文鮮明師講演文集

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目次
  1. 人間に対する神の希望
  2. 救援摂理史の原理観
  3. 宇宙の根本を探して
  4. 真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙
  5. 祝福と永生
  6. 人間の行くべき生涯路程
  7. “生と死”についての理解
  8. 世界平和超宗教超国家連合創設大会 基調講演文
  9. 真の愛は誰もが願う
  10. 神様の王子・王女が行くべき生涯路程
  11. 国連の刷新と「平和の文化」建設
  12. 国境線撤廃と世界平和
  13. 世界化時代に言論の道徳基準確立を
  14. 文明間の対話と調和
  15. 天国にはだれがどのように入るのか
  16. 神様は私たちの王であり、真の父母であられる
  17. 『神様王権即位式』は天と地の勝利を完成する
  18. 神様の祖国光復
  19. 神のみ旨から見た平和への道
  20. 真の“私”をさがして
  21. 神様と人類が探していく平和の国と世界
  22. 平和の根は真の愛に
  23. 韓 鶴子総裁 講演文 WCSF2002開会式での創設者紹介スピーチ
  24. 世界と国家の真の救済への道
  25. 人類救済は真の家庭から
  26. 神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告
  27. 自由、家庭、信仰−21世紀のメディアの役割
  28. 「天地父母統一安着宣布」
  29. 「平和の根源は神様」
  30. 神の祖国と1つの世界
  31. 神様の祖国と天一国王権時代
  32. 神様の真の愛と天地人の関係の回復
  33. 再創造の主人
  34. 「新たな国境線撤廃と世界平和」
  35. 「平和国連を通して平和天国を完成しよう」
  36. 平和国連創設・韓国本部大会 奉献祈祷文

人間に対する神の希望

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「人間に対する神の希望」

(73.10.20 ワシントン リスナー講堂にて)



 紳士、淑女の皆様、まず初めに、私は、今夜この場に皆様がおいでくださいましたことに対して、心からの感謝の意を表したいと思います。そして、私は、この街を訪れ、皆様にお会いすることをずっと心待ちにしておりましたので、このような機会が与えられたことを、神に感謝するものであります。

 私たちは、互いに異なった言葉を話していますので、たとえ私が話すことができても、皆様から見れば、私はおしであり、また、たとえ皆様が聞くことができても、私から見れば皆様は、つんぼであります。このおしとつんぼの間を正しくとりもつものとして、私の通訳としてこの隣に立つ人が必要になるわけであります。しかしながら、御存じのように、一つの言語から、他の言語への通訳は容易な仕事ではありません。ですから、この私の横に立っているこの人は皆様の温かい御理解を本当に必要としているのです。

 今夜は、「神の人間に対する希望」と題して語ってみたいと思います。このテーマは広大で、その内容は複雑なものでありますので、私はこのテーマの中心点からそれないよう最善を尽くしたいと思います。

 もし神がおられるなら、神は絶対的に人間を必要とするのであります。神は、あらゆるものを創造されました。しかし、その神のあらゆる被造物の中で人間は、最高かつ中心的な位置を占めているのです。そのために、神と人間との関係に対する明確な理解をもつということが、私たちにとって非常に重要であるわけなのであります。この神と人間との関係に関しては、歴史的に様々な説がありました。様々な意見や、神学的概念、学派などがありますが、しかし、本当の生きた神と人間との関係というものは、いまだ解明されない問題として残されているのです。

 神と人間との関係というものは、人生における非常に根本的な問題でありますから、この問題を完全に明確にしない限り、我々の物事に対する理解は、それ以上進まなくなってしまうのであります。この問題に対する解答を追求していくと、主に二つの立場からの見方があるということを発見します。一つは、神の立場からの見方であり、もう一つは、人間の立場からの見方であります。様々の宗教が、この二つの見解を追求することを通して発展してきたのでありますが、これらのすべての宗教に共通した、神と我々との関係を明確にする原理があるはずであります。そして神は、我々がその真理(原理)を本質的な意味において理解することを望んでおられるのです。

 皆さんは、もし誰かに「あなたの人生において最も尊いものは何ですか?」と聞かれたなら何と答えますか? ある人は「力」と答えるかもしれません。またある人は、きっとお金と答えるでしょう。「金がすべてだ」と。そしてまた、ある人は「知恵と知識」と答えるかもしれません。それでは、これらの要素、すなわち力とか金とか知識とかが人生において最も重要なものなのでしょうか? この問いかけに対して深く掘り下げてみると、もっと違った考えが浮んできます。そして、やがて最も貴いものは愛である。愛は人生において最も貴いものであるという結論に到達するのであります。そして、愛に次いで貴いものは生命それ自体であります。さらに我々は、愛と生命とをもったならばさらにもう一つのもの――理想を必要とするのです。これら三つの要素――愛と生命と理想――は単にその価値において、貴く深遠であるというのではなく、これらの要素自体がまさしく我々の人生を生きがいあるものとなさしめるものなのであります。

 さらに、もっと深く考えてみましょう。すべての人々は、永遠の生命を慕い求めます。同様に人間の愛と理想を表現するにおいても我々は、生来それが不変であり、唯一であり、永遠であることを願うのであります。歴史上に現れた多くの作家たちは、永遠の愛の美しさを描いてきました。夜に昼にと変わるような愛に感動を覚え、それをたたえた作家は一人もありません。また、この地上を越えた生命を証明するところの世界の多くの宗教は、我々人間の永遠への願望を支えているのです。もしある宗教が永遠の生命を説かないとするならば、その宗教は善なる目的にかなうものとはいえません。

 「愛」と「理想」という言葉は、それ自体が独自に意味をもつものではありません。愛は愛する者と愛される者とがあって初めて存在するのです。また、理想は誰かによって分かち合われなければならないのです。愛と理想とは、相対的に補足し合う、ギブ・アンド・テイク(授受)の関係が成立するときに生きたものとなるのです。我々人間は対象の立場にあり、常にその主体的存在を必要としています。愛と理想とは、二つのものが主体と対象の関係をもって存在するときにのみ、初めて、つぼみから花へと開花するのであります。

 この宇宙の原因、根源は人間なのでしょうか、それとも、誰かが我々人間を造ったのでしょうか? 自分自身を創造することすらできない人間が、どうして宇宙の原因たることができるでしょうか。我々人間は結果的な存在であるということは明白であります。我々は、ある原因から生み出されたものであります。ですからある主体、あるいは原因なるものが存在しなければなりません。人間の存在に対して、その原因がなければならないのです。ゆえにこの主体、あるいは原因なるものは根本的な実在であります。我々は我々自身の存在に対して明確に認識し得るように、この根本的実在に関しても明確に認識しなければなりません。その原因なるものを、皆様がどのように名づけても、それはかまいません。最も重要なことは「彼」が存在するということであります。そして、我々は彼を「神」と呼ぶのであります。

 では、我々の問いかけを神に向けてみましょう。「神様、あなたにとって最も貴いものは何なのですか?」彼の答えは、皆様や私の答えと何ら変わらないものでありましょう。「愛と生命と私の理想とが私にとって最も尊いものである」と神は答えるでしょう。神はお金を必要とするでしょうか? 彼はすべてのものを造られたのです。いずれにせよ、すべてのものは彼のものなのですから、彼はお金を必要としません。では神は力を必要とするでしょうか? 彼は、既にすべての力の根源なのです。知識についてはどうでしょうか? 神は全知であり、すべての知識の源なのです。そうです。神はこれらすべてのものなのです。しかしながら、彼は愛と生命と理想とは、御自身一人でもつことは決してできないのです。彼は、相対関係において誰かと共に授受し合う必要があるのです。全能なる神であっても、お一人では愛と生命とその御理想の価値を体験することはできないのです。それゆえに、神は御自身の対象として人間を造られたわけなのであります。

 では、次に尋ねてみましょう。「我々人間はどうしてこのように行動するのでしょうか?」。答は簡単であります。なぜなら、神がそのように行動されるからです。なぜ我々は、このような我々なのでしょうか? なぜなら神がそのような神であるからです。

 我々は、神の性{せい}稟{ひん}を映す鏡であります。神はちょうど皆様や私のようなお方なのです。神は、根源者であります。ゆえに我々の愛は、神の愛から生まれてきたものであります。我々の生命は神の生命から、そして我々の理想は神の理想から生まれてきたものなのであります。神がまず初めに、これらのものを最も貴いものと感じられたがゆえに、我々人間はこれらのものを最も貴いものと感じるのであります。神は愛の主体、生命の主体、理想の主体であります。我々は愛の対象、生命の対象、理想の対象であります。ゆえに、神が絶対であるならば、我々もまた、絶対でなければなりません。神が不変であるならば我々も不変でなければなりません。神が唯一であるならば、我々も唯一でなければなりません。神が永遠であるならば、我々も永遠でなければなりません。我々の永遠の生命は、単なる幻想ではありません。それは現実であります。神が永遠でありますからその対象なる人間も永遠なるものとして創造されたはずなのです。そうでなければ、我々は永遠なる神の性稟を映すことはできません。

 もし、愛なる、生命なる、理想なる神が存在されて、その神がこれらのすべての性稟をその対象なる人間の中に現さないとしたならば、神は、その神の創造の目的そのものを覆すことになってしまいます。神は、その対象の中に御自身の価値のすべてを投入されたか、あるいは何一つとして創造されなかったかどちらかであるはずなのです。神は人間に対して主体であり、我々は神の対象であります。対象は主体の完全なる反映であります。ゆえに人間は神の見えるかたちであり、神は人間の見えないかたちであります。主体と対象とは本質において、一つなのであります。神と人間とは、一つなのであります。人間は実体化した神なのであります。そうでなければ、我々は神の完全なる像を反映させることはできないでありましょう。神の創造の目的である神の喜びを実現することができないでありましょう。我々が対象として神御自身が完全であるごとく完全でないときには、我々は神の完全な愛と生命と理想とを反映させることができないのであります。ゆえに、神の対象なる人間はその価値において、神御自身と同様に重要なものなのです。

 もし、私が空っぽの誰もいない聴衆席に向かって大きな身振りをしながら大声で叫んだとしたら、そのような私を見た人は誰でもきっと“あれは、気違いか?”と思うに違いありません。しかし、もし私が誰か授受する相手、誰か私にこたえる対象――私の前にいる一人の小さな子供であってもよい――をもち、私の心と魂を彼に注入しているならば、そういう私は正常であると見られるのです。ただ一つの違いは、誰かが対象として存在しているということであります。しかし、その小さな子供すら聴衆席にいないとしてみましょう。私は、必死になってごみの一かけらを拾い上げ、それを見つめながら、それに向かって話しかけ、私の心を注ぎ込むことができるでありましょう。そうすれば私は、少なくとも気違いではなくなるのです。なぜなら、一かけらのごみでさえ一つの対象となり得るからであります。私が今言いたいのは、対象というものの価値であります。我々は、神の対象でありますので、神は我々を神と等しい位置に置かれました。このように、人間は神と同様の価値をもち、神と同様に重要なのであります。神は最も高く貴く、力ある方でありますけれども、神もまたやはり、その対象を必要とする方なのです。そうでなければ神は喜びを感じることができません。喜びは対象から刺激を受けるときに生ずるものであります。神であってもただお一人で喜びに満ちることはできないのです。皆様は、神が喜びのために、人間と宇宙とを創造されたということを知らなければなりません。しかし、神の喜びは神がその対象と授受することができる時まで潜伏したままになっているのです。

 今日まで、キリスト教において、我々は神を天国のあまりに高いところに置き、人間を地獄のあまりに低いところに押し込んできましたので、神と人間との間には越えることのできない断絶がありました。広く、荒れ狂う川が人間を神から引き離してきたのです。人々は、あえて、神を生きた実在としてとらえようとしないのです。人間は、神が非常に近く、非常に現実的であり、非常に近づきやすいお方であって、神と共に住むことさえできるということに気づかずにきたのです。我々は、生ける神の宮として造られているのです。しかし、因習的なキリスト教は、それを現実化することができずに今日まできてしまったのでした。

 あなたがどれほど裕福で、どれほど有名であったとしても、あなたの喜びと悲しみとあなたの意見と理想とを分かち合える、授受する誰かがいなければ、あなたは一人の哀れな人でしかありません。我々が喜びや悲しみを感ずるのは神の心が喜びや悲しみを感じられることができるからです。歴史上今日に至るまで、神が悲しみを感じられるお方であるということを我々は、思ってみたこともありませんでした。また、神が我々と同じように興奮や憤りを感じられるお方であるということも、我々の主体なる神がこういう情緒、能力をもっておられるので、神の対象である我々もまた、このような情緒を感じる能力をもっているのです。神は、第一の人格であり、人間の人格はその神から来るのです。では我々は、いかにして、神の真の対象となり得るのでありましょうか。ただ努力して一生懸命働くことによってでしょうか? いいえそうではありません。神と一つになるためには、ただ一つの道しかありません。それは愛を通して、神との愛の中に一つになる道であります。

 分かりやすく説明してみましょう。ある有名な人がいるとします。そして彼の向かい側に、美しくもなく教育も受けていない一人の謙遜で、柔和な婦人がいるとしましょう。一たび、この素晴らしい男とその謙遜な婦人が愛によって授受の回路を結んだなら、彼女は即座に、彼と同等の名声を得ることになるのです。例えば、彼の名前をジョーンズとして、彼が、その婦人と恋愛し、彼女と結婚するとしましょう。そうすると、彼女はジョーンズ夫人となり、彼の愛を彼女の心のすべてをもって受けて返すようになります。ジョーンズ氏に与えられる、あらゆる力と権威と名声と、そのことごとくすべてをジョーンズ夫人も共に分かつことになるのです。さて、この話は我々に何を教えてくれているのでしょうか。我々は、一たび神と愛の関係を結び神と一つになったならば、我々の価値は即座に神の価値の基準にまで高められるのです。そして、そのような愛は、永遠で不変で唯一なのであります。

 今の時代はこの神と人間との基本的な関係を正しく成就すべき時なのです。主体と対象とは、ちょうど原因と結果が一つであるように、一つでなければなりません。それゆえに聖書は、「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(黙示録二二・一三)と述べているのです。神にあっては、二つのものは一つなのです。彼は、始めであり、我々は終わりであります。そして神と人間との関係は、始めと終わりが一つになるので、一つの回路をなすのであります。

 平和と幸福と喜びとは、愛における調和から生まれるものであります。それゆえに、神は、その創造の御理想において、神と人間との関係を愛において調和し、生命において調和し、理想において調和し合いながら生きるものとして計画されたのでありました。

 このようにして、我々は神が主体であり、我々が対象であるということがよく分かるようになりました。そして、対象は、主体と同じように重要なものであるということも分かりました。次に我々は、神の対象としての人間の位置というものが、何を意味するかを明確に知りたいと思うのであります。

 神は、人間を創造されたとき、人間に知恵と野心とを与えられました。知恵は我々に比較能力を与え、野心は我々に最善を求めて闘う力を与えます。もし我々の前に、AとBという二つのものがあり、どちらかを選ぶという場合、我々は自動的に、どちらがより良いかということを判断するために、比較してみるようになります。我々人間の欲望が選択を導き、野心が、最終的な完成に我々が達するまで決して我々を休ませようとしない働きをするのです。

 もう一つの例えをしてみましょう。一人の非常に端麗な人がいるとしましょう。彼は端麗なだけでなく非常に力もあり、また、知恵もある人であります。あなたは、きっとこの素晴らいし人と何らかの個人的な関係をもちたいと願うようになるでしょう。では、どのような関係をあなたは望むでしょうか。彼の召使でありたいと思いますか? いいえあなたは心の中で召使よりもっと良い立場があるということを知っているのです。では単に彼の友人でありたいと思いますか? いいえ、それでもあなたはまだ、幸福を感じることはできません。では、単に彼の養子でありたいと思いますか? その立場はあなたに完全な幸福をもたらしてくれますか? いいえ、私はそうは思いません。あなたは、さらにもっと近い立場を求めるようになるでしょう。それ以上の親密な関係はあり得ないというほどに近い関係がもう一つあるのです。この関係をもって初めてあなたは最終的に満たされ、それ以上何も求めることがなくなるでありましょう。

 では、なぜ我々は実の息子、あるいは娘でありたいと願うのでしょうか。それは、その位置がその人の愛を最も完全に受ける位置であるからです。人間の社会において、親子の関係以上に近く深い関係はほかにありません。一たびあなたが、父親の愛を受けたならばあなたは父親のもつすべてのものを所有することになるのです。父親のすべての喜び、すべての力、すべての能力と知恵と、野心と、欲望と、それらすべてが、あなたのものとなるのです。父親の愛を受けるとき、父親が息子にこれらのものを与えるための手続きとか書類とか儀式とかは一切必要でないのです。父親と息子は自動的に一つなのです。この原理は、人類すべてに当てはまるものであり人間と神との関係に当てはまるものであります。

 それでは、あなたはどのような関係を神との間にもちたいと思いますか。彼の召使で満足できますか。あるいは、彼の友人でありたいと思いますか。彼の養子でありたいと思いますか。それとも、神御自身の実子になる道を見つけたいと思いますか。私は、あなたが神の息子、あるいは娘という最終的な位置に至らない限り満足することはできないということをよく知っているのです。

 神の、人間を創造された最終的目的は、人間に御自身のすべての愛とすべての生命とすべての理想とを与えることであります。あなたは、神の全き愛をその愛の心の深みまで完全に占領すべく造られているのです。神の実の息子、娘となることによって、あなたの欲望は完全に満たされるでありましょう。それがあなたの究極的、最終的な運命なのです。そしてあなたは、神の愛に浸されるでありましょう。あなたは喜びに満たされ、完全なる生命の充足感に打ち負かされるでありましょう。

 喜びに限界はありません。幸福に終わりはありません。あなたが神の愛の内に立っているとき、あなたの身体のすべての細胞は喜びに躍動するのです。あなたは全宇宙と共に呼吸するのです。このようにして、あなたの生命は、全うされるのであります。これが、神が我々をして、愛と喜びに酔って生きるべく造られたということなのです。そして、我々の喜びを通して神は、御自身の喜びを得るのです。人間の喜びは神の喜びであり、神の喜びは人間の喜びなのであります。

 私の幼少のころ、神は私に、神の器としての使命をお与えになるために私を呼び出されました。私は神の預言者として、神の真理を神のために明らかにするよう命ぜられました。私は霊界の丘や谷間をさまよいながら、その真理の追求に決然として専心しました。そして、ある時、突然天界が私の前に開かれ、私はイエス・キリストと生ける神御自身と直接通じ合う特権を与えられたのです。その時から、私はたくさんの驚くべき啓示を受けるようになりました。神御自身が私にこの宇宙の最も根本的、中心的な真理は神が親であり、我々人間がその子であると語られたのです。我々はすべて、神の子として創造されているというのです。そして、神は父と子が一つになるとき――愛において生命において理想において一つになるとき――それ以上に近く、それ以上に深く、それ以上に親密な関係はほかにないのだと言われました。

 愛と生命と理想とは親と子とが出会う中心点にあるのです。我々が、一たびそこにおいて結ばれたなら、その時神の愛は我々の愛となり、神の理想は我々の理想となり、神の生命は我々の生命となるのです。そして、あなたが生命の結合、愛の結合、理想の結合をもち得るのは、親子の関係をおいてほかにはあり得ないのです。これが宇宙の根本的事実なのです。

 我々はどのようにして、この世に生まれてくるのでしょうか? 父親と母親が愛によって一つになり、彼らの生命と理想を共に携えてくるのです。我々の誕生の中に、彼らの愛が先行するのです。夫と妻は愛によって一つになります。これは夫の愛と生命と理想とが妻のものとなり、妻の愛と生命と理想とが夫のものとなるということを意味します。これが二人が一つとなって生きる道であり、二人が一体となる道なのです。この愛による一体化の基台の上に新しい生命が生まれるのです。

 一人の子供が生まれるとき、その子供は、その両親の愛と生命と理想の表れであります。あなたがあなたの子供を見るとき実際はもう一人のあなたを見ているのです。あなたの愛の結実、生命の結実、理想の結実を見ているのです。第二のあなたを、もう一人のあなた自身の目に見えるかたちを見ているのです。

 では、この真理を宇宙的スケールに拡大してみましょう。神は、男と女とを、神の息子、娘として創造されました。神は御自身の姿を人間の中に見たいのであります。それゆえに、聖書に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記一・二七)と書いてあるのです。

 人間は、神のかたちに創造されました。言葉を換えて言うならば、神は御自身を人間に具現化されたのであります。人間は生ける神の鏡であり、神のすべての価値と、特性と、性禀とは、この鏡に映し出されるのです。神は確かに、人間が、神の愛と生命と理想とを映し出すことを願っておられるのです。人間は、神の愛と、生命と、理想の結実であります。

 この完成された神の生命に生きるということは、何と素晴らしい、どんなに素晴らしいことでしょうか。それがいかなる地上の喜びにも勝る真の喜びの生活なのです。一たびこのような完成された状態に到達したならば、あなたはもはや祈る必要もなくなるのです。どうして、祈る必要などあるでしょうか。あなたは顔と顔とを合わせて神と会い、心と心を合わせて神と共に生活するのです。神と一問一答し、あなたはもはや宗教を必要とせず、救い主を必要としなくなるのです。これらのすべての宗教的な事柄は、治療の過程、すなわち復帰の過程における一側面にすぎないのです。完全に健康な人は医者を必要としないように、神と完全に一つとなった人は救い主を必要としないのであります。

 神と一つになった生活は、一つの偉大な生き方であります。それは、神と共にある生活、神にある生活、そして神があなたの中に生きておられる生活です。これは、イエスが「わたしが父におり、父がわたしにおられる」(ヨハネ一四・一〇)と言われた状態であります。神と人間とは焼き尽くすような愛で一つに抱き合うでしょう。それが、神が生きた実在としておられる状態なのです。もはやあなたは、信じるのではなく知るのであります。そして真理に生きるのであります。もし、本当にこの種の愛を体験し、このような神との一体感を体験したならば、あなたは人生における最高の体験を味わったということになるのです。皆様方の中にも、多くのキリスト教の指導者の方がおられると思います。しかしその中で、何人の人が神の深い愛を受けて、この素晴らしい体験をもったことがあるでしょうか。

 神は人間を興奮(酔い)のうちに生きるように創造されました。人間は、神の愛に酔うように造られているのです。ところが人間はその本然の位置を失ってしまったので、酒や麻薬や薬などを飲んで酔っぱらうというように、不自然に技巧的に興奮を求めるようになったわけです。しかし、完成された人間は神の愛に酔うように造られているのです。その喜びの感覚に勝るものはほかにありません。あなたの体の細胞の一つ一つが喜びで爆発するでしょう。目も耳も顔の神経も、腕も、足も、すべてが喜びの歓喜のうちに新たに生きるようになるでしょう。この喜びの質にかなうものはほかにありません。これが神の本然の創造の御計画であったのです。「天の父よ」と言うとき、あなたは本当に神の臨在を生き生きと実感しますか。あなたは、神が「我が子よ」と答えられるのを聞いてみたいと思いませんか。

 ここに、今夜私が皆様に差し上げたい贈り物があります。私は、皆様に、神と人間との真の関係は主体と対象の関係であるということを、本当に知ってほしいのです。皆様は、神の息子であり、娘なのです。一たび神と一体化したならば、もはや何ものも皆様を悩ますことはなくなるでしょう。この世のいかなる悲しみも孤独も病いも、あるいはその他のいかなるものも、あなたを落胆させることはできなくなるのです。神は最終的な安全圏であります。あなたが幾百万ドル払ったとしてもそのような安全を買いとることができません。それは、価格のないものであり、お金で買うことができないものであります。それは、絶対的な生命の体験なのです。我々は、神と共に生きるべく造られているのです。

 それゆえにあなたの生命は、この宇宙でもっとも価値あるものなのです。それゆえにイエスは、「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」(マタイ一六・二六)と言われたのです。イエスは神と共にある生活について語られています。神のない生活は、燃え尽きて、もはや光を放たない電球のようなものなのです。神のない生活は死であります。

 イエス・キリストは、神の御理想を完璧に実現すべく生きた一人の人間であります。彼は地上で初めての完成された人間であり、神と人間との真の関係を復帰されたのです。しかし、彼の十字架上の死以後、キリスト教はイエスを神にしてしまいました。これが、神と人間との間の断絶が、今日まで埋められることのなかった理由なのです。イエスは、神がその中に具現化されたところの人間であり、神御自身ではありません。

 聖書には「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである」(テモテⅠ・二・五)と書いてあります。イエスの中に神が住んでおられることは絶対的事実であります。彼は「わたしが父におり、父がわたしにおられる」(ヨハネ一四・一〇)と言われました。イエスは本当に神から生まれた、たった一人の息子でありました。しかし、神は、御自身の息子としてただイエスのみを願われたのではありません。すべての人類が、「わたしが父におり、父がわたしにおられる」と言うことができるように造られているのであります。これは、すべての人が完全に到達し得る境地なのであります。

 我々が神の実の息子、娘となるための第一段階は、まず神の善悪観を明確に理解することであります。善とは何であり、悪とは何でありましょうか。

 ここでは、人間のつくり上げた善悪の定義は関係ありません。善悪の永遠なる基準は神によって定義づけられるものであります。はっきりした善悪の定義は、エデンの園に悪が入り込んでくるよりずっと以前、神の創造の時に既に存在していました。神の善悪観は決して変わることがないでしょう。神は永遠であり、神の法則は永遠であり、神の善悪の定義は永遠であり、時の流れにかかわらず不変であります。

 我々人間のすべての特質は、神から来ているのであります。我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。

 創造とはどういうことでしょうか? 創造とは創造主なる神が、御自身を実体のかたちに投影していかれること以外の何ものでもありません。神は御自身を、宇宙の中に象徴的に実体化され、人間の中に直接的に実体化されました。霊がかたちをとるとき、それが創造であります。神は、その創造において御自身を投入されました。神のエネルギーの投入が創造なのであります。

 聖書の創世記は、創造というものを単純に、簡単に感じさせます。神の創造は神のみ言の魔力によって成就されたというような印象を与えるのです。神が、簡単に「世界あれ」と言われて急速に世界が出来上がり、また「人間あれ」と言われてすぐアダムとエバが生れた、というような印象であります。

 しかし、今日では、この創造は決して簡単なものではなかったことが明らかにされてきています。神は御自身のすべてをその創造に投入されました。ほんの一オンスのエネルギーをもとっておくことはされませんでした。創造は、神の仕事の一切であり、御自身を与える努力の一切であったのです。神は、その対象の創造に御自身の心と魂のすべてを注がれた時、御自身を百パーセント投入されていたのです。このようにして初めて神は、第二の御自身、すなわち目に見える神を創造することができたのです。

 それゆえに、創造ののち、神はもはや、単に御自身のために存在されるのではなく御自身の息子と娘、すなわちアダムとエバのために存在されるようになりました。神は愛するために存在し、与えるために存在されるのです。神は完全に利他的な存在であります。神はお一人で存在されることはできないのです。「愛」と「理想」は二者が互いに補足し合う関係にあるときにのみ、その意味をもつものであります。神は創造に着手され、失うことのできない投入をされました。神はそのすべての愛と、生命と、理想とを第二の自己に注入されるとき、ある意味において、利益を生み出さなければならなかったのです。神は、御自身のもてるすべて、百パーセントを投入するとき、その対象は、成熟して何倍も何十倍もの愛と生命と神の理想とを御自身に返してくるようになるということを知っておられました。神の対象となる人間は、神にとってすべてなのであります。対象のもつ生命は、神を引き付けるのです。神は、対象なる人間のところに行き、共に住みたいと願われるのです。

 例えて考えてみましょう。一人の偉大な芸術家がいるとします。彼がもし、何の心情もなくでたらめに作品を造ったならば、彼は何一つとして、価値あるものを生み出すことはできないでしょう。その人生における最高の傑作を生み出すためには、芸術家は自分のすべての心と魂とをその作品の中に投入しなければなりません。それが、偉大な芸術作品を生み出す唯一の道なのです。もし、一人の芸術家がこのような取り組み方をするならば、彼の芸術は彼の人生そのものとなってくるのです。

 神はあらゆる芸術家に勝る、最も偉大な芸術家であります。神がその傑作である人間を創造されたとき、神はその過程において、御自身の心を注がれ、魂を注がれました。また、すべての知恵とすべてのエネルギーとを注がれたのであります。神は、ただ、アダムとエバと、そしてすべての人類のために存在されることを願われたのです。神は、彼らを創造されたとき、ほんの一オンスのエネルギーをも残して、とっておくということはされませんでした。このようにして、人間は、神の命となったのです。

 神は宇宙に一つのパターンを敷かれました。理想的生活においては、我々は、他者のために生きるのです。主体は対象のために存在し、対象は主体のために存在するのです。神の善の定義は、完全に与えること、完全に仕えること、絶対的利他主義であります。我々は我々の人生を他者のために生きるべく造られているのです。あなたは他の人のために生き、他の人はあなたのために生きるのです。神は、人間のために生き、人間は神のために生きるのです。夫は妻のために生き、妻は夫のために生きるのであります。これが善であります。そして、ここに初めて統一と、調和と、繁栄とが生まれてくるのであります。

 もし私が、あなたは一人の女のために創造されたと言ったならば、あなたは男として憤慨しますか。恐らくあなた方のうちの幾人かは、自分の男らしさを誇りとしていて、そのようなことは聞きたくないと思われるでしょう。しかし、これは神の創造の原理であり、このような言葉を聞いて悲しく思う必要は全くないのです。男はその配遇者のために生きるのであり、彼自身のために生きるのではありません。

 例えばあなた方、婦人のうちの一人が、美しい女王であると仮定しましょう。あなたがどれほど美しくても、あなたのその美しさは、あなた自身の満足のためにあるのではなく、男性の喜びのためにあるのです。我々は、お互いのために生きるように創造されているのです。これが正に我々の存在の理由であります。我々は他者のために、対象のために、相対物のために存在しているのです。これが社会における、すべての人間関係に関する原則なのです。両親は子供のために存在し、子供は両親のために存在します。そして、親と子の両者が互いに与え合うとき、彼らは回転運動を起こして一体となるのです。

 この回転運動は一体化の運動です。あなたが授け受けるとき、その授受の作用は回転運動を起こすのです。回転運動のみが永遠性をもつことができます。なぜなら、それには終わりがないからです。それゆえに神の創造のすべては回転運動のパターンに基づいています。なぜなら、神は永遠性をもって創造されたからであります。我々の顔でさえ、その真ん中に垂直線があるにしても、やはり丸いし、我々の眼球も丸く、またこの上唇と下唇も合わさって一つの丸い口を形づくのるです。太陽は丸く、月も、地球もすべての天体は円形であります。

 それらは、それぞれ、それ自身の軌道を自転しながら他の周りを公転しています。この宇宙にあるものすべてのものは、主体と対象との間で、完全な授受の作用をしています。授受作用は、動脈と静脈との間にも行われ、それによって血液が、体内を循環しています。人間の病気は、授受のバランスが壊れ、正常な循環運動が停止した状態であります。主体と対象の間のこの授受作用なくして、この原理を守ることなくしては、いかなるものも永遠性をもつことはできないのであります。そして、この神の原理に基づいたすべての存在は善なる存在であります。

 では、悪とは何でありましょうか。悪とは、この世界への利己心の顕現であります。神の利他的な与える原理は、神ならぬ利己的な奪う原理へとゆがめられてしまったのです。仕えるよりも仕えられることを望む邪悪な立場が、その時から打ち立てられたのです。悪の根源はサタンであります。彼は神に仕えるべき立場におりました。しかし、彼は、もう一つの神のような態度をとり、人間を自分自身の利益のために従属させたのです。神は、この宇宙における絶対的なプラスの力であります。そして、サタンもまた、もう一つのプラスの力をとろうとするのです。二つのプラスは、互いに反発し合うものです。サタンは、堕落した天使長であり、神と人間に対する忠実な僕としての立場を離れて、神に挑戦し、神と競争したのです。彼の動機は利己心でありました。彼の利己心から悪と罪の源が出てきたのです。

 事の次第はこうでありました。つまり、エバはサタンの最初の犠牲となり、自分自身を利己的な存在へと変身させて、神の最初の娘としての位置から落ちてしまったのです。そして、エバとサタンは一緒になって、首尾よく、アダムを彼らの利己的な世界へ引き込むことに成功したのでした。この悲劇的出来事により、神は、エデンの園において、人間から孤立させられてしまったのです。かくして、人類歴史は、神のいない、悪なる立場から出発したのでありました。人間の悪なる歴史の土台は据えられ、サタンはこの世の支配者となったのです。利己心は、人類歴史の出発において存在するようになり、そして今や世界は、殺人と虚偽と盗みとに満ちているのです。罪悪世界におけるこれらすべての行為は、利己心から起こってくるのであります。悪は、自己自身の利益のために他を支配するものであり、善は、他の利益のために自己自身を犠牲にするものであります。

 人間の堕落以来、神の仕事は、本然の善を復帰することでありました。神は悪なる世界を滅ぼし、善なる世界を再創造することを願っておられるのです。我々は健康を失ってしまったのです。我々は病人になってしまったのです。それゆえに神の救いは、もう一たび人間を健康な状態へと復帰することなのであります。

 神は、善なる種を蒔{ま}きました。しかし、その実を刈り取る前にサタンが悪なる種をもって侵入し、悪なる実を刈り取ったのです。このために、神はもう一度善なる種を蒔かなければならないのです。その仕事のために神は、何らかの、ある道具を必要とするのです。世界の宗教は、そのような神の道具としての役目を果たしてきたのです。歴史を通して、善なる宗教は、犠牲的愛と奉仕を中心とした神の生き方を教えてきました。それゆえに、キリスト教は、その犠牲的愛と奉仕とを最高の形において教えているために、最も進んだ宗教と考えられてきました。

 イエスは、救い主として来られましたが、彼の教えは、「人の子は、仕えられるためではなく、仕えるために来たのである」(マタイ二〇・二八)と説いているのです。イエスは世界でもっとも大きな愛は、敵のために生命を捨てることであると教えました。聖書の教えは、この世の一般のルールには反しています。それはこの自己中心的世界の方向とは全く逆なのです。聖書は完全に与えることと、全き犠牲とを説いています。「自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」(マタイ一〇・三九)。この悪なる人間社会においては、このような生き方をまじめに考えることすら、ばかげたことに思われます。しかし、一たび神の原理を知ったならば、実際これよりも偉大な知恵はないということを発見するようになるでしょう。

 イエス・キリストの教えは、正にこの根本的な真理の真髄を突いていました。人は、与えれば与えるほど、受けるようになるのです。神は、完全に与えるものに対しては、完全な愛をもって報われ、完全な犠牲に対しては、完全な生命をもって報われるのです。与えることは、神の愛が入ってくる空間を生み出すことなのです。あなたが与えることによって空間ができ、それが大きくなればなるほど、ますます急速に、あなたは神の愛の流れによって満たされるようになるでしょう。

 良くしてもらうためには、まず、あなたが、他の人に対して良くしてあげなければなりません。あなたは、蒔{ま}いたごとく、刈り取るのです。悪を蒔けば悪を刈り取り、善を蒔けば善を刈り取るのです。あなたの関心はどのように与えるか、どのように良く与えるかということに向けられなければなりません。それは神が取り計らってくれるからです。

 善なる人と悪なる人の例を挙げてみましょう。ここに十人の友人をもっている一人の人がいるとします。来る日も来る日も、この人は、その十人の友人たちに自分を忘れて仕えています。人々は、その人を愛さずにはいられません。そのようにして、彼はその十人の人々にとって最良の友となり得るのです。そうして、彼の影響は、その十人の人々の親戚や友人へとさらに広がっていくでありましょう。自分を超えて与え、仕えることによって、この人は栄えるようになるのです。彼は、神の原理に基づいて生活しているので、彼は調和と統一の中心となるのです。自分を超えた無私の精神は繁栄をもたらすのです。このような人が善なる人であります。

 しかし、反対に、例えば、この人が、友人に「十人の者たちよ、すべてのものを私のところにもってきなさい。あなた方は、私に仕えるためにここにいるのです」と言ったとしましょう。彼がこのようなことを彼の友人に向かって三度も言わないうちに、誰もがみな、彼との関係を断ち切るようになるでしょう。彼らは、彼とは一切の関係をもちたがらなくなるのです。そして、やがて彼はたった一人取り残されるでありましょう。こういうことは我々の実社会においてもよく見られることではありませんか。

 これは普遍的な真理なのであります。自己中心的な主義、自己中心的な哲学、自己中心的な生き方は、自己崩壊という悲劇的な道にあなたを真っ逆さまに放り出してしまうのです。しかし、もしあなたの人生を他への奉仕に生きるならば、あなたは栄えるでありましょう。そのような生き方は、あなたを滅亡に導くように一見、見えるかもしれませんが、決してそうではないのです。それが必ずしもあなたに繁栄をもたらさない、ただ一つの理由は、あなたが最後の最後まで、すべてを与えるということをしないということです。途中で、突然あなたは、懐疑的になるのです。そして、あなたは自分で自分の慈悲の心を変えて、完全に与えるという神の法則から外れてしまい、そのため、善なる結果は決して実現されなくなってしまうのです。完全に与えることは、繁栄への道であります。なぜなら、それが神のやり方であるからです。

 もし、ある個人が、もう一人の人のために自身を犠牲にするならば、その個人は他の人々にとって英雄となるのです。もし、ある家庭がもう一つの家庭の幸福のために犠牲になるとするならば、その家庭は、他のすべての家庭の中で英雄的な家庭となるのです。他のために自らを犠牲にする民族や国家は、国々の中で勝利者となるのです。自分の命を親のために捨てる人は孝行息子であります。自分の命を王のために捨てる人は忠臣であります。また自分の命を全人類のために捨てる人は聖人であります。

 イエス・キリストは、皆様が今聞いておられるこのような真理を宣言したのでした。彼は、神の御理想をこの地に成就するために闘われました。彼は、イスラエル一国の利己的な目的を満足させるために来られたのではなく、全世界の救いを全うするために来られたのであります。

 神は、イスラエル選民を、メシヤの世界救済の使命に対して準備する器として用いようとされました。しかし、イスラエル民族は、それを知らなかったのです。彼らは、来たるべきメシヤを、ユダヤの栄光のために、ダビデ王国を再び復帰するところの無敵の軍事的征服者としてとらえていたのでした。何という間違いを犯していたことでしょうか!

 神の目的は、ある特定の個人、あるいは教会、あるいは国家の救いではありません。神の目的は、全世界を救うことなのです。ですから真の教会は、世界の幸福のために、自身を犠牲として与えるものであります。そうです。真のクリスチャンは、自分の命を、世界と全人類の救いのために捧げたいという願いをもっているはずであります。しかしながら、今日のクリスチャンの教えは、自己中心的になってきています。クリスチャンは、自分自身の個人的な救いを追い求めているのです。彼らは「私の救い」と「私の天国」を叫んでいるのです。これは、神の真理に反し、神の理想に反するものであります。我々は、断固として与え、愛し、犠牲になり、他のために生きていかなければなりません。

 我々はすべて理想的な生き方を求めて働かなければなりません。私は、私の家庭のために存在し、私の家庭は、社会のために存在し、社会は国家のために、国家は世界のために、そして世界は神のために、神は、あなたと私のため、全人類のために存在されるのであります。この偉大なる授受のサークルの中に調和があり、統一があり、永遠に増し加わる繁栄のプロセスがあるのです。さらに言うならば、この回路の中で、すべての存在がこの創造の目的を成就するようになるので、そこにはあふれんばかりの深い喜びが存在するのです。これが幸福感の充満する天国なのであります。

 この世界において、利己心はすべてのものを破壊します。家庭内における利己心は不調和を生み出し、それは苦しみと闘争とに爆発していくのです。誰しもが、仕えることよりも仕えられることを願うのです。妻は夫に仕えられることを求め、夫は妻に仕えられることを欲するのです。親は子に仕えられることを期待し、子は親に仕えられることを当然のこととするのです。このような現象は、我々の家庭や社会や国家においてよく見られることであります。

 今日の世界においては、国家は、単に自国の利益のためにのみ存在しています。彼らは、策略を用い、共謀し、だまし、そしてうそをつくのです。彼らは、自国の利益のために、他の国々を破壊するのです。この地上に、たった一国でも神に向かって「神よ、もしそれがこの世界を救う道であるならば、どうぞこの国をあなたへの犠牲として供え物として用いてください」と訴える国があるでしょうか。教えてください。どこにそんな国がありますか? どこに?

