。一年、二年……十年と歩んでくる中、同じようには歩んでくることはできませんでしたが、ここからでもついていこうというのです。

 戦場に行く途中で戦争が終わってしまっても参戦兵なのです。また、戦場で銃を撃ったところ、誤って味方の将兵を打ち、殺害してしまったとしても、その軍隊が勝利すれば戦勝兵となるのです。ゆえに、皆さんをこの七年路程にできる限り、どんな作戦をとろうとも動員しようとしているのです。


五 惠進様昇華と特別儀式


惠進様誕生と昇華
誕生:一九六四・七・二八(陰暦六・二〇)
昇華:一九六四・八・四(陰暦六・二七)、四:一五


 私は、惠進の死を通して、イエス様を失った神様の心情を体恤し、死を免れるほどにまだ神様の前に忠誠を尽くせなかったことを悟りました。

 先生の蕩減路程は、キリスト教の蕩減路程を経て、統一教会で再蕩減路程を歩んでいるのです。それで、先生の家庭から子女たちを供え物に捧げる歴史的なことが起きるのです。

 母と娘、兄弟、先妻と後妻の関係において、愛の戦いがこれまでの人類歴史の戦いでした。崔元福先生は、マリヤであり、イエス様の夫人格であると同時に、レアの立場です。ゆえに先生のみ言に絶対服従しなければなりません。

 また、長成期完成級まで復帰しなければならない堕落した母型です。完成期は堕落人間の心情では駄目なので、完成期に到達しようとすればお母様が絶対に必要なのです。そのために、お母様も悩み、先生の家庭から惠進が蕩減を受けるようになったのです。

 一九六四年度になってから協会長に教会を任せました。私が今、経ていくべき道は個人の道ではありません。家庭的な時代を迎え、歴史的に悲運であった家庭的環境を喜びで消化し、氏族的な悲しみ圏を迎えるべき責任を負ったため、その因縁をわきまえ、誰も知らない内的な心情を中心として一人で戦ってきたのです。

 皆さんには分からないことでしょう。これは協会長も知らなかったはずです。近くにいるその誰もが分からない心情をもって歩んできたということを、この時間、皆さんの前に話していることを知らなければなりません。

 私たちの家庭に、私たちの部落に、千人、万人の人が犠牲になるとしても、あるいは赤ん坊が死んでいくことがあったとしても悲しんではいけません。先生はそのような時むしろ、人類のために歴史的な怨恨を食い止めることができる家庭として立てなくなるのではないかと心配したということを皆さんは知らなくてはなりません。


霊的サタンを打つ式(一九六四・八・一四〔陰暦七・七〕)
肉的サタンを打つ式(一九六四・八・二一 〔陰暦七・一四〕)


 

霊的サタンを打つ式

 真の御父母様の五番目の御子女様である惠進様の昇華後十日目にあたる一九六四年八月十四日(陰暦七月七日)午前七時、青坡洞前本部教会で「霊的サタンを打つ式」が厳粛に挙行された。
 

肉的サタンを打つ式

 「霊的サタンを打つ式」に続き、それより七日目の八月二十一日(陰暦七月十四日)午後十一時、再度「肉的サタンを打つ式」を青坡洞前本部教会で挙行することにより、霊肉間のすべてのサタンを打つことができる立場が準備された。

 先生が歩んできた四十年は、四千年の歴史を蕩減する路程でした。カインが血を流した蕩減条件を立て、カインが受けるべき苦難を受けてきたのです。また、アダムとエバの堕落が家庭的な堕落であったため、一九六〇年までは家庭的に最も悲惨な路程を歩みました。

 六月七日は七年路程の三年半を越える峠なので、祝福を受けた老人たちと赤ん坊の惠進が亡くなったことは大きな意味をもっています。死去した四日の日、ベトナム問題が発生しました。

 先生に最も近い存在が亡くなるのを、皆さんが経験することは大きな意義があります。皆さんが行く所には何か危険が伴うようになります。以前のサタン世界とは違います。皆さんはモーセ、アロン、ホルの前に立ったヨシュアのような信念をもたなければなりません。

 以前は、サタンが祈祷中に現れれば、外部から問題が起こりました。しかし今年からはそのような時、家庭から問題が生じます。今後蕩減の供え物がもっとあるでしょう。

 神様はアベルが供え物であったため、アベルを打ってカインを許してあげたのです。これを条件として、神様はサタン世界を打つことができたのです。これからはみ旨に反対する人を打つことでしょう。私たちは誰が何と言おうが、神様のみ旨だけを見つめて進まなければなりません。


食口同士、心を合わせるための式(一九六四・八・二二、七:〇〇、前本部教会)


 先生は歴史的なすべての曲折を蕩減する儀式を行いました。一つになるための最後の儀式も終えました。このすべてが私たちのものになるようにするのは、ひとえに私たちの心にかかっています。これまで四十五年の間経てきながら、先生にはたくさんの怨讐がありました。しかし、先生はその国とその義だけを追求しました。それが先生の生涯でした。今や、天地は私たちによって動いていくことでしょう。

 本部において様々な式を終えたので、これからは、心情的な基準のみをもって活動すれば、実績を収めるようになります。先生がすることに対して批判してはいけません。何年後、何十年後かに成就することが皆さんに分かりますか。複雑な霊的環境を収拾し、今日、このように成すまでどれほど苦労したかが皆さんに分かるでしょうか。

 神様を中心としてなすことであれば、誰が何をしようとも、先生は受け入れてきたのです。先生は今や責任を全うしました。


六 第一次全国巡回原理大講演会


復興講師特別修練会(一九六四・九・一四〜九・二三、前本部教会)


 一九六四年九月十四日より二十三日までの十日間、ソウル青坡洞前本部教会で全国巡回原理大講演会の準備のための特別修練会がもたれた。この特別修練会の修練生は、本部原理講師と地区長および、地域長等、四十五名。これらの人たちは、十月一日より全国的に実施される原理大講演会で活躍する統一の闘士たちだ。講師は安昌成氏と郭錠煥氏であった。

 今後六ヵ月は私たちが精誠を尽くさなければならない期間です。定められた時期に召命を受け、非常に大きな使命を負って怨讐の前に立っている私です。私たちは出発も公的であり、過程も公的なので、これから公を立てる立場で動かなければなりません。今や韓国は、神様と因縁をもった統一教会を中心として収拾しなければなりません。それゆえ、私たちは原理を宣布しなければなりません。一九五七年から今年で七年目です。これから私たちは世界的な理念を立てていかなければなりません。

 統一教会は先生が立てた教会ではなく、皆さんが創建した教会として動かしていかなければなりません。精誠と志をもって先生に代わって三千里(韓国)の山河を巡回するようお願いします。この地に、死ぬことのない種を植えてから逝こうという覚悟をもって進んでいくようお願いします。

 私たちの使命は厳粛です。六ヵ月の六数をもって六千年の歴史を蕩減する意味で、私が復帰の一つの峠を越えようという厳粛な使命をもって力いっぱい頑張るようお願いします。


全国巡回原理大講演会の動員活動(一九六四・一〇・一から二ヵ月)


 十月一日より翌年三月末までの六ヵ月間にわたり、三名単位の講師による十五チーム、合計四十五名が動員された。付随的な伝道紙六十万枚、ポスター一万五千枚を準備し、携帯用マイク十五台、中型黒板百四十個を新たに購入し、同原理大講演会開催地域に分配した。

 皆さん統一教会全体は、一つになって先生の責任を身代わりし、また、先生が祝福家庭を保護し、この民族、国家を、統一の理念を中心として心情的に抱き、理念的にその位置を立ててきました。そのことを身代わりし、皆さんは、天の前に責任を果たし、先生の天に対したその基準が皆さんを動かしたことを延長させ、持続させるためには、皆さんに対して全体動員を命令せざるを得ない、そのような事情であることをはっきりと知らなければなりません。ゆえに、今回の期間は皆さんにとって、皆さんが責任を立てることができる一時であること、天の前にこれまで民族的な使命を果たせなかったことを、ある条件を立てて進んでいくことのできる一時であることを知らなければなりません。

 本当ならば私がこの三千里半島(韓半島)、あるいは数多くの宗教指導者を訪ねていき、民衆の前で叫びたいし、数多くの群衆を教育して三千里半島を動かし、三千万民族(韓民族)の運命を解決したいというような思いがあるのですが、体が一つしかないのでそのようなことができないのです。ゆえに、先生の四十歳を代表した代表者として、ここから叫びたい天の使命を担うことができない恨を皆さんが解かなければなりません。皆さんは、今回の六ヵ月という期間を中心として、蕩減条件を立てて精誠を尽くすそのような生活をしなければなりません。

 六ヵ月間は四十五人を先頭に立て、彼らを中心にしてこの国の運命を決定すべき最後の一大決戦を行う期間です。この期間において、私たちの精神をこの民族に完全に認識させなければなりません。

 全体が最低二ヵ月は参加しなければなりません。神様の前に最低十分の一の時間は捧げなければなりません。先生も一ヵ月に一週間は家にいないで、巡回をします。皆さんは最小限この公的な理念の前に、生命を捧げていくという誓いの基準がなければなりません。今後二ヵ月間の実績が成功的であれば、先生がここにいなくても協会長を中心にして、全国的に四日間ずつ三次にわたり復興会を実施する計画です。


全国地区巡回(一九六四・一〇・一から九日間、全国/一一・二九から大邱)


 十月からは本部から出発して全国大復興会をすることを知っていますね。(はい)。それで四十数名を選出し、京畿道から徐々に降りていくつもりです。地区長を選び出してさせるつもりです。この世の行動組織を見れば、組織的な運営方針を立てた機関においては、中枢神経のような人に「戦いなさい」と先頭に立たせるような方式はありません。連隊長を一線に立てることがありますか。師団長を一線に立てることがありますか。大隊長を一線に立てることがありますか。ところが統一教会では「お前たち、先頭に立ちなさい」と言うのです。

 彼らを前に立たせるのは皆さんの代わりです。六ヵ月間皆さんに代わって行く時、私たち全員が六ヵ月間、靴のひもを結び、ベルトを締め、かぶとをかぶって武装し、三千里半島(韓半島)のために、三千万(韓民族)のために贖罪をし、拘束の責任を負って行軍しようというのです。

 私たち伝道隊員の中には、血を売って伝道に出掛けた人がたくさんいます。このような話を聞いた時、先生の心はいかばかりだったでしょうか。そうしなければならないのです。ここで話しているこの先生も上から大きな使命を担い、これまで生涯を捧げてそのような道を歩んできました。皆さんも当然、そのような道を行かなければなりません。先生がそのような道を歩んでくるとき、神様が協助してくださり、支えてくださったように、先生もそのような心情をもって、皆さんを神様と因縁づけてあげたいのです。それが先生の心情です。

 統一食口は裸足になって祖国を創建しなければなりません。食べ残したものをもってこの国を生かすことができますか。食べて、着て、乗っていくことに気を使っているひまがありますか。裸足で、何ももたないで開拓していきましょう。このようなことをする所が統一教会です。
















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第六節 一九六五年 勝利的主管者となろう(三)

真の御父母様の生涯路程 4



第六節 一九六五年 勝利的主管者となろう(三)


一 一九六五年出発と摂理的意義


年頭標語:勝利的主管者となろう(三)
      (一九六五・一・一、前本部教会)


 特に今回の七年路程は、先生が自ら行くべき路程でもあります。先の三年路程は子女を復帰する路程であり、この四年路程は環境を復帰すべき路程です。このようなことを考える時、これから私たちがなすべき使命がどれほど切迫しており、焦る立場に置かれているかを、私たちは感じなければなりません。

 皆さんも知っているように、この四年路程の標語を「勝利的主管者となろう」と定めました。ではこの期間において私たちは何をしなければならないでしょうか。神様の前に地を探し立ててさしあげなければなりません。個人から家庭、氏族、民族、国家まで、どこに行こうとも全体が歓迎する、安全で自由な環境をつくることが、この四年路程における皆さんの責任であることを知らなければなりません。

 僕の位置における勝利的主管者、養子の位置における勝利的主管者、子女の位置における勝利的主管者、父母の位置における勝利的主管者、その中のどの位置も備えなければならないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。

 昨日も洪陵聖地から仁旺山の聖地まで、聖地をざっと一回りして帰ってきました。きょうも、先生が米国に行く時にもっていく礼物を準備するために、明け方出発して日が沈んでから帰ってきました。先生が何をするために、こうして回っているか分かりますか。先生がどのような心情で回っているのか、夢でも見ますか。皆さんはありとあらゆることをやっていますが、先生はなすべきことで忙しいのです。

 それを理解して、残った路程において勝利的主管者の基準を、皆さんはどのような位置で決定するのかということを中心として、受けもった責任を果たさなければなりません。その分野がどれだけ大きいものかを知って、あらん限りの精誠を尽くさなければなりません。


一九六五年の時と活動方向


 先生の一生を見れば、十五歳から三十歳が蘇生期で、三十歳から四十五歳が長成期で、四十五歳から六十歳が完成期です。三段階計画をなしてきたのです。したがって三十歳まではあらゆる準備をなしました。そして準備ができたら全体に影響を及ぼすようにぶつかりなさい。国とぶつかり、あらゆる影響を及ぼすように、ぶつかりなさいというのです。それで三十歳以後はぶつかったのです。激しく戦ったのです。

 一九六五年を中心としてこのような基盤を築いたので、ようやく韓国の基地を備えるようになり、その時、その基地を中心として世界的な基地へと出発したのです。四十五歳以降は完成です。

 祝福家庭を中心として、国家に対するあらゆること、世界に対するあらゆることの完成圏が展開するのです。そして世界的な私たちの基盤、家庭圏を完全に構築するのです。

 一九六五の一と九を合わせればいくつですか。(十)。それから六と五を合わせればいくつですか。(十二。全部合わせると二十一、三×七=二十一、二十一数です。そのように理解して、今年は勝利を決定すべき年だということを知らなければなりません。これから地区長を通して皆さんに伝えられるでしょう。昨年十月から私たちが全国に復興団を組織したことを知っていますね。(はい)。その責任は大きいです。この期間、忠誠を尽くす人には前途が開かれ、そのようにできない人は苦痛を受けるのです。完全に基盤が分かれるだろうと見ています。時がそのような時なのです。越えていくべき時です。

 これまで天は多くの恩賜を統一教会に与えたのです。ですから皆さんが責任を果たせなければ、新しく入ってきた人がアベル的な責任者としてその責任を相続するのです。

 このことは協会長にも話しましたが、学生、青年は、今後すべて新しく入った人を責任者に立てなさいと指示しました。地区も同じであり、地域長もそのようにするのです。世代交代という言葉があるでしょう。それは統一教会に必要な言葉です。そのような時なのです。それだけに今回、六ヵ月間の復興団が終わると同時に何をするのでしょうか。これから地区長が皆さんを統率します。各地区内でそのような復興活動をするのです。それで三十僧団をつくって八個の地域、あるいは三、四の地区を中心として、六ヵ月間、そのような作戦のもとで動くのです。


二 第一次世界巡回(一九六五・一・二八〜一〇・一〇、四十ヵ国)


一九六五年一月二十八日午後三時三十分、真のお父様は崔元福、金永雲両氏を同伴され、ノースウエストー機で金浦空港を出発され、日本、米国、ヨーロッパ等、四十ヵ国を歴訪された。真のお父様の世界巡回路程の一壮途(盛大な門出)を見送るため、三年以上天のみ旨のために苦労を重ねてきた地方の食口たちとソウル本部教会の食口たち、合計約一千三百名が十八台のバスに分乗し、空港に集まり歓送した。


巡回出発前のお話


 先生にはまだ世界的に行くべき道が残っているがゆえに、もっと苦労しなければなりません。世界的な蕩減路程なので、神様と先生、また皆さんと先生の間には距離があります。この蕩減の道を、神様はむちをもってでも行かせようとなさいます。

 各食口は世界的運勢に接することができる立場で聖地を守る人にならなければなりません。新しい運勢が追ってくる時に、恥ずかしくない人とならなければなりません。

 先生は今ソウルにいますが、心は地方にあります。皆さんは私が戻ってくる時まで、冷たい部屋でひざまずいて祈祷する姿になっていなければなりません。

 皆さんは内的にも外的にも責任を果たさなければなりません。先生に従って悲痛な道を行くことを覚悟し、三千里半島(韓半島)の運命を担い、神様の願われる目標まで進んでいかなければなりません。先生が戻る時まで落伍者がないようお願いします。

 今後迫りくる苦痛を越えるためには、現在の先生の命令よりも協会長の命令に従わなければなりません。たとえその命令が間違っていると思っても、それを死守しなければなりません。個人的な感情があっても、民族的な立場に立った彼のために、涙でもって祈祷して越えていかなければなりません。


第一次世界巡回の意義


 復帰摂理の第一次段階と第二次段階が締めくくられる時代が来れば、第三次段階の道へと出発しなければなりません。すなわち世界的な舞台を中心として、世界的カナン復帰のために出発しなければなりません。ゆえに、四十数を中心とした路程を出発しなければならないのです。モーセがカナンの地を復帰するために、四十日間の偵察をしたように、今日先生も世界の偵察に出なければならないのです。このように四十ヵ国を連結しなければならない摂理的な内容があるため、今年一月二十八日を期して世界巡回に出たのです。本来ならば六〇年度以前、自由党の時代に行こうとしていたのです。

 今回先生が行くのは、まず何をするためでしょうか。日本の食口に会いに行き、米国の食口に会いに行くのではありません。ここ三千里半島(韓半島)に聖地を決定しましたね。(はい)。地域長たちが決めたでしょう。(はい)。韓国の聖地が悲しんでいると、私は考えています。先生が命令をしたのですが、決めなかったからです。しかし、今回米国や日本に行ったら、私が重要な所に聖地を決定してあげようと思っています。それでこそ、韓国と同じ基準に合わせることができるのです。数年間聖地を中心として精誠を尽くしたその基準に合わせることができるのです。米国、そうしてヨーロッパに行けば、約十二ヵ国程度は立ち寄るかもしれません。

 そしてこの七年路程が終わると同時に、統一教会は世界的なカナン、つまり世界的なイスラエルに向けて進軍しなければなりません。それで、それに対する準備をするために、先生が四十ヵ国を巡回する時、十四ヵ国に統一教会宣教部を設置したのです。私たちの舞踊団とうまく連結させて、内外で合わせていくのです。

 ですから、これから統一教会の運勢は、国家を経て世界的運勢に伸びていくことでしょう。もしこの国、この民族が受け入れなければ、世界が受け入れるはずです。今後世界の万民がもろ手を挙げて歓迎する喚声が、三千万民族(韓民族)の胸に響き渡る日が必ず来ることを確信しています。

 今年宣教国が十四ヵ国を越えなければなりません。一九六七年には、四十ヵ国以上の基盤をつくり世界的な作戦を立てていこうしているので、そのような材料と計画が必要なため、先生はその国々を訪ねていったのです。

 先生は西洋で二十四、東洋で十六、合わせて四十ヵ国を巡回しました。四数は東洋を中心にして復帰しなければならないからです。六数は万物の創造数であるので、西洋文明が中心になって立てられます。四数と六数を復帰しなければなりません。四数、六数、十数を決定しなければなりません。先生が今回韓国に帰るのも二百五十六日ぶりなのですが、四つに分ければ六十四です。それで日曜日であっても帰るのです。

 四数と六数を復帰しなければならないので、四十×六=二百四十に、四×四=十六を合わせれば二百五十六日です。それで十月十日は意味があるのです。先生が東京を出発する時にも、三度も障害がありました。ソウルの滑走路のせいで、ノースウェスト便が変更になり、予定どおり到着できなくなったのです。


日本巡回(前半、一九六五・一・二八〜二・一二)


 真のお父様の最初の訪問地は日本。一月二十八日、日本の羽田空港に到着され、日本の食口たちの熱烈な歓迎を受け、真のお父様は迎えに出た庶事春宣教師、久保木会長など、食口の一人一人に握手をしてくださった。特に二十九日には、真のお父様は天宙統一を象徴する統一旗を日本教会に授与され、その意味を説明してくださった。その後、食口たちにみ言を与えられながら地方を巡回されて、二月十二日、米国に発たれた。

 神様が日本を任せることのできる真なる個人は誰でしょうか。問題はそこです。その家庭はどこにあるのでしょうか。またその団体はどこにあるでしょうか。このような重大な要件を前にして集まったのが統一教会です。

 もう少しすれば先生は米国に行きますが、この日本の地に足を踏み入れた時、先生は心から祈祷しました。「神様の心情にかなった真をもったこの先生を迎える人がいれば、その迎える心情を神様が記憶してください」と。私はまだ行かなければならない十字架の道を残しています。その十字架の道において、兄弟が迎える心は衰えることがないことを感じました。

 まず日本を復帰しなさい。先生以上に愛しなさい。世界を、先生が愛する以上に愛しなさい。父なる神様を、先生が愛する以上に愛しなさい。もしあなたの前に先生が倒れれば、先生の死体に取りすがって泣いてはいけません。先生が愛する神様を誰が愛しますか。先生が愛する人類を誰が愛しますか。先生が愛する天宙を誰が愛しますか。先生が負った責任を誰が負いますか。そのように愛せない立場で神様に嘆いてはいけません。これが皆さんに残したい言葉です。

 問題はただ一つです。それは皆さんが日本的か、日本的以上なのかということです。神様は日本的なものは必要とされません。日本的以上の人でなければ神様は必要としません。皆さんが日本人であることには間違いありませんが、日本人主義、日本的であっては役に立ちません。


北米巡回(一九六五・二・一二〜七・三、二ヵ国)


