神様の摂理から見た南北統一

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目次
  1. 南北統一_1-1-1
  2. 南北統一_1-1-2
  3. 南北統一_1-1-3
  4. 南北統一_1-1-4
  5. 南北統一_1-1-5
  6. 南北統一_1-2-1
  7. 南北統一_1-2-2
  8. 南北統一_1-2-3
  9. 南北統一_1-2-4
  10. 南北統一_1-3-1
  11. 南北統一_1-3-2
  12. 南北統一_1-3-3
  13. 南北統一_1-3-4
  14. 南北統一_1-3-5
  15. 南北統一_1-4-1
  16. 南北統一_1-4-2
  17. 南北統一_1-4-3
  18. 南北統一_1-4-5
  19. 南北統一_1-5-2
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  21. 南北統一_2-1-1
  22. 南北統一_2-1-2
  23. 南北統一_2-1-3
  24. 南北統一_2-1-4
  25. 南北統一_2-1-5
  26. 南北統一_2-2-1
  27. 南北統一_2-2-2
  28. 南北統一_2-2-3
  29. 南北統一_2-2-4
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  33. 南北統一_2-3-4
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  37. 南北統一_2-4-4
  38. 南北統一_2-5-1
  39. 南北統一_2-5-2
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  41. 南北統一_2-5-4
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神様の摂理から見た
  南北統一

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第一章 神様の摂理歴史と今日

第一節 神様の摂理歴史の概要

一.神様のみ旨から見た創造目的完成の世界

 神様のみ旨とは何でしょうか。これは簡単なようでも、この上なく難しい質問です。このような質問をどんな有名な神学者にしたとしても、誰も簡単に答えられないだろうと思います。しかし、神様の国をこの地上に築くためには、神様のみ旨をはっきりと知らなければなりません。この神様のみ旨こそすべての救援摂理の根本です。これが中心となり、目的となり、神様の摂理歴史の帰一点となるからです。したがって、このみ旨を規定し、定義づけることは、何よりも重要な課題です。

 それでは、統一教会で見るみ旨、すなわち、レバレンド・ムーンが知っている神様のみ旨とは何でしょうか。それはこの宇宙を造った創造理想、すなわち、創造目的を完成することであると考えます。神様はすべての被造万物を創造するとき、必ず目的をもって創造したので、そのような神様の創造目的を成し遂げることが神様のみ旨です。その目的の中心は誰でしょうか。アダムとエバでした。それゆえ、創造の理想を実現すること、すなわち、アダムとエバを中心とした理想を実現するのが神様の創造目的だと見るのです。

 では、その理想の実現とは何でしょうか。それはまさしく四位基台を成し遂げることです。四位基台は、神様を中心としてアダムとエバが完全に一つになって理想的な夫婦を成し、彼らが子女を繁殖することによって成し遂げられる家庭の基台をいうのです。神様を中心としてアダムとエバが夫婦の愛によって一体となって、この四位基台が造成されれば、神様の愛の圏の中から抜け出そうとしても抜け出すことができないようになります。

 このように、アダムとエバが神様を中心とした理想家庭を成し遂げていたならば、神様のみ旨は成就されたはずであり、アダム家庭は、神様を父として侍り、人類始祖の立場で一つに結合された愛の起点を備え得る家庭となったのです。その家庭は、神様が創造したアダムとエバの理想の完成のために、愛の結合によって一体を成すことのできる基盤となったのです。

 そのような基盤で成し遂げられる夫婦の愛と子女の愛によって神様のみ旨が成し遂げられたなら、この地球上にはアダムを中心とした単一文化圏が形成されたはずです。今日のように、数多くの民族がそれぞれに異なった文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを中心として一つの単一文化、単一思想、単一文明をもった世界になったのです。このようになったなら、文化、歴史、風習、言語、伝統などはすべて統一されていたはずです。

 また、神様の愛の圏内で理想的な家庭を築き、氏族を築き、民族、国家を形成し、さらに拡大して、アダムの理想が実現される一つの理想的世界を成し遂げたはずです。木は根、幹、葉が一つの生命として連結されているように、愛を中心として上には神様を父として侍り、下には万民が兄弟のように一つの生命体、愛の生命体と化して、神様を中心とした永遠な理想世界を成し遂げなければならないのです。それがまさしく神様のみ旨から見る世界観です。このような世界の人間たちには救援が必要でなく、メシヤも必要ありません。なぜなら、その世界で生きる人間は神様の善なる息子、娘だからです。(一九八〇・一一・一八)













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神様の摂理から見た
  南北統一

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二.人間の堕落は愛の事故だった

 聖書には善悪を知る木の実を取って食べてはならないと記されています。そこには人間と神様との関係を破綻させ得る内容を含んでいるからです。ですから問題になります。原理ではこのような思想を明確に解明してくれています。統一原理は堕落に対する事実をはっきりと知らない人にとって偉大な福音です。苦痛を受けながら生きているすべての人間を救援することができる偉大な福音です。

 善悪を知る木の実は文字どおり木の実だと見ることはできません。木の実ではありません。では、億千万代の人類がこのように破綻の立場と闘争の路程で呻吟する状況をつくり得る実を、神様がなぜお造りになったのでしょうか。それは、先生が言う「愛の内容」を中心として現れた結果であるというのが何よりも理論的だといえます。堕落の結果、愛には善なる愛と悪なる愛の二つが生じました。

成熟した人は真の愛を知る人だと見ることができます。反面、堕落した人は真の愛を知らない人です。

 アダム・エバは十六、十七、十八歳になれば自然と思春期になって異性に目覚めるようになります。花がいっぱいに咲くとき人がかぐわしい香りに酔うように、アダム・エバが成熟すれば異性として考えるようになるのです。このかぐわしい香りに神様も一緒にひかれていくのです。神様の愛とアダム・エバの心と体、この三つが一つになれば宇宙の核が生じ、すべての愛をコントロールできる本軌道で回っていくようになるのです。ところが、ここで脱線してしまいました。脱線しなかったなら完全に一つになったはずです。このように一つになったなら、神様も離れることができず、アダムとエバも離れることができなかったのです。そうして、子々孫々に連結され、氏族、民族、世界を築いたはずです。ここは素晴らしい世界、地上天国になるのです。

 先生の時になって、堕落が愛によって引き起こされた結果だという事実を明らかにしたのは驚くべきことです。これは歴史的背景を通して理論的に体系化されたことであり否定できない内容です。(一九八三・六・五)

 人間始祖アダム・エバは、思春期を望みながら一時を中心として現れました。その時まで待たなければならない理由がどこにあるのか知らなければなりません。すぐに男性と女性が一つになって愛すればよいのに、なぜ待たなければならないのでしょうか。愛のためにそうせざるを得なかったというのです。成熟することのできる思春期までの期間が必要なので、それまでに過程的な要件を備えなければなりません。

(人間は)愛を中心として成長しなければならないのですが、愛によって故障したときには神様は身を引くようになります。このように見るとき、愛の事故のほかには堕落があり得ないというのです。それゆえ、神様にとって問題となり、人間にとって問題となり、歴史の問題となり、宇宙の大事件として衝撃を与え得るのは愛の事故しかありません。(一九八三・六・五)

 人間の先祖は、単純に何かの果実を取って食べることによって堕落したのではありません。そのような単純な動機が人間始祖を堕落させたのではないのです。堕落は血統の不貞的動機から起こった事件でした。それゆえ、堕落の結果が今日まで原罪として遺伝されてきているのです。

 不倫な淫行関係によってエバは天使長と一つになり、アダムは天使長と一体となったエバと一つになることによって、アダムとエバは結局神様を中心としたのではなく、天使長を中心とした夫婦関係を結んで、家庭を成すようになりました。したがってアダムとエバの後孫であるすべての人間はサタンの血統を引き継ぐようになったのです。

 したがって、本来のアダム・エバの息子たちは神様の長子と次子にならなければならなかったにもかかわらず、エバが不倫な情によって天使長と関係を結んだので、彼らの息子たちはサタンの所有物になってしまったのです。

 本来、創造理想の中では、愛が所有を決定します。愛の関係を結べば、その愛を中心とした主体と対象は必ずお互いの所有権をもつようになるのが原理です。したがって、このような原理的な基準から察するに、エバが天使長と不倫な愛の因縁によって堕落したことによって、エバの後孫として生まれる人間の所有権は天使長であるサタンがもつようになったのであり、サタンはその所有権を堂々と主張することができたのです。(一九八〇・一一・一八)




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神様の摂理から見た
  南北統一

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三.堕落した人間と世界の姿

1 堕落の結果として主人が二人になった人間

 神様は、その愛を中心として昼夜なくすべてのものを主管しなければなりませんでした。愛は時間を超越し、空間を超越してすべてのものを主管することのできる基準なので、神様ご自身も主管するためには愛が必要です。このように考えるとき、愛がなければ存在の価値もないという結論が出るようになります。

 ところが、このような理想は愛によって堕落したために喪失してしまいました。愛の起点は目や口ではありません。男女が共にする愛の器官です。しかし、それを通して堕落したために、すべてのものが滅びてしまいました。

 愛の結合点はすべての感覚を総合した所だといいます。それが、堕落によってその基準が壊れ、宇宙に被害をもたらすようになったのです。

 それゆえに、今後再創造過程を経て、もとの場所に帰らなければなりません。堕落の結果主人が二人になりました。もし主人が一人ならば戻すのは簡単ですが、二人になったので帰るのが難しくなりました。真なる主体である神様に対して万物は、自動的に矛盾や衝突がなく一致するようになっていました。しかし、ここでマイナスは一つなのに、プラスが二つになり、神様に対して反発するプラスが生じました。ですから結局、反対の力が強いので、外的な力と内的な力が分かれるようになったのです。それゆえ、サタンは外的な力を中心として動き、神様は内的な力を中心として連結されています。結局サタンは外的主体になり、神様は内的主体になったのです。一つの個体に二つの主体が対応する結果をもたらすようになったのです。

 ですから、内外が共にプラスになったので、常に反発作用を招来するようになります。これはすなわち、堕落人間の肉心と良心の闘いだと見ることができます。

 一生涯、心と体、良心と肉心とが一体となって融合しなければならないにもかかわらず、お互いに反発し、方向を異にしています。一方に傾く場合があるかと思えば、方向を失ってしまったりもします。

 人間始祖であるアダム・エバがそのようになっているので、彼らから生まれる子女たちも同様の立場に立つのです。十人がいれば十人、方向がそれぞれ異なるようになります。このような堕落世界がこの地球上に築かれてしまったのです。(一九八三・四・三)
2 人間の矛盾性は人間堕落の結果

 今日我々は人間の同一個体の中で、悪の欲望を達成しようという邪心の指向性と、善の欲望を成就しようという本心の指向性が、それぞれ違う目的を前に立てて熾烈な闘いを繰り広げながら心と体に分裂しているということを知ることができます。このように、人間の心と体が分裂している矛盾性はどこから始まったのかといえば、まさしく人間始祖の堕落からでした。人間始祖が堕落することによって常に心と体が闘争し、分裂する矛盾性をもつようになり、家庭と社会、ひいては国家と国家同士が闘い、血を流す不幸を味わわざるを得なくなったのです。

 堕落とは何でしょうか。心と体が元の場所にいないことです。絶対的な神様が人間を創造され、理想とされたとおりに実体を備えて全宇宙の前に堂々と現れることのできる本然の人がいるというとき、その人は心と体が立つことのできる立場を備えた人です。そのような人がいたならば、すべての環境がその人の拍子に従って動くのです。そのような立場を有することができないのが堕落です。

 それゆえ、心は東側に行こうとし、体は西側に行こうとします。おかしいでしょう? 心が志向するものと体が志向するものが違うのです。このようなものを見るとき、人間が堕落したということを否定することができないのです。

 人間は神様の絶対目的によって我知らず生まれました。それゆえ、人間にはその目的に符合する生理的な現象が作用して現れなければならないにもかかわらず、今日我々人間は心と体の位置と方向が違うということを否定できません。

 「私」は「私」なのですが、心も私であり、体も私のようなのですが、実際に体が私の体であり、心が私の心なのかというとき、自分もそれが分かりません。元来は心と体が一つになって離れようとしても離れることができず、神様も分けようとしても分けることのできない絶対的な基準を備えて自分の目的を成就していかなければならないのです。(一八―五八)

3 堕落した人間と堕落した世界の姿

 ここで我々はさらに進んで、堕落した人間と堕落した世界の姿について探ってみることにしましょう。

 ヨハネによる福音書第八章四十四節を見れば、イエス様が悪なる人間たちをご覧になって、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、……」と語られた内容があります。

 堕落することによって、人間は自分たちの父親を取り替えたのです。真の父である神様を捨てて偽りの父であるサタンと一つになったのです。このようにして最初の男性と女性はサタンの息子、娘になってしまいました。ゆえに人間は偽りの父であるサタンに屈服せざるを得なくなったのです。

 偽りの父であるサタンのもとでアダムとエバは神様の祝祷も、神様の許諾もなく不法に夫婦となりました。そして、彼らが子女を繁殖したとき、その子女もすべてが同じ偽りの父のものとなりました。その子女は神様の子女でなく、すべてサタンの子女として生まれるようになったのです。それゆえ、アダム以後原罪をもった子女を繁殖して罪悪世界を築くようになったのです。なぜかといえば、人間が神様を中心とすることができなかったからです。

 そこには罪の世界、不信の世界、犯罪の世界、そして、嫌悪と戦争の世界があるのみです。そして、国家と社会はお互いが破壊的行為をしながらも何ら苦痛を感じられなくなってしまいました。これが地上地獄なのです。事実上この地上の主人公は神様ではなく、サタンです。ですから、ヨハネによる福音書第十二章三十一節にも「今こそこの世の君は追い出されるであろう」と記録されているのです。

 我々はこの宇宙が神様によって創造されたということを知っています。我々はまた、神様が人間を創造されたということをよく知っています。しかし、神様が我々の主人公になることができませんでした。それは、人間が主人公を代えてしまったからです。人間は神様に反逆し、偽りの主人であるサタンと一つになってしまいました。ですから、このサタンが人類の父になったのです。(七三―二〇二)

 この地上天国は神様を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟です。そこは間違いなく一つの伝統と一つの文化の統一世界であらざるを得ません。そこには人種差別があり得ず、言語の相入れない状態があり得ず、国家の分裂があり得ず、理念の対決があり得ず、殺戮する戦争はあり得ません。

 このような神様の理想世界を描いてみながら今日の現実を眺めるとき、我々は神様の理想とは正反対の世界に生きていることを痛感するようになります。我々は今日、まず我々自身の中で心と体が分裂しているのを見ることができます。

 今日の我々の世界は分裂の世界です。国家の分裂、言語の分裂、文化・伝統の分裂、人種の分裂、理念の分裂、愛の分裂、このような分裂の中で人類歴史は闘争と戦争と殺戮の連続でした。これはどのように見ても天国だということはできません。そうです。我々は地上地獄に生きているのです。これは、人間始祖であるアダムとエバが堕落したために引き起こされた結果です。堕落したということは、神様に背いたということであり、神様から離れたということです。ですから、神様が臨在なさることのできない歴史が始まったのです。人類歴史は神様に背いた歴史の連続によって今日に至ったのです。(一〇〇―二四二)

4 現世が不合理で矛盾している理由

 皆さんが今日の世界の現実を眺めるなら、この世界が不条理と矛盾、対立と闘争、そして、苦しみと悲しみに満ちた世界だということを知るようになります。ですから、仏教ではこの世の中を「苦海」といい、すべての宗教と聖賢たちが苦海の人間世界を救い出そうとしてきました。しかし、それは今まで誰も解決できない一つの課題として残されてきました。

 なぜ、人間は苦海の人生を生きなければならないのでしょうか。人間は常に幸福で平和な理想郷を願うのに反して、人間の現実を見ると間違いなく矛盾しています。もし、全知全能の神様がいらっしゃるなら、絶対にこのように矛盾した人間世界を創造されはしなかったはずです。なぜなら、神様は完全で絶対的な方だからです。このような観点から見るとき、我々は人間が堕落したと見ざるを得ないのであり、誰もこれに反駁する余地がないのです。

 現世が不合理で矛盾している理由を人類の堕落から見いだそうというのが普遍的な宗教の世界観です。堕落したということは、人間が故障して本来の位置から落ちたという意味です。自分が完成することを願いながら、神様の前に出なければならないのが本来の人間の立場でした。神様が人間を創造しながら願い、目的としたところのみ意どおりに成長期間を経て、花を咲かせ、実を結ばなければならなかったのが本然の人間でした。けれども、不幸にも未完成期で花を咲かすことのできないまま落ちてしまったのです。言い換えれば、堕落したということです。

 堕落したなら、どのようにしなければなりませんか。上がっていかなければなりません。そして、神様も堕落した人間を再び救わなければなりません。人間は堕落することによって矛盾し、罪悪の世界で生きるようになったのですが、もし、神様がこのような人間世界をそのまま放置して堕落した世界で生きるようになった人間をお救いにならなければ、神様は無能な神様になってしまうからです。したがって、神様は必ずこの罪悪の世界をお救いになり、人間を本然の位置へと救援せざるを得ないという結論を得ることができるのです。

 ですから、すべての宗教はその宗旨として救世の道理を広めるようになるのであり、人間が本然の理想世界を具現することのできる求道の道理を説くようになるのです。罪悪となり、矛盾した善と正義を具現し、人間が永遠な幸福と平和を謳歌することのできる理想郷をつくろうと、その救世の道理を広げるのです。これが宗教の核心であり、基本的な課題であり、使命でもあるのです。(一九八一・四・二五)




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神様の摂理から見た
  南北統一

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四.人類歴史とは善悪闘争の歴史

1 堕落人間に対する神様の救援摂理

 神様はこの堕落した世界をどのようにされると思いますか。堕落して故障し、不合格品になったから見捨てればいいのではないか、と考えるかもしれませんが、神様は決して見捨てることはできません。本来、人間を創造されるときに永遠な理想をもって創造なさったからです。神様の永遠な愛の対象として人間をお造りになったからです。それゆえ、我々はここで人間が神様の愛の対象として愛の完成体になれない限り、神様は不完全な神様として残らざるを得ないという結論に至るようになります。なぜなら、神様の永遠性や愛の主体としての本質的な資格は、その対象として創造された人間を通して初めて得られるものだからです。

 それゆえ神様は、再び創造の過程を経て本来願われた愛の目的を具現なさろうと、今日まで宗教を通した再創造摂理を経綸して来られたのであり、真なる愛の宗教が現れ得る摂理歴史を広めてこられたのです。

 そうであるなら、神様はここで堕落した息子、娘をどのようにして理想的な息子、娘に再創造なされるのでしょうか。

水に落ちた人を救うということは、水に落ちる前の状態に移動させてしまうことを言います。それゆえ、堕落した人間を救うということは、すなわち再創造するということは、人間を堕落する前の創造本然の立場へと移動させてしまうことを意味します。言い換えれば、神様の理想的な愛のみ旨を実現すべき人間が堕落することによってそのみ旨を成し遂げることができなかったので、神様は創造原理による再創造過程を通して、人間が創造本然の神様の理想的な愛を中心としてその愛を実現しながらその愛の中で生きることのできる、創造本然の状態へと移動させてしまう摂理をなさるようになるのです。これがまさに神様の堕落人間に対する救援摂理です。

 それゆえ、堕落した人間にとって愛の理想を実現することのできる宗教が絶対的に必要になるのであり、そのような神様の意義深い摂理によってこの地上に生まれたすべての宗教が、一様に愛の内容を主張してこざるを得なかったのです。(一九八一・四・二五)

 人間が堕落したので一つの理想的基準を求め得る方法がありません。自分自体から二筋の方向があるからです。ですから、どんなに心が強い人でも、心が完全に体を支配して、一致した一つの善の方向をもつことができません。もし、人間が心と体を一つに一致させることさえできたなら、真なる愛の心の上に体を一致させて、全く闘争がない愛の中で円満に調和して生きることができるのです。それゆえ本来、人間が堕落しなかったなら、人間は神様の愛を中心として完全に神様と渾然一体になった立場に立つことができたのです。

 しかし神様は、人間がいつまでもこのように堕落した世界で生きるように傍観なさるお方ではなく、本来、神様が願われた創造理想世界を再創造なさるために今日まで宗教を通してその再創造のための基台を築いて来られたのですが、それが神様の救援摂理です。(一九八一・五・一〇)

2 人類歴史とは人間の救援のための神の摂理史である

 今日、人間が歴史をつづってくるに際して神様が介在しているということを、信仰生活をしない人は知らずにいます。人間の歴史の背後には、我々人間だけではなく、神の摂理史があるのです。神の摂理史とともに人間の歴史がつづられてくるというのです。

 では、なぜ人間の歴史に神様が介在しなければならないのでしょうか。人を造り、この世界を存続させるのは神様のみ旨、神様の創造理想を実現させるためのものなので、人間がどんなに過ったとしても、この創造理想を実現させ得る人間として登場させなければ神様の創造理想を完成することができないからです。

 それゆえ、人間は知りませんが、人類歴史は神様の創造理想を再現するために歩んできたというのです。これが救援というものです。

 すべての宗教は救援(救い)を語っています。新しい世界へと行くことのできる、理想世界へと行くことのできる、永遠な世界と連結され得る救援を目標としているのです。それでは、救援の道とは何でしょうか。病気にかかったならかかっていなかった本然の状態へと帰ることをいいます。ですから、統一教会では、「救援歴史は復帰歴史であり、戻っていく歴史である。本然の基準を中心として帰らなければならない」と言います。このような言葉が必要になったというのは、つまり救援摂理という言葉が必要であり、復帰という言葉が必要になったという事実は何を意味するのでしょうか。それは人間が堕落したことを意味しているのです。

 では、堕落したというのはどういうことでしょうか。神様に直接主管され、神様の一体理想圏に立っていたならば堕落はあり得ないのです。我々人間は神様と神様の愛を中心として、引き離そうとしても引き離すことのできない父子の因縁をもって、すべての生活を始めなければならないのです。神様の愛を中心として生活するその立場とは、悲しみの立場、苦痛の立場ではなく、幸福の立場であり、喜びの立場であり、充足の立場なのです。ところが、堕落することによってそれを失ってしまいました。

 では、それを失わせた動機、その根本は何でしょうか。神様がそのように造ったのでしょうか。人間がそのようになったのでしょうか。違います。それは天使長です。天使長が人間を誘惑してそのようになったのです。人間は完成できる立場に到達するための過程を経ていく、そのような立場にいましたが、サタンが、天使長が我々人類始祖を強奪したので、そこから非運の曲折の歴史が始まったのです。ですから、これを復帰しなければなりません。

 堕落とは何でしょうか。サタンに支配されたことです。それゆえ、今日アダムとエバを中心として生まれたすべての後孫は、サタンの支配圏から逃れることができないまま、歴史が発展してきたのです。個人・家庭・氏族・民族・国家・世界的な環境を経てきましたけれども、これはどこまでも神様が主管されたものではなく、サタン主管圏内で動かしてきたのです。これは本来神様のみ旨ではなく、人間が理想とするところではないので、神様と人間は一つになってこの堕落圏から抜け出さなければなりません。そのような歴史過程の責任を負わなければならないのです。

 このことを成すために神様は民族の背後に数多くの宗教を置いて、そこから抜け出るための運動をするのです。それゆえ、東洋には東洋の宗教があり、西洋には西洋の宗教があって、さまざまな宗教を編みながら世界へ、一つの宗教圏へと越えていき、また、歴史上の思想も一つの統一された思想圏に向かって越えていくのです。(一六八―二九九)

3 人類歴史とは善悪闘争の歴史である

 人間が本来堕落しなかったならば、今日、我々は神様が喜ばれ、好まれながら愛することのできる祖国をもったはずです。この地球星は我々の祖国になったはずであり、その祖国をいわゆる地上天国といったでしょう。その祖国は神様を中心として始まり、神様の愛を中心として関係を結ぶので、神様が共にいらっしゃり、神様の愛があふれ出る世界だったはずです。それゆえ、我々人間は神様に侍ることができ、神様の愛を体験することによって愛がどのようなものであるかを知ることができ、万民が兄弟の関係となって、一つの家庭の食口のように大家族を成したはずです。この地上天国で神様の家族として暮らしていた人間が、肉身生活を終えて霊界に行って、天上天国を築いて暮らすようになるのです。

 天国は我々人間の本郷です。ところが、堕落することによって、祖国である地上天国が築かれなかったので天上天国が築かれず、肉身生活を終えて霊界に行っても、天上天国に入る人間はいなかったのです。

 それでは、人間が堕落した結果、どのようになったでしょうか。人間の心と体が一つになれずに分かれ、夫婦が一つになれず、夫婦と子供が一つになれない中で、すべてのものが分かれて闘争するようになったのです。それは人間を中心とした被造世界がサタンの主管圏内に陥ったことによって、分裂と闘争の歴史として点綴された堕落世界となってしまったというのです。神様と一つになってこそ天国に行くことができるのに、その神様と因縁を結ぶことができずに分かれ、正反対の立場でサタンに引かれていくようになったのです。

 堕落した人間は地球上で、気候に従って寒帯、温帯、熱帯地域に拡散して白人種、黄色人種、黒人種となりながら、分裂した世界を築くようになったのです。五色人種に分裂した世界は、自分の利益だけを追求しながら、個人・家庭・民族・国家・世界に至るまで、闘争の歴史を展開させてきたのです。闘いは必ず善なる側と悪なる側に分かれて行われたのですが、悪なる側はサタンが操縦し、善なる側は神様が役事されたのです。結局、堕落以後の人類歴史は戦争の歴史ですが、その背後にはサタンと神様がいたのです。また、人間を中心として行われた闘いにはサタンと神様だけでなく、霊界の善霊と悪霊まで総動員され、協助しながら闘ってきたのです。善なる側は善霊が協助し、悪なる側は悪霊が協助しました。それゆえ、人間世界での闘いは地上と霊界が総動員されました。それは堕落した人間を奪ってくるための神様の摂理だったのです。(一六一―一二)

 今までの人類歴史はカインとアベル、天側とサタン側が対決してきました。人類歴史は結果的に善と悪が対決しながらつづられてきたのです。(一二―三七)

 今まで流れてきた歴史を見れば、善が築いてくる歴史と、悪が築いてくる歴史が、常に裏返しに伝わってきているということを知ることができます。人間が堕落しなかったならば、善悪の闘争はなかったはずです。しかし、人間が堕落することによって善悪の闘争が生じるようになったのです。本来、善が歴史の中心にならなければならないにもかかわらず、悪が歴史の中心になりました。善が先に出発しなければならなかったにもかかわらず、悪が先に出発し、善が上になければならないのにかかわらず、悪が上にあるのです。このように全体的に不当な内容を、正当な本然の姿勢に戻すための闘争が今日までの歴史的闘争の母体です。では、我々自身が何をしなければならないのでしょうか。正しい本然の立場を取り戻すことが、我々人間の最高の目標であり、神様が摂理してこられる最大の目標なのです。言い換えれば、本然の姿をこの地球上の歴史過程で、あるいは、復帰摂理路程で成就することが、神様と人間が成すべき最終的な仕事です。それを我々は知っています。

 ゆえに、これを成就させることのできる人が、結局は歴史を支配するようになります。このような人だけが、摂理路程において新しい時代の使命を果たすことができ、誤った歴史を正しい方向へと転換していくことができるのです。それゆえ、このような人を中心として、善悪が交差する転換点を築いてきたという結論が出るのです。

 では、交差点とは何でしょうか。それは社会でいう交差点ではありません。ある個人の事情による交差点ではなく、ある時代の交差点でもありません。また、国家でいう政権の交差点でもないのです。それはどこまでも、誤ったこの世の中全体がひっくり返されて、神様が予定された本然の姿に復帰される交差点なのです。このような過程を経なければ新しい世界となることができません。ですから、交差の転換点という問題が現れるようになったのです。(二八―二四四)

4 歴史はヘレニズムとヘブライズムの対決

 皆さん、歴史は人本主義思想(ヘレニズム)と神本主義思想(ヘブライズム)と交差しながら闘争してくるのです。

 では、どうしてヘブライズムが登場し、歴史的に問題になったのかということです。宗教の中では、唯一神を中心とした宗教が一番長い歴史をもっています。これを引き継いだキリスト教が今日の統一教会の時代まで、歴史上を変遷しながら改革してきたのであり、一つの世界を収拾してくる主流的な歴史をもったのです。そのために、キリスト教が問題になるのです。

 また、なぜヘレニズムが問題になるのでしょうか。人本主義の思考方法を中心とした歴史的起源は、ギリシャにおいての人本主義思想と連結されています。これが一番古いものです。歴史は長い歴史を中心として人本主義思潮と神本主義思潮の対決です。このような観点から見るとき、これが今日までの問題になっているのです。

 ヘブライズムの特徴が何かといえば、伝統を中心として一貫した歴史像をもっていることです。しかし、ヘレニズムは、時代、時代の環境に従って変遷してきました。ユダヤ教が代表的に今までの伝統をもっています。皆さんがカトリックの映画を見れば、伝統という言葉が出てくるでしょう? それは変わらないものです。キリスト教もイエス様を中心とした思想なのに、変わることができますか。変わらないのです。変わることができないというのです。人類の主流的な歴史を通して、キリスト教が古代から中世を経ながら現代にまで影響を及ぼし得る一つの宗教になったという事実によって、神様が共にある宗教だということを、我々は知ることができるのです。ですから、キリスト教は世界を支配するものだというのです。世界を支配すべきだというのです。(七九―一八二)




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五.宗教を通じた神様の救援摂理歴史 

1 宗教を通じた神様の救援摂理歴史

 神様が願われるみ旨の内容はどのようなものでしょうか。それは再創造歴史の過程を経ながらアダムを完成させることです。そのようにして完成したアダムの勝利的基盤を築いた土台の上にエバが完成し、エバが完成したその基盤の上に家庭の完成、子女の完成を成し遂げさせることです。その子女の完成を成し遂げることのできる基盤を築くためには、氏族と民族を代表した実体的氏族圏が形成されなければなりません。それが救援摂理の中心的な内容です。また、救援摂理完成の核心的な内容でもあります。

 人類歴史が始まって以来、数多くの聖賢と賢哲が来ては逝きましたが、彼らが成していった仕事を要約すれば、宗教を立てて成長させてきたということができます。人類の歴史上には多くの宗教が生まれて今日に至っていますが、それらを大きく分ければ、僕の宗教、養子の宗教、息子の宗教、そして父母の宗教です。そのように復帰してきています。

 人類の文化が東西南北の方向に従ってその違いを表すように、今日までの数多くの宗教は、地域的な環境に合わせてきました。その地方を復帰させるための僕や養子、あるいは、息子のような性格の宗教を立ててきたのです。しかし、僕の宗教といってもその教理や意識の中には、息子が教え、父母が教える摂理の内容を盛り込んでいたのです。

 このように数多くの宗教が行く道は神様のみ旨を成し遂げる道、すなわち、創造理想を完成しようとする道です。僕の宗教が目標としていく道もそうです。次の次元の養子の宗教も、僕の宗教の基盤の上で同じ目的を追求していきます。養子の立場は、神様の事情と心情を体恤し、環境を愛し、み旨を奉じて行う息子を代身します。その立場が養子の立場です。この養子は息子がいなくなったときには父母の代を引き継ぐことができるのです。養子の宗教も同様です。

 養子の宗教の次には息子の宗教です。息子の宗教が現れることによってどのようなことが起きるのでしょうか。それは父母をはっきりと教えてくれます。父母を教えるだけでなく、心情的統一圏が形成されます。

 僕の時代や養子の時代においては、神様が人類の父母の立場にいたとしても、その父母の立場である神様の前に、人類を代表した息子の資格によって心情の基準を形成させることはできないのです。しかし、息子が現れることによって初めて、主体であられる父母の前に、地を代身して一つの相対的中心が決定されるのです。父母であられる神様が最初の息子を得て初めて愛したという事実は、人類歴史路程、あるいは、被造万物が生まれ出て以後、理想としての願いが成し遂げられる瞬間となるのです。

 このような復帰摂理歴史の帰結について見るとき、ユダヤ教を経て今日のキリスト教に至るまで、主流的な歴史路程を経てきたキリスト教が数多くの宗教の中でも中心の宗教なのです。キリスト教の歴史の中でも旧約時代は僕の時代であり、新約時代は養子の時代になります。さらに、息子の立場を引き継ぐためのものがメシヤの思想です。メシヤは神様の愛を受けることのできる息子なのです。それゆえ、イエス様を神様のひとり子といったのです。ひとり子というのは、神様において一人しかいない息子を指すのです。それは神様の愛を中心として初めて生まれた息子を称していう言葉です。そのような摂理的な背景をもった宗教、特にキリスト教を中心として歴史を導き、二十世紀の文明を支配する民主世界の創建を成してきたのです。

 もはや人類歴史の終末となりました。ここで終末になったということは、何を意味するのでしょうか。これはメシヤ的息子の使命を終え、父母の使命に連結させるために、イエス様は新郎になり、人類は新婦になる立場をいいます。その新郎新婦は父母の宗教をもたらすのです。それゆえ、終末というのは息子、娘の時代が終わり、父母の時代へと移っていく時をいいます。

 息子、娘の願いは何でしょうか。それは失ってしまった父母に再び会い、求めることのできなかった父母を求め、出会うことのできなかった父母に出会うことです。ですから、父母から再び愛を受けるのです。それゆえ、今日のキリスト教でいうように、終末とは地が燃え消滅する時をいうのではなく、子女の願いである父母がこの地上に現れて形成される時をいいます。父母からそのようなことを教育され、教育された内容を中心として神様の愛と一致した立場で、善悪の主権が交代する転換期がまさに終末なのです。このような役割と使命のために宗教が胎動し、次第に発展し、成長してきたのです。

 統一教会とはいったい何でしょうか。統一教会では真の父母と真の子女について語っています。今日、多くの宗教が生まれて消滅してきましたが、彼らはすべてどちらか一方を語ってきました。ところが、統一教会では父母の宗教を主唱しているのが彼らと違う点です。我々がいう父母は、他人の父母ではありません。神様を中心として人類の根本的な父母の伝統を引き継いで、先祖の立場を決定した立場に立った父母をいいます。ここでの父母は社会でいう、家庭で暮らす父母を指すのではありません。その父母は堕落した世界が完全に救援される時まで、最悪の人間たちを再び接ぎ木して生んで、真の子女としての資格を備えることができるように面倒を見てあげる父母をいいます。それが統一教会でいう父母の立場なのです。

 それでは、傍系の宗教はどのようになるのでしょうか。それらすべての宗教は消滅してなくなるのではありません。種から現れた双葉がその本然の使命を果たして落ちるように、次第に消えるのです。僕の宗教が消えるのであり、養子の宗教が消えながら子女の宗教の上に根の宗教である父母の宗教と連結されて、新しい一つの宗教世界が形成されるのです。(一九八一・五・一)

2 神様・人間・万物が願った一つの宗教

 人間は、有史以来粘り強く悪の勢力と闘争してきました。歴史過程を通して悪なる世界を善なる世界にするための運動を、宗教を中心として絶えず追求し、展開してきました。各宗教ごとにその民族特有の言語と文化と伝統、また歴史が違いますが、民族がそれぞれにもっていた宗教の本質は一様に善を追求し、罪悪の世の中を救援するところにありました。善の神様は、そのように善を追求する宗教を中心として人類文化史を発展させ、世界的な版図にまで展開させてきたのです。

 言い換えれば、西洋にはキリスト教文化圏を、中東にはイスラム教文化圏を、インドにはインド教文化圏、そして、韓国・中国・日本では儒・仏・仙の三つの宗教を通じた極東文化圏を発展させてきました。そのことによって、宗教を通してこの世の中を善なる世界へと転換する働きをしてきたのです。

 善なる神様がいらっしゃるなら、その神様の願いは何でしょうか。いつまでも数個の宗教を中心として摂理を広めることはできないのです。言い換えれば、一つの宗教の形態を世界的舞台に展開なさりたいのが神様のみ旨であり、終局にはこの世界に一つの真なるみ旨を代身して具現させることのできる、完璧な一つの宗教が現れるのが神様の願いだというのです。

 神様のこの願いは、すべての人間が待ちわびてきた願いでもあります。有史以来人間は神様との本来の正常な関係を念願し、その実現のために不断の努力をしてきました。事実これは悠久な歴史を通して全人類の最も切実な念願であり、時代ごとの最大の課題でもあります。神様と人間との正常な関係を回復させてあげることができ、全人類を罪悪から救ってあげることのできるもの、それは、ほか でもない神様が願ってきた神様の真なるみ旨を代身した一つの宗教文化圏であらざるを得ないのです。

 神様が願う宗教、そして、全人類が願ってきた理想世界を具現することのできる一つの宗教文化圏、これこそ全世界を一つにすることのできる宗教なのであり、神様と人間との正常な父子の関係を回復させてあげることのできる文化圏なのです。この文化圏の誕生を神様が願い、すべての人間が願い、すべての宗教人が渇望してきたのです。このような一つの宗教文化圏での念願は、神様と人間だけのものではなく、万有の物質界、すなわち、被造万物が一様に念願してきた希望でもあります。

 それでは、その一つの宗教はどのような宗教でなければならないでしょうか。いわば、どのような内容の宗教であれば、神様の願いと人間の願い、そして万物の願いが一致され得るのかというのです。

 その宗教は、「真なる宗教理想」として、神様と一致した「真なる個人」から始まらなければなりません。しかし、「真なる個人」だけを要求するのが、神様が願う内容ではありません。真なる個人を通してつくった神様の宗教として、全世界を一つにしたいのが神様が願うところです。

 一つの真なる個人と真なる家庭から、一つの真なる民族と一つの真なる国家、世界をつくりたいのです。

 しかし、今日の世界は堕落して悪神が主管する悪主権の世界なので、神様がこの世界をいっぺんに救済することはできません。それゆえ、神様はその真なる一つの世界を、この地上の一人の人から世界へと、次第に拡大させるための運動をなさざるを得ないのです。(一九八一・五・一〇)

3 救援摂理の究極的な目的

 人類歴史が展開されながらサタンから侵犯されるとき、国家が侵犯される前に氏族が侵犯を受け、氏族が侵犯される前に家庭が侵犯され、家庭が侵犯される前に個人が侵犯されました。それゆえ、神様はまず個人を中心として摂理してこなければならず、家庭を中心とした救援摂理はできなかったのです。それゆえ、今までキリスト教を注視した神様の摂理は、家庭でない個人を中心として救援の役事を展開せざるを得なかったのです。したがって、彼らの信仰はどこまでも救世主を信じることによって個人的な救援を受けることであって、家庭や民族、国家、あるいは世界的な救援を受けたのではありません。

 それでは、個人の救援から家庭、氏族、民族、国家、世界、さらには、霊界まで救援するための道は何でしょうか。その道を探し出すのは、堕落した人間の力では絶対に不可能です。ただ、再び来られる主によってのみ可能なのです。

 堕落以後の人類歴史六千年間、神様は個人の救援を基盤とした救援摂理の土台を築いてこられたのですが、それは家庭と民族、国家、世界の救援に先立って個人救援が先行しなければならないからでした。

 神様の救援摂理の究極的な目的は個体の救援を越えて、家庭・氏族・民族・国家・世界だけでなく、地獄まで解放させ、霊界までも救援するものです。そうでなくては、神様が解放されないからです。神様の完全な救援摂理の目的が成し遂げられれば、すなわち、地獄を経て霊界までも解放されるようになれば、神様の愛を中心として「私の思いを成し遂げた。ほめたたえよう。私の愛の主管のもとに一つの世界となって、前進するであろう」と祝福できる理想的完成の宣布の日をもつのです。

 けれども神様の摂理歴史を見るとき、個人の完成の道も築くことができなかったことが分かります。それは、「メシヤを再び送ろう」と言われた約束の中に現れています。今日までキリスト教が再臨の日を待ちこがれながら信仰生活を続けてきているという事実が、これを証明しています。

 キリスト教の歴史は、再臨主を迎えるための基台を準備してきた歴史だったのです。地球上に広がっている数多くの氏族と民族、国家との観念を、一つのキリスト教文化圏へと統一させて一つの世界的版図をつくることによって、メシヤが再臨することのできる基台を造成してきたのです。(一九八一・五・一七)




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第二節 旧約時代の歴史とメシヤ

一.カイン・アベルを中心とした分立摂理歴史

1 堕落の結果とカイン・アベルを中心とした分立摂理

 我々は、人間始祖の堕落によってサタンの血統を受け継いでいます。もしアダムとエバが堕落しなかったなら、罪のない神様の子女になったのです。しかし、アダムとエバが堕落することによってサタンの子女になってしまいました。

 元来人間は神様にだけ主管されるようになっていました。それゆえ、神様だけが人間の主管者でなければなりません。しかし、人間始祖アダムとエバがサタンと不倫の関係を結ぶことによって、サタンが人間世界の主管者になってしまったのです。サタンが、堕落した世界に対してその所有権を主張するようになったのです。

 しかし、創造原理によれば、どこまでも神様が本来の主人なので、結局神様とサタンは共に人間を所有できるようになりました。だからといって、アダムを二つに分けて神側とサタン側に立てることはできません。ですから、神様は原理的観点で人間を内的存在としての神様と外的存在としての被造物に分立する役事をされたのです。すなわち、堕落したアダムとエバから生まれた二人の息子を通して分立したのです。

 長子であるカインを天使長の立場に立て、次子であるアベルを堕落前の罪のないアダムの立場に立てました。長子であるカインは、エバが非原理的相対である天使長と関係を結んだ最初の堕落の表示体なのです。エバと天使長との関係は非原理的な関係です。しかし、エバとアダムとの関係は原理的関係です。それゆえ、二番目の堕落の表示体であるアベルを神側に立てることができるようになったのです。次子であるアベルは、アダムとエバとの間に結ばれた二番目の堕落の表示体です。

 本来の伝達系統は神様からアダム、天使長へとつながるようになっていたように、神様からアベルへ、アベルからカインへと願いが伝達されなければなりません。これが復帰摂理の公式です。神様はまずこの位置を復帰することによって、失ってしまった原理を取り戻そうとなさるのです。

 堕落することによって人類の血統が変わりました。サタンの血が人類の血統を占領したのです。そのような理由から、復帰は根源までさかのぼって成されなければならず、そうするためには、次子であるアベルがカインから長子権を復帰しなければなりません。

 堕落は、原点となる母の胎内から始まりました。それゆえ、復帰もまた、母親の胎内から成されなければなりません。そこが悪の原点になり、出発点になったので、復帰においても我々はその原点に帰らなければならないのです。ですから、神様はこれら二人の兄弟によって長子権を復帰する摂理をなさったのです。それゆえ、カインはアベルの位置に下りていかなければならず、アベルはカインの位置、すなわち、長男の位置に上がっていかなければならなかったのです。しかし、カインはアベルを殺してしまいました。この行為はアダムとエバの時の堕落行為を反復した立場になってしまいました。すなわち、復帰された立場はおろか、再びアダムを主管した立場に立ってしまったのです。(五五―一〇九)

2 分立役事に表された神様のみ旨

 息子、娘の所有権をサタンに奪われた神様は、どこからどのような方法を通して息子、娘を取り戻すことができるでしょうか。そのままでは取り戻せる道理がありません。ですから、ここから神様の分立役事が起きるようになったのです。言い換えれば、サタンとの所有権決定のための分立役事が起きるようになったのです。それがキリスト教で言う祭物の役事です。サタンと人間の血縁関係によって所有権をサタンが占領しました。ですから、再び神様が所有権を奪ってくるための条件物として提示したものが祭物でした。これが創造本然の息子、娘を取り戻すための神様の復帰摂理の事由であり、神様は今までそのような摂理を展開してこられたのです。

 言い換えれば、人間の堕落行為によって祭物の歴史が始まったのですが、たとえ堕落によってアダム・エバがサタンの所有になったとしても、原理的な立場では本来アダムとエバは神様の息子、娘となるようになっていました。それゆえ、堕落によってサタンが所有するようになったアダム・エバであって、神様は創造主の資格によって彼らを所有できる父母の立場に立つことができたのです。また、サタンも神様が人間の創造主であられることが分かるので、全面的に自分のものだと主張できないのです。

 このようになって、神様は仕方なく最初の息子をサタン側に立てる代わりに、次の息子を神側に立てておき、人間自らが条件物を立てることによって所有権を決定する分立の役事、すなわち、祭物の役事を広めてこざるを得なかったのです。

 ですから、神様は最初の息子であるカインをサタン側に、二番目の息子であるアベルを神側にお立てになったのです。これはエバの堕落の経路によって非原理的相対であった天使長と、原理的相対であったアダムとの関係を区分するものです。カインは非原理的な愛の表示体なのでサタン側に、アベルは原理的な愛の表示体なので天の側に立てて分立の摂理をなさったのです。(一九八〇・一一・一八)

3 神様はなぜカインの祭物は受け取られなかったのか

 聖書を見れば、神様はアベルの祭物は受け取り、カインの祭物は受け取られなかったのですが、なぜ神様はカインの祭物を受け取られなかったのでしょうか。今日のキリスト教はこれに対する明確な答えを出すことができずにいます。それゆえ、このように分立歴史に対する根本的な内容から、不確実な理論体系で出発したキリスト教は絶対に神様のみ旨を成就することができないのです。神様の分立役事の根本的、原則的な摂理内容と一致し得る理論を提示することができてこそ、復帰摂理をしてこられた神様のみ旨を成就してさしあげることができるのです。それでは、神様はなぜアベルの祭物だけ受け取って、カインの祭物は受け取られなかったのでしょうか。

 神様はサタンに子女の所有権を奪われて、息子のいない立場で、息子を取り戻すことのできる方法としてアベルを神側に立てたので、当然アベルの祭物は受け取らなければなりません。では、なぜカインの祭物は受け取らなかったのでしょうか。カインの祭物を受け取らないというのが神様のみ旨ではありませんでした。受け取ることは受け取るのですが、しかしお前はアベルを通して祭物を捧げなさい、というのが神様のみ旨でした。それではなぜこのようになったのでしょうか。

 本来アダムは神様の息子として、僕である天使長の主人にならなければなりませんでした。ところが堕落によって、主人であるアダムと、僕である天使長の立場が転倒してしまいました。逆さまになってしまったのです。そのようになったので、アダムがその本然の位置と権威を取り戻さなければならないのですが、そうするためには何らかの条件なくしては本来の位置と状態に復帰できないのです。

 統一教会には蕩減復帰という術語があります。本然の位置と状態に復帰しようとすれば必ずそこに必要な条件を立てなければならないのですが、このような条件を立てることを蕩減といい、このように堕落した人間が蕩減条件を立てて創造本然の位置と状態、すなわち、堕落する前の立場へと帰ることを蕩減復帰といいます。

 ですから、本来主人だったアダムが、僕である天使長の僕の立場に落ちてしまったことが堕落だったので、堕落する前の本然の状態と位置に帰るためにはみ旨に適った蕩減条件を立てなければならないのです。

 すなわち、蕩減復帰するためには、天使長側に立てられたカインが神側に立てられたアベルを中心として侍り、神様のところに出ていかなければならなかったのです。ですから、カインはアベルを通して祭物を捧げなければならないというのです。もし当時、カインが本当にアベルを通して神様の前にみ旨に適うように祭物を捧げていたなら、神様の復帰摂理は再び延長されなくてもよく、今日のような悲惨な歴史は拡大されなかったのです。カインがアベルを中心として祭物を捧げて、三代以内に家庭的な蕩減条件を立てていったなら、神様の復帰摂理はその当時に完成したのです。(一九八〇・一一・一八)

4 長子の権威を回復させなければならなかったアベルの立場

 アダムとエバが堕落したので、父母である彼ら自身が復帰することはできません。それゆえ、子供たちが一つになって父母であるアダムとエバを救うことのできる基盤を準備しておかなければならなかったのですが、そうすることができませんでした。子供である長子と次子が一つにならなければならないということは、アダム家庭を中心とした復帰摂理で最初の条件でした。

 なぜ一つにならなければならないのでしょうか。エバの堕落の経路から見るとき、カインは非原理的な愛の表示体であり、アベルは原理的愛の表示体であって、生まれるときから長子であるカインはサタン側に、次子であるアベルは天の側にと決められていました。原理的な立場では長子が次子を主管できるようになっていました。ところが堕落することによって長子が天使長の立場に立つようになったので、カインが神様の前に帰るためには、アベルを通していかなければなりません。カインがアベルに主管されなければならないというのです。すなわち、サタン側に立っている長子の立場を天の側に取り戻すのは、次子を立てて長子を屈服させることによって可能なのです。そうしてカインとアベルが一つになった後で、初めてその一つになったものを基盤として、父母であるアダムとエバが一つになって神様の前に帰ることができたのです。

 まさしくこのような摂理からメシヤ思想が起源するのです。神様の救援摂理がそのような分立歴史を基本として展開されてきたことによって、神様の救援摂理は言い表すことのできない曲折と事由がもつれた恨の道であり、キリスト教が歩んできた道も悲しい曲折の道だったのです。

 このように、長子の嗣業を次子が強制ではなく神様の愛を通して自然屈服させて、本来の長子の権威を回復できる立場が成立しなくては天の道に行くことができず、復帰摂理を完成できないという天の隠された秘密を、今まで誰も分かりませんでした。

 ところが、神様はアダム家庭を復帰するために神側であるアベルを立ててサタン側であるカインを自然屈服させ、サタンに奪われた長子の権威を回復させようとしましたが、カインがアベルを殺害することによって神様の天的な復帰歴史が延長されるようになったのです。そうしてノア家庭ではセムとハム、イサク家庭ではエサウとヤコブを通した分立役事を広めてこられたのです。(一九八〇・一一・一八)




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二.エサウとヤコブを中心とした摂理

1 経典の中に隠された神様の摂理的な秘密

 エバは自分の夫アダムを否定し、だましました。そして、後には神様までも否定しました。したがって復帰歴史は蕩減復帰歴史なので、このように堕落の過程で生まれた否定的事実を歴史上で再び蕩減しなければならないようになっていました。ですから、神様の復帰摂理の過程では、我々の単純な人倫道徳的観点では到底理解できない内容がたくさん起こるようになっているのであり、また、そのような事由が経典である旧約・新約聖書の中に宿るようになったのです。しかし、誰も今まで経典の中に隠されている神様の摂理的な秘密を解くことができませんでした。

 我々が新約と旧約を比べてみれば、ある面で内容が全く異なって表現されていたり、旧約と新約との聖書の内容に距離があったり、旧約として新約を引き立てることのできる歴史性が欠如していたりもします。それにもかかわらず、旧約と新約が一つに連結されているというのです。これがまさしく神様の摂理的な秘密でした。完成の時になって初めて、この摂理的な秘密が解かれるようになっています。それゆえ、いまだに誰も経典の中に隠されている神様の摂理的な秘密、すなわち、旧約と新約がなぜ一つに連結されるのかという天倫の秘密を解くことができなかったのです。

 マタイによる福音書第一章を見れば、四人のふしだらな女性が出てきます。バテシバ、タマル、ルツ、ラハブがまさにその人たちです。なぜ聖書にこのような女性たちの名前が出てくるのでしょうか。何の理由もなくただ現れるのではありません。それだけの事由があるのです。新約聖書のマタイによる福音書第一章は旧約聖書の創世記第一章に該当するものであり、記された歴史的悲運の事情が、再びマタイによる福音書と関係をもって現れるのです。いわば、新しい歴史の道は、創世記の歴史的な悲運の内容から始まったということを暗示するために、創世記のような悲運の内容が聖書にしばしば記録されているのです。(一九八〇・一一・一八)

2 エサウから長子の嗣業を奪ったヤコブ

 神様はアダム家庭でみ旨を成し遂げることができないと見ると、再びアブラハム家庭を中心として復帰摂理を広げられます。そのようになって、アブラハムの二人の息子、イシマエルとイサクの間で、次子であるイサクが神側に立つようになります。このようになることによって、イサクを中心として分立役事が展開されるのですが、イサクの夫人であるリベカは、エバが夫と天をだましたように、夫であるイサクをだまし、長子であるエサウをだましてヤコブの側につくようになります。リベカが夫とエサウをだまし、ヤコブを助けるようになったこの摂理的な事由もやはり、キリスト教歴史で解くことのできない謎なのです。

 なぜリベカがそのようなことを行ったのでしょうか。神様の継代をサタンから奪ってくるためでした。摂理歴史路程で神様の恨を解怨成就してさしあげるために、神様の代を引き継ぎ得る基台を築くようにと選ばれた立場がまさにリベカの立場でした。リベカはそのような自分の立場をよく知っていました。神側のヤコブがサタン側のエサウを自然屈服させることによって、ヤコブをして神様の長子として代を引き継がせなければならない立場が自分の立場だということを知っていたリベカでした。

 では、ヤコブはどのようにしましたか。エサウが狩りに出掛けて腹が減って帰ってきたとき、ヤコブは兄にパンとレンズ豆を与えながら、長子の嗣業を引き継ぎました。パンとレンズ豆を与えた条件によって長子の嗣業を買ったのです。そのようにして、ヤコブは「私が兄になった」という立場に立つことができたのです。絶対的に変わることのない神様の永遠無窮な伝統を引き継ぎ、それを千秋万代に相続させるべき立場がまさに長子の位置であり、長子の嗣業でした。そのような長子の立場をエサウは腹が減ったといって弟に売り渡しましたが、ヤコブは兄とは違って長子の嗣業がどれくらい貴く、価値のあるものであるかをよく知っており、神様の祝福と愛を受けたアブラハム家庭の血統がどれくらい貴重なのかをあまりにもよく知っていたので、執拗に命までも懸けて兄から長子の嗣業を引き継ぐようになります。

 次子の立場から長子の立場へと転換させなくては、サタンを屈服することができず、堕落した世界を復帰することができないという必然的な天の摂理の要求によって、ヤコブは知恵深く兄エサウを自然屈服させ、堕落したエバの立場を蕩減しなければならなかったリベカも夫と息子をだましたのでした。神様もこのようなヤコブとリベカの側につきました。なぜそうしたのでしょうか。今までキリスト教では神様がなぜ兄と父をだましたヤコブの側について愛し、彼を祝福してくださったのか、その理由が全く分かりませんでした。それは解くことのできない謎でした。

 ところが事実は、誰も解くことのできなかった未知の内容をつくった基盤を通して、キリスト教の理想完成を追求してきたのです。それが神様の復帰摂理でした。(一九八〇・一一・一八)

3 神様の代を継いだヤコブの二十一年路程

 ヤコブは、神様から祝福を受けてから神様の代を継がなければなりませんでした。しかし、それだけは神様が強制的にしてあげられるものではなく、ヤコブ自らが基盤を築かなければならなかったのです。

 こうして、エサウがヤコブを殺そうとしたとき、ヤコブは故郷を離れてハランの地へと避難し、伯父であるラバンの家で二十一年間受難の僕の生活をしながら苦役を経験するようになります。ヤコブは二十一年間、苦難を克服しながらレアを娶り、ラケルを娶り、財物を得て、祝福された一族を編成しました。ヤコブは甚だしい受難を被りながらも、本郷の地を神様のものに復帰してみせるという一つの思いだけは決して変わらずにもっていたのです。むしろ、自分を殺そうとする兄を自然屈服させ得る一日を待ちわびながら、エサウ以上に自分の実力を養い、基盤を築くことにすべての精誠を傾けました。

 そして、故郷の地へと帰ってくるとき、ヤコブは兄エサウにすべてのものを捧げました。「私には女性が必要なのでもなく、財物が必要なのでもなく、ひとえにお兄さんが私を歓迎して、昔長子の嗣業を祝福によって売った事実を公認してくれることだけです」というのがヤコブの祈祷であり、ヤコブの立場でした。

 こうしてヤコブはすべての財物をエサウに捧げ、またエサウがそのようなヤコブを歓迎することによって、結局はヤコブを中心として兄エサウも祝福されたイスラエル選民圏に入ることができるようになりました。

 神様の摂理歴史はこのようにして再び代を引き継ぐようになり、復帰の一時、永遠な解怨と解放の一日を願いながら来ることができたのです。(一九八〇・一一・一八)




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三.腹中の長子権復帰摂理

1 ペレヅとゼラを通した腹中の長子権復帰摂理

 ヤコブの息子ユダにはエル、オナン、シラという三人の息子がいました。ユダの長男エルはタマルと結婚しました。タマルは長男に嫁いだのですが、長男は早くに死んでしまいました。その後タマルは二番目の息子であるオナンと暮らすようになったのですが、その二番目の息子もまた死にました。このようになって、ユダの家庭は代が途絶えるようになりました。アブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたって神様から引き継いだ祝福の摂理がユダの時になって無為に帰すようになる立場でした。そこでタマルは遊女の姿をして、農場に行くユダを誘惑して関係を結び、子供を生むようになります。

 そしてタマルは双子を身ごもりました。彼らを産むとき、まず手が一つ出たので、産婆が「この子が先に出た者だから兄である」と言って緋の糸(赤い糸)を結んでおきました。すると、その子が手を中に引き入れたとき、その弟が出たので、「どうしてあなたは自分で破って出るのか!」と言い、彼の名前をペレヅとつけました。その後に赤い糸を結んだ兄が出ると、彼の名前をゼラとつけました。

 なぜ神様は長子であるゼラを差し置いて、次子であるペレヅを先に出生させる摂理をなさったのでしょうか。リベカが、腹中で兄弟が争うので神様に「神様、この二人の子が腹中で争うのですが、なぜですか」と祈祷したとき、神様が答えられたのは、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・23)とおっしゃいました。なぜそうでなければなりませんか。このようにタマルの腹中でも二人の兄弟が争いました。タマルが祈祷すると、神様がリベカに言われたみ言のように、「二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」とおっしゃいました。我々はこのような摂理的な内容を通して、次子が、長子の嗣業を腹中から奪ってくるという役事を見るのですが、これが何の曲折によって成されたことなのか分かりますか。これがまさにキリスト教が解くことのできなかった歴史の秘密でした。(一九八〇・一一・一八)

2 神様はなぜ腹中摂理をなさらなければならないのか

 ヤコブがエサウから長子の嗣業を奪った摂理歴史は、ヤコブが三十代の壮年時代に成されました。しかし、根本的な問題について見るとき、腹中にいる時期から分立役事を通して長子の嗣業を奪わなければならないのが神様の立場でした。そうしなければ、サタンの血が人間の血統の中に残っているという条件で、サタンが讒訴できるようになります。そのようになれば、神様は彼を自分のものであると主張できなくなるので、腹中にいるときから分立役事をしてこられたのです。 

 人間始祖の堕落によって、腹中から神側とサタン側の二つの世界に分かれたのが歴史の始まりでした。それゆえ神様は、ご自身が願う血統を通して本来の神様の祝福の継代を築いておくためには、腹中から二つの世界の統一的基盤を築かなければなりませんでした。また、そのようにすることによって、復帰摂理において蕩減条件を立てていくことになるので、神様は腹中から摂理を展開せざるを得なかったのです。

 当時は、寡婦が子供をもったり、淫行した事実があらわになったときは、石で打たれて死ぬのが一つの不文律でした。しかし、そのような環境の中でもタマルは神様の恨の結ばれた長子の嗣業を復帰してさしあげなければならないのが自分の身の上であることがよく分かったために、命を懸けなければ誰もすることのできない、このような働きをすることができたのです。では、タマルは神様の前に、どのような祈祷をしたのでしょうか。

 「神様、あなたの祝福圏を欽慕し、あなたの祝福の代を継続するために私がこのようにするのですから、神様! 許してくださいませ。私がたとえ千万回死ぬ恨があったとしても、ひたすらこの不倫の所行を土台として神様から祝福され得る基盤がユダ家に築かれるのならば、私は何の遺恨もございません」と、間違いなくタマルはこのように祈祷したはずです。

 そのような切実な内容があったので、タマルは生死を意に介することなくひたすら神様の恨みの結ばれたみ旨を成し遂げてさしあげるために、その死の状況までも克服することができたのです。このように、タマルのみ旨に対する忠節は実に驚くべきものです。まさにこのような立場でのみ摂理歴史を広めることができるというのが、神様の復帰摂理の事情でした。

 こうして、神様はタマルに祝福をしてくださるようになり、ユダ支派の出発がなされ得たのです。

 いわば神様は、タマルの血統を通して初めて腹中からカインとアベルが失敗した路程を蕩減し、長い間待ちわびた勝利的基盤をこの地上に踏み固めることができたのであり、神様が願われ、予定されていた本来の長子権をこの地上に転換させることによって、タマルの血統から王の中の王であるイエス様が出現できるようになったのです。

 ここからイスラエルの新しい歴史編成が可能になったのです。もし、そのようにできなかったなら、イエス様がたとえ腹中にみごもられたとしても、サタンが讒訴せざるを得なくなるというのです。いわば、腹中から勝利したという条件を立てておくことができなければ、イエス様は生まれることができないのです。それゆえ、タマルの腹中から長子と次子の観念をすべて統合し、神様の長子、次子の権威を取り戻す基盤の上でイスラエルの出現が起こり得たのであり、また、そのような勝利的基盤を築いたタマルの血統からイエス様が誕生なさることができたのです。(一九八〇・一一・一八)

3 メシヤはいつ来ることができるのか

 皆さんは、そのような基盤の上でならば即刻メシヤが来られるのではないだろうかと考えるかもしれませんが、そうはなりません。

 なぜなら、サタン世界は国家を形成していたのに、当時のイスラエルは氏族編成圏内にいたからです。すなわち、サタン世界は国家を形成していたので、そこに氏族圏であるイスラエルが対処できなかったのです。ですから、神様は二千年の歴史を延長させながら、「早く大きくなり、成長しなさい」という祝福をイスラエルの民に与えてくださったのです。神様のそのような祝福を礎として、イスラエルは国家編成を願ってこざるを得なかったのです。このようにして延長されてきた歴史が二千年であり、その歴史の中にユダヤ教を中心としたイスラエルの国家形成が始まるようになったのです。そのようにしながら、神様はイスラエル民族に、「メシヤを送ってあげよう」という約束をしてくださったのです。

 メシヤはどのようなお方でしょうか。メシヤは神様の最初の息子として生まれるお方です。ひとり子という言葉がここで現れます。皆さんはそのような内容を知らず、ひとり子イエス・キリストというでしょう? ひとり子という意味は、神様を中心として最初に愛を受けることのできる人です。堕落によって汚された血統を清めた後に、初めてひとり子の権威を備えて来られるお方であり、サタンが汚してしまったものを蕩減条件を立てて完全に解放された立場で、神様の愛を直接授け受けることができるのです。このような立場でのひとり子だったのです。このような内容はキリスト教歴史二千年の中で誰も知りませんでした。

 このような根本の問題を明瞭に解決するところからキリスト教の進路が決定されるのですが、今日のキリスト教はそのようにできずにいます。したがって、すべての問題の根本的な核心を正しく知るときに初めて問題が解決され得るように、今日のキリスト教が人類の前にすべての難問題を解決することのできる希望的な宗教として現れるためには、まずキリスト教の根本原則から正しい解決点を見いださなければならないのです。ですから、キリスト教において最も必要なのが神様の伝統です。

 メシヤは第一に神様の愛を受けることのできる人なので、サタンによって汚された血を清めてくれる蕩減条件を通して、初めてサタンの束縛から解放されたひとり子としてこの地上に来ることができるようになるのです。

 しかし、メシヤは当時のイスラエルにやって来ることはできませんでした。既に明らかにしたように、イスラエルが民族編成を経た後で初めてメシヤを送ることができるのです。すなわち、国家を代表して神様が主管できるアベル圏であると同時に、神様の長子権をもって来られるお方がメシヤでした。(一九八〇・一一・一八)




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四.イエス様の誕生とメシヤの使命

1 ひとり子イエス様の誕生

 イエス様がお生まれになる当時、ユダヤ民族は、教団を形成して、国家と教会が一つになり得る時を望まれ、ローマ帝国に立ち向かうことのできる植民地国家圏内にいました。その時初めて、神様はイエス様を誕生させたのです。

 イエス様を誕生させる時にも、マリヤは自分の父母と夫に許されない道を行きました。皆さんは、どうしてマリヤがそのような働きをしたのかということを考えてみましたか。これはエバが、神様(父親)とアダム(夫)を否定して堕落し、アダムを失ってしまったことにより、目には目を、歯には歯を、耳には耳によって蕩減する(償う)法則によって、サタンに奪われた息子を神様が奪ってこられた役事なのです。

 マリヤはヨセフと婚約した間柄でした。すなわち、彼らはちょうどアダムとエバが婚約状態にあったのと全く同じ立場にいたのです。ですから、マリヤはエバがアダムとの婚約時代、すなわち、神様の愛と一致することのできる結婚の日を前にして堕落したのを蕩減復帰する立場で、父母と夫をだます冒険の道を行ったのです。すなわち、エバが堕落したのと反対の道を行ったのです。

 イスラエル民族の律法で、女性が姦淫すれば石で打たれて死ぬようになっています。それにもかかわらず、マリヤは神様のみ旨のために自分を祭物として捧げる覚悟をし、ヨセフと約婚したことを否定する立場でイエス様を懐胎したという事実を、皆さんは知らなければなりません。そうして、イエス様がマリヤの腹中で懐胎されたその瞬間から、サタンがイエス様を指さして自分の愛の因縁が残っている息子だと主張できる条件が成立しなかったというのです。

 タマルの役事、イスラエル民族の歴史を通して蕩減された基台の上で懐胎されたので、サタンは自分の愛の因縁が残っていると主張できませんでした。ですから、初めて新しい神様の念願の息子が顕現できたのです。イエス様は、腹中で懐胎されたその瞬間から神様の息子でした。ですから、神様の愛の中で生まれることによってひとり子という言葉が成立したのです。イエス様のように、このように堕落の血統が歴史的に蕩減され、復帰された基盤の上に生まれた聖人は一人もいなかったのです。

 ですから、イエス様は聖賢の中の聖賢だという事実を皆さんは知らなければなりません。そのままむやみに信じてはなりません。無知な者に完成というものはあり得ません。み旨を知りながら成し遂げようとしたとしても、成就するのは難しいのです。全知全能であられる神様がみ旨を設定されたにもかかわらず、アダムとエバは堕落しました。皆さんは無知な立場にそのままとどまっていながら、み旨を成し遂げることができると考えますか。とんでもないことです。(一九八一・五・一四)

 イエス様を懐胎したマリヤはエバの立場であり、リベカとタマルの立場でした。マリヤは夫をだまし、自分の 舅 、 姑 をだまし、父親をだましました。そして、どうしましたか。イエス様を懐胎しました。このようなマリヤの立場は、エバがアダムと神様を否定して天使長と関係を結んだのを、腹中懐胎で神側に立って蕩減するためのものでした。このなぞなぞのような問題の糸口をレバレンド・ムーンが適当に、思いつくままにくっつけるのではありません。この日まで人間世界を救援するために摂理してこられた、天の父の愛と心情を尋ね求めて知った事実です。

 イエス様の腹中懐胎については、キリスト教社会で論争の多い問題でしたが、私がこのように明らかにしたので、おそらく皆さんはこれに対してとても気がかりなことと思います。イエス様はどのようなお方ですか。人間の息子ですか、神様の息子ですか。

 ここではっきりと言うことができるのは、イエス様は、長子と次子の分立役事をすべて蕩減した基盤の上にいたので、懐胎されて腹中にいるときから神様の息子になることができたということです。いわば、イエス様は腹中で十カ月が過ぎ、この世の中に生まれるときから既に神様の聖別された息子だったというのです。この事実を、皆さんははっきりと知らなければなりません。(一九八〇・一一・一八)

2 ひとり子としてのイエス様の族譜(家系図)

 新約聖書のマタイによる福音書は、旧約聖書の創世記に相当します。ですから、天地創造の時に起こった人間の堕落が創世記に記録されていますが、その復帰路程がマタイによる福音書に記録されているのです。

 マタイによる福音書には、アブラハムからイエス様までの継代歴史が出てきます。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」と、第一章一節から出てきます。三節を見れば、「ユダはタマルによるパレスとザラとの父」と記録されているのですが、どうして、ふと見れば不倫な女性のようであるタマルを最初の部分に記録したのでしょうか。また、「ボアズはルツによるオベデの父」と記録されており、「ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり」と記録されています。

 それから十六節に、「マリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった」とされています。しかし、どうして人倫道徳から見ても不敬であり、許されざる事実をマタイの福音書に記録したのでしょうか。私はマタイによる福音書の記者であるマタイが、イエス様誕生の背後を知っていたと考えます。しかし、考えてみただけでも気分の悪い事件まで、なぜ聖書歴史としてつづっておいたのでしょうか。皆さんはこのことを知らなければなりません。この事件でなくても一般の人たちが理解できなかった悲運の歴史がたくさん入っているのですが、我々はこれを掘り下げて調べ、キリスト教の伝統をはっきりと立てておかなければなりません。そうしなければ、キリスト教はばらばらに分かれ、サタンの祭物として消えてしまうということを皆さんは知らなければなりません。

 イエス・キリストはこのような蕩減歴史を経て、マリヤという女性を通して誕生しました。マリヤは歴史的な恨みを解くことのできる国家的中心女性として召命され、神様のみ旨のために生死を意に介さない信仰で、イエス・キリストを懐胎することができたということを知らなければなりません。

 そうして四千年のユダヤ民族史、ユダヤ教の歴史を経ながら神様が何を求められたのかといえば、堕落する前の血統、汚されていない息子、すなわち、アダムを復帰したのです。ですから、コリント人への第一の手紙の第十五章四十五節に、イエス様を「最後のアダム」といったのです。この「最後のアダム」という言葉は、神様の救援摂理歴史は復帰摂理歴史であり、再創造歴史なので、神様が四千年間苦労されながら人間が理解できない復帰の道を開拓してきて、初めて神様の愛を受けることのできる息子の立場を復帰した「ひとり子イエス様」だということです。このような話は初めて聞くでしょう?(一九八一・五・一四)

3 メシヤの使命とイエス様の立場

 メシヤはまさに神様と人間、そして万物が願ってきた真なる人です。それゆえ、そのお方は愛の化身体として来られ、神様の愛と一致した立場で真理を語られます。真なる行動をし、愛を動機として行動する人です。彼の生活は規制に従って形式的に生きるのではなく、神様の真なる愛を基準にして生きていくのです。世の中を救うにも、世俗的な戦略と手段、方法によってではなく、神様の真なる愛を中心にしてこの世の中を救おうとするお方です。そのようなお方がまさにメシヤです。

 このような一個人から、真なる愛の運動が全世界へと展開するのです。この真なる一個人が、一人の女性と夫婦の因縁を結んで一つの家庭を築き、この家庭を中心として一つの氏族と民族、国家、そして、一つの世界を築くようになるのです。これが神様が願い、人類と万物が願っている「全体の希望」だというのです。

 二千年前、イエス・キリストがこのようなメシヤ思想をもってこの地に来られましたが、不運にもそのお方はその使命を果たすことができませんでした。もちろん、そのお方がこの地に来られて、真なる神様の愛を中心として愛の運動を展開した最初の神様の真の息子になったかもしれませんが、メシヤ的な愛を中心として、個人的な人格を完成した土台の上で真なる愛を中心とした家庭を築いたのか、また、そのような家庭を基本として一つの真なる民族と国家、世界を築いたのかというとき、我々はこの事実を否認せざるを得ないのです。今日、キリスト教を信じる人たちはこの言葉に反発するかもしれませんが、これは誰も否認することのできない歴史的な事実です。

 イエス様は個性完成をした立場にいるにもかかわらず、一人の主体的な男性として新婦たる一人の女性を迎え、家庭的な次元の神様の愛の伝統を残すことのできなかった不運なお方でした。それゆえ、今までこの地上に神様の真の愛を中心として築かれた家庭は一家庭も現れることができなかったのです。メシヤの権威の上で築かれた真なる夫婦の愛、神様が公認することのできる真なる父母の愛と真なる父子の愛の伝統が成立しませんでした。もし、このような家庭が築かれたなら自動的に歴史の過程を通じ、この家庭を求心点として横的に、あるいは縦的に発展して、神様の愛を中心とした氏族と民族、国家、ひいては神様の愛を中心とした一つの世界の成立が可能だったのです。しかし、我々が知っているとおり、イエス様ご自身が神様の真の愛を中心とした家庭の伝統を立てておくことができなかったので、神様が喜ぶことができ、全人類と万物が喜ぶことのできる中心的な基盤が築かれ得なかったのです。神様の愛を土台とした一つの家庭が築かれなかったので、神様の愛を基本とした真なる氏族の基盤が築かれ得なかったのであり、真なる民族的・国家的基盤が築かれなかったのであり、真なる一つの世界が築かれ得なかったのです。(一九八一・五・一〇)

4 聖霊はどのようなお方か

 神様のみ旨とは何かといえば、男性の完成基準と女性の完成基準を立てておき、アダムとエバが神様の愛を中心として神様の家庭を築くことでした。

 ところが、神様の家庭が築かれたでしょうか。神様の家庭は築かれませんでした。イエス様はこのような神様のみ旨を知り、また信じました。しかし、ユダヤ教とイスラエル民族の不信によって、イエス様のためのイスラエル民族の四千年歴史の基盤とユダヤ教が倒れ、イエス様は十字架で悲惨にも亡くなられました。このような胸の詰まるようなイエス様の事情を、今まで誰が分かったでしょうか。誰も分かりませんでした。

 きょう、この文という人がこのような話をしてあげるので、皆さんは分かるようになったのです。これが事実なら、イエス様がどれくらいお喜びになるでしょうか。

 新郎であられるイエス様は、新婦であられる真の母を探し立てておかなければ、神様の家庭完成は不可能です。イエス様の家庭が築かれない限り、神様のみ旨は永遠に成し遂げられないのです。

 ですから、イエス様が亡くなられた後、五旬節に屋根裏部屋で二百名の聖徒が集まって祈祷するとき聖霊が降臨したのですが、この聖霊が誰かといえば、母神です。イエス様を父とするなら、聖霊は母神なのです。夫を最もよく知る人はその夫人であり、夫と完全に通じることができる人は夫人しかいません。

 では、具体的に聖霊はどのようなお方でしょうか。エバがもし完成していたなら、実体の母となっていたはずですが、堕落することによってエバの霊性が神様に収められました。そうして、その霊性はイエス様がこの地上で新婦を迎えればその新婦に再臨して実体の形象をまとおうとしたのですが、イエス様の新婦の基盤がなくなることによってその霊性は再臨できず、イエス様は実体の父母の立場に立つことができませんでした。ですから、仕方なくイエス様は聖霊と共に霊的父母の立場になるしかなかったのです。そうでなければみ旨を率いていくことのできる基盤も残すことができなかったのです。

 ですから、今日のキリスト教を信じる人は、聖霊を受けなければならないといいます。なぜ、聖霊を受けなければなりませんか。女性(エバ)、すなわち、夫人が罪を犯したので、女性が出産の苦労をしなければなりません。ですから聖霊が役事しているのです。また救いを受けるためには、イエス様の愛と共に聖霊の愛を受けなければならないので、キリスト教徒は聖霊を受けなければならないというのです。(一九八一・五・一四)

5 真の父母を通した霊肉復帰

 二千年前イエス様は後のアダムとして来られました。イエス様は人類を救援すべきメシヤとして真の父の使命をもって来られました。しかし、イエス様が十字架にかけられて亡くなられたので、肉身をもった真の父母が顕現できませんでした。その結果、霊的救援(救い)は成し遂げられましたが、肉的救援は実現されなかったのです。結局今日まで霊肉を共に救援してくれる真の父母がいませんでした。

 それゆえ、我々は真の父母の資格を備えてこられる再臨主によって霊肉が共に生まれ変わらなければなりません。我々は条件的、あるいは、象徴的に母親の胎内から新しい生命として生まれなければならず、そのための道を我々は歩んでいるのです。今日まで聖霊は母親の役割をしてきました。我々は母親である聖霊を通して、父親、すなわち、イエス様の霊を通して新しく生まれなければなりません。

 もちろん我々は母親の胎内から生まれたのですが、もっと深くさかのぼって考えてみれば、生命の起源は父親から出発するのです。母親の胎内までさかのぼっていくことによって血統は交差して復帰されましたが、いまだに父親を迎えることはできませんでした。そのような理由で、今日までクリスチャンは母親の霊である聖霊の力によって生命の起源である父親、すなわちキリストのそばに帰っていくことを願い、その再臨を待ってきたのです。堕落する前に既に息子と娘の生命はすべて、父親であるアダムの体の中で一つの種として存在しました。息子や娘となる種は父親の体の中にあるのです。

 このように根本的に考えてみれば、我々は霊肉が共に生まれなければなりません。それゆえ、我々は霊肉が共に再出発するために種の立場にまで戻らなければならないのです。

 その摂理を成就するために、イエス様は真の父母として来られなければなりません。それゆえ、我々は再臨主を通して一つの新しい復帰された生命として生まれなければならないのです。皆さんは先生が今まで語った内容を総合してみるとき、再臨する主、新しいメシヤが必要なのか、必要でないのか、はっきりと分かるようになるのです。

 イエス様はニコデモに、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言いました。これに対してニコデモは「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」と反問しました。そうするとイエス様は再び、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか」(ヨハネ三・2〜10)と言いました。この時イエス様は真にこの原理を語っていたのです。

 キリスト教においての復活と新しい生命という言葉は、すべてこのような方法を意味しています。すなわち、復帰は結局、母親を通して成されるのです。原罪は清算され、汚された血統は天の血統に復帰されるのです。

 しかし、我々が完全な新しい生命として再創造されて根本的に再び生まれるのは、真の父の体を通してのみ成されるようになります。真の父によってのみ、霊肉共に救われる完全な救いが可能になるのです。このようにして誕生した我々の子女は原罪がないので、救いの過程を通さずに天国に行くようになります。

 皆さんは、復帰というものがどれくらい難しい過程を経なければならないのかを知らなければなりません。先生は真理を発見するのみならず、その真理の全部を成就しなければなりません。今、先生はそれを皆さんに無償で教えているのです。皆さんはまるで何もせずに卒業証書をもらう学生のようです。それゆえ、皆さんの立場がどれくらい貴重で価値があるのかを知らなければなりません。(五五―一一七)

6 摂理の究極的目的は真の父母を地上に立てること

 個人を連結したのが社会、国家、世界です。それゆえ、人間たちを解放するためには個人の解放運動から始めなければなりません。家庭解放の鍵も個人にあります。国家を解放し、世界を解放する運動も結局個々人が一つになって、そのような運動をしなければなりません。これを目標にして、神様は宗教という機関をつくり、神様の摂理の方向に近づくようにしてこられました。

 では、摂理の究極的目的は何ですか。今まで人々は一般的に世の中のために献身したり、世の中のために利益となることを遂行するのが宗教の使命だと考えてきました。宗教人自身もそのように考えてきました。

 しかし、神様が宗教をお立てになったみ旨的立場で見るとき、世の中に向かって善行を施すことは第二次的な目的であり、第一次的な目的は真の父母を地上に立てることです。悪なる父母から生まれた人を完全に蕩減して勝利するためには、善なる父母から生まれた人をどのように立てるのかというのが、神様の立場で解決しなければならない重大な問題です。

 罪悪世界は個人から始まって家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大してきました。神様もそのような基台をつくっていくためには天使長圏、あるいは、僕圏を広げて、次第に養子圏、実子圏にまで広げていかなければなりません。実子圏内にもカイン、アベルがいます。堕落した父母によって生まれたカイン、アベルはお互いに争って離れていきました。カイン、アベルが完全に一つになったという基準を立てなければ堕落圏を乗り越えることができません。堕落圏は実体基台を立てることによって初めて克服することができます。そのようにして完成基準に入っていったとしても、サタンから受け継いだ血統的な原罪はいまだに清算されない状態なのです。

 原罪を清算するためには、必ずメシヤが必要です。それゆえ、信仰基台、実体基台、メシヤのための基台は、堕落した人間にとって絶対に必要なものです。最後の問題は、メシヤのための基台を造成して彼を迎えて、自分の血統転換を成し遂げなければならないのです。そうして、神様の真の子女の立場に立てられなければなりません。アダムとエバが堕落したので、カインとアベルが縦的に一つになる道がなくなりました。アダムとエバが堕落したことをカインとアベルを通して復帰する立場に立っているので、アダムとエバも縦的に結ばれる基準がありません。

 それゆえ、神様の真の子女圏を願っている我々においては、それを縦的に結んでくれる真の父母に出会わなければなりません。堕落しなかった子女の立場を復帰できなければ、神様と一つになって完成の基準を上がっていくことができません。どんなに神様をよく信じているとしても、どんなにカインとアベルが一つになったとしても、堕落しなかった父母の基台を復帰しなければ縦的に上がっていく道は生まれません。

 この問題を解決するためには、神様が真の父母という基準を再び立ててくださらなければならないのです。(五五―一三五)




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第三節 神様の摂理の流れ

一.イスラエルからローマへ

1 イエス様と一つにならなければならなかったイスラエル民族

 イエス様が異端者の汚名を着て亡くなられるのが神様のみ旨ではありませんでした。神様は、メシヤを十字架にくぎ付けにして処刑するという使命のためにイスラエル民族をお選びになって、四千年間信仰と苦難によって育ててこられたのでしょうか。本当に神様がそのような使命のためにイスラエル民族を選民として選ばれたと信じる人がいたなら、気の狂った人に間違いありません。イエス様を捕らえて殺すために四千年間ユダヤ教を準備し、イスラエル民族を準備したのではありません。イエス様を捕まえて殺す、そのような悪漢をつくるためにイスラエル民族を準備したのではなかったのです。

 イエス様は人類の長子として生まれましたが、長子の権勢をもつことができず、アベル的な立場をもったお方でした。長子の権勢、すなわち長子の権威を否認されたのです。イエス様がアベル的な立場にいたので、外的なカイン圏(イスラエル民族)がアベル圏(イエス様)に食いついて離れなければ、アベル圏も仕方なく引き込まれるしかないようになっていました。ですから、そのような悲運の歴史が演出されたのです。

 イエス様は、イスラエル民族が反対することによってアベル的な疎外された立場に立つこととなりました。それゆえ、イエス様はご自分の母親であるマリヤに対してさえも、「女よ、あなたは私と何の関係があるのか」と言いながら骨身にしみる話をしたのです。イエス様がなぜそのような言葉を語ったのか分かりますか。誰もそのような内容を明らかに知ることができませんでした。

 イスラエル民族がカイン側になったことによって、アベル的なイエス様はユダヤ教の怨讐となり、ユダヤ教徒と民たちの非難の対象となり、ローマに対しては革命家の立場に立ったのです。それゆえ、結局み旨を成し遂げることができなかったのです。カイン圏であるイスラエル民族を一つにできませんでした。

 ですから、イエス様が十字架で息を引き取るとき、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたのです。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と祈祷を捧げたイエス様でした。イエス様がみ旨をすべて成し遂げたなら、このような祈祷をしたでしょうか。イエス様はみ旨をすべて成し遂げることができなかったのです。

 イエス様がイスラエル民族と一つになることをどれくらい渇望しましたか。イエス様は神様の愛を中心とした一つの民族と世界を形成するために、この地に来られたお方でした。神様を中心としてご自分と一つになった民族の形成を懇切に願っていらっしゃった神様でしたが、イスラエル民族がイエス様を信じられないことから第一イスラエルは滅び、キリスト教が第二イスラエルとしてその相続権を引き継ぐようになったのです。言い換えれば、イスラエルの国家がイエス様のみ旨を受け入れなかったので、神様は第二イスラエルである全世界のキリスト教信者を通して二千年間の摂理を導いてこられたのです。(一九八〇・一一・一八)

2 イスラエル民族がイエス様を迎えていたならば

 イエス様がもし死ななかったなら、どのようになったでしょうか。イエス様の願いである統一を成し遂げたはずです。神様のみ旨を成し遂げたはずです。

 第一にユダヤ教を一つに統一し、ユダの氏族と民族を統一し、それと同時に昔カナン福地で編成された十二支派の後孫たちが暮らしていたアラブ圏を統一したはずです。イエス様の行く道は、統一された一つの宗教を中心として氏族と民族と、ひいては世界人類を一つに統一させることでした。これがイエス様が成し遂げるべき使命であるのに、この仕事を始めるや否や、三年で死んでしまいました。

 イエス様は三十三歳で死ぬべきお方ではなく、長く生きて神様の国を建て、神様のみ旨どおりにすべての人間を救い、世界を救って王の中の王にならなければならなかったお方でした。

 聖書では、神様がこの世の中を愛してひとり子イエス様を下さったとはっきりと宣言しました。当時、もしユダヤ民族がイエス様と一つになってさえいれば、神様のみ旨はその時十分に実現され得る環境でした。

 イエス様当時の周辺の情勢を調べてみると、世界的に大国家であるローマ帝国は疲弊して、内的に次第に崩壊していきつつあり、革命や反乱が起こり得る情勢でした。そのような時にイエス様がお生まれになったのです。また、当時の東洋には仏教を中心としたインド文明圏があり、中国には儒教を基盤とした中華文化圏がありました。

 それではこの時、宗教の道に従っていくべきイエス様がユダヤ教を一つに統一したなら、その後どこに行ったでしょうか。仏教文化圏と儒教文化圏へと行ったはずです。もしイエス様をイスラエルで歓迎していたなら、イエス様の思想がたやすく中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播し、一方で、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握してイエス様の当代に一つの世界を成し遂げたはずです。

 いわば、イエス様が行く道は宗教に従っていく道だったので、その時イエス様を中心として十二の支派が団結さえしていたなら、ユダヤ教とユダヤ民族を中心としてアラブ圏がたやすく統一され得るはずです。そうして統一されたアラブ圏を基盤として、ローマ帝国を手中にし、西欧ヨーロッパとアジアの全域を昇華して、名実共にイエス様を中心とした新しい宗教文化圏を定立させたはずです。そのようにイエス様が王の中の王になることのできた時代が、まさにその時代でした。仮にローマ帝国が反対して敵対するようになったとしても、インド、中国などの仏教、儒教の宗教文化圏を中心とした東洋の強国からの協助が可能だったので、イエス様の当代に世界統一は可能だったのです。

 ところが、不幸にもユダヤ民族がイエス様を不信して殺したので、統一された一つの世界を築くことができませんでした。(一九八〇・一一・一八)

 イエス様がユダヤ民族に迎えられていたなら、何が成されたのか考えてみることにしましょう。もしそのようになったなら、イエス様はその国の王となって弟子たちを一つにまとめ、ヤコブとアラブ一族の十二支派を含むすべてのアブラハムの子孫を統合したはずであり、彼らすべてが神様の息子の家庭になったのです。

 イエス・キリストは選ばれたイスラエルの国を中心として天の主権を確立されたはずであり、その当代に天の国の法度が準備されたはずです。その時に神様の主権が実体を成して、相手になるもののない国家が樹立されたはずであり、最初のアダムを通して成し遂げようとされた神様が統治するその国は、後のアダム、イエス・キリスト、すなわち王を通して築かれたはずです。そして、ローマ帝国も神様の国に屈服したはずです。イザヤ書第九章七節に次のように記録されています。

 「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである」

 イエス様がこの世を離れられた後、彼の弟子たちはあらゆる苦難を受け、血を流しながら素手でローマに向かって行進しました。結局四百年もたたずに、ローマ帝国はこの素手の群れの前に倒れてしまったのです。もし、イエス様が亡くなられずに生きてこの神聖な群れを率いていたなら、その時、すなわちイエス様の当代に、全ローマ帝国は神様の主権の前に現れたのです。

 当時の大ローマ帝国は全世界の中心でした。神様の救援計画は全体の世界の復帰にあったので、神様がローマを万邦の中心としてお立てになったのです。それゆえ、いったんローマに天国が到来しさえすれば、それは容易に全世界へと広がるのです。

 イエス様がローマ帝国に彼の天国を成し遂げることができたなら、ローマの力と影響によって、世界の至る所でイエス様の福音を、イエス様の生きていらっしゃる間に聞いたはずです。

 そのようになったなら、イエス様は全世界にわたって実体的な天国を建設されたはずであり、今日のローマ・カトリック教会も、メソジスト派も、キリスト教会も、長老派教会というものも存在しなかったのです。

 このような教派はどれ一つ必要ないのです。目的地に既に到達した皆さんに、車は必要ないのです。

 既に我々は天国市民になっていたはずであり、キリスト教史は血を見なかったはずであり、したがって、殉教者もいなかったはずであり、礼拝堂に十字架もなかったはずです。イエス・キリストが裏切られたのは悲しい事件でした。アダムとエバの不従順によって、神様はエデンの園の理想を成すことができず、選ばれた民たちの非協調によって、イエス様は地上天国を築くことができなかったのです。(七三―二一九)

3 神様とメシヤのみ旨を知らなかったユダヤ民族

 イスラエル民族が待ちわびたメシヤは来ましたが、イスラエル民族はそのメシヤが分かりませんでした。なぜ仕えることができなかったのでしょうか。簡単なのです。メシヤのみ旨は世界を救い、人類を救うところにあります。そして、そのイスラエル民族を選んで立てたのは、イスラエル民族のゆえに選んで立てたのではありませんでした。皆さんはこのことを知らなければなりません。統一教会を選ばれたのも統一教会のために選ばれたのではないのです。文先生が統一教会の責任者であっても、統一教会を立てた文先生のために選ばれたのではないのです。神様と世界のためにお選びになったのです。

 それゆえ、ヨハネによる福音書第三章十六節を見れば、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」とおっしゃったのです。神様がキリスト教を愛され、ひとり子を与えたのではありません。滅びるキリスト教は覚醒しなければならないのです。イエス様がキリスト教のために来たのではないのです。万民のために来たことを知らずにいるのです。イエス様がキリスト教だけのメシヤになるための方ではないのです。万民のメシヤであることを知らずにいるキリスト教は滅びます。イエス様に足でけ飛ばされるのです。

 イスラエル民族はこのことを知りませんでした。メシヤが来る際には自分の国一国の王として現れてローマ帝国を滅亡させ、東洋を制覇して自分の国が栄光の中で天下の福を受けると思いましたが、違います。神様のみ旨は違ったというのです。メシヤが来たとしても、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って神様の心情を植えてあげて、すべて同化させたのちに初めて、人類のために生きた後で初めて、栄光の日が来るということを考えることができませんでした。何の話か分かりますか。(はい)。

 こうして、イスラエル民族の願いと神様とメシヤの願い、み旨の方向が食い違いました。神様とメシヤのみ旨は、世界を救い、人類を救い、歴史を正すためのものであるにもかかわらず、イスラエル民族は自分の国のために生き、選民の歴史のためのものであると思いました。しかし、メシヤを見ると、そのように見えないのです。ですから、ここで衝突が起こりました。ユダヤ教の歓迎を受けなければならないのに、反対されるのです。ローマの支持を受け、ローマを統治しなければならないはずなのですが、どんなに見ても自分たちが願ったメシヤの姿ではないのです。ですからイエス様は、メシヤとして受け入れられませんでした。

 イスラエル民族は選民として世界を支配できる祝福を受けたにもかかわらず、神様とメシヤの目的観で衝突することによって、み旨に従って行くべき目的のところは残り、み旨を奉じて目的を受け継ぐべきイスラエル民族はここで堕落して世界にない罰を受けるようになったのです。それゆえ、二千年間国のない民族として流浪の孤客となったのです。(八一―二三六)

4 イタリア半島に移された神様の祝福

 神様が何のためにユダヤ教を苦労してつくり、また東洋に仏教と儒教をつくったのでしょうか。メシヤが降臨したのちに、傍系的な立場でメシヤに協助することのできる間接的な基盤を築いておくために、世界の全域に宗教文化圏をお立てになったのです。ところが、ユダヤ教がそのような時代的な配慮までした神様の摂理を無視し、イエス様を不信したので、ユダヤ民族は歴史上例のない、二千年間血を流す民族となったのです。そしてまた、キリスト教は四百年間ローマの迫害を受けながら犠牲の代価を支払う蕩減歴史を通して、ローマ帝国を中心としたキリスト教文化圏を形成せざるを得なかったのです。

 このようになって、イスラエルに下された神様の祝福はどこに行ったのでしょうか。イタリア半島に移されていったのです。

 イエス様が死ぬことによってイエス様の心と体が分かれました。そのようになって、それ以後の文化圏も肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムと、心の文化圏である神本主義のヘブライズムとして分立されたのです。イエス様の肉身をサタンが取るようになり、文化の発展が逆さまに出発するようになることによって、当時イエス様の体のような役割を果たしていたローマがまずヘレニズムを受け入れて、サタン主管圏に立つようになったのです。ですから、キリスト教はローマから四百年間迫害を受けるようになります。四百年間イタリア半島を中心としてキリスト教文化圏を形成して、ここから世界をまとめる道を築くというのが神様のみ旨でした。しかし、キリスト教が責任を果たせないことによって、世界を一つのキリスト教文化圏としてまとめることができませんでした。

 神様は当初、ローマで四百年間の迫害と殉教の血を流す代価を支払わせ、苦難を克服してローマ人たちに感化と感動を与えた基盤の上に初めて、キリスト教が故郷として公認されるようにしました。ところが、キリスト教が公認されて以後、キリスト教の封建社会が来るようになるのですが、その当時教区長たちはどのようにしましたか。キリスト教の使命は世界を救うことであるにもかかわらず、教派主義と教権主義にとどまって民族と国家さえも超越できませんでした。(一九八〇・一一・一八)

5 ユダヤ教とローマ教皇庁が滅亡した理由

 ユダヤ教がイエス様を歓迎できなかった理由は、どこにあったか分かりますか。彼らは、「メシヤが来ればすぐさまローマ帝国を征服し、さらにはユダヤの国が世界を制覇してしまうだろう」と考えていました。しかし、神様のみ旨はそうではないのです。神様のみ旨は、彼らが考えたようにローマ帝国とその周辺国家をすべて制覇してしまい、イスラエル国家を世界を支配する国家にすることではありませんでした。ユダヤ教とイスラエルをその犠牲として立てて、ローマと周辺国家、ひいては世界を救おうとしたのがまさに神様のみ旨でした。「国家」が神様のみ旨のすべてではありません。国家理念を超越するのが神様のみ旨です。教派の中に神様のみ旨があるのではなく、教派を超越するのが神様のみ旨です。

 それにもかかわらず、ユダヤ国家自体の利益と権威だけを考える思考方式ゆえに、世界主義を叫ぶイエス様を不信するようになり、ついには許されざる悲劇の歴史を自ら招いたのがユダヤ教とイスラエル民族でした。

 ローマ帝国を中心とした神様のみ旨も、ユダヤの国のときのように一つの国家の中にあるのではありませんでした。全世界の人類を救うところにありました。しかし、ローマがそのような使命を果たしましたか。使命を果たせませんでした。ローマ教皇庁が腐敗することによって、世界をキリスト教文化圏にまとめることができなかったのです。その時に、もしローマ帝国が世界を救うために神様のみ旨を中心として教皇庁と完全に一つになり、どのような犠牲の十字架を負うようになったとしても屈せず、ひたすら世界の救いだけのためにその使命を果たしたなら、ローマは一時に世界を一つに統一し、世界を救ってあまりあったのです。

 ところが、その時の教皇庁はどうだったでしょうか。そのような神様のみ旨に背き、教皇庁を中心としてさまざまな国家を動かしてその下に隷属させる機関としながら、権威だけを主張したではありませんか。

 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ三・16)。このみ言の意味は、個人だけを救いなさいという内容ですか。世界を救いなさいという意味です。個人だけを愛するというみ言ではありません。キリスト教だけを愛するという言葉ではありません。「この世を愛する」と言いました。その「この世」にはローマ帝国も入り、東方のすべての国も入ります。ユダヤ民族をしてメシヤを迎えさせ、何をしようというのですか。世界を救ってから万民がほめたたえるその日に、初めて世界制覇の中心国家として登場できるにもかからず、来るや否や世界の中心国家圏を要求したのです。そのように考えるので、教権主義だけが膨大にならざるを得ないのです。ユダヤ民族がイエス様を殺した動機や、ローマ教皇庁が神様の真のみ旨を引き継ぐことができずに全世界を一つのキリスト教文化圏に完全にまとめることができなかったのは、まさにそのような神様のみ旨を知らなかったからです。(一九八〇・一一・一八)




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二.イタリアから英国へ

1 イタリアから英国へ移った神様の祝福

 ローマの教皇庁が責任を果たせなかったことによって、神様の祝福は必然的に他の所へと移って行かざるを得ませんでした。ローマから神様が祝福を刈り入れていくことによって、中世の暗黒時代が招来され、その堂々たる気勢の教皇庁の権威と威信は人本主義思潮に覆われて地に落ちてしまいました。

 このような局面で神様は、新教運動を起こして再び世界の救いの道を築かざるを得なくなったのですが、これがまさに旧教に反旗を掲げ、議会を動かして法を改定し、ついに聖公会を立てた英国のヘンリー八世を通した英国の新教運動に対する祝福でした。すなわち、神様のみ旨はローマを離れて英国へと移されて、英国を中心として新しい世界救援の摂理を展開したのです。

 こうして、英国という小さな島国が海洋政策を強化して急進的にその版図を広げ、「五大洋六大州(世界)で日が落ちることがない」というくらい、世界を制覇できる世界的な強国の版図をつくりました。

 ところが、神様が英国をしてこのように文明の極致を享受しながら、世界を制覇できるように祝福を下したのは英国だけのものではなく、世界を救おうという深いみ旨からでした。いわば、英国に対する神様の祝福は、英国の世界的基盤を中心として全世界を神様の前に救おうとされた祝福でした。当時、もし英国がこのような神様のみ旨を受け入れて、内的には、神様のみ旨を成し遂げようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者たちと、新教運動者たちが神様のみ旨の中で一つになって救援の礎石を築き、外には数多くの植民地をもつようになった基盤を通して神様のみ言を伝播し、神様のみ旨を広めていたなら、英国は間違いなく世界を一つに統一し、世界を神様のみ旨の前に救援することができたのです。

 ところが、どのようにしましたか。英国はそのような使命を悟ることができず、英国自体だけの利益のために植民地を搾取しました。神様のみ旨によって世界を救おうとする英国になることができず、英国だけのために世界を利用する一方、英国の教会も世界の救援をしようとせずに、教権主義に染まって、国家を擁護する立場から信仰の自由を極度に抑圧し、清教徒たちを迫害したのです。

 これによって、英国を中心として世界を救おうとされる神様のみ旨は、壁にぶつからざるを得なくなったのです。

 ここに王権の専制主義と信仰の自由を拘束する監督から自由と独立を叫び、信仰の純潔を主張していたピューリタンが英国と闘って、命を懸けてアメリカ新大陸へと渡っていきます。宗派と国家の理念を超越した彼らピューリタンは、神主義の新教を中心としてアメリカを開拓します。彼らは神様の理想国家を追求しました。信仰さえ抑圧され、拘束される祖国での生活よりも、思いどおりに神様の国を追求し、さらには、世界を救うことのできる理想国家をつくろうとする立場で、ヨーロッパの至る所から信仰運動を叫んでいた彼らが、力を合わせてアメリカを開拓し、英国に劣らない宗教的な基盤を築くようになりました。ここでキリスト教の新教を中心として世界的なアベル圏を糾合することによって、世界のキリスト教カイン圏(旧教)に対抗して、世界のキリスト教アベル圏(新教)が形成されるに至ります。このようにして、アベル的な新教を通して長子であるカトリックを復帰しなければならない摂理が繰り広げられるようになります。(一九八〇・一一・一八)

2 英国の聖公会と清教徒運動

 皆さんはヘンリー八世を中心として起きたアン・ブーリンの事件を知っているでしょう? アン事件。息子がないので息子を生むために離婚をしようとしたのですが、そこにありとあらゆる反対が起こったのです。旧教で反対するので、離婚を正当化させるために憲法を改定して法的処置をし、旧教から脱退してアングリカン・チャーチ(聖公会)をつくったのです。それは歴史的なことなのです。

 このようにして、ローマがヘンリー八世を中心として罪状を……。それはだめなのです。ローマは悔い改めなければならないのです。その時、新教の風潮の中で英国が新しい舞台となって国家的な基盤の上に新教を包摂することのできるよいチャンスだったのです。エリザベス女王はカルビン主義を歓迎できる新教の支持者だったのです。ウェストミンスター条約三十三箇条によって、エリザベス女王がカルビン主義の思想を吸収することのできる基盤を築き、海洋圏を中心とした制覇という政策を立てて、スペインが海洋圏に介入できない基盤を築くようになったのは、すべて神様のみ旨だったのです。

 それゆえ英国は、大きな新しいキリスト教歴史のすべての福を受け継ぐことができたのです。その時ヘンリー八世を中心としておよそ三代を経て西ヨーロッパにある新教をすべて包摂していたなら、信仰の自由の王国として兄の国となり、母親の国となって、信仰の自由を求めるヨーロッパ人たちをすべて消化、包摂することができたなら、超民族的な、神様の名前を中心とした王国を築いて世界制覇国となったのです。それこそ英国の名前どおりのザ・ユナイテッド・キングダム(The Unitied Kingdom)、統一王国です、統一王国。数百年間、五大洋六大州(世界)に日の落ちることのない大英帝国をつくったのは、神様のみ旨なのです。島国英国、海賊の親玉だったその民族が優れているのでそのようになったのではないのです。ローマ帝国が責任を果たせないことによって世界的な制覇をして、新しい伝統的な思想の行路を正すために、神様が英国の民族を立てて、祝福してくれたのでそのようになったのです。

 そのようにしてそこで一つになったなら、今日のアメリカは現れなかったのです。全世界が統一されるのです。アジア諸国まですべて連結させ得る見事な版図をつくっておいたのです。英国が神様のみ旨を知り、新教と一つになって、新しい国と一つになって、世界を救うための神様のみ旨を成し遂げるためにキリスト教思想を奉じて万国の救援のために総進軍していたなら、英国は世界的な文化を創建したはずです。しかし、英国がインドのような国を三百年間搾取し、自分の隷属国家としてあのようにしたのは、神様のみ旨とは背馳するのです。

 ここで新教徒、清教徒たちが会議を改造して、国王の不純な行動を正当化しようとするアングリカン・チャーチに反対して覚醒運動を起こし、新しい、神様の理想とする国を築くためにその教派を越えて理想的な神様の教会と神様の国を追求するために起こした運動が清教徒運動なのです。

 彼らが弾圧されることによって行くべき道がないので、信仰の自由を求めて、自由の天地を求めていった所がアメリカ大陸です。彼らに反対するので、ヨーロッパにいるすべての信仰の自由を求めようとするプロテスタント、すなわち、新教運動者たちはみな反発して結束するようになったのです。英国で結束させることのできるものを果たせなかったので、この人たちを取り出して移し、新しい天地、アメリカ大陸で結束せざるを得なかったのです。(八一―二三九)




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三.アメリカに降りた神様の祝福

1 新教運動と初期アメリカの開拓者たちの信仰

 ローマ教皇庁を中心として見るとき、中世には既に腐敗して、彼らは教権と教条に縛られ、神様のみ旨は世界を救うことであるということを忘却してしまいました。世界はすべてほうり出して、自分たちの権力、自分たちが築いてきた基盤が崩れないかと心配で、目を丸くしながら、そこに反対する者はすべて切ってしまいました。世界を救うためには、何倍もの犠牲を支払ってもかまわないと言ったのですが、自分たちの位置と栄光を得るために、その立場の擁護に陥ったのです。

 神様が世界を救おうとするみ旨をもっていらっしゃるなら、これをそのままにしておいては何にもなりません。ですから、壊してしまうか、再び立て直さなければなりません。すなわち、新教運動を興さなければならないのです。ですから、マルチン・ルターのような人が現れて正面から衝突したのです。あなた方が愛する神様を我々が信じ、あなた方が愛するそれ以上に我々は世界的に平等な立場で自由に指導しようと考えるのです。神様がそのように考えているので、そのような人がいれば積極的に協助するのです。

 英国では清教徒運動を中心として、議会まで動かして神様を中心とした新しい国を構成したことを皆さんもよく知っていらっしゃるでしょう。そのようにして、全体主義的教区をそのまま維持して、追放運動と圧制を強要するので、仕方なく、自由信仰を追求する群れは、ヨーロッパ全域から寄り集まり始めたのです。それゆえ、自由信仰、すなわち神様に自由に侍り、世界的なみ旨として発展させることのできる自由信仰を追求する運動が不可避的に起こるようになったのです。そのことを皆さんは知らなければなりません。中世のローマ教皇庁を越えて神様を自由に信じ、より大きく世界へと進むことのできる教会を夢見た群れが、新教運動を主導していた人たちでした。そうした中、アメリカ大陸があるということを知り、ヨーロッパ的、教条的、全体主義的な教団よりも、もっと素晴らしい自由の国、信仰の自由世界を夢見て立ち上がった人たちが、このアメリカ大陸に初めて渡ってきて暮らすようになった「ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)」ではありませんか。彼らはそのような国があることを知って、自由な大陸に行って神様が願う自由の天国をつくり、神様が願われる世界でより自由な信仰生活をしようと立ち上がった群れなのです。

 大西洋を渡るということは当時、命懸けの冒険です。信仰の自由を見つけるために自分の愛する父母とも離別し、愛する故郷を捨て、家庭を捨て、さらには、国まで捨てようという覚悟で、神様だけを愛し、信じ、頼りながら立ち上がった冒険の道でした。

 彼らは、長く険しい航海路程で困難にぶつかったとき、自分たちを出発させておいてこのように苦労させ、すべて死んでいくように捨てておくのかと神様を恨みはしませんでした。彼らは台風が来ても、神様にすべてのものを任せ、神様が願う自由信仰の国を建設して神様に永遠に侍ろう、という覚悟と決意をもって前進した群れでした。

 航海する一行は病気にかかれば神様のために祈祷し、神様を中心として完全に一つの心になりました。殉難の道を克服しながら、終わりまで耐えて神様を慰めるそのような場面を見るとき、神側でも決心したはずです。

 「歴史始まって以来、このように私のために冒険した人たちはあなた方が初めてであり、家庭を捨て、民族を捨て、国を捨てて立ち上がったので、私があなた方が捨てたものよりも、もっと素晴らしい国と民族と氏族とすべてのものを与えよう」と神様が決心しただろうと思います。

 皆さんはメイフラワー号がニューイングランドに到着したことをよく知っていらっしゃるはずです。冬に到着しました。十一月に到着したので、寒く、食料はなくなり、みな飢え死にする事態が展開されました。彼らが素晴らしかったのは、食べるものがないのに、明くる年に蒔く種を残しておいて、飢え死にしていったという事実です。

 彼らには、神様が未来のために行くべき道を開いて、自分たちのために神様の願った祝福の国と自由天国を築いてくださる、という信仰がありました。それゆえ、後孫たちのためにその種を残しておかなければならないという心をもって、死の道も喜んで行ったと考えます。このような苦労の道を選んでいきながら、後代のために福を願うことができたのは、その人たちに、ひたすら神様を愛する信仰心があったので可能だったのです。彼らの中で残りの四十一名が協定書を書くときも、神様の名前で宣誓したことを皆さんはよくご存じです。皆さんの先祖たちが、この世を離れる最後の瞬間までも、神様の名前をつかんで信仰を死守したという事実は歴史的な事件でした。

 信仰による出発でなかったならば、ほとんどの人々が死んでいくときに神様の前に感謝できたでしょうか。皆さんの先祖たちは、出発しながら、寝ても覚めても、どこに留まっても、一切を神様をお迎えした中で行おうと努力したという事実を知らなければなりません。さらに、ローマ教皇庁が腐敗したことをご存じの神様は、皆さんの先祖に対して祝福をしてあげざるを得なかったのです。

 皆さんの先祖が故郷を離れるようになった動機が、他の移民の場合と違う点が何かといえば、世界を救うことのできる国と、自由信仰の祖国を追求したという点です。これは偉大なことです。ローマ教皇庁を越えて世界を救おうというこの思想がまさに、神様が願われる思想と一致したので、祝福をしてあげざるを得なかったのです。(六九―一〇二)

 アメリカ国民の皆さん! 神様がアメリカを祝福したのは、アメリカの人たちだけがよく食べ、豊かに暮らしなさいという意味で祝福してくださったのではなく、世界を救うために祝福してくださったということを知らなければなりません。アメリカは神様のみ旨に背いてはなりません。神様は、世界的なアメリカを中心として働きたいと願われるのです。

 皆さんの先祖が、もし自分たちだけが豊かに暮らすために移民に行くと考えたなら、神様は絶対にこのような祝福をしてくださらなかったでしょう。北米に移民した人たちは何ももたずに、ただ自由信仰の道だけを求めて上陸しました。それ以外にはいかなる目的もありませんでした。ところが、神様を得、自由を得、お金も得たのです。南米に行った人たちは反対です。彼らは神様を差し置いて、お金のために行ったのです。同じ時代に同じ立場で移民しましたが、彼らは神様も失ってしまい、自由とお金もなく、低開発民族、後進国になっています。

 アメリカが二百年間で、このように世界的な一等国家になったということは奇跡です。ひとえに神様が保護し、祝福されて、み旨を成し遂げることのできる隊列をおつくりになったのです。(六九―一〇九)

2 アメリカの独立と神様の祝福

 皆さん! もはやアメリカは独立してから二百年に近づいています。一七七六年当時、独立を主導していた人たちの立場を考えてみましょう。独立を主導していた人たちは英国の立場で見れば反逆者です。ところが、この反逆者たちがどのようにこの大きな国を独立させて世界の一等国にしてしまったのでしょうか。神様がいらっしゃるならば、その反逆者たちを祝福したでしょうか。

 独立を主導していたワシントン将軍は、初めは各地で敗戦しました。最後のフォージ渓谷の戦闘で決戦に臨む瞬間が肉薄した時、間違いなくワシントン将軍はこのように祈祷したはずです。「神様! あなたが信仰の自由のためにアメリカまで来させたこの民を、再び英国の掌中に、旧教と同様の全体主義の教圏内にほうり込んではなりません。信仰の自由の国、神様が願う理想世界を建国することができるように祝福してくださいませ!」

 英国は国権と軍事力を誇っていました。ジョージ・ワシントン将軍には何もありませんが、軍事力よりももっと強い神様を信じ、ちょうどゴリアテに対するダビデのような立場でした。ダビデが投げた石一つがゴリアテの額を打って倒すとは、誰も思いませんでした。彼の思いのすべては神様を第一として戦闘に臨んだはずです。軍旗をなびかせながら祈祷し、また、闘いに臨んでも祈祷したはずです。さらに、先頭に立った彼らと共に、後方の国民も全部神様の前に祈祷したのです。

 信仰世界の指導者たちは自分の故郷でみ旨に従うことはできませんでした。常に神様は故郷を離れるように命令されました。そのようにして祝福してくださったのが伝統だったので、神様の名前で英国を離れてきた彼らを神様が保護し、祝福してあげざるを得なかったのです。

 それゆえ、神様は自由信仰の世界に行く彼らの心と、信仰国家を願った神様の心が一致したので、独立軍を立ててアメリカに勝たせたのだと見ます。神様が協助したので、勝利してアメリカを建国するようになったのではありませんか。

 英国は英国王と国民が一つになって建てましたが、ここは神様と神様が愛する息子、娘が一つになって建てました。ですから、アメリカという自由信仰の新しいキリスト教国家が成立したのではありませんか。迫害される環境の中で、国を建ててから、神様のおかげで勝ったと国会議員から一般国民に至るまで全国民が神様を尊重し、どこにでも神様を掲げるのです。

 アメリカの国会が開院されるときは、祈祷で始まります。皆さんの国アメリカは、神様が祝福してくださった国に間違いありません。それゆえ、皆さんのお金には「イン・ゴット・ウィ・トラスト(In God We Trust)」という言葉が書かれています。このようにしてアメリカには旧教ではなく、新教を信奉する国、すなわち、新しい自由信仰をもち、世界的な一つの形態をもった国が初めて生まれたのです。(六九―一〇七)

3 世界大戦を通してアメリカに与えられた神様の祝福

 神様は、英国から渡ってきたこの新教徒たちによって築かれたアメリカを祝福せざるを得ませんでした。その代わり、アメリカ国民はその時から完全に一つになって、神様を中心として世界を神様の主権へと救うために、彼らに負荷された使命、すなわち世界の救援のために犠牲になり、奉仕しなければならないのです。

 このようになって、神様はアメリカを第一次、第二次世界大戦で勝利させて、世界の主導国家となり得る国力を備えさせたのです。

 イスラエルでイエス様が使命を果たせずに死を被ったことによって、インドと、中国をはじめとするアジアの国々がサタン圏へと入っていきましたが、第二次世界大戦の終結によって、サタン圏にあったこれらの国家が天の側に向き直りました。すなわち、アメリカが第一次、第二次の世界大戦に勝利した主権国になることによって、アメリカを中心として第二イスラエルであるキリスト教文化圏を中心とした世界的な霊的王国圏が成されるようになったのです。

 それでは、アメリカはどこに行かなければならないのでしょうか。反対に一周回っていかなければなりません。アジア地域に戻っていくのです。それによって何を探し求めるのかといえば、国家の時代が過ぎ、実体的な世界圏を求めるべき時代が巡ってきたので、キリスト教を中心として、国家の基盤なく流動するかわいそうな国々を国家体制を中心とした一つの全世界のキリスト教圏内にして、世界を制覇することのできる文明圏を建設しなければならなかったのです。その祝福を誰が与えてくれたと思いますか。神様が与えました。神様がキリスト教を中心として世界を制覇できる祝福を下さったのです。ところが、そのアメリカがそのような使命を果たしましたか。元来はマッカーサーの言うとおりにしなければならなかったのです。共産党を全部制圧しなければなりませんでした。日本、ドイツを中心とした全体主義国のすべての主権を天の側にもってきたなら、それを死守できなければなりませんでした。今日、韓半島を分けてしまったのも、誰の過ちによってなされたことだと思いますか。アメリカが過ったのです。ここでアメリカが天のみ旨と反対に過ってしまったので、サタンが押し入ってくるようになったのです。

 第二次世界大戦を通して、神様が世界を主導できる祝福をお与えになったので、すべてのキリスト教の信者は神様の祝福を感謝して受け継ぎ、神様のみ旨を成就する責任を果たすためにすべて一つに結束して、血と涙の祭壇を築きながら、渾身の力を尽くさなければならなかったのに、そのようにできませんでした。世界大戦の勝利の旗のもとに、そのようなアメリカの結束と神様を中心とした新しい精神文化の創造によって、世界の救いを叫ばなければならなかったアメリカでしたが、神様のみ旨は少しも考えず、個人主義、拝金主義とともに物質文明に陶酔して堕落する方向に落ちてしまいました。

 のみならず、世界主導権の価値と使命を喪失してしまい、神様のみ旨はあずかり知らず、ついには倫理的にまで堕落してしまい、祝福されたキリスト教まで没落の道を歩むに至りました。

 そうして神を否定し、あげくの果てに宗教をアヘンだと規定する共産主義がアメリカをねらい、至る所に蚕食していくに至ってしまいました。特に若い知識人層と大学界には深刻になるくらいに共産党の地下工作がなされているのが今日のありさまです。(一九八〇・一一・一八)




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四.日本を経て韓半島へ

1 人類文明発達の循環原理

 実を結んだこの大陸の文明はどこで定着するのでしょうか。これがアメリカで定着しなければなりません。アジアを通して中東を経て、あのアフリカまで一周して帰ってこなければならないのです。それゆえ、神様がこのようなアメリカの地を祝福されましたが、もしアメリカが失敗するならば、神様のみ旨を引き継ぐために、神様はアジアに期待なさらざるを得ないという、このような論理が成立するのです。

 では、今からどこに行かなければならないのでしょうか。アメリカを溶かし尽くして太平洋を渡ってアジアへと行かなければなりません。アジアへと行かなければならないというのです。そのような神様の摂理の方向という観点で見れば、今のアメリカの政策が、ヨーロッパ第一主義政策というのは間違っているという結論が出るのです。

 文化はこのような立場で回るので、大陸から半島、島嶼、さらに大陸ですが、アメリカ大陸を中心として見るとき、島嶼のような立場が日本なので……。どうしてこの世界地図上で日本民族がこのように急進的に発展をしたのかといえば、失敗した英国に相当する立場でアジア的代身国家として立てた国が日本なので、日本が西欧文明に反対的な立場に立って、そのような祝福を受けるようになるのです。

 このアジアにおいて英国と同じ立場に立った国が日本なので、アジアを育て、アジアのための日本にならなければならないのです。しかし、そのような日本となることができず、自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場になってしまったのです。

 それゆえ日本は英国と違わないというのです。英国文明をアメリカが受け継いだのと同時に、アジアでは英国文明を日本がそのとおりに受け継いだのです。

 日本は神様の名前を閉め出して、自分の国の民族主義的な女神天照大神に仕えるのです。中心が女性だというのです。では、それは神側ですか。どちらの側ですか。サタン側だというのです。サタン側なので、神様が今後アジアを中心として一つにしようとすることを知り、それをあらかじめ自分の手中に収めようとしたのです。それには韓国が一番重要です。アジアにおいて一番重要な国家は韓国です、韓国。そのことを知らなければなりません。

 太平洋文明圏を載せて日本を経て大陸に上陸する際には、どこに行くのでしょうか。半島を経なければなりません。これが文明発達の原理です。反対に行くのです。ここで英国と同じものが日本であり、イタリア半島と同じものが韓国だというのです。

 それゆえ、このアメリカは必ず日本を経て、韓国を通して、中国大陸を経て、中東を経て、あのアフリカまですべて一周しなければなりません。一周して一つにしなければならないのです。そうして、西欧文明とアジア文明が一つになり、中東も一つ、アフリカも一つにして、一周して終わりにしなければならないと見るのです。(八〇―一四)

2 日本を経済大国として祝福された神様のみ旨

 アメリカを中心として天の摂理を広めようとされた神様のみ旨は、アメリカからどこに移動していくのかといえば、日本列島に移していきます。統一原理を見れば、「歴史の同時性」という内容があります。人類歴史は生きていらっしゃる神様の一貫した公式的な摂理によってつづられてきましたが、そのような天倫の摂理が同時性を帯びるようになるのです。いわば、歴史は反復の形態によって、すなわち、(大陸に対して島嶼という)反対の形態で展開されるというのです。したがって、アメリカ大陸を中心としていた神様の摂理が英国と同じ島嶼国家を経るようになるのですが、それがまさに日本という島国でした。ですから、神様は島嶼国家である日本に祝福を与えざるを得なくなり、日本は近世になって世界的な経済大国を築きました。ところが、神様は英国の祝福を蕩減するために日本に祝福を与えたので、日本は英国が失敗したことを蕩減しなければなりません。したがって、神様が日本を明治維新以後、経済大国として発展させたのは、英国の立場を蕩減して世界を救いなさい、というみ旨からでした。ところが、日本が露ほどでもそのような考えをもっていましたか。むしろ彼らは神社参拝問題を中心としてキリスト教を極度に弾圧し、戦後は共産主義の活動舞台にしたではないですか。

 もし、日本が共産主義の手中に収まろうものなら、極東の平和維持が不可能になるのはもちろん、アメリカまで危険になります。ところが、日本を赤化しようとするのが極東においてのソ連はもちろん、北韓の金日成の秘密戦略です。私は既にはるか以前からこのようなことを看破したので、日本での勝共運動を強力に展開させたのです。私の見解では、日本の首脳部から一般国民に至るまで、全国民が勝共思想によって武装しなくては、日本は滅びるしかなくなるのです。では、その勝共運動を誰がしなければならないのでしょうか。日本のキリスト教がしなければなりません。しかし、今日の日本のキリスト教がそのような使命を果たしていますか。むしろ、共産主義に追われています。そのような日本の実情の中で、私は命を懸けて、日本国内にとてつもない背景をもっている共産主義と闘ったのです。そのようにして、我々は今、日本での勝利的な基盤を完全に構築してしまいました。(一九八〇・一一・一八)

3 韓半島へと移された神様の摂理

 日本が世界を救おうという使命を果たしたでしょうか。果たせなかったのです。ここで神様の摂理は他の所へと移るようになって、半島文明圏を中心として成し遂げられるようになります。そうして、イタリア半島文明と同じ韓半島文明時代へと移り、イエス様が体を失わなかったなら築いたであろう世界的なアジア文化圏時代に移ってくるようになります。ですから、韓国にメシヤの再臨という言葉が可能になるのです。

 韓国はどのような国なのかといえば、ローマに似通った国です。同じ半島型国家であり、気候や環境が似通っています。のみならず、韓国はローマ教皇庁を代身した国家型です。ローマは霊的な教皇庁だけを形成しましたが、我が韓国は霊肉共の教皇庁を形成しなければなりません。

 歴史上近代のヨーロッパ文明の基礎となったローマとそっくりな条件で大陸を中心とした新しい文化圏の出発が起こるようになるので、サタン主権を代表した共産圏がインドから中国まですべて巻き取ってしまいましたが、韓半島に来ては南北に分かれるようになったのです。皆さん、金日成が何歳で主席になったと思いますか。三十四歳の時でした。この年齢、まさにこの金日成と同じ三十四歳でイエス様がユダヤの国の王にならなければならなかったのです。そしてなぜ北韓では金日成を「父」と呼ぶと思いますか。世の中では「統一教会で文なにがしを中心として真のご父母様に侍って、どうして、こうして」と言いながら反対ばかりしていますが、もともとこれは偶然なことではありません。金日成が反対に先んじて偽りの父母を自称しているのです。このような話をするからといって誤解されても構いません。皆さんが誤解したからといって、神様のみ旨が成されないわけではないのです。(一九八〇・一一・一八)

4 神様が韓民族に賦与した世界史的な使命

 我々の国は神様から祝福された国です。けれども、歴史の恨を最後に清算しなければならない切実な神様のみ旨があるので、我が民族は神様が賦与してくださった使命を必ずや完遂しなければならないのです。

 韓半島で歴史時代のすべてのしこりを解決しなければならないので、神様の復帰摂理のための歴史が代表的に展開されています。まさにちょうど、アダム家庭で一つの兄弟であるカインとアベルが闘ったように、一つの血統である南北韓がお互いに銃口を定めて対立しているのです。それゆえ、韓国の休戦ラインは、何の意味もなく共産の北と民主の南が対峙している休戦ラインではなく、神様の摂理を帰結することのできる意義深い事由が込められている休戦ラインです。

 北側はカイン圏を代表したカイン型であり、南側はアベル圏を代表したアベル型です。

 したがって、アベル型である統一教会と既成教会の皆さんが一つになるなら、そうして南韓が、カイン型である北韓を武力で支配するのでなく、理想的な愛と思想によって自然屈服させ、支配することのできる主体的な力と基盤を築くという局面が繰り広げられるならば、三十八度線を撤廃しても関係ありません。すべての問題が一時に解決されるようになっています。

 休戦ラインについて見るとき、韓半島の北側は赤い龍が、南側は白い龍が食いついている状況です。板門店が何か分かりますか。天の国の金門、十二の真珠門を象徴した所が板門店です。ですから、休戦ラインはサタンの第一線であり、神様の第一線です。

 ここは神様もサタンも讒訴できる所です。神様とサタンが同時に讒訴できる所は世界でここ韓国しかありません。

 それなら皆さん、なぜ休戦ラインがこのようになっていると思いますか。韓半島が天の悲運の歴史を最後に集結しなければならない所だからです。ですから、サタンもここ韓半島では、ありったけの力を込めて最後の発悪をせざるを得ないのです。

 ですからもし、南韓が北韓の金日成を完全に消化させてあまりある思想的な主体勢力を備えるようになる日には、韓国は共産世界の危険から全世界を救うことのできる資格を備えるようになるのです。このような資格を備えることが、神様がこの民族に賦与した世界史的な使命です。それゆえ、我々キリスト教徒が一つに統一して、神様がこの民族に任せた世界史的な使命を果たさなければならないということを、私がはっきりと皆さんに申し上げるのです。

 韓国教会と皆さんが、天運を受け継ぐための準備態勢を整えなければ、神様が韓国教会を離れるかもしれません。日本やアメリカも神様の国の中の一つの国家だからです。もう国家主義時代は過ぎ去りました。韓国がその責任を果たすことができなければ、み旨は他の国家を探して行かざるを得ないということを知らなければなりません。歴史はある一地点にとどまるものではなく、流れていくことを知らなければなりません。(一九八六・一〇・二一)

5 アダム文化圏の新起源を築かなければならない韓国

 韓国は、イスラエルと第二イスラエルであるキリスト教徒が果たせなかった摂理的な使命を受け継いだ第三イスラエルです。韓国ではどのようなことがあったとしても神様の摂理が完結しなければならないのです。世界のすべての文明が韓半島で結実しなければなりません。我々は神様を中心とした一つの世界を築く際に、最も基本となってあげなければなりません。アダム文化圏の新起源が築かれなければなりません。

 神様を中心とした一つの世界はどのように築かれ得ると思いますか。一つの世界の具現は、アダム文化圏が再現された神様のみ旨が完成されることをいうのですが、韓半島でアベルとカインが一つになる基準を手本として、各民族を超越し各人種を超越して、神様の完璧な愛の世界を回復するとき、初めて一つの世界は築かれるのです。それゆえ、神様の本来のみ旨の世界が形成されます。皆さんと私が一つになるためにお互いに努力し、怨讐を愛し、神様を愛する努力を惜しまず、家庭と教会であらん限りの精誠を尽くして、自分個人と家庭よりも民族と国家のために生きるなら、共産主義は自動的に滅びるようになります。私はヨイドでの「救国世界大会」で、六十カ国の統一教会の青年信徒たちに、韓国のために祈祷しなさいと命令した時がありますが、我々すべてがこの国の将来のために生き、神様のみ旨のために懸命に祈祷したなら、この民族は間違いなくみ旨を中心としたアダム文化圏をこの地上に具現できるようになるのです。 

 このような中で神様は、この民族をして受難と悲運の中でご自身の心情を体恤できるようにさせたのであり、統一教会を通して、この民族がそのような悲運を克服して、神様のみ旨の成就のために働くことができるようにしたのです。(一九八〇・一一・一八)




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五.神様のみ旨から見たキリスト教の使命

 何が神様のみ旨でしょうか。もちろん、一個人を救うことも神様のみ旨でしょうが、世界を救うのが神様のみ旨です。また、ある個人が救われ、神様の前に立てられたとしても、神様には世界のために天を信じ、救おうという個人が必要です。

 家庭の代表者を願ったとしても、世界を救うための家庭の代表者として立てたいのです。民族の代表者を立てたとしても、その単一民族のためのものではなく、世界のすべての民族を指導できる代表者を立て、国家の代表者を立てたとしても、世界のすべての国家を救ってあげることのできる、そのような使命を負おうという国家的代表者を願うのではないでしょうか。

 ユダヤ教の信者やイスラエル民族は、メシヤが自分の国だけのために来ると思ったので、彼らはメシヤを迎えられませんでした。彼らにはメシヤが自分たちを一つにして、世界を救うために来るという思想がありませんでした。神様の思いとイスラエル民族の思いとはこのように完全に相反していたというのです。

 では、そのような観点で見るとき、ヤコブは家庭的代表者であり、モーセは民族的代表者です。そして、国家と世界の代表者として、世界を救うことのできる中心的な使命を受け継いで来られたお方がイエス様ではないでしょうか。神様のみ旨は、一つの教派を救うためのものではありません。その教派を犠牲にしてでも、世界を救おうというのが神様のみ旨です。

 今日、「イエス様を信じ、天国に行く」というキリスト教徒たち、イエス様を信じて自分だけ救われればいいというのは、神様の復帰観と一致しないと見なければなりません。我々は世界を考えることができませんでした。自分の家庭と民族と国だけ救われればいいという、それ以上のことを考える人がいなかったのです。

 今日、そのような神様のみ旨のために生きる立場から見れば、私が個人的に救われたとしても、世界を救うために救われなければならず、家庭的に救われたとしても世界を救うために、氏族的に、民族的に、あるいは、国家的に救われたとしても世界を救うために救われよう、というそのような家庭と個人がなければならないのです。

 世界の情勢を考慮してみるとき、中共(中国共産党)が民主体制に移ってきつつあるのを見ることができます。これは共産主義の崩壊の兆候に違いありません。私ははっきりと言いますが、既成教会の皆さんと統一教会が一つになるなら、北韓の金日成は三年過ぎればいなくなります。キリスト教が共産主義に勝てないのなら、キリスト教は滅びます。民主勢力がどんなに強勢だといっても、共産主義を克服し尽くすことができなければ、民主体制は霧散してしまいます。共産主義をこの地球上から完全に封鎖して、神様を中心とした神様の国を建設することがまさに神様のみ旨です。このような神様のみ旨から見たキリスト教の使命は何でしょうか。一つにならなければなりません。すべてのキリスト教が一つになって、共産主義をこの地球上から根滅するのです。その運動がまさにこの韓半島から始められたことを、皆さんは知らなければなりません。

 恨の神様の歴史を終結するための摂理のみ旨が、この韓半島を中心として展開しています。神様のみ旨のとおりに、この韓半島にアダム文化圏の国家を建設するためには、まず皆さんと統一教会が一つにならなければなりません。まさにこれが、神様のみ旨から見たイエス様とキリスト教の使命だという事実をお知りになって、皆さんが家庭と教会に戻られるとしても、どうかこのようなみ旨を広く伝えることによって、我が民族が選ばれた第三イスラエル選民としての使命を果たせるように共に努力してくださるようお願いします。このようになることによって、神様が真にお喜びになることのできる版図がこの民族と人類の前に広がるであろうと確信します。(一九八〇・一一・一八)




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第四節 終末を迎えた今日の世界

一.終末とは

1 終末が生じるようになった原因

 キリスト教においては、過去の歴史を通して調べてみるとき、終末がいつになるのかということが問題になってきましたが、今この時においても、それが問題になると見ることができます。終末になれば、主が来られて審判すると思っています。また天地異変が起こって、日と月が落ち、天がすべて壊れると思っているのです。

 本来終末という言葉は宗教から現れた言葉です。仏教では終末を末法時代といっています。キリスト教では終末といいますが、いったい、この終末がどのようになって生じるのかという根本的な問題を、我々は考えてみなければなりません。

 絶対的な神様が計画されるその世界は永遠なものでなければなりません。一度始まったなら、永遠に続かなければなりません。絶対的な神様が経綸するこの世界に終末が生まれるのは、神様が設定されてなされるものではなく、人間の堕落によってなされるものであると考えざるを得ません。結局は善が永続できず、悪が出発したのが終末が生じた原因です。

 善であられる神様から造られたアダムとエバは、善なるエデンの園で暮らしていました。もし、アダムとエバが堕落しなかったなら、善は永遠に続いたはずです。アダムとエバの堕落によって、善が出発できずに終わりを見たのです。

 神様のみ言を正常な立場で信じることができるにもかかわらず、人間の先祖がそのみ言を不信して、死がこの地上に生じたという事実を知らなければなりません。アダムとエバに、神様のみ言を不信し戒めを犯すよう誘惑する一人の主人公が現れたのです。アダムとエバが神様のみ言を不信し、この主人公の誘惑に引かれていくことによって、サタンがこの世の中の主人になり、堕落したアダムとエバはサタンの対象になりました。不信の結果によって、滅亡の世界、神様と関係のない死の世界が出発しました。

 そのような立場で、神様は善として出発できなかったこの世界をそのままただほっておくことはできないのです。人間をまた再び回復させ、ある一時に善の出発をしなければならないのです。

 イザヤ書第四十六章十一節を見ると、神様は、「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」と語られました。そのためには、神様を中心として絶対的な信仰を立てなければなりません。不信によって悪が先に出発し、サタンを中心として悪なる人間と滅亡が生じたので、それとは反対にして初めて、生命の世界が成されていくのです。(六九―一一九)

2 終末とは新しい希望の時

 終末はいつですか。悪なる世界が始まったことによって天の側の人間が現れて、これを清算して、個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に、世界的に善なる世界に向かって帰っていこうとする時ごとに、終末の現象は現れるものなのです。いわば、悪なる世界のすべてのものを清算し、サタンのすべての讒訴条件と汚されたものを脱いで、善なる世界へと越えることのできる中心的な人が、個人的に越えるときは個人的な終末であり、家庭的に越えていくときは家庭的な終末であり、氏族的に越えていくときは氏族的な終末であり、民族的に越えていくときは民族的な終末であり、世界的に移っていくのは世界的な終末になるというのです。

 それゆえ、終末というものは一つの時代が行き、新しい一つの時代が来ることをいうのです。終末になったからといって神様が、創造された日と月を壊してしまい、地を滅ぼしてしまわれたなら、それはサタンのゆえに壊してしまうことになるので、失敗した神様になってしまいます。サタンによって地が汚され、日と月が今まで悪なる人を照らしていただけでも口惜しいのに、そのみ旨を一度も成し遂げられずに壊してしまえば、神様はどのようになられるでしょうか。エデンの園で神様のみ言を信じずに不信して死が入ってきたので、それを復帰するためには、神様を絶対的に信じる一人の人によって、すべての人が信じることのできるみ言を立てて生命圏へと移っていかなければなりません。(六九―一二一)

 終末というものは何かといえば、新しい歴史の結実、現実の新しい中心、未来に誇ることのできる新しい起源を決定できる時なのです。(二五―四六)

 終末というのは何でしょうか。終末は神様の召命圏が今日の我々の国家圏内に、あるいは、自分の家庭圏内に制限されている時代ではありません。これが個人に置かれていれば、その個人が世界と完結する時代であり、これが家庭に置かれていれば、その家庭が世界と完結され得る時代です。そして、世界と連結された、その時代が現世のものとしてだけ残っているだけではなく、み旨と連結され得る時代に通じることのできるそのような時が終末に違いありません。その終わりとは何かといえば、歴史的な全体の路程を新しく清算し、勝利という決定的なある限界点を立てておいて、飛躍できる時です。(九九―二九二)

 歴史上に終末があるという話は、天を中心として見るとき、幸せな話だというのです。審判という言葉は悪い言葉ではなく福音です。悲しみの立場から数千年間呻吟してきた歴史的な恨を解くことのできる、怨恨の心をもった息子、娘の恨を解いてあげることのできる一日にならなければならないので、そのような審判の一日が来なければならないのです。それゆえ、公儀の法度をもった天地の裁判長であられる神様として、それは必ず宣布しなければならない言葉なので、キリスト教の審判されるという言葉は幸せな言葉です。

 統一教会が今まで願ってきたのは……。歴史は蕩減歴史を経ていくので、世界は必ず滅びなければならないのであり、滅びるようになるときには善と悪が交差する過程を経なければならないのであり、その交差点から上がっていかなければならないのであって、落ちてはならないのです。それゆえ、神様を中心とした一本道だけが栄光の道、真なる栄光の道にならざるを得ないのです。(六五―一四六)

3 終末はすべてのものを見分けるのが難しいとき

 終末はどのような時なのかといえば、夜なのか、昼なのか、これが正しいものなのか、あれが正しいものなのか、混乱してこれもあれも見分けられない時です。

 エデンの園でアダムとエバが堕落するときも、正しいものなのか、間違ったものなのかはっきりと分別できる目的観があったのでもなく、主管性があったのでもなく、判断できる能力ももっていなかったことを知らなければなりません。右側に方向を取らなければならないはずなのに、左側に取ったのが堕落です。アダムとエバは、すべての事実をはっきりと知らない混沌の中で堕落したのです。

 では、いつを終末と見なければならないのかというと、今だということができます。なぜなら、聖書には、終末になれば羊とやぎを分けておく、とあるからです。羊は主人がいる者のことをいい、やぎは主人がいない者のことをいうのです。

 皆さん! 共産主義は左翼であり、やぎです。左側の羊はやぎだと聖書でいっています。やぎは主人がいてもそれが分かりません。共産主義者たちが神様が分かりますか。民主世界は羊です。羊は主人を見分けます。民主世界の人たちは神様が分かります。今日のすべての現象は、聖書に現れた終末をほうふつとさせています。(六九―一二二)

 終末はどのような時代かといえば、歴史的なすべてが蕩減される時代です。ですから、混乱した時代が来るのです。宗教、経済、文化など、すべてのものが混乱に見舞われるようになります。それゆえ、終末になった、主が来られる、我が集団を通さなければならない、我々でなければ救いを受けることはできない、という言葉が現れるのです。

 そばで見ると、すべてのものが平面的な一つの時代に起こるようですが、その面を見れば歴史的であり、全体的なものが絡まっているのが現実です。現実がこのような世界的な渦中の中にあるので、混迷した状態になるのです。このようなときは、宗教の目的がぼんやりとする時であり、哲学の目的もぼんやりとする時です。さらに、家庭の目的がぼんやりとする時であり、民族の目的もぼんやりとする時であり、国家の目的もぼんやりとする時です。目的を志向するすべてのものがぼんやりとするのです。

 終末時代にはこのような複雑な環境が繰り広げられます。宗教界でもそうであり、思想界でもそうであり、家庭でもそのような環境が繰り広げられます。儒教思想の三綱五倫を主張しながら、父母の前に孝誠の道理を果たしなさいと言いますが、その道理が壊れつつあります。皆さんの母親がどこにいて、夫婦がどこにいて、兄弟がどこにいますか。「ああ、私は分からない」と、このようになるというのです。師に対しても同様です。

 それゆえ、終末にはこのような混乱を正す目印を立てることができないのです。暗澹としたものから出発したので、暗澹とした結果として現れるのです。(一六―二三五)

 サタンの前に完全に譲歩したので、終末になれば、サタンの思いどおりに激しく殴るのです。ですから、世界の大混乱時代が来るのです、大混乱時代。そのようにして再臨の主がこの地に来られた後には世界がひっくり返るのです。一周走らなければならないのです。個人的に一周走らなければならず、家庭的に一周走らなければならず、民族的に一周走らなければならず、国家的に一周走らなければならず、世界的に一周走らなければなりません。(一六五―六三)

 終末が近づいてくればくるほど、すべてのこの世的秩序に破綻が起きるのです。サタンは必ずそうします。父母が子供を見分けられず、子供が父母を見分けられず、夫が妻を見分けられず、妻が夫を見分けられず、国の主権者がその国民を見分けられず、国民がその主権者を見分けられず、すべて二つに分かれるのです。そのような時が来るのです。これは我々が理論的に推理して、そのような世界像を考えることができるのです。

 その時がいつでしょうか。その時がまさに今だというのです。その時は一つの国が疲弊するだけでなく、全世界的に混乱するのです。民主世界を見てもそうです。一九六〇年代だけでも、そのように荒れて大騒ぎしたアメリカが、今は腹痛を起こしているのです。腹でぎゅるぎゅるといっているのですが、それがいつ、いっぺんにあふれ出るか分からないのです。(笑い)それがあふれ出ようものなら、疲労困憊してごろごろと転がるのです。さあ、その処方薬を何で作ろうかと神様は考えることでしょう。(七四―二三九)

 お互いに重なっていっています。どのようなものが真なのか、偽りなのか、善なのか悪なのか見分けることができなくなっています。そうでしょう? ここに統一教会が統一思想を中心として世界的に新しい頭角を現して、渦巻くこの世界の中にさっと挟まるようになったのです。回っていくのです。これをどこで抜き出すのでしょうか。あの地獄の底に降りていくと、たぎり立って天へと上っていくことのできる時が来るのです。(五一―一二〇)




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二.終末の現象

1 現世界は堕落が植えておいた結果の世界

 世の中で、「大豆を植えれば大豆が出て、小豆を植えれば小豆が出る(大豆を植えて小豆が実ることはない。瓜の蔓になすびはならぬ)」という言葉があります。植えたとおりに収穫するということです。今日この世界は二つの陣営に分かれています。民主と共産が対決しているのですが、一つは唯心史観であり、一つは唯物史観です。このような二つの歴史観が対立している世界となったのです。また、このような世界舞台の上に、青少年問題が世界的な問題として登場しています。

 それでは、どのようにしてこのような結果の世界になったのでしょうか。いわば、そのように植えたので世界的にそのような結果が現れたのです。我々はそのような世界になっていくのを目撃しています。

 我々人間は、昔アダムとエバが堕落することによって結ばれたその結果を、復帰路程を経ながら必ずや清算しなければなりません。では、人類始祖がどのようになりましたか。神様が許可しない立場で堕落することによって、一つになるべき心と体が二つに分かれるようになったのです。すなわち、一人が二つに分かれた結果となったのです。最初にそのように蒔かれることによって、そのような形態の個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を経てきたので、それが全世界的に結実する時が来るようになったのです。その時が終末、いわば、末世なのです。

 人類始祖が蒔いて、人の心と体が分かれた立場で繁殖されてきた人間なので、分かれた心と体の形態で必ず結実せざるを得ない立場にいるのです。いわば、唯心、唯物の二つの世界に分かれて結実せざるを得ないのです。

 ですから、今まで我々人間は、生活しながら自分自身の心と体を中心として闘争の過程を経てきました。一日たりとも平和を築き、統一を成して、天倫に従ったはっきりとした目的に向かって走ったことのない人間だというのです。いわば、心と体が闘いながら今までの歴史を支えてきたので、結果的にこのような二つの世界に分かれざるを得ません。

 今日世界がこのような実情に置かれているのですが、これは堕落の結果なのです。いわば、自分一人の個体が闘う形態を世界的に展開してきたのが、今日の世界だというのです(二〇―一六五)

 歴史は逆回りして、植えたとおりに刈り入れる時となりました。今この時は、心と体が闘い、これが種となって刈り入れられる時です。ですから、心型世界と体型世界があります。これが民主圏と共産圏です。そのような人を植えておいたので、そのように刈り入れる時だというのです。ですから、今この時は、人類歴史において秋の季節です。収穫期であり終末だというのです。(五三―一八八)

 心を中心とした運動を神様が始めたので、このような運動が世界的に実を結ぶ時代です。また、体を中心としてサタンが出発したので、これが実を結ぶ時代が必ずこの地上に現れなければなりません。神様も我々に植え、サタンも我々に植えたのです。ですから、人類の収穫時期を終末だと見なければならないのです。それが物質のための世界と、心すなわち神様のための世界、この二つの世界に分かれるのです。(五三―一三一)

 終末が近づいてくれば、心と体が激突する闘いが起こります。ですから今、民主と共産、この二つの世界の闘いが吹き荒れているのです。過って植えた結果が、世界的な畑で実を結んだのですが、それ以上になれるでしょうか。いわば、今は堕落人間六千年の歴史の収穫期間です。その時、罪をそのように植えたので、そのとおりに刈り入れるのです。(二七―二三一)

2 愛を中心とした終末の兆し

 復帰という言葉は人間が堕落したために生まれた言葉です。これは原理的な観点です。堕落した人間は復帰しなければなりません。すなわち、落ちる前の状態に再び上がっていかなければなりません。これが神様が今まで摂理してこられた主目的です。

 人間は何のために落ちましたか。サタンの愛のために落ちました。それではサタンの愛、すなわち、「落ちた愛」とは何ですか。それは伝わっていけばいくほど全部分離する愛です。個別的に分離する愛を指します。

 では、世の終末とはどのような時代ですか。世界人類が個別的な愛を絶対視する時です。堕落圏の愛を中心として世の終末が始まるのです。いわば、世の終末は個人的な愛が絶対視される時代、国に対する愛や民族に対する愛、家庭に対する愛、そういうすべてのものが否定され、自分を中心とした愛だけが肯定される時代です。倫理や道徳による愛ではなく、動物的な愛が世の中を吹き荒れる時代です。

 現在、愛に対する観念がどの世代まで流れたでしょうか。青少年の世代まで流れました。これを見れば、現在が世の中の終末だと知ることができます。

 青少年の紊乱な愛の行為を、親も防ぐことができず、国も防ぐことができず、世界も防ぐことができない、そのような段階に来ています。国も収拾できず、世界も収拾できない、そのような時代なのです。

 なぜ、サタンはすべての人間をこのような破綻状態まで導いたのでしょうか。それは、神様が愛を中心として復帰摂理をしてこられたからです。その神様の摂理を妨げるために、サタンは不可避的に人間をして家庭に対する愛、氏族に対する愛、民族に対する愛、国家に対する愛、世界に対する愛と反対の愛を行わせて、このような破綻状態まで導いてきたのです。

 人類を堕落させたサタンが願う最高の目標が何かといえば、人類の愛を余すところなく破壊してしまうことです。反面、神様は人間を創造本然の愛の世界に導こうとする立場にいらっしゃるのです。(一九八四・一・一五)

3 青少年問題も堕落の種が蒔かれた結果である

 また今日、青少年問題が台頭しています。これは堕落論を見ても否定できない事実です。今日の大学界の青少年、二十代とティーンエイジャー圏内にいる青少年の問題が深刻です。彼らは国を売り飛ばそうと決心しさえすれば、国までも自分たちの思いどおりに売り飛ばすことができるのです。彼らが決起すれば国も行ったり来たりするのです。そうでしょう? 若者たちが集まってけって立ち上がれば、行ったり来たりします。それは文化的国家だと自称する鼻の高いアメリカの場合も同じです。共産党に弱みを見せればそのようになるのです。誤れば大学界の青年に鼻を折られるのです。最近はそのような時です。フランスでは、至る所でストとデモが起こっているのですが、そのような若者たちによって起こっているのです。

 また、男女問題が提起されるのですが、彼らは堕落する際にどのようにするのでしょうか。親の許可を得ずに自分たちの思うがままです。また夫婦が一つになる際にも、自分たちの思うがままだというのです。愛の法度は天倫の公法が源泉であるにもかかわらず、そのような天倫の公法から外れて、すべて生命の原動力、生命の起源となる愛の法度が道端で一つの遊びとなり、踊りのリズムとなる世界になったので、終末が来るのは明らかなのです。

 アダムとエバが堕落した時期がいつなのかといえば、十代、すなわち、青少年期でした。年を取った人たちではなかったのです。では、堕落する際に何を中心として堕落したのでしょうか。愛を中心として堕落しました。愛の問題を中心として堕落して、二つに分かれた堕落の種を植えたのです。二つに分かれたのは、悪が侵入したからです。悪が侵入した後で不倫な愛の結果としての、その種が植えられたのです。

 これが次第に拡大されて、世界が二つの派に分かれて左右の問題が起こるようになったのです。愛を中心として、最上の先進国から最も下の後進国に至るまで、全世界にそのような台風が吹いて迫る、その時が世の中の終末だということを知らなければなりません。そのように植えたので、そのように刈り入れなければならないのです。

 今日の青少年たちが木の陰で堕落するのは、アダムとエバが木の陰で親の公認を受けずに不倫な愛の因縁を結んだからです。そのように種を蒔いておいたので、そのように刈り取るようになるのです。これが国境を超越し、時代を超越し、世の中と主義を超越して世界的な苦痛の現象として始まる時が来るとするなら、その時が終末だというのです。では、そのような時になりましたか、なっていませんか。(なりました)。そのような時なので、若者だけでなく、年を取った人たちまで放蕩しだすのです。

 アメリカのニューヨークにセントラル・パークという公園があります。そこに行ってみると椅子がたくさんあるのですが、その椅子には年を取った多くの人たちが座っています。彼らは家庭のない人たちです。大概が一人で暮らす人たちなのですが、彼らはわざと家庭をもちません。自分の思いどおりに出たり入ったりしながら、いくらでも肉体の享楽を楽しみながら暮らすことができるのに、なぜわざわざ家庭をもって、根掘り葉掘り拘束されながら暮らすのかというのです。独身でアパート生活をしながら、そのような肉体の遊びをしているのです。すべてにおいて過って蒔かれた結果の風が、世界的に吹き付けていく現象であることを我々は否定できないのです。アメリカだけではありません。ヨーロッパの家族たち、そして、キリスト教文明圏や仏教圏の民族、さらには世界の国家が、すべてそのような風に倒されつつあります。そうならざるを得ないのです。(二〇―一七五)

4 終末においてのサタンの正体と誘惑

 サタンは何の神でしょうか。サタンは淫乱の神です。ですから、サタンは終末に神様を否定し、神様の教会を否定し、神様の家庭的伝統を否定するのです。このような現象が起こる時が末世だというのです。現在、全世界的にそのようなことが起こっているのですが、共産主義は、まさにサタンの役事によって生まれた主義です。

 共産主義は神がいないと否定しています。また、宗教をアヘンだといい、宗教を中心とした家庭を否定しています。これはサタンが宗教と宗教を中心とした家庭を通して、自分を屈服させようとなさる神様のみ旨を知って、共産主義を通して宗教と家庭を否定しているのです。サタンは、神様を否定することによって自分も否定されることを明らかに知っているのです。また、どうせ人間たちは神様に帰ることも知っています。ですから、自分は侍られなくなるので、神様も侍られないようにしようと、神と宗教を否定するのです。このような悪党の親玉がサタンであることを皆さんは知らなければなりません。(一九八一・五・一四)

 アダムとエバの堕落は、心情的に未熟な時に神様の命令、すなわち神様の指示のない所で心情的な行動の第一歩を踏んだのが動機となったのです。成約時代を生きていく青年たちは、堕落世界の環境がどんなに自分を誘惑したとしても、それに対して無関係、無関心な立場を取らなければなりません。そうでなければ、サタンは全人類の心情を蹂躙しようと最後の知恵を絞り出すでしょう。

 共産党は、「遊べ! 歌を歌いながら踊りを踊れ! 愛(の行動)をしろ!」と言います。それは破壊の戦略です。サタンはそのような環境をつくって破壊しようとしているのです。

 共産党が最も嫌う団体は統一教会です。彼ら(共産党)は歌を歌い、踊りを踊り、愛(の行動)をしなさいと言いながら、自分たちの宣伝に心が引かれるように誘惑しています。しかし、どんなに騒ぎ立てても、ここに頓着しないのが統一教会の青年だからです。皆さんは、何よりも優先して、神様の縦的な愛を体恤しなければならないのです。(一九七四・五・一〇)




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三.終末を迎えた今日の世界

1 個人主義の現象が深化されていく今日の世界

 エデンの園で堕落することによって、天使長を中心としてエバが怨讐になり、エバを中心としてアダムが怨讐になり、お互いが怨讐になりました。全部怨讐だというのです。それゆえ、皆さんの子女もすべて怨讐です。信じられないのです。終末になれば母親、父親までも怨讐になるのです。兄弟間が怨讐になるのです。国同士怨讐になり、すべての因縁が全部ばらばらになる時が来ます。その時になれば、人倫道徳がどこにありますか。世界の風潮がそのように吹きすさんで方向をわきまえることができず、どのようなものが善であり、どのようなものが偽りなのか、より分けられない時が来ようものなら、その時が終末だということを知らなければなりません。その時がまさに今です。

 子供が親を殺す事件が起こり、親が子供を殺す事件が起こります。世の中で天を中心として教える師弟間は、牧師と教会員であるにもかかわらず、教会員が牧師に刃物で刺され、牧師と教会員の間で決闘が繰り広げられるのです。そのような時が来るなら、終末であることを知りなさいというのです。それはなぜでしょうか。エバとアダムが怨讐であり、アダムと天使長が怨讐であり、神様も全部怨讐になったからです。そのような根をもった歴史は、全部戦場として結果を結ぶ世界が繰り広げられるのです。(五〇―二一三)

 今日、堕落した世界では自分の父母を殺した者もおり、あるいは、兄弟を殺した者、親戚や隣人を殺害した者もいます。兄弟同士お互いに殺し合い、あるいは、氏族同士お互いに殺し合った縦的な数千年の歴史的現象が今日になって、いっぺんに横的にこの地上に現れたのです。そのような現象によってすべての人が個人主義に陥っていっています。彼らには神様もありません。親兄弟や隣の人々に何らの関心もない個人主義者、独善主義者となりつつあります。それが今の世界的現象です。

 皆さんもすべて個人主義に陥っていた人たちです。先進国家になればなるほど、個人主義の現象が深化されていきます。個人主義者たちは、サタン世界の最も先頭に立った機関車です。彼らの眼中には、国もないうえに家庭も兄弟もあずかり知らず、ただ個人だけがあるのみです。個人主義者たちは、アダムとエバを堕落させた天使長のような思考方式をもった人たちです。

 堕落した天使世界では相対関係が許されません。人間が堕落した天使長に似て個人主義者になれば、国を失い、家庭までも失うようになります。自分しか考えられないので、結局はもっているものすべてを失ってしまいます。個人主義現象が深化されればされるほど、分裂の現象が現れます。(五五―一五二)

 天地開闢とは何でしょうか。逆さまになるということです。そのような終末になって、神様の新しい時代を迎えようとするので、お母さんが分からず、子供が分からず、人倫道徳を完全に破綻させる時代になるのです。分かりますか。(はい)。子供もおしまいです。子供で何をしますか。お金もおしまいです。お金も集めてみると、国ですべて奪っていきますね? お金で何をしますか。権力で何をしますか。三日間も保たずにすべて秋風に散る木の葉となるのに……。

 今まで貴いと言ったものはすべて破綻します。親は子供が分からず、夫は妻が分からず、妻は夫が分からず、それから、子供は親が分からず、兄弟が兄弟を分からず、国の民は国王が分からず、また、それと同時に神様が分かりません。宗教人もすべて神様を忘れてしまう時です。主義主張がすべて飽和状態になるのです。民主主義もすべて飽和します。民主主義をもってしても滅びます。共産主義をもってしても滅びます。すべて滅びます。このようなめちゃくちゃな世界になっていくのです。(一六二―二八二)

2 中心のない今日の世界

 今日の世界を、混乱した世界だといいますか、平和な世界だといいますか。(混乱した世界だといいます)。今日の世界を、中心が決定された世界だといいますか、中心のない世界だといいますか。(中心のない世界だといいます)。今日の世界を、希望に満ちた世界だといいますか、でなければ、絶望に満ちた世界だといいますか。(絶望に満ちた世界だといいます)。全部が反対になっています。今、そのような時が来たというのです(四四―九二)

 今日の世界を見れば中心がありません。世界人類が行くべき中心たる所がどこなのか、ということを知らずにいます。どのようなものが善なのか、どのようなものが悪なのかを分からずにいるというのです。個人が行くべき善の場所がどのような所であり、家庭が行くべき善の場所がどのような場であり、民族と国家が行くべき善の場所、世界が行くべき善の場所がどのような所なのかを知らずにいるのです。(五七―八三)

 世界を眺めれば中心がありません。そうですね? 個人の中心がどこにあるのかというと、ないというのです。アメリカも全世界の先導的国家の立場に上がっていっても中心がないので下りてくるのは、すべて個人主義のゆえです。「おい! この文化世界は嫌だ。原始時代に戻ろう! 着飾って、食べ物に不自由しないのも嫌だ。ごみ箱から拾って食べなさい。それから服を着るのも嫌だ。原始人たちのように、破って脱いでもよい。車も高級車で走り回るのではなく、捨てたもの、始動しない車がよい」と、今そのようにしているというのです。全地が西欧のようになって、このようにしなければならないという標準がありません。ですから、既にアメリカは倒れ始めるというのです。がらんがらんといっぺんにすべて倒れるのです。(六四―一八五)

 世界がなぜ絶望に陥っていますか。主人がいません。中心となる主人がいないのです。中心に立つ主人がいないので、絶望であるというのです。皆さん、自分を見れば、皆さん自身の中心がどこなのか分かりますか。分かりません。アメリカがどこを中心として成さなければならないのか分からないのです。世界がどこを中心としなければならないのか知らずにいるのです。センターがこのようにあれば、垂直に九〇度を描くことができなければならないはずなのに、すべて四五度、八五度、全部がまちまちです。また反対に二七〇度、このようになっているのです。世の中は反対に回っているというのです。(九一―五六)

 皆さんがご存じのとおり、現世になって、いかなる面でも今後、世界の人は中心的な理想的形態を備えることはできない、という結論を下すことができます。このような時代に我々が願う道があるなら、跳躍するとか、飛躍しなければならないという話をしています。跳躍し、飛躍する際には、盲目的跳躍、盲目的飛躍はあり得ません。確実で正確な目的を中心としてそのような方向に従う飛躍と跳躍という言葉は成立しますが、目的観が設定されず、方向が決定されなくては、飛躍したところで、跳躍したところでどこに行くのかが問題となるのです。それゆえ、今後の世界は暗澹とした世界です。民主主義の世界もそうであり、共産主義の世界もやはり同じです。(七四―二二一)

 今日のこの世界はどのような世界なのかといえば、中心がない世界です。そのことを知らなければなりません。世の中にも中心がなく、すべての我々の社会にも中心がないというのです。主人がいないのです。皆さん自身を見るとき、皆さん自身においての中心は何でしょうか。心が主人の役割をしていますか。心が主人ですか。ある時には体が主人の役割をするのですが、それをすり替えなさいというのです。

 これが混乱した世の中です。世界が行き止まりの壁にぶつかってあえいでいる実状を我々は眺めているのです。これをどのように解決するのでしょうか。この問題は考える人、あるいは、世界を指導する人たちが至急に解決しなければならない問題です。その解決法案は哲学者の中で現れ、科学者の中で現れるでしょうか。哲学者の中では現れません。科学者の中にも現れません。また、経済学者の中にも現れません。これはほかに方法がないのです。人類の父母の心情を代表できる基盤を通してこそ、現れ得るのです。(八五―三一六)

 終末に門を開放できるのはいかなる主義でもなく、思想でもなく、また人間でもありません。ただ神様だけです。そして、この門を開放するために主が来られることをはっきりと知らなければなりません。堕落した人間がどんなに忠誠を尽くしても、解放する道理(方法)がないので、天地の法度のすべてのみ旨を奉じてこの門を開放できる主人が来なければならないというのがメシヤ待望思想です。(一六―二三四)

 歴史上に数多くの先祖がやって来ては逝きましたが、神様のみ旨を整えて成し遂げようとしたものは、常に完成できませんでした。それゆえ、神様は個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を代表して勝ったという基準をいっぺんに整えて、サタンの前に堂々とした権威によって現れ得る一つの世界的代表者を送ろうという約束をしてこられたのですが、そのようなお方がメシヤです。

 歴史始まって以来、悪なる世界を完全に清算し、善なる世界へと越えることのできる時に主が来られるようになるのです。(六九―一二一)

3 終末に現れる運動

 終末になれば、どのようになるのでしょうか。終わりに行けば一つです。一番最後に一つになるのです。その終わりに近い時代になれば、四つのやからが争い、四つのやからの争いが終われば、三つのやからが争い、三つのやからの争いが終われば、二つのやからが争う時代が来るのです。今日のこの時代は人間歴史の終末時代に該当するのです。一つに近づいてくる終末だというのです。(一六四―一六)

 共産主義ならば共産主義、民主主義ならば民主主義を中心としただけでは、一方通行することはできないでしょう。

 それゆえ、どれか一つを第一として、他を否定するのが、その目的に向かううえで、より次元の高い立場に立てるのです。すなわち、より高い次元をもって自分を否定しなくては、我々人間が願う真なる一つの目的の世界に到達できないのです。それゆえ、宗教ならば宗教にも、今まで生命を投入してきて、全生涯を捧げてきた信仰生活を否定して超越することのできる、一つの道が終末には現れなければなりません。

 国家ならば国家、民族ならば民族を否定し、超越できる、より次元の高い愛国心をもった人にならなければなりません。思想にしても共産主義以上、民主主義以上の何かが現れて、それを否定して現れることのできる運動が繰り広げられなければなりません。そうしなくては、人間が願う必然的な目的を追求することができないのであり、その場に到達することもできないのではないですか。これは間違いのない事実です。それゆえ、終末には、自分が一番よいという者が自分を救うことができないという結論が展開されるのです。このことを皆さんは知らなければなりません。(六一―二九一)

 民主世界がどうであり、共産世界がどうだということがすべて分かりました。何かの内容をもってどんなに共産党が宣伝したとしても、世界は共産党をすべて知り、民主世界がどんなに宣伝したとしても、すべて分かったというのです。

 それでは、今から知らない世界運動が始まるのです。色の違う世界運動が始まるのです。それが共産主義でもなく、民主主義でもなければ何でしょうか。ここにおいて神様の主義が介在しようものなら、人間が知らない主義となります。それゆえ、普通の人が知らない主義が宗教です。(六〇―六三)

 終末になれば、一つの新しい文化世界と新しい世界史的な運動が繰り広げられるのです。(六七―一八六)

 神様のみ旨は世界を救うことであって、一つの国を救うことではありません。一つの国を犠牲にし、一つの国民を犠牲にしたとしても、世界を救わなければならないのが神様のみ旨です。神様の行く善なる方向を中心として国民全体が一つになって、この世界のために全体を捧げてその国家の主権を越えることのできる一つのみ旨のための道が現れたなら、そこには一つの世界を模索できる方法があると思うのです。しかし、そのような主義と思想が今までありませんでした。それが現在の民主世界の方向を通して現れ得るのかといえば、既に、現れ得ないということをその実験結果は証しています。共産世界を中心としても現れ得ないということは、既に実験の終わった証拠です。

 では、このような運動がどこから現れるのでしょうか。これが神様を中心として新しい方向を模索する所に現れるということは、言うまでもないのです。(五三―二四四)

 人間世界でどんなに絶望が広がり、どんなに混乱が広がり、どんなに失望が広がったとしても、神様がいて、メシヤを送ってあげようという約束がある限り、人類は失望せずに希望をもたなければなりません。

 共産主義もだめです。民主主義もだめです。神様のそのような思想をもった人類の中心存在が現れて、神様と人類が一つにならざるを得ない、このような核心的な運動が地上で繰り広げられれば、すべての良心とすべての思想の混乱もここから是正されて、一つの理想世界が顕現するということを我々は理論的に知らなければなりません。(九一―一五〇)

4 今の時は収穫の季節

 全体の完成というものは、全体の蕩減を通して成されるのです。それゆえ、先生は怨讐を愛する立場から出発せざるを得なかったのです。

 天国はサタンの主管圏の中心点から出発しなければなりません。サタンが最も愛するものから反対される立場で殴られながらも、愛の心情をもって一番端からずっと自然に屈服させてこなければならないのです。過ちのないものを打つときには損害賠償をしなければなりません。それは宇宙の原則です。神様は賠償基盤を通して蕩減復帰していきます。サタンが打ったのとそっくりに打てば、賠償されるものがなくなってしまいます。殴られるときに素直に殴られ、殴られてから復帰しなければなりません。このようなことをしながらずっと復帰していけば、サタン内部の最も重要なものまで復帰します。

 そのようになれば、植えたものを刈り取るようになります。種を植えれば必ず同じ実を収穫するようになります。悪いものは悪い倉庫に、よいものはよい倉庫に分けて入れるのが主人の使命です。この地上には二つの種が植えられています。悪い種とよい種が植えられています。それゆえ、よい種は天の倉庫に入れ、悪い種は火の玉を入れて燃やしてしまわなければなりません。

 今の時は収穫の季節です。サタンが蒔いた種を見れば、すべてばらばらに散らばっています。限界に到達しています。ですから、すべて一つにしなければなりません。そのような運動をしているのが統一教会です。

 この世界は個人主義の世界です。家庭も父母も子女も兄弟も氏族も民族もすべてがばらばらに散らばっています。しかし、統一教会は国家を超越して、氏族を超越して、家庭を超越して、すべて一つの世界を主張しています。サタンと反対の働きをしているのです。

 結婚だけを見ても、昔は同じ民族の中でしてきました。しかし、我々は六大州から五色人種が集まってきました。日本人が夢にも考えなかった韓国人と結婚します。そして、黒人と白人が結婚します。夢にも考えなかったことを、神様の愛を中心として当たり前のこととしてするようになりました。そのようにしてすべて一つにさせるのです。サタン世界は分裂し、破壊されて、滅亡の世界に引っ張られていきますが、そのような渦中で統一運動を展開して、神様の世界へと引っ張り入れるのです。(一九八三・四・三)

 アダムとエバが涙で蒔いてしまったので、涙で刈り入れなければなりません。それゆえ、終末においての堕落人間は、心で神様を思慕しながら、「神様、私を救ってください」と言わなければならないのです。歴史の悲しみによって神様の悲しみを代身し、時代的な曲折を代身して、神様の曲折を解こうと思いながら、責任を負う立場で涙を流すことができなければなりません。この世の中の人たちは自分を中心として慟哭しますが、我々はこの世界を中心として涙を流さなければなりません。神様は個人の希望のために涙を流す者よりも、一つの公的なみ旨のために涙を流す者が現れることを待ちわびていらっしゃいます。

 アダムとエバが堕落してエデンの園から追い出されるとき、アダムとエバはもの悲しい涙を流しました。神様は哀れみの心を施されて、後孫である我々を堕落しなかった立場に復活させるための一日を待ちわびてこられました。しかし、追放された人間は、歴史的に誇ることのできない大悪党になりました。

 けれども、神様はこのような人間を復帰しなければならない心情的な因縁があるので、アダム、ノア、アブラハム、モーセ、イエス様を経て、今まで耐えながら救援摂理をしてこられました。このような恩賜を考えながら、我々は現在の心情の因縁ではない、歴史的な心情の因縁をもって神様の前に訴えなければなりません。(一六―二三五)




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第五節 人類が行くべき道

一.誰がこの世界に責任をもつのか

1 神様が探し求めていらっしゃる世界はどのような世界か

 今日のこの時代は終末です。何の終末でしょうか。個人完成を完結させるべき終末であり、家庭完成を完結させるべき終末であり、民族完成を完結させるべき終末であり、国家完成を完結させるべき終末であり、世界完成を完結させるべき終末であり、ひいては天宙完成を完結させるべき終末だというのです。ところが、今日の人類はこの事実を知らずにいます。このような大課業を率いてきた神様の心情を知らずにいるのです。

 神様が六千年間あえぎながら探し求めてきた歴史的な終末時代において、神様は理念圏内に人類を追い出しましたが、人類は神様が願われる方向へ進むことができなかったので、不幸になったのです。今日のこの世界は、世界的な型は備えましたが、実質的で内的な面においては神様が干渉できない立場にいます。

 では、これをどうするのでしょうか。私は世界に向かって叫びたいのです。神様が尋ね求めていた歴史的な人はどこにおり、エジプトで苦役を味わい、神様が抱いて愛したその民族はどこに行ったのでしょうか。王の中の王として、この地上に来られたイエス様の愛を受けようとしていたその民はどこに行ったのでしょうか。生前に手に手を取り、心と心を分かち合いながら、心情と心情でたたえることのできる、神様が探し求めていた一つの基準がなくなったので、これ以上恨めしいことがどこにあるでしょうか。

 神様は必ず取り戻されるはずです。真の神様であり、真の内容をもった神様だとするなら、その神様は何を取り戻すでしょうか。真の個人、真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界、そして真の主権を通して天上と地上に神様の心情が動くことのできるその世界を取り戻されるはずです。

 皆さんは、個人ならば個人として、また家庭ならば家庭として、民族ならば民族として、国家、世界全体が血統的因縁だとか、伝統的に伝わってきたすべての因縁をみな断ってしまい、清算しなければなりません。そのような心情の基準を探し立てなければなりません。

 神様が探し求めていらっしゃる世界はどのような世界でしたか。その世界は真の世界、真の父母がいる世界でした。しかし、人間が堕落することによって、堕落した血統の父母はもちましたが、神様が永遠に愛することのできる本然の真の父母は失ってしまいました。皆さんがどんなに優れていたとしても、大きなことを言うことはできないのです。どんなに大きなことを言っても、堕落した父母の氏族になることしかできないのです。誇るべき何ものもない存在です。

 神様が真なる父母だといって、手を取って祝福し、天地万象が永遠に歌うことのできる本然の父母はどこにいるでしょうか。消えてしまいました。消えたのも歴史過程で消えたのではなく、歴史の最初から消えてしまったのです。その恨を誰が解いてあげなければならないのでしょうか。そのことを知らなければなりません。

 そうであるなら、本然の父母はどのような父母ですか。永遠無窮にいらっしゃる神様を父として侍り、子女として生きることのできるお方が真の父母です。そのような真の父母がいなくなったのですから、人類はその父母を必ず探さなければならないのです。

 今日我々が生きているこの地上は、我々の地ではありません。我々がもつべき理念の地ではありません。我々と真の父母との因縁を連結させ得るものは何もありません。

 それゆえ、統一教会の教会員は、統一の心情を備えた人とならなければなりません。看板が問題ではなく、その内容が問題です。その事実が問題だというのです。真を探してさまよう良心の声が、自分の心に聞こえてこないというのなら、その真に訴える内容を標語としてつけておくことができなければなりません。このような観点で見るとき、真の父母、真の夫婦、真の子女、真の民、真の万物、真の主権、真の宇宙が、真の神様の心情を通して、動ずれば動じ、静ずれば静ずることのできる、その一時をいっぺんに合わせるその日が、人間世界においての終末となるのです。

 それでは、これらすべてが願っている再臨時代はどのような時代でしょうか。天変地異が起こって人の体が空中に、ぷかぷかと浮かんで上がっていく、そのような現象が繰り広げられる時代ではありません。そのような全くでたらめな妄想をしてはならないというのです。先生も過去にはそのように思ったこともありました。ゆえに、その内容を相手として闘ってきたのです。

 では、その時代はどのような時でしょうか。絡まった曲折の悲運の歴史を蕩減して、個人から家庭、社会、国家を経て世界に通じ得る時です。個人を立てて、縦的にまとめられた全体の型を横的に連結させて、歴史的な個体、歴史的な家庭、歴史的な社会、歴史的な国家、歴史的な世界を成し遂げる時です。そこで生きることのできる日、その日を取り戻すことが我々が善を願い、真を願う目的だというのです。(一九―二四一)

2 誰がこの世界に責任をもつのか

 世界に誰が責任をもつのでしょうか。大韓民国が問題ではありません。神様がいらっしゃるならば、「神様、この世界を誰に任せますか。この世界をどの国に任せますか?」と尋ねてみたくはないですか。今、皆さんも知っているとおり、脱イデオロギー時代を通り過ぎているのです。今現実的な生活の中で価値観の没落などさまざまな現象が繰り広げられています。

 今我々の行くべき道はどこでしょうか。これが大きな問題です。我々の行くべき所はどこですか。アメリカが行くべき所がどこですか。共産党が行く所がどこですか。実は共産党が問題なのです。四十億人類は今後どこに行くのでしょうか。魚の群れになっても、漁師がそれを全部捕って食べることもできないのです。この時ここに加担して、資源の欠乏問題とともに人口の膨張問題、公害問題、住居問題が深刻な競争時代において、これをどのようにしても、解決して平和のムードを造成する方法がないというのです。ですから、絶望にぶつかってあえぐ身の上になりました。

 では、誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。大韓民国もそうなのです。共産主義も自分の民族的な精神を、民主世界を指導するアメリカも、汎米国主義を越えられないのです。自分自体の守護のために世界を放棄しなければならないという民主主義になれば、世界をリードすることができないのです。自分自体を最後の犠牲物として数百回誓って押し通し、死んだとしても世界に行こうという思想をもって世界人類を抱き、より次元の高い理想の国へと前進できる、そのように思想的に団結した体制に属したある民族、ある宗教団体にならなければなりません。このような団体があるかといくら見ても今の既成教会ではありません。

 アメリカを見れば、真にかわいそうなのです。形なしに、すべて没落してしまいました。神様を語るのが恥ずかしい段階になったのです。牧師の威信はすべて地に落ちました。それを誰がつくったのでしょうか。人間がつくったのではなく、神様がつくったのです。そのような中に東洋人であるレバレンド・ムーンが来て、賢い青年たちを全部集めて、反撃戦をしました。それを神様がさせたのです。私がしているのではないのです。

 それでは統一教会の文先生はどのような人でしょうか。他でもありません。自分の民族よりも怨讐をもっと愛することができるというのです。簡単です。それが神様の思想なのです。神様は怨讐の子供、サタン悪魔の息子、娘であるこの人類を救うために、自分の息子を犠牲にしたではありませんか。自分の忠臣と自分の僕たちをすべて犠牲にして、悪党、怨讐の息子、娘を救ってあげるためのみ業をしたので、サタンも神様の前では頭を下げるのではないですか。サタンも「神様!」と言いながら、そこから屈服するのです。このような思想を、皆さん各自がもたなければなりません(八一―二二〇)

3 混乱した今日の世界を収拾していく主体は私

 神様の願いのみ旨に従って立ち上がり、イエス様を信じるキリスト教信者たちが行く道も、どのような国に行くにせよ、ぶつかるようになればすべて殉教を被り、迫害を受け、人の扱いを受けずにきたのです。このような群れを指導し、このような群れの側に立って彼らを擁護し、導かなければならない神様がどれくらい悲惨だったでしょうか。

 このように、キリスト教が二千年の歴史を経ながら今まで発展してきて、民主世界という巨大な体制をつくってきましたが、現代においてはこれが没落状態で、行き来することのできない現実にぶつかったのを見るとき、苦労した神様の願いをどこにとどまらせるのでしょうか。

 神様がこのような版図を広めておいたキリスト教、全世界に散らばったキリスト教が、今日、余地なく破綻していきつつあるというのです。教会自体が、またそのキリスト教の理念を中心とした国家自体が、方向を見つけられず、神様を否定し、イエス様を否定し、神様のみ旨を、摂理を否定して、神様がいないといい得る段階まで来るようになった事実を眺めるとき、あきれるではありませんか。

 では、このような神様が今まで耐えて、世界的な発展をするときまで投入した、その犠牲のすべての与件は誰のためのものなのかというのです。それはアメリカのためのものでもなく、キリスト教のためのものでもなく、結局は「私」一人を救うためのものです。送ったメシヤを十字架で逝かせたことも、結局はそのメシヤ自身のためのものではなく、国を救うためのものです。また再びこれを延長して、再臨という思想を中心として新しいキリスト教の体制を横的に拡大させ、世界的な範囲まで発展させて終末まで率いてこられた神様が、キリスト教を発展させた歴史も誰のためなのかといえば、「私」のためのものです。結論はすべて「私」に帰結するのです。

 では、今日の民主世界が没落状態に臨んでいますが、そのようになったのは誰の責任かといえば、人間です。人間が過ったからです。その人間の代表は誰ですか。「私が代表である!」このような結論が出ます。

 そのような代表的なある人が現れて、自ら神様の内情を知って、「この時代の責任を果たそう。人間が歴史時代に神様を通して負ったすべての負い目を清算し、堂々と神様の前に善なるものを、負い目をなくすことのできる余力を返してあげられる自分になろう」という自覚をしなくては、今日、このように混乱し、このように落ちた人間を下に落ちないようにせり上げる道がないではないかと見るのです。(七七―四六)

 皆さんは、自分の体を中心として、この民族とこの国のためにどれくらい祈祷してみましたか。三十億人類のために、皆さんの子供たちが死んでいくという、そのような深刻な心情で祈祷してみましたか。

 世の中に悲惨なことがあれば、その悲惨さを味わう当事者以上の悲惨な心情をもってみたのか、神様を代身して世界人類を考えるそのような生活をしてみたのか、信仰態度をもってみたのか、というのです。

 皆さんは、すべて漠然としていて、観念的です。漠然とした立場では絶対に蕩減復帰できません。前後関係を正しく立てなければならないのです。家庭を犠牲にして氏族を救わなければならず、氏族を犠牲にして民族を救わなければならず、民族を犠牲にして国を救わなければならず、国を犠牲にして世界を救わなければなりません。これが蕩減復帰の鉄則です。

 皆さんは皆さん個人を犠牲にして家庭を救い、氏族を救い、民族を救い、国家を救い、世界を救うためにどれくらい精誠を捧げましたか。

 この問題について見るとき、皆さんは自信がありません。それゆえ、皆さんにはそのような基準に立った代表者が必要なのです。そのような基準の代表者として、全人類の絶対的な基準として来られるお方が再臨主です。(一六―一一〇)




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二.人類が行くべき道

1 メシヤ思想はすなわち世界のための思想

 人間が堕落することによって神様は彼らを分散させ、特別な摂理のみ旨を広めて、精誠を込めて神様の前に忠誠を尽くす群れを集められたのです。そうして、新しい家庭、氏族、民族を編成なさったのですが、この数多くの民族の中で代表的な責任を担って立った民族がイスラエル民族でした。それでイスラエル民族が世界的な主流民族になったのです。

 それでは、その主流の歴史の骨髄を探していったならば、何がなければならないでしょうか。歴史は、人類の始祖であるアダムとエバの基準を中心として発展してこなければならなかったのですが、そのようにできなかったので、これが再現され得る基準、理念を中心としたある基準が立てられなければなりません。その基準は、キリスト教に願われる基準にならなければならないというのです。すなわち、それはメシヤの思想であり、信者たちの立場で見れば、新婦の思想だというのです。

 では、キリスト教の総結実は何でしょうか。キリスト教国家でもなく、キリスト教世界でもない、最高の信仰世界です。木は必ず幹がなければなりません。茎から広がっていきます。どんなに四方に広がった枝葉がたくさんあったとしても、どんなに枝葉が長かったとしても、茎の前に立つことはできないのです。これと同様に、人類全体を一つの木に比喩したならば、個々の民族は葉っぱであり、イスラエル民族は幹だと見ることができ、幹が完成すれば正常な木となることができるのです。それゆえ、神様はイスラエルを立てて民族を形成し、世界を形成させようとなさいました。すなわち、完全な茎の資格を備えて、悪なる世界を神様の愛に接ぎ木しようとなさったのです。

 一つの目的を中心として、神様は六千年間摂理してこられたのですが、その摂理の終盤が、今この時代です。真の父母の日がまさに六千年前に始まって、正常に民族を形成し、国家を形成し、世界を形成したなら、今日この地球星は神様の主管圏内に入っていたのです。ところが、そのようになれなかったことが問題です。多くの民族の中で、中心となる一つの民族が現れるには、その民族は他の数多くの民族とぶつかったとしても、そのような立場でも、神様の前に忠誠を尽くさなければならないのです。

 イスラエルの国のための思想も徹底しなければならないと同時に、世界のための思想も徹底しなければなりません。その思想を基盤として、どんなに難しい環境にぶつかったとしても、歴史的な怨讐の陣営の中に入っていったとしても、新しいイスラエルを慕う心は変わらずに残らなければなりません。このような極めて重い使命をもったにもかかわらず、イスラエル民族がそのような伝統を引き継いでくることができなかったので、イスラエルは流れていってしまい、第二イスラエルであるキリスト教がその使命を継承してきたのです。

 それでは、メシヤ思想とはどのような思想でしょうか。世界のための思想です。そして、世界を統一することができ、家庭を統一することのできる中心は真の父母です。

 では、キリスト教の実は何に現れるでしょうか。キリスト教は数多くの逆境の路程を経ながら、新郎新婦の基準に向かってきています。

 この世界は、燦然とした文化を築くことのできなかった暗黒の世界であり、混沌の世界であり、荒廃した世界だとしても、真の父母との因縁さえあったならば、この世界は平和の王国なのです。ですから有史以来、今まで数多くの民族はそのお方を標準にして思想的に、精神的に、生活的に集中してきました。神様は、外的には一つの世界に向かう立場で導いてこられ、内的には宗教を中心として一人の主人に連結する歴史を導いてこられました。

 それでは、その父母が来るときまでは、どのような逆境を経なければならないのでしょうか。そのお方が栄光の中で雲に乗ってこられて、号令し、天地を自分の思いどおりにすると考えたなら、それは誤った考えです。天地の原則を置いて見るとき、負った傷があるならば、それを癒さなければなりません。

 では、その傷を誰が癒してあげるのでしょうか。それは、人間を代表して真の父母として来られるお方が、癒してあげなければなりません。子女たちがふろしきをかぶった立場に立っているので、それを脱がし、癒せなくては、解放という名詞はあり得ないのです。(一七―七六)

 イエス様はイスラエル民族を失ってしまいましたが、神様が願う世界と神様が願う天国のために生きました。自分の命が尽きるときまで、そのように生きました。それゆえ、イスラエルは滅びましたが、孝の世界がそのお方を迎え、忠の世界がそのお方を迎えるので、終末にはそのお方の名によって世界が動いていくのです。皆さんは、心情をもって兄弟を愛し、万物を愛して、真の父母が願うみ意のとおりに動くことのできる自分とならなければなりません。では、その父母のみ意とは何でしょうか。韓国だけのために生きようというのではなく、世界だけのために生きようというのでもなく、天宙まで、「ため」に生きようというものです。すなわち、真の父母の因縁によって、男性、女性を代身し、高さ、低さを代身しなければなりません。そうして、それが個人、家庭、社会、国家、世界へと拡大していき、全体の前に共同の価値として現れる時に、初めて神様の息子、娘だということができるということを皆さんは知らなければなりません。(一七―八五)

2 イエス様の生涯と人類が行くべき道

 一つの目的を置いて、生命を捧げていく時であればあるほど、希望を抱いていかなければなりません。そして、必勝の信念をもって自分のすべての精誠を投入しなければならず、死ぬときは怨讐と共に死ぬのではなく、天と共に死ぬ人が知恵深い人です。

 イエス様はそのような生涯を生きました。自分のもてるすべての力を尽くして、イスラエルの将来に責任をもって駆り立てていくべく、行くまいとしても行かざるを得ない運命の道を行きました。弟子たちがイエス様を捨てて、自分自身の命をもちこたえるために散り散りになる時に、イエス様は一身のためにではなく、その時まで神様のために忠誠を尽くしてきたどのような人よりも、さらに限りない精誠と強い責任感と、はっきりとした目的観をもって、神様のみ旨のために十字架の道を行ったのです。神様と共にその道を行ったのです。

 このようなイエス様の最後の運命を通して、歴史を受け継いでいき得る新しい伝統が、死亡の世界、怨讐の世界に根を下ろせるようになったという事実を感じるようになります。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)という祈祷の中には、すべての内容が含まれています。イエス様は神様の前に行く際においても、卑屈になって行かれたのではなく、神様のみ旨とともに、神様が望み、神様が願った息子として行くという、その基準を残して逝かれました。今まで数多くの人類が現れて、そのような道を行くといいましたが、実際的に神様と共にそのような道を行った人はいませんでした。

 イエス様は荊棘の立場でも、堂々と、「彼らの罪を許し給え」と懇切に求められたのです。またイエス様は、「私は神様のところに帰るが、我々の時は必ず来るだろう。我々の勝利の時は、我々が世界を制覇する時である。その時には、怨讐を許すことができる世界を見るだろう」と、自分が死んでいく場でも、未来の勝利圏に自信をもちながら、未来に敗者の悲しみを受けるローマと、イエス様に反対する群れに祝福をしたのです。

 このような事実を振り返ってみるとき、イエス様は内外にすべてのものを占領できるお方だということを知ることができます。神様の前に立てた忠孝の基準を見ても、そのことによって樹立した歴史的な伝統を見ても、あるいは、怨讐を許してくださった事実を見ても、すべてが尊敬されて当然だというのです。イエス様は内外両面で見ても、引っ掛かるもののない生涯を生きて逝かれたお方です。

 イエス様の生涯は、彼が生きてきた一代の三十三年で終わったのではなく、歴史と共に連綿と残り、果たせなかった目的を歴史的に進行させてきました。歴史が進行した方向と目的は、イエス様が成就しようとした方向と目的に一致せざるを得なかったのです。ですからキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ませんでした。どんなに迫害の歴史を経たとしても滅びる運命に置かれたのではなく、栄える運命に置かれたのです。迫害と困難が近づけば近づくほど、それがむしろ大きな勝利の土台となり、伝統の内容となって、新しい土台を築いて、世界化させることができたのです。

 今日、統一教会が行く道も同じです。皆さんも、神様のために生き、世界を救うために生まれた、という心をもたなければなりません。世界の生死圏を解決するために生まれたという覚悟をもたなければなりません。(三五―二三)

 皆さんははっきりと知らなければなりません。今日の統一教会員の中で、自分を中心とした群れがいたならば、み旨の前に大きな怨讐です。個人を中心として集まって何かの祈祷をし、寄り集まって回り、不当な夢を見る人たちがいるのですが、どのようになるか見ていなさいというのです。それは時代的な運勢がすべて……。はっきりと知らなければなりません、はっきりと。信仰の本質が間違っているのです。自分を高めておいて、他人に対するのは天倫の法度ではありません。統一教会は命を懸けてこのようなものを排撃しなければなりません。そのような群れは、我々が闘って行くべき舞台で、勝敗を決定するのに至大な内面的な怨讐の手先なのです。

 彼らは、神様が願われるその国の前に、自分一人を主張してきています。本然の国の前に、自分一人を立てるために本然の国に向かっていく人たちを怨讐と感じる者がサタンです。皆さんはこのような問題を知らなければなりません。怨讐に報復しなさいというのではなく、そのような人には初めから接触するなというのです。皆さん各自の行くべき道がもっと忙しいのです。

 朝教会を出るとき、民族を眺めて心配し、民族の問題を越えて世界の問題を眺めて心配し、神様のみ旨を心配しながら行かなければならないのが、復帰の道です。我々がどのようにすれば、早く最後の一日を迎えられるかを心配しながら行かなければなりません。そうして初めて、統一の世界となるのです。(一七―一〇一)

3 今後宗教人の時代が来る

 今日の先進国家であるアメリカが、今後世界を支配できなくなるということを知らなければなりません。時が変われば、高かった人たちが低くなります。共産党の理論を見れば、労働者、農民が出世する時が来るといいます。昔は知識層の人たち、すなわち、頭のよい人たちが権勢を握り、出世しました。それから肩が大きく、力の強い人たちが出世する時が来ました。そうですね? 軍閥時代です。力がなければなりません。その時は力の前には誰でも屈服するのです。しかし、力で屈服させれば、それで終わると思っていますが、そうではありません。

 それから何かと言えば、手と足です。まさに労働者、農民が支配する時代が来るのです。世の中がそのようになるのです。初めは頭がよい人たちが支配しました。その次には力、すなわち、こぶしを使う人たちが支配しました。その次には、手足が支配する時が来るというのです。今は労働者、農民たちが出世しようと大騒ぎです。

 頭のよい人たちが世界を一度支配し、次には力のある人たちが世界を支配しており、今は労働者、農民たちが世界を支配しようとしていますが、何も主張するもののない、はなはだ劣った人たちがまさに宗教人たちです。

 宗教を信じる人たちは、出世して世界を支配した時がありませんでした。けれども、無視してはならないというのです。人間世界の落伍者として廃物のように冷遇されましたが、彼らは誰の道具になりやすいでしょうか。神様です。神様がブレーキを掛けることができ、希望をかけることができる人たちなのです。今から彼らが場所を取り、肩を広げて息を大きくしながら世界に向かって号令しようものなら、頭のよい人たちも、力の強い人たちも、労働者、農民も動員して、世界を支配しようとした共産主義もすべて滅びるのです。

 それでは、誰が出世するでしょうか。神様が出世します。誰と共にですか。人間の中で最も落伍者のような立場にいる宗教人たちと共にです。分かりましたか。やがて世の中がそのようになるのです。では、最後の出世圏は誰のところに残るでしょうか。労働者、農民の時代も過ぎました。今はソ連と中共がお互いに闘うようになっています。宗教もお互いに闘うようになっています。このような時が来るので、統一教会は、「世界のすべての宗教は一つになるであろう」という旗を掲げてきたのです。

 それはよくやったのです。統一教会がすぐには宗教を統一できないかもしれませんが、宗教を統一しようという主張をして旗を差し出したということだけでも、韓国が誇ることのできることです。韓国が誇れることはこれしかありません。この旗を統一教会の文先生が掲げたので、仕方なく統一教会の文先生をたたえなければならないのです。(四二―二五)

4 すべての人類は父母の門を通らなければならない

 過去には、韓国で成されたことが世界に知られるのに数年がかかりました。しかし今は、韓国で成されたことを世界的なこととし、世界で成されることを我々のこととして感じています。広いこの世界が、我々の生活感情と事情を通して連結されていくのです。ある事情が世界性を帯びて、一つの理念的な心情と通じることのできる世界へと動いていくのは、全世界人類が同じ事情で生きなければならないからです。

 そのようにして、最後には何と一致点をもたなければならないのでしょうか。神様の心情との一致点をもたなければなりません。そうするためには必ず真の父母の因縁を経験しなければならないのです。

 この世界は、希望の時を迎え得る道に通じており、事情に通じ得る時に通じていても、それを終結させるのは心情です。この心情と結びつけるためには、どのような道を経ていかなければならないのでしょうか。何かの事情だけでも通じません。何かの信念や希望だけでも通じません。これに通じるためには、必ず父母という門を通さなければなりません。父母というこの基準を通さなければならないのです。

 神様が終末に約束された一日は父母の日です。真の父母をお迎えできる日です。いわば、堕落によって父母を失ってしまったこの地上の数多くの人類が、神様の祝福を成し遂げることのできる本然の父母を再び迎えられる日です。

 人類が、ある復帰の一つの目標を定めて神様に向かって進む際に、必然的な条件は何かといえば、父母の門を通ることです。父母の門を通らなければ心情を連結することはできません。

 一つになる際には、必ず意志が同じでなければならず、事情が同じでなければならず、心情が同じでなければなりません。神様が今日、全世界人類を一つにするために役事してこられたのならば、この人類を一つに一致する世界へと率いていかなければなりません。(一一―五九)

 世界を一つにしようとすれば、人類の真の父母を迎えなければなりません。一つの世界をつくる仕事はただ真の父母だけがおできになることです。それゆえ、真の父母は人類歴史の希望の結実体であり、すべてのものを蕩減した勝利の結実体です。それゆえ、真の父母の価値は世界の何ものとも換えられない至高至大なものだといえます。(五五―一五五)




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三.神様を中心とした一つの世界主義

1 神様を中心とした一つの世界主義

 全世界の人たちが好み、霊界と万物を創造した神様がそれこそ自分の時だということのできる時期は、キリスト教文明時代でもなく、共産圏文明時代でもありません。それらは国家基準を越えられませんでした。共産主義はスラブ民族を中心として世界を制覇しようとし、キリスト教も自分の宗教を中心として世界を制覇しようとしました。ユダヤ教も同じでした。ですから、世界主義を中心として成長していくことのできる超民族的な運動が必要です。そのような気運が、世界のどこかで芽を出さなければなりません。

 その運動は人種を超越しなければなりません。黒人、白人、黄色人種が、お互いに差別してはなりません。我々は世界を一つにしなければならず、天地を一つにしなければなりません。このように見るとき、我々が主張するものほど偉大で驚くべき主義はありません。

 共産主義は物質世界に根幹を置いています。また、数多くの宗教は自分たちの霊的な、あるいは、現実的な問題解決にだけきゅうきゅうとしています。すべてのものはなくなるのです。

 我々の現実的な課題は天国を実現するところにあります。その後に神様から福を受けようというのが我々の考えです。しかし、まず我々は神様を助けてあげ、神様を解放しようというのです。神様に福を与えようというのです。このような教理は今までありませんでした。このように見るとき、本当に見事で、言い表せないくらい素晴らしい内容です。

 統一教会の主流思想は、「どこにでも行こう」というものです。共産圏にも行き、霊界にも行き、地獄にまで行こうというものです。神様のところにまで行こうというものです。

 このように見るとき、この主義は間違いなく神様まで喜ぶものです。人も喜び、万物も喜ぶことのできる主義です。形容できないくらい、最高に見事なものです。(八六―三二四)

 今日、統一教会は合同結婚式をします。民族を超越して異民族同士、あるいは、皮膚の色の違う人種同士が結婚します。人種の差別が最もひどいアメリカでも、白人が黒人と結婚しようと先を争ってきます。

 このような現象は、民族と国家を超越した一つの世界主義、お一人の神様の神主義でのみ可能です。

 私は以前アメリカで語ったことがありますが、我々統一教会の教会員が何の一族、何のやからなのかといえば、愛の一族です。ラブ・レース(love race)です。何の愛の一族でしょうか。神様の愛によって結束し一致した一族です。その一族が大きくなれば、何になるでしょうか。愛の民族となります。

 今、大韓民国の人口が四千万くらいになります。統一教会の教会員が四千万を超えるようになれば、大韓民国を凌駕し得る力を集めることができます。なぜなら、彼らにとって統一教会は彼らが属した家庭や社会、そして、民族や国家以上に真なる信仰の祖国であり、精神的な母国だからです。いいえ、彼らは自分の生命よりももっと愛する神様お一人を中心として、金城鉄壁のごとく結束した一つの愛の一族であり、民族だからです。ここでは、父母であられるお一人の神様を中心とした神主義しかありません。神様を中心とした一つの世界主義、兄弟主義しかありません。

 普通、世界主義といえば、民族と国家を無視し、全世界を一つの国家、全人類を同胞として見るという意味にとどまりますが、統一教会でいう世界主義は、家庭からその壁を超越します。父母であられるお一人の神様と、血のつながった本当の兄弟と変わらない兄弟として、全人類が一つの世界を成し遂げるという世界主義です。これがどれほど素晴らしい世界主義ですか。

 このような思想をもった統一教会なので、統一教会の運動がついに世界的な運動として広がっていっているのです。(一九八一・四・二五)

2 神様を解放し世界を解放すべき我々

 我々は、人格的な神様を信じるだけでなく、心情的な神様を論議していっています。それは今までの宗教では発見できなかったのです。我々は、神様が悲しみの中にらっしゃる、ということを知りました。神様が拘束されていらっしゃるということを知りました。

 その神様を世界的に解放してさしあげて初めて、幸福の道が生まれるのです。神様が解放されて初めて、我々の幸福なる人生が出発します。これが統一史観です。今までの宗教は、神様によって自分が解放され、自分の家庭が解放されるだろうと信じてきました。そのような宗教を信奉してきた国が解放されましたか。そうではありません。神様によって解放されることを願う宗教は、その根本から誤っているのです。我々は正しい道を発見したのです。それゆえ、世の中がどのように反対しても、堂々と主張し、堂々と行進していかなければなりません。

 我々は自分の体を捧げて世界を救い、神様まで解放してさしあげなければならないという決意を誓わなければなりません。そのような信念をもち、四方八方に命を懸けて前進していくならば、神様は常に我々と共にいらっしゃるでしょう。

 神様は、ご自身の解放のために努力する我々を助けざるを得ません。統一教会の信仰目標は何ですか。我々は、我々自身が救われるために信仰していますか。違います。自分よりも国、国よりは世界を救うために信仰しています。世界の救いが成されれば、自分の国は自然に救われるのです。

 キリスト教がこのような思想をもっていたなら、数百の宗派に分裂することはあり得ませんでした。先生は、神様の解放という一つの目標に向かって、生涯を捧げて働いてきました。今までの人間は民主主義を中心として、「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。これに比べて、我々は「神様の自由、神様の解放」を主張します。天宙を主管できる神様として復帰してさしあげよう、と主張しています。

 この問題を解決したなら、人間の解放はもちろん、人間の自由の回復はおのずとなされるようになります。それゆえ、皆さんは各自、自分は神様を解放し、世界を解放するために生まれたという自覚をもたなければなりません。(一九七五・七・一三)

 神様を崇拝する者は誰ですか。今日、終末に置かれている聖徒たちです。また、神様を安息させてさしあげる者は誰ですか。取るに足らない我々です。このように神様の解怨は、我々の双肩に、心と体にかかっているということを我々は知らなければなりません。人類歴史の中枢的な条件を前にしており、我々は驚くべき天地間の使命を任されているのです。皆さんは身を置くにも置くところがないのにもかかわらず、地上の問題にあえぐ立場にいてはならないのです。いまだに自分のための安逸な生活理念を立てられない過程にいるというのです。

 我々は、地上に天の法度を提示して勝利した後から、安息できるようになるのです。今日、皆さんはこのような過程に置かれているというのです。このようなことがどこで繰り広げられるのでしょうか。今日、民族的な優越性を表す先進国家がありますが、彼らが誇るものよりももっと誇らしいことは、どの民族が神様に近いのかということです。

 今日我々が知らなければならないのは、「私は神様の民族である」「私は天の民である」「私は天の子女だ」ということです。この自覚をもって生きるようになれば、必ず闘いの路程を経なければならないということです。この世の中は悪なる世の中であり、悪の歴史をもった社会であるので、このような人たちをそっくりそのまま歓迎しないというのです。(三―四一)

3 神様の解放のために不屈の精神で前進しよう

 統一教会が行く所には妨害物がたくさんあります。だからといって、後退することはできません。すべてのものを克服しながら前進しなければなりません。

 神様のみ旨を中心として、アメリカが解放されて初めて、世界が解放されます。アメリカはさまざまな面で、神様の祝福によって準備された国です。神様はこのアメリカが汚されることを願われません。皆さんは倫理的脱線、共産主義の浸透、人種問題などによって内的に大きく腐敗しているアメリカを、誰が救ってくれると思いますか。アメリカ人自身ではできません。自ら自分の国を見て、落胆せざるを得ない今日のアメリカが、神様を解放してさしあげることができるでしょうか。

 斜陽の道にさしかかったアメリカの教会が、神様を解放することができるでしょうか。それゆえ、神様はアメリカに対して期待することができません。

 神様は、アメリカを通して成し遂げようとされたその理想を、新しく発展させていける群れが出現することを待ちわびてこられました。その希望の実体がまさに我々なのです。アメリカのCIAが、調査しながら中傷しているレバレンド・ムーンです。アメリカが無視しているレバレンド・ムーンです。

 先生は、そのアメリカを滅ぼしにきた人ではありません。それを誰よりも皆さんがよく証明しています。皆さんは、先生以上にアメリカを愛さなければなりません。そして、いつも「私自身は神様を保護し、神様を守ってさしあげるべき正しい人間として、アメリカと世界のための大事を行っている」という自己の確信をもたなければなりません。

 皆さんは戦場に向かうとき、激戦場に行くことを願いますか、それとも、楽な戦場、後方に行くことを願いますか。どちらを選択しますか。ベトナムやカンボジアなどから生きて帰るアメリカの兵士たちを見て、我々は興奮を隠すことができません。アメリカに神様の祝福を残すために、皆さんはどのような激戦場であっても勇敢に飛び込んで、堂々と征伐してしまおうという堅固な決意を誓わなければなりません。悪辣な国際共産主義者たちが牛耳る戦場にも、統一思想という新しい武器をもって飛び込まなければなりません。

 皆さんにそのような自信がありますか。統一教会に入ってきた所感はどうですか。ただ、いいものばかりですか。恐ろしいですか。ものすごく素晴らしい所だと思いますか。統一教会は、サタン世界から見れば、とても恐ろしい所です。しかし、神側から見れば、とても素晴らしい所です。

 先生は、どんなに激しい反対にぶつかっても、不屈の精神でそれを受け入れて消化してしまいます。皆さんも、最後の戦場に立ったという自覚のもと、先生のような不屈の精神で、神様の解放、神様の自由のために前進してくださることを願います。苦難の道と、どのような戦場でもためらうことなく先頭に立っていこう、という精神で最善を尽くしたならば、巨大なアメリカも遠からず神様の前に帰ってくるだろうと確信します。

 我々がアメリカで勝利すれば、その勝利的影響は世界各国に及ぶようになります。しかし、これは楽なことではありません。

 皆さんは、先生と共に勝利の旗を掲げるべき運命を天が賦与したということを忘れてはなりません。それを信じますか。そのことを知っていますか。自分に賦与された使命を果たすことができると考えますか。皆さんはこの地球上で誰よりも正しい道を発見した人たちです。皆さんはそのような立場で自分自身と神様に宣誓して、神様を代身して闘おうという覚悟ができていますか。

 我々はこの強大なアメリカに向かって、世界的な使命を抱いて四方八方で急いで活動しなければなりません。我々は、どれくらい切迫した時点に立っているのかをはっきりと知りました。各自自分に与えられた使命を自覚した皆さんには、落胆というものはあり得ません。躊躇もあり得ません。敗北することもあり得ません。ただ前進、さらに前進があるのみです。

 我々は勝利を勝ち取って、神様に栄光をお返ししなければなりません。我々は、自分がそのような尊貴な隊列に立った存在だということに対して、いつも自負心と矜持をもち、この巨大な目的達成のために総邁進しなければなりません。

 そのようになれば、皆さんは最高の勝利者として神様から祝福を受けるのです。永遠であられる神様の愛を、たっぷりと受けるようになるのです。皆さんは十分に、神様の素晴らしい息子、娘となり得る資格を備えた人たちです。(一九七五・七・一三)




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第二章 摂理から見た韓国と韓国人の民族性

第一節 人類文明の循環と韓国

一.文明圏の循環と人類の当面の課題

 人類の文化史を振り返ってみれば、古代の文明は熱帯圏文明として始まったということを知るようになります。すなわち古代文明の発祥地は熱帯圏であったということです。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、メソポタミア文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地はみな亜熱帯圏ないしは熱帯圏でした。そしてこの文明圏が移動していくのですが、どこへ移動していくのかといえば、涼帯文明圏に移動していきます。今二十世紀の文明はまさにこの涼帯文明に属します。

 それではどうして文明が熱帯圏から始まって涼帯圏に移動していくのでしょうか。自然の摂理を調べてみれば、春―夏―秋―冬の順に循環し、一日をとって調べてみても、朝―昼―夕―夜の順になっています。それならば人類文明の始まりも、朝文明(春文明)から始まり、真昼文明(夏文明)を経て、夕文明(秋文明)を経て、夜文明(冬文明)へと行かなければならないはずが、なぜ夏の季節、真昼の熱帯圏文明から始まって秋の季節の涼帯文明へと移っていくのかということなのです。

 それは、ほかでもない人間始祖の堕落のためでした。人間始祖の堕落によって、口では言えない曲折を経るようになったのです。そのため人間が野蛮人に成り下がりつつ原始人とならざるを得なかったのであり、それによって人間の先祖たちは熱帯地方において原始的な生活をせざるを得なかったのです。

 したがって、人間は最初に春の季節の温帯文明から始めなければならなかったはずですが、熱帯文明から始めて、その次には秋の季節の涼帯文明圏に属するようになったのです。

 秋の季節の涼帯文明(西洋文明)が終われば、次にはどのような文明が来るのかといえば、冬の季節の寒帯文明が来ます。それで二十世紀の涼帯文明圏に既にシベリアの北風雪寒の寒帯文明圏、すなわち共産主義の息遣いが激しくせきたててきて、涼帯文明が落ち葉のようにはらはらと落ちています。

 したがって、今この涼帯文明圏から一つの理想的な本体の実が結ばれ、人類の文化を新しく創造し出し、新歴史の出発において一つの契機となることができれば幸いなのですが、不幸にも実がなく、文化圏としての終局を迎える時が来たということなのです。もし、この二十世紀涼帯文明の中から一つの実が結ばれていたならば、それが一つの新しい生命の種として残され、どんなに寒い冬の中でもむしろより一層強靭な生命力と力を養われ、冬が過ぎた後、新しい春には一つの生命の芽として吹き出して、温帯文明圏の花を咲かせることができるはずですが、今日自由世界の涼帯文明圏はそのような実一つを結ぶことのできる内容もなく、むしろ北風雪寒の暴風である共産主義の息吹とむちの下で精根も尽き果て、今や最後の終末を予告しなければならない時が来たのです。したがって、今日二十世紀の全人類の前に最優先的な当面の課題として残っているものが何であるかと言えば、まさに共産主義の克服です。

 それならば、今涼帯文明圏の危機を前にして、古代より人類が追究してきた真正なる春の文明、すなわち温帯文明圏はどこに見いださなければならないのでしょうか。本来人類が望んできた理想的本体の種から始まる春の文明、すなわち神様の理想とされた自然の園の中で蘇生的な春の新芽期を経て、夏の季節の繁茂する成熟期を通過して、自ら花を咲かせ実を結ぶ秋の季節の完熟期において、人類と神様が本来より追究し望んできた理想的な春の文明を、我々は果たしてどこに見いだすことができるのでしょうか。これは今日の我々において最も重要な問題であらざるを得ません。(一九八〇・一一・二)




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二.春をお迎えになれなかった神様

 今我々は春節気を迎えようとしています。春が好きなものは何かといえば、まず草木を挙げることができます。その次に昆虫たちが春が好きであり、その次に鳥や動物たちが好きです。

 動物の中で最高だと言えるのが人間です。人間も春が好きであり、ほかの動物よりも早く春を迎えるようになります。早春の日の朝に鳥たちがさえずるのを見れば、彼らも春が来ることを敏感に感じているのを知ることができます。

 もしも神様がいらっしゃるのなら、いつ春を迎えられるのでしょうか。神様が春節気に現れるすべての万物を造ったのなら、それらが春を迎えるのを見るようになるとき、神様はそこにおいて春を迎え始められると見ることができます。もし草木が一番初めに春を迎えるとすれば、神様はそこで最初の段階の春を迎えることになるのです。その次に昆虫や鳥のような動物たちが春を迎えるようになる度ごとに、神様におかれても春を迎えられるようになります。そのようなすべての過程を経ながら、最後の願いとなっている第一の迎春はどのような位置かということなのです。

 皆さんは春にどのような現象が起こるのかということを知る必要があります。春になれば植物は新しい芽を出すことから出発しますが、動物たちはまず雛を繁殖させるということです。鳥たちはさえずる声を通して対を探します。愛をささやくための出発をしているということが分かります。春の日に鳥たちがさえずるのは、結局新しい出発、新しい繁殖をしようとしているのです。

 それでは神様が一番楽しまれる時がいつかということを考えてみる必要があります。間違いなく神様も好きな対象と共に交わり歌う位置を願われたことでしょう。昆虫も歌い、草木も歌い、人間も春の歌を歌います。それなら神様ご自身も春の歌を歌いたいのは事実ですが、春の歌を歌われる神様になったのかというとき、深刻な問題とならざるを得ません。神様は本来ご自身が願われていた正常な春を迎えることができませんでした。人間の堕落によって神様は春を迎えることができなかったのです。過去の歴史を取り上げてみても、春が来て夏が来ましたが、みな悲しい時期でした。それで再び春を迎えなければならないというのです。我々人類の歴史を見てみれば、歴史の出発から悲しい春を迎えました。歌によって始まったのではなくて、涙から始まりました。それは人類の祖先アダム・エバが堕落によってエデンの園から追放されたことを意味します。(八六―三一六)




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三.新しい春を迎えるための新しい文明の種

1 現代文明圏が荒らされていった後に残ることができるもの

 古代文明圏は春の喜びに始まりましたが、人間たちは場所を定めることができずに移動しました。その次に位置を定めたところが熱帯文明圏でした。これらが農耕時代を迎えて、エジプト文明圏を成しました。ユーフラテス川のほとりにおいて古代文明は発源しました。

 そのような熱帯文明圏が滅びると涼帯文明圏へと再び移動しました。今日の英国やドイツ、米国はこの涼帯文明圏に該当します。すべて赤道を中心として二三度圏外に連結されています。これは秋節気文明圏にさしかかったことを意味します。そのためにこの時にすべてのものを結実させなければなりません。芸術、文化、文学など、すべての面が結実を見せなければなりません。哲学も結実しなければならない時です。民主世界はもちろんすべてのものが終末を迎えるようになりました。

 今、涼帯文明圏時代が過ぎて寒帯文明圏が世界を動かす一時が来るであろうと見るのです。ソ連を中心とする世界共産主義が民主世界を脅かす時代となって、すべてのものが落ちて捨てられるようになるでしょう。また、生命力を失った枯れ木はみな折れ、生きている木だけが自分をもちこたえるでしょう。

 そのためこの堕落した人類世界において、寒帯文明圏が荒らしていった後、二種類だけが残るようになるでしょう。一つは生命をもっているものが残るでしょうし、もう一つは生命の種をもったものだけが残るでしょう。

 それでは人間の生命力とは何でしょうか。人間の生命の根は神様です。その次に幹を成し、枝を成します。このように根をもった木のように、神様に属する生命をもった人だけが残ることでしょう。そのような人はどんなに風が吹いても倒れることなく、結局は冬に勝ち抜くことができます。冬に勝つことのできる生命力をもったもののみが残るということは間違いありません。地に落ちた種が固い種ならば、むしろ冬になれば凍って裂けるようになり、そうなることによって春に新芽がその裂け目から出てくることができるのです。そのような生命力をもった種は再び春を迎えることのできる資格があります。結局、生きている木の枝になるか、生きている木から落ちた生きている種になれば、新しい春を迎えることができます。種は根をもち、幹と枝と葉ももっています。種は全体を縮小させて、全体の生命を集約させたものと見ることができます。

 今までの人類文明の歴史を見るとき、間違いなく寒帯文明が涼帯圏を荒らす時が来たというのです。ヨーロッパはもちろんアフリカにまで共産圏が拡大しています。アメリカも脅威を受けています。このまま全部が脅威を受けることによって終わるようになれば大変ですが、しかし必ず新しい春は訪ねてくるでしょう。そして神様はこのようなことを知っているので、新しい春を迎えるために主を送るのです。神様は理想的時代が来ることを知っているために、その時代を迎えるための準備をすることのできる中心存在を送るであろうということは、当然の結論です。(八六―三一八)

2 キリスト教が新しい春を迎えられるのか

 皆さんが生きている木の枝になるか種になるかということは、現実的な当面の問題です。そのような使命をユダヤ教が果たしてきましたが、二千年前にイエス様を十字架にかけることによってその使命を果たすことができず、再びキリスト教を通してこの使命を果たすことを願いましたが、今日のキリスト教がどのような立場に立っているかというのです。これが問題です。痩せさらばえた枝があったなら、その枝が生きているか、さもなくばまた死んでいるのか、それが問題です。キリスト教が生きていると思いますか。数多くの宗教が生きているのかということなのです。

 木はその根元がどんなに大きいといっても、根が死んでいればその木は生命力がありません。一つの木に根元は二つあることはできません。本当に生きている根元にならなければなりません。どんなに冬の脅威が来たとしても、それをすべて退けて堂々と生きていなければなりません。そのようなキリスト教があるかというのです。根元が死んでいるとき、その木は切られてしまうように、キリスト教が使命を果たせないときには問題になるというのです。

 キリスト教は民主世界の精神的な根でした。ソ連はギリシャ正教圏内にあります。カトリックを中心とするヨーロッパが今常緑樹のようになっていますか。アメリカが今日常緑樹のようになっていますか。風を受けて枝が折れるだけでなく、木全体が死に倒れています。ですから根に栄養素を与えてやって、根が死なずに芽が出るようにしなければなりません。

 共産圏の脅威にもかかわらず、一つの根に連結された新しい芽一つが出なければ希望がありません。絶望ということです。その芽が絶対に成長しなければ、根まで死んでしまいます。

 それではこの寒帯文明圏が襲う絶望の時期に新しい春を迎えることのできる内容とは何なのでしょうか。新しい春を吹き出すことができなければなりません。冬にも育ち、新しい春を迎えることができなければなりません。常緑樹にならなければなりません。共産主義の脅威にも勝ち抜くことのできるその何かが必要なのです。(八六―三二〇)

3 人類文明の循環と新しい文明の種

 人類の文化は回転しています。古代文化は熱帯文化です。インド文明もエジプト文明もギリシャ文明もみな、熱帯または亜熱帯地域に属しているのです。現代文明は涼帯文明圏にあります。例を挙げればアメリカ、西ドイツ、日本、英国などの国はみな涼帯地域の中にあり、世界的に大きな勢力となっているのです。そして歴史は必然的に寒帯地域に向かうようになるのです。それが共産主義のソ連です。そのため今日この寒帯文明は全世界に吹きまくり、暴風雪をもたらしているのです。

 しかし、聖書に出てくる歴史を見れば、元来人類の文明は春節気のようなエデンの温帯文明から始まり、夏節気のような熱帯文明へと続きました。根源のエデンの園は熱帯地域にありました。これが秋の季節に該当する涼帯文明へと移行し、さらに現存の共産帝国が存在する冬節気の文明である寒帯文明へと移っていったのです。我々が生きているところは、涼しい秋の季節です。共産主義がこの秋の文明圏へと吹き寄せてきて、冬の訪れを知らせています。

 すべての葉が色づいて落ちていきます。それと同時に、秋は収穫の季節です。収穫というのは新しい世代を約束する種があるということを意味します。葉が落ち実が落ちて木は痩せさらばえますが、その実の中に種が生命をもって存在します。冬が過ぎれば、間もなく春に該当する新しい文明がこの種として蒔かれ、誕生するのです。それでは誰がこの新しい人類の種になるのでしょうか。

 私は皆さんに、人類文明の流れが正確に復帰の路程にぴったりと当てはまっていることを知らせてあげようと思います。復帰にはある基本的な骨格、筋道があるのです。中心点があるのです。それがすなわち種なのです。種は外皮の中に隠された要素ですが、いかなる気候にも腐らない、いかなる物よりももっと堅いものなのです。新しい日が来るまで黙って耐えて、自分を守っているのです。種はいかなる意味においても小さくてつまらない存在ですが、内部には強力な生命力をもっています。どんなに寒い冬が襲ってきたとしても、種だけは春を迎えるのです。そしてその厳しい冬が種を鍛錬する唯一の助けとなるのです。

 これは歴史的な原則であり、私が作り出した特別な理論ではありません。それではどこでこの真実を発見することができるのでしょうか。この新しい生命の道、信仰の道は共産主義によって侵犯されるほど弱いものではありません。共産主義も西洋文化も、その他のいかなる思想、宗教、イデオロギーも、この生の方法に対して何の力ももてなくなることでしょう。種は四季のいかなる温度によっても影響を受けず、何十年、何百年も生命を継続し保存するのです。その種がまさに統一教会なのです。

 皆さんは自分たちがいかなる極寒の中でも生き残り、春を迎えることのできる種になっていると実感していますか。このような概念をいま初めて悟って意識するようになったことでしょう。そして皆さんが知恵のある者であれば、生命の偉大さと摂理を悟って、自身のものにするであろうと信じます。ここで皆さんが間違いなく種になることができるという絶対的な確信をもったとすれば、これは歴史的な事件です。よい意味で重大な問題であり、皆さんにとっては巨大な力の源泉となるのです。(九五―三三)

4 冬節気を誰が溶かすのか

 神様が春をつくられました。しかし春を迎えて愛をしてみられるのかと聞いてみると、神様はそれは私は知らないと言われることでしょう。春をつくられましたが、愛を中心とする春は知ることができないのです。そのような面で、神様は不幸な方です。それを実現する道を知っている人がいたならば、一緒に働くことを望まれるでしょう。

 誰かが神様に「一緒に春の遊びに行きましょう」と言うとき、神様は行くことができないと言われることでしょう。行くことができない神様なのです。行くことのできない内容があるのです。この内容を解決してしまうまでは、行くことができないのです。

 もし人間が堕落しなければ、神様は春の日を迎えられたことでしょう。人間が堕落することにより、神様は冬の日を迎えられました。凍ってしまった神様の心を何をもって溶かしてさしあげるのか、またその冬を何をもって溶かすのかが問題です。

 凍ったものを溶かすためには、熱い何かがなければなりません。凍りつく前よりももっと熱いものがなければなりません。神様の中に凍りついているその冬を誰が溶かしてさしあげるのでしょうか。

 人類はもちろん、神様から因縁をもって生まれたすべての被造物は、神様の冬節気が終わって、神様の春節気が始まるのを望んでいます。ところがその冬節気を誰が溶かすのかということが問題です。神様も望み、人類もそれを望むのですが、何をもってその冬節気を溶かすのかというのです。科学と知恵、そして知識、力、能力、権力をもって溶かすことができるでしょうか。何をもって溶かしましょうか。絶対的愛、変わらない愛だけが可能なのです。唯一なる愛だけが可能なのです。

 その次には誰が溶かしてさしあげるかが問題です。神様ご自身が溶かすことができるでしょうか。自動的に神様がそのようになられるのではありません。人類が堕落したために受動的にそのようになられました。ですから人類の中からそのような神様を動かして、神様に影響を及ぼすことのできる運動を起こす人が現れなければならないというのです。

 そのような運動を提示することは変わらない、直行的な愛の道理を探し求めていこうとすることです。宗教がそのような分野の一端を担って出てきています。愛を中心としては闘ってはならないということなので、宗教間、教派間で争うのはみな間違っているのです。そのようにしては、神様の中で凍りついたその冬節気の心を溶かしてさしあげる道理がありません。

 それでは神様の胸の中に凍りついたそのすべての氷塊を溶かそうとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。東西南北だけでなく三六〇度全体から一斉に溶かそうとしなければなりません。アメリカ人たちだけが神様を愛すると言っても溶かすことはできません。五色人種がみな来なければなりません。過去、現在を超越して霊界に行った人まで神様の心情を歌わなければならず、これから来る人まで神様の愛を歌って、すべての焦点が神様の胸の中に結ばれなければなりません。