 アメリカが、世界における奉仕と犠牲の精神を示して援助を必要としている国々に対して、その援助のために出かけていったとき――すなわち、アメリカが生活と資金と援助の手を差し伸べたとき――アメリカは、ゴールデン・エイジの繁栄を得たのです。しかし今やアメリカは、利己的な姿勢をとっています。今日のアメリカ国内の問題は、非常に深刻であります。アメリカの現状は、今、混沌としています。今日、この地には、かつてなかった分裂と崩壊とゆゆしい問題がみなぎっているのです。

 私は誰をも、また、どの国をも批判しているのではありません。私はただ、すべての人類の探し求めている天的真理を明らかに宣言しているだけなのであります。

 私は、統一教会を創設しました。もし、この統一教会が統一教会自体の利益と幸福のために存在しているとするならば、それは必ず滅びるでありましょう。私は、世界の救いの前進のために、私の命と、私の心と、私の魂を与えるために統一教会を設立したのです。ここの聴衆の中にも、統一教会のメンバーがたくさんおります。彼らの大きな願い、彼らの唯一の動機は、ただ他に仕えること、この国と、世界を救うことなのであります。

 イエスは、その弟子たちに、報復の法則は教えられませんでした。「もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬を向けてやりなさい。……もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい」(マタイ五・三九~四一)。あなたは、決して報復する必要はないのです。あなたのなすべきことはただ完全に、絶対的に与えることだけであり、そうすれば、神がもっともっと豊かに与えてくれるでしょう。

 イエスが十字架につけられた時、ローマの兵士たちは、イエスをやりで刺し通しました。そして、そのイエスは、敵のために祈ったのです。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)。十字架上における死の瞬間でさえ、イエスは許すことに懸命であったのです。彼の、正に最後のその行為は、彼の敵に対する愛によって誘発されたものでした。彼は、与えることの最高のかたちを見せてくれたのであり、愛の模範を示してくれたのです。イエス・キリストの例は、全人類にとっての絶対的な基準であります。イエスのような人ばかりで構成された国を、ちょっと考えてみてください。そのような国を何と呼んだらよいでしょうか。それが、地上天国であり、それ以外の何ものでもありません。

 イエス・キリストは、その全生涯を通して、その並ぶもののない愛と奉仕と犠牲のゆえに「主」でありました。彼は、永遠に「主」であるでしょう。それと同様に、この宇宙に神の全き奉仕と愛とに勝るものは何もないのです。それゆえに、神は永遠に神であり、すべての被造物を支配されるのであります。

 ローマ帝国の衰亡を見てください。全ローマ帝国は、武器をもたない軍隊、すなわち、イエス・キリストの軍隊の前に崩壊してしまったのです。クリスチャンは、いかなる方法でローマを征服してきたのでしょうか。彼らの、自分の命までも捧げるような愛と犠牲と完全な奉仕によってであります。歴史は、いかなる帝国も、犠牲的愛の軍隊には負けてきたことを証明しています。そして、そのような歴史は繰り返されるものでありましょう。

 今日までの我々の人生において、我々は、善悪の定義も明確に知らずにきました。我々はどこに自分を委ね、いつ行動し、何に仕えるべきかを明確にできなかったのです。これが、人間の生活における大きな混乱の原因であります。我々は、自分自身の幸福のみを切望するようなクリスチャンになってはいけません。クリスチャンとして我々は、イエスのような生活をしなければならず、他の人々が生命を得ることができるように、他の人々の幸福のために我々自身を完全に与えて行かなければなりません。これが、神のやり方なのです。

 この現在の世界は、神の怒りを呼び起こしています。本当に世界は今、神の容赦ない審判に値するのですが、神は愛であられるがゆえに、長い間忍耐しておられるのです。我々すべてを救いたいがために、その怒りを止めておられるのです。神は、我々に生まれ変わるチャンスを与えておられるのです。神は待っておられるのです。

 私は、西洋文明は個人主義でもって特徴づけられるということを知っています。しかしながら、利己的な個人主義は滅びるのです。そして、犠牲的個人主義が花開くのです。個人主義それ自体は善であります。神は、我々一人一人に独特な、仕える道を与えてくださいました。しかし、神のいない個人主義は、崩れ去る砂の上に城を建てるようなものであります。

 私は偉大なる変化、偉大なる新しい革命の波が、アメリカにやって来ているのを見ることができます。それは、火や、銃による革命ではなく、人間の心の革命に火をつける、神の真理による革命であります。私は、この精神の革命に火をつけるために、ここにやって来ました。私は、ホワイト・ハウスの前や、ラファィエット広場で、デモンストレイトする必要はないのです。答えは、そこにあるのでなく、利己心から利他心への静かなる革命の途上にある人々の心の中にあるからです。

 あなたは、理想世界がどんなに素晴らしいか想像することができますか? 個人は家庭に属し、家庭は社会に属し、社会は国家に属し、国家は世界に属し、世界は神に属し、神はあなたに属しているのです。もつともよく与えるものは、もっとも深く神を知るようになるでしょう。

 ある若い人々は、私に向かって「ムーン牧師、あなたはここに今までと同じような古いことを繰り返し言うために来たのですか」と言うかもしれません。しかし、それは全く間違っております。私は、理論からではなく、生活から話をしているのです。私は、我々すべてが、イエスが真理に生きたように真理に生きるべく、ここにいるのだということをあなたに告げているのです。これは、理論でもなく、哲学でもなく、神学的教義でもありません。それは、神の究極的真理であり、それは話されるべきことではなく、そのごとく生きられるべきことなのであります。

 人間が、この真理に生きるとき、それは地上に非常に大きな変化をもたらすでありましょう。私が今まで語ってきた真理は、ある意味で、あなたの既に知っていることかもしれません。しかし、誰も本当の意味で信じていなかったのであります。誰も信じていなかったので、誰もその真理に生きた人はいなかったのです。この真理は、神のごとく古いけれども、実際は二十一世紀のごとく新しいのです。あなたは真理に生きなければなりません。もし、統一原理の啓示が、この年を経てきた真理を、あなたの心の中で、現実のものとしてとらえられるようにしてくれるなら、あなたはその結果として、新しい真理を発見するのです。統一原理は、我々の現実の神への道を指し示しながら数百万の青年たちの心を動かしております。世界の多くの人々が、神は絶対であり、完全であり、その完全なる神がその対象として、完全なる人間を求められるということを学んできています。イエスは、「それだから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ五・四八)と言われました。彼は、我々の価値の基準は、神のごとく完成することであるということをはっきり示しているのです。そうでなければ我々は、神の対象であることはできず、神も我々を受け入れることができないのであります。

 我々は、誰しも完全でありたいと願い、地上に天国を願っております。しかしながら、我々は「それは、どのようにしてなされるのでしょうか」と問わずにはいられないのです。果たして、人間が完全であることなどできるだろうかと思うのです。ある人々は、はっきりと弁明して、そのような野望を抱くこと自体が甚だしい間違いであることは、ただ人間を観察してみればすぐ分かることであると主張します。また、我々は、すべてのものの中に、最も神聖なものの中にさえ、本来的に罪や苦悩というものが備わっていると強調し、「神のみが完全なのだ」と言うのです。しかしながら、神の創造の構想の中における人間に対するイメージについて、十分に理解してみると、完全ということが我々の手の届かないものではないということが分かるようになるのであります。

 神の創造理想において、我々は神の宮、神が主人として住まわれる神の霊の宿る宮として設計されました。「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ三・一六)。

 我々は、神の宮となるべく設計されました。我々が、そのような身分を自分のものとするとき、もはや我々は堕落に向かう意志というものをもてなくなるのです。制限とか、法則とかは、もはや必要でなくなるでしょう。なぜなら、神の意志が、我々の意志となるからです。神の霊が完全に我々の中に住まわれるので、我々はただ神の命ずるままに動くようになるのです。そうして、我々を導き伴っていく力は完全な力ですから、我々は完全なものとなるのです。

 人間が、この最終的目的に到達したとき、彼は、神と完全に一つとなるのです。彼は、もはや人間的基準にのみ生きるのではなく、神のような基準に生きるようになるのです。完全な宮である彼の中に神の霊が住み、彼を所有するので、彼は神の性稟をもつようになり、神の神性と力とを反映するようになるのです。このようにして、人間は天の父が完全であられるように、完全になることができるのです。これが、神がアダムを通して全人類に及ぼそうとされた本然の姿であったのです。

 結婚は、地上に神の国を実現するための最も重要な手段であります。アダムとエバは、神の最初の子供でした。彼らは神から生まれ、神の中で育ち、そして神にあって完成すべく造られていました。神は、アダムとエバを天的婚姻によって、一つにしようと計画されていました。彼らは、罪のない子供として生まれ、やがて全人類の真の父母となるはずだったのであり、地上に神の国を成して、最初の「王」と「女王」になるはずだったのであります。

 しかし、そのような神の国が、果たしていつ存在したことがあるでしょうか。一度たりとてなかったのです。その代わりに歴史は悪なる方向へと出発して行ったのです。悪の最初の出発の時からずっとサタンは、この世の神となってきました。それゆえに、神がこの地上に神の国をもつことができるよう、一つの完成された国を復帰するということが神の復帰の目的、神の救いの目的であったのです。そのために、神は一つのモデルを必要とされたのです。では、誰がこの地上に完成の基準を示すことができるでしょうか。この必要を満たすためにメシヤが来られるのです。

 イエス・キリストはメシヤとして来られました。彼は、あらゆる基準における完成のモデルでした。個人、家庭、氏族、民族、世界的基準のすべてにおいて、彼は、彼の生きている間に完成された世界を建設しようとされたのであり、何世紀にもわたって成そうとされたのではありません。

 神は、勝利者なるイエス・キリストを送る前に、イスラエル選民をもってその受け入れる基台を整えられました。彼らは、メシヤ降臨のための基台だったのであります。イスラエル民族は来たるべき主と一つになったならば、自分自身とその国家とを完成することができたはずなのであります。そして、あの時、神の国は実体として実現されていたはずなのであります。

 しかし、イエスは、御自分の民に受け入れられませんでした。迎えられるどころか、彼は、あらゆる基準における迫害を受けたのです。イエスは、復帰されたエバの立場にある花嫁を迎え、最初の神を中心とした天的家庭を打ち立てることを否定されたのです。その代わりに、イスラエルの人々はイエスを十字架にくぎづけてしまったのです。コリント前書二章八節に、「この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」と書いてあります。このように、イエス・キリストの使命は地上に成されないまま残されてしまったのでした。

 神の摂理歴史は悲しい、悲しい物語なのです。神の心を慰め、神のみ旨を成就するために、我々は、神の復帰の路程を明確に理解しなければなりません。

 神が人間を創造されたとき、神は、アダムとエバという男と女をエデンの園に置きました。彼らは、二人ともサタンと一つになり、罪を犯し、それによって、神を置き去りにしてしまったのでした。復帰の過程において、神は、アダムとエバの両者を復帰しなければならないのです。イエスは、罪のないアダム、完成されたアダムとして来られたのであり、それゆえに、彼の第一の目的は、花嫁を復帰して、最初の神の家庭をつくることであったのです。そして、すべての堕落人間が真のオリーブの木である彼に接ぎ木され、神を中心とした家庭、氏族、国家がそのようにして、復帰されていくはずだったのです。すべてのものが、隅々に至るまで、完成されるはずだったのです。罪なき神の国は、過去二〇〇〇年の間ずっと現実のものであったはずなのです。コリント前書一五章四五節に、イエスが「後{のち}のアダム、第二のアダム」と書かれてある理由はここにあるのです。

 イエスは来られました。しかし、十字架につけられてしまったのです。彼は、彼の花嫁を復帰するチャンスを与えられませんでした。そして、これがイエスが再臨を約束された理由なのです。イエス・キリストは、二〇〇〇年前、未完遂のまま残した彼の使命を完成させるために、再び来なければならないのです。繰り返して言いましょう。イエスは完成されたアダムであり、彼の使命は全人類を復帰することでありました。その第一の段階は、彼の花嫁エバを復帰することであったのです。イエスは、人間であり神そのものではなかったのです。彼が再び地上に来られる時、彼は第三のアダムという立場で一人の人間として来られるのです。

 これらの啓示をもう少し深く理解してみましょう。黙示録に、小羊の婚姻に関する預言があります。神は、エデンの園においてアダムとエバが天的婚姻において一つになるよう計画されていました。その時、それが実現されなかったために、神はイエスにその生きている時にこの結婚を成就させようと計画されたのです。しかし、イエスもまた、イスラエル民族の不信によってそれを成就することができなかったのです。

 イエスは第二のアダムでした。彼が復帰された花嫁である第二のエバと、天的婚姻において、祝福されることが神の願いであったのです。神は、彼(イエス)がこの地上に罪のない子を生み殖やすことを願われたのです。そして、イエスとその花嫁は人類の真の父母となるはずだったのであり、全人類は、彼らに接ぎ木されることによって生命によみがえるはずであったのです。

 イエスは人々に警告しました。「あなた方は自分の父、すなわち悪魔から出て来た者であって」(ヨハネ八・四四)人類の出発点から我々はサタンの子として生まれてきたのです。真の父母が復帰されることによって、我々は神の子になる完全な救いを得て、天の父なる神の子として再び生まれなければならないのであります。

 神のみ意{こころ}は、イエスの時成就されないまま否定されてしまいました。そのために、彼は再び第三のアダムとして来られるのです。小羊の婚姻の宴は開かれるでしょう。全人類の真の父母は、我々の時代に実体として立たれるでしょう。神は、神の真の家庭をこの地の表に生み出されるでしょう。すべての人々が、真の父母を通して新たにつくり変えられるでしょう。すべての人々が、この世界に罪なき子供たちを生み殖やすことができるようになるでしょう。これらのことは、イエス・キリストが再び来られる時に成されるのであります。地上天国は、その時始まるのです。これが希望の日、再臨主が来られる日なのであります。

 これが、神の本然の御理想が初めて実現される日なのであります。これが、神が人と共に住む日なのであります。神は喜びに満たされるでありましょう。そして、神のひとり子が完成された第三のアダムとしてこの地上に全く新しい歴史を出発させるでしょう。その日には、我々は神の生きた似姿となり、かくして、神は神の国を地上にもたらされるでありましょう。

 私は心の底からこれらのすべてのことの実現が、神の時の満ちている今、すぐ間近であるということを皆様にはっきりお誓いするものであります。このような理想の最終的実現は、人間の希望であったと同様に、神の希望であったのであります。

 熱心に聞いてくださって本当にありがとうございました。御静聴を感謝いたします。どうもありがとうございました。

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救援摂理史の原理観

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「救援摂理史の原理観」

(96.04.16 ワシントン・タイムズ財団創立大会 ワシントンDC)



 尊敬する内外の貴賓、高名なる紳士淑女の皆様。今日、歴史的大変革の時代を迎え、レバレンド・ムーンと皆様が相まみえるようになったことを、神様に心から感謝するものです。

 神様は絶対者であられ、唯一、不変、永遠であられるお方です。そのみ旨も同じなのです。人間アダム、エバが神様の愛で一体になったなら、万事は完全、完成なのです。ですから、神様の出発、目的とその過程も、そして原因と結果とその方向も絶対的なのです。

 人間始祖アダム、エバは無知から堕落し、混沌(こんとん)に陥りました。個人的な無知と混沌から、家庭、国家、世界的無知と混沌に陥るようになりました。この堕落圏を逃れるためのものが宗教と救援摂理の努力なのです。

 終わりの日にメシヤが来て、神側で見る絶対、唯一、不変、永遠なる原因と方向と結果をはっきり教えてあげ、無知と混沌世界を清算して本然の神様の懐に帰るべきなのがみ旨の完成です。そのようにならなければ、終わりの日にすべての宗教も主義や思想も国家も皆滅びるようになるのです。

 今、私たち人類は、わずか数年で二十一世紀を迎え、二〇〇〇年代の新しい歴史時代に入るようになります。このような重大な時点で、私は「救援摂理史の原理観」を主題としたお話で、新しい時代を準備する私たちの心を確認しようと思います。

 創造主と人間との真(まこと)の愛を中心として完全完成を願う神様は、人間と一体となる条件が必要でした。それで、神様は人間始祖に下さる戒めが必要だったのです。人間が成長期間を育って上がっていく未完成段階にいたことをご存じで、神様は子女である人間に最も貴い真の愛を相続させてあげようとなさる条件が、戒めでした。

 本来、真の愛は経験を通して得て、体恤(たいじゅつ)を通して分かるようになっていました。真の愛は言葉や文、あるいは一般教育を通して体得できるものではありません。生活を通してのみ、完全に体得するのです。赤ん坊としてつくられたアダムとエバは成長しながら、段階的に生活を通して経験をすることによって、真なる子女の心情、真なる兄弟の心情、真なる夫婦の心情、真なる父母の心情を体恤することによって完成するようになっています。神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。

 人は自分の愛する相対が、自分より何千万倍、いや無限大の価値的存在として生まれる
ことを願います。このように神様も、ご自身が愛する相対である人間が無限なる価値的存在になることを願われるのです。人間が完成すれば神性を成し、天の父が完全であるように、完全で神様的な価値を成すのです。

 神様が絶対者であられますが、真の愛の理想は一人では成されません。愛の理想は必ず相対を要求するからです。私たちはここで神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が互いにいかなる連関をもっているかを知らなければなりません。もし、神様が真の愛の絶対的な対象体として人間を立てずに、ほかの方法を通してご自身の真の愛の出発と完成を成そうとされたなら、どのようになるでしょうか。神様と人間の真の愛の理想は、おのおの動機が異なり、二つの愛の方向と目的は異なるしかなくなります。このようになるなら、神様の愛の理想は人間より上位のまたほかの愛の対象を立てて成さなければならず、一方で人間の愛の理想は神様と直接的な関係をもてなくなってしまいます。

 真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対として人間を立てました。神様の愛の理想は人間を通してのみ完成されるのです。神様の創造目的は神人愛一体の絶対的愛の理想世界です。人間は神様の最高最善の愛の対象としてつくられました。それゆえに、人間は創造物の中で唯一、神様の実体を身につけた対象です。無形の神様の前に、見える体として生まれました。人間は完成すれば神様の宮になります。神様が自由に、また平安にいつも入ってきて、住まわれることのできる有形の実体です。

 絶対者である神様の真の愛の全体的な理想は、人間を通して父母と子息の縦的関係で実現完成します。

 神様はご自身の体としてアダムを先につくりました。アダムは神様の息子であると同時に、体をかぶった神様自身でもあります。その次に、アダムの相対者としてエバをつくって、横的な愛、すなわち夫婦の愛の理想を完成しようとしました。エバは神様の娘であると同時に、神様の横的愛の理想を実体で完成すべき新婦でもあったのです。

 アダムとエバが完成して神様の祝福の下に結婚をし、初愛を結ぶその場は、すなわち神様が実体の新婦を迎える場なのです。アダムとエバの夫婦の愛の理想が横的に結実するその場に、神様の絶対愛の理想が縦的に臨在、同参なさることによって、神様の真の愛と人間の真の愛が一点から縦横の基点を中心として出発し、一点で結実完成するようになるのです。

 神様の創造は必然でした。目的のない創造は仮想することができません。神様において創造が必要であった理由は、ただ一つ、真の愛の理想でした。最も簡単で低級な被造物から人間に至るまで、おのおの主体と対象、陽性と陰性のカップルで展開なさった理由も、愛の理想の下で相対関係を形成するためなのです。創造物の愛の理想と神様の究極的な愛の理想は別個ではありません。人間世界の男性と女性の愛の完成を通して、神様の絶対愛が完成するようになさったのが、創造原理です。初めに人間をアダムとエバ一男一女として創造なさった理由もここにあります。

 神様の創造目的はアダムとエバが真の愛の主体であられた神様の戒めを守って真の人として完成することです。さらには神様の真の愛で一つとなった真なる夫婦になるのです。また、彼らがその真の愛の中で息子・娘をもち、幸福に豊かに暮らすことのできる真の父母になることです。アダムとエバが真の愛で完成することは、まさに神様が実体を身にまとう願いが成就するのです。そして、彼らが真なる夫婦として完成することは、まさに神様の絶対的な愛の理想の完成を意味します。

 次に、アダムとエバが善なる子女をもって真の父母になることは、まさに神様が永存の父母の位を実体的に確定し、また神様が人間の血統を通して子々孫々を繁栄なさることによって、天上天国の市民を無限に置かれたかった理想を成就なさろうとされたのです。

 ところが、人間始祖アダムとエバは堕落してしまいました。エデンから追われるとき、彼らは子女を抱えていませんでした。神様が追い出したアダムとエバをエデンの外まで訪ねてきて祝福し、結婚式をしてあげられたはずは絶対にありません。全人類は神様の愛と関係なく繁殖した、追い出された先祖の後孫です。

 満場の内外貴賓の皆様!

 人類の堕落が木の実を取って食べた結果でありうるでしょうか。アダムとエバの堕落は神様の真の愛の理想に背いた不倫の犯罪です。守るべき戒めが必要だった堕落前のアダムとエバは、未完成段階、すなわち成長期間で堕落しました。蛇で表示された天使長の誘いを受け、エバが霊的に堕落し、そのエバがアダムを誘って(時ならぬ時に善悪の実を取って食べる)肉的な堕落をしてしまったのです。本然の園で神様と対話しながら、楽しくはしゃぎ回って暮らしていたアダムとエバが、死ぬことを顧みないでまで犯しうる可能性のある犯罪は、間違った愛の犯罪しかないのです。

 人類の先祖の初愛の結合は、神様自身の愛の完成でもあったので、当然、神様もアダムとエバも宇宙万象も、歴史を通して歓喜と祝福の中に酔う幸福な宴(うたげ)の連続でなければなりません。神様の愛と生命と血統が人間の中で出発をなしながら定着する幸福な儀式でなければなりません。ところが、彼らは下半身を覆い、木のうしろに隠れて、不安に震えました。天道に逆らう偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の根源をつくった不倫の関係を結んだからです。

 堕落したアダムとエバの後孫である全人類は、子々孫々、生まれる時から原罪があるようになります。人類が個体の中に心と体の衝突を矛盾として感じるのも堕落に根源があり、愛の秩序が紊乱(びんらん)した社会の中で、本心が願わない生を生きていくのも、すべてここに由来しました。

 愛の理想を中心として見るとき、動植物の世界では、その愛の関係がすべて繁殖を前提にして初めて成されます。しかし、人間だけはその例外です。人間は夫婦の愛の関係に自由を享受します。これが万物の霊長たる特権です。神様は息子・娘である人間が無限なる愛の喜びをもつように祝福しました。神様が許諾した真なる自由は、責任性を前提とします。

 もし、責任性なしに個々人が愛の自由だけ主張し、実践するなら、どれほど大きな混乱と破局が来るでしょうか。至高なる愛の理想を成した人間の完成は、愛に対する責任性をもつときに可能なのです。

 その責任性は次の三つとして考えることができます。第一に、人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら、自己修練、自己管理で自由な真の愛の主体になる責任です。人において愛の責任性は法や耳目ゆえに守られるものではなく、神様との生命的縦的関係の中で自我主管、自己決断で守られるのです。

 第二に、相対に対する責任性です。人間は本性的に自らの相対の自分に対する愛が分けられることを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、父母と子供の間の縦的な愛の関係と異なり、分けられればもはやその完全性が破壊されます。これは夫婦間に絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理ゆえです。人は絶対に自分の相対のために生きるべき愛の責任性があります。

 第三に、子女に対する愛の責任性です。子女たちの誇りと幸福の基地は父母の愛です。子女たちは真の愛で和合一体化した父母を通して生命が生まれ、そのような愛の中で養育されることを願います。父母の子女に対する最も貴い責任は、外的な養育だけではなく、彼らの霊性を完全にしてあげる真の愛の生命的な要素を提供することです。家庭が貴い理由はこのためです。生活的な経験を通して体得する真なる子供の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情は真なる家庭以外、そのどこでも得ることはできません。

 アダムとエバが神様を中心とした真の愛の夫婦を成せば、神様は理想となさったとおりに、ご自身の実体であるアダムの体の中にいましたまいながらエバを愛されるようになるのです。さらにはアダムとエバは神様の実体をまとった真の父母となって、善なる愛、善なる生命、善なる血統の出発になったことでしょう。

 ところが、堕落によってアダムとエバはサタンの実体となって、悪なる夫婦、悪なる父母、悪なる先祖となってしまいました。彼らの結合は悪なる愛と悪なる生命と悪なる血統の根となってしまったのです。人類はすべてこの根に根源をおいたので、生まれるときからすべてが、神様の怨讐(おんしゅう)であり姦夫(かんぷ)であるサタンの後孫になり、悪なる父母の血統を受け継ぐようになってしまったのです。(14面に続く)

 親愛なる紳士淑女の皆様!

 人類の先祖の堕落で真の愛の理想が崩れたとき、神様の苦痛がどれほど大きかったでしょうか。神様の子女になるべき人間たちが、本来の父母であるご自身が分からず、むしろサタンに仕えるのに、神様は救援歴史をしてこられたのです。絶対的な神様の創造理想も絶対的であるので、悲しい救援歴史をなさるしかありませんでした。神様の救援摂理は、失った真の愛の創造目的を再び回復する復帰摂理です。ですから、救援摂理は再創造摂理でもあります。

 このような点で、復帰摂理の根本はどうすれば創造理想を完成する人間の種、本然の赤ん坊の種を見いだせるかにあるようになります。神様が一番嫌う姦夫であるサタンの偽りの愛から由来した生命と血統を清算しなければなりません。神様の真の愛と生命と血統と一体になった救世主、真の父母をどのようにして生まれさせるかということです。

 人間の先祖が自分の責任分担を完遂できず、不倫なる血統関係を結んでサタンの主管を
受けるようになったので、神様が直接立って原状回復させることができないのです。神様は悪なる天使長側に回った人類を、条件なしに善なる立場から選ぶことも、打つこともできないのです。神様は善なる天使長的中心人物を立て、先に打たれながら蕩減(とうげん)条件を立てるようにして、奪ってくる作戦をしてこられました。しかし、サタンは先に打ち、奪われる立場になりました。第一次、第二次、第三次世界大戦はその例になります。先に打った側が滅びました。

 復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブの時、モーセの時、イエス様の時、皆そうでした。堕落の張本人であるエバを代身する責任を果たすお母さんを立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立しようとする摂理が存在してきたからです。

 神様は、堕落によって人類を先占したサタンと血縁的に直結した長子に、直接対することがおできになりません。神様は善側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪側を代表する長子を屈服させることで善なる血統を復帰してこられました。

 アダム家庭で、神様は次子アベルを立てて長子カインを屈服させようという摂理をなさいました。堕落した母親ですが、そのエバによる兄弟を一つにしようとする努力があったでしょうが、結局はカインがアベルを殺害することによって救援摂理は終結を見ることができず、延長され始めたのです。

 ノアの時も、母子協助の基準はありましたが、本格的な母子協助の基準はリベカ・ヤコブの時からです。

 人類の堕落はアダム、エバ、天使長、このように三つの存在によって引き起こされました。天使長がエバを誘って霊的堕落をし、その次に堕落したエバがアダムを誘って肉的堕落をすることによって、神様を裏切ったのです。堕落した天使長がサタンになりました。救援摂理は復帰摂理であり、復帰の原則は百八十度反対の道を通してなされるのです。

 真の愛と生命の種をもったアダムを失った神様は、サタンの讒訴(ざんそ)条件がない新しい種をもった息子を探し立てなければなりません。創造の時アダムを先につくったように、再創造摂理である復帰摂理も堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシヤ思想の根本です。

 メシヤはサタンの主管下にいる堕落した血統をもった人たちの生命を否定し、新しい生命の種を接ぎ木してあげるために来られる真の人であられます。根は神様に置きましたが、後(のち)のアダムとして来て、アダムによって引き起こされたものを清算しなければならないメシヤです。神様が、能力だけで役事する超人を、メシヤとして送ることのできない事情がここにあるのです。

 この地に神様の愛と生命の種をもって生まれる息子のために先にお母さんがいなければなりません。お母さんが息子を産むにしても、ただそのまま産むことはできないのです。必ず、復帰の公式を通して産まなければならないのです。復帰摂理の中に現れた母子協助は、すべてが天の息子がサタンの讒訴を免れた新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子共にサタンの攻撃を免れることのできる条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることにより、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰してこられたのです。

 神様の摂理の歴史を記録した聖書の中に、理解することのできない記録がたくさんあります。リベカが夫のイサクと長子のエサウをだまし、次子ヤコブを助けて彼に祝福を受けさせました。神様は一見不当に見える方法を用いたこの母子の側に立たれて、彼らに祝福を続けて上げました。

 アダムの家庭では、カインとアベルの兄弟が胎外で争って、次子のアベルがかえって殺されました。

 ヤコブは、アベル以後の善側に立った多くの人の犠牲と蕩減条件の基台の上に立ったので、先に占有したサタンにいっそう追いついて、双子の兄であるエサウを相手にするようになったのです。結果的にヤコブは、ヤボク川で天使を屈服させる霊的勝利の条件と実体の天使長の体であるエサウを屈服させることによって、歴史以来、初めて勝利したというイスラエルの祝福を受けるようになりました。しかし、その時は既に年が四十代でした。

 サタンの偽りの愛の種がエバの胎中にまかれて悪の生命が生まれたので、神様は母の胎中まで入っていって分別しておかなくては、天の息子が胎中で誕生することができないのです。ですから、ヤコブの勝利によっても、まだ分別されていない妊娠から四十代までの期間もサタンの分立がなされなければなりません。結果的にこの責任を任された偉大な母がタマルです。

 タマルはユダの長男のエルと結婚しましたが、エルは神様にふさわしい人ではなかったので死んでしまいました。当時の慣例に従い、ユダは次子のオナンをタマルに与えて子供を産むようにしましたが、オナンは生まれる子供が自分のものにならないことを知り、精を地に流しました。これが神様の前に罪となってオナンも死んでしまいました。タマルはユダの三番目の息子のシラと一緒になろうとしましたが、ユダはシラをタマルに与えませんでした。タマルによって二人の息子たちが死んだと考えたユダは、シラまで死んで家系が絶たれることを心配したからです。

 タマルは選民の血統を続けなければという一念から、売春婦に変装して、舅(しゅうと)であるユダを迎え、双子の赤ん坊を身ごもりました。赤ん坊たちが生まれる時、先に手を突き出して出ようとした長子の赤ん坊が再び入り、弟になるべき次子の赤ん坊が兄になって先に生まれたのですが、彼がペレヅです。タマルの胎中で長子と次子が争って、分立される胎中復帰がなされたのです。このような条件の上に、選民の血族を見て、二千年後にローマ帝国の国家基準に対峙(たいじ)するイスラエルの国家的土台の上に、メシヤを身ごもることができたのです。神様の息子の種が準備された母親の胎中に、サタンの讒訴なく根づかせることができるようになった国家的勝利の土台が造成されたのです。このような基盤の上に聖母マリヤが摂理の主流に登場するのです。

 ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ一・31)ガブリエル天使長の驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないという当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」と言いながら、絶対信仰で神様のみ意(こころ)を受け止めました。

 マリヤは親族であり、尊敬される大祭司長のザカリヤに相談しました。ザカリヤの家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって、妊娠したヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、何という光栄でしょう」(ルカ一・42〜43)とイエス様の懐胎を証ししました。

 このようにして神様はマリヤとザカリヤとエリサベツをして、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍(はべ)り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった者たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家にとどまらせました。イエス様はザカリヤの家庭で懐胎しました。エリサベツとマリヤの間柄は母親側のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったのを国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。

 歴史以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中にサタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占することのできるひとり子が誕生するようになったのです。

 当時の法によって、容認されるはずもなく、また、常識でも考えることのできないことをマリヤが成し遂げなければなりませんでした。三人が全部霊的に感動したし、神様から来た啓示に従い、それが神様のみ旨であり、願いであることを無条件に信じ従わなければならなかったためでした。

 神様の息子はたとえ着地したといっても、サタンの世界の中で無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護されるべき囲いが必要なのです。神様はザカリヤの家庭の三人にその基盤となってくれることを期待されました。三人が神様の息子を保護し、侍ることにどのように専念し、どれだけ長い間一つになったかについては、考えるべき点がたくさんあります。

 聖書には「マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った」(ルカ一・56)と記録してあります。その後、聖書で見る限り、マリヤとエリサベツとザカリヤは互いに行き来した記録がありません。ここからマリヤとイエス様の困難が始まります。ザカリヤ家庭は最後までイエス様の囲いにならなければなりませんでした。

 少し過ぎて、ヨセフはマリヤが子供を妊娠した事実を知るようになります。この時、彼の衝撃がどれほど大きかったでしょうか。愛する婚約者のマリヤが自分とは何の関係もない状態で、三か月間どこかへ行って帰ってきた時には子供を妊娠していたのですから、ヨセフがマリヤに、胎内にだれの赤ん坊を身ごもっているのかを追及するのは当然なことでした。

 その時、もしマリヤが正直に話してしまったなら、どんなことが起こったでしょうか。もし明らかにした場合には一族が滅亡するようになるのです。ですから、マリヤはただ「聖霊によって懐胎した」とだけ話したのです。

 マリヤのおなかが膨らんできて、周囲の人たちも妊娠したことが分かるようになりました。その時、ヨセフが自分は知らないことだと言ったならば、また、どうなったでしょうか。ヨセフは神様の啓示を信じ、妊娠が自身の責任であると擁護した義人でした。これによってマリヤは婚約期に妊娠したという嘲笑(ちょうしょう)は浴びたとしても、石を受けて死ぬことはなかったのです。

 マリヤを愛したヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には苦悶(くもん)がたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見詰めるヨセフは、その父親に対する疑問と関連し、心の中の苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が大きくなると同時に、ヨセフとの関係が心情的に距離が生まれるようになり、このことによって、家庭に頻繁に紛争が起こったことは間違いのない事実です。こうしてイエス様は私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、また、ヨセフとも難しい条件で、心情的に途方もなく寂しい立場で育ちました。

 メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成すに当たって深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の新婦をお迎えにならなければなりません。天使長がアダムと兄妹のように育ったエバを、偽りの愛で堕落させたものを、根本的に復帰すべきイエス様です。

 従って、アダムを代身して神様の息子として来られたイエス様は、天使長型の妹を妻として迎えなければなりません。彼女がまさしくザカリヤの娘、洗礼ヨハネの妹なのです。サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成されるためには、絶対的な信仰によって形成された保護基台がなければなりません。不幸にもイエス様の周辺では、このような土台がみな崩れてしまいました。

 もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵の下、初めにもった絶対的な信仰をずっともっていたなら、状況は全然違っていたことでしょう。彼らが責任を果たしたならば、マリヤは三か月後にその家を出たとしても、継続的に彼らと行き来し、相談したはずです。

 ザカリヤ家庭は、イエス様の誕生の後にも、地を代表して最も先頭に立ってメシヤを保護し侍りながら、証すべき人々として神様が選んだ家庭です。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、このうえない精誠を込めて侍るだけでなく、さらにまた、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったはずでした。また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じ救われるように導く責任を果たしたはずです。
しかし、不幸にも、ザカリヤもエリサベツも洗礼ヨハネもイエス様を神様の息子として証しだけしたのであって、侍り従った実績は何一つありませんでした。尊敬される祭司長のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つようになることにより、かえってイエス様の行く道をもっと難しくしてしまい、民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い人間的な考えに流れたときに、イエス様が願われた新婦を迎えるのを助けるはずは絶対になかったのです。

 次に考えるべき点は、ヨセフとマリヤの関係がイエス様に及ぼした影響です。マリヤはエバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係でなければなりませんでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありえません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、その後にも性関係を結んではならないのが神様の願いでした。ヨセフはマリヤに対して、イエス誕生の後にもずっと愛の心をもちました。マリヤはヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。

 しかし、現実はそれを簡単には許しませんでした。本心ではだめだと思いながら、マリヤはヨセフと性的関係を結ぶようになって子女をもつことにより、エバの失敗を反復した結果となってしまいました。サタンはこれを条件として彼らに侵犯するようになりました。イエス一人を残して、すべてサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエスを守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟(洗礼ヨハネとその兄弟)も、カイン側の兄弟(ヨセフの子女)もすべてサタン側になってしまいました。

 人がサタンの侵犯を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまいます。神様に対する確信と感謝を失うようになります。すべてのものを人間的に考えるようになります。これにより、マリヤまでイエス様が願われる結婚を助けられず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えて真の父母になれず、十字架の道を行かざるをえなかった直接的な原因になったのです。

 カナの婚姻の宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ二・4)と言ったのも、最も貴い摂理の要請であるイエス様の新婦を迎える仕事をなおざりにし、遠い親戚(しんせき)の婚姻の宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイ一二・48)と言われたみ言葉も、このような基準から理解しなければなりません。

 イエス様は母マリヤからも、ザカリヤ、エリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探して、再び復帰摂理をなさろうと出発したのがイエスの出家でした。出家したイエス様は行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ八・20)と嘆息されました。家門の基盤を失ったイエス様は、それを代身することのできる基盤を探しに出かけたのです。これがイエス様の三年路程でした。

 しかし、民族が不信し、弟子たちの心が弱くなって、サタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は倒れ、十字架の道に行かれるしかありませんでした。本来、イエス様はメシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信をされて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂することができませんでした。

 それゆえ、再臨することを約束されました。再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するためにこられます。すなわち、創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するためにこられます。彼は既にイエスの時まで神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に真っすぐ立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。

 それゆえ、真の父母は血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類をして、神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、真の人として救援し、さらには真なる家庭を成して地上天国を建設なさるのです。それゆえ、再臨主は肉身をもって来られて、新しい血統関係を編成しようとするのであり、これが国際合同結婚式なのです。

 アダム一家庭で失われたものを世界大家庭圏で蕩減することにより、アダム家庭で完成すべき真の長子権、真の父母権、真の王権を取り戻し、神様が主管なさる地上天国へと転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上、天上王権時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を復帰し、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが摂理史の原理観です。

 皆さんも将来、幸福な祝福を受けるようにお願いします。

 敬愛するこの国の指導者、そして内外貴賓の皆様! きょう、この夕べ、ワシントン・タイムズ財団創設を記念するために、来臨してくださった皆様にもう一度深い感謝をささげ、特にこの社会のための善なる業績により、ワシントン・タイムズ財団が授与する第一回受賞の栄光を受けられた皆様に、心からお祝いを申し上げます。ありがとうございました。

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宇宙の根本を探して

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「宇宙の根本を探して」

(96.08.01 世界平和家庭連合創設会議 閉会晩餐会 ワシントン・シェラトンホテル)



 尊敬するご来賓の皆様、そして紳士淑女の皆様!

 冷戦の終息とともに、平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に地球全体に拡大しています。新しい世界的な現実を無視したり、直視することのできない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に押し流されてしまうことでしょう。

 今、私たちは新しい世紀への入り口に立ち、伝統的な思考方式を再検討し、新しい機会と価値観を受け入れるために、果敢に進んでいくべき時であると信じます。そのような意味で、私はきょう、生涯をかけて主唱してきた「世界平和の実現と真の家庭の価値」についてお話をすることができますことを大変な光栄に存じます。

 この世界には、男性と女性という二性が暮らしています。ところでこの両性は、互いにその立場を変えることはできません。皆様は、自らが願って男性、あるいは女性として生まれたのですか。それとも、願わないのにそのように生まれたのですか。私たちは、自分では考えもせず、願いもせず、そして原因はもちろん、結果や過程も知らないまま、そのように生まれたのです。

 人間がいくら偉大な存在であるといっても、それが原因的な存在ではなく、結果的な存在であるということを否定することができません。したがって、第一原因である存在がなければならないのです。すると、その第一原因とはだれでしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、あるいはどのような名前で呼んでも構いませんが、その原因的な存在がなければならないのです。

 今宵、ここには世界的に著名なかたがたが集まっておられます。皆様は「神様はどこにいるのか。見せてくれれば、私は信じよう!」とおっしゃるかもしれませんが、少なくとも、その原因的な存在がなければならないことを否定すべきではないということに、前もって注意を喚起するものです。

 きょう、私は「宇宙の根本を探して」というテーマでお話ししいたします。私たちが、宇宙の根本を探し求めていけば神様に帰着しますが、そのおかたが、男性格と女性格の二つの性稟を所有しておられるということを理解しなければなりません。宇宙の出発の原因は、どのようになっているのでしょうか。神様に対しては、いまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象からなっています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しべと雌しべから、動物界は雄と雌から、そして人間は男性と女性から成っているということが分かります。

 存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界であっても、より次元が高い陽性と陰性が、より次元の低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展しているということを知ることができます。なぜ、このような現象が生じるのでしょうか。このすべての存在世界には、万物の霊長である人間を完成させるべき責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が、愛という概念のもとに互いに一体となって存在しています。同様に、植物界もすべて雄しべと雌しべとがあり、主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続しているのです。最近、医学会では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。

 主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるためには、何を中心として一つになるのでしょうか、キスすることによってでしょうか。愛は、概念であると同時に実在です。それでは、その愛が定着することのできる実在とは何でしょうか。ここには、各界の指導者のかたがた、フォード元大統領、ブッシュ前大統領等、名士のかたがたが集っていらっしゃいますが、自信があれば答えてみてください。皆様がご存じでないことがあると言うことです。男性が男性になり、女性が女性になるようにしているものが何であるかということを知らなかったというのです。それがまさしく生殖器なのです。それが嫌いな人はいますか。好きであるとすれば、どれくらい好きですか。今までは、それが善くないものであると考えていたとしても、これからは好ましく思わなければなりません。

 未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に好ましく思う世界になるなら、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談で言っているのではありません。神様が人間を創造なさる時、最も重要視して、精魂を込めてつくられた所はどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。それとも頭脳でしょうか。これらのものはすべて、死んでなくなってしまうのです。事実、そうなのではないでしょうか。

 世界平和のための家庭連合の目的は何でしょうか。道徳と宗教等、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎することのできる人が暮らす世界があるとするなら、それはどのような世界になるでしょうか。男性と女性が生まれる時、彼らの生殖器の主人はだれなのでしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻の生殖器の主人は夫なのです。今日まで、人類は生殖器の主人が互いに取り替えられているということを知りませんでした。簡潔な真理です。これを否定することはできないというのです。千年、万年、歴史がいくら流れたとしても、この真理は変わりません。

 すべての男性は、それが自分のものであると考え、またすべての女性も、それが自分たちの所有であると考えているために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違って考えているということです。人はすべて、愛は絶対的であり、永遠なるものであると言いながら、それを夢のようにかなわないものであるとばかり考えています。しかし、その永遠の愛の主人が取り替えられているということをはっきりと知るなら、世の中はこのような状態にはならなかったはずです。博士や学者は数多くいますが、このたった一つのことを考えついた人がいないというのです。

 皆様は、このことを否定することができますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖たるおかた、さらには宇宙の根本であられる神様に尋ねたとしても、すべて同意するようになっているのです。これは鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎたとしても原理原則として残るがゆえに鉄則なのです。そしてこの鉄則ゆえに、神様のみ前に立ったときに正しい人と間違った人の判定を受けるようになるということは当然なことなのです。

 そのように考えれば、旧約聖書に出てくるアダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたところに由来していることが分かるのです。アダムやエバは、自分たちの生殖器が自分たちの所有であると錯覚したのです。考えてみてください。神様が善悪を知る木の果を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出すでしょうか。神様は、そのようないいかげんな神様ではありません。アダムとエバは、根本的な問題において過ちを犯して、宇宙のどこからも公認を受けることができなくなったので、追放されてしまったのです。鉱物界や、植物界や動物界の雄と雌もすべて、愛の相対のために自分の生殖器を保管しているということを、アダムとエバは分からなかったというのです。

 それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。それは、愛のためです。愛を探し求めていくために、そのように雌雄として生まれたということです。神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一、永遠不変であられるおかたです。そうであるならば、愛の主人はだれでしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのおかたが、正に神様であられます。愛と中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。神様が必要とする愛とは、果たしてどのような愛でしょうか。それは、絶対的愛を願われるのです。皆様はどうですか。私たちも同じです。神様が絶対的愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とされるように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠なる愛を必要とするのです。皆、神様に似るべきなのです。

 神様ご自身が、男性格と女性格、陽性と陰性を持っておられるかたなので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように結婚を通して、縦的な神様の愛が横的に完全統一されるように追求したものが、神様のみ旨であったのです。

 人間の体は、この地を代表した横的なものです。それがすなわち、肉身です。それとは反対に、良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを探し求めるのです。したがって人間は、神様の縦的な基準と一つになることのできる点を探し求めていくべきです。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会うべきなのです。そうして、この中心点から生まれた人間は、愛とともに幼児期の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。このとき、肉身を地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟して、最後に体と心が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのような場所であるからこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜ばれ、その愛の対象対である夫婦も幸福になるのです。

 このように、上下の関係である父子の関係、東西の関係である夫婦関係、前後の関係である兄弟姉妹関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形を造るようになります。このようなことから、東洋では父子の関係のことを「一つの体」と言います。さらには夫婦関係も一体であり、兄弟姉妹も一体であると考えています。何を中心として、これらすべての関係が四方に球形を造るとき、これらすべてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形を造るべきなのです。その点は一つです!一つであるので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係にあるので、一つにならなければならないのです。それは真の愛を中心としてです。

 尊敬する指導者の皆様!