 真のお父様は二月十二日、米国サンフランシスコの国際空港に到着され、金永雲、金相哲、朴普煕氏等を含む、米国を代表する二十七名の食口たちの歓迎を受けられた。二月十四日にはサンフランシスコの聖地を決定されるなど、二月と三月の二ヵ月間、米国各地を巡回されながら、「聖地」五十五箇所を定められ祝福してくださった。三月三十一日、ワシントンに到着。四月二日には「父母の日」の行事を行われた。その後、四月三十日にニューヨークに行かれ、五月三日には国連の議事堂を訪問、安全保障理事会の会議の光景を見学された。そして、それ以後三ヵ月間、宣教現場を指導された。七月一日、カナダのモントリオールを経由し、オタワで一泊されたのち、マイアミに戻ってこられ、七月三日、パナマに発たれた。

 先生は、外国人はあまり泣かないと聞きました。ところが、米国に行って見ると、よく泣くのです。先生が何時に到着するかも分からないのに、その日に来るという知らせだけを受け、飛行場に来て一日中待っていたのです。待ちくたびれて気をもんでいたのか、先生が到着して飛行場にゆっくり現れると、迎えに来た人の中には泣く人、笑う人など種々様々でした。文化が異なり、歴史が異なるのですが、同じ統一信徒になってみると、笑うのも泣くのもすべて同じでした。

 米国で、ある食口が先生の白髪を見て泣きながら、千年、万年生きてくださいと言いました。それが米国を生かす中心心情になるであろうと思いました。韓国の青年たちがこの話を聞けば、いきなり殴られたような衝撃を受けることでしょう。

 また、世界的に有名な霊能者たちに会いました。その時、先生は彼らに世界のあれこれの問題をどのように解決すべきかと、三、四回質問したのですが、彼らは返事に困って慌てふためいていました。

 米国に行った時、民主主義思想を基盤として築かれた今日の米国文化を見渡しながら、「全世界に号令できる中心本部が正にここだ。今後創建する新しい文化世界は、ここを踏み台として上がっていく世界でなければならない」と考えながら、そのために祈祷しました。

 エンパイア・ステート・ビルディングをどうして自慢するのでしょうか。それは流れゆく一時代の自慢の種にはなるかもしれませんが、新しい世界を創建するところにおいては、一つの立て札にも、一つの塔にもならないのです。新しい福地の文化を中心として、新しい世界、新しい歴史を創建しようとされる神様の願いは、それよりももっと高い境地にあるということを皆さんは知らなければなりません。

 米国がどんなに住みやすいとしても、神様の本然の心情を中心として見れば、神様の喜びの材料とはなれず、栄光の象徴には接近できないでいるのです。このように米国の天地が悲しみと嘆息の穴の中に巻き込まれていくのを神様が眺められる時、それは息の詰まるようなことです。


米国の進路と活動の方向


 今日のアメリカ合衆国は、二千年前のローマ帝国と全く同じ立場にあります。二十世紀のローマと言える米国は、自分たちの文化だけを誇った一世紀のローマと同じではいけません。また、他国を支配するためだけに努めてもいけません。神様の祝福は絶対的に公的なものです。その祝福はある個人のためだけでなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのものではありません。神様の祝福は宇宙全体のためなのです。

 きょう、この場に集まった米国の兄弟姉妹の皆さんは、神様がこの地上に大いなる祝福を下さるまで、この瞬間、この場を準備するまで、どれほど多くの苦難を受けてこられたのかを知ら々ければなりません。今や、偉大な理念が本当にこの地上に誕生しなければなりません。

 最もひどい迫害を受ける中でも、私の祈祷と関心は韓国のためではありませんでした。私は日本と米国に宣教師を送るために、最善を尽くしました。日本に宣教師を送る当時は、韓国と日本の正常な国交が樹立されていない時でした。その当時、私たちが米国に宣教師を送るということは誰も考えられないことでした。そのような環境であったにもかかわらず、私は米国に原理の種を蒔くために誰かを送らなければならないという決心をし、昼に夜に労苦を惜しまなかったのです。

 米国に私たちの修練所を建てようと思います。五百名収容できる修練所を建てることが、今後の計画です。そうしてから、各国家の代表である青年たちを集めます。毎年百ヵ国から四名くらいずつ集まるようにします。そして彼らを世界各国に帰して、世界伝道集会をします。彼らを先頭に立てて復興会等をするのです。その人たちを集めて研究もします。そのようにして活動の基盤をつくります。第二回、第三回になれば、私たち教会に対して責任を負える人を送り、彼を中心にして一年に一ヵ国につき約十名ずつ米国に連れてきて、六ヵ月ほど訓練して帰します。そのようにすれば、私たちは自然に社会的にも成長します。


アイゼンハワー前大統領訪問(一九六五・六・二五、米国 ゲティズバーグ)


 真のお父様は六月二十五日、ゲティズバーグでアイゼンハワー前大統領を表敬訪問され、三つの重大問題についてみ言を語られた。アイゼンハワー前大統領もその内容を意味深長に聞き、その一つ一つに深く共感し、賛同の意義を表明した。

 先生はアイゼンハワー前大統領に三大条件を実践しなさいと話しました。歴史的な問題、宗教的な問題、そして思想的な問題をどのようにするかについて尋ねたのです。初めは五分間の面会時間が定められていました。ところが、二十分オーバーしました。「帰る」と言うと、彼は名残りを惜しみながら二階に再度連れていき、自分の生活の様子を見せてくれました。そして彼は、自分の回生一代に忘れられない記念品をくれました。また、チャーチル、スターリンのような人たちと何をしたかということなどを自慢したりもしました。

 私は一九六五年にアイゼンハワー大統領と会い、韓国動乱の参戦問題を中心として話をしました。民主世界が作戦を立て、共産世界を食い止める立場に立たずしては、もし民主世界が共産世界に一時的に勝ったとしても、共産世界はイスラム教圏を通じて再び民主世界に対抗してくると話したのです。サタン側の左翼においては、外的な共産世界と内的な宗教が完全に一つになっているのに、神側的な立場に立った右翼は、外的な民主世界と内的なキリスト教が一つになれなかったのです。

 私がアイゼンハワー大統領と会った時、彼に、宗教の怨讐は共産党であるので、世界四大宗教圏内に数十億の資源を投資して世界宗教圏をつくり、ここに経済力を投資して福地建設をする立場から、世界の宗教と宗教国家を糾合したら良いと言いました。宗教人が一つとならなければ、共産党に完全に破れ去る時が目前に追っているのです。

 それゆえ私たちはキリスト教や、あらゆる宗教を一つにし、共産世界の理論を凌駕する体制を備え、理論的に克服しなければならないのです。このようにするためには、世界の宗教が知恵を絞らなければならず、力を合わせなければならず、あらゆるものを動員しなければならないのです。


仙和子供舞踊団米国公演(一九六五・九・七〜一二・一六)


 海外での韓国民俗舞踊を通じた親善使節の重責を帯び、九月七日、金浦空港を飛び立った仙和子供舞踊団(二十六名)の一行(三十六名)は、期待以上の成功を収めて戻ってきた。舞踊団は米国内二十五州での五十余回の巡回公演と、十余回にわたるテレビ放送出演等をなし、日本の東京で数次にわたる公演を行ったのち、十二月十六日に凱旋帰国した。

 今は、二十世紀後半期の文化を建設しようという先進国家が、統一思想を問題視する圏内に入ってきました。それで、世界人類の前に韓国の文化を誇れる一日を迎えるため、私たちは仙和子供舞踊団を創設しました。

 数十年の間訓練した演芸団体でも米国の文化世界に入っていき公演したところ、彼らから批判を受けて倒れ、滅ぴていったのですが、小さな子供たちを集めて三年の短い期間で訓練したのちに、神様が役事されることを信じて米国に行き、初公演をしたら、その時から大歓迎を受けたのです。これは歴史的な奇跡だということを皆さんは知らなければなりません。

 私たちは子供たちが公演する前に、一箇所に集まり涙を流しながら「天のお父様、今回公演することになったこの子供たちの姿が、子供たちの姿だけとして見えないようにしてください。この子たちは天民として、天命を奉じている神様の使者ですので、米国の文化を制圧できるようにしてください」と祈祷したのです。このように天を慕ったがために、子供たちがこのような厳粛な使命を担い、天命を遂行するために進み出たという事実を知らなければなりません。

 公演が終わってのち、子供たちが互いに、「不思議なんだけど、祈祷して舞台に出ていくと、踊りもよく踊れし、失敗もしない」と言うのです。それはそうならざるを得ないようになっているのです。


中南米巡回(一九六五・七・三〜七・九、五ヵ国)


 一九六五年七月三日、パナマに到着された真のお父様一行は、コロンビア、ペルー、チリ、アルゼンチン、ブラジル等を巡回され、九日、リオデジャネイロを出発された。

 先生が世界四十ヵ国余りを巡回してみて思うことは、すべて見物したけれども、この世のどのようなものもうらやましいと思わなかったということです。そのようなものは問題になりません。この世の名誉と栄光の地位をもって喜び、誇れば滅びるようになります。そのようになるのは滅びる兆しです。この世の、何ものとも換えられない宗教、本来の権威と本来の望みを誇るためには、統一思想で精神的な武装をした人がいなければならないのです。

 先生が四十ヵ国を巡回してきたのは、近い将来、その国に統一食口を配置するためです。先生ができなければ神様がなさるのです。

 先生はブラジルに行き、日本のある食口がそこで、言葉もできない中で神様のみ旨を伝えるため、幼い年で自ら進んで十字架を背負っているのを見ました。この荒れ地で、七千万人が住むこのブラジルに来て苦労をしているのを見て、先生は胸が痛みました。心情の世界は国境と武力と今日のいかなる思想をもってしても阻むことはできません。その人は既に日本人ではありませんでした。皆さんよりももっと心情的でした。夕暮れの飛行場に立って、出発する先生を涙で見送っていたその忠誠に満ちた姿を私は今でも忘れられません。


ヨーロッパ巡回とバチカンでの祈祷(一九六五・七・九〜八・二四、十七ヵ国)


 七月十日、セネガルを経由してポルトガルのリスボンに到着された真のお父様一行は、スペインを経てロンドンに到着。金永雲駐英宣教師を随行陣に加えられ、デンマーク、リヒテンシュタイン、オーストリア、イタリア等を巡回された。八月十八日には、ローマのバチカンを訪問して祈祷され、八月二十二日、ローマを出発し、ギリシャのアテネに到着。二十四日カイロに発たれた。

 ヨーロッパ一帯を回りながら祈祷して考えてみましたが、アルプスを越えることは問題ではありません。ヒマラヤを越えることも問題ではありません。それ以上の難しい所、最前線に行って戦うのです。それが先生の作戦です。この道は復帰の道であるため、原理原則に合わなければ解かれません。

 世界に向かって祭物として訪ねていくその涙の基盤の中で統一の役軍(働き手)たちと会うことができなければ、このみ旨と使命は民族的なものにしかならないことを知らなければなりません。今回、ドイツの食口たちがその近隣の様々な国に配置され、開拓伝道に出ることになりました。

 今回、先生はヨーロッパを巡回しましたが、彼らの文化がどこの影響を受けたのかと考えると、すべてバチカンの影響を受けていると知ることができました。絵一つ描くにも十八年間、精誠を尽くして描いたというのです。それは宗教の影響です。それで先生は、統一思想を中心として十八年でなく、百八十年かかってでもあのような壁画を描こうと思いました。

 先生はバチカン宮殿の前で神様に祈祷を捧げました。「神様、二千年の歴史で六億以上の信徒をもった教会がここに建てられています。けれども彼らがどのようになるのかを考えると、憂えざるを得ません。数えきれないほど分裂した教派や教団を、天のお父様が願われるとおりに一つに統一いたします」と祈祷しました。そこはヨーロッパ文明の総本山の地であり、また集結地です。ヨーロッパ文明の神髄が集まっている所です。しかし神様が私と共にあるので、今に見ていなさいという心で祈祷したのです。

 先生は世界を一周する時、多くの十字架を見ながら、私の使命はこのすべての十字架をなくしてしまうことだということを再確認しました。キリスト教は十字架を道理とするのでなく、復活を道理とするのです。


中東巡回(一九六五・八・二四〜九・六、六ヵ国)


 一九六五年八月二十四日、エジプトのカイロに到着された真のお父様一行は、二十八日、ヨルダンのアンマンに到着。イスラエルを往来されながら、イエス様の足跡をくまなく調べられた。その後シリアを経て、九月四日、レバノン ベイルートの地中海の海辺で「純石」を採取された。九月六日、ベイルートを出発し、イランのテヘランに到着された。

 私は今回の世界巡回の時、シリア、イスラエル、ヨルダンを中心として中東一帯を注意深く回ってみたのです。それは彼らの背後にある霊人たちがどのように動いたかということを知りたかったからです。

 先生が、ナセル(Nasser)を中心として軍部が統治しているエジプトを訪問した日は、エジプト軍が創設された日でした。それで、その国の軍人の数などをいろいろ注意深く見たのですが、エジプト軍も現代式武器で武装されていることが分かりました。

 また、エジプトの首都カイロでは、彼らの工業や産業の発展の様子を知ることができませんでした。それで、カイロから四十里余り離れたアレキサンドリアに行き、そこの産業と工業の発展の様子を見ましたが、彼らがどのように大きなことを言っても駄目だと思いました。その当時、エジプトはイスラエルより十年ないし二十年は後れていました。それで先生は、彼らが東西の冷戦を利用して計画したことが一次的には的中して発展したが、再考してみるべきだと思って帰ってきました。

 共産主義は大きく中共とソ連の二つに分かれています。この二つの国は、今、中東地域において微妙な動きを見せています。インド問題では中共とソ連が援助しているように見えますが、またそれで内紛が起きているのです。中共は早くアジア側に基盤をつくろうとしており、その反面、ソ連は中東側を自分たちのものにしようとしています。そのため、ナセルと手を組んで米国とイギリスに反対しているのです。

 そして、ナセルはスエズ運河を中心にして成功したわけです。それは、今後中東において重要な条件になるに違いありません。ソ連はナセルを中心にしたイスラム教のアラブ人と団結しようと今盛んに動いています。そしてナセルは、自分たちの宗教を背景としてイスラム教徒を中心に、中東地域を自分たちが掌握しなければならないと考えています。

 これに対して米国とイギリスがソ連と対決するようになります。どのように対決するのでしょうか。ローマ教皇庁を中心とした宗教統一問題を背後で行うのです。莫大な資金援助で間違いなくそのようにするはずです。それでソ連は、ナセルを援助してあげながらも、どのようにすれば中東地域に宗教戦争を起こすことができるかを考えているのです。

 現在、インドとパキスタンが戦っているでしょう。カシミールは中共とパキスタン、インドの三ヵ国の国境地帯です。中共がインド洋に出ようとすれば、カシミールを通らなくては出る道がありません。それでこの地域は、今後中共がインドを赤化する戦火の発端とならざるを得ません。ところがパキスタンはインドと戦っています。パキスタンはイスラム教国家ですから、中東の国々が一つとなってインドと対決します。そして、さらに中共と一つになって、インドと対決しているのです。

 戦争をすれば、パキスタンの首相が中共に協力を要請するようになるのです。この宗教戦争をどのように誘導するかということがソ連の政策で、問題の種です。私たちはこれに巻き込まれてはなりません。

 中東に行ってみると、ナセルは既にイスラム教圏を統合して一つの目標点を目指した統一アラブの第三勢力圏を形成する段階に入っていることが分かりました。しかし、実際にはみな疲れ果てていました。スエズ運河を利用できなければ、すべてが火のついたガソリンと同じです。そのようなイスラム教圏の統一的路線に照らしてみるとき、キリスト教はバチカンを中心として統一理念を掲げずには進み出ることができません。

 ではどのようにするのでしょうか。彼らがどんなに努力してみても駄目なのです。ここに統一教会が必要なのです。私たちがしなければなりません。ですから死んではいけません。私たちは行かなければなりません。復帰の道が私たちを待っているのです。


エルサレム聖地巡礼(一九六五・八・三一)


 皆さん、エルサレムに行ってみてください。イエス様の墓に行ってみれば、思いもよらない五色人種が来て、墓にしがみついて涙をぽろぽろと流しているのです。これを見ると、「ああ、こういうわけでイエス様は立派なんだなあ」ということを感じるようになります。歴史は過ぎ去り痕跡はなくとも、その因縁をたどる中で骨髄に響き渡って溶け出る脂汗を流し、血のにじむ深刻な心情をもって対することができるという事実を見るとき、なるほど偉大な人物で聖人だと言わざるを得ないのです。

 先生がエルサレムを訪問した時、イエス様がゴルゴタの山頂まで上がる途中で倒れたという所に立て札が打ち込まれているのを見ました。十二回も倒れたというその場所を眺めながら「このような蕩減の道を経ていったのだなあ」と思いました。その場で先生は「暗黒のような二千年前に新しい天的な使命を担い、砂漠と荒野のような、このまっただ中に訪ねて来られたイエス様の事情は、いかぽかり切なくつらかったでしょうか。しかし、大きくて裕福な多くの民族をさしおいて、このように全く取るに足りない、ひどくやせこけたイスラエル民族を訪ねてこられたのは、民族復帰の恨を一日でも早く解こうとされた天のお父様の事情があったからだということを知りました」と祈祷しました。

 そこを訪問する人は、誰でもイエス様が抱いていた事情を深く慰労してさしあげる祈祷をしてこなければなりません。そうしてこそ、その場でサタンはやきもきし、神様は慰労を受けられるのです゜それでサタンは悲しくて泣き、神様はうれしくて泣かなければなりません。

 そこに行ってみれば、半分は砂漠地帯です。ラクダなどを見れば、あの大きい体格で腹いっぱい食べられるのかというくらいに草のない、半砂漠地帯でした。そこのぶどうのつるは一抱えにもなりません。

 昼は太陽熱で三分の一が乾いてしまいます。ところが昼熱いだけに、夜と明け方はたくさんの露にぬれるとのことです。その露で植物は再び生気を取り戻すようになります。このようにイスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のように、ユダヤ民族も明け方を待ち、その明け方の静かな中で神様の前に絶叫の祈祷をした民族であるということを切に感じました。

 また彼らの目をじっとのぞくと、何か感動のようなものがあります。感動して歌う歌が最高の絶叫であり、心霊が込められた祈祷なのです。それで「ああ、ここから新しい歴史が始まったのだなあ」ということを感じました。

 また、新しく入ってきたイスラエル民族には、彼らの収容地、野営地とも言える所があります。この民族は、主権を復帰しようという復古思想をもって、昔アブラハムが祝福された地に再び訪ねてきたのです。このようなことを見るとき、イスラエル民族からその思想を取り除くことができないと感じました。彼らがどのような環境に追い込まれたとしても、彼らの選民思想は、徹頭徹尾変わらないのです。


アジア巡回(一九六五・九・六〜二九、八ヵ国)


 アジアは、一九六五年九月六日のイランを手始めに、インド、タイ、シンガポール、マレーシア、ベトナム、フィリピン、香港、台湾等を巡回され、九月二十九日、台北を出発され、日本の羽田国際空港に向かわれた。

 先生はいろいろな国を巡回する時、その国に二日しか滞在しなくても、先生がもっているすべてのものを与えたい衝動にかられたりしました。心情が通じるようになれば、みな神様の子女になります。文化の背景や歴史的な環境、あるいは時代の位置いかんによって人間の価値は左右されるものではありません。そのいかなるものも人間の価値を決定することはできないのです。天を知り、地を知り、天の目的と地の目的と人間の目的を知るところにおいてのみ、人間の価値が決定されるのです。

 先生がアジアの南方の国々を巡回しながら、一番大変だったのが暑さでした。暑い所では宣教が難しいのです。インドのカルカッタに行き、約一週間いたのですが、温度が四一度まで上がりました。それで扇風機をつけたまま寝ました。扇風機をつけて寝ると病気になると言いますが、病気になるなんてとんでもありません。扇風機の下で昼寝でもして起きれば、気持ちがいいのです。それで先生は、「ここで伝道しようとすれば本当に大変だろう」と思いました。皆さんの中でそこに行く人はいますか。

 アジアでどこに人がより多くいるかと考えてみると、極東地方より熱帯地方により多くいるのです。中共でも全人口の半分が暑い地方で暮らしています。比率で見るとき、アジアでも北方よりも南方に人が多くいるのです。


日本巡回(後半、一九六五・九・二九〜一〇・一〇)


 九月二十九日、日本に到着された真のお父様は、十月一日、日光を観光。十月五日、箱根の芦ノ湖を観光。六日、富士山方面に立ち寄られたりされ、十日、ソウル国際空港に帰国された。

 日本は一時、大東亜共栄圏を主張したことがありました。その理想は良いものでした。もしその時、日本が彼らのために本当に国力と犠牲を払っていたならば、今日の日本は世界に誇れる国家になっていたでしょう。では、日本は何をしなければならないでしょうか。善を蒔かなければなりません。

 神様は日本の兄弟たちに何を願っているでしょうか。世界復帰のためには「死になさい」というのです。ですから、人が寝る時に私たち若者は、ある場所に集まって歌も歌い、訓練もするのです。昼も夜もそのような運動をするのです。

 日本がエバ国家として世界的になすべき使命は何でしょうか。何と言おうとも服従することが勝利することなのです。完全に服従すれば完全に征服します。一〇〇パーセント占領されれば、一〇〇パーセント勝利します。動かすことができるのです。

 皆さんが日本を愛するならば、早く広げていかなければなりません。青少年問題、共産主義問題、宗教界の問題、すなわち、現在問題となっているこの三大問題をどのように消化するのですか。韓国よりも悪い条件に立っています。韓国では共産主義に対しては絶対的に反対です。それで、日本は韓国よりももっと難しいのです。

 皆さんを残して先生は行かなければなりません。そして西川(西川勝:崔奉春)先生も米国に行きます。そうなれば久保木君が責任を負わなければなりません。それを考えるとき、先生として最も強調したいことは、組織を強化して互いに密接な関係を結びなさいということです。それで、組織の連絡性、あるいは統轄性が何よりも重要であり、そこで従順に従うことが必要なのです。ですから第一には組織、第二に団結、第三に行動が必要です。これが私たち日本を中心として世界を動かすための三大要素です。