 そのような運動をなすことのできる宗教でなければ、神様がその凍りついた胸を溶かすことは可能ではありません。すべての宗教団体が一つとなって、神様を愛するようになれば、凍った神様の胸が溶けることでしょう。そうすることさえできれば、言葉だけを聞いてもご飯を食べなくてもよいというのです。悪口を言われてもよく、苦労をしてもよいというのです。どんなに愛する者同士が生死を共にすると言った間柄であっても、神様の愛を探しに行けというときには、すべてのものをそのまま置いて神様の前に行くのです。神様の愛のために、この世的な愛の関係をすべて清算していくのです。皆さんはこのように生きています。(一九七八・四・一六)




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四.韓国は新しい春の文明の誕生地

 世界史を通して見るとき、古代ヨーロッパで最大の帝国として燦爛たる文化の花を咲かせながら、ヨーロッパの大半とアフリカ北部およびアジアの一部まで支配した国が古代ローマでした。

 古代ローマの文化は西欧文化の根幹となったばかりでなく、今日までも世界に影響力を及ぼしています。その理由はどこにあるのでしょうか。

 イタリアは地中海沿岸に位置している半島国家です。「ヨーロッパの古代文化は地中海の文化」と言うほどに、地中海は古代ギリシャ・ローマ文化の源泉となった所です。地中海沿岸でもイタリア半島は春・夏・秋・冬の四季がはっきりした温帯地域として、ちょうど我が国のように季節の自然摂理がはっきりした所です。言い換えれば、世界で最も気候がよく、自然環境がよい所の一つがイタリア半島です。

 ところで人類文化現象の原則的な基本を考慮してみるとき、春・夏・秋・冬の総合的な文明圏が形成されることのできる所は、イタリアのような気候条件においてです。すなわち、温帯・熱帯・涼帯・寒帯などのすべての文明圏を一つに総合することができ、また輩出することのできる所がイタリアのような国です。そのために、そのような天恵の気候条件をもったイタリアにおいて世界を支配することのできる文化が花咲いたということは、歴史の偶然ではなくて、必然的なことでした。ところが、ローマは神様が賦与してくださった世界史的な使命、すなわちローマ帝国を中心として全世界を一つの神様主権へと復帰させることによって、この地球上に人類と神様が追究してきた春節気の温帯文明圏を形成しなければならなかった、その世界史的な使命を果たすことができなかったので、ローマで花咲いた温帯文化は継続して持続することができずに、途中でしぼんでしまいました。そのようにしてローマではその温帯文明が完全に花咲き、実を結ぶことができなかったのです。

 それでは今、古代ローマを中心として燦爛と花咲こうとしたまま、咲けなかった地中海の文明が再び巡回して、地中海文明のような温帯文明が誕生する所はどこになるのでしょうか。同じ半島国家である韓半島です。西半球の地中海から地球の東半球へと移動してくれば、地中海文明のような新しい文明を燦爛と花咲かせることのできる所、イタリアのような半島国家としてイタリアのような天恵の気候と自然条件をもった国は、韓半島しかありません。

 考えてみてください! 韓国は本当に不思議です。春・夏・秋・冬の四季がはっきりしており、山水が秀麗で、「錦繍江山」と言えばまさに我が国のことをいう言葉なのです。そこには冬の季節にも三寒四温の気候まであります。それだけでなく、昔から我が国を称して「静かなる朝の国」と呼んできました。また、世界歴史を概観するとき、世界で唯一我が国だけが、朝食文化圏を形成しています。このようにいろいろと客観的な春節気文明の誕生地となることのできる可能性が十分だというのです。(一九八〇・一一・二)




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五.韓国は勝共韓国として新しい文化創造の基地

 南と北が極と極として向かい合っている所は、世界で韓半島しかありません。皆さん、なぜこのようにこの韓半島で民主と共産の極と極が対峙して問題となっているのか、分かりますか。韓半島の北側は冷たい風をあおってくる寒帯文明圏の極地点です。代わって南韓は涼帯文明圏の極地点です。そのために、二つの文明圏の極地点である韓半島が、寒帯文明圏の激しい北風の中でもその寒帯文明を克服し切り、消化し切っていくことのできる一つの生命の種として残る日には、すなわち自由民主世界の極点である南韓の地において共産主義思想を克服し切り、消化し切ることのできる思想をもつことさえできるようになれば、まさにここで世界史的な春節気の温帯文明圏が誕生するということなのです。それによって韓国が勝共韓国として基盤を堅め、世界的な勝共指導国となる日には、間違いなくこの韓半島において歴史上にまたとない温帯文明、すなわちすべてのものを和合することのできる中和文明が誕生するのです。

 文化史に我々が文明の移動を認定しながら、気候との関係を考慮して見れば、また文化の発展過程がそのように経過していくならば、韓国は間違いなく世界史的な新しい文化創造の基地となることでしょう。そのために韓半島に共産と民主が一つの極点として向かい合っているのです。したがって、民主世界の涼帯文明の極と共産世界の寒帯文明の極がまさしく対峙している韓半島において、我々大韓民国の最も重大な課題はいかにして共産文明を克服して、勝利し切ることができるかということであらざるを得ません。

 このように二十世紀において、天的な摂理によって韓国が選ばれた所であるために、アメリカのような強大国も韓国を無視することができなくなっています。それだけでなく、世界の強国が食い下がろうとするのも、このような理由によるのです。極東で韓半島を征服する国は、アジアを支配できるようになっている地政学的、気候的な条件のために、数多くの強大国が韓半島に欲を出してきたという事実を、我々は歴史を通してよく知っています。それで過去に日清戦争、日露戦争がこの疆土において起こったのであり、今は民主と共産の最前線が韓半島を引き裂いて対峙しているのです。

 しかしながら、天がこの民族を選ばれたために、この疆土の上でこの民族を通して世界史的な新文明の奇跡を起こさなければならないという天倫の秘密があったために、天はすべての受難と悲運の中でこの民族を保護されたのであり、日帝四十年の受難を経て解放された以後、再び六・二五という同族相争う骨身にしみる悲運の過程において、自由世界友邦の若者がこの地で血を流すという摂理をされたのです。戦後に我が国は奇跡的な経済復興を成しましたが、これも実はこの韓国を中心とした新しい歴史と新しい文明圏を誕生させる天の内密なる摂理があったためなのです。(一九八〇・一一・二)




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第二節 第三イスラエルとしての韓国

一.第一イスラエルと神様のみ旨

1 第一イスラエル圏の出発

 今我々が知らなければならないことは、聖書にイスラエルという言葉がありますが、イスラエルという言葉はいかなる言葉なのでしょうか。イスラエル! それは、人と言えば男と女をいうのですが、男を中心として女に勝ったということではなく、女を中心として男に勝ったということではありません。それはある男女を中心として、ある家庭であるとか、ある環境を中心として勝ったということではありません。それでは勝ったというその言葉は何でしょうか。サタンに勝ったということです。

 イスラエルという言葉はヤコブの時から始まりました。二十一年間ハランの地で苦労し、帰ってくる途中にヤボク川で天使と相撲をするその場において、ヤコブが勝利したその日からイスラエル圏が始まったのです。それでは、そこで勝利したというのは何に勝利したのでしょうか。天使に勝利したというのですが、その天使は誰かと言えば、堕落した天使長を代身する存在です。堕落とは何でしょうか。人間が天使長に負けたことです。それで救援なり、復帰という言葉を成就するために、人間が天使長を代身した天使と闘って勝ったということなのです。

 それではイスラエルという名前をもらったヤコブの本質的な抱負が何であったのでしょうか。それがまた問題です。エサウの長子の特権を買っておいて逃亡したヤコブは、神様が祝福したアブラハムと共にあることを知り、その神側に立つことのできる懇切な心をもった人です。弟として生まれましたが、何としても神様の祝福を受け継ぐことのできる家庭をつくろうとし、また誰よりもそのような家庭を追究した人がヤコブだというのです。そのため、皆さんが聖書を見れば、非倫理的な内容が記録されていますが、摂理史的な観点から見るとき、そのように行かなければならなかったのです。

 そうしてヤコブは二十一年間そのみ旨を成すために、ハランに行き多くの苦労をして帰ってくるのです。帰ってくるときの、その心的要因は何であったのでしょうか。新しい家庭を考えたのです。その新しい家庭は、自分一人の家庭ではありません。エサウの家庭とアブラハム一族を中心とした家庭を恋しがりながら帰ってきたのです。このように神様が祝福したその一族を中心として、それが世界的な神様のみ旨を成すことのできる版図となることを願う心をもって、希望をもって帰ってくる道で、天使と闘って勝ったということなのです。

 イスラエルという名前をもらうようになった要因は、ヤコブの一家がよい生活をするためではないというのです。アブラハム、イサク、ヤコブの三代を中心として神様が祝福してくださった一族がうまくいくことを誰よりも願って帰ってきたヤコブだったのです。そこでその一族が問題となるのです。また一国を得るようになれば世界が問題となり、天地が問題となるのです。

 そのため、ヤコブの家庭を中心とする一族の勝利基盤を中心として、ヤコブは闘ったのです。そのようなヤコブにとっては、自分の財産が問題でなく、自分の僕が問題ではありませんでした。これらすべてのものを犠牲にしてでも、一族がよい生活をし、神様のみ旨に対するアブラハム、イサク、ヤコブの三代が、神様の偉大なる摂理のみ旨を受け継いで勝利したイスラエル圏を中心として、世界的な民族となることを願ったのです。神様がアブラハムに与えた祝福によれば、その後孫は天の星のように栄えることを約束したので、ヤコブはそのみ旨を受けて、世界万民が神様の眷属となることを願いながら、闘いの道を歩んできたということを皆さんは知らなければなりません。

 それではヤコブが勝つというとき、何に対して勝ったのでしょうか。サタンに対して勝ったのです。その次には……。数多くの家庭があり、数多くの一族がありますが、その家庭が処することのできる位置は……。ヤコブは自分の一家を中心として、ヤコブを中心とする十二人の息子、娘を中心として始めたのです。ヤコブ家庭はもちろんのこと、アブラハム、イサク、ヤコブの一族を中心として神様の理想的なみ旨の勝利的足場を要求するところにおいて、イスラエルの祝福が出発したのです。それを拡大するようになれば、その後偉大な一つの世界、神様の理想へと向かう一つの勝利的民族として、一つの理想世界へ行くことのできる代表的民族となりたいという心をもって出発したのです。それが神様がイスラエルを選ばれた本意であり、選ばれたイスラエル民族はその位置へ行かなければならない召命的責任があったのです。この二つが合わさって、イスラエル圏は出発を見たのです。

 このイスラエル一族を中心として、十二支派を中心として天は育てておいて、イスラエルの国とイスラエル教会――ユダヤ教――を形成したのです。四千年という非常に長い歴史を経て、イスラエル教団とイスラエル国を形成したのです。そうしながら、メシヤを送ることを約束したのです。「メシヤを送ってやる。お前たちがどんなに難しい中にあっても、メシヤを迎えればすべてのことが解決するだろう」と。これがイスラエル民族の前に約束したメシヤ思想でした。(一六八―三〇一)

2 イスラエル教団とイスラエル民族が行かなければならない道

 皆さんが知っているように、イスラエル民族がバビロンに捕らえられていって多くの受難を経験しました。捕虜生活をする中、三次にわたってイスラエルに復帰し、イスラエルの国に帰ってくることになったのです。そのようにして帰ってきたイスラエル民族は再整備をして聖殿を建立するようになったのです。そうしてマラキ預言者の時には彼を中心として内的にイスラエル教団を整備し、外的にイスラエルの国を整備するためのみ業をしたのです。四百年間を準備してメシヤを迎えるように、神様がそのように準備したのです。

 それではメシヤを迎えたらどうなるのでしょうか。メシヤを迎えればメシヤを迎えるそのみ旨が、メシヤを迎えるその神様のみ旨がイスラエル民族にのみ限られるのではありません。それは世界的だというのです。また、地上世界においてのみ迎えるのではなく、霊界にまで連結されているというのです。なぜそうなのでしょうか。堕落することによって、この地球星はサタンが支配するようになり、霊界には地獄が生じたのです。地獄が生じたというのです。それでサタンが支配することのできる版図は地上地獄世界と天上地獄世界までだというのです。そのため、それを解放しなければならないのです。堕落がなかったなら地上地獄も生じず、一つの理想的天国にのみ行き着くはずだったのですが、堕落によって二つの世界にサタンが支配することのできる世界形態が現れたために、これを解消しなければならないのです。これを越えていかなければならないのです。

 それではそれを越えていくことのできる人は誰でしょうか。その道を越えていこうと思えば、イスラエル人とイスラエル民族が行く道に従っていかなければならないのです。道は二つではありません。一つです。それでは、選び立てられたイスラエルの国とイスラエル教団が行かなければならない道とは何でしょうか。それは宇宙的なものです。使命が宇宙的だということです。イスラエルという特定の民族が選びを受けたとしても、その特定の民族のために行かなければならないのではなく、人類のために行かなければならない道だというのです。

 イスラエル宗教を中心として見るとき、世界には数多くの宗教があります。仏教が現れており、儒教が現れており、ヒンズー教が現れているのです。このように宗教が多いといっても、この宗教が戦うのではなくて、これを収拾して一つの世界に行かなければならない、全世界の人類がみな分かれて戦うのではなくて、一つにしなければならない、宗教と宗教が戦うのではなくて、一つにしなければならないという思想がなければなりません。

 宗教を一つにすることのできる思想があると同時に、すべてのイスラエルは民族を糾合して一つにし、引っ張っていくことのできる思想がなければならないのです。神様の創造理想実現は世界的であり、人類的であるために、その創造理想に一致することのできるこのような思想的内容をイスラエル教団とイスラエル民族がもたなければならなかったのです。(一六八―三〇三)

3 第一イスラエルを通した神様の救援摂理のみ旨

 ローマ帝国の圧制下で植民地のような立場にあったイスラエル民族は、自分たちが選ばれた民族であるためにメシヤさえ来れば一気にローマの国を打破してしまい、世界を自分たちの思いのままに屈服させて、世界を押さえつけて思いどおりにすることができると考えたのです。来られるメシヤは権能をもって世界を審判してしまい、すべてのものを自由自在にすることができるために、イスラエルが特権的世界基盤を備えて、すべての主体的行使をすることができるだろうという望みをもったのです。それは何でしょうか。世界全体を自分たちの前に結束させなければならないということです。そして世界をみな犠牲にしたとしても、自分たちが中心になって高まらなければならないという考えをもっていたのです。

 しかし神様のみ旨はそうではないのです。イスラエル国というのは小さな国であり、イスラエル教団というのは小さな教団なのです。神様はその教団を中心として世界を支配しようとし、世界を一つにしようとしたのです。世界を救おうとしたのです。ところがイスラエルの国が世界を考えなかったのです。ここでは世界に向かって与える道を行かなければ世界を連結させることはできず、イスラエル教団が世界宗教教団の前に与える道を取らなければ世界の教団を束ねることのできる道がないのです。

 ところがイスラエルという民族、選ばれたというユダヤ教は人類を一つに包摂し、宗教を包摂して、内的象徴である宗教と外的象徴である国が一つとなって、全世界を包摂し、一つに束ねなければならない責任があったにもかかわらず、彼らはそれを知らなかったのです。イスラエルの国とイスラエル民族はそのような立場にあったのです。

 それでは神様のみ旨を奉じて来られるメシヤはどのような使命をもっていたのでしょうか。イスラエル教会とイスラエルの国を立てて、これらを犠牲にしてでもアジアのインドと仏教、儒教と中国、このような環境を収拾しなければならないという使命をもって来たのです。イスラエル民族とユダヤ教団を犠牲にしてでも東方にある世界的な大きな宗教圏を収拾しなければならない責任を神様も感じ、イエス様も感じて来たのです。それだけでなく、後に至っては怨讐であるローマ帝国までも救ってあげなければならないのです。

 神様の考えとイエス様の考えはそうなのですが、イスラエル民族とイスラエル教団はローマだろうと何だろうと、東方の全部が究極にはイスラエルの国の僕のようになって自分たちを受け入れ、仕えるようにしようと、自分たちの思いのままにすることのできる世界を考えたのです。その思いのままにできることがよいのだというのです。イスラエル圏が勝利して出る、世界的版図において、あるいは神様の全体宗教的版図において勝利して出た後には、そうできるかもしれませんが、そのときイスラエルが処している立場では、そうできないのです。神様の摂理はそのようになっていないのです。イスラエルの国とイスラエル宗団を犠牲にしてでも、東方の数多くの宗教圏、ヘレニズムを中心とするこのローマ圏までも包摂しなければならないのです。これが神様の摂理だと言うのです。そこで問題となるのです。

 ところがイスラエルの国がユダヤ教を中心として一つとなり、願ったことは何でしょうか。その時のすべての律法学者たちや祭司長たちの考えはみな同じでした。イスラエルの国に主が来るようになれば、自分たちを最高の位置に立たせて世界を思いのままに 弄 び、思いどおりにすることができるということでした。その考えが間違っていたのです。

 神様の救援摂理は世界的摂理なのです。救援摂理は万民のための摂理なのです。ある特定宗教を中心として、特定宗教圏内にある人を救うためのものではなくて、万民を救うためのものなのです。万民を救い万国を解放するためのものが、救援摂理というものなのです。

 万国を解放して、何をするのでしょうか。神様のみ旨に一致することのできる一つの国をつくろうというのです。万宗教を糾合して何をするのでしょうか。み旨に一致することのできる一つの宗教に結束させるのです。そうして神様の創造理想本然の世界へと帰っていかなければならないのです。それが問題です。(一六八―三〇四)

4 第一イスラエルが失敗した要因

 イスラエルにメシヤが来たのに、どうしてイスラエル教団とイスラエルの国がメシヤと一つになることができなかったのでしょうか。イエス様がそのように懇切なる心をもって奇跡を行いながら環境のすべてのものを動かして、従わないと言っても従わざるを得ない環境的与件によって追い立ててまでも、彼らを引っ張っていこうとしたにもかかわらず、イスラエル民族がなぜイエス様を十字架につけて殺したのでしょうか。それはイスラエル民族とその時まで信仰してきた教会、イスラエルの国を指導するユダヤ教自体が、特定の民族を中心とする宗教であると考えたためなのです。イスラエルが特定の民族だといっても、彼らを中心として宗教を通して成し遂げなければならないものは、特定の世界なのです。特定の世界を見いだすためなのです。

 それでは特定の世界とは何でしょうか。サタンが支配する世界から解放して、イスラエル圏にいつでも和合することのできる国家が編成され、民族が編成された世界です。そのような世界を成すことが、神様がメシヤを送る本意だったのです。そのためにユダヤ教団を犠牲にし、ユダの国を正しく指導しなければならないのです。ユダの国とユダヤ教団を犠牲にして、世界を正しく導かなければならないのです。世界的国家は神様のみ旨に従わなければならない国家であるために自分の一族、自分の民族を中心とした、そのような立場に立ってはならないのです。民族を超越して、世界民族を包括することのできる思想の世界へと引っ張っていかなければならないのです。

 第一イスラエルがこのような神様のみ旨を受け継ぐことができなかった原因とはどこにあるのでしょうか。自分の民族だけを中心としたところにあるのです。イスラエル民族だけを考え、イスラエル教団だけを考えたのです。問題がここにあるのです。自分の教団、自分の民族が第一であるということです。そうではありません。自分の民族と自分の教団が第一であるというそのことが、神様が見ている第一と一致しなかったのです。

 神様はイスラエルの国とイスラエル民族を立てて世界を一つにすることを第一と見ており、イスラエル教団を犠牲にして、数多くの宗団を一つにすることを第一と見ているのです。イスラエル宗団とイスラエルの国が世界を一つにして宗団を一つにする、世界的基準において一つとなって、霊界にある地獄まで解放することのできる動きが地上世界にあることを神様とメシヤは願うのです。

 ところがイスラエル民族は信仰の中心として出会うように準備したメシヤが来たにもかかわらず……。そこに隔たりが生じたのです。「我々はモーセの律法以外には知らない。これが第一だ」と言ったのです。モーセの律法というものは、イスラエルの国を中心としてイスラエルとユダ、分かれた北朝十支派と南朝二支派を中心とする戦いの曲折を収拾するためのものです。イスラエル民族を収拾するための法だったのです。彼らは旧約聖書の中にある神様のみ旨は知っていましたが、旧約聖書を超えて世界を救うための神様のみ旨があるとは見なかったのです。聖書の中に埋もれ、その外を見渡すことのできない教団となり、民族となったために、メシヤを迎えることができなかったのです。それが第一イスラエルが失敗した要因なのです。(一六八―三〇六)




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二.霊的な基準を中心とした第二イスラエル

 イエス様は人類の父として来たのであり、聖霊は人類の母としてこの地に来ました。しかし、これらは霊肉を中心とする父母となることができずに、霊的な父母としてのみ役事してきました。イエス様の十字架での死は霊肉を合わせた位置でサタンに勝利したのではなく、逆にサタンに負けて死んだのです。そのために体はサタンに渡して霊だけが復活したのです。四十日後に復活して弟子たちを集め、霊的な基準を中心として第二イスラエルを出発したのです。これが今までのキリスト教二千年の歴史なのです。

 それでは第一イスラエルはどこにあるのでしょうか。第一イスラエルは滅びました。第一イスラエルであるユダの国はイエス様を殺した罪で滅び、第二イスラエルが登場しました。神様は四千年の間メシヤを待ちこがれたイスラエル民族を導き、保護し、育成し、四千年間苦労したその功績の基盤の上にメシヤを送られました。それにもかかわらず、この民族はメシヤに従うことができず、十字架の死の道へと追いやりました。それでこの民族は神様の前の怨讐となったのです。

 イスラエル民族はこの時から国なき民族となりました。そしてイエス様が再び来る時までは独立できないのです。イエス様を殺した罪を蕩減するために、二千年間とてつもない苦労をしなければなりませんでした。イスラエル民族は万人類のために、万民の祖先として来られたイエス様を刑場に立てて血を流させたので、国なき民族としてそのような苦労をしたのです。

 その時のイスラエルは霊的にも肉的にも、どこに出しても堂々たる権威をもった国でした。イエス様はこのような国家圏の上に来られ、国家を収拾して世界を復帰しなければならない責任があったのですが、イスラエル民族が従わず、死へと追いやったので、イエス様はしかたなく霊界に行くほかはなかったのです。

 しかしながらイエス様は神様のみ旨を立てることのできる忠孝の道理を果たしました。死の道を行きながらも万民を代身して天倫の使命と責任を果たそうとし、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)と言いながら忠孝の道理を立てたのです。それゆえにイエス様は死んだとしても、その精誠の基準はサタンが占領することができないのです。そうしてイエス様が霊的に復活されることによって、霊的なイスラエルの基準をつくっておいたのです。

 キリスト教は霊的な第二イスラエルです。霊肉的なイスラエルではなく、霊的なイスラエルにしかなれなかったのです。そのためにキリスト教人たちは行くところどころで迫害を受けたのです。国なき民族のように流れていく民族となり、霊的な国を主として実体の国を望んで出てきたのです。これが今までの二千年のキリスト教の歴史なのです。(一九―二〇七)




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三.第三イスラエルとして選択された韓半島

 歴史は東方で一つにならなければならないのです。イスラエルの国を中心として仏教、儒教、ヒンズー教、その次にはゾロアスター教のような宗教をみな包括することのできる基盤を、中東圏内につくっておいたのは、イエス様が来てその宗教圏を収拾して東洋を中心として版図を見いだそうとしたからです。しかしイエス様が死ぬことによって、外的な体を犠牲にしたので、これが逆になったのです。ローマに入って世界一周をして東洋に再び帰ってきたのです。

 ローマ教皇庁を中心として、英国を経て、アメリカを経て、二千年かかって、今回り回って帰ってくるのです。回り回って帰ってくる所には、そのまま入ってくるのではありません。蕩減復帰の原則を中心として、それとは反対の現象を経るようになるのです。日本の国が英国のような国に該当し、英国に行く前のローマ半島のような半島が韓半島だというのです。同じ与件を中心としてその時代に責任を果たせなかったことを、世界版図において失敗したことを再び蕩減し、清算したということのできる基盤を経ずしては、サタンが後に付いて入ってくるのを防ぐことができないのです。それで蕩減という原則を中心としてそのような路程を歩んでくるのです。

 今後の世界はアジアを中心として動くでしょう。なぜそうなのでしょうか。イエス様の体と心が分かれたのですが、体と心が分かれずに一つとなっていたならば、アジア版図を中心としてヒンズー教を収拾し、仏教を収拾し、ユダヤ教を収拾して、中東にある宗教を全部収拾して、イエス様を中心とする一つの宗教文化圏をつくって、それを中心としてローマを収拾するのです。ローマを収拾すればみな終わるのです。ところがイエス様を殺すことによって、本然の宗教基盤を失ったのです。それを探そうとするのですから、逆に行かなければならないのです。キリスト教徒たちの希望と理想圏内で神様のみ旨を抱いて、国と教団を中心として一つの世界に行くことのできる立場に立ったにもかかわらず、国の足場を失い、教会の足場も失って悲惨な群れとなって、ローマに探しに入っていったのです。

 それを見いだすためには、四百年間血の代価を支払わなければならないのです。そして蕩減しなければならないのです。それを失ったがために、これが一回りして必ず……。それではその時代になればどこに回り回って帰ってくるのでしょうか。島国のような国を経て、ローマのような半島の国に移住して来るのです。そのようなコースの中心点のようなものが……。アジアにおける英国のようなものが日本です。そして日本文化は英国文化が移動してきたものです。

 それでは韓半島はどのような立場に立つのでしょうか。ローマのような位置にあります。ローマ教皇庁のような位置にあるのです。それでは韓国はいかなる国でしょうか。韓国は歴史時代のすべての宗教と人類を神様のみ旨に合うように収拾して、統一的な世界と統一的な天国を建設することのできる責任を果たす国とならなければなりません。なぜでしょうか。ローマ教皇庁を中心として、半島を中心として世界を動かした教皇圏を代表することのできる文化終着点時代に入るからです。文化的背景を中心として南北が統一され、そのような位置をつかみ受け継いで、世界の宗教を動かし、世界万民を動かすことのできる位置に立ってこそ、イスラエルを選ばれた神様のみ旨に一致することのできる宗教圏が顕現するのであり、神様のみ旨に一致することのできる民族圏、国家圏が形成されるのです。

 韓国は南北にばっさりと引き裂かれました。堕落とは何でしょうか。体と心が分かれたことです。世界的に見るとき、北側は唯物論として物質を主とし、また南側は唯心論として蒔かれたものが世界的に実を結んで結実したのと同じです。このようにして二つが戦うのです。体と心が戦うということなのです。この戦いを今しているのです。では、このようにして今、この共産世界と民主世界がどのような段階に入ってきたのでしょうか。今や二つともが疲労困憊しているのです。疲労困憊しています。それでは我々統一教会の原理はいかなる原理なのでしょうか。第三イスラエル圏形成のための内容です。我々は再臨思想を中心とした第三イスラエル国家とならなければならないのです。

 韓国の韓民族をじっと見れば、五千年という長い歴史を経てきましたが、この民族は特殊な民族です。誰かに支配されるのを嫌うのです。どこに行っても自分が大将の役をしようとし、誰かに仕えては生きられないのです。そのために、言葉もそうではないですか。小さい国が、ミグクノム(アメリカのやつ)、イルボンノム(日本のやつ)、チュングクノム(中国のやつ)、ソリョンノム(ソ連のやつ)と、みんなノム(やつ)なのです。(笑い)人をノムということは、自分が両班だということからです。

 それでは韓民族がもたなければならない、誇らなければならない、人々をノムと言うことのできる特権とは何でしょうか。そうなろうと思えば神様の思想を受け継がなければなりません。それでは神様の思想とは何でしょうか。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ三・16)ということです。これと同じように、皆さんも神様と同じくこのような思想をもたなければならないのです。神様の思想は世界を救うことです。世界を救うために宗教を立てたので、宗教を犠牲にしてでも世界を救わなければならないのです。(一六八―三一一)




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四.第三イスラエル民族がもつべき思想

 第三イスラエル民族がもたなければならない特定的思想概念、言葉が少し難しいですね。特定的思想概念とは何かと言えば、南北を統一しなければならないというのです。なぜそうでなければならないのでしょうか。堕落したということは分かれたということなので、統一しなければならないのです。体と心が分かれたのです。物質世界と霊的世界が分かれたのです。これが世界に蒔かれ、続いてきて、一つの所で再び出会うのです。世界に流れて一つの所で出会うのです。これが南北に分かれて一つの所で出会うのです。

 一つは共産主義の唯物論的代表国家であり、一つは唯心論的代表国家です。そこに誰がいるのでしょうか。金日成もアボジ(父)と言うでしょう? 統一教会の文先生もアボジと言うでしょう?(笑い)二人の父がいるのです。二人の父がいて、お互いが自分の息子、娘だというから大変なことになるのです。全部自分の息子、娘だというのです。金日成は南韓の人々が金日成親父の息子にならなければならないと言い、統一教会の文先生は、北韓の人々が文先生の息子にならなければならないと、このようになっているのです。事件は事件です、これは。(笑い)ここで北韓を解放しなければならない天側が勝たなければならないのです。神様の思想をもたなければなりません。それでは、金日成が神様の思想をもっていますか。労働者と農民を中心として中流以上、上部にいる人々は全部、反動分子として追いやられ、首を切られてしまうというのです。そこには宗教の理念がありません。物質的概念を中心とする理念しかないのです。しかし統一教会の文先生は物質概念と精神概念、すべてのものをもっているのです。

 向こう側では銃刀で脅迫してしろと言いますが、こちらでは愛の銃を撃つというのです。人という動物は、愛の銃に撃たれさえすれば、穴が開いても、血が出てもよいというのです。血が出ればこちらに引っ張られていくようになっており、逃げ出しはしないのです。統一教会にはそのような魅力的な力があるのです。(一六八―三二二)

 歴史時代に第一イスラエルが滅び、第二イスラエルが滅びた事実を我々が直視している以上、第三イスラエル圏を中心として我々が行かなければならない道は万教の統一であり、万国統一の思想をもっていく道です。こぶしと力によってするのではありません。愛をもって十年、二十年、千年、万年、溶かしていかなければならないでしょう。どんなに悪くても、善なる夫を迎えて愛するようになるときには、振り返って和解が生じるのです。愛を中心として帰ってくるようになっているので、お金をもっては和解が生じません。それを知らなければなりません。愛の心情圏を通して、和解が生じるようになっているのです。それを通さない和解はみな欺瞞です。詐欺です。いつどのように変わるか分からないのです。

 第三イスラエル圏がもたなければならない思想とは何でしょうか。神様がそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さったので、私がこの世を愛するひとり子となったので、私が犠牲になる覚悟をしなければならないのです。万民と万国を解放するためには、犠牲にならなければならないのです。宗教世界、万宗教を解放するために犠牲になることのできる覚悟をしなければなりません。宗教人たちが呻吟している……。宗教を信じることがどれほど大変でしょうか。これを解放するのです。人類が今どれほど塗炭の苦しみの中で呻吟しているでしょうか。

 南北の貧富の格差など、これは私の手を経なければ解決が不可能なことです。そのようなすべてのことを知って、私が重い荷物を背負おうと身もだえしなから、人々が休む時に休むことができず、寝る時に寝ることができず、その道に向かって前進を誓わなければならないのです。このような群れの数が増し加わっていくとき、世界に新しい希望の夜明けが来るという事実を知らなければならないでしょう。(一六八―三二八)




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第三節 韓国は摂理の終着国

一.五千年の悠久な歴史を続けてきた韓民族

 韓民族はいかなる民族よりも多くの恵沢を受け、いかなる民族ももてない優越した背景をもっています。そのような背景をもって生まれた人々は蔑視することができません。しかし、優秀ではあるのですが、まだ位置をつかめずにいるのです。

 我々の歴史を五千年歴史と言うでしょう? 五千年の歴史、長いものです。それではこの非常に長い五千年歴史の間、我々は何をしたのでしょうか。何をしたのかというのです。最近でも京釜線に乗っていきながら家々を見れば、まだ草家三間です。なに、草家三間がよいのだという人もいますが、もう嫌になるでしょう。他の国の豚小屋もそれよりはましなのです。ある外国の旅行者は、韓国は養豚が非常に発達していると見たというのですが、それは草家三間を見て言ったことなのです。韓国の草家を見て、それがみな豚舎だと思ってそう言ったというのです。これは気分が悪いこと、このうえありません。

 五千年の歴史をもったこの国が、なぜそうなのでしょうか。誇るものが何かありますか。ありません。しかしながら誇るものがあります。韓国は小さな国です。何と言いましょうか。顔に付いた小さないぼのようだとでもいいましょうか。このいぼをもった美人は化粧をする度ごとに気分がよいでしょうか、悪いでしょうか。悪いでしょう? これをもぎ取って捨てることは難しくはないでしょう。一時の痛みさえ我慢すれば、取り去ることができるのです。

 アジア地図で韓国を見てみなさい。実に美しい形をしています。しかし気分が悪いことに、あまりにも小さいのです。このように小さい我が国を、他の国が顔の上に付いたいぼを取るかのように取って捨てようとすれば、既に数千年前になくなっていたはずですが、五千年が過ぎた今でもその種が残っています。骨董品となって博物館に行っているのではなくて、今まで歴史的な文化をもって、なんだかんだしながら残ったのです。

 なぜ多くの国がこのように小さい我が韓国をもぎ取って食べたり、取り除いたりすることができなかったのでしょうか。それは韓国民族が頭がよいからです。それで今まで残ったのです。私はそのように考えます。もちろん我々の歴史に悲惨な歴史がなかったということではありません。外勢に追われるその度ごとに、それを退けるためにありとあらゆる業をしなければなりませんでした。そうしようとすれば、八方美人にならざるを得ませんでした。ある時には男が女にもなり、女が男にもならなければなりませんでした。そうしようとすれば、自分に迫ってくることを選んで前処理、後処理をすることができませんでした。

 しかし、一つはっきりしていることは、韓民族が残ったということです。それも頭がよいのでこのように残ったというのです。解釈をそのようにしましょうということです。そのように解釈すればこそ心が平安ではありませんか。「我々の祖先たち、この祖先のやつらめ」と言うよりも、「我々の祖先はよくやった。国を売り払わずに残してくれて有り難い」と言ったほうが、眠るときも心が安らかだというのです。事実、頭がよかったために、今まで残ってきたのです。

 それでは、そのように残ったのは何のためなのでしょうか。このよい天然的、自然的背景を中心として素晴らしく生きるために、大きく一勝負してみようということなのです。韓民族はそうすることのできる頭をもった民族です。では、なぜこのような韓国民族が今までよい暮らしができなかったのでしょうか。よい生活をしては、群れをなしている盗賊たちに盗まれるからなのです。分かりますか。よい生活をしたなら、群れをなす盗賊に襲われたことでしょう。ならず者たちが打たなければ、天が打つようになっているのです。(二五―一五九)




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二.すべての宗教が実を結んだ韓国

1 長い歴史の受難の中でも神をつかんできた韓民族

 皆さんが知っているように韓国は南北に分かれており、その次には東西文明の思想的な対決点となっています。皆さんが韓国に対してさらに知らなければならないことは、韓国民族は単一民族であると同時に外国民族によって受難に遭ってきた歴史性をもっている民族であるということです。中国に隷属し、中国の指導のもとで長い歴史過程を経たのであり、また日本であるとかソ連はそうではありませんが、強大国たちの狭間にありながらも……。

 特に女性たちは他の国の男たちとは結婚をしないという特徴を誇る、そのような民族です。特別に純潔において韓国女性たちは……。韓国人は全部いまに見ていろ、いまに見ていろという歴史性をもってきました。たとえ弱小民族であっても、いつかお前たちを踏みつけてのし上がってやるという民族性を、そのような精神をもっているのです。そこが違うというのです。

 そのため、韓国人たちはよくチュンググノム(中国のやつ)、ソリョンノム(ソ連のやつ)、イルボンノム(日本のやつ)、ミグクノム(アメリカのやつ)と言うのです。他の国の人に対してそのように見てきたのです。アメリカ人をミグクノムと言うのです。また、我々の長い歴史を見てみるとき、ユダヤ民族ももちろん苦労をしましたが、すべての強大国の中で、国と国の狭間において苦労した民族として世界の代表ではないでしょうか。歴史を通してそのような苦痛を受けてきたのは、自体が劣っていたからというよりも、強大国に包囲されていたためです。そのような侵略を受ける立場で苦痛を受けてきた代表的な国家だというのです。今も東西文化が対峙する立場で苦痛を受けているのは、韓国人が動機となっているのではないのです。世界の潮流に従って、民主世界と共産世界によってこの受難を受けているのです。これも一つの世界史的な受難過程だというのです。

 なぜこのようなことを語るのでしょうか。そのような試練の中でも、いかなる民族ももてない一つの特徴をもっていますが、それが何かと言えば、苦労の中で耐えながら、受難の中で耐えていきながら神様に対して、「我々の願いをかなえてください」という祈祷の心を、民族が一つとなって歴史を通して継承してきたという事実です。これはいかなる民族にもないものです。普通の民族ならば「神様がいるならなぜこのように苦労をさせるのか」と言って、自分たちを呪う神様と見るはずですが、その反対の立場を取ったということは歴史時代のいかなる民族とも異なる特徴性をもっていることを立証するのです。(一六八―五一)

2 信仰心の強い民族

 歴史的に見るとき、信仰心に燃えている民族はどの民族でしょう。神様という言葉も聞くことができず、先知先烈のいかなる予言もなかった五千年の歴史をもってきた韓民族が、何か知らずに天に対する信仰心が高いということを私は発見しました。皆さんが何と言ってもいいです。私は発見しました。

 この民族、東半球の爪のように小さなこの国が今まで子々孫々、時代時代を経て五千年の歴史をもってきたという事実は奇跡です。韓国歴史を調べてみてください。あれほど多くの侵犯を受ける危険な歴史路程を経てきました。食べては吐き捨て、食べては吐き捨て、吐き出すときには肉が付いていませんでした。そうしながらも民族の精気として流れるその何かをもって希望の一日を望んできました。極東の韓半島を動かしてきた希望の民族精神、これがあったために今まで闘ってきたのです。このような精神をもって動いてきた民族にメシヤが来ないでしょうか。私が見るには、来るというのです。皆さんはこれを知らなければなりません。

 また、情的な面でも極東では韓国人以上に情熱的な人はいません。また東方礼儀之国と言います。この国に儒教も入ってきて盛んになり、仏教も入ってきて盛んになりました。キリスト教も同じです。しかし今は信義の宗教、希望の宗教であると主張した仏教も、儒教も、キリスト教もその使命を果たした段階にあります。しかし残っているものは何でしょうか。民族精神を中心として世界理念に燃えることのできる隠れた情熱が心からほとばしっているのです。(七―一六六)

 極東において韓国人は信仰的な見地から見ても希望的な見地から見ても、どの民族にも引けを取りません。

 また、信仰的に見るとき、韓国の現下のキリスト教は七十、八十年の短い歴史をもっています。ところがそのように短い宣教の歴史でありながら、信仰的にはどの国家にも負けず、世界第一の位置に立っています。信仰問題においては、世界のどの民族にも負けない権威をもっているということが分かります。(七―一七〇)

 私は何か皆さんを慰めるためにこのようなことを言っているのではありません。私は有名な所をみんな見てきたのです。スイスのような国に行ってみても、美しいという所に行ってみても、それほど興味がないのです。美しくは見えなかったのです。しかし韓国では車に乗って走ってみれば、これが本当に、それこそ未来の公園地です。美しい峰々、これが険しくなくて、どこでも頂にとてもよい別荘を造ることができるのです。

 このような国に生まれた韓国人たちは特別に頭がよいでしょう。頭がよく、心が澄んでいるでしょう。このように見るとき、韓国民族は宗教的な民族に近いということです。そのためにこの国においては高麗時代には仏教だとか、李朝時代には儒教だとか、この現時代に至ってはキリスト教が、このアジア地域のいかなる所においても成すこのできなかった、そのような結実を成して、国家的影響を及ぼしてきた文化的背景も我々が知る事実です。このように見るとき、韓国民族はこのような美しい自然的恵沢を受けたこのような圏内で生まれたために、それと同じように人々も頭がよく心が澄んでいるのです。そのため宗教的民族に近い、このように見るのです。

 そのような人々がもし神様と一つになる日には、この民族を中心として世界に新しいことが起こるだろう、このように考えています。(八四―二三七)

 我々民族は今まで数千年の歴史を経てくる間にさまざまな道を中心としてきた民族であるために、道を中心とする民族性を潜在的にもっています。この民族のように信仰心が強い民族がありません。寂しく惨めな境遇に置かれるようになれば、すぐに占い師の所へ行って尋ねてみます。最近はそうです。上下を問わずそのような心情が濃厚なこの民族は、何かに帰依して生きなければならない民族性をもっています。(九―二九二)

3 すべての宗教が実を結ぶ韓国

 今日地球上には数多くの国家があります。その中で今までの歴史路程で人類の前に貢献した国家も多いですが、その国家の主権が宗教的な理念のもとで動いてきて、長い歴史をもった国はどのような国でしょうか。一つの宗教の理念を中心として歴史を経てきた国家は多いですが、数多くの宗教が入ってきてその理念が国家の主権を左右して、国民たちの生活全体を動かした歴史をもつ国は韓国しかないというのです。

 客観的に韓国の宗教を眺めてみれば、新羅時代から高麗時代までは仏教が入ってきて一大盛況を呈しました。その時代の国民はもちろんのこと、思潮や主権まで左右しました。宗教の起源地がどこであろうと、創設者が誰であろうと、宗教文化を花咲かせる国が韓国です。仏教はインドで発祥しましたが、中国を経て韓国に入ってきて、国家と主権を動かして是非を決する闘いをしました。また、それ以後李朝時代には儒教が入ってきて国の主権を支配し、社会制度を編成しました。そうかと思えば近代にはキリスト教が入ってきて百余年の歴史にしかなりませんが、この時代を動かしていく上で大きな影響を与えています。(九―二八〇)

 すべての宗教を結実させることのできる民族というものは、長久なる歴史を通してうまずたゆまず耐えて待つ、世界のために心配して、人類の一つの大きな目的をもって出ていく民族です。神様もそのような民族が必要だと見るのです。(一六八―五二)

 神側で世界の宗教を立てたなら、どこか一箇所で実を結んで最後の結実を収穫することのできる所を探すに違いないと見るとき、そのような民族に該当するのは韓国民族しかないのではないか、このように見るのです。

 インドで出発した仏教はインドから中国を経て、どこに来て実を結んだのかと言えば、インドではなく中国でもなく、韓国においてです。仏教が韓国で花を咲かせたのです。新羅時代を中心として燦爛たる文化の花を咲かせたのみならず、仏教教理においても革新的に、元暁大師のような両班が現れて社会と連結させことのできる新しい仏教を開発したのです。これは歴史的なことです。

 その次に儒教を見てみても同じです。韓国で李朝百年の間、国家全体が儒学を国民的道義の基準として全国民が儒教思想を中心とした生活をしたのです。そのような一つの国家全体を整えたのです。李退渓のような先生が現れて儒教の新しい分野を開拓したことも、儒教学界において中心的な一つの表象として表れているのです。

 その次には、キリスト教を中心として見るときも同じです。キリスト教が今までに百年の歴史をもっていますが、百年の歴史をもったキリスト教が仏教だとか儒教思想の体制を完全に革新し、新しい体制を整え、新しい文化世界を成したのです。現代文化世界を受容しているキリスト教文化を中心としてみても、アジアで完全に一つの代表的なキリスト教国家として、政治風土がみなキリスト教文化体制化したということは驚くべき事実です。さあ、このように見るとき、世界の大宗教の背景を中心とする歴史的な因縁が、神様の摂理とともに韓国民族の前にみな連結されているということを知ることができるのです。

 アジアで見ても大きな国だというインドだとか、中国だとか、日本だとか、そのほかの国を見ても、このような国がありません。このような国がないというのです。キリスト教を見ても中国は問題になりません。日本も問題にならないのです。インドも問題ではありません。ただ一つ韓国が、キリスト教が盛んなアジアの代表的国家となったのです。

 今キリスト教だけだとしても、仏教もそうで儒教もそうで、宗教がみな疲弊していくこの世の中で、その上この現代的社会文化の精神的基盤となっているキリスト教を中心として見たとしても、西欧社会においても没落していくのに、韓国だけは並外れてキリスト教が発展しているのです。それが異常なのです。異常だというのです。(一六八―五三)

4 摂理史的伝統思想をもった韓国

 韓国国民は仏教生活環境に慣れており、儒教生活環境に慣れており、キリスト教生活環境に慣れていると見ることができます。四十を越えて五十代に該当する人々はなおさらそうなのです。仏教だとか儒教だとか、その次には、それ以後のキリスト教の生活、この三大宗教生活に慣れることのできる環境的与件で生きてきたので、民族の歴史、あるいは世界の歴史を見てみるとき、神様の摂理を中心とする国家で、公的に、世界のために宗教的な面であるいは道義的な面で世界を代表し、歴史的な受難の道を行く人は、天から世界的祝福を受けなければならないということが、我々の原理の教えと通じます。

 それではその主体思想は何でしょうか。世界を一つにする思想であり、平和の思想です。そのようになったのは、この思想を受け継がせるための天の作戦だったという結論を出すことができるのです。それが何かといえば、宗教を統一しなければならず、その次には内的な基準を統一した後には、外的な基準を一つにしなければならないのです。それは平和のためにです。平和のために! 政治目的は平和を成さなければならないということです。なぜでしょうか。強大国から歴史時代に九百余回以上、九百三十回ほども侵略を受けたというこの事実を見るときに、これはだめだということです。韓国民族が平和思想をもって現れ、歴史的な代表民族となることができる、このような伝統の内容が隠されていたという事実を誰も考えないのです。

 さあ、それでは統一をするのにどうやってしなければならないのでしょうか。どうやって一つとなって平和の世界を得るのでしょうか。神様を中心として統一しなければならず、平和を達成しなければならないのです。神様を中心として見るときも、神様の願いは人類を一つにすることと平和にすること、この二つだというのです。同じだというのです。ですから摂理のみ旨の前に、歴史的な終末時代において、このすべてのことに対峙することのできる民族的精気をもってきた特殊民族だという結論が出たのです。

 そのために宗教を中心として見るとき、宗教を一つにすることのできる思想が必要であり、その次には平和の世界をつくることのできる愛が必要である、このように二種類の結論が出るのです。神様がいらっしゃるならば、このように考えるのです。

 このような観点から、今日統一原理が、この国を背景として出てこなければならないという歴史的な伝統の思想が根拠となっているという事実を我々は知らなければならないでしょう。そしてキリスト教を一つにすることはもちろん、宗教界を一つにして、世界を平和な世界にまとめるために神様の愛を主張することのできるこの原理が、必然的な伝統に従って出てきたという結論は、妥当な結論であるということを皆さんははっきりと知らなければならないでしょう。(一六八―五四)




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三.韓国は摂理の終着国

1 韓国は民主と共産が対処する代表国

 神様が見るとき韓国は信仰の終着国であると言うことのできる観を、我々はここに見通すことができるのです。それはどういうことかと言えば、韓国は摂理が終着することのできる定着国にならなければならないということです。そして新しい地上天国として出帆しなければならないのです。

 人類歴史は結局神様の摂理の観と一致しなければならないために、人類歴史の終着点も神様の摂理歴史の終着点と一致しなければならないのです。そのため全人類の希望の基地も、理想的終着国家も韓国であり、また人類が定着することのできる理想的地上天国の基地も韓国だということです。それでこそ神様と人間の理想が一致して、すべての摂理が終結し、歴史的希望が終着することによって、そこから新しい天国開門が起こるのです。ところがそこまで行けないでいる今においては、韓国は南北に分かれており、東西に分かれている立場にあるのです。世界を見れば東西の格差、東西文化の分立問題、その次には南北の貧富の格差の問題と、五色人種の不和問題が、全世界の終結的患難であり、難問題として登場したのです。

 サタンと天の側を見るとき、堕落することによってサタンが上にいるようになったのです。そのため世界的思想は、サタン側の思想である唯物史観を中心としては北側、唯心思想を中心として弟の位置のアベルが南側に、このようになったのです。このように、韓国が世界的に共産主義と民主主義が対処する代表国であり、天の目から見るとき、全世界の課題として残った最後の国家だというのです。これは韓国だけの戦いではありません。モスクワとワシントンの戦いだというのです。(一六八―六〇)

2 西洋文明の最後の終着点

 宗教をあがめ貴ぶ国は、物質的なものをみな捨てるのです。それで歴史時代に神を崇拝する国は貧しい生活をする国なのです。今も台湾のような国の土着民たちを見れば、ただバナナを取って食べて踊りを踊りながら、自分たちなりに神を崇拝しています。このように宗教を信じる人々は大概自分を犠牲にして、個人の人格完成のために努力しています。宗教を中心としては、物質を捨てるのです。

 東洋と西洋を比べてみるとき、精神的な文化はどちらがより深く発展することができるのでしょうか。東洋です。何ゆえにそう言うことができるのでしょうか。東洋が西洋よりも貧しい生活をしているからです。文化創建はどこが最初にしたのでしょうか。東洋が先にしました。文化の創造が東洋で最初に始まったのに、なぜ西洋がよりよい生活をしているのでしょうか。東洋の思想は物質世界に接近したのではなくて霊的な世界、精神世界に接近したのです。そうしてみると物質はみな整理して投げ捨ててしまったのです。そのようにして投げ捨てたものを誰がもっていったのでしょうか。盗賊たちがみなもっていきました。皆さん、英国のような国はどのような人々が集まって成した国ですか。海賊たちが集まって成した国です。しかしながら神様の摂理上、そのようにしてでも管理しなければならない必要性があるために、彼らにその国を任せられ、発展させるようにされたのです。

 それゆえに今物質文明はどこを求めて行かなければならないのでしょうか。西欧陣営から始まったのに、また西欧に帰ってくれば世界は滅びるのです。西欧文明は神様も何もありません。それでは西欧文明の最後の終着点はどこでなければならないのでしょうか。物質は精神の前に完全に屈服しなければなりません。体は心の前に完全に屈服しなければならないのです。東西の文化を見てみても、精神文化圏である東洋がこの座標を中心として正座して位置をつかむ日には、西洋文明はそこに完全に屈服しなければなりません。

 二十世紀の後半期から二十一世紀に越えていく時には、西欧人たちがアジアの精神文明を知らずしては人間扱いされない時が来るのです。それでトインビーのような人は西欧文明の末路を説いたのです。これから先は東洋文化、東洋文明を中心としてキリスト教を統一することのできる文化的起源と新しい宗教的な基盤が現れなければ、世界を収拾することができないと言いました。事実そうです。

 それではそれが東洋のどの国でしょうか。東洋で昔から看板を大きく掲げていた国はどの国ですか。中国でしょう? ところが、今中国は共産国家となりました。その次にはインドです。インドには何がありますか。インドにはヨガとか何とかいうものがあります。これが米国社会で大きな問題として台頭しています。今インドには何か神霊的な運動だとか宗教思想、特に仏教思想が相当に頭角を現しています。しかしそれは現代の時代感覚には合いません。その次に日本がありますが、日本は宗教国家ではありません。雑教国家です。統一された宗教的な伝統思想をもって世界思潮の前に肩を張り合うことのできる背景をもつことができなかったのです。

 このようなことを見るとき、今後は我々の大韓民国が問題となるでしょう。今我が国は、キリスト教文化と東洋思想を基盤として新しい文化を創建することのできる歴史の流れに、ぶち当たるまいとしてもぶち当たらざるを得ないのです。このような歴史的な流れが我々の前に近づいています。このような現時点を我々は注視しなければなりません。そして、我々が処しているこの時点がどれほど重要なものであるかということを知らなければなりません。(二五―一五三)

 思潮的に見ても、韓国は世界文明の展示場になりました。この韓国は数多くの民族に対してみました。アメリカをはじめとする一つの国連機構に加担した数多くの種族に対してみました。しかし彼らが主張するいかなる主義や理念も、この民族には合わないということを知りました。

 このような韓国が南北に分かれ、北側は共産主義が占領しました。その北側は共産陣営の焦点になっています。そして南側は民主陣営の焦点になっています。そうだからといって、この民族が共産主義に絶対的に寄与するのでもなく、民主主義に絶対的に寄与するのでもありません。このような情勢に処しています。(九―二八二)

3 韓国はすべての文明の集約地

 韓国はアジア国家の中で一つの特異な国です。韓国は過去五千年間、東洋固有の文化と生活様式を保存してきました。ある見方をすれば、最も純粋な本然の東洋文化の真髄が維持されているところがまさに韓国だというのです。また、韓国には世界の主流宗教が入ってきて栄えました。今は西欧文明の精神的核心であると見ることのできるキリスト教が韓国に深く根を下ろして発展一路にあります。世界の至る所の教会ががらがらになっていくのとは反対に、韓国のキリスト教会は夜昼なく祈祷と礼拝の声が高まっています。

 韓国キリスト教は西欧精神文明の根になった「ヘブライ思想」の実だというのです。古代ヘブライの預言者たちによって証され、キリスト教の聖者たちによって継承され、今日世界の主流宗教となってきたキリスト教は、まさにヘブライ思想に根ざしたものだと言えます。そうかと思えば、休戦線以北の北韓ではヘブライ思想とは正反対の伝統を継承してきた「ヘレニズム」の極端な実が結ばれています。それがまさに唯物思想に立脚した神様を否定する共産主義です。この相反する二つの主義を信奉する二つの世界が、まさにここ韓国で互いに衝突しているのです。

 韓国戦争はこの二つの主義の世界がぶつかった戦争でした。そのため韓国戦争は国家戦争ではなく、結束した共産主義世界と国連内の自由国家の二陣営がぶつかり合って戦う一つの世界戦争でした。したがって韓半島は世界の縮小体であると見ることができます。世界のすべての問題が縮小された状態で韓半島で引き起こされているのです。したがって韓国で得られた経験と成功する解決策は、それがすなわち韓国の問題の解決策だけでなく、直ちに世界の問題の解決策となるのです。(一九八二・一一・五)

 アジアにおいてどこが中心なのでしょうか。韓国が中心だというのです。そのため我が韓国の問題が世界的な問題として登場したというのです。アジアにおいても最も問題の民族が韓民族です。韓国民族は料理することができないと見るのですね。そして頭がよく、組織的な情報事業にとても鋭利なのです。

 そして近世に入ってからは、アジアにおける戦いは韓国のためにしているというのです。日露戦争も、日清戦争も、大東亜戦争、すなわち日本とアメリカが戦ったのも、みな韓国を置いて戦ったのです。

 それはなぜでしょうか。なぜそうでなければならないのでしょうか。なぜ世界図上で、近世においてアジア第一の問題の国となっているのでしょうか。今においては共産党と隣接した国の中で最後に残った一つの基点だというのです。一番最初から最後まで残った国だというのです。それが負けるのか、滅びるのか、盛んになるのかという問題は、神様の名前をもって出るのか、もたずに出るのかに掛かっているのです。このような立場から見るとき、韓国に神様の摂理があるために、サタンは我が韓国民族を自分の手中に収めようとせざるを得ないのです。

 さあ、そこを見れば、アジアにおけるすべての文明の集約地が韓国になっているのです。皆さん、中国文明の起源がどこにあるのかと言えば、世界の人々はみな中国に……。しかし韓国人たちがみなそれらの世界を凌駕したことを歴史が証するというのです。最近になって学者たちの中でそれが問題になり、認定しているというのです。

 そのような観点から見るとき、「ああ、神様の摂理をこの民族が知っていたので迫害を受け困難を経てきたが、神様は韓半島に基地をつくったのだな!」、摂理全体の歴史観をもって見るとき、それが一致したのを見れば「ああ、韓民族は天が選んだ民族であり、知恵ある民族だ!」と、私は決定し判断したというのです。そのような所が、このレバレンド・ムーンのような人が生まれた所です。

 この時代において神様の名前をもって、韓国人として世界に問題を起こすことのできる人は、歴史的な使命がある人であるということを、我々はこのような観点から理論的体系を通して結論を出すことができるのです。それは異常なことではないというのです。それが歴史的帰結となっているという事実を見るとき、これは韓国民族がすることではなく、レバレンド・ムーンがすることでもなく、神様がされることだというのです。神様が歴史を支配されたということです。そのため神様がなさったという結論は妥当なのです。

 そしてレバレンド・ムーンがこれまで何をしたのかと言えば、アジアの文明を集約するみ業をしたのです。アジアにおいて反共主義の第一人者と言えばレバレンド・ムーンを数えるようになっているのです。神様の名により、新しい宗教をもって世界的な革命をしようとする、そのような人が誰かといえば、レバレンド・ムーンだというのです。(八〇―一七)

 今後、西洋が東洋に物質を集中的にもってこられるように、中間でつなげるそのような所は希望があるのです。そこがまさに二十世紀において問題となった韓国です。そうですか、そうではありませんか。(そうです)。韓国が問題の中心だということです。そのため韓国は希望がある所なのです。

 韓国は西欧文明の接線地であり、新しい文化の起源となることのできる所であり、授け受けすることのできる最初の出発の因縁が、究極的な結論として因縁を結ぶことのできる所です。そのため、すべての文明の集結地が韓国になるというのです。

 アメリカが他の国からは手を切りながらも、韓国とだけは手を切ることはできません。神様が公認しなければ切ることはできないのです。統一教会が位置をつかむ時まで、手を切ることはできないのです。何の話か分かりますか。(二七―一九二)

 韓国は東西文化が交流する尖端地域であり、思想的な接線地域であり、新しい理想世界を創造することのできる出発基点です。(一三―四七)




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四.韓半島を中心とした世界的統一文化圏の形成

 ジューイッシュ・ピープル(Jewish people;ユダヤ人)が韓国と異なるのは、ジューイッシュ・ピープルからはこのような世界的思想が現れなかったということです。これが問題です。ユダヤ教にはそのような歴史的背景がないということです。アジア宗教文化圏を中心として統合する所は韓国しかないというのです。摂理的に見るとき、イエス様が死ななかったならば、ユダの国を中心として、インドと中国文化を中心として統一するはずでした。インド文明を代表し、韓国に連結されたものが仏教であり、その次に中国文化を代表したものが結局は儒教です。その次には西欧文化、西側へと行ったキリスト教、キリスト教が西側であるローマに行って、ローマの国力を中心として勝利を収めておいて、これが韓国で世界的宗教として実を結ばせることのできる代表的基準を備えたために、韓国がユダヤ民族を越えて神様の祝福の基地とならざるを得ないという事実をよく知らなければならないというのです。

 インドの実が仏教ですが、それが韓国に植えられ、中国の儒教が韓国に植えられ、キリスト教が韓国に植えられて、イエス様の時にしようとした文化の統一がここで成されるのです。分かりますか。イエス様の時にそのような文化圏を中心としてキリスト教が世界を統一できなかったので、二千年が流れ、一回りして帰ってきて東洋の一基地を探し、韓国で仏教文化統一、儒教文化統一、キリスト教文化統一をなして、新しい統一世界として登場することが、摂理的に見て不可避な帰結です。ユダの国の歴史にはそのようなことがないために、ユダの国も韓国に従っていかなければならないのです。ユダの国にはこのようなことがないために、世界的再臨主は来ず、世界をリードすることのできる人が出られないのです。(一六八―六七)

 ローマ教皇庁を中心として西欧社会の統一世界をつくりましたが、みな壊れてしまいました。それで西欧世界の統一とともにアジア世界まで統一することはできなくなったのです。したがってちょうどそのローマの教皇庁のような新しい統一教会教皇庁を中心として、西欧とアジアを連結させる統一文化圏の形成が起こらなければなりません。半島を中心として新しい世界的文化圏が現れなければならないのです。

 そのために、今までこの現代文明がローマを中心として千二百年の歴史を代表してローマの権威を立てたのと同じように、アジアを中心として、韓半島を中心として新しい千年世界を経て永遠なる文化圏が形成されると見るのです。それを実体で蕩減しなければならないのです。これがイタリア半島です。

 それではなぜ半島が重要なのでしょうか。地中海は女性の子宮と同じです。女性の陰部です。そして大西洋文明圏をつくったのです。今度は太平洋文化圏を中心として……。韓国は男性の生殖器と同じです。半島は生殖器と同じです。日本は女性とまさに同じだというのです。いま太平洋文化圏を支配しているのです。そして太平洋沿岸で私が、アメリカのアラスカと南米を中心として水産事業をしているのです。この水産資源は陸地の資源と連結されると見るために、水産事業をするというのです。魚を中心として見るとき、陸を支配するというのです。陸地の人は魚を象徴するのです。同じだというのです。模様が違うだけでしょう。海の水のようなものが陸地の空気だというのです。

 ペテロに対して人間を獲る漁師になれと言ったのは何かといえば、魚で人を象徴したということです。そのため魚を捕まえて海洋圏を握れば、陸地圏まで握ることができるというのが摂理の観です。したがってアラスカを占領すればすべての海洋圏が占領されるのです。世界の水産収入の八五パーセントがアラスカから出るのです。そして五パーセントが大西洋から出て、その次に一〇パーセントが太平洋から出て一〇〇パーセントになるのです。

 そこで今は大西洋文化圏を動かしたローマのような、そのような半島を中心とする統一文化圏、新しい理想的王権時代へと越えていくのです。摂理がそうなっているのです。(一六八―六八)




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第四節 主が来られる国

一.神様が臨在される国

1 主が来ることのできる国

 今世界には数百の教派があるでしょう? 数百の教派があるのと同じように、この世界には数百の国家があります。そして、そこで特定の国家を中心として世界が神様のみ旨とともに、国家が神様のみ旨とともに、家庭が神様のみ旨とともに、個人が神様のみ旨とともに行くように、神様の愛の圏内へと誘導していくのです。このような圏をつくるためのものが民主世界です。

 したがって民主世界圏内で特定の国が現れなければならないのです。その特定の国はキリスト教をよく信じる国です。イエス様の思想を正しく受けた国です。そのような国の中にキリスト教がなければなりません。ちょうどイエス様が来られた時のイスラエルの国とユダヤ教のような立場の国が現れなければなりません。ですから、どのような民族が代表しなければならないのでしょうか。神様は特定の民族を代表し、特定の教会をつくるために数多くの宗派に分裂させてこられたのです。

 それでは教派が大きければ大きいほどよいのでしょうか。そうではありません。教派が小さければ小さいほどよいのです。国が大きければ大きいほど、神様のみ旨を成すことができるのでしょうか。そうではありません。小さければ小さいほど可能でしょう。イスラエルの国は、江原道くらいしかありません。私がイスラエルを一周したとき、四時間半、五時間もかかりませんでした。そのように小さな国なのです。一日あればうわさがみな広まるような所です。そのために、そのような特定の国を中心として神様は摂理されるのです。

 長いキリスト教の歴史を通して土台を築いた国では難しいのです。なぜかと言えば、何千年の間基盤を築いてきたユダヤ教の土台で滅びたからです。したがっていきなり恩恵を受けて、恩恵の火がついた土台の上に立った国でなければならないのです。言い換えれば、百二十年以上のキリスト教歴史をもった国は、主が来られることのできる国にはなれないのです。

 そのため、主が来ることのできる国が韓国だというのです。皆さん、今キリスト教では何年祝賀だと言いますか。韓国に新教が渡って来てから何年目でしょうか。百年にもならないのです。三十年から六十年の段階へと越えていくとき、キリスト教は迫害圏内に入って行かなければなりません。この時が日本統治下の時代です。キリスト教が迫害を受けてきたために、韓国のキリスト教も国家的な迫害を受けなければなりません。また、今までキリスト教が蹂躙されてきたために、特定の国としてみ旨を受け継ぐことのできる国は圧政と圧制を受ける国家にならなければならないのです。イエス様の時、イスラエルの国がそうでした。そのような条件に符合する国が韓国です。そのため、韓国に主が来られるということは、心霊的な人々はみな知っている事実です。(五一―一二九)

2 神様が臨在される国

 神様が六千年歴史を導いてこられた目的は、失ってしまった本然の真の始祖、祖先を探し出すためでした。これを我々は知らなければなりません。

 それではその方はいかにして、どこに来られるのでしょうか。どのような道を経て、どの国に来られるのでしょうか。これが問題です。アメリカに来られればよいでしょう? ところが難儀なことに、この韓国の地に来られるというのです。神様は切ない心情をもって懇求する者たちの祈祷を聞いてくださいます。食べられず、貧しい生活をする所へ行くようになれば知れたことです。世の中でも、息子が病気ならばその息子のことをもっと考えるでしょう? 神様の愛はこのようになっているのです。

 それでは、主はどこに来られなければならないのでしょうか。皆さんは主がどこに来られればよいですか。韓国人は韓国に、アメリカ人はアメリカに来いと言うことでしょう。アメリカ人が「主よ! 韓国に来てください」と祈祷するでしょうか。イギリス人が「神様! あなたは我がイギリスを愛していらっしゃいますが、主は韓国に送ってください」と祈祷するでしょうか。誰でもただ「主よ! 我が国に、私の部屋に、私の心に来てください」このように祈祷することでしょう。

 このように祈祷する人々全部が盗人たちなのです。この地を猥雑な地獄にしておいて「主よ! 早く来てください」と言っているのです。このような者たちが自分たちの欲心どおりに、自分たちの勝手気ままに「主よ! ここに来てください、あそこに来てください」と言っているのです。なんと神様はお気の毒なことでしょう。そうではありませんか。もし主が自分たちの望む所へ来られれば、どうするのかということです。(二〇―一三一)

 神様の臨在点は韓国ですが、この臨在点は韓国だけのものではありません。この臨在点は世界を代表した臨在点であるために、誰もがここに向かって一致し、同和するために精誠をもって出てくれば、自動的に分かるようになっているというのです。皆さんにそのような認識がなければなりません。皆さんが祈祷するとき、真正なる意味において神様が臨在する所がどこかということを考えてみてください。

 神様は万物を造っておいて、エデンの園にアダム・エバを創造されました。そしてこのアダム・エバを中心として臨在されようとしましたが、その基点を失ってしまったのです。

 それで復帰歴史は六千年の間悲しみの逆境と開拓路程を経て、数多くの歴史過程で犠牲の関門を選んで来たのです。そうしながら神様はどこに臨在することのできる基点を準備してきたのでしょうか。そこはイスラエルではなくて韓国です。韓国でも他の所ではなく統一教会です。それでは統一教会のどこですか。結果的に先生に帰結するのです。(二二―四六)

3 神様の摂理の錨はどこに下ろされるのか

 先生は韓国のような未開な国、韓国を未開な国だと言ったと寂しく思わないでください。そして今まで後進性を免れなかったこの国の民族として生まれたことを幸福であると感じました。なぜでしょうか。目の前に展開されるすべてのものが我が国のものと比較されるので、比較することのできる内容が豊富になって、自然に関心が多くなるからです。そうであらざるを得ません。

 反面、一等国家であると自負する国の人々は、そのすべてのものに対して「これが何だ」というように無関心なことでしょう。それは田舎の人がソウルに来れば見るものすべてが関心事ですが、ソウルの人が田舎に行けば田舎の人がソウルに来るときよりも比較的に関心が少ないのと同じです。このような観点から、文化水準の高いどのような国の国民よりも、このような後進国家の国民として生まれたために、世界のすべてのものを鑑別し、逐一比較して分析することのできる関心事を誰よりも豊富にもつことができるのです。後進国の国民でなければ、そのようなことを感じることはできないのです。

 救援摂理をなしてこられた神様は一等国家の国民を中心として救援摂理をするでしょうか、後進国家の国民を中心として救援摂理をするでしょうか。浅く考えると一等国家の国民を中心として摂理をなさるかのようですが、とんでもありません。世界に対しては関心がなく、自国のよいものと自分たち自身が誇る文化のみを考える民族、自国の都合のみを中心として考える、極めて制限されたことのみを考える環境に、神様は摂理の錨を下ろしません。

 その反面、未開な民族には関心事が多いのです。神様はそのように関心事が多い人々の中に摂理の錨を下ろそうとされるでしょう。もし神様が高く貴い位置に現れれば知りませんが、そうではなくて悲惨な位置に現れたなら、一等国家の一等国民であると自認する人々は、神様を値打ちのないものだと顔をそむけてしまうのではないですか。一般的に考えてみても、後進国家の国民の中に現れてこそ多くの数が神様と関係を結ぶことができ、多くの数が神様に対して関心をもつことができるのです。ところが特定の民族の前に現れたならば、神様に対して関心をもつ人が総数として限定されることでしょう。(二三―七七)

4 世界的蕩減の祭壇に上がることのできる国

 皆さん方は個人蕩減復帰から始まって家庭・氏族・国家・世界的な蕩減復帰路程を行かなければならないという話をたくさん聞いてきました。それでは世界のために蕩減路程を行くことのできる国は、いかなる国でしょうか。必ず世界を代表することのできる一つの国があることでしょう。

 日本がそのような国としての権威と威信をもっていますか。いません。それならば自ら権威を誇り先進国家としての偉大さを誇る国家の中にそのような国家がありますか。世界を代表して蕩減の祭壇に上がることのできる国があるでしょうか。ありません。今幸福を謳歌する国はそのような国ではないというのです。歴史過程において身もだえし、血のにじむ闘争をし、世界的な事件を自分と連関させ、自分のことと思って身もだえした民族、そのような国家のみが今後世界に責任をもつことができるのです。このようなことを皆さんは知らなければなりません。

 それでは、そのような民族はいかなる民族でなければならないでしょうか。そのような国を追究しながら、そのようなものを主流思想として奉ずることのできる民族でなければなりません。その国全体の国民が、老若男女を問わずその思想とその行動を一〇〇パーセント奉じ、希望の象徴として思い浮かべることのできる、そしてその国の主流思想となることのできる思想を国民の前に提示する運動を、今している民族でなければならないでしょう。そのような氏族、そのような家庭、そのような個人でなければならないのです。

 それでは世界で、どの国がそのような国でしょうか。今日世界には数多くの国がありますが、三千里半島、大韓民国は見るべきものがなく悲惨な国であり、半分に分かれた悲しみと悲運をもっている国です。しかし、この国は悲運に消え去る国ではなく、むしろその悲運を打破して、新しい世界のよろいを着て行こうと身もだえする国です。いかに歴史的な恨がしがみついて道を阻んだとしても、これに必ず責任をもたなければならない試練の舞台を知り、ここに生命を投入して一年、十年、四十年、あるいは半世紀、一世紀、数世紀を信じて行くことのできる民族団結運動、民族統一の運動に着手するならば、世界的な蕩減路程に責任をもつことのできる一つの国家となるであろうことは、改めて言うまでもない事実です。

 このような観点から見るとき、大韓民国が六千年というとてつもなく長い歳月の中で、数多くの民族が滅び数多くの民族が起こりながら織りなしてきた屈曲の歴史に、一つの国家形態を取って現れたのかと言うとき、果たしてそうだと言えるでしょうか。大韓民国の歴史は悲しみの歴史ではないでしょうか。それを認識することのできる私自身とならなければなりません。いまや数多い曲折の歴史を清算して、勝利の権限をもたなければなりません。私が住んでいる大韓の国は、このような国になることができると私は主張してきました。(二七―二七七)

 主が来られる国は分かれていなければなりません。そのために、大韓民国は南北に裂かれました。以北はカインの国であり、以南はアベルの国なのです。民主世界は唯心圏です。民主世界は内的であり天の側であり、共産世界は外的でありサタン側です。唯物と唯心は一つです。二つが一つであることを知らずに、分かれて戦っているのです。(三九―一二三)




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二.神様の心情の対象国家

1 悲運の歴史をつづってきた恨の民族

 韓民族は悲運の歴史を綴ってきた恨の民族です。韓国は長い間貧しく、周辺強大国の非常に強い勢力の狭間で侵略と蔑みを受けなければならない運命の道を免れることができませんでした。漢族と、満州族、蒙古族、そして日本に対してそうでした。外勢の侵略を受ける度ごとに、数多くの人々が血の涙を流し、恥辱の痛みを受けました。そうする中でも、この民族は決して天を捨てませんでした。国家の運命とともに、自身たちの悲惨な時代的運命を宿命のように感じながら、天を仰ぎ精誠と祈祷の祭壇を築いてきた民族です。そのような恨の歴史的傷痕が今日まで残っており、そのような祖先たちの精神が今日の我々にまで連綿として流れているということを、我々は考えざるを得ません。

 そのような観点から、この民族が流した涙は決して自分だけのための涙ではありませんでした。国と民族のために流した涙でした。さらにまた、ある時は彼らと相対して彼らよりももっと優れた繁栄した国を成して、この国の栄光が千秋万代にわたって花咲くその将来の一日を望みながら、その一日のために堪え忍びながら、その希望の成就のために天の前に祈祷して流した民族の涙でした。

 今日我が国は思いがけずアメリカに頼る国になりましたが、アメリカも完全に信じることはできません。アメリカだけでなく、自由友邦のどの国も我々は確実に信じることはできません。ですから、我々においては、いまだに周辺強国の狭間の中に閉じ込められているこの民族の将来を心配せざるを得ません。

 長い間周辺の外勢から侵略と迫害を受けて生きた悲運の韓民族、しかしその受難と悲運の歴史の中でも天に背かなかった一民族、この韓民族の将来は今後どのように展開されるのでしょうか。まだ過去の歴史と一つも変わりなく、強国の脅威の中に閉じ込められたこの民族の生きる道がどこにあるのか、ということです。

 私はここで、我が民族が至誠を尽くしてただ天のみを仰ぎ、さらに深刻な涙を流しながら、世界全歴史時代においてどの民族も築き上げることのできなかった精誠と祈祷の祭壇を築き、歴史時代において天がどの民族よりも記憶されることのできる位置を固める道だけが、この民族が生きることのできる道であると考えます。この道を取るとき、初めて神様がこの民族に晴れて堂々と同情してくださることができ、またこの民族を救援してくださることができるでしょうし、そうすることによってこの民族は繁栄と栄光の一日を花咲かせることのできる民族になるだろうと考えます。(一九八〇・一一・一)

 大韓民国を見てみるとき、大韓民国に何千年ぶりにこの一時が訪ねてきたのでしょうか。五千年の歴史を経て、初めてこの一時が訪ねてきたということを、皆さんは知らなければなりません。この民族は歴史上のいかなる民族よりも苦労した民族であり、どの民族よりも弱い民族としてアジア強国の狭間で侵略者たちの銃刀に、あるいは馬のひづめに倒れ、そのうめき声が三千里半島にやんだことがない孤独な民族であり、哀切なる民族ではなかったでしょうか!

(四三―三三四)

 大韓民国は今まで五千年の歴史を誇っていますが、誇るべきものが何もありません。悲惨の歴史であり、流血の歴史であり、謀略中傷の歴史であり、権力をつかんだ者たちが弱者を略奪した歴史でした。しかしながら、そのようにいじめられる民族の中には、汗を流して苦労をしながらも天にしがみついて祈祷する心、「もっと大きな愛をもった神様がいらっしゃるならば、我々の将来を保障され、我々の行くべき道を開いてください」と祈祷して順応する敬天思想があったのです。それがこの国、この民族が生き残ることのできる運命の形態をつくったのです。(一九八〇・一〇・一六)

 大韓民国の歴史は悲惨な歴史ですが、これが悲惨で終わるのではありません。一つの下りていくサイクルの運勢圏内で今まで呻吟しましたが、上がっていく時が来るであろう、このように見るのです。(一〇五―二九四)

 韓国の過去の実情を見れば、貧しく、生活が困難でした。それは天運がそのようになっていたためです。そうでなければ正常ではありません。腹をポンポンに張り出して腹鼓を打って食べ、自分だけを考えてよい生活をする人がいたならば、その人は不正なことをした人です。そのような人は遠くない将来に滅びます。撲殺されることでしょう。

 今韓国は神様の愛と天倫の法度を立てる代表的な基準を見せてあげるための位置に立っている、と先生は考えます。そのために韓国の実情においてよい生活をし、腹を張り出して度を越した良い生活をする人々は全部正常ではないのです。それではどのようなものが正常でしょうか。食べられず、心配を泰山のようにして今日を生きたならば、明日の心配がぎっしり詰まっていなければなりません。それは極めて不幸な運命であるかのようですが、それを克服するようになれば、極めて幸福になるのです。(一七―二一)

 過去にこの民族に悲しみがあったということは、勝利の一日を迎えるためなのです。この勝利は過去にのみ連結されるものではなく、現実の舞台に連結させなければならないものです。いかにして連結させるのでしょうか。ここでは革新的な新しい運動を提示しなければなりません。これは未来の希望の土台とならなければなりません。このように再現することのできる地点は過去の復活であり、現実の出発であり、未来の起源となることでしょう。このような立場に立脚した皆さん自身となることを願うのが、この民族を訪ねてこられた神様のみ旨です。したがって統一教会を立てて計画される目的がここにあるということを知らなければなりません。(二四―一九九)

2 神様の心情の対象国家

 この民族は五千年の歴史を誇る倍達民族として、今まで無数の侵略を受けてきた受難の民族です。しかし、この民族には歴史を通して神様が同情することのできる神様の心情と近い心情が宿っています。この民族歴史の背後にあるすべての惨事は、カイン・アベルの惨事と同じです。大韓民国の歴史に、世界に類例のない宮中秘事があったのは、世界復帰路程においてカイン・アベルの蕩減の戦いを代表としてなしてきたのであると考えています。

 このような内容を中心として見るとき、我が国が摂理歴史においてどの国よりも神様と近い位置に立っていることを知ることができます。そして神様が愛すまいとしても愛さざるを得ない民族となったのです。(二三―二四五)

 アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたのではなくて、神様が私にくださったみ言を聞いて人格革命が起こったのです。神様が韓国の地を通して下さった新しいみ言は、一度聞きさえすれば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人が世界のために犠牲になろうと出て行きます。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱だった過去から解放されます。父母には孝道、国には忠誠、神様には命を懸けていき、奉仕しようという偉大な人格者になっていきます。そればかりか、彼らが共産主義を神様の怨讐と認定して、共産主義と戦おうという信念が、この世の中のいかなる信念よりも強く燃え上がるようになります。

 どうして神様が世界を救おうとされる最後の理念が、我々の祖国大韓民国を通して現れるのでしょうか。韓国は何の資格があって終わりの日にこのような選びを受けた国となったのですか。一言でいって、韓民族は神様の心情を理解することのできる民族だからです。

 歴史上で神様はうれしい方ではなく、悲しみの帝王であられることを知る者がいませんでした。神様は創世の時から息子を失った父母でした。いかに帝王だといっても、息子を失った父母は悲惨であり、哀れです。歴史の中にいらっしゃる神様は哀れな父でした。この哀れな父において、最大の孝子はその父の痛みと悲しみを代身する息子です。韓民族がまさにそのような位置において選びを受けたのです。

 韓国の五千年歴史は苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間貧しく、外勢の虐げの中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練を受けてきた韓国の事情は堕落した人類、すなわち死んだ息子を見て嘆息する神様の事情と同じです。韓国人たちは涙の味を知っています。だから涙の神様を理解することができるのです。韓国人は古来より悲劇を好みました。

 それがすなわち堕落という悲劇を味わわれた神様を同情することのできる資格です。 諺 に「寡婦の事情は寡婦が知る」という言葉があります。我々は喜びと栄光の中で権勢のみを享受される神様だろうと思っていたのですが、その神様は、知ってみれば息子を失って泣かれる切なく寂しい父であられたというのです。その神様の心情を慰める真の孝子となることを信じて、神様は我々を訪ねてこられるのです。(一〇〇―二五一)

3 天が立てられた父母の因縁を求める民族

 今やこの民族、哀れな境遇にある我々韓国民族が生きる道はただ一つ、心情的な主人と因縁を結ぶことです。我々はみな裸になりました。みな奪い取られました。父母、妻子も失いました。南北が分かれて私がもっているすべてのもの、我々がもっているすべてのものがみな破綻しました。因縁と関係がみな壊れて出て行きました。息子が誰なのか、父母が誰なのか、兄弟、親戚が誰なのか分からなくなりました。既に過ぎ去ったことですが、我々はこのような環境に生まれました。しかし、歴史を清算して新しい面に引き継がせる天的な摂理があるということを知ったからには、食べるものがないと嘆息するのはやめましょう。姿がみすぼらしいと嘆息するのはやめましょう。ただ一つだけ生きる道がありますが、それは心情が燃え上がって天が立てられた父母の因縁を求めて行く群れになることです。そのような群れとなったならば、この民族は世界を支配するでしょう。

 心情的な因縁をたたえ、神様を慰め、恨めしい自分の位置を忘れて「神様よ、このような位置に立ったことも感謝いたします」と言うことができなければなりません。天が忘れてしまわれずに哀れな位置にいる私をこのような位置に立ててくださったことは、目的とする世界と因縁を結ぶようにするためのみ旨だったからだということを知ったからには、ただ感謝しなければならないのです。

 我が民族は世界的に見るとき、哀れな民族です。二つの思潮の狭間に挟まれて、追われ、裂かれて、蹂躙された民族となりました。しかし、それは天が何の考えもなく哀れな位置に追いやったのではなく、そこへ引っ張り出して新しい歴史を織り成していくようにするためであるということを知らなければなりません。いかなる主義も、悲惨なる環境を舞台にして出発しなかったものがありません。風習と制度と権威も天的な心情を失って退廃したイスラエルとユダヤ教の形式化した教団を足場にして、イエス様の新しい心情の役事は爆発しました。(九―三三)

4 神様の宗孫となることのできる民族

 神様を中心とする最終的な宗孫(宗家の長孫)にならなければなりません。宗孫になるときは、数千年にわたって続いてきた先祖たちが必要とする宗孫でなければならないのです。そしてアダム家庭においてアダムとエバが失敗したことを解怨成就してあげ、アベルがカインに罪なくして殺されたことを解怨成就してあげ、ノア家庭の八人家族を残しておいてこの世界に植えようとされた神様の願いが成し遂げられなかったことを全部解怨成就しなければなりません。また、アブラハムとイサクとヤコブはもちろんモーセ、イエス様の恨を解いてあげなければなりません。そのために、これら全部が必要とする最後の宗孫にならなければなりません。

 歴史的にすべての国境を越えて多くの国に数多くの民族がありますが、その無数に多い来ては去る民族自体も、今後宗孫になることのできる一つの国を選択しなければなりません。その国がどこになるでしょうか。アメリカにならなければなりませんか、韓国にならなければなりませんか。(韓国にならなければなりません)。皆さん方は韓国人なので韓国にならなければならないと言います。しかしながらアメリカ人たちに聞いてみれば、決死的にアメリカにならなければならないと言います。世界歴史上アメリカがいかなる民族よりも優越しているために、祝福してくれることのできる質が必要ないので、アメリカがならなければならないと言うでしょう。

 そして主張する数で見るときも、今日アメリカ人と韓国人を比較すれば六対二です。アメリカのキリスト教信者は約一億二千万程度になります。神様も数を計算しているのです。今後世界を救うためには実際に多くの数字の人々が必要なのです。神様もアメリカと韓国が同じ立場にあったならば、数的に多くて準備された土台の上で事を起こしたいのが当然の理知です。人も同じなのです。

 それなのに韓国になることができるでしょうか。韓国は恨(ハン)が多いので韓国(ハングク)なのです。人々は一つの(ハン)国を成して一つの(ハン)血筋なので韓国(ハングク)というのだと言いますが、そうではありません。恨が多いから韓国なのです。その恨はお金がなくてよい暮らしができない恨ではなく、父と母に会えない恨です。皆さんは孤児なのです。(二一―二五六)

5 神様の心情を慰めてさしあげることのできる民族となろう

 多くの恨を抱いてきた韓国民族! この民族は「飢えよ、ぼろを着よ、旅人になれ」という聖書のみ言どおりにみなしました。昔、天のために進み出た人々はみなそうでした。この終末時期に世界的なイスラエルを建国されようとする神様のみ旨があるならば、この最後の時代に追われ追われる祭物的な国家が現れなければなりません。飢えの泣き声が聞こえなければならない時が来ました。泊まる所のない旅人の身の上になった民族が現れなければなりません。今我が民族がそうではありませんか。我々は旅人です。だから物乞いをして食べるほかに道がありますか。飢えて病にかかっています。そして閉じ込められています。地域的にそうです。

 天上に神様がいらっしゃってこのようなことを見ていらっしゃるからには、時代的な機運に従ってこのような民族を世界の前に天の精兵として立てられることでしょう。このような運命の前に立った三千万民族はいかなる姿にならなければならないのでしょうか。極めて小さい者であるといっても、神様の血のにじむ心情をつかんで涙を流し、神様の心情と共に動く哀れな孝子の姿、孝女の姿、忠臣の姿となり、神様がつかんで慟哭することのできる民族とならなければなりません。そのようになれば、この民族は生きる道があります。

 皆さん! 気落ちしないでください。我々がぼろを着ているのは我々のためではなく、我々が飢えているのも我々のためではなく、我々が渇いた立場にいるのも我々のためではなく、旅人になったのも我々のためではありませんでした。病にかかったのも我々のためではありませんでした。それは世界のためでした。このような立場にあるこの民族にただ一つの道があるのですから、食べられないと泣くのはやめましょう。ぼろを着ていると泣くのはやめましょう。病にかかったとため息をつくのはやめ、閉じ込められたと落胆するのはやめましょう。六千年歴史路程で神様のみ旨と善を探し求めてきた人々の歩みがそうだったのであり、堕落したその日から今まで、神様もまたそのような歴史を経てこられ、苦労されたのです。ですからこの三千万民族は、六千年歴史路程の上に残された神様の悲しい足跡を取り除き、慰めてさしあげることのできる神様の民とならなければなりません。

 民族的に神様をつかみ、我々の父の国のために、我々の父が臨在される道を開くために、我々の父が住まわれる家を造るために、我々の父がお出掛けになる国土を整えるために飢えて働くならば、その栄光はどれほど大きいでしょうか。飢えて渇くその事情をもって父の基盤を開拓しなければなりません。我々が到底語り尽くせないほど哀れな旅人の姿であったとしても、その旅人以上に苦痛の道を歩み、息子、娘を探し求めてこられた父を思い、自分一身の境遇を忘れて父を慰安するために苦労する群れとならなければなりません。腐っていく死亡世界を眺められて苦しまれる神様の心情を慰めてさしあげ、その神様の痛みと苦痛を和らげてさしあげることのできる皆さんとならなければなりません。そうなったからには、絶対に滅びません。(一一―三三)

 天の父はこの民族を訪ねて来られるのですが、その中でもどのような者を訪ねて来られるのでしょうか。飢えた者を訪ねて来られるのです。食べて眠る豪華絢爛たる位置にいる者の父として訪ねてこられるのではなく、飢えた者の父として訪ねてこられます。これはご自身がそのような歴史路程を経てこられたためです。旅人を訪ねてこられます。ですから皆さんは旅人の位置を経て出ていかなければなりません。閉じ込められた者を訪ねてこられ、病にかかった者を訪ねてこられます。そのような所に神様の心情がとどまることができるからです。これを知らなければなりません。本心、天情、天心を中心として、人類愛をもって苦しむ父であられます。(一一―三五)

 皆さん、我が大韓民国の何が難しいと落胆するのはやめましょう。よい生活ができなくてもよいのです。どうあっても滅びる世の中、今日の物質文明が最高度に達して世界的な指導国家の位置にあったアメリカ自体を見てみても、何か情をとどめるべきものは一つもありません。誰かが私に「文先生、あなたはアメリカへ行って暮らすのですか」と聞いたとき、「私はアメリカへ行って暮らしたくない」と言いました。だからコチュジャンを食べ、汗を流しながら隣を心配することのできる韓民族が恋しいのです。この者たちはそれでも未来に向かって苦しむことができ、あすの希望をもとうとしていますが、あの者たちはみな解放です。飽和状態に達したのです。皆さん方は失望しないでください。失望しないでください。(七七―三〇三)




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三.天然的な恵沢を受けた韓国

1 天然的な恵沢を受けた韓国

 西欧文明はどこへ行って包みを解き放たなければならないのでしょうか。お金持ちの人々に解き放つのでしょうか。そうではありません。世界の思潮とともに西欧の文明が定着するようになる最終定着地はどこになるのでしょうか。我が国です。我が国だけだというのです。韓国はそうなることのできる天然的な恵沢を多く受けました。天が下さった天然的な恵沢を多く受けたのです。だからよい生活をするようになっているのです。

 イタリアのような国に行って山を見れば、ほとんどすべて大理石です。イタリアの大理石は有名でしょう? そのような山を見れば愛想が尽きます。蒸し餅をくっつけたかのようにまだらです。また、ローマの城址へ行ってみれば、昔の洞窟だったものを暴いて置いてありました。れんがを積んであるものも、赤みがかっているので見た目が良くありません。しかし韓国は地形的な条件を中心として見ても住むのによい国です。その上、気候は世界のどの国とも比較になりません。住むのによいためには、まず気候がよくなければならないでしょう。

そうではありませんか。皆さん、今日雨が降ればよいでしょうか、悪いでしょうか。雨が降れば気分を損ないます。住むのによいためには、まず天気がよくなければなりません。人の顔も眉間にしわを寄せた顔が見るのによいでしょうか、明朗で迫力ある顔が見るのによいでしょうか。もちろん迫力ある人がよいでしょう? 肩幅が広くて太ったのを見れば、誰もが来てつかんで親しくなりたいし、好きなのです。韓国は小さな国です。小さいがとても深い奥の間で大事に大事に育てられた、五代無男独女(注:息子のない家の一人娘)の婿を探し探して、ついに婿を探し出せば、その無男独女と新郎が会って訪ねていくデートの場所としてふさわしいほどよい国です。新郎新婦が一番最初に会えば、喫茶店に行くでしょうか。デートの場所を探すでしょう。そのとき訪ねて行くほどにしゃれた国が韓国です。

 私は日本で暮らしてみましたが、日本は湿気が多くてべとつきます。台湾のような所へ行ってみても同じです。香港や中国大陸も同じです。あのタイ国やフィリピンなど東南アジアの各国にもみな行ってきましたが、大韓民国ほどよい国はありませんでした。大韓民国が、この韓国という国がどれほど住むのによい所でしょうか。春の日には少し体がだるい時があるでしょう? そのように体が疲れてだるいときに、ひと眠りして起きて、掛け布団をけ飛ばしてポンと飛び出して、扉を開けてたくさん空気を吸えばどれほど爽快でしょうか。日が昇る前に胸の中までそよそよと吹いてくる風の味はまたどうでしょうか。本当に素晴らしいでしょう。真夏のカルグクス(切麺)の味はまたどれほど逸品でしょうか。

 大韓民国の冬は三寒四温の気候です。このときの三数と四数は原理的にぴったり合った数です。三と四を足せば七数であり、それは完成数です。いったいどうして三寒四温なのでしょうか。誰がそのようにつくったのでしょうか。韓国は創造過程において完成数である七数を中心として回っているのです。(二五―一五四)

2 水よく、山よく、空気よき錦繍江山

 人は水と土と空気と太陽の光によって生命体を完成させていくのが鉄則です。それでは今後どのような国が世界最高の文化の中心地となるでしょうか。水が澄み、地がよく、空気がよい所でしょう。そこが韓国です。韓国はこのように水がよく山がよい国、すなわち山水がよい国です。その次には空気が澄んでいます。夜の空気、朝の空気が、春夏秋冬の四季を通じて澄んでいます。韓国の一日を静かにみれば、本当におもしろくできています。朝は春節気であり、昼は夏節気、夕方は秋節気であり、夜は冬節気です。一日の中にも創造理想世界の四季節型をすべてもっています。気候を見ても三寒四温のすべての内容がおしなべて含まれています。このような所に住む民族が偶然なる民族でしょうか。(七―一七〇)

 韓国にはどこにでも自然水があります。ある国では人工的にパイプを作って、その管を通して水をくんで飲むのですが、韓国はそうする必要がありません。水道も何もみな必要ありません。自然がつくっておいた、神様の造化によってつくられた水道がどこにでもよく備えられているのです。どこへ行っても水を飲みたければ気楽にうつ伏せになってゴクゴクと飲めばいいのです。

 人には空気がよく、水がよければ申し分ありません。人の健康において一番重要な三要素とは何でしょうか。第一に空気であり、二番目に水であり、三番目に土です。この三つしかありません。空気がよく、水がよく、山がよければ、もう言うことはありません。「三水甲山」(注:ものすごく困難な)という言葉があるでしょう? 平安も人々にはよい避難所でした。平安も人が逃げて暮らすには最も安全な所でした。皆さんはどこかに行って遊ぶときに、砂漠のような砂場で遊びますか。そのようなところで遊んだなら、三時間も過ぎれば疲れて倒れるようになります。そこで人々は、今後は自然を求めて水がよく、空気がよい所を訪ねていこうとすることでしょう。

 そして教会に行ってご飯を食べれば、おかずがどうしてこんなにまずいのか分かりません。だからといって、教会の人々が精誠を込めなかったのではありません。そのおかずを持って清平に行って食べれば、とてもおいしいのです。箸を持って拍子を取りながら食べるようになります。どうしてそうなるのでしょうか。考えてみてください。なぜそうなるのでしょうか。食べ物を消化するときには、空気が絶対的に影響を与えるためです。そのため肺病患者だとか何か持病がある人々は必ず空気がよい所へ行って療養するようになるのです。

 アメリカのような所に行って景色を見れば、これは純然と水っぽいのです。アメリカ人たちのように大きいには大きいのですが、水っぽくて味もそっけもないのです。私はナイアガラの滝にも行ってみましたが、そこで一日二日も過ごせば頭が落ちそうです。(笑い)そのような所は宣伝が多くされている所なので、ただ目をぎゅっと閉じて過ぎ去って一度見るだけの所であって、住みたいという思いになる所ではありません。名のある所だといって見回してみれば、何か心が浮ついた太った女性がチマを巻いて取り囲んでいるような、そのような感じなのです。

 そのように回ってみても、韓国の景色が世界的な絶景です。韓国の雪岳山に行ってみれば、とても世界的な絶景です。金剛山や雪岳山は山の中の山と言いますから言うまでもありませんが、他の所も同じです。そのため我々の山河を錦繍江山というのです。錦繍江山という言葉はどのような意味でしょうか。絹で刺繍した山河であるという意味です。事実そうです。(二五―一五六)

 山へ行ってみれば、どこへ行ってもみな別荘地帯です。あのヨーロッパのスイスのような国へ行ってみれば、山々があまりに険しくて家を造る所がありません。誰がアルプス山脈の頂のような所に登って家を造るでしょうか。登ろうと思えばどれほど大変なことでしょうか。しかしそのような所にものすごい苦労をして道を開き、家を造って暮らすのを見れば不思議なものです。

 韓国は良い国です。我が韓国はどんなに高い山でもその頂にしゃれた別荘を造ることができます。だからそのような山頂にしゃれた別荘を造っておいて、ヘリコプターに乗って通えば、まるで神仙遊びをするかのようでしょう。ですから韓国は神仙遊びをすることのできる自然環境をもっているということです。(二五―一五五)

3 三千里錦繍江山

 これまで私は世界を多く回ってみましたが、我が国のように山水が秀麗で美しい国を見ることはできませんでした。皆さんの中に外国に旅行をしてみた人がいるならば、私の言葉がうそではないことがよく分かるでしょう。そして私はそのような事実を感じる度ごとに、もし神様がこの地球を眺められたなら、世界で最も美しい国として韓国を考えられるのではないかと考えてきました。

 我が国は文字どおり錦繍江山です。このような錦繍江山に住んでいる皆さんは、韓国に住んでいることだけでも幸福なこととして受け止めなければなりません。

  エヘー 金剛山一万二千 峰ごとが奇岩だよ

  漢拏山高く高く 名勝だなあ

  エヘヤー いいな、いい チファジャー いいな、いい

  名勝のこの金剛山よ、誇りだなあ。

  エヘー 石窟庵 朝の景色を見られなきゃ恨になり

  海雲台 夕月は 見れば見るほど趣があるなあ

  エヘヤー いいな、いい チファジャー いいな、いい

  名勝のこの金剛山よ、誇りだなあ。

 これがどれほど良いでしょうか! 韓国の絶景を歌った歌が……

  エヘー 白頭山 天池には仙女の夢が深く

  鴨緑江 夏の季節には筏が風物だ(意味不明)

  エヘヤー いいな、いい チファジャー いいな、いい

  名勝のこの金剛山よ、誇りだなあ。

  …………(一九八〇・一一・二)

 皆さんが知っているように、韓国は本当に美しい国です。美しい所です。韓国の地はどこへ行っても飽きが来ないのです。アメリカのような国は飽きが来るのです。ただ野原なら果てしなく野原であり、砂漠なら果てしなく砂漠です。丘一つないのです。それを見れば韓国がどれほど美しいか……。路地ごとに行けば行くほどみな様子が違って飽きが来ないのです。そのような錦繍江山、美しい山河も山河ですが、その中でもここが一番良いために、先生は好きなのです。(一〇〇―二三七)

 人は体の水分が何分の何だと言いますか。(十分の三です)。四分の三だと言います。人は水袋だというのです。そのため人は良い水を飲まなければなりません。また、とりわけここは水が本当に良いのです。しかし、水だけがあったとしてもだめです。空気と通じなければならないのです。空気と水が通じて調和を成してこそ健康なのです。

 先生は世界の多くの国に行ってきましたが、韓国は本当に美しい国だというのです。皆さんは韓国に生まれたことを後悔して他の国に生まれればよかったと思うかもしれませんが、そうではないというのです。韓国は本当に美しい国です。全国を回ってみたことがないでしょう? 回ってみれば本当に美しい山があり、川の水が流れる所ならばどこへ行っても飲むことができます。そのような国が他にないというのです。皆さんは韓国に生まれたことを誇りに思わなければならないのです。そのようなことを知っていますか。皆さんも回ってみてはいかがですか。(はい)。事実がそうだというのです。

 スイスのような国が美しいと言いますが、そこは雄大壮厳で規模は大きいものの、このように不思議な美しさはありません。一日終日旅行をしても退屈しません。韓国はどこへ行っても変化が本当に多いのです。そのような立場から見れば、世界のどの国よりも自然環境の恵沢を受けています。空気もよく、日の光もよく、海水もそうで、水が澄んでいるのです。どこへ行っても澄んだ水が流れています。普通どのような国でもこのようなことは見ることができません。(一〇〇―七七)

4 天賦の素質をもっている韓国民族

 人にとって環境がよいことがどれほどよいかということを考えてみなさい。環境がよければよいほど人の考えは美しくなることができます。環境が悪ければ悪いほど、美しい考えをすることができません。そのため、韓国の自然を見てみるとき、人々は多方面から考えることのできる民族であるということです。韓国は多方面の環境と接しているために、韓国人は多方面の考えをすることができる天賦の素質を、天がくれた素質をもっています。

 また、韓国は一つの山峰、地形なら地形、みな個性が異なるのです。他の国を見れば山並みがみな連なっていますが、ここは山脈に関係なく、ただそのまま、みな独特なのです。個々の性格をはっきりともっています。そのような自然の環境の中で育ったために、韓国人の個性というものは世界のいかなる国の人よりも独特なのです。そうでありながら自主的です。誰の言葉も聞くのを嫌い、誰に負けるのも嫌うのです。峰は小さいけれども、それ自体が美しいのです。環境は小さいけれども、ここは誇るところが多いというのです。水を見ても澄んだ水であり、峰をみても澄んだ峰であり、空気を見ても澄んだ空気であり、その次に虫を見ても……。その地方地方ごとの独特なものをもち、誇ることのできる環境的与件をもっているために、その環境で生まれた韓国人は特性が独特です。(一〇〇―七八)




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四.世界人の聖地となる韓国

1 今後、農業をして食べて生きる時は過ぎ去る

 我々韓国人は、いつまでも農業だけをして食べて生きなければならないのでしょうか。遊んで生きなければならないのです。皆さん、仕事をしたくはないでしょう? 仕事をしたいですか、したくないですか。(したくありません)。したくなくても、仕方なくするのでしょう。ですから韓国で何か農業をして食べて生きる時は過ぎ去るのです。

 それでは今後どのようになるのでしょうか。今や世界的に統一教会の食口が少しずつ増えていくことでしょう。ドイツ人が来て帰り、今はイタリヤの責任者が来ていますが、今後はヨーロッパ一帯にいる人々が韓国に来てみなければ威信が立たないのです。行き来する人々は威張って通うことでしょう。そのようになれば、我も我もと競争が起こるでしょう。重要な食口だけが行き来するようになれば、行けない人々は威信が立たない時が来るというのです。統一教会の食口ならば、たとえ誰であっても韓国に行って来なければ体面を立てられないようになるので、瞬く間に宣伝されるのです。そうでしょう?

 このようになれば、今後忙しくなることでしょう。今も我々の本部は相当に忙しいです。日本人たちがピーヒャラドンドンと列を成しています。外国人たちは我々の食口以外にも多く来ることでしょう。そのようになれば、彼らを案内して一時間から二時間半の距離にある名勝地はみな行くのです。八道の山河を経由して見学するのに、バスで一時間から二時間半の距離なら大丈夫です。三時間は退屈します。この程度の距離を連結して、みな観光させてあげれば、彼らが自ら「韓国は、それこそ神様が愛さざるを得ない」と言うようになるのです。

 そのようにして帰せば、自分の国に帰って韓国を誇るようになります。そのようにして外国の観光客を多く誘致しようということです。統一教会員の親戚八寸(八等親)になる人々がアジアを経るようになれば、みな韓国に来ざるを得なくなります。そのようになれば、その場面をそのまま利用しようということです。あちこちのホテルと連絡して、四十日コースでプログラムを作って、続けて一周するようにしてから帰すのです。

 このようになれば、我々の世話になるようになるので、我々がしようと言うとおりにするほかはないでしょう? だからそこにプログラムをみな作っておいて、原理思想を投げ込むのです。このようにしてその人々に内外から宣伝して、我々統一教会の親戚たちまでも伝道するようにしようということです。このようにその人々を伝道しておいて、彼らにみな観光国としてはスイスのような国よりも韓国がもっとよいといううわさを流すようにするのです。我々は今後このような観光客を誘致して、稼いで生活しなければならないのです。(四六―一八二)

2 世界人が韓国の聖地を巡礼する時が来る

 先生が一九六〇年代に二十一日路程を歩んだことがあります。皆さん、それを知っているでしょう? このような道を今後日本人が踏査するようになるのです。「この二十一日コースは、開拓当時に先生が迫害を受けながらがたがたとジープに乗って山奥の道を通ったのだが、この道は聖地と同じように履き物を脱いで歩きなさい」と言えば、裸足で歩くのです。このようにして日本人たちが列を成して出発します。そしてその次の所でまた出発して、その次に待っていたのが出発して……。このようにすれば、三千里半島四方八方に待つ人が道を埋め尽くすようになるでしょう。そのようにバトン制で帰るようにしておいて、日本が終わればその次にはアメリカ、このように互いに競争させるのです。そのようになれば性質が急な人は「これはあちこちで待とう」と言いながら飛んで来て、前もって待つのです。先生が巡回したコースをそのように裸足で歩くようになる時が来るということを知らなければなりません。皆さんが今その道を通るとき履き物を脱がずに歩いて通ることを有り難く思わなければなりません。今後そのような時が来るのです。見ていなさい。

 イスラエルにあるエルサレムの聖殿に行ってみると、博物館長が「イエス様当時にイエス様が使われた箸の切れ端の折れた金属が一つでもあればよいのに」と言うのです。もしそのような物が一つあったならば、それはアメリカをやっても換えられないということでした。そうだというのです。エルサレムに行ってみればおかしいのです。聖書六十六巻の内容が、シオン城やダビデ城というものはエルサレムの内外二里の中にみな入っています。とてもつまらないのです。ところがそのエルサレムを巡訪するクリスチャンを見れば、道を歩くのも控えめに歩き、別天地の天国に入ってきて生活を始める気分をもって、夢中になって歩き回ります。

 それを見れば、今後この国韓国がどれほど素晴らしいだろうかというのです。またメッカのような所も、今イスラム教の巡礼者たちがその砂漠地帯を継続して絶え間なく巡訪しているのが事実ではありませんか。そのようなことを見れば、それよりもさらに素晴らしい韓国になるのではないかというのです。ですから韓国を、よく食べてよく暮らすようにしておかなければなりません。そうしようと思えば、観光地をつくらなければなりません。(四六―一八四)

 先生がイスラエルの国を回ってみると、とても荒涼とした所でした。よいと言うのはどこがよいのでしょうか。乳と蜜の流れるカナン福地と言ったのは、神様の祝福を大きく語ったのでそのように言ったのでしょう。イスラエル全体を回ってみても、乳と蜜が流れる所はありませんでした。情を引きつけるような所は一つもありませんでした。

 「数日後、数日後、ヨルダン川を渡って行ってあわん」という賛美歌を思って、ヨルダン川がどのような姿をしているのか見るために期待をもって行きました。行ってみると、そこで何か龍が昇って行った場所だから入ってみろと言うのです。しかしみな砂漠地帯で砂ばかりでした。

 そうしてみると韓国の疆土はとてもよいです。どこに行っても沃土と青い草原があり、澄んだ水が流れています。それなら「イスラエルのような所にもイエス様が洗礼を受けたのだから、我が韓国のように玉水が流れるここで、なぜ聖霊を受けることができないのか」、間違いなくこのように言うことでしょう。

 今はそれでもイスラエルの国がかんがい工事をして、草木のある青い草原がいくらかつくってありましたが、二千年前イエス様当時には姿が良かったでしょうか。その時のヨルダン川という所は、鴨の雛が遊び、汚水が飛び跳ねる所だったことでしょう。(笑い)(二八―一九〇)

3 世界人が慕わなければならない本郷の国

 数多くの人類が願うその本郷の地はどこなのでしょうか。これが今まで人類が探し求めてきた希望の基点です。もし韓国が世界人が願う本郷の国であり、韓国の地が世界人が願う本郷の地ならば、この韓国という国は極めて幸福な国になるでしょう。また、その国の中でどのような地点がそのような所かといえば、その地点はその国で一番貴い所でしょう。

 先生が日本に行ったときに日本の食口たちに言いましたが、もし韓国が世界が慕うそのような本郷の国ならば、いま白頭山の頂にある土地でも日本の銀座のどの土地よりも高くなる時が来るでしょう。なぜですか。今全世界の十億に近いキリスト教信徒たちが今後、主が来られる本郷を恋しがっているからには、もしそのような所が現れたと全世界に知らせれば、瞬く間に十億に近いキリスト教信徒たちが何としてもこの国を訪ねてくるでしょう。また、訪ねてきてただそのまま行くのではなくて、必ずこの韓国の地で位置をつかんで幸福に暮らそうとするでしょう。この小さな土地にキリスト教徒だけで十億に近い人々が訪ねてくるとすれば、ここでは大きな問題が起きることでしょう。

 このように見るとき、世界人が慕う本郷の国といっても大変なことです。このような面から見るとき、韓国が景色がよくて山水がよいことは、今後そのような人々が訪ねてくるようになれば、観光ホテルを造って彼らを迎えるのによくするために、神様があらかじめ準備されたことなのかもしれません。どのような国に行ってみても、韓国のように美しい所はありません。韓国のように気候がよいところもありません。朝起きて窓を開け、太陽の光を浴びるそのそうかいな気分、それはどのような国でも感じることのできないものです。また、日が暮れていくときに夕日が自然と調和するその風景というものは、どのような国でも見ることのできない隠隠としてまた豊饒なるものです。このようなことを見るとき、韓国はいかなる国よりも自然的恵沢を多く受けているということを我々は感じるようになります。(二三―七五)

4 韓国で生まれたプライドをもとう

 皆さんは韓国と言えば一番悪いところであり、あるいは生きるのが難しい国であると考えるかもしれませんが、そうではないというのです。韓国が世界のいかなる国よりもよい国だと、皆さんは考えなければなりません。先生が全世界の多くの国、あるいは有名だという所はみな回ってみましたが、韓国のように美しい国がなかったのです。山水を見ても、あるいは気候を見ても、すべてのことがいかなる国にも負けない、世界で誇るべき国だということを、有名な所に行く度ごとにさらに深く感じました。

 もし神様がいらっしゃるなら、どのような国を最も愛するのかと考えてみるとき、この地球上を見下ろす神様は美しい所を愛されることでしょう。その美しい所がどこでしょうか。韓国です。そして韓国は神様の愛を受けることのできる国です。この世界を回ってみて、先生がそのようなことを多く感じました。そのため、韓国で生まれたことを何よりも誇りと考えなければならないのです。

 そのため、韓国は今後神様の保護を受けることにおいて世界のいかなる国にも負けない誇り高い国になるだろうという希望をさらにもつようになりました。何から見ても韓国は今後世界的に名を成すことのできる国になるだろうということです。これは地理的に見てもそうであり、アジア全体、地域的に見ても半島として美しい所です。海産物でも劣ることはなく、すべての鉱物でも……。そして今後発見できない宝物がたくさん出るだろうと見ているのです。山水が美しく、山川の風光が美しく、神様が愛することのできるそのような地域ならば、必ずここには世界で名を成すことのできる無限なる宝物も出るだろうと見ているのです。それくらいに我々は韓国に生まれたプライドをもって誇らなければならないのです。(八四―二三五)

 今韓国人たちは、若い子供たちはみな「アメリカに行けば好運に恵まれる」と考えていますが、とんでもありません。アメリカという国は本当に無情で冷たい国です。それを知らなければならないのです。金持ちの国には違いありませんが、お金を使うすべを知らない国なのです。みなコンピューターのデータによって使うというのです。一銭一文たりとも容赦がないのです。分かりましたか。そのような社会なのです。

 ここに移民した人々が総括的に下す評がこうだと言うのです。「ああ、韓国でこのように働けばよい生活ができたのに……」、それが結論だと言うのです。それが何かと言えば、すべてのことが分科制度になっているために、ある分野に入れば、八時間は完全にそこで付属品の役割をしなければなりません。分かりますか。付属品の役割をしなければ、職場から必ず追い出されるというのです。韓国のように何かこうしたとは……。

 それを見れば、世界で一番住みやすく、世界で一番人心がよく、少し複雑で少し言葉は大きいけれども、一番よい国がどの国かと言えば、どの国ですか。(大韓民国)。恨(ハン)が多い韓国(ハングク)ではなくて、恨を解いてあげると言うことのできる韓国であると考えればよいのです。韓国がよいのです。(八五―八〇)




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第五節 韓国人の民族性

一.平和を愛好する白衣民族

 韓国人は平和を愛好する白衣民族です。我々は一度も誰かを侵略したことのない人々です。このような平和愛好の民族が五千年の固有なる歴史を経て耐えてきたというそれ自体が、奇跡であらざるを得ません。これはただ神様の保護のもとにおいてのみ可能だったのです。俗っぽい言葉で言えば、我々は神様との縁故をもった民族です。

 五千年歴史を通して数多くの強大国が何度ものみ込みましたが、そのいずれも我々を食べて消化不良を起こさない国がありませんでした。食べれば必ず吐き出さなければなりませんでした。これは誰の力でしょうか。神様の力です。八・一五解放は誰がもたらしたのですか。神様の力です。六・二五戦争の時、共産軍の南侵を防いでくださったのは誰の力ですか。神様の力です。六・二五当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、我々はみな釜山の前の海に追いやられていたことでしょう。韓国戦争への国連軍の派兵は、国連安全保障理事会でソ連の拒否権がある限り、絶対不可能なことでした。ところが韓国派兵問題を討議するとき、ソ連代表は欠席したのです。その間に派兵案は一瀉千里に可決を見ました。国連外交史において、そのときソ連代表がなぜ欠席したのかを、今まで誰も知りませんでした。これは誰がそのようにしたのですか。神様の能力であられます。

 韓国はこの神様の特別保護がある限り、誰も指先一つ触れることはできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つへし折られていきます。このたび米国議会で韓国を滅ぼそうとしたフレーザー議員の敗亡は、そのよい例です。(一〇〇―二五三)

 「韓国」と言えば異なることは、韓国の民を楽しくしてくれる人は歴史性をもって繁栄し、友の中の友として対そうとする、民族背後の思想的基礎となっているのです。そこが違うと言うのです。皆さんのような外国人がその韓国に行って韓国民族に対するとき、真心からうれしく対するようになれば、彼らは上から下、過去、現在、未来を全部統合して、歴史のすべてのものを注いで歓迎し、愛そうとするのです。そのような民族になっているのは、このような歴史的な精神的背景によって現れた事実であるということを否定できないのです。それが分かるでしょう、何の話か。

 侵略を受ける中で、試練に遭った民族を平和的な立場で歓迎する民族だとか国家を代表する人は、天のように侍りたい心をもっているのです。それは民族性の背後にある、試練を受けてきた代表民族としての魂を表しているのです。そうでありながら、不義に対しては容赦しません。不義に対して闘争することにおいては、いかなる民族にも負けません。強大国の狭間で今まで単一民族の主権国家として残ったのも、そのような民族性の結果であると見るのです。

 その思想はもちろん宗教を糾合して、平和の世界を建設しなければなりませんが、この地上世界と天の世界を連結しなければならないのです。そして真の愛の理想を練って現れざるを得ないのです。真の愛をもって現れなければなりません。世界平和の基準は天地を連結させる真の愛を中心として現れてこそ成し遂げられ、その次には地上を連結させるすべての宗教文化背景を中心とする平和的思想、統一的思想をもって現れてこそ成し遂げられるのです。

 それでは、そのような民族的背景とそのような民族性を代表する人、あるいは団体が現れるとすれば、どのような人であり、どのような団体でしょうか。民族の歴史的伝統を備えておいて時代性を代表し、世界に越えていくことのできる時代的使命を未来的な使命に連結させることのできる、そのような団体とそのような人でなければならないのです。それがレバレンド・ムーンと統一教会だということを、皆さんは知らなければなりません。そのため統一教会の真理には侵略性がないのです。反対に救ってあげようということなのです。救ってあげようということです。次元の高い所へ引き上げようというのです。これは間違いなく事実です。解放しなければならないのです。全万民を解放しなければならないのです。解放をもって現れるのです。霊界と肉界が合わさって神様を解放しようというのです。

 それでは、それを誰がやらなければならないのでしょうか。歴史を代表する真の人々がやらなければならないのです。そのような人はどのような人でしょうか。真の愛に立脚し、人格をもった人です。その愛は始めと終わりが同じ生活を、あるいは理想をもてるようにする歴史的な根幹となるのです。これが違うというのです。

 さあ、このように見るとき韓民族には、世界のための平和の功臣になることを願い、天地を連結させて解放しようという、天地が侵略者に被害を与えずに解放して、一つの愛の天国を建設することを願う民族性があるということを、皆さんは知らなければなりません。(一六八―五五)




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二.忠・孝・烈の国

 今日の大韓民国の立場はどうでしょうか。韓国は五千年の歴史をもっていながらも、純粋なる民族的伝統文化を継承、発展させてきています。歴史時代ごとに強大国の侵略を受けましたが、民族性を失わずに単一民族として歴史時代を導いてきています。

 韓国は受難の歴史を経てきました。奸臣たちの前に忠臣たちは血によって国家を守ってきたのであり、外国の侵略を受けたときは婦女子、幼子たちまで一つに集まって敵を退治したのです。忠臣烈士が世界歴史の中で最も多い国が韓国です。彼らは憂国の衷情の一心で自分自身はもちろんのこと……。韓国が単一民族として燦爛たる文化的伝統を継承、発展させてきたのは、忠臣烈士たちの貴い精神が継承されてきたためです。

 忠臣烈士が国家のために血を流したのは、祭物歴史の見本であると言えるでしょう。今日、統一教会はこのような韓民族の崇高なる伝統を基盤として、神様の摂理を広げてきています。特に先生は神様の国の新しい伝統を立てるために苦心してきました。韓国は忠臣烈士だけが多い所ではなくて、孝子孝女と烈女が多いことで、世界史において最高です。このような韓国の忠・孝・烈の思想は、東西文化圏を一つに束ねるときに絶対的な作用をすることは確実です。

 韓国の忠・孝・烈の思想が天運に従って神様の摂理と連結され、その道理を立てるようになるとき、神様が保護し役事されることでしょう。先生はこのような韓国の伝統的思想を摂理と連結させて、世界の中に立てるために一生を努力してきました。(一六八―一一五)

 韓国人は昔からずっと忠孝の節義と気概が高い民族です。国軍の日、五・一六広場に招待され、壮年国軍の偉容を見て心温まる思いをもったときがありました。ところでその国軍勇士たちが査閲隊の前を過ぎながら叫ぶ「忠孝」という掛け声が本当に印象的でした。神様に選ばれる民族が叫ぶ掛け声としては、あまりにも啓示的でした。世界のどこの国にもこのような掛け声を叫ぶ軍人はないことでしょう。韓国は最後に神様に忠誠と孝道を尽くす民族なので、その忠孝精神が今日国家の中心思想となったのです。沈清の哀切なる父に対する孝誠、春香の夫に対する節義と気概、鄭夢周の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神、このような忠孝の節義と気概は、古今東西どこにも類例を見ることのできない韓民族の魂です。

 このような忠孝精神と松竹のごとき節義と気概は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父であられるので、その父に永遠に孝道を尽くさなければなりません。世界の数多くの民族を置いてどんなに試験をしてみても、韓国のようにその忠孝の熱と節義と気概が高い国はないので、神様は韓国を選ばれ、訪ねてこられるのです。(一〇〇―二五二)

 韓国は単一民族です。韓国の女性は絶対に他の国の男性と結婚しないのが伝統になっているのです。日本が韓国を侵略しましたが、日本人と結婚した韓国人は極めて少ないのです。一つの郡でも指を折って数えるほど少ないのです。節義と気概を生命よりももっと重要視します。それでも、歴史過程において韓国の女性たちは言葉にできないほどの苦労をしてきました。

 一つの国が選民になるためには、第一に女性たちが苦労を多くしなければならないのです。そして人間生活が悲惨なことも、国なき民族が悲しいことも誰よりもよく知っています。韓国は多くの民族から圧迫を受け、支配を受けてきたために、天の保護を憧憬する国だというのです。

 中国大陸に行って夜になり、どこかの家に入って戸をたたいても、家の主人が韓国人なら扉を開けてくれるのです。ソ連も同じで、ソビエト政権が立つ前のロシア帝国の時も同じように韓国人が道を通って戸をたたけば開けてくれたというのです。それはなぜでしょうか。中国人や日本人やソ連人は必ず身に武器を持って歩きます。道端で死んだ人の体を探ってみれば、彼らには必ず武器があります。しかしながら韓国人はどんなに探してみても武器などというものは刀一つなく、せいぜい火打石があるだけです。このように韓国民族は武器を知らない民族だからです。

 また、文明においても仏教文明、儒教文明、キリスト教文明が韓国を支配してきました。宗教的な面でも韓国はすべての宗教が代表的に結実を見た国でもあります。そうだというのです。(五四―二三八)




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三.世界的に優秀な単一文化民族

 最近は中国文化を創建したという説が台頭しています。中国の文字だとか、すべてのものを東夷族、すなわち韓国人たちが作ったというのです。ですからアジアにおいて何というか……。知性的な民族でしょう。そうでありながら天をあがめ尊び、高次的な思想を好む民族でした。その東夷族は戦いを嫌うために東へと移って来たのです。戦いを嫌うために東へと移って来たというのです。住むのによく、気候がよい所へとです。韓半島は春夏秋冬があり、本当に住むのによい所なのです。アジア地域ではそのような所が韓国しかないだろうというのです。(一六一―二八八)

 アメリカにはいま韓国人が百万はいるでしょう。十四年前、十五年前には十三万人だったのが、今は百万近くなります。この百万が今アメリカで問題です。ニューヨークだとか、どこへ行ってもアメリカ内で問題だというのです。その上、黒人街に入って行って商売もするという、冒険心があるというのです。そして韓国人は飢えて死ねば死ぬのであり、ここで言えばウェルフェア・システム(welfare system:厚生制度)のようなもの、国家から後援してもらうことを最も嫌います。人がどれほどできが悪くとも、世話になって生きるものかと言うのです。特殊な民族です。

 そのような点において、ユダヤ民族は排斥をしますが、我々韓国民族は排斥をしません。どこへでも入って行って生きながらも、世話にはなりません。絶対に世話にはなりません。そこが違います。それでアジアにおいてユダヤ民族よりもさらに恐ろしい民族であるといううわさが立ちました。東洋において大きな戦争は韓国のために起こったのです。韓国をめぐって戦ったのです。大東亜戦争など、すべてそうだというのです。

 皆さんは分かりますか。チンギス・ハーンもそうです。チンギス・ハーンは全世界で占領できなかった国がありませんでしたが、ただ一つ、韓国だけは占領できなかったのです。それは歴史家が知らずにいます。そのような話を聞いたことがありますか。「正しい」という時には団結するのです。「そうだ」という時には団結して恐ろしいのです。あの以北に共産主義があるために、南韓が団結して早く発展するのです。共産主義は発展できないというのです。(笑い)

 最近アメリカ人たちは日本に負けると心配していますが、日本人たちは今に韓国に負けると私は考えるのです。それは外交的に見ても、すべての気質から見ても、個人的に見ても、すべてが優秀だということです。それは日本人がよく知っています。それで韓国人は一つに団結することができないのです。一人一人みんなができがよいので、一つにならないのです。(笑い)しかし統一思想を通して、先生を通して完全に一つになることができます。完全に一つになることができるのです。(拍手)(一六一―二八八)




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四.人情の豊かな民族

 先生はイスラエルに行ったときに多くのことを感じました。そこに行ってみれば半分は砂漠地帯です。ラクダのようなものを見るとき、あの大きな体格で腹いっぱい食べることができるのかと思うほどに、草がない砂漠地帯でした。それを見るとき、韓国は福地中の福地であるということを悟りました。

 そこのぶどうの蔓は、ひと抱えにもなりません。昼には太陽熱に三分の一が枯れてしまいます。この葉があまりにもしおれているので、ぶどうの蔓なのか、何の蔓なのか分からないほどです。みな他の蔓のようです。ところが、昼に暑いほど、晩と夕方には露が多く降りるというのです。この露によって植物たちは再び生気を取り戻すようになります。このようにイスラエルの地、ユダヤの地で育っている植物のように、ユダヤの民たちも夕方を待ち、その静かな夕方の中で神様の前に絶叫の祈祷をした民族であるということを切々と感じました。

 また、彼らの目を静かにのぞき見ると、何かがあります。感動のようなものが……。感動して歌う歌が最高の絶叫であり、心霊が込められた祈祷だということです。そして、ああ、ここから新しい歴史が始まったのだのだなあということを感じました。

 また、韓国には国民がお互いに同情し合う人情が残っています。世界のいかなる民族にも見いだすことのできない人情があります。アメリカのような所を見れば、父子の間においても、父の物が別にあり、息子の物が別にあります。すなわち、父と息子が食事をしたとしても、父の昼食代は父が出し、息子の昼食代は息子が出すというのです。しかし韓国人たちはやくざ者たちの間でも、距離のある間柄であっても、食堂に行けば大きな声を出しながら自分が出すと言うのです。やくざ者だとしても、そのようにすることのできる民族です。これを見て先生は、韓民族は品位があり余裕がある民族だと感じました。(一七―二一)

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五.韓国の風習の中に表れた民族性

1 韓国人は啓示的な民族

 韓国人は啓示的な民族です。韓国人が啓示的な民族であるということを、どのようにして知ることができるのでしょうか。一例として、韓国語に「誰かを取って食べた(注:俗語で女性に手をつけるという意味がある)」という言葉がありますが、それは聖書に出てくる「善悪の実を取って食べて堕落した」という言葉とぴったり合う言葉です。啓示的な言葉です。そして韓国人たちは、よくても死にそうだ(チュッケッタ)と言い、死にそうでも死にそうだと言います。うれしいことがあっても「ああ、うれしくて死にそうだ」と言います。うれしいときはよいと言えばいいのに、なぜ死にそうだと言うのかということです。また、暑くて死にそうだ、腹が減って死にそうだ、おいしくて死にそうだ……。すべて死にそうだというのです。韓国人たちはしょっちゅう死にそうだと言うのです。

 このように韓国人たちは死ぬ教育を受けてきたために、死ぬところには深く通じた人々です。死ぬ教育、よく死ぬ法を教えてくれる教育は道義精髄教育です。この二つの比喩だけ取っても、かっこいいでしょう? 何かもっと多く話をすればいいでしょうが、話す時間がありません。

 おかずを見てもそうです。西洋人たちのおかずを見れば、ほうれんそうもまるごと持ってきて食べます。また、料理も水っぽく一種類だけでします。しかし我が韓国の食品は陰陽の調和をなしています。辛くもあり、しょっぱくもありながら、調和がよく取れています。そしてスプーン一つは神様を象徴し、箸二つはアダム・エバを象徴して、結局三位基台を表します。

 そして韓国の地域の名前を見れば、この名前自体がその地域の内容を表しています。名勝地のような所や名前のよい所を見れば、その名前自体がそこの地形と同じだと言うのです。鶴郡と言えば、鶴の多い郡であり、金郡と言えば金が出る郡だということです。

 そしてその名前がみな陰陽の調和をもって作られました。皆さんの故郷の名前はどうですか。一度考えてみてください。地域の名前が悪ければ、みな変えようとします。郡の名前を見れば大概よいのです。先生の故郷の名前も悪くありません。定州郡徳達面徳興洞です。今は徳彦面に変わりましたが、素晴らしい名前です。そのように名前を呼ぶことは知っています。

 韓国人たちは世界にない人々です。いかなる国の人々よりも文化に関心が多い民族です。そうでしょう? 飽きるほど死にそうだと言いながら、生きる思案は誰よりも多くします。国会議員たちも占い師を訪ねて行って「私の星回りがよいでしょうか、よくないでしょうか」と言います。私が知る限りでは、そうでない人は一人もいません。運勢に付き従うことにおいては、誰にも負けない群れです。これは極端な一つの例になるかもしれませんが、大体において韓国人はそうだということです。(二五―一五七)

2 韓国民族の風習の中に表れた民族性

 皆さんが知らなければならないことは、韓国民族のすべての風習はユダヤ民族の風習と相当に近いということです。私が霊界を知ってみると、その霊界の風習と極めて多く類似しています。子供を産むときだとか、娶ったり嫁いだりすることだとか、あるいは生活態度だとか、そのすべての方式を見れば、霊界の原理型と同じものを多く発見するようになりました。

 韓国の食卓を見れば、箸が二つ置いてあり、その横には必ずスプーンがあります。食卓ではいつでもそれが主になるのです。また、お膳の上に置かれた器を見ても、必ずプラス・マイナスの相対的関係、すなわち陰陽によって調和させて食べ物を整えて食べます。そして七数を中心とする数を合わせています。(五四―二三七)

 さあ、見なさい。韓国の食べ物を見ても調味料が三種類以上入っていないものがありません。コチュ、マヌル、ネギが入っていないものがありません。そこにさらに何が入るのかと言えば、胡麻が入ります。それを見れば三種類でなければ四種類は常に伴うようになっています。そのため、三位基台、四位基台を好む国民なのです。また、韓国の気候を見れば三寒四温です。これはどうしてそうなのでしょうか! 本当にそうだというのです。三位基台、四位基台、三段階、四数を好むのです、このようになっています。(六三―一二七)

 韓国の民法は同姓同本結婚を禁じ、異族結婚を奨励しますが、これは統一を思慕する民族であるからそうなっているのです。(一九―三〇六)

 韓国の気候を見れば、三日間は寒く四日間は暖かい三寒四温になっています。また、一年の天気を見ても、暑さ寒さ、あるいは雨や雪が降る期間も公式的に合って入ります。私が世界をみな見回りましたが、韓国の金剛山のような所がありません。風致地域として、スイスが問題ではないというのです。(五四―二三八)

 皆さんが韓国語を学べば分かるでしょうが、韓国語は心情的表現だとか形容詞が相当発達しています。よい悪いという表現もいろいろに言います。色の表示もいろいろにするのです。言語を見ても、世界で最も科学的になっており、本当に精密でありかつ宗教的になっています。それで韓国人たちは世界のどこの国の言葉でもみなできるのです。この人(通訳者)がドイツ語をよくできなければ、純種の韓国人ではありません。(笑い)韓国人はどの国へ行っても、数年だけ住めばその国の人々と見分けることができないほど達者に話します。

 そして誰からも支配されることを嫌う人々です。また、頭が本当によいのです。そして韓国人はユダヤ人たちにも負けません。そのため韓国人にアジアのユダヤ人という名前が付いたのです。しかしながら韓国人は、ユダヤ人のようにそれほどひどくお金を集めることは考えないのです。みな道を修めることにおいて専門だというのです。霊界に通じる人が非常に多いのです。彼らは世界の終わりの日が来ると信じているのです。

 このような観点から見るとき、韓国が意味のある国のようだと考えてもかまわないのです。皆さんが韓国で三年だけ暮らしてみれば、絶対にどの国にも帰りたいという思いはなくなることでしょう。いま全国にアメリカ人が多く来て暮らしていますが、帰るときには、行きたくないのに仕方なく行く人が多いのです。

 また、韓国は空気がよいのです。気候もよいです。韓国の気候は世界を代表したものです。そしてどこにでも流れる水はゴクゴクと飲んでも腹痛を起こさないほどに、本当に澄んだ水です。(五四―二三八)

 韓国の民を見れば、大概は自立性と自主性が強くありません。ヨーロッパ人たちやアメリカ人たちはそうではありません。どのような百万長者の息子でも、十八歳になれば父親は学費を出してあげません。学費を出してやることをむしろ恥ずかしく感じるというのです。これは個体を啓発し、自主的な基盤を磨くときは絶対必要ですが、伝統を引き継ぐ上においては妨害になるのです。その国の固有の思想を引き継ぐとか、あるいは愛国精神を引き継ぐのは難しいのです。みな自分を中心として何でも新しいことを提起していくのです。(二五―一四三)

3 月よ月よ明るい月よ……

 このような言葉があるでしょう? 月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ、どうしたこうした、草家三間の家を建て、両親父母に侍って、千年、万年、生きてまた生きて……。その両親父母という言葉が素晴らしいのです。この民族には本当にそのような何かがあります。草家三間の家はなぜ造るのでしょうか。天上世界の蘇生、長成、完成という言葉を知っていたということです。三段階の受難の道を経て、千年、万年黄金時代を迎えて生きようということです。非常に簡単な内容に詩を詠みましたが、この詩が民族の骨髄的な愛、天の天理と因縁を結ぶことのできる選民思想を証していると見るのです。分かりますか。

 草家三間は道を修めるときに必要ですが、道を修めて出てから、両親父母に侍って生きる時も草家三間ですか。そのような者は不孝者だというのです。その者の息子は不孝者だというのです。草家三間は会うときまでです。父母様が来れば「ああ、お前はこんなに苦労したんだね。私がお前に福をみんなあげる。天下のすべての威厳はお前にしかやる者がいない」このようになるのです。ですから、福を受けることのできる基準、土台はできましたが、父母に侍ることのできる所は草家三間ではないというのです。それは間違っているのです。

 それではどのような三間でなければならないのでしょうか。天下三間! 天下三間という言葉はないでしょう? (笑い)地上に神様の家を造るのであり、天上世界に神様の家を造るのであり、我々人間の心の世界に神様の家を造るのです。ですから草家三間ではなくて何と言うのですか。天地三層でしょう。天地三層の家を建て、両親父母に侍って千年、万年? 億万年生きてまた生きて、でなければならないのです。そうすることができますか、お前さんたち? そうすることができますか、できませんか。(できます)。(七六―七五)

 皆さんは神様の勇士にならなければなりません。サタンは何千万回神様の前に対敵しました。その度ごとに神様が流された怨恨の涙と、悔しく口惜しかった峠の数々を解怨してさしあげなければなりません。そして「サタンよ、お前は我々の父の怨讐なのだ。この方は我々の父であられる。この地は私の地だ。お前は私の僕であると同時に怨讐だ」と言うことができなければならないというのです。今日、数多くの道があり、数多くの宗教がありますが、この問題を解決できずにいます。この問題を解決できない限り、この世の中は平和が来ることができません。来ることができません。

 このような点から見るときに、我々の韓国民謡は本当に驚くべきものです。「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ、……両親父母に侍って、千年、万年、生きてまた生きて」これがどれほど驚くべきことでしょうか。両親父母に侍って、千年、万年、生きたいなあ……。我が民族は今まで孝道を主張してきたのであり、孝子と烈女と忠臣を高く評価してきました。数百年の間このような民族精神を保ってきた皆さんなのです。今はこれがある一時に結実されるのか、されないのかということだけが残りました。何と共に? 天と共に結実するのか、できないのかということが、悟りに掛かっています。今まで数多くのキリスト教徒たちが神様のためにどれほど死にましたか。それがこの時に結実されるのか、されないのかということが問題です。(一〇―二〇一)

 皆さんは韓国人として生まれたことを絶対に悲しんではなりません。過去には韓国人として生まれたことを悲しんだでしょう? 思いがけずこの生活の苦しい韓国の民として、五千年の歴史を経てきて誇りではあるが、あの草家三間に生まれたのでしょうか。というのです。何かの歌に歌うのを見ればそうでしょう。月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ、あそこ、あの月の中にどうしたこうした、草家三間の家を建て、どうしたこうした、両親父母に侍って、どうしたこうした……。草家三間の家を建ててどうやって万年生きようというのですか。(笑い)私はそのような民謡を聞くと、気分がよくありません。わずか草家三間ですか。そこに何の民族の希望がありますか。

 しかし「草家三間の家を建て、両親父母に侍って、千年、万年、生きてまた生きて」という、その両親というのは何かと言えば、人間の理想的な父母を言うことができるのです。キリスト教で言えば再臨思想と天国だということです。万民万国を通してみれば、救世主思想と通じることのできるこのような内容になっているというのです。分かりますか。(はい)。(八五―八一)

 人間が探そうとするものは何でしょうか。王に会うためのものではないのです。父母に会うためのものです。父母、誰と共に住むのかと問うてみれば、王と共に住むという人はいないですから。お母さん、お父さんと共に住もうというのです。我が国の民謡にもそのような歌があるじゃないですか。「月よ、月よ、明るい月よ、李太白が遊んだ月よ、あそこ、あの月の中に桂の木を打ち込んだので……」その次は何ですか? 「玉の斧で切り出して、金の斧で整えて、草家三間の家を建て、両親父母に侍って、一年二年生きてまた生きて」。(違います)。(笑い)分かるのは分かるようですね。

 それが何でしょうか。それを見るとき、韓国の民は啓示的な民族であるということです。世界の宮殿がどんなに多いといっても、草家三間の家を建てて両親父母に侍って千年、万年生きてまた生きてなのです。両親というのは、自分の父と母ではありません。宇宙の三大父母形態で現れる父母です。神様が誰かといえば、家庭の本当の父母であり、私の本当の父母であり……。その国は一つの国しかありません。国が二つありますか。

 皆さんの家庭が二つですか、いくつですか。(一つです)。一つであり、国はいくつですか。(一つです)。一つでしょう。大韓民国が世界の中心国ですか。そのため数多くの国はこの地球上に必要ないというのです。一つの国、一つの国が必要です。一つの国の父母は神様だというのです。家庭も一つであり、国も一つであり、天地も一つであり、主人も二人ですか。(一人です)。(笑い)それを知らなければなりません。(八五―三一四)

 我々は家庭で両親に侍って生きなければなりません。アダム・エバによる嘆息圏内を抜け出すためには、両親父母に侍らなければならないのです。両親父母に侍って草家三間の家を建てて生きようと言いますが、草家三間がどのようなものか知っていますか。韓国の草家三間の何がそれほどよいのですか。何がよいのですか。

 家の中で服を着る家は草家しかありません。居間はのどかなので、どこにあっても早く行きたい所であり、春になれば眠るのにまたよい所です。そのようによい所です。このような草家三間の家を建てるときは三代が一緒に住むことができるように造らなければなりません。三代が住むことのできる家を造らなければ、父母はどこに行って住むのですか。そのような家を建てて両親父母に侍って千年、万年一緒に生きようというのです。韓国民族はすてきです。復帰の心情をもって出ていく民族は韓国しかないということです。分かりますか。(はい)。(二六―二〇三)

4 全人類が越えていかなければならないアリラン峠

 韓国の民謡の中ではアリランの歌が有名でしょう。先生はアリラン解説家ではありませんが、歌が終わる部分にサランドンネ(愛の村)という言葉があります。それは天国を言っているのです。先生がそのように考えると言えば、統一教会の文先生という人は民謡をよく知らないと言うことでしょう。

 三千万民族の誰よりもよく知っていると言えば、どれほどよいでしょうか。峠とは何ですか。峠をよく越えて行かなければならないというのです。峠は十二峠ですが、皆さんは十二峠を越えましたか。越えられなかったならば、アリラン峠でも歌いなさい。皆さんはアリラン峠をいくつ越えましたか。アリラン峠はくねくねしているからアリラン峠なのですか。それはアリラン山であってアリラン峠ではありません。それでは越えていくときに、下りながら越えていくということができますか。

 先生は三千万民衆がこの峠をまだ越えられていないと考えます。数百万が数限りなく歌ったかもしれませんが、そこを完全に越えてみた人はいないということです。ところが先生は越えてみました。それが失礼になりますか。今後、そうすることができるという韓国の民謡と唄は本当によくできています。沈清伝や春香伝を見れば、復帰摂理を説明しているのですが、適切な例話としてよく表現されています。春香とこの独身の男がどれほど粋でしょうか。そして、沈清が父母に侍るその孝誠、どれほど健気でしょうか。このように、これから来る本然の世界では、主をそのように迎えなければならず、真の父母様にそのように仕えなければならないのです。そのためにアリラン峠を越えて勝利しなければならないということです。(一七―一一六)

 我々は最後には何をするのでしょうか。神様がこの地を中心として生活を始めるということを知らなければなりません。神様がこの地を中心として生活を始められるのです。皆さん、そのような話を聞いたことがあるでしょう? 福なるみ言の中でこれよりも福なるみ言はないのです。神様がこの地で生活を始められるというのですが、もし皆さんがその場所を知ったならば、そこへ行ってみますか、行ってみませんか。皆さんの財産をすべてはたいてでも、行ってみたくはないですか。そこを聞けば誰もが行ってみたいことでしょう。

 そのため、我が韓国がそのような基準だけを越えるようになれば、世界のすべての人々が自分の金銀財宝を売ってアリランの鼻歌を歌って訪ねてくるでしょう。そのアリランが何だか分かりますか。なぜアリランなのでしょうか。先生はこのように考えます。愛(エ)の字と、離(リ)の字と、その次に郎(ラン)の字でエリランですが、これがアリランになったと考えます。「失った愛を、澄んで明るい日を再び探し出す」ということです。このようにアリランの歌を歌って流れる涙が変わって何になるのでしょうか。喜びになるのです。千年の悲しい事縁を抱いて万年を待ちこがれながら、この「アリラン」峠を越えてきて、一つ所で会わなければなりません。そこでもう一度生きなければなりません。そのようにならなければなりません。(二二―一〇四)




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六.世界人類の道しるべとなる民族

1 最後の世界人類の道しるべとなることのできる民族というものは

 これから来られるメシヤはどのような人であり、どのような国に来られるのでしょうか。彼はジャンボ・ジェット機を運転する飛行士になるのか、人工衛星に乗って月の国へ行ってきた人になるのでしょうか。そのような人々はそこには行くことができますが、道しるべにはなれません。それでは何かの学問の博士になるのでしょうか。そのような人々も可能性は希薄です。したがって彼は宗教指導者ですが、神様はその宗教指導者を超民族的な観点から探し出すことでしょう。

 大概文明人、よい生活をする人々は苦労を嫌います。苦労を嫌うというのです。私がいまアメリカの青年たちを引き連れて仕事をさせようとしますが、そうなのです。時計が五時きっかりになりさえすれば、帰る時間になれば、「時間が越えた」と言って、他のことを考えるようになるのです。時間のない人は五時になろうが六時になろうが知らず、日が完全に暮れても仕事が終わらなければ仕事をするはずですが、これはどうしたことか、日が暮れればまだ言いもしないのに時計を見て「五時になりましたが……」と言うのです。このようなことを見れば、金持ちの息子たちは楽なことを好むということです。より楽なことを好んで、大変なことを好まないのです。

 開拓精神をもって山道を行き頂上に登ろうと思えば、それが楽にできるでしょうか。このように見ても、山歩きが好きな人々、難しい道を行くのを好む人々は粘り強くかつ非常にがめついのです。(笑い)がめつい民族です。このような話が成立するのです。なぜ笑うのですか。世界で一番を行くがめつい民族です。この「がめつい」という言葉を私が使っても、それが何の話か知りませんが、とてもしつこくて雷のようなやつだということです。がめついということを、このように解釈すれば一番よいでしょう。そのような民族なのです。この人類の中で一番粘り強い民族です、粘り強い民族。我々はこのように推理することができるのです。世界歴史の中で一番粘り強い民族でありながら、雑多な寄せ集めの民族ではなくて単一民族なのです。

 案内者はいつでも……。昨日はこうだったのが、今日はああだというのではだめなのです。夜に行って聞いてみても「はい」、「何々山まで登って行くのですが、あなたが案内することができる?」と言っても「はい」、「そうか、夜でも自信ある?」と言っても「そうです」、昼に聞いてみても「そうです」、寝るときに行って起こして「あなたが案内者ですか。」と言っても「はい、そうです」、何時なのか考えも及ばないときに起こして聞いてみても「そうです」と、こうでなければなりません。そこには異議があってはならないのです。これはどういう話ですか。春夏秋冬、四季を通じて変わらないということです、行く道が。行く道が変わらない、ああだこうだと言わないということです。「そうですねえ」という言葉が必要ないということです。「そうです」と言わなければならず、「それは何々を見てみればできます」このような言葉が必要ないというのです。そのような民族が、最後に世界人類の道しるべとなることのできる見込みのある民族です。(八一―一八五)

2 世界で最も粘り強く、強い民族というものは

 世界で一番粘り強く、一番強い民族はどの民族でしょうか。先生がそのような結論を出そうと探してみるとき、これは西洋ではありません。今まで世界を代表した民族はいかなる民族でしょうか。本来、生まれつき粘り強いとか、そうでなければ粘り強い思想をもった民族です。二つに分かれるのです。結論はそのようになるのです。その粘り強い民族は、徹頭徹尾粘り強い思想をもっているとか、何か奪っていくことのできない思想をもっているとか、そうでなければその民族の粘り強い独特な伝統をもっていなければなりません。このような民族でなければなりません。

 そのような民族はどの民族かというとき、そのような民族にはユダヤ民族が入るのです。その次にはキリスト教民族が入ります。キリスト教民族と言えば、少し言葉がおかしいのですが、キリスト教民族です。キリスト教民族という言葉を初めて聞くでしょう? (はい)。キリスト教を中心として集まった者たちです。その次に宗教を中心として集まった群れたちが粘り強いのです。粘り強いのです。宗教思想を一度しっかりと投げ込めば、「神様が加護してくださるので、我々が行く道は間違いない」と言い、鉄石のように神様のみ旨が成し遂げられるときまで死を覚悟することのできる思想的基盤をもった民族にならなければなりません。そのようにならなければ、人間がどんなに強いといっても、人間には歴史的な変動を越えていくことのできる自主的な力量がないというのです。未来を知らないために、いつも行っては倒れ、いつも行っては失敗するようになっているというのです。

 皆さん、年末が近づいてきました。年の始めに私は一年間このようにしようと計画を立てましたが、ちょうど三百六十日が過ぎて年末になって、「私が今年に計画したことが勝利的に終わった」と、このように自信をもって答えることができますか。曲折が多いです。そのため人間がどんなに強いといっても、人間自体は自主的な決心をもって一生にぶつかってくるすべての事件、さらに国家的な変動、世界的な変動をひらりと越えていくことのできる自主的な力量をもつことはできないのです。これが人生というものです。これを公認しますか。(はい)。

 このような激動を越えて粘り強く残ることのできる道を行く人は、独特な思想をもった人にならなければならないということです。その思想はどのような思想? 哲学思想ではありません。宗教思想です。一番恐ろしいのが宗教思想です。そうなのです。宗教思想をもった民族的な行脚の路程が、歴史過程を通して過去から現時代を経て未来へと行く、粘り強い行列の隊列がこの世の中になければならないのです。そのような流れ、東から西へと向かう群れがなければならないのです。

 そのような中で、ここにキリスト教が現れるようになります。その次には他の宗教が登場するのです。儒教だとか仏教などが現れるのです。数千年の歴史を経てきながら、みんな経験したというのです。ユダヤ民族もそうです。その次には韓国民族です。韓国民族に宗教思想が徹頭徹尾貫かれているか、私は知りません。それでも韓国民族が東洋では魔事(問題)の種になる民族です。

 それでは、そのような道しるべ民族はどのような民族でなければならないのですか。このように徹頭徹尾貫かれた敬天思想を中心とした民族でなければならないでしょう。「我々だけがアジアにおいて天のためになる主導的な何かをもっている」という思想をもった民族でなければなりません。そうでありながら、できることならば総合民族よりは単一民族でなければなりません。なぜそうなのでしょうか。総合民族は純粋ではないからです。

 ご飯の中でビビンバ(混ぜご飯)がおいしいですか、混ぜないご飯がおいしいですか。どのようなものがおいしいですか。私は知りませんが、どのようなものが好きなの? ビビンバ? ビビンバが好きだというのは、混ぜていないご飯の味を知らないのでそのようなことを言うのです。(笑い)ビビンバがよい悪いということを言える人は……。何というか、ビビンバではないご飯は、何ご飯でしょうか。素飯というのか何というのか知りませんが。正常なご飯の味を知っている人でなければ、ビビンバの味も判断できないのではないでしょうか。

 そのビビンバを中心として「ああ、これが本来の味だ」と考えれば、それは何にもなりません。何にもならないというのです。何の話か分かりますか。(はい)。それは基準を立てることができません。科学世界は公式発達の世界ですが、その公式というものは単位を通して形成されるのです。その単位というものは変わるものですか、変わらないものですか。総合的な内容を含んだものですか、単一的な内容を含んだものですか。どのようなものですか。定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。単一性だというのです。

 そのような意味から見るとき、秤だとか標準というものは、そのような混合体にはあり得ません。そのような混合体全体を代表して、四方を代表することのできる標準的な内容をもたなければならないでしょう。このような結論が出るために、そのような民族というものは、単一民族でなければなりません。(八一―一八八)

3 道しるべ民族として選ばれたユダヤ民族

 世界歴史路程において一番根気よく、長い歴史をもった単一民族として滅びずに持ちこたえてきた国が何カ国ありますか。総合して見るとき、ユダヤの国がそうです。

 二千年の間国がなく、数多くの国の馬のひづめに踏まれて血を流し、虐殺に遭い、ありとあらゆる虐待をうんざりするほど受けましたが、いまだにその伝統と威信と姿勢を喪失せずに堂々と残っている、世界の流浪の孤客となっても自分の主導的な民族性をもったまま残っている民族が、ユダヤ民族です。そのユダヤ民族がそのように苦労して何をしますか。怨恨が多いのです、怨恨が、死んで追われて……。

 「我々は生きなければならないのだ。神様が我々を祝福してくださるから、お前たちは未来に我々からちりを受けなければならない。私はお前たちから追われるが、いずれお前たちは我々の指導を受けなければならないだろう。私はお前たちを指導できる力量をもっている」。これがユダヤ民族が民族的な優秀性をなすことのできる一つの動機となったことを、皆さんは知らなければなりません。迫害が加重されれば加重されるほど、その刺激によって、この世界を支配することのできるお金が必要だということ、内的な知識が必要だということを、いつも考えたのです。

 そのためユダヤ民族は乞食の生活をしながらも、息子を勉強させたのです。そのことをしたのです。お金をもうけなければならなかったのです。徹天之恨を説くための……。「私が頼る力の杖はお金であり知識である」。こうなれば、その民族がそこにすべてのものを集結することのできる立場に、行くまいとしても行かざるを得なかったのです。ですからユダヤ民族は頭がよいのではないというのです。私はそのように見るのです。ニューヨークのような所へ行ってみれば、ユダヤ人が相当多いです。頭のできを見れば、頭がよく生まれたのではないので、今後は下がったり上がったりはできないのです。私がそのように見るのです。

 そのような立場で、神様が罰としてユダヤ民族をそのように苦労させるのか、そうでなければ最後まで耐えて残る民族にするために訓練させたのでしょうか。このような問題を取り上げてみるとき、神様が愛されてそのような訓練をさせたなら、世界を制覇することのできる祝福は、そのようにうんざりするほど苦労した民族が受けるだろうということは、当然の結論です。何の話か分かりますか。(はい)。

 今アメリカを動かしているのはユダヤ人です。アメリカの首脳部はみな……。アメリカにおける経済力の五分の三以上、半分以上動かしているのはユダヤ人です、ユダヤ人。今後三次世界大戦が起こるのか、起こらないのかということも……。ユダヤ人がお金をもうけることのできる穴が大きいのかということに……。大きいときには原子戦争(核戦争?)も起こすことができます。そうすることのできる力の母体をもっているのです。今後、ユダヤ人を誰が主管するのでしょうか。ユダヤ人を主管することのできる主義と思想がなければ、ユダヤ人に主管されざるを得ません。

 それではユダヤ人自体が世界万民を主管することのできる包括的な力量があるのでしょうか。なくなるときには混乱します。そのときはユダヤ人に世紀末的な悲運の時代が来るでしょう。私はこのように見るのです。何の話か分かりますか。(はい)。

 神様のみ旨を見るとき、神様が道しるべを立てるのは、道しるべをして山を占領して、占領した特権的な権威をみなもたせるのであり、道しるべの使命のみ賦与するためではないというのです。道しるべの使命のみをするための特殊民族は、その民族の道しるべ的な立場においてのみ特殊民族です。それをみな済ませた後に、万民を特殊的な価値と栄光の位置に立てるためのものが神様の救援摂理です。これを考えるとき、その特殊的な民族の内容はどのようなものでなければならないのでしょうか。万民を包括することのできる自主的な力量をもたなければなりません。それをもてなければ、この世界を消化することはできないでしょう。(八一―一九〇)

4 単一民族として続いてきた韓国も選ばれた民族

 韓国民族を見てみましょう。この韓国民族は卒本扶餘(注:高句麗の異称)、高句麗時代において大陸の地を基盤としましたが、何かをしようとこの韓半島の南側の位置に来て、このお尻にくっついて「ああ、私を生かしてくれ」と言っているのですか。これは何ですか。なぜ尻を向けて太平洋に漏らそうとするのか分からないでしょう。(笑い)私が見るには、ちょうどそのような格好だというのです。中国が打てば私を生かしてくれと言います。韓国民族は滅びるものなら既に滅びた民族でしょう。ところが五千年の歴史をずるずると引いてきて、この端っこに来て、持ちこたえています。

 皆さん考えてみてください。大洋から訪ねてくる船の錨綱をつなぐためにこうなっていると言うときには気分がよいのです。この韓国の地は何ですか。西洋から大きな船が来るようになれば、錨綱を結ぶことのできる地がなければなりませんが、大陸よりは半島が錨綱を結ぶにはよい、このように考えるのです。

 また、三十八線を中心としてばっさりと分かれために、出っ張りを作れば滑らないだろうと私は考えます。このような考えをするのです。(笑い)仕方なくそのように考えなければならないだろうというのです。台風が吹いたとしてもです。つかんで離すなということです。押し出すなというのです。(八一―一九三)

 韓国の民は五千年の間追われて生きてきながらも、「五千年の歴史をもつ貴い民族だ」と言うのです。ああ、大便のひさごをもって座って貴いのですか。(笑い)歴史を見てください。誇るものが何かありますか。五千年の間、家を洞窟の家に造っておいて、何を誇るのですか。人が人工衛星に乗って飛ぶような時だというのに、何をしましたか。この者の祖先たちを私が立てておいて教育をすることができたなら、棒でぶん殴って頭を打ってあおむけに倒れさせた後に、同情できればするでしょうが、その前に同情すれば何もできないでしょう。五千年間何をしましたか。その洞窟の家で何をしましたか。したことがないというのです。

 そのまま見れば韓国民族は特殊思想があるのです。神様を好んだというのです。神を好んだというのです。そこが違うのです。神を好んだのです。霊的なものを一番好むのです。それで最近でもパクス(男の巫)やムダン(女の巫)たちが幅を利かせているのです。威張りちらして行き来していますが、自信のない生活をしていることを私は知っているのです。自分の将来がどのようになるのかということに関心が最も多いのです。それはすることがないので、自分の身の上を愚痴っぽく嘆くことしかできないでしょう。このように悲惨になったので、そうするしかないでしょう。幸数を願い運数を願ってそうしていますが、四柱の好きな民族です。皆さん方もそうでしょう。(八一―一九八)

 粘り強い連中だというのです。分かりますか。(はい)。粘り強い連中です。歴史時代にユダヤ民族よりもさらに粘り強い連中が韓国民族です。もしも韓民族が共産党に押されて国なく追放され、世界に散らばるようになれば、どうなるでしょうか。

 二十世紀文明末期においての大韓民国は世界に残すことのできる思想はありませんが、散らばった民族の胸に二十五世紀、三十世紀には世界を……。世界人たちが抱く思想、私だけが生きることのできる思想を抱いて追い出されたとしても、その時代に行っては世界人を支配することのできる時が来るだろう、私はこのように考えるというのです。(八一―二〇六)




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第六節 韓民族に対する神様のみ旨

一.韓民族の悲運と神様のみ旨

1 韓民族に試練を下さった意図

 今日我々は、過去から今までの歴史的なすべての罪悪を蕩減するための民族的な試練を、いかにして越えて行かなければならないのでしょうか。「この民族は新しい世界のために、新しい理念の天国のために善なる血族として立てられたので、この民族を犠牲にして歴史的な罪悪を蕩減なさってください」と祈祷しなければなりません。皆さんがそのような祈祷をしなければなりません。まさにそうでなければなりません。

 この時代に神様が世界の人類の中の誰でもない、どの宗族でもないこの三千万民族に、何十年あるいは何百年間の試練過程を置いて鍛錬させる理由はどこにあるのでしょうか。一面からだけ見れば悲惨ですが、他の面から見るとき、神様は我々のために無限なる祝福を下さろうと、世界的な祭壇をつくっておかれたのです。このために鍛錬させたということを知らなければなりません。

 それでは、我々はどのようにしなければならないのでしょうか。常服を着て復帰の使命を果たす祭司長たちになるのか、あるいは祭官たちにならなければなりません。そうしてこの民族を代身して神様の前に過去を悔い改めて贖罪の祭祀を捧げることができなければなりません。そのような祭祀を捧げるためには、祭司長にならなければならないので、皆さんは民族が試練の道を歩むとき同参しなければなりません。これが神様に向かう原則です。

 そうすることによって、今日皆さんは民族的な試練の道を行くときにおいて、自分個人のために行ってはいけません。「お父様にはこの民族を立てようとされるみ旨があるようなので、その責任を私にお任せください」と言うことのできる立場に立たなければなりません。「左手で過去を悔い改め、右手で時代を収拾しようという祭物です。二つに裂かれようとも、サタンが取ることのできる祭物ではございません。裂かれても片方は歴史的な祭物であり、もう片方は時代的な祭物ですから、天よ、受け取ってください」という祈祷をしなければならないというのです。そうすればサタンが取ることができず、屈服するようになるのです。(一三―二六五)

 この国この民族は世界の一番どん底に磐石を築かなければなりません。磐石の中でも一番強い磐石を築かなければなりません。そうしてそれを足場に激しい試練の中でも発展をして結束することのできる群れをつくらなければなりません。(一四―三一六)

 今日五千年を経てきた韓民族の歴史をたどってみるとき、その歴史はあきあきするような歴史ではありませんでしたか。血なまぐさい歴史の過程が織り成されてきたのを見れば、振り返ってみるのも嫌な歴史ではなかったかということです。このように生き難い大韓民国という国を形成するためにも、血なまぐさい曲折が織り成されていますが、ましてや神様のみ旨を成し遂げることのできる天側の国を編成するためには、どれほど血なまぐさい代価が支払われなければならないのかを、皆さん、考えてみてください。

 一つの国においても奸臣が栄えたならば忠臣が栄えることのできる歴史的時期があり、主権を行使することのできる時期がありますが、神様は奸臣側ではありません。忠臣側なのです。忠臣側でありながらも、奸臣から数千年の間追われ、一度もご自身の権威を誇ってみることができませんでした。ご自身の愛、ご自身の家、ご自身の氏族、ご自身の民族、ご自身の国であると誇ることのできるものがない中で、あきあきするような戦いをしてくるほかなかった天側の悲惨な事縁が、歴史の背後に宿っているということを、我々は忘れてはなりません。

 そのような天側の国を追求していくうえにおいて、私自身が天側になるのか、その国の先頭に立って祭物になることのできる私自身になっているのかが問題だということです。天側を考えるとき、天が今まで天側を死守するためにどれほど多くの血を流し、どれほど大きな苦労の代価を払ったのかということを、皆さんは知らなければなりません。その苦労はいまだにすべて終わってはいません。民族を越えて世界の数多くの難しい環境を打開していくためには、数多くの犠牲の血の代価を払わなければなりません。サタンが望む代価を払うのではありません。神様の悲しみの血の代価を払いながらでも行かなければならない運命の道があるのです。(二八―一二三)

2 悲しみを希望の動機にしなければならない我々

 歴史を見るとき、被圧迫民族の中ではっきりした目的をもった民族は、圧迫を受ける期間が長ければ長いほど、滅びるのではなくてさらに団結してきました。このような事実を我々は歴史を通してかいま見ることができます。

 卑近な例を挙げてみれば、イスラエルはどんなに難しい時代と環境を経たとしても、自分たちが選民であるという意識を失いませんでした。行くところ行くところで迫害と悲しみがいつでも彼らを待ち受けていましたが、彼らはその悲しみを通して一日の希望を標準として行ったのです。その悲しみが彼らを落胆させたのではなく、かえって彼らを団結させ、難しい環境を打開させる歴史的な闘争過程を越えさせたという事実を、我々は知っています。

 そのため、悲しみというものは落胆の条件になることもできますが、目的をもっていく人には、かえってそれが目的を成就させることのできる内的な力を結成する条件になるという事実を、我々は知らなければならないのです。

 それではイスラエル民族が念願したものは何でしょうか。唯一神を中心として国家と民族が心情一致した理念圏内に立つことでした。それを追求してきながら、彼らは死んだとしてもそれを胸に抱いて死にました。そのみ旨をなせないことを恨として残しました。彼らが死ぬとき、父母としてあるいは何らかの指導者として、後孫の前にそのみ旨を成し遂げることを、遺言として残しました。このようなことを見てみるとき、悲しい歴史過程を経てきた民族であればあるほど、その歴史過程を通して世界的な勝利の基盤を迎えることができるという事実を、我々は推測することができるのです。

 このような点から見るとき、堕落した圏内で国なき民族が悲しみを抱いて出てきたとしても、目的意識が強くなるときは、その悲しみがかえって希望をもたらすような動機となるのです。もしイスラエル民族が自分の国をもっていながら、民族圏内で悲しみを感じたとするならば、その悲しみはいつの時か流れて行ってしまったことでしょう。

 しかし、彼らは国のない中で悲しい運命にぶつかればぶつかるほど、自分たち民族に現れる環境を眺めれば眺めるほど、いつも国家観念をもち、同族愛を増していったのです。その悲しみにぶつかることによって、新しい国家を追求するようになり、自分たちが拘束された環境を打破して解放された新しい環境を追求することができたのです。その悲しみがまさにそのような動機となったのです。そのような民族はいつの時か必ず勝利の一時を迎えるということを、我々は知らなければなりません。

 悲しい環境にさらされたとき、過去に落胆するのではなくて、かえってさらに団結して民族愛と国家愛を爆発させることができる民族があったならば、その民族は今後必ず世界史を動かすことのできる力を起こすようになる、ということを我々は考えなければなりません。(三〇―二四七)

3 韓民族の悲運と神様のみ旨

 考えてみれば、過去五千年の歴史を振り返って見るとき、暗闘と陰謀、対立、闘争によってつづられた韓民族、我々は片時も互いに手厚く愛し、理解し、許した時節を過ごした時がありませんでした。悠久なる歴史とその文化の伝統をもった韓民族が、なぜそのような闘争の歴史を記録してきたのか、分かりますか。終わりの日に世界的なカイン・アベルの対立闘争を、この韓民族から終結させなればならない天倫の秘密があったためです。神様はその連結のための段階的な準備過程をこの民族を通して準備してこられたのです。したがって、いま恨の結び目を終結させなければならない神様の摂理がこの地を中心として展開されている状況で、もしアベルとカインである我々が一つとなって国家的なアベル圏を形成することができなくなれば、この民族はイスラエル民族よりもさらに悲惨な民族となってしまうという事実を、皆さんは肝に銘じなければなりません。

 皆さん、今や世界史的な運勢がこの民族を中心として回ってきています。南と北が分かれた悲運も、問い詰めてみれば、神様がこの民族を世界の主導国にするための一つの試練として下さった祝福でした。永久に民族を分裂させるためではなく、より確固たる結束を通して世界の見本とならせるための、神様の試練でした。南韓で統一教会と既成教会が一つになり、すべての宗教が一つになり、これが勝共の核心主体となって、北韓の地を完全に消化して世界を一つにさせる基本をこの地に準備してくださるために、神様は南と北の両国に分けて立てられ、南側から統一教会を通してみ旨を展開されたのです。このような事実を知っていたので、私は統一教会の一番先頭に立って戦ってきたのです。統一教会のために戦った私ではありませんでした。韓民族の将来とこの国家の明日のために戦ったのであり、皆さんのために、韓国の全民族のために戦いました。今後において皆さんと韓民族が神様に選ばれた民族として使命を果たすことのできる基盤を固めてあげるために戦ったのです。これはみな誰のみ旨ですか。イエス様のみ旨であり、神様のみ旨です。

 韓国はイスラエルと第二イスラエルであるキリスト教徒ができなかった摂理的使命を引き受けた第三イスラエルです。韓国ではどのようなことがあったとしても神様の摂理が完結をみなければなりません。世界のすべての文明が韓半島で結実をみなければなりません。我々は神様を中心とする一つの世界を成し遂げるうえで、最も基本となってあげなければなりません。アダム文化圏の新紀元が画されなければなりません。(一九八〇・一一・八)

 神様は歴史を通して 筍(基準となるもの)を立て、横的な環境を成される歴史を導いてこられました。今も神様は筍になることのできる個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を探していらっしゃいます。韓国はこのような筍の立場に立たなければならず、そのためには試練を経なければなりません。

 筍はすべての枝が受ける試練を一時に受けますが、前進的な克服をしなければなりません。このように我々も世界的な試練を克服しなければならないのです。(一七―二〇八)




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二.世界のために生きるべき韓民族

 神様のみ旨を中心として見るとき、韓民族は神様が選ばれた民族であり、韓国は神様の願われる「ために生きる生活」の見本を示してあげなければならない摂理の中心です。歴史の多くの事縁と曲折がもつれている韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と歴史の功過を引き受けて整理し、清算しなければならない摂理的な使命があります。優秀な天稟と文化をもった民族でありながら、世界で類例を探すことのできない苦難の道を歩んできたということも、このような点から理解しなければなりません。

 我が民族の試練の数々は自体のみのものではなく、摂理的なものであり、神様は民族がこれを克服するのを待ちこがれていらっしゃいます。世界史の総合的遺産と称することのできる東と西、南と北の出会い、精神と物質、有神論と無神論の対決と混沌が集約され、韓半島で渦巻いているのも、あたかも新時代を懐妊した産婦の身もだえのようでもあります。韓民族の民族的、国家的困難は、神様のみ旨と摂理を離れては解決することはできず、韓国単独としてではなく、世界との関連の中でのみ解決が可能だと見るのです。韓民族は今や天の摂理を悟り、神様が世界の精神界を指導する目的で送られた方に従って、苦難を越えなければなりません。

 本人と統一教会の基盤は、徹底して天のみ旨に従い、「ため」に生きながら築いてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を切り抜け、東と西の無理解を飛び越えて勝利した基盤です。韓民族と韓国が、本人の世界的勝利の基盤の上で世界のために生きる生活をするようになったならば、神様は民族に対する歴史的祝福以上の福を韓国に下さると見ます。このようになれば、韓国は苦難を克服するだけでなく、世界の前に真と愛と平和の中心となるでしょう。神様が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき、初めて神様の韓国に対する祝福が結実することでしょう。(一九八五・一二・一一)

 それでは神様の愛はどこで受けるのでしょうか。世界の中心で受けるのです。言い換えれば、イスラエルという勝利圏内で受けるのです。そのため統一教会はイスラエルの創建を願って出てくるのです。そのイスラエルの創建は、韓国のためのものではなくて、世界のための創建だということを知らなければなりません。

 韓国のための世界ではなくて、世界のための韓国です。何の話か分かりますか。そのような立場に立たなければなりません。世界のための韓国といえば、まず与えなければなりません。与えておいて受けるようになるときに、位置をつかむのです。これが授け受けする道理です。このように我々が国のために与え、国が受けるようになるときは、どのようになるのですか。帰っていくようになります。どこに帰っていくのでしょうか。神様の国へと帰っていくようになります。すなわち、カイン・アベルの位置に帰っていくのです。そのため、大韓民国を中心として、今後世界最高の国家を相手にして与えなければならないのです。(三四―二四四)

 神様はこの民族が個人的な蕩減条件を立て、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的な蕩減条件を立て、さらに天宙的な蕩減条件まで立ててくれることを願っていらっしゃるのです。

 神様はこの民族に世界を救う責任を下さいました。それではこの民族が神様からこのような責任を賦与され、その責任を完遂することのできる力をもったというからには、どうしなければならないのでしょうか。神様の前に心情を掛けて涙を流さなければなりません。そうして宇宙的な歴史の転換点を成すことのできる、蕩減の基盤を築かなければなりません。(一三―三七)

 皆さんが神様のために生きるならば、神様を本当に知り、神様と私との関係をはっきりと知って、私はその方のために生まれ、その方のために生きたならば、不平があり得ないと言うことができなければなりません。なぜ? 世界復帰をしなければならないからです。したがって世界が問題なのです。私一人の生き死に、統一教会員数名の生き死にが問題ではありません。大韓民国一つが滅びても、世界を救うことができるならば、神様は大韓民国を祭物にして世界を救おうとされるのです。世界が優先です。

 そうしようとすれば、一刻も早く大韓民国を団結させて南北が一つとなり、天の前に祭物として捧げられるようにならなければなりません。そうして大韓民国によって世界が贖罪されて救いを受ければ、大韓民国は滅びません。贖罪された世界が栄えるのに伴って、大韓民国も栄えるからです。贖罪された人々の国とそのために苦労した人々の国が一つの国になれば、苦労した人々の国が一つの中心的国として登場するようになります。そこには恨があり得ません。

 神様の前に立てられた韓国民族がみ旨を奉じる日には、世界復帰の偉業は簡単に成し遂げることができます。韓国民族さえ一つになれば、世界復帰は簡単なことです。このような運勢に合わせて、今後統一教会がどのように発展していかなければならないかということに責任をもって指導する使命が先生にあります。これを皆さんが知って、そこに歩調を合わせるためにすべての精誠を尽くさなければなりません。(一六―八一)

 皆さん! 我が祖国韓国は新時代の先駆者であり、神様の寵児です。我々は長い苦労の末に、ついに新時代の王者として登場する時が来ました。この時我々は悟らなければなりません。韓民族を神様が召されたのは、神様が韓民族だけに良い生活をさせるためではありません。世界の救援のためにです。韓国は世界の救援歴史のために召命された国であるということを悟らなければなりません。我々は神様に召されたので、神様の世界救援役事のために誰よりも一番先に自身を犠牲にすることのできる、愛の王者にならなければなりません。我々が神様のみ旨のために死ぬことはすなわち生きることであり、苦労することはすなわち栄光の位置に上る道です。イエス様が「私のために死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」と言われた意味が、まさにこれだったのです。(一〇〇―二五四)

 栄えることのできる一つの道とは何でしょうか。神様が行かれる摂理の方向を中心として一致することのできる立場に立たなければなりません。世界的なすべての悲しみを抱き、世界を代身して自分たちが傷を受け、世界的な悲しみに責任をもって死ぬ位置に入ったとしても気にも止めず、前に出ることのできる民族にならなければなりません。そうしてその民族の立つ地がなくて、世界に散らばるようになったとしても、その民族が残ることのできる思想が残っている限り、その思想によって世界を収拾することのできる天運が開かれるのです。何の話か分かりますか。(はい)。

 民族文化を誇るのをやめなければなりません。現在の世界的なキリスト教国家だと誇るなというのです。今後近づいてくる悲しみの世界に責任をもつことのできる民族になれなければ、この民族の主権と希望は喪失してしまうのです。しかし、民族がどんなに国家の主権をもち得ない凄惨な位置にあったとしても、そこで強く大胆に世界の悲しみに責任をもつことのできる国民性をもっていれば、その民族は勝利の世界を迎えることでしょう。そのような勝利の世界を個人が待ちこがれ、家庭が待ちこがれ、氏族、民族、国家、世界が待ちこがれるのです。ですから落胆せずに最後まで戦いなさいということです。

 寂しい牧者の生活をしたとしても、あるいは放浪する宗族となって、追われながら悲しく恨めしい生活をしたとしても、今後の悲しみの世界に責任をもつと言うことのできる民族にならなければなりません。そのような民族は、神様から千年、万年祝福を受けることのできる民族になるでしょう。そして、その民族は結局世界を征服するのです。このような民族になるためには、民族文化も放棄し、民族の主権も放棄しなければならないのです。そのようなものは失ってもよいということです。世界を占領するために偏狭なものとは絶縁しなければなりません。そのような観をもった群れがあるからには、その群れは必ずいつの日か決定的な時を迎えるようになるのです。(二一―一一六)

 我々が担わなければならないものが何であるかを知らなければなりません。それは民族を解放しなければならないということであり、アジアを解放しなければならないということです。また、大韓民国をみ旨の前に解放させて、民族を解放しなければなりません。これが我々がしなければならない仕事です。その他のことは、後でやってもかまいません。一番初めに、血なまぐさい神様の悲しみを抱いて越えていかなければならないというのです。(二一―一一九)

 歴史的に間違ったこと全体をひっくり返すことのできる民族が現れなければなりません。我々がこれを変えておかなければなりません。(一六―二四六)




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三.愛の配達夫となるべき倍達民族

 我々はペダル民族にならなければなりません。ペダルというのはどのような意味ですか。ペダル民族は配達夫民族です。(笑い)〔注:韓民族の別称を「倍達民族」というが、韓国語では「倍達」も「配達」も同じく「ペダル」と発音する〕遠く離れた方を待つとき、その方の消息は誰から来ますか。(配達夫です)。手紙も来るでしょう? その手紙は配達夫を通して来るのです。そうでしょう。 (はい)。その手紙を受け取ればよいですか、悪いですか。(よいです)。

 ところで、皆さんの中に配達夫をもてなしたことのある人がいますか。目が落ちるほど手紙が来るのを待っていて、配達夫が手紙を渡してくれればうれしいと受け取って部屋に飛んで入って行く人はいますが、昼食の時間になったので、昼食を食べていきなさいと配達夫をもてなす人はいないというのです。配達夫は哀れなものです。数多くの人々に親しい知らせを伝えてくれますが、月給をもらって配達夫に税金を納める人はいますか。一度でも配達夫を丁寧にもてなした婦人がいれば、手を挙げてみてください。哀れな人を一度ももてなさなかったということです。

 統一教会員たちに配達夫の使命を与えましたが、家々ごとによい知らせをもたらしてあげる配達夫になりましたか。配達夫が手紙を持ってきてあげながら、「きょうの天気は本当に福に満ちあふれているなあ。汗がなぜこんなに出る」と言いながら広い板の間に上がってきて、冷たい水を一杯持ってきてくださいと主人に言う配達夫がいますか。配達夫は蔑視されるということです。そうでしょう?

 倍達民族というのは、配達夫民族です。これは我々統一教会を指していう言葉です。我々は愛の配達夫にならなければなりません。神様の愛を世界に配達する配達夫民族になろうということです。これはどれほどすてきでしょうか。何の民族だと言いますか。配達夫民族だというのです。

 また、白衣民族というのは何の話ですか。死んだ人を葬るときに白衣を着ませんか。(笑い)白衣は何に使うというのですか。白衣は標識に使用されます。標識に使うのです。真っ暗な夜中に真っ赤なものが標識になれるでしょうか。真っ黄色なものがなれるでしょうか。真っ白な色しかないのです。暗黒の天地において標識になることのできるのは白色だということです。死亡がみなぎっている暗黒世界では、神様の死を中心とする白衣のみが標識になることができるというのです。先生は統一教会を中心として、この仕事をしてきたと言うことができます。(三四―三五七)




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四.時代的十字架の道を開拓すべき韓民族

 今日、我が民族は骸骨の所のような谷間に来ています。我々は今ここに生命の油と生命の水を注いで復活圏をつくるために行っているのです。皆さん、これを感じますか。

 韓国がどうして歴史的な渦中に処しているのでしょうか。どうしてこのように悲惨なのでしょうか。古びた服を脱ぐ前には、新しい服を着ることはできません。脱ぐときには、天の国で脱ぐのではありません。悪なる世界で着た服なので、悪なる世界で新しいものに着替えて、新しい天地へと行軍しなければなりません。そうして民族的な道を修めて現れるようになれば、この民族は世界に輝く時があるでしょう。分かりますか。

 我々は黙って戦争をしている人です。黙って未来の都城を開拓している人です。今日、我々がこの位置を避けるようになれば、我々の先祖は嘆息するようになり、この三千万民族と我々の後孫は何十倍、何百倍も苦労するようになります。何の話か分かりますか。ですから皆さんは、泣いたとしても絶対に一人では泣かないでください。

 イエス様はこの地上に来て多くの涙を流しました。家庭が恋しくて涙を流し、民族が恋しくて涙を流し、世界が恋しくて涙を流しました。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・20)と言われたイエス様であられたのですから、どれほど悲惨な身の上だったでしょうか。どうしてメシヤの身の上がそのようになったのですか。神様が四千年間苦労した基盤の上でイエス様がなすべきことは何だったのでしょうか。悲惨な生活をしながらも、このようなイエス様の心情を訴え、失った天国を見いだすために訴え、み旨のために忠誠を尽くす食口がいたならば、皆さんはそのような食口をアベルとして侍っていかなければなりません。

 神様は時代的十字架の道を開拓しながら行かなければならない一つの選民に対して行かれるので、その選民からは絶対に離れることができません。したがって選民である我々は黙々とこの道を行かなければなりません。我々にどんなに恋しい故郷があったとしても、この道を行かなければならない不可避的な事情に置かれているので、行かなければならないというのです。それではこの道を行って何をしなければならないのでしょうか。うんざりする悲惨相をみな清算して、罪悪に染まった十字架の試練路程を、永遠にこの民族の前から消え失せさせなければなりません。そうすることのできる日のために、我々は最後まで進んでいかなければならないのです。(一三―二七〇)




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第三章 分断韓国と世界

第一節 第二次世界大戦とアメリカの責任

一.第二次世界大戦を中心とした各国の摂理的意味

 人間始祖の堕落によって、神様とアダムとエバが怨讐圏に立つようになりました。すべてのものが怨讐です。アダムとエバが怨讐になり、カインとアベルが怨讐になり、父母と子女が怨讐になりました。ばらばらに散らばって怨讐圏に種を蒔いたので、終末にそのように実を結びます。

 ですから、サタン世界のアダム国家、サタン世界のエバ国家、サタン世界の天使長国家が生まれるようになります。これに対して、天側のアダム国家、天側のエバ国家、天側の天使長国家、このように分かれて戦ったのが第二次世界大戦です。枢軸国と連合国に分かれて戦ったのです。

 戦争は、世界的なサタン側の枢軸国家が先に始めました。サタン的エバ国家である日本が、韓国を中心として東洋を占領しました。大東亜共栄圏は、神様の理想を先取して、その理想を実現しようとして現れたものです。

 天照大神の女神、八百万の神、多神教国家が日本です。これに対して、英国は天の側のエバ国家です。天を中心として再臨主が来られる国がアダム国家ならば、英国はエバ国家です。そして、アメリカはエバの子女だということができます。アメリカは英国から独立したからです。彼らはいつも、ぴたっとついて回ります。ですから先生は、フォークランドを巡ってアルゼンチンと英国が戦うとき、アメリカと英国がいつまでもくっついていれば、世界は滅びると言いました。分かれなければならないのです。ですから、天の基準を中心として、将来、アダム国家として立たなければならなかったのです。

 アベルは堕落する前のアダムの立場です。それがアベルの目的です。アダムの前に復帰された国家が英国ならば、復帰された天使長がフランスです。

 これに対して、サタン世界のアダム国家がドイツであり、エバ国家が日本であり、天使長国家がイタリアでした。これら三国ずつが組んで、神様とサタンを中心としてそれぞれ四位基台を造成して、世界的に分裂し、衝突したのが第二次世界大戦です。その戦いは、天下を争う戦いでした。

 その結果、神側が勝利したので、サタン世界のすべてのものを神側に取り戻さなければならないのです。これに対してサタン側は、世界的な最高の舞台として国際共産主義の体制を構築してきました。(一九八三・四・三)

 第二次世界大戦で、連合国だったアメリカと英国とフランスの中で、アメリカはアダム国家であり、英国はエバ国家であり、フランスは天使長国家です。このような連合国家に対抗して、枢軸国家であるドイツと日本とイタリアが戦いました。その枢軸国家の中でも、ドイツはアダム国家であり、日本はエバ国家であり、イタリアは天使長国家です。なぜ英国と日本がエバ国家に該当するのかといえば、島国だからです。島国はいつも大陸を主体として、大陸を思慕する相対的立場にあるのです。

 英国がアメリカを生みました。アメリカは英国が生んだ息子と同じです。それは何かといえば、未来において、来られる主も女性を通して来られるということを指します。結局、アダムとエバと天使長が失敗して堕落し、そのように蒔いたので、世界的に刈り取って、清算しなければならないのですが、その蕩減法によって清算しなければなりません。その蕩減法によって引き起こされた大戦争が第二次世界大戦でした。(一六一―六七)




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二.エバ国家である英国の使命

 近代史において、文芸復興以降、英国がなぜ祝福を受けたのでしょうか。これに対して、私の見解をしばらく話してみましょう。英国は多くの植民地をつくりました。原理的に見ると、これは他の国を占領したことになるので、間違っています。しかし、外的にはそのようになりましたが、内的にはキリスト教をもっていって植民地国家に植えてあげたのです。つまり、もっと大きなものを与えたのです。これは神様が、外的に世の中をいつまでも英国が支配しなさいということではなく、しばらくの間だけ英国に与えて、その英国を通してキリスト教を世界に伝播させる神様の作戦と見るのです。

 皆さん、西欧文明がどうしてイタリア半島を経て英国に来て、実を結びましたか。それは変ではありませんか。島国は大陸を思慕するものなのです。大陸を男性に比喩するなら、島は女性に比喩できます。神様の復帰摂理は、この世の中で新婦理想圏を探し求めるものだと見るのです。すなわち、夫人を探し求めてきたと見るのです。そうしようとすれば、夫人のような立場で、キリスト教を中心とした一つの世界的主権国家が登場しなければなりません。その国がまさに英国なので、英国が祝福を受けることができると見るのです。

 英国は、女王が現れればうまくいくといいます。アジアでも、英国の歴史を学んだ人たちがそのような話をしています。皆さん、いいですか。なぜ英国が、第一次世界大戦の時も都監(注:寺でお金や穀物の管理をする官庁)にならなければならず、第二次世界大戦の時も都監にならなければならなかったのでしょうか。母親が堕落させたからです。ですから、この地上に母親的国家が現れて、サタン世界との最後の決戦で責任をもって戦って勝たなければならないのです。そのような国家がまさに英国だと見るのです。

 第一次世界大戦の時もドイツが怨讐であり、第二次世界大戦の時もドイツが怨讐であり、第三次世界大戦もドイツが怨讐だというのです。共産主義はマルクス主義であり、ドイツの人間主義なのです。これを皆さんは知らなければなりません。このような危機が近づいてくるので、今、母親が果たすべき使命は、サタンを追い出すことです。そうして初めて、天の国の一つの基盤が準備されると見るのです。

 アメリカは英国が生んだ長男と同じです。それゆえ、英国はアメリカと一つにならなければなりません。一つになって引っ張っていかなければならないのです。母親が引っ張って回らなければならないのです。息子が過ちを犯せば、母親が操縦しなければなりません。堕落するとき母親がまず堕落し、その次にカインが罪を決定しました。それゆえ、これを復帰するためには、反対に天の側に立っている母親と息子が一つになって、サタンを屈服させなければならないのです。(五四―一二三)

 英国が第一次世界大戦で勝ったのは、英国が勝とうと思ったから勝ったのではありません。英国がもった崇高な思想、すなわち、正義のために戦っているので神様が勝たせてくれるという信仰があったので、勝ったと見るのです。ドイツは自分をもって現れました。自分をもって攻撃したのです。けれども、英国に負けてしまいました。先に打った者が悪です。打った者は滅びるのです。打たれても天を信じ、天さえつかんで打たれようものなら、打った者がどんなに強かったとしても、くじかれていくのです。

 第二次世界大戦も同じです。ドイツのヒトラーは、当然勝つだろうと自信をもって現れて先に打ちましたが、英国が勝ったということは、正義が勝つということを見せてくれたのです。神様だけを信じてきた信仰心があったので団結することができ、ドイツを退けることができたということを知らなければなりません。有り難いことは、英国が先に打たなかったということです。そのように公式に一致し得る立場に立ったので、神様が保護せざるを得なかったのです。

 ドイツ国民は、今も自分の力によってヨーロッパを制圧できるという自信をもっています。ところが、もっと恐ろしいソ連共産党は、民主世界を自分の餌食と考えて攻撃しています。もし、ソ連がドイツと一つになろうものなら、英国に大きな問題が起こるだろうと見ます。では、英国は今どのような立場にいるのでしょうか。英国が現主権下で、共産党と手を握るというのは不可能です。保守党を中心とした英国国民の気質に共産党は合わないのです。

 それゆえ、アメリカが中共と手を握るこのような時局に、神様がいらっしゃるならば、英国という国に対して希望をもたざるを得ないだろうと考えるのです。母親が最後まで戦って勝たなくてはならないという結論的立場から、英国は歴史的に女性国家型の使命をもっているので、今後も残るだろうと見るのです。けれども、英国の主流思想が共産主義の思想になってはなりません。キリスト教思想、すなわち、神様のための思想をもって団結しなければなりません。そうすれば、絶対に滅びません。(五四―一二四)




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三.第二次世界大戦を通して世界を主導すべきだったアメリカ

 第二次世界大戦直後において、キリスト教を中心としたアメリカは、世界を一つの世界として抱くことのできる神様の摂理圏にいました。(一六七―六七)

 アメリカは、第二次世界大戦以後に名実共に世界を支配できる国になりました。第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、英国が勝ったのではありません。アメリカが勝ったのです。アメリカゆえに勝ったのです。では、アメリカはどのようにしなければならないのでしょうか。第二次世界大戦の主導国家であるドイツとか日本の独裁国家は神様の怨讐です。キリスト教徒を虐殺し、ユダヤ人を虐殺した神様の怨讐です。キリスト教に反対し、ユダヤ人を虐殺したのです。韓国のような国において日本がやったことも同じです。

 ですから、サタン世界と戦ってそれをすべて占領したならば、ドイツがもっていた土地の一角も誰にも譲ってはならず、日本がもっていた土地の一角までも、アメリカが管理しなければならないのであって、譲り渡してはならないというのです。このことを知らなければなりません。アメリカがそれをしましたか、できませんでしたか。(できませんでした)。ドイツが占領していたチェコスロバキア、アルバニアをなぜソ連に譲り渡したのか、というのです。なぜソ連に譲り渡しましたか。ドイツをなぜ東西に分けるのですか。すべてアメリカが管理しなければなりません。もし、ソ連が主張すれば、「そうではない、この者! 我々のおかげであなたが足を付けていることを知らないのか」と言わなければならないのです。この者たちは不法的に進軍してきたのです。

 アメリカが責任を果たせなかったのです。「この者、戦いは私がして、あなたは欲張るのか。この者、後退しなさい!」と言ったならば、共産党はその時なくなったのです。天の側の民主世界の青年たちが血を流して戦った目的は、神様の領土を広め、天の国の版図を広めて、天の人をたくさん探し求めるためだったのです。そのような神様のみ旨があって、そのみ業をさせたにもかかわらず、なぜ後退しますか。

 ドイツを分けてしまったのもアメリカが責任を取らなければならず、韓国をそのようにしてしまったのもアメリカが過ったのです。責任を果たすことができなければ誰が利益を得るといいましたか。(怨讐です)。怨讐が利益を得ます。第二次世界大戦で一番福を受けるべきアメリカが、責任を果たせないことによって、その福をすべて共産党がもっていったというのです。共産党がもっていったということを知らなければなりません。その次には、アメリカと英国の怨讐だったドイツと日本が、なぜ、福を受けたのか分かりますか。ドイツと日本がなぜ福を受けましたか。なぜ第二次世界大戦の後にこれだけ復興したのかというのです。敗戦国が復興するという、そのような原則は歴史にないのです。

 アメリカが責任を果たせなくて、怨讐たちが福を受けたのです。このようにして、今ヨーロッパからも後退、アジアからも後退……。神様が見るとき、このアメリカをどのように考えるでしょうか。アメリカは腐るばかりです。今滅びつつあります。責任を果たせなかったキリスト教徒が激しく打たれるのです。キリスト教が滅びるのです。キリスト教がアメリカを主導して、共産党に一寸の土地も与えず食い止めて、すべて押してしまうことができなかったので、そのようになっているのです。(八〇―三〇八)

 ヨーロッパにおいてアメリカと英国など、自由陣営が過ったことが何かといえば、ソ連がハンガリー、ポーランド、チェコに進軍したとき、東欧の反ソ運動を後押ししてあげられなかったことです。もしその時、強力にそれを後押ししてあげていたなら、ユーゴからチェコ、ルーマニアまで連結される、ソ連に対備する一つの防衛戦が整えられたはずです。その当時、ユーゴスラビアはソ連政策に反対していました。その他、ルーマニア、チェコスロバキアなどでも自由化運動がありました。ところが、アメリカがじっとしていたので、中間部分が飛んでしまいました。その時のソ連の立場は、将来バルカン半島を自分の足場にするために、この線を失ってしまえば大変なことになるので、軍隊を動員せざるを得ない立場だったのです。(五四―一六〇)




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四.ドイツと韓国が分かれたのはアメリカの責任

 第一次世界大戦の時も、アメリカのゆえに英国が勝ったのです。英国とフランスがすべて勝ちました。それはアメリカのゆえです。第二次世界大戦だけいっても、ノルマンディー作戦などをアイゼンハワーや、彼らが作戦をして、第二次世界大戦直後に全世界の勝利の版図圏を……。この民主世界と反対の陣営と戦って、彼らの領土をすべて相対的に主管し、管理すべき責任がアメリカにあるのです。

 それゆえ、アメリカが頭をよく使いさえすれば、ドイツのヒトラーが占領していた国、それから、日本が占領していた韓国と中国など、すべて管理できたのです。そのようにして、しっかりと世界を結束させて……。さあ、その時アメリカがそのようにしましたか、しませんでしたか。(しませんでした)。

 そして、なぜソ連と協議しますか。ソ連をなぜ居座らせたのか、というのです。「あなたは滅びるはずなのに、我々のゆえに勝ったのではないか」と言って、強力な共同体制を中心として、アメリカが主導権を取らなければなりませんでした。ドイツを誰が分けてしまったのでしょうか。ソ連がしたのではなく、アメリカが過ったから分かれてしまったのです。中国まですべて管理しなければならないのにもかかわらず、韓国をあのようにしてしまったのも、アメリカの過ちだというのです。三十八度線が生まれたのも、すべてアメリカのせいです。西ドイツと東ドイツが分かれたのもそうです。アメリカはそのようにできる権限があったのです。

 このようにして強力な国連を……。この国連もそれゆえにつくったものではありませんか。国連をつくって強力な主導権を握り、内外に力をもってソ連を制圧し、凌駕できるように、この世界の機構を強化すべきなのがアメリカの責任だったにもかかわらず、これを果たすことができなかったのです。

 トルーマンが韓国に派兵したとき、マッカーサー将軍を解任するのではなく、マッカーサーの言葉どおりにしたなら、中国をすべて占領し、ソ連を除去できる一つの歴史的なチャンスを迎えたはずなのに、それを失ってしまったのです。さてその時が、英国やフランスが支配していた中国とインドをはじめとする東南アジアの領土、引いては全世界を管理できるよいチャンスだったというのです。それこそ世界の半分以上、三分の二の地域をアメリカが管理できたのです。そのようにできたでしょうか、できなかったでしょうか。(そのようにできたはずです)。

 第二次世界大戦直後にアメリカは世界の発展の旗手となって、世界のどこでも主導的な影響を及ぼすことのできるよい天の祝福基盤をもっていたのに、アメリカが責任を果たせないことによって、失ってしまうようになったのです。(八〇―二四九)

 韓国が南北に分かれるようになったのは、アメリカの責任だと見るのです。ポツダム会談でルーズベルトとチャーチルとスターリンが韓国を南と北に分けてしまったところに動機がありますが、それはアメリカの責任です。アメリカは第二次世界大戦の時に、主導的な立場で勝利の権限をもっていったので、アメリカに責任があるのです。(六七―一五二)

 第二次世界大戦直後の世界は、完全に一つになることができました。ところが、アメリカとキリスト教がその責任を果たすことができないで、韓国まで南北に分かれたのです。韓国は解放されて三年が過ぎた一九四八年に、南北がカイン・アベルの立場でお互いに政府を立てるようになったのです。

 アメリカが責任を果たすことができなかったので、韓国がカインとアベルに分かれ、世界も民主世界と共産世界に分かれるようになったのです。民主世界はキリスト教を中心としてアベルの立場で個人、家庭、民族、国家、世界を成すようになり、共産世界もカイン的個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を成すようになりました。

 民主世界は分裂しながら、十二兄弟、十二支派が争う形勢を表すようになりました。それは、キリスト教が数多くの教派に分かれ、教派間の争いを始めて現れた現象です。(一九八六・一・一)




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五.国連とアメリカの使命

 事実、アメリカはどのような考えをしたのかといえば、過去の英国と同じく、アメリカのための民主主義であり、アメリカのための世界に考えたのです。神様のみ旨のためのアメリカであり、世界のためのアメリカだということが分からなかったのです。アメリカを犠牲にして、世界を救おうとしたのが神様のみ旨だということを知らなければなりません。

 国連をつくっておいて、この国連を誰がぼろ布にしたのでしょうか。アメリカがつくっておいて、自分がぼろ布にしたというのです。国連を誰がすべて占領しましたか。(共産主義です)。それがなぜか分かりますか。怨讐が福を奪ってくるからです。アジアを奪われ、ヨーロッパを奪われ、アフリカを奪われて、南米を奪われ、すべて奪われるのです。それは神様がご覧になるとき、気分がいいでしょうか。(いいえ)。神様は、この巨大な国がベトナムからふろしきをまとめて逃げてくるようになるとき、「おい、この野郎、この野郎」とおっしゃったのです。そのアメリカを誰が信じるでしょうか。誰が信望するでしょうか。

 アメリカが責任を果たしたと見ますか。(いいえ)。この歴史的事実を否定できないのです。ドイツならばドイツ、フランスならばフランス、イタリアならばイタリアが共産化されれば、その国は「このアメリカ、この野郎!」と言うはずであり、あるいは、アジアのすべての国は、「このアメリカ、この野郎」と言いながら怨讐視するのです。滅びた民族も怨讐視し、共産党ももっと怨讐視するのです。「滅びる、滅びる」と言いながら怨讐視するのです。今後、アメリカ国民が覚醒しなければ、世界のどこに出たとしても、その民族が「このアメリカ野郎」と言いながらたたき殺そうとするのです。

 さて皆さん、いいですか。フィリピンもそうであり、タイの飛行場問題もそうです。すべてアメリカに対して反抗したのです。そうですか、そうではありませんか。(そのとおりです)。神様がアメリカを信じてこの世界を任せたのにもかかわらず、めちゃくちゃにしてしまったのですから、アメリカは滅びざるを得ないのです。

 神様の罰です。麻薬を飲み、淪落し、家庭が崩壊し、教会は倒れるのです。ですから、共産主義者たちは、「アメリカは我々の餌食だ」と言うのです。今がそのような時であることを知っていますか。アメリカ人は、アメリカの国民だということを誇ってはいけません。天地と人類の前に相通ずることのできない、恥ずかしい民族になったということを知らなければなりません。(八〇―二五一)

 一九一七年から一九七七年の六十年過程において、六数はサタン数なので、共産世界が世界の三分の一を食べたのです。終末になればこれがまさに反対に、三分の二まで侵犯し得る傾向が繰り広げられています。みな「民主世界は滅びる」と言う時が来るのです。その時がいつでしょうか。まさに今です。

 今、国連総会ではアメリカ、イスラエル、韓国、三つの国がぴたっとコーナーに追い込まれたのです。その次にはすべて共産圏です。今そのようになっているのです。今のアメリカがすべきことは何ですか。このサタン世界に合わせるのではなく、霊界と一つにならなければなりません。霊界の統一を中心として、民主世界の新しい構造を……。今後、国連を解体してしまい、共産圏をすべて打ち倒してしまわなければならないのです。それが神様のみ旨です。今はアメリカが断案を下さなければならない時です。

 そのようにしておけば、共産圏は共産圏同士国連をつくり、民主世界は民主世界同士別々に国連をつくるのです。共産圏同士がつくれば、中共とソ連が必ず決裂し、彼らがお互いに争うので、第三勢力であるアフリカ圏の国々は、ここにも行けず、あちらにも行けないので、仕方なく再びアメリカを訪ねてきてしっぽをつかむ時が来るのです。そうでなければなりません。今がそのような時だというのです。韓国とアメリカとイスラエル、この三つの国が合わさって、新しい国連をつくらなければなりません。イスラエルは第一イスラエルであり、アメリカは第二イスラエル圏であり、韓国は第三イスラエル圏です。蘇生、長成、完成です。ですから、新しい国連をつくらなければならないのです。(八〇―一一〇)

 世界のキリスト教が一つに団結すれば、共産主義を地上から追い出すことは、先生が引き受けて成し遂げる自信があります。それゆえ、アメリカを中心としたキリスト教の国連が生まれなければなりません。アメリカは、アメリカのキリスト教を中心とした世界のキリスト教連合を成さなければならない責任がある、ということを悟らなければなりません。

 キリスト教の国連は、各国のキリスト教の議員が神様の摂理と世界の紛争について討議し、平和のために働くようになるのです。キリスト教の国連の精神は、愛と犠牲であり、神様のために生き、人類のために生きて、希望の政策を開発する所でなければなりません。戦争についての討議ではなく、人類平和と世界福祉を研究して討議する機関とならなければならないのです。

 キリスト教の国連が早くに創設されたならば、共産主義は今日の勢力をもたなかったはずです。シベリアで共産党宣言をしましたが、彼らの勢力は地球上でどこにも頼ることができず、北極の寒さの中でかちかちに冷凍されて消えたはずです。けれども、キリスト教の指導者とアメリカがその責任を果たすことができなかったので、今日において、共産主義勢力の前に困難を感じるようになりました。

 キリスト教と皆さんが一つになれば生き、キリスト教の基盤を中心としてアメリカを救うことができます。アメリカが救われれば、先生がまさに世界救援を成し遂げなければなりません。世界を救うためには、その基盤が必要なのです。アメリカが、世界の救いの基盤とならなければならないのです。(一九八六・六・六)




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第二節 アジアに対する神様のみ旨

一.アジアに対する神様のみ旨

1 アラブ圏を中心とした統一文化圏を築いてこられたイエス様

 本来イエス様は神様のみ旨のために、今のアラブ圏、中東、すなわち、イスラエルの国のヤコブの後孫である十二支派を中心として……。今のアラブ国はその当時、メシヤを望む信仰の国家として訓練された選民国だったのです。もしその時、ローマ帝国の植民地であるイスラエルの国にメシヤが誕生して民族を結束させ、団結させて、独立できる立場になれば、ユダヤの国は、必ずローマの邪魔者になるのです。そうすれば、ローマの弾圧を受けるようになっています。

 そして、イスラエル民族は弾圧を受ければ受けるほど、メシヤに侍るようになるのです。そのようになったならば、ヤコブの後孫である十二支派、今のアラブ圏はローマの植民地圏内にあったので、完全に統一されてしまったのです。完全に統一されるのが神様のみ旨です。ローマが怨讐なので、反作用として民族的な感情を通して結束させるための神様のみ旨があったので、救世主として来られたイエス様は、一時にアラブ圏を統一させて、ローマに対抗したはずです。

 このようになったならば、どうなっていたでしょうか。時代的に見れば、古代のローマ帝国は世界的な強大国だったので、世界が恐れる国でした。東洋にまで版図を広げて影響を及ぼしたので、古代文明圏内にあるインドや中国のような国々は、すべてローマに対してよく思いませんでした。これは政治的な立場で見れば、イエス様が中東圏を中心としてローマを屈服させようとするとき、東洋の強大国、すなわち、インドと中国は、イエス様の支援国家になったのです。そのようになったならば、キリスト教が西洋に行くのではありません。イエス様は中東を中心として摂理していかれたはずです。

 堕落の道は復帰の道であり、復帰の道は再創造の道です。堕落することによって心と体が分かれました。東洋と西洋が分かれ、天と地が分かれ、その次には、民族と民族がすべて分裂したのです。それゆえ、内的文化圏をつくって、外的文化圏を結束させなければならないという結論が出るのです。その中心的な宗教を立てて、外的、傍系的な宗教を結束させるという話が成立するのです。

 このようなことをすべき神様は、将来、アジアと中東を中心として結束させる準備を歴史時代になさらなければならなかったので、既に四百年ないし六百年前に、東洋の諸国に孔子のような聖人を送って宗教的な基盤を築き、良心的な教理の基盤を築き、釈迦牟尼を送って仏教の道を築き、ソクラテスのような哲人を送って、思想的な最高の理念を出発させるものをすべて準備しておいたのです。ローマが問題になったので、結束させ得るチャンスをもって、東洋の諸国とアラブ圏が一つになったならば、心と体が、つまり内的な文明と外的な文明圏の結束が繰り広げられたのです。

 それゆえ、キリスト教のメシヤ思想を中心とした内的な神様の主流宗教と、外的な神様の体的存在である宗教、すなわち、東洋の宗教を吸収した統一的な文化圏が繰り広げられれば、そこから世界統一が起こったのです。これが神様の摂理的な歴史観だというのです。

 神様は、そのようになり得る万端の準備を終えておいたのです。ですから、ローマという強大国に圧制を受けるようにしたのです。これは新しい次元で結束するための強力なメシヤ思想を中心として、歴史時代により次元の高い主流思想を確立させるための神様の作戦でした。(八一―二三五)

2 終末に西欧文明は必ずアジアを訪ねてこなければならない

 イエス様が亡くなることによって、心と体とが分かれたのと同じになったのです。霊と肉が分かれたのです。アラブ圏は内的なので心のようであり、アジア圏は外的なので体のような立場になったのです。心はアベルの立場であり、体はカインの立場なのですが、この二つが一つになるときに、神様のみ旨が成し遂げられるのです。これが原理です。

 本来はアジアを中心として成し遂げるみ旨が、イエス様が亡くなることによって霊的な基盤を築かなければならなかったので、仕方なく怨讐の世界に入っていって、一周して霊的基盤を築いたのちに、肉的基盤となるアジアを再び訪ねてくるのです。そのことを知らなければなりません。ローマはだめなのです。終末になれば西欧文明は必ずアジアを訪ねてこざる得ない歴史的な原因が、ここにあるということを知らなければなりません。それは霊的です。霊だけではだめなのです。西欧文明は霊的世界を代表し、東洋文明は肉的世界を代表します。そのことを知らなければなりません。

 これも復帰なのです。イエス様の時にアラブ圏とアジア圏が一つになっていたなら、心と体が、霊と肉が一つになっていたはずですが、そのようにできなかったので、この霊的文化圏を受け継いで、肉的文化圏であるアジアを再び訪ねて入ってくる役事をせざるを得ないのです。

 終末になれば、西欧文明の没落とともにアジアに期待をもつようになります。また、アジアの人たちは、西欧の現在の物質文明に関心をもつのです。いいですか。アジア文明は体的であるにもかかわらず、精神を第一とし、西欧文明は霊的であるにもかかわらず物質文明を受け継ぎました。これは真に、皮肉な問題です。このようにして二つが一つになるようになれば双子です。

 それでは、創造するときに霊を先に造ったのか、肉を先に造ったのかという問題が現れます。アジアは、神様がいらっしゃることのできる体を造るみ業をされたのです。すなわち、人を取り戻すみ業をされたのです。そのようにしながら、これは全体のために生きる思考方式でした。キリスト教思想を受け継いだ西欧文明は、全体ではなく、すべて個人的に離れて自分を考える立場だったのです。反対です。

 例えば、正分合作用による四位基台がこのようになっていたなら、これが分かれています。一つはこちら側にあり、一つは反対側にありますが、二つが合致する運動をするのです。いいですか。一方の西洋文明は精神のために生きる前に物質を中心として個人主義化し、また、東洋文明は内的な立場に立って物質的な面ではすべて失ってしまったのです。物質を中心として、西洋ではすべて取り戻すみ業をし、東洋では失ってしまったのです。ですから、お互いが必要とするのです。

 それは何かといえば、分かれてしまったイエス様の体を取り戻す運動と同じです。それゆえ、西欧文明は必ずアラブ圏を中心として、アジア文明をカイン的な立場に立てて成し遂げられなかったものを再び取り戻さなければなりません。そのようにしてカイン的文化圏を連結させて、一人の完成した人のような文化圏をつくっていくのが神様の摂理だというのです。皆さん、これは最も重要なことです。ここで神様の摂理観を中心とした歴史が解かれていくのです。これが歴史観です。

 それでは、この西欧文明はどこに行かなければならないのでしょうか。「アメリカ大陸に行かなければならない」と、そうですか。(違います)。どこに行かなければならないのでしょうか。アジアを訪ねていかなければなりません。ですから、イエス様の霊的文明圏を受け継いだこのキリスト教文明は、イエス様の肉的文明圏を受け継ぐことのできるアジア諸国と一つになって、イエス様が死なないで成し遂げなければならなかった一つの統一的理想世界を建設しなければならないのです。これがまさに、神様が文明を発展させた目的だということを知らなければなりません。(八〇―二五四)

3 西欧文明の実を結んだアメリカが行くべき道

 西欧文明、精神的な文明、心的な文明を受け継いで世界的な実を結んだ所がアメリカです。ですから、アメリカは第二イスラエルの中心国家だということを知らなければなりません。

 それでは、キリスト教文明国であるアメリカは、どこに行かなければならないのでしょうか。アメリカ大陸を越えて、どこに行かなければならないのかというのです。アメリカの人たちは、「アメリカはアメリカ自体としていなければならない」と言うのです。今日のアメリカ議会の議員たちは、「アメリカは汎民主主義として、アメリカ自体であればよい」と言っています。しかし、神様のみ旨は、西欧文明とアジア文明を一つにすることです。

 では、西欧の精神文明、精神の基準を中心としたキリスト教が実を結べば、その次にすべきことは何ですか。体を探し求めなければなりません。イエス様の体を探し求めなければなりません。そうですね? (はい)。その体をどこに行って探さなければなりませんか。本来、イエス様を中心としてアラブ圏が一つになったなら、その体のようなものはアジアの文明圏だと言いました。ですから、西欧文明はどこに行くのでしょうか。アジア文明圏、すなわち失ってしまったイエス様の体を探し求めることのできる所に行かなければならないという結論が出るのです。

 それゆえ、今もそうではありませんか。今、西欧文明は没落したので、すべてアジアの精神文明が支配せざるを得ないというのが、トインビーの結論なのです。反面、アジアは西欧文明に関心をもっています。お互いに関心をもつのです。ですから、一つにするための作戦をしなければなりません。それが今、すべて熟しました。アメリカ人自体だけではもはや生きられず、世界のどこにも行く所がないということをみな知っています。アジアしか期待する所がないというのです。アジアの人たちも西欧の物質文明を待ち、お互いに望んでいるのです。

 それはおかしいのです。キリスト教文化圏を中心とした西欧文明が、なぜ物質的な祝福を受けたのでしょうか。イエス様の体を探し求めるのです。このようにして、イエス様の体のようなものをつくって、どこに行かなければならないのでしょうか。本来行かなければならなかったアジアまで、東西が一つになり得る所に移っていかなければならないのです。

 それゆえ、アメリカはアジアを援助しなければならないのです。ヨーロッパよりもアジアに援助をしなければならないということを知らなければなりません。今までそのようにしてきたのです。ところが、ケネディ大統領時代から外国援助を縮小してきたために、ケネディも暗殺され、すべてそうなるのです。それはすべて何かがあるというのです。国連総会に共産党を引き入れ、大々的に歓迎したのは、ハマーショルドです。そのような時代にすべてそうだったというのです。本来、そこに共産党を突っ込むのではありません。最近は共産党に足をすくわれて、隅に追われて身じろぎできずにいます。(八〇―三一三)

4 アメリカはアジアを通して世界統一を成さなければならない

 本来、神様のみ旨は、アジアを中心として世界を統一することでした。そうだったのですが、ユダヤ教を中心としてイエス様を殺すことによって、その福を誰がもっていったのでしょうか。ローマがもっていったのです。それゆえ、それを取り戻そうとするので、ローマを中心として再び世界を一周して、アジアに帰っていかなければならないのです。なぜですか。ローマが福をすべてもっていってしまったからです。ユダヤ教が受けた福をすべてローマがもっていったというのです。それがローマ、イタリア半島を中心として、それから英国を中心として太平洋を越えてアジアへと行く道です。第二次世界大戦によってアジアの全域をすべて掌握することができたのです。

 そのようにして何をするのでしょうか。イエス様がアジアを中心として成し遂げようとしたそのみ旨をキリスト教が、アジア圏を中心として世界を一つにする運動をしなければなりません。それゆえ、ここに再臨主がやって来て、これをすべて再び肉的基盤に連結させ、全世界の解放運動をしようというのです。

 さあ、中東とアジアにおいて、キリスト教の中心国家がどこですか。日本でもなく、中国でもなく、中東でもなく、韓国だということを知らなければなりません。韓国だということを知らなければならないのです。それで、韓国を祭物のように分けておいたのです。神側とサタン側に分けておいたのです。アブラハムが祭物を分けましたね? そのようにして、その二つに分けておいたものを巡って、神様をサタンが讒訴したように、ここに板門店というものが、ちょうど……。お互いに自分の土地だと主張して争う、韓国はここが自分の土地であり、北韓も自分の土地であると、みな自分のものだと言って争っている所は世界で板門店一つしかないということを知らなければなりません。これが神様とサタンと争う公判廷です。南北が一つになって、神側に戻ってくれば、共産世界は倒れるのです。

 アメリカはアジアを連結させなければなりません。イエス様が死んだので、恨を解くためには、アジアでみ旨を成し遂げることのできるキリスト教が勝利をしなければならないはずなのに、韓国を失おうものなら、アジアのキリスト教が絶滅し、アジアから神様を追放することになるのです。それに誰が責任をもたなければならないのでしょうか。アメリカがもたなければなりません。アメリカが韓国を捨てようものなら、アジアのキリスト教をすべてサタンに譲り渡すことになるのです。その次には、神様をアジアから追放することになるのです。そのようになればアメリカは滅びます。韓国が滅ぶ前に滅びるのです。何のことか分かりますか。神様が打つということを、はっきりと知らなければなりません。

 このような事情によって来るべき情勢となって、神様は忙しいのでレバレンド・ムーンを送られました。アジアを強化しようと、仕方なくアメリカにやって来て、アジアのための基盤を築く運動を展開したのです。アメリカの若者たちを再度糾合して、アジアを連結させる準備をしているという事実を知らずに、アメリカは先生に反対しました。皆さん(アメリカの食口)の心はアジアにありますね? そうですね? (はい)それゆえ、アメリカが責任を果たせなかったことを、皆さんが責任をもって果たすという条件を立てなければなりません。もし、アジアが共産党に降伏しようものなら、我々統一教会の若者を糾合して、アジアを再度共産世界から奪還しなければなりません。(九二―一七六)




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二.ローマ教皇庁と同じ使命を果たすべき韓半島

 アジアにおいて、アメリカが行くべき道はどのような道でしょうか。アジアを訪ねていく際に、どのように訪ねていくべきなのでしょうか。怨讐に勝って訪ねて、越えていかなければならないのです。その道しかないのです。

 今、問題となるものは何でしょうか。大陸を中心とした神様のみ旨が、ユダヤ民族が失敗することによって、イタリア半島を中心として世界を制覇しようとしましたが失敗しました。次に英国を中心とした島嶼文明を中心として成そうとしましたが再度失敗し、それで、アメリカ大陸が受け継いだのです。しかし、これが反対に回っていくためには、蕩減して回っていかなければなりません。島国を中心として蕩減しなければならず、半島国家を中心として蕩減しなければなりません。そうしなくては、大陸に行くことができないのです。

 それゆえ、英国のような島国と同じ島国に回っていこうとするので、英国に匹敵するアジアの国がどの国かが問題です。それが日本だというのです。日本が百二十年間でアジアを制覇したのは、英国が全世界に影響を及ぼしたように、アジアに影響を及ぼす、そのようなサタン圏をつくらなければならなかったからです。日本はこのような文明の恵沢を受けて、そのようになったのです。それゆえ、近代日本の文明は、英国からただそのまま受け継いだものです。

 ではその次に、イタリア半島のローマ教皇庁を中心として祝福を守ることができなかったことを蕩減できる、そのような半島がどこかというのです。アメリカの立場で見れば、二つの道しかありません。一つはフィリピンが島国であり、インドシナが半島ですが、これを中心とした道です。それからもう一つは、日本が島国であり、韓国が半島ですが、これを中心とした道です。この二つしかないのです。

 それで、どこに行かなければならないでしょうか。摂理的に見れば、怨讐の国を通さなければならないのです。怨讐から取り戻してこなければならないのです。フィリピンはアメリカの領土です。それゆえ、これはだめです。ですから、日本の基地を中心として韓半島を訪ねていく道しかない、という結論が出るのです。

 復帰時代になったので、日本が反対に、ローマの立場であるアメリカの怨讐であるにもかかわらず韓国を占領して、韓国の発展に影響を及ぼすことをしたのです。反対にしたというのです。ぴたっと反対になったのです。

 それゆえ韓国は、昔のローマ文明のように、新しい文明を中心として神様の前に霊的なものだけでなく、霊肉を中心として貢献できるように、西欧文明がアジアに訪ねてくるときには、その文明を受け継ぐことのできる一つの根拠地になるのです。このようなことを摂理観的な視点から結論づけることができるのです。

 それゆえ、イタリアで霊的キリスト教を中心として世界を動かすことができたように、ここでは霊的な文化圏を受け継いで、肉的な基準を中心として世界を動かすことのできる教皇庁の形態が現れる、という結論が出ます。

 ですから、肉的な立場で教皇庁のような使命を果たすべき所が韓半島だというのです。このように回っていくのです。蕩減復帰の原則によって、このように回っていくのです。

 それゆえ、主はどこに来なければならないでしょうか。西欧社会には来ることができないというのです。本来、神様のみ旨の中で、アベル的アラブ圏とカイン的アジア圏を中心として、肉的立場を復帰しなければならなかったのですが、それが成されなかったのです。ですから最後に、アジア諸国の中にある一つの国として西欧文明と連結させることのできる、ローマ教皇庁の使命を果たすべき、そのような一つの地域が韓半島なので、韓半島に主が来られなければならないということを我々は歴史的な観点から結論づけるのです。「主が体をもって来られるならば、韓国に来なければならない。アジアの国韓国に来られなければならない」という話がここで成立するのです。分かりましたか。ですから、西欧文明と連結して、西欧とアジアを一つにしなければならないというのです。(八〇―二五六)




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三.共産と民主世界の最後の運命を決定する所

 全世界の共産圏と民主世界の最後の運命を決定する所はどこでしょうか。ドイツではありません。ドイツは衛星国家圏と連結されているのです。サタンが見るとき、どこが一番いいですか。アジアにおいて神様の摂理が帰着できる所は、サタンが一番恐れるのです。韓国を中心として見れば、ソ連が連結されており、中共が連結されています。それから、日本が連結されているのです。それから、アメリカが連結されています。このように四大強国が集中して韓国を眺めるのです。このような地域は世界に一つもありません。ドイツはそうですか。(違います)。

 それゆえ、世界の民主世界の運命と、共産世界の運命を決定する所は韓国です。中共が韓国さえ占領しようものなら、日本は自動的に占領されるのです。そのようになれば、アジアをすべて中共が占領するのです。また、韓国をソ連が占領するようになれば、日本を自動的に占領するようになるのです。それゆえ、アジアの占領を巡って角逐戦をしているのです。

 ところが、アメリカは日本を自分の懐に抱くことができ、韓国も管理できるのに、なぜアジアを占領できなかったのかというのです。神様が見るとき、アメリカはよくやりましたか、失敗しましたか。本来は、東南アジア、インドまで、すべてアメリカが管理するのではありませんか。ところがベトナム、タイ、フィリピン、インドネシア、すべて中共側に行ったではありませんか。

 アメリカがアジアから後退しなければなりませんでしたか、後退すべきではありませんでしたか。神様のみ旨は人類を救うことですが、アメリカに来てとどまって、この世界を捨てさせていいのですか。これが神様のみ旨ですか。アメリカが滅びない道は他でもありません。人類を抱いて神様に帰るために、来られるメシヤの前に捧げる責任を果たさなければならないのです。アメリカだけを神様が願うのではありません。アメリカを犠牲にしたとしても世界を救うのが、神様のみ旨であることを知らなければならないのです。

 本来こうなのです。韓国動乱が起こる前に国連軍を設定して……。韓国動乱が起こったのは、アメリカが南韓を放棄したからです。アラスカから日本を経てフィリピンに通じるこの線を中心として、防御することを考えたのです。アメリカが手放したと見るや、北韓が攻撃してきたのです。そのようにして、トルーマンが国連軍を設定して十六カ国を加担させました。それは、真によくやったのです。アメリカが今後アジアと因縁を結び得る、一つの基準をつくったのです。それはよくやったのです。韓国人と国連諸国が韓国独立のために血を流す立場に立ったというのです。

 アメリカが責任を果たすことができなかったので血を流して責任を果たした、という基盤を残すために共産世界と自由世界の間ですべて戦わせたのです。ですから、共同運命の条件を立てたのです。歴史を知ってみれば、アメリカ人と韓国人は血によって結ばれたのです。自由世界の人々は、血によって結ばれたということを知らなければなりません。韓国が世界の中心国だということが分かりましたか。(はい)。今、問題は、サタンと神様が来ようとする所ですが、ここがサタンの一線であり、神様の一線になるという、最後の場であることを知らなければなりません。(八〇―三一七)




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四.韓国と日本とアメリカが一つになれば

 統一教会は今まで何をしたのでしょうか。主が韓国に来なければならないなら、統一教会は今まで何をしたのでしょうか。イスラエル国家のゆえにキリスト教が霊的キリスト教となったので、肉的国家を求めることのできる基盤を築かなければなりません。そのようにできなければ、霊的キリスト教国家を歓迎できないという結論が出るのです。独立は誰がしてあげるのでしょうか。韓国の独立はアメリカがしてあげなければならないのです。

 なぜそうなのかといえば、天使長が過ってアダムとエバを失ってしまったので、天使長の立場にいるアメリカが、エバ国家である日本とアダム国家である韓国を再び天の側へ取り戻して、帰してあげなければならないのです。同じです。ですから、先生は韓国と日本とアメリカ、この三カ国が一つになれば、アダムとエバと天使長が一つになるので、世界は滅びないと見るのです。分かりましたか、何のことか。(はい)。

 それゆえ、韓国で先生は今まで、イエス様が当時受けたような迫害を受けながらもやってきたのです。既成教会はユダヤ教と同じで、ひたすら殺そうとするのです。けれども戦いに戦って、結局は発展して霊的な面であるいは肉的な面で、韓国に内外の影響を及ぼし得る今日の統一教会となったのです。