 人間の欲望とは、どれほど高いものを願うことでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも高くなることさえ願うのです。いくらだめな人間であったとしても、神様よりも優れた世界の代表者になろうという欲望は持つことができるのです。もし、皆様が神様の愛する息子であるのなら、「お父様、お越しください!」と言うとき、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくらだめな妻であるとしても、本当に愛しているなら、妻が呼ぶとき、夫はついていくのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたがらなくなるのです。

 神様も独りでおられた場合、寂しいでしょうか、寂しくないでしょうか。どうして分かりますか。紳士淑女の皆様、愛を持っていますか。生命を持っていますか。皆様の血統をつなぐことのできる精子と卵子、皆持っていますね? 良心も持っていますか。それならば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たことがありますか。触ってみたことがありますか。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないということを知らなければなりません。ただ、心で感じることによってのみ知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるのか、いないのかというとき、または神様を見たのか、見なかったのかと問うとき、見なかったとは言うことはできないのです。

 何が重要なのでしょうか。見えるものですか、見えないものですか。見えないものが、より貴いということを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。皆、持っているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。それは、一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを保っていれば、感じることができないのです。

 皆様は、自分の目が瞬きするのを感じながら暮らしていますか。三時間も数え続けてみてください。また、息をするのを数えながら暮らしていますか。右手を左側の胸の上に当ててみてください。どのような音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。皆様は、その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみると、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは1週間、一か月……。忙しいときは、何か月間もそれを感じないで暮らしているのです。考えてみてください! 小さな蠅が一匹頭の上にとまっただけでもすぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音を聞いても、なぜ感じることができないのかというのです。それは、一つになっているからなのです。

 格式あるこの檀上から、このような話をすれば失礼だと思われるかもしれませんが、実感のわく話なので、一つの例を挙げてみましょう。皆様も毎日、朝起きてトイレに行かれることでしょう。大便をするとき、マスクをして用を足されますか。笑いごとではなく、まじめな話です! もし、ほかの人がそばで用を足して、そのようなにおいを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずですが、なぜ自分の大便のにおいは、そのまま嗅いで、平気で座っていられるのでしょうか。それは、自分の体と一つになっているので、自分の大便は汚く感じないのです。

 皆様、幼いとき、鼻くそをほじくってなめてみたことがありますか。その味は甘かったですか、しょっぱかったですか。しょっぱいですって? その味を知っているところを見ると、皆、経験者ですね! なぜ、その鼻くそを汚く感じなかったのでしょうか。それは、それが正に私たちの体の一部分だったからなのです。世の中のだれも分からなかったことをレバレンド・ムーンが初めて発見したのです。皆様、咳をして痰が出れば、ごくっと飲み込んだりもするでしょう? ここに列席なさった大統領の皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。取り澄ましていないで率直に答えてみてください。なぜ、汚く感じないのでしょうか。それは、皆、一つになっているからなのです。

 私たちは皆、朝、昼、晩と、毎日三食ずつ食べていますが、実は、私たちの口から三〇センチほど下りれば、そこには肥料工場があるのです。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。ワァー! そのことを知ったあとでも、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、そのことを感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられないのでしょうか。それは、一つになっているからです。愛、生命、血統、良心があっても、一つになっていて完全にバランスがとれていれば、感じることはできないのです。

 私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、すべて持っておられるのですが、独りではそれを感じることはできないのです。完全にバランスがとれているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここに見いだすことができるのです。男性でも女性でも、独りのときは愛を感じることはできませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れるときには、相対的に刺激的な愛と血統が雷と稲妻のように衝撃をもたらして問題を引き起こすということを知らなければなりません。ですから、しっかりと気をつけなければなりません。このような真理を知らずに生きてきたのです。神様も絶対的に愛の相対が必要であるという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。

 それならば、神様の愛の相対とはだれなのでしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるとするならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるのでしょうか。そんな夢のような話は、到底聞くに堪えません。アメーバから始まった生命体が人間に至るまでには、数千段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。すべての動物においても皆、同様です。種の区別は厳格です。だれも占領することはできないのです。

 唯物論を信奉する共産主義者たちが、猿が先祖であると信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が生まれてくると思いますか。百年、千年続けたとしても徒労に終わります。なぜ、できないのでしょうか。これは、考えてみるべき問題です。

 それならば、神様も何を必要とされるのでしょうか。何かの器官をさらに必要とされるのでしょうか。それは、目でしょうか、手でしょうか。必要とされるのは、私たちが考える五官ではありません。神様は、男性格と女性格という二つの性稟を共に所有しておられますが、父として存在されるためには、男性各主体として存在されるかたなのです。

 このような基準から見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界のだれが、果たして神様の愛のパートナーになるのでしょうか。男性独りででしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います! 神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになる、その位置を中心として顕現され、人間と出会われるのです。

 その位置が、どうして神様を中心として一つになる位置なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が、正にその位置であるからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性格である陽性と女性の性格である陰性が合わさって、大きく陽性的立場で、大きな陰性と合わさって一つになるのです。それが、いつそのようになるかということが問題なのです。

 結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。それは、結婚は、愛を探し求めていく道であるからです。愛する道、生命を創造する道であり、男性と女性の生命が一体となる道であり、男性と女性の血統が混ざる所なのです。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人もなく、国もなく、理想世界もありません。このことが公式になっているのです。男性と女性は、絶対的に一つにならなければならず、父母と子供たちは、絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きた後に死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国なのです。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような人類が理想とする人がいないので、神様が理想とされる天国は、空いているのです。今まで亡くなった人類はすべて、地獄に落ちているのです。天国に入れなかったということです。

 このような観点から見るとき、イエス様も人類を救うための救世主として来られたのですが、昇天された後、天国には行けず、楽園に行っておられるということを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨されることを願われたのです。イエス様も、結婚して家庭を築き、その家庭とともに神様に侍って暮らしてから、共に天国に入ることができるのであって、独りでは天国に入ることができないのです。ですから、聖書にも「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなた方が地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ一八:18)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければならないのです。

 今日、人類は堕落した後孫となって、堕落圏下に陥っているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入ることはできないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を打ち破らなければならないのです。それゆえに、イエス様も「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」(参照マタイ一〇:39)ということを言われたのです。この死の道を行くためには、全生命をかけて、突破して上がらなければならないのです。

 皆様の家庭は、堕落圏内の家庭なのです。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されたのです。アダムとエバは、赤ん坊を生んだ後に追い出されたのでしょうか、追い出された後に赤ん坊を生んだのでしょうか。彼らは、追い出された後に、神様とは関係のない立場で子供を生んだのです。このようなことも知らずに、天国に行くことができるのでしょうか。とんでもないことです! 無知には理想はなく、完成もありません。目を覚ましてください! 私はこのように警告いたします。

 レバレンド・ムーンの話が正しいのか、間違っているのか祈祷してみてください。私がこの道を探し求めるために、どれほどの受難の道を歩んできたか、だれも知りません。罪なく監獄に六度も入るほどの苦難に遭い、探し求めてきた道です。ところが、他人の大切な子供たちを連れていって、このような真理を教え、短時間で方向転換させるので、皆、洗脳したというのです。無神論者には、神の存在を詳しく、科学的に理論的な基盤をもって証明してあげるので、無神論は崩れていくのです。それとは反対に、キリスト教徒たちは、自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを打ち据えようと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端が正当なのです!反対になるということを知らなければなりません。

 サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌われるものはサタン側であるということを知らなければなりません。全世界的にレバレンド・ムーンのことを好きな人が一人でもいましたか。皆様も、レバレンド・ムーンがどのようなことをしているか調べてみたのでここにいらっしゃったのであって、知らないまま、ただ来られたのですか。ワシントン・ポストもレバレンド・ムーンのことが分からないから反対するのであって、皆様のように知れば、それでも反対するでしょうか。反対することはできないのです。ワシントン・ポストが本当のことを知れば、ワシントン・タイムズよりもさらによく待遇することでしょう。

 思想的空白期におかれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンド・ムーンの思想を中心として出版された中学校、高等学校、大学校の教材を通して、そして、ひいては刑務所の囚人までも、その教材を通して思想武装をしているのです。ロシアの三千六百か所の学校で、レバレンド・ムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは叫んでいます。「私たちはアメリカに先立たなければならない! レバレンド・ムーンに反対するアメリカに先立たなければならない!」と。西洋の腐敗した退廃風潮であるホモセクシャル、フリーセックスなどを収拾する道は、レバレンド・ムーンの思想だけであると彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカよりも先にレバレンド・ムーンに従っていこうと叫んでいるのです。

 皆様! 神様のことが好きですか。レバレンド・ムーンがこのようなことがらを展開しているのを見つめられる神様は喜ばれるでしょうか。教皇庁の教えと今回の大会に参席されたロバート・シューラート牧師の教えが同じであることがありえますか。もちろん、大きく違います。そうであるとすれば、だれの教えが正しいのか神様に尋ねてください。イエス様と聖母マリヤにたいする皆様の理解が間違ったもとであると、いくら教えてさしあげたところで、それ自体が統一教会にとって利益になるということが何かあるのでしょうか。しかし、皆様が必ずや知るべき一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンド・ムーンは、生涯をかけてこの道を歩んできたのです。

 皆様、イエス様は結婚をしなければならないのでしょうか。結婚しなければならなかったのです。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいるとするなら、イエス様も彼女と結婚をしたくないでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器をもつことを共に許されたのですが、何のためにそうされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様は彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないのでしょうか。問題は、彼らの堕落にあります。堕落ゆえに血統が代わったのです。それゆえに神様は、彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となって、神様にとっての婦人格にあるべきアダムとエバが堕落することによって、神様ご自身の体と理想を病に至らせ、恩讐になってしまったのですから、それをごらんになっていた神様の心情は、いかばかりのものであったでしょうか。堕落とは、自らを埋葬する墓です。他人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になったのです。

 今日のアメリカは、どのような国ですか。極度の個人主義、過分なる私生活の追求、フリーセックス……このようなものを神様が好まれるでしょうか。過度の個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの話のとおりであるならば、天も地も、世界、国家、社会、家庭、ひいてはおじいさん、おばあさんまでも皆、放り出してしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジプシーやヒッピーになって気の向くままにさまようというのです。そして、雨や雪が降れば、行くところがないので、自殺して一生を終えようという話ではないですか。

 しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分なる私生活の保証を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいというのが、私たちの本心が願うところです。しかし、そうではあり得ない反対の道を行くうちに、良心に火がつき、本心との相克を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するほうがましであると判断し、自ら命を絶つという現象がだんだん増えていくのです。こうして、「自分のまいたものを刈り取る」(ガラテヤ六:7)という真理が的中するのを目撃するわけです。

 アダムとエバがエデンの園にどんな種をまいたのでしょうか。フリーセックスの種をまいたのです。それを否定することができますか。そうであったので、彼らは下半身を覆ったのです。小さな子供たちも、親が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして見つかれば、それを包み隠そうとするのが本性の作用ではないでしょうか。もし、善悪の果を取って食べたならば、その取って食べた手や口を覆うべきはずであるのに、どうして下半身を覆ったのかということです。

 レバレンド・ムーンは賢明な人間です。皆様に及ばない人間であるからこのようなことを言っているのではありません。堕落は淫乱によって引き起こされたということを否定することはできません。アダムとエバが堕落して落ちたものを救ってあげるためには、堕落した方向と百八十度反対方向の経路を通さなければ、救ってあげることはできないということは、至極、理論的なことです。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来られなければならないのです。

 メシヤは、堕落前の神様が創造されたエデンの園という場所で家庭を築くことのできる主人としてこられるかたです。そのことをはっきりと知らなければなりません! 理論的に合わなければならないのです。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題なのです。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければならなかったのです。この死亡の世界で、だれが自分を救ってくれるのかということが問題です。それゆえに反対を受けたのです。

 旧約時代は、「目には目、歯には歯」(出エ二一:24)という原則の下に蕩減してきました。イサクの妻であったリベカを見てください。長子であるエサウと夫までもだまし、次子であるヤコブに祝福を奪って与えた女性ではありませんか。そのような女性を、神様はなぜ愛されたのでしょうか。そのような神様のことを、どうして信じることができるというのでしょうか。今まで、これらの諸問題についてだれも理解することができませんでした。レバレンド・ムーンが初めて解いてさしあげているのです。レバレンド・ムーンだけが、神様の秘密を皆、知っているからです。

 それでは、どこから天国と地獄が分かれるのか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。それは、まさしく皆様の生殖器なのです! 深刻なことです。これが天地をひっくり返したのです。このことをだれが否定することができますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本、「堕落論」に説明がなされています。疑問に思うのであれば、神様に尋ねてみてください。皆様としては、夢にも想像することのできない内容と理論をもって体系だてられた、レバレンド・ムーンの原理の本に、だれも反対することはできません。

 レバレンド・ムーンが天国に行くのか、そうでないのか気になるのであれば、死んでみればいいのです。死んで霊界に行ってみれば、分かることです。今晩、私の話を聞いて気分を悪くされたのならば、割腹をしてでも霊界に行ってみてください。そうすれば分かることではないでしょうか。レバレンド・ムーンがこの道を探し出すために、死の道を何度も越えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人が、レバレンド・ムーンです。有史以来、ほかのだれも、レバレンド・ムーンほど神様を愛した人はいません。ですから、いくらこの世界がレバレンド・ムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンド・ムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共にあられて保護してくださいます。

 生殖器を、目の不自由な盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば、天国に高い所に行くのです。これは明白な結論です。

 現在、青少年の問題が深刻です。エデンの園において、アダムとエバが青少年期に物陰で、淫乱によって堕落してフリーセックスの種をまいたので、刈り入れの時期である終わりの日には必ず、世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引き上げ、救われるという戦略を、サタンは知っています。ですから、サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときにそうしたように、全人類をフリーセックスに押しやって、裸になって皆、死んでいく方向に全世界を引っ張っていくのです。人類がすべて、天使長の後裔としての末路をたどるようになるのです。

 エデンの園においてサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの後孫が今日の人類なので、サタンは堂々と神様の前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたい放題になし得る権限を主張するというのです。神様は、サタンが何を願うかをご存じなのです。サタンは、フリーセックスを通して、ただの一人も神様の前に帰ることができないように、言い換えれば、全人類を完全にめちゃくちゃにして、地上地獄をつくろうとするのです。

 今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄になりつつある世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄となったこの世界と百八十度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来られて、この世界を救ってくださることにおいても、正にこのような百八十度反対の道を教えてくださって、天国に導いてくださるのです。

 それでは、フリーセックスの道と百八十度異なった正反対の道とは、どのような道なのでしょうか。偽りの父母が現れてつくった道がフリーセックスの道であるので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は、干渉なさることができません。この地上にいかなる主権や軍事力、経済力、政治力をもってしても、手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことであるので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道がないのです。

 罪を犯した者が、その罪を蕩減しなければならないのです。家庭において結婚を間違ってしまって、血統が百八十度曲がってしまったために、真の父母が来られて結婚させ、百八十度反対の原状に戻してくださることによって、天国に行く道を開いてくださるようになるのです。

 神様がアダムとエバに期待されたことは、何であったのでしょうか。それは、絶対純潔の愛を期待されたのです。この場にお集まりの世界の指導者の皆様が、このような内容を知って帰られて、皆様がたの国で絶対純潔の愛を取り戻す運動を展開されれば、皆様の家庭と国は、そのまま天国に直行することができるということを、理解してくださるようお願いいたします。絶対純潔の愛が存在する所には、絶対相対が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レスビアンという言葉は消えるようになるのです。

 このような運動を世界的に広げるために、レバレンド・ムーンは一生をささげて受難の道を克服してきました。しかし今や、勝利のファンファーレを鳴り響かせ、世界に号令することのできる時が来たので、天のみ前に感謝するものです。

 世界平和に向かい得る礎石を築くのも家庭であり、世界平和への道を破壊し得るのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊された所が、アダム家庭でした。したがって、きょう、このように世界平和家庭連合を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と百八十度異なる方向に行くことのできる道を開くようになったことを、天の前に感謝せざるを得ません。この道でなくしては、自由も幸福も理想もありません!

 皆様は今、絶対、唯一、不変、永遠の生殖器を中心として、これを基盤にして神様を求めていかれるようお願いいたします。この基盤が愛の基盤、生命の基盤、血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、正にここから地上天国と天上天国が生じるということを理解されるべきです。

 すべての男女が、自分に所属した生殖器が、実は、自分のものではなく、その主人は自分の相対であるということを認定するようになれば、私たちは皆、頭を下げ、謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになることでしょう。愛は、相対なしには来ないのです。相対から来るということを知らなければなりません。ですから、ために生きない所には、愛があり得ないのです。絶対的にために生きる所において、絶対愛を見いだすことができるということを肝に銘じられ、皆様も今からお帰りになれば、サタン世界との一戦を覚悟してくださるようにお願いいたします。

 どこに行かれても、テレビやその他の言論機関を通してレバレンド・ムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅ぶことはありません。地獄と化したこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるというのでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ、そのことは不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は、神様であられます。

 今、私たちは皆、共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛舞台になりましょう。今から家に帰られたら、夫と妻で共に、自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠なる器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、相手のものであり、相手が今までしっかりと保管してきたものが自分のものであると宣言し、お互いのために永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと、誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様が住まわれるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が成されるのです。

 そうして、皆様すべてが、共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭となられますようにお願いいたします。

 ありがとうございました。アーメン!

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真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」

(97.08.10 世界平和と真の家庭運動 世界活動報告会 主題講演 韓国ソウル・新羅ホテル)



 尊敬するご来賓の皆様、親愛なる文氏、韓氏宗親連合会員の皆様、特別にこの場にご光臨賜った著名なる紳士淑女の皆様。

 公私多忙であられる中にもかかわらず、この場にご来臨くださった皆様に深く感謝を申し上げます。

 このような貴き日、私が心から皆様にささげたい最も貴い返礼の贈り物があるとするならば、それは私がこれまで世界を巡回しながら教えてきた、最も代表的な二つのお話をご紹介することです。

 それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」というお話です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つのお話は、その根本的な解決方案を提示しているのです。
 各自帰られて、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このお話を深く考えてくだされば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなることでしょう。

 皆様は、この二つのお話を皆様の年の数ほど読まれるようにお願いします。年齢が八十歳を超えているなら、八十回以上読むべきです。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあることでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むようになるはずですので、たくさん読まれるようにお願いいたします。

 一番目のお話の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダム家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られて、これを国家的な次元で復帰しなければならないということです。

 ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであられるイエス様は、第二次アダムとして来られたのです。しかし、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることによって、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真のご父母様の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。したがって、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰という事実も明らかにしています。

 こうして、真の父母を中心として成約時代を迎える、世界的に広がった祝福結婚式となるのです。

 二番目のお話の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間堕落の根本が愛によって成立したので、人類は真の愛を失ってしまいました。そのことから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。

 真の愛を失ってしまったということは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として過ちを犯したので、これを取り戻そうとすれば、その反対に正しく行かなければならないということです。このように、間違った愛がエデンの園で植えられたものが、終わりの日の刈り入れのときにその結果として現れる現象が青少年問題なのです。

 ですから、セックス混乱時代が来るのです。これを清算するのは、絶対純潔(絶対的「性」)でなければならないということです。このような絶対純潔(絶対的「性」)の概念でのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。

 今晩は、時間が限定されていますので、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」という新しい主題で、今から皆様とお話を分かち合おうと思います。

 ここに集った皆様は、すべて父母を持っています。そして、師を持っており、国の主を持っています。それは、だれにとっても絶対的に必要なものです。

 しかし、たとえ父母であるといっても、真という基準を中心として見るときには、いろいろな基準があります。皆様自身は、果たしてどれくらい真なる父母になったと思われますか?

 また、「師」ということをとっても、アメリカにあるハーバード、エール、コロンビアのようなアイビー・リーグ(アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジなどの大学の教授なら、それですべて真なる「師」と言えるでしょうか?

 国の主人も、「真」という基準から見るとき、皆、同じではあり得ません。皆様は、アメリカのような強大国の大統領ならば皆、真なる大統領であると思われますか?

 事実、今日の家庭では、子供が親を信じることができず、夫婦同士も互いに信じることができず、兄弟同士も不信し合うような間柄になっています。学校では先生のことを信じることができず、国では国の責任者を信じることができないというのが、今日の実情なのです。

 このように、皆様が願われるこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、国の主人の中で、「真」という基準を中心として見た場合、一つでも合格することができるのか、ということが問題なのです。

 皆様が真なる父母になり、真なる師になり、真なる主人にならなければならないとするならば、そのような世界最高の基準と、そのすべてのモデルの中心はだれなのでしょうか? それが正に神様なのです。

 神様は、父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。

 私たちが神様の子女になるとするならば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければならないのです。そして、神様のような真の主人になる道を行かなければなりません。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは、神様なのです。

 旧約聖書に記録されている、イスラエル民族の前に送られるメシヤとはだれのことでしょうか? メシヤは、正に真の父母として来られるおかたであり、真の師として来られるおかたであり、真の王として来られるおかたです。

 しかし、イエス様がこの地上で家庭を持って民族を一つにすることができなかったことによって、メシヤは再び地上に来られなければならないのです。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と、真の師権と、真の王圏を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。

 ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所ならば、いつでもどこででも、この三大主体思想が正しく確立されなければならないのです。

 人が空間の世界に立つためには、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。そうでなければ、自分の存在位置が確定されません。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、さまざまな姿になるのです。

 皆様の上下、左右、前後関係、そして、家庭の問題、国の問題、世界の問題を扱ううえにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければならないのです。

 これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、それから世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。

 そして、自分自身がそのモデルの中心となるのです。自分がいる後には、自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして、神様まで進んでいかなければならないのと同じ道理です。皆様には、宇宙の中心になりたい気持ちがあるだけではなく、すべて皆、そのようになることができるのです。

 このように、宇宙において、その核に当たるものが家庭の概念です。天を父母として見れば、地は子女です。東西を見れば、東側は男性を象徴し、西側は女性を象徴するので、女性は結婚することによって、どこでも夫の位置に従っていくのです。

 西側が太陽の光を受けて輝くとき、東側と同じ価値を持つようになることと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事するとき、弟妹たちが協助するようになるのです。

 ですから、人間は父子の関係を持ち、夫婦関係を持ち、兄弟関係を持たなければなりません。つまり、この三つの関係が、一点になければなりません。その中心点は一つなのです。上下、左右、前後の中心が異なってはならないのです。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡が皆、崩れてしまうのです。

 ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで合わせると、全部で七数を成すようになるのです。このように七数を成すということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになって、これらすべてが完全に球形を成して、調和と統一を成す家庭になることです。私たちが、よく「ラッキー7」というのも、このような観点から見れば一理あることなのです。

 それで、これが一つに定着して回るようになれば、八数です。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたはずなのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったのです。神様の真の愛を全部追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。

 西洋と東洋は、その生活習慣において、あまりにも異なる点がたくさんあります。さまざまな面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きしますが、西洋の人たちはそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか?」と、むしろ誤解してしまうようになっています。

 西洋の文字は、横的なものであり、左側から右側に進行しますが、東洋の文字は本来縦的なもので、上から下に書いて読むようになっています。ですから、西洋の本は左側から開いてみますが、東洋の本は右側から開いてみます。西洋文明は一種の横的文明なのです。

 握手であいさつするのは、横的なあいさつということです。頭を下げながら、あいさつする東洋文明は縦的です。東洋では、家庭制度の核が先祖でなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心であるというのです。

 すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべてが動かないのです。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせても皆、合います。

 祖父が願えば孫は反対せず、子女もそれを願うようになり、三代が皆、一緒に願うようになるのです。祖父、祖母、父、母、夫婦、息子、娘、全部中心に合わせるようになるのです。

 この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つであるので一体であるといい、夫婦関係も一体であり、兄弟間も一体であるといいます。一つの体です。何を中心として、このような関係を一体であるというのかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。

 真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同様です。このようになることによって、すべてのものの価値が同等になるのです。

 では、神様がその子女に願うことは何でしょうか? お金をたくさん稼いで百万長者になることでしょうか? 国の最高の権力を手にした大統領になることでしょうか? 神様が息子と娘であるアダムとエバに願われたことは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。

 では、皆様は神様が願われるように、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天地の前に聖子になろうという思いを持ったことがあるでしょうか? 歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子、忠臣、聖人、そして、聖子になるようにと教えてきました。

 今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間がその人格完成に必要とする孝子、忠臣、聖人、聖子の道理という観点から見るとき、合格したと見ることができますか? このような内容を知らずしては、家庭で真なる父母の役割を果たすことはできません。

 真なる父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的なことを教えてあげなければなりません。自分の子供たちをして、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、その後に、神様まで行かなければならないということを、教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様がごらんになるとき、初めて真なる父母、真なる師、そして真なる主人であると考えられるのです。

 皆様に真なる父母の資格があり、真なる師の資格があるというときには、真なる主人の資格も備えるようになり、さらには真なる王になることのできる資格まで備えるようになります。

 堕落した人に、真なる孝子という概念があるでしょうか? 忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もありません。

 ですから、滅びるのです。だれが聖子になることを願うのでしょうか? 神様が願われるのです。聖人になることをだれが願うのでしょうか? 世界が願います。国は何を願うのかと言えば、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真なる真理の道です。

 愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知らなかったのです。それで、真なる父母になれなかったのです。国の真なる主人になれませんでした。聖人や真なる聖子になれなかったのです。

 イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がおらず、国と世界にもそのような真の主人がおらず、結局、天地に真の主人がいませんでした。どのようにして、その道理の道を行かなければならないかを知らなかったというのです。しかし、もはや知らなければなりません。

 真なる父母は、「孝子になったから、忠臣になるな」とは言いません。真なる父母は、その孝子に「おまえは、家庭を犠牲にして忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして、天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして、神様を求めていかなければならない」と、教えてあげなければなりません。

 そのようになろうとすれば、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければ、愛国者になることはできません。

 聖人というものは、自分の国を犠牲にして、世界を救わなければなりません。聖子は、世界を犠牲にして、天上天国と地上天国を築かなければならないのです。

 ですから、すべての父母たちの中で、より子供のために生きる父母が真の父母であり、いかなる師よりも、よりために生きる師が真の師であり、いかなる大統領よりも、よりために犠牲になろうという大統領が本物です。このような概念があるということを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に来ないのです。

 個人主義がどこにありますか? 自己において自己だけを主張する部分は一つもありません。子供が父母の愛によって、母親のおなかの中、卵子から育って生まれるとき、その九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉です。

 そしてそこに〇・〇〇一パーセントの一つの父親の精子が合わさって生まれるのです。そこには、「自己」という概念はあり得ません。だれでも生まれるとき、自分自身だけという概念はなかったのです。

 いかに立派な人であっても、自分一人で立派に生まれついたと言える人は一人もいません。レバレンド・ムーンも同様です。骨や血や肉もすべて母親のおなかの中で譲り受けたものです。

 この体の重要な部分は、母親の体の延長だということを認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、精子と卵子に含まれていたのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。

 「上」という言葉が成り立つときは、「下」を認めたうえで言う言葉です。「上」ということだけで、個人主義が成り立つでしょうか? 個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで言う言葉です。「前後」について見ても、「前」というのは「後ろ」を前もって認定して言う言葉です。

 男性という言葉も、男性一人を念頭に置いて言う言葉ではありません。女性を前提条件にして言う言葉なのです。これは、だれか一個人の言葉なのではなく、宇宙的な事実です。

 男性は、なぜ生まれたのでしょうか? 男性たちはよく、自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がないなどと皆言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないということです。結局、自分のために生まれたものは、一つもないのです。

 私たちの五官を見てください。自分の目が、自分の目を見るために生まれたのでしょうか? 鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生まれました。五官を総動員して、集中させることのできるその力が何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。

 自分のために生まれたものは一つもありません。人のものを自分のものにする人を泥棒といいます。人のものを持ってきて、自分のものとして使う人は泥棒ではないでしょうか? ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人は泥棒なのです。

 男性と女性は、何が互いに異なるのでしょうか? まず、生殖器を含んだ体が異なります。では、男性の生殖器は、だれにとって絶対に必要なのでしょうか? 男性の生殖器は、女性のためにあるのです。

 人間の生殖器の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになったのでしょうか? 二つとも、とがらせるとか、二つとも平べったくすることができるのに、なぜそのように異なって生まれたのでしょうか? すべて、相対のためです。

 男性のものは、女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願うのです。女性のものは、絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、愛を知るのです。

 二つが一つになるような経験を通してのみ、最高の高い境地の愛を知ることができるのです。どこのだれであれ、このような事実を絶対に否定することができません。だれでも皆、認定しなければならないのです。二つが完全に一つになるその場で、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在されるのです。

 ですから、絶対純潔(絶対的「性」)は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家や経済人たちは、文学作品やメディアを通してフリーセックスを刺激することが多くありました。ですから今から私たちは皆、政治家や経済人、文人、作家と言論人たちと一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは、完全になくならなければなりません。

 レバレンド・ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは百八十度異なる人間になり、異なる国になり、異なる世界になるのです。間違いなく変わります。この悪なる世界を完全に変化させることは、絶対に必要なことです。

 ところが、サタンを含めた悪の世界の人たちは、神側の人々を好みません。それで、世の中すべてがレバレンド・ムーンに反対してきました。国家と世界的次元でも反対しました。しかし、レバレンド・ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド・ムーンを保護してこられたのです。

 レバレンド・ムーンをサタンは嫌いますが、神様は好かれるのです。いくらレバレンド・ムーンを悲しませ、押さえつけて、無視するとしても、レバレンド・ムーンは意に介しませんでした。レバレンド・ムーンは、下がってはいきませんでした。むしろ、最も高い立場まで上がっていくようになりました。それで今は、どこのだれであれレバレンド・ムーンに反対できないようになったのです。

 あらゆる迫害を受けながら、どうしてこのような世界的な基盤を築くことができたのでしょうか? いかなる力でもって、世界の碩学と最高の指導者たちを教え導くこのような基盤を築くことができたのでしょうか?

 神様がそのような力をレバレンド・ムーンに下さったので可能だったのです。神様が私を保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も継続して保護し教え導いてくださっているので、レバレンド・ムーンは、常に成功の道を進んでいるのです。

 歴史以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者たちがいましたが、レバレンド・ムーンほど霊界を知り、かの天の国、霊界を統一して、この地上に現れたのはレバレンド・ムーン一人しかいないということを知らなければなりません。

 そうして、神様から玉璽を受けました。そうでなければ、地上の統一はできません。神様が霊界でそのように私を訓練し育てられたように、この地上においてもそのように継続して導いておられるということを知らなければなりません。

 二十余年間、レバレンド・ムーンは、新教の地アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられて以後二千年間、すさまじい殉教の血を流したキリスト教を、この国に定着させようという神様のみ意を知ったので、アメリカを捨てることができなかったのです。旧教の地、南米も同様です。四十余年前にレバレンド・ムーンを受け入れていたならば、南米も北米もどのようになっただろうかと考えてみてくださるようにお願いします。韓国においては、なおさらそうです。

 それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか? 自分の生命を投じた後、また復活して、三度以上より投入しようというところから真の愛が始まるのです。私たちは、堕落した血を受け継いだので、自分の生命を懸けてでもこれを越えなければなりません。

 ですから、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」というのです。イエス様もこの地上に来られて、その道を行かれたのです。そのことによって、世界を支配することができたのです。

 利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は、一生の間に数百億ドルのお金を得ましたが、一銭も私たちのものはありません。皆、世界のために投入しては忘れてしまい、また苦労しお金を作っては、また投入する、そのようなことを反復するのです。

 「神様の下の一つの国」と「神様の下の一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか? 一部のアメリカの人たちは、「神様の下の一つの世界」が好きではありません。

 また、一部の白人たちは、黒人が好きではありません。アングロ・サクソン系の白人の新教徒たちが、アメリカの支配的な立場を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えを持たなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのなら、アメリカは存続することができないのです。

 今は、時代が変わっています。到来する時代とは、「神様の下の一つの世界」です。神様は、このような世界のために働いておられ、また、そのような摂理のために働く者を助けておられます。

 そして、これからも永遠にそのような者たちを助けていかれることでしょう。ところで問題は、すべての人たちが、このような世界で暮らすことを願いながらも、そのような摂理の同参者になることは好まない、ということです。

 一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦はさまざまな努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。

 医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけではなく、東西文化の和合を通して、東西洋の葛藤までも修復させるという次元から、統一思想と統一医学を開発しなければなりません。東西思想と医学が一つになってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになることでしょう。

 韓国では、医学教育を全く受けていない農村の青年たちの中で、エイズのように現代医学でも治すことが困難な病を治すことのできる特別な治療法を、霊界から教えられた人々がたくさんいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。このすべての課題は、すでにブリッジポート大学(米国)と鮮文大学(韓国)を中心として、実践に移されつつあります。

 さらに私たち夫婦は、すでにアメリカのワシントン・タイムズだけでなく、南北米すべての国々をカバーする言論機関をつくりました。これらの言論機関は、まもなく世界百八十五か国まで拡張され、世界が一つになって学び、協力するのに大きく貢献するようになることでしょう。

 レバレンド・ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民の前に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが私の世話になりました。天から受けた祝福でもって、レバレンド・ムーンはアメリカを祝福しました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド・ムーンを歓迎して、アメリカのような祝福を受けることを願っています。

 どんなに反対しても、より多く愛する人が主人になるのです。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れる者が中心存在になるのです。これがまさしく天法なのです。

 これから皆様は、家庭において父母の前に孝行し、国の前に忠臣になり、世界の前に聖人になり、神様の前に聖子になる道を行くべきです。だれであろうと、家庭、国家、世界、天、地の前に恥ずかしくない、この宇宙自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築くべきなのです。

 そうして、地上天国に転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上天上王圏時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を求めゆく国際合同結婚式を迎えなければなりません。

 皆様もすべて、今年の三百六十万双の祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同結婚式に参与してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になって、永生の道を求めるようにお願いします。

 私たち皆が、神様と真のご父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真なる家庭と真なる世界(宇宙)文化創建の主役になって、来る二十一世紀を平和と統一の世界へと建設していくことを願いながら、これで私の話を終わります。

 皆様と、皆様の家庭と、なされている事業に、神様の祝福が共にありますようにお祈りいたします。

 ありがとうございました。

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祝福と永生

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「祝福と永生」

(98.02.02 四千万双祝福勝利歓迎および文鮮明先生御言訓読大会)



 祝福と永生

 世界人類は、末世に暮らしています。なぜ今、世の中の家庭が壊れていくのでしょうか? 父や母、子女が怨讐になることもあります。なぜ、そのようになるのでしょうか?

 真の愛がないからです。いちばん重要である人間が永生することについて知らず、霊界があるのか、ないのかも分からずにいます。

 永生することを確信すれば、他の人に「罪を犯しなさい」と言われても、罪を犯すことはできません。「自分自身のために生きなさい」と言われても、そのように生きることはできません。これが分からなければ、キリスト教を信じていても、何か他の宗教を信仰していても、絶対に天国には行けないのです。

 この永生問題と連結されていなければ、社会革命も不可能です。現在よりもっと疲弊して没落した環境に陥れば、その場に行こうとする人はだれもいません。

 しかし、永生問題、永遠の生命の問題が分かれば、環境的な条件をすべて克服することができます。それゆえに、永生問題と連結している宗教は偉大なのです。永生という概念を確立して、それが事実であるということが分かれば、自分の息子、娘をはじめ家族を導くことができるのです。

 今まで宗教は、思想界も含めて、環境において習慣性で連結されてきた現在の文化の背景となったものを、全部消化できませんでした。なぜでしょうか? 永生という概念を確立できなかったからです。

 キリスト教も同様です。キリスト教も、今まで信仰をしてきたとしても、終わりの日になって、環境が変われば変わるほど、すべて混乱するようになります。なぜでしょうか?

 それは、永生という概念がないからです。永生問題について、自信がないのです。神様がいるのか、いないのかが分かりません。生命を懸けて環境を越えていくことができるのかといえば、皆その環境に合わせて、四方を見回しながら現在の生活の方便に従い、その道に陥って流されていっているのです。

 永生問題を知らなければならない理由は?

 信仰の道は、今生きている人生、すなわち肉身生活のためではなく、永遠の世界で生きるための準備である、という信念を持たなければなりません。人は四十歳を越え、五十歳を越え、年を取れば取るほど死が近づいてくるために、永生という概念について深刻になるのです。

 それゆえ、真なる宗教理念だけが、今後、世界を収拾することができるのです。邪悪な環境での乱れた変化が、どれほど頻繁に起こっているでしょうか? しかし、永生の概念さえ徹底していれば、頻繁に変わる環境を突破して越えていくことができるのです。いかなる場所でいかなる悲劇に直面しても、何ら問題になりません。

 神様は、真の愛の対象であるアダムとエバを、真の愛の道を通じて、真の愛のパートナーとして創られたのではありませんか? それは間違いありません。そのように創られたので、人間は真の愛の対象となって生きなければならないのです。それを言葉だけでなく、実感し、体恤しなければなりません。真の愛の力がどれほど偉大かということを感じるようになれば、「このような道を行かないように」と言われても、行くようになるのです。

 それゆえ、いつでも生活するときに力を注ぐべきことは、いかに永生の概念を持つかということです。それだけ持てば、すべて解決されるのです。青少年が永生の概念を深く理解すれば、心に強く響き、肉身まで同じ基準で一つになることができるのです。

 十六歳(数え年)以前は、アダムとエバが堕落する前なので、本性の基準が生きているため、本性の基準を百パーセント活用できるときです。それゆえ、青少年時代に神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避的な関係が分かるのです。その関係が、なぜ不可避かということを知るためには、永生の概念を知らなければならないのです。いつも、このことを考えなければなりません。

 一生と永生

 皆さんは、何歳まで生きられると思いますか? 皆さん全員、「七、八十年は生きるだろう」と、思っていませんか? それ以前に死ぬとは思わないことでしょう。

 自分が八十歳で死ぬとか、百歳になったら死ぬだろうと固く信じていたとしても、きょう、あす死ぬかも分からないのです。食事の途中に死ぬか、今夜、帰宅して眠っている間に死ぬかもしれません。皆さんは、「私は若いので、これから少なくとも四十年、五十年は生きる」という願いを持っていませんか? そのことを神様が保証してくださいますか?

 皆さんは、できるだけ早く、一年以内に死ぬものと考えてください。そのように考えて、できるだけ短く見積もるほど、損害を被らないで幸福に生きることができるのです。短い期間に誠を尽くして準備したとすれば、その内容が、自らの永遠の生命の土台になるのです。

 では、その短い期間に、神様を愛したことがあるでしょうか? 神様と一つになって神様と愛し合いたいのに、愛することができないのです。神様は、「愛しなさい」と言われます。この世に生きている間、二十四時間、精誠を尽くして、多くの人の中で一人でも多くの人を、神様の前に導いてください。そのように生きれば、それが永遠の生命の財産になります。

 では、皆さんは、何歳まで生きたいと思いますか? 神様の命令で、今すぐ死ぬ立場に出ていかなければならないとするならば、どのようにしますか? そうなったとすれば、何かを残すべきです。天が自分を称賛することのできる何かを残すべきですが、自信があるでしょうか? そのように考えれば、寝る時間が惜しく、食べる時間が惜しく思われるのです。心配する暇もありません。

 一生と永遠について考えてみるとき、その一生を短く考えるほど価値があるのです。個人、家庭、氏族をどれほど愛したことがありますか?