三 世界四十ヵ国百二十箇所の聖地選定(第一次世界巡回前後)


 一月二十八日、世界巡回路程に発たれた真のお父様は、十ヵ月間にわたって世界四十ヵ国を巡回され、百五箇所の聖地を選定され、十月十日、帰国された。その後、十二月八日から翌月一月一日まで、全国九大都市を巡回されながら、十五箇所の聖地を選定されることにより、合計百二十箇所の聖地選定を終えられた。


百二十四家庭と「万物の日」と聖地選定


 どうして先生は世界を巡回したのでしょうか。聖地を知っているでしょう。これまで先生が勝利した基準を、世界的に分配してあげなければならないために巡回したのです。韓国において成し遂げた使命は、韓国を中心とした勝利的基準であり、そしてそれを世界全人類に分けてあげなければなりません。そうするためには何をしなければならないのでしょうか。聖地を決定すれば、それは堕落する前の天地が生じた基準と同じことになります。人間を創造する前の期間に万物が生じたのと同じことなのです。それがあれば、霊界と天使は、神様の創造に協力してアダムをつくることができるのです。それゆえ霊界が地上に役事する基台が成立し、そこにアベル格であるアダムの勝利圏をもった、堕落していない心情基準をもった私たちの天の子女を送れば、彼らを中心としてみ言の実体再創造と心情基準の出発がなされるのです。それゆえ世界的に宣教師を早く送ろうとするのです。

 聖地決定は蕩減復帰の原則によって、また神様の創造の原則によってするのです。神様は万物を造られてからアダムとエバを造られました。そうしてアダムとエバをして万物を神様に連結させようとなさったのです。

 それで百二十四双を韓国各地に配置しながら聖地を選定したのです。その聖地を中心として一体的な因縁を備えていき、使命を果たすように願ったのです。このようにすれば、個人的な使命を全うしたことが基準となり、世界史的な全体の責任を中心として、世界と連結できる勝利の時代が訪れてくるようになるのです。

 先生は百二十四双の祝福をしたのちに世界巡回路程に出かけ、聖地の選定をしたでしょう。失った先祖と失った民の中心を復帰してこそ、失った地を復帰できるからです。それはすべて原理的です。それが終わって、一九六五年に先生が全世界に聖地を選定したのです。どうしてそうしたかというと、神様のみ旨を中心として三十六家庭を復帰し、その次に七十二家庭を復帰して、民族的な中心として、世界国家型百二十家庭の基盤をつくったので、世界国家を管理しなければならないからです。そのようなことができる時代に入っていくので、全世界四十ヵ国に、結局百二十箇所の聖地を選定したのです。

 そして「父母の日」は、父母が決定することによって生じましたが、「子女の日」はその時決定されませんでした。その「子女の日」を立てるためには、父母を中心として四位基台となる子女たちと、祝福を受けた家庭の子女たちが一つになる基盤を築いておかなければならなかったのです。アベル的な子女の位置とカイン的な子女の位置を歴史的に失ったため、失った縦的なすべてのものを復帰し、讒訴圏をなくしたそのような外的な子女の立場で一つになって初めて「子女の日」が設定されるのです。そこに讒訴圏があってはなりません。

 そうして初めて三年期間を通して一つとなる条件を立てたので、「子女の日」が決定されたのです。その日が決定されることにより、「万物の日」は自動的に決定されたのです。どうしてそうなのかというと、人間だけが万物を主管できるからです。ところでこれが二国家だけであってはならないので、世界的に連結させるために一九六五年に聖地の選定をしたのです。


韓国の聖地と世界の聖地


 先生はソウル地域に東、西、南、北の四大聖地と中央聖地、そして本部などの七箇所の聖地を選定しました(一九六二・一〇)。このようにして世界と連結できる勝利の時代が来るなり、すぐに先生は、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日を期し、七箇所の聖地から土と石を取ってきて外国に持って行く準備をしたのです。

 今後民族的な運勢とともに世界的な運勢が歩調を合わせていく時が来るのです。それゆえ先生は、韓国の首都ソウルで選んだ聖地を世界的に接ぎ木しようとするのです。国内だけでなく、世界的に接ぎ木するのです。韓国の聖地を世界的に接ぎ木するのは何のためでしょうか。世界を韓国の地とするためです。蕩減復帰の原則により、サタン世界に行って聖地を決定すれば、そこが韓国の地になるのです。どうして韓国の地になるのでしょうか。天的に見るとき、聖地さえ選定すれば、その場所が韓国の地になるようになっているからです。

 追われに追われる時、祈祷しに行く所のなかった私たちに、今や、神様の前に嘆願することができる聖地が選定されたということは歴史的であり、世界的な勝利の立て札が立てられたという事実を知らなければなりません。このような基準を拡大するため、先生は世界を巡回しながら四十ヵ国に百二十箇所の聖地を選定したのです。多くの経費を使いながら様々な国に聖地を選定し、そこの石と土を韓国に持ってきたのは、そのようにしなければならない神様の摂理があるためです。このようなことは歴史にないことです。

 四十ヵ国の百二十箇所の聖地は、神様の選民圏を守ってあげることができる地です。この地を肉身をもった人たちが守れなくても、霊界の霊人たちが守ってくれるのです。神様が共にされることができる立て札を打ち込み、戦うことができる基盤をつくり、民族復帰運動の戦いを勝利に導くことができる基点を立てるためなのです。


経済的な復帰のアベル的基盤


 私たちが七年路程の期間でなすべきことを果たすことにより、地が一つになれる条件を立てるようになるのです。この条件を立てるということは、どのような意味でしょうか。それは、経済的基準が神側に回復してくることができる時になるということです。つまり経済的基準、物質的基準を回復できる基準が成立されるということです。物質的基準を回復できるということは、今後、統一教会の財政的基準がさっと広がる時代圏内に入っていくということです。

 先生は、うちの教会のある所に行くたびに、今後アベル的な存在の基盤を復帰しなければならないという祈祷をしてきます。先生はそのための摂理的な計画によって、聖地を選定してきました。聖地を選定してきたのは、経済的な復帰のための基盤を準備することでもあります。それゆえ、それぞれの場所にアベル的な財政支援をしなければならないのです。それで先生はそれぞれの国へ行くたびに先生の名前で貯金をしてあげました。米国に行けば米国のお金で、日本に行けば日本のお金で、ドイツに行ってはドイツのお金で預金通帳をつくってあげました。

 先生の名前で預金できるということは、子供が万物に対することのできる心情的な因縁に参与できる特権を、父母から付与してもらったのと同じことです。先生が行く道に同参できるということは、世界史的な誇りです。それは今日、物質復帰のためのアベル的な祭壇を築くのに重要な条件となるのです。それで国ごとに貯金通帳をつくってあげたのです。

 私たちは昼御飯を食べなくても、人類のために貯金しなければなりません。今日、多くの人は貯金をしています。個人のために貯金する人もいるでしょうし、家庭のために貯金する人もいるでしょう。また、自分の会社のために、自分の国のために貯金する人もいるでしょう。しかし、統一理念を中心として、世界の問題のため、天と地の公的な基準のために貯金することは歴史始まって以来私たちが初めてです。このとてつもないことを私たちはしなければなりません。


韓国の土と石と随行員三人(崔元福、金永雲、崔奉春)


 この土と石は何を意味するのでしょうか。アダムが堕落することにより、神様はアダムだけを失ったのではなく、世界をすべてサタンに奪われたのです。しかし今は、神様が訪ねてくることができる勝利的な基盤が築かれたため、地を復帰できる時代圏内に入ってきています。ゆえに聖地にある土と石は、神様が臨在なさることのできる基盤となるのです。それで聖地を宣布したということを皆さんは知らなければなりません。

 四十ヵ国を中心として、その三倍となる百二十箇所の聖地を選んだのです。そこで韓国の地を四十ヵ国に連結させるために、石と土を持っていって埋めたのです。それは人の心と体を象徴しています。体は土であり、骨は石です。イエス様が石を象徴し、私たち人間が肉を象徴しているのと同じことです。それは天と地も象徴しているのです。

 その次に何をするかというと、これを人と人とを合わせて連結させるのです。その時、四人の人が行ったのです。四位基台ならば四位基台を編成し、これをすべて越えていくのです。それで、百二十箇所の聖地に、韓国の地と韓国の石と韓国の人を象徴的に植える、すなわち連結させるのです。そこは未来のカナンの地です。その霊的基準をつくっておくのです。

 聖地を選択することは、エデンの園で失った人と地と万物を復帰できる地を備え、人を復帰し、神様と対せる焦点を決定することです。天使世界は、アダムとエバが早く完成して、神様の愛を受けることのできる圏内に入ることを望んでいたのです。天使世界はアダムとエバに協助し、アダムとエバが神様の子女となり、神様を中心とした家庭を成し、神様の愛を受ける平和の基盤を成し遂げることを望んでいました。ですから聖地は、神様に祝福された家庭のように聖別された所であるので、そこに霊界が協助できるのです。

 その時、先生と崔元福と金永雲と崔奉春がそこに参席しました。それはどういうことかと言うと、み旨から見れば、崔奉春はエバ国家である日本を代表し、金永雲は世界的な天使長国家である米国を代表した立場であり、アダム国家を中心として四位基台の型が整えられたので、この四人が世界を巡回するようになったのです。ここにエバ国家は男(崔奉春)がなり、天使長国家は女(金永雲)がなったのです。そのように入れ違ったのです。それを見ると、内的アダムとエバを象徴的に合わせておいたのです。

 このような重大な巡回が第一次世界巡回路程であったということを、皆さんは知らなければなりません。のちに皆さんが霊界に行けば、先生が感じたような心情的事実を感じる時があるでしょう。

 その時、私が行ったことが何かというと、その国の中央庁とか博物館を主に訪問したのです。歴史と現実の主権とを結びつけてみようとしたのです。世界を巡回し、聖地を選びながら主にそのような所を訪問したのです。そうしながら韓国から持ってきた石と土を聖地のあちこちに埋めておき、その国の石と土を持ってきたのです。


米国聖地の選定期間(一九六五・二・一五〜三・二九)


 一九六五年になって、四十三日間で四十八箇所の州を私は回りましたが、何をしようと思って回ったか分かりますか。空港に着いたときから、この地の上に、私が踏みしめる所すべてに、神様の愛を中心として爆弾装置を仕掛けなければならないと思ったのです。

 世界百二十箇所の聖地を選定したのですが、ここにも六十二、三箇所、そのような数の聖地(九号〜六三号の聖地)をつくっておいたのです。ですから、米国に対する全体活動の構想は、既にその時に、骨髄からなしていたということを知らなければなりません。それはここを中心としてしたのではなく、世界的になしたのです。世界四十ヵ国に百二十箇所の聖地を選定するのに、五十五箇所の聖地を米国内に選定したということを知らなければなりません。

 先生は米国に初めて降り立つや否や、四十日間で四十八州を完全に走破しながら、回るべき所はすべて回ってみました。皆さんがする前に既にすべてなしたのです。走れ! 走れ! 運転手が居眠りすれば、「こら! 何をのんびり居眠りなんかしてるんだ、こいつめ」と言いながら、回ったのです。フォルクスワーゲンという車があるでしょう。それで砂漠地帯を走るときには、あのネバダとアリゾナには巡査もいないので、アクセルを全部踏めと言ったのです。(笑い)

 食事などというものは、食パンがあるでしょう。それから何ですか。ソーセージ。パン二つとソーセージ一つとそれからピクルス一つ、これが朝、昼、晩の食事です。

 この人たち(=随行した人)は夕方になればモーテルに行って夕食をとろうと、頭の中で想像するのですが、モーテルとは何ですか。車がモーテルです。車がベッドであり、テーブルなのです。(笑い)

 先生くらい米国の四十八州を何日間かで漏れなく回ってみた人はいませんでした。先生は誰よりも米国を愛したのです。ある時は寝ても机をけりながら、米国の地をいつ復帰するのかと考えたのです。

 この国に世界のどの国よりも多くの聖地をつくったのは、主にこの国で勝敗の決定をなすということを既に予告していたということなのです。ここの一州に、ある一国以上の価値を付与したのです。ですから宇宙のセンターとして考えたのです。世界のセンターとして考えたのです。


難しかった聖地選定の道


 私が四十五歳の時、百二十箇所の聖地を選定するために四十ヵ国を巡回しました。ほかの人たちはカメラを担ぎ、ある国に行けばそこの写真を撮ると大騒ぎなのですが、先生は石と土をトランクに積んで百二十箇所の聖地を探して四十ヵ国を回ったのです。(笑われる)

 飛行機に乗って、税関を通過する時は、石を積んで旅行しているので不思議に思うのです。人々は大きな荷物を持って旅行しているのですが、ただの重い石を持って歩いているのです。誰がそれを理解しますか。狂った人だと思うのです。そのようにしてつくられた聖地が、天の前に万民が共同で精誠を尽くす基地になったのです。

 先生がそのように巡回する時は、統一教会が楽な時代ではありませんでした。患難を受けていた時でした。困難な時でした。そのようなことが新しい歴史において、大切な石になり、基礎になったのではありませんか。

 先生がシリアに行って聖地を選ぶのに七時間以上かかりました。それで世界の聖地の中で最も印象に残る所がシリアです。先生がそこに行った時、東ヨーロッパ一帯を中心とした世界博覧会、すなわち国際博覧会が開かれていました。そこにソ連の衛星国家が、みな自分の国の産物をもってきて展示していました。私はソ連の展示館に入りましたが、その時の印象が忘れられません。

 昼は聖地を選べず、夜選んだので時間がとてもかかりました。もし昼間、立って祈祷するキリスト教徒がいれば、人々が石で殴り殺そうとするのです。

 それで一緒に座っていたセルビア人の助けを借りて、聖地を選んだのです。そのようにして聖地を選んだことが一昨日のことのようです。それはまたイスラム教圏内の文明が霊的にはどの段階にあるのかを知りたくて、先生がそのようにしたのです。

 その時、ここは「聖地の中で最も忘れられない、印象的で悲惨な聖地です。昼選ぶことができずに、夜このようにすることは十分ではありませんが、それだけにこの国がさらに大きな恵みを受けるようお願い申し上げます」と祈祷しました。そのように祈祷すると、イスラム教圏が回り始めたのです。


韓国の地方とソウルの聖地を祝福
  (一九六五・一二・八〜一九六六・一・一、地方八箇所とソウル七箇所)


 韓国では七十数を中心にして、七十二箇所を探して条件を立てなければなりません。米国よりも多くの聖地がなければなりません。

 聖地を選ぶ期間は、一九六四年十二月三十一日と一九六五年一月一日から始めて、一九六五年十二月三十一日と一九六六年一月一日から四日までです。年数としては三年にわたって聖地を選ばなければなりません。

 この聖地を誰がどのくらい守りますか。世界四十ヵ国、百二十箇所に設けた聖地では明かりが消えてはいけません。これは一年中を通じて回りに回らなければなりません。そして韓国が一つの放送局となり、世界に電波を送らなければなりません。韓国で電波を送れば、世界の聖地でその電波を受信し、天の前に感謝と称賛を捧げることができるのです。

 そして、本部教会は世界の中央聖地ですから、ここで祈祷することが最も効果的です。本部教会は中央聖地として、世界四十ヵ国の百二十箇所の聖地と連結しています。韓国は五千年の歴史をもっていても安心できる主権をもっていないので、最終的に安心できる天的主権を立てようというのです。


聖石奉献式(一九六六・一・二七〔陰暦一・六〕、真の御父母様の御聖誕日、前本部教会)


〈祈祷要旨〉


 四十ヵ国の百二十箇所の聖地からもってきた、天地全体を象徴する石と土を奉献いたしますので、その国の全体を奉献する条件として立ててください。この式を執り行うことによって、すべての権勢は神側に集まり、サタン世界の権勢は崩れていくようにしてください。

(続いてソウル各地域に金千ウォンずつ下さりながら)これは先生の名前で貯金するのと同じ立場で貯金しなさい。毎月最低十二名以上がここに貯蓄をし、また、それは下ろして使えません。

 貯金せずにやり過ごしてはいけません。地域長であっても貯金していかなければなりません。これをもって世界的な祭物復帰の基準を立てるのです。これは既に先生が世界巡回の時から世界的な運動として実施しました。


四 国際共産主義と勝共啓蒙運動


共産世界とイスラム教


 私は一九六五年にアイゼンハワー大統領に会い、次のような話をしました。「あなたは韓国の戦争を休戦させ、共産主義と戦うことを後退させましたが、もし民主世界が共産世界を打って勝ったとしても、共産世界はイスラム教圏と手を結びます。今も手を取り合っています。共産世界は宗教の怨讐であるので、そのような時が来る前にあなたがすべきことは、早急に彼らを糾合する世界的組織をつくることです。そうでなければ米国が大変なことになります」と言いました。もし数十億というお金を世界に散在している宗教団体に与え、「福地世界をつくろう」と言っていれば、数多くの宗教団体の指導者たちは糾合されていたはずです。

 イエス様が十字架にかかって亡くなる時に、バラバと左側の強盗が一つになって右側の者を打ったのです。そのように打ったので、これを屈服させなければ神様のみ旨を成就できません。かといって武器を持って戦えというのではありません。正義を求めよというのです。

 また私がアイゼンハワー大統領に会った時、ダライ・ラマ事件のことを話しました。一九五九年、チベットヘの中共の侵攻によって、ダライ・ラマがインドの国境を越えた世界的な事件がありました。その時は、天が民主世界において、この地を中心として宗教を糾合できる良い機会だったのですが、その機会を逃してしまいました。その当時、十億、あるいは数十億ドルぐらいなら、米国にとってはわずかのお金でしかなかったのです。その事件を中心として、宗教の怨讐は共産党だというテーマを掲げて世界的な宗教指導者を一つにまとめていたら、今日、民主世界はこのように破綻しませんでした。良い機会を逃してしまったのです。統一教会の文先生がこのような問題まで責任を負って収拾しなければならない使命を感じたので、その話をしたのです。歴史的にざっと説明をしました。


日本の当面の課題と勝共運動


 現在、日本やアジアにおいて、共産主義が非常に大きな問題の焦点となっています。理念主義的な共産主義はソ連から出てきましたが、行動主義的な共産主義は労働者、農民を中心として展開しています。とても組織的に動いています。今後日本のあらゆる面を支配しようという政治家にとっては、共産主義者とどのような戦いをするかということが問題になることでしょう。今、日本は思想的に再武装しなければならない時が来たのです。

 それゆえ今、統一教会が飛躍的に発展できる時代に入ってきたのです。私たちは、世界情勢と日本が置かれた立場を、彼らが認識するようにさせなければなりません。そのために今、猛烈に活動をしているのです。

 今、日本にどのようなことが起きているのでしょうか。日本にある五十六の大学に全国大学連合原理研究会が登録されており、学士・博士たちがその背後で統一理念に対して研究するというようなことが起こっています。そして共産主義の学生たちと原理研究会に参与する学生たちが戦っています。この闘争で、ある大学の共産主義の学生たちが、みな統一教会に来てしまうというようなことが起こりました。

 共産党が自分たちの活動を強化するために、要所要所に配置した地下団体の中の一つが、統一教会にみんな移ってきてしまったのです。これが問題になり、共産党員たちが統一教会に来て、あらゆる調査をしたり、反旗を翻せと裏工作したりして大騒ぎしたのです。それで東大から京大および東北大学等のあらゆる大学街で問題になりました。原理研究会が大会をするたびに、共産党の手先だ何だと言って大騒ぎになりました。

 先生が気分の良かったこととは何でしょうか。日本の有名大学の五百名余りの賢い学生たちが、韓国から現れた統一教会に入って活動しているということです。

 日本が当面している第一の問題は共産党問題であり、青少年問題です。将来、国家全体の運命を左右する青少年の倫理問題、すなわち社会倫理問題において日本は絶望的です。ですから国策上の問題にならざるを得ないのです。

 日本の国民はこれまで宗教を非現実的なものだと認識していました。このような状況で創価学会が出てきて、政府と国会にまで問題視され、日本の国民全体が関心をもつようになりました。そうして日本でも宗教の力は偉大であるということに気づき、宗教に対して関心をもつ段階に入ってきました。今この時が伝道するのに本当に良い機会です。それで日本の久保木会長に創価学会と立正佼成会の中心人物と会い、また言論機関の中心人物に会って私たちのみ旨を伝え、彼らと戦って勝ちなさいと言ったのです。


江原道から起こった勝共啓蒙運動


 今日江原道で起きていることは、ただごとではないことを皆さんが知らなければなりません。

 金中尉の一家殺害事件が起きたのは、神様の摂理だと考えることができます。北韓が韓国に対する工作活動を強化させ、強力な行動に出てきたという事実も、今後の天的な運勢を立てるための神様の内的な摂理です。もちろんサタン世界で作用したことですが、これは天的な基準を立てるための基盤を準備することです。金中尉一家殺害事件により、与党も野党も江原道を反共の模範道に指定し、反共闘争を強化しなければならないと言いました。江原道から模範道になって、徐々に他の道にまで広がっていかなければなりません。

 このように反共を強化させ、十九歳から五十五歳までのすべての男性で反共組織を編成しなければならず、教団までも反共闘争を強化しなければならないのです。このような局面であるのに、政府では反共闘争に対する理念的な代案がないというのです。それで治安局や情報課で大変なことになったと大騒ぎしたのです。計画は立てたものの、精神的な武装ができる何らの内容もないというのです。それを私たちは既に知っていたのです。

 それで統一教会の理念でなければならないと考えて、江原道の知事を通じ、郡守を通じ、面長と里長を通じて、私たちの反共理念を広く標榜し、江原道全体を巻き込んでいるのです。

 では私たちの勝共運動が、江原道から起こる原因がどこにあるのでしょうか。一列に並んで歩き、途中で方向を変えるために全体が回れ右をすれば、一番後ろの人が一番前になるのと同じように、江原道は我が国で一番哀れな道なのですが、摂理的に見るとき、一番近い道となるからです。