 ですから、霊的に蘇生、長成、完成と、霊的基準において国家基準を乗り越え得る立場を韓国でつくったので、霊的基準を中心として世界的な霊的キリスト教国家に、世界の基盤を連結させなければならないのです。それゆえ、先生がその基盤をつくろうとして一九七二年にアメリカに来て、霊的基準を連結させるみ業をしたのです。イスラエルの国がローマへ出発するときは、霊的基準もなかったのです。キリスト教は、最初は霊的基準もなかったのです。それを復帰したのです。

 そこで、そのような基準を復帰して、アメリカに来て霊的基準であるキリスト教を中心として合わせるためにした作戦が、アメリカでの三年間の作戦です。結局、アメリカはこの三年間に、レバレンド・ムーンを歓迎したのです。大成功を成し遂げたというのです。このような基準があるので、アジアの国家的な基準に霊的基準を連結させて、キリスト教の世界的基準の前に勝利的条件を連結させるのです。その次に、ここから何を連れてアジア大陸に行くのかといえば、霊的基準と共にここに実体の人々を連れていくのです。それが国際機動隊を日本と韓国に呼んで活動した役事だったのです。何のことか分かりましたか。(はい)。

 アメリカがアジアから後退し、民主世界がアジアから後退しましたが、再び前進してアジアと一つになる基準を、霊肉を中心としてつくっておいたのです。そうすることによって、今までの西欧社会の数多くのキリスト教の霊たちがアジアへ行くことができ、アジアの数多くの善なる霊たちが一つになることができるのです。アメリカが責任を果たせない、そういう基準ではだめなのです。アメリカが責任を果たせなかったという立場では不可能なのです。

 けれども、アジアの国から世界まで連結され得る新しいみ旨を中心として連結させるので、それが可能なのです。条件的に可能なのです。霊的に一つになると同時に、肉的に一つになるのです。それゆえ、韓国の領土は完全にキリスト教……。西欧のキリスト教がどんなに反対に反対をしても、私は惨敗しません。完全に一方通行だというのです。

 イエス様の時とは反対です。二千年前には政府とイスラエル民族が一つになってイエス様を殺しましたが、今回は韓国政府と国民が一つになって既成教会に反対したのです。何のことか分かりますか。

 国を動かすことのできる立場に立たなければならず、そのような行事が世界的基盤と連結されなければならないので、六十カ国の代表を連れていって、ヨイド大会(一九七五・六・七)を行ったのです。それは世界的な新しい宣布式です。そうして、滅び得ない基盤が築かれたのです。ですから、これは韓国のみならず、世界的事件です。この期間に百二十万人という最高の人員を集めて神様を中心に讃揚したので、歴史の記録を破ったのです。それは統一世界の宣布式です。それはアメリカ議会にまで記録されているのです。

 この仕事を誰がしたのかといえば、アメリカと日本と韓国が一つになってしたのです。ですから、奇跡を成し遂げたのです。国民が一つになれば、世界的なことを成すことができるというのです。そこで、アメリカ国民、日本国民、韓国国民が一つになれば、世界を動かしても余りあるという結論が出るのです。ですから、霊的・肉的基盤を掌握できる立場に立ったので、その勝利の基盤を世界の霊的基盤にもっていって、再び繰り入れなければならないのです。そのことを知らなければなりません。(八〇―三一九)

 日本は英国と同じくエバ国家です。その次に西欧文明は何かといえば、アメリカは霊的基盤を完成したキリスト教文明国家なので、まさに天使長と同じです。それゆえ、韓国と日本とアメリカを連結させれば、世界は一つになるのです。韓国・日本・アメリカ、その次は英国・ドイツ、この五大国さえ一つになれば、すべて成されます。そこにイスラエルまで一つになれば、全部足して六つの国になるのです。(八〇―二三)




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第三節 解放直後の韓国のキリスト教を中心とした摂理

一.日帝統治下四十年の摂理史的意義

 復帰摂理歴史は、同じ内容と形式が反復されながら、蕩減の路程を通して復帰していく歴史だという事実を知らなければなりません。イエス様の時代に失敗した内容を、二千年の歴史を経て再現できる一日を迎えることによって、当時に成し遂げられなかった事情と立場を反復させて、蕩減復帰しようというのが神様の摂理です。

 再び来られるメシヤは、独立した国を通しては来ることができないのです。なぜなら、ユダヤ教はイスラエルを動かすことができる基盤の上でイエス様を迎えなければならなかったのですが、そのようになれなかったからです。ですから国を失い、ばらばらに分かれてしまったのです。それで、イエス様は相対的に対することのできる国も教会もない、孤独な立場から出発するようになったのです。神様は、再臨の一日にはそのような立場に立った一つの国を連結させるための準備をしなければなりません。

 そのような立場に立った国が韓国です。内外がユダヤ民族と似通った立場にあるのです。アジアにおいて地域的に見たなら、韓民族はユダヤ民族と歴史的に酷似した内容をたくさんもっています。韓民族の歴史を見れば、カイン・アベルの歴史がいつの時代を問うことなく反復する、そのような歴史を経てきました。外部の侵攻を受ける立場もありましたが、内部でもそのような複雑な内容をもってきました。

 近代に入って、韓国が日本から四十年間抑圧される時代がありました。それは、キリスト教のローマ帝国迫害時代四百年に該当するものであり、イスラエル民族においては、民族的カナン復帰をするためのエジプトでの四百年苦難時代とも匹敵するのです。そのような歴史的内容を備えなければならないので、韓民族は四十年間受難を被るようになったのです。

 皆さんも知っているように、日本は女性神を崇拝する国家です。アジアにおいて日本が、百年以内に急進的な発展をしたのも、摂理的にとても大きな意義があります。日本が現代文明圏の先端まで上るのは、百二十年間を見積もっています。そのように、日本が外的に発展すると同時に、韓国は内的な面でキリスト教を中心として百二十年間発展するようになるのです。したがって、現在八十年が過ぎましたが、残りの四十年間に世界的な内的復興運動を起こさなければならない歴史時代へと入っていっているのです。

 カインがアベルを支配し、外的な世界が内的な世界を支配していたように、歴史的な因縁を備えた二つの国において、外的な日本が内的な韓国を四十年間支配したということは、アダム以後イエス様までの四千年を蕩減し得る受難ともなるのです。そのような、内外の四十年蕩減期間が終わる先生の時代においては、これを回復して、主体性をもって日本に影響を及ぼし得る出発をしなければなりません。(六七―二四四)

 韓国はその時、どのような立場にあったのでしょうか。イスラエルの国とキリスト教が、霊肉を中心としてサタン圏で支配されながら戦ってきたように、韓国も四十年間肉的な面で怨讐に支配されながら、霊的な面で、この国のために生命を捧げることを覚悟する群れを中心として、独立運動をしてきました。このような精気を中心として、神様は摂理の因縁を立ててこられたと我々は見なければならないのです。そうして民族を糾合し、結束させて、キリスト教を主とした人たちが主導となって国を建てるようになったのです。そのように、キリスト教の信者たちが霊的な面で、日帝四十年の弾圧を受け、国もない中で死の道を自ら進んでいきながら国を愛する忠節の道理を立てたということは、摂理的に重大な意義があるのです。(七一―二三〇)




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二.韓国に対する神様の摂理観

 日本が世界で英国を代身できる国家として復興を見たならば、今後、韓半島はどのようになるでしょうか。韓半島はイタリアの文明と同じなので、キリスト教が霊肉を中心として分かれたように、南韓と北韓に分かれました。ですから、これが統一されなければならないのです。これを統一しようとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。この民族が霊的なキリスト教文明を受け入れなければなりません。

 それゆえ、李承晩政権がキリスト教文明を吸収した政権です。その時の統一教会は何でしょうか。新しい次元を中心として、イエス様の体である実体復活役事、実体救援(実体の救い)が失敗したことを再蕩減するために、李政権と手を握るために現れた人が統一教会の文先生です。それゆえ、再臨主はどこに来なければならないでしょうか。霊的な教皇庁が、ローマ教皇庁を中心として世界を制覇できる統一王国の世界を夢見たように、霊肉を中心として接触地となるローマ教皇庁型であるアジアにおいての韓半島、まさにここに再臨主が来なければならないという結論が出てくるのです。正道令思想のようなものは見事に当たっているのです。

 神様の摂理の歴史観がここで帰結したので、韓国は歴史的な生死の勝負をつける所です。今、そのようになりましたか、なっていませんか。(なりました)。歴史は必ず、失ってしまったとおりに再現させて蕩減するので、今日の韓国を中心としてどのような形態が繰り広げられるのでしょうか。三国を連結して、再度三国の対決圏に入っていくということを知らなければなりません。英国、アメリカ、フランスを中心とした対決時代と、日本、ドイツ、イタリアを中心とした対決時代において完成されていたなら、そこで終わったはずなのに、そのようになれなかったので、さらに次元の高い思想、さらに高い分野において、共産圏と民主世界を中心として最後の対決地としたのが韓国です。ここで南北の分裂とともに、共産圏の結束と民主世界の結束型をつくらなければなりません。それゆえ、神様の側でも三国が結束しなければならず、サタン側でも三国が結束しなければならないのです。

 そのような観点で見るとき、以北(北韓)はどのような所でしょうか。その時、韓国は独立国家ではありませんでした。もし、キリスト教が統一教会の文先生を受け入れていたなら、霊肉の基盤が再現されたのです。ところが、それが成されなかったのです。霊的基準として残って、統一教会を追い出してしまったのです。ここで以北(北韓)に追い出されたので、共産党は誰を迎えたのでしょうか。統一教会の文先生を迎えました。南北の悲運は神様のみ旨の中で起こったのです。神様のみ旨を受け入れられなかったキリスト教に責任があるのです。

 いいですか。天使長国家がアメリカであり、エバ国家が日本であり、アダム国家は韓国ですが、この三国が結束して誰と一つにならなければならないでしょうか。新しい一つのみ旨をもってこられる主が韓国に現れるので、世界を一つにできる思想体系を備えて現れる再臨主と一つにならなければなりません。ですから、霊的なキリスト教文化圏の結実を、肉的文化圏の結実の上に結んで、イエス様時代にアラブ圏を中心とした霊的基準と、アジア圏を中心とした肉的基準を統一できなかった内容を、歴史時代に再び回ってきて初めてここで結束してアジア諸国を統一し、中東、すなわちアラブ圏まで統一するのです。そうしてイスラエルの解放を終えて初めて、この地上に平和の天国が実現されます。統一世界となります。これが摂理観だということを知らなければなりません。(八一―二五〇)




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三.八・一五解放前後の韓国のキリスト教の状況

 統一教会の歴史は、八・一五解放の前から始まったという事実を知らなければなりません。ではまず、日帝時代末期の韓国キリスト教の状況を調べてみることにしましょう。

 神社参拝に応じない篤実なキリスト教徒たちは、監獄に投獄されたり、殉教の道を行きました。一九四五年八月十五日以後には、さまざまな教派の指導者たちを全国的に殺害する陰謀まで企てていました。そのような惨状の中で、神霊的なキリスト教集団は、日帝の目を避けて山や野原へと散らばって祈祷生活をしながら、ゲリラのように山並みを伝って密かに交流していました。彼らは日帝の圧迫からの解放が間もなく始まるという啓示を受けていました。ですから、キリスト教徒は死の道を行くのか、自由の体で歓喜を迎えるのか、という境界線に立つようになったのです。

 先生は、キリスト教を一つにしなければならないという原理を知っていたので、そのような環境の中で神霊集団を基盤として韓国のキリスト教を連合し、世界へと前進しようという準備作業を広めてきました。

 当時、神霊集団は来られる主を迎えるための準備作業が盛んでした。主が地上に降臨されるためには、旧約時代と新約時代に失ってしまったすべてのものを蕩減復帰しなければなりません。このような観点で、旧約時代を蕩減復帰する使命をもった男性と女性、信仰団体、そして、新約時代を蕩減復帰した使命をもった男性と女性、信仰団体が現れて、摂理の一翼を担当する役事が展開されたのです。

 彼らは、第二次世界大戦以後の世界歴史は韓国を中心として発展するようになり、選民国家として選ばれた韓国によって全世界が神様に復帰されるという事実、再臨主は雲に乗って来られるのではなく、肉身をもって来られるお方だという驚くべき啓示を受けていました。

 イエス様が十字架で亡くなられることによって、暗黒を越えて国家と世界を連結させたキリスト教版図圏を築いたように、韓国も四十年間の苦難を経た土台の上に、世界と連結され得たのです。それゆえ、解放前後は二千年前にイエス様が十字架で亡くなられた時のような同時性の時代だと見ることができます。

 当時の状況を摂理的観点で説明してみることにしましょう。神社参拝運動によって獄中に入っていった教役者たちはアベル型であり、日本帝国主義の弾圧政策に屈服し、「神社参拝は、宗教でない愛国的国家儀式なので、皇国臣民として忠誠を果たす」と言った教役者たちはカイン型です。

 山間に隠れていて、日本の監視網の外にいたキリスト教神霊集団は、復帰された天使長の立場です。エデンの園で霊的な天使が神様の息子、娘を堕落させたので、蕩減復帰の原則によって、再臨主がいつ、どのようにして、どこに来られるのかを悟らせ、準備させたのです。

 堕落圏内にいるので、この神霊集団もカイン側とアベル側に分けることができます。旧約時代を蕩減復帰する男性と女性の集団はカイン型であり、新約時代を蕩減復帰する男性と女性の集団はアベル型だと見ることができます。(一九八五・一・四)




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四.解放後一九四八年までの三年期間

 一九四五年、大韓民国が光復を迎えた日は、日本にとっては敗亡の日であり、韓国にとっては新しい出発の日になるのです。そのような日を迎えた選民である韓国は、歴史的な運命に責任をもつために、国家的な運勢を世界的に連結させなければなりません。ここから希望を抱いた個人が出発できる起点が生まれ、希望の家庭、氏族、民族、国家が芽生え得るようになるのです。それは、イエス様当時に失ってしまった国を取り戻す、希望が成就する日にもなるのです。

 その時韓国は、国の形態がいまだに現れていませんでした。それは、イエス様が十字架で死ぬことによって国の形態をもつことができなかったのと同じ立場です。この時は外的基準と教会が一つになって、新しい形態で現れ得る時なのです。イエス様が念願を成就できなかったのは、ユダヤ教の不信によってユダヤ民族まで不信していったからでした。そのように、先生にとっては国よりもキリスト教が問題になるのです。

 韓国は、キリスト教国家である民主世界の保護によって建てられました。その時先生は新しい歴史的な使命を成し遂げるために、建国当時の要人と手を握り、最高の立場から出発することを期待しました。ところが、キリスト教を代表した牧師の数人が反対して、すべてのものがふさがれ始めたのです。今まで明らかにしなかった、話さなかった内容を先生がこの時間に話しています。

 キリスト教を中心として、天の側の国家形態が生まれるべきその場で、キリスト教の最高幹部の数人が反対することにより、全国のキリスト教が反対し得る道が生じたのです。先生は一九四八年度までの三年期間にこれをすべて準備したのです。この期間に、先生は個人的に仕事をしましたが、その背後に歴史的な使命を背負っているということを誰も知らなかったのです。神様は、キリスト教が反対するかもしれない立場にいるので、原理的に内外を整えるため、内的に数多くの霊的団体を準備してきたということを先生はよく知っていました。しかし、どんなに内的に準備をしたとしても、キリスト教が外的な国の形態を備えて反対しようものなら、イエス様に反対したユダヤ教とイスラエルの立場になってしまうのです。

 先生は一九四五年から一九四八年までの三年期間に、キリスト教と国家から歓迎されずに、むしろ反対される立場に立ったために、別の道へと分かれていかなければならない運命に逢着するようになったのです。国家的な力と基盤を動員して死ぬほど反対されるのは、歴史的に見るとき、イエス様の立場を蕩減すべきみ旨があったからです。キリスト教を中心として、選民たるこの民族が先生と分かれることにより、国土が南北に分かれる動機となったのです。北韓もやはり、一九四八年に国を建てました。

 それゆえ、二通りの戦いの道が生まれました。一方では、内的にキリスト教を中心とした政府と戦わなければならず、他の一方では、外的に世界的なサタン、すなわち共産主義と戦わなければならないのです。キリスト教が神様に背反した立場に立ったので、二千年の路程を蕩減し得る二十年間に、没落の運命の道を行かなければならないというのが原理的な見解です。(六七―二四七)

 一九四五年、解放される日には、アメリカを中心とした全世界の基盤を引っ張ってくることができました。そうしていたなら、韓国が南北に分かれたでしょうか。今日、この自由世界と共産世界は分かれませんでした。民主世界と共産世界が分かれることはあり得ないのです。

 それゆえ、世界が神様圏へと転換し得る一時が、一九四八年までの三年だというのです。一九四八年までの半分もかかりません。(一九八五・五・一四)




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五.解放直後の韓国のキリスト教と政界の指導者たちの責任

 世界のすべてのものが二通りにすっぱりと分かれています。全世界が左右になっています。右側は天の側であり、左側はサタン側となって戦うのです。そのように戦うのです。全世界的にカイン・アベルを中心として戦っていた世界が、初めて一つになった時が第二次世界大戦です。第二次世界大戦当時は、すべてのものが一つになっていた時でした。キリスト教とアメリカを中心として、自由世界がキリスト教圏内で完全に一つになって来られる再臨主と一致できていたならば、すべて終わっていたのです。

 父親の立場で来られた再臨主が新婦を選んで、ここで世界的なカインと世界的なアベルが一つになり得る論理と教育方法をもって世界を料理できるのです。そのような思想さえ現れれば世界は一つになるのです。

 それがどこで連結されなければならないのでしょうか。第二イスラエルではなく、第三イスラエル圏が連結されなければならないのです。第三イスラエルがどこかといえば、第三アダムが出生した国です。そうではありませんか。そこがどこかと言えば、極東アジアです。

 キリスト教は元来アジアで出生しなければならないのですが、イエス様が死ぬことによって西側に行きました。ですから、キリスト教文化圏が世界一周して太平洋時代を経て、アジアに帰ってきたのです。アジアに回ってくるアメリカの運勢に従って、韓国の独立とともにキリスト教が神様の思想を中心とした新しい主体思想をもって、行くべき道が分からない韓民族の前に新しい灯台とならなければならないのです。しかし、ここでキリスト教が責任を果たせなかったのです。

 その時のキリスト教は、サタン側に立ったキリスト教、地下キリスト教、その次に獄中に入ったキリスト教、このように三段階で残っていました。そうして、獄中に入っているキリスト教と、地下に入っているキリスト教が一つにならなければなりませんでした。これらが一つになって、アベルにならなければならなかったのです。そのようにして神社参拝して、時代の思潮に従って動いていった外的偽の牧師たちとキリスト教界の主流を成していたそのような牧師たちとが、一つにならなければならなかったのです。

 韓国の大統領になる人は、アベルの代表にならなければならないのです。天に侍るアベル的な立場で神社参拝した牧師たちを使ってはならないのです。そのような牧師を除去してしまい、獄中や地下で苦労した人たちをアベル的教団に立て、再教育して国を建てることのできるみ業をしていなければならなかったのです。そのような再教育をしようとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。世界時代が来たので、世界へ行くことのできる道を教育しなければなりません。

 その時は国家が行く道、世界が行く道、国民が行く道、個人が行く道を教示してあげられる思想がありませんでした。その時に行政部署がアベル的教団を中心として前に立てるようになれば、自然に統一教会が登場するようになっていました。そのような世界観をもっているのです。

 そのような環境さえできたならば、どのようにするにせよ、その時に私は長級の人はすべて知っていました。地下で運動する有名な人に私はすべて会ってみたのです。その人たちは私が誰か知っているのです。そうであったならば、自動的にアベル教団を中心として、民族主体思想を中心として新しい方向、世界へと進む新しい道を主張して出発できたのです。そうしていたならば、そこには国が包含され、世界のキリスト教が自然と従ってくるようになっていました。アメリカも仕方がありません。しかし、それができなかったのです。何のことか分かりましたか。(はい)。

 それが四十年前にできなかったので今、すべてがどのようになったでしょうか。共産世界が疲労困憊し、民主世界も疲労困憊しています。この疲労困憊した庭に出発しようというのが統一教会です。分かりましたか。国も疲労困憊しており、野党、与党もみな疲労困憊しているでしょう? そうではありませんか。(そのとおりです)。全大統領も疲労困憊しており、金日成も疲労困憊しているのです。レーガンもそうであり、ゴルバチョフも今、疲労困憊しているのです。行くべき道を定められずにいます。世界を指導できる人が誰もいないのです。

 ここに、世界を私に任せなさい、国を私に任せなさい、私に従いなさいという者がいるのです。それが誰かといえば、たった一人、統一教会のレバレンド・ムーンという人です。分かりましたか、何の話か。(はい)。人々はみな沈滞しているのですが、ここでわき上がってくるのです。活火山となって火のように爆発するのです。そうして倒れるものはすべて倒してしまうのです。

 そのようにしようとすれば、その基地がどこでなければならないでしょうか。放浪してはならないのです。最も底に根を下ろさなければなりません。そうしなくては世界を救うことはできません。ですから、そのような自負心をもたなければなりません。我々でなければならないというのです。(一六八―二八)

 私は天命を受けて現れたのです。既成教会が統一教会と一つになれば、七年以内に民主世界は神様のみ旨の中で結束するはずでした。私が二十七歳で立ち上がって、七年後にはイエス様の三十三歳の年齢になるのであり、イエス様が三十三歳でユダヤ教と結合できなかった内容を結合させるべき責任があるのです。四十代までには世界の舞台を主管することができるのが、天命による公式的なみ旨であることを知って精誠を捧げてきた私なのに、既成教会の反対によってこのように悲惨になろうとは……。

 二千年間、血をまいて殉教の鮮血の祭壇を連結させ発展させた、世界的に民主世界の地軸となっているキリスト教思想が、一九六〇年から始まって十五年間にこのように没落しました。二千年の風霜の中で残って発展してきたにもかかわらず、どうして、この最後の時代に来て一九六〇年度から十五年の期間にキリスト教が没落したのでしょうか。統一教会の文先生に反対するので、そのようになったのです。(八一―二三一)




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第四節 南北分断の摂理的意味

一.韓国は世界的祭物国家

1 世界史的な蕩減の使命を負った韓国

 今、我々が蕩減復帰という厳然たる因果法則を、摂理歴史過程で否定できない原則として公認したならば、この世界史的な終末時代において、世界史的な蕩減の使命を代身できる悲惨な国がどのような国なのかという問題について見るとき、その国は他でもない韓国だということを皆さんは知らなければなりません。

 韓国が六・二五動乱を通して左右の世界的な情勢が三十八度線という対峙戦を中心としてこの民族とは何の関係もなく、因縁もなかった左右の世界史的思潮のゆえに祭物となって血を流したという事実は、悲惨なことにならざるを得ないのです。それから二十余年近い時代を過ごしてきた今日、世界舞台において、再び悲惨な運命の場を代表しなければならない立場に立った国が韓国だということについて見るとき、どうして韓国はこのような運命圏に追い立てられなければならないのかを考えるようになるのです。ここで我々は蕩減復帰歴史について見るとき、天がこの国を通して世界史的であり、天的な責任を追及しているという事実を知ることができるのです。

 南北が分かれた現時点において西側では中共、北側ではソ連が潜んでいます。東南側には日本という国が中共と手を握ってアジアの方向を混迷にしています。皆さんもご存じのように今ベトナムにおいては、テュー大統領の去就問題が自分が願うところによって論議されているのではなく、国際政治の舞台に取引の祭物として登場して論議されているのです。

 このような事実について見れば、我が韓国もこのような運命にならないと端的に結論を下すことのできない現実に直面しているのを見ます。このような現実の中で、今後の韓国はどのようになるのかという問題を考えれば考えるほど、この韓国が立っている立場はそれこそ悲惨な立場にならざるを得ないということを我々は感じます。ここで我々が考えるべきことは、韓国の現在の立場を韓国国民の力だけでは選ぶことはできないという事実です。

 いわば、この民族の力だけでは、今後この民族が生きられる道を選んでいくのは不可能な立場に置かれています。我々には傷のある後悔に満ちた環境を打破し、それを克服して自主的な権限を立てることのできる何らの希望の与件もないということをあまりにもよく知っています。

 蕩減復帰歴史について見るとき、このような立場でこの民族が生きられるという一種の希望があるなら、我々は原理を通した立場から、この民族を天の前に祭物として捧げる道以外にはないという結論を下すことができます。それがこの民族が生きられるたった一つの道だということは間違いないのです。(六三―二六七)

2 最後の実体的蕩減を成し遂げることのできる国家

 この歴史的な蕩減路程を行くということは、それほど簡単ではありません。アダムからイエス様までの四千年間の縦的な摂理歴史を横的に再現させて蕩減復帰しなければならず、イエス様以後二千年間の復帰路程に残されたもの、すなわち、キリスト教が今まで多くの民族や国家に福音を伝えながら蕩減してきましたが、その残されたものを今日、我々が横的に蕩減復帰しなければならないのです。

 蕩減復帰はどのような環境でなされるのでしょうか。神様とサタンがぶつかり合う、そのような所でなくては蕩減復帰がなされません。それゆえ、カイン・アベルの時代、ノアの時代、アブラハムの時代、モーセの時代、イエス様の時代を見ても、いつも一個人や家庭や民族を中心として神様とサタンが対決したのです。祭物ならば祭物、人ならば人、家庭ならば家庭など、ある使命を負った中心存在を巡って、ある条件をかけて神様とサタンが対決し、勝利か、敗北かを分けたのです。

 このように展開してきた復帰歴史を概観してみれば、旧約時代から新約時代まで象徴的、形象的蕩減時代としてある条件を立てれば蕩減できる時代でしたが、最後の実体的蕩減時代においては、一つの国家ならば国家、一つの民族ならば民族という実体をかけて、一対一の基準で蕩減しなければならないのです。このようにするのが神様の歴史的な願いです。神様がサタンとそのような基準で勝敗を決定しなくては、国家ならば国家、民族なら民族を完全に神様の前に探し立てることができないのです。

 神様の摂理にこのような事情があるために、もし韓国がそのような使命を負ったならば、韓国は世界ならば世界をかけた、とてつもなく大きな試練にぶつからなければなりません。それゆえ、民主主義と共産主義が韓国で対決しているのです。板門店を中心として二大陣営がお互いに甲論乙駁しているのですが、この事実がまさに、天の世界とサタン世界がお互いに戦うことを表しているのです。このような観点から見るとき、外的にはこのように韓国をかけて対決していますが、内的には歴史的な事実と時代的な事実と未来的な事実を中心として、神様とサタンが最後の対決をしているのです。そのようにすることによって、内的な蕩減条件を立てなければなりません。歴史はこのような両面的な関係をもって流れていっているのです。(一七―三〇八)

3 歴史的カイン・アベル闘争の国家的中心地

 アダム家庭では兄の立場で生まれた人がカインであり、弟の立場で生まれた人がアベルですが、本来は愛の結実体が天の側を中心として最初に結ばれなければならないのが原則でした。しかし、堕落することによってそのようにならなかったので、再び取り戻すに際しては、二番目に生まれた弟を選んで兄の立場に引っ張り上げなければならないのです。このようにしてきたのが今までの歴史的な路程です。そのような因縁が個人から展開されて、家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大したのです。

 今日の民主世界と共産世界を神様の立場で見れば、共産世界はまず世界の主権を所有することを夢見てきました。来られる主がすべきことを、サタン側でまず外的に形態を整えてきた長男のような立場に立っているのです。

 統一教会は後に現れた立場でこれを蕩減復帰して、長子の立場を求めていかなくては世界は統一され得ないのです。これは、個人、家庭、氏族、民族、国家を中心としても同じです。すべてのものをカインとアベルの立場で分立して、長子圏を復帰していかなければならないのです。

 それゆえ、両断された国家とならなくては、み旨の基盤を築くことのできない立場となるのです。祭物のように分立された立場でなくてはなりません。それゆえ、この世界は民主陣営と共産陣営に分かれた国を中心として問題が起こるのです。今世界的に見れば、そのような国としては韓国と中国とベトナムとドイツがあります。このように分断された立場にいる国々を中心として民主世界を統一し、共産世界を屈服させて収拾しなければ世界の平和はあり得ません。(三七―二九七)

 大韓民国は今、南北に分かれています。これを神様のみ旨を中心として見れば、以北(北韓)はカイン国家であり、大韓民国はアベル国家と見ることができます。アベル国家になるためには、アベル国家の前にカイン国家がなければならないのですが、既にカイン国家は生まれ、体制をすべて整えて兄の役目をしているのです。ですから今アベルが生まれているのです。このようなものを見るとき、この民族は今、復帰の使命を負っているのです。(三四―六四)

 南韓と北韓が接触して戦ったのは、韓国を中心として戦ったのではなく、世界を中心として戦ったのです。国が復帰されるためにはカインの国とアベルの国がぶつかって、カインの国がアベルの国を打つ立場で自然屈服しなければならないのです。そうしなくては国が復帰されないのが原理、原則なのです。(五四―一五八)

4 アベル国家が行くべき道

 我々が今まで韓国を中心として縦的に戦ってきましたが、これですべてのものが終わるのではありません。我々は既成教会の誹謗を受けながら、今まで戦ってきました。今統一教会がアベル的な教団として、カイン的な既成教会をどのように包摂するのかという問題だけが我々の前に残っています。我々と既成教会が一つになれば、この民族が行くべき方案を提示して、神様を中心とした一つの国家を築くのは不可能ではありません。可能なのです。これが決定されるならば、南韓自体がアベル国家になるのです。アベル国家はアベル国家として終わるのではなく、カイン国家を救わなければなりません。

 このような観点で見るとき、南北が分かれたのは神様の愛のゆえだと結論づけることができます。神様の愛のゆえだというのです。もし、カイン的な国家が日本やソ連だったならば、どのようになったでしょうか。そのようになったならば、カイン復帰は不可能です。

 同じ民族で、同じ歴史と根をもった民族基盤の上で南北に分かれているからカインを復帰できる、という事実を皆さんは知らなければなりません。カインを復帰する際には、今この国が置かれている状態が最もよい条件です。このようにして南北韓が一つになるならば、大韓民国という国自体がアベル的な国家形態を備えて、世界史的な使命を負ってきた世界国家を代表した主体的国家として登場するのです。

 では、このアベル的な国家はどのような道を行かなければならないのでしょうか。カイン国家を包摂する道を行かなければなりません。カイン国家を包摂する際には、一つの国だけを包摂するのではなく、三つの国を包摂しなければなりません。原理的な立場で見るとき、このように三つの国を包摂するならば、世界のすべての国家は自動的に屈服して入ってくるようになります。この道は我々統一教会が必ず行かなければならない道ですが、統一教会だけでは行くことができないのです。では、どこに問題があるのでしょうか。怨讐が問題です。

 ヨセフを奴隷として売り渡した十一人の兄弟が、七年間凶作を被って穀物を買いにエジプトに来たとき、十一人の兄弟を迎えたヨセフはどれほどいまいましかったでしょうか。今、怨恨を晴らす時が来たと思ったはずです。けれども、ヨセフは父母のことを考えたのです。「私が異境でどんなに出世をしたとしても、今まで父母に侍って生きてきた人たちは、私の兄弟たちではないだろうか」と考えたのです。(三〇―三〇二)

 同じ民族が南北に分かれてカイン・アベルの立場に立ったというのは、有り難いことです。もし、異国の民族だったならばどうだったでしょうか。ですから、これが神様の愛だというのです。それゆえ、我々は北韓を怨讐視しないで、彼らを同胞として愛さなければなりません。千三百万の以北(北韓)の同胞の解放のために祈祷を捧げ、精誠を尽くさなければなりません。これが今後、我々がすべきことです。(三四―六五)

 共産主義と額を合わせて戦う代表的な国が韓国なのですが、ここで共産主義を凌駕できる基準をつくるようになれば、世界的になるのです。そうすれば、民主国家はどの国でも、この主義とこの国が行く方向を見習っていかざるを得ないのです。それゆえ、共産主義があることが、統一の一つの盾となるのです。(八五―二三五)

5 韓国は世界的祭物国家

 現在はどのような時でしょうか。カインとアベルが戦う時です。このような時なので、キリスト教はカインと一つにならなければなりません。民主世界はまた、アベルとして来られる主と絶対的に一つになる基準を立てなければなりません。昔、アダム家庭で繰り広げられたものが、回りに回って歴史的な最後の終着点に行ってそのような現象が起これば、ここに神様を中心として心情的な基盤を準備していきながら、真の父母の因縁を決定づけようとするのが神様のみ旨です。

 ですから、この世界でアベル的な個人が現れなければならず、アベル的な家庭が現れなければなりません。では、アベル国家はどのような国でしょうか。アベルがカインを屈服させるための戦いの土台の上に、あらん限りの精誠を尽くして神様の前に祭事を捧げる国、死ぬか生きるかという問題をかけて、自分のすべてのものを神様の前に捧げる国、今日民主世界において一番悲惨な国、一番複雑な国がアベル国家です。

 韓国は三十八度線を中心として南と北がすっぱりと分かれています。原理を通して見るとき、祭物は裂かなければなりませんね? ですから、韓国の経済状態は極めて難しくなるのです。

 皆さん、祭司長が祭物を捧げるときは上下を問わず、すべて祭壇の前に頭を下げなければならないのです。贖罪の祭物の前にはその国の郡守も頭を下げるようになっているのです。今後、統一教会がすることは、上下、高低を問わず、民族全体が頭を下げ得る基準を築くことです。それができなければ、統一教会の使命は完結され得ないと先生は考えます。祭物とは何でしょうか。死の道を準備するのが祭物です。生きる道を準備することではありません。いつかある時に、民族のために贖罪の祭壇に正々堂々と上がることのできる準備をするのです。彼が着飾るのも、豊かな食生活をするのも神聖に捧げるためであり、生きているのも、その生命を神聖に捧げるために生きているのです。祭物は環境がよければよいほど、生命を捧げる道、死の道を訪ねなければならないのです。接待をよくしてあげればよくしてあげるほど、死ぬ日が近づいてくるのです。同様にこの世界にそのような運命の祭物の道を行く民族がいなければなりません。統一教会がその祭物の役割をしなければなりません。それゆえ、皆さんは死ぬ準備をしなければなりません。(一五―二四八)

 韓国は祭物国家です。祭物は三千万民族(聖所)とキリスト教(至聖所)にならなければなりません。しかし、キリスト教が責任を果たすことができなかったので、祭物たる人をこの民族の中で再び立てるのです。それゆえ、皆さんが聖所と至聖所の使命を果たさなければならないのです。皆さんはこのような使命を果たすべき人として選ばれました。(一一―二四七)




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二.南北分断の原因とその意義

 韓国の国民は今、誰もが統一を願っているということをよく知っています。南北が分かれるようになった原因を考えてみるとき、六・二五事変がその原因だと思うかもしれませんが、根本問題に入っていって原因を調べてみれば、今日、世界が一つになることのできない歴史的路程を経てきたからであるということを知るようになります。(四八―一四一)

 南北が分かれたのは、解放直後にキリスト教と先生が一つになることができなかったからです。キリスト教と国家が先生に反対して一つになれなかったからなのです。この南北が分かれたのは何のためなのかといえば、地上のキリスト教と国が責任を果たすことができなかったからです。(一六五―二九八)

 大韓民国が南北に分かれて三十八度線が生じたのは、解放以後、神様のみ旨を奉じることができなかったことに対する神様の怨恨の応報です。(四五―一三九)

 復帰歴史を中心として見るとき、既成教会が解放直後にみ旨を奉じて立ち上がったこの若者の後ろに従っていたなら、韓国はこのようにかわいそうなことにはならなかったのです。そうしていたなら三十八度線がふさがれなかったのです。そして、ソ連はとっくになくなったはずです。一九五一年四月、トルーマン大統領がマッカーサー将軍を解任してから、韓国は押され始めました。もしその時、マッカーサー将軍の言葉どおりにしていたならば、その年の九月に韓国は蘇満国境に行って戦ったはずです。そのようになれば、日本が受ける祝福を韓国が全部受けるのです。じっと座っていても生きられる国になるということです。ところが、紆余曲折の末に今のように複雑な世界になったのです。

 今後、世界情勢は我々の動きと対比していきます。世界情勢がどんなに大きく変わっても、我々の動きと対比していきます。皆さんはそこに対する具体的な内容を知りませんが、復帰歴史はそのようになっていきます。(八一―二三一)

 今日、世界史的な境地から見るとき、左右の思潮が韓国を中心として奇妙に対峙しています。板門店を考えてみてください。本当におもしろい名詞です。このようなものは世界に一つしかありません。皆さん、そのようなことを考えてみましたか。自覚のある人は少し考えてみてください。むやみにそのようなことがあるのではありません。板門店は我々民族だけの問題として生じたものではなく、世界的な思潮によって生じたのです。(一三―四五)

 まさにここの三十マイル北側で、民主主義と自由理念はこの世界で最も残虐無道な閉鎖された北韓の金日成の共産集団と対峙しています。この二つに分立した世界の中の一つは神様を認定する世界であり、他の一つはその正反対に神様を否定する世界です。極と極、思想を異にする二つの世界の差異点を韓半島よりももっと顕著に際だってあらわにできる所はありません。韓半島は自由と独裁、善と悪、民主主義と共産主義の間で闘争する、全世界の縮小版なのです。(一六八―二三五)

 南北が分かれたので、これは世界史的な分立を指すのです。共産主義と民主世界の決裂したすべてのものが、韓国の三十八度線を中心として解決されなければなりません。ヘレニズムとヘブライイズム、つまり宗教歴史と人本主義の思想が結託して、最後の終着点として解決されなければなりません。

 板門店は何かといえば、二つの世界の警戒線を指すものです。一般的にこれを解けば、民主世界と共産世界が対峙しているのですが、み旨的に解けば、天国世界とサタン世界が対峙しているのです。民主と共産がこのように先鋭に対峙している所は韓国しかありません。

 韓国の南北問題は、単に金日成と現政府の闘争だけではありません。ご存じのように、人本主義や神本主義、ヘレニズムやヘブライズムなど、さまざまな思想が韓国という終着点に至ったと見ることができ、さらに、韓国が唯心、唯物思想の対決の最後の終着点になっているというのです。このような事実はひとえに韓国民族だけの問題ではなく、ひいては世界の問題です。より次元を高めて考えれば、善神を代表した神様と、悪神を代表したサタンの対決の現状だと見ることができるのです。(一九八六・三・一四)




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三.板門店は神様とサタンが讒訴する所

 我が国の板門店のような所は世界のどこにもありません。サタンと神様が同時に讒訴する所です。このようなことがなぜ起こるのかといえば、そうでなければ蕩減されないからです。そのようにして緊迫した事態になるのです。(三〇―二一六)

 韓国において世界的な特徴が何かといえば、板門店があるということです。ここは世界を中心としてサタンと神様が讒訴する、地上でただ一つの場所です。霊界において、神様とサタンが讒訴する讒訴場を代表したものが地上に現れたのです。神様とサタンが人間を中心として讒訴する場所が地上に現れた、ただ一つの場所だというのです。(五四―一五八)

 板門店というのは何かといえば、サタンと神様が讒訴する見張り台です。金門店となれずに板門店になったのです。それは臨時なのです。サタンと神様が全く同じです。皆さん、板門店に行ってみてください。ひよこがけんかをするように、子供たちがけんかをするのと同じです。世界的にそのような所は一箇所しかありません。そこはサタンと神様が讒訴する幕舍です。聖殿と同じです。

 カインがいつも先に打ったように、第一次、第二次、第三次まで経なければなりません。第二次まで打って歴史は流れてきましたね? 今、第三次において国家的運命を分けなければなりません。世界的運勢と共にぶつかり合い得る時が来たというのです。(五〇―七七)

 南韓と北韓の境界線に板門店がありますが、そこには主人がいません。そこは南韓の地でも、北韓の地でもありません。文字どおり板門です。すなわち、板でつくった門だというのです。これは鉄の門や黄金の門になることはできません。主人がいたならばそのようになり得るでしょうが、主人がいないので、そのようになり得ないのです。

 それゆえ、そこではサタンと神様が世界の国を中心として讒訴することができ、民族を中心として讒訴でき、個人を中心として讒訴することができます。大韓民国をかけて讒訴するときには、個人が過っても大韓民国が引っ掛かるようになり、家庭が過っても大韓民国が引っ掛かるようになります。また、以北の個人や家庭が誤れば以北の主権が讒訴されます。個人や家庭や団体が誤るようになれば、彼らをして国の主権が秤に掛けられる、そのような立場にあるというのです。すなわち、個人が過っても国を打ち、家庭が過っても国を打ち、団体が過っても国を打つというのです。誰が過ったとしてもそのような立場になるのです。(三八―四四)




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四.我々は三十八度線を越えなければならない

 今日、統一教会が行く道もやはり同じです。私が生まれたのは神様と世界のためだと言うことのできる心をもたなければなりません。いわば、世界のために、世界の生死の圏を解決するために私が生まれた、という信念をもたなければならないのです。我々は三十八度線を越えなければなりません。それよりももっと大きな三十八度線があったとしても越えなければなりません。我々が考えなければならないのは、韓民族の三十八度線が問題ではないということです。我々がこれを打破して統一民族を形成しようものなら、どのようになるでしょうか。我々が国境に接している中共とソ連との三十八度線がまだ残っているのです。

 今日、この民族の前に南北を分けた三十八度線が横たわっていることはそれほど大きな試練ではありません。これは我々民族を中心とした三十八度線ですが、その次にはソ連と中共とのもっと大きく、さらに極まった三十八度線を越えなければならないのです。民族が解決すべき平和の土台を準備するためには、もっと大きな三十八度線までも解決できる、勝利的土台を準備しなければならないのです。このような観点から見るとき、我が国の三十八度線は問題になりません。もし、我が民族が我々の三十八度線を解決し、ソ連と中共との国境に接している世界的な三十八度線を克服できる民族になったとするなら、この民族は世界に新しい主体性を植えてあげ、新しい方向を提示してあげる民族にならざるを得ないのです。皆さんは果たして、そのようにできる信念をもちましたか。(三五―二五)

 今後、統一教会が三十八度線を越えて世界平和の旗手となるためには、回っていくのではなく、直行しなければなりません。(三五―三九)

 今日、国家的な限界線を中心として我が民族を見るとき、三十八度線が問題です。三十八度線は人間がつくっておいた境界線です。これを無難に突破するためには以北と以南を収拾し、その難しさを克服できる存在とならなければなりません。南北韓の難しさを克服できる人にならなければなりません。そのような人が私一人ではだめなので、そのような人を確保しなければなりません。量的に数を増やしていかなければなりません。それゆえ、そのような環境圏を乗り越えられる道をどのようにつくらなければならないのか、という問題が重要なのです。(二四―七一)

 私が三十八度線を越えながら祈祷したことは簡単です。「神様、心配しないでください。北韓まで私が統一します」。祈祷は瞬間にしましたけれども、一生を投入して実践してもいまだにできていません。しかし、いずれにしても故郷に帰らなければなりません。そうしなければ、み旨が成し遂げられません。(一九八七・一一・一)

 私が一・四後退の時、三十八度線を越えながら神様に祈祷したことがあります。この悪党たちを私の手で捕まえて片づける前に死んではならないので、私が私の故郷、私の祖国を再び訪ねて、神様に勝利の讃揚をお返しできるその日まで私を生かしてくださいと祈祷したのです。そうするために、韓国を経て、アジアを経て、世界を経て、この怨讐の金日成に至ろうと誓いもしました。(一九八一・一・二六)




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第五節 南北韓を中心とした世界摂理

一.南北韓を中心とした各国の摂理的位置

1 南北韓を通じた四位基台の国家復帰

 み旨から見れば、アダムとエバと天使長、この三人が問題になったのです。それゆえ、一番大きな天の側のアダム国家が現れ、その次にエバ国家が現れ、天使長国家が現れて一つになれば、国家復帰が完成するのです。それが原理なのです。神様を中心として四位基台になるのです。それを今つくろうとするのです。

 韓国を中心として見れば、韓国は二つに分かれたのですが、以北では金日成を父といいます。金日成を父というでしょう? そして、南韓の統一教会でも文鮮明を父といいますね? どちらが本当の父なのか、よく見なければなりません。相撲をしてみればすべて分かるのです。(笑い)金日成を父といいますが、そこは外国に輸出しますね? ゲリラを輸出するではありませんか。統一教会も外国に輸出しますね? 統一教会の思想を外国に輸出するのです。ぶつかり合うのです。では、誰が勝つでしょうか。いいですか。統一教会の文鮮明は負けずに勝つようになっているのです。

 金日成は国をもちました。統一教会はどうですか。国はないけれども、国が背負われて協助しようものなら、金日成は問題ない、というのです。昔は蘇生、長成、完成の三分の一を神様がもちましたが、今は我々南韓が三分の二で数字的に反対になりました。北韓は蘇生、長成、完成の三分の一にしかならないのです。そうですね? それは反対になりました。

 そして、南韓のこの同胞を一つにすることができれば、「共産党よ、いくらでも暴れ回れ。お前がおとなしくしているだろうか。えい、こいつめ。夜、寝ている時に来るというなら来てみろ」。問題ないというのです。見ればそうなのです。金日成はサタン側、蕩減復帰は善なるものと悪なるものを全く同じく二つに裂かなければなりません。祭壇もカインの祭壇とアベルの祭壇を裂かなければなりませんね? ですから、韓国も二つに分けておいたので、神側にアダム国家、エバ国家、天使長国家の三国家が生じ、サタン側でもアダム国家、エバ国家、天使長国家の三国家が生じたのです。

 サタン世界、ここは共産主義を中心として既に統一されたのです。金日成は中共とソ連を思いどおりに行ったり来たり、くっついたりすることができます。そうではありませんか。また、アジアにおいて日本を籠絡するときに、韓半島に及ぶ国はありません。ですから、韓半島は中共にも必要であり、またどこにも必要でしょう? ソ連にも必要です。それゆえ、金日成が来てくっつくことをお互いが願います。「早く来てください」と言うのです。

 それに対して韓国では、我々統一教会を中心として南韓の腹となる国家形態をつくらなければなりません。それを私がつくるのです。つくる際にはどのようにするのでしょうか。本来は英国がエバ国家にならなければならないのです。英国が統一教会に反対しなかったなら、キリスト教国家が統一教会と一つになるのです。統一教会と一つになれば、どのような国が韓国と一つになるのかといえば、英国が一つになり、アメリカが一つになるのです。しかし、反対したので問題が起こったのです。反対をしたので、天ではどのようにしなければならなかったのかといえば、今まで準備したアメリカをサタンに譲り渡し、英国を譲り渡さなければならず、その次には、フランスまで譲り渡さなければならなかったのです。けれども、滅ぼすことはできないので、今日統一教会が世界的な面でこれを防止するために立ち上がったのです。それゆえ今、一番至急なのは、共産圏内の三カ国が我々をそれこそ、虎視眈々とねらいながら一時にのみ込もうとしているので、ここに対備して我々も夜も、昼も活動しなければならないのです。

 北韓と中共とソ連、この三つの国が一つになったので、ここにおいて南韓はどこと一つにならなければならないのでしょうか。中国のようなエバ国家がいなければならないのですが、それが日本です。その次には中国が分かれたのです。そうではありませんか。これが中華民国です。中共ではなく、台湾ですか。「自由中国」台湾です。これを一つにするために今まで先生は努力したのです。この三つを一つにするために今まで努力したというのです。(六八―二四)

2 韓国を中心とした中共・ソ連・アメリカの天的な立場

 皆さんが知っているように、堕落はアダム、エバ、天使長の三人がしたので、今日、その実は三カ国を中心として、地上に悪なる側と神側が必ず現れなければならないのです。そのような悪なる国と国境を接しているのがまさに韓国です。それゆえ、サタン側の共産主義が神様を模倣して、金日成は父と主張しながら中共とソ連を連結しているのです。これがまさに韓半島であることを皆さんは知らなければなりません。

 それゆえ、今後中共で、江青が勢力を得る時が近づいてくると見ています。中共が全世界に影響を及ぼすというのは、堕落したエバによって全世界に悪の種を蒔いたのと同じです。したがって、実体的にエバ圏の立場に立った中共が共産世界に主導的な影響を及ぼし得る時が到来しているのです。

 その反面、ソ連は天使長国家です。一番初めに現れた天使長なのです。したがって、天使長国家の形態で現れて、共産主義を第一としているソ連は今、自分を中心として進むよりも、自由世界と手を握った中間の立場に置かれているということを我々は直視することができるのです。

 悪なる世界はまず、一つになって次第に分立していくという結果で現れるのです。それゆえ、その三つの国が全部一つになれない形態が展開するならば、それは、天が願う最後の時になろうとしている、という事実を我々は知らなければなりません。一九五〇年度を中心として、ソ連と中共と北韓が一つになり得る立場に立ちましたが、一九七〇年度にソ連と中共が分立し始めました。今となっては、金日成さえもソ連と分立する立場に逢着したことを我々は知っています。金日成自体について見れば、中共を背負ってこようとしても不可能で、ソ連を背負ってこようとしても不可能で、孤立した立場に立った事実を我々は直視しているのです。(拍手)このように分立し得る立場を境界として、天の側は統合運動を提示するようになるのです。

 皆さんが知っているように、アメリカは天使長国家です。それゆえ、世界的に祝福されて、将来、来るアダム国家とエバ国家に、世界のために財物を蓄積して保管させるための代表的な国家です。そのような主導的な国家がアメリカなのです。

 天使長国家は、神様の息子、娘と神様の家庭を扶養し、それを保護すべき責任があるので、民主世界を主導するアメリカは、全世界に経済的援助、軍事的援助までせざるを得ないのです。そのようなことが、このようなみ旨の観点で一致するのです。

 皆さんが知っているように、この天使長国家はエバ国家を取り戻してこなければなりません。アジア大陸を中心として見るとき、アメリカはその相対的国家の立場にいます。これは歴史的、地理的立場で見ても同じです。結局、アジアが主体であり、アメリカが対象だということになるのです。(七九―七〇)

3 南韓を中心とした各国の摂理的位置

 日本がエバ国家として立てられたので、時になればなるほどエバ国家に勢力が集中するのです。なぜ、そうなのでしょうか。エバが堕落するとき、何人の男性を滅ぼしたでしょうか。天使長とその次にアダムを滅ぼしました。天使長圏とアダム圏を滅ぼしました。それゆえ、それを復帰しようとすれば、終末にエバ国家が天使長国家を……。天使長国家とは、サタンの天使長国家を指します。分かりましたか。また、サタン側の天使長国家を縦的に見れば、蘇生、長成、完成であり、横的に見れば、天使長、エバ、アダムになります。

 これを共産世界で見れば、縦的な面でソ連が蘇生であり、中共が長成であり、北韓が完成に該当します。そして、横的な面で見れば、再臨するのと同じ立場なので、反対になるのです。縦的なものを蕩減復帰するために横的に立てば反対になるのです。どこが中心かといえば、蘇生であるほど遠く、長成であるほど一つの帰一点に近づくのです。そうですね? どのようになるのかといえば、このように回って似たり寄ったりなのです。横的に見れば旧約時代、新約時代、成約時代に匹敵するのです。そのような立場で見れば、北韓はサタン世界のアダム型であり、中共はエバ型であり、ソ連は天使長型になるのです。その反対が何かといえば、韓国がアダム国家であり、日本がエバ国家であり、アメリカが天使長国家になります。それゆえ、このような観点で見れば、終末には一つの国だけではだめなので、三つの国にまで及ばなければなりません。ですから、中国は蘇生的天使長であり、アメリカは長成的天使長であり、ドイツは完成的天使長になるのです。(六三―三二二)

 天使長の蘇生が中国です。アジア圏的天使長の国家が中国です。それゆえ、蒋介石という名前には、本来の石を紹介してあげる、という意味があるのです。分かりましたか。第二次世界大戦はイエス時代のみ旨を受け継いだものなので、そのみ旨を受け継いで天使長の使命を果たすための洗礼ヨハネ的な存在として残されたのが、アジアにおいての蒋介石です。彼が一番長く生きたでしょう?(六八―二八)

 世界的に見るとき天使長国家が三つです。アメリカが責任を果たしていたならアメリカだけですべて終わるはずですが、責任を果たすことができなかったので、天使長国家は三つになるのです。

 アジアにおける天使長国家はどこでしょうか。中国です。終末になれば天使長国家は世界の責任をもたなければなりません。天使長は本来、所有がありません。それゆえ、国連の常任理事国から中国が追放されたのです。それは、中国がアジア的天使長国家だからです。

 では、終末の権限を誰が所有しなければならないのかといえば、アダム・エバが引き継がなければなりません。ですから、先生が中国の蒋介石総統に対する責任を果たしたのか、果たせなかったのかということが問題になるのです。それが引き継がれればどのようになるのかといえば、蘇生的天使長を中心として長成的天使長へと越えていかなければなりません。

 アメリカは共産圏と対決しています。ですから共産圏に責任をもつことのできる能力がなくては、アメリカに対してアダムの主導的な役割を果たすことができないのです。アメリカの国民思想はキリスト教文化圏です。それゆえ、統一教会の原理を中心としてキリスト教文化圏を包摂し、勝共思想で共産圏に対備できる防御線をつくって、アメリカで主導権を行使しなければなりません。そのように共産圏に対備しながらドイツを中心として影響を及ぼすことのできる立場に立って、分けていけばいいのです。このようにして、この世界を一つの世界へと連結させなければならないのです。

 それゆえ、今後我々が行くべき道は何かといえば、世界統一のためにアメリカを吸収しなければならず、ドイツを吸収しなければならず、また、韓国の北韓を吸収しなければならないのです。ここでは共産圏と対峙しています。アメリカもドイツも共産圏と対峙しています。それゆえ、統一教会は対共戦略を樹立せざるを得ないのです。ですから、統一運動の中においてもともと勝共体制を準備してきたのです。(六二―三二三)

 天使長の形態を見れば、韓国を中心としては北韓が天使長型であり、アジアを中心としては中国が天使長型であり、世界を中心としてはドイツが天使長型です。蘇生、長成、完成の形態を経ていくのです。このような形態を世界的に見れば、神様を中心として民主世界がアダムの立場に立ち、共産世界はエバの立場に立ち、霊界にいる天使は天使長の立場に立つのです。そうして、「神様、救ってください」と言って、霊界と肉界をすべて復帰しなければならないのです。そのようになって初めて、神様を中心として本然の世界に帰っていくのです。分かりましたか。(はい)。原理的な復帰の段階がこのようになっているということを、皆さんは知らなければなりません。

4 み旨から見た韓国・日本・中国の立場と使命

 アジアでアダム国家は韓国であり、エバ国家は日本です。今は国家時代なので国家的な基準でカインを復帰することができなければなりません。そうして初めてアベル国家となるのです。それゆえ韓国は、復帰されなければアベル国家になるのです。神様と一つになってカインを屈服させて初めて、神様の前に帰っていくことのできる国家、すなわち、御父母様を迎えることのできる一つの国家となるのです。そのようになって初めて、アダム国家が成立するのです。

 ですから、今韓国はアダム国家になっていますか。原理的に見るとき、我が韓国は霊的な面だけでのアダム国家であって、霊肉共なるアダム国家ではありません。

 韓国がアダム国家になれば、エバ国家がなければならないのですが、アジアでは日本がエバ国家です。また、アダム国家とエバ国家があれば、その前に立つことのできる天使長国家がなければなりません。では、その天使長国家はどの国でしょうか。中国です。中国はアジアにおける文化の起源です。五千年の歴史と文化をもった中国はアジアの中心です。これは天使長国家です。天使長がこの世界を制覇しているので、アジアにおいても中国が文化的に権限を行使しながらきました。しかし今、次第に時が来るに従ってその権限を譲らなければならないのですが、誰に譲らなければならないのかと言うと、アジアを相続できる主人に譲らなければなりません。

 ところが、相続すべき主人が相続する前に、サタンがまずアジアを支配しようとするのです。これが共産圏です。天使長がアジアを主人に譲り渡す前に奪おうとするのが共産圏だというのです。ここでカイン国家とアベル国家を中心として戦って、アダム国家の形態とエバ国家の形態、そして、天使長国家の形態が横的に繰り広げられるのです。国家的な基準が現れるときまでの縦的な戦いなのです。ですから、大韓民国を中心とした戦いです。一つの国を中心としては横的関係を結ぶことはできません。

 横的な関係はアダム国家を中心として繰り広げられるため、韓国はアジアにおいての横的関係の出発の起源をつくらなければならないのです。韓国が天側的アダム国家の位置で天側的エバ国家を立てるためのものが、日本統一教会であり、勝共連合の活動なのです。

 では中国はどのような国でしょうか。中国はもっていたものをすべて奪われてしまって台湾に追われています。そのようになるので、天使長は世界が二つになりました。それは祭物と同じです。天使長がいつ祭物を捧げたことがあるでしょうか。捧げることができませんでした。しかしこれからは祭物を捧げなければなりません。では誰に捧げなければならないのでしょうか。アダムとエバに捧げなければならないのです。何のことか分かりましたか。海の中の島に入っていったというのは祭物と同じです。

 祭物を捧げるというのは中国を捧げるということです。この祭物を完全に受け取ったということは、中国大陸を受け取ったということです。ですから、祭物を完全に受け取るようになれば、サタンの反対は終わります。それで、先生は今までアジアの情勢において三国同盟問題を掲げてきたのです。日本を主軸として韓国と一つになって、日本を中心として台湾を復帰しようというのです。そこで、日本の久保木会長がアメリカに行けば、台湾政府に接触するために台湾を経由してくるのです。このようにして韓国と日本と台湾が一つになろうものなら、アダム国家、エバ国家、天使長国家が復帰されるので、アジアはすべてこの作戦圏内に入ってくるのです。分かりましたか。その次には世界です。アジア文明圏を中心として勝利の基盤を築いたのちには、世界へと出るのです。アジア圏を中心として世界を見るとき、エバ国家はアメリカです。そして天使長国家はドイツです。ですから、先生は日本、アメリカ、ドイツのこの三カ国が一つになることだけを祈祷しているのです。(三四―七一)

5 日本を中心とした世界情勢と日本の使命

 日本はエバ国家です。エバをして天使長が滅ぼしましたね? それゆえ、天使長国家側であるサタン側がすべて日本に集中しているのです。そうでしょう? ですから、現在見ると、共産党が全部日本に集中しているのです。中国も日本に集中してさらわれてしまいました。そして、アメリカも日本に集中していて、ドイツをはじめとしたヨーロッパでも日本に関心を置いています。そうして韓国と日本の問題が全世界の問題として台頭しています。これはまさに終末の現象です。

 いいですか。ソ連、中共、北韓などがすべて日本に目をつけています。「どうしたらエバに会いにいけますか」と言っています。また、アメリカも韓国もそうです。日本自体でも、統一教会が今日本をすべて追い立てていっています。韓国について見れば、先生を中心として日本の統一教会もアメリカの統一教会も、すべて日本に集中しなければなりません。なぜそうなのでしょうか。エバは二人の男性を滅ぼしたからです。それを復帰しようと、エバを中心としてお互いがぶつかり合うようになるのです。それゆえ、エバが行ったり来たりすれば、世界の情勢も行ったり来たりするのです。

 日本は今、素っ裸になった女性が新郎を迎えるために流し目をしているのと同じです。ですから、共産世界ならば共産世界、民主世界ならば民主世界がすべて日本に対して関心を集中しているのです。世界情勢はこのような時局となりました。これは最後の時局なのです。

 では、どうして日本が経済的な面で祝福を受けたのでしょうか。世界各国の後援を受けて……。エバとして世界的に失ってしまったものが何かといえば、土地と人と愛です。それゆえそれを復帰するために、この国はエバ国家なので、経済的に世界の一流を占めることのできる立場にならなければなりません。遠くない将来にそのようになるのです。それからエバは自分に任された使命を果たさなければならない立場にいるので、先生は日本人を先頭に立てるのです。そうしながら、彼らは心情的に誰よりも高い立場にいなければなりません。心情を中心として見ると、日本人があたかもそのようになっているのです。

 今、韓国の統一教会を中心として日本の統一教会を収拾して、アメリカを連結させなければなりません。そのようになれば、横的な面において蘇生、長成、完成が成し遂げられて、アダム国家、エバ国家、天使長国家の世界的な時代をもって共産圏の国家を屈服させ、勝利の結果をもたらすことができると見るのが摂理観なのです。分かりましたか。それを決定づけることのできる主導的な役割を、エバ国家である日本が果たさなければなりません。(六二―三二四)

 日本は今、どこにでも思いどおりにお嫁に行くことのできる立場にいる女性と同じです。すなわち、日本は共産側にも行くことができ、民主側にも行くことができる可能性があります。(二三―一〇六)

 現在、大韓民国の立場で見るとき、日本が容共国家になったならば大韓民国は生き残ることができると思いますか。ソ連、中共、日本などの世界の強国の間で生き残ることができると思いますか。それゆえ、エバを取り戻そうとするのです。エバはアダムが創造して取り戻さなければならないので、日本で勝共連合を中心として日本の救国活動をしているのです。分かりましたか。先生は日本を救ってあげたという立場に立たなければならないのです。日本が反共国家になれば、韓国も生き残るのです。韓国を救ってくれるというのです。エバの使命はこのように大きなものです。(三四―七四)




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二.韓国の南北分断とドイツの東西分断

 今、全世界における民主主義と共産主義の分岐点は、東西に分かれたドイツと南北に分かれた韓国です。韓国とドイツにおける共産党を制圧するならば、民主世界はその思想も団体も、彼らが行く道の前に完全に屈服して従っていかなければなりません。

 ここが最後の決戦場です。ドイツよりも韓国がさらに中心地です。なぜですか。国家的な立場で見るとき、世界の代表国家は中共であり、ソ連であり、日本であり、その次にアメリカですが、この四大強国が韓半島を中心として角逐戦をしているからです。神様が保護されて、本当に情勢は絶妙につくられています。(八一―二一六)

 全世界の共産圏と民主世界の最後の運命を決定する所はどこでしょうか。ドイツではありません。ドイツは衛星国家圏と連結されています。サタンが見るとき、どこが一番よいですか。アジアにおいて神様の摂理が帰着し得る所は、サタンが一番恐れるのです。韓国を中心として見れば、ソ連が連結されており、中共が連結されています。その次に日本が連結されているのです。その次にアメリカが連結されています。このように四大強国が集中して韓国を望んでいるのです。このような地域は世界に一つもありません。ドイツはそうですか。(いいえ)。

 それゆえ、世界の民主勢力の運命と共産世界の運命を決すべき所は韓国です。中共が韓国を占領しようものなら、日本は自動的に占領されるのです。そのようになればアジアを全部中共が占領するのです。また、韓国をソ連が占領するようになれば、日本を自動的に占領するようになるのです。それゆえ、アジアの占領を巡って角逐戦をしているというのです。(八〇―三一七)

 結局は、韓国が今世界的な問題になっているのです。韓国とドイツ、今この二箇所が分かれているのは、西半球と東半球が、先頭と終わりが分かれたような立場にいるのです。これが現在、韓国とドイツの立場です。共産世界と民主世界が分かれた所は、この二箇所しかありません。

 この一つはアダム国家であり、一つは天使長国家です。韓国と西ドイツは、一つは横的に分かれており、一つは縦的に分かれています。一つは東西に分かれており、一つは南北に分かれています。これが一つに統一され得て初めて、共産世界を消化できるようになります。一つにしようとすれば、共産世界を収拾できる具体的な文化圏、主体的勢力圏をもたなければなりません。(八〇―一六六)

 皆さんが知っているように、今韓国の立場は全世界が注目する情勢に置かれている立場です。韓国の動きというものは、韓国自体だけでなく、全世界に影響を及ぼし得る段階に入ってきました。韓国が置かれていること自体を見たならば、民主と共産が一つの分岐点に立って、民主世界の勝利へと進み得る道をここで模索するのか、そうでなければ、共産世界が勝利し得る道が築かれるのか、という二筋道に立っているのです。ここで誰が道案内をするのかということが問題になるのです。(七八―二〇六)




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三.ベトナムは韓国の延長国家

 原理を見れば正分合作用があります。世界的に分けられた国は四カ国になりました。韓国、中国、ベトナム、ドイツです。しかし、ベトナムは韓国の延長国と見るのです。それゆえ、韓国が国軍を派遣してベトナムを助けてあげなければなりませんでした。それは、神様は韓国を滅ぼしてはならないため、作戦上、ベトナムに回ったのです。我々には分かりませんが、韓国とベトナムの国民は先祖の時代に兄弟の因縁をもっているのです。それゆえ、韓国とベトナムは結局、一つの国の延長です。

 そのように見たならば、韓国が分かれているのは、創造の原則である正分合作用によるものです。ですから、これを中心としてその母胎となる韓国が二つに、左右に分かれたのです。これが民主世界と共産世界です。これが再び合わさった国がどこなのかといえばドイツです。それゆえ、ドイツの問題と韓国の問題はある面では似通っています。そうですね? ですから、二つの国は相対的関係になるのです。それを見れば、この原理、原則を中心として世界は回っていっています。(六二―三二三)

 私はベトナムが緊急であることが分かったので、テュー大統領に会って話したのです。このようにしていては遠からず滅びると強力に忠告したのです。一九七四年に会って、今からでも強力な体制をもって、国民全体が犠牲を覚悟して総攻撃をしなければならないといいました。アメリカを信じるなといいました。アメリカを信じるなといったのです。(九三―八三)

 一九七五年にベトナムは滅びましたけれども、今回アメリカは韓国の問題を一時放棄しようとしたのです。アラスカから日本を経てフィリピンに行って、オーストラリアを経てインドに連結させるその線を中心として防御しようとし、韓国は放棄しようとしたのです。私はそのようなことを知っているのです。アジアにおいてベトナムは祭物になったのです。天が祭物に立ててインドシナ半島を共産圏に譲り渡し、クメールを共産圏に譲り渡し、韓国をくっつけるみ業をしたのです。

 そのようにして、アメリカは顔に泥を塗ったのです。韓国まで捨てれば、本当にアメリカは世界のどこに行ってもこれを……。それで仕方なく韓国を捕まえています。今そのようになりましたか、そうなっていませんか。(そのようになりました)。韓国は重要な土地なのです。神様にとっても重要です。(八〇―三一九)

 ベトナムでアメリカが負けましたが、ベトナムは武力でいえば、ベトコンに対して二十対一という優勢な能力をもっていました。そのような力をもっていました。それなのに滅んだのです。アメリカが逃げ出したのです。それはとても謎なのです。この者たちは二十八億ドル程度に該当する軍機を、武器をほうり出してきたのです。それは現実の問題ではありませんか。現実ではないかというのです。アメリカよ、これは本当に……。

 アメリカがベトナムから追い出されてきたことによって、今後、ソ連系のキューバにも追い出されると共産党は考えるでしょうか、考えないでしょうか。そのような宣伝をするでしょうか、しないでしょうか。ベトナムの例を見ても間違いありません。この世界が終末になったことを知らなければなりません。(九二―一三四)

 すべて滅ぼそうとするなら、アメリカはなぜアジアに手を付けましたか。ベトナムに何をするために手を付けたのかというのです。共産党に食べられるようにしなかったならば、すべての自由世界の人たちとすべてのアジアの人たち、アメリカの人たちが苦労も多く、犠牲にならなかったのです。十年、二十年、三十年前、解放直後にベトナムから手を引いていたならば、そこでベトナムの人たちはみな、既に共産党になって幸福に暮らしていたはずです。ところがそこに投入して戦わせて、ベトナム人たちを殺させ、アメリカの若者たちをどれくらい殺したのかというのです。どれくらい殺しましたか。アメリカは手を付けておいて、なぜ無責任に引き揚げたのかというのです。そうですか、そうではありませんか。このことを知らなければなりません。(九〇―三五)

 ヤコブは天使と相撲をするときに、もものつがいがはずれたにもかかわらず、ひたすら最善を尽くして戦って勝ちました。そうして天使が祝福してくれるとき、神様は喜んだのです。それと同じなのに、今日アメリカがベトナム戦争やサタン圏である共産圏との対決でいつでも後退したならば、これで神様の威信が立つでしょうか。だからといって、私は好戦主義者でもなく、戦争支持者でもありません。この巨大な国がベトナム戦争で、十分の一にもならないゲリラたち、何もないゲリラたちに五十万の兵力を投入しておきながら荷物をまとめて背を向けるのを見るとき、神様がいらっしゃるならば「ああ、お前たち見事だ」とお笑いになるでしょうか。そうだと思いますか。ミスター・文は除いたとしても、神様がそれを防備しなさいと主張されたにもかかわらずそのようなことをしていくなら、神様はこの国、この民族を信じられるでしょうか。

 彼らはそれで後退するのではありません。皆さん、いいですか。キューバを通し、メキシコを通して、またこのような業をすればどうしますか。そのようにならないという自信をもつことができますか。サタンは勝つ可能性があれば後退することはないのです。勝つ可能性がある所を見て後退する悪はいない、ということを皆さんは知らなければなりません。(五三―一八七)




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四.四大国家を中心とした復帰摂理の完結

 エバはカインとアベルに伝統的精神を継承させたのちに、アダムに帰らなければなりません。同じように、日本はアメリカとドイツを教育してから韓国の地に帰らなければなりません。それを成し遂げられなければ絶対に帰ることはできません。

 日本はエバ国家なので、ソ連と中共が機会をうかがって攻撃すればとんでもないことになるのです。このような観点から見れば、韓国の包囲問題は日本の運命を左右する問題です。摂理的観点でそのように結論づけることができます。

 それゆえ、韓国と日本を結ぶトンネルを早く掘らなければなりません。日本の一億二千万の人口を総動員してでもこのことをしなければなりません。我々はこのような重大な時期に入ってきています。

 今が先生が立っている復帰摂理において最後の終着点です。歴史的な蕩減条件として韓国、日本、アメリカ、ドイツなど四大国家を一つにまとめて祭壇に上げておき、神様の前に祭祀を捧げる歴史的な仕事をしています。これが最初で最後です。これを勝利すれば天国が出発します。

 既にアメリカではレバレンド・ムーンを支持する運動が起こっています。南米は完全にレバレンド・ムーンを歓迎しています。アフリカも既にそうです。アジアもそうです。アメリカにいる日本人も、「レバレンド・ムーン、レバレンド・ムーン」と言います。東洋人は気分がよくて、「文先生、文先生」と言います。中国人もそうです。

 反対される少数者が完全に一つになったので、今までの多数者は少数者になってしまいます。我々は数十年の迫害に対する怨恨を解くため、怨讐に報いることに精力をすべて消耗するのではなく、敵を救うために全体を消耗しなければなりません。これは神様の愛を中心とした素晴らしい思想です。我々はこのような思想によって一つになっていく決意をすべき時点にいます。

 これを成し遂げれば、ここで完全蕩減を成し遂げることができます。完全蕩減は完全復帰に通じます。完全復帰は何に通じるのでしょうか。完全完成に通じるのです。きょうのみ言の題目は「全体蕩減」です。この全体蕩減は、全体復帰完成を目標としています。四大国家を蕩減復帰すれば、神様によいものはすべて捧げることができます。よいものはすべてこの四カ国がもっています。韓国は偉大な精神と思想をもっており、日本は美しさをもっており、アメリカには強力な力があり、ドイツには精巧な頭脳と技術があります。世界をすべて統合しても余りあるものをもっています。全体的に見れば、そこにはさまざまなものが入っています。人に見立てれば各様、各色の女性と男性がいます。それゆえ、個人、家庭、氏族、民族、国家的な蕩減基準まで立てた基台の上で、このような世界蕩減基準を立てて、新しい天国の伝統的出発点を築けば、そこから地上天国が出発するようになります。

 このように、歴史的に怨讐国家である四カ国が集まって、その真ん中に神の国の伝統的中心点を立てて出発します。このようになれば、地上天国は遠くありません。地上天国はすぐ近くに近づいてきたということが、はっきりと分かりましたね。(一九八三・四・三)




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第六節 今後の韓国が行くべき道

一.歴史の念願が絡み合った韓民族

 第二次世界大戦当時、ユダヤ民族は六百万が虐殺される悲惨で困難な身の上を、選民思想によって打開しました。それで彼らは再び復興することができました。

 我が国もユダヤ民族と同じ悲惨な運命の歴史を経てきながら、天を裏切りませんでしたけれども、ユダヤ民族のような選民思想はありませんでした。したがって、「天が記憶なさることができ、天の前に誇ることのできる立場に立つことができるように誰が導いてくれるのだろうか。また、何をもって天がこの民族を記憶なさるようにするのだろうか」というのが、極めて重大な問題にならざるを得ません。

 したがって、我が民族にもユダヤ民族の選民思想以上のものが必要なのです。我が民族にそのような選民思想はありませんけれども、幸いにも「選民思想以上の思想をこの民族がもつことができたなら。歴史上に流されたこの民族の悲しい涙が人類に貢献できる、そのような涙になったなら。ひいては、我々の周囲にある強大国を凌駕できる力を育成して、輝く祖国を創建できるようになったなら」という念願は、我々の先祖の魂の中に深く根づいていたのです。そして、この根はある時になれば必ず生い茂って成長し、幹になって現れるはずであり、枝が出て、葉が出て、花がいっぱいに咲き、実を結ぶ時が来るだろうと私は確信しています。

 私は、このような歴史の念願が絡み合った一人の後孫として生まれてこの場に立ったので、過去の歴史時代の先祖の恨と涙を、自分が体恤できる道を自ら進んで歩んでいかなければならないし、我々の先祖が天をつかんで訴えてきたその基準の道を継承していかなければならないと考えます。ですから、どんなに越え難い受難の道が敷かれていたとしても私は克服していくつもりです。そして私は、たとえこの民族が分からずに反対したとしても民族を恨むのではなく、むしろ、この民族の明日を心配するのです。より次元の高い涙を流すことがあったとしても、天と因縁を結び得る道があったなら、民族の前にそれ以上に新しい歴史の基盤を整えることはできないものかと考えながら、さまざまな苦難と受難を顧みずに民族とこの国の明日のために生きる仕事をしてきたのです。(一〇九―二二七)

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二.韓国の劇的状況と民族の進路

 韓国は今、民主世界と共産世界の祭物になっています。共産党を赤龍といい、民主世界を白龍というならば、赤龍が北韓の地にかみついており、白龍が南韓の地にかみついている状況が韓半島の情勢です。もし、その赤龍、白龍がかみついて切断されようものなら、民族の運命はそれで終わるでしょう。けれども、もし切断されないならば新しい問題が起こるようになるのです。

 言い換えれば、我が国が共産主義と民主主義の双極、相反する両極の対立の決戦で、その状況を克服して自主的な主権国家としての権威と位置を構築できるならば、我が韓国は民主と共産に両極化されている今日の世界の現実において、世界を主導する国家として新しい文化を創建することができ、世界史的な新紀元を創出できる国家になるのです。

 今、韓民族を中心とした世界情勢は、民主と共産の二大陣営が綱引きしている形勢です。一歩過って踏み出せば共産世界であり、一歩動かしても民主世界です。朝夕に、いえ、毎時間ごとに、このような南と北が対峙した劇的状況を皮膚で感じられる地域はここ韓半島だけです。ですから、民主と共産が代表的に韓半島で休戦ラインを引いて劇的に出合っているのです。(一〇九―二二八)

 もう一度考えてみましょう。北側ではソ連がふさいでおり、西側では中共が、東側では日本がふさいでいます。これが韓国の地政学的な現実です。西・北側の大陸の強国が南進するためにその橋を必要としたのが韓半島でしたし、南側の日本が大陸を侵略するためにその橋として必要としたのが韓半島でした。このように、歴史的に痛嘆するしかない絶望的な悲運を負った民族が韓民族でした。では、今後もずっと韓民族はこのような周辺の強国から受難を被らなければならないのでしょうか。あるいは、いつかある時、積まれ積まれた民族の恨と鬱憤を昇華させ、周辺の強国を屈服させることのできる世界強国として現れることができるのでしょうか。後者の立場を我々が期待するなら、誰がこの民族の恨を解怨してくれ、民族の進路を提示してくれるのでしょうか。それは日本の助けを受けてできることではありませんし、中共やソ連の助けを受けてできることでもありません。それはひたすら、神様お一人に頼り、そのお方を中心としてこの民族を団結させて、ある力の母体をつくり出す方法しかありません。

 天を中心として、民族的な次元ではなく世界史的な次元で、正義具現と人類の平和のために闘争する歴史的な内容がなくては、この民族を救い出すことのできるいかなる内容にもならないのです。

 ですから、民主世界のキリスト教を中心として、一つの統一的な宗教的体制を模索しなければならないということを私は切実に感じていましたし、そのような仕事をするために今まで心血を注いできたのです。(一〇九―二三〇)




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三.共産主義を克服できる新しい宗教が出現しなければならない

 今まで私が何の仕事をしてきたのか分かりますか。私は今までこの民族の生きる道と、ひいては、世界人類が生きることのできる道のための運動を広めてきた人です。

 我が民族が生き残るために、そして、世界人類が生き残るためには共産主義を克服して凌駕できる内容と力量を備えて、共産主義を完全に消化できなければならないと信じてきました。

 そうするためには、何よりもまず、世界赤化のために日々膨張していく共産主義に対してお手上げのアメリカの政策を正しく導かなければならないというのが私の考えでした。今日のアメリカのように、世界の三分の二以上を浸食して、この時間にも引き続き世界赤化のために前進を続けているクレムリンの戦略戦術の前に、戦うことも考えずに屈服することが繰り広げられてはならないのです。

 今日の民主勢力の思想や能力では共産主義に敵対することはできません。したがって、この時代に何よりも切実に要請されるものがあるなら、第一に完璧な勝共理念であらざるを得ないのです。皆さん、今日の民主勢力の理念をもって共産主義を克服しきることができると思いますか。

 共産主義は、中世のキリスト教思想とローマ教皇庁の腐敗した文化圏を背景として発生したというのは、否定できない歴史的な事実です。それゆえ、共産主義が成長し得る基礎を提供した中世のキリスト教を根本として発展してきた民主主義の理念では、共産主義を克服できないというのはあまりにも自明なこととならざるを得ないのです。

 それゆえ、全世界のキリスト教を統一的に包括、消化して、新しい次元の思想を人類の前に提示しておくことのできる主体的な新しい宗教が必要だという結論が出ます。いわば、キリスト教だけではなく、全世界のすべての宗教までも統一させ、ひいては、共産主義までも消化できる主体的な思想をもった宗教が、混迷したこの時代に絶対的に要請されるのです。

 したがって、共産主義と民主主義がぶつかり合って対決する息詰まる現場で、民族の生存権守護を放棄して倒れるのか、あるいは、ここで輝く勝利を収めて民族の繁栄の道を築くのかということを考えるとき、我々は後者を選択せざるを得ず、そうするためには「勝共の韓国」とならなければならないということを私は早くに知ったのです。いわば、この民族の前に絶対的に必要なのが、共産主義を克服できる勝共理念を基礎とした新しい宗教の出現なのです。その道こそが、この民族が生きることのできる道だと私は考えたのです。(一〇九―二二九)




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四.今後韓民族が成すべきこと

 過ぎ去った歴史をたどってみるとき、今後韓民族が成すべきことは何でしょうか。これから天運と共に一つの世界史的な核心基盤を必要とする時を迎えて、伝統的な理念を世界の前に残さなければなりません。

 今まで「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)を数回開催してきながら因縁をもった、世界各国の碩学たちをたくさん知っています。彼らは私に協助しようとしているのですが、もし、私が韓国に国際的な大学をつくって、私との因縁によって、韓国を経験していくことを熱望するその世界的な碩学たちを韓国に呼び集めることさえできれば、韓国は必ず、世界を主導できる華やかな文化の花を咲かせることができるだろうと確信しています。

 皆さんもご存じのとおり、私は今まで絶対価値を主題とした「科学の統一に関する国際会議」を十年以上開催してきながら莫大な資金を投入しました。私はお金を惜しむことを知らずにこのようなことをしたのではありません。代々永久にわたって繁栄し得るこの民族の明日のために、人類の永遠の解放と平和のためにそうしたのです。

 悲運と受難によって点綴されてきたこの民族の恨が解かれるその一日、新しい世界の建設のための生きた道場たる韓国を中心として、アジア、ひいては世界の全域に神様の勝利の旗を高々となびかせながら、この民族が世界に堂々と立つことのできるその一日のためにそうしたのです。世界全人類が一つに糾合され、さらに、お一人の神様を中心とした神主義によって、武装されて統一された新しいキリスト教文化圏がこの地球上に出発し得るその一日のために、私はこのような運動を展開させてきたのです。

 私は遠からず共産勢力を完全にこの地球上から退治して、神様の善主権のもとに全人類の解放を讃揚するその一日が来るであろうという確かな信念によって、誰も分からない道を自ら進んで歩んできたのです。(一〇九―二五五)

 イスラエル民族は、その涙ぐましい受難の歴史の中でも選民思想をもっていたので、ゲルマン民族の迫害に勝ち抜くこともでき、アングロ・サクソン族を除去して世界舞台の上に先進的な文化を創造する国家として前進しています。ところで韓国は何をもって世界舞台に出ることができるのでしょうか。私は今まで、科学の統一に関する国際会議を中心として毎回絶対価値を主張してきました。十二回会議から確固たる組織を編成して、新しい文化革命を成し遂げなければならないと考えています。絶対価値を中心として宗教のすべての思潮を革新させ、キリスト教の神学体系をつくり直さなければならないのです。あらゆる経済体制も絶対価値の基盤の上につくらなければなりませんし、哲学やすべての学問も、またあらゆる文化形態も絶対価値の基準で分析し直して検討されなければなりません。このようなことは韓国を核として行い、広めているのですが、これは韓国が今後世界の歴史上で全世界の歓声を受けながら現れ得るという希望があるからであり、そのような事情を知っていたので、私は迫害を受けながらも気の狂った人のように飛び回っているのです。まさに皆さんの祖国であるこの韓国のためにです。

 皆さん、韓国に困難があったとしても、きょう文なにがしがお話ししたことを忘れないでください。そうして先祖を代身して明日の希望を受け継いで難局を打開していく愛国的な主導者になると、皆さんが誓うならば、大韓民国は絶対に滅びないでしょう。私が迫害の中でも滅びずに生き残ったように、大韓民国の民も私のように忍苦しながら国と世界のために生きていくならば、絶対に滅びません。

 そのようになれば、金日成は何年ももたなくなるでしょう。大韓民国が一つになって自主統一を成し遂げることのできる実力基盤をもつようになるとき、金日成は荷物をまとめて逃げ出すしかない運命になるのです。そして、世界共産党も落ち葉のように落ちていくのです。(一〇九―二五八)

 我が統一教会の指導理念は、国が安息する前に家庭が安息することはできないし、国が安息する前に統一氏族は安息できないし、国が安息する前に統一民族は安息できないというのです。我々の悲しみは国の悲しみと直結します。我々の家庭の悲しみは国の悲しみと直結するのです。皆さんはこのことを知らなければなりません。

 では、大韓民国が行くべき道は何でしょうか。大韓民国は外的な使命に責任をもっているので、経済の復興のために闘争していかなければならないのです。これがある限界点に達するようになれば、何をしなければならないのでしょうか。内的な精神問題を掲げて現れなければならないのです。(三〇―三二八)

 現在我が国は南北に分かれています。この三十八度線という境界線が、今後において我が民族が行くべき道の前に障害物としてふさがっていることを考えるとき、これは重要な問題にならざるを得ません。これを打開しなければならないのですが、解放以後、今まで我々が生きてきた態度と生活方法ではこれを打開できないのです。なぜなら、時日がたつに伴い、北韓は強力な軍事的な施設を整えて南韓をうかがっているからです。このような実情において、我々はより強力な精神的な結合と、より強力な闘志を備えなければ、難しい国運を打開していくことはできないという事実を考えるのです。

 これは単に、我が民族だけが望んだのでは三十八度線は解決され得ないのです。強力な共産主義の思想によって精神武装され、理念化された体制のもとで団結した共産国家と対決している我々韓国は、彼ら以上の精神的な団結と精神的な結合をし得る内容を備えなくては彼らを追い出すことはできません。そして韓国が単独で対抗していては、これを克服することはできないという事実を我々はよく知っています。

 このような観点から見るとき、この民族は大韓民国の単独的な立場にいるのではなく、この大韓民国をアジア諸国と世界とどのように連結させるのかということが問題です。ところが今、民主主義を主導しているアメリカが韓国から後退している時点であることを考えるとき、我が大韓民国は現在、緊迫した実情に置かれていることを考えざるを得ないのです。(四二―一四一)




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五.韓民族の生きる道と我々の使命

1 この民族の試練を克服しようとすれば

 それでは、皆さんが難関を克服するためにはどうしなければならないのでしょうか。必ず、み旨を愛し民族を愛さなければなりません。そのようなことを感じるときに、安逸に落ち着いて正常的な生活をし、正常的な環境に置かれている、そのような民族を考えてはなりません。そのような考えをするなら悲惨な民族になります。今は悲惨ではありませんが、今後に悲惨な民族になるでしょう。かわいそうな民族になります。皆さんはこのことを忘れてしまってはならないのです。皆さんの視野に現れたこの三千万民族の群像を見渡すならば、今この民族の行く道は輝く道ではなく、必ず前に陥穽がある道であり、抜け出すことのできない悲惨な運命を抱いていく歩みであることを考えながら、皆さんの内心に抑制できない愛の心と愛国心が燃えなければなりません。そのような危険な時になる前に、我々は盾となって、これに対備して克服できる基盤を先頭に立って準備し、あの者たちを刺激できる起源をつくらなければなりません。そのような心が、皆さんの生活感情に、あるいは、一日一日の生活圏内にわき上がらなければならないのです。

 またその次に、神様の摂理を中心として見るとき、神様はかわいそうな方です。今まで数千年の歴史路程を中心として背後で摂理し、キリスト教圏の版図を中心として民主世界の文化圏を形成してこられましたが、そこにある国々の中で神様が自分の事由を通して自分の主権を回復するために代わりに前に立てることのできる国家があるのかと言えば、ないのです。

 数多くの国と団体がありますが、そのような内容を中心として蜂起するとか、団結した立場で神様の命令を願う団体や国家があるのかという問題について見るとき、そのような団体や国家はありません。そのような国家はありませんし、一つの国家の理念を中心として、あるいは、一つの国の基盤を中心として天を代身していく群れもこの世界にありません。しかし、我々の団体だけは、全体に責任をもった立場で神様の前に一つの希望の基盤となり得るのです。そのようになり得る群れは我々しかいないという事実を考えるとき、神様がどれくらいかわいそうなお方かというのです。神様はかわいそうなお方です。

 それゆえ、皆さんの心の中には神様を愛する心がとめどなく燃えなければなりません。自分の生死が問題ではありません。自分が難しい環境の中で受ける、試練、苦痛が問題ではありません。恨みに満ちたかわいそうな神様の事由を解いてあげ、かわいそうなこの民族に解放の道を提示してあげるためには、残されたこの克服の途上を堂々と歩んでいかなければなりません。そのような闘志力を支えることのできる愛国、愛族の思想と愛天思想、天を愛する思想が、皆さんの心の中からとめどなくわき上がってこなければなりません。そのわき上がる力が強ければ強いほど、今後どんなに難しい試練が近づいてきたとしても、その試練を克服し抜くことができるのです。(四二―一四九)

 越えていくべき最後の境界線について見るとき、大韓民国だけでは民主世界の救援摂理も成し遂げられません。この世界には、お互いに行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることのできない境界線がたくさんあります。そのさまざまな境界線を崩して世界を一つの共同的な生活舞台にし、万民が福祉国家で生きることのできるその時まで、引き続き戦っていかなければなりません。どのような障害があったとしても撃破しなければなりません。そのようなものを考えてみるとき、我々の力が不足なことが恨なのではありません。神様を愛することができなかったことが恨なのです。

 本当の意味で神様を愛することができなければ国を愛することはできず、世界を愛することはできません。ですから、内的な基準を中心として、何よりも神様を愛さなければなりません。皆さんは統一教会の一員として行くべき氏族的な過程と民族的な過程を経て、国家、世界に向かっていかなければなりません。世界と国家の距離は遠いですが、その差異はいくらにもなりません。(二四―七三)

2 韓民族の生きる道は神様をつかまえる道しかない

 この民族に世界的な試練が負荷されているこの時、我々はどのような場に出なければならないのでしょうか。神様は町中にある惨状を眺め失望されるはずです。それゆえ、我々もこのような事実を通して神様の心情を所有しなければなりません。この難しい運命の中で、この民族が生きる道は神様をつかまえる道以外にはありません。イスラエル民族は切迫した状況で、希望のない環境で、神様をつかんで訴えました。その訴えが民族の罪悪史を蕩減し、未来に向かっていく神様と歩調を合わせたので、カナンの地に向かった荒野路程を出発することができたのです。(一三―二六六)

 韓国はかわいそうな国でした。今もかわいそうな国です。四方が怨讐に包囲されています。右にも行くことができず、左にも行くことができず、前にも行くことができず、後ろにも行くことのできない立場に立っているのです。ただ一つ行くことのできる道があるなら、そこから天に飛び上がるか、飛んで移るその道しかありません。

 このような死の峠の数々が我々の周りに、囲いを巡らしています。それゆえ、ここで神様をつかまえて神様と共に死に、滅び得る覚悟をしていかなければなりません。イエス様が神様と共に滅び、神様と共に死ぬ立場に立ったときに復活の役事があったように、この民族の運命もそのような運命を帯びていることを知らなければなりません。

 なぜ、そうなのでしょうか。第二イスラエル圏の歴史を相続した立場にいるからです。韓国はイエス様が民族的な十字架の峠を個人として越えたことを代身して、国家的な十字架を背負って越えていくべき運命に置かれているのです。(二八―二八八)

 韓国の実情を眺めてみるとき、韓民族は見込みのない民族です。何ももっていない、何か見いだそうとしても見いだすもののない民族です。では、この民族を救おうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。六千年の罪状を嘆息し、時代的な恨を嘆息しながら、もろ手を挙げてお父様を呼ぶことのできる一つの動きが現れなければなりません。そうしてこそ、この民族を救うことができるのです。

 では、ここにどのような人たちが動員されなければならないのでしょうか。今日の現実にあるクリスチャンたちは、我々の教会を迎え入れなければなりません。(一九―二五九)

3 神様の摂理の前に忠誠を尽くす奉献者となろう

 皆さん、過ぎ去った以前の自分自身を回顧してみましょう。先生と皆さんすべてが今まで悲惨な道を歩んできました。この三千里の至る所に、この山河の歴史的背景を眺めてみれば、我が民族は悲惨な民族でした。歴史始まって以来、他の民族から圧制を被り、侮辱を受け、彼らから追われてきた民族です。このような歴史的な背景をおもんぱかるとき、この地は歴史的な事由と歴史的な怨恨が結ばれている地であり、この民族は歴史的な悲しみを胸中にしまっている民族です。

 皆さんは故郷の山河を恋しがるでしょう? しかし、悲惨で歴史的な悲しみが宿っている故郷の山河だということを考えてみましたか。そこには忠臣烈士たちが悲惨に流した血と涙の時局が残っているのですが、彼らの悲しみを解怨成就しようという心をもってみましたか。そのような心をもって涙を流しながら彼らを慰めてみましたか。

 この民族は国運が悲運に置かれていたので、涙を流すしかない事由がありました。この民族を通して全人類を復帰しようとなさる神様のみ旨があるからには、三千万の倍達民族(韓民族)は神様の摂理の前に忠誠を尽くす奉仕者になり、奉献者にならなければなりません。しかし、今まではそのような人がいなかったのです。長い歴史について見るとき、これが我々先祖の恨となり、直接的に復帰摂理を主管してこられた神様の前ではもの悲しさを残したこの山河、この民族になったということを知らなければなりません。

 神様が数多くの民族を差しおいて、この国、この民族を訪ねてこられたという事実に三千万のこの民族は感謝し、讃揚しなければならないにもかかわらず、そのようにできませんでした。ですから、倍達民族(韓民族)の後孫として生まれた皆さんは、民族を代身してこの民族のすべての失敗に責任をもとうと立ち上がらなければならないのですが、そのような考えを少しでもしてみたのかというのです。(一七―二六七)

 皆さん、着ている服が惜しいですか。脱いで片づけましょう。宝物を持っていますか。虚空に投げ捨てましょう。

 それは天の前に出ていく際に、サタンの餌食になるということを知らなければなりません。善のために、血と汗を意に介さずに立ち上がるこれらの前に一寸の土地でも、一着の服でも提供するために眠ることのできない民族になりさえすれば、この民族は世界を支配するのです。

 今日、皆さんは時代を創造するために立ち上がったのです。天倫の革命の路程に新しい開拓者として立ち上がったのです。ですから、我々の体には開拓の血が躍動し、開拓の肉が躍動しなければなりません。眠るこの民族をつかまえて天上に向かって祈祷しなければならず、飢えたこの民族の慰安者になるためにあえがなければなりません。そのような皆さんになったなら、今日この時代に踏みつけられて追われたとしても、この民族の前に、この人類の前に必要なその日が間違いなく来るのです。

 我々はこのような群れが慕わしいのです。我々はこのような食口が慕わしいのです。我々はこのような人たちを糾合するために、すべてのものを犠牲にしていかなければなりません。そうして、父母が分からない者たちに父母を解明してあげ、兄弟の因縁を知らない者たちに、通説を打ち壊して霊界と肉界の限界を越えて、真なる兄弟の因縁を教えてあげなければなりません。そうして、「あなたが飢えれば私は食べることができないし、私が食べる時にはあなたも食べなければならない」という心情が、民族感情以上に、世界のどのような思想や主義の感情以上に強くなるならば、神様の解怨の役事は自動的に繰り広げられるということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。(一〇―一〇九)




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第四章 統一の根本理論

第一節 闘争の根本原因

一.堕落前の人間が成すことのできた一つの世界

 堕落しない人が一つに団結できる動機が何かというならば、一つの国、一つの世界、一つの宇宙を中心として完全に統一されることでした。統一されたそのような国で生きるすべての人には、神様を中心として一つになり、どのように幸福に生きるかということが一つのモットーにならざるを得ません。そこには分裂があり得ないのです。もし分裂したならば、それ自体の破綻はもちろん、国と世界に対して、あるいは神様に対して直接的な反対になり、直接的な被害になるのです。これはあまりにもはっきりとよく分かり得ることだと言わざるを得ません。結局、個人が立った立場は神様を基盤として世界を基盤として、その次には国家、民族、氏族、家庭を基盤とした立場でなければならないというのです。神様から世界に至るまで、全部が我々個人の基盤になるというのです。

 結局一つになれないということは神様を暴いてしまうことであり、世界を暴いてしまうことであり、国家を暴いてしまうことであり、自分の宗族を暴いてしまうことであり、自分の家庭を破綻させる結果になるというのです。これはあまりにもはっきりとしたことです。そのような立場にあるために、そこには分立というものがあり得ないというのです。どれだけ一つになったかということが全体の価値を代表する表象になるために、それを標準として一日の生活をして、生涯全体の路程を歩んでいかざるを得ないのです。これが人生であり、家庭、社会、国家観にならざるを得ないというのです。

 そうであったならば、神様を中心とした永遠不変の一つの主権国家が、主権の世界が形成されたのです。そして、その国家ならば国家を統治するところにおいては、必ず神様の指示によって治めることができる国になったのです。その国とその主権においては反対するものがあり得ないというのです。我々の体のような一つの構造になっているために、神様が頭ならばその頭に対してどのような肢体も反対できないように、一つの体系化された理想的な世界にならざるを得ないというのです。それゆえ、神様が喜べば我々人間は自動的に喜ぶことができ、我々が喜べば神様も自動的に喜ばざるを得ないというのです。

 暗い世界においては太陽を中心として、すべてのものが統一されるのです。それと同じように、一つの世界は神様を中心として、すべてのものが統一的な形状を描いていくというのです。もしそのような世界になっていたならば、神様を中心として生きる個人を皆さんが見たでしょうし、家庭も見たでしょうし、氏族、民族、国家、世界も見たのです。また霊界に行っている霊人たちと共に生きるのを見たのです。それゆえ、その霊界は別の国ではなくて一つの国だというのです、一つの国。そのような世界になっていたならば、その世界には戦争というものはあり得ません。今日このように混雑に言語も分立されなかったのです。(七二―二八六)




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二.相反した二つの目的をもった人間

 我々個人は、相反する二つの目的、方向をもった人間になりました。これは誰も否定できないのです。心は善なる所に行くことを願うのに、体はその反対に行けというのです。「私」という人は、間違いなく心と体が合わさってできていますが、この二つが闘っているのです。

 そうした個人、すなわちそうした男とそうした女が合わされば家庭になります。ところが内なる人と外なる人があるために、夫婦が会えば四人の型が起こり、別個の異なる行動をするようになるのです。もし一つの家庭に八人の家族がいれば、その八人の家族は相反した十六人の家族のような方向をもった家庭になるというのです。また一つの家庭を中心として見る時、家庭同士で相反した立場に立つようになるのです。このようにして一つの氏族ならば氏族、宗族ならば宗族、民族ならば民族、国家ならば国家、世界が分かれるのです。ところが有り難いことは数百、数千に分かれず、大きく二つに分かれたということです。これが不思議だというのです。

 それゆえ善悪の本質を見る時、それは根本的に違うということを知ることができます。善は全体の利益を追求するものであり、悪は全体もなにもないとして自分個人だけのために生きるのです。悪なる人には家庭も親戚も国も世界もないのです。その反面善なる人は私よりも家庭を、家庭よりも町内を、町内よりも国を、国よりも世界のためにしようとします。

 今まで歴史は、自分のために生きる面と人のために生きる公的な面を中心として、闘いで連結されてきたのです。神様がこの世の中を見る時は、この体を中心とした悪の根拠を破綻させて、根を抜いてしまうことが絶対的な要求なのです。その反対に良心やら何やらというものを無慈悲に破綻させようとするのが、サタンを中心とした悪の要求なのです。

 それゆえ、そのように闘いながら歴史を結んできました。良心を主とした神様の側と体を主とした、神様はいないと言いながらひたすら食べてみようという物質を主とした悪の側が対立して闘うのを見て、この世の人類はこのように唯物主義と唯心主義に分けられざるを得ないという結論を下すことができるのです。もし神様がいないならば、このような結果の世界は来ることができないのです。悪は嫉妬、分裂、闘争を強調して自滅を招来するようになるのです。

 このように見る時、理想や統一などというものはどこで展開されなければならないのでしょうか。結局は世界よりも根本に入っては「私」なのです。根本に入っては我々個人なのです。(五三―一一)

 我々個人をおいて見れば、二つの目的をもって生きているということを我々は知るようになります。心が願う目的がある反面、体が願う目的があります。体と心が歩調を合わせて行くのではなく、いつもお互いに闘うというのです。前後、あるいは左右にごっちゃになりながらお互いに闘うというのです。このように一生の間闘っているのです。これは我々自身はもちろんであり、過去に生きた数多くの先祖たちもそうでした。今後我々の後孫たちも同じなのです。すなわち、心と体が闘っているというのです。心は善を行えと体を促しています。かわいそうな人がいれば助けてやれといい、自分は困難でも多くの人のために犠牲となり、助けてやらなければならないと強調しています。しかし体はそれと反対の方向を取っていっていることを我々は知っています。

 そのような立場で我々個人が絶対的にしなければならないことが何かというならば、体と心が闘う自分自体内において、心を中心として体を完全に征服し、体の勝利の基盤を築いていかなければならないというのです。そのようにする前には、善を主とした一日の生活と、一年の生活と、あるいは十年の生活と一生を残すことができないのです。善だけを主とすることのできる「私」として、変わらない私にならなければなりません。そうした一人の「私」になることが何よりも重要です。(四一―五九)

 体と心が完全に擦れ違って体はこっちに行こうといい、心はあっちに行こうというのに統一できますか。皆さんの体と心は毎日のように闘いますか、友達としてうまく暮らしますか。(闘います)。闘う、闘う! すると皆さんはどちら側に立っていますか。両側に同じく立っています。体が好む方に行こうという一つのやからと、心が好む方に行こうという一つのやからがいるので、皆さんには二つのやからがいます。(五九―一七七)




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三.神様は決して二つの目的の世界をつくることはできない

 神様をじっと見れば、神様にも体があり、心があるのでしょうか。どうですか。その方は我々人間に似たゆえに、神様もあるべきものはみなあります。むしろ我々よりもっとたくさんもつべきでしょう。より完全なものをもたなければならないゆえに、神様も心があり、体があるというのです。

 さて、それではその神様に心と体があるならば、神様の心と体が闘うのでしょうか。夜昼なく闘うかというのです。闘うか、そうでなければ完全に一つになって喜ぶのでしょうか。どのように考えますか。神様の心と体があるならば闘わなければならないでしょう。なぜですか。我々人間に似たからです。私に似たからです。(笑い)それを考えてみましたか。なぜ神様の心と体が闘わなければならないのでしょうか。私に似たから神様の心と体が闘わなければならない、そのように結論づけるようになれば……。皆さん、なぜ笑いますか。気分がよくて笑いますか、よくなくて笑いますか。不思議で笑うのです。

 それゆえ、神様が人間に似たけれど人間と違う点は何でしょうか。神様も心があり体があるけれども、神様の心と体は絶対闘わず完全統一だというのです。一つなのです。それがそうできなければ、神様がこの世界をつくられる時、身体が喜ぶ世界をつくられたのであり、心が喜ぶ世界をつくられたのです。そのようになれば、神様が二つの目的の世界を創造されたという結果になるために、そのような神様は絶対的であり得ないというのです。これは理論的に……。

 それゆえ、神様において体と心は絶対に闘いません。さて、このように体と心が一つになった神様ならば、体の目的と心の目的が二つ合わさって二重性のそのような内容の構成を備えた、一つの目的観をもっている神様ならば、彼が願い、彼が好む物もそのように自分に似たものでなくてはならないのです。(七〇―四七)

 もし神様が二つの目的をもった人を造ったならば、その神様は論理的な神様ではありません。この地上に存在するものの中で目的なしに存在するものがないように、二つの目的をもっては生きることができないのです。二つの目的を同時にもっては存在できず滅びるようになります。(一八―三一九)

 今日の我々は存在物であることに間違いありません。皆さんが存在物であることに間違いない限り、皆さんは相対的観念を抜け出すことができません。それゆえ、主体と対象の関係において、縦的主体と横的主体がなければなりません。こうしてこそ理想が展開するのです。こういうことを皆さんが知らなければなりません。

 今日幸福や理想というものは、より優れた結果的な存在が形成されてこそ成立するのです。その結果的な存在というのは何でしょうか。個人も結果的な存在であり、家庭も家庭として結果的な存在です。あるいは社会も社会として、その国も国として結果的な存在です。その結果の追求することが、二つの世界になることはできないのです。その世界は一つにならなければならないのです。

 もし二つの世界を追求する主体がいるならば、その主体は頭が二つでなければならないのです。そのような主体は絶対的な存在になることはできません。原因的な主体が二つの結果を追求するならば、それは絶対的な存在ではありません。絶対的というのはただ一つです。完全な起源というのは二つではありません。一つを言います。それゆえ、一つの起源から始まった結果の世界は、必然的に一つでなければならないのです。これは不可避なことです。否定できないのです。(五九―七九)

 皆さん自身は一つですか、二つですか。二人ですか、一人ですか。(一つです)。うそです、うそ! 心はこのように行こうというのに、体は「ああ、私は嫌だ、このように行こう」と言うでしょう? 形は一つのようなのに内容は二つです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 それでは、誰がこのように造っておいたのでしょうか。絶対的な神様がいたずらをするためにそのように造ったのならば、そのような神様は狂った神様です。そうではないですか。神様がそのように造ったとするならば、神様はいないのです。これは二元論とか何とかという複雑な思想をもっても、今まで解決できずにいる問題です。そうでしょう?

 絶対的な神様がいて、その神様の思想を中心として東に行く人がいるならば、その人は絶対的な一つの目的を成し遂げるためのものとして帰結されなければならず、西に行く人がいるとしても、それもまた、絶対的な一つの目的を成し遂げるためのものとして帰結されなければならないのです。

 ところで我々自体を見ると、東西の方向のように、反対になる体の人と心の人がいます。(四七―二二)

 我々人間の始祖が堕落することにより、人間は善と悪の中間位置に置かれるようになりました。

 ですから善なる人にもなることができ、悪い人にもなることができるのです。一歩右側に行けば善なる人になることができるのであり、一歩左側に行けば悪い人になることができるのです。このように相反した二人の主人から相反した二つの目的に支配を受ける、我々個人個人であることを皆さんは知らなければなりません。

 「私」という存在を置いて見ると、私自体も私一人を中心として、思いどおりにできる自分になることができずにいます。自分自らの一念で年頭には一年ならば一年間、このようにしなければならないと誓いますが、願うその志は成し遂げられず、願わないことをより多くするようになることを、我々は日常生活で見るようになります。それで一年が過ぎ去ってから回想してみれば、その一年の中には後悔される時が多いことを感じるようになります。

 それはなぜでしょうか。私が願う所へ行かないで願わない所へ行くようになるのは何ゆえでしょうか。それは私が願う所へ行くように引っ張ってくれる力よりも願わない所に引っ張る、より強い力があるためです。そのようなものを皆さんが知らなければなりません。すなわち、「私」という個体は善と悪の中間位置に置かれているのです。善と悪の中間の立場に立っているというのです。それゆえ、私の個体は善の支配も受けるのであり、悪の支配も受けるのです。この二つの分岐線が皆さんの個体を中心として、連結されていることを知らなければなりません。

 ここで皆さんが考えなければならないのは、絶対的な神様が人間を造ったがゆえに、人間は完全に一つの目的を指向しなければならないということです。絶対的な神様の目的は二つになることができません。絶対的な神様が万物を造られたならば、すべての万物は大宇宙の目的を中心として、そこに和合するように計画して造られたのです。それゆえ存在する目的が二つになることはできないのです。一つにならなければなりません。(四一―五八)




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四.闘争の根本原因

 今日の世界をよく見てください。果たしていかなる世界ですか。愛の世界ですか。愛の世界ではありません。睦まじく平和な愛の世界ではなく、反目し、嫉視し、闘争する世界です。

 人間一個人の個体の内から心と体が闘争します。善を指向する本心の心と、肉身の欲望を追って悪を指向しようする体が闘争します。このように個体内から闘争する矛盾をもった人間であるがゆえに、その人間が成した家庭が闘争し、そのような家庭で成された氏族であるゆえに氏族が闘争し、その氏族で成された民族であるゆえに民族が闘争して、さらに進んで国家と国家が闘争するようになって、いわゆる戦争というものがこの地球上で休む間もなく起きているのです。

 しかし心から人間は闘争を願っておらず、戦争を願ってもいません。それならどうして願ってもいない闘争ばかりするようになったのでしょうか。堕落したためです。(一九八一・五・一〇)

 今日世界が左右両陣営に分かれて闘争するのは偶然になったものではありません。この世界は創造当時創造主が、もし人間が堕落したならば必ず経なければならない過程として、予想なさった世界に違いありません。もし人間の先祖が堕落しなかったならば、我々の目から見てもうんざりするこの世界を、地上に見ることはなかったでしょうが、堕落することによってこういう世の中になったのです。(一〇―三一一)

 堕落が何かというならば、統一性を失ってしまったことです。心と体が分かれ、すべての自然の運行法度と天倫的な運行法度と理念全体が分かれて、千万人が全部分かれたというのです。これを糾合するために時代時代を経てきながら、氏族ならば氏族、あるいは民族ならば民族を中心として帰一された何かを立ててくる役事を、天は今までしてきているということを知らなければなりません。(三―一〇五)

 歴史はみな戦争歴史で続いてきましたが、なぜ戦争歴史として続いてきたのでしょうか。それは自分たちの利益を追求する所から始まったのです。堕落の本源地がそうだったというのです。我が人類の始祖が、そのような動機を蒔いておいたがゆえに、歴史時代に生まれたすべての人々はそのような姿で生まれ、そのような実を結んだのです。(一六六―二二〇)

 歴史の出発が闘いで始められたがゆえに、歴史の終結も闘いで成されます。もちろん過程もそうです。どんなに自身を愛してくれる父母をもっており、自分が抱くことのできる国家をもっているとしても、心の安息の基盤を失ってしまったこの地の人類であるがゆえに、このような闘いを避けることができないのです。(三―五〇)

 戦争がなぜ生じたかということを考えてみる時、もちろん物質問題ではありますが、愛の問題、みな愛の問題なのです。他の国の人が我が国の人を愛さず憎んだところから生じたのです。全部そうだというのです。その国を憎む人はその国の王を憎み、王族を憎むのと同じです。そうでしょう? 皆さん、怨讐の国が滅びることを考える人がいるならば、まずその国の国民が滅びることを願いますか、その国の王が滅びることを願いますか。どうですか。アメリカを憎むようになれば、まずアメリカの大統領を憎むのです。

 結局大統領だとか、王家の王子とか王妃を憎むようになれば、そこから戦争が起こるのです。しかし好きになれば起こらないのです。だから戦争は愛の問題で起こるというのです。それゆえ、戦争というものは、息子、娘と彼らの相対的関係を拡大させる愛の関係で、愛の欠乏と蹂躙いかんによって起きることを知ることができます。(七二―二一九)

 今日全世界に生きている三十億人類は、誰彼を問わず、みな堕落した因縁をもって生まれました。その因縁はどのような因縁かというならば、離脱しようとする因縁です。統一され糾合しようとする因縁ではなく、分立し破壊しようとする因縁です。すべてのものを所有できる因縁でなく、喪失する因縁です。それゆえ、我々が原理を通して知るように、堕落した我々は神様のみ旨、神様の願い、神様の目的を失ってしまいました。(二一―九九)

 堕落によって人間はどのようになったのでしょうか。元来人間は神様と完全に一つになり、四位基台を成さなければならないはずでしたが、堕落することにより神様とアダムとエバと子女が分かれました。別々に分かれていき四つになってしまいました。本来一つにならなければならないのに堕落することによってみな反対に分かれました。これを統一させなければなりません。(一九―二〇五)

 戦争の中でも最も悲惨な戦争は、父母と兄弟が銃剣を互いに向け合って闘う同族争いです。同族争いの血を流す戦争はアダム家庭のカインからであり、それが宗族間の闘いとして拡大され今日に至っているのです。我々はこのような歴史を蕩減するために、宗族と宗族間の親睦を結ぶことができる基盤をつくらなくては、神様が理想とされる国が来ないということを知らなければなりません。カインとアベルが和合する基盤を立てなくては神様のみ旨が成されません。(一九八二・三・二五)




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五.核戦争よりもさらに恐ろしい戦争

 心と体の闘いは、大東亜戦争よりも危急で、核戦争よりももっと恐ろしい戦争です。その戦争は休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。我々の人生がこの地上に存続し始めたその日から終わる時まで、我々の心の底では休戦もなく戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を成し、氏族を成したのでもっと闘うようになり、このような民族と民族が合わさったのでもっと闘うようになり、国家と国家が合わさったのでもっと闘うようになりました。

 今までの人類歴史は戦争につながった歴史でした。ある一日も戦争が終わる日がなかったのです。その闘いの根拠地はどこでしょうか。体と心です。体と心が闘いの根拠地になることによって、個人、家庭、氏族、国家がそのようになったのです。(一九―二八七)

 世の中の戦争の中で最も大きい戦争は、欧州戦争や世界大戦ではありません。「私」を征服するための戦争以上に大きい戦争はありません。この戦争は六千年も続けているのに、今なおその闘いが終わっていません。終わりましたか、終わりませんでしたか。罪悪のふろしき包みばかりがより一層大きくなったのです。そうして六千年の罪悪の歴史が皆さんに集結されています。では、この罪悪の歴史を誰がひっくり返してしまうのでしょうか。皆さんではできないために、それよりも大きい力をもったメシヤが必要なのです。神様の息子が必要だというのです。(二一―一八九)

 皆さんが自分一個体を悪から救うことはどんなに難しいですか。現在の統一食口において問題になることは何でしょうか。体と心を中心として「私」一人を完全に解放させることです。これがどんなに難しく、その闘いがどんなに熾烈でしょうか。この闘いは米・ソが互いに競争しながらする闘いとは比較になりません。民主世界と共産世界が闘うことは問題にもならないのです。それよりももっと難しいというのです。この闘いは我々の個体が起源になっているというのです。

 このように、個人に二つのやからがいて闘うのと同じように、家庭も二つのやからで、社会も二つのやからで、国家も二つのやからで、世界も二つのやからなのです。これを族譜で問い詰めるならば、一つは悪の個人で、悪の家庭で、悪の社会で、悪の国家で、悪の世界であり、また一つは善の個人で、善の氏族で、善の国家で、善の世界です。このようにはっきり分かれました。一方は神様を主として一つの宗教圏内に立っている側であり、他の一方は神様を否定する物質圏内に立っている側です。人がそうだというのです。(四一―六三)

 世界のどのような苦難よりも、どのような災難よりも、どのような戦争の被害よりも、私の体と心の闘いによって生じた被害がより大きいというのです。心の敗戦による山のような悲しみの敗残物が積まれているということを皆さんは知らなければなりません。

 一日に何度も体との闘いで心がいつも負けているけれど、人々はそれを知らずにいます。しかし、道を歩いていて石の角に引っ掛かり倒れたことは、一年、いや一生の間忘れず「数十年前にここで私が倒れて足が折れたっけな」と、よく記憶しています。もう一度言うならば、心と体の闘いによって心が敗れたことは忘れてしまい、考えもしない人が多いというのです。

 こういうことを考える時、皆さんがいくら大口をたたいたとしても、それ自体は敗残兵の立て札を持っている姿だというのです。しかし、本来は心と体が闘って心が勝利することにより、いつも体を主管するようになっています。ところがそのようにできなかったゆえに、心と体がそれぞれ他の方向を追求するようになったのです。(一九―二八五)




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六.世界平和の解決基地は人間の体と心

 三十八度線で分かれたのは、南北が分かれたのはそこからではなく、人間の心から分かれたのです。心でそのようなものを立てたので、そのようなものが実を結び結果が出てくるのです。そうでしょう? (はい)。植えたとおり収めるのです。心的な世界の人と体的な世界の人が互いに対立し闘争するこのような現象を環境に……。人間自身に植えたものを徐々に広げて置いて見ると、今は世界時代になったので、それを全部一箇所に固めてみるとそれが何でしょうか。唯心史観を中心とした民主世界が出てきたのです。心的な表示の結果体として、世界型として実を結んだものが民主世界、唯心史観の世界でしょう? (はい)。唯心史観は心を中心とした世界の一つの観です。その次に唯物史観を中心として、体を中心とした人として実を結んだ世界的な結束的一つの形態が共産世界です。

 では、これをどこから解決するのでしょうか。今日アメリカが外交政策や軍事政策をいくら上手にしても不可能です。これは既に落第です。落第なのです。ソ連が民主世界を占領して勝ったとしても、体と心を一つにできる人になれない限り、ソ連自体もまた分かれるのです。間違いなくそのようになるのです。

 見なさい。今このソ連を、共産主義といえば世界主義です。世界主義であるにもかかわらず、一九五七年度に中・ソ紛糾が始まり、今はどのような政略や政策をもってしても、これを是正し合わせられなくなっています。合わせることができる道というものは、妄想時代圏内に入ってきたというのです。それは何を言うかというならば、分かれるようになっているというのです。

 この問題の解決点、平和の解決基地がどこかというならば、これはアメリカでもなく、ソ連でもありません。それを知らなければなりません。平和の解決基地はどこでしょうか。どこでもないですか。アメリカでもなく、ソ連でもありません。問題はどこにあるのでしょうか。私の胸の中でこのように二つ……。体と心が闘うこの人間の胸の中で、どのように平和の宇宙観をもち、幸福な平和の世界観をもつかということが極めて重大な問題です。(八五―三〇二)

 皆さんに一つ聞いてみましょう。皆さんの体と心が闘いますか、闘いませんか。(闘います)。それは平和ですか、闘争ですか。(闘争です)。これがいつ解決されますか。この戦争がいつ終わりますか。それを考えてみましたか。この世界の戦争がいつ終わるのでしょうか。そのような考えはする必要もないのです。私の体の中の戦争を完全にいつどのように終えるのでしょうか。それを終える時世界の戦争が終わるのです。私の体の平和が、世界の平和が成されるのと連結されるのです。

 聖書を見ると矛盾したことが多いのです。天国は私の心にあると言いました。その大きい天国が心にありますか。これはどういう意味ですか。心と体が闘わないで完全に宇宙の代わりとして存在するようになるならば、そこに天国が臨むのです。その天国は世界と通じるのです。連結されるというのです。(八二―一三四)




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第二節 統一の原形

一.統一のパターンがなければならない

 ある摂理的な主体がいれば、その主体が来て見て「人はこうでなければならない」ということができる型がなければなりません。人の中には男と女がいます。(板書される)これが男ならばこれは女です。この二人が合わさって人になるのです。それゆえ男と女になるべきこのような型がなければなりません。すなわち、二人が合わさって家庭を望むのです。

 そしてその家庭に対するあるパターンがなければなりません。世界的完成圏をつくるところにおいて、一つの家庭は世界を構成する付属品です。その付属品はどういうふうでなければならないというパターンがなければなりません。パターンがありますか。皆さんが暮らしている家庭において、「ああ! 天倫大道(天の大きなみ旨の道)を代わりに執行できる代表的家庭だ」と言える人がいますか。はるかに及びません。それから氏族ならば氏族も同じです。国家ならば国家において「天倫が願う国家はこうでなければならない」というあるパターンがありますか。

 今日共産主義国家も自分たちがパターンだといい、民主世界の国家も自分たちがパターンだといいます。パターンが二つあることができますか。二つあるところでは闘うのです。闘うというのです。どっちみち解決されなければならない重大な問題が残っています。この根本問題を処理しなくては解決されません。南北が何か宣言をしていますが、今なお根本問題、すなわち暴いて解決しなければならない重大な問題が残っています。共産世界が哲学を根拠として出発したゆえに、哲学的な闘争が今なお残っているというのです。結果からいくらしたところでだめなのです。原因と結果を打診して、その過程が正しい形態を備え、方向が一致するように分けて置かなくてはならないというのです。これが問題ではありませんか。

 それでは今日の世界を中心として見る時、「これは人類が願い、摂理の主体である原因者が願う世界のパターンだ」と言うことができる、その何かがあるのでしょうか。ありません。ないけれど人間はそれを探していくのです。より高次的なものを、より統一的なものを探していくのです。そうでなければならないのです。一つから出発したゆえに、一つから出発したものはどんなに伸びていき、どんなに多くなるとしても、後には一つに帰結されなければならないのです。(五九―八四)




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二.統一のパターンとして来られたイエス様

 統一された世界ができる前に統一された国がなければならず、統一された国ができる前に統一された氏族、統一された氏族がある前に統一された家庭、統一された家庭がある前に統一された個人がなければなりません。これが問題です。だから統一はどこからしなければならないのでしょうか。この世界は結果の世界であるがゆえに、その結果の世界からするのではなく、原因となる個人個人を中心として模索しなければならないという結論が出てくるのです。(五三―一〇)

 統一の道は、統一の原則は個人から家庭に、氏族に、国家に、世界に行かなければなりません。このような神様のパターンは主が来られてこそ始まるのです。(五三―七二)

 今日一つの世界、すなわち理想世界を成し遂げるためには、神様が個人として成すことができるあるパターンと、家庭を中心として成すことができるあるパターン、そして氏族と民族と国家と世界を通して成すことができる、神様が計画されるあるパターンがなければならないというのです。(五三―三〇八)

 神様が計画されたとおりに、体と心が個人的に完全に一つになり、家庭的に完全に一つになり、氏族的に完全に一つになり、民族的に完全に一つになって、世界まで完全に一つにつくることのできる代表者を送ってやるために選んだイスラエル選民の前に、長い期間約束して出てきたのがメシヤ思想です。神様がパターンとして待ちこがれた個人、家庭、国、世界を洗いざらいイスラエル民族と一つにさせて一つの国をつくり、神側の世界をつくって、この世界を救おうとしたのです。(五三―一四)

 イエス様が一つのパターンを成した男性として、体と心が完全に統一された男性として、統一された女性を迎えて統一された家庭をどのように成すのでしょうか。これを解決してこそ統一された国と世界が出てくるというのです。(五三―一七)

 統一的な世界のパターンとして来た個人イエス様は、そのパターンを中心として家庭的なパターンをつくらなければならず、氏族、民族、国家、世界的なパターンをつくらなければなりませんでしたが、それをつくることができずに逝ったのです。例えて言えば、イスラエルの国は主人が思いどおりにできる野生のオリーブの木の畑と同じでした。イエス様は、この野生のオリーブの木の畑に真のオリーブの木として来て、これをみな切ってしまい、神様の思いどおりに、個人から、家庭から、一つの国家を神様のパターンに接ぎ木しようとしたのです。そうすればイスラエルの国とユダヤ教団は真のオリーブの木になりますか、野生のオリーブの木になりますか。間違いなく真のオリーブの木になるのです。そのように国を中心として主権をもってユダヤ教と一つになり、世界的に宣教をしていたならば、今日の二千年のキリスト教歴史は必要なかったのです。

 しかし、体と心が一つになることができなかった人間世界の前に、一つのパターンとして、一つにつくるための統一の基本としてこの地上にイエス様を送ったけれど、イスラエル民族とユダヤ教は彼を十字架にかけて殺しました。神様のみ旨に反対するユダヤ教とイスラエルの国になってしまったゆえに、神様が数千年間立てておいた国と基盤はサタン側へ渡りました。こうしてイスラエル民族は二千年間、国のない民族として世界の数多くの民族の馬のひづめに踏まれ、呻吟する民族となり闘ってきたのです。

 このようであったイスラエルの国が一九四八年に独立しました。このように独立できる時が来たということは、再逢春(注:不遇に陥った人が幸福を取り戻すこと)し、新しく出発できる世界的時代に入ってきたことを、我々は察しなければなりません。そのようなことを見て、主が再び来られる時が近づいたということを、我々は推察しなければなりません。(五三―一五)

 もし主がこの地へ来られ家庭を成されるならば、堕落しなければ成し遂げたことができたそのような家庭をつくるのです。もう一度言うと、神様が家庭を立てて世界を統一できる一つの要所、一つの基盤は、メシヤが再び来て一致させてこそ可能なのであって、そうでなければ不可能なのです。それゆえ、今後メシヤが来なければならないというのです。(五三―七一)

 主は雲に乗って来てはならないのです。主は神様が願う一つの家庭を探すために来るのです。その家庭を探すためには、その家庭だけではだめなのです。家庭のためにできる氏族がなければならず、氏族のためにできる民族がなければならず、民族のためにできる国がなければなりません。一つの国を中心として成し遂げることができるパターンをつくっておかなくては、第三イスラエルの国を探すことができないということを、現在のキリスト教が知らなければならないというのです。(五三―一七)

 来られる主は我々人類の父母の立場にいらっしゃると同時に、家庭を中心としては父母の立場ですが、国を中心としては主権者の立場です。家庭を延長した型の国をつくらなければならないのです。

 それでは、その国をつくってどこへ行くのでしょうか。神様が願う一つの世界、すなわち一つの理想世界に向かって出て行かざるを得ないのです。(五三―七一)




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三.統一は真の父母を通して成される

 神様の創造目的とは何でしょうか。アダムとエバを造って置いて、ただ見るためではありません。男と女を造ったのは、男は男で女は女で、老いて死ぬようにするためではありません。彼らが成長して互いに異性に対する相対的な心情を通じて、神様を中心とした人類の真なる地上天国を建設するようにするためでした。神様を中心とした愛の巣をつくるようにするためだったのです。ここで男性のアダムは天を代表し、女性のエバは地を代表します。それゆえ彼らは二人であるけれど、彼らが横的に一つになれば天と地が統一されるのです。神様の愛を中心として二人が統一されてしまえば、天宙は自動的に統一されるのです。(二一―四五)

 人間始祖が神様を中心として一つになり、一つのモデルにならなければなりませんでした。そうすれば、神様の愛を中心として植えられた根は、体と心の基盤を築く根になるのです。このようになって、神様の愛のあとについて一方通行の道を行き、神様の理想世界へ突入するように人間を創造されたのです。

 この方向は愛を中心として行くのです。神様の愛で体と心が一つになった私、男と女がそのような立場に立って神様に従い、愛の目的に向かわなければならない人生行路が堕落によって歪みました。これを収拾するために送られた方がメシヤであり、救い主なのです。

 救い主は失ってしまった愛を探して救ってくれるのです。堕落することにより偽りの父母に会ったので、再び復帰するために真の父母として来られ、人間が到達できなかった愛の核を神様を中心として、神様の愛の圏内に入っていくようにする使命をもたれた方です。人類は真の父母を探し、夫婦を中心とした神様の愛の絶対的起源を再び探さなければなりません。この愛の核を設定するところから、人間のすべての堕落した世界にもたらされた悲しみと悲哀と苦痛、戦争、病気などを解決できるのです。(一九八六・二・一)

 家庭を中心とした心情の法度は、父母から子女に流れるのです。しかし、植えられなければならないこの心情が植えられなかったがゆえに、これを再び植えようとするのがほかでもない復帰歴史なのです。ここで男性の代表者がメシヤであり、女性の代表者が聖霊です。

 太初に新郎新婦が天理の原則に食い違ったゆえに、それを整理して本軌道に上げておかなければなりません。そうしなければならないみ旨が厳然と残されているので、神様は救援摂理をして来られたのです。

 人間が堕落することにより、神様は彼らを分散させた後、特別な摂理のみ旨を広げて精誠を集め、神様の前に忠誠する群れを集められたのです。そうして新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、この数多くの民族の中で代表的な責任を担って出た民族がイスラエル民族でした。それでイスラエル民族が世界的な主流民族になったのです。歴史は人類の始祖であるアダムとエバの基準を中心として発展してこなければならなかったのに、そうできなかったので、これが再現できる基準、理念を中心としたある基準が立てられなければなりません。その基準は、キリスト教が願う希望の基準にならなければならないというのです。すなわちそれはメシヤ思想であり、信者の立場から見れば新婦思想なのです。

 それではメシヤ思想はどのような思想でしょうか。世界のための思想です。世界を統一させることができ、家庭を統一させることができる中心は真の父母です。

 それではキリスト教の実は何で現れるのでしょうか。キリスト教は数多くの逆境の路程を経ながら、新郎新婦の基準に向かって出てきています。(一七―七六)

 歴史的な終末時代に、主はどのような資格をもって来られるのでしょうか。父母の資格をもって来られます。しかし、イエス様がこの地上に来られて父母の立場に立てなかったゆえに、すなわち栄光の中で神様に仕え、万民を代表して神様を慰労する生活的な基盤をもつことができなかったゆえに、メシヤは再び来られるものの、栄光の主として来ることができないのです。それゆえ、再び来られるメシヤは、イエス様がこの地に来られて完遂することのできなかったみ旨を継承し、実体をもって神様を慰安してさしあげることができる孝行の道理をまずしてから選択を受け、サタンまで屈服させて神様の前に栄光を帰することができる基盤を立てるまでは、真の父母の資格を備えることができないのです。(一七―七五)

 この世界が燦爛たる文化を成すことのできない暗黒の世界であり、混沌の世界であり、荒廃した世界だとしても、真の父母と因縁さえあるならば、この世界は平和の王国なのです。それゆえ、有史以来今まで数多くの民族は、その方を標準として思想的な集中と精神的な集中と生活的な集中をしてきました。神様は外的には一つの世界を指向する立場で引っ張ってこられ、内的には宗教を中心として一人の主人に連結させる歴史を引っ張ってこられました。(一七―七七)




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四.血統が変わってこそ統一を成すことができる

 それでは、サタンはどのようにして人間の体に侵犯し入ってきたのでしょうか。何ゆえに入ってきたかというのです。何の薬を使ったゆえに入ってきたのでしょうか。何の病気になったかというのです。これを知らなければなりません。原理で習いましたが、堕落したあとサタンの血統が入ってきたのです。サタンの血統に通じているというのです。サタンの愛を通して連結されたすべての原因と結果がもつれているためにそうだというのです。それゆえ、この体にサタンの愛よりも強い注射さえ打てば、サタンはさっと逃げるのです。神様の創造原則において、元来、体と心は何を中心として絶対的に一つになることができるのでしょうか。神様の真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、他の愛でもって一つになるようになっていません。

 人間が堕落したために何の木になったのでしょうか。野生のオリーブの木になりました。野生のオリーブの木になったというのです。ですから真のオリーブの木であられるメシヤが、必ず堕落した世の中に出てこなければならないというのです。その次にどのようにしなければならないのでしょうか。野生のオリーブの木の首を切ってしまわなければなりません。首を切ってしまい接ぎ木しなければならないというのです。芽はみな同じです。野生のオリーブの木でも真のオリーブの木でも芽を見ればみな同じです。真のオリーブの木の芽一つをもって、野生のオリーブの木のすべてのものを切ってしまおうとすれば、世の中の知らない人々は、世の中にこのような狂った野郎がどこにいるか、それと変えることができるかというのです。それゆえ、イエス様が「私の血と肉を食べない者は私とかかわりがない」とおっしゃったのもそれを意味するのです。

 野生のオリーブの木が、真のオリーブの木に接ぎ木をされた木になったのちは、サタンは関係なくなるのです。サタンとは関係ないというのです。それで接ぎ木した木は、ほうっておいても秋になれば全部この真のオリーブの木として収めるようになるので、天の国に、天国にそのまま入ることができるのです。それゆえ、これを切って接ぎ木せずには、再び生き返る道がないというのです。

 すべての宗教には、儒教教理だとか、仏教教理だとか、イスラム教教理だとかみな再臨思想があります。全部が「メシヤが来なければならない」と言い、それを願っているのです。したがって、神様の愛と一体となった体のメシヤが来て、それをみな接ぎ木することのできる世界運動圏が展開されることなしには、一つの統一された世界、統一という名詞は出てきません。宗教の教理がどうであろうとも、その教理で救いを受けるのではないのです。問題は、どのようにサタンを除去してしまうかということです。サタンを除去してしまってこそ天国に行くのであって、サタンを除去できなくては天国に行けません。サタンがついてくることができ、サタンの条件に引っ掛かっては天国に行けないのです。血統が変わらなければならないのです。血統が変わらなければなりません。(一六一―一六)

 統一の基盤は私自体ですが、私自体において、これは私一人では不可能です。血統の根がサタンであるゆえに、私一人でいては永遠にその木から抜け出ることができません。分かりますか。それゆえ、聖書では野生のオリーブの木になったと言いました。元来、真のオリーブの木になったならば、体と心が完全に一つになって、どの国、どこに行っても万民が楽しみ遊ぶことができる、誰でも好むことのできる人間になったのです。それにもかかわらず、どこに行っても悪くなれる人間になったのは、野生のオリーブの木になったためです。その根が、野生のオリーブの木の根がサタンになっているために、その結果であるすべての人類は、野生のオリーブの木の枝になり、葉になりました。それで今日人間は、闘う人間になったというのです。こういう根本を知らないために、ヘーゲルのような人は、人間をどんなに解剖してみても闘う人間であるから、弁証法という論理を探したというのです。(八六―三八)

 我々はサタンの血統を受けて生まれた自身であることを知らなければなりません。それゆえ、宗教は体が願うことを否定する道を歩いてきました。自分自身がサタンの血統を受けて生まれたことを否定するために、苦行の道を歩んできたのです。良いものを食べたいという体の欲望を否定するために断食をして、サタンの血統を受け継いだものを否定し、神様の愛のために夫の愛、妻の愛を捨て、子を否定しなければなりません。それだけでなく、サタンの愛を中心としてなされた家庭と社会、国家、世界を否定しなければなりません。世界全体を否定せずには神様の愛を受けることができないのです。

 今日統一教会とレバレンド・ムーンが出てきて、これを明らかにしたのです。それゆえ、統一教会を通じなくては、皆さんの体と心が愛の根を下ろすことができる道はないということを知らなければなりません。統一教会は神様の愛を中心として、民族、国家、世界まで愛の一つの根になり、枝になり、葉になって接ぎ木する役事をしなければなりません。接ぎ木するためには、世の中のすべてのものを切ってしまわなければなりません。それでイエス様は死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬと言ったのです。(一九八六・二・一)




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五.聖者とは体と心が一つになった人
 

 人間の体と心は毎日のように闘っています。体が勝つか心が勝つかという時、いつも心が体に負けるようになっているのです。これをひっくり返して心が体を征服できる、いつも心が勝つことができる私、そのように統一された私、絶対的な基盤の上においてその誰も支配できない絶対的な善の上に立った「私」はどこにいるのでしょうか。そのような私を願えないのが、今日の我々の人生行路だということを考えるならば、極めて悲しいことだといわざるを得ません。

 このような人間たちが、そのような歴史を編んできたし、今もそのように生きており、今後もそのように生きるだろうということを考える時に、ここですべてのものを清算して、それこそ生活全体が、悪と善を対比して取り出しても取り出すことができる悪がないということができる人、それが我々人間が願う最高の希望なのです。それにもかかわらず、そのような人がどこにいるかという問題をおいて見れば、それは探すのが難しいと見るのです。

 こういう観点から、結果として人間によってもたらされた悪が多いけれど、これをひっくり返すことのできる人間を発見することは極めて難しいというのです。これをひっくり返して人生行路において「悪というものがない。取り除こうとしても取り除く悪がない、善だけである」と言える人間がいないということを考える時、人間を通しては、そのような善の基準を立てることができる道がないと結論づけることができるのです。(五六―二三九)

 皆さんは自身を管理するのが非常に難しいのです。心はこっちへ行くことを願い、体はあっちに行くことを願うためです。東洋にはこのような格言があります。

 「人心は朝夕変わり、山の色は今も昔も同じである」このように心が朝に夕に変化するのに、どのように統一をするかということが問題です。

 それでは歴史的に有名な聖賢たちはどうであったかということを調べてみる必要があります。イエス様はどうしたでしょうか。孔子、釈迦はどうしたでしょうか。我々は一時間にも体と心が数百回回るけれど、聖者は体と心が一つ所にある人です。

 例えば女がいるとしましょう。イエス様も女を見て心がどうでしょうか。イエス様も男であるゆえに心が揺れ得るのです。しかし足を離さないでその場に立っていることにより、体は倒れないのです。しかし普通の人々は違います。普通の人々は手足がまずついて行くのです。それで体の衝動、心の衝動を自制できず倒れるようになるというのです。

 どんなに立派な人がいるとしてもイエス様以上にはなれません。イエス様は体と心が一つになったけれど、我々はそうできません。アメリカでは男と女が会えばどこででも愛し、思いのままキスをします。しかし愛は貴い場所でなされなければなりません。義人や聖人はメートル法的なキス、正常な形態のキスを願うのです。

 男女関係を中心として一例を挙げましたが、この地上に住む堕落した人間はそのように考えません。義なる人として新しい理想を追求しようとするならば、まず体と心が一つになるところから出発しなければなりません。個体が一つになることができなければ、理想を成し遂げるということもまた不可能だという結論が出てきます。(一九八三・六・五)

 皆さんの体と心が神様の愛を中心として生きていかなければなりません。ご飯を食べる時も神様の愛を中心として食べ、考え、活動をする時も神様の愛を中心としてしなければなりません。体と心が神様の愛を中心として生きる人にならなければなりません。

 ところが皆さんの体と心が怨讐になっています。神様の愛を中心として根を下ろさなければならないのに、サタンの愛で先に根を下ろしたためです。そこから体と心が分かれて闘っています。(一九八六・二・一)

 神様の創造理想はカインがアベルの兄さんになることであったのに、堕落することによりアベルが神様の長子圏に立つようになるのです。これを蕩減復帰してこそ天国理想が立てられるようになるのです。堕落した世界では体が心を支配していました。体が心を支配するために、人間世界に闘いが絶える日なく起きており、不義と不道徳な社会が続いてきたのです。堕落の世界では心の前に体が絶対に服従しないためです。

 心と体が一つになれないために、個人は体と心が闘い、父と母が闘い、父母と子が闘い、民族と民族が、国家と国家が闘っています。人間世界から闘いをなくそうとするならば、心と体が一つにならなければなりませんが、そのためには真の父母を迎えて接ぎ木されなければならないのです。今日の人類は、父母を迎えて神様の愛で誤った部分に対して矯正を受け、新しくならなければなりません。そうでなくては自分自らを治められず、闘うことを中止させられないのです。(一九八六・一・一)




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第三節 心と体の統一方案
 
一.神様が宗教を立てられた目的
 
 今までは堕落した人間の心と体が闘ってきましたが、その比率がお互いに似たり寄ったりでした。その比率が十対八程度でした。体が対している環境は世界全体と接しているけれど、心が対すべき道は一つの道しかありません。堕落した世界に対する人間の体は、時々刻々に環境に占領されてしまいましたが、心は一つの道に従って出てきたのです。それゆえ、現実世界は現れる結果を取り締まって出てくるのです。

 悪いことをしようとする時、心に恐怖が来るようになります。そうしていて、そのことを行うようになれば、今まで積んできたものが崩れます。これを見る時、心は肉身の行動を一番最初から、序盤から干渉するけれど、終盤に至っては肉身に支配されるのです。それゆえ、外的な比率で見れば十対八程度ですが、環境ゆえに心がいつも押されて出てくるのです。

 それでは神様は宗教を立てて何をされようとするのでしょうか。外的な環境に対比される恩賜を与えようとされるのです。与えるのには、ただ与えてくれるのではありません。精誠を捧げれば与えてくださるのです。その国の国運を左右する君主が精誠を捧げる以上の精誠を捧げなさい。命を懸けて精誠を捧げなければならないというのです。

 精誠を捧げるようになればどのようになるのでしょうか。神様の恩恵が来るのです。祈祷生活をしてみた人は分かるのです。祈祷生活をするようになれば、大きくて偉大な力が来るのです。ですから祈祷する人の目はその力によって、肉界だけでなく霊界までも透視するのです。

 神様は超自然的な実体の理念圏を人間に因縁づけてくださるために、宗教的な基盤を中心として摂理してこられました。人間の本質的な感情を刺激させて、そのような圏内へ行けるようにする欲求を起こすのです。そうして人間を超現実的な善に連結させようとされるのです。そのようなことをしてきたのが宗教です。

 それゆえ、信仰人は、殉教するようになって首が切られたとしてもよいとして信仰の道を行くのです。現実的な感情を超越できる超現実的な感情を実質的に、広範囲に感じるために、彼らが死線を越えながらもその道を行くのです。だからこの道を行く人々は、千万ほどの力を八千万ほどの力に増大させなければなりません。そこに神様を迎えて力を増大させ体を打てというのです。

 闘うのには力が勝敗を決定します。宗教は世の中での体の欲望と社会の要求によるすべての一切を防ぐのです。それゆえ、現実的な全体を否定して出てきた宗教こそ純粋な宗教であり、理想的な宗教だということができます。

 宗教は否定するのです。それゆえ、全部捨てなければなりません。食べることも捨て、寝ることも捨て、好きなことをみな捨てなさい。情欲、食欲、睡眠欲を捨てろというのです。食べて寝て、好きなことをみな捨てろというのです。人は本来食べて寝なければなりません。そして好まなければなりません。ところが、そのすべてのものが肉身を通して死亡の行路になったので、これを追放しろというのです。体に爆弾を爆発させろというのです。粉々にして全部占領しろというのです。体は高められることを好み、楽な位置を好みます。またごつごつしたものは嫌い、ぽちゃぽちゃし、すべすべし、ふかふかしたものを好みます。我々はこの体が好むことを好んではなりません。

 ですから我々はまるまるしたもの、ごつごつしたもの、固いものなど、体が好むものと反対のものを好まなければなりません。体は高まることを好み、他人のお金を奪ってでもよく食べることを好みます。他人はどうなろうが、自分が豊かに暮らせれば喜びます。ですからそのような根性を全部たたき壊さなければなりません。高まることを好む体を低くしなさい、温柔謙遜になりなさい、犠牲奉仕しなさいというのです。(一八―六六)
 
 人類歴史に宗教が必要ならば、その宗教によって何をしなければならないのでしょうか。肉身を征服しなければならないのです。なぜなら、肉身によって歴史が滅び、肉身によって社会が滅び、肉身によってこの人類が滅びたためです。したがってこの肉身は怨讐の母胎であり、罪悪の根本の根だということを切実に感じなければなりません。

 このように体を打つことが今までの宗教の根本なので、イエス様は四十日断食を通じて凄惨に体を打たれたのです。体は高まることを願い、前に進み出ることを好むのに、宗教は体に服従し従順しろ、死んで祭物になれと教えます。全部反対に教えます。なぜそうなのでしょうか。それは心を打つためのものではなく、肉身を打つことにより世界的な綱を渡って出るためです。(一八―三二二)




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二.一心統一は我々の人生において絶対に必要

 「一心統一」、すなわち「一つの心で一つの統一を成し遂げよう」ということです。これはある国家の主権者がいればその主権者も願うことであり、ある団体があればその団体も願うことです。

 また、これはある制度を実行しようとする人がいればその人も願うことです。心が統一されなくては、その制度を通して成そうとすることが成されないというのです。この一心統一は我々の人生において、一日の生活から一年の路程、さらに進んでは一生の路程、全歴史路程をおいて見ても、必ずある目的に向かって進行する過程に、絶対的に必要だという事実を我々は否認することができません。

 個人個人が一日の生活を営むところにおいても、朝家を出る時は一つの心であったのに、夕方帰ってくる時は二つに変わっているならば、一つの目的を成すことができないのです。このように見る時、今日我々が生きているこの社会、今皆さん自身が接している生活環境が、一心となった環境を備えているのでしょうか。そうでないことを我々は知っています。皆さん自身も、一日にも心が彷徨し、いろいろな方向に変わるのを感じるのです。

 心が変わるために行く方向が変わるのであり、行く方向が変わるために目的が変わるというのです。心が変わって一つの目的を達成するということはあり得ないことです。心が一つになっても目的を成し遂げるのが難しいのに、二つの心をもって一つの目的を成就するということは、ますますあり得ないことです。

 このようにすべてのことを見る時、一つの心が必要なのです。朝の心と昼の心と夕方の心が一つにならなければならず、初年時代の心と中年時代の心と末年時代の心が一つにならなければなりません。

 このように誰でも一つの心をもって始めて、一つの心をもってその過程を開拓して、一つの心を中心として結束された結果を追求するその期間が長ければ長いほど、その人の願う目的も大きいのです。

 我々は一つの心をもたなければなりません。ある目的を追求するところにおいても、一つの心をもたなければなりません。一つの心を離れてはその目的を成し遂げることができないのです。こういうことを見る時、神様は二つの心をもって天地を創造されなかったことを知ることができます。一つの心から始まって一つの目的を達成するためには、一つの方向を備えた過程を経なければならないようになっているにもかかわらず、今日の人間は一つの心の形態を備えることができずにいます。(二八―一五四)




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三.心と体を統一させるための二つの方案
 
 本来人は神様を中心として生まれたのですが、堕落することにより二人の主人をもつようになりました。人が二人の主人をもつようになりましたが、どのようにもつようになったのでしょうか。血統的に変わったというのです。それゆえ、まず宗教がしなければならないことは、心と体を統一させることです。ところで何を中心として統一させるのでしょうか。天意を中心として天情に従い、心が一つになった基盤の上で体を屈服させなければなりません。宗教は体を屈服させる方案を教えてくれるのです。(三八―二六九)
 
1 体を主管できる一番目の方案
 
 それでは心と体を統一させるための一番目の方案は何でしょうか。体を打つのです。体を打てというのです。体がしようということ一切を完全に否定するのです。どの程度否定しなければならないのでしょうか。完全否定しなさい。死んだという立場まで否定しなさいというのです。それでイエス様が「死のうとする者は生き、生きようとする者は死なん」と語られたように、このような逆説的な論理が適用されるのです。

 体が完全に死んで心化され、心が完全に生きている形態の立場に立つことができなければ、一つに完成することができません。もう一度言うと、体を完全に殺そうとする人は心が完全に生きるのであり、心を殺そうとする人は体は生きていても完全に死ぬというのです。それでイエス様が「死のうとする者は生き、生きようとする者は死なん」というみ言を語られたのです。

 またイエス様は「誰よりも私を愛さなければ私の弟子になれない」と語られました。これは誰よりもイエス様をより愛せというみ言なのです。父母よりも、兄弟よりも、妻子よりもよりイエス様を愛せと言われたのです。なぜでしょうか。イエス様は神様の前に天情の代表者として来られたので、天情と遠く離れている人間に天情を連結させるためには、この世的な肉の情を中心としてはならないためです。父母や妻子や兄弟は肉の情を中心とした関係です。この肉の情を切らなければ天情に従って行くことができないために、天情に従って行こうとするならば、この肉の情を否定して行かなければならないというのです。それゆえ、自分の父母よりも、妻子よりも、兄弟よりも神様をもっと愛する人は天国に行くことができるのです。

 天国に行くことができる基準とはどのようなものでしょうか。天国に行くことができる公式的な切符をどこで受け取るのでしょうか。自分のお母さん、お父さんよりも神様をより愛し、自分の息子、娘よりも神様をより愛するところで受けるのです。そうでなくては天国に入ることができないというのです。

 天国に入ろうとするならば肉の情を除去しなければなりません。第一の目的は強制的にでも打って捕まえろというのです。それゆえ、宗教は「温柔謙遜であれ」と教えるのです。それでは体が温柔謙遜するでしょうか。体はしきりに上がろうとし、驕慢であろうとします。食べさせてやればしきりにもっと食べようとし、休ませてやればしきりにもっと休もうとし、「ため」にしてやればしきりにもっと「ため」にしてくれといいます。したがって体は悪の基であり、悪の根だというのです。悪と善の根が変わったというのです。

 それゆえ、この悪の根を抜き取らなければなりません。そうしようとするならば、体がしようというとおりにしては絶対ならず、悪い所へは行ってもならないというのです。そのようにしなくては、天道と天情の道理を越えられないのです。人情と人道はすべてのことでサタンと悪を中心として出発しやすいために、これを否定しなければならないというのです。

 悪を否定できる第一の方案は肉身を拘束することです。それで断食祈祷をしなさいというのです。断食祈祷をしながら精誠を込めれば、体の気運がすーっと抜けて動くこともできなくなります。そのようになれば心が体を支配できるためによいというのです。その次には犠牲奉仕するのです。自分を殺せというのです。これは全部肉身が嫌う行動です。それゆえ、真の宗教は肉身とのすべての関係を否定する所から出発するのです。そのような結論が出てきます。分かりますか。

 皆さん、すべての宗教の経書を見てください。よく食べ、豊かに暮らせという内容がある経書がありますか。そのような経書は一つもありません。宗教は犠牲奉仕、温柔謙遜しろと教えます。それゆえ、死にながらも人のために福を祈ってやることができるのです。これは体ではできません。そのようなものが肉体を打ち捕まえる業だというのです。

 心と体が対等なために闘うのです。ゆえに体を弱くすることにより心が勢力を得て、弱くなった体を数カ月間引っ張って越えていくようになれば、体を再び上げておいても上がってこれないように習慣化され、その次からは心がしようというとおりにせざるを得なくなるのです。このようにつくっておけば、自分が計画するすべてのことが天の助けによって、うまくいくことを体験するようになります。このようになれば、そのままにしておいて、元に戻れと言っても戻ることができないために、良心を主として一つの絶対的な立場で生涯を結んでいくようになるのです。これが宗教生活の目的です。(三八―二七〇)
 
2 体を主管できる二番目の方案
 
 その次に体を主管できる二番目の方案が何でしょうか。心と体が似たり寄ったりだから闘うというのです。レスリングの世界チャンピオンと幼稚園の子供と相手になりますか。それは争いになりません。結局お互いが似たり寄ったりなために問題になるのです。それで二番目の方案は心に力を吹き込むのです。分かりますか。心に力を吹き込まなければならないというのです。この二種類の方案以外にはありません。

 それならばあらゆる精誠を込めなければなりません。精誠を積みあげれば心の門が開きます。その心の門が開きさえすれば、とても強力な力が出てくるために、体のようなものは問題にもならないのです。皆さんはそれを知らないのです。心と体が似たり寄ったりなので、心の力が体の三倍にさえなれば体は問題になりません。体をそのまま置いておいても問題にならないのです。したがって心に力を圧縮させて、体を一時に引っ張っていくことができなければなりません。それゆえ、道の世界では精誠を込めるのです。

 皆さんは道通するという言葉を聞いたのです。道に通じるようになれば心から強力な力が出てきます。それゆえ、体がしようということをすればするほど、むかむかと気分の悪いにおいがするというのです。考えただけでもとても気分が悪いというのです。道に通じた人は、心に強力な力が来ることによって、そのまま置いておいても体は心がしようというとおりにするというのです。このような二つの方案以外には、体を調整する方案がありません。それで神様は、体の支配を完成するために、このような作戦を繰り広げていらっしゃるということを確実に知らなければなりません。

 これが今までの宗教の教えです。したがって統一教会も今そうした公式どおりに出ていくのです。このようにするようになれば、自然に人間として行くべき高次的な立場、神様の愛を中心とした神様の息子であることを自ら自覚する立場に入るようになるのです。そのような立場に入るようになれば、一つしかない神様の愛を受けることができるために、釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったように、自分の権威に及ぶ人がありません。独りで自らの価値を称賛できる栄光の立場に入るようになるのです。もう一度言うならば、神様の愛を独りで受けることができる息子になり、神様が造った被造世界と神様と関係しているすべてのものを自分のものとして相続できるようになったので、独りで高いと自覚する立場に入るのです。このような立場にまで行って神様の愛の圏内で生きるために、探していく道が、人間が行かなければならない道です。(三一―二七二)
 
3 心と体を統一させる方案
 
 人の心と体を統一する方案は二つしかありません。一番目には、この体を粉々にしてしまい占領する方案であり、二番目は体を打たないで統一する方案です。

 それではどのようにしなければならないのでしょうか。今まで心はほら吹きのように、一回も体と対等に闘ってみることもできずにいつも負けてきました。それは心の力が弱いためです。ところで、この心に注射を打って力をおよそ二、三倍くらいに増やすならばどうでしょうか。そうすれば体を引っ張っていくことぐらいは問題にならないのです。熱心につかんで引っ張りながら行くことができるのです。自動車のチューブに空気を強く吹き込めば大きく膨らむように、心にも力を強く投じればどのようになるでしょうか。力が強くなるでしょう? そうした後でこの心と体が闘えば誰が勝ちますか。このように容赦なく体を打って占領する方案と、心に力を加える二つの方案があるのです。(一八―三二八)
 
 体と心をどのようにして一つにしなければならないのでしょうか。統一、どのように一つにするのかというのです。一つにする道は二つの方案しかありません。体を絶対に身動きできないように拘束して引っ張っていくことと、体にいくら力があるといっても、その力よりももっと強い力を心に投じて引っ張っていくのです。この二つの道しかありません。宗教はこの二つの道を追求するために、体を抑制し体を拘束して、その次には祈祷を通して力を受け、その強力な力によって体を引っ張っていこうとするのです。宗教生活をする人はそれを日常生活で体験するのです。どんなに力がなくても神霊な役事さえあれば、天の霊が臨めば力が出てくるのです。(一六一―一五)




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四.体と心の統一の基準は愛

 統一の基準とは何でしょうか。何が統一の基準になるかということを皆さんが知らなければならないのです。それは愛を中心としてなるのです。人は二重構造になっているというならば、愛を中心として一つは上のもの、一つは下のものです。そのように見るならば、霊的な心は上のものであり、体は下のものになって、一つになって共鳴するのが愛だというのです。

 それゆえ、皆さんの体と心の中には誰が入っているかというならば、神様が入っているのです。皆さんの体と心が一つになれば、神様が臨在されるというのが原理の教えなのです。それでは神様がなぜそこに臨在されるかというのです。人の体と心が一つになれば、必ずそこには、一つになる原則は愛から始まるために、相対的愛があるために臨むという論理が成立されるのです。

 「人の体は神様の聖殿である」とこのように言います。聖殿はどのような所ですか。仕事をする所ですか。どのような所ですか。聖殿というならば安息所という言葉と通じます。それでは休むには何の中で休みますか。愛の中で安息するのです。聖殿とは何でしょうか。神様の愛の中で休むことができる所です。我々人間が願う理想があるならば、そのような内心的基準が最高の理想の基準ではないですか。これを知っているのです。そうした心の愛をもった所を心情の世界というのです。それはわき出る泉の水と同じであって、くみ出してもくみ出しても終わりがありません、終わりが。なぜでしょうか。神様がそこにいらっしゃるから終わりがないという、このような論理を我々は立てることができるというのです。皆さんもそのような人になれたらいいでしょう? (はい)。

 そのような人を見れば、泣いていた人も口を開けて喜びますか、ああと言ってもっと泣きますか。(喜びます)。泣いていた人も、近くに行けば行くほどその懐に抱かれようとして泣きやみ、恐ろしい顔つきの人も笑おうとします。じっとしていた人も手を動かそうとする、自然にそうになるというのです。それがいいですか。(はい)。それゆえ、愛がなくては体と心が一つになる道がないというのです。これを我々は知らなければならないのです。(九一―七七)

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五.真なる愛だけが体と心を一つにする
 
 さて、愛がある所では上がってもよく、下がってもよく、中間にいてもよいという論理が成立されます。愛する夫が自分より高いといって嫌い、愛する妻が自分より低いといってそれを憎みますか。一つです、一つ。一つになれば思いどおりに低い所から高い所に上がることもでき、高い所から低い所に下がることもでき、中間にいることもでき、どこでも行くことができます。ここは制裁がありません。そうですか。(はい)。

 今世の中では「この世界は一つの世界でなければならない。統一の世界でなければならない。平和の世界でなければならない」と、このような話をたくさんします。

 それでは一つになるのに、力を込めながら「やあ」と言えば、「やあ」と、このようにして、力で一つにつくるのでしょうか。でなければ何かの組織力をもって、近ごろは何の組織社会だから、強力な組織力で一つにつくるのでしょうか。または、ある思想を中心として一つにつくるのでしょうか。そのようにできる一面はあるかもしれませんが、それは我々の本性として、体と心がみな歓迎をして、これでなければならないという、そのようなものは絶対できないというのです。体と心が「これがよい。このようなものは私が願うものだ。これは永遠な理想の基準で、私が仕えて生きることができる」と言えるようになっていないというのです。それはお金でもだめで、知識でもだめで、何でもだめだというのです。

 それでは、一つになることができる根本とは何でしょうか。高い人も低い人も、東洋西洋はもちろんで、黄色人種でも白色人種でも黒人種でも、誰でもみな好むことができるものが何でしょうか。それは愛です。真の愛で一つになること以外にはないというのが、最後の結論であることを皆さんは知らなければなりません。私の体と心が親しくなり、一つになって喜ぶことができるものは、そのようですか。(はい)。お金を見て体と心が喜びますか。それは永遠に喜べないのです。

 我々の五官がみな集中して、一つにぴったりと固まって、笑って踊りを踊ることができるものは、真の愛の理想郷以外にはないという結論です。それをその誰が否定しますか。否定すればそれは人ではありません。それゆえ、霊と肉が、我々の心と体がすべて一つになることができ、共に共栄できるのは真の愛の境地以外にはない、という結論を下すことができるというのです。(九一―一四一)
 
 私自体のこの心と体が、いつ一つになることができるのでしょうか。これが問題です。お金をもってしてもだめで、権力をもってしてもだめで、すべての知識をもってしてもだめで、考えでもだめです。絶対だめです。それでは何をもって一つになれるのでしょうか。神様の愛ならば一つになることができるというのです。このような結論が出てきます。全知全能な神様の愛ならばそのようにできる能力がなければなりません。(九四―二六三)
 
 霊と肉は本来真の愛を中心として一つになるようになっているのであって、偽りの愛を中心として一つになるようになっていません。それゆえ、真の愛の起源を探すことなしにはこれが一つにならないというのです。それが最も理論的なのです。その立場を皆さんが越えて、天が祝福してくれる、その祝福を願って行かなければならないというのです。(九一―一八四)
 
 本来は人間の心と体に神様の愛が入り、内外で矛盾や相反、または闘争がない結果をもたらさなければなりませんでした。ところで、人間が神様から離れてサタンを中心として外的な愛をしたことが動機になり、体と心が相反した立場で闘争する結果がもたらされたのです。そうして外的な体を中心とした愛が、内的な心を中心として、理想的な永遠な生命の起源になる神様の愛を裏切って出てくる歴史の結果が、醸し出されたのです。ですから外的な愛、すなわちサタンの愛を除去し、そこに本然の内的な愛、すなわち神様の愛を相続して体と心を糾合しなければなりません。そうしてこそ、ここから統一が起こるのです。(三七―一七九)
 
 皆さんはたぶん体と心が一つにならないので、愛の力が爆発できずにいるということを知っているのです。堕落したためです。人間が故障したというのです。人間が堕落しなかったのに体と心が一つにならないはずはないのです。したがって人間には、この実存する矛盾した極限状況をどのように克服するか、ということが問題にならざるを得ません。これが問題です。それを何で克服するのでしょうか。愛の力で克服しなければなりません。愛の力のみにより克服できます。(一九八一・五・一六)
 
 救援摂理というものは堕落ゆえに生じたのです、本来何を願ったのでしょうか。愛を願いました。愛を願ったというのです。その愛は真の愛です、真の愛。真の愛とは何かというのです。皆さんが真の愛に接するようになるならば、五官、我々の目、耳、鼻、口、皮膚、五官が一時に笑うことができ、一時に全部を感じることができるというのです。

 さて、我々の肉身が笑って五感を感じるならば、心はどうでしょうか。真の愛に接した心はどうでしょうか。心があれば、心はこのようにしてうずくまっており、体だけこうでしょうか。(いいえ)。どうですか。どのようですか。すべてのものがそこで一致するのです。行動の一致がどこから成され始めるかということを理論的に問い詰めてみる時、真の愛から行動の一致が起こるという論理を立てることができます。そうでなくては神様の理想だとか、人間が理想とする統一を探すことができる基点がないというのです。(九一―七五)




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第四節 統一は一個人から
 
一.統一の核心的な基点
 
 統一をするところにおいて核心的な基点になるものとは何でしょうか。これが問題です。統一をするには、いかなる基準を中心として統一しなければならないのであり、またその統一の基盤がどこに置かれなければならないかということが問題だというのです。我々統一教会の立場から見る時、その基盤がどこに置かれなければならないかというならば、教会を中心として置かれなければなりません。教会を中心として置かれなければ国を中心として置かれることができないのです。ところで教会を中心として統一基盤が置かれるためには、必ず新しいみ旨と一致する家庭を中心として統一の基盤が置かれなければなりません。家庭にこの統一的な基盤が置かれなくてはならないのです。家庭が合わさって、一つの理想的な民族的形態を備えることができる道場が教会で、理想的な教会の基盤になるのが家庭であるがゆえに、家庭が一つの統一基盤を立てることなしには、教会や国家も統一的な基盤を準備することができないのです。それゆえ、何よりも家庭が問題になるのです。

 それでは統一的基盤を造成できる家庭をつくるためにはどのようにしなければならないのでしょうか。個人へ帰るのです。問題は我々各自が統一の基盤の上に立つことです。ここにおいて各自が立てなければならない統一的基盤とは何でしょうか。本来各自が立てなければならない統一的基盤は、堕落する前エデンの園から立てられなければなりませんでした。エデンの園で神様を中心として人類始祖であるアダム、エバが一つにならなければならず、その人類始祖を中心として天使長が一つにならなければなりませんでした。このようになったならば、アダム、エバを中心として、天使長が神様と一つになることができたということを我々はよく知っています。

 それでは統一の基準とは何でしょうか。それは結局、神様と我々の人類始祖と天使長が一つになることです。それゆえ、このような基準を今日に代入させて、私自体に勝利的基盤を確保することなしには、我々が願う統一の基盤は家庭でも形成されることができず、教会でも形成されることができず、国と世界でも形成されることができないのです。これはとやかく言うことでありません。ゆえに、どのようにしてでも私の個体が神様と一つにならなければなりません。まず神様と一つになった後に、天使長と一つになる基準をどのように立てていくかということが、今日に処している我々個体において何よりも重要な問題です。

 ここで天使長は天使世界を代表したものであり、「私」は神様の愛を受けなければならない息子を代身した立場です。天使長が僕の立場ならば、我々人間はその僕の立場を抜け出して、息子の立場を代身しなければならないのです。(三八―一三)
 
 統一の根本核心はどこにあるのでしょうか。神様の愛で私から始まり、世界を経て、勝利して帰ってくる所だけに統一の根拠があるのです。体と心がそのようにならなければなりません。それが先で、その次に家庭を経て、宗族を経て、反対する立場をみな愛で克服し勝利するところに統一の根拠が連結され、これがみな成されて帰ってきて、神様と一つになってこそ初めてこのすべてのものが完結されるのです。(九四―三〇四)
 
 歴史が願う基準と神様が願う基準に一致される、そのような人が出てこなければならないのです。それでは、そのような人が出てこなければという問題の起源がどこから起こったのでしょうか。人間の堕落によってそのような問題が起こったのです。人間の過ちゆえに問題が起こったのだから、これを再びひっくり返さなければなりません。何が誤ったのでしょうか。第一は心情問題です。二番目は血統問題です。三番目は人格問題です。四番目は言語問題です。五番目は生活問題です。六番目は国家問題です。七番目は世界問題です。このような問題が起こったのです。

 堕落という問題をおいて見る時、本然の価値を喪失することにより、いかなることが起きたのでしょうか。心情の交差路が生じました。その次は血統の交差路が生じました。そして人格の交差路が生じました。また言語の交差路が生じたし、またさまざまな交差路が生じて生活に連結されて出てきています。全部がこのようになっているというのです。

 しかし神様が復帰摂理をして来られるところにおいて、これがみな分かれていてはなりません。最初の問題から七番目まで、天を中心として統一されなければならないのです。堕落した世界での問題が何でしょうか。分かれたものが合わさるために交差される時が問題だというのです。今は民主と共産が交差される時になりました。交差される前までは統一されず、一つになりません。ここに理想的個体が合わさって、一つの方向を備えなければならないのです。これが統一方法です。(二八―二四六)




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二.最も根本的な問題は体と心の闘い
 
 歴史上の闘いは氏族時代から宗族時代を経て、民族時代に発展してくるところにおいて、経済的な問題が動機になり闘ったのではありません。その闘いがある前に、体と心の闘いが先にあったことを知らなければなりません。環境的な闘いの平定は一時的にできることですが、体と心の平定を探すための闘いは、歴史と共に進行しているということを知らなければなりません。

 昔の孔子もそうであり、イエス様もそうであり、釈迦もそうであって、この時代にいかなる道人が出てきたとしても、この体と心の闘いは継続されるのです。闘いの方法と様相は、いつも体と心の闘いなのです。今まで人間は、新しい第三の環境に越えることができなかったというのです。ここで人生が何かという問題が生じます。それでパウロのような人は「ああ、私はなんというみじめな人間なのだろう」と言いながら嘆息したのです。

 この闘いの歴史は今なお終わっていません。今日共産主義がいう理想的な共産世界が成されるとしても、やはり体と心の闘いは継続されるのです。

 それでは根本的な問題とは何でしょうか。外的な環境を平定することは間接的な問題であり、直接的に平定させなければならないことは自我を中心とした体と心の闘いです。これをどのように解決するかということが根本問題なのです。この体と心の闘いが内的な闘いであり動機であり、世の中の闘いは外的な闘いであり、結果なのです。ところで世の中の人々は外的な闘いしか知りません。ですからその結果を打診して世の中を収拾するようになるのです。(一八―六〇)

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三.統一の究極の問題は私自身にある
 
 統一という問題は、今日単に国家的な問題として限定されたものではありません。これは拡大すれば世界的な問題であり、縮少すれば個人的な問題にも連結されるのです。世界の統一がある前に国家の統一がなければならないというのが、論理形成の正常な道だと見ます。そして国家の統一がある前に家庭の統一がなければならないのです。夫婦がどんなにお互いに幸福であることを願っても、その夫婦が一つになれない時には、その家庭は幸福になれないというのです。また家庭が幸福であることを願っても、私個人が幸福でなければその夫婦や家庭の幸福は不可能なのです。


 したがって統一を願っても問題は人です。統一できる国がある前に統一できる家庭が出てこなければならず、統一できる家庭がある前に統一できる人が出てこなければなりません。

 人には体と心があります。ところでこの体と心がお互いに闘うでしょう? 皆さん、自身を信じられますか。我々自身を信じられないのにアメリカをどのように信じますか。自身を信じることができない私が、どのように妻を信じ、子を信じ、国を信じることができますか。これが問題ではありませんか。

 歴史始まって以来数多くの聖賢、賢哲たちが流れて行ったけれど、彼らの中で「私の体と心が闘わないで完全に統一された立場にしるしとなる石を置いた」と宣布した人が果たして何人になるでしょうか。(一九八六・三・一四)
 
 私が私自身の統一的基盤をどのように築くかということが、極めて重要な問題です。私が統一の世界を願うならば、私自身から統一されなければなりません。私から一つになった立場に立たないで、統一的な世界と関係を結ぶということは、理論的に矛盾だと見ることができるのです。

 この世界が不信の世であり、統一できない世だと見る時、この世界が一つになることができる所はどこでしょうか。同じように、国が一つになることができる所がどこで、家庭が一つになることができる所がどこかというのです。世界や国、あるいは家庭全体が統一されたその中心、その一箇所を探そうと見る時、その中心ポイントは結局「私」という人に帰着されるというのです。

 すべてのものが一つから出発するのであり、一つから統一的基盤を築くには全体の統一は不可能です。混乱の中でも一つになることができる基準は私自身にあるというのです。「私」という存在を拡大させたものが世界であり、宇宙であるためです。(一九八三・六・五)
 
 私の体と心の愛による統一は、家庭的な愛の統一といつも互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族にも通じることができます。愛する夫婦が一つになれば、その誰がかみつき引き離し、踏みつけることができますか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した国家、和合した世界、和合した天地、和合した人間愛と神様が一体となったそのような世界が愛のユートピアではないでしょうか。そこには分立があり得ません。(一九八六・三・一四)
 
 世界の統一に先立って国の統一、国の統一に先立って家庭の統一、家庭の統一に先立って個人の統一、結局私自体が問題だというのです。私自身の体と心が苦痛を受けているのに、家族や父母が喜んだとして安らかですか。我々の家庭がみな苦痛を受けているのに、国が何の関係がありますか。統一されたならどうだというのですか。安らかですか。世界が統一されたとしても、南北が分かれて闘うのに、我々がそこに同参できますか。ゆえに真の人を探さなければなりません。国家を越えて世界が慈しむことのできる人、世界を越えて宇宙が慈しむことのできる人、もし神様がいるならば、神様が真なる者だと信じてくれることができる人を探さなければなりません。それを妄想や空論だと言うことができますか。(一九八六・三・一四)
 
 神様が人間をなぜ救おうとされるのでしょうか。万民を全部分裂させて、この世を戦場にしようとして救おうとされるのではありません。神様は万民が統一され互いに愛し、互いが一つの目的のもとで和同し、互いが互いを必要とする世界を構想していらっしゃいます。このような世界をつくるために、神様は万民の救いを目的としていらっしゃるのです。
 しかし、どんなに神様が平和を待ちこがれていらっしゃるとしても、いつも問題ばかり起こす厄介者のこの体を、そのままにしておいて統一するというのは絶対に不可能です。万民が願い望む理想世界、統一世界を成し遂げるためには、必ず体と心を先に統一させなければならないのです。体と心が分離されたまま、そのままであっては統一されません。(一八―三一八)
 
 この世界を救うところにおいて問題はどこにあるのでしょうか。この社会が問題ではありません。私自体が問題です。私の心と体が闘う、このような人として植えて置いたので、世界的にもそのような形態の唯物史観と唯心史観が出てこざるを得ないのです。これが世界的に結実される時期になったのです。このような時を終末というのです。

 このような時点で平和か、新しい統一かという新しい一つの、その何かを創案しなければなりません。それゆえ、今後来るその世界においても問題は私自身です。私自身が問題だというのです。私の体と心に、平和の心情的基準が歴史の流れと通じることにより、社会のすべての逆境を克服できる余裕満々な心情的要所を、どのようにして私の心情の中に移し植えるか、これを我々がどのように応用するかということが問題だというのです。(三二―二〇一)




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四.一から統一の基盤は築かれる
 
 この世には数多くの人々が生きています。その中の一人が「私」であることを我々は知っています。今この地に生きている人々が、いかなる関係をもって生きているかということを考えてみる必要があります。

 この地球上には多くの国がありますが、その国々がみな一つになれずにいます。また数多くの民がいますが、その民がみな一つになれずにいます。家庭と氏族もまた同じです。

 皆さん自体を置いてみても、体と心が一つになれずにいるというのです。我々はこのような実情の中で生きています。我々がどこに行っても見ることができ、感じることができ、体験できることは、一つになれない不信の環境です。

 しかし我々の本然の心は、このような社会、このような環境を願わず、平和で統一されたその何かを追求していることを否認できません。

 これが否定できない実像ならば、我々の安着地、目的地はどこでしょうか。この宇宙の中で信仰を探すことができる所だとか、あるいは頼ることができる所がどこかというのです。

 現世に至っては、信仰人の中にも信仰を探しみることができず、世界、国、社会、そして父母、妻子がいる家庭も、頼ることができる所になれないということを知ることができます。しかしここで問題になっているのは世界ではありません。国や社会、家庭も問題になりません。

 結局、私が自分自身の統一的基盤をどのように築くかということが極めて重要な問題です。私が統一の世界を願うならば、私自身から統一されなければなりません。私から一つになった立場に立たないで、統一的世界と関係を結ぶということは、理論的矛盾だと見ることができるのです。

 この世界が不信の世の中であり、統一できない世の中だと見る時、この世界が一つになることができる所がどこでしょうか。同じように、国が一つになることができる所がどこで、家庭が一つになることができる所がどこかというのです。世界や国、あるいは家庭全体が統一されたその中心、その一箇所を探そうとしてる時、その中心ポイントは結局「私」という人に帰着されるというのです。

 すべてのものが一つから出発するので、一つから統一的基盤を築かずには全体の統一は不可能です。混乱の中でも一つになることができる基準は私自身にあるというのです。「私」という存在を拡大させたのが世界であり、宇宙であるためです。(一九八三・六・五)
 
 統一基盤は個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へ広がるのです。個人的な基盤がこうならば、家庭的基盤はこのように上がっていくのではなく平面に倒れるのです。四方に広がるのです。個人が家庭を中心として愛とみ旨の和合体になるならば、また別の主体になるのです。また、氏族を中心として一つになれば、また別の主体になるのであり、民族を中心として一つになれば、また別の主体になるのであり、国家を中心として一つになれば、また別の主体になるのです。このようにして世界を愛とみ旨の圏で和合できるようになる時に、統一世界は展開されるのです。このように見るのです。

 例えば、ここにメートル尺があるとしましょう。実際の一メートルはこのくらいなのに、自分勝手に物差しを作って「これくらいが一メートル」として測ってはなりません。自分勝手に測ってはならないのです。メートル尺は必ずメートルの原器を中心として製作されたものでなければなりません。それをもって測らなければなりません。もう一度言えば、中心を置いて比較された立場で評価しなければならないというのです。それでこのように話をするとしても、それを中心として測ってしなければなりません。行動をしても、それに合わせてしなければなりません。それでこそ平和の基盤が築かれるのです。統一の圏が展開されるのです。(五一―八〇)
 
 統一基盤の母体がどこかというならば「私」です。私がどのようしなければならないのでしょうか。まずは私の心が神様の愛と一つにならなければなりません。一つになったということは何かというならば、垂直関係になったということです。その次に垂直関係を中心として、横的に私の体と一つになり、横的線を引かなければなりません。そのようになれば完全に一つになるのです。そのように完全に一つになったという立場は、縦的にも結集され、横的にも結集された自体として内外が一つになったゆえに、内は内だけの内ではなく、外は外だけの外ではありません。二つが合わさって、お前と私がふさわしい立場で、お互いが自体を公認できる立場で、新しい第三の目的点を中心とした「私」になるのです。それは何の話かというならば、体と心が一つになった立場において、対象を中心とした立場で「私」という自覚が生じるのです。

 それゆえ、今日一番問題になるのがまさに「私」です。世界のために精誠を込めることも必要ですが、その前に、私が神様と共に正しい姿勢で、心と体を中心として完全に中心核に立つことができる個体を確保するか、できないかが最も重要な問題です。これが決定される日には、自分を中心として統一的な核、統一自体を中心とした統一基盤が確保されるのです。(五一―七四)




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五.統一の方案は私自体の中にある
 
 統一方法は私自体から定立しなければなりません。皆さんがそれを知らなければなりません。私を愛すると考えてはなりません。「私」というようになれば、神様の愛が内包された私、み旨と愛が結集されて自体に和した私を考えなければなりません。(五一―八二)
 
 統一方法はどこにあるのでしょうか。世界主義ではだめです。世界の民主主義をもっていくら作ろうとしてもそれができますか。だめなのです。完全な製品を作ろうとするならば、まず付属品を正しく作り出さなければならないのです。そうでしょう? ですから皆さん自体の人を、完全な人としてつくることができる完全な工場を造らなければなりません。それが何でしょうか。完全な宗教です。完全な宗教を探してくるのです。

 統一方法は大韓民国の南北で成されるのではありません。人間自体で闘っている体と心の闘いをどのように闘わないようにし、心が主導権をつかんで平和の基準を維持させることができる体の圏をどのようにもつのでしょうか。これが問題です。その体を連結させれば世界になるのです。(四七―二七三)
 
 世界は民主世界と共産世界に分かれていますが、民主世界は唯心史観であり心の側で、共産世界は唯物史観であり体の側です。このように分けざるを得ません。この二つの世界が今大きな波紋を起こしていますが、この波紋がどこから始まったかというならば、皆さん自身から始まりました。そうでしょう? 皆さん自身がその波紋の種です。これが問題なのです。だから皆さんは、世界のある政治家によってこの世界が統一されると考えてはいけません。だめなのです。

 統一方法はどこにあるのでしょうか。それは外部にあるのではなく内部にあります。統一はどのようにしなければならないかというならば、私の体と心の闘いを評定させて、心が先に立つようにしなければなりません。そのようにして心が行こうというままに、私自体が行かなければならず、家庭が行かなければならず、社会が行かなければならず、国が行かなければならず、世界が行かなければなりません。このようになれば統一は自動的になるのです。(三九―二六七)

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六.統一の道は統一された一人の人間から
 
 今日この世界は平和を願っています。万民は一つの統一された理想世界を夢見ています。その理想世界というのは、我々個人個人を通じることなしには成されないのです。我々個人個人がそうした理想の基盤を確保して、その環境を広める過程を経ることなしには、その世界にまで到達できないのです。

 このように考える時、統一のその日が来るのをどこから迎えなければならないか、歴史の終末時代であるこの時において、世界を中心としてその日を迎えることができるかという問題を考えれば、これは不可能だという結論につながるのです。また、国を中心としてそれが可能かという時、これも不可能なのです。我々が一つの社会を置いてみれば、社会でも互いに競争しています。互いに紛争しているのです。家庭を中心として見ても、相反した立場を取る慣例があることを我々は知っています。

 さらに進んで、我々個人においても体と心が闘争しているのを見る時、この平和の道、統一の道というものは、他の所から求めるのでなく、我々個人から模索する道以外にはないのです。ある一人が完全に天を代表し、地を代表し、国家を代表し、あるいは民族を代表し、特定な家庭を代表し、全人類を代表して統一された実体を成し遂げなくては、統一の出発を見ることができないのです。人類がこのような歴史過程を経てきたということを知る我々において、問題は一人なのです。

 その一人は天を代表しており、この地を代表しており、歴史を代表しており、人類を代表している、全体を代表した一人の人間として統一された自我、すなわちそのような人格をもってくる中心存在なのです。そのような存在がなくては、統一とか理想とか平和の世界とかというものを、我々がどんなに待ちこがれたとしてもそれは成されないのです。

 それゆえ、神様は一つの中心を探しているのです。それではその中心をどのように立てなければならないのでしょうか。その中心は世界で立てるというよりも、まず我々個人から立てなければならないというのです。個人を中心とした世界的な代表者一人が現れずには、統一的な出発を見ることができないために、天はこの中心一人を探しているということを我々は知っているのです。

 この一人が立つことができる位置がメシヤが立つことができる位置であり、その一人が現れることが歴史的な願いであり、摂理的な目的になっています。この一人が現れることにより、天に代わることのできる個人的な出発を見ることができ、また統一されない人間を代表して統一された一つの標準になることができるというのです。

 この一人は体と心が一つになることができると同時に、初めて統一的な一つの個人が成立することによって、その個人を通して家庭を形成することができるのです。完全な一つが出てくることにより、その完全な一つを標準として環境を収拾できる相対的立場を取るようになる時、ここで初めて一つの家庭が出発を見ることができるのです。その家庭を中心として見る時、家庭を代表した父母は宇宙を代表して、このようにしなければならないという、一つのモデルが生じることができるのです。

 その父母を中心として生まれた息子、娘は、父母と完全に一つになることができなければなりません。この地上に数多くの子女たちがいますが、その子女たちが標準的な子女と一つになることができる立場に連結されなければなりません。もう一度言えば、父母は父母なりに連結できる代表的な中心が設定されなければならず、子は子なりに中心を代表できるその中心と一つになることができる道を選ばなければなりません。それで父母と子が一つになるそうした立場を、世界の数多くの家庭が標準として一つになる道に従っていくことにより、初めて一つの家庭的な統一運勢が展開されることができるのです。その家庭を通じて氏族、氏族を通じて民族、民族を通じて国家、国家を通じて世界、このような発展的な過程を経ていかなくては、世界まで統一する歴史を成しおくことができないということを我々は知っています。(六一―二四七)
 
 堕落した人間においては、宗教や政治改革以前に、自身の人格革命を先に遂行しなければならないというのです。自分の人格革命を経ない人が世界を一つにまとめたとしても、それは喜ばしいことだと言えません。その人が成就したこと自体が、利己的な自分の欲望を充足させるためのものだとか、名誉を高めるためのものであるからです。

 世界を武力で統一させたとしても、その世界はいくらもたたずに、また別の武力によって崩れるのが歴史的な教訓です。むしろそうした統一作業は、より大きい問題を生じさせるだけです。アメリカは自国を中心として世界の統一を願うでしょうが、それは到底不可能なことです。世界の数多くの民族が、アメリカが支配することを願わないためです。日本が経済力を先に立て世界統一をするといっても同じです。いかなる力でも世界を統一することはできないのであり、世界統一の道があるならば、それはただ人格的な統一だけが可能なのです。

 世界を統一するためには一大革命を断行しなければなりませんが、その革命は人格革命なのです。その人格革命とは知識やお金、権力で成されないのであり、真の愛でしなければなりません。

 真の愛は神様が人間を造られた後、今までずっと探して来られた最も基礎的な本然の愛なのです。真の愛を中心として人格革命をしなければ、世界を収拾する道がないのです。(一九八六・八・二〇)

 大韓民国において南北がすっぱりと分かれていったということは、中心になることができる位置がなくなったということです。それでは中心はどこからつかまなければならないのでしょうか。中心をつかもうとするならば、一番最初に、ある一つの地点に合わせて中心をつかんで出てこなければなりません。そうではありませんか。地に中心をつかまえようとする時、傾斜地ではいっぺんにつかむことができないので、ある所に錨を置いて中心圏を探してこなければならないのです。

 それではそのようにできる焦点はどこでしょうか。これが問題です。韓国が先か、北朝鮮が先でしょうか。大韓民国全体が一度に入っていられる所がどこでしょうか。その所は一点なのです。それが何でしょうか。一個人を通してその中心点をつかんでいくのです。そうした使命をもった個人を発展させて、一つの家庭にしなければならないのです。そうでなければならないのではありませんか。それで三千万の民衆の中のある個人の代表を通して、三千万の民衆の中のある家庭の代表を通して、三千万の民衆の中のある宗族の代表を通して、三千万の民衆全体に連結されるのです。三千万の民衆も一個人から始まるのです。その次には家庭、氏族……。このようにますます、近ければ近いほど、その圏が展開されるのです。そうではありませんか。

 核は一つだけれど、それを中心とした家庭であり、氏族であり、民族であり、国家であり、世界が展開されるのです。一番最初には個人から始まり徐々に大きくなっていくのです。そうではありませんか。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、このようにして結局は個人中心、家庭中心、氏族中心、民族中心、国家中心、世界中心に徐々に入っていくのです。(五一―七五)
 
 近ごろは統一を言うでしょう、統一方法。大韓民国の人々は極めて統一を願う人々なのです。ところで統一方法をどこで求めるのでしょうか。三十八度線で求めるのではありません。まず私の胸の中の三十八度線から統一しなければならないのです。この統一がより急なのです。これを統一する日には、国は自動的に統一されるのです。善意の方向と善の価値観を立てて置くならば、忠清北道の人でも慶尚南道の人でも違うところがないのです。統一をどこからするかというならば、私の心の三十八度線からしなければならないのです。

 そうした人々を植えて置いたゆえに、二つのやからの人を植えて置いたゆえに、一つは有神歴史、宗教が結実されたのであり、他の一つは唯物歴史、体のような唯物歴史の世界観が起こったのです。その実が結ばれたものが、今日の現実的な世界であるということを知らなければなりません。それゆえ、世の中は終末です。

 唯物論と有神論はどこから出てきましたか。私から出てきたのです、私からです。すなわち、人から出てきたのです。そうでしょう? その先祖がどこにいたのでしょうか。私の心にいたのです、私の体にいたものです。体と心が闘う闘争の起源から植えられたそれが個人になったゆえに、個人が闘い、そうした個人が合わさって家庭を成したのでその家庭が闘い、その家庭が合わさって氏族を成したのでその氏族の中でも互いに闘い、その氏族が合わさって民族を成したのでその民族がそうで……。そうした個人が集まるようになって民主世界になり共産世界になったのです。すなわち心的な唯心世界になり、体的な唯物世界になったのです。世界的に系列的に組んでみると……。

 だからこの闘いを防ごうとするならば、どこで解決しなければならないのでしょうか。共産主義と民主主義、その結実自体では解決できません。人間の本性で、個人を中心として横にそれて闘っている体と心の個人の三十八度線、体と心の三十八度線を解決できなければ、家庭の三十八度線を解決させることができないのです。家庭の三十八度線を解決する前に、社会団体間の三十八度線を解決することはできないのです。また、社会団体間の三十八度線を解決する前には民族の三十八度線を解決することはできないのです。(四九―一五〇)




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第五節 統一は真の愛によって

一.情は統一と幸福の基
 
 人というなれば、体があるだけで人だということができますか。人ならば心がなければなりません。涙を流す時に笑えばそれは人ですか。笑う場で泣くのが人ですか。違うのです。そのようなものは上辺だけ人であって人ではありません。人は喜怒哀楽の情緒的な面を兼ね備えて、すべての感情を体恤することができなければなりません。

 西洋人が見て泣く場面を東洋人は見て泣きませんか。西洋人が涙を流す場面は東洋人が見ても涙を流すのです。韓国人が見て涙を流す場面は、怨讐である日本人が見ても涙を流すのです。情的な世界は統一されています。お母さん、お父さんが子供を愛するところにおいて、韓国の父母は愛さないのに、日本の父母は愛しますか。そうですか、そうではないでしょう? 統一されているというのです。

 統一できる基は何でしょうか。人ではありません。また、言葉でなることでもありません。情緒的な内容でなされるのです。夫婦同士お互いが愛することも……。何によって統一されるのでしょうか。情緒的な問題を中心として一つになるのです。そうでしょう? 情緒を抜き出せば何もないというのです。夫婦から愛を抜き出せば何ですか、男と女でしょう? ここで情緒的な面をさっと抜けば何ですか。人形と何が違いますか。話す人形でしょう。そうではないですか。話す男の人形と話す女の人形です。けれども情緒的な問題を中心としては一つになれます。

 友達間には友情があるでしょう? 友達間から友情を抜き出せば一つになりますか、なれませんか。なれないのです。一国の国民を見れば愛国心があります。国を愛する心があるゆえに、国を愛する情があり、その情を通して国民が一つになることができるというのです。一つになることができますか、できませんか。見なさい。情は統一の基であり、幸福の基です。

 統一されなければ幸福はありません。お母さん、お父さんが一つになってこそ幸福でしょう? そうでしょう? 父子間も一つになってこそ幸福です。一つにならない家庭に何の幸福がありますか。情がなくて互いにいがみ合いながら、闘ったりするところに何の幸福がありますか。幸福とは何か知ることもできないというのです。情がなければ一つになれず、一つになれなければ幸福がありません。幸福になろうとするならば、どのようにならなければならないのでしょうか。まず二人が完全に一つにならなければなりません。彼が泣けば私も泣き、彼が笑えば私も笑い、彼が行けば私も行き、このように一つにならなければなりません。このように一つになろうとするならば何をしなければならないのでしょうか。情緒的なものがなければなりません。(四一―三三〇)
 
 我々は外的な統一より絶対的な内的統一をしなければなりません。幸福や平和から心情を抜いてしまえば残るものは何もありません。最大の権限をもつことができるものは心情です。心情は歴史を抜け出し絶対的な基準で出ていくのです。(一六―二七四)




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二.統一をしようとすれば心情の因縁を共にしなければならない
 
 我々は統一させるための群れなのに、統一できていない人も多いです。皆さん、統一されていますか。まず自分自身が統一されていなければなりません。統一されていない自分自身をもっては何も統一させられないのです。統一しようとするなら、分かれた心情を一つ所に縛りつけなければならないのです。我々は死の道も行けというならば行かなければならないのです。

 この所は統一されるための宇宙史的な所です。ところで人々はこの所に入ってきさえすれば、ここでみな統一されるだろうと思っているのです。統一のためには、統一された心情と理念を立てて、苦難の道を越えることにより、心情の因縁が骨髄からしみ出なければならないのです。

 我々は死んでも統一という思想のもとで死ななければならないのです。統一は先生と共にするのではなく、まず神様と共に統一しなければならないのです。ヤコブは家庭的に、モーセは民族的に、イエス様は世界的に、神様を中心として統一しました。神様と共に統一するには国家的な基準だけではだめです。天と地とともに、心情の因縁を共にしなければならないのです。個人的な困難や家庭的な困難、そのいかなる困難をも押し切り、神様のみ旨のために仕事をして倒れれば、神様は彼を天宙的な位置に立てざるを得ないというのです。

 我々は統一される群れではありません。統一する群れです。我々は小麦粉になってはなりません。麹にならなければなりません。統一は平地でなるのではなく、谷間を経て平地に出てこなければならないのです。イエス様も死の谷間で勝利されたのです。このような勝利で成される統一でなければならないというのです。

 過ぎし日にみ旨のために苦労したことに対し、私がなぜそうであったのかと考えることは、主体性を喪失したためなのです。民族のために苦労したならば、民族が残っている限り、その苦労の基準も生き残ります。

 しかし神様のためでもなく、国家のためでもなく、私一人のための行動である場合には、疲れる時は収拾する道理がないのです。それは四方を見回しても、新しい刺激になるだけのものがないためです。

 いくら死の道だといっても、統一の祭壇は一つ所に束ねられて祭物として捧げられなければならないのです。ある誰かのための統一でなく、神様のための、国家と民族のための統一でなければならないのです。(一六―三四一)




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三.愛は統一の起源
 
 本来神様を中心としていつ統一されなければならないのでしょうか。神様の創造の偉業を立て、実践理念を追求していく中で完全に一つになるには、何を中心として一つになるのでしょうか。神様の創造の能力ですか。違います。既成教会が神様の能力で世界を統一して地上天国をつくり、天上世界で再臨主を迎え、千年王国を建てて生きると夢を抱いていますが、とんでもありません。力でやり遂げることができたならば、堕落は成されなかったのです。そのようにできたならば今日堕落を見ないというのです。理論に合わないそのような空想をしたところで滅びるのです。滅びます。権力ではありません。神様の全知全能ではありません。知らずにいるのです。知識ではありません。神様に宝物がないのではありません。しかし宝物ではありません。愛です、愛。愛を中心として一つになるのです。

 愛を中心として一つになればどのようになるのでしょうか。神様のものであると同時に愛に属したものになるのです。分かりますか。妻がダイヤモンドの指輪をはめたとしても、愛の表示としてはめられたその指輪は誰のものですか。夫のものです。それを知らなければなりません。私のものではありません。愛の表示として与えた愛の表示体です。愛がなくなる時はこの指輪も逃げていくのです。そうでしょう? 内容が愛です。どんなに金銀、宝石で飾り立てたとしても、愛する夫を奪われてしまったならば、幸福ですか。

 そのように見る時、神様の統一的起源がどこにあったのでしょうか。神様の体と心が「やー、もういい」ということができる完成基準、神様の完成基準、神様が喜ぶことができ、神様の体と心が喜ぶことができる基準、これをつくるために愛の対象をつくったのです。それが愛です。これを分けて置いたのがアダム、エバですが、二人が愛するようになる時、その愛を中心としてアダムはエバのものになるのであり、エバはアダムのものになるのであり、アダム、エバのものが神様のものになるのであり、アダム、エバのものが万物のものになるのです。万物が愛と連結される時、アダム、エバのものになり神様のものになるのです。何の話なのか分かりますか。

 それゆえ、愛を中心としてすべてのものが統一されるのです。神様の体と心が一つになり、神様の二性性相から分けたアダム、エバが一つになり、そのアダム、エバが一つになると同時に万物までも一つになることができるのです。この起源が、統一圏が本来の愛を中心として人間と神様と万物の中に設定されたならば、堕落はなかったというのです。そのようになったならば、その人は既に神様のものになったのです。アダムも神様のものであり、エバも神様のものであり、愛で結ばれた男は絶対的にエバのものであり、女も絶対的に男のものであり、そうした父母は絶対的に息子、娘のものであり、息子、娘は父母のものになるのです。共同所有の理念の基盤を確定することができました。これを知らなければなりません。
 愛が偉大なのはそれです。上下、高低の距離を超越し、空間と時間を超越して、共同所有の理念を即刻に共有できる圏内に参加することができる、参加できる能力が愛の道にあったのです。これは驚くべき事実です。(一六八―一九七)
 
 神様が悲しむために被造物を創造されたでしょうか、でなければ、喜ぶために創造されたでしょうか。プラス(+)になるために創造されました。プラス(+)になれば喜びが生じるのです。そうすれば、喜びの対象に愛が流れていくのです。神様の愛は統一の源泉になるのです。この愛を掲げて出るようになる時は、万国を消化させることができる力が生じるのであり、万国を抱いて永遠に引っ張っていっても、もっと引っ張ってくれたならばという力が生じるのです。

 愛はこのように父母が子を愛するように、愛すれば愛するほど喜びが増えるのです。愛は一つになるのです。もし神様の愛と一つになった人がいるならば、その人は誰も引き離すことができないのです。だからどんなにすてきな愛ですか。(一八―三二九)
 
 完全な統一は完全な神様の愛によってなるのです。(九四―二六三)
 
 統一はどこで起こるのでしょうか。統一は考えで起こるのでなく愛で起こります。皆さんの体と心が愛するその瞬間だけは一つになるのです。そのようになるのです。それゆえ、統一は愛を通して成されるようになるのです。
 ここで初めて一つになるのです。完全な統一、縦的な統一はもちろんであり、横的な統一も愛で始まるのです。(五八―二一四)
 
 神様を中心として見る時、善の根本は愛です。愛があれば統一は自動的に成されるのです。サタンよりもっと水準の高い愛をするならば、サタンも引っ張られてくるようになります。神様は最高の善と愛を与えるために天地を創造されたのです。(一三―九五)




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四.愛は統一を成すことができる絶対的な秘訣
 
 心の力の源泉は愛です。ですから、心が授け受けして生じる爆発的な力を神様に連結さえすれば、それは何倍、何百倍、何千倍も統一できるのであり、世界万民が待ちこがれていた願いを成就できるのであり、永遠に一緒に暮らすことができると同時に、天国も私のものにつくることができるのです。その秘訣がまさに愛です。愛は統一に向かって上がるエレベータであり、統一を成すことができる絶対的な秘訣なのです。

 お母さんとお父さんは愛なしには一つになることができないのです。皆さんはなぜ愛を好みますか。好まないと言っても好まざるを得ないようになっているためです。お母さん、お父さんが互いに愛する力が、個体のための力よりも強いほど、より理想的なのです。お母さん、お父さんを完全に一つに縛りつけるそれは愛の綱です。鉄で作った鎖は時間が過ぎれば錆がついて切れますが、愛の綱は永遠なのです。そして父母と子の間はご飯でもお金でも縛りつけられません。ただ、父子関係の愛でのみ縛りつけることができます。

 兄弟同士が一つになるのも愛でのみ可能なのです。それゆえ、兄弟間も愛であり、一つの家庭を中心として親戚間が一つになるのにも愛であり、氏族、民族を一つにするのも愛であり、一つの国、あるいは世界を一つにするのも愛であり、神様と人間を一つにするのも唯一愛であるというのです。

 人間が愛を一番好むのも、愛が全体を統一させて私のものにつくることができる主体であるためです。人々は愛がどんなによいものなのか完全に知る道がありません。それで先生が愛を掲げて出てきたのです。(一八―三二八)
 
 愛でなくては一つにつくることができません。二人を一つにつくるのには言葉でもってはだめなのです。二人が一つになるためには何がなければならないのでしょうか。物質で一つになったならば物質が離れれば逃げていくのです。第三者の紹介によって、何かの事由を通して一つになったならば、その人がいなくなれば離れてしまうのです。二人が一つになるためには、永遠に一つになるためには何がなければならないのでしょうか。愛がなければなりません。愛でなければなりません。(五一―七五)
 
 愛があればどのようになりますか。どのようになるかというのです。遠かったものがさらに遠くなりますか、近づきますか。(近づきます)。愛がなぜよいのでしょうか。これを知らなければなりません。遠いものも極めて近くに、一つにつくることができるというのです。東洋人と西洋人を誰が政治の力、軍事の力、文化の力をもって一つにつくることができますか。(できません)。文化の力、経済の力、いかなる力をもってしてもだめなのです。で、何さえあれば一つになりますか。(愛)。その愛がなぜよいというのか分かりますか。(はい)。

 愛の心は、愛の力は殺そうとしていたその怨讐までも一つにつくるのです。極と極、反対するものを一つにつくることができるのです。女と男は何ですか。極ですか、極ではありませんか。(極です)。女は女同士で好みますか。女二人が会って、「私はお前の手にほれた。ああ、いい。ああ、いい」と言うならば、どんなに気分が悪いですか。(九六―二一二)
 
 神様の愛さえもつようになれば、神様の胸の中に入っていてもよく、神様の鼻をつかんでもよく、なにをつかんでもよく、世界のどこに行っても、天国でも地獄でもどこに行っても境界線がないのです。どこにでも通じるのです、どこにでも。

 世の中がそうではありませんか。このアメリカのファーストレディーになるのに、何か博士の資格がなければなりませんか。農村でピーナッツ畑の草取りをしていた人でも、大統領の愛を受ければ一度にぽんと飛躍するのです。愛がそうだというのです。

 どうしてそうなのでしょうか。愛はすべてのものを統一し、すべてのものを超越するために、その名前の前にはいかなる与件も成立するというのです。皆さんがいくら罪人だといっても、神様の愛さえ受けるようになればぽんと……。それが信じられますか。それは正解ですか。このようにできる道があるというのです。レバレンド・ムーンがこのようなことを知らなかったならば既に逃げたのです。既に逃げたのです。(九一―二二九)




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五.お互いに愛する心がすなわち統一の方案

 我々の教会を統一教会と言うでしょう? 「統一教会」、この言葉は本当にいいです。統一教会が統一されるならば、何がなければなりませんか。「統一できる真理がなければ」という人もいるでしょう。真理があっても統一できる情緒的な内容がなければそれまでです。問題はこれです。宗教人は宗教人同士、互いを和合させることができる真理があっても、そこに和合させることができる情がなければなりません。お互いが会わなければならず、お互いが見なければならず、あなたでなければ私がだめで、私でなければあなたがだめだという情緒的な内容がなければなりません。ところが互いがかみ合って、互いに(自分の方が)優れているとひたすら言い争ってはならないというのです。互いに優れていると言い張って一つになることができますか。お母さんは、お母さんが優れているといい、お父さんは、お父さんが優れているというならば一つになることができますか。なれないでしょう。

 それでは統一できる方法は何でしょうか。互いに愛することです。相手方が哀れに思えて愛することもでき、好きでも愛することができます。夫婦同士、初めからよくて愛する人は別にいません。だんだん愛することができるのです。ある婦人が夫を見ると性格が片意地です。その意地っ張りのおじいさんを誰が愛するかというのです。けれどもその婦人は「あの片意地ゆえにどんなにぶつかることが多いか」このように考えて、かえってかわいそうに思うというのです。そのようにかわいそうに思って愛してやれば、そのおじいさんは一番孤独で悲しい時に、婦人の所に行き訴えるようになっています。そのようになるのです。また、そのおじいさんが頑固なのを見れば、自分は頑固でないので、おじいさんの頑固が使い道のある時もありますからね。だから好きでも愛することができ、かわいそうでも愛することができ、そのような心だけもつようになれば統一されるのです。

 情緒的な分野において、自身より相手方がかわいそうだという心をもって前を築いていくようになれば、自然に一つになることができる道が生じるのです。父母が子に対して憤って手で殴ればどうですか。父母がすぐに悔い改めなければならないというのですか。そうでなくて、ただ子供がかわいそうで、お母さんが涙をぽろぽろと流しながら愛すれば、かえって効果があるというのです。皆さん、そうではありませんか。そのようにすれば、お母さんは屈服しないでいつでも勝利者として、その息子、娘を屈服させることができるのです。むしろ殴れば効果が少ないというのです。兄が弟を最後まで憎んだら兄がかえって屈服させられます。そのようになり得るでしょう? (はい)。それゆえ、統一するには何がなければならないですか。情緒的な分野がなければなりません。統一されない所には幸福がないというのです。「統一される。統一できる」という言葉は、統一させることができる情緒的な内情が宿っているということです。

 統一教会はキリスト教を統一してみようというのです。統一するところにおいて、世界に数多くの教派がありますが、統一教会員以外の人々は我々と関係ないというならば統一されますか。数十、数百余りの教派を中心として、彼らをかわいそうに思いつつ愛することができる心がなければなりません。このような心があれば、彼らに欠点があっても許してあげることができるのです。神様が我々人間が罪を犯したことをみな許してくださったのも、最後まで哀れに見る心があるからなのです。「お前はまだ罪人である」という心があれば許してくれたでしょうか。そのように許すことにより、すべてのものが一つになるということを、皆さんが知らなければなりません。

 それゆえ、この情緒的な分野を抜いてしまえば何もできません。分かりますか。友情を取り除き、愛国心、すなわち国を愛するその情を取り除き、父子の情を取り除き、夫婦の情を取り除き、兄弟の情を取り除いてしまえば、砂粒だけの砂漠のような世の中になるのです。その中で統一がありますか。そのような情を取り除いてしまえば幸福がありますか、ありませんか。(ありません)。そのような世の中で生きたい人はいないというのです。このように見る時、人間はお互いに情がなければなりません。(四一―三三二)
 
 統一運動は何で? 愛で。弟子が師匠をつかんで涙で忠告し、師匠が弟子に会い涙で忠告し、子が父母をつかんで涙で忠告して愛さなければなりません。姉が弟妹を、弟妹が姉を、兄弟同士、同胞同士がこのようにできなければなりません。明日自分の生命の消える恨があっても、このことをできなければ自分が死んで目を閉じることができず、恨を残すということを知らなければなりません。これが統一の群れです。それが師匠が行く道です。私が行く道が問題ではありません。神様が訪ねてくる道です。それを知らなければならないのです。(一六二―三二五)
 
 なぜ愛を基として統一の因縁を探して行くのでしょうか。愛がなければ臨時であるためです。しかし愛があれば永遠に連結されるのです。永遠です。愛する夫が死んだといって妻の愛が清算されますか。夫は死んだけれども妻の胸には、その夫が生きている時よりもっと切ない愛がわだかまっているのです。(五〇―一一五)
 
 統一はどこで起こるのでしょうか。「統一はもう統一で起こるだろう」というかもしれませんが、そうではありません。統一されるためには何が必要でしょうか。因縁がなければなりません。因縁がなくては関係が結ばれません。その関係はどのような関係かというならば、主体と対象の相対的関係が結ばれることを言います。そうでしょう? ここで「やあ」と言うならば「おう」と言い、ここで「来い」と言うならば、「うん」と言うことのできる相対的な環境で関係が結ばれるのです。

 それではその相対的関係では何を中心として一つになるのでしょうか。ここには共同目的がなければなりません。共同目的がある時は一つになることができます。一つになるには二種類しかありません。目的が一つにならなければなりませんが、目的が一つにならなくても、互いに愛するようになる時は一つになることができます。(五〇―一一四)




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六.真の愛に接すればすべてのものが統一される
 
 真の愛とは何でしょうか。真の愛に接するようになれば、皆さんの心の細胞と体の細胞が共鳴することがあります。共鳴! 音叉というものは、共鳴するもの同士周波が同じになれば、また振動数が同じになれば、この振動数で自動的に同じ波長に順応して共に作用することを言います。同じように真の愛に人の心が来て「ふうー」と呼ぶ時は、体も「ふうー」と共鳴するというのです。

 この細胞一つ一つがみな真の愛を中心として共鳴点に入っていくようになる時は、目も見る所が一箇所であり、考えも一つの考えであり、作用も一つの作用であり、においも一つの方向であり、言葉も一つで、これを称賛するために動くようになります。そうして男と女は平衡的、平面的主体と対象の関係になっており、男女が合わさって中央線に立つようになる時に垂直線が立つようになりますが、これは神様が願う愛の垂直線につくられるのです。男女の平面的関係と、男女が合わさって立てられた神様が願う愛の垂直線と一致するその点が、センターを通じてすべての球形の作用をするようになり、その位置を通さなくては球形の力は作用できなくなります。それは千年、万年共通分母になります。万種の作用、万種の存在、万種の細胞構成の共通理想と通路として、それが決定されなければなりません。ここで愛の目で見るならば、全部私のものでないものがありません。(一九八六・一・二一)
 
 我々人の生理的構造から見る時、人には五官がありますが、この五官の好む本質が何であり、本性の通路がどこにあるのでしょうか。愛に従って行くその道しかないというのです。それゆえ、愛を中心とするようになる時は、目も耳も鼻も舌も統一され、すべての触覚、感じも完全に統一されるのです。全体が一つになるのです。目がこのように行ったり来たりするけれど、愛がある所へ行くのです。鼻がこのようにあるけれど、そちらへ行くのです。私のすべての霊と肉が、生理生態のすべての要素がそこに全部一致させるのです。朝太陽の光が照らすと、すべての草木が自分勝手になっているけれど芽は、この端はみなこのように一致させるのです。生命の要素であるゆえに。(一六八―一八一)
 
 神様の愛が何がどうだと言うけれど、神様の愛が何か分かりますか。神様の愛がどんなに強いかというのです。皆さん、鶏の足のようなものを切って筋をつかんで引けば引けるでしょう? 筋をつかんで引けば全部このようでしょう? 愛とは何ですか。愛だけつかんで引けば、神様の愛だけつかんで引けば世界がみな引かれてくるのです。何の話なのか分かりますか。

 その愛に酔うようになれば目も一つになり、鼻も一つになり、手も一つになり、フォーカス(focus:焦点)が全部統一されます。全部みな集中されます。完全に一つになります、完全に。それで「よい!」というようになれば細胞までも「よい!」というのです。そのようにできるのです。分かりますか。何の話なのでしょうか。完全に垂れ下がってぶらりぶらりします。完全に一つになってどこに行っても、どのようにしても……。

 そこへ入っていってその場で「ああ、いい!」というならばこれが全部踊りを踊るようで、細胞が踊るようで、そこと共に宇宙が踊っているようです。私がよければ全宇宙が喜びます。それでそこで神様の愛を受けて、よくて「ほほほ……。よい」という時、宇宙が「ほほほ……」と、こうなのです。山鳴りのように響くというのです。「あはは……」というならば「あはは……」と響くというのです。何の話なのか分かりますか。目がひっくり返る程度でなく、目がむちゃくちゃに飛びますよ? そのような気分なのです。表現できないのです。人はそのような愛を受けるようになっているのです。そのような男と女、二人がよくて暮らすようになるならば、息づかいにも宇宙が全部行ったり来たりするのです。海の水が月の引力によって行ったり来たりすることと同じように、「ふうー」というならば全部「ふうー」そうなのです。それ一度知ってみたいでしょう? (九一―三一八)




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第六節 「ため」に生きる哲学と統一

一.人間の幸福の起源
 
1 愛と理想と幸福は一人では成せない
 
 昔から人類は、永遠ながらも真で変わらない愛と理想と幸福と平和を描いてきたことを我々は知っています。しかし、今日我々が生きているこの世とこの時代は不信の世の中であり、混乱の時代です。そのような中で、このような要件を探して成すということは、既に不可能な段階にぶつかっているということを我々は直視しているのです。人間ができる努力はみなしてみたけれども、このような要件を充足できない現在です。

 それゆえ我々人間としてできないからには、我々は人間を越えて、永遠で不変で真であられるある絶対者を探し、その方に依存するしかないでしょう。その方が真なる愛、真なる理想、真なる平和、真なる幸福を念願されるならば、その方を通じてのみこれが可能だと我々は考えざるを得ません。

 そのような立場で考える時、そのような方がいらっしゃるとするならば、その方は神様でないはずがないのです。神様は愛の王になれる方であり、理想の王になれる方であり、平和と幸福の王になれる方です。それではその方を通して、このような人類が追求した理想的要件を成すためには、その方が提示する内容を我々が知って従って行かなければならないということは当然の結論なのです。

 我々が考えるに、愛とか理想とか幸福とか平和とかいう言葉は一人で成立する言葉ではないのです。これは必ず相対的関係で成立される言葉であるゆえに、いくら絶対者であられる神様がいらっしゃるとしても、その神様が願う理想と幸福と平和は、一人で成すことができないのです。

 神様自身においても、相手が必ず必要なことは必然的な帰結であるゆえに、いったいこの被造万物の中で、神様の相対になることができるそのような存在がどこにいるのかと反問するならば、それはとやかく言うことなく人間以外にはないという結論が下されるのです。

 神様の理想を成すことができ、神様の愛を成すことができ、神様の幸福と平和を完結させることができる対象が人間だという事実を、我々は考えることができなかったのです。

 神様一人で愛して何とし、神様一人で理想だとして何としますか。必ず相対的な人間を通じなくては、このような要件を成すことができないということは当然の結論です。(七五―三一五)
 
2 愛と理想と幸福と平和の起源
 
 知恵の王であられ、全体の中心であられる神様が、真なる愛や真なる理想や真なる幸福や真なる平和の起源を、主体と対象、この両者の間のどこに置くのでしょうか。これが問題にならざるを得ません。

 主体がいらっしゃる反面対象がいますが、主体のための道と、対象のための道、この二つの道の中で理想の要件をどこに置くかということが、創造主であられる神様として問題にならざるを得ないのです。

 それで真なる理想、真なる愛、真なる平和において、主体を中心として対象が主体のために生きるところに理想的起源を置くべきか、対象を中心として主体が対象のために生きるところに理想的起源を置くべきかという問題を神様は考えられました。その理想的起源を主体である自分の前に、対象を(自分の)ために尽くさせる位置に立てるならば、神様がそうであると同時に、すべての人も自分がある対象をもつことができる位置に立ちます。そのようになるのです。それでは一つになることができる道がふさがってしまいます。これを知らなければなりません。

 一つになることができ、平和の起源になることができるその道はどこにあるのでしょうか。神様自身だけでなく、真なる人間は「ため」に生きる存在だという原則を立てざるを得なかったというのです。それゆえ、真なる愛は「ため」に生きる所から、真なる理想も「ため」に生きる所から、真なる平和、真なる幸福も「ため」に生きる立場で成立されるのであって、「ため」に生きる立場を離れては探すことができないのです。これが天地創造の根本であったという事実を、我々人間は知りませんでした。

 真なる父母はどのような人かという時に、子供のために生まれ、子供のために生き、子供のために死ぬ人だということができます。

 そのようになってこそ、子供の前に真の理想的父母として登場できるのであり、真の父母の愛が成立されるのです。さらに進んでは、子供の前に平和の中心になるのであり、幸福の基準になるということを我々は知ることができるのです。

 反面、真の孝行の道はどこに基準を立てるべきでしょうか。その反対の立場なのです。父母のために生まれ、父母のために生き、父母のために生命を尽くす人が真の孝子になることができます。そのようにしてこそ父母の前に理想的子女であり、心から愛することができる子女であり、幸福と平和の対象になることができるのです。

 それで我々はここで一つの公式を提示することができますが、「ため」に存在する立場でのみこのように理想的要件、すなわち真の愛、真の幸福、真の平和を見つけることができるということを今推察されたであろうと見ています。(七五―三一八)
 
3 宇宙創造の原則と人間幸福の起源
 
 神様の創造の原則が何でしょうか。創造は何かというならば、神様自体を投入したのです。神様のすべてのものを投入するところでのみ、完全投入するところでのみ完全結果が保障されるのです。これが創造の原則であることを我々は知らなければなりません。それゆえ、私自身を真に投入しなければなりません。真で与えなければならないというのです。真で与える所でのみ未来の自分の相手が起こるのであり、自分の踏み台が形成されるのであり、私を立証できる環境的与件が成立されるのです。受けるところでは不可能なのです。それは創造原則にありません。(八二―三二二)
 
 このように宇宙創造の原則であり、人間の幸福の起源が「ため」に存在するところにありました。例えば、男がなぜ生まれたかと問うならば、今日ここに著名な人士がたくさん集まりましたが、誰にも負けない私自身のために生まれたと今まで考えてきたことでしょう。しかし、本来男が生まれたその本意がどこにあるかというならば、女のために生まれたというのです。女のために生まれたというこの事実は、誰も否定できないのです。

 相対的な立場で見るならば、男は上の肩が広く、女は下が広くなっています。ニューヨークのようなところに行ってみれば、座席が満員になった時その狭苦しい椅子の中央に座っても、上が広く下が広い男と女と一緒に座ればぴったりはまるのを見ることができます。これはお互いが「ため」に生きる相対的関係をもつために、そのように生まれたということを我々は否定できないのです。
 男は男のために生まれたのでなく女のために生まれました。また、女は女のために生まれたのでなく男のために生まれたという事実を自らが確信できない立場にある時、問題が勃発するということを我々は知らなければなりません。これは天地創造の大主人であられる神様がそのような原則を創造原則としたゆえに、その原則に従って行かなくては、善で真で幸福で平和な世界に入ることができないのだと、本人は知っているのです。(七五―三二〇)
 
 男と女が生まれたのは、男は男のために生まれたのでなく女のために生まれ、女は女のために生まれたのでなく男のために生まれたのです。このようになったというのです。生まれたのは自分のために生まれたのではないのです。自分のために生まれたのでない者たちなのに、自分を主張するのです。「私、私」というこの思想を壊してしまわなければなりません。これさえ壊してしまえば統一の世界は展開されるというのです。(六一―二六六)
 
 自分の価値を自分から追求するよりは相手から、すなわち相対的基準からその価値を追求できる道を探求する人は不幸な人ではありません。いつでもどこでも心情の基盤は相対圏をもったゆえに、行っても来ても彼は孤独でなく幸福でいられるのです。(五九―二〇〇)
 
 真の父母は子供のためにいるのであり、真の孝子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のために……。ここに真があり幸福があるというのです。

 このような原則を適用して、アメリカの国民の中で一番の愛国者が誰かというならば、ある者はエイブラハム・リンカーンだというのです。彼は平民に生まれて民主主義を代表した指導者として、生まれながらにしてアメリカのために、生きながらもアメリカのために、死ぬのもアメリカのために死んだから、このような原則に一致した生を終えた人なのです。それゆえ、彼はアメリカ国民の中で今まで愛国者の表象として残されているのです。

 また、人類歴史上の聖人の中の聖人は誰かというならば、この原則を適用してすぐにイエス・キリストを捜し出すことができます。なぜならば、彼は人類のために来て、人類のために生き、人類のために死にながら、自分を十字架につけた怨讐さえも許してくれという祈祷をして亡くなった事実を見る時、どのような聖人よりも飛び抜けていたので、そのイエス様こそ神様が極めて愛することができる息子にならざるを得ないことは当然の帰結なのです。それゆえ、天国はこの公式により成されるのです。(七五―三一八)




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二.「ため」に生きる法度を立てた理由
 
 神様はなぜ「ため」に存在しろという原則を立てざるを得なかったのでしょうか。そのいくつかの要件を挙げてみます。まず皆さんに尋ねますが、もし皆さんのために誰かが心から生命を尽くして、犠牲を尽くしながら一〇〇パーセント恩賜を施した人があるならば、皆さんの本心がその恩賜を返すのに、五〇パーセントは袋に入れて置いて五〇パーセントだけ返したいですか、でなければ、あるがままにみな返したいですか。我々の本心がどのように作用しますか。誰でも、より返したいのが本心です。

 ここで通訳しているミスター・朴に対して、私がもし一〇〇パーセントそのようなものをあげたならば、あげるのにも心から愛する中であげたことを知るならば、この人は一〇〇パーセント以上を返してくれるというのです。一〇〇パーセントが一一〇パーセントで返ってきて、その一一〇パーセント返ってきたものは、またそちら側で心からくれたゆえに一二〇パーセントを返すようになって……。このようにすることによって、ここから永遠という概念が設定されるというのです。永遠が始まるのです。それゆえ、このような原則を立てざるを得ないのであり、それだけでなくここから初めて発展と繁栄が起こるのです。

 二番目は何でしょうか。皆さんの家庭において五人家族がいるとして、誰かがその五人の家族のために生きるようになれば、後日にはそのために生きた人がその家庭の中心になるのです。あたかも神様のように……。そうした中心が決定されると同時に、主体と対象、中心と相手関係においての自願的な主管圏が生じるようになるのです。絶対的に自分のために生きるその主体の前に、主管されることがどんなに幸せかということを、今日の人間は知らずに生きているのです。

 霊界に行くようになれば、神様の直接主管を受けることがどんなに大きい栄光なのか分かりません。このように、ここで初めて主従関係が成立されるのです。

 三番目は何でしょうか。理想と愛は人間において生命よりもっと貴いものなのにもかかわらず、今日の人間はこのようなものが自分のものとして自分に現れるだろうと思うこと、これが大きな誤解だというのです。愛と理想はどこから来るのでしょうか。対象から来ます。対象から来るために、ために生きる法度を立てざるを得ません。知恵の王であられる神様は、このようなすべての結果をご存じであるために、そのような法度を立てざるを得なかったということを、今や皆さんが知ったであろうと信じます。(七三―三二六)
 
 永遠という概念、これは自分のために生きるところでは不可能なのです。皆さんが運動するのを見ても、押してくれ、引っ張ってくれる相対的方向が大きければ大きいほど早く回るのです。知恵の王なる神様が、「ため」に存在する法度を立てたのは、永遠であることができるようにするために立てられたということを、我々は考えざるを得ないのです。

 それだけでなく、永遠の概念が成立すると同時に、これは永遠に発展し永遠に繁栄するのです。現在の位置から前進し発展するのです。存在の位置から前進的な刺激を感じることができるところでのみ幸福になるのです。このような要件をもっているゆえに、神様はために存在しろという原則を立てざるを得ませんでした。

 例えて言えば、一つの家庭に十人の家族がいるとしましょう。そこに一番幼い弟妹が、その十人家族の中で誰よりもその家庭全体のために生きるようになるならば、年齢の幼い弟妹であっても、父母も彼を前面に押し出すようになり、兄弟も彼を前面に押し出すようになります。日が過ぎれば過ぎるほど、そのために存在する弟妹は自動的にその家族の中心存在として登場するというのです。

 神様がこの宇宙を創造されて以後、神様自身が「ため」に存在するために、「ため」に存在する神様に似た人はどんなに小さな弟妹であっても、どんなに小さな息子であっても間違いなくその家庭で中心的な存在になるのです。今日我々はこれを全く知りませんでした。

 「ため」に生きるそこから私自らが後退するのでなく、「ため」にすれば、「ため」に生きるほどその人は中心存在として決定されるのです。あたかも神様のように。神様がそうであられるゆえに、そうした立場に立った人は、神様が中心存在として立てざるを得ないのです。それだけでなく、その立場でのみ理想的統一、完全統一を成すことができるというのです。

 今日我々の中で他人に主管されることは死んでも嫌だと考える人々が多いことを知っています。特に知識層にある高名な人々からこのようなことをたくさん見るようになります。しかし一つ知らなければならないことは、今までの人間が、「ため」に存在するその前に主管されて生きることがどんなに幸せかという事実を、夢にも考えることができませんでした。霊界の組織を見れば、天地の大主宰であられる神様、その神様は宇宙万有の存在の中で、「ため」に存在する中心存在であるゆえに、その方に支配されることがどんなに幸福なことなのか……。千年、万年支配されても感謝できる理想的統一圏がここに成立されることを知っているために、神様は「ため」に存在しなさいという原則を立てざるを得ませんでした。

 そして愛は私から始まったものではありません。生命よりも貴い愛と理想を探そうとするならば、対象がなくてはならないのです。今日我々はこれを全く考えることができませんでした。この高貴な愛と理想を受けることができ、それを探すことができる存在が対象です。それゆえ、我々が謙遜にその高貴な愛と理想を受け入れよう思っても、最も「ため」に生きる立場でなくてはならないので、神様は「ため」に存在しろという原則を立てざるを得なかったという、この一つの事実を我々は記憶しなければなりません。(七五―三二二)




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三.理想的統一の起源

 統一がどこで起こるのでしょうか。統一は自分のために生きるところで起こるのではありません。自分を中心として自分のために生きるところで起こるのでなく、全体のために生きるところで起こります。これが統一の方法です。

 会社において今後主人の位置を引き継ぐことができる人とはどのような人でしょうか。人より十分でも先に出勤し、八時間仕事をするようになれば、仕事をする時私が会社に借りを受けないという心で精誠を込めて仕事をし、退勤するにも人より一分でもよりたくさん、より熱心に仕事をして退勤するというようになれば、彼は間もなくその会社の中心になるというのです。簡単です。そうした基準で生活するようになれば中心になるのです。

 このような原則を中心として、皆さんが自分の生活舞台において公僕にならなければなりません。公僕にならなければなりません。私的な立場で、自分のために生きる人になってはなりません。公的な立場に立つ人にならなければならないというのです。統一教会がそのように出ていくようになれば、統一教会の発展は誰も阻むことができません。いくら誰が何といっても、国が何といっても阻むことができないというのです。

 善はぶつかる時ごとに発展するのであり、行く所ごとに百勝するのです。難しいことのようですが、この原則に立脚するようになる時は、この原則が違わない限り必ず勝利をもたらすのです。この原則によって生き、この原則に立脚して犠牲になる人は必ず勝利するのです。私が得た利益を私の利益と思うのでなく、国家のより大きい利益と思い、勝利をすればその勝利した価値を私のものでなく国のもの、世界のものとして帰する、このような思想を広げていく団体があるならば、世界が滅びに至るともその団体は滅びないのです。このような内容をもった統一思想は、滅びないということを皆さんは知らなければなりません。(四一―九六)
 
 統一の方案がどこにあるのでしょうか。「ため」にしてあげるところにあります。では、南北が統一するのに金日成がしようというとおりにするのでしょうか。金日成がしようというとおりにするのではありません。愛が宿ったものは何でももらいたいよいものであるゆえに、その愛することのできる位置で、永遠に与えることができる位置に立つようになれば、北も統一されるのです。現在北の民たちが暮らす以上の立場で、永遠に与えることができる基盤さえつかむようになれば、共産党の宣伝ごときには食われないというのです。大韓民国が経済分野、生活分野、知識水準などすべての分野で並外れ、永遠に与えることができる位置に立つようになれば、完全に一つになるなといっても一つになるのです。(三六―七六)
 
 負債を負うところでは統一できません。分かりますか。負債を負うところには統一がありません。負債を負って天国が成されることはありません。負債を負って復興される法がありません。負債を負ったものを数倍にして利子をつけて、完全に返すことのできる余裕があるようになる時、そこに富国が設定されるのです。天国というものは富国中の富国であるゆえに、負債を負う位置では不可能だということを知らなければなりません。(八二―三三三)
 
 善と悪とは何でしょうか。私的なものは悪に属するものであり、公的なものは善に属するものです。簡単なのです。皆さんがこれを確実に知らなければなりません。宗教が扱う分野はどこまででしょうか。宗教は公的な分野を扱います。ところで公的な生活内容は人間世界だけでなく霊界にまで、主体的な絶対者の神様にまで立体的に関係されているというのです。

 私的に国を利用し、自分個人や家庭のために国家の財産をむやみに搾取するようになれば、国が滅びるようになりますか、なりませんか。そのようになれば国が腐敗したと言うでしょう? そうでしょう? 公的な責任を負った公僕なのに、国家の公務員なのに、公的なものを自分が所有すれば滅びるのです。それは毒薬を自分の子供たちに飲ませることよりもっと怖いのです。滅びなければ今後滅びるようになるのです。天が滅びるようにするのです。

 体と心を置いて見る時に、どのようなものが公的かというならば、体より心が公的です。それゆえ、心を中心として体を屈服させる勝利的基盤を立てなさい。負債を負わず、負債を負わせる生活をしなさいというのです。負債を負わせるには平面的な負債を負わせるのでなく、神様の愛でもって負債を負わせろというのです。そのような人になるならば、その人は絶対に滅びないのです。もし負債を負わせてもそれを受けることができないようなれば、必ずその人の後孫が天から受けて、この地上に来て福を享受するようになるというのです。(四一―九七)




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四.正しい価値観の確立
 
1 真の愛は与えても忘れてしまうこと
 
 愛は一人では成されません。愛はどこから出てくるのですか。私から出てくるのではなく対象から来るのです。対象から出てくるために、私が頭を下げて対象のためにしなければならないのです。「ために生きる」という天理がここから生じるのです。極めて高貴なものが私を訪ねてくるのに、それを受けようとすれば、高めて「ため」にしなければならないというのです。「ために生きる哲学」を成してこそ愛を受けるのです。
 今日人間社会は堕落した以後に腐りました。すべての哲学が、それを作った者の私欲を主としてなされています。むしろこれをさっと掃いてしまわなければなりません。武器や経済力、知識などをもって腐ってしまった哲学をなくすことができますか。できません。唯一真の愛だけがそれをすることができます。その愛は神様からの愛です。神様と愛の因縁を結ぶようになれば、必ず主管性と独立権、その次には相続権をもつことができる特権があるというのです。力学の世界では入力より出力が小さいけれど、愛の世界では入力より出力がより大きいのです。すればするほど無限に福となる……。
 真の愛は何でしょうか。「ため」に生きる愛ですが、いくらでも与えてはそのまま忘れてしまうのです。今更のように与えたことを記憶することもしません。またどんなに注いであげても疲れません。九十を越えた父母が七十になった息子を見て「お前! 車に用心しろ」と言ってもぎこちなくなく、数十年間その言葉を数えきれないほど繰り返したとしても、飽きたり疲れたりする法はありません。堕落した世の中の父母もこのようであるのに、まして本質世界で神様の愛を授け受けする時疲れるはずがありますか。
 人生で真なる神様の対象圏を確定づけ、愛の栄光が不変だということを初めて知るようになる時に、我々人間の愛を中心として永生の倫理を妥当化させることができるのです。このような事実を知っている人がどこにいますか。
 以前私がアメリカで監獄に入り、獄中の寝台に一人で横になっていると、神様が訪ねてこられ、信じる者がお前しかいないからニカラグア事態を解決しろと命令なさいました。神様が訪ねられる人間が私しかいないですか。先進国を代表するというアメリカには二億四千万という国民と数えきれないほど多くの教役者たちがいるけれど、彼らを訪ねることができず、私を訪ねてこられた神様がどんなにあわれであるか見当がつくのです。けれども神様は愛を訪ねて行かれることができるために幸いです。ゆえに世界のために私が仕事をしなかったならば南米は既に廃墟になったのです。(一九八六・三・一四)
 
 真の愛は何かというならば、与えて忘れてしまってはまた与えるという愛です。偽りの愛は与えるのに加えて商売する愛であり、与えたからお前はそれ以上返せという愛です。これはサタンの愛です。
 真の愛は与えて忘れてしまい、また与えたいとするものです。偽りの愛は一度与えたならばそこに元金と利子まで合わせて受けるというのです。それゆえ、イエス様のような人は地上に来て「怨讐を愛せ」と言いながら怨讐を忘れてしまうのです。怨讐まで忘れてしまい、愛することだけをしたいというその位置が、この宇宙の全存在が願う理想的人間像だというのです。そうした内容をもって来たがゆえにイエス様は神様の息子です。
 神様はどのような方ですか。息子に似た方でしょう。神様の息子が誰でしょうか。イエス様が神様の息子ならば、神様はイエス様に似た方でしょう。それゆえ、イエス様に似た神様はどうしましたか。イエス様が怨讐を愛したのと同じように、怨讐を忘れてしまって愛して、また愛される方が神様です。ゆえに死ぬ立場に入るようになれば、人々が「神様! 私を助けてください!」と叫ぶようになるというのです。
 人間がいつも「あなたが必要です。主人としてあなたのような主人は宇宙にありません」と言えるそのような主人がいますか。女が幸福な女であるならば、どのようなことが幸福かというならば、愛する夫が自分のためにし、またためにし、またためにして忘れてしまい、またためにしようとする夫をもった時、この世で一番幸福なのであり、男もその妻が夫のためにし、またためにし、またためにして愛して、また愛しても忘れてしまって、また愛そうという姿である時本当に幸福なのです。真の妻と真の夫の道理はこのようなものです。
 統一教会は何をしようというのでしょうか。今日人間の欲望のすべてのものを完全に満たし、万人共有の神様が喜ぶことができる平衡的世界化運動を、神様だけが喜ぶことができる愛を中心として統一化する運動をしようというのが統一教会です。(一九八六・一・二一)
 
2 天国の構造と宗教の教え
 
 皆さんはよく知らないけれど、本人は霊的体験、あるいは霊界に対する内容を体験できる機会が多かったです。
 神様がいらっしゃる本然の世界、今日宗教でいう天国とか極楽とかというそのような所の構造が、何を基準としてなっているかという疑問に対する答えは簡単だというのです。
 神様のために存在する者たちだけが入る所であり、「ため」に生まれ、「ため」に生き、「ため」に死んでいった人々が入る所です。これが我々の本郷の理想的構造であるゆえに、神様はその世界を探してくるようにするために、歴史過程に数多くの宗教を立てて訓練させるのです。
 今までの宗教が温柔謙遜でなければならず、犠牲にならなければならないと教える理由は、霊界に行かなければならない人間たちに、霊界の法度がそうであるゆえに、宗教が地上生活の過程で、その霊界に合うように訓練せざるを得なかったためです。それゆえ、高次的な宗教であるほどより次元の高い犠牲を強調し、奉仕を強調するようになるのは、平素の生活をその世界に一致させようという所にその原因があるのです。
 このような事実から推察して見る時に、このような内容を提示すること自体が、歴史的な観点で、歴史の進行過程で摂理して下りてこられる神様を認めざるを得ないようにするのです。
 聖書がいくら厖大な経典になっているといっても、「ために存在する」というこの原則にみなぴったり合うというのです。イエス様は、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされると言いました。このような逆説的な話をしたのも、結局は、「ため」に存在する本然の世界の原則に一致させるための方法にすぎないということを、我々は知るようになるのです。(七五―三二〇)
 
 家庭の天国がどのようなものかと尋ねるならば、妻が夫のために一〇〇パーセント存在し、夫が妻のために生き、妻のために死ぬという立場に立つようになる時に、その家庭こそ天国でないはずがないのです。
 我々の格言で家和万事成(注:家和して万事なる)と言いました。国が盛んになることも同じです。国を治める主権者は自分の存在の価値が自分の主権行使にあるのではなく、民のためにする所にあり、その民は民自体のためにすることより国のために……。このようになる日にはその国は天国になるのです。
 このような原則を拡大していくことによって、国家、民族を超越し、互いに「ため」に生きる世界を成すならば、その世界がまさに我々人間たちが願うユートピア的愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界であることに間違いありません。「ため」に存在するというこの原則を掲げて出るようになる時は、どこでも通じない所がないのです。(七五―三二五)
 
3 正しい価値観の確立
 俗に世の中で、ああ、人生とは何かと言うけれど、人生観、国家観、世界観の確立、その次には宇宙観に対する確立、さらに進んでは神観の確立が問題になるのです。これをどのように確立するのでしょうか。系統的段階と秩序をどこに置き、その次元的系列をどのように連結させることかという問題は最も深刻なものです。
 しかし、「ため」に存在するというこの原則に立脚して見るようになる時に、最も価値ある人生観は、私が全人類のためにおり、全世界のためにおり、国家のためにおり、社会のためにおり、家庭のためにおり、妻のためにおり、子女のためにいるという位置で幸福な自我を発見できるならば、この以上の人生観はないと見るのです。
 国家自体をおいて見ても同じです。理想的な国家はどのようにならなければならないのでしょうか。自分の国だけのためにしようとする国は、悪い国家として指弾を受けてきたことを我々は歴史を通してよく知ることができます。
 けれども現在の全世界の国家の中で、世界のために政策を広げている国は一つもありません。皆さんがよくご存じのように、今日共産主義も決裂状態に入っているのです。一九五七年を頂点として、共産主義が分かれた原因は、ソ連を主としてスラブ単一民族の世界制覇を夢見たためです。
 自分の民族だけのための共産主義に変わったゆえに決裂が起こることを知っています。今日アメリカも民主主義主導国家から没落する実相を我々は直視しています。なぜ? 世界を指導する民主国家になるべきであるはずにもかかわらず、世界を捨てて自国だけのためにしようとするアメリカになったためです。今、後退の一路に立ったアメリカは、自主的に収拾できる道はないと見るのです。
 このような問題を置いて見る時、今日の韓国でも一つの国家観確立を提唱しているのを見ますが、アジアにおいて韓国だけを主とした国家観確立は、歴史とともに過ぎ去るのです。ソ連共産党がそうであり、アメリカ自体がそのようであることを見る時に、今日大韓民国がこのように国は小さく少数の民族だけれども……。そして、仮に国の形態がなく二十一世紀、あるいは三十世紀へ向かっても、本当に韓国民族が世界のために生きる民族思想を固守していくならば、韓国民族はその時になって、必ず世界を指導するのです。このような公式的帰結により我々は結論づけることができます。
 真の国家は世界のために生きる国家です。また真の世界は世界のためだけに生きるのではありません。その世界自体は結果的位置にあるために、動機の基盤になる絶対的な神の観点と一致できる思想的体系をもたなくてはならないというのです。自分のために生きる内容の思想では世界を指導し、解決していくことができないと見るのです。(七五―三二四)
 
4 地上天国の実現方案
 
 神様は世界万民を子女としているゆえに、神様の救いの目的は世界の人類なのです。さらに進んでは、宇宙の救いなのです。それゆえ、一国家、単一民族圏の仮面を脱ぐことのできないそのような宗教は、神様の全体のみ旨の前に立つことができないのです。
 神様は世界を救うことが主目的であるゆえに、それを救うことができる可能な段階の次元を、どのように発展させるかという問題を考えてみる時、原則は簡単だというのです。家庭は氏族のためにあり、氏族は民族のためにあり、民族は国家のためにあり、国家は世界のためにあり、世界は神様のためにあります。その時の世界は、神様のために存在することのできる人でなくては、全知全能でこの全宇宙を創造された神様の子女になる資格がないのです。
 すべてのものは世界のためにあり、世界は神様のためにあります。この一つの立場に立てば、神様は世界のための立場に立っているのであり、国のための立場に立つのであり、民族のための立場に立つのであり、氏族のための立場に立つのであり、家庭のための立場に立つというのです。他の話に変えて話すならば、私のものは妻のものであり、その夫婦のものは家庭のものであり、家庭のものは氏族のものであり、氏族のものは民族のものであり、民族のものは国家のものであり、国家のものは世界のものだというのです。このような観念をもったその世界は神様のものです。
 それでは今や神様のものは誰のものになるのでしょうか。私のものになるのです。そうした立場に出てこそ皆さんは、栄光なる最高の限度を達成するというのです。皆さんそうでないですか。誰でも世界で一番になりたいという、そうした欲望をもっているのです。
 そうした価値的な存在になることによって、万有の中心的なその神様のものが、初めて私のものになることができる栄光の立場に立つことができるというのです。このように見る時、結論を下すならば、「ため」に生きるところにだけ家庭天国の実現が可能なのであり、国家天国の実現が可能なのであり、世界天国の実現が可能なのです。それだけでなく神様も人類と共に、幸福で理想的な園だといって踊りを踊って歌を歌うことができる世界へ因縁づけられるのです。
 そのようなものが宗教が目的とする天国であり、その天国が地上に成されるものであるゆえに、それがまさに地上天国だという結論が出てくるのです。(七五―三三一)
 
 理想世界である地上天国はどのように実現されるのでしょうか。男は女のために、父母は子のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は神様のために生きてこそ実現されるというのです。
 そのようになれば、私のものはお前のものになり、お前ものは家庭のもの、家庭のものは氏族のもの、氏族のものは民族のもの、民族のものは国家のもの、国家のものは世界のもの、世界のものは神様のもの、神様のものは私のものになるのです。このような運動が展開されなければならないのです。この運動を地上世界で誰かが、ある教派なり、ある人なり、志ある誰かが始めなければ、この世界が天に帰っていくことができる道を探すことができないゆえに、必ずしなければならないのです。(七三―三二七)




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第五章 共産主義と頭翼思想

第一節 共産主義の出現と今日の世界

一.共産主義の出現

1 共産主義出現の預示

 旧約聖書の歴史を見れば、ユダの嫁タマルについての話が出てきます。このタマルという女性がどのような女性かと言えば、天の祝福を受けた血統を残すことを何よりも重要視した女性です。タマルという女性は神様の血統、すなわち祝福というものを重要視した人です。それで彼女は神様の代を継ぐことにおいては、どのような冒険でもしようとする歴史的な代表的女性です。これは誰の立場と同じかと言えば、エバの立場と同じです。エバは、人類の母として神様の直系の伝統を引き継がなければならないにもかかわらず、これを等閑視して破綻させました。これを復帰するためには、エバよりも優れた女性が現れなければならないのです。死んで滅びることを意に介さず、ただ神様の祝福を受けた血統の継代(代を継いでいくこと)が残ることを、自分の命よりも価値あるものと思う女性が現れなければならないのです。その女性が誰かと言えばタマルです。

 年の幼い義理の弟を通してはその支派の血族を残せないということが分かったタマルは、冒険をしたのです。自分は死んで消え去ろうとも、祝福を受けたユダ支派を残さなければならない責任を切実に感じていたタマルは、義理の父をあざむいて関係を結んだのです。それはちょうどエバが神様をあざむいて関係を結んだことと同じです。タマルは神様のみ旨を成すために、自分の義理の父をあざむいたのです。そのようにして、天の道を復帰したのです。

 それはエバと正反対です。エバは天をあざむいて誤った愛の道を行き、天地を滅ぼしましたが、タマルはこの誤り滅んだ世の中を正すために、神様をあざむいたエバと同じように自分の義理の父をあざむき、神様の代を受け継ごうとしたのです。エバと正反対の立場に立ったのがタマルでした。分かりますか。

 どうしてタマルは、このような非法的な愛の関係を結んだにもかかわらず天の祝福を受けることのできる第一代の母になったのですか。これは堕落したエバが父なる神様をあざむき非法的な愛の関係を結んで滅びましたが、タマルはそれとは反対に非法的な愛を通して滅んだのではなく、神様を尋ねていくことのできる神様の継代を誰よりも尊重視したからです。蕩減復帰がなされたために、天がタマルを通して役事をするので、それが罪とならないのです。原理に立脚した位置になるのです。分かりますか。そのような立場はエバとは正反対の立場です。

 そのために、タマルを通して天の摂理の糸口が残るようになったのです。分かりますか。タマルは義理の父ユダが羊の毛を刈りに通う道端で娼婦に粉装して待ち、義理の父をあざむき誘い入れて関係を結び、妊娠しました。これが復帰摂理の一つの勝利的土台になったということが、今まで分かりませんでした。分かりますか。ヤコブも兄をあざむかないわけにはいきませんでした。すべてそのようになっているでしょう?