 どうして、個人、家庭、氏族を愛するのでしょうか? それらを愛することは、全人類を愛するための教材です。彼らを愛することは、全体を愛するための教材を愛することです。そうすることは絶対に、私たちの一生において、マイナスにならないことです。極めて知恵深い考えなのです。

 永遠の生命を追求する人間

 永遠の生命の世界を追求するのが、信仰生活です。信仰は、また永遠の神様の愛を追求します。永遠の生命と愛とを一致させるために、神様の喜びと自分の喜びが出合い、一つの喜びとして感じることができる帰着点を見いだすのが、信仰の道です。それで、信仰生活をする私たちは、どれほど前進的な愛と生命力を持って生きるかが、何よりも重要なことです。

 私たちが五官を通して感じる感覚の一切を統合して、生命と真の愛とどの程度の関係を結んで生きるかによって、人間としての価値が左右されるのです。それゆえ、私たち自身が生命力と真の愛の心を持ち、どのように対人関係を築いて社会生活をしてきたかという問題を、再び考えざるを得ないのです。もし、それができなかったとすれば、それは停止するか、後退することを知らなければなりません。

 人は一生だけでなく、永生するのです。今まで地球で、宗教はなくなることなく、文化の背景と風習が異なるあらゆる環境の中でも、世界的な版図を拡大させてきました。それは、人は一生が問題ではなく、永生しなければならないからです。

 人はこの時代でのみ生きるのではなく、宇宙とともに生活しなければなりません。人の一生は百年以内の短いものですが、それを最後として、すべてが終わってしまうのではありません。その限界線を克服すれば、地球村の生活を超え、超越した場で生存し続けることができるのです。

 そのような世界は厳然と実在します。もし、そのような世界がなかったとしても、今まで苦痛の中で呻吟しながら生きてきた人類に対して同情し、助けなければなりません。そのためには、仮想的な永生論を主張し、仮想的な神様を中心とした理想国家形態を考えなければならないのです。そのような面からも、宗教が必要です。

 しかし、仮想的に考えられた宗教理想であるということを知って、満足する人がいるでしょうか? 「実在する」と、断定できなければなりません。「実在する」というのは、自分が決めるのではありません。「実在する」ということは、永遠の昔から決められているのです。根本から「そうだ7」と言えるところまで、明らかにしなければならないのです。それで、皆さんの永生問題とともに、宗教問題を中心とした、神様の問題まで解決しなければなりません。このような諸般の問題が連結されています。

 永生すべき理由

 神様は、人をどのような存在として創られたのでしょうか? 神様の絶対、唯一の価値をもつ、真の愛の相対者として創られたのです。人間の生命の価値は、どれほどでしょうか? お金で計れるような無価値な人間ではありません。神様の前では、宇宙と取り替えることのできない高貴な価値を持っています。真の愛の相対圏として、男性を創られ、女性を創られたという驚くべき事実を知らなければなりません。

 人間は、真の愛から生まれ、真の愛によって生き、真の愛によって死んでいきます。しかし、ただ死んでいくのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一であられるので、その対象的な真の愛の立場に立つときには、永生するのです。永生という理論は、ここから出発するのです。生命から始まるのではありません。

 今日、この地上で本当に真なる人とは、どのような人でしょうか? 神様と内外共に一体となって、子女の立場で完全に真の愛を受けることのできる人です。そのような人々が、神様と共に暮らす生活が、真の人生です。

 人はだれもが最高を願っています。人間が最高の立場にいれば、神様は自分のものです。また、自分は神様のものです。そのようになれば、自分は神様の子女となり、神様ご自身と一つになることができるので、宇宙は自分のものとなります。

 では、神様が最も愛する、大切なものがあるとすれば、それを一日、あるいは十年、百年間、用いたのちに、投げ捨ててしまうように創られたのではありません。永遠に共にあるように創られたのです。人間も同様です。人間は生まれて死ねば、それで終わるのではなく永生するのです。何故、永生するのでしょうか? 人間は、絶対者であられる神様が、真の愛を中心として、喜びの対象として創られたからです。

 皆さんは、漠然とですが、永生を願っています。自分のところに貴い物があれば、避難するときにそれを持っていきます。そして、それを誇りにします。それを一日、二日誇って、やめるのではありません。自分が死ねば、それを後代に永遠に残すことを願います。

 それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であられれば、そのかたが愛される対象も永生しなければなりません。ですから、人々は昔から永生することを願うのです。それゆえ、絶対者であられる神様は、永生する価値を持った、愛する子女を捜さざるを得ないのです。

 私たち人間は、神様が創られた傑作品として、神様に似るように創られました。神様が永遠であられるため、私たちも永遠の性稟が必要です。それで、私たちの心は年を取らないのです。

 人間は永生してこそ、その傑作品としての存在価値を持つことができます。人間は霊的存在なので永生しなければなりません。

 創造主の永遠の愛のパートナー

 永生の論理をどこから探すことができるでしょうか? 神様は、知恵深いおかたです。もし、神様の愛の理念がなかったならば、神様は孤独なひとり身であり、喜怒哀楽を感じることができないでしょう。

 絶対的な愛を失われた神様は、歴史以来、だれも体験することのできない、深刻で、悲惨な立場に立っておられます。永遠に、だれも慰めることができません。本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足されるのではありません。ご自身の願いである真の愛の理想的パートナーを再現させて、彼らを抱き、あちこちと移動しながら、さらに輝くように着飾らせて、最高に美しくして誇りたいのです。万宇宙を彼らのために創られたのです。

 大気圏が絶対低気圧圏になれば、高気圧圏が生じて、自動的に循環運動が起こります。神様は、真の知恵の王様です。何故、投入して忘れなければならないのでしょうか? 自動的循環原理を通して、永遠の回転が始まるので、永生論理が設定されるのです。

 投入し、投入し、また投入するところに、永生の論理が展開されるのです。為に生きれば、滅びることはありません。小さいものから大きいものに成長して、大きいものがその次にはどこに行くかといえば、内に入って核となるのです。

 神様が絶対的な真の愛のパートナーを求めるとすれば、だれをパートナーにされるのでしょうか? それは、間違いなく人間です。それゆえ、「万物之衆、唯人最貴(万物の中でひとえに人間が最も尊い)」という言葉が出てきたのです。ここから、創造主の永遠なる真の愛のパートナーになったとき、そのパートナーは永生するという論理が出てくるのです。永生というのは、自動的な産物です。永生は、ここから始まるのです。

 真の愛の関係を中心として、永生論理をいかに確立するかという問題は、宗教で極めて大切なことです。男性、女性に永生があるのではありません。神様の真の愛に、永生があるという結論が出てくるのです。

 真の愛によってのみ救援が可能

 今日のキリスト教徒たちは、「イエスを信じれば永生する」と言います。言葉では、素晴らしいことです。それならば、なぜ永生するのかと尋ねれば、「そのようになっているのです」と言います。永生とは、作用が継続しなければなりません。その人生の道を永遠に行くことができなければならないのです。そのためには、心臓の動脈や静脈のような循環器官、神経系統、大脳、小脳のすべてが、正常に動かなければならないのです。そうするためには、莫大な消耗がなされます。

 なぜ永生するのかと尋ねられれば、皆さんは、どのように答えますか? イエス様を信じれば、永生し、救われますか? とんでもありません。真の愛によってのみ、救いを受けるのです。神様の創造原則から見れば、真なる人だけが神様の真の愛の同伴者です。真の愛を持てば、永遠に生きられるようになっています。真の愛の圏内に入れば、霊界や地上において、自分がどこで暮らすべきかすべて分かるようになります。

 皆さん、大洋を往来する大きな船に遭難する危険が生じれば、その船中で暮らしていたネズミが、全部ロープをつたって陸地へ逃げるという話を聞いたことがありますか? 微々たる存在に過ぎない動物でも、未来の生死を判断することを知っているのに、万物の霊長である人間は、そうではありません。

 これは、堕落のゆえです。この堕落の環境からどのように抜け出すかという問題は、すなわち悪魔の愛と生命と血統から、どのように解脱するかという問題です。「解脱」という言葉は、抜け出すということです。完全に抜け出して、関係のない立場、自主的な立場に立つという言葉です。

 永生に必要な観念

 自分は永生し、真の愛を実践する人です。自分がここで何かをしていても、工場で仕事をしていても、それは、永生を延長することのできる材料です。自分がする仕事は、永生のための訓練であり、その訓練の材料を生産するものであると考えなければなりません。皆さんに、永生と真の愛は、永遠に必要なのです。

 真の愛と直結している永生

 私たちは永遠、永生を願います7 永生を願うのですが、変わらないものは何でしょうか? 真の愛です。ほかのものは、皆変わります。環境的に変わるのです。それでは、何故、真の愛は変わらないのでしょうか? 真の愛は、すべての生命力の中心であるからです。

 また、真の愛は、理想的な要件の中心位置を占めているからです。中心は、その周囲がすべてなくならない限り、なくなりません。真の愛は、宇宙の中心であり、神様を中心とした真の愛と一致しているので、神様がとどまっておられる限り、残ることができるのです。

 真の愛とは何でしょうか? 皆さんが結婚するとき、結婚相手は自分より優れていることを願います。自分の子女が、自分より優れていることを願わない人がどこにいるでしょうか? それはだれに似たのでしょうか? 神様に似たのです。それはどういうことかといえば、神様も愛の相対は、自分より優れていることを願われるのです。

 絶対的な神様が人類の父であるなら、その父が絶対に行わないことを、その子女に必ず行うようにと命令することができるでしょうか? 命令することはできません。神様も真の愛の対象が、自分より優れていることを願われるという原則から見ると、人間の価値は最大です。真の愛を中心として、神様より貴い価値があるということです。それゆえ、皆さんの心は、最高のものを願うのです。

 真の愛によって永生が可能

 天上の高く貴い立場から、この宇宙を見つめ、管理、主導するようになっているのであって、ほかの何かに服従するようにはなっていません。皆さんの心は解放されています。だれの支配も受けたがりません。これは万人平等です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天国の宝座に自由に行くことができるのです。神様の友となれるのです。

 真の愛ゆえに、人間を創られたとき、永生される神様であられるので、その真の愛に一致した人間が永生するということは、自然な論理です。それゆえ、永生するためには、その真の愛の圏内で暮らさなければなりません。

 真の愛によって、永生が可能です。何故でしょうか? 創造の出発、動機、過程からすべての目的が、真の愛を中心として完成されるからです。過程を通じて結果が出てくるのです。

 自分の心と体の完成は、真の愛によって可能になるのです。無限の根本、原因から過程、それによって理想の実を結ぶものは、真の愛しかありません。真の愛によって、神様も永存されるのです。永生の環境をなすには、真の愛の環境を中心として生活しなければなりません。真の愛の実体圏は、真の愛を中心として、実体的に体恤しなければならないのです。

 神様・永生・真の愛を知るべき

 皆さんは、神様が霊界のどこにおられるかを、はっきりと知りません。皆さんは、神様の絶対的なセンター、愛のセンターという観念をはっきり知らなければなりません。その真の愛の力は、もっとも速い真の愛の力なのです。その真の愛は、直短距離を通ります。

 何故、文先生がこのようなことを教え、強調するのでしょうか? 神様を知り、永遠の世界を知っているからです。神様を知り、永遠の世界を知れば、自分勝手に生きることができません。

 第一に、神様を知らなければなりません。第二に、永生を知り、第三に、真の愛を知らなければなりません。百パーセント以上投入するところに、永生があります。真の愛を持たなければ、永生はありません。永生できない人は、神様に出会うことができません。

 今後、世界をどのように収拾するのでしょうか? 第一に利他主義、第二に真の愛、第三に永生です。これで世界が収拾されるのです。これの反対は、利己主義です。これはサタン側と通じるのです。

 真の愛は、自分の生命以上に投入しなければ生まれません。レバレンド・ムーンがアメリカに行って、生命と財産と統一教会のあらゆるものを投入し精誠を尽くしました。ここから、真の愛が成り立つのです。真の愛が成立しなければ、永生はあり得ないのです。

 何故でしょうか? 皆さんの悪の生命の起源は、サタンの血統です。サタンに属するのです。愛もサタンの愛です。

 ですから、聖書では「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ。これが第一の戒めである」とあります。この言葉は何でしょうか? 「心を尽くし、精神を尽くし」というのは、生命までささげなさいということです。これが第一の戒めです。

 第二の戒めは、「自分を愛するように隣り人を愛せよ」というものです。すなわち、生命を懸けて、真の愛で愛しなさいということです。生命を投入しなければならないということです。

 なぜ、生命を懸けなければならないのでしょうか? 生命を懸けなければ、第一に、サタンを屈伏させることができません。第二に、サタンの環境から抜け出すことができません。第三に、サタンの血統を断ち切ることができません。この三つです。サタンの環境は抜け出せるとしても、サタンの血統はどうすることもできません。真の愛は、生命を超越するものです。

 真の愛と関係した死後の世界

 神様には、時間という概念がありません。それは、永遠に終わりであると同時に、初めであるということです。過去も、現在も、未来も同じであるということです。そのようであったとしても、反発せずに作用を引き起こし、神様が安息することのできる土台とは何でしょうか?

 それは、神様の全知全能をもってしてもできません。神様の真の愛のみが可能なのです。神様も、「真の愛7」と言えば「そうだ7」と言うのです。それ以外は、神様にとって必要ないのです。

 私たちは、最終的にどこに行くのでしょうか? 霊界です。大概の人は、死後の世界であると言いますが、そうではありません。何故ならば、霊界は、真の愛と関係している世界だからです。真なる愛を中心として出発したものなので、自分が真なる愛の立場に立っているときは、そこがまさに霊界なのです。それゆえ、真の愛は偉大なのです。

 真の愛によって縦的な球形運動をすることによってのみ、上下、前後、左右が和合できます。縦横が和合できなければ、上下、前後、左右全体が和合できません。統一がなされません。真の愛によってのみ、統一が可能なのです。それゆえ、統一教会が真の愛を中心とした統一理想世界を論ずるのも、原理観に一致した結論です。

 神様が人間を導いてくださろうとするのです。神様も、真の愛を呼吸されます。神様も宇宙のリズムに合わせておられるので、真の愛を中心として宇宙が永遠に続くのです。真の愛があるところに永生があるのです。ですから皆さんも、そこまで行かなければなりません。そうしてこそ、神様の呼吸圏内に入っていくことができるのです。

 真の愛も息をします。宇宙の脈拍がそのようになっているので、男性も女性も、真の愛を好むのです。リズムが合ったときは、真に愛し合わなければなりません。すべてが、神様を中心とした一つの方向なのです。

 「祝福」の門を通過して天国へ

 霊界も肉界も、愛に従って動きます。縦的な真なる愛の主軸を中心として、環境的条件は自ら自動的にリズムを合わせるのです。

 過去の人も、現在の人も、永遠性を持つための資格は何でしょうか? 人間世界で必要とするあらゆる欲求の要因は何でしょうか? それは真の愛です。でたらめな愛ではなく、真の愛です。

 真の愛とは、縦横に通して九〇度どこに合わせても、角度が合わなければなりません。東洋の家、西洋の家、南の家、北の家、どんな家にも合い、五色人種、文化背景、各宗教の背景が違ったとしても、この道を共に行くことができてこそ、真の愛です。

 今日、この世の中には多くの人々が暮らしています。しかし、統一教会で言う「祝福」の意味を知っている人は、多くいません。「祝福」という言葉は、統一教会で始まったものであり、その「祝福」という言葉を中心として、今まで祝福結婚の行事をしてきました。

 これから、人類はどこに行くべきなのでしょうか? 全人類は「祝福」の門を通らなければ、天国に行くことができません。多くの人々はキリスト教を信じていますが、その人々も「祝福」という門を通らずには、天国に行くことができないのです。

 このようにいえば、キリスト教では、「統一教会のレバレンド・ムーンは、独善的な発言をする」と不平を言います。このように言う人もいるかもしれませんが、それはその人たちの言うことであって、統一教会でいう「祝福結婚」は、堕落した人類が必ず行かなければならない道なのです。どれほど反対したとしても、霊界と肉界を連結して、天国に入らなければなりません。重大な問題は、この「祝福結婚」というものです。

 今日、一般の宗教を信じる人は、「救い」というと、個人の救いを考えます。「良く信じれば、自分は天国に行く」と信じている立場です。しかし、本来の神様の理想から見ると、天国は一人で行くようにはなっていません。

 夫婦の霊人体

 私たちは、真の愛の理想を求めていく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、真の愛の理想をどれほど横的な世界に植えて、種として蒔くかが問題です。そこで真の愛の心で互いに授け受けしながら育つのです。

 このようにして、真の愛の実を結んで、その夫婦が霊界に行くとき、神様の永遠なる真の愛の圏内に抱かれ、神様と一つの体となります。

 人はこの地上で、肉身は老いていきますが、夫婦生活をして、真の愛で愛し合えば愛し合うほど、霊人体は若くなります。これはどのような話かといえば、人間は長く生きれば生きるほど、内的な人間である霊人体は、最高に円熟した美男、美女になるということです。肉身という殻は、古着のように脱がなければならないのに、これが老いずにいたならどうなるでしょうか?

 それで年を取れば、外側の殻は、すべてだめになりますが、内的な中身は堅くなって未来の相続者となり、美しい人間になるのです。秋に実る栗の実のようになります。

 結婚はなぜしなければならないか?

 神様を直接愛する前に、皆さんの目の前にある、食べる物、物質、万物を愛し、皆さんの体を愛さなければなりません。万物を愛し、その要素を吸収することによって、自分の体を愛するようになるのです。

 皆さんの第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母であり、第二の父母は地球です。この地上です。皆さんは、肉身が成長できるように、地上からその要素を供給されます。地上が肉身の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母のところに帰っていくのが「死」という過程です。

 第三の父母のところに行く場合は、そのままで行くのではありません。第三の父母のところに帰るためには、本来の父母であられる神様の姿に似なければなりません。

 したがって、なぜ結婚をするのかといえば、神様の姿に似るためです。神様は、二性性相の二性が、合体した一体的な存在であられます。その神様の分性的人格自体が男性と女性であるので、彼らが合性一体化して種のようになって、神様の本性の立場に帰らなければならないのです。

 しかし、その種を連結させるためには、真の愛の道理である結婚を通じなければなりません。生まれるときも、成長するときにも、生活するときも、真の愛を中心として生き、どこへ行くとしても、真の愛に帰るために行かなければならないのです。

 真の愛のために結婚を願うのでなければ、永生の方向が違ってくるようになるということを、皆さんは知らなければなりません。

 真の父母から始まる祝福と永生

 祝福結婚と永生は、真の父母から始まります。真の父母と真の愛で一体となることは、個人、家庭、国家、世界、天宙が完成し、神様の創造理想が完結することです。真の父母が生まれた所が人類の祖国となり、地上天国と天上天国の出発地となり、神様の全権時代を迎えるようになります。

 ですから滅びることはなく、全盛時代へと発展するのです。大韓民国の民は「訓読会」を通して、真の父母と超国家的に一体となって、万国の勝利圏を備え、万国の祖国にならなければなりません。アーメン。

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人間の行くべき生涯路程

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「人間の行くべき生涯路程」

(99.01.17 真の家庭世界化前進大会)



 高名なる紳士淑女の皆様、きょう「人間の行くべき生涯路程」という主題で進められるこの大会に、ご来場くださり、心より感謝申し上げます。

 今、全世界は大混乱の中で呻吟しています。個人においては心身の紛争、家庭では青少年の淪落と家庭破綻、国家と世界においては不信と戦争が絶え間なく続いています。これらの諸般の問題は、神人愛一体理想を知ることによって克服することができるのです。

 神様が人間を創造された目的

 人間はなぜ生まれたのかという問題は、人類が歴史的に追究してきた根本的な問題です。ある人は自分の国のために生まれたと考え、ある人は自分の父母のために生まれたと考えます。あるいは、自分自身のために生まれたと考える人や、神様のために生まれたと考える信仰者もいます。

 しかし、神様が宇宙を創造された目的が人間だけのためであるとか、神様ご自身だけのためであるという論理は成立し難いのです。人間が造られる過程に連結されたさまざまな目的、すなわち神様が人間を創造された目的や、天使が人間創造に協助した目的、万物が人間に投入された目的、人間が生まれたこと自体の目的などが、互いに異なってはならないのです。全体がみな喜ばなければなりません。人間創造に関連した神様も喜ばれ、天使も喜び、万物も喜び、人間自体も喜ぶことのできる、そのような共通の内容でなければなりません。

 それは持てば持つほどうれしく、一度持てば永遠に手放したくない、そのような何かです。それは外的な内容ではなく極めて内的なものであり、目に見えないものなのです。知識やお金や権力のようなものは、人間が生きていくのに必要な付帯条件にすぎません。そのようなものはすべて人間のためにあるものなので、人間に所有する権限があるのは当然のことです。ですから、そのようなものを所有するために生まれたとは考えることができません。すべて流れていくものです。そのようなものは自分と一時的な相対関係を結ぶことはできるかもしれませんが、永遠の相対関係を結ぶことはできないのです。

 さらには、神様はお金が必要ではありません。全能なおかたなので、お金はいくらでも作ることができます。神様は万物を造られるとき、原理原則を通して創造されたがゆえに知識の根本でもあられます。そして神様ご自身は、創造主として権力の主体であられるがゆえに、権力も必要ありません。

 それは、人間の努力だけで追究できるものではありません。人間の努力では生命の根源を支配することはできません。自分の生命の動機や過程、そしてその生命の終末まで動かし得る、そのような何かでなければならないのです。

 このように見るとき、真の愛しかありません。人間は愛で生まれ、愛の道を行かなければならないのです。そして死ぬときも愛のために死ななければなりません。ですから、私たちの人生を見るとき、生命よりも愛がさらに貴く、愛が生命よりも先なのです。したがって愛のためには生命まで喜んでささげるのです。

 愛は永遠です。小説や詩のような文学作品を見ても、「不変の愛」「永遠なる私のあなた」という表現が多く見られます。これは、私たちが瞬間的な愛、限られた時間内の愛を願うのではなく、永遠な愛を願っているということなのです。

 愛は神様も微動だにできなくさせる権威を持っています。神様も愛には弱いのです。全能なる神様も人間の愛の香りをかがれれば、満面に笑みを浮かべられるのです。神様も愛の話が好きです。話だけでも喜ばれるのに、実際に愛し合えばどれほど喜ばれることでしょうか。

 私たちの体のさまざまな器官も、愛という一つの目的を中心に生まれました。目は見るために生まれました。どのようなものを見るためかというと、共同のテーマである愛を探すために生まれたのです。においをかぐために生まれた鼻も、においの中でも愛の香りをかぐために生まれたのです。耳も愛の声を聞くために生まれました。私たちが聞く言葉の中で、いくら聞いても嫌気がせず、うれしいのは「愛している」という言葉です。これは若者も老人も同じなのです。

 真の愛は宇宙創造の起源

 したがって、あらゆる存在が共に皆、喜ぶことのできるテーマは、愛以外にはないのです。その愛とは、大宇宙が歓迎することのできる真の愛です。神様も、天使世界も、万物も、そしてすべての人が公認できる、そのような愛なのです。愛というふろしきを持ってきてかぶせておけば、皆その中から抜け出そうとはしません。このような点から見るとき、宇宙創造の起源や生命の発源地とは、正に真の愛なのです。

 人間が宇宙を愛する境地に入れば、宇宙のすべての門が開くのを経験することができます。また、自分が今この空間で極めて小さな存在であるとしても、愛を中心としては極めて大きな存在と共同的で共通的な、そして同等かつ対等な相対的権限を持つようになります。その極めて大きな存在が絶対的な神様であられるならば、私は愛の権威によってその絶対的な神様の相対的な立場にまで上がることができるのです。神様の属性が愛であるからです。したがって神様の愛の公約を立てておいて、その公約の中に存在するようになれば、宇宙のどこに行っても自由です。

 神様の愛に酔えば、一粒の砂を千年間、見つめていても飽きないのです。自分の手を見詰めれば、自分の手から光が出ることが分かります。夜、一人で横たわっていると、暗い夜であっても、自分が黄金の板に横たわって黄金の光を発して寝ていると感じるようになります。夢のような話です。そのようになれば丘に上がっても万物が喊声をもって歓迎するのを感じることができます。皆さんもこのような経験をしたことがありますか?

 私たちが、自分が愛の宇宙の中に生まれたと考えれば、無限に幸福に感じられるだけでなく、世の中に「我を見よ」と自慢することができるのです。神様が実験室で研究しているとき、最も理想的で、爆発的な発見があったとすれば、それは正に「私」だったというのです。このような観点から、神様の愛の相対的立場として造られた自分自身を破綻させることは、罪の中の罪であり、これを愛して保護することは善の中の善であるという結論が出てきます。それゆえに自殺することは最も大きな罪になります。宇宙を破綻させる行動です。

 監獄に入って、拷問で血を吐く立場に立ったとしても、神様が抱いてくださる愛のみ手を感じれば、それがかえって骨髄にまでしみる愛で神様が抱かれることのできる一つの条件になるのです。このように考えるとき、死の環境も幸福な立場であると考えて行くことができるのです。

 このようなことを考えるとき、男性でも女性でも、愛の力の中にいる人は強いのです。国や世界を与えても変化させることができません。そのような人の前にはサタンも屈伏せざるを得ないという驚くべき結果が現れます。

 したがって、この宇宙愛を中心として神様が人間を代表して呼ばれるとするなら、そのかたが正にメシヤです。イエス様がその代表者なのです。メシヤを通さなくては宇宙愛を見いだすことができません。ですから、万民はその後について行かなければならないという論理が成立するのです。イエス様が「私は道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ一四・6)と言われましたが、ここに愛という言葉を一つ加えなければなりません。「わたしは道であり、真理であり、命であり、愛である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と言えば、論理がもっとはっきりとするのです。

 私たち人間は父母の愛の中で生まれました。その父母の愛のいちばん中心の主人として生まれたのです。したがって両親は、「私」一人をつくり出すために愛し合ったという結論が出てきます。

 ですから、両親に対して同等な立場で権利を主張することができるのです。「お父さん、お母さんは私がいなければ不幸です。私がいてこそ幸福でしょう」と言うとき、お父さん、お母さんは「そのとおりだ」と言います。また「私」も両親がいなければ不幸なのです。なぜなら、父母が原因で「私」は結果であるからです。父母と自分は愛を中心として一つです。原因と結果が一つになって一つの愛の実体圏を成すのです。これが宇宙の道理です。

 統一教会の原理では、主体と対象が一つになるところから力が出てくるといいます。したがって原因である両親と自分が一つになれば、主体と対象が一つになって一体となるがゆえに、新しい対象となり、より大きな主体と一つになることができます。神様がその主体であられるならば、その神様と一つになります。すなわち神様の理想的な愛を中心として神様と完全な主体対象関係を成すならば、神様と人間は完全に一つになります。神様と人間の愛の圏が成されれば、宇宙にはいつも明るい太陽のような愛の光が発せられるのです。

 自分はお父さんとお母さんの二つの生命が一つに結合した生命の連結体であるだけでなく、父母の愛の同参者として父母の愛と一体です。さらには自分は父母の理想とも一体です。理想には幸福や平和などのすべてが入ります。父母にとって、自分が世の中で成功したときの喜びがいくら大きかったとしても、失った子供に出会ったときの喜びとは比較になりません。ですから子供は父母の最高の理想と一体なのです。

 自分にはお父さん、お母さんの生命の綱、愛の綱、理想の綱が連結されていますが、この綱はだれも切ることができません。神様も切ることができず、宇宙も切ることはできません。むしろ宇宙のすべての力がそれを擁護しようとするのです。

 したがって私がどこに行っても、お父さん、お母さんがついてくるようになります。霊界でまでも、お父さん、お母さんはいつも共にいようとするのです。ですからお父さん、お母さんが同行することを嫌うのは最も大きな罪です。この宇宙を破綻させる破壊行為なのです。父母を連れて行くことを嫌うのは、すでにその人が原則から離れて堕落していくということを意味します。

 したがって父母を自分の体のように考え、愛し、父母に孝行することが人間にとって最高に価値あることです。「円満な家庭に福が来る」という言葉も、みなそこから来るのです。反面、父母が離婚することは、刀で子供を半分に切ることと同じです。それは宇宙の公法が許しません。これに逆らう父母は、どこに行っても禍を受け、不幸がついて回ります。幸福になることはできないのです。

 物質世界・父母・神様は三大父母

 「私」は三大父母を通じて生まれました。最初の父母は物質世界です。物質の世界からすべての要素を受け継いで、物質の中心として、物質の複合的な存在として「私」は造られました。このような観点から、その物質元素自体が「私」を生んでくれた先祖であり、また自分の延長が物質世界でもあります。この物質は、愛の理想の位置においてのみ安着するように宇宙はできています。愛の理想の位置ですべての細胞が安らかに生きられるようになっています。もし腹を立てれば、すべてこじれてしまいます。

 次に、自分の体を生んでくれた父母が二番目の父母です。生んでくれた父母が、「私」が一つの形態を備えて生まれてくることができるようにしました。しかしこの父母は、どれほど頑張っても愛の主人になることはできません。「私」の生命の主人にはなれますが、愛の主人にはなれないのです。

 愛の主人は神様です。愛を宇宙化させて、愛を永遠化させるために神様がいらっしゃるのです。神様は愛の主体であられるので、愛を中心として父母になっています。ですから、神様が私たちの第三の父母です。このように私たちは三大父母を持っているのです。

 私たち人間の一生を見てみると、腹中時代十か月、肉身時代百年、そして霊魂時代千年万年を永遠に生きていきます。

 私たちの顔を見れば目、鼻、口の三段階になっていますが、これは人間が生きてゆく三時代の姿を見せているのです。口は物質世界である腹中時代を象徴し、鼻は人の世界である地上時代を、目は霊界である天上時代を表します。

 赤ん坊が育つ、お母さんのおなかの羊水の中は、赤ん坊には正に自由天地です。お母さんのおなかの中ではいつも背中を曲げていなければならず、勝手に足を伸ばすこともできず、鼻も口もふさがっているのですが、ここが赤ん坊には自由天地なのです。赤ん坊に必要なすべてのものを供給するパイプがへそについていて、へそでだけ息をしなければなりませんが、そのような世界が赤ん坊には自由天地です。

 赤ん坊がおなかの中から生まれるとき、「私は世の中に出て、蜂蜜も、餅も、ご飯も口で食べる」と考えるでしょうか。むしろ、そのおなかの中から外に出てしまうと思って「ああ、出てしまわなければいい」と言うのです。しかし、「出ない」と言っても、時が来れば皆、道が開かれて出るようになるのです。水(羊水)が流れ出れば、それに従って外に出るようになりますが、そのようにして生まれるのを安産といいます。

 「私」は父母の愛の結実

 赤ん坊は生まれた瞬間、泣くのと同時に鼻の穴を通して息をするようになり、第二の世界、すなわち空気世界に連結されます。

 おなかの中から空気世界に連結されて出てくるときには、腹中世界で暮らしたへその緒と羊水の膜を破壊して出てこなければなりません。それらの死(破壊)と同時に地球星のお母さんから生まれるのです。生まれてからは、口で食べて鼻で息をするのです。

 しかし、地上で食べる食べ物は肉身が生きるのに必要な栄養分であり、本質的な生命要素ではありません。生命要素は、正に愛です。したがってこの世の中で、さらに愛という空気も吸わなければなりません。お父さん、お母さんから、愛の空気を吸わなければならないのです。

 赤ん坊が生まれると、お母さんの愛の電波を追って自動的に乳首を探しにいきます。醜女である、美女であるということに関係なく、お母さんであればいいのです。これこそ創造の妙味であり、神聖な姿なのです。人は愛で生まれ、愛を受けながら成長します。このような立場で見るとき「私」というものは、父母の愛の実です。お父さん、お母さんの愛のかたちが実際の実として現れたのが「私」なのです。愛の実であるがゆえに、父母は「私」を愛さなければなりません。この実を通して無限な愛が再び実を結びます。個人的な愛、家庭的な愛、氏族的な愛、民族的な愛、世界的な愛、宇宙的な愛、そして本質的な神様の愛まで連結することのできる道がここにあるのです。

 出生後、肉身時代には、生んでくれた父母が「私」を正しい人に育てるのです。世界と国と家庭を代表し、父母がすべてを教えて供給してくれます。私たちが父母から物質を供給され、教育を受けて、個体として完成すれば、愛を中心とした横的な基盤に連結させなければなりません。それが結婚です。父母は結婚するまで責任を持つのです。結婚して、お父さん、お母さんが愛してきたものを引き継ぎます。父母が「私」を生んでどれほど愛したかを、自分が結婚して子供を生んで育ててみることによって知るようになり、その愛を引き継ぐのです。そうすることによって自分は愛を完全に受けることができ、与えることができる人になります。そして、完全な一人の男性、女性として成熟するのです。

 父母の縦的な愛で生まれて、成熟し、横的に愛するようになってはじめて、総合的な愛の圏を見いだすことができます。天地は球形世界であるがゆえに、縦横と上下、左右、前後の愛が連結されてこそ、それが授受しながら回り、すべてが総合されて一つの調和のセンターとして現れます。したがって、天地の縦的愛が内外に軸としてしっかりと定まれば、その次には横的な愛が必要なので、思春期というものがあるのです。

 思春期には、秋風に吹き飛ばされる落ち葉を見るだけでも、「美しい」と言うのです。思春期には、乞食が訪ねてきて物乞いの歌を歌っても、「あ7 また来た。またやってる」と言って喜びます。そのように四方に拡大されるのです。

 ですから、おとなしくしていた娘たちも髪の手入れや化粧をし、しきりに体に何かを塗るようになります。欲も深くなってくるのです。それが愛の横的な現象です。

 したがって、人生行路は旅路ですが、ここで備えるべきことは縦横の愛を体恤していくことです。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子・娘の愛を中心とした家庭を築いた後、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を広げておかなければなりません。そして、彼らが縦横を連結させることのできる真の家庭の形態を成し、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏で神様と連結されるようになるとき、真の愛で連結されたその世界を天国というのです。

 夫婦が愛し合うということは、神様を植えることです。本来、父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は互いに他の一方の神様になります。そして息子・娘はまた一つの小さな神様です。神様は真の愛の本体であられるので、真の愛と連結されれば皆、同じ体になります。父母は神様を代身する生きている神様であり、夫婦も神様を代身し、子女も神様を代身します。このように、三代が真の愛を中心として神様の立場を代身するのです。

 それゆえに、父母も、夫婦も、子女も真の愛を必要とします。このように真の愛を中心に成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を成さずには、天国が実現しません。これが公式です。家庭とは、すべての宇宙、現実世界の中心です。今日、人々は自分の家庭が国と世界と宇宙を代表した家庭であることを知らずにいます。中心としての家庭であるということを知らずにいるのです。ですから家庭を破綻させることは、国と、世界と、宇宙に対する反抗になります。

 家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛せば、どこでも通過することができます。この場合、神様は宇宙全体の父母として愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。

 真の愛を中心とした家庭が行くべき道

 真の愛を中心として男性と女性が一つになって理想的な夫婦となり家庭を築けば、彼らは神様を代身する立場に立つようになり、宇宙のすべてのものに連結されます。そのようになるとき、神様のすべてのものが自分のものになるのです。どれほど幸福な立場でしょうか。ですから私たちには、万物を征服したいという心があるのです。

 男性と女性が一つになって、家庭、社会、国家、世界を形成しています。ですから男女が中心になって築いた家庭は氏族のモデルにならなければならず、氏族は国家のモデルにならなければなりません。私たちの家庭が行くべき道とは、理想的な家庭と氏族と国を復帰していくことです。したがって理想的な国が出てくるためには、理想的な家庭がなくてはなりません。

 真の愛が偉大な理由は、真の愛で神様の対象になることができ、神様が「私」自身になることができるからです。聖書にも「神様が自分の中にあり、イエスが自分の中にある」という内容があります。父が息子の中に、孫がおじいさんの中に、おじいさんが孫の中にあるという言葉はここから生じた言葉だと思います。

 おじいさん、おばあさんは孫を中心として情を結ばなければなりません。そのようになってこそ、愛の垂直線が始まります。また孫は、おじいさん、おばあさんと一つにならなければならないのです。おじいさん、おばあさんは神様と同じ立場であるので、神様のように侍らなければなりません。そうしなければ縦的な愛の軸を探すことができません。それを立てた後に、横が生じるのです。横的なものは四方に連結されますが、縦的なものはただ一つの方向です。横的なものは東西南北、三六〇度に動くことができますが、縦的なものは一点で動くことはできますが、分離することはできないのです。

 ですから愛を中心として、まず体と心を一つにしなければなりません。次に、神様を中心とした縦的な世界である霊界を愛することができなければなりません。そして未来に中心国家が現れれば、その国を中心として全世界の人類を愛さなければならないのです。したがって真の愛を中心として、犠牲、奉仕、献身の道を通じ、霊界と全世界の人類を愛する生活をすれば、人間は自動的に中心的存在になって二つの世界を主管し、一つの世界をつくることができます。そうすれば、神様もそこに臨在なさるようになるのです。

 全霊界と全宇宙が一つになっているものを天宙と言いますが、すべての霊界と宇宙は真の愛を中心として、この天宙が一つに統一されることを願います。天宙を統一することができるのも、全体の家庭を理想化させて一つにすることができるのも真の愛です。それで今日、人間が地上に暮らすときにも、永遠の生活をする霊界に入っても、絶対に必要なものは真の愛しかないという結論が出てきます。

 真の愛は、人間や霊界だけでなく、すべてが好むものです。ですから、動物も植物も真の愛を持った人を好んで、彼を主人として迎えようとします。いかなる存在でも真の愛を中心とした人と一つになろうとします。被造世界のあらゆる存在は、真の愛を持って生きる男性・女性の前に近づこうとして、彼とともに生き、彼により主管されることを理想とするのです。したがって、この世の中でいちばん貴いものとは、真の愛を持った男性と女性、すなわち真の人という結論が出てきます。

 人間には翼がないので、どのような昆虫や鳥よりも遠くに飛び、どのような飛行機よりも速く地球を回るということは、実体である肉身ではできません。どれほど跳ねても、ほとんど飛べないのです。人は、万物の霊長として神様と対等な相対的立場にあります。ですから、一秒間に三〇万キロメートルを進む電気や光よりも速い作用ができなければなりません。それを可能にするのが霊人体です。今、私はソウルにいますが、霊人体はさっとニューヨークに行ってこれます。稲妻よりも速いのです。そのように、思いに歩調を合わせて作用することができるのが霊人体です。

 しかし、世の中でいちばん速いのは愛の作用です。世の中でいちばん速度が速いのは電波ではありません。世の中でいちばん速く、高く飛ぶことができる力を持ったものは愛です。こちら地の果てとあちら地の果てにいる人間同士が愛し合うようになれば、その地の果てを越えて引っ張り合うのです。愛はそのような力を持っています。

 真の愛を体験した人は、神様の本来の理想的な世界では神様が願うことすべてのことを即座に所有できる能力と権限を持ちます。

 そのような資格は地上で成し遂げなければなりません。霊人体を中心として肉身が一つになる過程で、神様の愛の接続点が真の家庭で成されてこそ、そのような立場に進むことができるからです。神様の真の愛は、同胞を愛し、世界の人を愛し、万物を愛することによって感じることができます。どの国の人でも五色人種を愛する心を持たなければなりません。人だけでなくて、虫けらのような微々たるものまでも愛することができる、そのような心を持たなければなりません。自動的にそれがわき上がってこなければならないのです。花が咲けば、その美しい色や香りは自然に出てきます。それと同様に、愛の花が咲かなければならず、愛の香りが自動的に宿らなければならないのです。

 そのようにするためには、その愛の花を咲かせることのできる栄養素を受けなければなりません。植物が地と太陽から栄養素を受けるのと同様に、私たちも肉身と霊人体を通じて栄養素を受けます。肉身を通じて生力要素を受け、その次には霊人体を通じて生霊要素を受けるのです。 そのようになることによって、自分が愛の完備体になって、どこにでも飛んで行くことができます。そのようになれば、太陽系などすべての大宇宙世界は、全部自分の活動舞台になるのです。

 霊界は愛を中心とした世界

 人間が肉身生活を終えた後には、第二の出生をします。これが死です。第二の出生をする所、死んで行く世界が正に霊界です。その世界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表した真の愛が供給されます。理想的な真の愛が供給されるのです。ですから霊界では、統一が成されざるを得ません。

 死ぬ瞬間から第二の空気世界を蹴飛ばして、新しい第三の愛の呼吸器官に連結されなければなりません。父母の愛、兄弟の愛を蹴飛ばして霊界に入って、結局は大宇宙の神様の本体に化す真の愛の世界に入ります。種が本体から出てきたので、結果を結んで、また本体に戻らなければならないのです。

 霊界は愛の空気でできている世界です。愛の空気で満たされています。ですから私たちは、この地上世界にいるときから愛の息をすることのできる、もう一つのパイプ装置を準備しなければなりません。そして霊界を体験し、霊的な愛を感じて呼吸できる人になってこそ、霊界で死なないのです。

 霊界は愛を呼吸し、愛を中心として暮らす世界です。したがって完全な真の愛の人格を成し遂げることができなければ、往来する道が制限され、四方に通じません。門を通過するとき、一つの門だけを通らなければならないのと同じことです。春夏秋冬のいつでも、どこにでも合わせて暮らすことのできる資格を備えようとするなら、完全な真の愛の人格を具備しなければなりません。ですから三時代を経るように人間を造られたのです。

 トンボも、幼虫は水の中で泳ぎ回り、地上に上がってきてしばらくはい回ります。その後、軽やかに飛び回り、陸地では食べるとは思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。このように、昆虫類の中には翼を持って三段階世界を経るものが多いのです。昆虫もこのように水と陸地での生を経て空中で暮らしますが、万物の霊長である私たち人間は、もっと次元の高い翼を持っているのです。

 私たちは神様の代わりに愛で生まれ、愛で生きながら息子・娘を生んで、愛の目的地に到達して、永遠に神様とともに生きるために神様の所に帰るのです。すなわち私たちの一生とは、愛で始まり、愛で成熟して、愛の実として収められるのです。人が死ぬということは、愛の実を収めることです。

 私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を交わし、子女を愛することによって、内的な愛の世界にまかれた神様の愛のすべてを、私が一生をかけて実を結んで収め、あの世に行くのです。したがって、私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。夫婦が一つになってこのような三段階の愛を完全に成して霊界に行くようになれば、永遠の主体であられる神様の前に、永遠に相対的な神様になるのです。真の愛を中心とした夫婦が死ねば、そのようになります。ですから、神様で始まって神様で締めくくるのです。

 人間が死ななければならない理由は、体を持っていては制限された愛でしか愛することができないからです。無限大の神様の真の愛の対象的実権を持って現れようとするなら、制限された肉身だけではできないのです。ですから無形の霊にならざるを得ません。

 さらに、真の愛の理想を全天地とともに同一化するためです。ですから、死は苦痛の道ではなく、宇宙的な真の愛を所有することのできる幸福の門を開ける時間なのです。

 死ぬということは、はって、歩き回る陸地の世界から、軽やかに飛び回って暮らすことのできる世界に移ることです。全宇宙を自分の舞台にして、真の愛で楽しむことのできる旅行の資格者になり、そのような世界に入門するために死の道を行くのです。ですから、死ぬことは正に新しく生まれることなのです。

 私たちははじめ、お母さんの胎内にいました。その胎が私たちを育てたふろしきです。そのふろしきの中から出てくるとき、蹴飛ばして破ってしまって生まれるのと同様に、私たちの霊人体に対して肉身はふろしきのようなものなので、これを切ってしまって飛んで行くのです。したがって人間は、結局、水の世界、陸地の世界、空中の光の世界を経て、永遠なる真の愛の世界で暮らすようになります。

 霊界では生命の要素が愛であるので、愛を通じた命令にはすべて不可能がなく、即刻、成就します。そこでは億万人が一度に夕食を食べるとしても、それだけの食べ物を準備して、一瞬のうちに宴会をすることができます。そのとき参列する貴賓たちが皆、王子、王女になりたいと思えば、本物の王子、王女になるのです。それが可能なのです。

 皆さん、そのようなことを理解するなら、この地上で暮らしたいでしょうか、あの世に行きたいでしょうか? 腹中にいるときは、「腹中がいちばんいい」と言い、腹中でただ足でおなかを蹴りながら暮らします。途中で引き出せば嫌だと言うでしょう。そしてお母さんのおなかの中から外に出るときは、死んでから目覚めるのです。地上での死というものも、死んでから目覚めるのと同じ作用です。したがって死とは、まさに第二のお産なのです。

 ご来場の皆様!