 また江原道には軍隊があります。私たちが願うことは、今後統一教会の思想で六十万の大軍を武装させることです。そうして北韓にまでも思想的に押して上がっていくのです。北韓が最も大きな問題です。六十万の大軍ならば東洋の天地に恐ろしいものはありません。次期大統領選挙よりもっと急を要することが、南北韓の総選挙に備えるための国家的な運動を展開することです。これを準備するために、昨年三次にわたって復興団を編成したのです。少なくとも百二十の郡、三百六十個以上の面を対象として思想武装をさせ、また、汎社会的に思想運動を展開し、鍛錬させ、訓練させようというのが先生の計画です。このようにして、これまでの観念を覆しておけば、米国に入っていき活動する時が来るのです。

 統一教徒は共産主義の唯物史観に対する批判を徹底的にしなければなりません。そうして南北韓の総選挙問題が出てくる時、統一理念を中心として北韓を完全に押さえつけて、勝利の結果をもたらす功績を立てなければなりません。そうなれば世界を復帰できる基盤がつくられるのです。それで時が急がれているのです。

 このような観点から、私たちは今後思想的な面で共産主義を凌駕できる主義と思想を立てなければならないのですが、それが天宙主義です。天宙主義を中心として共産主義を批判できる道を模索しなければなりません。この道を一九六二年から準備して、一九六五年から始めました。共産主義に勝てる団体は、まさしく全国で大きく成果を上げている勝共啓蒙団です。


教会幹部および地区長人事異動(一九六五年一一・一)


 私たちは今、再度決意しなければなりません。全国的に再編成しなければならないことを感じます。再教育して再編成することが不可避です。三年さえ越えれば、すべてが打開する道があります。その時までどのように押し進めていくのでしょうか。

 全国で一箇所が突破することを願っていた中で、江原道が突破したのです。皆さんはこれを契機に全国的な活動を集中させなければなりません。地区長の実力がなくて包摂できないというのは、社会の実力家が入ってきたときに、その実力を発揮してあげることに力を注がなかったからです。

 世界を平準化するために一周して帰ってきたので、韓国も平準化するために地域長を移動させようと思います。江原道が突破したので、この地域から固定させて忠誠を尽くしなさい。

 今、四年路程を経ていく過程にあります。三年残ったこの路程をきれいに歩みきらなければなりません。十月一日を前後して、韓国の各地の責任者である地区長を新たに選びました。これまで彼らは責任者の立場で命令することだけは知っていたのですが、食口の事情は知りませんでした。ですから食口の立場に立ってもう一度この道を歩みなさいというのです。

 今回活動する皆さんは、昔先生が直接走った伝統を相続して走らなければなりません。先生自ら民族のために命懸けで走りたいのですが、皆さんを代わりに立てて命令しますから、先生の代身者として一生懸命動いてくださるようお願いします。


冬季四十日伝道と勝共啓蒙(一九六五年一二・二〇、出発)


 先生の家庭は一九六七年まで内的な責任を果たさなければなりません。これに準じて、皆さんの家庭も各自の責任を果たし、追及されることがないようにしなければなりません。祝福家庭となったなら、家庭生活だけにとどまるのでなく、祭司長の使命を果たさなければならず、家庭完成の環境を築き上げなければなりません。

 私たちはお互いに団結し、協同し、共同で歩調を合わせることによって、一遍に蕩減できる条件を立てなければなりません。これが統一教会の食口たちの使命です。それで私たちは「行動統一」「理念統一」「心情統一」を唱えるのです。このような統一理念は今日において、地域と環境が異なっても、行動的な面では全体を一遍に蕩減することができるのです。

 三年路程、七年路程を経ていきながら、農村に入っていけば、鎌を持ち、農民と一緒に農地を愛し、真の心情で涙を流しながら農地の手入れをしなければなりません。父母が無学なため、教えることができなかった子女に、私たちが手をとって教えなければならず、父母が教育に無関心だったので、目覚めさせてあげなければならず、この民族が個人主義的になり、国に関心をもたず、愛着心がなくなったので、再び関心と愛着心を育てなければなりません。

 今日皆さんは統一の理念をもって壁を越え、境界線を越え、三千里半島(韓半島)と韓民族の前に出ていかなければなりません。今韓国は、街頭の青年でも引き止めて統一理念を教育しなければならない実情です。そのようなことが起こらなければなりません。そうでなければ滅びるということをすぐに感じることでしょう。
















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第七節 一九六六年 勝利的主管者となろう(四)

真の御父母様の生涯路程 4



第七節 一九六六年 勝利的主管者となろう(四)


一 一九六六年出発と摂理的意義


年頭標語:勝利的主管者となろう(四)
       (一九六六・一・一、前本部教会)


 「勝利的主管者」とは、堕落した人類の誰もが、個人や氏族や国家を問わず、全地の全体が願うことであり、天がこれまで願ってきたことであることを知っています。私たちの願いは神様に出会うことであり、神様の願いは私たちを勝利の子女にすることだということを、私たちは知っています。

 勝利するためには、戦いの路程を経なければなりません。この戦いの対象とは誰でしょうか。それは言うまでもなく、人類と神様の怨讐であるサタンです。

 それゆえ皆さんは神様を身代わりし、変わろうとしても変われず、偏ろうとしても偏れない、確固不動たる本然の勝利の化身体となり、神様と心情一体化した位置に立たなければなりません。それでこそ、霊界にいるサタンを追い出せると同時に、地上にある悪の基盤を追い払うことができるのです。このような責任をなすことができる権限をもたない限り、皆さんは天地の前に勝利的主管者とはなれないことを知らなければなりません。

 このような立場に立つようになる時、初めて皆さんは、完全な勝利の主管者となれるということを知り、この年始めに新たに決心をするようお願いします。そのような覚悟のもとで、この一年を、三千万(韓国)民衆と世界人類の前に、新しい福地を建設してあげる勝利的主管者となるよう努力しなければなりません。


一九六六年と霊界動員


 先生は「一九六六年から神霊の役事が始まる」と言いました。最近、既成教会に霊的に混乱した風が吹いています。どうしてそうなのか分かりますか。神様のみ旨がよく分からないのに、神霊の役事をするからです。けれどもこの霊的世界の混乱を収拾できる人がいるとすれば、彼らは神様の息子、娘となるのです。

 最近、神霊に通じる多くの霊能者たちが「韓国は主が来られる国だ」と言っています。ところがどのように来られるかということは知らずにいます。それも知らないくせに「韓国がどのようになる」と言って、何の意味がありますか。もし彼らがただそのまま変わらずに霊界に行けば、どのようになるか分かりますか。

 それで、近ごろ先生は、霊界にいる皆さんの先祖を動員するための祈祷をしています。皆さんの先祖を動員し、蕩減の道を歩む皆さんに協助させようと思うのです。

 今後、自分を中心として蕩減しようとしても、自分の個体を中心として蕩減せずに家族を中心として、氏族を中心として、金氏ならば金氏の家門を中心として、蕩減するというようなことが起こるでしょう。統一教会の信徒の何人かが「責任を負おう」と祈祷するようになれば、氏族的に蕩減することが起こるというのです。そのようになるのは先祖が再臨して協助するからです。早く復帰させるために、先祖たちが自分の後孫を打って犠牲にさせる、そのようなことが起こるのです。そのようなことが起こらないかどうか見ていなさい。原則がそのようになっているのです。

 先生はそのような時が来るということを知っているので、皆さんを苦労させるのです。み旨のために苦労する条件さえ立てれば逃れるようになるのです。世界復帰が完結される時までは、蕩減の荷を下ろす考えをもってはなりません。


二 教会員の四段階倍加運動(一九六六・一・一)


 一九六六年、活動課題として教会員四倍化運動を設定。昼夜を分かたず「み旨」伝播に全力を尽くした結果、目標十六万千五百四名であったのが、活動後、十八万五千五名の在籍教会員教を確保するようになり、結果的に二万三千五百一名の目標超過教会員たちをさらに迎えるようになった。


四半期単位の倍加運動


 四倍加運動の目的は、第一に対外的にピーアールするためであり、第二に食口たちが摂理的時期に対する新しい運勢を感じ、内的再生をするためであり、第三に既成教会を伝道できる基台をつくるためであり、第四に教会員を動員する契機をつくることです。

 私たちはこの時代に、民族復帰の基準と国家復帰の基準まで立てなければならず、何をしようが、理念的に共産世界と対決し勝利できる基盤を築き上げなければなりません。この基盤を築くためのものが四倍加運動です。

 皆さんは蕩減復帰路程を必ず歩まなければなりません。歩まなければならないのです。歩まなければ皆さんの後孫たちに讒訴されるようになるのです。

 先生は、映画「栄光への脱出」を見て感じた点がたくさんありました。み旨を中心として見る時、神様の福を受けるべき民族があのように凄惨になったのは、昔イスラエルの族長たちが責任を果たせなかった天倫の罪が、今なお蕩減できずに残っているからです。

 そう思うとき、現在の統一教会が任せられた責任を果たせない時には、後代にまた再びあのような荷を引き渡すことになるのだなあということが切実に感じられました。

 同様に、皆さんの時代で責任を負うべき問題を、皆さんが達成できない時には、それが後孫に移っていくのです。そうならないようにしようとすれば、皆さんは、全体的な責任は負えなくても、自分の個人的な責任は絶対的に果たして越えていく、という心をもたなければなりません。ところが、そのような心をもった人が何人いるでしょうか。

 皆さんは安らかに眠り、食べ、暮らすようにはなっていません。皆さんには四段階の倍加運動が必要です。私たちの味方をたくさんつくるためには、誤解を受けようが、何しようが、まっすぐ突き進まなければなりません。


ソウル教会分割──第一、第二、第三教会(一九六六・五・一五)


 一九六六年五月十五日、聖日礼拝のあと、真のお父様は「長い間ソウルの教会としては本部教会一つだけであったが、それをまず三つの教会に振り分け、少ししたら十二の教会に、将来は百二十の教会に分ける」と核分裂方針を宣言され、これに対する必要性を語られた。A、B、C、同数分割原則により、自由抽選による絶対服従を前提条件として各自行くべき道を自らの手で引いた。
 A教会は、劉孝元協会長が青坡洞本部教会で、B教会は李耀翰巡回師室長が明洞所在の文化会館で、C教会は李載錫講師が受け持ち、新たに準備された場所でそれぞれ出発した。

 第一教会は木の根と同じであり、第二教会は幹と同じで、第三教会は枝や葉と同じです。それで、第三教会の食口たちはときめくことだろうと思っていたのですが、予想どおり第三教会の食口たちはときめいています。人々は木の根や幹を見て喜ばず、葉を見て喜ぶのです。

 このようにソウル教会を三つに分けたのです。宗教人は霊界を中心として進む人です。霊的人格の完成を第一として進む人が宗教人ですが、第一教会より第二教会にそのような霊通派がたくさんいます。

 今は、もっと一生懸命しなくては、もっと一生懸命に精誠を尽くさなくては恨になるのです。今後ソウルにある大きい教会を分けて、四十個程度の教会を建てようと思います。そのようにして四十個の教会から百二十個の教会に、その次には三百六十個の教会に増やそうと思います。

 今や、私たちが攻撃する時が来たのです。私たちが包囲作戦を展開し、三百万のソウル市民を導き、志を同じくするならば、韓国は問題ではありません。韓国でなされるならばアジア、世界は時間の問題なのです。

 パゴダ公園に弟子たちを送り出して八年間も伝道させながら、統一教会の先生とかいう人は影一つも見せないと悪口を言う人もいることでしょう。しかし、それはその人がよく知らずにそのように言うのです。彼らは苦労の代価として先に栄光の位置に行くことを願っているのです。彼らは苦労したので、栄光の位置にも彼らが先に同参するのです。もちろん先生がしてあげてもよいのですが、彼ら自ら栄光の位置に参与するようにしようとしているのです。それが心情世界の因縁です。その世界では、兄が弟をこの上なく愛する心をもたなければならず、父母が子を愛する心をもたなければなりません。


四倍加運動激励のため全国巡回(一九六六・五・二一より九日間、李耀翰牧師随行)


 今や、六年が過ぎようとしています。今、ここまで来て振り返るならば、神様が干渉し加護されたので、今日私たちの行く道が世の中からあざけられ、この世の非難を受ける逆境の中においても続いてきたのです。さらに、今日この国、この民族の前に、私たちの理念でなければこの国を生かせないという事実を、すべての三千方(韓国)民族が公認しなければならない段階にまで来ているというのです。

 皆さんは地方に行き苦労します。先生は、第一次四十日修練路程において、数千名を配置した地方を巡回し、彼らを後ろに残して置いてくる時に、心で涙したことが思い出されます。今も忘れません。それで、今回巡回する時に見たら、その時のその幼い者たちが今はみな成長し、地方に行き責任を負うことのできる人になっていたのです。

 先生は地方の教会を巡回する時、うちの統一信徒があまりにも悲惨な所で生活するのを見てきました。そのようなたびごとに、神様に「お父様、彼らと共にあってください! 私がそのような環境を経てくる時、あなたは私と共にあってくださったし、私がお父様を身代わりし、そのような位置に立った時、行くべき道が残っているとおっしやったではありませんか。そのような因縁を彼らにも結んであげてください」と祈祷しました。

 今の皆さんの悲惨なその立場が、悲惨なそれだけで終わってはいけません。悲惨な立場でも善を中心として、勝利の凱歌を歌える姿として現れなければなりません。そうしようとすれば、悪なる世界を根本的に審判できる神様の王子とならなければなりません。激しい波風が押し寄せる所に、皆さんを追いやらなければならないこの師の立場を、皆さんはよく知らなければなりません。


全国地域長特別修練会(一九六六・七・四〜七・九、前本部教会、百八十二名)


 全国地域長特別修練会が一九六六年七月五日より八日までの四日間、青坡洞所在の本部教会で男性百七十六名、女性六名の合計百八十二名が参加した中で開催された。

 私たちは天国を建設する隊列の先頭に立たなければなりません。皆さん方は天の国の公務員であり、入会願書を出した教会員たちは国民です。今や、すべてのことを蕩減して神様に侍るべき時が来たのです。

 最近の国際情勢を眺める時、我が国はあまりにも難しい環境に直面しています。もし大のために小を犠牲にさせて蕩減復帰され、それでみ旨が成就するならば、神様は喜んでそのことを断行なさるということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。本部から下される命令に反すれば、後孫たちにまで莫大な支障を来たすということを知らなければなりません。

 これまで活動した地域長たちには、自己圏内の基準をもっている人がいませんでした。六年、つまり六数を越え、七数をもたなければなりません。歴史的な最高の位置に上がることのできる重大な機会は一度しかありません。

 私たちの作戦は地域長を中心にして動くことです。神様は既に勝利できる権限を私たちに付与してくださったので、誰がどんなに反対しても私たちは勝利できるのです。

 私たちは一部落も残さずすべて訪問してみ言を伝えなければなりません。七年路程が終わる時までには、統一教会があるのかないのか知らなかったと言われないようにしておかなくてはいけません。

 十月からは復興会を開催しなければなりません。すべての人が最大の努力を傾け、よく戦ってくださるようお願いします。外国の食口に劣ってもいいのですか。

 一番必要なのは皆さんの後継者です。できるだけ信仰の基盤がある人々を伝道し、自分の後継者として立てなければなりません。それさえ実践すれば何倍もの成果を上げることができるのです。


百日復興会(一九六六・七・四〜一〇・一四)


 私たちが誓ったことを果たせずして、民族や後孫に引き渡すと、蕩減条件がそのまま残るようになるので、勝利の実績を立てなければならないのです。今日から十月十四日までの百日を、刑務所で服役するごとく生活しなさいと言ったのは、十月四日(西大門刑務所出監日)と十月十四日(興南監獄出監日)を特別に記念するためです。この期間に復興会をしようとする理由もここにあります。

 先生が皆さん方と横的な立場に立つことは、この国が横的に因縁が結ばれるようになる動機にもなるのです。この期間は七年路程を越えていく最後の期間です。すなわち、七年路程の門を閉じる期間になるのです。もちろんこの期間は短いのですが、心情的には六千年を蕩減できなければなりません。

 第一次七年路程において、私たちは神様の前に何を残していくのでしょうか。疲れてみすぼらしい姿をもってそのまま越えていくのでしょうか。それとも何かをもって越えていくのでしょうか。六数はサタン世界の数です。数字的に言うならば、一九六六年と第一次七年路程の六年目、このように六数が三つそろうのは、偶然の一致とだけ考えることはできません。このサタン数の代表的な数を、栄光の数として復帰できる道はないのでしょうか。

 皆さんには七年路程ですが、先生にとっては二十一年路程です。この七年路程を中心として、私たちはこの民族と相まみえる運勢をつくらなければなりません。神様は前半三年路程の中で、内的に家庭的な基準を立てられ、後半四年路程の中で、外的に社会的な基準を立てられながら七年路程を合わせてこられるのです。そのために先生は、家庭的な代表、民族的な代表、世界的な代表を復帰したという条件を立ててくるのです。

 七年期間は私が神様の息子、娘となる期間であることを知らなければなりません。先生は二十一年の間、寝ても覚めても、食べても、目さえ開けば、み旨のことだけを考えています。他は眼中にありません。先生が子供たちを愛することも、家庭を抱えることも神様のみ旨のためなのです。そのみ旨に外れる時は、先生と怨讐になるのです。

 このように私たちが戦ってきた歴史は、血と汗と涙を流す歴史でした。骨髄が正常な人であれば、涙なしには眺めることのできない歴史です。皆さんを指導してきたこの師には、胸にしみわたる恨が残っているのです。


地方教会の総力伝道


 皆さんは今、地方の各集会所を中心として伝道していますが、その心はどうですか。あの人たちが今晩死んだらどうしよう! 地獄に行くだろうに……。そのような思いがわきますか。その人たちが皆さんのお兄さんや、皆さんの息子であればどうするでしょうか。そうした切ない思いが皆さんの心の中にありますか。

 皆さん、弘済洞の火葬場に一度行ってみなさい。人とはいかにむなしいものでしょうか! 皆さんも遠からずみな死ぬのです。復帰路程を歩んでいくべき運命に置かれている万民であるのに、その彼らがあのように歩んでいけば、終局にはどうなるのでしょうか。このような問題を考えながら、先生はしばらく御飯を食べられずに痛哭したことがたくさんありました。

 地方で開拓に出ていき、食べられず、着られず、苦労している人の手を見れば、見るからにひどいのです。凍えてひび割れてめちゃくちゃです。冷たい部屋で寝て、冷たい水で御飯を作って食べれば、そうならざるを得ないのです。どんなに痛ましいでしょうか。星回りが良くなくてふさがれてしまったように見えるのです。

 けれども、それでふさがれてしまうのではありません。そこで統一教会の運命が終わるのではありません。個人の問題を中心として良いだの悪いだの、幸福や不幸を論議するそのような段階ではないというのです。

 この世はすべて自分を中心として幸福になろうとします。しかし私たちは、自らの不幸を自ら招き寄せ、民族の不幸を阻むための歩みでなければならず、民族の不幸を自ら招き寄せ、世界の不幸を阻むために歩み出る人にならなければなりません。


三 全国大学原理研究会創立(一九六六・一・一〇、前本部教会)


 一九六六年一月十日、本部教会講堂で、全国二十六の大学の全国大学原理研究会会員たちが集い、真のお父様をお迎えする中で、全国大学原理研究会および、傘下の各地区会を結成した。全国会長には、李炳基君が任命された。


創立目的と活動方向


 民主と共産の二つの陣営を統一することが私たちの使命です。そのためには全国二千四百の面に少なくとも一人ずつ配置しなければなりません。三位基台をつくって配置するには、約七千名が必要です。この人たちは大卒以上でなければなりません。本来、梨花女子大と延世大を中心としてなそうとしたことが駄目になったので、方向が変わりました。すなわち、中学生、高校生を中心としてなすようになったのです。

 三年路程の期間は、この民族に統一信徒と共になければならないということを見せてあげなければならない期間でした。韓国が現在の状態でいては、共産主義の侵入を防ぐ道がありません。彼らは中流以下の階級に侵入します。ゆえに私たちは地方にいる人に原理を伝播し、生活指導と啓蒙運動を続けてきたのです。

 各面の三位基台は、理念指導と生活指導と啓蒙運動の責任をもたなければなりません。本来、理念指導は教会が責任をもち、生活指導と啓蒙運動は農桃園で責任をもたなければなりませんが、皆さんが面に行けば、この三つすべてに責任をもたなくてはなりません。

 大学生たちを一年ずつ地方に送り、中学教育に責任をもつようにすれば、彼らは、農村の事情も体得し、愛国心ももつようになるでしょう。民族のために祭物になる真の思想を大学街に残しておかなければなりません。そのためには審判者の責任を果たし得る若者を立てなければなりません。これが本会創立の目的です。

 今、国内においては、何よりも共産主義の勢力が強化され浸透していくのを防ぐ道がないのです。ゆえにまず、私たちが行っているその方向において信任を受けることができる基盤を築くと同時に、理念的な基準を私たちが民族の前に提示しなければならないのです。

 その次には、現在、哲学思潮を動かせる拠点地が学校であるだけに、世界の大学街の哲学分野を動かすために原理研究会を創設したのです。ところが地方では原理研究会に対して関心がないようです。先生は側面作戦を企図することができる最高の基点を原理研究会におきました。日本でも原理研究会は、初めは認識が良くありませんでしたが、あとになって認識が良くなり、とても良い結果をもたらしてきました。

 今後は原理研究会の活動を通して、学生と教授、特に哲学科の教授まで、理論的な面で私たちの理念に太刀打ちできないことを証明させ、それを世界的に認識させるつもりです。


第二回全国大学生修練会
  (一九六六・一二・二一〜二八、前本部教会)


