真の御父母様の生涯路程 3

み旨の裏庭 | オフライン用の1ファイル版 | サイトで開く

目次
  1. 第一節 世界基督教統一神霊協会創立とその背景
  2. 第二節 キリスト教二世を中心とした摂理の再出発
  3. 第三節 西大門刑務所の受難
  4. 第四節 青坡洞本部教会を中心とした内的基盤
  5. 第五節 全国伝道および海外宣教師派遣

第一節 世界基督教統一神霊協会創立とその背景

真の御父母様の生涯路程 3



第一節 世界基督教統一神霊協会創立とその背景

一九五四一五・一前後


一 釜山、大邱、ソウルを中心とした基盤構築
     (一九五三・九・一七〜一九五四・五・一)


上京後、三地城教会指導(一九五三・九・一七)


 一九五三年度から七年路程を準備し、一九六〇年から再出発をしたのです。先生は準備する七年の間、あらゆる精誠を尽くしました。草創期には我々の教会が、釜山、大邱、ソウルの三箇所にありました。この三箇所にある教会が、先生と一つにならなければならないのです。この基盤を通して、蕩減的な条件を立てていかなければならないのです。そうしてここで、イエス様の恨を解かなければならないのです。これを解かないことには、復帰がなされないのです。

 私が最初に教会を中心として出発した時には、御飯をもらって食べながら出発しました。もちろんあきれた立場でしたが、決して恥ずかしいとは思いませんでした。これが数十年の生涯の結果として現れる時、私がイエス様のみ旨を知り、そのような立場で残した思想は、必ず、今後の歴史時代において主体的な思想の使命を担うようになるはずです。これが、数多くの若者の胸に火を付ける、のろしとして立てられるはずです。

 昔、先生がお金がない時、食口に会いたくてたまりませんでした。御飯を食べても、寝ても覚めても落ち着かないのです。そうして、会うべき人たちがたくさんいる所を訪ねていくのです。愛した人を恋しがるその愛の心情をもって訪ねていくのです。行けば、既に切符を買って待っているのです。そんな話が信じられますか。「先生、きのう夢の中でこうこうこういった啓示を受けました。どこかに行かれるのでしょう」と言うのです。そのような驚くべき事実がたくさんあるのです。そのような基盤の上に、統一教会が建てられたのです。先生が貧しい時にはお金が一銭もない時がありました。


迫害が激しかった大邱
(一九五三・一二・二、初めて訪問)


 大邱といえば、統一教会の歴史において、いつも思い出すこととは何でしょうか。一番激しく反対する所だ、ということを思い出すのです。統一教会に反対することに情熱を注いだとすれば、第一となる場所が、慶尚北道の中心である大邱です。

 道を歩く時は罪人でない罪人として、できる限り裏通りのひっそりした路地だけを探して歩いたのです。人に会わないようにしなければならないのです。どこの路地でも私が現れれば、私を知らない人がいないのです。

 既成教会の人が写真を持って歩いていたので、顔さえ見れば「文なにがしが現れた」と大騒ぎしたのです。「どこどこに現れた」となれば、「その近くに家があるはずだ」と言って、その教会では毎日のようにラッパを鳴らすのです。「異端の親玉を追放しろ」と騒ぎながら、その都市全体がうなりをあげるのです。そのような状態なので、昼間歩けますか。

 大邱の人たちを一徹者だと言うでしょう。慶尚道の頑固一徹者です。一度打てば、壁が崩れても全部崩れるまでは踏ん張りながら、けってほうり投げるのです。一徹者とはそういう者です。

 この大邱が、既成教会の最も主要な分子たちの本部です。そこの第一教会の牧師といえば、統一教会に反対することにおいて、旗手です。ここにいる林勧士の娘婿ですが、世の中は本当におかしなものです。ここは自分の義理の母が通う教会なのに、それでもより過激に反対をします。そんな婿がいるのです。

 私がこの大邱の都について話そうと思えば、話したいことはいくらでもあるのです。あれこれと受難の道をかき分けて進みながら、死なずに耐えてきたのは、一片丹心の一念の願いがあったからです。その願いの基準とは何でしょうか。神様が歴史時代を通し探し求めてこられた一つの国、神様が保障することのできるその国、数多くの宗教が願うその国なのです。

 我々は礼拝堂がなくて、何度も立って礼拝をしたのです。雪の中で何度も礼拝を行ったのです。「この地め!」と呪うべきところですが、神様がヨナに命じて「ニネベの町に滅亡することを予告しろ」と言ったのに、ニネベの町が滅亡することを望んで逃げたヨナを、鯨の腹の中にほうり込んだ神様の愛を知っていたので、神様が「滅亡させてしまおう」とする時に、「父よ、もう一度我慢してください」と言える余裕満々の余力をもって、大邱の町を神の前に取り戻そうと考えたのです。私は、そのような男なのです。


一ヵ月に十三回引越しをした時


 大邱は、なぜ統一教会とそんなにも怨讐になっているのでしょうか。どこかの教会の牧師が、どうだこうだというおかげで、私は大邱見物を十分にしました。路地見物ができなかった文先生に、「この路地あの路地へと避難しながら路地の研究をしろ」と言って、大邱のキリスト教徒たちがあんなにも荒れ狂ったのだなあ、と考えるのです。

 私が大邱にいた時、一ヵ月に十三回も引っ越しをしたことがありました。引っ越しをしながら、大邱の食口たちにも先生がどこへ行くのか連絡しなかったのです。ひっきりなしに人、が集まってくるので、既成教会が反対をするのです。私がちょっとじっとしていればいいのですが、食口たちがそっとしておいてくれないのです。

 どこかに引っ越せば、「大変だ、うちの先生はどこに行ったんだ」と祈祷し、泣きわめくので、神様が大変なことになるのです。「お前、そんなに文先生に会いたいのか」と聞けば、「ええ会いたいです」と答えます。「じゃあ行こう!」と言って、鼻を引っ張って来るのです。そうして先生の部屋に来て、「あっ、ここに先生がいる」と言って、さっと入ってくるのです。そのようなことが、一度や二度ではありませんでした。道を知らないのに、自然と案内されて、導かれてくることがよくありました。

 足が訪ねてきたのです。心が先生を思っていると、足がひとりでに歩いて来たと言うのです。足がそのように行かせるのです。頭が案内するのではなく、足です。大邱には、そのような因縁の中で過ごしたお婆さんたちがたくさんいました。今はすべて過ぎ去りました。そのようなことを考えると、歴史の一ページは過ぎ、新しい歴史時代へと移行しているのだなあという気がするのです。


釜山で劉孝元氏伝道(一九五三・一二・二四、入数)


 劉協会長が立派なのは、原理をみなノートに書きながら、一冊ごとに涙を数百回流したということです。「自分は知識人として、大学で学んだ賢い人間として、真理を探求しながらも、疲れ果て、あきらめていたのだが、はからずもこのような深い世界に出会ったゆえに、涙が一滴二滴ではなく、滝のように流れ落ちる」と言うのです。「原理に接する時には、その真理の前に恍惚となり、涙なしには記録することができなかった」と言うのです。「一ページを記録するのに一週間かかった」という話を私は聞きました。だから涙をどれほど流したか分からないのです。本然の心情と通じ得るその真理のみ言は、愛を爆発させても再爆発させることができる力をもち、その作用は歴史を通してなされたのです。

 劉協会長の素晴らしい点がこれです。彼は私のみ言を聞かなくても、『原理原本』を読んで、「自分の体が永遠に天の前に捧げられる供え物になったとしても感謝します」と、自ら書面において誓いました。私が孤独だった時に、そういう人に出会ったのです。このようなことは、神様の役事でしょう。その当時の先生の心情は深刻でした。深刻であったので、神様が役事されたのです。

 劉協会長が教会に入ったのはいつですか。(一九五三年です)。劉協会長は手紙(一九五三年十二月十日、ソウルにいらっしゃる先生に差し上げた)で、弟子になりますと誓約し、先生を訪ねてきました。それはカイン世界、サタン世界から個人的なカインを屈服させ、復帰したということなのです。だから、彼を代表者として立てたのです。彼が足の不自由な身であることを神様は知っていらっしゃいましたが、彼を代表者に立てて出発したのです。


釜山影島復興会
  (一九五三・一二・二四〜一九五四・一・一八、影島区南航洞申ソンムク氏宅)


 劉孝元協会長に初めて会った時は、深刻でした。追われ追われながら釜山から大邱へ、大邱からソウルヘと三段階で上京し落ち着いたところで、出会う時は復帰なのです。影島は釜山の一番端にあります。韓半島が垂れた糞のようなものが影島です。そこで一九五三年の年末から翌年にかけて復興会を行いました。

 先生が釜山の影島で出発した時、私の一生において最も深刻な状況となったために、誰よりも同志を愛し、兄弟を愛し、国の民を愛することのできる一時となったのです。その時は、先生の全神経が集中していたし、神もやはり一人の子女を取り戻すために、家庭を立てるために、国を取り戻すために、最高の愛の心情的状態であったので、神が感じる感動と一つとなって、私は話をしたのです。

 その時の言葉は、私の言葉ではないのです。ただマイクをもって、言葉を放送するだけでした。その時は、そこに来た人、が一週間もすれば、全部霊界に入っていくのです。一週間どころか、数時間の内に霊的世界を体験する役事が起こりました。それは、地上に電波を送るのと同じです。神様の愛の電波を送るのと同じです。

 協会長がトイレに行って戻ってくるのに、五分もかかりません。「五分だけ待ってください」と言って走っていき、走って戻ってくるのです。全部用を済ませないまま出てくるのです(笑い)。私が深刻になれば、相手もそのように深刻になるのです。理屈がそうです。完全な主体があれば、完全な相対が生じるのです。その場を離れることができないようになっているのです。

 劉孝元協会長は武士道のような精神が強く、一筋道しか知らない人です。その人がそこに座り、心を奪われてしまったのです。そこにいた人たちすべてが、天の国を見てきたのです。劉孝敏のような人も、霊界を通し、みなそのようになったのです。約一週間ほど影島に滞在したのち、出てきて、あの影島の橋を渡ってくると「自動車はあんなになっていたか」と、初めてそこで見るような気がしました。そのようなことが起こるのです。何千年の間、どこかに行って帰って来たように感じられるため、自分の家に来ても「ここが私の住んでいた家なのか」と思えるのです。そのような役事してその時から発展するのです。

 天の戦法は原因が正しく、それから過程が正しいというのです。手段と方法を選ばずにするのではなく、真なる愛と真なる生命力をもってするのです。それでこそ真になるのです。


羅霊夢長老の龍門山祈祷院訪問
    (一九五四・三・二五〜二七、李耀翰牧師他七名同伴)


 先生は南韓において、何名かの食口を集めて釜山から伝道活動を始め、大邱と金泉を経てソウルに来るようになりました。ソウルに来て、落ち着くべき必要性を感じたからです。

 その時、私は羅雲夢長老の祈祷院に行ったのですが、追い出されたのです。そうこうして上京し、協会を創立したのです。

 福を与えるにおいても、私が父母の立場から、主導的役割を果たす準備ができていないのです。カイン、アベルの二人を立てて復帰してこそ、父母の立場に立つことができるのです。羅雲夢だとか朴大善だとか、みな自分たちが優れていて、そうなのだと思いますか。新しい運動が始まったというのです。彼ら二人が協力し、先生に侍らなければならないのです。原理がそうなのです。

 カインとアベル、北側と南側が連結しなければならないのです。北側はエバ型であり、南側は天使長型です。北側は鄭壽源の祖母(金聖道)と許孝彬氏であり、南側は朴東基です。それで北側が福を受けるべきところをサタンの金日成が出てきて支配するのです。今まで南側をキリスト教文化圏が支配しましたが、本来、慶尚道がキリスト教文化圏ではありません。伝統的キリスト教文化圏は北韓にすべて置いてきたのです。大邱が伝統ではないのです。本来は平壌でしょう。

 神がそのように準備した神霊的集団が、すべて私利私欲に走ったのです。原因を知らず、空想的な妄想圏の中で、自分の利益に陶酔した群れは、みな消えてしまったのです。羅長老、朴長老、彼らのために立てた教団ではないのです。そのような誤った環境であったから、先生は「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と言ったイエス様と同じ運命に立ったのです。そこで統一教会は四千年の歴史を反復し、訪ね求めてこられた神様の歴史を縮めて、四十年の間、四十年前に神様が出発しようとしていたその基準に合わせる運動を先生を中心として、今までなしてきたのです。だから、行く先々に迫害があり、怨讐の矢がやまなかったのです。


二 世界基督教統一神霊協会創立(一九五四・五・一)


協会創立宣布(一九五四・五・一)


 一九五四年に、私は韓国のソウルにおいて正式に統一教会を創設しました。

 一九五四年の五月一日に、劉協会長を中心として、幾人かの食口が、北学洞の小さな家で看板を掲げて出発したのです。

 私は教派をつくろうとしませんでした。名前は「世界基督教統一神霊協会(Holy Spirit Association for the Unification of World Christianity) 」なのですが、それをつくろうとしたのではありません。教派を超越した超教派的な面において運動をしようとしたのですが、受け入れなかったのです。それで仕方なく、統一教会をつくったのです。

 受難と試練の中で、我々の教会が創立されたということは、ある意味において、天の全体的なみ旨を中心として見る時には哀しいことですが、我々が歴史的伝統を回想するとき、そのような困難な環境の中で創立したことが、より印象的なことなのです。

 我々の教会はすべてが歓迎する立場で創立されたのではなく、孤独な立場で、若干の人が集まり、涙とともにその日を宣布したのです。良いことは日常的に過ぎていくものですが、その良いことをつかむために困難を克服した歴史は、常に良い事を迎えることができる新しい日の約束を刺激させる、力の母体として残るのです。


三つの門の家(ソウル城東区北学洞三九一の六)


 世界基督教統一神霊協会という看板を取り付けました。看板を付けるには付けたのですが、あのタワーホテルのてっぺんのような所に付ければ見た目がよいのですが、あの北学洞の三つの門の家に付けました。正門が三つもあるので、そろえるものは全部そろっていたでしょう。高さはどのくらいかといえば、このくらいにしかなりません。だから入ろうとすればあいさつし、出て行く時にも、「ありがとうございます」とあいさつしなくてはなりません。

 それはどういうことですか。神様が御加護される人間がまだ完成していないがゆえに、駄目になってしまうのではないかと案じて、よく頭が下がるようにするためです。あいさつして頭を下げろということなのです。蘇生でも頭を下げ、長成でも頭を下げ、完成でも頭を下げなければなりません。

 入ってみれば、部屋がどれくらい大きいかというと、八尺の部屋です。八尺といっても広い八尺ではありません。

 当時、その家は、多分ソウルで一番小さい家だったでしょう。横には寝られません。横に寝れば壁に足が付くので、縦に寝なければなりません。そうしてやっと足が付かないのです。そのような部屋が一つあり、奥の間があったのですが、そこも似たような部屋でした。

 また、天井はどれくらい高いでしょうか。どれくらいの高いかというと、私のような者が立つと、天井がゆがむのです。びりっとなるのです。

 そこに入って座り、うつ伏せになると、壁に額をくっつけていなければなりません。そのような家に「世界基督教統一神霊協会」という看板をつけるのは、どんなにすてきかというのです。そこにたびたび出入りする人は、わずか六、七人です。そうして集まって座れば、また近所がうるさく騒ぐのです。近所の人たちが「あの気違いたち」と言い、看板を見ては「ははは、世界基督教統一神霊協会だって?」と言うのです。おかしいでしょう。

 統一教会は、あの草庵(注:粗末な家)から世界的な発展をしました。わら屋のようでした。

 復帰原則において、最も小さな家から世界的な精誠を込めることができる代表者が現れるべきではないかというのが先生の思想です。その次には、もう少し大きな家から世界的代表に適した精誠を込めるべきではないでしょうか。そこから発展して、このように大きくなってきたのが統一教会です。


協会の看板


 看板を取り付けた位置は、子供たちでもいじることのできる高さでした。こんなとてつもない看板を、軒先に手が付くような家に付けておいたので、誰がそれに関心をもちますか。どれほど馬鹿にされ、いい加減に取り扱われたか分かりますか。近所の子供たちが遊ぶ時に、それを外しては遊び道具にしました。

 それはどんなに傷がついたか分かりません。また反対する人がやって来て、「何、キリスト教を統一するんだと? 異端じゃないか!」と言いながら、それを思いきりたたいたら、バキッと割れてしまったのです。そんな内容があるのです。しかし、そのような歴史的な看板をそのまま捨てるわけにはいかないので、その看板に釘を打ち、くっつけたのです。

 さて、その看板がひどい扱いを受けると、家もひどい扱いを受けたのです。看板と家がひどい扱いを受けると、その張本人である文何とかという人も、ひどい扱いを受けたのです。それはありそうなことでしょう。

 統一教会も教会ですが、私は教会という言葉が好きではありません。仕方がなく教会という看板を付けたのです。

 私は統一教会をつくって、「ああ、神様! 統一教会をつくったので、私は誇らしく思います」と、そのようには思いません。

 統一教会という看板を掲げてはいますが、この看板をいつになったら取り外すことができるか、という考えをもっています。

 この看板は、国のための看板です。国を取り戻すためには、看板も取り外してしまうというのです。国を生かすためには、看板も取り外してしまうのです。

 統一教会の看板が問題ではありません。大韓民国という称号がなくなるとしても、世界を支配できる国になるならば、大韓民国よりもっと高い名前をつけることができるのではないでしょうか。それを嫌がる人がどこにいるというのでしょうか。より大きなもの、より良いものと換えるのに、嫌がる人がどこにいるかというのです。


三つの門の家にいたころの生活


 そのころ、先生にはお金が一銭もなかったのです。部屋に横になれば壁に足が付くのですが、それも借りていた家です。そこから始めたのです。

 当時は、麦飯も食べられませんでした。乞食でも麦飯をあげれば、ごみ箱に捨てて行きます。しかし、「この道は拡大発展するのであり、常に天運の道理の道に従って前進的な次元へと向上し、進歩的な結果を、個人から家庭、社会、国家、世界に見せる日が来るはずだ」と、耐えて行くのです。不平を言ってはなりません。言い訳は必要ありません。

 当時は、私自身もわびしいものでした。そのころは、上にはジャンパーを、下は米軍の作業服を青黒く染めたのを着て、ゴムの靴を履いていました。ですから誰が統一教会の先生なのか、統一教会に通う者なのか、見分けがつきますか。何度も出たり入ったりすれば、みな同じような者に見えるでしょう。また、ほんの数人がいて、一ヵ月たっても同じ、二ヵ月たっても同じです。

 一年十二ヵ月そのようにして、看板だけが堂々と掲げられていたのです。また、時にはまげをゆってカッ(注:昔の青年男子の帽子)をかぶった人が出入りしたりしていました。その時、「統一教会が世界を統一する」と誰が信じましたか。あれは気が狂ったやつだと、魂が抜けてもあのように抜けることがあるのか、と言われました。

 だからといって、先生は価値のない先生ではありません。昼であれ夜であれ、山に登って祈祷をするのです。サタンの首を絞めれば、首が飛んでいくのが感じられるのです。空をつかめば、空が転がり下りてくるのが感じられるのです。地面をドーンと強くたたけば、ぱっと穴が開くのが感じられるのです。先生にはそういう勇気があるのです。そして「今に見ていろ!」という思いでやってきたのです。


摂理の時とアベル的キリスト教団の船出


 もし、キリスト教が一九四五年に先生と一つになっていたなら、それ以降にはどんな苦難もなかったはずです。しかし、キリスト教が反対する立場に落ちるや、先生は数多くの苦難を受けなければならず、それに自ら打ち勝っていかなければなりませんでした。統一教会を創立し、キリスト教に代わって、世界的な蕩減復帰の基盤として立てなければなりませんでした。

 統一教会とはいかなる教団でしょうか。反対したキリスト教をすべて投げ捨て、その前に新しいアベル的な宗教形態として登場したのが統一教会です。別の言い方をすれば、反対するキリスト教によってみ旨が成せなかったので、そのキリスト教に代わって探し出してきたのが統一教会ということなのです。

 それで一九四八年から一九五四年、七年目に我々の協会が創立されたのです。この七年間は旧約時代を蕩減するのと同じであると見るのです。そうしてこの七年の基盤の上に、初めて新約が出発することができたので、新しい基盤を備えて協会を創立したのです。そして新約の失敗を蕩減する期間が六〇年代までだということを、皆さんは知らなければなりません。したがって、旧約時代と新約時代に、神のみ旨において現れたすべての受難の道を代表的に行かなければならない、という結論がここに成立するのです。最も受難に遭うのです。イスラエル民族が成せなかったことと、キリスト教が成せなかったことはもちろんですが、イエス様が成せなかったことまで、ここで蕩減して、基盤を築いていかなければならないのです。

 では、神様のみ旨の中で誰が立ちましたか。キリスト教や神霊な団体が立つのではなく、先生が神様の前に立ちました。反対され始めたその時から一人で立ちました。

 その時、韓国は完全にけ散らされたのです。今までソウルとか何とか基盤を築いていたのが完全にけ散らされたのです。韓国政府が完全に荒らされてしまったのです。お金のある人は逃げようとし、既成教会の牧師は息子、娘を全部外国に留学させ、そうして国内は混乱時代に入っていったのです。

 ここから統一教会は基盤を築いていきました。統一教会の基盤が築かれるにつれて、新しい政府形態も収拾されるようになったのです。それが摂理観です。社会相が混乱したりすることは、天の摂理においてサタン側を利用して、神のみ旨を成すことができるような、一つの環境をつくることなのです。こうして一九五四年を中心として教会を創建し、そこから混乱した社会環境を経て、新しい基盤を拡大してきたのです。そのようにして政府と対立し、既成教会と対立しながら、統一教会は発展してきたのです。結局、アベル的基盤に立っているユダヤ教が、カインの立場にあるイスラエルの国を動かしたのと同じように、統一教会が主流となって、社会と国家を動かすことができる環境へと変革していかなければならないのです。


三 協会創立の動機と根源


統一教会出発の根本動機


 統一教会は、その創立の動機が人間の考えではないのです。統一教会は、間違いなく天が動機となっているのです。

 この協会を創設するようになった動機は、人意すなわち人の意図というよりも、神意すなわち神による意図があって出発したのです。人間の意図だけでは歴史の流れや、今後来たる新しい世界の前には貢献できないということを考え、神意に立脚した新しい宗教の創設をなしたのです。人意と神意が合わさることのできる一つの組織体が宗教だという考えをもったので、宗教は必ず神意を中心として、人類全体が願う人意的なあらゆるものを結束しなければならないと見たのです。

 私は一時的な気分や、自分の気ままには何事もしません。統一教会運動には深い霊的な根源があります。それは神様の命令によって、特定のこの時代に現れました。私は神様の導きを受けています。多くの人たちは、私が私なりの方法ですべてのことを行っていると考えていますが、実はそうではありません。

 統一教会の道は、出発の時から、ある個人のための道ではなく、神様のための道でした。動機が神様であるゆえに、神様のための道なのです。

 統一教会が神様によって始まったのであるなら、この統一教会を経て、行くべき道はいくつもの道ではないはずです。出発も一つであるはずであり、行くべき道の方向も一つであるはずであり、帰着すべき目的地も必ず一つであることに間違いはないのです。神様から始まったので、行く道も私自ら行けないのです。神様が動機となって、その動機に従って私たちが集まることになったので、我々はその動機と一つになって、一つの方向を経ていく途上に立っているのです。その方向は、あくまでも我々自らが思うままにできるのではありません。

 したがって、「統一教会は宗教の中で最も長い歴史をもっている」と見ることができるのです。「最も長い歴史をもっている」ということはどういうことでしょうか。神様の愛の世界において、誰も知らない世界まで発掘したということです。愛の世界は、時間と空間を超越しています。歴史はそこから出発し、過程において愛の世界を思い描きながら行き、終着点である愛の世界を表現化し、生活舞台において引き継ぐためにいくものではないでしょうか。したがって愛の世界は、過去においてもなくてはならず、現在にもなくてはならず、未来においてもなくてはならないのです。


統一教会の歴史的な起源


 統一教会の始まりは一九五四年となっていますが、本来は解放直後、もっとたどれば堕落した人類歴史が始まったその時から統一教会の歴史は始まったということを、我々は原理を通して知っています。

 統一教会の起源がいつかといえば、人類歴史とともに始まっているのです。神様の摂理が始まったその日から統一教会の歴史が因縁をもったと見るのです。

 創世以前の神様の心情から始まっているというのです。そこから因縁をもって、創造された神様、堕落の光景を眺めておられた神様、そして堕落したのちに復帰の問題を抱え、悲しみの嘆息圏で戦ってこられた神様、そういう神様の時代を経て、それらを全部清算して解放圏の神様の世界まで行こうというのが、統一教会が受け継いだ、伝統的な因縁を継承した歴史だということを否定できないのです。

 統一教会は歴史的な産物であるがゆえに、その歴史をたどってみると、数多くの宗教の歴史を兼ねながら、キリスト教歴史を経て、人類始祖であるアダムの歴史までさかのぽる因縁をもっているのです。人類始祖が堕落したために、堕落した人間をそのままにしておくことはできないので、神様は今まで歴史を経て来ながら救援摂理をしてきました。摂理歴史を、ある一時に結末をつけなければならないという目的があるのですが、それは特定した宗教を通して結末をつけなければなりません。そのような全体摂理の結末をつけなければならない代表的な使命を担った所がどこかといえば、統一教会なのです。

 我々の教会はわずかな群れから出発し、韓民族という限られた圏内で出発しましたが、そこに限定されてはなりません。歴史的な新しい使命を成し得る、歴史的な教会として登場しなければならないのです。


宗教歴史の最後の完成的機関


 現在、全世界的に見ると、四大文化圏が形成されています。キリスト教文化圏、儒仏仙の文化圏、ヒンズー教文化圏、イスラム教文化圏です。そのように四大宗教文化圏が残っています。ではこの四大宗教文化圏はどこに向かっていくのでしょうか。世界救援を目標とする神様のみ旨の前において、この四大宗教が一つとなり、最後の清算をすべき、最後の蕩減をすべき、一つの機関を通して行かなければならないという結論が出てくるのです。

 では、統一教会とはいったい何でしょうか。これらの宗教文化圏の世界の内容をすべて集約して蕩減し、贖罪の内容を清算して、一つの救いの目的を完成した、神様のみ旨が完成した世界へ越えて行こうという最後の宗教が出てくるべきですが、その宗教を代表して出てきたのが統一教会だと見るのです。

 宗教の中には数多くの種類がありますが、その中で蘇生的宗教とはいかなる宗教かと言えば、キリスト教以外の世界的宗教がそうなるのです。その次に、長成的宗教とは何かといえば、キリスト教なのです。そして完成的宗教とはいかなるものかといえば、統一教会になるのです。歴史性という点からいえば、そうなのです。

 第一イスラエルはユダヤ教、第二イスラエルはキリスト教、第三イスラエルは統一教会なのですが、統一教会が全体歴史を蕩減し、宇宙を神の前に捧げるべき使命を全うしなければならないのです。

 したがって、統一教会の食口たちは過去のユダヤ教を収拾し、キリスト教を収拾して、霊肉を中心とする地上天国、明白に形に現れた基盤を世界的に拡大させなければならないのです。

 キリスト教は子女の立場で、統一教会は父母の立場であり、旧約時代は万物の立場です。それを今、縦的に蕩減してきたのです。

 今までは数多くの宗教が宗主である男性ならば男性一人に仕えてきましたが、統一教会時代には父母宗教を主唱するのです。これが今日、宗教歴史において特別なことなのです。父母が、初めて宗主になったのです。

 それで、過去と現在を中心として神が数多くの宗教世界において犠牲にしたすべての結実を一度に集めて、世界的全体蕩減をし、全体統一役事をするために前面に立てたのが、何という教会ですか。統一教会です!


