文鮮明先生御言選集 55

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目次
  1. メシヤと我々
  2. 家庭の伝統
  3. 復帰の道
  4. アメリカに負けるな
  5. 真の父母と我々
  6. 不信の種を抜いて信義の種をまこう
  7. 今後私たちが成すべきこと
  8. メシヤが成すべきこと
  9. あとがき

メシヤと我々

文鮮明先生御言選集 55


メシヤと我々 1972年4月23日 日本 東京教会 

神を失った人間


 この世に住んでいる一般の人は、メシヤが必要であることを知る者はほとんどいません。宗教生活をする者に限ってそれを知る。「人間は救いの道を求めていかなければならない。この世において我々人間としては未完成の者である。完成した人間の価値を求める。あるいは理想の人格の基準を求めているんだけれど、求めているその者は、この堕落圏内にいる。現世に住んでいる自分たちの努力において、それが成されると思う人は多くいるかもしれないけれど、堕落している現世の人間自体がいかに要求しても、完成基準には到達することはできない」ということを我々はよく知っているのです。

 こういうふうに完成を願うような人間になったというのは、これは結局堕落の結果であり、堕落が問題である。

 人間本来の理想の価値を立てずして、その価値の基準を失って落ちてしまったんだから、落ちた所において再びそれを求めなければならないのが、この地上に住んでいる人類である。いかなる苦労の道を越えても、その目的の基準を我々は探り求めて、その基準に立たない以上は理想とか、あるいは人格完成とか、最高の人間として求めている最大の価値基準を得ることはできない。これが人間自体の願いです。

 人間が願うことはもちろんであるけれども、もしも神様がいるならば、神様自体もそれを願わざるを得ません。だから知らない人間たちを、神様は背後において人間の最高の価値基準まで引き上げてやらなければ、神様の最初の創造目的もなされない。だから背後においては神様も願い、堕落した人間自体においても、我々は未来を目標としてそれを願っている。その基準が一致するある時が来なければ、神様のご理想はもちろん、人間として願っている最高の完成の価値観を満たすことはできないのです。

 しかし、この世に住んでいる人類は、神様が本当にいるかいないか、はっきり知っている者はいません。これが問題である。もしも神様がいるということを知ったならば、ここには説明も何も必要ない。教える必要もない。ある方向とか目的観念を勉強する必要もない。それ自体、個人は個人なりに神様に即したいその一念に向かって生活していけば、神様の願いの目的の基準に到達するのはもちろんである。だから要は、神様がいるということをはっきり知ったならば、すべては解決する。個人に対しての問題、あるいは家庭に対しての問題、あるいは氏族、民族、国家、今においては世界が問題になっているから、世界のすべての問題までも神様がいるということをもしはっきり知ったならば、神様が人間の中心として率いるこの地上には、人間は新たに何者も求める必要はないのです。

 だから、神に向かって共に相愛し、共に連れられて、共に生活しながら引き連れられていけば、自然とその目的の世界、個人の目的はもちろん、全体の目的の世界に到達するのは、これはもちろんのことである。だから問題はどこにあるかというと、神様を失ってしまったんだから、神様によって与えられた完全、あるいは最高の価値というものも、自然と失わざるを得ない結果になってしまった。これが堕落です。

 堕落したアダム・エバ、あるいは我々の先祖が堕落したことは見たこともないし、聞いたこともない。しかし堕落した結果の世界に生まれている。だから我々人類の生きている現世というもの、この世の中というものは堕落圏内に包囲されている。これが問題である。この堕落圏内から脱皮しなければいけない。乗り越えていかなければいけない。乗り越えていくには、個人としていかに乗り越えていくかという問題である。個人を乗り越えた以上は家庭を中心として、いかにしても、これをまた乗り越えていかなければならない。家庭に限ったことではない。あるいは氏族、民族、国家、世界まで、天宙の最高の基準を乗り越えるまで、ここには堕落圏がすべてを占領している。これをいかに正すかという問題が、我々堕落した人間として果たさなければならない、解決しなければならない重大な問題なのです。

 これを果たすには、今、現世の世界のすべてを導入しても、それは可能な問題ではありません。国の力でもできなければ、世界の力でもできない。それ自体が堕落圏内に包囲されているし、拘束されている以上はそれ自体を中心としては解放とか、あるいはこれを抜け出るということはできないのです。


メシヤの必要性


 だからここにおいて我々人類として願うのは、これから第三者の力を頼りとしなければならない。そこにおいて宗教の必要性が生じてくるのです。

 愛の絶対なる神様があったならば、このすべての環境を正してもらいたい。それが今まで、我々歴史を通しての人類の要求であった。こういう面の要求とともに、もしも神がいたとするならば、人間をそういうような立場におきたいのが神のもともとの理想じゃない。これはやむを得ない結果になってこういうふうになってしまったんだから、神様自体もこれを本来の基準まで引き上げておかなければ、絶対なる神としての権威を立てることはできません。

 我々人間の一人ひとりにおいても、自分なりに計画したものはいかなる環境のつらさがあっても努力し、成そうとするのが堕落した人間としての要求である。本来絶対なる神から見た場合には、自分のご理想を立たせ、そのものを成さずしてそのままにしておくというのは、これは威信の問題であり、権威の問題にも引っかかる。だから神としても、この堕落した人間をそのままにしておくわけにはいかない。それで、これを救ってやらなければならないという神の立場よりの、摂理という問題が生じてくるのです。

 人間は救われたい。神は救ってやりたい。この両者が一致する。両者が一点において一致したその基準を一度において満たすかという、これが問題である。その一点というものは個人の環境に引き入れられていくような一点ではありません。あるいは我々が、その家庭基準を中心としてそこに引かれていくような、そういう一点ではありません。あるいは国家を中心としても、世界を中心としても、この一致した一点においてはすべてが引き入れられなければならない。そういう一点を神は求めざるを得ない。人間もその一点を願っている。その基準がいつ地上に果たされるか、これが問題だ。その一点が結ばれた場合は、個人完成がもちろん成るであろう。家庭基準ももちろん成るであろう。あるいは国家、あるいは世界という問題も、この基準よりすべてが解放の一点を満たすことができる。こういうような立場に立つのです。

 この一点の基準を誰が責任持つや! 人間が責任持ってこれを果たすことができるか? 絶対できません。そうかといって神様自体がこれを責任持って果たし得ることができるか。それができるとするならば、今まで六〇〇〇年、数千年の歴史過程は通過しなくても、すぐに果たされる問題であった。これは神様が直接そこにおいて関与して解決してあげる問題じゃありません。ここにおいてその問題は、堕落した人間も果たすことができなければ、神様もこれは成すことはできない。では、誰が成すかということが問題です。

 ここにおいてメシヤという問題が必要となってくるのです。

 今我々が世界情勢を眺めてみた場合に、宗教界はともかく、一般の社会において、あるいは世界各国においての問題は、果たして人間の願ってきた理想世界が現れてくるかどうか。これが問題である。宗教として今まで求めてきた地上天国、あるいは極楽の世界が、我々人間の世界に現れてくるか、これを再び問わなければならない段階に入ってきた。そうかといって、その疑問とされる立場を踏み越えようとしても踏み越えることができないし、その苦悶の塗炭の中を潜っていかなければならない我々の人生です。

 ここにおいて、もし神様がいたならば、宗教界に新しい指導的方針を授けてもらいたい。もし神様がいたならば新しい時代的指導者を送ってもらいたいというのが、全人類の切々たる念願なのです。

 今までの歴史過程におきまして、聖人、義人のすべての思想を、人間はそれを果たそうとしてあらゆる方面において努力してみたが、その努力の結果において、成功とか希望の基準を満たしたことはない。それを通して再び落胆するような、そういう結果に我々は到着した。この基準において、いかなる人間の力、思想をもってしても、それは人間が要求している一つの世界を成し得ないということが、もう実験済みのことになってしまった。だから人間も喜ぶ、神様も喜ぶ、その人間が一人から三十四億全世界人類へ、人間も喜んで、神様も喜んでそれに従っていく。神様もそれを立たしていく道に対して、喜びながらそれを援助する。そういうような中心的存在があったならば、これは神様の喜びになるであろう。神様の喜びとともに、人類の喜びはもちろんである。そういうような立場に立っているのがメシヤです。


堕落観念に徹せよ


 堕落したんだからメシヤが必要になってきたのです。堕落しなかったならばメシヤは必要でありません。堕落したんだから神様を失ってしまった。堕落したんだから人間本来の本然の価値観を失ってしまった。堕落しなかったならば結局、人間本然の価値というものは、もう生まれると同時に持つようになっている。ここには、再び神の作用ということも必要ない。要求もない。それ自体にもう満たされている立場である。何者も満たされないものはない。神様を中心とすれば、それは神様を中心として一つになったならば分からないことがない。我々に、こういう根本問題に対しての教育という問題は必要じゃない。

 人間に対して根本問題は何か。食べることである。それから生きることである。最後には愛の問題まで行き着くことである。

 あんたたち生まれて、食べるということを教わったことがありますか? おなかの中から生まれてくるというと、これは自然現象において食べなければならないようになっている。あるいは吸わなければならないようになっている。そこには教育は必要じゃありません。その相対物があったとするならば、それに口をつけたならば自然と食べ方が分かるようになっているのです。

 だから我々において食べるとか、生きるとか、愛するとか、理想を求めるとかも、この自然以上に教育は必要じゃありません。小さい昆虫においても、繁殖作用は自然と知っている。例を挙げていえば、お嫁に行くお嬢さんに対して、お母さんお父さんが、これは愛する問題を根本的に教えてやらなくてもいいのです。それは自然現象的に分かるようになっている。それで自然の要求に従えば、目的過程を通過して立体的な感覚の世界、立体的な価値観の世界に接するのが、堕落しなかった本来の存在です。

 それが堕落したんだから、逆さまになっている。逆さまになっているから、これを立てなければならない。人間を生む時には、頭を下に向けてお尻が上で逆さまになっている。これを再び逆さまにさせなければならない。人間の姿のようなものを持っているんだけれど、人間じゃあないのです。だからそういう立場に立っている。堕落したんだからこういう運命に引っかかってきているのです。

 だから我々は堕落観念に徹しなければならない。これを元返しするには、まずもって何を感じなければいけないかというと、メシヤを願うより、堕落観念を自分がいかにはっきり体恤するかということである。牢屋に閉じ込められた者が、自分が牢屋に入っているかいないか分からないで、解放を、釈放を願うということはあり得ません。

 まずもって、我々人間たる者は何か求めている。何の解放か、これを願っている自分に間違いないというならば、これは何でこういうようになったか。堕落の結果だ。堕落したからである。堕落観念に徹しなければならない。堕落観念に徹すれば徹するほど、その願い求める力が強くなってくるのです。

 もしも救ってくれる、あるいは救いの者が来るということを知ったならば、もう到着する前に一〇〇パーセントの準備をしているだろう。そこには説明がいらない。方法、手段、万全な準備を成して、会う道が開けるように教えてやりたいという心持ちを持つに違いない。だから宗教の使命は何か? 堕落観念を、堕落した人間、罪人であるという観念を、いかに強固に体験するように教えてやるかというのが、宗教の使命です。

 この統一教会の食口と唱える若い者たちにおいても、自分は堕落したのか分からない者たちがたくさんいる。特に、初めて統一教会へ入った者たちにおいてはもちろんそうである。堕落なんて思いもしなかった。自分の先祖の先祖、一番の先祖が堕落したって、何千、何億年の昔のおとぎ話みたいなその堕落の話と、何のかかわりあるや? ピンとこないのです。だから、問題はあんたたちが堕落したという堕落観念を、いかに強固に感ずるかということが第一の目的です。

 堕落したということがはっきり分かったならば、それは救い主を求めよと教えなくても、「目を閉じろ」と言っても目を開けるし、「顔を向こうに向けなさい」と言わないのに、もう向いているようになるのです。

 しかし今まで歴史過程において人類は、そういうような観念に徹してはいなかったのです。宗教生活をしながらもいろいろなことをやってきた。個人の解放圏を成した場合には家庭の解放を、家庭の解放を成した場合には氏族、民族、国家解放を、あるいは世界解放、天宙解放、最後には神様まで解放しなければならない。何だ、神様まで解放するなんてそういうおかしい言葉があり得るか? それはあり得ます。

 あんたたちの父母は、子供たちがもしも牢屋に閉じ込められた場合には、子供は肉身的に牢屋に閉じ込められたんだけれど、親は心情的に閉じ込められるのです。そうじゃありませんか。子供は何も知らなくて、腹減った場合には、おまけに弁当一つを余計に食べたとすれば、その日はもう夜なんかぐうぐうよく寝ます。しかし、親はそうじゃありません。解放するまで、その本人より以上に心情的に拘束されているのです。

 こう考えてみた場合に、まさしく神様が人間と関係を持っている、その神様が本当にいるならば、いったい神様はどのようなお方か。普通の人間には分からない。神様と人間とどういう関係があるや? 神様は愛の方である。愛の中心者が神様であるとするならば、我々人間とどういう立場において愛の関係を結ぶだろうか? これは真剣な問題です。


神が結ぶ愛


 女の子たち、男の子たち、非常に多いように見えるんだけれど、女の子に尋ねましょう。女自体がこの世の中に生まれる時、もしも男の子がいなかったならばというような思いを持っていたとするならば、生まれてくるであろうか? 生まれてきますか?(きません)。

 何億、何十億、何千億、女ばかりいたとするならば、それは一世紀以内に完全に整理されてしまう。そういうふうになったら大変だったろう。それを見た場合に、「女たちよ、誇るな」。それを誇るというような安心基準を持って自分なりに誇れるのは、男が前もっているからであって、男がいなかった場合にはどうなるや? 一人の男だけがいたとするならば、女の戦争が何十年も続きます。それを考えてみなさい。もしもそうだったら大変なことになるよ。

 女自体が生まれる時、男がいるか、いないか、思いもしなかった。女自体が生まれてくる時に、女のために女が生まれてきたのか。これを考えてごらん。女は女のために生まれたんじゃありません。いい格好している女の姿というものは、女のためにしているのではありません。誰のため? 結論をつけなくてはなりません。

 男のため。男がいなければ女は価値がありません。一文の価値もない。女の価値の回復というものは何によってなされるかというと、女自体によっては絶対回復されない。男あって、女の価値は決まるのです。だから相対的な基準がなければ価値も生まれてきません。

 また男も素晴らしい体格をしており、「日本でこういうような美男子は我が初めなり」。そういうように威張る男のタイプがあるとしても、その男たるその体格は誰のものだ? 自分のものじゃありません。男たち、それを記憶しなければならない。男が男として威張っているその姿は、自分の姿じゃありません。自分のための姿ではないということを、この若き者たちにおいては考える者もなければ、そういうふうに思った者もない。

 そもそも生まれること自体から分析してみたならば、男は女のために生まれたんだね。かわいそうだけれど、仕方ない。嫌でも仕方ない。そうでなければ一人で生きてみなさい。そういう連中は世界から分けて、一つの島に集まって、自然にいいようにしておけば、一世紀以内にみんなきれいになくなってしまう。結局は男は男のために生まれたんじゃあない。これが分からなければなりません。

 男がいくら素晴らしいタイプであっても、いくら力が強くて、主管力を持って世界を自分の足場に踏みにじってしまうというような決意を持った男がいるとしても、その男も女のために生まれたものである。そうなるというと女の価値は素晴らしいね。

 ここに立っている先生もそうだ。先生はでかいことを言う。いろいろ問題になっている。韓国においても日本でも、今度はアメリカで十人くらいの上院議員に会って宣戦布告してしまった。「こういうことをアメリカでする。二億近いアメリカ人が使命を果たさないから、我一人でアメリカを救う。こういう旗揚げをする」。それで、問題になっているんだね。アメリカも色眼鏡をかけて、「ミスター・ムーンという男は、どういう男か? いくら大きいこと言っても、そこには相対者がなければかわいそうな者である」。こう見るとお母様の価値は上がるのです。

 まあ、こう考えてみると、我々人間、自分というものはどこに属しているや。自分はいったいどういう者であるのか。これは真剣なことです。

 自分の行くべき道はいずこや。男の行くべき道は男同士で行くんじゃない。嫌でも応でも、ジグザグしながら女の子と行く。女は男と一緒に行くようになっている。男として行く道は、女と共に行かなければならない。女として行く道は、男と共に行かなければならない。だから目的観念というものは自分を中心とするのではない。結実体は実体圏を要求してはいけません。共につなぎ合って求めていかなければならないことは、そもそも人間自体として生まれた以上、存在基台として生まれてきた価値である。それは人間ばかりじゃない。すべての現象界においても、相対性を持っているが、その相対性自体、自分を中心として、存在のその基準を成すために相対性を持っているんじゃありません。それは共に抱え合い、相対基準が一致するところにおいて価値というものが現れてくる。これは否認できません。

 日本が価値あるという場合には、主権と国民が一つになって、より高い、より強い目的観念に立った時です。そうなれば日本は滅びません。国家主権はある方向に行く。国民は別の方向に行く。これは動けば動くほど落ちていく、作用すればするほど、それは弱くなっていくのです。それが原則です。

 だからこう考えてみた場合に、我々人間自体、男、女たちが三十四億の人類を総合して、それを結論づければ、三十四億の人間が、男、女ばかり、それは男であり、女であり、二人である。大きく分ければ二つに分けられる。女、男だ。

 ここにも西洋の食口たちが来ているんだけれど、目玉は青く、髪の毛が黄色であるが、そんなことはどうでもいいのです。人たるものは同じである。悲しいことがあれば涙を流す。うれしいことがあれば「口を開けるな」と言っても開けるし、いくらみっともない歯になっていても、口を開けて笑わなければならない。そういうふうになっている。

 それを分けてみた場合には、男、女に分けられる。男、女、この二人だけを喜ばせる。それは永遠に二人だけを喜ばせる。そういう問題を解決したならば、その二人が共にそこに向かって呼びかけるような道であるならば、それは不幸の道じゃありません。人間の幸福というものは、天から化け物の枝みたいに飛んでくるのではありません。我々同士の間において満たさない限りには理想もないのです。

 そう見るというと、いくら人間が多くいても、それは男、女に限る。過去もそうである。現在もそうである。未来もそうでなければならない。絶対にそのようになる。この絶対的のこういう男、女の価値基準を、いかに分散させるか。そこから、二人共に手をつなぎ合って、よい価値の基準に自分の現実を乗り越えて喜びを満たすかということが重大な問題である。

 国家がどうなるかよりも、その基準を満たさなければ、国家というものは生まれてきません。理想世界は、それを満たさなければ生まれてきません。


自分一人が問題である


 こう考えてみると、大きい問題も簡単になってくる。結局そうなるというと世界が問題じゃありません。あるいは氏族とかそういう問題点よりも、結局今、家族よりも問題は何か? 自分の問題である。自分が問題である。自分自体に、世界に対して愛する愛されるそういうような心持ちを永遠に持つとするならば、それは神様の子供になる。永遠に憎むように、永遠に嫌うように、後始末をつけなければならないような立場に立つならば、それは神様のほうじゃありません。こう思った場合に、この世界は悪の世界だ。結論をつければ結局、我々自体、個人が問題です。自分というものはどうなっているか、現在から見た場合には、歴史は過去があり、現在があり、未来がある。この未来の基準においての自分というのも、それは現在にある。

 現在は過去の結実体である。未来の出発の起点になっている。現世の中心点になっている。これをはっきり知らなければならない。現世というものは未来の出発点である。未来よりも、もしマイナスの立場に立った場合には、そこには価値というものは満たされない。今日の中心体である。世の中がいくら困難であろうとも自分に動かす力があるや否や。自分が動機になって果たすべきその作用は、適用する力はあるんだけれども作用するそういう立場ではありません。そういうような中心的な自分の価値観、これが問題である。

 それが未来であろうとも、自分を中心として未来は出発する。そういう決意をもって、そういう自分になったとするならば……。神様はどういう男を好むだろうか? 理想ばかり望む人を喜ぶか、それはどうかなっている。過去なき現在ありや。原因なき結果ありや。それは原則を無視するものである。未来において、理想の価値観ばかりを求める者は、そういうような完全あるいは完成されたお方があるとするならば、それは点数から言えば三分の一点だ。それに一〇〇点をあげるならば、それはあげた者が、これは無価値の者である。あなたたちは、それを知らなければならない。現実が問題だ。現実において、「歴史よ我に従え。現在よ我に従え。未来よ、我を基準として出発の基点を成せ」。そういうようなお方、そういうような存在があったとすれば、それこそ歴史に対して、「我に従え」というような価値を持ったとするならば、それは歴史的勝利者である。それに向けて、歴史をたどって、それに聞けば、歴史すべての重大な問題事件は彼によって解決されたという歴史性を持った者にならなければならない。現世において、我を中心として、それに従うと言うならば、この世の中においてはすべてを凌駕した立場である。そういう者が問題である。


神をはばむサタン


 もしも神様がいたならば、神様は人間世界において、人間の過去と現在と未来に関係を持つべきにもかかわらず、なぜそういうような神様にならないかということが問題である。それは過去も、神様は人間と交わりたかった。しかし堕落したんだから、悪の人間になったんだから、それはできなかった。現世においても、神様中心の基準において接して、万民と共に生活していきたい。しかし、それはなぜできないのか? 未来においてもそうなりたいんだけれども、なぜできないのか。

 堕落したんだから、こうなります。だからその堕落は、人間として願わないんだけれども、堕落させた者はいったい何や? 神や。人間や。

 人間が願って堕落したんじゃない。もとよりあなたたち青年、若い者たちが悪い子供になる、不良青年になる、よた者になるというような立場に立つのは、生まれながらにそういうように願ってなる者はいません。それは何かの動機によって、誘われてそういうふうになった。しかし人間は、本心から悪を願う者はいません。良くなるのを願うんだけれど、教える、あるいは管理してくれる者があったならば、悪くなろうとしてもできない道であるにもかかわらず、悪くなるのは、その悪の動機になるものがあるから、悪くなりやすいのです。だから、あなたたちの父母たちが言うのは、「いい友達と交わらなければならない。いい先生を迎えなければならない」。そういうことを教わるんです。

 それと同じように、我々人間、堕落しない前の人間において悪を好むという観念を持ち出すならば、これは神様の創造原理が間違っている。悪になった結果から見た場合には、悪は人間が求めて成したんじゃありません。神が求めて成したんじゃありません。何かの原因において成された。それを成したものは何か? それは人間でもなければ神でもない。そういうようなものを我々宗教界では、悪魔とかサタンとかいうように呼んでいる。サタンというものがいる。

 それは、いろいろ成す者において聞いてみれば、なぜそんな悪いことをするかというと、本心はそれを願わなかったんだけれども、自分も知らないでそういう気持ちになって成したと答える者がたくさんいる。

 あんたたちは牢屋に入って苦労したという経験がないから、そういうことが分からないかもしれないけれども、先生はそういう方面の専門家だよ。ずーっと聞いてみれば、牢屋に入っていても自分が悪いことしたという者は誰一人いません。「なぜそういうことをしたか?」「まずもって社会が悪い」。「社会が悪いんだったら、君はなぜそういうように悪くなったか、こういうようになったか? 」。「自分がその悪いことをした時には、自分でも知らないでやった」と言う者がたくさんいる。

 だからそういうような結果をきたらす何者かがいる。それがサタン、悪の力の原因である。だから堕落を我々は非常に悔やむ。悔しく思う。これを正してしまわなければならない。ここにおいて、いかなる我を犠牲にしても、これをただ解放、あるいは釈放しなければならない運命になっている。

 そうなるというと、堕落させた者がいなければ実にいいのに、堕落させた者がいた場合にはこれは大変だ。これはもう、そのまま抜け出ようとするところにおいて、いつも監視している。そこに監督がいる。素晴らしく、あるいは力強い監督がいる。こう見た場合に、まずもって自分がとりこになっているその場を崩してしまいたかったら、戦わなければならない。戦うその相手がどういうふうに老獪なものかというと、それは話にならないほど老獪なものである。数千年来、神様までも人類までも自分の気ままにして悪をふるまった、そういう大将である。

 そういう場合には、例を挙げれば、日本の相撲取りの一番有名な人がいたとするならば、その相撲取りと幼稚園の子供みたいな立場に立っている。いくら自分が囲まれている所を崩し、崩して出たとしても、あの相撲取りがいる以上は直ちにやられてしまう。それでおしまいだ。それがなかったならば問題は解決しそうな道があるようではあるけれども、もしも監督する者がいたとするならば、これは人間同士いくら同盟を結んでも不可能である。そうじゃありませんか? だから神様にも人間にも困った奴がいる。神様としては、解放が問題じゃない。解放は一瞬にできます。それが、過去に、現世に、未来まで徹底した組織網をもって、世界自体を抱擁して、神に正面衝突しながら讒訴した場合には、神様はその讒訴を否認できない立場で、その解決を相談してあげなければならないような……。こういうような動機の内容を持って讒訴した場合には、神様もどうすることもできないのです。


サタンが主管する非原理世界


 神様を中心として考えてみた場合に、サタンというものが問題である。サタンは何を中心として今まで、問題とするか。「神様はこういうような原則において万物をつくったんだから、その原則の法において、これを主管するのが原則である」。その原則がある。その原則をサタンが握ったとするならば、いつでも永遠に讒訴することができる。その原則に合わなかった場合にはいつでも讒訴することができる。だから統一教会でいうのは、原理を中心として非原理という問題が生まれてきます。それは堕落の世界です。それを原理の神様が願ったか? 願わなくても原理の原則を中心として、非原理的な中心者が生まれて原理軌道によって讒訴してくるのです。

 こういう問題がもしも世の中に起こったならば神様どうするか? 非原理を否定するまでには、原理の権限というものは生まれてきません。それを否定する時まで。否定は誰がするか? 神様がするんじゃない。神様はすることができない。非原理によって引きずられている人間が、否定する要件を満たさなければならない。だから非原理の者は、神様に従うべき者ではありません。神様の干渉に立っている者ではありません。しかし、原理の姿をとっていくんだから、神様の原理の基準には立っているんだけれど、神様はこれを干渉することができない。そういう問題が起こったとするならば、これは神様もどうにもならない。非原理の相対基準に立っている人間だけで問題を解決しなければ、問題解決の要点にはならない。こういうような基準に引っかかったならば、神様もどうにもならない。これが歴史の恨みの基準になっているのです。

 それは何を中心としてそうなったか? あんたたちが堕落論で習ったと同じように、堕落原理というものは、本来はないんだよ。堕落原理というものがあるかっていうんだね。非原理というような基準を中心として堕落原理は……。それは堕落せずに、その道をたどっていく以外にない原理であるというんだね。

 もしも、それ以外の問題で堕落したならば、堕落原理という問題にはならない。それは直ちに復帰される。もしも手が切られてしまったら、これはもう一つなくてもいい。足がなくてもいい。根本問題がいかれてしまった。それが愛の問題である。

 本当はお姫様であるべき、その尊い者がその国で一番の強盗の親分に引き連れられて、そして愛の関係を結んでしまった。そういう場合どうするか。王様は、「この野郎、二人共首を切ってしまえ!」。首を切ってしまったならば永遠に子供というものが生まれてこないという場合にはどうする。そういう結果になってしまった。それは、原理としてはそういう方法を取ることは絶対できないにもかかわらず、引っかかってしまった。そういう場合にはどうする?

 それはお姫様が相対者も何も決めていない立場だったら、それはともかく許しようもある。男に対して女が引き連れられていったのだから、原理原則である。しかし、そこにいいなずけの男が決まっていたという場合には、もしもそういうふうになった場合にはどうするか? これは許す道がない。そうかといって、切ってしまったらそれで終わりだ。種がなくなってしまう。人間の氏族がなくなってしまう。なくなってしまうのは原理じゃない。人間は永遠に存在しなくてはならないので切ってしまうことはできない。そういう立場に立ったその王様は、いかに惨めであるか。そういうようになったならば、殺してしまえば簡単である。日本国民にそういう問題があったならば、国法において、処分して片付けてしまえばいい。その人がいなくても、人はいくらでもいるからであって、もしもたったそれっきりの者だったらどうするか。大変なことになる。

 そういう問題以外において、人間が堕落したとするならば神様は六〇〇〇年もいらないよ。六〇〇〇年、六日もいらないよ。そういう問題に引っかかったんだから、サタンが犯したその男の奴は不平ばかり言っているんだから、自分も間違いない罪人だ。この女も間違いない罪人である。その罪を犯したんだから罪を罰せられるのは原則である。宇宙の原則である。その罰せられることにおいて反抗する者があったならば、それは王様としては、再び関係を持って考える相対者には絶対できない。罰せられて当然である。打たれても感謝しなければならない。そういうような道以外に、許される道はあり得ない。不平を言ったり、反抗したり、そういう立場に立ったとするならば、それは許すというような道は閉ざされてしまう。


サタンは非原理の神


 聖書では、サタンは神様と相談してやっていくんだね。神様は原理の神様であり、サタンは非原理の神様である。これが実におかしくなってしまった。非原理の神様が、原理の神様を干渉することができるか? それはできない。非原理の神様が、善の神様の主管圏を干渉することができるか? できない!

 だから堕落した人間は非原理の悪の神様、サタンのほうに従えば間違いなく手続きをする。神様も、「持っていけ」と言う。原理の神様のほうに手続きを一致させた場合、悪の神様であるサタンも「持ってお帰りなさい」と言う。こういうような契約済みのことをするんだから、嫌でありながらも毎日共に会わなければならない。

 韓国において三十八度線に板門店がある。北韓と南の代表者が毎日会いながら一挙にこれを全部崩してしまえという気持ちを持ちながらも、毎日平気な顔して、「君、そうか、はぁー」。笑いながらそうする。そっくり同じだ。そうなると問題は、誰が問題か? 国民、国民が問題である。いくら言っても、国民が打ち倒して追い出してしまったならば解決する。人間がそういうような立場に立ったとするならば、これは大変なものである。だから我々人間の行く所には、善の神様も我と向かい合い、悪の神様も向かい合っている。それを知らなければなりません。それが我々人間の住んでいる現実の現場である。

 しかし、現実というものは実に尊いものである。これが一瞬間において、すべてが善悪のその頂点において、一瞬一瞬の時間を中心として、それは行ったり来たりしている。これが分からなければなりません。

 善悪は遠いところにあるんじゃありません。結局自分が問題です。我々は、二人の神様の主管圏内にある。サタンまでも神様と言うのは気持ちが悪いが、二つのそういう境目にはさまっている。だからそのままいた場合には、これは死んでもどうにもならない。二等分しなければならない。今でも二等分した立場である。だからあんたたちは二等分するのに、それはどっちが内的であるか、どっちが外的であるか? それが問題になる。サタンは神様を中心として見た場合には外的であり、神様は内的であるというんだね。だから人間自体を中心として見たものを、自分のほうに引きつけるようになっているのです。


良心と肉心の戦い


 だから我々人間自体も、二つのものを持っている。良心と肉心を持っている。この世の中において、良心を持っていない者は一人もいないということは、皆、それは承知しているんですね。良心がないと言う者います?(いません)。皆、自信持っている。良心を見たの? 誰一人見た者はいない。しかし知っている。肉身というものを見ない者は一人もいない。これが問題である。良心があるということは絶対的に知っておりながら、良心を見た者は一人もいない。肉身があるということを絶対的に見ながら、絶対的にあるのを知っている。これが問題だ。

 だから、比例から見た場合、分かるという感覚度から見た場合に、分かるということは絶対的に知りながら見たことがないし、あるということを絶対的に知りながら見たことがあるという場合には、どっちが強いか? 肉心のほうが先立っている。これが問題である。

 あんたたちもそうでしょう。食べたい、腹が減った、という場合には、腹が減ったのだからと良心が認めるか。肉心が「腹が減った」と言っても、良心が腹が減ったと認めるか。皆、肉心が先に立つ。欲しいということ、見たい、会いたい、住みたい。こういうのは何を中心として言うか? 接する触覚の部分は、内部ではなくして外部である。しかし、感じたそのものは、それが決意として実る本拠地は、それは肉心ではありません。良心です。

 これは今、哲学的に問題になっている。だからここにおいて、神が人間に対して接する場と、サタンが人間に対して接する場との境目はどこか? 境目はどこかというと自分である。あんたたちも世界的戦争を恐れるな!自分を中心として二大陣営が毎日戦争しているのにどうにもならない。朝に夕に、一日に何十回、何百回もやる。言葉を一つ誤って話した場合には、問題になる。責められる動機はどこにあるの? 責められる存在そのものは肉心にあるの、良心にあるの、責める存在は何や? 良心だ。

 だから戦いである。良心が抜けて、肉心が、「おお、この野郎、良心よ、良心よ。君何やっているや」。そういうふうな戦いをしかけた肉心がありますか? この反対である。内的に肉心に対して攻撃する。それをやったらいけません。しかし、この世の中には、良心的な人が比例的に多いか、非良心的な人が比例的に多いか? そう考えてみた場合に、良心的な人が比例的に多いが、良心の呵責を受けながらとんでもないことを皆やってしまう。その戦いをやっている。

 だから宗教とか、教養とか、教育の基準をどこに求めているか? 良心の力、それが教育とか、宗教の働きかけなんです。そうして何をするか? 肉身の足場を占領する。その目的はそこにある。善人であるか、悪人であるかの境目が生じてくる。それをはっきりしなければならない。


善悪の中心は自分


 自分は何や? 悪、悪は何や? 善なる圏を中心として、神の主管圏として治めるべきそういう境地と、サタンの治めるべき境地と、何を境目としてこれを分け合うや? これをはっきりさせなければならない。それが自分である。これを考えなければならない。朝、御飯を食べても、その御飯を食べてどこに行くか? 食べた御飯は悪の御飯になったり、善の御飯になったりする。その晩休んだ。その休んだ時、休んで何をするか? 結果において悪の休みであり、善の休みである。その一瞬が二つにつながっている。

 善悪の中心者は世界ではありません。善悪の中心者は神様ではありません。サタンは悪の中心者である。その二つを兼ねているのが人間である。

 そういうふうに見た場合には、神様よりも偉いし、サタンよりも偉い。善悪の中心者は人間である。自分である。それをはっきりさせなければならない。

 だから、神様よりも怖い者は人間である。サタンより怖いのが人間である。この者の行動いかんによっては、その国を滅ぼすこともできる。その国民の三分の一が善人であろうとも、いっぺんに善人を犯してしまうこともできる。これを知らなければならない。恐ろしい者は誰か? 自分である。この怖い者たち同士が一つに合同した場合はどうする? 合同ということはできない。戦いの起点はここから始まってくる。これを考えなければならない。そこから始まったんだから、外的な者同士の結合体は自然と生まれる。内的な者同士の結合体は自然と生まれる。だから、この世の中には二大主流の思想が生まれてこなければならない。一つは善を否認し、一つは悪を否認する。そういう思想の結実が、必ず地上に生まれてこなければならない。その時は、それは末の時である。それが現世である。

 唯物史観を中心とした神があるや? 片っ端から怨讐にして、その価値を認めないのが怨讐圏のなす行動だ。悪辣であれば悪辣であるほど、その力が強い。善のほうはそうじゃない。

 共産主義と民主主義の対決になっている。それは、そういう結果として生まれてこなければならない。


肉心とサタンを占領せよ


 それは誰から始まったか? 自分から連結する。自分たちを中心として見た場合には、これは、自分が先頭になっている。だから、あんたたちは世界的先頭に立ちたいというのが人間の欲望なんだよ。だから世界的、歴史的、現世的、未来において、一番罪悪の先頭者は誰か? それは自分であると、確信を持たなければならない。

 もし自分が生きるとすれば、過去のすべてを解決し、現世すべてを解決するし、未来すべてを解決する。これをどうして分け合ってしまって解決するや? そこには未来の問題がある。現実において肉心を占領することと、見えないサタンを占領すること、二大問題です。分かりました? これと戦争しなければならない。その第一の戦争は何か? 肉心だ。第二はサタンだ。サタンと肉心が我々をとりこにしてしまう。その肉心というものは、サタンの命令において引き継がれた要塞である。そうした場合には、永遠に滅ぶようになってしまう。だから宗教の目的は何か? 世界占領する前に自分占領をいかに成すかである。

 先生がこの道に出発する時の第一の目標はそれだった。「天宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というのが問題だった。それには、第一に肉心をいかに主管するか。そこには食べたい、それから生きたい、それから愛されたい、愛したい。それなんだ。その人間生活の主流に行き当たるのです。

 そうすると、この肉心を中心として「食べたい」、その者はどうなる? 生まれながら悪の圏に立っている自分であるということを知っている。自分から見た場合に、肉心が食べたいということを成してやればこれはどうなるか? 悪のほうに近寄る。肉を中心として、生きたい道に歩調を合わせれば、悪に傾いてしまう。それは原理的にそうなる。肉を中心として愛したいというような道に行くなら、肉のほうに完全に傾いてしまって、もう沈んでしまう。渦巻きみたいに。渦巻きは、上がる渦巻きはないのです。沈んでしまうのです。

 だから食うことにブレーキかけ、食う物があったら、その反面何をするか? それを自分よりもっとかわいそうな者にやれというんだね。かわいそうな者にやったら、善の繁殖になるというんだね。そういう戦法をとる。そういう結果になるんだから、その者に、自分よりいい者にやれというんじゃないのです。悪い者に譲ってやる。それをもっと価値ある立場に立つところに譲ってやる。それは何かというと、現実を否認する作用だ。その方策、その方法じゃなければ、第一線の悪の足場を乗り越える道はありません。もしもとりこになった者は、縄でも付けて向こうに、他の所へ上がっていかなければならない。そうすれば、人のためにして救ってやれば、その人は私を救ってくれる。だから肉心の願いを越えて、それに逆らって、反対の結果になるようにするのです。今自分が要求するその価値のものをして、それで結局自分が救われるのです。

 それをはっきり知らなかったんだけれど、過去の義人、聖人たちは善人になれと言う。善人になるには、自分が自分のものを犠牲にして、他の者に捧げてやる。それが善人である。その方法は何かというと、とりこになっている自分が、防備、あるいは要塞、あるいは牢屋から抜け出る作戦をするためにやったということ、それを知らなかったね。

 そういうふうに、四方八方にその縄を付けてやる。全国民にそういうふうにしてあげる。そういうふうにやった場合には、それを引き上げた、援助してやった者は全部協力者だ。神はそういう摂理をする。一人の善人を探して犠牲にさせてすべてにやるようにして、みんな協力者の圏をつくる。そうした場合には、その価値以下の基準においてサタンは干渉するんだけれども、そういう圏に立った場合には神が干渉することができる。こういうふうな作戦を行ってきている。

 それで、原因はいずこにありや? 肉心の回りを行く者は一人もいません。肉心を救う道に乗り替えていく。そういう良心の命令に従っていくところに善がある。これは歴史的に否認できません。そういうふうになれば肉心圏は、自然と包囲されてしまう。それでいかなる宗教も、こういう方法を教えない宗教は、宗教ではありません。宗教がそういう作戦をしているというのを見たならば、全部目的の方法は一致している。その主管する主人の目的は一致しているのです。だからいろいろな宗教があるんだけれど、本筋から、この原則から脱したならばそれは宗教ではありません。その版図が広まるにしたがっていくら悪のもの、サタンのものであるとしても、サタンの相対者がなくなれば、そのサタン自体も弱まってくる。こういうふうになっている。


善を広めていく生活


 現実にあんたたちは、はっきり知らなければならない。自分という者は問題だ。自分という、問題ある自分においては、善悪の株式会社の大株主である。そこにおいて、悪者二人が戦っている。悪者二人ではなく、悪い人たちが攻撃している。それを屈服させるには、そういう善の作戦を広めていかなければならない。伝道するにも、あんたたちが国家伝道圏を、国家的伝道基準をつくったならば、国家的その解放圏がつくられる。世界的伝道圏をつくったならば、世界的解放圏がつくられる。これが神の地上においての戦法である。だから神のほうに立っている善の道に立つ者、宗教を信じる者たちは死んでも行くんだね。死んでも行く! どっちが強いか? 善が強い。どっちが長びくか? 善が長びく。どっちが勝利するか? 善が勝利する。これは原則なのです。

 だから長びくので、善の側の者がもしもひざまずいたならば、それは倍加して強くなってくる。そういう場合には神様が援助する。そういう責任持って立ったならば、神様が援助する。それにぶっかける者あったら、ぶっかける者が砕けるんであって、ぶっかけられるその者が砕けるんじゃありません。それが善悪の戦いの秘訣になっているのです。

 結論を出すと、悪人は何か? 自分を中心として、肉を中心として、私的な感情を持ち出す者が悪人である。自分を中心としてすべてを占領しようとするのが悪人である。

 善は何か? 自分を犠牲にする。自分とは何か? 体を犠牲にして、人のためにするという、これは善人である。現世においては善悪の基準は、これがぼやけている。だから「君の物は私の物であり、私の物は私の物である」。それは共産党のやり方だね。そこには方法、手段を講じない。原理の価値を表し、最後の勝利の基点をつけるには、二者が一度ぶつからなければならない。一度ぶつかって勝利を決めなければならない。天下分け目の戦いがあるんだね。だから、そういうことを個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的に戦ってきたんだよ。それが世界的になった。

 今はどういう時代か? 思想戦時代だよ。本当は宗教戦争時代です。共産主義の悪のサタンを中心として、神は認めないんだけれど、それが宗教みたいになっている。共産宗教だ。そういうふうになっている。

 だから思想を乗り越えなければ、神に行く道を見いだすことはできない。人間思想以上は神だから、歴史を総合的に考えてみると、今までの歴史は何を中心にして戦ってきたかというと、体を象徴する万物を中心として戦ってきた。今までの歴史は何のため? 両方とも広めるために戦ってきた。今もそうである。だから続いている。

 それから、その次は何を中心として戦うか? だんだん広くなっている。昔は領主も何もあったものではない。奪い取る。土地を中心として戦った。今は思想時代において、人を奪い合う戦いだ。発展していく。だから人は何主義か? 選挙もそうだろう。人を奪う戦いにおいて勝利すれば、その国の主権者になれるんだね。人の奪い合いの戦いである。それが思想時代である。その次に何の奪い合いの戦いが来るかというと、神を中心として奪い合う戦いが来る。これは最後には宗教戦争だ。あんたたちは、それを知らなければなりません。

 今、政治をやっている人たちは、「ああ、物だけあればいい」。そしたら、世界は自分のものになるように思う、そういう愚かな者がいる。独裁者は、「自分を中心として、自分は宇宙の代表とか何とか」大きなことを言っている。そういう時代圏にあって、人を集める神の作戦の一方法の分担の責任を持たせてそれを許すのであって、それ自体、過ぎたならば許さない。だから一番の問題は何かというと、思想戦が問題です。


霊界からの攻撃


 最後には、もしも宗教同士が戦ったならばどうなるか? そういう現象が起こりやすい時代にある。そういう時代を防備するために、統一宗教というのが防備材になっている。それが必要だ。だから宗教戦争時代は、霊肉共に防備するのです。霊界が地上を占領しているんだね。

 そのようなものがあるとすれば、何千億くらいあるだろう? 日本の一億は問題ではない。足場の塵にもならない。数千億、数万億の霊人たちが、地上占領攻略を進めてこざるを得ない。それがあんたたちのノイローゼ現象である。もう少したてば八〇年代、まあ二〇〇〇年代を超えれば、その時はみな通じる時が来るかもしれない。悪霊に通じるか、善霊に通じるか。戦争するなと決めても、戦わざるを得ない、そういう時が来るかもしれない。それを防備しなければならないのが、統一原理の使命である。高いアンテナはピーピー音が出てくるんだね。それがノイローゼ現象だ。

 一番恐ろしいのは何かというと、もしも霊界があり、悪霊だけ動員されて地上攻略してきた場合にはどうなるだろう? いくら人間が全地球上に飽満しているといっても、それは悪霊に攻められてしまう。だから神様はこれまでに準備している。悪霊の反対の善霊を中心として、霊界の基台を広めてきているのです。それは、宗教圏の人たちをずーっと集めて、今人類の半分、十七億近いその者が宗教圏に立っている。二十億近いその者が宗教に立っている。だから、世界で一番有名な人は誰だろうか? 宗教統一を考えて、そしてそれを代表する問題を打ち立てている者があったら、これは最後の歴史の勝利者になるだろう。それは、神様もそれを認めた基準であり、人間、本心の良心の最高の基準からの願いの的である。だから世界の四大聖人といわれる人は皆、宗教の教祖になっているのです。

 イエス様もそうであるし、釈迦も、孔子も、マホメットもそうであるし、神様はこういうようなことをよくよく知っていた。現世においては、宗教は思いもよらない弱き者が信じる、頼るような道を持っているにもかかわらず、なぜ四大聖人の思想がこの文化圏の中心史の主流として、国家の教育とか国家の憲法を中心として、国家の組織の形態を成して、この世の中の文化世界をつくってきたのか? しかし、それは間違いないんだね。

 そういうふうにして世の中は発展していくのです。今は末の時期になっているから、良心と肉心の戦いは最後の極地に立っている。こういう時代においては、物ばかりでは問題は解決されない。共産主義自体では世界を一つにする、一つにするという時代はもう過ぎている。

 中共とソビエト、もう分裂している。日本にも共産党のいろいろな分派があるでしょう。それ同士が戦う。それでは、理想のものじゃありません。民主主義においての、良心においてのカイン・アベルは、こういう時代において二つを一つにさせる。こういう目的を兼ねていかなければならない。それを完全に分けてから、これを処分して、いらないものはみな取る。あんたたち、とうもろこしの切り株を引き抜いた場合には、土がいっぱいついてくるんだね。その土をみんな取ってしまうには、二つの根をぶつけるんだね。それをこぶしで取る者はいないよ。それを両手でもってぶつける。ぶつけるというと土が落ちて、株が残るんだね。ぶつける時代が今の時代である。そうすると、両手は誰が持ったか? 神様が持っている。そうなれば人間は滅びない。

 こう考えてみた場合には、宗教界を握り、思想界を握って、その中において二つをぶっつけて、最後に残るものを一つの束にして、神様が担いで家に帰る。それを願っている。

 しかし、その株の一方を神様が持っている。先のほうの一方をサタンが持つようになっている。必ずそうなるよ。だから民主主義においても、カイン・アベルがあるんだよ。アベルは誰が持つ? 神。カインはサタン。

 共産主義も全部悪いんじゃありません。そこにもカイン・アベルがある。共産主義にも神様は働きかけている。だから二つ共に戦うという場合には、一つはアベルの立場であり、一つはカインの立場である。何を意味するかというと、先のほうはサタンが取っている。そのサタンを誰が追い払ってしまうか。これが問題である。


サタンを追い出すメシヤ


 この使命を果たすべき存在がメシヤである。メシヤ、メシヤ、メシヤ。だから神様も、絶対メシヤが必要である。堕落した人間も絶対メシヤが必要である。この環境から抜け出るには、メシヤなくしてはできません。そうなったら、そのメシヤはどういうお方か? 霊界のすべての完成と、地上のすべての完成にも責任を持たなければならない。霊界、地上界すべての完成に責任を持たなければならない。この責任を成すという目的基準が、統一思想でいえば、統一教会の名称を借りれば、これが天宙完全復帰という言葉である。このようなメシヤが地上に来られるには、霊界を統一せずしては地上を統一することができないからです。

 堕落は何か? 霊界から始まった。だから霊界において一つの方法で治める、その基準、絶対的主権、主管権、これを持って来られるお方がメシヤである。そういう立場で、霊界を統合し得るその内容を持って来られるならば、神様の秘密、サタンの秘密を、すべてを分かって地上に来られるのである。それで地上に来て、いっぺんに地上を占領してしまうのではない。一人ひとりからである。子供が生まれる時には、ふたごもあるけれど、それは非原理に近いものである。

 ふたごの子供があった場合には、復帰自体においてカイン・アベルとか、エサウ・ヤコブというふうに、歴史の重大事件の復帰原理を延長させるために生まれてきたといえば、それでいいよ。一人ずつ生まれてきたので、お母さんも一人、お父さんも一人ずつ生まれてきたので、一人から始めなければならない。その一人を中心として、もし男がメシヤだったら、どの一人を誰から始めるかということが問題である。前にも言ったように、男は? 男は女のために生まれてくるんだ。だからこのメシヤというものは、こういう天宙の中心の核として来られるお方は、男で来るか、女で来るかということが問題だよ。

 男に聞けば「はーい、男で来る」と言う。女に聞けば「はーい、女で来る」と言う。なぜか? 男は実際何もやるものがない。体としては何もやるものがない。女は、体としてはお乳をやるんだね。子供に飲ませ、食べさせるんだけれど、男には何もやるものがない。何かあるの? そういう立場から見た場合に、男より女? 男のメシヤが来たらいいか、女のメシヤが来たらいいか?

 では、女のメシヤが来たらいいの? 日本の場合には天照大神は女か男か? 日本人はよく知っているんじゃないの?(女です)。日本人から言えば女で来たらいいじゃないの? これはおもしろい。世界中でそんな国はたくさんはない。そういう血統を受け継いだから、日本人は女といえばもてはやされるよ。男で来たらいいか? 女で来たらいいか? 男は欲張り、最高の欲張りだ。かなえられなかったらみな一人で取ってしまう。それは、女にすれば男がいいかもしれない。男にすれば、男がいいだろう。(笑い)

 神は原理の神だ。神がメシヤをよこすには、原理に従ってよこすしかない。まずもって、そのメシヤたる者は原理を中心として完成した者である。原理を、専門的な原理を中心とした者でなければならない。そうなるんですよ。原理によってつくられた一人だから、原理を中心とした思想を持って来なければならない。そうすると神自体も原理から見た場合、男が初めや? 女が初めや?(男です)。どうしてか? 女から子供が生まれてくるんだよ。なぜ、男だ? 聖書に書いてあるから信じて?(神様が男だから)。なぜ神様が男か、女か? 見たのですか?(笑い)

 そうかどうか分からない。実験してみなきゃ分からないよ。さあ男か、女か? 人間は何が主体か? 今度アメリカやヨーロッパへ行って質問されたのもそれなんだよ。何で男が主体ですか?(お父様がメシヤだから)。お父様がメシヤかどうか分からないよ。(原理を解かれました)。原理が間違っているかもしれないよ。そういうと限りがないよ。実験しないと分からないよ、しないうちはそういうことを言うなというんだね。

 問題はそこなんだよ。人間は人間として生まれてくる時は、女か男に生まれてくるけれども、男が先か、女が先か? そもそも人間は何から生まれてくるや? それは男から生まれるようになっておる。人間の子供の種は、女から生まれるんじゃない。男から生まれるようになっているのです。分かりました? 原因の出発点は男から、神様から見ても、男を中心としなければ原因の主体性を立たすことができない。男を中心としなければならない結果になっているから、男のメシヤが来なければならない。女は何か? 畑だ。女が主体にはなりません。男が主体である。先にあった。人間の生まれるその種は女にあるんじゃない。男が先にある。だから原理的に見た場合には、男が主体者にならなければならない。

 もう生まれつき良く教育されているから、日本の女は男に絶対服従するようになっている。家庭から、社会から、国家からそうなっている。よくよく従うようになっている。アメリカは反対だね。東洋は女が一番下であり、西洋は女が一番上であるというんだね。反対でなければ平均がとれない。先生、驚いたよ。西洋に行けば、なぜ左手を専門的に使うや? 東洋では左手を使ったら片輪みたいに思うんだけれども、西洋は左利きが多い。寝るのも東洋人はあおむけで寝るが、西洋は真下を向いて寝る。呼ぶのもこういうふうに呼ぶ。よくよく釣り合うようになっている。中心から見た場合には、これは反対だ。だから一つにならなければならない。

 ここにも西洋の食口たちが来ているんだけれども、彼らも先生が必要だよ。だからメシヤは神様も仕方なしに、男をよこさなければならないし、人も男を望まなければならない。だから男が来るんだ。男が来る。男のメシヤは何を求めてくるのか問題である。何を求めて来る? 女を求めて来る。気持ち悪いんだけど女を求めて来る。女と思えば、気持ち悪く思ったらいけません。

 だからメシヤは、この地上に来られる時には堂々たる男として来られる。天下いずこに来られてもそれに逆らう者なし。神様もほれた男である。歴史的聖人も、それは希望の的の男である。これは万民、世界三十四億の現世の人間は、その姿に一度会い、一度話し、共に行動したいというような望みの的のお方である。未来はそこから新しい尺度が始まる、出発の基点である。それがあって、すべての価値が生まれてくる。その基準あってすべてがその中心を取るようになる。それが確立するにしたがって、勝利が決定されてくる。

 しかし、素晴らしいお方であっても、それは人間に違いない。目も二つであり、口も鼻も、君たちとそっくりだ。君たちがメシヤに似ているのではなく、メシヤが君たちに似ている。メシヤは人に違いない。人は人だけれど、その内容が違う。その内容は何かというと、立体的内容を持っている。それが違う。堕落した人間は、堕落圏の平面的内容しか持っていないが、メシヤは立体的内容を持っている。心情においても立体的だ。それが違う。あんたたち平面がいいの、立体がいいの? 立体的でなければ永遠に回ることができない。そういうふうになっているのです。


メシヤの使命


 メシヤが地上に来られて果たすべき使命は何か? サタンを屈服させなければならない。サタンを屈服させて悪の主管圏を打破してしまわなければならない。占領してしまわなければならない。これはメシヤが来られる第一の責任である。

 メシヤが来られるその使命は何かというと、我々は悪主管圏に包囲されている。ねらわれている。この鉄条網をいかにして切るか。あんたたちは切る道もない。それにはまだ番頭さんが立っている。その番頭さんと戦って、勝てる力を持った人は、この世の中にはいない。だから解放を成し得る主体の主人をもって、そういうとりこになっている防壁を一挙に覆して、そして番頭さんを処分してしまえば、すべて解決してしまうのです。だからもう牢屋なんか、問題じゃない。最後には何か? 番頭さんだけ。これを追い出してしまえばすべては解決する。それで問題は、サタンを追放するためにこの地上に来る、サタンの主管圏、悪の主管圏を奪還して、善の主管圏の設立のため来られるお方がメシヤです。

 メシヤは男として来られるのですが、地上での第一の目的は、女のために来られるのです。

 日本国民として、日本の首相には選挙で誰でもなれるし、なって走ってみることは誰でもできる。選挙で加担する者たちも、将来自分もなりたいという欲望を持って選挙運動する者はたくさんいる。それと同じように、もしもメシヤが女のために来られるんだったら、世界的な女性は、一つ候補者になってみたいんだね。それは仕方ないからであって、本人から見たら候補者になってみたい心は、女としてみな持っているんだよ。メシヤは地上に女のために来られた。女のために。そして、新しい血統を立たせる。それを考えなければならない。何のために女を迎えるか? 新しい血統を立たせるためというんだね。それが最も大切だよ。原理から見ても、それは核心を突いた答えです。

 試験答案は、それを書かなければならない。そうなると、メシヤの来られる目的は何かというと、サタン世界主管圏を断ってしまって、それから何を成すかというと、善の血統圏を立たせるのである。その善の血統圏を立たせようとしても、反対する国があった場合には、その国の中で血統圏を立たせてもやられるのです。

 サタンが主管するその主管圏、国家圏にあって、国内にあって善の血統圏を立たせたとしても、サタンは首を切ることができるのです。

 それはそうだろう。王子が敵国の真ん中に来て、夫婦でのみ生活するとするならば、王子は敵国の獲物になる。それは間違いなくそうなる。だからまずもって何をしなければならないか? 善の主管圏を獲得してからすべてをやらなければならない。


この世の王様、サタン


 聖書を読めばヨハネによる福音書第一二章三一節に、「サタンはこの世の王様である」とある。それは聖書を読むクリスチャンたちが少し考えてもすぐ分かる。なぜ、全能なる神様がつくった万象界すべてが、サタンの指揮下に入ってしまったか? サタンと神様といつ戦って、神様が負けてしまったか? 聖書をいくら読んでも、神様が負けてしまったその聖句はない。それが問題になるんだよ。戦ったこともないのに、結果がそうなってしまった。

 それは、万物はアダム・エバのものである。アダム・エバを中心として、人類の先祖のためにつくったものである。つくった者の主管圏内にあるべきなのに、それをサタンが占領してしまった。占領方法は何を中心としてやったかというと、一番の神の最高の理想の基点である愛をねらった。それが問題である。愛の問題でなければ、何の問題もない。だからサタンはどういう者か? 何者か?

 聖書を読めばイエス様はこういうことを言っている。「罪を犯した場合は七回、七十回まで罪を許してやれ」。それだけの包容力、それだけの慈悲心を持っているならば実に愛の者に違いない。イエス様はそういうような神の子である。その父親が神様である。それだけの心を持った神様であるなら、なぜサタンを怨讐視するか? サタンが犯した罪を許してやれば一挙にいいじゃないかと思われる。しかしサタンを、神様はいまだ永遠に怨讐視する。何の罪を犯したのか? 人間は今まで分からなかったけれど、それは許すことができない。だからイエス様が罪を七十回まで許してやれというのは、サタン圏内にある人をいかなる犠牲を払っても解放する、そういう目的が成されるまで果たせという言葉である。

 だからといって、サタンを許すことはできない。何の罪を犯したか? サタンは人が罪を犯した場合、神の前に讒訴して自分の所に引っ張ってくる。サタンも罪を犯したならば、サタンが犯したその罪を人が引っ張り出し、神に讒訴した場合には、絶対なる公的な審判官である神はサタン自体を裁かなければならない。そういう立場に立ち得ようか、立ち得まいかと思ってみた場合に、それは当然、同じ公式によって堂々と立ち得る。サタンがいかなる罪を犯したかと讒訴し得るその者が今まで歴史的に生まれてこなかった。これが問題である。

 今、殺人をしても、その罪が公に表れない以上は、その罪を犯した者は平常な人間の生活を送ることはできる。しかし、罪を犯したその現場を見て讒訴する少年、少女の前では頭を下げる。警察に訴えようとしたらそれは命懸けでお詫びするだろう。屈服するだろう。だから人間は、今までサタンが何でサタンになったかはっきり知らなかった。それを我々は究明しなければならない。そういう内容を教えている所が統一教会である。

 もう少し突き詰めて言えば、まず一般の人は、悪の世界、サタンというものは、もともとあったと言う。こうなった場合には二元論になる。二元論になった場合には、原因が二つだから、目的が二つに帰一する。理論的な結果である。だからそういうようなサタンがもともとあったとするならば、神が人間を中心として理想世界を夢見るということは、これはナンセンスである。それはいけない。そうじゃなかった。

 サタンが数千年神を讒訴しながら、数多くの人類を自分の足下に踏みにじってきた。こういう権力あるサタンが、もともとから神と同じく存在したとするならば、人間が完成するという目的観念を持つことはできない。霊界へ行っても堕落しないという基準を絶対的に求めることはできない。そうなったならば、神は絶対者ではない。相対者になる。相対的存在になる。

 どちらが先か? 悪のほうが善になったらいかにいいだろう。共に主張すべきなのにもかかわらず、悪なる者が滅んできたのが歴史の伝統である。だから、善に支配されるというのが原則である。そういう結果からそれを検討してみても、悪の主体は善に服従する動機を持っていることを、証拠として示すことができる。だからそれはもともとあるものではない。


サタンとは何か


 それから、サタンというものはどういうものだろう。最初の先祖のアダム・エバを中心として考えてみると、神様がおられ、アダム・エバがいた場合には、アダム・エバの関係、神様との関係をよくよく知っていた者は誰だろう。それは天使長、天使長しかいない。理論的にもそうなっている。天使しかいなかった。そうなったら一番近い者として天使しかないので、天使長を中心として疑ってみなければならない。神様自体は、堕落の動機になれない。アダム自体もエバ自体も堕落の動機になれない。その動機になれるものは、第三者の立場というものは、天使しかない。

 天使たるものはいるや、いないや? それは聖書を見ると、ちゃんと分かる。人をつくる前につくったことになっている。だから神様が戒めを出したのも、天使長がいるからそういう警告を出したんであって、もしも天使長がいなければ、アダムに対して善悪知るの実を取って食べるとか、食べないとか必要でない。問題はそこにある。だからサタンになった者はもともとあったんじゃなくして、堕落したために、罪を犯したためにそれはサタンになった。堕落のためにサタンも生まれてきた。

 では、人間とサタンと、その罪を犯したことに何の関係あるや。人間が別に堕落したのではない。サタンによって誘われて堕落したんだから、共に堕落の動機に結びつけることができる。サタンがエバを誘って堕落したんだから、人間が堕落するとともにサタンも堕落した結果になった。こうなってみた場合には、その堕落は何か?

 聖書を探ってみると、堕落によってサタンもサタンになったとするならば、そのサタンはどういう罪を犯したか? それは淫行を行っている。「姦淫を行ったその天使を終わりの裁きの日まで、裁かれる日まで待つ」そういう内容の聖書の言葉がある。だからサタンは姦淫によって堕落した。そうすると、人間の堕落と通じる。

 エバは堕落した結果どうなったか? 見て、取って、食べて、口をふさいだのではない。手をふさいだのではない。何かいいものがあって、お客さんが来た場合、それをあげようとしてお母さんが、「誰々さん、手をつけたらいけないよ」という命令をした場合、子供はそれはおいしいものであると知って、手を出してお母さんの戒めを聞かず食べようとした途端に、お母さんが入ってきたとしたら、口をふさぐのです。それが人間の本能である。こう考えてみた場合に、エバはなぜ手を隠さず、口をふさがず、下部を覆ってしまったかが問題である。

 聖書のイエス様の言葉を見ると、ヨハネによる福音書第八章四四節に、不信なる者たちに対して、「サタン、悪魔の子孫である」と記されている。これは適中している。それは洗礼ヨハネも、「毒蛇」と言う、これは敵愾心を持っている。こういうのを見ても、これはサタンと人間において神も許されない。淫行関係において、血統を汚されている。これは否認できないものになっている。だから我々先祖は結局、堕落の結果において血統を汚してしまった。これが問題です。

 堕落した人間はいくら努力しても、努力しても、その人間は養子にしかなれません。養子というものは血統が違う。ローマ人への手紙を読めば、聖霊によって恵まれた我々も「アバ、アバ」と、養子になることを願うというような所がある。それは否認できない。我々堕落した人間、クリスチャンもすべて実子になれません。養子になっている。その養子とはどういうものかというと、例を挙げれば渋柿みたいなものになっている。堕落は何かというと、甘柿になるべきものが渋柿になっている。その渋柿の畑は神様が管理するんじゃなくして、この世はすべてサタンが管理する。サタンが管理する渋柿になってしまった。

 人間自体が血統を汚したんだから、汚した血統を受け継いで生まれるすべての者は、サタンの後孫になっている。一人生み、二人生み数百、千万になるにしたがって、それはみんなサタンを先祖とする。後孫として生まれてくるので、結局はサタンは黙っていても王様に成らざるを得ない。その後孫の立場に立っているから、サタンは自然とこの人間世界を中心として王様に成らざるを得ない、という結果になる。だからサタン圏内に創造されたすべての万象世界が、サタン圏内に主管されるのは当然である。それは否認できない。それ以外の道はない。戦わずして万物はそういうような主管圏に入ってしまわざるを得ない結論になる。

 だから、血統的な堕落のゆえに、神が主管すべき者をサタンが奪い取っていったというのが事実である。こういうふうになっている。だから血統が汚れている。


宗教の使命


 サタンが主管する渋柿の畑をそのままにしておいては、サタンの国において主管されるんだから、その場合に神の摂理とか何も成すことができない。それで、これをサタン世界から分別作用する。引き抜いてしまう。分別作用を成すそういう機関が何かというと、これは宗教である。

 宗教は現世のすべてに則する権力すべてを、外的すべてを否認して回れ右せよ! そういう作戦をする。この世的すべてを否認する。だから完全なる宗教は公認されて出発するんじゃありません。絶対否認による。それを認めなければ、完全に立つか、一八〇度反対側に立つか、回れ右することもできない。そこにおいて後ろを振り返り塩の柱になったロトの奥さんと同じような未練を持ってはいけません。反対である。公認の基準において、真の宗教は生まれてきません。この基準から見た場合に、日本の現実において真なる宗教はいずこにあるや? 分別する基準が分かりましたね?

 だから完成して、聖人たちの時代においては、その国に生まれて迫害されたんだね。迫害されるどころじゃないや。生命を奪われてきた者が善人になっている。イエス様自体もそうである。孔子もそうである。彼は、隣の犬みたいに扱われていた。お釈迦様もそうである。みなその時代、足で踏まれ、その環境にふみにじられた者が、歴史を動かし、新しい世界の方向を示す中心人物になった。この時代を抱擁し、歓迎する立場に立ったのではない。いかに否認して、善の立場に立つ観念を世界的に持っていたか。その基準において聖人が分別されてきている。だからみんな世界主義者である。その一国だけを思うんじゃありません。

 神の願う所は国を越えて行かなければ、神の願う出発点を満たすことはできない。神はいつでも世界を願う。アダム・エバの時に、堕落しない前に国境というものがあったの? 国境はありません。君の国、私の国があったの? こういう問題は堕落の末である。ちょうちょが国境を越える時に、「すみません」とあいさつしていくの? ちょうちょは国境を知りません。いくつの国を越えてもあいさつなどしない。思いもしないよ。なぜ人間世界だけこういうふうになったんだろう? 堕落の報いである。日本の国、韓国の国、こういうような国境が生まれてきたのは堕落の結果だ。国境なくしてどこへ行くか? これが問題だよ。だから根本的問題から見れば、国境とか文化というもの、西洋文明とか東洋文明とかいう種類がこんなにもたくさんになるはずがない。

 分裂の環境を共に求めて、撃ち合いの基盤を広げて、相手をやっつけるためにいろいろ文化に分かれていく。言葉もみな時世によって変わっていく。だから、今みたいにたくさんの言葉ができたのである。そういうのは、今からはよくない。我々の言葉は二つではいけない。国が二つではいけない。一つの国、みなそう願うんだね。

 日本には武士道があって、自分の敵を打つ。これは吸収しなければならない。一人、一家が滅びても、一家の側近の何でもない者一人が残っても、それは生涯かけて敵打ちすることはいくらでもあるんだね。だから国境を、一時的にある方向に向かって解放させるような運動をする。そういう思想的運動を必要とする。そういうことは根本的に間違っていると教えてくれる何者かが生まれてこなければならない。「では、日本が滅べばいい」と言う日本国民はいるか、いないか?(いません)。「アメリカが滅べばいい」と言うアメリカの国民いるか?(いません)。各国ともみなそうである。これをいかにして、国境を越える人間にするか? それには観念的な問題がある。自分の国は日本だという観念、これが日本国民の伝統的思想観念になっている。そうじゃなければならないという歴史的文化の背後の伝統によって、それらはみな釘づけされている。その思想を無理なく、それ以上の思想と取り替えれば、それ以上の国を求めるようになる。


国境を越える思想


 だから今は思想の時である。思想戦時代。より価値あるものがあった場合には、日本人でも、韓国人でも、西洋人でも、より価値あるものを得る権利を授ければ、今あるものを捨てて、より価値あるものと取り替える。人間は比較能力を持っている。損する立場とは取り替えません。日本人は一〇〇年の歴史を通して、西洋文化を導入して、早く早く取り替えてきたね。だから今、現代文化世界において日本は模倣主義チャンピオンの国民である。そういうふうに考えると、先生気持ち悪いことあるや? 統一思想もチャンピオンになるか? それはもちろん、チャンピオンになってもいい。しかし元を覆してはいけない。

 そういうふうに思ってみた場合には、日本人自体、あるいはアメリカ人自体、その国が滅びるのを願わない。その国に世界を抱えさせてやれば国境はいくら広げてもいいと言う。今のハワイは、アメリカに入っているんだよ。ハワイ国民も喜ぶんだから、願うんだから、それはアメリカも大きい国で、それを抱えるようになっている。同じように、世界各国共に世界の国民に成り得る。事実そうならなければならない。その必要性は日本民族によって、国民性を持った以上の必要性を要求するようになれば、これは自然と戦わずして変わっていく。そういう運動を神様も考えざるを得ない。

 だから堕落しない前の価値観というものを、我々は、はっきり知らなければならない。その価値たるや、万象すべてのものとも替えることはできない。人間はどのくらいの価値があるや? 人間の価値というものは、何ものにも例えることができない。最高の価値を持っている。

 時計でも、自分のものより以上いいものがあったら取り替えようとする。取り替えるだろう。着る物もそうだろう。いいものをやって「脱げ」と言ったら、自然に脱ぐんだよ。悪いものやって「脱げ」と言ったら戦うんだよ。問題はそこだ。だから、神様がこの世の中を統一世界にするには、神様自体もほれる者、人間、万民すべてが自分よりもいいと認めるその者がいた場合には、今までのすべてを未練なしに捨てられる。それは黒でも、白でも、もうみな同じだというんだね。

 西洋人も先生が来いと言えば来るんだね。東洋人を見たこともないし、会ったこともないにもかかわらず、来いと言えばすべてを捨てて動くようになるんだね。それは比較対照する能力で比べてみて、マイナスにならない、すべてつながりがいいから来るのです。

 統一教会、おもしろいや。何年前までいろいろなうわさしただろう? 文鮮明といえば、日本人においては気持ち悪い思いになっているよ。新しく入ってきた者、たくさんいるや。何で入ってきた? 先生は歓迎しない。歓迎しなくてもその内容が分かった場合には、足場の近い所に立たしてもらいたいと、自然に願うようになる。学生であれば、東大に入りたい。死んでも入りたいという場合には、死ぬ場合は東大で死ぬということも考えられる。要は、同じである。何も奪おうとする必要ありません。いいものを教え、いいものを得る所を教えれば、それは自然と世界的にならざるを得ない。これは事実である。


地上に来られるメシヤ


 だから神様も、この地上においてそういう作戦をせざるを得ない。だからメシヤが地上に来られる。その来られるメシヤは国家観念を持って来られるであるかと思う時に、国家観念を持っては来られません。それは落第です。少なくとも世界的、世界的人物の目標を満たして来なければならない。だから聖人というものは民族主義者ではありません。世界主義者である。統一思想からいえば、我々は孔子よりイエス様よりもっと素晴らしい者にならなければならない。イエス様はその目的を果たせなかった。我々はそれ以上の目的観念で世界を統一しなければならない。天宙統一。それは素晴らしい思想である。この地上にない思想を持ってきている。それを考えなければならない。素晴らしい内容だけに、素晴らしい前後関係を持ってくるに違いない。

 もしも神様がおられるとするならば、神様もよだれを流しながら目がまんまるくなって、それを持ちたいと願いながらそれを持っているんだったらいいだろう。そういうものをもしも自分が持ったとするならば、神様もそれを願うようになる。こういう人間に一つ、つくってみようという。これが統一思想だね。

 先生は、見ただけでは何でもないんだけれど、そういう思想を主張する先頭者だね。だから今から問題になる。メシヤは、世界的、世界主義以上の目的に向かって進んでいく。

 そもそも聖人というもので、民族主義者はいません。日本には民族主義者がたくさんいるんだよ。日本の愛国者、誰なの? 日本の愛国者は韓国では敵だ。それは国境を越える力を持っていません。先生の話は、歴史の事実を言っているんだね。神はそれを知っているから、神のみ言を果たす使命を持った者は、世界的な者でなければなりません。それは人間社会を中心として、人間の意志を無視した主義ではなく、人間を尊く思うとともに、神も尊く思う内容を持った者でなければ、神が必要としない。そういう神が必要とする者であったら、これは滅びない。おもしろいことに、宗教の教祖がなぜ聖人になっているや? それを、あんたたち若者は知らなければならない。現代文化は、彼らの思想の総合的結果としてできている。日本国家もその基準をかたどって社会組織の基準にしている。それは事実だ。

 イエス様も国家主義じゃない。それは世界主義である。自分個人の目的のために死ぬんじゃない。世界万民の目的のために死ぬ。我生まれるのも、また自分の一個人で生きるんじゃない。万民のために生きている。我、一切すべてをそういう観念でもって、それに徹した生活観念でもって、生涯の道を行く。それに反抗する者があったら、ぶつかって死してもその決意をゆるがさない、そういう信念でもって、十字架を乗り越えて余りある男として行ったんであるから、神様あった場合には、その思想がなくなる恐れがあれば、復活してもその思想を残さなければならない。そういう立場に立つというんだね。

 だから民族主義を超越して世界主義へ、そういう世界へ向けて、神はこの人類を押し立てる。それが今、あいにく共産主義思想圏に引っかかっている。それで世界は、絶対に平和になりません。物質が元とする価値観を唱えているが、物質というものは人間に支配されるものである。人間の生活方便としてそれは消耗されるものである。そういう者の動機を絶対視し、そういう基準から人間の価値を見た場合には、この私、一人の人間としては無価値な者に帰一する。

 あんたたちも知っているソビエトのスターリンは、三〇〇〇万以上の人間を虐殺している。毛沢東は五〇〇〇万以上を殺している。目的を達成するには方法、手段を選ばない。自分の親近でさえも、意見が異ってきたら切ってしまう。それは善ではない。だから悪は何かというと、自分のためにすべてを屈服させるのである。それをはっきりさせなければならない。

 十人の友達があった場合には、十人の友達に、毎日、毎年、一生涯自分のためにやれと言った場合には、その友達は動くの? もしそういう者に支配された年数が重なれば重なるほど、その内心では「この野郎、時来た場合には一挙にこれは整理してしまおう」と、内心が大きくなってしまう。それでは平和は来ません。共産主義のやり方で平和は来ません。

 だからイエス様の主張した生活は、おろかなようでも、実に偉大な戦法である。十人の友達があった場合には、九人の友達に毎日奉仕する、犠牲的に活動するという人がいた場合、九人集まった場合、その一人が来ない場合には、「なぜ誰々は来ないんだろう」と皆が言うのである。何事もその人を除いて、成そうとはしない。その人を中心として成そうとする。人のために尽くせばその人は、自分は消耗するように見えるんだけれど、時が長びけば長びくほど、だんだんと中心点を占領するようになる。だから神の戦法とサタンの戦法は違う。


神の戦法・サタンの戦法


 サタンの戦法は、打って滅びる戦法である。自分の利益のために人を犠牲にし、成功しようとする戦法である。それは長びかない。神の戦法は、自分を犠牲にして打たれて勝利しようとする戦法をとっている。これはまるっきり違うんだね。

 サタンの戦法はどうか、悪人の戦法はどうか? 悪人は自分のために他を足で踏みつけて、自分が成功しようとするものである。善人は奉仕してみんなを良くしようとする。そうすると、自動的にみんなを引き連れて入る。中心人物として立たせられるようになる。ここには、戦わずしてすべてが占領される道が生じてくる。だから神は陰ながら早く良くしてやろうという戦法で、負けたことはありません。

 過去の聖人たちは、打たれて歴史を経るにしたがってだんだん打った国の後孫が、打たれた者の僕になってしまうという結果になって、発展してきている。それが歴史の事実である。原則はこういうふうになっている。だから統一教会はこの戦法をとる。みんな誤解する。「勝共連合の背後には統一教会がある。ああいうふうにするのは勝共連合を前に立たせて統一教会の発展のためだ」と、みんなはそう思ってもいい。我々が願うのは共産党をいかに防備するかということが目的で、統一教会はどうでもいい。統一教会が滅びても、それが成せればいい。

 一日で世界的につくることができる。それが問題だ。統一原理は何を意味するものか。宗教が滅びかかっている。それを防備するのである。その二大目標の看板を打ち出して、働きかけているのが統一教会である。統一思想である。そうしてその戦法は何か? 共産党みたいに、打って占領するのではない。善の立場で打たれた場合には滅びない。それをはっきりするために、例えば、二人の兄弟がいる。兄さんと弟さんがいる。満二十歳の兄と十歳の弟がいる。

 その場合に、親は兄さんに毎日相談をするんだね。しかし、そういう兄さんが何の罪も犯していないその弟に対してぶったならば、何の悪いこともしていないのに手をつけたならば、父母が兄さんを中心としていたすべては直ちに崩れてしまうのです。そして弟のほうを助ける。絶対的にそうである。なぜ弟をいじめるのか。何が悪いか。それに反発した場合には永遠に切られてしまう。

 だから善悪はどこから始まるや? 先に被害を与えたところが悪である。いくらいいことを言っても、被害を与えた場合には悪に終わる。これをはっきり知らなければならない。悪くないのに、その国が攻められた場合には、攻めた国が攻められた者に支配される。その原則を、はっきり知らなければならない。統一教会の食口としてもいい人はいい人である。カイン・アベルである。被害の動機になった人、それはカインである。エデンの園において天使長はアダム・エバに被害を与えた。被害を先に被らせる者が悪である。それを治めるのが法律である。被害を与えた者が善か悪か? それは一般社会での悪、サタン世界の悪も通じるんだよ。

 人を見るとしても、ほほえみながら気持ちいい姿をした人をみな見詰める。気持ち悪い人相をした場合には悪だ。だから向かい合う時には、必ずほほえみながら頭を下げる。これは恐ろしい戦法である。これが善悪の分かれ目である。

 話をする時にも、謙遜な者と傲慢な者。一人は春に小鳥がさえずるように歌いながら、気持ちいい姿でもって話をする。一方は傲慢な姿でもって、ぷんぷん言う。見ただけで気持ち悪い。人間は笑顔でいつでも歌いたい。口を開ければ歌う。そういう気持ちを持った者に悪人はいません。

 被害を与える者は悪である。被害を被る者は善である。そうして悪の被害を与えた者が黙って、そのままの道を続けていくならば、悪を犯したすべての者から戦わずして相続する素晴らしい道がある。これをイエス様はよくよく知っている。研究したらそうなっている。今から二〇〇〇年前、先生より二〇〇〇歳以上年取ったその時代において、そういうことを分かってか、分からないのかは知らないんだけれど。だから、善悪をはっきりと知らなければならない。


イエス様の思想


 だから宗教人は奉仕をしながら、みんなを喜ばせる。そういうのが善の道である。イエス様は恐ろしい思想を持った。ローマの兵士に対して、自分をやりで刺し殺す怨讐に対して、神に祈ったその悠々たる姿には天地すべての存在が涙ぐみながら、内心の深い底から永遠の勝利をたたえる。その瞬間が、その時だったのである。素晴らしいお方である。

 三十三歳の年の人は手を挙げて! このくらいの年のイエス様、子供も持たないし、結婚したこともない。これはもう逃げ回る男なんだよ。無価値の者だよ。どこの部落を訪問しても、朝御飯を出してくれる者がいない。だから聖書にも、「いちじくの木の実を取って食べようとしたら実がなかった。呪われて枯れてしまえ」という言葉があるように、かわいそうな生活をしたのがイエス様だ。「狐には洞穴があり、鳥には巣があり、自分には何もない」。これはもう悲しい。悲しいどころじゃない。悲惨な男だったんだよ。友もなければ親もあるわけじゃない。何もない。むなしい。林子平の俳句にあるだろう。「死にたくもなければ生きたくもない」。それかといって林子平がいいかというと、とんでもない男だよ。どこか違うんだよ。

 そういうふうにして死んでいった。誰も認めなかった、国も認めなかった、弟子も認めなかった男が、いかにして世界の民主主義国家圏をつくる創始者の主体を成したかというと、神がいたからである。神様がいなかったら絶対なり得ない。

 だから善人は、後世において歴史的にたたえるような道を保ちながら、その思想を継いで、歴史が過ぎれば過ぎるほど世界的万民を抱擁して、世界圏を広げてきた。これが歴史の事実である。四大文化圏の精神の思想が、宗教が現在の文化圏の背後になっている。

 民族とか国家主義を越え、日本人を愛するより世界人を愛せ! だから統一思想はあんたたちに教える。先生はあんたたちに教える。統一教会を愛せということを教える。統一教会よりも世界を愛せ。統一教会の文先生よりも世界を愛せ。それが先生の教えである。


神を解放する日まで我々は行こう


 先生も世界のために働いている。先生の関心は世界である。自分には関心がない。しかし、あんたたちは世界に関心を持つより先生に関心を持つんだね。そこが先生と違う。先生は自分に関心を持たない。関心の的が世界であるのにもかかわらず、君たちは世界はどうでもいい。先生に関心持つ。こうなっている。これは間違っている。しかし一方では合っている。でも、それっきりじゃ駄目なのです。先生が亡くなった場合には、世界の行く道はふさがってしまう。先生と同じような思想をあんたたちも持たなければならない。

 世界に行く道を、先生が先頭に立って開いてくれるんだから、世界に早く行くために先生を必要とする。それが先生の目的なのです。先生を助けるため、それは先生を要求するんじゃありません。

 世界のために我々は生まれており、世界のために我々は統一教会をつくったし、世界のために我々は日本を舞台としている。これが訓練場である。日本で働いて死ぬためじゃない。日本で訓練して世界で死ぬためである。これが統一思想である。もう一歩越えて、共産主義より高い思想、天宙主義は何か? それは万民解放を目的とだけするんじゃない。そこにおいて神様を解放する。だから心情の世界でなければならない。心情のその鎖につながれている親だから、その子供が解放されない以上は、親を解放することができない。だから心情の歴史をつくろう。心情の伝統を立たせ、心情の世界をつくろう。神様を解放しよう。

 我々は歴史的神様の心情を知らなければならない。現世的な神の願いの目的を成し得たその心情の喜び、一方的な方向を要求するんじゃなくして、過去の心情を兼ねた現世の勝利、神の願っているものよりも、もっと願ってきた価値のものである。そうして得たものを、神様に何の功にするでもなく返してあげるのです。そうなれば、神様もこれは素晴らしい男、女として抱えてやろう。祝福は嫌だとして逃げていっても、足止めしても世話をしてやるというんだね。

 そういう心情の世界を我々が持っていたら、歴史的な神様はどうか。未来の神様はどうか。この現世においてこの基準を解決してやらなければ、神様は……。未来に完成するんだから我、一生尽くしても、悲しみのその基準を防備してしまわなければならない。そのように命懸けでやる。

 だから今のところ、世界の思潮がこのような困難な時において、両手を挙げて、濁流の渦巻く真ん中に立って、その方向を新しい神の願いの方向に進ませてあげたならば、歴史的心情を持って、そういうふうにしてあげたならば、神はいかばかり喜ぶだろうか。それを我々は願っている。

 米国人を一挙にアフリカ人の生活圏に落としてしまったならば、その財力でもって世界はすぐに天国になるよ。世界の財源の六〇パーセントは米国が持っている。日本はあてにならない。やっぱり米国は大きい国だ。一州でも日本の十倍以上の州がある。これを見た場合に、小さい島国に生まれたけれども大きい米国を基台として、かき回して世界的になろうという考えを持たせたのが統一思想である。

 今から日本人を米国へ連れていって素晴らしいことをやろう。毎日、議員などに会うような活動をさせたいのが先生の考えだ。ここに座っているあんたたちは気持ち良いかもしれないが、父母たちはどう思っているか?