 一国家の興亡はその国の若者にかかっています。統一教会は特殊な青年が入るようになります。あすの私を創造すべき人々を立てるため、このような修練をするのです。

 泉と芽が育つためには、適当な環境が整えられなければならず、泉と芽がその環境に適応できなければなりません。神様は歴史をおいて、芽を立て、横的な環境をつくる歴史を編んでこられました。今でも神様は芽となれる個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を探していらっしゃいます。韓国はこのような芽の立場に立たなければならず、そのためには試練を経なければなりません。芽はすべての枝が受ける試練を一時に受けますが、前進的な克服をしなければなりません。このように私たちも世界的な試練を克服しなければなりません。

 今日神様が死んだと宣布するキリスト教は、既に終末期におかれています。しかし、茎に花が咲いたり実がなるのでなく、枝に花が咲いたり実がなるゆえに、芽のような私たちが、神様が生きていらっしゃるということを証明できるならば、統一は可能なのです。

 統一信徒は泉とならなければなりません。泉の水はわき出ます。滝とは反対です。山中の獣も泉の水を求めてきます。泉のない山は名山にはなれません。皆さんは腐敗した大韓民国を清める泉とならなければなりません。

 泉の水はわき、清いそれ自体を汚さない所に流れようとするはずです。泉の水が人間の生命と因縁をもつためにはその純粋性を失っては駄目なのです。そして、その純粋な泉の水とは磐石を貫いて出てきた泉の水です。そうして誰しもがそのような水を飲もうとするのです。


四 経済的な復帰時代とか水澤里工場−京畿道南楊州郡九里邑 水澤沢所在)


経済的な復帰時代開幕


 四十ヵ国を中心とした百二十箇所の聖地は、百二十の国家を象徴したものです。それは先生が四十歳の時、すなわち一九六〇年に聖婚式をしたので四十年を代表したのです。その四十歳を基盤として、世界的に百二十の国家と連結させたのです。

 このような観点から見る時、先生が四十ヵ国を中心として百二十箇所の聖地を選んだということは、世界的百二十の国家と、私たちのみ旨と物質的関係が一致したということを意味します。万物を復帰できる条件を立てたということです。それにより、統一教会は神様が復帰しようとする息子、娘を復帰したのであり、氏族と民族を代表できる代表者を復帰したのであり、世界を代表する人を復帰したのであり、万物を代表できる聖地を復帰したため、ここから天国の運勢は私たちの教会を中心として回り始めるようになったのです。

 限界線がそうであるがため、一九六六年、聖地を選んだあとから経済的な復帰をしなさいと指示したのであって、それ以前には経済的な復帰はさせないようにしたのです。その前に経済的活動をすれば条件に引っ掛かるのです。神様の復帰摂理は、人を先に復帰しなければならないのが原則です。物質を先に復帰できないのです。人を復帰しておいてから物質を復帰することが原則なので、人を復帰する前には物質に手をつけてはいけないのです。このような原則により、それ以前には経済的活動ができないようになっているのです。それゆえ自分がもっているものすべてを売り払い、苦労するとしても、人間を復帰する業をしたのであって、経済的な活動はしなかったのです。

 お金を稼ぐときには、血と汗を流す労働以外はさせないようにしました。血と汗の代価で稼いだのです。ですから、その期間に韓国の食口がどんなに苦労しただろうかということを皆さんは知らなければなりません。


工場新築と生産現場の指導
一九六六・四・六:統一産業水澤沢里工場の新築上棟式
一九六六・四・一五:統一機械制作所水澤沢里工場落成式、五月に移転


 先生がこのごろ毎日工場に出掛けるのは、今は国家復帰をしなければならない時代だからです。精誠を尽くさなければなりません。本当は皆さん全員がすべきことですが、皆さんができないので先生がするのです。

 物質的基準、生活的基準を公的に立てなければなりません。

 本来事業をすることは先生の主目的ではありませんが、環境問題を考えてみた時、先生が事業をせざるを得ないので、今年は非常作戦を用いました。お金が一銭もなくても、大きな工場を建て、良く運営してきています。この世にそのように事業をする人はいません。歴史上、先生が初めてでしょう。

 皆さん、統一産業をつくったことについても見てみなさい。忘憂里の峠を越えて私が一日に三度も通った日が何度もありました。二度通うのは言うまでもなく、一日に一回は通ったものです。それはどうしてでしょうか。世界の工業界を掌握するためには精誠を尽くさなければならないからです。血と涙を流して尽くしたその精誠が天に染みわたり、霊界に行ったあらゆる工業者がその精誠に感動し、地上にいる人々がその精誠の前に膝を屈するようになってこそ天の所有権になると見たので、そのように精誠を尽くしたのです。

 工場にいる人たちは「先生はお忙しいのに何をしに毎日工場に来られるのか。毎日のようにいらっしゃらなくてもいいのに」と思うでしょうが、そうではありません。きのうの夕方見たものとけさ見るものに、特に差はないでしょうが、きのうよりもきょう発展したものがあればその差に興味を感じるのです。同じ機械を造っても、きのうよりどれぐらい良くなったかを見て、少しでも発展したことがあればおもしろいのです。これは私たちの旗竿を突き剌すことです。そうしてこそ神様の前に褒めたたえることができ、神様の前にある条件を立てるのです。それで、ある基準までは、先生がそうしなければならないのです。


五 『原理講論』初版の出版(一九六六・五・一)


真のお父様と原理のみ言


 今日まで人類歴史は何をしてきたのでしょうか。真理を探し求めてきたのです。皆さんはそれを知らなければなりません。堕落した人間がこれまで苦しみ、うめく声はどこから生じたのでしょうか。真の道を見いだせなかったため、哲学だ、何だと言って、数千年の歴史を続けてきたのですが、人生の行くべき真なる真理の道を決定できないこの時代において、私たちは世界の人々が行くことができる道を、正しく導くことができる一つの真理をもっています。これは、宗教を中心とする教理だけでなく、今後学問的にも研究せざるを得ない高次元的な膨大な内容をもっているのです。

 イエス様がみ旨を成し遂げられず、「わが父よ、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」と言いながら、イエス様御自身の思いよりも神様のみ旨を成就できない切なさを語られた、その内情の裏まで深く掘り起こした内容をもって出てきたのが、統一教会の教理ではないでしょうか。そのような内情をもっている人が涙を流せば神様も涙を流し、その内情をもって決意して進む時は、神様がそこに同情せざるを得ない、そのような真理をもっているというのです。

 私たちは歴史で行ったことをすべて貫き通して見て、検討する業をなしてきたので、摂理観が分かるのです。皆さんが勉強している原理の本には、歴史観が出てきますが、それは適当にやって見いだしたのではありません。先生が霊界と肉界の血みどろの戦いをして探し出した、闘争歴史の実績であるということを知らなければなりません。そこは血の涙がつづられています。前後の事情もたくさんあるのです。誰かが私をつかんで「先生、このような事情を私は知っています」と一言言えば、いつでも痛哭し得る心をもっているのです。

 皆さんはこのことを知らなければなりません。統一教会はかすめて過ぎ去るものにはなり得ません。検討に検討を重ね、内容に関することを調べに調べて、自分と関係を結び、国とつながり、世界とつながって、神様の解放まで主張するのです。

 そのように根本問題を掘り下げ、理論的にすべて一つ一つ定立してから定義を下し、現実社会に合う術語をつくって訓練することができてこそ神様のみ旨を成せるのであって、大ざっぱな計算や無知から完成がありますか。キリスト教がそうしては駄目なのです。私は科学を勉強した人です。

 この愚かなる文なにがしが現れて、みな発見したのであって、それが簡単に発見できますか。山中に埋められた鉱石を探し出すことは簡単なことです。しかし、これは千の道、万の道の中で、何千年前に金銭十銭を埋めておいたのを探し出すことよりももっと大変なのです。ですからどれほど涙を流したことでしょうか。どんなに転倒したことか考えてみてください。ただで食べながらやろうとしても駄目なのです。「精誠を尽くしてつくった塔が崩れようか」(注:真心を込めてしたことが無駄に終わるようなことは決してないという諺)というのです。精誠を尽くさなくては統一教会の後継者になれないのです。

 皆さん、原理のみ言がみな分かりますか。その原理のみ言を中心として、実践の復帰路程を現在、身もだえしながら行く先生がいるのです。その先生の骨髄に流れる深い心情の谷間をもっと知りたければ、そこに自分自身の根を深く深く張らなければなりません。大きな枝になろうとすれば、深い根の中の樹液と関係を結び、それを吸収できる力がなければなりません。うわべだけさっと育つ枝はでたらめな枝です。それはやせ細った枝になり、しまいには枯れて落ちていきます。深刻なのです。それゆえ、毎日のように祈祷し、精誠を尽くさなければなりません。


『原理講論』執筆指導


 アダムとして来るメシヤはどのような立場で来るのでしょうか。長成期完成級の立場で来るのです。長成期完成級の立場ということは、結婚式をするための立場でしょう。それゆえメシヤuこの地に来て、個人復帰の使命をなしてはならないのです。それを誰がしなければならないかというと、洗礼ヨハネがしなければならないのです。

 洗礼ヨハネは、両方の世界をまたにかけているのです。復帰したアダム型というのは、そのことを言っているのです。そのようにして養子は、アダムと絶対的に一つになりさえすればよいのです。

 新しい世界的な法を中心として、メシヤと完全に一つになってこそ蕩減になるのです。ですから良い養子を通して愛するようになっています。統一教会では、劉孝元協会長がこれまでそのような洗礼ヨハネの業をしてきました。それゆえみ言も、他の人の言葉は認めないのです。どんなに本を書くのがうまいとしても、劉協会長以外の人にはみ言は任せません。そのようにしてきたのです。それで統一教会の人は全部ついていきなさいというのです。

 皆さん、原理の本は恐ろしい本です。原理の本を協会長が書いたといって軽視する人がたくさんいます。もし、この本を私が書いたとしたらどうなりますか。みな引っ掛かります。言うまでもなく一遍に引っ掛かってしまうのです。霊界に行ってみなさい。もし間違って書かれていたとしても、軽視すれば引っ掛かるのです。何のためにそのように書いたのかを知らなければなりません。

 経書は絶対視しなければなりません。「確かに間違っているようだが、なぜそのように書いたのか」と言う人がいます。それは全体を通して見る時、そのように書くようになっているためです。そのように書くべき事情があり、飛躍せざるを得ない内容があったということを知らなければなりません。そのように考えなければなりません。


原理の完成本の執筆課題


 偉大な人はユーモアで自分の事情をよく話します。そのユーモアが確実に当たっていれば、そのユーモアが自分に事実となってぶつかってくるのであり、当たっていなければただ流れていくのです。この世界ではそういうこともあり得ます。

 しかし、原理は千年たっても変わりません。私が最近話していますが、今後先生が原理を書くようになれば、人々が何千年たっても知ることができない、私だけが知っている内容を中心として何冊か残しておきたいのです。祈祷しながら、骨髄がにじみ出るほどに精誠を尽くし、書いて残しておきたいのです。どうしてでしょうか。歴史に偉大なる後孫を残し、精誠を尽くす後孫を残すためにです。それを永遠に保管できる人が誰でしょうか。このような見地から、先生は今後、新しい角度から原理の本を書こうと思います。協会長が書いた原理の本に対して是正することがないわけではないことを私は知っていますが、彼が精誠を尽くして書いたので何も言いませんでした。

 統一原理で表現する部分的な事項は、多く新しく試みられることでしょう。しかし、初めから最後まで、啓示の基本的な内容は少しも変更しません。例えば「創造原理」「堕落論」「メシヤの降臨とその再臨の目的」等で見られる中心思想は、決して変わりません。しかし、私たちの哲学のある概念や思想を表現するところにおいては、困難が伴うことを知っています。それで、相当に多くの時間と努力を費やすようになる私の課題中の課題は、もう一度私自身が『原理講論」を整えて歴史の前に出すことです。この課題は完成されるべきこととして残っています。

 「統一原理」というものは、それに対して協議したり、人々が好まないからといって変えることができるようなものではありません。そのようなことは決してあり得ません。また、いまだに発表できない相当な部門の真理が残っています。私は既にそのような啓示を受けていますが、未来に公表しようとわざと保留しています。

 原理はイエス様までを説明しているため、イエス様以後、先生に関することを皆さんは知りません。それゆえ皆さんはこれから本当に勉強すべきことが残っているのです。統一教会の文先生は原理の中に現れる先生ですか。原理にはイエス様までが入っているのです。イエス様を中心として話したものです。それなのに原理だけ重要視すれば完了すると思いますか。先生がどのようなみ言を話したのか、心で従い、苦労を共にし同調しながら、その生活に感激し、あすの歴史創造の旗手として責任を果たし得る統一教会の信徒たちとならなければならないのです。


六 基督教超教派運動本部創立

(一九六六・一・一七創立、一九七四・一〇・四超教派キリスト教協会に改称)


 キリスト教超教派運動本部が、一九六六年十一月七日、「キリスト教系各教職者間で、密接な交際をもつことにより、教理と信仰生活の一致を図り、キリスト教本然の家庭と信仰性を回復しよう」ということを目的に創立された。事務所はソウル唐珠洞におき、本部長に朴チャンボン牧師、議長方ブシン牧師、総務局長金ユンカン牧師と財政局長金チョンニョル長老等で構成されている。十二月五日には、明洞所在のサムオ亭に二十八教派に属する約二百名のキリスト教指導者を招請、キリスト教教職者懇談会を開いた。


超教派運動の目的(一九六五年開始)


 宗教の道は犠牲と奉仕の道です。これはサタン世界を分離させるために必ず必要です。それゆえ蕩減路程を歩むためには、宗教を選ぱざるを得ません。今後、ある宗派的な宗教は世界的な宗教と連結しなければならず、哲学も世界的な哲学基準に連結しなければならず、政治も世界的な政治と連結しなければなりません。このような基準を私たちは、七年路程が終わればすぐに国家的次元で築いておかなければなりません。そうでなければ、天が守備の立場から攻勢の立場に変わることができないのです。そうしようとすれば、キリスト教を中心として韓国内に統一教会が勢力を形成し、多くの宗教を糾合しなければなりません。

 そのため、一九六五年から超教派運動を展開しています。さらに言えば、キリスト教を中心として超教派的活動を展開させ、彼らと私たちが共通の立場を取っていることを自他共に公認し、国家的な次元でもやはり統一教会の教理が最高であることを公認するようにしなければなりません。これが超教派運動を始めた目的です。

 第二の目的は既成教会を復活させることです。今、新しく既成教会の門を開けなければなりません。そうしなくては、その人々は最も哀れになるのです。私たちは自分を死の道に売り渡した十人の兄弟を許したヨセフと同じ立場から、既成教会の人を伝道し、彼らの門を開けてあげなければなりません。


現実問題の解決と超教派運動


 百人の食口がいる場合、百人が和睦の中心になれば天の前に記憶されます。和睦させるために、借金をしてでも超教派運動をするのです。

 イエス様の四十日断食祈祷が勝利に終わったがゆえ、サタン世界である共産主義も一九一七年から四十年の全盛期を迎えたのち、一九五七年からは、ソ連と中共との争いにより下降し始めるのです。そうしてこれが三十年間下降していき、合わせて七十年になる期間内には、壊滅状態に入っていかなければなりません。

 共産主義と最先鋒で対決すべき米国は、他の国家を援助しましたが、世界の宗教を統一し、それを協助することができませんでした。そのため、反対に共産国家が、宗教を悪い方に利用したのです。

 宗教問題と政治問題そして学生問題が世界的な動向の三大問題です。このようなすべてのものの縮小型が韓国です。ゆえに韓国は民主と共産の一線であり、宗教問題で最も混乱を起こす問題の国家であり、また学生たちを中心とした政権転覆運動が起こる国家なのです。先生はこのようなあらゆる問題を解決するため、超教派運動によるアカデミーハウス運動をしているのです。


七 仁進様と興進様誕生


真の御子女様誕生と摂理の運勢
仁進様:一九六五・八・一四(陰暦七・一八、四:〇八)
興進様:一九六六・一二・四(陰暦一〇・二三、〇:三三)


 三十六家庭がどのような家庭かというと、歴史的な先祖です。それが何かというと、サタン世界の堕落した子孫から復帰された歴史的な先祖です。この復帰された歴史的な先祖たちを中心として、そこから代を継ぎ、一回り交替することにより入っていくのです。それがカインとアベルです。

 そのため、外的な基準の祝福家庭と先生の家庭を中心として、内外が一体とならなければなりません。四位基台の復帰基準なので、四数です。方位も四数が問題です。今年、興進も生まれましたが、子供を見て本当に驚きました。

 東側が女です。西側が男です。本来は男が先に出てこなければならないのではないですか。私の子供たちはどうなっているのでしょうか。東側が譽進で、西側が孝進で、南側が仁進で、北側が興進です。

 したがってこれまで、天の側から見る時、反対となる側に男性たちが立っているかのようになっているのです。これにより、民主世界を代表できる南方の人、共産世界を代表できる北方の男性たちが生まれました。天が保護できる人、東側と南方を新しい希望の場として眺めることのできる条件ができたため、世界史的な一つの転換時期がこの七年路程の峠となっています。それゆえ世界にいくら壮大な力をもった共産党でも、この時代に来れば分裂しなければなりません。今後この統一運勢が行く所に妨害になり得る要件があれば、自動的に追われて出ていかなければなりません。ゆえに、今後中共がどのようになると思いますか。そのようにして内外で越えていくのです。


仁進様、興進様の幼い時


 私がじっと見ていると、興進はまだ一歳にしかなりませんが、誰かが「何かを取り出して」と言うと、何を取り出すと思いますか。全部つまんでほうり投げ、大きなものを持ってきて「パン」とやる(撃つ)のです。それが男の子と女の子では違うのです。仁進は(興進様の)お姉さんなのですが、お兄さんのものや、何かがいろいろある中から全部つまんでほうり投げ、人形を取り出すのです。人形でも大きいのは嫌がります。ちっちゃいので遊ぶのです。「わずか、一つの違いなのに、どうしてあんなに差があるのか」と思いました。(笑い)

 それはどんなに教育をしてもそのようにならざるを得ないのです。どんなにたたいてみたところでどうしようもありません。そう、「お前はどれがいいの?」と聞けば、(大きなジェスチャーで) 「これ(イゴッ)」と言うし、「お前の方はどんなのがいいの?」と聞くと(小さなジェスチャーで)「これ(ヨゴッ)」と答えるのです。どちらが男の子でしょうか。「これ(イゴッ)」が男の子ですか、「これ(ヨゴッ)」が男の子ですか。「これ(イゴッ) です」。「これ(ヨゴッ)」は小さくて、「これ(イゴッ)」は大きいでしょう。言葉は本当におもしろいのです。【注:「これ」に相当する韓国語は二通りある《「イゴッ」「ヨゴッ」 一近くにある二つのものを選択するときに使い分ける》」

 仁進もおもしろいのです。夜清平に行くには、浮きをつけなければなりません。その時「お前に浮きを着せてほうり投げたら、あの遠い所まで渡っていけるの?」と言うと、「渡っていきます」と言うのです。一晩かかっても渡っていくと言うのです。「ここは恐ろしい所なのに、怖くないのか」と聞くと「怖いなんて、何が怖いの? 神様がいるのに」と言うのです。

 それを聞いて「いやあ、子供がこのような信仰をもつとは立派だ」と、私が感嘆したことがありました。皆さんもそう思いますか。夜、子供が何も分からずに、それも一人で渡っていこうとすれば、どんなに苦労するでしょうか。「ここに何がいるのか知っているのか」と聞くと、仁進が「神様がいるじゃない」と答えたのです。そのような信仰が必要です。


八 勝共啓蒙運動の拡散と今後の進路


勝共啓蒙運動の拡散


 私たちは寝ても覚めても統一を考えなければなりません。この七年路程をかけながら、私たちの怨讐である共産党を屈服させなければ駄目だということを知らなければなりません。これまでこの国が統一教会を排斥したがゆえに、神様のみ旨成就がどんなに遅れたでしょうか。最近になってようやく統一教会でなければ駄目だという話が出回り始めたのです。国だけでなく、アジアが生きるのも私たちの理念でなければ駄目なのです。’もう私たちは出発しました。ゆえに、より一層頑張らなければなりません。

 最近、先生が地区長たちの報告を聞くところによると、地区長たちが、今や道の有名人になったというのです。道知事が表彰しようとするし、内務部長官が表彰しようとするというのです。それは、理念的に見て私たちを無視しては駄目だというふうに思ったからです。昔は先生がどこかにちょっとでも出掛けると、統一教会の文教主がどこどこに行くと言って、電話をしてまでも監視していた各警察局情報課が、今は統一教会でなければ駄目だという段階に変わったのです。この世で日陰が日なたとなり、日なたが日陰になるような道理です。

 彼らは次第に急変する世界情勢のもとにあって、しかも反共体制を強化すべき国家的な危機に直面したこのような時点で、自分たちの生命と財産が大事であることを知り、まかり間違えば自分たちが死ぬだけでなく、氏族、父母、一族まで殺されるということもよく知っています。北緯は今、戦争の準備に狂奔しています。休戦ラインでもただならぬことが起こっています。それゆえ私たちの助けが必要になったのです。

 このような段階に入ってきたので、警察局長や情報課長が統一教会の幹部のところに来て縁を結ぽうと言い出したのです。それで江原道や慶尚北道が今そのようになっています。私たち統一教会は下からだんだん上がっていくのです。

 国家的に見る時、理念的な基準においてカイン的なこの民族が、アベル的な私たちに従わなければならない段階に来ています。関係公務員がみな私たちの理念を公認できる段階に来ているのです。このような状況を見れば、時は今正に熟しているのです。

 これまで韓国では、統一教会が迫害を受ける位置で動いてきましたが、大衆が歓迎し得るいくつかの条件を立ててきたがゆえに、今は歓迎され得る環境になりました。これを私たちが如実に感じています。けれども統一信徒は、共産党と戦わなければならないので、今後もっと苦労しなければなりません。