 今日のひとときを生きていく私たちの人生は平坦な道ではありません。それは人間が堕落したからです。

 私たち人間は堕落の因縁を持って生まれたがゆえに、その堕落によって生じた怨恨の過程を必ずいつかは乗り越えなければならない運命を持って生まれました。数千、数万年の歴史過程を経てでもそれを越えなければ、その恨の道は私たちの前に永遠に残るようになるのです。

 エデンの園でアダムとエバが堕落したその瞬間から、私たち人間は不幸の要件を持って出発しました。ですから、人類が幸福の世界に戻るためには、必ず不幸の世界を退けて進まなければなりません。そうしなければだれも幸福な世界に戻ることができません。

 人類始祖が堕落したことによって人間だけが不幸になったのではなく、神様までも共に不幸になりました。私たち人間が生涯をささげて生きていく一つの目的は、理想世界の実現だけではありません。それよりまず、生命の根源であられる神様に積もっている悲しみと悲痛さをどのように打開するかということが、私たちの生涯の目的です。したがって、人類が幸福な所を訪ねるとき、神様も幸福になられるのです。このように神様と人間は同じ立場に立って一つの目的を指向して、歴史過程を経ながら今まで歩んで来ました。

 神様はアダムとエバを失うことによって、険しい道のうちで最も険しく、世の中のだれも願わない、行きたがらない道を歩んでこられたのです。人間もまた、堕落で残された、この避けることのできない運命の道を、救いの一日を願ってやってきたのです。

 神様に対して人間は、「そのかたの息子・娘になりたい」ということが最高の願いです。なぜなら、父母と最も近い立場は父子関係であるからです。
「私」という人は父母の愛と生命が集中した、父母の理想を代身した立場に生まれました。ところが愛とか理想とかいう言葉は、一人について言う言葉ではありません。生命も一人で独断的に出てくるのではなく、連結された立場で出てくるのです。したがって神様が人をお造りになるとき、神様の真の愛と生命と理想の対象として造られたのです。これは驚くべき、偉大なことです。

 「私」がいなければ、父母の愛は現れることができません。父母の愛と生命と理想は「私」と関係しているのです。「私」は父母の愛と生命と理想の結実体です。ですから、息子の立場は最高に価値のある立場です。神様と人類は父子の関係であるからです。

 救援摂理の完成

 父母と「私」が一つの位置から共に出発したという事実は驚くべきことです。父母の愛は「私」の愛であり、父母の生命は「私」の生命であり、父母の理想は「私」の理想として決定づけることができるのです。ですから父母は子女を見つめるとき、この子は自分の愛する息子・娘であると言います。この子は自分の愛と、自分の生命と、自分の理想の実体だということを、父母は感じて悟り知っています。愛する息子・娘は一日会わないだけでも、会いたく、今見てもまたすぐ見たいというようなものなのです。それはいくら離そうとしても離すことができない、骨の中の骨であり、肉の中の肉です。いなければ死んでしまうくらい、そこにはすべての理想がつながっているのです。

 今日、堕落によって、真なる愛と、真なる生命と、真なる理想を持てない人間世界に生まれた父母でも、そのように子供を愛するのです。ましてや、そのような父母の主体であられる神様は、それ以上なのです。

 本来、堕落前のアダムとエバは、神様の直系の息子・娘として神様の血筋を引く者です。アダムとエバは天上天国と地上天国を受け継ぐことのできる王子・王女だったのです。王子・王女であると同時に、無形の神様であられ、主体であられる神様の前に対象として造られた存在であるがゆえに、神様の前に愛を受けることのできる実体であり、無形の神様が実体として顕現したものです。

 神様の息子の特権は、そのかたは自分のものであり、そのかたが持っているすべても自分のものであるというものです。神様の愛、生命、理想までも自分のものです。このように驚くべき偉大な本然の価値を、人間は再び回復しなければなりません。

 したがって神様が真の愛の主体であられ永生されるなら、その真の愛の相対も永生しなければなりません。神様の愛と一つになれば、神様が自分になるのです。

 堕落していないアダムとエバの体は、神様が住まわれることのできる家です。アダムとエバが神様を心の中心として、真の愛で永遠に統一された愛の体、生命体、血統体になっていたならば、今日私たちの心と体は闘わなかったはずです。

 堕落とは悪魔の愛を中心とし、悪魔の生命体と血筋を受け継いだことです。偽りの父母から生まれたのです。ですから、この血筋を改造しなければなりません。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に改造しなければならないのです。そうするためには接ぎ木をして三代以上を経て、そこで結ばれる実が真のオリーブの木になって、本然の基準の代わりとなります。そのとき、初めて堕落した人間が本然の人間に復帰され、救いの摂理の完成がなされるのです。

 このように神様と一致した愛を中心として、善なる父母の息子・娘になるようにするために、神様がこの地上に救世主を真の父母として送られるのです。救世主は人類の血統を清め、本然の創造理想を実現するために来られるおかたです。

 私たち人間はだれでも最高になりたいし、神様の息子・娘になって、神様の王子・王女として王圏を受け継ぐことのできる相続者になりたいという本然の欲望があります。しかし、異なった血筋を受け継いだがゆえに、生まれながらも嘆き、生きながらも嘆き、死にながらも嘆くのです。「人生は苦海である」という言葉がここから出てきたのです。

 ですから、自分の心と体の闘いをどのように中止させ一つに統一するか、という問題が重要です。自分の心と体を一つにできなければ、南北統一も、世界統一も、霊界統一も自分とは何ら関係がなくなります。

 主体と対象は対応的な関係を結んだ後には、より大きいものを中心として一つにならなければなりません。男性と女性が対応して一つになった後、より大きいプラスやマイナスになって、国の前に忠臣にならなければなりません。そして、これが再びプラスやマイナスとして世界的次元で聖人の道理に接ぎ木されなければならず、聖人の道理が再びプラスやマイナスになって、天宙的次元で聖子の道理に接ぎ木されなければなりません。そのように聖子の道理を備えてこそ、神様に接ぎ木することができるのです。

 ところが、私たちは発展を願い、大きいものを願い、高いものを願うというこのような原則において、自分が行くべき道が運命的に横たわっているにもかかわらず、その道を知らずにいます。本然的な天道の動きに対する対応的な反射として自分の心の欲望は作用していますが、その成就の道を知らずにいるために、人生は塗炭の苦しみの中で呻吟しているのです。その道を捜すために多くの努力をしても捜すことができないので、世の終わりの日になれば、自殺がだんだん増えていくのです。私たちは何としてもこれを克服する道を求めなければなりません。

 人類は世界の舞台で一番となることを願う前に、まず本然的アダムとエバの家庭で一番になるべきです。アダムとエバが神様の前に直系の王子と王女の立場を備えるようになれば、彼らは男性として最高であり、女性として最高になります。しかし彼らが堕落したことによって、彼らが占めるべき長子権の王子、長子権の王女の立場を失ったのです。これが人類歴史に恨として残りました。それで、人類は神様の真の愛を再び捜そうと、最初の息子と最初の娘の立場を捜していく人生の道を歩んできたのです。

 そのような世界の愛を受けるためには自己中心に生きるのではなく、神様を第一にして、兄弟である人類を主にして生きなければなりません。お父さん、お母さんに代わって兄弟のために最も多く血と汗を流して長く耐えて克服した真の人であればあるほど、深く、広く、高い愛を受けるのです。そのような息子になり、娘になってこそ、お父さん、お母さんの全体を相続することができます。この道は男性も女性も皆行かなければなりません。したがって十回でも百回でも死の峠を経て、死んでも、絶えず神様の真の愛を求めていくことが、人生において行くべき最高の道なのです。

 統一教会の原理は、人間が神様の真の愛の圏内からはずれたことが堕落であり、神様の愛の圏内に再び入ることが復帰だと教えています。そのような真の愛の圏内に入れば、自分の体一つを見るだけでも千回、万回、激賛するようになります。その世界では自分の体も神様の真の愛を受ける体になるので、その喜びは言葉で表現できないのです。そのように素晴らしい世界が天国です。

 私たち人間の心が神様の真の愛を占領する日には、千年万年、歌を歌って踊りを踊ることができるのです。神様の真の愛に酔うようになれば、酒や阿片のようなものに酔うこととは比較にもなりません。天下に存在するすべてのものを呼べば、それに応えないものがありません。流れる水だけ見ても、千年間、歌を歌うことができます。そこにおける、ささやきの甘味は無尽なのです。そのときは世の中ですべてを成し遂げているので、金銀財宝も他の何も、みな必要ありません。世の中でそれより貴いものがないのです。このように見るとき、人間の価値は愛を通じ、真の愛の感覚を通じて宇宙と和することができる主人格なのです。これを成し遂げることが人生の行くべき道です。

 霊界は今まで未知の世界でした。その世界は神様の存在原則である、為に生きた人間だけが行く所です。そういう内容で形成された世界が理想天国です。

 宗教の使命

 そこが私たち人間が尋ね求めていくべき本郷です。今日、私たちは堕落した人生によって本郷から追放された人間となったがゆえに、本郷の地に向かって帰らなければならない運命にあります。しかし、そこは人間自体だけでは帰ることができません。それで神様は、人間が帰ることのできる道として、その民族の文化背景、風習あるいは伝統に従って数多くの宗教を立て、歴史的に収拾してこられたのです。宗教は、本郷の地へ帰ることのできる資格者を鍛える訓練の場です。神様は東西南北の四方の文化背景によって、高い所に前進できる一つの統一された宗教世界に導いてこられたのです。

 そのような本郷の地に導くべき宗教であるがゆえに、宗教は「為に生きなさい」ということを教えてあげざるを得ません。それで、高等な宗教であればあるほど、為に生きなければならないという原則を強調し、温柔謙遜であれと教えるのです。無数の人々を高め、彼らのためになる立場に立って、犠牲になり奉仕しなさいと教えるのです。

 これから、私たちの前に到来する二千年代は、世界の全人類が神様を中心とした真の本然の人間の価値を取り戻し、天地父母と一体となり祝福を受けた真の家庭を成し遂げ、神様と真のご父母様を中心として、永遠に為に生きる真の愛の道理を実践する、真の平和と真の理想の天国時代を迎えなければならないのです。

 皆様の家庭と国家が神様の愛と祝福にいっそう満たされますようお祈りいたします。ありがとうございました。

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“生と死”についての理解

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「“生と死”についての理解」

(99.02.05 '99 世界文化体育大典 開会晩餐会基調演説 韓国・ソウル)



 尊敬する議長、各分野を代表する世界指導者、内外貴賓、紳士淑女の皆様!

 '99世界文化体育大典に際して、全世界各国から尊敬される指導者の皆様がこのように参席してくださったことに対し、本大会の創始者として深く感謝申し上げます。

 新しき千年を展望する人類は、平和と繁栄のために愛の文化、心情文化世界を指向しなければならないと見ているのが、私の所信です。その点から「家庭倫理と世界平和」をテーマとして開催する本大会は、大きなが意義があると思います。

 望ましい愛の文化が定立されるための条件はたくさんあるでしょうが、道徳と精神的価値を復興させ、家庭の和楽と安定をなすことが先決要件となるでしょう。

 個人の道徳的生活の基準や、家庭、あるいは社会の倫理基準が絶対価値を中心として確立されるためには、正しい世界観と宇宙観が定立されるべきでしょう。今回私は、歴史以来全ての人々が腐心してきた問題である、人間の生と死について見解の一端を述べようと思います。

 私たちは、この地上に生きていますが、この世界は地上だけがあるのではなく、霊界もあります。間違いなく、霊界はあるのです。そして、この地上と霊界は全く別な二つの世界ではなく、一つの世界として連結されています。私たち人間は霊界から生まれたがゆえに、再び霊界に帰らざるをえないのです。

 韓国語では、おもしろいことに「死ぬ」という意味に「帰る」という単語を用います。どこに帰るというのですか。これは単に共同墓地に行くことを表しているのではありません。

 元来、人生の出発した本来の所に戻るという意味です。遥か遠くの歴史の起源を越えて帰るということです。かと言って、韓国人として生まれたから韓国人として帰るという意味ではありません。

 われわれ人類の祖先の根源となるその世界に帰るという意味です。すなわち、創造主がおられるならば、その創造主のおられる所に帰るという意味です。そこから出発したからそこに帰るわけです。

 宇宙も循環作用をします。例えば、山に積もっていた雪が解ければ、その水が小さな渓谷を通って流れるようになり、さらにはいろいろな川を通って大海に流れ込みます。

 大海に流れて込むようになったその水は、水蒸気になってまた戻るのです。このように循環運動を通じて、より高くなれる所へ、より良くなれる所へと帰ることを願うのです。

 では、私たちが行って永遠に暮らすべき所はどこでしょうか。私たちは地上界で肉身生活をしていますが、心だけは永遠の世界を目指しているのです。私たちはこの世に生まれると、10代、20代、30代、そして壮年、老年時代を経るようになります。

 このように青春時代を過ぎ、壮年時代を経て老年の峠を越えながら、沈む太陽のように一生を終えるようになります。

 しかし、霊界があるという事実の分かる人たちは、地上で肉身をまとって暮らす一生はつかの間であり、死んだ後に私たちが迎えなければならない世界は永遠だということをよく知っています。ですから、地上での一生の期間というものは、永遠の世界を準備するための準備期間なのです。

 学生を例にしてみれば、その学生が一つの学期、あるいは一つの学年を終えながら学校が制定したすべての学科の単位を取るべき単位の基準があります。

 その最高の基準を100点としてみるとき、その基準にその学生の単位がどれくらい到達しているかを比べることによって、学校に認められる学生にもなるわけです。しかし、単位に満たないパーセンテージが高ければ高いほど、その学生は学校の定めたその価値基準から遠ざかるのです。

 このようにすべては、ある標準を中心としてその価値を測定するようになっています。私たちが一生の間、肉身世界で生きるのも、あたかも学生が学校で良い成績を取るために準備する期間のようなものです。つまり、私たちの全生涯を歩んで、単位を取る準備期間ということになります。

 すなわち、私たちの一生を巡って責任が追求されるある基準の前に、私たちがどれほど一致するかという基準値を中心として、毎日私たちは生涯路程を歩んでいるのです。ところが大抵の人々は、本来人間がこの世に生まれ、生きては逝くべき本然の世界がどこであるか、はっきり分からずにいます。すなわち、死後の世界があるのかないのか、神が存在するのかしないのかも分からいままに生きているのです。

 皆様! 私たちは皆いつかは霊界に行くようになっています。実は見てみれば、その霊界は一つの国なのです。地上世界のようにいろいろな国に分かれているのではありません。だとすると、霊界で生活する内容はどのようでしょうか。

 例えば、魚は水を離れては生きられません。魚には水が絶対的な生命の条件になります。かと言って、魚も一ケ所だけで暮らすのではありません。魚の中には産卵のために淡水を離れ、海水と接する契機をつくって繁殖する場合もあるのです。

 二つの世界に通じなければならないという意味です。私たちの体と心もこのように互いに通じなければならないのです。人類の歴史を詳しく考えてみるとき、もし私たちの先祖であるアダムの生まれた日と、結婚した日、そして亡くなった日を記念する世界的な統一圏が形成されていたならば、その日を記念する人類は一つの兄弟となり、一つの民となったはずでした。

 すなわち、一つの世界に暮らす人類になりえたという意味です。そのようになっていたなら、アダムの生活風習はそのまま人類歴史を通じて継承され、そのとき形成された文化は、人類が生存する限り永遠に継承されたでしょう。

 人間はいつ死ぬかも分からずに生きています。いつ交通事故が起こって死ぬかもしれません。死んでから初めて「ああ、文先生の言葉が合っていたんだなあ」と後悔する人もいるでしょう。分かってみれば、私たちはたいへん深刻な人生の道を行っていることを知らなければなりません。

 私たちは永遠の世界を生きていくための準備をするために寸暇を惜しんで生きなければなりません。そのような運命の道に立っているということを私たちは知らなければならないでしょう。

 一般的に霊界に行く人にも二通りあります。自らの持って生まれた寿命を全うして生きて死ぬ人と、自分の寿命を全うできずに死んでいく人の二通りです。自分の命を全うできずに死んでいく人の中には、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するため身代わりになって死ぬ人がいます。

 もし神様が、千人の価値を持った一人の存在を中心的立場に立て、すべての人の身代わりに死の道を行かせたなら、千人が皆その人の恩徳の前に感動するのです。それでその人のために生き、その人の生涯を手本にし、その人のように生きようとなったなら、結局のところ人々はその人と同じ恵沢圏内に入ってくるのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の人生に従おうとするのも、彼らのような恵沢圏内に入っていきたい欲望があるからなのです。

 人間の中には、希望を持って生きる人もあり、希望を持てずに生きる人もあります。ところで、希望は人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二つに大別することができます。

 私たちは生まれたその日から、母親のぬくもりが何よりも一番のものと思って成長しますが、ある程度成長してからは、母親の手から離れるようになります。私たちはまた成長しながら友達と交わり、友達こそ世の中で一番のものと思って過ごしますが、いつかはその友達とも別れてしまうのです。このように人間は、成長しながら愛する父母も、愛する夫婦も、愛する兄弟も、さらには愛する子女も、自分の希望の全体にはなりえないという事実を知るようになります。

 人間は常に多くのことを希望しています。しかし、その希望する心さえも結局は消えてしまいます。家庭に対する希望、国家に対する希望、さらには世界に対する希望を持っていますが、年齢が高くなるにつれて、その希望する心もだんだん弱くなっていくのが事実です。

 実際、多くの人々は、自らの希望を全体的な希望として誇り、自らの命をたとえ失っても、その希望は捨てられないというほどの確固たる信念は持っていません。

 私たちは一生の間あらゆる希望を抱いて生きていますが、結局は死に直面し、自分の抱いていた希望を何もかも捨てたまま行ってしまいます。私たちは今日も生きることを希望し、明日も生きることを希望し、新しい希望を求めてさまよっていますが、死に直面するようになると、そのあらゆる希望を後にして、絶望しながら最後の道を行くのです。この事実を私たちはよく知っています。人間は自分を中心として見るときには、希望を持っているように見えますが、死の峠を越え得る希望は持てずにいるのです。

 私たちが人生に規範としつつ、死さえもあざ笑って越えることのできるような一つの希望を見つけなければなりません。それが今日この地上に生きる人間の考えるべき重要な問題であると思うのです。

 皆様! この世の万事はすべて過ぎ去ってしまいます。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、さらには世界、あるいはいかなる主義や思想もみな過ぎ去ってしまいますが、最後まで残らなければならないものは何でしょうか。それがまさしく死と闘って勝利することのできる希望なのです。私たちにそのような希望がないならば、私たちは人生の敗北者というしかないでしょう。世の中には、生まれて以来、世俗的なすべての希望を一切拒否して、人の世の希望でない天の希望、すなわち永遠なる希望を抱いて生きる人たちがいます。

 天はまさにこのような人を助けるのです。ですから、信仰生活をする人々は、地上の何らかの希望を抱いて生きるのではなく、死の峠さえも越えることのできる希望を抱いて、永遠なる希望の世界を夢みて生きなければならないのです。私たちが若いときは、死に対して多くを考えませんが、年を取っていくたびに私たちは死に対してだんだん深刻になっていくのです。ここに座っている皆様も、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになります。このように死というのは運命の関門なのです。

 誰にも避けられない道だからです。私たちが死んだ後には、果たしてどのようになるでしょうか。「死」という単語をテーマに用いたねらいが何であるかお分かりでしょうか。生の意味を知らしめるためです。

 では、生の価値は誰がよく知っているでしょうか。生きようとして身悶えしている人には分かりません。死の境地に入っていき、生死の岐路で天に取りすがり、生の価値を打診してみた人でなければ分からないのです。

 では、私たちはなぜ死を恐れるのでしょうか。私たちがどうして生まれたのか、その目的を知らないからです。なぜ死ぬのか、なぜ生まれたのかということを知らずにいるのです。ですから哲学でも一番はじめに問う質問は、人生とは何であり、人間はなぜにして生まれたのかということです。

 皆様! 私たちが死ぬということは、神様の愛の中へと生まれゆくことですが、人間世界では「ああ死ぬ!」と言って大騒ぎをします。それを見る神様は、ケラケラ笑いますか、もしくは「ウワーッ!」と言って驚いては悲しがりますか。嬉しく喜ばれるというのです。

 制限された地上の愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入できる喜びを迎える瞬間が、肉身の死ぬ瞬間、つまり第二の出生の瞬間だからです。それでは、神様は私たちがこの肉身世界に生まれた日をもっと喜ぶでしょうか…。

 もしくは、第二の無限拡大世界の愛のために肉身を脱ぎ、死を通して新しい息子に生まれるその時間をもっと喜ぶでしょうか…。もちろん後者です。私がこういう話をするのは、皆様が死の恐怖から解脱しなくては神様と関係が結べないという、事実を知らなければいけないからです。

 神様は、人間が赤ちゃんとして生まれて、オシッコやウンチをしながら成長していく過程を見守り、また直接に参与もなさりながら喜ばれるのです。赤ちゃんの成長に応じて神様の心に動く愛の拍子も、グローイング・アップ(Growing Up・成長)するからです。

 神様があるしぐさをすれば、子供たちも一緒にしぐさをします。神様が笑えば子供たちも一緒に笑い、神様が悲しまれれば一緒に悲しみながら…、このようにだんだん神様に似ていくのです。また子供たちは、成長しながら両親の姿に似るようになります。言葉も覚え、生活規範も両親から学ぶようになります。

 もちろんこれらのすべては、本来神様から由来しているものです。とすれば、神様が私たち人間とともにこの地球星で暮らしている途中で、あの世にサッと飛び去っていくとき、私たちはどうしなければなりませんか。

 「私もついて行きます!」と言ったら「こいつ、お前は誰だ?」と言いながら、神様が私たちをつまはじきにするでしょうか…。もしくは、一緒に連れて行くでしょうか…。もちろん連れて行きたいと思われるのです。

 ところが「今は連れて行けないから、君はもう少し大きくなって、もう少し完成した後に連れて行こう」とおっしゃいます。人間は「僕たちも今は行けないけど、いつかは行く時が来るんだな」と思いながら待つのです。地上で肉身をもって生きている間は、人間は神様に常について回れません。

 さて、そうだとすると何が問題でしょうか。私たちが神様の似姿になりたがり、神様も私たちが神様の息子・娘として御自身の似姿となることを望んでいるはずです。

 それゆえ人は、もう一度神様に似ることのできる姿になって生まれなければならないという結論が出てくるわけです。神様と人間は共に永遠に飛び交いうる日を待ち望んでいるのです。そのように飛び交いうる人として生まれる日、そんな姿に生まれる日、その日がまさに肉身を捨てて死ぬ日なのです。

 だとすれば、人間は死を歓迎しなければなりませんか…。あるいは悲しまなければなりませんか…。もちろん歓迎しなければなりません。だとすれば、私たちが死ぬにあたって、何のために死ななければなりませんか。「神様の真の愛」、すなわち「為に生きる愛」のために死のうとしなければならないのです。ですから、肉身を捨てるというのは、無限なる神様の愛の活動圏内に私たちが共に参加するためであり、神様の愛の世界のためであるという結論になるのです。

 皆様! 皆様は一度そのような「真の愛」を受けて実践する神様の本物の息子・娘として生まれてみたくないですか。神様がお金持ちであるすると、どれくらいのお金持ちですか。皆様は一度考えてみたことがありますか。

 あの無限な星の中にダイアモンドの星がないと言い切れますか。純金でできたた星はないでしょうか。神様こそ全知全能であられるお方です。御自身の子女たちに何もかも与えたいと思われないでしょうか。どうでしょうか。

 神様はこの無限の宇宙をアッという間に往来することもできます。皆様も関心がありますか。だとすれば、私たちはどのようにしなければならないでしょうか。神様が定めてくださった法度を守らなければならないのです。

 そのようにすればこそ、神様と共に暮らすことが可能なのであって、私たちの好き勝手にしていては不可能なのです。皆様、神様の「するべからず・すべし」と言われることを守れる自信がありますか。人間は二重構造になっています。心が主体で体は対象ですから、体が心に従って一つにならなければなりません。

 人はまた三段階の世界である、蘇生・長成・完成時代を経ます。要するに、母親の胎中での水中世界・地球星の世界・天上の空中世界のことです。

 私たちは胎中の「水の時代」を経て地上に生まれ、肉身をもって100年の間「地の時代」を経るようになり、最終的には飛び交う「空中時代」、このように三時代を経るようになるという意味です。私たちがお母さんの胎中にいるときは、外の世界に行くまいとして抵抗します。その中にずっと残っていようとして、じたばたします。

 なぜなら、私たちが胎中から飛び出してくるときは、家はみな破壊され、私たちが食べて暮らしていた営養価値やすべてのものも破れて出て、分娩過程を通過しながら頭も伸び縮みしなければならず、体も伸び縮みしなければなりませんが、誰が喜ぶというのでしょうか。生まれるその瞬間まで皆が「ノー!」(NO!)と言うのです。子供は、羊水がパッとはじけ出てくるその水とともに出てくれば安産になります。

 お母さんたちが赤ん坊を分娩するのを見れば、実に哀れです。赤ん坊を産んでみたお母さんたちは皆知っています。力を入れるときは、顔がどんなに美人だとしても、顔中をしかめながら…、夫までもその顔を見かねて逃げ出すほどです。よく似た万物相の姿になるのです。このように、妊婦も最後の瞬間までとてつもない苦痛を体験してこそ、子供が生まれるのです。

 ところが、その過程でヘソについているヘソの緒をそのままにしておくべきでしょうか…。あるいは、無慈悲にも切ってしまうべきでしょうか…。「それは、他人の生命の綱なのに、人と人との生命の綱をどうして切るんですか」と言って抗議する人もいるかもしれません。

 生まれる子供も死にそうだとギャーギャーと泣き叫びます。しかし、それを見つめる神様は喜びの笑いを抑えることができません。そのようになれば、産まれた新しい生命には一つの世界はすっかりなくなり、新たな一つの世界で「フーッ…フーッ…」と息をするようになるのです。

 皆様! 人は一番最初生まれるとき、一番深い水の中から生まれるのです。腹中時代は水中時代です。赤ん坊がお母さんの胎中にいるときは、水中にフワフワ浮いています。ちょっと考えれば、お母さんのお腹の中の時代には、息がつまって生きるのが難しいように感じられます。

 水中に生きているので、当然、水を吸って吐き出すことをしなければならないでしょう? そのために腹中の赤ん坊たちは、ホースをお腹に連結して生きるのです。

 腹中の赤ん坊は営養分をどこを通じて供給されますか。ヘソを通じてです。ヘソは腹中の子供には口です。それで私たちは、ヘソをばかにしてはいけません。

 「ヘソよ、おまえは昔苦労した」と言いながら触ってやれというのです。ヘソをたくさんたたいてやれば健康になります。笑い話ではありません。

 そのように運動をしなさいというのです。ヘソの運動を通して健康になるという話です。その例として、どんなに寒い部屋で寝ても、ヘソだけよく覆いかぶせて寝れば下痢しません。私たちはまた、ヘソを私たちの昔の口だと呼ぶこともできます。

 ある者は「この愚か者、昔の口がどこにある」と言うかもしれませんが、ヘソが私たちの過去の口だったことだけは間違いありません。このように、私たちの呼吸器の役割もしたヘソの次の段階は口です。絶えず上に上がるのです。

 同じ原理で、この地球星で空気で呼吸をして生きる肉身についている私たちの霊人体は、お母さんの腹中の胎児のように肉身を吸いとって、肉身が完全に老いれば蹴って出ていこうとするのです。

 ところがそのときに肉身が「ああ死なない、死なない」と言って悲鳴を上げるならば、神様はその姿をどのようにご覧になるでしょうか。苦痛にひんしたその肉身に同情なさるでしょうか。でなければ静かに微笑まれるでしょうか。

 とてつもない苦痛を甘受してお母さんの腹中を飛び出してきた赤ん坊が成長して、お父さん、お母さんの愛の対象になるように、私たちは肉身の悲鳴を後にして新しく生まれ、霊的父である永遠の神様の相対として再び生まれるべきであるということが原理的な結論です。

 地上世界でも子供が生まれた後成長すれば、お母さん、お父さんと友達になることができるのです。お母さん、お父さんと愛を共に分かち合うことができる地上世界に生まれるからです。赤ん坊が母胎の中で泳ぎ回るのと同様に、人間の地上生活は空気を吸って空気の風呂敷の中で生きるようになるのです。

 そのような過程をたどりながら、地上でこのようにお母さん、お父さんと愛を分かち、呼吸する人であってこそ、死なないで生きていると言えるのです。同様に、私たちは霊的に無限な世界に通じうる父母であられる神様と愛を交わすことができる霊界に再び生まれなければならないのです。

 では、霊界はどんな所ですか。私たちが霊界に入っていけば、頭上にある息をする穴と細胞で呼吸するようになります。霊界での空気は地上の空気ではなくて愛です。呼吸を通して愛の要素を受けるというのです。私たちが地上に生きるときも、ご飯だけ食べてはなりません。

 ご飯だけ食べて水だけ飲んで生きるということは、ご飯の袋と水の袋を満たすことだけです。結局そうこうしながら死んでいくというのです。地上で生きる間の私たちの姿は、第2の私たちの存在です。

 私たちがこの期間にしなければならないことは、新しい愛の人格を形成しなければならないということです。この地上で私たちが最も必要なものが愛です。孤児は何ですか。お母さんとお父さんの愛を受けることができない子供たちをなぜ孤児と呼びますか。

 霊界と永遠に連結させうる愛がないからです。愛がなければ孤独なのです。それで独身で暮らす人を哀れだと言います。言い換えれば、私たちが死ぬということは、第2の呼吸をした肉体に連結されたこの器官を壊してしまい、愛の要素を受け継ぐことです。

 ですから、私たちはどうせ肉身を壊して行かなければなりません。愛は見えないのです。父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、子女の愛、これらすべての愛を中心として、私たちの内的な構造が成長するのです。

 それで神様の法則通りに生きるときにだけ、赤ん坊がお母さんの腹中で正常な赤ん坊として育つのと同様に、私たちがこの地でもよく成長できるのです。むやみに生きてはならないのです。

 私たちが自然界を注意深く見れば、取るに足らない昆虫、実の中の木の種、そして鳥の子も飛ぶことができますが、まして万物の霊長たる人が飛ぶことができなくていいですか。タンポポの種(dandelion)をご覧なさい。風が吹けば自然に飛ぶようになっています。

 このように鳥も飛び、昆虫も飛び、植物の種も飛ぶのを見れば、人間も明らかにとぶことができるように創造されたことは間違いありません。ある者は性急に神様に「神様、他のものは皆飛ぶのに、なぜ私たちは飛ぶことができなくしましたか」と抗議したいことでしょう。しかし神様には「君たちは何十年か待ってから完成すれば飛ぶようにしてやろう」とお答えになるでしょう。

 ではそのときまで、私たちは何をしなければなりませんか。そのときになってその世界に適応できるように、私たち自らを訓練しなければならないのです。父母を愛し、夫婦どうしで愛し、子供を愛しながらこの地上世界で訓練をしなければならないのです。

 そうして時が来れば、永遠の世界に入っていき、永遠に神様に仕えて生きるようになるのです。そのためには、いつかはこの肉身を脱いで死んでこそ可能なのです。

 私たちがセミ(Cicada)の一生を注意深く見れば、セミも飛ぶようになる前に幼虫の段階を経ます。ところが、そのセミが「私は幼虫として生きたい。殻を脱ぐのが嫌だ。ああ、陸地とか何とか、空気とか何とか皆嫌だ」と言って反抗をしながらも、実際、殻を脱いでしまえばバタバタと飛ぶようになります。

 トンボも同じです。初めは幼虫になって水の中で泳いで生きて、地上に上がってきてしばらくはい回って暮らします。その次には殻を脱いでスイスイと飛び回り、陸地では食べるだろうとは思いもよらなかった虫を捕食します。天下を自分の舞台にして飛び回るのです。このように、昆虫類の中では三段階世界を経ることが多いのです。

 それで昆虫には羽があります。水と陸地と空中の三時代を生きながら羽を持つようになるのです。万物の霊長である私たち人間には羽がありますか。地上でだけ暮らしてもかまわないでしょうか。人間には次元の高い羽があるのです。

 みなさんも肉身を脱いで死ぬことが嫌だと言うでしょうが、実際死んで肉身を脱いでしまえば、私たちは霊人体として第2の出生の幸福な関門を通過するためにサッと!いって飛んで行くのです。

 前にもお話ししたとおり、人間はどうせ死ぬようになります。私たちは善なる自我を永遠の世界に第2の私として立てるために、苦労を覚悟しなければなりません。お母さんの腹中で胎教をよく受けてこそ、健康で善なる赤ん坊として生まれることのと同様に、私たちの地上世界での生活もよく準備しなければなりません。

 神様の形象にならい、神様の心情に見習い、神様の偉大な神聖にならって育たなければなりません。育ってからは、また生命をかけて越えていかなければならないのです。したがってどんなに恐い暴風雨が打ちつけても、私たちは最後の峠を越えなければなりません。うまく行っている途中で、境界線の前で倒れてはいけません。

 私たちがこのような人生の境界線に立つようになるとき、私たちは果たして何をすべきでしょうか。しっかりして走っても、終わりまで行くか行けないか分からないのに、あたふたしていては中途で挫折してしまうのです。最後の決勝点まで境界線を突破しなければ勝利者になり得ないのです。

 人として生まれて一度してみるに値することです。どんなに背後で反対し、横から迫害しても、自分の行くべき道を行けばいいのです。

 他人が反対するのに関与する余地がありません。一歩一歩でも早く進んでこの運命の道をたどって行くべきだという人が、最後の境界線を越えることができるのです。私たちは皆そのように行かなければなりません。

 私たちはしばしば心が正直だと言います。その言葉はどういう意味ですか。まっすぐ垂直に立ったことを正直だと言います。木も横に傾いたものはまっすぐだとは言いません。心が正直だというのも同じことです。垂直に立っているという意味です。それで人は立って歩くのです。垂直になってこそ正直なのです。

 自らの心を完全に垂直になるようにしなければなりません。そこに体が水平線となるのです。このように垂直と水平が私たち内部でなされるときに、垂直から引いてくれる力と水平から押してくれる力が均衡を取るようになって、求心力と遠心力が形成されるのです。

 それゆえ、私たちは自分自身を見出さなければならないのです。私たちが自分自身を主張するときは、神様と真の父母がそうだと言って認定しなければならないのです。

 その基盤の上に、私たちは親戚、一族、一国、このように発展させいき、私たちの生活環境を拡大していくのです。世の中で危険な伝染病患者を隔離して収容するように、近い将来神様のみ旨を知っても罪をたくさん犯す人々は隔離させて、北極のような寒帯地方に収容するようになる時が来るでしょう。

 彼らは完全に悔い改めて回復するその日まで、そのような所に放り込んで、食べるものと寝る所もなく、途方もない苦痛の道を歩むようになるかもしれません。

 皆様! 私が悲しく思うことが一つあります。神様が御自身のみ旨を成し遂げる責任を私に与えたゆえに、私は生きている間に神様が満足する水準までみ旨を成し遂げておかなければならないということです。

 それ以前には、死ぬにも死ねないということです。したがって、私が死地に入っていっても、神様が導いて率いてくださるというのです。私はこのみ旨を成し遂げるために、ご飯を食べても、寝ても覚めても、世界と人類のために祈祷し努力しています。

 ある特定の国家や特定の民族のために苦労はしませんでした。私の目的は、世界の救いです。私はその目的のために今まで死を覚悟して犠牲的に命を捧げて働いてきました。皆様も世界のために生きて死ななければなりません。

 世界を救うためなら、愛する妻を抱き、家庭を抱き、自分の種族を抱き、民族をそっくり抱いて死ぬこともできなければなりません。今皆様は、今後ある一日に死に突き当たるようになり、死を前にして過去を回顧してみるようになるでしょうが、そのとき、どんな一言の言葉を残して行くべきかということを考えてみなければなりません。

 死の道は友達もいない道です。愛する父母もいない道であり、愛する兄弟もいない道であり、愛する夫婦、愛する子女もいない道です。ただ一人で行く道です。

 再び行ってみることもできず、行って来ることもできない道、一度行けば永遠に帰って来れない道ですが、この道を行くようになるときに、人間はいかなる心を持って行くのかが重要です。人間が死に出会うその瞬間に、その死を越えて立つことができる希望がないのなら、そこで最後です。

 今日まで神様のみ旨を奉り、神様のみ旨を立ててきた数多くの人々は、どんな人々であったかというと、死の道の前で後退した者たちではなく、死をあざ笑い、死を堂々と越えた人々でした。そのような人々が、天の道を立ててきたという事実を、私たちは歴史を通してよく知るところです。

 では天の願いを抱いて生きる人はどんな人でしょうか。人間が悲しむ死の峠も喜びで越えていくことができる人です。そのような人が天の願いを抱く者であるということを知らなければなりません。

 ですから、私たちは死を前にして世の中の万事を怨んで歎息する人にならず、喜んで天の前に立って自己の死の価値を誇ることができる人になるべきです。では、死ねばどのようになりますか。死ぬ前までは自分のものですが、死んだ後には神様のものになります。それは私たちが堕落した血統を受け継いだからです。

 したがって、死ぬ前までは私たちの生命の全部はサタン側の因縁から逃れることができないのです。しかし、死んだ後には神様と因縁が結ばれるのです。死なずには復活することができません。一つの時代を過ごさずには他の時代を迎えることはできないのです。

 「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」という聖書で言う死とは、何のことですか。神様が下さった永遠の真の生命を殺せというのではありません。

 サタン世界の堕落した血統を受け継いだ生命を殺せということです。それでみ旨のために死のうとする人は生きるというのです。この話は逆説的ですが、堕落と復帰の内容を中心として見るとき、そのようにしなければ復帰することができないのです。これは復帰の正常な論法です。

 人生の勝敗は何十年の期間に決定されるのではありません。それは一瞬にして決定されるのです。私たちの一生について見ても、皆様が生まれるその瞬間は長い時間ではありません。

 もちろん、生まれる前までの腹中の時期がありますが、その腹中の10か月という期間は、出生する一瞬のための準備期間なのです。ところが、10か月間いくらよく準備したとしても、決定的な一瞬をうまく越えることができなければ、生まれるその赤ん坊は悲運の運命を迎えるようになるのです。

 この地上に生まれ、運命の瞬間を迎える最後の場で過去を悔いる人がいるならば、その人の心には過去のあらゆる事実が映像として通り過ぎるでしょう。その中で「真があった。私の生命よりも貴いその何かを残した」という人がいるならば、彼はたとえこの地に生まれて逝っても、甲斐あるひと時を楽しむ人になるでしょう。

 しかしながら、すべての過去の事情を回想してみるとき、首を振って回想したくない過去を持てば、彼は悲惨な人です。過去を回想すれば回想するほど、自分の顔に歓喜があふれ、自分のあらゆる問題が理想に浸ることができるならば、死の恐怖も彼には慰労の一つの場面として飾られるでしょう。

 過去を回想する瞬間が恐怖の瞬間でなく、他の何かを残すならば、彼の過去は死なないのであり、現実も死なないものとして現れるでしょう。

 そうすることができる過去を持った人は、必ず民族がついてくることができる因縁を持った人であり、世界の万民がついてこざるを得ない因縁を残した人であると見ることができるのです。

 神様の前に一人で立つことができるかという問題について見るとき、真と善は自分から始まり、自分で終わるのではありません。自分から始まって他人に結果を結ぶようにするか、他人によって始まり自分に結果をもたらすことができてこそ善になり得るのです。

 過去の生活が他人のためになる生活ならば、死の道にも恐怖がないでしょう。他人のためにすべてを皆与え、他人のために犠牲になり、真に近い生活をしながら涙も他人のために流し、自分の生命も他人のために投入し、自分の願いも他人のためのものなので、自分の脈拍から流れ出るすべて生命力を引き集めて、他人のために投入するようになれば、その過去は輝く過去になるでしょう。

 聖賢の行く道と凡人の行く道は違います。聖賢は歴史とともに生きようとし、世界とともに生きようとし、未来とともに生きようとした人です。

 しかし凡人は、自分によって生きようとし、世界も自分によって存在させようとした人です。霊界にも霊界なりの世界があり、国があり、宗族があり、家庭があり、個人がいます。個人を中心として見るとき、自分はそこで絶対的に必要な存在だと言える自主性がなくては入っていけない所が天国です。

 家庭を中心として見るときも、宗族を中心として見るときも、やはり自分が絶対的に必要だと言える、そのような自主性があってこそ行くことができる所が天国です。

 霊界では地球というものは、ちり一つと同じようなものです。霊界は時空を超越した無限の世界です。そして「ある時代にこれこれこういう心情を持って、地上で生まれて生きてから逝った人がいれば、ここに直接出て来い!」と言えば、その人が瞬間的に現れます。そのように直感的な感覚が現実化する世界です。

 そこには食糧を作る工場もなく、自動車を作る工場もなく、何もありません。人間は霊界に入籍するとき、地上生活を証明する証明書を持って行かなければなりません。「私はこのように生きた。こういう仕事をした」と言える生涯の証明書のことです。そういう証明書は、自分自身が書くことはできません。

 初めはサタンが書きます。まずサタンから証明書をもらってから、イエス様の証明書をもらわなければならないのです。その次に、神様の証明書をもらわなければなりません。

 この3種類の証明書が必要だということを知っていなければなりません。霊界に行ってみれば、霊界は膨大ですが、3段階になっています。誰がトップに上がるかというと、より他人ために生きた人です。しかし、自分のために生きてきた人は、反対の立場に立つようになります。

 自分のために生きた人はすべてが反対であり、他人のために生きた人はすべてが歓迎します。霊界に行っていれば自分の父母、自分の妻も関係ありません。高い所に行く人は、全部他人のために生きた人々です。

 世界のすべての国を回りながら、自分の母親と家庭に対する愛を拡大したような心情を持ち、為になり、世界の人々を全部悪から救ってあげる聖人の心を持った人々が高い所に行くのです。

 自分のために生きた人は、地獄へ行くのであり、他人のために生きた人は天国へ行くのです。この二つの世界が、死で分かれるのです。それゆえ、全体のために、より大きいことのために生きよというのです。

 世界のために、神様のために、人類解放のために生きよというのです。これからは、互いに「為に生きよう」という競争が起こるでしょう。

 天国では、為に生きる人が高い位置に行くので、私がその高い人のために生きれば、その人に乗ってジャンプできるというのです。その人のために生きることは、神様が創造して相対を作ったのと同じであるがゆえに、その人の愛の対象圏に立つというのです。霊界は真の愛を中心として他人のために生きる所です。

 他人のために100パーセント尽くした人に対しては「私を踏み越えて行け!」と言うのです。いくらアメリカという国が大きくても、アメリカの大統領よりもその国民のために生きる人がいるならば、その人が大統領を踏み越えても皆歓迎するのです。

 しかし、自分の利益だけを取るようになるときは、全部怨讐になるのです。霊界でも同じです。より大きいことのために生きようというときには、自然に通過するのです。より大きいことのために生きれば、自然に通ずるのです。ですから、世界のために生きる人はアメリカのために生きなくても良いのです。世界中の中にアメリカが含まれるのです。すべての国が皆含まれるのです。

 皆が歓迎できるその方向の内容とは、真の愛を中心として為に生きてゆく愛の道しかないという結論が出てくるのです。

 死ぬときに持ってゆくべきものは、神様を愛し、自分を愛し、本質的な人である自分を立てるために苦労し、自分と相対との夫婦の愛、家庭の愛を中心として、この愛を世界に拡大するために努力したものです。

 人類を愛して神様を愛したことが最後に残り、あの世の所有権決定の基準になるのです。霊界に行けば、伝道した人の数によって、皆様の霊界の所有権が決定されることを知らなければなりません。霊界に行って誇ることが何かといえば、どれだけ人を恋しがって生きたかということです。

 あの世で必要なことは、ほかでもありません。世界よりも、自分の国よりも、自分の妻よりも、自分の息子・娘よりも、神様をより愛したことです。妻が言うには「あなたは私より神様をもっと愛して、私を愛してよ」と言ってこそ夫からより高い次元の神様的な愛を受けるようになるのです。

 今日、文先生は、心情圏というものを解き明かしていますが、心情圏の基地とは、神様を中心とした真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、そして真の子女の愛というものです。そのような愛が普遍化できる世界が心情圏の世界です。

 そのような本然の世界においては、愛する夫婦の愛の基準を中心として生きるとしても、天地、天宙を主とした夫婦の愛でなければならないのです。ですから、その世界に合格できる愛の基盤をどこで磨きますか。文先生は、この世の中でそれを磨いてゆかなければならないと教えているのです。

 この世の中で貴いという数多くの何かとは違い、心情圏世界の合格者になることができるようにということです。それゆえ、霊界には家庭を連れて入ってゆくべき原則があるのです。なぜ息子と娘がいなければいけませんか。

 後孫とは、本来、縦的な神様の愛と横的な父母の愛、神様と父母の血が縦横に混合して生まれたものです。したがって、後孫を持つことができなかった人は、霊界に行って天地の調和を成し遂げることができず、東西南北に拍子を合せることができないということです。後孫を持たなければ、あの世に行っても遊んで休むことができる場所がないというのです。

 皆様、霊界では宗教や宗派が必要ありません。そこに行って長老教(プロテスタント)や天主教(カトリック)とか言うことは必要ありません。神様との生活圏内に入っていくのです。あの世に行くようになるならば、世界を愛した人もおり、愛国者、忠臣、烈女、聖人たちが皆いるのです。

 しかしながら、文先生が知ることには、今までは神様の本然の愛の中で心情圏の伝統を中心として生きた人は一人も行っていないということです。何かを出発させるときは、神様を中心として出発しなければなりません。

 霊界に行けば、そのような原則にどれほど同化し、ここにどれだけ一致したかということが、今後、地獄から中間霊界、楽園、天国まで全部連結されるのです。

 何が第一に貴い道かというと、天のために地上でどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したかということです。それがあの世にパスするチケットです。あの世に行けば、他の国の人間どうしは一緒にいられませんが、すべての宗教圏は一緒にとどまることができるのです。

 宗教圏は一つの世界を願い、一つの神を信じてきたので、一緒にとどまることができるのです。宗教を信じる人々が、世の中の人と違うことは何かというと、彼らは一生の間、霊界を標準として生活するという点です。

 宗教というものは、永遠の世界、超然とした世界の内容を中心として、神様ならば神様がいらっしゃった所と、神様がお暮らしになる所を中心として、私たちが関係を結ぶことができる内容を教えてくれるものです。

 尊敬する指導者の皆様!