 そのようにしてタマルが腹中に赤ん坊をみごもるようにはなりましたが、ここで根本的な交差運動をしなくては天倫の正常的な血統的勝利の土台を立てることができないので、神様はタマルに双子を生むようにしました。分かりますか。これが、ペレヅとゼラです。

 ですからこのように、腹中で入れ替えなければならないのです。入れ替えをしないでは、正常的な因縁を通して原理的に先に生まれた長子の基準を地上に立てることはできず、次に生まれた次子を主管できる基準を立てておかずには、原理原則に戻っていくことができないのです。そうですね? このみ業をするためにタマルの腹中でペレヅとゼラが戦うのです。

 出産期になって赤ちゃんを産むようになったのですが、兄がまず手を突き出したのです。創世記第三十八章を見ればこの内容が詳細に出ています。手を突き出すので産婆が赤い糸で縛ってあげました。このことは将来、主が来られる前の時代に共産党が出てくることを予示したものです。赤い糸を結ばれた兄が少しの間現れましたが、それを押しのけて反対に弟が先に出てくるようになったのです。ペレヅという名前は、押しのけて出てきたという意味です。(五八―五三)

 道端で娼婦の姿に変装して義理のお父さんの懐に抱かれて生んだ息子が誰かといえば、双子のペレヅとゼラです。ペレヅとゼラは、おなかの中で入れ替えをしなければならないのです。エサウとヤコブが入れ替えをした後、腹中での根本的な復帰過程が残っているために、これを完全に入れ替えるために腹中で二人が戦うのです。

 兄になるゼラの手が先に出たので産婆がその手に赤い糸を結んであげました。これは共産党が先に出現することを予告することなのです。分かりますか。

 終末時代に入れ替えをした主が来られる前に、先に出てきたゼラに赤い糸を結んであげたのと同じく、共産世界が先に現れるというのです。共産世界が兄の姿で先に出てきましたが、弟がその兄を押しのけて、世界的な主権をもってくるということを見せてくださったのです。分かりますか。

 ですから弟が、先に出てこようとする兄を押しやって、後になるべき弟の立場でありながら先に生まれたのです。ペレヅという名前は、押しのけて出てきたという意味です。分かりますか。

 善が先に出発しなければならないのに、悪が先に出発したでしょう? これを初めて入れ替えたのです。(四三―一九九)
2 赤色と共産主義

 白色は安全なものを象徴しますが、赤い色は危険なものを象徴するのです。そうでしょう? 

 ですから共産党を赤と言うのです。共産党をなぜ赤と言うのかといえば、危険が付きまとっているためです。危険なために赤と言うのです。しかし、右翼は正しいことを言うのです。それ自体がそのような内容を告げているのです。それは人間が作り出したものではありません。(三九―一二七)

 天地において、サタンは悪なる存在なので、自己の正体をさらけ出さずには天倫の前に立つことができません。絶対者の審判廷に立つことはできないのです。サタンは悪なので左側です。ですから左翼という言葉が出てくるのです。そして赤と言います。赤色は危険を表す色でしょう? (はい)。

 そしてイエス様の十字架の時の右側の強盗を身代わりして出てきたのが民主世界です。右側の強盗を身代わりして出てきたために、民主世界を右翼と言います。旗を見れば左翼である共産世界は赤色旗であり、右翼である民主世界は白色旗です。終わりの日には全体が実を結びます。ですから自己の正体を告げる証の時代です。全部告白しなければならないのです。このような立場が真の父母を中心にして展開されたのです。イエス様を中心として実体的な世界が成されないで霊的にだけ成されたために、実体的に二つの世界として展開されたのが民主世界と共産世界です。(二三―一七七)

 実に不思議でしょう? 誰が共産圏を左翼、民主世界を右翼と名づけたのか不思議なのです。誰がつけたのですか。そのように蒔いたので、そのような結果をもたらすようになったのです。「赤(共産主義)」の赤色は危険を象徴する反面、白色は平和を象徴します。そして、民主世界を白色主義と言い、共産主義を赤色主義と言います。誰が最初にそのように名づけたのでしょうか。

 人は誰でも、天倫の前には自己の良心を中心にして告白しなければなりません。偽りは偽りとしての終局を避けることはできません。その正体をさらけ出さなければならないので、左翼とか赤とか赤色主義とか言うのです。すべての事実をはっきりと知っている者の前では、告白しなければならないのです。悪がどんなに世界的な勢力の基盤をもったと言っても、その正体の内部まで詳細に透視していらっしゃる神様の前では否定できないために、自身の正体をさらけ出す左翼あるいは赤色主義というのです。(二〇―一七三)

 我々はどのような主義ですか。民主主義ですが、民主主義は白色主義です。なぜ、白色ですか。神様が中心になって神様の仕事をするということです。世界的な仕事をするのです。

 反面、共産主義は赤色主義でしょう。共産主義とは何ですか。サタンを中心として遊ぶ主義ですか。違うのです。共産党は真っ赤で気分が悪いのです。(四五―二八三)

3 羊とやぎの比喩

 皆さん、マタイによる福音第二十五章を見れば、終わりの日には羊とやぎを左右に分けるとあります。悪の勢力を分けて二つに裂くということです。羊には主人がおり、やぎには主人がいません。その時が今なのです。民主世界は神様を主人として侍る世界であり、その反対に共産世界は神様がおらず、宗教は怨讐だと言う世界です。このように二つに分かれるのです。これは私の言葉ではありません。歴史がそのようになっているのです。「一つ」に一番近いものが「二つ」です。終わりの日にはこのように二つに分かれるのです。(五四―四七)

 聖書を見れば、終わりの日には羊とやぎとに分けるとあります。それはなぜでしょうか。植えたものは秋になれば刈り入れます。言い換えれば、終わりの日には、蒔いたとおりに刈り取るようになります。人は心と体が闘うものとして植えたために、これが世界的に実を結ぶ時が来るのです。

 その時がいつかと言えば、世界的に民主世界と共産世界に分かれている今です。一つは唯心世界を主とするのであり、一つは唯物世界を主とするのです。一つは内的な心の側を代表した世界であり、一つは外的な体の側を代表した世界です。これは、心と体が闘う私を根本として生じたのです。(四一―六一)

 皆さん、聖書を見れば、終わりの日になれば羊とやぎとに分かれるとあります。羊には主人がいて、やぎには主人がいません。そのために、民主世界は唯心論を中心に神様をつかんで現れた歴史観であり、共産世界は神様を否定する、主人がいないと言う歴史観になっているのです。(五三―一八六)

 聖書には、終わりの日に羊とやぎが分かれるとあります。羊とは主人がいる者を言い、やぎとは主人がいない者を言います。世界は今まさにそのようになっています。自由世界は神様を主人にしていますが、共産世界は神様はいないと言うので主人がいません。それは、我々個人の分かれた心と体の世界的な実なのです。結局は、春にそうやって植えたものを刈り取らなければならない秋の季節が来たのです。(五四―一二五)




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二.イエス様の十字架と今日の世界

1 イエス様の十字架を再現した今日の世界

 イエス様は真理の本体です。すなわち真理の種です。ところで、この種は十字架にかかることによって植えられました。その時に右側の強盗と左側の強盗がいたことを皆さんは知っています。死ぬ立場でありながら、イエス様のおかげで釈放されたバラバは福を受けた人です。イエス様は十字架で死んで、「また来る」と言いました。十字架で逝かれたので、十字架で降りてこなければならないのです。イエス様が亡くなられたその時の環境がそのまま世界的な現象として実を結ぶ時になれば、主が来られる時になったことを皆さんは知らなければなりません。(六九―一一〇)

 イスラエル時代にイエス様が来て成就できなかったために、キリスト教文化圏を中心に主が再び来られることを約束しました。キリスト教は新しい歴史時代の出発です。イエス様を植えたのです。イエス様は真の人なので、真の人を植えたのと同じです。ところで植える時、一人では完全にきれいなものとして植えることができませんでした。サタンが讒訴する条件に引っ掛かったまま植えたのです。植えたものが世界的に実を結ぶ時になったならば、終わりの時であることを知りなさいというのです。

 イエス様が十字架上で亡くなる時に右側の強盗と左側の強盗がいました。その次に、イエス様の前にバラバがいました。右翼とか左翼とかいう言葉は、今日出てきたのではありません。イエス様の時代に植えたものが実を結ぶ時になって現れるのです。左側の強盗はイエス様に対して「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言いながら、イエス様を否定しました。右側の強盗は左側の強盗に「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・41)とイエス様の側に立って苦しみを克服し、左側の強盗をしかったのです。それで、右側にいた強盗はイエス様と共に楽園にいることを、我々は聖書を通して知っています。

 バラバはどのような人かと言えば、イエス様のおかげで助かりましたがイエス様に反対した人です。ですから、そのような文化圏が生じなければならないのです。それが、イスラム圏なのです。イスラム教は片手にはコーランを、もう一つの手には剣を持っています。これは純粋な宗教の立場に違背します。旧約聖書を信じながらも、そのようなことをしているのです。

 体的人にも、心と体があり、心的人にも心と体があります。これと同じように、外的世界と内的世界を見るとき、イエス様は内的立場にいました。内的な立場はイエス様と右側の強盗が一つに組んでおり、外的な立場は左側の強盗とバラバが一つの組になっています。(五三―一八八)

 イエス様を中心にして見る時、右側の強盗と左側の強盗、イエス様とバラバ、このように種を蒔きました。歴史がこのように蒔かれ、蒔かれたとおりに刈り取られるのです。まず最初に現れたのが右側の強盗型と左側の強盗型である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏であり、その次に現れたのがイエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラム圏です。イエス様のおかげで福を受けることができるようになったバラバ型のイスラム教は、キリスト教の旧約聖書を中心として出発しました。

 このように蒔かれた歴史は、世界の形態が三大陣営として結束する結果的な時代の運勢へと入っていくようになりました。アラブ圏のナセルは、イスラム教圏を統一してアラブ統一国家を夢見ました。そこに対備して、キリスト教は今、「すべての宗教を統合しよう」という世界的な新しい趨勢に入っていっています。このような世界的な傾向を眺めてみる時、悲運で蒔かれた歴史が、初めて神様を中心とした善の結果として現れているということを知ることができます。

 歴史の終末時代になればこれが露骨化し、始めに蒔いたものをこの時に結んだ模様そのままで収めるようになるのです。これは、摂理の法度によって現れないではいられない、不可避の傾向です。

 それでは、今現れなければならないものは何ですか。イエス様は人類を代身して死にました。その時、左側の強盗は十字架を背負ったイエス様を眺めて誹謗しました。「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれも救ってみよ」(ルカ二三・39)と言って誹謗したのです。そのような左側の強盗型として現れたのが、「神なんかどこにいるのか」と言って神様を誹謗し否認する左翼、すなわち共産圏です。それに反して、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(同二三・40〜41)と言って、イエス様を認定し、天を擁護し、天の側を証した右側の強盗型として現れたのが右翼、すなわち民主世界です。

 また、イエス様によって死ぬ立場から解放されたバラバ型のイスラム教圏のナセルという人は、このような左右の闘争の間で利益を上げようとするのです。それが、ナセルの政策です。

 民主世界が内的ならば、共産世界は外的です。右翼が内的ならば、左翼は外的です。ですから、将来メシヤは神様を尊重する民主世界の内的基盤の上に来られ、外的な環境を吸収して、キリスト教文明圏を中心として統合する運動をしなければなりません。最後には、このような運動が起こるのです。このようなことをただの偶然であると言うことはできません。そのような動機が蒔かれたために、そのような結果がもたらされるのです。(二〇―一七一)

2 終わりの日における地球上の四つの組

 この世界において、神様とサタンが世界的に大きく戦って蒔いた時がいつかといえばイエス様の時です。イエス様が十字架について死んだその位置は、この人類世界に神様とサタンが蒔いた位置なのです。それが収穫期、すなわち終わりの日になったので、世界的に現れなければならないのです。
 イエス様一人を中心に見るとき、四組になります。イエス様がいて、右側の強盗がいて、左側の強盗がいて、バラバがいました。これら四人が、生死の問題を中心として関係した人です。ここで肉的に復活したのがバラバで、霊的に復活したのがイエス様です。(五三―一三二)

 皆さんが今の時代をソ連と中共と米国の三国時代だと言いますが、そうではないのです。米国と共産圏とアラブ圏です。アラブ圏はイスラム教圏です。このように三組なのです。何を言っているのか分かりますか。民主世界と共産世界、そしてアラブ圏、このように残るようになるのです。

 その次にもう一つ現れなければならないのですが、それがどのような圏かといえば天国圏です。天国圏が現れてこそイエス様が勝利できる復活圏が開くのです。どうしてそうなのでしょうか。真は、蒔けばそのままたくさん収めるようになるのです。粟一粒を蒔けば秋に粟がたくさん取り込まれるのと同じです。そうでしょう? 植えたとおりに取り入れるのです。(五七―三三二)

 神様は国も分け、主義や思想もみんな分け、共産主義もみんな分けるのです。全部分けるのです。そうして四組になるのです。四組になればすべて終わりなのです。今、その時になってきたのです。四つの組にならなければいけないのです。世界的にもそうです。イエス様が真理の王子ならば、イエス様が蒔いたとおりに実る時になったのです。(四九―一九六)

 将来、残された問題がどのようになるのでしょうか。死ぬこと以外にありません。イエス様が死んだので右側の強盗、左側の強盗も死ぬこと以外にありません。キリスト教も終わりであり、民主世界も終わりであり、共産世界も終わりです。全部このようになるでしょう? イスラム教圏もみんな終わりです。天地の主人がいなくなったために、全部悲惨な運命になるのです。そのような運勢が今来ているのです。ここにおいて復活の権限をもって、この地上に再臨思潮が来るであろうというのが統一教会の歴史観です。

 ですから、家庭がばらばらになったなら天の家庭が糾合できる時が来たことを知れ、お父さんとお母さんがお互いに刀で刺し合うならばサタン世界が互いに争い滅びる時が来たことを知れ、教団で牧師と長老たちが刃傷ざたを起こしたならばその教団から既に神様が離れたことを知れ、信者が牧師をナイフで切り、牧師が信者をナイフで切るその時になれば終わりであることを知れというのです。これから、世界にそのようなことが現れるのです。その中で一番めちゃくちゃで、世界で代表的に誤った場がイエス様が血を流した場であり、その場がイエス様が復活できた場ではないですか。

 そのような立場に置かれている国がまさに韓国です。そのような意味で、韓国に再臨主が来られるのです。左右がぶつかる境界線である南北を中心として共産圏と民主圏の交差路が生じたのです。そこで民族的に家庭がこっぱみじんに割れるのです。皆さんがそれを知るようになればあきれ返るのです。(五〇―七二)




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三.イスラム教圏と共産主義

1 イスラム教圏の立場

 バラバとは何ですか。イエス様が死地に出て行くことによって、死ぬべき者が生き返ったのです。そうでしょう? そのようなやからがいました。それが何ですか。この世界においてのアラブ圏イスラム教です。イスラム教はキリスト教によって出てきたのです。これは、「怨讐を愛する」という宗教的本質から外れたと言えるのではないでしょうか。それは、「コーランを受け入れなければ剣で切られろ」というカイン的世界宗教の代表、すなわちバラバ的な宗教です。分かりますか。

 ですから民主世界を中心にして見れば内的な精神的指導基準がキリスト教であり、共産世界を見れば、現象として共産世界の内的立場に立っているようなものがイスラム教です。ですからイスラム教とキリスト教は歴史的な怨讐です。そうでしょう? (はい)。そのように分かれるのです。(五〇―二二四)

 バラバのような国はどのような国かと言えば、イスラム教国家です。片手にはコーランを、片手には剣をもって、信じればそのままにしておき、信じなければ剣で脅します。信仰の本質はそういうものではありません。それは、愛し難いものまでも愛するという信仰の本質とは根本的に違うものであるとは言えないでしょうか。これは、間違いなく共産主義と表裏一体として現れるのです。(六九―一一二)

 バラバという人はどのような人かと言えば、イエス様の身代わりとして命を助けられた人です。そうでしょう? 彼はその当時の反動分子として国に民乱を起こさせた大逆罪人だったので、すぐに殺される立場にあったのですが、イエス様のおかげで命拾いをしたのです。そうでしょう? 

 バラバの父母がイエス様ならば、バラバはイエス様の身代わりに自分が救われたのだから、命を落とすようなことがあってもイエス様のために忠誠を尽くさなければならないのです。それが、人間の道理なのです。(五七―三三二)

 バラバ圏はどこであるかというのです。バラバはイエス様のおかげで死ぬ立場から救われた人です。彼は、イエス様のおかげで救われたのだからイエス様の死を心配し、イエス様の行く道を同情だけでもすべきなのに、逆に非難をした人です。イエス様は死んで復活しましたが、バラバは死なないで解放された人です。そうやって出てきたのが何かといえば、旧約聖書を中心とするコーランを信じているイスラム教圏であるということを、皆さんは知らなければなりません。そのために、イスラム教とキリスト教は怨讐になっています。

 イエス様と右側の強盗が一つになったように、左側の強盗とバラバが一つになる時が来るのです。それでは民主世界とは何ですか。右側の強盗であると見るのです。これは、ミスター・文の作り話ではありません。歴史がそのようになっているのです。

 これから先の問題は何ですか。イスラム教圏が問題であり、共産世界が問題であるということを、皆さんが分からなければなりません。今、共産党とイスラム教圏が手を取り合って出てきています。これを防止しなければならないのがイエス様を中心とした右側の強盗の立場の民主世界であるにもかかわらず、そうすることのできる民主世界の権限はどこに行ってしまったのかというのです。(五四―一二七)

2 イスラム教圏と手を握ろうとする共産主義

 共産党は、何としてでも将来アラブ圏と手を握ろうと努力します。これは、先生が前から話してきたことなのです。一九六五年に米国のアイゼンハワー前大統領に会った時、そのことを話したのです。共産世界が滅びる時には、必ずアラブ圏を通して民主世界に再び反旗を翻すと言ったのです。今がそうなのです。(四七―一九三)

 私が一九六五年度にアイゼンハワー米国前大統領に会って、将来、民主世界が共産世界に勝つとしても、共産世界がイスラム教圏と手を握って出てくる時が来ると言ったことがあります。皆さんは、今ソ連がインドを中心にしてエジプトやイスラム教圏と手を握り、南方作戦をしてきていることを知らなくてはなりません。米国が後退する位置を占領してきているのです。サタン側、悪なる側はそうやって一つになって民主世界をのみ込もうとしているのに、民主世界はこうしてもいい、ああしてもいいと言っているのです。(五三―一三四)

 今、共産世界とアラブ圏が手を握っています。(五五―二七二)

 先生が一番心配するのは、将来起こるかもしれないアラブ諸国家と民主主義世界との戦争です。共産主義はアラブ圏と一つになるかもしれません。このたび、ナセル軍部に驚かされたのはソ連です。共産主義であれ、民主主義であれ、滅びるようになればアラブ圏と合同して第二の戦争を起こすかもしれません。

 ですから、このような摂理的な責任をもつ統一教会が、これをどうやって打ちつぶすかが問題です。先生は、今までパキスタン一帯からインドと東南アジア、そして共産主義とイスラム教圏に対して相当な関心をもって注視してきました。(一八―二三七)

 もし共産党が、民主世界によって後退し滅ぶようになれば、アラブ圏を通して再び攻撃してくるのです。これを何によって防ぐのでしょうか。

 このように外的な世界で共産世界とアラブ圏が合わさり、殴りかかってくるので、今日民主世界は慌てふためくのです。中心がないので、どこに行きますか。

 風に揺られるすすきのようになりました。ここで一つの錨となり、一つの錨の綱になることができるのは、ただ統一教会のほかにはありません。(五〇―二二六)




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四.右翼の使命

 右側は右翼であり、すなわち、民主世界です。(七二―一二九)

イエス様が死んで蘇生して再び現れたので、右側の右翼が蘇生できる時になると同時に、左側の左翼が登場するようになりました。この右翼と左翼が、民主世界と共産世界なのです。分かりますか。(はい)。それで筋が通っているのではありませんか。イエス様は父母なので、父母が死んだことを解怨成事することのできる復帰時代になれば、この二組が現れてきてお互いに怨讐であるかのように闘うようになるのです。イエス様は天のための戦いをしながら死んで埋葬されましたが、今は父母が来て、この二つの世界を和解させ、平等な統一を成してこそ地上天国が開くのではなかろうかというのです。

 ですから、植えたままに刈り入れることができる世界的な時が、まさにこの時なのです。それでは、右翼という言葉はどこから出発したのでしょうか。右側の強盗から出発したのです。春に種を蒔いたのですが、どれがカラジ(猫じゃらし)の種であるか分かりますか、分かりませんか。分からないでしょう? 

 それと同じように、植えるのはイエス様時代に植えましたが、結実は秋になって現れるというのです。秋になれば、ただそのまま現れるのです。必然的にこのような歴史的な環境が世界的に現れるのが、三人の息子のような圏、すなわち不孝の息子、娘たちがもう一度天を中心として一つになってこそ、初めて父母がうれしい顔で生活をすることができ、孝子に祝福を分け与えることができるのです。その時が地上天国の理想世界が開かれる時です。分かりますか。

 また、反対していたすべてのことを世界的に蕩減するための時が今なのです。(五七―三三三)

 共産党は神様はいないと言い、民主世界は神様はいると言います。民主世界を右翼と言い、共産世界を左翼と言います。イエス様が死ぬ時に、右側の強盗と左側の強盗が植えたので、主が来られる時になれば刈り入れなければなりません。左側の強盗はイエス様に対して、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救い、またわれわれを救ってみよ」(ルカ二三・39)と、どんなに讒訴しましたか。

「神様がどこにいるのか。こうやって死ぬのに、神様の息子であるとは何だ」と。イエス様は何も言いませんでした。その時、右側の強盗は、「お互は自分のやった事のむくいを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、このかたは何も悪いことをしたのではない」(ルカ二三・41)と、とがめました。

 歴史始まって以来、死にいきながらもイエス様の側になった人は右側の強盗のほかにいませんでした。それで、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ二三・43)という言葉を聞くようになり、天国を開門する先鋒になったということを、皆さんは知らなければなりません。

 このように見る時、共産世界は左翼です。左側です。事実、その名称は早々とイエス様の時から生じたのです。民主世界は右翼です。右側の強盗と同じように、その右側を指導する国がアメリカです。それならば、アメリカは右側の強盗の使命を成さなければなりません。

 共産党が現れて、「神様は死んだ」と言います。それならば、右側の強盗のような民主世界は、神様が厳然と存在することを証して、命をすべて捧げて共産主義と対抗し戦わなければなりません。(六九―一一一)

 右側の強盗の責任を成さなければならない民主世界は、今どこに向かって行っていますか。死んだイエス様の恨みを復活の栄光として迎えることのできるキリスト教はどこへ行っていますか。自由世界は自由世界なりに、キリスト教はキリスト教なりに分立されているのです。反対に、サタンの外的世界は一つに合わさっているのです。(五三―三一八)

 民主世界が滅ぶとしても最後まで神様をつかんで、イエス様のために、来られる主のために死ぬと決心しなければ、この地上に主が来られても、また死ぬようにするのです。時はすべて成りました。今ここに、主が来られてキリスト教を中心として自由世界を一つにし、悪なる共産世界とイスラム教を殺してなくしてしまうのではなく、それらをすべて包摂するのです。

 死ぬとき戦って死んだので、再び来ては世界的な平和の宴を成して歓迎を受けてこそ、初めてこの地上に天国が建設されるのです。(五四―一二七)




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五.共産主義は神と人類の敵

 アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落や共産主義問題など、いろんな深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の威脅は深刻であり、この時間にも世界の至る所に侵食して入ってきています。これは単にアメリカだけの問題ではなくて、神様において、そしてすべての宗教人とすべての自由世界の人にとって深刻で切迫した問題です。(八八―二一二)

 神様が一番嫌われるものが何かと言えば、私は三種類だということを知っていますが、第一は共産党です。人々は、宗教指導者である私がなぜ国際勝共連合をつくり反共活動をするのかと言って怪訝に思ったりもしますが、宗教指導者である私は、神様が存在なされるということと、神様がどのようなお方であるかということをはっきりと知っているので、神様のために勝共活動をしているのです。

 神様にとって、一番頭の痛いものが共産党です。人類を子女と考えられる神様が厳然と生きていらっしゃるのに、ちょうど自分の父母が厳然と生きていらっしゃるのに横でいないと否定する人たちと同じく、共産主義者たちは神様はいないと否定しています。ですから黙っていることはできないのです。もし黙っているならば、その人は孝子ではなく悪者です。このような意味から、勝共運動はお父さんの位置にいらっしゃる神様を守護するために不可避のものです。

 第二に神様が頭の痛い問題は宗教の腐敗です。三番目は倫理が破壊されていっているという点です。そして、キリスト教国家であるアメリカが腐敗していき、二千年の間、迫害と数多くの艱難の中でも発展してきたキリスト教が、ここ数十年の間に衰退の道を歩いてきた背後には、共産党の戦略と術策がしっかりとあるのです。

 神様はいないと否定したのも共産党であり、キリスト教を衰退の道へと追いやっているのも共産党です。また、青少年たちを淪落させたヒッピー族の背後を調査してみれば、共産党の計略が作用していたことを知ることができます。彼らは、十年前あるいは二十年前から工作してきたのです。このような退廃的な思想を起こすことによって家庭を破綻させ、民主世界を破綻させようとするのです。彼らは民主世界を破綻させることにおいては戦わなくても所期の目的を達成できると考え、このような方法を使っているのです。

 家庭を破綻させ、教会を破綻させ、思想界を破綻させればこの世界が自己のものになると考え、神様にこのような三種の困難を提示したのがサタン魔鬼なので、統一教会はこのサタン魔鬼をたたきつぶそうとしているのです。ですから皆さんが勝共運動をするためには、新しい家庭倫理、新しい世界倫理を立てておかなければなりません。

 それで、神による完全な理想世界を目標として定めた、国際勝共連合の創設者である私自身から、新しい家庭倫理、新しい宗教倫理、新しい世界観による倫理体系を整えて、先頭に立って日本共産党と闘争しているのです。アメリカにいる共産党員たちとぶつかり合い、激突してきているのです。(一九八一・四・二六)

 全世界で一番難しいことは何ですか。一番目は何ですか。思想の没落です。宗教の没落です。思想の没落はどこから起こるのでしょうか。宗教の没落から起こります。今日、文化的なすべての形成圏を分析してみる時、その文化の形成起源は宗教が提示してきたのです。神様がいるならば、今までキリスト教が世界的に没落することを一番悲惨に思われるでしょう。これに誰が責任をもちますか。統一教会が責任をもとうというのです。

 また、その次は何ですか。共産主義問題です。一つの唯物論を中心としたこの思想が全世界を支配しようとしています。「神はいない!」「宗教は悪である」と規定して、宗教を根本的に破綻させようとするこの共産主義は、神様の前において世界の前において一番難しい問題です。これに私が責任をもとうというのです。

 その次は何ですか。青少年問題です。青少年淪落問題、これが一番難しいのです。アメリカは今、一番難しいこの問題に打たれているのです。そのような意味から、「今日世界で一番難しい問題に我々統一教会が責任をもとう!」という看板を掲げたのです。
 ですから、私が共産党と戦うために先頭に立ったのです。今は、おそらく世界的な先頭に立ったと言っても、すべて公認できる段階に入ってきました。(八四―二一八)

 神様が一番頭を痛めるものが世界共産主義です。私は、「それを私の手で打って葬るのである」と言っています。それで、世界の共産党が私を一番恐れ、一番憎むのです。それが分かりますか。この共産主義理論を覆し、滅ぼさなければなりません。(八五―三二七)




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第二節 共産主義の正体

一.共産主義の正体

 共産主義はどこから出てきたのでしょうか。今から五十年前の一九一七年にソ連を中心として出し抜けに出てきました。
 それでは、この共産主義が歴史的なみ旨と今までの時代的なすべてのみ旨を、みんな一つに結ぶことができますか。それはできないのです。(一八―一一)

 共産主義も世界主義ですが、それは何ですか。神主義ではありません。善が来る前に悪が先にこっそりと現れて踊りを踊り、去っていくのと同じです。それが、統一教会の原理観です。(五六―一六三)

 今日、共産主義者たちからは、「おお、資本主義世界の農民を解放しなければならない」という声が高らかに聞こえてきます。その解放の声が果たして、神様が人類歴史を通して完全に主体となって善なる側で主導するある特定の宗教、その主力となる宗教人たちが願う解放の基準と一致することのできる、そのような喚声であったのかといえば違うのです。

 この共産主義は、唯物論に立脚した世界の解放を夢見るのです。これは、神様までも否定して、宗教は悪であると烙印を押してこっぱみじんにし、その世界では形態すらもなくしてしまうのです。このような立場から解放を主張するのを見るときに、これは、理論的な見地から見ても一致できないのです。それはどこまでも神様の前に正反対となる対立的な解放に違いないために、悪なる悪魔の神がいるならばそれが旗手となり、神様が願う宗教的旗手の前に正面から世界的攻勢を加えてくるのです。それが今日の共産党であるという結論を、そのような観点から下すことができます。

 それでは、共産党は何ですか。悪魔的宗教と同じ、悪なる群れの宗教と同じ形態を備えて現れるのが共産主義です。悪魔の理論完成のために道具として使用されている唯物論的立場の宗教形態が共産主義である、このように見ます。それはなぜですか。悪神であるからです。(八五―二三〇)

 唯物論は宗教圏内から偏頗的に逃亡していったのです。唯物論というのは共産主義なのです。共産主義とは何かと言えば、唯物思想によって宗教を統一しようとするものです。キリスト教の形態とそっくりに生じて、外的問題を中心とした唯物的宗教形態のような集団が共産主義なのです。人間が神様を身代わりしようとしているのではないですか。金日成をお父さんとしてつくっておいたのです。そして絶対視しています。仮想的に神格化させるのです。それは、宗教思想と同じです。外的な形態もそっくりです。内容も全部、宗教思想のような内容を中心として単一化させています。ですから、偽物と本物はそっくりなのです。(四一―三三九)

 共産主義というものを中心として見るならば、国家観であれば国家観において人間の価値を完全に認定するのかというのです。すなわち、国家的な所有観念圏内に人間が入っているのか、人間を中心とした人間圏内に所有観念が入っているのか、ということを我々が考えないではいられないのです。このような観点から見るとき、共産主義というのは、党が絶対なのです。「すべてのものは、党の命令に絶対服従しなくてはならず、その所属圏内に永遠にいなくてはならない」。こうして、「世界を共産主義のものとしなければならない」と言うのです。

 それでは、共産主義が主張する人間の価値はどこにあるのでしょうか。党に絶対服従するところに人間の価値があると言います。逆さまになっているのです。党のためには個人を犠牲にしなければならず、すべてのものを犠牲にしなくてはならないと言います。それでは、その党は永遠なものかというのです。どのような永遠なる権利をもっているのかというのです。これは変遷していっています。共産主義は変遷していっているのです。絶対的であり永遠なる基準で絶対服従し絶対順応するところには、公式的なある定義とか真理的体制があるかもしれませんが、変わるところにはそれがあるはずがないのです。

 このような圏内で生きる人は、いつも人間の自主権、人間の権利、人間を中心とした新しく自由な世界観を憧憬するようになっています。皆さんが知っているようにドイツは東西間を障壁によって隔てられていますが、この障壁さえなければ、東ドイツの人たちはみんな西ドイツに移ってくるでしょう。全部越えてくるのです。それはなぜかと言えば、人権というものをみんな蹂躙したために自動的にそうなるというのです。共産主義という体制圏内に人権を擁護する自由な制度があるならば、それは世界を完全に征服できて余りあるものだと考えます。このように見る時、共産主義はいずれ人間世界で新しい一つの人権と物権がぶつかり、戦って転覆させられる運命に置かれているという結論を、我々はここから下すことができます。(九三―七二)

 悪とは何ですか。私的なものです。その中でも世界的に私的な看板をつけて立つものが、最高の悪です。共産党とは何ですか。自己を中心とするやからです。自己の主権のためには、どのようなことでもするというのです。(三二―二八二)

 皆さんは共産主義者たちを甘く見たのです。共産党は滅んでも自体内で高級官吏たちの戦いが起こらなくてはならないのであり、外部との戦いをもっては滅びません。倒れません。倒れれば、分散して地下に入っていきます。それで、子供たちが出たり入ったりするのです。ゲリラ戦法をすべて学んだのです。食べ物がなければ、盗んで食べるのです。

 共産党にとって盗みは普通のことです。通り過ぎる人から強奪するのは普通のことです。天下のすべてのものが敵です。敵ではなくて何と言うかというと、自己の心のままにできる餌です。部落に行って牛なども盗んで山に持っていって、殴り殺して食べて生きるのです。富者が出掛ければ道の要所で待ち伏せし、金を奪って殺してしまうのです。革命のためには、そのようにしなければならないというのです。不純分子たち、不応する分子たちは、処断するのが原則なのです。ですから、天下に彼らが行く所ではどこでも、ありとあらゆることをしかねないのです。

 彼らが南韓にスパイを送る時、財布を持たせると思いますか。すりを学べということです。すりから始めよということです。

 それでどうにかしてすりの親分になって分け前を大きくしてからは、自分は直接先頭には立たないで部下たちに工作資金、活動費をあてがっているのです。それを知らなければなりません。(一六三―一九八)




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二.共産党の戦略戦術

1 共産党の偽装戦術

 皆さん、左翼がすることを見てください。すべて欺瞞であり、偽装戦術を使っています。彼らの戦略戦術で主要な表題が何かと言えば偽装戦術です。事実はそうでないのに、そうであるかのように偽装するのです。悪なるパターンを分析してみれば、悪は事実ではないのに事実のように現れるものです。(三六―六〇)

 共産党は今まで偽装戦術として政策を遂行してきました。これは、いつかは指弾を受けるようになるのです。悪が今まで発展してきたのは、正常的な活動体制を整えてきたからではありません。今まで隠蔽と偽装戦術を基にして、侵略を加えてきたという事実を見るとき、これはサタンが悪を中心として成す仕業であることが分かるのです。これが問題であるというのです。(三六―二六)

 共産党の戦略戦術は何ですか。奇襲作戦を通してプロレタリア独裁政権を確立することです。それが定義です。その方便は何ですか。平和攻勢をすることです。それでブルジョア階級たちがみんなそこに陶酔して相対となり、彼らの誘いに簡単に応じて喜び、踊りを踊るその時において最後の鉄ついを加えてたたきのめして、その政権を剥奪しようするのが共産主義の骨髄思想です。

 いつでもこのような戦術を使ってくるのです。それはもちろん偽装戦術です。だまして行うのです。それがサタンの戦法です。そのために穴を掘るのです。彼らはそれで全部入っていき穴を掘るのです。穴を掘って行き来するのは何ですか。罪ある人たちが、分からないように隠れて行き来するのです。それが共産党です。それが、一度世界を襲うのです。最大の実力を行使するのです。(七八―二一六)

 共産党式はそうです。すべて欺瞞政策をもって偽装戦術を用い、このようになすりつけて、自分が勝とうとしますが長く続かないのです。長くいくことができなくていっぺんに追い出される時が来るのです。(六二―二〇三)

2 共産党の脅迫と恐喝

 私は共産党がよく分かります。脅迫と恐喝をして、相手の力がなくなればいつしか侵攻します。皆さんはこのような共産党の戦術をよく知らなければなりません。サタン魔鬼は、いつでも攻勢を取ろうとします。神様には自分より力が優勢なので攻撃できません。しかし、神様の息子、娘が自分より弱いならば、いつでも攻撃をしてきたのは歴史的な事実です。(一九八一・四・二六)

 私は今まで神様を愛してきました。多くの監獄に引かれて行き、多くの脅迫と恐喝を受けてきました。私が住んでいるアメリカのイーストガーデンにも、共産党員たちが爆発装置を仕掛けました。それが、神様が保護されて一つも爆発しませんでした。脅迫と恐喝をいかにしてきたとしても、私には通じないのです。私は今、一線でそのような危険千万の戦いをしているのです。ニューヨークのような所では、百七十ドルだけ支払えば、いくらでも人を暗殺する組織があります。私は、このような組織を調査しておきました。マフィア組織と共産党組織、そして、やくざ組織も調査したのです。宗教指導者である私がこのようなことをしているのです。そして、フレイザー議員と戦うときにも、全部私がコーチしたのです。ここに朴普煕もいますが、私は組織訓練というか、共産党組織、その他の組織についても研究した人です。(一九八一・四・二六)

 共産主義国家は独裁国家です。言葉と行動が違うのです。(五四―五一)

 現実的に世界的なサタンが共産党なので、点組織をつくるのが共産党の手法なのです。「ああ、私の理想を分かる必要はない。私以下は、分かる必要がない」ときっぱり切っておくのです。そうしようとするので、恐喝、脅迫をするのです。「お前がしなくなる時は良くないぞ」と、これがサタンの手法です。このようにして偽装戦術を通した段階を経て、目的達成のために誘導していくのです。(七一―一〇四)

 共産党の主張は、まさにそのような主張です。共産党は、威脅、恐喝、脅迫をして強制によって従わせます。ここに刃向かえば打たれるので無理やりにでも一つになるのです。仕方なく、外的にでも一つになります。しかし、そのように一つになったものは、強制力さえなくなれば、すぐに分かれるようになるのです。(三二―二五四)

3 共産党は真っ赤なうそつき

 共産党は、目的達成のためにはうそ、手段方法を意に介しません。謀略中傷は普通のことです。あることないこと全部ひっかぶせて、その人がまずその環境で生き残ることができないようにするのです。そうではありませんか。今まで四十年間、以南から以北を侵攻したと宣伝しておいて、全世界の国家には北韓が南侵したという考えをもつ国はありません。全部南韓が北侵したと考えているのです。真っ赤なうそであっても継続するのです。

 当事者でなければ分からないことでしょう。純然たる悪魔です。(一六三―一九七)

 北韓では、南韓の国民はみんな飢えて死に、乞食の孤児たちが行列をつくって歩き回り、どやどやと騒動が繰り広げられ、なじめる所ではないと宣伝をしているでしょう。そのように思っているのです。ですから、日本には行っても、死んでも絶対に韓国には行かないというのです。行けば首根っこを切って殺されるというのです。そのような北韓を知っていますか。知らないでしょう? (はい)。ですから、皆さんは知らないことよりも知っていることのほうが少ないのです。それは知らないのと同じです。威張ってはいけません。(一六三―二七八)

 先生が世界の組織を知ることができるように、神様が共産党の監獄にほうり込んで訓練させたことを有り難く思います。理論をもってしてはだめです。共産党自体もそのような体制を知りません。真っ赤なうそをつくのです。刑務所の所長という人のことです。一日に三食をくれますが、粟飯、とうきび飯、黍飯、蕎麦飯まで混ぜて出します。そうして、「我々の所について言えば、毎日白飯を食べさせてやり、一週間に一度ずつ肉のお汁を作って食べさせてやっているので労働者たちが丈夫になり、仕事をよくするのではないか」と、こう聞くのです。そうしたら、そこにいる人は「はい」と言わなければなりません。言わなければ大変なことになります。「そうです」と、これでなければだめです。ですから、私のような人は、二年八カ月間、自己批判のせいで死ぬほど苦労をしたのです。(一九八八・一・二)

 共産党員たちは、全部が真っ赤なうそつきです。私が刑務所にいる時、その所長という人が毎日のようにうそをつくのです。「金日成首相から在所者たちに毎日牛肉と生飯を何百グラムくれて、このようによく脂身を食べるために丈夫になり、張り切って、工場で仕事をよくする」と言うのです。麦飯さえも与えないで、とうきび飯、小麦でなく蕎麦飯を出すのです。蕎麦も完全なものではありません。三分の一がかすなのです。そのような物を食べさせながら、「首領様がどうされて」と言うのです。毎日のようにそうするのです。(一六三―一九三)

 みんな古だぬきみたいにうそを言ってうろつくのです。共産党にとってはそれが普通のことなのです。それを知らなければなりません。それが普通です。だましてうそをついて、そうするのが普通なのです。(一六五―三一一)

 共産党は真っ赤なうそつきです。それを知っているので、今先生がソ連戦略については誰よりもよく知っています。(一九八八・一・二)

 共産主義者たちが主張する唯物論であれ何であれ、唯物弁証法であれ何であれ、それらすべてがうそなのです。(一九八二・一〇・二九)

4 共産主義者たちは夜に活動する

 サタンは夜に仕事をします。そうでしょう? 神様は昼に仕事をします。昼は神様が占有し、夜はサタンが占有します。そうなので、共産党はすべて夜に決定するのです。地下運動もすべて夜にするのです。そうして、世界を制覇しようと地面に穴を掘るでしょう? すべて夜に行います。

 そして、すべて頑強に秘密にするでしょう? 悪いことは秘密にして、良いことを世界的に宣伝するでしょう? 北韓は悪なる国家の代表形です。分かりますか。そうでしょう? 北韓共産党は千べん死んでも恨みが残る、悪党の元凶です。(五〇―一六八)

 共産党は、武力装置、強圧装置をして人類を死の中へと追い込みました。彼らは、どのようなことをするにしても昼にしないで、夜にみんなやります。彼らの工作はすべて夜のうちに立てられます。昼にすることはありません。夜は影です。影は滅びなければなりません。ですから、共産党は滅びなければならないのです。(一八―一七)

 共産主義者たちは夜に活動するのです。それを知らなければなりません。重要な訓練はすべて夜にするのです。罪囚たちを捕まえて拷問をする時も、一番重要な拷問は夜にするのです。それを見れば本当にサタンです。ですから地下工作と言います。地下工作というのは、共産主義者たちの術語です。皆さんはそれを知らなければなりません。それを考えるならば、我々はそれ以上に二十四時間努力しようという覚悟をしなければなりません。そうでなければ、それを克服できないということを皆さんが知らなければなりません。(九〇―一六八)

 皆さんは共産党の活動方法を知らなければなりません。共産党は仕事において、党の命令ならば二十四時間休む時間がないということを知らなければなりません。その人たちは昼に出勤するやからがおり、夜に出勤するやからがいるということを知らなければなりません。ここでは、土曜日、日曜日は遊んでいるでしょう? 八時間仕事をすることも、六時間だけしようと言っているでしょう? そうすれば食われてしまいますか、食いますか。考えてみるのです。どうなるでしょうか。負けますか、勝ちますか。間違いなく負けるのです。(九二―一三二)




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三.共産党の残虐性

 皆さん、ソ連が共産主義国家を形成し、世界的基盤を立てるために七千万という人々を虐殺してしまったのです。自由世界の人たちが考えることを、共産党たちは考えもしないのです。毛沢東は、中国を共産化するために五、六千万にのぼる人々を虐殺してしまったのです。ベトナムとかラオスでも、皆さんが知らない中で悲惨な粛清と殺害が恣行されたということは、ニューヨーク・タイムズなどを通して皆さんは既に知っています。韓国動乱時には二百万にのぼる人たちが殺害されたのです。(八七―二九四)

 四十余年間、数多くの民族が共産圏によって蹂躙され、一億五千万が虐殺された歴史を越えてきました。(一九八五・一二・二九)

 今日、クリスチャンたちが共産党のために、どのくらい虐殺されたのか分かりますか。今も、ソ連においてもそうであり、北韓においてもそうであり、中共においてもどれほど虐殺されているか、分かるでしょうか。

 共産党は、本当の共産党になったか、本物の党員になれるかという基準を何によって確定するのかと言えば、お母さん、お父さんを党命に従って除去することができるかどうかに置きます。父を殺せというのです。父母、兄弟を除去できなければなりません。共産党は粛清をする時には、一番身近な人を通してします。世の中にこのような者がいるでしょうか。これは全く異質的な存在です。善に対してそれはこの上なく悪いものです。真に対してそれは、この上なく反対となるものです。(一六八―一六五)

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四.共産党の世界浸透戦略

1 共産党の世界浸透戦略

 先生は、共産党に対してあまりにもよく知っています。共産党は、理念と思想的な体系によって世界制覇を夢見ているのです。(三九―六三)

 皆さんは共産主義を完全に分からなければなりません。今、労働組合とか国務省とかどこでも、既に浸透されているのです。すべて共産党が浸透していると見なければならないのです。

 皆さんはそれを知らなくてはなりません。中国を中心として見れば、中国には既に一九二二年、二三年度に共産党が浸透しました。ソ連が共産化した一九一七年以後、六年のうちに浸透したのです。何のことか分かりますか。

 このような戦略を取ってきたことを見れば、共産世界の歴史が既に六十年、七十年になったこの時において、アメリカだとか世界全域に共産党が既にすべて浸透しているというのです。そのために、今ヨーロッパがそうであり、南米がそうであり、アフリカ全体が既に共産圏の影響を受けて、資本主義社会で闘争の旗を掲げて戦うのです。戦うのは、ソ連ではありません。その国の国民を通して、その国の組織基盤を利用して、各国で戦いが起こりました。これを知らなければならないのです。

 このようなことを考える時、今私が調査して分かっているところでは、アメリカ内の教会まですべて入り込んでいます。教会にまですべて入り込んで、教会の長老、執事を中心として共産主義秘密会議をしています。みんなこのようにしているのです。このような局面になっていることを知らなければなりません。(九二―一二六)

 今、世界的に共産党の脅威を受けない国がありません。我々の韓国もそうです。北韓共産党がいつかは撃って攻めてくると思うでしょう? アメリカも同様です。このたび、私がアメリカの上院議員、下院議員のいろいろな人に会ってきましたが、やはり彼らの大半が共産党の脅威を感じています。「あなた方は現在この国の富力をもって、将来共産党を食い止める自信があるのですか」と聞けば、「自信がないです」と答えるのです。すべてやられているのです。英国に行ってみたのですが、英国も同様です。今、新・旧教の戦いが起こっているのも、背後で共産党が操作しているのです。ドイツに行ってみても同様です。どの国も共産主義の脅威に襲われていない所がない、そのことこそ、統一的な風潮の時代に入ってきたということです。(五五―二一六)

 最近、共産主義者たちはどのような運動をしているかといえば、平和の基地を旗印にして、今でも西欧社会で共産主義と対置して戦うことのできる基盤を弱体化させる運動をしているのです。平和というタイトルをもって弱小国家に全部浸透しています。(一九八三・六・一)

 共産党は中流以下の人たちを誘引して、中流以上の人たちと対決するように衝動を与えています。
 中流層にある人たちは、自分たちがどのような使命を成さなければならないかに対する観念が希薄であり、また、どの階層に対して「このようにしなければならない」という使命感ももっていません。

2 キリスト教に浸透して入ってくる共産主義

 共産主義は民主世界、キリスト教文化圏を中心とするキリスト教家庭制度を破綻させようと、ありとあらゆる工作をするのです。若年層に麻薬を服用させ、浮気心を抱かせ、父母に抗議するようにし、家庭が全部分かれるようにしています。男女の問題を中心として、すべてぶっ壊そうとするのです。これだけを壊してしまえばキリスト教文化圏は滅びます。その矢に当たって、こっぱみじんに壊れるものが増えています。我々は、これを防止しなければなりません。(六五―四〇)

 イエス様はどういう人ですか。イエス様を信じるのですが、どういう人かと聞けば「イエス様は救世主である」と言います。しかし、救世主という名前はクリスチャンたちがイエス様につけたものであり、万民がつけたのではないのです。理論的に万民が救世主であると言うことのできる内容があるのかと言えばないのです。漠然としています。ですから、共産主義の歴史観の前に完全に惨敗し、手を上げてしまうのです。

 歴史的なキリスト教思想を再建しなくてはなりません。再建するにおいては今までのキリスト教をもってしてはできません。立体的内容を備えた次元の高い、神の人格を中心とした生活的な心情圏に突入して、永遠に変わらない、そのような人格を完成しなくてはいけないのです。(一六八―一七)

 資本主義を指導する文化圏を民主世界であると見て、民主世界の文化圏をキリスト教文化圏であると見るときに、共産主義が浸透工作するその標準は何でしょうか。

 キリスト教文化圏を打破する運動をしてきたのです。このように見るとき、キリスト教に対する共産主義の浸透をどのようにするのかということは、非常に重要な問題でないはずがありません。既にキリスト教に対する浸透工作が現段階で終わっているのではないか、このように思われるのです。

 現代の神学的な思潮を見るとき、神様を中心としているはずのすべての研究が「神様はいない」という結論に到達しました。そのような結論を下しました。ですから、共産主義運動家たちが神学校を中心としたキリスト教の伝統的思想の分立作業を必ずするに違いないと、我々は見なければならないでしょう。

 大概、キリスト教の信仰観は個人的救援を主としています。個人の救援を目標としているのです。これに反して共産主義者たちは、イエス様が来られたのは個人的救援が目的ではなく、ローマ帝国に対抗して、理想とする新しい革命国家をつくるために来たと主張し始めました。イエス様が語った、「貧しい者に福音を伝えに来た」とか、「富者が天国に入るのはらくだが針の穴を通ることより難しい」という聖書の句節を中心として、いくらでも共産主義者たちが主張することのできる一面もないわけではなく、あるというのです。

 さらに、イエス様が最後に十字架につかれる前、「父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・39)、また最後に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(同二七・46)と、深刻な祈祷をされた時、神様は何の応答もされませんでした。それで、神様はいないのではないかというのです。神様がいるのではなくて、人が神様をつくったとするのです。

 宗教は倫理や道徳的な一面を志向させる社会的責任をもつものにすぎないのではないか、そしてキリスト教が「神様はいる」という絶対的な神を立ててキリスト教体制をつくったのは、結局資本主義者たちが自己の位置と権限を永続させるための一つの方便にすぎなかったとします。それで現在、神学を研究する教授たちの八〇パーセント近くが神を否定しています。

 ですから今、個人的信仰、個人的救援を目標としないで、社会的救援を目標として指導しなければならないのがキリスト教の使命ではないかというのです。それで解放神学とか政治神学とかいう名前をつけています。すなわち、神学的な学派系列が今、「神はいない」という方向で社会革命を提示して、新しいユートピア的な国家を模索しようという段階まで来ているのです。

 このような状況において、共産主義者たちはキリスト教の方向を発展させなければならないとするのです。キリスト教をそのようにするには、その伝統文化の基盤が家庭と社会なので、家庭と社会をどのように変遷させるかということが問題です。

 このような問題を見てみる時、ヒッピー、イッピー運動とか、現実における淪落の問題、麻薬の問題、このようなものはすべて共産主義者たちの世界戦略の一面から現れた事実であることを我々は知らなければならないのです。さらにはフリーセックスとかホモ・セックスとかレズビアン・ムーブメントとか、このようなすべてのものが人間の権利、人間の権威の尊重を破綻させる一つの行動にすぎないのです。

 このように見るとき、家庭基盤の破綻、教会基盤の破綻形態が既に極に達していて、誰も、どのような神学者も、国家のどのような力をもっても防御できない段階になったと見るのです。

 それでキリスト教思想の主流はどうなったのでしょうか。個人主義思想に没落してしまいました。アメリカならばアメリカ自体が信仰と関係がなくなりました。キリスト教思想は個人主義になることはできないというのです。個人主義が拡大膨張して、世界とか国家とか家庭とか伝統的な歴史的基盤を完全に否定するようになるのです。(一九八三・六・一)

 以前に、共産党のある青年が先生に秘密裏に送った手紙の内容が何かといえば、今の共産党の活動基盤についてと、キリスト教がどれほど脅威を受けているかについてでした。彼らの責任者が、献金のためのお金を与えて「教会に行け」と言うのです。教会で基盤を築けと、莫大な資金を調達するのです。そのような内容の手紙を私が直接受け取りました。これは世界的に暴露しなければなりません。既成教会の牧師たちが共産党の党員になって踊らされているという事実を、皆さんは知らなければなりません。アメリカで地下活動をする共産党が、教会に行こうと言って伝道をする事実を知らなければなりません。

 そのような教会組織を利用して反政府運動をして、反韓国運動を全世界的に広げているのが共産党の活動であることを皆さんは知らなければなりません。そのように背後から操縦されて、既成教会の牧師たちの中には自分でも気づいていませんが、そのような侵略的な三段階計画によって動いている人がいることを、我々は知らなければなりません。

 このような現在のアメリカの実情において、皆さんはこのアメリカをどのようにしますか。遠くない将来に共産党の党員たちがユダヤ教とキリスト教を戦わせるでしょう。今、ユダヤ教と既成教会を合わせて統一教会と戦わせていますが、それが終われば、その次にはユダヤ教とキリスト教を戦わせることでしょう。お互いに戦う内容が十分にあります。ユダヤ人たちがレバレンド・ムーンに対して反ユダヤ的であると言いますが、キリスト教と戦いが起こればもっと恐ろしい戦いになることを知らなければなりません。我々はそれを知っているので黙っているのです。(九一―七〇)

 皆さん、見てください。今、カトリック教会の神父たちの中に共産党が浸透しているということを知らなければなりません。新教も旧教も同様であるということを知らなければなりません。最近、左翼思想に染まった神父たちが言うことは、イエス様は共産主義者だったというのです。なぜかと言えば、イエス様は貧しい者に福音を伝えたからだというのです。それは当たっています。このように羊の皮を被った 狼 の群れが多いことを知らなければなりません。(九〇―一五四)

 共産党とは何ですか。終わりの日にキリスト教を審判するための一つのむちとして理解せよ、というのです。キリスト教は悔い改めなければならないのです。滅びゆくその原因を知って、天のみ意に反していた事実をすべて除去して悔い改め、天の哀れみを願うことのできる立場に立つならば、むちは納められるのです。むちがなくなるのです。(六四―五七)


 もし共産党の脅威がある時には、キリスト教は国境を超越して若者たちを動員して、その国を防御できる運動をしなければ、共産世界の脅威をふさぐ道がないと見るのです。それこそ全世界のキリスト教徒たちが合わさって、経済的な面でも、人的次元の面でも、共産主義が侵犯する所には無制限に後援できる運動をしなければならないというのです。それが全世界から共産主義を防ぎ切る最後の道である、と先生は見ています。(六七―一五)

3 アメリカに対する共産主義の浸透

 アメリカが今日数多い民族が集まって一つになれたのは、キリスト教思想があったために可能だったのです。一つの国になったのです。しかし、今はそのキリスト教が全部滅んで落ちてしまいました。今からはキリスト教は昔のような時が来るのです。民族だけで糾合する……。
 ここアメリカを見てください。アメリカは二つの国が住んでいます。アメリカは二つの国の形態です。州政府があり、中央政府があります。互いに法が違うのです。将来民族的な決裂が起きればどうなりますか。ドイツ人ならばドイツ人、ユダヤ人ならばユダヤ人が一つの州に集まって、その州を中心に、「ああ、中央政府から脱退する」と言ったならどうしますか。これから先そのようなことが起こるのです。

 共産党が遠くない将来にそのようにするというのです。「我々が中央政府に、なぜ税金を払わなければならないのか」と言って仕掛けてくるのです。そのようにしたらどうなりますか。大衆が、「ああ、我々も州政府に刃向かおう」と言う時が来るのです。

 それが必要ないと言えるでしょうか。共産党がそのようにしないと思いますか。一つの州がそのようにして、二つの州がそのようにして、三つの州がそのようにする日には分かれていくのです。アメリカはばらばらになっていくのです。アメリカに別の国が生じないという保証があるかというのです。アメリカ内に別の国が生じる可能性があるということです。(七三―二九五)

 遠くない将来に共産党が上院議員の中に投入されることは間違いないので、彼らを防御できる強力な体制を我々がつくらなければならないのです。(六七―二八七)

 アメリカの人種問題を見るとき、黒人たちを中心に魔手が既に伸びていることを私は知っています。共産主義者たちは思想的な面ではアメリカ、民主世界をのみ込んでも余りあると自任しているので平和攻勢に出ているのです。軍事戦略面においては、アメリカを凌駕した国は世界を料理する自信をもって出てくるのです。

 その次に彼らは、地下組織を通してアメリカにある家庭を破壊しようとしています。彼らはアメリカを自分たちの食い物だと思っています。それで、彼らは若い青年たちの道徳観念を希薄にして、退廃的な思想を入れるという悪を行っていることを皆さんは知らなければなりません。アメリカが世界から後退することがアメリカを助けることではなく、かえってアメリカをもっと難しい問題の中に陥るようにするという事実を、皆さんは否定できないのです。(五三―七五)

 共産党は家庭の破綻を期していきます。また、立派な青年男女をみんな麻薬舞台に掃き入れているのです。キリスト教思想が根を差し込むことのできる個人と家庭の型を自然に壊すのです。このような危機にあると私は考えています。(五三―一八七)

 私は共産党についての専門家であり、共産党に対して先頭に立って闘争したので、このような問題を直接調べてみたのです。その結果、アメリカの将来は甚だしく望観できない立場に追い込まれていっていると見るのです。

 その時になれば、「さあ、白人たちが何をもってこのような悪さをしたのかと言えば、キリスト教というものを詰め込んで欺瞞した。キリスト教をたたきつぶそう」と言うのです。そうするためには戦略的に、まず心理作戦から始めて、その次には暴力作戦によって、どのようなことでもするのです。キリスト教の家庭において、アメリカの将来の中心となる若い青年たちをすべてだめにしてしまえばよい、麻薬も投入せよ、そのようになっているのです。そのような観点から見るとき、共産主義者たちはこのような戦略を使っているという事実を知らなければなりません。

 フリーセックスのような問題もすべて彼らが扇動できるのです。彼らは将来のアメリカを占領するための一つの戦略として、このようなことを扇動する立場で資金をもらい、団体をつくり、これを流行させる悪さをしていると見ることができるのです。(八六―二〇七)

 アメリカ内に共産党の地下組織ができていることを知らなければなりません。南米から留学に来た学生たちの中にはソ連から奨学金をもらって入ってきて勉強する共産党の学生たちが多いということを、皆さんは知らなければなりません。アメリカは今、民主世界をみんな失ってしまい、一人で「ああ! 汎米主義だ」と言うのですが、そのような時はみんな過ぎ去ったのです。そのような主義を考えていたなら、フライパンに焼かれるアメリカになるということを考えなさいというのです。今、そのようになっています。(八九―二八四)

 今、どうですか。ここアメリカに不法に移住してくる人たちはどのくらいですか。(六〇パーセントです)。六〇パーセントの大概がメキシコ人です。分かりますか。それを中心として共産党が組織する日には、アメリカの中からすべて滅ぶようにするということを知らなければなりません。非常に危険なことです。これから先、メキシコの人口の三分の一に該当する人々がここに入ってくるであろうと私は見ています。

 そうなる時にはアメリカは大きく……。共産主義が浸透して、これが左翼系列になっているのでキューバと共に組んで、そこで地下基盤を練って露出し、組織的な活動をしてアングロサクソン民族に対して……。そしてスペイン系の人々を完全に組織するようになれば、黒人とも自動的に一つになるのです。そうなれば白人打倒運動を大々的にするでしょうが、そうなった時にはどうするのですか。既に左翼系にもなっています。

 この次にスペイン系の人々が共産主義と一つになるようになれば、黒人と一つになります。そうして二つが合わさって、今まで白人から歴史的に反対されたと言いながらみんな反対運動をするようになれば、南米が反旗を翻すでしょう。そのようになればどうするのですか。カナダに逃亡しますか。どうしますか。そして、アジア系、有色人種もすべて合わさるのです。それで、「お前たちの怨讐は白人だ」と言って、人種戦争を起こす日が遠くないと私は見ます。皆さんの南北戦争は人種戦争に連結されると見ます。そうなればどうしますか。これは、人種戦です。それが残ったのです。そうなる時には大変です。それで、それを防止しなくてはならないという責任を私は感じるのです。

 それを誰がしますか。それは共産党だけがコーチできるのです。そのことによって、アジアとアフリカを全部自分の側にいっぺんに追い込むことができるので、戦略的な面からこのような悪いことを遠くない将来にするだろうと見ます。ですから南米が忙しいのです。アジア、アフリカなどが完全にいっぺんにやられるのです。このような危険性が白人たちのこれから先の歴史に残っているということを私は予想しています。(一九七八・三・一五)

 この世界の終わりの日に警鐘を鳴らすならば、何の警鐘を鳴らさなけばなりませんか。私が病んで死ぬようになるのは何でもないのです。病にかかって死ぬのは私一人死ぬことですが、共産主義病にかかって死ぬようになれば国が滅びます。今アメリカは共産主義の威脅のもとにあります。全世界がそうです。西欧がそうであり、アジアがそうであり、南米がそうであり、中東もそうであり、現在アメリカもそうではないのかというのです。それで、お手上げでみんな後退しています。アメリカが後退しますか、しませんか。後退しているのです。(九〇―一六八)




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第三節 民主主義

一.民主世界の出発の動機

 民主主義を何のためにつくったのか分かりますか。神様が人間を息子として抱くための大いなる愛のためにつくりました。昔の主権者たちは僕として抱き、あるいは召使として抱きましたが、それはすべて偽りのものです。それで、天は真の僕を送られ、悪なる怨讐の懐にいる人間たち、神様に背反し呪う群れを抱くようにされ、それで終わらず再び息子を送られ、死にながらも人間を抱くようにされました。そうしながらこの世を崩してきたのです。僕を送り抱くようにされる時にはサタン世界の僕となる立場のすべての主権者たちを退くようにして、息子を送り抱くようにされる時にはサタン世界、悪なる世界の息子的なすべての主権者たちを退くようにされました。今は、父的な主権時代に向かって追い出しています。(一〇―一七三)

 今日、民主社会を眺めてみるとき、民主社会の動機はどこにあるのでしょうか。これは神様にあります。民主世界とは、今日、キリスト教文化圏においてもたらされた世界的な体制です。キリスト教は神様から出発しました。それで、善なる背景を中心としたキリスト教は発展の一路を得てきました。それにもかかわらず、今この終わりの日に来て、結果時代に来て、良くない民主世界の結果が現れているのです。それでは、その動機となる神様が悪いのか、そうでなければ、この運勢に方向を合わせなければならないキリスト教が責任を果たすことができなかったのかという問題を見てみる時に、動機的な神様は悪くありません。人間を代表したこのキリスト教が責任を果たせなくなる時には、必ず、その結果が悪くなり得ると我々は考えることができるのです。(八四―六一)

 初代教会の凄惨な犠牲の代価がなかったならば、今日、皆さんが平安に座って信じているこのキリスト教が存在したと思いますか。到底望めないというのです。皆さんもそれを知らなければなりません。皆さんがローマに行ってカタコンベという所を見れば、クリスチャンたちがどれほど悲惨な生き方をしたのかよく分かるようになるのです。彼らは生活の中で、「きょうが私の命の最後の日だ、きょうがこの世に決別して神様のそばに行く日だ」と言いながら生活したのです。一日といえども心配なく生活できなかったクリスチャンたちであったことを、皆さんは知らなければなりません。今日、全世界のクリスチャンたちは、このような血の犠牲の代価の上に立てられたみ旨を忘れてはならないのです。神様はこのように導き、民主世界までつくっておかれたのです。(五四―一二一)




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二.民主世界とはすなわちキリスト教文明圏である

 民主世界とはどのような世界でしょうか。これは、キリスト教思想の文化圏を中心とした世界です。(五三―二四五)

 この民主世界とは、メシヤに会うための世界であり、メシヤのための基台としての土台です。このような世界がある反面、このような世界に反対する世界もあるのです。(四七―一九)

 民主世界の運勢はキリスト教文明圏の運勢ですが、その運勢が再び一次元高いところへ上がっていこうとすれば、現在のキリスト教をもってしてはできないのです。それは、長成級なので完成級に上がっていくためには、それを消化屈服することのできるものが出てこなければなりません。蘇生的基盤において歴史的蕩減を成し、長成的な基盤において歴史的基盤の上に国家的な蕩減をしなければなりません。(七八―三二三)

 今日、この民主世界はどのようになっていますか。世界的キリスト教国家においての形態は完成時代に入ってきたのです。すなわち、完成圏の世界的な時代に入ったのです。完成圏の中には入ってきましたが、実体的中心がありません。実体的基盤がないのです。(七四―三一〇)

 今日、世界的なキリスト教文明圏をつくったのは、世界的な怨讐圏を防備させるためでした。そのために、数多くの犠牲を払いながら世界的にキリスト教文明圏を発展させてきたのですが、それが今日の民主世界です。イスラエルの国を代表したイエス様が、その時代の国家的基準の前から追放されたようなことが再発するのを防ぐために、世界的な時を迎えたこの時代において、民主世界が世界的なイスラエル圏を代身し、キリスト教が民主世界を代表し、ユダヤ教と同様の使命を果たさなければならないのです。このような中で、特定の先知者のような使命を成す国がなくてはならず、そのような団体がなくてはならないのです。神様はそうすることのできる準備を百方にしてこられたのです。(四九―二四一)

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三.民主主義は復帰過程上の主義

 民主主義は復帰過程上の主義です。アベル的な良い人が長子の立場に上がっていくことのできない堕落した世の中なので、父母に侍ることのできる時まで民主主義を立てて、よりアベル的な犠牲者がカインの位置を占領するようにする方便的な政治体制です。神様とかメシヤを選挙制度によって選出できますか。(一九八六・一・一)

 民主主義とは、決定的な中心を探すことのできない時に選択の方便として立たせたものです。それが民主主義なのです。神様を民主主義式に選ぶことができるだろうかというのです。メシヤを民主主義的に選ぶことができますか。自分のお父さん、お母さんを民主主義式に選ぶことができますか。根本のための相対的な問題は可能ですが、根本問題には民主主義が触れることができないのです。(六六―六五)

 我々が望む世界はそのような世界ではありません。神様の前にも民主主義がありますか。民主主義が永遠に残ると思いますか。答弁してみなさい。神様の前にも民主主義がありますか。絶対者の前に民主主義があるならば、絶対者という名詞は必要ないのです。天国世界は民主主義世界ではありません。(五〇―七八)

 民主主義とは、中心がないとき民主主義であり、中心があるのに民主主義ですか。中心を立てておいて、また選挙しようとしますか。中心がないとき民主主義が必要です。(五〇―一三三)

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四.民主主義の選挙制度の限界

 神側に属する国は正義の国であり、正義の世界です。一辺倒ということは妥協しないということです。今日、この民主世界と共産世界はどうですか。ごった煮の材料になっています。これはビビンバでもなく、何ですか。腐ってにおって、見苦しいです。今の民主主義の政策方向は妥協とか和解とかをするのです。神様は和解しますか。我々が神様を選ぶのにおいて、民主主義式に神様を設定しようということになりますか。人間が万能を主張できますか。メシヤを民主主義式に選び出すことができますか。それは杖のように、すべて正義の法を探していく過程において、選り分けて探していく過程において存在するものであり、絶対的ではありません。それは今、すべて消えていくのです。(一六二―一九〇)

 共産党を防御するには、民主主義をしては通じないのです。民主主義は通じません。民主主義をもって通じることができるかというのです。何年かごとに大統領を取り替えてはできないのです。できません。(八九―一三三)

 宇宙で一番尊いものは何ですか。アメリカで一番尊いものは何ですか。アメリカで一番尊いものが大統領夫婦ならば、その理由は何ですか。国の父母のような立場なので、そのような論理が成立します。

 それでは、その国の一番貴いものをいつでも取り替えることができるでしょうか。これが問題です。民主主義の大統領制度と昔の国王制度のうち、どちらが真に近いですか。(国王制度です)。民主主義を通して真なる王を探し出すならば、その制度も良いのです。

 中世の国王制度が民主主義に変わったのは、中世の王が本当の王でなかったためです。真の王を探すために、民主主義による大統領制度に変遷したというのはすてきな内容です。今日、アメリカが民主主義を中心としてすべてのことを体制化したので、夫婦間とか父母と子供の間にも民主主義式にすると言いながら、おかしな関係を醸し出しているのを見ることができます。神様を民主主義で選択することができるのかというのです。民主主義はよいにはよいのですが、根本的な問題を考えてみなければなりません。(一九八〇・四・二〇)

 今日、人間がつくった政治制度の中で一番良い制度と言うことができる民主主義は、多数の原則によって運用されていますが、間違えば悪用される憂慮のある政治制度です。(一九八一・二・二一)

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五.民主主義の盲点

 事実、民主主義は体制であって思想ではありません。(一六八―一〇八)

 民主主義はこれから混乱するようになっています。思想的な支柱がないからです。(五一―二四八)

 民主世界を見るならば、「教会と政治は違うものだ」と言って人が前に立ち、神様が先に立っていなかったのです。いい面の皮だと言うのです。人が先に立ち、神様は後に従ってきているのです。そうできますか。誰が先頭にならなければなりませんか。(神様です)。憲法も神様の名によって、すべての家庭も神様の名によって、すべての教育も神様の名によって、すべてこのようにならなければならないのにそれもできません。(八〇―二九五)

 さあ、アメリカを見れば、このアメリカは民主主義の国ですか、何の国ですか。どのような国ですか。(民主主義です)。言葉は、「民主主義」と言いますが、事実は共産主義よりももっとむごいところがあるということを知らなければなりません。何がそうですか。人種差別です。分かりますか。そのような面においては、共産党から非難を受けるのです。レバレンド・ムーンを中心としても、国連総会で大使たちだけが集まっている所で「あなたの国に宗教の自由がありますか、ありませんか?」と質問すれば、「ああ、宗教の自由があります。ありますよ」と答えるのです。それでは、「レバレンド・ムーンにおいてもそうですか?」と尋ねると……。(笑い)それは何を言っているかといえば、人種差別に対しては共産党よりむごいということなのです。

 その次に、税金においても共産党よりむごいのです。共産国では、土地を全部分割してあげて、税金は三分の一しか受けません。ここでは、ある人たちは八〇パーセント程度を税金として納めるのです。何となれば、個人的な生活面で身動きできず抑留されているのです。

 また、法を重要視するのはよいのです。明らかによいというのです。よいにはよいのですが、世界的な大きな変革が来るようになれば、この国は本当に混乱するでしょう。さあ、法権を重要視するのですか、人権を重要視するのですか。どちらですか。(法です)。

 その問題が複雑です。民主主義とは法権主義ですか、人権主義ですか。それが問題です。(九〇―三〇八)

 この世界の中で自国だけを愛することのできる民主主義、これは既に実験を終えた世界的な末路に処したことが分かりました。自国を犠牲にしたとしてもより広い次元で一つの世界を追求する、天の主体のために自国を犠牲にしながらも世界を生かすための民主主義になることができないことは非常に悲痛な事実です。(六一―三四二)

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六.民主主義と共産主義との比較

 現在、民主世界と共産世界の両大陣営に分かれて対立している現象世界を眺めてみる時、この二つの世界は出発の起源が違うのです。また、目指す目的が違います。出発と目的が違いますが、経由していくのです。(四八―一四一)

 民主世界は心的なものを代表する世界であり、共産世界は物質的な面、体的なことを代表した世界として実を結んだ世界です。(七一―二四三)

 共産主義は唯物主義です。無神論主義です。神様はいないと言うのです。我々人間を中心に言えば、それは体主義です。体主義から出発したのが共産主義だというのです。人を造るときに心と体を造りましたが、体が世界的に実を結んだのが共産主義です。何が神様だ、体が一番だと言うのです。パンが一番だと言うのです。体が一番好む世界が共産世界です。

 反面、民主世界は心主義です。そこには、それでも、同情があり未来があります。また、そこでは平和を論じます。しかし、共産主義の理論は弁証法による闘争を主張します。彼らは、闘争過程が発展の要因であると言います。そこには平和があり得ません。理念が違うというのです。

 この共産主義は何かと言えば、終わりの日のサタンの妖術使いです。ここに引っ掛かれば……。見なさい。共産党はすべてのことを夜するでしょう。夜にします。秘密会議も全部夜にします。そして、地面に穴を掘って入っていきます。それは影を象徴します。しかし、民主世界は昼にするのです。ですから、その二つの中では、それでも民主世界がましでしょう。(四七―一一五)

 今、民主世界と共産世界が反対になっています。民主世界は天を探していき、共産世界はこのように反対に物質世界を探していきます。すっかり反対なのです。また、民主世界は個人を中心として、共産世界は党の組織を中心としています。すべて党が主管するのです。反対なのです。民主世界は自由と愛と平和を中心にしていますが、共産世界は脅威と銃刀を中心として強制的に主管するのです。二つの世界が今、はっきりと反対にできたのです。(一九八〇・五・一)

 今この世界を見ると、二種類の所有観念があります。個人的な所有に重きを置くそのような民主世界があるとすれば、全体的、国家的な観点で所有を重要視する共産主義があります。このように見るとき、個人主義に重きを置く民主世界にはその中に宗教がはまっています。国家の所有に重きを置くそのような共産主義体制においては、宗教と神様という観念は全くないのです。(九三―七一)

 宗教を代表しては民主世界があり、思想を代表しては共産世界があります。そのために、我々は宗教を代表しては神様の心情をもって出てくるのであり、思想を代表しては勝共理念をもって出てくるのです。この勝共理念は宗教を中心とした心情的思想と相反するのではなく、相応的な立場で出発したのです。神様から出発したのです。一つは内的であり、一つは外的です。そのような立場にあるのが現実です。(四九―一五二)

 今日においては思想戦です。神様を除いていますが、それでも良心を中心にする思想と、悪を中心とした思想が戦う思想戦です。それは興味深いでしょう? 

 共産党は全体主義です。それで民主世界はなぜ個人主義の世界なのでしょうか。それは、悪が主権を取って出て来るためです。ですから、善は個人主義として終わるのです。そうなるのです。これが悪主権の前に立てないというのです。そのために個人主義世界の終末が確かに起こります。(六〇―六二)

 共産主義と民主主義と比較すれば、どちらが神側に近いですか。共産主義はそれ自体が労働者、農民のためにと言いながら、独裁主権を主張します。民主主義を見れば、そのように考えないのです。お金をたくさんもっている人も良く、良心的な人も良く、農民も良く、みんな良いと言うのです。今、共産主義国家に住む人たちを見れば、みんなそこが良いと思って行ったのですが、この東ドイツにしても境界線をなくせば、共産主義者たちも継続して西側に入ってくるのです。ですから、境界線を引いた立場に立った人が悪いというのです。

 このように見る時に、共産世界より民主世界が神側に近いのです。共産主義者たちが、何であるかと言えば、ブルジョア階級に対してはすべて粛清してなくしてしまおうとするのです。救ってあげようという考えをしないで、なくしてしまおうとするのです。これを同化させなければならないという考えをしません。すべて処断するのです。そのことを知っていますか。(はい)。共産世界は「宗教はアヘンだ」と言うのです。全滅です。ソ連は今、作戦上教会形態を置くのです。それらすべては共産党指導下にある偽物です。形式的です。偽装戦術です。偽装のための宗教であり、その宗教を認定するのではないのです。「共産党が願うことを聖書以上に重要視せよ。そうしてから神様に侍りなさい」、こう言うのです。その境界線は何ですか。サタン圏内にあるというのです。(九〇―一五)




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第四節 共産主義理論とその虚構性

一.進化論

1 人間の祖先は猿ではない

 この地球星を眺める時、絶対者であられるその神様の前に相対できる存在はいったいどのような存在でしょうか。今日、ある学者たちは猿だと言うのですが、猿が相対になることができますか。皆さん、動物園に行けば猿が本当に尊いでしょう? ある動物学者たちは、人間の祖先が猿だと言うのですが、それならば、その学者に対して「先生、あなたのお祖父さんは誰ですか。猿ですか。では、猿の何十代目の孫であられる先生」とあいさつしてみなさい。喜びますか。とんでもないと言うのです。気分が悪いのです。皆さん、猿が皆さんのお祖父さんならばうれしいですか。(七八―一〇五)

 人間がアメーバから進化したというのですか。生物学者とか生物学教授とかいう人たちは、猿が自分のお祖父さんであると言うのです。このような妖邪なことが天下を滅ぼしているので、それらを掃討するために統一教会の文先生が出てきたのです。ここにいる青年たちもそうではないですか。

 見なさい。力の法則では出力と入力が互いに同じという法はありません。公式がそうです。必ず、入ってくる力が大きいのです。そうでしょう? 

 皆さんは、これを物理で学びます。電気を見ても、モーターを得て出ていく力よりも入ってくる力が大きいのです。いつでもそうです。作用すれば力が消耗されるのです。作用するのに、プラスとなる法がありますか。

 マイナスになりますか、プラスになりますか。(マイナスになります)。小さくなるでしょう? それでは、アメーバが作用するのにどうしてプラスになれますか。そうできないのです。プラスになろうとするならば、どのようにしなければなりませんか。プラスになろうとするならば、第三の力が加えられなければなりません。入っていく時より、高次的な基準の力の作用体となるところにおいて、どうやってプラスになるかというのです。作用すれば、マイナスになるのです。

 それでは、人と猿とを比較してみましょう。猿はただキッキキッキと言い、食べて、寝て、子を産むのが第一です。猿が故郷のお父さん、お母さんを見たくて泣きますか。猿と人間は根本が違います。猿がお兄さんを心配し、あるいは、父母のために死のうとしますか。それでは人はどうですか。そのようなことをしますか、しませんか。(します)。種子が違うのです。そして、猿たちが集まって座って、祖先が何をどのようにした、神様がいるのかいないのかと議論するすべを知っていますか。(できません)。霊界があるということを考えたりもしますか。この宇宙が平和の世界となり、一つの世界となり、愛の花園になるということを夢見ますか。そのような猿が進化して人間になったという人たちは、犬や豚のようなやからです。

 人とは種子が違います。人間は、自己を中心にしたものではなく他を中心として、より大きいことを中心として所望しながら生きるようになっているのであり、自己より低いものを所望しながら生きるようになっていないのです。次元が違うのです。

 人間は古代から、すなわち、人間が生じた時から神を崇尚してきました。神様を崇尚しない種族はありません。神様を考え、我々人間がもっとよくなる宇宙を考えながら来たのです。猿は、その頭でそのようなことを考えられますか。何千、何万段階が過ぎてもできないのです。猿に、そうすることのできる内容、力がどうやって加重して入っていきますか。話にもならないのです。(三九―三三二)

 共産主義は、人間は物質から出てきたと言います。それが可能ですか。物質にそうできる観念がありますか。どんなに人間の能力、すべての調和のビジョンをもってくっつけても、物質自体がそのような素質をもつ道がないのです。弁証法ではすべての物質、すべての存在世界は変化し発展すると言いますが、これ(高い理想、高い基準に向かう心)も発展して変わるのかというのです。昔の人から今の人、何万年後の人がこれに対する本性が変わって発展できるのかというのです。それは変わるもののようですか。猿は高等動物ですが、猿がそのような考えをもちますか。何千年何億年どんなに力を加え、ありとあらゆることをすべてやっても、そうできる本性の心を猿がもつことができるかというのです。このような観点から見るとき、我々人間には猿とは違って、本性的にその偉大な本然の作用が投入されたという結論を下すことができるのです。

 ですから人間に、このような変わる素性ではなく、変わらない素性を投入したのは、変わらない主体の相対的作用によって、その対象的実体になるようにするためなのです。このような論理が妥当であると見るのです。我々にそのような本性があるということは、そのような本性をもった主体的実体があるためであるという結論を下すことができるのです。ここから、主体の観念と対象の観念を知ることができ、私は主体と相対的関係によって因縁づけられているということが分かるのです。

 それでは、主体となるその方のそのような本性を投入したことは、それ自体だけのためのものなのか、より次元の高い理想郷のためなのでしょうか。

 これが問題です。より大きいことのために、より大きいことを願って投入したという結論を我々は下すことができるのです。(九一―一八七)

2 進化論は流れていく一つの歴史的遺物

 チャールズ・ダーウィンという人が書いた『種の起源』を見れば、彼は進化論を起源に弱肉強食という論理を提唱して、力をもって世界を支配して新しい文化圏を形成することを正当化させる悪も行いました。このようなありとあらゆる悪がすべて起きたのです。

 では、種の起源が何かというのです。根本問題に入っていくのです。それを考えるようになる時、神様がいるのかいないのかという問題、今日、哲学的な観点からは意識が先か事由が先かということが大きな問題として台頭しているのです。人間の根本は何ですか。猿から始まったのか、また別の何かの種の起源があるのかという問題、このような根本問題を解決しなくてはならないのです。(一六二―二六〇)

 最近、進化論と言えばみんな流れていく一つの歴史的遺物になっていますが、それは進化して発展すると言うでしょう? 進化するならば、なぜ逆には進化しないのですか。逆に行くこともできるのではないかというのです。東にも行くことができ、西にも行くことができるのではないですか。進化することのできる方向を誰が定めてくれましたか。自己が成長しながら方向を定めますか。アメーバから、これが発展して人になる時まで数多い高次元段階を経て行きますが、高次元に向かって発展できるその方向を誰が定めてくれたのかというのです。なぜ、そのように高次元に向かうのかというのです。

 下に下がって行くこともできるし、横にも行くことができるでしょう。それはどういう意味かと言えば、女子が男子みたいにもなれ、男子が女子みたいにもなれ、言い換えれば、二つとももつことができるのです。一つは前にもち、一つは後ろにもち……。そのような理論まで出てくるのです。女子は女子としてこうでなくてはならないという方向性、男子は男子として絶対こうでなくてはならないという方向性を誰が決定しましたか。それを、女子が決定し、男子が決定しますか。我々の祖先たちが決めたのですか。彼らが決定したのではありません。この宇宙が決定したのです。この宇宙の中心となる、何らかの意思があるべきです。その意思の主体を神様であると見るのです。神様が、「男子はこうでなくてはならず、女子はこうでなくてはならないのである」と、このように決定しておいたのです。(一六六―二一三)

 共産党式は、自然に適応するのは自然的な道理であるとします。根本もなく適応するというのですか。このような人々は、たたきつぶさなければなりません。(三九―三三二)

 作用がないならば、アメーバからより大きな存在が出てくることはできません。より大きな存在が出てこようとするならば、必ず作用が起こらなくてはならず、ここに何かの力が連結されなくてはなりません。すなわち、力が連結されようとするならば作用をしなければならず、作用をしようとするならば主体と対象の関係があるべきです。

 主体と対象は、絶対マイナスとなるところでは作用をしません。プラスとなるところでだけ作用をします。そうなのですが、主体と対象の関係は必ず相対的関係となっているべきです。したがって、アメーバから発展しようとすれば、発展できる、また別の何らかのマイナスとか、また別の何らかの主体とかいう、ある何かに対して与え受ける合同作戦をすべきです。そのようにしてのみ、より大きいものが出てくるようになっているのです。そうでなければ、何ものも出てこないのです。言い換えれば、第二の力が必要なのです。その次、目的が必要で、方向が必要です。ですから、進化するには勝手に進化するのではなく、方向があるべきです。方向を知らなければなりません。方向が絶対に必要なのです。

 方向には、その方向が行こうとする終着点があるべきです。それが目的点なのです。目的観がなくてはならないのです。これが問題です。

 その次には力です。力の公式的な原則を見るならば、このような公式がありますか。(板書される)人間において、入ってくる力と出ていく力とが同じになれますか。力が入ってきてこのように作用したのですが、作用しようと入ってくる力と、作用した後の力、出ていく力は同じであり得るでしょうか。ここには消耗が起こるでしょう? そうではないですか。運動をすれば、消耗が起きるでしょう。ですから、入ってくる力と同じにはなり得ません。作用した後の力はいつでも小さいのです。進化論者たちは、作用をすれば力がもっと大きくなると言うのです。そのような公式はありません。そのようになれば、この世の中はひっくり返るのです。ですから、第二の力が必要です。

 それでは第二の力はどこから補充するのでしょうか。より大きい目的を達成するためには、第二の力の加入が成立しなくてはなりません。第二の力は、主体と対象の合わさった立場には可能なのです。きっぱり出るのです。理論的に合うようになっているのです。そうではないですか。主体と対象が二つ合わさるので、もっと大きい力が出るのです。そうでしょう? ですから、神様は主体と対象の関係を発展的な相対形として整えて、新しい目的の価値を提示した結果、より大きいものへと発展したのです。創造原則がそのようになっているので、小さな物質から宇宙が形成されるのです。(五五―二五六)

3 「自然に生じた」という言葉はごまかし

 今日、共産主義社会では、進化を通して人間になったと言います。それならば、人間になる前に動物はどうやって生まれたのでしょうか。これが問題です。猿はどのようにして生まれたのでしょうか。(一九八七・一〇・三一)

 この世の中を一度考えてみてください。この世界がどこから生じたのでしょうか。今日、科学者や共産主義者たちは「自然に生じた」と言いますが、それはごまかしです。ごまかしているのです。その「自然」はどこから生じたのですか。創造物全部がどうやって生じたのでしょうか。創造しなかったならば、どうやって存在するようになったのかというのです。共産主義者たちは、ただ「自然に」生じたと言うでしょう。
 このピアノも自然に生じたと言うでしょう。これもすべて科学的であると言うでしょう。マイクも、「お前はなぜ生じたのか?」と聞けば、自然に生じたと言うでしょう。(笑い)数百万の医学博士がどんなに研究しても解決できない、この人体は神秘の王宮ですが、「お前はどうやって生じたのか?」と尋ねる時、「私は自然に生じた」と言えば、それは話になりますか。非常に科学的な素質を、属性をもった自然であると言う時、その自然自体が神様と同じです。結局、原因なしに生じる法はないのです。

 今日、皆さんは進化論を適用しますが、アメーバならアメーバが繁殖するのにおいて、アメーバよりも大きいものが生じるためには、つまり、現在のものよりも大きくなるためには、別の力が加えられなければならないのです。力がプラスされたというのです。(板書しながら語られる)それでは、アメーバ自体が力をプラスしながら発展させることができますか。アメーバ自体が、そのような力を加入させることができるのかというのです。そのような能力があるのかというのです。(いいえ)。少しでも上がっていき、もっと大きなものになれるとすれば、ここにもっと大きな力をプラスしなければならないのです。

 それでは、これ自体が力を創造してプラスできる能力がないのに、どこからどうやって来るのですか。そのような論理が成立しますか。(いいえ)。ミスター・金ならばミスター・金、ミスター・朴ならばミスター・朴がいる時、「私が、モハメッド・アリのような人を問題なく片付ける」と言うことができますか。そのようにしようとするなら、ここにもっと大きな力が加わらなくてはなりません。そうでなくては、どんなにやってみても限界線を越えられないのです。ミスター・朴が、「突然変異によって、私の力が非常に強くなれば、モハメッド・アリを打ち倒せる」と言うことができますか。そう言えますか。(いいえ)。

 そこには、何か注射を打つとか、人参エキスを飲むとかして、力を加えることのできる動機を整えておいてこそ、爆発できるダイナマイトを仕掛けておいてこそ、ドカンと粉砕できますが、それ自体としては、不可能なのです。(笑い)それ自体としては、より大きな力をプラスさせることができないので不可能なのです。ですから、それ自体はより次元の高い前進ができないという結論は、理論的な結論なのです。(八九―七三)

4 人間を中心とした進化論批判

 人間が生命をもって生まれる時は、宇宙のすべての生命をもって生まれたような、相対的な原因をもって生まれたということを、我々はここで語ることができるのです。人間一つをモデルにして、低級微生物から高級動物まですべて造ってきたのです。ですから、進化というのは結果的打診にすぎません。

 ですから、出発から一つの目的体である人間を目標として、この宇宙が生成され現れたということを、我々はうかがうことができるのです。微生物からすべての生物、高等動物まで、生成されるところには一つの原則的な過程が連結されています。

 これを見る時、これは無意識的な発展によって成ったものではなくて、意識的な目的観によってそのようになったという結論を下すことができると見るのです。ですから、すべての存在は目的観が入っている存在として出発したということを、我々はここで理解しなければなりません。

 一つの存在を考える時、必ず内的目的と外的目的をもっています。大体このように見るならば、人間も二つの目的体になっています。体の目的と心の目的があります。このように二つの目的をもっていますが、一つの帰結点は同じです。

 では、なぜ二つの目的をもつようになったのでしょうか。これが問題なのです。内的な世界と外的な世界があるために、物質世界と精神世界があるために、この二つの世界を連結するために二つの目的をもった内容をもたずにはいられないのです。これが相克するとか分立するのではなく、一つにならなければなりません。調和的統一を成すところにおいて、すべての人間の理想的実存性が形成されるのです。これが一つになるところにおいて、無秩序ではなく、その二つは一つの統一的目的である人間完成という標準に向かって終結するようになるのです。そのように完成した男性ならば男性、あるいは、女性ならば女性自体が一つになるために活動するのです。

 男子と女子が、なぜ一つになろうとしますか。我々がここでダーウィンが言った進化論を論ずる時に、進化というのは必ず一つになることのできる先進作用がなくては不可能だということを提示しなくてはなりません。進化という決定を見る前に、進化できる先進的作用、お互いが合わさろうとする力があるという事実を、我々は認定しなくてはなりません。この先進的な力、先にあって進化を起こすことのできる力は、より高いものへと前進するようになっています。

 では、これを誰が提示したのかというのです。進化していくものそれ自体が、高いところに行かなければならないという方向性を提示することはできないのです。方向性をなぜもつのでしょうか。必ず目的という意識をもたなければ、方向性は決定しないのです。勝手に行くためです。ですから先進的な力の作用、合わさって一つになろうとする作用と、その次に方向性と目的性というものを認定しなければ、進化して高等動物に前進、発展するという論理を立てることができないと結論することができるのです。

 進化も、一つの作用として見るならば、なぜ起きるのかというのです。一人では作用ができません。作用とは、相対的関係から起こるのです。作用するにおいて、必ず二つとも利益になって大きくならなければならず、小さくなれば絶対に作用しません。この原則を知らなければならないというのです。男女がお互いに愛を中心にして作用しようとするのは、自分たちが損害を被るためではありません。より次元の高い発展のために、その目的のために、作用しようとするのです。

 その作用は誰のための作用でしょうか。お互いのための作用であるという結論が出ます。その方向は誰のための方向でしょうか。お互いのための方向です。お互いのための方向からのみ発展します。その目的は誰のための目的でしょうか。お互いのための目的です。お互いのための目的からすべてのものが形成されるのです。

 ですから、作用するところには必ず二重性があり、方向性にも二重性があり、目的にも二重性があるという結論を下すことができます。(九三―一七三)

5 すべての存在は目的意識が先在している

 弁証法では、方向性とか目的性を認定しません。その次に、作用性に対する根本問題に触れないようにします。なぜ作用しようとするのか、なぜ一つになろうとするのか、という問題に触れませんでした。それ自体を中心として発展するというのです。発展する場合必ず大きなものに発展する、ここに突然変異という仮想的な論理を立てて、補填しようと努力しています。

 なぜ突然変異が起こるのかというのです。それでは、作用は誰が成し、方向性は誰が提示し、そのような結果になった目的は誰が提示したのかというのです。それ自体が提示できるのでしょうか。できないというのです。

 我々男女が、愛する場合において、古代の祖先たちと今の我々と、愛する方向とか作用とか目的が違うでしょうか。(同じです)。そこには、なぜ突然変異が起こらないのかというのです。人間が今まで進化したならば、人間以上へと進化すべきなのに、なぜ人間で停止したのかというのです。これが問題です。人間が停止すると言って、こうなりましたか。「私が停止する」と、人間が考えて停止しましたか。(いいえ)。人間がそれを決定したのではなく、決定した位置に人間がひとりでに立っているのです。この事実は、既にこの宇宙に意識が先に在ったという結論を下すほかないということです。

 我々は、目一つを見てもすべて答えることはできないのです。今日、弁証法とか進化論をもって、これについて話すことができないのです。皆さんは将来、共産主義者たちと戦うべきです。今、進化論と弁証法を壊すべきです。進化論だけ壊してしまえば、弁証法は壊れるのです。今、闘いは何ですか。意識が先か、物質が先かという問題です。共産世界は、「物質が第一だ、物質が始めだ」と言い、民主世界では、「意識が先だ」と言います。

 この目は物質です。物質によって構成されています。目がどのようにして生じたのかと言う時、目がただ生じたくて生じたと考える人は狂った人です。鼻はじっとしているのに、目はなぜ動きますか。「なぜ目が動くか」と言う時に、「動きたいから動くのでしょう」と言うのが進化論式であり、弁証法式です。目の目的は見ることです。見るところに目的があるために動くのです。目的を達成するために動くのです。鼻は、ちりが付いてもじっとしているのに、目はなぜこのように絶えずパチパチするのかというのです。なぜそうなのですか。なぜそうかと言えば、水分が蒸発して乾くので、水を撒いてやるためにそうするのです。

 まゆ毛はなぜ生じましたか。ちりを防ぐために生じました。「なぜそのようになっているのか」と言う時、そのようになりたくてなったと言うのは進化論式です。(笑い)それは、そのように簡単ではないのです。それがただそのようになったと言う人がいれば、「ばかげたことを言うな」と、こう言うのです。

 このように考える時、目というものが本来生じる時から、この宇宙があることを知っていたのかというのです。ここには太陽があり、ここには空気があり、ほこりが生じ、水蒸気になって蒸発するという事実、このような宇宙があるということを始めから目というものが知っていたのだろうかというのです。それを知っていたでしょうか。一番始めに、目がそれを知っていたのだろうかというのです。答えてみなさい。(知りませんでした)。それでは、「知らなかったのにそのようになった。知らなかったのに進化的発展によってそのようになり、弁証法的発展によってそのようになった」と言えば、やめろというのです。それがあり得ますか。(いいえ)。

 ですから既に、この目が生じる時には太陽があり、空気があり、ちりがあり、水蒸気が蒸発するという、天文学的、博物学的知識基盤の上に存在し始めたという事実を我々は否定できません。理論的に否定できません。ですから物質が先か、意識が先かという時、どちらが先ですか。(意識です)。何ですか。(意識です)。

 根本的に人間がどこから生じたのかという問題を見る時に、人間自体の意識、あるいは、人間自体の発展的作用の何かの原因によってそうなったのではありません。必ず根本的な作用があり、方向性があり、目的観があったということを認定できる内容を、先に提示しなければならないのです。このように見る時、人間とかすべての万物が自分勝手に進化、発展したのではなく、必ず作用はこうあるべきだ、方向はこうあるべきだ、目的はこうあるべきだという意識の決定的な目的的実体として存在し始めたということを、我々は論理的に否定できないという事実を知るべきです。

 それでは、人間はなぜ生まれたのでしょうか。人間は、高等動物としてなぜ生まれたのかというのです。人間は高等動物として作用し、高等動物として行くべき方向があり、高等動物として成すべき目的をもって生まれました。このようなことを知るべきなのです。(九三―一七六)




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二.唯物論の解説と代案

1 マルクス主義と哲学の限界

 マルクスは、どのような人でしょうか。マルクスのような人が聖人ですか。マルクスは聖人の仲間に入ることはできません。皆さんが知っているように、聖人とは人間を主にして現れた人ではありません。人間を主とした主張をする人は聖人になることはできません。(四一―六九)

 哲学は、それを主張した人がいつも問題になるのです。マルクス主義ならばマルクス主義を主張した人が主導的な役割をするのです。その思想圏内にすべて融合させるために、世界へと発展させてくるのです。その中心が誰かと言えば人間なのです。人間を中心とした環境的な内容を結束させるのにおいて、内在的な作用をするものが今日の哲学思潮であるというのです。

 そうですが、聖人の道理はそうではありません。聖人の道理の中心が何であるかと言えば、人間でなく神様です。これが違うのです。ですから、神様を紹介できない人は聖人の隊列に同参できないのです。(四〇―三三一)

 今日、マルクス主義とか何主義とかいうものは一つの哲学です。哲学はその個人的誰かによって始まるのです。哲学は知識の起源を通して現れるものであり、神様との関係、生命の起源を通して現れたものではありません。哲学は、人間とは何かという問題を探究する場合において人性説を主張したかもしれませんが、生命の起源はどこからかということを追究することはできませんでした。その問題を追究するものは哲学でなく宗教です。(四一―六九)

 哲学は神様を発見しようとしましたが、発見できずに落第しました。神様を見失ってしまい、人間が第一だという人本主義へと流されました。人間を見いだすこともできず、物質が第一だという物本主義、唯物主義へと流れ出ました。(一九八五・一二・一八)

 今日の思潮は何が動かすのでしょうか。哲学が動かします。しかし、哲学は生命と関係があるものではありません。皆さんはそれを知るべきです。哲学は生命を左右することのできる根源的な立場にはなれないのです。生命の対象的な立場に立つ知識の根本になることはできますが、生命の内容を決定できるもの自体にはなれません。ですから、哲学は生命を救うことはできないという結論が出てくるのです。

 聖人たちは哲学者ではありません。聖人たちを分析して見る時、彼らは何をもって生きたのでしょうか。何かの戦法をもって生きたのではありません。もちろん、知識を教えてあげたでしょう。人生の道理の一面を教えてあげることはしましたが、それは何を中心として教えてあげたのでしょうか。世の中を占領するための戦略的なことを教えてあげたのでしょうか。彼らが教えた内容は違います。全部違うのです。

 知識は知れば知るほど占領していくのです。今日の西欧哲学とは占領的な哲学です。知れば知るほど占領していくというのです。たくさん知れば知るほど自己を越えて、その版図を世界化させようとするのです。何を中心にですか。世界を中心にですか。自己を中心にですか。

 世界のための道に従って行くと言いますが、誰を中心にしてかと言えば、どこまでも自己自体を中心にするのです。ですから、その結果は必ず唯物思想に結集されてしまうのです。哲学は人生の生命問題を根本的に解決できないために、対象的な価値には属するかもしれませんが、根本的な決定要因にはなれなかったのです。(四〇―三三〇)

2 思想と哲学の二大思潮

 皆さんの心の世界は、皆さんが誕生する前から始まったのです。また、皆さんの対外的な世界も皆さんが誕生する前から始まったのです。それでは、この宇宙は何の考えもなしに、ただそのように生じたのでしょうか。違います。ここにあるピアノが生じるためにも、ここにはそうできる内容があったために生じたのです。どうやって生じたのか分かりませんが、何かの調和的力が作用したために結果として現れたのです。したがって、物体は原因ではなく結果なのです。

 皆さんが生まれる時、心的起源が先ですか、物質的起源が先ですか。私が生まれてみると、この世の中もあったし、私の心もありました。それではどちらが先ですか。物質が先だということはあり得ないのです。このような問題を中心として思想と哲学の二大思潮をつくって、「精神が先だ」「物質が先だ」と言いながらお互いが正しいと主張しています。

 それでは、皆さんは精神がないのに、「私は行く」と言うことができますか。できません。先に考えて、その次に行動するのです。そのようになっています。そうではないですか。ご飯を食べる時、無意識で「私は食べる」と言うことができますか。食べようと考えた後に食べるのです。これを見る時、どちらが先ですか。内的なもの、すなわち考えることが先なのです。

 それでは、皆さんは体の欲望が大きいですか、心の欲望が大きいですか。体の欲望は、ご飯を一膳多く食べれば満腹になるように限界があります。しかし、心の欲望には限界がありません。それでは、どちらが大きいですか。心の欲望に限界がありますか。物質的欲望、すなわち体の欲望には限界があります。しかし、その限界線を越えて要求するのが心の欲望です。これは皆さんの生活の中から明らかに知ることができるのです。(二七―五五)

 今までの歴史は、このような目的に向かって発展してきたのです。このようにして目的とする世界を成すための一つの手段と方便として立てられたものが主義と思想です。ここで、物質的な面を中心としたものが唯物主義であり、精神的な面を中心としたものが唯心主義です。民主主義は、唯心主義である宗教と文化を中心として発展してきています。人類はこの二つの思想が対立する間にとどまっています。(二〇―三〇二)

 今日、世界思潮を大別して見る時、どのような世界観になっているでしょうか。物質的世界観と精神的世界観になっています。言い換えれば、唯物史観と唯心史観が対立しています。この物質的な面と心的な面が対立する立場で一つの中心へと行くことができるでしょうか。それは不可能なことです。我々人間を見ても、心と体から成っています。心とは、我々が現実的なものをもって分析し、処理することのできないものです。物質的な環境とか内容によって観測しては、一つの結果を下すことができないものが心の世界であることを、我々は知っています。

 この心の世界は具体的な内容をもっていないようですが、それが物質的な世界を管轄しているのです。このようなことを見る時、高次的な内容を整えた内的な原則を通して物質世界を分析することができますが、物質的なものをもってはその次元が及ばないために、心的世界を分析するとか解決することはできないことを、我々は知っています。(二八―一五一)

 今日、世界の思潮は二つに分かれています。右と左、唯心と唯物に分かれていますが、これらは、ある一日互いにぶつかるようになるのです。ぶつかる時、喜びでぶつかるのでしょうか、恐怖でぶつかるのでしょうか。これが問題です。恐怖でぶつかる日には世界はすべて死亡であり、喜びでぶつかる日には世界はすべて幸福です。脅威と恐怖によって一つにしようとすれば終わりがきますが、平和と喜びの内容によって一つにしようとすれば永遠であることができるのです。(九―三一九)

 人間の精神は高い理想を追求します。人間の精神はすぐに神様まで至るようになります。肉身は我々の理想を具現する道具です。しかし、これは努力と鍛錬と自己犠牲を要求します。人間の精神が追求するものと、肉身が追求するものの間には緊張が生じます。精神は信仰の世界を探し、肉身は理性の世界を探します。

 このような理由のゆえに、人間の歴史には二種類の平行する思潮が生じるようになりました。一つは理性的で外面的であり、肉身の優位を強調するものです。言うならば、肉体的な満足、肉体的な美、科学に重きを置くことによって、すべてが身体的感覚にパターンを置く実証を重視します。またもう一つの思潮は、宗教的伝統的なもの、これは人間の肉身を超越する価値を重視します。精神的法則や価値、そして神様の啓示は科学の実証対象になることができません。人間生活で見ることのできるこれら二種類の思潮が、まさに今日の世界に見る二つの対立したイデオロギーの根本なのです。

 民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発して発展しました。民主主義の現代的概念はまさに、「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・27)という聖書のみ言に見つけることができます。これはまさに、人間は神の子女であるので民主世界では人間を尊重するという意味になります。ですから、人間に選択の自由を最大限許容すべきです。なぜならば、自由なしには人間の行動が価値をもつことができないからです。

 一方、共産主義は人類歴史においてより外面的であり、世俗的な思潮の結実です。啓蒙思想とフランス革命を経てきた後、マルクスは暴力と社会工学的技法を応用して、神様に対する信仰を追い出し、暴力による社会秩序の構築を主張しました。マルクス主義の社会工学的技法は、神様を否認する人間観に根拠を置いています。

 しかし、その結果は何ですか。マルクスの見解や主張を擁護する人たちがいるにはいますが、マルクス理論を実験し、実践してきた歴史が七十年になるソ連当地での結果は、一言にして悲劇的な失敗というほかありません。共産主義の勢力を強固にするために一億五千万の無辜の人命が犠牲になりましたが、マルクスが約束していた正義と繁栄の世界はそのどこにも実証することができませんでした。今日、これら両大イデオロギーと、これを信奉する諸国は地球星でお互いに正面対決しており、かつて想像さえもできなかった巨大な破壊力をもって世界を威脅しています。(一六六―一三〇)

3 歴史の発展過程と共産主義

 今まで発展してきた歴史のすべての内容を人体に比較して考えてみる時、最近まで世界を動かしてきた人たちは頭のよい人たち、すなわち知性人でした。それで、頭の時代であったと言うことができるのです。そして、第一次、第二次世界大戦を前後しては軍閥、すなわち力ある人たちが世界を動かしました。腕の時代でした。今は労働者や農民を中心とする脚の時代に入ってきました。なぜこのように歴史が発展してこなければならなかったのかと言えば、サタン世界のすべてのものを天が取り返してくるためです。すなわち、人類歴史は神様の復帰摂理歴史です。それで頭のよい人たちは、たくさん天の側になりました。今日、世界を指導する民主世界の知性人たちは大部分、神様を信奉する人たちです。アメリカでもそうです。今、サタンはだんだん頭を取られ、体を取られ、後には脚へ追いやられるのです。

 自己の心のままに蹂躙した人類をみんな奪われて、しまいには神様の前から除去されるほかない運命に立っているために、サタンは、自己も侍られず神様も侍られないようにしようと、「神はいない」という共産主義を生じさせるようにしたのです。皆さんはこれを知らなければなりません。

 それゆえ今、世界的にサタンの「分離現象」が起こります。頭からの分離、手からの分離現象が起こります。そして、頭は神様を象徴しますが、これは人体の情報機関であるということができます。すべての事物を観察する器官が頭にあり、顔には七個の穴(口、鼻二つ、目二つ、耳二つ)があります。ですから、七数を代表できる情報網をもって、サタンと悪なる者たちを断ってしまうのです。

 それで、最後の手段としてサタンが逃避するのです。そのために、神様に敵対していたサタンが今は神様を肯定して自己自体を爆破させなければならない終末時代に来たのです。自己と神様を否定することによって神様も侍られなくなり、自己も侍られなくしようとするのです。このような思想が共産主義です。また共産主義は、人間を神様のもとに帰ることができなくしようとする思想でもあります。
 また、彼らは会議を夜にします。秘密指示とか秘密事項を決議するのもすべて夜にします。反面、民主世界では昼にします。そして、共産主義者たちは地下で謀議をします。ですから、このような運動を世界化させて全世界を魔鬼化しようとする集団が共産党であり、神様が主管なさらなければならない世界を身代わりし、治めてみようとして現れた悪魔の集団が共産党なので、神様の頭痛の種であろうというのです。(一九八一・四・二六)

4 唯物論の正体

 今、神様とサタンが人間を介して戦っています。皆さん、聖書を見ると、サタンは空中の権を手にした者であると言いました。また、この世の君がサタンであると言いました。ですから、神様はサタンが手にした空中の権と地上の権を奪ってこなければならないのです。

 それが第一次世界大戦前まで、すなわち世界的な問題を中心としてサタンが天と戦う世界時代までは、霊的世界を天が占領してきたのです。このように天が霊的世界を占領したので、サタンは地上世界に降りてきたのです。世界的な霊的世界を奪われたサタンは、世界的な地上に向かって降りてきたので、世界を糾合して天の世界に反対するようにするのです。これは何ですか。霊界を代表した世界的なキリスト教文化圏とサタン文化圏の戦いが起こるのです。お互いに戦うようになっているというのです。

 霊的世界でもキリスト教文化圏を中心としてサタンと戦って出てくるのです。それと同様に地上で戦う場合においても、霊的な神様とキリスト教国家が合わさり、サタンとキリスト教に反対する国家が合わさって世界的な戦いが起きたのです。

 そうならば、サタンはこの世界が自己の主管圏内にいるために世界中の人々の中で一番の知識層、一番の上流階級の人たちを糾合して神様に反対するのです。それが第一次世界大戦までの戦いでした。世界を掌握した上流階級層がサタン世界を動員して神側を打つ時なのです。人に例えて言えば、サタンが最高の頭の部分を動員して天に反対した時なのです。それが、第一次世界大戦です。

 その次に、サタンはそれを奪われるので、上流階級から中流階級へ入っていくのです。追われて降りてきたのです。人間で言うならば、首の時代は過ぎていき、腕の時代、すなわち、力の時代に入ってきたのです。力をもって世界を一度掌握し、神様に対抗するぞと言うのです。それが、中流階級に該当する軍閥時代です。力をもって世界を掌握するために、力がなければならないのです。これが第二次世界大戦です。ですから、サタンは中流階級まで追われて降りてきたのです。人間で言えば、腰以上を全部天が奪ったのと同じなのです。

 それで、サタンが追われて下がっていき、今は行くところがないので一番下、足の時代に向かう時が来たのです。これが、サタン世界の最後の足場である労働者、農民の時代だというのです。

 共産主義は労働者と農民を中心にしたものです。足の裏だというのです。下部、下級階級、労働者、農民を中心にして糾合するのです。今、サタンは下部構造にまで下がってきたので、ここから追い出される日には自分が行く所がないのです。自分が行く所がなく、人類に侍られることもなくなるので、神様も侍られなくするために「神様はいない、神はいない」と言うのです。それがサタンの主義なのです。

 それで、地の主義、唯物主義というのです。そして経済主義というのです。経済をもって世界を主管してみようというのです。マルクス主義は何かといえば経済哲学なのです。内的な神様、心の部分は全部除いてしまうのです。私だけが人類を所有するという主義なのです。このようなことを見る時、どれほど悪賢く狡猾なサタンであるかを皆さんは知らなければなりません。ですから、最後に残ったサタンの知恵の学問が共産主義であることを、皆さんが知らなければなりません。

 人間を立てて世界を制覇しようというのではなく、物質をもって世界を制覇しようというのです。人間よりも物質を上にする人々です。物質が祖先だから、物質の世界を認定しますが、人間の価値を認定しないのです。

 人間は神様を中心として成された内容をもってこそ価値があるのですが、それを全部否定するので、この世の中は物質だけが残った世界になりました。ですから、人間一人を消すことを家一件壊すよりも簡単にするのです。家を一件つぶすのか、人間を十人処分してしまうのかといえば、人間十人を処分してしまうのです。人を消すのは問題にもならないのです。この主義が今、世界を激しく揺さぶっているのです。

 上流、すなわち頭と胴体が責任を果たしたならば足は頭の支配を受け、胴体の支配を受けるようになるのですが、それらが全部責任をもつことができないので足だけ行き来して騒がしいのです。この民主世界が責任を果たして、首と胴体のような上流と中流階級が主と合わさったならば、正常的な人間の体をもって世界を一つにできたでしょうが、それができなかったために全部死んでしまったのと同様になっているのです。

 物質は被造物です。被造物である物質を愛する主義が世界を支配するのにそれほど執拗ならば、創造主のためにする民はどれほど執拗でなければならないのかを考えるべきです。被造物のための主義をもつソ連が被造物主義を中心としてその主権を愛することよりも、創造主を中心とする主義が創造主の主権を愛するにおいて何倍以上にもならなければいけないのです。それは、当然の道理です。

 土(物質)が人を造ったというのです。土(物質)が、人を造ったのです。しかし、人のために土ができたのです。これを正さなければ世界はサタン世界になってしまいますから、これを正すのが今日の我々統一教会の使命であることを知らなければなりません。ですから、皆さんがこのサタン世界だけ負かしておくならば、世界は我々の世界になるのです。これが、我々の統一主義です。

 ですから外的にサタンが支配するこの世界(霊肉世界)を天が奪って支配できてこそ、初めて理想世界が出現するということを知らなければなりません。分かりますか。(はい)。初めのサタン主権を抜け出さなくてはならないということを、皆さんは知らなければなりません。(五四―二四四)

 人間は今まで、土地を奪う戦い、人を奪う戦いをしてきました。唯物論は人の体を引いていこうとする理論です。そこには、心と永遠なる理念と天倫の大目的と共に同行できる心的な理念がありません。(一〇―一六二)

 この世界は人間のものです。しかし、唯物史観は経済史観を土台にしており、物質世界を価値視します。しかし、民主主義は人間それ自体を中心にします。共産主義はまず人を探さなければなりません。このような意味から民主主義は共産主義より一段階進んでいます。(一二―五四)

 皆さんも知っているように、共産主義の究極の目標は、無神論的唯物論の旗のもとに全世界を征服して共産党独裁をすることです。実際に、労働価値論、剰余価値論、弁証法的唯物論、歴史的唯物論のようなマルクス理論は真理とは正反対であり、暴力革命を正当化するために主張されたのです。(一九八三・一一・二五)

5 唯物論の代案

 無神論が何かというのです。神様はいないというものです。物質を中心とする唯物論と人本主義はそう言うのですから、それを批判すればいいでしょう。無神論は自己を中心としたことのほかには何もないのです。ローマのような国がなぜ滅びたのかというのです。それは創造原則において、神様の理想の原則、原因と結果の原則に一致しなかったためです。原因は何ですか。自己投入です。自己投入をして神様は何をしようとするのですか。愛を見いだそうとするのです。神様全体を投入しても神様に必要なものは愛なのです。より大きいもののために、自己を投入したのです。これが根本です。ローマのような国は世界を中心として理想的世界を願いながら、ローマを中心にしておいて、自己以上の投入をしなかったのです。対象的な世界に対して、自分を犠牲にして自分の国以上の投入をしなかったのです。ローマが犠牲となり、投入したならばどのようになっていましたか。全部ローマのようになったのです。ローマのようになるのです。

 ですから神観、唯心論とか唯物論の対決に対しては、根本をはっきり植えておいて一致して出ていけば、すべて終わるのです。(一六四―三一八)

 無神論と有神論を中心として、体制が神様はいないと言うようになれば、既にそれ自体が破壊です。それ自体が消耗なのです。愛の原動力の補給を受けられないのです。力が作用すれば作用するほど消耗するのです。共産主義者たちは共同所有を中心としてきましたが、なぜ共有が個人所有よりよくないのか、これが問題です。共有の立場のすべての所有権をもった党員たちが、個人を党の利益よりも重要視しなければならないのです。そうすればいいのです。分かりますか。党自体が願う利益を尊く思い尊重するのと同様に、党自体が個人を党自体よりも尊く考えることができなければなりません。

 それは何かと言えば、党の所有であると同時により高い個人所有なのです。そのような概念が立っていないのです。いつでも、個人は党のためにしなくてはならないというでしょう。党が個人のためにするという概念がないのです。それがサタンです。独裁体制というのです。それが理論的な独裁体制と何が違うのかというのです。何がサタン側ですか。それは、党を中心とした党絶対主義でしょう。党が個人のために家庭のためにという、より小さいもののために何かしてあげるという主義ではないのです。それがサタンです。違うというのです。ですから、個人を地獄に引いていこうとするのでしょう。個人が理想的授受作用の相対基盤をもつことができないので、すべて破壊分子、無価値の存在になるのです。ですから、地獄のほかには行くことができない、このように見るのです。何の話か分かりますか。(一六四―三二七)

 共産党は矛盾です。矛盾だというのです。労働者や農民を中心として独裁政権をつくらなければならないという、それは論理的矛盾です。そのような論理は理想的な論理となることはできないのです。理想は必ず授けて受けなければなりません。一人で理想を実現しますか。

 そうであるならば、神様は最高の理想主体なので、神様自体だけでいらっしゃってもよいだろうに、神様ご自身が被造世界を造ったのは相対理想圏の愛を追求するためだったのです。ですから、我々が愛の論理をこのような創造の起源から立てていかなければならないのです。違いますか。それはいかなる時でも除くことはできないのです。観と言えば、個人的観とか家庭的観とか、その骨と骨が連結しなければならないのです。ですから我々は愛の心情圏を中心としてすべて連結されなくてはなりません。東に住んでも、西で住んでもその方向は間違いないでしょう。

 物質をもってはできないのです。よい物があれば党がもとうとして、個人に与えないようにします。物質をもって、所有欲を中心としてはできません。愛でなければ不可能なのです。父母が主体になっていれば、愛を通してよい物を自分はもたないで子供のために与えようとするでしょう。自己を消耗して与えようとするでしょう。世の中にそのような愛がなくて、所有欲を中心としては、自分のものを第二人者に与えようと考えないというのです。子供を除いて、みんなそうではないですか。個人主義を中心としてサタン側に全部取り入れられるのです。ですから、そのような世界は愛を実現する場が既に全部破壊されているのです。ですから、個人主義とか所有欲はサタンに属するのです。

 愛を中心とした所有欲は物質ではありません。理想です。その理想のためにすべてのものを犠牲にできるのです。我々人間が必要な生活面、すべてのものを犠牲にできるのです。私の生命までも犠牲にできるのです。ですから、その次元が違うのです。次元が違うためにそれ以下の人間生活は問題にならないのです。どんなに犠牲になってもです。しかし、個人を中心とした個人主義の所有観念はそうではないのです。その次元の高い段階に上がることができないのです。(一六四―三二八)

 皆さんも共産主義を知っていますが、共産主義理念とは物質を中心とした思想です。神様を中心とした思想ではないのです。物質を中心とした思想なのです。また民主主義は何かと言えば、人間を中心とした主義です。それでは本来のアダム主義は何ですか。それは真なる愛の道、真の愛だけもつならばすべてのことが全部解決するというのです。では真の愛主義はどこから出発しますか。それは神様からです。では人間が願う理想の境地がどのようなものかと問う時、ご飯を食べて楽に暮らす世界ではありません。真の愛主義の世界であるというのです。(一九七九・三・二八)




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南北統一_5-4-3

神様の摂理から見た
  南北統一

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三.唯物弁証法の解説と代案

1 ヘーゲルの根本的な過ち

 ヘーゲルの弁証法は間違っています。ヘーゲルの弁証法に出てくる「闘争」という概念をどこから引用したのか分かりますか。人間の心の奥に深く入ってみれば、良心と肉心が戦っています。それでヘーゲルは闘争が元来からあるように考えたのです。神様が創造した世界それ自体に闘争があると曲解しました。これは、人間が堕落したという根本的な事実を知らなかったためです。人間の本心を深く調べてみれば、相反する二つの心が対立していることを知ることができますが、そのような二つの心、すなわち良心と肉心が互いに対応しながら歴史が発展してきたと見たのです。ヘーゲルが「堕落」を考えられなかったことが根本的な過ちです。

 堕落した結果として現れた人間自体を分析してみれば、人間は相反する二種類の性質によって結合しています。そのために、神様が人間をこのように相反する二種類の性質をもった存在として創造したことが原則であると考え、宇宙もそのようにでき上がったという理論を立てるようになりました。共産主義思想はすべての事物を弁証法的理論によって分析して、歴史の発展も弁証法によって理解するのです。現実世界の一切を上部構造と下部構造に分けて、これらが互いに闘争しながら歴史が発展するという戦闘的な理論を展開しています。ですから、発展するためには以前のことを破壊しなければならないという理論が出てくるようになったのです。

 元来ヘーゲルの弁証法は現在の人間を堕落していない立場で考えました。しかし事実は正反対です。人間が堕落したことによって良心と肉心の対立と闘争が始まったのです。元来創造本然の人間の内部には矛盾性はなかったのです。そのような面から見る時、我々には本然の基準に一致する現実的な運動が絶対必要なのです。ヘーゲルは「生活の場」が矛盾を懐胎していると見ました。それが日常のことにすべて適応して、宗教は異常なものであると考えたのです。しかし、ヘーゲルの考えと彼が立てた理論は根本的に間違っています。堕落した結果の人間を中心として、それが創造本然の人間であるとして考えた点が間違いであったのです。ですから我々がここにおいて強調しなくてはならないことは、人間は堕落したという観念を早く宣布することです。

 我々人間は自体の内で良心と肉心が互いに争っています。その二個の力の拡大が民主主義世界と共産主義世界、唯心と唯物の二つの世界に分立して現れています。今その結実の収穫期に向かって前進することが末世の時代思潮の現象です。

 このような観点から、我々の統一思想はどのようにしなければならないのでしょうか。本来から出発点が間違っていたので、我々は一次元高い根源へと帰っていかなければなりません。一次元高い根源的な立場での人間はどのような姿ですか。これは良心と肉心が戦っている人間の姿ではなく、良心と肉心が一致している人間なのです。絶対的な一致、永遠なる一致という基準から見る時、霊界と地上と一体とならなければならないのです。(一九八三・五・一三)

 まだ我々はみんな偽者です。見てみなさい。なぜ偽者かというのです。心と体が一つになれずにあえいでいるではないですか。それが何の本物ですか。二つが戦っているのに本物ですか。本物と言うことができますか。(できません)。このような人間自体を見て弁証法という矛盾した論理が見いだされたのです。人間自体の闘争からすべて見つけ出したのです。ヘーゲルのような人たちのことを言っているのです。(八五―一〇三)

 今日一般の哲学者たちが堕落という観念を知らずに人間の心を開いてみたので、「そのようなものである」として、弁証法とか何だとか全部このように出てくるのです。闘争が起源であるということもすべて一理あることのようですが……。堕落したその立場から見る時のことですが、人の心をじっと探して入っていくとまさに闘争しているのです。堕落した結果から見ればまさにそのように見えるのです。(一九七八・三・二六)

2 作用の原則から見た弁証法の誤謬

 共産主義者が言うのですが、大宇宙には力があってすべてのものが発展するというのです。環境世界を認定してから論理の出発をしているのです。一つの存在が存在するためには、存在するための環境をもたなければなりません。水、土、空気がなければならないのです。これは環境の絶対要件です。

 彼らの論法によれば、進化させる環境はどこからでしょうか。そのようなものがある道理がないのです。それは矛盾です。「進化できる環境の基準はどこからか」。「自然に」。「自然にと言うならばどのような方法で?」。「力によって」。「力はどこから生じるのか」。力は一人では生じないのです。力が存在する前に相対基準があるのです。科学的現象においても、目的に連結する相対基準がなければ作用できないのです。運動が生じません。

 それならば力が存在する前に何が必要ですか。力が存在するためには相対基準がなくてはなりません。相対基準を認定するためには主体と客体の観念がなくてはなりません。主体と客体、プラスとマイナスが授受するためには共同目的の基準がなくてはなりません。ですから作用とか力の現象は、力の共通目的において生じるほかないのです。そうであるならば、共産党がいう弁証法は崩れてしまうのです。

 正というものと反対になるものがあり、それらが闘争して合体していくというのです。正というものと反対になるもの、それらは二個の違う観念として全く違うものです。違う目的圏です。互いに違う目的圏が一致することができるのでしょうか。正というものと反対になるものがあるということではなく、反対のものがあり、そこに正が生じるための闘争過程があるというのです。相対作用は共同目的圏内に限って作用するのです。絶対に、マイナスとなり損害となるところには作用しないのです。共同目的を完遂する圏内において互いに引っ張り合いながら作用するのであり、これを見てみるならば、共産主義の弁証法は根本的に間違いであることが分かります。(一五―一五六)

 すべてのものは相対的に存在しています。相対が定められれば目的観は自動的に出てきます。その目的は、二つを合わせたものよりももっと大きい価値をもつのです。ですから二つが合わさることは互いに矛盾対立して合わさるのではなく、共同の目的達成のために互いに合わさるのです。

 これが統一教会の理念の根本を成しています。ですからこのような根拠をもって弁証法さえ覆しておけば、共産主義の唯物史観とか経済理論などマルクスのすべての理論はみんな覆されるようになっています。(一九―二九九)

 共産主義とは何ですか。これがないというのです。主体も認定しないし、対象も認定しないのです。方向性もありません。目的性もないというのです。この中のどれか一つを認定すれば全部壊れていってしまうのです。ここでは主体と対象の関係を闘争として見ています。

戦って一つになると言うのです。世の中にそのような法がどこにありますか。そのようなことがあり得ますか。女性と男性と戦って一つになる、心と体が戦って一つになると言うのです。彼らはまた主体と対象においても、「物質が先であり心が先ではない。心は物質による派生物である」と言います。何ですか! 全く逆さまです。逆さまにひっくり返してしまいました。このサタン! 「方向は闘争である」と言いながら、闘争の方向を取っています。平和の方向ではありません。「統一は血を見なければならない。血を見て統一だ」と言うのです。これは歴史発展の原則にも、宇宙存在原則にも違反しているのです。(一九八〇・六・二二)

 力は必ず主体と対象が互いに授け受けするところから出てくるのです。しかし、主体と対象がいるとしても互いに損害となる時には授け受けしません。首を切るとしても授け受けしません。例を挙げて言えば、思春期になった処女と青年が恋愛する時は、男性も女性を対象にしたく、女性も男性を対象にしたがらなくてはなりません。すなわち、互いが出会って私もよく、あなたもよくなければならないのです。自己にプラスとなるものを発見しないでは、絶対に自己のものを与えません。与えるのが嫌なのです。あの人と暮らせば私が利益になる、すなわち損害とならずにプラスとなるという与件を発見すれば、授け受けしようとするのです。

 そうですが、当初それに対してみて、初めの日からマイナスだという時は対そうとしますか。絶対に対そうとしません。主体と対象はお互いの目的を中心として見てみても、自己一人で願う目的よりもプラスとなることのできる内容を相対から見つけられなければ授け受けしようとしません。言い換えれば、好ましい結果が現れなければ授け受けしないのです。

 好ましいとはどういうことですか。プラスとなるということです。悪いとはどういうことですか。ひっきりなしに取っていって、全部なくなってマイナスになるのです。良いとはプラスとなり盛んになるものであり、悪いとはマイナスとなり滅びるものです。ですからマイナスとなるところにはどんなに主体と対象の因縁があるとしても、どんなに強力な力を加えてみても授け受ける力が出てこないのです。力が生じることができないのです。そうでしょう? そうですか、違いますか。

 このような点から見る時、共産主義の弁証法はこれが分からない論理なのです。力の対決を認定するためには主体と対象の関係を結ばなくてはなりません。これが先決要件です。皆さんが化学実験をする時、元素のイオン化傾向を見ても元素が無条件に作用しないことが分かります。しかし元素が目的とする結果により好ましく、もっとプラスになることのできる要素が少しでも備わればいっぺんに作用するのです。もしマイナスとなる要素が少しでも入っていって、自己自体に侵害を受けるようになる時には絶対に作用しません。この宇宙は自己自ら保護作用をするのです。これが原則です。科学的な原則であるというのです。分かりますか。(四一―一八三)

 今日世界的に問題になっている、共産主義者たちが重要視する哲学、弁証法はとても大きな問題になるのです。ですから目的観念をもたない存在はないのであり、より素晴らしい目的を追求しないところには発展がないのです。人間を見てみれば、我々人間は結果的な存在です。何かの原因があって存在しています。(五三―一〇五)

3 共産主義の闘争観念

 共産主義思想の内容である弁証法を見るならば、それは矛盾と闘争の原理を提供するのです。必ず存在するものは矛盾過程を中心として上下、上部構造、下部構造に分別されるのです。上部構造と下部構造は一体化することができず、上部構造は下部構造を搾取するというのです。そこには愛の概念がありません。闘争の概念だけです。

 彼らが追求するものは何ですか。ユートピア、理想とは何ですか。闘争の過程によってもたらされる平和の世界です。その平和の世界は今日民主世界でいう平和とは違います。平和に違背するすべての者を粛清します。反動分子であるというのです。ですから反動分子の首を全部切ってしまい、反動分子がいないようにしたその世界を(彼らは)平和と言うのです。違うのです。

 今日ソ連が平和を主張しますが、その平和はマルクス・レーニン主義を中心としてそこに違背するすべての反動分子たちを粛清してしまい、そこに支持しない分子がいる立場で一つになった平和の境地を言うのではありません。全部首を切って粛清してしまって、反動分子のいない立場でマルクス主義一辺倒の立場に立った、そのような反対する群れがいない境地を言うのです。そのような平和のことを言うのです。違うのです。

 民主世界の平和は、左右が共に一つになることのできる概念を言います。根本的に違うのです。左右が一つになり、和合して理想的な動きを備えるその境地を民主世界では平和であると言うのです。そこには粛清の概念がありません。包括的概念があり観念的概念はありますが、粛清の概念や破壊的概念がないというのです。ですからこの共産主義は人類が受け入れることができない主義なので、我々のような人は世界的にその先端の旗手となって戦っているのです。そこでは愛、家庭までも、父母までも搾取の元凶であると言うのです。子供は父母の立場を自己の利益のために活用する存在として、搾取的な母体と見るのです。そこには愛を話すことができません。そこに真が存在できるのかと言うのです。(一六八―一六四)

 今日共産世界について言えば、「世界を全部制覇しなければならない」、このように言ってそこに反対するものは全部首を切り、粛清をしたでしょう。自己の同僚もお構いなく、父母もお構いなくみんな粛清したのです。しかし、そこに行ってみると、これでもなかったというのです。また、出掛けなければならないというのです。人を虐殺して成したものを見れば、そうできるでしょうか。親友も見忘れ、父母も見忘れ、みんな見忘れるのです。「ただ党だけがある!」。やせっぽちの党だけです。見れば見るほど恐ろしく、見れば見るほど冷徹であり、見れば見るほど情が離れていく党だけが「第一である!」と、こう言っているのです。

 皆さんの心と体が溶けて入っていって「ああーいい」と、こう言える所になることはできないのです。そのようですか。間違いなく行っては、走って出てくるのです。みんな走って出てきます。弁証法を中心とした変わる論理体裁をもったために、そこには永遠に住むことができません。その理論は永遠なる、高次的な何かを見つけることはできないことを知らなければなりません。そこには理想がありません。(九一―一四五)

4 闘争理論の矛盾

 今、世界は民主世界と共産世界の二つになっていますね。どちらが本物ですか。お互いに本物であると言うでしょう。では誰が、本物であると公認しなければなりませんか。歴史が公認をしなければならないのです。

 共産主義理論で言えば、歴史が公認しなければならないという言葉は成立しません。弁証法的論理によれば、歴史は闘争によって発展すると言うので伝統がありません。ですから、伝統破壊の魁首がサタンです。サタンが破壊の先導者です。千年万年の歴史を立てることができないのです。理論体裁が間違ったために、歴史的弁護を受けられません。それは何かと言えば、変わらない原理、原則の真理による伝統的歴史背景がないということです。それならばいつ、彼らが語るユートピア世界、真理に立脚した変わらない歴史的伝統基盤を共産世界が築くのでしょうか。彼らは、社会主義社会を経て共産主義社会になっていくと言います。共産主義社会、それが終わりとなるのでしょうか。矛盾した論理をもって世界をどのようにするというのですか。(一六八―九六)

 唯物論の弁証法には闘争概念が入っています。矛盾を中心として、それを克服するところから闘争概念が出てくるのです。しかし、理想的な世界を成すところにおいて、結論は、闘争概念ではない投入概念にあります。すなわち、主体となるものが投入しなくてはならないのです。投入すればどのようになりますか。十くらい高かったものが自己を投入すれば、自己は下がってきますが相対は上がっていくのです。(一六四―三二一)

 ここの大学生は、「ああ、意識革命がなされなくてはならない。悪なるものは滅ぼし、善なるものは残らなければならない」と言いますが、それは正しいのです。では、共産党が善ですか。弁証法的唯物論の核心は闘争なのです。闘争して栄えることがありますか。そのような論理が正しいですか。男性と女性が愛することが闘争ですか。男性と女性は愛によって一つになるのであって、闘争によって一つになりますか。二大矛盾的存在が男性と女性であると言うのですが、これらが和合によって一つになることは何と言うのですか。このようなでたらめな人々がいるので、世の中がだめになっていくのです。(一六四―八一)

 弁証法、それはこっけいなものです。二つが対立して、戦って一つになると言うのです。それは、女性と男性が毎日のようにけんかして、あさっての朝にはもっと発展するという論法です。(笑い)そのようなことがあり得ますか。とんでもないことです。戦えば互いに損害を受け、後退するようになるのです。世の中に、歴史的に戦いをして富強となった国を見ましたか。皆さんはそれを知らなくてはなりません。(五五―二五七)

 弁証法論理は闘争概念です。不平から始まるのです。サタンが神様のみ旨を破綻させながら理論的な拠り所をもって現れて世界舞台を混乱させるこの時に、その裂け目に挟まれて染まってはいけないのです。(一六一―二〇三)

 共産主義の闘争概念は何ですか。上部構造と下部構造、上下、前後の二組に分けて戦うようにして、お互いを弱体化させてのみ下そうとする主義です。しかし愛によって絡み合えば、誰がのみ下しますか。歴史時代で第一イスラエルが滅び、第二イスラエルが滅んだ事実を我々が直視している以上、第三イスラエル圏を中心として我々が行かなければならない道は万教の統一であり、万国統一の思想をもって行く道です。こぶしと力でするのではありません。愛をもって、十年、二十年、千年、万年、溶かし切るのです。(一六八―三二九)

 このめちゃくちゃな結果をもってどんなにしたとしても、問題は既に解決できない段階に越えてしまっているのです。ですから世界の人々は、今人間がなぜこのようになったのかという問題を知らなければなりません。今日、宗教では漠然と堕落してこのようになったと言いますが、具体的な内容を提示できないために、歴史は混乱の渦中で没落しているのです。

 そのような観点から、我々統一教会はこの歴史を見る時どのように見るのでしょうか。

 闘争歴史は闘争歴史ですが、善悪が交替する闘争歴史である、このように見ているのです。それが違います。これがだんだん世界的な戦争になっていけばいくほど、そこに対して悪なるものと善なるものが互いに戦って、悪なるものは除去され善なる世界へと移っていくというのが我々統一教会の歴史観です。(八六―二九二)

 父母の心に発展と革命が必要ですか。どうですか。動物も子供を愛するすべを知っているでしょう。(はい)。マルクス、レーニン、あるいはヘーゲルの弁証法論理を適用して、「変遷するだろう」と言う時、そこに適用できますか。適用できません。復帰は弁証法に適用できません。発展をしないのです。発展しません。発展する世界、共産主義世界へと戻っていくという言葉は全く間違った言葉です。それはみんな荒唐無稽な論理です。発展しないで、出発から変わらない過程を経て変わらない終着点まで連結し一つに統一できるその何か、そのような愛の世界でなければ、一つの世界を成すことはできないのです。理論をもってしてはできないのです。理論をもってできるのでしたら、私は既に共産党たちをみんな打ち負かしてしまったでしょう。十代の少年時代から共産党と闘争した経歴をもっているので、今日、世界的な反共の宗主となったのです。(八三―一九〇)

 宗教がいつまで必要なのでしょうか。この矛盾したものを清算し、神様と人が一つになって理想郷に到達する時まで必要なのです。ですから完全な、完成した神様の人が顕現するようになる時は、宗教は必要ないのです。さあ、我々自体が矛盾したこの環境から希望の理想郷を憧憬していますが、宗教という枠を通してこそそこへ行くことのできる道がある、理想に到達する可能性があるというのです。これは理論的に合っているのです。

 けれども、矛盾した人間が飛躍とか闘争とか言って理想世界を実現するという、このような論理は不可能なものであるとの結論が下されるのです。今日、弁証法という論理だとか共産主義理論をもっては不可能なのです。そうできるパターンの基準がないのです。これは基準を無視するものです。基準がないのです。彼らは、物質が精神より先にあると言うのですが、それは、肉の固まりである体が完全であるということです。我々自体を見る時、体が心よりも完全ですか。(いいえ)。体は限定圏内にあり、心は無限定圏内にあるのです。ですから、どちらが大きいかと言えば心が大きいでしょう。体が大きいのではないのです。

 このように分析して、今日、共産主義と民主世界の両体制を見る時、それでも、唯心体制を中心として宗教形態を経ていく道を通して理想の実現が可能であるということに、理論的妥当性がよりあるというのです。レバレンド・ムーンという人はどのような人ですか。このような問題の渦中で誰よりも苦心した人なのです。(九四―二八一)

 千年、万年過ぎても変わらないその基準をどのように立てておくのでしょうか。

 億万年後の人たちが過去の一つの絶対的な基準を中心としてすべての精誠を尽くし、死力を尽くしてもそこに届くのには不足であると言うことができ、そうでありながら、絶対的にもたなくてはならないという信念に徹することのできるよりどころの上に立った主義ならば、その主義を中心として世界は自動的に統一されるのです。

 このような点から見れば、共産主義の唯物弁証法を中心とした現象世界では絶対に統一はあり得ません。闘争を通して統一をするということ自体が論理的な矛盾なのです。彼らは未来に望みをもって統一を追求していますが、そのような方法によっては統一した世界を成すことはできません。(二五―一四六)

5 弁証法によって説明できないもの

 真の愛とは何ですか。変わるものでしょうか、変わらないものでしょうか。(変わらないものです)。では、この愛を中心として、何とかこの世の中で変わらない愛の種類を一度探してみましょう。何ですか。夫婦だけで愛することですか。(違います)。では、父母が子供を愛することですか。どちらが変わりませんか。(父母の愛です)。

 さあ、父母の愛ですが、子供が父母を愛する愛と、父母が子供を愛する愛とどちらがより変わらないものですか。(父母の子供への愛です)。父母が子供に対する愛はこの世の中の愛がみんな変わっても変わらないでいるという事実を、我々は歴史を通して知ることができます。

 では、ここで問題となるものは何ですか。今日、共産主義が弁証法によって、父母が子供を愛するそのような考え、あるいはそのような愛の力を説明することができるのかというのです。それが問題です。できますか、できませんか。(できません)。絶対にできないのです。絶対にできません。

 例を挙げれば、共産党の最高幹部の息子が共産党法に引っ掛かって死刑場に出て、死んでいく時、そのお母さん、お父さんの心はどうでしょうか。「えい、この野郎、死ね。さっさと死ね」と、こうでしょうか。「ああ、共産党だろうと何だろうと全部ほうり出しても、この父母の愛を中心とした子供を助けたい」という心があるでしょうか、ないでしょうか。どちらの心が先立つでしょうか。死ねという心が先立ちますか、許してあげて同情する心が先立ちますか。どちらの心が先立ちますか。共産主義理論、弁証法論理を教えているその教授たちはどうでしょうか。同じですか、同じでないでしょうか。同じなのです。

 では、労働者や農民の息子、娘が死のうと刑場に出ていく時はどうでしょうか。それは違うのでしょうか。それは違いますか。

 それは自然の現象です。犬も自分の子供たちのためには死ぬ場に行くのです。動物もそうなのです。それを革命できますか。共産主義理論がそれを変更させることができますか。それが通じますか。(いいえ)。このような真の愛、本然の愛は、共産主義とか民主主義とか、その他の何かをもってしても革命できないのです。革命できないのです。変更できないというのが結論です。分かりますか。間違いなく認定しますか。理論的に認定しますか。

 では、その父母の愛はなぜそうなのでしょうか。なぜ、そのような愛が人間の世の中に残っているのかというのです。その愛がどこから出てきたのですか。その父母の愛を、生まれる時からもって来たのでしょうか。どのような動機の結果でしょうか。原因がどこにあるのかというのです。その愛を私がもたなければならないと考えてそのようになるのでしょうか、自分も知らない動機の結果でしょうか。動機的な立場でしょうか、結果的な立場でしょうか。それはどのようなものが起源ですか。(神様です)。結局は皆さんの先祖に上っていって始めの根源に何かがあった、その名前が神様としても、そのような本体があったという事実がここで分かるようになります。それを知らなければなりません。

 人間は結果的存在であり、原因的存在ではありません。結果がそうであるということは、原因と結果は同じでなければならないために、原因と一つにならなければならないのです。同じ模様として似ているために、結果がそうであるならば原因がそうなのです。それは理論的なのです。原因がないのに結果がそうであるならば、それは妄想的です。この言葉は至極科学的です。(九一―二二〇)

 父子関係の愛、それは善いですか、悪いですか。(善いです)。世の中にどんなに革命と変遷があるとしても、今まで弁証法的変化によって発展するという論理がいくら膨張していたとしても、父母が子供を愛する心を革命する力はありません。ありますか、ありませんか。(ありません)。鳥たちが自分の雛を愛することを革命できますか。(できません)。それは変わることができるでしょうか。(できません)。絶対的です。千年前でも万年前でも同じなのです。(八五―三三二)

 共産主義はすべてのものが闘争の概念を中心として発展すると主張します。それならば、鮭が出会う場合も、そのように生きてもっと発展しなければならないはずですが、その場所を探していくのがどのくらい大変でしょうか。探してきて、さらに子を産んで死にます。それはなぜ死ぬのかというのです。(一九八七・一〇・三一)

 永遠に変わらず絶対的なもの、良いもの、すべてのものが吸収され、すべてのものが和することのできる良いもの、それが何ですか。(神様)。そうですが、神様がいらっしゃるならばその変わらない中心体、その変わらない中心体の心をもってもだめなのです。そこには愛がなくてはなりません。愛を探さなくてはなりません。

 共産党にも尋ねてみると、愛は永遠であることを願い、愛は全体的であることを願っているのです。そのようなことも言っているのです。同じなのです。

 ですから、弁証法的哲学理想が人間に幸福をもたらすことはできず、変わらない愛の哲学理想が人間に幸福をもたらすことができるという結論は、理論的結論です。何の話か分かりますか。それは誰も不平を言う人がいません。王も好み、労働者も好みます。階級を超越するのです。階級が存在できません。階級が存在することができないということを知らなければなりません。(九一―一四六)




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第五節 脱イデオロギー時代

一.思想の流れ

 我々がイエス様以後の二千年歴史を回顧してみれば、数多くのキリスト教信者たちが神様を再び探すための運動をしてきたことを知ることができます。そのために非常に迫害していたローマがキリスト教を公認するようになり、ついにはローマに教皇庁を立てて教皇権を中心とした政治をするようになり、ひいては封建社会を形成するようになったのです。

 ところが、中世に入ってきて再び教皇庁が腐敗して人本主義思想がキリスト教に入ってくることによって、中世以後キリスト教徒たちが神様を失うようなことが起こってきました。すなわち、たくさんの人たちが人本主義思想に流れていってしまったのです。そうして啓蒙思想を経て、結局、唯物史観が現れました。

 これは、人間の理性を重視する合理主義と、経験主義哲学思想を根拠にしています。それで世界は、今、唯物史観と資本主義思潮によって物質の価値を重視する物質万能主義が流行する世界へと転落するようになりました。

 では、中世の封建社会型は誰が崩壊させたのでしょうか。天が崩壊させました。神様は、ローマ教皇庁を中心としてみ旨を成そうとされたのですが、その教皇庁が腐敗していくので、それを滅ぼされたのです。天を信じる人たちがかえって天倫のみ旨に背反するようになるので、人本主義思想を立てて彼らを打つようになったのです。

 そのような中でも神様は、摂理の基点を失わないために、天を心配する一人の人、ルターを中心として宗教改革を起こしました。このように神様は、一方は滅ぼし一方は立てる摂理をしてこられたのです。そして、キリスト教を通して第二のイスラエル型を経るようにして、文芸復興を経て一大混乱を経験するようにした後、人本主義的理性哲学を中心とした啓蒙思潮に敵対して立つことのできる摂理をしてこられたのです。

 啓蒙主義者であるルソー、モンテスキューのような人たちは、キリスト教が破滅することを知りました。そうして、ドイツでは清廉な人物たちが現れ、神秘性を鼓吹しながら神様の実体的な内的体験を主張するようになりました。それが、英国を経てウェスレイ兄弟が復興運動を起こすようになりました。のみならず、クェーカー派を起こして神秘的な内的な体験をするようになったのです。

 一方、人間は神様を愛することも忘れ、人間を愛する理性も忘れて、物質を愛するすべだけ分かる唯物思潮的な主義にまで到達しました。堕落した人間であるとしても必ず本然の立場に帰っていかなければならないために、いつの時か、その物質を中心とした思潮を打つ時が来るようになります。

 今日は神様を中心とした中世が過ぎて、理想哲学を中心として支配された時代も消え去り、十八世紀に成立した唯物思潮を中心とした唯物論的な理念も光を失っていっている状態です。将来の世界は人間が物質を愛しても満足を得られず、過去の歴史的な人の教えに従うとしても現実の問題を打開できない、そのような悲惨な世界です。ですから、物質的な生産力を通して社会の繁栄を指向する共産主義の理念をもっては、到底世界を支配できません。

 ですから、二十一世紀を契機として、我々の前には原子力時代を迎えて、物質文明の世界的な支配を破壊させる時代が来るのです。その次には、どのような時代が来るでしょうか。愛を探して楽しむ時代がやって来ます。互いのために与える時代が、我々の前に訪ねてくるのです。ですから、皆さんは近づく愛の時代に、宇宙万象の前にまともに胸を張って出ていくために、歴史的なすべての価値を総合して統合させることのできる中心的な存在として、使命を十分に成し終える賢明な人たちにならなければなりません。

 そして、皆さんは堕落したアダムとエバの路程を経なければならない立場なので、個々人が第二のアダムの時代的な使命を継承しなければなりません。しかし、そうすることのできる資格を備えられずにいることを知らなければなりません。さらには、今日の歴史は人間の堕落によって失ってしまった神様と、真の人と、真の物質を捜してきた歴史であることを知らなければなりません。(四―一七)




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二.人本主義と神本主義

1 人本主義が理想となることはできない

 神様が宗教を好まれるならば、サタンは宗教を嫌います。互いに反対なのです。間違いないでしょう。(はい)。ですから、終わりの日にはどうなるかと言えば、神側の世界とサタン側の世界を分けるということが起きるのです。ですから、必ず宗教に反対する世界と、宗教を支持する世界が現れるのです。この結論は当然のことです。そして、ここにどのようなことが起きるのでしょうか。人本主義か、神本主義か、という問題が出てきます。

 そのような観点から見る時、人本主義思想は神様の側に行くものではなく、悪魔の側に行くのです。神側は善なる世界です。二つにきっちりと分かれるのです。今、我々が住んでいる現実においてこのような結論が出てきている事実を、我々ははっきりと知らなければなりません。今はどのような時ですか。人本主義圏内で全体を攻撃する時です。

 では、この世界はどのようになるでしょうか。希望があるでしょうか。全世界は絶望するほかないのです。東洋の言葉では、絶望と言えば希望が尽きたという意味です。終わりになったというのです。ですから、人類歴史は既に絶望にぶつかっています。なぜそのようになったのでしょうか。人本主義化することによって、そのようになりました。全体が人間を中心とする、人間を主とした世界を考えたために、そうなるほかないのです。

 人間は堕落しました。我々は堕落の後孫です。その堕落の後孫を崇尚したのですから、絶対に良くなるわけがありません。それならば、我々はどのようにしなければならないのでしょうか。堕落した人間として、堕落していないものを崇尚しなくてはなりません。堕落していないものを崇尚しようとすれば、どのようにしなければなりませんか。宗教を通して神様へと帰っていくということです。ですから、神様を崇尚する民族、天を崇尚する主義、神様を崇尚する世界があるならば、それは滅びることができないのです。反対ですから、そうなるのではないでしょうか。ところで、今に来て、人本主義によって宗教とか神とかいうすべてのものが否定されています。否定しているのです。崩壊しています。

 では、ここにおいて問題となるものは何ですか。我々人類は、人本主義を主としては生きる道がないのです。そのような結論が出てくるために、今、神様について再び検討し、過去の宗教を検討して人本主義を凌駕できる、神様による新しい宗教観を、新しい神観を構築しなければなりません。そうしなければ、人類は生きることができないという結論が成立するのです。それを理解できますか。(はい)。そのような運動が、世界的な運動として至急に全世界化されなければ、絶望状態にある今日の人類を救うことはできないのです。(八三―一二八)

 人本主義は理想主義ではありません。人を中心としたものは理想主義ではないのです。人を中心として、全部吸収するというものが人本主義です。人を絶対視してみんな吸収しようとするのです。しかし、人間自体をじっくり見れば、みんな利己主義者であると同時に自己所有主義者です。利己主義者であると同時に、自分が全部手に入れようとするのです。すべてのものを自己に帰着させて所有しようとするのです。利己主義は、言うならば、所有主義と通じます。(一六四―三二二)

2 人本主義の歴史的推移

 今日我々人類は、十二、十三世紀から人文思潮が発達し始め、十六世紀後半期に入っては、神様の実存を否定する人本主義思想まで出てくるようになったことを知っています。(四二―三一三)

 文芸復興を基点として人本主義が発展することによって、神様を追放する歴史が今までつづられてきました。(三〇―三〇一)

 旧教を中心としたローマ教皇庁が全体をしっかりと握り締め、神様の名前をもって恐喝をしてきたのです。神様の名前をもって、「お前は地獄に行く」と言うのです。それは脅迫です。一面、脅迫です。

 しかし、理性的な人がよく見ると間違っているのです。そこから、反対が出てくるのです。「宗教が人間に何で必要か」と考えるようになったのです。このように複雑になり、神様を離れた人本主義思想から、次に物本主義の唯物史観へと落ちていって、「神様はいない」という立場で世界のすべてのものを収拾しようとしました。しかし、収拾できませんでした。(一六五―六四)

 人本主義思想の発露によって、神本主義思想の侵食が起こったのです。そして、人本主義の末路時代が来ました。(九三―八三)

 主義の変遷を見れば、神本主義から人本主義へと落ちて、人本主義から物本主義へと落ちたのです。今すべてがそうです。その次は物本主義から亡本主義でしょう、亡本主義。(笑い)ディスコダンスを踊る、これが何の主義ですか。亡本主義です。このように落ちてきたのです。これが最後です。(一九八〇・五・一)

 神様を離れた人類が無神論に立脚した物本主義、反神論に立脚した世俗的な人本主義、享楽主義などに便乗して到来した世紀末的な終着点です。このすべては、この世代の精神的、霊的枯渇と信仰心の衰退に根本原因があるという結論とともに、宗教者たちをむち打っているという結論を下すことができます。(一九八五・一一・一二)

 我々人類の歴史過程をしばし振り返ってみれば、中世以後に不確実な神学を中心とした神本主義思潮が一時世界を風靡しましたが、その神学的思潮が退廃の一路を行くことによって、人本主義思潮が出現したことを我々は知っています。人本主義思想が現れて、現代の世界に今まで影響を与えてきている事実を見ることができるのです。しかし、それも我々人類の前に希望をもたらしてくれる主義と思想になることはできず、それに背反する立場に立った唯物主義、言い換えれば、物本主義のような共産主義思想が現れて世界を風靡しており、そのゆえに我々人類の将来に暗澹たる方向を提示しているということがよく分かるのです。(七七―二八二)

 今、我々が生きているこの世界は混乱した世界であることを、皆さんはよく知っています。中世以後没落し始めた明らかでない神本主義時代を経て、今に来ては不確実な人本主義時代に置かれています。それのみならず、物本主義ともいえる唯物主義時代に置かれているのです。このようなすべてのことが混乱上に置かれた状態から歴史過程を経ながら確実な内容を提示できなかったために、今日人類は脱イデオロギーという収拾できない地点に置かれていることを、我々は直視しています。

 ですから、我々に今問題となることは、人がいないことでも、物質がないことでもありません。神様に対するはっきりした観が現れないことが問題となると見るのです。はっきりした神観が設定され、その神観を通して眺める人生観、その神観を通して眺める唯心史観を新しく設定しなくては、人類世界の新しい将来が現れることはできないと見ます。では、ここで問題となることは何でしょうか。我々がはっきりと神様を知るならば、中世に没落し始めた明らかでない神観、現世の人本主義思潮、唯物主義思潮のすべての問題は解決すると見ます。(七七―二五七)

3 人類の起源について正さなければ
 
 今日、この世界は結局何をもたらしているのでしょうか。私という人間は心と体が一つになれなくて戦っている存在です。このように、心と体が一つになれなくて相反している、私と同じ人間を合わせたのが世界の三十六億人類です。この世界は心と体が戦う人間を合わせた結果の世界であるので、戦いが起こらないではいられません。そうではないですか。言い換えれば、心と体の戦いが世界の戦いの形態としての結果を成しているのです。それで、人類は長い歴史過程でたくさんの犠牲の代価を支払ったのです。これが、この世界が経てきた歴史であり、また、今日の現実であることを我々は知らなければなりません。

 このような世界を収拾するには、ある主権国家だけをもってはできません。では、どのようにしなければならないのでしょうか。心を中心として全部が勝利できる、真なる動機と結果の内容を提示しなければなりません。そのようにする日には、世界のすべての問題が解かれていきます。

 では、世界の戦いは誰がやめさせるのでしょうか。世の中にある今日のどのような主義、思想をもってもできません。人を中心とする人本主義思想をもってはできません。なぜできないのでしょうか。人の心が自己から始まりましたか。もしそうであるならば可能です。人の心が人から始まったならば可能なのです。そうであるならば、人本主義を中心として世界は一つになるでしょう。

 太初の人類の始祖は、自分の心が動機となって、生まれなければならないと言って生まれたのですか。人間はどこまでも相対的な存在です。「主体的である」とどんなに大声を出して言い張っても相対的なのです。ですから、人本主義思想の終末は否定的な結果に逢着します。ですから、今は私が好むものを否定しなくてはなりません。今日、先進国家の文明が好ましいと主唱してきたもの全部を否定しなくてはなりません。このようなことが起こらなくてはならないために、今アメリカではヒッピー族たちが大変です。それは歴史的な贈り物です。天倫に背いた悪に対する報応です。

 では否定的世界の終着点に差しかかるこの時に、我々はどのようにしなければならないでしょうか。人本主義思想をもっては解決できません。物質第一主義、物質万能主義によってもできません。良心が、人間を存在するようにした動機となることはできないのと同じように、物質もその動機となることはできません。ですから人類の起源について正さなければならないのです。

 ところで、十三世紀末葉から始まった文芸復興当時の思想が、神様の名前の圏中から人間を剥奪するために攻勢を取って出てきたのです。そして、結局は歴史を経てきながら今日に至っては、「神様は死んだ」という結論にまで到達するようになりました。それでは人は生きたのでしょうか。神様が死んだならば、人間は滅びなければなりません。神様が死んだならば、人間は生きたのでしょうか。神様が死ぬ前に人が先に死んだのです。死んで 屍 となった群れが、「神様は死んだ」と騒ぐのです。

 そのような社会制度では希望があり得ません。すなわち、人本主義思想と唯物思想、共産主義体制によっては、人間の幸福の基台をつくることはできません。人間が社会生活において人間の理想と果たすべき責任をどんなに遂行したとしても、それは流れていきます。否定を受けなければなりません。なぜそうなのでしょうか。心の前に体はいつでも否定を受ける立場に立つので、体を主としたものは否定を受けなくてはなりません。

 今日、共産主義国家は神を否定し、良心を否定し、人格を否定しています。共産主義は唯物論を中心とした論理法度圏内に人を追い入れています。しかし、人は、論理とか理論を支配するようになっているのであって、束縛されるようにはなっていません。愛の世界は理論が支配できません。

 理論によって、お父さんの愛はどうであり、お母さんの愛はどうであると言うことができますか。理想的な愛が理念に吸収されるならば、その愛は我々人間に必要ではありません。そのような理論はつくることができません。(二二―二二四)

4 すべての思想は神本主義に帰結しなければ

 このようなすべての問題、価値観の没落や脱イデオロギーなどという問題がなぜ起こるのでしょうか。それは、我々人間を中心としてすべてのことを処理しようとする結果によってもたらされたのです。

 そのため、このような新しい未来を追求するこの時期において、このすべての問題をもう一度収拾できる一つの道があるとするならば、人間を超越した神様がはっきりと存在するのかどうか、絶対的な神様がいるのかどうか、という問題をはっきりと解明するところにあります。言い換えれば、人間側で見る主義、思想ではなく、神側から見る主義、思想がどうであるかということを発見しなくては、我々人類の将来に新しい所望の世界を迎えることはできないのです。

 はっきりとした神観に立脚して、人生が何であり、物質が何であるのかという問題に対して、これを別々に分立して扱うのではなく、一つの中心的な絶対者と共にその統治圏の中で解決することのできる、そのような道がなくてはならないという結論は当然な結論と言わなければなりません。(七八―九九)

 今日、右翼にしても左翼にしてもすべて人間の意図です。今日、良心主義とか、私だけを中心として生きればいいというのは、すべて人間主義です。みんな人本主義です。人本主義の出現が人間の堕落ではないですか。神本主義を主とした人本主義の形成は認定できますが、神本主義を否定した人本主義の形成が堕落ではなかったのですか。これを克服するためには、一度人本主義を否定して、神本主義を肯定したうえでの人本主義の肯定を再度追及しなければなりません。ですから、人は神様を捕まえて神様を絶対視しなくては、戻っていく道がないという結論を出すことができます。(五九―八九)

 今日共産主義も結果的なものを解明できず、原因的なものを解明できません。民主主義も原因と結果を解明できません。では、誰がこれを解明するのでしょうか。ここに登場しなければならないものが宗教です。ある宗教が現れ、「あなたたちはこのような動機から始まり、このような結果に向かって進んでいく過程にいる」と主張すれば、それを大多数が公認できる解明基準で立てなければなりません。その解明基準は人本主義ではなく、神本主義でなければなりません。(一〇―一五九)

 ここで我々は、確実で真なる神様がいらっしゃるとするならば、人間を中心として要求したそのような主義と思想を超えていかなければなりません。真なる神様が見つめる神本主義、真なる神様が公認できる人本主義、真なる神様が認定できるそのような唯物主義があればいいのにという考えをもたなければなりません。このすべてのものが離そうとしても離すことのできない世界、神様から公認を受けることのできるそのような一つの世界はないのだろうか、という考えをしないではいられない段階に入ってきているのです。(七七―二八二)

 神様の創造目的は神本主義的人本主義を立てることです。人間が天に向かって進んでいく以上、民主主義も神本主義の理念を立てていくのです。(一〇―一一八)

 今まで、世界で二十世紀の文化世界を創造して先進国であると自慢する国々は、自分たちはどのような哲学も思想も見習う必要はないと言います。ですからそれらは、神様の真理によって革命しなければならない圏内にあるのです。共産主義理念も同様に、神様が喜ぶことのできる真理ではありません。(二〇―一〇七)

 唯物思想は、必然的に滅びなければなりません。だからと言って、民主主義が歴史的で時代的な勝利の条件をもっているのでしょうか。そうではありません。勝利の条件なしに未来の勝利はあり得ません。では、そのような条件をもつことができなかった宗教はどのようにしなければならないでしょうか。全世界のキリスト教徒は連合しなければなりません。今は未来的なものが現れなければなりません。今に来て、いくつかの宗教が過去に帰ろうと主張しますが、今日の情勢は過去とは違います。過去のものによって、今日の状況を処理していくことができるでしょうか。過去に帰っていっては、行くことができません。歴史的で時代的な実績があってこそ、未来的な足場を立てることができます。ですから、過去、現在、未来に通じることのできる理論が現れなければなりません。(一一―二五三)

 共産主義とは人間を中心としたものであり、物質を中心としたものです。人間も変わり、物質も変わるのです。それは変わる人間を中心としたのです。人間が主張するものは変わることができるのです。そうでしょう。ですが、神様が主張するものは変わらないというのです。それでは、神様が主張する善と神様が主張する義は何ですか。天と地のために生きることです。これは変わらないのです。(八七―二六一)

 我々が世俗的人本主義思想に対した問題を収拾するために、一つの方向をもって現れてきたのがカウサ運動です。(一九八六・五・六)

5 中世神本主義の欠陥

 今、唯物論をもってはできない理由が何でしょうか。唯物論は何を排除したかと言えば、神様を排除してしまい、人間の価値を排除してしまいました。唯物論には、人間の価値がないのです。ですから、むやみに虐殺するのです。これが問題です。唯物論は神を排除して、人間の価値を排除してしまいました。

 また、民主世界を代表した人本主義はどうかと言えば、神様を排除すると同時に、唯物論社会を主張します。物質主義者たちを歓迎するのです。それが病弊です。ですから、彼らも神様と関係がないのです。かえって、共産党と同じ側にいます。では、唯物論者と人本主義者ではどちらが優勢ですか。人本主義者よりも唯物論者が優勢なのです。ですから、人本主義理想を叫ぶ人たちは、結局、唯物論者たちに屈服してしまうのです。唯物主義を叫ぶ人たちは、人格も認定せず、神様も忘れてしまったのです。そこには理想があり得ないのです。

 そのような意味から、神本主義を主張するのです。神本主義の中には、人本主義も入っていくことができ、物本主義すなわち唯物主義も入っていくことができます。なぜですか。神様が人の人格を尊重して愛の対象的価値を認定して、また、物質を中心とした象徴世界の主体として人間を造られたために、物質と関係したそこにも人間の価値を認定するというのです。ですから、神本主義思想圏内には、人本主義も物本主義も包摂できる基盤があると見るのです。

 「ゴッディズム(Godism;神主義)」と言えば、相当に包括的であり、いろいろな意味が入っています。ですから、統一主義とか神主義とか言うのがよいのです。神本主義と言えば、中世封建社会の神本主義という哲学思潮を連想してしまいます。

 その哲学思潮は何ですか。その当時の神本主義では、神様と人間と物質を中心とした統一的理想主義に帰っていくことはできないというのです。神様の理想圏内に入っていこうとすれば、人格的神様をはっきりと知らなければならず、その人格的神様の前に対象的な人間の価値をはっきりと知らなければならず、人間の対象である一つの物質の価値をはっきりと知らなければならないのです。

 そのようにして、それが、一つに和合できる主体的内容に結合されなければなりません。その内容が何ですか。愛なのです。神様も結合され、人間も結合され、万物も結合される、これが理想世界です。しかし、中世の神本主義は、その境地を見いだすことができなかったのです。愛の神様として、愛を実践する神様の位置を見いだせなかったのです。神様に対する考えと言葉はありましたが、実践した人がいなかったのです。

 ですから落ちて、下がってきたのです。それが全部抽象的だと考えたので、独裁体制化して世俗的神本主義に落ちたのです。そうして人格を無視する段階にまで行って、自己を主とした基準は絶対視して、その他は絶対に相対性を否定する立場に立ったので、神本主義が全部そこで打倒されたのです。理想郷に接触できなかったのです。人格的神様に対してはっきりと分からなかったのです。そのような欠陥があるのです。(一六七―六六)

6 神様についての再発見が必要

 共産主義とはどのような主義でしょうか。物質主義であると同時に無神論です。「神様がいない」と言うのです。では、キリスト教、すなわち、言うならば西欧社会はどのような主義でしょうか。唯心主義であると同時に有神論です。この二種類の問題において、唯心、唯物の闘争、有神、無神の闘争で誰が勝つのでしょうか。

 ですから、ここで問題となることは何でしょうか。キリスト教が再び生きることのできる道は、神様についての新しい発見です。共産主義をなくすためには、共産主義は神様を否定するので、神様がいるという事実を教えてあげなければなりません。そうすれば、無神論は崩れるのです。神様についての再発見! 神様は最初から今までの歴史過程にも共にいらっしゃり、現在も共に歩んでいらっしゃるのです。ですから、歴史過程においての神様、生活をするところにおいての神様をどうやって明らかにするのかという問題は、至極重要な問題とならざるを得ません。ですから、今の時がどのような時として越えていっているのかを、はっきりと知らなければならないのです。このようになる日には、共産主義も神様を受け入れずにはいられません。

 では、アメリカ・キリスト教に神様がいるでしょうか。もちろん神様がいるならば、その神様の救援は個人的救援ではなく世界的救援を標準にするでしょう。

 共産主義は共産党を中心とした世界機構を通して動く世界主義的な連合戦線を取りますが、キリスト教をはじめとした宗教はなぜ分立した立場に立ったのでしょうか。それは、キリスト教が行くことのできる目標、全体の目標が決定できないでいるからです。共産主義は、資本主義打倒というはっきりとした目標が決定しています。神様がキリスト教を通して摂理するならば、摂理の目標がなくてはなりません。

目標を確定しなくてはならないのです。それは、共産主義者たちが提示した以上の目標でなければならないのです。そうなのですが、そのような観点から目標が分明ではありません。ですから目標を知らず、ジグザクに行っては精魂尽きて、社会の迫害があったり困難があって、そこで黙ってしまったのです。今、キリスト教信仰を見れば、どのような信仰でしょうか。主が来られたなら、世の中はみんななくなると思っているのです。これは、大きく、恐ろしいガンです。共産党は世界を占領しようとするのに、キリスト教徒たちは世界を逃避しようとします。そして、すべて自己の教派が第一であると主張するのです。その教派の目的が全部ぼんやりしているのです。十本の指ならば十本の指がみんな一度に動いて握らなければならないのに、一つ一つみんな別々に遊ぶのです。

 このように見る時、キリスト教徒たちが信じることとは違って、主が来られて世の中を審判して捨てない立場に立つならば、どのようになるでしょうか。火の審判をしてみんななくなるというキリスト教が信じることとは反対に、世の中がそのまま残る立場になればどれほど神様が難しい立場になりますか。キリスト教文化圏を中心とした終末時代は、必ず滅ぶほかはないのです。ですから、世界の終末的現象を見る時、神様がいらっしゃるということを前提として、歴史の終末時代に対処せざるを得ないと見るのです。(一九八三・六・一)




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三.民主主義もだめであり、共産主義もだめである

 今日、人間は神様がどのような方であるか分からず、神様と自己との関係が分からずにいるために神様を愛さない立場に立っています。しかし、この関係を知ってこの因縁を結ぶ立場に立つようになるならば、神様を愛すまいとしても愛さざるを得ないようになっているのです。ですから、神様は一体の立場をつくるためにこの世界を収拾してきていらっしゃるのです。

 ですから、まず望みの帰一点を探していくために、今まで理念を中心として戦ってきました。これが今日、民主と共産の対決にまで至りました。しかし、この世界は、民主主義をもってしてもだめで、共産主義をもってしてもだめなのです。(一一―五八)

 民主主義や共産主義も社会悪をあばく方法を提示できないことは明らかです。根本的に、民主主義と共産主義は人類の共通的な問題解決の欲望から発展しましたが、民主主義はこのような課業に成功もできないだけでなく、共産主義の破壊活動を克服するとか阻止できないことが判明しました。共産主義はこれに反して世界問題を完全に解決できず、皮肉にも共産主義は人類にもっと大きな問題を惹起させただけです。

 したがって、世界は苦境に置かれるようになって、民主主義と共産主義は袋小路に至り、勝者のない状況に直面するようになりました。これが我々の現実であり、人類の将来は暗鬱で予測できないもののように見えます。

 では、民主主義と共産主義は、なぜ解決策とならないのでしょうか。二つの思想を注意深く分析すれば、二つのうちどちらも究極的な意味で真理の核心をもっていないことが分かります。民主主義は政治制度の根幹として貢献するかもしれませんが、決して明確で包括的な世界観ではありません。共産主義は、包括的であり体系的世界観をもってはいますが、それは偽りの仮定と歪曲した事実に根拠を置いています。(一九八三・一一・一五)

 今が終わりの時なのです。すべてのものが終わりです。民主世界も終わりであり、共産世界も終わりです。ですから、終わりに至ってはどのようになるかと言えば、共産世界も死の立場に入っていって、死ぬかどうかという様相であり、民主世界も今、滅ぶかどうかというこのような岐路に立ってうろうろしているのです。(一九七八・一〇・九)

 人類はすべてどこへ行くのでしょうか。私が探している理想世界はどこに行ったのでしょうか。人類は絶望しています。民主世界ならば民主世界自体を見るならば、民主世界が探している理想郷は、今日、現時点を超越させることのできる何らの主体性をもっておらず、相対性ももっていません。共産主義も共産主義自体として世界制覇を夢見て現れましたが、今は逆に紛争しているのを我々が直視しているのです。それは統一の形態を備えることができません。分裂に分裂を促して個人的共産主義化段階まで下っていくのです。(五九―八二)

 民主世界も終わりです。いくら民主主義といっても、民主主義時代は過ぎ去りました。共産主義世界時代も同様です。そうでしょう? アメリカが、「おお、全世界、民主主義世界よ! 一つになろう」と言って一つになりましたか。今、死ぬようになったのです。世界の人たちがアメリカを歓迎しますか。しません。アメリカをけって捨てなければならないと言っているのです。そうでしょう。共産主義も国際的共産主義時代から民族的共産主義時代に落ちたのです。国家的共産主義形態から世界的な共産主義をどんなにしようとしてみても不可能です。既に、それはみんな実践して過ぎてきました。(九〇―三〇三)

 果たして、民主主義や共産主義がこの世界を一体化させることができるでしょうか。彼らには世界を一時に消化できる内的な力がありません。本当に、この世界を一つにしようという思想があるならば、その思想はこの世界を消化できる内的な条件を備えなければなりません。(一五―五一)

 根源と結果を教えてくれるそのような思想が今までありましたか。共産主義ですか。物質をもってしてはだめです。彼らは原因も結果も分からずにいるのです。民主主義を構成している思想の中心はキリスト教ですが、キリスト教もそこまでは至っていないのです。(六七―二一七)

 キリスト教思想を中心とした民主主義はまだ福地を成すことができずにいます。共産主義も、まだ、その思想を中心とした福地を成せずにいます。このように全人類が願う福地は、現在の民主主義文化や共産主義文化では成すことができないのです。(一六―一六五)




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四.共産党の滅びる理由

1 中ソ間の民族的対決から見て

 共産党が滅ぶのか興るのかということも、これを見れば分かります。共産党がソ連のスラブ民族を中心とした世界制覇を夢見ているならば、その共産党は滅びます。分かりますか。中共とソ連が修正主義だ教条主義だと言いながら、互いに争っているのは何のせいでしょか。民族的な感情を超越できずに世界制覇を夢見ているためです。そのような主義は滅びるのです。ですから、超民族的な主義でなければなりません。超民族的な心情を中心として、自己の民族より、その国をもっと愛するすべの分かる民族が現れなければなりません。(三四―三三七)

 一九五七年度に、中共とソ連間に理念闘争が起こりました。これからどのような現象が起こるかと言えば、「私のお母さん、お父さんは共産党ですが、私は嫌いだ。私は独裁主義が嫌いだ!」という現象が起きていくのです。その一代がそのまま経て、二代を経て、三代まで行ってみなさい。その時は終わりになるのです。

 民主世界は、それでも神様が再び直そうとする何かがありますが、共産主義は最後なので戻っていく道がないのです。ですから、世界的共産主義が国家的共産主義、国家的共産主義が氏族的共産主義に落ちるならば、終わりなのです。何の話か分かりますか。(はい)。北韓ならば北韓自体が、中共ならば中共自体がみんなソ連の言うことを聞かないというのです。民族的共産主義なのです。ここにおいて、北韓も二組になるのです。東側の組、我々の組、こう言って戦って粛清できなくなれば終わりなのです。今、ソ連では粛清の風がだんだん弛緩していっているでしょう。そうではないですか。(六四―二五九)

 共産世界も同様です。国際共産党が現れて、「この共産主義理論をもつならば、間違いなく世界を制覇して余りあるのである! スラブ民族のソ連を中心として全世界がソ連の価値のもと、万民が共産主義と一つになるのである」、このように夢見たのです。ところが、彼らは分裂するのです。ですから、中共とソ連が今は合わさろうとしても永遠に合わさることができないのです。のみならず、いろいろ民族性が違い、習慣性が違い、過去に互いが対峙して争い反目した共産主義自体が、すべての歴史的内容そのままにすっかり影響を受けて、自体の中でも矛盾するようになり闘争する分裂相を見るようになるならば、二つともみんな朽ちる時代であるということが分かります。今が、そのような時です。(八二―一三)

 皆さん、見てごらんなさい。一九五七年を頂点として、ソ連と中共が分かれ始めました。共産党がする方法は、スラブ民族を中心とした共産世界制覇なのです。「我々のために生きよ」ということです。分かれれば破壊する、そういうことなのです。(七七―二〇一)

 これからの世界はどのようになるのでしょうか。世界的な共産主義が国家的な共産主義へ、国家的な共産主義が民族的な共産主義へと落ちて下がっていっています。元来、一つであったものが絶えず分かれているということです。ですから、カイン型とアベル型国家に分かれたのですが、これからはカイン型である共産主義同士の戦いが起こるようになるわけです。そのようになれば、サタン側では絶対的な個人主義が起こるようになり、神側では世界主義を叫ぶようになり、結局は一つに結束するようになるのです。(一六―一九五)

2 各国の自主路線から見て
 
 共産主義はどうですか。共産主義も、今、イタリアの共産党だとか、フランスの共産党だとか、みんなソ連に反対して自主路線を宣布したでしょう。(はい)。共産主義も夢の中であえいでいましたが、今、夜明けとなり、自己を探しています。世界を共産化させることを夢見て現れましたが、それがみんな砕け散っていくようになってしまいました。なぜ、そうなのでしょうか。共産主義の内幕自体も、変わる素質があまりにも多いのです。弁証法理論自体が、そのようになっているのです。

 弁証法というそれ自体を見る時に、これは本当の宝物であるという価値基準を立てることのできない論理です。それは一時的な現象として、民主世界が自覚して自己の位置を見つけられず、自己の行くべき道を行くことができないために、神様のむちとして許諾できる一つの方便であると私は見るのです。(八五―九九)

3 所有観念から見て

 今日、民主主義は個人所有を語り、共産主義は共同所有を主張しています。彼らは、天の物として捧げなければならないにもかかわらず、天は除外しておいて人の前に捧げています。サタンに捧げているのです。これが共産主義です。個人所有を否定する立場から、真実な立場で天の前に捧げなければならないのですが、共産主義はこれと反対です。個人所有を否定することはしますが、真実な立場で否定するのではなく、偽りの立場で否定して共同所有を要求するために、共産主義は滅ぶのです。

 では、これが滅ぶようにする方法は何でしょうか。真実な立場で個人所有を否定し、世界人類のための共同所有とすることのできる人がいなければなりません。そのような人がいるようになれば、その時から天国化するのです。皆さんは、そのような立場に立たなければなりません。(二九―一六二)

 皆さん、今日、共産党式の言葉は、「お前のものは私のものであり、私のものも私のものである」、このようになっています。このような主義は滅ぶというのです。これと反対に神様の主義は何かと言えば、「私のものはあなたのものであり、あなたのものは家庭のものであり、家庭のものは氏族のものであり、氏族のものは民族のものであり、民族のものは国家のものであり、国家のものは世界のものであり、世界のものは神様のものであり、神様のものが私のものです」。これが神主義なのです。ここには人間が願うユートピアも、すべての希望も、幸福と愛と理想の顕現が可能なのです。このような世界を、今日、我々人間は全く知らなかったのです。(七七―二〇一)

4 天的な基準から見て

 国家が滅ぶのは、天心に背馳したためです。天心と良心が同行すれば生き、そうでなければ滅ぶのです。ですから、共産主義は滅ぶのです。キリスト教は不死身でした。宗教を背反する国家は結局倒れました。(一三―二四〇)

 どんなに共産党がうるさくしても、人間を中心とした世界的国家になると共産党がどんなに暴れたとしても、神様が中心になるのです。神様に勝てない限り必ず共産党も滅び、神様の前に屈服する国にならなければならないという結論が出てくるのです。結局、神様が中心となるために、民主世界も滅ぶようにし、共産世界も滅ぶようにしてしまうという結論です。(八一―一〇一)

 共産主義も自分たちの主義を中心として世界をリードすることができ、未来世界まで越えていってみんな管理できると思っていますが、違います。共産主義もこの天運の指弾を受けなければならないのです。そのような共産主義が、民主世界を消化して越えていくことができ、これから先に来る未来の天運を消化して越えていくことができ、正義の神様に代わる世界的な責任者になることができるのかというのです。できないのです。それは唯物論です。神様はいないと否定するので、あの崖から落っこちていかなければならないのです。(一六二―一九一)

 宗教は神様がいらっしゃることを明らかにして、神様の愛を占領する方法を教えます。ですから、先生が今、統一教会を立ててこの仕事をしているのです。神様の愛だけ占領する日には、世界の版図が変わるようになるのです。最近、神様の愛を抜かして理想と幸福を論じる人たちがいますが、そのような人たちはみんな滅びる群れです。

 ですから、共産党は滅ぶ群れです。もし滅びないならば、我々が滅ぶようにしなければなりません。共産主義者たちは、人間の愛を無視するために、今まで伝わってきた歴史的なすべての情的な関係を根本的に否定しています。しかし、彼らがどのように否定しても否定できないのです。(一八―三二七)

 「神の日」が宣布されたために民主世界でも共産世界でも、内部から分裂が起こるのです。今は全世界的にすべての現象が腐敗して崩壊し、最後の一つまでも追い出さなければならない時です。(一九―三三九)

 イエス様の時には、四千年の苦労の功や基盤が、神様にとって台無しになりましたが、今日我々統一教会ではそうではありません。ただ、神様を賛揚できる時代的基盤を備えたというこの驚くべき事実、これが漠然としたものではありません。原理基準の前に、すべてのものを地で拍子を合わせて全部解いてしまったために、霊界がどれほど喜ぶでしょうか。考えてみてください。

 今、これから先、このような余波が民主世界で強く起これば、アメリカは完全に天の一つの主体性をもつようになり、共産圏は自動的に崩れていくようになるのです。そうなるでしょう。共産圏は自動的に崩れます。(七九―三〇)

 我々は、過去、現在、未来の歴史に責任をもたなければなりません。過去の聖人たちの中で、今日の末世において共産党の前に占領されるそのようなアメリカとなり、民主世界となることを願う聖人が一人でもいたかと言えば、いなかったのです。民主世界で神様を信じていたキリスト教の数多くの宗教者たちが霊界に行っていますが、その霊界に行った霊人たちの中に共産党が世界を支配することを願う霊人が一人でもいると考えますか。今、以前に霊界に行ったすべての人、共産党員になっていたどのような霊人たちまでも、共産党が滅ぶことを願っているという事実を知らなければなりません。この現世に来ては逝った霊界のすべての人たちは、現世において、共産党の根を抜いてくれることを願っているのです。霊界に行った共産党の霊人たちも、共産党が滅ぶことを願っているというのです。

 ですから、今まで死んでいった霊界のすべての霊人たちはどの人でも、共産党を地上から根ごと引き抜いて抹殺してくれることを願うのです。そのことが、今までの我々の先祖たちの望みであり、恨であったことを知らなければなりません。霊界に行ったすべての人たちはそうなることを願っています。根を抜いてくれることを願っているのです。それを見れば、共産党を滅ぶようにすることは、歴史的なすべての祖先たちが願うその願いを成してあげる道なのです。(七九―三一〇)

 聖人の道理を否定し、愛国者の道理を否定する、現実的であり物質的な共産主義は、破綻するようになっているのです。必ず、宇宙の力が共産主義を除去しないではいないのです。長く存続できません。(一九八一・四・一二)

 我々が蕩減法を知れば、世界の問題がすべて解かれていくのです。分かりますか。(はい)。では、共産党は滅びますか、滅びませんか。(滅びます)。共産党は滅ぶのです。彼らは自己の政敵がいるならばみんな粛清してしまいますが、その人が千年、万年生きるのではありません。その息子、娘が残っているならば、その人が死んだ後にはその息子、娘が復讐するのです。そうやって平和の世界が来ると思いますか。不安と恐怖の雰囲気の中で平和が来ることができますか。死にながらも「感謝します」と言うことのできるその道から平和が来るのであって、「お前は私を利用したな。私をこのように犠牲にしたな」と言うのであれば、平和が来ることができません。(八〇―二三八)

 共産党が発展するでしょうか、停止するでしょうか、後退するでしょうか。このようなすべてのことはこの蕩減法から見て、判断することができます。(三二―三五)

 統一教会の思想は物質主義ではなく、神様に引き上げる主義なので、神様が引き上げることができるのです。しかし、物質主義は引き下ろす主義なので、下りるようになれば滅ぶのです。(一九八〇・一・一)




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五.脱イデオロギー時代を迎えた今日の世界

 我々は今現在、非常に混乱した世界を直視しています。のみならず、反目し、嫉視し、不信が満ちたこの世の中であり、この世界であることを我々は知っています。このような現在において、さまざまな人たちが脱イデオロギー時代、あるいは、価値観が没落した時代であると言っているのを、我々は聞いています。

 さらに宗教人たちにおいては、「今は本当に終わりの日である。世の終わりになった」と言うのを聞くようになるのです。

 これは個人から家庭を経て一つの国なら国、国だけでなく世界にわたってそうなのです。ですから現在、落胆するしかない世界を迎えているということを、我々は直視しているのです。

 このような時において新しい将来を追求するということは、新しい指導理念が個人から連結して、家庭と社会と国家と世界がすべて歓迎できる中心思想を発見することです。それ以外には、新しい将来あるいは新しい希望の世界を追求できないということを、我々は知るようになるのです。

 我々が過去の歴史をしばし調べてみるならば、不確実な神本主義思潮が中世時代を指導してきましたが、その神本主義思想の没落によって、人本主義世界がやって来たことが分かるのです。

 この人本主義時代も責任を果たすことができず、今に来ては唯物史観が世界を襲い、非常に危険な時代に置かれていることを我々は知っているのです。この唯物思想は物本主義思想のようなものとして、終末の思想に処しているという事実を、我々はここから酌み取るようになるのです。(七八―九八)

 現在の時代を指して、「脱イデオロギー時代」または「不確実性の時代」であると言います。今の時代が、「脱イデオロギー時代」または「不確実性の時代」であるという原因を、誰もはっきりと知らないでいます。ただ、現れた現象から見て、その原因に価値観の没落を挙げています。

 現在、アメリカを中心とした自由世界の文化圏に住んでいる若者たちは行くべき道が分からず、彷徨しているのを見ます。そのような現象は、信仰の消失による価値観の没落から始まっています。熱病みたいに広まっていく若者たちの彷徨は、未来において人間世界の破滅を意味してもいます。

 脱イデオロギーによる不確実性の時代が継続していくことによって、人類は現在、絶望の中から抜け出すことができずにいます。知性人はもちろんであり、宗教団体や指導者までも、没落という絶望の沼から抜け出すことができずにいるのを見ます。学問機関とか大学もその没落の熱風を避けられず、だんだんとはまり込んでいます。(一九八二・三・七)

 今日、我々が直面した現実は、不信と不確実性の時代であると言います。諸般の問題が相克することによって不信が蔓延し、不確実な未来に追いやられる焦燥感の中に生きていっているのです。(一九八二・三・七)

 共産党は世界共産党理念を中心として世界万民の統一を夢見て現れましたが、今は世界的共産主義から民族的共産主義へと落ちたのです。これが氏族的共産主義へと落ちる日には終わりであるというのです。民主世界もアメリカを中心としたすべての世界民主主義圏から民族的民主主義、アメリカ自体だけのためにする時へと落ちたのです。アメリカが世界を捨てたので、今、アメリカが分かれて争うのです。そのように、民族的民主主義へと落ちるようになるならば、終わりであるというのです。ですから、最近を「脱イデオロギー時代」であると言うのです。

 価値観がどこにあるのでしょうか。人間の価値とはいったい何ですか。動物的な価値しか目に見えず、それによってすべてのものを線引きしてしまったので、何もないという結論が出たのです。ですから文芸復興が現れて、中世に神に対したすべてのことに反発してヒューマニズムが発達するようになり、今日このような結果の世界をつくったのです。しかし、それは間違っています。動物的な人間だけ分かって、霊的な人間が分からなかったのです。

 神様を否定した運動を再び否定して、つまり否定の否定をして、神様を肯定できる新しい次元の世界へと移っていかなければなりません。その否定されていた神様が再び発見される時には、過去のような神様ではありません。キリスト教が主張したそのような神様ではないのです。次元の高い、キリスト教以上の神様として発見しなければならないのです。信仰の対象であった、そのような神様の時代は過ぎていくのです。(八三―三一〇)

 皆さんが知っているように、今この混乱した世界相を皆さんは眺めているのです。ある人が言うには、今は価値観の没落時代とか脱イデオロギー時代とか言います。このような現時代を我々が直視し、まさに絶望という表題を掲げてあえいでいるのを見る時、この世界を克服するか、あるいは超越するか、飛躍するかして、世界史的な一つの転換時代を必要としているのです。これは韓国民族のみならず、民主世界を指導するアメリカ国民も同様です。共産主義を指導するソ連であれば、ソ連自体もやはり内的な面でそのようなすべての苦痛を受けているのです。何か分からずに、それ自体において飛躍的な明日を願っているのは、どのような個人ももちろんそうであり、民族、国家も同様です。すべてがそのような運命に置かれているために、全世界の転換時期が到来することを願っているのです。(八六―六〇)

 今、世界は絶壁にぶつかったのです。まさに今は世界的な突破口が必要な時であり、世界的な指導者が必要な時です。指導体制がないのです。主人がいないのです。皆さんの心が皆さんの主人になれず、皆さんの家庭で父母が主人になれず、皆さんの国の責任者がそのような主人になれずにいるのです。この世界を指導しているその人たちが世界の主人になれないでいるというのです。みんな主人ではなく、賃金労働者たちです。みんな大衆を搾取しており、自己の利益のためにはありとあらゆることをするのです。このような天意に逆らう行動も躊躇しないでしている、そのような群れがたくさんいるというのです。(八四―二〇七)

 今、どこに行くのでしょうか。行こうとしても行くところがないのです。それでも若い人たちがこうして座っています。我々のような人たちは時間がなくてチクタクする瞬間も忙しく考えるのです。朝出ていく時にこうして座っていたのですが、午後三時になり帰ってきても、そのまま飽きずに座っているのです。行くところがなければならないでしょう。行って見ればもっと悪くもっと複雑なので、いっそのこと単純なのがよいということです。

 皆さんも願わない将来にそのような運命にぶつかるようになるかもしれません。世の中で生まれが良いと威張る人たち、知識層にいると言う人たちを見なさいというのです。日本のような国だけでも、大学教授が自殺する事件があるではないですか。今、共産党が狼藉を働いて、到底その国と民族を収拾する道がないので、いっそのこと死ぬほうがましだとその道を選んだのです。収拾する道理がないのです。

 このような世紀末的な現象をどのように打開して越えていくのでしょうか。乗って越えていくことのできる足場がありません。そのような道がないのです。今、我々には民主主義も必要ではありません。共産主義も必要ではありません。心が願う理想主義、それだけが必要なのです。それを探していくために経なければならない関門、あるいは杖の役割をするのが主義とか思想とかいうものです。主義、思想それ自体は真理ではありません。主義とか思想のようなものは真理を紹介するための杖であり、橋です。その橋を渡って行かなければならないのです。(二七―二三二)

 今日、我々人間は価値観の没落だとか脱イデオロギー時代だとか言いながら騒いでいるのです。それで今は、何かの主体的な思想をもって現れて、世界を導くことのできる指導者を要求する時代になっています。経済問題が問題ではなく、政治問題が問題ではなく、科学的問題が問題ではないのです。真なる一つの宝物的な人間が現れて、新しい革命を提示して人生の理想境を描くことのできる真なる価値の個人から、価値的家庭を経て、価値的な世界まで導くことのできる、そのような主人がいるならばどんなによいでしょうか。それが、現時代において考える人たちの悩みです。(八五―一〇〇)




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第六節 統一理念としての頭翼思想

一.神の実存

1 序言

 神様がいるのかいないのかという問題は、二十世紀後半の世界すべての人々の悩みです。大多数の人々は神様がいないと主張します。そのために、人本主義を主とした黄金万能を叫び、物本主義を叫ぶ共産主義体制の下に世界の半分が落ちてしまいました。

 神様を確実に分からなければなりません。この時間、私が話した言葉を忘れないでください。間違いなく、神様は生きていらっしゃいます。(一九八一・四・二六)

 人類が堕落しなかったならば、神様がいるのかいないのかということを問う必要もありません。それは本心によって分かるのです。言い換えれば、人類始祖が堕落しないで善の父母としてこの宇宙に登場して家庭を成し、その家庭が繁殖してこの世界人類になったならば、今日、人類が神様がいるとかいないとか言って口論する必要がないのです。血筋が連結しているために、いっぺんに体でも分かるのです。一つの木と同様に、そこには説明が必要ありません。説明を通して神様が分かるように造ったのであるならば、神様は創造を間違ったのです。

 本来、人間には説明が必要ないのです。説明の過程を越えて自然に過ぎていくことのできる位置で出発しなければならない人間が堕落することによって、神様と隔離した位置で出発し、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に広がってきたために、神様がいるのかいないのかということを論議する、このような世界になったのです。

 人類が堕落しないで本性の善なる父母を通して生まれたとしたなら、神様がいるのかいないのかという弁論を必要としないのです。生まれれば自然に分かるのです。赤ちゃんがおなかの中で、おっぱいを飲む方法を習ってから生まれますか。

 生まれるや否や、目の前にお乳があればしゃぶるようになっているのです。自動的に分かるようになっているのです。人類が堕落しなかったならば、神様と人間との関係を自動的に分かり、自動的に解決して、自動的に行かなければならない立場であることが分かったのです。しかし堕落することによって、みんな忘却してしまいました。それで、神様がいるのかいないのかを論じて疑うという結果の世界になったのです。これは悲惨なことです。(二〇―三〇六)

 地球上において一番大きな事件が起きたのですが、その事件がまさに共産主義の出現です。これがなぜ大きな事件なのでしょうか。厳然と生きている神様を「死んだ」と言うからです。言い換えれば、共産主義は神様が厳然と生きていらっしゃるにもかかわらず「いない」と言うのです。罪の中で一番大きな罪が何かと言えば、明らかに存在するにもかかわらず存在しないと言うことです。目が黒々として生きているのに、その人が死んだと言えば、怨讐の中の怨讐になるのです。自己の父母が生きているのに、父母が死んだと言えば、それ以上の親不孝はないのです。(二二―一七六)

 私は早くから、すべての宗教の骨髄まで深く体験した人です。すべての宗教が第一番に掲げている絶対者である神の実在の可否、これは我々人間にとって最も重要な問題です。

 神様がいますか。絶対的価値として存在する神様の実在の可否は、有限であり相対的存在である人間において、人間の存在価値を端的に決定してくれます。ですから、我々はこの問題を確実に解決しなければなりません。歴史上に来ては逝った数多くの聖賢や哲学者、宗教家たちの中の誰も、この問題を人類の前に説明してあげることができませんでした。今日、人類は神様がいないと主張する共産主義の挑戦の前にお手上げですが、問い詰めてみればそれに対する原因も、神様の問題を民主世界が解決していないためです。のみならず、今世紀の世紀末的な諸般の現象も、今日の宗教が神様の問題を解決できないために起こるのです。(一九八一・四・二五)

 この世界には多くの人間が住んでいます。今日において、この世界問題は他人の問題ではなく、我々の直接的な問題の時代へと入ってきたことが分かります。今、民主世界とか共産世界とかどの世界に限らず、一つの世界を願い、平和の世界を願うことは同様ですが、その一つの平和の世界を成すためには、人間だけでは不可能な時代に来たことを、我々は感じるようになるのです。人間の力、人間の知恵、人間の文化、そのどれをもっても真正な意味の平和の世界や一つの統一された世界を願うことができない時点に置かれていることを、我々は分かるようになります。

 このような立場から見る時、世界問題を解決することにおいて一番中心の問題が何ですか。神様がいるのかいないのかという問題を確実に解明することが、何よりも重要な問題であると見るのです。もし、神様がいるということを全人類が分かる日には、神様のみ旨がどのようなところを指向するのかということを確実に分かるようになるのであり、その指向するみ旨を分かるようになる時には、その世界はそれこそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界にならざるを得ないのです。

 神様がいるということだけが分かる日には、共産世界においても民主世界においても、すべての問題は解決するのです。神様がいらっしゃることが分かって、その神様のみ旨が分かる日には、人類が神様と共にそのみ旨に従っていくまいとしてもいかざるを得ないのです。それは当然のことです。

 今までこの地上に数多くの宗教がありましたが、果然、神様が確実にいるのかいないのかという問題の解答を提示できなかったのです。そのような問題を中心として、我々がこの根本問題を解明して解決できる鍵が神様です。神様がいるのかという問題は、今まで人間が究明してきた哲学的な問題であり、宗教が今まで追求してきた問題でした。ですから、我々は漠然とした位置で神様を追求することよりも、実質的な問題を取り扱う位置で神様を取り扱わなければならないと見るのです。(五六―一三一)

 統一教会はこの絶望の限界点であえいでいる世界の群像を前にして、何をするのでしょうか。統一教会が世界人類の前に提示しなければならないことは、神様がいるのかという問題です。(三三―二二六)

2 神様の実存証明

 我々が勝共活動をするにおいて、一番重要なことは神様の実存を証明して見せることです。勝共活動をしなければならないという確固とした決心も必要ですが、何よりも神様を否定する共産主義者たちに、神様の実存を証明してあげなければなりません。また、我々自身も神様がいらっしゃるということを確実に感じなければ、共産主義に勝つことができるという信念が生じないのです。
 神様がいらっしゃるということを話すために、私がおもしろい例を一つ挙げてみます。まず、皆さんに一つ質問しますが、皆さんは皆さんの体の中で何を一番愛していますか。心は見えないのでさておいて、見える体の中で何を一番愛していますか。これはおもしろい質問でしょう。

 ある人は自分の耳を「福耳」だと言って愛するかと思えば、ある人は自己の鼻を「福鼻」だと言って愛したりもします。また、自分の目は「鳳凰目」なのでこうだああだと言いながら喜ぶ人もいるなど、ありとあらゆる人がいるのです。

 やはり、我々の体の中で一番重要なものは顔です。それで人々は普通、体を見て「整っている」とか「不細工だ」と言わないで、顔を見て「整っている」あるいは「不細工だ」と言いませんか。それは、顔が一番重要であるためです。顔の中でも目が一番貴いのです。なぜそうかと言えば、ほかのものはみんな顔にくっついてしか動きませんが、この目は自ら回るのです。すなわち、目は四方性を備えて活動するのです。そして、すべての動物が生じてくるときにも目から生じます。おたまじゃくしができる時にもよく調べてみれば、一番最初に目が生じます。これは何を象徴するかと言えば、宇宙にはこの目のような中心存在が先在しているということなのです。ですから、我々の顔にある目は、神様を象徴するのです。

 鼻は人を象徴します。そして、鼻は人間のすべての器官の中で一番遅く発達します。赤ちゃんの時にはぺちゃんこでも、大きくなれば高くなります。十代を過ぎて高くなるのです。なぜそうかと言えば、神様が万物を創造される時に人間を一番後に造られ、人間が一番後に完成するように造られましたが、鼻がこのような人間を象徴するのです。ですから、鼻が一番後に完成するのです。人が息を吸い込む時に、初めは空気が二つの穴を通して入っていって、後で出会って一つの穴へと入っていきます。ここで二個の鼻の穴はおのおの男性と女性を象徴しますが、この鼻のように結局、男性と女性は一つにならなければならないということなのです。
 口はまた何を象徴するかと言えば、万物を象徴します。それで、人間の歯が三十二本ですが、これは四方八方(四×八=三十二)になっている全体の世界、すなわち宇宙万物を象徴するのです。

 では、耳はどうなっているのでしょうか。耳は東西南北の四方に通じるようになっています。このように見る時、身体のすべての器官の中で一番近く親しいものが顔であることが分かりました。それで毎朝、洗面をして鏡を見ますが、大部分の人たちは鏡を見る時、目がどうなっていて、鼻がどうなっているというふうに外観的な考えをします。しかし少しの間、そのような外観的な考えはしまっておいて、根本的な考え、特に目の根本について考えてみましょう。

 目は初めにできる時、太陽があることを知りませんでした。目をもった昆虫とか何かの動物の目の先祖に、「お前が初めに生まれてくる時、太陽があることを知って生まれてきたのか」と尋ねてみても、目は答えられないのです。このように目自体は、この地球上に太陽があることを知らずに生じてきたのです。

 また、まゆ毛を見る時、まゆ毛はなぜ生じましたか。私はこの世の中に空気がありちりがあるので、そのちりが目に入っていくのを防止するために、まゆ毛が生じたと見るのです。では、そのまゆ毛自体が始めに生じる時、空気の中にちりがあることを知っていたでしょうか。知っていたとは言えないのです。では、知らないで、どうしてまゆ毛が生じたのでしょうか。

 また、我々の眼には涙が出てくる涙腺がありますが、この涙腺が、太陽の輻射熱によって水分が蒸発するということを知っていましたか、知りませんでしたか。知らなかったのです。知らないのに、水道パイプが備えられているのと同じように、涙腺が生じたのです。もしこの涙腺がなければ、三十分以内に目全体が真っ赤になるのです。

 このように皆さんが毎日見る顔の中で、目一つだけ見ても神秘の王宮になっているのです。ところで、太陽があることを知らずに、目がその太陽に備えて生じたという事実は、偶然になったことではありません。また、空気の中にちりがあることを知らずに、そのちりを防ぐことができるまゆ毛が生じたということは、本当に驚くべき事実です。また、目がパチパチしても、目の乾燥を防ぐためのホース(涙腺)が付いているということは全く驚くべき事実です。

 今日、共産主義の科学者たちは、宇宙が自然に存在するものであると言っています。しかし、宇宙の至極小さい一部分もこのように科学的になっていることを見る時、自然にそのようになったと見ることはできません。百歩譲って、自然にそのようになったとしても、その「自然」は盲目的な「自然」ではありません。その自然は、方向性をもった、すなわち目的性をもった内容の結果なのです。このような結論を下すほかないのです。

 このように見る時、目が生じる前に太陽があるということを、誰かが知っていたことは間違いない事実です。また、まゆ毛が生じる前に、空気中にちりがあるということを誰かが知っていたに違いありません。誰も知らないのに、ひとりでにそのようになったと言うことはできないのです。

 そうであるならば、誰が分かっていましたか。人間の万能を叫ぶ皆さん、この目自体が知っていましたか。我々の耳とか鼻とか目が神秘の王宮となっていますが、進化論者たちの言うように、無秩序な理論である進化論によってこのようになったのですか。彼らは突然変異によって生物体が進化したと言いますが、それは彼らの進化論を主張するための方便的な論理にすぎないのです。このように進化論には矛盾が多いのです。

 これを知ることは深刻な問題です。私と私の目が知る前に、誰かがこの地上に太陽とちりがあるということを知っていたのです。言い換えれば、博物学的な知識をもって、それらに備えることができるように、私の目とまゆ毛を生じるようにしたということは否定できない事実なのです。では、その存在が誰でしょうか。

 このように見る時、神秘的な構造になっている人間をコントロールできる一つの主体がいるということは、至極当然な結論です。その存在を概念であると言ってもよく、思考であると言ってもよく、最近の哲学的な述語である思惟であると言ってもよいのです。そのような主体が、物質より高い次元の博物学的知識をもって人間を創造したために、人間が体系的な形態と構造的な連関性をもつようになったという事実を、否定することはできないのです。(一九八一・四・二六)

 存在するために生じるところには、目的なしに生じるということはないのです。目的がなくて生じることはあり得ないのです。方向はなぜあるのかと言えば、目的があるところに方向性があるのであり、目的のないところには方向性がないという結論が出るのです。皆さんはけさ、明け方にベルベディアに向かって来たのですが、なぜベルベディアに来たのでしょうか。「自然にその方向に行くのだ、行くのだ」、そうですか。先生のみ言を聞くという目的があったために、ベルベディアに訪ねて来ました。方向があるということは、目的があるためであるという、そのような結論を知らなければなりません。

 さあそれでは、アメーバに自己以上の力を投入させることのできる能力と、方向をもつことのできる能力、そして目的を提示する能力があったか、なかったかというのです。どうですか。(ないです)。それは不可能です。論理に合わないそのような考え方はやめなさいと言うのです。そうして、共産党が言うには、弁証法的発展とか何とか……。いい加減にしなさいと言うのです! 目的のないそのような方向性を提示する弁証法的論理は、真理であり得ないのです。目的感がなければ、これは完全になくなるのです。それを問うてみれば、みんな全く知らないのです。それで、それはそれ自体としてはできないために、これは何かが加入された存在であり、投入された存在なのです。このような問題が起きるのです。

 このような観点から見る時、このような動機的存在がいるという理論は妥当な理論であり、そのような理論を立てることは科学的であると言うことができるのです。では、科学的であるとはどういうことですか。仮設的なことが、現実的事実に合うようになる時、科学的であると言うのです。ところで、力がひとりでに現れると言うのはだめなのです。それは科学的ではありません。力が出ようとすれば、火をたくか、注射を打つかしてこそ出るのです。そうすればよいのです。私がこのようにしたところ、これはこのように行くというのです。磁石を南に回せば北に向かうのです。その方向性を誰がもっているのでしょうか。なぜそうなのですか。目的をもつ対象がそこにあるためにそうなるのです。それ自体がそうすることができますか。物質自体が、自然自体がそのような能動的な主体性をもつことができるのでしょうか。そうできないというのです。できません。科学的であるということは、理論に合わなければなりません。理論は仮説と証明と現実が一致しなければならないのです。同様の道理であるというのです。

 そのように見る時、神様はこの宇宙の原因的な存在であると言うことができるのです。このようなすべての作用の原因的な存在であり、このような力を加入する原因的な存在であり、方向を提示する原因的な存在であり、目的を提示する原因的な存在がいるということは、不可避の結論なのです。我々はその方を人格的な神様であると言うのです。人格的な神様です。それはなぜかと言えば、必ず動機を中心として方向をもって目的を提示するために、それが一つの確実な立場であるので、人格的な神様であると言うのです。ですから原因を通して方向を経て、目的の世界に出て行くのです。ですからそのような観点から見る時、このような全体の原因的な存在が神様であるというのです。

 宗教生活をなぜするのでしょうか。私より次元の高い力の投入があるためです。では、その方向はどこへ向かうのでしょうか。今日の堕落した世界ではなく、次元の高い理想的目的に向かうのです。そうではないですか。ですから、神様がいないというのは理論的根拠が成り立たないのです。原因と結果はいつでも一致するのです。そうでしょう。(はい)。過程が複雑であれば複雑であるほど、その原因と目的も複雑なものなので、より価値があるのです。幅が広くなるほど、その価値があるのです。(八九―七四)

 良心作用を見ても、神様がいないということはできないのです。神様はいるのです。神様が絶対的にいないという人は、絶対的に良心作用を否定しなければならないのです。それを絶対的に是認する限り、神様は絶対的にいます。ですから、神様がいることを我々は否定できないのです。(五六―一六六)

 「神様がいる、神様がいる」と言うのは、言葉だけではありません。原理を通して主体と対象の関係を中心として見る時に、神様は不可避的にいなくてはならないという立場ではありません。神様は私がいる前にいたのではないか、私が考える前にいたのではないか、私のすべての感覚、私の一切を主管する天ではないのかという立場です。それを認識することが何よりも重要な問題です。

 認識して知ることが原則ではないですか。知って認識することが原則ではなく、認識して知るようになっているのです。我々が寒ければ、寒いということを知って感じるのではなく、寒ければ寒いことを感じて知るのではありませんか。これと同様に神様がいらっしゃるならば、神様がいらっしゃることを皆さんが感じなければなりません。細胞で感じなければなりません。その境地が問題なのです。言い換えれば、体恤的立場をどうやって我々が確定するかということ、これが問題であるというのです。(五八―二九一)

3 神様は見えてはいけない

 神様がいるのかいないのかという問題は複雑なのです。もし神様がいるとする時、すなわち神様が皆さんの目に見えて、誰でも見ることができ、誰でも会うことができるならば、気分がよいですか、悪いですか。(悪いです)。なぜ悪いのですか。神様は絶対者であり、唯一無二の存在者として一番てっぺんにいらっしゃいます。このような神様を人間は自分だけが一人占めしようとするので、もし、誰でも見ることができるようになればどうなりますか。

 このように見る時、万民の神様が今我々の中にいるならば、神様を好まない人がいると思いますか、いないと思いますか。(いません)。みんな好むのです。それでは、一人きりでいらっしゃる神様をみんなが好めば競争が起こりますか、起こりませんか。(起こります)。競争が起これば、こぶしの強い人が神様を一人占めしてしまうのです。(笑い)そのようになれば、やくざの頭目かレスリングのチャンピオンが、彼らだけの神様にしてしまうのです。それを考えてみたことがありますか。

 そして世界を見ても、アメリカは神様を好みますか、好みませんか。(好みます)。また、共産党国であるソ連も神様を好みますか、好みませんか。(好みます)。ですから、各国も神様取りの争奪戦を起こしますか、起こしませんか。(起こします)。原子爆弾をもって戦うのです。では、このような戦いを誰が防ぎますか。誰がこの戦いを防ぐのかというのです。

 見た目も麗しい神様が我々の目の前にいらっしゃるとするならば、その方を互いに手に入れるために戦うのです。この戦いは、今日のような戦争など問題にならないほどです。あまりにも熾烈な戦いが起こるのです。そのようなことを考えてみたのかと言うのです。継続して、神様を手に入れるための熾烈な戦争が起こるのです。

 神様も、そのようなことを考えられたでしょうか、考えられなかったでしょうか。(三九―一五四)

 神様が見えるのがうまくしたことですか、見えないのがうまくしたことですか。見えないのがうまくしたことです。もし神様が見えたならば、神様の本分を果たすことができるでしょうか。そのことを考えてみたことがありますか。何千年の間、人類はこの小さい地球をもって、互いにより多く手に入れようと国同士で打って奪う戦いをしたでしょう? さらに最近では、人まで奪おうとする戦いをしています。共和党とか何かの党であっても、互いに使いものになる人がいるならば、奪おうと戦いをするでしょう? そうでしょう? 