国内外の勝共団体結成計画


 私たちは世界、国家を代表し、共産国家と戦うことにおいて、犠牲の群れになることを志願しなければなりません。先生は反共という言葉が好きではありません。反共だけしてどうするのですか。しかし反共せずには勝共が出てこないので、反共したのちにもっと準備し、勝共をしなければなりません。今は私たちが共産党に対して攻勢をかけなければならない時です。先生は今後、そのための挙国的な団体を組織しようと計画し、八〇パーセントくらい進捗していたのですが、それがこの世の反対を受け、今まで延期してきているのです。

 困難ではありますが、私たちは何としてもこの段階を越えなければなりません。そうして韓国を動かし、さらに進んで日本と中共を含んだアジア全体を動かさなければなりません。アジアに反共連盟がありますね。これを中心として世界の自由を私たちに任せるようになるのです。そのような時が来るのです。

 今後は韓国と米国を中心として、ワシントンに世界的な反共団体をつくろうと思います。それで反共に関する他のあらゆる団体を全部吸収し、新しい思想と理念で武装させ、反共指導要員を養成しようと思っています。これが先生の計画です。

 これまで私たちが過去に活動したことをすべて清算し、この七年路程が終わったら実際に対共産主義問題を中心として団体活動をしなければなりません。そのような時となったので、先生はそのような団体構成に関する計画を立てています。その計画を実行するためには、外的な分野にキリスト教が必要です。今私たちには、既成教会のような信徒の数をどのように確保するかということが問題です。また、今私たちは、緊迫な国家問題や、社会問題に対する対策を講究しなくてはなりません。

 それゆえ、今後多くの人を伝道するためには、女性がたくさん必要です。今、地区長夫人たちは皆子供を二、三人生んで暮らしていますが、子供は全部夫に任せるようにして、伝道のために全国のどこかに派遣するかもしれません。また他の、ある非常対策を講じるかもしれません。


世界宣教の課題と準備


 既に、先生の関心の対象が韓国だけに限定された時代は過ぎ去りました。祈祷をしてもそうです。昔は韓国のために三分の二ぐらい祈祷し、世界のために三分の一祈祷したのですが、今では逆になりました。韓国のために三分の一ぐらい祈祷し、世界のために三分の二を祈祷しています。既に、世界のために準備すべき時が来たのです。それゆえ世界的な試練と迫害の十字架を負おうと努力しています。

 そして、最近の国際情勢とか共産党の動きに対して、相当な関心をもっています。そのような世界的な問題を解決するために、私たちは霊的に戦い、霊的に責任を負っていかなければなりません。神様のみ旨に責任をもった者が行くべき正式な方向は、ある絶対的な基準を中心とした方向でなければならないのです。

 摂理的に見る時、韓国を中心として動いていた恩賜が、もちろん韓国でもその実が結ばれるかもしれませんが、それより日本でもっと早く結ばれる可能性が大きいのです。そうすれば、これをどのようにしなければならないのでしょうか。早く交流させなければなりません。それで、先生は今、十二名以上の幹部を連れて日本に行こうと思っています。これはお互いに交流し、同じ恩賜の圏内で、活動できるようにしようということです。

 今後七年路程が終われば、神様はまた私を追いやってどこに送るのでしょうか。多分米国のような所に送るはずです。これまで韓国を中心として戦ってきたのですが、今後はそこで戦えとおっしゃることでしょう。そして統一教会の先生に従っている最も近い弟子たちはどこに送るのでしょうか。世界各国に送るはずです。皆さんは世界各国に神様の伝統と思想をもって行き、それをそのまま蒔くことができる人とならなければなりません。

 その時先生は、日本の食口や米国の食口たちを一度試験してみようと思います。彼らは七年路程の恵沢圏内に入っていないので、彼らをどのように恵沢圏内に入らせるかということが問題です。個人問答をして彼らの心情を分析し、特権を与えるための準備を先生はしています。

 先生は、先生から直接教えを受けた韓国の男性や女性たちが、世界各国に散らばり、世界のために涙を流しながらみ旨を広げていくことを願っています。韓国人たちを宣教師として世界へ送り出すことができれば、先生はうれしいのです。
















▲ 目次へ

第八節 一九六七年 勝利的主管者となろう(五)

真の御父母様の生涯路程 4



第八節 一九六七年 勝利的主管者となろう(五)


一 一九六七年出発と摂理的意義


年頭標語:勝利的主管者となろう(五)
      (一九六七・一・一、前本部教会)


 復帰摂理を中心として見る時、この期間を峠であると言うならば、一番高い峠であり、谷間と言うならば一番深い谷間です。先生が流した血と汗と涙がこの谷間にたまっています。この峠や谷間をそのままにしておいてはいけません。平地としなければならないのです。平地とするには、山を削って谷間を埋めるのでなく、この峠をすべて取り出さなくてはなりません。

 原則的にこの七年路程はたった一度だけです。復帰摂理歴史においては二度とあり得ないものです。ゆえに、一片丹心、最後の峠を越え、勝利的主管者とならなければなりません。そうでなければ、天国に入ることができません。

 七年路程の最初の年の標語は「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」であったし、二年目は「父の代身者となろう」であり、三年目は「見せてあげて誇り得る者となろう」でした。それから四年目から七年路程が終わるまでは「勝利的主管者となろう」という標語で一貫するようになったのです。

 私たちが行く道には、越えるべき峠がたくさんあります。その峠を越えようとすれば、まず個人的な峠を越え、勝利し、主管者とならなければなりません。それゆえ先生は「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」と言ったのです。

 自分自身を防御するのに怠ることなく、攻撃するのに機転がきかなければなりません。勝利者となる前に私が死んでしまったとしたならどうなるだろうかを考えてみなさい。皆さんは、勝利をもたらすまで、一片丹心で戦うようお願いします。先生はけさも「お父様、また行かなくてはなりません」と祈祷しました。恨を抱いた男の行く道がどうして平坦であることを願うでしょうか!

 み旨のために行く路程で皆さんが味わう苦労は、皆さん自身をして能動的な生活をさせるための天の贈り物なのです。これを嫌がる人は勝利的主管者になれません。寝ても覚めても、どこに行こうが、私の心は天と一致しなければなりません。復帰の峠で私自身が置かれている位置を再度見極め、この一年、残りの道を力強く走っていきましょう。


七年路程の収拾と総進軍の年


 私たちは決して良い環境の中で出発したのではありません。しかしそのような中でも一片丹心で苦闘を続け、今や私たちは、民族的な基準に匹敵する時を迎えるようになりました。今は七年路程の六年の峠を越え、残り一年の峠を目前に控えているときです。

 特に今回の七年路程では、六千年間積もり積もった神様の歴史的な悲しみを、私たちの一身で横的に蕩減しなければなりません。それゆえ先生は、公席に立ちさえすれば苦労しなさいという話を何度もしてきたのです。先生の生活もまた、六千年の蕩減条件をかけて、無慈悲に打って追い立ててきたものでした。

 皆さんが韓民族の前に七年路程を経て苦労した結果、ついにこの民族が統一教会のみ旨に従わなければならないようになりました。ちょうどヤコブが二十一年路程を終え、エサウの前にすべてを捧げる時に、エサウがヤコブを歓迎したのと同じ型の路程です。

 理念的な世界から統一教会を締め出そうとしても、何ものも絶対不可能です。今私たちの立場では、み旨を中心としてどのように世界の問題を合理化させるかということが問題であるので、ここに私がぶつかって押し出すか、押し出されるかということが、今後一年間の戦いの路程での課題です。

 今年は内外において収拾しなければなりません。長成期完成級を復帰し、完成期に向かって進むのがこの七年路程です。完成期を過ぎたのちには迫害を受けてはいけません。今年は総進軍する年です。安息期間ですが、民族的な罪が残っており、民族のための祭祀を捧げなければならないため、献祭を捧げるこの仕事に全力を尽くさなければなりません。

 アダムが長成期完成級で堕落したので、その国と義を復帰するために私たちは進まなければなりません。神様が外的な創造後に内的創造をなさったように、今は外的なものは復帰し得る立場を備えたので、今後は内的なものを復帰していかなければなりません。それゆえ、この一年を総動員の年と定めなければなりません。


二 一九六七年四大活動目標設定(一九六七・一・一発表)


(一)心情の内的基台造成


 今年の標語の四大活動目標の中の一つである内的基台造成のためには、アベルの立場を復帰しなければなりません。したがって、より一層与える人とならなければなりません。これをもって信仰的な人格が成されていくのです。

 したがって、アベルの立場にある私たちは、食口を愛し、怨讐まで愛することができなければなりません。観念的でなく実証的に愛し、方事に自信をもって進んでこそ、サタンの讒訴を受けない立場に立つようになるのです。

 個人を経て、家庭、氏族、民族、国家、世界を成す、すべての復帰摂理歴史の成就には、この公式が適用されます。一つの拡大は全体になります。結局、全人類は一つの兄弟姉妹なのです。したがって食口に対する時、誰でもお兄さん、お姉さんとして接しなければなりません。そして、出ていって戦う時は、父母の資格で戦わなければなりません。すなわち戦う相手が怨讐だとしても、窮極的な意味では自分の子供と同じなのです。それで私たちの標語は、「父母の心情をもって僕の体となり、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流そう」なのです。そうしてこそ完全に復帰されます。このような人をつくることが、神様の最高の教育指針です。

 過去に関係当局が私たちをどれほど苦しめましたか。しかし今は、私たちが積んだ実績と功績を直接目撃することにより、私たちを理解するようになり、とても近い仲になりました。皆さん、どうかアベルの使命を果たしてください! そして初めて教会に入ってきた時感じた喜びをそのまま大切にもち続け、生命の源泉とし、生命の火をつけなければなりません。


(二)教会員の四段階倍加運動を完遂


 四段階倍加運動、これは今年掲げた私たちの四大目標の中の一つです。

 今日の韓国人は善悪を分別できない状態ですが、心が動き、入会願書に判を押して教会員となれば、その条件で彼らは天の側に立つようになります。蕩減復帰であるため、多くの人が復帰されるのではありません。ですから、教会員が量的にたくさん増えないといって心配しないでください。

 私たちは伝道をなぜするのでしょうか。繁殖するためです。繁殖は縦的な関係からは成されません。横的な立場に立ち、一つとなり、お互いに授け受けして初めて成されるのです。したがって皆さんは教会長を中心として、教会員たちと横的な立場で一つとならなければなりません。そうして初めてすべての面で発展するのです。

 重点的に伝道すべき対象は、実権を握っている権力層の人々です。先生はこの問題をどのように解決すべきかに対して、心配してきました。今はいかなる教会がどんなに反対したとしても、彼らの意のままにならないはずです。これからは継続して復興会を開き、彼らが統一教会を誤解していたと悟らせるようにしなければなりません。そうして今の社会に天的な因縁の環境を広めるのです。この活動を促進しようとすれば、相手をして関心をもつようにさせなければなりません。


(三)経済的な基盤完成


 また私たちの活動には、必然的に経済問題が伴います。ところで皆さんは、そのようなことには関心がないようです。

 先生がこれまで企業を通して経済的な復帰を強調してきたのは、それが皆さんにとって生命の基盤となり、神様の足場となり、神様の心情を鼓舞する助けとなるようにするためでした。しかし、逆に心情を売る一つの材料として利用するようになってしまっていることを考えると、非常に残念です。あれこれの問題を考えた時、心情的な内的基台の造成を再度強調せざるを得ないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。

 皆さんが経済的な復帰に出ていくと、既成信徒が「統一教会の若者たちは商売をしている」と言いますが、それを気にとめてはなりません。私たちが経済的な復帰するところにおいて、絢爛豪華な位置ですることを先生は願いません。歓迎される位置ですることはなお一層願いません。「来るな」と言っても行かなければなりません。


(四)体系的組織活動強化


 皆さんは韓国に責任を負い、私は世界に向かっていくべき責任があるのです。それで今年も外国へ行かなければならない立場です。行かざるを得ない立場に置かれているのです。さて、そうなると、皆さんが国内に責任をもたなければならないでしょう。四段階倍加運動も皆さんが責任をもってこそでき、経済基台の造成も皆さんが責任をもたなければなりません。体系的組織化を中心として、しなければなりません。

 今後本部で管轄できる最低の基準とは、どこまででしょうか。区域までです。区域まで本部で管轄しなければなりません。協会長を中心として見る時、地区と地域と区域まで、それから協会長を中心として、先生と神様まで七段階です。そのようにして上がっていくのです。協会長を中心として見るならば、七段階の形態を経ていかなければなりません。

 教会の体系的組織化というのは、国家を代身できる社会団体として組織することを意味します。み旨を早く立てるためには、第一に、国家権力層を理念的に説得しなければならず、第二に、宗教界の数多くの難題を解決し、早く彼らを統一された方向に導かなければなりません。第三に、思想的に共産主義という世界的な思潮を克服しなければなりません。民主主義とキリスト教文化圏をもって、共産主義を克服しなければならないのですが、そこには必然的に体系的な理論の確立が要請されます。このような三つのことが私たちの解くべき宿題です。

 当局が私たちの反共活動に、勝共という名詞を認めたことは、ヤコブがヤボク川で天使と戦って勝利することにより、イスラエルとなったのと似た事例です。このような点から見て、み旨を成就させることができる勝利の立て札が既に立てられたと見るのです。

 今や、縦的な勝利の基準はできたので、これを基盤に横的にも勝利すべき組織が必要です。既成教会だけをもってしてはできません。世界を統一の理念で復帰しなければなりません。このためにはやむを得ず哲学的、すなわち学問的で思想的な土台を中心としてしなければなりません。このような一連の作業を具体的によく見てみると、思想を中心として学界と関連を結び展開しているのが反共運動であり、教会を中心に展開しているのが対外伝道活動であり、学生を中心に展開しているのが校内の原理研究会運動です。


三 経済基盤完成のため事業経営


空気銃生産(一九五八、仁川の朱安工場から出発)


 朱安に工場を造らせました。その時は工場に何もなかったのです。助手が一人いて、それからあの挟む道具が何ですか。バイス(万力)でしょう。そのバイスが一つあって、それ以外には刃物数個と、のこぎり、かんな、それしかないのです。それは今のお金にすれば、大体一万五千ウォンあれば買えるものでしょう。それが銃工場の起源です。

 それでおよそ七年間は常に投資しました。お金がかかりました。約三年前に初めて市場を相手に販売する基準にまで至りました。この期間はどのような期間だったでしょうか。私たちがこれを製作するにおいて、どのような分野にミスが生じたか研究する期間でした。専門分野において、故障するところを完全に把握しないまま大量生産し、それが失敗した場合、莫大な損害を被ってしまうのです。そのような専門分野に該当する部署を、私たちが完全に把握するまで約七年かかりました。こうして、約七年過ぎて一昨年から、大量生産しても間違いないという自信をもってやり始めているのです。

 このように十年の歴史を経て、銃を造り始めたのです。この期間、食口たちもみな、「何で銃を造るの。銃を造って鳥を殺そうとするなんて。何でそんなことするの」と言ったのです。みんなでこそこそと議論を交わしたのです。集まってはひそひそ話をたくさんしたのです。

 今となっては、これが企業化され、韓国においては、特許製品に成功した会社として一番もしくは二番に選ばれるようになったのです。そのように発展させてきたのです。

 現在皆さんは外で銃を売っていますが、この銃というものは本当に気の利いた物です。時代の気風にふさわしい物なのです。韓国は反共国家だからです。北韓では共産党を中心として軍事訓練をして下りてくる時局にあります。このような実情の中、韓国にいる為政者たちは、共産世界の脅威を、将来再び北韓が南侵するかもしれない脅威を感じる瞬間に置かれているというのです。このような時期であることを考えた時、今後政府を背景にすれば、これを無制限に発展させることができるというのです。そのような背景を私たちがもっているのです。現在そのような立場にあります。

 それでそのような内外の与件を中心として、今後反共講義をして訓練し、先生がしっかりと構想して、ある一時を望みながら今歩んでいるのです。


水澤里工場の経営


 先生はあらゆることにアベル的な責任を全うしてきました。これが先生の生活哲学です。さらに大きな公的なものの前に立つ時は、謙遜にならなければなりません。思想的な面で先生は霊界でも戦い、地上でも戦いました。

 商業面で見ても、精誠を尽くしたところがたくさんなければなりません。彼らの精誠に報い、工場の基盤を整える時までは努力しなければなりません。まだまだ努力すべき部分が残っているので、天の前にお金がもうかるようにしてくださいという祈祷はしません。

 これまで私たちは、涙と血と汗を流しながら神様の心情を学びましたが、これからは、経済的な基盤を築いていかなければなりません。世界を復帰するためには、世界的な経済基盤が必要だというのです。

 それで先生が工場を経営しようとしているのです。それはどうしてそうするのでしょうか。精誠を尽くそうというのです。お金を稼ぐことも重要ですが、お金をもうけること以上の精誠を尽くそうというのです。天と地が公認し、億千万金をあげても換えられない、そのような基準まで精誠を尽くそうというのです。天宙の財産をすべて集めても余り得る精誠を尽くしなさいというのです。


工作機械製作


 これからは工作機械を造らなければなりません。その準備は、既に二年前からしてきています。人が十年を費やすその時間と努力と誠意の量を、わずかの期間の中に注いでするのです。そうしようとすれば、夜寝ないで、寝ても覚めても、どこに行ってもいつもそのことだけを考えるのです。

 そのようにしてその部門を任せたのです。そうして、それに対して自信がついたのです。銃を開いてみれば大したものではないのです。そうするうちに数ヵ月が過ぎると、それに自信がつくのです。約一年もすると隅々までとても詳しくなったというのです。それで三年の基準を中心に準備し、ある基準に、軌道に乗せようとしていたのが、一年八ヵ月で軌道に乗ったのです。

 そうして、そこで責任者たちが、工場長、生産部長から班長たちまでが「やあ、もう先生が作れとおっしゃるもの、何でも作れる」という自信をもつようになったのです。そうして機械を造るのです。何の機械を造るのですか。鉄を削る旋盤を造るのです。旋盤は工作機とも言います。それを造るのです。

 それで全数量を私たちが造り出すためには、三年はかかります。三年以内に、純粋に旋盤だけ二千台、付属機械まで約二千台は造らなければなりません。そうすると一年に七百台を造らなくてはならないのです。それをどうやって造るのでしょうか。七百台造ろうとすれば、一日に何台ずつ生産しなければなりませんか。一日に二台ずつは造っていかなければならないのです。

 私たちは早朝六時に起きて、夜十二時まで仕事をするのです。食事時間は三十分だけです。六時半には既に作業を開始し、十一時まで仕事をするのです。その中に朝食時間三十分、昼食時間三十分、夕食時間三十分だけです。それ以外は機械についていなさいというのです。そう、十八時間仕事をするのです。

 今後私たちは世界のどの工場にも負けない工程をつくらなければなりません。競争する時は、次の三つが重要です。計画管理、組織、技術人力です。これさえきちんと確保すればよいのです。それが完全に一致すれば、一つの製品にかかる時間は短縮することができるのです。


地域経済基盤の助成と農桃園


 今後、先頭に立って私たちの発展にきちんと責任を負える人と、そうでない人とに分け、後方の経済体制を備えていかなければなりません。それで計画したことが、今後、各地区と地域単位で工場を新設しようということです。今、我が国では第二次経済開発五ヵ年計画を推進しています。私たちもそこに歩調を合わせ、私たちの対内的な基盤のために、八つの地区を中心とし、百五十箇所の地域に分工場を造ろうというのが先生の計画です。

 今後は私たちが面単位の区域を中心として、農業ができる基本単位の農地を準備しなければなりません。それで今盛んに建てている農桃園を発足させようというのです。この農桃園では、将来み旨の前に入ってきた青年たちを全員連れてきて、農業指導をしなければなりません。少なくとも農地を四千坪ないし五千坪は準備して、農業を教えるのです。

 そして精米所も造らなければなりません。農村の人たちをいきなり工場に連れていっても、機械がどのように回るのかよく分からないのです。それでうちの食口が来て、精米所を運営するのです。農閑期に遊んでいる若者たちを全部集め、村中の稲や大きな農場の稲を全部集めてきて、それをついて売るのです。そうすれば二重農業になるのです。ここで素質のある青年たちに精米所の発動機を動かすようにさせるのです。

 また、科学的な農業の方法を指導しながら、現地の実務担当者として、実際に見習いもさせなければなりません。そうしてともかく韓国の農村に科学的な農業を実現しなければなりません。それをこれから着手していくのです。


韓日間の経済交流


 日本にあるうちの会社と、ここにあるうちの会社は、もう一つの所属です。そうすれば、韓国で会社を新設する時、日本の注文を受けて私たちが物を買ってあげれば、人が来る必要がないのです。幸世物産といううちの会社があります。

 また、日本は、先生が話せば三時間以内に北海道から九州まで伝達され、五時間以内にうちの食口がその会社に行って交渉できる組織をもっているのです。それがどんなに素晴らしいことでしょうか。どこへでも行けるというのです。

 それゆえ韓国で今後必要なすべての機械を入れるには、自ら交渉するよりも組織を利用するほうが、何より利益になるということをみな知っているのです。また、これは韓国ですることですが、日本に行って交渉する時は、日本の食口が日本人に対して交渉するので、信用度が一〇〇パーセントだというのです。絶対に踏み倒すことはないのです。


四 超教派運動の活性化


摂理の時と超教派運動


 み旨から見た時、イスラエル国家とユダヤ教がイエス様に対することができるのと同じ基準、すなわちイエス様の時代と同じ環境が既に私たちの前に造成されたのです。このような時に置かれているので、私たちは超教派運動を展開せざるを得ないのです。このような信念をもって、ここで私たちは両面作戦をせざるを得ないのです。ゆえに私たちは、民族復帰のために忠誠を尽くしたように、超教派運動にも忠誠を尽くさなければなりません。