 きょう、空港で降りて、また日本に来たね。文鮮明といえば気持ち悪く思う日本人がたくさんいるのに、少数の統一教会員だけが先生を必要とするという、気持ち悪い思いをしながら空港に降りてここまで来ました。来る時も道がふさがって、行くな行くなとブレーキかけておるのを黙って見ながら、はいはいと来て、気持ちはそうよろしくありません。

 あんたたちは日本に生まれたけれども、日本のために死にたいの、世界のために死にたいの?(世界のために)。本当かい?(はい)。死ぬ時はどういうふうに死にたいの? 華々しく、世界を救うために、戦場のまっただ中で気前よく死にたいの? 弾薬など運搬しながら、流れ弾の中で死にたいの?

 英語は語れるの、日本人は言葉が駄目だね。まずもって英語を勉強させなければならない。英語を勉強させるには誰よりも口を多く動かす準備をしなければならない。それを準備するんだよ。口を多く動かす運動をすれば、早く言葉を覚えるんだよ。そうだろう。一日一言しか言わないとすれば、十年かかっても英語をよく語れない。しかし一日に百万ペラペラ嫌でも語れば、数か月間で相当上達する。言語を解決するには一年や二年必ず必要だ。二年間何をしようか? 学校へ行って勉強したって仕方がない。

 教育を受けて、練習をして実践というのが普通の戦法なんだけれど、我々は実践を通して訓練しながら教育する。三年かかるのを一年でやる。二年あれば米国へ六年行っている以上に、英語を流暢に語れるようにして、大学を卒業させて東大に……。帰国して教授団をつくろうというのが先生の考えなんだよ。女の子も教授になったらお嫁に行けないが、それでもいい?(はい)。何を「はい」と言うの? まさかそんな先生ではないというのに……。(笑い)

 日本で準備するんだよ。それから先生が今からやりたいのは、早いうちに空手よりも優位なる正道術を教えてやるんだよ。正道術の名前は、正道は統一教会だから、統一術と名前を変えるんだ。それを教えてあげなければならない。今度帰れば計画して、日本に誰かよこすかもしれない。そして訓練させなければいけない。女にも教えてやる、女もサタン世界の男三人くらいを……。(笑い)


日本的になるな


 日本で生まれて日本で死んでは日本的人間にしかなれません。日本で生まれて世界で死ぬならば世界的人物になります。統一思想を持った女性たちは腹がでかいと有名になっている。日本のいかなる大物たちにも小さい女の子が堂々と会える腹をもっているんだね。こういう女性たちは日本的な男ではなく、世界的な男でなければ相手にしない。だからどの男もみなそういう立派な男にならなければなりません。女はそう努力しなくてもいいんだね。いい旦那さんを迎えれば、旦那さんに比例した成功の基準は、結婚する一週間前と一週間後ではまるっきり違うんだね。女は準備しなくても、女としての目つきを備えればいいというんだね。

 女の子が街頭に出て行って「皆様お願いします」。それがいいの、悪いの? いいからするの、仕方ないからするの? どっちだ。(いいからします)。いいからするんなら、それは一生涯やれよ。(笑い) 仕方ないからするの?(笑い)だから我々は、それに答える方法を知らなければならない。自分はいいからするか、悪いからするか、どちらなんだ? 男の子が「皆様お願いします」。実にみっともないや。(笑い)それを喜ぶ者いる? 死んでもできないことをやる。仕方ないからやるんだけれども、それをやってみれば、そこにもおもしろいことがいくらでもあるんだね。それを発見することなんだよ。

 仕方ないからやれないという立場に立つよりも、仕方ないながらでもやる。その仕方ない部門にはいくらでも成功の道があるし、いくらでも善の道もあるし、いくらでも世界的な道も開かれる。人間は限界を立ててはいけないということを発見するには、そういう価値観が必要である。それによって我々はひょろひょろした人が太い人になる。前だけしか見なかった者が後ろも見るようになる。

 戦術において勝利するには、四方を管轄する能力をいかに整えるか。それによって勝敗は決定する。なぜそういうことをするか? 日本で誰にも負けない人材を養成するために、こういうことをせざるを得ない。だから統一教会の女において、旦那さんが死んだ場合、涙をぽろぽろ流すのではなく、子供三人、十人あっても、泣かないような女をつくらなければならない。結婚して子供三人、五人持った人も、男が、「さあ、動員だ」となって、男を送った立場に立っても、一人で五人、十人の子供があっても生活は心配ないという女をつくる。そうなれば、男は何をするのか? それで日本、あるいは世界のために働く男を多くつくろうとするのが先生の考えなんだよ。気持ち悪いかもしれないけれども、先生の願うところはそこであり、そういうふうにしても早く世界を復帰してもらいたいのが神の願いだから仕方ありません。これに反対する者があったらふろしき包んで帰れ、答えは簡単だよ。一人の子供を抱えて泣くような弱々しい女になりたいの? 男がいなくても十人の子供を大学まで卒業させる、自信を持った女になりたいの?

 だから決心いかんにおいて、金はいくらでもあるというんだね。先生はそういう訓練をしている。先生は何でもできるんだね。今どこに行っても、誰が援助しなくても、開拓していける。何でもやったことがある。


日本の学生時代の先生


 日本に来てもいろんなことをやった。学生時代のことを言えば、学生服に一日さよならして労働服に着替え、電信柱を引っ張りながら銀座を通った学生時代のことを、いまだに思うことがある。周囲にはすました顔つきやスマートなスタイルの女が行き来し、匂いをふりかけながら通る姿を観賞しながら、実に一生涯忘れない印象をもっているよ。汗を流しながら引っ張っている時、一番の問題は十字路になった場合に、「ストップ」の信号が一番の怨讐だね。そういう気持ちだ。十字路を越えるまでは青い光が消えては絶対いけないというのに「ストップ」。これは大変だったよ。そういう時には信号の台をいっぺんに打ち壊したいという思いがする。そこで、「君、そんなことを考えるんじゃないよ。何かいらないことを考えてはいけないんだからそういう信号が出たんだ」と思って立っている。そして、往来する人々を、腹を出して汗を流しながら気持ち悪い格好で先生は眺めている。そうすると嫌な顔つきで通っていく。それはおもしろい人間の展覧会だ。

 先生はその時代のことが今でも忘れられない。いまだにそういう生活をやってみたいんだね。先生は品川の貧民窟街をもさらった時があるよ。先生がそういうことをやったといって、あんたがたがそういうことをやれば大問題になるだろう。ヒッピーの王様はどこから生まれる?(笑い)日本の警察全部が動員されるかもしれない。

 そういうことが先生にとっては非常によい価値観の研究になった。いろんなことをやってみた。人間の屑の下から、人間の栄光の最高の立場までずーっと研究してみた。どこに行っても友達ができる。先生は一食ぐらい食べなくても、食べたか食べないか思いもしないや。そういう観念が強いよ。そういう訓練が必要である。大きいことをするには、革命をするには、いろいろな環境にぶつかってそれをくぐり抜けて、目的点まで行かなくてはならない。ある時は労働者にならなければ、ある時は漁夫にならなければ、埠頭に行って重い物を担ぐこともしなければならない。車も引かなければならない、リヤカーも引かなければならない。自転車も乗らなければならない。自動車も乗らなければならない。あるいは歩かなければならない。いろいろなことをやってみなければいけないよ。

 時たま、先生はこういうことをやるよ。先生は高田馬場にいた。先生は品川には相当関係があるから、行き来する時には、雨の降る日なんかには、お嬢さんなんかすました姿してスーッといる。先生は、着物が濡れた時には、わざとお嬢さんの横に行く。すると、気持ち悪い目つきをする。それは悪い思いを持ってそんなことするんじゃないよ。「あの女は間違いなくこう出るだろう。一にはこう、二にはこう、三にはこう」。それが何パーセント合うかテストをやってみるんだね。ある時には足を……「間違いなくこう出るだろう」。そして顔つきを見た時には「ああいうような心を持っているだろう」と見て、間違いなくそう出た場合には気持ちがいいんだね。(笑い) そう研究するんだよ。計画どおりになっていくか、そういうふうにならなければ気持ちが悪い、私が負けだ。そういうことをずっと研究したんだよ。

 だから人をちょっと見ればすぐにキャッチできる。あんたたちを見ただけでも分かるんだよ。ちょっと見れば、あっ、あの人はどこか欠けている、顔をすっと見ればどこか欠けている、鼻がどっちかこう欠けている、眉がこうなっている、耳がこうなっている、すぐにキャッチできる。そういう訓練をしているんだよ。だからあんたたち結婚式をする時にも三〇〇双近く、十時間以内にやってしまった。だから研究しなければいけない。

 その時はそう思うんだよ。この女の子たちは、教育されていないね。もしも自分があなたの兄さんだったらどうする? 学校へ行かすために学費をかせいであげるその兄さんだったらどうするか、反問してみるんだね。それがお父さんだったらどうするか、弟ならどうするか? 私はそういうふうな立場であんたを見たかったのに、落第だ。気持ちが悪いね。自分の家族が雨に濡れてみすぼらしい姿になったという場合には、自分のためにそうなった場合には、涙ぐみながら、自分の身なりを思いもせずに、その人に仕えなければならないのが、心情世界の義理じゃないかと思う。だから多く体験した者が勝つんだよ。

 当てにならないのは男だよ。本当はね。ま、そういうふうに思って気持ち悪かったらふろしきを包んで帰ってもよろしゅうございます。そしてまあ、「いらっしゃいませ」と、頭を下げてペコペコする、そういう指導の仕方では、教育をすることはできません。堂々たるものを持たなければ教育することはできない。さあ、帰りたいからここへ来たの? 帰りたくないからここへ来たの?


すべてを訓練した先生


 今度先生を初めて見る人たちは、「先生は五十いくつにもなっているんだから、ひげも生えそうであるし、身ぶりものろのろして、話もこうして、まあおとなしそうであり……」。こういうのは気持ち悪いや。今の時はスピード時代だ。先生、昔はね、言葉が早くなかったんだよ。のろい言葉を使っていた。日本に来てから日本語を習い、日本人と一分間に誰が多く語れるか競争した。負けたら先生は寝られないや。それで、何年ぶりかに初めて日本語使っているんだけれどね。考えながら組み立てながら使わないと本当はいけないんだけどね。あんたたちに向かって早いテンポの言葉で語っているんだよ。

 訓練が必要である。韓国の言葉もそうだよ。非常に遅かった。三十分間で語る場合、三十分間に一〇〇〇語しか語れなかったなら、倍以上早く語り、二〇〇〇語以上語る。こういうふうにして訓練が必要だということを分からなければなりません。

 先生は青くさい、そういう男じゃありません。何でもできます。時には喧嘩もやったよ。悪い者がいい者をいじめた場合には、先生は通りすぎない。請け負って「この野郎、何やった9」まあ青年時代はそういう気質が必要だ。そういう人をつくりたい。四方八方に適応できるそういう人が必要だね。

 だから先生は、何でもできる。のこぎり持ったら何でもつくる。やってみなかったことがないよ。何でもできます。だからどこに行っても、着物だけを着替えれば、何でも助け得る人になれる。そういう訓練が必要である。そこで、それを研究する。それを一週間ぐらいずーっとすれば、その環境において自然と親分になれる。それを見れば、全体を見ればどこが間違いかすぐ分かる。そういうような捜査でもって訓練していけば、原理はどこでも同じだというんだね。

 先生はこう話をしながらも、日本語を語りながらも、天宙といえば、天宙一つを考えるのではない。天宙とは何か? 電信柱もある。天の注射も「テンチュウ」である。それも考えるよ。メシヤといえば、メシヤだけ考えない。それに関連した言葉を考えながら話すんだよ。だから応用的な人格をつくらなくてはならない。だからそういう方面には、先生は素晴らしい発展的な頭を持っている。

 どこかがそうなっているか。そういうようにはなっていないよ。そういう傾向において訓練するんだよ。だから、ある者から見たらそれは喜ばない。三角関係、四角関係、それはどうなるか。平均的になっているのか。そういう方面において、過去の分野において、先生は発展性の素質を持っているんだよ。

 部屋の中へずーっと入れば、飾りはどのようになっているかすぐに分かってしまう。常に平均的でなければならない。まあそういうような物の見方を知っていながらも、見ないふりをするんであって、言葉を聞き分けながらも、聞き分けない姿をするんであって、そこに何かあるんだよ。「君行け」。単純にもこういうことやるんだね。すみませんね。しかし死にかけた人でも、死なない人を助けてやるのが情の道であるというんだから仕方がない。だから、「日本の地に生まれたんだから日本のために死ね」という教えを教える教育を受けた日本人だったら、日本は滅びます。


永遠の統一教会


 統一教会に入って、統一教会の教えが、「統一教会のために生きて死ね」というのならば、統一教会は滅びます。統一教会は、「世界のために生まれたし、天宙のために死ぬ」という覚悟を持っているから、絶対滅びません。これは先生の鉄則です。だからいかに中心であっても、そこが欠けているか否かというものを正していけば、その道は必ず世界に残るものを残していくというんだね。

 あんたたちが目的を持って進んだら、たとえ男の子でも、女の子でも、いくらみすぼらしい姿でも、そのみすぼらしい姿が歴史を動かす。心情の涙を流す、そういう動機となるだろう。その一場面が、歴史の栄華となるだろう。歴史の標題として、数多くの者たちが動き出して、これを再び実証させる。数多くの者が同意して、数多くの人を通して、再びこれをまねる者が世の中に出るであろう。そうなれば、我々は実践の代表者であるというんだね。敗北者とは違う。実践の代表者だ。そういうようになるんだよ。

 先生はそうです。アメリカのリンカーンセンターの壇上に立って、その時の気持ちは、それは歴史的なのです。一言一句すべて歴史の波濤を乗り越えて、新しい分野に行き、新しい線を引き、新しい円を描く。そういう考えです。

 だからここに参席した者は、歴史的な人たちである。そう思ってやるんだよ。だから真剣になる。主演者が真剣にならなければ聴衆者も真剣にならない。同じである。強い者が生まれてきた場合には、強い者に相対的に歩調を合わさなくてはならないということになってしまうのです。

 我々は日本に波動を起こして、いろいろな難しい活動の先頭に立って訓練されなければならない。だから世界を回って先生が来られる時には、必ず世界の運勢をみんな引き連れて日本に帰ってくるということを約束しました。

 先生はみんなの引っ張りだこになるようにして帰ってきました。帰ってきて日本をどうするか? それをみんな負わせて、鞭打って、走らせる。世界の運勢を集めてどうするのか、世界の運勢集めて何するのか、座って眺めてみるの? それはいいことであるようだけれど、実に天地に悪いことである。世界の運勢を集めてきた時には、その運勢を代表的に果たさなくてはならないという結論になっている。すると、今までの十倍、百倍努力させるという結論になる。もし世界の運勢も何も私は知りませんと言う日本人だったら、先生に軍配が上がる。

 さて、アメリカへ行く時よりも、それ以上に帰ってきてから払わなくてはならないという結論になりました。だから日本で一番にやる。日本でやったことが世界的になったならば、もし日本に反対する国があった場合、一番嫌がる者になる。サタンが一番嫌がることばっかりすれば、神はいつも喜ぶ。そういうようになっているんだよ。平々凡々では、あってもなくても同じだ。

 あんたたち、甘い物を飲みたいの? 甘くも辛くもない物を飲みたいの? 甘い物がなければ、辛い物を飲むことが人間の刺激的体験として必要なんだね。人間には刺激が必要だよ。刺激がなければ発展しません。十年間で目的を成すのに、十年内に刺激が切れた場合には、その目的は成されない。だから先生はいかに日本人に刺激剤を注射するか。もし刺激されて、ふくれて飛んだ場合には、とんでもない所に飛んでいく。

 先生、気持ちの悪い時もあるよ。社会から見たら先生が扇動の親であり、扇動分子ではないかと。仕方ないではないよ。扇動分子でも何分子でもいい。神のみ旨を果たせばよい。それが先生の目的です。だから今度帰る時、日本の今までの統一教会より以上に、ナットを締めなければならない。ボルトの先にねじを切ったナットをね。それをやる時は気合いをかけてやらないと馬鹿ネジになってしまうんだよ。馬鹿ネジになってしまう。時が近づいているから、気合いをかけて締めなくてはならない。これは、「メシヤと我々」という主題から遠ざかっているよ。しかし問題の中心は良く知っているんだよ。こういっても、最後にまとめて結論を出す。


アメリカでの先生


 今度アメリカから帰って、その結果をあんたたちは聞きたいんだろう? 話すには三か月以上かかるというんだね。本格的に話せば何十年とかかるよ。だから少しだけ、先生が何をやったかというと、アメリカに揮発油をかけて火をつけてきた。最初は、アメリカ人の責任者たちも、先生が「このようにやれ」と言うと、ボヤーッとしていた。

 公的な集会で公言した。しかし責任者は何も感動しない。一回、二回、三回、ビクともしないんだね。「これはアメリカ式で、東洋式では合わない」。先生は車を準備し、ワシントンからニューヨークに飛んでいって、リンカーンセンターを先生が直接契約してきた。帰ってくると、ある者は反対して、「先生のやり方では絶対できません」と言う。

 絶対できないと言うのを絶対できるようにしたのが、先生の楽しかったことの一つである。「やれっ!」。先生の話を聞かなかったら、そりゃもう放っておかない。全国的に人を集めて修練会だ。修練会を行った。修練生を豚小屋に詰め込むようにして修練会をする、「文句を言うな!」。その反面先生はいろいろなことを話してやるんだね。小さい子供というのは実に素晴らしいね。分かればうなずくんだね。分からないからこそ言うんであって。そういうようにして一か月くらい、最初のうちは、自分が呼ばれると困るという格好をしたよ。

「これは歴史的場面である。この運動の価値、これに歴史的価値がある」とは言わないんだよ。ちゃんと選ばれて修練会に集った者たちに初めて言うんだよ。みんな来る時、ふくれて来たんだけれど、聞いてみるとみんなちゃーんとして、毎日、先生と話し合いをして、訓練されると、もう何でもできる。

 人は別に変わりません。先生の教える主義は韓国式ではない。「東洋から来た先生だから、東洋の習慣観念の何々になっている先生だから、韓国から来たから何とかこうとか……」。先生は韓国人ではない。韓国で生まれたが、今でも韓国から迫害されている者である。先生は韓国の歴史にない主義を唱えている。風習、風俗、みな韓国式ではない。日本人でも、「韓国で生まれた文先生が、日本の侵略した過去の政治的なすべての怨讐に報いるために、新しい思想で青年たちを何とかして、これでもって日本思想をないがしろにしようと……」。いろいろのうわさで反対する者もいる。「そういう者ではありません。これは神様の願う方式である」。説明して納得すれば、彼らは動くようになっているよ。

「機動隊をつくって……」。日本人はすぐに警察を思い出すが、それは一時的機動隊であり、我々は永遠機動隊だ。機動隊を編成して、ニューヨークもずーっとさらってしまった。先生は相当有名になった。こういうようにして、ずーっと一周して先生が帰る時になった場合には、涙を流す、いろいろ副作用が出てくるんだね。そうして今は、「やれやれ」と言って走っているんだよ。

 アメリカは今年そうしながら、来年には四〇〇名動員しなければならない。再来年には二〇〇〇名動員。これを宣言してきた。やらなければ、どんなことでもしてやる。あんたたちができなければアジアが援助する。アジアができなければヨーロッパが援助する。だから三年の計画を一年に短縮せよ。それで、ずーっとヨーロッパを回りながら、みんな各国に配置してきた。もしも五十人いたら分配する。こうして八〇〇人を来年一年間にアメリカに援助することに決めた。それで日本は何百名くらいするだろう。


ドイツに負けるな


 ドイツに負けるのか? ドイツはドイツ人だけで機動隊をつくったよ。キャラバン隊をつくって、素晴らしい新しいバスを買って活動するようにして、今にじゃんじゃんやるだろう。ドイツのポール(責任者)は、ヒットラー時代に訓練の責任者をやった男だよ。これは、一つの基準以外の何ものも知らない。情も何もあったものではない。そういうヒットラーの子分たちだね。そういう人たちがやるドイツに、小山田を中心としてやる日本が自然に負けてしまっても仕方がない。

 しかし、思いだけは負けたくないだろう。負けたいの、負けたくないの?(負けたくないです)。負けるようになっているよ。まずもって体格からしても、走っても、これは間違いなく負ける。力からしても負けるようになっている。それでも負けない?(はい)。どうして負けないの? ドイツの責任者は一日に平均一食しか食べないんだね。それで毎日断食しながら先頭に立って、ラッパを吹きながらやるんだよ。だから不平を言う者は一人もいない。それはもう、きつくってきつくって仕方がないんだけれど、責任者がそうであるから一言も言えない。日本はそうなっているの? 日本の責任者たちは、そうなっているの? それを見ればまだまだ軌道に乗っていない。

 では、ドイツに負けたいの、勝ちたいの?(勝ちたいです)。

 今は、西洋文明圏を東洋文明圏が支配しなければならない時代の運勢が巡り来たっている。それは統一思想だ。これが西洋思想に負けたらどうする。負けたいの、負けたくないの?(負けたくないです)。負けるの、負けないの?(負けないです)。答えは素晴らしい!(笑い)


アメリカへ行こう


 それで、アメリカ援助を日本は何名する?(八〇〇名)。八〇〇名では、日本の数からいえば負けたことになるよ。ドイツへ行けば、ドイツの食口は一五〇名だ。その一五〇人に三〇〇名が分担されている。ドイツでの伝道のやり方は、まるで死にそうな格好した人に伝道の方法を教えたので、「自信あるや、ないや」と聞いたら、「自信あります」と言うようになった。そういう方法を先生は教えてやりたいが、日本人だけには教えてやりたくない。(笑い) 教えてやらなくても、勝たなくてはならない。そういうようにしたいのが先生の気持ちだ。では、教えなくても勝つの?(はい)。

 日本では三〇〇〇名、五〇〇〇名、一万名、アメリカへ行かなくてはならない。こうなったら、日本の外務省が引っ繰り返ってしまうんだね。アメリカも法務局で問題になる。アメリカへ直接行かない。ヨーロッパをずーっと回って、サンフランシスコから入る。南から、北から、東西南北から入る。もしアメリカの各州に一〇〇〇名の勇士を送るには、五万人の人数が必要だ。五万人を配置したならば、アメリカの上院議員は先生の作戦において選ばれる。

 あんたも行くんだね。どこへ行く? アメリカ、アメリカのどこ?

 だからもしも、一〇〇〇名ずつ配置した場合にはそれは大変だろう。それを急がなくてはならない。一九七七年から一九七八年までにこれをやらなければ、神の摂理は大変な損害になる。だから急がなくてはならない。そこで日本作戦、アジア作戦よりも、アメリカ作戦を急いでいる。アメリカへ連れていかなければならない。それが先生の考えなんだよ。日本人の何名くらい行こうか。日本人、何名くらい? それを準備しなさい。


機動隊の使命


 それから日本の機動隊をつくらなければならない。ここで先生に初めて会う人が相当いるだろう? 半分くらいいるだろう。半分くらいだったら、それに東京都にいる統一勇士を半分くらい動員すれば四〇〇名になるかな。先生が帰るまでに四〇〇名以上動員するんだよ。そうして、四八〇名にしなければいけないや。マイクロバス二台ずつ。そうして一人の巡回師に四十名ずつつけて日本の五十県。日本は小さい。やるには共産党より素晴らしいことしなければいけない。何事も早く決着をつけなくてはいけない。そうなった場合、問題になるだろう。

 今までは巡回師一人がのこのこやってきたんだが、今からはそうではありません。教育を変えるのです。教育で、入ってくる者みんな逃がしてしまったね。それではいけない。入る者みんな機動隊に行かせたら素晴らしいんだよ。若者としては、晴々とした秋の気持ちで、これは気持ちのいいことになる。これをやれば実に素晴らしい。四十名連れ回ると、教会なくてもいつでも一五〇名の集会はできるというんだね。こうなった場合には、我々の人材復帰は倍化していく。

 そして何をやるか? 六か月間において、原理をマスターしなければならない。実地訓練だ。街頭において毎日路傍伝道する。家庭訪問する。あらゆる分野において訓練する。生きた教育をしなければならない。六か月たてば立派な人がつくられる。それで試験する。二か月に一項目ずつ、原理を三等分して、一項目ずつ、一班、二班、三班と順番にする。平均七十点以上でないと、一班から二班、三班へと移っていけないや。

 統一教会は誰でもいいという所じゃない。だから命懸けでやらなくてはならない。六か月間に、これを通過しなければならない。統一教会のこのコースを通過しなければ、将来の中心的責任者になれない。だから幹部の小山田君も久保木会長にもさせる。そうしないと一定した公式を体験した主流の伝統が立たない。それが先生の考えです。

 だから六か月間は死んでも勉強をしなければならない。そうして渉外関係、伝道関係、財政関係、いろいろのことさせるよ。これは生きた修練所である。そうするとこれは素晴らしくなる。そうして優秀な人は、その県において支部をつくる時は、その人をそこに置いて、伝道した三人のうち一人は必ず続けて訓練する。こういうようにすれば人材復帰とともに、要員も養成できる。こうすれば素晴らしい。今から統一教会は立体的に発展するでしょう。

 今はみすぼらしい姿だけれども、あんたたち十年後を見ていなさい。世界をそのように見ている。アメリカも今から十年後を見てみなさい。一九七八年まで五年しかない。五年間で先生はアメリカを動かしていく自信がある。だから今年の秋にまたアメリカに行かなくてはならない。

 今までは韓国とか日本とかにおいて基盤ができた。だからアメリカへ活動を移動しながら、世界圏を延長して、機動隊編成をして、世界的復興団をつくる。そして有名な教授と有名な復興師を組ませて、各国に機動隊をつくる。三〇〇名以上の機動隊を持ったならば、これが各国においていつでも巡回し復興しているのだから、その基台でもって復興団をやれば、どこへ行っても超満員で会場を埋めることができる。こういう人は世界的運動ができる。有名な世界的学者を連れてきたならば、有名な神学者、学者、教育者たちがその人を迎えて、対応しなければならない。世界的活動をするのだから、関心持つ者も出てくるよ。そういうような動きをなしつつ、世界的神学教会をつくる。

 みんなアメリカへ行きたがるようになれば、みんなを連れていって、統一思想を研究しながら我々はいくらでも援助をする。そういう活動しなければなりません。そういう活動をする時に、先頭に立つメンバーをどこから出そうか? 日本から出そう、日本から。

 東洋文化を中心として西洋につながっているのは、日本が一番近いんだね。日本が一番近いんだよ。西洋から一番近いよ。アメリカから見てもね。それから文化基準からも近いし、社会関係からも近い。それでアジアにおいて、日本を先頭に立たせて一つ試してみましょう。


日本人はダイヤの塊


 それには、日本的な訓練ではいけない。日本的な訓練ではいけません。米国人やヨーロッパ人に、先生は決意させたよ。日本人に負けるか? 日本人に負けるとは夢にも思ったことがありません。さあ日本人は西洋人に負けるか、負ける? 夢にも思ったことない?(はい)。しかし、やってみないと分からないというんだね。(笑い) 勝敗はぶつかってみて、硬い者が勝つというんだね。硬い者が勝つ。日本人はなぜ小さいか。量は同じだけれども質からいえば、硬いから小さい。そういう決意を持ってぶつかった場合には、量が多くても小さく固めた者に破られてしまう。ダイヤモンドの塊と思えというんだね。ダイヤモンドのようになる? なれるんだったら自信を持て! 先頭に立たせてあげます。

 こういうふうに先生、各国と約束したよ。米国では米国人を先頭に立たせる。イギリスではイギリス人を先頭に立たせる。ドイツではドイツ人を先頭に立たせる。日本に来たら日本人を先頭に立たせる。しかしやってみて、試してみなければなりません。共に発展させる。先頭に立たせるんだけれども、日本は負けると言うならばおしまいだ。負けたらそれでおしまいだよ。さあ負けたらどうする? みんな太平洋に潜り込むか? そういう決意をしないといけない。向こうはそういう決意までしたんだから、負けたらどうするかということが問題であるというんだね。どうする?(やります)。やることは向こうでもやるというんだね。それはいろいろな方面から見て、負けるようになっているんだよ。

 あんたたち、言葉も通じないんだろう。実践場はどこかというと米国だよ。米国を舞台としてやる。向こうは言葉が通じる。あんたたちは言葉が通じない。負けるようになっているんじゃないか。それでも負けない? (はい)。


日本人を先頭に立たせよう


 だからこの世で奇跡を起こさなければならない。奇跡を起こす。そういうふうにして勝った場合には、米国人は逃げる穴がないんだね。どんなことでもやらせる。こういう伝統を立たせなければいけません。そうしないというと世界復帰がふさがれてくるんだね。そこに日本の食口たちを行かせる。先頭に立たせてみよう。それで、今年いっぱいに一二〇人を動員することを約束して帰ったよ。一二〇人が日本だったら一万二〇〇〇人になることを考える。一挙に人が必要だったら代表を引っ張っていかなければならない。アメリカへ行きたいだろう? しかし行かせるには先生の面子がある。行かせて恥ずかしいことがあったら大変です。

 だから今から選び出さなくてはなりません。久保木会長や小山田は、先生が語ったことについて話し合ったんだろう? 人が足りないところを引っ張っていくという先生は、理解しない先生だと話をしなかったの? したんだろう? しなければ内心でそう思ったんだろう。舌はまずもって率直でなければならない、そうだろう?

 考えたことがなければ、本当に食口たちを愛していない証拠なんだよ。お嫁に出す娘を持った親は、娘を行かせる時に、自分が愛した以上に愛される身になっているかを考えざるを得ないや。行かせたらどうなるだろうと。

 幹部たちはそう思うの? 絶対に思ってもマイナスにはなりません。もしも統一教会で四〇〇名以上、一年ずつ米国へ送って余りある立場に立ったならば、四〇〇名の背後の父母たちを中心としてみてもマイナスにはなりません。それから、その兄弟姉妹、従兄関係があれば、一〇〇人、二〇〇人、数百人の家庭もある。一人が出れば、三人、四人、いかなる家庭からでも背後を呼び出すことができる。

 米国から手紙を書くんだよ。「あんたたちも統一教会は良いから、統一教会に入って私のいうとおりにやればアメリカへ来られるようになる。早く早く」と。すぐにその兄弟姉妹たちがのこのこと、やって来るなと言っても来るんだよ。そういうように、系統的な伝統基盤のある者を再び呼べば間違いないんだよ。そういう作戦をしようというのです。

 だから四〇〇名の行く者は、「君たちの親戚の従兄や兄弟たちを、九人集めよ」と言ったら、難しいの、難しくないの? 米国へ行かせてあげると言ったらみなこうなるよ。そうでしょう? 青年として米国へ行って、米国で働いてみたい、そこに住んでみたいのが一般の青年の望みになっているんだね。

 そうするには、統一教会に入って公式の路程を通過しなければなりません。まずもって原理を勉強して七十点以上の点数をもらわなければ行けません。それは当然なことだよ。先生が援護して、統一教会が面倒見てやるというようになった場合には、これはいくらでも入るんだよ。絶対日本の教会にはマイナスになりません。

 だから幹部たちは遠からずして、みんな米国へ行く準備をしなくてはなりません。神様は利口なお方だから、人をつくる前に、まずもって万物をつくられた。それと同じように、先生も利口だから、人を行かせる前に金をつくらなければならない。(笑い) だから金を得て裕福な基盤をつくって迎えるようになれば、踊り上がって行くようになるだろう。日本はそういう過程を経て、世界を一周しながら活動をすれば、日本も早く復帰される。そうすれば日本は生きるというんだね。そう思って、世界を相手に訓練しなければなりません。だからドイツに負けてはなりません。もう一度訓練です。


蟻のように働こう


 日本に「月月火水木金金」という歌があったよ。それ以上のことをしないといけない。やるんだよ。今度先生が帰る時に、いかなることを指導しても、不平を言わずに従うという結論に到達するよ。さあ不平を言いたい者は今率直に手を挙げて、じゃ不平を言わない者手を挙げて! (はい)。ありがとう、「ありがとう」というのは蟻が十匹だという意味だよ。その言葉は感謝の言葉だけど、実に芳しくないや。蟻みたいに働けという。そう思えば、日本人は勤勉な人種だ。日本人はよく働くんだね。「ありがとう」というあいさつを前にするんだから、腰が蟻みたいになるまで働こう! 蕩減復帰路程の統一教会において、そういう働きかけをしようというのが先生の考えていることなんだよ。あとから具体的にそういうことを話してあげようと思うんだけどね。そういうことを聞けば、みんなもう胸がふくれて寝れないような気持ちになるよ。まずもってやるという決意をしたんだね。


怨讐・サタン


 本論に返ります。サタンというものが問題である。サタンはメシヤの怨讐であり、イエス様の怨讐であり、神の怨讐である。サタンをなくした場合は復帰摂理は即時に成される。サタンを追い出すには、サタンがいかなる罪を犯したか、犯したその内容が分かって、サタンを神の前に直接に讒訴し得る権威ある者一人が地上に生まれた場合には、それと仲良しになった場合には、仲良しになったその者は勝利することができる。だからサタンを屈服させる、歴史的に屈服しなかったその内容を教えてやり、現実において屈服させられなかったその内容を教えてやる。未来においてはサタンがついてこられないような、そういう基準を審判基準にして解決する。

 これを無抵抗の牢屋に詰め込んでしまう。そうなれば地上は平安な世界になる。良心を中心として肉心と争うことのない時が来るだろう。それを信じられる? 肉心が良心と戦わない自分になった場合を考えたことがある? そういう者になる。直接主管圏に入れば肉心は良心に従うようになる。完全なるプラスがプラスになって、完全なるマイナスの位置が体になったとするならば、これは「一つになるな、なるな」といくらどなってもならざるを得ない。

 そういうような立場に立つべき本来の人間が、堕落によってこういう惨めな結果になったのが今の現状の自分の姿である。この姿でもって、サタンを中心として、満足や希望を望んでいるという者は、悪い男であり、女であるということが分かりましたね。だからメシヤは絶対必要です。

 メシヤはサタンを屈服させて、サタン世界の主権を取り除いて、その基盤の圏内において何をするか? そこにおいて血統転換をさせる。生まれた者がどうやって再び血統転換をするや? 道は一つしかない。前にも言ったように、サタンが主管する渋柿の畑を、神がもしもそれを切ろうとすればサタンが讒訴するんだから、神のほうにおいて、神が管理する渋柿の畑を分別して、準備し回れ右をして、方向転換させて準備し、否定の道をたどらせ、神のほうに帰るようにして、神が分割して、一つの国をつくらなければなりません。

 サタンには多くの国があるとしても、国を中心として見た場合、サタンが権力を振るうのは、世界各国を統合した国家一つをつくって権力を振るってきたのじゃありません。民族単位を中心として、国家という基準を中心として、天に向けて反対してきたのがサタンの権力基盤です。


神が導いたイスラエル


 だから神のほうも、サタンのほうから分離させて、回れ右をするようにして、宗教圏で訓練をさせるようにして、新しい国家、世界圏をつくる。それが宗教である。宗教の中にも中心宗教がある。それは何かというと、ユダヤ教である。国民の中でも、神が特別に選んだ選民という名前をもったイスラエル民族である。イスラエルというのは勝利したという証明である。勝利は誰がした? ヤコブがした。ヤコブは勝利するために天使を屈服させている。それからエサウを屈服させた勝利圏をもって、そこにおいて新しい神の管轄基盤を広めて、イスラエル民族とユダヤ教の基盤において選別した圏をつくって、国家基準を準備した上にメシヤを送る。これが神の計画だった。

 メシヤが来た場合、サタン国家基準より以上の強固なる主権国家をつくったならば、そこから神は初めて人類世界を直接主管し、立つというんだね。それ以前には、神は直接人間を指導することはできない。サタンと神の両方に、まだまだ解決していないから、神側に立つような個人もなければ、家庭もなければ、氏族、民族もないんだから、それが成ったという基準で解決し、サタン国家より以上の基準に立たなければ、神は絶対それを主管することができない。

 なぜかというとサタンというものは、天使長が堕落してサタンになったものである。人間というのは天使長を主管すべき主人の子供である。神様は主人である。その子供とその主人が、主権をもったその国よりも優位な立場に立たない国でもって、その権力を追いはらうということは絶対あり得ません。それ以上の国を満たさないといけない。

 それで、それ以上の国、その主権たるものは永遠に続くべきものである。一時だけで尽きてしまうそういう主権じゃありません。永遠に続く主権である。またその国民たるものは他の国を引き下げる国民じゃありません。絶対的に自分の国を思う国民にならなければならない。その国土をとった者は、いかなるサタン圏から攻められても、占領されるような国じゃない。占領することはあるんだけれど、占領される国にはなれない。そういうサタン国家より以上の国家を生み出してこそ、初めてサタンより高い立場に立ったアダムと神様が、この地上において直接語りかけることができるんであって、それ以下においては語りかけることができません。

 そのために四〇〇〇年間、イスラエルの選民を準備し、ユダヤ教を中心とした神政一致の思想圏を立たせ、メシヤを送ってメシヤと一体となって、イスラエルとユダヤ教が一つとなってローマを屈服させようとするのが神の計画だった。そうなったならば、イエス様はその万王の王たることは間違いないというんだね。王様の中心的人物になるべきである。ところがユダヤ教とイスラエル民族が一つにならなかった。バラバラになってしまったんだから、足場がなくなってしまった。そして、最後に十字架につけてしまった。

 それで、再びその足場の基台をつくらなければならないのが神の摂理だから、十二弟子を中心として、イエス自体が国家基準を中心としてメシヤを送ると約束したんだけれど、神様としては国家基準より以上の世界的基準に向けて発展させてきたのがキリスト教である。キリスト教の発展の目標たるものは、世界を一つにするんだけれど、家庭においては霊肉共の家族とか、氏族とか、民族とか、国家を得るような立場がありません。

 イエス様の体は天宙を表徴している。心は霊界を表徴して体は地上を表徴しているため、イエス様の肉身がサタンに侵害され、犯されて十字架につけられたその条件があるので、地上の基台はサタンに奪われた立場に立っているのです。


再臨主が来られる


 その反面、復活して霊的な勝利の基盤を得た基準において、霊的世界発展の基盤を広げてきたのが今までのキリスト教文化圏です。

 いかに世界各国にクリスチャンが多く、キリスト教を国教とした国が多いとしても、その国自体が神の永遠の足場としてイスラエル選民圏と同じような国家基準として立たされるかというと、そうではない。国家基準はみんなバラバラになっている。これが今までのキリスト教が立ってきた現実の立場である。

 ここにおいてイエス様が来られる時に、世界を一つにするには何が必要かというと、イエス様はアダムの失敗を復帰しなければならない。第二に、アダムの目的を完成するために来たイエス様の失敗も復帰しなければならない。

 イエス様の失敗は何かというと、民族とその教会を一つにし、そしてサタンの主管圏を打倒しなければならなかったのですが、主管し得なかったのがイエス様の失敗である。それを再び取り返して勝利圏まで立たせなければ、神の摂理は地上において基台をつくることができません。

 だから再臨のキリストが来られて、もしもクリスチャンを中心として民主主義世界の各国が一つになって再臨の一時を迎えたならば、まさしくイスラエル国家とユダヤ教と同じような立場において、一時に世界基盤がつくられる。しかし反対した場合には、イエス様に反対したと同じように、イスラエル民族とユダヤ教が数千年間追いに追われてサタン世界に踏まれたと同じように、世界的キリスト教文化国家、自由主義国家はもちろん、キリスト教は必ずサタンに侵される立場に落ちていくというのが原理の結論です。

 今まで二〇〇〇年の歴史を通して蕩減の道をたどった神は、現世において民主主義世界とキリスト教を代表した再臨の主を送って、一つにさせようとした。その基準において目的を果たせずして、もしも再臨の主が来られた時に反対した場合には大変なことになる。その再臨の主は世界を代表した者として生まれてくるんじゃありません。特定したその地域において、その国家基準の民族性を中心として生まれてくるに違いない。その国を中心としたキリスト教は世界を代表しているし、その国を中心とした主権は世界を代表する。そういう立場です。

 そういう立場が、統一教会からいえば韓国であり、韓国のキリスト教であった。それが統一教会に反対したというのは統一教会だけに反対したんではない。これは歴史的神の摂理全体に反対したのである。そうなるというと、歴史的使命を完成させるために立たせた教会が、それを迎えずして反対したことになるんだから、すべてのキリスト教は引っかかってしまう。その背後の文化圏における国は全部引っかかってしまう。だからどういう結果になるだろうか? それはサタン圏にさらされる立場になる。だから民主主義国家、キリスト教国は今になって共産党にさらされる段階に入りつつある。


三次にわたる七年路程


 二〇〇〇年の歴史を通して再びイスラエル民族が独立して国家圏を保って出たと同じように、二〇〇〇年の歴史を再び蕩減するんだから大変なことになる。第三回目は完成しなければならないんだから、二〇〇〇年の歴史を中心として蕩減して、これを当てはめようとするのが神の摂理である。だから我々は第一次七年路程、第二次七年路程、第三次七年路程を中心として決着をつけなければならない。そうなっている。だから今の国家を見た場合は、米国も共産党にさらされやすい。日本もそうだし、韓国もそうだし、中国もそうだし、ドイツもそうだ。みんなサタン圏に追われるような立場である。その戦いの的、それは目的を失ってどういう方向に行くかということは、自由主義国家圏においてはみんな分からない。そういう時が来たならば、それは末の時代である。

 ここにおいて、統一教会はその反面に、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰を広めて今では世界の横的基盤まで条件的にはもうつくり出している。先生は三次巡回路程を中心として、韓国において今まで二十数年戦って求め得た実績を、そのまま横的に世界に連結させる運動をして帰ってくる。だから、この前先生が言ったのは、日本へ寄ったんだけれども、日本の食口にはできれば話をしない。

 それで今度の巡回路程においては、韓国では出発当時から問題になっていた。出られない立場から出てきた。それで何とか日本に寄ったが、カナダには行かれないようになっていた。それが行くようになった。カナダから米国に入る道は完全にふさがっていた。しかし、背後に神が働きかけている。「米国に行くように」と。米国に行って、いよいよ目的地に来たんだから、ここで宣戦布告をしなければいけない。それはローマ帝国に対して、イエス様がイスラエル国家を代表して、ユダヤ教の基盤を率いてローマにおいて大演説するようなものである。統一教会の、米国とかヨーロッパ文明に反対しての宣布工作である。今までは反対されて数多くの犠牲者を出したんだけれど、統一教会のミスター・ムーンという男が今回米国全地を回っても、反対する者がいなかった。

 イギリスもそうであった。それからドイツもそうであった。こういうふうにして帰ってくる途中である。そして日本に帰ってきた。日本も今から、これをやらなければならない。それで、大集会をしたらいいんじゃないかと思います。しかし集会をするよりは、あんたたちを訓練させようというのが先生の考えです。


重い荷を負う先生


 こういうようにして、今は二〇〇〇年のユダヤ教、イスラエル民族の歴史的な期間の蕩減を神は二十年に縮小して、その期間に歴史を展開させるという。だから、この二十年間は世界的な歴史にない困難期であり、誰も知らない複雑な過程をくぐり抜ける時代である。これを操縦して勝利の結果までコントロールしていかねばならないというのが先生の使命であることを、あんたたち知らなければならない。我々の一線というのは日本だけではない。世界的になっている。それを求める先生は重い荷を背負っている。

 韓国と日本を防備するだけでもきゅうきゅうする、苦悩でいっぱいにもかかわらず、世界の運命を解決しなければならない。そうかといって後退するわけにはいかない。「前進だ9」。

 先生は今、五十歳だ。半世紀以上の年齢になったことは寂しいことであって、もし青年の時期だったら、もっと素晴らしくこれを追い出していく。にもかかわらず年取っている。しかし先生は年取っているとは思わないよ。あんたたちに何でも負けない。力こぶしでも負けないよ。先生に負けるか、負けないか? 負けない道が一つある。実力だけあれば負けないんだね。力であっても勝つ道がない。父親と相撲をやって勝ったとして、それでは勝ったことにはならない。親が願う実力を持てば、親もその子供に従うんだね。その道しかない。

 勝つ道は一つしかない。世界に向かって進んでいく。親が目的に向かって進んでいくその道において、親より以上の働きかけをするんだったら、負けないことになるんだよ。さあ負けるか負けないか?(負けません)。先生より以上のことを成せるというんだね。そうじゃないの、それ以外の道はないんです。だからあんたたち、先生より以上のことを成せるや? 自信あるの?(はい)。


復帰の道は成して行く道


 復帰の道は教えて行く道じゃありません。復帰の道が成して行く道であるということを知った場合には、教える方法がないというんだね。もしも教えて行く道であったならば、神様は数千年前にもう既に教えてやった。分かりましたか?(はい)。

 責任は誰が持つか? 人類の親が堕落したのであるから、親の使命を持つ以外の者は復帰の道をたどっていくことはできません。復帰の道を責任持って開拓することはできない。だから親たる者は、この地上には相談できる者は誰もいません。堕落しない前に子供があったの、なかったんだろう?(はい)。復帰の目的に向かうのは、堕落しない前の立場を願って行くところだから、堕落しなかった時には子供がなかった。

 我々は堕落した子供である、だから相談の相手は一人もいない立場であるということを考えなければならない。相談しようという思いを持った場合には、天使と相談しなければならない結果になるのです。それは、神様以外にいない。それがこの地上に来られるメシヤが行かねばならない道である。だから最後まで、一つの国家世界が復帰される基準を果たすまでは、相談を許されない道を行かれるんである。

 教えて行く道だったらもう数千年前に復帰されている。教える道はたった一つしかない。真の親の使命を持った者を見つけなければ、神様も教えることができない。そうなっているのです。だからそういうような道に責任持ったお方があった場合には、それは実に寂しい方である。いかなる苦労の道があっても、人間を頼りとして行く道じゃありません。神と共に開拓して、勝利の基盤をつくった結果は教えてあげられる。神から授けられた祝福はその親のものではありません。それを子孫のため、子供のために分けてやる。だからあんたたちは幸福である。そういう運命においては、そうなるというと、先生より以上のことはできない結論になってしまう。だから一つの道がある。先生は「生きていても、自分が死ねばすべては解決する、自分が死ぬところに未来が来る」という思いで、自分が前もって死を覚悟していった場合には、先生より素晴らしいことをやったことになる。その道しかない。

 だからイエス様が最初に教えたことは何かというと、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」。そういう聖書の言葉は、こういう観点からいうと、もっともな話である。分かりましたか?(はい)。


先生より苦労せよ


 そうすると、統一教会の食口たちは各自が願い出て、死ぬ境地を迎え出るような働きかけをする場合、先生はお休みなさいと言う。その道だったら、先生に先立つことはあるんだけれど、原理の道においては先立つ道はありません。だから先生より以上に苦労せよと言うのです。苦労するのがいいというんだね。さあ、苦労するの?(はい)。

 先生は相当牢屋に引っ張られて苦労した。今まで苦労しない日がない。今も無理している。それを知って、先生より以上の苦労をさせたら、みんな逃げるだろう。逃げるか逃げないか?(逃げません)。サタンも先生を見て、感嘆しているよ。「あの男はあんなにつらい道に引っ張り出されても、不平を言うことすら教わったことがないと思える男だ」と言うのです。

 あんたたちもそう? 自分は東大卒業生だという者が、知識でもって「これは何だ」と、鋭敏に批判するよ。今までの知識では、これは分からないや。あんたたちが批判したって分からない。今から先生の言うことは、十年後になればみんなピッタリ合う。だから死んでみて、後悔しやすい道が統一教会の道である。現世においては喜びやうれしいことは何もない。苦しいことであり、つらいことであり、悔しいことがいくらでもある。そういうことをやらせてもやるか、やらないか?(やります)。本当かい?(はい)。 やりたい者、手を挙げなさい9(はい)。

 手を挙げたんだから、一発打って下ろさなければなりません。何を打つかというと、サタンを打つ! もう決意したね。

 世界の運勢を日本にみんな降ろしていこうか、韓国に半分ぐらい分けていこうか、どうしようかな? いいと言っても困るんじゃないの、先生、管理が問題だ。共産党はガヤガヤ、朝総連はねらうしね。共産党の嫌な存在になっているしね。日本の右翼も芳しく思わないしね。あんたたち、四方八方防備しながら、二倍の活動ができるかというんだね。だから日本には現れないほうがかえっていいというんだね。そうでないの? そうでないか、そうか? いろいろな問題があるんだよ。だからこの問題を抱えて足場を広めていくのは、我々には二倍のつらさである。しかし、そこには立体的二倍の価値が潜んでいることを思って、それをくぐり抜けて果たしていかねばならない立場が、あんたたちの使命だ。分かったね?(はい)。

 サタンを屈服させねばならない。サタンを屈服させるには、自分一人ではできません。先生を伴わなければなりません。先生が必要だよ。サタンが屈服されるまで先生が必要です。

 いつまでメシヤが必要か? 完全復帰されるまで必要です。だからこの世の中がもしも世界的に復帰されなかった場合には、メシヤは必要であるというんだね。個人の解放、家庭の解放、氏族の解放、民族の解放、国家の解放を叫ぶとともに、世界の解放を旗揚げして、世界万民がそのカラー、人種、文化の背景を超越して一つの目的圏に向かう。世界すべてが「さあ準備だ」と旗揚げすれば、太陽が東に顔を出すというと、すべての万物はそこにあいさつしようとして、頭の一番先で迎える。山川草木もそういうことをやるのです。木もみんな太陽の光にあいさつするためにおじぎをする。生命の根本になっている。そう向くようになっているのです。

 万物までもそういうようになるんだから、万物の霊長たる人間はなおさらそういうことにならなければならない。世界万民が統一教会を中心として、先生を中心として、すべてがこういう方向を向いて喜ぶようになった場合には、そこから新しいものが生まれてくる。


神の願う国


 我々は超民族を中心として、超国家基準を単一民族が一つになったより以上につくれるか。問題はそこにある。それをキリスト教を中心として、希望の的として求めてきたが成されなかった。だから我々統一教会を中心として、先生の力によって新しいアベルの教会をつくった。その教会はあるんだけれど国がない。ユダヤ教の時、イスラエル民族には国があったんだけれど、統一教会を中心とした国はない。これが問題だ。

 イスラエルの国とユダヤ教とはカイン・アベルである。みんなカイン・アベルでなければ復帰ができない。それが一つにならなければならない。自由世界とキリスト教とはカイン・アベルだ。

 我々はアベルの立場で教団をつくった。既成教会がカインの教団である。これを打ってしまうわけにはいかない。ユダヤ教のイスラエル民族を独立国家として神は許された時代圏を思う時に、キリスト教をそのまま打ち壊してはいけない。そこで我々は一段と苦労をする。

 キリスト教と民主主義世界がカイン・アベルとして一つになって、優位なる立場においてサタン世界を屈服させることができなかったのです。かえって逆さまになった立場になり、追いに追われている現世である。その中において我々がアベルの教団として立った場合には、カインの教団は何か? キリスト教である。だからキリスト教を相手に我々は工作しなければならない。それが現実の立場である。そういうふうにしながら一つの国の基盤をいかにして乗り越えるかという作戦をする。それが韓国の現実の立場である。

 韓国は非常に追われる境地に立つ、境地に立つのが悪いんじゃない。時が迫っているのです。今年を中心として金日成は六十歳になる。六十歳になった場合には、サタンは六十数以上を越えることができない。だから四月の十五日をいかに越えるか?

 それに相対的世界の運勢を統一教会につなげなくてはならない。だから共産党の責任者たちが米国に対して影響を及ぼす以上に、我々が米国に影響を及ぼす。そういうことを成すのが今度の第三次世界路程である。こう思ってみた場合に、我々としては今年の標語「統一戦線守護」は何かというと、最後の戦いである。ここにおいて統一教会はあるんだけれど、統一教会を保護する主権はいずこにあるか。日本の国がたやすいか、米国がたやすいか、韓国がたやすいか?

 韓国がたやすいというんだね。だから韓国の現在の情勢は統一教会と一つになるように、極度に向かい合うように摂理は押しつけられる。今そういう段階に来ている。内外共にそうなっている。キリスト教もそういう段階に来ている。統一思想がなければ救われる道がないということを一般は知っている。最高の基準においてそれを認めるようになれば、もう峠は越える。越えたならば、もしも国があった場合には、我々の宣教師はその国の一番びりっこの一つの国民の足場を頼りとして行くんじゃない。国を相手とする。

 一つの国の大統領がみ旨の前に立った場合には、即時にその国を法的において救うことができる。素晴らしいことになる。一人が一人を伝道する時代ではない。国が救われていく。それが一つの国、二つの国と、数を重ねて、もしも四を越えて七か国家が一つになった場合、世界はいっぺんにその所に巻き込まれていく。

 イエス様は、四〇〇〇年の歴史過程を通過して準備した基盤が崩れていくのを眺めながら十字架につけられて死んでいった。それ以後において、イエス様を信じて救われる道をたどる者は、血を流さなければ行く道がふさがるということを思ってみた場合、いかにその内心において痛みを感じただろう。いかに悲惨な痛みを感じながら十字架の道を行かれたんだろうか? それを我々は知らなければならない。こういう立場である。


「統一戦線守護」の七二年


 我々には統一教会はあるんだけれど、統一の国がないんだね。だから統一戦線守護というのは何かというと、「統一教会を保護せよ」ということなんだね。だから米国においてうわさしているんだね。韓国に影響を及ぼし、韓国の政府と我々統一教会を一体化させる、その力を加えるという作戦にもなるというんだね。それで世界各国において、今後我々は戦ってそれを復帰するんじゃない。自然復帰をしなければならない。これが問題である。サタンの世界は打って占領するが、神の戦法は追われ、打たれながら自然屈服させる。天の位置をそのままにして侍るような立場でなければ、神の権威の立場を復帰することはできないということを、我々は、はっきり知らなければならない。

 まあ、こういう立場において、現世において我々の成さねばならない重大な使命は何かというと、国がない。神の国がない。国なき者が本籍をもつことができるか。本籍地がない。日本人は日本の国があるから、日本を本籍の地としてもっているんだけれど、神の摂理から見た場合に、神様の主権国家がないから、神様の国民の登録ができない。宗教登録、これ一つしかもっていない。

 復帰はカインとアベルが一つにならなければ進んでいかない。それは統一発展の公式になっている。カイン・アベルだけでは救われない。カインを救い、カインが進むように後押しして、後ろで戦ってくれる防備圏をつくらなければ帰っていけない。それが原理の教えである。だからカイン・アベルは一つにならなければ、父母を迎える道がありません。

 宗教はアベルの立場であり、国はカインの立場である。だからカインがアベルを殺した歴史を引き継ぎ、歴史的な国家主権者は宗教を殺してきた。そういうふうに結実圏がつくられて迫害されてきた。こうなるというと、宗教を中心として国を自然屈服させて従わせるような勝利の国家をつくらなければ、天国は地上に生まれてこない。それを成そうとしたのがイエス様です。

 イエス様を中心としてユダヤ教とイスラエル民族が一つになったならば、そこが一つのアベル国家だ。だから我々の信仰の目標は何かというと、神の国の民になることである。民にならなければその子供として、自由自在に、万民あるいは万物世界において誇りながら愛される道は生まれてこない。国なき者であったなら、いつも攻められる。即時にやられる立場がいくらでもある。だから神の欲すべき国はいずこにありや、神の足場とすべき国がいずこにありや? これが問題です。

 だから我々はそれに向かって、もしも韓国より米国が早かったら米国を中心とする。日本が早かったら日本を中心とする。しかし今までどこを中心としてやってきたかというと、先生が生涯かけて戦ってきたところは韓国である。韓国が反対した、一番先に反対した国である。先頭に立って反対した国が頭を下げなければ、世界の国々は頭を下げない。だから仕方なしに、また韓国に帰っていかなければならない運命を持っている先生である。かわいそうだね。

 そうかといって、世界情勢から見たら、緊迫した危機一髪というような時点に立っておる立場であるけれども、そのまっただ中において、ある目標の基準を決定づけねば行く道はふさがれる。だから統一戦線を守護しなければならないというのが今年の目標だよ。もしも統一勇士が世界に何億もいた場合には、三十八度線に動員する。そうなった場合にはどうなるか? 金日成、問題ではないだろう。


神と人が共に住む国


 国があった場合には、我々はそこで死ぬ必要はない。奉仕する必要はない。神の作戦は今まで全面的に打たれてきた。打たれて占領してきたんだけれど、一つの神の国を中心として世界に基台をつくって出発する時が来たならば、悪を打つ。

 正義が正義の権威を全面的に適応させる、そういう世界が待っている。それが今までできない。神がいくら全能なる神、絶対なる神であってもその能力を果たすことができない。サタン主管圏内においては、それを果たした場合には神の権威に引っかかる。数多くの宗教をかき集めながらきたのが、地上に神が主管すべき一つの国を求めて神の摂理の目標であるということを、今の宗教界は分からないんだね。

 統一教会は何をするところか? 神の善なる足場をつくる。神が地上を眺めながら「自分の国だ」と言える、この地上に本郷の地の基点をつくってあげたならば、神様はどこに住むだろう。霊界に住まないよ。愛する子供たちのいる所に住みたい。永遠に侵害されない安らかな立場として、子供と共に住むのが親の望みである。別れて住みたくはない。しかし今までは神様と人間は別れて住んできた。その怨みを解くには、国を中心として世界に自分の権力を振りまける、堂々たる主体的活動を成し得る環境に地上がならなければならない。だからサタン主権より以上の国家を中心として摂理してきたことを、今までの宗教は分からなかった。

 だから我々はその国を建設するための亡命者である。天から来たスパイである。間諜である。密使である。だからその国において自由行動ができない。注意してその人のために奉仕し、その人が生きるような方策をとらなければ生き残れないので、しかたなしにそういう作戦をやってきたんだね。もしも時来たらばいっぺんにやる。

 今まで統一教会も、今回の巡回路程におきましても、韓国の重要な食口たちが七名も霊界に呼ばれて行っている。一方では蕩減されていっている。先生はそれを心配して発ったんだよ。この期間はこういうことがあるに違いないと。三人以上は行くことは前もって考えていたが、七人も行っておるというんだよ。一方では蕩減されるというんだね。なぜ韓国が蕩減されるか? 先頭で働きかけ苦労し、戦場で先頭に立ったものが蕩減されるんだね。殺されたのと同じだ。同じ道である。

 こういうことを思う時、日本の地にある君たちは、韓国から見た場合には苦労もせず、このような恵沢圏に立った。それを思う時、韓国と日本という感情は我々にはない。昔みたいな感情を持ったら何ものもない。サタン世界の感情を残したところは、サタンの基台になるだけだ。神は超民族的に一つの理想の国家を求めてきたんだから、米国人も、英国人も、ドイツ人も、過去において怨讐だらけの人たちでも、ここに入っては一つの兄弟である。だから我々は、死しても成さなければならない。これを考えなければなりません。

 今、あんたたちが死ねば、教会の名の下で死んでいく。それは悲惨な運命である。教会と国が一つになったその主権の法の下で死んだならば、あんたたちは国葬されるような立派な者になるだろう。永遠の歴史の伝統を立たせる、それこそその国の中心になるだろう。それは一国のために犠牲になった者ではない。世界万民の解放のために、天宙復帰の伝統の基盤のために行った、貴い勇士であり、その墓場には花が切れることがないだろう。我々のそういう価値を一〇〇パーセント実体的に知ってくれる国がない。だからかわいそうな者である。先生もいまだにそうだ。こういうことを考えなくてはいけない。

 それで悪の主権より善の主権を正して、その基盤をつくるとともに何をするかというと、血統転換、祝福をする。血統は何によって植えつけられたかというと、愛によって植えつけられた。アダム・エバ夫婦が家庭をつくる時に植え込んだから、統一教会は祝福家庭をつくることにおいて、それを抜き去る。それは数多くの蕩減条件を果たし、条件物を集めてつくったものである。そこには転換式がある。こうなった家庭はどこまでも本国のために立たなければならない。本国といっても韓国が本国ではない。今の韓国ではない。神の願う国となるまでは、まだまだ残っている。しかし、我々と接しなければならない。もう最終点に来ている。これを全面的に包囲して、最後は一挙に復帰する道を先生は考えるから、韓国の勝利の基台を確保するとともに、アジア的、世界的な基台、全体的勝利圏をいかに広げるかということを考えなければならない。それが米国に対しての作戦を準備している目的である。だから韓国を中心として成したその基準で、もしも韓国が動き出さなかったら、今は韓国をあとにして米国を中心として、どこに行っても働けるそういう基台がつくられている。


第二次七年路程


 完成圏というのは蘇生、長成圏を越えた基準をいうのです。第二次七年路程は、蘇生・長成期をいう。第二次七年を終えたならば、先生はどこへでも行ける。第一次、第二次圏内において、そういう基盤をつくったならば、世界的基盤に植えつけられる。この運動が今の三次路程である。そして、第三次出発路程の三年前の準備期間にもなる。だから七四年までは、第三次七年路程の三年間の準備期間。三年間準備してアメリカに社会的基盤をつくり、アメリカをサタンから防備しなければならない。

 日本はひょっとすれば、早く先生と韓国と共に行動し、日本が一つになれなければ、日本はエバ国家として立たないことになる。韓国自体もアダムの国家に立たない時が来るかもしれない。そういうような未来の基準が現れやすい。アメリカを中心としたら、アメリカがアダム国家になる。なぜかというと、アベル圏からカインを中心として摂理を延長してやれば、カイン世界が相対基準になるべきであったが、それを反対にしてしまったんだから。ずーっと国を求めてきたけれど、その国自体がその使命を果たさない場合には、キリスト教と統一教会とその国と向き合う時には、それが再び適用される。そうなると、もし先生が韓国の先生たちを連れて、日本の幹部たちを全部連れてアメリカへ行った場合には、アメリカがアダム国家になるし、イギリスはエバ国家になるし、天使長はドイツ。そうなりやすいというのです。

 そうかといって、日本や韓国が滅びるのではありません。そこを中心として早く復帰が終わる場合には、韓国も日本も早い方法で世界的に進めていく。だからその基盤を早くつくる。今先生の三次世界的位置を迎える路程を成すのです。ひょっとして日本が反対すれば、日本の統一教会はみな、荒野に行くよ。韓国の統一教会は駆けていくよ。中国の統一教会も行くよ。そうしたら、これは一つとなって蘇生的のアダム、エバ、天使長になるよ。長成期的な基盤をそのままその場にのけておいて、互いに発展させることができるというんだね。

 アジアの情勢が緊迫していけば、我々が先頭に立って血を流すような危ういことがあれば、先生は後退作戦をするかもしれません。


日本が先頭に立て


 そういうことを思っているから、基準をつくるためにエバが先頭に立たなければなりません。復帰の路程はエバが先頭に立たなければならない。日本の食口たちをアメリカへ派遣しよう。それが原理的である。その基盤を中心として韓国も行くし、中国も行くし、そうしたら、ここで問題になってもいい。アメリカ自身、日本に相談せずに中共に飛んでいって会ったのだから、日本はピーンと回れ右してソ連と手を組む。そうなると日本は大変だよ。

 今、日共がソ連系に立っているということが分からない。中共が動き出したら台湾を中心としてソ連を引き入れるというと、日本の将来は大変なことになる。こういう問題を知っているので先生は前々から言っている。「ソ連も中共も南進政策、東進政策を二本柱にして経済援助をインドネシアに」ということを言ったんだけれど、それは耳に入らない。東南アジアの防備、道が開かずふさがった場合大変なことである。そうなっている。

 今度のインドとパキスタンとの戦いにソ連が介入して、インド洋へソ連艦隊が移動する機会をねらっている。ここで台湾がどうなるか? 台湾がソ連と組んだ場合には、ウラジオストクから日本を通って東シナ海を中心として、南太平洋、アジア沿岸、インド洋を結ぶ海洋ができる。そうするとウラジオストクのソ連の艦隊がだんだん増えてくる。これ以上に増えてしまったらどうなるか? その時は、台湾は台湾のままではおれない。もう少しすれば分かるだろう。

 今度台湾で、蒋経国の奥さんが昔は表に出なかったけれども、いち早く放送に出るようになった。ソ連が台湾を持つようになれば、背後関係が、内的にそういう運命におぼれてくる。

 こうなった場合には日本の今後の将来は、みんな暗澹たるものであることを感じる。アジアにおいて日本を手に入れた場合にはアジア赤化の主導権を握る。台湾も毛沢東がそのまま置いておくと決まった場合には、日本に攻めてくるんだから、日本が近く軍事拡張する。そういった場合大変だよ。戦略戦術においてマイナスになる。台湾をそのまま、蒋介石が死ぬまで放棄しておいてもどこにも行く所がない。もしもそうなった場合、太平洋はふさがるし、シンガポールを中心として台湾海峡がふさがった場合、日本はどこへ行く? 石油も、ふさがった場合には二週間できれいに混乱してしまうというような運命に立っている日本が、何としても台湾を、インドを守らなくてはならない。


インドが問題である


 勝共連合の願うことは、インドである。インドを防備しなければ。もしもアジアが赤化されてもインドを防備すれば、インドは六億近い国民を持っているし、中国にも負けない。米は二毛、三毛とできる。土地は狭いとしても、中国以上の豊富なるその基盤がある。先生はそう思う。

 だから今度インドへ行った時、「アメリカの地に早く来い」と言った。インドを重点的に作戦しなければならない。インド人は中共との間が良くない。そういう間隙をねらって、今が一番チャンスであるということを見てきた。過去のこういうような問題を見た場合に、日本の統一教会のあんたたちには、すまないんだけれど、天のアジアにおけるこれらの防波堤の使命を統一教会がしなければならない。

 死を覚悟して、このような渦巻くこの時点に生まれたのも、悩みではなくして、素晴らしい価値ある時代に生まれたと思い直して、この事情を逃さないように、時を失わないように働かなければならないのが日本の使命である。そこにおいて日本が責任を持たなければならない。

 そこで我々は、中国のために断食運動をした。公園の前で断食をした。なぜこのようにしなければならないのか? これは我々、条件だけでも神の願いは残しておかなければならないからだ。

 日本の活動を急がなければならない。日本の統一教会の発展を願って、我々は覚悟し、世界の統一教会の発展を願って日本人に働きかけなければならない。それが先生の案だ。そういうふうに今後の成り行きにおいては、日本において働き出す功績を、その実績を、いかに外国に影響を及ぼすかを考えざるを得ない。

 まあそういう方面から見た場合には、あんたたちはかわいそうかもしれない。しかし、かわいそうな境地を克服して乗り越えた場合には、勝利の旗はそこから揚げる。勝利の合唱はそこから始まる。そこに行かずして滅んだならば悲惨なものだけれど、極地に立って勝利を成したならば素晴らしいものである。そういう考えで日本の食口たちを固めて、日本はまだエバ国家だから、堕落はエバからしたんだから、アメリカに日本の人たちを先に行かそう。