新しい真理の教え


 「教会」という言葉は、教える集まりを意味しています。「宗教」というのは、絶頂となる教えということです。その教えは、中心となる教え、根本的な教えなのです。先生以外には、いかなる宗教の教えもこれを解決できなかったのです。今まで先生が教えたことは、いかなる宗教経典にもなかったものです。先生が最初だというのです。霊界も地上界もどうすることもできなかったのです。ですからすべての万民がこの思想に従って行かざるを得ません。

 その統一教会の教えは、神の摂理史です。神様がどのように創造の摂理を始め、今まできたのかという具体的な内容を教えているのです。この世の歴史だけがあったのではありません。人々は知らなかったのですが、この世の背後において、神が関与した内縁的因縁を通して、歴史は展開してきたのです。それゆえに、終わりの日には神が目指す目的の世界に帰結せざるを得ないという事実を知り、準備してきたのが統一教会なのです。

 それゆえに統一教会が主張する思想は、哲学思想をしのぎ、宗教思想をしのぐのです。その思想は人間が願う思想とも連結していて、未来世界の内容を補強し、また主体的な立場で指導でき、すべてを識別することのできる内容がなければならないのです。

 統一教会が現在、ゴッディズム(神主義)とか、ユニフィケイショニズム(統一主義)を主張するすべての論理の内容は、歴史の背後の人間の未知の事実を全部総合して、今日の哲学思潮と現実思潮に符合するように明らかにしたものなのです。それは神の真理であるからです。

 統一教会は、現代的感覚を中心とするすべての世界の実像の前に、科学的な一面を備えながら、世界的な環境を中心とした信義の生活的基盤から出発したというのです。これが、統一教会が、現存する歴史的宗教と異なるのです。

 ユダヤ教とキリスト教は、メシヤに会うまでの教えであり、統一教会は、メシヤに会って、生きていく道理を教えているのです。


四 協会の名称と統一旗


「世界基督教」


 統一教会の正式名は、世界基督教統一神霊協会です。したがって世界のキリスト教を統一しなければならないのです。

 私は「世界基督教統一神霊協会」という名称の中に、キリスト教という言葉をつけたくなかったのですが、私の知る限り、イエス様がそういう面においては世界で一番であるがゆえに、「キリスト教」という言葉をつけました。

 歴史的な因縁に従い、キリスト教という名称を付けたのです。神様は統一教会だけで存在することを願わず、既成教会だけで存在することも願わないのです。この二つが共同目的を中心として因縁と関係をもって、より大きな世界的な一念を中心として行かなければならないのです。

 キリスト教を連結させて、今日新しい次元の世界に、歴史の希望圏に向かって進展すべき責任を担っているのです。それゆえに、統一教会の理念は、世界のキリスト教を一つにしなければならないのです。こういう結論が出てきます。

 世界基督教統一神霊協会の名前から世界基督教という言葉だけ取れば、私は反対されないのです。世界基督教という言葉だけを取り、そのまま統一教会だけにしたなら、どれほど良いですか。世界基督教という言葉を付けたために、悪口を言われるのです。

 しかし、これは運命の道でなく、宿命の道なのです。運命は変えられます。運命の道は回り道をして合わせることができますが、宿命の道は直行しなければならないのです。ですから、キリスト教という言葉をつけることによって、世界的に最もたくさん悪口を言われました。

 人というものは自分の看板として、自分の主流思想を正当に掲げないことには、「あいさつ」にならないのです。そうしなければ、歴史的な前後を分かち得る一つの渦中に立つことができないのです。それゆえ、やむを得ず、今までキリスト教の迫害を受けてきたのです。


「統一」、「統一教会」


 統一は二つが一つになることです。「統」という字は統率の統です。主体性があるということです。連合ではありません。統一はあくまでも主体性をもっています。その主体の根源は、どこでしょうか。文なにがしもすべて流れていきますが、主体の根源は永遠に残るべき、絶対的な神様の心情の起源から出発したのです。

 腕力や力でもって、統一するというのではありません。統一できる道はただ真理しかなく、愛しかありません。真でなければいけないというのです。

 それゆえに、その教えは強制ではなく、制裁でもなく、自然な立場で一つになることができる道を教えているのです。

 統率するためには、統率するだけの内容がなければなりません。主体者としての、すべてのことを備えていなければなりません。主体者は責任を負わなければならず、主体者は保護しなければならず、主体者は育成しなければならないのです。中心存在は責任をもたなければならず、保護しなければならず、育成しなければならないのです。

 統率するということは、自分が絶対的な縦の立場で率いることです。縦的基準がなくてどのように統一をなしますか。

 統率し、一つにするのです。個人的に統率し、家庭的に統率し、氏族的に統率し、民族的に統率し、国家的に統率し、世界的に統率して、天の地から地獄まで解放し統率できるそういう方法をもって千里の解放のために、別の言い方をすれば、真の父母の解放と神様の解放を叫んで出てくるのです。

 そのような目的をもっているので、教会の統一、教会の連合運動をしなければなりません。キリスト教ならば、キリスト教から連合運動を行い、一つにする運動です。その次にはキリスト教が主流的宗教ならば、キリスト教を中心とし、他の宗教と一つになって世界人類を一つにする運動をしなければなりません。それから神様と一つにならなければならないのです。

 統一教会という言葉、それ自体が偉大なのです。天地のすべての内容を突き詰めてみると、それでなくては駄目なので、先生は統一教会という言葉を立てたのです。

 ある僧侶が郭錠煥に会い、こう言ったというのです。「実に統一教会という名前が良い。それは、統一教会が反対を受けたこととは換えられない」と。「統一教会という言葉がどれほど良いか、統一教会! もっと早くそうしていたら、世界がすべて一つになったのに。その名前を一つを選んだために今まで統一教会が反対されたことは、その名前の価値とは比べものにならない」と言ったという話には一理があるのです。


「神霊協会」


 神霊協会とは何でしょうか。神霊で統一するのですが、父子関係の神霊で統一するということです。その神霊とは何でしょうか。愛を中心とした霊的世界と人間世界の調和を引き起こすことができるものを、神霊だというのです。目の見えない盲人の目が見えるようになることが問題ではありません。ふさがっていた耳が聞こえるようになるのが問題ではないのです。神様にはそれが必要ではありません。愛の神霊だということを知らなければなりません。

 聖書でも、礼拝は神霊と真理で捧げなさいと言っていますが、それはどのような真理ですか。愛の真理です。その愛の真理の最高が何ですか。父と息子、娘です。そのように見るべきなのです。神様が必要とするものはお金でもなく、権力でもなく、知識でもありません。愛が必要なのです。

 神霊協会とは何だと言いましたか。父子関係の愛を中心として調和をもたらすのです。この調和さえあれば、地上で小さく起きたことでも、その波紋は宇宙的です。放送局がいかに小さくても、電波を送るということは宇宙的です。波及するときは宇宙的です。それと同じで、愛の調和の圏というものは、小さくても宇宙と連結する内容を備えているということを、皆さんは知らなければなりません。拡散するとき、愛の波紋というものは、無限なるものです。愛の世界に和回するところにおいては全宇宙が歩調を合わせます。それゆえ、その宇宙の中心となる神様も、間違いなく歩調を合わせざるを得ません。

 それで全世界を一つにするためには、キリスト教の霊人たち、イエス様を主とする霊人たちだけの協助を受けても駄目なのです。超宗派的な協助を受けなくてはならないのです。もちろん皆さんの善なる先祖たちの協助を受け、大韓民国の忠臣、烈女たちの協助を受け、なお一層拡大して、全世界の聖人たちの協助まで受けなければならないのです。

 そうして統一教会は、神霊役事で基盤を固め、真理をもって実体を立てなければなりません。

 「統一神霊協会」という時、神霊的なものとは何かといえば、堕落していない本然の世界です。統一された本然の世界を成し遂げることができる協会です。今後新しい世界へと移っていく時は、世界キリスト教ではなく、家庭教会だけが残ります。真の父母を中心とする家庭です。家庭は真の父母の伝統を中心とした、その愛の因縁によって連結された一本の木のような理想世界であり、統一された世界なのです。

 「世界基督教統一神霊協会」、その名前自体が、天の国の霊界とキリスト教の霊的世界との統一と、地上の統一教会の統一圏を完成し、一つの愛の理想世界へ導く神霊協会、神霊的な集まりです。これが統一教会です。

 協会はassociation、すなわち組織を意味します。「教会」と、そのようには言わないのです。


統一旗(一九六五、一 制定)


 我々統一教会のマークには四隅に四本の支柱があり、それが全宇宙を回っているのです。回るとき、神様としっかり四位基台を成して回らなければいけません。

 宇宙のすべてのものは、授受の因縁をもって創造されました。この旗は、宇宙が、人間の住んでいる太陽系の太陽を中心として形成されているように、天宙が神様を中心として構成されていることを象徴しているのです。この旗の中心部は、我々の理想となるすべてのことが連なっていることを象徴しています。これを中心として十二の線が放射状に描かれているのですが、その中の太い四本の線は四方を表示しています。一つの存在が中心をとって立つためには、四方が設定されていなければなりません。すなわち四位基台なのです。次に十二本の線は、四方の東西南北を中心とした一年十二ヵ月を表現したもので、これが授受の関係によって回っているのです。

 全体的に見れば船の舵を表現しているのですが、これは我々が天宙を運転しなければならないことを表しています。

 このように、旗の中には我々の理想である創造原理のすべてのことが入っています。本来、旗は国家を象徴するものです。現在、この統一旗は我々の教会を代表するものですが、我々の理想は教会だけでなく、すべての歴史の希望であり、現在と未来の希望である唯一の世界、神の心情にかなった世界、神の創造目的がなされる世界と、その輝かしい日を象徴しています。

 したがってこの旗を常に心に抱き、神様の心情と共に暮らす者は、サタンのあらゆる試練や反逆の勢力を克服する力をもっていることを象徴しています。だから皆さんがそのように信じ、勇気をもって進んでいくならば、いかなる所に行っても、神様がこの旗と共に皆さんに役事してくださるのです。


五 統一教会の食口が行く道


統一家の食口たち


 今日、統一教会は食口という名前をもっています。我々の家庭でもその一員を食口といいます。それでは統一教会は、何を中心として食口という言葉を使っているのでしょうか。神様の愛と、神様が本来探し求めようとされた創造理想を中心として、食口と言っているのです。

 食口を通して兄弟の因縁が結ばれるので、この食口という言葉こそ、天国を造成するにおいて土台となるものなのです。

 この神聖で偉大なる名詞! 天地がなくなっても、この名詞はなくなってはならないのです。この名詞とこの実体は、残されなければならないのです。

 イエス様には弟がいましたが、弟を愛することができず、父母がいましたが、父母を愛することができず、親戚がいましたが、親戚を愛することができませんでした。教会があり、国と民族があったのですが、それらを愛することができなかったイエス様の恨を解いてさしあげなければならないのです。

 統一教会というものは、教会ではありません。統一家です。統一家の中には、共産党も入り、民主主義も入り、黒人も入り、イスラム教も入り、仏教も入り、キリスト教も入り、ごちゃ混ぜに全部入っていて、一つなっていなければなりません。


真の愛で犠牲の道


 そう、皆さんに「統一教会とは何か。統一教会はどんな概念をもっているのか」と尋ねるならば、第一には、統一であり、第二に、真の愛の種族であり、第三は、人のために生きるという思想です。簡単なのです。そのように一生涯生きたのちには、天国のパスポートをもらって、あの世に持って行くのです。

 統一主義は真の愛主義です。他の個体を慈しむ真の思想です。本来神様はそのようなものをもっていらっしゃるというのです。これは概念ではなく実在です。そうして、そのように生きるようになれば、国も統一された一つの国、一つの主権、一つの国民、一つの父母、一つの血統となるのです。

 真の宗教とは、どんな宗教でしょうか。自分の教派のための宗教ではありません。教派を犠牲にしてでも国を救おうとする宗教であり、国を犠牲にしてでも世界を救おうとする宗教であり、世界を犠牲にしてでも人類を救おうとする宗教です。そうすることができる道を求めてこられた方が神様であられることを、私ははっきり知っています。それゆえに、私は今まで口があっても黙り、目があっても閉じ、耳があってもふさぎながら、私自身が神が願われるその絶頂の峠にどのように臨むかということが、地上最大の課題だと考えてきました。

 皆さん、絶対的な善の原則、存在の理想的起源はどこにあるのでしょうか。他のために生きるところに理想実現があるのであって、自分のためであれば地獄です。それは破滅です。今後、統一教会が滅びるか、繁栄するかという問題もそうです。統一教会自体のためにあるようならば滅びるのです。統一教会が国のためにあり、世界のためにあり、天と地のためにあり、神様のためにあり、自分よりもっと大きなもののためにあろうとする時には、繁栄するのです。

 したがって、統一教会の信徒たちは、どんな道を行かなければいけないのでしょうか。真の愛の道を求めて行かなければならないのです。個人が求める愛の道、家庭が求める愛の道、民族が求める愛の道、国家が求める愛の道、世界が求める愛の道、最後には神様まで求める愛の道を行こうというのが、統一教会が行こうとする道だということを知らなければなりません。

 これは歴史が願った望みであり、歴史が行こうとしていた道だというのです。全世界の人類が探し求めていた道であり、全世界の人類が現世において行こうとする道です。それらを代表する道であり、未来においても訪ねていくべき運命の道を、今日、現世で私が先駆けて歩んでいるという事実を知らなければなりません。

 人類を相手にして、神様とメシヤと地球星で踊り、サタンにまでも福を授けるようにやってみようというのです。これが統一教会の道です。そこまで行こうというのが統一教会です。


迫害を克服する道


 この統一教会の運動が韓国で最初に始まった時、すべての人とすべての家庭、氏族、国家が、この運動に対して懐疑的でした。あらゆる教会と宗派が懐疑的でした。しかし我々は、それを気に留めませんでした。彼らの迫害を、そのまま受け入れました。

 いろいろな分野において、個人から、家庭から、あるいは数多くの宗教から、あるいは国家主権から排斥を受けてきました。しかし一度も弁解したことはありません。なぜでしょうか。自分の最も愛する者を犠牲にしながらも、その補償を願ったり弁解をしない神様であることを私が知っているからです。「ため」に存在しようとするその方のあとをついていける人となるためには、黙々と行かなければならないのです。また、急いで行かなければならない道であるために、騒々しい周囲の環境に対して、気にかけるだけの時間の余裕がないのです。

 ありとあらゆる辱めを受け、あらゆる謀略中傷を浴びせられても、私たちの行く道は忙しいのです。時間がありません。

 宗教は克服しなければならないものです。家庭を克服しなければならず、社会を克服しなければならず、国を克服しなければならないのです。そうして、そうした道を神様が立てようとするので、サタン圏内にあるすべての環境は、総和合して、総攻勢で臨んでくるのです。この攻勢にへとへとになって破れる日には敗者となるのであり、この攻勢を克服する日には勝者となるのです。

 このような道を行くのが宗教の道です。統一教会も例外ではないために、そのような道を今まで歩んできたのです。三千万の民族が統一教会の文先生を本当に知るようになる時は、涙する場面がたくさんあることでしょう。












▲ 目次へ

第二節 キリスト教二世を中心とした摂理の再出発

真の御父母様の生涯路程 3



第二節 キリスト教二世を中心とした摂理の再出発

一九五四・五~一九五五・七


一 協会創立直後の摂理の概観


キリスト教二世を中心とした摂理圏


 キリスト教を基盤として出発しなければならないのが統一教会の運命ですが、キリスト教を失ったために、キリスト教と対等となり得る教団をつくらなければならないのです。だからキリスト教から追い出された二世たちを集め、基盤を築き、苦労をさせながら、歴史的なあらゆることを蕩減するのです。すなわち個人的な塀を壊し、氏族的な塀を壊し、民族的な塀を壊しながら、キリスト教が世界史的基準を中心としたすべてのことを成せず、すべてが怨讐となったので、これに代わる霊的、肉的な基盤において、犠牲の代価を統一教会が払わなければならないのです。

 韓国で新しく再編成の基盤を中心として役事するのですが、蕩減条件を立ててきたので、統一教会は発展の一途をたどるのです。発展の一途をたどるとき、これがある個人の立場で行くよりも、教会を中心として国家基準を突破して行かなければならないというのです。

 それで延世大学を中心とした活動であるとか、梨花女子大学事件を起こしたそのすべての問題が、教育機関を中心として、キリスト教の最高基準に連結させるためのものであったのです。そのように反対したのですが、反対しても天の側を形成する条件を備えたので、一世は放棄し、二世を味方に引き込むようになったのです。

 なぜ一世を放棄するようになったのでしょうか。一世は既に汚されたものとなっていたのです。韓国でこのみ旨を立てようとする時、一世が反対したために北韓に行き、再び戻ってくるまでには、サタンが提示する条件を立てた基盤となっていたので、一世を主としてするのではなく、二世を中心とした救援摂理を推し進めていったのです。ですから、大学を中心とした、延世大と梨花大を中心とした活動から、ぶつかり合うようになったのです。

 そうして政府と既成教会が一つとなって、結局はこの問題をすべて破綻させるための作戦を展開したのです。そのために、韓国に入ってきて、またしても先生は監獄生活をしたのです。それは何かといえば、個体基準を中心とした蕩減条件を越えて、家庭的基盤と氏族的基盤と民族的基盤を中心とした蕩減条件を立てていくということです。

 北韓での活動が個体基盤を確立するためのものだとすれば、今や霊的にではありますが、氏族的基盤と民族的基盤を形成できる立場に立って、このような挙国的な版図を中心として戦うようになったのです。

 神の摂理は、一世である当時のキリスト教指導者を中心として、彼らを一つにしようとしたのですが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったために、再び二世を中心とする糾合運動が起こったのです。それが、梨花女子大学と延世大学の事件です。

 それゆえに、どこかのキリスト教の教会から出発したのではありません。延世大と梨花女子大を基盤として、出発したのです。


キリスト教二世の集結地である梨花女子大と延世大


 延世大と梨花女子大、これが二世の男性と女性の最高の代表でした。そこからみ旨が成し遂げられたならば、そこが、この国のあらゆる組織の中心になったはずです。

 延世大と梨花女子大を中心として復帰されたならば、キリスト教の六大宗派のすべての息子、娘たちが来て、あっという間に完全に二世を占領するようになっていたのです。

 梨花女子大学と延世大学、これはアダムとエバと同じなのです。キリスト教の二世たちです。その二世の核心をぎゅっと握るのです。一世は堕落世界に半分がはさまれているのです。それで神様が貴いものを取るのです。昔はサタンが貴いものを取ったのですが、今や復帰時代では二世を先頭に立たせるのです。キリスト教を中心とする二世の集結地が梨花女子大と延世大ではないですか。先生が相手とするのは結婚していない男女です。童貞、処女を相手とすべき先生であって、ぽろ切れ、犬の糞のような者を集めて、世界を救わなければならない先生ではないのです。

 峠を越えようとするなら、最後の清算をしなければなりません。清算をし、血統をえり分けて、新しい根を新しい地に埋め込んで、越えていかなければなりません。こういう役事を国家を中心として行っていたなら、その木は世界に伸び、その葉は既に世界を覆っていたはずです。

 先生が大統領に会う前に訪ねていったのが、ティーンエージャーの親分である梨花女子大の総長、金活蘭でした。金活蘭は独身だったでしょう。メシヤを待ち望んでいたのです。延世大学と梨花女子大学は、一つは長老派の協助を受け、もう一つはメソジスト教団の協助を受けていました。

 当時、梨花女子大は副総長の朴マリヤを中心として、李承晩大統領の夫人と連結していました。それゆえ宣教師の基盤を中心として、その時政府と完全に一つとなることができるようになっていたのです。

 その時、西洋の宣教師を抑えて、金活蘭と白南柱の二人が一つとなって、統一教会を完全に迎えていたなら、世の中はすべて終わったのです。そうなれば、その時先生が一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていくのです。李承晩を通し、国を中心としていくらでもできるというのです。


二世を通して一世を再糾合


 一世が失敗したことを、二世を糾合し完全に一つにしなければなりません。その二世の中には、すべてが含まれていたのです。神霊的な人の息子、娘もいたし、神社参拝した人の息子、娘もいたし、それから宗教を信じない人の息子、娘もすべて入っていたのです。すべてのものがそこ集まっていたのです。この二世たちがいて、完全に一つになるようになっていたならば、そこから一世が誤ったものを取り戻し、復帰して国と教会を収拾して世界の舞台に出ていくのです。

 そこから神のみ旨を中心とし、統一教会が二世たちと一つとなって、アベルの立場でカイン的な父母を完全に抱き込んでいたなら、父母と息子が一つになったのでした。

 延世大と梨花大において二世を中心として連結させていくのです。二世を中心として連結させれば、一世のキリスト教と二世が、縦的には父子関係になるのです。横的に見れば梨花女子大と延世大が相対的な関係なのです。

 横的関係がアダムとエバのような立場にぴたっとなれば、一世と二世が自然に一つになるというのです。原理原則において、二世が完全に一つになるようになれば、一世のカインは屈服するようになるのです。何ゆえそうなのでしょうか。神様の保護圏に入っているために、二世のアベル圏が一つになる日には、一世は自然に一つなるようになっています。イスラエル民族において一世は荒野で死んでしまいましたが、今は天側の保護圏にあるので、一世は死ぬのではなくて二世と共にカナンの地に入ることができるのです。そのように韓国で連結させようとしたのが梨花女子大学と延世大学です。


キリスト教と李承晩政府の連結


 アダムとエバを中心として見てみると、延世大と梨花女子大は堕落していない若い青年男女と同じ立場であるので、キリスト教と父子関係で一つになれば、家庭的四位基台圏を成した形と同じだというのです。その中では、個人家庭もあり、氏族家庭もあって、民族編成がなされるというのです。それで李政権と完全に一つとなれば、キリスト教を中心として国が決定されるのです。そのようになっていたなら、韓国を中心として今日、真の父母の理想は堅固に出発していたはずでした。

 梨花女子大と延世大の二世を立てて、反対に上がっていくのです。そうして李博士を中心とする家庭圏まで連結させることによって、国家基準まで自然に一つになれるのです。そのように一つにしようとしたのです。ところが、これに既成教会が反対したのです。レバレンド・ムーンはサタン世界を清算するために、あらゆる分野のチャンピオンと闘わなければなりませんでした。私たちは挑戦して上っていかなければなりません。挑戦しなければなりません。私が大韓民国で反対されたのは、挑戦したからです。

 私が挑戦した相手は李博士でした。そして、延世大と梨花女子大の教授たちでした。その時、キリスト教を中心とした国家だったので、その頂上の人たちに挑戦したのです。私の話を聞けと言ったのです。


キリスト教政府と米国の一体化


 延世大学と梨花女子大学の男子、女子学生たちをすべてコントロールするようになれば、李承晩側は自然に巻き込まれていくのです。そのようになれば、李承晩には度胸があってホッジ将軍をコントロールしていたので、「この宗教理想によって世界を制覇できる」と主張して出れば、米国まで逆襲し、世界へと伸びていくことができる道が完全に準備されていたのです。

 李承晩大統領が素晴らしいところはそれです。ホッジ将軍と戦って、韓民族が願う南韓の主権が共産世界にのみ込まれないようにと、防御態勢を張ったのです。

 李承晩はどういう人かというと、米国の教育を受け、完全に米国人化した人です。夫人もオーストラリア人です。アメリカ人みたいに、韓国語も全部英語式に話す老人です。キリスト教文化圏を中心とした主権の代表が現れる時です。

 その時アメリカ政府が軍事政府を中心として韓国と一つになっていましたが、その時はホッジ将軍がアメリカの代表です。その時もし、李博士がホッジ将軍の言うとおりにしていたら、大変なことになっていたのです。李博士がホッジを押さえつけ、自分の主張どおりにしたということは見事なことです。彼がアジアの代表となり、米国のホッジ将軍を抑え、民族的自主性をもって屈服させたのです。それが見事なのです。

 北韓の反共捕虜釈放の協議においても、国連が反対するなかで、一日でみな釈放してしまったのです。それは歴史的に有名な逸話です。それで最初は騒ぎ立てたのですが、のちには「やあ、素晴らしい!」となったのです。歴史は、それを褒めたたえるようになっているのです。


二 梨花女子大、延世大退職退学事件(一九五五・三~七)


大学街伝道と教会の移転:忠顕洞講義所(五四・一〇・一八)、興仁洞教会(五五・一・一七)、
              奨忠洞教会(五五・四・二七)


 延世大学と梨花女子大学の学生たちに命じて、「このままでは駄目だ。二世が火を付けなさい。「ため」に生きる平和と正義の道を立てなければならない」と言いました。ですから、どこに行っても私が行く所には問題が起こります。

 六千年の春は、一度来るのです。いつでも来るものではありません。アダムとエバを中心とした思春期というのは、一度なのです。婚姻の決定をする時まで春風が吹くのですが、それが復帰摂理を中心として、数千年、数万年の歴史を経て、ついに韓国の地でその春風が吹いたのです。

 梨花女子大学事件も、そのようなものです。三百八十名の女子学生たちに、その風が入っていったのです。そうして、一日に八十名ずつ、荷物をまとめて出てくるのです。塀を越えて来るのです。「風呂に行く」と言って飛び出してくるのです。その娘たちに「来るな」と言うと、「どうしてですか! 来ることができなければ私を殺してください。学校には死んでも行かない」と言うのです。先生のそばで、糞の臭いがしようが、足のくさい臭いがしようが、それが香ばしいというのです。

 学校へは死んでも行きたくないし、御飯も砂粒を食べているようだし、もう死にそうだというのです。そのように狂ったことが一度でもありますか。ここいる女性たちが、今でもそのようであれば、私は仕事ができなくなるのです。このような群れが、私が外に出れば車の前輪のところにひれ伏して「私を殺してから行ってください」というのです(笑い)。毎日、事故が起きてしまいます。

 そこで総長の金活蘭博士は、宗教社会事業科の科長であった金永雲先生という神学校を出た頭のいい先生を、「統一教会の内容を調べなさい」と送ったのですが、この方が原理のみ言を聞き、一週間で転向してしまいました。そうしたら、それ以外の多くの梨花女子大学の教授が、あっという間に、みんな参席するようになりました。約三百八十名ほどになる寄宿舎の学生たちが、この原理のみ言を聞いて、みな参席するようになりました。


成和学生会創立(一九五四・一二・三一)と成和青年会結成(一九五五・二・二二)


 本来完成の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である十七、十八の時です。それで二十代を中心として、すべてことが成し遂げられるのを願われる神様なのです。未来において中心となることができるのは、青少年期の人です。

 青年たちは、玉のようにかわいく大切な時期に該当するといえるでしょう。成和青年会の「成和」という字を調べてみると、「成」は完成を意味し、「和」は和動を意味します。したがって、お互い和して完成していくという意味になります。そのためには、成和青年は第一に、み言の過程を通過しなければなりません。第二に、人格的に神様が通じる存在にならなければなりません。そのためには、忠節の代表であるイエス様の人格を見習うべきです。いちいち相談しなくても、心情で通じなければなりません。

 そしてまた、成和青年は何よりも和動の中心にならなければなりません。前後、上下、左右に和することのできる人格体とならなければなりません。そうして、祝福の実体となるのがあるべき姿です。イエス様も青年期に、み旨の一線で歩まれました。三十歳前後の青年期は、人生において最も重要な時期に該当するのです。先生の若さに、成和の若い情熱の力を加え、み旨に没頭しなければなりません。その動きが、サタン世界の「成火(注:成和と同音で心配という意味)」の種にならなければなりません。

 成和という言葉は、何かの刺激によって受動的な立場で和を成せということではありません。能動的に和せよということです。全部一度に十字架にかかってこそ、民族を救うことができるならば、全部最高の一線に送り出して、死の淵に追い込んでこそ、民族を救うことができるならば、そのような歩みをさせなければならず、しなければならない責任が先生と成和にはあるのです。


伝道の活性化と反対与件の拡散


 私がこの国、この民族に問題を起こしました。静かに座ったままで起こしたのです。人が来れば、いつの間にか、とりこにしてしまうのです。誰でも来れば、そのようにしたのです。熱心に祈祷するようになれば、霊界がたたいて、追い立ててでも善意の心を起こすのです。

 私が既成教会の信徒たちを奪ってきたと言うのですが、私が奪ってきたのではありません。一九五四年当時でも、「看板は付けないでおこう」と言いました。彼らが来て、原理のみ言を聞いてからは「自分たちの教会に行きなさい」と言っても、彼らは「自分の教会には行かない」と言うのです。表口から入ってきてみ言を聞けば、「自分たちが通っている既成教会に行きなさい」といっても「死んでも行かない」というのです。そうして表口から追い払えば裏口から入ってくるし、裏口から追い払って門に鍵をかけると、今度は塀を越えて、ひょこひょこと入ってくるのです。そんな風だったのです。私が間違っていますか。

 それで韓国の全国民が反対したのです。反対しない人がいませんでした。皆反対したというのです。政府から、教会から、学校から、宗教団体はもちろんのこと、すべての家庭が、全部が反対したのです。では、どうして反対するようになったのでしょうか。レバレンド・ムーンが悪くて、統一教会が悪くて、反対されたのかというのです。そうではありません。歴史時代の過ちや、悪いものをすべて私たちになすりつけて、反対の要因をつくって反対したのです。

 既成のキリスト教が我々を憎み始めたのです。賢い人が統一教会の原理を一日だけ聞けば、一週間以内にみな転向してしまうのです。そのように見る時、歴史上のすべての敵の中でも、このような敵はいなかったというのです。

 韓国のキリスト教徒といえば、神様の前に代表的な忠誠を捧げて努力する人たちです。どんな国民、どんな国のキリスト教徒よりも熱烈だということで、知られています。キリスト教徒たちは一日に二時間以上祈祷しなければならず、早朝祈祷には出なければいけないという観念をもっています。現在も、そのように熱烈だというのです。そのように熱烈なので、それだけに教派の争いも尋常ではないのです。

 そのような環境において、長老派であれば長老派同士でも、互いに異端視して、胸ぐらをつかんで争う状況であるのに、突然どこからともなく来た教派があれば、とんでもないことだというのです。ところが統一教会が現れて、賢い人がいれば、この教派から、あの教派からと、残らず引き抜いていくというのです。それゆえに、梨花女子大事件の時には、二ヵ月もたたずに、退学問題だとか、緊急措置問題を中心として、弾圧をしてきたのです。それは驚くべき、破局的な結果をもたらすようになったのです。


梨花女子大、延世大事件の主導勢力


 梨花女子大生や延世大生がたくさん入ってきたのです。それで退学事件が起きたでしょう。何ヵ月たってからですか。三ヵ月にもなっていませんでした。約二ヵ月、約六十日の間に、そのような事件が起きたのです。

 私は梨大と延大を六ヵ月の間に、私のこの手で消化しようとしたのです。そうすれば、キリスト教は七年以内に統一教会の真理の前に屈服するはずであるという自信を私はもっていたのです。

 ところで、その延世大事件、梨花女子大事件は、誰が引き起こしたのですか。キリスト教と自由党が、主導したのです。

 自由党が、どれほど私を反対しましたか。副大統領の李起鵬とその妻で梨大副総長の朴マリヤが、なぜ私の言葉を聞かなかったのでしょうか。レバレンド・ーンが梨大を引っ張っていき、延大を引っ張っていくというのです。「ああ! 宣教部が引っ張っていかなければならないのに、梨大も延大もレバレンド・ムーンの言葉を聞いて、レバレンド・ムーンに引っ張られていく」と、いうのです。そこに大韓民国のすべての教派が引っ張られていくようになっていたのです。そのように大騒ぎになったのです。それで、統一教会に入った学生を退学させるような事件が起こったのです。自由党がどうして私に反対したのですか。反対しなかったらのみ込まれてしまうのではないかと思って反対したのです。