 兄のカインに会える時が来たのです。既成教会と会うことができる時になってくるので、七年路程において超教派運動をしなければならないのです。

 私たち統一教会はこれまでアベル的な基準に立ち、エサウに排斥されたヤコブや、十一人の兄弟に排斥されたヨセフと同じ立場で歩んできました。ところが、今の時がどうなっているかというと、排斥を受けていた基準から私たちがだんだんと上がってきているのです。ヤコブ路程で見れば、還故郷した時、自分が離れる前の故郷を再び復帰できる時代に戻ってきているのです。

 その時はどのようになるのでしょうか。ヨセフも、自分のお兄さんたちが訪ねてきた時、彼らは怨讐の立場であったのですが、飢えてかわいそうな立場にあるので食べさせてあげなければならなかったのです。

 そして、その兄弟たちはヨセフによって、貧しく困難な環境から全部解放されなければならないのです。そうするためには、エジプトのものを、すなわちヨセフの管轄圏内のものをもっていってあげなくてはならないのです。同様に、ヤコブがもっているものも、全部あげなければならないのです。

 このようにヤコブとヨセフは、財物をあげて何を取り戻そうとしたのかといえば、ヨセフは、愛する天の相続を父から受けようとしたのであり、ヤコブは父から祝福を受けようとしたのです。それが目的です。これをお兄さんたちが喜べる立場で受けられれば、この世の物質は問題ではありません。お兄さんさえ復帰してくれば、サタン世界の物質はすべて入ってくるのです。


神霊役事の結束


 一方、このみ旨を成すためには神霊に通じる人も必要です。山中にいる多くの神霊に通じる人たちを統合する運動を展開しなければなりません。誰もが聖霊の役事を必要としています。一度恩恵を受けると、それ以降心霊がさらに渇いてくるのです。彼らが食口にならなくても関係ありません。中間的な位置にいる人もいなくてはならないからです。

 私たちは外的には対外活動を中心として、内的には恩恵を受けた人々が結束し、み旨の成就を促進させなければなりません。このようにして韓国の教会を救うのろしの役割をなさなければなりません。これまでは神霊的な体験をした人たちが、教会で完全に無視されてきました。しかし絶対にそうであってはなりません。

 先生も一人ではできません。間違えば大変なことになります。世界的な状況と霊界のプログラムに合わせて決定していくのです。霊能者たちを受け入れ、カインかアベルかを分析しなければなりません。

 すると実際、アベルになる内的な基準とは何でしょうか。それは神様を愛し、神様のみ旨を愛することです。そしてそのことのために祭物となるのです。天の前に祭物となり、アベルの立場が決定されたのちに、その位置からカインに命令すればいいのです。それで、言うことを聞かなければ打たなければなりません。それで砕け散るならば、その人の福をすべて皆さんが引き継ぐことができるのです。

 み旨を愛することにおいて、その人より自分が上に立てるようにしなさい。そうしてアベルとしてみ旨の前に祭物となれば、カインとしてはどうすることもできず、皆さんを通してのみ、み旨の道を歩むことができるようになるのです。

 一九六五年より、既成教会で再び恩恵の役事が始まりました。それまでは統一教会に反対していたので恩恵を失っていました。今は統一教会の二十一年の期間ができ上がったので、既成教会も再逢春(注:不遇な立場に置かれていたのが再び幸福を取り戻すこと)を迎える立場に置かれるようになるのです。なぜならアベルの祭壇が決定されれば、カインの祭壇も設けなければならないからです。


集中的な超教派運動の三年期間(一九六六~一九六八)


 先日の一周年記念行事(一九六七年十一月七日、ソウル・ウォーカーヒル、基督教超教派運動本部創立一周年記念行事)の時、教会から約五百名余りが集まり、大行事を催しました。それで、既成教会の人たちは大変驚きました。いくら見ても背後に統一教会がいるのが分かるので、どんな方法を使ってでも阻もうとしたのですが、自分たちの作戦計画が食い違ってしまったのです。それで今は育ててあげなければならないというのです。今は、このような姿勢を取るようになったのです。彼らは統一教会をどんなに恐れているか知れません。

 今は皆さんが自信をもって既成教会を訪ねていけば、既成教会の信徒が震えるようになっています。それで今、宗教界で大変な問題になっているのです。それで今年もこれを大々的に発展させようと思います。昨年は、既成教会の上部層にいるあらゆる人と接し、その人たちが垣根となることができるよう、背水の陣を敷くのに力を注ぎました。

 それでこの前も、儒城温泉で、キリスト教の幹部クラスの人たち十四名を含めて合計二十名が集まり、三日間の座談会を行いました。そのように他宗教との交流など、これまでキリスト教団体のいかなる大きな教派もできなかったことを一年の間に無難に断行したのです。

 これまで教派の教役者たちは、一つに集おうとしても集うことができませんでした。ところが、約二十の教派がひとところに集まって腹を割って話すようになれば、昔は、怨讐視していた党の会長あるいは老会長や総会長たちが集まり、膝をつき合わせて過ごしてみれば、悪くないというのです。そうして、そのような元老牧師たちが超教派総会に出てきて、「これまで教会を駄目にしたのは自分たちだった」と言うのです。教派争いがみ旨だと思ってしてきたが、今振り返れば、結局は神様に対して大きな罪を犯したと言うのです。

 こうして、公式の席上で謝罪して動くようになったので、今超教派活動が大変活発に進行するようになりました。キリスト教の新聞社も最初は正面から私たちを非難してやっつけようとしたのです。ところで最近では、福音新聞社のような所からも私たちの所に来て謝るのです。もう打たないから許してくれと言うのです。クリスチャン新聞やキリスト教連合新聞など、反対した輩たちがみな、もう打つことはしないで、育成すべきだというのです。そういう必要性を感じているのです。

 このようにして物質的に後援する条件のもとで、神様の祝福を相続する権限を認めてさえくれれば、自分の故郷を離れたイエス様に怨讐視されたすべての条件を越えることができ、神様が長子に祝福すべき嗣業を、ヤコブが次子として相続できる問題が解決されていくのです。

 このような時に置かれているので、この期間、私たちは何をしてでも、統一教会の信徒たちが苦労してでも、この超教派運動をしなければならないのです。今は、英大な資金を投資してその人々を収拾する作戦を行うべき歴史的な時代なのです。それで昨年からこの仕事を始め、これに三年を見積もっているのです。昨年から来年十一月までですから、いくらも残っていません。

 それゆえ皆さんも、地方で超教派運動に対する基台を築き、これを対既成教会信徒作戦における材料にして、伝道をしなければなりません。


五 真の御父母様の家庭と教会幹部の日本巡回


 真の御父母様は六月十二日、孝進様、仁進様、興進様の三人の御子女様のほか、崔元福、劉孝元、金元弼、金榮輝、柳光烈、黄煥寀、李起錫、崔容碩、李耀翰、文成均など、十三名を同伴され、日本を訪問し、二ヵ月間滞在されながら、日本語版「原理講論』出版、修練を通じた原理武装、心情復活の具現、天のみ旨の民族的分立傾向止揚等、多大な成果を収め、八月十日、中心食口約三百名の出迎えを受けられながら、金浦空港に帰国された。

巡回出発前の特別集会(一九六七・五・一一~六・九、前本部教会)


 今は、七年が過ぎました。八年は再出発する年です。最初の基準を越えなければより向上することはできません。今は外国も直接主管すべき時です。先生自身が神様から責任追及を受けなければならないでしょうが、心情的には同情を受けるしかない立場にあります。

 国に責任を負えない人が世界の責任を負うことはできないし、世界に責任を負えない人が天宙の責任を負うことはできないのです。先生が世界巡回して帰ってきたら、全国的な指導者の交代をしなくてはなりません。

 先生は一九四六年五月二十八日、韓国を発ち、六月六日、平壌に入りました。今年は先生が公的路程を出発してから二十一年になる年です。

 この集会をもったのは、皆さんが先生を初めて見た時の喜びを想起させるためであり、また、新しいことを立てて韓国を発ってこそ、韓国が復興することを知っているためです。

 昔、この道を歩む途中で落ちて死亡の道を進んでいる子供たちを顧みて、彼らの恨みを解こうと思うのです。いくら死刑囚だとしても、最後の死の瞬間には彼の言うことを聞いてあげるでしょう。先生が外国に行こうとしているこの時に、落ちて離れた昔の食口を再び思うのは、今年が第一次七年路程が終わる弛緩期だからです。

 先生が帰ってくる時まで精誠を尽くしてみ旨をなし、団結し、祈祷する七十名を選んで彼らに責任を任せて出発するつもりです。土曜日の夜には教会で徹夜をしなければなりません。毎日聖地に通い、聖地祈祷をしながら一人以上伝道しなければなりません。伝道ができなければ、前に来ていた食口でも連れてくるようにしなければなりません。

 先生が皆さんにお願いしたいことは、み旨に従って行く道において、私のために祈祷するよりも、世界に散らばっている日本、米国、ドイツなどの外国の食口たちのために祈祷し、精誠を尽くしてほしいということです。全世界の人類のために祈祷し、精誠を尽くす皆さんにならなければなりません。

 皆さんは六月から九月までの四ヵ月間に、毎月三名ずつ、十二名を伝道しなければなりません。統一教会に反対する人は主に皆さんの親戚や友達ですから、彼らのために祈祷して精誠を尽くし、伝道しなければなりません。精誠を尽くしてどれだけ天が協助するかを見なさいというのです。地上で自分の親戚や知人を伝道しなければ、あの世に行って彼らの讒訴を免れることができないのです。

 先生は皆さんに対する時、昔の統一教会の食口という気分で対したくはないのです。どのようにすれば新たな気分で皆さんに対することができるかを考えているのです。それで今回の集会の期間において、どのようにすれば、皆さんと、神様が下さった新しい使命と目的を中心として、新しい心情と新しい道義の法度を討議しながら、互いが一つになって歩める新たな心情を誘発させられるだろうかということが、今回先生が考えたことの中で最も重要なことです。

 それでこの期間で、皆さんが統一教会の草創期の時から入教し、神様を信じて侍って生活してきた全般的な内容を全部発表させるつもりです。そうすれば皆さんは、信仰告白とか証を通して、これまで聞けなかった様々な前後の事情を聞くようになることでしょう。


出発前の聖地巡回


 先生はこの期間を特別の期間と思い、できれば聖地も一定の期間内で巡らなければならないと考えています。それしか考えていません。先生は工場にも何度も立ち寄りますが、そのような時にも心の中では、私たちが行くべき道のために先生が何をなすべきか考えているのです。

 しかも外国の食口たちは、我が国に対し、非常に大きな期待をかけているのです。彼らがみ旨を知ったのちには、最高の基準で韓国と先生を思うというのです。ですから皆さんは、彼ら以上に精誠を尽くさなくてはなりません。

 それゆえに先生は、そのように精誠を尽くす人に対しては、いい加減に接しないのです。それでこの期間においては、時間の合間に聖地を回ろうと思うのです。

 その次には何をするのですか。過去に神様が先生に対してきたあらゆることを振り返ってみながら反省するつもりです。私がある事情に置かれている時、神様が私を呼んで協助してくださったその恩賜を彼らにも分け与えてあげようというのです。きょうここに集まっている数多くの食口たちの育ってきた過程は、千態万状です。出発の時から、将来天国の門に連結する時まで、すべての人が異なった道を行くのです。

 そのような人たちを心情で連結させるため、先生はこれまで蕩減復帰の道を歩んできたのです。そのように神様が協助してくださった心情の因縁を彼らに連結させ、彼らを神様の前に奉献すべき責任があるがため、先生は、この期間、聖地を巡回しているのです。今回特別に集会をもつのも、やはりその趣旨からです。


巡回の意義


 先生は、第一次世界巡回の時には土と石を持って巡回しましたが、今回は心情をもって出発しようと思います。寝ている人を起こして恵みを与えようとすること、また、怒っている人をなだめて恵みを与えようとすることは、神様の一番大きな悲しみです。一九六五年に世界一周をした時は喜びがありませんでした。数多くの天的な子女たちが連結されていなかったからです。これからは、先生は、韓国を離れ、外国に出ようと思います。そして外国の人々を生かすために、統一教会の人たちの鼻にひもを通して引っ張っていくつもりです。そうして万民が生きるならば、先生は死んでもいいです。

 先生が一周回ってくれば、これまであったすべての前後の事情を全部忘れてしまうつもりです。新たに再出発する心をもちたいのです。これから先生が世界を巡回して戻ってくれば、七年の峠を完全に終結し、越えていかなければなりません。それゆえ皆さんはみ旨の道のために、精誠を尽くさなければなりません。

 神様が韓国の民を信じて訪ねてきたので、皆さんは、信じて訪ねてきたそのみ旨を世界に連結させてあげられる一つの連結体にならなければなりません。どの民族よりも韓国人が世界にたくさん出ていき、天の旗を立てるべき責任をもっているのです。どの民族よりも多くの涙を流してこそ、韓国に下さった福をそのまま維持することができ、また、他の民族にまで福を分け与えることができるのです。

 七年路程が終わればすぐに、十ヵ国に宣教師を派遣しなければなりません。一人でも父母に対して孝行の道理を果たす心情基準の高い人がいるならば、その人を通して、その国の人々は神様と連結されるのです。


世界巡回のために日本巡回
(一九六七・六・一二~八・一〇、真の御父母様、御子女様三名、教会幹部十名)


 「先生の言うことを聞かなければ日本に行かない」と言ったところ、一年の間で相当に発展しました。今は行かざるを得ません。それで行くべき日が六月十二日、正にあすです。あすは必ず金浦空港に出掛けていかなければなりません。

 先生が先回日本に行って感じたことは、信仰の本国に対する日本の食口たちの心を単一化させなければならないということでした。これまでは、宣教師を中心に動いてきたため、一定した一つの方向へ進むことができなかったようです。今回、本部の幹部たちを日本に連れて行ったのは、各地方に彼らを派遣し、日本の食口たちと心情的紐帯を結ぶためでした。

 それで日本に到着し、二週間の間、修練会を開催し、それから地方を十三日間巡回しました。そうしたあとで、日本の大部分の重要な工場に行ってみました。

 なぜなら今後、私たちには、宗教的な問題に対する信仰運動も重要なのですが、なおかつ、韓国の国家発展という遠大なる目標を念頭に置いて、計画を立てなければならないからです。それで現在の日本産業界の実状がどうなのかを見ようと、十以上の工場を訪問したのです。そしてそこで感じたことは、韓国もこれからは挙国的に団結しなければならないということでした。

 うちの今の文成均は天才的な素質をもっています。この人は運転手をしていた人ですが、設計もよくできるし、できないものがありません。どんな複雑な機械でも、回っているのを一度見るだけで、その機械について全部分かるというのです。それで今回、日本に行き、日本の十大に(十本の指に)入る重要で大きな工場をざっと回りながらかなり多くのことを見てきました。

 それをすべてカタログにつくってきたのですが、私たちの工場でもそれらをみなつくれるという結論を下しました。ですから、急いでそのような体制を整えた工場をつくろうというのが先生の計画です。

 日本の食口たちも今回、原理に対する方向性と、本部との心情的な紐帯を完全に備えるようになりました。原理に対するこれまでの態度を反省し、新たな覚悟で、今は、韓国食口たちと同じ発展の軌道に突入しようと努力しています。

 日本の神川という所に私たちの工場があります。そして日本の全域にわたって青年たちが、何をしているかといえば廃品回収をしています。彼らはそのような大変な生活をする中でも、本部を慕い、本部と関係のある便りを聞くのを願っています。

 今回は日本の食口たちの祝福問題も考えて行ったのですが、彼らは祝福を夢にも考えていませんでした。彼らは、「二年ないし三年してからしてください」と言うのです。それで先生は非常に満足しました。自分たち個人の問題よりも日本のために本当に生きることができずして、本当に活動できずしては、神様の前に立てないというのです。それは正しい言葉です。

 今回、一緒に行った柳光烈が、北海道に行き、号泣して帰ってきました。彼は自分には涙などあり得ないと考えていた人なのですが、「どうして彼らと別れて戻らなければならないのか」と思ったら、我知らず二筋の涙が止めどなく流れてきて痛哭したというのです。

 結局、本部から行った食口として話せる内容が何かといえば、先生と関係を結んで苦労したということだけで、それ以外には何もありませんでした。彼らの前に出せる韓国食口の財産はそれだけでした。ほかのものはありませんでした。


日本の情勢と巡回時の措置事項


 東京に行ってみれば、都内に日本共産党という看板が真っ赤な字で書かれて、堂々と貼り出されているのを見かけます。また、彼らは白昼堂々と、東京の駅前や渋谷の駅前で、自信をもって共産党の宣伝をしています。

 日本の国会でも共産党員たちは、社会党と手を結び、対自民党闘争を展開しています。自民党が発議したことにはすべて反対するなど、国会でも共同作戦を展開しています。実際その内容を見れば反対するほどの条件はないのです。それにもかかわらず彼らがそのようにするのは、日本の労働者、農民を扇動し、彼らを一つの道具にして利用し、地下基盤を強固にしようとするところにその目的があるからです。共産主義者たちがそのようなことに血眼になっているということを感じるのです。

 現在、日本の正式共産党員は十三万ないし十七万人と推算されています。しかしこれらの人たちを中心に、団体活動できる数は、実に二百八十万ないし三百五十万人に達しているのです。このような勢力が現在、日本全域に分散し、休むことなく活動しており、その中でも最も悪賢く悪質的な群れが朝総連(注:在日朝鮮人総連合会の略称)に属する人です。彼らが共産党の行動部隊として、先鋒に立って活躍しているのです。これが現在の日本の実情です。

 現実がこうであるので、私たちとしては、韓国だけを中心に反共体制を構築していては、アジアに散在している共産陣営と対峙できません。これに対抗するため、どのようにすれば日本を、この反共隊列に参与させることができるかということが、これまで先生が考えてきた問題でした。

 それで先生は、今回何とかして道を切り開かなければならないと考え、日本に到着するや否や、大使館と民団(在日大韓民国居留民団)を訪ね、本国(韓国)で活動した反共講演の実績を提示して、日本でも僑胞(在日韓国人)を中心に反共講演をしなければならないと強力に要求したのです。そうしたところ、大使館側は、国家の代表という立場から高姿勢に出てくるし、民団側は、六十万優雅を代表した立場に立っているため、団長以下幹部たちは、韓国のいかなる長官もうらやましくないというふうな高姿勢で出てくるのでした。

 けれども、天はそこに崔昌林地区長を送りました。まず、日本全国四十七県にある婦人会の代議員約四百五十名が集まった席で、崔地区長が講演することになりました。そして、今後、僑胞たちに思想統一のための反共講演をしなければならないということを何度も副団長に強調したのです。二十分間講演するのに、何と十二回の柏手喝采を受けたのです。このようにして、聴衆はその講演にとても魅了され「小柄な人が何とまあ、あんなにも話上手な人は初めて見た」と言いながら、皆、口を閉じることができませんでした。

 現在、日本で右翼勢力の支持者は百五十万人程度ですが、これは左翼の半分にもならない数です。それなのに右翼は内部で分裂し、互いに分かれようとしているのです。それにもかかわらず、これを懸念する人がいません。

 私たちは何としてでも、民団を私たちの側に引き込まなければなりません。民団を私たちの味方にして、その民団を通して、反共講義をしなければなりません。

 日本でそのような基盤を準備し、この国ができないことを推進して、韓国とアジアを生かそうというのです。それでまず、早急に、日本の四十七県に原理で武装した人々を来年三月までに千人以上派遣しなさいと指示しました。また一方で、大学出身者の中から二百三十名を選抜し、やはり来年三月までに原理で武装させ、全員が講義できるようにしなさいと指示してきました。

 また、毎月修練会を実施し、合格した人を韓国本部に報告して、僑胞(在日韓国人)と相対的作戦をなせる基盤を早くつくり、日本に大々的な革新を起こしなさいと指示しました。


各言論の反応


 今回日本では、千人余りの学生たちが、夏期開拓伝道に出ました。日本では今、統一教会の文先生ゆえに騒ぎが起こっています。五大新聞をはじめとして多くの雑誌が、統一教会のことで騒ぎ立てているのです。記者たちが毎日のように取材しようと大騒ぎしています。

 優秀な学生たちが学校をやめ、路傍で野宿までしながら、「日本を救わなければならない」と言っているので、これが異色的な問題として取り上げられ、各新聞ごとに大きな話題になっているのです。

 日本では「全国大学連合原理研究会」という名称を掲げて活動しています。どうして、そこの学生という学生がみな家を飛び出したり、学校を辞めたりするようなことが起きるのか、そうかと思えば、彼らはくず屋をしたり、その次には開拓伝道とか何とか言って、乞食のように軒下や野原で寝たりして、なぜ、ありとあらゆることをしてまでも日本を生かすと大騒ぎしているのか。そのように、世間では大きく取りざたされているのです。

 また、男女の学生が合宿生活をしているにもかかわらず、男女関係が厳格だという事実が公認されています。もちろん一方では、私たちに反対する人々もいます。しかし、もう一方では私たちを応援する人たちもいるのです。

 四十数日間は、各言論機関が統一教会を訪ねてきて幹部たちに会おうと、とても騒がしかったのです。しかし時間が経過すれば「真」は残るようになり勝利するという原理を知っているので、できるだけ会わないようにと言いました。

 きょうも、先生が韓国に行くことを聞きつけ、取材しようと、記者たちが空港に来て列をなして立っていました。日本に駐在しているAP、UPI等の外国通信社の特派員たちも、互いに取材しようと大騒ぎしていました。ここ韓国でも、きょうも通信社の記者たちが訪ねてきています。そのような状況なのです。

 一方、米国最大の放送局の一つであるCBSの本社でも、日本駐在の特派員に、「統一教会の文先生が本国へ帰る時の実況と、また教会の内情に関したことをカラーで撮って米国に送ってくれ」と、指示したとのことです。

 それで、先生は約四十日の間で、日本の歴史上で前例のない偉人になったのです。結局、一九六七年度の日本言論界での話題の中心になりました。約二百八十個余りの言論機関が動員されたのです。