メシヤに必要な個人


「メシヤと我々」という問題において、メシヤが善の主権を復帰するために、復帰されたその国民というものは、渋柿であれば何の用も果たさない。渋柿が甘柿にならなければならない。甘柿になる方法は何かというと、接ぎ木をしなければならない。これを完全に甘くしなければならない。そういうことをする統一教会を動員して、一つの国をつくりあげていく途中である。そのために、あんたたちも国のために奉仕していく。だからこの国を抱えるだけの人、この国のために必要とする人、この国を生かす民族。日本の場合は統一民族なんだよ。統一民族は国家を、世界を復帰する。今から当分先を見込んでおくんだね。七三年、七四年だね。

 まずもって、その国を次々につくっていく、つくったならば世界は自然と解除していく。大使が次々と伝道師になる。大使が伝道師の責任者となるんだね。そうしてその国の大統領を伝道したならば、その国はいっぺんで復帰されるよ。国が三か国以上復帰されたならば、世界は伝道しなくてもいい。そうだろう? 怨讐国家が一つとなって、一民族より以上に暮らせるという世界、新しいそういう国家が生まれてきたならば、戦わずして世界は巻き込まれてしまう。

 我々の願うのは既成教会を早く復帰し、共産主義を早く分別させていくことである。そうすれば、我々の世界になるということをはっきり知らなければなりません。メシヤのために必要な個人になれ。まず個人に要求する。


祝福家庭の責任


 女は男に負けるな。負けない立場を続けて歩いていかなければいけない。男を頼りとして行くような女は、これは世界にまで連れていけない。考えてみなさい。「あー、日本のここにおいて私は子供を連れていきたい」。「旦那様一人どこに行ってもいい」。メシヤが家庭を必要とするならば、家庭をつくれ、家庭をつくって夫婦共に愛せ。額を向き合って愛するのが愛ではなく、千万年別れていても誰よりも篤い愛をもって愛することができる。別れることで本当にその価値が分かる。一緒にいれば奥さんが旦那さんを愛しているかどうか分からない。別れてみるとどれくらい愛しているか分かる。夫もそうだよ。自分の妻を愛しているかどうか別れてみないと分からない。時たま別れてみるんだね。三年どころか十年でもいい。黒い髪が白い髪になるまで待ち焦がれながらそれを慕ってやまないような夫婦ならば、永遠の世界に行って二人は、太陽の光のような実体的な夫婦になるだろう。極と極の力の通じるそういうような磁力線を持ったならば、大変なことだろう。別れることは問題ではない。そうしてメシヤが必要とする夫婦となり、メシヤが必要な子供を生むのです。

 国の伝統、国の子となって主権者の伝統に従う。それを成すような教育をする父母にならなければならない。愛する者にならなければならない。愛するにも「かわいい、かわいい」と一方的ではよくない。「ああ、神様は数千年間復帰の路程を通して、愛する男女をいかに待ち焦がれてきたのだろうか」。そのような心情をかけながら、愛する子があって国があり、子があって世界が生まれてくる。こう思うんだよ。それだから寝る時も正しく寝よう。そう思って教育するんだよ。死んで遺言をするような親でなくして、生きている時に教えていく、笑いながら、「良くやってくれた」と感謝されながら死んでいく親にならなければならない。遺言する時に忙しく、「ああ、こうこう」ではいけない。秘密を共に知り、分け合って共に生きた実績を眺めながら、「もっとやってちょうだい」。そう喜びながら行くのが統一教会の父母なのです。

 だからメシヤが必要な夫婦となれ。それから家庭をつくって、子供をつくって、氏族をつくる。純潔なる血統を今から我が後孫に残すんだよ。数千年の歴史の中で、神様は血統転換のために数多くの犠牲者を残したというんだね。祝福家庭は特別に注意しなければならない。あんたたちも、もしも祝福を受けて誤った場合、生きる道はない。神様はその姿を見たくもない。もしも結婚して子供を生んだ場合、それは動物園のえさにもしない。我々はこういう観点から、恐ろしい天の法則を守って、サタンを完全防備して、回復を願い、摂理を成すのが我々の家庭の使命である。深刻な問題だ。先生は命懸けだ。

 イエス様は血を流して死んでいった。数千年の間、クリスチャンはそれを目標としながら、時を待ちながら死んでいった。神は六〇〇〇年の働きを、苦労のすべてを忘れないで、いまだに続けている。それは何か? それを祝福家庭に望んでいる。それを知らなければならない。祝福された家庭はイエス様以上の世界に帰る。イエス様が頼りにしている、望んでいる。敬意を表するような素晴らしい家庭である。そういうことを本当に知っている?あんたたち。いまだ歴史に残されているサタン圏の血統を一掃して、新しい神の願う、神による純潔なる血統を今残すこと。これが問題である。

 さあ、我が後孫は何千代この血統を残すだろうか。これが、もしも汚した場合は子供を生まないほうがいい。そういう覚悟で行かなければならない。純粋なる血統。分かったの?(はい)。

 男がもし結婚して、相手の女が死んだ場合、本当は独身で行かなくてはならない。女もそうである。しかし、子供のない場合は、祝福された後孫を残さなければならないので、共に貸借が生じる道もあるだろうけれども、男女は一対一である。こういう考えでもって見ると、あんたたちの祝福は恐ろしいことである。あんたたちは分からないんだけれども、霊界へ行ってみればすぐに分かる。

 祝福を受けた者は、天国に行く道が開かれている。祝福を受けた者は、サタンが讒訴するのではなく、天使が讒訴する。神の法律を中心として誤った場合には、天使長が否定する。

 原理が分かって祝福され天国に行けば、霊界の道はちゃんと開かれている。しかし、行くにはきれいな服を整えなければならない。足を乱すことはできない。だからそこには立体的責任がある。純粋な血統を残すために我々は、今、旗を揚げて世界に問題を起こして、二人共に誓って夫婦になった祝福家庭である。

 我々は共産党より恐ろしい未来を迎えなければならない。そうかといって、原理に違反した場合には、それは許されない。いつもあれこれした。それだけではいけない。国ができた場合には、憲法をつくって、法律をつくって即決する。その時、神のほうは蕩減しないよ。救いの道がないよ。救われる道はないんだよ。これははっきり知らなければならない。

 家庭は、メシヤのための家庭にならなければならない。メシヤは結局神のため、万民を解放する。祝福家庭は、根があり、枝があり、花みたいである。花が咲いて実を結ぶ、その一年のぶどうの実というものは、根のすべての伝統を受け継いできた代表的な結実体である。それを眺められるような家庭にならなければならない。そういう家庭をつくるには、自分で蕩減の道をつくっておく。それから新しい先祖になるんだよ。そうして新しい氏族をつくるんだね。自分なりの氏族を配したので、氏族の族長になる。アブラハムが信仰の先祖となったように、我々祝福家庭はアブラハムのような信仰の先祖にはなりません。何の先祖かというと、心情の先祖である。心情の先祖をつくる。これが統一教会の根本の思想である。

 未来を望んで願って、信仰で添って、目的に一致するそういう立場ではありません。生活をしながら、心情の基準を立たせ、目的を成すところが統一教会の家庭です。家庭が一番大切です。善なる家庭が生まれなければ、善なる氏族は生まれてこないし、善なる家庭が生まれてこなければ、善なる国家は生まれてこない。善なる世界も生まれてこない。家庭が問題である。だから家庭が共に救われる。男が引っかかった場合には、女も共に行かれない。二人は共通の運命である。

 だから、男が生まれたのは誰のために生まれた? 女のため。女は誰のため? 男のために生まれた。だから愛というものは自分のものではありません。愛というものはそもそも自分のものではありません。男がいなければ、女に愛があるの? だから今、女の子たちは結婚した場合、旦那さんを本当に愛しますか? どれくらい愛するか、これくらい愛するか? 天宙より以上に愛する。喜ぶんだね。愛あってすべて包括する。愛は実に偉大である。愛は実に大きいというんだね。愛はこんなに大きいんだから、神様のところへ入れてもまだ残る。愛なき心を持って欲張った場合には、神様は入る所がないよ。

 愛の主体は神様である。現在の人たちの愛は自分のものである。この世の人たち、それは間違っている。愛は自分のものではありません。男も女もそういうタイプに生まれてきたんだよ。本質はそうなんだよ。それを根本的に、今までの愛の基準を取り替えなければならない。だからいくら男が偉いとしても、女があれば女を抱えて死ななければならない。そうなんだよ。一人で死にたい男はいるの? 若い者たち! 一人で死にたい者いる? 自分の兄弟でなければ、自分の妻でなければ、自分の父母に抱かれて死にたいんだね。生まれる時は愛によって生まれ、死ぬ時も愛に抱えられて死ぬのが人間本来の本心なのです。だから生きるのも愛によって、共に生きたいのが人間の理想なのです。一人では行けない。

 神様が実に好きがるあんたたち夫婦が抱き合った場合、「我々夫婦は神様の最も愛する夫婦ですから、愛する時、神様、共に喜んでください」。そういうように祈ったことがありますか? もしそういうように祈り、望みを持ちながら愛する者と、そういう思いも持たない者と、神様はどっちを選ぶだろう? それは言うまでもないや。もしも愛が最も尊いものとするならば、最も尊い、最も価値ある愛のその現場を共に分け合いたいのが本性の願いだろう。だから二人が神様の前に愛し合うならば、神様も喜ばなければならないのです。

 だから愛は三角関係である。この世の三角関係は破壊だけれど、神様を中心としては真の動機である。それを一般の人は知らないんだね。しかし統一教会においては三角関係を持っているんだね。日本の統一教会の食口も、先生と三角関係を持とうとする。「ああいう性質は、ああだ、こうだ」。「こういう性質があるんだから、生かせばいいんだが、先生来てくれれば、一言言ってくだされば直りますから、どうぞお願いします」。アメリカ人も同じだよ。西洋人もね。男の子もそうだよ。妻がいれば、「家の女房をどうにかして、一言かけてくださればすぐに直るので、ちょっと一走りしてください」と、三角関係を持ちたがる、おかしな群れがいる。

 メシヤがもしこの地上に来られるのだったら、愛する夫婦があるならば、その子供があるならば、愛する親は共に見たいし、参席したいと思った時、気持ち良いか悪いかと考えてみるんだよ。統一思想においては、気持ち悪く思ってはいけません。メシヤが必要な家庭をつくらなければなりません。そうして善なる、純潔なる、神より受け継いだ伝統を、何百倍、何千倍と続かせれば、世界を支配する主体的な氏族になるだろう。それを中心として祈る。

 だから子供に関心を持たなければならない。親は朝に夕に、子供に関心を持たなければならない。関心を持って、その真心に子供自身が感服して、そういう立場を迎えるような環境において教育をしなければならない。そうして新しい氏族を新生しなければならない、新しい世界を新生しなければならないのが統一教会の、統一思想の目的である。

 個人、家庭、氏族、民族、国家基準が成されて、統一思想と一つとなって永遠に別れない、そういう国家基準になった場合には、メシヤが来られていっぺんに国家基準から、国家、民族、氏族、家庭、個人の渋柿をいっぺんに切ってしまって甘柿に接ぎ木する。これが統一教会の合同結婚式である。

 日本では何と思う? 合同結婚式を君たちの父母たちは反対して気持ち悪く思うが、そういう気持ち悪いことをする文先生ではありません。「ありがとう」と千万回も感謝をするだろう。今は知らないからであって、そういう悪い結果を来たして喜ぶような、世界的活動するような文先生ではありません。最高の神が要求する、最高の望みをかなえるのだから、堂々とやれる。恐れず、自信持ってやれる。「世界からも、国からも、反対されても堂々とやれ」と押しのけていく。これが統一教会の責任者、文先生である。だからあんたたちは、メシヤのための国、メシヤのための教会、メシヤのための家庭、メシヤのための自分、そうなればサタンは永遠に解放される。自分個人、家庭、氏族、民族、国家がサタンより解放されたそういう圏内を眺めて侍るような、勝利的な自分を成した思いがする。

 我は神、天国と直通する。最短距離を我々は行く。それは空想ではありません。そうなると、統一教会は心情的理想社会に行く。自分なりに原理の家庭を持っている。氏族、日本の民族である。こういうような国家基準において我々は、命令的に脅迫してやれと言わなくても、これが分かった場合には心が先に飛んでいく。心が飛んでいく。その力がどれくらいかというと、今までの心とは違う。体が来なければ引っ張ってでもいく。


素晴らしい所・統一教会


 統一教会がある段階にまで行くと、どういう現象が起こるかというと、女の子がかごを下げて、市場に行くと言いながら、教会に行く。こういう現象が起こる。それは何を意味するかというと、体を自由自在に支配して、人間が引かれる目的の所に導く力を持っていることを証明する。

 時に自分は口をこう閉じていても、何か知らないんだけれども口を開けて話をする。自分では願わないのに話をするんだよ。その話を聞くと、「こうこうしてはいけませんよ」と、ちゃーんと自分の困った問題の、解決の目を出してくれる。それが違うんだよ。だから統一教会に入ったら、そこで電気装置をして、麻薬を吹きかけて、催眠術で何回か回し、方向転換しちゃったとか、いろいろなうわさがあった。文先生が何か魔術師みたいにね。

 牢屋に入った時も、五人くらい番兵が回ってきた。「あの男はどんなことをやるか分からない」と。あんたたちはそうじゃないよ。春が来て暑くなってくれば、冬に着たものを脱いで軽いものに着替えるんだね。夏になったらそれも脱げと言われなくても脱ぐんだね。命令しなくても。それと同じだよ。自分の心が何の恐れもなく気がつく。それで統一教会で原理の味が分かるようになり、「ははあー、これが人間の味のようだ」と分かると、それから自分の父母の所へ行ったら窒息する。いくら立派な別荘みたいな所に住んでいても心が疲れてね。そういう所だよ。

 食べ物は耳パンでも何でもいい。それがおいしくてたまらない。寝る時は布団なんてどうでもいい。シラミはいないんだけれども、四寸くらいのシラミがはい回ってもいい。そこがいいというんだね。見てごらん。統一教会は、外的に見ても何もないや。しかしここの味を知った場合は、東大生でも何でも、のこのこやって来なければならないようになっているんだよ。あんたたちの父母が、「何としても教会だけは行ってはいけません」と、いくら頼んでも、いくら親が言っても、足がのこのこ出ていくんだね。そういうようになっているんだね。

 この世の中から見たら気違いだ。しかし我々の線上から見れば、向こう側が気違いである。角が二つある。最も分かるものであって、最も分からないものだよ。詳細に深く分析して味が分かるようなものであって、味覚は敏感であって鈍感ではないというんだね。数千年前にあったその問題が、心情世界において公式的にあるんだよ。先生はそれを実験している。科学的に実験している。間違いない。だから誰が反対しても恐れずに、命懸けで、天下すべてが反対しても、堂々と今までこの基盤をつくってきている。もしも不完全な道なら、先生はもうふろしきを包んで帰っているよ。しかしほかに行く道がないからずーっとこうやっているんだよ。

 先生は一番大きい帽子を二、三回かぶったが、大きいものでも合わなかったよ。頭が大きいんだよ。脳みそから見ても違う。たくさん入っている。それは何を意味するかというと、考えることが複雑だということだ。考えるにも、自分の損害になるか利益になるかを探り、考えた結果、これが良いといって結論を出す。考え尽くして発見して結論づけるそんな男とは違う。そういうことをした男がここにいる。命懸けだよ。生命を爆弾のように使って、飛んでいって死のうとする。いまだ死のうとして爆発はしたんだけれども、爆発の力以上の力がどこからかたくさん出てくるんだよ。実におもしろい。実に素晴らしいから先生は刺激的である。

 あんたたち、刺激を感じるの? 刺激を感じないなら、改めて無限なる刺激を……。だから疲れない。先生はきのう何時間も寝てないよ。一日中話をしても、先生が刺激的に話せば、あんたたちも自分を忘れて相対的立場に立たなければならない。

 今、何時間くらいたった? もう六時間過ぎたね。六時間は、東京からジャンボ機に乗ってハワイに着く時間だ。先生は今、十年続けて話をしようかと思っているんだよ。(笑い) それほど話があるんだよ。だから先生は説教の準備をして壇上に立ったことがない。立てば話す。話せば言葉が出るようになっている。実に録音装置よりも立体的に交差している。だから統一教会は素晴らしい所である。まあそろそろ終わりましょう。

 あんたたち、メシヤが必要なの?(はい)。どのくらい必要なんだろう? 君たちの目玉くらい? 目玉一つくらい必要なの、それ以上に必要なの?(それ以上です)。目玉一つ取ってもこの道を行ける?(はい)。メシヤを紹介するには目玉一つやってもいい?(はい)。本当か?(はい)。目玉一つ何億円するや。そうしたらこれだけの人がいたら統一教会は財閥の一つだよ。(笑い) そう思うよ。そう思うんだよ。手一つはどのくらいするだろうか、何億円するだろうか?「メシヤをもし紹介してもらえるならば、手を一つあげてもいい」。これは金持ちだよ。分かったの? だから神様をもってして価値を見るだけではありません。あんたたちその価値が分かれば、すべてのものを犠牲にしても、その一つだけで満足する。人間の欲から考えてみれば全部もっても満足しないように考えるが、永遠に絶対なる一つのものを得れば何もいりません。あんたたちはそういう欲を持っている?


最高のものを占領しよう


 あんたたちは久保木会長より偉くなりたくないの?(なりたいです)。なりたくない者は死んでしまえ。だから久保木会長の頭に乗っかって行きなさい。先生より偉くなりたくないの?(なりたいです)。先生の上に乗っかってやれ。事故なしに上がれ。副作用なしに上がりなさい。もし、いけないと言う者は独裁主義者である。分かったの?

 絶対の神は、最上の神の愛を持った人。神は誰のためにあるや? 神のためにあるや、その論法が成立するの? 神様も相対者のために愛を持つのであって、自分自身のために持つのではありません。愛の裏づけから見ればそうだよ。そうだったら、その愛は誰が占領するや? それは決まり切ったことだよ。神様の奥さんでなければ。奥さんがいることを聞いたの? それはそうでない。話も聞いたこともない。しかし、神様の子供がいることを知ったんだね。人間から研究された最高の位置、もしも人間として神様絶対ならば、神様が愛の主体ならば、その主体の前に相対者の絶対的位置を求めるものは何かというと、神様の子供以外にありません。

 もしも神様が一人でおった場合、孤独だろうか、うれしいだろうか? 人が一人もいない所で目玉をキョロキョロさせながら、このようにすると、これは気違いである。だから神様も仕方がない。なぜ創造したか? 相対が欲しい。相対を得て何をするか? 共に愛したいから、相対者としてつくった。愛をどういうふうにして? 神様は人間と相対的関係を持ったならば、どういう立場で関係するか? 神様はしかたなしに最高の愛の基準を願っている。その人は誰か? 奥さんがいなければ子供になるんだね。だから人間を子供の基準になるくらいに、神は愛さなければならない理論的結論がちゃんと出てくる。

 神様の子供になった場合どうなるの? 真心込めて愛される子供になった場合には、父親のものは子供のものに絶対ならないという法則あるの?(ないです)。そりゃ気持ち悪くなるよ。幼稚園にも行かない二歳くらいの子供が友達と遊ぶ時、「私の家はここですよ。ここですよ」。ここと言うのは大きい邸宅であり、その邸宅は何億円以上もの金で造ったのに、その子供は何も知らずに「ここですよ、ここですよ」と言っている。気持ち悪いね。何がここや、ここや。通りすがりの人が聞いたならば気持ち悪くなると思う。しかし、そう言うことによって、ははあ、この子の家はここなんだとすぐ分かるね。

 そうかといって父親が一生涯身を粉にして造った邸宅を、何も知らずして「ここですよ、ここですよ」と言っている息子を見て、気持ち悪く思う者いる? 小さい子が、言えば言うほど素晴らしいよ。そうだろう? だから家は誰のものか? 神のものだろう。宇宙は誰のものだ? 子供のものだ。宇宙を自分のものにしたがらない者は人間のうちに入らない者である。だから、宇宙を占領したくない欲のない者がいるの?

 そういう者は人間の部類に入らない。宇宙を占領したいという欲望を持っていない者いるの? 女の子たちはそういう欲望を持っていないだろう。持っていない者は人間の部類に属さない。これは猿だ。

 だから最高である、完全に最高のものを得て、すべてに愛される立場になった場合には、人間の欲望の定着地はどこかというと、それは無限であり、無限なる神の愛に占領されて愛された場合には、完全飽和状態である。


愛の極致


 愛の極致。それは何であるかというと、神の愛である。そういうふうにつないで、神の愛に抱かれて、他人を自分の子供みたいに、自分の兄弟みたいに思い、幼児は自分の家族の一員と思うような、そういう素晴らしい男でなければ、神の子供になれない。神というお方の子供になるためには、日本的な子供であってはならない。過去の聖人ぐらいじゃいけない。過去、現在、未来を通して永遠に、絶対的なタイプの、そういう男として立たなければ神の子になれない。だから「聖人たちの愛せなかった分野を我は今愛する」。先生はこういうふうに思っている。

 アメリカへ行って、アメリカ人たちは東洋人を愛せなかった。私は愛するんだ。日本人と韓国人は、今から五十年前は命懸けで戦った。先生も日本の兵隊と戦った男だよ。日本の官憲によって拷問された。それは許されない。怨讐心を持った男である。それはみんな敵である。日本人を解放直後において、怨讐心を抱いて敵討ちするいいチャンスが来たんだが、先生はそういうことしなかった。「これには因縁があるからこういうふうになったし、何かの義理があるからそうなっておるんだから、あんたは時が迫っておるから帰らなければならない」。そうして荷物を包んで帰してやった男なんだよ。

 日本の国民を将来救うために、船に乗せて西川さんを何回も送った。一回失敗したなら、二回、三回と追い返し、「死んでも帰って来るな」と、命令した男である。そこまで日本を愛せるか?

 日本人ならば、日本人の誰よりも日本人を愛する。だから日本の将来はこうなるだろうと心配し、中国に対しても、蒋介石はこうなるだろうと心配してきた。アメリカもこうなるだろうと心配し、ドイツもこうなるだろうと心配してきた。そこが違うんだね。韓国に生まれたからといって、韓国人だけを愛するような男ではないよ。

 日本人も先生の力がいる。だから日本人でさえも、先生を神のように愛する基準にまで引き上げなければならないというのが、先生の使命である。だから神様が日本の父母として愛するその基準以上の立場に立たない愛では、その国の家族になれません。それ以上である。

 極は極に通じる。そういうような活動を我々はしなければならない。だから、メシヤは絶対に必要である。特に日本の国を中心として、世界万民を迎えることのできる足場を日本民族が団結して、他のいかなる国より先につくった場合には、天国においてたたえられる日が来るだろう。こういうふうになっている。

 だからいかにしても悪主権を脱皮して、善なる天の血統を我々は残さなければならない。女の子たち、顔が問題じゃありません。復帰の路程において、女は顔が問題じゃありません。顔はどうでもいい。神様が愛する以上は、愛というものは、美しいものを愛するばかりが愛じゃない。女たちは、奥さんたちは考えなければなりません。

 父母に愛されて育てられた子供であり、女であり、男である。父母が授ける時には、自分より以上の愛を願って授けたに違いない。だから結婚した夫婦は、自分の元の位置に帰りたいというようにしてはいけない。「行けと言われても行きたくない。行きたくない」と言うような女として、愛さなければならない。

 男はどうか? 男に対しても自分の父母が愛してくれた愛より以上に愛さなければいけない。それが結婚というものの最高基準である。だから妻は夫に対して、父よりも愛さなければならない。兄弟よりも愛さなければならない。

 我々は、国に登録しなければならない。新しく入籍しなければならない。これは日本の国を打ち砕いてしまうという話ではありません。日本の国を率いて神の国に登録した場合には、日本の国が世界で最初に登録した場合には、日本の国が指導国家になる。そういう国になりたい? そういう国をつくりたい?(はい)。

 こういうことを思って、自分から始めるのです。メシヤが国を復帰したとしても、結局は自分一人を救うために、メシヤは自分を国よりも愛し、民族よりも愛し、氏族よりも愛してきた。自分一人を救って、国家的価値までたどって相対的足場をつくるために神も今まで努力してきた。それが永遠に残る基台である。ある国家を探して自分たちを解放する。それがはっきり分からなければならない。

 メシヤは真の父母であるし、我々は真の子供である。同じ運命圏に立って、そこまで行かなければならない。だから日本を中心として世界各国に負けないように、先頭を切って先生が後押しをしてあげるので、どうか先頭を疾走するように努力してください。祈りましょう。


祈祷


 天のお父様。きょうは四月二十三日、四番目に迎える聖日でございます。遠い遠い旅の道を、この日本において落ち合うことができましたことに感謝申し上げます。今、日本にいる若き統一勇士たちに、神様、どうぞ希望を持ってくださることをお願い申し上げます。ここに誓って立つ者がいたならば、天国を建設する勇士として立つに違いない者であると思います。きょう「メシヤと我々」という題目を中心として語りました。

 メシヤがこの地点にまで来るには、数千年の歴史の重荷を背負って、たどってきたということを思います時、数多くの怨讐を迎えて戦いながら、携え持つ荷物を一つも落とさず、抱えて勝利圏まで来たという、我々は感謝して主を迎えなければならないということをはっきり分かりました。悪の主管圏世界において、善なる主管圏の神の世界を建設しなければならないという、重大使命が弱き我々の双肩にかかっているということを思います時、鞭打ちましても、最後の勝利の終着点まで押しかけていくように励ましてくださることを、切にお願い申し上げます。

 アジアにおきまして、日本が占めている立場を思います時、重大な立場と使命を天の前に抱えているということをこの民族は分かっておりません。我々はそれを覚醒させて、神の願うように努力しなければならない若き者の使命が残っていることを、今はっきりと分かりました。朝に夜に、誓いを立てて、その目的に向かって前進に前進を重ねていかねばならない覚悟を新たにいたしましたから、どうぞ神様、ご安心くださることを切にお願い申し上げます。

 明日の勝利者として、きょうの決意を固めるこの時間になるように、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。

 今後のすべての時間も神のみ意にかなうように導いてくださることを切に願い、今この時間を世界各国に広がっている統一教会の食口たちが日本に向けて祈っていると思います。韓国の地においても、この日本のために祈っていると思います。されば、心を尽くして祈るすべての人々の上に神のみ恵みをおとどめするように、祝福してくださることを切にお願い申し上げます。

 そうして我々は、心情一致した兄弟として、すべての国家を超越して、民族感情を超越して、色が問題ではありません。種族が問題ではありません。文化が問題ではありません。神の心情を中心として、神を先頭としてみんなが一つとなって、神の願われる目的完成に連なるように高めてくださいますことを切にお願い申し上げます。

 すべてを神のみ意に任せましたから、あなたの勝利圏に残るように導いてくださることを切にお願いしつつ、すべての祈りを真の父母のみ名を通して、あなたのみ前にお捧げいたします。(アーメン)。












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家庭の伝統

文鮮明先生御言選集 55


家庭の伝統 1972年4月29日 日本 東京教会

女として唯一の道


 男たる者の行く道は、国を中心として世界に行こうとしても、国ある前に民族、民族ある前に氏族、氏族ある前に家庭、家庭ある前に相対者が必要なのです。

 相対者を地上に永遠の基台とするのが、統一教会でいう聖婚式で、六十年前のきょうでした。しかし、この十二年間に、皆さんが真の父母として正しく侍り、真の父母に権威を払うようにやってきたかといえば、そうではありません。家庭的において、まだアベルの基準を引き継いでいないことを知らなければなりません。再び堕落することは許されません。世界的なサタンになってしまう。先生としては、原理に引っかかるようなことはしないのです。かえってサタンが引っかかってしまうのです。先生は追いに追われつつ発展の基準を残すために、今まで原理的戦いに敗れない道を進めてきたのです。

 今の時代は、第一次大戦以後の七十年間の女の運勢圏です。アメリカにおいても、女性が先頭に立つようになったのはついこの前のことで、それは七十年間、女性として地上に許された祝福圏なのです。その祝福圏は真の母がこの地上に生まれて、その真の母を中心として始まらなければなりません。

 今まで男の失敗に貢献してきたのが女性の歴史でした。地上に誇るべきものが何一つなく、堕落も女が先、腐敗の母体もみな、女性になっているのです。道端に立って誘うのも女であり、神の前に女として先頭切って貢献したことがないというのです。

 しかし、統一教会では女性がよく働いています。だから、世界的に女性がみんな一つになって、来られる再臨の主を助けることによって初めて、地上において勝利する基盤が得られるのです。それが女性として今、最後に残った唯一の道であることを知らなければなりません。今の時代は、女性が天使長の一番近い相対圏に立ちやすいのです。会社の社長の秘書官は、男性より女性のほうが多く用いられます。それは時代の結果において、そうしなければ復帰できないのです。

 統一教会においては、女性は、まずもって先生と因縁を持たなければ、サタンの道以外にありません。そうでなければ女性が行く道がないというのが統一思想、原理の観なのです。女性は今まで男のために犠牲になってきました。無価値に犠牲になってきました。だから価値を得る時は、再臨の主が来られる時、母を迎えるその時以外にないのです。

 アダムがつくられる前に女性がいなかったというのが原理であり、再臨の主が完成されたアダムとして生まれてくる以前には、女性は無価値な者として、主張することもできなかったのです。それが、再臨の主を迎え、世界的に価値ある一時を得られたこの時代において、女性として果たし得た場合、それは世界的になるのです。日本は特にエバ国の位置に立っているので、その国の女性が功労をなした場合には世界的になるのです。だから先生が命令してくれず、使ってくれない時は、「死んでしまう」とデモをしなければならないような立場なのです。


先生がすべて蕩減してきた


 エバは「蘇生・長成・完成」が堕落圏に包まれたので、堕落しないエバの位置はこの三つの圏を乗り越え、元返しした位置に立たなければ復帰されたことになりません。それは命を懸け、血を流して、それを償う道しかありません。今まで、第一の男性につばをかけ、第二の男性につばをかけて追い出してしまったのです。そしてついには、第三の神様の子供につばをかけてしまっているのです。そういう歴史がある。それを何で償えるかといえば、命を懸け、血を流していく以外にはないのです。

 復帰の道を複雑にしたのは女性です。先生は女性に対して、「こういうようにしなければならない」と教えてやっても、やってはいけないことをやってしまう。それが女性なのです。だからエデンの園において、神様が「こうしてはいけません」と言われたと同じように、先生が神様と同じ立場にあるので、その前に立った女はみんな反対のことをやっている。だから問題になってきたのです。日本刀があった場合、いっぺんに切ってしまいたい気持ちです。

 結局は、男性が完成することによって女性が完成するのだから、統一教会のすべての女たちの誤りを、先生がすべてかぶって、今まで蕩減してきたのです。そういう苦しみを与えた歴史の事実を持った女性であることを、皆さんははっきりと知らなければなりません。女性たちがこの統一教会に入って来る道は、直ちに生まれてきたのではありません。先生が代わって蕩減条件を果たし、ここまで上がってきたのです。

 また、神の創造原理から見た場合に、アダムを中心としてエバがつくられたのであって、アダムを中心としてアダムがつくられたのではありません。だから男性は立つ立場がないのです。僕であり、それ以外の道はありません。それゆえに、統一教会で基台がつくられた後に男性たちを立たせるのです。戦闘準備をして、戦いが起こる前までは女性を立たせるけれど、戦いが起こった途端、切り替えさせるのです。

 堕落する時は、エバによって落ちていったんだから、再び元に返る時には、三年間は侍らなければなりません。母として迎えた基準で、アダムが愛せなかった以上に愛さなければならないのです。イエス様が愛せなかった以上に愛し、再臨主が愛せなかった以上に愛し、三時代を代表して、家庭的立場に立った天使長の位置を保った男として、迫害された女性たちを愛する者がいないその身代わりとして蕩減する基台という価値を認めなければ、現実に蕩減の完成はなされません。

 完成基準まで行かなければ男性はいないことになり、完成基準に達するには家庭が引っかかっているのです。その期間の蕩減の圏内を責任を持って、女性たちのすべてを蕩減してやるような男にならなければならないのです。

 これが、そういう使命を果たしていくにしたがって、皆さんは蘇生的アダム、イエス様の長成的アダムという立場に条件的に立つのですから、先生の外的相対に立つことができるのです。そういうような関係において、男性が本来の立場に立つのであって、それ以外には道がありません。


アダムの主管圏


 統一教会で説かれる原理は素晴らしい。みんな引っかかる。ここにおいて集まった者が世界の半分以上になった場合には、いつでも世界を飲み込んでしまうのです。それをねらって、今我々は家庭編成を成しているのです。

 堕落の時には、主体者はサタンでした。アダムは、アダムの主体性を持ったことがなく、エバが持ってしまったのです。万物を主管し得る絶対的主体性を神と共に持つべきアダムが、その権威をなくしてしまったのですから、それを蕩減復帰しなければ再臨の主は来られません。その蕩減の道は、皆さんに訴えても分からないのです。

 先生は若い時、霊界に通じるあらゆる体験を持った女の前に立っても動かされませんでした。天使長圏に立ったような素晴らしい世界に、その女がいて先生を誘惑したのです。しかし、完成されたアダムの立場においては引っかからないのです。それを屈服して勝利の圏を得なければ、男の主管圏は復帰できません。それが分からない皆さんたちには、いくら説明してみても絶対分からないような背後関係がいくらでもあるのです。

 アダムとして、いつこの道に勝利して、主管圏を復帰したか? サタンとエバが一つになって先生に向かってくる、そういう戦闘において屈伏させるには、原理が分からなければ絶対にできません。

 男として、原理をいかにして分かったのでしょうか? 勝利の基台に立った勝利圏によって、サタン世界を屈伏させて、今まで発展してきたのです。だから、皆さんは、これも知らなかった、あれも知らなかった、全部知らなかったというような立場に立っているのです。それで、その恥ずかしさを一挙に先生と共に解放してあげようとして、先生は努力しているのです。一挙に世界的にそれを解いて、その基準において皆さんたちに威信と権威を立たせて、新たに万民を、万国を、天宙の霊的世界をつくるためにやってきたのが、地上での祝福なのです。

 祝福も三度受けなければなりません。まず教会で、さらに国家基準、世界基準を経て、この地上で成されなければ、霊界に行ってでもやってもらわなければならないのです。これが統一教会の伝統的家庭の道なのです。

 この三年間は、女は母であり、自分を生み替えてくれる母である。先生は父であり、その相対の立場の母の立場である。復帰された母の立場に立っているから、イエス様の未完成圏を完成し得た立場に立って、初めて相対的勝利基準が生まれてくるのです。だから、皆さんをイエス様より無価値に思って祝福したのではありません。

 このような原理原則において、イエス様より先に立ったという思いで、先生は祝福したのです。しかし、受ける者たちはそんな思いをしなくてもいいのです。自然と分かって準備すればいいというのです。

 アダム、エバの堕落を復帰して、その家庭から生まれる腹中の子供に対して、三人の天使のように、生まれてくる姿を心に希望として願うような、そういう家庭でなければなりません。

 自分が信仰の子女を持つということは、数千年来、宗教人としての最高の理想なのです。イエス様もそれを得られなかったのです。ゲッセマネの最後の談判祈祷でも、みんなに反対され、捨てられてしまったのです。しかし、我々は復活圏において勝利の家庭を築いたのですから、これは天使が支える家庭です。そういう価値が祝福家庭なのです。

 自分が犠牲になっても、自分の子供には正しい伝統を伝えていかなければならないのが、祝福された夫婦の家庭での責任なのです。子供に重い蕩減の荷を負わせてはいけません。先生が死ぬ前に早く国家基準を越えなければなりません。


真のお母様


 キリスト教が反対しなかったならば、二十代から三十代の真の母が現れるのは、イエス様がそういう年齢であったからで、それが反対のため、十代になり、先生が四十歳の時、十八歳の何も知らないお母様を迎えたのです。キリスト教が迫害したために、仕方なしに何も知らない十代のお母様を迎えなければならなかったのです。

 何も知らないお母様を教育して、再びアダムによってつくり変えるのです。ですからお母様の背後には血統がなかったのです。親戚関係がいなかったのです。お母様として召される方は、霊的関係が満たされたところから来られるのではありません。欠けたところから生まれました。あの女性は家庭も良く、父母も良く、すべてを備えているから……と、いうようにはいかないのです。

 イエス様が三十歳まで結婚できなかったのは、そういう歴史的背後関係の組み合わせで勝利圏をつくれなかったからです。それは、母がイエス様に反対してしまったからです。ヨセフは天使長圏だから、何とかして、マリヤをして、イエス様にすべての女の主管圏を授けなければならなかったのです。だから先生自体におきましては、お母様を教育するのです。その期間が七年間です。七〇〇〇年の歴史を平面的に蕩減復帰する家庭基盤をつくるために、先生は第二の十字架の道を行かなければなりません。外的十字架の道ではなくして、先生の家庭を中心とした十字架を背負う期間であったのです。

 七年路程において、家庭完成基準を皆さんも立てなければなりません。それによって、七〇〇〇年の歴史を一挙に平面的に蕩減して、縦的蕩減を横的に成さねばなりません。第二次七年路程というのは皆さんの路程なのです。だから氏族的メシヤにならなくてはならないのです。イエス様は氏族的メシヤの基準を復帰できませんでした。皆さんはイエス様以上に氏族的メシヤになって、善なる先祖にならなければならないのです。

 このような天宙的内容をもって一瞬にして罪のない立場に立たせ、無条件に祝福してあげたのです。だからそれを踏みにじるとすれば、大変なのです。祝福された家庭は、女が先生の命令に引っかからなければ、男は救われるのです。女が先生の行く道に歩調を合わせて相対圏に立った場合には、それに従う男も救われるので、韓国でも先生が命令して、女たちを先頭に立たせているのです。

 このようにして、再び国家基準に立つために、三年間、一二〇〇双の婦人が先頭に立っているのです。みんな自分の思いのままに、自分の考えで、こういうふうにやればいいんだと考えてはいけません。

 先生の家庭を中心として、第一次七年路程でサタン圏内のすべての讒訴圏を逃れるに至って、「神の日」が決定されたのです。神が存在し、国が反対しても世界が反対しても滅びないという基準を立たせたために、「神の日」が決定されたのです。「父母の日」から、「子女の日」「万物の日」「神の日」まで上がってきました。皆さんにおいても、父母が勝利された伝統的因縁を受け継いで、自分において「神の日」を決定しなければなりません。

 自分たちの夫婦を中心として、生まれてくる子供に心情的に、腹の中から血統的に蕩減した勝利圏をきたすことによって、初めて自分たちの勝利が決定するのです。腹中の時代から、二十一歳まで一つになって、自分の子供が祝福されることによって初めて完全なる地上的基準が完成されるのです。


先生の子女の祝福


 だから先生は二十四年まで行くのです。二十一年から三年間です。なぜかというと、誉進様と孝進様が二十歳を越えるまでなのです。そのようにして、先生の子供がサタン圏内において、アダム、エバが堕落したという血統的立場を乗り越えたという条件を、皆さんたち天使長の家庭によって果たし、神によって祝福されたという時が来たならば、国家基準はもう既に越えていることでしょう。世界基準を得られるというのが先生の観なのです。だから、そのような引っかからない祝福家庭が、引っかからない氏族的代表者としての家庭の権威に立っていなければ、世界的、中心的父母の家庭に侍る資格はありません。

 そのように、蕩減条件に引っかかったらできないのですから、韓国において祝福家庭が使命を果たせなかったことを、再び蕩減してきたのが三年路程なのです。祝福の時は、アダムの時代圏であり、今はイエス様の時代圏です。十字架につけられるイエス様ではなく、再臨して勝利したイエス様の時代圏なのです。そして子供を持ったならば氏族的メシヤの基準なのです。


世界へ行く道


 それで七七七双は、三年間先頭に立たなければなりません。最後の使命を果たさなければなりません。今まで祝福家庭はそういうことがなかったのです。祝福されたその次の日から、もう自由自在に子供を生んだりしましたが、できれば三年間は聖別しなければなりません。このようにして、全般的に祝福関係を果たして、神の願いは今、地上に成されてきたのです。

 しかし、我々は共産圏に包囲されているのです。今、その準備を固めています。個人から家庭、氏族、国家、世界へ行くために、カイン、アベルが組み合わなければなりません。上がるには、カイン、アベルを勝利しなければならないのです。

 家庭が信用されるためには、家庭が全般的に犠牲にならなければなりません。氏族が信用されるには、氏族が犠牲になる以外にありません。国に信用されるには、統一教会が犠牲になる以外にありません。それは、原則なのです。世界のために犠牲になる、各国がそうなれば統一世界が来るのです。その戦法を先生は今、やっているのです。












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復帰の道

文鮮明先生御言選集 55


復帰の道 1972年4月1日 フランス パリ教会

復帰の公式


 堕落によって、我々はサタンの血を受け継いでしまったのです。父母なるアダムとエバが、もし堕落しなかったならば、罪のない神の子女であったはずですが、堕落によってサタンの子女となってしまったのです。本来ならば、主管は神からのみ来るものであり、神のみが人間の主人でなければなりません。ところが、人間とサタンとが不倫なる関係を結ぶことにより、人間に対してサタンが不倫なる主人となってしまったのです。

 愛は統制力、支配力を伴うと原理が語っているように、たとえそれが不倫なる愛であっても、サタンは、人間に対してその所有権を主張するだけの力、あるいは権威とか権利を持つのです。ところが、創造原理によれば、あくまでも神が本来の主人ですから、結局、この両者は共に人間に対して、その所有を主張することができることになります。しかし、だからといってアダムを二つに切断して、神とサタンの間で分け合うことは、物理的に不可能です。そこで神は、原理的観点から、人間を二つに分立するためにあるルールを定められたのです。すなわち内的存在としての神と、外的存在としての被造物という立場から、内外の関係と、主体、対象の関係によって、神はその分立のルールを定められました。すなわち神は、堕落したアダムとエバを、彼らによって生まれた二人の子供を通して、分立されたのです。

 カインはサタンを表示する側であり、アベルは罪なきアダムの立場を表示する側であります。次男(アベル)を神は、内的立場に立たせたのであり、これは、悪の要素のより少ない側、言い換えるならば、アダムとエバの間に結ばれた第二の愛を表示しているのです。アベルは、第二の愛の実でありますが、一方のカインは、第一の愛の実であって、その愛の中にあるサタンを表示しているのです。つまり、次男アベルのほうが、エバと天使長との関係よりも、エバとアダムとの関係により近いので神側に取れたわけです。

 さて、本来の命令系統は、神から始まり、アダムへ、アダムから天使長へという順序だったので、この場合には、その関係は神からアベルへ、アベルからカインへという順序にならなければなりません。これが復帰された位置関係なのです。そこで神は、まず、この公式を復帰することにより、失われた原理を取り戻していくのです。堕落行為によって、人類の血統は交差しました。言い換えれば、サタンの血が人類の血統を占領しているのです。それゆえに、これらの復帰は、根源までさかのぼって成されなければならず、そのために、次男アベルが長男の長子権を復帰しなければならなかったのです。

 堕落は、原点であるところの母の胎内で起こりました。それゆえに復帰もまた、母の胎内から成されなければなりません。そこが悪の原因となり、出発点となったのですから、復帰においても我々は、その原因に戻っていかなければならないのです。そこで、神はこれらの二人の兄弟を用いることによって、長男の長子権を復帰する摂理を行おうとされたのです。すなわち、カインはアベルの位置に下りなければならず、アベルはカインの位置、すなわち長男の位置に上がらなければならなかったのです。ところが、カインはアベルを殺してしまいました。この行為は、アダムとエバの時の堕落行為の反復です。すなわち、復帰されるどころか、再び天使がアダムを主管した立場に立ってしまったのです。このことはなかなか理解の困難なところですから、図で説明しましょう。……このように年齢の違う兄弟を用いたのでは、あまりに距離がありすぎるので、神はもっと近い者を求められました。すなわちこの復帰の摂理をもっと近い基準、原因により近い基準にまでもって来て行おうとするのです。最善の方法は、カインとアベルの生命を引き戻して、母の胎内にまで立ち返らせることですが、それは物理的に不可能なことです。

(黒板に図を書かれる)これは中央でたたみ込むような形になっています。ⅠとⅡは互いに一致するものです。Ⅰの部分はⅡの領域に反復されているのです。(一三三ページの図を参照)そこで、神の摂理は、エサウとヤコブという双子の兄弟を用いて現れてきました。カインとアベルに対して用いられたと同じ原理で、ヤコブは兄エサウの位置に復帰されなければならず、エサウは、弟ヤコブの位置に下りなければならないのです。

 双子の兄弟の母はリベカでした。彼女が身ごもっていた時、その胎内で二人の子供は互いに争いました。そこで彼女は、主の所に行き、主に尋ねました。主は答えて「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」と言われました。これは、神ご自身が語られたことなのです。


ヤコブの勝利


 ヤコブは讒訴を免れる条件を立てていたので、レンズ豆のあつものを売ることによって、エサウから長子権を買い取ることができたのです。それゆえに、ヤコブがエサウから長子権を奪い取っても、サタンは彼を讒訴することができないのです。かくして長子権は復帰され、父親からの祝福はヤコブに与えられたのでした。ところが、エサウは、あまりに怒り狂って、かつてカインがそうしたようにヤコブを殺そうとしたのです。

 ヤコブは失われたアベルの位置と同様に、アダムの位置も復帰すべき立場にありました。そのために彼は二十一年間、ハランに逃れていかなければならなかったのです。そして当然彼は、その間は自分の全使命を完全に果たすことはできずにいたわけです。二十一年の後、富を蓄えて彼は故郷カナンの地に帰りました。堕落の過程において母親が堕落行為を先導し、息子がその行為を完結したのですから、両者は協力し合って人間に堕落をもたらしたことになります。ゆえに復帰の過程においては、この逆の経路をたどらなければならないのです。ですからヤコブの時には、母リベカと次男ヤコブが、ヤコブの目標達成のために共に協力し合ったのです。

 堕落の過程においてエバは父親にうそをつき、自分の兄アダムにうそをつきました。ですから復帰においても、リベカはヤコブに祝福を得させるために夫にうそをつき、長男にうそをついたのです。二人の兄弟の父親イサクは神の立場であり、その息子エサウはカインの立場です。

 さて、このようにして基台は立てられましたが、まだ実体としての復帰は成されていませんでした。つまり、その時までにヤコブの母は、その使命を全うしていました。次は、ヤコブの番だったのです。ヤコブの使命とは、天使によって侵害されたアダムの位置を復帰することであり、また、カインによって殺されたアベルの位置を復帰することでした。そして、ヤコブはエサウの位置に帰り、ヤコブの位置に下りたエサウを屈服させなければならないのです。

 さて、二十一年後のヤコブの使命は何だったのでしょうか? 皆さんは、アダムがどのようにして失われていったかということを考えてみなければなりません。なぜなら、そのアダムの位置の復帰ということが、まず第一に重要な彼の使命であったからです。アダムは誰に主管されたのですか? 天使に主管されたのです。ですから、その立場を復帰するためにヤコブは天使と戦わなければならなかったのです。これがヤボク川で起こったことです。彼は天使と一晩中戦いました。その結果、何が起こりましたか? 天使はヤコブの勝利を認め、彼を祝福したのです。

 このようにして、本然の位置関係は復帰されたのでした。では、なぜ天使はヤコブを祝福する前に、彼の腿を打ったのでしょうか? 人間の堕落行為は、体のその部分、腿の誤用からもたらされたものでした。それゆえに、その罪ある部分を打つことにより、償いの法則は全うされたのです。すなわち、旧約聖書にある「目には目を、歯には歯を」という法則からなされたのです。それゆえに、天使はヤコブを祝福することができたのです。

 ヤコブの第二の使命とは何でしょうか? 天使に勝つことです。ですから、勝利。――すなわち内的勝利は獲得され、アダムの位置は復帰されたのです。そこで次に、その条件の下で、彼はアベルの位置を復帰すべき立場にあったのです。そこでヤコブは、二十一年後にハランから帰り、兄エサウの心を和らげるために自分の全財産を贈り物として与え、自分はただ兄から祝福されることを求めたのでした。そのために、兄エサウは彼を受け入れて歓迎したのです。

 かくして、エサウは弟の位置に下り、ヤコブは兄の位置に上がったのです。それゆえに、こういう事情からヤコブは、その孫、すなわちヨセフの子供を祝福した時、腕を交差して左手を長男マナセの上へ、右手を次男エフライムの上に置いたのでした。ヤコブはエサウの位置を復帰していたので、そうすることができたのです。

 聖書によると、ヤコブの性格は非常に狡猾に見えます。なぜ、神がこのような狡猾な男に恵みを与え、用いて、さらに祝福を与えられたのか、それは不思議なことですが、それには、このような理由があったからです。原理は、このように解答を与えているのです。ヤコブはこのようにして、神から与えられた使命を全うした立場に立ったのです。

 皆さんは、このようなことが信じられますか? それとも、これは先生のつくりごとだと思いますか? これらの出来事は数千年も前に起こったことです。しかしながら、原理が解かれるまで誰一人として、その本当の意味を知る者はいなかったのです。このようにして、この図のD点から、イスラエルという名は出発しました。しかし、ヤコブが勝利の基台を立てても、それはまだ、このEにおける原因そのものの立場には帰っておらず、そのためにさらにこの位置まで復帰してくる路程を通らなければならなかったのです。すなわち、この距離Dを復帰するために、さらにもう一つの業が成されなければならなかったのです。もし神が、その摂理をヤコブの年齢のその時点で止めてしまったならば、ヤコブのその時の年齢以下の基準は、復帰されずに残ってしまうことになるからです。

 神の摂理が、ヤコブの時に始まって、彼のある年齢において完成されたと仮定してみましょう。そうだとすると、完成された時の、そのヤコブの年齢以上のすべての世代は、この条件により復帰されますが、その年齢以下の世代、すなわち生まれたばかりの年代から中年に至るまでの世代は、復帰されず、触れられないままになってしまうのです。それゆえに、さらに徹底した摂理が、原因そのもの、すなわち母の胎内において始まらなければならないのです。


ユダとタマル


 かくして、神の第三次の摂理は、もう一度堕落の原因そのもの、母の胎内において始まったのです。最初の母エバは、神を不信仰したために堕落したのですから、そのエバの位置を復帰すべきタマルは、逆に神に対する絶対的信仰を貫かなければならなかったのです。そのために彼女は、自尊心も、誇りも忘れ、さらに命さえも捨てる覚悟をしなければなりませんでした。エバは、不信仰により父なる神を捨て、その代わりにサタンを父として受け入れ、神の立場に置いたのです。それゆえに、逆にタマルは父なる神と共に歩まなければならなかったのです。エバは父親と一つになることができませんでした。これが堕落だったのです。それゆえにタマルは、父親と一つにならなければならなかったのです。ユダはタマルの義父の立場にあり、父親の役目でありました。父親と娘が一つになることによって、彼女は身ごもりました。つまり、タマルは義父によって子を身ごもったのです。

 創世記三八章を参考にして、さらに見てみましょう。ユダには三人の息子があり、タマルはその長男の妻でした。ところが彼女の夫は死に、このような場合、普通ユダヤの習慣ではその次男によって子供を生まなければならないのですが、次男も死に、三男はあまりにも若すぎました。そこでタマルは、神の復帰されてきた血統を継続することが何より重要であり、必要なことであると考え、義父ユダにより子を身ごもるという最後の手段をとらなければならなかったのです。その時、彼女は誇りも捨て去り、その命すらも懸けていたのです。彼女は遊女を装い、義父の通る道のかたわらに座っていました。そしてユダが農場へ行く途中、彼を誘惑して関係を結んだのです。

 ユダは、彼女が自分の義理の娘とは気づきませんでした。賢い女タマルは後々のために、三つの証拠品を要求しました。一つは印、もう一つは杖、そしてもう一つは紐でした。なぜ、彼女はこのようなことをしなければならなかったのでしょうか? 当時のユダヤの律法によると、もし寡婦が、夫を持たずに身ごもった場合には石で打ち殺されたのです。月日がたって、タマルの妊娠は人目につくようになってきました。そこでうわさは広まり、ユダの耳にも入ってきました。ユダは非常に怒り、その義理の娘を連れてきて、火で焼き殺そうとしました。その危機的な瞬間に、タマルは持っていた証拠の品々を取り出して、人々に示し、自分はその品々の所有者によって身ごもったと言明したのです。タマルは、自分の使命を全うするために命を懸けたのです。そうじゃないですか?

 彼女は、神のみ意を成し遂げるということ以外には、何の目的も、何の考えもなかったのです。このようにして、タマルはエバと全く逆の経路をたどることにより、堕落したエバの位置を復帰する条件を立てたのでした。ここに集まってきた女性たち、タマルはよくやったと思うでしょう、そうは思いませんか?

 このことは、神のみが知り、神以外には誰も知る者はいなかったのです。皆さんは、その隠されてきたなぞと、秘密をほんの三十、四十分で知ることができるのですから、最高に恵まれた幸運な人たちなのです。

 このようにして、タマルは身ごもり、その双子は母の胎内で争いました。そこでタマルが祈ると、主が現れて、リベカに語られた内容と同じことを言われました。「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」と。皆さんは神が、そう言わずにおられたと思いますか? 神は二〇〇〇年間、その成就の瞬間を待ってこられたのです。出産の時が来て、長男ゼラがその手を押し出したので、産婆はその手首に緋糸を結びました。これは、終わりの日には共産主義がまず最初に現れるということの象徴的な予言なのです。これは、歴史の七〇〇〇年(六〇〇〇年復帰歴史プラス一〇〇〇年王国で歴史の完成)の象徴として、サタン的共産主義の歴史が七十年目にして滅び去るということを示しています。一九七八年という数字が出てくる理由はここにあります。すなわち、共産主義は一九一七年に始まったのですから、大体それから六十年間持続してピークに達し、一九七八年を境として、その後は下り坂になっていき、七十年目には絶滅するということなのです。これは真実です。それゆえに、今は共産主義を学んでいる人々がそれを捨て去る時なのです。

 さて、争いは母の胎内で起こりました。次男ペレヅはゼラを押しのけ、先に出てきました。この復帰、この逆転は母の胎内で起こったのです。イエス様がユダの血統から生まれてこなければならなかったという原理は、この点において打ち立てられたのです。この一点からカインは下になり、アベルが上になってきたのです。そして、この点から歴史はさらに広い範囲、すなわち、家庭から氏族、氏族から民族、民族から国家基準へと進行してきたのです。それと同時に、サタン世界の拡大もまた、それに並行してなされてきました。そして、この二つの異なった陣営は、国家的レベルまで進行して、二つの異なった地域へと分立されているのです。図のFはイスラエルの歴史であり、Gはイスラエル民族を示しています。

 サタン世界は、家庭的基準から氏族、民族、国家基準まで拡大して、サタン国家を形成しています。小さな家庭的基準から、氏族、民族的基準へと拡大している円のHはカイン国家です。したがってGはアベル国家、すなわちイスラエル選民国家でなければならず、やはり、家庭から氏族、民族、国家へと拡大してきたものでなければなりません。神は、その一つの国家として形成されたイスラエル選民を二〇〇〇年間待ってきたのです。サタンが既に、一つの国家を形成していたために、神は二〇〇〇年間待たなければならなかったのですから、神の国家は、サタンの国家よりも優れたものでなければならないのです。ところが、イスラエル民族は家庭的基準から、氏族、民族、国家的基準へという歴史路程を通過する過程において多くの過ちを犯しました。

 洗礼ヨハネは、キリストなるメシヤが完全に確立された基台の上に来られるように、イスラエル民族の犯したすべての過ちを復帰すべき使命を持って来たのです。洗礼ヨハネはカインの立場で現れ、一方、イエス様はアベルの立場で来られました。そして洗礼ヨハネと一体となったイスラエル選民は、アベルとしてプラスとなり、そこで、イエス様がメシヤとして、この民族の上に来られるのです。ひとたびイスラエル民族が、イエス・キリストと完全に一体となったならば、彼らは、絶対的プラスを形成し、そこで絶対的マイナスが生まれて、決して破壊されることのないものとなったはずです。


来られる真の父母


 かくして出発した神の摂理は、最後に、絶対的プラスと絶対的マイナスであられる真の父母において頂点に達し、完成するのです。イエス様の時は、イエス様が十字架にかけられたために、肉身を持った真の父母は実現されませんでした。すなわち、神の血統は打ち立てられたのですが、霊肉共の真の父母の、肉身をもっての顕現は実現されなかったのです。図のIはキリスト教の歴史を示していますが、それは霊界のみに限られており、霊的救いのみ成してきたのであり、肉的救い、すなわち肉身の贖いは実現されなかったのです。つまり今日まで、キリスト教には霊的なる父と霊的なる母しかいなかったのです。ですから、真の父母が来られて、我々はすべてその父母により霊肉共に再び生まれるために、我々は条件的、あるいは象徴的に母の胎内に入ることによって、新しい生命として新たに生まれるべく、そのための路程をたどりながら歩んでいるのです。今日までのキリスト教においては、聖霊が母親の役目をしてきました。母なる聖霊を通過し、父なる霊、すなわちイエス様の霊を通過して、我々は霊的基準において新生するのです。

 もちろん、我々は母の胎内で生まれたわけですが、さらにもう一歩深くさかのぼって考えてみると、生命の起源は父親から出発するのです。母親の胎内までさかのぼることによって、血統は交差し復帰されましたが、この場合、まだ父親を迎えていないのです。それゆえに、今日までクリスチャンは、母の霊による聖霊の力により、根源そのもの、すなわち生命の起源であるところの父なる来たるべきキリストのもとへ帰ることを待ち望んできたのです。堕落する前に、既に息子や娘の生命は、すべて父親なるアダムの体中で一つの種として出発していたはずです。すなわち、息子や娘になる種は父親の体中にあるのです。

 このように根本的に考えてみると、我々は、霊的にのみ生まれるということでは満足できません。霊と肉、すなわち霊肉共に生まれなければならないのです。そのために、我々は霊肉共に再出発するために、種の立場にまで立ち帰らなければならないのです。その摂理を成就するために、イエス様は、真の父母となるところの花婿と花嫁が来て、その真の父母を通して我々は再びまかれる種に立ち帰り、新しい生命として、この世に生み直されて出てくるということを約束されたのです。ゆえに、我々が再び生まれてくる時には、一つの新しい復帰された生命として生まれてくるのです。では、今まで述べたことからすると、再臨の主、新しいメシヤは必要であるか、必要でないか、おのずから分かってくるでしょう。


新しいメシヤ


 イエス様の時、この現象界は完全に復帰されなかったので、そのまま今日まで拡大を続け、世界的基準にまで拡大してきました。そのため、終わりの日には、世界は二つに分けられ、一方はサタンを代表し、もう一方は神を代表して、それ以外のものは存在しなくなるのです。そして、その終わりの日には、大きな混乱と危機があるのです。新しいメシヤは、これらすべての背景と基台とを相続しなければなりません。新しいメシヤは、霊的にイエス様の体中にある、種の立場に立っているクリスチャンのすべてを相続しなければなりません。クリスチャンはいまだ完全には生まれていないのです。それゆえに、彼らは、イエス様の体中にある種のようなものだといえます。しかし、彼らが、このような要素を持っているのは、あくまでも霊的にのみでありますから、まず、実体なる父が初めに現れ、基台を立てるのです。図中のEにおいて、母親がその使命を全うしましたが、Jにおいては父親が大きな使命をもっているのです。

 このようなわけで、誰でも、母親が現れる前に、真の父と一体化しなければならない七年期間があるのです。ですから、皆さんはまだ結婚していないので、完成したアダムの体中の種の立場に帰っていくのです。根源そのものにまっすぐ立ち帰っていくのです。すなわち、我々はみんな、堕落しない人間である父親から出発しなければならないということです。つまり、堕落しない独身のアダムの体から出発した種が、母親の胎内に身ごもらなければならないのです。そこにある種は本物であり、我々はその位置に帰らなければなりません。そして、正にその仕事は統一教会によってなされたのです。

 イエス様は、イスラエル民族に排斥されたのですから、そのイエス様の位置を復帰するためには、再臨による困難な仕事が残されているのです。もちろん、既に肉身をもって生まれ、成長してしまった我々は文字どおりに、完成したアダムの体中の種の立場に返ることはできません。ですから、我々は、真の父母および、その父母から生まれた真の子女と一体化することによって、再び生まれるための条件を立てていくわけです。カインとして、完全にアベルに屈服することによって、両者共に復帰されるという原理があるので、この原理により、我々カインの立場にある者は、アベルであるところの真の父母、真の罪なき子女と一体化しなければならないのです。彼らと一体化することにより、我々は復帰された子女として、同じ恵みを受けることができるのです。それゆえに、真の罪なき子女が、真の父母を通して生まれる時、我々は、食物やその他、同じ成分のものを分かち受けるための条件を立てなければならないのです。このようにして、我々は真の子女の立場に参与する路程を通過していかなければならないのです。


真の子女様との一体化


 皆さんは、誰を通じて真の子女と一体化し、新たに生まれた子女となる条件を立てるのですか? 父親だけでは十分ではありません。真の父母を通じなければならないのです。

 いかに父親が重要であるといっても、父親だけではなく、父母とその子女を通じなければならないのです。では女性は誰を通じて――。もちろん真の子女を通じてですが、真の父母は男の子女と女の子女をもっておられます。ですから女性は皆、真の父と真の母と、その女の子女と一つにならなければなりません。では男性は? それは真の父母と、その男の子女と一つにならなければならないのです。女が先に堕落したので、女の復帰が先になされ、その次に男の復帰がなされるのです。

 では、その最初に復帰された女の立場に立つのは誰でしょうか? それは、真の父母から生まれた最初の女の子女なのです。最初の男の子女は、真の父母の第二子であります。これらのことは、ほんの骨組みであり、非常に簡単な説明なのです。これらの説明の背後には、非常に深く複雑な過程があることを知らなければなりません。

 これらの罪なき真の子女の誕生により、天的四位基台は、歴史上初めて復帰されるのです。これが、我々統一教会における天的四位基台の復帰であり、サタン世界の何ものもこの基台に対して触れることはできないのです。選民国家が復帰されなかったために、天的四位基台という一点から始まって、家庭的基準から氏族、民族さらに国家的基準へと拡大していく路程を通らなければならないのです。その中心核となるのは、四位基台をもって復帰されたところの天的家庭であり、そこに築かれる国家こそ、最も強く、無敵の国家であり、それは、イスラエル国家の勝ち取ることのできなかったものなのです。


国家的勝利基盤


 その国家は、他のあらゆるサタンの主権に打ち勝って、外的世界の中心となるでしょう。図のLは、サタン世界を示しています。ひとたび、天的国家が復帰されるならば、それは二つの主権へと拡大し、さらに三つ、四つと、やがて全世界を覆い尽くすまでに拡大していくでしょう。そして、その天的国家に属する民族は、自動的に何もかも一緒に復帰してしまうでしょう。その一つの神の主権を復帰するまでは、絶頂を行くような路程を通らなければならないのです。一つの国家主権を復帰するところまでいかない限り、いかに多くの復帰の業をなしたとしても、もし、サタン的元首あるいは政府が立てば、すべてのものは崩れていく可能性があるのです。

 それゆえに、一つの主権を復帰することが、我々の最も緊急な任務なのです。そのことのために、我々は真の父母と完全に絶対的に一つにならなければなりません。そして、韓国、日本、その他の世界中の食口たちと完全に一つにならなければならないのです。

 このような過程を通して、皆さんは、この復帰の道がいかに困難な道であったかを悟ることでしょう。イエス様はニコデモに対して、「あなたは新しく生まれなければならない」と言われました。これに対してニコデモは、「人は年を取ってから生まれることがどうしてできますか。もう一度、母の胎内に入って生まれてくることができましょうか」と反論しました。するとイエス様はさらに、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことが分からないのか」と言われたのでした。この時、イエス様は、正に、この原理を語っておられたのです。

 キリスト教における復活と新生という言葉は、すべてこの同じパターンを意味しているのです。図のE点、すなわち血統の復帰は、ついに母親を通してなされ、原理は復帰されて、汚れた血統は天の血統へと復帰されたのです。しかしながら、我々が完全な新しい生命として、新たに創造され、根本的に新生されるのは真の父を通して、真の父の体を通して初めてなされるのです。ゆえに、その新しい創造の時から、初めて霊肉共の贖いによる完全なる救いは可能となるのです。かくして、我々の子供たちは、救いの過程を通らずして天国に行くようになるのです。

 皆さんは、復帰ということがどれほど困難な過程であるかを知らなければなりません。先生は、真理を見いだしただけではなく、その真理のすべてを成就しなければなりません。今、先生はそれを皆さんに無償で教えているのです。皆さんはまるで、何もしないで卒業証書をもらう大学生のようなものです。ですから、この立場がどれほど貴重で価値のあるものであるか知らなければなりません。


統一戦線守護


 統一教会の今年の標語は、「統一戦線守護」であります。これは、我々がこの天の基台を守り、防御しなければならないということを意味しているのです。ですから、どこにいようとも、我々すべての統一教会の食口たちは、韓国の食口と一つになって、統一戦線を守護するために共に前進して行かなければならないのです。全世界的な状況から見て、我々の歩みの中で、韓国は最も強固なる基台が打ち立てられている国です。もし、他の国において、新しく摂理を始めようとするならば、すべての路程を最初の出発点からやり直さなければなりません。

 第二次七年路程の終わる一九七四年までは、これはヤコブの第二次七年路程に相応する期間です。この期間が過ぎると、次は世界的基台をつくっていくようになり、天国の復帰のための十分な経済力をも持つようになるでしょう。一つの国家さえ復帰されたならば、すべての国家は復帰されていくのです。












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アメリカに負けるな

文鮮明先生御言選集 55


アメリカに負けるな 1972年5月6日 日本 埼玉・狭山

アメリカの底力


 アメリカに負けるか勝つか? (勝ちます)。何で? 心情? 何の心情? 同じだよ。アメリカ人には心情ないの? 彼らを甘く見たら、ちょっと困ります。働くところを見たら、これはもう夜も昼も働くんだね。実に先生は感服したよ。これはアメリカの底力だ。彼らには監督がいりません。各自が責任を持っている。「こうやれ、ああやれ」と言わなくても、すーっとプログラムして分けておけば、そのままにしておいても、ちゃんと計画どおりに、夜遅くまでやります。

 しかし、東洋人は横目で見ながら、先生とか監督がちょっといない場合には、そっと入ってきて御飯でも食べて、さっと帰るのですが、アメリカ人はそういうことをしません。

 そういうように見た場合には、日本人よりアメリカ人は、それは従順である。そう思わない? 日本人よりアメリカ人が先立つのです。神がなぜアメリカの民族を祝福せざるを得なかったかというのは、その背後には祝福を受けるにふさわしい何かがあるんだよ。従順だよ。そういう場合には、日本人よりこれは純粋なのです。


日本は信用できない


 日本人は本当は信用できません。ちょっと気持ちが悪い場合には、すぐ顔が真っ青になっちゃう。「ええ、そうじゃないの」先生も学校時代、たくさん見たよ。たまには日本の女の子をね、ちょっと試してみるために、すーっと通り越して、「間違いました」と言って通りがかりに気持ち悪いことでもちょっと言ってみるのです。

 電車に乗る。雨なんか降る時にはね、高田馬場からずうっと品川という所へ省線に乗っていると、上着なんかみんな雨に濡れているよ。すました顔でちゃんと立っているんだよ。きれいな女の子たちに会った場合には、あの女の子たち、ああ、あの女はこういうタイプだろう、それで性質はこうであるし、近寄った場合、間違いなく口を横にして人のことべらべらしゃべるだろう。そうしてもう少し突き詰めるというと、まあぶうぶう言いながら気持ち悪く、周囲の三、四人に分かるような表情をするだろう。一から二、三、四、五、ずーっとそういうふうに考えて、人相を見て、こんな性質の者に間違いないので、すーっとやってしまう。そうすると、まさしく、一、合いました。二、合いました。三、合いました。それがたくさん合った場合は、気持ちがいい。

 将来人間を取り扱う場合、そういう訓練をしなければならない。勉強だ。それで、そういうのをやってみたことがあるよ。その時、先生は思うんだね。「何言うか、このお嬢さんよ。もし私があんたのお兄さんだったら、あんたが学校へ行く学費をみんなもうけるために、こういう工場に行って帰ってくる兄さんだったら、あんたはどうします」と、反問するんだね。

「あんたは、その方面においては、心情的には落第だ。あるいは自分の父親だったらどうする。一人この娘のために生涯捧げて、つらいその道端を行き来しながら、雨に降られ、いろいろなつらさも辛抱しながら、たった一人、娘のためにと励んできた親だったらどうするか? 涙ぐみながら、着物でも自分が父親にかぶせて、それを自分が抱えて慰めなければならない、それがあんたの立場じゃないか」。

 そんなこと、時たまやったことがあるよ。そうするともう、日本人の女はね、足にすーっと下駄なんか履くだろう。それできれいな足袋をはいているよ。それを少しでも汚した場合には、真っ青になっちゃうね。

 アメリカに行っても、先生はそういうことをやってみたよ。アメリカでは靴をはいている。通りがかりに……。しかしかえって向こうで、こちらで言うより先に、「エクスキューズ・ミー」。そういうことを言うのです。そういう意味で、これは勝っているよ。東洋人として及びがつかない何ものかがあるというんだね。我々が通りを急いで走っていると、こういうふうにして行きがけに立っているというと、「何かあなたの助けになることができますか?」。そういうことを言うのです。


神が祝福したアメリカ


 そういうような環境を見た時に、日本人より従順なんですね。だから、神が祝福したアメリカ人を、これを捨てたいか、どうか? 捨てたくないに違いない。そこにおいて、日本がかみついて「神様は平等な神様だから、彼らだけを愛するのは困ります」。こういう反抗をする自由があるんだね。「神様が髪の色や顔の色を見て愛するとすれば、これはたまりません」。こう反抗できます。

 その代わり神様を、その何倍も愛した場合には、「神様は愛さなければならない」。そういうことが成り立ちます。そういうふうにやれる自信があった場合には、神様が愛している愛を、こう切り替えしてあげることができます。それはできるのです。そういう自信があります? 先生は応援しません。先生が紹介してやって、「この日本人の若者たち、このくらいだったら希望がありますから、神様どうか気持ち悪く思わないで、もう一度考え直してください」と言えば、神様はそうだろう、見ておかなければならないとして、試してみるかもしれないよ。その試しで若き者がみんな逃げてしまう。そういうような試験に合った場合には、全部すべり落ちる。そういうことはあるかもしれない。


何倍も苦労しよう


 みな、とんでもないものを横入れさせるには、その最高のものに匹敵し得るそのもので打ってみる。一発でころげてしまった場合、永遠にグッドバイだよ。そうならない? なりますね。だからテストするそのテストは、普通のテストじゃいけません。先生だって普通のテストはしないよ。だから、日本には三倍、四倍の難かしいことをさせてみましょう。先生はそういうふうに決心しました。

 それで今度アメリカに行く時にちょっと寄って、日本の幹部たちに言ったのです。先生が日本に寄ったのは、日本の地区長とか、統一の勇士たちに話をして勇気づけるために来たんではありません。目的はアメリカだ。世界的大運勢をみんな集めて、日本に持ってきて、このふろしきをみんな解くから、その時まで待てと約束していったんだよ。それがちょうど今、ここに来て、あんたたちと会うこの場がこの時だ。その約束した時間であるというんだね。

 いいおみやげ持って来たと言えば、何かポケットに入れて踊るようなものを授けると思ったら大間違いですよ。向こうの者が一つの荷物を背負えば、こちらの者は少なくとも四つくらい背負わせようという決意でもって、素晴らしい荷物、素晴らしいおみやげを持って来ました。そのみやげを喜んで受けて、喜んで日本全国民に配給した場合には、アメリカをけっ飛ばして、日本は堂々と横取りすることができるんだよ。どうだ? それはいいの? 少くとも四倍くらい押しつけるだろう。そればかりじゃない。朝夕に働かせるよ。それでもいいの?


日本人は聖書が分からない


 アメリカに行って驚いたのは、アメリカ人で聖書が分からない者はいません。もうすべての人が、聖書を分かっている。どんな難しい話をしても、「そうだね、そうだね」とみんなうなずく。ところがこの前、先生が武田尾で開いた大集会の時、聖書のことをずーっと話した時、あんたたちみたいな若い者がたくさん来たところで難しいことを言ったら、自分だけが分からないと思っているのです。自分ばかりが分からないと思って、恥ずかしいから目がまん丸くなって、このように長くなった顔をするのです。そして、みんながそうなんで、「はあー、自分と同じだ」と思って安心した顔をしたのです。

 彼らは一生涯、風土もそういうキリスト教文化圏に育てられた。教育もそうだし、幼稚園から、小学校から、中・高、大学とか、みんな育てられる環境が、みんなそういうキリスト教の思想圏のつながりで結ばれている、訓練されているので、これはもうどこに行っても聖書に強いというのです。ここで火をつけた場合には、ぐわっと揮発油に火をつけたみたいに、いっぺんに全国に伝わる可能性がある。

 しかし、日本に来て話しかけてみるというと、統一教会に入って何か月かたっている者は、「まあ、先生だから、分からなくても分かるふりをして、こうこうしなければならない」。そういう者がなきにしもあらず。それは通じないや。少なくとも一年半勉強しなければ。一年半でも及ばないよ。全部公式的に一年半以上、これは、原理を少なくとも何十回も聞かして、読むようにするのです。これはもう、背後でもって差し込まないといけないよ。日本ではキリスト教というものは、ありふれたものではない。あてにならないだろう。だから、今まで切支丹が影響を及ぼした歴史がないのです。

 ここに今、統一教会が、世界基督教統一神霊協会というものが生まれてきて、日本や世界において問題視されてきているんだけれども、今のこの風潮は初めてのことだよ。

 しかし面白いことには、日本は女の子と男の子たちがよく入ってくるんだね。入ってくる者が落ちる者より少なければ、なくなっちゃうね。入ってくる者も多いんだけど、出ていく者も多いんだね。その比例がどうかといえば、今ごろはちょっと比例が上がるかもしれない。それは見ておかなければいけない。入ってくる者が出る者より少なかった場合には、なくなっちゃうよ。どうだ? あんたたちの中には、入って来る者より先だって出ていこうという考えを持つ者がいませんか? (いません)。いるだろう、いるよ。

 人間という者は信じることができません。君たち、自分自身が、自分を信じることができるの? 自分で自分を信じられない。自分で自分を信じない者を、誰が信じてやるか。世界的な先生は、もっと信じることはできません。人間というものは、全体的に信じることができません。それは肯定的で論理の結論だ。間違いありませんね。いくらすました顔をしていても、いつ倒れるか分からないや。いくら言っても、それは信じられません。それは、見ておかないと。見ておく期間は、キリスト教文化圏によって訓練された場合には、短いんだよ。訓練されていない者は長く見ておかなければならない。

 こういうようになった場合には、アメリカに負けるというのは、これはもう公式的じゃないの? 日本で二十年かかるとすれば、アメリカでは二、三年で済む。結論的にそういうふうになるよ。それなのに、あんたたちはアメリカに負けない、負けないの?