 金活蘭と朴マリヤが主導となって、景武台(大統領官邸)に行って偽りの証言をし、五つの部署の長官を動かして、統一教会をなくしてしまい、私を完全に埋葬してしまおうとしました。

 延世大、梨花女子大事件が起こらなければ、その時、景武台と連結され、キリスト教全体が連結されたのです。その時、金永雲が宗教科長でした。主だった先生たちが全部復帰されたため、金活蘭が反対できないようになっていました。ところが金永雲が報告したのにもかかわらず、既成教会の幾人かの人が反対し、そのようにしてしまったのです。その時、梨花女子大学校と延世大学校さえ復帰されていれば、反対しなかったならば、韓国のキリスト教がすべて復帰されるようになっていました。


米国宣教師らが背後で操る


 韓国において、梨花女子大学、延世大学が統一教会を除去するように、誰が操ったのでしょうか。宣教師らが背後で糸を引いたのです。

 朴マリヤを中心として金活蘭が誰と謀議したかといえば、大統領夫人のフランチェスカを中心として米国の宣教師たちと、ひそひそと謀議したのです。国の最も重要な天の摂理をおいて、自分たちだけで相談したのです。その時、宗教は自由であったので、統一教会に行かせないようにできますか。

 宣教師が後ろで操って、金活蘭を動かしてきたということを知らなければならないのです。金活蘭がずっと独身であったのは、金活蘭が天使長だったというのです。天使長である米国の言うとおりにするので、天使長と同じなのです。そこで宣教師を抑えつけなければならなかったのです。当時、学長級の教授らが五名復帰されていたので、完全に宣教師たちを圧倒することができたのです。

 そうすれば昔のユダヤ教の世界的版図と同じその基盤において、米国とキリスト教が一つとなって統一教会と完全に一つとなることができたのです。金活蘭と完全に一つにならなければなりませんでした。米国人は天使長であり、韓国はアダムと同じ主体的立場にあるので、金活蘭が度胸を据えて、反対にひっくり返して、主体の位置を取り戻して、蕩減復帰しなければならないのに、それができなかったというのです。

 金活蘭が宣教師を完全に屈服させ、李博士と一つとなっていたならば、今ごろは完全に統一教会の天国になっていたのです。環境がすべてそのようになっていたのです。金活蘭が宣教師を押さえつけていたならば、今日、アメリカはこのようになっていないのです。


一方的な退職退学処分

  

(延世大教授一名、梨花女子大教授五名、梨花女子大学生十四名、延世大学生二名)


 梨花女子大は、宣教師を背景として米国の援助を受けている立場にあったので、当時名もない統一教会が中心となった運動の前に、完全に吸収されるのではないかと大変な危機を感じたのです。そうして、緊急措置として取ったのが退学処分です。学校を取るのか、統一教会と文先生を取るのか、二者択一を迫ったのです。

 この運動が、燎原の火のごとく広まっていったので、学校全体がどれほどせわしかったことか。防ぎようがないので二者択一を迫ったのでしょう。世の中のどこに、そのような二者択一がありますか。巫女の子供もいれば、ありとあらゆる子供たちがいるのにもかかわらず、統一教会だけ、なぜ駄目なのですか。サタンが役事するのです。反対し屈服しました。

 それなのに梨花女子大総長の金活蘭は有無を言わさず、「二者択一だ、統一教会か、退学か」と迫ったのです。世の中のどこに、そんな道理がありますか。

 学校も、いかにせっぱ詰まっていたことでしょうか。五大科長たちを全部追放し、統一教会の主謀者となった学生たちを何の相談もなく、一方的に退学処分にしたのです。そんなことがあり得ますか。

 こうして、その時、五人の教授と学生十四人が退学になり、歴史にない事件が起きたのです。復帰歴史は、それほどに難しいものなのです。

 そうして優秀な教授六名(延世大……朴商来、梨花大……梁允永、崔元福、金永雲、李正浩、韓忠嘩)と十六名の学生たち(梨花大……金淑子、崔淳(女偏+華)、姜貞遠、李桂淳、林承姫、朴栄淑、鄭大和、他生蓮、朴承圭、金卿植、徐明鎮、金正恵、史吉子、申美植、延世大……黄煥寀、柳景圭)が退学処分となる事件が起きたのでした。そこには統一教会が迫害を受け、文総裁が迫害を受けた恨が秘められているのです。

 一九五四年に出発して、一九五五年に梨花女子大事件が起き、国全体が大騒ぎして「文なにがしを殴り殺せ」というようになったのです。その時のことを振り返ると、私は、世の中で誰の助けも受けられない孤独な身でした。


食口たちの信仰が過熱する


 その時、先生の言葉に絶対服従していれば、梨花女子大事件は起きなかったのです。静かにひっ込んでいればいいのです。何をしに、地ぐもみたいに這い出てくるのですか。非難されるようになっているのです。本当に、お祭り騒ぎをするにしても、そんなお祭り騒ぎを私は初めて見たのです。

 梁光永が梨花女子大学にいた時、私が話して聞かせたことは、「金活蘭にはこういう話はするな、朴マリヤに話す時には、このように話しなさい」と全部言い聞かせておいたです。ところが「言ってはいけない」という話から、全部話をしたのです。ですから幼い子供たちには刀を与えてはならず、銃を与えてはならないというのです。「行って、話すな」という話が一番おもしろい話なのです。そうして、私は北学洞にいたのですが、朴マリヤをぱっと連れてきたのです。王宮のような所で、ほしいままにふるまっていた女を、あいさつもなく先生のところに連れてきたのです。全く、私がその時、大変な思いをしたことが今も忘れられません。そのように分別もなかったのです。

 また、梨花女子大を出る時、先生は「そうしては駄目だ」と言ったことがありました。ところが、「駄目って何が駄目なのですか。私が恵みを受けることなのに」と言って、言い触らして回りました。ところで、恵みを受けたということは、恐らく今までキリスト教で言わなかったことを先生が言ったからであって、すべて知っていることを話していれば恵みを受けたでしょうか。そうして「統一教会には善男善女たちがすべて集まったので、従わなければ大変なことになる」と大口をたたいて回ったので、既成教会の人たちが腹を立てたのです。

 これは、「ただうれしい」と口を開けて歌うようなものです。歌は最初から最後まで歌いきってこそすっきりするのと同じで、やたらに歌いまくったのです。

 けれども、過ぎし日を思い起こし、同情するとすれば、非難を受けて退学になるとき、先鋒に立った梁允永の功績が大きいのです。

 先生の話を聞いて、息子や娘を孤児院に入れてしまい、この道を行こうとしたことは、歴史において天が記憶し、歴史がみな証明してくれているのです。


三 統一教会に対するうわさの発生とその真相


うわさ発生の原因


 今日、この世で選挙戦が繰り広げられるときは、ありもしないことでもでっち上げ、なすりつけるのですが、「この天下を統一しよう」、「天下を理想天国にしよう」と言っている、野にあるひきがえるのような者がいるとすれば、サタンがそのままほっておくと思いますか。それは間抜けの中の間抜けです。だから、ありとあらゆるぬれぎぬを着せて、流してしまう方法が最高のやり方だというのです。

 理論的によく聞いてみると、みんな賢い子供たちは引かれていくようになるので、やむを得ず私たちを追い詰めるために、ありとあらゆることをしたのです。最初は、今までのキリスト教の歴史の中で、悪いとされた誰かのようだ、というのです。そこには白白教もあり、淫乱の集団もあって、「それと同じようだ」と言っていたのが、しまいには「それだ」と言うようになったのです。キリスト教の異端の名称をもっている歴史上のすべての人と、私が似ていると言い、その次には、韓国で起きた宗教団体の悪いもの、アジアで起きた宗教の悪いものと「似ている、似ている、同じだ、同じだ」と言ってから、「そのものだ」と言ってすべての罪状をなすりつけたのです。

 ある時、神様が私に語られるには「おいおい、文なにがし、今、お前に『死ね』といって、なんとか牧師が祈祷している声を一度聞いてみるかい」とおっしゃるのです。神様もユーモアが上手なお方です。そう、ラッパの音のように聞こえてくるのです。「文なにがしは、今すぐ、雷に打たれて死ななければならない」と祈祷しているのです。そのように本当に手がつけられないくらい迫害を浴びてきたのです。

 そのような渦中でも、統一教会は現在まで、私たちの行く道が忙しいので、それに対して闘いませんでした。闘う時間の余裕がありませんでした。行くべき道が忙しいので、道端に立って議論する時間がないくらい忙しかったのです。

 統一の世界が成されるのを防ぐため、サタンは悪あがきをしています。だから、我々統一教会は、非難を受けながら歩んできたのです。今まで、あらゆるうわさが立ちました。


「電気装置で惑わされる」


 皆さんは、「統一教会に行けば、電気装置を仕掛けて魔術をかけられ、裸になって踊って、文先生のとりこなっていく」などという話をたくさん聞いたでしょう。文先生のとりこになるとは何ですか。心が慕い求める最高の主体であられる本物の相手に出会ったので、心が本当に喜ぶ主体に会ったので、昼でも夜でも先生のもとへ行きたくなるのです。行きたくて心が揺れ動くのです。

 春が訪れ暖かくなれば、凍っていた雪は「溶けるな」と言っても溶けるでしょう。牛をつぶして、何かの祭祀をあげたところで、溶けるものはみな溶けてしまうのです。より高い愛の前には、みな自然に引かれていくようになっています。それで統一教会に来れば、自分の息子や娘のことも忘れてしまうのです。そのような何かがあるのです。自分の愛する夫が反対するようになれば、夫には死んでも会いたくなくなるのです。

 天の春風が吹くようになれば、男も女も、みな同じ立場になるのです。それゆえに、統一教会に行けば電気装置を使って、みんな惑わしてしまうと言ったのです。

 その話は当たっているのです。ところで電気は電気ですが、神様の愛の電気です。電灯の明かりも、電灯も、電灯の笠も、目に見えますが、電気となると目には見えません。神様の愛の電気も、目には見えません。どんなに動いたり、考えたり、本を読んでも分からないのです。愛というものは理論では説明できないのです。

 触れば触るほど、くっついて離れないというのです。だから統一教会には、くっつくという役事があるのです。統一教会に行けばくっついてしまいます。何かの、餅のふろしきがあるのか、飴のふろしきがあるのか知りませんが、ここに来て尻を付けると、くっついてしまうのです。


「裸になって踊る」


 梨花女子大学事件の時も、女性たちが全部惑わされて、裸になって踊って、どうのこうのと、みんな私の悪口を言いました。

 「統一教会は裸になって踊るというから、淫乱な団体だろう」と言って、次々とぬれぎぬを着せるのです。何も着るものがなくて寒いのですから、それはどんなに喜ばしいことでしょう。

 ところで、昔、裸になって踊る神霊集団があったというのです。人間の堕落によって着た服であるがゆえに、霊界から「その服を脱げ」と役事するのです。アダムとエバが堕落する時、裸になった状態から堕落して、悲しみが始まったので、裸になって喜んでこそ、その峠を越えていくことができるというのです。

 そのようなことを知っているがゆえに、先生は非難を受けてもじっとしていたのです。昔は、そのようなことを知らない人が迫害にあったのですから、そのようなことを知っている先生は悔しくありません。そのように我々は他人のぬれぎぬの束を、たくさん着せられたのです。

 多くの人、が、「統一教会の文なにがしは裸になって踊る」と言ったのですが、私が本当に裸になって踊って非難を受けたのであれば恨もないでしょう。しかし、裸になって踊っているのを見たこともないのに、裸になって踊る親分にしたのです。そのようにして大韓民国の民が福を受けることができるというのなら、いくらでもしろというのです。「私」という一人の人間を打ち、呪って、この民族が福を受けることができるというならば、それは善なることです。だからそっくりそのまま受けようというのです。彼らが民族を愛し、国を愛する愛国心の発露から「そのようにした」というならば、私はそれを神様の前に、神聖であり義なるものとして紹介するのです。そのように思いながら今まで歩んできました。

 どうぞ、好きなだけやってみなさいというのです。その中で、統一教会はそれを肥料として大きくなるというのです。「こんなに悪い」と言えば、浮わついた者は入ってこれないのです。死を覚悟し、この世を否定しても、「私は行こう」という、確かな人だけが、ここに入ってくるというのです。そのような反対を押しのけて入ってくれば、立つ日には、反対する人を押しのけていくことができるのです。このような結論が出てくるのです。ですから、統一教会は、反対されるからといって、崩壊するのではなく、発展するのです。

 ここにいる統一教会に入った皆さん、統一教会の先生が好きで統一教会に入りましたか。みんな横目でにらみつけながら、「あの人がほら、裸で踊るやからだろう。どうのこうのするやからだろう」と考えたことでしょう。そのような考えがなくなってしまうまでは、何年もかかるというのです。


「異端の頭、悪魔の大将、邪教の親分である」


 今日、既成教会では、自分たちの教会を「長老派教会だ」とか、「二千年の伝統をもつ教会だ」とかと言っています。そうして統一教会のことを、「異端」だと言うのです。しかも異端という言葉でも十分なのに、それ以上に「悪魔だ」と言っています。「統一教会は異端でありサタン、悪魔だ」と言うのです。誰がその名前をつけましたか。神様がつけたのですか。彼らが勝手に付けたのです。ここにる私が文先生という人です。いわゆる異端の頭と呼ばれているのです。「教会を滅ぼす頭目だ、国を滅ぼす頭目だ」と言って、今まで大騒ぎしているというのです。

 最も重要な者たちが、統一教会の原理のみ言さえ聞けば抜けていき、どんどん抜ければ、どんどん崩れていくために、「ああ、統一教会は大悪魔、大サタンだ」と言うのです。私が大悪魔の大将になったのです(笑い)。

 また、「統一教会は妖しい、邪悪な所だ。邪教だ。統一教会の文先生はその邪教の親分だ」と、世の中ではそのように言っています。私が正しく判断したでしょうか、できなかったでしょうか。公義を中心として、正義の判断か、不義の判断かという問題が起こるのです。歴史は、ここで食い違い、相克の世界が起きるのです。相克の世界では主権をつかんだとしても、その主体は全体に及ばないのです。間違って判断すれば、逆に落ちるようになっているのです。もし対象を誤って判断することになれば、対象は残り、主体は逆さまに落ちていき、なくなってしまうのです。

 もし、統一教会を間違って判断し、何も知らずに異端の邪教だと騒いでも、騒いだ人はみな流れてしまい、異端の邪教という称号を受けた統一教会は堂々と残るようになります。それが天理の道理です。そのために正しく判断しなければならないのです。


「家庭を破壊する」


 また、「統一教会を信じれば家庭が破壊される」といううわさを立てて悪宣伝をしました。誰が、家庭と離れて暮らしたいと思いますか。誰も、それは願わないのです。人の面の皮をかぶって、それを喜ぶ人がどこにいますか。ここに立っている文先生も、それを願わないのです。父母をなぜ捨て、妻子をなぜ捨て、息子をなぜ捨てますか。また一族をなぜ捨てますか。

 一族、妻子、息子よりも、この国、この民族のために、他人と全体のために、それらをみな犠牲にしてでも、国を救おうと立ったがゆえにです。歴史はそこから、新しい理想世界へと前進できるパターンがつくられるのです。その道においてのみ望みがあり、その道においてのみ歴史が光輝くのだという気持ちがなければなりません。


四 梨花女子大、延世大事件の結果と影響


再出発基盤の瓦解


 大韓民国の民は、私が愛する民です。天法を受け継ぎ、後代にそれを授けていかなければならない民であることを知っていますが、キリスト教が歓迎しない限り、彼らは文なにがしに迫害と悲しみの道を行かせる民族である、ということを知りながら出発したのです。

 延世大学と梨花女子大を中心として、一九五〇年代に六ヵ月だけ待っていたならば、そのような悲惨なことは起こらなかったはずであるのに、キリスト教が反旗を翻してしまったために、そのような結果になってしまいました。もしその時、キリスト教が私と手を組んでさえいたら、世界のキリスト教は既に統一されてしまったはずです。七年以内で、間違いなく統一されたというのです。

 世界は、私が四十代の時に、私の手の中で消化されていたはずであることを知らなければなりません。

 その時でも遅くはなかったのです。一九五五年度までに最初の摂理から十年がたっていましたが、遅くはなかったというのです。それを収拾できる方案もあったはずです。

 ところがその時、退学事件が起きたことにより、先生は監獄に行くことになり、神の摂理に一大問題が生じました。

 梨花女子大、延世大事件によって統一教会の文なにがしが、完全に排除されるようになったのでした。

 イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じように、まさしくそのとおりになったのです。これによってレバレンド・ムーンは、とんでもない異端者として追放されたのです。荒野に追い出されたのです。四千年の間、天が準備したすべてのことを失ってしまいました。それを再び収拾して、上がっていかなくてはなりません。

 一九五五年の時の梨花女子大学事件は、挙国的であったというのです。国家と既成教会が一つになって、李承晩主権下の五大長官が、統一教会をなくすために総動員されたのです。しかし、その戦いの舞台を克服したのち、統一教会は、誰も知らない中で内外の基盤を固めたのです。そこで勝利してきて、どのようになるかというと、既成教会を否定し、大韓民国という国を否定して、既成教会の基盤と国家の国民に代わることができる、新しい再編成運動がなされるのです。言い換えれば、二世による新しい統一教会、二世による新しい国民形成が可能になったということです。

 統一教会の目的とは何かと言えば、国家を救うためのものであるので、国家を中心として動かしたのです。国家と既成教会のために動かしたというのです。統一教会のために動かしたのではありません。伝道したのも統一教会を拡大するためのものではなく、既成教会と国家の前に影響を及ぼすことができる、二世として新しいイスラエルを編成できるという希望的な内容をもつことができるためなのです。


事件の主導者たちの結末


 その時、朴マリヤと李起鵬を中心として、大韓民国大統領の李博士、フランチェスカ、金活蘭が国を滅ぼす元祖となったのです。李起鵬と朴マリヤは、どうなりましたか。息子によって天罰を受けたとしても、それほどの天罰が、どこにありますか。統一教会の文先生に反対した人の中で、良くなった人がいるか探してみなさいというのです。

 李博士も朴マリヤも、一家は、全部死んだのです。天に反対した者たちの行く末は、悲惨なものです。李博士の末路が哀れでしょう。

 金活蘭がどうなりましたか。それこそ名前と同じく患難(注・韓国語の発音でファルラン)を受けたのです。雷に打たれるようになったのです。どうして天国に行けるでしょうか。うそを言っているかどうか、行ってみなさい。学校の教権の看板を掲げて、宗教団体を犠牲にしようとし、学生たちを犠牲にしたのです。正義に立脚したことではなく、不義に立脚していたから、その代償を受けたのです。

 金活蘭、金玉吉みな死にました。霊界に行ってみなさいというのです。監獄に閉じ込められて、うんうんうなっていることでしょう。「お前、文総裁が誰なのか分かったか」と追及されるのです。そんな話がどこにあるのかというでしょうが、私が見てすべて知っていて話す内容なのです。

 それを知れば、悲惨です。あとになって、「私はこんなこととは知りませんでした」と言うのです。「こんなこととは知らなかった」ですって? 歴史において誤った道を行けば、いつでもそのようなことはあるのです。


正しく直すべき不義の歴史


 けれども、私は彼らを怨讐視せずに歩んできました。しかし南北が統一され、アジアの行く道が開かれる時には、歴史を正さなければならないのです。そのため、否定的で、不義の結実をもたらすようになった内容は、法的基準において処理していかなければならない歴史的な未来の関所が残っていることを知っているのです。

 これから私が梨花女子大学を裁判にかける日には、損害賠償を何倍受け取るか分かりません。時が来れば、すべて蕩減を受けるのです。南北統一を私の手でなす時、延世大を統一できないでしょうか。

 当時は、女子大は梨花女子大と淑明女子大しかなかったでしょう。一つはアベル型キリスト教大学であり、もう一つはこの世の大学ではないですか。あなた方、退学になった者たちは、梨花女子大生でもあり、淑明女子大生でもあるのです。

 梨花女子大学に公布して、十四名の名誉卒業証書をみな受け取らなければならないのです。そして梁允永と復元福はその時まで教授を続けたので、その給料を全部受け取らなければならないというのです。それが、名誉回復なのです。それ以上のことが、どこにありますか。今まで反対したすべてのことが、キリスト教が反対したすべてのことが、一遍に根を抜かれるのです。それを整理していかなければなりません。

 昔、退学になった十四名の中で、離れていった人たちがいるでしょう。その人たちを集めて昔を回想しながら導かなければなりません。梨花女子大学事件を中心とした記録を全部再び残さなければなりません。鄭大和、史吉子、姜貞遠、朴栄淑、徐明鎮、池生蓮、みんなを連れてくるのです。その時代にいた先生たち、同窓生たちを、みな連れてくるのです。過去をもう一度回想しながら、誤った歴史を正して、民族の新しい伝統的精気を、梨花女子大学の女性たちが正しく引き継がなければならないのです。そうしなければならない責任があります。ただそのままにして置くのではありません。

 今後この人たちは、大学に行って説教しなくてはなりません。毎日のように、梨花女子大の礼拝堂に行かせて、講義させようと思います。私が皆さんに、それをさせようというのです。

 黄煥寀! そうでしょう。退学処分になったのは哀れなので、再び延世大に行き、鉄槌でたたき壊すことのできる立場を整えるため、今まで待っているのです。かといって、火を付け、パイプでたたこうというのではありません。み言の鉄の杖でたたいて、正さなければなりません。行って、それをする自信がありますか。












▲ 目次へ

第三節 西大門刑務所の受難

真の御父母様の生涯路程 3



第三節 西大門刑務所の受難

七・四事件、一九五五・七・四〜一〇・四


一 ソウル中部警察署(治安局特殊情報課)連行


七・四事件(七・四午後五時、奨忠洞教会)


 一九五四年に統一教会という看板を掲げて出発するようになりました。その時、韓国は国家的な反対をしました。全体が反対したのです。第二次新約蕩減時代においても、一九五五年を中心として、先生がまた監獄生活をしたのです。監獄に入るという出来事が起きたのです。三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。

 それで一九五五年度に事件が起きたのです。七月四日に監獄に入っていったのです。彼らは一つになって「レパレンド・ムーンを捕まえて殺せ」と言ったのです。その時の罪名が何でしょうか。「共産党だ、何だ」と言いながら、この世の悪いことをすべて、私に負わせたのです。過去の歴史の過ちも、すべてレバレンド・ムーンになすりつけたのです。悪い名前であれば、すべて出したのです。

 先生が韓国人であるので、韓国を中心として、摂理の起点が出発することにより、韓国におけるキリスト教は、韓国内のキリスト教としてとどまるのではないのです。摂理と全体世界を代表したキリスト教の位置にあるというのです。そのような立場に立った教会と国が反対すれば、全世界が引っ掛かってくるのです。彼らは先生一人をどのように負かすかということが問題でした。そうした複雑な渦中を通過しながら、イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後に、サタンに引かれていく出来事まで起こりました。七・四事件が、その代表的な例です。

 その時に、ばかにされ冷遇されたことは、私は今でも忘れられません。彼らがしたことが、私の骨髄にしみ込んで、いまだに忘れられないのです。

 私一人が苦痛を受け迫害を受けることはかまわないのですが、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったというのです。


事件をけしかけた最終的背後勢力


 大韓民国で、私は李政権時代に監獄生活をしました。ですから李政権は怨讐です。その配下の者たちが私に、鉄刀を持って脅迫し、恐喝し、あらゆることをしました。彼らは私を追放するために監獄に入れましたが、私はこの大韓民国のために監獄に行きました。

 西大門刑務所事件の時、李博士が五大長官と一つになり、朴マリヤと梨花女子大とフランチェスカの威信を立てるため、あらゆることをしたのです。

 文教部と、文公部(その時は公報部)、それから内務部、法務部、外務部の五大長官が一つとなって、権力で文総裁を捕まえようとしたのです。

 その五大長官が、「文総裁を除去しろ」という指示を受けたことは知っています。その下にいた人たちが、私のところに来て報告したのです。「国がキリスト教を中心にして、あなたに対して、こうこうこのようにしようとしています」と言ったのです。

 統一教会といえば恐ろしくて隠し始めたのです。しかし人々は悪くて秘密にしたのだと思っていました。自由党も、本当は、恐ろしくて包み隠しながら「行ってはならない」と言ったのです。彼らは憎くてというよりは、恐ろしくて反対したのですが、人々は悪いから反対するのだと思ったのです。恐ろしくて反対しながら、最も悪いと反対して、大騒ぎしたのです。


兵役法違反容疑


 一九五五年の梨花女子大事件によって全国家が大騒ぎし、文総裁を捕まえてぶち込もうとしたのです。東亜日報が支持すると、それに対して政治的圧力が加えられました。そうして五代長官が文総裁を捕らえて殺そうと計画したのです。李政権を中心として、そういうふざけたことをしたのです。しかし、いくらよく探してみても、私には罪がありません。あらゆる凶悪な罪の東をすべて着せたのですが、罪に引っ掛かる内容がないのです。

 あらゆる怪しいうわさを立てて、「何がどうだ、こうだ」と言って私を調べました。しかし調査してみると何もないので、捕まえて殺すことができますか。それでくまなく探してみて、「兵役回避だ」というのです。私は北韓から出てきたのですが、監獄生活をして出てきたので、兵役の年齢は過ぎていたのです。それをもって兵役回避だと起訴したのです。それも事実を調べてみれば、法のとおりにしたというのです。

 容疑をかけるなら、引っ掛かるものがなくては駄目でしょう。うなぎと同じです。口に掛けても、つるっと外れてしまうし、尾っぽを引っ掛けても、つるっと外れてしまい、あれこれしてみても、つるっと外れてしまうのです。どんなにつるつるすべることか、引っ掛かるところがないのです。世の中が大騒ぎをして、文総裁は悪いやつで民族の反逆者だから捕まえなければならないと言い、そうしてこそ既成教会の千年、万年の王国が開けると思っていたのですが、これがつるつると抜け出てしまうのです、引っ掛かるものがなくては駄目でしょう。


拷問の取り調べ


 私は口があっても話しません。この民族の前にしみ通った多くの恨があっても耐えます。それは先生が骨なしだからではありません。先生は骨のない男ではありません。イエス様が三十余年の生涯を耐え忍んでこられたことを知っているがゆえに、また神様がイエス様以降二千年間、耐え忍びながら、み旨を成し遂げるための基盤と時を準備し、強固な土台を築くのに労してこられたのが復帰の路程だということを知っているがゆえに耐えるのです。

 「台風よ吹け。吹雪よ吹け。冬の季節よ来い」と言いながら耐え忍ぶのです。そのようなものはやがて過ぎ行くようになっています。今日の社会で自分自身の幸福を誇る人々も同じです。過ぎ行くようになっています。

 では、先生の責任とは何でしょうか。罪に追われ、監獄に入った時、先生はその立場で何をしなければならないのでしょうか。世界人類のために打たれながら、世界の苦難をすべて引き受けて一つ残らずなくさなければなりません。「世界の苦難の道を開拓して行くのに、これくらいの困難はなくはないであろう」と思いながら、苦難をむしろ当然と思ったのです。

 拷問もたくさん受け、あらゆることをすべて受けましたが、「私が行く道は鉄石と同じだ。私が犠牲の道を行くとしても、希望の国を成す時までは戦って生き残るのであって、今死んではならない」と思いました。

 私は、神様に侍っていくなかにおいて、「私」というものを考えたことがありません。むしろ私が同情しなければならない神様であると思いました。西大門警察署に引かれていく場においても、牢獄の身、鉄格子に閉じ込められる身になっても、そうでした。み旨の道を行くための最初の歩みを出発したときから、「このように命が残っているので感謝します」と言って、むしろ神様を慰めてさしあげました。今日の統一教会の伝統的思想をもってきた歴史的な蕩減基準を残すために、そのような道を歩んできたのです。それは誰が侵犯しようとしても侵犯することはできません。

 私は西大門刑務所に入っていきながら、大韓民国に対して「滅びろ」とは思いませんでした。「既成教会よ、滅びろ」とは思いませんでした。「彼らが分かっていない罪をお許しください。かわいそうな大韓民国が罪を犯したことを蕩減するように、私にすべてを負わせてください。私を非難して、福を受けることができるならどれほど良いでしょうか」と、そのような気持ちをもっていました。

 「神様、私が愛する民族を私以上に愛してください。神様、世界を私以上に愛してください。私のために同情する必要はありません。もし私が死んでも気の小さい男としては死にません」。そのように考えたのです。世界万民を率いて導いていかなければならない責任がこの足らなき者に任せられています。その過ちを過ちと見ないで見逃してくださり、私にむちを加えることによって、世界人類を補うことができるならぱそのようにしてください、と思いつつ戦ってきたのです。

 それを神様が気に入り、神様の空になった胸を燃え上がる炎として満たすことができる要件となったがゆえに「統一教会の文なにがしは滅びる場に行ったとしても、滅びることはない」と保障してくださったのです。


調書作成


 私にかなう者は、誰もいません。警察署で調べを受ける時も、調書を作成する人が私と話をすれば、その人が私に巻き込まれてしまうのです。「あなた、今調書を書くのに、この話をなぜ書かないのか。今これを書かなければ駄目だ」と言って、私が教えてあげるのです。ところが、その教えてあげた話で、調書内容があべこべになるのです(笑い)。すると、そのように書いておきながら、びりびりと破くのです。