 天宙の大主宰であられる神様が人間の目に見えるようになるならば、その神様を互いに奪い取ろうとする戦いをしますか、しませんか。この戦いを防ぐ道理がないのです。神様が見えないのはうまくしたものです。もし神様が見えたならば、アメリカとソ連が互いに自分の神様であると言って戦うでしょうか、戦わないでしょうか。戦うのです。その戦いを誰が止めることができますか。神様は全知でいらっしゃるので、このような戦いがあるかもしれないと考えて、無形にしていらっしゃるのです。うまくなっていますか、なっていませんか。(うまくなっています)。神様が見えることを願うのは、ばかげた行為なのです。見えないのがうまくしたことなのです。

 心の中に神様が入ってきてくれれば、それを心が分かりますか、分かりませんか。間違いなく分かるのです。神様が心の中に入ってくるようになれば、壁も突き抜けて見ることができるのです。太平洋の海の中も突き抜けて見ることができるのです。そのような能力が人間自身にあるのです。(四一―二八七)

 ある人たちは神様がいないと否定するのですか。それは罰当たりの者たちです。そのような者がいてはだめなのです。それは共産党なのです。(七一―七七)

 将来は神様に対して疑心をもとうとしても疑心をもつことができません。全部分かるのです。どのようなことが起こるのでしょうか。神様がいないと言えば真空状態と同じなので、神様がいるという観念がさっと入ってきて、すぐに頭が痛く体が重くなるのです。(九〇―三二二)




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南北統一_5-6-2

神様の摂理から見た
  南北統一

(全面表示) 

二.統一思想とは

1 序言

 今日、我々が住んでいる世界では、民主世界と共産世界が問題になっていることを、我々は知っています。相克的あるいは相衝的な、相反的世界情勢を我々は目前に直視しているのです。ではこれから先、世界の中心となることのできる思想はどのような思想でしょうか。これが問題になるのです。(六五―一九)

 思想とは何ですか。思想とは物質ではありません。それは見えるものではなく、考えです。主義は、その思想に依拠して現れるのです。ですから、唯物主義には、思想という名詞が成り立ちません。ですから、これを代置できる思想が現れなければなりません。言い換えれば、完全な真理による思想が現れなければならないのです。これは人倫と宗教理念を付合させ、結束させ、統合させることができなければなりません。

 その真理は歴史と時代を超越できなければなりません。また、その真理は過去のある先知者や英雄、烈士が追求したものとぴったり合わなければならないのです。それは、宗教人が追求する基準にもぴったり合わなければならず、哲人や政治家、ある経済人が追求することにもぴったり合わなければなりません。同じ結論に到達できなければなりません。そうでなければ、統一された一つの世界を成すことはできません。今まで外的にはそのような形態を整えてきましたが、内的に収拾できる真理は現れませんでした。言い換えれば、統一的な思想の改革が現れなかったのです。(二四―一〇六)

 イエス様が十字架にかけられた時、右側の強盗は天のために生きようとしましたが、左側の強盗は天を不信する立場を取りました。このように、今日、世界は両大陣営に分かれています。すなわち、右側の強盗と同じ立場で形成された右翼世界と、左側の強盗と同じ立場で形成された左翼世界に分かれています。ですから、左側の強盗型である左翼世界は、神様を分からないという世界になったのです。

 では、そのような世界で証しなければならないことは何ですか。真の愛です。ですから、今までイエス様の名によって証したことと同様に、これからは天を求めていく宗教的形態を備えた国家が現れて、真の愛を証しなければならないのです。今までは、イエス様自身の理念が現れませんでしたが、今はイエス様の理念が現れなければならないのです。ですから、終わりの日には、ある新しい何かが必ず現れなければならないのです。

 では、終わりの日に全人類が願うことは何なのでしょうか。イエス様が主張した真理ではなく、主張できなかった、その背後の心情を越えることのできる何かであるというのです。ですから、終わりの日には必ずそれが現れなければならないのです。そして、その時がまさに世界的な理念時代です。そのような時が必ず来なければならないのです。(四―二四七)

2 統一思想は愛主義 

 民主主義と共産主義の実験は、既に終わりました。では、レバレンド・ムーン主義あるいは統一主義、神主義とはどのような主義でしょうか。愛の軸を共通の分母として、存在原則がその軸に平行線として愛的理想循環存在として存続しなければなりません。言葉だけでなく、事実がそのようにならなければなりません。(一九八五・一二・一二)

 神主義とは何ですか。愛主義です。我々統一教会は絶対的な神様に従う、神様による愛を中心とした、神主義に対する相対的な神主義を獲得するためのみ業をしている者です。(一六三―八九)

 統一教会に世界が反対したのは、このような摂理的背景のためであることを知らなければなりません。国家と世界が統一教会を反対するので、それに立ち向かうために思想をもって来なければならないのですが、それが神主義です。神主義は神様を中心とした愛の理想主義です。統一教会が二つの世界の前に、神主義を前面に立てて戦ってきたのは、このような理由のためです。(一九八五・一・四)

 統一思想とは何でしょうか。神様の愛を占領して、真の父母と真の家庭と真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界まで占領できる、そのような思想です。(一九八〇・四・一五)

 統一思想は自己の国を犠牲にさせ、世界を救おうという思想です。これは結局、犠牲ではなく世界とすり替えるためにそうするのです。より大きいものを得るために、より小さいものを犠牲にすることは正常的です。もっと価値あるものにすり替える人が知恵のある人です。それが、世界に行くための正当な道です。人間はより大きいものを憧憬するのであり、小さいものを憧憬しません。より大きいものを望むのであり、より小さいものを望むことはないのです。(三五―二八〇)

 現在、世界にある諸国家を見れば、外交問題を扱う外交官たちが何をすればよくやると考えるかと言えば、他の国をまんまとだましてこそよくやると考えます。そのようにしていれば、世界がどのようになるでしょうか。希望がないのです。統一教会では個人が犠牲になって家庭を残し、家庭が犠牲になって氏族を残し、氏族が犠牲になって民族を残し、民族が犠牲になって国家を残し、国家が犠牲になって世界を残し、世界が犠牲になって神様を残そうとするのです。この思想は、世界を犠牲にして神様を残そうというのです。

 そのようになる時、皆さんが滅びますか。この枝が滅びますか。幹が滅びますか。神様はどうですか。すべて残ります。そうなれば何が起こるのでしょうか。繁盛するのであり、そこには幸福の起源が現れるのです。これが統一思想です。そのようにすれば統一できます。そうでなければ世界を統一する道がない、と断定して現れるのが統一思想であるというのです。それで、私は家庭に帰り、家庭は氏族に帰り、帰って帰って、根に帰ろうというのです。早く帰ろう、そういう言葉です。(七九―二二四)

 我が統一教会が他と違うものがこれなのです。統一教会は何かと言えば、お父さん、お母さんを愛するように兄弟を愛して、兄弟を愛するように氏族を愛して、民族を愛して、国家を愛そうというのです。お父さん、お母さんを捨てても、国家を愛そうというのです。世界を愛するためには、自分の国も捨てなければなりません。また、天を愛するためには、世界まで捨てようというのです。より遠く大きいもののために、私に近く小さいものを犠牲にする愛の道を探していこうというのが、統一教会の主流思想です。簡単なのです。分かりましたか。(はい)。

 そうですが、その思想はどのような思想でしょうか。それは先生の思想ではありません。アメリカで話すレバレンド・ムーンの思想ではありません。ここで話すとおりにしようとするならば、先生の思想ではありません。その思想は本来、神様の思想です。神様はどのような方であるかということを見る時に、自己よりも相対をもっと愛する方です。自己よりも相対側をもっと愛し、二人が一つになり、もっと大きい範囲の相対側を愛するための運動が、神様の運動です。神様の思想はこれが本質になっているために、神様は神様の前に一番近い人を悪なる世界に送って、世界人類のために犠牲にするのです。これが、神様の思想です。(一〇〇―八〇)

 統一教会の主義、先生の主義は何ですか。先生の主義は、大韓民国を主とした主義ではなく、世界を主とした主義です。今、大韓民国を必要とするのは、世界を愛するためです。また、既成教会を必要とするのも、大韓民国を愛するためです。橋を架けるためです。結局は、世界を愛し、天地を愛するためです。

 そうしようとするならば、どのようにしなければなりませんか。自己に一番近い人を犠牲にしなければなりません。今まで、この世を復帰するために苦労してこられた神様の主義はどのような主義でしたか。悪なる世界を救い、かわいそうな人を救い、貧しい人類を救うために、神様に一番近い人を犠牲にさせて救援してこられました。(三三―二九八)

3 統一思想は神様中心主義

 今日、民主世界が第三解放を要求するならば、共産世界では第二解放を要求するのではないでしょうか。このような問題を見る時、第二解放、第三解放の旗手となり、その源泉にすることができる新しい主義と思想はどこから来るのでしょうか。それは、人間世界からは出てくることができません。人間は今まで数千年の間、この解放を迎えるために身もだえしながら努力してみましたが、そのような環境も、内容も、手に入れることができませんでした。ですから、人間だけを中心としては、解放できないのです。(一三―二二五)

 皆さんは民主主義者になりますか、世界主義者になりますか。(世界主義者です)。宗教は、世界主義のみではありません。人間だけよくしようという主義ではなく、神様までもよくしようという主義です。しかし、共産主義や民主主義は、人間だけよくしようという主義です。ですから、神様までよくしようという主義と、人間だけよくしようという主義と、どの主義がよりよいですか。言い換えれば、神様も好み人間も好む主義がよいですか、主人を抜いて僕同士のみ好む主義がよいですか。(神様と人間が互いによいと言う主義がよいです)。そう答えるのを見れば、それでも、分かるには分かるのですね。ですから、宗教はよいのです。(四一―四四)

 神様だけ好む主義ならばよいですか。原則的に言えば、神様だけ好んでもだめなのです。神様も好み、人間も好まなければなりません。共産主義者たちが主張することを見れば、神様がいないと言います。彼らは、物質がすなわち生命であると言います。おそらく地獄には行かない、とそう言うでしょう。共産主義は、結局、終わりに行っては滅ぶのです。宗教も、神様だけを主とする宗教は滅びます。また、人間だけを主とする宗教や主義、思想も滅びます。

 では、神様と人間をよくする主義を神様の世界で歓迎しますか、しませんか。また、人間の世界でも歓迎しますか、しませんか。歓迎するのです。(四一―四四)

 我々がもっている、共産主義より一歩さらに進んだ高い思想である天宙主義とは何ですか。これは、万民解放のみを目的にするものではありません。神様まで解放しようというものです。したがって、心情の世界でなければなりません。心情の鎖に連結されている父母なので、子女が解放されない限り、父母は解放されません。ですから、心情の歴史をつくりましょう。心情の伝統を立てましょう。心情の世界をつくりましょう。ですから、内容が違わなければなりません。そうして、神様を解放してあげましょう。(五五―五〇)

 皆さん、統一教会の思想は、天地を解放しなければならないという思想です。(九一―二八一)

 統一教会は何の主義でしょうか。神主義です。このように見るのです。神主義、その観に通じた個人は、どこに出しても心情が通じます。観念的な神様に侍るのではなく、生活的な神様に侍ろうというのです。統一教会では、神様の心情を論じるのです。

 今日、「神学」と言えば、神学は神様について学ぶのです。しかし学んで、知ることによっては、心情は分かりません。皆さんはそれを知らなければなりません。知ることによっては、心情が分からないのです。「統一教会の文先生があの人だな。目はそうなって、鼻はそうなって、どこかはそうなって、私が見たらそのようになっているなあ」、このように見ることによっては、私という人物が分からないのです。ですから、その人と住んでみなければなりません。分かりますか。どのように立派であると言っても、住んでみれば、その他のことがみんな現れるのです。そうでしょう。(はい)。住んでみなければなりません。住むときには、盲目的に住むのではなく、上手に住まなければなりません。(五九―一〇一)

4 統一思想は天宙主義

 共産主義と民主主義は、真理すなわち理論を中心として互いに対決しているのです。今からは、国境を超越する天宙主義が現れなければなりません。主義自体が目的ではありません。

 世界的な終末になれば、天宙主義によって民主と共産はすべて凌駕されなければならないのです。ですから、民主主義と共産主義を吸収できる主義が現れなければなりません。すなわち、個体を中心として全体を束ねておくことのできる主義がなければならないのです。

 終わりの日が近づくにつれて、我々に必要なものは何ですか。それは、神様の人格であり、心情であり、価値です。すなわち、願いと事情と心情が問題なのです。今日、勢いを得ている世界のすべての主義は、神様と相関があるのです。(一六―二七三)

 統一教会は、何をもって出現したのでしょうか。統一教会の思想は一言で言って、悲劇の人類歴史を終結させ、希望に満ちた新歴史を成就するという内容と目標をもっていると言うことができます。統一思想は、天宙主義という思想です。天宙主義は、霊界と現象世界を一つに統一、または一致させるという思想です。統一思想である天宙主義の中に全世界が入ってきたとしても、その一部を占めるくらいですから、統一思想の膨大なことといったら、人間の想像力を超越していると言えます。天宙主義は、全世界のみならず宇宙と霊界、神様までも、一つに連結できる思想であるということを知らなければなりません。統一思想である天宙主義は、理想的な法度基盤の上に立った主役なのです。(一九八六・一〇・二一)

 より大きい思想、より大きいみ旨を抱いて行くようになる時は、それより弱いみ旨の基準は、そこに包含されてしまうのです。ですから、人は高い思想をもたなければならないのです。そのような点で、世界史上に現れた思想の中で、統一思想よりもっと大きい思想があるでしょうか。そのような面から、統一思想は最高の思想であると言えるのです。(四九―九一)

 大韓民国が、世界のために滅びようと言うようになれば、大韓民国は滅びません。これを見る時、我々統一教会は何のために滅びようと言うのかといえば、神様の愛を中心とした天宙主義のために滅びようというのです。この天宙主義という言葉は漠然としていて、皆さんの心とか考えの中に入っていかないのです。そうですが、ともかく一番大きい主義なのです。天宙主義なのです。天の家ですから、神様も詰め込み、人間も詰め込み、みんな詰め込もうというのです。しかし、きっちり詰め込むことだけをしようというのではありません。天宙主義は天宙主義ですが、神様の愛を中心とした天宙主義です。ですから、神様の心情の歴史を語るのです。(六一―八三)

 神様はどのようなお方でしょうか。天地の大主宰であられます。その方は最高の理想をもっていらっしゃるので、目的の基準にもなり、動機の基準にもなります。ですから、我々が存在するようになった動機は神様であり、目的も神様です。では、その動機と目的をどこから探すのでしょうか。その動機は神様のみ旨を中心とした家庭であり、その家庭をして世界的な目的を達成するようにするのです。これが統一思想です。これは、いずれにしても、若い皆さんがもたなければならない最高の基準であり、すべてのものを一点に結びつけることのできる思想です。

 今までの歴史時代のどのような思想も追従できない内容をもっているのが、まさに天宙主義というものです。これは、世界のどのような思想をも凌駕できる新しい思想であり、この思想の特徴は「家」です。「家」という意味の「宙」の字の、天宙主義です。(二五―八三)

 統一教会の主義は天宙主義です。天宙主義はもちろん、天と地を一つに合わせる主義ですが、天宙の「宙」の字は、「家」の「宙」の字です。言い換えれば、家庭主義なのです。男性は天であり、女性は地です。この二人が一つに統一されれば、天地が統一されるのです。そうでしょう。その言葉がどのような言葉かと言えば、心情を中心として、氏族、民族、国家、世界を超越して、家庭を鉄の城のように一つにしていかなけばならないということです。民族が問題ではなく、氏族が問題ではなく、人種が問題ではないのです。これを一つに束ねることができるようになれば、世界は一つになれるのです。(三七―七七)

 天宙主義の天宙とは何ですか。天地です。内的な面と外的な面で、神様と一つになった人、すなわち、心は天を象徴して、体は地を象徴しますが、これが神様を中心として一つになる主義を言うのです。元来エデンの園で、心と体が一つになったアダムと、心と体が一つになったエバが、神様を中心として一つにならなければならなかったのです。このようにして、神側の家庭を成せば、神様がアダム家庭に臨在するのです。これが人類の希望の根になるはずでしたが、崩れ去ったのです。そうして堕落した人間は、行くべき方向を分からずにあえぐ中で、神様の摂理の終わりの日まで来ました。このような時代の人類に、本然の生活基準を教えてあげるのが統一理念です。ですから、皆さんがここに集まったのです。(二〇―三〇九)

 我々が主張する主義は共産主義でもなく、民主主義でもありません。より重要な主義であり、それがまさに天宙主義です。その主義は、エデンの園でアダムとエバが必要としていた最後の所望基準であり、最後の主義です。この主義を通して、神様と人が一つになります。すなわち、神様と皆さんが一つになるのです。これが成されてこそ、これから世界を収拾できるのです。(二〇―三一〇)

 真の人の立場にどうやって上がるかということが問題ですが、我々がそのような実力をもってすべての社会の悪と不安を屈服することができ、天地を後ろにして幸福を模索でき、善の基準を立てることのできる主体的な立場に立つならば、世界的な問題になるのです。これは歴史的であり、世界的な事件です。そのような意味から、我々が行く道は、将来二十一世紀後半に入っていっても世界的な問題になるのです。そうならなければ、私がなるようにするのです。これが、我々の天宙主義思想なのです。(二一―一八)
5 統一思想は共生共栄共義主義

 皆さんは、必ず、真の父母を中心とした生活をしなければなりません。そうしてこそ、天と地が、人倫と天倫が互いに会うことができるのです。

 真の父母という言葉を考えてみる時、面白いことは、真の父母なしには真の子女が存在できないということです。平面的に父母を天であると見れば子女は地であり、父母を上と見れば子女は下であり、父母を前と見れば子女は後ろになるのであり、父母を右と見るならば子女は左になるのです。それを皆さんが、はっきり知らなければなりません。

 皆さんは、今までご飯を食べても一人で食べてきました。今まで皆さんは、そのような観点で過ごして来ました。統一教会で、侍ることによって救援を受けるというのは何のことですか。一人で食べるのではなく、父母と共に食べるのです。それはすてきなことではないですか。見物に行っても、一人で行くのではなく、父母に侍りながら一緒に行くのです。

 天と地に侍りながら生きるということがどれほど偉大であり、恐ろしい観念であるかということを、皆さんが知らなければなりません。これを「そうだ」と実感する日には、ここに屈服しない、降伏しない人がいません。そのような精神をもって「間違いなくそうだ」と体験して実感する人たちは、どこの何者にも屈服する者がいないのです。原則を外れて屈服したとしても、必ず、その原則に再び帰結するので、結局は屈服したのではないのです。

 ですから統一教会では、それに完全に屈服して体験しなさいというのです。そうすれば、天下に征服される理由がないであろうし、侍ることによって救援を受けるというのです。ですから統一教会では、侍る生活を通して救援を受けると主張するのです。分かりますか。そのような信念をもった宗教は、世界のどのようなところでも越えることができます。このような観点から見る時、今日、我々統一教会の思想がどれほど偉大であるかを、皆さんが分からなければなりません。

 人類が願いを懸けて感謝しなければならないものが、これでなければ何でしょうか。これは、今まで我々の先祖たちが願ってきた願いでした。数多くの男性たちが願ってきた願いであり、数多くの女性たちが願ってきた所願でした。ですからもし、この地上にこのような男性と女性が合わさり、一つの家庭を成していたならば、天地が公認できる核心存在になったのです。そのような男性と女性が天情と共に、新しい世界へと門を開けて出ることのできるその時が、まさに我々が所望した天国が出発する時なのです。そうしてこそ、そこから天地の終わりの日が来るのであり、人類が願っていた目的と希望の一つの定着点が生じるのです。

 その時になれば、一人で主張する時代はすっかり過ぎていくようになります。「私が一番だ」と言うことのできない時代です。その時からは共同世界です。すなわち、共生共栄共義主義の世界です。ですから、統一教会で共生である、共栄である、共義であるということを主張するのです。その世界は、一人で成すのではありません。分かりますか。(二四―二九八)

 共生共栄共義主義世界は、人類が願ってきた理想天国の世界です。その世界は、絶対に一人では成すことのできない世界です。ですからその世界は、一人だけでいる世界ではありません。「私」と言えば、必ず相対がいるのであり、また家庭があるのです。これは観念としてのみ終わるのではなくて、実生活において作用しなければなりません。生活舞台においてそれを実際に表現できる世界が、まさに天国の世界です。そうではないですか。

 皆さん、左目と右目の歩調が合いますか、合いませんか。これは共栄です。すべてが一つの目的のために生きていくのです。全部がこのようになっています。鼻の穴も二つですが、一つの鼻の穴が詰まればよいですか、悪いですか。

 同様に、耳も一つがふさがればよいですか、悪いですか。病身がよいですか、悪いですか。脚を切ってしまうとか、腕を切ってみなさい。気分が悪いでしょう。ですから、相対的関係を備えたすべての存在物は、自ら天地を証明するのです。すなわち、人間が自ら証明しているのです。このように心は分かっているのです。人心が天心であるという言葉も、ここに関係するのです。

 父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、このようなものは西洋思想にありません。ですから、心情的な面においては、東洋思想が西洋思想より一段階高いのです。そして、その土台から共生共栄共義主義を主張するのが統一教会です。ですから、このような観点を離れては、「私」という者は存在することはできないのです。絶対、一人では勝利できないのです。これは、皆さん自身がよく分かっていることです。

 では、皆さんに教会のために生きなさいと言うのは何のためですか。より大きくするためです。家庭で大将になろうということでよいですか。教会のために生きるということは、私がもっと大きくなるためであり、国のために生きることも私がもっと大きくなるためであり、世界のために生きることも私がもっと大きくなるためです。どれくらい大きくなるためか、最高に大きくなるためです。ここで大きいというのは、体積をいうのではなくて、内外の最高の円満さと円熟さを備えることをいいます。皆さんは、そのような立場で統一教会を中心として、世界水準の舞台で万民と共に生きようという人にならなければなりません。そうしてこそ、天地を創造された神様の息子、娘になれるのです。このような観点から、行かなければならない私の道が残っているということを、皆さん全員が知らなければなりません。

 この道の出発点は、統一教会がつかんでいます。今は、既に出発したので、目的点に行ってとどまる皆さん自身にならなければなりません。ですから、「国のために伝道せよ。世界の宣教師になりなさい、そして天地のために共産党なら共産党と戦いなさい」と言うのです。このような観点から、皆さんが自分自身の価値をよく知って、今日神様が願われる立場で生きていくことを願います。(二四―三〇〇)

6 統一思想は最後に残る思想

 最後に残る思想が何ですか。結論をつけましょう。世界のためには、自己の国や民よりも世界をもっと愛することのできる運動、神様をもっと愛することのできる運動だけが、最後に残ることのできる主義となるのであり、思想となるでしょう。ですから、その国を越えることのできる超民族的な運動を世界的に提示して、超民族的に天が愛することのできる立場を、あるいは世界人が愛することのできる立場を自由に行くことができるように、どのように模索するかという主義だけが問題となるのです。(五三―二四)

 我々統一教会とは、どのようなところかということを、もう一度全体的に調べてみましょう。統一教会は歴史的な因縁をもっていますが、統一教会の内容を調べれば、今まで宗教世界であるいは文化世界で見つけることのできなかった真理をもっています。歴史時代において、我々だけがもっていると自負できる、歴史と共に自慢できる一つの真理をもっています。

 今まで、歴史は何を探してきたのでしょうか。歴史が今まであえぎながら探してきたものが何かと言えば、真の真理のある所、真理の世界を探してきたのです。真理のある所、真理の世界を探そうとすれば、真理を身代わりし、真理の世界を成すことのできる、真理を基盤としたある思想体系が必要です。我々はそれをもっています。それこそ、絶対的な真理をもっているということなのです。

 この真理が現れたところには、天が一緒にあられ、この真理が行くところには敵はないのです。この真理こそ最後の宣言であり、最後の審判の表現です。(六四―二五四)

 将来、この世界を引き継ぐことのできる、主義、思想は何ですか。自己の国家を犠牲にしても、世界を救おうという主義思想です。そのような思想をもった国、そのような新しい運動を中心とした国家と国民が登場するようになる時、この世の中には新しい希望の世界が顕現するでしょう。そこから、新しい統一の世界、理想世界は顕現するでしょう。国を越えることのできない国家観、歴史観は、神様の理想世界を引き継ぐことができないのです。(五一―四四)

 一つの目的に帰一させることのできる思想は何ですか。それは、自己を主とした世界観ではありません。万国を主とする世界観です。これが、一つの目的に帰結させることのできる思想です。これは世界と分離した立場で自己の宗族を誇る思想ではなく、人間自体のための思想です。人間であれば、誰でもそのような思想によって成された世界を願っているのです。(三六―一七五)

 統一教会の思想は、人類が滅んでも、今までの歴史が変わっても、いずれにせよ人類がもたなければならないものであり、私個人が滅び、私の家庭が滅んでも、この思想は残さなければならないということも妥当であると見るのです。(七九―二二六)

 民主主義世界に向かって越えていく障壁の前で国家主義に陥り、越えていくことができなかったので、気の小さい男の末路になりました。共産主義もそうです。国際共産主義を否定して、今、国家的共産主義に落ちました。これが将来、氏族、宗族的共産主義に落ちるようになるのです。教条主義という言葉がよく出てくるのを見ればそうです。

 世界的な理念の障壁を崩してしまい、世界のために自己の民族を犠牲にして原肥を作ることのできる主義が現れれば、その主義がまさに神主義です。ですから神様は、世界のために一番近い息子、娘を犠牲にさせるのです。そのような理由で、今までキリスト教が血の祭壇を積んできたのです。神様は一番近い人を犠牲にして、世界を愛することができる起源を備えてこられたために、結局は神主義だけが残るのです。(二六―二三六)




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神様の摂理から見た
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三.統一理念としての頭翼思想

1 序言

 皆さんは、複雑な環境と事情に絡み合ったこの世界がどうやって善の世界になるのかということを、心配する必要がないのです。左右が対立している緊迫した世界において、今日、皆さんの右足は右翼を踏み、左足は左翼を踏んでいます。右手は右翼をつかみ、左手は左翼をつかんでいます。これらが互いに戦うようになります。戦うようになる時には、胸を打つのではなく頭を打ちます。このような時に理念もなく、神様もなく戦ってはいけないのです。

 このような世の中を眺める我々は、その戦いの目的を解明しなければなりません。それは、人間が戦いたくて戦うのではありません。誰が回すのかも分からずに、コンパスの脚は回っていきます。コンパスの頭は別の所にあるのです。人間は、線が引かれるところを眺めているだけなのです。

 どのような人でも、滅びたい人は一人もいません。皆さん、明洞通りに行ってみてください。油断のない目つきをして、ただの十ウォンも損害を受けないようにします。みんなが十ウォンでも利益を得ようとします。それは、誰がそのようにさせるのでしょうか。自己が、そのようにするのではありません。私が願っても、願うとおりになりません。意図するとおりにならない理由は、第一原因が自己ではないためです。すべての事柄は、天地の運勢によって、その時代の四方性によって複雑に起こるのです。

 今日、国連総会を中心として非同盟国家の巨頭たちが集まり、会議を騒乱の場にしています。しかし、すべての重大事は、人間だけでやって何とかなるものではありません。人間だけでやるようになれば、結論を下す時もぶつかって結論を出さなければならず、互いに合わせる時もぶつかって合わせるようになるのです。ですから終わりの日には、そのようなことが絶えず起こります。しかし、ここに神様がいらっしゃるならば、我々は安心することができます。反対に、神様がいらっしゃらないならば不安です。もし、すべてのことを調停する神様がいらっしゃるならば、何かの目的を成すために、何かの解決点をつくるために、そこに合うように導いていかなければなりません。そうでなければ、安心しようとしても安心できないのです。神様がいないならば心配になりますが、神様がいらっしゃるならば少し考える余裕があります。

 ここで神様が解決してくださると言うのですが、必ず人を通して解決されます。神様お一人でみ旨を立て、神様お一人で解決するならば、人間を造る必要がないということになります。神様のみ旨は必ず相対的な関係、すなわち、相対的な立場にある人間を通してこの地と連結するようになっており、神様お一人ではできません。神様が直接できるようにはなっていません。法が、そうなのです。ですから神様がいらっしゃる限り、世界的な終末時代では、神様と密接な関係をもった人間を必要とするようになるでしょうが、その人はどのような人でなければなりませんか。至善である神様がいらっしゃって、罪悪のサタンがいますが、これをどうやって解決するかが問題です。(一〇―一九七)

2 頭翼思想が必要な理由

 左翼もだめで、右翼もだめになりました。左翼世界にもカインとアベルが生じ、右翼世界にもカインとアベルが生じました。これを、誰が統合することができるでしょうか。左翼自体ではできず、右翼自体でもできません。右翼は左翼の協助を受け入れる新しい右翼面の前進的な右翼型、また、左翼は新しい左翼面の前進的な左翼型、このようにして一つにできる運動が必要であるという結論が出ます。ですから、この若者たちには、昔の神秘的な面が必要なのです。ですから、この物質主義とか人本主義だけではだめだ、そこに神様がいるならどれほどよいだろう、このようなことを興味をもって考えることのできる時代になっていくのです。

 歴史を総合して見れば、ローマ教皇庁を中心とした神本主義も失敗し、人本主義である民主主義も失敗し、物本主義である共産主義も失敗しました。ですから、神本主義と人本主義と物本主義を全部合わせることのできる超国家的な、超理想主義的な世界があるとすればどのようなものか、このような考えをするようになるのです。そのようなものを総合できる思想的体系が必要であるのと同時に、宗教的体系が融合した一つの道が必要だということです。それが絶対に要求される時代圏になっていっているのです。ですから思想も必要ですが、宗教主義も必要なのです。神様を中心とした、人間以上のものが必要なのです。人間をもってしてはだめなのです。人間同士は戦うのです。世界歴史のすべての政治的趣向がこのような方向になっていくために、ここに統一教会がそれを統合するための方便的な道を模索して、発表するのです。それが頭翼思想です。

 人には、精神と体と物質が必要です。それは、歴史において縦的に、霊的指導圏による神本主義時代、体的時代である人本主義時代、物質的な物本主義時代となって、すべて終わりにきました。では、これを何によって合わせるようにするのかというのです。体が精神を合わせることはできず、物質が体を通して精神を合わせることはできません。ですから、精神がしなければならないのです。心がしなければならないのです。では、心の中のどのような心ですか。最高の心、最高の精神基準が完全でなければなりません。その心はやはり、私の心ではなく、歴史圏を超越して作用できる心的思想体制でなければなりません。人間の歴史を超越した神様の摂理時代と連結して、限界的思想圏ではなく超限界的思想圏、言い換えれば、時限的な思想ではなく超時限的思想、一生を中心とした理想を追求するのではなく永遠を中心とした理想を追求する、このような内容が提示されなければなりません。そうすることによって、我々考える人間において初めて、考えを中心として安着でき、定着できる世界の基準が生じることができるのです。それが、やはり理論的な論理です。

 このように見る時、今一番の問題が何かと言えば、人種をどうやって連合させるかという問題と、体を代表した人本主義と精神を代表した神本主義宗教圏とをどうやって連合させるかという問題です。人種主義と人本主義と宗教圏を連結しなければなりませんが、どうやって連結させるかというのです。世俗的な人本主義、自己一カ国主義、つまりアメリカならばアメリカ第一主義、フランスならばフランス第一主義では越えていくことができません。

 それで、どのような結論が出てくるかと言えば、共産主義も精神を抱合した理想主義を吸収しなければならず、人本主義も国家を超越して世界主義をあるいはそれ以上の主義を追求しなければならず、宗教も自己の教団を中心とした教派を超越した全体の代表宗教として、全人類のための宗教圏として和合しなければならないという結論が出てきます。そのような内容をもたなくては、世界を収拾できないのです。将来、このようなことを収拾できる主義、この最高の精神と連結できる、すなわち言うならば、頭翼が必要であるという言葉が出てくるのです。(一六二―一〇〇)

3 左翼、右翼、頭翼の解説

 最近は先生が話をすれば、頭翼と言って、頭に対する話をたくさんします。頭翼であると言えば、それは神様を中心として、すなわち頭を中心として、神経器官、脊椎神経を通して、四肢五体が全部連結されているのです。組織が連結されています。

 右翼とか左翼とかが、どこから起こったかと言えば、イエス様を中心として、右側の強盗と左側の強盗から起こりました。我々の原理で言えば、カイン・アベルの歴史的分立を中心とした復帰摂理の基盤のもとで、それが始まるようになったのです。それを我々は知っています。右翼によって民主世界を全部抱いたとしても、左手がこれを覆ってくれるとか、相対になって一つにならなければ、これを抱いていくことはできないのです。また、左翼が全部抱いたとしても、右手が抱いてあげなければなりません。このことを知らなければならないのです。(一六二―九七)

 左右がみんな疲労困憊しても、頭が正しく、脊椎神経が正しいときには、正常な力と方向だけ提示しておけば、手足が動き始めるのです。みんなそうです。ですから最近では、先生が新しい頭翼という言葉を使うのです。頭翼、ヘッドウィング(head wing:頭翼)という言葉を使うのです。これは、イエス様を中心にして考えてみれば分かります。左翼、右翼ということは、イエス様の時代から現れたのです。世界的な国家基準で世界的な分立歴史をしようとして、そこから左翼と右翼が生じたのです。これが、世界的に実を結んだのです。必ず、左右に分かれて戦うのです。そこに誰が現れるのでしょうか。主が来られます。(一六三―一六八)

 統一教会は、思想的統一を中心として頭翼運動をするのです。左翼、右翼と言えば何かというと、羽のことです。そうですが、頭翼の頭は何かの羽ですか。それは違います。左と言えば左側、左のほうを意味するように、「頭翼」と言えば頭のほう、頭側、このように考えればよいのです。それは、イエス様の十字架を中心として始まったのです。イエス様が、この地上で新しい世界的な分立歴史をどこからしたのかと言えば、十字架上からです。イエス様を中心として、左右に右側の強盗と左側の強盗、そしてバラバ圏、このように三世界圏に分立したのです。その次にサタン圏、このように四大分立圏になっていったのです。

 終わりの日に至っては、このように左右にきっちりとなって、イエス様のように頭が現れ、バラバがいるのです。バラバは何かと言えば、共産世界でもなく、民主世界でもない、アラブ陣営のような世界です。宗教を中心とした宗教団体でもなく、政治団体でもない、このようなアラブ圏文明があるのです。それが、バラバ文明圏なのです。分かりますか。これは、この二つ(左翼と右翼)が戦えば戦うほど、利となるのです。ですから今、中東問題は収拾することができませんが、これをイエス様が再び現れて収拾しなければならないのです。

 そのような終わりの日になっているために左右に分かれ、バラバ、そして第三世界が生じて、第三世界圏内のこれを統治できる……。第三世界は何かと言えば、足翼です。足が一番汚いと言うでしょう。どんなふうにでも暮らすでしょう。これが黒人世界です。これを収拾できるのは人間ではありません。人間の男性でもなく女性でもありません。では、神様ができるでしょうか。神様をもってしてもできないのです。では、何をもってできるのですか。愛、神様の理想とする愛の実現だけが、それを可能にするのです。左翼、右翼を一つにして、足という文字の足翼、この第三世界を一つにして、神様のみ旨の世界、理想世界として一つにすることができ、東西南北四方を糾合できる、そのような内的力は右側でもなく、左側でもなく、頭の側です。足でもありません。これが何かと言えば、これをすべて調和できる真の愛です。そうではないですか。

 神様がいらっしゃるならば、そのような思想を代表した愛、左翼を代表した愛、右翼を代表して第三世界を代表した愛、歴史世界の超越的な愛の理念をもって現れる、そのような宗教によって全宗教を統合できると同時に、今日の思想を統一することができ、すべての科学世界まで統合できる運動が、愛の理想実現のために起こらなければなりません。そのように決着をつけることができてこそ終末時代に希望があるのであり、そうでなければ、すべての存在世界と人類には絶望と破滅のほかないのです。(一六六―五五)

4 頭翼思想とは、すなわち父母の思想

 今、共産主義や民主主義は左右思想です。左右思想とは何かと言えばカイン・アベルの思想ですが、東洋から現れる新しい思想は、父母の思想なのです。父母を中心として、アジアを中心として、左右が統一されなければならないのです。これを、頭翼思想と言うのです。ですから二つが、「これが間違っている」と言えば、「そうです」と言い、「私の言葉を聞け」と言えば、「はい」と言うのです。そうすれば、みんなできるのです。簡単なのです。「あなた方が主張することよりも、父母様が主張することがもっとよいので従わなければならない」と言う時には、「イエス」と言うのです。

 さあその次には、父母が出てきたために南北格差問題を解決しなければなりません。全部兄弟なのです。四兄弟と同じであると見るのです。白人と有色人種が兄弟ですが、父母がやって来て、これを全部調停するのです。東西の民主世界と共産世界が言葉を聞くようになるならば、南北格差問題は瞬く間に解決することができます。父母様が呼んで話をすれば、「父母様の心のままにしてください」と言うのが宇宙の理知ですから、解決するのです。(一六八―六一)

 皆さんが知っているように、今日の西欧文明は、どのような民族を中心とした文明であるかと言えば、ノアの三番目の息子であるヤペテの民族を中心とした文明です。ノアの息子セム、ハム、ヤペテの中で、三番目の息子ヤペテの文明が西欧文明圏であることを知らなければなりません。なぜ三番目の息子が祝福を受けたのでしょうか。セムが使命を果たせず、ハムが使命を果たせなかったために、祝福を受けたのです。それで西欧文明が世界を支配するのです。これは間違いない事実です。三番目が世界を支配してきました。三番目の息子は、アジアで奪っていって、アフリカ黒人世界で奪っていきました。統一できなかったのです。

 しかし、摂理史的な立場から見る時、韓国には三番目の総合文明圏を形成して、統一を可能にできる使命が残っているのです。兄弟同士では一つになれません。誰が統一できますか。父母が来てこそ統一できます。父母の愛によって兄弟の愛を凌駕できてこそ、統一が可能です。ですから、我が統一教会は、真の父母の愛と真の父母の子女であることを誇るのです。(拍手)兄弟の愛まで……。
 そのようにすることによって、人種問題も解決するのです。黄色人種は一番目の息子であり、黒人種は二番目の息子であり、白人種が三番目の息子ですが、これらが戦うのを、韓国が統一思想を通して統一できるのです。このようになることによって、神様を主とした理想的祖国創建がなるのです。そこから初めて、平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界へと、世界は収拾されていくのです。そうして、地上に天国を形成すると同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体であられる神様を地上に迎えて、統一された一つの天国を形成しなければならないのです。これが統一信徒たちがしなければならない使命であることを、我々ははっきりと知らなければなりません。そのような基盤のもとで初めて、父母と一つになることによって平和の天国生活が始まるのです。(七九―八三)

5 頭翼と神主義と統一主義

 今、主張するのは頭翼(ヘッド・ウィング:head wing)です。左翼、右翼よりも、頭翼であるというのです。では、頭翼とは何ですか。神主義(ゴッディズム:Goodism)です。それを知らなければなりません。神主義の下に頭翼があるのです。頭翼の上に神主義を添付したために、これを霊的世界の編成と地上世界の頭翼を通して完全に連結させるようになるのです。ですから、頭翼という言葉は、物本主義者、人本主義者にとって必要です。これが対峙するところにおいて、頭翼を出しておけば、どうすることもできないのです。

 その次に、神主義とは何ですか。宗教人たちに対して、神主義とはどのようなものか分かりますかと問えば、どうすることもできません。一般に通用するところにおいては、この二つの単語をもつならば完全に……。世俗的な人間においては、頭翼という言葉がずばっと入っていき、宗教人においては、神主義という言葉がずばっと入っていくのです。皆さんは、これを知らなければなりません。

 今から我々が社会に宣布できる、表象的で理想的な一つの単語は、頭翼という言葉であるというのが適切です。頭翼とは、完全な体を構成するための主義です。これは体主義であり、この世の中に住む時、人間に必要な主義です。神主義とは何ですか。精神主義です。これを一つにするのです。統一主義とは何かと問えば、このような二つが一つになって、完全な人を成すことをいうのだと言って、それを区別して話さなければなりません。ですから、統一教会の人たちは、生きて神様の前に行っても歓迎され、また、生きてどこへ行っても、どのような理念に出合っても、世界の最高の位置に行っても、それらをみんなカバーできるのです。

 統合する時は、どうやって統合しますか。今は、頭翼ということが分かりました。神主義が分かったでしょう? (はい)。統一主義が分かりました。では、統合する時はどうやって統合するのかというのです。神様からの真なる精神を通して一つにならなければなりません。それは理論的です。なぜですか。人間が根本から生まれたために、生まれるようになった根本主体から動機となって、過程的人間の肉体まで動かすことのできる基準を連結させてくれば、完全な統合がなります。もしそうでなければ、不完全な統合であるという結論が出ます。(一六二―一〇四)

 頭翼思想は神様の思想を言います。神主義(Godism)が頭翼思想です。共産主義を左側に置き、民主主義を右側に置くという時に、頭に該当するのが頭翼思想です。頭翼思想を中心として左右の思想が回るようにしなければなりません。共産主義がサタン側ですが、今まではサタン側が長子権を中心として民主世界を侵害してきたのです。左翼が右翼を打って、悪が善を打って、共産世界が民主世界を打ったのです。今は二つが互いに反対にならなければなりません。入れ替えなければならないのです。(一九八八・六・一)

6 統一教会の役割と使命

 統一教会とは、いったい何ですか。右翼を抱え、左翼を抱え、これを互いにくっつけてどこに行くのですか。ここで集まって戦う闘争の世界を越えて、天の引導する幸福の世界に、ユートピアの世界に引導するのです。これを抱えて、平面的に行ってはいけません。縦的にもって下げても、これが全部くっついて行かなければなりません。これをこのようにしても、みんな下がって行かなければなりません。それはどういうことでしょうか。思想的に、体制によって没落して失敗したものを、統一教会が全部収拾できる論理体系を備えつつ、これを抱いて横的に動くことができると同時に、宗教を中心として縦的な基準で動くことができる霊的体験の基盤を中心とした、超越的実体を追求することのできる内容をもたなければならないということなのです。統一思想は、人間的な面での人本主義や物本主義、今まで過去のすべての神本主義も体系的に理論化させて、それを統合できる内容をもつと同時に、縦的な面での宗派を超越して連結していくことのできる、超自然的体験的な宗教思想とならなければならないのです。そういう事実を知らなければなりません。

 それはどういう意味かと言えば、すべての物質主義者、共産主義者たちが見る時、「統一教会教員であるあの人は、我々共産党よりも徹底しており、人格的に、良心的に、内外すべての面において徹底している。共産党自体が、あのような人を必要とする」と言うことができ、また、世俗的な人本主義者たちが見る時にも、「ああ、我々の世界にあのような人がいるならよいなあ」と言うことができ、今までの既成教団の人たちが見る時にも、「ああ! 統一教会教員は、我々宗団を越えて素晴らしい人である。あのような人が我々の宗団の人であればよいのに」と言うことができ、神様が見れば、「ああ! この人は、私が絶対必要である」と言うことのできる、この四大面で必要とすることができる資格を備えた人がいるならば問題は解決します。

 そのような人は、共産世界に行っても誇ることができ、世俗的な人本主義世界に行っても誇ることができ、教派主義者からも誇ることができ、天の国へ行っても、この地に生きて逝ったすべての人たちはこのような過程を経た人がいないために、霊界に行っても誇ることができるのです。それは、どういうことですか。頭が完全であり、足が完全であり、両腕が完全であり、内臓が完全な人であるというのです。人類歴史の中で標本的な男性と女性を選抜し、人類歴史学の博物館があるならば、そこに展示することができるタイプの人間が誰かと言えば、それはムーニー(Moonie)の男性と女性のほかにはいないのです。

 ムーニーたちは共産主義も消化することができます。世俗的人本主義も、既成教会も消化でき、神様までも消化することができます。何をもってですか。真の愛! 真の愛をもってです。(一六二―一〇二)

 統一教会は頭翼なので、左翼、右翼をコントロールすることができます。この世の中には頭翼がなく、二つが戦っているのです。(一六一―二四六)

 右側は右翼であり、左側は何ですか。(左翼です)。左翼です。これが互いに戦いをしたでしょう? これが先生を中心として、今一つになるのです。アメリカもそうであり、ソ連も……。頭翼という思想がここから出てきます。頭という文字、頭になろうとすれば、神様を中心として、ここに来て連結しなければならないのです。この二つの世界、心と体が愛を中心として連結すれば、終わるのです。(一六四―二九一)




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四.世界を抱く統一思想

 統一思想とは何ですか。この宇宙の根本問題に対して、唯物史観とか唯心史観とかいう二つの史観に広がったために、この根本的で哲学的な問題を扱って、この問題を解決するための法案を講究して体系化したものが統一思想なのです。すべてのものを統合して、新しい世界観、新しい人生観を提示する目的で、新しく定立して編成したものが統一思想であることを知らなければなりません。(六五―三三七)

 今日、民主と共産、両大陣営の思想を中心として、世界的な思潮が食い違っているのを見ることができます。このような状況で、我々はそのいずれも所望できず、どちらも信頼できない立場にいます。しかし、これを批判して対処できる内容をもって、高次的な所望の起点を占めることのできる位置に立ったものが統一思想です。

 ですから我々は、この思想をもって民主世界を越えなければならず、共産世界を越えなければなりません。民主世界と共産世界を越えるためには、民主世界が行くことができない道があるならば、その道を統一教会だけは行くことができなければならず、共産世界が行くことができない道があるならば、その道も統一教会だけは行くことができなければならないということです。(四九―九一)

 今日、宗教界を新しく覚醒させて、世界的な思想界を新しく覚醒させることのできる、この二大使命を結束させて、一つの目的観を提示したのが統一思想です。統一思想は、漠然とした立場を取るものではありません。神様を中心として、垂直的方向を取って行くのです。その垂直的方向は、どのようなものでしょうか。心情の土台です。(五一―七〇)

 歴史的な核心になり、時代的な核心になり、未来の核心になる思想は何ですか。言い換えれば、歴史を置いて見る時は歴史的な実であり、時代を置いて見る時は時代的な中心であり、未来を置いて見る時は未来的な起源になることのできる、世界主義思想の中心は何でしょうか。それは、真の男性と真の女性です。では、その真の男性と真の女性の生活観は何でしょうか。世界のためにやりがいをもって生きるのです。二人が愛するのは、世界のために愛するのであり、息子、娘を生むのも世界をもっと愛することのできる動機をつくるために生むのです。

 このような思想が、我々が今主張している思想です。このような内容を皆さんが細密に分かっているのかどうか知りませんが、私が知っている立場で見る時、横的なすべての立体的な世界を中心として見ても、縦的な世界歴史全般を中心として見ても、必ず、歴史はその基準で解明されなければならないという結論が自動的に出てくるのです。(二五―一四七)

 今から世界はどこに行くのでしょうか。共産主義も間違い、民主主義も間違いました。今、一つの希望は、神主義のほかにありません。先生は、四十年前から夢のようなことをしながら、四十年が過ぎて、今に来ては世界の頂上の位置に立ちました。今では、統一教会を経て行かなければ、世界的なことをすることができない基盤を築いたのです。

 大韓民国もそうです。指導者たちの教育についてもそうです。本を開き、ノートに筆記しながら、五時間以上座って敬意に満ちた姿でした。どこの誰が見ても、感動を受けるようになっています。頭がどんなに鋳鉄の塊のようになったとしても、溶かして戻っていくようになっているのです。人であるならば、通じるようになっているのです。

 先生が一代で受難を受けて十字架を背負いながら、世の中の誰もできないことをしたのです。世界は名実共に三つの主義、すなわち、共産主義、民主主義、神主義である統一主義が残っていますが、その三つの主義の中で民主主義は右翼です。右翼であるので右側を引き受けなければならず、共産主義は左翼なので左側を引き受けて、一回りだけぐるっと回せば、みんな終わるのです。それが、何の言葉か分かりますか。

 一回りだけ回っていけば、終わるのです。では、神様にそのような力があるのでしょうか。民主主義と共産主義をつかんで、一回り回すことができる力があるのかというのです。レバレンド・ムーンには、力がありませんが、神様にはその力があります。しかし、レバレンド・ムーンがつくっておいた基台がどんなに強いのかと言えば、神様が回って行けば従って回って行くようになっていて、落ちないようになっているのです。(一九八三・四・三)

 神主義とレバレンド・ムーンの思想を妨げることのできるどのような思想、哲学、宗教も、この世にある道理がありません。今日の統一原理は、世界万民の指導理念として短時日に相続して、国を伝道するようになる、そのような次元に上がってきました。(一九八六・八・二〇)

 レバレンド・ムーンは、人種差別問題、文化背景が違う国境問題を、結婚問題を中心として、みんな解決できます。そうではないですか。

 その次に宗教問題もみんな解決します。旧教、新教、イスラム教、何かの宗教、全部が入ってきているのです。また、思想を中心として民主主義思想を完全に主管できます。(一六六―一〇)

 統一教会の理念は、誰ものみ込むことができません。皆さんを教育して何に使おうとするのですか。天地を溶かそうというのです。天地にいるサタンを、根こそぎなくそうということです。皆さん!  ここに立っているこの人が半分狂ったのか、気違いになった人でなければ、問題は大きいです。世界人類が統一教会に反対する日が、早く来なければなりません。反対して統一教会を屈服できなければ終わりです。

 先生の考えでは、統一思想を中心として、統一教会を中心として、世界的経済、世界的マスコミ、世界的な大学を動かすならば、世界を動かすことができると見ます。(一六六―二五七)




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五.統一教会の統一運動とは

 共産世界と自由世界の対決は、一言で言って、理念の対決です。さらに、哲学の対決であり、究極的には主義と思想の対決です。もし神様がいるとすれば、無神論はうそになるのであり、神様がいないとすれば、唯物論が真理となるのです。神様を置いて、いる、いないという、相反する二つの主義が、みんな真理であることはできません。ですから宿命的に、この二つの主義はぶつかるようになっていて、二つのうち一つ、つまり真の真理一つだけが残るのです。

 ですから、神様の実存を信じる我々は、その神様を我々の日常生活で実存として見ることができなければならず、世界が否定できない神様として刻み込まなければなりません。神様がいないという思想は、神様がいるという徹底した実証によってのみ、勝つことができます。このようになれば、共産主義の問題は、その根本から崩れていくのです。このような使命を置いて始まった精神運動が、まさに統一教会の統一運動です。(一九八二・一〇・八)

 統一教会が提唱している統一運動は、今日、人類と世界の前に置かれている深刻な諸問題に対して解決策をもってこようとする運動です。

 第一番に、統一運動は、共産主義問題に対して積極的な解決策をもってくる運動です。共産主義問題解決のためには、自由世界に新しい神霊的大悟覚醒が起こらなければなりません。そして、この心霊的大悟覚醒が基礎となり、人類のすべての実体問題に対する解決法案が出るようになるのです。

 二つ目に、統一運動は、世界のすべての宗教が相互共助できる足場を構築する運動です。世界のすべての宗教は、一人の方である神様を信じる勢力として談合しなければなりません。人間の本心は、我々の創造主、または、人類の父であられる神様を認知できるようになっています。一つの神様を人類の父として侍るところに、一つの世界統一家族が具現できるのです。

 三つ目に、統一運動は、道徳的な世界を具現する運動です。これは今日、若者たちにおいてより重要なことです。今日、絶対的な道徳の基準がないために、不道徳が盛況しているのです。貪欲的であり利己的な生活、他人がどうなろうと、また、他人を利用しても私だけ利益を得ようという風潮が造成され、繁盛しています。もしこの状態が継続するならば、結局、我々の社会は破滅を逃れられないのです。善なる世界の建設のための価値観の絶対道徳基準は、創造主であられる神様を離れてはあり得ません。なぜならば、その方だけが永遠であられ、不変であられるためです。その神様は、観念の神様ではなく、我々の一日一日の生活に臨在されなければなりません。世界の善男善女たちが神様といつも交流して生きるとすれば、そこには不道徳があり得ないのです。

 これは厳然たる真理です。真理の前に偽りは粉砕されるのであり、その偽りがたとえ巨大な経済力、政治力、社会的力によって後押しされたとしても、結局その偽りは真理を克服できないのです。強大な力をもつ共産主義といっても、彼らの主義が真理に立脚していないならば、これは必ず真理の前に粉砕される時が来るのです。(一九八二・一〇・五)




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第六章 南北統一の道

第一節 我々の願い

一.我々の願いは統一
 我々の願いは統一! 統一とはどういうことですか。南北韓、三千里半島を我々の国として抱くことのできるその日を迎えることです。それが我々の願いです。この願いを成し遂げなければなりません。ご飯を食べる時も、寝ても起きても、来ても行っても、たとえ死んでもこの願いのために死ななければならないのです。これは父母の願いであると同時に、この因縁とこの血筋に沿って生まれた息子、娘たちの願いです。したがって、この願いを父母が成し遂げることができなければ、息子、娘たちが成し遂げなければならないのです。(四三―一五三)

 統一教会が行く道は何を行う道ですか。統一です、統一。統一が核心なのです。(九〇―六四)

 我々の願いは何ですか。(統一です)。統一! 統一教会を中心とする統一ではありません。統一教会が祭物になって南北韓を統一させる、その統一のことを言っているのです。(五六―二八三)

 さあ、我々の願いとは何ですか。三十八度線を撤廃することです。大統領の願いも三十八度線を撤廃して、南北韓を統一することです。また、統一教会の願いは何ですか。(天宙統一です)。三十八度線を統一するだけではなく、ソビエトと中国を追い出そうというのです。先生の思考方法がそうなのです。私が金日成を打ち捕まえて北韓の共産党を追い出すために、こんなことをするのではありません。世界共産党を追い出すためなのです。(八五―二五五)

 「我々の願いは統一、夢にも願いは統一、この国の求めるのは統一、統一よ、早く来い」という歌があるでしょう? そう、我々の願いは何ですか。統一教会がなぜ忙しいのか知っていますか。死んでも統一、生きても統一、人に会っても統一、ご飯を食べても統一、すべてを統一しなければならないからなのです。したがって皆さんが統一をしようとするなら、世界第一の人物にならなければなりません。錐に例えるなら、世界一の錐にならなければならないのです。(二〇―二七〇)

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  南北統一

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二.統一の歌を歌おう

 我々の願いは統一でしょう? そうですね? (はい)。ですから我々は、一九六七年から本格的に統一の歌を歌い始めたのです。我々の願いは統一、統一なのです。(五〇―二五〇)

 先生が外国に行っている間に歌う歌を一つ聞かせてあげましょう。その歌は統一の歌です。統一させるのは簡単なことではありません。統一をするには基礎がなければならないのですが、この基礎が簡単にできるものではないのです。
 
一緒に一度歌ってみましょう。

  我々の願いは統一 夢にも願いは統一

  この命捧げて統一 統一よ来い

  この民族を生かす統一 この国が求めるもの統一

  統一よ早く来い 統一よ来い

 皆さんはこれから先、我々の任務を促進させるために、この歌を歌わなければなりません。先生がいない間、各々苦しくてもこの歌を中心として耐えてください。これは民族が願うことなのです。

 その次に、統一教会の全食口が聖地祈祷をしなければなりません。先生が帰ってくるまで雨が降る日は教会で、降らない日には聖地で祈祷してください。統一に関する内容を中心にして祈祷しなさい。南韓と北韓に分離され、民主と共産に分離され、天と地に分離されているので、これを統一させることのできる国の愛国者、これを統一させることのできる世界の偉人、これを統一させることのできる天の忠誠人になると祈祷しなければなりません。このような人を天は要求するので、皆さんは自ら必ずこのような人になると祈祷しなければならないのです。

 忠と孝は困難な位置で成し遂げられるのです。統一とは高い位置で成し遂げられるものではなく、最も低い底の底で成されるのです。死が交差する場所で成し遂げられるのです。神様とイエス様の心情がどこで結合されたのですか。死と交差する十字架の途上で結合されました。ゆえにここから新しい歴史が出発したという事実を知って、皆さんは統一を中心とした祈祷をしなければなりません。

 では、統一を成すためには何をしなければならないでしょうか。まず三千万民族を愛さなければなりません。自分が住んでいる「道」ばかりでなく、国を愛さなければならず、たくさんの「面」と北韓を愛さなければならないのです。そのためには愛の心を中心として統一するという主体意識をもって、聖地祈祷を一生懸命しなければなりません。

 統一教会を中心として宗教を統一し、宗教を中心として大韓民国・南韓を統一し、南韓を中心として北韓を統一し、統一されたこの国と日本が一つになり、日本とアメリカが一つになり、アメリカとドイツが一つにならなければなりません。この四カ国さえ一つになるならば世界は自動的に統一されるのです。(二二―一五二)

 我々は南北統一、北進統一をしなければなりません。韓国民族でできないようならば、アジアの民族を動員してでも成さなければならないのです。我々はこのような考えをもって伝統的な思想を受け継いで、日帝に抵抗して立ち上がった三・一運動の思想をもって、世界的な元凶である共産党に抵抗する決死隊にならなければならないのです。このような気持ちをもって統一の歌を歌わなければなりません。(四五―一四六)




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三.生きている間に統一を成し遂げなければならない
 
 今のこの時はどのような時ですか。摂理的な現時点なのです。神様の願いである国を探さなければならない時が、我々の目前に来ているのです。「この国が我々にかかっているのだ。私の手にかかっているのだ。私の勇猛かつ力あふれるこの誓いの声とともに、あるいは若い胸に躍る鼓動の音、喚声を上げ敵陣に向かって行軍する隊列とともに、この進軍にかかっているのだ」と、このようになれば、その光景を見ていた霊界の数千億の霊人たちも拍手をしながら歓迎するのです。地獄に行っている霊人たちまでも「どうか勝利してください。どうか勝利してください。私は顔を上げて行きますが、たとえ腹ばいになってでもやり抜くでしょう」と、このようなことも起こり得るのです。

 このように天地が動員され得る息の詰まるような刹那が、この一つの国を中心として何年かのうちに決定されますが、「よし、その決戦場に臨み血を吐いて倒れることがあったとしても男らしく、義をもって戦い、正義に基づく天の功臣として自らの命を捧げよう」とするなら、それですべてのことが解決されるのです。そこから新たなる歴史が始まるのです。

 我々はこのような一つの時を標準として歩んできたために、この一つのことを誓うための一つの願いがあるがゆえに、今まで家庭で排斥され、国から排斥され、数多くの教団から排斥されてきたのではないですか。天が望み、歴史が望み、人類が望む最後の決定的なその一日のために、荘厳かつ素晴らしい勝利をせよと、多くの人々を恨み多き運命の道に犠牲を強いながら歩ませたのではなかったでしょうか。それが我々の振るう一太刀によって、私の流す汗と私の行動によって連結できるとは、これこそ前代未聞のことではないでしょうか。それを自分の目で見ることができ、自分の感触で感じることができ、それを活動の舞台として戦うことができるならば、これ以上生きがいのある人生がどこにあるというのでしょうか。そのことを感じなければなりません。(五七―三五二)

 あなた方は屈することなく戦って、三十八度線以北へ駆けつけたいですか、それとも駆けつけたくないですか。あなた方が先生の故郷の地を踏んでみることもできずに死んだなら、霊界に行って讒訴されるのです。先生が暮らした故郷の山川に一度行ってみたいでしょう? そんなにきれいな所ではありません。きれいだから行ってみたいというのではないのです。分かりますか。(はい)。その時になれば先生が歴史について話をするつもりです。「私が昔ここで、このようなこともしたし、あんなこともした」と言えば実感がわくでしょう。この場所で釣りをする時にはどのような魚を釣り、この場所ではどのような遊びをしたのだと話せば、実感がわくのです。実験をしてみればはっきりするでしょう? 一度してみたいですか、それともしてみたくないですか。(してみたいです)。

 私が三十八度線を越えてきた時、「私は今一人で越えるが、再び越えていく時には、共産党が北満州に逃げ出すくらいに大勢の群衆と共に越えていくのだ」と決意しました。その決心をいまだに捨てずにいるのです。分かりますか。(はい)。一度行ってみたいですか。(はい)。そのためには金日成一党をあのシベリアの原へ追い出し、鴨緑江戦線が完全だという通告を受けなければなりません。そうした後で先生が故郷に帰って宴会を開くのです。その時にはカルビを四本の手、影の手まで使ってつかみ食いをするのです。影の手まで入れれば手が四本になるでしょう? 盛大に一度宴会をしなければなりません。金日成の六十歳の祝い以上の宴会をしたいというのが先生の考えです。かといって先生の六十歳の祝いを盛大にやろうというのではありません。六十歳の祝いをしようと言うのではなく、国を建てた解放を祝う宴会をしようというのです。分かりますか。その宴会を開けないまま死ぬことになれば大変なことになるのです。それゆえに我々の願いは何ですか。(統一です)。(五七―三五三)

 霊界で勝利的な栄光の土台を決定し、この地の上に一つの国とともに勝利圏を決定づけ、天の国と地上の国が統一された席で、父が栄光の宣布式をする前に、もし先生がこの地上にいなくなったとしたら、皆さんは哀れな人々になるのです。皆さん自身は「それなら父母の道を行けなくなるのではないか。しかし、真のご父母様に侍る子女という名分をもつ我々は、命が尽きる前に、死ぬ前にこの国を復帰しなければならない」と言わなければならないのです。そうして初めてイエス様の恨みと、四千年ぶりにイエス様を送られた神様の願いが解怨成事されるということを知らなければなりません。(四三―一五四)




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四.統一の願いを果たす日が早く来るようにしてください

 お父様、新たな朝の光がさし込み、きょうという日が明るくなりますように。昨日の苦しさを忘れ涙のにじんだ恨に満ちた復帰の道を歩む開拓者の悲しみを、私はお父様とともによく知っております。この世界を誰が責任をもつのでしょうか。南北が決裂し闘争の基準を経ずには、血肉が切り刻まれる悲しみの壁を越えずして南北が再び春を迎えることができない運命にあるこの韓民族を、お父様、哀れに思し召してくださいますように。

 四十年前に、この国の解放と独立のその日が来た時、既成教会がこの息子と共に一つになっていたなら七年以内に世界を制覇し、この息子が四十代にして韓国は世界を指導することのできる主導国になっていたことでしょう。四千年の歴史を再蕩減しなければならないという状況の中で恨の暴風雨に遭遇し、北寒雪風に苦しんだ歴史的事情を忘れることはできません。その曲折の悲運が事実として心を刺激する土壇場においても天がかわいそうだと感じられるがゆえに身もだえし、お父様はその世界の路程をその胸に抱き導いてくださって、今日の勝利の基盤の上に立たしめてくださったのです。その有り難い天運を前にし、身の置き所も分かりません。

 愛する私のお父様! お父様と呼ぶことのできる深い愛の心情が心にしみ、ふさがっていた天上の恨の雲を突き上げ、お父様をすべてもち上げて解放圏へと移してさしあげることのできるその一日が実現されることを祈る統一教会の群れの願いをお忘れにならないでください。私どもがその日を立てるためには、南北を統一しなければならない運命を担っております。この宿命的な課業のため、私どもはまた歩みに歩まなければなりません。

 このために未知の地において、全世界六大陸を舞台に足早に駆け抜けてきた私の四十余年の生涯の失われた歴史時代にもう一度思いをはせれば、今日解放後と同じ四〇年代の難所がこの民族の前に降りかかっております。どこへ行かなければならないのか、その方向を見つけ出せずにいる大韓民国の現実を直視する時、天のみがこの道を指し、教えてくださることを知っております。

 収拾しなければならないとてつもない環境的な与件を、収拾することのできない立場に立って、きょう胸を痛め、明日を心配する心をもたざるを得ない実状を知っていらっしゃるお父様、私どもはあなたの力を必要とし、あなたの協助を必要とするがゆえに両手を合わせてお父様の前に祝いの拍手を打たずにはいられません。この哀れな群れが集まって、この日に両方の手を挙げるのは南北統一だけではなく、アジアを連結させて西欧社会と一つにさせなければならない天意を前にして身を縮め、心を絞って前進しようとする誓いでございます。この誓いは血のにじんだ誓いであり、これを実践しなければならない運命が立ちはだかっているという事実を前にし、我々は決心をし宣誓をいたします。(一九八七・一二・一三)

 万象が望む願いの国が完成することを、お父様がどれほど心待ちにしていらっしゃるのかと思う時、必ず南北韓が統一された韓国にならなければなりません。このことを思えば、お父様、我々が居眠りをして送るような立場で日々を過ごしてはいけません。精誠を尽くし目を見開いてお父様がお任せになられた使命を受けもつために、あらゆる忠誠を尽くすことのできる我々の生活にしなければなりません。このような生活をするためには戦いが繰り返される路程を経なくてはならないということを各自の心中により深く、より大きく感じることのできるあなたの子女になることをお許しくださいますよう切にお願い申し上げます。(五〇―三四)

 お父様! 南北が分かれたこの事情をご存じのお父様! 互いに誰も信じることのできない環境を目の前にしている全大韓民国の民、以北の民はいかに哀れでしょうか。天を信じ、天の心情をもつ姿を見つめながら困難な環境を克服していくようお許しください。中心がなくならない環境は再創造されるという原理を知っている大韓民国の、そして北韓の同胞たちとなるようお許しください。

 全世界が勝利したこの基盤を受け継ぎ、万民の解放圏がここから芽を吹き、万万世に褒めたたえることのできる新たな歴史的転換期がやってくることを知っております。このすべてのことがお父様の恵みであることを知っております。この日を祝福の恵みとしてお許しくださり、南北韓の怨恨の基盤をお父様が踏まえられて、このすべてのものを主管してくださいますよう切にお願い申し上げます。誰の願いに対しても動ずることのできない天のみ旨、誰の呼びかけに対しても答えることのできない天の事情を知る統一家が、行かなければならない厳粛かつ厳然とした路程を自ら進んで求めゆきながら、驕ることなく、慎み歩むことのできる群れとなりますようお願い申し上げます。(一九八七・一一・八)

 一つの国が南と北に分かれています。民主主義と共産主義との対決の基点となっています。大韓民国が必然的に行かなければならない運命の道、受難の道に入りました。まず打たれる位置に立ち、悲しみと寂しさを抱いて身もだえしながら明日の勝利を目前にしていますので、お父様、この民族に強さと大胆さをお許しください。(三一―一八一)

 三千万民衆を導くことのできるのも、南北五千万の民をあなたのみ前に抱くことのできるようにするのも、あなただけがはっきりとご存じでいらっしゃいます。この国この民族をお父様の掌中につかみ、願われる群れをお立てになるあなたのみ旨の前に、支えられ勝利した天の国を建国することができるその日が早く来るように、お許しくださいますよう切にお願い申し上げます。統一された希望の日が我々の民族の前に早く来るようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。(六三―三一八)

 お父様! 南北がかみ合わずにいるこの韓半島をあなたが愛し、指導され、主管されて、あなたの願いとともに勝利の一日を迎えるこの国、この民族となるようお許しください。お父様! 南北が行き来するようになるすべての内的事情をお認めになる志を成し遂げて、あなたの願われるみ国のために、天が背後から動いたことを我々は存じております。行き来するこの期間に、このすべての責任者たちの心を天が感動、感化させてください。そうしてあなたの願われる所に向かって、いかなることがあっても行かざるを得ないこの道を、神様のみ旨とともに、そのみ旨と向かい合う多くの群れが付き従って行くことができるようお許しください。どうかこの国、この民族をあなたが保護し指導してください。(六一―二八〇)

 天よ! この哀れな韓民族を記憶してください。五千年の歴史を過ごしてきたこの民族、哀れな孤児のような立場で生きてきたこの民族、着る物さえも着れず、飢えた乞食の子供ような立場で辱めを受けてきたこの民族、それでも神様がいらっしゃるということを信じ、寒い時には両親を懐かしむ心を思い出しては、「我々の両親は死んだけれども、神よ我々をお助けくださいませ」と祈祷した歴史的因縁を残してきた韓民族でございます。そのことを知っていらっしゃるがゆえに、あなたはこの民族を探してこられ、この民族を祝福するために数多くの困難な逆境の中においても消えることのない一つの祝福を与えようとしてくださいました。ところが、この民族はあなたを裏切ったのです。

 お父様! 統一教会は解放以後今まで、逆境の真ん中で受難の路程を歩んできました。どこの誰にも語ることのできない悔しさも我慢してきました。歯がきしみ、あるいは筋肉がひきつるような場でも、神様の切ない日々に思いを寄せながら歩んできたのです。あなたが永遠に誇りとすることのできる我々とならなければいけないということを知っていますので、この国この民族を愛してくださって、その胸に抱いてくださいますようお願い申し上げます。

 行き違いになった南北の統一は、誰が名乗り出て解決するのでしょうか。神様がこれに責任をもたざるを得ないということを存じています。我々は不足なので精誠を尽くしてこの悲しい運命を封じ、十字架の死の路程を覚悟することのできる悲惨な群れとならなければならないことを思うたびに、我々は静かにあなたの胸を懐かしみつつ、あなたの勝利の一日を立てる結果を見つめながら、この難局を突破しなくてはなりません。それが現在統一教会の使命であるということを、誰の胸にも確実に信じるようにお許しくださることを切にお祈り申し上げます。(六三―三六四)




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五.お父様のご心配に責任をもつ者となるようにしてください

 お父様! 我々がカイン国家を屈服させ、アベル国家の使命を尽くさなければ天国に行くことができませんので、このような運命の道を行く我々を、お父様、お守りください。

 国のない民ほど哀れなものはありません。父母がいない人以上に哀れな人はいません。しかし、このような因縁を越えてきた統一の群れにおいて、もう孤児の時代は過ぎ去りました。父母をもつ時代を迎えたのです。しかしこの時代もまた過ぎゆき、今や氏族の因縁、民族の因縁、国家の因縁をもって明日の新たな国家を形成するために心を砕き、愛国、愛族することのできる時代になりました。

 民族的な精気が堕落した世界を通り抜けて、あなたの心の中に埋まっていた愛国、愛族の心情をもって現れなければならない時が、私どもの近くにまでやって来ました。しかしお父様のみ意を受け継いで愛国、愛族する息子が、果たして何人くらいいるのか尋ねてみる時、私がお父様のみ前に涙を流し、悔い改めなければならないと感ずるのを、お父様、お許しください。

 今まで多くの血のにじんだ途上において、民族の恨を解くのだと先頭に立って進みきたその歩みに付き従ってきた群れを眺めるとき、お父様のご心配の対象となる者は多くいますが、お父様のご心配に対して責任をもてる者が多くはないということを知るのです。このような息子をご覧になる時、私が行かなければならないこの先の路程に、十字架の道がまだ残っていることを感じるのです。

 私が安住し営為しなければならない十字架の道が残っているゆえに、今後の路程において力強い歩みをもって、民族の代わりに戦いの道を開拓しなければならず、また彼らが行かなければならない運命の道を開拓しなければなりません。

 民族が南と北に分断されていて、民族分裂とともに悲しい心情の縁をもたざるを得ないがゆえに、この恨を解いて南と北を糾合する責任が、み旨を知った我々にあるということをお教えください。三十八度線以北はカインで、三十八度線以南はアベルの立場であるので、南韓の国民がまずあなたに忠孝の道理を供えなければならないのではないでしょうか。

 まず信仰の基台を立てなければならないのが、この国、この民族の使命ですから、この民族を愛するよりもまず天を愛さなければなりません。清算しなければならない世界的な因縁があるがゆえに、大韓民国を愛するより神様を愛する民族にならなければなりません。これがこの国この民族の生死を決定する要因になるということを、誰も知らずにおります。

 そうするために民族を代表した哀れな統一教会が、神様を愛するために先頭に立たなければならないのです。怨讐の命令に無理やりに屈服して付き従う以北の彼らよりも百倍、千倍も自然な環境で、誰がするなと止めても、自ら進んで行わずにはいられないという心構えをもって引き受けた責任を果たし、彼らを上回らなければなりません。そうして彼ら以上に国を愛し、民族を愛する忠臣、烈女の道理を立てずしては、この国が天の側に復帰されないという厳然とした事実を、我々はよくよく知らなければなりません。(三一―一八〇)

 哀れなこの韓国の地を起源として新たな運動が起こっていますが、これはどこの誰かが望んだからといってできるものではないことを知っています。最初から天がここに介在し、天のみ旨を選び出していくためにこのようなことを始めましたので、彼らの上にあなたの祝福を与えてください。

 お父様! 韓国をお父様が愛していらっしゃることを知っています。哀れなこの民族を探し求めてこられたのは、あなたがかわいそうなお方であるからだということを知っています。あなたの行く道を選別して責任を担ってほしいと、他のどのような民族にもない摂理の路程を、受難の道から探してこられたあなたであったがゆえに、哀れな者こそが哀れな者の事情を理解できるということをご存じで、この哀れな民族を探してこられたということを知っております。

 この民族の将来をお父様がお守りください。この国の主は他の誰でもないということを知っております。天が主となってください。この国の行くべき道を指導できる者には誰もなれないということをよく存じております。天のみが責任を担えるようになる時、この国の行く道が開けるということを知っております。人の縁と人の志に従うこの国とならず、天のみ旨に従い、天が願われる国に向かって前進することのできるこの国とならなければならないのです。

 南北が分かれて今に至るまで数十年間という、うんざりとするような歴史過程を、お互いに食い違った体制のもとで争ってきたということを知っています。今や彼らが手を取りお互いに一つになれる道を願うその標準は、この民族が願う標準でもあるということを知っています。歴史が願い続けた標準であることを知っています。我々の先祖が誰一人として成すことのできなかったことを、我々の時代に終結させなければならない使命が、我々にあるということも知っています。これを我々の時代において解決することができないとしたなら、千秋万代、子孫の前に怨恨の条件を残すということも知っています。

 お父様! 哀れなこの民族を覚えてください。この国の行く道をお父様がお守りください。誰もこの国全体の運命を知ることができません。あなただけがこの行くべき道に心を砕いていらっしゃることを知っています。(六一―二四五)

 愛するお父様! 韓国の悲惨な歴史、韓国民族の悲惨な歴史、現在混乱の中にいるこの韓国のあらゆる困難は、世界のあらゆる混乱を代表したものです。ここに南北が引き裂かれ東西が分立された、あらゆる歴史的事実を糾合して連結させ、統一教会の統一的な祭壇を通して祭物的な過程を拠点となし、今から新しい運勢の時代に向かって前進しなければならないということを知りました。ゆえにここで両手を挙げてお父様のみ前に誓いを立てるこの者たちを、国家の代表であると同時に世界万民の代表として、お父様がお受けください。(一六八―六七)




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第二節 北韓の実情

一.挙動の自由がない北韓

 以北に行くと、以北には既に挙動の自由がありません。ある部落から他の部落まで行くにも絶対一人では入ることができません。一つの部落から自分の思いどおりに行ったり来たりできないのです。親でさえも自分の息子の住んでいる部落へ行こうとすれば、必ず党の許可を受けなくてはなりません。

 横的な連絡は絶対禁止です。こうしておいて縦的な命令だけを遂行しろというのです。妻がいてもその実家にもいけず、婿や嫁の両親、その親戚というような遠い親族はもちろん、自分の息子、娘も訪問できないのです。夏には伝染病が流行すると噂を流して注射を打って行くようにというのです。誰が注射を打ちに行くでしょうか。注射を打ちに行けばそれだけで終わりますか。なぜ行くのかとか、やたらに質問をするのです。だから注射を打たずに帰りますと言うようになっていて、注射を打っていこうと言う人はいないのです。何の話か、分かりますか。

 以北では最初から「行く」と言えるような環境与件を許さないのです。全部しつこく尋ね回し、それでも行くと言えば、そこの党責任者に誰彼が行くと連絡して、そこからOKが出なくてはなりません。一度でもどこかに行くのがどれほど難しいでしょうか。もう最初から、そこで生まれたらそこで死ぬようになっているのです。 猪 の子さえ餌を探して思いどおりに動き回ることができるのに、人間がそのような猪や子犬程度の価値もないのでしょうか。子犬ほどの価値もないのかというのです。このように思いどおりに活動ができないので、以南から以北にスパイが行ってもそのまま丸ごと捕まってしまうのです。また、証明書がいります。党の証明書、「民青」の証明など、あれこれ合わせて十余通にもなるのです。近ごろでは十八通にもなるということです。

 ですから動こうとすれば、このようなすべての与件を選び出して、それを踏み越えなければならず、自分が公認を受けるようにしてから越えなければならないのですが、行ったその先でもまた質問をするのです。これこれの用件で来たと言うが、実際そのように行動するのか、しないのかを監視し、枠にはめ込んで見るのです。そこでもし違う行動をしたとなれば許しがありません。そのような社会なのです。何の話か分かりますか。 横的な関係は許されないのです。(一六三―一九六)

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二.小学生を利用した家庭制度破壊

 甚だしくは、北韓では小学校一学年の子供たちも全部スパイなのです。少年たちには学校で賞をくれるようになっています。新しい事実を報告すれば学校で賞をくれるのです。それで自分の両親が話した言葉を報告するようになっています。男の子も女の子も学校に行けば両親がどのような話をしたのか、秘密裏に報告するようになっているというのです。責任者がいて党と連結されるのです。そうしたうえで指令を出すのです。「お前の父親、母親がこのような話をしたのか、行って聞いてみろ」と、このようにするのです。一度でも聞いてみればすぐに反動分子として引っ掛かりやすい答えをするように仕向けるのです。こうして学生の父兄を中心にして選り分けておくのです。

 ここにおいて父兄たちを、自分たちの側なのか、反動分子なのかすべて選り分けておきます。そうして父母が子供を不信するようにしてしまうのです。父母が息子、娘を信ずることができなくなるので、その息子、娘は誰を信ずるのかと言えば、父母よりも学校の先生たちを信じます。それゆえ学校を中心として完全に連結されるのです。

 このように国家を背景にして学校を中心とした体制をつくることによって、金日成を父とする段階から上に上がるようになるのです。小学生たちに「お前たちの父母は信じていないのではないか」、こう言いつつ情報活動をさせるのです。しきりに報告させるようにするのです。このように離間しておくので、そのようになるのです。信じることができないので、誰をより信じるのかといえば、学校の先生をより信じるようになるのです。そうしておいて小学生も組織に入るように活動させるのです。

 それからまた親戚が来れば、どのような話をしたのか全部報告するようになっています。ある親戚が来て帰っていけば、必ず報告するようになっています。報告をするのに、どのような内容の話をしたのか、その内容を文書に記さずに報告したら気合いを入れられるのです。

そうなっているのです。だから父親と母親が話をすれば、小さな子供たちが行ったり来たりしながら全部聞きます。姉が聞き、弟が聞いて「私はこのようなことを聞いたけれど、お前もこのようなことを聞いたかい?」というふうにして、一緒に行って報告をするのです。

 このように組織が編成されています。こうして学生たちが報告したことを中心にして、反動色を帯びた言葉や行動をした人たちは必ず不純分子、異色分子として配給量を削減するのです。ですから間違っていると誰もが知っていながらも、口をつぐんで黙っているのです。口がありながらも話ができません。もし話をしてそれが漏れれば配給量が減るのです。(一六三―一八五)

 先日金万鉄さんの息子たちが話をしたのですが、本当にそのとおりでした。それよりもむごくはあっても、それ以下ということはあり得ません。それ以上なのです。朝出掛ければ夜十二時になってやっと帰ってくるというのです。これは本当のことです。子供たちを絶対に家に置いておきません。家とは何ですか。反動分子の巣窟だというのです。マルクスの共産主義理論を見れば、家庭は偶像だといっています。家庭が、そして父母が搾取の元祖だといっているのです。それで家庭に関する趣味を絶対にもつことができないようにします。学校ですべて抱え込んでこのような教育をしていくのです。お前たちの家は心を落ちつけて暮らす場所ではない、こう言うのです。そうしておいて金日成を父親と言いくるめて教育をしていくのです。

 このような北韓に対処して、我々がこれを解放すると名乗り出たということは簡単なことではありません。(一六三―一八七)




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三.北韓の生活実情と軍事的準備

 今日の時点においてかわいそうなのは北韓の共産治下で暮らしている北韓の同胞たちです。先生が解放以後北韓に入って宣教活動を展開し、そのために反動扱いを受けて、収容所で死ぬよりも苦しい生活をしてみたので分かるのですが、北韓の同胞たちの全般的な生活が、アメリカの監獄よりももっと自由がない、つらい生活であるというのです。アメリカの監獄は北韓の生活に比べれば休養所のような所だと言ってもよいのです。(一九八八・五・一)

 北韓ではご飯をおなかいっぱい食べて暮らすことが願いなのです。そうなっているのです。ご飯をこちらのように食べるのではありません。どうしたら、ご飯を一度でもおなかいっぱい食べてみることができるかというのです。服などは何の問題でもありません。おなかのすいた人に服など何の問題になるでしょうか。靴を履くのが問題ではなく、家が問題ではないというのです。ご飯だけ食べることのできる生活であるなら最大の満足だというのです。

 そのようにしておいて、あらゆるものは全部南韓浸透のための軍事費として使います。そのため多分三十八度線までは道をよく整備してあることでしょう。五〇年代に興南監獄から出てきた時によく見ておきました。我々はこのような面に関心が多いのです。橋をどのように渡しているのかといえば、あらかじめ延長できるようにしてありました。二車線程度の高速道路のように、そんなふうに軍事道路を造っておきます。以北にはセメントが多いので、コンクリートでこのようにぶ厚く造ってありました。関心があって掘って見るとそうなっていました。戦車が通り過ぎても壊れないようにしてあるのです。

 その時、五〇年代に私が北韓から出てきながら感銘を受けました。橋梁のようなものも、全部三十トン級の戦車が移動しても大丈夫なように渡してあったのです。興南から出ている、東海岸では重要な幹線となり得る道路でも、既に軍事道路として準備してあるのです。それを見て、これは南韓侵攻のための計画をしているのだと思いました。政府を樹立した時にソ連の極東政策に従って背後からKGBの 唆 しを受けて、このようにしたと考えられるのです。

 それゆえ興南から出てくる肥料などを、どこへもっていくのかと言えば全部ソ連にもっていくのです。肥料と武器を交換するのです。その武器はソ連では十年、二十年も時代遅れの品物ですが、安いのでそれと交換してくるのです。そうしてそれを三十八度線に配備して、南韓侵攻のための訓練に消耗するのです。ですから、高級な軍備は必要がないので、安い軍事重装備をしてきたのです。ところでどうやって重装備をしてきたのかと言えば、それは肥料です。そのために興南の肥料工場の肥料を全部ソ連に送っているのです。一日に何台分も積み込んでは運搬します。それが全部武器となって入ってきて、三十八度線に配置されるのです。それゆえに彼らは大移動することのできる軍事道路を拡張したのです。それを私はすべて知っていたのです

 五〇年代に既に、興南から平壌まで来るのに、アスファルトがないのでセメント、コンクリートで橋梁を渡して、道路工事を全部済ませたのです。そしていつでも拡張することのできる計画がすべて整っているというのです。(一六三―一八六)

 北韓ではセメントがたくさん生産されるので、もう既に軍事道路を準備してあるというのです。それゆえ平壌から新義州までは言うまでもありません。そして今日まで、休戦後何年たちましたか。 その間に何もたくらまずにいたと思いますか。トンネルを掘っているのです。そのトンネルが今いくつあるのかも分からないではないですか。(一六三―一八九)

 休戦になる前ですが、アメリカと戦う時に、ここからは飛行機で攻撃したのです。一方、以北には飛行機がありませんでした。それで砲弾を一線までどうやって運ぶのですか。白昼トラックに積んで高速道路を走るわけにはいきません。戦闘機のために車が走れないのです。

それで、全部夜の間に運ぶのです。夜間にどうやって運ぶのですか。全部班組織でやるのです。どこからどこまではどこの班で運ぶという組織ができているのです。部落から部落までです。こうして日が暮れさえすれば銃弾、大砲の弾を運ぶのです。配当された数字、ある基準まで運ばなければならないのです。夜になるのを待って一線に向けて運ぶのです。夜が明けるまで砲弾を移動させるのです。何十里かずつ移します。ひたすら運ぶのです。

 ですからどれほど撃っても砲弾が足りなくなるということはありません。総力的な軍事訓練ができているのです。それゆえ後方にいる人も前方にいる人も同じです。すべて兵士と違いがありません。敵を破るには国家の力で破るのだといって、軍隊の力で勝つとは考えないのです。総力戦です。そのような作戦を行っているのです。そうして休戦直前にどれほど砲を撃ちまくったのか、砲弾の炎が夜には、それはもう天下を崩したようでした。アメリカがどんなに砲を打ち込んでも、それに対抗して以北も絶対に負けなかったのです。それをいつ運んでくるのか、生産地からそのまま来るのではないのです。全部このような組織編成を通して運んできます。そのような戦いを行っているというのです。国民全体が兵士なのです。全軍、全国民武装化という言葉がそのために必要なのです。

 このような体制を備えておいて、南韓解放ということを中心に固く一つにまとまっています。ただ一つ彼らにとって問題になるのが何かと言えば、アメリカがここにいるということです。アメリカが進駐しているために今こうしているのであって、さもなければ既に全部解放してしまっているのです。休戦は絶対に長続きしません。三年もたたずに、また仕掛け、また仕掛け、このような行動をいくらでも起こすのです。(一六三―一九一)

 私が南下したのが一九五〇年なので、解放以後、彼らが政府を建てて三年たってから南侵したのです。このことを知らなければなりません。一九四八年に政府を樹立して、一九五〇年度の六月二十五日に、三年にもならない期間で準備を行って南侵したのです。何の話か分かりますか。このように機動性のある部隊を三年の間に養成し上げたということなのです。軍隊を編成して南韓を釜山の近くまで押し込んだのです。このように侵犯することができるように戦略的な訓練をしながらも、配置基盤を中心に訓練をしたのです。(一六三―一九一)

 北韓の軍事準備を見る時、あちらの北韓の正規軍はどのくらいいますか。(八十万です)。それから労働赤衛隊はどのくらいですか。

(二百五十万)。またその次に大学生教徒隊がどのくらいいますか。その次は何かと言えば、中・高等学生を中心とした青年防衛隊、すなわち近衛隊がどのくらいですか。(数百万になります)。数百万であるということを知らなければなりません。それから労働赤衛隊が集団農場で常に訓練をしています。もし万一このような人たちが服を着替えて南韓に南下して来るとすれば、それを笑いごとと思ってはならないのです。笑い話にしてしまうわけにはいきません。このような連中を我々が相手にして、これに対処するための準備を、ただそのまま通り過ぎるお客さんたちを相手にするような方法で行ってできると思うのですか。冗談ではありません。死に物狂いなのです。この人たちの命令に服従しなければ、残らず首が飛ぶのです。自由社会において志願する立場に立ち、銃口を突きつけて強制的に威嚇するこの者たちを、すべて消化してみせると名乗り出たというこの事実、これを容易なことと考えることはできません。

 あの「真弓」、名前が「金賢姫」とかいう彼女を見たでしょう? 七年間準備を行ったのです。そうして韓国に来てから口をつぐんで話をせず、甚だしくは中国語を使い、英語で話したりしている姿を見なさい。日本人であると言い張っているのです。こんなにもあくどいのです。また話をしないように舌をかみ切ってしまうのです。これは事実です。これこそ生死をかけた戦いなのです。(一九八八・一・二一)

 私が以北の監獄に入ったのは、このようなことをすべて学ぶためだったと有り難く思っています。私が学生時代に共産党の理論を勉強した友達と理論闘争もしてみましたが、このままではだめだと考えて、戦い続けてきたのです。共産主義がどのようなものなのか実に詳しく知っているのです。その中でも監獄の組織が共産党の組織の中で最も緻密です。(一六三―一九七)




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四.南韓解放を宣伝してきた北韓
 
 北韓共産党の目的は、他でもない南韓解放です。赤化統一です。これは中国共産党もそのように唆し、ソ連も同様です。南韓解放が成し遂げられればどうなりますか。日本を動かすことができるのです。日本を動かすようになれば、太平洋時代において主役になるとにらんでいるのです。もし金日成の思いどおりになれば、日本共産党とアジアの共産党はソ連に属さず、新たに連合共産党をつくろうと言い出すのです。弱小国家たちの、中国共産党に隷属しないこのような群れが、赤化圏の中に集まって新たなる弱小民族連合体の形態をつくってソ連にブレーキをかけ、アメリカにブレーキをかけようとすることでしょう。このような準備を行っているのです。それゆえ北韓がアメリカに対しても浸透工作をするではありませんか。カナダでもそうなのです。中国共産党と連合戦線を取っているのです。

 このような面において北韓は自体内の基盤強化も行ってきましたが、国際的な宣伝を南韓以上に行うのです。全世界に散らばっている大使館を通じて、自由世界の大部分の国家に対して指導層、長官、局長級まで全部教育しているのです。金日成についての雑誌が彼らの居間にまで漏れなく入っていっているのです。解放以後何年たちますか。三十九年の間このような行動をし続けてきたというのです。

 南韓、これはいったい何ですか。それ自体も与党、野党に分かれて争っています。腰が折れて真っ二つになるかもしれないというのに、けんかなどしている時ではないのです。あちらでは命令一下、あらゆることが可能なのです。(一六三―一八九)

 以前から政府樹立をしながら南韓解放を主張し続けてきました。今まで四十年間主張し続けたのです。一歩も譲りません。先生が以北にいた時も今も、主張している体制の内容が変更されたものが一つもありません。ただそのまま、プログラムどおりに行動していくのです。最初に彼らが理論的に強化した時には全部が反対をしたのです。頭をこんなふうにしたのです。(行動で表現される)しかし次第に締めつけられて、今では頭を横に振るなんてことはあり得ません。今となっては話もできない境地に入ったというのです。(一六三―一八五)

 今我々が北韓に対処して、北韓を解放しようと立ち上がるということは簡単なことではありません。彼らは四十年間軍事訓練を行い、南韓を解放するという精神武装を行ってきたのです。それだけでなく政治工作、このようなこともすべて武装されているのです。いったん南下して来れば、その日から政治活動をすることができるのです。工作隊員としてしっかりと組み込まれているのです。そこには「民青」が入っていて、「赤衛隊」、「郷土防衛軍」などが組織されていて全部協力し協助するようになっています。若者たちと軍隊が連結されているのです。党が動いてあらゆる社会を監視しながら引っ張っていくのです。

 南韓で知られているように、北韓をその程度に考えたならとんでもありません。このような北韓を解放しようと立ち上がった我々の思考方式が、あまりにもばらばらなのです。一方北韓はばらばらではありません。全部一色です。一つしか知らないのです。南韓解放、そのためには千回、万回死んでも惜しくはないというのです。皆死ぬ覚悟をしています。あなた方もそのように考えていますか。考えているだけではだめなのです。(一六三―一八八)

 今やアメリカ国内の共産主義問題は、韓国の問題と直結しています。それゆえソ連が世界での勝敗問題をかけてアメリカを制覇するのは、三十八度線を中心にアメリカの基盤を除去することによって可能になると考えるのです。そのため以北の主張はアメリカ軍全員撤退と平和攻勢を持ち出してきます。ソ連も同じ平和攻勢をしかけながら「……をしよう、しよう」と圧力を加えて来るのです。

 「我々は一つになろう」という平和攻勢を行って、継続して圧迫しアメリカを追い出せばソ連が入ってくるのです。そうなれば南韓は自分の餌食だと考えているのです。(一九八六・一・二一)




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五.共産主義の体制

 共産圏は一つの体制を中心に体制の単一化が成されています。その他の二元体制がありません。そうしてそれに対し頑強な個人の力、氏族、民族、国家の力がすべてを支持し、これを後押ししています。これに対抗することのできるものが、我々には何もないのです。軍隊もなく、国家もなく、何もありません。どのくらい強い体制をつくらなくてはならないのか、考えてみる必要があります。首を全部切って吊してみなければ判決点がありません。(一九八八・一・二)

 今、共産主義体制がいかに変化したといっても、共産主義体制からすべて抜け出すことはできません。自生的な社会主義体制を取っていくとは言っても、彼らはいかなる自由世界も信じはしないのです。だから橋を架ける所がないのです。(一六二―一五五)

 共産世界における体制変更は不可能です。全部滅びなければ後退する道がありません。そのようになっているのです。これが中国共産党の場合、最も難しいのです。そこで私の考えは、今の思想体制下で体系をつくっておくということです。共産党以上の体系を備えた内容さえしっかりと組み入れれば、その体制をそのまま全部つかみ取ることができるというのです。このような良いチャンスがやって来たのです。中国共産党が今後退したとしても、それがすべて崩壊しては大事になるのです。問題が複雑です。建国時代のような混乱の時代に入っているのです。(一六三―二〇八)

 今中国共産党の抱える難題は、体制をどのように変更させるかという問題です。その上部から末端まで連結された体制を変更させなければならないのですが、それが極めて困難です。それゆえ思想的に武装された若者たちや、体制基盤において主導的な役割をしていた人たちの反対によって副作用が多いというのです。そのため新しい思想を導入して、共産主義の組織体制以上の組織体制に接ぎ木するまでは、共産主義体制の変更が難しいのです。(一六三―一九三)

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第三節 南北統一のための国際的基盤の確保

一.序言

 韓民族にとって祖国統一というものは誰彼の別なく、北韓も南韓も必ず成し遂げなければならない宿命的な課題として残っています。

 ところで南北が分断されたというこの事実は、大韓民国の国民にのみ過ちがあって分断されたのではないのです。世界の強大諸国家によって、大韓民国の国民たちの意志とは関係なく引き裂かれたのです。それゆえ南北韓の統一は、大韓民国の国民たちの力だけではできないようになっています。強大諸国家が南北統一に対して協助を行うことができるようにする道を開かなければなりません。

 北韓が南韓を解放して統一を行うとしても、その統一は長続きせず、南韓もやはり国力を動員して北韓を解放し統一するとしても、それは長続きしないと考えるのです。南北統一の問題は強大諸国家が相互に理解する中で、統一することのできる道を開拓することのみが持続的な統一方案となると言えるでしょう。それが摂理史的な観点からも一致すると見るのです。

 韓国の歴史的な観点から見ても、南北韓のどちらによっても武力統一は難しいのです。一歩進んで摂理的な意味から見ても、これら強大国を取り込まなくては統一は不可能だと思っています。このような統一方案について韓国人は誰もはっきりと知らずにいるというのが現実でしょう。ここに立つ先生だけが神のみ旨を頂いて歩んできた過程において、いち早くこの事実を知って準備をし、さらに世界統一のために努力を行ってきました。

 神の願いを受けて統一教会という新たな宗教を押し立てながら出発した目的も、南北統一と世界統一にあったのです。

 統一世界は統一教会の目的であるだけではありません。全人類の希望です。弱小国家はもちろんのこと、強大国家が望んでやまない目的であり、願いでもあるのです。一つの統一世界は全世界の人類の共通の願いですが、問題は何を土台にして統一世界を成し遂げなければならないのかということです。(一九八八・一・一)

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二.南北統一は韓国単独ではできない

 今日我々が暮らしているこの世界で、個人として生きる自分自身の生活というものは世界史的な侵害を受け、世界史的な影響を受けるということなのです。大韓民国だけ取り上げてみても、大韓民国自体だけでは生きることができません。大韓民国は必然的に世界思潮の直接的影響を受ける時代圏内に入っているのです。いかにその影響を受けまいとしても、既に備えられた環境がそうなので、大韓民国だけでは進んでいくことのできない時代であるということを知らなければなりません。大韓民国が進もうとすればアジアが、アジアが進もうとすれば世界が、世界が進もうとすれば世界だけでなく、今日人間は目に見える世界だけを考えていますが、ここには霊界というものが必ず控えているという事実を知らなければなりません。(九九―二九五)

 韓国において我々が共産党に勝つには、単一作戦をもってしては勝つことができないというのです。共産党は国際的な組織をもって体系化された思想を中心とした独裁主義であるために、この思想に勝とうと思えば、単一国家としては絶対に不可能なのです。すべての民族を動員して攻勢をかけることのできる、そのような統一戦線、世界的な戦略を立てるまでは不可能なのです。

 韓国が万一どうかしたはずみで北韓の金日成を打倒して南北を統一したとしても、ソ連を、そして中共をどうやって消化することができるでしょうか。できないのです。近ごろ金日成、金日成と言いますが、金日成がいなくなればどうなるのでしょうか。

 ソ連はどのようにし、そして中共はどうするでしょうか。もっと問題が深刻になるのです。分かりますか。だから韓国はどのみち国際的な基盤、友邦の土台がなくては生きる道がありません。生きる道がないのです。(七八―三二二)

 南北韓を統一させることのできる統一戦線を編成し、アジアで日本と中国を連結し、最後にソ連と中共をどのように押し出しますか。

 今我々が行かなければならない道は以北も以北ですが、中国共産党とソ連を押し出しアジアをどうやって父のみ前に帰一させるかというところにあるのです。さらに一歩進んで世界をいかに父のみ前に帰一させるのかという問題が、今後我々が戦っていかなければならない、実に大きな使命であるということを考えると、今から準備を行わなければなりません。(二七―三五四)

 南北の統一という問題は世界を取り込まなくてはできないのです。どこの誰にもできません。いかに騒いでもできないというのです。我々はこのような理論的な体制を中心として、どうしてこのように行わなければならないのでしょうか。神様の摂理観に立って見ても、統一教会の原理から見てもそうなっているのです。(一六六―二七〇)

 今まで、私が成さなければならない責任はやり尽くしました。霊的に見ても、肉的に見ても、民族の前においても、統一教会の前においても、神様の前においても私の責任は果たしたのです。韓国に対する責任を私が全うしたのです。ただ一つ残っていることがあるとするなら、それは南北統一を成し遂げる起源をつくることができなかったことなのですが、これは韓国の力だけではできません。世界が共通に責任を負わなければならない問題です。これは、今から私が世界的に働くことによって可能になるのです。それ以前にはできないのです。(七九―一三八)

 南北統一をどこで行いますか。私は、大韓民国自体だけで南北統一をするとは夢にも思っていません。世界の友邦を通じなくてはできないのです。(一九七九・一〇・二八)

 我々は三つの民族を収拾しなければなりません。韓国だけではできません。アジアにおいて韓国と日本と中国を連結しなければならず、世界においてはアメリカを中心としてドイツまで連結しなければならないのです。戦いがずれているためにそこまではまだ遠いのに、ここで喜んでいてはだめだということを、皆さんがはっきりと知らなければなりません。(四九―二三四)

 大韓民国がこの先解放され、統一されるためには、大韓民国と北韓自体だけではできないというのです。これは世界の国家を集め、民主世界を糾合して力の基盤を動かさなくては不可能なので、そのような準備をしなければなりません。そのためには日本をどうやって消化し、アメリカをどうやって消化するのかということが問題です。これを消化しなければならないのが、今後の統一教会が背負った使命であるということを知らなければなりません。(八五―三四一)

 南北韓を統一するためには南韓をもってしてはできないので、この世界中を探し歩きました。アメリカを動かし、日本を動かし、中共を動かし、共産主義を防御することのできる体制をつくって、名実共に世の中が公認することのできる現実的な生きた基台をもって現れました。それでもここに拍子を合わせることのできない民族になるなら滅びるのです。(一六二―三〇五)

 金日成自体よりも、国際共産党の背後の計画と連結された金日成の基盤を破壊するためには、ソ連・中共に対処することのできる韓国の基盤がなければなりません。そうでなければ南北統一は不可能です。私はそう見ているのです。それで日本共産党を取り除く運動をしてきたのです。皆さんは知らないでしょうが、私は十三年前から血のにじむような闘争を展開してきたのです。(一九八一・四・二六)

 今まで日本を動かすために努力をし、アメリカの朝野において新しい文明圏を形成することのできる雰囲気を形成するために力を注いできました。韓国は韓国それ自体では今後生き残ることができないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。三千四百万が団結して北韓・共産党の金日成を打倒したとしても、その後に残る中共とソ連をどう消化し克服することができますか。克服できないというのです。

 今日共産主義は神様の代わりに悪魔の宗教形態の背景を中心として登場したために、神様の宗教形態の背景を中心とした統一文化圏・世界国家を形成する基盤のもとに、この問題を克服させずには世界の希望はないのです。(七九―七六)

 国際情勢から見るとき、韓国のあるこの韓半島は地政学的な立場から中共もこれを必要とし、ソ連も必要とし、日本も必要とし、アメリカも必要としています。みなが必要とするのです。互いにのみ込んでしまいたいのです。それからまた神様もこれを必要としています。神様が負けると思いますか。サタンどもはこぶしを使って強制的にやろうとしますが、私は違います。私は食べさせ、着させ、恵んでやって統一しようというのです。(一六六―二五八)

 日本を動かし、アメリカ政府を動かし、中共にブレーキをかけ、ソ連にブレーキをかけて南北統一をするのです。今中共の背後にドイツなどのヨーロッパ組織を通じて工作をしているのです。大韓民国がしようとするでしょうか。大使館がしますか。十余年の間私に反対し、ドイツに入れないよう共産党と手を結んで工作をしたのです。しかし、私を防ぐことはできなかったのです。(一九八七・八・三〇)

 韓国を生かすためには韓国だけではできないのです。韓国は世界を代表した韓国であるがゆえに日本、アメリカがこれに加担しなければならず、中共まで連合させて七千マイルにもなる中共との国境周辺を包囲しているソ連の包囲網を破って終わらなければなりません。現代の科学技術に通じ得るあらゆる基盤を中心として中共を急進的に発展させ、技術水準を標準化させる時代になっているのです。

 私は何から何まですべて公開するつもりです。中共自体が私の言葉を聞くようにさえなれば、間違いなく現代文明圏において三十年の歴史は飛躍、発展することができるのです。中共がこのことを知るようになれば、嫌でも行わずにはいられないのです。摂理的に見るとき、共産圏において北韓がアダムの位置、中共がエバの位置、ソ連が天使長の位置にいますが、ソ連が中共を失えば天使長がエバを失ってしまうのです。中共がエバなのですが、私がそれを動かせば、アジアに着陸基地が生まれることになるのです。(一九八六・一・二一)




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三.主導的な力量の養成だけがこの民族の生きる道

 大韓民国の解放はいかに力を注いでも一人ではできないのです。アメリカを動かさなければなりません。分かりますか。自由世界を動かさなければなりません。金日成を打つには大韓民国の力をもってしてはできないのです。日本とアメリカの力を借りなければなりません。何の話か分かりますか。

 ではそれを誰がするのかというのです。それは大韓民国の現在の大統領ではできないのです。このような面において私が必要なのです。大韓民国の国民たちが私に助けを請うことになるのです。そのような力が私にあるかないか、私は知りませんが、私が天をつかんで今まで人間がすることのできなかったことをしたために、現在の立場から見る時、まさに可能圏内に入ってきていると見るのです。分かりますか。(一九七九・一〇・二六)

 我々韓国が生きることのできる道がどこにありますか。日本とアメリカを消化できる力を備えるところから、生きることのできる道が開かれるのです。そのような土台の上に、韓国を中心とした一つの世界的な体制とアジア圏とを形成しなければならないのです。私と統一教会は今までまさにこのような運動を推進してきたと言うことができます。私はこのような仕事を既に十余年前から推進してきたのです。(一九八〇・一一・一)

 今や韓国問題を韓国の国民自らが解決することのできる次元が過ぎ去りつつあるのです。しかし、韓国の国民が問題を解決することができないからといって、外国の強国の中に、韓国のために責任をもってこの問題を解決してやろうと言う国が、果たして出てくる可能性があるでしょうか。ないのです。なぜですか。世界の主導的な責任を負い、民主世界を代表するアメリカが後退するために、どのような国もその代わりを務めることはできないのです。万一手を出すとしたら、それはこの国をのみ込んでしまおうという目的で、この韓国をすべて取り込んでしまおうという目的でやって来るのです。そのような強大国はあるかもしれませんが、心から韓国のために、韓国を助けるためにやって来る強国はないという結論を下さざるを得ないのです。このような境遇にいるのが、現在の韓国の立場であるということを皆さんはよく知らなければなりません。

 それならこのような立場において、どこから解決点を探さなければならないのですか。南北を統一することのできる自主的な国民をどのようにして形成するのかが問題です。勢力の均衡上において劣勢な韓国民族が、南北に分断されている状況のもとで民族の主体性を鼓舞するためには、いかに団結してこの環境を打開していくのかということが問題です。このような主体的な影響力を確保することのできる道をもたずしては、今後韓国の立場は不幸にならざるを得ないということを皆さんは知らなければなりません。(六三―二七〇)




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四.日本での統一基盤確保

1 エバ国日本の立場
 北韓の金日成が問題ではなく、中共と日本が問題です。日本はエバが堕落した時の立場と同じような危険な境地に立たされています。中国は天使長のような立場の国家です。アジアの古代文化国である中国は天使長の文化をもった国家です。日本は戦後、怨讐国家から同情を受け、急進的に発展して今では世界第二位の富を誇る水準にまできました。内的に見れば、日本はこのような水準で化粧をし準備している新婦の立場にいるのです。(三〇―二四三)

 日本をエバ国家というならば、エバはアダムに属しているのです。嫁に行く場合にはその家門のあらゆる規則、習慣をそのままもって行くことはできません。嫁に行ったなら、その日から夫の家風を自分の家風として受け継がなければなりません。日本の国民性がそうなっているのです。それゆえ、模倣することにおいては日本が世界的なのです。(笑い)このようなことを考える時、あなた方はたとえ日本にいても日本にいると考えてはいけません。

 あれこれと心を砕くのは韓国のためにしなければなりません。エバが実家に来ても思いはいつも自分の夫になければ、その夫に追い出されるのです。追い出された妻になるというのです。このような考えをもって一体となり、目的完成のためにあなた方は貢献しなければなりません。(四〇―一三四)

 アジアにおいて日本が将来、どうしても主体的な立場に立たざるを得ない時が来ます。なぜならば、エバが堕落したために、女性国家である日本は真っ裸になった立場で、この責任を負わずにはいられないのです。終わりの日には我々統一戦線において責任を負わなければなりません。厳しい波風を経験しなければなりません。真っ裸になった立場でやらなければならないほど、事は急だというのです。急いで追いかけていかなければなりません。(二八―二四二)

 アダム、エバ、天使長国家の三国家を中心として世界がぶつかり合う時が来ました。

 それではこれがどこを中心にぶつかるのですか。サタン側の三人はイエス様を中心に衝突したのですが、イエス様は何を中心に来ましたか。サタン側の三人の人たちと戦うために来たのではなく、エバを探し出すために来たのです。このようになったのです。分かりますか。それでエバを中心として三人、サタン側の三人の兄が衝突し、また天の側の三人の兄が一つの女性国家を中心としてぶつかり合うのです。この女性国家が現在の世界情勢において日本に当たるのです。分かりますか。日本です。

 日本に対して北韓も自分の手中に収めようとして、今日本の舞台をねらっているのです。中共も日本の舞台をねらっています。そうでしょう? ソ連も日本の舞台をねらうのです。世界情勢がなぜこのようにならなければならないのですか。我々統一教会の原理から見れば、神様のみ旨を世界と一致させる、世界的な最後の教団が現れる歴史的な終末時代が来なければならないためなのです。エバ国家、日本がエバ国家なのです。しかしエバ国家はどうなるのでしょうか。サタン側の三人が襲いかかるというのです。なぜですか。これがイエス様の相対であるからです。それゆえエバはイエス様とサタン側の三人の前において、今まさに死ぬか生きるかという立場、すなわちどこに嫁入りするかという立場にいるのです。

 そこでイエス様も、南韓のこの統一教会も今現在、婿に入ろうとするのです。そうではないですか。その次にアメリカもこれを後援しようとするのです。アメリカが今まで日本を治めてきた末に、日本を手放すのはなぜかと言えば、もともとの夫の元に行けということなのです。分かりますか。今韓国はどうなるでしょうか。韓国が今までアメリカの管理圏内に、つまりアメリカの保護圏内にいたのですが、これからはアメリカを信じることができず、日本を信じなければならない時が来たというのです。これは「夫と妻が会うことのできる立場に立て」ということなのです。天使長の管理から抜け出して、本然の権威を探し立てる夫の務めを成すことのできる時になったということなのです。(六〇―一八〇)

 日本が戦後、敗戦国家として再起するのが困難であったにもかかわらず、どのようにして二十年の間にこのような発展をしてきたのか考えてみれば、それは韓国動乱のおかげなのです。韓国に連結された結果です。このようにして今世界的な国家になっているのです。もし日本がエバ国家の立場から、韓国の今後の行くべき道に歩調を合わせて援助をしてくれるというなら、南北復帰は自然に成し遂げることができると見るのです。(四〇―一二〇)

 日本が今まで発展したのは、韓国が発展したことを受け継いで祝福を受けたからなのです。いったいどのような祝福を受けたのですか。内的な祝福ではなく、外的な祝福を受けたのです。外的な祝福とは何かといえば、物質的な祝福です。そのために日本が歴史上に例のない経済的発展を二十年の間に成し遂げたのです。おいでになられる第三アダムの新婦国家として、身を調えるためには早く育てなければならないのです。それで日本が富強な国家になったのです。

 統一教会は日本を何とかしなければなりません。このような言葉を韓国人が聞けば、気分は悪くはないでしょうが、日本人が聞けば気分が悪いことでしょう。しかし、仕方がないのです。日本人が何と言ってもどうしようもないのです。皆さん、日本人が履いて歩く下駄があるでしょう? 下駄を履くとき、足の親指と二番目の指の間に緒を挟んで歩くでしょう? これは父親と母親が分かれることを意味するのです。(笑い)そして下駄を脱げば一つになるのです。これを誰が脱がせますか。そのような人は先生しかいないのです。

 日本がなぜエバ国家なのかと言えば、日本人の名前は大体四文字なのですが、女性を呼ぶ時には「〇〇子」と言います。「〇〇女」と言う名前はないのです。なぜ女性の名前に「千字文」で言う「むすこ・子」の字を付けるのですか。女性の望むものは男性ですからね。(笑い)これは笑いごとではありません。それで女性の名前には「〇〇子」、「××子」と言って「むすこ・子」の字をくっつけるのです。おそらく日本の女性の名前には女性全体の三分の二に「子」の字が入っているでしょう。全部それが念願だというのです。また男性たちの名前には「おとこ・郎」の字が入っています。「〇〇郎」、「××郎」、本当に多いのです。これは男性が天使長であるために「新郎よ、早くお越しください」と新郎を待つ心の現れなのです。男性は天使長型ではないですか。事実がそうなっているのです。日本人たちは名前がすべて四文字になっているので、女性であるエバ国家であるというのです。しかしその一方で韓国人たちの名前はほとんど三文字になっています。これは蘇生・長成・完成の三数を意味しているのです。そのため韓国が、どうしても男性国家にならざるを得ないというのです。

 新郎として来られる主は、天から福を携えて来られます。福を携えて来られるのですが、どのような福を携えて来られますか。天運を携えて来られるのです。お金をもって来られるのではありません。お金をもって来てくれるような男性を願う人は滅びます。天運を携えて来る方を願わなければならないのです。お金はもう既に地の上にあるのです。そうでしょう? お金はあるので必要ないのです。食べて生活するためのお金はあるので、優れた男性を望むのです。そうでしょう? 日本はそのような立場なのです。
 それゆえに日本は統一教会を受け入れなければなりません。統一教会は神聖な新郎だというのです。ですから統一教会の独身男性たちには、日本の娘たちがぞっこん惚れ込んでしまうようになっているのです。それで今回先生が三双を祝福してあげたのですが、これは韓国と日本を全部連結しなければならないためにそうしたのです。先生の家庭を中心として四位基台を成さなければならないので、取り替える立場から三双を祝福してあげたのです。

 このようにして日本が韓国を助けなければ滅びるというのです。まあ見ていなさい。日本が韓国をつかんで助けるならば、アメリカがいくら日本を助けてくれなくても大丈夫なのです。そうなればそこからは新たな次元の経済的基盤が、違った角度から展開されていくのです。それでも韓国を助けないと言って足を踏みならすなら、自分自身の足を次第にがちがちに縛りつけることになるのです。(三八―一二〇)

2 韓国に絶対必要な日本

 日本がもし共産主義国家になれば、韓国は瓶の中に入ったねずみのようなものです。それで先生はこのような国家的な危機を克服するために、十年の間人知れず働いてきたのです。これからは韓国が反共運動をするのと同じように、日本も政界全体が反共運動の路線に入ってくることができるように、その責任を遂行する立場にいます。それゆえこれまでは韓国が歩む路線を日本政府が反対しましたが、これからは逆について来る立場に立つことになります。こうしてアダム国家である韓国を中心に、新しい思想的な分野において日本を完全に天の側に復帰させることのできる基盤がつくられるならば、世界は回るのです。(二三―二九二)

 中共とソ連がねらいをつけている日本が左傾化されれば、韓国はどうすることもできないでしょう? 瓶の中に入ったねずみがどこに行きますか。左傾化されるしかないのです。それゆえこれを右傾化させるために先生が日本を助けているのです。日本では政治家たちも共産党のせいで反共色を鮮明に出すことができずにいます。(二三―一三八)

 韓国は金日成の他にもソ連と中共に包囲されています。そこで日本が必要なのです。先生は十年前に宣教師を密航船に乗せて日本に送って基盤づくりをしました。一年七カ月の間にこのような基盤を日本でつくったということは奇跡なのです。(二七―二六六)
 日本は怨讐の国ですが、これからの日本と韓国のために、借金をしてまで日本に宣教師を送りました。しかし国にはそのことを知っている人はいません。それで先生は「十年さえ過ぎて見よ。法治国家の国民として、このことが違法行為であることは知っているが、間違いなくアジアには自由にこのような行為を行うことのできる時がやってくるだろう。その時のために、私が今民族の反逆者扱いを受けようとこの仕事をするのだ。正義に基づいたこのような私の信念と行動を、歴史が保証する日が来るだろう」。このように考えて断然として行いました。その時統一教会の食口たちは飢えたも同然の状態でした。写真を売って何とかその日その日を暮らすありさまでした。それでも今のお金で百五十万ウォン程度の借金をして、密航船に乗せて送ったのです。(二三―一三七)

 韓国は日本をほっておいたら滅びます。韓国は日本をつかんで、生きようが死のうが共同運命圏の中で行動していけるように、政策的に解決していかなければならないのです。(六八―一六一)

 この先韓国が生き残るためには、日本を背負わなければなりません。どの国が日本と手を結ぶかによってアジアの覇権が決定されるのです。それで中共とソ連が日本を前に置いて激突しているのです。彼らは今韓国に対しては何も考えていません。韓国は自分たちが手を出しさえすれば、いつでも処理できると見ているのです。金日成はその中間で行ったり来たりしながら、得をしているのです。(一九八一・四・二六)

 大韓民国はこれから日本を手放してはなりません。そうしなければ生きる道がなくなるというのです。中共にしがみついてはいけません。ソ連にしがみついてもだめです。日本にしがみつかなければならないのです。日本を拠点としてアメリカにしがみつかなければならないのです。この二つにしがみつくことができないとしたら、大韓民国は今後行く道がなくなるのです。私はこのようなことをもう十五年前から計画していました。

 文なにがしが悪口を言われながらこのようなことをしました。悪口を言われながらもアジアを生かし、大韓民国を生かす仕事をしたのです。それなのに国に対する逆賊、教会に対する逆賊なのですか。この日本がもし動かなければ、アメリカ大陸を中心として、アメリカの朝野の上院議員を中心として、アメリカ全域にあるすべての勢力基盤を団結させて、世界的な共産主義を追い出すのです。(八五―二五六)

3 日本の国際勝共連合結成と勝共活動

 私が韓国でまた別の分野の基盤をつくらなければならないと思ったことがあります。前にも話したように韓国を地政学的な立場から見るとき、韓国自体の力だけでは生きる道がないのです。我々韓国が日本を動かすことのできる能力を培養せずには、大韓民国は周辺の強国の間で生き残る道がない運命にあるのです。

 その次にはどうしますか。直ちにアメリカを追い越して、アメリカを指導することのできる力を育てなければなりません。そうしてアメリカを主管してアメリカがどうあがいても韓国を極東から引き離すことができないように、強力な結束の体制をつくっておかなければなりません。そのようにしなければ、韓国が今日の世界の中で生存することのできる道がないと見るのです。

 ところで今日我が国の状況はどうでしょうか。経済的な面だけを見ても日本やアメリカとの交流が途絶えれば、どのようなことが起きるでしょうか。今我が国はこの二つの国で起こることや、彼らの韓国に対する発言にあまりにも神経を逆立てていなければならない立場に置かれています。ところで、いったいいつまでそうしていることができるというのでしょうか。ずっとこのままでいることはできません。

 私は一九六五年度に世界四十カ国を歴訪しながら、共産主義体制に対する再検討を行いました。共産主義がいかに残酷で、またどのくらい勢力を拡張しているかということなどを直接確認してみました。その時、私は時が急を要するという事実を切実に感じました。そこでまず日本で勝共運動を起こさなければならないと考えて、一九六七年の正月、四十七名の国内の勝共要員を日本に送って、勝共連合を結成しようとしたのですが、国内の一部意識の低い人々が妨害をしました。特に所管部署の人たちが統一教会を日本に送り、統一教会が日本の内部で基盤をつくるようになれば、国家を貶めることばかりするであろうとあらゆる反対をしたのです。それで仕方なく別の経路を通じて一九六八年三月になってやっと勝共連合を発足させました。 

 そうして日本で勝共連合を結成しながら、「我々はこれから日本で勝共活動をしなければならない」と言った時、どこの誰も歓迎する者はいませんでした。彼らは「先生は韓国におられて日本の実情をご存じないので、勝共活動をせよと言うのであって、共産党がいかに極悪かつ熾烈な闘争をしているのかを知らないので……」と言いながら日本での勝共活動に対して懐疑心を抱いたのです。

 それで私が歴史的なすべての内容を挙げながら説得をしました。これそれと言う運勢が来るのに、この活動をするつもりはないのかと説得して勝共連合を発足させ、一九六八年四月一日以前には勝共の講義ができるように、彼らを勝共理論で武装させたのです。それから街頭に押し出したのです。共産党が直接活動し宣伝している場所に送って戦うようにさせ、朝総連系列の朝鮮大学にも派遣しました。ある大胆な女性要員には「お前は三年半の間、死ぬ覚悟をして朝鮮大学の前で勝共講義をするのだよ」と言って派遣したりもしたのです。(一九八〇・一一・一)

 私が刑務所に入って出てくるや否や「甲寺」というお寺で考えたのが、「今後日本が問題である。今は廃墟と化したが、今後また問題となる時がやって来る。だから我々が日本を怨讐視してはいけない」と話したのです。歴史を見ると、韓国を六十余回も侵犯した日本人です。そうであっても、韓国人たちは道心をもって彼らを感動させようとしました。「韓国のあらゆる文化と技術を始めから学んで、それから我々に敵対したのではないか。いまだにこのような民族性が残っているために、我々がそれこそ愛をもって手厚くもてなす心をもち、彼らの道心を通して感動させて、滅んだ彼らのために愛の世界を立てよう。刀で復讐することのできる時代でありながらも、そのようなことはせずに彼らを愛したという条件を、彼らを愛したという伝統を立てよう!」と言ったのです。それで日本の大学界と交渉する準備をしておいて、秘密裏に人を日本に派遣したのです。

 大韓民国を法治国家として見るならば、私はその時法的には違反者でした。しかし「この先十年、二十年たてば、韓国がこの団体の力を頼りにする時が来るだろう」と考えたのです。今まさしくそのようになっているのです。「民団」が「パン」と音をたててバラバラになってふらふらしている状態です。「韓青」が全部朝総連に買収されてふらふらしています。こうして見る影もなくみすぼらしくなってしまうので、「ああー、日本の勝共連合がちょっと助けてください」と言ってくるのです。私が一九六五年度に行って、そこの幹部たちを中心として「間違いなくこうしなければならない」と血のにじむような心情で訴えました。こうして「民団」の幹部と大使館の職員を中心に活動を行ったのが一九六五年です。今から七年前のことです。

 こうして八・一五解放記念日に、我々が連れていった講師を前に立たせて、「壇上でテストしてみなさい。もしできないようなら間違いなくやられる」と勧告したのです。何のことはない、七年もたたずに「パン」と音をたてて壊れてしまいそうになると、私が日本に行って巡回している所にやって来て「ああー、助けてください。助けてください」と言うのです。さっと助けてやろうとすると、怨讐が一固まりになって一度に攻め寄せてくるのです。結局は大使館と「民団」が心を一つにして、我々勝共連合のパターンを引き継いで、このような混乱状況を収拾しました。そのためにチェ・ヨンソク講師がチェ博士という名で情報部において毎日のように報告されたのです。このように成果が良いのを見て、世界一周までさせながら大騒ぎしたのでした。

 これから勝共連合が思想的な体系を身につけて、それこそ世界の哲学者たちを中心に、否定されることのない、すなわち公認を受けることのできる世界が遠くない将来にやってくるだろうと見ているのです。そのため現在日本各地で学者たちを動かしているのです。もう少しすれば、大韓民国の学者たちの鼻が全部ペチャンコになるのです。このように語る文先生はそのような安っぽい男ではないというのです。(六五―五八)

 ご存じのように、日本宣教は韓日国交正常化に反対した一九五八年に自由党の治下で計画しました。法治国家の国民として密航が違法なこととは知りながらも、大韓民国の生死のかかった問題であるということを予見していたために、このような方法ででも宣教師を派遣せずにはいられなかったのです。

 一次、二次にわたって宣教師を密航させたのですが、途中で摘発されて送還されました。第三次の時には逮捕されて、日本の大村収容所に収監されたりもしましたが、劇的に脱出して、日本における最初の宣教事業を始めたのです。

 日本宣教をするに当たって重要な問題は、統一教会の信仰と思想がどのようにすれば日本文化の中心部において糾弾を受けずに、主体性をもって教化し、信仰を土着化させることができるのかということでした。またこれだけが大韓民国が生きる道であると考えたのです。日本で取り締まりの対象である密航者の立場でどうやって日本の為政者と接触する道を開き、さらに韓国と日本とアメリカをいかにして連結するのかという問題で苦心しました。

 そうしながら強力な勝共運動を展開したのですが、その例を挙げれば朝鮮大学の前で若くて華奢な女性に、三年八カ月間に及ぶ熾烈な反共活動を展開させたこともありました。勝共活動を強力に展開すればするほど、朝総連と日本共産党からひどい妨害を受け、甚だしくは朝総連によって大使館が爆破の脅迫を受けるなど、あらゆる反対をされたのです。しかし、この方法以外には韓国と日本の生きる道がないということを知っていたので、このようなことをあえて行ったのです。

 当時の国際情勢ではソ連による日本侵略説や、中・ソ国境問題などは想像さえできなかった時でした。しかし、私は国境問題から見て歴史的に怨讐である中共とソ連が万里の長城を挟んで互いに闘争すれば、中共が莫大な人口を動員して人海戦術をもってソ連に対していくらでも対抗することができ、またそうなれば間違いなくソ連がインドを拠点にして、インド洋に進出することを知っていたのです。したがって、日本の久保木修己国際勝共連合会長を立てて、韓国防衛が日本防衛と一致するという主張に対して同調する親韓派を結束し、この先、その背後の力までも左右することのできる影響力を育成したのです。

 また共産主義活動に対して教授と大学校の理事会もため息をつくばかりで、手を出すこともできずにいたのが、(全国大学連合)原理研究会の活動によって「民青運動」を阻止させたのです。これには多くの統一教会の若者が被害を被りながらも闘争し続けてきたのでした。共産主義は相手が弱いと必ず暴力で侵略するという習性があるために、力の対決においても弱そうに見えてはいけないのです。(一九八〇・一一・一七)

4 共産主義の対日本戦略

 ソ連と中共が国境問題でさかんに紛争を起こしていた時のことです。当時のソ連の国際的な戦略から見て、この蘇満国境問題でソ連の軍隊が南進して来ることがほぼ間違いのない状況でした。

 万里の長城を境界として中共とソ連は歴史的な怨讐の間柄でした。彼らはいつかは必然的に衝突するようになっていたのですが、彼らが万一衝突することになれば、少数民族よりも多数民族が有利になるのは間違いのない事実でした。それゆえ中共の十億の大民族が憤慨することになれば、ソ連には支えきる能力がないというのです。中共の連続的なゲリラ戦術によって被害を受け続けることになり、そのような過程で中共が完全な戦闘体制を備えれば、シベリアをたやすく占領することもできるというのです。そのためにソ連は前もって南方戦略として中共に向かって敵対してきたのです。

 このようなソ連の戦略について、私は十五年前から日本の要路にいる人々に対して久保木を通じて話をさせるようにしました。久保木を通じて、私が話すよりももっと強硬に話したのです。その時もソ連が南方戦略に転換することになれば、中ソ国境の「間島」には間違いなくソ連の基地が生まれるようになり、北海道の近海にはソ連の艦隊が増強されるであろうと、久保木会長を通じて日本の要路にいる人々に決定打を打つごとく、強硬にメッセージを伝えさせたのです。しかしこの言葉を聞いて、当時の日本の首相や議員たちはせせら笑ったのです。

 ところが最近、日本の北海道近海にソ連の核ミサイルはもちろん、潜水艦六十隻が停泊しています。ここにある軍備は瞬時に日本を灰の山にすることができるのです。万一日本に対してソ連が、北海道で訓練をしようと思うから一週間ほど借用したいと言って、戦車、飛行機などあらゆる軍装備を移動させたうえで、戦車が一台故障したと言ってだまし、一小隊の兵力だけでも駐屯させるようになれば、実にたやすく日本を侵略することができる道が開かれるというのです。故障した戦車を修理すると言って、行ったり来たりしている間に一個小隊が二個小隊になり、その次には一個大隊が進駐するようになっていくでしょう。このようになればどうなりますか。さらに進んで「この島が訓練場として必要なので使おうと思うから我々にくれるつもりはないか?」と言ってくれば、日本政府としては泣く泣く引き渡すしかないのです。私はその当時に、「間違いなくその時が来るであろう」と話をしました。

 このような日本の状況を考える時、私は至急このようなソ連の南進政策に対処しておかなければならないと考えました。そうするためには日本における共産党をなくしてしまわなければならないので、まず、大学界から共産党を追い払う仕事を展開しなければならないと考えました。そうするるや、我々に対する彼らの態度が変わったのです。(一九八〇・一一・一)

 ソ連はアジアを制覇する終着点として日本を念頭に置いています。これはソ連の世界赤化戦略の基本ですが、中共の世界赤化戦略の基本もこれと同様です。このような世界戦略的な次元から、彼らは東北アジアに対する戦略を立てたのであり、また将来も同じ戦略を継続的に展開していくことでしょう。

 それならば、このようなソ連と中共の間に挟まった北韓の金日成の状況はどうなると思いますか。金日成にとっても至上目標であり、絶対不可欠な夢があります。中共とソ連の操り人形役だけで終わるのではなく、自分も彼らと対等な次元で堂々とアジアの強国としての面貌を誇示しようというのです。ところでこのような夢を実現させる最初の目標は、日本にも共産政権を打ち立てることであると見るのです。これはただ単に私の個人的な見解ですが、事実「朝総連」を中心に活動する彼らの背後を調査してみると、金日成が日本に共産政権を立てようとする意図を裏づける証拠が如実に現れたのです。

 このような戦略上の下心があったために、北韓から莫大な資金が「朝総連」を通して日本共産党の活動費として流れ込んでいるのです。そして中共の威を借りて「朝総連」を通して日本共産党を中心とした工作活動を拡大してきたのです。ソ連と中共から援助を受けながら基盤を整備し、日本共産党を中心に日本で活動を展開しているのです。それだけではなく、「朝総連」を先頭に立てて暴動、破壊工作を指令したということが調査で明らかになりもしましたが、これは真に危険なことであると言わざるを得ません。彼らの活動が破壊的であるために危険だと言うのではありません。もし、日本で共産党が主導権を握るようになれば、今まで「朝総連」が暴力行使の主導的な基盤を固めてきたという事実を押し立てることができるばかりでなく、その背後にいる金日成が日本よりももっと強力な中共とソ連をその背後に負っているために、「朝総連」が堂々と主体勢力として名乗り出ることができるようになるのです。

 もちろん、そのような状況は今では全部過ぎ去りましたが、当時このような北韓の立場を知っていた私はじっとしていることができませんでした。そのためにより一層積極的に勝共活動を展開し、「朝総連」の学生連中と僑胞の学生たちをアメリカまで連れていって勝共理論を研修させつつ、「朝総連」の戦略と敵対してきたのです。それならば、日本で共産党の勢力拡張に腐心してきた金日成の将来の夢は何だと思いますか。共産主義の最高の目的は、資本主義を打倒して世界を赤化させることです。これは単にソ連や中共の目標であるだけでなく、金日成の至上目標でもあるのです。したがって、彼らは最終的にはアメリカまでも打倒しようとするのです。(一九八〇・一一・一)

5 日本での統一基盤確保

 皆さんは知りませんが、日本は現在世界の共産党が共産革命を起こそうとねらいをつけている代表的な国家です。その上、日本の特徴が何かと言えば、日本はキリスト教だけを信じる国ではなく、仏教だとか雑多な文化をもつごちゃ混ぜの文化圏です。そのような混合文化圏から成り立っているために、日本が共産化されるようになれば、一つの国それ自体が批判されることになるのです。世界的に連結できる文化圏的な背景が接続されていないので、そのため共産党は西欧のどの国よりも早く日本を占領することができるのです。

 日本民族は本を読むことにおいては世界でも相当な記録を残すに値する民族です。そして共産主義が相当深くにまで浸透し、今にも日本に脅威を与え得る段階にきているために、これに備えて我々の闘争目標をはっきりとさせ、マスコミを通じて理論的な闘争を大学界から始めたのです。また公開討論を提議したのですが、日本共産党は理論的に我々に勝てないということを既に知っているのです。(六五―三三五)

 今皆さんが知っているように、日本での共産党の表題が何かと言えば、日本国内において国際勝共連合を打倒することができない限り、日本における共産主義革命は不可能だということです。そういう標語を掲げているということを、皆さんが知らなければなりません。理論的に勝てず、活動、機動性においても勝つことができないと自ら告白しているのです。

 その次に思想的な面において、哲学思潮、哲学史観的な立場において混迷し、混沌とした体系を中心に世界人類を支配していましたが、我々は神様を中心として体系化した思想、哲学思想をもって世界に影響を及ぼし始めているのです。我々の教会こそ膨大な資源の宝庫なのです。ところでこのような事実を我々自体が知らずにいるということを私は指摘したいのです。我々がこのことをはっきりと知って、主体的な思想をもって世界の主導権を握ろうと戦いいく群れとなれば、神様は必ず勝利へと発展させてくださるのです。(七九―八一)

 近ごろは日本共産党がアジアにおいて、中共やソ連よりも理論的な面で全般的な基準が高まってきているのです。このような共産党に対して、日本統一教会の若者たちを五百名くらい集めて反共運動しなくてはならないと語った時、皆さんは、先生は気が違ったのではないかと自分なりにありとあらゆる考えをしたことでしょう。「だけどやろう!」と言ったのです。もしも日本で反共活動をしなかったならば、統一教会の今日の威信が立つことはなかったでしょう。(二五―三二八)

 我々は日本で毎週土曜日に政界人を対象としてセミナーを開催しました。毎回、「太平洋を中心とした今後の世界の方向」とか、「軍事的な方向」とかタイトルを変えながら集会をもったのです。

 私は日本において毎回、統一教会員たちと日本人たちに団結を強調し、日本の運命は韓国の運命と一致するという議題を掲げて何回もセミナーを開催しました。このようにして新たなるアジア観と、日本政界の風土を一新させることのできる道を開いておいたのです。(一九八〇・一一・一)

 これから日本は自分の国家だけの営利を図ることよりも、アジアのために働くという政治の方向性をもつならば、敵対視されることもなく、息を吹き返すことでしょう。個人的な立場から見れば、私と日本民族とは怨讐の間柄ですが、私が彼らの生きる道を考えているということを皆さんは信じることができますか。しかし、これには言葉に出して語ることのできない事情がたくさんあります。韓民族にとって日本は怨讐の立場ですが、彼らを前に押し立てて大韓民国を守護する義勇軍を創設することさえできるならば、全世界の自由義勇軍の創設が可能になるのです。

 このような考えがあったので、世界のほとんどすべての国にドイツ人と日本人、そしてアメリカ人を一人ずつ、三人一組にして宣教師として送り出したのです。彼らは世界的な経済大国の国民でもありますが、一方では互いに三十五年にもわたって怨讐視してきた民族でした。言い換えれば、三民族が過去においては互いに怨讐の立場にあったのですが、宣教地に行ってからは彼らは一つにならざるを得ないのです。怨讐であった国の国民同士が一つになるというこの事実一つだけをとって見ても、隣国を一つにすることなどは問題ではないのです。このようにして、今や世界的な宣教の基盤とともに統一的な基盤が整いました。これから先は誰が統一の旗手になるのかという問題だけが残っているのです。(一九八〇・一一・一)

 日本と私とは怨讐の関係です。倭政時代に私は日本の特別高等警察の刑事たちから無惨な拷問を受けたのです。その時私が一言口を滑らせれば、数百名の命が左右され得る立場から実に厳しい戦いをした男です。「日本人」と聞けば、奥歯をかみしめ、腹を切り裂くのに先頭に立とうとした男です。しかし日本が滅んで、彼らが避難するに際しては、このような怨讐である日本人を呼び出してはふろしきを包んで逃げるようにしてやったのです。「怨讐を愛せ」、こういう思いで彼らを収拾したのです。

 この怨讐の国を救い、アジアにおいて韓国が第二の天国に行くことができる背水の陣を用意するために、密航船に乗せて日本に宣教師を送ったのです。それは自由党体制内では違法行為でした。「今は仕方なく違法的立場に立っているが、十年後には韓国の未来を引き継ぐことのできるその日が来る。その時のために今、私は、孤独で孤立した男として違法行動をするが、この違法行為はその時になれば明らかにされる」という考えをもって行ったのです。そのように行ったのが今、韓国から発祥した日本統一教会、日本の国際勝共連合になったということを皆さんは知らなければなりません。

 さあ、団結しましょう。日本の統一教員たちは、韓国人の皆さんよりも韓国を愛しています。大韓民国の解放圏をつくるために恥辱を受けながらも、昼夜を分かたず闘争する群れが異国の地にあるという事実を、皆さんは知らなければなりません。(五〇―一五八)

 日本の共産党、大学界の共産党を追い出したのも、私の力で行ったのです。それがもう十年くらい前のことになります。京都府知事、大阪府知事も、全部「アカ」だったというのです。彼らを追放してしまう仕事をするのです。このことは日本中がみな知っているのです。(一六六―一七)

 日本の京都で我々食口四百三十名が、共産党十五万名と戦ったのです。戦った末に共産党が負けたのです。どのような作戦を行ったのかと言えば、毎日、一日千三百軒の家を訪問したのです。千三百軒の家を突破したというのです。毎日、一日に千三百軒を訪問することが簡単なことでしょうか。三百軒以上突破しなければなりません。千軒を標準として歩き回ったのです。(一六四―二二九)

 今大阪、名古屋、京都のようなところは共産党が勢力を握っている場所です。ここにおいて、我々(全国大学連合)原理研究会の学生たちが命を懸けて決死的な活動をした結果として、日本のあらゆる経済人たちが、この共産党のやからと戦わなくてはならないのだということを自覚するようになりました。それで彼ら自身が原理研究会の背後から後援会を組織している実状なのです。

 今日本の大学街で起こっている共産党の組織活動と原理研究会の活動とは、天地の差があるのです。それこそ、神様の役事とサタンの役事とが起こりつつあるのです。

 それゆえ、我々はここで犠牲を覚悟して彼らに対抗しなければなりません。そうでなければ間違いなく中共系の共産党や、朝総連系の共産党と、原理研究会の学生たちとの間に衝突が起こるようになっています。もしそのような衝突が起こって、我々原理研究会側が一人でも犠牲になるようなことがあれば、我々は日本人が犠牲になったという点を取り上げて、民族感情を刺激し日本の全民族にこのことを訴えるのです。日本人が犠牲になれば、それが中共系の共産党の操作によって日本人が死んだのであっても、中共系の共産党が殺したと叫ばなければならず、また朝総連系を拠点とする共産党のやからが日本人を使って殺させたのだとしても、アジアで最高を自負する日本民族の感情に訴えて、朝鮮共産党によって民族が犠牲にさせられたと大声で叫びながら、前進しなければならないのです。(二二―二二四)

 共産党、社会党が脅威を感じて「統一教会が日本をのみ込んでしまう。ごちゃごちゃしたやつらがしゃしゃり出て日本をのみ込んでしまう。文牧師が日本をのみ込んでしまう」と、反旗を掲げて大騒ぎをしています。そうしながら、統一教会を追い出してしまおうと国家的に騒ぎ回っているのです。(一六三―一二)




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南北統一_6-3-5

神様の摂理から見た
  南北統一

(全面表示) 

五.アメリカでの統一基盤確保

1 アメリカの使命

 アメリカの象徴は鷲です。この鷲というのは人が餌を持っていると飛びかかって、それを地面に落としておいてから奪っていくのです。鷲はそのような性格をもっているのです。このようなことが理解できますか。(はい)。これは、インディアンの土地を略奪したことと同じなのです。ですからアメリカは鷲によく似ているのです。

 見なさい。片方には棕櫚の木があって、もう片方には矢です。このようにアメリカを象徴しているのです。これがアメリカの重要なシンボル・マークなのです。これは何を象徴していますか。正義を象徴しているのです。まず耐えて神様の名において働きなさいということなのです。アメリカ人であるといって全部善いことばかり行うと思いますか。(いいえ)。それなのになぜアメリカが祝福を受けたのでしょうか。神の人が被害を受け、神の家、神の土地に被害を受けるような時には、神の名においてこれと戦い抜くのが神の人の義務です。アメリカが今までこれを標準として建国を行ってきたために、このような意味において神がアメリカを祝福したと考えるのです。

 義に満ちた人は耐えに耐えた後で「わっ!」と言うのです。アメリカが耐えて忍んで共産党に殴られ、追い回され、ベトナム戦でも追われて、このようなありさまですが、将来一度「わっ!」と言わなければなりません。この先「わっ!」と言えるだけの気力がアメリカにありますか。(はい)。そのようにできますか。(はい)。ベトナムで、クメールにあんなにも打ち負かされて、共産党が国連の舞台を席巻し、アメリカの顔に泥を塗りつけても、アメリカは顔を挙げることもできずに隅に追いつめられ、行くべき道を見つけることもできずにいるというのにですか。私には、アメリカがそうする気迫をもっているようには思えないのです。このような人は正義の人ではありません。正義の人はそうではないのです。(七九―三〇六)

 アメリカが考えなければならないことは、アジアから後退することと、ヨーロッパから手を引くことと、どちらがより危険であるかということです。ヨーロッパはより遠いのです。そこにはアメリカと関係のある、いかなる根拠地もありません。しかしアジアはアラスカやソ連に通じ、日本とも通じるのです。ですから韓国を再び接触させて、日帝の迫害三十六年間の恨みを晴らせるように刺激することのできる良い足場になっているのです。このような立場にあるのに、もし韓国から軍隊を撤収して韓国が赤化されることになれば日本が赤化されるでしょうし、日本が赤化されれば五年以内に太平洋圏は赤化されるのです。アラスカが国境なのではありません。それ以上のことが起こるということを知らなければなりません。

 このような立場から見れば、現在アメリカが歩まなければならない道は神様のみ旨を中心として、神様がアジアをどのようにし、また世界をどのようにしようとしているのかを知って、アメリカ国民を教育して団結させなければならないということです。これが文牧師の主張です。(九一―七〇)

 今アメリカは名実共に民主主義世界を指導する国家です。このような国が滅亡するとなれば、これは世界的な問題になるのです。共産主義から防衛できる国はアメリカしかありません。(七二―二五)

 アジアでアメリカが共産党に圧迫されれば、天地も圧迫されるのです。(三三―一二)

 アメリカは天使長国家です。それゆえ韓国が独立を果たすためには、アメリカがこれを協助しなければなりません。たとえ共産世界が反対しても、アメリカは韓国に協助して一つになることのできる道を模索しなければなりません。そうでなければ統一を望むことはできません。一人で独立するようにはなっていないのです。そうだとすれば誰がこれを行わなければなりませんか。これらの国は今、全部バラバラになりつつあります。仲が悪くなりつつあるのです。共産圏に吸収されつつあるのです。だから今が危機だというのです。(五四―二〇一)

 民主世界の主導的な国家であるアメリカ自体がこれから滅びるのでしょうか、それとも栄えるのでしょうか。あらゆる面を見るときアメリカ自体は滅びるであろうというのです。共産党に、サタンにやられるというのです。そうですが、困難になれば困難になるほど神様と対話し、神様を中心に団結するようになるなら堕落することはありません。復帰されるのです。(七一―二四四)

 アメリカにおいて行うことは何ですか。今やアメリカという国を捨て、アメリカの教会を捨ててでも神様のみ旨を中心とした新たな国をつくるために、もう一度戦わなければなりません。このような運動が起これば、このアメリカは世界を支配することのできる国になるだろうというのが文牧師の見方です。

 神様がアメリカを選んで立てたのなら、アメリカがこの大陸を中心とした大国になることを願うでしょうか。この大陸に生きるアメリカ国民をはぐくんで、世界をすべてひっくり返して救う国となることを願うでしょうか。(世界を救う国になることです)。それなら、アメリカ国民が今そのような思想をもっているでしょうか。(もっていません)。今アメリカ政府、国務省がそのような政策を遂行していますか。(いいえ)。「他の国がみな滅んだとしても我々は汎米主義である。アメリカさえ残れればいい。アジアも関係なく、中東もヨーロッパも関係ない」。今こうやっているのです。このような立場で、アメリカ自体に宗教が残っているといっても、アメリカ国民が神様のためにもっと尽くすならば別ですが、そこからだんだん遠ざかりつつあるというのです。(八一―五一)

2 アメリカを救い続けてきた統一教会

 私がアメリカに行ったのは、結局何のためかと言えば、我々統一教会の発展のために行ったのではありません。統一教会の責任者として統一教会を発展させ、統一教会を誇る、そのような目的のために行ったのではなく、ただこの世界が今後進まなければならない歴史的な方向を、どのようにするのかという非常に大きな使命を背負って行ったのです。

 それゆえこのような内容を誰にも話すことができませんでした。誰にも語ることなく、今まで私だけがそれを抱え込んで黙々と歩んできたのです。ところが神様は人間たちが想像することのできないように環境を動かし、今日では世界的な問題として目の前に迫り来るようになったことを思えば、やはり神様は人間には理解できない方法で歴史を起こすのだということを、今更ながら感じるのです。

 ヤンキー・スタジアム大会の時、私が語ったことは何かと言えば、「私はアメリカが病に冒されたために医者として来た、また火事が起きたので消防士としてやって来たのだ」ということです。このような話をいったい誰がすることができるでしょうか。アメリカの大統領がこのようなことを言うことができますか。アメリカの何とかいう青年がこのように話すことができますか。ビリー・グラハム牧師が話せますか。ノーマン・ヴィンセント・ピールが話せるかというのです。これは歴史的な事件なのです。

 ワシントン大会では「退廃的なアメリカの青年たちを救うために、明日の希望である若者として彼らを導くために来た」と堂々と宣布したのです。アメリカの有名な教授たちがこのようなことを言いますか。(九一―六四)

 私がアメリカに対して、いつ滅びるか分からないと警告をしたのです。世界中で先進国と自負するアメリカ人たちの前に白昼に現れて、正当に壇上から攻撃したのです。「アメリカは滅びる。滅びないように私が声をからしているのだ。共産党に近い制度は全部根こそぎ引き抜いてしまう!」と言ったのです。(六二―一二九)

 アメリカをみな民主主義の原型だと見ているのですが、共産党はここから宗教さえ解体してしまえば、全体が完全に自分の手中に入ってくるだろうと考え、既にそれを着実に進行させているのです。このような事実を知っている私は、アメリカを中心としてこの仕事を行わずにはいられないのです。(九二―一三一)

 今アメリカ国民に私が教えることとは何かと言えば、「超民族的な思想に立ちなさい。このアメリカが滅亡するかもしれない今この時に、再び祝福を受けることのできる方法は、アメリカのために行動するアメリカになるのではなく、今からでも遅くないから世界のために働くことのできるアメリカとして変わりなさい」と言うことです。今年私が戦いを起こすのも、この交替用のスイッチを押すためなのです。(八五―六二)

 皆さんは知らないことですが、私がアメリカの地に来る時、神様と約束したことがあるのです。第三次七年路程(一九七七年)までに、アメリカの生きる道をつくっておかなければならない責任を負って、「私が生きている限りやり抜きます」、このように誓ってきた男なのです。三年という短い期間にアメリカにおいて誰もが成し得ないことを私が成してきたのです。これは私が行ったのではなく、神様が協助したということを皆さんが知らなければなりません。

 それゆえ、このような不可能なことが可能になるさまを、我々が目の前で凝視するというこの事実は奇跡です。二十世紀の奇跡なのです。第二次世界大戦における勝利よりも、またどのような戦争における歴史的な勝利よりも、ずっと驚くべき勝利の実績を我々が所有しているという事実を皆さんが知らなければなりません。(八七―九四)

 先生がアメリカに行って、死にゆくアメリカを生き返らせるためにショック療法を使いました。「アメリカは今火事になって死にかかっているので、私が消防隊員として火を消すために来た」と言いました。「アメリカは病気にかかって死にかかっているために、医師としてその病気を治しに来た」と言ったのです。この言葉がアメリカ人の自負心を傷つける結果となり、これが原因となって非難を受けて、前もって計画的に仕掛けてあった罠に掛かったのです。

 先生はアメリカとアメリカ人たちが先生の言葉を聞いて、どのように対処してくるのか想像はついていましたが、アメリカに対してショック療法を使わずには救い出すことができなかったために、監獄に入ることを覚悟してあえてそのような話をしたのです。正しいことを言ったという咎で結局監獄に入っていったのです。(一九八八・一・一)

 先生がアメリカに対してどのように善導したのでしょうか。上は大統領を善導し、下は若い青年たちを善導しました。これが先生の見方なのです。大統領が神様のために働いて、若い青年たちが神様のために働くという考えを共にするようになれば、アメリカを救うことになるのです。(七九―一八六)

 アメリカを訪ねてくる政治的顧客たちは全部アメリカの世話になろうとしますが、私は世話をするためにアメリカに来たのです。それなのに冷遇するのです。彼らは私に対して大統領のように待遇したでしょうか、大臣のように待遇したでしょうか、乞食程度の扱いをするのです。アメリカ人の乞食一人程度にも扱わないのです。

 ただムーニーと言ってはつばを吐き、あざ笑ったのです。乞食でもこのようには待遇しないのです。

 それゆえいったん屈服するようになれば、一〇〇パーセント屈服するようになるのです。そう思いますか。そうですか、そうではありませんか。(そうです)。その日のために我々は歩むのです。(九二―一〇三)

 共産世界でも、自由世界でも、今までアメリカのために尽くすのは、たった一人です。文牧師一人がやって来て、「アメリカを生かそう」と言っているのです。アメリカを愛したというのです。これは誰のためですか。アメリカのために、世界のためにそうしているにもかかわらず、白人たちは「おっ、文牧師がアメリカを食いものにしようとしている、のみ込んでしまおうとしている」と大騒ぎをするのです。(一九七九・五・一)

 先生は「アメリカよ、滅びず十年だけ耐えなさい。私がアメリカにいればお前は私の手を通して救いを受けるであろう」このように考えているのです。そのような時が来るのです。万一この事実を知っている者がその使命を果たせないような事態が起これば、彼は責任追及を受けるのです。それゆえ神様のみ前で「私、文牧師が責任を担いましたから、神よ、このことを実行しなければなりません。お助けください!」と言うなら、神様が助けざるを得ないのです。ですからこの文牧師がこのような問題を引き起こすことができるのです。(八七―一九五)

 民主世界の中心国家であるこのアメリカを救うことによって、民主世界全体を救うことができるために、アメリカをぜひ救わなければなりません。アメリカが文牧師に反対し、アメリカの教会が反対しても、我々はアメリカに救いを与え、アメリカの教会に救いを与え、共産党にまでも救いを与えましょう! 「神よ、彼らをお捨てにならないでください」と言ったイエス様と同じです。我々が十字架を背負ってでも、イエス様と同じ伝統的思想を受け継いだ、そのような仕事をしようとするのが統一教会であるということを知らなければなりません。(八七―一三六)

3 アメリカでの統一基盤確保

 アメリカに行った目的は何でしょうか。私は資本主義打倒を叫ぶ共産主義の最終目標を知っているので、今後の大韓民国とアジア、宗教人と自由世界が生き残るためには、共産主義の実体を知らないアメリカを覚醒させなければならない責任があったのです。アメリカに行くや否や、どのようにして一度でアメリカ国民の関心を呼び起こして、その支持を取り付けるのかということが、背後から私を協助していらっしゃる神様が願われたことだったのです。

 私は宗教指導者として暴力を行使することはできませんが、歴史上にない善意の問題を引き起こして、アメリカの国民が好もうと好まざるとにかかわらず、その是非をはっきりとさせる仕事を短期間内に成さなければならなかったのです。このために、第二次世界大戦における怨讐であった日本人とドイツ人を前面に押し立ててアメリカを生かすために投入したならば、人類文化史において偉大な教訓となるのだという信念をもって活動をさせたのです。左翼的プラズマティズムの影響のために、自分の生活に得にならないことをしようなどと考えもしないアメリカの青年たちを教育するために、まず日本とドイツの青年を前面に立てて、彼らの犠牲的な実際の活動に感動を覚えさせるようにさせたのです。その次に、アメリカの青年を覚醒させる教育を実施したのです。神のみ旨を知って、統一教会を知った献身的な若者たちをして、アメリカの青年が刺激を受けて結束するようになるのに三年という歳月がかかりました。(一九八〇・一一・一七)

 共産主義運動が今アメリカの各大学街に浸透しつつあり、ここに金日成もアメリカでの運動を強化・展開させています。言わば、アメリカを打倒しようというのが金日成の夢なのです。

 アメリカ国内における各国の僑胞社会で、韓国民族ほど一生懸命働き、知能の高い民族はいません。そのため彼らは政界、学界などにおいて、多くの影響を与えつつあります。科学の先端を行く宇宙開発の分野でも、十数名の韓国人が参加しているのです。そればかりでなく、多方面にわたって影響力のある政治的、経済的基盤を備えた韓国人が大勢います。アメリカにおいてこのような僑胞社会を完全に糾合することさえできるなら、我々は強大な民族になることができ、これによって我が国は主体的な国家となるのです。アメリカ社会において僑胞社会がこのような底力をもっていることに気づいた金日成は、アメリカ国内でソ連や中共よりも先駆けたいという野望をもって、僑胞社会を糾合するなど、あらゆる工作と宣伝活動を活発に展開し始めたのです。

 このような金日成の工作活動をそのまま座視することができず、私はアメリカにおける勝共運動を大々的に展開してきたのです。

 それならこのような共産党の工作活動に対抗するためには、どのようにしなければならないのでしょうか。私はFBIやCIAはもちろんのこと、安全保障理事会を動かすことのできる多くの右翼関係の団体からも、協助を得ることのできる基盤を整備しなければならないと考えました。そこでこれらの団体と交流し、協助を受けることのできる土台を構築しながら、僑胞世界にまで至る多くの支持基盤を整えることができたのです。特に僑胞世界における我々の基盤を整備するためには、これまでに僑胞の中の誰かが成し遂げた経済的な基盤や、実績を上回る確実な基盤を我々自身がつくり上げて、僑胞たちが仕方なく信じてついて来ざるを得ないようにしなければならないと考えたのです。そうして経済的、社会的、文化的な面において活動を展開し、今や彼らが何かをしようとするときには、ぜひ文牧師と手を結ばなければならないと考えることができるような状態にまで基盤を整備しておいたのです。(一九八〇・一一・一)

 共産党に対処するためのより具体的な方案として、我々は義勇軍を編成しなければなりません。しかし義勇軍の編成は簡単なことではありません。莫大な資金が必要になるのです。それでも私はそのことを推進してきました。アメリカではその基礎作業が既に終わりました。多くの神学者、科学者、教授などがこの仕事に同調し、これに参加しつつあります。既に五十州を中心に活動要員を配置して、去る十月四日、その幹部たちに会って指示したのです。(一九八〇・一一・一)

 ソ連は一九一七年に革命を起こし、五年後の一九二二年に中共にスパイを投入して未来のアジア制覇を夢見、アメリカにも間違いなくスパイを投入したと思われるのです。いつから投入したのかと言えば、ソ連革命後十年以内に、アメリカにスパイを派遣したと見なければなりません。今日、アメリカ国務省以下の諸官公庁にも、たとえ彼らの浸透組織が表面化することはなくても、背後から操縦を行いながら世界赤化の野望に燃えているということが推測できるのです。

 その背後の組織を探し出すために、マフィア、暴力団、労働組合、警察、CIAなどの関係筋に対して調査をしたところ、間違いなく共産主義の支持勢力が実在することを知りました。私が反共戦線の先頭に立つことによって、世界共産主義の総攻勢の矢面に立つようになるだろうということも知っています。その上、日本から共産主義勢力を粉砕した当の張本人であるために、十年でもそのままにしておくなら日本で被った共産党の運命のごとく、アメリカにおいても文牧師にしてやられると見るのが世界共産主義者たちの評価です。

 共産党の最初の攻勢は間違いなく、言論機関を通して仕掛けてくるであろうと見ていたのですが、その予想どおりにニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト紙など、諸言論機関が「統一教会反対父母の会」を前に立てて全面攻勢をかけてきたのです。アメリカには共産主義の背後操縦によって活動する、統一教会の青年を拉致しておいてディプログラミング(信仰を強制的に捨てさせること)を行う「反対父母の会」がある反面、統一教会を支持する「父母の会」があります。

 アメリカの言論は「反対父母の会」が三百五十名集まれば、三千五百名と報道し、三十五名集まれば三百五十名と報道しながら、七百名にも達する「支持する父母の会」が集まっても、たった七十名と報道するのです。そのような偏向性から見て、共産党が言論界にも深く浸透してそれを左右しているということを知ることができるのです。すべての言論界が文牧師に対して総反撃を加えてきたのが一九七六年のワシントン大会の時でしたが、ここにカトリック、プロテスタント、ユダヤ教、アメリカ政府、共産主義、このようなあらゆるものが加勢して反対したのです。それに便乗した形でこの総体的な結実として現れたのが、フレーザーによる韓国と統一教会に対する「コリア・ゲート」事件だったのです。

 アメリカ国会の委員長であれば、世界の弱小国の首相がぶるぶると震える強大な権力をもつ立場です。誰も手をつけることのできなかったこの強敵に対して、私が朴普煕を立てて「もし死ぬことになっても言うべきことは全部言ってから死のう」という覚悟をもって、アメリカ議会史上例のないフレーザーに対する反駁を敢行し、ついに生きていらっしゃる神様の助けによってフレーザーを打ちくじいたのです。

 カーターもフレーザーと同じ左翼主義路線に連結されており、カーターの政治顧問であるコーヘン博士は「北韓連絡兵」の代表者として、間違いなく共産主義の旗振り役であると見当をつけることができるのです。カーターが再選される限り、自由世界は時がたてばたつほど没落していくという運命に瀕しているために、反共戦線の最先端に立った私が戦わざるを得ないと考えて、カーターと互いに耳をつかみ合って戦うようなことをしたのです。

 現職の大統領が所持している金銭、言論機関、捜査機関など、膨大な組織に対して挑戦するということ自体が愚かであると言えば、愚かだと感じざるを得ません。しかし、間違いなく神様が共にあられることを知っていたので、統一教会全体の運命をかけて冒険を行ったのでした。

 今年の正月一日統一教会の世界指導者を集めて、「アメリカ大統領選挙と韓国の危機を主題に百日間祈祷せよ」と命令したのです。カーターは文牧師一人さえ監獄に入れておけば、自分が勝利すると考えて、二年八カ月の間、我々の事務室に四人もの人を派遣して調査を継続し、二十五カ国の統一教会をしらみつぶしに調査して、少しでも落ち度が見つかれば、それをたたきつぶす準備をしていたのでした。したがって今回の選挙でレーガンが敗北していたなら、統一教会が実に悲惨なありさまとなる運命だったのです。

 これに備えて朴普煕および二百八十名の我々の側の弁護師団を動員して、カーター行政府が統一教会にもたらした損害をすべて計算し、カーターが再選されれば即時に彼らを告訴するように、法廷闘争までも準備しておいたのです。しかし天が助けてくださったおかげで、我々が支持したレーガンが予想以上の勝利を収めることとなったのです。

 その一方で、神様がどれほど世界情勢に関して緊迫感を覚えられて、このような奇跡的な勝利をもたらすようにされたのか考えてみました。またこのたびの選挙において、我々のPRチームを動員して、勝共理念を支持する上院議員を当選させるための活動も行い、一〇〇パーセント当選させたのです。それでアメリカ議会内における自由主義派が封じ込められ、新保守主義にのっとって国会が運営されることとなり、このことによって今後の韓国と、アジアと、世界の行方に実に重要な契機が造成されたのです。(一九八〇・一一・一七)

 アメリカで最初に行ったことは、学界を連結させるための求心点として神学大学院を建てることです。

 思想界を指導するに当たっては、神学と哲学がまず一次的に問題になるので、一九七五年以来五年の間にヨーロッパの神学者まで含めて三百八十名の神学者を連結し、その中から毎週十名ないし二十名ずつ招請して、我々の神学大学院とセミナーを継続的に開催してきました。最初は統一教会を打診してみるつもりでやって来た有名な学者たちが、あらゆる実力を動員して我々の神学生たちと熱を帯びた討論を交わしたのですが、ついに我々の神学生の理論について行くことができずに終わりました。

 我々の神学生たちは、あらかじめ討論相手となる教授のあらゆる著書を読んでおいて、分科会に分かれたのちに三回だけ会議にもち込めば、討論を通してその教授に対し完全に勝利を収めるようになります。

 現在、神学者たちは非合理的なキリスト教の理論のせいで、悲惨な状態に陥っています。これからは有名大学の学者を動かすことができるので、神学大学長に対していくらでも影響力を及ぼすことができる段階に来ました。今年はハワイ、メキシコ、アフリカ大会を通じて有名な神学者を糾合し、十月四日にはアメリカにおいて百八十名の学者と三十五の大学を網羅し、理事陣十八名で組織体を構成して、今やアメリカの思想界を動かすことのできる整地作業が完了しました。

 アメリカで二番目に行ったことは法曹界の糾合運動でした。アメリカにおいて文牧師の名が最も高まっていく時に、あらゆる有名な弁護士を我々の側にしておきました。弁護士は国家観や、信条といったものよりも自分の収入によって左右されるので、相当な報酬を与えつつ仕事を行いました。このような活動をしている中に、彼らも統一教会でなければならないと感じる段階に入ってきたのです。そこで「国際法曹人協会」をつくって、いつの日か裁判問題が起これば、ソ連までこの協会を動員して情け容赦なく事の是非を白日のもとに晒すのです。アメリカにおいても、権力層の核心メンバーを動かすためにはこのような組織を必要とするために、来年から組織編成を行うのです。

 三番目は言論界の組織ですが、既に三次にわたる原理修練を終えて、現在F・P・I(Free Press International)という通信社をつくって言論組織の整地作業を進行中です

 四番目は世界の多くの国家の前職首相たちを糾合して、国際協会の組織を構想し、朴普煕を送って南米のペルー、アルゼンチン、チリ、ウルグアイ、ブラジルなど七カ国の大統領に会いました。ニューズ・ワールドとスペイン系の新聞ノティシアス・デル・ムンドの社長に彼らと接見するようにさせて特集を出し、おいおいアフリカとアジアの前首相を糾合するように計画しています。

 このために全世界の有名な別荘二十五カ所を購入する計画で、その別荘を我々の側の若者が管理して、前首相と閣僚たちが思う存分これを使用することができるようにする計画です。

 大韓民国の人々には夢にも見ることのできないこのようなことを、整理された基盤もなしに行うと言えば、気違いの中でも最もひどい気違いであると言うことでしょう。

 このようなことを行うためには、カーター大統領と戦って彼を打ち負かしたという経歴も必要なのです。(一九八〇・一一・一七)

 私が誰のために、何のために、首相経験者たちを集めようとしているのか分かりますか。統一教会のためではありません。まさしく世界の平和と人類の救いのためです。究極的にはこの首相協会を通してソ連を制覇するための礎をつくるためなのです。世界共産党をすべて根絶やしにしなければ、人類の平和はほんの少しも保障されないのです。それで共産主義の最高峰であるソ連を消化し、世界共産党を消化することが、私の生涯の最終目的なのです。そのために世界の前職首相たちの集まりをつくっているところです。夢のような話だと考えても結構ですし、私を妄想家と考えてもかまいません。しかしながら、これは明らかに間違いのない現実なのです。(一九八〇・一一・一)




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南北統一_6-3-6

神様の摂理から見た
  南北統一

(全面表示) 

六.中共を通じた南北統一の基盤確保

1 中共の立場

 堕落することによって、個人からアダム国家、エバ国家、天使長国家が生まれたために、神様の復帰摂理においてこれを収拾するのにも国家として収拾するのです。そのためにこのような国家を探し出そうと、サタン世界を二つに割っておいたのです。そのために韓国を中心として以北に金日成という父親が生まれたのです。金日成がサタン側のアダムなら、中共はエバです。

 それゆえこのエバ国家・中共がこの先、共産圏において最も問題であるというのです。中共が一番の問題なのです。アジアにおいて最も問題になる国がどこかと言えば、ソ連でもなく、金日成でもなく、中共なのです。そうでしょう? ソ連は最初で、蘇生なのです。このようになっているために、この三国家がサタン圏のアダム国家、エバ国家、天使長国家なのです。(六八―三五)

 今日共産党を踏みつぶしてしまうのに、アメリカの太平洋沿岸から共産党との闘争問題もすべて南韓と北韓との戦いいかんにかかっているのです。ソ連と直接競争をするのではなく、すべて大韓民国次第なのです。

 アメリカの国境はメキシコではなく、大韓民国なのです。国境を確定しなければならないのですが、現在金日成とソ連は一つになっています。このような情勢において先生が準備してきたあらゆる作戦が展開されるのですが、この時韓国がアダム国家、日本がエバ国家、アメリカが天使長国家であり、ドイツがカイン側のアダム国家です。

 アベル国家とカイン国家が一つになってアジアに来る時、サタン側のエバ圏の位置にある中共を引き入れて、中共さえ崩してしまえば、蕩減復帰の原則によってサタン側のエバ国家を失ったサタン側は一巻の終わりとなるのです。すなわち、中共さえ我々の側に転換させてしまえば、共産主義は問題ないというのです。

 このようなことは私がすべてするのです。この熾烈な戦いのために先生はあらゆるものを忘れて、三十年の間、迫害を受けながらも精誠を込めて歩んできたのです。我々の幹部が中共に行って、自動車をつくる計画をすべて仕上げてきて私に報告を行った時、「私が三十年精誠を込めたものが、とうとう地に根を下ろしたのだなあ」と言ったのです。一年ではなく三十年です。

 このようにしなければ南北の生きるべき道がなく、強大国の間に挟まれて、韓国が生きて行くべき道がありません。

 神様が念願され、神様が保護してくださって、文牧師が韓国人として生を受け、この四大強国の圏内でアメリカと日本と中共を連帯させて、ソ連を抑制することのできる環境をつくる基盤を整備することによって、韓国の生きるべき道が開かれるようになったのです。(一九八六・一・二六)

 我々は中共に影響を与えなければなりません。中共に影響を及ぼすことができれば、インドは「ポキッ」と、そしてソ連の基地までも追い出すことができます。北方の防衛から南方の防衛基準まで全部……。人種が異なります。インドはアジア人種なのです。トインビーの学説を通して歴史的に見れば、人類学上同じ一族なのです。(一六三―三〇)

 中共は神様の助けとアメリカの助け、自由世界の助けを必要としています。(一九八六・八・二〇)

2 中共が刷新され得る道

 中共はこのまま共産主義のイデオロギーの虜になったままではいないであろうという兆候が、さまざまな面において現れています。特に経済、文化、体育など、非政治的な面においては解放政策と実利主義を追求しています。韓国も近く中共と非政治的な面における交流が拡大されると確信されます。問題は、韓国と中共の間に交流が拡大されれば、北韓がどのような態度を取るのかということです。今や中共は、ソ連を宗主国とする共産ブロックの一員であると見ることができません。政治体制は社会主義ですが、経済は資本主義経済へと移行しつつあり、文化、芸術の面においては伝統的東洋文化圏を復興させながらも、世界との交流を拡大していくものと考えられます。

 このような中共の立場の変化は、南北関係にも極めて大きな影響を与えることでしょう。今や急がなくてはならないのは、北韓の金日成政権のほうであると言わなければなりません。政権世襲の問題も残っており、経済復興も課題として残されているばかりでなく、共産圏においてさえ孤立しつつあるのです。意外に、変わりゆく国際情勢に追われる立場にいる北韓が挑発してくるかもしれませんが、これに対処する準備を整えるなら、南北関係はたやすく解決される可能性もあるのです。(一九八六・一〇・二一)

 先生も未来の基盤を課題として十年、二十年前から準備を行ってきました。今日中共を見ても、彼らが自由世界の側に帰ってくることを知って、三十年前から祈祷しつつ準備をさせてきたのです。一九八一年には「科学の統一のための国際会議」(ICUS)を中心として、科学技術を伝授してやることのできる方法を模索したのですが、「世界平和教授アカデミー」(PWPA)を中心に具体的な方法を彼らに提示することになりました。それで今日、中共に建設している自動車工場をはじめとして機械工場が建設されるようになったのです。(一九八六・一〇・二一)

 中共を引き入れるために、中共が体制を変更する前からICUS、国際ハイウェイ建設などの作戦を開始しました。中共が近代化するのには科学技術が絶対的に必要なのです。先生がドイツの技術を中心に、もう五年も前に第十回、第十一回ICUSの時、僑胞たちを中心にドイツの科学技術を集中的に中共に伝授させて、中共を技術文化国として創建することを宣布しました。

 私が宣布したのですから、実践しなければならないのです。そこでドイツにある最高の工場をいくつか連結して、このような目的のために中共とともに行動することのできる段階へと進みつつあります。本当に愉快な方向に展開しているのです。(一九八六・一・二一)

 この前、アメリカの有名な言論人、四十余名が極東アジアを訪問したのですが、彼らは中共にも立ち寄りました。中共は現在韓国とも経済、文化、体育などの非政治的な面で交流をもつことを望んでいます。それを北韓のために表ざたにできないでいるのですが、もうすぐ現実となって現れるでしょう。しかし彼らがその国体を変えない限り、アメリカから十分な経済支援を受けることのできる立場にはなれません。西ヨーロッパや日本から経済的な支援を受けるにはまだ高い障壁が立ちはだかっているので、彼らはそのための環境を造成する政策的変化を試みているのです。

 中共が経済的に発展するためには、多くの資本と技術を必要としているのですが、それが現在の体制のもとにおいては思いどおりに果たせないのです。このような現実において中共の指導者たちが言論人訪問団を迎え入れたのです。言論人団を中共駐在のアメリカ大使が案内したと聞きました。中共の指導者たちが言論人たちと会った席で、統一教会の活動と先生について多くの質問をしたということも耳にしました。これは経済的に支援を受ける方法がないものかと思って、このようにしたのだと考えられます。

 我々の傘下基盤には「世界平和教授アカデミー」があり、言論と経済機関があるために、自分たちに必要な資本と技術を充足させることができると考えたようです。何はともあれ、中共は統一教会に対して研究を開始しました。これは必要とあらば、統一教会のもつ基盤を利用したいからでしょう。彼らは、「世界平和教授アカデミー」に、中共の経済発展のためのプロジェクトに関心をもってほしいという意思を、今回訪問した言論人団を通じて提案してきたのです。(一九八六・一〇・二一)

 これから先、我々には成さなければならないことがあまりにもたくさんあります。仕事が多すぎて心配なのです。ドイツでは我々の機械工場を中心に文牧師が有名になりました。かの地にある工場を四つも購入しました。現在、我々が所有している工場の実力を見るならば、どのような材料でも持ち込んで一〇〇パーセント自動車を造ることが可能なのです。このような基盤を整備しておいたのです。何でも造ることができます。ドイツにおいてはどんな物でも造ることができるのです。そのような基盤を整えました。

 今は文牧師がもっている科学技術に対して、中共がかなり関心をもっています。それで技術面の使節団が、韓国を経てドイツを視察するために訪問するようになっているのです。そのようなことを皆さんは知らないでしょう? このようなことも考えなければなりません。中共について考えなければならないのです。

 今や、誰が中共を主管するのかということが問題です。世界を主管をしようとするならば、まず中共を主管しなければなりません。中共とアメリカとどちらが難しいと思いますか。アメリカは科学技術が制度化されているので問題がありませんが、中共はこれから整備しなければなりません。

 科学技術においてはアメリカも中共をどうすることもできず、ドイツもこれをどうすることもできません。風土が違います。そのためにアジアにおいては、先生が主導して、韓国を中心に日本と一緒に中共を指導しなければならないというのが、中共の高位層にいる人たちの見方です。中共の高位層、上部においては先生に対して関心が高いのです。中共をそうするために、先生がこれまで約三十五年の間、精誠を込めてきたのです。

 今が中共を刷新する良いチャンスです。思想的な面において現在の体制に対する変更が必要なのですが、これに対処することのできる思想はいかなる思想でしょうか。それには統一思想だけが可能であるというのが、今の中共の学者層の見方です。それでヘッド・ウイング(headwing:頭翼)ということを提唱しているのです。今やこの先皆さんがこのアメリカさえ動かしておけば、世界はすべて我々の時代へと移行していくのです。そのような認識をもって準備を行ってください。準備をしなければなりません。(一六一―二八六)

3 中共を通した統一基盤の確保

 南北に引き裂かれた韓国が統一されるとするならば、民主世界と共産世界とに引き裂かれた世界を一つに統一することのできる、摂理的な基盤が成し遂げられるようになるのです。先生もアメリカを中心に中共を元どおりにするための役事を、ずっと前から実践してきました。アメリカの各州の責任者たちに中共を助けるための募金運動を行うようにさせたのも、中共を元どおりにするための一つの方法なのです。中共に工場も建てており、安保の技術や情報も提供し続けています。中共はもうすぐ正常化されて、南北統一に際しても、その役割が増大すると思われます。このようなすべてのことが南北統一を念願する神様のみ旨に従って準備された内容なのです。(一九八八・四・七)

 皆さんもご存じのように、何年か前に日本の田中政府は中国大陸の経済圏を目的として大騒ぎをしました。その時、私は四、五年もたたずに撤退するだろうと見たのでした。中共に行って彼らと手を握って働こうと思うなら、まず発電所から建てなければならず、工業技術学校を建てなければならず、専門学校、大学を建てなければならないのです。文化革命でめちゃくちゃになったその当時としては、中共への経済進出が難しかったのです。

 中共がソ連との間で角逐戦を繰り広げていましたが、中共のほうがソ連よりも十五年ないし二十年は後れているのです。これをどのように補強するのかということが問題です。急進的な方法が二つあります。一つは日本の背に負ぶさる方法で、もう一つは日本そのものを手に入れる方法です。しかし現実的にはその二つとも難しいのです。そこで私はこう考えました。今、蘇満国境地帯から沿海州と北満州一帯に我々の韓国僑胞が二百五十余万名住んでいますが、私はこの二百五十余万名の僑胞を糾合して勝共思想で武装させ、彼らを通して機械工業を起こし、中共に産業を起こすことのできる役割を担当すればどうかと考えたのです。それで私がドイツに機械工場を購入しようとしているのです。

 ICUSを通して縁が結ばれた世界的な碩学たちを活用して、ドイツの責任者に指示をし、ドイツのあらゆる機械工場を調査しました。その中からまず百箇所を選んでから、その次に三十箇所を選び、再度これを三箇所に圧縮して購入することにしたのです。この工場は、ソ連やその他どのような衛星国家から買いに来ても、一台当たり五百万ドルする機械を造る工場なのです。

 そのため中共の首相と工業大臣が、その工場の社長に協力を要請するようなこともあるそうです。この工場を私が入手することになれば、ドイツ人を前面に立てて仕事をしていくつもりです。

 このようにして我々の僑胞たちを中心にして、中共の工業化を展開するのです。我々の僑胞たちは粘り強いのです。多くの人たちが独立の闘士でしたし、中・高等学校以上を卒業した教育水準の高い人たちです。それゆえ僑胞たちを中心として工場を建設すれば、北京をはじめとして中共全域にわたる工業発展を成し遂げることができる基盤を整備することになるのです。このようになれば、金日成がいかに鴨緑江、豆満江においてゲリラ戦をもくろんでもソ連や中共が大韓民国に協助しようとすることでしょう。(一九八一・四・二六)

 満州には僑胞たちが多いのですが、そこに私が今六階建ての工科大学を造っています。まだ韓国には大学を建てていないのですが、政府と既成教会は我々が大学を建てるのではないかと反対しているのです。他のことはだめでも、このようなことだけは目ざといのです。中共に工科大学を建てて工業施設をつくるのです。これからアジアの国民を教え導くために、先導的な最高の先端科学技術を私がもっていって教えるために、今工科大学を建てているのです。(一六二―二四五)

 私は三十八度線を越えて来ながら、私のこの手で金日成を取り除くことを固く誓いました。そのための与件をつくり上げるために、アメリカ、日本、中共に基盤を確立し、もう既に宣伝工作を終えているのです。これら三つの国を主管することができなければ、大韓民国の統一ははるか先のこととなってしまうのです。私は十年前からドイツの教授たちを通じて、中共の内部において体制の変化を試みてきました。最近になって、中共政府と自動車部品の生産協定を締結しました。

 大韓民国、この国は五千年の歴史を経て、神様がこれを愛し、慈しみぬいてきた地であるという事実を知っているので、たとえ私の骨が折れ、肉が溶けるような痛みを経験しようとも渾身の力を尽くして愛してきたのです。

 今まで赤字を出しながらも、統一産業を育ててきました。このようにして初めてドイツを連結させ、中共と通じることが可能になるからです。そのようにしなくては日本も生き残ることができず、韓国にも生きる道がないのです。これから統一産業に中共の技術要員たちが来て、訓練を行うようにする予定です。中共を生かすために、このようにするのです。(一九八六・六・一)

 今日私が工場をつくったのは、この統一教会の皆さんが、たくさん食べて楽に暮らすためではありません。国と世界のためにつくったのです。千辛万苦このような思想をもって、昼夜を徹してそうしたのです。

 どこの誰が同情しましたか。見なさい。どこの誰が同情したというのですか。宗教指導者が工場を経営してどうしようというのですか。大韓民国の企業が世界の先頭を走るようになるまでは、文化的民族になることができないのです。そのままにしておけば不渡りが何十回も出るのを、私が借金をして穴埋めしながら引っ張ってきて、今日世界が否定することのできない統一産業をつくり上げたのです。ただお金を稼ごうという人たちとは違うのです。私がその時その工場をつくって、他の人と同じようにパンを商い、飲料水を販売すれば、お金を稼ぐことができるだろうということを知っていました。しかし、それは誰にでもできることです。それはいつでもできることなのです。

 国を治める人たちが私を嘲笑しましたが、今からは、私の世話にならなければならない段階に入ってきました。今になってやっと、あの文総裁は立派だと……。

 このような伝統的な歴史時代を経て、受難の過程を克服してきたことを見ても、私は皆さんと同じ考えをもった人間ではないのです。アジアを連結させようとするのです。そのために、私は満州にいる僑胞たちにも接触しています。延辺に工科大学を造るのですが、私がそのためのお金を出しているのです。その施設を造ることに加えて、あらゆる科学機材を私が提供することを約束して、今これを供給しているところです。中共が何ですか。統一教会と何ら関係がありません。それでも与えることにしたのです。その代わり韓国の僑胞たちが主導権を握るのです。中共に工場を造ったのはアジアのためであり、アジアにつくった基地は世界のためのものなのです。結局は神様が行かなければならない版図であり、基地造成の発展的な過程なのです。(一六八―一二〇)

 我々はカイン・アベルの原理を知っています。ですから金日成に対しても力づくで屈服させようとはしないのです。愛で屈服させるのです。そのために私が今中共を通して道を開くのです。中共が私の言葉を聞きさえすれば、安東に救済事業体をつくって数十万、数百万ドルの救援物資を以北に積んでいって与えようとしているのです。うらやましいでしょう? (笑い)取り柄のない統一教会の会員たちには与えずに、今や中共に橋渡しをしようと、このような考えをしているのです。(一九八七・一一・八)

 私がこれから行わなければならないことは何ですか。今以北に二千万の国民がおなかをすかせて、死ぬしかないような境遇に置かれています。これをどうしますか。自由世界にある我々のあらゆる組織を動員して、二千万国民救助運動を行えば簡単であるというのです。どこを通して行いますか。中共を通して行うのです。満州にいる我々の僑胞を通して物資を送ってやるのです。
 物資を送るにもただで与えるのではありません。必ず我々の側の人たちが行って分け与えるのです。それが条件です。このような方法で物資を分け与えず、ただで与えれば全部国家の管理体制を通して配給制度に従ってそのまま分配しようとするのです。それゆえ我々が組織編成を行って、我々が分配しなければなりません。

 そのようになれば物資を分配する組織が北韓の地に連結されるのです。そうではないですか。飲まず食わずの状態のまま生きるより、我々が食べさせてやるのがもっと良くはないのかというのです。二千万名くらい養うことなど何でもありません。このように経済的な支援を行って門戸を解放しようと考えています。今私が中共の高位層を中心に安保会議を開催するのも、このような理由からなのです。今もそうなのです。日本を通して国際ハイウェイ問題をもって、今回八月に使節団が中共に行きます。既にこのような段階まで上がってきたというのです。

 中共が今、最も怖れているのが何かといえばそれは経済問題です。経済侵略を最も怖れているのです。そのため日本人がそのまま中共に行くことができません。必ず韓国人を媒介としなければなりません。韓国人を媒介とするのに、韓国の大統領をもってしても不可能なのです。そのような道がありますか。今までそのような媒介の役割をすることができる体制を私がつくってきたのです。

 それで統一教会と一つになることによって、日本を中共と連結させることが可能になるのです。一九八一年のICUSの時、私が「国際ハイウェイ」について発表したという事実について彼らは実によく知り尽くしています。それを今この場で始めることができるのです。その工事をいったん着手するようになれば、どのようになると思いますか。今中共は我々に対してこのようにしてくれることを願っているのです。

 そうではないですか。機械を全部動員して行えばよいのです。お金はそれほどかからないのです。中国の人たちに教育をしてやり、ご飯を食べさせてやればそれで終わるのです。月給のようなものは問題ではありません。人件費も問題ではないのです。奉仕させるようにするのです。韓国人が来て手助けをしてやり、日本人が来て手助けをしてやるというのに、お金を出す必要がどこにあるのでしょうか。ご飯を食べさせてやるだけでも中国としては有り難いことでしょう。このようにしていくらでも仕事を推進することができるというのです。このように道が敷設されるようになれば、三年もたたないうちにアジアを越えて世界の門へと登場することになるのです。

 韓国はまさにそのような基準に立って南北統一運動を行わなければなりません。そのようになれば、世界で最も混乱した政治ということで注目を受けている南韓の政治体制が完全に整備されざるを得ないのです。そうしながら国会議員を……。韓国の国会議員は二百七十名ではないですか。その二百七十名をしっかり把握して教育しておけば、それですべてが終わるのです。そうではないですか。(一六七―一九)

4 中共で開催された国際安保大会

 今回中共で行われた安保大会を通して中共が完全に……。中共ではソ連に対抗するために、今回三月二十日から安保大会を行ったでしょう? アメリカの有名な戦略家たちと国防省および国務省に所属する人たち、世界的な大学者たち、権威のある人々を連れていって、中共出身者たちを中心にソ連に対する戦略大会、大小の戦略大会を行ったのです。彼らは大学者たちなのです。中共とアメリカの将来の政治的方向性を、ソ連を標的にしたそのような対外戦略会議を私が主導したのです。ホワイト・ハウスでは文牧師がどのようにしてそれを行ったのかと言いました。国務省では、どのようにして自分たちにもできないことを文牧師が行ったのか、そんなことはうそに違いないと言いました。国防省でも「どうしてそのようなことが可能なのか。中共でそのようなことを行うことができるのか。 我々の言うことも聞かないのに、どうして文牧師の言葉を聞くのか」と、私が中国に行くその日まで反対したのです。中国に行ってくれば全部国会に報告するようになっているのに、今まさに飛行機に乗るために出発するという時になっても全員信じなかったのです。実際中国に行ったのに信じなかったのです。

 過去においては、会議のためにアメリカ政府の重要な地位にいる人たちが中共に行ってくれば、そのつど彼らに利用されてきたのです。そのため文牧師も彼らに利用されてくるに違いないと言いました。中共の高位層がこうしようと言うとおりに行い、彼らのプログラムに書かれているとおりに動かされて「おだぶつ」になってけ飛ばされてほうほうのていで出てくると、そのように考えたのです。そのことを私が知らないとでも思うのですか。全部知っているのです。

 すべて契約をしたのです。会議を行った内容はその結果が出るや否や即刻我々I・S・C(International Security Council:国際安全保障協議会)においてそのすべてを公開出版して世界にばらまこうとね。出版してそれをばらまけば、ソ連に対する中共の外交政策がすべて公になるのです。アメリカに対する政策、世界に対する政策、ソ連に対する政策がすべて公になるのです。契約上はばらまくことになっているのですが、実際それをばらまけば中共自体が大変なことになるのは目に見えています。そのため現地に入るや否や引っ張るのです。

どのような手を使ってでも出版できないようにしておいて、自分たちでそれを行おうとするのです。けっ飛ばしてしまえというのです。そこで私は、もし出版できないようにすると言うなら、即刻後方に戻るように指令を出したのです。そうなれば、彼らが帰って来てから我々のワシントン・タイムズを中心に世界の言論界でそれまでとは反対に中共に入っていってはならないと吹聴するのです。そうなれば、その余波を被って中共は十年、二十年もの間外交政策において後れを取るようになるのです。

 ですからアメリカの大使が忙しく走り回るのです。アメリカの大使が火がついたようになって、この人たちをつかまえ損なうようなことになれば大事になるからどのような手段を使っても……。文先生が会議を周旋するのに当たって、アメリカの大使が夜昼を分かたず駆けずり回るのです。そうせずにいられますか。

 アメリカの大使たちにしてみれば、この人たちは等しく自分たちの師匠ですからね。下の人が言うことを聞かずにいられますか。そこで中共で十何時間も争いました。帰りの飛行機のチケットを買っておいて、いつでも背を向けるように見せておいて、万一中共側が出版に関して約束に応じないようならば、飛行場に連絡をするのです。だから忙しいのです。チケットを買って帰ってしまえば、彼らがいくらじだんだを踏んでも追いつかないのです。彼らもそのことを知っているのです。だから慌てふためいて自分たちが悪かった、我々の言うとおりにすると言ったのです。

 自由世界から来るあらゆる国家機関の幹部たちを全部自分たちの思いどおりにしてきたことで中共は有名なのです。ですから中共に関する報告は自由世界に一つもないのです。それが今回我々のために問題が引き起こされたのです。帰ってきて上院委員会で報告すると「ああ、我々にもできないのに文牧師がどうやってこのようなことをやって来たのか」と、こう言っていたのです。「あなた方が問題ではなくて、私自身が行わなければならないために、この仕事をするのではないか」。こう言って問題になって……。こうして中共の外交政策に関するあらゆることが、この論文を通して完全に公になったのです。そのおかげで中共とアメリカが安保会議を通してソ連に対処するようになりました。世界平和を成し遂げるに当たってソ連が元凶であると烙印を押されるようになって、中共自体がソ連と妥協することができなくなったのです。外交の舞台において綱を断ち切っておいたのです。そのような仕事を今行っているのです。(一六三―二〇二 一九八七・五・一)

 これまで中共が果たしてきた役割は、アメリカのあらゆる研究機関、あるいは官吏たちをあるセミナーなどに招請しておいて、彼らが出掛けてくれば彼らを全員自分たちの側に取り込んでしまうのです。約束をしておいて、そこに参席した人たちが万一会議をしないでそのまま帰っていけば彼らも面目が立ちません。費用もたくさんかかっています。こうして政府機関をはじめアメリカのあらゆる重要な機関の才僚を全部取り込んでおいて、自分たちの才僚は外に出ることができないように封じ込めておく、そのようなことをしてきたのです。

 そうこうしているうちに今回私に露見したでしょう、打つなら打ってみなさい。今回中共に行った十名の人たちは、世界の戦略家たちの間で名の知られた人たちです。一つの国を動かすことのできるそのような代表的な人たちが行ったのです。そう、中共のアメリカ大使が仲介の役割をしました。そのために会議をしないで帰って来れば、問題が大きいのです。そのまま帰って来ればほっておくと思いますか。帰ってくるや否や新聞記者たちがインタビューをして発表してしまい、中共のこのような不正行為をあからさまにしてしまうことでしょう。だからアメリカの大使が脅迫をしたのです。「あなた方がこの人たちを拒否するなら、どんなに騒いでも十年、十五年は後れることになる」と言ったのです。

 それで飛行機のチケットをさっと買って帰ろうとしたのですが、運勢が既に変わったということに気づいて、自らの首をうなだれて会議をしたのです。その資料を全部出版することになっています。今まで中共全体の各分野に反映された政策についての論文を書いたのです。それが出版されることになれば、今までの中共の政策の方向がはっきりとその姿を現すようになっています。外交政策であるとか、国内政策、ソ連に対する政策、あらゆるものが国際舞台に知られるようになっているのです。

 そうなれば中共としてはかえって大きい消耗です。二つの問題があります。最も大きい問題は何ですか。アメリカにおいて中共に対する世論が悪化するという問題です。また世界戦略において、共産主義が世界平和に対して妨げになる、中でもソ連が妨げになるという問題が発生するのです。

 そのため中共とソ連を分離させ、中共を中心に自由世界と協力してソ連を防御することが文牧師の政策なのです。彼ら自身もこのような事実を知っているのです。万一会議をしないで帰るようになれば、今私に対するすべての基盤が世界的に全部ふさがってしまうのです。アメリカの道もふさがりそうだし、ヨーロッパの道もふさがりそうなのに、私がもっている基盤について調査してみると、大したものだというのです。

 彼らには自由世界のどのような基盤よりも、私がもっている基盤のほうがもっと魅力的なのです。国家の背景をもった基盤というものは、例えば日本ならば日本という国家の利益に反した取引は行わないのです。アメリカもそうですし、ドイツもそうですし、先進国はすべてそうなのです。しかし我々は空中に浮かんでいる人たちです。それで私が技術の標準化というようなことを叫び、世界平和を提唱することができるのです。

 それで中共を隔離させておいて自由世界に連結させ、あらゆる技術をそのままただで移転させようと考えています。彼らは自分たちの情報網を通してそのことを知っているのです。そのため結局は、文牧師を失ってしまうことを怖れて二つの問題に神経を遣っています。ソ連に対する方向性の問題が一つと、それからもう一つは文牧師に対する連結の問題です。私が世界平和に対する基盤をこれまで整理しておいて、共産主義に対してこれまで理論的な闘争を行ってきながら、全世界に平和のための基盤をつくり上げてきたという事実を彼らは知っているのです。

 このような面を見る時、我々はあらゆる政策的な思想教育を一方的に行いつつあるということができます。彼らは我々の思想に魅力を感じているのです。ですから神様が存在されるということさえしっかりと教えるならば、今までの中共の体制はそのまま生き返るのです。そのため我々のほかには、共産主義に対処することのできる理論的な基盤を備えている団体は自由世界にありません。ですから中共は自分の外交基盤を通して、情報網を通して我々に関する資料を収集し、これまでたくさん研究をしたことでしょう。自由世界には我々のような基盤がほかにはないのです。

 今回中共から統一産業に十三名がやって来るということでしたが、いつ来ますか。(五月です)。五月ですか。(はい)。彼らは来ざるを得ないでしょう。来てみれば目の色を変えることでしょう。韓国にやって来て一周回ってみれば、今中共に最も必要なものを我々が所有しているということを知ることになるのです。

 そこで今アメリカの国務省とホワイトハウスにも、我々が資料を持っていって聴聞会を開き、政策の方向性を修正することのできる方へ導こうとしています。そのようになればアメリカの行政府が、文牧師の計画に参加するようになるのです。外交舞台を通して、彼ら自身がこのようなことはできないと思われることを、我々が今楽々とやってのけているのです。この五月からは中共の重要幹部たちに、アメリカで産業視察させることに関して交渉を行っています。(一九八七・四・九)




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神様の摂理から見た
  南北統一

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七.今日のソ連と我々

1 ソ連の世界赤化戦略と今日の現実

 今日我々には、北韓とソ連による侵攻の危険が常に付きまとっています。皆さんもご存じのように、ウラジオストックは冬になると凍りついてしまうので、冬にも凍らない不凍港となる韓半島が必要なのです。それに加えてソ連が韓半島を手に入れるならば、日本は地政学的な面において自動的にソ連の影響圏に入るようになります。そこでソ連はアジアを制圧するために、どうしてもまず韓半島を手に入れようと心を砕いているのです。

 アフガニスタンにソ連がなぜ侵攻したのか知っていますか。中共を牽制するために侵攻しました。中共が勢力を拡張するようになるであろう今後十年、十五年くらい後には、莫大な犠牲を払ってもソ連が中共を防ぎきることが難しくなるのです。そのうえソ連との国境に隣接しているあらゆる国家が反ソ体制化しつつあるために、中共が反ソ連合体の旗印を掲げるようになれば、一時に連盟体がつくられる可能性があるのです。

 今中東において進行中のイラン・イラク戦争においても、勢力を拡張しようとするソ連の陰険な戦略がその背後に伏線となっています。そしてインド洋における基地の確保とか、日本や東南アジアにおける戦略はすべてソ連の世界赤化戦略の一環であるということを知らなければなりません。

 皆さん、もし日本がソ連の勢力下に入るようになれば、韓国がどうなると思いますか。そして金日成は出てくると思いますか。実に深刻な問題と言わざるを得ません。

 このような時に、蘇満国境付近で韓国の僑胞が二百万人ほど住んでいるという事実は、全く不幸中の幸いであると言わざるを得ません。なぜなら我々がこの僑胞社会と協力することさえできれば、この僑胞社会を通して中共とソ連の争いをあおり立てることもでき、また中共やソ連との敵対関係において我が国が彼らを防波堤として利用することもできるからです。私はこのような可能性をあらかじめ知っていたので、そのための対策を人知れず立ててきたのです。(一九八〇・一一・一)

 今日諸スラブ民族が共産主義を目指して突き進んでいます。共産主義をよく観察してみると、世界の資本主義を打倒し、自分たちがその後を継がなければならないという思想のもとにつくられています。それゆえ厳しい試練の過程を克服しながらも絶えることなく続いてきたのです。しかし、資本主義の世界を克服して吸収することのできる基盤を、ソ連をはじめとする共産圏に建てることができませんでした。また、資本主義の体制である民主世界は内的な思想基盤、宗教の基盤があるのですが、それも共産主義を消化できる基盤となることができませんでした。このような観点から、相反する二つの世界に責任をもとうとする人は必ずこの二つの世界を果たして消化することができるのか、それともできないのかという試練の過程にぶつかることになるのです。それで先生は今回韓国に来て、このような全体を決算しようとしたのです。(一九八六・五・六)

 見なさい。今世界の強国、世界問題として取り上げられる諸国家の中で四大強国と呼ばれるものがあるとすれば、それはアメリカであり、それからアジアでは日本なのです。その次に共産主義世界においてはソ連です。次には、現在世界に四十億の人類が住んでいるのですが、人口の面から言って最も多い国がどの国ですか。(中国です)。中国です。人間の数の面では中国、科学技術においてはアメリカ、また経済においては日本、そして外的な思想の基準においてはソ連です。(一六四―五七)

 解放直後にソ連共産党のスターリンの拡張政策を中心に五〇年代に発展してきた環境を見て、あのソ連を全部弱体化させなければならないと決心したのです。私には基盤がないので、その代わりに天が打ち下ろすのです。アメリカを打ち崩し、ソ連もその時が来れば崩すのです。それゆえ協会創立三十年を過ぎてソ連の滅亡を宣布するのです。自由民主世界の滅亡については、アメリカに行ったその日から宣布しました。下っていかなければ復帰摂理の時がかみ合わないのです。今この時に、ソ連を収拾する者がいません。いかにソ連が共産主義理論を中心として世界制覇を夢見、プロレタリアート独裁政権を中心にブルジョア世界を消化すると主張しても、それはすべて妄想であり、妄動であり、かつ妄言にすぎないのです。そのようなことは既に失敗して、単なる法螺にすぎない時代が来たというのです。

 世界を主導するソ連共産党を見ても、共産党の最高幹部たちは共産党員ではありません。共産党時代は既に過ぎ去ったということを彼らが自ら証明して見せているのです。それゆえゴルバチョフが今、西欧社会に対する開放政策を打ち出しているのです。(一六三―一五四)

 今この時が問題です。どのような時でしょうか。大韓民国自体も問題ですが、日本も問題ですし、中共やソ連も問題ですし、アメリカもまた問題なのです。世界を指導する諸国家が現在どのような状態なのかと言えば、「ああ、世界を手に入れてみればみたで、これもまた心配だ。世界まで進出してきて、これを連結させればすべてがうまくいくと思ったのに、連結されたことそれ自体が今では心配の種だ。後退だ、後退!」こうなっているのです。最後の時なのです。

 ソ連は一つの世界、理想的なユートピア世界を模索してきました。世界を前にして経済的、あるいは政策的な面においてあらゆる支援を行い、力を補給する源泉となってきたのですが、今やあまりにも問題が大きくなりすぎました。内外共にこれを収拾する方法がありません。後退するのです。キューバに対する支援を削減する問題、第三世界に対する支援を削減する問題が起こってきたのです。またソ連自体内の疲弊した思想的崩壊という問題を収拾することのできない段階にまで来ているのです。ソ連もそうですが、アメリカも同じなのです。

 ソ連の指導者たちは本当の共産党員ではありません。共産党時代は既に過ぎ去りました。マルクスとレーニンが主張したそのような世界、ユートピア的な統一理論、そのようなものはみな過ぎ去ってしまったのです。現実的な生活の舞台において実現不可能であるという事実が、科学的なデータに基づく統計によって既に動かし難いものとなっているのです。世界はそのように見ているのです。(一六八―八四)

 ソ連共産党は自分がねらいをつけた国はすべて征服してきました。しかしながら韓国で失敗し、統一教会と勝共連合が活動する所でも追い出されるようなありさまなので、我々を自分たちの第一の敵と見なしたとしても至極当然なことと思われます。日本共産党は、日本の勝共連合と大学街における(全国大学連合)原理研究会(CARP)によって追い出されたことを契機に、統一教会を警戒し始めました。アメリカにおいても自分たちのもつあらゆる組織を失ってしまいました。フレーザー委員長を立てて統一教会をアメリカから追い出そうとしましたが、かえって自分たちの条件が崩れてしまったのです。ヨーロッパにおいても共産党と何回か衝突しましたが、今ドイツでも彼らは追い出されつつあります。(一九八八・一・一)

2 ソ連共産党の滅亡を宣布せよ

 韓国の学界を中心に統一教会という看板を掲げてみても希望が大きいというのです。私が希望が大きいと言ったからといって、ここに「文牧師は宣伝がうまい」と言うような者はいないでしょう。

 どれほど私に度肝を抜かれたことでしょうか。シカゴ大学の有名な政治学博士であるモートン・カプラン氏を立ててソ連の滅亡を宣布するように言った時、彼が我々の側の責任者を三回も呼び出しては「ソ連が滅亡すると直撃弾を撃つのではなく、間接弾を撃ちましょう。宣伝は行うにしても曲線弾を撃ちましょう」と言うのです。直撃弾は嫌だと言うのです。このようにしてハーバード大学ともう一つ、有名な名前の大学のソ連専門家が何人か後退したのです。

 それで「後退する、ではだめだ!」と言ったのです。彼は三回もダンベリーに来て懇願しましたが、撤回するように言いました。「あなた方は先生を何だと思っているのか。これを発表すればソ連が滅ぶのだ。発表してしまいなさい」と言ったので、仕方なしに宣布したのですが、最近になって「わあ! 文牧師には角がないと思っていたのに、角があるにはあるのですね」と言うのです。つまりアンテナがないわけではないということなのです。政治学のあらゆる見地からソ連を批判し、そのような学者たちが会合を開いて結論を出した結果について、そのすべてが間違っていると言ったのですが、このような文牧師の主張が全部的中したのです。語ったことがすべて的中するというのです。こうして今ソ連が改編されようとしているのです。体質改善を行って、すべて改編されるのです。(一六八―三九)

 ジュネーブにおいてソ連の滅亡を宣布しました。宣布を行えば天の摂理が、運勢がやって来るのです。騒ぐ時は歴史上にかつてなかったほど騒ぎまくって、神様が寝ていても目を覚まして起き出して、見物しないではいられないほど騒いで初めて、そこに神様の運勢が開きます。すべてそのようになっているのです。(笑い)だから騒ぎたてなければならないのです。「ソ連滅亡!」。世界の大学者を通してソ連政府の没落を発表せよと言うのです。それをダンベリーで行ったのです。ダンベリーの監獄に入って、そこから出てくることは考えもせずに、気が違ったように「ソ連共産党滅亡!」と宣布せよというのです。これはもう狂っていると言うほかないでしょう。しかし私は平面世界は見ません。立体世界を見るのです。皆さんにはそのような世界がないでしょう? 霊界を知らないでしょう? 霊界を知っているという点においては、世界のどのような宗教家も私に学ばなければなりません。(一六八―三四)

3 モスクワは我々が行かなければならない所

 今は韓国が問題ではなく、共産党を何とかしなければならない問題が残っています。あのモスクワを誰が解放するのかというのです。楽に座って、口先だけ動かしていればモスクワが解放されますか。統一教会の食口たちの中には、共産国家で地下活動をしていて監獄に入った人が数十名になります。このようなことを知っている先生が、どうして平安な生活を送ることができるというのでしょうか。(一九八六・三・九)

 我々は世界を救わなければなりません。自由世界のためだけに働くのではありません。モスクワに行って共産主義者たちも救わなければなりません。(一九八六・三・九)

 皆さんはこのことを知らなければなりません。アメリカを立てて何をしますか。我々がアメリカに定着し、世界を支配しようというのではありません。これはモスクワに行くための最後の作戦です。モスクワを解放しなければなりません。モスクワを解放しなければならないのです。そうして初めて神様が解放され、真の父母が解放されるのです。そののちには迫害はありません。そののちには世界は完全な平安の時代が訪れるのです。黒い雲もなく、太陽時代も過ぎて、神様の愛によって光り輝く永遠なる平和の天国へと進むのです。永遠なる愛を中心として平和の世界へと行くのです。(一六一―一九四)

 文牧師は何を成さなければならないのでしょうか。このように人々を指導して、アメリカを救うことによって栄光の座が与えられるようになったなら、どっかりとアメリカの上に腰かけて「やっと全部終わった」と言おうというのではありません。アメリカを越えて世界に出ていく道を受け継がずに、ここでストップするならばすべて壊れてしまうのです。アメリカにおいて勝利の基盤を整えてから世界を救わなければなりません。アメリカの勝利に合わせて世界を救うための行動を成さなければ、神様の摂理とはずれてしまうのです。そこでワシントン大会が終わるや否や「モスクワ大会」を宣言し、そこに向かって進む準備をしているのです。あの時から今まで共産党を打ち破り、モスクワに対する勝利圏を準備しているのです。

 それなら文牧師の目的は何ですか。モスクワを中心にどこまで行きますか。神様の胸まで、神様の計画する目的地まで行くのです。モスクワを越えて、その次には世界を一つとし、天と地を一つとしなければなりません。(一六一―一九六)

 「ワシントン大会」で勝利したあかつきには、どこに行って勝利しなければならないのでしょうか。その次には戦うことがないですって? (笑い)(モスクワに行かなければなりません)それはまともな答えですね。皆さんはモスクワ、モスクワと言いますが、私は「マスト・ゴー(must go;行かなければならない)」、です。モスクワはマスト・ゴー・ゼアー(must go there;行かなければならない所)です。(歓呼、拍手)

 皆さんは知りませんが、共産党はこのことを知っているので文牧師を最も嫌うのです。このようなことを見る時、文牧師に対して共産党が反対するその積極的反対より以上に、文牧師に対する若い人たちの積極的な支持が、もっと大きくなければ勝利することができないのです。モスクワへ行くことができないのです。皆さんの力がもっと大きくならなければならないのです。皆さんの力が共産主義者たちの力よりも大きくなければなりません。(七九―三〇五)

 イエス様の弟子たちは全員、み旨のためには縛り首になろうともローマへ行くと言ったのです。あなた方は縛り首になると言ったらどうしますか。イエス様の弟子たちよりも劣るつもりなのですか、それとも彼ら以上にやるつもりなのですか。(彼ら以上にやります)。モスクワへ行きますか。(はい)。私は、皆さんがモスクワへ行かなければならないと言ったのですよ。(笑い)これは笑いごとではありません。(八一―一一六)

 これからは文牧師が大会を行う場所がないのです。日本においても大きな広場をいっぱいに埋め、韓国でも大きな広場をいっぱいにし、世界の中心であるアメリカにおいても八大都市の広場を埋め尽くし、ヤンキー・スタジアムを埋め、このワシントンを全部埋め尽くせばもうすることがないのです。霊界に行ってからでもやるなら別ですが。「モスクワ!」。モスクワは皆さんが行うのです。(八八―一二五)

 皆さんは義勇軍として、戦いに臨む将軍として、どうか神様の権威と人類の権威を喪失することのないようお願いします。今我々にはヤンキー・スタジアムが問題ではありません。ワシントンが問題ではないのです。それを越えて共産世界のモスクワまで、神様の胸に抱かれることのできる最後の前線に向かって前進することを、日々心に誓う皆さんとなるようにお願いいたします。(八一―一四五)

 以前に何と言いましたか。そう、モスクワ(Moscow)は「マスト・ゴー(must go)」と、私が言ったでしょう? これを誰かが提唱しなければなりませんが、誰がしなければならないのですか。これを誰がやらなければならないのですか。(女性たちです)。今まで歴史上女性たちは名前がなかったのです。名前がなかったというのです。(八一―三六)

 私が各国の女性たちを数万名動員して「気をつけ!」と言うなら「はいっ!」と答え、「敬礼!」と言うなら「はいっ!」と答え、「あのモスクワに向かってマスト・ゴー(must go)! いざ出陣!」と言えば全員が出陣しなければならないというのです。さあ、これは強制されてそうするのですか、自ら進んでそうするのですか。それを考えなくてはなりません。(八一―三七)

4 モスクワ大会に対する我々の計画

 神様は打たれて奪ってくる歴史を来ていらっしゃるのです。先生が監獄に一回入って出てくれば、統一教会は一段階ずつ上がっていきました。韓国においてもそうでしたが、アメリカに行ってダンベリー監獄に入って出てみると、アメリカの宗教界ばかりでなく、朝野が進んで歓迎しました。これは下がっていったのですか、上がっていったのですか。ひたすら上がっていったのです。今やモスクワの監獄に一度入って出てくれば、天に直行することでしょう。飛翔天するのです。

 先生のモスクワ大会は日を置かずして行われます。今回「サミット・クラブ」を創設したのですが、前職の大統領や首相を約五十名招請してゴルバチョフに会うつもりです。ソ連の共産党の幹部たちは「サミット・クラブ」を歓迎せずにはいられないでしょう。先生は議長団の一員となって訪問することになるでしょうし、ゴルバチョフに会えば彼と対話を通して説得するつもりです。先生が説得されると思いますか、彼が説得されると思いますか。

 先生の生涯の中には後退という言葉は存在しません。これまで世界を駆け巡りながらも、一度も後退することなしに前へ前へと押し続けてきました。先生とアメリカ国民二億四千万とが戦いましたが、結局はアメリカ人たちが押されてしまいました。原告はアメリカ合衆国で、被告は文鮮明先生でした。今やアメリカは、歴史時代にアメリカの文化が残っている限り、文牧師の前に許しを請わなければならないでしょう。(一九八八・一・一)

 先生の祈祷は全部公式化されています。たくさん祈祷するのではありません。目をつぶって、さっと行えばもう既に天が共にあるのです。ですからただみ旨のために走るだけです。祈祷するよりも走るのです。考えるよりも実践するのです。

 この間、私がソ連まで行くことのできる道を整備して来ました。頂上会議を中心に大統領を約五十名ほど率いて、私が団長になって「行く」と言うなら「来い」と言うようになっています。来るなと言うようになっていると思いますか。ポーランドのような衛星国家の教授たちを連結して、我々のアカデミーをつくるのです。世界の有名な芸術家まで連結するのです。それで有名なバレリーナを連結させてユニバーサル・バレエ団をつくったのです。全部連結してみれば、ソ連のあらゆる人々が引っ掛かってくるようになっているのです。完全に結びつけることができます。

 そうするためにはお金が少しかかるでしょう? このような人たちを前面に立てて、ソ連のボリショイ・バレエ団と競い合うことのできる新しいチームを作るのです。そうして彼らが一回公演すれば、我々が一回公演するというように、交替でするのです。そのような準備もしなければならないのです。共産党の手を煩わさずに消化しようと思えば、一つだけではできません。文化的にも全部交流しなければならないのです。その次に体育の面でも交流しなければならないというのです。(一六六―九四)

 今や共産圏を立て直さなければならない時です。私は「モスクワ大会」を宣布するために、あらかじめモスクワに行くことのできる準備として、「科学の統一に関する国際会議」も開催したのです。また「弱小民族協会」をつくって、前首相、現職首相協会をつくり、私が団長になって五十余名の前・現職首相を帯同してモスクワを訪問しようと考えているのですが、ゴルバチョフもこれを承認せずにはいられないというのです。その時には、ヨーロッパの機動隊員を数千名連れて行ってモスクワ大会を行うことができるでしょう。ソ連の警護官を入会させておいて行うのです。

 そのことを今私が準備しているのです。できるか、できないか、やってみようというのです。私がこのような話をするので、国内の多くの人々は「統一教会の人たちは国内の問題を越えて世界的な問題に取り組んでいる」と言います。ほんの十年前までは夢のような話だとばかり思っていたのに、今になってみればその話が的中していたというのです。(一九八六・一・一)

5 ソウル・オリンピックを通じたソ連の戦略

 韓国が統一時代を迎える前に、政局の混乱時代が来るかもしれません。特にこの時期はソウル・オリンピックが終わってから少しずつ深刻化するように思われます。光に満ちた朝が来る前にやって来る夜の暗闇のように、政局が混乱の時点を迎えるのではないかと予見されるのです。

 ソウル・オリンピックが終わるころにソ連をはじめとする東欧共産圏との関係が成立し、それによって共産勢力とその影響も一緒にくっついて来ることになるでしょう。それゆえ南北統一に対する雰囲気が熟し、南北総選挙による統一の方案が論議されるようになることと思われます。一方与党と野党の間には国益よりも相互間の感情的なしこりがわだかまっていて、急変する世界情勢に共同で対処するのがなかなか難しいのです。そのため韓国はややもすると南北統一問題に関して主導性を喪失するかもしれません。そうなれば国民たちは相当な混乱に陥るおそれがあります。

 ソ連をはじめとする東ドイツなどの共産国家は、ソウル・オリンピックにおいて競技面でアメリカをはじめとする自由世界を圧倒して優勝するためにあらゆる方法を動員しています。アメリカはソ連に対してあらゆる面において劣勢を免れないでしょう。アメリカは軍事力、オリンピックにおける競技力、思想などの面でソ連に後れを取り、ソ連はこのような内容を自国の体制の宣伝に最大限利用することでしょう。

 思想戦の時代には、国家のスポーツ競技力が体制の優劣を比較する一つの方法として利用されることがあります。それゆえに共産圏においては、スポーツを生活の一つの方便として行うのではなく、国力を誇示するために競技力にあらゆる投資をしているのです。アメリカもこのような事実を知っているので、ソウル・オリンピックで勝利するために準備を行ってきたのですが、競技力を客観的に比較すればソ連に敗北してしまうことでしょう。ソ連はソウル・オリンピックを通じて、世界の人々に自国の優越性と優秀性を宣伝し、韓国もソ連のこのような計画的な宣伝に巻き込まれるおそれもなきにしもあらずです。