いつも先生についていく


 それには一つの方法があるが、先生のしっぽをかたくなに持って、死んでも放さない。それしかないんだよ。アメリカ人以上に、先生がどこに行っても逃がさないようにして、何かひもでもつけて、いつも合図する。どこへ行ってもついて回り、死んでも放さない。このようなことやったら、負けないかもしれません。

 アメリカ人が先生に一回会うには、これは日本のお金で五十万以上かかる。七十万円なければ、ずーっと回ってこられないよ。これを見るというと、日本から韓国へはどのくらいで行くの? 七十万円だったら十回往復できるよ。地域的に恵まれている。一度会うより二度会ったほうが、それは仲良くなるんだよ。二度より三度、三度会ったほうが仲良くなるんだよ。そうじゃないの。それは、長いほど親しい友達というんだよ。ある数から見て、それが一つ天願うほうの立場に立って、それ以外、何も有利な立場に立っていません。

 それから、日本は韓国の門前にあるから、出る時にも寄るし、入る時にも寄るんだけれど、そういう面においては先生を何回か見ることができる。それが勝っているかもしれない。それ以外には何もない。有利になることは一つもありません。分かりました?

 しかし、先生に一つちょっと困る病気があります。習慣性という病気がある。習慣性が東洋人の見る見方になっているんで、西洋人のようにはなり切れないんだね。東洋の風習に慣れているので、西洋の風習には慣れていないのです。

 みんな、アメリカに行きたがるんだけれども、アメリカに行って、ひと月、ふた月になった場合に……周囲を見回すんだね。「ちょっといい方法はないか」と。「これはもう日本にでも帰ってみたほうがいいな」。そういう思いがするんだね。先生は世界をずっと回ってバンコクに行ったよ。インドから行ったよ。インドは、ヨーロッパほどの大陸だ。骨格が、すべてが大きい。目玉は大きいし、背がのっぽになっているんだよ。歩くのも違う。西洋人も違うよ。しかし、タイに着くというと、もう何時間前の印象と、まるっきり違ってしまう。それこそ純粋な東洋人だよ。それ見ると、もう実に親しい思いがする。故郷に着いた思いがする。「それじゃ、ここに来たんだから、記念となるものを一つ残していこう」。そう思うよ。

 人間というものはおかしなもんだね。そういうような印象に残る感情や何か因縁があった場合には、何かの印象を残そうとするんです。ホテルに着いたが、ちょうど着いた所が日本人のホテルだ。それで、先生は昔、学生時代の立ち食いの寿司の味を知っているんだよ。雨がしとしと降るころにね。遅くなって一人で帰り、寂しい部屋に一人でのこのこ帰って食べるよりは、立ち食いの寿司を、立って食うその味が印象に残っているんです。

 日本のホテルに来たんだから寿司があるに違いない。それで「石井君、寿司知っているんだね。何がおいしいや? 何がおいしい」。何がこうこうと、数えあげてもおいしいんです。「どのくらい高いや?」「高いものは一つ四〇〇円を超えます」。「ああ、そうか。きょうは気前よく、君がいいと思うもの、我々がもう満腹して余るように買って持ってきなさい」。そのように言って、入るとすぐに交渉させたんだよ。その主人とか、寿司屋のおじいさんとか、みんな交渉するようにして、その寿司屋へ行ったよ。

「きのう、懐かしい、仲良くしていた寿司屋のおじいさんの所へ行って、どちらがおいしいか、買っていきますから一つ試食しましょう」と。味はみんな知っているんだよ。ま、九個、八個は食べたね。お金を払わずにね。「それで、一番おいしいのを選んで持っていきたいや」。生涯に初めて迎える誕生日みたいに思ってね。

 タイは今、真夏だね。一番暑い時なので、もう外を見ただけでも、これはもう暑い気がする。そういう環境だよ。いい気になって夕方、すーっと映画を見に行ったんだね。タイの風習はどうかというと、それは映画を見るのが一番早いよ。実にそれは素晴らしかった。いい気持ちになって帰ってくると、ちょっとひもじくなって、寿司を注文して、もうベルトを抜いて食べた。実においしかった。わさびとかまぐろの寿司とか、もういろいろあったが、腹いっぱい食べた。食べたことは実に記念になるんだけれど、惜しいことには、実に思いもよらない金を払ってしまったことだ。出る時は気持ちが悪かったね。それが今、第三次路程において忘れることのできない印象です。(笑い)

 それはタイに着いたばかりでも、もう、国に帰ってきたように思うのです。緊張した思いは一つもなくなってしまう。西洋にいれば緊張だよ。環境がはっきり違う。まるっきり緊張しているが、東洋に来るというと、そういう気持ちの習慣性で十分に解放される。日本に来ると、まるで自分の奥の間に入ったような気持ちになるんだね。

 まあ、結論を出して帰りましょう。アメリカに絶対に負けるべき立場が日本にあるというんだね。さあ、アメリカに負けるか、負けないか?


温かい心情


 第二次大戦に負けたのを蕩減復帰しなければならない。昔は鉄砲で、強い鉄砲、強い日本刀、強い日本精神で戦ったんだけれど、それは強くなくてもよいのです。外的に強くなくても内的に温かい心情、雪が解けるような温かい心情。それは西洋人でも温かい心情、忘れることのできない心情、印象を残すようなその心情だけ持ったならば、勝ったアメリカ人を使うことができるのです。勝ったアメリカ人も、いくらでも旦那さんにすることもできる。奥さんにすることもできるのです。もしも負けた場合に、全部日本人をアメリカ人と結婚させたならば、アメリカの女性を日本の男性がもらった場合には勝つのです。そういうふうにしても、一度は勝った基準を立たせなくてはならないというのが先生の思いです。気持ち悪い?

 それは最後の作戦であって、第一の作戦を練っている最中に、一つやってみたいという先生の思いだ。それで、日本の十字軍をね、八十名か、八十五名くらいやったら、日本では四倍以上、五倍以上やりましょう。あ、倍以上やりましょう。六掛ける八、四十八、四八〇名動員させようと思って来たよ。気持ちがいいだろう? 六倍になったら、数で勝ったよ。もう勝ったよ。数では勝ったが、質からはどうだ? 数で勝ったんだけども、質からも……。もう腰が曲がって伸びないように、一つ訓練されて、統一教会でそういう訓練をされて、そういうような名物が残ったとするならば、そういう人は有名な邸宅で待っていても、世界万民が訪問する。客の列ができるのです。


勝たねばならない


 そういうふうにしても、日本は勝たなければならない。そういうふうになれる男、女、手を挙げ8 本当にそういうふうになれるの? 気持ち悪いよ。そんなことをして、先生のために左の目を今抜いてくれと言えば、くれるのですか? だからとんでもない男だと言ったんだね。さあ、それに間違いありません? じゃ、目玉はもらいません。「目玉の代わりに、三年くらい日本のために先頭に立って走る、気違いみたいな姿で走ってくれれば、「それで蕩減可能なり」と言えば、みんな両手を挙げるだろう。それでも目玉を一個出すか? それとも三年間気違いみたいに先頭に走るか? どっちをやります? それはもう訓練されているね。

 日本人は損するのが、絶対嫌だというのです。今まで先生が話したすべてをいっぺんに、け飛ばしてしまった場合、そうじゃないの? 目玉より、三年と言えば、「ははあ」。まあ、三年ばかり問題ありませんね。三年間バットを振って、足に、腰に、胸に、頭にぶっかけても、これを走らせた場合に、結局利益になるものは誰か? 先生の利益になるか、日本の利益になるか? それは日本の利益になるよ。だから、全体が利益になるという場合には、それは惜しげもなくやれるのが正義であり善の道だ。分かりました? さあ、そういうふうにやれるか? (やれます)。信じられません。人間が信じられません。それでもやれる? まだ信じられません。

 それを自分一人に聞いてみて、天のお父様と決意した場合には、目をつぶって両手を挙げてみなさい。(――)間違いないね。さあその者は、もう下ろしてもいいですよ。自分が自分の良心と神に約束したのだから、この松の木も見たことだろう。この土が、「君は素晴しいことを誓ってくれたので、この土としても生まれた最上の栄光である」とたたえているんだよ。

 誓ったもので成されないということがあるか? とんでもないこととして誓って、とんでもない実行力でもって成していったならば果たせるのです。

 先生は六〇年代に言ったね。「今から十七年とか、十二年たった場合には、我々は世界的になる」。そう言ったらみんな、「ぷっぷっぷっ……」と。その時は、先生はこういう洋服を着ていません。ジャンパーだ。それもアメリカの作業服をジャンパーに作り直して、そういう洋服を着て、説教も堂々と立って大衆に向かって話した。

 今、日本に来てみた場合、その伝統精神に違反する者がたくさんおる。ジャンパーを着てから、それを勝利して背広を着るんだよ。それを勝利して帽子をかぶるんだよ。それを勝利してステッキを持つんだよ。それを勝利して世界旅行に出るんだよ。順序がある。そういう伝統を無視して、みんな背広にネクタイをして、すました顔している。いい気になっているや。

 まあ、そうかといって、明日からそうなれと言っているんじゃないよ。時代が違うんだね。その時はまだ、ろうそくを使う。今は電気を使う時代なんだから、電気をみんな取り外してしまえ、そういう命令はしないのですから、もういいのです。その反面、その時代の先生より、皆さんがあらゆる方面に優れた環境に立っているんだから、これは負けちゃ話にならない。分かりました?(はい)。












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真の父母と我々

文鮮明先生御言選集 55


真の父母と我々 1972年5月7日 日本 東京教会

善と悪


 神様の創造理想からみた場合には、我々人間の先祖であるアダム、エバは間違いなく神様と一つになって善なる血統を、全人類を通して引き継いでこなければならないのが、理想的神の願いでありました。その願いが堕落によって思いもよらない結果となったということを、我々は堕落論を通して習いました。現在、我々サタン圏に属している者は、神の血統とは全然関係ありません。すなわち善なる父母の子女として生まれるべき我々は、悪の父母を中心として、因縁をもって生まれてきました。それで、悪を中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界となっている。これを蕩減し乗り越えなければなりません。

 そういうふうにするには、サタン世界は上中下というような階級を中心として、ずーっとつながっているんだから神様のほうも、そういう基準を元の理想の基準にまで引き上げるには、ただ神様の願いのままにやることはできません。それは段階を経て、ずーっと歴史的に上げていかなければなりません。それで僕の時代から養子の時代、実子の時代から真の父母の時代、こういうような段階を通して、悪の世界からこれを蕩減して、再び神の善なる元の理想世界に戻そうとするのが、全般的神の摂理である。そこには数多くの宗教や民族、あるいは文化の背景の違う宗教を立たして、これをまとめてきている。

 一つの大きい川を成すには、その上の多くの支流がより合って大きい川となるように、川の谷間を流れる川の方向はいろいろと違う。東西南北、あるいはこういうような支流からみた場合には、東に流れるものもあれば、南に流れるものもあれば、北に流れるものもある。本流を成すまでに上のほうではいろいろな宗教の形がある。これが今まで世界的人類の背後にあって、神の摂理をこの地上人類の上に働きかけてきたんだから、その方向はいろいろあります。

 これがだんだん歴史の流れによって、支流が本流に合併するように、文化はだんだん、だんだん一つの思想の方向をたどりながら、ある宗教の目的地に向かって今まで発展してきたのである。この間においてのその時間というものは、発展していかれない。その期間においては多くの蕩減を成さなければならない。その蕩減たるものは、アダム家庭において植えたとおりの内容を通過しながら蕩減していかなければならない。カイン、アベルの問題が引っかかっている。カインという者はアベルを打った者である。より善なる立場に立って、より神のほうに近いとするその者に対して、いつも反対をしてきた者がカインの立場である。こういうような関係は堕落以後、今日まで歴史を通して引き続いている。あんたたちの生活内においても、そういうような環境に包まれる。

 我々一日の自分自身も、一日の生活においても、朝夕においても、それは自分を中心としてみればカイン的であるかアベル的であるか、そういうような内容になっている。あるいは一時間においてもそういう関係にある。前後関係、左右関係、上下関係みんな、そういう善悪を中心としてどっちのほうが神に傾いているか、どっちのほうが反対のほうに立っているかという、我々一切のものに引っかかってくる。もし一つの言葉を言うとしても、その言葉を中心としてそれはカインかアベルか、きのうの基準から、きょう話す自分の立場が違うという場合には、より良ければ、きのうよりアベルの立場に立つ。悪ければカインの立場に立つ。

 一切がそういうような関係に、こういう因縁を結んで、神はよりアベルのほうに向けようとして働き、サタンはその反面のほうに引っ張っていこうとしている。人間からみた場合には、アベルのほうにより寄って高く上がっていくという喜びがある。これはうれしい。喜びがくる。その反面に、サタン圏カインの方向に引っ張られていくというと、何気なしに悲しみを感じる。だからうれしい悲しみの交差点をつくってきたのが、我々先祖より今まで人類の行かれる道になっている。

 だから、我々の毎日の生活を見た場合には、自分に損害なる場合には悲しさを感じ、自分に利益になる場合にはうれしさを感じる。その悲しさを感じるうれしさを感じるというのは、結局カイン・アベルの問題を中心として、これが行き交う、そういう立場においてそれが成される。善なる立場に立てば一歩前進して、善なる立場に立つというと神のほうに近くなる。神を中心として世界が解放される。それが今まで、アベルの立場に立った者が、その立場に立った者が、その立場より前進したいのが願いであるにもかかわらず、それに反して後退した場合には、それに比例した悲しみが自然と生じてくる。それは何を意味するかというと、結局神様に到達する。そういう基準を中心として我々は喜びを感じ、悲しみを感じる。


個人の救いから


 そういうような立場を、我々人間が個人より家庭を通して、社会をつなげて、国家をつなげて、世界につながっている。こう考えてみるというと、いくら個人、家庭、社会人としても、社会人というものは、個人をつなげて連結したものが社会であり、国家であり、世界である。結局、このような人間たちを解放するには、個人を中心としての解放運動を、初めからしなければならない。家庭の解放の動機も個人にある。国家を解放して世界に行く道を開くのも結局、個人個人合わせてそのような運動をしなければならない。これを目指して神は、宗教というような機関をつくって、神の摂理の方向に近くさせようとしてきたのが今までの摂理である。

 そうすると、摂理の究極の目的というものは何か、今までの宗教の使命として考えたのは、世界のために、世の中のために献身するとか、世の中のために利益になるような使命を果たすべき立場が宗教であるということを、一般の人は考えてきた。一般の宗教も、そういうふうに考えてきた。しかし神から考えれば、一般の世界に対して、善なる影響を及ぼすのは第二の目的であって、直接の目的は何かというと、真の父母を地上に立たせなければ何にもならないんだね。悪の父母より生まれたものを、完全に蕩減し勝利するには、善なる父母をいかに立たすかということが神の立場として解決しなければならない重大な問題である。


メシヤ


 そういう立場からみた場合には、外的にはもちろん、世界的に発展する悪の世界が個人より家庭、氏族、民族、国家、世界より成り立っているから、背後において神もそういう基台をつくり上げていくには、天使長圏、あるいは僕の圏を広めていく。そこから一段上げて養子圏を広めていく。そこから養子圏から一段上げて実子圏にまで行かなければならない。

 実子圏を中心としてみた場合にも、ここにもカイン、アベルがある。いつも、カイン、アベルがある。堕落した父母によって生まれたカイン、アベルは、争って落ちていったカイン、アベルである。我々復帰時代におきまして、実子として立つべく、神様を中心として実子というような問題を引き出す所は、カイン、アベルというような戦いの立場ではありません。カイン、アベルが完全に一つになったという基準を立てないと堕落圏を越えることができない。

 我々の原理からいえば、実体基台を立たせることによって、初めて堕落圏を乗り越えることができる。しかし堕落圏を乗り越えたけれども、そのまま蘇生、長成基準の堕落圏に今までは引かれて、蕩減の世界を通過してきているんだけれど、長成基準を乗り越えるということは、実体基台を勝利的に立たせなければそれを乗り越えることができない。そうして、完成基準に入ったとしても、これはどこまでも、血統的にはまだ清算されていない。サタンの血統を受け継いだものだから、血統的にはまだ清算されていない。

 血統的清算をなすには、必ずメシヤが必要である。だから信仰基台、実体基台、メシヤのための基台というものは、堕落した人間において絶対に必要である。最後の問題は、何かというと、メシヤのための基台をつくって、メシヤを通して自分が血統転換をなさなければならない。そういうふうな立場に立つには、必ず神の実子の立場に立てるようなものにならなければならない。それで、アダムとエバが堕落したためにアベル・カインが縦的に一つになる道がありません。アダム、エバが堕落したために、カイン・アベルを通してアダム、エバの失敗を復帰する立場に立っている。だから、アダム、エバが縦的に結ばれる基準がない。アダム、エバの立場でこれがなくなったから、実子圏を願っている我々にとっては、それは縦的に結ばれる父母とその子供が一つになったところが得られなければなりません。それが養子という立場において、一つになっては上がっていかれません。

 完成基準は、堕落しない実子の立場を結ばないというと、完成基準を神様と一つになって上がることができないと同じように、我々人間においても、そのことを再び通過しなければならない段階に復帰されて上がっていく。そうなるというと、いくら神の子供になったとしても、いくらカイン、アベルが一つになったとしても、そこにいわゆる堕落しなかった父母の基台を復帰しておかないというと、これは縦的に上がる道が生まれてこないんだから、この問題の責任を果たすには、神様も今日、真の父母という基準を再びよこさなければならない。それを中心として初めてカインとアベルが結ばれるにしたがって、上がる道が生まれてくる。結ぶ基準においては、必ず血統転換をなさなければならない。これを結ぶには一人ではできない。


祝福


 堕落は、長成完成基準において堕落したんだから、これを元返しするには、堕落した反対の方向を通して、元返ししなければならない。堕落する時は、アダム、エバが愛の問題を中心として堕落したんだから、我々は復帰の路程におきましても、その基準に到達したならば、必ず愛の問題を中心にして乗り越えていかなければならない。その愛の問題というものは、今までは、サタンの父母から受けていたものだから、愛の問題を中心として乗り越えるには、神の愛を中心とした真の父母の愛を中心としてつながらせないと、これを乗り越える道がありません。

 だから堕落した父母の血統を受け継いだ我々堕落圏にある人類は、最後には父母を迎えて縦的に一つになって、堕落圏を乗り越える道をたどっていかなければならない。これが原理の立場である。これを乗り越えるのは一人ではできない。必ず男女が組まなければならない。これが統一教会で行っている祝福問題である。だから祝福というものは、自分なりにやって成されるものではない。これが縦的の中心である父母を中心としてそれが始まる。堕落世界において、堕落血統を受けて結婚する者は、自分を中心としてやったのではない。父母を中心としてやってきたと同じように、復帰路程においても真の父母が生まれてきて、縦的父母、父母が完成するとともに、カイン、アベルが一つになって、一つになるところにおいて、勝利の条件を満たす圏において祝福をなすことによって、堕落した限界を初めて乗り越えることができる。


三時代を通過


 それは一人で上がって行くんではないのです。必ず祝福という問題を通して長成完成基準を乗り越える。すなわち、完成蘇生基準に立ち返ることができるというんだね。そこから、祝福された家庭は七年間という期間が必ず必要である。三段階というものは、蘇生期間も、長成期間も、完成期間も、二十一年の期間だから、完成基準は七年間という期間が残っている。これはまだまだ誰でも行っていない過程に属している。ここにおいて、各自誰でもが、七年間を通過しなければならないというのが原理の基準になっているから、統一教会に入ったら、必ず七年間は通過しなければならない。

 この期間においては何をするかというと、この七年間という期間は、その期間において、我々堕落したその父母の心情を受け継ぐとともに失われたすべてのものを復帰しなければならない。堕落する時に、人間はどういう結果になってしまったかというと、まず万物を失ってしまった。それから実体がサタンに汚されてしまった。それから心情を奪われてしまった。これみんな蕩減復帰しなければならない。

 いわゆる物の問題、実体の問題、心情の問題を、これを完全に神を中心にして結束させて完成期間を通り抜けないというと、完成基準に到達することができない。これが我々の原理原則だ。完成基準に上がるまでの七年間は、人類歴史の六〇〇〇年、あるいは、聖書でいえば、再臨の主が来られた場合には、千年王国時代が来るように、その一〇〇〇年をプラスさせて七〇〇〇年の歴史に値する。それをこの七年間において、再び蕩減するようなその内容を、内外共に勝利した基準を決定していかなければならないというんだね。

 この期間に祝福を受けて、それから万物の祝福を受けるというと、いわゆる家庭の基準が出発する。万物を復帰しなければならないし、実体を復帰しなければならない。それから心情を復帰しなければならない。これを横的に見た場合には、万物は蘇生であり、実体は長成であり、心情は完成である。この横的基準というものはこれは、歴史的に今まで縦的の摂理をすべて横的に並べた基準になる。物の基準は旧約時代に当たるし、実体基準は新約時代に当たるし、心情基準は、これは成約時代に当たる。だから我々成約時代は心情の世界をとらえるようになったのも、それを意味するというんだね。

 三つが完全に一つにならなければならない。旧約時代は物を中心として蕩減し、新約時代にイエス様を通して、イエス様、神の子供という実体を中心として蕩減する時代、それが勝利的結果になるんだから心情的基準が生まれてくる。そういうような家庭基準が、地上に初めて立つという基準が祝福されて立つ立場である。


子女


 祝福された家庭からみた場合には自分の子女というものがあり、その前に何があるかというと、信仰の子供がある。イエス様みたいな外的な実体の立場が信仰の子供である。自分の子供は再臨した実体の子供みたいな立場である。イエス様が死なず、地上において完成すべき立場の子供の位置が、自分の子供の位置になるんだね。今は霊界のキリスト教と地上のキリスト教が一つになっていないんだよ。

 霊界のキリスト教圏、いわゆる今まで楽園圏というものが生まれてきたね。それとキリスト教が地上にある。これは霊的キリスト教圏、地上のキリスト教圏が一つにならなければならない。これはイエス様が、二つに分かれてしまっているんだから、これを再び一つにつくるような立場を元返さなければならないのが、我々平面的基準においての、自分の子女と信仰の子供、これは霊的象徴だよ。いわゆるカインの立場だよ。カインというものは天使長圏をいうんだよ。アベルというものは、アダムの立場で地上圏をいうのである。だから地上と霊界が一つになる。

 これが地上と霊界が分かれたんだから、これを一つにさせるには、あんたたちの信仰の子供と実の子供が完全に一つにならないというと、分かれた霊界と地上のキリスト教が一つにならない結果となる。だから根本的に、家庭によってこれが分かれた結果、霊界と地上界、これは結果として分かれたことになっているんだから、それを復帰するには、地上において、平面的にこれを一致させる基点をつくっておかなければならない。それをなすために信仰の子供と、祝福された家庭から生まれる子供が一つになって、霊界と地上界に分かれたのが結ばれるようになるんだね。


父母の位置


 こういうふうにして、これが初めて一つになってこそ、カイン、アベルが一つになってこそ理想的父母が生まれてきますよ。理想的父母、カイン、アベルが一つにならないというと、父母を復帰することができないというんだね。カイン、アベルが一つにならないというと、父母に帰る道も出て来ないし、カイン、アベルが一つにならないというと、父母というものを復帰することもできません。だから地上において蕩減の基台として、信仰の子供と自分の子供が完全に一つになるというような立場に立つことが、堕落しない時の天使長とアダムが一つになった立場である。

 そういうような立場に立った場合には、神様はいつでも愛されると同じだよ。神様は父母の立場である。これを横的に自分の信仰の子供と自分の祝福され生んだ子供が完全に一つになるというと、神様の理想の愛の位置に立たされる真の父母の位置が初めて復帰される。この縦的歴史過程を横的に再び表して蕩減勝利していかなければならないのが、我々統一教会の行かなければならない道だよ。

 だから結果を復帰するには、その原因を元返しして正しておかなければ、それは復帰される道はありません。それで、我々に絶対必要なのは何かというと、信仰の子供が必要である。これは何かというと、アダムにおいて見た場合には三人の天使長がありましたね。エバにおいても三人の天使長があったね。まあそういうような立場からみて、アダム、エバにおいては三人の天使長を迎えて、その天使長たちが生まれると同時に一生涯自分のために奉仕する僕の立場に立たせなければ、完成された天の娘と息子になれません。それを蕩減復帰しなければなりません。

 そういう立場からみた場合に、我々男も女も、三人の信仰の子供というものは、平面的においては三人の天使長になるんだね。それが完全に一つとならなければならない。しかし我々が伝道したのは、あるいは二十歳、あるいは三十歳、大きくなって伝道して、一つになる道を求めて行っているんだよ。もともとは、天使長が神と一つになったところにおいて、アダム、エバがつくられたんだよ。そうだろう。

 天使長が先につくられて神と一つになったところにおいてアダム、エバがつくられたんだよ。その基準を我々は復帰しなければならない。だから信仰の子供が先に生まれていなければならない。本当はね。信仰の子供が前もって準備された基台において、アダム、エバがつくられると同じような結果に立たなければならない。そういうふうになるべきなのが原則だよ。だからイエス様を中心としてみた場合には、信仰の子供の基台は、堕落しない前の天使長を初めてつくり、アダムをつくったと同じような立場と、イエス様が来られる時に、イスラエル国家とユダヤ教が既に天使長圏をつくっておいた基準だよ。ここに、イエス様と一つになった場合には、念願がその時にみんな解決したよ。


再臨の主


 だから我々統一教会が望んでいるように、もしも我々の国家基準が一遍に復帰された場合には、そういうような条件を正して、我々は苦労しなくてもみんなそれを原理基準に一致させることができる。これがどういうようになったかというと、再び反対してイエス様を殺したために、すべてがなくなってしまった。特にキリスト教を中心としてみた場合には、これは霊肉共の天使長の立場ではありません。どういう立場かというと、霊的立場に立ったのがキリスト教である。だから霊肉一致した基準を成すには、必ず、再び霊的には天使長基準になっているんだけれど、肉的にはまだつながっていない。これを再びつながらせる蕩減条件を通過しなければいけないのが、再臨の主が来られてやらなければならない道になっている。

 イエス様の時代はそうじゃない。霊肉共の天使長基準が地上にあったから、その時、霊肉共にアベルを中心として、イエス様を中心として一つになったならば一遍にやれるんだけれど、イエス様が死んだために、霊界と肉体が別れたよ。イエス様とキリスト教は霊肉共の完成を求めて来たんだから、肉的部分を再びつながらせなければならない。それで、霊的世界が発展する背後の蕩減の道を再びたどって、地上において元返し運動をして、勝利させて、一致させておかなければ霊肉実体圏の天使長、いわゆるカイン圏が生まれてこない。

 ここにおいて、まず再臨の主が地上に来られて個人の勝利圏を地上に立たせ、家庭の勝利圏を立たせるというと、その家庭の勝利圏は限られた一環境の家庭ではありませんよ。その家庭は世界の家庭ではありませんよ。その家庭は世界のキリスト教を代表した家庭になるよ。

 それから氏族が連結された場合には、その氏族は一氏族に限らず世界的な氏族になるよ。だからそれは再臨の主が地上に来られて、それをキリスト教が反対しなかったならば、つなげて発展させることは問題ではない。


勝利の時


 しかし再びそういう過程があるというんだね。イエス様の時代と違う。霊肉が分かれているんだから、これを再び歴史的蕩減の道を通って、世界的に来た道を実体的基準において、それを結ぶ簡単なる蕩減の過程でも通過しなければならないのが、再臨の主が地上に来られてやるべきことである。再臨の主がもともと地上に来られるには、霊界において勝利圏を完成されて、地上に来なければ地上の出発をなすその基準がとれないんだね。だから地上に来て、霊界の勝利のその基準を地上において再び、屈伏させなければならない。

 これはどういう立場であるかというと、ヤコブがエサウを屈伏する前に、天使長を屈伏して勝利した基準を得ているから、実体的エサウを屈伏したのと同じである。これは、イエス様が天使を屈伏したのは、アダムが天使によって屈伏されたのを蕩減復帰する立場だよ。それからエサウを屈伏したのは、アベルがカインによって屈伏されたのを地上において、これを再び地上において復帰したのがイエス様の復帰だよ。

 内外二つの勝利圏をもたらすと同じことを地上に成さなければならない。だからヤコブが天使に勝利することによって、霊的基準をすべて引き継ぐようになった。その基台の上に実体エサウを屈伏することによって、実体世界のカインを勝利したことになる。だから霊肉勝利の基台が初めて立ったのである。そこで、イスラエル民族を中心としてイエス様と一つになったならば、霊肉勝利圏をそのまま成立することになったにもかかわらず、イスラエル民族はイエス様を殺したために、霊的基準と肉的基準が分かれてしまった。だから、これを再び勝利しなければならない立場がまさしく、ヤコブの立場と同じような立場に立った、再臨主がやらなければならない立場である。こういうふうにして蕩減の道を進めていく。しかしキリスト教が反対する。

 反対するということになると、キリスト教が今まで霊的に発展して上がっていったそのコースに比例する地上の戦いが再び起こってくる。それが今まで、統一教会のやってきた歴史である。それはイエス様を中心として二〇〇〇年の歴史を通して戦ってきたんだけど、これ自体においては、霊的基準において勝利した基準が、霊的サタンを屈伏し得る勝利の基準を持って地上に来たんだから、霊的サタンが今まで霊的な勝利基準の上、優秀なる立場に立ってキリスト教が反対したんだけれど、今の時代にはそうではありません。霊的基準において、もう既に勝利した基準だから、反対してもそれは、結局はヤコブの前にエサウが屈伏したと同じような立場におかれるようになる。だからその期間というものは長くありません。また今の時は昔の時と違う。イエス様の時は国家を中心として働く時代だ。

 今の時代は霊的ではあるけれども世界を中心として働く時代である。再臨の主というものは国家を中心として来た者ではなくして、霊的ではあるんだけれどもイエス様の時代より一段階上がった世界的基盤を中心として来られるのである。だから世界が一つになって反対しない以上は、国を越える道は勝利し得る必然的な基台の上に立ったことになる。


統一教会


 イエス様が求めたのは何かというと、個人完成、霊肉勝利基準と、家庭完成霊肉勝利だよ。それから氏族霊肉勝利だよ。国家霊肉勝利した場合には、そこから初めてローマを屈伏させる実体勝利圏を出発させるのがイエス様の使命だよ。イエス様が再び個人復帰、家庭復帰とか、それを果たすのが目的でなくして、イエス様が出発しなければならない目的というのは、国とイスラエル教団が一つになったその基準においてローマ帝国を屈伏させることが、イエス様の本当に地上に来られてやるべき使命である。それはユダヤ教イスラエル民族が一つにならなかったんだから、再び復帰の道をたどってくるそういう立場において、追われて十字架につけられた。

 その失敗した基準を我々は元返ししなければならない。霊的には世界的勝利をしてきたとしても、行くべき道は、イエス様が失敗された地上基台を、再びこれを勝利の基台に立たせなければ歴史的イエス様の蕩減ができない。イエス様は何かというと、イエス様は父母だよ。この勝利の父母として立つべき使命を持って来たんだけれども、それを果たせずして死んで行ったんだから、これを再臨時代において、そういう立場を再び勝利基台としてつくって、蕩減復帰しなければこれ以上の世界に上がることはできません。そのことを今までやってきたのが統一教会だ。

 それで統一教会の先生を中心として、霊肉共なる勝利圏をいかに獲得するかという、霊的には獲得したんだけれども、肉的には反対するキリスト教を迎えているんだから復帰されていないことになる。それでイエス様はユダヤ教を捨てて、新しいキリスト教を中心として、霊的でありながら出発したと同じように、キリスト教が反対した場合には、新しい方向を通して二度、そのキリスト教の基台をつくり替えたという基準をつくらなければ、復帰実体蕩減基台をつくることはできません。それを今までなそうとしてきたのが統一教会の先生だよ。世界的統一教会なんだよ。それで、これは氏族的基盤がなければ、家庭が安息することはできません。氏族が包囲して垣根の使命をしてくれないと、その中に一つの家庭が安息することはできない。


サタン不可侵圏


 アベルの家庭が初めて氏族圏を勝利的に抱えることによって、アベルの圏の家庭が初めて安息することができる。サタンに攻められない。サタンに攻められたらいけない。もともとアベルの家庭は、復帰完成したアダム、エバの家庭と同じだから、それはサタン圏に犯されたり侵害されてはならない立場だから、それを侵害する天使長の立場にあるカインが、サタン的天使長の立場にあるカインが、サタン的天使長に勝つ基台を成したところにおいて、それが保護されるんだね。だからサタンを中心としてみた場合には、自分の立場より以上の神に仕える天使長の立場に立った者があった場合には、サタンも防備することはできない。

 サタンは堕落した天使長だから、堕落しない神と一つになった天使長の立場に立って、自分の前に立った場合には、それを据えることができない。そうなれば神のほうに立った天使長は、サタンを屈伏することができる。勝利圏に立つ天使長の基台を持った所には、サタンは侵入できません。その侵入できない圏をつくっておかなければ、勝利した天使長が生まれてこなければ、アダムという勝利の圏は生まれることができません。

 だから、それは何を意味するかというと、家庭を中心としてみた場合に、アベルの家庭がある。アベルの家庭にカイン的な家庭が生まれて、初めてサタンを防備することができる。それでイエス様が、個人が安息するには、個人が侵害されないためには、家庭がその周囲を包囲して垣根の使命を果たす。そういう立場に立ったならば、イエス様は個人的に攻められませんでした。すなわちエデンの園において、堕落しなかった天使長に守られたアダムは堕落しないのです。

 復帰基準において、アダムの立場において、その安息圏に、いわゆる理想的な生活基台が立つには、理想的な天使長が、イエス様に従うような蕩減復帰したカインというものが、アベルであるイエス様と完全に一つになったとするならば、そこには、再びサタンが侵入する道はなくなる。こう考えてみると、イエス様の家庭がイエス様と一つになっていなかったことになる。それはマリヤとヨセフを中心として、その兄弟や親戚は本当からいえばイエス様と関係ないんだね。それだから、イエス様は全体の家族から、氏族から、追われる男になったんだよ。だから家庭基盤が垣根の使命を果たして防備させるのである。

 完全な基台に立つイエス様の立場であったならば、イエス様は絶対に家出をしません。三年公生涯という期間は、絶対必要ありません。そういうふうな家庭と完全に一つになったならば、イエス様は個人の基準より家庭の基準の編成が可能になる。これによって、父母や親戚のところを経ながら、初めて地上に新郎新婦の基台をつくることができるんだよ。それがつくられたならば、イエス様を中心として、新しい血統が地上に生まれる。これはエデンの園において堕落しなかった神を中心として一つになった、いわゆる新しい理想的家庭の出発をなすことができたにもかかわらず、イエス様はそういう基台を見つけ得ずして、十字架につけられたんだから、新しい血統を受け継いだ家庭はまだ生まれていない。だからこれを再び、歴史を通して、イスラエル民族の失敗を世界に、霊的でありながらも世界基台まで上げて、発展させてきたのがキリスト教である。


一九六〇年


 イエス様も真の父母であり、真の父母が損なったというのは、真の父母によって生まれるすべての子孫が損なった結果となる。父母が引っかかったんだから、父母より生まれるすべての者は、その基準を凌駕せずして、世界に向けて神のみ旨を思って出発することができず、イエス様の十字架の下に集まっている立場が今の世界的キリスト教徒である。そういうふうな立場から、霊的には個人的勝利、家庭、氏族、民族、国家、世界基準をつくったけれども、肉的にはなっていません。しかし、再臨の主と一つになって絶対に服従したならば、この時に特別な氏族を中心にして働きかけないといけない。世界的時代圏に立っているので、民族を超越した基準においてこれを再び組み合わせて、そういうことをなさなければならない。

 それで、イエス様において、氏族を中心として失われたその基台を蕩減復帰するには、それ以上の基準の内容でなければ蕩減復帰できないから、ここで、氏族自体で基準を超えるんだね。それでいろいろ心情を中心とした心情基台が新しいイスラエルである。心情基台は世界的実体基台だから、その基台を通して蕩減復帰していかなければならない。これが、再臨の主において立てなければならない問題だよ。それで家庭基準をつくる。家庭基準をつくるには、統一教会を中心として新しい氏族圏みたいに、対敵において命懸けで家庭を保護する氏族的環境をつくっておかなければ、家庭出発をなすことができません。それが一九六〇年の聖婚式の前の立場である。

 統一教会というものが、新しい教団として生まれ、サタン世界はもちろんキリスト教が反対するとしても、そのキリスト教の身代わりの基台として氏族圏を成してきた。だから絶対的氏族圏が成されて一つになって、もしも家族が生まれてきた場合には、その家族を命懸けで守るような基台が造成されたんだから、その中において初めて祝福という問題が生まれてくる。聖婚式が生まれてくる。これは一九六〇年だよ。その家庭が生まれるとともに、だんだん、それに比例して氏族圏、民族圏に拡大していくのが今で、韓国において我々が働きかけた時である。それによって既成教徒がだんだん下がっていくとともに、我々がだんだん上がっていくんだよ。結局ユダヤ教がイエス様を打って殺してしまったその基準を、家庭、氏族、民族、教会を失ってしまって民族までも失ってしまった結果になったことを、再び復帰して、それ以上の基台を目指して発展していかなければならない。


三人の子女


 それが、今までの世界統一教会である。そういうふうにして発展してきた。先生の家庭を中心として一九六〇年を中心として、それから何をしたかというと、イエス様が家庭編成した場合の氏族を編成しなければならない。その氏族が何かというと、イエス様を中心として、弟子たちもイエス様と同じような立場に立たないといけない。それでイエス様が、もしも相対基準を得て家庭をつくったとするならば、イエス様の弟子たちも相対基準を得て家庭をつくらなければならない。ユダヤ教内において、新しく氏族を編成するんだよ。それでイエス様が聖婚式を成した場合には、十二弟子も完全に聖婚式をなせば、そこにはイエス様の家庭を中心として、誰も侵入することのできない、霊肉共に侵入することのできない勝利圏が固められるんだね。その祝福され新しく編成された氏族というものは、堕落圏の養子圏とはまるっきり違うんだよ。

 ここにおいて、初めて神の実子氏族圏が生まれる。そうすると、イエス様の子供たちが生まれる。それで十二弟子の家庭があって、イエス様の子供と完全に一つにならなければならない。それは何かというと、地上において我々が統一教会に入ったとしても、二十歳とか、三十歳とか、みな違うんだね。ある者は五十歳で入った者もある。五十歳以前はサタン世界であった。五十歳以後において段階を上がった者であって、本当からいえば、生まれながら一つの基台を持っておくべきが、堕落しないアダム、エバの立場である。

 その基準を復帰するには、既に生まれてから統一教会を信じるようになり、そうして統一教会で伝道するようになって、カイン、アベルの基台をつくったが、生まれる前からそういう基台をつくっていないので、それをいかにして蕩減するかというと、あんたたちの祝福された子供に、信仰の子供たちは希望の相対として侍るとともに、その子供が生まれるのを待ち焦がれながら、はらんだ腹の中から侍らなければならない。これをはっきりさせないと復帰の道は分からない。信仰の子供が腹の中から侍って一つになったという立場に立たないと、三人の天使長が神と神の援助によって創造されてくるアダムと一つになった結果に立たない。信仰の子供だけではいけないよ。統一教会の信者、あんたたちはもう二十以上、三十以上になって入ってきて、伝道して信仰の子女を横的な基準において結んだよ。それは天使長的基準においてのカイン、アベルであって、父を中心としてはまだ蕩減されていない。だからそれをいかにして蕩減するかというと、祝福されて生まれてくる子供を腹の中から、三人の信仰の子供が侍るような立場に立つというのが、アダムを創造する時、喜んで三人の天使長が援助しながら侍ると同じような地上基台を蕩減復帰しなければならない立場を通過しないというと、完成基準の立場に立つ家庭が生まれてきません。だから、あんたたちが祝福されて子供を生む、子供をはらむ時には、三人の信仰の子供が自分のおなかの中にある子供と完全に一つになるような基準を蕩減復帰しなければなりません。

 そのようにして祝福された父母より生まれた子供は、二十一歳以上結婚するまで、信仰の子供は堕落させるようなことをさせたら絶対にいけません。天使長には、成長するまで保護して、理想的夫婦になれるように守ってやるべき使命がある。天使長がやるべき使命と同じように、信仰の子供は、自分の信仰の親が生んだその子供は、初めてつくられたアダム、エバと同じである。アダム、エバを堕落させたのが今まで神の恨みである。神の悲しみであるから、堕落させないという天使長的使命を、信仰の子供が果たさなければ、天使長の立場に立っている信仰の子供の行く道が生まれてきません。

 信仰の父母と信仰の子供の関係において、そういう因縁をなすことによって、その子供を中心として、初めて父母も復帰された父母の立場に立つことができる。結局堕落したアダム、エバは、アベルによって復帰されると同じだよ。だから祝福された父母も、二代目の子供によって完成されるのは、まさしくアベルによって堕落した父母が復帰されるのと同じである。こういうふうにして蕩減復帰される。だから、信仰の子供がなければ、自分の子供をはらんではいけないというんですね。生んで愛することもできないというんだね。これが原理の道だ。

 復帰原理は、堕落した反対の方向に落ちたんだから、反対の方向に当てはめて、水が漏れないように当てはめて一致させて、上がっていく道が復帰の道である。だからあんたたちは絶対に、必要なのは何かというと、まず信仰の子女。メシヤよりそれが問題だよ。神様も、いくら神様に愛されるといっても、神様に愛されることが問題ではありません。愛された立場に立った場合には、アベルの立場である。アベルというものは、これはアダムの立場だから、アダムの立場の前には、三人の天使長がなければならない。それは、三人の天使長がアダムに完全に服従する基台において、堕落しなかったアダムが生まれるというんであって、三人の天使長が主管し、それを恐れるような立場だったら、絶対復帰できない。


迫害時代


 だから統一教会の食口たちも、み旨を知った場合には、神の愛を受けるようになった場合には、アベルになれるよ。そういう基準になった場合には、それなりの善霊人を中心としたアベルの立場だよ。あるいは二十歳に入った場合には二十歳を中心として、三十歳に入った場合には三十歳を中心として、それなりの年齢を中心としてアベルの立場に立つ。そこから伝道した場合には、それなりの年齢基盤上に立ったカイン、アベルの基準が復帰された基台であり、それ以外は許されていない。それを再び成さなければならないから、子供を通して復帰していかなければならない。そうするには三人の信仰の子供が絶対に腹の中から侍り、それから子供が結婚するまで力を尽くしてすべてを援助するような伝統を正さなければ完全復帰はできません。

 先生もその道を行かなければならないし、あんたたちもその道を行かなければならない。先生が世界的使命を持ったとするならば、あんたたちは国家的使命までやればいい。先生は一段先だ。このようにして世界的勝利基盤をつくって、国家的勝利基台はあんたたち個人がしなければならない。世界的勝利の基台をつくるにはどういうようにするかというと、その相対基台を広めることによって、蕩減の勝利圏を今つくってきている。それが第三次世界路程である。

 だから個人の完成は、カイン、アベルがなければならない。統一教会に入ると神様の愛を受ける。神様から愛を受けるところは、必ずアベルの立場である。アベルの立場、一人ではアベルになれません。カインがなければアベルになれません。カインは先に生まれてきた。だからカインというものは、そもそも根性が悪いものである。反対するものである。アベルのためのものではない。カインというものは先に生まれた。天使長というものはアダムよりも先に生まれた。同じことだ。だから天使長がアダムを打ったそういう伝統的な血統を受け継いでおるんだから、これを打つようになる。どのくらい打つかというと、神に愛される立場に立って打たれるのは、個人的に打たれているよ。個人的に攻撃する。

 サタンの世界はどのように打ってきたかというと、キリスト教、あるいは信者たちを、宗教人を、個人的に迫害したね。宗教を信じる家庭まで迫害した。あるいは部族氏族全体までも迫害したね。あるいはキリスト教民族自体も迫害したよ。そういうようにやってきた。だから個人的迫害時代、家庭的迫害時代、民族的迫害時代、こういうふうな迫害を受けながら、打たれて奪っていくよ。個人的に完全に世界的に打たれた場合には、個人の勝利圏が生まれてくる。打たれてもこの部落において打たれただけでは絶対なりませんよ。これは世界的でなければならない。世界的になるには、ある環境内に特定なる一人を神が世界的に選抜したならば、それが世界的な個人として勝利圏に立つには、その部落内においても世界的に迫害する。結局、世界的な迫害の的は何かというと、生命をねらう。生命が襲われるというと、これは個人的である。いくら環境内の個人対個人でも、世界的な迫害すべてを代表することができる。


二十一年間


 だから、生命を献げるならば、献げながら神の国家的その理由を心に留めて死を覚悟して立ったならば、いくら個人に反対されても、それは、反対されるアベルの立場は国家的でなく世界的になる。だから死ぬまでやり抜け。これには期限があるよ。七年とか、二十年とかいうことになるよ。その期間には頭をふりかけたりしてはならない。こうすればいいか、ああすればいいか、神のみ旨に入らなければよかったと、入らなければよかったなら完全に引っかかってしまうんだよ。

 そうなった場合にはそこからまた七年間、七年間はヤコブもラケルをラバンからもらうために約束して、七年間それが成され得なかった時には、二十一年かかったね。同じように七年間で成せなかった場合には二十一年かかるよ。それで先生からいえば七年の路程が二十一年に延長されて、統一教会にも二十一年の路程が残っているよ。一九六〇年から一九八一年までだ。世界はこれで完全に回ってしまうよ。一九六〇年は新しい歴史時代に入った。これは、世界的歴史学者が皆いうんだね。


第三の父母


 ある者は自分の親を殺した者もあるし、あるいは兄弟を殺した者もあるし、いろいろな者があるんだね。親戚同士で殺し合い、あるいは氏族同士で殺し合う。こういうような、縦的数千年の歴史のすべてがこの地上に横的に現れてくる。それでみな個人主義になってくる。神も何もあったものではない。先生も何もあったものではない。社会も何もあったものではない。個人主義だ。それが今の世界だよ。あんたたちも皆そうだ。文化国家になればなるほど個人主義になってくる。これがサタン世界の一番先頭に立つ機関車だ。みな国もなければ家庭もなければ、兄弟もなければ誰もない、個人だ。それが天使長の立場だよ。天使世界には相対関係は許されていない。だからみな個人主義になるにしたがって国を失う。家庭を失う。すべてを失ってしまう。自分だけしか思わない。これがそういうふうにして分裂していくよ。

 それで蕩減の道を行くには、個人、家庭、氏族、民族だよ。少なくとも十二家庭以上なければならない。氏族になりません。それから氏族を中心として、日がたつにしたがってだんだん増えて民族になるよ。民族編成して、その民族が他の民族と戦って、勝った民族にならないというと国を立たせることができない。そういうようになっている。なぜか、サタン圏にどこかの民族に支配されている民族になっているんだよ。どこかの支配圏に入っている。だから最後に、国として生まれてくるには、その支配している民族と戦って、勝った基準に立たなければ新しい国家は生まれてきません。そうなっています。だから復帰路程も同じである。

 ある民族をサタン圏内に編成して、これが反対されるものと戦って勝利しなければ、新しい原理的国家が生まれてきません。同じ道である。そういうことを成して、イエス様を中心として、国家基盤において世界的サタン世界の誰よりもいかなる国よりも優位なる国家を編成して、ローマ帝国を世界的カインを屈伏させれば、それ以後はもうおしまいだ。そういう段階を通して上がってきます。

 それで、一九六〇年を中心として、イエス様は父母だろう。イエス様は神様が送られた第二番目の父母である。この父母が失敗したのを元返ししないというと、第三の勝利した父母は生まれてきません。これはもっともである。第二の父母様は、第一の父母様になるべきアダム、エバの失敗を元返ししなければ、第二の父母として勝利の基台に立つことはできません。第一の父母の基準を復帰できなかったんだから、イエス様は死んでいったんだから、第三次まで延長する。だから第三次に来られる再臨の主は、第一の父母の失敗、アダム、エバの失敗と、第二の父母の立場で来られたイエス様と聖霊の失敗を霊肉共に、これを実体的勝利基盤を立たさなければ、地上に勝利した真の父母として現れることができません。だから子女たちが蕩減するのは問題ではありません。カイン、アベルを復帰するのを問題視する、その根本は何かというと真の父母である。


真の父母と我々


 きょうの話は「真の父母と我々」。この真の父母という方は、これは人類歴史の最高の希望の存在である。歴史の最高の勝利の基台である。いかなる民族も求めなければならない歴史的希望の中心点である。今まで歴史がたどってきたのは、どこに行くべきかというと、国に行くんでもなく、世界に行くんでもない。日本の国に執着するんじゃないんですよ。日本の国は通過過程に立ち寄った旅館みたいな所である。歴史の願いの的は何かというと、国でもなければ世界でもない。これは外的に、国のように世界のように見えるんだけれども、外的世界においては解決しない。神の摂理はどこを中心としてやってきたかというと、世界を救うのが目的であるけれども、世界を救うには善なる父母がこの地上に完全なる基台をつくって、これが生まれてこないというと、完全なる国家、世界を救う道は生まれてきません。

 だから歴史の全体なる希望というものは何か? 国じゃない。世界でもない。何か? 真の父母。これをあんたたちは、はっきり知らなければならない。ここには民族観とか世界観というものは許しません。民族観も父母の血統を受け継いだあとにおいて願う問題だよ。それができて初めて、氏族を編成しなければならないし、民族を編成しなければならないし、世界を復帰しなければならないという問題になってくるんであって、父母がなければ何にもない。真の父母を迎えなければ何事もなりません。これをはっきり知らなければならない。

 だから我々が、日本の国に定着することが我々日本にいる統一教会の使命じゃありません。また日本人の使命じゃない。それはどうでもいい。世界の中心になればいい。みんなそう思うよ。しかしそう思ったって、そうなりません。絶対なりません。常に行けば行くほど希望が我々に迎えられるように思うんだけど、希望はありません。だんだん暗闇になってくる。そうなってくる。だから最後まで行ってみて、「ああしまった、回れ右しなければならない」というように、今まで人間がやったそういうような方式は捨てて、新しい方式でなければ、回れ右して行く道を見いだすことはできません。神はその場になって世界が回れ右するそういう段階になるまでは、神様は摂理の準備をなされて、個人復帰完成、氏族復帰完成、国家復帰完成を成して、行く道を知らない者に、このように行かなければならないというような状態をつくろうとしているのが、今統一教会を立たせてやる仕事なんですよ。

 どうしても民主主義社会では世界は救われない。共産主義でも世界は救われない。しかし、仕方ないから行くだけ行ってみたらめちゃくちゃになっている。行けば行くほどめちゃくちゃになっている。だから仕方なしでも、これじゃ行けない。一番最高の者も、最下の者も帰らなければならない。ここから新しい方向を見いださなければならない。こういう世界で、うごめくそういう段階まで行くようにして、その背後においては彼らが知らないうちに、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家基準まで立たせて、これは世界に通じる道に、はしごをかけるようにして、この道でなければならないという場合には、いっぺんに世界はこの道にたどりつく時、問題になるんだよ。その時は、最初の先祖より一番恐ろしい困難な時代が来るよ。なぜ困難かというと、先を争って行きたいというその時に、圧死事件とか、そういう事件が起こるかもしれない。統一教会にその時は誰も入れない。窓を狭くするんだ。そういう時が来ますよ。


勝利の結実体


 そういうような作戦を、歴史を通して神はやっていく。まさしくそういうような現実を我々が見て、測り知る時代に来ているというのは末の時であるというんだね。世界人類が分からない時に、統一教会の君たちはここに入って、「世界はこうなるんだろう。真の父母がこう言われる」と言う。あんたたちは、真の父母といえば、君たちの部落における有名なお金持ちの父母だと思ったら、それは大間違いだよ。国家の主人であれば、王様とか、あるいは貴族とか、いろんな問題がある。これは一時のホテルの主人に違いない。だから歴史のすべての目的は世界を一つにするどころじゃない。

 世界を一つにするには、真の父母を迎えなければ世界を一つにする道を人間として見いだすことができません。だから真の父母というお方は、歴史の希望の結実体である。望みの結実体だよ。すべてを蕩減した勝利の結実体である。これを知らなければならない。真の父母とアメリカと取り換えることができるの?


地上から


 今までの歴史は過去の歴史だよ。今までの貢献したものは、君たち自体にはありません。今まで摂理上に貢献した者たちは、皆どこに行っているかというと霊界に行っている。この霊界に行っている者たちも真の父母を求めているんだけれど、真の父母が現れた場合には、真の父母は、今まで貢献した霊界に行っている者の真の父母じゃありません。これはもう永遠に因縁を持つことができません。地上にいる者のための真の父母に限るというんだね。霊界に行っている者は、天使長世界と同じだ。だから援助してやって、地上の世界はアダム、エバの世界と同じだよ。

 真の父母が来ることによって、今まで霊界において、数多くの者が蕩減復帰に動員してきた。その蕩減復帰は何かというと、天使長が堕落したんだから、天使長圏を復帰するために、堕落したサタンのために、それを蕩減復帰した基準というものは僕圏の天使長とみなすんだよ。

 あんたたちにおいても、天使長と同じだよ。天使長の使命は、三大宗教だね。回教は左手にコーラン、右の手には剣を持って戦っている、これは宗教の本質に一致しない。だから悪の内的宗教というんだよ。だから三人の聖人、三大宗教は三人の天使長と思えば間違いありません。

 そういうような形において、イエス様はその中心の使命を果たしている。だから今から、サタンに向けて戦うのにイエス様を大将にして、霊的サタンを追い出し、地上において基盤をつくってやる時が来たよ。カインを祝福してやったと同じように、先生はイエス様を祝福してやったよ。ここにおいて初めて地上に影響を及ぼす霊人体を動員して、堕落したサタンの霊人体を追い出す勝利の基盤を必然的に持つようになるんだから、地上のサタンの主管圏の因縁ある人類を神のほうに引き戻すことができる。


アメリカと世界


 もう少したてば、世界はすぐ回るというんだね。だから今まで数多くの宗教が苦労してきたんだけれど、それは真の父母が生まれる基台をつくるその道の準備をしてきたのである。それは、真の父母は完成したアダム、エバだから、アダム、エバの前に生まれた者は、すべてが天使長である。だから統一教会より前に生まれたすべての宗教は天使長宗教である。そうなるというと統一教会は素晴らしいの? 内容は素晴らしい。事実は? 日本においていまだに追われているや。内容は素晴らしいんだよ。しかしこれが大きくなって鷲の子みたいに、羽に完全に毛が生えて、飛んだ場合には、世の中の飛ぶものはすべて自分の目の下だ。だから今は、雛だから何でもないんだね。動かされるものがたくさんあるよ。それと同じだよ。

 これから成長した場合には、国を持つ時代をつくったならば、かなうものはありません。その国の編成にも民族を立たせてやるのではありません。世界人類を立たせてやる。ここには黒人も入っていく。みんな入っていく。そういうようにあらかじめ天使長国家として準備したのがアメリカで、それは二〇〇年の祝福期間だよ。二〇〇年の祝福期間の国家的基準の代表的国家がアメリカだよ。だから一九七六年までが建国二〇〇年になるんだよ。アメリカの祝福は、アメリカの運勢は二〇〇年内の運勢だから、一九七六年からこれを越えていくんだから、アメリカの危機が来るというのは原理的見方だよ。二〇〇年の歴史内にあれだけ世界的な国家になったのは、神がなければそんなことにはならないよ。これが二〇〇〇年の蕩減である。二〇〇〇年の蕩減復帰である。

 それにつれて、今までアメリカは世界的に発展してきたよ。だからアメリカの構成をみるというと、超国家的であり、超国民的である。だから日本民族も移民して直ちにアメリカ民族となるんだよ。それは未来の神の国となっている。遠からず、直ちに天国に入ってその国の国民としての仕事をするようになるよ。キリスト教が先生を迎えた場合には、一時にそれがアベル圏に復帰される。それが追い出されて、神のほうを打ったんだから、サタンがまた打つんだよ。それで共産党にやられていくんだよ。中共がサタンのエバ国だよ。

 日本が二十年間に世界的な経済復帰をなしたと同じように、サタン的なエバ国家である中共も二十年間で世界的になっている。UNから侵略国家として追い出されたことが、一九五二年にUNにおいて決定したことが、二十年間において、侵略者が世界的国家として帰るなんてそういう前例はない。それと同じように、統一教会もそうなるかもしれませんよ。二十年だ、二十年。統一教会が第一次七年路程を中心とし、第二次七年は七四年までだよ。第二次七年を越えたら、世界的にならざるを得ないだろうというのが原理観である。その期間に世界はぶつかるよ。とんでもない日本を中心として、アメリカとソビエトと中共とぶつかるんだよ。

 この世界の、このように激動する圏内において、それは舵をとって港に着かなければならないのが、統一教会だよ。侵害せず、破船せずして今生きようとするんだね。それをコントロールするのは先生だ。真の父母というその基準は、世界すべてがそれによって動かされている。だから摂理すべてがそれによって動かされる。神自体もそれを願っている。神自体も、それがなければとんでもないことになるから、それが今まで神存在して以来、最高の望みである。そんなに恐ろしいほど素晴らしい世界であるということを世の中は知らないだろう。


父母の必要性


 あんたたちは先生に対して関心を持たなければならないという結論に到達しますよ。先生はこういうような原則をよく分かっているんだけれども、君たちは分かりません。我々に真の父母はどのくらい必要だろう、また神様はどのくらい必要だろう、神様は真の父母をどのくらい必要だろう? 絶対的に必要だよ。全能なる神様も、真の父母をどのくらい必要とするか? 絶対的に必要とするんだよ。霊界に行っている数億数百万の霊人たちは真の父母をどのくらい必要とするだろう? それはもう、絶対必要とするんだよ。

 真の父母が生まれて来ない以上は、天使長界は地上において涙ながらに、神の前において、これを何とかしなければならない。蕩減の道を開拓していかなければならないのが天使長の使命。だからアダムを復帰する前に天使長が堕落したんだから、堕落しないみ旨の前に、完成された天使長圏を果たさなければならない使命がある。復帰といえば、アダム、エバの復帰だけではない。天使長復帰をしなければならない。


理想世界


 悲しいとか、嘆きとかのない未来へ出発する基台が、今から我々のあとに残る。そこには嘆息とか、蕩減とかいう基台がなくなってしまった。それは理想ばかりの一つの夢みたいな世界が現れてくるというんだね。だから、あんたたちの後孫は実に素晴らしいだろう。

 それにはある限界があるよ。何年までに入らない者たちは、みんな痛いほど涙する時が来るよ。神の摂理には年限がある。だから第一次、第二次、第三次期間というものは重要な期間ですよ。そうなるというと、あんたたちは一つにならなければならない。一つになるには自分なりの過去の罪を清算しなさい。過去の罪があった場合には大変だね。過去の罪は早く清算せよ。罪ある者が真の父母と一体となることはできません。本当はね。だからまず歴史的罪を清算せよ。それは先祖以来今までのずーっと歴史につながった血統的汚れを清算しなければならない。自分を中心として、今までなしてきたみ旨の路程を中心として比較対照してみた場合に間違ったすべてを、清算しなければならない。

 それから、自分は将来善なる先祖にならなければならない立場である。善なる先祖になるには、善なる後孫に何か自分が荷物を残してはいけない。重荷をその後孫に譲ってやるような先祖になったならば、讒訴されるような先祖になった場合には、真の父母の統治主管する圏内に入ることはできません。統一教会の祝福された家庭たちは、今、現在においてすべてを蕩減して、それを清算しなければならない。

 復帰路程において、誰よりも先頭に立って蕩減の道を自分一代の蕩減の道よりも、国家民族の蕩減を背負って立っていくんだから、後孫においては誇れる先祖だというんだね。それで国が立った場合には、祝福家庭が先頭に立って、初めて永遠なる基台をつくって、地上安息とともに永遠の霊界安息の基準をつくる場合には地上で完成される。その時に、歴史は世界的注目の的になるだろう。だから現実においてあんたたちは、あんたたちの足場からじゃなく、過去、現在において、自分の気の合ったすべての危害を早く清算しなければならない。清算する一番良い方法が何かというと、まずもってサタンと戦って勝たなければならない。それが第一の条件だよ。サタンと戦って勝つ人間にならなければ、サタンに打ち勝っておかなければ、いくら歴史的清算をしたとしても、再びサタンが寄りかかってくる。だからまずもって、根本的サタンを屈伏させなければならない。屈伏させるための教えが我々の原理だよ。

 サタンがどういう罪を犯したかということ、それを教える。それを中心として、サタン世界に行って、サタンを屈伏させたという条件は、サタン世界に行って三人のカイン的存在を取ってきて、これを完全に自分の命を懸けて奉仕し得る、イエス様の前に、堕落しないアダムの前に、命を懸けて、死を覚悟して、保護してくれる天使長のものとして、自分の防備隊となれるような者につくってやらなければならない。その真の子女というような、真の信仰の子女というような、真のカインというような勝利したカインの立場は何かというと、イエス様を中心としてみた場合には、イエス様が十字架につけられるという、そういうような恐ろしい環境ができた場合に、みんな逃げてしまうような者となってはいけません。イエス様を守る。イエス様に先立ち、死を覚悟して立つ。そういう者にならないというと、完全なる勝利し得た三人の天使長として、信仰の子供として立つことができません。そういうような人をつくらなければならない。そういうような人をつくるのは、自分の実体の子供を育てるよりも三倍あるいは七倍以上難しい。


愛の復帰


 だから愛は誰によって始まったかというと、サタン、天使長より始まった。復帰するにはサタン、天使長より奪い取ってきて、天使長(カイン)を通して、信仰の子供を愛して、自分のほうに帰ってくるんだよ。信仰の子供を愛して、その後自分の子供を愛して真の父母がなしたように、復帰される道なんだよ。愛はサタン圏より始まった。その愛の圏から、奪い取ってこなければならない。サタンが奪い取っていったんだから、それを反対にサタン圏から探してきたものが勝利的天使長。

 絶対服従する天使長の立場に立つ三人の信仰の子供を求めて、そこにおいて完全に神と同じような立場で愛したというような立場に立つんだよ。愛の問題で愛を失って堕落したんだから、それ以上の愛を成さなければならない。だから信仰の子供をどのくらい愛すればよいかというと、この世の中の父母が自分の子供を愛するより以上に愛さなければ、信仰の子供が復帰されません。これは、父母はサタン的な愛だろう。それ以上の愛の道でなければ、人は引っ張られてこない。

 だから愛によって引っ張られた者は、愛によって元返ししなければなりません。そうすることによって勝利した愛の基準が、三人の信仰の子供において、勝利されたその基盤において初めて自分の子供を愛することができる。これは公式だよ。先生もそういう生活をずっとやってきている。その公式を通過しなければ完成基盤は生まれてきません。だから、いくら子供があっても信仰の子供が完全に復帰されない場合には、この子供を自分の家に入れて一緒に住むこともできません。神様から見れば蕩減復帰するために今までイエス様を地上に送って、死ぬ場においても、共に死ぬような信仰の子供を完全に愛して、自分の子供のために犠牲になるような基台を立たせないというと自分の子供を愛する道は生まれてきません。信仰の子供なくしては、何ものもない。


完成の時代


 それを復帰することによって、相対理想アダム、エバを組み合わせると、相対理想を合わせた場合の八人の堕落したアダム家庭を、神の愛によって復帰した基台をつくることができる。それはみんな堕落圏より復帰された基準であって、本来の神の愛のもとにあって生まれた子供は一人もありません。堕落しない圏は、本来の神の愛によって初めて生まれたものが、長成完成基準圏を通過するというのが原則だよ。だから神の愛によって生まれた自分の子供、結婚して生まれた子供によって、完成時代を初めて上がってくる。その祝福された家庭は、「父母の日」を決定しなければならない。自分なりの「父母の日」だよ。自分なりの「子女の日」を決定しなければならない。自分なりの「万物の日」を決定しなければならない。自分なりの「神様の日」を決定しなければならない。それは先生に比べれば、先生は世界的であるけれど、あんたたちは氏族的、あるいは民族的勝利をして、国家基準まで引き上げて、国家基準まで勝利しなければならないのがあんたたちの使命だよ。

 こんなに厄介とは思わなかったね。こんなに厄介だから、神様は六〇〇〇年かかりましたよ。そういうことを専門的に分かる者が生まれて来なかったから、堕落は人間がやったものだから、復帰も蕩減も人間自体がやらなければならない。罪を犯した者が罪を蕩減しなければならないのが原則である。父母が偽りの父母になったんだから、偽りの父母を乗り越える真の父母が来て、それをすべて分かって蕩減してやらないというと、歴史が新しく神に帰る道がない。このすべてを解決してくれたお方が真の父母だ。だからあんたたちの生命を何千万、何億人やっても換えられない。だから自分が早くそういうお方の前で、「自分が命を懸けて奉仕します」と言うのは、無礼なことだよ。だからイエス様の宣言もそうだ。「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」。出発点はそこだよ。まずもって切り換えの転換点はそこにあるんだよ。ちゃんと背後の目的はそこだ。最後の結論を下しているのが、このアジアだよ。

 統一教会に入って、「ああ幸福になろう」という者は幸福になれません。自分が幸福になる前に父母が幸福にならなければ、自分の幸福の道は絶対に生まれてきません。世の中、宇宙において、神様が幸福にならなければ宇宙に存在するすべての万物は幸福になれません。同じだ。完全に蕩減するには罪を清算しなければならない。君たち、過去、現在。そういうふうにしながら原理原則に正すようなことをしなければならない。だから統一教会で一番恐ろしいのは、「伝道するな」ということが一番恐ろしい。「信仰の子供を連れてくるな」。「伝道をしなくてもよい」というのはサタンの願う第一条だ。


涙の道


 子供を、生まなくてもいいの、子供は必要なの? それがなければ滅んでしまうや。何も残らない。父母が生活するような様式を、自分も将来そういうふうにして生きていかなければならない公式になっているんだよ。だから結婚するんだよ。

 今までの宗教ではできなかった。真の父母がこの地上に生まれて初めて、我々地上に宗教を中心にして結婚しなければならないという教団が生まれたということは歴史的問題である。そういうふうに考えなければならない。信仰の子供を育てるには、三倍あるいは七倍以上愛さなければならない。信仰の子供を愛せない者は、自分の子供を愛する資格はありません。復帰はそうだよ。サタンを屈伏させる過去、現在を悔い改めるには、ただ「天のお父様これこれこういうわけでした。許してください」。そういうふうにしては許されません。

 そこにおいて涙を流さなければ帰れない。それはもう顔がふくれるような痛みを感じながら、内臓が引っ繰り返るような痛みを感じながら、黙って罪を悔い改めなければならないということが、我々の現実の問題であるということを知らなければなりません。そう考えると自分と関係を持つんだよ。みんな自分一人のためにそうなっている。あんた一人のために……。みんなそうなっている。結局自分のためであり、我々の国のためであり、我々の世界のために、こんなに苦労している。それは自分が行かなければならない国のためであるし、自分が行かなければならない世界を征服するために、こういう苦労の道を逃れることはできない、あるいは国家的戦いを逃れることはできない。あるいは内的戦いを逃れることはできない。

 統一教会がこういうふうになったのは個人的逃れる道、家庭的逃れる道、氏族的逃れる道、国家的逃れる道、民族的逃れる道を取り払わなければならなくなってきているので、こういう環境が必然になったと思ったら大間違いだ。数多くの涙のキリスト教会圏が犠牲になって、蕩減の条件として犠牲になって、こういう状態になったことを知らなければならない。真の父母がここまで来られて立ったというんだから、その背後であんたたちの思いもつかないような涙ぐましい泥水の重なる、あんたたちの知らないところの背後に、いかばかり涙を流したか。その一点において、そういう涙が問題ではない。過去を通じて現在に至るまで、いまだにそういう戦いをやっているということを知った場合には涙ぐまずには語れない、そういう自分を発見するのである。それが神である。

 自分の過去、現在、罪を犯しながら、何でもありません。泣く者は泣くんだが、それが問題ではありません。だから、涙を流しながら落ちていった者が、神の前に感謝の涙を流しながら復帰していかなければ、天の世界に入る道がありません。その心情は、誰でもそうなるようになっている。神様が迎えておられる親子の一点は実にそうである。

 アダム、エバと、天使長を代表した真の父母がなくなった場合には、深い痛みを感じるようになる。それで、イエス様が地上に来られて死の道を行かれたことが、いかにつらい神様の心情か分かるようになる。そして第三次再臨の主を遣わして、三代目のアダム完成基準を願って、神は数千年来キリスト教ばかり中心としてきた。考えてみなさい。自由民主国家にすべてキリスト教関係がピッタリと入った。そうだろう、その上に、キリスト教が数千年の歴史を通して行くところで、血を流さなかった日はありません。日本においてもそうだろう。島原の乱というのもそうだ。


聖婚式


 だから一九六〇年において聖婚式をする前に約婚をした、式を挙げる前に三十六家庭の三人の家庭を約婚して、先生が聖婚式を挙げて、三人の家庭を祝福しました。それで、イエス様を中心として、ペテロ、ヨハネ、ヤコブがいっぺんに神の理想圏に立ったという条件が立つし、完全に分かれることができないという勝利的基盤を立てたことになるよ。それに反対したのが最高の迫害だよ。分かったの? イエス様が国家から追われ、教会から追われ、全部から追われた環境圏に立たなければ復帰できません。このために韓国民は総動員して迫害してきた。総動員して、警察とか保安庁には、数十名の統一教会の投書があって、統一教会の文先生は捕らえてしまわなければならない……と。いろんな投書が入るんだよ。これは国家民族挙げて、これを倒して、それでもそれを終わらせてしまわなければならない。終わらない。それが統一教会だよ。

 聖婚式の前の日までもみんな先生は投書されたよ。だから劉協会長と協力しながら一九六〇年、戦いのまっただ中に、のるかそるかのそういう環境において、その聖婚式はあんたたちの思うような心安らかな神に栄光を帰す立場ではありません。戦いである。門の外では反対する声、そこで結婚式を行った。そういうことをしながら、戦いのまっただ中で統一教会は勝利する。そうした場合には善悪が交代する。我々がそうならなければ神様は喜ばない。三家庭を立てながら、三人の弟子が死なずして、生きて新郎新婦の理想を、死んで残した基準を勝利した平面的基盤を立てたことになる。イエス様が死なない立場に立ったことになる。それから三家庭を中心として、三家庭というものは歴史全体のすべてを蕩減する家庭の中心だから、歴史はどういうふうになってきたか……。

 先生の時代には、第一アダムと第二アダムのすべてのことを蕩減してやらなければならない、歴史的過去のことを蕩減してやらなければならない。だから旧約時代完成、新約時代完成、成約時代完成圏を蕩減してやらなければならない使命なんだよ。そうするには、過去の歴史を無視することはできない。過去の歴史、それがアダム家庭よりヤコブまで、ヤコブ時代までは、ヤコブまでの基台は、ヤコブに初めて養子圏の出発がなされるんだよ。それでイスラエル圏を中心として、メシヤを送るようになりながら、選民圏の初めは何かというと養子圏だ。養子圏の初め、それ以前は僕の圏だよ。だから蕩減復帰においては、僕時代と養子圏時代を蕩減してやらなければならない、そういうように全般的歴史を蕩減しなければならないんだから、まずもってアダム家庭よりノアを通して、ヤコブ家庭までの歴史というものは、ヤコブ路程の延長がモーセ路程であり、モーセ路程の延長がイエス様の路程なんだね。だから、第一基台はヤコブ路程、これは養子だよ。イエス様路程が一度、実子を迎えるには民族的蕩減時代を経なければならないんだから、それを代表したものがモーセだよ。

 だから民族的勝利を成すようになったんだから、家庭は勝利じゃない。家庭的勝利は、その層を経た国内においては成すことができるんだけれども、それは民族的や日本的だね。だからイスラエル民族をエジプトに送って勝利した基台をつくらなければならない。そういうようになっている。それでモーセの路程というものは、ヤコブの家庭的勝利と天使と基盤を受け継いだ上に、範囲を広げた民族的勝利の基台だよ。イエスの時代はその民族より範囲を広げた国家基台をつくったものだ。


三十六家庭


 こういうように発展していくんだよ。それで一番問題なのは、歴史全体復帰である。それで三十六家庭というのはどういう家庭か、最初の家庭は旧約時代を象徴するんだよ。第二家庭は新約時代を象徴するんだよ。第一家庭は旧約時代を象徴するんだから、それは神が許されない前に結婚した立場だよ。そうだろう、新約時代は初めて神様が求めた地で結婚を願った時代だよ。願ったけど失敗した。成約時代は失敗ではなく、神様が願い求めて完成した成約時代だよ。出発は、家庭より出発だ。だから神の復帰摂理はヤコブの時代へ元返るんだね。復帰されるよ。

 だから先生が復帰しなければならないのは僕の基準、それから養子の基準。養子圏国家的基準がモーセを通してイエス様までだよ。それから実子が失敗したね。実子、イエス様だよ。これは三つを象徴して復帰しなければならない立場に立っている。この三つがいつでも十二派を、十二数を、十数か十二数の平面的基盤を中心としてイスラエル民族を率いた。これは原理的内容になるんだよ。旧約時代に当たるのは、復帰前に結婚した立場だろう。そうだろう。イエス様時代は結婚の願いを成すに成せなかった時代である。ヤコブにおいて苦難の時代である。それを全部継ぎ合わせたような立場に立って、三十六家庭は旧約時代、イエス様時代、再臨時代、それが歴史的象徴の基準として、アダム、エバよりヤコブと二〇〇〇年を蕩減するんだよ。それに勝利したのは、先生自体においては一代、旧約時代ばかりではないよ。家庭勝利の完成だから、その内容は三時代、歴史的なものだよ。

 三十六家庭はアダム家庭というんだね。アダム家庭というのは、カイン、アベルを中心として、それからノアまでの十二数だよ。だから十二家庭が生まれてくるんだよ。それからノアを中心としてアブラハムまでの十代だよ。それがイサク、ヤコブまで延長した十二代が、これがサタンに取られていかなかった情的、天的な立場に立たないというと、ノアからアブラハムまで、神に立つ先祖が生まれないというと、それは時代を確立できないから、それをつなげる数の十二代がノアの家庭というんだよ。

 それから最後にヤコブの家庭というのは、そこで初めて個人的になったんだよ。これは縦的になるんだね。ヤコブにおいて初めて蘇生、長成を地上に現したのがヤコブ家庭の十二双だよ。それがまさしく旧約時代、新約時代、成約時代に入るんだよ。こういうふうにヤコブ時代になった場合は、アダムを中心としてこういうふうに六〇〇〇年の歴史を延長するならば、アダムを中心としてイエス様の時代はノアに当たる。再臨の時代はヤコブに当たるのだね。分かったね。このように、数的基準を中心として大きく同時的歴史性を象徴して立つことができる。分かった?