 調書を作成するって、何を作成するというのですか。遊んであげるのです。「あなたを見ると、このような容貌をしている。女房はこんなふうだな。行儀が悪くて、小便を漏らしても恥ずかしいということを知らないんだな」と言うと、「どうしてそれを知っているのか」と言うのです。それで「こいつめ、それが分からなければ、私はここに入って座っていないよ」と言うのです。「優れた人が入ってくるのだろう。ろくでもない人間が入ってくるか」と、からかって遊ぶのです。

 その時に治安局長をしていた人たちの名前も私は忘れないでいるのですが、言わないのです。一度、みんな呼んで会う時もあるでしょう。当時、足を組んで訓示したその人たちが、今日もそのような姿勢で現れるでしょうか。


二 ソウル地方検察庁送検(一九五五・七・一三)


西大門刑務所入監(ソウル西大門区(山編+見)底洞一〇一番地)


 私は、手錠を掛けられて、西大門刑務所に向かって行く時でも、恥ずかしいとは思いませんでした。私は天と地を見る時に、恥ずかしいものがありませんでした。堂々としていたというのです。

 手錠を掛けられ入っていったとしても、少しも恨めしく思わないのです。誰に対しても恥ずかしいと思ったことがないのです。私は、神の前に恥ずかしくない者なので、誰に対しても恥ずかしいことがないのです。

 私は、何一つ間違ったものがありませんでした。売春婦になるしかない小娘たちを集めては、純朴な貴婦人にし、ならず者になるような若者たちに、家門の孝行者、忠臣になれと教えながら、この国に必要な若者をつくることに生涯を注いだ男なのです。

 罪もない体に手錠をはめられ刑務所に行ったとしても、少しも恥ずかしくなかったのです。すべての人があざ笑い、指を指しながら「あれを見ろ」と言いましたが、「お前たち、これから十年後にどうなるか見ていろ」と、そのように思いました。悲惨な道を行く途上にいる私に、むごい矢を投げてくれた人が、「私は成功するんだ!」と、私に固く誓わせた教育の材料となって、今なお胸に残っているという事実を知らなければならないのです。

 悪なるものは滅びるのであり、善なるものは栄えるのです。どんなに泥まみれになったとしても、純粋で天下の歴史が公証できる真なる立場に立った時は、滅びることがありません。

 先生は、手錠を掛けられて行く時に、道行く女性たちまでもが、先生を横目で見ながら顔をしかめるのを見て、「そうか、お前たちの歩みは偉そうに見え、ここにいるこの男は哀れに見えるだろうが、まだ比較基準が出てきていないので解決できないだけだ。しかし、その立場が世の中にはっきりと現れた時には、正しいこと、間違ったことの判決が下る」と思いながら、今まで歩んできたのです。


苦労を共にした弟子たち

   

(金元弼、劉孝元、劉孝永、劉孝敏)


 先生が今まで苦労しながらも、先生の財産は一つもありません。残ったものは苦労です。苦労したことはみ旨のための苦労です。神様が同情する心情的な内容を、誰も占領する道理はありません。それが財産です。

 考えてみてください。私が皆さんをちらっと見る時、どんなに顔がよく、どんなにあらゆることに精通しているとしても、彼がみ旨のためにどれほど苦労したかということが第一条件なのです。私が歩んできた道がどうだったかということをよく知っているがゆえに、その道中において共に涙を流し、共に同情しながら、天の願い、天の解怨のために、あらゆる精誠を傾けて歩んできたその事実は、私が死んだとしても忘れることができないのです。

 先生が幹部の中で、先生と共に苦労した人たち、獄中に入り苦労した人たちを、その時の心情で見れば、それは絶頂に達していた時なのです。するどい先端に立っていた時であるので、その時の一言の慰労は、千秋の慰安を宿していました。その時の一言の勧告が、死地から新しくわき上がることのできる力の源泉になりました。それゆえに、そういう人たちを、まず助けなくてはと思うのです。


法廷公判(一審七・二九、結審 一〇 一四、ソウル地方法院第四号法廷、裁判長尹ハクロ)


 皆さんは、過ぎし日に、教会と国の前に追われ、追い込まれ、囚人服を着て行った先生を忘れてはなりません。囚人服を着て手錠を掛けられ、裁判長の前に立った先生を忘れてはならないというのです。

 監獄に入り法廷に出ていって、冷やかしとからかいを受けたその痛みを忘れないのです。死ぬ前にそれを蕩減するつもりです。皆さんはそのような因縁をもって、ここに集まった者たちなのです。

 宗教界が一つになり、数多くの家庭、数多くの人が一つとなって、民族的に攻撃し、三千里半島(韓半島)に私の立つ場所がありませんでした。また三千万(韓国のすべての人、)の嘲笑とあざけりが地上にあふれる中で、私はたった一人で立っていたのですが、「私は風雨にもまれ、火に焼け焦げた木のようにすすけたとしても、焼けて死ぬ木にはならない。焼けてすすけた木の枝にも、春になれば新芽が出てくるのだ」という信念をもって、今まで歩んできたのです。

 三千方民族のあざけりが大きければ大きいほど、そしてその悲しみが三千万民族以上の立場に立ったがゆえに、また神様が私を愛し、私と因縁を結び、私を捨てない父の位置から、三千万民族に対する以上の心情をもって、私に対していることを知ったがゆえに、私は監獄に入っても悲しい顔をしようとはしないのです。

 それは私が行く道の前においては、何の妨げにもならなかったのです。かえって激励となりました。

 生涯をかけて闘争していくとき、それは激昂の心情を刺激させる燦爛と輝く動機にこそなれ、私を挫折させる、わなとはならなかったことを思う時、過去にそのようなことがあったことを喜びと思って、かえって私が商売の元金を稼いだと思うのです。そこから神様の心情を知ることができ、そこから神様が共にあられることを知るようになったのです。


ある平壌の婦人の嘲笑と厳しい非難


 私が一九五五年度に監獄にいた時、昔私に従っていたある婦人が訪ねてきて、「文さん、まだそんなことをしているのか」と言うのです。あきれた話でしょう。一時は「先生」と言って従っていたのに、私が監獄に入っていったので、「神の息子であり、神が愛しているならば、なぜ監獄に入るのか」と言いながら、背いて出ていった人です。体はカササギの巣のようにまん丸で、§がちょっとねじれていて、意地の悪そうな顔をした女性なのですが、当時、他の教派へ行って、激しく統一教会に反対したのです。そんな女がすっとやって来て、「文さん、まだ気がつかないのか」と言ったのでした。それで「お前みたいな女に訓戒を受けるような男であれば、こんなことはしてもいないよ」と一言言ってあげました。

 私が平壌にいた時は、精誠を尽くすんだと、旋風を巻き起こし、大騒ぎした婦人です。私が手錠をはめて検事室に呼ぱれ、入っていく時、玄関でぱったり会いました。うわさを聞いて来たのです。そして「まだそんなことをしているのか」と言うのです。

 「西大門刑務所から私が手錠をはめられて裁判所の公判廷に行く」といううわさを聞いて、見物したのち、どこかの教会に行って証したその女や、統一教会を見下して「ああ、滅びなければならない」と言ったやからたち、今に見ていなさいというのです。

 私は骨っ節のある男です。「私が老いて死ぬ前に、お前の子供が私の目の前に来て、号泣して悔い改めるのを見るまでは私は死ねない。お前が寝るならば私は走るであろうし、お前が努力した以上の何倍も走るであろう」と、いつもそのように考えたのです。「十字架を背負う時、私は勝利の盾をもって越えていくことであろう」という考えをもっているのです。疲れていても、「この足よ、立て! この足よ」とたたきながら、無理にでも引きずっていかなければならないのです。

 「そうだ、私は監獄で消えてなくなる男ではない。自分は解放の世界に向かって跳躍するのだ」と思いました。その人の顔が忘れられません。この間、惨めに死んだという知らせを聞いて、「気の毒だったな」と思いました。私はそのようにして生きる人です。

 困難なたびに「これを清算するまでは私は死ねない」と思いつつ歩んできたのです。先生は恨の多い男です。そのような歴史的ないきさつを話そうとすれば、私自身、声が詰まってしまわざるを得ない事情がどんなに多いか知れません。そのような伝統を子供に残したくはないのです。胸に秘めて私が背負って行こうと思うのです。ですから、統一教会の皆さんは、先生に対し、どんなに高く、広大な負債を負っているかという事実を謙遜に受け入れなければならないのです。


三 崔氏一家の不信と離婚の督促


聖進様の母親とキリスト教


 南に下ってきて七年間、キリスト教に対する作戦を繰り広げながら、統一教会を発展させる融合工作をしたのです。その中で、問題になったこととは何でしょうか。聖進の母親がキリスト教と一つになって反対し、ありとあらゆる争いが繰り広げられたのです。聖進の母親も、世の中の男の中で聖進の父親のような男はいないと、それだけは分かっているのです。

 それゆえに、「自分はどんなことでもするから、どんな女性にも負けないはずだから、統一教会をすべてほうり投げて、自分と楽しく暮らそう」と言ったのです。それは結局、「神様のみ旨をほうり投げさせて自分が主管しよう」ということなのです。完全に、堕落したエバの立場だというのです。「アダムを主管しよう」ということです。統一教会がどんどん広まっていくので、既成教会と組んで、先生に対し、「愛の関係がどうだ」とかいう問題を起こしたのです。「何がどうで、こうで」と言いながら反対を始めたのです。

 どんなに反対してもうまくいかないから、釜山北部署に来て、すなわち「官」を通して、「統一教会は、みんな妖しいことをする連中が集まった団体だ」と告発したのです。北部署でうまくいかないので、今度は大邱署に来て、訴えるのです。警察署の力を借りて、夫を取り戻そうとしたのです。自分の夫が自分の胸に来て、抱かれるような夫であると考えた、そのこと自体が間違っているのです。行くべき道が違うというのです。

 統一教会が苦労したのも、すべてその人が警察に通いながら宣伝したためなのです。「私の夫が悪いことをしている」と言って、ありとあらゆるうわさを立て、ある話、ない話、なんでも言いふらしたのです。


崔氏一家の告訴


 聖進の母親の名前は崔先吉です。崔氏が問題です。それから崔ソンモという人がいます。韓国が貧しい国家の復興期であった当時において、崔ソンモは韓国の第一人者であったというのです。崔ソンモさえ一つになっていれば、統一教会は迫害を受けることもなく、世界的な宗教になったはずです。梨花女子大事件も起こりはしないし、延世大事件も起こらなかったのです。

 聖進の母親の叔父が崔ソンモです。一九五五年の事件を誰が起こしたかというと、崔ソンモが起こしたのです。崔氏が先生を監獄に投げ込んだのです。内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうとしたのです。その息子の名前が崔スニョンです。今でも反対しているではないですか。

 結局、崔氏のせいで監獄に入ったのです。彼らが告発してそうなってしまったのです。


離婚要求


 その母親と父親、一族が少しだけ協助していたならば、聖進の母親はあのようにはならなかったのです。あのようになっていなければ、統一教会は、四十年のこのような受難の道を行くことはなかったのです。私が刑務所にいる時、母親と上の兄、下の兄の三人が面会に来て、脅迫、恐喝するのです。「離婚書を書け」というのです。「判を押せ」というのです。それで私が、「三年だけ待ちなさい」と言いました。「そうすれば、あなた方が疑っているこういうものは、すべて過ぎ去るはずだ」と言いました。

 西大門刑務所に拘束されている時、聖進の母親とその兄が離婚状を持ってきて、「あなたを信じていたら、我々一族はみな乞食になってしまう。うちの娘は、そんな文家のたねをもらうつもりはない」と言ったのです。言いたいことをみな言ったのです。

 聖進の母親は、「あなたとは一緒には住めないから離婚してくれ」と言うのです。だから私がそっと耳打ちをして、こう言って聞かせたのです。「『女必従夫』(妻は必ず夫に従うべきである)という東洋思想もあるから、嫌であっても一度考えてみて、三年だけ待ってみなさい。そうすれば、私が離婚しようと言っても逃げていくようになるから」と、そのようにうまく説き落として送り出したのに、私が出るや否や、自分の母親と兄たちを連れてきて、脅迫し、「判を押せ」と言うのです。


四 西大門刑務所生活(一九五五・七・一三〜一〇・四)


罪なき未決囚の牢獄生活(囚人番号三八〇番)


 先生は、統一教会を中心として大韓民国を率いて出発しなければならなかったのに、監獄に入ってしまったのです。しかし私は、約束の時代でもそうであったのだから、実体の時代である現在においてそうならないはずがあろうか、と思って平然としていました。だから先生は、監獄に入っても、いつ出られるかというようには考えませんでした。

 監獄で十年生きようが、そこで死のうが、み旨のための道であると思い、平然としていました。他の人たちとは違っていました。その場所で道を切り開いたのです。どんな道を切り開くのでしょうか。「このすべてのことをいかに正し、将来、生きがいのある道をいかに行くか」ということを考えました。「高くて大きな山が幾重にも重なり合って立ちふさがったならば、トンネルを掘り、高速道路を造ってでも行く」というのです。そうして破れれば、神様が責任を負うのです。しかし、気力が残っている限りは、神様の助けは必要ないのです。それまでは、私のために祈祷する必要もありません。そうして、私の気力が尽き果てたのに、み旨の前に私が必要であるというならば、神様は協助するなといっても協助なさるのです。

 先生は西大門刑務所に入っても、足を伸ばし、いびきをかいて平然と寝ました。彼らが私をのみ込めない時には、運が開いていくというのです。そのためには、時にはみすぼらしくもなければならず、時には後ろ指を指されなければなりません。この道を開拓しながら様々な苦難を受けました。そのたびに「神様はこれよりもっとひどい風霜を味わってこられたのに、私がどうしてこれくらいの風霜を味わないであろうか!」と思いました。公的な立場で迫害を受けたそのような事情が多いほど、人がもつことのできない宝物で倉庫をいっぱいに満たすことができるのです。

 先生は監獄に入っても、御飯をよく食べます。麦飯であろうと何の飯であろうと、与えられるまま全部食べます。しかし、それが問題ではありません。どこに行こうが、ただ唯一の心配は、「私が誤ることによって蕩減の道にマイナスとなる結果になりはしないか」ということでした。それが恐ろしいのであって、他に怖いものはありません。

 偉大なる愛の力がなかったとしたら、統一教会は成立しなかったことでしょう。そのような力があったから、すべての迫害を押しのけて、孤独な身で昼夜を分かたず、万世にない悲しみの曲折をすべて私の懐で溶かしていきながら、新しい世界のために、開拓者の使命を尽くしたのです。それが素晴らしいと思うのです。この地上に人として生まれ、生きがいのある道を行くのは、一生という「生」を天が与えてくれたからです。それで私がこのような「生」の喜びを知って、力強く、生きがいのある愛の価値を探し求めていくのです。監獄に入っても、私にとっては監獄ではないのです。愛の宮殿です。愛は、次元の高い「拍子」として、高めてあげるべき一つの芸術作品になるのです。


入監時の屈辱


 先生が西大門刑務所に入るようになった時、一番最初の門に入るや否や、所長が目をむいて、「統一教の教祖の文なにがしが来たな」と、あざ笑うように言いました。先生はその時、「お前が私に降参するかしないか、試してみよう」と思いました。

 その西大門刑務所所長は既成教会員だったのですが、私を見るや「あんたが文なにがしか。一ヵ月は拘留されろ。こいつめ」と言うのでした。先生は、こういうどうしようもない人に冗談で一言言いました。「こいつとは何だ。あなたはこういうことをやってきただろう」と言うと、胸を突かれたのか、びっくりするのです。それで「こいつめ、黙っていろ」と言いました。こういうどうしようもない人が先生の心を傷つけました。

 私が西大門刑務所に入る時、拘置課長が、入ってきた人たちを引率していき、判を押させました。その時の、その課長のことは永遠に忘れないでしょう。今はその人の名前を忘れてしまいましたが、その時、その男が私に向かって「統一教会が何だかんだと言っていたが、結局こうなってしまったな」と言ってあざ笑いました。その時、私の気分は相当に悪く、「うるさい、いい加減にしろ」と言いました。そして「私がここから出ていく時には、必ず刑事と看守ら、所長までも屈服させて出ていくんだ」と思いました。

 いつかその者ともう一度会う時があるでしょう。昔、イエス様がローマ兵に捕まり、ピラトの法廷に出ていく前に、看守たちに愚弄されたように、先生もそのようにされました。そんな立場で先生は「そうか、どんなことでもやってみろ。けれども私がここを出る前に所長を屈服させてやるだろう」と、そのような決心をしたのです。

 ある日は、私が気合を入れてやりました。どういうことかというと、ある日私に差し入れが届いたのに、勝手に手をつけたようだったので、怒鳴りつけたのです。本人は私が気がつかないだろうと思ったのに、私は知っていたのです。それで私が「どうして手をつけたのか。何と何に手をつけたんだな」と言って、たたみかけたところ、それ以降は私の顔さえ見れば、ものも言えなくなってしまいました。


囚人たちの感化


 私が西大門刑務所に数ヵ月いる時、人々は私に向かって「統一教会の文なにがし」と呼びました。こっけいな話なようですが、刑務所に入ってみると、王様でない人がいないのです。みんな自分が一番だと思っているのです。しかし私は、私にむかって「なんとか」と呼んでも、何の返事もせず、じっと座っていました。入ってきた日から、静かにしているのです。そのまま一カ月でもいられるし、二カ月でもいられるというのです。けれども一、二週間ぐらい過ぎるようになると、彼らが私に気を遣いだしました。朝早くトイレに行けば、私が祈祷しているというのです。それを握りこぶし(腕力)で妨げることができますか。

 先生は、彼らの中で一番やっかいな者、みんながその人は死んだらいいと思っている人を連れて来て、しばらく一緒に話をしながら、よく教え諭しました。すると、「以前は、あんなにやっかいな者だったのに、文という人が入ってきたら、その人が変わった」と言うようになりました。このように三、四ヵ月過ぎると、「監房の人たちはみんな、文という人の言うことは、よく聞く」といううわさが立ちました。

 言葉が問題ではありません。なぜかというと、先生は大韓民国に代わって、大統領ももち得ない心情をもって、現在の韓国の運命と未来の韓国の運命、そしてこの民族が行くべき国民思想を中心として、彼らのために涙を流して祈祷したからです。心情の主人になっているからです。

 囚人を、その母や父のように愛そうとするからです。食べるものがあれば、自分が食べずに食べさせてあげようとし、不便で一番悪い場所は、私が行って寝ようします。それを彼らは知っているのです。朝一食食べれば十二時まで、どんなにおなかがすくか分かりますか。舌がすれて臭いがするのです。

 そのような環境において、自分もおなかがすいているのですが、彼らを慰労するために、一度、長編小説を編纂するのです。そうしてみると、一ヵ月もたたずに、自分の面会に差し入れを持ってきてもらうと、私の前に持ってきて、「先生の思いどおりにしてください」というようになったのです。それは恐ろしいことです。

 統一教会は簡単です。「ため」に生きる愛をもって完全投入をするのです。天理の根本がそうであるために、その根本を私が抱き締めていく所には、それを破壊する者がいないのです。私が行動すれば、出力は強くなるのです。

 そうして、監房にいるすべての人たちは、朝になると必ずあいさつをせざるを得ないようになりました。そうしてうわさが立ち、監房の中で「あんなに善良で良い人を閉じ込めてしまった大韓民国が悪い。この監獄が悪い。お前たちが悪い」と抗議する人たちも出てくるようになったのです。

 また、そこで牧師だというある男性は、先生が異端で、怨讐だといって、最初はすごい見幕で、「あなたが主張する教理とはいったいどんなものか」と食ってかかってきました。しかし、そうこうするうちに、時間を決めて訪ねてきて、かなり親しくなったこともあります。一緒に入った弟子たちも、しゃにむに先生に従い侍るので、人々は「世の中があんなに非難し反対しても、あんなに粘り強いなんて、やっぱり統一教会の文先生は優れた人だ」などと言いました。


霊界の証と協助


 先生が口を閉じて静かにしていると、霊界から天使たちが現れて、彼らに「お前、文という人の所に行ってあいさつしろ! それから差し入れが来たら全部捧げろ」と言って、しかりつけるというのです。

 ある看守が、私を訪ねてきて話をするには、「ある日の朝、餅をつくって食べたのですが、もちがのどに引っ掛かってのみ込めない」というのです。なぜのみ込めないのでしょうか。先祖が引っ掛かるようにしたというのです。彼の先祖は、先生を冷遇しては大変なことになるということ知っているのです。ですからそのようにするのです。それで彼は餅を作って食べて、ひどい目に遭ったのです。

 先生が監獄に行く時は深刻な心をもって行きます。「天が望むように行かなければならない。そこでは、このような心が原因となり、このように生きていくのだ」と思う時、私が固く誓ったその結果が、必ず相対的結果として現れるようになるのです。完全な主体があれば、完全な相対が創造されるのが原理です。それゆえに、口を閉じて黙っていても先祖たちが現れて、「こいつめ、お前はあの方が誰なのか分かっているのか」と、霊界の法度を中心として大騒ぎするのです。御飯を食べても「先生の正面に座って食べるな」と言うのです。食べているときも「頭を下げて食べろ」と言うのです。

 先生は外から見た場合には、なんでもありません。皆さんと全く同じでしょう。けれども、私は皆さんが及ぶことのできない動機をもっています。皆さんがどんなに研究しても知り得ない動機をもっているのです。それは、皆さんが死んでも分からない動機です。それがあるがゆえに、先生はあの世に行っても、万民に向かって「この者たち」と言えば、「はい」となり得る主体性が決定されているのです。それは皆さんが正しい道を行ったならば、霊界に行く直前に自然に知るようになるのです。

 それゆえに、真の愛を受けることを望むなら、真の幸福の位置を願うなら、全体の不幸な立場の身代わりとなって、私一人で不幸な立場に行けというのです。そのような立場に行けば、神様が私を慈しみ、私が十回打たれれば、百回、千回の受難も意に介することなく、私の行く道を前もって整えながら、戦ってくださるということを、いくらでも体験できるのです。


所長と刑務官たちの態度の変化


 一ヵ月もたたずに、刑務所の所長が訪ねてきて、私に「自分が間違っていた」とあいさつし、その上、幹部たちが私を招待し、昼食の接待までする運動が起こり始めたのです。

 一ヵ月もたたずに、彼らが私を訪ねてきて、「昔聞いた統一教会の文さんと、今、知ったあとの統一教会の文さんは違っていたなあ」と謝るのを、この目ではっきり見たのです。そのように正義は、どんなに苛酷な迫害の鎖につながれていても、勝利するということを見てきたのです。ですから、正義の道は大変ですが、神様が探し求めていらっしゃるその道に責任をもって行く道であるので希望を失うなというのです。統一教会の文先生は希望を失わなかったのです。受けた受難のむちの痕が、あまりにもたくさん残っているとしても、その時受けた傷はなんでもないのです。

 神様は祝福の約束をしてくださったのちに、どこに送られるかというと、監獄に送るというのです。逆にどん底にほうり込むのです。そこにいてみなさいというのです。黄金は、どこにあっても黄金色の光を発するのです。先生は刑務所に入っても、所長まで感動させました。私を取り調べる刑事らは先生を憎みましたが、刑務所では所長までも感動させたのでした。そこでは多くの言葉は必要ありませんでした。自ら変わらない立場に立てば、神様が同情されるのです。その時は、まるで春のようなものです。

 例えば、刑務所にいる人たちが先生の夢を見て、起きてはハッとして、「何号の監房のなんとかだ」と私を思い出すのです。それで朝になれば、私の所に来て「おはようございます」とあいさつするのです。刑務官たちも訪ねてきてはあいさつをし、暑い時ならアイスキャンディも買ってくれるのです。頼んでもいないのに、なぜそうするのでしょうか。天が共に行く道だからです。その道は誰も遮ることはできないというのです。

 看守たちが「先生、何か不便なことはありませんか。何か必要な物があればおっしゃってください。買ってさしあげます」と言います。それで「もちを買ってくれ」と言えば、もちを買ってくれ、「何かの連絡をしてくれ」と言えば、連絡をしてくれたりしたのです。それは、自分たちが喜んで「やります」ということなので、罪ではないのです(笑い)。天下がいくら反対し、世の中がいくら手強いとしても、その天下と世の中を溶かすことができ、のみ込むことができる気迫があるならば、その人は英雄の称号を受けることができるのです。


最高の面会記録


 私が西大門刑務所に入っている時に有り難く思ったことは、統一教会の食口たちが、全員先生と面会しようとしたことでした。互いに我先に面会しようと争うというのです。

 統一教会の文先生は、みなが「死ね」と言ったり、「滅びろ」と言ったのに滅びませんでした。人、がののしればののしるほど、私が孤独ならば孤独なほど、涙を流して私を慰める人がだんだん増えていったのです。私が刑務所に入っていた時、統一教会の者たちは朝八時以降にならないと会えないのに、互いに競いながら夜中の一時から列をなして、座って待っていたのです。それが西大門刑務所での記録です。

 だからそれを見た人々は、「いくら人を狂わせるといっても、あんなにめちゃくちゃに狂わせてしまったのか」と言うのです(笑い)。家で母親が父親になじられ、しかり飛ばされると、息子、娘が「オンマ(お母さん)!」と言って慰めるのです。お母さんが一番だ、うちのお母さんが一番だと言うのです。そのようになるのです。なぜですか。愛の力のゆえにです。

 ある人は三日も待って、初めて面会できるくらいでした。そんなふうになるので、「刑務所に自分の息子や夫や妻が入ってきたというならぱともかく、関係もない人なのに、あれほどまで至誠を尽くすことができるのか」といって、そのことが問題にならないはずはありませんでした。反対する人たちは「文なんとかは、うちの息子や娘を強制的に教育して洗脳工作をした」と言いましたが、無理やりにしておいて、彼らがそんなことをするでしょうか。ですから刑務所の中から、すべて分かり始めたのです。「文先生が独裁者で、搾取する人だというのは、みんなたわごとだ」と言うようになったのです。

 歴史始まって以来、刑務所の前に朝から二十四時間、列がどんどん長くなっていったのは、レバレンド・ムーンが記録です。それを見た時には、異常だというのです。そうしておいて、会えば、私が褒めるのではなく、「こいつ、何で来た、騒々しい。そのまま引っ込んでいればいいものを、うわさを立てて」と、ののしるのです。すると、彼らは涙を流しながら、「でも来たいのに、どうしたらいいのですか」と言って泣いているというのです。

 私が手錠をはめて裁判所に通った時、統一教会の食口があっちに、こっちにと殺到したことを忘れていません。その時の人たちの顔、誰と誰なのかを、今も記憶しているのです。先生があんな姿であってはならないのにと、涙をはらはらと流しながら立っていたのです。私は、全部見ていました。いつまでも私の記憶に残ることでしょう。私が死ぬ時まで記憶しておいて、死ぬ前に呼んで祝福をしてあげるかもしれません。

 獄中生活している先生に面会したとすれば、それは歴史に残ることです。当時、先生に面会したという面会証を持っている人たちを、今後表彰するつもりですが、それをなくしてしまった人が多いことでしょう。もしそれを持っている人がいれば、嫁に行く時や、妻をもらう時に胸に抱いて行き、それをその家庭の宝物として大切に保管しなければならないのです。


五 西大門刑務所出監(一九五五・一〇・四)


無罪の言い渡しと釈放


 七・四事件の事件を中心として先生が刑務所に入ったので、世間ではみな「文なにがしの時代は過ぎ去った」と、そのように思ったのです。しかし韓国の歴史において、悲運の男として消えてしまうと思った文なにがしが、そこからまた出発したのです。

 その時、文なにがしをひっ捕らえて、踏みつけて片づけてしまおうと、既成教会と政府が一つになってありとあらゆることをしたのです。しかし公判廷で無罪釈放となることにより、新しい統一教会の歴史は始まったのです。

 あらゆる調査をしても何も出てこないので、十月四日に無罪釈放となりました。そして、そこからまた始めたのです。反対するものは切ってしまい、新しく出発するのです。

 国が問題視した点に引っ掛かって倒れたとすれば、問題が大きいというのです。しかし十月四日に無罪釈放を受けたがゆえに、その基盤を失わずに、そこから霊肉を中心とした新しい出発をすることができたのです。それでは、キリスト教と国が反対することによって、基盤を失った立場にあるので、統一教会自体、どのようになるのでしょうか。もちろん分立された立場から、失ったものをすべて取り戻したのではありません。今から、再び取り戻さなければならない立場だというのです。キリスト教が霊的世界の基盤を築いたので、その霊的基盤の代わりとなり得る基盤を、先生が築かなければなりません。キリスト教のような基盤をもたなければならないというのです。それで再びこれを再編成するのが統一教会です。

 統一教会を中心として、国家的にどのような影響を及ぼし、国家とキリスト教が一丸となって反対したことを蕩減復帰し、いかにそれらを一つにまとめるのかということが、蕩減できる基準を立てる条件となるというのです。そうした基準を成そうとすれば、霊的基準を一段階前進させた立場で築いていくと同時に、肉的基準を立てていかなければなりません。霊的基盤の上に再臨するために、それを一致さなければなりません。そうしようとすれば、統一教会は数は少ないですが、国と教会が強く打ってきたとしても、退いてはなりません。踏ん張って立ち、完全にこれを越えていかなければなりません。


獄中生活の克服と勝利


 先生が歩んでくる道において、神様は歓迎されなかったのです。見捨てておかれたのです。協助してはいけないようになっていたのです。協助してしまえば、もうキリスト教には手をつけられないのです。キリスト教を再び救うことができないというのです。私はそれを知っていたのです。だから神様は私を打ってでもキリスト教を保護してきたし、私に苦労をさせながらでも韓国のキリスト教を育ててきたというのです。私を保護してしまえばその時点で、キリスト教を保護できないのです。それで、そのままほっておかれたのです。そして迫害を受けながら、本来の位置まで上がってこなければなりません。