 人類は、国家単位で、または国際連合を通じて世界平和と人類の繁栄をたゆみなく追究してきました。現実が物語っているように、その努力が政治、経済、技術的側面だけでは効果的になされません。より内的な宗教、教育、文化的側面があってこそ、理想的な結実となるのです。

 なぜなら、人間の真の幸福は、外的、肉的、物質的な豊饒と安楽だけでは成就できないからです。人間は、より内的であり、霊的であり、精神的な完成と満足を通じて、真の理想がなされるのです。

 このような側面は、宗教的な教えと、世界のすべての宗教の連合と、一致した行動を通じてのみ可能なのです。

 私は今日この場を借りて既存の国連に、世界の主要宗教とその指導者たちの参与する「世界宗教国連機構」が創設されるべきことを主唱する次第です。

 世界と人類の未来のために、今日この時点で「世界宗教国連」の創設とその役割の重要性に対し、今後、皆様と世界の各界の指導者たちが、より一層深い論議をしてくださることをお願い申し上げる次第です。

 大変ありがとうございました。

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世界平和超宗教超国家連合創設大会 基調講演文

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「世界平和超宗教超国家連合創設大会 基調講演文」

(99.02.06 世界平和超宗教超国家連合創設大会 韓国・ソウル)



 全世界からおいでになられた各界の著名な指導者の皆様!

 今日この場で私が発議した世界平和超宗教超国家連合創設大会を挙行することとなったことを大変嬉しく思います。公式的に発議したものは、昨年でしたが、私は数十年間この志を抱いて準備してきました。

 過去40年間、私が展開してきた超教派、超宗派活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に願ってきた平和世界実現でした。平和に対するヴィジョンは超宗派運動の核心です。

 人類は、20世紀に悽惨な世界大戦を二度も体験し、そして70年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、尖鋭な対決と葛藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和時代に連結されるのではないということを知るようになりました。世界のあちらこちらで、激烈な戦争が起こり続けています。今も、前ユーゴスラビアと中東で、またスーダンや南アジア等の地で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い葛藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。

 現代において宗教的な理想の実現は、しばしば世俗権力と一定の距離をおいて活動してきました。今日の一般的な認識は、これを当然なものとして受け入れています。しかし、世界平和理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと思われます。

 いかなる国際機関よりも、国際連合が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために共に働くあらゆる国の代表者たちが集まっています。

 しかし、国連で国家代表者たちが世界平和を実現しようとする努力は、相当な障害を抱いています。国連を通じて得た実績と成果を否定してもいけないでしょうが、国連自体が改善すべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し尊重する関係が切実に必要な時となりました。

 本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。体と心が戦わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様に似たその息子と娘であるからです。神様は心と体が戦いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤がありえません。

 心と体が統一体となる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」というみ言も、神様を中心として心身一体理想を成し遂げたことを前提とします。

 ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤しながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害する犯罪もここから由来しました。

 歴史以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との間の戦いでした。このようなカイン側、アベル側の戦いは必ず終息し、原状に復帰しなければならず、心と体の対決も終わり、調和一体として復帰されるべきです。

 個人の心と体が統一されるべき原理を、世界的な次元で適用実践しなければならないのです。この目的のために、私は世界平和を具現する、心の世界を代表する世界平和宗教連合と、体の世界を代表する世界平和連合などを創設しました。

 人間の諸般の問題は、根源的に、単なる政治的な問題ではないので、社会的、政治的解決だけでは常に及びません。大部分の人間社会が政治的に統治されていますが、その反面に大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。事実、大部分の人々の胸中には、宗教的な忠節が政治的な忠誠よりはるかに重要性を持っています。

 今や宗教は、世の中でその真正なる指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、深い自己反省をまずすべきであると思われます。宗教人たちが愛の実践の手本となることができませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益に及々としたあまり、世の中のすべての救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が要求される時です。

 神様は、我々指導者、特に宗教指導者を召命しておられます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っておられます。すべての宗教人が一つの心となり、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。

 体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけでなく、心と内的な世界を代表する世界宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成されうるのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。おそらく、両院制の形態を持った国連を想像することもあるでしょう。

 国家代表でなされた既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院に代えて考えることができます。著名な宗教指導者と文化界、教育界など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することも考慮してみることができるのです。このとき、宗教議会は地域的な個々の国家の利害を越えて、地球星と人類全体の利益を代弁すべきなのです。

 両院が相互に尊重し協力することによって、平和世界の実現に大きく寄与できるのです。世界指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とヴィジョンにより効果的に補完できます。

 私は、宗教指導者の道徳的ヴィジョンと手本となる生活が、天上世界、あの世にだけ向かうのではなく、この世で真正な幸福と永続の和平の道を教育しつつ、世の中に光とならなければならないと確信します。

 宗教指導者たちは、持っている偉大な伝統の神聖で貴重な知恵を相続し伝承するだけでなく、また私心のない奉仕生活をする理想的指導者となるべきです。宗教指導者であれ、政治指導者であれ、最も大きい欠格事由は利己主義であることです。

 私は、世界宗教議会を継続して開催しながら、超宗教・超国家的に真の愛の教育に努力してきています。そして、昨年は、世界の宗教指導者たちが率先して、全宗教人が7数の単位の献金をし、世界平和基金を作ることに率先しようと提案しました。国家の経済事情や個人の事情によって差異はありえます。7ルーブルでも良く、700万ドルでも献金することができます。全宗教人が、心を集めて基金を作り、この基金で平和の知恵とヴィジョンを教育し、また真の愛の理想と真の家庭の価値を促進するために、共に効果的働くことができるのです。

 尊敬する指導者の皆様!

 我々は最高の宗教的知恵の表現が、世界の最も深刻で緊急な問題が扱われる委員会に上程される、そのようなシステムを実行するために、共に志を集めて働かなければなりません。このようなシステムは、国連の構造の中に宗教指導者たちの委員会を創設することによって成し遂げることもできます。このような様々な目標を現実化するための最初の措置として、皆様が今日、世界平和超宗教・超国家連合を創設してくださることをお願いいたします。合わせて、この高貴なる理想を実現していくにおいて、皆様の経験と知恵、そして努力を傾注してくださることを心からお願いいたします。特に、宗教界は、為に生きる真の愛を教育することに力を注いでくださることをお願い申し上げます。

 世界平和超宗教・超国家連合が世界平和実現に決定的な寄与をすることを確信しつつ、皆様と皆様のご家庭、そして、なさるお仕事の上に神様の祝福が共にあらんことを祈願いたします。

 ありがとうございました。

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真の愛は誰もが願う

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「真の愛は誰もが願う」

(00.03 文鮮明先生御聖誕80周年祝賀:真の父母が伝授する世界と南北の統一教本より)



 み旨成就に全力を尽くした80年生涯

 尊敬する内外の貴賓の皆様!

 公私共にお忙しい中を、第4回世界文化体育大典に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。

 理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として推進してきました。分裂と葛藤の一世紀が終わり、和解と統一を模索して出発した新千年の希望は、漠然と成就するのではありません。神様の創造理想を中心として全世界が、一つの神様のもとに一つの世界を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。

 私は、16歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、ただひたすら神様のみ旨成就に全身全力を尽くしてきました。

 知ってみると、神様のみ旨は、地上と天上に自由と平和と解放の天国を建設することでした。本然の神様と人間の関係は、永遠の父母と子女の関係です。

 堕落は、その断絶を意味し、復帰は、父母と子女の因縁を回復することを言います。

 私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、一つの神様のもとの一つの世界を構想してこられた神様のみ旨成就のための一環であります。特に、皆さんが参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の葛藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和して、真の兄弟、真の夫婦として出会うことは、一人の神様のもとの一つの世界を追求する聖なる理想の現実化なのです。

 今日、私の80歳の誕生日の祝賀行事と第4回世界文化体育大典を記念する歴史的大会を終えながら、皆さんと共に考えてみようとするみ言の題目は「真の愛は誰もが願う」です。

 全てが、相対関係を通じて、真の愛を願う

 皆さん、人間に一番重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力や知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりももっと必要なものとは真の愛です。真の愛が私たちにこんなに貴く、重要なのは、何のためでしょうか?

 人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたがられるのです。ところで、神様が、人間の中でも、男性と女性のどちらか一方に、先に会いたいと言われれば、おそらく、互いに不平を言うことでしょう。

 ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ一番に立てれば、男性と女性が一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で一番貴いものがあるとすれば、男性と女性が互いに先に持とうと争うでしょうが、それが愛だということが分かれば、二人が互いに一つになって持とううとするのです。

 このように愛は誰もが好むだけでなく、愛のみが、人間の欲望をみな均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。

 愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では持てるものではありません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。

 男性一人、あるいは女性一人だけをもってしては愛が成立しないのです。ですから男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。

 醜い男性も醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。

 ゆえに、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラスとマイナスの対になっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もみなペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてが、このような相対関係を通じて、真の愛を願うからです。この宇宙の中で絶対に一人ではもつことができないのが愛です。反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを持つようになるのです。

 同じように、子女がいなければ、子女を愛することのできる父母の愛が現れないし、子女に対する父母の愛の主人にも、なれません。ですから神様も、真の愛を成されるために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。

 このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛すべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象が、一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるならば、真の愛が破壊されるのです。ですから離婚という概念はあり得ないのです。

 男性が愛を感じるからといって、それが自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもやはり自分によるものではなく、相対である男性から来たものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから愛を貴く思う以上に、その相対を貴く思い、相対の前に感謝して、「ため」に尽くさなければなりません。

 これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が互いに「ため」に生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統は、根絶されるのです。

 真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成されるのです。真の愛の横的関係が、縦的にだんだんその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、この場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。この場では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛化され、そして花咲くことができるのです。

 ですから宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生きて、愛のために死ぬということになります。

 愛の器官は愛と生命の本宮,無限の価値の源泉

 真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから、万物の霊長である人間は、神様が造られた傑作品を抱いて愛するだけでなく、すべての万物に愛することを教えてあげなければならない責任があることを知らなければなりません。

 万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。

 宇宙にいっぱいに満ちたすべての存在たちは、自分のレベルで相対と共に存在しますが、結局もっと高い愛の次元に吸収され、上昇するようになるという原則に従うのです。

 すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、もっと高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質だというのです。

 ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再び解釈されなければなりません。それゆえ、蟻や微生物までも真の愛を願うのみならず、自分を愛する主人のところに行って死のうとするのです。このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物をみな食べたり、持ったりすることのできる立場にいるのです。

 人間は、このすべてのものをみな食べて、持ちますが、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べ、持たなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや魚が好きなみみずのようなものは、大体薬剤として使われるのです。どのレベルにおいてもみな、捕って食べられるようになっています。もしそうでなければ、宇宙は存立することができないのです。

 神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民を創ろうというのものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って、繁殖されるのです。

 私の言葉とチャールズ・ダーウィンの言葉は正反対ですが、平和の世界は、私の言葉に従って成されるのです。なぜならば、これが創造理想を成す根本原理だからです。進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には既に創造主であられる神様がいらっしゃることを認定する意味が前提となっているのです。

 神様が主体と対象を通じてつくられた創造には、方向性と目的観が内在していますが、唯物論をパターンとした共産主義理論には、何の方向性も目的観もあり得ないのです。

 すべての万物の中でも一番貴い存在が人間、すなわち、男性と女性なのです。その中でも一番重要な部分は、目でも、鼻でも、そして頭脳でもなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてのものが再創造されるのです。植物も動物もこの生殖器によって繁殖し、拡散していくのです。一番価値があり、一つとなった素晴らしい家庭もそれが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まるのです。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結する、無限の価値の源泉なのです。

 真の愛の主人は、神様

 神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すのです。ところで、この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、その対が二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければなりません。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバも二人造ったのではありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。

 ところが、今日、世の中を見ると、義理の父が10人もいるという、驚くべき例を見ることができます。いかに偽りのごみ箱のような世の中でしょうか!

 女性や男性が貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護するようなものです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。ですからこれを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は一人です。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つであり、絶対に一人なのです。「真の愛」とは、誰でも言うことができる言葉ではありません。唯一神様のみが、本当の真の愛をなすことができ、真の愛の絶対主人となられるのです。ゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の家庭の根本、本質は、真の愛です。

 またこの真の愛と因縁を結ぶには、神様と関係がなければなりません。うちのお母さんとお父さんがけんかしないで、豊かに暮らすからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛する若い未婚男女が、互いに命を懸けて愛し合うからといって、それが真の愛ではありません。神様が介在していないので、真の愛ではありません。真の愛は必ず神様を中心にしなければなりません。神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。

 権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界では、歓迎されません。

 真の愛は、誰もが願うものですが、愛とは「ため」に尽くすことによって可能だという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていくのです。

 このような利己的な個人主義はサタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですからその結果は地獄以外の何ものでもありません。全体のために尽くさなければなりません。人のために全体のために犠牲になり奉仕すれば、みんなが来て、私を愛してくれるのです。子女として造られた人間が兄弟になり、夫婦となり、父母の立場に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。

 すなわち、人間が育つのを見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として、落ち着かれるのです。それゆえ、神様をしてすべての愛の主人となるようにした人間こそ、神様よりも貴い存在だとも見ることができるのです。ちょうど自分が愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があり、貴く思うようにです。

 ですからもっと貴いもののために、神様は投入され、忘れられ、また投入され、忘れられるのです。100パーセント投入されたのち、100パーセント忘れられるので、続けてさらに投入することができるのです。自分の夫が素晴らしくなるのを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させるのと同じです。投入して忘れることを続ければ、その愛の段階を高め、究極的には、神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を成して、永生するのです。

 みんなが天国に行きたがるのですが、「私のために尽くせ!」という思いだけをもっては天国に行けないのです。真の愛は神様が造られたすべての傑作品を抱いて、「ため」に生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様にまで「ため」に生きることによって、天国に至るようにするのです。一生に3回以上生命を捧げて、「ため」に生きようとしなければなりません。アダム家庭の堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。

 神様に出会うには、3回死に、再び復活したのちにも、神様に私のことを分かってほしいと願うよりも、神様のためにもっと尽くそうとしなければなりません。

 そのような人々が生きる世の中がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。このように、私は教えており、そのような世の中を創っていっているのです。

 子供はお母さん、お父さんの愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって成されるものであることを知らなければなりません。子供たちが「自分のもの」を主張しますが、私のものの出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母に連結された愛のはしごを切ってしまえば、生きることができないのです。真の愛の起源であられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。

 父子の関係が縦的な垂直関係なのに比べて、夫婦関係は横的な水平関係です。ですから父子関係と夫婦関係は互いに直角(90度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係は球形を成します。

 それで、愛によって成されたすべての存在は球形です。宇宙全体が球形になっているのです。このように成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着しますが、この場に神様がいらっしゃるのです。すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として男性の愛と生命と血統が右側に位置するならば、左側は女性の愛と生命と血統が定着するのです。ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、このすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになりますが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。

 これを平面的に横にしてみれば、愛の一番の根っこに、生命の一番の根っこに、血統の一番の根っこに、そして良心の根っこに神様がいらっしゃるのです。

 このように神様を中心に一つの家庭では縦と横、そして前後の愛が一つになりますが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していきますが、その根本、中心は常にお一人、神様であられるのです。

 真の愛の八段階のモデルを完成し,天国の創建を!

 アダムとエバが堕落しなかったならば、真の夫婦の愛のモデルが出てきていたはずです。彼らから愛の教育、すなわち、愛することを習っていたはずです。

 彼らが子供をもてば、誰がその子供を結婚させてあげるでしょうか。それは父母です。それでは果たして今日、この社会で父母がどれほど子供たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。

 統一教会では真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で結婚させてあげています。ここには、人種の違いを超えるだけでなく、聖人も悪人も一緒に結婚させているのです。真の父母は、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を接ぎ木して勝利し、否定させることによって、アベルを殺したカインを除去してしまわないで、みな同じ立場で祝福してあげるのです。潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出会い、水平を成した時のように、歴史的に救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期において、善人と悪人を一緒にみな祝福してあげることによって、サタンは完全に追放されるのです。

 エデンの園で結婚できなかったのが堕落なので、今こそ真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって、地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。こうして神様の創造理想である八段階の真の愛のモデルの主人を完成するようになるのです。

 すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。

 真の神様の愛と生命と血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変の真の愛を中心としたモデルとして相続するのです。真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟なのです。

 反対に、子女が父母がいなければ、妻が夫がいなければ、兄が弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、「ため」に尽くさなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成し、八段階の理想のモデルである愛圏を完成するのです。そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家がみなこのような真の愛を中心に八段階のモデルである主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的標準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです! 今、新たに始まった2000年代には、世界の至る所で定着した祝福家庭たちが、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新たな家庭革命、世界的道徳革命を主導することによって、全地上と天上に永遠の平和と統一の理想天国を創建することを願うのが、神様の願いなのです。

 私たち全てが、この聖なる聖業に同参し、神様の真の愛圏を相続する主人たちになることを願います。

 皆様の家庭に神様の祝福があることを祈ります。ありがとうございました。

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神様の王子・王女が行くべき生涯路程

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」

(00.03.12 文鮮明先生ご聖誕80周年祝賀 南北統一前進大会 ソウル・オリンピック主競技場)



 南北統一を熱望する指導者、そして紳士淑女の皆様

 たった今、始まった新千年は、二十世紀の遺物である分裂と葛藤が清算され、和解と統一の地球村一家族という理想が実現されるときです。皆様の各家庭に新千年の祝福が共にあることを祈願いたします。

 まず、わたしの八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界(全国)各地から訪ねてきてくださった皆様に心から感謝いたします。そして何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様にすべての栄光をおささげいたします。

 わたしの生涯を振り返ってみるとき、ただのひとときも平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り囲む列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。

 わたしは、十六歳(数え年)の少年時代に、祈祷している中で突然、天のみ旨と出会い、その後、生涯を通じて神のみ旨を成就するために全身全霊を傾けてきました。

 そして気がつけば、人間の不幸の根本原因は、人類始祖の堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果でした。

 このことによって、神様と人生と宇宙の根本問題等に対して無知に陥ったのです。今までわたしは、世界各地の公式席上において、一万回以上、語ったみ言を通して、神主義に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。

 それらの内容は、世界各国の十二の言語に翻訳され、すでに三百巻以上の本として出版されました。これは、文献による総合的な研究や学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原則的で根本的な解答を解き明かしてきたものなのです。

 今日、わたしは、この意義深い場に感謝しながら、わたしたち民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算であるというべき韓半島の統一問題を念頭に置き、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子・王女が行くべき生涯路程」という題目でお話ししたいと思います。

 内外の貴賓の皆様

 皆様は、どこの国の国民ですか? 大多数の人が韓国の国民であると思います。そうすると、韓国が皆さんの祖国です。そうではないですか? それでは、神様の祖国はどこになりますか? 今、神様の祖国はありません。この世界のすべての国家の起源はどこですか? 神様が起源になっていますか、そうでなければ、他のところが起源になっていますか? このような、すべての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。

 この世の国々は、すべて闘いによって分かれて生まれました。それゆえに、ある二つの国があるとき、その二国の境界線は、深い恨みが積もった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてより熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があるということをわたしたちはよく知っています。このように、二国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。

 闘いは常に、何万里も離れた所に飛んでいってするのではありません。昔から、隣接する二国家の境界線を中心として闘いが起きてきました。ですから皆さんも、最も近い隣人との間から闘うようになっています。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間から闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。

 堕落とは何ですか? 神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったということを証明することだという結論を下すことができます。

 そのようにして生まれた国はどこに行くのでしょうか? すべての国が平和の世界を追求しますが、「平和の世界に行くことができるのか? 」という問題が、今人類共通の課題として残っているのです。

 平和の世界というものは結果の世界ですが、過った出発、すなわち過った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。それゆえに、このような戦争の起源を克服して乗り越えていくことのできる運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を捜し出すことができるのです。原因が完全であるために結果が完全であり、平和で始まるがゆえに平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。

 このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家であるといって、ずっと憎み続けようとするならば、永遠に平和の世界には到達できないということを知ることができます。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まった、その動機を否定し、過った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容を主張する運動が必要であるというのです。

 内外の貴賓の皆様

 皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったのでしょうか? 歴史上に、「わたしの国である」ということのできる形態の国があったでしょうか? そのような国の形態も、持つことができなかったのです。それでは、その国を取り戻すために苦労した人がいなくてそうだったのでしょうか? そうではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えていた位置では、捜し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を捜し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。わたしたちが取り戻さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、いかなる歴史と伝統を持った国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。

 わたしたちは、次元が違う、その国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性を持った国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国を成そうとするならば、その国の主権を中心として国民が一致することのできる国となることを願わなければなりません。そのような国民性を持って国家形態を備えなければならないのです。

 一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子・娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中のどれ一つとして除くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何ですか? 世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。滅びない所が限界点です。

 国をために生きる基準で実際に行動をしていて死んでいった人々は、死んでもその国の民になります。その国がなくなるときまで残るようになるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。

 主権とは何ですか? 根源である神様と因縁を結ぶことです。国を統治する人たちは、国民が深く寝入った後に、神様と因縁を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分の持つすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければならないのです。

 そのようになれば、その国は繁栄します。そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人はだれでしょうか? 主権者はだれでしょうか? 間違いなく神様が主権者です。そして、国民はだれですか? 国民は万民です。それでは、国土はどこですか? 地球星です。地上天国はだれに似ているのでしょうか? 「わたし」に似ているのです。一つの国を見れば何がありますか? 主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。

 地上天国はだれに似ているというのですか? 「わたし」に似ているのです。「わたし」という個人が集まって国になるのです。したがって、「わたし」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければなりません。人間には万物があるように、国土がなければなりません。

 このような原則から、国土は人に支配され、国民は主権に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そのようになっています。

 人について見てみるとき、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば、天地人であるという決定的な結論が出てきます。天は何ですか? 人間の心と同じなので主権と同じです。人は国民であり、地は万物です。結局、国はだれに似たのかというと、「わたし」に似ているのです。

 いくら大きい社会、いくら大きい国家であっても、人に似なければなりません。それは、神様がご自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何ですか? 自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのですか? 人に似なければなりません。天地人に似るのです。

 統一教会の用語で祖国というものは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。世界的という言葉は、堕落した世界圏でも使われる言葉なので気分が良くありません。それで、このような祖国を捜し求めていく主義を統一教会では天宙主義というのです。

 その祖国は大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国ではなく、米国でもありません。共産国家でもないのです。その祖国は神様が願う祖国です。ゆえに、わたしたちは、新しいその祖国の文化をつくりあげなければならず、その祖国の歴史をつくりあげなければなりません。

 わたしたちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めなければなりません。わたしたちの生活を変えなければならないのです。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理主管圏」や、「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」という重要な言葉を、世の中の人々は知っていますか? ですから、違うというのです。

 統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板をはずさなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければならないのです。世界のために生きる宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。

 満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様

 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか? この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心を持って怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。

 しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛することができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動であるということを皆さんは知らなければなりません。

 今までで、神様が最も愛することのできる人はだれでしょうか? イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示してくださいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきであるというものです。イエス様は「ローマよ、あなたは力でわたしを征服しようとするが、わたしはその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架に架かりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。

 そのような思想は、ローマの兵士たちに対して「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦したまえ」という驚くべき宣言として現れたということを知らなければなりません。イエス様がそのようになさることによって、世界のすべての国がお互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることができる、一つの原型、または模範となりました。

 イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないということを知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているということを知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているということなのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、そのときごとに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神を持っていれば、いつかは勝利できるというのです。

 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国主権復帰はどこから実現されるのでしょうか? 怨讐を愛するという思想を持った個人から出発するのです。それゆえに、「神様がいらっしゃるかぎり、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こ う」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種をまけば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種をまけば、怨讐を愛する善の木が育つということです。これは自然の道理なのです。

 神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか? それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないということを皆さんは知らなければなりません。

 見ていてください。米国が反対したゆえに、国務省が反対したゆえに、国会が反対したゆえに、わたしは、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、米国で勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、わたしに返ってくるようになっています。

 わたしは、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、こちらの怨讐を愛する内容が相対的により大きくなるので、反対が激しいからといって落胆する必要はありません。

 自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。米国の国務省が高い所から反対するとき、わたしが低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、米国の国務省はわたしに屈伏してしまうはずです。

 わたしは、非難されながらも闘わずに彼らを愛すると、彼らはわたしの友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。

 怨讐を愛する精神を持った人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想境となることができ、人類が入っていくことのできる理想郷になることができるということを知らなければなりません。

 わたしは、とても見すぼらしい男です。事実、そうではないですか? 皆さんは「違う」と言いますが、世の中の人たちは、わたしが愚かな人であると思っています。しかし、神様は、わたしがいちばんお好きです。世の中がわたしを愚か者扱いしたとしても、神様が認めるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。

 怨讐を愛する心を持てば、言えないことがありません。なぜですか? 神様が送った男性であり、美男子というならば、そのような人が美男子です。りっぱな人というならば、そのような人がりっぱな人です。堂々として勇ましい人というならば、そのような人が堂々として勇ましい男であると考えるので、わたしは、それを栄光に思い、世の中に対して自信を持って攻撃するのです。

 わたし一人がこのように陶酔して活動すれば、何が起こるのかご存じですか? このようにすることによって、神様を喜ばせる若い青年男女が生まれ、神様を喜ばせる五色人種の家庭が生まれ、神様を喜ばせる民族が編成され、神様の祖国の主権復帰が可能になるのです。

 「怨讐を愛しなさい」と言ったので、最も憎むべき人をも愛さなければなりません。いちばんの美男子にいちばんの醜女を夫婦として結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛するにおいて最高の王子の旗を掲げて前進する人の候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は、民族の国境をさっと越えることができるというのです。

 愛する心だけを持って暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮されて天国が近づいてくるということを知らなければなりません。

 わたしの哲学は簡単です。わたしは、やってみなかったことがありません。農民にもなってみて、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってマグロも釣りました。そのようにして生涯を生きてみると、一人だと思っていたのに、振り返ってみると英国人がついてきて、米国人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてくるなと足でけ飛ばしてもまたついてきて、後ろに飛ばされてもまたついてきます。ですから統一教会を、いくら研究してみてもその内容のすべてを知ることはできないのです。

 内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様

 今から行くべきなのは、どのような道ですか? いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っているかぎり、皆さんは国のない人々です。ここが皆さんの国ですか? 皆さんには国がないのです。いくら氏族があるとしても、その主権が天を中心とした主権でないときは、この氏族の首を切ることもあり得るのです。そうでしょう? それゆえに、天が歓迎することのできる国を訪ねていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎することのできる、そのような地になるべきです。ところが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立ったでしょうか? そのようになることができませんでした。方向が違います。方向が違うのです。大韓民国が進んでいるのは外的です。そうでしょう? 神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいます。この国の主流的な思想がないというのです。

 したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家を中心としたもの以上の内容として備えていかなければ、祖国の主権復帰の時を迎えることはできません。

 今日の「解放」というものは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要なのです。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないというのです。

 その国はどのような国ですか? その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらねばならず、蕩減復帰の原則に一致することのできる国民性を持たねばならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか? 完全に統一された国にならなければなりません。今日の大韓民国がそのような国になろうとするならば、どのようにならなければならないでしょうか? 

 その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた南北韓を、一つに統一しなければなりません。カイン・アベル国家に分かれたのと同じように南北に分かれたのですが、これを統一しなければ一つの勝利的イスラエル国家は現れないのです。

 それでは、この国において、大韓民国を中心として北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないでしょうか? それは、新しい世界主義的な思想を持たなくては統一することができません。この時に備えて、新しい思想を掲げていこうというものが、今日の統一教会が主張する統一思想です。分かりますか? 

 今、わたしたちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることができない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることができない鉄のような信仰で団結した宗教国家を成し遂げなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家が成し遂げられなければなりません。そうしなければ、神様の国、世界に誇ることのできる天国の主権は誕生しないのです。これが、今日のわたしたちの行くべき地上の第一目的地であるということを知らなければなりません。

 祖国を取り戻すことができなければ、サタン世界の国家を凌駕することのできる天を中心とした一つの国を持つことができません。その国を持つことができなくては、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。宗教、統一教会をもってしてはできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければなりません。このような問題が残されているということを知らなければならないのです。

 このような観点で見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教であったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教と同じ立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。

 紳士淑女の皆様

 今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大小、広狭、高低の差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活から離れてはなりません。そこには、いつも生死の危険が伴っています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。

 それゆえに、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれるわたしたちの祖国を取り戻すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活はできません。「祖国の栄光を願う心を持って祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶ」ということを考えながら、新しい歴史を創建し、祖国主権復帰の一日を迎える、その時に、自らの功労が現れることを思いながら、現在の立場を無視してしまうことができなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。別の言い方をすれば、祖国主権復帰のための希望が現実の希望より千倍万倍強くなってこそ、今の生命をささげる恨があったとしても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。

 もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、そこには新しい責任者を再び派遣できるのです。すでに彼が死んでしまったとしても、彼の友人になることができ、彼の側に立つ人々が出てくるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたゆえに、たとえ彼が犧牲になったとしても、そこには彼の側に立つ人々が残るのです。このような人々が残っているかぎり、神様がその基台の上に代わりの者を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んでしまうときには、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。

 このような立場で、皆さんは今、新しい時代を迎えてどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか? 祖国主権復帰のための信念が、何よりも高く、胸の中で燃えていなければなりません。別の言い方をすれば、六千年間、神様が待ち焦がれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になる、この途方もない使命に責任を持っているという自負心を感じなければならないのです。過去に生きた数多くの人々が持つことを願いましたが、持とうとしても持つことができなかった、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感を持たなければなりません。

 したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。「神様から特別に派遣された密使として、りりしく見事にこの使命を遂行しよう」と立ち上がってくれることを神様がどれほど期待していらっしゃるでしょうか? 今までは、ひどく追い込まれ、激しく追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。

 しかし、今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には、主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには、単一民族の血統が因縁となっており、他の民族が持つことができない歴史があります。そのような祖国のためにわたしたちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早く完遂して、やり遂げればやり遂げるほど、祖国主権復帰の基台が自分によって徐々に近づくのです。きょうの苦労を代価として払うことが祖国主権復帰の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意を持っていかなければなりません。そうでなければ、これから神様がわたしたちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、わたしたちのものとして迎えることができないのです。

 わたしたちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を復帰し、その国の中心と一つになって、天の国において、天が願ったその希望の基準を備えてお父様のみ前に帰ってこそ、面目を立てることができるのではないかというのです。

 ところが、皆さんに国がありますか? 持っていないということを考えるとき、死ぬに死ねないのです。死ねば、どこへ行くのかというのです。お父様のみ前に行って面目のないことと恥ずかしさをどのように免れるのですか? 自分の生命の長さというのは制限されているのに、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか? そこで悪なるサタンの環境はわたしたちに反対し、怨讐たちはわたしたちの道を妨げるのです。これを切り開いていこうとするので、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。

 わたしが行き来するのも、その国を取り戻すための、祖国主権復帰のための建国の功臣になるためであり、そのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受けて今日の悪なる世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。

 そのようにしなければ皆さんは、今後、訪れる国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。

 皆さんは個人的に影響を与えたいですか? 家庭的に影響を与えたいですか? 国家的ですか? 世界的ですか? どのように影響を与えたいですか? 世界的に影響を与えたいでしょう? しかし、世界的な舞台に上がっていこうとするならば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆さんの国があるでしょうか? 

 ですからわたしたちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、暮らそうとするのです。そのために生まれたということを、皆さんが天地を中心として誓う生活をしなければならないということを知らなければなりません。寝ているときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の人種をすべて集めた頂上の玉座に座っているという心を持たなければならないのです。天の息子はそのようでなければなりません。

 サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができ、その栄光の位置に立って生きなければならないのが天の息子・娘の生活であるということを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子・娘を愛そうとするならば、そのような息子・娘を愛すべきなのであって、サタンにさえも劣る息子・娘を愛すれば、父の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念を持って今後、全世界と手を結んで日々の生活をしていかなければならないということを、新しく決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線の基盤は確固たるものになると思うのです。

 「わたしは、たとえサタン世界圏内にいたとしても、天の密使だ、天の一大使だ」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡することのできる道があるのです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために生きているという信念を持っていかなければならないのです。このことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。それと同じように、わたしたちがこの地上で、そのような使命を持っているならば、神様もわたしたちの報告とわたしたちの要求を待たれるようになるというのです。

 したがって、自分が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか? これと同じように、皆さんがそのような信念を持って神様の特権的な栄光の息子・娘であることを認識しながら「わたしはこれを願うので成し遂げてください」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれるのを見ることができるのです。

 そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の者がいれば病気を治すことができ、困難なときには、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信が生まれ、そうしてこそ信念を持ってすべてのものを打開していくことができるのです。

 紳士淑女の皆様

 わたしたちが行くべき所はどこですか? 個人を尋ねていくことが、わたしたちが行くべき目的ではないのです。また、家庭を尋ねていくことが現在のわたしたちの目的ではありません。わたしたちが行くべき道は、国を尋ねていくことです。分かりますか? 父、母、息子などという区別なく、これを尋ね求めなければならないということです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は「ああ、国だとか何だとか、教会だとか何だとか、そんなことは知らない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。

 死ぬときまで国を求めていき、持てる精誠のすべてを尽くして、まさに天国の主権復帰のために祝典を行い、祝賀することができ、勝利の凱歌を上げることができる、そのときを迎えなければなりません。

 イエス様の言葉ならば何であっても、その一つだけしか知らないというようでなければなりません。方向を提示するにおいては、二つではなく一つです。行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。そのようになっていますか、いませんか?

 それでは、夫を捨てて、息子を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければな
りませんか、行ってはならないでしょうか? 統一教会のためにそのようなことはしないのです。国のためにそのようなことができなければならないというのです。

 今、以北ブク(朝鮮半島で休戦ライン以北をいう語。北朝鮮)では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。これはどういうことだと思いますか? サタン世界が先に行うということなのです。国のためには、自分の夫や、妻、父母、息子など、すべて捨てて立ち上がることができなければなりません。そうしなくては、希望の国を取り戻すことができません。その国を復帰するとき、その国とともに父母を取り戻すようになるのです。国を見いだすことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにありますか? それゆえに、国を取り戻す前には妻を愛することはできないのであり、父母を愛することはできないのであり、息子を愛することはできないのです。これがキリスト教が行くべき道であり、統一教会が行く道なのです。

 皆さんは、自分自身を否定して、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆さんは、自分自身に対するお父様の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝つ人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、神様の真の息子・娘であると言うことができるのです。

 それでは、神様の国を建設できる人はどのような人でしょうか? それは、自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、まさに神様の国を建設することができる人であるというのです。さらには、国家と世界を否定してでも天のために生きる人が天国を建設することのできる人であるというのです。また、いかなる辛い環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ神様の国を建設することができます。

 それだけでなく、皆さんは、神様の国と神様の義を捜し立てる過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、皆さんが個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆さんがどのような立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中にあってもサタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家のいちばん難しい問題に責任を持ち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。

 六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、わたしは降参します」と言って、目を伏せて帰ると思いますか? 皆さんは雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思うでしょう? 雑巾でも、引っ繰り返してにおいをかいでみてから捨てるのです。サタンは、そのまま退いてはいきません。ですから、がむしゃらな闘いをしてくるのです。それゆえに、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになるときには負けてしまうのです。方向が合わなければ、発展しないということです。

 その国を取り戻すのは世界を取り戻すためであり、世界を取り戻すのは霊界のためなのです。そうして何をするのでしょうか? 神様を地上にお迎えして、そして定着し、万国が神様を中心にお迎えして、その神様の前に勝利の栄光をお返しするために行くのです。そのような闘いをしなければならないのがわたしたち統一教会の使命であるということを知らなければなりません。

 わたしたちは、はだしで出ていき、祖国を創建しなければなりません。食べ残したもので、この国を生かすことができますか? 食べること、着ること、行き来することに、いつ神経を使うことができるでしょうか? はだしで、素手で開拓していかなければなりません。このようなことを行うところが統一教会なのです。

 皆さんは祖国を捜し出さなければならない勇士ですか、それとも滅ぼす亡国の士ですか? 勇士とは国を代表し、ほかの人ができない仕事をできる人のことをいうのです。だれでもできる仕事をする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人であるならば、その人は勇士です。「勇」という字は、「すばしこい」という意味です。だれよりも早く走り、鉄砲玉もよけるほどにならなければなりません。だれでもできる仕事をする人を勇士とは言えないのです。

 国を建国するにおいて、開拓の勇士となるべき先鋒に立つ将軍はだれですか? そして、国を成すことのできる基台はどこですか? 一つの国を成そうとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となりうる基盤は何ですか? それは、教会の人と物しかないというのです。そうでしょう?