勝利した先祖


 三十六家庭は何か? すなわち復帰路程において我々の先祖が神に召されて果たし得なかったすべての思いを、実体でもって地上に再臨してすべてのことを勝利した結果をきたすことによって、サタンによって蹂躙された歴史を、再び神によって情的歴史性を復帰したことになる。何の話か分かる? すなわち、この人類というものは、復帰現象上から見た場合に、神の復帰現象の心情を受け継いだ完成の人類にならなければならないというんだね。その先祖になるべきすべての者は、神の摂理において失敗した先祖でなく、勝利した先祖の基準を地上に確立させたのが三十六家庭である。だから三十六家庭は何かというと人類の先祖である。復帰された人類先祖だよ。

 それを中心として、七十二家庭は何かというと……。今まで二つの家庭を中心として家庭を完全復帰するには、カイン、アベルの家庭が一つにならなければならない。アダム、エバが完全に神の前に立つには、カインとアベルが完全に一つになった基台の上に乗らなければならない。この先祖というものは父母の立場だよ。この父母の立場が完全に神の前に立つには、カイン、アベルの基台を復帰してからと同じように、三十六家庭は先祖である。先祖が立つには、カイン、アベルが一つになった家庭の基盤をつくった上に立たなければならないんだから、三十六家庭の二倍の七十二家庭になる。七十二家庭はイエス様に対しての七十人に当たるんだね。それが一つになったという地上の蕩減圏を成し得た基盤になるから、神の摂理の時代はだんだんと地上の壮婦の基台を訪ねてきたんだよ。


七十二家庭


 こうなるというと、家庭先祖を中心としてカイン、アベルの家庭が一つになったんだから、摂理歴史においてそれは家庭を中心として要求してきたすべてのことが家庭復帰完成自体を成したことになる七十二家庭までの祝福だよ。それが決まるにしたがって、初めて地上に神を中心として平面的でも立体的でも段階ができるよ。蘇生、長成、完成を見れば線が四つになるよ。だから三家庭を縦にすれば、神様を中心に三段階になるんだね。それを横的に見た場合には四位基台になるんだね。分かったの? だから、これが決まるにしたがって、中心的基準が立つんです。すなわち、神の摂理によって決まるべき中心点が、縦的の足場として完全に歴史性の勝利として立った三十六家庭、七十二家庭が一つになることによって、それが完成することになる。

 その中心点が決まったんだから、神が要求するすべての中心的先祖の勝利圏を成したことになるから、その原因が完全な基台だから、それを横的に引き付けられる。その基準を中心として一二四家庭の祝福があるんだよ。一二四家庭というのは、イエス様が十字架につけられたあの五旬節のペンテコステにおいて、聖霊が降臨したが、その時一二〇人の門徒が集まって一つになって祈った結果によって、聖霊の降臨を迎えることができたのである。聖霊降臨は国家基準を超えた基準において降臨すべきことだよ。イエス様が新婦を国家基準の基台の上に結ぶことによって、彼らが一つになる基台を霊的ながら、結んだんだよ。それで一二〇人は何を象徴するかというと、一二〇国家を象徴するんだよ。だから西洋が基準となった時には、神のほうに一二〇国家以上の基台ができるというんだね。

 それがちょうど、一九六七年から六八年にかけて、そういう基台が既にできている。歴史は偶然に蕩減することはないよ。そういうふうにして全部が、内外共に数的な発展として現れている。だから一二四というのは世界国家を象徴する。ここに正常基準が立ったという勝利的基盤に立ったんだから、これは世界的構成だね。それをみんな一つにまとめて結びつけるようなそういう相対理想基台をつくってやったのが一二四双の祝福、一二〇と言っているんだけれど、四双をプラスさせた。四双は何かというと、今まで結婚した家庭の四家庭が入るよ、なぜかというと、それをしておかないというと結婚した家庭が、神の国に帰る道が開けてこない。だから東西南北の門を象徴して祝福された四家庭を加えて一二四家庭になる。人類は今まで相対理想というのを望んできたんだよ。


世界的時代圏


 今まで宗教は相対不可侵圏を望んできたよ。だから今までの宗教は独身生活だ。家庭的な相対理想は先生の時代に入って初めて、相対的理想圏を勝利的イスラエル圏から世界的イスラエル圏に拡大して、この勝利的基台を横的に引き上げたのが一二四家庭である。

 神様からみた場合には、イエス様の場合は三人の弟子、十二人の弟子、七十人の弟子、一二〇人の門徒と、すべての地上の願いにおいて、神の理想的家庭編成を成し得ずして死んでいったことを、地上において蕩減復帰してやることによって、第一アダム、第二アダムの失敗圏を地上において復帰完成したことになる。その次は、人間が堕落したことによって万物を失ってしまったので、万物が神のほうに帰る道として、一九六五年を中心としての世界的一二〇聖地を決定した。韓国の石を持って、同じように築いた勝利の基台を、世界的に平面的に結んでいく。万物基台がないと働けない。神の活動舞台が成立しないから、その条件として一二〇聖地、四十か国を中心として四十年の勝利の基台、いわゆる真の父母の勝利の基台を世界的に決定した。四十か国、一二〇聖地を決定したので、世界的に万物を復帰する天的道が開けた。だから韓国の土と石を持って、本部のように黙祷するんだよ。それを中心にして、世界の相対圏内において復帰される道が開かれる。初めて神を迎えることができるんだよ。

 それで、一九六七年を越えて、一九六八年の十月において第一次七年路程が完全に終わるというと、それが終わって初めて、完成基盤を成し得なかったすべてを解決しておかなければならない。だから七年間において、これをすべて蕩減して勝利した位置に立ったから、一九六八年において初めて完成基準に立って神様と一つになる。そういう位置に立ったのが「神の日」というんだよ。父母の内的において、神様が初めて相対者を中心として結びつけられるその結婚式であるために、人間にとっては真の父母の結婚式である。だから「神の日」とともに、「父母の日」とともに、「子女の日」とともに、「万物の日」をきちんと迎えるのだ。七年間を通過して、蕩減復帰して、元の位置に帰ったんだから、そこから世界的時代圏に入るよ。


四三〇双


 先生を中心として、アメリカとか世界各国において、力を入れてやれるだけやったらいいし、日本との共同作戦もさせるんだよ。それは日本のためになるんだよ。三年間真心を尽くして、物と実体と心情が一つになって、アダム国家の先生が成したその勝利の基台を復帰するそういう基台をつくらなければ、日本はエバ国家として、何らかの使命を成し得たという条件が成立しません。これは同じく、イエス様において三年路程においてエバを迎えることができなかったことを再び、国家的基準において蕩減するということも、日本の統一教会はしなければならない。それ以前、先生は絶対命令しなかった。命令するなと止めてきた。三年路程が済んだ場合には、日本のすべての解決策も、祝福家庭のアパートも、いろいろな問題を考えている。七四年までに解決しなければならない。そういう使命が残っている。それを成しながら、そういう関係を結びながら、四三〇家庭を祝福したり、そういう世界的因縁の条件を立てるための、韓国においては統一教会内において蕩減するんであって、国家基準の蕩減の因縁はまだ結んでいない。これが四三〇双の祝福なんだよ。

 四三〇双という数字は何かというと、その年がまさしく韓国の四三〇〇年であり、それはイスラエル民族においてのエジプト路程四三〇年目に当たるんだよ。だからイスラエル民族は、民族解放理想を願ったんだよ。その基準を中心として、韓国全土のすべての国民が、天のみ旨に立つような道を開いてやる。それは相対的理想の道だよ。今の宗教は、個人の理想を中心として道を開いてやっていたんでは、役に立たない。我々統一教会は相対的理想の道を四方八方に、全国民を動かして歴史を通してそれに一致した歴史的蕩減実体自身を一代で成し遂げなければならない。

 四十三数というのは、数から見た場合に掛ければ十二、プラスすれば七つになる。それが四数に東西南北に相当する。三数は蘇生、長成、完成人間の発達からすべての万物の数を象徴するそういう数に当たるんだから、我々には蕩減復帰によって絶対的数である。だから四三〇双の祝福をしたんだよ。それで韓民族は誰でも入って祝福を受けることができるというんだね。その国家的基準をつくったんだから、一九六九年にその相対的基台を外国につくっておかなければならない。それで一九六九年の第二次世界巡回の時に、四十三双を祝福して相対国家を結んだよ。世界的になるよ。内的なものを優先して、十か国家圏を中心として四十三家庭をつくり、相対圏を世界的に広めたよ。


七七七双


 世界は統一教会の運勢に入って、だんだんと動くようになるよ。それが一九七〇年の七七七双だ。これは地上において、世界的にすべてが寄ってくるんだね。しかし、四三〇双までは先生が行って、ずーっとしてやったことになるんだよ。韓国に連れてきて祝福をさせたら駄目なんだ。初めて韓国で全世界的な、すべての祝福家庭を中心として七七七双を完成していくのである。そこにおいて十か国がある。

 こういうふうにして、家庭的理想を中心として世界いずこの国でも、神に立ち帰ることのできる道が完成できた、この時を中心として開いた世界の運勢は、統一運勢へと一致するようになってくる。だから国家も、南北の国家も、世界の左翼、右翼の人たちも、我々と対立する段階になってくる。そこにおいて我々は、これを引き続けて「生めよ、殖えよ」というふうにして、だんだん伝道しなくてもいいという。本当はね、伝道しなくても、もう何だから、これは全部アメリカに連れていって一つの州に固まって、黙っておっても世界は復帰されていくというんだね。分かる? 我々は汗を流し、本当に反対して汗を流し、血を流し、そういう苦労をする必要はないというんだね。「生めよ、殖えよ」そうして、それを新しい民族に編成をして、一つの国が自然とできるよ。我々はエジプトにあって、イスラエル民族が健康な子供を生む。そういう子供と同じく、祝福されて双子がたくさん生まれてくるよ。我々には産児制限できません。こういうふうにして世界に新しい血統的基盤を広げる、世界超民族国家的にもう組んでおるんだよ。


家庭の行く道


 だから我々家庭においては、祝福された家庭は東西南北を問わず、将来は一か所に、教育も一か所に連れてきてするんだよ。それで先生は韓国の大学問題も考えておるんだよ。幼稚園から中、高等学校から、大学まで行くよ。だから祝福された家庭は、本国に留学するのが最高の望みになるよ。できればその時に、日本とか、そういう世界的な我々を、父母が真心を尽くしてそういう大学を立てることに賛成したとすれば、歴史の誇りの時が来るというんだね。

 そういうふうに、新しい文化、新しい世界が生まれてくるんだね。これが真の父母を中心として我々が行かなければならない世界的な蕩減の道だから、君たちは何も知らなかったんだけれど、知らない中に世界的内外蕩減基準を完成するようになった。その基台がつくられる。先生は堂々と何も引っかかるものがないというんだね。世界に初めて旗揚げしてきた。

 今や先生は死んでも、イエス様みたいに失敗の男ではありません。死んでも、このみ旨はサタン世界を占領してしまう。そういうふうになっているんだよ。再び来なくていいということになっている。今度、帰って先生が祈っておけばすべてが完成される。だから、韓国に留まる先生ではないということになるんだね。日本に来ていて気持ちが良かった場合には、日本に留まることができるし、アメリカが良かった場合にはアメリカにいて、それこそ世界を舞台として先生は万民もいかなる大統領も行けないような道を世界的に進んで行かなくてはならないのが、今からの先生の生涯だよ。


変わってはいけない


 だから「真の父母と我々」。結局、真の父母は完成したアダムであり、失敗した第一の父母の基準を完成復帰しなければならない、第二のイエス様の失敗した父母の基準を完成しなければならない。しかし、再臨の時代において先生がもっと苦労したのは、イエス様は霊的勝利基台だけを世界的につくることができたんだが、先生においては霊肉共世界的な統一圏のみ業をここまで上がってきている。

 今から三年、我々は結束して日本でも力を出して動けば、日本は世界的に認められるその国になるだろう、なぜならエバ国家だから、今から日本は発展しますよ。発展するようになっている。三年間の期間が過ぎた場合には、発展するようになるのが原理の観ですよ。だからそれを迎えるために、特別にそれを成就するために、今機動隊編成をしたんですよ。分かりました?

 早く人材養成しなくてはならない。人材養成、数が問題である。そう思って、日本において先生にその心配かけるようなことになった場合には、エバとして忠誠を尽くす忠孝の烈女としての使命を果たせません。未来において我々は、フラフラする人間になっては困ります。今にも行ったり来たりする者は、神の信じる者にはなれません。だから絶対変わるな。それが先生の結論になる。

 こういうように素晴らしい歴史的勝利の基台に立って何が欲しい、何が欲しいかというんだね。それ以上のものはないというんだね。ここにおいてそれを得た自分たちの価値を世界に分けて、それを無上の価値の実体者として誇り得るようにして、神が信じなくても、神を信じせしめる主体者になるという信念を持って、絶対、行ったり来たり、あるいは変わるような者になってはいけません。今から三十年、四十年死ぬまで変わらない? (はい)。しっかり手を挙げて。先生は信じて帰るよ。












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不信の種を抜いて信義の種をまこう

文鮮明先生御言選集 55


不信の種を抜いて信義の種をまこう

 
  1972年5月8日 韓国 中央修錬所

祈祷


 愛するお父様。きょうは一九七二年五月八日、あなたの保護のもとで第三次世界巡回路程を終えて、今本国に帰ってまいりました。お父様が願われるみ旨のために、足りない私たちは、あなたの経綸とともに、あなたが導いてくださるとおりに多くのことを拡大してきました。このことは、あなたの保護と、あなたの無限なる激励がなくては成し遂げられないことだということを考えた時に、きょう帰ってきて、あなたの前に切なる心でお祈りするものでございます。

 今、本国に帰ってみると、再び残されている戦いの路程があって、行かなければならない歩みが待っていることを考えた時、このすべての摂理の経綸は、あなたの勝利を決意することのできる結果がもたらされなければならないし、必ずあなたの願うとおりに、み旨のとおりに、成し遂げられますように、かわいそうなこの民族を通して、あなたが願う勝利の一日を迎えますように、私たちは足りない精誠を込めて、あなたに従い、お父様の前に忠誠の道理を誓うものでございます。

 南北に別れたこの民族を、お父様、お守りください。今や孤立していく世界情勢の中において、私たちは天に頼り、最後の絶頂の戦いを越えていかなければならない使命があることを考えるのでございます。世界に広がっている統一の群れの時代的使命が、この韓国にあることを知って、韓国の地に向かって心を込めていることを見てきました。そして、そのようにするよう命令をしてきました。

 今や私たちは一致団結しなければならず、お父様の憐れみと慈悲のみ手が必要です。最後の決定を誓う世界史的なこの頂点に立って、天の勝利を決意することができますようにと、心と体を整えて、お父様の前に再び決意し、新しい目的に向かって進軍していかなければならない使命があることを私たちは知っております。ここにいる幼い子女たちを祝福してください。今まで一五六日間、あなたはさまざまなことを通して私たちの行く道を証しました。今まで私たちが編んでおいた心情的な因縁が、あなたがこの民族を探し求めてこられた悲しみを晴らすことのできる一つの勝利の祭壇になるようにして、あなたが願われるみ旨が成就されるように私たちを導いてください。

 民族とすべての教会が、お父様の前に責任を果たし得なかった恥ずべきことを、お父様、お許しください。全国に広がっている人々を祝福してくださり、この場に参加しているこの者たちをあなたが記憶してください。

 きょうを記念とするあらゆる行事が、あなたの愛と勝利の条件になりますように、直接指導し導いてくださいますようお願い申し上げます。

 天と地と霊界と地上の人類が一つになって統一世界を成し遂げていくことを協助できますように、お父様が自らその中心になって導いてくださいますことをお願い申し上げながら、すべてのことを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。


神よ不信の種を抜いてください


 きょうまで本国にいる皆さんが、私たち一行のために真心込めて送ってくださった手紙に対して、神様の前に感謝し、またここに帰ってきて、皆さんに感謝いたします。一五六日という期間は短いといえば短いし、長いといえばとても長い期間でした。その間さまざまなことにぶつかり、いろいろなこともありましたが、このように無事に帰ってきたことに対して、皆さんのお祈りの力が大きかったということを考えるのです。それで、帰ってきて、皆が一つになって、一つの目的のために進んでいけば必ずや、神様の勝利が来るということをいま一度考えさせられました。巡回路程に関することは、ほかの機関などのいろいろな人を通して報告があったと思います。本国に帰ってきて、この時間新しく感じさせられたことがあって、「神よ不信の種を抜いてください」という題目で、話を進めていきたいと思います。


不信の世界、不信の人間


 私たちの韓半島は五〇〇〇年の歴史をもっており、私たちはそれを誇りと思ってきました。その歴史は善悪の闘争歴史として綴られ、今日まで解決されていないことを私たちは知っています。そのような歴史過程で善が勝利して、私たちの民族は善なる結果の国にならなければならないにもかかわらず、今も善悪の闘争が続けられているのです。善が勝利する立場に立たなければならないにもかかわらず、むしろ悪が優先するそのような時に至っていることを私たちは今、目の前に見ているのです。

 このような結果がもたらされた根本動機とは何かという問題を考えたときに、そこには数多くの事情があるのです。もしわが民族が、正義とか神とか、つまり神様を中心とした、神様の公的な正義の路程を中心として終始一貫した目的を持ってやってきたならば、このような悲惨な過去の歴史はなかったと思います。しかし人間は正義を唱えながらも、途中で自分でも知らずに不正ということにぶつかるのです。これが人間世界の実情であるということを見たとき、結果は必ず悪なる不信の実として結ばれることを我々は知ることができるのです。

 このようなあらゆる根本動機は、もちろんわが韓民族だけではなく、歴史過程においてそのようなことが引き続き発展してきたことを私たちは知っています。そのような歴史的な因縁がどこから始まったかといえば、私たち人類始祖から始まったということを、私たちは知ることができるのです。

 本来、人間始祖となるアダムとエバは、真なる信義をもって出発したのではありません。不信の一日を迎えることによって、今日の歴史が誤るようになったということは私たちがあまりにもよく知っていることです。その不信の一日によって、不信の種によって、不信の歴史が綴られて、不信の世界へと発展してきたのが、この人類歴史なのです。


信義の世界を成すために摂理してこられた神様


 このような視点から、神様は我々人間世界に対して不信の世界をどのように除去し、神様の信義の世界をどのように確立させたかということが問題なのです。このような立場が、公的な神様の立場であるということを私たちは知らなければなりません。それゆえに神様は、真なる一人の人間を探さなければなりません。そのように探し出したその日が真なる一日とならなければならないし、その一日から、その一人の人が真なる人とならなければならないし、それとともに、その人の生活が真なる生活にならなければならないし、その人の生涯が真なる生活にならなければならないし、その人が持っている思想が真なる思想にならなければならないのです。それは一人の人に限られた伝統ではなく、一つの家庭を経て、一つの民族を経て、一つの国家形成の伝統とならなければなりません。神様がこのことを願って指導してこられたということは、私たちもイスラエル民族史を通して知っているとおりです。

 このように四〇〇〇年という長年の不信の歴史を、神様は一つの公的な法度を立てて、一つの信義の世界に向かって苦労してこられたのです。これがイスラエル民族と、神様がユダヤ教を立てて摂理されてきた歴史的な事実であることを私たちが考えたときに、その歴史過程においては、信義のみが伝統になり、信義のみが人間個人個人のすべての生活の中心にならなければならなかったのです。そうして、ユダヤ教とイスラエル民族が信義で綴られた社会と、信義として綴られた希望を持って、真なる信仰の中心になるイエス様に結ばれなければならなかったのです。これが神様が願う希望でした。

 にもかかわらず、人間が願う信義の基準と神様が願われる信義の基準が異なってしまったのです。神様が四〇〇〇年もの間イスラエル民族とユダヤ教を育ててきたのは、イスラエル民族とユダヤ教が神様の代身として来られるイエス様を迎えて、彼と共に永遠不変の神様の信義の基を立てることを願われたからです。しかし、当時のユダヤ教とイスラエル民族は、神様の代わりに信義の中心をもって現れたイエス様を不信してしまったのです。これが歴史的な恨みとなってしまったということは、私たちのよく知っていることです。

 このように悲惨な歴史の中で、イエス様は死の道を行きましたが、イエス様が最後まで保持されていたものは何かというと、それは不信の世界において、神様が信じられる信義の実体として残されることでした。結局、そのような戦いの路程から、最後に迎えたのが十字架の運命の道であったということを私たちはよく知っています。神様は新しい意味から、新しい歴史の舞台に立てたイエス様を中心として、新しい信義の歴史を探し求めざるを得なかったのです。そして、数多くの人間の中で、信義の一個人を探してこられたし、さらには家庭と氏族の基台を広げて、世界的に発展させてこざるを得なかったのです。これがキリスト教の悲惨な殉教の歴史であったということは、私たちの知っているとおりです。

 こうして六〇〇〇年という長い歳月を経て、最後の日というこの地点に至っていることは、私たちの見たとおりです。この期間に神様は、キリスト教文化圏を中心として特別に選んだ第二イスラエルの選民権を相続して、一つの特定な国家を立てて待ちに待ってこられたということを私たちは知っています。世の中の人たちは信じることはできないが、神様は信じてくれるだろうと思い、世の中の人たちは知らないが神様は知って信じてくれるようにと、歴史をこらえ、こらえながらきたのがキリスト教の文化圏であり、キリスト教自体であったことを私たちは知っています。

 そのようなキリスト教の文化圏内で、神様が祝福してくださって自由世界の先頭に立ったのがアメリカであり、そのアメリカに対する神様の願いは、アメリカがキリスト教歴史に燦爛たる光を発することのできる一つの勝利の世界的国家として登場することでした。それを願いながら育ててこられたのですが、今やアメリカは、神様が願う立場と正反対の立場に立っているということを、私たちは直視しているのです。信義の因縁に従ってきたキリスト教文化圏の結実体のようなアメリカさえも、神様が信じることのできない不信の結果になってしまったことを見たときに、本当にかわいそうな方は神様であるということを感じるのです。このような不信の世界の上に、不信の自由世界の中で、不信のキリスト教文化圏の中で、希望の基盤が崩れていくこの時において、神様が信義の立場から誇れる一つの個人が、家庭が、氏族が、民族が、果たしてこの世の中のどこにあるかということを考えたとき、神様は本当にかわいそうな方であることを私たちは感じざるを得ません。


信義の結実体とならなければならない統一教会


 そのような心情でアメリカを訪問し、ヨーロッパを訪問し、そして今、この地に至りました。金浦空港に着陸する二十分前に、着陸の放送を聞いて韓国の地を機上から見下ろしてみましたが、雨で何も見えませんでした。約十五分くらい過ぎてようやく金浦空港近くの地上が見え始めました。その時私が感じたことは、今までキリスト教歴史を中心として、一〇〇年以上歴史の基盤の上で神様の保護を受け、どんな国よりも祝福を受けることのできたこの国、この地が、どうして信義の立場に立つことができず、不信の一日を迎えて南北に分かれてしまったのかということであり、今後において国民自体が、主権自体が、誰を信じることができ、誰を信義の土台の上にこの国家を立てることができるかということでした。

 このようなことを考えたときに、誰がこの国の将来の運命に責任を負うかという問題を考えざるを得ないのです。韓国がこのような立場に立ったのも、神様に信じられることのできない立場に立ったためにもたらされた結果として、このような悲惨な立場に立っていることを私たちはよく知っているのです。私たち統一教会の人々は、この国の反対を受け、数多くのキリスト教の反対を受けてきました。反対を受けるべき立場で反対を受けるのであれば、それは当然のことですが、世界的であり、歴史的であり、天宙史的使命を持っている私たちであるにもかかわらず、この民族とあらゆる教団が不信してきたのです。第二次世界大戦の難しい戦争の中でも、神様の保護を受け、爆弾も受けずにきたこの国が、二つに分断されて、歴史的な運命をたどってきたということは、皆さんがよく知っていることですが、それは不信の運命を受け継ぐ私たちの社会的な土台、国家的な土台、宗教的な土台が残っていたためであります。

 このようなことを考えたときに、今もそのような国と宗教から不信を受けている私たちであり、神様が信じることのできる基台になっていなければ、神様がかわいそうであるということを感じているのです。

 ここに集まった皆さんは今、自由世界で神様のみ旨を定着させることのできる個人が崩れていき、家庭ももちろん、氏族、民族、国家、世界も、今やその基盤が揺れているということをよく知っています。不信の種を植えた歴史が、神様が導いてこられた世界にまで不信の結実を結んでいるこの実情を直視したとき、今日この場において神様が願われておられるのは、不信の結果ではなく信義の結実なのです。

 神様のそのような希望の前に、果たして歴史的な不信のすべての悲しみを清算し、不信の種を除去することのできる個人は誰か、あるいはそのような家庭、そのような氏族、そのような教団はどこにあるのかという問題を考えたときに、「神よ、そのような群れは追いに追われているこの統一の群れしかありません」と、お祈りしながら金浦空港に足を下ろしました。

 皆さん、今日神様はかわいそうな方であることを知らなければなりません。先生は金浦空港に集まった皆さんの顔を見ながら再び考えさせられました。先生が帰ってくると言って、歓声をあげて迎えてくれるのもいいんですが、その中に流れている歴史的な不信の種が私たちの間に、その中に芽生えているのではないかという問題を考えたときに、これは深刻な問題にならざるを得ません。恨み深い世界史的な運命の前に、神様が信じることのできる群れは私たちしかいないという結論を考えたときに、皆さんと私、あるいは皆さんと皆さん同士のその間に、歴史的な恨みをもたらした不信の種が芽生えているならば、この群れはどこに行き、この集まりは何のための集まりなのかということです。ですから、もう一度分析してみなければなりません。

 皆さんがきょうこのように私を歓迎してくれることも、祝ってくれることもよいのですが、皆さんの心の中において、歴史的な不信の種が除去され、神様がはっきりと信じてくださる信義の自分自身を発見することが、この時間ここに参加した皆さんにおいて、何よりも重要な課題であるとみているのです。

 多くの群れが集まるよりも、この多くの群れの中において、歴史を代身し、時代を代身し、あるいは世界を代身して、永遠不変の信義を持って真なる信念に燃える人にならなければなりません。永遠に変わらぬ自分を信じることのできる、神様が信じてくれることももちろんですが、自分自身がはっきりと、また神様がはっきりと信じてくださることのできる信義を確立させて、再び神様の前に決定しておくことが、私と皆さんが会ったこの時間において、何よりも重要な責任であると感じるのです。


不信の種を抜いて、信義の種を植えるには


 皆さん、きょう私たちの統一教会史を振り返ってみると、二十四年の歴史の中で、多くの人々が流されていきました。神様の前に命を捧げることを覚悟し、信じてきた数多くの人々が流された事実を知っているのです。皆さんは細かいことは知らないかもしれませんけれども、責任を持っている者として、私は数多くの人々を見てきました。誓いをする人を見たし、決意をする人も見たし、その決意を表すために血書まで書く人も見ました。自分の命を犠牲にして覚悟した立場で神様の前に多くの決意もしたけれども、彼らの胸に不信の種が芽生えるとき、神様を裏切ることがしばしばあったということです。

 私たちは歴史的な伝統を相続するために、信義をもって相続するのではなく、不信の因縁を通してその種を相続しました。まかれた種は、必ず収穫するようになっているために、その不信の種がひょっとしたら皆さんの前に現れることもありうると常に肝に銘じなければなりません。

 そのような不信の種を除去するために、私たちは神様の前に呼ばれ、洪水審判のような、歴史的な死亡の波を防ぐために、信じられる群れを集めたにもかかわらず、果たして不信の種を除去し、永遠なる信義の種になろうとする人が、今日この教会にどのくらいいるかということが問題なのです。

 さらには統一の群れで、きょうこの席に集まっている、そしてこの日を祝賀している皆さん自身の中でも、そのような信義の種になろうと決心している群れが、どのくらいいるかということが問題であることを考えざるを得ません。信義というものは、私たちが住んでいる平凡な生活環境から出てくるものではなく、命を懸けるところから生じるということを知らなければなりません。不信が死亡とともに出発したために、信義が定まるためには死亡の世界を越えて、新しい命の因縁を提示できなければなりません。そのようにして、信義が生まれてくるということを知らなければなりません。

 それゆえに、不信の歴史を相続してきた人類の世界において、神様は宗教を立てて、信義の土台を立てるためにいつも命を懸けて誓わせてきた歴史であることを私たちは知っています。イエス様を中心としてみても、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」と言われているのです。自分の不信の命を捨てる覚悟が決定されていなければ、自ら不信の種を完全に除去できる蕩減の供え物の立場に立つ覚悟がなければ、信義の種を植えることができないということを、私たちは、いま一度知らなければなりません。

 このような立場からみたときに、統一教会の食口たちは、今まで第三次世界巡回路程のために真心を込めて祈ってくださったことは有難いのですが、これから皆さんと私の間において、あるいは私と神様の間において、また皆さんと神様の間において、信義を結ぶことのできる新しい決定が、きょうから始まれば数多くの不信の恨みの歴史も防ぐことができ、あらゆる民族的な不信の苦難も防ぐことができるとみているのです。


信義の世界の伝統を残す教会員になろう


 今こそ、皆さんの心の中に信義の種を植えて、この韓半島において統一教会の群れを中心として、もう一度信義の種を植える運動を行わなければならないとみています。今まで歴史過程に迫害を受けながら、信義を誓ったことは、一つの血に染められた信義になるかもしれません。受難の蕩減路程を経て、受難の道を越えて、受難以上の信義を誓い、新しい個人と、新しい家庭と、新しい氏族と、新しい民族と、新しい国家形成として前進する新しい運動となれば、そこから不信の歴史の基盤を取り替えて、信義の歴史の基盤が立てられるとみているのです。

 それゆえに皆さんは、いま一度、死の境地を越える決意をし、過去を清算して、きょうから信義の種になろうという決心をしなければなりません。そのような皆さんになれば、きょうの歓迎集会は世界的な歓迎会となり、神様が喜ぶ歓迎会になると思います。そして、不信の中で絶望していたこの民族の前に、新しい希望の基盤になると思います。さらにまた、今まで不信の世界を眺めながら恨み深かった神様の前に、皆さんが一つの誇り得る基盤となって、狼煙になることができると思うときに、ここから新しい歴史が出発するとみているのです。

 皆さん、私たちは個人の不信なる恨みの歴史を清算し、信義の一人の先祖として出発することのできる自分を発見するために、ここに集まった群れであることを知らなければなりません。そのような皆さんであり、私であり、そしてこの群れであり、氏族であり、そのような教団とならなければなりません。このような教団を拡大させて、民族と国家へと発展していけば、歴史の中で不信の恨みによって傷ついた神様も、私たちによって新しい希望を持つことができるのです。

 そして、それによって、そのような過去を忘れることができるのです。不信の時代の中で絶望された神様は希望を持つことができない立場におられたけれども、私たちによって、再び新しい信義の希望を持つようになれば、そこから出発する歴史こそが、人間世界に永遠に伝統として残る歴史になるのです。そして、私たちが生きていくこの生活が、新しい世界の文化創建のための現実的な生活の基盤になることでしょう。のみならず、そのような生活の基盤こそ、未来の伝統として永遠に相続して余りあるほどに、この地と天の前に立たせるのに恥ずかしくない伝統になることを、私たちはいま一度悟らなければなりません。ですから、私たち個人においての不信の種を抜いて、信義の種を植えようと思うのです。私たちの教会において、不信の種を抜いて信義の種を植えなければならないのです。

 私たち民族がそのようになり、私たち人類がそのようにできれば、六〇〇〇年間恨みの歴史を綴ってきた神様も、初めて恨みを晴らすことができるようになり、それによって、創造理想世界の愛の園が、出発するようになるということを私たちは知らなければなりません。

 それゆえに、問題は自分自身であり、その次は自分の家庭であり、その次は自分の教会なのです。この教会はどこに行くのでしょうか? 不信の方向に向かって行ってはいけないのです。死んでも信義の方向に向かう教会とならなければならないし、そのような教会を残さなければならないと思ったときに、統一教会を指導する責任者として、深刻な立場で考えざるを得えないのです。

 皆さん、きょうを記憶してくださるようにお願いします。きょう、この歓迎式で皆さんは不信の種を抜いて、信義の種を植えて、その心に、その環境に、その教会に残すことができるように決意をする皆さんになってくださるようにお願いします。


祈祷


 愛するお父様。このように足りない、整えることのできない韓半島の地を眺めながら、どうしてあなたは、このような悲惨なる民族を探してこなければならない歴史的な因縁を持っていたかということを考えながら、かわいそうな神様のことをいま一度、振り返ってみるものであります。

 お父様。この韓半島は今、二つに分けられています。北には怨讐たちがおり、南では正義の道理が地に落ちてしまい、この現時点において、あなたが見ておられるこの私たちさえも、その信仰心を失ってしまう群れになることのないように、この時間、私たちが決意することができますようにお願い申し上げます。

 不信の歴史を受け継いだ恨みの歴史を清算し、信義の世界を成すことができなかった不信の世界を除いて、今や私たちは再び体と心を合わせて天の前に誓わなければなりません。盛り上がる決意とともに、不信に対する無限なる憎しみを感じて、信義に対して新しい希望を感じながら、信仰心を守っていくことのできる、ここに集まったあなたの子女となりますように切にお願い申し上げます。

 自由世界を指導していったアメリカを、天が数多くの民族の中から選んで二〇〇年間祝福してくださいましたが、そのアメリカはもはや行く道が暗いということを見て帰ってきました。アメリカの地でお父様の前に訴えた内容を、あなたは知っておられます。誰も責任を負うことのできないアメリカであり、自由世界であるために、私たちのみでも、私一人でも、責任を負わなければならないという決意とともに、お父様の前に覚悟して出発したこの戦いの道であることをあなたは知っておられます。そのような道を経て、一五六日間、あなたが指導する道に従って、ヨーロッパを経て今ここに帰ってきました。出発の時もそうでありましたが、再び帰ってきて、あなたが愛する子女たちを前にして、これらの前に慰めと、説明のできない立場に対して恨みを感じるのであります。

 荒廃したこの地と、食口たちのこのような姿を見たときに、この人々を見て信じなければならないし、この地を見ながら信じなければならないお父様が、どんなにかわいそうであるかということを感じざるを得ません。十字架にかかって亡くなるイエス様を見ながら、その顔をそらしたお父様の心情がどういうものかということを理解できます。しかし、そらした顔を、涙とともに、つらい胸を押さえながら再び、十字架にかかっているイエス様を見ながら祝福せざるを得なかったお父様の心情をたどってみたときに、お父様、かわいそうなこの韓民族を再び記憶してください。神よ、この地から離れないでください。この民族を捨てないでください。この民族と家族の教団は捨てるとしても、この民族と数多くの教団のために供え物となろうとする統一教団は、捨ててはならないことを感じるのであります。

 お父様。不信の傷が甚だしいあなたの心からみた場合に、私たちも同じように見えるかもしれませんが、十年、二十年をおいて見てくださいますように。この時間決意いたしますので、お父様、私たちをいま一度信じてください。不信の子女となった過去のことを悔い改めて、信義の子女として信じてください。たとえ顔は荒っぽく身はぼろを着ていても、その心は信仰心を失っていません。これを見て、お父様、記憶してください。このような歴史的な悲惨なる姿を、天と共に多くの国々を経て、涙を流しながら、この地に再び帰ってきたとき、慰めの指導者となることができず、進める指導者になることができない立場に立っていることを、お父様、お許しください。

 これからは滅びる道を行ってはいけないし、神様に背く道を行ってはいけないということを知ったために、この者たちと共に、朝晩あなたの前に不信の子女とならないように祈り、戦いの場の裏切者になってはいけないということを教えてあげなければならない責任があることを知っています。

 お父様。この時間、私たちはあなたの前に膝を曲げました。あなたが願われることは何であるかも知っています。自分を信じることのできない自分になってはなりません。自分が自分を信じることができるようにならなければなりません。天地が変わっても、変わることのない自分にならなければならないということを、はっきりと知らなければなりません。

 お父様。不信の歴史の基盤の上に、あなたが信義の実体の種として立てて、昼も夜も信じることができる、一生、一〇〇年、一〇〇〇年まで信じることのできる群れが残されているときに、その群れを通して、天は新しい歴史を営んでいくことを知っています。ここに立っているこの息子は、そのような立場に立つことを既にお誓いいたしました。ここに集まったあなたの息子、娘たちも、この時間そのような息子、娘になることをお誓いいたしますので、お父様、これらの心に、不信によって蹂躙されたあらゆる跡を除去し、あなたが再び創造されて、信義の種をその胸に植えて、信義の基盤となって、信義の世界に向かって走っていくことのできるあなたの息子、娘となりますように、切にお願い申し上げます。

 お父様。世界に広がっている統一の使徒たちを、いま一度あなたの前にお願いいたします。どうか、自分の利益のために死ぬ人になりませんように、あなたの利益のために死んでいくことができますように。その死の道において、個人と家庭と国家の限界線の中で死んでいく群れにならないように、国家を越えて世界人類のために天のために死んでいくことのできる群れにならなければ、公的な天国がこの地上に光を発することができないということを私たちは知っていますので、きょう、ここに集まった私たちもそのような群れになろうと決意いたします。世界に広がっている統一の群れも、このような立場から決意することができますように、切にお願い申し上げます。

 このような立場での出会いを感謝し、いま一度、お父様が悲しい立場にとどまることのないように、あなたの無限なる愛と、憐れみと、恵みをたくさんの人たちに降ろしてくださり、未来に創造する、新しい子女の姿を備えて、信義の始祖となり、信義の狼煙をあげ暗闇の世界を照らすと同時に、暗闇の世界を征服していくことのできる天の勇士たちとなり、正義の軍隊になることができますように、自ら心にお誓いするこの時間になりますように、各自、自分自身を守り、未来に約束した群れとして残れるあなたの後孫たちになれますようにお願い申し上げます。

 今、統一の群れは、ここに立っているこの息子と共に、家庭を中心として、氏族、民族、国家的な不信の基盤を除去し、信義の実体として永遠なるあなたの信義の新しい芽を自ら持って結実できる者として、あなたの確かなる希望の実体とならなければなりません。それによって世の中が天の国へと帰っていく、天の慰めの基盤として残される日には、これらの者によって新しい文化がつくられることを知っておりますので、そのような決意をするこの時間になりますように、切にお願い申し上げます。許されたみ旨と願いが私たちと共に、お父様の信義の基盤の上で、勝利として納められますようにお願いしつつ、このすべてのみ言を真の父母のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。












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今後私たちが成すべきこと

文鮮明先生御言選集 55


今後私たちが成すべきこと 1972年5月9日 韓国 中央修錬所


今後私たちが成すべきこと


 本国にいる教会長とか、さらに先頭に立って走っている皆さんたちの責任がどんなに重いか、今はそれが現れてはいないけれども、栄養分になって、歴史的な基盤になっていることを皆さんは知らなければなりません。

 アベルが必要なのは父母を復帰するためであり、復帰歴史は蕩減復帰歴史であるために、必ず祭物的過程を経なければなりません。ですから、皆さん自身がみ旨の前に、教会長とか班長としての責任を持っているということは、復帰歴史の中心的な責任を背負っているということです。

 原理的な観点からみて、中心的な責任を背負った人はどんな立場かといえば、アベル的な立場なのです。今日、我々統一教会は、既成教会に対して自分たちをアベルといい、私たちの教会内では祝福家庭をアベルといい、また祝福家庭の中でも長くなった三十六家庭などをアベルといいます。長くなった人ほど神の前に近いと見ているのが、普通の考え方なのです。

 ところでアベルという存在は、カインなくしてはアベルになることができないということを皆さんも知っているように、アベルが必要なのは父母を復帰するためなのです。堕落したアダム・エバを、再び復帰するためなのです。つまりアベルは、父母を復帰するために生まれた存在なのです。もちろんアダム・エバが堕落しなかったならば、アベルも必要ないし、カインも必要ないのですが、堕落したためにアベルという存在を通して、父母を復帰しなければならないのです。父母を復帰してアベルとカインが父母と完全に一つになってこそ、堕落しなかった本然の基準に上がっていくことができるのです。

 アダム・エバが愛を中心に堕落したために、今日私たち自身が復帰していくにおいて、家庭を持って四位基台の形態を備えたとしても、完成の立場ではありません。どんなに家庭を持ったとしても、その期間は長成期完成級を標準として越えていく期間であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 この立場から(先生が黒板を使用される)、完成期間へと進んでいくのです。つまり、蘇生期完成、長成期完成、完成期完成期間を経ていくことになります。私たち人間始祖が長成期完成級で堕落することによって、万物を失ってしまい、実体を失ってしまい、愛を失ってしまいました。そのために、あらゆる問題を家庭から蕩減しなければなりません。

 ここから(先生が黒板を使用される)愛を失ったということは、偽りの父母が生まれたということです。ですから、真の父母の因縁を備えることのできる立場に立たなければならないし、真の父母の立場を備えて一つになって復帰することのできる立場に立った、真なるカイン・アベルが現れなければならないということを私たちは原理を通して学んでいるのです。


統一教会における祝福の意義


 ここで、父母と一つになって上がっていくのです。堕落してしまったので、再び探し求めなければなりません。父母の愛を失ったことによって、私たち人間は「父母の日」を失ってしまい、「子女の日」を失ってしまい、「万物の日」を失ってしまいました。人間が堕落することによってすべてを失ってしまったのです。

 それで、ここから失ってしまったものを再び探し求めなければならないのです。統一教会でいう「父母の日」とは、偽りの愛を中心として父母になったことを清算して、真の父母の立場を定めて現れる時に設定されるのです。「父母の日」を探した後には、「子女の日」を探さなければなりません。「父母の日」のみではいけないのです。子女としての蕩減復帰条件をすべて越えなければならないのです。そうすることによって、「子女の日」が設定されるのです。また父母と子女が一つとなることによって、万物を復帰したという意味から、「万物の日」が設定されるようになるのです。このような三つの重要な復帰の日を立てて、完成家庭を通して、完成期完成級まで上がっていくのです。

「神の日」というのは、神様に接することのできる立場であり、完成期蘇生級の立場ではなく、完成期完成級の立場です。本来の完成期完成級に立てば、神様と一つになるようになっています。ところで、人間が長成期完成級で堕落したために、我々は長成期完成級を再び復帰しなければなりません。そのような立場に立っているのが何かといえば、統一教会の祝福なのです。

 祝福のお祈りをしていただき、祝福を受けたということは、長成期完成級での祝福を受けたという立場です。アダム・エバがこの立場から堕落したために、我々人間はその落ちた立場から再び上がっていかなければなりませんが、一人で上がることはできないのです。

 アダム・エバは二人で堕落したために、復帰においても二人で上がらなければなりません。サタンを中心として落ちた夫婦の因縁を、神様を中心として完全に一つにして、長成期完成級を越えた夫婦が現れなければならないのです。ここにおいて、信仰の三人の息子娘とか、いろいろな蕩減の内容があるけれども、時間がないので省きます。

 まず、この立場、長成期完成級を越えなければなりません。この立場を越えるためのものが、統一教会の祝福であるということを、皆さんはよく知っています。では、祝福を受ければあらゆることが終わるのでしょうか。すべてが終わるのではないというのです。祝福を受けることにより神様の民として、神様のみ旨に対して、神様と人間が互いに協調できる平面的、横的な関係を結ぶようになるのです。

 祝福を受けることによって、そのような関係が結ばれるのです。ですから、祝福の前には、我々人間は神様と関係を結ぶ立場に立つことができないということを皆さんは知らなければなりません。


信仰の子女を立てなければならない理由


 もし、アダム・エバが堕落しなかったならば、アダム・エバを中心として、そこに何があるべきかというと、三人の天使がいなければなりません。そうして、アダム・エバは神様を中心として、三人の天使と完全に一体となって、完成期完成級を望みながら上がっていかなければならないのです。ところが、天使が堕落することによって、サタンになって人間を逆に落としてしまいました。これを復帰するために三段階、三代の家庭を通して横的に蕩減しなければならないのです。

 アダム・エバの創造においては、三人の天使が完全に一つになって協助しなければなりません。つまり三天使の目的は何かというと、アダム・エバの創造を助ける役割なのです。ところが、アダム・エバが堕落したために、堕落しなかったアダム・エバの立場にまで復帰するのが神様の摂理なのです。ゆえに、ここを探して上がるためには、まず天使からの協助を受ける過程を経なければなりません。その過程を経なければならない人間が誰かといえば、アダム家庭のカイン・アベル・セツなのです。この三人の息子は、三天使と同じ立場から蕩減しなければならないのです。

 ですから復帰の道においては、僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がっていくのです。そのまま直系の時代と因縁を結ぶことはできないのです。必ず、原理によって「信仰基台」を経て、「実体基台」を経て、「メシヤのための基台」を経なければなりません。つまりメシヤを迎えないといけないということです。

 メシヤは神様の真なる息子です。養子と真なる息子とは、血統的な関係が違うのです。それゆえ、血統転換が必要だというのです。聖書を見ると、接ぎ木して復帰するということが出ています。野のオリーブの木をそのままにして置けば、野のオリーブの木の実を結び、原罪のある息子娘を生むようになるけれども、真なるオリーブの木を接ぎ木すれば、真なるオリーブの木の実を結ぶことができるということです。これは、原罪のない善なる息子娘を生むということです。原罪のない善なる息子娘を生んで、この地上で神様の愛を完全に受けなければ、天国に入ることができないということです。これが神様の創造原則なので、再び原理原則を通して復帰しなければならないということです。

 そこで、三人の天使と同じ状態が、再び横的な基準として現れなければならないのが、父母を復帰するための三人の息子であるというのです。それでアダムを中心としてカイン、アベル、それにサタンを加えた、三数の因縁の歴史であったということを皆さんは知らなければなりません。

 アダムの三人の息子と一つになって上がっていったのではなく、下りてきたのです。それゆえ今日、我々信仰生活において、失敗したすべてを再び探し出して蕩減して上がっていかなければ、復帰することができないということを知らなければなりません。

 この家庭を蕩減するためには、我々統一教会でいう、信仰の子女を立てることです。信仰の子女とはどういうものでしょうか、また、信仰の子女はなぜ必要でしょうか? 信仰の子女がいなければ、我々人間は父母の立場に上がる道がないということです。アベルを立てたのは父母を復帰するためですが、アベルをもって父母を復帰することはできないのです。原理的にみると、神様とアダム・エバと天使長、これが神様が創造した本来の原則的な基準なのです。しかし、これを失ったために再び原則に則して、神様、人間、天使長が一致できる原理型に合わせなければならないのです。原理を通して蕩減復帰する路程が必要だということです。それゆえ、三天使が完全に一つになった立場に立たなければ、上がる道がないのです。


アベルの使命


 アベル自体を見てみると、アベルは何をしなければならないのでしょうか? それは、カインと一つになって、サタンを屈服させて、そのサタンが順応できる立場に立たなければなりません。それがアベルの責任であることを皆さんは知らなければなりません。

 アベルは一人でアベルになることができません。アベルという名前は、カインを復帰してこそ設定されるのです。言い換えれば、失ってしまった横的な三人の息子を探していく責任を背負った人がアベルなのです。ですから、アベルの前には必ずカインがおり、サタンがいるはずです。分かりますか。

 アベルを中心として、神様は何を願っているかというと、神様は再創造の歴史を立てるために、アベル自体が、堕落しなかった天使世界、つまり堕落しなかった天使長を身代わりしてあげることなのです。

 では、天使とは何でしょうか? 天使長とは、神様が人類始祖アダム・エバを創造した時に協助した者です。これと同じく、アベルも父母を探すために協助しなければなりません。つまりアベルの立場は、神様がアダムを創造する時に協助した天使長の立場と同じだということです。このような使命がアベルにはあるのです。

 その前には、必ずカインがおり、サタンがいるのです。これらを屈服させなければなりません。その次にアベルのすることは何かというと、父母を復帰しなければなりません。堕落しなかったアダム・エバを再創造することの、中心的役割を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。さらに、神様と人間の間の隔りをつなぐ役割をしなければなりません。そうすればアダム・エバが再創造されることによって、神様の愛を中心として神様と人間世界が完全に一つになるのです。アベルはそのような道を整えていかなければなりません。

 アベルは何を解放すべきかというと、第一に、カインを解放しなければなりません。次は、父母を復帰するために、完全な基盤を立てなければなりません。これがアベルの使命なのです。父母の前に、サタンの讒訴を許す立場に立っては、アベルとしての責任を果たしたとは言えないのです。

 アベルの使命を果たした人は、サタンの讒訴を受ける立場に立ってはいけないのです。アベルは父母を復帰するためにも、中心的な責任を果たさなければなりません。これがアベルの立場です。

 また、アダム・エバは堕落することによって、実体を失ってしまいました。その次に、心情を失ってしまいました。この代わりに復帰の中間的な責任を持たなければなりません。

 言い換えれば、アダム・エバは堕落することによって、神側とサタン側の中間の立場に立つようになりました。それゆえ、こちらにもあちらにも動く立場に立っているのです。彼らが人間を神側へのみ立つようにすることができるでしょうか? これはアダム・エバがやることではありません。アベルがやらなければなりません。そのためにアベルは、父母の実体と心情を復帰することにおいて、残された讒訴条件をすべて蕩減しておかなければなりません。


アベルの立場


 血を流す歴史的な祭物路程というのは、カインにあるのでもなく、アダムにあるのでもなく、父母にあるのでもありません。誰にあるかといえば、アベルにあるというのです。アベルの立場はどんな立場かといえば、天使長の立場です。では、どんな天使長かといえば、堕落しなかった天使長なのです。

 この天地をすべて堕落させた中心的な天使長がサタンになったために、これを復帰するために、アベルを通して蕩減してきたことを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、血を流したのは、カインではなくアベルなのです。アベルが打たれてきたのです。堕落した天使長対堕落しなかった天使長の戦いなのです。これが今までの歴史であるということを知らなければなりません。主が来られる前に、真の父母が来られる前に、このような戦いをしなければならないのです。アベルという存在がそのような立場であることをはっきりと知らなければなりません。

 アベルとは、第一にカインを復帰しなければならないし、第二に父母の実体と心情を復帰しなければなりません。アダム・エバが天使長と愛の因縁を結ぶことによって、神様の実体を蹂躙し、心情を蹂躙したので、アベルはこのような事実を蕩減するために、その実体が犯されなければならないし、自分のあらゆる希望が蹂躙されなければならなかったのです。このような立場から出たのが、アベルなのです。反対だということです。

 天使長がアダム・エバを堕落させることによって、理想的な実体を犯し、理想的な愛の世界を犯したので、これを蕩減するために神様はアベルを立てたのです。それで、アベルが実体的に血を流さなければならなかったのです。歴史時代にアベルの立場に立った人たちには希望もありましたが、その希望を成就した立場で死んでいったのではなく、成就できないままに血を流し、犠牲になったのです。

 天使長が責任を完成することができず、アダムが堕落することによって、そのような結果がもたらされたために、神様は今日の世界に一つの中心存在を立てて、それを再び蕩減させようとしているのです。そのような立場が、アベルの立場なのです。

 ですから、アベルはカインを復帰しなければならないし、父母を復帰しなければならないし、その次には神様と関係を結ばなければなりません。本来あらゆる存在が神様から始まったために、アベルも神様から始まらなければなりません。そのために神様を絶対視する立場に立たなければ、アベルになることはできません。アベルは神様を絶対視する立場、神様のためにそのような立場に立つようになれば、天使長の立場で神様の愛を受けることができるのです。

 愛は先に誰が受けたのかといえば、天使長だったのです。ですから、アベルは復帰の道において、誰よりも神様から愛される立場に立たなければならないし、そのためには、誰よりも犠牲になる立場に立って、天使長の失敗を復帰する立場を果たさなければなりません。

 神様を絶対的に信じることのできる立場に立っても、神様の愛を受けることのできない人はアベルにはなれないのです。アベルはアダム・エバをつくる前の三天使長と同じような立場にいます。天使長はアダム・エバが神様の愛を受ける前に、たとえそれが天使長級の愛であったとしても、神様から先に愛を受けたように、復帰時代においては、アベルが神様の愛を先に受けたということになるのです。ですから、天使長は、自分の所有と全権限を誰に渡さなければならないかというと、アダムに渡さなければなりません。これと同じく、歴史時代にアベルも、自分の命を完全に犠牲にする立場に立って、一つの希望である主を中心としていかなければならないのです。このように一人のメシヤを希望として、その一点にあらゆる者を吸着させる歴史を、旧約時代から新約時代を経て、今日まで綴ってきたことを皆さんは知らなければなりません。

 天使長の願いは何かというと、再創造の復帰歴史を経ながら、天使長級にいる人たちができなかった真の父母の因縁を完遂させてあげなければなりません。そうすることで彼らの願いが成し遂げられるのです。今までの歴史時代において神様のみ旨に責任を持っていた人たちがアベルであり、そのアベルは天使長と同じ立場であり、天使長の願いは、堕落せずに完成した人類の真の父母がこの地上に現れることです。これが最高の目的なのです。

 あらゆる存在は結局、真の父母との因縁を完成させるためにあるのであり、自分のみ旨のためにあるのではありません。ですからアベルとして、祭物を連結させてきたのが、今までの宗教の歴史であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今までの歴史はメシヤ一人を迎えるためであり、宗教は天使長級歴史を継承して、完成した父母の因縁まで継承するための世界史的な使命を果たしてきました。それゆえ、高いレベルの宗教は、相対的な理念を付与することができなかったのです。宗教者は一人で生活しなければならないのです。なぜならば、天使世界は相対理念を持つことができないのが原則だからです。ですから今日まで、宗教は独身生活を強調しているのです。それは、アダム世界を復帰するために、天使長世界を復帰しなければならないからです。アダム・エバが堕落することによって、天使長世界も堕落した結果になったために、真の父母を復帰する過程において、先に復帰してきたのが天使長世界なのです。

 それゆえ、天使長世界復帰歴史過程において、宗教は必ずメシヤ思想を持つようになっているのです。原理がそのようになっているのです。今までの歴史的宗教がそのようになっているのです。では、今までいろんな宗教を立てて、願ってきたものは何でしょうか?それがメシヤなのです。メシヤ、これは養子なのです。

(先生が黒板を使用される)養子ということは、堕落したために生まれた言葉なのです。本来、養子はあり得ないのです。分かりますか? これは直系の子女なのです。この直系の子女の道を整えてあげなければなりません。そのために、直系の子女の前に現れるサタンを完全に防御しなければなりません。そのようになれば、サタンのいないエデンの園と同じ立場になるのです。分かりますか? そうして、養子と直系の子女が完全に一つとなるのです。

 アダム・エバの前に天使長が一つになるには、必ずアダム・エバが主人の立場であり、天使長は僕の立場で一つにならなければならないのです。それゆえ、どんな宗教であれ、メシヤ思想を持っているということを皆さんは知らなければなりません。キリスト教はもちろん、ありとあらゆる宗教が終わりの日に待ち望んでいるのはメシヤなのです。ですから、メシヤがこの地上に来てみ旨を成すためには、サタンの讒訴圏ではならないということです。サタンを屈服できる権威を持って現れなければなりません。


ヤコブから始まったイスラエルの歴史


 サタンは天使長であるために、アダムは天使長より高いレベルにいるのです。そうでしょう。天使長が僕であれば、アダム・エバは神様の直系の子女であるために、高いレベルにいるというのです。

 神様はアダムを直接主管するようになっており、天使長を直接主管するようにはなっていません。このような観点から見た時、堕落した世界の個人から家庭、氏族、民族、国家を復帰しなければならないということですが、堕落した世界は、神様が主管できる世界にはなっていないのです。サタンが主管する天使長圏世界が堕落した世界なのです。ですから神様が主管する世界に分立しなければなりません。

 では、分立しなければならない原因はどこにあるでしょうか? 神様がアダムを創造する時に、天使長を通して創造したのです。ですから、分立しなければならないのは、天使長の立場なのです。アダムを創造する時、天使長は神様の相談相手でした。これが天使長の立場なのです。アダムを創造することに協助できなければ、サタン側になるのです。このような原則によって、協助する立場に立てば神様が取るのであり、協助することができなければ、原理から離れて非原理的なサタンが管理するようになるのです。ですからサタン世界で原理的な立場に立てば、神様が奪ってくることができるのです。アダムを再創造できる要素と環境の因縁を提示する条件さえ立てれば、奪ってくることができるということです。

 こうして、人間が堕落以降四〇〇〇年の歴史を通して摂理されてきたのがユダヤ教の歴史なのです。僕の歴史は、神様を主人と呼ぶことができるのですが、僕の僕の時代には、僕を主人と呼ぶのです。その僕にもなれず、僕の僕の前に主人になることもできないのです。それと同じような立場を経なければなりません。

 養子圏が現れるには、そのような過程を経なければならないのです。僕の時代から、養子の時代に進んでいかなければなりません。では、僕の僕時代から僕の時代に入る時代はいつでしょうか? それはヤコブからです。ヤコブの時代に初めて、イスラエル民族が現れますが、これらはサタンの息子ではなく、復帰した天使世界の息子と同じなのです。

 このようにして復帰してきたのが、イスラエルの歴史です。サタン圏を逃れるためには、サタン圏よりも上でなければなりません。天使長が堕落したことによって、死亡圏がつくられたのです。堕落することによって、個人もサタン圏内に入り、家庭もサタン圏内に入り、氏族もサタン圏内に入り、民族もサタン圏内に入り、世界もサタン圏内に入ったのです。

 天使長が堕落することによって人類はどうなったかというと、堕落した天使長の子孫になってしまいました。堕落した天使長の子孫は非原理の形であるために、神様はどうすることもできません。それで、堕落しなかった天使長の子女と同じ立場に復帰させたのが、イスラエル民族なのです。分かりますか? そして、堕落した天使長の息子と、堕落しなかった天使長の息子とが戦って、誰が勝ち残ったのでしょうか。

 堕落した天使長の息子が勝っても、神様の前に帰ることはできないというのです。堕落しなかった天使長の立場にいる人、神様が選んだ民が堕落したサタン世界の非原理級にいる人たちよりも進んでいかなければなりません。堕落した僕を追い出し、堕落しなかった僕の息子たちが現れなければならないのです。

 復帰された天使世界に該当するイスラエル国とユダヤ教圏を中心に、完全に一つとなって、個人的に堕落した天使世界の個人よりも優れていなければならないのです。家庭的にも優れていなければならないのです。民族、国家全体を見ても優れていなければならないのです。優れた立場に立つことができなければ、復帰して越えていく道が生まれてこないのです。国の行くべき道が生まれてこないのです。

 それを越えていくためには、ここに、必ず蕩減がついてくるのです。そのような蕩減基準は何でしょうか? 蕩減は堕落の母体を中心として成されるものです。いつも家庭を中心として成されるのです。どういう時であれ四位基台を持たなければ、神様が足を下ろすことができません。個人がどんなに足を下ろしたとしても、死んでしまったら終わりです。四位基台を成して、この地上に定着しなければなりません。

 どういう時代であれ、戦って勝利して、一段階、一段階前進していくためには、必ず中心家庭が世界性を持ってサタン世界よりも優れる立場を占めなければなりません。そうしなければ前進することができません。

 サタン世界の家庭よりも優れなければ、絶対に上がっていくことができないのです。永遠に上がっていくことができないのです。個人も同じです。今までのキリスト教の戦いは、個人の戦いでした。

 サタン世界とは、この世界がサタン世界であるために、全世界のことをいうのです。またサタン世界の個人といえば、過去・現在・未来の歴史的存在をいうのです。堕落した個人を中心として見ても、そのような歴史的なサタン世界の個人に対して、それよりも優れた立場に立たなければ、蕩減復帰する道が生まれてこないのです。またサタン世界の家庭の代わりに選んだ家庭は、サタン世界の歴史的な家庭よりも優れた立場に立たなければ、上がっていくことができないのです。

 そして、サタン世界の歴史的な氏族よりも、神側の氏族が優れた立場に立たなければ上がっていくことができないのです。サタンは自分よりも劣る時に、自分のものだと主張するのです。それが原則なのです。囲いの中に包囲された人たちがその立場を逃れるためには、その囲いよりも強い力がなければ、脱する道がないということです。つまり自分が相対よりも弱い時には、自分はいつも相対に属するようになるのです。ですから、相対よりも強くなった時に、そこから脱することができるのです。

 それで神様は、今までこのような作戦を取ってこられたのです。神側の個人がサタン世界の個人に勝たなければならないし、神側の家庭がサタン世界の家庭に勝たなければならないし、神側の氏族がサタン世界の氏族に勝たなければなりません。そして、神側の民族がサタン世界の民族に勝たなければならないのです。

 そして、神側の一つの国がサタン世界に勝つ立場に立たなければ、神のみ旨、復帰歴史の勝利的な基盤を備えることができないのです。メシヤを送られた目的は、サタン世界を屈服させるためです。

 では、メシヤをどこに送るのが神の願いだったのでしょうか? 堕落した世界の個人の前に送るのではなく、堕落した家庭の前に送るのでもなく、堕落した氏族の前に送るのでもなく、堕落した民族の前に送るのでもありません。民族と国家が一つになった立場で、主権を持った国に送ることを願っておられるのです。カイン国家を屈服させるために、一つの国にメシヤを送るのです。

 メシヤは一つの国に来られて、そのような使命を果たさなければならないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。分かりますか? 国家以上なのです。国家以上の立場から世界を復帰するために来られるのがメシヤであり、国家以下の立場で勝利するために来られるメシヤではありません。

 それはなぜかというと、人間が堕落することによって、全世界がサタンに奪われてしまい、全世界がサタン国家になったからです。ですから数多くの国家があっても、一二〇か国家があっても、その中で一番の国家は一つであるということです。一番悪いサタンが誇ることのできる国家は一つなのです。そうでしょう。イエス様の時は、ローマ帝国でした。サタン世界の一番の国家というのは、一つなのです。一二〇か国があるにもかかわらず、一つしかないのです。

 サタン世界の民族がどんなに多くても、サタンが神様の前に、「ああ、神よ。私が自から指導して、私に忠誠を尽くし、私の言うとおりに絶対服従し、私と生死を共にする国として、あなたの前に誇ることのできる国はこの国である」と、言える国は二つではなく、一つなのです。その一つの国がローマ帝国です。歴史的に見てもそうです。

 その時、ローマ帝国は世界的版図を持って、世界的に誇れる国家圏を持っていました。そのようなサタンの讒訴に対して、神様は「いや、サタンよ。私がどうしてお前より劣ると思えるのか」と言うのです。サタンよりも優れてこそ、神様の権威が立つのです。さらに神様は、「お前がどんなに誇ってみても、それは私が願う国の基準を越えることはできない。私が願う国の基準を絶対に越えられないのが、お前の限界線なのだ」と。神様は、このように見ているのです。「お前の国民にその限界線を越えさせて、お前を屈服させて、お前を知って、アダムが天使を主管した立場に復帰するのだ」と言うのです。

 これが原則なのです。この地上にサタンが足を下ろすことのできないようにしておくのが、原則なのです。結局、神様がメシヤを送ったのは、サタンを屈服させるためなのです。サタンを屈服させて、この地上から追い出すことです。すべての人々がアダムと同じようになれば、天使長は堕落しなかったアダムの前においては僕であるために、僕の立場の天使長はアダムに屈服しなければ地上に足を下ろすことができないのです。この原則に従って、今まで神様は摂理されてこられたのです。

 サタンの国がどんなに多いとしても、サタンが誇ることのできる国は一つなのです。ですから、その国よりもより優れた神様の国も一つなのです。神様は絶対者であり、全知全能な方であるために、その一つの国を絶対的基準にまで引っ張っていかれるのです。それゆえ、昔から一つの宗教思想を中心として、天のために真心を込めることのできる群れを通して、一つの国を探し求めて来られたのです。一人の人ではありません。一つの教派、その教派は国をして、カインの使命を果たすようにするのです。そして、民族はカインであり、教会はアベルです。カイン・アベルがなければ、復帰ができないのです。

 まず、このような観念を皆さんの頭の中に、はっきり入れておかなければなりません。私たちは何をどのようにして、どこに行かなければならないのか? 戦いは、どのように戦い、どこまで行って判決を下し、追い出し、「今やすべて終わった」と言って、初めて手を洗うことができるのか? そのような立場をはっきり知るために、この観念をはっきり知らなければならないのです。サタン世界の国がどんなに多いとしても、サタンの誇ることのできる国は一つしかないために、神様がその一つの国を主管して思いどおりにするためには、神側の国の民がサタン世界の人々よりも優れていなければなりません。


サタンは国家主義、神は世界主義


 我々統一教会の願いは何でしょうか? 皆さんはサタン世界の人よりも優れていますか。優れていないとしても、サタン世界の人とは行動が違うのです。世の中の人たちのやることをやらずに、世の中の人たちがやらないことをやっているのです。世界の人たちが一〇〇の良いことをしたとしても、それはサタン世界でやったことであり、神様とは関係がないからです。

 神様は彼らに一点の点数も上げることができません。しかし我々のやることは、どんなに小さいことであっても、一から一〇〇まですべて神様を中心としているために、彼らよりも多くの点数を受け取ることができるのです。これが違うのです。

 ご飯を食べることも同じだし、統一教会の人だからといって、別に違うことはありません。外的には彼らより優れているものは、あまりないのです。しかし、目的が違っているのです。行く道が違っているのです。方向が違っているのです。サタン世界はすべてどうなっているかというと、国よりも自分が中心なのです。教会も自分のために通うのです。お父さんもお母さんも、自分のためにいると思うのです。すべて自分の役に立たなければ、捨ててしまうのです。すべてが自分のためにあるのだと思う世界です。これがサタン世界なのです。

 そして、サタン世界の行く最後の終着点は、国を越えることができないということです。これが、サタン世界の限界点なのです。サタンは一つの国を中心として、いかに誇ってもそれ以上上がることができません。サタンの一番誇る国を中心として、世界平等化できる基準、国以上の基準には上がることができません。サタン世界には世界主義がないのです。言葉では世界主義と言うけれども、内容は民族主義、国家観念を超越することはできないのです。

 今日、ソ連の共産党を見ても、スラブ民族を中心としたソ連共産党の理想は、世界主義であるけれども、その基盤は民族主義観念から脱することができないのです。

 サタンは世界主義者になることができません。世界主義を唱えているけれども、それは偽りなのです。嘘なのです。サタンはアダムとエバを騙す時も、理想的な言葉でもって騙しました。同じく世界的な嘘主義を持つことはできても、実体的な世界主義の基盤を持つことはできません。ソ連を中心として共産党が、どんなに世界主義を唱えて現れたとしても、共産世界の取得権を放さないために、宗教と離れてしまったのです。

 サタンは、外的にのみ世界主義を立てたのです。サタンがアダム・エバに対して、甘い言葉で「神様がそう言ったの。もっと良いことがあるから…」と言ったのです。表と中身が違うのです。ですから、世界人類を愛することのできる道を教えることができないのです。その道を教えて、そのように行動する日には、完全に壊されてしまうのです。共産党は、内外がそのようになっているのですが、神様は違います。神様は外的に世界主義を唱えるように、内的にも国家主義を超越しなければならないと唱えているのです。

 韓国が神様のみ旨の前に、世界主義を唱える神様の全体的使命を背負ったとしても、韓国の国民をもってはできないのです。韓国の国民のみが、常に主体勢力を持っていかなければならないという観念を持つことは神主義ではないということです。

 それで、神様の歴史的な願いを成すために一つの国が現れなければならないということを知らなければなりません。サタン世界の国がどんなに多いとしても、サタンが誇ることのできる国は一つなのです。その代表の一つの国をもって讒訴し、その国の法律を中心として、世界を一つにしようとするのがサタンの主張であり、共産世界がその役割をしているのです。それで、国家が問題なのです。もし神様が一つの国を持つようになる日には、犠牲・奉仕も要らないのです。原理的にそうなっているのです。このような国が現れる時、この国はアダムの国であり、神様の国であります。このような国さえあれば、サタンの国はあり得ないということです。天使長の国が世界的であっても、来られる主の前に世界が完全に屈服するようになれば、天使長という存在は残るけれども、そうでない時は、いっぺんに首にすることができるというのです。

 許すことのできない時が訪れるのです。そうしなければ、それが原理原則ではないからです。なぜ、そのようにしなければならないのかというと、それは神様の権威、アダムの権威をもって、天使長の下に降りて、神様が権能を顕現できないからです。ですから皆さんがどんなにお祈りをしても、神様はサタン世界に協助することができないのです。今まで僕の中の少しましな僕を通して、天使を介して役事をして来られたのです。なぜ先祖たちを通してこの地上に役事をしてきたのかというと、復帰する天使長およびアダムを探し求めるためです。

 終わりの日には統一教会でいうところの個人の復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰をしなければなりません。国家を復帰する時は、勝利したアダム国家となるために、それ以外の国はすべて天使長の国家として扱うのです。もし言うことを聞かなければ、容赦しないというのです。

 今までの神様の復帰歴史においては、国が現れるまで、個人、家庭、氏族、民族、国家というように上がっていったのです。何の話か分かりますか? 直線で上がっていくのです。この時に、平行歴史の平行権限は付与することができません。中心は二つもありません。中心を探さなければなりません。

 このような原則があるので、国家を中心として探してきたのです。その国は、サタン世界の国よりも大きくならなければなりません。サタン世界よりも上に立たなければなりません。神様がこのような国を願ってこられたのが、今までの歴史なのです。そして、その国を中心としてメシヤを送るのです。天使長よりも高い立場から来られる方が、完成したアダム、つまりメシヤなのです。

 そのようなメシヤが来られて、サタンの国よりも劣る国であるならば、神様の顔が立たないのです。金持ちの子供たちが僕よりも劣る立場で生活するくらいならば、むしろ死んだほうがいいと言うのです。それと同じことです。ですから、たとえ数は少なくても、「悪なるサタン世界よりも三倍以上強くあれ」と言うのです。なぜそうならなければならないかといえば、旧約時代、新約時代、成約時代の三時代の恨みを持っているからです。

 復帰は僕の僕の時代から僕の時代、養子の時代へと上がっていくのです。そのような三時代を経てきたので、三時代のどんな人よりも上に立たなければなりません。三時代のどんな国よりも優れなければなりません。今、神様が一番誇ることのできる国において、サタンが「過去に私が誇った国より良くない」と、言わせてはならないのです。

 天の側に立った人であるならば、地獄に行っている霊人たちよりも、中間霊界の楽園にいる霊人たちよりも、これから霊界に行くサタン世界の人たちよりも、過去・現在・未来に讒訴されることのない堂々たる国の国民となっていかなければなりません。そうしなければ、いっぺんにサタンが讒訴するのです。サタン世界よりも三倍以上強い、そのような民族にならなければなりません。


神様の願い


 神様が今まで一番驚かれたことは何かというと、サタン世界は多くの国を持っているので、一つの国が滅びると、また他の国を立てて、幾らでもやってきたことです。つまり一つの国が責任を果たせなければ他の国を立てて、神様を信じるキリスト教信者たちに反対してきました。神様には国がないため、それができないのです。神様はどうすることもできないのです。ですから、国の主権者が変われば、あらゆることが変わったのです。

 神の国がないために、Aという主権者の時代にはキリスト教を歓迎したけれども、Bという主権者の時代には、どんなに国民がキリスト教を信仰しても、その主権者一人によってキリスト教がすべて壊されてしまったのです。

 今日、大韓民国に統一教会がありますが、世界的時代を迎えて、世界の世論において、どんなに教会が強力な団体であっても、韓国の大統領がサタン側に立っていれば、すべて受け入れることができないのです。それゆえ、神様の願いとは、サタン世界の悲惨なる歴史的運命を逃れて、その限界線を越えることです。このことを地上の宗教者たちは知らないのです。それが何よりも悲惨だということを知らなければなりません。キリスト教はそれを知って、ローマを越えることができる国、神様が願われる一つの共同的な国、サタンよりも強い主権国家を地上に立てて、今までの恨みを蕩減復帰してきたのです。

 その国を目指してきたならば、既にこの地上にはそのような国が成されて、イエス様以降二〇〇〇年の歴史はこのように延長されなかったということです。再臨の歴史は完成して、この世の中を料理して、すべてを神の願いのままに成すことができたのです。

 神の国がない時代には、どんなに信仰深い家庭であっても、信仰深い氏族であっても犠牲にされるのです。そしてどんなに信仰深い民族があったとしても犠牲にされるのです。もし共産党が全世界を握れば、キリスト教の人々は犠牲にされるでしょう。このようなことを、キリスト教の人々は知らないのです。

 では、神様の願いは何かというと、神様の願いは愛する息子娘に会うことです。堕落したこの世において、神様の願いは愛する息子娘たちが讒訴されない世界的な国家を持つことです。神様の愛する息子娘たちを地上に送って、サタン世界の国より上に立つ基盤を持つことを神様は願っておられるのです。

 そのような基盤を持つことができなければ、神様の息子としての立場を立てることができないのです。イエス様もその基盤を持つことができなかったために、国から追われて死なざるを得ない運命の道をたどったということを、皆さんは知らなければなりません。統一教会の人たちも国がないのです。

 今の民主世界は、神様が六〇〇〇年苦労してつくりあげてきたものです。もし皆さんが昔、イエス様の時代のイスラエルに生まれていたならば、皆さんの首はもうなくなっていたことでしょう。先生も、もうこの世にいなくなっているでしょう。国家的なサタンの身代わりである、全世界的なサタンの身代わりである共産主義が宗教を抹殺しようとして、最後の手段を動員しているということを、私たちは知らなければなりません。

 統一教会の人々には国がありますか、ありませんか?(ありません)。ですから、どこにいっても軽蔑されているのです。これは何よりも悔しいことです。このことを忘れてはなりません。私たちがこのように悔しさを堪えているのは、一つの国を探すためなのです。

 神様は、世界の前に一つの統一国家を立てて、それを基盤として全知全能なる神のみ旨どおりに、すべてのことを成就する時を願ってこられたのです。もしそのような基盤が立つ日には、共産党であれ、いかなる党であれ、神様は取り除くことができるのです。

 ですから、そのような国が現れるまで、悪なるサタン勢力に対して戦ってこられたのです。今は、神様とサタンが世界的に対決する時です。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に、一直線で対立しているのです。平面的に水平線上で個人的に、氏族的に、民族的に戦っているのです。このようにして個人的に戦い、社会的に戦い、国家的に戦い、世界的に戦って、その時代が来れば、その時が終わりの日なのです。

 今までそのように戦う時がなかったのです。イエス様の時にのみ、外形上、国家的に戦いました。サタン側も個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に全体を動員し、神側も個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的に全体を動員したのです。この二つの群れがいっぺんに行列を成して、ぶつかり合ったのです。その時、神側に動員されたのがイスラエルの国とユダヤ教でした。ユダヤ教とイスラエルの国が一つになって、世界的なローマに対して、国家的にぶつかり合ったのです。