 だから先生の生活は、監獄が個人基盤を築く、縦的基盤になったのです。地上地獄の上に、縦的な神様の愛を中心として、神様の縦的心情圏を残すためには、刑務所に入っていくのが神様から見る時、一番近い最短距離です。その立場に入っていき個人的に勝利しなければなりません。苦痛を否定する体と心の闘いです。

 心を縦的基準に合わせ、体を横的基準の九〇度に合わせた生活圏をもたなければならないのです。そうしてから愛さなくてはなりません。その環境のすべてのものを、自分の兄弟のように愛し、神様が望んだ願いを代表できる家族の一員のようにして、獄中生活をしなければならないのです。それゆえに、父母の立場を代身した文先生という人は、個人的十字架の道を行かなければなりません。個人的に、国家の十字架の環境を克服しなくてはなりません。

 先生が満三ヵ月ぶりに出てくる時には、所長も課長も、そこにいた既成教会の牧師も、「よくよく見たら、うわさとは違っていたなあ」と言ったのです。そして、何人かの人、が、統一教会に来るようになりました。

 看守たちと所長までも出てきて見送り、看守たちの中には、先生に従って教会に来るようになった人もいます。そのように、天が行く道には怨讐が出てくるのですが、必ずその道は開拓されるというのです。このような実績をおいて考えてみれば、アベルになるためには必ず神様と一体とならなければなりません。いかなる受難の道を行ったとしても、自分だけ行くとは考えるなというのです。

 神様は、アベルをいかなる立場で決定するのでしょうか。サタンの讒訴を受けない立場で決定するのです。それではサタンの讒訴を受けない立場とはどのような立場でしょうか。神様と一体となった立場のことですが、それがどんな立場かといえば、うれしい立場ではなく、最も悲しい立場、最も困難な立場なのです。死のうとする立場、最も悲惨な立場において、神様と一体となることができるというのです。それゆえ、真なる宗教は監獄から出発するのです。皆さんはそれを知らなければなりません。サタンも嫌う人間の「魔」が集まった世界でも、普通の人間たちがもっている、それ以上の希望と願いをもつならば、そこから新しい世界の歴史は出発するのです。そのようにしてこそサタン世界の讒訴を受けないのであり、また高い場所に上がったとしても干渉を受けないのです。そこから新しい世界まで連結される新しい出発の起源が起こるのです。そこから神様と一つになるのです。

 「善なる立場で打たれた」と、無念に思うなというのです。それによって、四方を代表する祝福の時が来るということを知らなければなりません。それが、先生の生活標準です。韓国が大騒ぎして、一九五五年に刑務所暮らしをした歴史がありますが、そうであればあるほど、どんどん強くなるのです。

 先生は入っていく時以上に、もっと武装して出てきました。監獄に行ってきたのですが、それは先生にとっては旅行に行ってきたのと同じでした。コースが違っていただけだったのです(笑い)。その次には、ふろしきのひもを大きく結んで、解決していかなければならないと思いました。

 神様は私に対しては無慈悲です。逆さまに閑じ込めておいて、そこから出てくる時までは教えてくださりもせず、ただ見ているだけなのです。そうして、そこから出てきて、元気を取り戻し、再びがさがさ歩みだすようになると、「どこ行くの?」と言いながら干渉されるのです。神様は、本当に上手なお方です。


無責任な言論の弊害


 自由党の時代に、刑務所に入って、出て来た時の新聞を見れば、もろもろのうわさが載っていて本当におもしろいのです。これは億千万のお金を出しても買うことのできない、黄金のような宝物です。正義のために、国のために血の汗を流し、三千万民族のために寝ないで夜を明かし、血を売りながらでもこの民族を救おうとした正義の愛国者を、彼らが勝手にひっ捕まえて、閉じ込めたのです。見ていなさい。今後彼らの後孫に、彼らの墓を掘らせることもあり得ます。

 ところで、皆さん、無罪釈放になったという話は聞きましたか。新聞(京郷新聞十月五日付)を調べてみると、その記事は三行しかありません。文総裁があのような汚名を着せられ、それを突破してくるのに、どんなに血と涙を流したか分かりますか。

 全国的なその印象を、どうやって変えるかが問題です。統一教会の宣伝をしたところでみな反対するのです。法廷問題になり、争いが起こって警察署で調べてみると、「統一教会は、そんな所ではない」ということになりました。ところが、すべての国民が悪く考えているのに、警察だけそのように考えているとなれば、直ちに、「何だ、こいつら! 統一教会員たちが買収した」となるのです。したがって、その悪宣伝に染まった環境与件を越えていくことは、不可能な圏内に追い込まれたのです。

 高い階級では教授、教会責任者から、すべてそのように思っていたのです。そして、そうした牧師たちが、先生の親戚ならば親戚に、「あなたの親戚に当たる何とかは、こんな人だ」と、会う人ごとに悪宣伝をしたのです。そんなふうだから、説明しても通じますか。だから仕方なく、汚名を着て、それを脱ぐ時まで、歳月をかけて、我々が実績をもたなければならないのです。それで私たちがそれを取り除く段階まで上がってくるのには、数十年の歳月がかかるというのです。

 こういうことなので、今まで騒がれたすべての汚名を私がすべて着て、何も言わずに生きてきました。消化するのに、それが肥料となります。すべて歴史的なものです。ですから、今後、大韓民国が私に放送局のマイクを預けて三日だけありのままの事実を話せば、この民族がはらわたをつかんではい回りながら痛哭するようになります。世界が信じることなくしては、戻る道がないと考えるのが文総裁の結論です。


弟子たちの義憤心


 神様が祝福し、世界を福地天国にできる、ダイヤモンドの鉱脈のようなものをすべて取り上げ、どぶに入れて、足で引っかき回してしまいました。牧師らは殴ったり踏んづけたり、あらゆることをしました。けれども、統一教会の文先生の名前で声明が出されたのを見ましたか。

 私は西大門刑務所に入り、もろもろ仕打ちを受け、無罪釈放になりました。その時、我々の幹部らが集まってきて、「先生、もう悔しくて我慢できません」と言うのです。劉協会長はとても性格がのんきな人でした。そんな性格の人が、いかほどの事情があれば、「こいつら、腹を裂いてやる」と毒、しい言葉をはいたでしょうか。私が一言言えば、腹を裂いたことでしょう。殺人まで起きたかもしれません。しかし「こら、神の愛はそういうものではない。打って衝突して奪ってくるのではなく、愛で感動させ自然屈服させてくる法度ではないか」と、いさめたのです。こうして、今まで、踏まれたり、倒されたりしながら、私は追い回されてきました。

 その時、劉協会長や幹部らが声明を出し、反旗を翻して攻勢をかけようとしたのですが、「こら!」といって、いさめました。個人的時代なのです。個人的闘争時代なのです。家庭時代を経て氏族、民族時代を経て行かなければならないのです。

 言葉よりも事実が必要であり、弁解よりも実績が必要だというのです。結果は森厳なものであり、冷徹なものです。正しければ正しいものとして帰結するのであり、悪ければ悪いものとして帰結するのです。勝利は、勝利として帰結するのです。刑務所に入っていく時、私は恥ずかしいと思って入ったのではなく、堂々として入っていったのです。しかし出てくる時に「こいつら! 私が力をつけたら覚えておけ、全部復讐してやる」というような祈祷はしなかったのです。「父よ! 笑って訪ねてくることができるようにしてください」と祈祷したのです。それが、天の行く道です。そのような道を行く人は、天がいつも保護されるのです。


以南出監日と百日記念期間(一九五五 七・四〜一〇・一四)


 統一食口ならば、十月四日は深刻に思わなければならない日です。韓民族が統一教会をなくすために迫害の旗を掲げて現れ、追って追って突き剌して、死の道に追い詰められた立場から、解放された日です。

 み旨を知っている人たち、特にその中でもみ旨を知った若い人たちは、地にひざまずき、痛哭しながら記念しなければならない意味の深い日です。

 きょうは光明の新しい朝です。解放の新しい朝であった十月四日なので、きょうは天気が良いようですね。

 十月という月は、我々統一教会においては解放の月であり、祝福の月であるということを歴史が証しています。きょうは十月四日です。人は歴史を知らなければなりません。このような日を過ごすたびに先生はいつも、自分の目的としたとおりに成してきているのか、そうでないのかを反省します。

 先生は、「七月四日から十月十四日まで、百日祈祷をしなさい」と言いました。「先生の獄中での祈祷をもって、祈祷しなさい」と言ったのです。心情的な面で、神様の同志になることを願う意味で、そう言ったのです。神様の同志になることができる条件をつくってあげるために、そう言ったのです。

 「十月十四日まで、百日間を監獄で服役するように、生活しなさい」ということは、十月四日の西大門刑務所出監日と、十月十四日の興南監獄出監日を特別に記念するためです。












▲ 目次へ

第四節 青坡洞本部教会を中心とした内的基盤

真の御父母様の生涯路程 3



第四節 青坡洞本部教会を中心とした内的基盤

一九五五・一〇〜一九五七・六


一 青坡洞前本部教会定着


青坡洞前本部教会 ソウル市龍山区青坡洞一街七一の三


 私たちがもってきた因縁とはどんな因縁ですか。立体的な因縁だということを皆さんは知らなければなりません。それは、今まで歴史上にあった、いかなる思想を基調として出てきたものではありません。神様の心情と神様の創造理想を基礎として、本性の人格を標準にして始まった因縁なのです。これはすべての因縁の核心であるため、絶対視しなければならないものです。その因縁がここ青坡洞から現れたのです。

 「青坡洞」と言えば、気持ちがいいでしょう。青坡洞は「青い丘」という意味でしょう。「龍山」とは何ですか。龍山とは「最高に高い山」を意味します(注:龍は君主や聖人を象徴的に意味する)。それで龍山区青坡洞は、高くて青い丘を意味し、それは理想を象徴しています。彼岸の理想世界を望みつつ歌う人たちの住む所、青くて(注‥青は若、しいことを意味する)、望みを歌う青坡洞ということなのです。

 その次に「一街」というのは「最初」ということです。その次に「七一の三」です。「三数」というのは「完全数」です。七数は「完成数」です。七十以下だと落ちてしまうので、七十より上で神様を中心として四位基台の立場に立たなければなりません。ゆえに、平面的四位基台を出発することができる根拠地が、青坡洞統一教会本部ということです。

 本部の中に柱がいくつあるかというと、六つあります。この六数基盤を越え、七数を立てるためのものが統一教会の本部です。ここに一を足せば七になるのです。この柱をちらっと見みて感じることは、世界のどこに行ってみても、教会に柱がある所は、ここしかないということです。それも開拓です。

 私は命の負債を負わず、反対に負債を負わせて生きています。皆さんは先生に命の負債を負ったので、負債を返済すべき立場にいます。そのような観点で今日、世界で神様のために死んだ人がどのくらいいるかというとき、エリヤが言ったように「私だけが残りました」という言葉しか言えないのです。天地の中で、そのような天の父の心情を中心として、堕落した世の救援の基盤を広げてきた場所が、このように悲惨でみすぼらしい青坡洞一街七一の三、統一教会なのです。ここを眺めながら、六千年の恨を解こうとしてこられた神様がどんなに哀れですか。そんな私自身をじっと見つめると、涙が出てくるのです。


本部教会の購入と修理移転(一九五五・一〇・七)


 ここは、昔、寺があった場所です。日本統治時代に日本が建てた建物でした。ここはまた歴史的建物です。それはどういうことかというと、私が一九五五年の事件で、西大門刑務所に入って、出てきたとき、どこにも行く所がないので、非常対策として設けた所です。ここは化け物屋敷のようだったのです。柱も何も全部真っ黒になっていたものを、苛性ソーダで磨いたのです。

 ここが、統一教会の先祖の教会です。ここは昔、廃屋でしたが、監獄から出てくると、教会を売り払っていて、家がないので、仕方なくこれを買ったのです。ここが全部で何坪ですか。二十二坪ですか。

 この教会を二百万ウォンの借金をして買い、若い人たちに大掃除をさせ、三日目に引っ越しました。

 「統一教会本部がこんなものか」と言いますが、それは事情を知らないからそう言うのです。詐欺師たちは看板を立派に掲げますが、本物をもっている人は、知られるのではないかと思って、隠しておいて暮らすのです。

 歴史的な因縁が、ぶつかり合った家なのです。「この家から怨讐に恨みを晴らさなければならない。むちを持って打ちつけた連中に、ひざまずかせなければならない。追い込んだ連中を、逆に追い込まなければならない」という信念をもって歩んできたのです。今でも、その信念を失ってはいないのです。


狭くて不便な空間


 先生の家に入ると、そこは真っ暗な洞窟の中と同じで、どこから入ってどこに抜けるか分からない、一方にだけ通じた道のようです。寄付をもらいに入ってきて、「金はない」と言えば「それはそうだろう、こんな所に金があるか」と、そのように思うのです。

 しかし先生は、洞窟のような、とても小さくて、ちっぽけな家に住みながらも、世界を一度料理してみようという夢をもっています。この夢の中で踊りを踊って、別の夢の中でも同じ踊りを踊ることができてこそ、二つの世界を主管できるということを知らなければなりません。それは先生が見ても、むちゃくちゃです。

 この狭い空間に人が多くて不便だと感じ、逃げ出したい人があれば、席を早くたってください。狭い場所に多くの人が座っているので、無理なことは分かります。しかし、我々だけがこれを知っているのではなく、神様は一層よく御存じなのです。先生は神様に「我々の教会を建ててください」という祈祷はしませんでした。こういう場所にいることを、むしろ光栄に思っているのです。昨晩も、あの門の後ろで押したり引いたりしながら、互いが入ろうとして大騒ぎでした。それを哀れだと思わず、眺めておられる神様の切ない心情を慰めてあげるために、「一時はこんなことがあっても良いことではないですか」と祈祷できる気持ちをもって参加した人がいなければなりません。このような環境は、悲惨な境遇にある我が民族だけがもつことができる、真実なる財産であり、蕩減復帰できる材料となるのです。

 ここでつらい鍛練を受け、試練を受けるのは、これから迫りくる試練の実戦場で、敗者のつらさを味わわないためです。ここで二重三重の試練を受けて、新しい信念で武装しなければなりません。ここで食べることは、生涯の何ものよりも貴いのです。ここで寝起きすることは、どんなことよりも貴いのです。


痛哭と涙で染み付いた祭壇


 ここは、血のにじんだ涙の歴史がある所です。ここは、天と共に、地と共に、天地人類が、心情をぶちまけて痛哭する祭壇です。祭壇は悲惨なものです。歴史的な祭壇であるこの家に入る時、門の外から涙を流しながら入ってこなければなりません。私には豪華絢爛な家よりも、この家のほうが貴いのです。たとえひびが入っていたとしても、そのひびは歴史的な風霜を表しているのです。歴史的な痕跡なのです。皆さんは、この家の傷を見ながら、「お前の傷はいまだにいやされていない」ということを感じなければならないのです。

 この家は、歴史的な行事を行った場所であり、天と地が痛哭した場所です。多くの人、が痛哭した場所です。血を流し、身もだえしながら訴えた場所です。永遠に忘れられない事情で結ばれた、涙の痕がにじんでいる所なのです。涙でにじんだ神聖な祭壇です。みだりに入ったり出たりする所ではありません。先生は、そのようにはしませんでした。

 先生が精誠を尽くしたこの基地を、皆さん自身が陳腐してはなりません。皆さんはこの青坡洞の路地に入る時、統一教会はさすがに神の六千年歴史を経てきた、天のみ旨を成してきた教会であると感じなくてはなりません。そのような青坡洞の路地を行きながら、すすり泣き、涙でにじんだ歩みができない人は、天の人にはなれないのです。私はそのように信じています。

 この床で涙し、この床にひれ伏して祈祷する時、この場所が、神様が千年、万年待ち焦がれた願いの一つの拠点であるということを感じたことがありますか。骨髄が痛哭し、血と肉がふるえる心情で、我が身のすべての意識を忘れ、涙のみをもって始め、涙のみをもって終えた悲しみとやるせなさが「私」を占領したことがありますか。自分の環境を忘れ、訴えたことがあるのですか。そのようなものが皆さんの生活の中になければなりません。

 みすぼらしい本部を眺めながら、「私が精誠を尽くしてきた所が、こんなことでいいのか!私はいかなる犠牲の代価を払っても、この本部を、どんな教会の本部よりも立派なものにしてみせる」と決意し、その場で天の前に、涙とともに訴える人がいるなら、その人は誰よりも次元の高い、天の懐に抱かれ得る、良い同志になるだろうと思います。


歴史的因縁の起源地


 この小さな家で、世界のどんな豪華な家でよりも、もっと精誠を尽くし、神様が記憶される精誠と心情の泉をつくるならば、のどの渇いた人が、この泉を訪ねてくるのではないかというのです。岩の洞窟であれ、山の尾根のどんな高い所であれ、清水があふれ出る所ならばどんなところでも、みなが訪ねていくのです。そこから出てくる水が真の清水ならば、そこに都市もできるのです。そこは、文化の発祥地になり得るし、歴史の起源地にもなり得るのです。

 ここは、真の父母の因縁が結ばれた場所であり、歴史になかったことが、この家で成されたのです。

 ここで、歴史上になかった聖婚式を挙行したのです。ここで、もろもろのうわさの種を残し、もろもろのうわさを経ていきながら、歴史上にない行事をしたのです。ここで、「神の日」、「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を制定したのです。「三十六家庭」を祝福し、「七十二家庭」を祝福をしたのです。歴史的な場所なのです。

 ここから歴史が成されたのです。「世界の王子」が生まれたとしても、その胎盤とへその緒はみんな同じなのです。ここから歴史が蘇生し、世界の一つの試金石がここから生まれたのです。今後この家は、型を取るかして、清平に持っていって建てるか、そのまま置いておくか、考えてみるのです。

 地方にいる食口の皆さんは祈祷するとき、いつも原則的な祈祷をしなければなりません。神様に祈祷を捧げるときには、自分の所属を明らかにしなければなりません。本部教会の真南ならば真南で、本部教会に対する方向を整えて、「どこの地区のどの地域の何という所にいる誰である」と明らかにしなければなりません。どうしてそのようにしなければならないかというと、歴史的な伝統を尊重する意味でそうすべきなのです。

 重要な問題の解決のための祈祷であるほど、本部教会で精誠を尽くすのと同じ心情で祈らなければならないのです。本部教会が歩んできた今までの歴史的因縁、歴史的背後をたどって、涙でにじんだ心情の友にならなければならないのです。そこに、神様が共にいらっしゃいます。神様のみ旨を中心として、本部教会で祈祷する人がいるとすれば、その人よりもっと忠誠を誓った立場で祈祷しようという心をもたなければなりません。


唯一無二の価値をもった場所


 この本部という所は、いかなる場所でしょうか。我々の原理の教えどおりに見るならば、世界に二つとない場所です。皆さん、そのように思いますか。「統一教会本部という所は、世界に二つとない場所だ」と思いますか。「おい、きょう本部に行ってきた」と誇っていますか。「本部に行ってこなければならない」と互いに競争していますか。だから「ここは後にも先にもない、歴史的な、ただ一度しかないことが起きた場所である」と見るのです。皆さんは本部に来て、「ああ、素晴らしい」と感謝の涙を流したことがありますか。

 現在の自覚している価値が、世界のどんな現実的な価値よりも尊いということを知る皆さんにならなければなりません。我々統一教会の縁側でさえも、どんな高層建築の豪華絢爛な場所、すべての人たちがみな神聖だと思う場所よりも、貴いというのです。それゆえに、ここにあるほこり一つ、空気一つも、世界の何ものよりも無限なる価値をもっているということを自ら感じなければならないのです。

 皆さんが、ここ本部に出入りしながら、ガラス窓をどれだけ愛し、そこにどれだけ多くの真心を込めたかというのです。ここにいる娘たち、本部に来て掃除したことがありますか。

 考えてみれば、これらはみな聖なる物です。本部は、国の名勝であると同時に、我々教会の名勝です。

 ここは高貴な所なので、今後、一億ドルを払っても買えないのです。今後ここは重要です。ここに立入禁止の立て札を立てるときには、数億ドルを払ったとしても、むやみに一晩を過ごすことはできない場所にするつもりです。国の国王もここでは寝ることができません。そのような時が間もなく来ます。

 この家は、全部金でできている家とも取り換えられません。今、何の話をしているのか、訳の分からない人は、死んでみなさいというのです。死んで、霊界に行ってみれば分かります。


青坡洞前本部教会聖地(一九六六・一・一、聖地選定、一九八一 一〇・二〇、呼称確定)


 本部教会は中央聖地として、世界四十ヵ国の百二十箇所の聖地と連結しています。

 エルサレム聖地は何であり、釜山聖地は何であり、青坡洞聖地は何ですか。それらの聖地は「息子」の聖地ですが、ここは「父母」なる聖地です。父母の聖地が貴いですか、息子の聖地が貴いですか。

 青坡洞は、今日のこの青坡洞で終わるのではありません。今後、統一教会が立てられる至る所から、数多くの食口たちがこの韓国を本郷の地、祖国の地として愛して訪ねてくるでしょうし、この青坡洞をより一層愛して訪ねてくるはずなのです。今後、訪ねてくる人々は、文化住宅を建て、良い場所を選んで雄大な場所で礼拝を行う、そのような場所を慕ったりはしないはずです。まさに青坡洞のこの場所を慕って訪ねてくるのです。エルサレムに行ってみても、イエス様が生まれた場所であるとか、カルメル山に行ってみれば、木の茂みがあり、岩の塊がやたらに散在していてひどいところです。しかし、そのようなことは問題ではありません。

 皆さんが本部を改装したりしたのですが、先生もいないときに、全部改装したと聞いて、私は気分が悪かったのです。私が巡回していたとき、すぐ電報を打って「停止しろ」という命令まで出しました。なぜそうなのか。歴史的な遺物だからです。誰でもみ旨を知る人なら、その場所を、歴史的な内容が宿っている所であると思って訪ねてくるでしょう。どんなに上手にはがして直してみたところで、そんな形態をもって、誇ろうとする何物もないのです。誇るべき何物もないのです。

 不足であればあるほど光輝くのではないですか。そこに伝統があり、そこに光があり、そこに価値があり、そこに流れがあるのです。因縁が宿っているのです。現れた事実、今現在に歩調を合わせる立場に歴史が因縁を結ぶのではないですか。伝統を尊重視できない民族は滅びるというのです。それで私が気分悪く思ったのです。

 この柱を見ると、いつのことだったか、この柱をつかんで涙を流したことがふっと思い出されます。するとそこに歴史が回想され、その当時、国が我々に反対した状況が目の前に広がるのです。そのような刺激が必要だというのです。

 形や外観はどうであれ、その柱を見れば痛哭してしまうし、門の扉を見れば、事情が深いというのです。それは必要なものです。

 ここで血と涙を流した事情が様、あるのです。私が今残念に思うことは、これを改装してしまい、一つにしたことです。誉進を出産し、仁進、栄進を出産した部屋も全部壊してなくしてしまったのです。しかし、その部屋以上になるものがないというのです。協会長は歴史時代を保存できなかったという誤ちを犯したのです。私は大きな部屋を望んではいないのです。この板敷きの床も昔のものはなくしてしまったというのです。それはこの下に敷いてあるのですか。

 今後はすべて元の状態で復帰しなければなりません。設計をして家を建てておくのは第一の価値がありません。骨董品というものは、ゆがんだ家でもよく、壊れたかけらでできたそれが価値があるのです。それであそこに大きい教会を建てましたが、私は来ても、そこに入ってはいきません。ここに来て祈祷するのです。歴史の心情が通じる場所です。それで、お母様がしきりに行きましょうと言うのですが、私はこの門がすり減るまでは行かないのです。

 皆さんはそのようなことを知らなければなりません。郷愁に浸った生まれ故郷になるのです。父母がいなければ、父母が埋められた墓を訪ねていって夜を明かすことを誇りに思い、喜びと思う孝子を天が願うのです。ここが統一教会の歴史の材料です。

 だから、これは歴史的な殿堂として残しておかなければなりません。もし、ここに教会を大きく建てるとしても、難しいことがたくさんあるのです。

 我々の本部教会を新しく建てるとしてもこの建物を壊してはなりません。これはそのまま置いておき、今後博物館を立てるのです。


二 家庭的試練と苦難


聖進様の母親の激しい反対


 聖進の母親は烈女です。ただ一つ犯した罪が何かと言えば、「あなたは私の夫であって、統一教会よりも私の夫の役割をすべきでしょう。統一教会の先生であるよりも、夫であることが先だ」としたことです。それが間違ったというのです。

 私にこのように言ったことがあります。「あなたは何がそんなに物足りないことがあるのですか。お金が必要ならば私が稼いでさしあげましょう。絹織りのパジチョゴリを作って着せ、花模様の座布団に座って本を読もうが、何をしようが、みな整えます。私がどんな仕事をしてでも、すべて責任をもちますから、どうか夫の役割をなしてください。どうしてそうなのですか」と言うのです。そして、「私の言うことだけ聞いてください。私の言うことだけ聞けば、千倍、万倍、楽にしてさしあげ、一言も悪口を言われないようにお世話してさしあげるのに、なぜそうするのですか」と言うのです。

 それで、あちらこちらで反対して、自分のやりたいように全部したのです。先生に「この道を行くな」と言いながら、指にかみついたり、つねったり、ひっかいたり、それでも駄目なのでゴム靴の裏でほっぺたをひっぱたいたり、女性からひどい虐待を受けました。

 そして統一教会の幹部らも、聖進の母親から、ありとあらゆる受難を受けました。ほっぺたをひっぱたかれ、けられたり、糞尿をかけられたり、もろもろのことがあったのです。幹部たちがむち打たれ、あらゆることをされたのです。糞を持ってきてまいたり、ありとあらゆることをしたのです。それこそまさにサタンの役事をしたのです。このような意味で先生は女の人から世界で一番極悪な試練を受けた男であるということを、皆さんは知らなければなりません。皆さん、ソクラテスの妻が悪妻だったという話がありますが、そんなものではなかったのです。

 この世のあらゆる所業を受けながらも甘受したのです。そういうこともあり得るというのです。「その恨は世界に及ぶだろう。天上に及ぶだろう」と考えながら、その恨をみな解くことができるように、私が甘受してあげたのです。自分がすることに先生が悔しがって、足の裏でもたたいてくれたらいいのに、先生はそうはしないのです。そのように聖進の母親は先生を愛しながらも何というべきか、悪妻になって、攻撃したのですが、それに対して先生は、悪くは考えませんでした。「私が夫としての平面的な責任を果たすことができなかったので、それを甘受しなければならないだろう」と思ったのです。しかし、縦的な面では私が責任を果たせなかったことは一つもありません。

 霊的であろうが、この世的であろうが、条件に引っ掛からずにこの道を行くために、最後まで耐えてきたのです。条件に引っ掛かることがなく、良心の呵責を感じることが、これっぽっちもないのです。


天の最終裁可のもとに離婚(一九五七・一・八、協議離婚申告)


 離婚は、私が願ったものではありません。向こうのほうから母親、父親、兄の三人が来て、家にあった物をどれほど奪い取っていったことでしょうか。三回にわたってやって来て、みんな持っていき、売り払ってしまったのです。公的な国のものであるのにもかかわらず、私的に使ってしまったのです。それも一度ならず、二度、三度もしたのです。それは天法に引っ掛かるのです。いくら妻子であってもその法に従わなければならず、その法度により、判断を受けなければならないのです。

 先生は時間さえあれば、その母親と兄さんを呼んで、「あなた方があとで後悔するはずだから、どうかそうしないで、三年間だけ待ってくれ」と頼んだのですが、毎日のように訪ねてきて「離婚してくれ」と言ったのです。「なぜ離婚してくれないのか」と言うのです。教会も売り払ってありとあらゆることをしたのです。まさにそれこそサタンです。先生はもろもろの屈辱を受けました。

 私は大声一つ出すこともなく、ずっと辱められてきました。こうして期間が満ちてしまったのです。こうしていては、天のみ旨であろうが何であろうが、すべて駄目になってしまうのです。天が知り、サタンも知り、すべてが知っているのです。夫に対してだけでなく、食口たちに対しても、そのようなことをするので、天はこれ以上ほっておくことができず、「彼らの願うようにしてやりなさい」と、命令するようになったのです。そうして離婚するようになったのです。

 一つの国を生かし、世界を生かすべきであって、妻を生かすことが問題ではないでしょう。それで、天が「切れ!」と言って、天命によって切ったのです。誰が天命に反対しますか。国のためには統一教会の信徒が犠牲にならなければなりません。教会を生かすためには、家庭を犠牲にしなければなりません。同じことです。家庭を生かすためには、私個人が犠牲にならなければなりません。私個人が一〇〇パーセント犠牲にならなければならないのです。その原則が、一人の個人として見ても、天上世界の神様の立場から見ても、歴史的な聖人賢哲の立場から見ても、また良心的にあらゆる面から見ても、限界線を越えに越えていたのです。そのままほっておけば国が滅び、民族が滅びるために、決断し処理しなければならないのです。

 皆さんの中で、「先生も離婚したから私たちも離婚してよい」と考える人がいますか。それは事情が違うのです。それは、先生が蕩減路程を立てていく過程だったのです。原則を立てるための過程だったというのです。そうした内容があったために、世界中で「統一教会が何だかんだ、先生が何だかんだ」と言うのです。そういう非難の対象になるのは、一人の女性の間違いによって、世界史的な問題が残ったためです。そのように恐ろしいことなのです。けれども仕方がないのです。行ってしまったので、仕方がありません。天であってもどうすることもできないのです。天が願ってはいないのに、その願っていない行動をして出ていくのをどうするのかというのです。したがって聖進のお母さんは、堕落したエバの立場に立ったというのです。