 この韓国に立てられる国は、どのような国でしょうか? 互いが流通し、交流するようになるときは、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままにしておくのでしょうか、そうでなければ、どちらでもない新しい国を追求するのでしょうか? このような問題について見るとき、わたしたちの時もますます近づいてきているということを感じるようになります。皆さんが、このことをなして、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらい持ち、また、どの程度の犠牲の代価を払うことができる決意ができているのかというのです。自信がありますか? 三八線の以北に越えて、以北にある五つの道の市、郡を中心として、わたしたちの基地を準備しなければなりません。

 人員が不足なこのときに、だれが北韓の地の、定州ならば定州の責任者になるのかを考えてみなければなりません。定州の郡ならば定州の郡を中心として、「わたしが責任者にならなければならない」と、十年、二十年準備して、それでもなれなければ、後孫に「おまえは一所懸命に勉強して、一所懸命に準備をし、その日を迎えたら定州の地の天との因縁を代身した責任者になりなさい」と、遺言を残してから死ぬことのできる、そのような精誠を尽くす皆さんになってみましたか? わたしは今まで、そのように思って準備してきました。

 そのようなことを考えるときに、若い者たちは地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっていますか? そのように暮らすようになっていますか、いませんか? 死んでも国を残していかなければなりません。死んでも、子女たちに国を残してあげなければなりません。新しい決心をしなければならないのです。

 「わたしは、ソ連と満州に隣接する地方に行って共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、だれも理解してくれなかったとしても、生命と取り替えても、国を愛する忠節の心は変わらな い」という決心をしなければなりません。それで満点です。世の中が分かってくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべて明らかになるようになっているからです。

 このようなことを考えるとき、人が足りないということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか? 人が不足しているということを知らなければなりません。かかしのような男性であってもラッパをかつがせ、あるいはロボットをつくって北韓の地を歩き回らせてラッパを吹かせたいというのが、わたしの心情であり、神様の心情です。口があり、感情を持った男として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体を持っていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。

 目玉が腐って飛び出すくらい、夜、寝ずにでも勉強をしなければなりません。おなかがすいて、骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにして骨と皮だけになったやせこけた体が、天の愛をすべて受けることができる体となるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待を持つことができるのではないかというのです。

 イエス様も、国を建てられるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとすれば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を基台として審判するのです。祖国は、最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれているのです。

 この三サム千チョル里(朝鮮半島の別称)が祖国になりましたか? そのようになっていないので、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、わたしたち全員が一イル片丹心シムで頑張らなければなりません。

 善というものは何でしょうか? 家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国主権復帰のために氏族が犠牲になることが善です。祖国主権復帰のためにすべてが犠牲になって、祖国主権復帰が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道義の基準とは、神様のために絶対忠誠することです。そのようにすれば、その過程のすべてのものは認められるようになるのです。

 わたしたちはどのようにすべきでしょうか? イエス様は「わが父よ、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、 「父のみこころ」とは神様のみ旨です。統一教会員である皆さんは何をしましたか? 忠臣の道理を立て、またその実績を持ってきましたか? 孝子の道理を果たして、その実績を持って、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。イエス様は祭物の使命を持って来られました。皆さんは世界的な闘争をなしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければならないのです。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆さんは、民族的な道を築いていかなければなりません。数多くの人々が主権復帰の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成る」という信念を持って死んでいったのです。

 統一教会員は、個人から民族、国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。わたしたちは、祖国主権復帰、自由、平等、幸福の日を捜し出していかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、わたしが望む観点であり、神様が望まれる基準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。わたしたちは祖国主権復帰の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。

 韓国は、わたしたちが責任を持たなければなりません。今日も明日も変わることのない祖国創建という覚悟と信念を持って、イエス様の祖国、聖霊の祖国、先知先烈ニョル(預言者と、義のために戦って死んだ烈士)の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。

 わたしたちは、祖国を取り戻さなければなりません。祖国を取り戻そうとすれば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を見いだすことができません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることになるでしょうか? 世界を自分の祖国と思って世界のために生きなければならないのです。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものとならなければなりません。

 それゆえにわたしたちは、共産党から白昼、刃物で刺される覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、わたしたちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、わたしたちが行かなければならないのです。そのためには、だれよりも祖国を愛さなければなりません。ご飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚しなさいというのです。わたしたちの祖国のためにです。

 今は、わたしが言えば、何でも聞くことができる群れが生じ、わたしが方向を提示すれば、動くことができる群れが生じましたが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国主権復帰を約束できる、そのような基台を広めていくのです。六千年摂理の中心的み旨として立てた家庭を、信奉することのできる教団と民族と国家がなければなりません。神様を信奉することができる、そのような基台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたゆえに、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するために先頭に立って走らなければなりません。

 夜になって寝床に入る時間にも、その願いの国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなさいというのです。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないというのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成すためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。

 成すべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の主権復帰というものが時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ訪れてくるということを思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも補充すべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるのかというのです。起きては腰を曲げて「お父 様 あなたが訪ねていかれる明日の安息の住みかであり、あなたが行使されたかった世界を支配することのできる勝利的国家の基台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。わたし自身がそうであるのに、天が訪ね求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか? 」と、祈祷しなければなりません。

 疲れたといって思いのままに横になることができないのです。死んでも国のために死ななければなりません。それゆえに、年を取って疲労を感じる、そのような立場で、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。

 イエス様は「あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたはまず神の国と神の義とを求めなさい」と言われました。このように聖書の主流思想は国です。国、その国を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫を持ったとしたならば、その夫は国を代表した夫です。ゆえに、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻であるので、国を愛した後に妻を愛さなければならないのです。死ぬにしても「わたしがなし得る力をすべて果たし、わたしはこれ以上できないというその位置で死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかったのに」という言葉を残して死んではなりません。それゆえに、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、わたしたちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ サタン世界よ、おまえは何もしないで遊び暮らしていろ。われわれはその国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。

 南北統一を熱望する愛国同胞の皆さん

 特に女性の使命として、子女格である青年男女、および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。

 さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。

 改めて、きょうのみ言が、南北韓が共に真の愛で出会う、その日を早める汎国民運動になることを願いつつ、わたしの話を終わりたいと思います。

 神様の祝福が皆さんと皆さんの家庭に共にあることを祈願いたします。

 ありがとうございました。

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国連の刷新と「平和の文化」建設

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


国連の刷新と「平和の文化」建設

(00.08.18 世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)主催「アセンブリ2000」開会総会 ニューヨーク国連本部)



 満場の貴賓、そして高名なる各界指導者の皆様

 私は、きょう、このように美しく厳粛な国連会議場で、皆様とともに、世界と国連の行くべき道に関する私の熱情と所見の一端を紹介できるようになったことに対し、深い感謝の礼をおささげいたします。

 過去四十年余り、私が展開してきた超宗派超国家の活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に望んできた平和世界の実現でした。平和世界に対するビジョンは、超宗派運動の核心でした。

 人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も経験し、そして七十年の間、無神論共産思想の横暴と冷戦時代を経ながら、先鋭な対決と葛藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はつかの間の平和のための祝杯を挙げることができました。

 しかし、すぐに人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和時代に連結されるのではないことに気づきました。世界の至る所で激烈な戦争が継続し、今もさまざまな所で殺戮戦が展開されています。これらの諸紛争は、主要宗教間の根深い葛藤が背景になっていることは、周知の事実です。「宗団」間の対話と和合が、いかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。

 現代における宗教的な理想の実現は、往々にして世俗権力と一定の距離を置いて活動してきました。今日の一般的な認識は、これを当然なこととして受け入れています。しかし、世界平和理想に寄与する諸々の国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと考えます。

 そのいかなる国際機構よりも、国際連合がよい例になることでしょう。多くの人々は、国連が、世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると見なしており、これに期待をかけています。国連には世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために共に働く、すべての国の代表者たちが集まっています。

 しかし、国連で国家の代表者たちが世界平和を実現しようとする努力に対しては、相当な諸障害があります。国連を通して得た諸々の実績と成果を否定してもいけないのかもしれませんが、国連自体が改善すべき点も多いと考えます。世界の政治家たちと宗教指導者たちが、国連を中心として互いに協力し、尊重する関係が、切実に必要な時となりました。

 本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら、一体を成して生きるようになっています。心と体が闘わずに真の統一の起源を成すのは、人が神様に似た神様の息子であり、娘であるからです。神様の心と体が闘うことはありません。絶対者であられる神様においては、自体内に矛盾や葛藤はあり得ません。

 心と体が統一体となる人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに成し遂げられるのです。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる(新共同訳・新約聖書マタイによる福音書五章9節)」という聖句も、神様を中心として心身一体理想を成したことを前提とします。

 ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤を引き起こしながら自己矛盾の中に生きてきました。そればかりでなく、個人の中で起こる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、そして国家と世界に拡大されてきました。兄であるカインが、弟アベルを殺害する犯罪もここに由来します。

 有史以来、この地球上で展開されるすべての対決と戦争は、本質的に、より悪であるカイン側と、より善であるアベル側との間の闘いでした。このようなカイン側、アベル側の闘いは、必ず終息し、原状に復帰されなければならず、心と体の対決も終わって、調和一体として復帰されなければなりません。

 個人の心と体が統一されなければならない原理を、世界的な次元で適用実践しなければならないのです。この目的のために私は、世界平和を具現する、心の世界を代表する世界平和宗教連合と、体の世界を代表する世界平和連合、島嶼、半島、大陸国家連合、そして、二つの世界の調和のための世界平和超宗教超国家連合などを創設しました。

 人間社会での諸般の問題は、根源的に、単に政治的な問題ではないために、社会的、政治的解決のみでは、常に不十分なのです。大部分の人間社会が、政治的に統治されていますが、反面、大部分の国家的、文化的、正体 性、の根底には宗教があります。

 事実、大部分の人々の心の中には、宗教的な忠節が、政治的な忠誠よりはるかに重要性を持っています。

 今、宗教が、この世でその真の指導力を発揮する時が来ました。宗教者たちが、この時代の状況とさまざまな不正に対して責任を感じ、深い自己省察が先立たなければならないと考えます。

 宗教者たちは、愛の実践で手本になることができませんでした。自分個人の救援や宗派の利益に汲々とするあまり、世の中の救援に尽力できなかったことを悔い改めなければならない時です。今こそ、信仰生活ばかりでなく、愛の実践生活が要求されている時です。

 神様は、私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを望んでいらっしゃいます。すべての宗教者が心を一つにして、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。

 体と外的な世界を代表する、政治家や外交家たちの経綸と実践だけでなく、心と内的な世界を代表する宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に成し遂げられることが可能なのです。そのような点で、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。恐らく、両院制の形態を備えた国連を想像することもできるでしょう。

 国家の代表たちによって成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院に代えて考えることができます。一方、著名な宗教指導者など、精神世界の指導者たちによって宗教議会、あるいは国連の上院を構成することを深刻に考慮するようお願いします。このとき、超宗派的な宗教議会は、地域的な個々の国家の理解を超えて、地球星と人類全体の利益を代弁すべきでしょう。

 両院が相互尊重し、協力することによって、平和世界を成し遂げるうえで大きく寄与することができることでしょう。世界の指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とビジョンによって効果的に補完されうるのです。

 世界は、今も国境線を中心とした衝突地域が増えつつあります。このような諸々の紛争地域によって、世界は途方もない人命被害と、数十億ドルに達する戦争費用と平和維持費を注ぎ込んでおり、あまりにも多くの資源と努力を消耗しています。これに比して、ただの一か所として満足に解決の進展を見せる場所はありません。

 私はこの場で、国家を代表する国連と宗教指導者が心を合わせ、すべての国境地帯に平和地区をつくることを提案するものです。

 山や川、あるいは平原であると海であるとにかかわらず、国境線と紛争地域の付近一帯を緩衝地区、すなわち平和地区にするという案です。

 この場所は、国連の直接的な統治と管轄下にあるようになり、ここで全世界から平和定着のために集まってきた人々が暮らせるようにするのです。国連は、ここが国連の創立趣旨と、引き継がれてきた平和宣言の内容に符合する最も模範的な地域になるよう指導しなければなりません。

 このような平和地区は、平和と繁栄、和解のための安息所です。そして、人種と性の差別がなく、人権の侵害と戦争から解放された典型的な地域です。さらに、ここは生態学的にも環境的にも、万象にとって楽園のような場所とならなければなりません。

 このような平和と自由、生態学的な調和を追求する地域を確定するためには、該当国家が国土の一部を提供しなければならないという問題があります。私は、この提案にとって障害になりうる実質的な問題点を解決するため、少なからぬ努力を傾けてきました。

 私は、冷戦体制の犠牲になった韓半島の分断と戦争には、摂理的なみ旨がある、と教えてきました。朝鮮戦争は、平和守護のために、世界十六か国の若者たちが国連の旗の下で血を流した、歴史上類例のない聖戦になりましたが、まだ平和統一は、未解決の課題として残っています。私が、摂理観に立脚して、平和世界実現のための国連の厳粛な使命を考えるのも、このためです。

 去る六月から進展した南北韓の和解と協力のムードが、このまま続いていくことを切に願います。南北が対峙してきた、韓半島の百五十五マイル軍事境界線周辺の緩衝地帯全部を、国連管轄下の平和地区にし、そこに、人類が教訓を得ることのできる展示館と博物館、教育の場と平和公園などをつくることにおいて、国連が率先してくださることをお願いします。

 私は、これまで南米のメルコスル地域に、約百二十万ヘクタールに達する肥沃な土地を購入しつつあります。国連平和地区設定によって喪失した国土の代わりに、これを補償するためです。韓半島の南北指導者たちに、その一部を寄付すると通告もしました。

 私は、このような内容を明らかにすると同時に、心ある世界の指導者たちが、私が提示した趣旨に同参してくださるよう訴えるものです。そして、私とともに、国連管轄区域となる平和地区確保のために、自らの土地と基金を喜んで寄附できるようにお願いします。平和地区は、国連の指導下で、自然と人間が共存する理想的な道義社会として建設されることでしょう。

 私は、すでに二年前の一九九八年十二月に、「対話を超えて実践に進む超宗教的理想の実現」という主題で開催された国際会議の席上で、世界の宗教指導者たちが集まった中、世界平和基金の創設を提案したことがあります。

 このときに参加したすべての宗教指導者たちは、世界の宗教者が、まず世界平和のための基金の募金に率先する意味で、七数に該当する寄附金を出す運動を展開するように決議しました。

 各個人と国家ごとに、各々経済的な状況が違うために、ある人は七ドルを出すことも無理かもしれませんが、七百万ドルを寄附する人もいることでしょう。

 この世界に生きている、すべての宗教者が心情的に一つになるならば、基金の募金に積極的に同参するばかりでなく、このように集められた基金によって平和地区を造成し、平和に対する理想と知恵を教えるのに用いることができることでしょう。

 国連は、宗教者だけでなく、すべての国々に対して毎年、自発的に平和基金(例えば「白十字会費」という名前で)を納付するように指導することができるでしょう。

 富裕な博愛主義者や経済界指導者、企業人をはじめとして、各界各層の指導者と団体、そして個々人たちも国連平和地区建設に積極的に加担し、世界的な平和ムード造成と募金運動をするうえで、率先しなければならないのです。

 私は、国連の上院の使命を果たす超宗教的な宗教議会の基礎とするために、世界平和超宗教超国家連合を創設しました。各国家から超宗教的な大使が、既存の大使とともに国連に派遣され、宗教議会、すなわち国連の上院を構成するのです。

 超宗教的な理解と修練をした、超国家的な平和理想を指導すべき国連の上院議員たちが担当する任務は、狭い視野で特定の国家の利益のみを代弁しようとすることとは、正反対になるのです。彼らは、絶対者のみ旨に従って、世界と人類全体の平和理想のための任務を遂行するようになるのです。

 国連の上院議員となった超宗教大使は、いったん派遣された以後には、国連の世界的なビジョンと議題を代弁することのできる、全地球星的な業務を遂行しなければなりません。このような意味で、国連の国際大使とも言えます。

 このような国連国際大使は、既存の国連大使とともに、世界のどこに赴いても、平和と福祉社会具現のための共同運動を代表するようになることでしょう。また彼らは、地球上のすべての国で正義、安全、平和の高い理想を守る、良心の守護者の役割をするようになることでしょう。

 このような措置は、世界市民たちと青少年たちに、希望とともに、愛と平和を追求する理想的家庭の安着を、直接に確認する機会を提供することでしょう。選出された超宗派超国家的な大使は、各国ごとの後援の下に展開している健康、教育、福祉厚生事業などの理想的なプロジェクトが、積極的に遂行されているかどうかも点検することができることでしょう。

 私は、さまざまな団体と組織を通じ、宗派と国籍を超越して、真の愛の教育を絶えず展開してきました。このように絶えず投入し、対話と和解の努力を展開した、過去数十年の歳月を通し、人類が一つになるための最も堅固な基礎は、正に真の家庭の理想から始まる普遍的、かつ核心的な愛であるということが明確なものとなりました。

 このような内容を土台として、私は、今から国連に属するすべての機構、および組織の活動を促し、三つ目の提案をしようと思います。国連を率いている上位の政策決定権者たちが、決まった規定に従って、世界的な公認の日を制定するのです。

 私は、国連が児童の年、または平和文化の年のような多様な宣言的な日と、十年周期の記念日を制定することを知っています。私が勧めようとするのは、意義のある国連公認記念日を制定して、世界が毎年、この日を記憶し、記念するようにしようというものです。

 すなわち、「真の父母の日」を制定し、世界的な祝祭日として記念し、同時に、「真の家庭の日」を二つ目の世界的な記念日として制定することを提案するものです。人種と宗教、文化を超越して、だれでも愛することができ、大切に思うことのできるこのような日を、皆一緒に慶祝することによって、私たちは、人間としての共通した真の根を確認し、真の家庭の大切さを確認できるようになるのです。併せて「国連軍の日」を制定し、国連の正義と平和維持軍の神聖な使命を宣揚するようになることを願います。

 尊敬する指導者の皆様 私たちは今、一緒に心を合わせて努力し、宗教と世の知恵の中にある諸々の高貴な内容が、緊急で深刻な問題が存在する世界で援用され、適用されうるよう、体制と組織を補完していかなければなりません。

 このような体制は、超宗教指導者で構成された協議体が、国連の政治指導者、および外交官たちと協力し、共同の歩調を取ることで成されうるのです。世界平和超宗教超国家連合は、絶対者と超越の世界(霊界)、そして、永生と霊魂の問題に対する正しい指導とともに、このような目標のために献身していくことでしょう。

 さらに、平和のための国連の努力に添って、ひいては、神様を父母として迎える人類が一兄弟となって、宇宙一家庭を成す、そのような永遠の愛と和楽の天国、神様の祖国を成していくことでしょう。

 私は、専門識見と経験、そして知恵を備えた世界の指導者たちと国連関係者たちが、私が提示したこのような理想をいかに補完していくべきかについて、よくご存じであると信じます。

 国連をはじめとする政府機構等が、これを成し遂げられないときは、NGO(非政府組織)等、民間組織を通してでも、このことを必ず成すようになることでしょう。私たちが継続的な努力で協力していくならば、必ずや地上に平和と幸福の理想が実現されるはずです。

 神様の祝福が、皆様の携わる仕事と国連の上に、共にありますよう祈願いたします。

 ありがとうございました。

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国境線撤廃と世界平和

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「国境線撤廃と世界平和」

(00.08.18 世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)主催「アセンブリ2000」祝賀晩餐会 ニューヨーク国連本部)



 「アセンブリ2000」の開会総会終了後、同連合創設者である真のご父母様に対し、世界平和NGO(非政府組織)世界会議から「万国平和賞」が授与されました。その祝賀晩餐の席上、講演された講演文の内容です。 
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 尊敬する内外貴賓の皆様。

 きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある万国平和賞を受け、この受賞の栄誉を皆様とともに分かち合う意義深い場を持つことができたことに対し、心から感謝の意をおささげいたします。

 私は、この場を借りて「国境線撤廃と世界平和」という題目でしばらくお話し申し上げ、それをもってあいさつの言葉に代えたいと思います。

 皆さん。私たちが、この世界にあるすべての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に到来することでしょう。

 ところで、私たちが記憶すべきことは、国境線の主人がだれであるかというと、それが神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人はサタンなのです。国境のある所には、必ずサタンが潜んでいるということを知らなければなりません。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるというのです。東洋と西洋についても、文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこにだれが潜んでいるのかというと、悪魔が潜んでいるというのです。

 文化の背景、伝統の背景、人種の差別、このようなあらゆる種類の差別をつくって国境線をつくったのは、神様ではありません。神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち、一つの世界なのです。その世界は、国境のない世界です。

 神様には国境がないので、「恨みを晴らしなさい」と言われることはできません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。

 それゆえに、神様の戦略戦術は、「怨讐を愛しなさい」という言葉になるのです。

 「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略であり、偉大な戦術的な内容であったということを、今日までの人類歴史を通じて分からずにおり、今現在、生きている人間たちも分からずにいます。

 しかし、このように歴史上分からず、現在も分からずにいたことを、今、統一教会の教会員たちは歴史を代表し、現在を代表して神様の戦略戦術を知ることができるようになり、また、これを相続して実践することのできる人となったのです。ですから、彼らは、自動的に平和を成し遂げることのできる主人公になったというのです。

 皆さんは、どのように思われますか?。国境は、皆さんの心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動を好まないところにも生じ、自分の言葉を好まないところにも生じるのです。

 私たちが、五感を通して心と体が一つになることができなければ、各種各様の国境が生じるのです。私たち全員が、どれほどたくさんの国境を内に秘めて生きているのかということを考えてみなければなりません。

 また、「怨讐を退治しなさい」、「国境をつくったものを処断しなさい」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。

 目も二種類からなっています。「これも良く、あれも良く、何であっても見えるものは歓迎だ」と言えば、その目には巨大な国境ができるのです。

 聞くことも同様です。善なる良いみ言や、真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いて、そこに同調することもあります。しかし、そのようになれば、皆さんの耳にも国境が横たわるようになるのです。

 統一教会では、流行歌を歌うことを禁じてはいません。一般のキリスト教では、それも禁止事項になっていることでしょう。しかし、問題は、名曲を歌おうと流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるのかできないのか、ということにかかっているというのです。

 それは、その歌を歌って国境をつくるのか、さもなくば国境を撤廃するのかということが問題である、という意味です。「国境をなくして、神様が喜ばれる無制限の橋を架けることができる」と言える人は、流行歌をつくったとしても、悪い言葉を言ったとしても、何をしても問題にならないというのです。

 それゆえに、自分のすべての五感を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して残された、今、生きているこの生活環境に国境があるというときには、サタンの一門に属するようになります。反面、「どこにも国境がない」というときには神側になるのです。

 サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくすための大王です。すなわち、神様は国境を最も嫌われる大王陛下であられるということです。

 皆さん。それでは、韓半島に三八度線があることを歓迎する人がいれば、その人は神様が好まれる人でしょうか?。その反対に、三八度線をなくそうという人がいれば、彼は神様が最も好まれるチャンピオンになるのです。

 韓半島のすべての人、すなわち七千万人が、蕫私は、死んでも三八度線を残しては死なない﨟という覚悟をして生きれば、韓半島の統一は自動的にやってくるのです。しかし、それは決して易しいことではありません。

 三八度線を好む人は、悪魔の側、サタン側であるということを知らなければなりません。言い換えれば、三八度線がある所ではサタンが主人となっており、三八度線がなくなった所では神様が主人となられるのです。

 そこで、統一教会の教会員たちは、三八度線を消化してなくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。

 皆さん。怨讐の一族、怨讐の国民同士がお互いに「姻戚関係を結んで、息子の嫁にもらわなければ生きていけない」というほどの間柄にさえなった日には、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。

 国境がある所には、必ず悪魔の同族が暮らしているのであり、三八度線がなく、お互いに愛し合って和睦する所には、間違いなく神様の血統を持って生まれた血族が暮らしているのです。

 今日、統一教会の人々は、「趣味産業」という言葉にとても大きな興味を持っています。だれもが、そこに行って暮らしたいと思う所、「そこは、興味を持って見詰めることのできる蕫喜望峰﨟だ」と言うことのできる所があれば、そこは今後、新しく国連を中心とした超国家連合ができれば、国境地帯でもどこでもすべて超国家的主義の国連の名の下に隷属されなければなりません。

 聖書を見れば、旧約時代には、人間の代わりに万物を象徴する物を割いて血を流すようにしました。そうして、(割いた祭物の)左側はサタン側、右側は神側として分けておき、二つの群れが蕫得たり手放したり﨟という闘いを続けてきました。

 ところが、旧約時代が失敗することによって、サタンと神様は、昔のように物を分けて(割いて)持つということを超えて、息子を分けて(割いて)持つ闘いをするようになったのです。

 その結果、神様の長子であられるイエス様が、この地に降臨されて血を流され、結局、イエス様の肉身はサタンが持っていき、イエス様の心は霊界にと、このように分けられることになりました。

 しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻されなければならないので、「再び来なければならない」と言われたのです。

 このように、息子であられるイエス様が分けられる(割かれる)ことによって、霊界と肉界がすべて分けられたので大変なことになりました。

 男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これをすべて統一させるために、霊界の所有権を訪ね求めていかれたイエス様は、地上の肉身の所有権をそれとともに所有して一つにするために、地上に再び来られなければなりません。

 それでは、地上に再びやってきて、何をしようというのでしょうか?。それは、結婚して家族を成そうというのです。

 長子として来られたイエス様を中心として、そのかたの肉身を占領したサタンは地上世界を占領し、天上世界は天が占領するようになったのです。

 イエス様は、霊界に行かれてから二千年間、道を築かれながら天上世界、すなわちすべての心の世界の方向を一つにする一方で、地上でもキリスト教を立てて役事してこられました。

 しかし、キリスト教は、再びカインとアベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となってしまいました。サタン側と天側に分かれて闘ったのです。

 長子はサタン側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず国境的な内容、すなわち闘争的な概念を抱いて闘い、そのようにして歴史が発展してきたのです。これを解放しなければなりません。

 それで、来られる主は、天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のごとき統一圏を中心として、数千年間、分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚式をするようになるのです。これが、正にキリスト教で言う「小羊の婚宴」だったのです。

 このように、天の国と、地上のキリスト教の国が統一される道を取り戻した時が、正に第二次大戦の直後でした。このときは、キリスト教文化圏が全世界を統一した立場にあったのです。

 それで、霊界の統一的主導権を持たれたイエス様が、霊界の勝利的覇権者となられ、さらに地上のキリスト教文化圏も統一されるという、そのような時が来たので、イエス様と聖霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊が新婦となり、二人が一つになって結婚式をすることができたのです。そうすることによって、心と体が分かれて闘っていたこと、男性と女性が分かれて闘っていたこと、それらのすべてのことを解決して、天下を平和の王国にすることのできる絶好の機会を迎えていたのです。

 漠然とした話ではありません。神様の創造理想について見るとき、だれから先に結婚式をしてあげるようになっていますか?。アダムとエバです。

 しかし、人類の国境線となっている壁は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地をつくり、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚させれば、私たちのすべての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され、小躍りされるのです。このような世界が成し遂げられれば、それが正に地上天国になるのです。

 しかし、人間の歴史上、そのような日はありませんでした。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻吟し、苦痛を受けながら、そうしてここまで来たのです。したがって、この境界線の打破をどのようにすべきなのかという問題に対する答えさえ捜し出せば、それが平和の起源になるということを、人類は分からずにいたのです。

 それを人類歴史上初めて、レバレンド・ムーンが真の父母の資格を持ってこの地に顕現し、その打破方法を提示して、万天下の善男善女を神様の前に祝福させてきたのです。

 たとえ国境線が百万個あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにしてでしょうか?。真の愛があるので可能なのです。そしてまた、撤廃するためには、神様のように蕫知ること﨟ができなければ、それをなすことはできません。つまり、神様を百パーセント以上知らなければならない、ということです。

 皆さん。霊界を見れば、天国と地獄があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜が分からない人が、天国の境界線を主管することができるでしょうか?。とんでもないことです。分かる人だけが、自動的に主管することができるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗闇を撤廃することができるのです。

 神様は、全知全能であられるかたなので、それを撤廃することができます。したがって、問題は「神様を知らなければならない」ということになります。

 それでは、皆様は神様を知っていますか?。知っているとすれば、どのくらい知っていますか? 神様は、お金を好まれる神様だと思いますか?。そうでなければ、権力を好まれる神様ですか?。さもなくば、知識しか知らない神様ですか?。そのような神様では、人類の解放をもたらすことはできません。

 私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放することができるのであり、完全に解消することができるのです。神様を知ったとしても、神様が何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃することができるのでしょうか?。それが重要なのです。

 神様が、この宇宙の主人であられるのならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないでしょうか?。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を取り戻さなければなりません。

 しかし、すべての環境圏が国境でふさがれているので、この国境を撤廃することによって、神様が喜ばれる世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物は蕫神様に主管されたい﨟と思わないでしょうか?。国境線の下で悪魔とともに呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。

 皆さん。私たちは、何よりも神様をはっきりと知り、また、天の国をはっきりと知らなければなりません。そのようにすれば、どこに行っても、またいかなる状況になったとしても、その国の伝統とその国の文化内容に対して、どのように対処して生きていくべきなのかということに対する答えが自然と出てくるのです。

 天の国には、明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界は、千々万々の国境によってふさがっています。それでは、どうしてこのようになっているのでしょうか?

 神様を知り、天の国を知る人がいませんし、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも地上世界にも解放圏が展開するのです。

 「そうなれば、おい、サタンよ」と言えば、サタンは、どうすることもできずに従わざるをえません。そのような位置に立てるようになりさえすれば、天の国と神様の心が一体となることのできる文化背景と伝統的思想を持って暮らす方法を知ることができるようになるのです。

 そのような人が、正に、ために生きる愛を持った人です。自分のために生きる愛を持った人ではなく、相対を愛の主人にしてあげ、相対が愛を通して小躍りすることができるようにしてあげようという人は、神様を知り、天の国を美しく装い、保護する生活をすることができる後継者となるので、神様の後継者をサタンは妨害する道がなくなるのです。

 死ぬ目に遭って憤りを感じる以上の立場を超えて怨讐たちを愛すれば、怨讐の世界を支配することができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるということです。ために生きることにおいても、自分の父や母よりも、だれよりも町内の人を愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねて来られて、千倍万倍報いてくださるのです。

 神様を知り、天の国を知って、その伝統的骨髄思想、サタンが八方に逃げていかざるをえない秘法とは何だと言いましたか?。ために生き、ために死に、ために愛そうとするならば、サタンは、間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま行くことはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。

 そのようになれば、どのようになるでしょうか?。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇することができるという永生の道理が訪ねてくるというのです。

 そこにおいて初めて蕫永生﨟が生じるのです。神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である蕫ために生きる愛﨟のために、千年万年続けたいと切に思う群れになることによって、そこから主体であられる神様をお父様と呼ぶことができるのです。

 それゆえに、そこにおいて永遠の血筋を通して、血統を通して蕫永生の論理﨟と蕫永生の伝統﨟が自らとともに決着するのです。それは、間違いのない真理です。

 永生というものは、本質的な愛の属性です。神様も、宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立ててなされたのです。永遠に、永遠無窮に、世の中は過ぎていったとしても自らの愛がもっと大きくなるようにと投入することのできる、そのような心を持って生きていらっしゃるかたが神様です。

 ですから、神様の前に主管を受けたくないと思う存在や、相対的な理念を持った存在でありながら、神様に絶対、唯一、永遠、不変の主人として侍らずにいることのできる存在はない、ということを知らなければなりません。

 永生不滅の位置で創造された息子、娘が、その位置に立てば、神様の国が自らの国となり、神様が自身の神様になるのです。神様と天の国の伝統的主人としての生活方法と自分が一致すれば、神様の息子、娘であることは間違いないので、蕫永生不滅﨟ということは自動的な結論なのです。それで、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という逆説は、真理です。

 国境撤廃にも国連の国境撤廃、宗教の国境撤廃、民族の国境撤廃、地獄と天国の国境撤廃があります。また、撤廃するにおいては、偽りの父母がそれをつくったので、真の父母以外にはそれを成す人はいない、というのが事実です。神様もできず、サタンもできません。

 サタンと神様が闘う戦争をだれが止めることができるのでしょうか?。それは、偽りの父母がそのようにさせたので、ひとえに人類の真の父母として来られたかただけが、このことを成すことができるのです。

 皆さん。皆さん全員が、このような解放的な決心を持って帰ってくださることを願います。

 ありがとうございました。

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世界化時代に言論の道徳基準確立を

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「世界化時代に言論の道徳基準確立を」

(01.01.15 第18回世界言論人会議 創設者メッセージ 東京)



 (朱東文ワシントン・タイムズ社長兼UPI社長が代読)

 世界各国から来られた前、現職の国家元首、尊敬する言論界の指導者、そして紳士淑女の皆様。

 私たちは新千年時代の第一歩を踏み出しました。わずが十年前、人類は冷戦時代の核の恐怖と脅威の中に暮らしていました。しかし、今日では、政治、経済、文化など、ほとんどすべての分野の障壁が崩れました。世界は今、一つの共同体になりつつあります。特に、私たちは時間と空間を短縮させるメディア技術の発展によって、人類歴史上、最も幅広い変化を経験しています。過去、いつの時よりも、個人は世界と、世界は個人とかかわりをもつようになりました。

 例えば、インターネットは、私たちがニュースと娯楽情報を得る方法を変えているだけでなく、非常に平凡な個人的意見までも、即時に世界に伝わるようにするものです。同じように、世界の重要なアイディアや問題は、個人のコンピューター画面を通して、いつでも私たちのそばに存在しています。

 二十世紀に科学技術を発展させた最も重要な契機は、電気の発明でした。今日の焦点は、巨大な情報の高速道路であるケーブルの情報流通容量に集まっています。

 今日、各個人がラジオ、テレビ、新聞、インターネットなどを通じて得ることのできる情報量は、とてつもないものです。問題は、果たして人類がこのあらゆる情報を十分に消化し、良い目的のために正しく活用できるかどうかにかかっています。

 ニュースと情報が世界に氾濫すると同時に、ますます商業化していく傾向があります。情報はしだいに一つの商品と見なされつつあるのです。情報の倫理道徳的影響よりは、いかにもっとよく売れるかが重要視されています。情報高速道路が及ぼす影響を率直に評価するためには、科学技術のような外的変化の側面よりも、メディアを通して現れ、影響を及ぼすさまざまな内的側面に注目しなければなりません。

 私たちはより本質的な側面から、情報化時代が人類の心と霊魂にどれほど助けになっているかを、いま一度、はっきりと検討してみる必要があります。世界化時代において、私たちは言論の存在位置を、いま一度、自問自答してみるべきでしょう。言論の歴史に対する責任が最も切実に感じられる時代です。

 純粋な次元で、言論が人間の生活の質と、ひいては家庭と国家、世界に及ぼす影響に対して考えざるを得ません。当然、どの分野に情報伝達手段が最も多く独占的に活用されるかが、核心的な問題になります。現在、先端情報技術が最も活発に使われる分野は、商業広告、政治宣伝、そして大衆文化を挙げることができます。

 情報技術(IT)がより豊かになったからといって、私たちがより尊敬される人になったとか、より健全な社会をつくったと言うことは困難です。肯定的な側面がある半面、かなり否定的な面もあります。親たちはときどき、子供が勉強と眠りを忘れたまま、夜通しインターネットの前で、ある場合にはとても不道徳な状況でチャットに熱中しているのを見ることができます。

 大衆文化において、暴力的で淫乱な内容が、人々をして、他人の苦痛を共に感じられなくするだけでなく、本然の神聖な愛の意味さえも色あせさせてしまいます。

 二十一世紀に人類は、冷戦時代よりもいっそう根本的で、危険な問題に直面することでしょう。私たちすべてが、次に直面するのは、東西間の対立ではなく、価値観における対立であるからです。道徳的世界と非道徳的世界の間の葛藤です。度を越した商業化は、人間の尊厳性に否定的な影響を及ぼすだけでなく、神を求める信仰生活の余裕さえ奪ってしまうことでしょう。言論媒体は道徳的基準を同時に強調するとはいいますが、実際には、価値観とは関係のない利潤追求にのみ没頭するようになる危険性があります。

 不幸にも、私たちが置かれている今日の社会的、文化的環境は、道徳的に退廃の一路にあって、家庭の尊さが破壊され、人類社会を苦痛と絶望の沼に追いつめています。エイズは一つの国さえも根こそぎ破滅させることができます。言論が道徳的な価値を尊重しないとすれば、若者たちは自滅の道から逃れることはできません。さらには麻薬の犯罪、離婚の増加、家庭破壊、エイズ、性犯罪などを防ぐことのできる方法は何でしょうか。その答えは私がお話ししなくともよくご存じのはずです。

 現代の通信技術は、言論の自由の範囲を拡大してくれています。誰でも言論発行人になることができるようになりました。おかしな話かもしれませんが、私たちは今日、あまりにも自由で、ほとんど自由の中におぼれて、さまよいそうです。問題はこのような自由をどのように享受し、有用に行使するかがかなめです。

 今回の会議のテーマは、「新千年紀におけるメディア―その統一的方向性」です。皆様の中に、自由な言論のためには、ある中心的な方向設定があってはならないとお考えの方がいるかもしれません。しかし、ここでの「統一的方向性」の意味は、言論の自由という言論の量的規制ではなく、人間の尊厳性を正しく立てるための真の家庭と信仰の価値観を尊重する、言論の質を念頭において論議されなければならないという意味です。

 個人の価値と尊厳性は、安定した真なる家庭基盤を通していっそう高揚し、きらめきます。まず男性と女性が互いを尊重し、和合することを学べる最もよい舞台は家庭です。結局、彼らは人生で最も重要な要素である真の愛を、家庭の中で完璧に学ぶことでしょう。世界を見つめる価値観は、一次的に私たちの両親と兄弟たちから学ぶようになるのです。すでにお分かりのように、家庭とは、愛を学ぶ最初の、そして最高の学校です。家庭こそ、理想社会と平和世界の礎です。ですから、真なる家庭の価値は、言論によって保護され、尊重されなければならないのです。

 家庭破壊を防ぐことができないとすれば、いくら豊かで自由で、そして家庭ごとにコンピューターがあってインターネットを自由に使えるとしても、幸せで健康な社会は保障されないのです。

 人間の尊厳性は、どこを拠り所としていますか。人間は神性を備えていて、神様をよく「父」と呼んでいます。元来、人間は神様から造られた、神様の子女として育ちながら、神様に似るように創造されました。ひいては、神様を中心とした個人は、究極的に神様と共に暮らす家庭を形成するようになります。そうして、結果的に全人類はこの真なる家庭で、真の父母であられる神様の生命と愛と血統を受け継ぐのです。

 人間社会における宗教の役割は、神様との関係をいっそう高めるにおいて重要です。このような意味で、信仰は必須なのです。皆様がどのような宗教を信じるとしても、宗教が教える神様と人間との関係は、とても重要なものです。特に、人間が信仰を通して絶対、唯一、永遠、不変であられる神様と一つになるとき、人間の内的価値も絶対、唯一、永遠、不変の相対的価値をもつ存在として残されるのです。ですから、信仰の価値は、人間の尊厳性において不可欠な要素として存在しています。このような観点から、信仰の自由、信仰生活、信仰活動などは、理想社会をつくるための柱のようなものです。このような信仰的価値観が土台となった人間の生活は、「ために生きる」神様の真の愛を具現する社会へと導くことでしょう。さらには、あらゆる宗教が信仰を土台として真の愛を実践するとき、世界はお一人の神様のもと、兄弟姉妹として一つになることでしょう。

 さる一九七八年、私が世界言論人会議を創設して以来、この会議は、言論が抑圧されている所を求めて行われ、言論自由の伸張に寄与してきました。私は今回の会議が、変化する言論環境の中で、未来の言論の行動指針を模索するのに寄与することを期待します。言論人は、これまで最も価値あることが何であるか、そして世界平和を実現するのに最もよい方法が何であるかに対し、いつも真実を伝え、人類を啓発し導くのに勇気を見せてきました。未来は、絶対、唯一、永遠、不変なる人間の尊厳性が花咲き、世界平和につながる真なる家庭を実現する時代にならなければならないと信じます。

 このような観点から、きょうはとても意義深い日です。皆様が世界の言論媒体の指導者として、今宵、私がお話しした内容を、自らの心の中深くに刻んでくださるようお願いいたします。健全な家庭と理想的な社会、そして平和な世界を築く使命は、私だけに与えられた課題ではなく、皆様すべてが共に分かち合い、担うべき使命だというのが神様のみこころです。

 情報化時代においては、世界のどこにでも行くことができ、世界のどことも意志の疎通が可能です。しかし、皆様と皆様の国と世界のためなる神様の願いを果たすには、このようなニュースと情報がいかなる価値を創出し、いかにして世界に影響を及ぼすかに対して責任を感じなければなりません。さらに、皆様の生活自体も真なる価値観の生きた手本にならなければなりません。そのようにさえできれば、皆様は神様には栄光を、人類には希望と幸福をもたらすことでしょう。

 会議の期間中、皆様の真摯なる努力が素晴らしい会議結果として現れるようお願いいたします。私たちにあらゆる情報とニュースを流す技術はすでにもたらされました。今後、この技術を消化し、いっそう有用な方向で活用し得る、神様と一つになった真なる人間の心情的価値と要素に、多くの関心を傾けてくださるようにお願いいたします。

 神様の祝福が皆様と皆様の家庭に共にあるよう祈願いたします。

 ありがとうございました。

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文明間の対話と調和

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「文明間の対話と調和」

(01.01.27 WCSF2001世界指導者会議 ニューヨーク国連本部)



 尊敬する議長、世界各国から来られた前・現職の国家元首、各界を代表する世界指導者の皆様。

 皆様は各国の多様な活動現場から、今回の会議の主題である「文明間の対話と調和―家庭と普遍的価値と世界平和」を論議するため集まりました。これは簡単な主題ではありません。この対話は超越的な平和文化世界を志向するこの時代にあって、道徳的責任を実践する人類の良心の理想的広場として見なければならないものです。

 私たちは歴史を通し多くの文明が興亡盛衰を繰り返してきたことを知っています。文明が一時は巨大で隆盛でありながらも、やがては滅亡し失われていきました。このような文明の衰退は疾病、または外からの侵略や自然災害のような外的原因によるものでしたが、大部分は内的な腐敗、特に宗教や道徳性が衰退したことにより起こったものです。