 一方、ソ連がソウル・オリンピックを自国の優れた宣伝用の舞台とすることを決定した以上、北韓は過激な挑発をすることはできないでしょう。しかし、そうかと言って小さな挑発までないとは考えられません。北韓の金日成政権が閉鎖的で、意外性に満ちているためです。ソウル・オリンピックにおいて、ソ連はアメリカを押しのけて優勝を果たし、そのことによって、ソ連は世界の国々や世界中の人々に対して最大限の宣伝をすることになるのです。ソ連を世界国家として宣伝するために、ソウル・オリンピックが最高の舞台となることでしょう。この先、世界は戦争という手段を通じては収拾することができません。ソ連がアフガニスタンから撤退しつつあり、またアメリカもかつてベトナム戦争で敗戦の苦杯を飲まされた経験をもっています。そのため平和的和合・交流問題が国家間において活発に論議されることと思われます。その一環としてスポーツ競技が最高の方法として選択されるのです。スポーツ競技は友好と競争力とをともに兼ね備えているからです。

 国家のイメージを対外的に宣伝する最高の方法がスポーツ競技(体育)であり、その次が文化交流です。文化交流は学術や教育を含めて共同の課題を一緒に研究する方法にもなり、また純粋な芸術活動を通じて相互理解と交流を分かち合うことも可能であるからです。我々は中共がアメリカとの関係改善を「ピンポン外交」から始めたことを記憶しています。中共はアメリカとピンポンを通じて敵対国から友好国へと変貌したのです。今やソ連が体育を通じて自由世界の国々と関係改善をしようとしているのです。

 ソ連においてボリシェビキの共産革命が起こってから七十年が過ぎました。レーニン、スターリンから始まって今日のゴルバチョフに至るまで指導者が十代目になりますが、十二代目に至って共産主義の崩壊を迎えることになるでしょう。事実上七代目のブレジネフ時代を過ぎて下り坂を歩んでいると見るのです。ソ連が共産体制を維持するために狂奔している間に、気がついてみると経済力の低下のせいで、帝国の巨大なその規模に比べて人民の生活が先進国の水準に及ばずにいるのです。体制的な閉鎖性のために生産力が低下して経済力が後退しつつあり、このままではソ連帝国が滅亡するかもしれないという焦りと不安感に浸っているのです。それがソ連の指導者たちの悩みです。これを打開するために果敢に解放政策を推進してはいますが、彼らの侵略的な属性のためにこれと言った成果を収めることが難しかったのです。そのようなイメージを脱皮しようとして、ソウル・オリンピックという宣伝の舞台を利用しようというのがゴルバチョフの計算なのです。(一九八八・五・一)




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第四節 南北韓総選挙を通した南北統一論

一.遠くない将来に南北総選挙時代が来る

 どのみち将来はこの民族が世界の先端に立って、世界史的な運動を左右するのです。現在このような時代的な環境になりつつあるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今から大韓民国が解決しなければならない問題は何ですか。共和党が行っている大統領選挙、国会議員選挙、もちろんこのようなことも問題になりますが、それらは重要な問題ではありません。そのようなことよりももっと重要な問題があります。今回国連総会においても韓国問題を議題として採択し、国連の監視下での南北韓総選挙の問題を取り上げています。これまでは北韓政府がこれを拒否していました。しかし南韓内における地下組織を強化し、自分たちのあらゆる目的や計画を間違いなく成就することができるという確信がもてるようになれば、間違いなく「選挙を行おう」と持ちかけてくることでしょう。

 それなら我々はこれにどう備えなければならないでしょうか。統一教会が心配するのは、この問題に対してどのように備えるのかということです。それゆえ次期大統領選挙よりもっと切迫した問題が、南北総選挙に備えるための国家的な運動を展開するということなのです。

これを準備するために昨年、三次にわたって復興団を編成したのです。少なくとも百二十カ郡、三百六十箇所以上の面を対象として思想武装を行わせ、また汎社会的に思想運動を繰り広げて鍛練を施し、訓練を行わせようというのが先生の計画です。(一六―六八)

 金日成が南北総選挙をもち出すことのできる、その日がそう遠くないと見るのです。(一九八六・一・一)

 金日成が今回一九八八年のオリンピックが終われば、間違いなく平和攻勢を全面に押し出して南北総選挙を主張してくるでしょう。(一九八八・一・二一)

 よく見なさい。南北総選挙時代が遠くない将来やってくるのです。そのことを中共が願い、日本が願い、アメリカが願い、ソ連までが願っているのです。世界情勢が全部これを統一することのできる運勢になっていくのです。天の運勢が到来するのです。政治を行う人は知りませんが、神様の運勢はコンパスで図りながら「さっ」「さっ」と角度を合わせて、今やぴったりと合うようになりつつあります。我々のような人は天運を見ることができるのです。(一六五―一八八)

 北韓共産党政権はオリンピック大会にソ連が参席し、中共が参席し、衛星国家が参席するようになって、共産圏においても隅に追い詰められるような事態を迎えています。それがまさに神様の摂理であるというのです。金日成が彼の一代において、このように窮地に追い詰められたことはかつて一度もありません。六・二五事変の時の惨敗よりもっと困難な政局を迎えているのです。ソ連にけられ、衛星国家に蹴られ、世界世論に押されて、隅に追われた悲惨な身の上になったのです。そのためにもう破れかぶれになって、挑発行為を引き起こすかもしれません。

 それゆえソウル・オリンピック大会が終わる前に、南韓まで赤化しようして無謀な挑発を行ってくるかもしれません。しかしながら先生は彼らが追い詰められている現時点において、各共産党同士、相互間の関係をすべて打ち切ってしまうという作戦を展開しています。それゆえ我々は、すぐ目と鼻の先に危険な時期がやって来たことを悟らなければなりません。万一金日成が挑発を行うことが不可能であると思われるような場合には、総選挙を持ち出してくるのです。オリンピックがあるからといって中共もこれに駆けつけ、ソ連も駆けつけ、彼らが信じてきた共産衛星国家もやって来て、あらゆる国が韓国に出入りし、そのうえ南韓の選挙までも滞りなく進行しているのを見て、偏狭な金日成の心は果たしてどうでしょうか。だから我々も国境を解放して往来しながら、ソ連の支持のもとに、中共の保護のもとに、アメリカと日本は手を引いたとしても、中・ソ両国の理解のもとに「南北韓総選挙を行おう」と言うようになっているのです。そうなればアメリカと日本は、ほかのどの国々よりもそれに賛成するようになっています。経済的に自国の商品を二倍も売りつけることができるからなのです。このように摂理の時が完全に到来すれば、北韓共産党も引き込まれずにいられないのです。このような危急な状況が目前にまで近づいていることを知らなければなりません。その時に備えて急がなくてはなりません。準備をしなければ南韓が滅びるのです。先生はこのような時が来るであろうということをあらかじめ知っていたので、十年前からそのための準備を行ってきました。皆さんもこのような事実をよくよく知らなければなりません。(一九八八・一・二)

 国際情勢から見るとき、韓国は南北統一をどのように行わなければならないのですか。それは選挙を通して行われると見るのです。中共が願い、日本が願い、ソ連までも願うというのです。八八オリンピック大会に参加するつもりなら、今火遊びが起これば困るのです。この期間に我々は鉢巻きをしっかり締め直して準備を行わなければならないのです。分かりますか。(はい)。時を知っているのに、どうしてできないということがあるでしょうか。(一六五―一三〇)

 金日成の性格から見る時、「ええい、中共にしても、ソ連にしてもおとなしく信じてばかりいるのではなく、行動に訴えて南韓を急襲し、これを手中に収めてしまえばよいではないか」。こう考えるというのです。もし攻撃ができないようになるなら、その時には必ず南北総選挙を行おうと言い出すのです。南北総選挙を行おうと言ってくれば、ソ連も喜び、中共も喜び、アメリカも日本もそれを歓迎するのです。仕方なくそこに引きずり込まれざるを得ないのです。ですから今年重要なことは、韓国の南北統一を造成することなのです。(一九八八・一・三)

 今は金日成の前にいる国民も全員尻をからげて、三十八度線の向こうに出ようとしています。南韓にいる国民たちも政党が争う姿が見るに忍びないために、どこへでも尻をからげて行ってしまいたいと思っているのです。どこに行かなければなりませんか。北韓に行かなければなりません。北韓の国民は南韓に尻を向けて後ずさりし、南韓の国民は北韓に行こうと後ずさりするというのです。そうして三十八度線で出会って、戦うことより和合することのできる運動が起こればどれほどよいことでしょうか。今そうなっているというのです。

 金日成も今や、体制を中心としてこれを維持することが困難な段階に入ったのです。一方こちらの現政府も難しい段階に入ってくるのです。ですから周辺の情勢を見る時、アメリカは北韓と南韓が争うことを望みません。日本も望まないのです。中共も望みません。ソ連を見ても、一九八八年のオリンピック大会を前にして自分たちが思いのままに操作しようとするのです。
 このように見る時、金日成が南北韓総選挙を持ち出してくる日が近いうちにあるだろうと考えるのです。その時にはどうするつもりですか。南韓が国連側を通じて「三カ月以内に行おう」と言えば、彼らは初めのうちは「ああ、いいね」と言うでしょう。その後でしきりに妨害に出てくるのです。二カ月に短縮しよう、さらに進んで一カ月にしよう、二十日にしよう、こうなるのです。大体妥協することのできる限界線が四十日以内です。二カ月にまでにはならず、二つの月にまたがった四十日程度にして決定しよう、我々は南北韓総選挙を行おう、こうなるのです。そうなれば北韓の二千万は金日成一色です。一方、南韓は誰ですか。南韓からは色とりどりのやからが大勢出てくることでしょう。この時に我々が必要になるのです。この時に我々が必要になるというのです。(一六六―一二五)




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二.南北総選挙に対する周辺国の立場

 ソ連は今体制のもつ体質を改善しようと力を入れています。そのソ連のゴルバチョフは韓国を中心とする極東アジアに対して、友好的なジェスチャーを交えながら接近しつつあります。ゴルバチョフはソウル・オリンピックを通じて、世界の国々に対して友好的な国家であるという宣伝を行い、アメリカに対してはより平和的なジェスチャーを使うことになるのです。

 ゴルバチョフはアメリカに対して韓国の統一のために総選挙を実施させようという内容を提示するのです。このような提案を受ければアメリカは言下に拒絶することができずに、それを受諾するしかないのです。統一問題は韓国の学生たちと在野勢力、そしてすべての離散家族たちが等しく願っている事案であるということを知っているために、一方で不安感をもちながらも拒絶できないようになっています。

 ここで問題となるのはアメリカ軍の撤退がまず先行されなければならないということです。今日韓国においてもアメリカ軍の撤退を願う声が高くなりつつあります。これはアメリカが韓国を従属的な関係において内政にまで干渉し、更には剰余農産物の処理場として韓国を利用しようとしており、甚だしくは人体に有害なアメリカ産の煙草まで買い付けるようにと圧力を加えていることに対する反対作用として起こっている動きでもあるのです。

 ゴルバチョフの南北総選挙を通じた統一の提案に対して、その動きが反米運動と一致することになり、そのことによってアメリカ軍が撤収せずにはいられず、また南北総選挙の提案を巡って韓国政府も混迷に陥るようになることは火を見るよりも明らかなのです。アメリカには民主党と共和党があるのですが、民主党では今現在もアメリカ軍の撤収を主張しているところに加えて、ソ連の提案が韓国からの名誉ある撤収のよい機会であると見なして、結局は撤収することになるのです。

 今回アメリカ大統領選挙において民主党の候補が当選すれば当然そのようになるのです。民主党から大統領が出れば、ソ連からの提案がなくてもアメリカ軍を完全撤収させるのは分かり切っています。問題は第二次大戦以後アメリカが四十余年間、外国に対する援助の一環として多くの国々を助けてきたのですが、韓国での反米運動によってアメリカ軍の撤収が実現することになれば、これが外交的な失敗として記録されることとなり、国際社会におけるアメリカの影響力は非常に萎縮することになるでしょう。このような時にソ連の提案を好機と考えて、アメリカ軍撤収を断行するようになるのは間違いありません。また総選挙を通じた南北統一ならば人口の面においても南韓が北韓の二倍にもなるために、その結果に対しても楽観視することのできる絶好の機会と考えるようになるのです。

 総選挙による南北統一の方案がソ連によって提示され、アメリカがそれでよいと応じれば、北韓も仕方なくこれに従わずにはいられないのです。ソ連の提案を拒否する力もありませんが、同時に世界から完全に孤立してしまうような結果を望みはしないからです。また北韓が信じているのは四十年の間金日成の主体思想を教育してきたことと、それに加えて南韓に反体制人士や左傾勢力が多いという点を計算に入れたうえで応ずることになるのです。(一九八八・五・一)

 南北を中心とする情勢から推察する時、アメリカも、日本も、中共ももう争うことは望んでいません。争いをしようとは思わないのです。そのためこの三国が連合して平和的な政府樹立を指導しようとするのは火を見るがごとしです。いつそのようになるとも分からないのです。アメリカもできるだけ早く、日本もできるだけ早く、中共もできるだけ早く、そうなることを望んでいるのです。中共は以北が南韓に対して……。そうではありませんか。以北が対話の広場を開いたと思ったらまた全部閉鎖してしまいましたが、これから先の国際情勢に押されて再びそれを開かざるを得ない時代に入ってくるのです。(一六三―三二三)

 韓国の周辺情勢は統一の道へとまっしぐらに突き進んでいます。政治的な関係だけを除外して体育、文化、経済の各分野において、イデオロギーの障壁は既に崩れ去りました。中共には多くの韓国の企業が進出する準備を急いでおり、ソ連と東欧圏もまた本格的な交流を始めつつあります。既にそれらの国家に入っていって交易の契約を結んできた事業家もいます。

 歴史は既に変わりつつあります。金日成が南韓を赤化統一しようと公言しつつ、共産国家を中心に政治運動を展開したような時代はもう過ぎ去りました。今日の世界歴史は平和時代に向けて突き進んでいます。しかしながら、本当の平和は解放の後に巡ってくるようになっているのです。(一九八八・一・七)




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三.国家存立に対する宿命的な責任を負った我々

 北韓が総選挙を通じた南北統一論をもち出してくれば、韓国はどうしますか。韓国はこの間平和統一を自国の統一案として標榜してきましたが、平和統一というのは詰まるところ総選挙を行おうということなのです。ところで南韓には総選挙に備えた準備が全くなされていません。国民に対してイデオロギー教育も行われておらず、組織も完全なものになっていません。また地域発展の不均衡や深刻な格差によって感情的な問題にまで発展しています。これまで独裁ないしは軍事政権によって、数多くの人々が政治的な理由のために監獄に入り、そのことによって大学街の左傾勢力が大きな勢力を振るっています。また経済発展優先政策によって労働者を中心に大衆が相対的貧困の中で、現政府体制に反対する機運が大きく伸張しつつあるのです。

 先に取り上げた問題は現在韓国が抱えている重大な問題です。このような問題を解決することなくそのまま南北総選挙に突入すれば、その結果を予測するのが難しく、結果によっては南韓の敗北に終わるかもしれません。先生は早くからこのような問題が発生することを予想して、勝共連合と大学街を中心に準備を行ってきたのです。

 現在韓国の大統領を中心としてあらゆる為政者たち、各界の指導者たちは一大覚醒をしなければならない時です。韓国の指導層は安逸さから抜け出て祖国統一を目指しながら、心機一転して長期的な視野をもって対策を立てていかなければなりません。一九八八年を迎え、オリンピックを立派に催さなくてはならず、また、以後押し寄せるであろう南北統一運動に対して深い関心をもって総前進しなければなりません。

 共産党を見くびってはなりません。彼らの動物的な残忍性と破壊性を忘れるならば、大きな被害を受けるおそれがあります。

 先生くらい共産党の実態をよく知っている人は多くないでしょう。彼らは徹底した教育を受け、また結果に相応する代価が与えられると考えるので、何事も躊躇なく行うのです。自分の正体が暴露されれば自分の歯で舌をかみ切ることもためらいません。彼らは目的達成のために最も悲惨な僕の暮らしもいとわないばかりか、情報を抜き取るためには偽装結婚も行います。またわざと監獄に入るようなこともするのです。

 先回南北調整委員として参加した人の中には二十年以上共産党のために監獄暮らしをした人もいました。このような彼らですから、いかに透徹した思想によって武装されているのか推察することができます。我々は俗に国民所得五千ドル時代が来れば北韓共産党と戦っても怖れることはないと言います。しかしながらそれは大きな誤りです。たとえ個人所得が五千ドルではなく一万ドルになったとしても共産党を防ぐことはできません。経済力では思想を防ぐことはできないのです。

 アメリカをご覧なさい。アメリカは国民の個人所得が一万ドルを超えた世界最大の経済大国ですが、共産党に歯が立たずにあえいでいます。日本にも共産党が相当な勢力を形成しています。このように共産党の連中は経済力に関係なく世界を赤化させつつあるのです。もちろん、経済力が脆弱な国家であればあるほど、共産党の宣伝や挑戦の前に弱いというのは事実ですが、経済力だけでは共産党に絶対に勝つことができないということも事実なのです。

 韓国はこのように悪辣な共産党と戦わなければならない宿命的な道におかれているのです。我々は、我々に与えられた運命の道は開拓することができますが、宿命の道は開拓したからといって変わるものではないことを知らなければなりません。我々がどこの誰それの息子として生まれたことはどうしようもない宿命なのです。そのように国家も宿命の道を歩まなければなりません。国を守る国民たちは国家の存立に対して宿命的な責任を負わなければならないのです。(一九八八・一・一)

 金日成が北韓の二千万同胞たちを完全に教育した暁には、南北総選挙を通じて南北統一を行おうと提案してくることでしょう。特に今年開催されるソウル・オリンピック大会が終われば統一のための環境が熟し、どのような形にしろ韓国の統一が世界的な関心を呼び起こすようになっています。

 オリンピックの期間中にソウルには百六十余国の選手と代表、そして民間人たちが集まってきます。特に共産圏の大多数の国家がソウル・オリンピックに参加することによって、今まで金日成の一方的な言葉にだまされていたということを、彼らも悟ることになるでしょう。韓国の政治、経済、文化、スポーツ等をはじめとして全般にわたる発展像を見ることになり、このことはすなわち北韓との比較を通して、韓国に対する認識を新たにするという結果をもたらすでしょう。

 韓国は平和と繁栄を追求する文化民族であることを世界が知ることとなり、今まで北韓の宣伝によってひょっとしたらと思っていた疑いは消え、国際社会においてあらゆる国家が韓国と関係を結ぼうとするのです。そのことはすなわち北韓の孤立を意味し、世界の国々から北韓が疎外される局面を迎えるようになるということを示すのです。そのような結果を誰よりもよく知っている北韓の金日成は、いかなる手段を使ってでも韓国でオリンピックを開催することができないようにするために、妨害工作を展開してきたのです。しかし今やたとえ韓国でオリンピックが開けないというような不幸な事態が発生したとしても、今回のオリンピックは他の国では開催されないままで終わることになるでしょう。

 北韓の挑発行為によってオリンピックを開催することができないようになれば、世界の世論は北韓を容赦せず、中共や東欧圏はもちろん、ソ連までも北韓の肩をもつことができなくなります。その結果は北韓の滅亡を意味するために、今や北韓が独自的に火遊びができなくなる時点に入ってきたのです。

 韓国の南北統一は、オリンピックが終わるとともに本格的に問題が提起され、金日成も四面楚歌の状態になって、交渉のテーブルに着かざるを得なくなるのです。その時になって金日成が提案するいくつかの統一方案の中の一つが、南北総選挙による南北統一論というものなのです。それに沿って彼らが、これまでに北韓の二千万同胞たちに対して完全な教育と組織づくりを完了させたからです。(一九八八・一・一)




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四.総選挙に対備した北韓の作戦

 勝共連合では以北の五つの道に対する組織をみなつくりましたか。(市・郡の組織はある程度できました。しかし邑・面の組織は一部だけができています)。以北は行政組織の数を南韓と同じようにつくったと言うけれど、こちらではそんなふうにはできないでしょう? ここに出ている行政組織は以北でつくられたものではなく、昔のものです。以北で編成されたものが必要でしょう、昔のものはあってもなくても同じことです。道の数も今我々が使用しているのは咸鏡南道、平安南北道、黄海道……このように五つの道なのですが、現在以北では九つの道に分かれています。そう、九カ道ですが、慈江道、それから黄海南北道というのがあるのですか。(はい、両江道もあります)。両江道も入れてと……。(はい)。そうなっているんですね。

 だから行政編成を大韓民国と同じ数にして今まで訓練してきたのです。それが何かと言えば、総選挙時代に備えたものなのです。(一六三―一八四)

 北韓には「道組織」があり、「郡組織」があり、「区組織」がありますが、「農民区」というものもあります。「区組織」があって、「面」はなく、「里・統組織」になっています。このように見ると、南韓の「面」よりももっとたくさんあるのです。

 このようにしたのは将来もし事態が不利になった時、総選挙を行って、つまり選挙を通じて解決することのできる方案を第二の目標として立てているからです。南韓を侵攻してみて、もし万が一征服できない場合には、政治制度を通じて解決することができるようにしようということなのです。このような方法を考え出したという事実を見ると、その準備したものが彼らの思惑どおりに完全に完了したと考えなければなりません。

 そのような共産党の準備された体制を知っている我々が、これに対処することのできる準備を行わないというのは至極無謀なことです。

 しかしながら今、与党でこのことについて検討していますか。野党が考えているでしょうか。南韓において誰がこのことについて神経を遣っているというのでしょうか。考えているのは我々しかいないではないですか。このようなことに心を砕く天が、我々にこのような責任をお任せになったのだとすれば、これに備えて準備を行って勝利することは願っても、敗亡することを願いはしません。ですから、どれほど切迫した位置にいるのかということを知らなければなりません。(一九八八・一・九)

 南北総選挙を行うことになれば、少なくとも三カ月以上の期間が必要ですが、金日成はこれを四十日の間に行おうと言うのです。四十日間で南北総選を行おうと言うのです。三カ月で行おうと言ったとしても、二カ月で行おうと言うのです。それで「ではそうしましょう」と言うと、その次にはまた「四十日にしましょう」と、こう言うのです。しきりに縮めようとするのです。最小限で彼らは四十日と言うのです。なぜならば、彼らがあらかじめあらゆる事柄に対して万全の態勢を備えているからです。南韓の地域を全部二重に組織編成しておいて、そこにさっと配置するのです。そこに軍の政治宣伝工作隊を送り込んで組織要員と一緒に一度に組み合わせて、彼らが南韓から出てくるや否や、地下要員たちが現れて作戦どおりに宣伝を行うのです。そうなればどうなるのかというのです。(一六五―一九〇)

 南北総選挙を行うことが決まると、以北の人々はできるだけ早いうちに行おうとするのです。彼らは既に組織編成を全部終了しているのです。そこに動員されることになる場合には、あらゆる機密はもちろんのこと、軍事力を総動員して自動車やら何やら全国的にあらゆるものを全部組織編成して、動員を行うことができるように、あらゆることを準備したのです。南下して来たら間髪を入れず、即刻宣伝に取りかかることができるようにつくっておいたのです。できるだけ早いうちに全部行おうとするのです。(一六三―三二三)

 今先生が心配しているのは南北統一です。その南北統一とは何かというと、南北韓総選挙です。ところで金日成は「高麗連邦制」を中心として話を持ち出してくるのです。今そうしているところなのです。金日成は相対的な基盤が拡張されつつあることを知っているので、そのような主張をしてきているのです。「南労党」の残党らが残っていることを知っているのです。彼らが蜂起して結束すれば、南韓の体制に対処することのできる要員が南韓の内部にもおり、自分たちが南下して来た場合にも十分に事を起こすことができると踏んでいるのです。それで南韓侵攻を画策しているのです。何の話か分かりますか。(はい)。

 彼らは組織をきっちり組んで、政治工作班がやって来ては宣伝を行い、後継要員を配置できるように連れてくるのです。現政府がそのようにできていますか。これに対処して我々がそのための準備を行わなければならないのです。それが執権政党がその責任を果たすことができなくなった場合には、我々がそれに代わって国を保護することのできる基盤となるのです。分かりますか。(はい)。生き残ることのできる基盤です。このことをよくよく知っておかなければなりません。(一六七―八一)




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五.総選挙時は必ず単一候補でなければならない

 韓国は産業を発展させて経済復興を成し遂げ、政局を安定させた暁には北韓解放の道へと進まなければなりません。第六共和国からこのような目標をしっかりと定めたうえで政策を立てていかなければならないのです。北韓との戦い、すなわち南北総選挙が実施された場合、現在のように十数個の政党が互いに争っていてよいのかというのです。北韓には金日成党を中心としてすべてがまとまっています。南韓だけで四つの政党が一度に出馬すると言い張るならば、喜ぶ人は金日成しかいないことでしょう。(一九八八・四・七)

 南韓では南北総選挙を控えて今までと同じ与党と野党ではなく、「韓国統一党」をつくって、あらゆる団体、すなわち四千万の国民たちが一つにならなければならないのです。これは先生の個人的な言葉ではありません。南北総選挙を控えて南韓に政党が三つ、四つ生まれるとすればいったいどうなるでしょうか。喜ぶ人は北韓共産党の金日成しかいないということを、皆さんは知らなければならないのです。

 北韓の金日成が南北総選挙を持ち出してくれば、南韓において既存の与党や野党はすべてが一つにまとまらなくてはならないということを言っているのです。(一九八八・一・七)

 国会議員選挙を控えてたくさんの政党が乱立していますが、南北総選挙に当たってはあらゆる政党が一つにまとまらなければなりません。南韓に単一政党が生まれても結果がどうなるか分からないのに、そのうえ四つもの政党が出てきて金日成の共産党と戦うことになればどうなるでしょう? 韓国において未来の政党が生まれなければならず、その政党を中心としてすべてが一つに団結しなければならないのです。

 南北総選挙が迫ってくるというのに、既存の政党と人物たちをもってしては共産党に勝つことはできません。統一国会がつくられたとしても、何をもって共産党出身の国会議員たちと戦うのですか。共産党を知って初めて彼らを相手に戦うことができるのに、共産党について何も知らないのですから、戦っても敗北するのは目に見えているではないですか。このような点から見るとき、問題は大変に深刻であると言うことができます。統一国家の大統領を選挙するという時、北韓はすべての力とお金を候補者に提供するでしょうし、もしそうなれば南韓では候補が乱立することになるのではないでしょうか。北韓共産党からは単一候補が出馬するというのに、どうやって彼らを防ぐことができるというのでしょうか。

 北韓は有能な選挙運動員数十万名、いや数百万名も南韓に送り込んで選挙工作を展開するのです。まず血縁や因縁などを中心にして浸透し、その次にはお金で買収し、最後には恐喝、脅迫ないしは要員の暗殺およびテロまでも引き起こすことでしょう。北韓共産党は、自分たちが不利だと思えば武装暴動を最後の切り札として使用するのです。この他にもたくさんの選挙戦略をもち出してくることでしょう。これに対する南韓の対策としてはどのようなものがあると思いますか。その時のことを仮想して教育を行い、組織づくりを行わなければなりません。

 北韓は早くから赤化統一と平和統一に対する陽動作戦を考え出して、すべての準備を完了している状態なのです。韓国は次の政権の統一時代のために準備し、彼らと戦って勝利を収めるることのできる方案を研究しなければならないのです。(一九八八・一・一)

 南北総選挙を行うことになれば、金日成は独裁を行使するために完全な単一候補となります。これは決定的なのです。北韓の二千万はそのように歩むようになっているのです。その一方で南韓はどうなりますか。統一政府ができれば、誰もがみな大統領を一回でもやってみたいのでしょう。この民族が目の前で辱めを受けるように、この私がそのままにほっておきはしないというのです。「民主会」をしっかりとつくって悪い連中はいっそのこと……。その準備をしているのです。たとえあなた方が滅び、後退しようとも、大韓民国の国民は天の運勢を受けることのできる時を迎えているのです。これは全部歴史的な事実です。統一教会においては蕩減復帰というものを中心に、同時性による発展を通して再び循環してきて完成するように理論がきっちりと構築されているので、先生の言葉をよく聞くのです。そうして今や南韓の国民を結束させて、その次には北韓の国民までも……。(一六五―一八九)

 我々は天意に従って南北統一のために総選挙に備えなければなりません。北韓の金日成は単一候補として出馬しますが、南韓は多党の候補が乱立して出馬することになれば不利な立場になるので、南韓からもぜひ単一候補を出さなければなりません。ゆえに、超党的に国会議員の結束を期して統一戦線を形成しなければならないのです。それゆえ北韓に対処することのできる強力な単一大統領と国会議員を全国的に選出しなければなりません。(一九八八・一・九)




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六.総選挙に対備した我々の準備

 我々が今まで願ってきたことが何かと言えば、将来南北総選挙時代が必ず到来するので、その時に備えるために一千万以上の人員を確保しなければならないということでした。今日統一教会は勝共連合とともに反共思想を備えて歩んでいるために、共産党にとってみれば怨讐なのです。それゆえそこに加入するだけの人員を、国家からの後援を受けてどう準備するかが問題です。先生はいつもそのことを考え続けてきたにもかかわらず、そのような準備をすべて備えることができないまま、この時代は我々の目前に近づいているのです。(四六―一二六、一九七一・八・一三)

 いつ北韓が南北総選挙を行おうと持ち出してくるのか分からないのです。忙しいのです。これを訓練して将来総選挙の時期には皆さんが北韓に入っていって、北韓でいう政治工作隊と同じように、政治工作から始まってあらゆる宣伝工作を全部行わなければならないのです。理論的に教育も実施し、その他あらゆることを行わなければならないのです。この任務を行うことのできる要員、南韓で活動することのできる要員の他に、北韓に行って活動できる要員まで養成していかなければならないのです。(一六四―二四〇)

 実際南韓には、総選挙に備えて何らの準備も成されていません。我々はこのような時が来ることを知って、あらかじめ全国的な準備を推進しているのです。それは神様が助けてくださって、我々をしてこのような時が巡って来ることを予見され、準備を行うようになさったのです。

 先生はそのような神様のみ旨を知ったために、厳しい風霜に打ち勝ち、今まで準備を行ってきました。韓国ばかりでなく世界のどこに行っても、あらゆる反対や迫害を受け続けてきましたが、滅びることなく発展し続けてきたのです。世界のどのような国、どのようなところでも身を置くことができます。若い大学生の世界、学者の世界はもちろんのこと、各界・各部署と密接な関係を構築しつつあるのです。(一九八八・一・七)

 先生は、先回の選挙の直前にしばらくアメリカに行ってきました。「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」に参観するという目的もありましたが、もっと大きな理由はアメリカと日本、そして韓国を結ぶ勝共戦線を構築することにあったのです。中南米の首脳たちとも会って、この問題について深い意見の交換をし、予想される状況に対処することのできる方法を協議しました。これらすべてが韓国において遠からず訪れるであろう、南北統一時代に備えるための布石なのです。(一九八八・一・一)

 将来は南北総選挙時代が必ず到来すると見るのです。このことは誰でも知っているのです。そのための準備を行わなければ完全に敗北するのです。分かりますか。(はい)。その時に北韓の二千万名の中からは金日成が単独候補者として出馬し、南韓からは雨後のたけのこのように互いに大統領になってみたいと目の玉をギラギラさせることでしょうが、私がそこにブレーキを掛けようというのです。その時に国を滅ぼす可能性のある悪質分子に私がブレーキを掛けるのです。だめだ! そうして北韓を消化しようと思うのなら、皆さん全員がしっかりと訓練されていなければなりません。そうして北韓の女性たちに「共産主義について知っているのか?」と尋ねて「知らない」と答えるようならば、後は一言だけで完全に終わるのです。

 その次には少なくとも一千万名の要員たちを三週間以内に南韓に連れてきて、我々の施設から始めてすべて見せるのです。ソウルには乞食がうようよしていて、みな空き缶をぶら下げているですって? この者たち! ソウルから一度回れば完全にひっくり返るのです。「共産党は四十年間あなたたちを動物のように扱い、あなた方はみな奴隷とされて金日成一家の犠牲にされてきた。その代価を手にすることもできないのに、そのことが恨み骨髄にしみ込まないのですか。そのくせそのような事実も知らないで南韓を解放すると言うとは、そのようなことは全部うそではないか。経済力をとって見ても、軍事力をとって見ても、あらゆる面において北韓が南韓の相手になる基準に達していない」と、このように話して、全員に実際目で見せてから北韓に行かせるようにするのです。そうすれば完全に我々が提唱する方向へついて来るのです。全部投票の方向が南韓へと向けられるというのです。

 その一千万の人員を動員することのできる機動性をどうやってつくりますか。その時はあらゆる車を動員するのです。車という車は全部北韓に動員するのです。南大門交差点に出ていって、そこを通る車は運転手を追い出して、もち主を追い出して押収するのです。徴発してから「一週間歩いて通いなさい」と言って南韓の視察要員のために北韓にきっちり貸し与えるのです。そうしておいて、先生が計画したとおりに南韓を統一する基盤のうえで選挙を行えば我々が勝つでしょうか、それとも負けるでしょうか。(勝ちます)。このように訓練された大学生たちを中心に、我々の側から一つの方向性をしっかりと決定しておいて投票するのです。そうしなければ国を奪われます。(一六五―三二三)

 今や南北総選挙が行われれば、南韓のあらゆる工場はすべて停止するのです。そこで生産されるものを全部持ち出してきて、自動車という自動車にみな積み込むのです。南韓において生産するあらゆるものの三分の一を車に詰め込み、以北へと走らせるのです。そして自分が配分された地域に持っていって分け与えるのです。そのような意味において私が勝共思想を……。

 共産主義は思想的に武装されており、体制的に訓練されています。以北に行くと、共産主義体制は確固たるものです。皆さんの体制はそれに比べれば、お話になりません。このようなことではいくら入っていっても負けるのです。それならどうするのですか。理論的に彼らを屈服させなければならず、愛をもって彼らを屈服させなければなりません。二つの方法しかないのです。彼ら以上の理論をもってそれを解消し、その次には金日成の独裁体制下における奴隷解放を願う愛の心をもって一つとなり、車に積んで行って全部分けてやるのです。そうやった後で、共産主義を批判して「南韓に行きたくはないか」と言いながら、彼ら千五百万をすべて車に乗せて南韓を一周、巡回させるのです。「金日成が教える南韓は乞食の巣窟という話だったでしょう? ソウルにはバラック作りの家だらけで、乞食の群れがうようよしていると言っていたでしょう? さあ、見回してご覧なさい!」と言って、ハイウェイで全部連結された八道江山を見せれば目の玉がひっくり返って、「これはだまされたぞ!」と言うのです。四十年の間だまされ続け、日の目を見ることもなく、何も知ることのできなかった無知な人たちに、僕の子・奴隷の子としての恨みを解くようにと言うのです。「この先もまただまされ続けるつもりですか?」と言っては彼らの首を横に振らせ、ひたすら引っ張り上げていかなければならないのです。

 そのような主導的な役割を皆さんが行わなければなりません。あちらではその訓練が既に行われています。以北には「里長」まで配置しておいて、命令一下前進すれば一週間以内に完全に南韓をカバーすることができるのです。北韓でもそのように実行するようになっており、また南韓もそのようにつくるようになっているのです。地下運動要員を全部配置して、その仕事を今行っているのです。この天地においてすべて公開選挙運動を実施して、どうやって勝つのかということが先生の第一の悩みです。(一九八七・一〇・三一)

 この先力いっぱい引き締めて四千万を皆さんと同じような人にしなければなりません。そうして南北総選挙時代が来れば、さっさときれいに掃き出してしまわなければならないのです。分かりますか。

 そのために皆さんは、これからジープを一台ずつ買う計画を立てなければなりません。(笑い)なぜ笑うのですか。先生一人でここまで基盤を整えたのに、皆さんがジープ一台も買えないということがありますか。(笑い)ジープを買ってどうしますか。山やら峠やらたくさん越えていかなくてはなりません。北韓の山を越え、都市ではなく山間に入って行こうと思えば、北韓に行って乗れる車はジープしかないのです。こちらのように高級車は使いものになりません。ジープに乗って入って行かなければならないのです。

 それなら今どうしますか。概略的に見ると、これから南韓全部が国民連合運動に協助するようになれば、北韓に行くことのできる完全な準備を行わなければなりません。万一南北総選挙を行おうということになればどのような事態が起こるでしょうか。北韓からは金日成一人しか出馬できません。南韓からは数十名が出るでしょう。野党の人たちも、与党の人たちもいるでしょうし、四党なら四党から全部出てくるでしょう。そこにもカイン・アベルがあるので、八人になるのか百人になるのか分からないのです。お互いに、一度は統一南北の大統領になってみたいというのです。

 そのような時が来るのです。このままではだめなのです。私がかっちりと一箇所に押し込んで教育し、私の指示に従いなさいというのです。金日成のところでは既に二千万全部が一枚岩なのです。一枚岩と同じです。それに対して南韓は全部分かれているのです。分裂していてはだめなのです。それで国民をしっかりと一つに結わえておかなければなりません。何の話か分かりますか。

 その次になぜジープを用意するのかと言えば、北韓の人口が二千万人ですが、二十代、十七、八歳以上、四十代以上で話が上手で宣伝運動ができる能力のある人をざっと一千万人ほど連れていき、三週間以内に南韓を一周させなければなりません。南韓を一周させて「金日成があなたたちをだましたのです。それも一日、二日だまされただけでも悔しく恨めしいのに、四十年だまされ続け搾取されてきた。南韓には乞食ばかりで、空き缶をぶら下げて、ご飯を恵んでもらって生きるような人ばかりいると聞くでしょう? そうなのかどうか来て見なさい」。そうすれば目の玉がひっくり返るでしょう。そうしてあらゆる北韓の国民を、一時に完全に「さっ」とひっくり返さなければなりません。何の話か分かりますか。それで皆さんが理論的に彼らを教育することのできる実力がなければならないのです。(一六五―一二九)




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七.南韓を結束させるための汎国民運動

 これからは、大韓民国も文先生についていかなければならないということを多くの人が知っているでしょう? 南北統一は先生でなければできないというレッテルが既に張られているのです。それで、これがきちんと終わればどうしますか。何を行わなければならないのでしょうか。「南北統一運動国民連合」をつくらなければなりません。これは超国家的なのです。我々はこの国、この民族を思想武装させて北韓を消化しなければなりません。遠くない将来、金日成が「四十日以内に南北総選挙を行おう」と提案してきたらどうするつもりですか。完全に奪われてしまいます。できるなら時間を短縮させようという話を金日成が持ち出してくるでしょう。既に地下組織を中心に、大学街の政治工作要員として組織編成を全部完了させてあるということを知らなければなりません。これに対処して南韓のあらゆる大学を中心に、教授たちと学生が一つとなり、有志たちと青年が一つになって、一つの編成をしっかりと行って、南韓を結束させる国民運動を連結させなければなりません。このようにして北韓に対処しようというのです。(一六二―三一五)

 我々は南北総選挙に備えなければならないのですが、地方にいる子女たちを中心とした「統・班長」では不可能なのです。大学を卒業した人たちを配置しておくのです。「統班撃破」は、一つの「統」に十個の「班」をつくったとすれば、二百名になります。「統」にいる二百名を全部集めて、我々の側の教授が教育を行えばよいのです。教授三万名を投入して回れば、一年間で全部撃破されます。

 一つの「班」を中心に、一年間で一周「ぐるっ」と回るだけでも撃破されます。五十二の「統」、「班」ならば、五十二名が一週間に一度ずつ通過しながら「金日成を打ち捕らえなければならない。文総裁でなくてはだめだ。統一思想でなければだめだ」という話をするのです。そうすれば、金日成を打ち捕らえるのに絶対的に必要なのが文総裁であることを、皆知るようになるのです。

 共産党のサタンどもがいかに踊りを踊ってあれこれ宣伝してみたところで、五十名の教授たちがあれこれ話をするならば、それを忘れ去ってしまうことはできないのです。完全に撃破してしまうのです。教授たちが手伝ってくれるなら、撃破することは簡単ですか、それとも難しいですか。(簡単なように見えて難しいこともあります)。いったい何が難しいというのですか。簡単だというなら簡単なのであって、難しいというから難しいのでしょう。(笑い)最善を尽くして「統班撃破運動」を行い、それでもだめならラジオ放送を聞かせるのです。三百六十五日間、三万名の教授が出てきてラッパを吹き鳴らすのです。毎日のように一日に十人ずつラジオに出ればできるのです。このように始めるのに難しいとは、いったい何が難しいのですか。ラジオの放送局はMBC、KBS一・二・三放送局があるので、そのすべての放送局に出演して全部ラッパを吹きまくるのです。夜の十二時から早朝五時までは正規の放送が休みなので、その時間に三万名の教授たちが交代で放送に出演して統一思想を講義するのです。

 三万名の教授が今組織編成を終えて首を長くして待っており、どこへでも枝が伸び、葉が出るようになっているのです。根を通して栄養素を吸収させれば、その栄養素によってあちらこちらに葉がたくさん出てくるようになっているというのに、何が難しいのですか。先生は何もないところからこのようにつくり上げたというのに、皆さんはその基盤の上に立ってもまだできないと言うつもりですか。「統班撃破運動」をこのように行うことによって、共産党の理論や政治目的のデモはもはや生き残ることができなくなることでしょう。金日成は南韓の赤化統一のための機会を見つけることができなくなると思われます。その代わり我々は北韓共産党の連中より組織を二倍にして、教授たち全員が北韓に入っていくのです。北韓に入って行くことのできる環境が、オリンピック大会が終わるときに生まれるようになるのです。(一九八八・一・二)

 韓国の各界の指導者たちを教育して活動方向を提示することにより、遠からず迫り来る南北統一のための総選挙に備えようとするのです。また政党間の争いを止揚し、労使紛争を順調に解決していこうと考えているのです。(一九八八・四・七)

 これからは、南北総選挙に備えることのできる教育プログラムを運営するのです。特に国会議員や為政者たちは北韓解放、南北統一のためのあらゆる政策を啓発して、国民たちに神様の名において教育を実施していかなければなりません。(一九八八・五・一)

 統一思想で武装して三十八度線を撤廃しよう、と言わなければなりません。そのような与件と環境が準備されていなければならないのです。国連総会の決議によって南北総選挙が実施されれば、南北韓を神様のみ旨の前に立てることができなければならないのです。(三〇―二六七)




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八.総選挙に対備した統班組織の必要性

 南北総選挙が行われれば、民正党がこの民正党のままでいられるでしょうか。全部解体されるしかありません。南北総選挙が実施される時、北韓の労働党は全部解体されても南北総選挙が始まれば、いつでも労働党としてまとまるようになっています。しかしながら民正党は南北総選挙が始まれば、民正党としてそのまま残ることはできないのです。みな解体されて、超党的な立場から南北総選挙に臨まなければならないようになるのです。南韓において四つの政党が大統領候補を出して大統領選挙を行いましたが、終わってみると野党統合論が提起されるのと同じなのです。南北総選挙においても四つの政党が各自の候補を出すとすれば、それは逆賊です。金日成だけが何よりもそれを望んでいるのです。野党だ、与党だ、何々党だといって、このようなものがたくさんあるために南韓が決裂し、大統領候補を多く出馬させるほど、金日成の勝利が可能になるからです。そうなれば金日成の野望を満たす結果にしかならないため、一つの統合党を決定してから事を進めなければなりません。このような結論が出てくるのです。南北総選挙に当たって、南韓の統合政党に対して反対する者がいますか。それゆえこの国民運動を中心に、全員が間違いなく「統班撃破運動」を推進していかなければなりません。南北総選挙を行うに当たっては国会を解散しなければならず、政府を解散して総選挙を行うようになれば、残るのは「統・班」組織だけです。分かりますか。

 北韓において南北総選挙が始まれば、北の選挙運動員たちが南韓の「統・班」に南下して来ますが、彼らは七年以上訓練を受けた南韓出身の政治工作隊員であることでしょう。彼らは自分の父母に関して熟知しているばかりでなく、母方の叔父、あるいは配偶者の両親の八親等に当たるような遠い親族に至るまで全部知っているのです。そのような人が班長として派遣されてくると思われます。このような彼らに誰が勝つことができるでしょうか。それゆえ国民連合の教授たちが体制を中心に「里・統」まで連結し、組織づくりと教育を行わなければなりません。共産主義は世界的な主義であり、莫大な内容を備えた理論体系として総合的な哲学思想を中心とした世界観をもっていますが、これに対応する我々の組織が取るに足らないものであってはなりません。我々の組織員たちも十年以上勉強をしなければなりません。共産党員たちは年が若くても全部理論には精通しています。(一九八八・一・二)

 この最後の決戦は、南北韓が総選挙を行う場合、大統領候補に出馬すれば誰が当選するのかという戦いになるのです。当選しようとする時、その撃破地、その覇権が決定される場所がどこかと言えば、「統・班長」なのです。「里・班長」なのです。分かりますか。それは一軒一軒の家を誰が占領するのかという戦いです。一軒一軒の家を誰が占領するかという戦いなのです。そのために今から我々統一教会のすべての組織、勝共連合の組織、「教学統連」の組織は全部「統班撃破運動」、都市においても「統班撃破運動」を行わなければならないのです。

 それゆえ、このための模範となる基準と伝統を私が見せるために昨年六カ月間行ったのがこれです。全部「統・班長」教育を行ったのです。

 そうして、ソウルの「統・班長」を教育してソウルに全部配置したのです。このことを中心にすべてが「勝共班常会」を行い、教育をしなければなりません。その教育をすることのできる教材を全部作っておいたではありませんか。勝共講義の教本、それから統一思想の教本、原理の教本を作って、その次には『世界の希望』という画報まで作っておいたのです。そこに莫大なお金がかかったのです。それはただでその人たちに分け与えなさいというのではないのです。

 それゆえ我々の要員が背後に巡回組織をつくり、彼らを中心に大学生たちを結び合わせるのです。最初人が足りなければ十個の班に編成して巡回しながら、一つの「統」から一つの「班」へと、このように連結させる教育をしておかなければならないのです。

 ところでこれを全部中央で管理してどのように行うのかというのです。数字から見れば「班長」が十二万名です。「班長」が十二万名で、その次に「統長」が一万二千名なのです。そうすると、もしこの十三万二千名を百名ずつ教育するとすれば、一カ月に百名ずつ、一年を十二カ月として教育すればいったい何年かかりますか。四十年以上かかります。四十年以上かかるというのです。このように行っていては到底不可能です。教育を中央で管理していては絶対にできないのです。

 それなら、このための基地がどこにならなければならないかというのです。「面」にならなければなりません。「面」と「洞」に入って行かなければならないのです。「洞」が基地です。教育を行うことのできる教材を作ってもっていって、「統・班長」を管理しながら、「洞長」と「面」にいる「面長」の管理を中心に行うのです。それ以外は全体が中央集権制ではありません。我々の撃破は「統・班長撃破」です。ここにあらゆる力を注がなければならないというのです。

 そこで一軒一軒の家々から、金日成を捕らえようと言う声が起こってこなければならないのです。そう言い出すに当たっては父親よりもまず女性たちが言い出さなければなりません。女性たちが全部期待に添えていないために、今この時になってもいまだに南韓政府が全部理解することができず、政府が今後行くべき道と世界に貢献する道を知らずにいるのです。

 それゆえ思想を注入して初めて、大韓民国がアジアを連結させ、世界を連結させて神様を解放しなければならないということを知るようになるのです。地上に天国の門を開かなければならない責任者が我々の周囲にいる、という事実を皆が知らなければなりません。我々「統・班長」の中にいるというのです。これが「洞・統・班」、このように三段階です。これを組織しなければならないのです。それゆえすべての主力は「統・班長撃破」と「里・班長撃破運動」なのです。何の話か分かりますか。(一六五―二〇一)




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第五節 南北統一は統一思想武装によって

一.南北統一は統一思想武装によって

 我々が統一を追求していくに当たって、統一戦線を展開し、勝利しようとするなら装備がなければなりません。勝利することのできる武器がなければならないのです。その中でも最も必要な武器が何かといえば、世界中の誰の信念よりも強力な信念です。統一を成し遂げるのだという強力な信念がなければ力が出てこないのです。このような信念が生じるためには理念がなければならず、理念が生じるためには思想がなければなりません。(二七―三三二)

 統一思想とは何でしょうか。この宇宙の根本問題について、唯物史観と唯心史観の二つの史観に分かれているために、この根本的で哲学的な問題を取り扱い、解決するための方案を研究して体系化したのが統一思想なのです。あらゆるものを統合して新たなる世界観、新たなる人生観を提示するという目的をもって新たに定立させ、編成したものが統一思想なのです。(六五―三三七)

 対立する善と悪の世界をどうやって統一させますか。統一思想をもって統一させます。悪は自分のために生きよと言って自分を持ち出し、善は人のために生き相手の成功を願うのです。父母は子供に対して善ですか、悪ですか。(善です)。なぜ善ですか。「我々はだめでもお前たちは幸せにおなり、お前たちのために私は犠牲の道を行くよ」と、このように生きるからです。これが公式にかなっているのです。よく分からなくても、自分の子供にだけはその公式が適用されるのです。その公式を社会に適用し、世界に適用するようになれば、世界がよくなるのです。(三六―七三)

 南北に分断されているこの国をどうやって統一しますか。統一思想をもって統一しなければなりません。統一思想で備えずしてこの国を解放することはできないのです。北韓が金日成思想で統一することを夢見ていますが、これが問題なのです。もし彼らに統一思想を教え込んだらどうなるでしょうか。金日成が問題ではないというのです。(四八―二五六)

 今や大韓民国はもとより、南北が分断されたこのような実状において、皆さんがその胸にいかなる希望をもたなければならないでしょうか。皆さんは共産党と戦って、共産党を包囲し追放してもなお余力のある青少年とならなければなりません。分かりますか。(はい)。共産党の連中が厳しい訓練を行うというのならば、皆さんはそれ以上の訓練をしなければなりません。そのような立場に立って決意し、思想を身につけて訓練を行わなければ、将来生き残ることができないでしょう。共産世界がどうなっているのか、その内も外も全部知り尽くし、また民主世界がどうなっているのかも知ったうえで、それを凌駕できる統一思想を中心として克服することなしに、南北韓の統一は果たされないのです。(一〇〇―一一〇)

 大韓民国を統一するには、私が今、この時代の骨髄として流れくる統一思想をもって、統一に対する方案を立てていかなければなりません。(七八―一五九)

 大韓民国なら大韓民国がこの先行くべき道はどういう道ですか。今北韓は完全に全体主義思想を中心に一体化されています。共産主義思想が骨の髄にまでしっかりと食い込んでいて、芯の芯まで真っ赤なのです。このように、あらゆる面において優勢な基盤を整えて南侵の機会をうかがっている今この時に、我々大韓民国がなさなければならないことは何ですか。彼ら以上の思想武装をなさなければなりません。今となっては他の手だてはありません。統一思想で武装をしなければなりません。統一思想で三千万の民族が一体化するなら、一度に北韓を粉砕することくらいは何でもないのです。

 それでこのような基盤を整えるために、一九六〇年度からあらゆることを行ってきましたが、既成教会は統一教会に真っ向から反対し、統一教会の行く道をふさごうとあらゆる角度から反対しました。しかしながら統一教会はその道を整備し踏み越えて、世界的な怨讐である共産党と対決し、国家の悲運が垂れ込めてくるこのような時代に、それこそ国を愛し、民族を愛そうという思想をもってきたのです。それは国家機関が全部知っています。統一教会の人たちのように国を愛し、民族を愛するならば、この国が滅びることはなく、共産党が問題ではないということを知って、このように話をしているのです。(五一―三四)

 統一教会の行く道に今や……。今回私が来ることによって、大韓民国の与野党を問わず、デモをするやからは全部力が抜けてしまい、希望がかすんでしまいました。今はまさにそのような時です。政府もそのようになる時ですし、野党も与党もそのようになる時なのです。大韓民国において全部息が詰まったのです。どうしたらいいのですか。今やこの民族の前には、統一思想を教えてあげるという、たった一つの道しかないのです。(一六二―二三五)

 今日の統一の方案は何ですか。統一教会の思想を中心に、その壊れたものをすべて真のものへとつくっていくことです。新たな分野において愛の秩序を立て、生命の秩序を打ち立てなければなりません。そのような世界になれば、天国は成されるのです。天地開闢が起こるのです。これがまさに統一思想であり、統一主義です。統一教会がなさなければならない目的です。分かりますか。(三九―二〇八)

 将来北韓に勝つことのできる秘法は、我々の統一思想しかありません。青年男女を中心に大韓民国三千万が統一思想で徹頭徹尾武装しなければなりません。江原道から全羅道の端まで、東海岸から南海岸を回って西海岸に至るまで全国民が心を一つに合わせて、彼らより千万倍以上、徹頭徹尾思想をもって、共産党に打ち勝たなければならないという歴史的な課題のために団結しなければなりません。そうして彼らと対決する力においても、神様のみ前に忠誠を捧げるという面においても、国に忠誠を尽くすことにおいても、彼らより優れていると言うことができなければなりません。

 そうかといって彼らを憎んで殺してしまおうというのではありません。むしろ彼らに生きる道を教えてやることのできる大韓民国にならなければなりません。以北が凶作になれば米も送ってあげ、着る服がないという時には服も送ってあげなければなりません。金日成は嫌だと言うでしょうが、もし北の国民がそれを受け取るようなことになれば、どのようなことが起こるでしょうか。大韓民国がそのようにできないとするなら、大韓民国も彼らと何ら変わることろがないのです。このような運命の道が我々の前に横たわっているのです。(三四―六六)

 先生と一緒にこれから思想武装をしなければなりません。その思想武装とは、神様を中心とする思想武装であり、それから人類に対する思想武装です。その思想武装の骨材が何かと言えば愛です。愛を中心とした思想武装です。これを悪魔は最も嫌うのです。(一九八七・一一・八)




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二.統一思想で武装さえすれば南北統一は問題ない

 皆さんが一つ知っておかなければならないのは、韓国という国が独自的な立場においてその命脈を維持することができない時代に入ってきたということです。これだけは確かなことです。北韓の金日成を打倒しようと、我々が救国世界大会を行いましたが、北韓の金日成が問題ではないのです。三千万の民族が一つにさえなれば南北統一はなされるのです。南北統一ができないのは大韓民国に責任があると見るのです。天意によって見てもそうなっているのです。

 もし統一教会の思想で武装するなら、南北統一は問題がありますか。(ありません)。あっという間、水たまりに行って雑魚を取る網で「ざっ」と持ち上げれば、そこにいる魚は一匹も飛び出すことができず、完全に一網打尽になるのです。北韓では、トンネルを掘って何かと企んでいますが……。南韓の人口は北韓の何倍ですか。二倍以上にもなる国民を抱えているのに何が弱いのでしょう。南韓の人たちには知恵がないというのです。知恵のない連中は低い扱いを受け、侮辱を受けなければならなくなるでしょう。(七九―一三〇)

 南韓が神様を中心として一つになって、統一思想をもって完全武装するなら、北韓共産党は自動的に屈服するようになります。(三一―一四四)

 キリスト教が我々と一つになって統一思想で武装するようになれば、北韓の金日成は問題ではありません。金日成を霊界で連れていくのです。

 一つの国家において政治も問題ですし、経済発展も大きな問題です。しかし最も大きな問題は思想的な武装をどのように行うかということです。どのような思想をもって武装するにしても、万民が願う最高の希望的な思想をもって武装させようとするのが統一思想です。(二〇―一三九)

 この地に共産党とは、いったい何の話ですか。我々の統一理念をもって数十万の精兵が武装さえするなら、共産主義はあっという間に壊れていくようになっています。ですから今日我々に課された使命と、我々が行かなければならないこの路程に対する責任がいかに重いかということを知らなければなりません。(一五―三四五)

 内外の祝福家庭が一つとなり、我々と既成教会が一つになれば、大韓民国は簡単に復帰されるのです。そして六十万国軍と二百五十万郷土予備軍が統一思想で武装されるなら、金日成は問題ではありません。問題にもならないというのです。このようになればアベル的な立場である統一教会と、カイン的な立場である既成教会が一つとなって内的な基盤を成して、外的な立場にいる国家と一つになるのです。また大韓民国が内的な国家の立場になり、北韓が外的な立場になるのです。それゆえ問題は今からだというのです。(二九―三四三)

 現在は以北の共産党のやからが戦争に血眼になっている切迫した時点に立っていますが、国民全体が統一教会の思想をもって武装するならば、彼らと衝突した時に果たして後退するでしょうか、前進するでしょうか。(前進します)。前進しなくてはなりません。そうして前方の七十万名を統一思想で武装させ、後方の二百五十万名を統一思想で武装させれば、干ばつで乾いた貯水池で網をもって魚の群れをそっとすくい上げるように、共産主義者たちはもう問題ないのです。韓国の戦争はそのままアジアの戦争になるのです。(二二―三四三)

 将来は統一教会の思想を中心に全軍を武装させなければなりません。そのように行いさえすれば、日照りに網で魚をすくい上げるのと同じことなのです。過去にはサタン側である以北が南韓の二倍でしたが、今日では天の側である南韓が以北の二倍になるのです。ところで現在精神的な武装、思想武装をすることができないでいます。それで今、思想武装を行うのです。思想武装を行わせることのできる思想がすぐ横にあるにもかかわらず、よそ見をしてきたと言う時が来るのです。(二三―二九八)

 今日人間が哲学の問題から見るならば、人間の意識観念というものは必ず相対的な関係をもっているのですが、そこにおいて、どれが主体なのかという問題をもって論じてきました。しかしながら統一思想で語るなら、我々はそのような次元を越えて、神様までもどのように認識するのかということを哲学で論ずることができる段階まで開拓したのです。これは言葉で語ることができないほど驚くべき事実なのです。この新しい次元の、立体的な哲学とも言える統一思想を我々は学んでいるのです。

 皆さんがここで武装をするならば、ノーベル賞を受賞した世界的に有名な博士がいるといっても、そのようなことは全く問題にならないのです。彼らは特定の、一定の一分野を研究して、その基準でノーベル賞をもらいましたが、我々は全体の分野においてどこの誰もついてくることのできない基準に上がっていくのだという信念をもたなければならないのです。そのためにここで勉強するならば、どこででも語ることのできる資格を備えた人物になるのです。(七〇―二九六)

 我々は理論をもたなければなりません。世界観をもたなければなりません。その社会を批判することのできる正当な内容を身につけなければなりません。指導するに当たって正当な内容を備えなければなりません。統一思想の中には目的観が、世界観が、いかなる神学、いかなる思想体系よりも驚くほどよく確立されています。このようなことまで考える人がいないのです。

 ここでは世界のいかなる図書館においても探し出すことのできない、何十年、何百年研究しても分からないようなことを教えているのですが、これは小学校で博士課程を教える、そのような計画を立てるようなものなのです。これはどのような図書館でも探し出すことができません。そのようなものを皆さんが知っているというのです。

 だからこれによって武装されるなら共産党をも打ち捕らえ、民主世界の何とかいう哲学博士も答えることのできないことを我々は解釈し、彼らを指導できるというのです。結局なぜ反対するのですか。怖いから反対するのです、(八〇―三九)




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三.主体思想の確立を通じた南北統一

1 主体思想の定義

 統一教会の主張とは何ですか。統一教会の主体思想とは何ですか。神様を中心とする思想です。これが主体思想です。愛を中心とする主体思想です。この主体思想の中から秩序的な段階について述べるならば、そこには三つの段階がなくてはなりません。それで父母と夫婦と子女があるのです。この中心が神様と因縁をもち、皆さんが四位基台理想を拡大させることのできる愛的理想圏が我々の主体思想の内容なのです。分かりますか。

 愛を中心とした主体思想の内容は神様を第一主体とし、それから真の父母を第二主体とし、自分の相手を第三主体とし、子女を第四主体とするのです。内容を見れば、そうなのです。神様、その次には真の父母です。アベルとエバには神様と真の父母しかいないではないですか。

 愛は拡大する力をもっています。それが集約されれば一つになるのです。それゆえ拡大することのできる理想を連結しようとすれば、つまり全人類を胸に抱いて生きていこうとするなら、拡大しなければならないのです。これを拡大したのが我々人間の繁殖です。分かりますか。アベルとエバの二人を横的に拡大したのです。それゆえ主体思想の内容を要約してみれば、神様が愛を中心としては絶対主体なのです。その次は真の父母です。その次は何ですか。自分たち夫婦です。自分たち夫婦が真の父母の代わりとなって、真の父母の代わりに子女をもつのです。これが四位基台です。内容がそうなっています。(一六四―九三)

 今日統一教会の主体思想はどういうものですか。愛を中心とした主体思想なのですが、愛の内容は何ですか。神様。その次には何ですか。(真の父母)。真の父母です。この世界が一つの国になれば、「真の父母思想」を父母に代わって定立するのです。真の父母は霊界に行くのです。しかし人間たちが真の父母に代わって地上で父母と一つになり、妻子と一つにならなければなりません。この愛を壊してはなりません。これにひびが入れば大事になります。これにひびが入ればどうなってしまいますか。宇宙の力の世界から追放されるのです。(一六四―九五)

 我々の主体思想は金日成の主体思想ではありません。民主主義の主体思想ではありません。共産主義の主体思想ではありません。神様を中心として愛の主体思想をもつ我々としては権威と責任を遂行するに当たって、宇宙のあらゆる品々、被造物であるとか、創造主がご覧になるとき恥ずかしくない合格者として残っていなければならない、ということを生涯の目標と定めているのです。(一六四―一〇四)

 今日革命政府が出てきて主体思想という話をしていますが、それはよい言葉です。主体となる人はどのように行動しなければならないのでしょうか。あらゆることに対して責任を負うことのできる保障のもとでのみ主体になるということを知らなければなりません。何もしないで主体となり、責任者となるのではありません。誰でも社長になるのではないのです。社長はその会社におけるあらゆる難しい事柄、よい事柄すべてに責任をもちながらも、なお余裕がなければならないのです。そうして初めて立派な社長だと言うことができるのです。(八二―三二一)

 ソ連や中共と妥協してはいけません。自主的な立場から神様と妥協せよというのです。これが主体思想であって、大韓民国の歴史と妥協してみたところで、その歴史がこの人類史を指導することもできず、神様の摂理の路程につくこともできないことを知って、今や天倫とともに一つにならなければなりません。主体思想は神様と聖人と忠臣と孝子の道理を結束させたものです。このような思想を中心に、この国、この民族を教育して武装させるなら霊肉共に堂々とした世界の主体国家となることでしょう。(一九七八・一〇・四)

 我々が必要なのは何ですか。これまで民族なら民族、家庭なら家庭を主にし、そこから出てくる民族や家庭が、聖人たちが必ず行かなければならない、聖人を指導される、神様のみ旨と目的に一致できる方向をどこに設定するかということです。それを設定することができれば、それは世界的な主体思想となるのです。

 今日韓国において人々が主体思想について語っていますが、この時代は世界時代なのです。この世界的な文化圏を目前に控えたこの時に、大韓民国として提示する主体思想は大韓民国を中心としたものでなければならないのです。

 世界思潮の中において中心的な立場を代表できる民族史ならば、それは主体思想として登場することができるかもしれませんが、このような世界の全体歴史の主流思想と関係なく、自分の一方的な立場から主体思想を論じてはならないのです。その主体思想が、必ず神様のみ旨に一致され得る協同的な超民族性を備えられる歴史的背景をもつ時までは、成立されることはありません。(八四―一八七)

 主体思想とは何ですか。世界を一つにする思想であり、平和の思想です。韓国で各宗教が発展してきたのは、この思想を受け継がせるための天の作戦であったという結論を下すことができるのです。これが何を意味しているかと言えば、宗教を統一し、その次には内的な基準を統一した上で外的な基準を一つにするということです。それは平和のためです。平和のために! 政治の目的は平和を成し遂げることです。(一九八七・九・一)

 新たな主体思想が一般的な個人の没落を防止し、社会の没落を防止し、中心のない国家を防止し、中心のない世界を防止し、中心のない神様の摂理観を防止することのできるただ一つの公式の軌道は「ために存在する原則」であって、これは出発から終着点まで、つまり神様の創造の世界から終着点まで永遠に残る真理であり、原則であることを皆さんは知らなければなりません。(七七―一三九)

2 南北が分断されたのは主体思想がなかったため

 解放された直後に韓国経済はアメリカ派、中共派、ソ連派と三つ巴で戦い、互いに自分が正しいと言い張って、李博士が政権を樹立しましたが、暗殺問題が起きたために混乱が生じたのです。またキリスト教は、神社参拝を行ったキリスト教と獄中生活をした再建教会、それから地下にあった心霊集団が全部出てきて混乱が起こったのです。神様のみ旨を知らないためにそうなったのです。

 それで、宗教の基盤を中心とした統一的な舞台を大韓民国の南北統一と連結していくのです。その当時はアメリカによる軍事政権時代だったでしょう? 李博士さえ協助してくれていたなら、私がその人たちをまとめることができたでしょう。私にはそのくらいの能力があります。そして神様を中心にし、アメリカを中心とする一つの統一的な世界国家形成を果たさなければならなかったのですが、その機会を逃してしまったのです。

 それが四十年さかのぼってみな台無しになったのです。南北が「さっ」と分かれてしまったでしょう? それから四十二年になります。四十三年までが限界線です。四十三年までが限界線なのです。この期間に統一的な運勢を備えなければ滅びます。では、南北がなぜ引き裂かれたのですか。統一理念がなかったからです。主体思想がなかったからなのです。(一六六―一五三)

 その時は国がありませんでした。国がなかったのです。国のない大韓民国が既成教会と一つになってアメリカを連結し、世界へ行くことのできる道を提示しなくてはならなかったのです。にもかかわらず、それを提示できるキリスト教の指導者がいませんでした。それはなぜでしょうか。神様の全般的な摂理から見るとき、一九四八年以前の三年の期間は混乱期でした。指導理念を失った混乱期だったのです。

 アメリカにおいて独立運動を行った李博士が帰国し、中国に行っていた金九先生が帰り、ソ連に行っていた愛国者たちが各々違う背景を背負って帰ってきて、それぞれ自分たちの主体的な基盤を整えるために活動を行いました。互いに争ったのです。ですから主体思想がありませんでした。大韓民国が一つとなって、アメリカやソ連、あるいは共産主義や民主主義という思想的な見解を統合して、世界へと出ていくことができるだけの主義がなかったというのです。指導理念がなかったのです。その場が混乱した環境であったために北韓は北韓、南韓は南韓の思う方向に進むことになったのです。(一六四―一二九)

 大韓民国も三つなのです。ソ連派、中共派、アメリカ派、こうして三つ巴の戦いが起こったりしています。その時には主体思想がなかったのです。このように歩めば大韓民国が世界に連結されるという主体思想がなかったのです。ですから互いに角逐戦を行い、また教会は教会で角逐戦を行って、これが三年以上も続いた後に、北韓が一九四八年九月に政府を樹立しようとしたのを見て、南韓も仕方なく八・一五を中心に政府を樹立したため、この二つが分裂したのです。(一六五―二九二)

3 超民族的な主体思想を確立しなければならない

 今から四十年前解放のラッパの音とともに国外に出て活動を行っていたあらゆる愛国者、いわゆる愛国者と言われる人々が全部故国の地に帰ってき始めました。その代表的なのがソ連の一派、中共の一派、アメリカの一派ですが、その三つの派が来たために問題になったのです。金九先生とか李承晩博士だとか、金日成を中心とする南労党まで連合したのです。やがて代表的な政府を立てた一派が南労党をなくしてしまいましたが、このように(三派間で)戦ったのです。

 しかし、その時には韓民族としてこれといった主体思想がありませんでした。我が民族はアジアにおいてこういう道を歩み、アジア諸国に影響を与えていかなければならないといった自主民族思想がなかったのです。若者も年寄りも、我々はこのように進んでいかなければならないという主張がなかったのです。ちょうど今それと同じことが起こっているのです。信託統治、米・ソ関係を中心に混乱が起こり、互いに暗殺を行い、激闘していたそのような環境が今またそっくりに起こっているのです。

 どの国についていくのですか。アメリカについて行くことはできません。ソ連について行くこともできません。中共について行くこともできず、日本について行くこともできないのです。見なさい。韓国が置かれている立場を地政学的な見地から見るならば、周辺国家は全部強大国ですが、今は強大国自体も信じるに値しないのです。アメリカや日本が貿易の逆潮問題に直面しているでしょう。中共と日本は東洋において四十年前に我々を占領した侵略国です。ソ連は何といっても共産党でしょう。また韓国とアメリカを中心に見るとき、常にアメリカを信じることができますか。このごろ韓国に対して、第二の日本だといっては貿易を制御し、ブレーキをかけています。自分の利益のためには韓国を打つことも辞さないのです。我々としては体質的に連結することのできる国が一つもありません。共産党と連結するつもりですか。中共と連結するつもりですか。それとも日本と連結するつもりですか。アメリカと連結するつもりなのですか。(一六六―一一九)

 今日大韓民国が一つ知っていなければならないことがあります。主体思想についてうんぬんしている国において知っていなければならないことは、将来超民族的な主体思想をどこから探し出すのかということです。私が大統領に会ってこのことを話そうとしたのです。

 主体思想の起源は今日脱民族主義的なこの地で探し出せばよいのでしょうが、もし探し出すことができなければどうなりますか。大韓民国の歴史は世界の文化史圏の主流思想であるという、そのような歴史観を提示することになれば、この韓国が主体思想によって独立を果たすことができますが、もしそうできない時には、このような民族史観の結末を迎えるだけであって、新たな次元の世界へは進み行くことができないのです。

 今日の対共戦略からもそうなのです。共産主義というものは世界主義です。共産主義は世界主義なので、民族主義的な観念に立っていてはこの世界主義である共産主義を防ぐこともできず、消化することもできないというのです。世界主義、超民族主義を基盤として、世界的な共産主義を防御することのできる思想的な体系を提示しない限り、共産主義を撃退することはできないのです。(八五―一一八)

 今日の国家主義について言えば、共産主義は国家主義ではありません。反共を国家主義とする韓民族の思想ではだめだというのです。世界主義でなければなりません。国家を越えて世界主義的な思想をもって対決を繰り返してきた共産主義なので、これを韓民族の主体性をもってしてはだめなのです。韓国の誰それが主張する民族的主体思想ではだめだと言うのです。民族的主体思想ではあっても、世界の文化史を代表した主流の立場から主体性を確立することができるなら、それだけが共産党を防御できる唯一の方法であると考えるのです。何の話か、分かりますか。(はい)。(八四―二五八)

 世界的な競争時代に入ったということを知らなければならないのです。大韓民国が経済建設のために世界の経済的闘争圏において勝利する、その方法を模索するのと等しく、統一教会は世界のために新たなる統一思想を中心とした文化圏を形成するために、新しい世界的な競争の舞台に躍り出て、新たな主体思想を確立しなければなりません。このような使命が世界に待ち受けているということを知らなければならないのです。(一九七八・一〇・四)

 今この時に白黒をはっきりさせておかなければならないことが何かと言えば、共産党を制圧し打倒するという問題は、大韓民国が必ず歩み行かなければならない運命の道として残っているということです。このことを中心に若者たちを訓練しなければならず、思想武装を行わなければなりません。そこで民族を中心として大韓民国と北韓が一つとなるために、経済的な通商であるとか、あれこれと手を付けることもよいのですが、問題になることがあります。あちらでは思想的に全部共産主義者につくってあるのです。それゆえ彼らと接触する前に、大韓民国の二世たちを完全に思想武装させておかなければならないのです。そこには神様を主として、何とかいう忠孝思想だけではなく、忠臣思想、忠臣思想だけでなく忠聖人思想までも行うことのできる天道に従って、大韓民国が主体思想を確立するならば、この国は絶対に滅びないというのが文牧師の主張なのです。(一九七八・一〇・四)

 民族として一つの世界の基準を備えておいたというのです。相対的な立場から主体思想を中心に統一しなければならないのですが、そのような統一の形態が自動的に内外共に既に整っているということなのです。(八一―二八五)




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第六節 南北統一は真の愛によって

一.怨讐を愛さなければならない根本理由

 サタンは今何をねらっているのでしょうか。神様を正確にねらっています。神様は理想基準を永遠に維持される方でなければなりません。神様にお伺いしてみれば、神様はこのような事実を認められることでしょう。サタンが神様に「神様、最初に私を天使長としてお立てになられた時には一次的な愛でお立てになりましたか、それとも永遠な愛のためにお立てになりましたか」と質問をすれば、神様はどのように答えられるでしょうか。

 神様は「永遠に愛するために立てた」とおっしゃることでしょう。一次的な愛で立てたと言えば一次的な神様となってしまうのです。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ですから神様は、サタンがどのように反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。サタンは神様に「私は堕落してこのような悪いやつに成り下がりましたが、あなたと善なる人は私と似た方法を取るわけにはいかないのではありませんか。私は争うことを好むが、あなたは争いを好んではならないのではないですか。殴られてもじっとしていなければならないのではないのですか」と言うのです。

 神様は「無抵抗主義者」です。それは何のためでしょうか。神様はこの地球上に天国理想、悲願の世界を成就する時まで、どのような環境の中においても天使を愛さなければなりません。神様は、サタンがどんなに暗躍し飛び回っても、罰したり切り捨ててしまうことはできません。どこにいても愛したという基準を立てて、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白をしない以上、神様は完全に勝利を成し遂げることができません。それが問題です。

 その問題によって神様はサタンの綱に縛られている立場になっているのです。神様がこのようにサタンを愛することによって屈服させていかれるとするなら、神様の子女である我々もやはりその道を行かなければならないのです。

 世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つようなことがあっても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。これに神様も引っ掛かっており、神様の子女にならんとする宗教界のあらゆる人々が引っ掛かっているのです。「怨讐を愛せ」というみ言は偉大なる真理です。内容は簡単ですが、これが神様とサタンの戦いの勝敗の分かれる境界線となってきたということを、これまで誰も知りませんでした。

 神様がサタンを敵や怨讐と見なし、それに対して復讐するという思想をもったとしたら、絶対に勝利の頂点を手に入れることはできません。そのような観点から神様は「怨讐を愛せ。怨讐を愛せ」と言いながら、愛の作戦を展開して来られました。イエス様のみ言の結論も「怨讐を愛せ」ということなのです。(一九八三・四・三)

 神様のひとり子であるイエス様がサタンの前に立って、自分を殺そうとする怨讐に対して祈祷したというのは偉大なことです。イエス様が死んでいくときも怨讐に対して敵対心を抱いていたとすれば摂理は逆転していたことでしょう。愛する心をもって死を克服したためにサタンがその場において屈服したのです。

 永遠に神様の子女として残ることのできる資格がそこに生まれます。サタンもこれを認めてサインするのです。皆さんも神様のみ前において、「サタンよ、私は間違いなく神様の息子だろう?」と尋ねれば、「はい、間違いありません」と言います。また、「私の形どおりに生きていく者は神様の相対圏を拡大していくであろう。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏へと拡大するのに、異議はないだろう?」と言えば、「はい、それは原理的ですからどうしようもありません」と答えるように行動しなければならないのです。

 このような条件に沿って、キリスト教文化圏を中心に摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の道、血まみれの境地にあっても神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開しなければなりません。家庭においても、社会においても、国家においても、世界においても、この運動を展開しなければなりません。怨讐国家を愛してきたキリスト教のこのような愛によって、極めてむごい迫害を加えてきたローマ帝国が屈服したのです。キリスト教はこのようにして世界的な宗教となりました。(一九八三・四・三)




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二.怨讐国家に天国へと向かう出発点がある

 今までクリスチャンたちは個人的な怨讐だけを考えてきましたが、そうではないのです。統一教会は怨讐の国家であるとか、怨讐の世界をも愛さなければなりません。天国に向かう出発点が怨讐国家にあるのです。怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに伝統の基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして伝統を立てたなら、この先どのような歴史が続こうともこの理想の思想、この理想を消化する主義は生まれません。

 四大怨讐国家に世界的な勝利の基盤を整え、天の伝統の基盤を整え、その上に天国を出発させるのです。それを成し遂げる時そこから地上天国は始まります。(一九八三・四・三)

 神様のみ旨は個人の怨讐を愛することではありません。より次元の高い、国の怨讐を愛するということなのです。実例を挙げれば、日本人たちは韓国人である私とは怨讐の間柄であると言うことができます。なぜなら、私は日帝時代に抗日地下運動を行った人物であるからです。日本が敗亡した時、私を収監し苦しめた日本人たちのために夜ふろしきを包んで、安全に送ってやったことがあります。その当時の状況から言えば、日本人と韓国人は怨讐の間柄であり、日本人とアメリカ人が怨讐の間柄であり、アメリカ人とドイツ人も怨讐の間柄です。このような怨讐関係にある日本人とドイツ人をアメリカに連れて行って、アメリカが死にそうになったから生かさなければならないと、天の愛の道を実践しました。日本人やドイツ人にとって過去に怨讐の間柄であったアメリカを、自分の祖国以上に愛することのできる伝統を立てずには、天が願う新しい世界を指導できる理念を立てることができないと強調し、そのように伝統を立てながら歩んできました。それがただでできると思いますか。

 怨讐の間柄にある諸国家を、自分の祖国以上に愛することのできる基礎と伝統を成し遂げておかない限り、この地上に天国が顕現することができません。このような歴史的伝統を樹立するのは、神様の愛の中においてのみ可能なのです。そのためこのような神様の法則を知っている私が、アメリカ政府から屈辱を受けながら法廷に立った時にも、ワシントン・タイムズを発行させ、放送局を設立するなど、アメリカを生かすためにあらゆる努力を行ったのでした。今や世界のあらゆる戦略家たちを一堂に集めて、中共を連結しようという仕事を推し進めています。私の団体と人材を必要とする天の仕事なら、何でも行うつもりです。今や実力があるといっても実績がなければ支配を受けるようになっています。我々は実力を積むために多くの汗を流しているのですが、これは既に世界的によく知られていて、今日の生活舞台に普遍的に受け入れられる新しい運動として登場しつつあります。そのようにしなくては、国家を越えた神様の愛の世界は成し遂げることができないのです。(一九八六・三・一四)

 皆さんはこのことを心に刻んでおかなければなりません。先生の立場から見れば、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろん、個人的にも怨讐でした。しかし日本の敗戦後、先生は日本人を愛しました。追われている日本の警察官を助けてやったりもしました。今日本の多くの若者がなぜ先生に永遠の命を懸けて忠誠を尽くすのか、お分かりですか。因果法則に従って報いなければならないからなのです。国家を超越して神様の心情的なみ旨に従い、世界に向かって愛を植え付けたからなのです。国家的な怨讐を愛して生きる道へと導く心情的な基盤を植え付けたからなのです。

 先生が地下独立運動を行ったといって連行して、荒々しい拷問を加えた日本の警察官たちは、先生の一言ですべて銃殺ものであったにもかかわらず、私は荷作りをして送り返しました。自分も知らない間に天命に従っているのです。そして、イギリスはキリスト教文化圏であったのです。日本を差しおいて、もしも神様がイギリスを選んだならどうなっていたでしょうか。しかし最も罪の多いその怨讐国家を中心として、統一教会は出発しました。それは原理に現れています。(一九八三・四・三)

 天は滅んだ者を再び打つというようなことはされません。滅んだ者の中で自分の罪を進んで認め、謝罪する者に対しては憐れみをもって臨まれるのです。そのような天があるために、敗者に対してまた刀を打ち振るようなことがあれば、打った者の子孫が滅びるのです。それゆえにそのような人々のために、友達以上に近い立場から精誠を込めて導いてあげるのです。共産党に対してもそうしなければなりません。(二五―三三三)

 アメリカは文牧師の怨讐です。怨讐の国を救うために母親、父親、大韓民国がめちゃくちゃになり、生きるの死ぬのというような状態になっても、顧みることなくこの仕事をしているのです。私はサタン世界を救うために、私に属するあらゆるものを捨てました。家庭、親戚、国家……。今韓国の状況はアメリカよりもっと難しいのです。それにもかかわらず、なぜ韓国に戻らないのでしょうか。何よりも怨讐の国を愛さなければならないからです。この国を救った後で帰るのです。これが原理観であり、伝統的な見方なのです。そのことを知らなければなりません。これはサタンの見方ではなく神様の見方なので、そのような生活をして、そのような環境が生まれれば、サタンはそこを侵犯することができず、主管することもできません。(一六一―二四九)

 既成教会が我々と争ったでしょう? 怨讐になったのです。しかしこれからは怨讐のように争ってはならないのです。一つにならなければならないのです。それならこのように一つになって何をしますか。大韓民国を天のみ旨によって救わなければならないのです。この二つが合わさって以北を消化しなければなりません。分かりますか。(はい)。これが解放直後にそのように展開していたなら、既成教会と統一教会とが一つになっていたならどうでしょうか。その時はまだ政府もなかったので、一度にあらゆることが解決されていたでしょうに、それができず、このような複雑な環境を経るようになったのです。そのために、我々が行く道の前には個人的な怨讐、家庭的な怨讐、氏族的な怨讐、民族的な怨讐、すなわち戦いの怨讐の場が展開しても、戦わないで結果を探し出すために、我々は多大な犠牲を支払いました。また怨讐に対して打つことをしないで、このような受難の道を克服してきたのです。(六五―二二一)

 我々が以北に入っていけば、以北の共産党は全部思想武装をしているでしょう。ですから、それに対して我々は愛の思想で武装しなければなりません。そこは冬の冷たい風が吹きすさぶ北方文明なのです。ソビエト文明から来た北方文明です。それに対し、我々は温帯文明として、そのままほっておいても彼らが自然に解けることのできるような作用をしなければ、二つの国が滅びるというのです。ですから徹頭徹尾思想武装をしなければなりません。

 その思想は個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。共産党の連中は何人かの共産党の幹部を中心にやろうというのです。金日成なら金日成以外は一切受け入れないのです。毛沢東なら毛沢東以外は一切受け入れないのです。自分の敵が出てくればその首を切ってしまうのです。

 我々はそのような者たちではありません。「相対的な環境と和合し一つとなって、より高い次元の相対的基準を成し遂げよう。すなわち、カインとアベルが一つになって、より高い父母を迎えよう」。そのような思想なのです。(六三―五三)

 南韓が北韓を武力で打って屈服させるのではありません。我々は彼らより強い思想の基準をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に我々も国を愛さなければならず、彼らが共産主義を愛する以上に我々も天を愛することのできる強い力を思想的にもって、人格的な面で彼らを自然屈服させることのできる実力者とならなければなりません。そうでなくては北韓を吸収することができないのです。

 繰り返して言えば、生活的に感服させ、人生観や生涯を通じて感服させることのできる人格的な基準、人格の価値を中心に見るとき、共産主義の思想をもって武装した彼らを凌駕することのできる我々とならなければなりません。我々が彼らに影響を及ぼすことのできる環境をもたなければ、カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心として世界的な国に帰ることのできる、復帰の国家は成立されないのです。(四六―一二三)

 南北韓が分断されましたが、北韓と戦わずに解放させようというのです。金日成を自然屈服しなければなりません。(一九八一・一一・一九)




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三.南北を統一することのできる方案

 今南北統一を控えていますが、南北を統一することのできる方案は何ですか。次元の高い統一の内容を提示しなければ統一は不可能です。以北から以南に来て、また以南から以北に行って、互いに「我々の言うとおりにやろう」と言った場合には不可能なのです。互いに損をする立場では統一ができないのです。互いにプラスになる立場においてのみ可能です。そうではないですか。男女が結婚しても互いにマイナスになる立場においては、一つになることがないのです。それゆえ互いに利益になり得るものを探さなくてはならないのです。(六一―七三)

 皆さん、今大韓民国の南北がかみ合っていません。方向の違う立場から一つは南に、一つは北にと、道が二つに分かれ、各々その目的が違うのです。それを、どのように統一するのかという問題を見れば、事態は深刻です。その主体的な使命を誰が行わなければなりませんか。それを南韓が行うとなると北韓が反対し、北韓が行うことになると南韓が反対するのです。自分自体に執着するような立場では、必ずまた決裂するのです。

 これをどうやって行うかということが問題です。問題は、南韓の誰よりも北韓をより愛する韓国人が出てこなくてはならないということなのです。北韓の人が北韓を愛する以上に、北韓を愛する韓国人が出てくればよいのです。そのほかには模索しても解決方案がありません。南韓の誰よりももっと国を愛する人、北韓の誰よりももっと国を愛する人、そのように一筋の道を行く人がいるなら、そこから統一の方案が出てくる可能性があるのです。そのほかに方法があるでしょうか。いくら考えてみてもその外には方法がないのではないでしょうか。

 それならこの民族はどうしますか。三十八度線を中心に左右から警戒し合っているこの国において、その線上に立つ者たちが我々統一教会の信者たちだとするならどうしますか。これが問題です。問題の解決をどうするのかが問題です。そのためには北韓の人よりももっと苦労をし、南韓の人よりももっと苦労をするのです。これが韓国を生かす近道であり、解決方案です。このように見るのです。弱い世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じことなのです。弱い世界の忠臣以上の忠臣が出てこなければなりません。今まで善を指向して歩みきつつ、我々の先祖が立てておいた忠臣の道理以上の忠節を主張することのできる人が出てきて初めて、決裂した歴史を収拾できるのではないでしょうか。

 このような意味から見るとき、イエス様は偉大でした。争う者たちをもってしては不可能なのです。神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、民族のために死ぬこと以外にはないと言ったのです。それが十字架の道理ではないでしょうか。人類を愛するに当たっては歴史上の誰よりも深く愛し、神様を愛するに当たっても歴史上の誰よりも愛したがゆえに、滅びるはずの歴史がそこから新たな方向を取って、目的の世界に進出したのがキリスト教文化圏です。それは歴史的な事実なのです。(六一―一二五)

 生きて行く道は一つしかありません。自分をみ旨の前に立て、部落のために犠牲になること、み旨のために犠牲になること、これがイエス様が教えてくれた道なのです。それが伝統的な道です。その道以外には生き残る道がないのです。統一の方案がないのです。だから南北を統一することのできる方案は、南と北のために死ぬことのできる群れとなることしかありません。それ以外に統一することのできる道がありません。(六一―一三六)




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四.本当に共に生きたい心があってこそ

 人間はどのように生きるのか、あるいは我々の人生航路をどのように歩まなければならないのかということを念頭において見る時、その骨子を要約するなら、孝子の歩む道、聖人の歩む道、聖子の歩む道における根本があるはずなのです。すなわち、いつまでもずうっと生きていたいと思う心です。上下を問わず、共にありたいと感じ、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に暮らしたいという心に徹した生き方ではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。(一九八六・一〇・一一)

 「一緒に暮らしたいなあ」と言う時、その内幕の共通分母は何だと思いますか。それは権力ではありません。権力は一時的であって歴史を超越することができません。知識はどうですか。知識の世界は発展しますが、知識の世界において、この学問といつまでも暮らしたいという心がありますか。我々が一緒に暮らすことのできるものは知識ではなく、また金銭でもないということははっきりしています。

 このように見る時、上下、前後、左右を問わず、過去、現在、未来といった時間性を超越した立場において、共通に認めることのできる一つの分母が何ですか。これがまさに愛というものなのです。孝子とは家庭において父母をこの上なく愛して生きる人です。また愛国者とは国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界の万民をこの上なく愛する人であり、聖子は神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。

 したがって、いかに山の中に一人で座っていても、愛国者の心のごとく民族と共に生きたいと願い、民族が困難に遭遇している時には、その困難がまさに自分の痛みであり、喜びがある時にはそれが移ろいいく喜びではなく、我々すべての永遠の喜びとして残り得るものでなければと誓うことのできる真の心情の土台が問題なのです。(一九八七・一〇・一一)

 愛と心情の因縁をもつ人は統一圏に同参する特権があります。皆さん、何も知らない無知な女性でも博士と結婚して愛の因縁を結べば、一夜にして博士夫人になるでしょう? 共に暮らそうという情の因縁をたくさんもった人は、今日統一圏に堂々と参席する特権があります。神様ご自身がそのような方であるので、そこに一つとなることのできる生活内容を備えるなら、同参できる資格が自動的に付与されるのです。(一九八六・一〇・一一)

 統一はどこから行うかということが問題です。南北統一はどこから、どうやって行うのですか。こぶしや力でですか。力で屈服させれば、後で相手の力がより大きくなった時に再び争いが起こります。そのような方式では統一を成し遂げることができません。たとえ以南の地に暮らしてはいても、以北に暮らす彼らと本当に一緒に暮らしたいと願う心、一つにならなければならないという心があって初めて統一の道が開かれます。以北が困難なのは、金日成が独裁政治によって閉鎖社会をつくったからなのですが、その事情を知れば知るほど、その統治下にいる人々がどれほど悲惨であるか分かりません。共産主義が怨讐なのであって、彼らが怨讐なのではありません。北韓を見つめながら胸がいっぱいになり、哀れに暮らしている我が同胞のために涙を流し、あなた方の困難とともに私は生きているのだと、解放の一日を準備して皆さんの前に現れるのだと誓い、統一のための実践運動がこの地において起こるなら、以北に行く日は遠くありません。(一九八六・一〇・一一)

 この前韓国において郷土学校を始めたでしょう? 皆さん、大学の教授たちが郷土のためにどれほど心を砕いたでしょうか。郷土と共にどのように生きていくのかということを考えてみなければなりません。自分の父母と一緒に暮らしたいと思わず、郷土と共に暮らしたいと思わない人は国を愛することができません。そのような人が国を愛するというのはうそです。国と共に暮らしてから、その次に世界と共に暮らすようになっています。そして世界と共に暮らしてから、その次に神様と共に暮らすようになっています。ですから郷土を愛し、その地域社会を愛して初めて、国を愛することが可能なのです。

 そう、我が国において政治を行う指導者たちが本当に国を愛していますか。国がどのようになりつつあるかということも知らないで、最近も、民政党と新政党が互いに大統領をやってみたいと争ったでしょう? やってみなさいというのです。彼らに国民と共に暮らしたいという心がなければ、それはみな跡形もなく流れて去ってしまうのです。国民を愛することができない指導者であるならば、国民から、そして後日歴史からの審判を免れることができないのです。(一九八六・一〇・一一)

 分断された南と北が何もしないでそのまま一つになることはありません。国を愛する同志たちが闘争するその過程においては、夜も寝ずに時間を超越し、困難な環境を克服することのできる心の決意と実践が必要なのです。本当に一緒に暮らしたい、死ぬ時も一緒に死に、生きるのも一緒に、我々の先祖、霊界の霊人たちとも一緒に暮らしたい、皆さんがそのような教授と学生になることによって、南北統一が今、この場から始まるのです。

 南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一もそこから起こるのです。そして世界を代表した立場に立って、五十億の人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、自分たちの学校を代表し、自分が教えたあらゆる弟子たちを代表した立場に立って、民族の将来、世界の将来を見通さなければなりません。そして、「私はあなた方と一緒に、心から一緒に暮らす運動を展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理と通じれば聖人に似るでしょうし、聖子の忠節を神様に対して実践するなら、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は生涯を通じて確認したので、きょう皆さんにこのような話を伝えているのです。(一九八六・一〇・一一)




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五.南北統一は真の愛で

 統一教会は金日成を追放しなければなりません。共産党は神様を否定し、人類を残酷に虐殺したために、我々は彼らを怨讐サタンとして規定して彼らを倒す責任を負って準備を行うのです。また我々韓国の国民が選抜隊となって、天の高地を占領し、旗を立てなければならないのです。どうしてそうなっているのですか。韓国において南北統一が成し遂げられれば、世界の統一は成し遂げられるようになっています。軍事力、武力を使用して統一が成し遂げられると思いますか。とんでもないことです。私に軍事力さえあれば何でもつくれる力のある人です。しかし軍事力だけでは絶対に成し遂げることができないために、今このように話を伝えているのです。(一九八六・三・一四)

 今日の人間社会は堕落した以後に腐敗してしまいました。あらゆる哲学者たちが自分を中心とした私欲を主にしています。むしろそのようなものはきれいに掃き出してしまわなければなりません。武器や経済力、知識などをもって腐ってしまった哲学をなくすことができますか。できません。ただひとえに真の愛だけがその使命を果たすことができるのです。その愛は神様からの愛です。神様と愛の因縁を結ぶなら、必ず主管性と独立権、その次には相続権を所有することのできる特権があるというのです。力学の世界においては入力よりも出力が小さいのですが、愛の世界においては入力より出力が大きいのです。行えば行うほど無限に福を受けます。

 真の愛とは何ですか。「ため」に行う愛なのですが、いくらでも与えてそのまま忘れてしまうのです。いちいち与えたことを記憶するようなこともしません。またいかに注ぎ与えても疲れることがありません。九十歳を越えた父母が七十歳になる息子に「おい、車に気をつけなさい」と言ってもおかしくはないし、また何十年間もその言葉を数え切れないほど繰り返したとしても、嫌になったり、疲れたりはしないのです。堕落した世の中の父母でさえこうであるとするなら、本質世界において神様の愛を受けたり与えたりする場合に、疲れるというようなことが果たしてあり得ますか。人生において真の神様の対象圏を確定し、愛の栄光が不変であるということを初めて知るとき、我々人間の愛を中心として永生の倫理を妥当化することができるのです。このような事実を知っている人がどこにいますか。

 この前私がアメリカの監獄に入って、ベッドに一人横たわっていたのですが、神様が訪ねて来られて、「信じることのできる人がお前しかいないからニカラグアの事態を解決せよ」と命令されました。神様が訪ねて来られるような人が、私のほかにどこかにいませんか。先進国を代表するというアメリカには二億四千万にもなる国民と、数限りなくたくさんの教役者たちがいますが、彼らを訪ねて行くことができずに私を訪ねて来られた神様が、どれほどかわいそうか想像がつきますか。しかしながら神様は愛を訪ねて行くことができるので幸いです。ですから世界のために私が働かなかったなら、南米は既に荒れ野と化してしまったことでしょう。(一九八六・三・一四)

 この時代において願うことは南北統一です。北韓と南韓を統一して神様が安息することのできる土台を、皆さんの家庭と我々の教会に、我々の世界教会に集めることを天は望んでいるのです。それなら神様をどうやってお迎えしますか。どうやってこの問題を全部きれいさっぱりと洗い流さなれけばなりませんか。何で洗えば神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもありません。自分の母親・父親を愛する以上、夫・妻を愛する以上、子供を愛する以上の愛でその環境を整え、その愛に祭物的な祭壇を積み上げる、その席において初めて理想的な南北統一が起こり、理想的な東西文化の統合が起こり、分離されていた地上世界と天上世界の理想的統一が起こり、地獄と天国の解放圏が開かれるのです。愛をもたずして解くことはできません。愛の鍵が必要なのです。(一九八七・一一・八)

 私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と互いに常に通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族ばかりでなく、その氏族にも通じることができるのです。愛する夫婦が一つになるなら、どこの誰がこれを引き裂き、踏みにじることができますか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天地、和合した人間愛と神様が一体となった、そのような世界が愛のユートピアではありませんか。そこには分立があり得ません。神様を知っている場所には……。

 あらゆる植物が太陽の光を生命の要素として吸収するのと同じように、人間たちには愛が生命の要素となるのです。我々の希望は永遠に愛とともに慕い合いながら生きることのできる、地上天国や天上天国が建設されることです。しかしこの世の中には、すべてのものの主人格として登場することのできる、驚くべき人生の価値とその特権的な権限をもった愛の主体者、あるいは対象者が果たしてどれほど存在するでしょうか。

 きょう夕方この席に参席された諸教授におかれましては、ぜひこのことを忘れることなく、心と体が一つになるように努力することによって、自分の妻のために尽くすことのできる愛を行うところから、家庭と民族と国家と世界を愛することのできる真の人となるようにお願いします。

 もしそのようになれば、南北統一はもう既に終わったも同然です。南北統一が貿易によって成し遂げられると思いますか。とんでもありません。共産主義思想といっても神様の愛の中においては力なく吸収され、消滅してしまいます。我々が今までそれを知らずにいたのであって、愛する心をもてば南北統一は決して問題になることはありません。それだけではなく、東西問題や南北問題もこの神様の愛をもって完全に解決することができます。

 このような神様の理想を中心として世界の理想を消化し、そこにおいて国家理想を消化し、国家理想から民族・家庭・個人にまで連結することのできる、理想世界の平和的な無限境が成し遂げられることによって、この地上にはユートピアが間違いなく建設されるのです。(一九八六・三・一四)

 共産世界は皆さんが引き受けて立て直さなければなりません。父母の立場で私が争うわけにはいきません。そして銃や刀をもって、あるいは力づくで戦うことはできません。愛をもって戦わなければなりません。共産主義者たちは民主世界を滅ぼして共産世界をつくろうとしていますが、我々は民主世界を救い共産世界までも救ってやる、そのような体制をつくらなければなりません。(一九八〇・四・一五)

 韓国が二つに分断されている、それを統合しなければならないのです。南北を統合しなければなりません。何をもってですか。武力をもってするのではありません。神様の愛で統合することができるなら、そこが最も高い所となるのです。いったいそれはどこですか。三十八度線です。三十八度線を吹き飛ばすことができるなら、金日成も目をパチパチさせながら「仕方ない」、ソ連も「仕方ない」、中共も「仕方ない」、野党も与党も「仕方ない」、アメリカも「仕方ない」、日本も「仕方ない」、このようになれば万事が終わるのです。そうして滅びるのでしょうか、それとも栄えるのでしょうか。万事が終わり、万事が新たに始まるというのです。

 ですから我々は国民を連結するのです。韓国に勝共連合の要員は七百万から八百万人ですが、日本は三千万人を越えることも可能です。しかし我々がすべて保留しているのです。アメリカは一千万人のカウサ(アメリカにおける勝共運動)要員を連結してきたのです。中共はこの影響圏を中心に、今回五月何日かに、中共の機械使節団が我々の統一産業に来るというのです。アメリカに先立って主導的に、このような仕事を行っているのです。(一六四―五八)




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南北統一_6-7-1

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  南北統一

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第七節 南北統一のための我々の使命

一.統一のための政治指導者の責任

 いつの時にも一つの国の情勢、あるいはその国の運命を決定する責任者は多くの人ではないのです。その国が非常時に遭遇した時、その国の運命を解決するための方向提示は、ただ一人の人から始まるのです。大勢の人の共同決定を通じて方向を提示するのではなく、ある一人の人が提示した条件をうまく受け入れれば、その国は生き延びることができるのです。しかし、その一人の人の意見を受け入れなければ、その国は永久に歴史の裏道に流れ去ってしまうという事実を、我々は歴史的な実証から見てはっきりと知ることができるのです。

 このような立場からこの国を眺めてみると、韓民族よ、お前はどこへ行くのかというのです。問題が大きいのです。神様がいらっしゃるのなら神様が韓国を放棄してしまわれるでしょうか。本当に放棄してしまわれたなら別ですが、放棄されなかったとするならこの韓国にみ旨があるのです。韓国にみ旨があるというのです。このような立場から我々はあらゆるものを考慮せずにはいられないのです。韓国を世界が注視しているのです。(六三―二七二)

 大統領に当選した人は国家のために何をしなければならないのでしょうか。その人が政党の推薦を受けて大統領になったからといって、自分の政党の主張を除外したものすべてを無視してしまってはならないのです。あらゆる政党の政策を収拾して、超党的な立場に立って政策を展開していかなければなりません。また超党的な支持を集めて南北統一について対処していかなければなりません。それが大統領当選者が取らなければならない立場であり、責任だと考えるのです。

 韓国の次期大統領当選者は今後政策の重点をどこに置かなければならないでしょうか。政策の重点は、民族の希望である南北統一にその目標を合わせなければならないであろうと考えます。北韓は解放以後四十余年間にわたって、南韓を赤化統一するために準備をしてきたという事実を忘れてはならないのです。金日成は共産主義という世界的な理念を中心に、四十余年の間膨大な組織をつくって教育を行い、武力を備蓄してきながら決定的な時期をねらっています。これに反して南韓の政権は、今までどの時代においても、南北を統一しようと準備をした統治者はいません。今からでも南北統一のためにあらゆる国民を一つに結んで、あらゆる国力を統一のために集中しなければなりません。そのためには執権党や野党や在野団体すべてが、これに同参することができる方法をつくらなければならないのです。あらゆる国民が一つになることのできる環境を造成しなければなりません。今後の政府が行かなければならない道が南北統一の道であるとすれば、たくさんの難関が我々の前を遮っているのです。(一九八八・一・一)

 ここに来ている機関長たちによくよく言っておきます。大統領の席に座ってみたいと思っている人たちが四、五人でもいるなら、きょう集まり、一つとなって「どう歩めば良いのか」と聞いてみなさい。私が教えてあげたとおりに行けば、間違いなく大韓民国は生き返るのです。(一六八―九二)

 韓国の歴史の中で統一の聖業を成し遂げる人は、最も偉大な人物として記録され、その名は千秋万代に残るのです。大統領について言うなら、統一を成し遂げることこそが最も偉大な業績となるのです。我々もまたこの時代にそのような業績が残されるように、互いに力を合わせて助け合わなければならないのです。北韓解放を成し遂げる大統領こそが、偉大な人物として国民と共に生きていくのです。

 我々がこの世の人々の誤解を受けながらも政府を助けているのは、北韓解放と南北統一が成し遂げられるようにするためです。どの政党が政権を担当しても、あるいはどのような人が大統領になっても、この統一の聖業を成し遂げることができるように助けているのです。(一九八八・五・一)

 大統領になったなら大統領の上の席をまた求めて上がっていくのではなく、国を求めて下を振り向かなければならないのです。国民のために尽くさなければならないのです。(六一―三三五)

 今から韓国の大統領が出てくるなら、南韓を犠牲にして北韓を解放するという大統領が出てこなければなりません。そうでなければ、この国は天国の祝福を受けることができません。

 南北関係が統一のために本格的な席を設ける時には、思想戦が熾烈に繰り広げられるのです。その時のために準備を行わなければなりません。あらゆる国民たちが思想武装を徹底的にしておかなければなりません。韓国の政治指導者の中からも南北統一のための準備を指導することのできる人が現れなければなりません。日本やアメリカも、世界の舞台を中心に天運を受け継ぐことのできる人々をたくさん輩出していかなければなりません。

 先生は世界のために準備を行っていますが、皆さんが一つの国のために準備ができないとすれば、永遠に後ろ指を指される人となってしまうことでしょう。世界へ出ていくことのできる大韓民国になるかならないかは、未来の希望に対する準備がどのくらいできるかにかかっているのです。(一九八六・一〇・二一)




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二.国民が執るべき姿勢

 皆さんはすべて故郷を愛していますが、そのために国を台無しにするようなことがあってはなりません。殊に地域的な葛藤に束縛されてはいけないのです。「全羅道だ、慶尚道だ」と言って国を分裂させるような感情を捨てなければならないということです。故郷や出身地域を犠牲にして国家を発展させ、南北統一を成し遂げるために力を合わせなければならないということです。当局も地域的な偏見や偏愛を離れて、均等な発展をもたらすことができるように政策を展開していかなければなりません。

 今日韓国の地域的問題は、全羅道が疎外されたということから問題が生じているということもよく分かっています。そうかといって、全羅道が反国家的な場所になってはなりません。北韓の金日成がそのような弱点をねらっているという事実を忘れてはなりません。我々の本来の意図が純粋だとしても、それを対南戦略に利用するためにありとあらゆる手を尽くす北韓共産党の術策を警戒しなければならないというのです。

 皆さんは地域的な問題を解決することはできないでしょうが、地域感情を解消することはできるのです。自分の故郷に行って愛と犠牲を通して、共産党の実態を知らせ、統一運動を行うことによって、国民たちを一つに和合させていかなければなりません。左傾勢力が地域感情を利用して国を分裂させることのないようにしなければならないのです。共産党に浸透の機会を与えてはならないのです。(一九八八・一・七)

 皆さんがこれから故郷に行くことになれば、今までのあらゆる関係を覆さなければなりません。今の韓国は、国民が地域的に分裂していて一つにまとまることが難しくなっているので、既存の秩序のあらゆることを覆して初めて一つになることができるのです。先回の大統領選挙によって地域的な感情がより深まり、問題が大変深刻になったというのです。慶尚道、全羅道、忠清道と四分五裂になったために、それを治癒させなければ南北総選挙に当たって、絶対に北韓共産党に打ち勝つことができないでしょう。

 今は天使世界と霊界が地上に下りてきて協助してくれるようになっているので、皆さんが出ていく道の前に誰も立ちはだかる者がいないということを信じ、分裂した国論を一つにまとめてください。正面きって妨害する者がいるならば先祖たちの霊を動員して打つようにすれば、引き下がらざるを得ないのです。

 南韓さえ一つにまとまって動くようにすれば、北韓との総選挙に当たって絶対勝利するようになっています。南韓が一つに動くようになれば、以北が故郷でありながらも共産党に追われて南韓に来て暮らしているあらゆる人々と、金日成の共産党に家族を虐殺されたあらゆる南韓の人々を北韓に送るのです。そうなれば、北韓の金日成は毎晩金縛りにかかって眠ることができなくなり、夜ごとに現れる霊たちに責めさいなまれて降伏してしまうのです。(一九八八・一・七)

 民族は一つの主権を守護するために犠牲となりなさい。今日あのように北韓のやからが南韓をねらっている限り、その怨讐どもを防ぐために南韓は、民族全体が犠牲になっても主権を保護しなければならないのです。これは当然のことです。

 それで南北が統一されれば、統一された大韓民国は堂々と世界の先頭に立って、世界のために犠牲になることのできる伝統的な思想を残す国家とならなければなりません。そのようになればこの大韓民国がなくなり、主権がなくなるといっても、その民族思想は今後二十世紀を越えて三十世紀以後いつまでも残ることとなり、必ず世界を指導できる民族として残ることでしょう。皆さんはそのことをよく知らなければなりません。(五六―二七三)

 今日大韓民国を中心に見れば、この国が将来いかに発展できるかという、その発展の強度も、どこか地方の谷間に暮らす民百姓がどれほど主権者に対して関心をもっているかを見て測定することができるのです。一般の国民が主権者に対して関心をもつか、政策について関心をもつか、その二つのうち一つの分野にでも関心をもたなければなりません。これがその国の繁栄か滅亡かを決定します。(四二―一一一)

 大韓民国が今南北に分かれていますが、「南北が分かれたからといって、それがどうしたと言うんだ? 分かれていたっていいじゃないか。我々は関心をもたないでおこう」と、こうなったらいけないのです。大韓民国の人々は分断された以北のすべての力よりも、もっと強い力を投入する姿勢を確立せよと言うのです。力に余裕がなければなりません。団結しなければなりません。一つにならなければなりません。こうして誰かが挑戦してきた時、相手が十万の兵力であっても彼らが自ら消耗して下降の道をたどるその日を視野に置いて、彼らを牽制することのできる強い自体力を保有せよというのです。これが大韓民国の国民が今現在準備しなければならないことなのです。(七一―九四)

 我が民族は団合しなければならないのです。高いとか、低いとかいうことは関係ありません。おじいさんとか若者とかいうことは関係ないのです。一つの目的だけを見つめなければなりません。

 国民(人口)を見ても(北の)倍以上あり、軍備を見ても不足なものがありません。彼らは今トンネルを掘りながら麦飯を食べて暮らしていますが、我々が麦飯を食べて暮らしているでしょうか。米のご飯を食べて暮らしているのです。肥えた腹をしていながらなぜ怖れるのでしょうか。取るに足りないためにそうなのです。常識もなく、世の中を知らないためにそうなのです。(七八―八一)

 
 将来既成教会と一つとならなければならず、それから大韓民国と一つとならなければなりません。三千万民族がキリスト教圏を中心に、神様のみ旨を中心にした思想をもって武装をして団結するなら、北韓は問題ないのです。我々が完全に内外ともに整備したあかつきには、北韓の金日成とは言葉で戦わなければなりません。すべてをさらけ出して白黒をはっきりつける問題が最後に残されているのです。金日成が嫌でも手を握らざるを得ない時がやって来るのです。世界情勢がそのように展開するのです。すなわち、自分の位置を譲歩せざるを得ない時が来るのです。共産党は、その時までこの世界に残ることでしょう。(三〇―三〇八)

 今日の韓国情勢は民主化の過程において陣痛を体験しています。自由民主主義は韓国が発展させていかなければならない政治制度です。このために与党と野党が党利党略を離れて民族のために尽くし、国家のために尽くすという次元において、相互理解と対話を通じて合意に達しなければなりません。今日の韓国が置かれている状況を上手に克服できれば、希望に満ちた未来となることでしょう。それゆえ各宗教団体や国民すべてが傍観者にならずに主人意識をもって感謝し、激励して、自由民主主義体制が確立されるようにしなければなりません。(一九八六・一〇・二一)




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三.天運に従って愛の道を行かなければならない

 天運に従って行かなければなりません。個人的な運勢も、国家的な運勢も、アジアの運勢がなくなれば、大韓民国はそこで失脚するのです。天運に従い、アジアの運勢に歩調を合わせることのできる大韓民国とならなければなりません。大韓民国は天運に従うことができて初めて天運の補助を受けるのであって、そうでなければ滅びるのです。その道をいくら知っていると言っても、文先生に教わらなければならないという結論まで出してあるのです。今日も同様です。分かりますか。(はい)。

 大韓民国が世界へ行くことのできる道はこれしかないのです。南韓の民が北韓を救うのに、こぶしをもってしてはできません。できないのです。(今まで)統一の方案はたくさんありました。この政権時代には力をもって、軍事力をもって席巻しました。張勉政権時代には平和を主張した統一理念をもっていましたが、産業基盤が崩壊したためにそれを形成しなければならないといって争い、朴正煕政権の時には南北が同等な立場において行ってみようとしました。近ごろは南北調節委員会をつくって交流を行ったりしていますが、それは体制が違います。思想的な概念が違います。統一に関する理念が時期尚早なのです。その体制はどのようにしますか。大韓民国が共産主義の個人的体制、共産主義の理想的な体制の中に立っている彼らを消化することができますか。できません。闘争の概念を中心に生活の舞台を拡張するのが彼らの発展的な論理なのですが、そのような思想的背景をそのままにしておけば、どうしようもないというのです。

 それゆえ南北が一つになるためには、北韓を自分の兄弟以上に愛することのできる愛をもって養うことのできる南韓とならなければなりません。今全 羅 道、慶 尚 道が互いに自分たちが大統領を出すと言って争っていますが、そのようなありさまで、南北を統一できるのですか。とんでもありません。みな滅びるのです。このようなことを言うと、耳が痛いでしょう? 私は、聞きたくないことであっても正しいことであるなら話すのです。

 大韓民国が世界へと進むことのできる愛の天理に従うに当たって、個人がそのように進むならばそれは世界へと進み、家庭がそのように進んでも世界へと進むのです。そのように進むなら天宙の中心である神様が愛を中心として来る時には、自分が神様のものとして登場し、神様の指導と管理を受けることが可能となります。間違いなく指導され保護を受けるのです。そのように進んで行くならば神様の所有物となるのです。(一六八―二三〇)




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四.主体意識をもとう

 皆さん、考えてみてください。人体において肉が本物ですか、骨が本物ですか。答えを待つまでもなく骨が本物なのです。ところで、人がどんなに美男・美女であるといっても骨に心を引かれるでしょうか。ここで一度、もしこの肉がなかったらと考えてみてください。世の中のどのような人も自分に心を寄せることはできないでしょう。しかしながら骨に肉がくっついて、素晴らしく立派になって大胆になるのです。こうしてみると世の中には本物が本物としての扱いを受けていない場合が多く、また尊敬を受けなければならないのに尊敬を受けられずにいるものもたくさんあります。そうなのです。

 歴史の流れの中でどんなに迫害を受け、追い回される民族であっても、千年、万年変わることのない骨のような思想を身につけて消えることなく残るなら、その民族は歴史を主導するようになるのです。今日キリスト教思想を中心にキリスト教文化圏が形成されたのも、キリスト教徒たちが変わることなく、その思想を中心として歩んできたからです。歴史の流れがその思想を削り取ってしまうことができなかったために、そこで血となり、肉となって一つの形態をなした結果、キリスト教文化圏ができたのです。(一八―二三五)

 今日の世界史的な立場を見る時、今この時が終末であるということは既に周知の事実なのです。大韓民国が今後どのようになるのか、どこの誰も知らないのです。民主世界がどのようになるのか、どこの誰も知らないのです。共産世界がどのようになるのか、どこの誰も知らないのです。

 このようなことを考えてみると、国を見ても真っ暗な天地になっており、アジアを見ても真っ暗な天地になっており、また世界を見ても真っ暗な天地になっているのではないでしょうか。このような暗黒の天地の中で旗手となり、たとえ人々の前に立って方向を見失い右往左往することがあったとしても、その暗黒をかき分けて、暗黒の世界において一つの世界を抱いたとしても、彼らの前に新たな環境を提示できる主体思想をもった者とならなければなりません。(四九―九九)

 呻吟の拍子が次第に増してくる、その息の詰まるような、世界的な最後の交差点に向かって歩み行く混乱の渦中において、自分の主体性をどのように形成するのかという問題が、今後韓国の宗教人たちが解決しなければならない問題であり、数多くの僑胞たちが解決しなければならない問題であり、大韓民国自体が解決しなければならない問題ではないでしょうか。これもよいし、あれもよいと言うのではだめなのです。主体と対象をはっきりと分けるのです。天を主体とし人間を対象として完全に分けて、立つべき席に立つことができ、臨むべき席に臨まなければならないのです。そのために、息の詰まるような時代の交差点に向かって我々は今前進しており、この時がその瞬間なのです。(六五―一五二)

 今、我々の社会はとても混乱しています。世界の情勢もまた左右を分別することのできない混乱した状況にあります。我々はこのような環境に包囲された状態に置かれています。このような時に自分自身がその環境に吸収され、引っ張られていく主体意識のない人になるなら、後で必ず敗者になるのです。環境の中に、いかに複雑で混乱した情勢が置かれていても、我々はその立場を超越してあらゆることを判断することのできる基準をもって、堂々と現在の難局を突破していかなければなりません。その環境を収拾することができなければなりません。このような基準をもった実体とならずしては、自ら生きがいを感ずることもできず、将来我々が成し遂げなければならない新たなるみ旨に貢献することもできないのです。(二五―八〇)




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五.一つの国家の危難を克服することのできる愛国者の道

 三千万の国民がいる一つの国が戦乱時あるいは非常時に臨んでいるとすれば、その国を救う人はその三千万の国民全体ではありません。国民が数億いたとしても彼ら全体が国を救うのではありません。その国を救うことのできる人は、一つの基準を立てたただ一人の人なのです。ただ一人の人の影響で国を救うことができます。彼は過去から現在まで、どこの誰よりもこの民族が積んできた歴史的な善の実績を重要視します。そして彼は現時点において、この民族が歩まなければならないあらゆる問題に対して責任を負い、未来にはこの民族はこうあらなければならないという信念をもって断固として立ち上がる愛国者です。

 そのような愛国者が提唱する内容が一つの基点となり、この国家を救うことのできる道が開拓されるのです。それゆえ国民全体が国を救うのではなく、その国民を代表する方によって新たなる運勢を迎えることもできるのです。その反面で、新たな運勢を迎え損う可能性もあるということを、我々は知らなければなりません。

 ですから、それを提唱する人は新たな運勢を迎えるために険しい道を行かなければなりません。彼に押し寄せるあらゆる試練と苦痛を、将来の希望の世界と比べてみる時、希望の世界へと向かう心がより強ければ試練や苦痛を克服することができます。険しい峠を越すことができるのです。そのような心の姿勢が生命と一体とならなければなりません。そのような基準にならなければ、歴史時代を越えて新しい時代の基盤を立てることができなくなるのです。(二六―二五六)

 自分の体を公的な仕事にささげなければなりません。三千里半島の至る所を走りながら、その山野や道を眺めながら「お前は私のことを知ってくれ」と言わなければなりません。我々は昔の通りすがりのお客とは違い、憂国の士とも違います。過去に大韓民国のために尽くし、四十年間の倭政圧制下の時代に、国を想い涙を流してこの道を歩んでいった人がいたかもしれませんが、そのような人たちとは種子が違うのです。数千年の歴史路程において天が探し求めてきたその道を、自分が受け継いで涙を流すことができる、このようなことは歴史上初めて成し遂げられる神聖なことであるということを、よく考えてみなければなりません。汗を流してもやはり同様であり、眠っても同様なのです。(五八―一六〇)

 我々は、大韓民国をどうやって神様のみ前に復帰させるのかという目標を中心に進まなければなりません。イエス様がユダヤの国を救うために命を懸けて戦ったように、我々も大韓民国を救うために命を懸けて戦わなければなりません。この国がどこへ行くのかを神様に代わって凝視しながら、怨讐どもが出没する根拠地を必ずや破壊してしまわなければなりません。しかし、この世的な方法でしたのではだめなのです。

 統一教会が行う作戦と方法は別にあります。涙と血と汗を流しながら打たれて奪ってくる、踏みにじられながら奪ってくるのが、我々の作戦と方法なのです。その作戦の結果、我々は敗者の悲しい位置を免れたのです。皆さんは既にこれを実施して勝利の結果をもたらす体験をしたので、このような作戦を休みなく展開しなければなりません。そのためには我々が果たさなければならない責任分野がいかに多いか、体が百万、千万あっても足りないということを感じなければなりません。

 私は今までどのような愛国者にも負けないほど、大韓民国のために涙を流してきました。骨がにじみ出るほど涙を流しました。どのような愛国者にも負けないというのです。このことは先生が弁明しなくても、神様がご存じでしょう。

 宗教分野においてキリスト教を中心に見れば、キリスト教徒たちが殉教を目前にして、露のように消えゆく場面において神様のみ前に祈祷した、そのような瞬間を先生はすべて経験しました。死ぬことは簡単です。しかし死ぬことによって終わるのではありません。死んではならない運命をもって死の道を分け行くことはかえって難しいのです。このように今まで五十歳近い生涯をかき分けて、恨の歴史と悲しみの歴史を伴ってきました。(二六―二一)

 今や皆さんは歴史上の先祖たちを代身した代表者であり、世界を収拾することのできる救世主と同じ立場において、未来の患難をすべて打ち倒し、最高の幸せの土台と天国の枠組みを整え、生きているうちに天に無限の栄光の土台をつくって、それから死ぬと誓い、恨の絶頂も感謝しながら歩んでいかなければなりません。そのようになれば必ずこの時代の十字架は終わるのです。

 終わるとは世界が終わるということではありません。大韓民国です。大韓民国! 大韓民国が我々に反対せずに、歓迎する時が来るというのです。三十八度線以北が我々と対等な立場で、腹を割って話をするようになれば、我々が優位に立たなければならないというのです。我々が彼らよりも優勢な立場において彼らを養い、愛で抱いて解かしてしまわなければならない道が残っているのです。そのようなことを考えれば、我々は以北の怨讐たちを愛することのできる訓練を行わなければならないのです。

 それゆえ我々は今日、国民から受ける受難を訓練と見なさなければなりません。未来の第二の戦場において勝利の結果を得るように、発展するためにはそれを一つの訓練と考えることができなければならないのです。そうして、これよりもっと困難なことがあっても、我々はたやすく実行するのだという決心をして進むなら、皆さんはどのような道を行こうとも滅びることはないでしょう。(四三―二八〇)




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六.南北統一のために三十八度線を越えよう

 将来大韓民国が天国となるためにはまず南北を一つにしなければなりません。それが原則です。そのような観点から見るとき、怨讐に踏みにじられた北韓の地を奪還しなければなりません。私が共産党に拷問を受けながら、「こいつ! 私がお前を打ち捕らえるのだ」と誓いを立てました。その決心を標準として今戦い行くのです。あの時私を拷問した人の名を私は知っています。皆さんは知らないことでしょう。私は話をしなかったのです。今まで統一教会はそこに向かって歩みつつあります。必ず南北を統一させなければなりません。そうするためには三十八度線を越えなければなりません。

 北韓共産党が金日成を中心に全人民の武装化、全国土の要塞化など、あらゆる方面において準備を行ったその土台を見れば、我々はそれ以上に準備をしなければなりません。夜も昼も徹してその目標をもって戦っていかなければなりません。どのみち皆さんが地上で暮らす間に、一回北韓へ行って来なければなりません。何の話か分かりますか。そうして初めて皆さんが心情的な立場から、出発と目的が一致され得る家庭と兄弟の因縁を結ぶことができるのではないでしょうか。失ってしまった地、成し遂げることのできなかったその土台において、使命を果たして出てこなければならないのです。先生が一九六五年度から皆さんに「統一の歌」を歌うようにと言ったのは、そのような時を準備するためだったということを、皆さんは考えてみる必要があります。

 三千万民族が北韓の地を中心に統一の機運を迎えて、皆さんが先生と一緒に先生の故郷に行けば、そこで先生の歴史を解き明かすことができるでしょう。皆さんは実際に先生の過去の歴史について知らないでしょう? しかし皆さんがその作業を行うことができないとしたら、この地上に先生が育った歴史を残すことができないまま、この世を去るかもしれないというのが先生の考えです。分かりますか?(はい)。

 今や皆さんは北に行かなければなりません。共産党のやからが南韓の地を侵略するというニュースに接する時には、死を覚悟して立ち上がらなければなりません。それが先生の考えです。私はこの道を歩みながら、谷間の道に入ったその時から共産党についてよく知っている者です。共産党の組織社会についてよく知っているのです。それゆえ私が生命を投げ出して反共を行おうとしているのです。

 先生がこのように深刻な立場にいるというのに、統一教会の教会員たちは昼寝ばかりしているのです。我々は国を失った亡命客ではないのですか。その一族ではないかというのです。長い月日を待ちこがれてきました。むごい苦労をしても、あらゆる羞辱の道を歩んでも、この国を中心に天の正しい姿勢と権威をもって、「あなたが探し求めて来られた解怨成事の土台がこれではありませんか」と言いながら、両手を挙げて歓迎することのできる、その一日を迎えて初めて故郷をもつことができる者となります。そうして初めて国をもつことのできる者となるのです。南韓の地だけで大韓民国だと言えますか。腰から真っ二つに折れたのが大韓民国ではないというのです。皆さん、そのことを知らなければなりません。(四五―一四一)

 統一教会を信じようと、統一教会に入ってきて「家のかみさん、旦那さん、一緒に行かなくちゃ、息子、娘と一緒に行かなければ……」、このように一緒に行こうとした暁にはめちゃくちゃになってみな死んでしまうのです。ちょっと考えると「まさかそのようなことがあるわけがないだろう。昔はそのようなことがなかったのに、今になってそのようなことがあろうはずがない」と言うでしょうが、今我々は最後の作戦を行っているのです。死ぬか生きるかの賭なのです。滅びるか栄えるかの賭です。方法は二つしかありません。実行するつもりがないのなら最初から行わない、実行するつもりがあるのなら徹底して行う、これを決定しなければなりません。分かりますか。実行するつもりがあるならこの世の人よりも徹底して行うのです。そうしなければ「何だ? お前、統一教会を信じるつもりなら、徹底的に食らいつき、やめるのならふろしきを包んで出て行け」と言うのです。統一教会の責任者としてこのようなことを言って申し訳ありませんが、心情が違うのです。妨害してはなりません。妨害者になってはいけません。今でも妨害者が多いのです。愛国の闘士が世界にたった一人で残ったとしても、彼が民族の精気を正しく把握している時には、そこから新たなる建国理念を出発させることができるのです。

 このような話はむごく、厳しい言葉のように聞こえますが、それを恨めしく思いますか。本当にそうでなければなりませんか。(はい)。ああやっても滅び、こうやっても滅びるしかないとしたら、そのように行うしかありません。

 死ぬことを覚悟した以上まず進まなければなりません。そのようにする時が我々の前にやって来ます。誰が北韓に行きますか。北韓に入っていって、伝道の基盤を整えなければなりません。今東欧で統一教会の食口たちが地下運動を行っていることを、皆さんは知らなければならないのです。そのような問題を中心に先生は密命を果たして戻って来ても、その話をしません。皆さん、統一教会が現在自由世界にだけ存在するのではありません。皆さんが知らない間に、このような戦場が世界中に拡大されています。(六一―四一)




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七.愛の実績と材料を残さなければならない

 南北韓を中心に見る時、我々は南韓において最も困難なことを踏み越えて行くことのできる群れとなって初めて、統一的な主体者となるのです。このような観点から、我々統一教会は民族のために犠牲になろうというのです。我々が今まで歩んでくるその過程においていろいろ困難なこともありましたが、私が願ったのは、共産党までも頭を上げることのできない材料を収拾するということです。労働者や農民のために主権を掌握するといって努力する共産党でさえも、統一教会の群れの前に「彼らは労働者や農民を自分たちよりも愛した」と言うことのできる事実を持ち出して証言し、その実績をもってきて比較をするのです。そうしてみて「間違いない」と言うなら、それは共産党も手の下しようがないのです。皆さんはこのようなことを知らなければなりません。(六一―二六三)

 私が皆さんに話したことは何ですか。共産党を目の前にして「誰が労働者や農民をより愛したのか、さあ包み隠さず話してみよう。国民に聞いて挙国的に調べてみよう」ということになれば、そのための話をする材料がなくてはならないのです。材料を残さなければなりません。準備をしなければなりません。それが必要な時が来たのです。

 「三年で足りなければ十年取り組んでみよう。十年で足りなければ二十年を、私の青春で足りなければ壮年まで、私の生涯をささげて取り組んで、民族の宿願である統一の方案、統一の思想的な枠組みを残してからこの世を去ろう。これが我々民族の願いではないですか。人が分かってくれても、分かってくれなくても我々は行こう! これが統一の道ではなかったですか。統一の思想はそこから起こることでしょう。統一思想が行くところには、共産主義を克服することのできる運動を提示しなければなりません。現地で遭遇する困難を克服し、どのような困難なときにもその視野を広げて見てくるということのできる、壮漢の群れをつくってみようというのが統一思想ではありませんか」

 その仕事を、ここにいる文という人物を中心に始めるなら敗北するかもしれませんが、神様を動機としてそのような過程を経るのなら滅びるはずがありません。統一教会の文先生は滅んでも、このみ旨は成し遂げることができるというのが、統一教会の文先生の所信です。

 我々は民族がこのように引き裂かれるとは全く知りませんでした。このようになるとは全く知らなかったのです。そうこうしているうちに、統一の運勢がこのように芽を吹いてくるとはとても思えなかったのです。ここで我々が全く知らずにいた背後に、いかなる解決方案があるのかということが問題になるのです。(六一―三七)




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八.南北統一のための我々の姿勢

 万民が平和で幸福に歩むことのできる平坦な大通りを整備しなければなりません。そうして気分良く何百マイルもの速度で走ることのできるハイウェイを造らなくてはなりません。たとえ後代の人たちが誰が整備したかも知らず、感謝することもないとしても、このような道を整備しておかなければならないのが我々の使命なのです。それゆえ我々は、直線的で平坦な大路を整備するのです。ところでこのように狭く山川の多い韓国において、直線道路を敷設するというのですからどれほど大変なことでしょう? ああ、統一教会のみ言は立派で真理は真理なのだけれど、苦労のためについて行くことができないというのですか。きょう、せっかく出てこられた方々もいるでしょうが、いったん統一教会に入ってきたなら容赦がありません。

 我々は天の権威をもって立ち上がらなければなりません。天が望まれ、天が一人ではできないあらゆる内容を背負って万国の前に宣戦布告をし、誇ることのできる姿を備えなければなりません。天の権威を立てるときには、自分の権限に執着して立てるのではなく、自我主管の権威を立てなければなりません。万民の後ろから後押しをしながら裏通りのでこぼこを埋めながら進まなければなりません。茨の野があれば取り除いてしまい、穴が開いていれば埋めなければなりません。石ころだらけの野原があればそれを整理して、万民が行くことのできる道を整えなければなりません。夜も昼も、人が悪口を言おうが言うまいが一生懸命道を整えなければなりません。途中で人に褒められたといってその場所で大笑いし、休憩しながら荷を解くことのできるような状態ではありません。誰かが悪口を言ったからと徒党を組んで争い、憂さ晴らしをするような立場ではないことを知らなければなりません。彼らに争いを仕掛けるよりも、もっと忙しい仕事をしなければならないために絶対に歩みを止めることはできません。

 先生の歩みがこの土地、三千里の半島全体を遍歴することができないのが恨ではありません。三千万の民族に先生の口を通して話すことができないのが恨です。それで統一教会は故意に責任を全うしなかった罪人と同じ立場において道を探し出し、それを敷設するのにあらゆる精誠を尽くそうというのです。このようなことを知っていますか。

 神様が今まで悲惨な立場から万民を救うために探してこられた道を、私がこの地上に再現させて、それを蕩減しなければなりません。神様の摂理を代身するためには悲惨な場所で行わなければなりません。悲惨な姿ではあっても、情熱と血の沸き立つような愛の心をもって処理しなければなりません。そのような責任があるために、このような過程を経てきたのです。

 それだけではなく、我々は三千万の民族を越えて世界万民を代身しなければならない使命があります。それで目を開ければ万民が自分の懐におり、また自分の目の前にいるために、彼らのために祝福をしてやり、彼らのために戦う責任を背負って今まで歩み続けているのです。そのために将来統一教会が世界的な問題になるでしょう。事態は、先生が話したようにすべてなりつつあります。(二〇―一三六)

 精誠を込めなければなりません。そのような思想をもって、「精誠を込めることにおいては、この時間だけは私が主人である」、このように言うことができなければなりません。三千万民族が眠っていたり、休んでいたりしますが、天は休むことがないので、三千万の運勢は夜に成し遂げられるのです。歴史は昼成し遂げられるのではありません。夜成し遂げられるのです。それゆえ人が遊んでいる時間に、人が寝ている時間に精誠を込めなければならないのです。このように我々にはやるべきことが山ほどあって、とても忙しいというのです。

 私が三千里の至る所、一軒一軒の家に十回、いや百回でも行きたいのですが、行くことができないため、皆さんが先生の代わりに行きなさいというのです。分かりますか。(はい)。おおよその見当で十字架を描くように、一回りは回らなければなりません。蘇生、長成、完成の三数を経て来なければ、この民族に対して統一教会が責任を果たしたと言うことができないのです。

 今はどのような時ですか。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時です。そのような時なので、エジプトの地に暮らしているイスラエル民族に対し、夜を徹し死に物狂いになって、何日何時にその家を離れなければならないと通告をしてやらなければなりません。それを知っていても通告をしてあげない人は、永遠に罰を受けることになるのです。このようにカナンの福地に向けて出発する時代に入ってきたために、我々は三千万の民族全体の前に、彼らが行っても行かなくても通告をしてやる責任があります。そのために二十年近く全国的な活動を展開してきたのですが、まだ統一教会を知らない人がいるようです。それではだめなのです。

 よく見ると、まだ統一教会を知らない人がいるでしょう? (はい)。それは責任を果たしていないということです。楽に休んで遊ぶ人はいても、この民族に責任を負うことのできる責任者たちがいませんでした。骨が砕けてもこの山川、あの村の谷間ごとに、私の血と汗がしみ込んだ精誠の援助の手を待っているがゆえに、あなた方は行かなければならないのです。そうすることができなければ鐘に糸を結わえて手繰っては、四方に「ガラン、ガラン」と鐘を打ってでも一箇所に移動して来ることのできる統一戦線をつくらなければなりません。そうしなければ南北韓がいくら会談を行っても、統一方案を模索することのできる道がありません。我々が主体的な立場においてそのような道を整えなければなりません。(六一―二二二)

 皆さん、韓国におけるみ旨は何ですか。韓民族、倍達民族を中心に見れば、先祖たちの功績があり、世界的に悲惨な民族になったために、神様がこれに同情して祝福を下さったのです。この恩恵を他の国に引き渡すことはできないので、先祖たちを愛し、伝統を尊重視する立場に立って、大韓民国の主体性をもたなければならないと考え、世界のどのような機動隊よりも皆さんを苦労させたいというのが先生の気持ちです。間違った先生でしょう? (いいえ)。悪い先生ですか、良い先生ですか。(良い先生です)。なぜ良いのですか。先生は皆さんを中心の位置に立てるために、今までこの仕事をしてきたのです。分かりますね? (はい)。(六一―二二四)

 今日、何を差しおいても統一の道を願い、み旨がこの地の上に成し遂げられることを願う我々統一の群れは、天が既に主体となっているということを知りました。その主体が行かなければならない方向も知りました。個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために、氏族は民族の、民族は国家のために犠牲にならなければならないという段階的な前進路程をみな知りました。

 ここにおいて、我々が投入しなければならないものは何ですか。自分を投入しなければならないのです。心と体を別々に投入するのではなく、心と体を一つとして一度に全部投入しなければなりません。(六一―二六一)

 将来我々はどのようにしなければならないのでしょうか。結局は統一のために尽くす道において、共産主義以上に凄絶な内容の道を南韓の国民たちが行かなければなりません。そのような限界点を踏み越えるのだという信念があれば、南韓が北韓を統一することができるでしょう。しかしながら北韓が、南韓の限界的な要件を耐え抜く一方で、南韓の国民たちがこれに耐えられずに倒れる時、北韓の前に南韓がどのようになるでしょうか。吸収されないでしょうか。誰が勝ちますか。限界の基準を克服するやからが勝ちますか、それとも「ああ、私は嫌だ。もう知らない」というやからが勝ちますか。尋ねるまでもないのです。

 問題はこれです。歴史の勝敗圏を予想する、最後の激戦場における勇士として戦うに当たり、将来迫り来る激戦、戦争の前にどれほど強く大胆であるのか、どれほど克服して行くのか、生死の交差路においても決意することのできる、希望に満ちた勇士となるのかということが問題なのです。死の道においてもまた再び生きて戦うことのできる希望があり、これを成し遂げられない時には再び生きて戦うのだという思想があれば、共産主義を吸収することができるのです。

 共産主義は唯物思想なのです。分かりますか。共産主義は唯物思想です。死ねば全部なくなると主張するのです。しかしながら統一思想は、自分がみ旨を成し遂げられなくなれば、死んででも戦わなければならないのです。このような面において一つだけはましです。そのような思想でなければ勝つ見込みがない、と結論を出すことができます。皆さんはそのようになっていますか。

 先生が何かしようとすれば、「ああ、また何かやろうとしているな」と、こう言うつもりでしょう? 我々統一教会は他の団体の責任者たち以上に責任を感じながら進まなければなりません。進みなさい! 言い訳をする人が多いでしょうが、「あっ、先生待っていました。この朝が、この昼が、この夕方が、この夜が来るのを待っていました」と、何十倍も待つことのできる人が南韓にいればどうなるでしょうか。北韓の人はそうすることはできませんが、南韓の国民がそうしようとすれば北韓を消化してなお余りあるのです。合っていますか、合っていませんか。間違っていますか。(六一―三五)




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第七章 南北統一運動国民連合

第一節 南北統一運動国民連合

一.南北統一運動国民連合創設メッセージ
一九八七年五月十五日 韓国・ソウル・リトルエンジェルス芸術会館にて


 統一を熱望する愛国同胞の皆様!

きょう、我々は「南北統一運動国民連合」結成のため、ここに参席しました。南北統一は我が韓民族の念願であり、また宿願でもあります。我々は、みな倍達(注:韓民族の古典的歴史の称)の同胞であり、五千年の悠久なる歴史をもち、燦爛たる文化と美しい風俗と秀でた言語を駆使する平和愛好の単一民族です。このような一つの血筋を引き継いだ民族であり、一幅の絵のように美しい三千里錦繍江山をもつ我々は、断ち切ろうにも断ち切ることのできない同一運命体なのです。

 しかしながら、人も、山も、川も、願わなかった南北分断の歴史となって以来、既に四十二年目を迎えました。愛国の志士の血と真心で勝ち取られた独立の喜びも一瞬にして消え失せ、民族が南北に分断されて嗚咽し、四十年余りがたちました。

 このような民族の悲劇はいつまで続くのでしょうか。いくら回顧してみても南北統一の明るい兆しがないからといって、民族相逢、祖国統一の希望を全く放棄すべきなのでしょうか。

  国民連合を結成する理由

 皆様! 私はきょうこの席で、我々の祖国の南北統一は、必ず成就されることを宣言いたします。そして、その時が近づいています。我々はきょう、その南北統一の機運醸成のために、ここに「南北統一運動国民連合」を創設するに及びました。一九四五年、我々の祖国光復はいかにして成し遂げられたのでしょうか。

 祖国光復と我々の独立は、二つの要因によって成就されたのです。その一つの要因とは、三十六年間の日本帝国主義の弾圧にも屈しない自主精神のもと、多くの愛国志士が国の内外で血を流しつつ戦った独立運動です。

 さらにもう一つの要因は、第二次世界大戦の終結とともに、日本帝国主義が敗北したという世界的運勢がもたらした結果です。まさにこの二つの原因によって、我々の祖国に光復が成し遂げられたのです。

 南北統一も、また同じような原理によって成し遂げられるのです。今や、七十年の歴史をもつ国際共産主義は、実質的にその終末期に処していて、ソ連を中心としたあらゆる共産世界の崩壊が、今日目前に迫っています。彼らは七十年に及ぶ虚構と欺瞞、そして失敗の歴史を、もはやこれ以上隠蔽できない状態に至りました。共産主義理念の衰退は、すなわち北韓の金日成の運命とも直結していて、さらにまた、世界的に南北統一の機運を醸成する要因ともなるのです。

 このような国際情勢の推移によって、今後の我々に必要なことは、国の内外で国民の皆様が互いに力を合わせて南北統一を信仰化する運動なのです。統一の熱望に火をともさなければなりません。「意のある所に道あり」とも言われ、また、「至誠天に通ず」という金言もあります。北韓の天と地が感動するほどの我々の切なる統一への意志と熱望なしに、どうして統一を願うことができ得ましょうか! これがまさに、我々が今日「南北統一運動国民連合」を結成する理由なのです。

  三十八度線は価値観の三十八度線である

 今日、南北韓を断ち切ったままの怨恨の三十八度線は、ただ地理的な三十八度線ではなく、血縁的な三十八度線でもなく、互いに反目する思想の三十八度線であり、価値観の三十八度線でもあることを、まず我々は知らなければなりません。

 六・二五動乱の時、我々がお互いに殺し合うという、同族相殺を行ったその原因は血筋が違うからでもなく、お互いが同じ民族であることを知らなかったからでもありません。それは譲歩できない価値観の差から起こった紛争であり、この価値観の差異が民族の絆を切り、血縁を切り、さらには父子の縁まで断ち切る恐るべき壁になってしまったのです。

  有神論と無神論の対決

 それでは、お互いに相反する価値観の基本的な差とは何でしょうか。三十八度線でぶつかり合う最も基本的な価値観の対決とは、ほかでもない、有神論と無神論の対決なのです。まず、共産主義の思想は徹頭徹尾、神様を否認するところから出発しています。神様が存在しないから絶対価値はあり得ず、絶対価値がないから善悪の基準もありません。そこから、「目的が手段を正当化する」という、共産革命の原理が出てくるのです。

 共産主義は科学の力をもって、神様を否定しました。共産主義のみが科学的であるとし、科学の発達は神様と宗教とあらゆる神話を迷信に規定できるものと信じました。そして、「宗教は民衆のアヘンである」と宣言したのです。では、二十世紀の科学は果たして、共産主義が予言したとおりに、神様と宗教と神話をこの地球上で抹殺し得たのでしょうか。いいえ、そうではありません。二十世紀の科学は、それとは正反対に、科学的であることを誇っていた共産主義を十九世紀の迷信として墜落させてしまい、かえって神様を証すものとなっていきつつあります。

 その一つの例を挙げてみましょう。十九世紀までの宇宙観は、「この宇宙は分けようにも分けることができない絶対個体(究極粒子)になっている」というものでした。このような十九世紀の科学に基づいて、共産主義はその基本哲学として「宇宙の根本は物質である」という、唯物論を主張したのです。ところが、二十世紀の原子物理学は、この十九世紀の宇宙観を完全に覆すものでした。というのは、物質はほかならぬ無形のエネルギーからできていることが証明され、エネルギーと物質は相互変形的であり相互交流的なものであるということが、否認できない真理として明らかになったためです。

 さらに、二十世紀の先端を行く原子物理学においては、宇宙の形成は宇宙の中に何らかの意思がなければ成立しないということに意見が一致しつつあります。そして、科学の因果関係の法則によって、宇宙の森羅万象が偶然の所産ではなく、宇宙自体の中に本来第一原因が実在するということが次第に明らかにされつつあります。

 科学が究明しつつあるところの、宇宙と人間を存在せしめる第一原因を、宗教においては「神様」と言うのです。その神様は、知情意をもった人格神であり、人間の創造は神様の自己表現であったのです。神様は自分の形象のように造られた人間を通して、愛を授受し、喜びを享受するのです。それが創造の目的でした。

 ゆえに、今日我々が「神様がいない」と言うのは、まるで子供が父母がいないというのと同じです。あらゆる人間社会の価値観は、まさにこの創造主を認め、その創造主との関係を正常化するところから出発するのです。その神様を地球上から抹殺しようとした共産主義は、彼らが固く信じ切っていた二十世紀の科学によって虚偽とされてしまいました。「共産主義こそこの地球上から消滅されなければならない間違った価値観である」ということが、はっきりと暴かれてしまったのです。

  共産主義の誤った人間観

 共産主義は、人間を単なる高等動物とか動く物質、すなわち、機械と同じように取り扱っています。これは神様を否認する共産主義としての、あまりにも当然の結論です。共産主義は、人間の起源を猿が進化したものとみなしていて、猿は労働をするために道具を使用することによって言語を学び、その言語から理性が発達して人間になったと定義しています。すなわち労働は神様であり、人間は高等動物であると主張しているのです。

 この共産主義の人間観には、根本的に問題があり、このような間違った人間観から人類に対する恐るべき犯罪が引き起こされるのです。人間が単なる高等動物であるとき、人間は人権を主張する何らの理由もなくなるのであり、人間が単なる機械になるとき、その人間には、自由とか愛とか創造力をもち得る何らの土台もなくなります。そのような共産社会においての人間は、ただ暴力革命の一手段にすぎないだけです。


 彼らの主張によると、人間が共産主義の目的に符合される時にだけ、それは人間であり、それ以外の人間は無価値的存在であるとされていることは、あまりにも当然のことなのです。共産世界で人間が蝿の命のように軽視される理由はここにあります。ソ連共産革命以後六十年の間に、少なくとも一億五千万人の誣告の人命が、反共産主義という口実によって虐殺されたという事実(一九七八年十一月十八日、仏「ル・フィガロ」誌)は、共産主義の人間観の誤りによるあまりにも自明なる結果です。

  真なる人間観

 人間の尊厳性と人権は、人間が創造主なる神様の子であるというところから起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているということから、人間の高貴な価値が生まれるのです。人間に害を及ぼすことは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人一人は神様が造られた個性真理体であり、人間一人一人は神様が自らを表される実体であり、人間の生命は神様が永遠であらせられるのと同じように、永遠のものです。

 共産主義が人類に対して犯した最大の罪悪は、その思想が神様を否定するだけでなく人間を動物視するところからくるものです。共産主義は人間を単なる高等動物とか動く物質、すなわち機械とみなしています。それゆえ、共産主義を信奉する国々では、体制自体によって人権の尊厳性が驚くほど根源的に否定されています。

 互いに対立する、この二つの価値観の対決は、韓半島のみならず、今や世界の至る所で起こっています。まさに、世界的な価値観の南北戦争の時代なのです。この価値観の対決を世界的な次元において解決しなければ、共産主義の問題は解決できないし、我々の南北統一も一つの妄想にすぎません。それゆえ、世界問題の解決なしに南北統一はあり得ず、また韓国問題の解決なしに世界問題の解決はあり得ません。同じ方法をもって、世界問題と韓国問題が解決されるからです。

  神主義による価値観の解決

 皆様。このような見解をもちまして、私がこの世界的な価値観の混沌を解決すべきとして提唱してきた思想が、「神主義」または「統一思想」です。神主義とは、神様の実存を明白にして、神様から賦与された神聖不可侵の人権を明らかにして、共産世界を思想的に解放し、もう一方において今日没落しつつある西欧文明を、世俗的な人本主義と退廃的な物質主義から解放しようとする思想です。この思想をもって、我々は北韓を解放し救出するのです。それゆえに、南北統一運動は、まず価値観の確立の提示から出発するという理由がここにあるのです。

  自由統一のみが真なる統一である

 このように、互いに反目する価値観の対決であることを考えてみる時に、我々がまず肝に銘ずべきことは、自由統一のみが我々の願う真なる統一であるということです。我々の統一は、神様と自由と民主主義をその基礎とする統一でなければなりません。その他、いかなる形態の統一であっても、それは真なる統一ではありません。

 自由は、神様があらゆる人間に賦与された神聖不可侵の権利なのです。このことは私の権利であり、皆様の権利でもあり、北韓同胞の権利でもあるのです。北韓の同胞は、その権利を四十二年の間、剥奪されてきました。彼らも、我々と同じように自由を享有するための統一、それこそが真なる統一なのです。

 我々はあのベトナムを教訓として、大切なことを学ばなければなりません。ベトナムは統一されたのではなく、ソ連の奴隷となったのです。それは真なる統一ではありません。ベトナムの赤化十二年間に、自由を追い求めて脱出した数十万の人々がボート・ピープルになって海上で息絶え、数百万の人々が粛清されました。いわゆる統一されたという共産国ベトナムは、国民所得が百ドルにも満たない世界最悪の貧困国家に転落してしまいました。誰もこれを真なる統一と呼ぶ人はいないでしょう。

 我々の北韓同胞に必要なのは真なる解放なのです。彼らが待ちこがれる解放は、我々が先頭に立って、世界の運勢を引き寄せてくる時にのみ可能となるのです。これはまた、過去四十余年間、南韓でより自由で幸福な生を享受してきた我々の、北韓同胞に対する神聖なる義務でもあるのです。

  北韓は赤化統一政策だけを堅持する

 北韓共産党は、今日まで四十年間ひたすら赤化統一政策だけを堅持し、その機会を虎視耽々とねらい続けてきました。彼らの南韓解放の究極の目標とは、「南韓を米帝国主義の支配から解放することにより、祖国を統一して、南韓国民を北韓人民と同じように主体思想化させる」と、規定しています。南韓の国民を主体思想化するということは、言い換れば、「金日成唯一思想によって武装させる」ということであり、それはほかならぬ金日成父子の絶対的な支配下に屈服させるということなのです。すなわち、これは金日成に奴隷化されることを意味します。

 このような狂信の中で年中無休、南侵を準備し続けて四十年余り、彼らは六・二五動乱の時に失敗した苦い経験を生かして、三十余年をさらに準備し続けてきたのであり、今や、呻吟する南韓国民を解放するための革命的南侵の機運は、その絶頂に達しているのです。

 このような南北対峙の緊張が高まっている状態の中にも、我々の大韓民国は目覚ましい経済発展と、国際的地位の向上を勝ち得ています。

 実際に、韓国と北韓の国民総生産(GNP)の対照は、一九八五年末に五・五対一という格差を見せていて、韓国は世界の中で二十位のGNPを記録するようになり、世界で十二番目の通商国にまで発展しました。

 したがって、一九八八年のソウル・オリンピック以降には、韓国は経済的にも軍事的にも、絶対的有利な立場に置かれることは火を見るよりも明らかなことです。それゆえ、北韓の信仰的に信奉してきた武力赤化統一の機会が永遠に消え去ることを見通した金日成一党は、これを手遅れになる前に阻止するという目的で、今後あらゆる策動を繰り広げてくることは間違いありません。現にそれが行われているのです。

 韓国を混乱に陥れるためのありとあらゆる宣伝と策動により、韓国の政治的混乱を起爆薬として、ソウル・オリンピックの開催を阻止し、韓半島の不安と緊張を醸成させ、最後の渾身の死力を尽くした軍事的冒険主義を選ぶ可能性が大であり、今後の一、二年がその決定的な時機であることを断言します。

 このような重大な時点に、我々が「南北統一運動国民連合」を結成したということは、実に歴史的なことです。

  価値観の確立と思想をもって武装しよう

 我々の国民連合は、この時点において何をなすべきでしょうか。まず初めに、我々は民族の和解と一致に向かっての真なる価値観を確立し、その価値観を中心として思想武装をしなければなりません。アメリカをはじめ自由世界の弱点は、思想の空白が存在するという点です。物質の豊饒と自由の澎湃が、価値観の混沌と、世俗的人本主義の台頭をもたらしたということは事実です。自由世界は、思想面において繰り返し後退してきました。これは滅びゆく共産世界が、最後まで世界赤化の野望を放棄しない理由によるものです。

 第三次世界大戦は思想戦です。共産主義を軍事的にのみ敗北させることはできません。共産主義の思想を凌駕することのできるより優れた思想なくしては、共産主義を敗北させることはできません。その思想こそが、すなわち真理に立脚した思想です。その思想がほかならぬ神主義なのです。

 偽りは真のみが克服できるのです。これからの自由世界は、神主義、すなわち統一思想で武装して理念的攻勢に転換しない限り、共産主義に打ち勝つことは不可能です。

 「南北統一運動国民連合」は、汎国民的思想武装運動における先鋒に立たなければなりません。神主義は北韓同胞を解放するばかりでなく、全世界の共産主義を解放してもあまりあるものだからです。またこの理念は、放縦と不道徳で腐敗していく西欧世界にも、一大精神覚醒運動を起こし得る契機となるものです。

 それで私は、一九七六年にアメリカの首都ワシントンで歴史的な神主義宣布大会を行ったのち、次の大会はモスクワで開くことを宣布したのです。神主義により共産主義の世界を解放できるという信念があるからです。共産主義が速やかに衰退しない原因は、今日まで我々にはっきりとした代案がなかったからです。また、より優れた思想によって武装されていなかったためです。これからは大韓民国から思想運動を引き起こして、共産主義克服のための汎世界的運動を展開いたしましょう。我々が思想的攻勢を取って虚偽と欺瞞で飾られた金日成の唯一主体思想を圧倒できずして、どうして統一を願うことができるでしょうか。

  神主義は頭翼運動

 我々の統一思想、神主義はまた頭翼思想でもあります。右翼でもなく左翼でもない「頭翼」(ヘッドウィング)です。人類の真なる平和は、右翼によっても左翼によっても成し遂げられません。その理由は、右翼も左翼もその根本的な動機が利己主義を解脱できないからです。己を中心として自国の利益のみを追求する時、そこには永遠になくなることのない利害の衝突があり、そこには統一もあり得ず、平和もあり得ません。

 今や利己主義を打破する新しい世界主義が出てこなければなりません。自分より他のために生きるという利他主義は、ただ神様の理想においてのみ出てくるのです。それは神様が愛の本体であり、愛の本質が自己を犠牲にして他を生かす利他主義にほかならないからです。したがって、神主義の本質は愛であり、その思想は人の四肢五体を動かす頭と同じような中心思想です。それが頭翼思想です。右手も左手も一つの身体に付随するものです。もし頭がない場合、それらは互いに他人同士のごとく戦いますが、頭が中心に位置すれば右手も左手もみな頭の命令に従って、身体全体のために働く一つの共同体になるのです。

 それゆえ、南北統一も頭翼思想によって成し遂げなければなりません。これは北韓が南韓を赤化統一することでもなく、南韓が北韓を侵略することでもありません。共生、共栄、共義の頭翼思想で南と北の価値観を統一することによって、真なる南北統一を成就するのです。

  南北統一を信仰化しよう

 第二に、我々は統一の熱望をもち続けなければなりません。熱望のないところに実践は伴いません。我々の国民連合は、これから南北統一を信仰化する運動を繰り広げていかなければなりません。統一は我が民族の宿願であるのみならず、必然の信仰でもあります。統一に向かっての我々のわき上がる知性がある時、神様はこれを成し遂げてくださることと信じています。

 この点において、今日まで我々は北韓に負けていたと言っても過言ではありません。彼らは強制によるよらないはともかくとして、南韓の解放という熱望をもっています。そして誰もが、これを成し遂げるためにはすべてを投入して、犠牲になろうとする姿勢をもっています。

 今や、我々の統一の熱望、自らを犠牲にしてでも必ず哀れな北韓同胞たちを解放しようとする熱望なくしては、南北統一は幻想にすぎません。そこで私は、この国民連合の宿願事業として、三十八度線の近傍に「統一祈願殿」と「統一訓練院」を建立して、我が四千万の熱烈な統一への熱気を北に噴き込む事業を計画しています。

  我々の実力を育成しよう

 第三に、我々は実力を育て養わなければなりません。我々の統一の方案は、平和的な統一の方案であり、そのためには各方面で実力を育成する必要があります。我々は金日成の赤化野望を放棄させて、その閉鎖された社会を開放し、究極的には南侵の意図を放棄させなければなりません。金日成の主体思想を放棄させるためには、彼を百方において凌駕するその実力をもって、金日成一党を圧倒しなければなりません。また、その実力でもって、彼がやむなく承服して順応するように仕向けなければなりません。

 ここで、まず第一に大切な実力は価値観の確立であり、思想武装であることは既にお話しいたしました。次には我が国力の伸張であり、国際的な地位の向上です。さらにこれらの実力の中で大切なものは、我が祖国の先進的民主社会の建設です。

 真なる民主主義のみが独裁に勝ち得るのです。個人崇拝の独裁集団に対しては、健全なる民主政治の発展を通じてのみ、それを無力化させることが可能なのです。「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければなりません」と宣言したエイブラハム・リンカーンの、この言葉は真理です。ですから我が祖国の民主化は、歴史の命題であり、国民良心の至上命令でもあります。

  国際的な統一への機運の醸成

 最後に、南北統一のために養わなければならない我々の実力の中で最も大切なものは、国際的に我が祖国統一の機運を醸成することです。言い換えますと、世界的に思想武装を急がなければならず、アメリカを中心とした世界情勢、日本、中国を中心とした韓半島の周辺情勢をもって統一の機運を醸成するために、積極的な方向に導いていかなければなりません。ソ連をも動員して、閉鎖された北韓を開放させるようにして、究極においては北韓が閉鎖された現体制では存立できないということを悟らせるようにすることです。彼らをして、国際的な圧力と運勢に堪えられなくして脱共産主義宣言をさせるようにし、民族大同団結の次元から考えざるを得ないという運勢をもたらさなければなりません。

 虚構と欺瞞の上に立つ金日成体制は、一方では非常に強いもののように見えながらも、その一角が崩壊し始める時、彼らの体制は絶壁を転がり落ちる物体と同じようになります。

 早くから私がアメリカに世界本部を設けて、自由世界の思想教育に努力してきたことは皆様もご存じのとおりですが、「ワシントン・タイムズ」をはじめ、各種の言論機関を世界の至る所に設け、また世界の言論人を教育し、世界各大学の教授に方向性を提示し、世界各国の学生運動を指導し、退役将校などを中心に在郷軍人を糾合し、南米諸国統合の運動を繰り広げつつ、世界宗教一致運動を長い間、直接推進してきました。このように、前もって私はあらゆる面に力を尽くして、アメリカ、日本に影響を及ぼし、ヨーロッパ、南米各国にもその基盤を築き上げ、ついには中国にまで影響を及ぼして、北韓解放の国際的与件の醸成に全力投球してきました。

 韓国は、地政学的にも極めて微妙な位置にあります。韓国を巡る四大強国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、我が韓半島において各々重要な関心と利害関係をもっています。我々はこの四大強国に影響を及ぼして、我々の統一の偉業に有利な方向に導いていかなければなりません。そうせずしては、我々が願う祖国の統一は到来しません。そのような影響力と実力を、私は国際舞台での思想教育運動、その他いろいろの分野からの成功を通じて成し遂げてきたのです。

 このような基盤の上で出帆する「南北統一運動国民連合」は、決して韓国だけの単独的な努力になってはならず、アジア各国、ひいては世界各国との紐帯をもつ国際連合運動に発展しなくてはなりません。そこで我が国民連合は、これからアジア国民連合に向かって発展し、また世界国民連合へ発展していくことでしょう。これが全世界人類の念願であり、また神様の念願でもあります。

 皆様。我々は今、ここで民族的、世界的なこの偉業を受けなければなりません。この歴史的な統一の偉業のためには、義人たちの手が差し伸べられる皆様は、このような歴史的な召命を受けて、「南北統一運動国民連合」結成のこの場に集まったのです。

 檀君国祖の開国精神は、「敬天愛人」の思想です。今日、我々のその崇高なる開国思想が昇華されて、世界を価値観の混沌から救援する万民救世の思想、すなわち「神主義」が、この地に発祥したのです。

 私は、韓国問題は世界問題の縮小体であり、世界問題の解決は韓国問題の解決と不可分の関係であると考えます。このことは言い換えると、我々の韓国においてこそ世界問題を解決できる方法が生まれるという意味にもなるのです。そうです。我々が南北統一の方法として提示する神主義は、世界を共産主義から、さらには世俗的な人本主義から解放する方法ともなるのです。

 愛国同胞の皆様。

 我々はお互いに自らの価値観を確立して、国民思想武装に総決起しましょう。我々は共に南北統一の熱望をもち、これを信仰化して、鉄壁をも貫くことのできる情熱を燃やしましょう。

 我々は大役事の行進の最前列に立って、永遠の民族史の中で最も雄壮な南北統一の場を、神意に従って我々の手で成し遂げるのです。その自負と決意をもって、この「南北統一運動国民連合」を通じて、世界的な実践の基盤をつくりましょう。

 皆様。きょうこの場所は、我々が共に統一の役軍として召命され、任務を授けられた神聖なる場所であることを心に刻んで、こぶしを握り締めて統一の誓いを立てましょう。我々の所願である南北統一が成される時まで、一つになって総進軍しましょう。

 皆様方と皆様方のご家庭の上に、神様の祝福が共にありますよう祈りながら、「南北統一運動国民連合」創設のメッセージといたします。(一九八七・五・一五)




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二.南北統一運動基金寄付のメッセージ

 皆様! 今、我々は宿命的な課題を完遂するために、この場に集いました。南北韓が分裂した実状を我々はよく知っています。

 私は以北で監獄暮らしをしたので、北韓がどのような実情であるかをよく知っています。我々はどのような犠牲があったとしても、あの人たちを解放しなければなりません。皆、肝に銘じなければなりません。

 私が三十八度線を越えて、神様の前に祈祷をしてから、四十年になりました。みすぼらしい姿で三十八度線を越えて、この共産国を自分の手で解放し、統一しなければならないという、そのような心情をもって、四十年間生きてきました。(のどを詰まらせられる)そして今も、闘っていくべき運命的な道が残っていることをよく知っています。

 皆様! 総裁として尊敬する前に、この民族の悲惨なことを心の奧深くに記憶され、この民族の統一、解放のために前進を誓うこの時間となるよう、もう一度確約するようお願いします。

 この大運動を完成させるためには、それこそ、我々全体が一つにならなければならないのです。老若男女を問わず、知識の有無を問わず、手に手を取って、至誠を尽くして、血の汗を流すことを覚悟して進まなければなりません。統一完成を願いながら、北韓解放を目標として立て、誓いに誓いを重ねながら進まなければなりません。信仰者は神様の働きを願い、あるいは社会活動者は職場においての同志たちを激励しながら、必ずこのことを成就してくださるようにお願いします。このことは我々だけではなく、我々の数多くの外国の同志たちが待ちこがれているという事実を知り、どうか成功してくれるようにと願ってやまないものです。

 ですから、今、我々には数多くの基金が必要です。このようなことを私一人で成すことはできません。全六千万国民を結束させて、このことを完成すべき摂理的使命を知る私としては、この時間に最小限の基金を皆様の前に差し出す決意をしました。

 どうか、このような精神に従って、皆様が協力して、この運動を急いで引っ張っていってくださるように願うものです。ありがとうございました。(一九八七・五・一五)

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  南北統一

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三.国民連合の創設と目標

1 国民連合創設の動機と背景

 南北統一運動国民連合というものを誰がつくりましたか。(先生です)。いや、誰によってつくられましたか。これはレバレンド・ムーンによってではなく、神様によってつくられました。(一九八八・一・三一)

 先生が世界的に追放された立場で、あの世界の果てから、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な版図を編成して、世界的運勢をしっかりと背負ってきて、今回、接ぎ木するのです。皆さんがご存じのとおり、南北統一運動国民連合、それは易しいことですか。神様が先立たなければなりません。神様が共になければだめなのです。(一六六―一五四)

 今日、南韓が世界の中心国家として天と連結され、愛の軸の基準が三十八度線になるべきであり、天上の国に入り得る十二の真珠門になるべきなのに、金門になるべきなのに、何の門? 板門店、板の塊の門になったというのです。金門店、すなわち黄金で通じる門になるべきなのに、滅亡に通じる門になったというのです。サタンと天が讒訴する世界のただ一つの基地なのです。正義と悪が対決するのです。正義が追われ、悪が勢力を得るというのです。うそによって打つのです。これを除去するためのみ業をレバレンド・ムーンが全世界を代表して、やっているのです。日本もそうであり、アメリカもそのように防御をするのです。それをすべてして、今回帰ってきて……。私が韓国に対しては今まで手を付けられなかったのです。

 南北が分かれたので、これを愛で連結させて統一することによって、祭物的な恨みの世界を越え、本然の神様の愛を連結させるのです。そうして、人類の解放と神様の解放を中心として、この国家全体に問題となるものを、全部、愛の理想で踏みつぶすのです。統一祖国を中心として永遠に解放の栄光を、永遠に愛の理想の栄光を備え、神様と共にとこしえに暮らすことのできる天国が開門され、そこに入ることを願い、南北統一国民運動を開催したという事実を知らなければなりません。分かりましたか。(はい)。(一六六―八一)

 先生は今まで右側の個人圏、家庭圏、氏族圏、民族圏、国家圏の編成を連結させ、韓国に帰ってきたのです。ですから、勝利圏をもって韓国に帰ってきたというのです。ですから、カインはアベルに屈服しなければならないというのです。違いますか。そのような運勢をもってきたので、南北統一運動国民連合を結成できるのです。ですから、皆さんは六・二五動乱のとき、共産党員たちが三十八度線を突破してきた、それ以上にしなければならないというのです。共産党が何年間で整備して、出てきたでしょうか。三年間です。一九四八年から一九五〇年まで、三年期間に準備して、南韓に侵攻したように、我々も三年以内にしてしまわなければならないのです。(一六四―一一八)

 私が異邦の民族としてアメリカの行くべき道を正すために、今まで先覚者の立場にいたので、最後までやって定着できるようにして、帰らなければならないというのです。これが神様が考えることなのです。そのように見るので、ここにくっついているのです。そうでなければ、とっくに韓国に帰ったのであって、なぜ韓国の人がここに来て働きますか。違いますか。天が行くことのできる、天が君臨できる道を築いておいて初めて、自分の国に行くことができるのです。天は世界の舞台を通じて、我々の国に来るのです。我々の国を通して世界に行くのではありません。考えが違うのです。ですから、今からは、南北統一も世界を通じてできる道が連結されたので、南北統一運動国民連合を編成したのです。(一六七―二六六)

 国民が何を願うのかというと、南北が一つになることを願い、また、天が公認することのできる正義の主権者が現れることを願うのです。ですから、先生が今回、「南北統一運動国民連合」を創設することによって、韓国国民は南北を統一するお方は文総裁、あの方しかいないというのです。それが空論ではなく、決定的な事実です。政府もできません。 全大統領が南北を統一できますか。金日成が南北統一をしようといって、南北を統一できますか。夢です、夢。

 しかし、先生はあらゆる方面の土台を中心として、周囲に力を整えて、国民を連合できます。これだけ連合させておけば、第二次大戦直後にアメリカの教会とアメリカの国が一つになれなかったのと、韓国の国民と先生が一つになれなかった基準を代身して蕩減することになります。この二つさえ一つになるときには、世界の核心基盤が完全に成就して、神様を中心として、統一教会を中心として、世界的な出帆が起こるというのです。(一六五―一一三)

 見てみなさい。北傀が解放以後、一九四八年九月に政府を樹立しました。そして、一九五〇年六月に南侵しました。一九四八年十月、十一月、十二月……。一九五〇年六月まで一年九カ月で南侵をしました。そうして、南韓をあっという間に全部、灰にしてしまったのです。ソウルは三日間……。南韓全部を、あっという間に支配したというのです。北傀が二年にもならない期間に、全部、そのようなことをしましたが、休戦後、三十四年になりました。あらゆる精誠を南韓解放のために投入したので、それのためにどれほど準備したかというのです。それゆえ、ここでアメリカが後退すればだめだというのです。それで、我々が既にワシントン・タイムズをつくり、レーガン行政権を立ててきたのです。

 そのような金日成に対して「南北統一運動国民連合」ですって? 国民運動をするですって? 我々は過ぎゆく人が、道端で酒を一杯飲み、「ああ、気分がいい」と言う、そのようにするのではありません。既に世界から包囲してきたのです。包囲網を張ってきて、中国、日本、アメリカまで背後を結び、てこで持ち上げなければならないというのです。そうすることのできる我々韓国の与件が必要です。(一六六―一二四)

 国民連合をつくるために、まず環境圏を造成するため、「教学統連」(全国大学教授学生南北統一運動連合)を一九八六年十月十一日につくりました。当時、大学機関の責任者としていた○博士は「先生はどういう仕事をそのように豆を炒って片づけるように、稲妻のようにするのか」と言いながら、大変そうにしましたが、摂理がそのように緊急な時でした。何カ月にもならずに、さまざまな闘いをし……。このように我に返ることができないくらいに忙しく過ぎていきました。特に、「南北統一運動国民連合」を結成した一九八七年には、四・一三措置だとか、六・二九宣言だとかいって、摂理史的に国家的に一番複雑な時でした。一番複雑な時に口を開けば、全部、御用団体だと烙印が押される危険があったときに、統一運動を起こしたのです。お金がある事業家も、政治家もじっとしており、出世しようとする人もじっとしています。死ぬような局面なのに、声を張り上げるのは我々しかいませんでした。大学街にはうちの○○牧師と○○○総裁が行って、高麗大で○総裁が受難に遭ったりもしました。

 それゆえ、統一運動は今回、第二回で決着をつけなければなりません。統一教会を見くびって追い出してはならないということを、ソ連と北傀を背景にして現れた民民闘、自民闘など、左傾団体が教えなければなりません。

 昨年、大学街の左傾運動圏では五人幇(五人の最高実力者)をやっつけようとしたそうです。統一教会の五人幇と彼らとが争えば、統一教会の五人幇が勝つようになっています。統一教会の五人幇という言葉はどこから出てきたでしょうか。高麗大を中心として大学街で争うとき、左傾運動圏からもってきて付けて争ったスローガンでした。その時局において全国の大学街を縫い、大学教授たちと社会著名人士を中心として、全国で巡回講演をしたのは誰ですか。我々のほかにいますか。それはとても大きな冒険でした。危険窮まりない冒険でした。そのような土台を築き、五月十五日、国民連合を発足させたのです。それを国がつくってくれましたか。誰がつくってくれましたか。純然と国民連合を中心として先生がつくったのです。(一九八八・一・二)

2 創設日は一九八七年五月十五日以前であってこそ

 時というものは一度しか来ません。時は人を待ちません。しっかりと準備し、待ちこがれて時を待つべきであって、人がいないといって、時が待ちはしないのです。過ぎ去るのです。

 そうでなければ、国家の運勢だとか、天運の拍子が食い違ってきます。ですから、夜昼がありません。夜昼がないというのです。それをするためには、いつ休むかというようなことがありません。くたくたなのが問題ではないというのです。ですから、今回は「南北統一運動国民連合」を創設しました。(一六七―二四八)

 先生がなぜこの創設大会を必ず五月十五日までにやらせるのでしょうか。今の時が季節で言えば夏になる前だからです。今は全万物が蘇生する時だということです。また、全体の運勢で見ると……。五・一六が何年に起こりましたか。(一九六一年です)。そのような五・一六の運勢を中心として、新しい主権が生まれました。ですから、その前にやらなければならないというのです。それを越えてはならないというのです。それゆえ、この時、韓国の情勢も全部そのようになるのです。これは巧妙に合わせたのではありません。神様の摂理のプログラムがこうなっているので、全部、混乱が生じるのです。野党も混乱しており、与党も混乱しており、国民自体も行くべき方向が見つからず、宗教界も手を出せず、誰も手を付けられないというのです。ここに我々がぴったり合わせたのです。しっかりと打ち、越えていくのです。このようにすることによって、霊界と肉界が分かれ、東西が分かれ、南北が分かれていた、あらゆる運勢を集約させてこのように集まったのです。(一六四―一六九)

 今回、この「南北統一運動国民連合」の結成も、○○○は「先生、だめです。忙しくて死にそうです」と言い、○○○も「忙しくて死にそうです」と言うのです。それで、「いつやればいいのか」と言うと、「七月の夏休みの時にすれば、いいです」と言うのです。そう言ったでしょう、○○○? (六月だと言いました)。六月ではありません。(笑い)時間がないのです。先生がやらなければだめなのです。この時、全部……。ねじがあって、ボルトとナットが相互いに回って、どうすればぴったりと合いますか。ちょうどそれと同じなのです。不思議にこの一致点を探し出すのです。誰がいらっしゃってですか。神様がいらっしゃって、神様の名によってです。分かりましたか? (一六五―一三〇)

 実際、忙しいのです。アメリカ自由協会をつくって、台風が吹いてくるので、全部、方向をつかんであげなければならないので、忙しいということを私は知っています。けれども、それよりももっと忙しいのが「南北統一運動国民連合」だということを、彼らは知らないのです。「五月十五日までにこのようにしなければならない」と言うので、目をむくのです。「やるのです、この者たち!」と言われて、仕方なくやってみると、このようになったでしょう。よくやりましたか、よくやりませんでしたか? (よくやりました)。仕方なくやったけれど、よくやったことになったのです。

 できれば、七月ごろにやればどれほどいいかと思うでしょうが、それは違います。五月十五日を越えてはだめです。もし、我々が五月十六日にやったなら、鶏龍山のあの信徒の中の連中が、正道令をやろうという雑役夫たちを中心として、五月十六日に、南北統一汎国民大会をするようになっていたのです。それだから私が(五月十五日までにやれと)催促したのです。「十五日を越えてはだめだ」と言ったのです。十六日を越えれば、「ああ、文総裁が何をするって? 他人がやるからまねをしようとするのだろう」と、このような声を聞くのです。そうなれば、イメージが悪くなるというのです。ですから、霊界から催促したのです。邪悪なものが浮つき、うんちのにおいを漂わせるのです。この時、誰も手をつけられないように、三、四日前に帰ってきて、さっと早めるのです。(一六五―五一)

 今回、先生が韓国に帰ってきて、国民連合運動を誰がするのかというのです。政府が今回の大会を禁ずることによって、ヘゲモニー(主導権)を奪われたのです。それゆえ、韓国国民は今、先生に従ってくるようになっているのです。分かりましたか。(はい)。

 ちょうど今、南韓が先生と一つになり得る道がこれです。そうなれば、北韓の金日成一家が全部、飽和状態になるのです。

 これ以上、満たされ得ない飽和状態、飽和状態からは下がっていくのです。その飽和状態で連結さえできれば、一つにさえなれば、先生を中心としてすっと世界的な放物線に向かって上がっていくというのです。ここからは下がらずに……。(板書されながら語られる)ここは一つの平等世界であり、理想世界なのです。ですから、真なる世界に帰っていくのです。(一六四―二七五)

3 国民連合の目標

 南北統一運動国民連合というものは、神様の伝統的思想を中心として、南北を統一しようとするものです。そうして、すべての国民が新しい建国思想をもち、天の国を建設しようとするのです。(一九八七・五・一)

 レバレンド・ムーンが韓国に来て、統一された韓国をつくるために、南北統一運動国民連合をつくったのです。(一九八七・一一・一三)

 我々は摂理観を中心として、近道を探すために南北韓の統一のための国民連合を創設しました。何をしようというのですか。何をしようというのでしょう? 南北統一だけではありません。南北解放だけではありません。人類解放とともに、神様を解放しようというのです。何を中心としてですか。真なる愛を中心として、これを知らなければならないのです。(一六六―一五五)

 「南北統一運動国民連合」は南北の、統一のための運動機関です。これを国民が連合して南北統一運動をするのです。ここには六千万を動員しなければなりません。六千万民族が一つにならなければなりません。六十万を代表し、団結して、新しいエデンに向かって六百万、六千万の団結された旗手たちが生まれるようになれば、世界は完全に地上天国の基地に直行することでしょう。(一六三―二四)

 自信と信念をもち、文総裁の言葉を信じ、今から北韓を撃破しなければなりません。撃破するには誰が責任を負うべきでしょうか。神様は責任を負えません。文総裁も責任を負えません。皆さん個々人が責任を負わなければなりません。個々人がサタンの前から解放されなければなりません。個々人が解放されるためには、どうしなければならないでしょうか。皆さんの家庭が解放されなければなりません。それゆえ、「南北統一運動国民連合」がすべての力を注ぐべき目標とは何でしょうか。目標はただ一つです。統一教会の目標も勝共連合の目標も教学統連の目標も、国民連合の目標も一つです。二つではなく、一つなのです。それが何でしょうか。家庭です。なぜ家庭でしょうか。堕落することによって、家庭を失ったからです。ですから、家庭を撃破しなければなりません。(一六六―一六六)

 国民連合の目標とは何かというのです。南北統一運動をしようとすれば、何から撃破しなければなりませんか。焦点はどこでしょうか。総攻勢をすべき所とはどこかというのです。その撃破の基準はソウル市ではなく、すべての統・班です、統・班長。すべての統・班長であり、里・班長です。これを撃破する運動です。我々のすべての組織は、そこに力を注がなければなりません。それを全部、撃破するための我々の一線の地はどこでしょうか。もちろん全部、統・班まで行き、里・班まで行かなければなりませんが、面と洞に我々の前進基盤がなくてはだめだというのです。分かりましたか。面を中心として洞を中心として、全国に三千三百個の基地を確保しなくては、到底、撃破運動は不可能だというのです。

 では、撃破するというのはどういうことかというと、共産主義に打ち勝つことのできる思想武装をすることをいいます。しかし、思想武装をするだけではいけません。彼らは今、共産主義思想、国家的基盤を中心として実践しながら理想の実現を唱えてくるのです。理想の実現のために四十年間、実践の場で努力しましたが、それが今まで成就できなくて……。共産主義の理論は実践の場をもちましたが、全部、共産党指導体制のその要員を中心とした実践の場であって、国民は忘れてしまうようになっているのです。国民がすべて離脱し、反抗するのです。このように見るとき、我々には時が来たというのです。ですから、南韓を中心として、一つにさえなれば、北韓の国民も完全に我々に連結され得る基盤が編成されていくのです。

 ですから、すべての撃破運動も北韓に行って、北韓の統・班長と里長を撃破するための運動なのです。ここで全国の組織をみな終え、訓練されていてこそ……。(一六五―一九九)

 国民連合運動の今後の闘いの目標は、統・班撃破運動です。統・班長さえ一つにすれば、南北統一になるというのです。統・班長を一つにして、思想武装さえすれば、結局は南北を統一できるというのです。統・班長を一つにするのは、難しくありません。(一六五―二七四)

 我々は勝共連合の組織もあり、統一教会の組織もあり、学生たちを中心とした教学統連という組織もあり、国民連合という組織もありますが、このすべての組織の目的は、すべて統・班占領のためなのです。(一六五―一〇)




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四.国民連合の組織運営方案

 今後の問題は、世界を動かすことです。そうするためには、第一には理念の徹底化、第二に組織の強化、第三に共同活動で一致することです。ですから、我々は共産主義に対して共産主義以上に強い組織力と活動力をもち、対決しなければなりません。今、発展すれば、組織化しなければなりません。(一五―九四)

 金日成が現在、北韓の二千万をしっかりとつかんでいる以上、我々はそれ以上に組織化しなければなりません。そうすれば、金日成の体制は必ず自然に崩壊するのです。それが摂理観です。自然に崩壊するのです。北傀は全部、強制的にその体制をつくったでしょう? 我々南韓は志願してつくったのです。志願してつくったのです。(一六四―一八三)

 いかにして統一された体制をつくるかという問題を考えてみるとき、それは思想的な面において民主体制と共産体制を越えて立つことができ、それをすべて消化できる一つの統一的な思想がなければならないというのです。そのような理論的基盤の上で、統一体制を形成しなければならないという結論が出てくるのです。分かりましたか、統一体制? (はい)。

 統一体制を形成するには、この韓国が一つのモデルです。韓国を中心とした国民連合の形態を帯びたのが世界の東西南北統一連合です。韓国が必ず世界のモデルになるのです。それに世界がついてくれば、すべてのものが統一的世界体制に移っていきます。ですから、全国民が思想武装しなければならないのです。

 そうするためには、どうしなければならないでしょうか。全国に、全国民を教育できる教授たちを配置しなければなりません。最高の教育者たちを配置しなければならないのです。そのように教育しながら、その教育者たちが大韓民国の教育機関を早く連結しなければなりません。大学を動かさなければならず、それから、中・高等学校、小学校をみな連結しなければなりません。また、教育機関長および教師を早く連結して、立てなければなりません。

 結局、学生の教育活動を強化しなければなりません。それは何かといえば、学生を中心として活動を連結させようというのです。学生たちを教育し、学生を通じた活動を展開して、上下、左右を連結させようというのです。次にすべきことは、その学生たちを通して父兄を教育させるのです。家庭も教育しなければなりません。

 そのようになれば、教育機関と学生を通して一般の家庭、社会まで、すべてのものが連結されるのです。中・高等学校から小学校を連結して、学生たちを通して区域まで、社会まで連結されるのです。横的基盤の上に縦的な国家まで全部、結んでいかなければならないのです。それを誰がしなければならないでしょうか。先生たちがしなければなりません。学校に連れていって、先生と教授たちがするのです。

 それから、公務員の組織です。大学街を中心として、民間の組織を連結したなら、公務員の組織を動員しなければなりません。その公務員の組織を通した国家機関を連結させていかなければなりません。つまり、公務員の組織の一元化をいうのです。

 それから、社会の維持だとか、そのような人を動員するためには、大学を卒業した同窓会、または連合会をつくるのです。それを地方における一つの核に連結させなければなりません。地方を中心として、完全に統一化運動をしなければならないのです。それで、父兄たち、学生たちと先生たち、それから公務員を一つにしなければなりません。

 韓国は皆さんの国と実情が異なるので、二部体制で準備しなければならないというのです。皆さんの国には必要ありませんが、韓国は南北に配置しなければならないからです。二部体制を準備しなければなりません。南韓でそのような体制を準備しなければならないのは、北韓に行っても、そのような体制を準備しなければならないからです。北韓も南韓を占領したのちの選挙を準備するための体制を備えているので、そのような体制が韓国でも必要だというのです。(一九八八・一・三)

 体はどうでもいいので、虎の頭である先生の頭を使い、走るのも先生の手足ですれば、大韓民国はあまりにも狭くて小さいのです。一千名くらい動員して何をしますか。私なら、一千分の一にしかならないので逃げ出して、やらないでしょう。では、どこに行きますか。以北に行って、一つの郡をひっくり返しておこうと考え、以北に行こうという人がいますか? (はい)。(全員手を挙げる)

 今後、三年以内に北韓に行って、宣伝できる以北の各道・市・郡・里に里長、婦女部、壮年部、全部、組織編成をしておこうと思います。今から、活動開始ですが、やりますか、やりませんか。(やります)。(一九八六・一・二一)

 皆さんの力が足らなければ、里長を動員して中央の協助機関を通じ、どのようにしたとしても補助を受け、校長を教育し、先生たちを教育し、それから、学生たちを教育しなければなりません。それが終われば、早い時日内に父兄を連れていって、休みの期間を利用して教育すれば終わります。それに伴って、我々の行動組織を通して統、班組織、面単位の里長、統・班長まで結成するのです。それからは社会の著名な人たちは同窓会の協会を中心として、すべて連結させる準備をするのです。それ以外に、予備軍と民間防衛の教育を担当して、全国民を教育し、南北統一運動国民連合の組織員にしてこそ、終わるのです。

 すべての組織を終えておけば、部落にひょっとして見知らぬ人が現れるなら、家ごとにベルをつけ、互いに知らせるようにするのです。見知らぬ人が入ってきたというときには、すべて調査し、故郷の父母を訪ねてきた人はその父母を呼んできて、知っている人なのか調べてから家の中に入れるのです。ですから、地下活動の基地が完全に遮断され、撃破できるように、上部と連絡できるようにするのです。

 このように毎日のようにチェックして、南韓から北傀に送信される秘密無電をだんだんなくしてしまわなければなりません。南韓にどれほどたくさんの北韓スパイたちが暗躍しているか、正確な統計はありませんが、相当数いることでしょう。神様が保護してくださって、真理の火花を立てるようになれば、彼らを一網打尽にできることでしょう。統一のための体制確立をいかにしなければならないかということは分かったでしょう? (はい)。先生が数十年前から計算した版図が現実化される瞬間です。興南収容所で監獄生活をしながら着眼したのです。共産党と金日成をなくすことができなければ、根を抜くことができなければ、韓国は滅びるしかないということを知らなければなりません。

 それゆえ、我々が一番注目すべきことは、彼らがどこに浸透してくるかということです。彼らの一番の目標が統・班なので、この統・班をどのように撃破するかというのです。(一九八八・一・二)

 南北統一運動国民連合本部ではこのような組織を編成して、防衛軍まで荷担させなければなりません。防衛軍を中心として、国家偉功者たち二万七千名を全部教育しなければなりません。地域を離れて、この人たちを重要部署に配置するのです。彼らは国のために命を懸けた愛国勇士たちです。彼らは国家のために戦って、負傷した人たちです。北傀に対して恨みを晴らしたい気持ちを後輩たちに教えなさいというのです。統一思想を中心として、うちの教域長たちが国民連合に入って重要な責任者になり、思想武装をさせ、それを信仰化しなければなりません。そのようになれば、祖国統一がすべて終わるようになるのです。

 それから、職場の予備軍がいるでしょう? 予備軍に対して教育をして、組織に参与させるようにするのです。予備軍の中で顔つきが少しおかしい人がいれば、一対一で会って、理論闘争をするのです。理論的に闘争して、それを正しく導くのです。予備軍教育が終われば、次には民間防衛の教育をさせることのできる所は、国民連合以外にはどこにもありません。ですから、我々がすべて受けもって実施しなければなりません。このようになれば、すべての分野で安定を取り戻し、統一運動に専念するようになることでしょう。(一九八八・一・二)

 では、地方組織をどのようにするのでしょうか。うちの勝共連合の組織があるので、勝共連合を中心として……。教会の組織もあります。ところが今、ここに教学統連はありません。ですから、教学統連の人のうち一人だけ配置して、事務室一つを全部で使うのです。事務室一つで三人が分担をして、現在の自分の責任を果たしますが、互いに協助するというのです。

 それから、勝共連合でも国民連合の副会長をすることができ、後援もすることができるのであり、そして、統一教会を中心として、その地方の有力者が副会長をすることもできるのです。そうして、三人が一つにならなければならないのです。三人が一つにならなければだめだというのです。

 そのようにして、焦点を合わせるのです。これも三点を合わせるのです。口も三点を合わせるのです。耳もそのようになっているのです。本来、人が何かをつかもうとすれば、三点を合わせなければならないでしょう? 全部がこうでなければなりません。ですから、これは精神を中心として四位基台圏を成していかなければならないというのです。それが原理観だというのです。

 そして、今後、この組織編成において、指導体制は三段階で管理するのです。大統領なら大統領が、道知事から局長まで管理しなければならないのです。局長まで大統領が指令を下さなければならないというのです。三段階でです。では、長官(大臣)は局長から部長、課長までと、一段階下りていくのです。このような組織体制に連結させていかなければならないのです。分かりましたか。(一六四―一七八)

 我々の組織は面を中心としては面・里・班であり、洞を中心としては洞・統・班など、三段階の組織原則です。我々の組織体制は三段階体制を前後に連結して、拡大させていくのです。それが創造原理を中心とした組織編成です。(一九八八・二・二四)

 最近、私が国民連合をつくり、組織編成をするとき、統一教会を組織し、それから、勝共連合の組織、国民連合の組織を編成しました。この三つの組織をそのまま横的に見るとき、どれが最初なのかというのが問題です。これを見れば、初めは統一教会であり、それから勝共連合であり、最後が国民連合です。けれども、先生はどうするかといえば、「あなた方、最初のものも、二番目も全部、国民連合を中心として一つになりなさい」と言うのです。これが蘇生、長成、完成の段階です。その関係を形態的に見れば、統一教会は頭です。それから、勝共連合は闘う力です。そして、国民連合は動く足なのです。

 復帰時代においては、頭からするのではありません。下からしなければなりません。それゆえ、頭から下まで下りていく場合は、国民連合を中心として勝共連合も回らなければならず、統一教会も回らなければなりません。そうしてこそ、最後のセンターが回るので、終わりになるのです。

 統一教会を中心として回るようになるなら、勝共連合の場、国民連合の場がおしまいになります。それゆえ、最後の復帰時代において回る場合は、国民を中心として回らなければならないというのです。回るのは個々人が回るのではなく、大韓民国四千万が全部、同じ心情で回らなければなりません。そのような意味で、国民連合を中心として一つになりなさいといったのです。

 一つになるのにどこに行って一つになるのかといえば、国民連合を中心としますが、統・班に行って一つになりなさいというのです。この人たちが全部、どん底から一つになれずに上がっていくならだめなのです。一つの幹ではなく、三つの幹になればだめだというのです。三人が全部一つになって、丸太にならなければならないのです。

 そのような意味で先生が国民連合をつくっておき、これを世界的に整備して、どこの誰かを問わず、全部、統・班撃破運動をして統・班要員を早く収拾せよといったのです。そのようにしておいたから争いをしなかったのであって、体制をつくらなかったなら、大きな問題が起きていたはずです。(一九八八・一・二)




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五.国民連合活動のための我々の姿勢

 今、我々は「南北統一運動国民連合」を結成し、すべての国民を抱くことのできる愛の懐をもち、夜も昼も身もだえしてあえぎながら動く統一の群れの足どりを見せることのできる時代が来ました。(一九八八・二・二三)

 我々が今、み旨を成していくのにも、環境的与件を天がすべて創造するのです。そうして、核を立てて合わせていくのです。これがカイン・アベルとちょうど同じです。ですから、我々が今、発展するためには、投入しなければなりません。今も我々はそうではないですか。「南北統一運動国民連合」は何をしなければならないでしょうか。我々自体が投入しなければなりません。環境はすべてできているのです。どれくらい投入するのでしょうか。統一できるように投入せよというのです。自らを犠牲にせよということでしょう。これができずしては、何もできないのです。できるまで投入せよというのです。そう、この思想があれば……。

 復帰過程は再創造歴史過程ですが、復帰過程が残っている限り投入しなければなりません。投入の限界線は復帰が完成するときまでです。それまで継続しなければならないのです。(一六四―三二〇)

 韓国で皆さんが楽にやって、「南北統一運動国民連合」の目標を達成できると思いますか。ここは第一線です。世界の第一線であり、世界の焦点だというのです。ですから、我々が決意するからには、ここにみ旨を中心としてありとあらゆる役事が起こると見るのです。完全に団結し、南韓だけ動かすことができれば、金日成はすぐに霊界から呼ばれて逝っても余りあるのではありませんか。その一家に破綻問題も提示するでしょうし……。(一六五―二一五)

 お金がなくとも、事を成さなければなりません。お金がなければ、自分の家を売ってでもするのです。そうしてこそ、天が前途を保護してくれ、すべて責任を負ってくれるのです。

 問題はそこにあります。お金に伴って、体制に伴ってするなというのです。その体制は、天が立てた体制でなければ、サタンが立てたものです。天が喜んでくれないお金は毒薬です、毒薬。滅びるのです。分かりましたか。精誠が必要です、精誠が。今から教会で泣いていた以上に泣いて回りなさいというのです。それは簡単です。教会で精誠を尽くした以上に、「南北統一運動国民連合」のために泣いて回りなさい。

 部落の道を車に乗っていばって回るなというのです。千里の道を歩いてでも行くべき使命が残っているなら、行かなければならないのです。早く行くことのできる現代文明の利器があり、私が早く走ることができるなら、それをおそれ多く思わなければなりません。何十倍、何百倍、血を吐きながらやらなければならないという気持ちをもって回ってこそ、天が協助するのです。(一六六―一八三)

 今から、国民連合は御父母様を中心として……。大韓民国の国民、大韓民国が世界を代表し、祭物を捧げなければなりません。ところが、それが先生の思いどおりにできる立場に立ちましたか。できずにいるでしょう?