家庭分離を助長した背後


 先生と聖進の母親との家庭が破綻したのは、既成教会のゆえでした。韓硬直牧師を中心とする瓔珞教会ゆえにそうなったのです。離婚させるために、聖進の母親のいとこを引き入れたのです・邪悪なサタン、悪魔の教祖と言って、無条件に反対して、よくやったと言っています。

 聖進のお母さんが悪いのではありません。瓔珞教会全体が主導となって、「異端はつぶすべきだ」と、「平安北道の恥だ」と言って、裁いたのです。瓔珞教会の韓硬直牧師が、五山工業高校を出たと言いましたか。

 この前、聖進の母方のおじが水原教会の金明大教区長を訪ねてきて、歴史時代のことを話したということを聞きました。彼は聖進の母親の兄で、先生の義理の兄になる人です。昔は、やたらに反対していたその人が言うには、「自分の一族が、自分の母親を中心として家族会議を開き、全体が一つになって、文先生とは信仰が異なるので、家庭を破綻させ、離婚をさせるために煽動的なことをした」ということを、ありのままに話したというのです。彼が、そのような話を詳しく話したというのです。私は今まですべてをかぶってきました。「文先生は美人の奥さんをもらうために妻を追い出した」という、あらゆるうわさを聞いたのです。それでも、「そうかそうか、天のみ知り、私のみが知っている事実だ。当事者だけが知っている事実だ」と、そのようにしました。

 結局、母親が悪かったのです。再建教会に通っている母親が全部指導して、そのようにしたのです。結局は、反対した動機が、自分の運命を台無しにしてしました。今は哀れな立場に置かれているのです。


弁解せずに責任を負ってきた家庭問題


 皆さん、昔、聖進の母親が狂ったように反対したのです。ついてきていれば、どんなに良かったことでしょうか。そうしていれば、統一教会はこんなに苦労しなかったはずです。二つの道があるということが分からなかったのです。皆さん、道には間違いなく二つの道があるのです、レバレンド・ムーンが現れる時も、二つの道があったということを知らなければなりません。

 私が主張したいのは、結婚する時にもったその心、初めて結ばれた愛の心をもって行かなければならないということです。そのような初めての愛の心をもって神様の前に行かなければならないのです。ところが「自分の夫としてのみいてくれ」と言うのです。「社会も何も、国もみんな嫌だ」と言うのです。

 エデンにおいて、一人の女性によって天地が滅ぼされたのですが、今日の復帰時代においても、一人の女性によって、歴史上に統一教会の悲惨な歴史を残したことを、私は悲嘆したのです。その代わり、私が非難を受けたとしても、私が責任を負おうと、一言も弁解しませんでした。

 私は今まで、「滅びてしまえ」とは思いませんでした。その人に対して「できればあなたを一度訪ねていきます」と言ったのです。彼女が死ぬ時は、天下にない福を祈って行かなければならないのです。

 聖進の母親がそうだったではないですか。男の中で、聖進の父親のような男はいないというのです。だから嫁に行こうとしても、良心が許さないので結婚できないというのです。

 六五年だったか、やって来て「どうか台所にでも入って、仕事ができるようにさせてくださいませんか」と言ったのですが、もうすべてが過ぎたというのです。

 また、いつだったか、一度私はその女性と道端で会いました。どれほど哀れだったことでしょうか。それを見れば、愛しているようなのです。それはどんなに哀れなことでしょうか。そのことが忘れられません。

 聖進の母親が反対しなかったならば、絶対的に夫のみを信じていたならば、知らない内にみ旨は全部成し遂げられていくのです。統一教会がなぜ、全世界的に反対を受けたのですか。監獄になぜ、行かなければならなかったのですか。聖進の母親が反対することによって、準備していたすべての団体が犠牲を被ったのです。腹中教もそうなり、既成教会もみんなそうなってしまったのです。ゆえに、民主世界がすべて引っ掛かって行ったのです。

 私がそれを考えれば、それを一対一で考えて、復讐心をもつならば、雷を落としてしまわなければならないでしょう。しかしながら、地獄まで復帰しなければならないというみ旨があるために、この前、聖進の母親が住む家の前までお母様を連れていったのです。この世的に考えれば、そこはお母様がついていくところではないのです。背を向けるべきところなのです。そして家を買ってあげるにも、全部お母様が買ってあげるようにしたのです。今までも生活費をまかなってあげたでしょう。別れた中でも今まで夫の役割をしてきたというのです。復帰はそのように難しいのです。

 それはすべて、蕩減条件に引っ掛からないためです。私だけではありません。お母様もそのようにしなければならないのです。女性の中の女性、「ため」に生きる女性の姿を残さなければならないのです。そのような意味で、お母様は立派なのです‐。何の不平不満もなく「ええ、そうされなければならないでしょう」と言うのです。そのようにして、それを越えたお母様が立派なのです。

 私はいつか、その一家を全部招待して宴をしてあげようとも思うのです。怨讐を残してはならないのです。

 み旨をすべて成した時には、「あの時は残念だった」と言って、私が立派な料理店で会い、一度、宴をしてあげるかもしれません。そう、いつか一度会って、すべて慰労してあげなくてはならないのです。


崔氏を前面に立てて蕩減する摂理


 崔氏一族がそうしたために、崔氏を中心とした役事をするのです。

 因果の法度というものは本当に恐ろしいものです。今でも反対していて、その余波によって世界的な問題が起こったのです。しかしその家門を滅ぼしてはいけません。怨讐、カイン的な立場に回ってしまったのですが、引き受けてあげなければならないのです。彼らを解放してあげるべき責任を果たしてこそ、大韓民国救援の道を行くことができるのです。救援摂理はそのように複雑なものなのです。

 日本を開拓したのは崔奉春なのです。崔氏をまず前面に立てたのです。また、米国で宣教師らが争うのを収拾しなさいといって、送った人も崔奉春だったのです。先頭に立たせたのです。また、崔元福がいます(笑い)。名前が元福です。原理的になっているのです。「先吉」(聖進様の母親)が失敗したから、「元福」が収拾するというのです。「元」という字は元首、根元の「元」で、「福」は幸福の「福」です。ですから女性の代表として、しっかりとしなければいけないのです。

 復興会をするときも、劉協会長を立たせずに、ヤマガラのような崔チャンニムを全面に立たせたのです(笑い)。これを許さないで切ってしまえば、自由世界を収拾する道がありません。国と民族の生きる道がありません、だから崔チャンニムがうまくやるから立てたのではありません。国家の運命がかかる、生死の岐路まで、境界線まで、崔氏を前面に立てていってこそ、韓国が生きる道があるのであり、他には道がないと考えるのです。それが原理です。好きで前面に立てるのではないのです。


聖進様の犠牲


 聖進を生んでから、私は聖進の手を握ったり、抱いたりして愛してあげることができなかったのです。

 聖進の母親がみ旨を信奉することができなかったことにより、聖進に対して私の息子だと言うことができませんでした。息子扱いができなかったのです。

 ところが聖進が立派なのは、七歳の時、あんなにも自分を愛する母親であるのにもかかわらず、その母親と一緒にいるのではなく、母親を捨てて父親を訪ねてきたのです。これは普通の子供ではないというのです。それは自分の考えではないのです。母親が父親に反対するのを知っているのです。ですから我々が奨忠洞教会にいた時、正に母親が反対しに来るというときには、明け方早く連絡してくれるのです。

 けれども、父親として一度もまともに接してあげられませんでした。つれなくしたのです。自分の息子を愛する前に、カインをまず愛さなければならないからです。神様は、探し立てた第二イスラエルをまず愛したのちに、息子、娘を愛するためにイエス様を送られたのです。それが復帰摂理です。摂理は、原則どおりになされるのです。

 お母様を迎えた六〇年までは、私は聖進の手も握ってあげず、キスもしてあげませんでした。そして父親がいる所では住めないようにしたのです。それで外で寺を訪ねたり、食口たちの所をあちこちと巡ったりしたのです。なぜそうしなければならないのかというのです。天道を立てるべき責任を負った家庭となるためには、世界の基盤まで築かなければなりません。当たり前の道理を準備しなければならないのです。そのような曲折の道を歩みながら、激しい迫害を受けて生きてきました。


喜進様の母親とイエス様の家庭の蕩減の道


 聖進の母親が反対したがゆえに、この家庭の型を中心として、歴史的な過程を経るようになったのです。聖進の母親がエバの立場であり、喜進の母親はマリヤの立場です。マリヤがイエス様を連れてエジプトに行ったように、喜進の母親も喜進を連れて日本に行かなければなりませんでした。

 喜進は日本の大村収容所で三年以上育ちました。怨讐の鉄格子の中で育ちました。喜進は世の中のいかなる息子よりも貴い息子として生まれたのですが、愛することができなかったのです。天道を立てるまでは、愛を中心として父子の因縁を結ぶことができなかったのです。

 喜進の母親は、海を渡って日本で冒険をしなければならないのです。そこで適応し、再び帰ってくる時には民族が歓迎しながら迎えなければならなかったのです。しかし、それ自体が失敗しました。マリヤが失敗したのと同じ結果になったのです。そのために、喜進もあのようになりました。イエス様と全く同じ因縁なのです。喜進は旅先で生まれ、旅先で死にました(一九六九・八・一、夏季伝道に向かう途中、忠清南道梅浦駅で殉教)。イエス様も旅先で生まれました。ベツレヘムの馬小屋で生まれたのです。そして、よその土地で十字架にかかったのです。

 サタンが讒訴できない歴史的な伝統と、時代的な内容を備えた家庭になることなしには、アベル家庭になることはできないというのです。だから、それはどれほど十字架ですか。また子供に対する十字架を負わなければならないのです。このような観点から見る時、代表的な十字架を先生が背負っていくのです。皆さんは夫と息子、娘だけですが、先生は複雑なのです。家庭的に見たとしても、聖進のお母さんがみ旨を立てることができなかったために、三代にわたって延長されることになりました。


三 血と汗と涙の精誠で食口を育成(一九五七年から七年間)


真の牧者の苦行の道


 夜を明かしたとしても目は明星のようでなければなりません。私に勝てる人は一人もいませんでした。一九五七年から七年間は、二時間も寝ませんでした。一時間寝るのが普通だったのです。そのようにしても疲れを知りませんでした。疲れないようにする訓練をしたのです。

 先生は七年間、服を脱いで寝る時は特別なかったのです。服を着て寝たのです。

 一九六〇年代に新しい世界へ出発する時に、私自身が天の前に恥ずかしくない二十年路程として勝利するために、七年間、そのための準備をし、訓練したのです。

 居間にかがんで座って三時、四時まで、七年間、毎日、そのような歩みをしてきました。天が公認する時まで、私の精誠をすべて注ごう! 疲れ果てるまで注ごう! 空腹であっても注ごう! 眠い中でも注ごう! そのように種を蒔いてきたので、その蒔かれたものは今日統一教会員たちが受け入れられなくても、その種は神様の心情を通して世界に連結されていくのです。必ず、それが一時に刈り取られる日があり、韓国で刈り取ることができなければ、世界で刈り取られるであろうと考えました。

 先生は草創期には夜を明かすのが普通でした。だから先生は疲れていて、トイレに行っても、うとうとしたのです。それほどに疲れていたのです。行って座るや否や、もたれていびきをかいて寝るのです。それが理解できますか。そのように気が狂うくらいに熱心だったのです。

 先生は六〇年度が過ぎる時まで、座ってかがんで御飯を食べました。あまりにも忙しかったのです。

 おかずも三種類以上置いては食べなかったのです。三年間そのようにしました。テーブルが何ですか。床に置いて食べたのです。全体を生かしてあげようとするので、仕方がないというのです。

 御飯をテーブルで食べなかったのです。こんな小さな板の上に置いて食べたのです。罪人のようです。七年間、誕生日には断食をしたのです。それはなぜですか。責任を果たせず、天理の法度を立てることができずに、御飯を食べたり、表を歩いたり、ずうずうしくしていられないからです。それは深刻な問題だというのです。国があっても、私の国ではないのです。世界があっても、私の世界ではないのです。何も私のものだとは主張できないのです。これをやり遂げてこそ、私のものになるのです。


食口一人一人のため祈祷


 統一教会の草創期の時代に、先生は寝ませんでした。鼻血をこぽしながら祈祷しました。「鼻血よ、どんどん出てこい。歴史的な血を代表し、万民が恥じ、痛哭しても報いることのできない鼻血となることができるなら、それはどんなに栄光の中の栄光の鼻血であろうか」と、考えたのです。

 一九五七年ころになってからは、約四百名の食口のために、常に祈祷してあげたのです。ある限界点を越えていくためには、祈祷してあげなければならないのです。それですっと祈ると、心霊状態がどうだということが分るのです。そのようなことが起こるのです。神様が主体であるので主体と共にあれば、食口たちは枝と同じなので、神様が食口たちについて教えてくれないでしょうか。必ず教えてくれるのです。精誠を尽くしてみてください。食口のために精誠を込めれば、彼らの心霊状態が傷ついていれば、あらゆる形で見せてくれるのです。

 食口たちの名前を呼びながら祈祷しました。名前を呼ぶと顔がさーっと全部現れます。名前だけ呼ぶのにも、約四十分かかります。笑顔で現れたり、心配そうな顔で現れたりもします。だから誰に何があったのか、一遍に分かります。

 教会を始めたころは、先生が流す涙で床が乾いたことがありませんでした。四百名の食口がいるなら、四百名の名前を呼びながら祈祷すれば、誰が病気になったということが分かります。すぐに電話をして「あなた、これこれのことがあるようだが、事実なのか」と尋ねてみると、間違いないのです。そうすれば、どこが病気なのかを診察して治さなければならないのです。そうしてこそ、縦的な真の父母、横的な真の父母の道理を正常的に果たすことができるのです。そして食口たちが、曲がらないで正しい方向を整えて、しっかりと従ってこようとするということを忘れてはなりません。

 また名前を呼びながら、「きょうは、この婦人が間違いなく来なければならない」と祈ると、来るのです。市場に行こうとして家を出てきたのに、自分でも知らないうちに教会に来て、「あれ? 教会に来てしまった」と言うのです。それでも神様がいないと言えますか。霊界が私を助けている、ということを否定することができますか。


個別的な食口養成


 一九五七年度に、韓国で食口を育てる時には、寝ることもしなかったのです。一対一作戦をしました。残るものは一対一作戦なのです。一人を置いて講義する時、百人、千人置いて講義するのと同じように思ってしたのです。その一人に数千、数万名がかかっていると考えたのです。私がどんな命令をしても、聞くことができる、そのような人に育てるためには、私がそれだけ精誠を尽くし、そうすることができる動機をつくってあげなければならないのです。

 民族を愛さなければならない立場でありながら、民族を愛することができないのが悔しくて、食口たちに夜を明かしながら話をしてあげたのです。「私に似るように、私に似るように」と言って育てた時があってこそ、立派になるのではないですか。幼い子供は、七歳くらいまで精誠を尽くして育ててこそ、小学校に送ることができるのではないですか。それが原則なのです。ゆえに皆さんに七年路程がなければならないのです。カインを育てようとするなら七年は育てなければなりません。

 私の手で個人を収拾しなければなりませんでした。それで五十年代は、食べずに、寝ずに、休まずに仕事をしたのです。その事情を皆さんは知らないのです。「ああ、先生は自由な人で、骨なしだ」という人がいますが、とんでもありません。先生は骨っ節のある人です。個人をぎゅっとつかんで、涙し、痛哭しながら、その人を通して民族の悲運を解こうとし、その人の家庭を通して民族の恨を解こうとしました。

 天が共にあるので、そこにはたくさんの電流が流れるのです。何億ボルトも流れるのと同じような力が共に働き、世の中を揺さぶれば行ったり来たり揺れる、そんな気分になるのです。どんなに痛快かというのです。そういう時は、目を閉じようとしても閉じないのです。寝ていても、ぱっと目が覚めるのです。

 一九五七、五八年度の先生は、どんな人だったでしょうか。どんなおばあさん、どんな人であっても、彼らの話を最もよく聞いてあげた先生だったのです。そして彼らから、自分の話を大韓民国で一番よく聞いてくれた人だという通称を受けたのです。そんなことをしたのです。ですから、おばあさんたちが来れば、嫁に行ったその日から、年取った夫をどのように愛したという話まで、私にすべて話してしまおうとするのです。今まで話したかった話をみなぶちまけるというのです。誰であっても先生を訪ねてくる人は、「先生は私の話を全部聞いてくれる」と言ったのです。

 先生が話を聞いてあげる時は/世の中でそれほどまで楽しく聞いてあげられないほどに聞くのです。夜を明かしながら聞いてあげるのです。それだから一対一です。話を心から聞いてあげ、また心から話してあげるのです。それが秘訣です。そのようにやり取りするのです。聞くときも熱心に聞き、話す時も血の汗を流し、涙を流しながら話すのです。ですから精誠を尽くして聞いてあげて、精誠を尽くして話してあげるのです。一人のおばあさんの話を十二時間から二十時間まで聞いてあげるのです。夜を明かしながら、聞いてあげるのです。そしてすべて聞いてあげたから、これから私の話を聞きなさいというのです。

 そうでなくてはカインを私の方に引きつけることはできません。サタンの包みをすべて引っかき回して、これをぶちまけてなくしてしまわなくては、私に引きつける秘訣がありません。個人指導をしなくてはなりません。母親が一度に双子を産みますか一人一人産むでしょう。ですから、汗を流しながら、精誠を込めなければなりません。だから「この人はもう、ある程度までになった。十二時になり、一時になったとしても、あと二時間だけ話せばこの人は峠を越える」という時は、ためらわず三時、四時まで明るくなるまで話をしてあげなければなりません。そのように一人の命を尊く思わなければなりません。精誠を尽くさなければなりません。

 決闘するとき、先に刃先を当てなければならないのであり、先に銃を命中させなければならないのです。深刻なのです。注射をして、患者が生きるか死ぬかという医者のような立場に立っているのです。命をそのように尊く扱うことができなければなりません。


公判廷に立つ心情の礼拝


 私は、公的な場に出て祈祷することを恐ろしいと考える人です。考えてみてください。喪中の家の主人のような父に侍り、多くの生命を、生死の岐路から生命圏に移さなければならない立場にあるのです。それは深刻な問題です。それは決着をつけることであり、談判です。生死の決定を分かつ線を引くことなのです。最後の線を引く立場なのです。

 そのために、その立場に責任をもち、この場に出てくるということは、刑場に出てくるのと同じことなのです。公判廷に立つ、そうした心情だというのです。それゆえに神様の同情を願わななければならず、神様の哀れみがなければならないし、神様の慈悲が漂う立場に立ってこそ、生命がうるおうことができるのです。

 私は、公的場に出る時は、「何の説教しようか」と題目をあらかじめ考えない人です。それは、死んだ結果をもたらすのです。それは、私の知識と、私の組織的な計画を自慢できる基準にはなるかもしれませんが、心情を吐露することはできないのです。その代わりに、説教する前に十時間以上精誠を尽くすのです。根を深く伸ばして出ていくのです。順番はどうでもいいのです。虫が食って話に穴が開いていてもいいのです。言葉は、整えたり飾らなくてもいいというのです。真実の心情を、どのように連結させるかという問題が、生死の圏を決定します。


痛哭で染み付いた感動の説教


 先生は講義もし、説教もたくさんしましたが、一九五〇年代、涙を流さずに説教した日が、一日でもありましたか。痛哭しない日がありましたか。自分の器に入れて、あふれなければならないのです。そのままではあふれません。もてる力を全部出しきって、血の汗を流し、ふっと気が遠くなった境地、私は死ぬんだと倒れたその場から、飛び立とうとしてこそ、天が慰労し、役事してくださるのです。

 先生は草創期には、激しい迫害の渦中でも、血の汗を流しながら説教をしました。のどが張り裂けるくらいに説教をして、集まった人に感動を与えなければなりません。きのうよりもきょうの迫害に疲れてはいるが、これから行くべき道が残っているがゆえに、力を投入するのです。力を投入しようとすると、消耗戦をしなければならないのです。それで私は、もてる精力をすべて注ぐのです。そのようにして引っ張ってきたのです。

 だから説教する時は、この背中に汗がにじむのです。ワイシャツや下着は、完全にぬれて、頭からは汗が玉になって流れたのです。

 昔は、壇上で背広を着て説教しませんでした。労働着から出発したのです。説教をする時は、一人しかいなくても、血と汗と涙を流し、精誠を尽くして説教をしたのであって、通り過ぎていくお客さんを迎えるような説教はしなかったのです。そのような事情が過ぎてみると、今は懐かしいというのです。

 きょうは皆さんの前に、背広を着て来ましたが、昔はジャンパーを着ていました。下には韓国ズボン、上には米軍が着ていたジャンパーを染めたのを着ていたのです。

 そのようなもの着て説教を始めたのです。それでその当時、統一教会を訪ねてきた人々は、「文先生はどこにいる?」と探すというのです。すると、「文先生がどこにいるかって? 壇で説教しているだろ!」と言います。今は亡き劉協会長が椅子にでんと座って、目をぎょろつかせていれば、人々はかえって「あの人が文先生だ」と思うというのです。背広を着るようになったのも、西洋の文化が入ってきたので、そこに拍子を合わせようと、仕方なく着たのです。だから、この世の人々は文先生がいつもそのように生きる人であると思ったのです。だらしない人の代表格だというのです。


劉孝元協会長への原理講義指導


 統一教会が出発した時、青坡洞で三年八ヵ月の間、劉協会長が病の身になっても、一日に十八時間ずつ講義しました。

 一日に十八時間ずつ、三年八ヵ月の間、毎日、病の身である人に講義させたのです。それが伝統です。二日で、一通りの講義をするのです。人がいなければ、自分が電話して友達を呼んでくるとか、おじさんを呼んでくるとか、母親を呼んでくるとか、甥姪を呼んでくるとかして講義をしなければなりません。そうして二日で前編、後編の講義を全部するのです。毎日続けるのです。

 それはどれほど大変なことですか。肺が痛く、他の所も痛かっただろうけれども、講義をしなければ、「こら! 天のみ旨のラッパ吹きなのに、十八時間吹けと言ったら吹かなければ駄目だ!今霊界では吹く準備をしているのに、お前がそんなことでいいのか。すぐにやりなさい!」と言ったのです。そのように三年八ヵ月やったのです。それは記録です。

 講義をさせる時、私が寝ていたと思いますか。屋根裏部屋に座って、みんな聞いていたのです。「誰、が来た」ということの報告を全部受けていたのです。

 人がいなければ、私が座って聞いてあげました。一生懸命聞いてあげたのち、その次には質問してみるのです。そうやって劉協会長を育てたのです。

 じっと見守って座り、監督しました。間違えれば、こうこう、このようにしなさいと悪い点を正してあげました。そのようにして三年八ヵ月が過ぎたのちに、代役者として立てたのです。

 そして講義が終わり、夕食の時間になれば、座って歓迎会をするのです。娯楽をしたり、おもしろい話をしたりして、全体の雰囲気を、講義以上の楽しい雰囲気にするのです。昔は、講義が終わって歓迎会をするとき、先生が全部仕切ったのです。講義を聞いた人は、先生が誰なのか分かりません。座って夜を明かしながら宴会をするのです。そうして一週間が過ぎ、半月が過ぎたのちに「あー、あの方が先生だったのか!」と言うのです。

 私が申し訳なく思うのは、十分食べられなかったことです。一日に麦飯で二食でした。かといって、まともなおかずがあるわけでもありません。キムチを漬けて一晩寝かせて食べるのです。劉協会長がよく食べたものは、あみの塩辛でした。彼はそれを好んで食べました。私は、そのふたをして隅に置いていたのを見て、「あれは何だ」としかったものです。その臭いは糞の臭いよりもひどいのですが、それを付けて食べながら「うまい」と言っていたことが、鮮やかに目に浮かびます。

 どれほど大変だったことでしょうか! ある日などは昼食も食べられずに横になっているのを見て、息が詰まってしまったことが今も忘れられません。今でも披州に墓参りに行けば、「あのかびくさい塩辛がなんだ。今なら、さざえもまるごと採って食べさせてあげるものを」と、そんなことを思うのです。

 「劉協会長が今も生きていれば、どんなに良かっただろうか」と思う時があります。劉協会長は一日に十八時間以上原理講義をしました。結局、食口の増加率は、原理講義の数に比例します。他にはありません。


終わりまで責任をもって、保護育成する指導者


 七年間、先生は二時間以上は寝ませんでした。邪悪な世の中で、流れていってしまう人、とならないようにと、昼夜を分かたず訓練したのです。雨の降る日は、みんなで雨にざあざあぬれながら冠岳山に登っていくのです。登っていく途中で、滑ってひどい格好になっても登っていくのです。登らなければいけないのです。将来、国家と戦い、世界と戦うことができるように、大きな戦場に出ていって、敗者にならないように、敗残兵にならないようにするための訓練をしてきたのです。様々な悪口を言われながら、そのような訓練をさせました。

 「学校が何だ。君たちは全員特別隊なのだ。学校を捨て、回れ右して行きなさい……」と言って始まったのを知っていますか。それは何のためですか。国のために、世界を生かすためにです。

 一つ、私が天の前に有り難いと思うことは、私の覚えた人が離れて出ていけば、その人と同じような人が二人ないしは三人、外見も立ち居ふるまいも同じで、声も似たような人が入ってくるのです。本当に不思議でたまりません。神のみ旨を中心として行く主体的な心情圏をもった者には、絶対に相対圏に損害が出ないのです。私がとりわけ彼に対して特別に接してあげなかっただけなのに「ああ、寂しさを慰労するために、天は彼と同じような人を送ってくれたのだなあ」と感謝しているというのです。そのようなことがたくさんあります。

 「ため」に生きれば、中心存在となります。中心存在は責任を負わなければなりません。責任を負うだけでなく、保護してあげなければなりません。保護だけでなく、育成してあげなければならないのです。先生が私が中心であると言うときには、皆さんのすべてに対して責任を負わなければなりません。困難なことを私が責任を負うのです。困難なあらゆることに責任を負わなければなりません。その次に保護しなければなりません。それだけではなく、育成してあげなければなりません。

 そうです。皆さんが先生に従ってきてみたら、保護も受けていたというのです。皆さんが非難されるところのものを、私がみな非難を受けているというのです。皆さんが誤ったことをすべて文総裁が負うのです。皆さんの命に責任をもつのです。皆さんの先祖の問題まで、永生問題にまで責任を負うのです。


四 青坡洞時代の真の愛の春風


個人的な心霊復活の時


 人、が統一教会運動に加担するようになる理由は、年齢が高いとか若いとかにあるのではなく、「統一原理」の中に入っている磁石のような真理による引力のためです。真理に接すれば、誰でも火がつくようになっています。絶対的で完全な真理に接すれば、それまでの次元の低い真理につかまってはいられないのです。

 親子の関係は愛が充満していて美しいのです。それにもかかわらず、子供が家庭で両親との間で味わったそれ以上の愛を味わったとしましょう。その時には、その子女は霊的な満足のために、より偉大な愛の巣に行かなければならないと思うようになるでしょう。人、がそのような生命の力を発見する時、彼らはその磁力に引っ張られずにはいられないのです。神様の新しいみ言は、生の根本であり、光となるのです。

 表に現れていない統一教会の過去の歴史には、悲惨な出来事が本当にたくさんあるのです。逸話も多く、曲折も多く、現れていないことがたくさんあるのです。一九六〇年度、先生の聖婚式の時から表に現れたのです。

 それ以後は、大衆がみ言に触れることができる時代に入ったがゆえに、大衆に必要なみ言を話すようになったのです。それ以前のみ言は、大衆に必要なみ言ではなく、一人の心霊をどのように復活させるか、一人の生命をどのように維持していくことができるか、そのような力をどのように与えるかという問題が、責任を負っている指導者である先生として、話したことのすべてであったのです。


縦的な愛を体恤する時


 統一教会において、私がお母様を迎える三、四年前から、春風が吹いたのです。

 一九五七年から七年間は、愛の春風が吹きました。

 我々は、来られる主の縦的な愛を受けなければならないのです。縦的な愛を受け、それと全く同じ愛が、夫婦間の横的な愛へと伸展していかなければならないのです。それゆえに、まず縦的な愛が必要なのです。先生は昔、そのような縦的な愛を施したがゆえに、先生に従った人がたくさんいたのです。

 家に帰って寝たとしても、教会の方向とは反対に寝ていても、心はこちらに向かっているのです。それはなぜですか。統一教会の文先生は妖術を巧みに使って、どうしてこうしてと言います。

 妖術とは、なんの妖術ですか。自然術であり、天術でしょう(笑い)。妖術は一時しかもたないのです。催眠術のようなものも時間が経てば、そのまま全部解けてしまうのです。しかし、私は一生を通じて、うんざりするような悲惨な道を歩んでいるのです。だからどんなに罵られてもびくともしません。

 どうしてかというと、そのような何かがあるからです。プラスの心とマイナスの体が完全に一つになることができるなら、プラスである心と一つになるその力は、神様の力の権限に同参できるというのです。全能なる神様の創造力、あるいは生命力があれば、その創造力と生命力につながる可能性がある、ということが発見されるのです。

 神様の愛の風、本然の愛の風を起こすのです。それゆえに、統一教会に入り、春の園の香りをかぎ、春の園で遊び、それを体恤した人は、世の中に出ては生きられません。ため息ばかり出るのです。先生を忘れようにも忘れられないのです。自分の父母を忘れることができますか。忘れようとしても忘れられないのです。故郷は忘れることができません。統一教会は心の故郷なのです。人間の生命の本郷の基地となっているために、忘れることができないというのです。


三大心情圈の再現と体恤



 堕落することによってエバが何を失ってしまったかといえば、父の愛を失い、夫の愛を失い、兄の愛を失ってしまったのです。三大愛を失ってしまったのです。この三大愛を一時に再現させて蕩減しないことには、本然の道を探していくことができないというのです。