 もちろんローマのほうが大きかったのですが、それでもぶつかり合わなければならなかったのです。しかし、今はその時代とは違います。その時は国家的基盤を中心としての完成に向かっての出発でしたが、今は世界的基台を中心としての完成に向かって出発する時代なのです。そこでイエス様は、本然の使命を受け継いで、国家を越えて世界的に出発しなければなりませんでした。

 本来イエス様が来られたのは、国家を探すためではありません。世界を探すために来られたのです。それゆえ、イエス様は死んでも霊的に世界を探すため、二重の蕩減をしなければならないのです。一つは世界のために蕩減し、一つは民族のために蕩減するのです。この二重の蕩減のために、キリスト教は今まで数多くの犠牲の代価を払いながらも、これほどに発展してきたのです。

 それで今の時代は、そのような宗教者と非宗教者、つまり神側とサタンが対決する時なのです。個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に戦う時であり、左翼と右翼の時代なのです。

 ところで、今どちらが優勢かというと、共産党が優勢なのですね。それゆえ、神側の三つの国家が犠牲を払わなければならないのです。これが原理の観点なのです。それでここにおいて誰が犠牲になるかといえば、中国が祭物になります。そして次は、アメリカが犠牲になります。第一次世界巡回におけるアジアの防御がねじれてしまいました。第二次世界巡回では、世界的な面からアメリカがそのような立場に入っていくのです。それゆえ、これから一九七七年、一九七八年までが峠になるのです。


第三次世界巡回の目的


 アジアという地域的な面から見た時に、なぜ中国は国連から追い出されたのかというと、これはアジアにおいて、中心国家である韓国の南北問題のためです。そこで、金日成の年齢が問題になるのです。サタン世界の代表的な存在が六十歳になる時、その地域が世界的な時代に入っていくのです。

 今度、四月十五日は何の日ですか? 金日成が六十歳になる日です。中国が追い出された日が、この日から数えて六か月以内だったのです。そのようなことが六か月以内に起こったのは、私たちの時がだんだん近づいているということです。

 それで中国が国連から追放されたのです。金日成が六十歳になる時、六数圏がサタン圏であるために、サタンは七数圏内に侵入することができないのです。それで三年よりもっと延長されるだろうと見ているのです。三年延長されれば、私たちの第二次七年路程が終わるころになるのです。何の話か分かりますか? 私たちの第二次七年路程までには、国家的な基準においてサタン勢力は後退せざるをえないというのが原理的な観点なのです。それをアジアにおいて、韓国、日本、中国、この三つの国家をつなげようとしてきたのが先生の作戦だったのです。

 これを今、世界時代に越えていくのです。アジアで防御できなかったために、世界に及ぶようになるのです。これを第二戦線で、アメリカが防御しなければならないのです。もし、アメリカが防御できなければ、第三戦線はドイツなのです。

 一九七七年、七八年は一九一七年に共産党が出発してから六十年になる年です。二月十七日は、一九七七年、一九七八年の両年にかかるのです。それで今回、先生はアメリカに行ってこのような内容を話しました。一九七七年、一九七八年になると、アメリカは共産世界の脅威を防ぐことができなくなるのです。アメリカのキリスト教の人々があっちこっちで犠牲になる姿を見て、「これではいけない」と言いながら、皆生きる道を探して逃げるようになるのです。その前に、我々統一教会の人々は準備をしなければなりません。第三次七年路程を中心として、これらの準備をするのです。

 三年間で、そのことを準備するのです。三年間準備して、完全に防御戦線を拡大させることが、今回の第三次世界巡回の中心的な計画であったということを知らなければなりません。アジアの日本と韓国と中国に続き、第二防御線を準備しなければならないので、ヨーロッパにおいて自由世界を代表した国家を中心として、アダム国家圏、エバ国家圏、天使長国家圏を備えなければなりません。その国家圏がアメリカとイギリスとドイツなのです。

 それで、今まで韓国で整えた基盤を持っていって植えてあげるのです。そうしなければ、韓国が不利になると後退せざるを得ないのです。分かりますか。後退作戦もあり得るということです。今日、先生は韓国にのみ住まなくてもいい時が来たのです。今回、第三次巡回路程が終わり韓国の地に帰って責任を果たせば、韓国自体は過ぎ去るのです。

 韓国にだけ投入しても仕方がないのです。中国、日本まで完全に傾けば、すべてが滅んでいくのです。そのような基盤の時代を越えていく時になったのです。深刻なのです。結局責任はどこにあるかというと、アメリカに責任があるのです。天使長国家の中で、アメリカに責任があるのです。復帰の歴史は正分合作用によって、発展していくのです。

 これが、(先生が黒板を使用される)プラスが三つであればマイナスもやはり三つなのです。これを一つにしなければなりません。これを一つにするためには、サタン世界は強制的に打つのですが、私たちは自然屈服させなければなりません。自然屈服する時が訪れたのです。三天使もこのような段階を経なければなりません。

 中国はアジアの地域においての天使長であり、アメリカは世界的な天使長です。サタンを中心として最高の決断をしなければならない、サタンを屈服させる最後の決戦地であるということです。霊肉を左右する最後の決戦地です。このようになって、地上に天国が立てられるのです。

 このような基準を中心として、世界の情勢が動いているということが、復帰原理から見た世界観なのです。これは必ず国家を中心として、神様が愛する国家であるか、サタンが愛する国家であるかによって、左右されるのです。このように世界的に対決する時が、縦的な歴史を横的に蕩減する時なのです。

 今日の世界を見ると、共産世界からの脅威を受けていない国はありません。祭物を捧げる時に、その祭物が受け入れられるかどうか恐れながら、祭壇に向かうことと同じ瞬間が、私たちの目の前に迫っているのです。


復帰摂理をされる神様の苦しみ


 今までは、カインが個人的に、家庭的に、国家的に打ってきたのですが、世界的には打つことはできませんでした。今や世界的に打つことのできる、神様が最高に許す一時が私たちの目前に近づいているのです。

 サタンは、イエス様を中心として国家的に打ってきたのですが、今や世界を中心として来られる再臨の時代には、世界的に打ってくるのです。今、自由世界が打たれています。自由世界を打って、最後に統一教会まで打とうとしているのです。サタンは今までイスラエルの国を打って勝った基盤の上に、世界的に発展して、個人的に打ち、家庭的に打ち、氏族的に打ち、民族的に打ち、世界を蹂躙してきたのですが、今や神側がサタン世界に向かって打つことのできる時になったのです。

 今、キリスト教が共産党に打たれているのです。最後の時なのです。そのような時が過ぎ去って、もし神側がサタン側より上に上がる日には、両面作戦を取るのです。今までサタンは両面作戦を取って、神様は一面作戦を取ってきました。何の話か分かりますか?(先生が黒板を使用される)この人は、堕落した人なのです。堕落した人は、霊的にサタンに支配されています。実体的にもカインの主管を受けているのです。ですから両側に掛けているのです。もし神様にサタンが負けても、カインが戦う基盤が残っているのです。サタンがいなくても、カインが勝手にやることができるのです。

 しかし神様は、神様の選んだ人が残っていなければ作戦ができないのです。基盤がなければ、神様はどうしようもないのです。しかしサタンは、この世界が皆サタン世界なので、人間も皆サタンのものだから、いつでも、この国、あの国へと移っていくことができるのです。この国の個人から、あの国の個人に移ることができるのです。そうでしょう。もし、神様の愛する家庭が出たならば、サタンが襲ってきて、四方八方へ飛び回って、妨害作戦をすることができるのです。

 しかし神様は、そのようにすることができません。ですから神様は、今まで不利な立場で作戦を立ててきました。イスラエルの国とユダヤ教をつくるのにも、四〇〇〇年かかりました。四〇〇〇年のみではなく、人類歴史を考えれば、八〇万年にもなるのです。

 一つの国を立てるために、そのような歴史的な受難の道を経てきたのです。そこで過ちを犯す度に、必ず蕩減してきたのです。一度過ちを犯せば、三人が因縁を結ばなければなりません。一度過ちを犯す日は、三回も引っ繰り返さなければ逃れることができないのです。

 サタンはいつも両面作戦をすることができるのですが、神様は一面作戦しかできないというのです。その一面作戦も、人が真心を込めてお祈りして、初めて神様が直接に接することができるのです。

 神様は一面作戦しかできない状態なのです。なぜかというと、神様がお祈りしてあげれば、サタンが打つからです。神様はお祈りもできないのです。


共産主義の脅威を受けている自由世界


 子供が犯した罪を、その親が蕩減することができるでしょうか? 親が刑務所に入ることができるでしょうか。そのような法律はないのです。罪を犯した人が、その罪を蕩減しなければなりません。神の前に、アダム・エバが「神様、過ちを犯しました。許してください」と言わなければ、神様が手を下すことはできないのです。ですから神様はどんなに不利な作戦をしてきたことでしょうか。

 このような世界的基盤を立てるまでは、どんなに神様が多くの犠牲の代価を払ったかということを、皆さんは知らなければなりません。

 今や、世界的に共産党の脅威を受けていない国はありません。私たちの韓国もそうです。北韓の共産党が、いつも攻めてこようと考えているのです。アメリカも同じです。今回、私はアメリカの上院議員、下院議員などいろんな人々と会ってきましたが、彼らのほとんどが、共産党の脅威を感じているのです。

 「あなた方は、今アメリカの富を前に立てて、共産党を防ぐことができますか」と質問したら、「自信がありません」と言うのです。すべてがそうなのです。イギリスに行っても、同じことです。今、新教・旧教の戦いが広がっていますが、その背後は共産党が操っているのです。ドイツに行っても同じだったのです。いかなる国も、共産主義の脅威を感じていない国はないのです。そのような時が来たということです。皆さん、分かりますか?病気にしても、極に達して初めて、死ぬか生きるかということが分かるのです。

 蕩減復帰ということは、そのままではできないのです。ある村で祭りを行うといって、人々が真心を込めて準備をするとします。するとその反対に、「祭りを見にいこう。何か貰いに行こう」と言う人たちが集まって来るのです。祭りを行うと、何か貰うものがないかと思って、乞食たちが集まって来るというのです。霊的な乞食たちも集まって来るのです。

 それでもし、互いに喧嘩でもすれば、その祭壇は乞食たちの祭壇になってしまいます。そこで一つになれば、根っ子でも残るのですが、不平不満を言うと、すべて失われてしまうのです。キリスト教が今、そのような状況なのです。祭物を捧げる群れと同じ立場にいる全世界のキリスト教徒たちが、乞食の群れになって押し寄せてくる、このような状況において、共産党と手を組もうとしているのです。

 昨日まで、僕に「この者め」と言った主人が、きょうは僕になったのです。今までは主人の役割をしていたけれども、今はすべて共産党と手を組んで、「共産党のどこが悪いか」と言うのです。これが今のキリスト教なのです。これでもいいですか、いけないですか? いけないのです。

 あなた方は、共産党に反対しながら死にますか? 反共も、勝共も、捨てて死にますか? 「私は勝共、反共を知りません」と言いながら死にますか? 勝共・反共をやりながら死ぬのです。それで当たり前です。

 統一教会の人は、代弁をする時には同じ代弁をしなければなりません。体が苦痛であればやめればいいのです。途中でやめる人は、今やめたほうがいいのです。最後まで行った群れだけが、アルパでありオメガなのです。分かりますか? 原理は右の目であり、勝共は左の目なのです。皆さんは片目になるのですか。

 このような状況で、世界的にキリスト教を一つにし、宗教を一つにし、思想を一つにしてきた群れがいるでしょうか? 神様もどんなにつまらないでしょうか。呆れてものも言えないくらいなのです。それは、目も閉じ、鼻も塞ぎ、息もできないくらいなのです。皆一度やってみなさい。鼻を塞ぎ、耳を塞ぎ、何分くらい耐えることができるでしょうか。

 そのような神様の目を開き、神様が鼻で息ができるようにしてあげ、神様が口でものが言えるようにできるそういう群れが、この地上にいるでしょうか。いますか、いませんか?(います)。それは誰ですか?(統一の勇士です)。立派ですね。

 それで、皆さんは共産党を防ぐことができますか? 皆さんは、直ちに処分されるのです。何の議論もしないで、直ちに処分されてしまうのです。もし、北が南を攻めてきた日には、統一教会の人々は皆殺されてしまうのです。白頭山の谷間に逃げても、穴の中にいても、匂いを嗅いで探して来るのです。皆、首が地に落ちてしまうことはもちろん、骨一つも残らないのです。

 今我々は、そのような状況に置かれているのです。なのに、自分の息子娘のことを考える暇がありますか? 自分の夫のことを考えることができますか? 逃げる時は、一人で必至に逃げなければなりません。「あなた、私と一緒に行きましょう」と言う夫がいるならば、その夫は愚か者です。自分の息子娘たちを見て、「お前たち、早く逃げなさい」と言わなければなりません。

 そうすれば、皆殺されずに、一人は残れるということです。もし共産党が攻めてきた時には、よく逃げなければなりません。どこに逃げるかということですが、どこに逃げますか? 逃げる場所を調べておきましたか。行くところも分からずに逃げれば、どんなに逃げても、自動的に網に掛かってしまうのです。どこに逃げますか?どういう方向に向かって逃げますか。

 真心を込めるとしても、それだけでは駄目なのです。神様が導いてくださる道に従って行かなければなりません。


神様が導かれる道


 それで先生は今回日本に行って、機動隊をつくっておきました。ある人に、「君は、このようなことを準備しなければならない」と言ったのです。もし韓国で三十八度線が崩される日は、何千名が太平洋を渡って、サンフランシスコに行っても歓迎されるし、台湾に行っても歓迎されるし、ドイツのハンブルグに行っても歓迎されるし、イギリスのロンドンに行っても歓迎されるようにつくっておかなければなりません。

 そのようなことを考えなければなりません。作戦が不利になる時には、後退が必要なのです。だからといって、韓国を捨てるということではありません。どこへ行っても、韓国を紐で結んでおいて、その紐で引っ張るとおりに行かなければなりません。そして、必要な時は、その紐を引っ張ると韓国が付いてきて、紐を緩めると現状に戻るようにしておかなければなりません。ですから責任を持つ時には、世界的に素晴らしい責任を持たなければなりません。

 戦う時も素晴らしく戦い、死ぬ時も、素晴らしく死ななければなりません。今そのような時が訪れたのです。自分の夫や子供のことを考える時ではありません。夫や子供を信じても、もし国がなければ、いっぺんに塞がれてしまうのです。今、皆さんに国がありますか? 今まで皆さんは、どのくらい軽蔑されてきたことでしようか。軽蔑されましたか、されませんでしたか? この大韓民国も腐っています。世界の指導者たちを見ても、神のみ旨のために働いている人は一人もいません。

 このような内容を訴えて帰ってきたのが、今回先生の第三次巡回路程です。世界がこのような時に、キリスト教徒たちが一つになれなければ、滅んでしまうのです。アメリカも一つになれなければ、滅んでいくのです。見ていなさい。一九七七年、一九七八年を見ていなさい。レバレンド・ムーンの言ったことが、正しいか否か、見ていなさい。現在のアメリカ国内には、そのような現象が芽生えているばかりでなく、そのような基盤のもとに、攻撃をすれば、誰もが皆知るようになるのです。


自ら先に打たれようとして前に立って戦わねばならない


 ですから、今や我々のやるべきことは何でしょうか? 韓国を防御するよりも、アメリカの防御が忙しくなったのです。何の話か分かりますか。今や、先生が働かなければならない時になったのです。金日成の誕生日までに、韓国がいかに越えていくかということを、先生は問題にするのです。我々は金日成の誕生日まで、金日成を防ぐために祈ってきましたが、これからは大韓民国のために祈らなければなりません。この国が神様の選んだ国にならなければなりません。

 そのような国になれば、金日成、毛沢東は神様に一晩で呼ばれていくこともできます。しかし、なぜ呼ばれていかないかといえば、アダムの権威を立てて、天使に対して「この者!」と言った時、天使が恐れて「はい」と言えるようにしておかなければらないからです。ですから、それを待っているのです。そうなれば、私たちが手を打つ必要がありません。我々統一教会が早く、目前の人民軍よりも何倍も強くなって、三十八度線上に立つ日には、金日成が何千名いても問題にならないのです。

 これからそのようになるのです。復帰原則において、もちろん男性たちも共に戦うけれども、人民部隊の責任者は女性なのです。女性がサタンの誘惑を受けたために、最後には女性によって勝ったという立場に立たなければなりません。何の話か分かりますか。もし、人民軍と戦って南が勝って、降伏を受けるとすれば、その降伏は男性ではなく、女性が受けるようになっています。女性も、若い二十代の女性を前に立てて、確認書を貰ってこなければならないのです。

 今日、我々統一教会の女性たちが最後の戦線を担わなければならないのです。この世界の多くの国々の中で、立派な国は過ぎ去り、立派な教会は過ぎ去り、立派な教会の責任者たちは皆、過ぎ去り、足りない者たちが集まって、この世界に責任を持とうとしているのです。

 皆さんがよくやっていけば、良いことになるのです。もし我々がこれに耐えて成し遂げる日には、世界は我々によって左右されるのです。冬空を飛んでいく雁の群れを見ると、最初は互いに先頭に立って飛ぼうとするのですが、最後には強い者が先頭に立ち、「世界は私たちの行列を見習え」とばかりに飛んでいくのです。それと同じです。今は、お互いに自分が一番であると大騒ぎしてるのです。そのような時が訪れたので、だんだん複雑になっていくのです。

 イエス様は真理の王子でした。そうでしょう。ですから、イエス様が言われた言葉は世界的に成し遂げられなければなりません。「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という言葉は、個人に関して言った言葉ではなく、団体であれば団体、国であれば国に関して言った言葉なのです。国を懸けて、世界のために死のうとする国は生き、その国のために世界を犠牲にしようとする国は滅んでいくのです。

 アメリカが、世界のために死のうとする国として、先頭に立って責任を果たせば滅ばないが、世界を無視して自分の国のために生きようとすれば滅ぶのです。これが原理原則なのです。復帰の恨みの道を行くために、その最後の終着点を皆さんははっきりと知らなければなりません。

 それでは、我々統一教会において、統一教会の国がありますか、ありませんか?(ありません)。統一教会はあるんですね。では、この教団自体が死のうとした時はどうなるでしょうか? 生きようとした時は死ぬのです。また、キリスト教がもし死のうとした場合、生きようとした場合には、どうなるでしょうか? 終わりの日には、それを比べるのです。国のために教団を犠牲にしようとすれば、その教団は国と共に生きるけれども、国を逃れていく教団は、国と共に滅んでいくのです。これは歴史的な鉄則です。ですから今日我々は、このことを標準にして現われ出た群れであることを、堂々と語らなければなりません。


世界のために自己犠牲をする道が我々の道


 今日、統一教団はどのようにするべきでしょうか。生きようとする立場に立たずに、死のうとする立場に立ち、悪と対決して防波堤になろうとする立場に立ち、歴史的な恨みを晴らすために親孝行する決心を持った立場に立たなければなりません。矢が向かってくれば自分が先に打たれ、倒れる時にも自分が先に倒れようとする立場で犠牲になり、親孝行の標的を先にもらおう、中心の標的を先にもらおうという覚悟の上で、現れたのが統一教会の群れであることを皆さんは知らなければなりません。これがきょうのみ言のテーマです。

 ところで教会が滅ぶかもしれない時に、自分の息子娘、夫のことを考える余裕はありません。私の生活が心配になって、ああだこうだと言うことはできません。おばさんたちは、三年期間が終わったらどうしますか、家に帰りますか? 家に帰りなさい。我々統一教会が死ぬほど大変なのに、家に帰って何をしますか? 楽しく住むことができるでしょうか? できないのです。いつもそのままなのです。

 家に帰って、無価値であるということが分かったら、また出て来なければなりません。これは、先生の言葉ではありません。三年動員が終われば、家に帰りたかったら帰りなさい。今は韓半島を中心として、その中心に向かって走らなければならない時なのです。今までは、準備の時でした。訓練の時だったのです。その訓練を受けた人たちが実戦部隊で落第したければ、帰りなさい。勝手に帰りたかったら帰りなさい。一九七二年末には、勝手に帰ることができたのですが、今訓練を受けた精兵たちが宙を逆に駆けて歩けば、非難民の扱いをされるのです。分かりますか。ここにいる女性たち、動員期間が終わったら帰りたい人は帰りなさい。私は知りません。実戦部隊において、皆さんたちが後退する時に、一〇〇名でも、一〇名でも募集しておかなければならないのです。

 国家の世話になっておきながら、素手で逃げてきた人を神様は許すことができません。先生が来られたならば何か良いことを聞かせてくださると思っていた人は、きょうのみ言を聞いて、もう首が地に落ちてしまったと思う人がいるかも知れません。それでも仕方ないのです。我々が滅ばないために、それでも成さなければなりません。国が滅ぶようになっても、世界が滅ばないためには、我々統一教会の一〇〇〇名ぐらいが犠牲になってもいいでしょう。爆弾でもって、一度に死んだとしても世界を救うことができるならば、いくらでも死ぬこともできるでしょう。女性たち、そうですか、そうではありませんか?(そうです)。

 そのように考えていますか? ああ、愛する息子娘たちが懐かしいということですか。死ぬ時に、息子娘の名前を呼びますか?「あなただけは死なないでください」と。そのように、死んだら天国には行けないのです。なぜでしょうか? イエス様の右側の強盗を見てください。今まで、どんな生活をしてきたとしても、その時には、「夫よ、私の前から退け」と言わなければなりません。その時には、夫が統一教会の怨讐なのです。自分が愛する息子娘が怨讐になるのです。イエス様は亡くなられる時、「エルサレムの息子たちよ、私のために泣かないで、あなたたちのために泣きなさい」と言ったのですね。ほんとうによく言ったものです。すべてを清算して、今や死の道の中で、光を発しなければならない中心として、永遠の主人となる最後の道に向かって堅実に走っていくイエス様の十字架の歩みであったということを知らなければなりません。

 イエス様のみ言は真理のみ言なので、個人的に死のうとすれば個人的に救われ、家庭的に死のうとすれば家庭的に救われ、氏族的に死のうとすれば氏族的に救われ、民族的に死のうとすれば民族的に救われ、国家的に死のうとすれば国家的に救われるのです。また世界的に死のうとする国家が現れる時は、世界的に救われるのです。

 ですから、これから全世界の宗教人たちが一つになって、一つの世界に向かって死のうとする群れになれば、統一の歴史はこの地球村に訪れるというのです。これが真理のみ言を通した結論です。

 結局、家庭も個人を植えたものであり、国家も個人を植えて繁殖したものであり、世界も個人を植えてより多く繁殖したものなので、個人が生きる真理も、家庭を代表したものであり、世界を代表したものなのです。

 今はそれが危機の時代に来ているのです。行けば行くほど高い山なのです。山また山なのです。しかし、世界の山になるためにはまだ遠いのです。私たちは今、富士山くらいに来ていますが、これからエベレストの山、ヒマラヤの山脈に向かって出発するのです。どうせ山に登るのならば、その山の頂上に標的を立てなければ、大声で叫ぶことができないのです。そうしたいですか、そうしたくないのですか?(そうしたいです)。


解放直後におけるキリスト教の責任


 それでは皆さん、キリスト教がどうして風に揺れるような立場に立たなければならないのでしょうか。第二次大戦直後に共産党はありませんでした。あったとしても、それはないも同然のものだったのです。まだ共産党が世界的な活動部隊を備えることができない時だったので、あってもないようなものでした。その時に統一教会は出発したのです。

 復帰の原則によって、カイン・アベルを中心として見ると、当時韓国にはアベル的な既成教会はあったのですが、カインがありませんでした。神様はなぜ、我々を日本の前に四十年間、圧迫を受けるようにしたのでしょうか。これは神様の愛であるということを、我々は知らなければなりません。アベルの前に必ずカインがあるのですが、その時、アベルのキリスト教の前にはカインがなかったのです。カインの国がなかったのです。解放地区に国がなかったので、その時に指導的役割をしたのがキリスト教なのです。

 それで、来られる再臨主を中心として、キリスト教がアベルの立場ではなく、カインの立場に立たなければならなかったのです。そうなれば、それですべてが終わるのです。その一点で、歴史的なあらゆることを蕩減できたのです。結局、キリスト教が先生の行く道と統一教会の行く道に反対して、ねじってしまったのです。そのためにこの国がどうなったかというと、カイン・アベルが別々に生まれてくるようになったのです。何の話か分かりますね。このことをはっきりと知らなければなりません。それを知ってこそ、世の中がどのように回っていくかということが分かるのです。先生が何をしているかということが分かるのです。

 その時、キリスト教はカインを持っていませんでした。キリスト教は国家のために、犠牲の祭壇に立って先頭に立ち日本の帝国主義に対して戦っていました。このキリスト教が怨讐の国であるカインに対して戦う時はアベルだったのですが、解放直後にカインがなくなってしまったのです。そこでもしキリスト教が先生と一つになっていたならば、神様はキリスト教内に、カイン・アベル型をつくったのです。霊的な集団を中心とした基盤を広げて準備してきたのです。そうして解放直後に私たち統一教会が、国の主権を中心として活動するようになっていたのです。もし、李承晩博士と一つになったならば、すべてがうまくいったのです。李博士は、西洋の水を飲んだ人であり、キリスト教の思想によってすべてが回っていく人なのです。先生がその李博士一人を説得すれば、カイン・アベルの復帰は国家的基準からいっぺんに回っていったのです。また、キリスト教を動かすことのできる原理的な基盤さえ立てておけば、いくらでもできたのです。

 しかし、その時、李博士は自分が天になってしまったのです。博士の主権はキリスト教の主権だというのです。さらに当時は、仏教の勢いが強かったのです。ここでまた、一つのカイン・アベルが生まれたのです。このように複雑になっていったのです。そうなってしまったために、私たちの受難の道がだんだんと拡大されていったのです。

 結局、我々統一教会が追い出されてしまうことによって、神様がイスラエル民族の前にイエス様を送った時に、イスラエルの国とユダヤ教が一つとなってイエス様の前に立つカインの立場にあったにもかかわらず、一つになることができずに、悲惨な歴史を迎えたことと同じようになってしまったのです。

 そのようなイスラエル民族がその後どうなったかというと、世界に離散していく民族となったのです。そうですね。彼らは国のない主権のない民となり、世界のどこへ行っても、イエス様に反対した運命を乗り越えるまでは罰を受けるようになったのです。それゆえ、キリスト教よりも悲惨な血を流してきたイスラエル民族であるということを知らなければなりません。

 そのような歴史的な事実は、皆さんもよく知っているとおりです。キリスト教よりも多くの血を流してきたのです。そうせざるを得なかったのです。


縦的、横的関係の切れる現象


 今や、その国が二〇〇〇年後の今日、再びこの地上によみがえるということは、春を迎えて、春の日が再び訪れるということを予告するものです。二〇〇〇年の歴史を経て、それが蕩減になって、新しい主権国家の復帰を神様が付与してくださったのです。ですから今日統一教会に反対した世界のキリスト教徒たちは、かつてのイスラエル民族のように散らばっていくのです。まるで私たち統一教会の人々が、家を離れて真理を求めた時と同じく、彼らは滅びざるを得ない世の中に、ご飯をもらいに出ていくのです。

 我々が行ったとおりに彼らもその道を行くのです。我々はどんなに悲惨な道でも神様に侍って行きましたが、彼らは神様を失って出ていくのです。それが滅びの道なのです。これが今日の歴史的な傾向なのです。

 今やサタンに支配され、サタンの前に完全に料理されているのが共産世界のキリスト教文化圏なのです。共産世界のどこにキリスト教の思想が残っていますか、どこにイスラエル民族の思想が残っていますか、どこにその民族性が残っていますか? すべてが失われてしまった立場なのです。

 エリアがバアルの神の前に屈することなく、七〇〇〇人を残したのと同じく、そのような群れを通して新しく収拾する運動がキリスト教の前に、世界的に起こってくるのです。そうなると、イスラエル民族のように悲惨な運命にぶつかるのがキリスト教の指導者たちなのです。キリスト教は今に秋風の中の落ち葉のように落ちていくのです。希望の基準がすべて失われていくのです。若い人たちがすべて落ちていくのです。権力を持った人たちがすべて落ちていくのです。そして年寄りだけが残るのです。基になるものだけが残るのです。

 神様は、青年世代、壮年世代、老年世代の中で、最後の基になる者だけを残すのです。彼らさえ残ればよいというのです。涙を流しながら真心込めてきた老人たちをキリスト教に残して、迫害の中から新しい伝統を受け継ぐ群れにするのです。

 このような新しい運動が起こる日には、新しい春が訪れるようになるのです。では、サタンの迫害はどこにいくのでしょうか? サタンが、年寄りに対して迫害する時がくるのです。ですから、キリスト教の年寄りが問題になってきます。そのような時代に入るのです。

 イスラエル民族がイエス様を裏切ったことによって二〇〇〇年が延長されて、今日ようやく世界的な時を迎えたのです。まるで春を迎えたように、今日完成時代において、二〇〇〇年を二十年で蕩減できる期間が一九六〇年から一九八〇年なのです。この二十年の間に、全世界で大騒ぎが起きるのです。国がどこにあり、氏族がどこにあり、家庭がどこにあり、お父さん、お母さんがどこにおり、兄弟がどこにおり、先生がどこにいるかということです。

 すべてが個人主義化して、共産主義の思想が入ってきたのです。国も信じられず、世界も信じることができないのです。そうなった時、これではいけないということを人間たちが知って、新しい主義の世界に越えていくために、人間の前に共産主義という思想が現れて、それに群らがっていくのです。そのような現象が今の流れであるということを知らなければなりません。

 神様の前にキリスト教はどのような計画になっているかというと、キリスト教は天使長圏であるために終わりの日には一人になるしかないのです。団体でもって立つことはできません。家庭を持って息子娘を連れて立つことのできないのが、天使長の立場なのです。

 今アメリカでどんなことが起こっているかというと、男性同士で結婚して住んでいる人々が多いのです。女性は必要ないと言うのです。そのような運動が起こっているのです。これからアメリカの女性たちは大変です。嫁に行きたくても行くことができません。男性たちが、女性はすべていらないと言うからです。これは、世紀末的な現象なのです。ですから女性たちは男性たちに従うなというのです。来られる主に従えというのです。終わりの日にはそのようなことが起こるのです。


復帰の時代においての女性の使命


 エバが何をしたかというと、エバは堕落した後、二人の夫に侍りました。不倫なる夫と本来の夫、二人の夫に侍ったのです。そして一番目の夫も気に入らず、二番目の夫も気に入らず、三番目の夫が気に入ったというのです。それゆえ理想的な三番目の夫を探そうとして、女性たちが浮気をしているのです。女性たちは三番目の夫を探さなければなりません。その三番目の夫を探すための運動が、今までの復帰歴史だったのです。

 一番目の夫アダムが滅びることによって、二番目の夫イエス様も滅びるようになりました。今は希望を持って来られる三番目の夫を探す歴史的な運勢に立っているために、男性よりも女性たちが浮気をすることが多いのです。世の中はそのようになっているのです。

 なぜ女性たちがそうなるのかというと、霊的な立場で父と因縁を結ばなければならないのがエバの立場だからです。しかし、父と因縁を結ぶことができず誰と因縁を結んだのかというと、僕と関係を結んだのです。そのために、人類は今日これを離れて父との因縁を結ばなければならないのです。それで先生に対して父と言うのです。

 少女が成長して、女性としての内容を備えるようになれば、心情的に変化が現れてくるのです。先生に対しても、時には父のように、時には夫のように考えるのです。原理がそうなっているからです。

 女性は、そのようなことを感じたことがありますか。それでは、今夜はそのような話をしてみましょう。男性たちは聞きながら十分ぐらい休んでも構いません。終わりには男性ではなく、女性が問題になるのです。

 世界のすべての興亡は常に女性によって起こっているのです。そうでしょう。何かが滅びる時には、そこに女性がいるのです。今の世も、みんな女性によって亡んでいくのです。どの国でも女性が賭け事をするのです。女性が餌なのです。皆さん、気持ち良いですか? どんな歴史であれ、悲惨な歴史には必ず女性がそこに介入しているのです。

 統一教会もやはり同じなのです。統一教会の餌は何かといえば、女性なのです。今までサタンが女性を餌にしてきたので統一教会の文先生も皆さんを餌にしています。気持ちが悪いですか、良いですか?(いいです)。

 皆さん、釣をする時の餌のことを知っているでしょう。餌は釣針についていくのです。嫌だといっても釣針のひもについて、餌はひもの動くとおりに動くのです。それと同じです。女性は気持ちが悪くてもしかたありません。そのようにしなければ復帰することができないのです。

 皆さん、「エバ」とは、復帰のことを知って帰れということです。「アダム」とは、神の子ができたということなのです。それで、それを越えなければなりません。頭が壊れ、足が折れても越えなければなりません。そのように考えれば疲れないのです。男性は男性の行く道が神の子であるということを考えていたならば堕落もしなかったでしょう。

 エバは堕落することによって、完全な神様の娘にはなれませんでした。娘になろうとしたのですが、崩れてしまったのです。ですから、神様の愛する完全なる妻になることもできませんでした。神様に認められた完全な妻になりましたか?(なりませんでした)。

 その次に、母になるはずだったのですが、すべて落第だったのです。これは一日、一代で起きたことなのです。それで、蕩減復帰するのに誰が必要かというと、神様の愛を受けた私たちが必要なのです。み旨を成すには女性がいなければなりません。しかたがありません。醜くてもみんな許してあげなければなりません。

 それでは、「私は間違いなく神様の息子になりました」と言える人は手を挙げてみなさい。先生は一つ聞いてみたいことがあります。皆さんは息子になりましたか、娘になりましたか、なろうとしましたか?(なろうとしています)。

 この復帰歴史は、なろうとすることで六〇〇〇年かかったのです。ですから皆さんは何代かかるのでしょうか。神様でさえも何千年もかかったのですから、皆さんはどのくらいかかるのでしょうか? 十人の中で、十代で復帰すればよいでしょう。しかしエバは、エバ一代ですべて成し遂げて越えなければならないのです。ですから幼い息子として、成熟するまで神様の愛をたっぷり受けることができなくてはなりません。

「お前は間違いなく、私の息子の中の息子だ。間違いなく、私の息子だ」というように、愛されなければなりません。その愛の量があふれて越えるのがいつかというと、成熟期なのです。分かりますか? お父さん、お母さんを必要とすれば、僕なのです。僕の心情の成熟を受け継いで横的に出発しなければなりません。これが天のみ旨の道なのです。

 父母の愛を受けた息子は、いつまでも父母と共に住んではいけないのです。これを徹底して教えてあげなければなりません。女性は男性を求めるようになり、男性は女性を求めて行くようになっているのです。女性たち、そうですか、そうではありませんか?(そうです)。

 男性たちはどうですか、聞いていましたか、聞いていませんでしたか?(はい、聞いていました)。


成熟すれば父母の下を離れなければならない


 それで、神様の愛を受けて成熟すれば、心がそわそわするのです。女性たち、そわそわしますか? 先生は女性ではないので分かりません。

 成熟すると、胸が大きくなり、腰が大きくなって、そわそわする心が生まれてくるのです。これは何の話かというと、因縁を結ばなければならないということです。その時期には、すべてが興奮の対象となるのです。おもしろくないものは何もないのです。何の話か分かりますか。何もかもおもしろいのです。すべてが理由なしにおもしろいのです。また、木の葉が落ちて風に飛んでいくのを見ても心が暗くなるというのです。少女時代はそうなるのです。多方面に、平面的に広がっていく時なのです。

 あらゆることを、自分と関係させなければならない時なのです。なぜならば、愛は全世界を支配するのが原則なので、愛の感情が訪れる時には、すべて自分と関係を結びたいと思うのです。愛の素性がそのようになっているので、これは不可避なことなのです。

 その時は、鳥が歌えば、自分でも知らずに一緒にふんふんと鼻歌を歌い出すのです。春の歌を何回歌っても一人では面白くないのですが、そばに茫々とした髪の毛の青年がいれば、何となく気持ちがいいのです。

 私はよく知らないけれども、そうだということです。女性たち、そうですか、そうではありませんか? 人であればそうならなければならないのです。そうならなければ女性ではないのです。そうでしょう。ですから女性は二十歳にもなると、お嫁に行きたいと思うのです。お父さんお母さんと離れるのは寂しいけれども、気持ちは悪くないのです。そうですね。私が見ても、そのように見えるのです。

 私の妹が十三歳の時、私はよく冗談を言いました。「お前の夫になる人は目がこうで、鼻がこういう人だったらどうか」と言うと、「嫌だよ」と言ったものです。そして、十八歳になるころに、おばが来て、「仲人をするので嫁に行きますか」と言ったら、「どんな人か一度会ってみたい」と言ったのです。そこでお父さんとお母さんが、「あした、お見合いの相手が来るので、準備しなさい」と言ったら、妹はその日、朝早く起きて髪の毛をきれいにして、化粧したのです。そればかりでなく、洋服も着替えて、家の内外をすべて一人で掃除をしたのです。それはなぜでしょうか? お嫁に行きたいからなのですね。私はそれを見て、間違いなくそうだと思いました。

 私はお嫁に行ったことがないので、皆さんに聞いてみます。そうですか、そうではありませんか?(そうです)。ですから、二十代になり春の日になると、そわそわする風が吹いてくるのですね。

 マラソン大会に出場して一等になった人を見て、「私が一番になるべきなのに、なぜ彼が一番になったのか」と思うのです。男性たちはみんなそのような考え方をするのです。何にしてもよいことはすべてやってみたいのです。その時期には、詩の書けない人はいないのです。歌を歌えない人はいないのです。春になれば、鳥でも歌うのに、感情豊かな人間が歌わないはずはないのです。

 愛は万宇宙を支配するようになっているので、あらゆるものと関係を結ぼうとするのは愛が芽生えてくるからです。それで、そのような現象が起きるのです。


世界的な女性の前にアダムとして来られる主


 同様に、人間が成熟するようになれば、父母の下を離れなければなりません。女性は夫に従わなければならないということです。そうでしょう。皆さんは成熟しましたか、しませんでしたか? みんな成熟しましたね。この前も「祝福してください」と言ったでしょう。人間は成熟すると、新郎新婦になって夫婦としての因縁を結び、その次は神様の愛を受けて、息子娘を生んで、初めて神様の創造原理に即した父母の立場に立つことができるのです。そうでしょう。神様の喜ぶことのできる人間、神様の愛を濃く受けることのできる人にならなければなりません。

 今まで愛してきたことは、すべて落第なのです。息子としても落第であり、妻としても落第であり、母としても落第なのです。では、これを何代にまで引っ張らなければならないでしょうか。いっぺんに落第したのを引っ張り上げなければなりません。そして、誰と関係を結ぶかというと、神様、アダム、エバがトップの立場でもって再び会わせなければならないのです。

 それで再臨の主は、世界的な女性の前にアダムとして来られるのです。この世界にどんなに多くの人がいたとしても、みんな世界的な男性の結実体であり、世界的な女性の結実体なのです。これを復帰基台において総合してみると、世界の人類は一人の男性と女性の結実体という結論が出るのです。

 そして、その男性はどういう男性かというと、本然の堕落しなかったアダムではないというのです。このことを、男性たちははっきりと知らなければなりません。本来の堕落しなかったアダムの後孫としての血統を受け継いだ男性ではないのです。天使長の血統を受け継いだ不法な男性として登場したというのです。気持ちが悪いですか? そのようになっているので、気持ちが悪くても仕方ないのです。復帰時代において、男性も、女性もそのままであっては復帰できません。復帰原則がそのようになっていないからです。

 人間が堕落した反対の経路を通って、復帰していかなければならないのです。それゆえ、男性は堕落前の天使長の形に、女性も堕落前のエバに逆転して入らなければなりません。男性は天使長型であり、女性はエバ型なのです。彼らの結実として、このような実を結んだのですが、今は世界的に実を結ばなければならない時なのです。種を蒔けば、蒔いたとおりに実を結ぶようになっているのです。アダムとエバも同じです。堕落したアダム・エバと同じような人間として再び実を結ぶのです。このように見た時、男性はアダムの立場であり、ヨセフと同じ立場であり、女性はエバの立場であり、マリヤと同じ立場なのです。

 そこで問題になるのはメシヤなのです。メシヤとは何かというと、堕落しなかった完成したアダムとして来られる方です。そこで全世界の女性たちが、エバが三代にわたって失敗したことを復帰しなければ男性たちを復帰する道はないのです。分かりますか。

 もちろん男性たちも息子になれなかったし、夫にもなれませんでした。しかし、女性たちが復帰されなければ、男性たちの復帰される道がないということです。先に女性が問題になったために、女性はこの三代の問題を抱えて、心情的に引っくり返して復帰しなければなりません。これが問題なのです。

 それで統一教会に入ると、何が起こるかといえば、先生に対して、みんな「お父さん」と呼ぶのですね。そうですか、そうではありませんか?(そうです)。本当にそうですか? そうでなければ、「お父さん」と呼べる男性を探さなければなりません。本当にそうですか! お父さんと永遠に一緒に住みたいですか、住みたくないですか?(住みたいです)。このような考えがなければ、みんな整理して家に帰りなさい。


エデンで失われた神様の娘の心情を復帰


 最後の日には、最後の宗教を中心とした一つの大王が現れなければなりません。その大王が誰かというと、メシヤなのです。そうでなければ原理原則に合いません。皆さんは父母であるメシヤと出会って、心から、世の中の因縁をすべて切って、いっぺんに越えなければなりません。天使長との因縁を通してもたらされた娘の感情、妻の感情、母の感情をすべて捨て去る革命的な心情の道を立てなければならないのです。そうでなければ生きる道、行く道を探すことができないのです。

 統一教会に入ってくると、それが可能なのです。それは、先生の祝福を受けたからです。先生は世の中で一番悪い人として名前が通っていました。しかし、霊界に行ってみると、先生が若い時に出会った様々な人たちが多くいたのです。私があるアパートに住んでいた時に戸を開けて入ってきて、私をつかんで「救ってください」と言った女性がいました。先生は、そのような女性たちを利用して、男性として成功しようとする考えは持っていません。先生は神様が信じることのできる立場をパスした人なのです。何があっても倒れることのない習性を持っているので、神様は先生を呼んで、使わざるを得ないのです。

 純粋なる女性たちを立てて、あらゆる面においても心情的に堂々と責任を持つことのできる男として公認できる何かを持っているのです。どんな美人が先生に言い寄ってきても、先生を誘惑することはできません。

 このようなことを見ても、統一教会の人たちの最高の関心は先生なのですね。先生に対して関心がありますか、ありませんか? ある人は手を挙げてみてください。恥ずかしがることはありません。恥ずかしがれば復帰ができないのです。先生に会えば先生に対して「お父さん」と呼びたくなるでしょう。先生がそれを教えてあげたのですか? 先生は何も言わなくても、皆さんが先生に対して「お父さん」と呼びたがるのですね。原理がそのようになっているためです。そうでなければ偽り者です。ですからそのようにならない人は整理して帰りなさいということです。帰れば、霊界の善なる先祖たちが、「この者め、おまえはなぜ静かにしているのか」と言いながら、夜寝る時に首を締るのです。ですから、どんなに目が痛くても、先生が恋しくて、恋しくて、先生を思うと、いっぺんに走ってくるのです。不思議なことです。ですから皆さんが霊的な体験をすると、先生を探して来ざるを得なくなるのです。動物でも、その内容が分かれば、メスはオスを探して、死の境地も越えて行かざるを得なくなるのです。

 先生が分かるようになれば、自分の父、夫、息子、娘が嫌になるのです。それは霊的に清い人ほど、自分の先祖の功績が多いほど早く感じるのです。統一教会の先生のみ言を聞いて、自分でも知らないうちにそのようになるのです。一番の関心事が先生になるのです。息子娘のような心で先生が恋しくなり、先生に会いたいと思うのです。

 それは心だけではなく、心霊的な面においてもそうなるのです。科学的なのです。先生はこのようなことを偽りで言うのではありません。ですから統一教会の人たちは、父母兄弟がおり、夫がいても、自分の家に先に帰るのではなく、必ず教会に寄ってから帰るのです。市場に行って物を買っても、家に帰る時には必ず教会に寄って帰るのです。このようなことが起こるのです。心が先に立つのではなく、体が先に立つようになるのです。

 そのような立場で、堕落しなかった本来の基準を、心と体が戦う立場を通りすぎる体験をするのです。皆さんはそのような体験をしたことがありますか? そのような体験をしてみましたか。自分の家と言う時に、それは自分の妻、自分の夫、自分を生んでくれた父母の家を言うのではありません。先生が懐かしいという心情になって、心情一体にならなければなりません。

 先生と心情一体になって、エデンの園において失われた神の息子の心情を復帰しなければなりません。どこまでもそのような心を持っていくようになれば、先生が現れるのです。先生を忘れることのできない、先生が頼りであり、自分を救ってくれる者となるのです。そのような境地に入らなければなりません。

 先生を懐かしいという心がどのくらい強くなるのかといえば、昔自分を愛してくれた人が来て、歌を歌ってくれても嫌な気持ちになるほどにです。それほど心情が一つに集中されるのです。そういうことがいっぺんに起こるのです。愛を失った存在ですから、愛で結ばれなければなりません。そうですね。娘になることができなくて堕落したので、堕落しなかった娘になるためには、再び天地に実を結ばなければならないのです。

 ほとんどの皆さんは、夢の中で先生と会ったことがあると思います。先生と会おうと思えば、いつでも夢の中でも会えるのです。そのように、皆さんは先生と度々会わなければなりません。霊的にも先生の指導を受けなければ、それは零点です。先生と会いたいという心があれば、先生と会えて、公式的に指導を受けられるようになっています。本来、公式的に先生と会えるようになっているのです。

 全世界に広がっている統一教会の人々がこのようにして先生の指導を受けているということは、世の中の組織にはないことです。過去、イエス様と会おうとすれば、七年、二十年と真心込めてお祈りをしなければ会えなかったことです。たとえイエス様に会ったとしても、十字架上で血を流しているイエス様の姿だったのです。どんなに悲惨なことだったでしょうか。その姿しか見ることができませんでした。理想世界のエデンの園で踊ったり歌ったり、花畑で遊んでいるようなイエス様の姿は絶対見ることができなかったのです。

 皆さんはそのように精誠を込めたことがありますか、精誠を込めていますか? 精誠とは、どんな精誠でしょうか、お祈りさえしていればよいのでしょうか? 自分自身のために食べて、自分勝手に生きるために歩き回っているのでしょう。


霊的心情復帰の現象


 だんだん心情が高くなって、息子として成熟すれば、その次は、心情的因縁を中心として相対を定めなければならないのですが、世の中には相対がいないのです。ですからしかたなく、先生を中心として霊的に探していかなければなりません。エバが霊的にサタンと関係を結んで堕落したために、霊的に心情復帰の内容を経ていくのです。

 それで先生は、皆さんを連れて歩き回りながら見物させるのです。ある時は花の指輪をはめてあげ、ある時は結婚式場で、結婚式の様子を見せてあげるのです。これは、個人的な考えを持ってはいけないのです。エバが妻の基準を失ったので、心情的に復活させるためなのです。そのような心情的な基盤が整っていなければ、霊的な心情基準を通して天使長を復帰することができないからです。エバが天使長と堕落した後で、アダムを誘惑して堕落させたからです。二人の男性と堕落したからです。これと同じく、皆さんもそのような形を経なければ復帰することができないのです。それで皆さんも祝福を受けて、初めて復帰された立場に入るのです。

 男性が前に立つようになってはいません。女性が前に立つようになっているのです。男性たちは何の話か分かりますか?(はい)。先生は皆さんに対してどのようにしなければならないかというと、心情的に接ぎ木をしなければなりません。女性たちが堕落したために接ぎ木してあげなければならないのです。良い息子になるために、良い妻になるために、接ぎ木してあげなければならないのです。

 今回、日本に行ってみると、日本の食口の九十九パーセントが、夢の中で先生と会ったということでした。それは韓国よりも優れているということです。彼らは単純であるけれどもみ旨に対して深刻な立場、先生に対して深刻な立場に立っているということが分かります。

 夫は、自分の妻に対して「先生に対して、そのような考えを持つな」と言ってはいけないのです。夫たちは寂しいけれども、しかたがないのです。夫たちが手紙を送ったり、電話をしたりして、「帰って来い」と言っても、統一教会の女性はその言葉を聞いてはいけないのです。結局心情的に接ぎ木できないものを、接ぎ木してあげなければなりません。ですから、先生は神様の前においてアダムのように愛されて、完成された男性の資格を持って来なければならないのです。

 先生がそのような原則的な基準に立っているために、今堕落圏内にいる人であってもそのような天の心が分かるのです。本性の行くべき道を知ることができるのです。自動的に先生についていくようになっています。先生は、幹となり枝となる人たちを一回見ると分かるようになっています。先生を無視すると大変なことが起こるのです。皆さんはサタン的な心情的因縁を通してサタンの子女になったので、先生との心情的な因縁を通して神様の子女にならなければなりません。

 皆さんは復帰の歴史においてエバのような立場です。しかし、同じ立場であっても皆さんは許されることができるのです。歴史を通したカイン・アベルがいるために、皆さんは救われることができるのです。もしカイン・アベルがいなかったならば、絶対救われることはできません。カイン・アベルのない男性たちは結婚することができません。これから、世の中の男性たちはみんな男やもめになるようになっているのです。

 今までの宗教では、男性に対して生殖器の不完全な男になれということなのです。そのことを、パウロはどんなに強調したことでしょうか。

 神様はカイン・アベルの復帰歴史を綴ってきたのです。ですからカイン・アベルとして絶対的に一つにならなければなりません。絶対服従の因縁を持たなければ、祝福家庭に入ることができないのです。そして、世界的なアベルは誰かというと、来られる主なのです。先に世界的に良くなる国は、カイン国なのです。そのようなカイン世界の前にアベルとして生まれた方がつまり、メシヤであり、そのメシヤを中心として天使長を復帰しなければならないのです。

 天使長がアダムを屈伏させて打ってきたことを、反対に復帰しなければなりません。メシヤは堕落しなかったアダムの因縁を持って来られる方です。本来人間が堕落しなかったならば、神の前に理想的な祝福を受ける理想相対理念を持つことができたのです。ですから、神様の前に帰ってくる立場に立てば、祝福を受けることができるのです。受けることができますか、できませんか?(できます)。

 しかし、そのままではできません。カイン・アベルを復帰しなければなりません。カイン・アベルを復帰して、神様、アダム、天使長の順序になるのです。これが原理なのです。そのアダムの身代わりとして来られた方がメシヤであるから、メシヤの前には絶対服従しなければなりません。どれほど服従すべきかというと、自分の財産、息子娘すべてを捧げなければなりません。堕落によって天使長が、万物と息子とその家庭をすべて奪っていったことを全部復帰しなければなりません。

 ですからサタンが、「嫌だ」と言っても一緒に、三回ずつ、追っかけて、はいつくばってでも、すべてをもらってこなければならないのです。そのような男性になれば、彼は完全に復帰したカインの立場であり、堕落しなかったカイン的な長生期完成級のアダムよりも上の立場に立つために、祝福を受けることができるのです。これが統一教会の結婚なのです。アベル・カインとして絶対服従の因縁を持つことができない人は、祝福家庭に入ることができません。それで今回先生の命令に従わない家庭は切ってしまうのです。これが原則なのです。分かりますか?(はい)。

 今までそのような立場に立った男がいないのです。女性たちも、何かの病気であればしかたがないけれども、今回の動員に応じなければ、先生と何の関係もないのです。女性が動員に応じない家庭は関係ないのです。このような原理原則を皆さんは知らなければなりません。

 李牧師、分かりますか?(はい)。この原理から逃れることはできないのです。「私は原理講義の責任者であるので、知りません」。これが事件の始まりです。これは、恐ろしいことなのです。今重要な話をしているのです。これを知らなければなりません。教えてあげる時に、はっきり受け止めておくことです。

 今までは何をしても良かったのですが、これからは原理どおりに生活しなければなりません。そのようにしなければ許されないのです。どんなに弁解しても、先生もしかたがないのです。先生も勝手にすることはできません。原理どおりに生きなければならないのです。カイン・アベルを復帰しなければなりません。個人復帰、家庭復帰、国家復帰、世界復帰と、このように大きくなっていくのです。これを天からみると、個人、家庭、国家、世界の四つなのですが、段階的に見ると三段階なのです。

 今までの歴史は、個人から出発して家庭基準まで探して来るのであり、その基盤の上にメシヤが来られるのです。完全に個人から家庭を、勝利的に治めることができる外的な基盤を拡大させてこられる方がメシヤなのです。家庭的な基盤を立てて、その基盤を横的に、国家に、連結させるのがメシヤの使命なのです。そして、その国家的な基盤を、世界的に連結して、勝利するのがメシヤの使命なのです。イエス様は国家基準で世界を分けてきたのですが、再び来られるメシヤは、世界的な基準から天宙へと一段階を越えていくのです。

 ですから、霊界を早く解放しなければなりません。これが最後なのです。そうして個人、家庭、国家、世界、この四点が三段階に広がるのです。それゆえ、皆さんは、個人的にメシヤの前に絶対服従しなければなりません。個人的に絶対服従し、命をささげなければならないということです。

 誰にささげるのかというと、メシヤにささげなければなりません。アブラハムがイサクを供え物としてささげたようにささげなければなりません。皆さんはそれができますか。羊は主人のために首を切られても、どんな苦痛も我慢するのです。それが重要なのです。でなければ、皆さんは復帰されません。

 皆さんは個人的に絶対服従しましたか? メシヤが審判する基準は何かというと、個人的に絶対的服従したかということです。そして、先生によくすると同時に、息子、娘にもよくしなければならないし、自分の妻に対してもよくしなければなりません。三段階でよくしなければならないのです。これからは家庭を中心として、家庭の囲いにならなければ個人が安息できません。

 その次は、家庭的に絶対服従しなければなりません。それゆえ、皆さんは子供の教育をよくしなければなりません。祝福家庭の子女たちが首を横に振ってはいけないのです。そのようなことが起これば、これが問題になるのです。復帰歴史は、縦的な歴史を横的に復帰することになるのです。

 縦的歴史は旧約時代、新約時代、成約時代なのです。成約時代は父母の時代であり、新約時代はイエス様、つまり息子の時代であり、旧約時代は供え物、つまり万物の時代なのです。そしてこれらが横的になっているために、自分の家庭を中心として息子娘すべてがここに引っかかるのです。ですから家庭が主体の前に、必ず一つにならなければなりません。先生の家庭を中心として、皆さんの家庭が必ず一つにならなければならないということです。

 それで今回の動員も同じです。イエス様にも個人的三年路程がありました。個人的三年路程を通して、み旨を成就する立場に立つためです。それは、縦的、横的に「家庭はすべて絶対服従せよ」ということです。ここに負債を残せば、それを再び成すためには三倍以上の力が必要になるのです。何の話か分かりますか。家庭的に絶対服従して、その次は国家的に服従しなければなりません。国家的に一つになれなければ、世界的に行くことができません。天国にも行くことができません。

 ですから、一つになって絶対服従するという鉄則の基準を持って、これを伝統にしなければなりません。これが審判の基準になるのです。それ以上にならなければ国家基準にまでいくことができません。

 ところが、途中でやめてしまう人がいるのです。祝福を受けた家庭が責任を果たすことができなければ、これから祝福を受ける人たちに対して僕の位置を免れることができないのです。何の話か分かりますか。私はこのような恐ろしい話はしたくないのですが、そのようになるのです。

 サタンまでもが讒訴するのです。「私は長生期完成級の心情基準でサタンになったけれども、お前は完成期完成級で父母の心情の基準にまでいって、心情的に堕落したではないか」と讒訴するのです。そして世の中の乞食たちが来て命令する時も、それに絶対服従せざるを得なくなります。

 もし、そのような人たちが子供でも生んでみなさい。その子供たちは乞食の子供たちにあれこれ引っ張られながら、僕のような扱いを受けるのです。使命を果たせなければ、そのようになるのです。原理がそのようになっているのです。


三年期間の必要な理由


 これから原理が立法化されて、世界的になる時が来るのです。そのようになれば立つ場がないのです。先生が遠いところにいると考えないでください。世界は今、先生を中心に左右されるようになっているのです。

 ところで教会長たち、教会に責任を持っていながらも、世界のことを知らないので、統一教会のみ旨がいつ成されるだろうかと思っているでしょう。皆さんがいなくても、私一人でもみ旨は成されるのです。もう少したって、国家的な蕩減をする時は、人々が一度に統一教会に集まって来るのです。その時、あまりにも数が多くて蕩減復帰するのに頭が痛いのです。分かりますか。その時、皆さんは教育がよくできなければなりません。

 男性たちはカイン・アベルの問題があるために蕩減復帰をして、復帰されたアダムの立場に立たなければなりません。その立場はアダム級の立場です。カインとアベルは、原理的に養子の立場を通って、直系の子女の立場に立つようになるのです。そして初めて息子の立場を継承して、オリーブの木に接ぎ木されて、オリーブの木の実を結ぶことにより原罪のない立場に入るようになります。それによって本然の子女の立場を受け継いで、天国に入ることができるのです。

 カイン・アベルは、一つになって誰を復帰しなければならないかというと、エバを復帰するのです。順序から見て、父母の復帰ではなく、エバの復帰なのです。それはカイン・アベルが愛の種を通して、母のお腹を通して分かれたからです。

 復帰時代において、先生と皆さんはカイン・アベルを復帰した立場に立っているのですが、皆さんはカイン・アベルだけの復帰ではいけないのです。では、何をするべきかというと、エバを復帰しなければなりません。その次に、母を復帰するのです。母が再び生んでくれたという過程を経なければならないのです。それを通して、別かれなかったという血統を復帰することができるのです。

 血統はどこから始まるかというと、愛を通して母のお腹から始まるのです。父を通して、母のお腹に植えられるのです。それゆえ、母を通さなければならないのです。母を通す道を経なければ復帰ができないのです。そこで女性たちは皆、母の使命を成さなければなりません。ですから三年間絶対服従しなさいということです。先生を通して心情的に受け継いだすべてを負債のないように、喜びとして切り換えなければならないのです。

 三年期間がなぜ必要かといえば、先生を通して、先生の心情基準に接ぎ木するためなのです。三年間、自分を通してではなく、母を通して接ぎ木するようになっているのです。ですから女性たちは絶対服従する期間の三年路程を経なければなりません。そうしなければ、サタン世界で生まれた皆さんを復帰する道がないのです。そのような内的な条件、外的な条件を先生がすべて一致させたので、皆さんを祝福してあげられるのです。

 ところで、私たち統一教会の人が皆、経なければならない一つの重大な問題があります。それは神様の治める国がないということです。サタンより上に立つことのできる国がないために、神様が神様としての権威を立てて、天下を治めることができないのです。神様の国が成立する日には、サタン世界を七倍以上、十倍以上審判することができるのです。スターリンが問題ではありません。何の話か分かりますか。ですから来られる主は、歴史上における最高の栄光の価値を持って来られる方です。


成約聖徒の使命


 先生が今進めていることは、国を探すために、個人から家庭、家庭から氏族、氏族から民族を編成することです。それで、民族としての祝福をしてあげたのですが、その祝福は大韓民国にのみではよくないのです。世界のいろんな国家にも祝福してあげなければなりません。それで七次祝福までに、世界の十か国を平面的に結んでいこうとするのです。

 それでは、皆さんが蕩減復帰していくにおいての根本問題とは何でしょうか? それは旧約を完成し、新約を完成し、成約を完成することです。成約の完成は、全世界が神様の統治圏内に入っていくことです。旧約時代は万物を復帰する時代であり、新約時代は神の国の民を復帰する時代であり、成約時代は神の国の主権を復帰する時代なのです。

 世界主権のすべてを復帰しなければなりません。世界の民を復帰しなければならないのがイエス様の使命であり、世界の万民を一つの国の民として復帰しなければならないのがキリスト教の使命であり、世界を一つの主権に復帰しなければならないのが再臨主の使命なのです。旧約時代は万物を復帰するための世界的な条件を立てる時であり、新約時代は世界の万民を復帰するための基盤を世界的に整える時であり、成約時代は世界を一つの主権に統一させるための時なのです。

 主権を復帰するためには、その国土を解放し、その民と一つになって、神様の代わりに立たなければなりません。これが主権復帰なのです。国土と国民、万物と人が、神様の代わりに一なる父母を中心として、完全に一つになったその立場が天の国を代表した地上の主権であるということです。

 神様が探し求めている主権は、この世の主権ではありません。旧約時代は万物復帰時代、新約時代は子女復帰時代、成約時代は父母復帰時代なのです。家庭を見てもそうなのです。国家、世界を見ても、旧約時代は万物、地、つまり国土復帰時代に該当します。新約時代は国民復帰時代なのです。そして、成約時代は主権復帰時代に当たるのです。家庭を見ると、自分の所有物と、子女、父母があり、これを拡大したのが国家です。国家には国土、国民、主権があります。したがって、主権を持つ父母の立場は、神様の代わりであるということをはっきり知らなければなりません。イエス様が死ぬことになったのも、国家を探すことができなかったからです。

 それでは今日、統一教会が探し出すべき道は何でしょうか。その道もやはり同じなのです。何を探していくかというと、悪なる主権を打破し、善なる主権を復帰することです。これが本来の統一教会の使命です。

 皆さんは、先生が今までカイン・アベルの使命を果たしてきたということを知らなければなりません。先生は今まで皆さんに対して何をしたかといえば、カイン・アベルを復帰する使命をやってきました。個人的なカイン・アベル、家庭的なカイン・アベル、氏族的なカイン・アベル、民族的なカイン・アベル、国家的なカイン・アベルを復帰する使命をやってきました。

 復帰はカイン・アベルがなくてはならないからです。個人的なカイン・アベル、家庭的なカイン・アベル、氏族的なカイン・アベル、民族的なカイン・アベル、国家的なカイン・アベルがなければなりません。それゆえ、南北が分かれなければなりません。カイン・アベルなくしては復帰ができないのです。いっぺんにカイン・アベルを復帰したならば、一息に主権復帰が成されたのですが、それができなかったために、再び繰り返されなければなりません。

 ですから、個人から出発して、個人的な蕩減路程、つまり個人的なカインを屈伏させて勝利した路程を経なければならないし、家庭的にカインを屈伏させて勝利した路程を経なければならないし、子女的なカインを屈伏させて勝利した路程を経なければなりません。このような路程は誰かが教えてあげてできるものではありません。先生自らが成してきたのです。


神様の作戦


 このような意味において、今回の三次路程は歴史的な責任を遂行する重大な時期なのです。これは世界史にない出来事です。面白いことに、私がワシントンに行って集会を開いた時、ニクソンも中国に行って毛沢東と会っていたのです。すべてそのようにピッタリ合うようになっているのです。一方は神側に行って、一方はサタン側に行くのです。これは偶然の一致ではありません。摂理的なみ旨の中で公式的な原則によって動いているのです。このように一致できなければ、蕩減路程を越えていくことはできません。

 それゆえ統一教会は、これから天の国の堂々たる主権を探し求めて、どのような国にも、宗教にもない思想と理念を持って、全世界の宗教と国家を収拾しなければなりません。それで各国に、宣教師たちを大使として送るのです。宣教師たちを国民が歓迎し、大統領が屈伏するようになれば、その国はいっぺんに復帰することができます。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰は必要ないのです。頂上からいっぺんに復帰されてくるのです。三つの国がそのようになれば、皆先生の言うとおりになります。一瞬に復帰できるようになります。

 今まで反対してきた者が、再びカイン・アベルの形をつくって、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰をしてくるのです。今先生は、キリスト教が果たすことのできなかったことを再びやっているのです。今までキリスト教が犯した過ちを蕩減しているのです。反対を受けながらも、絶えず打たれながら、奪ってくる作戦をしてきたのです。神様は六〇〇〇年間も、そのことをやってこられたのです。そのように、私たちも打たれて奪ってくるのです。サタンは打って奪われるのです。サタンは打って滅びるけれども、神様は打たれて滅びる立場から、復帰してくるのです。サタンは打って奪われる作戦、神は打たれて探してくる作戦をするのです。戦法が違うのです。

 それで統一教会は今まで打たれて迫害されながらやって来ましたが、今や国を屈伏する時が来たのです。アメリカも統一教会に反対して来ましたが、必ず屈伏する時が来るのです。日本も屈伏する日が来るのです。それゆえ、統一教会の人たちは鉄のような信念を持って、後孫たちがその先祖たちを世界の前に敬うことのできる立場に立たなければなりません。そのような立場を失っては何にもなりません。

 十年勉強しても、今、水に流されてしまってはいけないのです。それゆえ皆さんは、天下が滅びるような立場でも先生のような信念を持って、一致団結していかなければなりません。信念を持って最後まで残れば、先生が結論をつけるのです。これが先生の作戦なのです。


メシヤの使命


 大韓民国でも今は様々な迫害を受けていますが、統一教会と一つにならざるを得なくなっています。交差するようになっているのです。世界が交差するようになり、国家が交差するようになり、社会が交差するようになり、家庭が交差するようになり、個人が交差するようになっているのです。サタンの血と、サタンの主権が交差するようになるのです。そこで、サタンの血統が問題なのです。

 第一に血統の交差がなければならないし、第二に主権の交差がなければなりません。この二つが問題なのです。個人はサタンの血統になっており、国家も悪なる主権によってできています。ですからメシヤの使命も、第一に血統復帰であり、第二に善主権復帰なのです。統一教会はこのことをしようとするのです。悪主権の世界を打倒し、善主権の世界に復帰しなければならないということです。どんなに善なる血統的基準に立っているとしても、悪主権内においては何も復帰することができないのです。

 アダムとエバも、純粋な神様の息子娘になることを願っていたのですが、彼は堕落しましたか、しませんでしたか? 堕落しましたね。堕落したのは、死ぬ立場に入ったということです。今もその死ぬ立場に入っているのです。ですから我々も、どんなに復帰された神様の息子娘の立場になったとしてもサタンが悪主権を握っている限り、祝福を受けた群れたちも首を切ることができるのです。気を付けなければなりません。

 今や時が来たために、このような内容をはっきりと教えてあげるのです。今まではサタン主権内から逃れることができなかったために、このようにやってきたのです。この二つを解決して、悪主権から逃れなければなりません。そこにメシヤの使命があることを、皆さんは知らなければなりません。

 それでは統一教会で祝福を受けた人々は何かというと、血統が転換された群れであるということです。血統を転換させるのが祝福なのです。皆さんは血統転換されましたか?(はい)。しかし、まだ悪主権内にいるのです。これを復帰しなければなりません。そのためには、先生を中心として個人的に絶対従順しなければなりません。

 三天使長と同じ立場が三家庭なのです。その三家庭で、劉協会長の立派な点は何かというと、足が不自由であっても先生に絶対服従したことなのです。また金元弼も先生に絶対服従します。金栄輝はどうですか。この人々は純粋なのです。このように一つにならなければなりません。

 個人的にそのような基準に立ったならば、その次は家庭的に一つにならなければなりません。この三家庭が一つにならなければ個人的に被害を受けるようになり、家庭的に被害を受けるようになり、氏族的に被害を受けるようになります。さらに先生の家庭にまで被害が及ぶのです。それゆえ、この三家庭が重要なのです。

 このような問題を考えた時、常に血統復帰において相対的な責任を果たさなければなりません。血統的な因縁を展開させるために、心情的に一代を通して根をつくり、幹をつくらなければなりません。これが教会長たちの責任なのです。教会長たちが悪口を言われてはいけないのです。何の話か分かりますか。批判されてはいけないということです。また、批判をしてもいけないのです。カインがアベルに対して批判すれば、サタンなのです。

 復帰歴史は、個人を復帰し家庭を復帰しなければならないために、先生は一九六〇年の聖婚式の前に三弟子の約婚式をしてあげました。そして先生の聖婚式を挙げ、次に三十六家庭の祝福式をしてあげました。そのように、家庭も一つにならなければなりません。

 その次は何かというと、個人がプラスになるとしても、それより大きいものの前にはマイナスの形にならなければなりません。個人的に二つになれば、より大きなカインに対して一つにならなければなりません。それが国家であれば、その国家に対してマイナスになって、一つの世界になるのです。発展の原則がそのようになっているのです。ですから、一つの原点から大宇宙まで、このような作用によって発展していくのです。このような原則を皆さんがはっきり知っていれば、非難という言葉は成立しないのです。


存在、作用、発展の原則


 発展するためには、必ず自分より優れた立場を求めていかなければなりません。よりプラスになるところから作用するのです。マイナスになるところからは作用しないのです。皆さん、そうですか? 二人が一つになってこそ発展があるのです。二人が一つにならなければ絶対に発展はあり得ません。これが宇宙の鉄則であることをはっきり知らなければなりません。

 一つになるには、互いにプラスになることのできる価値を発見しなければなりません。マイナスになって一つになることが原則であれば、この世はなくなるのです。小さくなる原則で一つになれば、この世は逆になるのです。ですから、そのような原則はあり得ないのです。発展のためには主体と対象の関係が必要なのです。

 今日、存在が先か力が先かという時、存在の主張性は皆知っているのです。しかし存在するためには力がなければなりません。つまり存在が先か力が先かという時に、存在が先であるというのですが、力があってこそ存在があり得るのです。存在するものは見ることができますが、力は見えないのです。力は精神力の象徴なのです。

 それゆえ、唯物論者たちは「物質が根本である」と言うことができないのです。存在それ自体は力であるけれども、力は見えないのです。存在するためには力がなければなりませんが、力はそのまま出ることができないのです。絶えず作用するところから力が出るのです。つまり力があるためには作用がなければなりません。

 それでは作用を続ける力の原則とは何かというと、一人では作用することができません。必ず主体と対象がなければなりません。これが鉄則なのです。主体と対象が作用するにも、そのまま作用するのではなく、主体と対象の立場より、良いものが発見されてのみ作用が可能になるです。これが原則なのです。

 プラスとマイナス各々五つがあれば、これは合わせて、十一、十二になることのできる何かがあれば作用するのです。そのように作用すれば新しいものが創造されるのです。より大きなものがあれば作用するけれども、一つであれば、一つの作用のみでストップして、ある環境にとどまって終わってしまい、分解作用をするようになります。これが宇宙の原則なのです。ですから、主体と対象が授け受けることにおいても、それより勝れた他の何かを発見するところからのみ作用が起こるのです。そうでなければ作用しないということです。

 科学の実験において、ある元素と元素を一つにするために、薬を加えたり様々なことをしても一つにならないことがあります。一つにしようとしてもマイナスになるのです。作用するようになれば、互いにマイナスになるために絶対に作用しないのです。神様も絶対に作用させないのです。それが原則なのです。しかし、ある元素同士は思いもしないのに、作用するようになります。互いに作用し合って、必ずより大きなものに形成していくのです。よりプラスの立場になるために作用するのです。これが原則なのです。宇宙の形成の原則なのです。今日まで、我々はこのことを考えることができませんでした。

 例えば、美男美女がいたとします。彼らはすぐに仲良くなるかもしれませんが、互いにマイナスになるということを知るようになれば、一つにはなりません。しかし互いにプラスになるということが分かる時には、一つになるなと言っても、一つになるのです。命がなくなることがあっても、その命よりも大きな価値を得るから、死の道をも越えていくのです。


カイン・アベルの復帰も宇宙の生成発展の原則


 世の中のすべての万物もそうなっているのです。国家も互いに融和して繁栄すればよいのですが、マイナスになる点があれば一つにはなりません。皆さんがここに来たのは、先生を見てマイナスになるため来たのでしょうか。もし、マイナスになるならば、先生が来なさいと言っても来ないのです。一度会って、二度会って、三度会えば、どんなに来るなと言っても来るようになっているのです。これは宇宙の存在原則なのです。

 ですからカイン・アベルの復帰は、その原則に従って行うのです。創造原則がそのようになっているので、家庭を復帰するにも、主体と対象が互いにプラスになる時に一つになるのです。カイン・アベルが互いに損になれば、一つになりません。同じように皆さんも、このような真理を聞いて、個人復帰はもちろん、家庭復帰、天宙復帰ができると分かったので私に従って来るのですが、もし利益がなければ従って来るでしょうか? 来ないというのです。創造原則がそのようになっているために、皆さんは私について来るのです。

 カイン・アベルの復帰も同じです。個人を見ると、体と心が闘っていますが、この体と心が完全に一つになれば、完全なるプラスになるのです。また、男性がいれば相対的な女性がいるはずです。そして男性はその女性と一つになるようになっています。夫婦になるのです。夫婦になって子女を生むのです。その子女が夫婦の前にマイナスになってはじめて家庭が成されるのです。家庭が一つになれば、家庭の前に氏族がマイナスになって一つになるのです。そうなると新しいプラスになるのです。次に、氏族を中心として民族がマイナスになって一つになっていかなければなりません。このように拡大していくのです。これが復帰原則です。カイン・アベルの蕩減復帰の原則なのです。

 それでは、体と心が一つになるためにはどうならなければならないでしょうか。まず犠牲にならなければなりません。互いにプラスになろうとしてはいけないのです。それで、体が犠牲にならなければならないのです。自分を犠牲にすることが利益になるのです。これが神様の作戦なのです。この作戦を広げようということです。相手を殺す立場に立つのではなく、まず自らが死ぬ立場に入っていくのです。自分が死ぬまいと思って相手を殺す立場に立てば、二人とも死ぬことになります。ですから神様は、相手を殺す代わりに自ら死んであげるというのです。これが復帰の歴史なのです。

 作用がなくては、アメーバーより大きな存在が現れません。より大きな存在が出るためには、必ず作用が起きなければなりません。そこに、より大きな力が連結されなければなりません。つまり力が連結されるためには作用しなければならないし、作用するためには主体と対象の関係がなければなりません。主体と対象は、マイナスになるところには絶対に作用しないのです。プラスになるところでのみ作用するのです。それで主体と対象の関係は、必ず相対的な関係によってできているのです。

 ですから、アメーバーが発展しようとすれば、発展することのできる他の何かのマイナスか、また他のある主体と、授け与える行動作戦をしなければなりません。そうしなければ何も出てこないのです。第二の力が必要であるということです。

 その次に目的が必要です。方向性が必要なのです。ですから、進化というのは自分勝手にするのではなく、まず方向がなければなりません。方向には、終着点がなければなりません。これが目的点でもあり、その目的観がなければなりません。これが問題なのです。その次に力なのです。

 力の公式的な原則を見てみると、このような公式なのです。(先生が黒板を使用される)入力と出力が同じにはならないのです。運動すれば消耗が起こるのです。作用して出る力は常に小さくなるはずなのです。進化論者は作用して出る力がより大きいと言うのですが、そのような公式はありません。そうなると、この世の中は引っくり返されてしまうのです。そのために第二の力が必要です。