 ですから、ここで統一教会が代表するのです。アベル的基準に立った統一教会が先生の命令によって、完全に神様の愛と御父母様が一つになり、それから、皆さんと先生が一つになり、皆さんと皆さんのものが一つになり得る基盤を完全に築かなければなりません。何と一緒にですか。国と一緒にですか。国をしっかりつかまなければなりません。国をつかみ、国民をつかまなければなりません。分かりましたか。

 万物については、大韓民国の土地をつかみ、民については、統一教会の教会員をつかむのです。統一教会の教会員は子女の立場で、カイン・アベルの立場にあります。カインに対してアベルが犠牲になれば、カインの行くべき道が生まれるのです。このような原則から、カイン的な大韓民国の民をつかみ、国については、先生がつかんでいくのです。

 このようにして、大韓民国の土地は神様の愛を中心として皆さんがつかむのです。神様の愛を中心として、父母と共に一つになった神様の愛、父母と共に子供が一つになった神様の愛、子供と共に万物が一つになった神様の愛を通して、万物は子女の手に捕まえられ、子女の手は父母がつかみ、父母の手は神様がつかんで、一つに連結され得る平行線上の解放圏を成しておかなければならないのです。何の話か分かりましたか。(はい)。(一六六―二九九)

 神様が生きているということを知らなければなりません。神様は生きている! (アーメン)。勝利は永遠に天のものとして差し出し(アーメン!)、気分がいいので五十億を寄贈します! 私は気分が良くてそれをしたのであって、悪くてしましたか。それゆえ、今後は寄付をしながらも、気分悪く思う人は罰を受けます。うれしく思いながらしなさい。カナンを復帰して建国創業を前にした勇士たちが、嫌々やっていいでしょうか。夜昼果てしなく行っても、また走りたい気持ちをもち、喜びをもってしなければなりません。

 私は悪口を言われながらも、一生の間、喜びながら生きてきたのであって、泣きながらは来なかったというのです。手錠をはめられて、監獄に行くにも、笑いながら行ったのであって、泣いて行きませんでした。小心者のようにはしなかったのです。この前、ダンベリーに行くときも、朴普煕だとか、誰だとか、みな泣いたりしましたが、「やあ、グッバイ! 行ってくるからね」と言って、行ったのです。「あなた方にはダンベリー以後は分からないだろう? 明きめくらなので見えないだろうが、私はその先を見て、今、希望に満ちて行くのだ。行かないとだめだ」と言いながら入ったのです。そうして、十三カ月を満たしたのです。十三数はアメリカで一番悪い数です。その十三数を蕩減復帰して出てきたのです。(一六五―五二)

 今回、「南北統一運動国民連合」を結成した時のメッセージを読んでみましたか。(はい)。閉会する時に先生が五分ほど話したのですが、三十八度線を統一するために、のどを詰まらせながら話したもの、それが生涯を徹底して捧げ……。その一つの目標のために、千万回、撃破しなければならないのです。千万回を合わせなければならないのです。毎日、一度ずつ撃つのに、その穴に百発百中させなければなりません。そのようなことをしてきたのです。そうでなければ、復帰ができないというのです。ですから、先生が勝利できる内容をみな築いて、皆さんに引き継いであげたのです。

 先生の家庭が一つになったように、皆さんが夫と完全に一つになって、今からは皆さんが民族を一つにさせなければなりません。南北は子女の立場です。分かりましたか。皆さんが責任を負わなければならないのです。世界的な蕩減路程は先生がやってきたので、ここに接ぎ木することができるのです。これによって、皆さんが摂理完成をみな終えなければなりません。(一六五―一二六)




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六.国民連合運動は誰も反対できない

 与党、野党、その程度の与野党は関心ももってはなりません。南北を統一することが今、緊急な問題であって、与野党が争うのが問題ですか。皆さん、やりたければやり、やりたくなければやるなというのです。このような時代のあらゆる情勢から見るときに、時運が韓国に来ているのです。アメリカがいくら偉いとしても、韓国に協助しなければならないのです。

 ですから、帰結点に行くべきなのが「南北統一運動国民連合」です。ここには全斗煥大統領も荷担しなければなりませんか、荷担してはなりませんか。与党、野党の閣僚たちも荷担しなければなりませんか、荷担してはなりませんか。これに反対しますか。「反対すれば共産党だ」と言いながら、張り飛ばしなさいというのです。そのときに政府が反対すれば、私がデモ隊以上に追い込むことでしょう。これに反対するなら一掃しなければなりません。与党も野党も一掃しなければなりません。そのような腹をもってするのです。分かりましたか。

(はい)。信念をもたなければなりません。ただ我々はこのような版図をもって、霊界と肉界と神様の恨みを解いてさしあげられる地上上陸作戦をしなければなりません。これが当面の課題として、既に命令が下されました。我々は走らなければなりません。異議がないのです。理論的に異議がありますか。(ありません)。摂理的観点から見るとき、歴史的風土を全部総合して、結論づけることができるのはこれしかありません。(一六三―二四)

 今、我々の勝利目標は家庭です。統・班長撃破運動だというのです。家庭でしょう? 町なら町を中心として、統・班長がいます。すべての町を中心として三段階です。それゆえ、面の基地が必要なのです。面を中心として里と町が通じます。都市なら洞を中心として統と班だというのです。分かりましたか。ですから、三段階です。

 それゆえ、三千三百の哨所(注:歩哨の立つ所)をもたなければならないのです。ですから、ここに婦人たちが行って統・班長を連結させられるように、そこの婦人たちを動かさなければなりません。「南北統一運動国民連合」に反対する人はいないでしょう? それに反対すれば共産主義者であり、それは利敵行動です。ですから、我々の国の立場は、原理的基準でぴったり一致するのです。対等でしょう。

 対等な立場なのに、昔は、我々より上に立って打ちました。対等なのに、打ったのです。しかし今は、我々が上にしっかりと立ったのです。すべての環境与件が、彼らが下に来ざるを得ないようになっているのです。家庭的にすべての面で、夫もそうであり、妻もそうであり、息子、娘もそうです。

 このようになるので、エデンの園で堕落したあらゆる家庭的基準が反対条件を中心として、完成した本然のアダムを中心として完成したエバに連結された家庭として、すべて天の国に連結されるのです。その圏にサタンが侵犯すれば、共産党は自動的に滅びるというのです。分かりましたか。共産党は自動的に滅びるのです。(一六五―二八三)

 私は大韓民国に投資しましたが、国のために私ほどに差し出した人がどこにいますか。すべて自分を中心としてありとあらゆることをしていますが、レバレンド・ムーンは、国の禄を一文でも食いましたか。今まで冷遇され、反対される統一教会や私を誰が助けてくれましたか。私にそば一杯でもおごってくれましたか。反対を受けながらこの基盤を築き、北韓を解放し、南北を統一して、民族の恨みを解いてやろうというのに、誰が反対をしますか。この者たち! 私が胸ぐらをつかんで、「どうしてだ? するなとでも言ってみなさい。正面からたたくぞ」と言います。それでも私がやることをつぶすというのなら、正面からたたくことでしょう。寛大に施す、そのような人ではありません。

 「今まで四十年間、神様のみ旨を中心として公義の道を行こうとする開拓者の受難の中で、どれほど悲痛な心情の痛みがあり、どのような恨みを抱いたか分かるか。お前はご飯を食べて、寝ただろう? しかし、私は監獄に追い回されたのだ。それなのに、お前がああだこうだと言えるか。文先生のいうことが分かったか。お前たちが先生にこのように苦労させるとき、はらわたが溶け、心臓が溶ける痛みを感じるのに、今も反対をするのか。この者」と言いながら、攻撃するのです。熱気が昇り、もはや目が高揚し、舌が固くなり、口ごもるようになれば、後退をすべきであって、仕方がありますか。言い張っていても自分の損ですから、仕方がないでしょう? そのような看板を今、掲げて出ていくのです。(一六五―四四)

 皆さんもそうですか。皆さんが地方を歩き回りながら、夜を明かしつつ統・班長を訪ねて回り、「わあわあ」言ったとしても、皆さんを刃物で刺そうという人がいますか。いますか、いませんか。いないではないですか。万事泰平(万事が平穏)です、万事泰平。八尋(注:尋は両手を広げたときの長さ)の長竿で振り回しても、どこにも触れるものがないように、すべてのものを準備しておいたというのです。(一六六―二七〇)

 南北統一運動は、国民誰もが反対できないものです。反対する人がいるなら、その人は共産主義者だという指弾を受けるしかないからです。また、勝共連合の活動範囲も今よりずっと広がるのは明らかです。国家の官庁も我々の南北統一戦争を支持せざるを得ないのは、反共を主要政策としているからです。彼らは、官庁の機関長たちの協助を受けるのも、名分が立つので、嫌でも仕方なく応じざるを得ないはずです。

 南北統一に反対するなら、反対した理由が何かを丁寧に問うとき、明らかな名分の前に、彼らは手を挙げざるを得ないことでしょう。

 先生は南北統一運動を始めることのできる基盤をつくるために、一生苦労してきました。今から皆さんは、既に造成された雰囲気の中でそのような運動ができるので、ずっと易しいですから勇気をもち、一生懸命に活動してくださるように願うものです。もし、南北統一運動に反対する人がいるなら、その前に行ってデモでもやって、逆に回しておかなければなりません。(一九八六・一一・二一)




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七.何よりも国民教育が必要

 韓国が救いを受けられるか、受けられないかは、今回の国民運動で実施される教育にかかっています。(一九八六・一一・二一)

 北韓を解放しようとすれば、解放できるそのような資源などあらゆるものを準備していくべきであって、ただ素手で行くことはできないというのです。そのような準備は自体で解決しなければなりません。先生が今まで働くにおいて、お金でもってはやりませんでした。信念をもって働いてきたのです。四十年前から先生は、このようにしようと計画を立てれば信念をもって推進して、必ず成してしまいました。天も「自ら助くる者を助く」と言いました。じっと座っていたなら、文なにがしにも神様が協助してくれなかったはずです。

 そのようにできるように努力をしたので、今日の成功を収められるようになりました。皆さんも同じです。今から、韓国で完全な勝利を収めるためには、何よりも教育が必要なのです。夜昼なく、先生が時間さえあれば教育したのと同様に、彼らをつかまえ、涙を流し、昼食、夕食を抜きながら語れば、彼らが感動せざるを得ないはずです。先生が今まで生きてきた路程をご覧なさい。今もどこかに出掛けないときには、一人が訪ねてくればその人をつかんでみ言を伝えながら過ごしています。そのように一生の間生きてきたのが、皆さんも分かることでしょう。皆さんも先生のように信念をもち、活動すれば、韓国でみ旨は間違いなく成されることでしょう。

 教育しておいて滅びる道理はありません。教育は間接的な準備です。間接的準備は直接的準備をするためのものです。間接的な準備をしておきなさい、直接的準備に転換させるのは、先生がやります。皆さんは間接的な準備をしておけというのです。三十万名を教育するためには、一カ月に三万名ではないですか。うちの組織を通してやれば、難しいことはないはずです。(一九八六・一一・二一)

 与野党が争いながら互いに牽制するおかげで、統一教会でいつ何をするのか分かりますか。(笑い)死ぬ、生きると言いながら争っている時局なのにです。また、この時局に誰が何と言いますか。国民たちは全部、がっくりして「ああ、我が国は滅びたな。希望はない」と言っている時局に、文総裁が現れて、「南北統一をしよう! 自信がある!」と言うとき、ぱっと起き上がって、「そうだ!」と言うのです。

 もはや、残ったのは教育だけです。教育が残ったのです。今は、皆さんが出ていって動けば、昔のように反対されません。(一六五―一三一)

 今、国民連合自体が問題ではありません。どのように統・班に浸透して教育するかが問題です。ところで、教育は同じです。統一思想教育、勝共教育、それから原理教育をするのです。全部、統・班に入っていってするのです。統一思想教育は教授たちを中心として国民連合が責任をもち、勝共教育は勝共連合が責任をもち、原理教育は統一教会が責任をもってすればいいのです。問題は何かというと、ほかの教育はできなくとも、原理講義を加味させれば早く復帰されるのです。(一六七―四三)

 教育を受けた三十万名については、南北統一の役軍として、会員証を発給すればいいと思います。(一九八六・一一・二一)




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第二節 南北統一の近道 統(トン)・班(パン)撃破

一.組織の必要性

 組織を必要とするのは位置を決定するためです。自己の位置を知らなければなりません。皆さんは分かりますか。位置を決定するのは、因縁を結び関係を結ぶためのものです。「私」を中心として結ばなければなりません。連結させる権勢と力をもった者がその主体になります。指導を受ける者はその相対になります。ですから関係を結んで、自己が立っている位置を決定すれば、すなわち、四方八方と因縁を結んで自己の位置を決定すれば、前後、左右、上下、どの方位から見ても厳然と立つことができるようになります。

 位置を決定してから、その四方八方の立体圏内において、あらゆる因縁の立場、自分と関係するすべてのものを一つにします。そのような原動力をもった人に育てなければなりません。ですから、組織を必要とするならば、位置を決定しなければなりません。位置を決定するには、一つの主体圏をつくらなければなりません。主体圏をつくろうとすれば、それを中心として一つの相対存在を正しく立てたのちにつくらなければ、それは一つの存在として永遠に存続することはできません。崩れてしまいます。位置が自然淘汰されてしまいます。

 組織力と団結力、それらが一つになって初めて行動することができます。中心がこのようなことをする時に、「私は関係ない。お前は西に行け。私は東に行く」と言うならば、それは遠からず滅亡する状態になります。ですから組織と団結と行動、これは社会のすべての発展要素なのです。

 ですから、すべてのことがその目的に向かってそのような位置を決定した基準で相対基準を立て、全体が一体化できるそのようなものを早くつくらなければいけません。統一された行動が取られなければいけません。そうなれば、それはどこでも繁栄します。それは原則なのです。(一五―一九二)

 位置を移動してそのようにして関係を失ったのが堕落の根源です。神様のみ言どおりに行動しなければ、堕落の始まりなのです。ですから、はっきりと言えることは、位置を知って、組織圏内に入って関係を結ばなければならないということです。そのためには、自分が必ず相対位置に立たなければなりません。自分が天的作用をすることのできる団結力をそこで現さなければなりません。これを皆さんの頭の中でいつも忘れないように考えていなければなりません。

 第一に何ですか。組織です。組織は何のためですか。位置を決定するためです。第二は何ですか。団結です。その位置を決定した基準を中心として自分は主体に対して対象の位置を決定しなければなりません。そうなれば一つになります。一つになるためには、一つの目的をもって一つの世界に向かわなければなりません。こうならなければなりません。目的に向かって行くのに、統一された行動がなくてはなりません。この原則を離れては何にもなりません。そうすれば、上が誰かがはっきり分かります。皆さんの上下関係、これを忘れれば何にもなりません。(一五―一九三)

 第一に組織、第二は団結、第三は行動が必要です。これが我々韓国を中心として世界を動かすための三大要素です。徹底した組織圏内に立つことによって、四方八方への連絡を一〇〇パーセントしなければなりません。そして、中心使命を果たすために、先頭に立ってこのような基準をつくらなければなりません。組織圏内の自分の位置を決定しなければなりません。位置がなければ、座る場所がありません。位置を決定してこそ、働くことができるのです。努力するに従って、その位置がいかに大きくなるかということを知るようになります。位置の決定は組織力を強化していく際に重要なものです。(一五―一九一)

 一国が組織編成上で体制を単一化させて上部の命令が低下部へ行って率先躬行するようになれば、その国が栄えますか、滅びますか。(栄えます)。栄えるようになっています。歴史は変わりますが、力の差異に従って、その時代時代が変遷していき、移動していくのです。それが歴史発展の原則です。ですから、我々の体制を中心として南北統一運動を信じていこうというのです。分かりましたか。中・高等学校の校長と先生は既に教育に入っているではありませんか。まず大統領が出てきた地方を中心として実践していきましょう。大邱なら大邱の市教育委員会から、慶尚北道の道教育委員会、校長、教監、教師まで教育しようというのです。次は京畿道がいいでしょう。このようにして、全国を完全に教育して組織しようというのです。さあ、このような時を逃せば、次には機会がありません。ですから、今回の機会を逃していいでしょうか、しっかりととらえなければならないでしょうか。(しっかりととらえなければなりません)。今回の絶好の機会をしっかりととらえるという人は、こぶしを握って一度手を挙げてみてください。挙げたこぶしで統・班撃破して、「南北統一運動国民連合」の国民組織をつくらなければなりません。(一九八八・一・一)




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二.理想的な組織の形態

 我々統一教会が地上天国を建設しようというこのような時において、我々は何をしなければならないでしょうか。今後、我々は面、郡に支所を組織して、その地方の人々をして我々の教会を経るようにしなければなりません。そのようなことを、我々の教会自体内で実施しようというのです。

 我々の教会自体に、このような組織がすべてなければなりません。司法部のようなものがあり、行政部のようなものがなければならないというのです。このような形態で繰り広げられなければなりません。二元化運動、これは教会問題と経済問題を分離させる運動です。

 それでは、立法部に該当するのは何でしょうか。これは家庭単位です。これが成されなければその国はやって来ません。家庭が社会の核心として主導的な役割をしなければなりません。主体と対象がこの責任を負わなければなりません。我々は今までそのようなとてつもない使命を展開してきました。天国はこのような組織が山奥から都市に至るまで、すべて一体化して初めて成されるようになります。

 どうすれば、このようになるのでしょうか。このような責任を家庭が果たさなければならないのです。天国はどこから成されるのですか。家庭から成されます。家庭でなければならないのです。

 では、堕落しなかった世界の伝統的なその思想を誰が受け継がなければならないのでしょうか。アダムの後孫たちです。アダムの後孫の家庭が受け継がなければならないのです。今後、そのような組織を世界的に展開していかなければなりません。それによって、環境的な天国が成されるのです。

 地上天国を成すためには原理的なすべての法度を社会環境に適応させ得る制度をつくらなければなりません。結局、人に似せていこうというのです。今日の情報機関は人間の聴覚器官と同じです。大韓民国が栄えるためには、どうならなければならないでしょうか。即刻に即座に報告を受けて、外部から侵犯して入ってくるすべての敵性的な要素を処断することのできる強力な体制をもってこそ、国家が栄えるのです。結局、今後、発展した社会は、何に似ていくのですか。「私」に似ていくのです。心と身体と物質の間には三大原則があるので、どれ一つ除くことができません。この三つが合わさって蘇生、長成、完成を成して一つの形態を完結させなければならないのです。

 我々人間には一人の天の父母があります。その神様は二性性相から成っているので、我々人間も二性性相です。万物もプラス、マイナス型の二性性相になっています。神様と人間と万物を合わせて連結させれば七数になります。これは段階で見れば三段階であり、展開していけば四位基台です。この三数と四数が調和を成して統一されれば、七数になるのです。七数は創造目的の完成数です。

 皆さんはすべて上述のようになっています。すべて三つが一つになっているというのです。目も一つに連結されており、鼻も奧に入れば一つになっており、耳もやはり、そうです。みな一つになっています。

 また、顔を見れば、これ(目)は神様を象徴し、これ(鼻)は人を象徴し、これ(口)は万物を象徴します。顔で最も高い部分は鼻です。これ(歯)は三十二個で万物を象徴します。(四×八=三十二)このように、顔に天地の要素を全部集めておきました。みなこのように三個の器官が連結されています。この蘇生、長成、完成の三段階原則をおいて見れば、人間がどれほど素晴らしいか分かりません。このような創造原則を中心として天国を成すために、今後地上天国を開拓しなければなりません。

 今日、人間世界において最も問題となるのは何かといえば、肺のような機関がないということです。生命の原則となる酸素を吸収できる肺のような機関がないため、世界人類を幸福にすることのできる新しい政策を立てるための理想的な材料を吸収できないのです。ですから今日この地が疲弊したのです。理想的な主義、思想がない中で、今までの歴史はその理想を迎えていく過程にあるのです。統一教会はこのような過程を越えて新しい理念を提示しているのです。(二七―一八七)

 太陽のようなものが父親で、地球のようなものが母親なので、母親は父親を中心に回り、月のような息子、娘は母親を中心に回らなければなりません。このように、今後は宇宙形態を中心とした家庭組織になければならず、すべての社会組織にならなければなりません。また、そのような世界にならなければなりません。そして、教会もそのようでなければならないのです。教会の責任者に父親のように対さなければなりません。教会には父親のような人がいなければならず、母親の使命を果たす人がいなければなりません。そうして、母親の役割を果たし、四方に食口を育てる働きをして、一つになった家庭形態をつくらなければならないというのです。国も同じです。また、世界も同じです。結局は、この世界の組織が一人の人間と一つの家庭形態をもたなければならないというのです。すなわち、世界というのは、組織が大きいだけで、一人の人間のようになり、一つの家庭のようにならなければならないのです。(七二―一八九)




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三.共産党の組織

 共産党のあらゆる組織は、全部が細胞組織です。(一九八七・六・一四)

 共産党は監獄まで要員を投入して、情報要員を出入りさせて調査をし、自分たちの細胞組織を全部つくってしまっているのです。ですから、誰々が要注意人物らしければ、誰に接するのか全部報告する組織をしっかりつくるというのです。この共産党組織の中で、監獄組織以上に徹底したものがありません。そのような社会で全部言葉なく……。(一六五―二三)

 共産世界の監獄組織は最高の集約組織です。彼らは反共人士をどのように処断するのでしょうか。自由世界の民主主義指導要員が監房に入れば、彼らは自然に裁判所の判決内容が分かるので、どの監房に行くかを知って、六カ月前に共産党員を派遣するのです。共産党幹部が数カ月前からその監房に入って積極的な右翼分子になるのです。共産党の赤の中の赤を餌食にする積極的な民主主義のやからになって、基盤を築くのです。そうして、その人が入ってくれば、夜昼なくその人の僕になるのです。布団を敷いてあげ、飯まで食べさせ、そうしながら、あることないこと赤の悪口を浴びせるのです。ですから、自分の味方だと思って、すべての秘密を打ち明けてしまうというのです。このようにして、情報をすべて盗むのです。その共産党諜者が(監房を)出ていくなり雷が落ちます。皆さんはそのような世界と闘うのです。分かりましたか。(一九八八・一・二)

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四.統・班撃破をしなければならない理由

 今から統・班撃破をなぜしなければなりませんか。堕落は家庭から始まったのです。班ではありません。分かりますか。統・班です。班の中に家庭です。家庭撃破。母親、父親が神様を絶対に信じなければならず、神様が母親、父親を愛するように息子、娘を愛さなければなりません。息子・娘、母親・父親、妻と夫が愛し、神様を愛する三大愛を中心として連結された場で、近所の親戚と国を愛さなければならないのです。ここから統一圏の方向が設定されるのです。分かりますか。(一九八八・一・三一)

 統・班撃破運動というのは、歴史的にイエス様が氏族的復活をすることができなかったその基盤において、全世界の家庭と氏族基盤を解放することのできる蕩減の起源となるのです。(一六三―二七四)

 今の標準は、統・班長撃破です。これはイエス様を中心として見れば、氏族的版図を中心として成し得なかったものが、今日、我々統一教会の教会員の家庭を中心として氏族的版図を完成することによって、世界的氏族圏が四方に解放され始めるのです。それが万国に統・班解放圏が広がる条件になると見るので、先生が今回ここで命令をして、確約させたことを知らなければなりません。(一六六―二五九)

 今、大韓民国が失敗する理由がどこにあるかというと、統・班組織を中心として国民教育をすることができなかったところにあります。すべて操縦(コントロール)して、郡まで行けなかったのです。道で行ったり来たりして、行政部で組織をつくって、全部、国庫だけ消耗してすべて飛ばしてしまったというのです。それではいけません。

 統・班長を中心としてすべてのものを投入して、ここから成功しなければなりません。ですから家庭を保護しなければなりません。国を救うためには、細胞を保護して細胞を繁殖しなければなりません。細胞自体が思想武装をして、我々が大きくなって、隣近所で一つにならなければならないといって互いに一つになるという、これが大きなことなのです。そのようにして結束しなければなりません。(一六五―五〇)

 我々は統・班撃破の基準をしっかり整えて「始め!」という時に、すべて北韓に行くことができなければなりません。宣伝隊から完全に統・班地域を組んでいかなければならないのです。分かりますか。その上の面・郡・道はもちろんであり、第一の問題は統・班組織です。統・班組織を確定しなければなりません。確実にしなければならないのです。

 こうして、ある統・班が北韓のある所に行かなければならないとすれば、必ず、そこで統・班を中心として、ジープでも準備しなければならず、全部がそれ自体の中で使える費用をすべて自力でつくって行かなければならないのです。(一六五―二〇四)

 今、我々がしなければならないことは何でしょうか。北韓の組織というものは、統・班撃破ができません。北韓がいくら地下工作をしても、統・班まで追い出して撃破運動を消化することはできません。点組織・線組織は行政で組織しますが、統・班撃破はできません。

 統・班撃破さえすれば、すべて関係をもちます。すべて崩れます。点組織も関係をもちます。線組織も関係をもちます。体制がすべて関係をもちます。これは、北韓でできないことを、我々がするということなのです。

 共産党が下りて来た時は、これをしっかりつくっておいて、頭を下げればいいのです。南韓の四千万が包みを背負ってみな入っていって、ヤコブがエサウを屈服させたのと同じようにするのです。二十一年間集めたすべての財産をもっていって、これはお兄さんのものですと言って、根こそぎ与えてしまえば北韓の金日成は完全に屈服するのです。(一九八八・一・九)

 今から国民連合を中心として、しなければならないことは何でしょうか。統・班撃破運動だけが残っています。この撃破運動のために、体制をつくるのです。中央の体制、道の体制、郡の体制、面の体制を確立させるのです。面を中心としてすべて動くのです。統・班を中心として見てみれば、国の体制は大きな円周です。道体制はその次の円周であり、郡体制はその中の円周であり、面体制はその次の円周です。班を中心として見れば、統はその次の円周なのです。

 復帰は個人復帰から家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、このように進んでいきます。そのように、我々が体制的に見る時に、国家も国民連合のように、すべて国家組織があります。道組織があり、その次には郡組織があり、面・里(統)・班組織があるのです。これが現在韓国の国家組織体制です。それでは、班は何を代表するのでしょうか。もちろん、統を代表しますが、二重目的があります。直接の目的は班のためのものであり、全体目的は国のためのものです。統と班がすべて一つになることは国家を一つにすることです。我々の人体構造と同じ組織体制をもっています。

 ですから、最も重要なのは、我々がどこで根を下ろさなければならないかということです。この根が下りる所は道組織体ではありません。道の下に郡があり、郡の下に面と里がありますが、それらはすべて基盤がないので、ここはサタンが入ってきて仮住まいできる基盤が築かれたというのです。ですから、統・班から根を下ろさなければなりません。これが原理的に分からなければなりません。分かりましたか。

 これが、国民連合や勝共連合や統一教会が、統・班を撃破する目標を単一目標としなければならない原因になるのです。復帰の目標はただ一つです。人間が過去の時代、現在の時代、未来の時代を問わず、完成に向かう目標図の一つです。個人完成から始まるのです。それと同じく統一のため、統・班を中心として鉄の城のような基盤を築かなければなりません。(一九八八・一・二)

 我々が統・班撃破運動を繰り広げているのは、政治的目的ではなく、南北統一時代を迎えて思想と組織を固めようということです。共産党は組織で動く集団なので、それにふさわしい我々の立場を準備させようというのです。(一九八八・四・七)

 第一は、統・班撃破問題です。その次には面撃破問題です。里まで……。そうしておけば、完全に組織化されるのです。(一六五―一九)

 今が重要な最後の峠です。先生が一生涯祈祷したのは、面・洞を中心として統・班を占領することです。そうしてこそ、サタン世界を完全に占領できるのです。ある大きな機関でもなく、中央庁でもなく、ある都市でもなく、占領するのは洞を中心として統と班、面を中心として、統・班を占領しようというのです。そうすれば、そこにはすべて入るのです。ある立派な人や愚かな人、その国の最高の人物から最下の人、階級を超越してすべて入っているというのです。

 それゆえ、教区長だとか、支部長も、今は活動基準がどこにあるかと言えば、道ではありません。統・班長にあるのです。洞を中心として、統・班長が活動舞台だというのです。道の責任者が活動する舞台は一つの洞ではなく、一つの統ではありません。数個の洞、数個の統を活動舞台として、巡回訪問しながら立ち寄っていかなければなりません。これは勝共連合の支部長も同じです。すべて統・班に集中しなければなりません。(一六七―一〇)

 以前にも私が「南北統一運動国民連合」の支部長を集めて教育しました。支部長たち、全国の支部長たちに「どうするのか」と言いました。どうですか。「南北統一運動国民連合」全体が混ざって統一するのがいいですか、統・班を組織的にしっかりとつくって入っていって、その統・班の高等学校の学生や大学の学生を連れて統一するのがいいですか。今後は大学院卒業生たち、博士コースを歩んだ人々もすべて教育するのです。だから、夜昼なく教育すれば、金日成を餌食にしようと、おばさんもそうするでしょう。「書堂の犬も三年すれば風月を詠む(注:門前の小僧も習わぬ経をよむ)」というのですから、人はいくら頭が悪いといっても、すべて分かるようになっているのです。(笑い)

 さあ、ですから、統・班撃破をして、このような組織編成をしっかりしておいたなら、可能ですか、不可能ですか。(可能です)。容易ですか、難しいですか。(容易です)。年寄りもすることができ、若者もすることができますか、できませんか。(できます)。これ、紐だけかけて夜でも昼でもできるのです。ですから既に統一は成ったと考えて、自信をもって行うのです。ですから、組織編成をしっかりとしなさいと指示したのです。(一六五―三一九)

 国民連合が勝敗の決定権を握っているといえます。先回は先生が進み出ましたが、次回は国民連合の皆さんがやらなければなりません。何のことか分かりますか。(はい)。ですから、統・班組織を完遂させなければならないのです。

 先生が指示したことを幹部、道支部長、教区長は狂いがないように実践に移さなければなりません。(一九八八・一・二)

 このように幹部組織が編成される時、班は撃破できませんか。自分の先祖たちが現れ、「お前、走れ」と言いながら、夜も眠れないように駆り立てるのです。「走りなさい。私が先頭に立つ。なぜ、人に負けるのか。隣の町に負けるな」と、このようにして問題が起きます。そのようになれば、今後、「南北統一運動国民大会」を一度するのです。(一六六―二五)




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五.すべての勝敗は統・班撃破が決定する

 今、世界的な歴史を見てみると、ドイツは東と西に分かれていますが、知識あるすべての人々は、東ドイツ国民と西ドイツ国民がすべて一つになることを願います。東ドイツの人々は東ドイツを中心として一つにしようとし、西ドイツは西ドイツを中心として一つにしようとするのです。東ドイツは共産主義を中心として民主世界を赤化するに際し、すべての大衆をどのように消化するかの闘いだというのです。

 それは何かというと、浸透工作です。これはすべて家庭への浸透です。家庭基盤なのです。すべて細胞組織だというのです。細胞組織の基盤の上に投入するのです。それは何かというと、すべて家庭に配置するのです。親戚の家庭を通して、その家庭を中心としてすべての統を動かし、そうして洞に連結させ得る地下基盤なのです。ですから、これを防御し得る自制力を東ドイツと西ドイツのうち、どちらが先に備えるかが問題だというのです。

 いくら東ドイツを中心として自分たちがやったとしても、西ドイツで実践が不可能だという時は、東ドイツを中心とした統一は不可能なのであり、西ドイツが東ドイツに行ってそれをできない時には、統一は不可能だというのです。これはその闘いです。これをすべて断ち切ってしまうのです。東ドイツは東ドイツなりに、西ドイツは西ドイツなりに互いに断ち切ってしまうというのです。

 それでは、この門が開かれたという時に、誰が勝つのかというのです。それは上部の首相会談で決定するのではなく、道知事級で解決されるのではなく、郡守の議論で解決されるのでなく、面長の議論で決定されるのではありません。問題は統・班長だというのです。道知事の解決点も統・班長であり、郡守の解決点も統・班長であり、面長の解決点も統・班長だというのです。これを知らなければなりません。

 南韓全体の勝敗も統・班長が決定するのです。北韓も同じです。北韓もどのようにすれば、南韓全体の統・班長を短時日内に手中に収めることができるか、これが問題です。ここにすべてのものがかかっているというのです。(一六五―二〇五)

 我々がいくら大会を道で行い、ソウルで行ったとしても、これは国民、その家庭とはかけ離れているのです。それゆえ、このような大会をどこから起こさなければならないかというと、統長と班長、統・班長を中心として決意し、そこで思想武装をしっかりとしてしまえば……。

 統・班長はすべて葉です。葉と同じです。葉が生きていてこそ、葉が繁っていてこそ、良い実を結ぶのです。分かりますか。枝が繁るように大きくなるには、葉から栄養素を補給され、葉が絶えず豊かでなければなりません。そうしながら枝が大きくなっていくのではありませんか。ですから、これは共産党がいう細胞組織と同じなのです。

 我々の闘いの基準は、今から統・班長を中心としてどのように火をつけるか、ということです。統・班長を中心として、統は政府なので、縦的な中心ならば、班は横的な中心です。これはカイン、アベルと同じです。父母と同じであり、子供と同じです。これが一つにならなければなりません。これが基盤です。面を中心として里が一つになり、このようにしっかりとしておけば……。

 では、どこが生き返らなければなりませんか。統・班長が生き返らなければならず、面と里が生き返らなければなりません。そうすれば、大韓民国は自然に統一され、このようになって一つになるなら、北は自然に統一されるようになるのです。こうなれば、北の金日成が死ぬとか、何かの事件が起きるのです。

 今まで政府で活動しているのは何かというと、せいぜいのところ……。中央で政策を立てて何かの大会のようなものをすれば、どこかの道に行って郡の人を集め、面の人を集め、里の人を一、二人集めるようにして、数千名集めて拍手すれば、それで仕事になるというのです。どこまで下りていくのかといえば、面にも行けません、郡しか……。郡を動かせる環境であって、面や里まで行けないのです。根が下りていないのです。根を下ろせないというのです。働いたすべての根が空中に出て、すべて乾いて死ぬというのです。(一六五―一一六)

 大韓民国は今まで全部、各政権が統・班長を中心として、自分たちの政治的方向だとか、何かの教育をすることができなかったというのです。民族的教育をできなかったというのです。思想教育ができなかったのです。各道知事を集めたり郡守を集めたり、班から一名ずつ集めたりしました。思想教育の主人が統・班長ではなかったのです。ですから、根がないのです。根を張れなかったというのです。根を張れなかったので、浮き草と同じです。(一六五―二二四)

 統を中心として班の消化にどのように火をつけるかという問題が、今、生死の問題を決定するのです。すべて家が問題です。選挙時に動かすものは何でしょうか。都市、市長を中心としてはだめなのです。郡守を中心としては動かないのです。問題は何かといえば、統・班長を中心として班を動かす組織です。(一六五―一九)

 統・班長を中心として消化するのは難しいですか、容易ですか。この組織を編成すれば容易ですか、難しいですか。(容易です)。ですから、自信をもちなさい。それは誰でも、幼子も問題ないと考えるのです。事実、問題ないでしょう。統・班長さえしっかりと配置しておけば、それは長くはかかならないのです。(一六五―三二三)

 今、一般人はどのように考えるのかというと、「南北統一をする? ふん、その宿願は自由党の時からの夢であり、共和党の時も夢であり、民正党の時である今も夢だけれど、国の力をもってもできないのに、あなた方が何をするというのか」と言うのです。違います。違うのです。彼らは南韓全体が、四千万がすべて一つになって初めて、統一が成されると考えるのです。我々が考えるのはそのような統一ではありません。統・班長さえ解決すれば、統一だというのです。

 統・班長の(内)三人の責任者がしっかりとして、統・班長さえ思想武装するようになれば、すべて終わるのです。こうなれば「ああ! これは何ということはないな」と言うようになります。そうではありませんか。統・班長も統・班を一日に一回りできるのです。そうではありませんか。自転車に乗って回れば、数時間ですべて回ることができます。ですから、「ああ! これは統・班長の教育さえすれば……」と、こうなります。教育できる材料があるでしょうか。今、あらゆる方面に勝利できる材料があるというのです。今まで我々が世界的に試みて……。(一六五―二一一)

 南北統一運動というのは、それは言うのは易しいのです。また、国家的に見る時、四千万をすべて動員して南北を統一し、全面的に反対する共産圏内の二千万の人々を連結させて統一するというのは、漠然としていると見るのです。

 きょう、私が話したのは何でしょうか。我々が撃破しなければならない基準は、統・班長だというのです、統・班長。統・班長さえ解決すれば、すべて終わるのです。里・統単位の里・班長が自己の分野で統・班をすべて撃破しなければなりません。撃破するというのは何かと言えば、金日成が今まで共産党理論を中心として思想武装した以上に武装するということです。我々は今まで体験した事実をあまりにも多くもっているので……。統・班長を撃破することによって万事は終わるというのです。このように見る時、漠然とはしていません。各自が統・班長さえつかまえて闘って撃破すれば、郡や面、道全体が解決されるというのです。

 結局は何かといえば、四千万と見る時、一世帯に四名ずつ見積もれば、一千万世帯なので一千万世帯主を中心として撃破するのですが、その世帯の内で、男性ではありません。女性たちを全部動員しなければなりません。我々のみ旨の方向がこのようになっているので、女性たちを動員するのです。女性たちを動員すれば、必ずこれが連結され得るのです。お母さんが動員される時、お母さんを中心として必ず息子、娘が動員され、息子、娘を中心として夫が天の方向に……。(一六五―二六八)




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六.我々と統・班活動

 我々は南北統一のための指導者が、絶対、当選するように、統・班撃破運動を繰り広げなければなりません。統・班撃破運動に火をつけなければなりません。次には大韓民国全体に火がつけられるようになって、白頭山まで燃え上がるようにしなければなりません。ですから、皆さんが出て第一次にすべきことは統・班撃破運動に火をつけなければならないということです。

 皆さんは統一思想をもって、統・班撃破のための先鋒の大将にならなければなりません。皆さんは統一教会内でも精鋭部隊だと言い得る能力のある講師であることを知っているので、一線に立たせて重大な仕事を任せたのです。(一九八八・一・七)

 私が米国へ行って帰ってくる時には、間違いなく、南韓の統・班長はすべて一つになっていてほしいですね。そう、皆さんはすべて統・班長になるのです。統・班長が一つにならなかったならば、ただでは済みません。必ず、皆さんが統・班長の先発隊にならなければなりません。そこには例外がありません。誰でも例外はありません。(一六六―二七一)

 皆さんが一線で闘う先生のような立場に及ばなかったとしても、統・班を中心として涙の峠を越えて定着しなければなりません。堕落した運命、この誤った悲哀の運命を打開しなければなりません。そうしなければ天が協助しません。天がここで動きません。天が離れます。天が離れます。(一六二―一七二)

 皆さんがこの運動をするときに、靴が数足だめになるくらいにやりなさい。統・班長を訪ねようとすれば、自動車ではいけません。歩いて行かなければなりません。靴を何足か履き捨ててでも歩いて回りなさい。汗を流しながら、一日に三回、四回ノックしてみなさい。皆さんのほとんどが一度しかノックできなかったのではありませんか。一日に統・班で講義をしに数回も行くようになれば、汗でぬれるようになるので入浴をしなければならないでしょう。そのようにしてみなさいというのです。天が役事してくれるか、してくれないかというのです。火がついていくか、消されていくか見てみなさいというのです。何のことか分かりますか。先生の言葉が偽物か、本物かやってみなさいというのです。どうですか。分かりますか、何のことか。(一六七―四〇)

 先生を中心として皆さんは出て、すべての統・班を撃破する見張り台となって、(先生と)同じ光を発しなければならないのです。大きくは発せられなくても、同じ光を発しなさいというのです。青い光を照らさなければならないのに、赤い光を照らしていいでしょうか。そこに黄色い光を照らしてもだめなのです。同じ光を照らさなければならないのです。(一六七―四〇)

 先生が指示したすべての焦点ははっきりとしています。統・班長、南韓にある統・班長を撃破するのです。皆さん、統一教会の教会員は、誰か一人でも班長になるか、統長になる立場に立ってこそ、天の前に記憶される群れになるのです。(一六六―二五三)

 我々の目標は簡単ですね。統・班長だけ、我々がどのようにしてでも、泣きわめいてでも一つにしなければなりません。統・班にすべて配置されるのです。それは大学の学生もするのです。(一六五―三〇五)

 若者も組織をしっかりつくっておけば、大学生がいて大学教授がいて、統一教会と支部長が関係しているので、その次にはどのようにしてでも、統を中心として班に火をつけなければなりません。どうしてつけるかが問題ですが、それは夜警です。夜警をして、その次には何かの防衛訓練、防衛軍まで主導していこうというのです。また、民間防衛隊もすべて組んでここに加入されるのです。(一六五―一八)

 見張り台を守って民間防衛教育を受けながら、大学生を全部動員して、中・高等学生を全部動員して、統・班に投入して組織を組むのです。そうして、支署主任から面長、誰々、すべて集めて後援できるようにします。夜警をしながら、自分たちの部落を保護しようというのです。そのようにしながら、共産党が浸透するのを捜索するのです。

 若い青少年たちがするのです。二世がこの国を復帰しなければなりません。そうして、若い大学生が統に行って班常会(班で毎月もたれる例会)を指導するのです。その部落の家庭にいる高等学生と中学生、大学生を全部編成して、ここの活動要員としてしっかりと編成し、「南北統一運動国民連合」の青年指導活動をしなければならないのです。北韓に行って、彼らの解放のために訓練するというのに、誰が反対しますか? (一六五―四五)

 今までは南北を統一するといえば、誰もできないと考えましたが、皆さんが所属した所からするのです。皆さんが所属している統・班長さえ解決すれば、すべて終わるのです。その統・班組織をしっかり配置しておいて、本格的に動けばいいのです。その次には教科書を中心として夜昼なく教育するのです。そのようにしながら、地方の保護、安保問題を中心とした訓練をするのです。

 夜警から境界線、海岸線防備のようなことを分割しながら、整備していかなければならないのです。ですから、その地方や統・班で問題が生じた時には、摘発する際に、警察と協力してくまなく捜さなければなりません。(一六六―一七)

 

 今後、我々はこの国に浸透したあらゆる共産党や左翼系の人々を、全部、摘発しなければなりません。分かりますか。皆さんも今から洞を巡回しなさい。分かりましたか。(はい)。洞に行って洞の班常会をして、そのようにしなければなりません。大学街の学生を中心として活動しなさい。そのようにして、今回、完全にそれを成し得る体制をつくって、国民連合を中心として実践するのです。(一六五―五一)

 今から我々がどこを中心として決戦をしようというのですか。(国民連合です)。そうです。国民連合ですが、基地はどこですか。どことどこですか。ここ勝共連合本部、国民連合本部ですか。(韓国全体です)。韓国全体ですが、その全体の中のどこですか。(統・班です)。面を中心として、洞を中心として、統・班を中心として、今からそこで国民解放班常会をもつのです。

 私が以前に話したことは何ですか。勝共統一班常会だと言いましたね? (はい)。南北統一北韓解放班常会のことです。国民を連合しなければならないというのです。そうして北韓解放のために、各家ごとに節約する運動をしようというのです。節約!(一六五―四五)

 我々が、統一教会のすべて、今まで先生がつくったすべての団体の勝敗を決するその焦点が何でしょうか。それが統・班長撃破運動だというのです。勝共思想で統・班長撃破、統一原理によって統・班長撃破、その次には統一思想によって統・班長撃破をするのです。この三つの思想によって統・班長撃破運動をしておけば、すべて自分のものになるのです。ですから、以前に、全部教材をつくっておいたのです。先生が今まで「世界の希望」と付けて、会報を作ってあげたこともすべてそのような方向性を提示して、今後の進むことのできるレール、道、軌道をつくるためのものです。それはむやみにしたのではありません。

 ですから、今回南北統一運動国民連合をつくったのです。そうして、何をするのでしょうか。同じです。総括的に管掌をして、この三つの団体がすべてしっかりと統・班長撃破運動をするようにしたのです。(一六五―二一一)

 皆さんの頭で別のことを考えてはいけないのです。講義をしたとしても統・班長を置いて、統・班要員を集めてしなければならないのです。そこに教授たちまで行って、教授たちが中心となって組織をつくれば、統・班の人々をすべて呼び集めることができるのです。

 統・班の末端にいる人々は、教授を天のように考えるのです。そこにも、もちろん郡守もおり、警察署長もいて、行政要員もいて、長官もいて、すべていますが、教授は無視できないのです。しっかりと基盤をつくって教授たちに協力してもらおうというのです。その人々はまたそれを喜びます。いつか話を聞いたのですが、教授は話すことが非常に好きだというのです。話をさせれば、どこに動員しても不平もなく全部が行くというのです。そうなのです。ですから、しっかりと連結して教材さえ渡せば、どこへ行ってもうまくやるのです。彼らは講義したことがあるので上手です。

 我々統一教会の教会員が話す必要はありません。教授たちを先頭に立てて話をさせ、その次には教授たちの代わりに教授と仲間である勝共連合の者、統一教会の者たちがみな代身すればいいのです。大きな大会をする時は、一カ月に一回ずつ招いて話してあげればいいのです。また、友人に教授がどれほどたくさんいますか。彼らに協力してもらえばいいのです。(一六七―一二)




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七.統・班撃破で南北統一を成し遂げよう

 神様の愛を中心として、責任分担完成圏を通して直接主管圏から間接主管圏まで連結された足場があるので、上は世界基準から、下は個人基準まで版図をつくった条件を成立したのが統編成であり、班編成であることを知らなければなりません。班を中心として家庭まで、そして、住民まで連結され得る条件をつくったのは、先生が世界的責任を果たしたので、その道が可能なのです。数千年ぶりに生かされたことを知らなければなりません。このように歴史をかけて犠牲の代価のろうそくをともしておいたのをすべて殺してしまい、みな無関心でいたのです。自分たちの威信を立て、体面を立て、けんかでもして、何がどうしたと、このようなまねをすれば、罰だというのです。見ていなさいというのです。

 ですから、天国から地上のすべて、ソウル本部まで、家庭まですべて直線で下りなければなりません。環境的条件をつくるためにしなければなりません。実が実らなければなりません。木があれば花を咲かせなければなりません。すべての根の全体の栄養素をすべて集約させたその土台の上で、完全に全体を代表した花が咲くのです。そのような全体を総合したその花で実を結ばなければならないのがどこかといえば、家庭です。神様の天国が自分たちの家庭に来た、と歌を歌えるようにしなければならないのです。ですから、家庭教会を中心として組織するのです。(一九八六・一〇・九)

 統の支部長を中心とした思想体制一元化運動が起こらなければなりません。部長がいて何をしますか。その局長がいれば木に花を咲かせなければなりません。局長、てっぺんに花が咲くようになっていません。末端に行かなければなりません。花は新しい芽と共に新しい枝の間に咲くのです。統・班支部長が問題です。統・班長が生きればこの国が生きるのです。どこに移しても水分さえ適当で、そこに土さえあれば、根が出て枝が出てこなければなりません。そこで根を張るようになっているのです。縦的な因縁を九〇度で引き継げるように、一〇〇パーセント根が張っていて、初めて願う花が咲き、枝が願い、葉が願う実が結ばれるのです。

 そうすれば、天国になるのです。班支部長を中心として、すべて一つになるようになっています。サタンがその反対の讒訴条件を提示できないように、神様の愛で五色の民族と氏族が集って、一つになって理想の家族をつくれば、それが天国だということを知らなければなりません。責任分担を完成したのちに解放圏が現れるのです。サタンを分立したとしても解放圏は現れないという事実を知らなければなりません。(一九八六・一〇・九)

 最も貴いものは統一教会がすべて収穫してしまうのです。最も貴いものは金ではなく、愛です。どのような愛ですか。サタンを分立できる愛、サタンが永遠に離れ得る愛です。皆さんは一つにならなければならないのです。根が一つにならなければならず、芽が一つになり、枝が一つになれない時、今後、完全な種として選ばれないということを知らなければなりません。どんなに先生が班まで訪ねていくと話したでしょうか。統・班支部長を中心として一つにする、これができなければ神様のみ旨が成されないことをはっきりと知らなければなりません。天国がそこから始まるのです。国が家庭から始まるのです。世界的天国基盤の条件が成立したので、霊界が全部ここに下りてきて天幕を張って離れずにいるという事実を知らなければなりません。(一九八六・一〇・九)

 イエス様を中心として見る時、イエス様が何をしなければならなかったのかというと、氏族的基盤を築かなければなりませんでした。氏族的基盤が統・班長です。そこでメシヤに仕え得るものを失ってしまったので、大韓民国を中心として、統・班長を中心として、それを完全に蕩減復帰しなければなりません。このことによって、民族的復活圏を中心として世界的宗教圏と、人類を代表した統一教会の教会員とを合わせて、解放のラッパの音とともに父母様を中心として北韓の地、父母様の故郷に帰らなければならないでしょう?(一六六―二五一)

 統・班活動をしなければなりません。これをしなければ、第三イスラエル圏として、天地の前に中心的位置を取れないのです。これをすることによって、私が民族の恨みを解いてあげ、世界の主体国としての伝統的基盤の軸をここに差し込むことができるのです。そのようにしなくて、どうやって世界万民を代表した第三イスラエル圏として求道的立場に立った主体国になり得るでしょうか。何をもってですか。サタンをすべて世界的に追放しなければなりません。サタンがこのように侵攻をしたとしても「後ろを向け!」と言うのです。ここに連合されたすべての思想が押すようになれば、サタン世界は完全に押し出されるようになるのです。何のことが分かりますか。(はい)。(一六七―四〇)

 国民を連合し、祖国光復のための統一的な気運を準備して、北韓を相手にしても余りあって、南韓にブレーキをかけてでもこの国、この地を奪われてはならないのです。私が天の前に祈祷したその祈祷の目的を、この地で成し遂げるのです。何のことか分かりますか。そのためには教育をしなければならないのですが、教育長はどこでしょうか。今からの実践長はどこでしょうか。大韓民国の国会ではありません。大韓民国の道知事ではありません。大韓民国の地方自治体のある道の議員や評議員ではありません。撃破の激戦地とはどこでしょうか。統・班です、統・班。統・班を撃破しなければなりません。里・班を撃破しなければなりません。

 統一教会の教会員たちは里・班、統・班撃破運動、勝共連合も統・班撃破運動、教学統連(全国大学教授学生南北統一運動連合)の統・班撃破運動、アカデミー(世界平和教授アカデミー)のすべての組織もやはり同じです。カープ(CARP;全国大学連合原理研究会)も統・班撃破運動、南北統一運動国民連合も統・班撃破運動です。これを考える時、統・班さえ一つにすれば南北が統一されるのです。簡単ですね。統・班さえつかんで文先生が願う人たちさえつくれば、一つになるのです。そのことを知らなければなりません。

 皆さん! 数多くの国境を往来しながら、神様は多くの慟哭をされたでしょうが、なぜ、この民族はこのようにかわいそうな民族になったのでしょうか。弱小民族として、アジアの小さな半島国家として地政学的に強大国に圧政を受けながら、恨みの峠を越えられなかったこの民族を、誰が主人になって解放するのでしょうか。身もだええしながら泣き、腹ばいしながら慟哭してきた、皆さんの親戚の一人がいるということを忘れてはなりません。

 統一は簡単なのです。統・班長を中心として私のような思想を……。皆さんが終章のような思想を植えてあげればいいのです。本にすべてあります。徹夜しながら、つかんで涙を流しながら教育できる人が誰かというのです。ですから今回、教授たちを呼んで私が慟哭したのです。「皆さん、もはやレバレンド・ムーンという人を知り、彼の思想とその方向が提示するものをはっきりと知りました。これだけの基盤をもてば誰とでも闘うことができると見ることができるではないですか」と言ったのです。このことを知らなければなりません。

 南韓においては、何の撃破ですか。統・班、統・班! ですから、お父さん、お母さんは北に行く準備をしなければなりません。息子をつかまえて、我が国を統一しなければならない皆さんが、涙と共に子供を教育して、訓示できる環境的基地をつくらなくては、南北解放は不可能です。南韓解放ができなくては、南北統一は不可能です。(一六六―一二六)

 統・班撃破運動! 南韓の統一教会、南韓の国際勝共連合、南韓の教学統連、南韓にある国民連合がこれを撃破できないでしょうか。それを撃破すれば統一されるというのに、南韓全体が一つになってこれをすれば、難しくないのです。統・班撃破です。(一六六―一七七)

 ソウルに一千万名が住んでいるので、ソウルが経済的にも文化的な力から見ても、すべての面で八五パーセント以上の力をもっているのです。経済的な面や文化的な面やすべての面において、主導的な基盤をもっているソウルだというのです。ですから、ソウルの統・班組織さえしっかりと編成すれば、地方はそのまま風だけ入れて、ラジオ放送をすればすべて終わるのです。

 そのように考える時、南北統一は難しいことではなく簡単なのです。何のことか分かりますか。み旨的な観点から見る時、簡単なのです。摂理的な立場から見る時、簡単だというのです。先生が一人で米国へ行って、十四年間基盤を築いたことに比較してみれば、これは何でもありません。その暴風が吹く迫害の中で、それを全部打ち破りながら基盤を築き、勝利の杭を打って帰ってきたことに比べれば、これは何でもないというのです。大韓民国が今歓迎しているではありませんか。南北統一しようとすればどれほど歓迎しますか。(一六七―二二)

 ここに加入する場合には、統一思想から勝共思想、原理を中心として、思いどおりに教育することができるというのです。天理を知って天地を知る民となり、また自分の生涯のすべての希望を自分がねらいをつけていくことのできる希望的な国民になれる道がここにあるのです。そうなれば、誰が共産党を消化できますか。それゆえ、私が教学統連をつくると昨年大騒ぎしたのです。

 ですから、統・班を撃破しなければならないので、ソウルにいる統長だけ命じて、班長十二万名を二十八日間教育したではありませんか。これがモデルです。今後、国民がしなければならない基盤を提示して、一つのモデルにするのです。これをしなければりません。統・班を撃破することによって、南北統一はできるのです。それもできませんか。(一六六―二五)

 我々は政治が問題ではありません。我々は国を求めようというのです。統・班を握ろうというのです。統・班を握れば、国は自動的に解決されるのです。分かりますか。(はい)。(一六七―二四)

 我々が家庭をしっかりと握っていればいいのです。皆が家庭の中に縛られた人たちではありませんか。家庭さえつかめば、国会議員も捕まえられ、長・次官もみな捕まえられ、青瓦台の大統領も捕まえられるというのです。全体、統・班長をやりなさいというのです。そうではありませんか。国会議員と国家の重要な為政者たち、閣僚たちと軍隊幕僚たちまでも完全に統・班長の運動に動くようになれば、すべて終わるのです。闘うことなく我々はつくることができるのです。何のことか分かりますか。(はい)。(一六七―二一)




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第三節 教学統連と郷土学校

一.教学統連(全国大学教授学生南北統一運動連合)

1 教学統連の創立と意義

 「教学統連」とは何なのかというと、「全国大学教授学生南北統一運動連合」です。長いでしょう? 全部で十六文字です。ごちゃごちゃしていても、それが全部入らなければならないのです。抜いてはいけません。ですからそれを簡単にすれば、教授と学生の「統一連合」と言い、大学界では「教学統連」と言います。「教学統連」と言えば一度で分かるのです。皆さんは知らないでしょう。この世の中を知らない皆さんには分からないでしょうが、大学では教学統連といえばすぐ分かるのです。「レバレンド・ムーンを中心として教授アカデミーとカープが合わさって、共産党がみんな手を焼く、とても強力な連中」と言うのです。皆さんはそのことを知っていますか、「教学統連」を? (一六五―三一四)

 今回、「南北統一運動国民連合」は全部……。教学統連が何か分かりますか。統一教会の教会員の中にはその名前を初めて聞く人がいるかもしれません。「教学統連」とは何ですか。それを言ってみてください。(教授……)。教授? 全国が入らなければならないでしょう。「全国大学教授学生統一運動……」。何ですか。「南北統一運動連合」です。長いでしょう? 全部入っているのです。(笑い)今一番の問題、この国の今の問題が何かといえば学生です。学生と教授が団結すれば動きます。野党と与党が団結したとしてもこの国は動きません。言うことを聞かないのです。若者が言うことを聞かないというのです。二世と教授……。(一六六―三〇四)

 今からは、全体の組織を一つに連結させて力の極大化を図らなければなりません。上下関係を正しく立て、左右編成をしなければなりません。また、二世を先頭に立てて国民運動として展開しなければなりません。皆さんを中心に南北統一運動をして、北韓を解放できないことを知っているので、力にあふれ、意志が強い二世を先頭に立てるのです。大学界でも学生と教授を一つにまとめなければなりません。縦的な立場から見ると、教授はカインであり、二世・学生はアベル的な立場なので、彼らを一つに連結させなければなりません。

 先生はこの前、「教学統連」をつくりましたが、これは教授と学生を一つにまとめる時に基準となることでしょう。「教学統連」の出現は歴史的な事件であると言えます。「教学統連」を中心として、大学界で教授と学生を一つに連結する基台としなければなりません。(一九八六・一一・二一)

 いいですか。今回、「国民運動連合」をつくった時に、主体は誰でしたか。(教授、学生です)。そうです、教学統連は彼らが代表なのです。「全国大学教授学生南北統一運動連合」と、そのように言い、「教学統連」と言うのです。その略語を覚えておきなさい。何ですか。(教学統連です)。皆が知っているのです。それはいつつくられましたか。(昨年〔一九八六〕十月十一日です)。十月十一日です。学生が毎日狼藉を働いている時に来てつくっておいたのです。その時つくらなかったら、このようなみ業ができるでしょうか。ですからその時も、私がやって来たのです。今回もこの大会を行うためにやって来たのです。

 これを行わないならば、運勢がここに来ても定着せずに飛んでいってしまうのです。レバレンド・ムーンは誰かと相談することはできません。政府とも相談することはできないのです。あなた(政府)が協力してくれないのなら、これを独自的に行う、というのです。神様の名前で主体思想をもって表れたのです。まさに主体思想の実権をもって神様の名によって現れたのです。

 私が誰かと連絡したりしたでしょうか。先生が誰かの協助を受けて、こうしているのでしょうか。違うというのです。ですから、「教学統連」を立てたのです。なぜ、教学統連を先頭に立てたのかというのです。先生が、神様のみ旨を創造理想を中心に見る時、先生はアダムと同じ立場なので、アダム家庭を中心に二世の基盤をすべて祝福するのです。二世まで祝福するのです。

 これは何でしょうか。家庭的、縦横なのです。縦横です。家庭的カイン、アベル同士完全に一つとならなければなりません。これはサタンも侵犯することができません。サタンも侵犯できないのです。それは歴史的です。今までの歴史、世界史の中で、このようなことをするのは私しかいません。それは世界史的なことなのです。それゆえ、この基準を中心にして……。今からは、我々に必要なのは責任者です。国家を中心として見てもそうであり、各界各層を見ても最高の知性です。最高に頭のいい人、そしてその次には最高の言論が必要なのです。(一六五―二一七)

 今回、先生が韓国に来ることによって決定的な行動を開始しなければならないので、「南北統一運動国民連合」をつくりました。これをつくるために、教授と学生を先頭に立てるために、「教学統連」をつくったのです。(一六三―三一四)

 教授の名前も何度も何度も使わなければなりません。ですから「教学統連」を立てたのです。「教学統連」を見事に組織したのです。(一六六―二〇〇)

2 教学統連のいろいろな関係

 韓国を分析してみれば、縦的基準でのカイン・アベルは教授と学生です。親と子の関係にもなりますが、現在の国を中心にして考えると、国を動かす際には教授と学生しかいないのです。父母は自然とくっついて入るのです。その縦的なカイン・アベルの一致圏を中心として、横的な社会の有志と青年を一つにしなければなりません。彼らも社会的な面において横的なカイン・アベルの形態になっていますが、彼らが一つとなって原理的な基準で完全に基盤を築き、国がこれに乗らなければならないのです。国はそこに上がるようになります。国は従っていかなければならないのです。(一六三―二六)

大学界を中心として見ると、大学の教授と弟子とは縦的関係です。大学の教授と弟子とは縦的です、縦的。親子の関係と同じなのです。また、統一教会を中心として見れば、統一教会とこの国の国民とは父子関係です。また、統一教会と大学界とを見ると、これはカインとアベルです。その中間に「勝共連合」がぴったりと入っているのです。「勝共連合」はカインでもなく、アベルでもありません。まだらなのです。(一六四―二七九)

 「勝共連合」と完全に一つとなり、今から「教学統連」と一つとなれば、これを横的な面で見ると「教学統連」が蘇生、長成の次の完成です。(一六五―二〇七)

 今回、「教学統連」を立てたのは……。「教学統連」は一つの知性世界を代表します。そして、その次には何かと言えば、未来を代表するのです。これは頭と足との関係と同じなのです。ですから立ちなさい、と言うのです。立て、と言うのです。大学界さえ立てばすべては解決されるのです。

 勝共運動は横的な運動であって、縦的な運動ではありません。そして、我々統一教会は縦的な運動に連結されたというのです。ですから、「勝共連合」を除いて「教学統連」と統一教会が一つとなれば、「勝共連合」はその間で完全に消化されるのです。そのように見るのです。統一教会の組織は親子関係の組織です。ですから縦的です。縦的な組織なのです。教授と学生も縦的組織です。そのようになっているのです。「君師父一体(注:王と師と父の恩は等しい)」という言葉があるではありませんか。そのすべてが縦的なのです。しかし、「勝共連合」は横的組織です。ですから、「勝共連合」がここで自分の欲を求めてはならないのです。「勝共連合」が中間で、接着剤のようにうまくやらなければならないのです。

 我々統一教会は純全と宗教的なので、社会経験ができません。ですから社会をよく知らないのです。しかし、「勝共連合」は社会経験をするので、二つがまだらなのです。両面だというのです。それで、教授と教会との接着剤の役割を果たさなければならないのです。これが一つにならなくては南北統一は不可能です。自分の中で一つになれなくて、どうやって……。これが問題なのです。(一六五―一七一)

 原理でいうならば、すべて横的なカイン・アベルであり、統一教会を縦的な立場で見るなら、御父母様と皆さんは縦的なカイン・アベルなのです。縦的カイン・アベル、内的なカイン・アベル、統一教会を中心として先生と皆さんは内的な縦的カイン・アベルです。分かりますか。教授と学生は外的な縦的カイン・アベルです。これが一つになればいいのです。内的、外的、カイン・アベルが一つになればどうなりますか。どうですか。これが一つとなればその上に現れるのです。それを中心として、このように今から縦的なカイン・アベル、内的な縦的カイン・アベルが勝共連合と統一教会であり、外的な縦的カイン・アベルが大学教授と学生です。ここで、天使長圏が何かといえば、「勝共連合」なのです。「勝共連合」の組織が「教学統連」よりも、統一教会よりも一番大きいのです。「勝共連合」の組織を中心としてこれを前面に立てて、頂点から班まで……。頂点は世界と連結し、この国の班は北韓の班と同じ統・班と連結されるのです。(一六六―三〇四)

3 教学統連の使命

 「教学統連」とは何ですか。先生と学生が一つになって何をしようというのですか? (統一です)。何の統一ですか。(南北統一です)。何を中心としてですか。棒切れでですか。バットでですか。(愛によってです)。(一六六―三一五)

 学生を中心として「教学統連」をつくり、原理の力によって共産党を捕まえる教育をしなさいというのです。分かりますか。右側の腕と右側の頭でもって、左側の腕と左側の頭を打ちなさいというのです。思想的な、理論的な面で共産党をたたきのめさなければなりません。絶対に後退してはならないのです。その作戦を行うのです。韓国の大学界において意識(左翼)分子、反動分子をすべて追放しようものなら、国が行ったり来たりするのです。そうすれば、社会が歓迎し、主権者たちも歓迎するようになるのです。(一六四―一二二)

 この教学統連の使命は大きいのです。ですから、腹をもって、息を大きく吸って、どんどん激しく撃ちまくるのです。その名前は大変なものなのです。南北統一しようと、学生と教授が乗り出したという事実は、革命的な内容が十分なのです。誰が何と言ってももはや革命され得るのです。その名前は大変なものなのです。

 大学界で講演会を行って火が起こり始めれば、左翼系列の学生は我々の動きにすべて吸収されるようになるのです。そのうち何人かは吸収されなかったとしても、数人を除いて、その人が話せば、観を通して除去することもできるのです。しっかりとこのようにしておいて、すべて一つの所に追い込むのです。今がその時なのです。(一六二―一六八)

 教授を動かさなければなりません。今からどのようなことが始まるのかといえば、教授と学生が八道にわたって「南北統一運動国民連合」のための大会をするのです。教授たちは地方の有志を動員し、学生は地方の青年を動員するのです。使命はそれです。大学内でも教授と皆さんが講義をしますが、講義をして得られた環境の群れを集めて、また、教授の影響を受けた群れを追い立てて、教授を通して社会の有志を動員するのです。(一六三―三二二)

 み旨を成す面から見るならば、ここで主力をどこに置くのかといえば、「教学統連」です。「教学統連」に主力を置くので、「教学統連」の教授と二世を中心にするのです。また、教会を通して「勝共連合」では何をするのかといえば、二世を糾合するのです。分かりましたか。組織はあとになっていますが、先頭に誰を立てるのかと言えば、「教学統連」を先頭に立てようというのです。それはどうしてでしょうか。二世とその国の知性人を握ろうとするからです。これが問題なのです。(一六六―二〇七)

 今からまず第一にしなければならないことは、教学統連を中心として大学基地撃破運動です。どうやって大学が「国民連合」を中心に一体となって方向を取り直すのか、ということが問題です。そのように、大学を中心にして連結したものを通して、その次には対社会運動です。社会の有志、地方であればその地方の行政機関、あるいは、政党の官吏を集めなければなりません。そうして、教授が地方の有志をまとめ、その次に学生は地方の青年をまとめて、大会をするのです。主要都市で大会をしていきながら統・班を撃破するのです。統・班撃破だというのです。我々の最後の戦いの激戦地は統・班です。統・班長の教化の完成、これが目標です。(一六六―一七)

 組織的な基盤を中心に国民運動をしようと思えば、文先生に頭があるなら間違いなく「勝共連合」を前面に立てるのが第一だと普通の人は考えるのです。しかし、先生は違います。「教学統連」を前面に立てなければならないのです。主体がどこでしょうか。(教学統連です)。「教学統連」なのです。私が必要なのは「教学統連」です。「教学統連」さえ一つになったならば、国家が回っていくというのです。(一六五―二一九)

 教授が大学を正すことができなければ滅びます。深刻です。ですから、私が「教学統連」を無理しながらもつくったのです。それは易しいことですか。

 大学教授がみな、大学生と連合するというのは歴史にないことです。それは革命です。昨年の三月だったか、教授を中心として三位基台をつくって大講演の準備をしたのですが、私の言うことを聞かざる得ないようにしてきたのです。

 教授の世界において歴史的な次元を転換させるとき、私が原動力となってそのことを行いながら拡大させたのです。昨年に入って、ソウル大学の総長を中心として、首都圏にいる総長たちを集めなさいと言いました。私が会って説得しなければならないと考えたのです。この無力な教授たちは全国に影響を及ぼすことができないので、私が旗を引き抜いて全国教授大会を行ったのです。行ったでしょう? ここで大学界をしっかりとらえて、「これをしなければならない。私の言うことを聞きなさい」と言うのです。それを中心としてずっと糾合していって、「南北統一運動国民連合」をつくったのです。

 今回も大学入試前に組織を組んで、この運動をする準備をしてきたのです。何をするのか分からなかったでしょう。教授と学生が一緒に大会を行うというのは歴史にないみ業なのです。教授が肩に力を入れたその傲慢な姿勢の前では、学生にとって虎の前のねずみ(注:蛇ににらまれたかえる)にも劣るのです。そのような教授が一国を救うために協同するというのです。愛国心を中心として平等な基準で父母とお互いに妥協でき、師と共に妥協できる場に上がるということは驚くべき事実です。それだけではなく、誰が主導するのでしょうか。縦的な基準で教授が主導するのです。学生が主導するのではありません。大韓民国自体を考える時、どこがアベルかといえば、教授と学生がアベル圏です。ところが、この者たちがサタンの業を行っています。みな合わさって、国民と一つにならなければなりません。そのようにしなければならないでしょう?(はい)。(一六三―二三)

 将来、大韓民国がよくなり得る方法、道がありません。政党でもありません。ある宗教団体の宗主、レバレンド・ムーンや「勝共連合」でもありません。「勝共連合」があり、政党があったとしても、大学界の学生と教授を動かすことができなければ、大韓民国は生きる道がありません。ヨーロッパの国家も全部そのようになっています。教授の権威はすべて地に落ちました。権威はすべて地に落ちたというのです。回復する方法がありません。このような悲惨な運命の道に置かれていることを今、よく知っているではないですか。(一六七―二七三)

 大学にいらっしゃる教授たち、教授が教職員の一人として働く大学は上下関係があるのです。理事会の役員と学生がいます。「私は本当に理事会の役員と共に、あるいは、私の学生たちと一緒に生きたい。あなた方は願わないかもしれないが私はそのように生きたい」と言える教授がいたなら、たとえ彼の知識が足りず、別の欠点があったとしても、彼は教授の中の教授だと言うことができるでしょう。また、学生たちに尋ねて、「先生と本当に一緒にいたいし、共に生きたいです」と言える学生は真の学生です。また、理事会の役員の中で「私は教授たち、学生たちと共に生きたい」と言える人がいたならば、彼はその学校を誰よりも愛する代表的な存在として恥じないでしょう。

 世界的な学者がいたなら、彼は学問の分野で理論体系を立てるために、どんなに苦労したことでしょうか。その谷間をかき分け進みながら涙と共に骨髄がにじみ出る心情で本を読みながら、彼の苦労を自分のものと感じ、本を握りながらも涙を流しながら感謝する心が必要です。

 皆さん、学生をどれくらい愛しましたか。自分の骨に深くしみて忘れられないくらい、その学生をとらえて、寒さを顧みず、困難を顧みず、体面を顧みず、彼と私は離れることのできない心情の因縁をもった師弟の関係だと堂々といえるのか、それが問題です。(一九八六・一〇・一一)

 教授は教授なりに自分は偉いといわず、教授も学生のために生き、学生は教授のために生きる運動をしなければならないのです。ですから、この「ために生きる」運動が学校から拡散していかなければならないのです。(一九八六・九・二九)




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神様の摂理から見た
  南北統一

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二.二世を中心とする摂理

1 共産圏の二世の動向

 今、共産世界が現れてサタン側に立ち、天側の民主世界を打っていますが、これを世界的な立場で御父母様がすべて抱えて、反対することなく順応することができなければなりません。そのような環境の条件を立て、民主世界を代表した息子と、共産世界を代表した息子を抱き抱えなければなりません。その次には、民主世界の指導者と共産世界の反対していた指導者が、反対することなく向き合う時代になるというのです。

 ところで、問題がどこにあるかといえば、民主世界自体にもカイン・アベルがあるというのです。縦的に見れば一世がカインであり、二世がアベルです。共産世界でも一世がカインであり、二世がアベルだというのです。それでは、民主世界において、アベル圏を中心として長子を復帰すればどのようになるでしょうか。血統復帰した長子復帰の基準になれば、サタン世界の二世はすべて自然に神側に入ってくるのです。自動的に入ってくるのです。二世を中心にしてすべて……。民主世界も二世、共産世界も二世が神側なので、自然に天地の運勢に従って連結されるのです。共産世界が今そうだというのです。今、世界情勢を見るとき民主と共産が戦っていますが、二世は反対で、共産世界の二世は民主世界にあこがれ、民主世界の二世は共産世界にあこがれるようになります。逆に寄り添うのです。

 それゆえ将来、共産世界の子女たちがぐるりと帰ってくるのです。

 このような刹那の境界線で先生が今まで蕩減復帰歴史をして、御父母様を中心に共産世界と民主世界を整理する運動をしているのです。ですから、民主世界においてのカイン・アベルを抱え込んで帰ってきたのです。それゆえ、今から対処しなければならないのは共産世界です。(一六五―二七七)

 今日、共産世界の二世はアメリカなどの自由主義世界にあこがれています。彼ら二世がアメリカに来て社会像を見回してみたなら、失望することは一つや二つではありませんが、結局、彼らも、自由世界の希望となっている統一教会と出合うことによって、満足するようになるのです。(一九八五・八・二一)

 我々統一教会の者はソ連にも行っており、その衛星国家にも行っているということを知らなければなりません。分かりますか、何のことか。(はい)。春になれば、彼らは我々が行くことのできる道を築くのです。それゆえ、彼らが反対すれば反対するほど、しきりに崩壊するのです。アメリカの二世が統一教会に入ってくるのと同じように、ソ連の二世が倒れるのです。(一九七八・九・二五)

 今から一番問題となるのは二世です。北韓の共産党を見ると、やはり二世が問題です。統一教会も二世が先頭に立って南北統一運動を主導していっています。それゆえ、遠からず南北韓の二世がぶつかって戦うようになりますが、その時、南側の二世が負けてはならないというのです。日本でも共産党と戦う時、二世を中心に戦っています。今では日本は、共産党の脅威から完全に解放され、自由世界の指導国家としての地位を望むようになりました。

 日本が今日のように発展したのは、政局が安定を保ってきたからです。(一九八八・四・七)

 次は、共産党の二世を教育しようと思います。共産世界でも二世の教育が問題です。彼らは一世の意思に従わず、自由奔放な生活を追求しているからです。その二世を統一思想で教育したなら、さっと変わるようになっています。それが神様の作戦です。

 共産世界も解放と保守の間で葛藤を経験しています。我々はこのような時を逃してはなりません。彼らが思想をもって来るならば、我々も思想で対決できなければなりません。また、力で来るなら、力で立ち向かって押しのけていかなければなりません。(一九八八・四・七)

 先生は、民主世界を代身する立場に立って共産世界を押し出すことのできる段階まで入ってきています。ですから、キリスト教は浸透しつつある共産世界を阻止するために、先生の力を借りずにはいられないでしょう。

 もう共産世界も終わりました。共産世界と民主世界の先端に登ることができるのが統一教会です。世界の中で最も優秀だという定評が既に出ています。サタン世界が怖がり、神様は喜ぶというのです。共産党も一世は反対しますが、二世はレバレンド・ムーンを好きになるでしょう。そのようになっています。もしそうならなければ、私が神様の力を借りてそのようにさせるつもりです。今後はムーニーの世界になるでしょうし、神様と真の人だけが残るようになるでしょう。真の愛が統一教会の目的であり、統一教会の理想です。(一九八三・六・五)

2 大学界のデモ

 最近になって、学生を中心とした大学界の問題が世界的に生じていますが、果たして、その学生たちが新しい方向を形成していく母体になれるでしょうか。なれないというのです。何年かの教育期間を経て社会に出るようになれば、社会が好む方向に従って流れていってしまうのです。社会に出れば移り変わらざるを得ないステューデント・パワーでは、社会に影響を及ぼせないのです。(三六―一七二)

 今日、学生たちはデモをします。しかし、デモをしようとするなら、愛を中心として宇宙力が和合してくれ得る立場に立ってデモをしなさいというのです。そのようなデモをすればするほど、その国家が歓迎するでしょうし、天宙が歓迎するでしょうが、愛をもたずにデモをすれば、宇宙力によって除去されるのです。(一九八一・四・一二)

 今日、大学生が政府を批判ばかりして、「我々は完全な人間で、あなた方は悪い人間だ」と言う者たちがいます。皆さん、自分が完全ですか。そうでなかったなら、自分が立っている立場を知らなければなりません。現在の自分の立場をよく知って言わなければなりません。皆さんが純金かといえば、私はそうは思いません。いまだ磨かなければならない宿題の過程が残っているので、精錬所を通していや応なしに全部溶かして、不純物を取り除いてあげて、悪いものを燃やしてしまわなければなりません。(一九八六・一・二一)

 大学界で意識化運動をする二世たちはそうではないですか。「アメリカは帰れ」と、こうではないですか。反米運動……。アメリカ政府が貿易不均衡を是正するために、保護貿易政策を掲げてきましたが、それは全部、反米思想をコーチできるいい資料を提示したことになるのです。育ててきたと言いながら背後ではすべて奪っていくのです。奪っていって彼らに利益になることだけを、明らかにしているというのです。この者たち!

 でもアメリカはまだいいです。ソ連だったら、そのあくる日から……。北韓では、ソ連が進駐して一カ月以内に工場の機械を一つ残らずすべてもっていきました。電気トランス(変圧器)を全部取り外して、モーターも水風発電所の発電機もすべて取り外していったというのです。完全に、移動していったのです。シベリアに移して置くのです。自分たちの占領国家が大きくなっていくために、資本主義体制を破壊する、破壊だけでなく爆破することを願うのです。ですから、破壊することは問題ではありません。それで完全に取り外していくのです。暗黒天地をつくっておくのです。ソ連が南韓に下りてくれば、そのままにしておくと思いますか。このようなことを知らなければならないのです。(一六三―一九一)

3 二世の使命

 二世圏がすべて主動的な勢力となって、建国的に登場しなければならないのです。それがまさに大学です。先生の前に、大韓民国の前に、二世とは誰かと言えば、大学生と中・高校生です。分かりますか。二十歳前後の青少年を中心として、すべて糾合しなければならないというのです。彼らを糾合して、誰が中心にならなければならないでしょうか。教授と一つにならなければなりません。これは縦的なカイン・アベルだというのです。兄弟は横的なカイン・アベルです。このようにして教学統連が一つにならなければなりません。一つにならなくては影響を与えられません。天の行事運動、これがしっかりと一つになって、その次にはこの社会を中心として、教授は有力者、学生は青年を動かす、このような運動のモデルをつくっていかなければなりません。(一六五―一一五)

 私が国家基準を越えて世界的な基盤を築いたなら、皆さんは、帰ってくるや否や連結されなければなりません。そうではありませんか。それを連結させる際に、誰を中心として連結させなければならないでしょうか。原理的に見る時、二世を中心として連結させなければならないでしょうか、一世を中心として連結させなければならないでしょうか。二世の与党・野党ではありません。大学界の精髄、それでも大韓民国において残った良心的な基準というのは大学しかないのです。大学生を中心としてすべて……。(一六三―一二三)

 どのような時代が来るのでしょうか。誰が主導者の役を果たすのでしょうか。二世が主導的役割を果たす時代になるというのです。今、学生たちがそうでしょう? 今、大韓民国が大学界をどうやって消化するかが問題でしょう?(はい)。大学生は一世ですか、二世ですか。(二世です)。二世です。二世が旧時代を除去する風が吹かなければなりません。それは、人間がするのではありません。

 統一教会は、どういう教会かといえば、二世が押し寄せてくる所です。彼らは、若者たちです。(一六二―二八三)

 韓国の二世である若者が故郷復帰で先頭に立たなければなりません。(一九八八・四・七)

 我々は今から、新しい風土を造成しなければならないというのが先生の考えです。分かりますか。ここの若い怠け者の連中たち、皆さんは、意識化(左翼化)運動する、そのような者たちに負けてはなりません。二世たち、分かりますか。(はい)。さあ、そのように結論が出るのです。世界の解放へと連結し得る、国家が行くべき、国家の解放を成し得る、民族が行くべき、民族の解放を成し得る氏族が行くべき解放圏に、我々が責任をもって立ち上がらなければなりません。(一九八七・九・一三)

4 二世を収拾して、南北統一を準備する

 韓国において、大学界の二世が中心になって南北統一運動を主導していかなければなりません。また、統一思想を全国民に教育してあげなければなりません。ところが、韓国においてはカープの活動が期待に添っていません。カープの責任者である孫博士は、これから二世を指導するにおいて、ばか正直だというぐらいの度胸をもって強力に押していかなければなりません。杵でもちをつくように、追い込む時には、容赦なく追い込まなければなりません。共産党が革命の先鋒大将として、無学な者を立てる理由は、ばか正直に追い込む力を考えたからです。

 先生が今まで仕事をしてくる過程で一番大変だったのが、博士たちを中心にして遂行することでした。博士たちがしているものを見れば、もどかしいことこの上ありませんでした。博士たちが推進する仕事は可もなく、不可もありませんでした。ここに参加している博士の皆さんは、不満そうな表情ですが、事実、そうだというのです。

 先生が、最も期待を掛ける側は二世です。それゆえ、二世に対してたくさんの投資をして、ずっと教育してきているのです。

 二世を教育して一番どん底から出発させて頂上に引き上げるつもりです。二世を育てて、偉いという人たちが侍るようにさせます。統一思想だけ入れれば、偉いという人でもどん底で苦労する二世たちに従わざるを得ないというのです。統一思想を教育された二世が、偉いという人もできないことを成就するようになれば、すべての面で素晴らしく思って従うようになっています。

 社会的にどんなに有名な博士でも原理教育を受けた二世についていけないでしょう。社会的に有名な博士だといって、神様の前に博士の愛を受けるのではありません。それゆえ、その博士たちも、神様に愛される二世たちに従ってこなければならないのです。

 神様はすべてのことをご存じです。神様の摂理は、打たれて奪ってくる役事をしてきているのです。サタンを愛して感動させて、屈服させてくる方法をご存じです。そのような神様の偉大な愛の道を尊敬しなければなりません。我々も、もう、神様の偉大な愛の道を知ったので、踏まれたからといって、対立して打ってはいけません。我々は打ったわけではありませんが、時々宣教師たちがそのようにする可能性があるので、注意する心を覚醒させようと思います。特に、大学界の二世は血気旺盛な時なので、打たれて奪ってくる愛の教訓をしっかりとしておかなければなりません。次は、軍隊で兵役義務を果たしている二世たちです。軍隊に服務している二世の教育に関心をもって推進していかなければなりません。先生が軍隊にいる二世の教育を考えたのは一九五〇年からです。けれども、その時は誰も先生の意見を受け入れませんでした。国家で反共教育を徹底的にしているので、文先生の勝共教育は必要ないというのです。ところが今日、どうなりましたか。共産党が好きで踊りを踊るくらいになってしまいました。

 神様のみ旨は偉大で、摂理は必ず成されています。再び、軍隊にいる二世に対する教育の時期が訪れたというのです。今からしなければならないことは、一番目に二世を収拾することです。まず、大学界の二世を収拾し、軍隊にいる二世を収拾して、南北統一の決定的な時を準備しなければなりません。二世を収拾せずしては、大韓民国の行く道はないといえます。(一九八八・四・七)

 これからすべきこととはどのようなことでしょうか。神様の摂理は、六千万のすべての国民を動かして成すのではありません。祭司長によって成されるのです。はとを裂くことが、主権が行ったり来たりすることです。同じように、責任分担を果たさなければなりません。それゆえ、二世を中心として南北統一時代を迎える準備を整えていくことが、何よりも重要だということを忘れてはなりません。第一にすべきことに関係している人たちが、二世だというのです。モーセが出エジプトした時、二世を中心としてやっていたならば、カナン復帰が自分の手によって成されたはずなのに、一世を先頭に立てたために失敗したのです。エジプトで暮らした一世ではカナンに入れませんでした。エジプトから出てきた四十年の間、二世を教育することによってカナン復帰が可能だったという事実を忘れてはならないでしょうし、それゆえ、今、我々も二世を教育して、南北統一時代を準備しなければならないというのです。二世を先頭に立てて統一時代を開いたならば、絶対に失敗しないという事実を肝に銘じ、大学界の二世を教育することに心血を注いでくれるよう願います。(一九八八・四・七)

5 教育活動と南北統一青少年団の構造

 我々が今回ソウルでするとき、何日間で全部(教育)しましたか。二十八日間で全部やったでしょう? 三週間計画して二十八日間で十四万名を教育しました。その時に洞事務所で結婚式場を借りて、みなこのように教育しました。そうして短時日内で完全に終わりました。そのように、これからは教会長を基準にして、教会があれば教会を中心にして教育をするのですが、教会がなければすべて、洞にセマウル会館があるでしょう? 統から里まで、すべて入っているではないですか。そうでしょう? すべてあるというのです。それをいくらでも活用できます。食事は庭の前に小さなテント一つを立てて、そこで作って出せばいいのです。

 そして洞内で、彼らが裕福でも裕福でなくても、みな米を持ってきなさいというのです。雑穀なら栄養がもっとたくさんあります。豆なら豆、とうもろこしならとうもろこし、自分の家で食べるものに従っていくらかずつ持ってきてもらって、我々が食事をつくってあげるのです。同じ一つの洞なので大丈夫です。そうではないですか?

 遠くても、一つの峠を越えていったとしても、みな同じ洞です。いくつの班だといっても同じ一つの洞だというのです。峠一つを越えても、十分、十五分以内に連絡できるのです。ですから教育費がかからないのです。宿泊費がかからないというのです。夜はみな勉強して、あすの朝、何時まで起きてきなさいといえば、みな集合するようになっています。愛国運動というのは昼にしても味が出ません。夜にしなければ……。人が眠る静かな夜に、北韓に行って解放しようと、解放の歌から熱心に歌うのです。そのようにして、今後、部落の青少年は何をしようというのでしょうか。昔は、全国に少年団があったでしょう? それを南北統一少年団にするのです。

 そのようにして、彼らを学校で訓練する以上に本格的に、さらに強力な訓練をしなければなりません。そうして、夜警で回ることから、その部落のならず者の掃除までしなければなりません。ならず者の掃除をして、麻薬を飲む連中をその青少年たちが取り除くのです。空手を教えてあげて、この少年たちに捕まったら警察に捕まるよりも恐ろしく思うようにしなければなりません。(一六七―一一)

6 カナン福地に行く二世の姿勢

 イスラエル民族がカナン福地に、ヨルダンの川辺に四十年前に来たなら、どれほど良かったでしょうか。四十年かかってもヨルダンの川辺になぜ来ることができなかったのでしょうか。それは、信仰が足りず、自分を導く神様の本然のみ旨と一致しなかったためです。神様はその基準に達することを願いましたが、四十年たっても達することができないので、一代の先祖をすべて鷹の餌食にさせたとしても、二世を救わなければなりませんでした。それゆえ、一世がすべて鷹の餌食になったのではありませんか。あなた方も同じです。統一教会も、同じ運命の時代になりました。(一六三―一七七)

 我々は、強く雄々しくなければなりません。強く雄々しくあらなければならないのです。神様は、亡国の悲運を迎えたイスラエル民族を収集して、イスラエル入国を前にしたヨシュアとカレブを置いて、モーセが死んだのちに彼らに引き継がれながら、「強く雄々しくあれ」と命令したのです。強く雄々しくあれと命令しました。分かりました?(はい)。

 今、我々は、シナイ荒野にいるイスラエル民族の第二世と同じです。一世が滅び得る運命で、残された後世が新しいイスラエルの建国、イスラエルの復国のために眺めるその基盤と同じく、アメリカとアメリカの教会が昔のイスラエル民族のように荒野で倒れる群れになる時に、二世として集まった我々は、新しいシナイ荒野においてのイスラエルの建国と入国を準備する群れと同じです。それゆえ、ヨシュアとカレブのような立場にいる我々に、神様は強く雄々しくあれと、この時間に命令していることを知らなければなりません。先頭に立った一世は滅びました。全部、滅んでしまいました。

 まるで、カナン福地世界の天国建設を前にしたイスラエル民族の中で、荒野時代の暗黒期に混乱して一世が滅びるのと同じ立場で、我々が二世として新しく立って、イスラエル建国のために前進するヨシュア、カレブのような群れにならなければならないことを知らなければなりません。皆さん、そうですか。(はい)。そのようでなければなりません。(八八―五九)

 我々の闘いが勝利するか、失敗するかという問題はどこにあるのでしょうか。今から若い二世を動員して、一世を全部収拾しなければなりません。先生の使命は二世を支配することです。これは、イスラエル民族が四十年後にカナン復帰する際に、二世を中心とした国を建てるのと同じです。(一六五―一一五)

 なぜでしょうか。二世まで祝福してあげたのでそれはサタンが讒訴できず、誰も讒訴できないからです。打つことができません。打ったら剣が降りてくる時に砕けて、逆に打ってしまうのです。このようにすることができます。

 こうするために、先生は四十年の生涯を若い時からここまで来ました。先生の家庭を中心として、アダムの子女を中心として、三十六家庭として二世を歴史的な代表として立てたので、サタン世界の二世をすべて吸収、消化しなければならないのです。

 ここで、教授、この国のあらゆる指導者、国の指導層が教授を助けようものなら全部が動くのです。それゆえ、今の最高の立場はここの為政者ではないのです。為政者は召使でしょう。未来の主人は誰ですか。教授と学生です。過去から現在と未来まで接ぎ木する者は、教授を中心とした学生しかいないのです。

 さあ、彼らが御父母様と一つになって……。今回、二世たちが頑張ったでしょう。(はい)。特戦隊ですか。特戦隊が来て先頭に立ったでしょう?(はい)。先頭に立ってどこへ行きましたか。全部、大学界に着陸しなければなりません。それをしなければなりません。今回、大学で講義したのも全部、教学統連でしょう? 民間団体の「教学統連」です。これは、何を意味するのでしょうか。我々統一教会において、カナン福地に着陸することを意味するのです。これは国も反対できません。

 もう、この世の国の何もうらやんではならないというのです。この者たち、出世をしてどうしたと……。今、世の中は全部滅ぶというべきではないでしょうか。野党にも与党にも希望をもつなというのです。我々からすべてのことを始めるのです。絶対的信念をもって、固着的な自我を確立して、ここ、中央に立って、影響圏を四方に発揮しなければなりません。この場を中心として、不動の基盤を中心として、全体的に犠牲にならなければなりません。分かりましたか。原理で見ればそのようになっているのです。

 それゆえ、教学統連を中心として、今から自分の先祖が学生を全部連結するのです。連結されれば、学生だけ連結されるようになっているでしょうか。これからこの教学統連を中心として、すべて郡に下っていき、面に下っていき、里まで、小学校の先生から、小学校四、五、六年生まで動員するのです。これをしっかりと組織して、大学教授を中心として教育するのです。分かりましたか。(一六五―二一九)

 モーセの時のカナン復帰と、現在、神様の国である祖国の創建は、同時性の歴史の中に立った復帰歴史なのです。モーセの時に、二世を前に立ててカナン入城を計画したならば、四十余年を荒野で生活しなかったことでしょう。今日においても、二世を中心として統一運動をしなければ、モーセの時と同じく失敗するしかないということをよく分かっているので、先生が大学界を中心として、二世の教育を強調しているのです。特に、皆さんの息子、娘は、統一運動の一番前に立って走らなければならないのです。(一九八八・四・七)

 正義の立場で伝統を残す際に、二世は厳粛に自分自身を確かめながら、相続者の価値を尊重して、人生を計画していくことができなければなりません。きょう、このような決意をする二世になるなら、時間が問題ではありません。

 神様が守ってくださって……。怨讐を怖がってはならず、度胸をもって正義の道で弱者になってはならないというのです。正義の路程で、善義の問題を起こす勇士になりなさいというのです。(一九八六・一・二一)




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三.郷土学校を通した南北統一運動

1 郷土学校設立の意義

 統一の気運が、東西南北、四方で成熟しつつあります。もし、韓民族が統一の道に立ち上がらないというのなら、日本やアメリカの人を連れてきて統一運動を展開していくつもりです。全国の市、郡の単位まで、世界的に有名な碩学たちを連れてきて配置して、国民たちを啓蒙していきます。そのようになったら、どれほど恥ずかしいことでしょうか。我々民族の宿願である統一を外国人がしてあげようといえば、韓民族としては恥ずかしいことにならざるを得ません。

 先生は全国の大学教授たちを中心として、全国に郷土学校を建てて経営してきています。家庭環境のためだとか、その他の事情によって、中高等学校に進学できなかった青少年たちに勉強させてあげる所が郷土学校です。学ぶ機会を失って挫折している青少年に勉強の機会を与え、未来の韓国を担っていく主役として育てているのです。現在、我々が運営している郷土学校は、全国に約百余箇所開設されていますが、共産党が南韓に攻め込んできた時に、彼らは貧しくて学べなかった農漁村の青年を中心として組織をつくりました。郷土学校で貧困などの理由で学べなかった青少年が学べるようにしてあげることによって、南北統一時代において、共産党が組織しようとする対象をなくしてしまう効果をもたらすでしょう。また、統一時代を迎えれば、郷土学校を中心として全国を組織化し、共産党と対抗できる一石三鳥の事業なのです。(一九八八・一・一)

 故郷を愛し国を愛する道は、郷土学校を通して二世を中心とし、国民を教育するよりも良い方法が他にあるでしょうか。これは大道に通じる最高の愛でもあります。郷土から心情の土台を築かなければなりません。そうして初めて、先祖がその心情の土台を通して、復帰され得るのです。

 先祖たちがソウルに来て、どこを訪ねるでしょうか。皆さんの先祖が訪ねてきて、何を条件として復活できるでしょうか。懐かしく、行ってみたい所は故郷なのです。祖先たちも同様です。見知らぬソウルの地で誰を訪ね、何を通して情を感じ、愛を分かち合うことができるでしょうか。勉強して出世したことは自分だけのものであって、父母のものではないのです。それゆえ、霊界を復帰して、霊界の協助を得て後世が持続し得る伝統的基盤を立てなければなりません。そうするためには、郷土学校を建てて発展させなければなりません。このすべてが天運の時を迎えるためのものです。(一九八八・四・七)

 み旨のためにみな、郷土を救わなければならないでしょう。けれども、どこの誰が自分の郷土を救ってくれるでしょうか。我々は、郷土学校を中心にして教授たちをまとめて郷土を救おうとするのです。そして、その基盤は大変な基盤になるでしょう。(一九八八・一・二一)

2 郷土学校は愛国の出発点

 少し前に韓国で郷土学校を始めましたね? 皆さん、大学の教授として郷土をどれほど考えましたか。郷土にどのように共に生きていくかを考えてみなければなりません。自分の両親と共に住みたくないし、郷土と共に住みたくない人は国を愛することはできません。そのような人の国を愛するという言葉は偽りです。国と共に生きてから世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてから神様と生きるようになっています。ですから、その地域社会を愛して初めて国を愛することも可能です。(一九八六・一〇・一一)

 南北統一のために、教授たちを配置しました。今や大韓民国を統一運動の方に動員する一番早い道は何でしょうか。教育界を動かさなければなりません。大学界を動かそうとすれば、まず教授を動かさなければなりません。その次に、地方に行けば、中・高等学校を動かさなければなりません。その次に、小学校を動かさなければなりません。

 共産党が学校を中心として南韓の赤化のために、左翼思想の教材を中心にして浸透させて入ってくるのを、今まで防げなかったのです。文教部(文部省)が責任を果たせなかったのです。ですから、何としても大学の総長を動かさなければならず、中高等学校の校長を動かさなければならず、小学校の校長を動かさなければなりません。彼らを動かすことができる自然環境に、制裁を受けず自由に動かすことができる権限をもっている人が教授たちなのです。

 全国の市、郡に開設された郷土学校を、先生は統一運動のために配置しました。郷土を愛しなさいということです。教授たちは郷土で生まれましたが、学校に通い、博士になって出世はしても、学校を出たり入ったりして風ばかり起こしたのであって、郷土を愛したことがなかったのです。先生たちが国を愛するのは郷土から始めなければならないのです。ですから、郷土学校を通してかわいそうな人々を教育しなさいというのです。自分の血と肉が向学心に燃えるなら、郷土に帰ってきて徹夜しながら、村のかわいそうな人々を抱いて涙を流しなさいというのです。郷土の人々を教育しなさいというのです。

 それゆえ、郷土学校を中心にして、郷土学校圏内出身のすべての教授は、後援会に入らなければなりません。郷土学校の運営に参加しないなら、烙印を押して、今後、学校と社会から追放運動をしようと思います。郷土を考えることができないで、国を考えることができますか。孔子も「修身斉家治国平天下(注:自分の身を修め、家庭をととのえ、国家を治め、そうして最後に天下を平らかにすること)」と言いました。国を治めるためには、家を治めなければなりません。同様に国を愛するためには、故郷を愛さなければなりません。同じ理屈です。(一九八八・一・二)

3 郷土学校の運営計画

 いいですか。教授と学生が一つになれば、父母も完全に一つになります。完全に一つになります。さて、このように大学を中心にして一つになれば、その次には学校を中心にして、大学から高等学校、中学校、小学校まで、先生まで一世と二世が完全に一つになるのです。完全に連結するのです。そのような意味から、先生は郷土学校を始めたのです。分かりましたか。大学から民間全体を連結できる因縁をつくるために、郷土学校を始めたのです。

 郷土学校は超道的です。慶尚道だとか全羅道とかがないのです。咸鏡道、平安道がないのです。大韓民国の未来の指導者のために、新しい時代の指導者を養成するために、郷土学校を建てたのです。この郷土学校をつくって、今、約百箇所で出発したのです。八つの道の十大都市、十大地域を中心として中・高等学校を私が一つずつ引き取ろうと思います。そのようにしておいて、一つの道に一つの模範的な学校をつくり、そこの校長から教職員すべてが奉仕活動をできる思想をもって、その地方にいる勉強できなかった人々を教えるようにするのです。

 そうしながら、その道内にあるすべての中・高等学校を一括的に連結して、全国の百箇所に該当する基準を中心にして道内の中・高等学校に、夜間だとか、昼間だとか、夕方とか、午後だとかに、校長あるいは先生を動かして、中・高等学校内に郷土学校を連結させようと思います。そのようにして何をしようとするのでしょうか。一般学生と同じ学科を勉強しようというのです。

 正規の中・高等学校の学生は、六十点以上なら卒業して、みな大学に正式に入学できる資格が与えられ、国家試験を受験できる資格が与えられますが、我々のこの郷土学校で夜間に勉強したり、午後に勉強した学生は、同じ教師によって同じ教材で勉強して、八十点以上になったならば文教部で認定しなさいというのです。正式学科の通過を認定しなさいというのです。認定しないならデモでもするのです。何としてでもつくりあげなさいというのです。それは私が説得します。同じ学校、同じ教材を見て点数は正規の学生よりもいいのに、どうして郷土学校の学生は制約を受けなければならないのでしょうか。同じ勉強をしたのに、世の中にそのような道理があるでしょうか。このようにして乗り越えていくのです。このようにしておけば、どのようなことが起こるのかというと、愛国思想が新しく芽を出すのです。そのようにすれば、郷土学校の学生と正規学生との競争が起こるのです。

 郷土学校の学生はみな百点を採ろうと考えるでしょう。また、正規の学生は負けてはならないと考えるでしょう。そのような競争が起こると何が生まれるのかというと、愛国思想が生まれます。郷土学校の学生はなぜ、あのように一生懸命に勉強するようになるのかと考えるのです。先生たちの精神姿勢が違うというのです。犠牲、奉仕、愛国思想に燃えて教えるのです。正規学生を教える先生は、ご飯のために教えます。違うというのです。やめようというのです。革命の炎を提示してあげるのです。

 その次には、郷土学校のボランティア教師がみな、正規学校の教師試験を受けて彼らを追い出す運動をしようというのです。そのようにしてひっくり返してしまわなければなりません。そうしなくては、愛国心を植えてあげることはできません。全羅道の人は全羅道一色であり、慶尚道の人は慶尚道一色であり、忠清道の人は忠清道一色です。政治風土がいったい何ですか。大韓民国がずたずたになっても関係なくて、何が慶尚道、全羅道の争いですか。この闘いが職場で起こり、軍隊で起こり、教会で起こるのですが、それはあり得ないというのです。神様の愛はそうではありません。愛を中心にした、民族愛を中心にした超民族的な愛国運動の基盤をつくっておかなければならない責任があります。

 ここで、これをつくっておけば、すべて立ち上がります。若い青年たちから自分の母親、父親を中心にして、北韓の体制と同様の行政体制と、あらゆる体制に該当する体制を備えて、南韓を中心にして二重体制をつくって選挙に備えなければなりません。このような運動をしなければなりません。そのようにしなくては神様のみ旨をこの地上に広げることはできません。何のことか分かりますか。(はい)。(一六五―二一九)

 今までに百箇所で郷土学校を始めました。郷土学校を中心にして教授をすべて動員して、後援会を結成して、ここに加担させるのです。ここには毎日出席するのではありません。面を中心にして、我々の組織がすべてあるので、その組織された要員の名前を挙げて、我々の教会の人と「勝共連合」と、それから、名のある教授たちを来させて、すべて連結して教育をしようというのです。

 教授は本さえもてば速やかに従っていくというのです。「勝共連合」の支部長よりもそのような能力があります。統一教会の教会長、教域長よりも早く、今までの自分の専門的な学術基盤を中心にして、どのような文献でももっていってあげれば、それを一週間ならば一週間以内に講義することができるのです。本ならば専門的なのです。すべて骨子を抜き出して、その内容を中心にして自分が教育できる能力があるのです。

 それゆえ、本をもって教育しなければなりません。本をもって教育しなければならないのです。このようにして一週間なら一週間教育すれば、ここに考えがあって献身したい人は、本を見て研究するのです。試験を受けるのです。いつでも試験を受けて、そこから優秀な人を引き抜いて高い次元の教育をして、里単位の里長まで、統長まで、ここで再教育した人を配置しなければなりません。(一六五―二〇九)

4 これから郷土学校は大学に発展しなければならない

 今は郷土学校ですが、それがこれから大学になります。私がお金を稼いで何をするでしょうか。百箇所に郷土学校をつくったのはその考えからです。皆さん、後援会をつくって、理事会をつくっておきながら、改革がなぜできないでしょうか。二つの郡に一つずつなのにです。二つの郡に一つずつにすれば、教授を全部で二万五千人と見積もって、二百箇所なら何人ですか。百数十人ですか。二百二十箇所と見積もれば百人の教授がいるのです。彼らがしっかりと一つになって、組織を握れというのです。

 その次に、貧民街に共産党の地下スパイがたくさんいますが、このように、子供たちに大学の勉強をさせて基盤をつくっておけば、共産党がどこに残るというのでしょうか。(一九八七・七・二一)

 目標は北韓だけではありません。アジアに行こうというのです。満州に行き、中国まで連結してアジアに行こうというのです。そうしようとすれば、その青少年たちに中国語も教えてあげなければならないし、日本語ももちろん教えてあげるのです。ですから、郷土学校が必要なのです。分かりましたか。郷土学校の先生たちを中心にして、そのような訓練基地をつくろうと思います。郷土学校が今後、重要な役割を果たさなければなりません。郷土学校を今後、大学の二年、四年制まで拡大させて、大学基地とならなければならないと見るのです。(一六七―一二)

 郷土学校は、中・高等学校だけではありません。今や、義務教育は中学校はすべて成されていますが、高等学校だけつくりますか。専門大学、ひいては、単科大学もつくるのです。

 今後、遠からず、高等学校が義務教育になるでしょう。そのようになれば、郷土学校の出発が単科大学になるのです。目標はこのように決めたのです。ですから、教授を編成して郷土世界で教育活動させ、大学をつくらせるのです。(一九八六・九・二九)

5 郷土学校を通した南北統一運動

 地方の郷土学校の後援会に教授たちが配置されることによって、地方で小学校、中・高等学校の校長を中心にして、統一運動が本格化できるようになりました。地方には校長先生の弟子たちがたくさんいるはずです。教授はすべて友達でしょう。地方の有力者がみな友達なので、統一運動に寄与するところが大きいのです。また、郷土学校の背景を中心として、三百人の教授が後援してくれるといえば、二つの郡の三百部落がいっぺんに一つになるのです。教授をお迎えしている部落は、教授を自慢し、尊敬するようになるでしょう。「うちの部落で、一番尊敬する教授が我々に教えてくれている」と喜ぶはずです。今後、どのような選挙をするか考えてみなさい。これはどれほど大きな票田ですか。ですから、郷土学校にお互いに加担しようというようになるのです。

 そのようにして将来、南北統一のための国民教育をどのようにするのでしょうか。大学ではできません。郷土学校の後援会を中心にしてするしかありません。三百人という教授陣には、大学の総長がいなくても、学部長がいなくても、経済学博士がいなくても、彼ら教授が集まって、その地方の官公民のすべての者を一つにまとめることができなければなりません。その地方出身の国会議員が国会であらゆることを発言し、何の話をしたのかということを、赤色線の割合がどのくらいで、民主線の割合がどのくらいなのか、すべて統計で出して地方の人々に知らせることもできるのです。そのようになれば、国会議員の活動が国民のためのものになるのです。左傾した発言をする国会議員を呼んで、「いつから思想が変わったのか?」と問い詰めることもできるのです。我々の三百人の教授が拒絶すれば、国会議員が免責特権があったとしても、次期選挙に当選するのが難しくなるのです。我々の活動は与党でも野党でもない、超党的なものなのです。(一九八八・一・二)

 まず、ソウル大学、延世大学、高麗大学を一つにまとめて、十三の大学を中心にして、全国の大学が同門会を開くのです。ここで、全国の同門会の教授たちはみな超学校的になるのです。三百人の教授たちがみな、郷土学校の後援会になっているので、その圏内はソウル大学の教授をはじめとして、全国の百個の大学の教授がすべているのです。それゆえ、大学別に系列的な同門会をつくっておくのです。釜山大学ならば、釜山大学の教授と連結された同門会を編成するのです。すべて、全国の百個の大学を中心にして、地方支会といえる系列的な同門を一つにまとめて、教育しようというのです。

 郷土圏に在籍中の学生よりも、卒業者たちは、六、七倍から十数倍になるでしょう。それは、大学以上を卒業した人が七百人以上になるということです。一つの村に大学生が五人いたとすると、卒業生は五七、三十五(五×七=三十五)で三十五人が卒業生だというのです。大学の在学生の先輩だというのです。それゆえ、同門を一つにまとめて、「お前たちは後輩に責任をもて」と言うのです。後輩と会って理論闘争をしなさいというのです。

 共産党の連中が農村啓蒙を中心にして、意識化(左翼化)活動をしているではありませんか。ですから、彼らがみな農村の面・里に下ってくれば、同門会を召集して、何々大学が彼らの相手をしなさい、と任せるのです。「連れてきて私に報告しなさい」と言うのです。一つの村に大卒の出身者が五名なので、彼らを先頭に立てて、その地方の現地で共産党を撃破させるのです。何のことか分かりますか。そのような組織編成をするようになると、これ以上の組織はありません。最も早く、いつでも活動することができ、動くことができる我々の基盤はこの基盤です。

 郷土学校を中心にした「南北統一運動国民連合」の組織は、指導者も入っており、行政部署も入っており、そこに地方の有力者がすべて入っている、最高の理想的な組織なのです。この組織を中心にして、「金日成をたたきのめそう」と言えば、小学生から中・高校生まで参加するようになっています。この学生たちを中心にして統一運動基金の募金運動をするのです。小学校の先生を責任者に立てて班をつくって、「あなたは一カ月にいくら献金しますか」と、国民を対象に募金運動をするのです。国民連合が大学教授に、統一基金準備のための募金運動に責任をもってもらうのです。(一九八八・一・二)

 郷土学校というのは、郷土同士で団結させて、教授たちを通して郷土を復興させることをいうのです。そこには知識的な復興だけでなく、あらゆるものの開発運動が起こります。そのようにすれば、ごみになっていく若者がいなくなり、健全に導かれていくようになります。(一九八六・九・二九)

 ああ、郷土学校ですか。私が郷土学校を急ぐのはすべてこれをするためなのです。全国に二万五千名近い教授が散らばっていますが、すべて郷土にいるのです。その教授たちの名前が郷土学校ですべて挙がっているというのです。今後、このように郷土学校を中心にして基盤になっていれば、その基盤を中心にして教授たちがこれを全部動かすことができる活動、仲介的な役割を果たしてあげることができるというのです。名簿が全部つくられているからです。また、何ですか。「教学統連」でみな理事になっていて、後援会の組織ができているからです。そのようにして、みな地方を結束させるのです。結束する際には、教授を立てるのが最も早いのです。

 「勝共連合」よりも、現在、我々の郷土学校を中心にして教授たちが関係したその基盤を中心にして、この「国民連合」の代表たちを地方の郡組織から結束させ、できれば面まで結束させてもいいのです。面は三千三百面です。三千三百でしょう? その面にこのようにしておけば完全に組織されます。「勝共連合」と教会としっかりと組織しておけば、完全に掌握できるのです。(一六四―一七九)

 教育された人が入ってきて郷里を収拾するようになれば、南北統一時代を迎えて、北韓と戦って勝利できる基盤を準備することができるのです。ですから、郷土学校を全国に開設させたのです。このような事実を、皆さんは誰も知らなかったでしょう。最初に始める時は理解できなかったでしょうが、もはや、皆さんも共感するようになったでしょう。蕩減復帰歴史は、初めから教えてあげながら始めるのではありません。天運に従っていってみると、神様も協助してくださるようになって、そのような時期を迎えるようになるのです。

 ここにいる皆さんも、故郷に帰って郷土学校を運営したならば、神様が皆さんを協助し、また、摂理的な時を迎えることができるはずです。李博士も故郷に帰って、二世の教育と郷里の人たちにみ旨を伝えることに残った生涯を捧げたなら、それはどれほど素晴らしいことでしょうか。若かった時は、伝授をするといって他郷を歩き回られましたから、今からでも故郷に帰って、何かやりがいのあることをしなければならないのではないでしょうか。(一九八八・四・七)




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第四節 祝福家庭の婦人動員と南北統一運動

一.動員に関する預言

1 一、二、三次動員に関する意義

 一九六〇年代は、個人を代表した女性たちを前に立てて開拓する時でしたし、七〇年代は、家庭を代表した女性たちを前に立てて、家庭の行くべき道を蕩減復帰する時なのです。今後、残っているのは何でしょうか。宗族が行くべき蕩減の道ではなく、民族が行くべき蕩減の道が残っているのです。ですから皆さんは、今後、もう一度動員されなければなりません。その時は、皆さんだけが動員されるのではありません。夫と父母と息子、娘、全部が動員されなければならないのです。そのような一時が残っているということを皆さんは知らなければなりません。(三八―二七八)

 去る一九六〇年代に女性たちが先頭に立ったのは、個人の立場で先頭に立ったのです。(四〇―一〇一)

 統一教会は今、二回目の女性動員をしました。第一回目は、一九六〇年代に動員して第一線に立てました。先生は、その時も三年間女性たちが一線に立たなければならないという話をしましたね。(はい)。今回もまた、三年間動員されました。その次には、また三年間、女性たちを動員しなければなりません。ですから、九年の過程を苦労しなければならないというのです。それゆえ、皆さんは覚悟を新たにしなければなりません。(三八―四九)

 このような問題について考える時、女性たちの開拓路程には蘇生、長成、完成の三段階の路程があるということを知らなければなりません。

 それは、なぜでしょうか。神様は今まで六千年間、復帰摂理をされるときに、男性を中心に三度(復帰摂理を)してこられました。しかし、それは女性を解放させるためのものでした。このように、縦的な面で男性が蕩減してきたので、女性は横的な面で先頭に立って蕩減しなければなりません。縦的な蕩減を横的にしなければならないというのです。

 このようにして、三次の路程を通して、個人を復帰し、家庭を復帰し、氏族、民族、国家を復帰しなければならないのが神様の摂理です。それゆえ、国家復帰路程までは、女性が三次の開拓路程を経ていかなければ、蕩減原則の路程が完結しないのです。皆さんは、このことをはっきりと知らなければなりません。(三六―一五三)

 女性たちは国のために闘わなければなりません。皆さんは今、何のために闘っていますか。家庭のために闘っているでしょう? 統一教会の祝福を受けたならば、家庭のために闘うのではなく、アベルの国のために闘わなければなりません。大韓民国のために闘わなければなりません。そうして、蘇生女性作戦時代、長成女性作戦時代、そして、完成女性作戦時代、このように三段階を経なければなりません。これは、個人復帰完成と相対理念を完成して善を繁殖するためのものです。善の繁殖は国家基準がなくてはなりません。善の子女を繁殖できず、サタン世界を通過する国家がなければ、三代の女性復帰をすべき時代的使命が残されるようになるということを知らなければなりません。(三七―二六七)

2 南北統一のための三次動員に関する預言

 北韓で金日成を父と言いますね? (はい)。統一教会でも先生を父と言うでしょう? (はい)。父は父ですが、本当の父と偽物の父がいます。カインの父とアベルの父がいるというのです。一人はアダム型で、一人は天使長型なのです。では、天使長がアダムを追放できるように、その動機を誰がつくったのでしょうか。エバがつくりました。偽物の父が生まれたのは、女性のせいで生まれたということです。そうでしょう?

 ですから、女性を先頭に立てて復帰しなければならないのです。女性たち、大変ですか。原理がそうだというのです。それゆえ、我々が一九六〇年代に個人復帰の十字架路程の門を開いた時も、その門を女性が開いたのです。女性が十字架を先に負わなければならないのです。

 ですから、個人復帰の十字架路程で、一次として女性の先発隊が出動して、個人復帰の十字架路程を越えなければならないのです。その次に、二次として家庭復帰の十字架の蕩減時代に入るのです。家庭復帰の十字架路程の門を開く際にも、家庭の婦人たちが先頭に立たなければならないので、今回、家庭の婦人たちを動員したのです。分かりましたか。それでは三次は何でしょうか。国のために動員するのです。大韓民国を統一するために三十八度線上に立ち上がる時、南韓の数多くの家庭は先発隊として一線に出動しなければならないのです。(三七―八九、一九七〇・一二・二二)

 今や我々は、個人の立場から一段上がってきたので、家庭を中心として女性を一線に出動させるのです。今は、女性を中心にした家庭的な蕩減復帰時代です。分かりましたか。その次に、三次的に三十八度線を中心にして、女性がすべき国家的な蕩減復帰時代が残っています。それゆえ今後は、南韓にいる女性たちを軍人にして、人民軍に勝利しなければなりません。(三七―二六六、一九七〇・一二・二七)

 皆さんが今回動員されるのは第二次です。第三次の時は南北統一のために働くのです。既成教会が入ってくる時は、既成教会の女性たちを全体動員して、挙国的に南北統一のための責任を取る時が来るようになるのです。

 今日、家庭的な基準で少数の群れを動員するのは、ある面においては有利です。けれども今後、南北統一をする時代においては、国を挙げて動員されて働かなければなりません。必ずそのような時が来るでしょう。そのような時が来るようにしなければなりません。その時が来れば、皆さんを再び動員しなければなりません。そのようにしてこそ、国家を中心にして世界に乗り出すことができ、世界の女性圏に代身して、万民を指導できる天の女性圏を立てることのできる土台をつくるようになるのです。(三六―一五二、一九七〇・一一・二五)

 一九六〇年代は、若い女性たちが開拓をしました。七〇年代は、家庭の婦人たちが開拓をしなければなりません。七〇、八〇年代に入ってからは、大韓民国の女性たちがすべて一つになって(開拓)しなければなりません。そのようにして、人民軍を屈服させることは、統一教会の女性たちがしなければなりません。分かりましたか。国(南韓)が一つになろうものなら、女性二千五百万をすべて動員してでも、北韓の者を女性の行動ですべて変えてしまわなければならないのです。統一教会の思想だけがそのようなみ業を成すことができるのです。

 それゆえ、蘇生、長成、完成です。南北を統一するに際して、国家的な伝統を立てるに際して、世界的な伝統を立てるに際して、エバが先に堕落したので、女性がそのすべての世界的伝統を立てる際に貢献しなければなりません。

 今まで、縦的な歴史時代には男性がしてきました。しかし、横的な歴史時代においては、女性が開拓することによって、縦的な責任を果たしてきた男性の前に、女性が初めて相対として立つことができるというのです。分かりましたか。

 そうでなければ、女性が神様の前に何の功績があるといって、立つことができるのかというのです。今がそのような時なのです。ですから、統一教会の女性たちを動員したこの思想は、大韓民国の主婦たちが成すべき伝統的な思想として植えられるようになるのです。それゆえ、正しく植えなければ大変なことになるのです。分かりましたか。既成教会の婦人たちが動員されて、三千万民衆の婦人たちが動員されて、大統領からすべての長官の夫人たちが動員されて、国を救うために三十八度線をすべて守るという決意をして武装された軍事訓練さえ受ければ、北韓の共産党は問題ではありません。(婦人たちが北韓に)行ってから、くまなく探すのです。そうでしょう? 赤(共産主義者)は一人もいられないのです。(六二―二六二、一九七二・九・二五)

3 動員に関する鄭鑑録の預言

 いつだったか、食堂で昼御飯を食べ終わると、何の話が始まったのかというと、このごろ、鄭鑑録がどうした、こうした、と話をするのです。そこ(鄭鑑録)に四十年前に預言したことが、李博士(李承晩大統領)から何からすべてあるのですが、最後に何の話があったかというと、女性が働けば十倍の利益が出て、男性が働けば、ただ元値しか得ることができないというのです。(笑い)そのような話があるのです。これは、どんなに……。(それ以外の預言は)すべて当たりましたが、これが解けないのです。そのようにしていると、ある有名な大学の先生だったようですが、その人がやって来て、女性がみな、動員されなければならないという話をずっとしたというのです。(その話を)聞くと、今回、統一教会で動員命令を下したことを知って、「ああ! 今、解けた」と喜んだというのです。それはなぜでしょうか。今の時は、女性たちが働けば十倍の利益になるということなのです。私はそのことを知っているのです。

 鄭鑑録を学んだので知っているのではなく、天理を通してあらかじめ知っているのです。そのような時だというのです。ですから、動員しなければなりませんか、しなくてもいいですか。(一六六―二六四)




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二.復帰路程での女性の役割

1 女性の責任が大きい理由

 女性一人、すなわち、エバが堕落することによってどのようになったかというと、神様を追放しました。そうですね? その次には真の父母を追放しましたね? それから真の夫婦、真の子女を追放したでしょう? どんなにたくさん追放したのか考えなさいというのです。女性がどれくらいひどいか考えてください。その次には真の愛、真の家庭はもちろん、真の氏族、真の宗族、真の民族、真の国家、真の世界、天国、霊界まで、すべて追放しました。これは何段階ですか。十二段階でしょう? これらすべてを追放しました。

 女性にはこんなに罪がたくさんあります。それゆえ、女性が歴史上で称賛されるようになっていますか、死ぬような苦労をするようになっていますか。女性として生まれたのは罪が多いからです。これをすべて継ぎ当てしなければならないというのです。(三九―一〇七)

 女性が根本的な堕落をしたので、根本復帰をしなければなりません。ですから、女性が今まで受難の道を経てきたのです。僕の門を開き、養子の門を開き、息子、娘の門を開くために、歴史路程で受難の道を行ったのです。(二三―二八七)

 エバ一人が堕落することによって、神様と関係が断たれてしまい、父母の道が断たれ、親戚と氏族、息子、娘と妻の道が断たれてしまったのです。エバ一人が失ってしまったものをいっぺんに蕩減しようとするので、祝福家庭を先頭に立てるようになったのです。そうすることによって、神様が関心をもち、統一教会の先生が関心をもち、お母様が関心をもち、皆さんの親戚が関心をもち、皆さんの夫と息子、娘がみな、関心をもつようになるのです。このように統一された心情の一致点をもち得る時は、このような一時しかないので、これを解怨成就しようとするので、不可避的に、皆さんを先頭に立てざるを得ないということを知らなければなりません。(三八―二九一)

 女性は、堕落したエバは、二人の男性を滅ぼしました。左側では天使長を滅ぼし、右側ではアダムを滅ぼしたのです。そうでしょう? 女性たちの祖先であるエバがこのような罪を犯したのです。ですから皆さんが動員されて、歴史的伝統を根本的に破綻させたエバの恨みを解いてあげなければならないのです。(四三―二六六)

 今日、統一教会で祝福した女性を一線に立てるのは、エバが天に代わって全体的責任を負うために先頭に立つということを意味するのです。エバによってアダムと天使長が怨恨を抱いたものを、復帰歴史過程において、再び一人の女性を中心にして、解いてあげて初めて完全に復帰されるのです。(四〇―二〇九)

 女性が堕落することによって、四位基台をすべて失ってしまったので、女性一人を中心にして失ってしまったものをすべて復帰しなければならないのです。天使長を夫として対するそのような事件が起こったので、今後、天の側の男性、本然の男性に侍る立場でこれを消してしまわなければなりません。これが家庭として越えるべき家庭的蕩減期間であることを皆さんは知らなければなりません。

 このように、とてつもない使命を負った皆さんであることを知って、先生と一体となった立場で精誠を捧げなければなりません。分かりましたか。(四三―二六七)

2 イエス様と女性と動員

 今、皆さんはどのような立場にいるのでしょうか。皆さんは、イエス様の時代に責任を果たせなかったものを代わって蕩減復帰しなければならない立場です。イエス様の時代を中心にして見れば、皆さん(女性)はイエス様の姉であり、妹の立場と同じなのです。分かりましたか。そうだというのです。

 イエス様が死んだのは、女性が過ったからです。事実がそうでしょう? マリヤがイエス様の新婦を見つけてあげなければならない責任を果たせなかったというのです。マリヤだけでも責任を果たしたならば、ヨセフは死のうが生きようがほっておいて、イエス様に腹中から大方三年ぐらいだけでもしっかりと侍ったならば、問題は違ったはずです。ですから、女性たちは第一に母親の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任を果たせませんでした。このような三つの責任を果たせなかったのです。

 イエス様が、サマリヤの女性に話したのは何のためでしょうか。サマリヤの女性を僕とみなして、そのようにしたのです。母親を失い、新婦を見つけることができず、僕であるサマリヤの女性のところに行って、水が欲しいと言ったのです。その女性はサマリヤ人ですから、僕ではないですか。僕の中でも、ぼろ切れのような下女だというのです。しかし、この僕も責任を果たせなかったのです。

 そのような女性でもイエス様のみ言を聞いて、この道だけが自分の生きるべき道だと思いながら、荷物をまとめてイエス様に従ったなら、どのようになっていたでしょうか。マグダラのマリヤよりも素晴らしかったのではないかというのです。皆さん、それを考えてみましたか。そのようにしたならば、そのサマリヤの女性は、マルタやマリヤ以上の立場に立つようになったはずです。

 そのような観点から見る時、イエス様が死ぬようになったのは女性のせいです。その女性は母親、娘、僕という三段階の女性です。堕落したアダムを中心にして見れば、アダムの妻は、はした女(下女)です。エバが堕落して僕になったのです。そのような僕の体を借りて、イエス様は生まれたのです。(三八―六七)

 イエス様がなぜ死んだのかといえば、十二使徒が完全に動員できなかったからであり、七十門徒、百二十門徒もまた完全に動員できなかったからです。イエス様の弟子たちは一度も完全な動員をできませんでした。いつも、イエス様と一体的な行動ができなかったので滅びたのです。

 このように見る時、我々統一教会の祝福家庭は、自分は満足に果たした何ものもなく生命を頂いたので、統一教会と運命を共にするために、いつも先生と一体的な行動ができる圏内に立たなければならないのです。それで、動員される際に誰が中心かといえば、婦人たちです。ですから、祝福を受けた家庭の妻たちをすべて動員させたのです。(四四―二九四)

3 終末における女性の立場

 終末には男性が問題ではなく、女性が問題なのです。女性が問題です。滅びるか、栄えるかの際には常に女性がいて、そのような驚くべきことが生じます。そうでしょう? 本当に滅びる時には、女性がいたのです。今、世の中もそうではありませんか。全部、女性によって滅びるのです。どの国も女性で左右されるのです。

 皆さん、「エバ〔ヘワ〕」という言葉は「復帰の仕事を果たし〔ヘ〕て帰ってきなさい〔ワ〕」という意味です。(笑い)分かりましたか。アダムは「あ〔ア〕! 塀〔ダム〕ができた」と言うので、アダムというのです。乗り越えなければなりません。頭が割れて、ズボンの裾が破れても乗り越えなければならないのです。そのように考えれば、くたびれないはずです。男性が行く道には塀があるのでアダムと言いましたが、そのことを考えたならば堕落もしなかったはずだというのです。(五五―二三〇)

 終末には、女性を中心にして主に役事されます。それは女性が先に堕落したという原因もあるでしょうが、女性は堕落した地上を象徴するからです。

 統一教会が現れる前に、縦的な摂理を横的に蕩減するための役事がなければなりませんでした。主が現れる四十余年前から、新郎を迎える新婦の役事が女性を中心にして現れなければなりませんでした。そこに対応して男性も役事して、一つの決定的な中心を立てなければなりませんでした。これらすべてが三段階を通して現れます。

 ヤハウェの夫人という女性が現れて、初めて復帰歴史を成し遂げることができます。しかし、当事者は分かりません。その女性が蕩減復帰歴史をする際に、三分の二は神様の役事を、三分の一はサタンの役事をします。これを分別しなければなりません。これは純然と、知恵と忠孝の心、真理を追究する心で処理しなければなりません。(一七―三四八)

4 祝福は国のためのもの

 統一教会において、結婚の目的はどこにあるでしょうか。結婚は何のためにするのでしょうか。国のためにするのです。(七五―二八四)

 現在、我々が置かれている立場が、どれくらい重大なものかということを知らなければなりません。天が苦労されながら今まで来たのは、家庭を求めるためであったし、そのために統一家の家庭をつくったので、この家庭が行くべき道は、国を求めるための歩みであることを知らなければなりません。分かりましたか。(はい)。このことのために、三千里津々浦々に旗を立てて募兵運動をする期間が、我々の三年伝道期間であることを知らなければなりません。(五〇―二五三)

 祝福を受けた家庭は、今後、国家に責任をもって進まなければなりません。個人の願いは家庭であり、家庭の願いは国家だということを知らなければなりません。

 国を求めるためには、自分の夫も、自分の妻も、自分の子供も犠牲にしなければなりません。祝福家庭は国を愛する心が自分の子供を愛するよりも、夫を愛するよりも、妻を愛するよりもより大きくなければなりません。劣ってはならないのです。それは分かりますね? あなた方の子供ばかりが大事だと考えていてはならないのです。もし国がなくなれば、サタンがその子をほうり出してしまうかもしれないというのです。(五四―二二六)

 事情を超えて同情するのもいいです。けれども、国が栄えてこそ、同情ができるのです。分かりましたか。国が滅びるかもしれない立場に立っているのに、私が皆さんをどれくらい幸せに暮らせるようにできるというのでしょうか。(六九―二三〇)

 我々統一教会の信者をじっくりと見れば、とても平安ですね。しかし、そのようになってはいないというのです。来られる主と共に、個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に歩調を合わせて、世界へと行くことのできる道を開拓しなければならないのです。それがイエス様当時の行くべき道ではなかったでしょうか! 統一教会に入ってきた皆さんもそうです。教会を愛さなければならないのです。どれくらい愛さなければならないでしょうか。イエス様の親戚とイエス様の一門以上に愛さなければなりません。分かりましたか、何の話か。そのようにしなくては天国に行けないのです。

 この教会が、自分の思いを遂げるためにあると考えてはならないのです。この教会は国を救うためにあるのです。統一教会のために皆さんを伝道に送るのでは絶対にありません。国のために伝道に送るのです。国が神様のみ旨の前に立てば、その時は国を救おうとするのではなく、世界を救うために行かなければならないのです。世界のために犠牲になる国を求めようとするのです。皆さんがそのことを知らなければなりません。(五〇―七六)

 夫婦同士楽しく生きるのもいいですが、その中心思想は何にならなければならないでしょうか。国のために……。自分がよく食べて幸せに暮らすからといって、喜ぶことはできません。国が喜ぶことのできるその日を迎える前に我々が喜んだとしても、その喜びはサタンに審判され得る喜びなのです。そのうれしいことが、かえって神様の前に恨みになるかもしれず、歴史的過程において嘆息の条件として残るかもしれないのであって、うれしく、幸福で楽しいものにはならないのです。国を求めてから、神様が保護されるその国の中で、その家庭と、その氏族と、その民族が一遍に喜ぶことができなければなりません。個人が喜び、家庭が喜び、氏族が喜び、民族が喜び、国家が喜ぶ、一時にすべて、平面的に喜べる圏を備えるその場が地上の天国となるのです。そのことを知らなければなりません。その時まで、我々は休もうとしても休むことができず、喜ぼうとしても喜ぶことができないのです。喜んだとしても、国を求めることができなければサタンに迫害を受けるのであり、犠牲を被るのです。(五六―二八二)

5 韓国女性が苦労した理由

 人間は堕落することにより何を失ってしまったのでしょうか。父親の真の愛を受けることができませんでした。受けましたか。(受けることができませんでした)。それから、夫の真の愛を受けることができませんでした。その次には何ですか。(兄の真の愛を……)。兄の真の愛を受けることができませんでした。これを誰が壊したのでしょうか。誰がそれを壊すきっかけとなったのでしょうか。この女性たちです。エバがそうだったのです、エバが。それゆえ、女性は歴史過程でそれを取り戻すまで、とても苦労しなければならないのです。女性が涙を流す時には、すべて愛の蹂躙を受けて流さなければならないのです。蕩減しなければなりません。愛の蕩減をしなければなりません。女性の涙は何だったのかといえば、愛の行き違いから流れ出るのが女性の涙である、となっているのです。

 それゆえ、女性が惨めに涙をぼろぼろと流して生きる民族があれば、その民族を通じて主が来られる可能性が高いのです。女性たちが、数多くの男性に蹂躙された歴史をもつ民族を通して、主が来られる可能性が高いのです。(五一―一七六)

 世界的によく見れば、女性たちがぶらぶらと出掛けるのではなく、ただ純朴で家にじっとしているにもかかわらず、男性たちが塀を越えて入ってきて蹂躙するのです。そのような民族、女性たちがそのように蹂躙される悲惨な歴史をもった民族があったなら、主はその民族の中に来られるのです。

 こびへつらっていくような女性はサタン側の女性です。では、韓国女性はどうでしょうか。ひたすら家の中に閉じこもっていても、今まで数多くの男性に蹂躙されてきました。女性が蹂躙されたことでは、おそらく韓国が世界的な代表のはずです。嫁が息子、娘を三人も生んだのに、部屋に入ってきてご飯を食べられなくする姑を私は見ました。息子、娘を三人も生んで、その息子、娘が大きくなったにもかかわらず、その嫁はかまどでご飯を食べるというのです。ひたすら苦労ばかりするのです。下人暮らしをするのです。その家に嫁に行った日から、舅、姑に対して下人暮らし、夫や夫の弟に対して下人暮らし、小姑に対して下人暮らしをするというのです。また、そのように下人暮らしをしているのに、黙ってほっておきますか。よかろうが、悪かろうが、いろいろと言うのです。少しばかりきれいな服を着れば、きれいに着たと言ってけちをつけ、少しきれいにしていなければ、きれいにしていないと言ってけちをつけ、美人ならば美人だと言ってけちをつけます。そのようにうんざりする下人暮らしを、お嫁に行った日から始めるのです。そのような面では、韓国の女性が世界の代表でしょう。

 それでは、なぜそうでなければならないのでしょうか。その主人たちはすべて、サタン世界の天使長の一門であり、エバたちは、将来主人たちが行くべき道を探さなければならない人なのです。つまり一時、捕まえてお使いをさせる妻なので、そのようにせざるを得ないというのです。それが正しいというのです。ですから、ひどく苦労をさせるのです。

 霊界に行っても、「世界的に苦労をたくさんした女性像」と言えば、韓国の女性が代表なのです。そのような事実は一面では悪いですが、ある時になれば……。日照りの時には一番深い谷から水が出るのです。深い谷には、日照りの時にも水があるのです。

 そのような意味で、韓国の女性たちが霊界に行けば、「苦労を一番たくさんした」と……。それでは、それは不幸なことですか。不幸なことのようですが?(幸福なことです)。なぜですか。同情し、同じ人間の中で助けの手を伸ばそうとすれば、真っ裸になって血を流し、むちを受けて死んだ人から助けてあげなければならないではないですか。順序がそうだというのです。古い服でも、(服を)着た人はあとだというのです。服を着替えさせるときも、けがをして服を着られなかった人を一番最初に、一番良い服に着替えさせて、良い服を着ていた人は、一番あとにしなければならないのです。気の毒でも、びりになるのです。ですから聖書で、先の者が先になり、あとの者があとになる、と言いましたか。先の者が?(あとになり)、あとの者が(先になる)。また、高くなろうとする者は?(低くなり)、低くなろうとする者は?(高くなり)、高くなると言いました。「生きんとする者は生き、死なんとする者は死なん」と言いましたか。反対に、「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」と言うのです。そのようになっているのです。ですから、私が「死になさい」と言うのです。そのような師が素晴らしい師だというのです。気分が悪いでしょう? そのようになるのです。(五一―一七七)

 男性は女性が必要であり、女性は男性が必要ですが、なぜ最初に出発する時に、同等な権利と位置をもって出発できなかったのでしょうか。それは、アダムを創造したあとにエバを創造した天地(の)法度があったからです。ですから、アダムが完成する前にエバはこの地上で、一人で行ってはならないのです。女性が天理をひっくり返して男性までだめにさせたので、男性が解怨成就して女性を救ってあげる時まで、女性が自分の立場を抜け出しては大変なことが起こります。

 では、歴史に照らして見るとき、どのような国家が一番福を受けられる国家でしょうか。女性が無慈悲に搾取され、凄惨な苦痛を受けた歴史をもつ国の中に、神様が愛のみ手を伸ばすことができるのです。そのような国が大韓民国だというのです。男性より女性が冷遇され、この上もなくかわいそうな境地に至る立場にまで行って初めて、十分に世界を代表することができるといえるのです。ですから、女性が一番悲惨で冷遇される民族を通して、人々は再びつくり出されなければなりません。

 再びつくり出されるときには、雑巾の切れ端のように、すべて破れ、最後の時局になってこそ、再びつくることができるのです。ですから、女性がこりごりするほど苦労する歴史の背景をもった国家から、再創造歴史は始まるのです。そのような側面から、大韓民国は主が来ることのできる基盤になっていると見ることができます。

 今まで韓国女性が苦労をしましたか、しなかったですか。赤ちゃんを産むために女性が苦労をしますか、しませんか。子供が冷遇されなければ、自分が誰かに冷遇されなければなりません。そのようにできなければ、神様が冷遇することによって、その人を蕩減しようとなされます。

 韓国女性はかわいそうなようですが、このような面から見ればそうではありません。ですから私は、統一教会の教会員をもう少し苦労させなければならないと考えます。皆さん、嫌ですか、かまいませんか?(かまいません)。それゆえ、統一教会では今まで女性が先頭に立って闘ってきたのです。(二一―一九八)

6 女性の特長

 女性に生まれた人の中で、「なぜ私は女性に生まれたのだろうか。男性に生まれたなら良かった」と言う人もいるでしょう。では、男性はどうでしょうか。「ああ、私は女性に生まれていたら良かったものを……」と、このように思う男性もいるかもしれないというのです。どうだと思いますか。女性が男性として生まれたなら良かったという人が多いと思いますか、男性が女性として生まれたなら良かったという人が多いと思いますか?(笑い)(九八―二六三)

 女性として生まれたなら、どんなに祈祷をし、どんなに地面を転がっても男性になることはできません。(笑い)また、「私はなにがしの息子ではない。父親のいない人間だ」といくら言っても、それは変更できません。それは、大宇宙の原則に属することなので、人間の力で変更できません。(一六五―六〇)

 女性が重要なのです。女性がなぜ幸福でしょうか。女性の体を通して、神様が愛することができる人を育て上げられるからです。分かりますか。女性の体を通さなくては、男性でも女性でも現れる道がないではありませんか。分かりますか。神様の願いがいくら大きいといっても、女性がいなくなれば世界まで連結され得る人が生まれるでしょうか。それは不可能なので、男性だけいてもだめであり、女性だけいてもだめです。女性がいることによって、息子、娘が懐胎される、その瞬間から完全に関係を結ぶのです。関係を結んで、その赤ちゃんが生まれる時まで母親の血肉を、母親の骨肉をもらって大きくなるのです。

 それゆえ、愛する息子、愛する娘というのは、この上なく貴いものです。分かりましたか。天地の、この上なく貴い宝物です。それはお金を与えても買うことができず、世界を与えても換えられない宝物です。神様もそうであり、母親、父親にとってもそうだというのです。息子、娘を換えることができますか。

 それを、誰が自分の血肉を分け与えながら懐の中に抱き、保護しながら、このように一つの価値的な存在として生まれさせるのでしょうか。母親のおなかを借りて生まれるのです。父親はただ種を蒔くのです、種を。夫は種を蒔いてあげるのです。違いますか。ですから、この世界に生きるすべての人々は、母親の功を通じて生まれたのです。そのような意味から見るとき、苦労のようですが、情緒的世界では男性は女性のその情緒世界、母親の深い愛の谷に入ることはできないのです。及ばないというのです。いくら説明しても及ばないのです

 我々統一教会が初めて、人間世界に現れて女性の価値を分かってあげるのです。先生がたった今言ったように、女性がどれほど貴いかというのです。言い換えれば、息子を生むのは神様のプラスの性稟を生むことであり、娘を生むのは神様のマイナスの性稟を生むことです。それでは、「私」という人間はどのような人間でしょうか。神様のような人間だということです。神様のような場所に……。神様の体から二人が現れたでしょう? これと同じです。神様と同じ立場の心情圏の場所に立てるのが女性だというのです。それゆえ復帰の世界において、神様の相対的立場に立てる心情的基準は、女性が先にできるのです。

 堕落したので、女性が一番悲惨な場所に立ったのです。分かりますか。福を誰よりも多く受けなければならない立場なのに、悲惨な場所に立ったというのです。(一六五―一〇四)

 どんなに統一教会の文先生が愚かだからといって、女性を先頭に立てて働かせるでしょうか。男性を立ててするべきなのに、女性を立てて何をしようというのか、と陰で言われているのはすべて知っています。けれども、女性がいなければ子供を生めないのです。皆さんは出掛けて、三千万の民族をお産するための力を与えなければなりません。皆さんがお産で喚声を叫べば、新しい大韓の寵児が生まれるのです。(三六―一九三)

 女性は、男性が背負えない荷物を背負わなければなりませんか、男性が背負っても余り、(手で)もっていくものを背負わなければならないでしょうか?(男性が背負えない荷物です)。(笑い)女性たち、では男性がすることを、何でもしますか、男性がする以上にしますか?(男性よりもっとします)。何が、「もっとします」ですか。では、走る時も男性より見事に走れますか?(はい!)。相撲やボクシングをする時にも男性よりも上手ですか?(はい)。(笑い)どうやって上手にできるというのですか?「負けるには負けるが、男性が一日するというなら、私は十年間つかんで放さない」と、こうでなければなりません。(笑い)

 それは、ヤコブの蕩減復帰の方法を学ぶと、そうだというのです。分かりますか、何の話か。男性に勝ちますか?(はい)。男性はですね、朝寝坊です。それゆえ、男性が寝ても、「私」は寝ないのです。男性がおなかが裂けるくらいに食べても、「私」は少なく食べるのです。男性がひたすら何か遊び、楽しんでも、「私」は遊ばないのです。それは勝つのです。たくさん食べてたくさん寝るからといって、勝つのではないのです。勝つのは、少なく食べて少し寝るのが勝つのです。反対だというのです。そうでしょう?(はい)。そうなのです。

 その次に、もう一つの勝つ方法はですね、女性は赤ちゃんを産めるということです。(九八―一一〇)

 女性は、情緒的な面において、一般的に男性よりも深く高いのです。それゆえ、四方を整えて(注:原理に適うように論理的に)精誠を捧げれば、涙を流すにしても、男性が一度泣く時に女性は三度は泣くでしょう。(四三―三四一)

 統一教会の女性が一番強いというのです。男性よりも強いというのです。「神様よりも強い。先生よりも強い」と、こうでなければならないのです。私はそのような知らせが好きなのです。(笑い)そうでなければ、また堕落してしまうのです。そのようになれますか。(はい)。それでは、男性は何をしますか。赤ちゃんは女性が産みますか、男性が産みますか。(笑い)歌を歌うとき、女性がふっと思い浮かびますか、男性が思い浮かびますか。女性の歌声が高いですか、男性の歌声が高いですか。(女性です)。男性はベースなので低い声しか出ないのです。笑う時にも、ありとあらゆる現象が多いのが女性です。「ヘヘヘ」、「ホホホ」と言いますが、男性は「ハハハ」、一つしかないのです。

 さてそれでは、神様は単純な神様ですか、多様な神様ですか。(多様な神様です)。何かあげたときにも、男性が喜ぶのはただ、「うれしいです」の一言ですが、女性は無性に、口から目からピカピカピカと……。(笑い)ですから、誰が豊かで多様ですか。そのような意味では、春の遊びも誰が先にしたいのですか。男性は鈍くて春がよく分からないのです。鋭敏なのは女性です。春になりさえすれば、いつの間にか外に出たがるのです。(笑い)(八六―三三三)

7 人民軍をたたきのめすのは女性

 女性がサタンの誘惑を受けたので、復帰の原則において人民部隊に責任をもつのは女性です。もちろん、男性も合同して闘いますが、最後に行って女性が勝ったという場所に立たなければなりません。何の話か分かりますか。もし、人民軍と闘って南韓が勝って降伏させるならば、その降伏は男性がさせるのではなく、女性がさせなければなりません。

 ですから、女性がしなければならないことが何かという問題を見た時、今日、統一教会の女性が最後の前線を引き受けなければならないというのです。(あまりのことに)あきれるような話でしょう。世界の多くの国の中で、立派な国はどこかへ行き、立派な教会はすべてどこかへ行き、優秀だという教会の責任者はみなどこかに行き、あちこちに追われてはなはだ愚かな者が世界に責任をもって立つようになったので……。よいことですか。(あまりのことに)あきれるようなことですか。(あきれるようなことです)。あきれるようなことであると同時に、よいことでもあるというのです。(笑い)皆さんが見事にやり抜きさえすれば、それこそ、あきれるほどよいことです。分かりますか。もし、我々がこれを甘受してやり遂げたならば、世界は我々によって尻尾を捕まえられるのです。

 雁が飛んでいくのを見れば、初めはお互いに一等になろうと、キーキーと鳴きながら第一隊長を立て、場所をしっかりと取って行く時には、「天下は我々の行列を見習うだろう」と思って飛ぶでしょう? それと同じだというのです。お互いが隊長だといって、今、大騒ぎしているのです。そのような時が来たのです。(五五―二二〇)

 統一教会の女性が、北韓の人民軍隊の男性をたたきのめすことができなければ、天国は築き上げられません。思想的にそうでなければならないというのです。したがって、統一教会の女性は人民軍を生きたままのみ込んでしまうことができるくらいに、がむしゃらで、ものすごくなければならないのです。これが恐ろしいという女性は、初めから統一教会を信じてはならないというのです。私は率直に話しますが、そのようにならなければならないのです。

 なぜ、そのようにしなければならないのかというと、誰によって人間が堕落するようになりましたか。天使長を誰が引き入れましたか。エバが引き入れました。それでは、世界的天使長の立場にいるのは誰ですか。(共産党です)。共産党です。これは女性によって入ってきた最高の怪物なので、最高の怪物たる女性が最高の怪物たる男性をのみ込んでしまわなければなりません。最高の怪物たる女性は、善の側に立った女性であればよいのです。ですから、統一教会では最高の怪物たる女性をつくって、サタンである共産党をのみ込んでしまうことができる思想によって、武装するように準備するのです。今が訓練過程だというのです。分かりますか。(三八―二七九)

 女性を前に立てて人民軍を征服するというのが先生の決心です。男性の人民軍を、女性を前に立ててたたきのめすというのです。これが先生の主張です。一度やるつもりです。そのようにすれば、犠牲がどれくらいになるでしょうか。三倍以上、犠牲になるでしょう。しかし、大韓民国の女性三人だけを残して、あとはすべて死んだとしてもしなければなりません。分かりますか。(四四―三四六)

 今まで、女性を訓練して闘わせた所は共産圏しかないのです。その次に、ユダヤの国と韓国です。韓国は女性が出て闘ったのです。そのほかに女性が戦場に出て闘いましたか。歴史的にそのようなことがないのですが、女性たちは出て闘うことができますか。(はい)。何をもってですか。お尻の柔らかい所で闘いますか。胸で闘いますか。(笑い)何で闘いますか。愛の怨讐をもったということ、それでもって闘わなければならないというのです。(九八―二五)

 今後、女性をみな総動員し、軍事訓練をさせて女性の軍隊をつくります。統一教会の女性は女性の軍隊になるのです。討伐作戦で先頭に出て、白馬部隊以上に、猛虎部隊以上に、青竜部隊以上に、北韓の共産党をたたきのめさなければなりません。その時、男性は見学でもして応援します。(笑い)そのようにしなければならないではないですか。今まで世界を籠絡してきたサタンである天使長に、勝たなければなりません。皆さんはもはや天使長の一門ではありません。エバが神様の命令に背いて怨恨の基盤をつくってしまったので、女性の手で、女性の精誠によって、女性の力によって、その怨恨の基盤をなくしてしまわなければなりません。そのようにするために出発しなければならないのです。女性がこれをしなければならないのが鉄則なので、女性解放は、この怨恨の基盤をなくす前には根本的にできないのです。(二七―一八二)

 皆さんは映画で見たでしょうが、北韓の女性は大砲を撃ち、戦車を運転する訓練もしています。今回、修練所でもその映画を上映したでしょう? 彼らは南韓侵略のために重武器を扱いながら一致団結して動いているのに、我々はそのような北韓を押し出すために一致団結していますか。

 先生は、今から皆さんにナイロンにゴム紐を入れて作ったもんぺを履かせようと思います。ゴム紐を入れて作った服なので、体格の大きい人も小さい人もすべてに合うでしょう。この服を着てでも、国を復帰するために闘わなければなりません。どのようなことでも、しなければならないというのです。(三四―六八)

 皆さんが知らなければならないのは、天の世界の人たちがサタン世界である共産党と闘う時に、女性が出て闘って彼らを倒さなければならないということです。元来、女性がサタンを引き入れたので、女性が出てサタンを殴り倒さなければならないのです。我々のみ旨の中でも今後、国を求め、世界を求めようとすれば、女性の軍隊をもって共産軍をなくしてしまわなければなりません。男性は砲弾を運んであげるお手伝いだというのです。このことを知らなければなりません。女性が共産党をたたきのめさなければ天国を築くことはできません。(五四―二三〇)

 今後、復帰摂理歴史において人民軍の力がいくら強かったとしても、天の側のエバは彼らを屈服させなければなりません。天の側のエバは共産世界の人民軍をすべて処理して、料理できなければなりません。

 統一教会は、今後何をするのでしょうか。人民軍を始末することに統一教会の女性を動員するのです。女性の軍隊として出て、人民軍をすべて始末して余りあるようでなければなりません。それゆえ今後、女性を使う時が来るのです。原理を置いて見た時、そうしなければなりませんか、そうしなくてもいいですか。エデンの園でエバがサタンに屈服した怨恨がありますか、ありませんか。(あります)。ですから、行って蕩減復帰しなければならないのです。(二三―二九八)

 統一教会の女性は、人民軍と闘って勝てなくては天使長と同じサタン世界の男性に対して、天国のエバが売られていった怨恨を解くことができないということを知らなければなりません。この悪玉の頭を代表した男性の人民軍を、統一家の女性が中心になって完全になくしてしまうという信念と思想によって武装し、立ち上がろうものなら、悪なる怨讐の男性たちが滅び崩れいくのを見て、男性はリズムに合わせて踊りながら喜ぶようになるのです。これが統一思想の帰結点です。分かりますか。(はい)。女性が三十八度線を担わなければならないのです。分かりました。(はい)。

 もう少ししたら、私が女性たちを訓練するつもりです。その時は私が隊長になるのです。死の境地でも怨讐がいる敵陣に向かって、その本陣に向かって直行していくことができる新しい歴史的な白十字軍を編成し、傾いていく世界の夕暮れの道を真っ昼間へと、朝へと引き上げることができる勇気と気迫をもった群れが、統一思想をもった女性たちだということをはっきりと知らなければなりません。(五〇―一七七)

 私たちがもし軍隊ならば、出ていって闘う時、誰を先に送り出すかといえば、女性を先に送り出さなければならないのです。これは歓迎ですか。(はい)。そのようにして、何をするのですか。世界の悪辣なサタンと、一番悪辣な共産党と闘うのです。

 いいですか。ソ連だけでも二百七十万の軍隊があり、中共だけでもそのようになっているのに、この膨大な軍人たちが総攻撃をすれば……。統一教会の女性は何名になりますか。これは「パンパンパンパン」という大砲の音にもみな逃げていくのです。(行きません)。何が、「行きません」ですか。逃げていきませんか。(はい)。それを信じることができますか。(はい)。

 サタンは堕落した天使長なので、本来、エバに操られなければならないのです。女性がすべて消化してしまわなければなりません。ですから今、皆さんが一度闘って……。今後、このことも覚悟しなければならないのです。(八一―三六)

 今から統一教会の女性は、スパイが現れればスパイを捕まえる捜索作業に参加しなければなりません。捜索機動隊を組織して先発隊として出ていって、我々がスパイたちと闘わなければなりません。そのようにしますか。(二一―一九八)

 共産党がなぜ女性の軍隊をつくっているのか分かりますか。これは今後、女性が共産勢力を殲滅していかなければならないということを、前もって見せてくれるものです。さあ、それでは統一教会の婦人たち、女性の軍隊に同参しようという人は手を挙げてください。同参しますか、しませんか。そのようにしなければ滅びるのです。滅びますか、栄えますか。滅びようという人は手を挙げてください。みな、栄えようというのですか。どこでですか。今後は、このことを女性がしなければならないのです。女性はいずれにしても、この道を行かなければならないのです。(三七―二六八)

 女性も軍隊訓練をさせなければならないというのです。まず国の危機を克服してから、家庭があるというのです。それ以前には何もないのです。そうではありませんか?

 皆さん、国がなければどうなりますか。皆さん、ベトナムの娘が涙を流しながら宣誓するのを見たはずです。それは悲惨なものです。妻子は死んでも、後孫はそれでもここで生きられる道があるでしょうが、国を失ってしまえば統一教会の我々の子供たちは、この地で生きることができるでしょうか。全部地下に入らなければなりません。(七九―六〇)

 この三千里半島の上で生きる女性に、民族と国の運命をかけて蕩減の祭物路程を行かなければならない時が来ます。分かりますか。人民軍は天使長世界の軍隊でしょう? サタン世界の軍隊でしょう? サタン世界で軍隊をつくるようになったのは誰の過ちのせいですか。女性が過ったからです。それゆえ、南韓にいる女性が挙国的に団結して、サタン世界の男性の人民軍をすべてたたきのめさなければなりません。そうしなければ韓国の解放はやって来ません。これは唖然とすることです。

 何ゆえ、サタン世界の彼らがそのようにつくっておいたのでしょうか。それは大韓民国が過り、既成教会が過ったので、このような姿、このようなありさまになったのです。けれども、今から我々の行くべき道は公式として出ています。

 その道を行こうとすれば、家庭の主婦の皆さんが今後、民族の新しい基準を立てなければなりません。そうしようとすれば、統一思想をもって出征しなければなりません。女性の軍隊にならなければならないのです。今までは男性だけ出征したのであって、女性が出征したことがありますか。女性は国を滅ぼし、世界を滅ぼしたのであって、いつ女性が国の解放のために出征しただろうかというのです。男性はサタン世界において解放軍でしたが、女性は国を求めるために先頭に立ったことはありませんでした。

 ところが今になって、先生の恩恵によって女性が国を求める際に、旗手となることのできる特権的恵沢を受けられるようになりました。このことを有り難く思わなければなりません。そのようになり得る時は一時しかありません。この時期が過ぎれば、そのようになり得る時はありません。ですから皆さんは、他のことは考えないようにしなさい。(三九―一〇八)

 外的な世界は男性が引っ張っていきますが、内的な心情世界は女性が引っ張っていかなければなりません。男性が屈服し得る基準を立てることによって、外的な経済復興が内的な精神復興の因縁に引っ張られるようになります。このようになる時、北進統一の理念は成就されるのであり、神様は北韓に対して新しい対策をとって、我々の行くべき道を必ず準備してくださるはずです。このことをすべて知っているので、このようなことをしなければならないとお願いするのです。ですから、南北韓を統一する際には、女性の手を借りなければならないのです。分かりましたか。(はい)。(四三―一七七)




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南北統一_7-4-3

神様の摂理から見た
  南北統一

(全面表示) 

三.二次動員の役事

1 二次動員の意義

 今は第二次開拓路程です。ですから、家庭を中心にして進むのです。今が重要な時です。いつも二番目が問題となるのです。ここで皆さんは国をより多く愛するのか、家庭をより多く愛するのか、という試験台に上がるのです。自分の子供や夫をより多く愛するのか、み旨をもっと愛するのかという試験台に上がるのです。

 人間は、自分に近い立場を愛したので堕落したのです。自分を敬おうとしたので堕落したのです。国を敬い、み旨を敬う立場に立ったなら堕落しなかったはずのに、自分を第一とする立場に立ったので堕落したのです。よって、皆さんはここにおいて自分と自分の一切の家庭環境を否定して、立つことができなければなりません。そのようにしてこそ、アダムとエバを中心にして伝わった堕落の血統的な因縁を完全に清算することができ、神様を中心にした新しい次元の立場に生まれ変わることのできる基盤が築かれるのです。

 皆さんは、寝ても覚めても、ご飯を食べても夫と子供たちを思い出すことでしょう。目を閉じさえすれば、お乳を上げて残してきた子供の姿がちらつくのです。夫が朝から晩まで話していたことが、耳もとでぐるぐる回るのです。あるいは、夢にも現れることでしょう。「なぜ私を捨てて寂しい所に行っているのか、私は寂しい」という姿が、夢の中で見えるのです。

 皆さんはそのような環境がぶつかってきたとしても、あるいは、そのような環境に追われたとしても、断固として国とみ旨のために、そのすべてものに勝っていかなければなりません。エデンの園で女性がみ旨に従えなかったことによって天国を破綻させてしまったので、皆さんがみ旨を尊重することによって天国を創建しなければなりません。天国を創建する際に、先頭的責任を果たすべき女性の高貴さを決定できる時が、まさしく今回の動員期間であることを知らなければなりません。

 一九七〇年度において、祝福家庭の主婦が動員された原因がどこにあるのでしょうか。イエス様が三年路程を行く途中で、女性をしてみ旨を成し遂げることができずに民族を失ってしまい、国家を失ってしまいました。ですから女性たる皆さんは、イエス様の三年公生涯路程の恨を解くために、三年路程を満たしながら、彼が失ってしまった民族と国家を取り戻し、世界まで取り戻してさしあげられる基盤を準備しなければなりません。

 そのようにして初めて、イエス様が願い、待ち焦がれた新婦の基準を立てる立場に立つのです。そのようになって初めて、自由奔放な場所で解放を謳歌することができ、天国を中心にした平面的な基準の前に、新しい家庭の出発を見ることができるのです。これは原理的です。それゆえ、一九七二年度まで三年間、開拓の道を行かなければならないのです。

 今この時は、先生が北韓で三年間牢獄生活をしたのと同じ期間です。先生は牢獄生活をしましたが、皆さんは牢獄生活ではありません。皆さんは自由な南韓の地で、先生が北韓の地で二年十カ月間、牢獄生活をしたのと同じ道を行くのです。この期間は、天が祝福してあげることのできるキリスト教とキリスト教の女性が先生を敬い尊ぶことができなかったので、先生が受難の路程を行かなければならなかったことを、全部もう一度解いて越えることができる重要な時期なのです。このことを知って、み旨を中心として、国のためにあらゆる精誠を尽くす皆さんとならなければなりません。(三六―一五三)

 イエス様が三年期間において、その氏族的な家庭を一つにしてユダヤ教を抱けなかった恨みを解いてあげなければならないのです。

 では、その恨みを解けなかったのは誰のせいでしょうか。女性のせいです。新婦がいなかったというのです。そうでしょう? 個人的な新婦、家庭的な新婦、氏族的な新婦です。このような恨みを解いてさしあげることができなかったので、これを再度蕩減復帰するためには、統一教会で個人的な、家庭的な、氏族的な恨みを解いてさしあげる女性の使命を果たさなければなりません。これが三年間、千二百名を動員したことの意味です。何の話か分かりますか? (はい)。(五八―一四一)

 一九七一年を期して祝福家庭の婦人を動員したのは、とても大きな意義があるということを皆さんは知らなければなりません。この動員自体だけを見れば、家庭の破綻であり現実の否定です。現実的には損害です。すべてのことにマイナスをもたらすように見えるのです。

 しかしながら、これを否定することができる動機が何でしょうか。これは過去のための否定ではなく、未来のための否定です。現実に残されるものは、徹頭徹尾未来の内容が現実に錨を下ろすからです。この現実は未来の基盤の上に立つのです。それゆえ、大韓民国が現実とともに滅びる恨があったとしても、未来のための錨をもっており、未来の基盤上に立っている統一教団は滅びません。(四二―一九五)

 三千万の民衆が寝入っているこの地上に、主人がいないこの荒漠とした砂漠のような三千里半島の上に砂漠の台風が吹いてくれば、すべての沃土が一時に砂の山と変わってしまうことでしょう。この国がこのような危険千万な立場に置かれているという事実を知っている我々は、この国のために統一教会をそっくりそのまま犠牲にするのです。ですから、これが善ですか、悪ですか。(善です)。ひたすらあなたの生命を捧げなさいというのです。死ぬまで忠誠を尽くしなさいというのです。

 人間にとって最も貴重なものは何ですか。生命と愛です。ですから、自分の生命よりも国をもっと愛し、自分の子供よりも国をもっと愛しなさいというのです。そのような国を切り離すという天法はないというのです。それほど愛する人がたったの一人でも、そのような家庭がたった一家庭でもあれば、この大韓民国がどんなに共産党の脅威を受けていたとしても、神様は共産党が来る道をふさいでくれるというのです。

 このような危機一髪の国内およびアジアの情勢について見るとき、我々が一線で血と涙を流しても、今後この民族にぶつかってくる悲惨な歴史を防ぐ祭物になろうというのです。この民族のために犠牲になろうというのです。そこで今、統一教会の祝福家庭の婦人たちを動員したのです。先生が皆さんと何の怨讐ですか。いつかはよく暮らしなさいと祝福してあげて、今ではほそぼそと生活しているのを足でぽんとけ飛ばして行けというのですから、これは馬どろぼうの中でもこのような馬どろぼうはいないというのです。馬どろぼうの王だというのです。しかし、そのような先生に不平を言う統一教会の教会員は、おそらく一人もいないでしょう。(三八―二六七)

 先生が家庭を動員する時、「まさか先生がそのようにするわけがない。四十日伝道期間にも黙っていらしたのに今回にはこうだろう」と言う人がいるでしょう。四十日伝道期間はぐずぐずして過ぎ去りましたが、この三年期間は行かなければなりません。外れるところがないというのです。他の人はみな出たのに一人で残って事業をするという人は、死んだほうがましでしょう。生きられません。またあとで出た人は月収、日収をすべて埋めて戻らなければなりません。そうでなければいけないのです。その道はどうせ行かなければならない道です。行かない人は先生と何の関係もありません。

 それで、皆さんを出動させるのは何のためですか。み旨を成さなければならないのが我々の運命だからです。み旨のためにすれば善の先祖となり、善の家庭となり、万代に誇れる夫婦の因縁をもつことができるのです。天道に従って行く時は、その国とその義のために行くべきであり、自分個人の欲望と私的な幸福を夢見て行ってはいけません。共産党が滅びるように、「お前のものは私のもので、私のものは私のもの」ではありません。統一教会式では、「私のものはお前のものでお前のものは神様のものだ」と言うのです。完全に違います。私のものはお前のもので、お前のものは誰のものですか。結論は神様のものだというのです。共産党式はお前のものは私のもの、私のものは私のものというのに、統一教会式は私の代わりに神様が入っていくのです。共産党式は自己が入るのです。(三七―二六八)

 み旨から見た時、神様を中心として母子協助を成すためには、父娘協助と夫婦協助が成され、次に母子協助が成されるのです。これが原則です。分かりますか。ですが、神様は逆に摂理してこられるのです。父親と母親の関係がないのに、母子関係があります。夫婦協助がある前に母子協助があり得ると思いますか。聖書を見てみると、今まで母子協助だけしてこられました。異常でしょう? 逆にしてきたというのです。

 夫婦協助過程を経なければ発展することができないのです。母子関係は父親がなくても現れますか。母子協助がある前に夫婦協助の基盤がどこにあったのですか。夫婦協助がある前に神様を中心とした父娘協助がどこにあったのですか。神様を中心とした父娘協助、夫婦協助の過程を経て母子協助が現れてこなければならないのに、今は母子協助しか成されていません。

 父娘協助、夫婦協助は、統一教会の家庭婦人たちを立ててしようというのです。分かりますか。おばさんたちをなぜ死の境地に送り出さなければならないのか。今までの母子協助の基準を蕩減しようとすれば、その道を行かなければなりません。したがって、母子協助の基準を結び、夫婦協助の基準を結び、父母協助の基準を結ばなければなりません。(三七―二六五)

 女性もすべて軍隊以上にならなければなりません。それが天が願う原則的な基準であることを皆さんは知らなければなりません。こういう伝統を残すために祝福家庭が先頭に立ったのです。今回祝福家庭を立てることによって、私の気持ちがどれだけよいか分かりません。この祝福家庭は、以前には見ただけでも吐き気がして、連れて歩きながらご飯を食べさせることを考えただけでも気分が悪かったというのです。「あのかわいそうな者たち、私が何か上げたものがあったか、何かあればもっと上げなくては」としなければならないのに……。その結果がないのです。今まで統一教会の祝福家庭が責任を果たせなかったために、霊界を通して外部の霊通者が、これではすべて滅びてしまうと先生にどれだけ訴えてきたか……。しかし、その方案があるので、その時にすべて処理するつもりです。すべて腐って使えなくなれば切ってしまうのです。今は手術する時ではないのです。その拍子にぴったりと合う時が、一九七〇年から七二年までの三年間です。この期間にすべてが引っ掛かってくるのです。そのような起点に追い込むために、今回、婦人たちを動員したのです。皆さんの中で、婦人たちを動員するといって気分悪く思う人たちがいるなら、地をたたいて、痛哭しながら悔い改めなければなりません。(三八―一二六)

 千二百名が伝道に出る時、先生が命令したことが何でしたか。「皆さんが伝道しに行くのは、信じていない人のために行くのではない。既成教会のために伝道しに行くのだ。失ったイスラエルを探すために行くのだ。三年間精誠を込めなさい。牧師に精誠を込めて、彼らが我々を見習うようにしてみなさい」と言いました。彼らが統一教会の原理の中で、「再臨論一つははっきりしないが、その他のものは全部よい」と言えば、てっぺんからすべて統一させることができるのです。そのようなみ業を上下から作戦して進むのです。

 では、今がどのような時なのかというと、すなわち、このような時に処しているのです。分かりますか? (はい)。既成教会はイスラエル国家においてユダヤ教と同じ立場です。したがって大韓民国は神様のみ旨の中でその方向に向かわなければいけません。そうなれば、民主世界圏とキリスト教圏が自然に連結できる基準となるのです。これが一つになる日には共産世界は崩れるのです。(五八―一四二)

 千二百名の祝福家庭の婦人たちを動員したのは、民族よりもキリスト教のために動員したのです。門前で手荒く扱われたでしょう。しかし、乞食よりもよいというのです。彼らの先祖の中で乞食がいたならば、その乞食についた少しの善までも我々が全部世話をしなければならない責任があるので、門前で乞食以上の扱いを受けなさいというのです。そのように彼らが三回以上打つ日には、彼らが折れて出ていきます。(五六―一一〇)

2 活動に臨む姿勢

 私が現在において三千万の民族を生かすためには統一教会の群れを、ある意味では無慈悲に躊躇せず、死の落とし穴にほうり込まなければなりません。このような考えをしただけでなく、既に実践過程にあります。ここでは意義がないのです。私は難しくてできませんと、そうはいかないのです。このみ旨の前では……。既に出動命令が出たにもかかわらず、自分の事情を中心にしてできないという、そのような話はできないのです。これは負ける運命の前線に立った逃避者の心情です。後退者の心情です。このような人は即決処分するのです。世の中でもそうでしょう。神様のみ旨に責任をもつ路程でそうできないのは驚くべきことで、悲惨なことを私が感じる時が多いのです。私がしなければ私の後孫がするのです。これはもっと恐ろしいのです。これと同じような問題をおいて見るとき、勝敗は現在が問題なのです。(五一―三五一)

 皆さんは、か弱い細い女性の体で国を愛することにおいて李舜臣将軍よりももっとできる時期を迎えたのです。父母を愛することでは誰よりも孝行できる立場であり、世界を愛する因縁をつくることができる立場であり、歴史上に一度しかない全体的な使命と責任を果たすことができるこの時に処している自分であるということを忘れずに、皆さんは精誠に精誠を尽くして、苦労の代価を返すことをなまけないようにしてください。

 朝早く起きても恥ずかしく感じ、遅く寝ても一時間でももっとみ言を伝えたい、という思いをもたなければなりません。人を愛するとき、懐かしい人に会えば夜が更けるのを忘れるのと同じように、懐かしがり愛することができなければなりません。(四三―三三八)

 今皆さんは、女性が間違ったことを蕩減して、大々的に民族的な女性解放の伝統をつくらなければなりません。個人が伝統をつくることができますか。できないでしょう。家庭を中心にして民族が形成されたので、家庭の伝統を立てなければなりません。では、誰が家庭の伝統と家庭の主婦の伝統を立てるのですか。統一教団では神様の前に祝福を受けた家庭が先頭に立って立てなければなりません。祝福家庭が今後新しい国の国民の伝統を立てなければいけないので、祝福家庭の皆さんを一線に送り出すことを避けることはできません。これが神様の事情です。

 ですから、皆さんはすべての精誠を尽くさなければなりません。夜ならば夜を明かしながら、聖地でこの民族のために涙を流す祈祷をしなければなりません。自分の子供が見たければ、見たい心で出てくる涙を流しながら三千万の民族を私の息子、娘の代わりに愛し、私の夫の代わりに愛するようにしてくださいと神様に祈祷しなければなりません。そのような思想を残さなければならないのです。これが新しい国や家庭において、主婦たちの伝統となるのです。(三九―一〇九)

 先生も皆さんを立てて誇ることができ、神様も皆さんを立てて「統一の女性を見習え」と誇れるそのような皆さんとならなければなりません。それだけでなく、愛で行くその道をサタン世界の家庭や女性、サタン自体にまでも讒訴を受けるのでなく、かえって公認を受けることができる我々とならなければなりません。この時がそのような一時なのです。

 皆さんが行くその道はただ遊びに行く道ではありません。家庭の生死の判決において、重要な始点と基準を経て出る道であることを知らなければなりません。そのために、ここにおいては夫のために祈祷するのではありません。息子のために祈祷するのでもありません。ただ国のために祈祷しなければならないのです。それで聖書には「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。……まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・31〜33)という言葉があります。神の国だけを求めなければならないというのです。

 では、神の義とは何ですか。国の四位基台を立てて、天倫の原則を遂行することができる基盤を築くことです。これを完結させて帰る責任が皆さんにあるということを、心に留めておかなければなりません。

 したがって皆さんも、夫と子供たちを心配すれば心配するだけ彼らによくないことでしょう。サタンが侵入するのです。ですからただ神の国と神の義を求め、心と思いを尽くして主である神様を愛さなければなりません。すべての精誠を神様の前に結んで、神様と一つになったその基台の上で、神様と関係する愛の因縁を中心にして皆さんの息子、娘にその愛が伝わらなければなりません。また、皆さんの夫に対しても、神様が哀れに思われ、神様の愛が満たされなければなりません。そうしてこそ正常なのです。(三六―一五一)

 女性はどのようにすればよいのでしょうか。イエス様の新婦の立場でイエス様を殺したそのすべての立場を蕩減復帰しなければなりません。そうするためにはどのようにすればよいのでしょうか。世の中のどのような女性よりも天のために忠誠を尽くさなければなりません。新婦一人を探せずにイエス様が死んだので、女性である人たちは、死の境地に入ろうとも祈祷してはならないというのです。「私を助けてください。み旨のままにしてください」という言葉は出してはいけないというのです。女性は生きていますが、既に死んでいるのと同じです。ですから今後、女性はみ旨の前において不平不満を言ってはなりません。気分が悪いですか。それで死のうとするものは生き、生きようとするものは死ぬというのです。(三八―一二九)

 一九七〇年十二月一日に皆さんに命令をした時以上の心をもって、この命令を断行しなければなりません。もちろん副作用も起こるでしょうし、反発することもあるでしょう。自分の家庭が動機となった不和の余波が、教会にまで及ぶこともあり得ます。

 しかし、これが問題となるのではありません。み旨を心配して私が皆さんを出動させる時、皆さんがもつ思い以上の思いをいつももっていなければなりません。

 皆さんがいつもその命令に従順に出発した時の、初めの思いをもって動くならば、皆さんが行く道は無限に発展することでしょう。しかし、そうできなければ発展できないでしょう。これがすなわち天理です。原理とは何ですか。完全な主体は完全な対象を創造するのであり、主体と対象が完全に授け受けして初めて、そこに神様が運行されるのです。また、神様が運行されれば創造の結実が現れるので、死んでいた生命が復活圏に移ることができるのです。これが原理的見解ではないですか? (四三―二六二)

3 動員の価値

 今までキリスト教が連綿と現れてきたのは、名の知れたある教区長のゆえでもなく、ある教域者のゆえでもありませんでした。天のために名もなく死んでいった崇高な預言者の血を通して、連綿と現れてきたことを知っています。精誠を尽くすか弱い女性の体を通して、精誠を決意する数多くの女性を通して、今日までキリスト教が成長してきて、キリスト教が行く悲惨な道をその女性の涙で覆ってきました。

 男性よりも女性が、キリスト教を中心にして蕩減の解怨を間接的に願ってきたのを思った時に、今日我々が統一教会を中心にして歩んでいく路程で、女性を立てて歴史的な祝福の基盤を準備することができるひと時をもてたことが、どれだけ貴く価値があることなのかを心の底から理解しなければなりません。(三七―三二三)

 ここでは、一度よくする日には億千万年の世界が裏返しになります。天上世界はもちろんであり、地上世界の歴史の方向が転換するだけでなく歴史が逆行してしまうというのです。悪なるサタン圏は、結局ここで全部壊れてしまいます。女性に生まれたなら、一度はこのような闘いをして死ぬ価値があります。そうですか、そうではないですか。(そうです)。(五六―三三二)

 皆さんの家庭が、天の前に蕩減できるように動員されたという事実が栄光なのです。(四四―二九六)

 皆さんをこんなに動員することは、皆さんが歴史と共に生きていくことができるようにするためではありません。この歴史圏内では、よく生活しては今後、後代に残してあげることができるプレゼントがないのです。後代に残してあげられる伝統がないというのです。では、皆さんが生涯の中で残さなければならないこととは何でしょうか。今日この腐った社会の審判圏内で、いつかは除去されなければならないこの世の中に残る伝統ではなく、審判圏を越え、未来に残ることができる伝統を残さなければならないのです。(四三―二六三)

 今、女性も出世する時が来ました。誰のゆえですか? (先生のゆえです)。先生がいなかったらむちゃくちゃになっていたでしょう。今統一教会では女性が優勢です。(三九―一一七)

4 婦人動員後の夫の使命

 先生と皆さんの妻たちは、一つにならなければならないのです。そのような立場に立たなければならないにもかかわらず、夫たちが手紙を出して帰ってこいと言えば、大問題になるのです。夫たちは妻に「お前は私の妻だから帰ってこい」と言う資格がないというのです。もし、そのようにすれば法に引っ掛かり共に堕落するのです。このような人は今後、統一教団の家庭の中で完全に追放されます。原理がそうではないですか。自分たちが干渉する時ではないのです。「来い、するな、何がどうだ」となってはいないというのです。仮に息子たちが具合が悪くても手紙を出してはいけないというのです。自分が死ぬようになろうが連絡するなというのです。ただみ旨のために先生の指揮下にいて、その期間に完全に一つにならなければなりません。

 では、皆さんは、夫たちはどうすればいいのでしょうか。妻に絶対服従しなければならないのです。エバを堕落させた天使長の立場であるので、死ねといわれれば死ぬこともできなければなりません。その張本人なので、死ねといわれれば死ななければならない立場にあるのです。そうすれば復帰されるのです。そのような立場を経ていく時であり、女性に「会いたい、何がどうだ」と言って、行く道において精誠が削減され得るような内容の手紙を伝達しては絶体いけないのです。

 彼らに全体的に侍らなければならず、外的にも内的にも助けなければいけません。(四〇―二一一)

 夫とはどのようにしなければならないのかといえば、妻が世界的に公認を受ける一時があることを知り、動員されたことを栄光に思わなければなりません。女性によって祝福が成されているので、女性が公認を受けることができない時は、男性も公認を受けることができないのです。妻が公認を受けることができない時には、夫がいてもその夫に対することができず、子供がいてもその子供に対することができないのです。

 そのために妻が任地に出ていれば、夫は妻を思いながら昼夜なく祈祷しなさいというのです。「あなたのつらさがすなわち私のつらさであり、あなたの悲しさがすなわち私の悲しさだ」と言えなければならないのです。(三六―二四〇)

 祝福家庭たちは、神様に侍るところにおいて過去と同じ習慣的な生活方式で侍ってはいけません。祝福を受けた家庭として、その国のその民族のために、毎日のように祭物を供える祭司長の家庭を代身したという心情をもたなければならないのです。

 さらに、祝福家庭の婦人たちが一線に出ています。彼らが出ている一線は、韓国においての一線ではなく、霊的にサタン世界の侵入を防備するための一線なのです。皆さんはこれを知って、自分の妻が一線に出ている立場を思うごとに子供たちを率いて、祭司長の責任を果たすことができる心をもたなければなりません。そのような思いをもって寒い日に訪ねてくれば、民族を代身する贖罪の心でその寒さを先に心配しなければならず、自分に困難がぶつかってくればその困難を自分の困難としてではなく、民族の困難と考えなければならないのです。神様と因縁を結ぶためには祭司長として民族を代身して蕩減路程を行くという、そのような思いをもっていかなくてはならないのです。(四〇― 一八四)

 一線に出ている婦人の夫として、あるいは子供を率いている親として、今しなければならないことは何でしょうか。一つの心、一つのみ旨として民族を抱き神様の中心家庭と一つにならなければなりません。そうでなければ、祭司長の責任を担った家庭としての責任をすべて果たせるとは見られないのです。(四〇―一八六)

 婦人たちが出て仕事をするところで一番問題になるのは何でしょうか。夫を愛するのかみ旨を愛するのか、夫を思うのか中心者を思うのか、自分の息子、娘を思うのか中心者を思うのかというのが問題になるのです。

 彼らが一線に出たのは夫を中心として出たのではありません。どこまでも統一教会を指導している先生を中心として出たのです。自分の家庭においては、いくら考えても考えられないのです。家庭では自分の夫の命令に従い動かなくてはならず、子供たちの後始末をしなければならないので、考えがすべて部分部分に分かれてしまうというのです。そうだからといって、夫自体がそうかというと夫もそうできないというのです。(四〇―一九五)

 今動員されて出ている婦人の夫たちは、妻に会いに行きたいという思いがあるでしょう。そこで先生がお互いの出会いを許可するにはしますが、別の二箇所を訪問したあとに、三番目に行って会うことを許可します。分かりますか。

 妻がいる所を訪ねて行くには行ってもよいが、他の一箇所を訪問し、また別の一箇所を訪問したあと、三番目に訪ねて行って会うのです。そうしなければなりません。なぜそうなのでしょうか。蘇生、長成、完成の過程を経て会わなければならないからです。その中で一箇所は妻がいる所と近い所を訪問してもいいのです。

 夫たちは息子、娘たちに教育をしなければなりません。「君のお母さんは世界で一人しかいない、聖なることのため行かれた。このお父さんもお母さんが行く道に従い、君も親が行く道に従わなければならない」と涙の教育をしなければならない。

 「お母さんは国のため、世界のために苦労の道を行くのです。冷たい風が吹いてくるこの冬の夜にも、お母さんは寒い部屋でに横になっているかもしれない。私たちはこのように暖かい部屋で布団を敷いて寝ることを申し訳なく考えなければなりません。お母さんがあのようにするのは私たちを生かしてくださり、我々が行く道を開拓してくださるためであり、お父さんがよくなることもあなた方がよくなるためである。そのような君のお母さんは、世界一のお母さんだ」と、このように夫たちは子女たちを教育しなければなりません。「この次には、お父さんもその道を行かなければならないので、君も大きくなったらお母さんが行く道に続いて共に行こう」と言いながら、お母さんを中心として父子の関係、あるいは父と娘の関係に涙の因縁を結ばなければなりません。そうすることで、この家庭がお母さんの道を相続することのできる家庭になるのです。夫たち、分かりましたか。(三八―二九二)

5 一般食口たちの姿勢

 すべての食口たちは、一線に出ている婦人たちと一つにならなければなりません。一つの心情をもって呼吸を合わせ、歩調を合わせていかなければならない時を知って、一致団結しなければならないのです。そのようにして、今から私の国と民族は私が守らなければなりません。我々の力、我々の力量をすべて投入しなければなりません。すべてを投入して、自らの力が足りなければ神様をつかんで血判するときがあったということを皆さんが知らなければなりません。(四二―一四九)

 それでは祝福を頂いた家庭は三年間苦労しますが、祝福をもらわなかった人はどのようにするのでしょうか。それは一言も必要ありません。行く行かないと考える必要もないのです。平安に昼寝をしながら過ごしたいなら、そのようにしてみなさい。そのようにしたらすべて引っ張られてしまうのです。今まで統一教会に従ってきながら苦労した、すべてのことが全部流れてしまうのです。全部引っ張られてしまうのです。ですから皆さんがよく知ってやりなさいというのです。(三八―一二九)

 今、我々統一教会では千二百名のおばさんたちが一線に出ています。その方たちが一線で苦労しながら、後ろにいる統一教会の教会員を見れば騒いでいますが、発展しましたか。やり易い軽い気持ちで統一教会を信じていたとしても、各自に任された責任を果たさない時には滅びます。一線にいるその方たちは、私の代わりにまず刀を受け矢を受ける立場にいるので、私の服が破られる前にその服が裂かれ、私の顔が焼けるようにその方たちが焼けるのを感じられなければなりません。そのようにする時、前方と後方が一つになるのではないかというのです。皆さんがこのようなことを知りながらも後方にいる人として責任を果たさない時には、神様の世話になるところにいるようになり、神様は福をもらうかもしれませんが、皆さんの後孫は滅ぶことを知らなければなりません。(四一―一二〇)

6 二次動員の時の一話

 きのうは私が水沢里に行ったら、ある人が来て「子供たちを全部家に置いて動員しなさいというので、どのようにしたらよいのか」と言うのです。それを私が分かると思うのですか。どのようにしたらよいのか、君たちが分かるのではないかと答えました。どのようにしたら良いのか、皆さんが最もよく知っているのです。その道は私が行く道ではありません。私が行くべき道は既に全部過ぎてしまいました。私が行く道にも艱難時代があり、風波がありましたが、すべて過ぎたのです。

 春の季節を迎え、今は皆さんが種になって、植えられなければなりません。実になるためには、その環境を全部整理しなければならないでしょう? 寂しい木に付いている一つの実はくだらないものではありません。くだらないのは付けていないのです。そこに付きたくないなら実にならないのです。純粋なものを植えなければならないのです。

 家庭なら家庭で一番貴重なものを選んで植えなければなりません。家庭で一番貴重なものはお父さんではなく、息子、娘でもありません。家庭で一番貴重なものはお母さんなのです。それゆえにお母さんたちを動員しているのです。では、出てきて「ああ……うちの夫がああであるこうである、うちの息子、娘がああだこうだ」と言う人がいたなら、そのような人は必ず倒れるのです。(三六―三一)

 今回家庭の婦人たちを動員することは悲惨なことです。私が一昨日地方の何軒かの家を回って、お母さんがいない子供たちはどうしているのかを見てみました。かわいそうなその子供たちを見た時、気の毒でした。心では、「君たち、お母さんに会いたいんではないか」と思いました。そして心の中でお祈りしました。それで、「君たちのお母さんは、み旨のために三年期間を蕩減しなければならない。この期間は、イエス様の三年間公的生涯期間に相対を迎える基盤を整えられなかったので、それを女性として蕩減復帰すべき責任分担の期間です。それでこの道を行くのです。また全体を蕩減させることのできる内容の心情的基盤が残っているのでお母さんが動員されるのです。あなた方は今は分からないけれど、これはこれから君たちの誇りであり、君たちの家庭の誇りになるのです。今後君の口を通してお母さんを賛美することのできる日が来るのを考えれば、君は寂しい乞食ではありません。心深い、長い歴史において、貴重なお母さんに侍ることができる君たちはどれくらい幸福なことでしょう」と心を慰めてあげました。しかし、実際に見るとそれは悲惨なことでした。(三七―二〇四)

 韓国にいるとんでもない家庭たちが三年の間子供たちを捨て妻を捨て、妻は妻なりに夫は夫なりに、東の方に別れ、北の方に別れ、また子供たちは東南の方に別れ、東西南北の方に別れ、すべて……。大韓民国が福を受けることができる条件とは何か……。祝福家庭を今までたたいて、統一教会滅びろと悪口を限りなく言いましたが、み旨のため出で立つ統一教会の食口に対して……。祝福を受けた家庭は子供たちを全部捨てて出掛けましたが、どこに捨てて行ったのでしょうか。アメリカの地に捨てましたか、大韓民国の地に捨てましたか。大韓民国に捨てました。どこに連れて行って捨てましたか。親戚の家に捨てました。親戚の家が大韓民国ではありません。結局は要するに世界にすべて捨てたのではなく、大韓民国に捨てましたが、大韓民国がつかんで殺さないで保護して面倒を見てくれたのです。

 そのように見るのです。親戚が本当の親戚なのでしょうか。反対するサタンの側であるし、全部カインの側です。反対する父母たちも親戚も、全部連れていって捨てて行くので仕方がなくて……。何かの因縁があったにせよ、全部大韓民国を代表して子供たちをつかんで殺さずに、食べさせて養って生かしたというのです。このようなことによって、大韓民国が罰を受ける道を避けることになったのです。

 大韓民国の経済復興がいつから起こったかといえば、約八年ないし五、六年前だと見るのです。我々の家庭では一九七二年以後から全部受け入れた立場なので、その時から本格的に経済復興の祝福を受けることのできる時と見るのです。そうですか、そうではありませんか。間違いなくそうです。分かりましたか。(はい)。

 我々統一教会の教会員たちが子供たちを全部捨てて行くことによって、どのくらい食べましたか。「ああ、文なにがしは木像よりももっと悪い人だ。虎も自分の子供はかわいいというのに、その文なにがしは、祝福してあげるときは良く暮らしなさいと言ったのに……。鍋と匙をぶらさげて、お金を生活の糧にして暮らそうとしたのに、それを足でけ飛ばして、ひっくり返してしまった」と言ったのです。(笑い)分かりましたか。全部ひっくり返したのです。そして、「行け! 妻も夫も何も、全部、旅立て! 旅立つとしても、一緒に行くのではなく、南に北に行け!」と言ったのです。(一〇〇―二八一)




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南北統一_7-4-4

神様の摂理から見た
  南北統一

(全面表示) 

四.三次動員と南北統一運動

1 動員地域

皆さん! 今回婦人たちが伝道しに行くときは、自分の故郷を探しに行けと言ったでしょう?(はい)。なぜそのようにしたのか分かりますか。女性がドアを開けなければならないのです、女性が。男性ではなく女性がドアを開けなければならないのです。女性がドアを開け、見本にならなければならないのです。精誠の門を開けなければなりません。そこに反対するすべての人が自然屈服するような、今はそのような時です。(一九八七・一一・八)

 今帰ったら何を準備するべきでしょうか。出て行く準備です。出て行く準備をどのようにするのでしょうか。どこに行くのでしょうか。場所は自分の出生地です。全部郡に集まって、面だったら面の地域ごとに教会長たちがいるのです。六千家庭まで全部行きますか。祝福家庭は全部出て行くのです。六千家庭ではなく八千家庭、一千家庭でも祝福家庭は全部出て行くのです。六千家庭は祝福家庭ではないのです。既成家庭も出て行きますか。既成家庭も出て行くのです。カナンの地のヨルダン川を渡っていくのに、渡っていかないのですか。(行きます)。皆さんが渡っていって勝利して、帰ってきてから行かなければならないのです。そのままには連れていくことができませんよ。分かりましたか。(はい)。六月一日出発。自分の故郷が分からない人はいないですね? (一六五―一三六)

2 動員命令に対する我々の姿勢

 ここにいる皆さんのみ動員するとすれば、できないことはありません。生きている虎を捕まえることができますか、できませんか。(できます)。本当ですか? (はい)。それでは、白頭山に行かなければなりません。(二六―七三)

 祝福を受けた家庭は、女性が先生の命令に引っ掛からないように、男性が救援するのです。(五五―一〇七)

 先生の命令は、先生個人の命令ではありません。天命です。この命令をしっかりと従順に行おうものなら、韓国に宇宙的な福が降ってくるのです。私が天と地を全部開けておくと、どのようになるのでしょうか。霊界が今から……。霊界がこのようになるので、このあらゆる蕩減がそのまま入っていって水平になるのです。完全に水平になると地上世界にはサタンがいないので、金日成あるいは共産主義は滅びるのです。霊界から一晩で全部呼んでくることができるのです。共産党の首相をした人を毎回およそ三、四代を中間で連れていってしまえば、誰が大統領をしたいというでしょうか。天にはすべての能力があるのです。

 我々も今そうではないですか。商売も神様が助けてくれるのに、蕩減復帰原則があるゆえに原理の実情が立ち入るべき時局となって、それを助けてくれませんか。助けてくれなければ原理は間違いです。神様のみ旨が成し遂げられません。ですから、信念をもちなさい。(一六五―一三四)

 家庭で幸せに暮らしていますが、家庭を振り返らずに、昔のロトの妻の時と同じように家を捨て、振り返らずに行進するのです。なぜですか。目的撃破のためにです。それは歴史的事実です。今そのことをしているのです。(一六六―一七〇)

 この命令を受けたなら、直接歩調を合わせて行かないと神様の聖なる闘いに参加することができません。ですから忙しいのです。(一四―一二六)

 皆さんは今、先生が家庭動員を実施するとすれば、動員されなければなりません。息子、娘たちの学校が問題ではありません。総動員時代です。皆さんの中に祝福を受けた家庭で息子、娘がいたなら、意識(共産)化された学生より何倍も強い神様のみ旨の前の若者としての起源を抱いている息子、娘だと誇らなければなりません。何のことか分かりましたか。女性として生まれたなら、女性たちを代表して共産党の女性代表たちが働いている以上にやらなければならないのです。男性も同じです。そのようにして悪の風が吹いてくるなら、我々は善の風として打ち勝たなければならないのです。(一九八七・九・一三)

 命令を受けた人は苦労するのに、命令を下した責任者が楽に暮らすというのはだめです。責任者は神様の前に、誰よりももがいてかわいそうに思う心をもたなければならないのです。そのような心をもたなければ、その団体は滅びるようになるのです。ですから時間があったら、その人たちのために祈祷してあげ、その人たちに会って、その人たちのために議論するのです。先生はそのように生活をしてきたのです。(四三―二八)

 先生の命令を中心として絶対服従しなければなりません。異議はありませんか。異議はないですね。ここには息子、娘たちの問題がありませんよ。息子、娘たちが全部死んでしまうのです。夫を考えながら夫を殺してしまい、息子、娘を考えながら息子、娘を殺してしまうのです。ですから、あなたの家の家族が怨讐なので、家庭をもった女性に対して怒ったのです。今そうではないですか。反対を受け、行く道が防がれてこのような状況が生じてしまったのです。(一六五―三〇一)

 イスラエル民族の前にモーセが六十万大衆を導いたように、今日統一世界で、統一教会の家庭を中心とするモーセのような使命を先生が果たしているのです。ある家庭に、こっちに行けといえば、「ああ、私の息子、娘がいるので行けない」と、そのように言えば滅びるのです。また、「私の妻がいるから行けない」と言ってはだめなのです。滅びるというのです。

 谷を越えるときは越えなければならないし、川を渡るときは渡っていかなければならないし、川を泳いで渡るときは泳がなければならないのです。そのためには、子供の首を縛って向こう側に綱をつないでおいて泳いで渡るのです。死なないように首を縛った綱を引っ張って川を渡らなければなりません。何の話か分かりますか。(はい)。「ああ、子供に対してどうやって首の所に綱を縛っておいて引っ張れというのだろう」と思えば死んでしまうのです。そのような時期だということを、皆さんは知らなければなりません。渡るべき川は渡らなければならないのです。

 イスラエル民族がヨルダン川を渡らなかったので滅んだことを知らなければならないのです。ヨルダン川が何を意味するのか分かりますか。サタン世界と神様の世界の境界の川をいうのです。夫だったら夫が渡っていって、綱で妻の首を縛ってでも引っ張って渡らなければなりません。たとえ気絶したとしても、人工呼吸をして生かし、第二の人生を暮らすようにさせたい心をもつとき、その家庭が救われるということを知らなければなりません。そのお父さんもお母さんも、やはり子供たちのためにそのような冒険をしなければなりません。渡ってくるとき子供を綱で縛っておいて、その綱を後ろにつないでどのようにしてでも渡らなければなりません。そうでなければすべて死ぬのです。このような時だということを、皆さんが知らなければなりません。分かりましたか。(はい)。

 男性と女性が一心同体になって、一つの心、一つの思いで、子供も一つの思いでなければなりません。このようにして、先生と神様と完全に心と思いが一つになって境界線を渡って行きながら最後の命令を出すのです。それがあったらすぐさま、瞬間的に家庭のすべてを捨てなければならない時が、我々の目前に近づいてきていることを知らなければなりません。ヨルダン川を渡っていこうという命令があれば、その命令が出た瞬間……。紅海を渡るときもそうだったのです。神様が波を分けたその瞬間に行かなければならなかったし、その時間を逃したならすべて滅亡したのです。(一〇〇―二九一)

 さあ、女性たちすべてに出動命令が下されたので、すべて出掛けたのでしょうか。私の息子、娘、私の夫、私の妻、このようなことは自己家庭主義です。神様は家庭主義ではありません。神様は天宙主義です。メシヤは家庭主義者ではありません。万国を解放するための解放者です。それを知って、そこに歩調を合わせる姿勢をもたなければどのような人でも堕落するのです。(一九八七・一〇・一)

 文先生が何日何時に「男性と女性を総動員せよ」と言ったならば、しますか、しませんか。しなければなりません。何のためにですか。神様のみ旨のためにです。神様のみ旨のために何をしますか。韓国を救わなければならないのです。韓国を救って何をしますか。北朝鮮を解放するのです。北朝鮮を解放して何をしますか。アジアを解放しなければなりません。アジアを解放して何をしますか。世界を……。世界を解放して何をしますか。神の国全地域を解放して、神様を解放しなければならないのです。(一六八―一四一)

3 女性を動員する理由

 今回なぜ女性たちを動員したのでしょうか。お母さんが世界的民主世界と共産世界を抱いて救う条件を立ててきたので、韓国を中心として家庭的基準からこのようなことをやって、実際に基盤だけでもつくっておけば、それがサタンを防備することができる基盤になるのです。これが原理観です。それで今回、祝福を受けた家庭の女性たちを動員するのです。(一六五―二七八)

 皆さんの手が届けば祝福が臨むということを知らなければなりません。皆さんの話が広がれば、復活の歴史が生まれ、再創造歴史が生まれることを知らなければなりません。そのようにできる愛の爆発口があちこちに必要なことを、皆さんが知らなければなりません。その代役者が統一教会のほかにないのです。それで今回、女性たちを動員するのです。女性が天倫の愛の道を破ったのです。女性によって堕落して、女性によってカインとアベル二人の息子たちが出てきました。女性がサタンの息子、娘を生み、血統が違ってしまったのです。

 理想の、真の神様の愛をもつ男性であったアダムに出会うことができなかったので、悲惨な女性になって、サタン世界、裂かれたこの罪悪の世界をつくったのです。ですから最後の統合のためには、最初の分立のために偽りの愛を中心としてサタンが祭物の道を行くことによって、世界が分立したこの歴史を中心として民主と共産が分かれたことを代表して、三十八度線を中心として糾合しなければなりません。これは歴史的なことです。

 ここで女性が左右を中心として抱いていかなければなりません。女性が抱いて長子が次子を訪ねてこなければならないのです。この韓国の人たちが母の愛と一つとなって、北朝鮮を愛で溶かすことができる運動が繰り広げられなければなりません。(一六六―八三)

 女性をどのように動員するのでしょうか。女性が重要です。女性を動員すれば男性は動員されざるを得ません。動かずにはいられません。(一六四―二一一)

 先生が祝福家庭を動員するのです。今は皆さんに福があります。先生はもはや出世したので、皆さんが助けてくれなくてもよいのです。私が皆さんを助けてあげるようになっているのであって、皆さんが私を助けてくれるようになっていますか。皆さんはみな私の顔を売って出世するのです。(一六四―二八二)

4 三次動員の意義と目的

 金日成が堕落したサタンであるというなら、堕落したエバによって生まれたので、北朝鮮の全体の整備は女性たちが前に立って初めてできるのです。すべての家庭の主婦、お母さんが動員されれば、彼女らの子供二人を一つにすることでお父さんも入らなければなりません。自分の夫は後ろに立っていなければなりません。そのようにして本然のアダムを取り戻していくのです。それが原理観です。 

 ですから、今回婦人を動員するのは北朝鮮の金日成を解放するためです。長子権はサタンに奪われたのですが、それはエバが堕落して長子を生んだからです。ですからお母さんが前に立って、息子を通して長子権を復帰するようになったのです。どのようになっているのかといえば、夫が縦的カインであり息子がアベルです。お母さんを中心としてアベルの息子と一つになり、自分の夫が後ろに従ってくるようになっているのです。分かりましたか。そのようになれば復帰ができるのです。夫と息子たちは自動的に動員できるようになっているのです。ですから、今回家庭の婦人たちを動員したのです。家庭婦人たちを動員するのはなぜでしょうか。サタン世界で見るとき、先生が縦的カイン・アベルを中心として二世まで祝福した基準の前に、家庭は横的なカイン・アベルだというのです。この人たちが動員されたのは何を意味するのかというと、この全体が延長しているのです、延長。カイン・アベルが一つになった基準を中心として、神様を中心とした長子権を復帰したアダム・エバの、完成した基準を中心として移動して、現在にもってきたのと同じなのです。ですからサタンが反対することができないのです。反対したならば、環境的なその地方の悪霊たちが完全に後退しなければなりません。反対すればするほどそうなのです。

 ですから、全国の統一教会の教会員以外のすべての人たちも、自分の心が統一教会に反対したくなくなるというのです。そのようになっているのです。ですからここに婦人たちさえ全部連結させれば自動的に回るのです。

 また、サタンというのは夜活動するのです。ですから夜も我々が活動できる基盤を開拓するために婦人たちを動員するのです。分かりましたか。これは歴史的な最後の動員です。ここで勝利しようものなら完全に女性解放運動が展開するのです。分かりましたか。家庭を動員する意義が分かりましたか。(はい)。(一六五―二六〇)

 我々が力を注ぐ闘争目標の基準は、統班撃破を消化するのです。それだけ消化できれば南北統一は難しくないのです。統班撃破を消化すればできます。そこに誰が立つのか、です。女性たちが前に立たなければなりません。男性ではありません。金日成はサタン側の天使長です。天使長が女性を誘惑して、全部自分の勢力圏にしました。ですから、大韓民国の女性たちが金日成を追放しなければなりません。男性は手を触れないで女性たちがしなければならないのです。

 ですから、今回統一教会の婦人を六月始めごろを中心として総出動させるのです。行って何をするのでしょうか。女性が神様の懐から離れたので、女性が息子、娘を抱いて新しい本然のお父さんに侍るために、本然の夫に侍るために行くのです。

 今、北朝鮮は南進のためにこの南に地下組織を編成しています。その地下組織要員を育成する人とは誰でしょうか。女性です、女性。その家のおばさんだというのです。地下基盤がどこかというと、家庭だというのです。サタンがその家庭で基盤をつくっているのです。(一六六―一六六)

 今回、婦人たちを動員することはすべて、統・班や面の基地を築くために送ったのです。(一六六―一九五)

 自分たちが服を脱いで、自分たちが志願して、ひざまずくようにすれば、我々が安着して休むことができるのであり、生涯を終えることができるのです。天に向かって行くことのできる生涯を終えなければならないのです。そのような課題を残しているのです。ですから忙しいのです。どれだけ忙しいか分かりません。

 あなた方がよくするのか、できないのかということが問題ではありません。あなた方がここで責任者になって、外部からここに協助することができる道を築かなければなりません。何のことか分かりますか。(はい)。今日、韓国にいる我々祝福家庭が世界を代表する蕩減条件を立てるために出てきたのが、今回の動員です。分かりましたか。(はい)。今回、私が三度目に来たのです。ダンベリーから出て三度目です。

 それから、統・班組織をつくったものが今どれだけ残っていますか。ありますか? (はい)。カインの統・班をすべてつくったのです。昨年、私がそれをつくろうとして来て、帰ったのです。教育してカイン統・班をつくったのです。先生が一人で二十八万名をつくったのですが、皆さんはそれをつくれないでしょうか。どうですか。つくれないでしょうか、つくれますか。それをしっかりつかんで、文総裁がしろと言うとおりにすればできるのです。

 世の中の人たちの立場では、我々を狂信者だと考えます。そのとおりですか。狂信者ではありません。スパイを誰が隠しているのかというのです。母親が隠しているのです。

 地下のスパイたちは、その家の母親が隠して、ご飯を食べさせてあげるので生きるのです。その家の母親と息子、娘が口をつぐんでいるのです。

 スパイたちは全部母親たちが隠すので、家庭の主婦が動員されて南韓にいるすべての家庭の母親たちを国を愛するところに動員しなければいけないというのです。他人の家の奥の間、わき部屋を男性が搜しにいくでしょうか。何のことか分かりますか。そのような意味においても、女性たちが動員されなければならないのです。狂信ではありません。狂信者でも国を救わなければならないでしょう。それが嫌ならばここで決別です。そのような人は統一教会の教会員にならなくてもいいです。足で後ろにけ飛ばしてしまうのです。「何? 狂信者だと? 私もあなた方以上に息子、娘を愛する父母の心をもっています。国を失えば私の息子、娘、あなたの息子、娘がすべてどうなるか分かりますか。共産党になるのか、共産党に刺されて死ぬかです。分別のない話はしてはなりません」と、このように口を封じてしまい、言葉で一発、殴ってしまう能力がありませんか。(言葉が上手く思い浮かばない時もあります)。

 今回、出ればスパイを全部捕まえなければなりません。皆さんが家庭組織、婦女会を組織してです。お母さんたちがスパイを隠し、誰の従兄弟、親戚だと言って食事を作ってあげたりするので、みな(スパイたちが)もちこたえるのです。女性の同情心が深いので滅んでいくのです。

 そのような意味で、家庭を動員して国を愛することのできる母親にし、そのような母親になって子女を、国を愛することのできる息子、娘に教育し、夫が行く道も正しく指導できるよう、一つの家庭を正さなければなりません。そうすることによって、そこから芽が出て生い茂るようになれば、大韓民国は福祉天国になり、大韓民国の子供たちは世界を指導できる指導者になるのではありませんか。「それが嫌ですか。統一教会の教会員は狂信者だといって、統一教会を信じているといって反対するあなた方が、統一教会の教会員が行く所に行けると思いますか」と言うのです。事実、統一教会の教会員が行く所には行けないのです。(一六五―一五四)

 大概、共産主義者たちが地下党をつくって活動する際に、その家庭のおばさん(母親)が協助します。家庭の主人よりもおばさん(母親)が抱えているのです。今回、統一教会でおばさん(母親)たちを動員するのは、このおばさんたちを十分に動かして思想教育をするためです。このおばさんたちは、二十四時間そのおばさんたちと会うことができます。夫が帰ってきて寝ていたとしても、裏門をたたいて裏門に引っ張り出しても話をすることができ、門を閉じて垣根の裏門を通じていくらでも往来できるのです。このように二十四時間、道を開いて交流できる基盤ができているのです。(一六六―一七)

 皆さんだけでなく、一昨日来て帰っていった日本の食口たちには既に言いました。時がこのような時なので日本の隅々、道々で、日本が行くべきあすの希望を前にして、これを理論的に証しながら、「このようにしなければならない」と叫びなさいと言ったのです。韓国だけでなく、日本でもこのことをするのであり、今後世界で、統一教会の食口がいる各国でこのみ業をするはずですが、どうせなら韓国が先にしなければならないというのが先生の信ずるところです。韓国がまずやらなければならないのではないでしょうか。そうでしょう?(はい)。我々の思想の起源の地が韓国なので、何であれ韓国がまずすることを願う、韓国を愛する統一教会の先生なので、韓国にいる皆さんにこのことをまずお願いせざるを得ないことを知って、有り難く思わなければなりません。外国の人に負けてはなりません。分かりますか。(はい)。(五〇―一八四)

 今、婦人たちが出て準備をしています。すべて、奥様から子供たちまで出て、「お父さん、ここにサインしてください」と言えば、サインしないでしょうか。「南北統一運動国民連合」に加入しないでしょうか?(一六六―二六)
 
今から皆さんは、夫を失ってしまう恨みがあったとしても南北統一をしなければならず、妻を犠牲にする恨みがあったとしても南北統一のために挺身しなければならず、子供を犠牲にする恨みがあったとしても、南北統一を必ず成就しなければなりません。(一九八八・一・一)

 皆さんと皆さんの夫人たちが霊界に入ることのできる資格をもつためには、民族の前に蕩減を受けなさいというのです。民族の前に出て資格を得るために、昨年、動員したのです。(一九八八・一・七)

5 三次動員に臨む姿勢

 出動を前にしていかなる私心ももってはなりません。一線へと出動する際に、家族や職場が妨げてはなりません。ひたすら国だけのために、一つの統一された国を取り戻すために出動しなければなりません。統一された国、祖国を探し立てることができるなら、民主世界の統一と、東西洋の統一が繰り広げられるというのです。(一九八八・一・七)

 大韓民国の実状を眺めるとき、良い国になることを願いますが、実状は良くない立場にいます。それゆえ、みなそのことを心配するでしょう? 国がそうならば、そのような国家圏内にある社会はよいですか、悪いですか。悪いものが多いでしょう? ですから、悪い所に引っ掛からずによい所に引っ掛かりなさい、と言うのです。皆さん、社会がそうであれば団体はどうですか。団体も会社も悪い風潮に覆われているというのです。

 いつ、大韓民国で女性が国を代表して、「我々に習ってください。大韓民国はこのようにしなければ死にます。将来に希望のある大韓民国を創建しなければなりません」と言って、真心を抱いて社会の先頭に立ったことがありますか。これぐらい言ったならば、我々統一教会の女性は男性よりも優秀でしょう? そうでしょう? そのように言うので、有り難いでしょう? 文先生に出会ったので、そのようなこともしてみるのです。(五〇―一三九)

 皆さんは出て、皆さんの息子、娘よりもカインの息子、娘をもっと愛さなければならないのです。分かったでしょう? そのようにせずしてはこれは変えられません。カインの息子、娘が、「あなたの息子、娘は私が仕えることのできる人なので、どうか、その息子、娘を我々の代わりに愛してください」と言うことのできる、そのような道を行かなければならないというのです。分かりましたか。自分が愛する人、自分の息子、娘を心配してはならないのです。

 旅立てば、夫であれ、子供であれ、完全に忘れてしまうのです。もはや自分が立つべき所はカイン世界だと思って、カイン世界の息子、娘を愛することによって、自分の息子、娘の前にカイン・アベルの蕩減復帰基準を立てて、天使長たる彼らの両親を復帰しなければなりません。そうすることによって、皆さんの横に夫が立ち、皆さんが息子、娘を連れ、カイン側の家庭と子供たちを率いて天国へと帰るのです。カナン復帰するのです。女性たち、何の話か分かりましたか。(はい)。地方に行ってこのような話ができますか。「なぜ、このようなことをするのですか。文先生は、なぜ家庭をすべて散り散りにして、主婦たちを全国に配置し、このようなことをさせるのですか」と言われたなら、どのような答えをしますか。このように答えなければならないというのです。堕落論を解いていきながら、すべて蕩減復帰のために行く最後の時だということを話してあげなければなりません。(一六五―三〇三)

 今回出る女性たちは、間違いなくその町で……。皆さんがソウルに暮らしたとしても、その地方の有力者となり、女性指導者は皆さんがなるでしょうし、その町のすべての教育、子供たちの教育は、すべて皆さんがしなければならないというのです。そのような看板がくっついたということを先生は知っているのです。それが嫌ですか。(いいです)。いいというのです。

 一人があらゆる人が行くべき道を案内し、迷路であえいでいるすべての人の道しるべとなってあげることによって彼らが解放され、彼らが成功して喜ぶ、それを見て喜ぶのが神様の心であり、神様の息子、娘がとるべき態度であり、心ではないだろうかというのです。どうですか。そのとおりですか、そうではありませんか。(そのとおりです)。

 そのような意味で汗を流し、商売もして、夜には針内職もし、何であれ決死的にしなさいというのです。生きようとするものは死に、死のうとする者は生きと言ったので、今、我々は生死を顧みず決断することのできる覚悟のもとで出発するのです。(一六五―一四九)

 今からは、任地に行って昔のように統一教会を隠せば罰を受けます。分かりましたか。(はい)。今までは先生が世界的蕩減基準を越えられなかった、一時が残っていたので、サタンが常に世界に対して打つことができ、ただ、うようよとしていても通じましたが、もはやその時は過ぎました。もしうそをつけば、皆さんがかえって打たれるようになっています。天が皆さんを打ち、他の第二人者が皆さんを打つようになっています。皆さんを残しておいて打つことはできません。ですから、任地で公明正大でなければなりません。(一九八八・一・二)

 統一教会の信者の権威がどれくらい高いと思いますか。それを知っていますか。街を歩き回りながら女王として君臨するのです。街に行けば、「現れる女性たちは私に学ばなくては」と襟を正し、「私」がスカートの端を直してあげられるように、堂々とした権威をもって暮らさなければなりません。街で臭いをさせて回る、そのような女性たちになってはならないのです。公儀の法度をわきまえ、天理の法度をわきまえていきながら、万宇宙の存在がその者を褒めたたえ、その者に従っていかなければならない、と言うことのできる権威を備えて生きられる、そのような立場にならなければならないというのです。分かりましたか。(一六六―二六九)

 私たちは今、一線に出ているのです。ことさら女性たちは、天の期待と御父母様の期待と統一家を中心とした創造理想である神様の愛を中心として、み旨を中心として神様の愛の圏を眺めるのです。その先頭に立っている皆さんの威信を喪失せずに、そのすべての期待、天地が眺める縦的、横的な全体が願う、このような使命的責任の前に恥じない、責任を完遂する皆さんにならなければなりません。(一九八七・一一・八)

 皆さんが、今回、女性たちにおいては、最も良いものから順番を決めておいて、一つずつ売って使いなさいというのです。所有物を一番、二番、三番、四番、五番、六番、ずっとこのように決めておいて、一番良いものから売って使うのです。国のために捧げなさいというのです。血と汗を流して、自分が祭物そのものとして犠牲になろうという覚悟のもとで活動するとき、その活動費は使ってもかまいません。サタンの讒訴に引っ掛かりません。ですから、天の物質を捧げなければならず、天の息子、娘を捧げなければならず、天の前に夫婦を捧げた、これが心情圏として連結されるのです。天の前に家庭全体を捧げたという、このような基盤を立てずしては、復活の家庭、天の愛に連結され得る家庭が現れ得ないというのです。(一六六―三二四)

6 夫人動員後の夫の責任

 金日成は天使長です。堕落した天使の代表なのです。サタンの代表、堕落した天使の代表なので、南韓の女性たちが金日成の首を打たなければならないのです。すべて北韓を統一するためにです。男性は今何ですか。神側の天使長です。(一六五―四〇)

 今回、家庭をすべて追い出したのです。家庭の妻たちが出て活動する際に、その夫は、妻よりも、息子を捨て妻を捨てて、み旨のためにさらに一生懸命にやらなければならないのです。息子と夫を捨てて出ていって一生懸命に活動する妻の夫ならば、それ以上に一生懸命にしなければならないというのです。この男たち! ここで不平を言う者がいますか。

 我々がこのようなみ業をすることによって、天がこの国に同情するようになるのです。(一〇三―二一五)

 男性たちもすべて準備しなさいというのです。その代わりに、男性たちはすべてその費用を稼いで送るのです、どのようなことをしても……。(一六四―二〇四)

 統一教会の祝福を受けた家庭、今回、私が女性たちを動員することに決定したと言う時、男性たちはぐずぐず言わずに、後ろ向きにならなければなりません。私はその切り盛りはできないので、お金を稼いで供米を捧げる僕のようにこき使おうというのです。(一六五―四〇)

 さあ、今から本当の結論を出そうというのです。やりますか、やりませんか。(やります)。行きますか、行きませんか。(行きます)。未練を残してですか、残さないでですか。(残さないでです)。どのように行かなければなりませんか。(後ろも振り返らずにです)。後ろも振り返らずに行くのです。そうでなければならないのです。神様はそれを喜ぶのです。命令を受けて出ていく時は、あっさりと行きなさい。後ろも振り向くべきではありません。「あなた、お元気で」と言って、目を真っ直ぐに開けて、百回くらい見ても嫌にならないので、出発前に何千回も見なさいというのです。このようにして、見たくなくなったら走るのです。

 そうして、国を取り戻して帰ってくるときは、その夫が宴を催して女王のようにお迎えしなければなりません。ご苦労様と言い、息子を連れてきておいて、母親をお迎えして敬礼をしなければならないというのです。そのようなみ業がなければならないのです。帰ってくればお迎えしなければならないでしょう。お迎えしてこそ、初めて夫の役割を果たすでしょう。そうではありませんか。そうしてこそ初めて、一段階高い立場で夫の役割を果たすことができるのです。今からは、それこそ見事に活動して故郷の山河から帰ってくれば、その次には皆さんに出動伝道という話を、私はしないつもりです。(一六四―二九七)

7 今回が最後の動員である

 これが最後の動員です。今からは動員しようと言っても動員しません。(一六五―二六一)

 モーセの時に六十万の大衆が荒野であえいでいたのを、南北を中心として六千万民族を世界を代表として荒野から解放して地上天国を立て、単一国家民族の形態を中心として、天道に従って、天が願う一つの基盤を地上に成し遂げるのです。その時には、億千万年変わらない一つの世界が展開されるのです。ですから最後です。最後だというのです。(一六六―二六八)

 私たちは奉仕して、反対する環境が順応できるように努力してきたのです。個人的に影響を与え、家庭的に影響を与えるのです。今回、家庭が派遣されるのは何回目ですか。個人的にはしましたが、家庭的に何回目ですか。二回目だというのです。(三回目です)。何が三回目ですか。七〇年度に出て三年間やったでしょう。その次には、何がありますか。(一九八一年度に……)。それは三年ではないでしょう。何カ月ですか。(七カ月です)。七カ月間でしょう。ですから、正式に家庭的な動員をするのは二次です。二次だというのです。これが最後の動員です。(一六五―二九四)




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南北統一_7-5-1

神様の摂理から見た
  南北統一

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第五節 七千の群れと韓国食口の使命

一.蕩減復帰すべき七千の群れ

1 バアルに屈しない七千の群れ

 旧約時代のエリヤの役事を見ると、北朝イスラエルに十支派があり、南朝ユダに二支派がありました。南北に分かれていたのです。これを一つにするために、エリヤが戦ったのです。バアル神を信奉し、アシラの木像を守る八百五十名近い預言者に対し、エリヤ一人で生きている神様を証すべく、バアル神が本物か偽物か試すために、祭壇を築き牛を供えて、祈祷し、天から火が下って祭壇を焼いたほうが本物であるというのです。

 それで北朝イスラエルの代表たちは、邪神を隠して、アシラの木像とバアル神を信奉する預言者たちが侍っていましたが、その牛に火がつくことはありませんでした。

 しかし、エリヤが祈祷したところすべて燃やし尽くしてしまったのです。そして、そこにいた偽りの八百五十名の預言者たちを殺しました。そうなればすべてのものが屈服するはずなのに、サタンが反抗するのです。エリヤを捕まえて殺そうとしたのです。それでエリヤは砂漠地帯へと逃げてれだまの木の下に座り、死を請うて祈りました。「今や、私だけが残りました」と嘆息し、自らの命を召してほしいと言ったのです。そのように嘆くエリヤに対し、いまだバアルに屈しない七千余りの群れを残すというのです。この七千余りの群れを支えて、南朝が再び南北朝の統一圏を築き上げなければならないのです。

 当時、それが国家的基準で成せなかったため、メシヤ圏が立てられませんでした。その基準を中心として、イエス様が来られる前にエリヤが来て、縦的に分けられてしまったイスラエル圏を横的に立てるのです。ユダヤ教とイスラエル民族、イスラエル民族とローマが横的にカイン・アベルの関係になります。

 ユダヤ教はアベルでユダヤの国がカインですが、これが一つとなりアベル圏となって、アベル圏イスラエルがカイン圏ローマと闘い、勝利しなければならないのです。縦的基準が立ったので、横的基準としてローマを平定させなければなりません。世界を平定させなければならないのです。(一六九―二〇六)

2 イエス様と七千の群衆

 イスラエルとユダヤ教が分かれたのを統一しなければなりません。イスラエルはすべてカイン圏であり、ユダヤ教はアベル圏でした。そこでエリヤは、ユダヤ圏を中心とする神様のみ旨の前に民族を一致させようと、バアル神に仕える八百五十名をすべて殺しました。それを見れば、生きた神様でしょう。けれども、彼をイスラエル民族すべてが打ち殺そうとしたのです。神の中の神である神様の前に帰ってきたならば、イスラエル民族はエリヤを支持し、擁護しなければいけないのに、かえってエリヤを打ち殺そうとしたのです。ですから、エリヤが逃げてれだまの木の下で寝る途中、神様がエリヤにパンと水を上げ、道を行くようにしました。そうするとエリヤが、ホレブ山の洞窟に入って、神様に「もう私一人しか残っていません。私の命を昇天させてください」と最後に言いました。その時の神様の言葉は、いまだバアル神に屈服しない七千の群れがいるというのです。民族が反対し、十支派が全部反対してもこの七千の群れが一つになって蕩減条件を立て、ユダヤと一つになった条件を立てて、この難局を克服することができるというのです。超えることができるというのです。このような七千の群れを蕩減しなければならないのです。

 イエス様を中心にして見てみましょう。イエス様が来られる時、ユダヤ教とイスラエルの国が、すべて一つになって、イエス様を絶対信奉しなければなりません。民族はメシヤを送ってくださるとの約束を信じ、メシヤは訓練されたユダヤの国と一つになると同時に、ユダヤ教会とも一つにならなければなりません。ユダヤ教のもとで国が治められなければなりません。今まで、ユダヤ教の祭司長たちが国を祝福したように、教会という内的基盤のもとで、外的基盤が支配されなければなりません。ユダヤ教のもとでユダヤの国を治めるという立場で、つまりカイン・アベルが蕩減復帰したその立場で、イエス様を中心として一つになったならすべて終わるのです。ところが、それができなかったのです。

 しかし、イエス様の前に一つになった七千の群れが残っていれば、もう一度収拾する道があるのです。天の側に収拾する道が生じるのです。(一六五―二八九)

 エリヤの代わりに来たのが、洗礼ヨハネです。それで洗礼ヨハネが来て、イスラエル民族の中から七千の群れが救われたのです。イエス様に従う新しい教派がアベル格になったなら、そのカイン圏として、イスラエルの国とユダヤ教の中から七千の群れを引き出さなければなりません。そして新しい洗礼法を中心として、国全体が従わなければならないのにもかかわらず、ユダヤ教と隣国が反対しました。ところで、洗礼ヨハネが新たに七千余名を集め、イエス様の前に捧げて完全に一つになったならば、イエス様は死にませんでした。イエス様と一つになったなら、左右が一つになったでしょう。

 そこに、百二十門徒があり、七十二門徒があったでしょう。我々の言葉で言えば、三十六家庭があり、七十二家庭があり、百二十家庭を全部編成して、その次は七千余名の群れがすべて家庭をもてば死にません。滅びません。しかし、イエス様はそれができなかったのです。サタンに奪われる立場に立たれたので、イエス様が十字架にかけられる時、左側の強盗と右側の強盗がいたのです。左右が入ってくる条件になったのです。七千の群れを神様がもっていなかったので、左右が分裂されました。右側の強盗と左側の強盗がここで生じたのです。(一六九―二〇八)

3 蕩減復帰しなければならない七千の群れ

 新約時代においては、来られる主に先だってエリヤが来るようになっていました。ところがイスラエルの教会とイスラエルの国が一つになりませんでした。カイン、アベル圏が一つになる時のみ神様のみ旨が成就されるので、エリヤの代わりに来た洗礼ヨハネがイエス様と一つにならなければなりませんでした。洗礼ヨハネは、カインとアベル圏、つまりユダヤ教とユダヤの国を一つにするために代表として立てられたのです。

 ユダヤの国は小さな国です。四時間あれば全体を一周することができます。復帰しやすい国です。それで、小さな国を立てて摂理をしました。

 教会を中心として、洗礼ヨハネがイエス様と一つにならなければなりませんでした。エリヤが来た時も、バアル神のアシラの木像を建てる思想的動揺時代だったのです。ローマの末期において、ヘレニズムの哲学的思想背景を中心として、すべてが複雑な時代だったのです。バビロンにも行ってきたり、雑神までも仕えるなど複雑な時でした。これを再び収拾して教化し、イエス様と一つにして、その上に父母様の位置を備えることができる効果的父母になって、次にイエス様が王権を建てるのです。そして、国を建てたならば、その国を中心としてローマを包容し、中東の十二支派、アラブ圏がその時完全に一つの国になったでしょう。

 今日このように、一つになれず怨讐になっている国が再蕩減するにおいて、カイン、アベルと同じく闘っています。

 これを誰が一つにさせるのでしょうか。レバレンド・ムーンです。レバレンド・ムーンが今一つにさせているのです。国際会議、政治会談なども、私が支持しなければ会議にならない段階に入っています。そのような複雑な内容、歴史的過誤を清算しなくては、現在のすべての問題が解けないのです。

 イエス様の時、洗礼ヨハネを中心として、バアルに屈服しなかったと同じような七千余名の群れがいたならイエス様はなぜ死んだのでしょうか。七千の群れをもっていたならば、そこには子女編成が自由にできたでしょう。十二支派、七十門徒、百二十門徒ではなく、新しい一つのイエス様氏族をつくって、新しい王権基盤まで連結させるよう洗礼ヨハネ一族を吸収したでしょう。また、七千余名の群れがいたならば、イエス様はなぜ死にますか。その恨みが解けませんでした。

 そして、再臨の時期においては、このような恨みを解かなければなりません。私がアメリカのダンベリーにいた時、旧約時代の解怨、新約時代の解怨をする立場なので、アメリカの政府の有名な人の中で、七千余名の群れを全部結ばなければなりませんでした。ですから、ダンベリーにいる時、三十万の牧師たちの前に五ポンドの重さのビデオテープと本を送りました。そして、アメリカの牧師たちが統一教会の内容を知ってびっくりしたのです。

 アメリカの神学校の方向性を、私が設定してあげています。例を挙げれば、アメリカにはAALという宗教連合会があります。六千名が集います。五年前には、統一教会は足を踏み入れることもできませんした。しかし今は、会長と理事会を、我々の神学者たちで埋めています。夢のような話です。(一九八五・一二・二九)

 イエス様の前に七千名が一つにならなければならなかったのに、天が選んで連結した七千余名の群れを失ったのでこれを蕩減復帰しなければなりません。それで、先生はダンベリーの牢獄の中で、七千名の牧師たちを教育しなさいといいました。分かりましたか。七千名を教育したのです。アメリカとアメリカの教会、天の側になる人は一人もいませんでした。統一教会がアベル圏にいれば、アメリカにおいてアメリカのキリスト教会の七千名を連結させて、アベル的基準と一つになってこの道に従っていけば、蕩減条件は成立するのです。それで先生が牢獄の中で成したのが、七千余名の群れの教育です。カウサを中心として、七千余名の牧師たちを中心として蕩減条件を立てたのです。その七千余名の群れを連結させるのがどれほど難しかったでしょうか! (一九八七・五・二七)




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南北統一_7-5-2

神様の摂理から見た
  南北統一

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二.先生と七千名の群れ

1 ダンベリー監獄と七千名の群れ

 七千名は何を象徴する数ですか。皆さんが旧約聖書を見れば、北朝イスラエルが全部バアル神やアシラの木像に仕えるなど、サタンに従ったので滅んだということが分かるでしょう。神様のみ旨を知っているエリヤは、これに憤慨して北朝の全預言者を滅ぼしました。神様の恵みをもって試練して、火をつけることにしました。八百余のバアル神を全部滅ぼして、その預言者をすべて殺したら、北朝のイスラエル民族が生きた神様を知って、南朝ユダに従って頭を下げ順応すべきだったのですが、反対してしまいました。預言者たちをすべて片づけさせましたが、北朝の民たちは、反対したのです。開いた口がふさがりません。生きた神様がいらっしゃると天の権能を直接、実際に見た人たちも反対するので、どれほど驚いたでしょうか。その上、彼らはエリヤを殺そうとしました。

 エリヤがそこを逃げる途中、疲れてれだまの木の下に座って、私の命をもっていってくださいと言ったでしょう? そこで寝ると、天使が来てパンと水をくれたでしょう? その後ホレブ山に至って、そこの洞窟に居ながら、「私だけ残りました。私の命を取ってください」と祈りました。その時、神様が話されるには、「お前は今そのようにお前自身をもどかしく思っているが、イスラエルの国を救わなければならない神様のみ旨を中心として見る時、あなたが考えなかった摂理のみ旨があることを知らないのか」と言われました。そして、「彼らはお前に反対して騒いだが、まだバアル神に屈しなかった七千名の群れが残っている」と教えてくれたのです。「お前が彼らを呼び起こしなさい」と言われました。また、彼らが南朝ユダと一つになる時、神様の摂理、勝利の基盤は、そのまま受け継いでいくのだと言われました。このようにバアル神に屈しなかった七千の群れがあったというのです。

 イエス様の時代、反対するイスラエル国家圏においても、そのような七千の群れが洗礼ヨハネと一つになって反対しなかったならば、イエス様は死ななかったでしょう。歴史的なすべての過ちは、必ず国が誤ったら国が、教会が誤ったら教会が、因果原則によって一時を通して清算しなければ越えることができません。罪を犯せば、必ずそれに対する代価を払わなければならないのです。

 ですから、イエス様の時代においても同じく七千名の群れを立てて、再び収拾しようとしましたが、そのような群れがイエス様の前に現れなかったのです。ユダヤ教もできなかったし、イスラエルの国もできなかったので、イエス様は十字架にかけられたのです。そのように今日も、七千名の群れが残っているというのです。それで、先生がダンベリーの牢獄に入って、七千名の牧師たちを呼び集める計画をしたのです。分かりました、何の話か。(はい)。

 歴史は、このように同時性の時代として螺旋形で発展していきます。どんどん大きくなっていきます。それで、世界的な蕩減的同時性の時代を迎えた先生においては、ダンベリーの牢獄に入る時、その立場と同じだというのです。アメリカの教会が反対し、政府が反対していました。謀議によって、自分たちのために、レバレンド・ムーンがどうしてもこれで最後になるようにと願ったでしょう。彼らは、殺すことができないからそうでしょう。殺す方法があったならば、何でもやって……。しかし、彼らが思うとおりにはいきませんでした。

 そこで先生は、七千名を集めて教育をしました。その教育は、簡単ではなかったのです。(一六四―一三一)

2 七万名の牧師教育

 七千名、七万名のキリスト教の牧師だけ教育するならば、カナン福地に入ってもまだ余地があります。七万名だけできれば二百五十箇所の地方組織をして、アメリカを完全に消化することができるのです。カナン福地は、共産党にだけ勝てば、可能なのです。ですから、キリスト教を中心とする四千五百万の勝共会員を確保するようにするのです。アメリカでもキリスト教の牧師七万名を一つにすれば、四千五百万名会員目標は無難に達成することができます。ですから、七万名をどのようにカウサと連結するかが解決の鍵です。キリスト教だけが一つになるならば、アメリカがついてくるようになるのです。(一九八五・四・八)

 アメリカの牧師たち七万名がカウサ運動に参与するようになれば、彼らを教育して世界復帰のため、進軍命令を出そうと思います。考えてみてください。七万名のアメリカの牧師たちが世界宣教師として立つならば、キリスト教界だけでなく、世界の宗教界がひっくり返って大騒ぎになるからです。アメリカを救うことができる道が、アメリカの牧師たちをカウサ運動に参与させることであるということを皆さんに話した先生を、これから少し理解してくれるであろうと信じます。成していることすべてに、神様の深いみ意があるという事実を知らなければなりません。(一九八六・六・六)

 今、私はアメリカで何をしているのでしょうか。私が牢獄から出るなり二日修を始めたのですが、四カ月の間に七万名の牧師の二日修練会を終わらせました。その七万名を教育するために、韓国で三十三万五千名、三十五万名に近い全米の牧師たちに、五ポンドの包みの中に原理の本、ビデオテープ、統一思想に関する本を入れて、すべて発送しました。私が監獄で書いた親書を入れて送りました。「受け取りなさい!」と書いたのは、反対しているだろうけれど、ということです。

 なぜ、それを分けてあげるのでしょうか。嫌な人は嫌だから悪口を言うし、好きな人は好きだから問題を忘れるのです。ですから、そのような材料を、荷物用の三十トンのトラックで九十九台分も送りました。今回、ニューヨーク教育委員会と闘ったこともすべて、自分たちが神学者を立てて……。(一六七―一六一)

 牧師たちを連れて教育をしたのです。今回、橋を架けるラッパを吹く者たちが必要なので、レバレンド・ムーンの言葉をよく聞くように、七千名の牧師たちを韓国に連れて行って教育するのです。その背後に七万名を既に教育しました。その間に、たくさんの人たちを我々の材料を中心として、研究せざるを得ない雰囲気に追い込みました。(一九八七・九・一三)

3 七千名アメリカ牧師の来韓教育

 昔、イスラエルの国が分かれ、イエス様の時代に左右に分かれたのが連結されて、終末に再臨主が来られるときに七千余名の群れをもう一度立てて、蕩減しなければいけないのです。それが先生がダンベリーの獄中に入って、アメリカの牧師七千名を教育したことです。そこに、七万名をして三十五万名を連結することができる基盤を築いて、そこで再び七千名をどこに連れて行って教育するのでしょうか。

 アメリカではありません。第三イスラエルです。第二イスラエル圏をつくらなければならないユダヤの国が、イエス様を中心として成就することができなかったので、第三イスラエル格である韓国に行って、連結しなければいけません。ですから今年七千名の群れがやって来るのです。分かりますか。

 既成教会のすべての牧師たちが洗礼ヨハネ的責務をすべて成さなければならないのですが、今まで反対しました。けれども先生が洗礼ヨハネの立場で全部収拾してあげたのです。これが七千余名の群れです。これを成すために、アメリカにいるすべての上下両院議員を動かさなければならないし、キリスト教が先生を支持することができる環境をつくらなければなりません。そのようにしたので、七千名の群れが韓国に来るようになったのです。アメリカの政府とキリスト教会が方向を同じくしなければなりません。レバレンド・ムーンに従わなければならないのです。ここにやって来て……。(一六九―二〇九)

 先生が今アメリカですることが何であるかといえば、アメリカのキリスト教を収拾することです。四十年前にアメリカの教会とアメリカが一つになれなかったことを、また、四十年前に韓国の国民とキリスト教が一つになれなかったことを、再度連結させるのです。ですから、先生が今までアメリカに行ってしたことが何かというと、アメリカの教会を動かして、アメリカの教会を中心として、アメリカ政府が動く環境と与件をつくることです。アメリカの牧師たちがここにもたくさん入るでしょう? 今年の計画は七千名です。(一六四―一三一)

 アメリカの牧師たちが全部韓国を助けなければなりません。助けることができなくて堕落したので、韓国を助けなければならないのです。今年七千名を連れて来るということが、そのことです。

 また、キリスト教会と一つになれなかったので、先生によって初めて、アメリカ政府を動かすことができる体制を今築いているのです。ですから今、猛烈な活動をしているのです。キリスト教を連合して、民主党・共和党を中心としてアメリカを救おうというのです。

 宗教圏から見る時、既成教会と統一教会はカイン・アベルの関係にあります。ですから、全世界のキリスト教にも先生は負けません。韓国教会は言うまでもなく、世界のキリスト教の中心国家がどこかといえばアメリカなので、アメリカのキリスト教の牧師七千名だけを統一教会に連結すれば、すべて終わるのです。既成教会が反対する時代は過ぎていくのです。(一九八八・一・二)

 アメリカの牧師教育も、今年の六月になれば七千名の教育を終えるようになります。事実昨年末までに終わらせようとしたのですが、遅れました。七千名の牧師教育が六月を越えてはいけないので、その間に終わらせるようにお願いいたします。七千名の牧師を教育するのですから、道端で誰でも捕まえて連れてくるのではありません。一人を探すのに何十回も訪問しましたし、どれだけ多くの反対の中で探した人物たちであるか分かりません。彼らを立てるにおいては、いろいろな役事が多かったのです。何のために、門前払いを受けながらこのようなことをしたでしょうか。それはただ神様のみ旨のために、神様のみ旨を受け継ぐ大韓民国のために、そのような路程を歩みました。(一九八八・五・一)

 今先生がアメリカで軍の関係のすべての指導層を全部方向転換させるために、教育しています。皆さんはそのようなこと知らないでしょう? 今年七千名の牧師と上院議員七千名のうち三千五百名を教育して、その次に今、退役将星三千名を教育しています。五十カ州の牧師を韓国に送って、教育させています。そのようにして、アメリカの方向性を示してあげなければなりません。

4 勝共会員七千万名の募集

 先生が今度韓国に来てやらなければならないものが何かといえば、世界を代表して、七千余の団体を糾合することです。何の話か分かりますか。(はい)。七千名ではありません。世界は、七万名を中心として……。七千万会員を募集するというのは、先生が三年前に発表したものです。我々勝共会員七千万名は相対的です。教会がアベル型であれば、これはカイン型です。七千万会員を中心として、世界解放に行こうとするのが、地上天国の理念として出帆するその時であることを皆さんが知らなければなりません。そういうことを今しているのです。今回韓国に来て何をするのでしょうか。七千余の団体を結ぶことです。(一六九―二〇九)




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三.外国食口七千名の動員

 これから、七千名の機動隊を編成して韓国に行かなければなりません。六・二五(動乱)の時、十六カ国が韓国を助けるために来ました。誰が送りましたか。人間の力でできたのではなく、神様が送ったのです。神様が自分の国を保護したいからそうしたのです。(一九七四・七・四)

 これから、南北だけでなくアジアを連合させるため、日本には既に話しました。日本に、後ろに着いてくる七千名派遣要員を準備しなさいと言いました。約五千名は日本から来るし、約二千名は西洋の人たちを連れてくるつもりです。そして、外国人を里単位まで配置して復興すれば、韓国はどうなるでしょうか。風土が変わるし、主客が変わるのです。ですから、一生懸命一日が暮れる前に、一日が行く前に、その風土を早く造成しなければなりません。(一六五―五四)

 これからすぐ外国の食口七千名が来ます、七千名が……。何の話か分かりますか。彼らはもう一年半前から準備しています。それで彼らは、「今まで一生懸命準備しているのに、なぜ呼んでくれないのですか」と言うのです。我々はその基地が必要です。ですから、急がなければなりません。(一九八八・一・二一)

 世界の人たちがまずどこに行きたがるのかといえば、韓国だというのです。全部、そうなのです。韓国に来て訓練を受ければ、アメリカにも行くことができ、日本にも行くことができ、ドイツにも行くことができるようにしなければならないというのです。なぜ、そうなのでしょうか。韓国で築いたその基準が、日本でも必要な標準であり、アメリカでも必要な基準であり、ドイツでも必要な基準になります。それゆえ、韓国に来て学んだ人は、自分の国に帰っても歓迎されるというのです。そのような論理が設定されます。

 それは共産主義を退治する問題と連結されます。何の話か分かりましたか。皆さんも先生がいる韓国に来たいでしょう? (はい)。ですから、各国の食口たちは韓国に移ってきて学ばなければならないのです。そのような計画を立てなければなりません。それで、七千名が来るようにしたのです。七千名です。七千名が、摂理史的な門を開き始めるのです。これで終わるのではなく、これを中心として継続的に行ったり来たりして、七千名が七万名にもなり、七十万名にもなったりし、そのように大移動の交流が起こらなければなりません。七千名が来るのがそれです。

 韓国に七千名が来てモデルケースになって、韓国人も「ああ、行かないでくれればいい」と言い、彼らも帰ったなら再び来たくて泣くほどにするのです。それで、また受け入れる、このような環境をつくらなければなりません。食口たちをすべて連れてくることができ、行ったり来たりすることができなければならないというのです。そこから世界各国の人たちが韓国を往来する、何と言いましょうか、祖国愛の橋が生まれるのです。(一九八八・一・三)

 もう、世界の若者たちを韓国に引っ張ってこずに、韓国にいる若者たちを前に立てて世界に送り出し、共産世界に全部ブレーキをかける運動の先発隊とするのです。ゆえに、今から大学街で起こる理念的闘いを一手に引き受けるということを宣布して、「勝共連合」と合同作戦を準備するのです。

 皆さんがここに集まったのは、準備するためです。皆さんが手本になって長子圏になれば、今後来る七千名の世界の若者たちが、皆さんのあとについて活動するようになります。全国で「勝共連合」と連合前線を取るのですが、七千名まで引っ張り入れる日には、金日成の時代は終わるのです(一九八六・一・二一)

 七千名が韓国に入って勝共要員たちと手を握って走り回れば、万事亨通できるのです。この七千名に動員できなかった州は、歴史を巡って後悔するでしょう。(一九八五・四・八)

 私が○○○に、「錦衣還国(国に錦を飾ること)」という言葉を使ってはいけないと言いました。錦衣還国ではなく、行く(帰る)途中なのです。南北統一を自分の手で成し遂げようと、神様に祈祷しましたが、いまだに成し遂げられていません。それゆえ、西洋人七千名を入国させて、南北統一のための準備をする予定です。韓国が南北統一さえされれば、そのすべての方法と思想を伝授するなと言っても、ドイツで自然と伝授されて統一されるのです。縦的な南北統一と横的な東西統一が成し遂げられて、すべて解決されるのです。(一九八六・五・六)

 先生が七千名を動員しようとしました。外国の人たち七千名を今後動員しようとするのですが、それは、面・洞を中心として連結され得るように、すべて相対的につくろうというのです。三千五百個の面を中心として、一つの面に一人がいて、その次にも、地方の十個の里ならば里、統・班組織に一人がいて、すべてこの人たちを中心として連結させて作戦を立て、世界へ行こうというのです。世界へ行こうというのです。国内の要員たちの活動はもちろんであり、国外の人まで荷担させて、世界へと行こうというのです。(一六五―二〇二)




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四.韓国食口の使命

1 韓国は宗主国

 皆さんは、りんごの木の実が日の光をよく受けて赤くなるように、よく熟さなければなりません。ですから、実の味が大変おいしいと園の人たち、洞内の人たちから主人から、すべてが知るようになれば、その味を知る人たちは、遠く離れた道のりであってもいつでも訪ねて来て、取って食べることができるのです。何のことか分かりますか。(はい)。

 皆さんがどんなにアメリカに行ったとしても、どんなに全世界を巡ろうと、「大韓民国にあるりんごの味が良いし、あー、そこにはおいしい果物がたくさんあるのに、一度でも行かなければ」という立場に立てば、これは話になるのです。それで、時間を裂いて来たら、腐った梨、腐ったりんご、全部このようなひどいこと……。頭が痛くなり、胃液が出ても、来いと言うでしょうか。私がなぜこういうことを話すのでしょうか。理由があります。世間知らずなことをしてはいけないというのです。大韓民国は今から主体国です。宗主国であることを知らなければなりません。統一教会においての宗主国ということです。それを知らなければなりません。(八二―三九)

 皆さんは韓国人です。韓国で生まれた統一教会の信徒は、主体国として、宗主国として、恥ずかしくない兄、先輩の責任を果たすようお願いいたします。今、外国の食口たちが、韓国の女性と結婚しようと、韓国の男性と結婚しようと、命を懸けて韓国に向かっています。この時において、今までの皆さんであってはいけません。一致団結しなければなりません。(一〇一―一九二)

 皆さん、韓国にあるすべての共産党の問題は皆さんの責任です。分かりますか。(はい)。先生が愛した三千里半島、先生が今まで血と汗を流した三千里半島が滅んではいけません。滅べば、神様のみ旨の宗主国家であるこの国の威信が立たないのです。世界万民の前に威信を立てることができません。共産世界の先端に立って、銃を向け合う、そのような危険な地区においての勝利の権限をもって、万方にその首都的な役割ができる民族性をもってくることによって、統一教会宗主国、祖国としての称賛を受けることができるのです。もし、滅んで世界の友邦にいる統一教会の信徒たちが共産党を退け、解放させて、民族を取り戻す業を成せば、その威信を完全に奪われてしまいます。分かりましたか。(はい)。そのようなことがあるので、先生はこのような問題を中心として今まで……。(八五―二五六)

 今から何カ月かすれば、アジアに大きな変革が起こります。私が今、その背後で主導的な役割をしています。ですから、日本より、日本国民よりも強くならなければなりません。あの金髪で青い目の西洋の人たちよりも、もっと強くならなければなりません。我々は宗主国です、宗主国。宗主国です。

 若い血をどこで流すでしょうか。皆さんのためにですか。皆さんの腹のためにですか。皆さんの一人の子女のためにですか。その子女は強盗の子になるかもしれません。その血を国と世界のために流しなさい。そうすれば、その子女もこの道をたたえ、飢えた内臓をつかんだその子女たちは、世界の人たちから迎え入れられるでしょう。これがすなわち、師が歩んで来た道であるのに……。私は追い詰められ、追われて、飢えて、寝られなくて、孤独だったけれども、この孤独な人に世界の若者たちが群がって侍っているではないですか。五色人種がどこへ行っても師を探し、国境を越え、大洋を渡って、師に向かって宿願の祈祷をし、賛美の喚声を送っているではないですか?(八二―四九)

2 本国の使命は大きい

 私が心配するのは、本国の使命が大きいということです。本家が幸・不幸の要因になることを知っているので、韓国の食口たちが雄々しくならなければなりません。強く、雄々しくならなければなりません。凛々しくならなければなりません。いくら受難の道だとしても、我々食口たちが行く道なのです。その受難の道が数多くの食口たちの倒れる動機の土台であることを知って、この食口たちが救われる伝統を私が立てようと誓う幼い子女たちとならしめてください。

 このような思想をもってこそ、本国の伝統と、歴史的な面をたたえる責任を担うことができる主人、あるいは、後継者が応当することになるでしょう。そのような統一の役軍にならなければなりません。

 今、統一の食口がどのようにしなければならないかを話しました。統一の食口は、心情の統一をしなければなりません。同じ心をもつと同時に、我々は親不幸をした歴史を知ったので、天が打つ前に私が打たれなければなりません。(六〇―三五)

 皆さん、本国というのは恐ろしいことです。自分の兄弟たちが外国に出て犠牲になっても知らないとすれば、その国は無力な国であり、滅びる国です。本国にいる皆さん! 外国から聞こえてくるニュースを聞く時、それはあり得ることであると思う常習的、退廃的思想をもってはいけません。そのような群れは、関係ない者です。

 いいニュースがあれば、ご飯を食べなくても踊りを踊りながら喜ぶ心をもたなければならないし、悲しいニュースが聞こえてくると私が食べることを忘れ、寝ることを忘れ、私の問題のように骨の髄深くまで感じる、そのような人が主人であり、主人の息子の立場ではないですか。ここで、第三者のように眺める群れ、眺めながらあざ笑い、口を開けて、ああだこうだと言う人は、主人の悲しみを引き起こす反逆者です。切り殺して解決しなければならない怨讐だとすれば、その人から清算しなければなりません。(六〇―三一)

3 主体国家の使命

 皆さんは、統一教会の主体国家の食口たちです。そのような皆さんの精神の姿勢がどうであるかを考えなければなりません。自分自身も知らず荒野に出てきて、少し苦しいからと、過去の因縁の中に戻って行こうとしていなかったかと一度は考えなければなりません。

 皆さんは、荒野からカナンに到着すると同時に、神の国を創建しなければならない使命があることを知らなければなりません。カナン族によって迫害を受け、反対を受けるとしても、彼らと闘って勝ち、祖国を創建しなければなりません。神様を信じる心で、カナン族を制覇しても余りある燃える心情で、与えられた責任を完遂しなければなりません。荒野の生活が終わったからといって、すべてが終わったとか、成し遂げたわけではないことをはっきり知って、最後の責任を果たさなければなりません。

 今日、統一教会の食口たちは、歴史時代において誰も考えなかった使命を受け入れたことを深く悟らなければなりません。一時の歴史を超越して、世界を超越して、天運を受け入れる人にならなければなりません。特に、数多い国の中で、東方国家韓国を訪ねてこられる、その中でも私を訪ねてこられて、み旨を成し遂げようとする神様の愛と恵みを感謝しなければなりません。(一九八六・一〇・二一)

 主体国になるためには、韓国の皆さんが……。私がきのうの朝も話しましたが、外国人宣教師たちが各国に行っているにもかかわらず、釣り銭でも集めて宣教師に送ってあげる、そのような運動をやっていましたか。協会長! 自分のために生きることを精神的にでも反省しなければなりません。異国の地に行って、闘いながら町々で天を眺めては、母国にいる同志たちのために祈祷している彼らです。彼らも、おなかがすいて、恨めしいのです。しかし、そのような事情を話すことはできません。けれども、皆さんは家があり、いくらでも友達がいるでしょう。

 彼らは、空の星を見ながら生きなければなりません。先生が送ったその道で命を懸けて守り、あすの勝利の環境を開くために闘争しながら、あすの勝利を誓いながら、現在の生と死の岐路を克服して行く同志たちがいることを忘れれば、この大韓民国の統一教会の食口たちは……。(八三―九二)

 我々が主体国として外国に影響を与える、世話をする国にならなければならないでしょう。世話になる国は、私は嫌いです。ですから、しなければなりませんか、しなくてもいいですか。(しなければなりません)。死んでもしなければなりませんか、生きてからしなければなりませんか。(死んででもしなければなりません)。生きようが死のうがしなければなりません。(六四―二九四)

 先生が外国に出ている間、皆さんは何をしなければなりませんか。三千万民族の前にあって、実に責務をすべてしなければなりません。教会長たちと伝道隊員たちは、どのようにしなければならないでしょうか。全国的なブームを起こさなければなりません。皆さんは街頭宣伝をしなければなりません。何のことか分かりますか。(はい)。路頭伝道をしなければなりません。全国至る所で活動をしなければなりません。

 これからは、個人が家庭を探す時ではなく、社会全体の前に訴える時が来ました。緊迫した情勢が目前に来ているため、我々はここに歩調を合わせて、跳躍することができる環境の基盤を確かめながら、全国民の前に、我々の旗を立てて訴えなければならない時であるということを知らなければなりません。今回先生がいない期間に、皆さんが最初に何をしなければならないかというと、皆さんが一つになって祈祷しなさいというのです。先生がこの国、この民族に対して祈祷したと同じく、先生がいないので皆さんが代わりに守るという意味で精誠を尽くし、今から南北が統一できるその日のために、内外的な結束をし、天と共に誓う祈祷の時間をもつようにお願いいたします。分かりましたね。(はい)。

 二番目は、皆さんが南韓各地どこでも統一教会を知らない人はいないよう宣伝しなければなりません。宣伝できなかった時は、統一教会が使命を果たさなかったことになります。分かりましたか。(はい)。昼も夜も休まずに、この短い期間内で宣伝をしなければなりません。元来は、各集団と力を合わせてこのようなことをしなければならないのにもかかわらず、そうすることができないので、我々が倍加の十字架を担ってこのようにしなければなりません。我々だけでもこの業をしなければなりません。この業をしなければ行く道がないので、このような悲運の運命を清算するためには、すべての至誠を尽くして、皆さんの一身に苦労をかけても、それを越えて責任を果たすようお願いします。分かりましたか。(はい)。

 その次には、今一線に出ている伝道隊員たちと教会長が一つになっていません。一つになっていないところに、何かがあれば皆さんが訪ねて行って全部溶かしてください。分かりましたか。(はい)。お祈りして出ていって活動してぶつかりながら、できるなら仲の悪い人同士、昔は怨讐だった、あるいは、反対した人たちを連れていって、一緒に活動しながら一つになるようにすることです。仕事をおいて一つになり、国をおいて一つになるようにすることです。我々統一教会の食口同士に怨讐がいれば、全部解きなさいというのです。

 このようにお祈りして一つになって、三千里半島に対して、皆さんが精誠を集めて宣布するならば、天は必ず我々が行く道に協助するでしょう。これが先生が見る観点なので、そのような心をもってすべての精誠を国の前に帰結するようお願いします。分かりましたね。(はい)。(五〇―二五四)

 韓国はアメリカに負けてはいけません。私がアメリカに行って韓国を見ながら、「はー、韓国の者たち、良くやる。すごい!」と言うようにしなければなりません。

 韓国は主体国です。それで、主体国の原因を褒めるのです! どうですか。そうでしょう、そうではないですか。このように生きずに乞食のように見えても、精神的な姿勢だけは、信仰の祖国である韓国が主体国であることを褒めるのです。たとえ先生がアメリカの地にいたとしても、韓国のために良くやっているとしなければなりません。そのようにしなければ大変になります。そうしなければならないでしょうか、しなくてもいいですか。(すべきです)。しなければどうなりますか。(大変になります)。成るようにしたのにもかかかわらずできなかったらどうなりますか。自動的にそのようにできないときは、どのようにしなければならないでしょうか。自動の反対が何ですか。(他動です)。自動的にできない時は、強動的(強制的)でもしなければなりません。(笑い)どうですか。自動的にすべきですか、他動、強動的にすべきですか。(自動的にすべきです)。それを自動的にすべきですか、しないでおくべきですか。決定しなさい。すべきですか、しないでおくべきですか。(すべきです)。絶対すべきです。(六五―八三)

4 韓国の食口に対する願い

 韓国の食口たちは、外国の食口たちの前で心情の指導者になって、彼らの信仰を正しくしてあげる重要な責任があることを知らなければなりません。韓国の悠久なる歴史の中で、伝統的に継承してきた礼儀と美徳に基づいて、心情世界の根のような役割をしなければなりません。

 韓国の食口たちは、世界の食口たちの前で模範的な侍る生活を見せなければなりません。神様の恨を解いてあげるために、心情の伝統を相続しなければなりません。(一九八二・一〇・一七)

 本部を中心としている皆さんは、先生のことを考える心があり、先生のために生きる心があれば、まず、大韓民国のために、世界のために神様のために生きる心をもたなければなりません。私は、皆さんが心配してくれなくてもいいのです。私のために心配してくれなくても、私は私の行く道を行っています。私は死んでも、今、私の行く道を行けるのです。けれども皆さんは、死んでも皆さんの行く道を行けないのではないかというのです。ですから皆さんは、先生のために心配するよりも、大韓民国をより愛し、世界人類をより愛し、神様をより愛しなさい。そうしてから、先生を愛しなさいというのです。これが、皆さんの行く道です。

 先生が慕わしくなる時があれば、その心を回して、大韓民国の民を慕いなさいというのです。三千里半島の山をつかんで、松の木一本、草一束を握って、先生の代わりに泣く人が慕わしいです。(五一―三六一)

 私が皆さんに願うのは、宗主国の威信を立てよということです。虎の子として生まれたら、足が傷ついても虎の子です。何のことか分かりますか。(はい)。どこに行っても、統一教会がああだこうだと悪口を聞く、骨のない無骨虫にならないでください。私がいいたい言葉があっても言わないのです。十年後を見ようというのです。私の手が大きくなり、私の若い顔があなたのような顔になった時、あなたの息子が私の前にひざまずくだろうというのです。誰でも、審判できないことを自らが解決しなければ深く寝ることができないし、自らが成功したとはいえません。自身を立てて、目標を立てたとおりに直行できる男性・女性を私は必要とします。このような人でなければ、大韓民国の現在の実情を解決して、未来の新しい世界、新しい天国に、橋をつくることができないし、開拓することができないと思います。

 先生が、ヨーロッパの舞台を中心として、大韓民国を連結させる道をつくります。先生が韓国の若者たちに、「もう時が来たので総出動しなさい」と言う時、すべての装備を備えて、はばきを結び、銃を持って、進撃命令が下ればその命令と共に敵陣に向かって総攻撃できる体制を備えなければなりません。その意気と、その訓練された姿を見る時、皆さんが西洋のどのような国の若者たちよりも優秀になることを願うのが、大韓民国に生まれた私の思いです。

 この思いは愛国的であり、この思いによって神様は皆さんに祝福を加えてあげるでしょう。ところで、そのようにできない時には、私が大韓民国に生まれたことを恨むのです。三十余年の生涯を通して迫害を受け、受難の道を歩んできたすべてを加重して、大韓民国につばを吐き、私がアメリカの市民になることを考える人です。何の話か分かりますか。(はい)。

 今から少し過ぎれば、各国から先生を迎えようと競争する日が来ます。遠くない将来にそのような日が来るでしょう。その時が来れば、大韓民国は候補者にもなれません。私はそのように思います。私が血と涙を流し、眠ることができずにすべての精誠を尽くした国です。ところが、この国が私の言うことを聞かないのです。それで、皆さんに滅びない基台をつくって、虎の子になれと言ったにもかかわらず、猫の子にもなれなかったのです。私が教育を間違ったら、責任をとらなければなりません。何の話か分かりますか。(はい)。深刻な男です。天の摂理のたびに深刻になる男です。(八二―四六)




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第六節 統一問答

問い:南北統一について一言伺います。我々は会員たちと共に、市・道支部長たちに対して「南北統一運動国民連合」の活動をするようにします。ところで、今まで我が国では、反共が国是でしたが、今は、南北統一問題が相当に深刻です。今から直接、南北統一問題を打ち上げていくので、統一に対する論理を我々が正確に診断していかなければなりません。例えば、七・四南北共同声明とか、そして、大統領の年頭談話文で「理念と体制を超越して統一しなければならない」と言ったので、それを利用しています。それで、今回の統一民主党で政綱政策を採択したので、今はこれを、問題にしています。ですから、例を挙げて「南北統一運動国民連合では、統一をどのような方式でするのか」と聞いてくれば、どのように答えればいいでしょうか。我々の理念は、共産主義を受け入れずに、完全に撃破しながら北韓を包摂するとか、解放するという方式で話せばいいでしょうか。つまり、我々としての正確な見解が必要だと思います。

答え:ですから、カイン・アベルの話をしなければなりません。伝統を受け継いできた歴史を解いてあげなければなりません。

問い:ところで、政治、経済、社会、全般的な面において話をしなければならないのに、ただ漠然と我々が一つにならなければならないと言うのは……。

答え:政治、経済が中心なのか、人が中心なのかということです。問題は人にあります。ですから、人のための政治、人のための経済だというのです。経済のための人でもないし、政治のための人でもないというのです。ところで、今日には、政治のための人もいるし、経済のための人もいます。逆になっています。皆さんが見る観点が違います。ですから今、皆さんが政治について言ったり、経済について言うのは、政治を中心にして、経済を中心にした立場で話しているのです。しかし、そうではありません。神様を中心とした、政治・経済を論じなければなりません。思想と人格を先立てて経済を語り、政治を語らなければなりません。一言で言うのです。人はどのような人にならなければならないかといえば、神様のような人にならなければなりません。そうすれば、政治問題と経済問題は、結局問題になりません。万一、それらが先だったら、神様が人よりも政治問題、経済問題をもっと中心にするでしょう。しかしそれよりも、人のみ解決をすればすべてが解決できます。

 ですから、政治を活用するし、政治を消化できる人にならなければなりません。ところで今、世の中の人々は政治を中心とした人間観、経済を中心とした人間観になっています。あのマルクス哲学が、経済のための哲学ではないでしょうか。人のための哲学ではありません。彼らの人間価値論は、相対的価値以外の何ものでもありません。ですから、人が正しくならなければなりません。

 南北を統一しようとすれば、正しくなった人同士が会わなければなりません。正しくなった人とはどのような人でしょうか。南韓にいる人たちも正しくなった人になることができるし、北韓にいる人たちもできますが、何を中心として正しくなった人にならなければならないのでしょうか。神様を中心とした、神様を担って正しい人にならなければなりません。そのような観で見る時、共産主義は天を否定します。それで、間違っているのです。

 南韓は何かといえば、ゴッディズム(神主義)です。そのゴッディズムが何でしょうか。神様のような人をつくろうとすることです。それでは、神様のような人とはどのような人でしょうか。神様を中心として生きる人です。ところで、神様に反対し、神様と似ていない人たちは、全部自分自身を中心として行く人たちです。経済観、政治観を立てれば、自分の国を中心として観点を立てるのです。それを破らなければなりません。

 神様のような人たちができる政治観、世界的な立場で見る経済観がないではないですか。大韓民国が今から実際に問題を解き、南北統一をしなければならないのですが、現在の大韓民国の経済体制が、実際的に、この世界歴史を代表した立場に立っているのかというのです。そうではないのです。

 ですから、これから神様を中心とした真の人が現れて、世界的な経済観を立て、世界的政治観を立てなければなりません。そのようにしていかなければなりません。その思想的基調は何でしょうか。父母の愛を中心とした、万民兄弟観です。ですから、お互いのための愛なのです。今まで独裁政治家がなぜ出現したのでしょうか。そのような観が間違っていたからです。神様が好まれない立場では、自分がやっても罰が当たって滅ぶのです。

 今まで自分はしないと言っても、神様がつかまえて立たせることができる人、神様がつかまえて立てて、政治を取り仕切ることができる人が現れなかったということです。そのような人は、大体どのような種類の人でしょうか。「ために生きる」人です。自分のすべてのものを与えながら、「ために生きる」人です。

 ところで、そのような観になっていないというのです。個人を通してそうであり、家庭を通してそうであり、社会がそうであり、国家がそうであり、世界がそうなのです。その世界になぜ政治の争いが必要であり、経済の争いが必要なのでしょうか。お互いが「ため」にあるのに、です。人がそのようにならなければなりません。そのようになったあとの問題だということです。

 今、経済体制主義を見てみると、資本主義の体制、共産主義の体制、この二つの体制しかありません。私有財産を保有するか、共有財産を保有するかしかないのです。ですから、理想的世界では、共有が必要なら共有体制を活用することができ、私有が必要ならば私有体制を活用することができるのです。便利なように、全体の利益になるのなら、何であれ活用することができるのです。固定させることのできない経済体制と、経済を動かす政治体制なのです。結論がすべて出ました。何のことか分かりますか。(はい)。

 それでは具体的に、今、何をしなければなりませんか。それを具体的に学びなさいというのです。教えてあげますから勉強しなさいというのです。すなわち、政治、経済を活用することができる具体的な人間になりなさい。そのような人間になるためには、それだけ知らなければなりません。

 ですから、個人的生活にも経済が必要であり、家庭的生活にも経済が必要なのです。さらに政治も必要です。それは、個人にも必要であり、家庭にも必要であり、社会にも必要であり、国家にも必要であり、世界にも必要なのです。神様を中心としても、政治をしなければなりません。そうではないですか。天の永遠の世界、霊界に行っても政治をしなければなりません。あの世に行くようになれば、政治体制があるのです。けれども、経済体制は必要ないのです。いつでも自分が必要とするものは、すべて供給を受けるようになっています。何のことか分かりますか?