 兄の情を破壊し、兄の心をとろけさせてしまったのが女性です。その次には、自分の夫を滅ぼしてしまい、その次には父を滅ぼしてしまいました。三大の恨を抱いているのです。三大滅亡の条件を備えているのです。三大心情を蹂躙したエバです。この世に再臨時代が来なくては、女性を解放する道がないのです。

 なぜこのような現象が起きるのか、世の中の人は分かりません。それで先生に出会うと、「ああ、いつだったか会ったことがあるお方だ。目も耳も鼻もどこかで見たことがあるんだが、いつだったかな」と言うのですが、どんなに考えても思いつかないのです。そのような因縁があるのです。

 したがって、誰よりも、親しい兄のようです。先生が胸に抱いたとしても、どこかの男性のようには思えないのです。父母の胸に帰ってきたように感じ、兄に向かった妹のような感じ、それが先生に対する思いなのです。そして、一方では夫のように「あー、恋しい。会いたくてたまらない」と言って、夜も眠れないのです。そこまでなるのです。

 今もそのような体験をするでしょう。お兄さんのように案内して、エデンの花園に連れて歩きながら、ずっと教えてあげるのです。夢の中で何度も先生に会うことでしょう。時には婚約指輪をはめてもらったり、婚約の花束を抱かせてもらったり、幼子のように何も着ないで、一緒に布団の中で眠ったりもすることでしょう。そのような夢を見るようになるのです。

 その心情圏が何かというと、失ってしまった夫の心情圏を原理どおりに、元に戻す天的恩恵であるのです。そしてそうした段階を過ぎて、完全に、心情圏内で父のようになるのです。幼子のようになり、先生の膝の上とかで、どんなにひどくいたずらしても嫌でない、父と娘の関係のような思いになるのです。そのようにして、神様を知るようになるのです。

 十二歳から八十歳までの女性たちは、みんな春風が吹いて真っさかりの花らしい色を帯び、香りがするのです。みな先生は自分だけの父であり、自分だけの兄であり、自分だけの夫であると思うのです。エバと全く同じなのです。エバの心情圏復帰を実体的にするのです。そのようにしながらどんな立場に入っていくかというと、先生との心情一体圏に入っていくのです。先生が寂しいと思えば自分も寂しくなるのです。そうした体恤圏に入るのです。恋しくて恋しくて我慢できなくなるのです。


真の愛に魅せられた食口たち


 先生がずっと祈祷していると、統一教会の人たちはみな、すっかり先生のとりこになってしまい、市場に買い物に行っても飛んで行って、すぐ教会に来るのです。男であろうと女であろうと、みんな魂が奪われたようになってしまうのです。私がそのようにしたのではありません。愛がそうしたのです。会えば訳もなくうれしいのです。何もなければ、ポソン(注:韓国固有の足袋)の片方を売ってでも、持ってきてあげたいのです。そして、もっともっとあげたいというのです。

 昔は、午前四時まで通行禁止が実施されていましたが、通行禁止が解除されると、青坡洞に訪ねてくるのです。夫が反対するので教会に行けずにいる夫人たちの買い物かごを持って市場に行く足が、自然と自分も知らないうちに教会に来るのです。そのように愛の力は強いのです。自分の意識など何でもありません。意識圏をコントロールして、その目的の世界に、自分の霊肉の四肢が動いて訪ねてくるのです。

 心の中で「ああ! 行きたい」と叫ぶ声が聞こえるのです。その声は他の世界の声なのです。内的な電線から来る霊界の声です。神様と通じることができる内的な電線、真の愛に通じることのできる電線になっているというのです。その境地に入っていけば、すべてのものが見えるのです。

 自分の家にいながらも、先生が何をしていているかすべて分かるのです。「先生はきょう、悪いことがあったな。だからきょう行けば気分が悪いので、私が行かないほうがいいだろう」とすべて分かるのです。それでも行かずにはいられなくて、来てしまうというのです。

 この青坡洞の坂は、何ですか。化け物坂です。そこに行かないわけにもいかず、また行ってみれば大したものでもないのです。

 ところが行ってみると、先生が有り難がりますか。「こいつめ! なんでこんなに騒々しく、あちこちにうわさを立てるんだ」と言うのです。そのようにののしられて、ひたすら鶏の糞のような涙をぽろぽろ落としては、「ああ! もう二度と来ない」と言って帰っても、御飯を一食食べれば、またこちらに向かうというのです。

 泣きながら「もう来ない」と、どんなに心に決めたとしても、家を出て庭をくるくる回っているうちに、門を開けて、いつの間にかバスに乗って教会に来るというのです。自分でも知らないうちに来るのです。そのような妖しい力があります。そのようなことを感じたことがない人は、本当の愛を知らないのです。

 青坡洞の前本部教会時代の話ですが、こちらの門から追い出せばあちらの門から入ってきて、いすの後ろに隠れていて、先生が行ったあとにさっと現れて、祈祷しながら夜を明かした、そのような歴史をみなもっているでしょう。そうして朝になったら、先生の顔でも一度見てから行こうとしたのです。

 新しいチマ(スカート)をはいて行こうと慌ただしく来たのに、来てみると穴の開いた古いチマをはいていたりします。新しいチマをはいて来たつもりでいるのです(笑い)。呉執事のような人は、御飯を炊くときに、米をといで釜に入れなければならないのに、水がめに米を入れ、釜には水だけを注いで炊いていたというのです。しばらく炊いてみると、御飯がなかったというのです(笑い)。そのように狂ったのです。先生は、ここ道峰山や三角山、冠岳山に行く時にも、女性たちがついてこれないようにしました。私は、女性たちがついてくるのを一番嫌ったのです。しかし、ひたすら先頭に立って行くと、先生のあとにくっついてくるのです。お母様、耳をちょっとふさいでいてください(笑い)。


家庭紛乱と逼迫が高潮


 青坡洞時代、教会が小さくて本館で寝起きしていたのですが、女性たちが塀を越えて入ってきたりしたのです。夫が何と言おうと、教会に行って先生の顔を一度見なければ御飯がのどを通らないし、息もすることができないのです。ところが、毎日のように行くので、夫はその妻をそのままほっておけますか。手錠を掛けて、閉じ込めておくのです。それでも行くので、パンツだけはかせておいて、髪の毛を切ってしまうのです。

 この世であれば、女性は夫からむちで打たれたら、「ああ、これからは二度としません。あなたの言うとおりにします」と約束して、それで収まるはずですが、統一教会の女性は、打たれても「先生のところには行かない」という言葉を絶対に言わないのです。ですから、家庭にどれほどごたごたが起きるでしょうか。

 雪の降るひどく寒い冬に、夫が妻にパンツだけはかせて、「お前、男と密通して夜遅く帰って来るんだろう。この野郎!」と家から追い出されるので、どうしたらよいのですか。行くところが統一教会しかないので、ここを訪ねてくるのです。塀を越えていくその女性を見た人が何も言わないでしょうか。

 冬場に家から追い出されてどこへ行くのですか。先生のところ以外に行くところがありますか。そのころは、私が一人で住んでいた時だったのです。四十代まで私が一人で住んでいたのですが、青坡洞の塀の高さが十尺半あるのに、女性がパンツだけはいて、塀を越えてきては「先生」と言うので、うわさが立つだけ立ちました(笑い)。

 「パンツだけはいた裸の女が塀を越えて入った」と、青坡洞中のうわさになって、私は悪口を随分言われました。

 しかも、白分の夫がかぱんを持って出ていく姿が、「双頭の蛇」になって見えるのです。体は一つで、頭が二つある「双頭の蛇」のことです。そして夕方、時間になって帰ってくると、その双頭の蛇が門をたたくのです。そして夜、寝床に入る時は、その双頭の蛇が体中に巻き付いて、陰部にしっぽを打ち込んでくるのです。そう見えるのに、夫婦生活をすることができますか。夫婦生活をすれば下血するのです。こんなあきれた事情を誰が理解してくれますか。誰に話せますか。

 その上、親たちがどれほど憎んだでしょうか。どれほど憎めば、子供の上に乗っかって座り、背中に刃物を刺すことができますか。我々統一教会の食口の中には、父親から刃物で剌された人がいるということを覚えておきなさい。


地方の食口たちの思慕と愛


 男性たちもそうです。釜山に住んでいた男性たちも、チャガルチ市場などに行って、ぴちぴちとはねているぽらやスズキのような魚を見ながら、先生のことが思われて、それをぎゅっとつかめば手が開かないのです。魚が放してくれないのです。

 なぜでしょうか。その時は、哀れな先生だったのです。国に追われ、既成教会に追われ、同情する人がいたでしょうか。天が同情したのです。

 そうして、ぴちぴちはねるその魚をつかんで「ああ、死なないようにしてソウルまで持っていけたらいいのに! 飛行機があればいいのに!」と思うのです。そうして歩いていくわけにもいかず、汽車に乗って来るのですが、お金のない統一教会の連中たちが切符を買って乗れるでしょうか。こっそり無銭乗車して上京するのですが、途中で見つかればその魚も奪われてしまい、戻ってきては号泣するのです。

 釜山にいる食口たちは、一週間に一回ずつ行ったり来たりするのですが、貧しい統一教会の者たちに、行ったり来たりする交通費がどこにありますか。そうして無銭乗車して途中で見つかり、留置場に行って、一晩か二晩寝るというような話がざらにあるのです。そのように、愛の旋風がものすごい時があったのです。

 また、ある男性は、妻も息子もいるのに、先生のみ言を聞いたらうれしくて、先生が話すとなると、夜明けだろうが、朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが、とにかく行きたくなるのです。そうして妻も、子供も、知ったことでないと、先生だけについて回り、先生に狂って、泣きながら通うのです。

 そのような話を聞いたことがありますか。男が男に会いたいために泣いているのです。それはどんなに気持ち悪いことですか。なぜそうなのか、自分でも分からないのです。先生のことを考えただけで、訳もなく涙がぽろぼろと出てくるというのです。

 またある人は、わあわあ泣きながら「うちのかわいそうな先生」と叫んでいるのです。そんな奇妙で、奇怪なことを私はたくさん見てきました。












▲ 目次へ

第五節 全国伝道および海外宣教師派遣

真の御父母様の生涯路程 3



第五節 全国伝道および海外宣教師派遣

一九五七・七〜一九六〇・四


一 全食口七日断食と夏季四十日伝道(一九五七・七)


一九五七年の時運、共産主義の運勢が下降


 フルシチョフが国連の壇上で、靴を脱いで大騒ぎした時がありました。それはサタンが最高の位置に上がったことを意味します。しかし、それ以降は下がっていくのです。一九五七年から下がっていくのです。中共も同じです。すべて我々の歴史に、歩調を合わせて進展しているのです。

 世界の歴史は、先生によって左右されるのです。共産党は八代を越えられずに傾くようになっています。これは、原理的な観点からそうだというのです。そして四十年を過ぎれば、共産党内で二つに分かれなければならないのです。一九一七年から共産党が始まったので、四十年が過ぎた一九五七年に、ソ連と中共の理念紛争が起きました。我々統一教会は、その時を前後して出発したのです。その時は、先生にとっては第二次七年路程の三年目に入る時でした。

 ソ連が、国家次元を超えて、世界のために生きることができる共産党であるならば、ソ連国民を犠牲にしてでも世界人類を救おうという立場に立たなければならないというのが天倫の行く道なのですが、そうできなかったので、ここから共産主義は二派に分かれました。


本格的な全国基盤造成


 一九五四年から始めて一九六〇年度までは、どんなことがあっても、国家的迫害を越え、突破し、上がっていかなければならなかったのです。その期間に、どれほど多くの苦労をしましたか。

 本来、イエス様の公生涯路程を中心として、三年期間ですべてを蕩減するために先生が立ち上がったのです。それで三十四歳から三十六歳までに蕩減をし、三十七歳の時から本格的に統一教会の形態を整えて、蕩減歴史を国家的な基準で広げてきたのです。すべて原理的なのです。

 その時、キリスト教をはじめとする韓国のすべてが反対しました。それゆえに一九五五年に獄中生活をしたのです。監獄の中でも闘ったのです。そうして一九五七年に断食をして、本格的に宣布式をしました。全国的な基盤を固めていったのです。それは攻勢をしかけたということです。伝道をして全国に拡大したのです。統一教会の新しい段階だったのです。

 青坡洞で、腰が折れたライオンのように時を待ちながら、道を固めていったのです。そうして若者たちを教育して精鋭部隊をつくり、全国にあまねく影響を及ぼすことのできる基盤を固めていったのです。国が反対しても、押し返すことができる基盤を固めたのです。そうしながら、男として受ける迫害を、すべて体験したのです。


全食口七日断食(一九五七・七・一)


 一九五七年を中心として、統一教会の当時の食口たちは、全体転換をしました。一週間断食をしたのです。

 韓国統一教会の全食口が、七月二十日を期して一週間断食を始めました。そうして出発したのです。先生もその時、共に断食をしながら宣言しました。

 したがって、皆さん、統一教会に入れば一週間断食をしなければならないのです。私がしたので、皆さんもしなければならないのです。

 それは皆さんを苦労させようというのではなく、天の前に肉身を打ったという条件を立てさせるためなのです。

 愛の力を補強する方法の一つは、内的な力を貫いていく方法であり、もう一つは体を打つ方法です。だから一週間断食ができなければ、統一教会の正式会員になることはできません。イエス様は何日断食をしましたか。四十日断食をしました。聖人という名前をもったイエス様も、四十日間断食をしながら本然の位置に入っていったのです。完全な愛の因縁を取り戻すために、不完全なものを押しのけて四十日断食もしたというのです。

 一週間断食すれば何が便利かというと、御飯の心配がなくなります。「死ぬ」という口癖がなくなります。「御飯を食べられなくて私は飢えてしまう」ということがなくなります。

 物質を無視しても堂々と越えていける実力をつけるために、一週間断食の命令を下したのです。一週間断食の命令を受けて断食を実践した人は、生活の恐怖症を超越します。皆さんは、この基準を中心として真理を立てなければなりません。

 七日断食を始めれば「ああおなかがすいた、我慢、我慢」と言いながら、一日が過ぎ二日が過ぎます。三日が過ぎて四日くらいになると、かなり大変です。なぜか、そんなに食べたくて仕方がありません(笑い)。世の中がすべて食べる物に見えるのです。甚だしくは、過去に麦餅を一つもらって食べたことまでも思い出すのです。「食べるサタン」がすべて動員されるのです。

 一週間がたち、十二時に壁からボーンと時計の音が聞こえると、それ以上の喜ばしい知らせはないでしょう(笑い)。ああ、あと残り十分、五分という時は切実な気持ちです。それ以上の切実な気持ちになってこそ神様に出会うというのです。御飯を恋しがる以上の、切実な高い基準にあるのが愛なのです。我々堕落した衣食住圏内にあっては、神様との関係を結べないというのです。


最初の夏季四十日伝道派遣
  (一九五七・七・二〇〜八・三一、百二十箇所二百四十名)


 一九五七年度を中心として統一教会は伸展していきました。一九五七年は我々の第一次伝道期間です。そうして歴史は転換期に入っていくのです。これを操縦する全権を、天がもつというのです。ところで、盲目的にするのではなく、地上的な歩調に合わせてするのです。

 四十日特別活動は一九五七年七月二十日から始まりました。統一教会ではいつも七月二十日を中心としてそのようなことをします。この時期は、学校も休みになる一番暑い時です。一番暑い時に、み旨のために汗を流しながら努力しなければならないのです。それが蕩減条件を立てるのに有用なのです。大きな蕩減条件になるというのです。そのために、その期間を選ぶのです。

 先生は、一九五七年度に百二十箇所の伝道地を設定し、派遣しながら、「皆さん、三年間服役をするという立場で、そこに売られていった雇われの身という立場で、部落ならば部落に行って忠誠を尽くしなさい。そして彼らに何を教えるのですか。忠誠の道理を教えなさい。それだけでなく、実践して見せなさい。すると必ず、皆さんが何も言わなくても、『自分たちができることは引き受けます』と言うようになるのです。我も我もと、そのように言ってくる時、皆さんはその部落で、完全に位置を復帰するのです」と話しました。

 一九五七年度に、統一教会の食口が初めて伝道に出発する時には、百二十箇所に送り出すことになったのですが、その時は行きの交通費だけです。汽車に乗っていけるだけの交通費だけ渡して、それ以外のお金は徴収しました。服も二着しか与えずに追い出しました。目的地へ行って、四十日間、はったい粉だけ食べて仕事をしろと言ったのです。そして、労働をしてもらって食べる立場から始めろと言ったのです。


最低の立場から開拓


 韓国では、反対があるので統一教会という言葉は言わないで、掃除をしてあげたり、台所仕事をしてあげるなどの運動をしたのです。明け方早く起きて、数時間かけて町中を掃く運動をしたりしたのです。始めは誰がしたのか分からないのですが、何ヵ月か過ぎて分かるのです。

 もっと汗を流し、もっと涙を流すように悲惨になれというのです。そして、その悲惨なことを克服しろというのです。小麦粉一袋、実際は一袋にもならないものを持っていき、水と混ぜて食べながら伝道したのです。四十日伝道に行けば、断食するのと同じだったのです。

 そのようにして帰ってきた時には、私がたくさん食べさせてあげるのですが、ひたすら狂ったように食べるのを見ては、「ああ、私は大変な罪人ではないか」と、そんな呵責も随分感じたのです。将来、韓国が滅びたとしても、生き残る者たちにしなければならないと考えたのです。

 一九五七年から、国家的な次元で全部動員したのです。麦飯を食べながら運動しました。麦飯が何ですか。みんな飢えていて、犬の御飯まで食べながらもやったのです。

 そのようにして歩んできたのです。それで自分たち同士で耳打ちしながら、「腹が減ってどうしようもないので犬の御飯を取って食べた」と言っているのです。人間の最低の立場から始めたというのです。

 韓国で開拓地に出掛けて伝道していた当時は、お金を一日稼いで、一日暮らすのは大変でした。一日働いて、一食食べるのが大変でした。若い人たちが出掛けていき、一日中歩いて、徒労に終わることがいくらでもあったのです。

 ある町に伝道に、開拓に行きました。そこでは仕事はあるのですが、仕事をすると「ここに仕事をしに来た」と町中にうわさが立ち、もっと迫害されるので、仕方なく十里以上離れた所まで行って仕事をした人、がたくさんいたことを知らなければなりません。

 責任者は本部からお金をもらって伝道するのではなく、そのような事情の中で開拓伝道をするのです。そうでありながらも、自分の事情を絶対に話さないのです。このようにして六ヵ月過ぎ、一年が過ぎて、伝道できた時には、号泣するのです。


開拓教会の心情的雰囲気


 統一教会に入ると、教会が自分の家よりも良くなるというのです。学校にも行きたくなくなり、ここにだけに来たいのです。心がここにしかないのです。それはなぜですか。神様の愛がここにあるからです。神様は縦的な愛の相対圏を成すだけで終わるのではなく、横的な愛の舞台を拡大しようとしました。

 食べる物があれば残しておいて一緒に分けて食べようとしたり、和動して全部解決してあげようとしたり、困難なことがあれば私が解決してあげようとしたりするのです。だから従ってくるのです。迫害されても、村中で大騒ぎしても、国から全部追放しようとしてもです。昔、我々は、そのような雰囲気だったのです。

 伝道に行って人が伝道されるようになると、伝道してくれた人にただ会いたくて毎日来るというような雰囲気だったのです。新しく入った人たちを、そのように指導したのです。だから本当に自分の家よりも良く、学校よりも良いので、学校にも行こうとしないし、職場にも行こうとしないし、家にも帰ろうとしないで、みんな集まろうとしたのです。それで、それが問題となったのです。


伝道師に弁当を食べさせた成和学生たち


 成和学生会があります。中高校生たちで構成されているのですが、その中高校生たちが統一教会の伝道師を食べさせてあげたのです。両親の反対があまりにも激しいので、親が作ってくれた弁当を順番に持っていってあげたのです。学生たちが三十人いると、一日三人ずつ弁当を置いていけば、十日に一回ずつ回ってきます。そうして、朝、昼、晩と順番に弁当をあげるのです。こうして、学生たちの弁当を食べて開拓した歴史があるのです。

 それを両親が来て見たとすれば、どんなに嘆くことでしょうか。しかし、それが問題ではありません。国をつかんでみ旨を成すために、そのようにでもして前進し、その日の栄光をたたえようとしたのです。どうやって暮らそうかとか不平不満を言いながら、お金のことをいつも口にしながら出発したのではありません。過去の歴史の中に、そのような時代が燦爛と輝く摂理史の材料として、その場に残っているということを、皆さんは知らなければならないのです。

 その御飯を食べなければならない指導者の気持ちは、どれほど悲惨ですか。また、御飯を置いていった学生が学校に行っておなかがすいていないだろうかと、どれほど思ったことでしょうか。このような中で、お互いに「我々は死んでもみ旨を成そう」と言いながら、心情的紐帯感に浸っていたのです。

 そうして、数日前まで、統一教会に入る前までは、誰よりも立派なお弁当を持ってきていた子が、弁当を持たずに来たりするのです。毎日昼食時になると、一人校庭にこっそりと隠れていて教室に戻って来るのを友達に見つけられたりしたというのです。なぜそうしたのかと言えば、自分の親に知られたら大変なことになるからです。

 一回や二回ではなく、ずっとそういうことをしなければならないので、信仰していない友達が自分の母親の所に行って、「誰々はいつも弁当を持ってきていたのに、近ごろ統一教会に入ってからは、弁当を持ってこないのですが、どうしてですか。統一教会の人は人ではないのですか。息子は息子として、娘は娘として扱われるべきなのに、なぜそんなことをするのですか」と抗議する、このようなことが起こるのです。

 ですから、その親は息子や娘に、「お前、学校で弁当を食べていないそうだが、どうなってるんだ」と聞くようになるのです。聞かれれば、本当のことを話さざるを得ないのです。

 そうして、親たちがその事実を知るようになれば、「この野郎! 統一教会の教会員たちは、うちの息子、娘の弁当を奪って食べ、搾取し、血肉を吸い取る吸血鬼だ」と言って反対したのです。そのようなことは、二度や二度ではありませんでした。全国的にあったのです。

 ですから統一教会員が来るというと、「息子や娘の血を吸い取るやつが来る」と言って、町内で群をなして、袋だたきにしたり、ありとあらゆることをしたのです。その上、全国のキリスト教徒たちは、「神の羊を奪っていく狼の群れがやって来る」と言って、全部ぐるになって、ありとあらゆることをしたのです。そうした環境で、彼らを指導していた統一教会の先生の心は、どうだったでしょうか。


開拓伝道師たちの心情的紐帯


 一九五七年度から、伝道期間を決めて行ったのですが、互いが道で会い、喜んだその時間、また再び会うことを願って涙で別れたその時間、そのような時間は、皆さんが億千万金を払っても買うことができない時間なのです。それがどんな価値があるのか、統一教会のあなた方は分かっているのかというのです。

 草創期には、食口一人ひとりを、みな無限な価値をもった存在と思ったのです。

 昔は、そうだったのです。任地に出て伝道する時、お互いがそれぞれの地域に離れていれば、会って別れる時には、別れ難く、見送るために相手の任地まで行き、また見送ってもらってこちらまで来て、お互いが行ったり来たりしながら夜を明かすこともありました。兄弟の間でも、そうだったのです。弟が行く困難な道を心配して、食べる物があれば食べずに包んで、五里の道を遠いとも思わず、一気に走っていって渡したりしました。

 そのころ、韓国では自動車が珍しく、みんな歩いて回りました。半月の夜に、夜更けに月が浮かんだその晩に、お互いに国のために涙を流し、天のため、未来のためにお互いが宣誓して出発した、そのような忘れられない出来事がたくさんあるのです。そこから愛国心が生まれるのです。

 この世の初恋に浸る以上の高次的な霊的雰囲気で、恋しく思いながら動いたことが、いつも懐かしいのです。そのような因縁を皆さんがどのように誘発するかという問題が、教会を指導する人たちの責任であり、自分たちの活動する目標として立てるべきなのです。その伝統基盤を、どのように連結させるかということが努力すべき標準であるというのを忘れてはならないのです。


草創期食口たちの涙の歴史


 過去において、統一教会の先生についてきた初代教会の人たちの中で、自分の息子や、夫や、親戚から称賛を受けた人は、一人もいなかったのです。みんな反対されたのです。なぜでしょうか。すべてを捨てて来たためです。その人たちを愛し、共にいては、共に滅びるのです。そのような二者択一の立場から歩んできたので、今までこの世にいるすべての家族、親戚、友人たちから称賛を受けられなかったという事実を知らなければならないのです。

 それで古い食口たちは、祈祷しても涙が多いのです。天が直接、共に歩むという立場で生きてきたのです。そのように天と共に生きてきたということが今の皆さんと違うのです。しかし、初代教会の伝統が、皆さんの歴史の伝統として残ることができるか、ということが問題となるのです。我々は、一本の木と同じです。根が同じ家庭なのです。だから韓国の伝統も米国の伝統も同じだというのです。


四十日伝道期間の伝統


 我々統一教会では、七月二十日になれば、四十日伝道期間をもつようになっていることを皆さんは知らないでしょう。今からでも、統一教会の歴史を知らなければなりません。歴史を知らなければ現在を知ることはできません。また、現在を知らなければ未来が分からないのです。

 一九五七年度に伝道活動に行った時は、「統一教会だ」ということは言えませんでした。あふれんばかりの胸を抑えて、恨多き事情を抱えて、道を歩いてもどこへ行っても、悔しい気持ちに徹してきました。しかし今はそれが解け、同等な立場に立ちました。

 犬の飯を食べながら伝道して、基盤を築いてきたのを神様が見て、つぱを吐くでしょうか。神も涙を流すのです。そのようにして出発したのです。そのような貴い歴史的な事実を皆さんが知らず、すべて流れてしまうといけないので、私が話してあげるのです。ここにいる米国の責任者も、今後そういう日を中心として、一週間断食をして、四十日を決定すると良いでしょう。

 原理には、同時性時代についての内容が出てくるでしょう。そこには四十数が出てくるのです。四千年に代わって四百年、四百年に代わって四十年、四十年に代わって四十日です。七日の一週間という七数は、復帰摂理の中心数なのです。このような課題をもって、我々が生命の道を開拓するときに、蕩減条件が絶対的な問題となるのです。四十日ずつ三年やれば、百二十日になります。これは、重要な一つの山を越える過程です。

 なぜそうならなければならないのでしょうか。その理由は、我々が今日のあらゆる環境に支配されて終わるのではなく、未来に拡張させなければならないからです。そのために世界的で、全体的な分野に因縁を結ぶ仕事をしなければならないというのです。すべての存在も、現在現れただけではなく、過去を象徴し、未来を象徴し、世界的な一つの代表的な表象として現れているのです。ですから、皆さんは過去を代表し、世界を代表し、未来を代表して生きているというのです。そのような生を営む存在であることが、貴いのです。


『原理解説』発刊と原理宣布(一九五七・八・一五)


 先生に会わずに先生に従った最初の人が、劉孝元前協会長でした。彼は『原理原本』を見て、それを読むことにより、会いもしないで先生に従おうと決心しました。

 劉協会長は先生より六歳年上でした。洗礼ヨハネはイエス様より六か月年上でした。それで、劉協会長は洗礼ヨハネの立場にいました。彼は洗礼ヨハネの立場で原理を解説しなければなりませんでした。劉協会長が書いた本は、劉協会長の本ではありません。劉協会長がその本を書く時、先生は彼に、このように、またあのように書きなさいと指示しました。皆さんは今後詳細にその本を勉強しなければなりません。

 皆さんは原理を通して、この膨大な内容をどこから手をつけて、どのように解いていくのですか。これを吸収して、これくらい秩序的に、このような基準まで、皆さんが理解できるように作ったという事実、これは簡単なことではないのです。

 私は涙をたくさん流し、何日も涙を流して、太陽を見ることができなかったときがたくさんありました。皆さんはそれを知らなければなりません。

 そうして、この道を一歩一歩築いてきたのです。そのようなことは皆さんにすべて教えてあげません。それは私が責任を負うからです。皆さんが教えてもらっていない道は行かなければいいのです。楽な道を行きなさいということです。古い食口たち、霊的に体験した人々だけが、このような統一教会の歴史の境地を知っているのです。

 統一教会の原理のみ言も、先生を通して成されたものであるために、宣布したのです。宇宙的に見ても中心があるために、宣布せざるを得ません。大韓民国においても、内閣を組織しようとするとき、それが明らかにされるまではその内容は分かりません。決定したのちに宣布してこそ、人々は知るようになるのです。それと同じことです。決定されてこそ宣布するのです。そうして、宣布すれば、すべて知るようになるのです。

 皆さんが原理を知ったということ、それは結果的なことです。六千年の歴史が個人復帰を完成する歴史であることを知ったと同時に実践的な実体が決定されたために、皆さんにそのようなことを教えてあげられるのです。

 ですから、皆さんは自分の命や財産すべてと取り替える恨があったとしても、その教えてもらったすべてのことを絶対視して、それと共に生き、それと共に死ねば、それと共に同参するようになるのです。それゆえ、皆さんは信仰の道において深刻にならなければなりません。

 先生は皆さんが知っている道を行くのではありません。皆さんは平面的です。平面的なことをしています。しかし、先生は立体的なことをしています。根本的に違うというのです。皆さんは皆さんのレベルのことしかできないので、先生が必要なのです。先生と合わないようですが、結局、過ごしてみれば合うようになります。

 皆さんが原理講義するとき、汗を流すことができず、涙を流すことができなければ、あの世に行って引っ掛かるのです。先生がその原理を明らかにしたとき、ただ座っていてできたと思いますか。とんでもない話です。血みどろの闘い、激闘を繰り返して探し出したのです。