 では、第二の力はどこから補うことができるでしょうか。より大きな目的を達成するために、第二の力の介入が成立するのです。第二の力は主体と対象が一つになる立場から可能なのです。主体と対象が一つになって、より大きな力が出て来るのです。それゆえ、神様が主体と対象の発展的な相対関係を備えて、新しい目的の価値を提示した結果より大きな発展をするのです。創造原則がそのようになっているので、小さい物質から宇宙が形成されるのです。

 それは面白いことなのです。二人が対立して戦って一つになるというのです。すると女性と男性が毎日戦って、朝にはより発展するでしょうか。喧嘩をすれば互いに損害を受けて後退するようになります。世界に歴史的な戦いをして強くなった国があるでしょうか。


既成教会と一つになって国家的な復帰の基盤を備えなければならない


 それでは、統一教会が今行っていることは何かというと、血統転換なのです。まず個人的な血統転換、その次に氏族としての血統転換をするのです。今や統一教会の氏族が編成されたのです。氏族といえばヤコブの時に十二支派でした。三代までいけば氏族になるのです。同じように我々統一教会は、いま祝福家庭としては七代なのです。七代の統一氏族になったということです。先生の家庭を中心として、プラス的な相対関係を整えて統一氏族をつくったのです。

 統一氏族は、韓民族を中心として復帰しなければなりません。カイン・アベルを復帰しなければならないのです。統一氏族の前に、カイン・アベルの蕩減復帰の形が既成教会なのです。それで皆さんに、既成教会を伝道しなさいと言ったのです。既成教会の牧師たちのところに、長老たちのところに行くようにと言ったのです。既成教会を伝道しなければなりません。既成教会を中心として、命懸けで真心を込めて責任を完遂すればいっぺんに越えていくのです。ですから既成教会に対して、責任を持って伝道することを急がなければなりません。

 統一教会は今まで伝道してきたのに、なぜ伝道が進まないのでしょうか? それは、原則から離れたからです。原則に合うように伝道しなければならないのです。皆さんが伝道に行く時に、私は既成教会を伝道しなさいと言ったでしょうか、一般の人を伝道しなさいと言ったでしょうか? 既成教会の牧師を訪ねて行っても、「あの牧師は私よりも優れて、私は聖書も知らないのに」と考える必要はありません。そうであればあるほど行かなければならないのです。そうしましたか、そうしなかったですか? そのようにすれば必ず道が開かれるようになります。

 その家に行って家政婦をするとしても、自分の家のように、自分の家族のように考えなければならないのです。その家はカインが管理する家ではなく、アベルが管理する家であると考えなければなりません。それが完全に逆になっているのです。原理的ではないのです。難しいけれども、そのようにしなければなりません。そのようになれば、いっぺんに入って来るのです。分かりますか。道が開かれるようになれば、いっぺんに回っていくようになっています。この民族の死ぬか生きるかという問題が、既成教会にかかっているのです。

 統一教会と既成教会が一つになれば、プラスになるのです。プラスになって、その次には三千万民族を中心としてマイナスにならなければなりません。これはユダヤ教とイスラエル民族との関係と同じなのです。

 私たちと既成教会が一つになって、大きなプラスになってより大きな民族を中心として、マイナスになって、完全に一つにならなければなりません。そうなれば南は自動的に復帰されるのです。初めて国家的なプラスが形成されるのです。

 一つの血統を結んで、一つの子孫を中心として、結ばれた国家になれば、北は問題ではありません。人口的に見ても同じなのです。何の問題もありません。既成教会を中心として、「宗教連合」を前に立てて、一般の宗教を一つにするのです。共産党があるために、宗教が一つになるのです。このような良い条件の中にあるのです。それで週刊宗教社を通して今までそのようなことをやってきたのです。キリスト教を先頭にして、宗教の新聞をつくって、宗教の怨讐である共産党に対抗して、各宗教団体の責任者たちを集めて勝共戦線、アジアの反共戦線をつくるのです。すべての宗教や国家を越えて、アジアの宗教に対しての機動性を発揮するのです。中共も問題としない防御線をつくろうとするのが先生の計画なのです。それで『週刊宗教』をつくったのです。

 そのような基盤を外的環境において立て、内的なキリスト教を動かせば、いっぺんに反共という枠の中で連結されるようになるのです。共産党がある限り、宗教人たちは皆首になるということが分かるからです。例えば、北において天道教がすべて抹殺されたということを知っているので、北が攻めてきた日には皆殺しされるということが分かるために、防御線を張るようになっているのです。それで我々は、その背景を拡大させていく作戦を準備しているのです。救国的な国民運動を行っているのです。昼も夜も、救国的な国民運動を行なわなければなりません。共産党に勝利しなければなりません。

 私はその話を聞いてとても良い気持ちでした。統一教会の群れは、心配せずに農村に行って昼も夜も国民運動をしなさいということです。国を救わなければなりません。皆愛国者にならなければなりません。


全国的に国民運動を展開しなければならない時


 この前私はアメリカに行き、「街頭で宣伝するように」と言ったのですが、そのようにやった人は手を挙げてみなさい。今、我々は国民運動をしなければなりません。分かりますか?(はい)。

 国会議員たちは選挙の時のみ国民運動をするのですが、我々は選挙期間でなくても長期的に運動するのです。国民の前に影響を与えよう。大学の学者たちに影響を与えよう。キリスト教の牧師たちに影響を与えよう。そのような総括的な目的を持って、環境を動かして一つの目標にゴールインさせなければなりません。

 先生は今回の第三次巡回路程において、統一教会にお金がなくても、お金を使わなければなりませんでした。何の話か分かりますか。復帰の途上において、ヤコブがエサウを物質をもって屈伏させたように、今まで我々を無視した人たちが、すべて先生について来るようにしておかなければなりません。今回、そのようなことを行ったのです。このようにしてアメリカも助けてあげました。イギリスも助けてあげ、ドイツも助けてあげ、イスラエルもイランも助けてあげたのです。また中国も助けてあげました。六か国を助けてあげたのです。

 第三次時代は、そのようなことをしなければなりません。先生がボタンさえ押せば、いつでも行動できる機動隊をつくっておいたのです。アメリカの機動隊、ドイツの機動隊、イギリスの機動隊、日本の機動隊、みんな先生が指導するのです。この機動隊を中心として、三年以内にアメリカも一〇〇〇名以上を伝道し、一年以内に日本も二〇〇〇名を伝道するのです。

 今回、私がアメリカに行って、アメリカの上院議員たちをテストしてみました。そして、「あなたたち、反共思想を持たずに親共思想を持っていればアメリカは滅びる。そのようなことをやってはいけない」、と言ったのです。

 ミスター・ムーンがアメリカに行ったので、アメリカの上院議員が二つに分けられました。社会的にも分けられてしまったのです。これから問題が起こるのです。


活動基盤が整えられたアメリカの統一教会


 このようにして、先生の噂が広がっているのです。『ニューヨーク・タイムズ』紙にも、十万ドルの懸賞広告を載せました。それで、「上院議員たちがミスター・ムーンに一度会いたいと言うけれども、時間がないから会ってあげることができない」と答えたのです。それでも会ってみようとするのです。そのようにして、今こそ神の権威を立てて、最高のキリスト教文化圏であるアメリカの頂上を押えておかなければなりません。これは、誰も知らなかったことです。先生と、サタンと霊界だけが知っていたのです。

 面白いことには、霊通人たちが「先生、今回巡回に行けば何かが起こるでしょう」と言うのです。私は「何のこと、何もないんだよ」と言って、何も話してあげませんでした。先生に対してただ手を挙げて民衆が大騒ぎして歓迎し、霊人たちが先生について回ったり、どんなにしてもそのようにはなれないだろうと思ったのです。しかしそのことのために、先生は前もって準備してきたのです。準備して働いてきたので、皆知るようになるのです。これは、教会長にも分からなかったのです。教会長と相談してやることではないからです。

 先生が公的な立場でアメリカの食口に、このようなことを行うと話をすれば、皆目を回して、「もう一銭もお金がなくなって、どうしたらいいだろう」という様子だったのです。そして、「私たちが動かなければ先生もしかたがないだろう」と考えていたのです。私が一回話し、二回話し、三回話しても動かなかったのです。そのようになっていたのです。今までの観念でそのようになっていたのです。それで先生は、直ちにニューヨークのリンカーン・センターに行って契約を結んできました。その時になって、初めて皆目を光らせて大騒ぎになったのです。

 また宣教師の中でも反対する者がいたのです。それで先生は、アメリカに行く時に一大決心をしました。「皆去ってしまっても、五人でも残れば、彼らを中心としてやっていこう」と決心しました。今回、彼らは本当に苦労したと思います。しかし皆頭を振りながら、「アメリカでは、先生のいう通りにやっては通じない」と言うのです。通じなければなお私のやり方通りにやるべしというのが先生なのです。それで、先生は最も善良な金サンチョルを打ったのです。先生に打たれながらも我慢しているその姿がとてもアメリカの食口たちの前に見本になったのです。それでその人を先頭に立てたのです。そうすると、すべての食口が付いてきたのです。

 そのように、先生の願う基準にピッタリと合うようにしておいたのです。内外を一つに貫いておいたのです。気持ち良いですか、悪いですか?(良いです)。世界歴史上において、そのようなことをした東洋人はいません。

 アメリカを復帰しなければなりません。アメリカが復帰されれば、ヨーロッパは自動的に復帰されるのです。それで先生はアメリカで夜も昼もなく話してきたのです。「原理を中心として、復帰摂理がこうであるから、世界情勢がこうなるのだ」と結論づけて、それで「私たちは、このようにして行かねばならないが、行くか行かないか」と言ったら、「行きます」と答えたのです。ですから皆行かざるを得ないのです。間違いなくそのようになっているのです。

 そのように教育してきたのです。その人たちを教育するには、修練だけではできません。ニューヨークからアメリカ全地域に連れて回りながら、雨が降っても、雪が降っても、街頭に立たせるのです。

 私がアメリカにおいての基盤を立てたので、若者たちが集まってきたのです。その若者たちを指導するには、一つの秘訣があるのです。それは、早く引っ張りながら行うことです。宣教師であれ誰であれ、今までのような方法ではいけないのです。アメリカに風を引き起こして、大韓民国をすべて整理しなければならないのです。ですから、機動隊を連れて回りながら、そのようにしたのです。そのようにすれば、何百名も自由に集まって来るのです。

「先生が他の国へ来て、このように通訳を立ててやっているのに、君たちは自分の国の言葉を使いながらそれができないのか」と言って、彼らを激励したのです。そのようにして、完全にアメリカで基盤を立てたのです。


火がついた機動隊活動


 さらに、「今は伝統を立てなさい」と言ったのです。アメリカでそのような機動隊をつくって活動を始めたので、イギリスにまで、その噂が広がるようになりました。それで毎日のように電話がきたのです。「今先生は何をしていらっしゃいますか。いつ来られるのですか」と。けれども私は返事をしません。それで、先生がいつ来られるのかと度々聞いてくるのです。「今先生は何をしているか、アメリカはどのようになっているか」、ヨーロッパ全体に先生の噂がひろまって、アメリカと同じようになったのです。

「先生がヨーロッパに来られると間違いなく、アメリカで行ったとおりになされるだろう」と準備しておいたので、先生はイギリスに行って機動隊をつくりました。イギリスも、お金がないのです。ですから、私がセンターをつくってあげました。それからドイツに行って、九人乗りのマイクロバスを六台買ってあげました。さらに、八人乗りの移動式キャラバンを六台買ってあげました。

 今やすべてに火が付いたのです。「ドイツ人はアメリカ人に負けるな」と言うようになったのです。第二次世界大戦の時に負けたことを蕩減しなければならないのです。「イギリス人はアメリカ人に負けるな」と、イギリスは独立戦争でアメリカに負けたので、アメリカ人と競争させたのです。

 また、日本に行って、「ドイツ、アメリカに負けるのか」と言ったら、「負けない」と答えたのです。アリのように背は小さいけれども、蜂のように大きな人たちに負けないようにと、今名古屋で六〇〇名の機動隊員が修練を受けています。それで、六〇〇名を二十人乗りのマイクロバスで二十八台編成したのです。

 先生は生きている間に、世界的に伝統を立てておかなければならないので忙しいのです。それで、毎月先生に報告するようになっているのです。このようにして、世界的に私たちの機動隊が出発しました。これから毎年、人数が増えると思います。アメリカは三年以内に二〇〇〇名でもって、一五〇台のマイクロバスを買うつもりです。バス一台が二〇メートルだとすると、長さ三キロメートルの行列になります。ニューヨークの街でバスをストップさせれば、宣伝にもなるのです。

 ニューヨークの街にこのように車を並べておいて、車に装置したマイクを出して、宣伝するのです。考えただけでも気持ちがよく肩が上がるような感じがしますね。そうですか、そうではありませんか? 男性たちはそうだとしても、女性たちはどうでしょうか。女性たちも同じなのです。

 来年はアメリカに四〇〇人が行くのです。先生の言ったことを成し遂げることができなければ、大変なことが起こるのです。伝統を立てて、今世紀においてそれを遵守できないとすれば、大きな問題になるのです。アメリカができなければ、それ以上のチームをヨーロッパにつくらなければなりません。来年一年間にイギリス、ドイツ、ヨーロッパの各国から八〇〇名をアメリカに送る約束をしたのです。

 機動隊をつくって熱心にラッパを吹くのです。これから、子供たちの舞踊団もそこに入るのです。先生はすでに世界的な基盤を整えたので、これからはだんだんと大きくなっていくのです。この十月には、私はまたアメリカに行かなければなりません。「世界科学者大会」を行うためです。世界経済人協会をつくらなければなりません。


第三次世界巡回期間中に成したこと


 今まで新しい理想世界、経済世界を夢見てきた経済学者を先生は十五分間の話でノックダウンさせました。これからの世界経済全般の問題点を話してあげたのです。その経済学者が、「あなたは経済学をどのくらい勉強したのですか」と聞いてきたのですが、私は経済学を勉強したことはありません。彼らにおいて一番難しいことは何かというと、人権問題と思想の問題をどのように扱うかということなのです。国と国が争いながら、主導権を握ろうとして、互いに利益を奪い合えば権力闘争になるのです。それゆえ、自分の国を中心とした思想的立場をいかに超越するかということが問題なのです。

 それには、新しい思想がなければなりません。それで先生は、その人たちに「準備をしなければなりません」と言ってきました。三月には「世界経済人大会」を行うつもりです。その時は、私が基調演説をしなければなりません。このように、先生は世界的なことをやっているのです。ですから、韓国にだけ住むことはできません。韓国を離れて、私は世界各国を行ったり来りしなければならないのです。しかし、韓国からビザをもらうことは、一年、十二か月かかっても難しいのです。ですからしかたなくアメリカに定住して、しばらく韓国には行ったり来たりするのです。

 私は巡回に出発する時、「これからは、世界的な活動基盤を立てて帰って来る」と公的な席で話しました。きょう、そのごとく基盤を立てて帰って来たのです。先生は韓国に対してすべての使命を果たしました。日本に対しても責任を果たしました。中国に対してもすべての責任を果たしたのです。

 今回、久保木会長を通して、蒋介石が五月上旬に私と会いたいと申し込んできました。「今は会わない」と私は答えました。私はすべてに責任を果たしたのです。蒋介石は久保木会長の言うことだけで十分なのです。しかし、私は五月に会ってあげることを約束しました。先生の大韓民国に対する責任は、これから幾人かの韓国政府の人々と会ってあげることです。それで、先生の韓国に対する責任は果たしたということです。皆さんが先生の言うとおりにやってくれれば、韓国は滅びることがないのです。北がどんなに攻めてきても、南を呑み込むことはできないのです。

 一九七五年から第三次七年路程が出発するために、三年前から基盤を立てなければなりません。その基盤を整えることができなければ、世界的な第三次七年路程で勝利圏を収めることができないのです。ですから、一九七二年からの三年間で準備することを定めたのです。三年間で峠を越えなければなりません。先生は今年中に、第三次路程を通して、大韓民国を世界と連結する責任を果たさなければならないのです。今まで大韓民国で整えた基盤を中心として、アメリカや世界の重要な国家に相対的基盤を整えて、帰って来なければならないのです。これが、第三次世界巡回路程なのです。

 ですから今や、各国で機動隊の風が吹いているのです。来年の十月になれば、ヨーロッパ全域に機動隊がつくられるのです。日本にも機動隊がつくられるのです。韓国には機動隊が必要ですか、どうですか? 他の国がみんな整えた後に、見に行くだけで十分でしょう。


来られる主が成すべき使命


 先生が韓国にいるので、韓国は威張っているけれども、先生が韓国にいなかったらどうなるでしょうか。取るに足りない存在になるのです。女性たちはそう思いますか?(はい)。男性たちはどうですか?(そうなります)。

 これほどに先生を苦労させてきたならば、今や先生を解放してあげなければなりません。今まで先生がやったことは何でしょうか? 本然の先生の使命を果たすことができなかったということを、皆さんは知らなければなりません。先生は本然の使命を果たしたのではなく、息子の使命を再蕩減してきたのです。イエス様ができなかったこと、ユダヤ教ができなかったこと、キリスト教ができなかったことをすべて蕩減してきたのです。ですから完成時代には、旧約時代に失敗したことを蕩減し、新約時代に失敗したことを蕩減しなければなりません。

 第三次アダムとして来られる主が勝利したアダムとして現れるためには、第一次アダムの実体蕩減復帰、第二次アダムの実体蕩減復帰をしなければなりません。世界的に蕩減復帰しなければならないのです。

 それでは、第一次アダムの失敗は何でしょうか? 心と体が分かれたことです。つまり、心と体が分かれて、天と地が分かれたことです。そのような人間始祖がこの地上に現れたので、そのような子孫が生まれたので、終わりの日を迎えるまでは、新しい春が訪れないということです。アダムが堕落してそのような人間となったので、皆さんもそのような人間になったのです。個人として分かれなければならないし、家庭として分かれなければならないし、氏族として分かれなければならないし、民族として分かれ、世界的に分かれなければなりません。今がそのような時なのです。

 その次に、第二次アダムの失敗ですが、第二次アダムは何をしたのでしょうか? 第二次アダムであるイエス様が何をしたかといえば、個人的に思想を残そうとしたのです。宗教理想を残そうとしたのです。あらゆるものを個人的に蕩減して、新しい宗教理念を中心とした思想を残そうとしたのです。世界的な思想を残すために来られた方がイエス様なのです。また、イエス様は国家を形成するために出発したのではなく、世界的な思想を残すためにイエス様が来られたのです。このような立場から見た時、イエス様もアダムが堕落することによって体と心が分かれたことを、世界的に収めなければならないのです。

 さらにイエス様が死ぬことによって蒔かれたことを、世界的に収めなければならないのです。イエス様が死ぬ時、十字架を中心として右の強盗と、左の強盗と、バラバがおりました。今は、それが世界的に現れる時なのです。右の強盗は右翼であり、左の強盗は左翼なのです。ここにおいて右翼と左翼が始まったのです。左の強盗はイエス様を否定しました。イエス様と神様をすべて否定したのです。人類の二番目の子女であるイエス様を中心として、そのような現象が起こったのです。そのことを世界的に収める時が終わりの日なのです。

 それゆえ今日、世界的に二つの群れに分かれる現象が起こるのです。右翼はキリスト教文化圏であり、左翼は共産世界であり、バラバが回教文化圏なのです。この回教は、宗教の本質から外れているのです。一方の手にはコーラン、一方の手には剣を持っています。これは攻撃的、サタン的なことなのです。ですから回教は内的なサタンであり、共産世界は外的なサタンなのです。この二つが一つになる時が終わりの日なのです。これらが一つになって、攻撃してくるのです。

 右の強盗は、「私たちは死んで当たり前の人間である」と言ったのですが、左の強盗は、「神様はいない。イエス様はなぜ神様の息子であるか」と言ったのです。それと同じ結果をキリスト教は成立させなければなりません。神様は、民主世界の代表国家でありキリスト教の代表国家であるアメリカを祝福して、共産党を越えるためにあらゆるものを与えられました。それゆえ、アメリカは共産世界のすべてを退けることができたにもかかわらず、それをしなかったのです。右の強盗とイエス様を証することができなければ、楽園に行くことができません。同様に、これからアメリカは共産世界を退けることができなければ、天国に入ることができず、その門は塞がれてしまうのです。
 民主世界は今そのような立場に立っているのです。今の時代は、死んだイエス時代ではなく復活されたイエス様の再臨時代なのです。キリスト教文化圏を中心として新しい再臨の思想が現れなければならない時代なのです。復活したイエス様とキリスト教が一つになって、内的外的に一つになって、共産党と戦わなければならないのです。これをキリスト教が成せなかったために、その戦いが残されているのです。


 先生が一九六五年に、アイゼンハワー・アメリカ大統領と会った時に、話した内容もこのことなのです。「共産党は我々の恩讐です。宗教を中心にして共産党を打ち破るために、援助してください」と言ったのです。その時、宗教を一つにできたならば、世界的な宗派の責任者を結んでおいたならば、「共産党は宗教の恩讐である」と宣伝しながら基盤を立てたならば、神様の行く道は復帰時代において、苦労の道ではなかったのですが、これを成すことができなかったのです。その時、もし共産世界と戦って勝利するようになれば、共産世界は必ずバラバ圏と手を組んで、自由世界を攻撃するだろうと話したのです。今、正に、そのようになりました。


世界的な使命遂行の先頭に立つべき韓国


 このような観点からみて、私たちが成すべきことは統一教会を中心としたキリスト教の結成運動です。これが先生の第三次世界巡回路程以降の使命なのです。先生がアメリカで活動するようになれば、韓国は心配ありません。

 今は間接的な戦法なのです。このような作戦をする時代に入ってきているのです。ヤコブはエサウに対して懐柔作戦を取ったでしょう。霊的に天使長を屈伏させましたね。それでエサウはヤコブを打たなかったのです。これが今日、結実段階に入っているのです。今、共産世界とアラブ圏が手を組んでいます。ですから、今日のキリスト教と統一教会の使命がどんなに大きいことでしょうか。このようなことは、先生でなくてはできないので、先生が先頭に立って、世界のかじを取るのです。それで、新しい活動のために機動隊をつくって、総進軍するのです。

 キリスト教は、自分たちのみがよく食べてよく生きながら、「我々は統一教会に負けてはならない」と言いながら、私たちのために刺激は受けても、私たちについて来ることはできないのです。刺激を与えて、私たちに従って来るようにして、私たちが若者たちをみんな吸収する作戦をしなければなりません。そのために新しく出発したのが機動隊作戦なのです。アメリカもそのようになり、イギリスもそのようになり、ドイツもそのようになり、日本もそのようになっているのですが、主体国である韓国は、それを見て回るようになっているのです。

 先生の願いは、復帰歴史において、日本、イギリス、ドイツ、アメリカの四つの国を一つにすることです。この四つの国を一つにし、その中に韓国が入れば、世界は私たちの手中に入ってくるのです。そして、その中心になるのがアダム国家です。アダム国家はどこかというと、恨みの多い韓国なのです。

 先生は五十歳になるまで、皆さんと共に青春時代を過ごしてきました。アメリカにおける世界的な基盤はすでに整えました。アメリカに行って、たった一年間でこのように基盤をつくってきたのですから、今や世界的な男になっているのです。なのになぜ、一番遅れている韓国の人と共に、このようなことをしなければならないのでしょうか。考えてください。

 その間、二十一日の断食など、あれこれ報告を受けたのですが、報告することは良いことです。しかし、戦って勝利したにもかかわらず、戦わなかったよりも良くないという場合、そのような戦いにどんな意味があるでしょうか。何の話か分かりますか。

 三年間、伝道生活をしながら戦ってきたのですが、その結果、むしろ神様が食べさせてあげなければ生きることのできない立場になったということです。皆さん、そのような立場になったでしょう。すべてを明らかにしてみましょう。十年の歳月の中で戦ってきたのですが、戦わなかったことよりも良くないという時には、戦いの実績があっても、「ああ、お前は不合格だ」と言うのです。世界の人々をすべて食べさせることができるくらいの戦いを成したならば死にませんが、そうでなければ、その戦いはやらなかったのと同じです。

 皆さんは、先生が「三年伝道をしなさい」と言ったのですが、「私は家族を捨て伝道したので、先生が何かをしてくれたらいいのに…」と首を上げ、あごを上げるようなものです。それと同じです。それでは五か月間何をしたのですか。どのくらい実績を上げましたか。何人を伝道しましたか。ここに参加する教会長たち、何をしましたか? 話して見なさい。

 みんなやりますとは言ったけれど、この実績は何ですか! このような実績がありますか? 何で首をたれているのですか。人間は率直でなければなりません。先生に首をたれることは許されないのです。首を真っすぐに立てて、先生を見て、「誤ちを犯しましたと」言いながら、涙を流しながら、許しを得なければなりません。なぜ首をたれているのですか。三年の間何をしましたか。答えてみなさい。三年の間伝道しましたね?(はい)。(修練をしました)。修練も同じです。修練は何のためにしたのですか。


信仰の主体国としての責任を果たすべき韓国


 皆さんは、これから急激に衝撃的なことが訪れることを恐れなければなりません。世の中は冷たいのです。なぜ先生を見て喜んでばかりいるのですか。もし、先生がどこかに飛んで行ったらどうしますか。今や先生の年齢からみてもそうなのです。先生が満六十歳になる時、第三次七年路程が終わるのです。

 この期間に歴史的な引っくり返しがあるのです。二〇〇〇年のイスラエル歴史は、今日の統一教会の二十年の路程なのです。先生一代を中心として蕩減復帰する時代なのです。たとえ死んでも蕩減復帰しなければならないことを、生きて蕩減復帰するという歴史的な運命を経ていくのです。最後に一人で残るような立場に立っても、その峠を越えればそこから勝利を収めることができるのです。我々はその道を今行っているのです。今や世界的にすべてがそのようになっているのです。外国の食口たちが韓国へ来てみんなを評価するのです。

 先生が久保木会長に、「韓国に行って何を感じたのか」と聞いてみると、彼は素晴らしくよく評価していたのです。それで、彼は本当に責任者になる人物だなと思ったのです。久保木会長が言ったことは、「三十六家庭のアダム家庭である、一番目の家庭はこうであり、二番目の家庭はこうであり、三番目の家庭はこうでありました。七十二家庭のこの人はこうであり、その家庭はこうであり、七七七家庭はこうであります」と、みんな結論を出したのです。

 皆さんは居眠りをしていますが、世界の人たちは、もうすでに評価しているのです。ですから、「私は韓国から来た」と威張ってはなりません。先生は民族主義者ではありません。再臨主は天の国の心情を中心とするものです。私は日本に対しても話しましたが、天の心情は国家を越えるのです。

 ですから、聖人たちは皆世界主義者なのです。イエス様も世界主義者であり、釈迦も世界主義者であり、孔子も世界主義者でした。そうでなければ、世界万民を抱くことができないのです。天は世界的です。国家を越えたところから出発するのが、天の心情の基台なのです。悪主権を勝利した善主権から天の心情が、地上の人情と合わさって基盤になるのです。

 皆さんは先生についてきましたが、国家的勝利基盤の上に立って天の心情の因縁を求めて来たのかという問題を考えた時、備えができていないということです。天の心情に従っていく者は天の心情に残り、人情に従う者は人情で終わるのです。今はそのような時なのです。このような話を聞くとちょっと寂しいですか、寂しくありませんか? 本当は寂しいでしょう。はっきりと「寂しくありません」と言えなければなりません。神様は世界を復帰することにおいて、足りない子女を犠牲にできないのです。足りない者がアベルになることはありません。

 世界的この時代において、韓国はアダム国家として世界的なアベルであるために、アダム国家の権威を持った皆さんが、世界の国家群の前に立たなければならないのです。結論は既に出ているのです。他の国家よりも優れなければならないのです。

 皆さんは主体国の国民として優れていなければなりません。ですから、皆さんはこれからお金のことを問題にしてはなりません。草や木の根を掘って食べながらでも、果たさなければなりません。この戦いは最後の峠でありどうしても恥じることがあってはいけないのです。冬に薄いジャンパーを着てでも戦い、彼らの前に負債を負ってはなりません。ですから、今回先生は世界の人々の前に、みんな負債を負わせてきました。分りますか。今回先生は、すべてを世界の人々にあげてきたのです。皆さんも人に何かしてあげられる基盤を立てなければなりません。主体国の皆さんが、負債を負ってはいけないのです。負債を負いますか、負いませんか?(負いません)。

 すべての態勢を改善しなければなりません。統一教会の責任者たちは態勢を改善しなければ、民族の恨みを免れることができません。祝福家庭も同じです。もし祝福家庭がそのようになったとしても、先生は責任を負いません。私は、原則的な面から責任を果たせなかったとは夢にも考えていません。韓国が責任を果たすことができなければ、日本と交代させることもできるのです。


反省しなければならない韓国


 アメリカは、新しい法律をつくることができます。各州ごとに法律をつくることができるのです。それは良いことだと思います。その法律がアメリカ全地域に広がっていくと、それを連邦政府が見習うようになっているのです。それで、アメリカに投入しようとしているのです。韓国でできなかったことの恨みを、アメリカで晴らそうとしているのです。

 その時は、先生の子供たちみんなを連れて行くのです。そして私の信じることのできる人、私の手足になる人、間違いない人たち七十人を連れていく考えです。そうなると、韓国も同じ立場でついて来ることができるのです。でなければ、世界主義者だと言えないのです。

 皆さんは先生が韓国を離れる時、先生の代わりに韓国の責任を持たなければなりません。皆さんが韓国の責任を持たなければならないのです。韓国が滅んでも世界が救われるならば、韓国は復帰できるのです。韓国のみを守っていて世界が滅びるようになれば、その時はすべてが滅びるのです。それゆえ、より大きな世界的な聖戦に向かって出発しなければならない時代的な使命が、この先生にあるのです。大韓民国 が滅んではならないので、最小限でも復帰できる基盤を立てておかなければなりません。私が大韓民国に生まれたので、そのような基盤を韓国に残しておかなければなりません。

 再び帰った時に、権威を立てることのできる基盤を残しておかなければならないのです。それゆえ、今まで大韓民国のために血と汗を流してきたのです。もし、アジア作戦が不利になれば後退作戦をするのです。それは単なる後退ではなく、より高次限的な前進作戦なのです。国家を中心として戦ったので、民族のレベルに落ちてはいけないのです。しかし、世界に向かって戦う責任を持とうとする時は、神様は「やあ、時が訪れた」と言いながら、いくらでも参加することができるのです。

 外国の人々の尊敬を失ってはなりません。それはなぜかというと、皆さんが願えば機動隊をつくりますが、皆さんが今のようなままであれば私は相対しないというのです。これは、皆さんが決意しなければなりません。私がやってあげることではありません。願うならばやってあげますが、願わなければやめてもいいのです。皆さんやりますか、やりませんか?(やります)。

 男たちは何人を伝道しますか?(一〇〇〇名です)。ここにいる人たちはみんなで何名ですか、教会長と言われる人たちは何名ですか?(一七〇名です)。班長を除けば何名ですか?(一七三名です)。一七三名が、一人当り七名伝道しなければなりません。一人が七名ずつ伝道すれば、三×七=二十一、七×七=四十九、一×七=七、七名ずつ伝道すれば少し残りますね。各教会長は七名ずつ集める自信がありますか? 自信のある人は手を挙げてみなさい。どのくらいいるか見てみましょう。一人もいないということですか? この者たち! そのような計画のために皆さんを動員したのです。いっぺんに、世界的な権威を立てることのできる面子を立てておこうと動員したのです。

 今まで皆さんが責任を果たせなかったので、再びそれを果たさなければならないのです。私は金元弼に、「今まで同情してあげる先生だったが、これからは、厳しい先生になる」と言ったのです。同情すれば、二人共滅びるのです。一人でも滅びないためには、厳しくせざるを得ないのです。切る時は切らなければならないということです。冷たくすべき時には冷たくしなければ、二人共滅びるのです。

 今回私が日本に行ったのは、み言を語るためではありません。「世界的運勢を日本に吹き入れてあげる」と言ったので、何か良いことでもあるかなと思って集まってきたのですが、先生はその場で機動隊をつくりました。それをつくらなければ大変なことが起こるのです。それで私は、「四倍化運動をしなさい」と言ったので、四か月の間に二・六倍に増えました。み言を聞けばみんなそのようになるのです。みんな恐ろしいけれども親わしいというのです。やることがさわやかだというのです。ですから、外国の食口に負けないという覚悟で臨みなさい。

 それで韓国にいる皆さんは、先生が「伝道しなさい」と言ったのに、伝道しましたか? 伝道した食口がいますか、いませんか? 女性たち、伝道しましたか、しませんでしたか? 返事をしてください。実績が必要なのです。報告を聞きましたが、実績の話は一つもありませんでした。外国では、科学的根拠と実質的な原則によって報告するのです。世界に出た時、私は恥ずかしくなります。ですから機動隊をつくらなければなりません。そのようにするという男たちは手を挙げてください。

 私が金浦空港に到着した時に雨が降りました。それは恵みの雨ではなく、韓国の悲しい涙の雨だと考えたのです。良い日がないのです。今は忙しい時なのです。今までは基盤を立てることに苦労しましたが、ここで最後の戦いをして、条件を立てておかなければ私たちは外国の食口たちに負けるのです。日本の食口たちの前に顔を上げることができなくなります。

 今回日本に行って来た人は手を挙げてください。日本の食口たちに勝てそうでしたか、勝てないようでしたか? 見ればすぐに分かることです。

 それでは、これから機動隊を編成しなければなりません。七〇〇名を動員するのです。そうしなければ権威が立たないのです。少なくとも六〇〇名は越えなければなりません。皆さんはそれ以上伝道しましたか。七〇〇名いれば韓国の道が八つありますから、八掛ける九で七十二になり、一道を九十名ずつにすることができるのです。ソウルを入れると九つになります。七〇〇名を動員しましょう。


統一教会の人が行くべき運命の道


 私たち統一教会の人の行くべき運命の道がいかなる道か、はっきりと知らなければなりません。個人から家庭、家庭から氏族、氏族から民族、民族から国家を越えて行かなければなりません。国家を越えて、世界を越えて行かなければなりません。大韓民国を中心として見ると、これからは、政府も私たちを支持する段階に入ってきているのです。今や韓国が主体的な立場で未来世界の前に影響を及ぼすことのできる道は、統一教会をおいてほかにありません。このような事情において、これから私たちは誰よりも強力な機動性を発揮して、既成教会を復帰しなければなりません。

 既成教会を復帰すれば、国家も復帰できるのです。カイン・アベル復帰歴史において、個人的カイン・アベルがなければ、個人的蕩減復帰ができないのです。家庭でもカイン・アベルがなければ蕩減復帰ができません。氏族もカイン・アベルがなければ蕩減復帰ができないのです。今、我々統一教会は氏族復帰型です。私たちがアベル的氏族であり、既成教会はカイン的氏族なのです。これを復帰しなければなりません。

 これを一つにするのが我々の行くべき目的地なのです。そのようになった時、全国家的な宗教界を吸収することができるのです。その運動をするのが、『週刊宗教』なのです。今までそのようなことをやってきましたか。宗教が一つになる方法は何でしょうか。金日成が絞ってくればくるほど、宗教が一つになるため、国家的方向が決まるのです。ですから宗教者は、勝共理念で武装されなければなりません。

 それで、南北のカイン・アベルがあるのです。北韓では金日成に対して父と言うし、皆さんは先生に対して父と言うのです。対立しているのです。ですから実力対決で、私たちが優れた立場に立たなければなりません。数は少なくてもそれが問題ではありません。北韓の共産党が一つになっている以上に、私たちは信念を持って完全に一つにならなければなりません。彼らは金日成が命令さえすれば昼も夜もなく、三十八度線を越えて来る準備ができているのです。死んでもやろうとするのが共産党なのです。

 ですから皆さんは、それ以上にやらなければなりません。それ以上にやらなければ、復帰ができないのです。何の話か分かりましたね。女性たち分かりましたね?(はい)。今度先生がヨーロッパに行って、「共産世界のモスクワで地下運動をしなければならない」と言いました。そのようなことを準備をして、基盤を整えてきたのです。皆さんは、東ヨーロッパのソ連の衛星国家から先生に供え物を贈ってくる食口がいるということを知らなければなりません。彼らは今銃剣の前に命を懸けて、死ぬか生きるかという立場に立っているのです。これ以上詳細な話は省略します。

 皆さんは、命を懸けて殉教の道を堂々と行くことのできる覚悟、新しい国家のために犠牲になることのできる覚悟をして、先生に相談する食口たちがいるということを知らなければなりません。ですから、そのようなことを知って指導する先生はどんなに深刻なことでしょうか。

 日本の共産党も先生のことをよく知っており、朝総連も先生のことをよく知っています。私が日本にいた時、朝総連から「文先生が来られたのですか」という問い合せが来たのです。いっぺんに分かってしまうのです。私たちは世界の先頭に立って、世界的な共産党に対立しているのです。まるで昔のダビデとゴリアテのような状況なのです。天下の危機一髪という途上にあって、誰も神様を信じて命を懸けて出る人がいない時、羊飼いのダビデがゴリアテの前に一人で立ったことと同じ状況なのです。その時、神様がダビデの代わりに立っていたことは皆さんもよく知っているとおりです。ですから皆さんも、そのようにしなければなりません。我々統一教会の祝福家庭は今、国のない民なのです。国のない民はどうなるのか、いつも心配なのです。


国家的機動隊活動法案


 このような観点から、私たちの教会的使命を見た時、これからはアメリカを中心として活動しなければなりません。そのような希望のある者は英語を勉強しておきなさい。日本にいる幹部たちも三年後にはみんなアメリカに連れて行こうと思っています。韓国にいる幹部たちはパスポートを取るのが難しいのです。それでしかたなく、日本が先頭に立つのです。それで、アメリカを中心として全世界を救う運動をしなければなりません。早い内に強力な基盤をつくらなければなりません。

 これからは、アメリカ全域に勝共要員を派遣しなければなりません。CIA局長やFBI局長など、共産圏に対する専門家たちを教育するのです。そのようにして、世界的に民族を統一し、共産党を防ぐ作戦をするようになれば、必ず彼らが後援するのです。このようになれば、世界統一十字軍の旗を立てていくところには、上院議員たちがみんな集って来るのです。このようにしなければ世界を救う道がないのです。今その準備をしているのです。

 私たちは諦めることではなく、早いうちに韓国でも国家的基準を中心としての強力な体制を整備して、頂上に向かって突進する作戦をしなければなりません。我々が七〇〇名、二〇〇〇名を動員して、一度に二五〇名ずつ活動すればどうなるでしょうか。昼も夜も休まずにラッパを吹くのです。

 それで各国においての緊急問題が何かといえば、いかに指導者を輩出するかということです。修練所をつくって教育するつもりはありません。機動隊を中心として教育するのです。移動修練所なのです。一班、二班、三班に分けて、六か月以内に原理試験をパスできるように教育するのです。パスできなければ一時延長して、一年は見てあげるのです。それでも原理試験にパスできない人は、落第者となるのです。

 それで一班、二班、三班に分けて、創造原理班、復帰原理班、堕落論と再臨論班で、二か月に一回づつテストを行い七十点以上取るように教育して、一班は二班へ、二班は三班へ、三班は一班へと回りながら二か月、二か月、二か月で、完全に原理をマスターさせるのです。そして一班は機動隊生活をしながら経済の責任を持つのです。総務的な責任を持つのです。生活すべてを担当できる訓練をさせるのです。その次の班は、原理の全般的な面を教育して訓練させるのです。いろんなシステムを訓練させるのです。その次の班は、渉外と伝道をするのです。最高幹部の人々を渉外して、言論機関を伝道するのです。責任者は全体を一度に動員するのではなく、三人が一組になって巡回しながら行うのです。そのような訓練をしなければなりません。

 そうして、自分の使う経費はすべて自分で負担しなければなりません。この機動隊には、新しい人がいつも四十名はいるようにしておかなければなりません。そして復興会は、すべて原理講義をするのです。原理講義は機動隊要員の修練ともなるのです。修練と同じ心でもって講義するのです。機動隊要員一人は、一般の人を三人連れて来るのです。このようにして四十名になると、一二〇名は集まるのです。地方に行って、このような運動をするのです。

 機動隊が毎週移動するためには、一週間以内に一人を伝道することができなければ、一年五十二週の間、一人も伝道できないという結論が出るのです。一週間ごとに移動するので、一週間の間に伝道できなければ、この機動隊は一年に一人も伝道できないという結論が出るのです。それゆえ、一週間で一人伝道するという運動を広げなければなりません。

 まず三人と因縁を結んで、その中から一人を伝道するのです。一日に三人ずつ伝道すれば一週間で二十一名になります。新しい人を一週間に二十一名は連れて来なければなりません。一日に三人ずつ新しい人を連れて来るのです。昨日連れて来た人は、きょうは自分一人でも来れるようにしておいて、新しい人を三人連れて来なければなりません。そのような運動を広げるのです。そのようにすれば、一週間に出会った二十一名の中で一人を伝道することは問題ありません。

 伝道の専門家にならなければなりません。二十四時間伝道するのです。日本の統計資料によると、そのようにして普通四パーセントが食口になるそうです。ですから、一日に一人は伝道できるということになります。一日に一人が三時間以上伝道をすれば、三十日で九十時間になります。そうでしょう。もし、一週間に九十時間だとすれば、一日に十二時間以上伝道しなければなりません。男性も女性も、朝から晩まで伝道しなければなりません。一人が一日に三時間ずつ伝道すれば、一か月に一人を伝道できないということはあり得ないのです。


『原理講論』を読ませること


 このような観点から、一日十二時間以上はみ旨のために走らなければなりません。一週間に一人伝道の運動をするのです。日本では今そのようにしています。でなければ、機動隊は一年の間、一人も伝道できないということになるのです。また機動隊が移動する時には、伝道した人にポストカードを送って、いつどこに行くと教えてあげるのです。そのように連絡をしながら伝道をするのです。

 これから食口は、一人が原理の本を三十冊買わなければなりません。日本では『原理講論』を原価であげることにしました。これからは地方の有志に本を貸してあげるのです。一か月に一冊ずつ貸してあげるのです。一か月で一冊の本をみんな読むことができるのですが、皆さんが一生懸命に勧めれば二週間で読ませることができます。何の話か分かりましたね。

 これからは、皆さんが宣伝する時代です。子供たちがいれば、「必ず読む価値のある本ですよ」と宣伝をして、貸してあげるのです。『原理講論』三十冊を持って、一日に一冊ずつ貸してあげて、一冊ずつ回収するのです。一年たてば三六〇冊になります。三六〇名が『原理講論』を読むということになるのです。そうでしょう。さらに二週間に一冊ずつ貸してあげるようにすれば、七二〇冊で、七二〇名の人が原理の本を読むようになります。

 日本では、原理のみ言を聞いて食口になった人は四パーセントなのですが、原理の本を読んだほうが、多くの人が食口になるのです。『原理講論』を読んで理解できる人が統一教会に入れば、その人はいっぺんに中心食口として活動することができるのです。しかし原理を聞いただけで入って来る人は、そのようにはなれません。

 今、韓米文化自由財団は全国民に対して、募金のための手紙を送っています。それによると、一〇〇通送れば二パーセント以上の返事が来るそうです。しかし原理の本を読んで感銘を受けた人たちは、それ以上だとみているのです。私たちが直接訪ねて、真心を込めて伝道すれば、それ以上の効果が現れるだろうと思っているのです。もし一パーセントだと考えてみてもどのくらいですか。

 また、原理の本を貸してあげるにしても、そのまま貸してあげるのではありません。途中で感想を聞いて、良いという人たちには本を売るのです。そして原理に関心のある人たちの親戚や、お母さんお父さんに、「お話をするのでみんな集まりなさい」と言って、原理の本を一冊ずつ配ってあげるのです。このようにして講義を続けながら、一週間とか二週間ですべて読むようにして、そこで「どこまで読みましたか」と、解釈してあげながら勉強させるのです。

 このように講義をする所が十か所ぐらいになり、十名ずつ集めて集会を開くことができれば、自分の父母、姑と舅に「きょう私が講義をしますから、一度一緒に行きましょう」と言うのです。舅が「今まで家庭生活はしないであれこれ悪い噂があったけれども、いったい何の話なのか」と言えば、「良い話ですから一緒に行ってみましょう」と言うのです。舅が反対すれば、その舅に原理のみ言を語るのです。原理の話をするのです。すると、「私の家の嫁は本当に立派だ」となるのです。

 一週間もみ言を聞けば、後援するなと言っても後援するようになります。このようになれば舅の誕生日に、パーティーを開きながら「今私のしていることは間違っているのですか、正しいのですか」と言ったら、「正しい」と言うようになっています。こうして誕生日のパーティーに村の人たちを集めて、親戚の中の一人を司会者にして講義をするのです。そうして家庭全体を伝道するのです。すると自動的に十人は問題なく復帰されるというのです。

 それで一年に十人を目標にして総進軍するのです。分かりましたね。一万名が原理の本を持って三十名ずつ伝道すれば、三十万人になります。三十万人が三六〇冊ならば一億八百万になります。

 共産党が今日世界を制覇したのは、本をもってやったのです。皆さんは今まで考えてもみなかったでしょう。今まで伝道してきたのですが、本をもって伝道する方向を知らなかったのです。本で伝道すれば、このように膨大な数字が出て来るのです。三千万復帰は『原理講論』で伝道しなければなりません。統計的に見ても、日本の場合も四パーセントが食口になっています。一年に十人を伝道できないということはあり得ないことです。これは科学的数字によっても確かなことです。

 それでは『原理講論』の原価はいくらですか? 原価でみんなに配りなさい。日本はそのようにしました。原理の本を三十冊持っていない人は、統一教会の人ではありません。これは全世界が同一なのです。全世界の統一教会が統一的な行動をしているのに、主体国である韓国ができないと言っては話になりません。まず韓国で伝統を立てておかなければならないのです。

 責任者たちは夜明け前から活動しなければなりません。ただ座って時間だけ潰してはなりません。一日に一人会って、本を一冊あげて、一人からは一冊の本を回収するのです。それはできないことではありません。これをやらない人は祝福であれ何であれ、何もやってあげません。全世界的にこのような風が吹いたのですから、私たちはついて行かなければなりません。先頭に立たなければなりません。先頭に立ちますか?(はい)。

 日本はもう既に『原理講論』を配り始めました。大学生に七五〇〇冊を配りました。大学から早く始めなければなりません。大学で十人が一日に一冊ずつで、一年でいくらですか。三六〇〇人が『原理講論』を読むことになります。そうでしょう。三十名では、一万名を越えるのです。三十名になれば、教授から学生に至るまでみんな読むことができるのです。このような成功の秘訣を、教会長は知らなければなりません。それで一年に十人の伝道目標でやるのです。今後、先生は世界的にどの国が平均的によくやるか見ていくつもりです。

 今回私が日本に寄ってみたら、以前よりも一・五倍食口が増えていました。東京でも今は一〇〇〇名以上なのです。しかし私が行くたびに激しく指導するので、全国的に平均二・六倍が増えたのです。二・六パーセントではなく二・六倍です。分かりましたね。十名の二・六倍は、二十六名です。そのように増えたのです。ですから先生を知らない人が三分の二もいました。先生に初めて会う人が三分の二以上だったのです。

 鹿児島などにいる人たちが東京に来るためには二十四時間、三十二時間も車に乗って走って来なければなりません。先生を一度見るために、北海道からも、二日間もの時間を取って来るのです。日本にはこのような運動が広がっています。皆さんもそれを知って準備しなさい。早ければ早いほど早く達成できるのです。

 地方の有志たち、小学校卒業以上には、みんな『原理講論』を読ませなさい。分かりましたね。皆さんは早く自分のお父さん、お母さん、兄さん、姑、あるいは舅に会って伝道しなさい。全部が『原理講論』を買って伝道しなさい。分かりましたね。漢字を知らない人には、漢字を教えてあげなさい。教えてあげながら伝道するのです。それでは歌を一曲歌って終わりにしましょう。何の歌を歌いましょうか。「園の歌」にしましょう。


祈祷


 お父様。あなたが探し求めて来られた復帰の限界線が、このように一つの主権国家を立てて、サタン世界が付いて来ることのできない、サタン世界より上に立つ国を捜し求めて来たことを、今日この地上に住んでいる人は誰も知らなかったことを、この時間、私たちははっきりと知りました。

 お父様。この国、この民族がこれから行くべき道を心配するこの時において、救国的な民族運動を通して、この思想を各自の前に伝えてあげなければならない責任が私たちにあることを考える時に、どんなに忙しいかということを私たちはもう一度悟ることができますように。

 全国の状況を見てみると、アジア全体の世界史的な流れを見た時に、統一教団の使命がどんなに重いかということを今や知るようになりました。私たち個人は言葉だけでなく、実戦においても勝利した個人にならなければ、あなたと共に因縁を結ぶことができないということをはっきり悟らしめてください。常に同じ立場からは真の因縁を結ぶことができないということを自ら知っているので、これを拒否し動かすことができないということを、今日、み言を通して新たに認識し、新しく決意しますので、お父様、お許しください。

 かわいそうな統一教団をお父様が育てて来られたので 、これらをして、あなたが願われるみ旨を相続することができますように。それを世界の前に相続して余りある資格を持った人たちになりますように。そのためには、どんな犠牲が伴っても、それを克服しなければならないことが残されている現時点において、強く大胆な信念を持って出ることができますように、切にお願い申し上げます。荒野路程において、疲れたイスラエル民族の力を整えて、カナン七部族を征服しなければならなかったヨシュアとカレブの立場がどんなに難しかったかということを考えた時に、今日、私たちが立っている立場はそれよりもたやすい立場であるということを知って、私たちが自ら強く大胆な心情を持って、自主的な立場を決意する各自になりますように、お父様、切にお願い申し上げます。

 この時間以後の全体にも、自ら共にあってくださるように、再三お願い申し上げます。万万世の恵みと愛が、私たちが計画するすべてのみ旨の上に共にいてくださいますよう、真の父母の御名によってお祈り申し上げました。












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メシヤが成すべきこと

文鮮明先生御言選集 55


メシヤが成すべきこと 1972年5月9日 韓国 中央修錬所

堕落によってサタンの主管を受けるようになった人間


 メシヤが来られる目的は、世界を救うためです。本来、イエス様の当時に、イスラエル民族とユダヤ教がイエス様と一つになって団結し、一つの主権国家を形成して、堂々とローマ帝国に誇ることのできる立場に立っていたならば、神様が直接主管されたのです。

 しかし今まで、天の権威と面目を立てる基準の神側の国家がなかったために、歴史過程において数多くのキリスト教の人たちが虐殺され、犠牲にされてもどうすることもできない惨めな歴史路程を経てきたということを、私たちは知らなければなりません。ですから、国が問題なのです。あなた方もそのような立場に立っているということを知らなければなりません。それゆえに、全世界のキリスト教の人々を一つにして、私たちの目的は国を探し求めることです。

 そうするためには、アダムが失敗したことを、イエス様が復帰しなければならないし、イエス様が失敗したことを再臨時代に復帰しなければなりません。したがって、再臨主がこの地上で成すべきことが何かというと、全世界のキリスト教の人たちを一つにして、国を復帰しなければなりません。イスラエル民族よりも、あるいはユダヤ教よりも、より団結して、一つの国家形態を備えて、世界のサタン国家の前に誇り得る一つの国を探し求めなければならないことを、はっきりと知らなければなりません。

 ですから今、韓国で伝道している統一教会の人々は何にたとえられるかというと、亡命者と同じなのです。同様に全世界の統一教会の人々は、神の国を探すための全世界的亡命者と同じ立場で活動しているのです。

 皆さん、(黒板を使用されながら説明される)こうしてアダム・エバは創造されましたが、人は生まれる時、女性を通して生まれます。そうでしょう。女性を通して生まれたのです。神様は、原理の神様であります。反対にサタンは、非原理的な立場に立っているものです。ですから人間が非原理的である時はサタンが主管し、原理的である時は神様が主管するのです。

 神様が天宙を創造されたその位置を見てみますと、まず神様がいて、その次にアダム・エバがいて、その次は天使長です。このようになっていたのです。本来、神様の次に神様の息子娘がおり、神様の息子娘の主管を受けるようになっているのが僕なのです。これが原理的なのです。

 しかし、堕落することによってどうなったかというと、サタンの下にアダムが入るようになりました。神様はアダムを失ってしまったのです。逆になったのです。まずサタンの下にエバが入り、その次にアダムが入るようになったのです。このようになったのです。堕落しなかったならば、神様の下にアダムがおり、その次に天使長が来なければなりません。それが順序なのです。(黒板を使用されながら)ところで、これが堕落によって完全に逆になりました。神様がどこにいるかといえばここに来ているのです。探し求めていけば神様がここにいるというのです。逆になったのです。ですから、この位置を復帰するために今何をすべきかといえば、アベルを復帰することです。そのアベル復帰は、天使長的立場から復帰完成した立場にメシヤを送って完結させて越えていくのです。

 それではメシヤとはどういう存在でしょうか? メシヤは血統的に蕩減復帰した基盤の上に来なければならないのです。言い換えれば、サタンの血統を受けて生まれた人類の前に、メシヤは血統的な面からサタン側に生まれたとしても、サタンが讒訴できない環境から生まれなければなりません。サタンが讒訴できる環境から生まれたならば、創造原 理的な立場に合わないのです。

 本来、神様がアダム・エバを創造した時、サタンが讒訴できる立場から創造したのではなく、天使長の助けを受けながら、天使長に侍られながら創造されたのが原理であるために、メシヤであるイエス様もこの地上に生まれメシヤとして登場するためには、胎中の時から、サタンに讒訴されるような内容を持っていてはいけないということです。これが原理なのです。

 しかし堕落圏内にいる人たちは、皆養子圏内にあるために、胎中から皆サタンの所有物になってしまったのです。ですから、神様はイスラエルの歴史を通して、血統転換の摂理の基盤を立てて来られたのです。人間は生まれる時、父から種を受けて、母を通して生まれてくるのです。分かりましたね。母を通して生まれるのです。

 しかし堕落したために、父はサタンなのです。サタンになってしまったのです。堕落した先祖を見てみますと、父よりも母が先に立っているのです。堕落の経路を見てみると分かるのです。当然アダムを通して子供を生んだのですが、その根本には母子関係、つまり母の罪の根が息子の罪の実になったということです。


血統転換をしなければ神様に帰ることができない


 本来、アダム・エバが堕落しなかったならば、一番目に生まれた息子のカインも、神様の息子になるはずだったのです。そうでしょう。堕落せずして息子を生んだならば、常に神様が思うままに主管できる息子になり、その後孫も、神様が自由に主管することのできる神側の善なる氏族になるはずだったのです。しかし堕落によって、人間はどうなったかというと、原理的な面では神側に立っているように見えるけれども、愛の因縁を中心として見るとサタン側に立っているのです。愛の因縁を持てば永遠に主管することができるのです。愛の因縁を結べば、すべて主管できるようになっているのが原理なのです。

 ところが、堕落の結果によって、愛の原理からして、サタンが主管できるようになってしまいました。原理的な立場から見ると、人間は神様が主管するようになっているけれども、堕落した立場から見るとサタンが主管するようになっているのです。このような立場に立っているために、人間はサタンに主管されたその基準を、再び否定する立場に立たなければ神側に帰っていくことができないのです。

 それでは、サタンを通して何を受けたのかというと、サタンの血統を受けたのです。サタンの血統を受け、汚れた後孫として生まれたがために、血統を否定しなければなりません。言い換えれば、母の胎から生まれたので、逆に再び母の胎中に戻らなければなりません。そうして堕落前の段階へと戻って行かなければなりません。そうでしょう。堕落した父母以上の立場にまで戻っていかなければ、復帰の道がないのです。

 このようにして、逆に血統を取り消すことをしなければならないのです。サタンの血統を否定しなければならないのです。再び胎中に戻っていって、サタンの血統ではなく、天の血統を受けて生まれ変わらなければならないのです。天の血統を受けて再び生まれると、カインは左側になり、アベルは右側になるのです。このようになれば、天の愛を通して生まれた順序になり、一番目の息子も神様が主管し、その次の息子も神様が主管することができるのです。そのように、再び母の胎中を通っていく運動をしなければならないのです。

 原理基準で神様の愛を中心として見ると、一番目の息子も神様の息子であり、二番目の息子も神様の息子なのです。原理の主人公であると同時に、愛を通して復帰された主人公にもなるのです。そのようにならなければなりません。ですから受けたサタンの愛を取り消して、サタンの息子が先に生まれたのではなく、天の息子が先に生まれたという立場に帰っていかなければ完全復帰にはならないのです。

 それで(黒板を使用されながら)このように回っていってはいけないのです。母と父に従っていては、天との関係を結ぶことはできません。ですから仕方なく反対するのです。それで再び胎中に入って蕩減復帰して来なければならないのです。このようになっているのです。堕落する時、エバを通して、この父母の立場から子供たちが生まれたのが堕落なのです。ですから、母と父の堕落する以前の心情的基盤を探していくというのは、ある高い位置を探していくのではなく、天の愛の圏内に入るということです。これを取り換える立場に入らなければならないのです。


カイン・アベルから始まった長子権復帰摂理


 本来、神様の愛を中心として生まれた長子は神様の息子であり、サタンの息子ではないのです。そして次子も神様の息子であり、サタンの息子ではないのです。ですから、そのような立場を復帰するためには、アベルが長子の立場に立って、カインが次子の立場に戻るようになれば、原理的な基準も復帰され、愛も本来の順序どおりに復帰されるようになります。神様は原理的なので、愛を中心としての因縁を結んだならば、神様は原理ばかりでなく、愛を中心として完全に主管することができたのですが、これが分かれてしまったのです。

 堕落することによってサタンが愛を先に取ったために、愛を中心に非原理的な形をつくりあげてしまいました。ですからこれを取り消すためには、蕩減復帰するためには、反対の経路を通らなければならないのです。それゆえに長子が次子になり、次子が長子になることが起こり得るのです。

 ところでエバは堕落したために、それ以上の立場まで戻らなければならないのです。摂理に相対できない立場にいるので、歴史を通してその後孫をして置き換えるのです。そのような戦いを通して血統転換をさせておかなければならないということを知らなければなりません。

 本来、カイン・アベルを中心として置き換えようとしたのです。置き換えればどうなるかというと、アベルは兄になり、兄は弟になり、弟は兄の立場に立つようになります。神様を中心として見ると、息子の順序が正しくなるのです。右にいたサタンが左に行き、左にいた神側が右に行くのです。そのようにして、順序が正しくなるので、神様、アダム、天使長の順序になるのです。

 堕落することによって、神様、サタン、アダムという、逆になったことを正すことによって、本然の原理的基準の復帰をするのです。そのために、このような順序を合わせるために交差作戦をせざるを得ないのです。そのようにして血統的にすべてを清算しなければならないのです。しかし、ここでカインがアベルを殺したために悲しいことが起こったのです。

 本来、この二人の息子は愛の実なのです。二人は、二つの愛の実として生まれるのではなく、一つの愛の実として生まれなければならなかったのです。ところが二つに分けられてしまいました。アダムを二つに分けることはできないため、カインはサタン側に、アベルは神側に立てたのです。これは、一人の息子を生んだのと同じなのです。一人のアダムを代身したのと同じことなのです。それゆえに、いずれも愛の実だということです。

 本来、一つの愛の実を中心として、一人の息子あるいは娘として二人が生まれたのと同じなのです。ですから二人を一つの愛の実の立場から蕩減しなければなりません。それでふたごの摂理をせざるを得なかったということです。

 このような順序を取り戻すために出た人が誰かというとヤコブなのです。ヤコブはどこを探していったかというと、交差点を探していきました。その交差点に向かって縮めていったのです。このように反対に探していかなければならないので、縮めていくのです。それゆえ、このような立場に立った人はエバより優れていなければなりません。優れていなければそのような使命を果たすことができないという結論が自動的に出てくるのです。

 こうしてヤコブとエサウを中心とした戦いが広がったのですが、この戦いを通してヤコブはアベルを復帰しなければならない責任、つまりアベルが失敗したことを蕩減しなければならない責任があると同時に、天使長によってアダムが主管されたことを再び復帰しなければなりません。ヤコブにはこのような二人の使命があったのです。アダムが天使長に屈伏されたことを復帰する責任があり、カインがアベルを殺したことを復帰する使命があったのです。

 原理的な立場から、原理を破ったサタンを復帰するためには、その反対経路を通らなければならないのです。なぜかというと、エバとカインが同じ立場に立ったために死亡が決まったからです。それではリベカはどういう存在かというと、エバと同じ立場だったのです。では、リベカはどのようにしなければならなかったでしょうか。エバは父をだまして、その次にアダムもだましました。神様をだまし、アダムをだましたので、父と息子をだましたということになります。親子をだましたのです。

 ですからリベカも親子をだまさなければなりません。ここで父はイサクであり、その次に息子はエサウなのです。エバが神様をだまし、アダムをだましたのと同じく、リベカはエバの代わりにイサクをだまし、その次にエサウをだましました。それではどうしてだますという立場に、復帰摂理をなされる神様が加担されたでしょうか。これが今まで問題だったのです。なぜそうしなければならなかったかということです。これは堕落した反対経路によって復帰しようとするため、不可避な現象であったということを知らなければなりません。エバは神様をだまし、アダムもだまして堕落したけれども、リベカはイサクをだまし、その息子エサウをだまして、天からの祝福を受けたのです。天へ帰ろうとする立場からそのようなことを行ったために蕩減復帰がなされるのです。これを皆さんは知らなければなりません。

 では、どうしてだまして神様が摂理なされるのか、神様はうそつきの代表者ではないか、という反論が出てくるのです。そうしなければ不可避的に反対経路を通して復帰することができないためなのです。ですからリベカがヤコブを立てて、祝福を受けるようにするのはごく当然なことなのです。母と息子が一つになることによって、神側の母と神側の息子が一つになることによって、罪悪世界を清算することのできる復帰の道が開かれるのが、自動的な原則なのです。このようにして、リベカがエサウとヤコブを胎中に持った時に、胎中で二人が戦いました。

 次子の立場に立っているヤコブが長子の立場に立たなければならないのですが、エサウが長子の立場に立っているから戦うようになるのです。二人が胎中で戦っている時、リベカは神様に、「私の胎中で戦っている二人がいますがどうしてでしょうか」と神にお祈りをしたところ、「お前の胎中には二つの国がある。大きい者は小さい者に侍るであろう」と答えがありました。これが公式なのです。なぜそうしなければならないかということを、今まで誰も知らなかったのです。この原則からすべて解かれるのです。


アダムとアベルの立場を復帰したヤコブ


 このような復帰の原則に従ってヤコブとエサウが生まれて、一番ヤコブが願ったことは何かといえば、長子の嗣業を復帰することでした。ヤコブはアダムの代わりに責任を持たなければならなかったために、誰よりも神側に帰っていく長子の嗣業を願ったのです。これは、復帰摂理の運勢から見た時にそのようになっているのです。

 エサウは狩人で、神様のみ旨よりも現実主義者だったのです。しかしヤコブはいつも長子の嗣業を重んじ、神様の祝福を受けた人が祝福を受けるはずであると、自ら神側に立っていることを知っていました。そのように長子の嗣業が欲しかったヤコブであったので、エサウから長子の嗣業を買うようになるのです。パンとレンズ豆で買ったのです。これはキリスト教式でいえば、聖餐式のパンと葡萄酒と同じ条件になるのです。

 このようにして長子の嗣業はヤコブのものになったのです。そうして、ここからどんなことが起こったかというと、リベカも天法に引っかからず、ヤコブも天法に引っかからない立場で、原理原則でもって母が協助してヤコブが祝福を受けるようになったのです。また、祝福を受けた後に、カインがアベルを殺そうとした立場に戻っていくようになるのです。

 カインがアベルを殺そうとしたことと全く同じ立場に立ったために、そこからは交差できないのです。祝福を受けてからカインがアベルを殺そうとしたのと同じように、エサウがヤコブを殺そうとしたのです。それでヤコブは逃げたのですが、ここで蕩減復帰できましたか、できませんでしたか。蕩減復帰はできなかったのです。そこで母の協助でハランの地のラバンの家に行って、二十一年間受難の道をたどるようになるのです。

 しかしラバンもサタン側なのです。ですからヤコブを利用したのです。逃げたけれども、逃げることはできないのです。祝福を受けた人が現れれば、必ずカインと同じ行動をする人が現れるのです。それゆえにラバンも、自分でも知らずにヤコブを利用して、自分の富を築こうとしたのです。それでヤコブはそこで二十一年間苦労して、奪ってくるようになるのです。奪ってくるには、ただで奪ってくるのではなく、何か条件を立てる必要があるのです。

 「私はおじのために何年か働きますので、数匹の羊を私にください。またあなたの娘を私の妻としてください」という約束の上で奪ってくるようになるのです。結局、娘を利用して母を屈伏させることを条件にして、ラバンを追い出してしまうようになるのです。このような復帰原理的な内容は、すべて詳細に話す時間がありません。

 ヤコブは二十一年ぶりに帰って来るようになるのです。ヤコブは、アダムが失敗したことを復帰しなければならないし、アベルが失敗したことを復帰しなければなりません。アダムが霊的なサタンである天使に屈伏し、アベルは実体天使と同じようなカインに屈伏したので、ヤコブは二つのことを蕩減しなければ復帰する道がないのです。ですから、ヤコブはハランから帰る途中で、ヤボク川で天使と相撲を取って、アダムが天使から屈伏したことを蕩減復帰しなければならないのです。

 アダムが天使に支配されたことを蕩減復帰しなければならないので、ヤコブが帰ってくる途中で、神様は天使を送ってヤコブを殺そうとしたのです。神様が倒してしまえという命令をされたのです。ヤコブを助けてあげるためではないのです。これはまるでサタンが要求したことと同じなのです。神様は天使をしてヤコブを打とうとしたのです。そうしなければサタンが打つようになるのです。

 そこで夜を徹して相撲を取った天使は、ヤコブの腰の骨を折ったのです。ヤコブは骨を折られても屈伏しなかったのです。このようにして、人間が天使に勝ったという歴史的な基準が、初めて復帰されるようになったのです。ヤコブが天使と相撲を取って勝利したことによって、アダムが天使の前に屈したことを復帰することができたのです。アダムが犯したその罪を後孫が蕩減しなければならないために、ヤコブは腰の骨を折られても屈せずに勝利したという条件を立ててイスラエルという名前をもらったのです。イスラエル、つまり勝利したことを公認された人が現れたのです。二〇〇〇年の歴史以来、初めてサタンの代わりの天使を屈伏させて勝利した人が現れたのです。イスラエルとして祝福を受けることができたのです。

 アダムが天使の前に屈伏したことを復帰したので、その次は、カインがアベルを殺したことを復帰しなければなりません。そのような霊的勝利基盤ができたので、次にエサウを屈伏させる道が自動的に開かれるのです。皆さん、信仰生活においてもそうでしょう。霊的に勝利すれば、実体的に勝利できるのですね。ヤコブがエサウに向かっていくとき、ヤコブの賢いことは、二十一年間苦労して得たすべてはあなたのものであり、あなたの前に捧げますと言ったことです。今日の善なる人たちが自分のものをすべて寄附する心と同じなのです。

 エサウに上げたとしても、神様を中心として見たとき損にならないのです。分かりましたね。エサウがそれをもらって屈伏するときには、すべてプラスになるということです。ヤコブの財産は、マイナスにはならないのです。エサウが屈伏するときは、すべてのヤコブの財産を捧げたとしても、その財産はそのまま残っているのです。そこにおいてエサウよりプラスになるばかりか、神側は絶対損にならないということです。そのような立場に立って、ヤコブはすべてをエサウに捧げるようになりました。

 国家を復帰するようになれば、捧げたすべてが戻ってくるようになっているのです。このような観点から見たときに、損にならないということです。ヤコブがそのような作戦をして、エサウの歓迎を受けることによって、カインに殺されたアベルの立場を初めて復帰することができたのです。それでヤコブが霊肉共にアベルを復帰した形を成したのです。ここで勝利したとしても、この立場までは行くことができませんでした。(先生が黒板を使用される)それで再びもう一度成さなければならないのです。

 ここでエバと同じような、リベカと同じような人がいなければなりません。それゆえにヤコブの代になって、ヤコブとユダ、その次の息子の三代を経て、この道を開くために出た人がユダの嫁のタマルでした。このタマルが問題なのです。タマルはどういう女性かというと、神様の祝福を受けるためには、自分の面目とか威信とか、死ぬか生きるかという問題を超越した女性なのです。


エバの立場を復帰するために威信と面目を捨てたタマル


 エバは神様の祝福を受けるためではなく、自分の利益のために死ぬことさえ気に止めずにすべて捨ててしまったのです。その反対にタマルという女性は、神様の前に帰るために、神様の祝福を受けるために、自分の威信とか面目を捨てた女性として歴史時代に現れた代表者なのです。ですからエバと正反対なのです。エバは自分の利益のために神様を捨てました。その次に自分の利益のために夫を捨ててしまいました。そうでしょう。しかしタマルはそれと反対だということです。

 舅は誰の代わりかというと父の代わりであり、神様の代わりなのです。そうでしょう。自分の夫はいないのです。夫は死んでしまって、夫の代を続けるために神様の祝福を願って出た女性なのです。このように、エバを復帰する女性の代表者がタマルなのです。

 この地上に夫はいないけれども、希望の男性を願いながら、希望の男性の代を続けるために現れた代表的な女性が、エバと反対の立場に立ったタマルなのです。父と一つになり、息子と一つになることができなかったゆえに失われてしまったエバの立場を、タマルが舅の胸に入って行くことによって、初めて父と一つになる条件を立てると同時に、跡取り息子を得るための希望の基盤を立てることができたのです。このようなタマルは、アダムを殺して堕落したエバとは正反対の希望的な女性なのです。

 このように反対に原理に一致したために、タマルが舅と関係を持って生まれた息子娘が復帰摂理において重要な責任者となることを皆さんは知らなければなりません。すべてが原理的なのです。そこでタマルは、舅が畑仕事に行く道に立って、遊女のように仮装して、エバがアダムをだまし、神様をだました逆の道を行くのです。

 天使がエバを誘惑したので、今度は逆にタマルが誘惑するのです。そのことを通して蕩減復帰をしなければなりません。そこで舅と関係を結ぶようになります。タマルは関係を結ぶ時に、約束の象徴として紐と印鑑と杖の三つの保証の品をもらって保管しました。自分のおなかにいる子供の父が誰であるかということを確認させてあげるために、死んでもそれを残して死ななくてはならないという覚悟の上で、タマルはそれをもらって保管したのです。

 そのような関係で子供ができたので問題になりました。タマルのおなかがだんだん大きくなるのでうわさとなって、ユダの前にまで報告されました。「あなたの嫁タマルは姦淫によって身ごもりました」というのです。その報告を聞いたユダは「あの女を引きずり出して焼き殺してしまえ」と命令した時、タマルは「私はこの品々の持ち主によって身ごもったのです」と、その物を出して見せました。ユダがそれを見ると自分の杖であり、紐のついた自分の印鑑だったのです。そこでユダが責任を持つ立場で、タマルは死なずにすみました。死の境地から助けられて、初めて子供が生まれたのです。

 ここでエバと同じ形式に合わせるために、子供が生まれる時、ゼラという兄が先に手を出しました。そこで赤い紐を結んであげたのです。これが終わりの日に主が来られる、個人的血統復帰時代と世界的復帰時代を歩む時に、共産党が現れることを予告したのです。これは四十年でできなければ、六十年の蕩減へと越えていくのです。分かりましたね。ゼラが先に手を出して長子になって出てきたという条件を立てたけれども、その身は出てくることができず、ペレヅという弟が追いかけて出てきたのです。ペレヅという言葉は「追しのけてきた」ということなのです。そうして二人は母の胎中から既に交差することのできる天の基盤を整えて生まれたのです。先に出てきたほうが支配するようになっているのです。

 問題はこれが交差することです。ペレヅの時代になって初めて交差するようになるのです。胎中から、サタンの愛と神様の愛の結実として同じ立場で戦ったけれども、神側が先に出て、その次に神側に順応する人が出てくれば、スムーズに戦わずに息子娘として地上に生まれることができるので、サタンも讒訴できなくなるのです。何の話か分かりますね。ここで勝利したのですが、これはいずれもヤコブ家庭の問題なのです。ヤコブ家庭で起こったことです。


自分たちの摂理的立場を離れたマリヤとヨセフ


 それではメシヤはいつ来られるのでしょうか? この前話したように、天の選民圏がサタン国家よりも上に立つことのできる民族編成と国家形成時代を迎えなければメシヤは来ることができないのです。これが原則なのです。分かりましたね。その時まで、イスラエル民族はユダ支派を中心として、このような原則に従って、このような伝統的な因縁を経て、タマルが立ててきた伝統と同じように、二〇〇〇年後にみ旨のために生きる世界的な女性の代表が生まれなければならないのです。それが、誰かというとマリヤなのです。

 このマリヤもタマルと同じように、自分の面目や命のことなど考えない人だったのです。自分の家系も何も考えない人だったのです。その当時は処女に子供ができたら、石で打って殺してもかまわないという時代でした。ところで、マリヤに御使いが現れて、「あなたはみごもって男の子を生むであろう」と言われた時に、マリヤは「どうしてそんなことがあり得ましょうか。わたしには夫がないのに」と答えたのです。そこで御使いが「神には、何でもできないことはない」と言うと、「お言葉どおり、この身に成りますように」と、マリヤは答えました。マリヤがこのような立場に立ったということは、その時代にメシヤが来られて、国を救い天の願いが成就できるように誰よりも待ちに待ってきた女性であるということを知らなければなりません。

 その次にヨセフが出てきます。ヨセフは誰にたとえられるかというと、エデンの園における天使長と同じ立場なのです。エバがアダムを否定し、天使長と関係を結んだのが堕落なので、これを蕩減復帰するためには、マリヤの前に夫が立たなければならないのです。そのように、マリヤがヨセフを犠牲にする立場に立った時に、天が初めて蕩減復帰できる立場になります。アダムはエバの夫なのです。

 その夫であるアダムから、エバをサタンが奪っていったことと同じなのです。サタンがエバを奪っていったことを蕩減復帰するためには、神様が再びマリヤを奪って来なければならないのです。そしてヨセフは何かというと、天使長型なのです。ですからマリヤと一緒に住んではいけないのです。しかし一緒に住んだので、問題が複雑になったのです。

 裏切り者だと言われるかもしれないけれど、イエス様とマリヤが一緒になってヨセフを追い出さなければならなかったのです。ヨセフを屈伏させなければならないのです。しかしマリヤとヨセフが一つになったのです。逆になったのです。マリヤとヨセフが一つになったために、イエス様は悲しい立場に立つようになりました。これが恨みなのです。