日本巡回帰国歓迎集会(一九六七・八・一〇、前本部教会)


 先生は韓国を発つ時、皆さんの中から百二十名を選び、四十三組の三位基台を造成し、この人たちに、聖地巡回祈祷と特別活動をしなさいという指示を下しました。一致団結して動けば、ここから新しい歴史が起こるという確信をもってそのようにしたのです。

 皆さんはもう一度聖霊の火を受け、再出発しなくてはなりません。過去には、聖霊の役事をすると蕩減が多く、迫害がたくさんあったのです。しかし、今はそのような時が過ぎたので、きちんとやりさえすれば、良い結果をもたらすことができるのです。けれども、その中には厳しい試練の山があり、その山を越えるのは大変なことです。しかし、九月までは何としてでも越えなければなりません。

 これから先生は、先生としてなすべきことに対して、新しい決意をしなければなりません。ゆえに、今回皆さんは、全体的な角度からもう一度心情を復活させなければなりません。皆さんは新たに整えた姿で、新たに第二次として、統一教会に入ってきたという気持ちをもって、この民族を代表し、第二次七年路程に向けて出発しなければなりません。

 これからは、地区長が管轄していた人事発令も、先生が直接管掌します。そうして現在の統一教会を止揚し、新しい角度からもう一度出発させるのです。


野外生活期間
(一九六七・八・二三~九・一五、京畿道八堂、九・一五~一〇下旬、京畿道清平)


 一九六七年に先生が米国に行こうとした時、米国国務省が駐韓米国大使館にブレーキをかける訓令を送りました。「この人が米国に来れば、米国の主権を握り得る人なので、米国入国ビザは発給しないように」というのです。そのように米国が先生を恐れているのです。日本も同じです。先生が日本に入ろうとする時も、日本外務省が世界にある日本大使館に公文を送り、先生が日本に入れないようにしたのです。

 先生が今、八堂に来ているのは、ヤコブが二十一年期間を清算して財物をエサウに分けてあげたように、既成教会に分けてあげるためです。すなわち、ヤコブの祝福を完結するためです。ゆえにこの期間は、私たち食口は、すべてものを犠牲にして既成教会の人たちに与えなければならない期間です。

 それゆえ、既成教会で、神様に忠誠を尽くし困難な境遇にある殉教者の遺族を助けるべき使命が私たちにあるのです。超教派運動に多くの関心を払い、少なくとも来年の春までには三千万ウォンを支援できなければなりません。

 先生は世界巡回ができなかったので、九月末まではここ八堂にとどまる予定です。さあ、心情を中心として新しい運動を起こさなければなりません。「自分がどこに行くのか」ということは、先生においても問題です。


七年路程の最後の三ヵ月(一九六七・一〇・一~一二・三一)


 先生はこの路程が経過すればするほど悲しい思いを禁じ得ません。先生も自分自身を再考しながら悲壮なる思いをもっているのです。イエス様が悲運に消えていくその場面を何千万回も考えたのです。

 この世がいくら迫害しても、またガソリンをまいて火をつけるようなことが起こったとしても、燃えることなく残る私となりましたか。皆さんが国家と世界に連結しているということを知らなければなりません。先生が日本に行く前に、百二十日を特別期間として定めた目的が正にここにあります。

 み旨を歩む中で離れていったある食口が会ってもらえないかと先生に尋ねてきました。それで、十月が過ぎてから時間をつくろうと言いました。そして、怨讐を愛しなさいという父の心情を思い、涙を流しました。

 これからは先生の直系子女のために祈祷する時が来ました。私が誤れば不孝の子供が出てくるのです。これまでお母様とは、心情の中心で一体を成すことが大きな使命でした。これが心情の第二次十字架路程でした。七年路程は父母から直接教育を受け、認定を受ける期間であるために重要なのです。今から残された問題は、先生の家庭に関することです。

 七年路程の残り三ヵ月間、総動員をしなければなりません。先生が日本から帰ってきたあと、どうして食口がだらけているのでしょうか。先生は十月十二日までは野外生活をします。先生は皆さんに、百二十日を定めて神様の前に祈祷しなさいと命令し、皆さんはそれを実行していますが、先生も先生なりに実践しなければならないのです。

 先生も、み旨を出発した時と、二十一年路程が終わろうとしている今日を比較しながら、反省し、清算しなければならない深刻なる場にあるのです。出発当時よりも心情的に切実でなくてはならず、出発当時よりももっと活動的でなければなりません。

 私は今も、考えれば歯ぎしりするほどに悔しいことがたくさんあります。先生とみ旨を共にすると誓った人が裏切ったこと、蕩減復帰路程が二十一年に延長されたことなどが正にそれです。この原因になった反対者たちをどう処理すべきか、今も考えている問題です。彼らの犯した罪は氏族的なものであって、国家的、世界的なものではありません。したがって、それは今後二十一年を越えることができません。私たちは彼らも復帰しなければなりません。

 祝福家庭は後孫があがめることのできる源泉にならなければなりません。後孫たちに、お父様の心情と、お父様を思慕した人だということを残してあげなければなりません。残された三ヵ月間は、過ぎし七年を反省しながら、神様が私を見て喜ばれるか、そうでないかを考えてみなければなりません。


六 全国勝共活動と学生運動


全国大学原理研究会会館開館式(一九六七・一一・一、ソウル鍾路区内資洞)


 全国大学原理研究会では、一九六七年十一月一日、鐘路区内資洞に、三階の集会場所を設け、「原研会館」と命名、約五十人の会員が集う中、真のお父様をお迎えして、会長孫大(日偏+牛)君の司会で、その開館式を挙行した。

 「原理研究会」の原産地は韓国です。ところが今日、日本の「全国大学連合原理研究会」がマスコミを通じて、世界的な評判になっています。最初のころは、一部の父兄による反対デモもあり困難が多かったのですが、今日では世界的な足場が築かれるようになりました。そうして今では日本の国会と警察までも、この原理運動を支援しています。どんなに問題になろうと、勝利は私たちにあります。それは勝利せざるを得ない理念をもっているからです。

 四十九の言論機関が「原理研究会」に関して報道しました。日本共産党の機関紙である「赤旗」は三大打倒目標の中に「原理研究会」を挙げており、中共の人民日報とソ連の共産党機関紙にも掲載されたという話を聞きました。ところで、この運動の原産地である韓国の原理研究会が、果たして世界的に、この原理運動の波を押し進めていける実力を備えているかと見る時、そうなっていないのです。では、どうすべきでしょうか。「宗家の子供がばかでも、いないよりはましだ」という言葉があります。

 かつて先生は南韓を復帰するための闘争(原理運動)をするのに、大学出身者三千名ないし七千名を必要としたのですが、それができませんでした。それで高校出身者を立ててきたのです。歴史的に見た時、大きなことをなした大部分の人物は決して学者や博士ではなく、それらとは関係のない闘志ある人物でした。人が見れば無謀に見えることをした人たちが、歴史的な人物になりました。すなわち歴史は闘士たちがつくってきたのです。

 先生は、信念を貫き通すことにおいて、過去のいかなる聖人、賢哲も、現在から未来の誰にも譲歩することができず、また譲歩もしません。

 勝者になろうとすれば、第一に、思想がなければなりません。すなわち、強くなろうとすれば、自信感がなければなりません。神様も、最も孤独な立場、最も冒険すべき場にあっても自信にあふれる祈祷をする勇士を喜ばれます。自信のない人の勝利は偽りの勝利です。

 第二に、勇断を下さなければなりません。自分の精力を一二〇パーセント注がなければなりません。そのようにしても敗れたとすれば、それは敗れたのではありません。必ず同志が現れます。人が寝るときに寝て、食べるときに食べて、遊ぶときに遊んでいては敗れるのです。その次、第三番目には、闘争が必要なのです。思想を備え、勇断を下して闘争すれば必ず勝利が伴うようになっているのです。


全国的な勝共活動の基盤


 神様に代わり、民族のために歩んできた皆さんが反共講義をするのは、何人かの人のためではありません。復帰途上において、共産主義は必ず撃破すべきサタンの勢力であるためです。神様は勝利する民族を立てようと心を砕いていらっしゃるので、「民族全体が歓迎するその日が来るまでは、自分たちが歓迎されることはない」という気持ちをもたなければなりません。

 私たちが昨年一年間で反共講義をした対象人数は、百五十万人です。この百五十万人は無学な人たちではありません。大部分が各道の有力者たちです。この数字は、韓国民族を中心として見る時、何分の一になりますか。二十分の一になるのです。二十人中一人は講義を聞いたことになるのです。講義を聞いた人は大体二十代から四十代の人です。彼らは現在社会の中心メンバーです。そして数的に計算してみても、この社会に莫大な影響を及ぼせる基盤が造成されたというのです。

 哲学的な面で、民主と共産に分かれている二大思想を統一できるのは統一思想です。この統一思想が共産主義思想を凌駕できるということを自他が公認するようになれば、つまり私たちが世界のために生き、万民のために生きるという実質的な資料さえあれば、世界を主管できるのです。その資料を集める期間が七年路程なのです。このように七年路程を過ぎて見た時、そのような段階に来たということを知ることができるのです。

 これまで私たちは韓国で多くの受難を受けてきましたが、今や、すべての人が統一教会を恐れているのです。治安局の統計によると、韓国の学生活動の中で最も恐ろしく活動する団体が、原理研究会だということです。

 今は、私たちが活動する時、内的な活動でも外的な活動でも、サタンが肉迫できる道を越えて、攻勢一辺倒で追い込むことができる時代となったのです。七年路程を通じて、天と地の前に中心を定めたので、攻勢を仕掛けることができる基準が立てられたのです。これを見て、七年路程は所期の目的を達成したのです。


七 恩進様誕生と年末特別集会


四百三十家庭婚約者特別修練会(一九六七・一一・一〇から、前本部教会)


 祝福は真の父母の因縁を継承することです。ゆえに、父母は、サタン世界と戦った看板を掲げて祝福するのです。男性はお父様の代身に、女性はお母様の代身にならなければなりません。イエス様が新郎新婦の恨を残したのも、結局、祝福の摂理があるからでした。理想世界に行く同調者が、すなわち理想相対です。

 蕩減復帰は、アダム、イエス様、再臨主の三代にわたる摂理であるため、祝福を受けた人は、三代にわたる歴史的蕩減条件を立てなければなりません。そのため、三数に該当する三万ウォンが必要になります。これは万物復帰のためです。十二名を伝道しなさいというのは、イエス様の十二弟子が一つになれなかったことを蕩減復帰しなければならないためです。

 神様の催す宴会は、サタン世界のいかなる宴会よりも壮大でなければなりません。しかし個体としては、その基準に立てないので、歴史上なかった合同結婚式を挙げなければならないのです。

 今回、第一次七年路程後に挙げられる四百三十双の祝福は、韓国の歴史四千三百年を蕩減するためのものです。また、復帰路程において、イスラエル民族がエジプトの地からカナンヘ復帰するまで四百三十年かかったことを埋め合わせるものなのです。それで来年一月十五日まで、三次にわたって四百三十組を満たすつもりです。

 そうすれば、今後、どんなことが起こるかというと、「統一教会から嫁を迎え入れれば、その家は万事がうまく運ぶ。見た目には、顔もかぼちゃみたいだし、背も低くて貧相だが、その人の忠誠だとか情熱だとか、倫理面を見れば、過去のいかなる人もこのような嫁をもらった人はいない」というようなことが起こるのです。そのような精誠を尽くす嫁をもらおうというのです。

 今回の七年路程の最後の峠を中心として、四百三十組を祝福してあげようというのです。それは六百六十以上の祝福の数を満たさなければならないからです。六数はサタン数であり、その位置は神様の前に怨讐の位置です。私たちはこの六数を越えなければなりません。それで既成家庭まで全部合わせて、七百六十家庭が七年期間内に祝福を受けるようになるのです。


恩進様誕生(一九六七・一二・二四〔陰暦一一・二三〕)


 うちの恩進がいますが、「恩進」という名前には、恩恵という意味があります。幼いときから日曜日の敬拝式に参加させないといって泣く子供は、子供たちの中でも、多分珍しいでしょう。一日中遊んでくたくたになって寝れば、お姉さんがそれを思いはかって敬拝式に参加させないことがあるのです。そうすると、もう、苦痛を受けるほどに抗議をするのです。そのようなことが何度もありました。皆さん、きょうここ、恩進の誕生日に来て、何をお祝いするのですか。そのようなことはすべて記憶に残るのです。その記憶をたどっていきながらお祝いする気持ちをもてば、お祝いの内容が深くなるのです。

 また、幼いときから、神様にとても関心をもっていました。幼児の一歳、二歳の時、静かに座って、天を見つめているのです。「何を考えているの」と聞くと、「私、神様を考えているの」と言うのです。そのようにしているのを私は、何度か見ました。ある時は、「変だなあ、何か後ろからついてくる」と言うのです。「不思議と何かがついてくる」と言うのです。「捕まえようとしても捕まらないし、振り返ればいないのだけど、間違いなくあとからついてくる」と言うのです。それで、そう言うたびに、私は、「善なる霊が保護するためについて来るんだ。天使だとか、善なる先祖だとか、立派な聖人たちがお前を保護するためについて来るんだ」と、言いました。そうすると、「聖人て何?」と聞いてくるので、「イエス様、お釈迦様のような人たち、孔子のような人たちだ」と答えるのです。(笑い)

 年月が過ぎて、五歳、六歳、七歳、十歳になって、「私、いま分かった! 誰がついてくるのか、いま分かった!」と言うのです。どうして分かったのかと聞くと、「見える」と言うのです。「いまは見える」と言うのです。「見て分かった」と言うのです。それで、「誰だったの?」と聞くと、「イエス様がついてくる」と言うのです。(笑われる)そうして、いつでも静かに祈祷するときは、必ず来て、立っているのが分かるし、見ることができて、そのような経験がどんどんと深まっていくのを感じることができるというのです。

 昔、子供の時、小さかった時のことです。「父母の日」の大会の時、世界中の責任者たちが集まって、マンハッタンで祝賀会をしていたのですが、先生の家庭の子供たちに歌を歌ってほしいというのです。それで、ちっちゃい子(恩進様)が出ていきました。その時いくつだったか、多分小学校一年か二年だったでしょう。歌を歌ったのですが、途中で詰まってしまったのです。詰まったのですが、自分の威信(メンツ)があるので、そのままでは終わることができないのです。それで、もう一度歌ったのですが、また詰まったのです。あー、それで、涙が出てくるのです。その涙を流しながら、三度歌って、四度歌って、また歌って、最後まで歌ってから降りてきたのを見たとき、「我が子よ、我が子ならそうあるべきだ」と思ったのです。そうして、一大歓迎を受けたのです。一大センセーションを巻き起こしたのです。(笑い)

 そしてまた、あの恩進の性格は、危険きわまりない性格です。ただもう自分の気が向くようになれば、父母が知らないうちに、何であろうと決断を下してしまうのです。指だろうが足だろうが切ることができる性格なのです。冒険心が多く、決断する心が強い性格をもっているのです。一度やると決めたら、誰がなんと言おうとやるのです。それで、前進しか知らないタンク(戦車)とあだ名をつけたのです。恩進よ、恩進も、もう嫁にやろうか? うちのお母様は、「もう、お嫁に出してあげたらよいでしょう」と言っているのです。私は「もうしばらく待ちなさい、もうちょっと(何をするか)見物しよう」と言うのです。私は、将来二世たちを教育するとき、二世たちがどうなるのかを測定する材料を収拾するため、しばらくそのままにしておこうと考えているのです。


入教三年以上の食口の集会(一九六七・一二・二四、前本部教会)


 先生がなぜ三年以上になった人だけ集まりなさいと言ったのでしょうか。皆さんが種のように、すなわち統一教会の種のように見えたからです。あらゆる風霜を経て、皮はしわくちゃになって腐ってしまったとしても、その中に隠れている種だけが良ければいいのです。そうなり得る種を蒔こうと思って、三年以上になった人は集まりなさいと言ったのです。皆さん自身は種になりましたか。種になったと思う人は手を挙げてみてください。私は間違いなく種だ、私をもっていって蒔けば間違いなく実を結ぶはずだと自信をもって言える人は手を挙げてみてください。皆さんは、この地球のどこにもっていって蒔かれても、再び芽生える種とならなければなりません。

 先生がこれまで七年間苦労したのは、正にこのような種をつくるためです。夏の時期に暴風雨が押し寄せ、秋の時期に冷たい風が吹き、冬の時期に吹雪が吹き付ける、そのような過程を経たとしても、それが問題ではありません。それをすべて越えたのちには、それ以上の生命力をもった種が芽生えなければならないのです。

 二十一年路程、あるいは七年路程が目的とするところは何でしょうか。それは統一教会の種をつくろうということです。皆さん自身が統一教会自体を植え付けることができる種とならなければなりません。


七十二、百二十四家庭の婦人会総会
  (一九六七・一二・二六 七十二家庭、一二・二七 百二十四家庭、大田教会)


 私が家庭基金を約三十万ウォン出しますから、七十二家庭一家庭につき千ウォンずつ出しなさい。私が三十万ウォン出しますから、七十二家庭で三十万ウォン準備しなさい。七十二家庭が協力して三十万ウォンをつくりなさい。そうして、三十万ウォン集めれば集めただけ、私があげますから。

 百二十家庭には家庭基金がありますか。(ありません)。無ければ、それは背骨がないのと同じです。

434~435P 抜け



八 第一次七年路程の締めくくり


真の御父母様が歩まれた七年路程


 第一次七年路程は、先生を中心として、先生の家庭が行く道であったという事実を皆さんは知らなければなりません。この途上は、誰かの協助を受けて行く道ではありません。誰も協助してはいけない道なのです。この道は、人類の父母であるアダムが失敗することにより失ってしまったため、父母の立場で来られる方だけが責任を負って行くべき道なのです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 第一次七年路程は天地全体を中心として、全体の使命を担った先生が行く道です。先生の二十一年路程の中の最後の路程です。イエス様がダビデー族、すなわちヨセフの家庭を中心として一体になって、イスラエル民族の反対を受けることなく勝利の一路を開拓し、イスラエルの国を蕩減復帰しなければならなかったのですが、そうすることができなかったので、統一教会がそれを蕩減復帰する仕事をしているのです。それで、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰をして、統一氏族を編成しようというのです。

 統一氏族を中心として、大韓民国の前に、民族復帰の使命を果たすために、第一次七年路程を設定し活動してきました。これにより、大韓民国では、統一教会の行く道を阻むことができなくなったのです。

 第一次七年路程の一年目の標語が「生涯中、最大の実績を残す年となるようにしよう」でしたが、これは、サタンに完全に勝利しなさいという意味です。第二年目の標語は「父の代身者となろう」でしたが、これは、神様の代身の立場で主体になりなさいという意味です。第三年目の標語は「見せてあげて誇り得る者となろう」でしたが、これは、四位基台を成しなさいという意味です。第四年目からは「勝利的主管者となろう」でしたが、これは、四位基台を完成して勝利的主管者とならなければならないためでした。

 皆さんには分からないでしょうが、これはすべて公式的なことなのです。皆さんは、そのような標語をもって歩み、生涯の最高の実績を残さなければなりません。第一次七年路程をすべて成し遂げたというのは、全体を中心として言う言葉です。皆さん個人の七年路程はいつ出発するのですか。それは皆さん各自でみな違います。

 それなら、過ぎし第一次七年路程の三年期間には何をしましたか。三十六家庭を祝福し、七十二家庭と百二十四家庭を祝福しました。それは何を意味するのでしょうか。三十六家庭と七十二家庭を祝福したのは、蕩減復帰の歴史路程で縦的な立場を中心として失った息子と娘を復帰したと同じことです。また、百二十四家庭は世界の国家を代表して復帰したのと同じです。それにより、内的に世界に向けて行くことができる基準が立てられました。

 先生自身も、一九六〇年に「父母の日」と「子女の日」を定め、一九六三年に「万物の日」を定める時までは、誕生日を祝いませんでした。今の統一食口はそれを知らないでしょう。(先生の)母親の誕生日とか、姉の誕生日など、祝うべき日があっても祝いませんでした。「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が定められたとしても、「神の日」が定められて初めてそのような日を祝うことができると考えました。したがって「神の日」は、このような日を祝うことのできる起源の日となるのです。

 み旨から見れば、この期間は本来、聖婚式をした四月末までです。先生は年数で見れば、二十一年期間をすべて歩みきったというのです。実際は、皆さんには七年間の完成基準が残っています。三年間で自分の家庭基準を復帰しなければなりません。皆さんを中心として「父母の日」をつくってください。「子女の日」、「万物の日」、「神の日」はありますか。皆さんを中心とした「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」、「神の日」を七年間でつくるのです。全体的、世界的にサタンの攻撃を受け、先生が七年間歩んだ道を皆さんは条件的に歩めばいいのです。昔のように迫害されて伝道するのでなく、歓迎を受けながら伝道するので、難しい道ではありません。


一九六七年最後の日


 皆さんも知っているように、きょうは、一九六七年最後の日であると同時に、最後の聖日です。その上この日は統一教会において、七年路程という非常に長くてうんざりするような期間を越える最後の日です。また、先生においては、み旨に従ってきてからの満二十一年を締めくくる最後の日でもあります。

 一九六七年のこの最後の日自体は、私たち統一教会が願った勝利の日として、喜びと賛美の日として迎えることができるよう待ち望んでいたことでしょう。また、私たち自身も、心を開いて神様をたたえ、勝利者の栄光なる姿をもって、この日を迎えることができることを待ち望んでいたはずです。この日はこのように重大な日です。

 苦労をする時、先生に代わって責任を負って苦労するようになれば、先生と同じ立場に立てるようになるのです。それゆえ皆さんが七年路程の初めの戦いに加担し、真なる者として神様の前に責任を全うし、涙を流し、血と汗を流したことがどんなに貴いことであるかを知らなければなりません。


2004.7.11















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