二 最初の日本、米国開拓の宣教師派遣(一九五八〜五九)


海外宣教の緊急性


 私が刑務所に入ってから出てくるや否や、甲寺(忠清南道公州郡鶏龍山にある麻谷寺の末寺)にいながら研究したことは、「今後、日本が問題である。今は倒れたが、今後、再び日本が問題になる時が来る。我々は日本を怨讐視してはならない」ということでした。それで、大学街に日本と交渉する準備をしておき、人を日本に密かに派遣したのです。

 北では金日成主席を中心として、ソ連と中共が後援する立場にあることは間違いないので、この難局を解決し、大韓民国が生き残る一つの突破口を開くためには、日本を突破していかなければならない、ということを考えました。

 日本の地は怨讐ではありますが、今後私が誰よりも日本を愛することによって、アジアで神様のみ旨を展開することができる相対的基準になるのです。そうでなければ主体国の前に、相対的国家を見つけることができないというです。

 我々のみ旨が世界的なものであるならば、隣の国日本にも果たすべき責任があり、様々な国にも果たすべき責任があるのです。ゆえに我々は、受難の道をたどりながらでも世界に宣教師を送らなければならないのです。しかし世界的な責任を果たす時においても、食べる物が余るとか、お金が余るとか、そのように余裕があってするのではありません。貧しく困難な中でするのです。


密かに崔奉春宣教師を日本宣教に派遣(一九五六、忠南鶏龍山甲寺)


 一九五六年、西大門刑務所から釈放され、忠清南道の甲寺に行っている時、私は崔奉春という若い青年を呼んで、「君は日本のために密航するのだ。男が決めた歩みは死を覚悟して行かねばならない」と訓戒したのです。

 甲寺の裏山に呼んで、彼に日本宣教の特命を下しました。「君は玄界灘を渡らねばならない。死ぬ前には帰ってこれない。神様のみ旨はそのように、非常に厳しいものなのだ」と、そのように念を押し、密航船に乗せて送りました。

 先生は彼に、「君が無事に到着する時まで、寝ないで君のため祈祷し、君のために精誠を尽くそう」と言い、「死んでも任務を全うする時までは現れるな」と言いました。

 先生は、「十年もたてば分かることだろう。法治国家の国民としてこれは違法行為であることは分かっているが、間違いなくアジアに自由に宣教できる時が来るはずだ。その時のために、私が今、民族の反逆者として追い込まれても、そのことをするつもりだ。そのような正義に立脚した私の信念と行動を、歴史が保証する日が来るはずだ」と考え、断乎として実行しました。その時、統一教会の食口たちは、飢えに飢えていた時でした。写真を売って、やっとその日その日を暮らす状態でした。

 それでも、監獄を出たり入ったりしながらも、当時のお金百五十万ウォン借金して、崔奉春を日本に送りました。

 法が問題なのではありません。国家の運命は、法を超越するのです。天運というものは、人間たちが提唱した憲法を超えた立場から訪ねてくるのです。

 私は天運を知っているがゆえに、それに備えることのできることをしようとするので、常に死が交差し、苦痛が交差し、迫害が交差するのではないですか。他の人たちが好むようにするならば、迫害があろうかというのです。しかし、その時は相反するのです。統一教会の信徒はそのような道を行くのです。


三次の特命と日本入城(一九五八・六・一五)


 最初は、日本に入国するや否や逮捕されました。一次は失敗に終わりました。そこでまた送りました。二次もまた失敗して戻ってきました。一九五八年のことです。

 それで「もう行けない」と言うのです。だからほっぺたを張り飛ばしながら、「こいつ、男が一度誓ったなら実践しなければならないだろう。死んだとしても、日本に行って死になさい」と大声で叫んで、また送り出しました。

 「監獄に入っても、三人を伝道しなければならない!」と指令を下しました。その命令によって始まったのが、現在の日本統一教会です。複本春を忠清南道甲寺の裏山の、松の木の下に呼んで訓示をした、その時を忘れはしないのです。

 ところが、彼は麗水を通って日本に行くや、捕まり、大村収容所に収容されてしまいました。そうして韓国に送還されるために、下関へ行く途中、列車から飛び降りようとしたのですが、列車の速度が速く、トンネルが多いために、それはできなかったのです。そして下関に到着し、再び収容所に閉じ込められ、送還されるのを待つだけの身となりました。そうなれば、すべてのことが崩壊するのです。それで、一つ知恵を絞って、断食をしたということです。一週間から十日間、ずっと塩だけをなめながら、断食を続けると、熱病のような病気にかかり、気を失ったのです。そのようにして病気でない病気にかかり、病院に入院して、そのまま逃げ出してしまったのです。

 一次は失敗、二次も失敗、三次にして入国し、大村収容所にいるという報告を受けた時には、「神様には何の考えもないのか。このように、あなたのみ旨の道を開拓しようとしているのに、そこまでしなければならない神様なのか」と、いくらでも恨むことができるのです。けれども感謝して、再び神様を迎えて、「また行こう!」と決意したのです。そのようにして誰も知らない中で道を開き、支援しようとして資金を送ったのに、資金は全部どこかに行ってしまいました。


日本宣教の開拓


 そのように、日本に我々が宣教事業を開拓したのが一九五八年です。その時は自由党の治下であり、韓日国交正常化を絶対に反対していた時でした。

 しかしそうした環境にありながら、統一教会のすべての食口たちを、未来の十年、二十年の長期間を見通して教育をしてきたのです。より新しい思想観に立脚して、キリスト教を考え、共産主義を考えながら、今後、民主世界と共産世界が終わったのちにはどんな世界になるべきか、という問題を中心として教育してきたのです。

 日本国内に行って糾弾を受けるのではなく、日本人たちを教化して、どのように我々が主体的な立場で土着化できるか、それだけが、未来に韓国が生きる道を開くことだと考えたのです。日本に宣教に行ったその青年は、日本で身を隠した立場で統一教会の開拓伝道を行い、正に新しい基盤を形成するようになったのです。それで我々は、どんな国民的運動よりも、日本の前に道を開こうとしました。韓国が生きようとするならば、必ず日本を背負わなければならないのです。そして、必ず米国に連結させなければならないのです。


米国開拓の宣教師を派遣:金永雲(一九五九・一・二)、金相哲(一九五九・九・一八)、
             朴普煕(一九六四・一二・二九)


 最も激しい迫害を受ける中でも、私の祈祷と関心は韓国のためのものではありませんでした。私は、日本とアメリカに宣教師を送るために最善を尽くしました。その当時、我々が米国に宣教師を送るということは、誰も考えられないことでした。そのような環境であったにもかかわらず、私は米国に原理の種を蒔くために誰かを送らなければならないと決心し、日夜苦労を惜しまなかったのです。

 自由党時代に先生を殺そうとしたことを条件として、外国宣教の道を開拓したのです。

 自由党の時代に、私は西大門刑務所に入って出てきました。出てきてから、その反対した長官らに旅券を出させて、米国に宣教師を送ったのです。

 米国に宣教師を送る時は、自由党を利用しました。もしそうしなかったなら、今日このような勝利の基盤は、絶対に準備されることはなかったでしょう。

 私は米国ならば米国と戦うときにおいては、卑怯で人を欺くような立場で、仮装して戦うようなことはしないのです。正々堂々と戦うのです。正面からぶつかるのです。そうしようとするなら、その国に必要な要件を教えてあげ、その基盤を通して前進できなければなりません。それも見せてあげずに前進しては、滅びるのです。そのためには基盤が必要なのです。世界舞台に向かって一九五〇年代からそれを準備し、築いてきたのです。すべてのことを、あらかじめ準備しました。

 先生が世界的な仕事をするためには、ただ思いつくままにそうするのではなく、数十年前から計画するのです。誰も協助しない中で、そのような仕事をするのは、易しいことではありません。


米国初期開拓宣教


 すべてが反対しましたが、米国を立てて早く背水の陣を敷かれなければ、韓国はどこへ行くのでしょうか。それで、「巨大な米国を早く収拾しなければ、大韓民国は滅びる」と作戦命令を下し、西部と東部に三人を送ったのです。

 米国に宣教に行った金永雲先生が伝道する時、ただ伝道するのではなく、霊通人を訪ねていって伝道したというのです。「さあ、この本が何の本なのか祈祷してみてください」と言いながら伝道しました。本当に高次的な伝道方法でしょう。「私が誰なのか祈祷してみてください」と言ったのです。彼らが祈祷してみると、激しくしかりつける声が聞こえるのです。「その方が門を開けて入ってきたら、「気をつけ」をして敬拝を捧げて迎え入れなさい。その方はお金がないので、お金を渡しなさい」と夢で教えてくれたそうです。統一教会は、米国でそのように出発したのです。


三 全国食口の組織訓練と事業


消印のついた切手収集と販売事業(一九五六・七から七年間)


 今まで全国的に切手収集の行事に参加しています。取るに足らない小さな切手一枚をはがしても、ほんの何銭にもならないのです。けれども、皆さんが関心をもって一枚の切手をはがすということは、崇高な努力なのです。さらに、切手収集で賞をもらった人たちを見れば、大概若い人たちです。今の中高等学生たちが多いというのです。

 先生はある時、「統一教会信徒たちは誰でも、一ヵ月に三回ずつは食口同士で手紙を書きなさい」と言いました。皆さんが手紙を出す時に、もし四十ウォン切手をはらずに一ウォン切手をはるようにすれば、我々は教会事業部を後援する結果をもたらします。三回ずつだったら百二十ウォンです。そのように我々が何の価値もない紙くずになってしまう切手を使うことで、そういう効果をもたらすようになるのです。

 そのように見る時、我々の動きはささいなことのようですが、これを全体的に、国家的に見る時、莫大な利益をもたらすことになるというのです。そのようなささいな問題に対し関心をもつということを、我々統一信徒において、今後なくてはならない重要な一つの慣習として残さなければならないのです。それゆえ、壮年たちもそのような面に関心をもって、たくさん努力するようにお願いします。

 今まで切手収集をすることによって、伝道するのに莫大な貢献をなしています。皆さんが一枚一枚このように集めてくれた切手によって、昨年(一九五九年)に得た金額が、百万ウォン近くになりました。今、ここにいる中高校生が切手収集に努力したという話を聞きましたが、どんな時でもそのような精神を忘れずに、生活面においても切手収集に関心をもってくださるようお願いします。

 それで、これが一つの習慣になれば、我々統一教会の信徒の動きに精神的な団結をもたらします。これを収集して、もちろん利益を得るという一面もあるでしょうが、このような行事により精神的な統一がなされ、互いが一つの共同目標において、同じ心情で生活感情を共にするようになるのです。それは誰もが褒めたたえることができる精神であると見ることができます。


教会食口の組織を編成


 今日、我々の教会において男性三人、女性三人、というように三位基台をつくりました。なぜそのようにつくったのかというと、今後主に侍らなければならない我々において、アダム家庭のアダムの三人の息子と、三人の嫁の型に代わり得る模型を備えなければならないためです。

 そして三位基台を造成するにおいても、皆さんは三つの三位基台を中心として、十人が団結しなくてはなりません。三つの三位基台を中心として班をつくることには何の意味があるかというと、縦的に見るとアダムの時からノアまで十代を身代わりするのであり、班長は二人の責任があるために、十二人型を備えたと見ることができます。これはまた、ノアからヤコブまで十二代を身代わりすることができる型であり、歴史的な面、すなわち縦的な面においては十代と十二代を身代わりすることができる型です。

 そのように三つの班が合わさり一つの組になりますが、一つの組は三十六数、三十六人を身代わりすることになります。これはヤコブの十二人の子供、モーセの十二支派、イエス様の十二使徒を表示するのであり、六千年の歴史的な代表を合わせたものを象徴する数が三十六数ということです。

 男性三十六人、女性三十六人を合わせれば、七十二人になります。それでイエス様を中心として七十門徒があり、モーセを中心として七十長老、ヤコブの七十人の家族がありました。イエス様と七十門徒とイエス様の新婦を合わせれば七十二人になります。今日、天地の度数を合わせるべき使命が我々にあるので、我々はこの峠を越えなければならないのです。

 それゆえに、今年(一九五八年)の天の命令は、皆さんを死ぬほどに訓練しろということです。今年は修練の年、試練の年として、いかなる苦痛も凛々しく越えられる年となるようにすべきであり、十二人以上の心を合わせてくれる人を早く立てなければなりません。

 きょうは一月三日ですが、皆さん、断固として決心しなければなりません。三ヵ月に一回ずつ三位基台を変更する時、皆さんは誰と組まれようと一つにならなければなりません。皆さんは三位基台として結ばれた相手に「あなたは長い六千年の摂理歴史を巡り巡って、何の因縁があって私と結ばれたのだろうか」と考えながら、歴史的な運命の対面だと感じるべきなのです。そうして三人が一つなり、十人が一つになり、三十六人、七十人が一つにならなければならないのです。


全国の名山、大寺院を踏査して祈祷(一九五八〜五九)


 先生は全国の山河の景色の良い所に行き、祈祷してあげたのです。「やあ、私は君を祝福しに来た。君を見て、君にお世話になろうというのではなく、君が歴史始まって以来、真なる一人の主人を願ってきたことを知ったので、君たちに愛を与えよう」と、全国の山河を歩きながら、そのような祈祷を本当にたくさんしました。変わった人でしょう。

 私が全国の山河を歩き回るのは、遊覧するためではないのです。多くの人が観光地に行って見物をしたとしても、私は違うのです。涙を流しながら祈祷をたくさんしたのです。雪岳山に行っても、俗離山に行っても祈祷したのです。山河を訪ねる人はたくさんいましたが、心から神様の心情と、山河が求めている心情をもって訪ねた人がいるでしょうか。


統一産業青坡洞工場(一九五九)


 昔、青坡洞に統一産業をつくる時、日本人が建てた家屋の後ろに、約半坪ぐらいの煉炭を置いた場所がありました。当時、旋盤がどこにありますか。旋盤がないから、日本人が使っていた古い物を、当時、貨幣改革の前に七十二万ウォン払って買ってきました。その時、私はそれを見て、「これが七千台、七万台の機械になるのであり、大韓民国の軍需産業とか自動車工業まで発展させるだろう。信じなさい!」と言いました。その当時であれば、あなた方はそれを信じられましたか。それが信じられるようなものであったかというのです。


第一回全国伝道師修練会(一九五九・一・一〇〜二・二〇、青坡洞本部教会、二百七名)


 〔開会祈祷〕地方に散らばり戦っていたあなたの息子、娘たちが、この一週間を通して新しい覚悟と新しい決心と新しい武装をするために集まりましたので、この修練会を通して、お父様の栄光の痕跡を、体で、心で体恤できるように許諾してください。

 今回のこの期間を通して、天の心情を体恤するよう許諾してくださり、この機会にお父様のみ旨を成すために歩んでいった人、の、その跡を知ることができるように許諾してください。前線に出てお父様の息子、娘が戦っていった、その戦いの路程を教えてくださいまして、天の事情を理解できる、天が永遠につかんで放すことのできない息子、娘となるようしてくださいますことを心よりお願い申し上げます。

 今、私たちに与えてくださった修練期間を通して修練を受け、出発したあなたの息子、娘たちは、懇切な心情と、新しい覚悟と決心で、この三千里(韓国)津々浦々に散らばりましたので、お父様、彼らの行く道を開いてくださり、戦いをする時には力を与えてくださり、天の権限を立てるようにしてくださいまして、天の実権の行使をするのに不足がないようしてくださいますことを、切にお願い申し上げます。

 受けた鉄の杖のみ言と生命の盾で、怨讐をはね除けることができる能力を彼らに与えてくださいまして、天的な勝利の栄光を彼らに与えてくださいますことを、切にお願い申し上げます。


第二回全国伝道師修練会
  (一九五九・七・二〇〜八・三一、京畿道華城郡梅松面野木里、三十五名)


 我々統一教会が出発した時、水原で今後水産業を経営するために、若いメンバーを連れて、教育しながら訓練しました。野木という所は、本当に水が多い所です。そこに千年も住んでいる何かがいるとか、人が入ったことがなくて、一度入れば出てくることができないとか、服の端を引っ張られるとか、あらゆるうわさが立っていました。そこを襲撃するのです。

 魚がいったん入れば、出てくることができない網を作るのです。そのような網を考案して作って、それを張って魚を追いやるのです。底の方には、蛇やいろいろなものがいるのです。

 また、蓮の花で「コウホネ」というのがあります。茎から葉っぱまで、アカシアのように、犬山椒のように、全部とげがあります。これに一度刺されると、真っ赤になって必ず化膿します。緑豆のようになって一日中膿みます。そっとふくらはぎを上げて見れば、全部刺されているのです。

 その時の修練が、第二回でした。その第二回の修練生たちが、今統一教会の幹部になったのですが、野木で雷魚を捕まえる修練の方法がどうだった、なまずを捕まえる方法がどうだった、蛇を捕まえる方法がどうだったと、どこに行ってもその話が出てくるのです。

 その網はとても大きかったのです。何百尋ですか。何千尋ですか。約二千尋の道を渡って行ったのです。竿は人の身長の五、六倍になります。その中に魚が入ってくれば、全部捕まえるのです。

 みな真っ黒になって、年を取った人も、若い人も同じなのです。顔がみんな真っ黒になっているので、年が分かりますか。みんな真っ黒で、目だけがきらきらしていて、そうしながら、日が沈むのも忘れて魚を捕まえようとしているのです。そういうことが必要です。国を思いみ旨を思う時、忘れられない生涯の一部分ではないかというのです。春夏秋冬、季節によって自分の生涯に残る印象を残しておかなければなりません。そのように訓練を受けた者たちは、離れることができないのです。

 金栄輝の母親になる金スナが、水に入っていったのですが、ずぽっと入っていって、ぷかぷかと流されていくのです。この人は泳げないので、そのまま流れていくのです。水を思いきり飲んで、ある程度流されると誰かが救い上げてくれました。十メートルほど流されたのですが、「大丈夫か」と聞くと、「何でもない」と平然としているのです。そのような逸話が本当にたくさんあります。

 女性もパンツをはいて歩き回ったので、ひとしきり走ると、半分脱げてしまっていても気がつかないのです。パンツが引っ掛かって、お尻が出ていても気がつかないのです。お尻を出したまま町内にある井戸の所まで行くので、指を指されて非難を受けるのです。

 そのようにしながら修練し、み言を受けて、精神と体と生活がごちゃまぜになって一つになるのです。それが生きているのです。ここから野木へ行こうとすれば、一時間四十分ほどかかります。

 野木に三姉妹がいました。二人は未亡人で、一人は姪に当たります。その三人が一つになって、先生が来るようにと昼夜祈祷するのです。そのように引き寄せるので、先生はどこに行っても「野木に行こう!」となるのです。

 行ってみると祈祷しているのです。それで、「この女たちめ、夜通し『先生来てください』と祈祷しただろう。腹をすかせながら祈祷しただろ。こいつら! 誰が祈祷しろと言った」と言うと、「統一教会の信徒が数万名いますが、自分たちがその人たちよりもっと切実な思いで祈祷すれば、来られると思って祈祷しました。神様が命令してそのようになったのです。私たちに罪がありますか」と言うのです。


狩猟と魚取り(一九六〇年前後)


 先生は一九六一年までは、食口たちを山や川にたびたび連れていきました。

 昔、私がなぜ猪狩りによく行ったのか知っていますか。若い者を訓練する場所を探して回ったのです。遊び半分で狩猟に行ったのではありません。高い山の尾根や、のみ込まれて死ぬかもしれない深い谷間を巡りながら、猪狩りをした理由は、共産党を神様の怨讐と考えたからです。「こういう谷間に全部ほうり込んで訓練させよう。何人生き残るかみてみよう」と考えるのです。しかし、そのように訓練するところにおいて、死んではならないというのです。

 冬には山の中が、どんなに寒いか知っていますか。けもの道を見張り続ける人の凄涼とした心情が分かりますか。ああ、汗を流しながら登って行き座っていると、全部凍ってくるのです。氷の棒になっていくのです。指も凍り、長く伸びたものは、みなそうなのです(笑い)。

 そんな場所で一番取り扱いに困ったのが男性のそれです。それが凍ってくるのですが、どうしたらいいですか。それをつかんで、たたいてうんうん唸っていては、ノロジカや猪のやつがみんな逃げていくのです。だから声を出さないで、じっと座っていようとするので大変です。ああ、次からは、絶対に行くまいと思うのですが、その季節になればまた行ってしまうのです。そんな狩りの魅力を感じたことがなければなりません。釣りの魅力もそうです。そういうことを感じることができてこそ、真理探求の価値ある魅力も感じることができるのです。

 それは誰かが行けと言って行くのですか。先生は、誰かに命じられてするのですか。やらないと、体がむずむずして眠れないのです。明け方早くから飛んで回らないとおさまらないのです。


西海での釣りの時の事故


 その時がいつだったか、多分一九五九年か一九六〇年だったはずです。先生が聖婚式をする前なので、そのくらいの時です。オパール号という船に乗って西海に釣りをしに行ったのですが、その船に乗っていると何か悪い兆しを感じるのです。船が出発する時からとても気分が良くないのです。釣りをして、たこを一匹捕まえても気分が良くないのです。それで魚釣りを中止して、船を運転して海辺まで来たのですが、雨が降り始めました。私を含めて六人で行ったのですが、海辺にいてもよくないと思い、私は二人を連れて陸に上がりました。しかし三人は、「自分たちは心配はない」と言い張るので、彼らをそのまま船に残したのです。

 ところが突然、台風になりました。夜なので船は見えません。波が船に押し寄せれば、船と岩が実力で対決しようとするように互いにぶつかり合って、船がぱらばらになってしまうのです。それでその人たちを助けるために山に駆け上ったのですが、台風によって激しく降りつける砂粒のような雨粒が、やたらに強くたたきつけるのです。痛いとか、そんなことを考える余裕がどこにありますか。我を忘れて走るのです。そんな中で、私が彼らのために必死になっている以上に神様は心配されていると感じながら祈祷したのです。

 その人たちの気持ちはどうだったでしょうか。助けてくれようとする人が、早く来てくれるのを願っていたに違いありません。「ああ私は死ぬ。ああ私は死ぬ」と言いながら、彼らは生死の境に置かれていたために、心の中で何千回も死を意識したはずです。そのような立場から、再び生の歓喜が起きたがゆえに、新しい生命力がわき上がったのです。


四 真の御父母様聖婚直前の三年期間(一九五七・七〜一九六〇・四)


解放後十四年の蕩減路程(一九四五〜一九六〇)


 イエス様がこの地に来られた時、誰も知らない中で、摂理の基盤を継承し、ユダヤ民族の中心家庭であるヨセフ家庭からみ旨を展開し、そうしてすべての上流階級にまでみ旨を展開しようとされたのです。しかし、そのみ旨が成されなくなるや、反対の立場から出発したのです。

 同じように今日統一教会が行く道も、蕩減復帰の原則によって、イエス様の時のように、悲惨な路程を歩みながら、一番末端から出発しなければならないのです。

 それで、韓国にある教団という教団が全部反対し、全民族が歓迎しない中で、統一教会の信徒は一番末端から上がってくる運動をしてきたのです。そのように歩んできた一九六〇年までの期間は、ヤコブ路程における十四年期間に相当するために、この期間内に天的な計画を決定しなければならないのです。国家が反対し、宗教界が最高度に反対する熾烈な戦いの中で、み旨を成さなければならなかったのです。

 解放後十四年ですから一九六〇年の初期です。この十四年というのは蘇生七年、長成七年ですから、長成期完成級の基準になるのです。イエス様の七年路程において、第一次は旧約時代で、第二次は新約時代です。新約時代に該当するイエス様における長成期完成級を中心として、この期間に該当する一九六〇年代に入って、国家が反対したすべてのことを奪ってくるのです。それで第二次七年路程において、イエス様が失ってしまった霊的、肉的基準を連結させる摂理をしなければならないのです。

 一九五四年から一九六〇年まで七年間ですが、この期間に氏族的基盤を確定しなければならなかったのです。イエス様が氏族的基盤を成せなかったことを蕩減して、基盤を築かなければならないのです。統一教会を中心として一九五四年から強力な反対の歴史に入っていきました。国家が一丸となって、反対する中で、七年間に国家に影響を及ぼさなければならなかったのです。どんなに反対し、どんなに思いのままに、なくそうとしても、なくすことのできない環境へと乗り越えて行かなければならなかったのです。氏族がなければ、民族へと行く道がないのです。イエス様の時、氏族的版図を中心として、ユダヤの国とユダヤ教を一つにして、ローマから世界へと行くべき道をもたなければならなかったように、今日我々統一教会もそれと同じだというのです。


聖婚直前の三年期間


 個人的十字架の峠を、国家が反対する次元で再び越えなければならないのです。そのために、皆さんが知っているように、一九五六年以後に国家的な反対事件が起きたのです。全体が反対したのです。誰一人同情する人がいませんでした。洗礼ヨハネが失敗したことにより、イエス様は三年路程の道を行き、民族全体が反対しても、低い所から収拾して上がっていき、その国の教権者たちと主権者たちがイエス様を迎え入れることのできる時まで、最高の反対を受けながら、戦って勝利しなければなりませんでした。そうでなければ、家庭的勝利圏を立てることができないのがイエス様の道でした。しかし、個人的十字架の途上において追い込まれ、その峠を越えることができず十字架にかけられたのが、イエス様の行った道でした。

 それで、一九五七年から一九六〇年までの三年期間に反対が最高度に高まったのです。その期間は、どんなに国が反対し、手錠を掛けられて死の道を行ったとしても、断固として命懸けで闘争しなければならない期間でした。それが一九六〇年まででした。皆さんは知りませんが、一九五九年後半から一九六〇年四月までの約七ヵ月間が、最高の受難期でした。その期間において、統一教会を出て行った人たちが、イエス様に十二弟子が反対したのと同じように、結束して反対してきたのです。それを原理的に見れば、本当に恐ろしいほどぴったり合っているのです。

 しかし、数多くの人、が反対すればするほど神様に感謝しながら、私は神様を慰めてあげようと身もだえしました。そうして、サタンが侵害しようとする時、神様が勝利の役事を起こしたのです。


一九六〇年度以前のみ言の性格


 見てごらんなさい。一九六〇年までは、すべてイエス様に対する講義をしました。先生の説教集を調べてみてください。イエス様について、すべて詳細に秘密を明らかにしたのです。

 六〇年度に「父母の日」が設定される時までの先生の説教集(文鮮明先生御言葉選集第一巻第八集)を見ると、すべてイエス様を中心として話しているでしょう。先生を中心としては話さなかったのです。復帰路程において、イエス様が果たせなかったことを解怨してあげなければならないのです。イエス様を十字架につけた、サタンの立ち会いのもとで、「私がこういう条件を提示したので、お前はもう後退しなければならないだろう」と言って、「そのとおりです」と言わせることのできる証を立てていく歩みを、イエス様に代わってしなければならないのです。そうでなければ、神様の摂理を正しくとらえて進むことができません。そのような激しい闘争の歴史を、見極めて行かなければならないのです。そのことを誰が知っているのかというのです。

 それゆえ神霊に通じる人たちが、文先生について「いったい文先生はどんな人ですか」と祈祷すれば、痛哭するようになるのです。舌が硬直し、はらわたがねじれ、涙があふれ、鼻水が流れ、唇が渇いてしまう、そんなことが起こるのです。天が痛哭させるのです。しかしそのような痛哭をしても、先生を理解することができないのです。先生の行く道を知ることができないというのです。


僕の僕、僕、養子、子女、父母時代蕩減復帰


 統一教会は、何をするためのものですか。僕の僕の時代から、僕の時代、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代まで、蕩減復帰の路程に失敗したキリスト教に連結されたすべての使命を再び立てて蕩減復帰しようというのです。こういう観点で見る時、一九六〇年の前までは、どんな使命を果たさなければならないかというと、統一教会の食口たち自身が四方に散らばって、僕の僕の道理をわきまえ、僕の道理をわきまえ、養子の道理をわきまえ、国家と民族の前に、いかなる受難を受けてもそれを克服して、天の前に統一できる一つの群れを形成し、発展させなければならなかったのです。

 それゆえ、僕の僕とか、僕とか、養子とか、あるいは息子とかいう立場まで引き上げるためには、サタンとのご縁に立って対決し、勝利する群れにならなければならないのです。その一線がどこかといえば、国家なのです。大韓民国という国家の舞台の上に立ち、様々な辱めを受けなければならないのです。もし、大韓民国の反対がなかったとしたら、世界的蕩減路程に継承していくことができなかったのです。その過程における統一教会の歴史をたどってみれば、正に悲惨な歴史なのです。涙でにじんだ歴史でした。

 迫害を受けながら、国家とぶつかって迫害を受ける時代に入っていったのです。それで一九五七年から伝道を始めたのです。そして三年半を過ぎ、四年目に大変な激動の時代に入っていったのです。国が反対し、教会が反対し、聖進様の母親の家庭が反対し、全部が反対しました。しかし、先生の家庭だけは反対しなかったのです。先生には、弟の話はどんな話でも絶対服従する兄がいたのです。そのような立場から、洗礼ヨハネのような家庭を立てていき、エバを選ぶことのできる基盤だけ築けば、ここから復帰の基準が可能であると見ることができます。

 そのようにしながら、内的問題においては内的サタン、外的な面においては外的サタンが、合同で戦いをしかけてくるその一番複雑な渦中において、一九六〇年四月十一日、陰暦三月十六日に聖婚式を挙げたのです。どんなに十字架の迫害が多いとしても、私自身は鉄石のような信念をもって、あらゆる反対の環境を踏みつぶして、その日を迎えたのが一九六〇年です。そこから次元が変わり、一つの峠を越えたのです。



2004.7.1












▲ 目次へ

▲