 そこには、政治体制しかありませんが、その政治体制が本然のみ旨に立脚する政治体制なのです。そこには愛を主とする体制しかないのです。ですから、愛をどのように活用して、全体を楽しくし、神様の平和の基準を成就していくのかということです。それが問題なのです。

 ですから、人間というものは、愛を中心とする理想形を成さなければならないのです。愛を中心として、一組の夫婦が生活することにおいても、お互いが国の政治体制に和合しながら、経済体制に和合しながら、愛を百方に活用することができ、効果的な結果を出すことができる家庭生活をすることによって、理想的な夫婦になるのです。そうであるので、政治・経済というのは、第二次、第三次の付随的な問題であり、重要な問題ではありません。それは、取って捨てるのです。

 ですから、南北をどのように統一しなければならないのでしょうか。神主義の人、すなわち、神様を好きな人は全部統一されます。共産党の群れが統一教会に入って、完全に一つになって、統一勇士になっています。反対した既成教会の人たちが、統一教会に入ってきて、統一食口になっています。

 皆さんも、彼らの話を聞いてください。彼らの話を聞けば、知恵がわくし、家庭に利益をもたらすでしょう。目で計り、耳で計り、五感ですべて計ってみてもよいし、喜ばれるところを訪ねていくのが、知恵をもってすべてを分別できる知性をもっている人間ではないでしょうか。知能をもっている人間ではないでしょうか。知能をもっているので 比較能力があり、知性をもっているので判断力があるのです。

 人間は、五感が感じるところを訪ねていくようになっています。誰かが行けというので行くのではありません。知能を通して比較し、知性を通して判断して、自分が訪ねていくのです。そのようになっているので、誰かが、連れて行くようになってはいないのです。自立的に行くようになっています。

 そのようにできる神様の人格を中心とした、その基準に接近できる内容の理論的根拠を世の中の人たちは知らないでしょう。それを習おうとすれば、聞きなさいというのです。それが、統一思想です。統一思想は何でしょうか。南北が一つになれる人格構成をいつでも一元化できる思想なのです。

 経済的なものは付随的な問題です。霊界に行く時、弁当箱をもって行くと思いますか。何か缶をもって行くと思いますか。霊界では、食べたいと思えば、もうご飯が現れるのです。それを食べて残しても、ゼロに帰れとすれば帰るのです。そうなので、全部人格的努力をもって活用できる対象ばかりなのです。そこに、主体的な影響は何も及ばないのです。

問い:先生。今、現実的な問題において申し上げます。我々が原理的に武装して、韓国人が原理化され、まず理想的な人になって、政治、経済、社会全般的に影響を及ぼすそのような雰囲気をつくらなければならないというみ言はよく分かります。ところが今、全国民が一番関心をもっているのは、与党、野党の対決です。今、与党と野党が民主化か安保かということで対決しています。与党は与党のカードをもって、自分たちの政治日程を外的に全然明かさず、対話をすると言っています。ですから、対話が全然できないのです。こちらは国民が中心なので、あなた方は国民の世論を聞いて、国民による政治をしなければならないのに、なぜ、あなた方同士が体育館に集まって全部やってしまうのかと言います。ですから、体育館でする民主主義ではなく、本当に国民が願う政治をしようといって新しいカードを提示しているのです。しかし、彼らは、基本カードをもっているので、対話ができないのです。それで、騒ぐのです。

答え:そのような話は、各党みな同じです。

問い:ですから、先生、そのように両側が立っているので対話ができないように、南北関係も同じです。北韓は、金日成が共産党方式によって統一しようとして、外には民主化、平和と言いますが、内は共産党式でするという基本カードをもっています。反面、我々は原理で武装して、北韓を解放しなければならないというカードをもっています。それで、我々が北韓に接触する時、どのような方式によって接触しなければならないかということです。人がどのようにならなければならないし、統一の与件をいかに成熟させるかということよりも、北韓を対話の広場にいかに引っ張るのかということです。

 

答え:彼らを引っ張るためには、理論闘争しなければなりません。文化界を中心として理論を南北にかけて討論しようというのです。それで、日本共産党が全部我が統一教会に、今まで押されてきているのを見なさい。大学街でも、公開討論しましょうといえば、全部逃げていくのです。

問い:今まで、我々が接触を試みていますが、彼らは全く接触をしてこないではないですか。北韓が接触をしていません。

答え:それは、今、北韓は接触をしないようになっています。彼らは、接触しても不利だと思えば、十歩前進したとしても百歩後退をいつもすることができるのです。さらに、百歩後退しても、この百歩前進をいつでもできるのです。いつでも彼らはうそをつくって好きなようにするのです。自分たちが有利になるたびにするのです。分かりますか。(はい)。

 今、見てみなさい。北進したという言葉を、世界で誰が認めますか。けれども四十年が過ぎた今まで、金日成はそのように教えたので、北韓の若者たちは今も北進したと考えているのです。何が事実でしょうか。今、若者たちは南進が事実ではなく、北進が事実だと思っているのです。ですから、歴史をすべて明らかにしなければなりません。

 そうなので、金日成がいうことは、すべてうそです。金日成が 独裁体制を中心として、主体思想というのは全部うそではないですか。そこにはまた、うそがあるのですが、独立闘争は全部自分を中心としてしたというのです。南韓でやったのは全部偽りのもので、ソ連から来た者だけが一番だというのです。しかし、そうではないでしょう。その根源を問わなければなりません。その根源をもって明らかにしなければなりません。

 人間の根本を問わなければなりません。人間の根本が物質であるのか、神様であるのかという問題を問わなければなりません。人間の根を探さなければなりません。根が何の根かということを分かってこそ、それを全部鑑別することになるでしょう。ところが、その根がどのようになっているのかを分かっていません。人間の根を分かっていないのです。

 そして、芽がどのようになっているのか、芽を知らないのです。枝しか分からないというのです。根も分からないし、芽も分からないというのです。ですから根本を分からなければなりません。彼らは、猿が進化して人になったというでしょう。我々人間がそのようになるでしょうか。それはあり得ないことです。

問い:先生、北韓では今、統一論として、高麗連邦制というものを打ち上げてきています。

答え:それは方法的にいう話です。

問い:そして、我々南側では、民族和合、民主統一論をもって出ています。そして、我々もお父様のみ言全体とみ旨を一言で概念化して、一般国民に植え付けてあげなければならないではないですか。

答え:それが頭翼思想です。頭翼思想!

問い:頭翼思想は分かりますが、韓国統一をピッタリと規定させるものはないでしょうか。

答え:何? 南北統一?

問い:はい、南北統一のために我々がスローガンを掲げるのです。大家族統一とか、とにかく何かピッタリと規定させるものがあれば、相当に拡散すると思います。

答え:それは、家庭をいうのですよ、家庭。家庭を拡大したのが理想です。南北韓が闘うのではなく、兄弟です。兄弟の愛を全部、知らせてあげなければなりません。

問い:そうすれば、エサウとヤコブの関係を話してもいいですか。

答え:そう、そうです。ヤコブとエサウと同じです。それでは、「和解統一であると……」そうしましょう。和解統一。それがエサウとヤコブと同じです。カイン、アベル問題です。エサウとヤコブの問題は、カイン、アベル問題でしょう。ですから、南北は兄弟なので、けんかするのは結局兄弟の利益を追求するものではなく、単独の利益を追求するので闘うのです。兄弟が共同の利益を追求するところにはけんかが起こりません。そうでしょう。北韓を統一したとしても、南韓よりもっと豊かに住むようにして統一しようというのです。そうすればできます。北韓は、すべての資本主義者たちを粛正して、除去して、統一しようというのです。我々はその方式ではありません。北韓を統一することにおいて、除去ではなく、そのままおいて、消化して統一しようというのです。(先生、今が本当にいい時期です。国会でも安保問題が論議されるし、我々が南北統一国民連合の旗を揚げて行くので、国民の世論が一方に集まっています)。兄弟たちが闘うのは、自分だけの利益を追求するからでしょう。兄が弟を考え、弟の利益になることまで考えれば闘わないのです。そのような立場までいけば、統一は自然にできます。何の話か分かりますか。

問い:我々は、勝共統一ではありませんか? (笑い)

答え:勝共統一ではありません。世の中の人々に話す時、「我々は勝共統一だ」と言います。勝共統一という話は、勝共して、何かをするという話ではなく、愛を中心とした愛の統一です。愛を中心した統一をいうのです。

 勝共という言葉自体は、もちろん、共産主義に勝って統一しようというのです。しかし、統一するのには、必ず共産主義に勝つことによって統一するのではありません。勝ったあとに、いかに彼らを消化するのかといえば、愛をもってするのです。共産主義世界になかった理想の愛をもって消化することができる道が開くことによって、統一になります。

 私たちの統一は、家庭統一です。家庭統一。兄弟統一です。南北韓は兄弟です。大韓民国は一つの国です。一つの国が二つに分かれたので、兄弟が分かれ、夫と妻が分かれたのと同じです。それで家庭統一をしなければなりません。ですから、分かれた夫に対して不平を言わないで、妻に対して不平を言わないで、二人が会わなければなりません。それによって、妻は夫を自分以上に愛することができる妻になり、夫は妻を自分以上に愛することができる夫になればできます。それができないので問題です。それでは、いかにすればできるのかというと、人間としてはできません。神様を知らなければなりません。神様の愛を分からなければなりません。

 なぜ、神様の愛が必要なのでしょうか。神様の愛を知ることによって、神様のような同位圏に参席することができるのです。神様の同位圏に参席するだけでなく、神様がもっているすべてのものを受け継ぐことができる特権、相続権があるのです。それは、愛の世界だけです。権力構造の世界にはありません。それは、力の世界にはありません。ですから、愛を中心として超越しなければなりません。(勝って統一国家としてですか?)。家庭統一です。(北韓では国家の名称を高麗連邦制といいます。今、先生が言われたのは家庭を通した統一方案なので……)。家庭というのは、大家族主義をいうのです。

問い:頭翼というのは、つばさの字として漢字で書けば、翼の字ですか。

答え:つばさの「翼」というのは、翼だけではなく、左側右側をいうのです。(左の翼、右の翼といえば理解できますが、頭の翼といえばおかしいです)。頭側でしょう。(笑い)翼です。(笑い)

問い:実務的なことを一つ伺います。婦人隊員たちが出ていって、実際に活動をする時起こる問題ですが、先生は会員加入し、七千ウォンずつもらいなさいと言われましたが。

答え:それは、最初からもらうということではありません。お金を出さないでくださいと言っても出すようになるという話です。

問い:はい。それはそうですが、我々が実際、仕事を推進することにおいて一番よいことは、先生が本当に大きな犠牲を払ったということです。それは、うわさになっているので、活動するにはよいです。メンバーシップカードで入会願書は自由にサインでもらって、基金は金額に関係なく統一基金としてもらったらよいと思います。ですから、力のある限り、ある人はたくさん出すことができるし、ある人は少し出すこともできるようにして、それを統一基金とすればよいと思います。入会願書を書いてもらいながら、加入費を出しなさいというのは、相当もどかしい面があります。

答え:それは、自由にしてください。(はい)。全部集まれば、私が全部献金させますから。(はい)。ここで、忠北教区長手を挙げなさい。(はい)。そこは、郡がいくつですか。(市郡が十三あります)。面は?(面は約百五十から百七十くらいあります)。あなたは、チェー・サンホンですか。(はい)。それがどうして分かるのですか。(道の支部長です)。道の支部長ですか。(はい)。教会支部長がそれも分からないのですか。なぜ聞くの? 教会はいくつあるのですか。(教会は十八箇所にあります)。そう。どうするの? 郡がいくつ? (十三郡です)。面は?(面は百五十面です)。

 今から皆さんが面まで教会をもたなければなりません。先生が今、全部組織編成して、一時ならば一時に集中するのです。責任組織を中心として、我々の機動隊を今から全部統班に配置して、面に入っていけば完全につかむのです。

 そうするためには、その基地が必要です。定着して、三日だったら三日間活動できる基地が必要なのです。その基地が面単位にならなければなりません。今度、配置は全部しましたか。(はい。全部しました)。

 それで、今から皆さんは、一和のメッコール販売を面でしなければなりません。面には、メッコール販売基地をつくらなければなりません。一和メッコールを通して基地をつくるのが今から我々教会の基盤になります。

 そのように知って、面まで全部基地をつくらなければなりません。それで、二十万箇所の販売所を確保しなければなりません。コーラの販売所が今、全国に何箇所かといえば、十六万箇所です。今、一和は何箇所かと言えば、五万箇所しかありません。これに追いつかなければなりません。十万以上追加するためには、面所在地を中心にして、販売営業社員を全部配置しなければなりません。

 家庭たちが面責任者になって、一和の会社を動かさなければなりません。一和の会社を動かすには、そこに販売社員がいれば、その社員を全部管理しなければなりません。面にトラックは何台必要ですか。三台くらいは必要でしょう。小さなトラックですね。販売するためには、このトラック三台をもって班まで全部配達しなければなりません。そうするためには、少なくとも二人ずつにして六名が必要です。

 それで、その家庭の家族を合わせれば、六家庭だったら三名ずつとしても十八名になり、四名ずつなら二十四名になります。それで各教会体制が確立されます。そこに、勝共連合関係者、その次に国民連合関係者など、統班を中心としてそこに関係ある人を全部集めれば、教会の基盤は自然にできると思います。

 それで、面基地確保を中心として、少なくとも精鋭要員百五十名くらいが教会の食口になったとすれば、その統班組織を中心としてそれだけ掌握すれば全部できます。組織を編成して、コンピューターに入力するとすぐ全国に配給できる体制になる時には、どのような消耗品でも全部できます。穀物もできるし、衣類もできるし、日常生活の全部を我々の手を通して完全に調達することができるのです。何の話か分かりますか。そうして、経済圏を我々が完全につかまなければなりません。分かりますか、何の話か? (はい)。(一六七―五六)




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第八章 我々の祖国と一つの世界

第一節 その国を探して来られた神様の摂理

一.その国を探し求めなければならない理由

 今日、この地上に暮らしている数多くの人間たちは、神様が予告されたその国とその義を立てることができずにいます。それで、その国とその義を探すのが、今日の我々人類の願いであり、また、数千年の歴史過程で、人間にとっても、神様にとっても願いであったということを、皆さんは知らなければなりません。

 それでは、このような望まれたその国、望まれた義がどうして我々の最後の目標として残るようになったのでしょうか。それは人間が堕落したからです。人間の堕落によって、その国とその義の中心たる神様と人間が関係を結ぶことができない状態になりました。すなわち、その国とその義の中心である天の父に関することをほとんど知らない人間になってしまったのです。そのため、神様はそのように無知な民と人類の目を覚まし、彼らの父がどのような方なのかを教えるために、これまでの歴史路程において苦労してこられたのです。ですから、その国とその義を探し立てることが、今でも我々の望みであり、目標として残されているのです。(三―一一五)

 この世界には現在、数多くの国が存在しています。数百以上の民族を中心として百以上の国家が世界に散らばっています。しかし、その国家の中で神様から本当に愛されている国が果たしてあるのかと考えてみる時、そのような国は全くないのです。

 今、地球上にあるすべての国は神様の願われる国ではなく、神様が願わない、神様のみ旨に反対する国だけです。神様が願われる国は一つもありません。そのような国家群になっているのは堕落の結果なのです。これは神様が本来、願われた姿ではありません。ですから、このような堕落世界を否定し、新しい神様の国を再び創造しなければならないのです。それが六千年間、神様が摂理してこられた目的です。(四〇―一一五)

 世界は悪党たちの世界になりました。そのため神様は、ある一つの群れを迎えて特定の国を探し立てられるのです。

 この世界にサタンの国がいくら多くとも、その多くの国を中心として見た時、サタンが愛し誇れる国は十カ国ではなく、一つの国です。そうでしょう? 今、サタンが世界で一番愛する所はどこですか。共産主義国家です。共産圏です。ですから、最後に神様の国を受け継ぐことができ、サタン世界の前に恥じることなく誇れる一つの国、そのような国民性をもった国を神様の指導でつくることができなければ、それは無能な神様です。サタンよりも無能な神様だというのです。(四八―一二四)

 今日、この堕落の世界は悲しみの中にあります。喜びがありません。悲しみの歴史、失望の歴史、罪の歴史です。全体を見ると、このような行路の連続でした。ここでは国が問題です。国が協助しなければ、み旨は成就されません。ですから、真の宗教を中心とした国が存在しなければならないというのです。(二五―一七七)

 皆さんが願うその国とは、どのような国ですか。その国は今日、皆さんが住んでいるこのような国ではありません。このような国は結局、別れを告げなければならない国です。皆さんがこのような国と縁があるなら、罪悪の因縁があるのです。皆さんは、その国の存在理由と神様のみ旨とつながる善なる因縁を結べない堕落した人間の後孫として生まれたことを自らがよく知っています。(三八―二一八)

 現世において、我々がしなければならないことは国を探し求めることです。我々には神様の国がありません。国がない者が本籍をもつことができますか。本籍地がありません。日本人は、日本という国があるので、そこに本籍地をもっていますが、神様の摂理から見る時、神様の国がなく、神様の国としての主権国家がないため、神様の国民として登録ができないのです。宗教的な登録だけです。(五五―七九)

 国がなければ国籍がないのです。国がなければ入籍できる基盤がないのです。我々は民族編成のために新しい入籍をしなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって愛国、愛族の善なる真の父母の血統を受け継いだ勝利的な息子、娘として、自己の氏族、あるいは家族を率いて生涯を終えてこそ、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。(五八―一四五)

 国があって初めて千秋万代に我々の後孫に貴く受け継いでいける伝統が残るのであり、我々の血と汗を流したすべての努力も残るのです。また、天の苦労を祝う記念塔がこの地の上にできるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地の上に残ることができるのであって、国がなければ、全く空虚なものになるのです。

 今日、世界のキリスト教において残された、十字架やすべての文物も天が求める国がなくなる時には、すべてを川に流さなければならないし、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れていくことを知らなければなりません。ですから、国が問題だということを、皆さんは知らなければならないのです。(五五―三三九)

 皆さんの家庭は「我々の家庭は、真の御父母様の愛を受けることができる家庭である。間違いなく、我々は御父母様の愛を受けることができる家庭であり、国がこの上なく愛することができる家庭であり、天の国で保障を受けることができる家庭である。したがって、私が御父母様の前に孝行者となり、国の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を常にもって進まなければなりません。

 真の父母の愛を受け、神様の愛を受けなければならないのです。ところが、神様の愛は国がなければ受けられないのです。本来、アダムは一人でも国の始まりです。分かりますか。(はい)。サタン世界のサタンの国よりも優れた国があってこそ、神様の愛を受けるのです。我々は神様の愛を受けるとしても、直接受ける者になっていないのです。真の父母の愛は受けられても、神様の愛を受けるためには、国を備えなければなりません。それはなぜでしょうか。サタンと、サタンの国が残っているからです。ですから、それ以上に高くならなければならないでしょう? そうではないでしょうか。何のことか分かりますか。(はい)。そのような道を皆さんは行かなければならないということを、はっきりと知らなければならないのです。(九〇―一一六)




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二.その国は我々すべての願い

 我々は神様の国を仰ぎ慕います。それは、なぜですか。そこは愛がある所だからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠な愛が存続することができる所です。また、自らを高めることができる所であり、自分の価値が一〇〇パーセント認定される所だというのです。すなわち、永遠に幸福な所なのです。ですから、人間は天の国を慕い、あこがれるのです。(二五―二八四)

 我々が行かなければならない道は、本当に行きたい道であり、我々が探し立てるべき国は永遠に暮らしたい国です。我々がもたなければならない財物は天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものであると保証できるものでなければなりません。また、我々が泣く時に天地が共に泣くことができ、我々が喜ぶ時、天地が共に喜ぶことができる権威と知識をもたなければならないのです。これが今日、堕落した人間たちが現世で探し求めなければならない最高の欲望であり、望みです。(一三―三一)

 人は誰でも自分の国で暮らさなければなりません。それは人間に与えられた絶対的な条件です。一人も例外なく、国とその義のために望みに満ちた義の生活をしなければなりません。頭で考えて理想郷を描き、生活で意義や法度を立てながら、その国とその義のために生きよというのです。

 皆さんにはそのような国がありますか。ないならその国を探し立てなければならないのではありませんか。その国はどのような国ですか。理想の国、統一の国です。万民が行くことができる国なのです。この国を成すには例外はあり得ません。それで、個人を統一することができ、家庭、氏族、民族、国家、世界を統一することができるのです。(一八―二一三)

 神様は摂理のみ旨を、必ずこの地上に成さなければならないのです。それでは、み旨が成された結果とはどのようなものですか。それは、この世界の万民を救い、彼らを神様がすべて主管することです。そうなることを願うのが、摂理のみ旨でなければなりません。(七三―三一九)

 もしも、地上の国家を復帰する仕事を自らの生涯で全うできない場合には、皆さんは霊界に行っても天の国に属する者としての価値をもつことはできません。地上で神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければなりません。それは、本来の創造基準なのです。(四〇―一三一)

 私は今、この世にうらやましいと思うものがありません。この世的に見ても、うらやましいと思うものがないのです。この世的なものは考えてもいません。大金、広い土地、家、そのようなものには関心がないのです。「たった一部屋であったとしても、何であったとしても、死ぬにしても自分の国で死ななければならない。神様が保護することができる、その国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きて、死ぬことができなければ、その生涯は悲惨なものではないのか。だから、死ぬ前の一日でも、その国を探しに行かなければならない」。これが先生の一生の願いです。その一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で行っているのです。皆さんは休んだとしても、私は行っているのです。皆さんができなければ、外国人を動かしてでもしなければならないし、大韓民国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行かなければなりません。(五一―三四〇)

 我々の信仰の目標は何かといえば、神様の国の民となることです。その国の民にならなければ、その子女として自由自在に万民、あるいは万物世界に誇り、愛される道は現れてきません。国のない者はいつも攻撃を受けるようになり、かわいそうな立場に立つようになります。どうしようもなく受ける場合がいくらでもあるのです。ですから、神様が足場とする国がどこにあるのか、これが問題です。(五五―七九)

 我々がこの国、この民族のために血と汗を流すことは結局、永遠の神様の国を成すため、千秋万代の後孫たちが末永く称賛することができる福地を成すためです。(一四―一九三)

 その国は神様を中心として、直系の子女たちが天命を受けて、神様を代身する命令をもって王権を治める、そのような国に違いありません。そこには民主主義や共産主義などあるはずがないというのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るのです。そのようなことを考える時、私自身が、そのような国の民になれなかったという事実が恨めしくないのか、というのです。私自身がそのような国で暮らせなかったことを嘆かなければなりません。そのような普遍の主権をもっていないことを我々は嘆かなければなりません。

 そのような主権と国民と国土を得るために、人類は主権国家を立ててきました。その中で数多くの人が死に、数多くの民が犠牲となり、数多くの国が滅亡し、数多くの主権が交代し、現れてきたという事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった数多くの人々、神側にいる人々、あるいはそのようなみ旨を立てるために犠牲になったすべての悲しい魂は、いつか、そのような国を、そのような世界を成してくれることを願うのではないでしょうか。(七二―二九二)




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三.その国を探し立てるための神様の摂理

 人類が堕落したその時から今までの歴史は堕落の歴史であることを知っています。その堕落の歴史は神様が主管されるのではなく、サタンが主管しているということを我々は知っています。

 この世の主人は神様でなければならなかったのです。神様と愛の関係を結んだ直系の子女、その子女たちで構成された家庭を主として氏族が編成され、国家が成立し、世界ができていたとしたなら、それが、神様が主管できる世界であり、神様が主管できる国であり、神様が主管することができる家庭であり、神様が主管することができる個人になったことでしょう。ところが、人間が堕落することで個人から家庭、氏族、民族、国家、世界全体が神様と反対の立場に、神様を怨讐視する立場に立っているのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界だということを知っています。

 この世界をこのままほっておけば、神様が立てようとされた創造理想である永遠の愛の世界を成すことができないので、絶対者であられる神様は、立てられた創造理想を実践させてこそ、神様の本来の権威をもつことができるのです。そこを標準として、悪なる世界を収拾し、本来理想とされた本然の世界に導いてこられたのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理なのです。(六三―一五二)

 この地上には、堕落主権の国は多いのですが、神様が望まれた国はありません。神様は、神様のみ旨を成すことができる国を立てるために、人間が知らない間に歴史を通して時代を動かしてこられました。

 神様は一つの個体を通して、家庭と社会と国家と世界を主管しようという望みをもってアダムを造られ、完成に向かって育ててこられたのです。ところが、アダムが堕落することで一から始まった歴史は四分五裂に乱れてしまいました。これを収拾し、連結させてきたのが救援摂理歴史です。

 アダムはすべての人間の先祖なので、アダム個人を失ったことは全体を失ったのと同じことですから、これを探し立てなければなりません。再び立てる、その一人のお方は氏族と民族と国を放棄しても、それを忘れて神様のみ旨のためだけに進んでいくことのできる人でなければならないのです。

 ノアは民族的な環境に置かれていても、そこに属することを願わなかったし、国に属していても、その国にかかわらないで、自らの望む国を探し求めました。望む国を探し立てるために、彼は与えられた試練と逆境を乗り越えなければなりませんでした。ノアには親戚も民族もありましたが、それよりも神様のみ旨を追求していった人です。

 ノアに対する神様の望みは、その国とその義を求め、個人的な環境を屈服していくことでした。彼が春夏秋冬一日も休まず、百二十年の試練の過程を越えるその苦労はどのようなものだったでしょうか。家庭がノアを捨てても、ノアはどのような非難の矢もすべて受け止めて百二十年間やり通しました。その国とその義を求める前に飲み食いしたならば、それは後ですべて蕩減しなければならないという原則を、ノアは知っていたのです。

 神様はアブラハムとサラを、カルデアのウルから旅立たせました。ハランが自分たちの暮らさなければならない所とも知らないまま、ただ順従な心で信じて、そこに向かっていったのです。(その途中)パロに連れていかれることになったサラは、それでもアブラハムを恨みませんでした。望みの国に向かっていく彼らの心は、どんなにむごい迫害が迫ってきても変わらなかったのです。

 ヤコブは、自らに下りた祝福には望みの国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を曲げることはできませんでした。

 このようにみ旨は個人、家庭、氏族へと広がり、我々の先知先烈たちは、次第に世界的な望みをかけて出ていったのです。

 イエス様はイスラエルの不信と迫害で流浪する身となり、霊肉ともの願いを果たせませんでした。天地のすべての障壁を打ち壊し、一つに統一し、進まなければならない使命をもって来られた方がメシヤです。

 この地を中心として構成された理念、国家は滅びても、天倫が要求する理念、国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨です。アダムに願われた神様の望みは、アダム個人にとどまるのではなく、アダムを中心とした家庭と氏族と民族と国を成すことでした。

 メシヤが、それほどまでに成そうと目指した国がイスラエルの不信によって崩れてしまった時、イスラエルも滅びました。ですから、再び来られる再臨主にはアダムを完成し、メシヤ(イエス様)の使命を完成させる責任があります。彼にはアダムを完成させ、アダムを中心とする氏族、国家、世界を完成させる責任があるのです。(一一四―一四八)

 神様が愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を立てるための仕事を進行させてきましたが、現時点では、一つの国家を復帰できる基盤はつくられていません。そのたびに失敗したので、この地上に天の人を送り、その仕事を営ませ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの神様の歴史なのです。(三〇―一〇)

 国家基準を見てみると、今までの復帰歴史は縦的な歴史です。ですから、今の国家基準を見ると、国家は一つの形態をもって初めて世界に行くことができる基地になるのです。分かりますか。今まで、これが上がってこようとしたのですが、上がろうとして失敗すれば落ちて下りてくるのです。落下すれば、一番底まで再蕩減しなければならないのです。(七八―一五)

 神様が私という個人を犠牲にしても感謝しなければならないし、私の家庭を犠牲にしても感謝しなければならないし、私の氏族を犠牲にしても感謝しなければならないのです。また、私の民族を犠牲にしても感謝しなければならないし、私の国を犠牲にしても感謝できなければなりません。そのような国が現れてこそ、世界はその国によって収拾されるのです。

 ところが、個人がいくら犠牲になっても、その国が来なければ個人の犠牲は続きます。また、家庭がいくら犠牲になっても、その国が決定しなければ家庭の犠牲は続くのであり、氏族と民族がいくら犠牲になっても、その国を立てることができなければ、氏族と民族の犠牲は続くのです。

 それと同様に、神様も過去の歴史路程において、その国を探すために、摂理を推進してこられたのです。ですから、国のことを考えて、国のためになることができる個人がいれば、その個人の伝統を受け継いだ家庭を通して、国のために犠牲になることができるようにし、また、氏族と民族が、その家庭の伝統を受け継いで国のために犠牲なれるようにしました。このように、その国を求めるために神様が今まで摂理を推進してこられたのです。今日、我々がこの地上に生まれた目的はどこにありますか。国を愛するためです。神様が今まで摂理されている目的も、その国を愛するためです。(三二―二二五)




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四.イエス様とその国

 主権のない国の国民は惨めなものです。それでイエス様が心配されて、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人たちが切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・31〜33)と言われました。
 
 まず、息子を求めよと言われましたか、国を求めよと言われましたか。神様が探している国を求めよと言われたのです。(三四―三三七)

 神の国と神の義を探し立てようとされる神様の願いは、人間と被造万物を離れて成されるのではなく、人間を通して成されるのです。その願いは真の人間を通して神様と万物が同化することでした。

 それで神様は堕落した人間の前に神様を代身とする一つの国の実体として、天の血統を代表できる方として、イエス様をこの地上に送られたのです。すなわち、イエス様はこの地上で初めて神様の歴史的な願いを成就するために来られた方だったのです。(三―一一七)

 四千年ぶりに初めてそのような立場に立たされた息子、一つの国の中でユダヤ教を中心として、ヨセフ家庭に一つの種としてこの地上に立てられた息子が、イエス様でした。この時にサタン側は国家を形成し、神側を攻撃していたので、神側でも完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。それで、神様は一つの国を編成するために四千年間苦労されました。そのように苦労された神様の功績は、イスラエル民族がイエス様を受け入れることで世界的な足場となり、この地球上が完全に神様とイエス様を中心とする世界にならなければなりませんでした。しかし、イエス様が亡くなられることで、霊的にだけその世界が成されたのです。(二一―三九)

 イエス様は三年の公生涯路程でユダヤ教を中心として失ったすべてのことを蕩減復帰しようとしましたが、十字架にかけられて亡くなったのです。それで、霊肉を中心として、この地上に一つの実体として、神様の足場となる国として立てられたイスラエルが全部崩れていったのです。すなわち、四千年間摂理し、準備したイスラエルの足場が崩れてしまったのです。結局、イエス様を殺すことでキリスト教は霊的な国の基盤だけをもつようになり、イスラエル民族は国のない民となって遊離彷徨する立場となり、サタン世界の笑いものになったのです。それで今日、霊肉とものキリスト教の国はどこにもないというのです。ですから、再び来られる再臨主は、四千年間で準備してイスラエルの国をつくった神様の摂理を、イスラエル民族が知らずに不信し失ったので、再び復帰しなければなりません。(二二―三〇〇)

 イエス様はこの地上に国を求めるために来られました。一つの国を探し求めるために来られたのです。しかし、イエス様はその国を霊肉共に求めることができず、ただ、霊的にだけ立てられました。ですから今日、キリスト教は地上に実体の国がないというのです。これは神様が地上のどの国、どの民族も、私の愛する国、私の愛する民族だと呼ぶことができないことを意味します。いまだに神様の国の基盤が地上に立っていないのです。もし、その当時にイスラエルの国がイエス様を中心として一つになっていたなら、息子であるイエス様を中心としたその国は神様の国なので、神様はその国を中心として世界を復帰されたはずです。しかし、この地上を中心として霊肉共に連結しようとされた基盤は、イエス様が死ぬことで、すなわち、実体を失うことで霊的にだけ復帰されたのです。

 ですから、今までキリスト教徒たちは国もなく、主権がない民と同じ立場だったために、どこへ行っても殺されたのです。殉教の血を流すことで発展したのです。それはなぜですか。そのように植えつけられたキリスト教は、殉教の血を流さないでは発展できなかったからです。既に、血を流し迫害を受けていた時期は終わりましたが、死んでそのままなくなったのではなく、キリスト教の霊的な基盤を中心として、失った実体の国を世界的に探して成すために、その国を慕い、再臨主を待ち続けてきたのです。それが正に再臨思想です。(二二―三〇一)

 イエス様も楽園に行って待っているのです。天の宝座の前に行くことができなかったことを知らなければならないのです。イエス様は神様の前に国の主権を立て国を治めて、地上から天国まで直通できる権限をもつ国をつくらなければならなかったのです。それにもかかわらず、イエス様はそのような国をつくることができなかったので、神様の前に立てないのです。それで楽園は天国に行く待合室だというのです。待合室です。また、天国は一人では行くことができないのです。天国は本来、堕落しなかったなら、アダムとエバの家庭単位で行かなければならないのです。そうでしょう? 息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ、行けないというのです。

 それを再び蕩減復帰するために二千年間戦って、今まで世界と連結することができる基盤をつくりましたが、国の基準がない地上に、国の基盤を誰が受け継いでくるのでしょうか。そのために神様はキリスト教を中心とした新しい宗教運動を起こして、多くの神霊的な人たちを集めて運動させながら、今まで準備してきたのです。(五六―二〇一)




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五.国のない第二イスラエル圏の受難

 洗礼ヨハネを見ると、洗礼ヨハネは養子の位置にはいますが、霊的養子、肉的養子、天使的な位置に立っています。イエス・キリストは十字架で亡くなることで、キリスト教の出発ができました。そのキリスト教は養子の位置で復帰の役事をするのですが、霊肉を兼ねた位置ではなく、霊的基準だけをもった位置で行っているので、ユダヤ教よりも低い位置に置かれています。ユダヤ教は霊肉ともの基盤をもっていましたが、キリスト教は霊的基準を中心とした基盤だけであるという事実を知らなければならないのです。

 ですから、キリスト教は今まで養子圏を成してきましたが、外的世界である国がないのです。キリスト教に国がありますか。(ありません)。国がないのです。旧約時代は僕の位置ではあっても、ユダヤ教を中心とした民族の肉的な国があったし、霊的な国が設定できる基盤があったのです。 なぜ国が必要かというのです。国をもっていれば誰も勝手に攻撃することができないからです。ところが、国がないので、キリスト教はどこの国へ行ってもいじめられ、犬死にをし、悲惨な死に方をしました。世界的な足場を築くのがイエス様の本来の使命でしたが、それができず、キリスト教は数多くの犠牲を払い、数多くの殉教の血を流して、その足場を築きながら世界的な発展をしてきたことを我々は知らなければないのです。(九〇―二一三)

 今まで、宗教人たちはなぜ、生き残ることができないような立場にあったのでしょうか。宗教を協助してくれる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。

 国がない民だというのです。国があったなら、氏族が反対する立場にいても、その国の圏内に残る道があったはずですが、今まで宗教を信じる人たちは、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのはなぜですか。国がなかったからです。主権者がいて、国があったなら、「おい、お前たち! これが正しいのだ」と言えば、「はい」と言ったはずです。ところが、国がなかったために、そうできなかったのです。国がない民だというのです。(五六―一五九)

 今までのキリスト教の歴史を見ると、数多くのキリスト教徒が虐殺されてきました。殉教の道を歩いてきました。なぜならば、キリスト教を中心とした強力な主権国家がなかったからです。もし、ある国が反対しても、その反対する国に対して堂々と対応できる国家あったなら、キリスト教徒は、そのような迫害の道、または殉教の道をたどってきはしなかったでしょう。自分たちを保護してくれる国がなかったために、悲惨な殉教の道をたどってきたのです。

 これを思う時、もし、再臨の時期においても地上にそのような主権国家をつくることができない場合には、再臨主を信じる信徒たちが、そのような迫害を受けたとしても追い払うことができないのです。サタン世界の数多くの国々が迫害をしてくる時、それに対処して攻撃できる神側の国家基準がなければなりません。それがなければ再臨時代において再臨主を信じる信徒たちもあらゆる者から迫害を受けることになるのです。(四〇―一一八)

 キリスト教を中心とした霊的なイスラエル圏はどうすればいいのでしょうか。今日のキリスト教は、昔のイスラエルの国のようになっていません。世界のキリスト教国家の中で、「主よ、私の国にしてください」という個人や氏族、民族、国家は多いのですが、イエス様が間違いなく自分の国に来られると主張できる国がないというのです。二千年前、イエス様が来られる時のイスラエルの国のようになっている国がありません。「我が国は数千年間、来られる再臨主を迎えることができる基盤をつくった。メシヤは間違いなく我が民族の中に、我が国の中に来られる」と、主張できる国がないというのです。国のない民族よりも悲しく、むなしいものはありませんが、そうなってしまうのです。(二一―四〇)

 今日、この地上に霊的救援を完成した世界圏、キリスト教文化圏が民主世界です。ところが、神様が選んだイスラエル民族が選民思想を受け継いだように、その選民を選んで、間違いなくあなた方の国へメシヤを送るとユダヤ民族に対して約束したのと同じようにできるキリスト教国家が世界にはないのです。皆さん、これを知らなければなりません。ですから土地を失い、国もなく、空中に名前だけをもって、その国を追求し、東側から追われれば西の方へ追い出され、西側から追われれば東の方へ追い出され、南側から追われれば北の方へ追い出され、北側から追って来れば南の方へ追い出されてさまよいながら、死の道を避けながら、世界的な発展をしてきたのがキリスト教文化圏の世界です。

 この世界に神様が地を足場として、「おい! お前たち、世界のために出動しなさい!」と、出動命令できる国がありますか。イエス様が来る前まで、イスラエル民族が間違いを犯した時には攻め入って悔い改めさせ、国を収拾してくださったし、異邦の民族が撃ってくれば、その撃った国を敗北させて勝利するように、(神様が)いつでも収拾してくださいました。しかし、今はそのように収拾する国がないというのです。イエス様が死んだのちに、どの国を中心として、そのようにできる国があったでしょうか。ありませんでした。それはなぜですか。霊的な基盤の上でのキリスト教であり、肉的な基盤をもつことができなかったために、この地上の摂理ができないというのです。(六五―四八)




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六.国のない悲しみとは

 国のない民になってはいけないのです。先生は国がない時代を生きてきました。その時、私が怨讐の国の日本に旅立ちながら、大韓民国を眺めて涙を流した事実を忘れません。漢江の橋を渡りながら、目がぶくぶくに腫れて、鼻と唇が痛くなるほど泣きました。関釜連絡船に乗って、日本に到着した日が三月二十一日でした。その時から日本で、国を中心としてさまざまな仕事をしました。国がなければ生きていくことができません。皆さんには、国がありますか。怨讐の国で妻を愛することができますか。妻を愛しているうちに、その道をだめにしてしまうのです。(四九―一六二)

 イスラエル国はユダヤ教を中心として、メシヤを迎えるために現れましたが、我々はもうその段階を越えたのです。我々はそのような民族ですが、いまだに主権がありません。教会はありますが、主権がないというのです。国がないのです。

 国がない時は、どのような国でも首を切ることができるのです。しかし、我々がみ旨を中心とした国を備えているならば、我々に反対する時には、これは国家的な問題になるので、国連の協力を受けて戦うことができるのです。しかし、国がなければ大変なことになるのです。キリスト教も国がなかったので、今まで犠牲になったのです。ですから、我々は国を探さなければならないということを知らなければなりません。(五四―二〇二)

 国がなければ、どれほど幸福で善良な家庭でも盗賊たちが現れて首を切られることにもなりかねないのです。ですから、一つの国を探さなければなりません。このことを宗教人たちは分からずにいるのです。宗教人たちは、さっぱり分かりません。善なる国を探さなければなりません。これが宗教の目的です。(五七―二六〇)

 国がなくなる時には、どんなに信仰的な家庭でも首がなくなるのです。どんなによく信仰する氏族でも首が飛ぶのです。そうでしょう? どんなによく信仰する氏族、民族があっても、犠牲になることもあるのです。もし、共産党が全世界の主権を握ったなら、キリスト教徒たちの首を切るでしょうか、切らないでしょうか。首が飛びますか、飛びませんか。(飛びます)。全世界のキリスト教徒たちの首が飛ぶことを、キリスト教徒たちは知らないのです。

 それでは、神様の願いは何ですか。神様の願いは愛する息子、娘と会うことです。堕落したこの世の中での願いは、愛する息子、娘が讒訴されない世界的な国家をもつことです。分かりますか。神様が愛する息子、娘をこの地上に送ったとしても、神様は個人だけを望むのではありません。サタン世界の国よりもさらに、上に立つことができる基盤をもつことを望まれます。神様の息子がそのような基盤をもてなければ、神様の息子として振る舞うことができません。イエス様もその基盤をもつことができなかったので、国に追われて死ぬしかない運命の道を行ったことを、皆さんは知らなければなりません。

 統一教会の信徒たちにも国がないのです。今の民主主義世界も神様が六千年間、苦労してつくっておかれたのです。もしも皆さんが昔のイエス様時代のイスラエルに生まれていたなら、皆さんの首はとっくに落ちていたというのです。先生のような人は、既にこの地上に痕跡もなかったことでしょう。国家的に不義なサタンの大役者がいるかと思えば、今、世界的な不義の代弁者である共産主義が宗教を抹殺するための最後の背水の陣を敷いているという事実を、我々はしっかりと知らなければなりません。分かりますか。では、我々統一教会の人たちに国がありますか。(ありません)。だから冷遇され、邪魔物扱いをされるのです。行き先のない、邪魔物扱いを受けているのではありませんか。それは誰よりも悔しいこととして忘れてはいけないというのです。(五五―二〇九)




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七.再臨主とその国

 神様がいつ個人的に真の勝利したことがありますか。息子であるイエス様まで送っても、個人的な勝利をすることができず、願われたその基準までも失ったのです。本来の願いは個人的な勝利ではありません。国家的な勝利の基準から落ちて、国民的な勝利をしてもむなしいことですが、氏族的な勝利をしてもさらにむなしいし、家庭的な勝利しかできなかったという事実は、あきれてしまうことだというのです。皆さんはそれを知らなければなりません。

 真なる勝利の基盤がどこにあったのでしょうか。この地上にはなかったのです。それで、神様は個人的な真の勝利を、家庭的な真の勝利を、氏族的な真の勝利を、国家的な真の勝利を再び形成することを願わざるを得ないのです。ですから、再臨しなければならないのです。再臨しなければならないというのです。

 再臨主はどのような方ですか(黒板に書かれる)。再臨主はこのような真の勝利を個人的に、家庭的に、氏族的に、民族的に、国家的に成すことができる方でなければなりません。サタン世界と比較して見る時、個人的に、家庭的に、民族的に、国家的に常にサタン世界より高くなければなりません。低くてはいけないのです。これが(板書を指示される)サタン側ならば、神側はこれより高くなければならないのです。分かりますか。高くなければならないのです。

 それでは、終わりの日にはどのようになるのでしょうか。終わりの日には、これが直線上で個人もサタンより上回らなければならないし、家庭もサタンより上回らなければならないし、氏族もサタンより上回らなければならないし、民族もサタンより上回らなければならないし、国家もサタンより上回らなければなりません。このように、すべてがサタンよりも高くなければならないのです。分かりますか。真の個人的勝利がなかったのに、真の家庭の勝利的出発ができますか。できないでしょう?(五八―一四五)

 その国を探すことができる代表的な個人はどこにいるのか、という問題を見てみる時、この地上にはどこにもいません。それで、宗教を通してそのような代表的な方を迎えようとする思想が再臨思想です。この再臨思想を中心として新しい個人が現れるのであり、新しい家庭、新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界の形成が起こるのです。ですから、この再臨思想は他の思想とは根本的に次元が違うのです。

 それでは、その代表的な人はどのような人でなければならないのでしょうか。この死亡の世界で腐った死体を取り除き、そこに根を打ち込んで、それを肥やしとして大きくならなければなりません。ここで、良いと思うことを肥やしにできる力をもった、新しい主体的な人格を備えてくる人です。サタン世界で良いということを自身の生命体として復活の権限を決意できる息子ならば息子、民なら民が備えなければならない人格を見てみる時、今まで民を全部肥やしとして吸収できる主体的な力をもたなければなりません。この死亡の世界、腐った死体のようなものを肥やしとして大きくなることができる個人的な実力をもった人格者でなければなりません。言い換えれば、死亡の世界において支配された人ではないのです。(四九―九三)

 人類を救援するために来られる方が再臨主です。天は基準さえ立てば討ちます。攻勢をかけます。かといってスターリンのように首を切って殺すのではなく、一時に降伏させるのです。まず初めに理念、二番目は民、三番目は主権、四番目は領土でサタンを降伏させなければならないのです。人は誰でもお金と権勢と友と理想が共にあることを願いますが、この四つはまさに、それを代表したものです。(一二―一六九)

 神様を中心として見ると、神様がアダムとエバを創造し、父母として立てたので、これが上がっては崩れ落ち、このような失敗を繰り返しましたが、六千年の歴史を中心として、これが決定される時は、平面的に蕩減となるのです。ですから結局はアダムとエバを復帰しなければならないし、アダムとエバは人類を復帰しなければならないのです。来られる救世主、その方が真の父母ですが、その真の父母は何をしなければならないのかというと、人類を復帰しなければならないのです。人類を再創造しなければならないのです。

 しかし、もし国家基準さえあれば法で処理するのです。法でできない時には切り捨ててしまうのです。引っ掛かることに対しては返り討ちできるのです。ですから、可能だというのです。何のことか分かりますか。(はい)。型板にはめ込んで押すのです。天と地がぐしゃりと……。工場でプレスして、模様を鉄型でつくるように、ポンと一押しです。そして、それ以外の必要ないものは切って捨ててしまえば、それだけポンと残るのです。そのように素早くつくることができるのです。強制的に法でできないことは、全部切り捨ててしまうのです。弁解の余地もなく切り捨てるのです。民主主義時代ではないのです。

 それが悪党のようなこの群れをほっておいて、可能だと思いますか。この六千年間、苦労してもできないことを再臨主ができますか。しかし、再臨主は何をもってくるのですか。法をもってくるのです。審判の公法をもってくるのです。審判権をもってくるのです。そして、できなければ、それをもって切るのです。

 どのような基準が必要ですか。サタンが誇っていた国家基準以上の国が神様を中心として立てられなければ、そのような天の国の憲法を立てることができないのです。(六五―一九五)




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八.その国と我々

 統一教会が願う国は、どのような国ですか。今、統一教会は大韓民国を通して世界に出ています。しかし、統一教会は今のように共産主義の唯物史観と民主主義の唯心史観が戦う、そのような世界を願っているのではありません。この世界を超越して神様の心情と愛が支配できる国に向かって進んでいくのです。(三二―二六四)

 皆さんの国はどこにありますか。神様の国のことです。ピラトが法廷でイエス様に「お前の国はどこだ」と聞いた時も、神様の国だと言ったでしょう? では、皆さんの国はどこですか。イエス様の時代にはKingdom of God(天国)でしたが、我々の時代にはKingdom of God on earth(地上天国)です。(拍手)その内容は何かといえば、考えるだけの天国ではないというのです。実際の天国のことを言うので、そういう言葉を使うのです。(九〇―三〇二)

 統一教会は、まだ国をもっていません。皆さんもそうです。世界各国に広がっている統一教会の食口たちもすべて、孤児と同じ立場に立っているのです。別々の一つの氏族圏を成していないので、その国家自体が反対すればどうすることもできないのです。(四〇―一二六)

 我々に国がありますか。(いいえ)。教会はあるのです。これからは国のための教会でなければなりません。また、国ができれば、その国は国のための国ではなく、世界のための国でなければなりません。アメリカが神様の国になっていたなら、世界のためのアメリカになるべきであり、アメリカのためのアメリカになれば滅びるのです。そうならなければ、神様はいないということになるのです。それを知らなければなりません。(六六―一七五)

 神様が確実にいることさえ分かるようになれば、神様のみ旨に従わざるを得ません。神様のみ旨とは何ですか。この世界人類を神様が愛する民としてつくり、この地球を神様が愛する国土としてつくり、この国土と民を合わせて一つの主権国家をつくろうとされたのが、理想世界です。何のことか分かりますか。

 その理想世界の主権を誰が来て治めるのでしょうか。来られる主と神様が合同で永遠不変な一つの理想的な主権国家をつくるでしょう。そのような立場に入ったなら、皆さんが直接主管圏内に入るので、その時になれば神様を知らないという時代ではなく、誰でも霊界を通して神様を感じることができるようになるでしょう。

 今までは、神様がいても神様の能力を一度も発揮できなかったのです。神様がいてもサタン世界からいつも押されて犠牲を払い、追われることばかりで、神様はサタン世界を支配し、サタン世界を審判する神様になれなかったというのです。なぜですか。国がなかったからです。サタン世界の国よりも優れた国がなかったので、神様が働くことができなかったのです。

 イエス様を送ったのは、サタン世界の国家よりも優位に立てる一つの世界的な国家基準で、サタン世界の天使長国よりもさらに高い一つの主権国家をもたせるためでした。そうしてこそ、主人となったアダムが支配できるし、本来の威信を立てられるようになるのであり、神様が主管しても体面を立てられるのです。サタン世界の国よりも劣った国、あるいは氏族、家庭の位置に入ってはぶりを利かせるならば、そのような神様は体面と威信を立てることができないというのです。

 ですから、メシヤを送った目的がどこにあったのか、つまり、神様を中心とした主権国家を形成するためにイエス様が来たことを、今日の宗教人たちは知らないでいます。キリスト教徒たちはこれを知らないでいます。ユダヤ教とイスラエルが一つになった基盤の上にイエス様を中心として一つの絶対的な国家を形成して、ローマ帝国を吸収していたなら、世界は既に神様が主管できる地球になったことでしょう。

 それができなかったので、再現しながら今まで探してきたのです。探し求めて得たキリスト教文化圏は霊的な世界国家形だけであって、霊肉を中心とした国家ではないのです。キリスト教を国教とした国は多いのですが、その国々は神様が立てた国ではありません。ですから、地上に神様が処理できる地上国家の基盤を備えられないで、国をもてないキリスト教文明圏の上に、新しい国家形態の基盤をこの地上に立てて、イエス様が失敗しなかったその基準を復帰するまでは、理想の天国は現れることができません。これが我々統一教会がすべき使命です。

 それで統一教会は神様が探して来られた個人を探し、神様が探して来られた家庭を形成し、氏族を形成し、民族を形成します。このサタン世界には数多くの国家がありますが、その国家の中でサタンが誇れる国は一つしかないので、その一つの国よりも上に立つことができ、神様が主管できる国をつくらなければならないのです。皆さんはこれを知らなければなりません。(五六―一九二)

 目標に向かって行く統一教会の道なので忙しいのです。何千年間も引きずってきた人生行路、歴史的行路をたった何十年かの路程で蕩減しなければならないのです。この運命がどれほど複雑でしょうか。それは血と涙を流す道程を歩まなければ行くことができないのです。真なる本然の天の理想世界を探し求める道なので、聖書では、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」と言ってきました。どうして、そのような言葉を残したのでしょうか。我が家の食口が怨讐だというのです。

 この道を行くのに誰が味方になってくれるのですか。お母さんは反対するし、息子、娘は反対するし、国も反対するし、政府も反対します。

 ですから、逆理的な路程を行くのが天の道を行く正道だということを我々は知っているのです。ですから神側から見ると、この世界を求めて、一つの国をつくってくれることを願うのです。これが神様の人間に対する願いです。分かりますか。(はい)。

 それでは、人間に対する神様の願いは誰が解決するのでしょうか。どこが解決しなければならないのでしょうか。それは国ではなく、宗教です。ところが、キリスト教はそのようなことができないので、キリスト教の新しい分派として神様が祝福をして立てた統一教会がこの仕事をしなければならないのです。ですから、統一教会は世界的な人格の価値としての個人を糾合し、世界人としての家庭を糾合し、世界万人が平等な神様の国家理念のもとに、一つの国家を形成しようというのです。神様の善の主権を立てて、神様が統治できる世界の中心的なモデル国家をつくろうというのが救援摂理の目的だということを知らなければなりません。(五八―二〇五)

 我々統一教会はどのような教会ですか。その国のために決意を新しくして、現れた教会です。分かりますか。それは、皆さんに力があると言って誇るなというのではありません。体の力をもって誇る統一教会の群れは滅びます。いい頭をしていると自慢するのではなく、愛をもったと言って誇りなさい。国を誰よりも愛し、歴史過程のどのような忠臣よりもこの国をより愛し、どのような聖賢よりも世界万民をより愛しなさいというのです。その誰よりも愛しなさい。

 個人の立場に立って、誰よりも愛するのです。この愛せよという基準が世界的でなければなりません。歴史のどのような聖人たちも及ばない最高の位置で愛さなければならないという内容をもってきました。これが統一思想の出発基点です。(五〇―一三九)




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九.神様を中心とした主権が復帰されれば

 もし、神様を中心として主権が復帰されれば、数多くの国に大使館を置くことができます。数多くの国にすべて大使館を置くことができるというのです。これから、統一教会と既成教会が一つとなれば、各国には大使館があると同時に、宣教本部があり教会員がいるのです。そして、その国において、大使館はアベル型であり、その国の大統領はカイン型になるのです。アベル圏とカイン圏が一つとなれば、アベル圏になります。大使と大統領が一つとなれば、アベル圏の国民と同じになるのです。大統領と国民がカインになり、統一教会の大使はアベルになるのです。

 神様はアベル圏に協調されるので、自然にカイン圏を吸収するようになるのです。そして、神様はサタンとは違って、世界的な宗教を中心として役事されるので、全世界が一つの目的のために一度にカイン圏を集中攻撃もできるし、作戦もできるのです。ですから、どれほど早いですか。思想的な面で最高の権威をもって、宗教的な面で最高の権威を備えた基盤のうえで、このような形で行くようになれば、世界はあっという間に回るというのです。

 共産党はブルジョア階級を悪いと言って、全部一箇所に、強制的に集めましたが、その時には万民が後押しして、神様が特別な人だけを一箇所に集めて理想的な国家を形成するという現象が起こるようになるのです。その次には各国に移動して、その国をつくるような現象が起こるのです。言い換えれば、共産世界においては、共産党がブルジョア階級を強制的に移民させましたが、一つの世界において我々は、一つの国なら一つの国、全世界なら全世界で、自ら願う人を歓迎して入るようにすれば、世界の万民が一つとなって理想的な国家を形成できるのです。

 ですから、国が問題です。もし、大韓民国が天の国の主権をもったなら、大韓民国の大使がドイツに来るようになります。その大使とドイツの教会は一つだというのです。共産党のようにドイツを滅ぼすためではなく、ドイツを助けるために後援するのです。そうやって、早く韓国大使館の要員たちはたくさん来てくださいと歓迎される仕事をしながら、ドイツを復帰しなければなりません。そうなれば、どれほど早く世界が復帰されることでしょうか。

 ところで、今、統一教会から大使を送ることができますか。現在、宣教師たちは底辺に入っていて、大使館は一番上にあります。ですから、首相だとか大統領が大使と一つになれば、その国家は一度にぐるりと回るようになるのです。一つの国があっさりと瞬間的に回るのです。ただ、教育方法だけ直して思想さえ入れれば、その国を一時に回すことができるのです。(笑い)その時が我々の前に近くなったことを、皆さんは考えなさいというのです。(五四―二八三)

 復帰された一つの国は世界的な代表型です。これを公式に適用し、この一つの国を中心として三カ国さえ探し出した日には、世界はあっさりと復帰されてくるのです。いつ、天国ができるでしょうか。その時は大使たちが大統領を伝道し、王を伝道するようになるのです。分かりますか。どこかの国の王室に入って、王に一対一でその思想を話した時、王が感服して、「ああ! この思想を我が国の国民思想にしなければならない」と言えば、その国民は一度に復帰されるのです。法的に全部復帰してしまうのです。分かりますか。ですから、国が問題なのです。(五八―一五二)

 全知全能の神様が善なる国を立てさえすれば、悪なる国が攻めてきても打つことができるのです。ですから、今までこのようなことをしていたのです。国を得たその日には、法で治めるのです。そして、それに従わない時には打ってしまうのです。そのような時がくるのです。

 今まで、キリスト教徒たちが、なぜ悲惨な死に方をしたのでしょうか。国がなかったからです。国さえあったなら伝道しなくてもいいというのです。伝道したとしても、大使館を通して、その国の王を伝道するのです。王国の王族のために伝道するようになっているのです。王族になったのは、その国の善なる歴史的な伝統の因縁を受け継いだからです。王さえ伝道され復帰された時には、その国全体が自動的に復帰されるのです。それで、世界はあっという間に神様のみ旨の世界に変わるのです。これを知らなかったのです。(五七―二六〇)

 我々は国と民族がない群れであり、国土がない群れであり、民のない群れです。もし、神様が探してこられた主権国家をもつようになれば宣教をしたとしても、ごく末端のある一人の個人に宣教するのではなく、大使館を通して、その国の王と大統領を伝道できるようになります。その王と大統領が伝道されて屈服すれば、その国は一時に復帰することができるのです。そのような時が今だというのです。

 そのような国が得られたならば、世界復帰は一気にできるのではありませんか。一つの国が三カ国さえ越えれば四カ国になります。そうすれば、世界に四位基台国家の形態が備わるので、サタンが侵犯できない四方の防御ができるようになります。その時に初めて平和の世界、天国の沃土(注:肥沃な土地)が形成されるというのです。それが、統一教会が探し求める本郷であることを、しっかりと知らなければなりません。そのために我々の情熱を捧げ、我々の若い生命を投入するために集まった群れが、統一の群れだということを確実に知らなければなりません。生命の路程をふさいでいる悪の勢力が手ごわくても、それを粉砕し、解剖して、一つ残らず根を抜き取り、一時に処断し遮断するために決意を固めなければならない群れが、統一の群れであることをはっきりと知らなければなりません。(五六―二九〇)

 皆さんが国家を探し求めるのに、個人、家庭、氏族、民族、国家まで蕩減しなければなりません。個人的な蕩減路程と家庭的な蕩減路程と氏族、民族的な蕩減路程を行かなければなりません。そうでなければ、世界に行く道がないというのです。このように、国家が中心となるので各国もこのような中心となる国家を通じなければ、この道を行くことができないのです。これをよく知らなければなりません。

 もし、皆さんが国家を復帰できずに死んだ場合、この地上に再臨しても個人を後援し、家庭を後援できるだけで、堂々と勢威ある後援はできません。サタン世界を征服するための戦いができる資格者になれないのです。ですから、国が現れなければ、皆さんは入籍できません。皆さんは入籍しましたか。皆さんは統一教会には入籍しましたが、統一された神様の国には入籍できていません。国がないのに、民になることができますか。できないのです。分かりますか。(はい)。

 ですから、霊界にいるすべての霊人も、その国の人をどうにかして協助したいと願っているのです。その国さえ現れれば、再臨現象は横的に起こるのです。横的に起こるので、自らが苦労すれば苦労した基台の上で残るのです。その国を探して上がっていく時は、蕩減をしたとしても、崩れるとすべてなくなります。この底からどんなに上がっていっても崩れれば、がらがらと落ちるのです。これを元に戻そうとするようなことが起こりますが、これを横的な基準でする時には自らの実績は横的に永遠に残るのです。言い換えれば、復帰して上がっていく時は蕩減してなくなる時代ですが、国を得て横的にする時は、それが蕩減ではなく、実績によって残る時代だというのです。(五四―二八二)




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第二節 祖国光復の道

一.世界のすべての国家の起源

 皆さんは、どこの国の国民ですか。大多数がアメリカの国民だと思います。では、アメリカが皆さんの祖国です。そうでしょう? また、先生の祖国はどこですか。韓国です。そして、この久保木の祖国はどこかといえば、日本です。あのデニスの祖国は、イギリスです。ポール・ワーナーは、ドイツです。このように、ここに集まった我々の祖国は各自違います。それでは神様の祖国はどこになりますか。神様の祖国は今、存在しないのです。

 この世界のすべての国家はどこが起源になっていますか。神様が起源になっていますか、そうでなければ何が起源になっているのでしょうか。このようなすべての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。

 この世の中の国々は争いによって分かれてできました。それで、二つの国がある場合、二つの国の間にある境界線は極めて恨の深い境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてさらに熾烈な争いをして、より多くの血を流した歴史的な事実があることを我々はよく知っています。このように二つの国家間、二つの民族間の壁が最も高いのです。

 戦いはいつも、何万里も離れて飛び回ってするのではないのです。昔から隣り合わせの二つの国家の境界線を中心として戦いが起こったのです。それで、皆さんも最も近い所から戦うようになっています。なぜならば、人間が堕落したからです。近い所から争いが起こるのは堕落による結果です。

 堕落とは何ですか。神様と人間の間に葛藤が起こるようになったことであり、神様とサタンの闘争が起こるようになったことです。人間とサタンの闘争が起こるようになったのです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があるということは、闘争があることを証明するという結論になります。

 そのようにしてできた国はどこへ行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求しますが、平和の世界に行くことができるのでしょうか。このような問題が今、人類の共通課題として残っているのです。平和の世界は結果の世界ですが、間違った出発、すなわち、間違った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾だと言わざるを得ません。

 ですから、このような戦争の起源を克服して、越えていくことができる運動を展開するときにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探すことができるのです。原因が完全なので結果が完全なのであり、平和から始まったので平和の過程を通ることができ、平和の目的に到達できるというのは、理論的に妥当なことです。

 このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的に怨讐国家だと言って、いつまでも憎んでいたなら、永遠に平和な世界に到達できないことが分かります。そして、いくら理想郷を慕い理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能なのです。このような戦いが始まったその動機を否定し、間違った歴史を消してしまうためには、その反対方向の内容をもって主張する運動が必要だというのです。(一〇七―一六)




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二.我々が探し求めなければならない祖国

 皆さんは国がない民と変わりません。それでは過去に国がありましたか。歴史上に我々の国と言える形態の国があったのでしょうか。そのような国の形態ももてなかったのです。では、その国を探すために苦労した人がいなかったからでしょうか。違います。その国は過去の歴史上の人が考えていたような位置では見つけることができないので、そうなるのです。その時代の中で内外両面を備えた基準を中心として、その国を見つけることができないので、その国を迎えられないのです。

 我々が探さなければならない祖国というのは、今日、この地上にあるような歴史と伝統をもった国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。我々は次元が違う国を受け継ごうとするなら、そうできる思想的な主体性をもった国民でなければなりません。しかし、その主体的な人格は絶対的な創造主か、そうでなければ創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者が願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致できる国になることを望まなければなりません。そのような国民性をもった国家形態を備えなければならないのです。(四九―九三)

 一つの国が形成されるためには、主権がなければならないし、民がいなければならないし、国土がなければなりません。天の国もやはり同様です。主権を代身としたのが父母であり、民を代身としたのが子女であり、国土を代身としたのがこの国なのです。その中の、どれか一つでも抜けることはできないのです。これは鉄則です。(三五―二七九)

 一番大切なことは何ですか。世界と国のためにすることです。そうしていれば、滅びることはありません。滅びない所が限界点です。国のための基準で実際的な行動をして死んでいった人々は、死んでもその国の民となるのです。その国がなくなるまで残るのです。

 国が形成されるには国土がなければならないし、民がいなければならないし、主権がなければなりません。主権とは何ですか。根本的な神様と因縁を結んだものです。国を治める人々は民が深く眠りについたのちに、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして、主権者は民と一つとならなければなりません。民と一つになって、自分にあるすべてのことは自分のためのものではなく、国と民のものであると考えなければなりません。そうなると、その国は繁栄するのです。(三〇―八八)

 ある国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。民がいなければならないのです。国土がなければならないのです。そういう観点から地上に天国を実現するという問題を見てみるときに、天国の主人とは誰ですか。主権者は誰なのでしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして民は万民です。それでは国土はどこですか。国土は地球です。(九六―一五)

 地上天国は誰に似ましたか。私に似ました。一つの国を見ると、何がありますか。主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は誰に似ていますか。(私に似ました)。私という個人が集まって国ができるのです。したがって、私に心があると同様に、国に主権がなければならないし、人格体なので国民がいなければならないのであり、人間に万物があるように国土がなければならないのです。このような原則から国土は人によって支配され、国民は主権の前に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そうなっているのです。

 人を見てみると、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるので、全世界を見ると、天地人という決定的な結論になるのです。分かりますか。天とは何ですか。人間の心と同じなので、主権と同じです。人は人格体でしょう? 地は万物です。結局、国は誰に似たのかというと、全部私に似ました。

 どれほど大きな社会、いくら大きな国家だとしても、人に似なければいけないのです。それは、神様があなたの形状と似たものを好まれるからです。それでは、人が一番好きなものは何ですか。自己の形状に似たものです。では、理想的な国家は何に似なければならないでしょうか。(人です)。人に似なければならないのです。似ていますか、似ていませんか。(似ています)。天地人に似ているというのです。(二七―一八五)

 統一教会の用語で祖国というのは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国をいうのです。世界的という言葉は堕落した世界圏で使われている言葉ですから、気分が悪いのです。このような祖国を探して進む主義を統一教会では天宙主義というのです。

 その祖国は大韓民国ではありません。祖国とは、大韓民国でもなく、アメリカでもなく、共産国家でもなく、神様が願われる祖国なのです。ですから、我々は新しいその祖国の文化を成さなければならず、その祖国の歴史を成さなければなりません。

 我々は新しい理想的な祖国を立てるために、基準を正しく定めなければなりません。我々の生活を変えなければなりません。その世界は、今のこの世界とは違うというのです。言葉も違うのです。原理主管圏とか、相対基準だとか、相対基台だとか、復帰基台摂理だとかいう重要な言葉をこの世の人たちは知っていますか。知りません。だから違うと言うのです。(三六―一八五)

 統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を下ろさなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が建てた国はなくならなければならないのです。大韓民国の一つの民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は、捨てられなければなりません。世界のための宗教こそ、今後に残る宗教になるのです。(三六―一八五)




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三.神様の祖国光復の道

 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるとすれば、その人はどのような主張をしなければならないと思いますか。この世の人たちの好きな方向に行け、という主張は絶対にできません。かえって、その反対の道に行けという主張をしなければなりません。それに該当する代表的な標語が、「愛の心をもって怨讐を愛せよ!」という言葉です。「怨讐を愛せよ!」この言葉は間違った歴史を返すことができるので、台風に押されていく船の帆と同じなのです。

 しかし、復帰摂理歴史を通して、「怨讐を愛せよ!」という言葉を実践してきた人はいません。もし、怨讐を愛することができる人がいたなら、その人たちは一つの組織的な形態を備えて、世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるのです。そのような運動を神様が提示しなければならないのです。そして、神様によって提示されたその運動の繁栄体が、歴史に現れた宗教の運動であるということを、皆さんは知らなければなりません。

 今まで、神様が最も愛した人は誰でしょうか。イエス様なのです。イエス様は戦いを続けているこの世に新しい方向を提示してくれました。ローマやイスラエルと同じように、圧迫国家と被圧迫国家の間にはお互いに怨讐視する高い塀がありますが、イエス様の哲学はそれを崩すのです。イエス様は「あなた方ローマは力で私を制服しようとしているが、私は反対に愛をもって、あなた方を征服する」と思ったのです。それで、十字架にかかりながらも、怨讐のために幸せを祈ってあげたのです。

 そのような思想がローマの兵士たちに対して、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」という驚くべき宣言として現れたことを知らなければなりません。イエス様がそのようにされることで、怨讐視する世界のすべての国が、お互いにそれを越えることができ、それが、二つの国家間の国境を越えることのできる一つの原型、または典型になっているのです。

 イエス様は個人的な怨讐がすべてではないということを知ったのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐が四方から縛りつけられているということを知りました。この言葉は、私の道に従って行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているという意味です。そして、家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っていて、氏族的に行けば氏族的な怨讐が待っていて、熾烈な戦いが予想されますが、その時ごとに怨讐を愛するというのがみ言です。このような精神をもっていれば、いつかは勝利することができるのです。

 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国の光復はどこから実現されるでしょうか。怨讐を愛する思想をもった個人から出発するのです。ですから、神様がいらっしゃる限り、愛によって国境を壊し、すべての環境と文化的な壁を乗り越えて、怨讐までも懐に抱く運動を提示したキリスト教が世界的な宗教だと言わざるを得ないのです。豆を植えれば豆になり、小豆を植えれば小豆になり、赤い花の種からは赤い花が咲きます。同様に怨讐を打つ種を植えれば、怨讐を打つ悪魔の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を植えれば、怨讐を愛する善の木が育つというのです。これは自然の理知なのです。(一〇七―一八)

 神様の祖国はどこから、どのような道を訪ねてきたのでしょうか。それは怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家、世界を愛する伝統を残す道として訪ねてきたのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れないということを皆さんは知らなければなりません。

 見てください。アメリカが反対したのです。国務省が反対したのです。国会が反対したので、レバレンド・ムーンが国会で勝利したという賞状をもらったし、国務省に勝利したという賞状をもらい、アメリカで勝利したという賞状をもらうことができる時がくるのです。それで反対する国務省の中でも友達ができ、国会の中にも友達ができているのです。勝利は私に戻ってくるようになっています。

 私はそのような友達が一人もいないとしても、すべての反対を克服し、勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、相対的に、こちらから怨讐を愛する内容がさらに大きくなるはずなので、反対が大きいといって気を落とすことはありません。

 自然の理知は一箇所が低気圧ならば、他の一箇所は高気圧なのです。一箇所が高気圧になれば、一箇所は低気圧になるのです。アメリカ国務省が高い所から反対する時、私が低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカ国務省は私に屈服してしまうでしょう。

 私が悪口を言われながらも争わず、彼らを愛していたら、彼らは私の友達となり、友達の家庭ができ、友達の氏族ができ、友達の国ができたのです。(一〇七―二二)

 怨讐を愛する精神をもった人たちで構成された国ができれば、その国が神様が願う理想の境地になることができるし、人類が入ることができる理想郷になることができることを知らなければなりません。(一〇七―二二)

 私、レバレンド・ムーンはとても見栄えの悪い男です。事実そうでしょう? 皆さんは、そうではないと言いますが、この世の人は私を不格好な人間だと思っています。しかし、神様は私のことが一番好きなのです。この世の人が私を不格好な人間扱いしたとしても、神様が認めているので、この世に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。

 怨讐を愛する心をもっていれば、できないことがありません。なぜですか。美男子は誰かと言うなら、神様が送った男、その人が美男子です。おしゃれと言えば、その人がおしゃれなのです。大胆で勇猛ならば、その人が大胆で勇猛な男だと思うので、私はそれを栄光に思って、この世に対して自信満々に攻撃するのです。

 私が一人でこのように陶酔し活動すれば、何が成されるか分かりますか。こうすることで、神様が喜ぶことができる若い青年男女が生まれ、神様が喜ばれる五色人種の家庭ができ、神様が喜ぶことができる民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。

 「怨讐を愛せよ」と言ったので、一番醜い人も愛さなければならないのです。一番の美男子と最も醜い女性を結んであげても、怨讐を愛する以上に愛さなければならないのです。そのような人は、この世の怨讐を愛するために最高の王子の旗をもって前進する候補者です。事実そのような人がいるなら、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は民族も国境も乗り越えられるのです。

 愛する心さえもって生活すれば、すべての障壁が崩れ、復帰摂理歴史が短縮されて、天国が近づいてくるということを知らなければなりません。

 先生の哲学は簡単です。先生は経験のないことがありません。農民にもなってみて、労働者にもなってみました。試せることはすべてやりました。漁師になり、マグロも釣りました。私は一人だと思っていましたが、そのようにして六十年の人生を生きて、回ってきてみると、イギリス人もついてくるし、アメリカ人もついてくるし、世界の数多くの人たちがついてきます。醜いと言ってけ飛ばしても、また、ついてきます。ですから統一教会はどんなに@研究しても、その内容を知ることができません。(一〇七―二四)




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四.祖国光復は統一思想で

 これから行くべき道は、どのような道ですか。いくら氏族を編成してもサタンの国の主権が残っている限り、皆さんは国のない人たちです。ここが皆さんの国ですか。皆さんには国がないのです。いくら氏族があるといっても、その主権が天を中心とした主権でない場合は、この氏族の首を切ることができるのです。そうでしょう?(はい)。ですから、天が歓迎できるその国を探しにいかなければなりません。

 この地上の第一イスラエル圏というのは、天の全体が歓迎できるし、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も教会も歓迎できる、そのような地になるべきなのに、今日、統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立っていますか。そうなっていません。方向が違います。方向が違うというのです。大韓民国が行くのは外的です。そうでしょう? 神様を中心としてではなく、この世を中心として外的に行くのです。この国の主流的な思想がないのです。

 したがって、この国の主流的な思想を中心として、神様と連結させて新しい立体的、あるいは平面的な内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を中心として、今日の国家以上の内容をもって立ち、進まない限りは祖国光復を迎えることができないのです。

 今日の解放というのは、第一解放です。これからの統一教会においては、第二解放が必要なのです。大韓民国も第二解放が必要です。ここで大韓民国が第二解放を迎えれば、国家と民族はそれで願いが成就できるかもしれませんが、統一教会には第三解放が必要なのです。そうなるのです。大韓民国は第一解放により、初めて内外の今の国家形態を備えましたが、第二解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければなりません。そうでしょう? (はい)。(五〇―二四一)

 その国はどのような国ですか。その国は歴史過程において、民族が悲惨な路程を経なければならず、蕩減復帰の原則に一致する国民性をもたなければならないし、歴史的な伝統を受け継いできた国でなければなりません。

 その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国とならなければならないのです。今日の大韓民国がそのような国になるためには、どうならなければならないのでしょうか。その国の基準が上がるためには南北が統一されなければならないのです。北朝イスラエル、南朝ユダと同じように分かれた南北韓を、一つに統一しなければならないのです。カイン、アベル国家に分かれたのと同様に南北が分かれたのですが、これを統一しなければ一つのイスラエル国家が現れないのです。

 それでは、この国、大韓民国において、北韓と南韓はどのように統一されなければならないのでしょうか。それは、新しい世界的な思想をもたなければ統一できません。その時に備えて、新しい思想をもって行こうというのが今日、統一教会が主張する統一思想なのです。分かりますか。

 これから、我々は二つのことをしなければならないのです。世界においてどのような国もついてこれない、団結した民族を形成しなければならず、その次にはどのような宗教も及ばない鉄石のような信仰で団結した宗教国家を成さなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家を成さなければならないのです。そうでなければ、神様の国、世界に誇れる天の国の主権は誕生しないのです。これが今日の統一教会の信徒たちが行かなければならない、地上の第一目的地であることを知らなければなりません。(五六―二八〇)

 祖国を探し立てられない時は、天を中心としてサタン世界国家を凌駕できる一つの国をもてないのです。そういう国をもてなければ、世界のサタン国家を打つことができません。押し出すことができないのです。宗教や統一教会だけではだめなのです。統一教会の思想を中心として国が方向を整えなければならないのです。このような問題が残っていることを知らなければなりません。

 このような観点から見るとき、イスラエルの国の精神的支柱がユダヤ教だったように、今日、韓国で統一教会がユダヤ教のような立場にあるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。これから、国教になる時が来なければならないのです。ある人たちはこう言います。国会議員たちもこう言います。「統一教会の思想を国教にすれば共産党は問題がない」と。それは問題ありません。問題がありますか、ありませんか。(ありません)。問題ないというのです。(五〇―二四三)




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五.我々はサタン世界に送られた天の密使

 今日、天のために行く人たちはサタン世界に送られた密使です。個々人において大小、広狭、高低の違いがあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体が密使の生活を離れてはいけないのです。危険をはらんでいるのです。ちょっと間違えば、永遠の生命を左右される、このような立場に置かれているのです。

 ですから、永遠の生命を支えることができて、永遠の生命を保護することができる我々の祖国を探すという観念が、その環境よりも、何百倍も強くならなければ密使の生活をすることができないのです。その祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いた時に、すべての万民が喜ぶということを思って新しい歴史を創建し、祖国光復の一日を迎える時に、自身の功労が明らかになることを考えながら、現在の立場を無視できなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使を遂行できないというのです。言い換えれば、祖国光復のための願いが現実の願いよりも、千倍万倍も強い心でなければなりません。(それがあれば)今日、命を懸けた恨があっても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。

 もし、そのような責任をもっていて、不意の事故で犠牲になったとしても、その位置に新しい責任者を再び派遣できるのです。彼は既に死んだものの、彼の友達になれるし、ファンになる人が出てくるのです。彼が模範になる立場で生きたので、たとえ、彼が犠牲になったとしても、そこには彼のファンになる人が残るのです。このような人たちが残っている限り神様はその基盤の上に代身者を送ることができるのです。しかし、そうできない立場で死んだ時は、そこから彼がいくら苦労したとしても、それで終わるのです。

 このような立場で皆さんが、これから新しい時代を迎えて、どのような姿勢を備えなければならないのでしょうか。祖国光復のための信念が何よりもさらに高く、胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば六千年間、神様が願われた祖国を建設する旗手になり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この重要な使命に責任をもったプライドを感じなければなりません。

 生まれて死んだ数多くの人々が望みましたが、手に入れようとしても手に入れられなかった、一つの時しかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。

 ですから、食べて、寝て、行き来する、あらゆる生活全体が祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に送られた密使として、凛々しく立派に、この使命を遂行すると言って出ていくことを、神様はどれほど願っていらっしゃるでしょうか。今までは、あきれるほど押され、あきれるほど追われ回りました。国家の発展を備えて全体の内容を提示して、一度も広げることができなかった神様の願いである祖国を立てることができる、そのみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を一度も成すことができなかったのです。

 しかし、これからは、そのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには単一民族の血統がつながっていて、他の民族がもつことができない歴史があります。このような祖国のために、我々は密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命に自ら進み、早いうちに完遂すればするほど、祖国光復の基盤が私を通して次第に近づいてくるのです。今日の苦労の代価を払い、祖国光復のその日を近くに迎えることができる基台となるのです。このような事実を考えながら、皆さんは、生きて密使の使命を完遂するという決意をもって進み行かなければなりません。そうでなければ、これから神様が我々にもってきてくださる世界的な祝福と天運を、我々のものとして迎えることができません。(二九―四〇)

 我々は天国を地上に建設しなければなりません。地上にその国を立て、その国の中心と一つになり、天が願う基準を備えて帰ってこそ、天の父の前に面目を立てることができるのではありませんか。

 ところで、皆さんには国がありますか。そうでないことを思う時、死のうとしても死ねないのです。死んだらどこへ行くのかというのです。霊界に行ったときの恥ずかしさをどうしますか。私の生命の年限というのは制限されているのですが、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいですか。それに邪悪なサタンの環境は我々に反対し、怨讐たちは我々の道を妨げているではないですか。それを乗り越えて行こうというのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けられないのです。これが統一教会の食口たちが行かなければならない道であることを、皆さんは知らなければなりません。(五〇―二五二)

 私が行き来するのも、その国を探し立てる祖国光復のための建国の功臣になるためです。そのような使命を負い、あるいは天の密使として指令を受けて、今日、悪の世にきて、このようなことをしているという事実を考えながら生きていかなければなりません。そうでなければ、皆さんがこれからできる国の国民として、その威信と面目を立てることができないことを知らなければなりません。(五〇―二五五)

 皆さんは個人的な影響を与えたいですか。家庭的な影響を与えたいですか。国家的なのか、世界的なのか、どのように影響を与えたいのですか。(世界的に……)。ところが、世界的な舞台に上がれば、一人ではだめなのです。国がなければならないのです。ところで、皆さんに国があるでしょうか。(ありません)。

 ですから、我々は夜も昼も国のために食べて、寝て、暮らしているのです。そのために生まれたということを、皆さんが天を中心として誓う生活をすべきだということを知らなければなりません。寝るときも、世界の数多くの人々を集めて頂上に置いて寝ることを考えなければなりません。お膳を見ても、そのようなことを考え、どこにいても自分一人でいるのではなく、世界のすべて、数多くの人種を全部集めて、その頂上の宝座に座っているという心をもたなければなりません。天の息子、娘はそうでなけばなりません。

 サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができる栄光の位置を占めて暮らさなければならないのが、天の息子、娘の生活であることを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子、娘を愛するなら、そのような娘、息子を愛するでしょう。サタンほどもない息子、娘を愛したのでは、神様の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念をもって日々の生活を全世界と手を握ってやっていかなければならないことを、新たに決意しなければなりません。その点、統一前線の基盤は確固たるものになると見ています。

 「私はたとえサタン世界圏内にいても、天の密使である。一人の天の大使である」と考えなければなりません。密使が連絡するのは、その国の王と直結できる道があるからです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために暮らしているという信念をもって進まなければならないのです。これを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国王も密使の知らせを待っているではありませんか。同じことです。我々がこの地上でこのような使命を果たせば、神様も我々の報告と我々の要求を待たれるようになるのです。

 ですから、私が密使の立場で早急に願うものを送るようにと言えば、百方に冒険をし、克服しながらでも送るようにするのではないでしょうか。これと同じように、皆さんがそのような信念をもって神様の特権的な霊長の息子、娘であることを認識しながら「私はこれを願いますから、どうぞかなえてください」と言えば、成就してくれるのです。そうすれば、生きていらっしゃる神様を発見することができ、生きて神様が働かれるのを見ることができるのです。

 そうなってこそ指導者になれるし、病人がいれば治すことができるし、困った時、直接手を貸してくださるようになるのです。そのような生活を通してたくさんのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信がもてるし、信念をもって進むことができるのです。(六五―二八六)




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六.我々は祖国光復の先鋒者

 我々が行かなければならない所はどこですか。個人を訪ねていくのが我々の目的ではありません。また、家庭を訪ねていくことが現在の我々の目的ではないのです。我々統一宗族が行かなければならない道は国を探していくことです。分かりますか。父親、母親、子女たちに関係なく、これを探さなければならないというのです。ところが今日、統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人たちが「ああ! 国が何で、教会が何なのか分からない」と言います。そうなると、全部落第です。原理的にそうなのです。分かりますか。

 死ぬまで、国を探す誠を尽くしてこそ、天の国の光復のために祝典を開き、祝うことができるのです。勝利の凱歌を揚げることができる、その時を迎えなければならないのです。(五五―三二〇)

 イエス様の言葉なら何でも一つだけ知っていればいいのです。方向を提示するのは、二つでなく一つです。行こうと言えば、行かなければならないのです。そうなっています。なっていませんか、なっていますか。(はい)。では、夫を捨て、知識を捨て、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければなりませんか、行ってはいけませんか。(行かなければなりません)。統一教会のためにそのようなことはしないのです。国のためにそれができなければならないのです。

 今、北韓では家庭の戸籍を全部書き直しているでしょう? それは何なのか、分かりますか。サタン世界が先にやっているのです。国のためなら自分の夫や妻、親、子供に関係なく、すべてを捨てて行くことができなければなりません。そうでなければ、願う国を求めることはできないのです。その国を探し得た時、国と共に父母を得ることができるのです。国を求めることができなければ、血を流す父母を見なければならないし、血を流す妻を見なければならないし、血を流す子女を見なければなりません。それ以上悲痛なことがどこにありますか。ですから国を得る前に妻を愛することはできないのであり、父母を愛することができないのであり、子女を愛することができないのです。これがキリスト教が行かなければならなかった道であり、統一教会が行くべき道なのです。(五一―一八九)

 皆さんは自分を否定し、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。どのような難しい環境に置かれたとしても、皆さんは自分自身に対する父の願いがあることを考えながら、その環境と戦い勝つ人でなければなりません。そのような皆さんになって初めて神様の真の息子、娘だと言えるのです。

 では、神様の国を建設できる人はどのような人ですか。自分を否定し、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、まさに神様の国を建設できる人だと言うのです。そして、国家と世界を否定しても天のために生きる人が天国を建設できる人だと言うのです。また、どのような悲しい環境に置かれても自分のことで悲しむのではなく、社会と国家、世界、そして天のために悲しむ人であってこそ、神様の国を建設できるのです。

 それだけでなく、皆さんが神様の国と神様の義を探し立てるその過程でサタンと戦い、負けずに勝利して、皆さんが個人から家庭、民族、国家、世界を一つに結ぶことができなければなりません。すなわち、皆さんがどのような位置に置かれたとしても、そこで、サタンと戦い勝利する人になるのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中でもサタンと戦い勝たなければならず、国になればその国家の一番難しい問題に責任をもって進み、サタンと戦って勝利しなければなりません。(三―一三一)

 では、六千年間、神様をひどい目に遭わせていたサタンがただ単純に「ああ、私は降参だ」と言って、目を伏せて帰っていくと思いますか。皆さんは雑巾の山でも捨てるとなると、もったいないと思うでしょう? 雑巾の山でも、ひっくり返してにおいをかいでみて捨てるでしょう。サタンが何事もなく引き下がるのではありません。だから、緊張した戦いをしてきたのです。統一教会の文先生も中心から外れる時は、へし折られるのです。方向が合わないと発展しないのです。

 ですから、その国を探すためには夜も昼もありません。その国を探すことは世界を探すため、世界を探すのは霊界のためです。そして、何をしますか。神様に仕え、地上に来て位置を確保し、万国が神様を中心として侍り、その神様の前に勝利の栄光を捧げるために進むのです。そのような戦いをしなければならないのが、我々統一教会の使命であることを知らなければなりません。(五七―二七六)

 統一教会の教会員は裸足で出ていって祖国を創建しなければなりません。食べて残りもので、この国を生かすことができますか。いつ、食べること、着ること、乗って回るようなことに気を使うことができますか。裸足で、素手で開拓していこう、このような仕事をするのが統一教会です。(一四―二〇一)

 皆さんは祖国を探しにいかなければならない勇士ですか、そうでなければ、ボーッとしている亡士ですか。勇士というのは国を代表して他の人ができないことができる人です。誰でもできることをする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができないで後退する時、その仕事を成し遂げられる人なら、彼は勇士です。「勇」という文字は、すばしっこいという意味なのです。誰よりも素早く走り、銃の玉までも避けるほどにならなければなりません。誰でもできることをする人を勇士とは言えないのです。

 その国を建国するために開拓の勇士にならなければならない先鋒の将軍は誰ですか。統一教会の幹部たちです。皆さんは、今も教会長ですが、昔も責任者でした。小尉、地区長をしていた人たちなのです。

 では、その国を成すことができる基盤はどこですか。一つの国を成すためには主権がなければならないし、国土がなければならないし、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見る時、国土にできる基盤は何ですか。それは教会の財産以外にはないのです。そうでしょう?

 その次に天の国の民とは誰ですか。教会員です。また、主権者とは誰ですか。皆さんです。皆さんが村長の代身であり、面長の代身であり、郡主の代身であり、道知事の代身者です。皆さんは、主体者になりましたか。サタン世界から爆弾を積んできたら、まず最初に走っていかなければならないのです。そのような心構えがありますか。そして、金が一銭でもあるなら教会を広げるために使うのです。その国の版図を広げて国民を結集させるために使うのです。教会の責任者は主権を代身するのです。村長の代身であり、お母さん、お父さんの代身なのです。このような伝統的な思想を残さなければなりません。我々には何もないのです。違いますか。(四九―一六四)

 この韓国に立てられる国は、どのような国ですか。お互いに流通し、交流するようになると、共産国家になるのか、そうでなければ、現在の大韓民国としてそのままにしておくのですか。そうでなければ、どちらでもない新しい国を追求しますか。このような問題を見てみる時、我々の時もだんだん近づいているということを感じます。皆さんは、これを支えて責任をもたなければならない統一の群れであるならば、それに対する責任感をどれほどもっていますか、また、どれほど犠牲の代価を払える決意ができているのかというのです。責任者たち、自信がありますか。(はい)。三十八度線を越えて、以北五度の市郡を中心として我々の基地を備えるべきではないでしょうか。

 人員が足りないこの群れの誰があの北韓の地、定州ならば定州の責任者になるのでしょうか。考えてみましたか。定州の町なら定州の町を中心として、私が教会長にならなければならないと、十年、二十年間準備し、それでだめなら子孫に、「お前は熱心に勉強し、熱心に準備し、その日を迎えたなら、定州の地に天の因縁を代身とした教会長になれ」と遺言を残して死ぬことができるくらい精誠を尽くす皆さんになってみましたか。先生は今までそれを考えて準備しているのです。

 そのようなことを考えるとき、若い者たちが地方に行って自分の子女たちと女房を連れて、げらげら笑いながら暮らすようになっていますか。なっていますか、なっていませんか。(なっていません)。死んだとしても、国を残して逝かなければなりません。死んでも子供たちに国は残して逝かなければならないでしょう? 新しい決意をしなければならないというのです。

 「私は危うくなった境界線のある地方に行って、共産党と面と向かって朝晩に銃声を聞きながら、国境地帯の見張りの役をする教会長にならなければならない。国にも知られず、誰にも知られなくても、生命に代えてもその国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それで満点です。世間の人は知らなくてもいいのです。霊界へ行けばすべて分かるようになっているのです。

 このようなことを考える時、人が足りないことを知らなければなりません。分かりますか。人が足りないことを知らなければならないというのです。かかしのような男でもラッパを吹かせて、あるいはロボットを造って北韓の地に行かせて、ラッパを吹かせたいのが先生の心であり、神様の心です。口をもった、感情をもった男として生まれて、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていても原理のみ言を語れないというのでは話になりません。

 目玉が膿んで潰れるほど、夜寝ないで勉強しなければなりません。腹が減って骨だけが残っても準備をしなければなりません。そのようにして骨だけが残り、やせ細った体が天の愛をたっぷりと受けることができる体になれるのです。神様がそのひ弱な一人の男性なら男性に期待を一身にかけることができるのではないでしょうか。(四九―一一四)




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七.祖国光復を成さなければならない我々の姿勢

 イエス様も国を立てるために来られました。祖国がなければかわいそうです。祖国がないので宗教人たちは悲惨でした。審判するなら、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を土台にして審判します。祖国は最後の願いです。祖国の中には民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれるのです。

 この三千里は祖国になりましたか。そうならなかったので、清算しなければなりません。神様が願われ、イエス様と聖霊が願われる祖国を創建するために、我々が一片丹心の苦労をしなければならないのです。

 善とは何ですか。家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国光復のために氏族が犠牲になるのが善です。祖国光復のためにすべてが犠牲になって祖国光復が成されれば、すべてが愛国忠臣となります。国家的基準の前に忠誠を尽くし、国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤をつくったという公認を受けるのです。道の基準は神様のために絶対忠誠であることです。そうすれば、その過程のすべてのことは認定されます。

 統一教会員はどうすべきですか。イエス様は「父よ、私の思いのままでなく、あなたのみこころのままにしてください」と言われました。私の思いはこの世の思いであり、父の思いは神様の思いです。統一教会員である皆さんは何をしましたか。忠臣の道理を守り、また、その実績をもってきましたか。孝子の道理を尽くし、その実績をもってきて、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。イエス様は祭物の使命をもって来られました。皆さんは世界的な闘争のために行きながら、民族的な基盤を備えなければなりません。メシヤと相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓する場合、指導を受ける皆さんは民族的な道をつくらなければなりません。数多くの人々が光復の道を見つめながら死んでいきました。いつ死んでもよいという信念をもって死んでいったのです。

 統一教会員は個人から民族、国家基準まで備えてきました。これからは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。我々は祖国光復、自由、平等、幸福の日を探しに行かなければなりません。その道が困難でも行くしかないのです。それは先生が見つめる観点であり、神様が見つめる基準です。イエス様はこの基準を見つめて行き、亡くなられたのです。我々は祖国光復の過程において、苦労しながら進まなければなりません。この地上の人類は統一教会員を先頭に立たせて進まなければならないのです。統一教会員でなければだめだ、という時がきても三年は苦労しなければなりません。彼らが我々のしたことを相続するまで伝統を立てて、血と汗と涙を流さなければならないのです。まだ、我々には蕩減条件が残っていることを知らなければなりません。

 韓国は我々が責任を負わなければなりません。きょうも明日も変わらない祖国創建という覚悟と信念をもってイエス様の祖国、聖人の祖国、先知先烈の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を晴さなければなりません。そうでなければ面目が立たないのです。(五一―二八一)

 我々は祖国を探さなければなりません。祖国を得るためには、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きられない人は祖国を得ることができません。それでは、どのように生きれば祖国のために生きるのでしょうか。世界を自分の祖国と思って、世界のために生きなければなりません。そのような人が祖国を創建できるのです。食べて、寝て、歩く、すべての生活と行動が祖国創建のためのものにならなければなりません。

 ですから我々は、白昼に共産党が振り下ろす刀を受ける覚悟をもって闘っているのです。この民族ができない時には、我々がしなければなりません。この民族が行くことができないので、我々が行かなければなりません。そうするためには誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べても祖国のために食べ、結婚をしても祖国のためにするのです。我々の祖国のためなのです。(三六―一八五)

 これからは私が言えば、言うことを聞く群れが現れ、私が方向を提示すれば、動くことができる群れが現れますが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教団を犠牲にしても、祖国光復を期約できる、そのような基盤を広げなければならない使命があることを知らなければなりません。六千年の摂理の中心的なみ旨を立てた家庭を得ることができる教団と、民族と、国家がなければなりません。得られた、そのような基盤を備えて、それが一時に連結されることを願いながら送られたのに、これがばらばらに壊れたので、再び一つに縫い合わせなければならない運命が残るようになったのです。これを縫い合わせるためには先頭に立って走らなければならないのです。

 夜になって寝床に入る時間にも、その願う国と共に寝なければなりません。今は国がありませんが、私はその国民の一員として、その国のために寝るのであり、起きる時も、その国を建国するための一員として目覚めるのです。見て、聞いて、感じるすべての感覚も祖国という命題を考えずして感じてはならないのです。その日がくるまでは死ぬことができないのです。その日がくるまでは忙しいのです。それを成すためには過酷な受難と逆境を克服しなければならないのです。

 やるべきことがあるのなら、遅く寝てでも解決するしかないのです。祖国の光復というのは、時間を中心とした犠牲の量を加重してこそ成就することを思うときに、私の目と精誠の量をきょう、この時間を通して一分でも増やすべき責任があるにもかかわらず、楽に寝て、背伸びをしながら起きることができるのかというのです。目が覚めたら腰を曲げて、「お父様、あなたの迎える明日は安息の場所であり、あなたが行使されたかった世界を支配できる勝利的国家の基盤に向かって行く、寂しく孤独な男の行く道はこのように悲惨であると思いました。私自身がそうなのに、天が探し求めてきた道は、もっと悲惨なものではありませんか?」と祈祷しなければなりません。

 疲れていても自分勝手に横になることはできないのです。死んでも国のために死ななければなりません。ですから、年を取って疲れを感じるそのような身で、私がもし死ぬことになったなら、その場に残すことは何かというと、それは「天のためにできることはすべてやった。その国のためにできることはすべてやり尽くした」という言葉です。それが願いです。

 イエス様は「あなたがたは何を食べようか、……何を着ようかと思いわずらうな。……これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたは、まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ六・25〜33)と言いました。このように聖書の主流思想は、神の国です。その国、その国を求める思想なのです。自分が幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれて、夫をもったなら、その夫は国を代表した夫です。ですから、国を愛してから、夫を愛さなければならないのです。妻も国を代表した妻なので、国を愛してから妻を愛さなければならないのです。死んでも私が出せる力を出し切って、私はこれ以上できませんからその場で死ぬようにしてくださいと言うことができなければなりません。「これをしてみたら良かったのに……」という言葉を残して死んではいけません。ですから、やってもやっても忙しいのです。行けども行けども、また行かなければなりません。他人が休む時に、我々は一歩でも進まなければなりません。サタン世界よ、休め! サタン世界よ、お前は楽に食べて遊んでいろ! 我々はその国のために行く、と言わなければなりません。(五〇―二四六)




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第三節 故郷復帰と聖殿復古運動

一.本郷はどのような所か

1 必ず行かなければならない所

 我々には行かなければならない所があります。そこは故郷です。故郷に行って父母に会わなければなりません。そして、父母の法度に従わなければなりません。父母がなすべき責任を私が代身し、その心情の因縁を連結させて、死亡圏の中にいる万民を生命の道に導いて、一つの氏族、民族、国家を形成して、太平天国をつくらなければなりません。

 この国が太平天国になりましたか。韓国を中心として万民と万国を、万世に幸福にしたのでしょうか。そうできなかったのです。これから、韓国がそのような道を開拓しなければなりません。

 このように、神様が行かれる道は、救援摂理の道として我々が必ず行かなければならない道です。我々は父母を探して、その国を成して、再び世界を探さなければなりません。これが天地において必ず行かなければならない所です。

 故郷の地に行って何をするのでしょうか。父母に会わなければなりません。いくら故郷だといっても、父母と関係を結ばなければだめだというのです。たとえ父母が死んだとしても、故郷と関係を結ばなければなりません。そうならなければ、氏族が現れません。新しい父母、新しい息子、娘が新しい法度を立てた家庭を中心として一体化し、氏族を成して国家を成さなければなりません。

 しかし、その国家は自分の国家だけのためにしてはいけません。父を代身として、どぶの底のような所でもためらいなく行くことができる、父母の心情をもって忠孝の道理を尽くすことができる人でなければなりません。そうしてこそ、サタンがそこから手を引いて逃げていくのです。

 天地が必ず行かなければならない所である故郷の地を探しに行くのであり、故郷の地を探して一つにならなければなりません。(一五―二二四)

 我々は、本郷の国に行かなければなりません。おばあさんでも、青年でも、老若男女を問わず、天下万民が願う希望の国に行かなければなりません。自由の天国に行かなければなりません。私自体に属するものが貴いと思うかもしれませんが、そうではないのです。(一九―三〇八)

 人生でまず初めにすべきことは何ですか。愛の本郷を探すことです。このような目的のために宗教が地上に現れたのです。仏教の「慈悲」、あるいは儒教の「仁」とは何のことですか。これはこの愛の本郷の基台を再び探しにいくための方便として教えたにすぎない、ということを確実に知らなければなりません。(一九―二九二)

 心が恋しく思うと同時に体も恋しく思うし、永遠に安息できる幸福の基台だと誇ることができる本郷を我々は探さなければなりなりません。ですから今までの歴史過程において、数多くの人たちがこのような本郷を恋しく思い、追い求め、慕いながら死んでいきました。また、数多くの宗教人たちや哲人たちもこの本郷の地を探すために、今まで苦労していることを我々は知らなければなりません。ですから、本郷に近い氏族や民族、国家があれば全世界の人が恋しがるでしょう。その本郷の地に近い国があれば全世界の人が恋しがるでしょう。それは、大韓民国の国民なら大韓民国の国民として、国があり、また、自分の故郷もあるのと同様に、世界の人が恋い慕うことができる本郷の地が現れれば、世界の人は自分の国、自分の故郷を恋い慕いながら、そこも恋い慕うのです。韓国やアメリカがそのような本郷の地なら世界の人が、その国を自分の国よりももっと考えるようになるのは当然です。ですから必ず本郷の地は現れなければなりません。(二三―七五)

 本郷の国を成さなければなりません。皆さんも本郷の国を願うことでしょう。人類が願う本郷の国を成すためには本郷の個人が必要です。そのような個人と共に家庭が一致して氏族はそうでなければならず、国家はこうでなければならず、世界はこうでなければならず、天と地はこうであるべきだというのです。天の愛の法度はこうあるべきだという論理が成り立つのです。

 その論理の上では、いくら常識のない人たちでも、そうなれる公式的な方法をもって、今日の世界各国に実を結ぶ問題が起こります。革命が起こるというのです。結局、この地球を治める信念をもって、民族を収拾できる人にならなければなりません。このような人たちが集まった個人、家庭、氏族、民族、国家が多くなる時、本郷の世界が創建されるというのは間違いない事実です。(一九―三〇八)

2 本郷とはどのような所か

 天国は神様の愛を中心として、完全に一体となった夫婦が入るところであり、その一体となった夫婦から生まれた子女たち、すなわち、神様を中心として一体となった家庭、氏族、民族を全部治めて入っていくところです。ですから、地上で家庭をもてなかったイエス様は、今まで天国に入ることができず、楽園にとどまっていたのです。神様の愛を中心として結ばれた夫婦でなくては、天国に入ることができません。天国は相対的理念の世界です。それで、家庭がすべて入らなければならないし、自分の氏族と国が全部入らなければならないのです。そうしてこそ、天国が建設されるのです。

 今まで、誰も天国に入ることができませんでした。すべて天国に行く待合室で待っています。神様の愛の門がまだ開いていないので、天国の門を開くことができないのです。それで、この天国の門を開くためにイエス様は来られましたが、地上でその相対的な実体に会うことができませんでした。すなわち、イエス様の愛にプラス(+)できる相対的な主体が現れていないのです。ですから、イエス様は今日まで二千年間、苦労の路程を歩まれながら天国の門が開くその日を待ちこがれているのです。再臨する日に万民の中から一人の新婦を選んで、神様の愛の門を開いて入ろうとしていらっしゃるのです。これを知らないキリスト教徒たちは本当の異端です。いつの日か、引っ掛かってくる時がくるのです。(一八―三三一)

 本然の地とはどのような所ですか。悪が宿る所ではなく、悪との因縁を切り、あふれる本然の愛を中心として永遠無窮に幸福を歌いながら暮らす、永遠なる統一世界です。しかし、そのような所で生活した人がいましたか。一人もいませんでした。歴史上で数多くの人々がそのような世界を追求しましたが、そのような世界はこの地上に立てられませんでした。その世界がどのような世界だと言った人はたくさんいましたが、自らが実践して、そのような世界を成した人はいなかったのです。

 孔子も同様であり、イエス様も同様です。イエス様も本郷を創建するために来られましたが、その本郷を創建できずに亡くなられたのです。「神の国は、実にあなたがたのただ中にある」(ルカ一七・21)と言われましたが、イエス様も天国を直接見ることができなかったのです。今までの歴史過程で生き、死んでいった、どのような立派な先知先烈、聖賢君子だとしても、その一つの場所を見ることができなかったのです。そして、堕落した先祖から悪の血統を受け継いだすべての人々も、本郷とはいまだ因縁がもてないのです、ですから、すべての人は理想を探し求めるのです。本郷を探すために行くのです。

 それでは、その世界とはどのような世界ですか。お互いに反目嫉視しながら、人がうまくいくとおなかが痛くなり、人が好きだ、とっても嫌で死にそうだと言うような、そのような世界ではありません。一人に何か良いことがあれば全体を代表して良いことであり、一人が好きなことは全体を代身して好きなことなのであり、一人がうれしければ、全体が一緒に喜ぶところが本郷なのです。(一八―一〇二)




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二.人類は故郷を尋ねていくべき旅人

 故郷というのは父母がいる所です。父母を通して私が生まれた所が故郷だというのです。それを知らなければなりません。(九〇―一〇七)

 本来、神様が人類に許した故郷は一つの場所です。そこがアダム家庭が暮らす所でした。それでは、その故郷の主人は誰かと言えば、神様です。また、故郷の主人は誰かと言えば、神様を中心とした、その時の真の父母です。アダムとエバが堕落しなかったなら、その時代に真の父母になり、神様と一つになったでしょう。それが真の父母の愛の圏から起こり、愛を中心として出発した基地が人類の故郷になったのです。

 そうすれば、父母が一つになっていたはずであり、神様と完全に一つとなっていたはずであり、息子、娘たちが完全に一つとなっていたでしょう。ところが、反対になったのです。堕落することで、エバがアダムを誘惑し、お互いに死の道へ引っ張っていきました。また、カインが弟のアベルを殺し、そこを戦いの場に変えたのです。ですから、偽りの父母から出発したのです。偽りの故郷に出発したというのです。そして、偽りの国ができたのです。偽りの世界ができてしまったというのです。

 このようにサタンが支配する世界になったので、ここに善なる人たち、故郷を探しにいくという天の役軍たちが来れば、全部捕まえて殺したのです。ですから、宗教は迫害を受けるのが当たり前になったのです。今までアブラハムからヤコブ、モーセ、イエス様、イスラエル民族、そしてキリスト教まで全部さまよう群れとなったのです。真なるものを求めてきたのですが、自分の祖国がないので追われて死に、犠牲になるのです。

 レバレンド・ムーン、統一教会が今、追われるのです。追われて、どこに足をつけるのですか。ですから、我々は早く兄弟にならなければならないのです。サタン世界にいる人もすべてを知ってみると、兄弟です。兄弟なのです。弟であり、兄であり、姉であり、妹です。ですから、このようなことを言うのです。「サタンよ、お前が二十四時間動けば、私は二十五時間動くのだ」という心をもってこそ、奪ってくることができるのです。「お前が憎めば、私は愛で対決する」、こう言わなければなりません。(拍手)凄いのです。たまらないのです。

 それでは、神様の恨とは何ですか。故郷! イエス様の恨とは何ですか。故郷! 数多くの義人たちの願いは何ですか。故郷! その次は、祖国を探すことを知らなければならないのです。これは、人類の希望であり、宗教人たちの希望であることを皆さんは知らなければなりません。分かりますか。(はい)。(一〇二―二六一)

 故郷というのは、それが何なのか分からずに懐かしさが込み上げてくるものです。旅行すれば寝る部屋が毎日変わりますが、目が覚めて水が飲みたくなれば、寝ている部屋が変わっているにもかかわらず、きのう寝ていた所の水道がある方向に行くようになります。そして、じっくり考えてみると、きのう寝ていた所と違います。このように、違う環境に出合う時ごとに、ふと、考える所が故郷なのです。故郷のすべてのことが、どれほど懇切に恋しいか分かりません。ですから、旅行する人はいつも故郷を忘れることができないのです。

 堕落した人類は、故郷を探しに行かなければならない運命にある旅人の立場です。ですから、情の行き場がありません。もし、どこかに情がいくとしたなら、帰ることができないのです。今日、我々はこのように旅人と同じ立場にいるので、(故郷に)入らなければなりません。入って行く際、故郷にために役立つ何か、故郷に行って誇ることができ、残すことができる何かをもっていかなければなりません。それを探そうと努力して故郷に行ってこそ、本当の故郷の味を知ることができるのです。しかし、故郷に対して無関心に過ごすと、故郷に行ってもその味が分かりません。

 今日まで、宗教というものは、人間たちが故郷を追求するために多大な貢献をしてきました。天国に行こう、あるいは理想世界に行こう、極楽世界に行こうと言いますが、そのような所は我々が暮らす所ではありません。我々が永遠に暮らすことができるのは本郷の地だというのです。まさに、このような面において、宗教が本郷を追求するために貢献したのです。それでは、そこはどのような所ですか。すべての条件が備わっている所です。心と体が少しも不足を感じない完全無欠な所です。そこを人類は今、追求して進んでいるのです。(二三―七八)

 今日、我々が本郷の地を慕うのは、その故郷には、誰よりも近い父母がいて、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を引っ張ってくれるからです。また、いつ訪ねていったとしても、私を昔と同じように迎えてくれ、私が苦しい時にはその難しい事情に同情し、慰めてくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそれがなければ、本郷が懐かしく、好きで訪ねていったとしても、懇切に愛した当時の心情はなくなり、かえって嘆息の条件をもって帰るようになることを知らなければなりません。ですから本郷の地には必ず、迎えてくれる人がいなくてはならないのです。(二三―八〇)

 今日、堕落した人間は故郷を離れています。あるいは祖国を失った状態にあります。ですから、我々はその本郷の地と国を探さなければなりません。我々を迎えるために、神様が準備された方がいらっしゃれば、その方に出会って、永遠に暮らせるその本郷の地を必ず探さなければならないのです。そのためには、皆さんがこの地から準備しなければなりません。再臨の主といつ、どのような時に、どのように因縁を結んだかという、そのような内容をもって行かなければなりません。このような運命に置かれている皆さんであることを知らなければなりません。(二三―八一)




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三.故郷復帰のための我々の姿勢

1 還故郷の時代を迎えた我々

 我々は神側の立場で故郷を訪ねなければなりません。故郷を探し立てなければならないのです。先生が国家と世界復帰の勝利的な基盤をつくったので、これからは皆さんが故郷を訪ねていかなければならないのです。

 なぜ、故郷を訪ねていかなければならないのでしょうか。カイン圏を世界的に蕩減復帰できる基盤ができたからです。カイン圏の世界的な蕩減復帰の基盤ができていなかった時は、個人が故郷に行く道はなかったのです。個人が故郷に帰るためには、サタン世界の復帰が成されなければならないのです。一人では帰ることができません。

 サタン世界の個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を克服することができる条件を備えなければ故郷に帰ることができません。それは堕落したアダムによって、すべて失ったからです。アダムが堕落することによって個人、氏族、民族、国家、世界を失ったのです。アダム一人が失敗したものが、世界的な失敗という結果をもたらしたのです。

 蕩減復帰の路程においてメシヤは世界的な蕩減基準を越えた基盤の上で、サタン堕落圏以上から出発するのであって、アダムが堕落した以下から出発するようになっていないのです。ですから、今まではアダムの堕落圏によって故郷に帰る道がふさがっていたのです。聖書に見られるように、アダムが堕落によってエデンの園を出て行くことになり、神様は炎の剣とケルビムで道をふさぎました。このように、アダムの堕落により人間は故郷に帰る道がふさがったのです。ですから、故郷に帰るためにはアダムを代身した方がきて、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界史的な蕩減条件を設定しなければなりません。そうせずには帰れないのです。

 アダムは堕落した愛を中心として落ち、すべてを失いました。ですからこの時代においては祝福を受ける家庭が、神様のみ旨を中心として真の父母の因縁をもって次第に蕩減復帰をしていかなければならないのです。

 皆さんは、堕落世界の家庭が出発したアダム、エバのような位置にいないことをはっきりと知らなければなりません。アダムの堕落は長成期完成級でしたが、今、復帰時代において先生を中心とした完成期完成級を越えることができる段階に入ったのです。このような位置に立っているので、サタン世界の家庭圏が讒訴できる、いかなる内容もない位置へ抜け出したことを知らなければなりません。皆さんは家族を率いて真の父母を迎え、家庭に帰っていくのです。それは、イスラエル民族が二世を中心として還故郷したのと同様です。その家庭に帰っていく基準というのが、堕落したアダムの長成期完成級ではなく、完成期完成級の基準を条件的な立場に探して入っていくのです。実体ではないことを知らなければなりません。したがって、実体を復帰するために、我々にはまだ、南北に分断されている国を一つにしなければならない道が残っているのです。

 それでは、南韓において皆さんが故郷を中心として精誠を尽くして血と汗と涙までも乾いてしまうほど犠牲になる時、サタン世界は自動的に後退するようになるのです。今までよりも三倍以上の精誠を尽くすようになる時、霊界に行った皆さんの善なる先祖たちが救援の恵沢を受けられるのです。(一九八八・六・一)

 皆さんは故郷の山河を訪ねる時も、真の父母様を栄光の座に迎えることができるよう努力を続ける必要があると言えます。父母様を慕い、流す涙がまず先にあり、血が流れる生きた供え物の道を行き、永遠なる世界に行ってまでも、慕わしい思いの中で侍りながら生活できるよう自分をつくっていかなければなりません。

 これからの信仰は、侍ることを通して救いを受けることを知らなければなりません。皆さんの生活はサタンからも公認を受けることができなければなりません。

 還故郷時代! これは歴史時代において、初めての事件です。還故郷時代を迎え、すべての宗教人たちは故郷に帰るという事態が起こるのです。(一九八八・六・一)

 韓国統一教会の家庭が還故郷し、故郷復帰に入りました。これは世界統一教会の全体が還故郷の道を行くようになったためです。それは韓国教会において、まず始められたのです。もし、皆さんが故郷復帰に失敗するなら、世界の統一家の食口たちに還故郷のことを、どう語ったらいいのでしょうか。ですから、皆さんは故郷復帰にすべての精誠を注ぎ、必ず成功する伝統を立てなければなりません。

 摂理的に見る時、還故郷の時代は必然的であり、宿命的なのです。また、世界の統一家を代表して、初めて韓国教会が還故郷の時代を出発したという責任を忘れてはいけないのです。

 故郷復帰は真の愛をもって、汗と涙と血で犠牲になりながら成就しなければなりません。真の愛の力は神様の本質と相通ずるので、復帰過程において壁を越えられるのは愛だけであることを忘れてはいけません。

 故郷に帰る時は喜んで帰らなければなりません。そのような中で、神様と真の父母を代身する立場であることを一時も忘れてはいけません。皆さんは故郷に行って、真の愛の種を蒔いて根を張らなければなりません。神様の縦的な愛の軸に横的な愛の軸を一致させなければならないのです。還故郷によって、今まで積み上げた業績を見て、審判を受けるようになるでしょう。勝敗の基準が分かれるようになりました。皆さん全員が勝者の覇権を握ることができるよう願います。神様が勝利し、真の父母が勝利した基盤を皆さんのものとしてつくってください。

 神様は被造世界を創造されましたが、今までサタンが所有していたので、万物世界に対する思いと子女に対する思いの中で涙を流してきました。そのことを考えてくれるよう願います。故郷を探してあげ、祖国を探してあげなければなりません。そうして、苦痛から解放してあげようというのです。(一九八八・六・一)

2 故郷復帰のための我々の姿勢

 もう皆さんは、なぜ故郷に帰らなければならないかがよく分かったと思います。故郷にどのような姿で帰るのかが問題なのです。父母様に対して、父母様の家庭と統一教会に対して、そのような伝統的なことをどうやって蕩減していくのかというのです。

 もう統一教会を反対していた時代は過ぎ去りました。皆さんの家族が怨讐視していた時代は過ぎ去ったというのです。国を越えて、金日成とソ連の共産主義者以外は誰も怨讐でない時代になったのです。我々に怨讐はないのです。

 統一教会がこれから三年過ぎさえすれば、反対する人は道端で激しく打たれる時代がやってくるでしょう。これからは、統一教会に反対する時代が過ぎ、歓迎する時代がくるというのです。皆さんが故郷に帰れば、昔は家を滅ぼす子だと言って追い出していた父母たちも、歓迎して出てくるでしょう。皆さんが神様の名により、勝利の盾を掲げて還故郷する時、故郷のすべての人々が歓迎に出てくるでしょう。

 これからは、大韓民国が皆さんを歓迎できる摂理圏に入ったことを知らなければなりません。父母様を慕い、父母様を愛し、父母様のみ旨を解怨成事する歴史を担う自分自身であることを知り、血と汗と涙を捧げて、本然の基準に到達できなければなりません。そのような自信をもって故郷に帰らなければなりません。そうして、すべての場所に花を咲かせなければなりません。

 皆さんは知らなかったでしょうが、先生が神様の心情を知って、今まで歩いてきた道を代身する者にならなければならないのです。皆さんは神様と父母様を代身して故郷に帰り、神様の心情圏を植え付けなければなりません。これからは蕩減ではなく、心情圏を植えるのです。過去には蕩減して上がっていきましたが、これからは真の愛を植えなければならない時代なのです。

 皆さんは誰よりも先に故郷を訪ねることができる恵沢を受けたことに対して、深く感謝しなければなりません。皆さんは一段階高い位置に上がらなくてはならないでしょう。南北統一を成して故郷に帰らなければなりません。(一九八六・六・一)

 故郷に戻れば、神様の愛を受け継いだ堕落しないアダムとエバとして、私の心を縦的な愛を代表する立場に立てなければなりません。その次は横的な愛の軸に合わせて、九〇度を備えた基準をもたなければなりません。(一九八八・六・一)

 聖書のヨブの話からも分かるように、先生もまた、どのような苦難がやってきても一度も恨まず、復帰の道を歩いてきたのです。神様に対するヨブの信仰は不変でしたし、不動でした。我々もそのような絶対信仰で故郷復帰に立ち上がらなければなりません。(一九八八・六・一)

 過去の蕩減路程を歩んできたすべての内情を話す時、故郷のすべての人と故郷の山河が先生の訪問を待って、歓迎するために精誠を注ぎ、準備するようにしなければなりません。神様の郷里にしなければなりません。そのような責任を背負って故郷に行くという事実を一時も忘れてはいけません。

 皆さんは皆さんの一族に会って涙を流すことで、蕩減条件を立てなければなりません。自分の息子、娘たちや妻子が恋しくて涙を流すのではなく、故郷の一族との出会いに涙を流すのです。

 故郷に帰れば三年ではなく、六カ月ほど精誠を尽くせば、すぐに復帰できるでしょう。自分の息子、娘に対するよりも、もっと愛を注がなければならないのです。皆さんが行く道は世界を代表する道でもあるので、先生の祝福圏に進入できる契機となるでしょう。皆さんの故郷に、神様の縦的な愛の軸が縦の氏族的な軸と連結できるようにしなければなりません。

 堕落することによって、祝福が長子権から次子権に変わったのですが、次子が長子権を受け継いだので、神様の前に上がって行くことにおいて限界があったのです。ですから、これからは本然の長子権を復帰しなければなりません。長子権復帰が今回の故郷復帰で成されなければならないのです。

 今までは次子が一線に出て、サタンと闘って長子権を屈服し、帰ってきましたが、それによって次子は長子権の基準まで上がらなければならないという二重の基準を立てなければならなかったのです。ところが、これからは本然の長子権復帰になるべき時代に入ったのです。そのような歴史的な基準が、今回の故郷復帰過程で成されなければならないのです。(一九八八・六・一)

 故郷に行けば一族を呼んで宴会を開き、その場で今まで皆さんがどのようなことをしてきたのかを明らかにして、彼らを神様の前に連れ戻さなければならないのです。個人的な立場から神様のみ旨を中心としてどのように闘い、家庭的な立場でどのように闘ってきたのかを証さなければならないのです。

 先生は個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の版図を越えるために受難の蕩減路程を経て、勝利的基盤を備えて、その基盤を皆さんに相続してあげようと思います。それで、皆さんは故郷に帰って、皆さんの父母、兄弟を中心として故郷復帰をしなさいというのです。

 故郷復帰の道は皆さんにとって、未来の道になるでしょう。その道は皆さんの個人、家庭、氏族が行かなければならない道になるでしょう。次は大韓民国の国民すべてが行かなければならない道なのです。強いては、世界人類がすべて行かなければならない道なのです。皆さんはサタンと闘って、勝利するための苦難の道を行かなくても、先生が勝利した基盤を相続できる恵沢を受けたのです。それが故郷復帰の道だということを知らなければなりません。

 サタンとの戦いで個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に勝ち取った先生の勝利的基盤を相続し、先生の代身者として進んで戦うならば、皆さんの勝利的基盤ができるようになっています。そのためには、縦的基準と横的基準の前に絶対服従の信仰で進んで行かなければなりません。

 皆さんは神様を愛さなければなりません。そのためには真の父母を愛さなければなりません。愛の強度が、この世の父母の前に捧げる孝子、孝女の道理を越えなければならないのです。氏族の中心となった真の父母の前に、横的な立場で孝子、孝女の道理を尽くしなさいと言うのです。

 国を中心としても、歴史始まって以来のどのような忠臣よりも、さらに忠誠を捧げなければなりません。その基準を越えられなければ、神様の国において、皆さんが立つことができる場所がないことを知らなければなりません。サタン世界の忠臣たちから讒訴を受けてはいけないのです。

 皆さんの故郷で今まで反対していた、その気運と時代は過ぎ去り、皆さんを歓迎できる基台が形成されたことを信じて、できる限りみ言を伝えることに励んでくれることを願います。サタンの運勢がなくなり、解放圏の運勢が頂点にまで高まる時点であることを知り、故郷復帰に総力を尽くしてください。

 サタン圏での皆さんの努力によって、上がるようになるはずです。皆さんの先祖が堕落したその基準に立ったとしても、父母様がこの世界基準を蕩減したので、相対基準さえ造成すれば、皆さんの一族があっという間に復帰されていくのです。

 皆さんを中心として家庭が立つことができ、氏族が立つことができ、民族が立ち、国家的基準が対等な立場で立つことのできる時代に入ったのです。その基準に該当する蕩減条件の基準に立てば、これが全体に連結され、その世界ではサタンの堕落した愛で蒔かれた根拠になる土台が壊れるのです。このような時代になったので、皆さんが故郷に帰って故郷復帰をしなければならないのです。(一九八八・六・一)

 故郷は皆さんのおじいさん、おばあさんが汗を流してつくり上げてきた生活の基盤です。ですから皆さんが故郷に帰ったなら、皆さんの先祖たちよりも、さらに故郷を愛さなければなりません。皆さんの父母がシャベルや鎌を握り、土を耕したのと同じように、皆さんも土を愛し、そこに汗を流すのです。田畑を耕し、家畜も飼い、木も植えながら、故郷のどのような人物よりも、もっと故郷を愛していきなさい。それでこそ、皆さんの先祖たちが再臨できるのです。言い換えれば、その町で暮らして死んでいった霊人たちが地上を訪ねて、因縁を結んで再臨させて、故郷を神様の前に復帰しようというのです。皆さんは故郷に行き、家庭を再構成して、共産世界を解怨できる祭物として、共産党まで解放しなければならないという気持ちをもたなければなりません。サタンもこれからは、我々がこの峠さえ越えれば振り返って逃げるようになっています。蕩減復帰はこのように難しく、大変なことなのです。(一九八八・四・七)

 皆さんは故郷復帰の責任を果たさなければなりません。そうして、父母様の故郷も復帰し、祖国を立てることができるようにしなければなりません。皆さんの故郷復帰によって北韓を解放し、南北統一が成されるでしょう。故郷復帰は真の愛によってのみ可能なのであり、その真の愛は神様の縦的な愛と皆さんの横的な愛が一致することで、生まれることを忘れないでください。

 皆さんは、ヤコブが二十一間の苦労の中で得たすべての財物をもって故郷に帰っていったのと同様に、汗と涙と血を捧げても故郷に真の愛の根を下ろさなければなりません。

 きょう、六月一日を期して、すべて故郷へ帰ることをもう一度指示します。故郷へ帰って、汗は地のために、涙は氏族のために、血は天のために流さなければならないのです。そのすべてのことが結局は皆さん自身のためのものであり、神様の愛と恩恵を受けるためのものにもなります。

 また、父母様が成してこられた勝利的伝統を相続するためのものでもあります。どうか、故郷復帰の責任を完遂する皆さんになってください。そのことを願いながら話を終わりたいと思います。(一九八八・六・一)

3 韓国を万民の故郷の地に

 私が帰ってくる時に感じたことは、「父よ! あなたが愛する韓国が本当に万民の故郷の地となることができますか」ということでした。この国は万民の故郷の地であることはもちろん、父の故郷の地でなければなりません。神様が愛するこの国の民は忠孝を尽くす息子、娘として、ここ韓国をして、世界を救うことのできる理念と連結できる足場をつくるようにしなければならないというのです。

 三千万の民族が苦しめられ、追われながら、荒廃した山野に吹く冷たい風を受けるのもすてきなことですが、そこに恐ろしい猛獣まで走っていく境地にある韓国を神様の故郷の地としてつくり、万民の祖国としてつくらなければならないということを考えてみなければなりません。

 我々が国のために戦うだけでは、神様の国の責任者になることはできません。その国は世界が行く道に責任をもつことができ、神様の心を慰めて、世界のために神様が行かれるいばらの道を、平坦な道に整えることができる民族的責任をもった国でなければならないのです。(一五―二二三)

 神様が願う祖国はどこでしょうか。人類の本郷がどこにありますか。真の父母様が生まれた故郷が歴史的であり、宇宙的であり、世界的な本郷の地になるのです。先祖の思想と伝統を受け継がなければなりません。そうでなければ、腹違いの子としての扱いを受けます。しかし、このような相続を通して、養子を経て、次第に息子、娘の立場まで入るようになります。このような大問題がこの国で成されなければならないのです。

 先生は内外をひっくり返さなければなりません。韓国の民は選民にならなければなりません。韓国が本郷であり、祖国ならば、すべての世界的な文明が韓国で起こらなければならないのです。我々が韓国を本郷にするためには今日、忠誠、精誠、愛、犠牲の供え物になることを覚悟しなければなりません。そうでなければ、韓国は本郷としての資格を失うことになります。よい物をつくるためには実践が必要です。血と汗と涙を流しながらも成し遂げなければならないのです。

 大韓民国が統一教会の文先生を追い出しても、このみ旨の道は青史に輝くでしょう。韓国がどれほど迫害したとしても、この民族は神様が選んだ白衣民族なので、我々はこの民族が住んでいる韓国を愛さなければなりません。それで、先生は血を吐きながらもみ旨を成してきたのであり、獄中でも祈ってきました。神様が願う人になるためには、神様の心情をくみ取ることができる人でなければなりません。これから我々は、民族的使命を兼ねたみ旨の道において聖なる供え物にならなければならないのです。(一五―二八四)




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南北統一_8-3-4

神様の摂理から見た
  南北統一

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四.先生の故郷

1 本郷の地、定州

 統一教会の教会員の故郷はどこかと言えば、本郷の地だと言いました。そう、その本郷の地はどこですか。(定州です)。本郷の地は韓国です。韓国なのです。世界に広がっている統一教会員に「本郷の地はどこか」と聞くと、韓国だと言うのです。韓国のどこかと言えば、定州と言えずに、目をパチパチしていますね。(笑い)皆さんはここの近くにいますから定州と言っていますが、彼らは定州という言葉を知りません。

 ここ韓国に住む者たちに本郷の地はどこかと聞けば、全羅道の連中、慶尚道の連中、どこでしたか。私が何と言いましたか。(チョンヂュ)。チョンヂュはどこにありますか。(北韓の地です)。全羅南道にチョンヂュ(井州)がありますか、それとも全羅北道にありますか。(全羅北道です)。全羅北道のチョンヂュは、北韓のチョンヂュと同じ文字ですか。(違います)。それは井戸の「井」という文字(舛/チョン)の井州で、北韓にあるチョンヂュはどういう文字かと言えば、定めるという文字の定州です。名前としては井戸の井が良いですか、定めるの定州が良いですか。定めるという字の定州が良いのですか。(定めるの「定」の字です)。

 本来、その意味から見ると、定めるの「定」の字の定州は、定められた所です。誰が定めたのですか。(神様ですか)。誰かは知りませんが、我々の先祖が定めたのです。我々の先祖が定めた時、多分、啓示のようなものを受けて決めたのでしょう。(一九八七・一一・一)

 先生が生まれ、暮らした定州郡徳彦面上思里という所は以南の部落として知れわたっていました。以南の部落として、それほど有名だったのです。定州の地に行って「以南部落はどこですか」と尋ねれば、「上思だ」と答えるのです。私は共産主義が嫌いですが、私の故郷の人々も共産主義を最も嫌っていました。それで以南部落として知れわたったのです。

 ですから、その部落に行ったなら得することはありません。それで、仕方なく三十八線を越えたのです。以南部落の代表的な所が南韓の地だったので、南韓で解放の準備をせずにはいられず、三十八度線を越えてきたのです。

 故郷の父母、私の母は私を本当に愛していました。すべての母親が我が子を愛しますが、特に母は私を愛しました。そのことをじっくり話すと涙が出る場面が多いのです。それほど私を愛しましたが、その故郷にいらっしゃる母に会いもせず、なぜ、以南に下りてきたのでしょうか。それが問題です。

 父母を連れて来ればいいのに、なぜ一人で以南に来たのでしょうか。父母はいつも私に属する者たちです。私に属する人々です。違いますか。父母は他の人に属した人ではないのです。私が苦しい時も良い時も、あるいは苦痛を感じる時も、どのような時も、その母を訪ねて会うことができます。

 しかし、南韓の地は違います。南韓という所はいつでも会える所ではありません。それは他人です。一族とは違うのです。ですから、この国を救うためには、南韓を救うためには家族を連れてきてはいけないのです。そういう意味で南韓の地にきて、何をしようとしたのでしょうか。(一九八七・一一・一)

 南韓を一つにつくり、北韓の地で操り人形のように共産党に従う者を追放してしまい、大韓民国を自由な所にしなければなりません。先生が生まれた所は、摂理から言えば皆さんの本郷です。聖なる所であり、本郷なのです。希望をもって、そこを探して神様の前に感謝できるその日をもたなければ、国を救うことはできないのです。そうなっているのです。

 三千里の韓半島を得ようとするなら、必ず北韓の地に行って天の前に感謝できるその日を迎えなければいけません。そうでなければ、三千里半島を復帰できません。言い換えれば、大韓民国においてのカインとアベル、すなわち、北朝イスラエルと南朝ユダに分かれた国家の恨みを探して一つに結んで、勝利的イスラエルの旗を統一した圏内で神様の前に捧げなければ、世界復帰は不可能だというのです。(三〇―二八)

 天国には、父母を迎えなければ行くことができません。キリスト教が完全に一つになれば父母を迎えるのです。そして、エルサレムの聖地に行こうとしたすべてのキリスト教徒たちが先生の故郷を訪ねてくるのです。先生が生まれた北韓の地が聖地だということを知らなければなりません。「北韓の地に行こう」と言う世界の喚声が東西南北に響き渡る時、金日成は後退します。行かなければ、中共やアメリカ、日本を通じて圧力をかけるのです。中共政府がどんなに嫌だと言っても、私を受け入れない限りは二十、三十年進んだ科学技術を失うのです。その基盤をすべてつくっておきました。私は科学技術の基準を世界的に平準化して、万民を平等化しようとしました。

 イスラエルと中東の戦いは、世界平和教授協議会を通して和解させています。大使たちができないことを、ばかにされながらも成就させてきました。

2 先生の故郷に対する思い出と愛

 故郷とは帰りたい所です。先生は死んでも外地で死ぬのではなく、故郷に帰って死にたいのです。それでは、なぜ故郷は帰りたい所なのでしょうか。そこは裕福に食べて暮らせる所だからではなく、忘れられない情緒的な内容が残っている所だからです。そこにいてこそ、自分が幼い時に父母から愛されたことを思い出すことができるし、そのような愛を中心として結ばれた自然環境に再び浸って、入っていくことができるからです。このように、故郷はすべての因縁が初めて結ばれた所なので、貴いのです。

 先生は故郷で忘れられないことがあります。皆さんも、さつまいもを食べてみたでしょうが、このさつまいもはもともと日本から入ってきたものです。先生が七、八歳のころの出来事です。ある日、母方の家に行くと、(母方の)おばあさんが外孫が来たと言って、さつまいもをわざわざ茹でてくれましたが、それが本当においしかったのです。おいしい食べ物を食べる時、「二人で食べていて、一人が死んでも分からないほどおいしい」と、よく言いますが、とにかく、それほどおいしかったのです。今でもおばあさんが茹でてくれた、その一籠のさつまいもの味を忘れることができません。初めて食べる時は、ただ食べるのに忙しくて皮もむかずに食べました。

 今でも先生はどこかに行って珍しい物を食べる時は、昔、おばあさんの家でさつまいもを食べたことを思い出したりします。このように人には初めて覚えた、その初めての物が貴いというのです。人は誰でも自分の父母を中心として、その懐に抱かれて感じた、さまざまな出来事が目の前に生き生きとよみがえるのです。それは、経験的な知識を中心としたその記憶が思い出されるのではなく、情緒的な関係を中心として起こったことを忘れることができないので、その記憶がよみがえるのです。

 人々は自分の故郷に帰れば、昔の情緒的なことを回想します。ですから、どこへ行っても故郷のすべてのことが懐かしくなるのです。そして、故郷に帰れば、すべてのことを思い出して喚起できるのです。そこには主体的な情緒的背景があるので、環境を情緒的に収拾できる因縁があるのです。また、そこには私を中心として家庭全体、部落全体が関係を結んでいるので、故郷を忘れることができないのです。成功して故郷に帰ることを、「故郷に錦を飾る」と言うではありませんか。実際、故郷に錦を飾ると言って帰っても、そこには何もないのです。成功して家に帰ってみても、父母や兄姉は皆この世を去っているでしょう。それでも故郷に錦を飾って、自分がもっている喜びのすべてを故郷の地に植え付けたいと思うのです。

 ここにいる先生もそうだというのです。外地であらゆることが数多くありましたが、それを全部糾合して、祖国に訪ねていけばどうですか。金浦空港に来れば、既に祖国の地なのに、ソウルを過ぎてあの田舎の平安北道の定州の地、そこに訪ねて行きたいのです。そこは田舎で、海の近くですが、なぜ行きたいのでしょうか。出発もそこでしたから、そこに行って会わなければならないのです。何を中心としてでしょうか。情緒的基準を中心として帰りたいというのです。(一九八六・二・一六)

 三十八度線を越えて行けば、先生の故郷があります。故郷に行けば見るものが本当にたくさんあります。三十八度線を回り回って、ゆっくりと歩きながら一歩ずつ行く場所ごとに、見物したいものがたくさんあります。何歩か登っていって、ごろごろと降りてきたりして、もう一度ゆっくりと見て回りながら故郷に行きたいのです。(一九八八・一・二)

 先生の北韓の故郷には朝鮮五葉松が植えてあって、松の実を取って食べながら過ごしました。ですから他の木に比べて、その松の木が大変好きです。故郷の五葉松の思い出を通して五葉松が好きになり、五葉松を見ると故郷での追憶がよみがえり、懐かしさが込み上げてきます。

 先生は現在、北側の故郷に行きたくても行くことができません。それに比べれば、皆さんは訪ねていく故郷があって、どれほど良いでしょうか。皆さんが故郷を訪ねていき、故郷復帰を成すことは統一時代を開くことであり、先生の故郷を取り戻すことでもあることを知らなければなりません。(一九八八・六・一)

 先生の故郷の家には樹齢二十年ぐらいの大きな栗の木がありました。私が申年だからそうなのかも知れませんが、木登りをしによく通いました。登って枝がしなると下の枝に腰掛けて、棒で栗の実を落とすのがとてもおもしろかったのです。その時の記憶が今でも思い出されますが、多分、田舎で育たなかった人にはそのようなことは分からないでしょう。

 また、家の前にはアカシアの木が何本かありましたが、カチガラス(カササギ)が一年中、声を出して鳴きます。一般的にカチは吉鳥だと言うではありませんか。先生は時折、カチの巣まで、あっという間に登ったりしました。カチの巣の形をじっくり見ると、先生は今年は風がどちらの方向にたくさん吹くかを知ることができたのです。カチは風がたくさん吹く方向を知って巣を作るからです。そのカチが巣を作るのを見ていると本当に不思議です。誰が教えてくれたのか分かりませんが、傑作を作りました。その腕前は大したものだったのです。

 そして、カチが巣を作り終えると、間もなく卵を産みます。その卵を見ると薄青い線のまだらで、本当にきれいです。その大きさは鶏卵の約四分の一程度になります。カチは自分が卵を産むまでは、人が巣の場所に近づくと作ろうとしません。また卵を産んでからは大騒ぎです。もし、自分の巣の周囲に誰かが近づくと、その時は村中のカチガラスが飛んできて、デモをするのです。

 先生はそのような趣味があって、特別な観察をたくさんしました。ですから鳥たちの生態については詳しいのです。カチが卵をたくさん産む時は十個以上も産みます。先生がそのカチの巣の所まで登ったり下りたりしながら、慣れてくるとおもしろいことが起こりました。私がいくら行ったりきたりしても被害を加えないので、それが分かった時から、私がぬっと登っていくと彼らは先に、「またきたな」と思って「クェックェッ」と鳴きながらあいさつをするのです。ですから私も「クェックェッ」とあいさつをしました。それからは、その巣の中を一度のぞいてから降りてきたりしました。ある時は雨が降って登らなかったりしますね。そのような時は、私が外に出ると、どこから出てきて私を見たのか、「クェックェッ」と鳴きながら通り過ぎていきます。きょうはどうして登ってこないのかと言うようでした。鳥たちも人が好きだということです。このようにしてみたことのない人には分からないでしょうが、うそではないのです。

 また、先生は鳥たちに対して意地悪ないたずらをしてみました。鳥の雛が孵ると私は巣を作って、わざとその雛を取り込み、母鳥につつかれてしまったことがありました。それを見ると、鳥たちが自分の雛を愛する心は大したものです。人間が自分の子供を愛するにおいて、たくさん学ぶことがあると思いました。

 このように、鳥の世界も愛の情緒をもって動くのです。それでは、すべての情緒的な起源はどこからきたのでしょうか。(一九八六・二・一六)

 先生が幼いころ育った村は田舎だったので、季節が変わるたびに渡り鳥たちが訪ねてきて、季節ごとに違った花がいっぱいに咲く環境でした。その中で成長したのです。先生が幼かったころは韓国のどこに行っても季節がはっきりしていて、季節が変わるたびに美しい自然に出合うことができました。今日のソウルは一日歩いても自然と出合うことができず、すべてが人為的な自然景観だけの索漠な都会になって、悲しさを感じたりもします。このような都会の環境の中で育った人間は情緒が不足し、自然の神秘と美しさを感じる機会がなく、乱暴になったり、個人主義の性格になりやすいことを知らなければなりません。自然との出合いの中でたくさんのことを学び悟るようになるのです。

 先生は自然の中でたくさんのことを学び取ることができました。その中でも真実の愛がどのようなものであり、幸福とはどのようなものなのかについても、それなりに悟りました。学教教育よりも、もっと根本的なことを学ぶことができるのが自然界でした。

 季節が変わり、美しい鳥が飛んでくるのを発見すると、その鳥を追いかけては、どのように巣を作り、どのような姿で暮らしているのかを観察しました。ある時は鳥の巣を探すのに一週間かかったり、鳥が卵を産んで雛が孵るのを見るために十日以上もかかったりしました。親鳥に似てかわいく、きれいな雛を見ながら、神様の神秘と愛の深さを確認したりもしました。(一九八六・一・三)

 先生が生まれた故郷の地、昔、私が育ったあの野原、私が遊んだあの村で、それを実際の教材として教育したいのです。分かりますか。(はい)。その山河で駆け回って遊んだ、あの時、あのころを、皆さんが死ぬ前に、直接先生を通して説明を聞く時、先生の歴史を確実に知る皆さんになることを知らなければなりません。皆さんは、先生がどのようにして育ったのか、分からないでしょう?(はい)。(五〇―一七七)

3 我々が行かなければならない定州

 先生の故郷に行ってみたいですか。(はい)。ソウルから行くなら私の家まで五十七里です。ここからどこまで行くのと同じでしょうか。(金泉〈慶尚北道にある〉です)。金泉、金泉ならここから車に乗って走れば、二時間半で行けます。二時間半です。先生が生きているうちに先生の故郷に訪ねて行くことができなかったなら、先生は霊界に行って面目がないのです。私の父母に対して面目がないのです。これから先生は故郷の地に行き、父母の所に帰って、父母のために祈祷もしてあげます。皆さんもそうしなければならないのです。分かりますか。(はい)。それは摂理観なのです。(一六四―二四三)

 皆さんは北韓に行かなければなりませんか、行かなくてもいいですか。(行かなければなりません)。赤たち(共産主義者)が大韓民国に来て地下運動をしているのに、皆さんはどうするのですか。(我々も北へ行ってやります)。皆さんは常にそれを考えなければなりません。先生もそのような理由で北に行ってきました。

 先生の故郷が北の定州ですから、皆さんも、定州に行ってみたいでしょう? (はい)。なぜ行きたいのですか。そこに行けば、先生は話したいことがたくさんあります。私の幼かったころの逸話が数多くあります。ですから皆さんも一度行ってみたいのです。そこに行ってみなければ、霊界に行って恥ずかしくなるでしょう。これから統一思想をもった人々が、イスラム教のメッカのように、キリスト教のエルサレムのように考えるようになるでしょう。

 皆さんがこの国に暮らしながら、生前に先生の故郷に行くこともできずに霊界に行ったなら、顔を上げられると思いますか。霊界に行って、先生の故郷にも行かずにいったい何をしていたのかと、後ろ指を差されるのです。(三四―六七)

 統一は完遂しなければなりません。皆さんは先生が生まれた故郷の地を踏んで見ることができなければ、死んでから恨みが多いということを知らなければなりません。北の定州の地、先生が生まれて育った所に行って、先生が幼いころ飲んだ水を飲んでみて、先生が飛び回って遊んだ丘に登って歩き回ってみて、皆さんの息子、娘たちがその場所で聖なる賛美の声も高らかに神様の前に祝杯を捧げる時、先生が生まれたことを祝うことができず、先生に侍ることもできなかったことを解怨成就し、蕩減できることを知らなければなりません。

 皆さんが死ぬ前に先生が生まれた所に行くことができなければ、統一教会の食口として恨が残ることを考えなければなりません。ですから、これを皆さんの特別な義務として決心し、先頭に立って統一のその日まで勇気をもって前進し、勝利を誓いながら戦ってくれることを再三お願いします。もう一度「統一の歌」を歌いましょう。(四三―一七七)

 祖国と言えば、どのような所が祖国ですか。南韓が祖国ですか。統一教会の教会員は、「我々の祖国」と言えば先生が生まれた故郷ではありませんか。北韓の地がこのようになったので、統一教会の群れはどのような犠牲を払ってもこれを奪還しなければなりません。(一六五―三二四)

 先生が故郷に帰らなければなりません。皆さんは何ですか。皆さんは先生が生んだ息子、娘と同じです。ヤコブが故郷に帰り、エサウを訪ねていく時には子供たちが皆ついて行ったでしょう? (はい)。そのように一緒について帰るのです。(一六四―二八五)

 皆さんは先生の故郷が自分の故郷であることを事実として信じ、全羅道の人も、慶尚道の人も人も自分の故郷に再び行くことができなかったとしても、先生の故郷に行かなければならないと決心をしているということは革命的なことです。「アーメン」。歴史的ですよ、歴史的です。ゆえに、これは人類歴史上一度しかないことです。先生と一緒に先生の故郷に行くことができ、人類の本郷の地に行くことができる位置に立てるというのは、一時代しかありません。(一九八七・一一・一)

 三十六家庭が行かなければならない所はどこですか。故郷の地、天国に行かなければなりません。三十六家庭は天国から、神様の愛から、故郷の地の父母の血肉を通して生まれてくるべきです。その愛が出発して世の中にいくら流れていっても、それは戻るのです。

 皆さん、アラスカへ行けば鮭がいます。鮭を知っているでしょう? 五種類います。ピンク色に光るのもいれば、赤く光るのもいて、さまざまな種類の鮭がいます。この魚の卵を真水で稚魚に孵し、掌ほどのものを何カ月間か置いて放せば、それが海に出て行きます。四千匹、五千匹が五大洋を経てくるのです。そのように旅をするのです。そして、四年が過ぎれば帰ってきて卵を産むころになります。成熟した雌と雄となって卵を産むころになると、どこへ行って真の愛の対象を見つけますか。自分が生まれた所を訪ねていき、会おうという条約になっています。そのような法度になっているのです。それを誰が決めたのですか。その鮭たちが決めたのでしょうか。これは神秘的な問題です。(一九八七・一〇・三一)

 先生の故郷に行く時は、どのようにして行きますか。一人で行きますか。夫を連れて行きますか。(一緒に行きます)。子供たちはどうしますか。(子供たちも一緒に行かなくては)。行って、どこで、どうやって食べていくのですか。一度に押し寄せたらどうするのですか。(買って食べましょう)。私がその村では、もう家も建てられないようにしようとしているのです。商売人を集めて、ありとあらゆることをするのです。

 では、文長老、出てきて歌でも一曲歌いなさい。私は気がしゃきっとしません。一日中話をしていると、そうなるのです。文長老、私の故郷について質問したいことがあれば言ってみなさい。(拍手)(地形を一度黒板に描いて説明をしてください)。私は絵が下手なのでだめです。上手だったら、既に全部描いておいたことでしょう。(では、「永邊歌」を歌います)。歌ってください。(文長老、「永邊歌」を歌う)(一六四―二四四)




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南北統一_8-3-5

神様の摂理から見た
  南北統一

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五.聖殿復古運動

1 聖殿を建てなければならない理由

 イスラエル民族の歴史を見ると、イスラエル民族は四十年間、荒野で流浪しながら貧しい生活をしました。生活面では飢えに苦しみ惨めでした、そしてまた、イスラエル民族がカナンの地に入って見ると、カナン七族は裕福に暮らしていたのです。仮にも、偶像を崇拝していたのに裕福だったのです。ですから、この人たちがどうしたかというと、息子、娘たちや自分がその家と関係を結んででも、もう少し良い暮らしができたらということを考えたのです。

 しかし、そこでカナン七族を越えた建国を考えなければなりませんでした。建国のためには神様の聖殿を建てなければなりません。聖殿を建てると同時に、その聖殿は国の基盤としての聖殿でなければなりません。国を求めることができる聖殿、その聖殿と一つになって、国の基準で一致できる精神的、思想的な基盤を成します。教会、聖殿によって成して、完全に、中心的な主体性を精神分野に立てるのです。そして、国家的体制圏内において、環境的な国家体制の相対圏を形成させなければなりませんでした。イスラエル民族がバビロンで暮らして、帰ってきてからしたことは、そのようなことです。また同時に、カナンの福地に入ってしなければならなかったことはそれなのです。

 まず、すべきことは何かというと、国を指導できる聖殿を建てなければならなかったのです。イスラエル民族が聖殿を建てて何をしますか。自分たちの暮らしが問題ではないのです。それを知らなければなりません。自分が暮らすのが問題ではありません。国を探し建てなければなりません。イスラエル民族がカナンの福地にたどり着いたのですが、なぜそこにきたのですか。国を建てるためです。建国のためです。エジプトを凌駕できる国を探してきたのです。これを知らなければなりません。

 エジプトで、苦労の中で呻いていた過去を思い出しながら入るという考えをもって(カナンに)入ってはいけなかったのです。それ以上に準備しようという考えをもって、彼らの前に現れたカナン七族がいれば、それを押しのけてでもジャンプし、その土台の上にエジプトよりも大きな国、自分たちの祖国を建てるのだという信念を中心として進まなければならなかったのです。

 誰によってですか。神様と共に、聖殿を中心としてです。いつも契約の箱に侍っていったではありませんか。それが一番です。契約の箱を中心とした国民の糾合です。それを知らなければなりません。何のことか分かりますか。(はい)。契約の箱を中心として国民を糾合しなければならなかったのです。

 精神的な主体の前に相対的な基準の国家体制、国民連合体制をつくっておかなければならなかったのです。国を建国しなければならないのです。こうして心と体が完全に神様を中心として一つになったなら、国を中心として、そこに相反するすべてのことを神様の名において押し返すことができる、主体思想化した行動力を動員できるのです。これがカナン復帰路程でイスラエル民族が行くべき道だったのです。

 バビロン捕虜から帰ってきて、マラキの時代に入ってしなければならなかったことは何でしたか。聖殿復古運動でした。同様に、それをしなければなりません。それをやらなければだめなのです。疲弊して、寂れたすべての聖殿を清掃しなければなりません。民族の精気の主体性として登場し、神様に侍る聖殿を中心として完全に主体的確立を全国化させるのです。全国化するだけでなく、世界化できる主体性を見せることを神様は願われたのです。それが復古思想圏内にあるイスラエル民族に対して神様が願われる道だったということを、確実に知らなければなりません。分かりますか。(はい)。ところが、イスラエル民族は飢えて餅のことを振り返ってばかりいるうちに、カナン七族が定着していたのです。羊の群れをもち、財産をもって振る舞い、食べて遊ぶのを見て、どれほどうらやましかったことでしょうか。神様が願われる聖殿の建設、祖国光復は願いもせずにいたのです。その国を肥料として踏み越えていかなければならない立場にありながら、おなかがすいたから餅か飯をくれと言うのです。肉の塊か羊の肉でも食わせてくれれば、「これが一番だ。なぜ、荒野に引っ張り出して、このような苦労をさせるのか。何がカナンの福地だ。モーセが何様だというんだ」と言ったのです。ここから狂い始めたのです。

 しかし、自分たちは腹が減って食べさせてもらっても、二世たちはそれを乗り越えられるように、教育しなければならなかったのです。それにもかかわらず自分たちはもちろん、息子、娘もカナン七族の息子、娘たちとカップルにさせるようなことをしていたのです。なぜですか。「そうしてこそ、うちの息子、娘たちがここで定着して幸せに暮らせる」と考えていたからです。これは滅びる者たちです。自分たちはそのような立場に立っても、二世は砂漠に送らなければなりません。そうしないで、二世までも同じようにほっておけば滅びるしかないのです。芽を折られ、枝と根まで腐っていけば、それはもう滅びなければならないのです。

 皆さんも同じことです。バビロンから帰ってきたイスラエル民族がしたことと同様に、歴史的な伝統を立てなければなりません。この難局を越えられない時は滅びるのです。統一教会を中心として四十三年間してきたことは何かというと、イスラエル民族の復古運動を再現してきたのです。四千年の歴史を四十年間で蕩減して、今、出てきたのと全く同じなのです。

 先生がアメリカにいる十五年間に、韓国統一教会は全く疲弊状態になりました。先生がこの国にいなかったからです。しかし、先生の勝利的基盤を中心として、世界的な版図圏を中心として帰ってくるということは、イスラエル民族がバビロンから解放されてイスラエルに帰っていったのと全く同じです。

 ここで注意すべきことは何でしょうか。何をもって入ってくるのかが問題です。お金をもってくるのではありません。聖殿を復古しなければなりません。神様に侍ることができる聖殿を建てなければなりません。分かりますか。(はい)。国を動かすことができる聖殿です。(一九八八・二・二四)

2 故郷の地に神様の聖殿を建てよう

 イスラエル民族はカナンの地に入っていって、すべて滅びたのです。なぜ滅びたのでしょうか。四十年間、流浪していたイスラエル民族が定着して、カナンの地に住んでいる異邦人たちの風習と財産をうらやましがったのです。それを越えて、イスラエルの聖殿を建てなければならなかったのです。イスラエル民族が定着し、息子たちが定着する前に失われた聖殿を造り、神様に侍ってから国を収拾し、その次に自分の前後を整えて定着すべきだったにもかかわらず、国を失い、聖殿を建てずに自分自身がまず定着したというのです。

 今はその時と同様の時代です。それで、先生が今回きて何をしたのかというと、聖殿を建てる仕事だったのです。統一教会は今、疲弊しています。それで、全国の面単位に千五百の教会を建てようとしました。その地方にある何よりも神様の聖殿を立派につくるのです。それとともに地上に国を建てなければなりません。それから定着しなければ、イスラエル民族がカナンの地に入って滅びた運命を避けることができないので、そのことを命令するのです。分かりますか。

 そして以前、四十名の基台長を送ったのは、四十名が責任をもって聖殿を建てる土地を買うようにするためだったのです。

 先生が北韓でも失われた教会と疲弊したすべてのものを収拾して、聖殿を回復させ、北韓の地を復旧してこそ南北が天の懐に抱かれるのです。その国圏内の聖殿を中心として、国が設定された所に定着しなければならないのに、今そのような考えもなく、定着しますか。それでは滅びるのです。この時をはっきりと知らなければなりません。(一九八八・二・二一)

 ここに面の出身者がいれば手を挙げなさい。皆さんが責任をもって、責任者(族長たち)は自分の土地を売ってでも、どうにかして一つずつつくらなければなりません。分かりますか。それでこそメンツが立つでしょう。福を受けるのです。昔、アブラハムが墓を探し回ったように、心情的な基盤である故郷に訪ねて行き、天に侍ることができる殿堂を自分の家よりも、もっと重要視してつくるべきではないでしょうか。今朝、話すことは聖殿を建てなければならないことと、その次に教育できる学校を造ってから自分の家をもたなければならないということです。自分の家があるでしょう? 農地もあるでしょう? 家をほっておいても聖殿を建てなさいというのです。何のことか分かりますか。(一九八八・二・二四)

3 聖殿改築にすべての精誠を尽くそう

 今回、指示したことは何ですか。二世を収拾しなさいということです。今まで関係したすべての者たち、教授や知人の息子、娘、全部です。それがまず第一で、二番目は何ですか。皆さんの故郷を救わなければならないということです。韓国を救うことを言っているのではありません。若者を引っ張り、故郷に帰らなければなりません。故郷に帰って神様の愛を中心として、父母を愛することができなかったことを悔い改めなければなりません。近所の人、親戚たちを愛せなかったことも悔い改めなければなりません。

 アメリカを見ると、国がなく教会もなくなったのです。父親もいなくなり、息子、娘もいなくなりました。家庭もみななくなりました。バビロンに行っていたイスラエル民族が新しく帰ってきて何をしたかというと、聖殿を新築しました。アメリカの建国思想がそうでした。開拓者たちが来て、初めにしたことは何ですか。神様の名において教会を建てたのです。その次は教育をしたのです。二世を教育したのです。その次は二世たちのために、彼らと暮らす家を建てたのです。これが宣教を中心とした、アメリカの建国思想の伝統的な道だと言えるのです。

 同様に、イスラエル民族もカナンに帰ったなら聖殿を新築しなければなりません。神様に侍らなければなりません。その次は二世を教育できる学校を建てなければなりません。その次には教育した二世を中心として、神様と共に暮らすことのできる家を建てなければなりません。これが順序です。

 ですから、私は今回、二世を立てて故郷復帰しなさいと指示しました。縛ってでも故郷に入っていくのです。これが統一教会でいう、家庭教会の理念を代表できる二世たちを連れて、皆さんの故郷に帰ることです。二十四時間、その村であらゆることをしても、その村の人々が反対できないのです。父親も母親もです。これからは文総裁に対して反対できない環境に次第になっていくのです。すべてが「良し」と言うようになっているのです。あっという間に回るのです。

 郷土に帰っても、既成教会はそのままにするのです。既成教会に我々が入っていって神様の思想を入れるのです。原理を入れなければなりません。今、国家の指導者たち、この人たちがこれから選挙を通して市長にもなり、地方自治制によって、市、郡の議員になるでしょう。洞議員から市議員に全部なるべきではありませんか。それから何をしますか。このような思想で、神様の名における聖殿を収拾するのです。聖殿を改築しなければなりません。

 ですから、千五百の教会を建てるのです。皆さんは、ご飯を食べられないで大変だ、暮らしの基盤もつくってくれないと言いますが。それはあとです。まず、国を救わなければなりません。我々の国のために、神様の国のために聖殿を改築しなければなりません。その次は子供たちの教育です。

 そして、聖殿ですべての精誠を尽くして、その次は自分の足りなさを悔い改めるのです。若者たちを連れてきて教育して、その教育された基盤をもとに町の人たち、里長でも何でも全部が神様と神様のみ旨に従う若者たちと一つになるのです。若者たちが中心になるのです。こうならなければなりません。このようにして、その若者たちをアベルとして、長子権を復帰した自分の先祖のように侍らなければなりません。それでこそ、この国が生きていくことができるのです。これが復帰の路程です。(一九八八・四・六)




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第四節 一つの世界

一.宗教が追求してきた一つの世界

 本来、人間始祖であるアダムとエバが堕落しなかったなら、どうなったでしょうか。アダム家庭のアダムは族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また、国家の代表になって、アダム王になるのです。ですから、この世界はアダム主義一つに統一されてくるのです。つまらない主義などは畳んで片づけなければなりません。つまらない主義が出てきて世界を狂乱させているので、全部抜き取らなくてはなりません。

 主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活方式もアダム生活方式、制度もアダム制度、とにかくすべてがアダム国家の理念制度になるはずでした。このような主義が神主義です。神様の心によって神様と一体とならなければならないので、神主義というのです。(二〇―一二三)

 家庭を中心として見る時、堕落しないアダムとエバの家庭はアダムとエバ、二人だけの家庭ですか、宇宙を代表しますか。(宇宙です)。その次に神様において、その国は誰の国ですか。神様の国ですか、アダムとエバの国ですか。アダムの国ですか、エバの国ですか。神様と共通の目的をもったアダムとエバの国ですか。神様を中心としたアダムとエバの国です。それから、国が拡大したのが世界ですが、その世界もやはり神様を中心とした世界です。それを知らなければなりません。

 サタン世界はどうなっていますか。さまざまな国があります。一つの国にはなっていません。これを片づけてしまって、堕落しない人間が、神様と共に行かなければならないので、サタンが反対し、ありとあらゆることをしますが、このような世界をあとにして成していなければ、理想世界が来ないというのです。ですから、結論は何かと言えば、神様のような人になればサタン世界はなくなるというのです。どのような人も、ついて回ってじっくりと見ると、その心に神様がいて、一人の世界的な完成人がいて、世界的な家庭があって、世界的な国があって、世界的な主義があれば終わるのです。そうできる人になればすべて大丈夫なのです。(二六一―一六三)

 今まで、キリスト教が探してきたものは何ですか。キリスト教がそれほど待ちこがれたものは何でしょうか。それは神様に侍ることであり、神様が送られた新郎を迎えることであり、その新郎を迎える新婦を準備することです。また、その子女たちを探すことであり、彼らと共に楽しく過ごすことのできる氏族を備えることであり、その氏族と共に世界を復帰できる民族を編成して、彼らと共に一つの世界国家を編成することです。

 数多くの宗教がより多く伝道をしようとする目的もそこにあります。道(教え)を中心として世界人を規定しようというのです。それで世界のすべての宗教は伝道を通して、選民をつくり、その次は世界を一つの故郷に、世界の人を親戚に、一つの民をつくろうというのです。そこで我々韓民族は宗家です。宗教を信じる子孫だというのです。また、宗子たちです。そう言っても西洋人、すなわち、白人、黒人たちとも一つにならなければなりません。何をもって一つになるのかというと、愛によって一つになるのです。その愛は神様の血肉に通じる愛でなければなりません。(一八―一一〇)

 神様が最も好まれるのは愛の文化です。神様はお金や権力、知識などが必要ですか。良い家に住むためには煉瓦が必要だし、ドアも必要だし、たくさんの材料が必要ですが、その中でも一番重要なのはその家を完成させる総合的な美を備えることです。人間に対して神様が願われる最も大きな願いは大金持ちになることや、学者になることではありません。聖書のみ言どおりになることです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・37)と言われましたが、それが一つ目の戒めです。二つ目は「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と言われました。驚くべきみ言です。

 コリント人への第一の手紙第十三章の愛の章にも「信仰と愛と希望」、この三つはいつもあるが、この中で最も大いなるものは愛である、と言ったではありませんか。しかし、人間はそれを知らなかったのです。「あなたの心をつくし、精神をつくし、思いをつくして……」とは、どういう意味ですか。命を投げ出して愛しなさい、ということです。皆さん、誰をそれほどまでに完全に愛してみましたか。妻の立場で夫を完全に愛し、弟子は完全に師匠を愛し、民たるもの完全に国を愛してみたのでしょうか。誰も完全なる愛を経験していないので、モデルをつくらなければなりません。工場で金型をつくって品物を大量生産するのと同じで、その金型のような真なる人間のモデルをつくらなければなりません。それでこそ、そのモデルを見習って真なる人間たちが世界に広がっていくのです。

 皆さん、理想世界とか、一つの統一世界というものは、未完成の状態では成されないのです。無知から成すことはできないのです。ですから、完全なる方、完全に知っていらっしゃる一人の方を送って、その国の人たちと接触させようとされたのです。これがメシヤを送ると言われた、神様の約束でした。神様を中心とした主権国家の形成はイエス様を中心として始まらなければならないし、それはイエス様とその国の民が完全に一つになってこそ可能だったです。すなわち、メシヤを迎えて未完成の個人が完成するため手続きと、家庭が完成するための手続き、民族、国家が完成するための手続きを、全部イエス様のみこころを受けて一体化してなさなければならないのです。

 ところで、このような歴史を通してメシヤを迎えるイスラエル民族は、イスラエル民族自体のためにメシヤが送られたというよりも、メシヤとイスラエル民族が一つになって世界を救うようにされたのが神様のみ旨だったことを、知らなかったのです。(五四―四一)

 統一思想の目標は統一世界、神様を中心とした一つの国を成すためにあります。「私の誓い」と同様に、その国の一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心として一つの血統に連結されています。その国ではすべてが心情圏を成して、理想的な後継者になるという誓いを成すことができます。聖書でいう「怨讐を愛せよ」という内容をすべて成すことができます。(一九八三・四・三)

 今までの宗教は家を出なさいと言っていましたが、世界的な最後の統一教会は国を出なさいと言うのです。白人は白人を離れなさい。黒人は黒人を離れなさい。黄色人種は黄色人種を離れなさい。これはレバレンド・ムーン時代に初めて起こったことです。ですから、レバレンド・ムーンが主張することは、最後の主張であることを皆さんは知らなければなりません。

 ここにいる日本の食口たちも、先生が「日本から出てきなさい!」と言ったので出てきたのです。私がアフリカへ行って、「あなた方は、アメリカを出てアフリカに来なさい!」と言えば、異議なく全員が来なければならないのです。「ああ、私は嫌だ。この場所がいい!」と言えば、昔のロトの時と全く同じです。ソドムとゴモラの城に住んでいたのと、全く同じなのです。

 皆さんはどのような群れですか。一つのみ旨は、教権制度を通して世界を一つの国にするためだというのです。「私の誓い」がそうなっているではありませんか。一つの主権を愛し、一つの民を愛し、一つの国を愛するというのです。すべてがそうなっているのです。一つの父母、一つの伝統、一つの血統を誓うのです。皆さんはどこに属した人たちですか。天の国の人たちです。皆さんは既に、楽園の人です。アメリカ人ではありません。この地上に住んでいない天の国の人だというのです。ここ地上には乱暴者がいっぱいです。

 我々はどこへ行くのですか。天の国なのですが、家庭的な天の国から氏族的天の国、世界的天の国、宇宙的な天の国に行くというのです。そうなる時まで行かなければなりません。地上では世界を私の国と思い、万民を私の兄弟と思う、世界を中心としてこのような伝統を受け継いだ人は、間違いなく天の国に一番近い場所に行くのです。これは理論的です。

 皆さんが天国に行く時、「父母や子供たちを連れていく」と考えてはいけません。国を連れていくと言わなければなりません。そこには皆さんの父母、皆さんの民族が含まれているのです。国を捨てて、私を中心に「ああ、我が息子、娘……」ではないのです。国を連れて入らなければなりません。国の中に自分の息子、娘が全部含まれているのです。先生に言わせれば、「先生は世界を連れて天国に入らなければならない」と、食事をするときも、何をするにもこのように考えて暮らしてきたのです。そのように暮らしてきたので、この天上世界の中心に行くのです。まさに、これが神様の考えであり、真の父母の考えであり、真の子女の考えではないでしょうか。(一六一―二二五)

 神様の創造した世界は国境があり得ません。白黒の人種問題も問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないでしょう。こういう観点から見る時、我々が暮らす世界に国境がありますか。黒白の人種問題だけではなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にすべて分裂が生じました。善なる人と悪なる人が闘っているのです。

 このような現情勢を見てみる時、涙される主は国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭を統一しなければならないし、善悪が闘うこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。(五三―七二)

 天国とはどのようなところですか。地上天国とは、どのようなところでしょうか。我々統一教会の食口のような人々が全世界で暮らすのです。それが地上天国です。この地上のすべての人々が統一教会の食口のように暮らせば、それが地上天国です。その世界とは何ですか。教会が永遠に神様と共にある世界であり、共産党がいない世界です。誰一人、神様がいないと言う者はなく、神様に対し疑いの心がありません。神様を我が父とし、すべてが一つとなった世界なのです。それから、サタンの誘惑もなく、サタンがいないのです。神様が主管する世界、それが地上天国なのです。神様が我々と共に暮らすのです。(七九―三〇四)




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二.すべての人類は兄弟、一つの家族

 我々が住みたいのは天国、天国で暮らしたい、それは間違いありません。天国に境界線がありますか。(ありません)。人種の差別がありますか。(ありません)。それでは、天国とはどのようなところですか。人はすべて神様の懐から生まれたので、人類はすべて兄弟です。神様を中心として見れば、神様の息子、娘なのですべてが兄弟です。地上天国を中心として見れば民です。地上天国の万民、国民だというのです。民なのです。(六六―二八一)

 私がどこで生まれたかというと、大韓民国で生まれました。皆さんが大韓民国の国民であるという時、なぜ大韓民国の国民なのですか。皆さんの先祖が中国からきたのか、蒙古からきたのか、どこからきたのか分かりませんね。しかし、根元を探してみると、これは一つなのです。全部一つだというのです。根元を探してみると、始祖が出てくるのです。そうなるようにさせた一つの根源的な存在がいなければならないのです。それは漠然としているものではありません。

 では、根源となる存在、始祖は誰かと言えば、それが神様です。皆さんをじっくり見ると、女性がどうしてそのような姿をしているのか、男性がどうしてあのような姿をしているのか、本当に神秘的なのです。ただ毎日、何となく見て暮らさないで、どうしてあのような姿をしているのか、深刻に考えてみなさい。(一六六―二一二)

 アメリカの主人は誰ですか。神様です。なぜなら、アメリカの地に人が定着する前からアメリカの地を愛された方が神様だからです。韓国の主人は誰ですか。韓国の地に倍達民族(韓国民族の古称)を立てる前から韓国の地を愛された方が神様です。最も難しい時も変わらずに愛してこられた神様です。ですから神様が主人なのです。ですから、皆さんが神様の変わらない息子、娘になるなら、アメリカの地も私の地であり、韓国の地も私の地であり、世界の地も私の地であると言えるようになるのです。愛を中心として見ると、そうだというのです。(一八―九〇)

 完成した人はどうなるべきかと言えば、天と共に世界的な一つの国の国民にならなければなりません。皆さんはどこの国の人間ですか。皆さんはアメリカ人、ドイツ人、韓国人などと言いますが、私の国はどこにありますか。この地球です。この地球が私の国です。私の故郷はどこですか。この地球が私の故郷です。私は国境のようなものは知りません。黒人、白人というようなものも分かりません。すべては神様の子供です。そのような観点から見ると、世界がうまくいくというのです。

 アメリカ人の皆さんに一つ聞きますが、アメリカ人とは誰ですか。皆さんに聞きますが、アメリカがうまくいくのがいいですか、世界がうまくいくのがいいですか。(世界です)。

 皆さんは統一教会員なので、そのように答えるのですが、他のアメリカ人はそれを嫌がるのです。レバレンド・ムーンは異端でどうのこうのと言います。では、誰が勝つのでしょうか。誰が歴史を、世界を動かすのですか。アメリカには動かすことができません。アメリカは既に世界から追放され、孤立していくということを知っているのです。我々だけが世界を保護することができます。

 では、このレバレンド・ムーンはどこの国の人ですか。(韓国、神様の国)。神様の国の人です。私はその答えを願ったのであって、韓国という言葉は好きではありません。

 韓国は今まで三十年間、私に反対してきた国です。ですから韓国を捨てても世界を救出しようとしているのです。黄色人種を捨てても白人を呼び、黒人を呼ぼうと、白人を訪ねて行って、「お前を必要としている」と言うのです。それで今、アジアと韓国が危ういことを知りながらも、アメリカにきて、このようなことをしているのです。そう、レバレンド・ムーンはどこの人ですか。「神様」、父の国の人ですね。あなたはどこの国の誰の息子かと聞かれたなら、神様だと言うのです。どこの国の人かと言われたなら、神様と言えばいいですか。神様の国、天国人だと言わなければなりません。

 その国は、私が生まれた祖国と言うこともできる韓国よりも偉大なことがあることを発見し、我々の両親と暮らすよりも偉大なことがあることを発見し、我々の故郷にいるすべての兄弟よりも偉大なものがあることを発見したので、すべてのものを捨てて、これを私の故郷と思い、私の国と思わざるを得ません。それで、天国に入籍できる手続きを私が学んだのです。それには書類がなければなりません。アメリカの永住権を得るだけでも、どれほど複雑か分かりません。ところで、天国の市民になるのは簡単だと思いますか。(七九―二四七)

 原理は永遠な歴史を通しても変わらない真理です。これは、いかなる偉人の権勢や国家の権力でも変更できず、世界も神様も変更できないのです。

 過去、現在、未来にかけて変わらない真理であるなら、これは人間が本来願う理想的な価値をもっているに違いありません。この原理によって復活された人たちが国家を超越し、世界を超越して一つになれば、皆が兄弟になるのです。そこには白人もなく、黒人もなく、黄色人もありません。考えてみてください。黒人といっても、皮膚の色が違うだけですべてが同じです。骨も同じだし、皮膚も同じだし、血も同じです。皮膚の色が少し違うだけなのです。それは気候と環境によって変わったもので、どうしようもないのです。

 その例として松の木を見てください。極限地帯から温帯圏へと行くと、種類がだんだん違ってきます。松の木が立っている地域的な環境によってだんだん変わり、また、それが出発した基準と歴史を通して種類が変わったのです。また、熊を見てください。北極の熊は白熊です。白色にならなければならないのです。それは環境のせいです。保護色が白色だからです。

 白色人種は、北極の白熊と同じことで、黒色人種は暑い温帯地方の黒熊と同じなのです。ただ、その違いだけです。それでも、黒熊と白熊が互いに「お前は白熊だから、お前は黒熊だから」と言いながら、共にいることができますか。

 白色人種がこのような思想をもっているなら、黄色人種と黒色人種に数的にもやられてしまうのです。その白色人種は全人類の三分の一程度しかいないのです。共産主義が猛威を振るっているこの時代に、そのような考えをもっていたなら、それは価値のない攻撃対象になるしかないのです。ですから、そのような考えは一日も早く清算しなければならないのです。

 すべては一つにならなければなりません。統一教会は結婚式も国際的にやります。西洋人と東洋人が結婚をします。白人と黒人が結婚したりもします。人種を超越して、お互いに愛する姿は歴史にもない美しさです。そうならないことに問題があるのであり、それは最も美しいことです。このような主張は今から十年、二十年、三十年後にも、必ず先見の明がある主張だったと評価を受けるでしょう。このように主張する世界的な思想がなければ、人類は滅亡してしまいます。神様を中心として見ると、人間はすべてが兄弟です。神様の前ではすべてが一つになれないわけがありません。アメリカの建国精神は「神様のもとに一つの国家」です。これは立派な精神です。また、今まさにそのようになろうとしています。(一九七五・七・一三)

 万民はそれぞれ暮らす環境が違うだけで、人間という点では白人も黒人も同じです。もし、ある人が黒人女性と結婚して暮らしながら黒人の子を生み、それから、また白人女性と結婚して白人の子を生んだとすれば、その人は白人の父親にもなるし、黒人の父親にもなるのです。すなわち、子らの父親は一人なのです。どのようにしても、世界人類は一人の父によって生まれた兄弟だという心情が込み上げてこなければ、世界人類の統一は不可能であり、万代の糾合は不可能です。(一八―一一一)

 私には白人たちが必要です。なぜですか。西欧人たちをこれから収拾しなければならないからです。私には黒人たちが必要です。なぜですか。これから世界の黒人たちを収拾しなければならないからです。私には黄色人種が必要です。なぜですか。これからアジア人を収拾しなければならないからです。

 それで何をしようというのですか。西欧人とアジア人と黒人を分けておくためではありません。一つにするために必要なのです。ここで一つにするには、出発から完全に一つになったという基準をつくらなければならないのが、先生の思想です。それで先生は将来、十二カ国ぐらいの人と一緒に住まなければならないと思っています。

 白人の国で四、五カ国の人、黄色人の国で四、五カ国の人、そして黒人の国で四、五カ国の人を選んで、十二民族を連れて暮らしてみようというのです。それは今までも考えたし、今でも考えています。

 「ああ、レバレンド・ムーンは黒人と一緒に暮らしているので、もうだめだ」と言う人たちは、私が追い出すのです。黄色人種と黒人と合わせて西欧人を追い出すのです。我々統一教会員は、そのような考えをもってはいけません。神様が「ああ、西欧人は愛して、黄色人種と黒色人種は愛さない」と言われますか。そのような神様がいますか。(いいえ)。生活が苦しければ苦しいほど、苦労する我が子に父母は同情するのです。父母のその愛を嫌いますか。それが原則です。原則的な愛です。

 それで先生はアメリカのすべての財源を、貧しい黒人や未開の民族のために使えるように教育しようと思います。それは神様が願われる教育です。それをどうやってしますか。(七四―三六)




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三.国際結婚は世界統一の近道

 今日まで、いつも北と南の間には争いがありました。アメリカも例外ではありません。南部と北部が互いに敵となり、南北戦争を起こしました。東洋と西洋も互いに戦いました。これは国家間の問題だけではありません。家庭においても、団体間においても、いつも互いに戦っていたのです。

 何をもって私が勝利したと言えるでしょうか。それは、争いの原因を統一させることをもって可能です。私はそれを試みているのです。小さな韓半島でさえ南と北の人々が、各々別の政治体制のもとに互いに敵意を抱いています。彼らは歴史的に憎み合ってきました。

 しかし、統一教会の結婚には南北の一致があるのです。初めは南部の新郎と北部の新婦がお互いに敵として相対し、ちょうど二人の騎士が決闘をしているようでした。しかし、やがて二人はほほえみ合い、愛に熱中し、結局は最高の幸福をつかんだのです。初めはこの二人が敵のような間柄でしたから、両家の家族も言うまでもなく怨讐のような仲でした。しかし、彼らもいつの間にか新郎と新婦のように喜び合う仲になってしまうのです。

 そして韓国では、数多くの青年たちが「合同結婚式はいつですか。私も参加したいです」と、一般の人までも興奮を抑えることができないのです。このような現象はちょうど小さな波が津波のように大きく成功しているのと同じです。日本もこれと同じです。初めは反対しましたが、これからは統一教会で祝福を受けた幸福な一組の夫婦を見守っていくのです。アメリカも同様です。私の一挙手一投足を色眼鏡を通して見ながら「次の結婚式はいつなのか。アメリカの青年たちの反応はどうか?」と言っています。しかし、いつかは理解できるようになるでしょう。全世界の人種が一つになる最も近道は国際結婚しかありません。二つの全く違う文化圏と環境から選ばれた男女が、神様の愛によって仲良く一つになるのです。これが完全なる統一なのです。

 このような理想を実現するのが我々です。偉大なことを成就するために、我々は巨大な愛の力を求めなければなりません。ただ、最高の愛の力によってのみそのような力を発揮できるのです。社会の動きと環境によって翻弄されるような愛ではありません。最高の愛だけが国境を越え、人種の境を越え、文化の境を越え、知識の境を越えるのです。(九三―三八)

 これから、どのようにして世界を一つに統一しますか。また、心情交流の基台をどうやって築きますか。これが問題です。それで先生は、これから日本の独身男女を韓国人と国際結婚させようと思います。これは神様が願われることです。韓国の枠内でかがんで、座っているような、そのような人を神様は願われません。

 神様はご自身の理念の圏内で、すべてが成されることを願われるのです。共産主義の女性たちは、労動者と結婚するのが最高の希望です。

 しかし、統一教会の独身女性たちはその(国際結婚が)理想にならなければなりません。(一七―四三)

 これからは、自分の家庭が異国の民族と一つになれる血統をどれほどもっているかが、霊界に行って自慢できることです。ですから、これから皆さんの息子、娘たちが結婚する時は国際結婚を多くしなければならないのです。これから統一教会の独身男女はすべて国際結婚をしなければなりません。分かりましたか。これから少しずつ始めるのです。男性も女性も生まれたなら、一度やってみる価値があるのです。(三四―七三)




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四.東洋と西洋の結束が必要

 私はアメリカでいろいろな体験をしました。アメリカ人は長い間、一緒に信仰生活をして熱心に仕事をしてきた人でも、やめる時はあいさつもなしにすっと消えてしまうのです。また、東洋人と違う点は、やめていった人が再び教会に戻ってくることが少ないということです。東洋人はそうではありません。

 出ていく時は、はっきりと自分の意志を明らかにし、また帰ってくる人が多いのです。それは教育制度の違いからくる結果的な現象だと思います。

 アメリカ人は摂理路程が深まるほど、さらに厳しい訓練をしなければならないと思われます。アメリカ人は自分を中心として自由主義を主張しています。各自が自分を主張しているので、まとまりがなく、ごちゃごちゃです。東洋思想はそうではありません。すべてが中心を尊重し、自分は対象的な立場に立ちます。アメリカと同じ教育の方式は開拓時代には良いのですが、統一された時代には問題があると思います。今は、世界開拓時代が過ぎてしまい、どうやって一つになるのかが問題になる時代に入っているのです。

 このような観点から見ると統一思想は今日、西洋文明圏で絶対的に必要視されると思います。我々がこのように互いに一つになって国を動かし、世界を動かしているということはとても立派なことです。

 東洋人は真面目で、純粋な面があって、あまり変わりません。反面、アメリカ人はとてもころころと変わります。そのような観点から、アメリカの青年たちは東洋を慕うようになりました。東洋人はアメリカの女性たちが毎日のように変わると思っています。事実、そのような面があります。

 アメリカは離婚率が高いのです。男性よりも女性が離婚を望む場合が多いのです。東洋はその反対です。ですから、これをお互いに換えれば、理想的ではないでしょうか。全く反対だからです。

 東洋では右手を主に使います。左手はあまり使いません。しかし、西洋では左手を主に使い、右手はあまり使いません。これは、はっきりと区別できます。また、東洋人は食べ物を食べる時、静かにして話をしません。しかし、西洋人は皆で互いに話しながら食事をします。それは正反対です。

 そのような観点から見ると、理想的な世界を成すためには、東洋と西洋を結束させて、その二つを合わせることのできる、一つの精神的な宗教が絶対的に必要だという結論に到達します。(一九七五・七・一三)

 神様は公平なお方です。アメリカは神様の祝福によって、物質文明を花咲かせた代表的な国になりました。ですから、外的な基準から内的な基準に急激に変化するのは困難です。

 反面、東洋では物質的な面よりも精神的な面を尊重します。西洋は外的には祝福を受けましたが、内的な基準においては足りません。反面、東洋は内的には祝福を受けましたが、外的な基準においては不足です。神様はこのように公平なお方です。

 これから三年ないし七年が過ぎれば、大体、均衡がとれると思います。アメリカの統一教会の青年たちは相当変わりました。床にそのまま座ることを習いました。椅子がなければ座ることのできなかった人たちが、床に座るとは夢にも思わなかったことでしょう。

 宗教を中心として精神面を重要視すれば、物質的な条件ははねのけてしまいます。東洋は精神文化を重要視して、すべてが外的基準をはねのけてしまいました。それを西洋人たちが拾い集めました。アメリカをはじめとして西洋の多くの国が外的に裕福になったのは、東洋のあらゆる物質的条件の援助を受けて西洋文明を発展させたからです。しかし、それが限界に達しました。そして、東洋の精神文明も限界に直面しています。東洋は次第に西洋文明、物質文明を要求するようになりました。西洋はまた東洋文明、精神文明を要求するようになり、これらがお互いに交代するような時点に立っています。まさに授受作用をしているのです。

 理想世界になれば、西洋人が東洋に行って暮らしたり、東洋人が西洋に行って暮らしたりします。これは無理がないように回らなければなりません。そうするには生活基準、思想基準、目的基準が一致しなければなりません。

 東洋の風潮を見ると、ごく最近までアメリカに行って勉強すれば良いというのが支配的な考えでした。しかし、今はそうではありません。アメリカに行って勉強をすれば、人が悪くなる、良いものは一つもないと考えます。

 アメリカの多くの若者がヒッピーの部類になったと思っています。その反面アメリカ人たちは食べること、飲むことなどの生活面、外的な人生の経験はしていないことがありません。その結果、今はすべての外的基準を捨てて、原始人に戻ろうと主張する声も聞こえます。このように、何か精神的な面を渇望してみると、東洋に対する関心がだんだんと高くなっているのです。(一九七五・七・一三)




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五.国際平和高速道路の建設

 私が一九八一年に国際高速道路、ハイウェイの建設を提唱した、その時の文献は全部あるでしょう。世界各国の大学総長、百四十カ国の政府機関に送りました。その文献が全部残っているのです。その高速道路の計画、そして技術の平準化についての文献です。先進国が今まで弱小国を搾取しましたが、それは何かというと技術搾取なのです。技術をもって隷属させ、今まで搾取してきたのです。技術と政治の力で搾取し、それを基盤にして強国が連合し、弱小民族を思いのままにしてきたのです。

 その時、その高速道路の建設計画を、アカデミーの教授たちがくすくすと笑って、「レバレンド・ムーンが平和高速道路の問題を言い出すとは思わなかった」と言うのです。事実、「世界平和教授アカデミー」が高速道路を提唱しなければならないことなのです。ところがそれを発表すると、議長団が気分を良くしなかったのです。気分が良くなかったら、良くないでいいではないですか。では彼らが何をするのですか。彼らはただ口で言うだけです。我々は今、それを推進しているのです。(一六二―一五六)

 一九八一年に国際ハイウェイの建設を宣布しました。その時、科学者たちとすべての議長たちが反対しましたが、これはしなければならないことだったので、私は宣布しました。アジアの形勢が彼らには分かりません。私の言うことを聞いて、この仕事をしなければなりません。その時、議長団が反対したにもかかわらず、それを一蹴して発表したから良かったものの、今、それを発表しても意味がないのです。

 今、中共の高位層ではレバレンド・ムーンが何を企てているのかと考えています。日本が満洲に鉄道を建設したのは、満洲を占領する基地をつくるためでした。それで、レバレンド・ムーンも中国大陸を手に入れるためではないのかというのです。高位層の人々に会いましたが、その会談の時、国際ハイウェイの件について、彼らは話にならないと、信じもしなかったのです。(一九八五・一二・二九)

 北韓を通って中国大陸を横断しようという国際高速道路の建設は日本がしなければなりません。(一九八六・六・一)

 国際平和高速道路は日本が責任をもって遂行することです。これです。それを誰が志願しましたか。一九八一年に提案して、もう実践段階に来ました。

 この議長団が、「ああ! 文先生、それはだめです。高速道路は北韓があってできません」と言いましたが、「あなた方の耳の穴は詰まっているが、私はアンテナをもっています。見ていなさい」と言ったのです。私に反対していて、痛い目に会ったでしょう? 今に見ていなさいと言いました。すべて経験した人たちなのです。皆ぺちゃんこにやられました。(一六八―三三)

 国際平和高速道路を建設するなら、何百億、何千億、何兆ウォンも必要です。最近、穴を掘り始めましたが、競争が始まったのです。「我が社のものに、我が社に渡してください。お金は我々が出しますから」と言うのです。それでこそ、世界の輿論となれます。大したものです。文総裁の背後を知ってみると大したものなのです。世界中の学界から政界まで、ヨーロッパを通して調べても、南アメリカを通して調べても、アメリカ自体を通して調べても、だんだんラッパのように大きくなるのです。(一六六―二九)

 現在は、イスラム教圏でも、その国の宗教の力を超えて活動できる能力をもっているのです。ですから、国際平和高速道路を造ろうというのは、まんざら空言ではありません。宗教圏を活用するようになれば七カ月間でやれます。そのような力をもっているのです。それを全部解決するというのです。(一六六―一〇)




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六.天国に行くハイウェイを建設しよう

 人間にとって、一番難しく、大変な道はどのような道でしょうか。天国へ行く道です。この道が一番難しいのです。この宇宙の中で人間に一番難しい道とは、どのような道ですか。天国へ行く道が一番難しいというのです。イエス様は天国へ行きましたか。(いいえ)。楽園に行ったのです。天国に行く待合室にいらっしゃるのです。ですから、それはどれほど難しいでしょうか。では、神様は天国に住んでいらっしゃるのですか。(いいえ)。違うというのです。歴史始まって以来、天国で暮らした人が誰かいますか。神様が暮らせず、息子も暮らせなかったのに、誰が天国に行って暮らすのでしょうか。天国に行って暮らす人がいるかというと、いないのです。ですから、一番難しい道です。

 皆さんはそこに行こうと、足を踏み入れたのです。(笑い)アメリカの大統領になる道はいくらでもあります。なれるというのです。(笑い)そう思ってみてください。アメリカの大統領になるのが易しいですか、天国に行くのが易しいですか。どちらが易しいですか。(大統領になることです)。それを考えてみなければなりません。天国に行くのが一番大変です。一番つらく、一番遠く、一番困難な反面、一番悪いのではなく、一番良いというのです。では、その道を行く自信がありますか。(はい)。では一度行ってみてください。

 そのためには皆さんはアメリカを越え、世界を越えるのです。霊界のサタン世界を越えて行かなければなりません。そのように行かなければならないのです。皆さんは霊界と闘い、勝ち進むことができますか。(はい)。知らなければ行くことができません。一番難しい道ですが、最も行かずにはいられない道であることを、皆さんは知らなければなりません。死んでも、永遠にそこに向かって行かなければならないのです。

 このように見る時、天国に行くことは、神様にとっても大変な問題なのです。それでこの道を短縮しようとして、ここにメシヤや、ある特定の民族、特定の個人にこの道の責任をもたせて、犠牲にしながらすべてを埋めてきたのです。ここから、これを埋める仕事のすべてをしてきたのです。ですから、多くの聖人たちが現れては死をもって埋めていきました。多くの国が栄えては滅びたのも、谷を埋めるためだったのです。今まで、歴史はそのようなことをしたのです。それで興亡の歴史というのです。そうすることで高めたり、落としたりしながら、今のような平等をつくりました。平等ということを平和というのです。そうなって平等になるのです。

 それでは、それを誰がしなければならないのでしょうか。神様と人間がしなければいけないのです。サタンはできないのです。神様はどうされるのでしょうか。救ってあげてはいけないのです。切り捨てて、犠牲にして、打たなければならないのです。ある時には難しくても、育成して引っ張っていかなければなりません。ですから、歴史は上がったり下がったり、滅びたり栄えたりするのです。死んで生きるのです。それで、何をしようというのですか。天国に行く道を開こうというのです。それが目的です。天国に行く道、天国ハイウェイをつくろうというのです。

 それでは、誰がそのハイウェイを設計して、誰がその道をつくるのでしょうか。神様が青写真をつくり、イエス様が実践するのです。山を削らなければならない時に、その山の主人といえども反対せずに、「どうぞ削ってください」と言わなければなりません。それで、イスラエルの国をつくらなければなりません。また、美しい湖も埋めてしまわなければならないと言われれば、それも、「そうしてください」と言うのです。そうして、一つの国の例をつくらなければなりません。そして、無事通過するのを見て、「我が国もどうぞ」、「我々も」と言うようにしなければなりません。それをしようというのです。

 そのような道さえ敷いておけば、その次には車があれば、あっという間に行くことができるのです。(笑い)その車とは何かと言えば人です。人が自動車です。人を運転して、天国まで走ろうというのです。神様が車である皆さんに乗って運転すれば、神様の運転どおりに走らなければならないのです。そうなっていますか。車が「私は行きません」などと言うことができますか。ハンドルを握ってアクセルを踏みさえすれば行くのです。(笑い)

 天国は女性たちが勝手に行ける所ではありません。神様が運転手になって、神様が操縦して、皆さんも一緒に帰っていく所が天国です。神様の身代わりとしてメシヤが来て、メシヤの指導のもとに入っていく所が天国だということを、皆さんは知らなければならないのです。そのようなハイウェイをつくって、初めて入れる運転台の主人として現れた人がメシヤなのです。

 それでは、我々は何をする人たちですか。ハイウェイをつくるのです。ですから深い所は埋めなければなりません。それで我々を打つのです。我々を打たなければならないのです。ところが、埋められなくなれば、誰かを犠牲にしてでも埋めなければなりません。そうして道を広げていきます。アメリカを横断する道さえ通れば、その次は松明を持って走っていくのです。

 皆さんがハイウェイを走るようになれば、タクシーに乗った時、料金を出すように、我々もそうできるのです。ですから、どれほど大変なことかというのです。困難なことを探さなければなりません。そうできますか。(はい)。我々は何なのかと言えば、道を敷く人であり、道をつくる人なのです。ですから、どのような道でもそれをつくる人が苦労した分だけ、道がつくられるということを我々は知るようになるのです。(七二―二五三)

 この道を開拓しようとするなら、汚水の中にも入らなければならないし、湖や川もふさぎ止めなければならないし、穴も掘らなければなりません。ですから、統一教会はできないことがあってはならないのです。技術も必要なのです。統一教会はそのような面に責任を負っているので、皆さんはこれもするし、あれもするし、何から何までしなければならないのです。

 アメリカの青年たちは一つのことしかできません。「一つ終わってから次の仕事をしよう」と、このような考え方をもっています。しかし、我々はそうできないのです。一つをしたら、二つのことをして、二つのことをしながら、三つのことを一緒にしていける仕事をしなければなりません。先生は今までそのようなことをしてきたのです。これもしてあれもして、全部です。ですから、ひどい目に遭うのです。しかし、そうしてでも全体を生かさなければならないのです。一つ一つを生かすことができないので、全体を平均的に生かすためには、そうせずにはいられないことを皆さんは知らなければなりません。

 私は好きなことだけする、そのようなことが通りますか。(いいえ)。好きなことよりも嫌いなことがもっと多いのです。嫌いなことが多いのです。しかし、我々しか知らず、我々しかする者がいないので、それをしないわけにはいきません。それは、気分が悪くありませんか。嫌いではありませんか。(はい)。では、感謝して行きますか。(はい)。皆さんがそうできるなら、間違いなくこのハイウェイは我々の手でつくることができるし、我々の思想を通して世界を横断することができます。横断するだけでなく、縦横に走ることができるハイウェイになり、世界中を回ることができるハイウェイになるでしょう。このようにしておけば、これが一番理想的なことなのです。(七二―二五七)




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南北統一_8-4-7

神様の摂理から見た
  南北統一

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七.言語の統一

 アメリカの豚も、韓国の豚もみな同様にブーブーと鳴くし、雀も同じようにチュンチュンと鳴くのに、万物の霊長である人間はなぜこのような状態なのでしょうか。子豚の言葉でもなく、子牛の言葉でもないのに、数十カ国を回ってみれば、行く所ごとに言葉が違います。ご飯を食べさせてもらう時も本当に大変です。唖でも全くの唖になるのです。このような結果に誰がしてしまったのですか。それは、一言で言えば、堕落したからです。言葉も一つに統一できず、一種類のものを使うことができない人間が、どうして万物の霊長ですか。どれほど、悔しいことでしょうか。本当にあきれることです。(二〇―一二四)

 神様の絶対的な愛を中心として、絶対的な男女が共に、絶対的な文化を創建しなければなりません。絶対的な文化創建のためには、何よりも統一された一つの言語と文字をもたなければならないので、韓国の言葉と文字を学ばなければならないと何度も強調してきたのです。文化創造と発展は文字によって伝達されるからです。(一九八八五・一一・一二)

 これからは言葉が問題です。先生は今、韓国語で話していますが、これから通訳がなくなったらどうしますか。皆さんが私に習いますか、私が皆さんに習わなければなりませんか。(我々が学ばなければなりません)。なぜですか。先生が話す韓国語を学べば、先生を通してもっと深いことを学ぶことができるし、もっと価値あることを得ることができるからです。それが何よりも貴いので、そうしなければならないという結論がでます。聖書を勉強するにおいて、イエス様がその当時使っていたヘブライ語を勉強しようとするのも、その時代に話した言葉、その経書に残した言葉が貴いからです。皆さん、ヘブライ思想とルネサンスの勃発を考えてみましょう。なぜ、そのヘブライ思想を我々が研究しますか。中世に、どうしてヘブライ語が世界を制覇するようになったのでしょうか。ヘブライ哲学を中心として、人間が進む方向と価値的内容を提示する、何人かの有名な哲人たちが出てきたからです。その思想について行くために、そのようになったのです。結局、内容は簡単なのです。これから、統一思想においては、原語がどの国の言葉になるのかと言えば、韓国語になるのです。

 ですから、何か問題がある時、あるいはそれを引用する時、その原語が問題になるのです。それで将来、このような方向を収拾して進んでいくことができなければならないので、重要な会議は原語を使用する時代がくるでしょう。それは理論的に合うのです。どうですか、韓国語を学ぶ必要性を感じますか。(はい)。もう一度、学ばなければなりません。これから霊界に行くと韓国語を使うのです。(笑い)

 真なる父母の息子、娘は、その父母が使う言葉を話せなければ唖と同じです。唖だというのです。これから、そのような方向に世界は流れて行くでしょう。

 この西欧社会にレバレンド・ムーンがきて、もう相当に波紋を投げ掛けました。これは近世にない新しい宗教界の脅威であり、新しい問題だということを皆さんが知らなければなりません。今、事実そうなのです。これから原語の勉強には韓国語が入るということを知らなければなりません。皆さんがいくら英語のものを読みながら、「こうだ」と言っても、韓国語の原本と違っていれば、それはすべてむだになり、消されて変えられるのです。

 変わらないものが価値のあるものです。それと同様です。違いますか。(そうです)。ですから、これから原語を勉強しなければなりません。(七四―三三)

 韓国の言葉と文字は韓国で作られて、韓国で使われています。真の父母という言葉も韓国語的に付けられた名前です。真の父母の愛を中心として、神様が真の父母を愛し、歴史始まって以来初めて付けられたのです。言い換えると、神様が愛を中心として話し始めた、最初の出発が真の父母を中心とした愛の基盤の上なので、韓国語で通すしかなかったのです。真の父母という言葉の起源は絶対的なことです。それが韓国語を学ばなければならない理由になるのです。また、ハングルは韓国語を表記できる文字なので覚えなければなりません。神様が愛の言葉を話すことができる初めての場所が、韓国であることを知らなければなりません。

 先生が真の父母という言葉を韓国語で初めて使ったので、真の父母という言葉の起源は韓国語になるのです。真の父母という言葉は英語や中国語ではなく韓国語です。ですから韓国は、統一教会員が訪ねていかなければならない愛の祖国なので、韓国語と文字を学ばなければならないのです。

 皆さんが韓国人の男性あるいは女性と祝福を受けたいと願うのも、神様の初めての愛の言葉の起源が韓国語なので、その本郷に近づきたいという心の発露に基づくものだと言うことができるのです。(一九八五・一一・一二)

 先生が韓国で生まれたので、統一思想も先生のみ言も全部本になっています。ミホ(日本の女性食口)。み言選集を一冊持ってきなさい。(み言選集は、ここにあります)。これは『文鮮明先生み言選集』です。先生が日曜日に説教したものですが、二百巻以上、出版されるでしょう。二百巻以上。これを世界の学者たちがすべて勉強するようになったのです。皆さんが原語を通して見なければ、権威がなくなるのです。これが、これからの新しい世界の歴史、文化史において省くことのできない、思想的な座標の意味をもっているという事実を知らなければなりません。

 先生は復帰摂理をしてきました。この世の政治と経済、文化世界の基盤で、神様の摂理を解いたということは歴史上になかったことです。今、世界の学者たちの中に韓国語の勉強をしている人が多くなりました。レバレンド・ムーンの「み言選集」を原語で読むためです。それを翻訳してしまえば権威がないのです。何のことか分かりますか。(はい)。皆さんがこれを読めなければいけません。皆さんが、この原語で書かれた先生のみ言集を一度読まなければならないのではありませんか?

 今まで解放後四十年、第二次大戦以後の歴史発展と共に、このみ言が発展してきたのです。これから学者たちに、「先生のみ言選集の第何巻にこのようなみ言がありますが、あなたはどう思いますか」と聞いた時、何と答えるでしょうか。これは、すぐに四十巻になります。今月、第四十巻が出版されるでしょう。このことは聞きませんでしたか。これを翻訳しなければなりませんか、しなくてもいいですか。(はい、いいえ)。(笑い)ですから皆さんは、いずれにせよ韓国語を知らなければなりません。

 今後一九九〇年からは、先生は国際会議も韓国語でしようと思います。それまで何年くらい残っていますか。(三年残っています)。宗教の力でなくては、一つもつくることができません。この本一冊で通じるのに、これを翻訳しようとすれば、何百カ国の言葉に翻訳をしなければなりません。どれほどの損害でしょうか。これ一冊でいいのに、百二十カ国の言葉に翻訳すれば、百二十冊になるのです。未来世界にどれほどの損害になるのかというのです。ですから、先生でなくてはこれを一つにする人がいません。何のことか、分かりますか。(はい)。韓国語を勉強しなさいと言っているのです。熱心にするのです。皆さんの頭なら一年で大丈夫でしょう。(一六一―二八九)

 韓国語には哲学が入っています。天地の理知と調和を備えた背景をもっています。発音法においても、アメリカで言語学の博士号を受けた有名な人がいます。

 ミスター・韓の英語の発音はどれほど良いでしょうか。英語をうまく話せば、韓国人なのかイギリス人なのか分かりません。中国語をうまく話せば、中国人なのか、韓国人なのか分かりません。日本語をうまく話せば日本人なのか、韓国人なのか分からないのです。それで最近、日本人たちは外国語を学ぶなら、まず韓国語をマスターした後で他の外国語を学ぼうという雰囲気になっています。

 韓国語はとても高次元的な宗教言語です。表現が深く細かいのです。それは、どの国の言語も及びません。韓国人は頭が良いのです。それは正確で分析的な言語を通してキャッチし理解するため、頭の構造が相当に高い次元にあるということを知らなければなりません。(韓国人は)技能オリンピック大会で、いつも一等になるではありませんか。多分、七年間、一番だったでしょう。(一九八八・一・三)

 韓国語というのは、あれもこれも全部相対的なのです。「きたり行ったり」、「煮たり焼いたり」など、全く相対的です。他の国の言葉には、このような言葉がないのです。また、ヒョロヒョロ、ジャランジャラン、チリンチリン、ヒヒヘヘすべて相対的になっています。これを見ると、韓国語が世界で一番良い言葉です。神様が言葉を教えるにおいて、韓国民族に世界で一番良い言葉を教えてくれたのです。このように天地の理致に合うようにした言葉は韓国語しかないので、私は韓国人として生まれたのです。(笑い)ここの韓国人が聞けば気分が良いでしょうが、西洋人たちが聞けば、気分が悪くなるかもしれません。気分が悪くてもしかたがありません。そうなのです。(六三―一二七)

 韓国語を学べばコリアが良くなります。勉強していますか。(はい)。韓国の文字は本当に簡単です。韓国の文字は三十分以内で覚えることができます。しかし、韓国語は難しいです。言葉が本当に難しいのです。韓国の文字を全部発音できれば、世界のどのような国の言葉でも自由に発音できます。他の国の言葉の発音が本当に易しく感じられます。ですから優秀な言葉だというのです。それは神様が祝福してくれたのです。アジア地域では日本語も中国語も、韓国語にはかないません。(一六一―二八七)

 今後アジアと連結するためには、韓国語を知らなければなりません。韓国人を知らなければアジアが分からないのです。なぜならば、ソ連や中共、日本など、強国の間で訓練されているので、すべての国の特徴を全部知っているからです。ですから、韓国を知らずしては、アジアが分からないというのです。そのような意味から、皆さんに韓国語を学びなさいと言っているのです。韓国が小さな国だと考えてはいけません。地政学的見地から見れば分かるように、膨大な思想的内容をもっていて、今後、経済分野や政治の世界に大きな影響を及ぼすことができます。及ぼすことができるのです。背後にそのような基盤があるということを知って、勉強しておくとよいのです。それで日本人たち、幼い時に韓国語を教えておけば忘れません。韓国語を学ぶと世界に通じるのです。ですから、韓国語を勉強しなければなりません。(一六一―二八九)

 各国で祖国語の教育を強化しなければなりません。祖国語教育の強化です。分かりましたか。どの国の言葉で統一しなければなりませんか。(韓国語です)。なぜ言語を統一しなければなりませんか。皆さん、韓国語を勉強していますか。これからは、韓国から韓国語を教える人を送ってあげようと思います。少なくとも、先進国の十二カ国には今年中に。そうでなければ、何年後かに韓国語を教える人を派遣しようと思います。

 本の製作はどうなっていますか。(はい。今、出版中です)。短期間で韓国語を学べる本を作るのです。我々の手で作るのです。韓国語を学ぶのに一番良い本を、です。(一九八八・一・三)

 さあ、これから韓国語の教師の配置を急がなくてはいけません。一九九〇年度からは通訳を使いません。韓国語だけで話をするのです。ですから、今年から八八、八九、九〇年の、三年間に人を送って教えてあげます。それでもだめならば、ひっぱたくのです。これは、どうせしなければなりません。誰か、できる人が他にいませんか。私しかいません。ですから、必ずしなければなりません。原理がそうなっているのです。そうでなければ、霊界に行って引っ掛かるのです。霊界で先祖たちに会えば、「お前、韓国の先生に侍ってきたというが、韓国語が話せたのか、ドイツ語で通じたのか、フランス語や英語で話したのか」と聞かれます。韓国語が通じずにきたのかと、締め上げられるのです。(一九八八・一・三)

 統一世界に向かう我々においては、統一言語で先生の説教集の朗読を完遂させなければなりません。それはどういうことかというと、原語で読むということです。先生の説教集は、七十四巻まで出たのです。どんどん出版されています。皆さんがこれを原語で読まずに、どうするのですか。英語でも、ドイツ語でもなく、原語です。オリジナルの原語です。

 ですから、今後皆さんは、説教に関しての心配は要らないのです。これは先生が一生の間、説教したものです。皆さんが霊界に行って問答する時、「私は見ることもできず、読むこともできなかった」と言いますか。英語には一切翻訳させないのです。ここに漢字を入れると本当によいのです。これを読まずに死ねば大変なことです。指導者たちはこれを読まなければ大変なことになるのです。

 後の世代、各自の家に先生が入って行くことができますか、説教集が入っていきますか。考えてみなさい。どうですか。先生のみ言が入っていくのです。(一九八八・一・三)




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南北統一_8-4-8

神様の摂理から見た
  南北統一

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八.お互いに信じ、愛し、共に生きていこう

 皆さんの願いは何ですか。他の人が私を信じてくれたらよい、というのですね。他の人が私を愛してくれたらいいな、ということでしょう。そして、他の人が自分と一緒に暮らしてくれたらよいということですね。その願いが成就すれば、幸福になれます。これは間違いなく皆さんの願いでしょう。

 神様が自分を信じてくださり、愛してくださり、共にいてくださるなら、世の中に、これ以上の大きな幸福がどこにあるというのですか。皆さん全員が幸福になることを願っています。幸福になるには、まず、自分を信じてくれる同伴者が必要です。信じることができる人と与えたり受けたりすれば、永遠に暮らさなければなりません。この三つを備えて一生を生きていく者が、本当に幸福な人です。

 女性たちに、どのような夫が良い夫かと聞けば、永遠に変わらずに信じてくれる、そのような夫が良い夫だと答えます。本当にそうです。男性もまたそうです。神様もそうです。神様もそのような人を願われます。神様が願われる相対者として信頼を受け、愛を受けて生きていくことができる人なら、それ以上に純粋な人間はいないのです。このように純粋な人たちになって、すべて神様を信じるようになれば、神様も「本当に私を信じてくれて、ありがとう」と言うでしょう。

 そして人間たちが互いに信じて愛しながら幸福に暮らせば、神様も共に暮らすことを願われるでしょう。このような立場に立つことのできる者だけが、責任ある人間になれるのです。

 幸福な個人とは、どのような人だと言いましたか。お互いが信じて、お互いが愛し、お互いが共に暮らす、そのような人だと言いました。夫婦がそのように暮らせば、神様が共にいて、幸福な家庭を成すようになります。氏族が幸福になろうとするなら、氏族間でお互いに信じて、お互いに愛し、お互いに共に暮らしたいと望まなければなりません。民族も、国家も、世界もすべて同じなのです。

 一つの国の大統領はどうですか。全国民が彼を信じ、彼を愛し、彼と共に暮らしたいと思うとき、彼はまさに理想的な大統領になるのです。神様を中心として、世界を考えた時も同じです。全世界の人々が神様を信じ、愛し、共に暮らそうとする時、神様も初めて幸福を感じられるのです。

 結論的に言えば、正しい人、純粋な人であると決定できる基準は何ですか。間違いなく、信頼できる人、変わらない人、愛してくれる人、共に暮らしたいと願う人、このような人が基準となるのです。誰によって、そのような人になりますか。それは結局、神様によって、そうなっていくのです。(一九七五・七・一三)

 神様は人間を創造されて、変わらずに信じてくださいました。人間がいくら変わっても歴史を超越して、その基準を維持して来られた方が神様であられるのです。堕落したこの世の父母たちも、信じることができない我が子を信じて生きます。いつもごまかされながらも信じてあげます。これが、正に神様の心情です。

 皆さん、神様のような人を私の夫として、私の妻として迎えることができればと願うでしょう。人間の考えは誰もが同じです。

 信じられない人を信じてあげ、愛せない人を愛してあげ、共に暮らせない人でも捨てなければどうなりますか。落ちていっても、それを確認すれば、感動して再び帰ってくるでしょう。神様は今まで、そのような心情で復帰摂理の道を歩んでこられたのです。

 イエス様が聖人と呼ばれるようになったのは、怨讐までも祝福され、愛されたからです。まさにその点が全世界の人々を感動させ、歴史を動かすことができる原動力になりました。聖書六十六巻の中には数多くの内容が記録されていますが、そのすべてのことを総合してみれば、「信じて、愛して、共に生きよ」という内容に集約されます。

 我々統一教会では、どのような人が最も純粋で、最も信頼できる人として見ますか。それは、神様のように、信じられない立場にいても信じてあげ、愛せない立場にいても愛してあげ、共に暮らせない立場にいても暮らしてあげる、そのことを続けられる人です。そのような人は必ず、その環境において勝利者になるのです。(一九七五・七・一三)




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