神様の愛の圏内から生まれたイエス様


 マリヤがイエス様をはらんだ時に、神様のみ旨の復帰原則に従っていたために、マリヤはタマルの歴史的な伝統を相続して勝利的基盤を立てたために、家庭的な代表の女性がタマルであり、国家的な代表となる女性がマリヤなのです。勝利したタマルの伝統的な基準を相続した立場にマリヤがあるために、マリヤの胎中にイエス様が宿っていたとしても、サタンは讒訴することができないのです。サタンが讒訴できなければ反対に神様が愛する立場に立つために、イエス様は胎中時代から神様の愛の圏内にあったのです。

 この立場はエバが堕落しなかった時の本然の立場なのです。神様がアダムとエバを創造した時に、天使長が協助した立場と同じなのです。そのようなサタンが讒訴できない立場を復帰したので、イエス様が初めて、この地上に神の息子として生まれることができたのです。それでイエス様が「私はひとり子である」と言ったのです。

 イエス様は堕落した人間の血肉を受けて生まれたのではありません。聖霊を通して生まれました。血統が違うのです。血統が違うので、サタン世界と関係がないのです。神様の直接主管圏内に立つことのできる代表者であるために、イエス様自身が「私は神のひとり子であり、私は神と一体である」と言ったのです。本来、アダムとエバが堕落しなかったならば、神様と一体になるようになっていたのです。一体なのです。

 ですから、「あなたは新婦であり、私は、新郎である。私はアブラハムよりも先にあった者」と言ったのです。アブラハムは信仰の先祖ですが、それよりも先だと言ったのです。これは何のことかというと、父母の立場にあるので、必ず人類の父母であるので、アブラハムよりも先なのです。このように、堕落しなかった血統の因縁を通して生まれた立場に立っているために、イエス様は堕落圏とは関係ない立場からの本然のアダムが備えるべきあらゆるものを備えてそのように言ったのです。


人類は真のオリーブの木として来られるイエス様に接ぎ木されなければならない


 それでは、その時まで神様は四〇〇〇年をかけて摂理されて、何ゆえにイスラエル民族を育ててこられたのでしょうか。世界的なオリーブの木の畑をそのままにして、神様の息子娘であるオリーブの木を送るならば、直ちに殺されてしまうのです。ですから仕方なく、そこに特定の野生のオリーブの木の畑と同じような民族を選んで摂理されたのです。これが、養子圏のイスラエルなのです。これが神様の管理するオリーブの畑なのです。サタンが対するオリーブの木は野生のオリーブの木なのです。野生のオリーブの木をそのままにしておいてはいけないのです。それで、これを真のオリーブの木につくり変えるには、必ずそこにはメシヤが来なければならないのです。

 真のオリーブの木になるためにはどうすればいいかというと、野生のオリーブの木をすべて切ってしまわなければなりません。そこには、ためらうような人がいてはいけないのです。ユダヤ教であれ、イスラエル民族であれ、反対してはいけないのです。すべて切ってしまわなければなりません。

 その次は何をするのかというと、野生のオリーブの木に対して初めて真のオリーブの木が現れたのです。そこに接ぎ木しなければなりません。そうすれば、個人、家庭、氏族がイエス様の思想を中心として、イエス様のみ旨に従って、皆、祝福を受ければいっぺんに国家復帰の基盤が立つのです。

 このように接ぎ木をして、初めてイエス様の家庭と一つになることによって、カイン・アベルが一つになるのです。アベル家庭であるイエス家庭とカイン家庭である野生のオリーブの木の家庭が完全に一つになって、イエス様の息子娘として生まれて、真のオリーブの木の実を結ばなければならないのです。それまでは分かれてはいけないのです。

 このようになれば、野生のオリーブの木も真のオリーブの木の実を結ぶことができるのです。これが復帰の原則です。ですからメシヤは絶対必要なのです。メシヤを通して接ぎ木することによって、血統転換ができるのです。しかしそれだけでは、まだ足りません。その次は、何をするべきかというと、悪の主権を屈伏させなければなりません。もちろんイエス様当時において、悪主権をすべて屈服させなければならなかったのです。それもいっぺんにしなければなりませんでした。しかし私たち統一教会は、二つに分けてやるのです。強い反対を受けて、一度にやるべき時を失ったために、今は二番目をやるのです。


キリスト教二〇〇〇年の歴史に該当する統一教会二十年の歴史


 統一教会の二十年の歴史というのは、キリスト教二〇〇〇年の歴史に当たるものです。統一教会の歴史は、キリスト教が霊的天国を望んできたことと同じなのです。地上に基盤がないのです。何の話か分かりますか。キリスト教二〇〇〇年の歴史は、地上に基盤がありません。ですから霊的に、息子娘の血統を転換させることの条件のみを立ててきました。この地上に再臨主が来られる時には、キリスト教は霊肉共に血統復帰したという条件の基盤を立てなければなりません。統一教会は実体的にこれを成し遂げなくては、イエス様が失敗したことを復帰することができません。

 再臨の主は、アダムが失敗したこと、イエス様が失敗したことを復帰してあげなければならないのです。それで統一教会が現れた時に、キリスト教の霊的勝利の基盤をこの地上で相続して、初めて出発できるのです。その地上出発の時にキリスト教が霊肉共に一つになって受け入れたならば、いっぺんに霊肉を中心とした地上天国を建設できたのです。ですから、二十年にわたって統一教会の歴史が延長されたのは、キリスト教歴史二〇〇〇年の延長と同じなのです。

 それゆえに、統一教会の二十年の歴史圏内で死んだ人はパラダイスのような所に行ってとどまるのです。何の話か分かりますね。そうしなければならないのです。国がないからです。

 パラダイスというのは、国を持っていない民族が行く所です。キリスト教も国を持っていません。そうですね。それでイエス様の時代と同じく実体再臨したのが、この二十年間の蕩減路程なのです。地上世界を中心として個人の蕩減復帰、家庭の蕩減復帰、氏族の蕩減復帰、民族の蕩減復帰、国家の蕩減復帰ができる基準まで蕩減する期間なのです。これはイエス様を殺そうとした時代に当たるものです。国家的に張り合い、世界的に張り合い、二つが張り合うそのような時点が、一九七二年なのです。

 こうしてヤコブの二十一年路程と同じく、今日私たち統一教会が二十一年間、六〇〇〇年の歴史を蕩減してきたのです。この期間に何をするかというと、第一次アダム、第二次アダムが失敗した基準、国家的基準を復帰しなければなりません。これが正に、第二次七年路程に当たるものです。

 この第二次七年路程で行くべき復帰の限界線がどこかというと、イエス様がイスラエル民族を失ってしまったことを復帰できるまでです。今や第三次七年路程を越えていけば、韓国の責任を全うしたことになります。次に、世界時代に入るのです。国家基準を越えて世界時代に入るのです。これがいま可能な圏内に、韓国自体が立っているということを皆さんは知らなければなりません。これを早く成就するために、先生は多方面からの作戦を立体的に展開してきました。

 しかし、ここで一つ問題になるのは、タマルやマリヤという人たちに夫がいなかったということです。それで、彼女たちの願いは何かというと、夫と出会うことだったのです。これが再臨思想、つまりメシヤ思想として延長されてきたのです。


この地上で聖霊を迎えるべきイエス様


 地上は聖霊であり天はメシヤなので、イエス様はこの地上に来られて聖霊と一つになり、母の神様と父の神様が一つになって、地上で手を組んで回りながら、息子娘を生む運動をしなければなりませんでした 。ところがイエス様の十字架によって一方は霊界へ、一方は地上にいるために、その中間にサタンがいて、サタンと戦って勝った息子娘は、この中から生まれた立場となり、サタンと戦って勝つことのできなかった息子娘は、その中から生まれた立場になれません。聖霊を受けなければ救いを受けることができないという話は、ここから出るのです。分かりましたね。それゆえ、今まで霊界に通じることが非常に難しいことだったのです。

 そのような難しい環境から今まで、悲惨な道を歩んできたのです。地上でサタンをすべて切り捨てなければならないので、世の中で一番嫌な道を歩まなければならなかったのです。そうしなければサタンを切り離すことができないのです。それゆえ、キリスト教は皆粘り強くなってきたのです。サタンの好きな人に従って行けば、サタンに従う環境になるために、サタンに勝った立場には入れません。それで、その反対の立場に追い出すのです。

 その人が正しいのにもかかわらず、サタンが血を流したり、殺したりしたときは、その環境にある群れが立ち上がるのです。これは何のことかというと、供え物を捧げる祭壇で血を流せば、神の子と考える人たちはそれによって復帰されるということです。そのように、ライオンのえじきになって血を流す環境から、神様を慰めつつ死ぬ時、それは滅びるのではなくむしろ環境的に天に従っていくということなのです。このようにして、正しい者を犠牲にさせて、探し求めていく運動をしてきたのが今までのキリスト教なのです。

 今やキリスト教は世界的な基準を整えました。しかし、これはどこまでも霊的なのです。霊的天国であり、主権的な基準で救われたということです。なぜならば、パラダイスに行っているからです。霊的に天国を目指してきたのであり、本当の天国にはまだ入っていないのです。

 このようにしながら、今まで聖霊は何をしてきたのかというと、サタンを否定するために、母の胎中まで導いてきたのですが、本来堕落しなかったアダムとエバの善なる血統を通して生まれる息子娘は、アダムの骨の中の子供の種から始まるのです。分かりましたね。(はい)。

 ところで、真のアダムという存在がなかったので、霊的に真のアダム、父と同じ立場に立ったのがイエス様だったのです。そのようなイエス様が聖霊の協助を受けて、聖霊はタマルとマリヤのような基準が立ったためにこの地上に出ることができたのです。この地上に母としての基盤を立てた国家的な基盤があったために、初めて聖霊として来ることができたのです。

 では、聖霊が来て何をするのかというと、イエス様を信じている人たちを中心として母子協助を行うのです。これが復帰原理なのです。母子協助なのです。ヤコブをリベカがコーチしたのと同じく、母がコーチするのです。母子協助によってイエス様を信じる人たちが聖霊の感動を受けて一つになるのです。そのようにして母が復帰された後には、父を復帰しなければなりません。父の骨の中に入らなければなりません。

 堕落しなかった天の側に立った母の血統の基盤に立った人たちは、次にどこへ入らなければならないかというと、堕落しなかった父の骨の中に入って、母が愛する以前の段階に入らなければなりません。今までキリスト教が待ってきた中心者とはどういうものかというと、結婚していないアダムの骨の中に秘められている息子娘の立場を、霊的に探し求めていこうということだったのです。


一九六〇年以前の統一教会における信仰運動の意義


 イエス様は結婚していないアダムと同じ立場なのです。新郎をめざしていくアダムと同じだったのです。霊的にそうだったのです。堕落しなかった立場に立った新婦を迎えるために、アダムと同じような立場に立った人がイエス様なのです。それで、この地上で新婦を待ちこがれなければならなかったのです。ですから、再臨主は、霊的なイエス様ではいけないのです。これを引き受けて再び来られる方は、今までのキリスト教のイエス様の中に入っているあらゆる子供の種をイエス様から引き受けて来られるのです。それゆえに、霊的な基準の勝利的基盤を建ててこの地上に来られる再臨主は、ヤコブが霊的世界の天使を屈伏させたように、あらゆるものを引き受けて地上に来られるために、第三次に勝利するというのが原則なのです。ヤコブが再び追われ追われながらも帰ってきてエサウに会って屈伏する道を開く条件を立てるのです。

 このようにして、再び来られる主を中心として、息子娘の実体として現れた再臨主の骨の中に霊的に入って一つになる運動が行われなければなりません。そうしなくては、地上から受け継いだ勝利的基盤が継承されないのです。話がちょっと難しくなりましたが、分からない者は分からなくてもいいのです。その人は原理の勉強が足りないということです。

 第三次アダムが地上に現れれば、霊的アダム自体も第三次アダムの子供と同じなのです。それと、結婚しなかった第三次アダムの骨に結婚しなかった母を迎えて血肉のようになって入ったという立場に立たなくては、母を通じて愛の実として生まれる道がないのです。復帰歴史はこのように難しいのです。何の話か分かりましたね。(はい)。

 これが一九六〇年になるまで統一教会の人々が行ってきた運動なのです。その時は男たちも皆、先生が懐かしくて泣いたのです。これは聖霊の協助があったからです。霊界のあらゆる女性たちの霊人が動員されてそのようなことを行ったのです。分かりましたね。

 霊界全体が協助するのです。自分の先祖たちが動員され、母のような女性たちの霊人を動員して、先生に従いなさいと協助するのです。そうして、先生と一つになるようにするのです。先生が涙を流せば自分たちも涙を流し、先生が喜んでいると自分たちも喜んで一体化して、心情の一体点を持ったという立場から、初めて母が生まれる時に、母の胎中を経たという条件を立てなければならないのです。そうしなければ実体地上の完成者が、カイン側天使長級から現れることができないというのです。私が涙を流せば、一緒に涙を流し、悲しめば一緒に悲しみ、迫害を受ければ一緒に迫害を受けないといけないのです。そのような時を経ないといけないのです。これが一九六〇年の統一教会聖婚式の前までなのです。この時は、全国家的に一番反対を受ける時でした。そして、既成教会も最高に反対した時なのです。

 それは、イエス様の立場から蕩減復帰しなければならないからです。イエス様が追われて十字架上で死んだのと同じく、全国家が反対して、その次は全教会が反対する、そのような中で基盤を立てたのです。先生はその時、針のむしろの上に座っている気持ちだったのです。その時、皆さんは知らないけれども、毎日書類を書くために裁判所へ通ったのです。劉協会長と一緒にです。他の人は知らないのです。

 イエス様の十二弟子が反対した時と同じく、統一教会に入ってきた使徒十二人が裁判所に投書したのです。国家的に統一教会をなくそうとしてきたために、どこに行っても反対者に会うのです。そのぐらい激しかったのです。イエス様を殺した時と同じように、追い込んで「統一教会の文先生を殺せ」と言ったのです。自分たちが一つになっていっぺんに追い出せばいなくなるだろうと思ったのです。

 しかしそのような状況のなかで、一九六〇年四月十一日に聖婚式を行って峠を越えていったのです。そこからサタンは崩れ始めたのです。その詳しいことは、今日は話しません。詳しく話すには時間がないからです。その時は、男性も女性も先生が懐かしくて涙を流さなければならなかったのです。


三年期間の蕩減復帰歴史


 そのようにして母を迎えるために、母のおなかを通して生まれたという条件をどのようにして立てるかというと、これは正に三年の伝道期間だったのです。一九六〇年度以降、私たちがやった三年の伝道期間が正にそのような期間なのです。

 その時は、麦御飯を食べる時だったのでした。麦に雑穀を二、三種類混ぜて炊いた御飯を食べなければならない時でした。その国、その国民の前に、一番かわいそうな立場から復帰していかなければならなかったのです。

 それは、イエス様が死んだ立場を復帰したと同じ立場であり、弟子たちが裏切った立場を復帰したと同じ立場だからなのです。それゆえに先生はその時、誕生パーティーをすることができませんでした。三年間は断食をする期間だったのです。それを知らなければなりません。

 御飯を食べる時もテーブルの上で食べなかったのです。服もジャンパーを着ました。ジャンパーを着て説教をし、ジャンパーを着て御飯を食べました。分かりましたね。これが復帰なのです。六〇〇〇年の復帰歴史は、僕の僕の身から出発して、復帰していかなければならないということです。ですから、御飯も、床の上で体を丸めて食べたりしたのです。三年間はそのようにしたのです。それは戦争なのです。

 その三年間、そのようにしながら誉進が生まれたのです。そして誉進も四十日伝道期間を皆さんと一緒の御飯を食べながら生活したのです。おなかの中の孝進もそのような立場で育ったのです。皆さんは父と一つになった母と、一つになったという因縁を、どのように結ぶというのでしょうか。これは到底道がないのです。アベルを通して接ぎ木することを、おなかの時代からしなければなりません。これは何かというと、誉進のおなかの時代から孝進のおなかの時代の三年期間なのです。

 その時、母がスープを食べるとその子供もそのスープで大きくなるのです。そうですね。それと同じく、誉進が生まれた時に皆さんもスープを食べたことを思い出すでしょう。孝進が生まれた時に食べたスープのことを思い出すでしょう。これが蕩減復帰の歴史なのです。このようなことを、これから本格的に世界化させて、その伝統をはっきり教えてあげなければなりません。再び母のおなかを通じて生まれなければならないということです。

 このように母のおなかというのは、堕落したことを蕩減復帰するためですが、今まで誰も完成した人がいなかったのです。しかし血統的に完成した面と、あらゆる面を蕩減した基準を持った母が初めて誉進と孝進を生んだ立場から三年間に皆さんが一つになった条件で再び生まれたという立場に立たされたのです。

 このように復帰歴史は六〇〇〇年をかけても難しい歴史だったのです。今日に至るまでいかに難しかったことでしょうか。神様はその一日を中心として、歴史的な試練を受けて来られたのです。それゆえ、皆さんの命は誰と共に復活したのかというと、先生と共に復活したのではありません。母と共に復活したのです。では、誰のためでしょうか? それは子女様のためなのです。

 ですから皆さんは間違いなく子女の立場に入るのです。このようにして、父母の時代と子女の時代が世界中に広がっていくのです。そこで皆さんがこれからどうすべきかというと、各自が自分の家庭に責任を持たなければなりません。そこで、血統復帰した立場から生まれたために全面的に一つにならなければなりません。

 いつまでかというと、子女様たちが結婚するまでです。先生の息子娘が結婚するまでは、弁明の余地がないのです。先に生まれた立場ですから、絶対一つにならなければなりません。彼らが結婚するまでは、アダムとエバが堕落したためにまだ堕落する余地があるのです。ですから皆さんは絶対保護する責任があるのです。分かりましたね。

 皆さんは全員が三位基台を編成されているでしょう。三位基台とはどういうものかというと、これは皆孝進と誉進を中心として、アダムとエバと天使長と同じような立場に立って平面的に一つになって、カイン・アベル関係を通してアダム時代、イエス時代、再臨の時代。三人の息子の形としてはアダム家庭を代表した三人の息子を蕩減する基準なのです。

 この蕩減の期間は、皆さん自体を通して平面的に供えた立場なのですが、ここからは先生の家庭を中心としての新しい歴史的な国の出発となるのです。これが大きくなれば氏族になり、もっと大きくなれば民族になり、そして国になるのです。


必ず行かなければならない七年路程


 さて、私たちの目的は何でしょうか? 個人を探していくのが私たちの目的ではありません。また、家庭を探していくのが私たちの目的ではありません。統一氏族の目的は国を探していくことです。父も母も子供も皆国を探していかなければなりません。しかし今日、統一教会の人々、祝福を受けた家庭、子女圏内にいる人々、国も教会もみんな知らないと言います。そのようになると皆落第なのです。原理的にそうなっています。

 死の日まで国を探し求めて、天の国の解放のためにあらゆる精誠を込めて戦いに出て、勝利の凱歌を揚げる時を迎えなければなりません。世界的に見た時、それは三年、遅くとも七年と見ているのです。

 大使館を通して世界的に宣伝すれば、統一思想は素晴らしいと言って受け入れるようになり、いっぺんに国が復帰されるのです。皆さん、皆さんの家庭は知らなければならないことがあります。伝道も教会もいいけれど、今は定着して住みたいというのが一番の願いなのでしょう。三年間、妻と別れて暮らしてみると死にそうなのですね。そして自分の妻が大事な存在だということを知ったのですね。自分の妻が大事な存在ですか、そうではないのですか? 自分の妻が大事な存在であるということを知らなかった者はそれを知るまで三年間、別居し、そして知ってまた三年間、そのように七年を過ぎればどうなるのでしょうか?

 先生も七年路程を歩んだのですから、家庭を持って七年路程を歩まなければなりません。皆さん、みんな歩みましたか? 三十六家庭も、七十二家庭も、一二〇家庭も、四三〇家庭も皆歩まなかったのです。皆さん歩んだと考えていますか。先生の囲いになって、原理を持って自分の命を懸けて一つになろうと考えてみたことがありますか。考えてみたのですか、みなかったのですか? 考えてみなかったので歩んでこなかったということになります。

 先生がすべて教えてあげ、そのようにしなさいと言ったにもかかわらず、できなかったということです。

 皆さんが七年間歩んで条件さえ立てれば、国が解放されるのです。それが、これからの三年間です。ところでエバさんたち、自分の夫を交換しておかなければ帰ろうとしても帰ることができないのです。これが復帰歴史なのです。帰ることができないのです。自分の夫をその立場に置き換えておけば帰ることができるのです。公的な者たちは帰ることができません。これが七年路程なのです。いやでも七年路程を行かなければなりません。七年路程を通して、個人の解放、家庭の解放、民族の解放、国家の解放、世界の解放をしなければなりません。七年路程を歩んで条件を立てなければなりません。


国を探しに行くべきか、家庭に帰って行くべきか


 それでは皆さん、家庭に帰るべきでしょうか、国を探しに出るべきでしょうか? 国を探しに行かなければなりません。率直に話しますと、家庭に帰って団欒な生活をするのでしょうか、そのような生活はすべて捨てて、国を探しに出るべきでしょうか? 国を探しに出なければなりません。国を探さなければ皆さんの後孫たちが永遠に恨みを持って皆さんを讒訴するのです。私たちの先祖は先生の時代に生まれていながら、先生の言うことを聞けば間違いなく世界的な解放圏を得ることができたのに先生の言うことを聞かなかったと、祝福を受けた皆さんの後孫たちは、堕落したアダムとエバの後孫たちと同じように皆さんを讒訴して、その恨みが天と地に満ちあふれる時が訪れるということを知らなければなりません。分かりましたね? (はい)

 故郷に帰りたい人は手を挙げてみなさい。それではもっと率直な話をしましょう。夫妻で子供と共に面白く一度生活してみたいと、三年を望みながら何もできずに、流されてしまった人々が多いのです。それでも家に帰りますか、国を探しに出ますか? 答えてください。(国を探しに出ます)。もうみんな分かりましたね。もし、七年ではなく二十一年ならばどうですか? 二十一年路程は誰しもが行けるものではありません。それゆえ、先生は皆さんのやりたい放題にしておくのです。皆さんとは相対しないのです。先生を失って、先生がいない時代に二十一年を行こうとしても、その時にはどんなに先生の所に来ようとしても来ることができないのです。三十六家庭もできないのです。

 先生が原理原則を教えてあげたように、原理原則を経なければなりません。それでは家に帰りますか、国を探しに出ますか?(国を探しに出ます)。国がありますか、ありませんか? 国がないのでどこに行くのですか?家はありますか、ありませんか? 家がないのでどこに行くのですか? ですから家に帰るよりも、国を探しに出たほうがましだということです。そのように考えるのです。

 完全に荒野時代の避難民と同じなのです。分かりましたね。イスラエル民族がカナンの地に基盤を立てることができずに荒野で鳥のえじきになったのと同じように、皆さんもこの道を行くことができなければ皆掃除してしまうのです。カナン福地や天国はさておいて、より詳しい話をしましょう。

 途中で乞食の群れとなり悲惨なる群れとなるとしても、先生は皆さんをつかみません。先生は先生の行くべき道を行くだけなのです。そのくらいに厳しい先生であることは皆さんがよく知っているとおりです。なぜそうするかというと、皆さんが滅んでも世界人類は滅んではいけないからです。それで第二の戦線に向かって再び出発するのです。

 そうなれば血統転換は私たち統一の群れによって可能になりますが、主権復帰はどうなるでしょうか。家庭に帰ってしまってもできるでしょうか。その時には、祝福を受けた者たちはどうなるか、見てみなさいということです。それから三倍以上働きながら二十一年間をさかのぼらなければならないのです。原理がそのようになっているのです。天法がそのようになっているのです。これは恐喝や脅迫などではありません。その時になってみればよく分かるのです。それがよく分かるので今まで先生が戦ってきたということを知らなければなりません。皆さんのように適当にやってできることであれば、なぜこのように急ぐ必要があるのでしょうか。統一教会の本部にもお金がなくて困っているのに世界巡回路程だといって五か月の間に多くのお金をみんな地にまいたのです。そのお金を皆さんにみんな分けてあげたらどんなによかったでしょうか。そうですね。それを知りながらも、なぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。

 これは、皆さんが行くべき未来のために道を整えておかなければ、皆さんの後孫たちの行くべき道がなくなるからです。今、皆さんが楽な生活をするよりも、これが皆さんの未来のための近道になるので、どんなに投入しても良心的に呵責を受けないのです。何の話か分かりましたね。反省しなければなりません。不平不満を言うこの者たち! 蹴られても仕方がないのです。一日語って得た結論はこのことです。皆さん、国を探しに行きますか、家に帰りますか? カイン・アベルの問題がこのことです。

 カインは何ですか? 上がるものですか、下がるものですか? アベルは何ですか? 上がるものですか、下がるものですか? どちらですか。個人は家庭のために生きれば、アベル家庭になることができます。アベル家庭はアベル氏族になることができ、アベル氏族はアベル民族になることができます。民族のアベルになれば、自分の妻や子供も供え物として捧げることができなければなりません。そうしなければ正当な復帰の道を行くことができません。先生の話が間違いだと思う人は抗議しなさい。何か間違っていますか!

 先生はそのように生きてきたのです。米がなくなっても、子供たちの学費がなくなっても心配することはありません。今日まで先生はそのようにやってきたのです。そのようにやっていけば、すべて失ったように見えても、すべて滅びるように見えても、天が周辺のすべての環境を動員して守ってくれるのです。原則に間違いはないということです。


国のために祈りなさい


 このようなことを知った以上、家に帰りますか、国に帰りますか? (国に帰ります)。それでは、平壤を占領せよと言ったらどうしますか。行きますか、行きませんか?(行かなければなりません)。それは、イスラエル民族がエリコ城を占領したことと同じなのです。イスラエル民族が素手でエリコ城を征服したことと同じく、統一教会の人々は北と戦うことができるでしょうか。しかし、全知全能である神様の原則に従って三十八度線を越えてサタンの讒訴できない立場に立てば、そこから、すべてが引っ繰り返るのです。そうして、一回まわればすべてが終わりなのです。

 神様が苦労に苦労を重ねて私たち統一教会がこの場まで上がってこれたのは、二十年の歴史に過ぎなくても、ここに投入された犠牲は統一教会の何万名が問題ではないのです。数千数億の人々が犠牲にされてきたということを知らなければなりません。多くの犠牲の上に国の主権を立てるとともに、天の希望と万民の解放の旗も高らかに掲げ、「世界の良心ある人は動員せよ」という世界的な宣伝の時代を迎えなければ、天国建設は始まらないのです。今まで共産主義者たちは「世界の労働者、労民たちよ団結せよ」と言ってきたのですが、私たちは「世界の良心的な人は動員せよ」と言うのです。これは階級を超越したからです。まず、宗教界の良心的な人、その次は世界的な良心的な人、すべて動員されて動くようにならなければなりません。このような群れに対して反対してはならないということをよく知らなければなりません。

 伝道することは当然なのですが、伝道それ自体が私たちの目的ではありません。伝道して天の民をつくることが大切なのです。伝道してその国の指導者をすべて感動させなければなりません。伝道だけするのが問題ではありません。ですから皆さんは地方に行って活動する時に、この国が私たちによって復帰されるまでは韓民族は解放されず、韓民族の運命が解放されなければ、世界の運命も解放されないということを知らなければなりません。

 韓民族の運命の解放は、世界の運命の解放と世界人類の運命の解放につながるのです。それゆえ共産党と対決しているのです。三十八度線の解放は韓国と北韓のみの解放にはならないのです。全世界の自由世界と共産世界を共に解放することができるということは皆さんがよく知っていることです。

 ですから国に行かなければなりません。ところで、国がありますか、ありませんか? (ありません)。かわいそうな群れですね。それゆえに、皆さんは統一の歌を歌う時は、このことを考えなければなりません。国のない人は死んだ人と同じく、訴える所がないのです。これは神様もどうしようもないのです。人間が国を失った立場に立った時、再びアダムの後孫が国の主権を探してくれる時までは、神様もその権能を行使することができないのです。

 ですから国を復帰する日には、世界は七年以内に復帰されるのです。先生が何にも知らないように見えても、目に見えない何かをもっているのです。皆さんの目には先生が牛か熊のように見えるかもしれないけれども、今や先生の目には世界が明らかに見えているのです。

 それでは、結論をつけましょう。すでに話した供え物の話ですが、蕩減復帰には供え物が必要なのです。この供え物は、必ずサタンと神様とによって成り立つのです。供え物は犠牲の立場に立った世界的なものでなければなりません。これを皆さんはよく知らなければなりません。それゆえ先生が今度、そのようなことを世界的にやってきたのです。ですから今、皆さんはこの期間に本格的に国家のために祈らなければなりません。

 そして先生は今や本格的に国家を超えて世界のために祈る時が訪れたということを皆さんは知らなければなりません。今までの受難時代において先生のために祈ってきた、その祈りはみんな捨てるのです。先生は、皆さんの世話にならなくてもいいのです。これからは皆さん自身の息子娘のために祈りなさい。皆さん自身の国のために祈りなさい。大韓民国のために祈りなさい。

 今まで先生のために祈ってきたことは、今まで道案内として先生が必要だったからです。皆さんがとまっている国は正にあの国だと教えてあげるまで先生が道案内として必要だったのですが、今はみんな教えてあげました。


一日も早く復帰しなければならない既成教会


 皆さんが探していくべきところは国なのです。国を探していかなければなりません。今まで先生が整えてあげたことをすべて相続して、国を探して超えていかなければ平面的な環境が訪れてこないのです。このようなことをして三年間団結して、一九七四年、一九七五年四月まで行かなければなりません。

 血統転換の歴史は、皆さんが先生を通して接ぎ木されて家庭編成、氏族編成を成して超えなければならないのです。したがって、統一教会は既成教会を早く伝道しなければなりません。既成教会が反対しないその日にはカインが屈服したということになります。反対せず、過去の面目もすべて忘れて、今こそ手を組んで一緒に行きましょうという日には、統一教会が勝利するのです。その日は遠くありません。三年間行えば、今や統一教会しかないと皆が公認するようになっているのです。ですから、街頭伝道も積極的にやらなければなりません。巡回も積極的にやらなければなりません。班長たちも積極的にやりなさい。

 個人的な感情で教会長はこうあるべきだ、教会はこうあるべきだと言ってはいけないのです。皆さんは、みんな愛国者にならなければなりません。愛国者と同じ立場で命を懸けてどんなに犠牲の道であっても、国を探していくのです。いくらお金があっても、洋服があっても気持ちが悪いのです。このようなことには何の価値もないのです。国を救うために、今まで自分の身を捧げ、犠牲となり、供え物になった霊魂たちがどんなに多いことでしょうか。牧師たちに軽蔑されて、耐えられないとでもいうのですか。ここにいる代表の班長たち! しっかりと受け止めておきなさい。君たちは特攻隊なのです。

 これが供え物になる時には対立するのです。分かりましたね。統一教会は今まで既成教会と対立し、時の政府と対立し、共産党と対立して戦ってきたのです。これが一点なのです。共産党と戦っている国は韓国であり、金日成と対立しているのも韓国なのです。偽りの父母と真の父母が、サタン世界の実体と天の世界の実体が張り合っているところが韓国なのです。国と張り合い、教会的にも張り合っているところなのです。

 ですから、これからは国も統一教会と手を組まなければ生きる道がないのです。この大韓民国の人たち、政府の人たちも統一教会の人のような精神を持てば、共産党なども問題ないのです。政府の最高幹部たちもそのように考えていますか、いませんか? そのようになっているのです。すでに道は整えられているのです。あとは時間の問題なのです。ですから、自分を捨て、昼も夜も走らなければなりません。

 もし既成教会が反対しても、「この者たち!」と言えば、国民が立ち上がって戦い、既成教会よりも先立つようなります。今年までは、金日成が戦争の準備を整えて、南へ攻めて来ようとしますが、これも第二次七年路程期間まで延長されるだろうとみています。私たちが基盤を立てれば、その次に一人、二人と霊界に連れていくのです。見ていなさい、そうかそうではないか。

 先生が平面的作戦、世界化作戦をするのです。その準備を今や整えました。皆さんは、今までそのような内容も何も知らずにただ逆らいながらやって来たけれども、今や世界的な基盤を立ててその焦点を合わせなければなりません。皆さんはこのことをよく知らなければなりません。今回、第三次世界巡回路程から帰ってきて、なぜ皆さんにはっきりと教えてあげるかというと、これから国を探すためなのです。分かりましたね?(はい)。

 皆さんが、「今まで私たちは亡命客だったなあ。私たちに血を流すようにした怨讐たちのことだったなあ」と、感じるような立場から完全に一つとなり、新しい次元から出発できるように、先生がこの韓国の代表者としてやらなければならないことです。これをはっきり知らなければなりません。


国を探すために信義の種をまこう


 今回、はっきりこのような信念を持って行かなければなりません。きょうの話の中心は、不信の種を取り除いて信義の種をまこうということです。皆さんは信義の種をどこにまきましたか? 私たちの国にまかなければなりません。この韓国にまかなければならないということです。

 大韓民国はこのままでは滅んでしまうのです。思想が弱く、腐敗したものはすべて掃除して清算しなければ滅んでしまうのです。ですからここに、私たちの思想が必要なのです。

 それで、昨年末に国会議員特別公聴会を開こうとしました。最初統一教会が牧師公聴会を開こうとした時、みんなに狂ったと言われました。みんなが嘲笑したのです。それは天倫のことを知らないからです。そこで来たかったら来ればよいし、来たくなかったら止めなさいと言ったのです。そこで代表的な三、四人が協力すれば、みんな指示できるようになっています。今まで継続する必要がないのです。しかし、救ってあげなければならないためにそれでもキリスト教歴史において、今まで血を流しつつ苦労してきた人たちがいるために、私が責任を持っているのです。

 それではもう一度聞いてみましょう。家庭に帰りますか、国に戻りますか? (国に戻ります)。今は国がないので、国を探す道が穴の中にあれば穴の中に入り、野原にあれば野原に行かなければなりません。個人的な好き嫌いは問題外です。嫌いでもその国を探さなければならないし、好きでもその国を探さなければなりません。嫌であれ好きであれ、そのことをやらなければならないのが統一教会の群れなのです。

 嫌いなことでも自ら出てやらなくてはならないのが私たちの運命の道であることを知らなければなりません。はっきり分かりましたね。はっきり分かった人は手を挙げてみなさい。手を下ろしなさい。そのようにするという人は手を挙げてみなさい。下ろしなさい。アブラハムが、その子を供え物として捧げたのと同じく、世界あるいは国のために皆さんの手で皆さんの子供を供え物として捧げることも問題なく、妻を備え物としてあげることも問題ないという決意をしなければなりません。

 先生もそのようにして越えてきました。今までそのようにしてきたのです。先生の生活がそうだったのです。そればかりではありません。父、母、妻、一度に六人を供え物として捧げて人類の恨み、天の恨みを解放することができれば、自分の手でやろうと決心した男であることを知らなければなりません。何の話か分かりますね。このような伝統を立てた先生に世話になってはなりません。皆さんの知らないうちに、先生が血と涙を流す戦いをしてきたということを知らなければなりません。

 しかし、私が偉大になるためにそのような道を行くのではありません。天の息子娘の前に、すべてを遺言として教育するつもりです。「皆さんの家庭は、これを中心として行け」と。永遠に変わらず、ここまでぴったりと合うようになれば、もう話をすることもありません。それゆえに、これからは新しい教育をしなければなりません。「国の編成はこうあるべきだ。教育制度はこうならなければならない」ということをみんな知っているのです。皆さんもみんなそうならなければなりません。皆さんがそのような立場になっていないために、先生は今までこの世の中で足りない者たちの後ろにいなければならなかったのです。皆さん、そのような先生がかわいそうではないですか。

 大韓民国の誰にも負けない信念を持った男として生まれながら、自分の名前を宣布することもできずに、影の中で生きてきたのです。なぜかというと、もし間違えば民族が滅んでしまうからです。皆さんを立てて迫害を受けても、父母は今まで迫害を受けない立場に立って、許してあげることのできる期間を延長させる作戦を取ってきたことを、皆さんは知らなければなりません。このことをはっきりと知って、国に向かっていく決意を今回もう一度しなければなりません。

 このようにみた時、皆さんはかつて五月十六日の軍事革命も十二人でやったと言うでしょう。このように、世の中でも命を懸けてやるのですから、天と地の歴史が今日我々の両肩にかかっており、我々の歩みによって左右されると考えた時、自分の命を懸けて行かなければならないのです。これが、天の前に血と肉を持って現れた天の息子娘たちの責任であることを皆さんは知らなければなりません。

 天の墓石を建てる列女となり、忠臣の群れにならなければならないということをはっきり知らなければなりません。先生が今日このような話ができるということは、そのくらい私たちの基盤が整えられたということです。私が今、牢獄に入って死ぬようなことがあったとしても、み旨は成されるようになっているのです。もう少したてば、過ちを犯した者は、政府であれ誰であれ、すべて正面から攻撃するようになるのです。


縦的歴史の横的蕩減


 今まで生きてきたのは蕩減の時代です。私たち教会のマイナスの時代だったのです。しかし、これからは私たちの教会も平面的に、一九七四年から私たちが動けば少しずつ解かれていくのです。これからは今の数倍の群れが統一教会と因縁を結ぶことのできる段階に入るのです。ですから、全国的にこのような伝統を立てるために総進軍しなければなりません。第二次七年路程は、皆さんが責任を持つことのない路程なのです。

 先生が今まで何をしてきたかというと、カイン・アベルの問題を中心としてやってきたのです。家庭においてもカイン・アベルの問題を中心としてやってきました。父母の家庭を中心としては何もできなかったのです。アベル自体において、私が犠牲になってきましたが、父母時代が訪れると皆さんが犠牲になるのが原則なのです。皆さんが犠牲になって先生を助けなければならないのです。

 そして、先生がお金持ちになり、そのお金を世界的に弱い少数民族のために使わなければなりません。そのためには、先進国を抑えておかなければなりません。

 そのためにアメリカに渡ろうとするのが先生の計画なのです。世界の全財産の六〇パーセントをアメリカが持っているのです。巨大なる国なのです。一九六〇年度において、先生の計画は七年路程を通して行うのです。十年前には、このようになるとは皆さんも信じることができなかったでしょう。これから一九八〇年代においてアメリカがどうなるか見ていなさい。間違いなく、先生の作戦どおりに韓国も先生の作戦に追い込まれるのです。どんなにアメリカが威張っていても先生の作戦に追い込まれるようになっているのです。それゆえに国内の外的な責任を早く終えようと思うのです。何か質問ありませんか? 質問ないんですか。

 皆さんの家庭は、(先生が黒板を使用される)これは父母でしょう、これは子女なのです。これは万物なのですね。縦的な歴史を横的に蕩減するのです。旧約時代は物質を供え物として捧げ、新約時代は子女を供え物として捧げたのです。

 これが新約時代なのです。そして成約時代なのです。これが三掛ける七で二十一なのです。今が長成期完成級がここであり、そして七年路程の根本の立場に入ってきて、完成時代となるのです。ここから「父母の日」「子女の日」「万物の日」「神の日」を中心として、堕落しなか った直接主管圏内に入るのです。このようになることによって、初めて中心が決定されるのです。

 この天と地の間を神様と人間が合わせて、その中心を決定しなければならないのです。今この世界には中心がないのです。その中心は家庭的な中心でありながら、国家的な中心でもあり、国家的な中心でありながら世界的な中心なのです。

 メシヤによって全体の中心が決定されるために、それまで人類は中心のないままに暮らしているのです。ですから、メシヤが必要なのです。今の韓国もどこに行くのか分からないのです。日本もそうです。日本の主権者は天使長と同じであり、統一教会の久保木はエバと同じなのです。エバは天使長を復帰しなければならないのです。このように日本自体も今どこに行ったらいいか分からないのです。統一教会はどこに行くか分かっているのですか?

 統一教会はどこに行くべきか、間違いなく分かっているんですね? (はい)。先生と一つになり、個人的な路程、家庭的な路程、国家的な路程を経て、縦的な歴史をすべて横的に蕩減復帰してくるのです。これは万物の型、これは子女の型、これは父母の型です。ここに七年路程が残っているのです。これは三掛ける七で、二十一の三段階です。皆さん自体を見ても、皆さんの家庭を見てもこのようになっているのです。物、子女、父母なのです。


神様が一番愛される統一教会


 皆さんは自分の所有権を持っていますか、お金とか財産がありますか? (あります)。少しはあるでしょう。十円玉一つくらいはあるでしょう。その次に、靴下一足でも自分の所有物なのです。世界の金持ちたちが数億、数十億を神様の前に捧げるような時が来ると、皆さんは靴下一足でもって数億を蕩減できるのです。

 皆さんは数十億を蕩減するその金持ちよりも先にアベルの立場に立ったということです。神様は誰の供え物を先に受け入れるかというと、数十億の財閥の供え物ではなく、統一教会の人たちの靴下一足を先に受け入れるということです。そのようになれば、皆さんは、一番の世界の代表者となるのです。そして皆さんの子供たちは、今はみすぼらしい姿であっても、神様は世界で一番にその息子娘たちを貴く思って保護されるのです。

 今は何の価値もないように見えるお父さんお母さんたちも、世界的ないかなる大統領や王様よりも先に立つのです。それゆえ、皆さんは王様よりも優れた立場なのです。世の中のいかなる皇太子よりも、その子供たちよりも優れた立場の価値を誇ることができるのです。ところがそのような価値を分かっていないのです。

 今の自分が足りないとか、こじきのような群れだとか、心配してはなりません。時が来て先生が良くなった時には、皆さんが今はこじきのような群れだったとしても引っ張ってあげるのです。肉を配る時には、一番良いところの肉を配るのです。その時は下痢をしないようにして、たくさん食べてください。そうして七年間で二十一年を蕩減するには、毎日皆さんに肉を食べさせるつもりです。アダムとエバが堕落したことによって、神様は一度にすべてを失ってしまいました。ですから、一度に捧げなくては天国に入ることができないのです。では誰に捧げるのでしょうか? 神様に捧げると同時に真の父母様に捧げなくてはなりません。このような原則があるために、世界を統一しなければならないのです。

 それではこれからどうすべきでしょうか? 女性は年が幼くても長男の嫁になることができるし、母にもなることができるのです。母が兄より年下になることが起こり得るのです。カイン・アベルの血統転換の原則において、神様はそのような基準を持って摂理するのです。

 それで男性はできるだけ自分より年下の幼い女性と一緒に住みたいと思うのです。そうですね? これは復帰路程において、結婚の経験のない乙女を通してそのような道を開いていくことを願っているのです。マリヤも男性経験のない乙女でした。そのように娘のような人を経なければ、復帰できる息子は出てこないというのです。分かりますか。そのような伝統があるために、神様は今まで年をとって娘のような人と一緒に住んでも許したのです。そうでなければ許しというのはあり得ないのです。世の中はみんなそうなっています。

 また今まで王宮において複雑な問題を起こしてきたように、男女問題などの複雑な問題は、みんな神様のみ旨の中でそれを蕩減しなければならない時代だからです。皆さんにもそのような時が来るかもしれません。原理を知ってみると、神様はすべて一時のために今までに歴史時代を経てきたということを知らなければなりません。

 では、皆さんが祝福を受けて生んだ息子は誰の息子でしょうか? (神様の息子です)。ですから皆さん、男性は三年間、女性に絶対服従するようにと言ったのです。結婚すれば三年以内は先生の管轄圏内にあるのです。み旨を中心として勝利せずしては愛することができないのです。このような法度は、すべての息子は誰の子かというと、自分の所有でしょうか、個人の所有でしょうか? 国の所有なのです。自分の体も自分のものではなく、みんな国のものなのです。


人間はみんな相手のために生まれた


 人間は本来生まれるとき自分のために生まれたのではありません。男性は男性のために生まれたのでしょうか。そうであれば、なぜそのように醜く生まれたのでしょうか。男性の体は男性のために生まれたのでしょうか。答えてみてください。男性のためですか、女性のためですか? この者たち! 自分の体は自分のために生まれたのではありません。また女性の体は女性のために生まれたでしょうか。

 女性のような男性を好む女性がいるでしょうか、男性らしい男性を好むのです。それゆえ男性は手が大きくて、荒っぽくならなければなりません。女性はかわいい男性ではなく、手が大きくて堅くて体が大きい男性を好むのです。しかし言葉も荒っぽい男性を好むようにはなっていないのです。お互いに愛し合う時は言葉よりも力なのです。それがより魅力的なのです。

 女性は女性のように静かな男性と結婚するでしょうか、大きくて荒っぽい男性と結婚するでしょうか。どんな男性が好きですか? 力があり男性らしい男性と一緒に住みたいと思うのが女心なのです。そうなのですね。

 また、ここにいる男たち、男性のように大きくて堅い女性と結婚したいと思う男性がいますか? いたら手を挙げてみなさい。女性はなめらかでなければなりません。夕方も朝も触ると気持ちが楽しくならなければなりません。それゆえ女性はなめらかに、男性は堅くなっているのです。そうなのです。腰も柔らかく、胸もふくらんで、すべてになめらかなのです。そうですね。しかし男性はそうではありません。男性は棒のように堅いのです。そのようになっているのです。このようなことを見ると、人間は自分のために生まれるようになっていないのです。皆さん、自分のために生まれましたか?

 女性が化粧をするのは結局女性のためですね? (いいえ)。誰のためですか?(男性のためです)。男性だけの世の中ならば化粧などはいらないのです。マニキュアなどは塗る必要がありません。では、女性だけの住む世の中では化粧する必要があるでしょうか? それは男性がいるからであり、男性はそのようなことを好むのです。本来自分が生まれたのと正反対を好むのです。それゆえに人間は生まれる時、自分のために生まれたと考えてはならないのです。人間は他のために生まれたのです。そうですね。相手のために生まれたということです。

 愛は自分のものではありません。今日の男性たち、今までの人間たちがそれを知らなかったのです。愛は自分のものではないのです。それでは愛はどこから来るものでしょうか? 愛は相手から来るのです。これを自分のものにすれば大きな間違いなのです。滅びてしまうのです。愛が自分のものですか?

 どんなに男性同士で愛し合おうとしても、女性がいなければ愛することができません。女性がいて愛が生まれるのです。ですから女性は聖なる存在なのです。また女性において男性は聖なる存在なのです。ゆえに、妻は聖なる妻であり、夫は聖なる夫だということです。目的がそうなのです。自分のために生まれたのではありません。本来そのように生まれたのです。


国のために行こう


 それでは父母は誰のためにあるのでしょうか? それは子女のためにあるのです。それで、なぜ子女のために精誠を込めなければならないのかというと、子女を通して行く国があるからです。家庭よりも自分たちよりも国を愛さなければならないために、父母は子女を愛するのです。父母が子女を愛する伝統は、国を愛するためだということを知らなければなりません。

 それゆえ、自分の命を失う立場に置かれても、子女を残しておかなければならないというのが原理原則なのです。そのように、国のために自分の身体よりも子女を愛する立場に立ったところから、すべての歴史の発展があるのです。ですから皆さんの家庭は、先生の家庭のために生きるのではなく国のために生きなければなりません。国を探したあとは世界のために生きなければならないし、世界を探したあとは天宙のために生きなくてはなりません。そうして統一教会の群れは天宙を探したあとはどうするべきかというと、天宙のために生きるのではなく神様の愛のために生きなくてはならないのです。これが最後なのです。そのようにして国を探せば、七年以内でもっていっぺんに合わせることができるのです。

 今やすべて整理されてはっきりとした要点が立っているのです。分かりましたね。皆さんこれからは統一教会を信じる段階から、統一の国の民とならなければなりません。そうするためには統一教会を宣伝しなければならない時が来なくてはならないのです。統一原理がこうであり、勝共思想がこうであるということはみんな過ぎ去ってしまうのです。

 国があって初めて、永遠なる私たちの後孫の前に相続できる伝統が残るのです。私たちの血と汗を流した努力が残るのです。神様の苦労を祝賀することのできる記念塔が、この地上に生まれるのです。すべての栄光の足跡が、この地上に残ることができるのです。国がなければ、すべてのものが水に流されるのです。

 今日の世界でキリスト教に残されてきた十字架などを天が探そうとする時、もし国がなければすべてを河に流し、火で燃やさなければならないのです。サタンの成すがままに流れていくということを知らなければなりません。このように国が問題であることを皆さんは知らなければなりません。それでは、自分はその道を行くという人は手を挙げてください。下ろしなさい。もう一度、行きますか、行きませんか? (行きます)。行く、行く、行く。行く、行く、何のために行くのですか? 国のためです。皆さんはこれからこの思想を全国的にはっきりと伝えていかなければなりません。

 今までははっきりしていなかったのです。今回先生が世界を一巡りしてきたのは、この思想を世界的に一元化させて、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本をこの思想で横に並べてそこに韓国を加えて五つの国家を一つにするためです。

 それで今年の年頭標語は「統一戦線守護」なのです。なぜ「統一戦線守護」かというと、統一教会の統一戦線というのは、統一の国というのは少なくとも五つの国が天の前に真心を込めて、四つの国が一つの国の防波堤となって、そこに入国しても安息できる国となることです。そうして初めて天国建設が始まるということを皆さんは知らなければなりません。サタン世界に対しての防波堤が生まれたために、今日このような蕩減的な路程をも知っておかなければならないのです。

 今回先生は日本で大講演をする心情をもってやってきました。ゆえに東京集会、大阪集会、東北集会は生死を懸けたものだったのです。そして新しく機動隊を編成しました。大勢の人々の前では講演しなかったのですが、統一教会に新しく入った人々を中心として集会を開いたという蕩減条件を立ててきたことを皆さんは知らなければなりません。


世界復興団創設計画


 これから私たちも機動隊をつくって山奥も伝道しなければなりません。三年もたてば各国にも機動隊ができるでしょう。少なくとも六〇〇名、三〇〇名を越えると、一人が三人ずつ伝道すれば、どこに行ってどういう大会を開いても、自動的に満員になるのです。今回東京で勝共大会をしたときも、三〇〇〇名は来ていました。一般の人々が入らなくてもそうなのです。一週間に一回ずつ開いても、一回に三〇〇〇名も満たす大会ができるのです。

 これから三年間そのような基盤を整えておけばどうなるかというと、その次に世界復興団をつくろうとするのが先生の計画なのです。それで今回世界復興団をつくることを宣布しておいたのです。十か国ができなければ、七か国を中心として、一か国から二人か三人ずつ出て二十一名が一つの組になるのです。このようにアジアのチーム、ヨーロッパのチーム、南北アメリカチームの三つのチームをつくって、どこに行ってもこのような人たちが先頭に立つのです。

 世界的な学者、大神学者、権威のある復興師など七か国の人々を中心とするチームを組んで活動すれば、その国の宗教指導者たちがみんな訪ねてくるようになるのです。そのように世界的に一つになる運動を拡大して、世界的大復興講演会を開き、世界的な新しい神学者教会を建て、世界的な教育者教会をつくってみんな動かすのです。

 そうなれば、講師を招待するために今の三倍に月給を上げればみんな来るようになっているのです。三倍まで上げなくても、一・二倍か、一・五倍に上げればみんなやって来るのです。三年分をいっぺんに払えば、みんな来るようになっているのです。ですから三倍プラス三年分をいっぺんに払ってしまうのです。そうして二〇〇名も集まれば、世界大復興団講師は間違いなく計画通りにできるのです。そのように行うということを、今回先生が決めて帰ってきたのです。そのような人々を選んで世界的な組織をつくっておけば、最初は全神学者たちが集まってセミナーを開くのです。その次は、復興会を開くのです。その次は何をするのかというと、今まで統一思想に対して世界的に反対してきたが、反対せずにその内容を神学的にタイトル別に見てみたとき、統一思想はこうであるという論議をするようになるのです。このような世界的運動を展開しようと思っているのです。その時のために子供たちを中心とした舞踊団も準備しておきました。そのように集まった世界各国の優秀な機動隊の人々を四三〇名ずつ飛行機に乗せて、世界中に送るようにするのです。

 そこで、今回私がありがたいと思ったのは、ジャンボ飛行機があるということです。このジャンボ飛行機は四八〇名が乗れるのです。その中に座っていると、これは飛行機ではなくホテルだという思いがするのです。これが滑走路を走ってる時は、これが飛べるだろうか、どこかにぶつかるんじゃないだろうかという気がするのです。見下ろして見ると、五階建ぐらいの高さに見えるのです。

 そのような飛行機に四八〇名の機動隊の人々が乗って、世界巡回に出たならばどうなるでしょうか? 韓国に到着した日には、四八〇名の各国の人々が穴から虫が出るように出てくるのです。彼らはフランス語もよくでき、英語もよくでき、スペイン語もよくでき、世界中どの国に行っても、すべてに通じるように訓練してあるのです。こうして機動隊のメンバーは、世界的な記録を持った人たちなのです。機動隊チャンピオンなのです。これが約数十か国になるのです。

 そして一九七五年には必ず一二〇か国に宣教師を送るのです。どんな小さな国であっても宣教師を送らなければなりません。このようにして選ばれたチャンピオンの立場は、行けば行くほど、時間がたてばたつほど競争率が高くなるのです。記録を持った人たちが集まっているからです。例えば韓国に四八〇名の機動隊が入ったと考えてみましょう。

 どんなに転んでもしわのつかない世界一番になる洋服を着てデモ行進をすると考えてみましょう。そのデモ行進の場に素晴らしい私たちの機動隊の車があるとすれば、どんなに素晴らしい大会になることでしょうか。私たちの車があって、そして機動隊の人々がその国と一つになって国家的な大会を行って、ラッパを吹いたり太鼓をたたいたりして行進しながら回り歩くと考えてみましょう。気持ちがよいですか、悪いですか?(よいです)。どんなに考えてもこれはうそではありません。


機動隊のチャンピオンたれ


 韓国にいる皆さんも、機動隊のチャンピオンクラブに参加したければ機動隊をつくりなさい。参加したくなければ機動隊をつくらなくてもいいのです。機動隊をつくることを約束しましたね?(はい)。そのようにして、そこから優秀な人を選ばなければなりません。そしてアメリカに連れていって英語の勉強をさせるのです。アメリカに一年半か二年いれば、英語もマスターできるのです。英語をマスターすれば、その次はフランスに行って一年間フランス語をマスターするのです。

 その次はスペイン語です。このように私たちの組織があるので、先生のサイン一つですべてが終わりなのです。フランスの責任者へ、「この人に御飯を食べさせてあげなさい」と、先生がハガキさえ送れば、「ありがとうございます」というようになっています。「いらっしゃいませ。一流ホテルにしますか、二流ホテルにしますか、 どこにしますか」という時が近いうちに訪れるのです。

 そのように通過しながら、一か国で一か国語を学んでいけば、どの国に行っても伝道できるのです。分かりましたね。そのように一度機動隊のチャンピオンになってみたいと思う人はいますか?

 その時には、優秀な妻が機動隊に入ればその夫は仕方なくついて回るようになっています。反対に夫が優秀であれば、その妻は仕方なく機動隊の夫に従って回ることになります。夫が住みたい国に行って住めばいいし、妻が住みたい国に行って住めばいいのです。アメリカに住みたければアメリカに行って住み、ドイツに住みたければドイツに行って住み、どの国に行っても統一教会の群れのあるところには、「いらっしゃいませ、私たちの国を復帰するために来られた有り難い方よ、いらっしゃいませ」と、両手を挙げて歓迎する時が来るでしょう。そうですね。

 これから私は、機動隊の優秀なメンバーを選んで世界一周をさせて、行く先々で「指導者になれ」と言いながら、バス一台ずつあげたいと思うのです。世界的な実力のある人四十名ほどをアメリカに送って一グループをつくって「アメリカを救え」と言って競争させるのです。伝道はこのようにするのだという見本を見せてあげて、コーチするのです。そうして世界が勝ち取るべき平面的な統一的な形を備えるのが先生の計画なのです。お金の心配はしなくても大丈夫です。

 話を聞いて、お昼を食べなくてもおなかの空いていることを忘れるくらいです。そうでしょう?(はい)。うそではありません。このような状況の中で、これから世界的に拡大していくためにはアメリカに本部を置かなくてはなりません。そうですね。アメリカに本部を置いて私がその総司令官になってトップを抑えておくのです。

 ここにいる女性たち、どんなに醜いとしても先生のために苦労したから良くみてあげなければならないのですね。親は自分の子供がウンチをしたとしても他の身分の高い家の馬に乗って通っている子供よりもより愛するようになっています。そのような立場からみた時に、苦労してきたあなたたちを良くみてあげざるをえないのです。 ところで今、教会が心配なのです。「苦労しなさいと言ったので、私は苦労してここまでついてきました。ところで持っているもの何もありません」と言うのです。

 皆さん、一九七二年九月九日、先生が「家を捨てて出なさい」と言ったときに、みんなそうしてきたのですが、今はこのようになって何の実績もありません。けれどもどうしますか? 一度相談してみたことがありますか。私のために苦労したという条件を立てなさい。先生はあなた方のためにいるのです。

 しかし先生は皆さんよりもより高次的な仕事をやっているために、皆さんのそのような姿は許しません。先生が自分のために生きれば、皆さんにとやかく言われるのですが、皆さんよりも大きな問題のために生きているので、皆さんのそのような姿は許すことができないのです。これがアベルが行くべき伝統的な道なのです。

 私は何か名誉などを欲してこのようなことをするのではありません。私は今やるべきことをやっているのです。しかし、やるべきことはもうやったのです。私は一度語り始めると七時間、十時間、十二時間継続するようになるのです。そのようになると後には言葉も出てこなくなり、換気扇が回っているような音がするのです。しかし、それでも、私はやるべきことはやるのです。

 日本でも私はやるべきことをすべてやりました。私は十五日過ぎて帰ってこようとしたのですが、それ以前に帰ってきても良心的に少しも呵責を感じません。どんな時間でも誰か訪ねてくればその人一人に対しても、全日本の食口に対するように語るのです。私は疲れを理由に追い出したことなどありません。ですから私は良心の呵責は感じないのです。私が死ぬときもこれ以上やることができないほどにやって父の前に立てば、天の父も私に対して知らないとは言わないでしょう。今はそのように考えているのです。きょうも私は朝から忙しい生活をしています。ですから皆さんもそのように行かなければなりません。


アメリカ教会の経済問題解決法案


 一つ皆さんにうれしい便りを伝えたいと思います。今回アメリカに行った時に何を計画したかというと、これからのアメリカにおいて経済問題をこのように解決しようと思うのです。アジア人として、積極的にアメリカ人を後援する伝統を立てなければなりません。これが先生の今後の作戦なのです。そのようにしながらアジア人の中で誰を使うかということですが、韓国人は経済問題で苦しんでいます。また国家的な状況において、アメリカや外国に出るためにはビザの問題、パスポートの問題があります。ドルの流出を防ぐために、なかなかパスポートの発行をしてくれないのです。

 しかし、日本は、招請状さえあれば三日以内にパスポートが出るし、しかもそのパスポートの有効期限が五年なのです。ですからいつでも外国に行くことができます。そのような立場に立っているために、アジア人の代表として日本を立てようとするのです。また日本はエバ国家ですから世界の人々のために母の使命を果たさなければならないのです。みんな血を流すほどの苦労をしても世界の人々を食べさせなければならない責任があるのです。みんな母の手を経て発展するようになるのです。ですからアジア人の代表としてそのような日本を立てて、伝統を確立しようとするのが先生の計画なのです。

 今アメリカにおいて何が問題になっているかというと、クリーニングサービスです。アメリカの家庭は、男性も女性もみんな就職しています。それで皆出勤するので昼は留守が多いのです。そして掃除することが大きな問題になってくるのです。今は黒人の女性たちがそのような掃除をしていますが、そのクリーニングサービスとは、特殊な技術を使ってする掃除なのです。そこで、柱などを簡単に掃除できる魅力的な掃除の方法を私たちの食口が研究しました。

 クリーニングサービスといって一日四時間働いて、平均四十ドルを稼ぐのです。食事代は月三十五ドルから五十ドルくらいです。生活するのにそんなにかかりません。こうしてみたときに、間違いなく一日三十ドル稼ぐことができます。それで、どのくらい動員しなければならないのかというと、ワシントンだけでも何千名何万名必要なのです。ニューヨークだけでも何万名が必要なのです。ですから早く基盤を立てなければなりません。

 そしてクリーニングだけではなく、ペイントも塗るのです。家を買って修理し直して売るのです。そうして不動産会社をつくるのです。このように拡大して、全国化して家を買って銀行の抵当に入れてお金を借りるのです。そして売る会社もその家を通してお金を借りて二重にお金を借りるのです。こうしてこれをプラスにするとその家の値段は倍以上になるのです。そうすると、そこに三十万ドルを投入すれば五年以内に二千万ドル以上のお金が入ってくるようになるのです。このような作戦でもって、アメリカにおいてこれから三年から五年以内に基盤をつくる計画を今指示しているのです。

 クリーニングサービスをするためにニューヨークが一番大きいので、ニューヨークに家を買うようにしたのです。数百名を訓練できる場所をつくろうとして今ニューヨークに素晴らしい私たちのセンターが生まれたのです。そこはニューヨーク一の金持ちが住んでいた家です。今それを買おうとしているのです。まず日本の食口の中から、代表的な人十二人を選んで教育して十二都市に派遣するのです。その次に今年の末には十名ずつ、一二〇名を送るのです。十二人が十人ずつ担当して訓練するのです。このようにして全国的組織にするのです。

 このようにした後に、四〇〇名以上、約六〇〇名動員、あとは全国的に広がっていくのです。アメリカは五十 州ですから、一州に十人ずつしても五〇〇人になります。まず四〇〇人以上を考えておくのです。四〇〇名から六〇〇名、その限度内に一週間に十名ずつ訓練していってその伝統を立てるのです。その次はどうするのかというと、ヨーロッパの人たちと合わせて、アメリカで活動しなければなりません。

 ヨーロッパの人たちは英語のできない人もいます。みんなどんなに大学を出ていても、二年間は英語を勉強しなければなりません。そして大学に行って講義をするのです。二年間で英語を勉強するには家でやっていては限界があるのです。ですから私たちのクリーニングサービスで英語のできる人が案内すれば、英語ができなくても大丈夫だということです。そこに行って掃除をしてあげるのです。「グッドモーニング、グッドアフタヌーン、グッドバイ」と言えばいいのです。相手が話しかけてくれば、「私は仕事をしなければならない」と言えばいいのです。ですから一言でも英語ができれば、一〇〇パーセント話せる人以上に能率的に仕事をすることができるのです。これは神様が守ってくださるからです。

 それで三〇〇名ないし四〇〇名くらいを動員すれば、一人三十ドル稼ぐことによって一日に一万二千ドルが入ってくるのです。そうすると一年に四〇〇万ドルを超えるのです。四〇〇万ドルになるとアメリカで活動しているすべての機動隊のメンバーが使っても余るくらいの金額なのです。このようにして英語ができるような人たちはみんな一線に立たせるのです。日本の人たちはみんなクリーニングサービスをして、アメリカの人たちは伝道活動をするのです。

 このようにしてキリスト教会を越えるための運動を行えば、秋によく実った粟のように、棒でたたくとみんな落ちるようになるのです。今、ヒッピーたちが既成教会にも侵入して大騒ぎになっています。しかし、私たちは統一のヒッピーなのです。彼らは「神の国がどこにあり、家庭がどこにあり、お父さんお母さんがどこにいるか」と言うのです。けれども統一のヒッピーたちは、国のために、家庭のために、理想的な兄弟のために、みんな新しく生まれ変わった姿であり、彼らとは一〇〇パーセント違うのです。彼らは死にそうになってふらふらしながら町を歩くけれども、私たちはラッパを吹き町を行進するのです。それはアメリカの人々の性格に合うのです。


日本の食口とアメリカの食口の使命


 今回アメリカを巡回する途中で、うちのバスが故障してエンジンが壊れてしまいました。その修理のための費用が三千五百ドルもかかったのです。その町で食費もなくなり、どうしようもない状態になりました。けれどもそこでお母さんを連れて回りながら復興会をしたために、コーラスをよく編成しておきました。そしてそこでいろんな方法で、私たちが自立しなければならないことをよく教育しておいたのです。そのような時にはさまざまなことをやるんだと教えてあげたのです。さまざまなことができるようにしておいたのです。

 ところでその日はちょうどその町に有名なコーラスが来る予定だったのです。ところが、市民が講堂にいっぱい集まったけれども事情があってコーラスが来ることができなくなったということです。そこで神様が守ってくださって、「私たちがやります。私たちはコーラスであれ何であれできないことはありません。二時間でも十時間でもやります」と申し出たのです。私たちの群れはよく訓練されていました。ラジオ放送局でも大騒ぎになったのです。新聞にも出たりして市民全体に知られるようになりました。

 そのようになれば、市長やいろんな人々が私たちを訪ねてきて、町のために良いことをしてくれたということで、自動車の修理もできてお金も余るほどになったのです。そしてアメリカという国はどういう国かというと、その国にもし利益五千万ドルを出したら、それがすべて公益事業のために団体に寄付するときには一銭も税金がかからないのです。そのようなシステムになっているのです。ある所では、利益よりも税金が一・五倍になるときがあります。そのようなときは、静かに私たちを訪ねて、「これを寄付します」と言うのです。すると税金がすべて免除になるので、会社もよくなり、会社の社長もよくなり、私たちも寄付を受けてよいし、このようなことが数えられないほどあるのです。

 このような時代に、世界的にラッパを吹き太鼓をたたいて、統一十字軍を前に立てるのです。日本の人たちを動員して経済的に後援する伝統を立てておけば、アメリカの人たちが全世界に教会を立てるようになるのです。アメリカでは、どこに行って聖書の話をしても、大人も子供もみんな受け入れるのです。聖書を知らない人はいないのです。日本ではあまり聖書に対して知られていないのですが、アメリカはキリスト教文化圏内であり、よく教育がされているために再臨思想だけをよく教育しておけば、そしてそこに世界観だけ吹き入れれば、みんな走ってる馬のようにすぐ乗って走ることができるのです。よく準備されているのです。

 アメリカは全人口の三分の二がキリスト教信者として登録されています。一億二千万がみんなキリスト教徒だと言っても過言ではありません。ここに一度火がついた時には、先生はお金の山に追われるために避難しなければならないほどなのです。

 そしてアメリカはみんなアパート生活を好むのです。おじいちゃんおばあちゃんたちは、息子娘をみんな育てて結婚させたあとは大きな家を管理することができずに、売ってアパートのような所に移って住んで、そのお金を銀行に預金している人が多いのです。このような状況ですからお金はいくらでもあるのです。

 ですから皆さんの時代の世界的な機動隊は本当によいことです。これを導いていくために、私が世界的に権威ある科学者、経済界で権威のある人、政治界で世界的な権威のある人、文化や言論界で世界的な権威のある人、宗教界で権威のある人、この五つの分野に権威のある人たちを中心として、世界的ブレインと、あらゆる分野に真の父母と同じような世界的頭脳部のようなものを編成しようと思っています。そして三年前から計画した世界平和統一連合会としてこれを立てようと思っています。今年十月から出発するのです。このような膨大な計画を今立てているところです。

 皆さんは井の中の蛙のような考えは捨てなければなりません。私たちは少なくとも国に影響を及ぼすことのできる一つの革命軍となって、国家復帰、主権復帰をしても余るほどの勇士にならなければなりません。そうして世界舞台に出て誇り得る者とならなければなりません。共産主義のスパイのようにいつも難しくてふらふらしてはいけないのです。このような心を持って、個人を宣伝するための個人になってはいけません。


日本での摂理


 その次は日本に対して一つお話しましょう。日本には一億の人口が住んでいるため、その一世帯を五人ずつと考えれば二千万世帯になります。この二千万世帯の日本の経済を近いうちに掌握しなければならないというのが先生の計画なのです。これは可能なことなのです。

 三菱、三井という人たちを見てください。今何を計画しようとしているかというと、三年以内に三〇〇〇名ほど、これが一九七六年三次七年路程が終わるときには、事業分野に七万名の動員が可能なのです。このようにしておいて先生の特別命令によって一人が三百軒ずつ担当すれば二千百万世帯になります。ですから一人が三百軒ずつ毎日回りながら、朝から晩まで回りながら何をするかというと、消耗品を配達するための注文を取るのです。

 そのようにして全国家的な基盤をつくって、一人が三百世帯ずつつかんで行けば、ある家の蟻が戦って足を折ったということまで詳細に知ることができます。その家の箸の数を数えるくらいは難しくないのです。このようにしておけば、生産地から電話を通して、私たちの業者を通して全国的に直接配達してあげるのです。そうするためには大きなビルディングが必要になるのです。このように全国的な連絡網を通して、何県には何世帯、何世帯と、すべてを組織してセンターから全国的な活動ができるように、約七万名を定めてつなげておかなければならないのです。

 このように三百軒ずつ配達できるようになれば物は生産地から原価で買ってくるのです。利益は原価より少し加えるようにしてできるだけ少ない利益ですべて配ってあげると、一年以内に基盤が立てられるのです。このようにしていけばみんな私たちの作戦によってデパートもつぶれてしまうのです。大きな商店もみんなシャッターを降ろさなければなりません。こうなると、みんなが統一教会に対して反対デモを行うでしょう。共産党までデモをすると思います。そうしてみてももう時は遅しです。そうして、「あなたたちは売りたかったら売ってみなさい」と言うのです。

 そして私たちは、「国民の利益のためにやるんだ。個人の利益よりも国民の利益のための公益事業だ」と、このように堂々とラジオ放送でもして宣伝するのです。「私たちの理論はこうであるため、民衆の利益のために私たちは奉仕しているので、利益として残す値段の三分の二を持っていきなさい」と言うのです。そうなると、デパートはみんなつぶれてしまうでしょう。こうなると、国家が必要とするある大きな会社の製品に対して少なくとも半分以上、三分の一ぐらい私たちが掌握するといって自由にすることができるのです。生産地から値段が高いと、この値段を少しおまけしてくださいと言って、原価から少し利益を加えるのです。その工場の生産従業員が働いて御飯を食べられるぐらいの利益を残してあげるのです。このようにして私が日本経済界を七年以内に掌握して、彼らを修練してみんなをアメリカに連れていこうと思うのです。そしてアメリカで版図を広げて世界的な組織をつくって、世界経済を握ろうとするのです。このように基盤を立てて先生がアメリカにいる食口たちに、「あなた方はアメリカのフォードの自動車に乗ってはならない。日本のトヨタ製品を買いなさい」と言うと、フォードの車は買わないようになっています。そうでしょう。国家を越えて世界的に、その国家主権が制裁を加えても防ぐことができないのです。私たちが主張するのは、その国家の高い税金を払ってその国に行って売ることのできる財政だけ立てておくのです。すると世界経済は私たちの手の中に入ってくるのです。

 このようなことをするために日本では今七〇〇〇名を訓練しておけば、そしてその七〇〇〇名が一人あたり十人ずつ訓練すればいっぺんに七万名が確保されます。そして全国的な組織を編成しておけば、他はみんな私たちの計画どおりに入ってくるのです。アメリカは威張るなということです。

 統一教会で苦労しているかわいそうな人たち、これから私が基盤を立ててあげます。気持ちがよいですか、悪いですか? 私が楽な生活になるようにしてあげましようか、皆さんを助けてあげましようか? なぜ返事がないのですか?(助けてください)。弱い少数民族の悪い習慣は正にそれなのです。みんな自立精神が足りないのです。

 お金を儲けるとき、韓国のために儲けましたか? 世界のために儲けたのです。ですから皆さんは、時が至るまで世界のために戦ったという立場に立たなければなりません。世界のために戦うことのできる立場に立つと助けてあげるのです。自分の家の資金のために働いている者は助けてあげません。それゆえに、日本で今七〇〇〇名の人を訓練させて四年計画をしています。

 このような活動をしようとするので、皆さんも英語の勉強をしなさいというのです。外国に出る準備をしなさいというのです。そして外国に行くとしても、みんな国境なしに出入りできなければ、私は非常に気持ちが悪いのです。そのようなことを知って、そのように祖国の解放の一日を迎えるために、犠牲を覚悟して、明日の希望と共に今日の開拓者として強くたくましい皆さんになってくれるようにお願いします。


祈祷


 あなたの守りとあなたの無限なる経綸の摂理が、この地上に決定的な基盤を立てる限界点が何かということを私たちははっきりと知りました。国のない国民がどんなに悲惨であり、国のない運命がどんなに言うこともできないものかということを、私たちは天のことを知って再び悟るようになりました。そしてどんなに驚くべきことかということを知りました。

 それゆえ、このような基盤を立てておかなければならない、このような基盤を広げていかなければならない私たちの活動は、正に緻密で立体的な活動をしなければならない使命があるということを知ったときに、その日のためにどんなに難しいことや、その基盤を立てるためにどんなに難しい戦いにも、気にせずに先頭に立って走っていくことのできるあなたの息子娘になることを両手を挙げてお誓いしましたので、お父様、悲壮な国家の運命を迎えたこの時代において、私たちが責任を持っていくことができますように、切にお願い申し上げます。

 かわいそうなこの民族とかわいそうな私たちの行くべき道を見分けてくださり、あなたの指導の下で私たちの行く道が常にあなたと共にありますように。この民族の運命をあなたが許した摂理の運命と共に一致することができますように、切にお願いいたしながら、すべてのみ言を真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。












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あとがき

文鮮明先生御言選集 55



あとがき


 今ちょうど、『文鮮明先生御言選集』の三十八巻を出版し、三十九巻の製本中に、この文をしたためております。第一巻は、一九五六年度に語られたみ言の二十余りのタイトルで構成され、この一冊に先生が語られたみ言の半年分が収められています。同じころ語られたみ言はほとんどがそうです。しかし、必ずしもその当時の説教のみ言が短かったのだとはいえません。初期のみ言は録音状態が悪く、ほとんど聞き取ることの不可能な部分が多く、時には全く録音できず、当時、その場にいた人が直接聞き取ったノートによって再現されたため短くなったものがあり、一巻に二十回分のみ言が収められています。

 ところで、最近出版された三十八巻には、わずか一か月の間に語られた九回分の説教が収録されており、一冊に十タイトル以内の説教が載せられています。これは、先生が韓国を離れ、米国に行かれて世界的な摂理と経綸を展開されなければならないので、時間や機会のあるかぎり多くのみ言を授けて出発しなければならないことに起因したものだと思います。

 そのみ言は、初期のみ言とは異なって、統一教会の歴史的位置を含んでおり、その使命と当面した実践項目を語られています。すなわち私たちが今、これから何をしなければならないかについて、相当に具体的な部分まで説明され、み旨の道を急がなければならないということを語っておられます。ですから、特に統一教会の食口たちは心を締めて、熱心に学ぶべきです。それは、み言が今日繰り広げてられているすべての内容を、予言的に語られているからです。その時、その時の先生の成されることを見れば、それらはみな厳格な摂理の原則から出てきたものであり、極めて計画的なことであったことが、これらの内容を通して証明されるのです。

 この御言集を読む私たちが、畏れを禁じざるを得ないほどに、内容のすべてが徹頭徹尾み旨であり、正に私たちの生活の中に一〇〇パーセント反映されなければならない貴重な法典であります。















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