 現在、私たちは宗教間の誤解や不調和によって発生した多くの紛争とその深刻な危険の増大に直面しています。宗教が超宗教的対話や調和を優先し、これを実践しなければ、文明間の調和と平和は不可能です。

 宗教が世界文明の内的な中心だといっても、その基礎の中心には家庭があります。私たちすべてがよく知っているように、人類は両親の愛の関係の因縁を通して生まれ、また代を重ねてきました。

 家庭は個人的人格を発展・育成させることにおいて、学校や政府よりさらに重要な訓練場です。また、家庭は文化や文明を創造、発展、再生産する源泉的役割をしてきました。文明は家庭がなければ、時代を超え、続いていくことができませんでした。家庭は私たちが愛を習う最初の学校です。父母と子女間の愛、夫婦間の愛、兄弟姉妹間の愛、このような愛は神様の真の愛に基づくものでなければなりません。家庭が神様の真の愛と直接的に連結されているとすれば、その家庭は神様の真の愛の文化の実体を実現するものです。真の愛と平和の文明はここから創建されるのです。

 真の家庭は真の男と女二人にかかっています。真の家庭完成はすべての人類と世界の問題解決のモデルとなります。いま、私たちが暮らす国と世界を見ても、悪なる戦争の歴史で成り立っている事実を私たちは知っています。

 私たち自身を省みても、心と体が争っているのです。であるならば、人類始祖アダムとエバが愛によって夫婦関係を結んだとき、喜びの関係ではなく、不義の関係からだったため、それが争いの起源となったということは実に論理的であります。

 下半身による堕落行為は淫乱から始まったものです。私たちの体の中に、神様の姦夫となったサタンの血が流れているという事実が問題なのです。

 本然の人間は心身(プラスとマイナス)が統一されたもので、サタンの血を受けたプラスとプラスが不義の闘争の始まりとなったという事実をはっきりと認識しなければなりません。

 今の時代は終末となり、個人主義王国時代であり、フリーセックス時代、父母不貞時代、夫婦不貞時代、子女不貞時代であり、ホモ、レスビアン、エイズと麻薬が理想家庭を完全に破壊する地上地獄時代です。神様はこれを天国に転換しようと、メシアを再臨させたのです。メシアは真の父母として来られ、心と体の統一、夫婦統一、子女統一、家庭統一、国家統一、世界統一を成就して行かれるのです。

 現在の私たちの体は地獄の基地となっており、良心は天国の基地となって、二つの世界の分岐点を自体の中に持っていることを知りませんでした。良心よりも肉心が強くなったのは堕落の時にサタンと関係を結んだ偽りの愛の力が良心の力より強かったことに原因があります。従って、この点が人生問題の重要な解決点となるのです。

 このようなことをよくご存じの神様は宗教をたて、良心の前に肉心を弱め、救援的な体制をたててこられたのです。過去も宗教、現在も宗教が必要なのです。

 そうであるならば、宗教が果たさなければならない使命は何でしょうか。身体が一番嫌うことを実践させるのです。断食せよ、奉仕せよ、そして犠牲となれ、果ては自分自身を供え物とせよ、と。供え物は血を流し、命を捧げなければならないものです。

 堕落した人間は偽りの愛の根を中心として、偽りのオリーブの木となり、真のオリーブの木となれませんでした。これはどのように清算しなければならないものでしょうか。

 終わりの日に再臨のメシアである真の父母が来て、神人愛一体を完成し、真の生命、真の血統の家庭を実現します。地上のすべての人間はもちろん、天上のすべての霊人たちもここに連結し、真の家庭、真のオリーブの木となるため、まず祝福結婚を受け、復帰を完成するものです。そうして、本然の血族をたて、真の家庭、真の国家、真の地上・天上天国に入ることができるのです。

 私はこの間、世界平和実現のためには、超宗教、超文化、超人種、超国家的祝福結婚による真の家庭を実現することが、非常に重要な神様のみ旨だと教えてきました。私は全世界で、この崇高な理想を実現すると決意し、これに同意、参加する数億双に祝福行事を与えてきました。理想社会と平和世界の礎石となる真の愛の家庭のため、私は生涯をなげうって参りました。

 すべての偉大な宗教を研究すれば、そこには文化と人種、宗教と国家を越えた人類の普遍的な価値があります。宗教の教えは結局、真の愛の実践を通し、絶対者との関係を復縁するものです。信仰を通し、絶対、唯一、普遍、永遠な神様とひとつとなるとき、人間は神様と父子の関係を回復し、その本然の価値を取り戻すのです。

 真の愛で成し遂げた心情圏はいくら小さくても、宇宙と連結しています。人々は神様との初恋の中でのみ、共生共栄共義理想を実現できるのです。霊界を含めた天宙は、すべて同一な神様の真の愛の原理の下の存在であるためです。

 きょう、私たちは平和の殿堂として設立された国連で対話をしています。国連がその創立精神を実現する平和機構の役割を果たせるよう、私たち全員が積極的に支援しなければなりません。人類は超国家的な公益をまず心配しなければならないときを迎えています。国家の公共機関はもちろん、超宗教活動とともに、非政府、民間機構が力を合わせ、真の愛、真の家庭実践運動をしなければ、平和世界は実現できません。他人のために真の愛の運動と真の家庭運動に積極的に参加し、新しい心情文化の世界を実現していくようにお願いします。神様の祝福が皆様と皆様の家庭の上に常にありますことをお祈りします。ありがとうございました。

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天国にはだれがどのように入るのか

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「天国にはだれがどのように入るのか」

(01.01.29 WCSF(世界文化体育大典)2001閉会式バンケット ヒルトンホテル)



 尊敬する前・現職国家元首、高名なる宗教指導者、そして各界を代表する世界の指導者の皆様。このたびの大会を輝かせてくださった皆様のご苦労を心より慰労いたします。

 また、私の業績を祝賀してくださり、また今後もさらに多くの協力を約束してくださったことに対して、感謝いたします。

 今私はそのお返しに、世界指導者の皆様に貴い贈り物としての話をしようと思います。私が若いころより筆舌に尽くしがたい受難の境地において、広大無限なる天上世界を渡り歩いて直接探し出した真理です。だれしも避けることのできない死後の世界である霊界の原理と、人々がしきりに行きたがっている天国の内容の一部を紹介したいと思います。

 人間始祖は堕落によって神様の祝福の中で結婚式を挙げることができませんでした。彼らは神様に背き、成長期に姦夫(かんぷ)であるサタンと不倫の罪を犯して堕落しました。怨讐であるサタンの血筋を相続したことが問題です。

 神様の愛を成した心と体が一つとなり、夫婦が一つとなり、子女が一つとなって、地上天国生活を成した後に、天上天国に入るのが創造の原則です。神様の血筋を受けて霊界に行くようになっていました。

 結婚して最初に愛の関係を結ぶ瞬間は、男性完成と女性完成がなされる場です。また天地の中心として地上に定着することのできる愛の王宮がその中で始まるのです。したがって、人が本来みな出発するところであり、また生命が、そこから連結されるのです。血筋がそこで連結されるのでありそれとともにそこから国が生まれるようになるのです。地上天国、天上天国が初愛の扉を開くその場で始まるのです。

 男性と女性が愛によって一つになり息子、娘を生むのは、目に見えない神様の創造の業を目に見える実体として成すことです。血を混ぜることのできる力は愛です。血を混ぜることのできるその軸がどこにあるでしようか。どこが発電所かといえば、男性と女性の凸凹が初愛をするところです。真の愛の発電、真の生命の発電、真の血統の発電、真の家庭とともに地上天国の発電、天上天国の発電がなされるのがまさにそこです。神様の実体対象であるアダム・工バの結婚式は、すなわち神様の結婚式となるのです。神様の解放と自由がここから起こり、神様の歌と踊りもその上でなされるのです。

 初愛がどれほど貴重で恐ろしいものであるかを知らなければなりません。初愛が間違えば愛の王宮を失い、生命の王宮、血統の王宮とすべてを失ってしまいます。人間始祖の堕落はそれほど恐ろしいことでした。地上天国と天上天国の起源を失ってしまったのです。天地がすべて地獄に変わったのです。

 「生殖器」が卑しい言葉になってしまったのも、それが亡国の種となったためです。今まで一番悪いものとして扱われてきました。本来は凸凹が結婚して初愛の関係を結ぶその場から、神様の愛の理想が完成される定着地が生じるのです。男性と女性を中心として、神様の相対的位置としての完成の位置が決定されるのです。これは宇宙の核です。これが動くようになれば宇宙が行ったり来たりするのです。

 これは本然の愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、人間が望む自由と平和と幸福がここから始まるのです。さらに個人、家庭、氏族、民族がここから連結されるのです。平和の基地もそうであり、地上天国、天上天国のすべてのものが愛から生じるのです。凸凹の結合によって男性のすべての全体と女性のすべての全体が混ざり合うのです。人生の善の実も悪の実も、みなここで結ばれます。生殖器がどれほど貴く貴重なものであるかを知らなければなりません。天道は、男性であろうと女性であろうと、その生殖器をみだりに使えるようになっていません。

 アダム、工バはサタンの偽りの愛の欲求のために罪を犯し、偽りの夫婦、偽りの父母となり、サタンの血統を後孫に相続させる堕落した家庭を成しました。

 救援摂理はすなわち復帰摂理です。まさにこの間違った根本を探し出し、これを復帰しなければならないのです。神様の真の愛による復帰されたアダム、真の父母を立て、真の生命の接ぎ木をするのです。真の愛によって完成した男女は、神様の祝福のもとで真の家庭を築くようになります。

 人は地上で理想的な家庭を成して生きながら、その内なる人である霊人体を完成させ、天上世界に行くようになっています。霊人体が神様の愛の中で永遠に生きる天上天国が私たちの故郷です。堕落によって霊性が故障したために、霊人体も天上世界も分からないのです。人間は動物とは違って霊人体があり、必ず行かなければならない天上の世界があることを知らなければなりません。家庭は愛の心情を完成させ、愛を施す主人となるための学校であり、訓練所です。

 したがって、家庭は天国完成の基本単位です。真の愛の主人であられ大王であれらる神様に侍り、愛の天上天国は家庭を単位に入籍するようになっています。

 生命を持ったすべての存在の最高の理想は、神様の愛の対象となり、神様を占有することです。すべてのものを投入し、神様のように多くのものを投入する人が、より高いところへ行きます。個人よりも家庭、家庭よりも氏族、さらに民族、国家、世界、天宙、そして神様のために犠牲になる者が、神様により近い真の愛の相対者になるのです。

 宇宙を創った神様は、だれよりも宇宙のために生きてこられた代表者であられます。したがって、その方と会って共に生きようと思えば、真の愛によって為に生きる訓練をしなければなりません。神様は知識の大王、権勢の大王、物質の大王であられますが、知識や能力、物質を持って来いとはおっしゃいません。だれでも真の愛のために生きてから来るようになれば、みな私のもとに来ることができるとおっしゃりながら、待っておられるのです。

 尊敬する世界の指導者の皆様!

 多くの人々が絶対者であられる神様、全能であられる神様、栄光の神様である
と簡単に言います。しかし、私が求道の道において明らかにした神様は、そのような位置におられる神様ではありませんでした。

 人間始祖の堕落により、神様は愛する息子を失った父母となりました。息子が監獄生活をしているのに、栄光を受ける父母がいるでしょうか。神様の心情は限りなく痛いのです。

 また堕落によって、人間のために創った宇宙万象までもすべてサタンの主管圈に渡してしまいました。天上の主人であられる神様は、その愛の対象を失ってしまった瞬間から、限りなく寂しい神様になられました。万物の主宰者としての権能を一度も主張してみることができませんでした。

 不出来な堕落人間たちでさえみな自慢して生きているにもかかわらず、神様は創造主の威信を一度も立ててみることができなかったのです。すべての生命の主人であられながら、彼らの前に進んで自分自身を現すことができませんでした。

 元来、主人であられるのに、非原理世界に落ちた結果世界でどうして自由に運行なさることができるでしょうか。あらゆる不信と虚欲の道を歩んできた人間たちは、無形の真の父母である神様をいないと言い、死んだと言いながら、無視して生きてきまし。神様は長い歴史を恨(ハン)を抱いて生きてこられました。非常に長い間耐えてこられました。

 アダムとエバが未完成期に堕落し、偽りの父母となって生まれてきた人類に、真の神様が直接現れて、その権能によって治めることはできないのです。

 歴史の中で再臨主が第二アダムとして、あるいは第三アダムとして現れ、第一アダムの失敗を蕩減し、真の父母理想を完成することによって、すべてのものを回復しなければなりません。そのときまで、神様は焦燥たる思いで待たなければなりません。これが恨のこびりついた神様の復帰摂理史なのです。

 私は真の父母の使命を完遂するために生涯の努力をしてきました。私の富や地位は問題になるはずもなく、教団が目的でもありませんでした。ただ一つ、神様の願いを果たし、神様の心情にこびりついた恨を解いてさしあげようと、走り抜いてきました。神様を解怨し、自由にしてさしあげた神様を万民の主宰者として、天宙の大王様として侍ることができるために、至誠を尽くしてきました。

 このことが簡単に言葉だけでできることでしょうか。天地でサタンを屈服させ、霊界の地獄を隔てている壁さえも崩さなければなりません。地上人たちと霊界人たちを、神様を中心として祝福の道に自由に出てくることができるように整備しなければ、真の愛の神様の心情を解放することができないのです。

 このすべてのことがサタンの公認を受けることはもちろん、宇宙の公法に合致しなければなりません。サタンが国家基準の主管権を行使している地上は地上なりに、超国家的な世界的勝利的条件が立てられなければならないのです。

 指導者の皆様、お喜びください。私たちはこのすべての条件を立て、去る1月13日に「神様王権即位式」を挙行してさしあげました。全体摂理歴史上で最大の行事の日でありました。初めて神様が解放された心情で、真の子女の全権全能の歴史を始めるようになりました。

 今や天地にありがたくも、解放された神様に侍ることのできる新時代を迎えました。いまからは生きておられる神様が証しされ、霊界から超能力的な役事が私たちの周辺で多く起こるようになることでしょう。

 どうか霊界を熱心に研究し、神様を中心とした祝福を受け、真の家庭を成し、為に生きる生活を通して永生の準備をされるようお願いします。今人々は無限なる、人間の能力とは比較にもならない天運の宣布を感知しようと努力しなければなりません。生きておられる神様の前に、真に温柔謙遜な姿勢で天の孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が福のある人です。

 神様王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ超国家的に心情文化世界を創建する上で共に働く者となることを願います。神様の祝福が常に共にありますように。ありがとうございました。

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神様は私たちの王であり、真の父母であられる

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神様は私たちの王であり、真の父母であられる」

(01.05.08 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 ニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会)



 「米国五十州巡回講演」を終えられた真のご父母様は、その後も休まれることなく、米国で、ニューヨーク・ハーレム大会(五月八日)、米国議会議員会館での講演(同十五日)、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)による国際シンポジウム(同二十五日から二十七日)などの重要な大会を行われ、二十七日には聖職者をはじめとする六十組のカップルが参加した祝福結婚式を挙行されました。

 このみ言は、五月八日にニューヨーク市ハーレムのカナン・バプテスト教会で、地元の黒人牧師ら約二千五百人が参加して行われた訓読大会の際に、真のお父様がスピーチされたものです。

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 尊敬する内外の貴賓の皆様!

 公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、本大会に訪ねてこられた皆様に、深甚なる感謝を申し上げる次第です。

 特に、本日、私を本教会に招請してくださったドクター・ワイアット・T・ウォーカー牧師をはじめとして、ニューヨーク地域の著名な聖職者の皆さんに感謝を申し上げます。

 ここハーレムは、ニューヨークの心臓部であり、ニューヨークは、米国の中でも文化と経済、国連活動などの外交の中心地域です。さらには、全世界から集まった移民たちが共に暮らしている国際都市です。

 私は、新しい千年が始まる、正に最初の年である今年、去る二月二十五日から四月十七日まで、米国全域をカバーする五十州巡回講演を盛況のうちに終えました。きょうは、ニューヨーク地域の聖職者のかたがたの招請によって、再び皆様に会うことになりました。

 これまで、主にキリスト教を中心とした超宗教指導者たちを対象として、神様のみ旨を中心として、人類と米国、ひいては天の国と地上の国が進むべき道を提示してきました。

 私は、十六歳(数え年)のとき、「復活節」の明け方にイエス様と出会い、神様のみ旨を成就するための天意の道を歩み始めました。あらゆる無理解と迫害を受けながらも、屈することなく、過去八十余年の生涯を真なる理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。

 特に、神様の命令に従って、一九七一年にアメリカに渡ってきた私は、過去三十年間、全心全力を尽くして、米国が神様によって第二イスラエルとして選ばれた、その使命を果たすように覚醒させてきました。

 きょうは、今回の巡回講演で語った内容と、去る一月十三日の「神様王権即位式」で発表した内容を歓迎し、祝賀し、宣布する時間を持とうと思います。

 内外の貴賓の皆様! この世界には、六十億の人類が生きています。しかし、大きく区分すれば、男性と女性の二種類の人間が生きています。このように神様は、鉱物界から植物界、動物世界に至るまで、すべての存在を陽性と陰性、すなわちペアシステムによって創られました。それは、創造主の神様に似せて創られたからです。それでは、神様は、私たちにとって、いかなるおかたであり私たち人間とは、どのような関係を持っておられるかたなのでしょうか?

 私たちは、創造主であられる神様が、人間の真の愛、真の生命、真の血統の根源であられるので、そのおかたを「お父様」と呼びます。すなわち、本然の“神人の関係”とは、父母と子女の因縁によって結ばれているのです。

 皆様! 人間にとって最も大切な愛と生命と血統の中で、何が最も貴いのでしょうか? 多くの人々は、愛が最も貴いと言います。

 しかし、愛や生命は、いくら貴いといっても横的であり、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるのです。したがって、先祖から継続される血統を相続した現代人は、事実上、アダム以後のすべての先祖が共にいる細胞の株式会社と同じです。

 ところで、私たち人間が生きている環境は、どうでしょうか? 太初(創造の初め)から心と体が闘っています。世界大戦は、休戦も終戦もありますが、私たち人間の内部で葛藤している心と体の闘いは、止めることもできず、終えることもできずに継続されてきました。

 心と体が、九十度の角度を成して、心が完全に体を主管しておられる神様に似ることができずに、このような葛藤状態に陥ったのは、人間始祖が堕落したからです。

 これは、信仰生活をしていない人でも、人間が堕落した人類始祖の後裔であることを認めざるをえないはずです。

 そうであるならば、アダムとエバは、堕落した後にエデンの園から追放されましたか、それとも堕落前に追放されたのですか? アダムとエバは、堕落することによって、神様と愛と生命と血統の関係を結ぶことができずに、エデンの園から追放されたのです。

 したがって、アダムとエバは、神様から祝福を受ける結婚式をすることができずに、サタンの主管下で結婚したのです。すなわち、サタンから血統を受け継いで子孫を繁殖したのです。

 それゆえにイエス様は、「ヨハネによる福音書」の八章44節で「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。」(新共同訳聖書、以下同じ)と言われながら、堕落人間の父が、悪魔サタンであることを指摘されて、戒められたのです。

 堕落によって、神様とアダムとエバとの間に結ばれた永遠の父子の因縁が断たれ、アダムとエバが神様を中心とした真の父母、真の夫婦、真の子女の愛を築くことができませんでした。そのことによって、神様は、直系の孫と孫娘を得ることができなくなってしまわれたのです。

 アダムとエバが堕落せずに完成して、縦的真の父母である神様を中心として、横的真の父母として一心一体となり、心と体が闘ってはいけなかったのですが、怨讐と関係を結んだあげく、体が心を引きずり回す立場になったのです。

 それならば、堕落の内容とは何でしょうか? 聖書では、エデンの園で人類始祖が善悪の果を取って食べたことが、堕落の起源になったとしています。しかし、これは、聖書の重要な部分がそうであるように、文字どおりの果物ではなく、比喩と象徴で説明したものです。

 「マタイによる福音書」の十五章11節で語られているように、「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」とあります。

 人間の本能は、自らの欠点を覆い隠そうとします。子供が、クッキーをこっそり食べていて、お母さんに見つかれば、手を覆い、口を覆い隠すのです。

 同じように、もし、アダムとエバが善悪の果を手で取って口で食べたのならば、手と口を覆い隠さなければいけないはずですが、下部を覆い隠したということを見れば、これは下部で罪を犯したということを証ししているのです。

 エデンの園には、五人の男性がいました。それは、すべての被造世界の男性格主体であられる神様をはじめとして、アダム、そしてルーシェル、ガブリエル、ミカエルの三人の天使長でした。女性は、エバ一人だけだったのです。

 エデンの園で彼らは、恥ずかしがることなく裸で過ごしながら、つがいになっている昆虫や動物などの生態系を見ながら、何を感じたでしょうか?

 それで、「創世記」二章17節の「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と言われた戒めは、エバの愛の問題を強く警告したものでした。

 エバは、神様を中心として個性完成して、神様が許諾なさる祝福結婚をするときまでは、絶対に純潔を守って、神様の永遠の愛と生命と血統を繁殖すべきだったのです。

 しかし、エバは、僕としての自分の立場を忘れて過分な欲望を持った天使長ルーシェルと不倫な関係を結んで、堕落してしまったのです。

 それで、聖書(新共同訳聖書)の「ペトロの手紙二」の二章4節には、「神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。」とあり、「ユダの手紙」一章7節では、「ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので」といって、天使の犯した罪が、姦淫の罪であると指摘しているのです。

 重ねて申し上げるならば、善悪の果とは、未完成なエバの貞操のことであり、さらには、エバの生殖器を指し示しているのです。

 人間にとって生殖器は、神様が最も心血を注いで創造なさったもので、真の愛の王宮であり、真の生命の王宮であり、さらには真の血統の王宮として創造されたのです。

 善悪の果とは、文字どおり王と関係を持てば王子を生み、マフィアと関係を持てばマフィアの子女を生みます。種をまいたとおりに刈り取るようになるのです。それで、善と悪を分ける“善悪の果”というのです。

 それで、罪の中の根本的な罪である“原罪”が生じ、“重生”が必要になったのです。これは、血統問題が関係したためです。

 さらに聖書は、エバを堕落させた天使長を蛇に例えました。なぜでしょうか? 蛇は、舌の先が二つに分かれており、これは、一つの口で二つのことを話す二重人格者を象徴するのです。自分の目的のためには、手段と方法を選ばない存在です。

 一方、男性の生殖器は、毒蛇の頭と似ており、これは、常に穴を訪ね歩きます。女性の生殖器は、凹形になっており、ちょうど口を開けた毒蛇の洞穴のようです。一度かんだり、かまれたりすれば、その毒が、全身の血管に回って、永遠の死をもたらすのです。淫乱は、個人はもちろん、家庭、氏族、国家が破綻する道なのです。

 いにしえからの歴史の終末期を迎えた今日、世界的に起きている青少年の倫落現象やフリーセックスの波は、今の時代が、エデンの園においてまかれたこと、つまりアダムとエバが未成年の時期にサタンと堕落することによって貞操を蹂躙したことを、そのまま刈り入れる時期であることを自ら証しするものです。

 それでは、これほど重要な生殖器の真の主人とは、だれなのでしょうか? 夫の生殖器は妻のものであり、妻の生殖器の主人は夫なのです。したがって、これを開け閉めするかぎは、絶対に一つでなければなりません。いかなる理由があっても、スペアキーがあってはならず、これを容認してもいけません。このキーを間違って使用すれば、家庭が滅び、国が滅んでしまいます。

 人間始祖の堕落によって、サタンは孫を持ったのですが、神様は、直系の孫を持つこともできませんでした。それで、救世主メシヤが必要であり、偽りの父母ゆえに逆さまに打ち込まれたので、真の父母が来なければならず、間違った結婚をしたので、正しい結婚をして復帰するために、メシヤは人類の真の父母として来られなければならないのです。

 偽りのオリーブの木は、その幹を切って、真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。

 それで、ニコデモがイエス様を訪ねてきたとき、イエス様は、「生まれ変わらなければ、天国に入っていくことはできない。」と言われたのです。

 偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を断ち切ってしまい、真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、天国の民にならなけれはなりません。接ぎ木する方法は、家庭、国家も一時に行うことができるのです。

 それゆえに、世界平和統一家庭連合は、私の教えを中心として、「国際合同祝福結婚式」を通して、真なる家庭理想を通じた地上、天上天国の実現に努力してきたのです。

 疑いの心が生じるならば、祈祷してみてください。私は、命を懸けて祈祷して、この真理を探し出したのです。レバレンド・ムーン以上に霊界と神様のことを知っている人は、いないでしょう。

 天の戦法は、打たれて奪ってくるのです。サタンは、先に打って、その後、損害賠償まで差し出すようになっています。

 さらには、怨讐までも愛しなさいというのです。そのうえ最後には、サタンまでも愛さなければならないというのです。これは、生きた証しです。ゴルバチョフ大統領(当時)や金日成主席(当時)を訪ねていって会ったことも、このように“怨讐まで愛さなければならない”という神様の真の愛の実践の場だったのです。

 迫害は、サタンの所有権をすべて相続させてくれる神様の戦略、方法です。したがって、個人から天宙のレベルまで文総裁に反対しましたが、かえって文総裁は発展してきました。神様をはっきりと知らなければなりません。

 人間始祖の堕落によって、悲嘆と嘆息の中にいらっしゃる神様を解放してさしあげるために、あらゆる反対を顧みず、人種と国境を超越して、怨讐間の垣根を崩す「国際合同祝福結婚式」を真の父母の名によって主導してきたのです。

 したがって、私は、婚前には絶対純潔、祝福結婚後には絶対貞節を守り、神様の四大属性である絶対、唯一、不変、永遠の性稟に似た真の家庭の理想を成就することを教育してきたのです。

 このように、真の愛の相対者としてつくられた男性は、宇宙の半分である天を代身し、女性は地に似ました。したがって、ひとたび祝福結婚をすれば、離婚はできません。今日、五〇パーセントを超える離婚率は、父母と子女の間を裂き、天倫と人倫の基本秩序をことごとく破壊しています。

 内外の貴賓の皆様! 男性と女性のうち、神様はどちらをより好まれるでしょうか? 後からつくられた存在であるほど精誠を投入したものなので、より貴いのです。

 女性は、神様が心血を注いでつくられた最後の作品です。よく見てみれば、男性と女性では、女性のほうが、よりために生きるように生まれついていますし、ために生きているので、神様の愛の関心は、女性の方により多く向かうのです。

 神様は、どこにとどまりたいと思われたでしょうか? アダムとエバが堕落せずに完成して、真の愛を中心として一つになるとき、神様は、そこに臨まれるのです。それで、縦的な永遠の愛の主人が神様であり、横的な愛の主人が夫なのです。

 そうして、生命の種は、神様から来て、夫が持っているのです。畑のような立場である女性は、生命の種をもらい、自分の体を犠牲にして栄養素を供給し、愛によって育てて赤ん坊を出産するのです。赤ん坊は、骨と肉など、その九九パーセントは母親から受け継ぎます。

 女性の体の構造を見ても、女性自身のためのものは、一つもありません。よく発達した女性の胸とヒップは、女性自身のものですか? 赤ん坊のためのものです。男性にはない子宮も、毎月の生理現象も、すべて赤ん坊のためのものです。

 それでは、妻の生殖器は、だれのものでしょうか? 夫のものですか? 自分のものですか? 夫に属しているのです。結局、女性は、夫のために生き、子女のために生きるようになっています。

 夫は、このような夫人に対して、家庭で女王の中の女王のようにして侍らなければなりません。妻が乳を飲ませ、赤ん坊を育てるとき、夫は、いつも夫人と赤ん坊のために生きなければなりません。

 夫と妻の間に生まれた子女を教育して、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子として育て上げる責任が、夫にはあります。このように夫と妻は、主体と対象の関係です。質的な面では男女は平等ですが、秩序と序列では、生命の種を所有している夫が、主体なのです。夫を絶対主体として、夫人と子女が一心一体となって、真なる家庭を神様に奉献しなければなりません。

 内外の貴賓の皆様! 「新千年」の開幕とともに、世界は急速に一つの世界を指向しています。‘One Nation Under God'を超えて、‘One Universe Under God’すなわち、「唯一の神様の下の一つの宇宙」が成されつつあるのです。早くから私が説き明かしてきた“地球村大家族”の世界が、現実となるのです。

 しかし、ここに深刻な障害物があるのですが、それは、人種間の差別と宗派間の葛藤、対立です。これは、神様のみ意ではありません。創造主であられる神様は、私たち人間の第一の先祖であられます。

 ですから、例えるならば、白人は“北極ぐま人種”のようなものです。北極からスカンディナビアを経て、英国を通って世界へ広がったのです。黄色人種は、アジアで主に農業に従事して地を愛しているので、“ひぐま人種”のようなものです。また、黒人は、熱帯地方の“つきのわぐま人種”のようなものです。

 黒人の皮膚の色が黒くなったのは、太陽の光が強い赤道付近で暮らしているからです。各人種のカラーには、優劣は全くありません。ただ環境の影響を受けて、保護色を異にしているだけです。

 実際に、人種間の遺伝的差異はほとんどなく、ほぼ同質であるということが知られています。換言すれば、神様の観点から見れば、皮膚の色には何の質的な差異もないのです。

 さらに、愛の神様は、“色盲”でいらっしゃいます。神様は、それぞれの人種を皮膚の色が異なるように創造されませんでした。したがって、霊界では白人も黒人もありません。ただ、真の愛のカラーだけが存在するのです。

 人類が平和世界を指向していくことにおいて、特に宗教間の葛藤は、より一層深刻な現実です。神様は、教派や宗派をつくられませんでした。宗教自体が、堕落の副産物なのです。教派や宗派の分裂は、サタンが助長するのです。

 したがって、霊界には国境間の垣根も、教派間の垣根も、宗派間の垣根もありません。一つの大家族の世界があるだけです。

 「ヨハネによる福音書」三章16節の「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」というイエス様のみ言は、キリスト教だけでなく、その境界線を飛び越えて、救援の世界性、普遍性、宇宙性を語っているのです。

 伝統的にサタンは、いつもさまざまな国境線をっくってきたのであり、神様は、いつも壁を崩してこられました。

 摂理の進展にしたがって、すでに天上の霊界では、四大聖賢を中心として、宗派間の垣根が取り払われました。イエス様と釈迦牟尼、マホメットと孔子が、お互いに自由往来して交流しているのです。

 このことをよく知っている私は、今回の米国五十州巡回講演を通して、すべての聖職者たちに、教派を超えて一致団結することを強く勧めてきました。

 実際に、「米国聖職者指導者連合(ACLC)」を中心として、「連合教会(UFC)」運動を通して、十四万四千教会が、この運動の先頭に立っています。

 今後は、家庭を中心としたホームチャーチ(Home Church)形態の教会が、順次、定着していくことでしょう。窮極的には、制度的な教会や寺、モスクはなくなるのです。

 一方、私が国連ですでに明らかにしたところである世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が、それぞれ活発に展開しています。「世界平和超宗教超国家連合」が先頭に立って、NGO連合団体であるWANGOを中心として、国連本部から始まって、急激に五大洋六大州に拡散されていきつつあるのです。

 内外の貴賓の皆様! 「新千年」の意味は、聖書歴史では七千年、イエス様以後では三千年(となる最後の千年紀)を開く時代です。これは、聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することによって、天上と地上に天国が築かれる成約時代の完成を意味します。

 私は、蕩減復帰摂理歴史のすべての条件を勝利的に立て、去る一月十三日「神様王権即位式」を挙行いたしました。これは、人間始祖の堕落によって、“囚れの道”にいらっしゃった天のご父母様を解放してさしあげるという、全摂理歴史の中で最も大きな慶事の日でした。

 それでは、今から、この「神様王権即位式」を中心としてお話ししようと思います。

 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人々が、国を備えて祝福を受け、一つの血族となり、血統が一つとなった単一民族を成した基台の上で、初めてこのような式を執り行うことができるのです。

 「神様王権即位式」のために、今までの数多くの宗教圏の中でキリスト教を中心として、ユダヤ教の第一イスラエルからキリスト教の第二イスラエルを経て、第三イスラエル圏である韓国に至るまで、旧約時代、新約時代、成約時代と越えてきました。

 「成約」とは、「すべてのものが祝福を受ける時代」という意味です。神様が創られたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって、祝福圏に立つことができませんでした。

 しかし、神様は、救援摂理の道を通じて、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立てられ、それを通して万民を教育することによって段階的に引き上げて、成約時代を迎えるようにされました。

 しかし、主流思想ではない系列的な宗教は、その全貌を知ることができません。ですから、ユダヤ教とキリスト教を中心として、神様を人類の父として侍ることのできる道を築いてきたのです。そうして、イエス様が地上へいらっしゃることによって、初めて「独り子」という名前を持つようになりました。

 神様が失ってしまわれたこの歴史時代に、アダムとエバの失敗した歴史時代に、初めて神様の愛を受けることができる血統的内容を中心として、地球星に“独り子”が生まれました。神様の長男が生まれたのです。

 しかし、“独り子”は生まれましたが、“独り娘”はいなかったのです。神様は、四千年間の救援歴史を通じて、完成したアダムを再び創造なさったということと同様です。

 神様は、アダムに似せてエバを創られました。アダムの相対になることができるように、アダムをつくられた原則、その青写真を土台としてアダムに似せてエバを創られたのです。

 聖書を見れば、男性のあばら骨を抜いて女性をつくったと記録されています。それは、どういうことであるかといえば、“骨子を取ってつくった”ということです。それで、完成したアダムは、この地上で失ってしまったものを取り戻すことができる“独り子”なのです。

 神様は、直系の真の愛の血統を通して、アダムは取り戻しましたが、エバは取り戻せなかったのです。エバを取り戻そうとすれば、今までの堕落以後の歴史性を、再び家庭から復活させて接ぎ木をして、国をつくらなければなりません。それを準備しておいたものが、ヤコブからのイスラエル民族であり、十二支派です。

 選民思想を中心として、ヤコブの十二人の子供が着地して、世界に勝利の版図を拡大させたのが、イエス様が来られる時までの二千年間のイスラエルの国とユダヤ教です。

 イスラエルは、外的なカイン型であり、ユダヤ教は内的なアベル型です。そのカインとアベルの基盤の上で、霊的、肉的父母の責任を全うすることによって、カイン、アベルを収拾することのできる母を選択して待たなければなりません。

 母を選択した基台の上でイエス様を迎えていれば、真なる霊肉を合わせた父母を迎えるようになり、霊肉が合わさったイスラエル国とユダヤ教が、カイン、アベルの立場で真の神様の血統と一つになっていたことでしよう。

 それで、その一つになった祝福家庭を中心として、氏族を編成し、民族、国家まで編成したものに対しては、だれも否定することはできません。ローマがいくら世界を支配しているといっても、それを凌駕することはできません。外的なものは肉と同じであり、内的なものは骨と同じなので、肉が骨を超えることはできないということです。

 もし、そのような立場に立つようになっていたならば、イスラエルの国を中心として万国統一、「神様解放」と「神様即位式」は、二千年前にすべて成し遂げることができたことでしょう。

 しかし、イエス様が、エバを復帰して家庭を築くことができなかったことによって、イスラエル民族、選民圏国家の基準まで成し遂げることができるように準備したものが、すべて壊れました。すべて壊れていったのです。

 イスラエルが準備した、その基盤がすべて死んだも同然となったので、イスラエルの国はなくなり、七世紀になって、中東からイスラム教が出てきました。

 イスラエル民族は、エジプトから帰ってきて、祝福を受けた民族になったにもかかわらず、その中心民族の中からイスラム教が起こってきたのです。モスレムが反対する立場で現れ、怨讐になりました。

 アブラハムの息子であるイシマエルとイサクは兄弟ですが、お互いに怨讐となって闘う歴史が展開しました。そうして、エルサレムを中心として、十字軍とモスレムが闘って、イスラエルを奪われてしまったのです。

 それで、奪われたイスラエルを再び取り戻してこなければなりません。しかし、闘いによって奪って取り戻してはいけません。

 イエス様の時代に国家的基準のカインとアベル、右翼と左翼の立場で平和の基準をつくったとすれば、カイン、アベルの闘争歴史は、霊界でも地上でもすべて解決したのです。

 しかし、国家形態の基準を準備したイスラエルが“亡国の種”となることによって、「再臨」という名詞が登場するようになったのです。

 第二イスラエル圏を中心として、ローマ圏を支配することができ、超えることができる世界版図圏が、キリスト教です。イエス様の体を失ってしまったがゆえに、第二次大戦を通して連合国と枢軸国が闘い、連合軍が勝つことによって、霊界を代表する基準においてキリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。

 そうして、キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代を迎えて、怨讐世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が、天の側の世界に帰属するようになりました。

 この基盤を中心として、カトリックとプロテスタントが、聖霊である真のお母様を中心として一つになった位置に立って、キリスト教文化圏を代表した立場で来られる、真のお父様である再臨主を迎えていたならば、どうなっていたでしょうか?

 そうすれば、そのときから統一天下の運勢を受けて、一九四五年以後、三年半ないし七年間、一九五二年までに統一天下を成し遂げて、そのときに神様の「王権即位式」が終わっていなければなりませんでした。

 しかし、キリスト教は、統一教会(再臨主)を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、棍棒を持って追い出そうとしています。

 なぜでしょうか? ユダヤ教がキリスト教に対して棍棒を持って、最後まで反対しながら滅びるしかない立場に向かったことと同じです。今、キリスト教が統一教会に反対しながら、全く同じ道を進んでいます。宗教圏は、すべて同じです。キリスト教が、神様のみ旨をすべて成し遂げてさしあげることができないまま、仏教と儒教、イスラム教なども同様に困難な道を行っているのです。

 その結果、家庭から社会、国家、世界等、どこもすべて地獄のようになってしまいました。神様の願われた真の愛の理想圏は、地球星では捜し出すことができない結果になりました。

 米国のような大きい国にも、神様が訪ねていくことのできる心と体が一つになった真の息子と娘、神様が願われる堕落していない本然の基準において、夫婦が、そして心と体が一つになった真の家庭はありません。父母と息子、娘が闘わない家庭はないのです。個人主義化してしまったこの世は、すべてばらばらになるのです。

 そのような転換の時期に、東洋と西洋で文化背景が異なるわけですから、メシヤの代理的責任を持って、世界人類を東西、四方でそれぞれ収拾してきた宗教形態が、正に仏教や儒教、イスラム教、キリスト教なのです。

 それでは、再臨主はだれなのかといえは、真の父母です。真の父母は、何を持ってくるのでしょうか? 真の愛と真の血統を持ってくるのです。偽りの父母は何かといえば、偽りの愛と偽りの血統を連結してきたのです。

 堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとするならば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。

 「父母」や「子女」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結することな<しては、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。

 そのために、成約時代の真のご父母様を通した祝福による真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗の蕩減復帰を可能にするものです。

 真正なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、それがたとえ偽りのオリーブの木の畑であっても、真のオリーブの木の血統において、真の愛を中心として一心、一体、一念となって、偽りのオリーブの畑の生死圏を超えていかなければなりません。

 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、どのような犠牲があっても越えていくという、そのような心情を持った人は、サタンが関与することはできません。国家基準を超えて、それ以上の基準に立つようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができないのです。

 イエス様も、もし結婚していたのならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結されうるからです。

 原理でいえば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンが断ち切る術はありません。

 その過程において、心情一致することができる、その立場になることができなかったために、また、そこで堕落したので問題が生じたのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが奪っていくことはできません。

 しかし、この過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えようとしても、種は生じません。

 それで、永遠の生命が存在しないので、“死んだ生命”のようなものを処置する所が地獄です。それは、神様とは関係ないのです。

 父子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されることができません。男性独りの血が連結されただけでは成されないのです。男性と女性の血統が一つにならなければなりません。

 宇宙の根本のしくみは、性相と形状の血統が一つになったその立場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も共に喜ぶことができる立場で、人間を創造したというのです。

 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。

 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神様と地上の実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するうえで協力するのです。そして、霊界において永遠に暮らすことのできる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するというのです。

 それゆえに、神様とサタンまでも和解して、ユダヤ教と来られる主、それから周囲にある宗教と和解させるのです。イエス様が来られて、家庭を中心として国家の和合が成され、主権さえ備えられれば、そのときにすべて終わるのです。

 しかし、それが終わらなかったために、世界の頂上で、第二次大戦以後に世界国家である米国(米国は世界の第二次的なイスラエル国)が、第三次地上、天上の主権と覇権の主人として来られた真のご父母様に出会い、地上統一、天上統一の基盤を造成したとするならば、第三イスラエルの天国出発と同時に、第三解放圏、地上、天上天国の解放に連結されたのです。

 それが四十年間巡り、今日まで五十六年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」をすることができたということは、夢のような話です。

 だれが、神様の「王権即位式」をしてさしあげるのでしょうか? 最初に、だれが神様の「王権即位式」を台なしにしたのですか? サタンとアダムが台なしにしたのです。

 アダムとエバが真の父母になることができなかったためにサタンが入ってきたのであり、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができなかったのです。

 堕落によってサタンの血統を残してきたので、これをすべて否定して、引っ繰り返さなければならないのですが、それは神様もできず、サタンもできません。

 サタンが今までつくっておいた自分の国を、サタン自らが壊してしまうことは難しいのです。だれであっても、自分がつくったものを改造することは嫌います。サタンも同じです。

 また、それを神様が引っ繰り返すこともできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園で、アダム家庭を失ってしまうこともなかったことでしょう。

 いずれにせよ、理論的にも神様が手を着けることができないということは間違いないので、神様が手を着けることができないことに手を着けることができる人物とはだれかといえば、それは、完成したアダムです。本然の愛の家庭を持つことができる家庭は、アダム家庭以外にはありません。

 中心が問題です、中心! 復帰も、中心がなくて完結できるでしょうか? それでは、祝福家庭の中心とは、何ですか?

 祝福を、だれがしてあげるのでしょうか? 真の父母がしてあげるのです。結婚式を、だれがしてあげるのですか? 自分の子供に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか?

 堕落しなかったならば、だれが、してあげたのでしょうか? 真の父母がしてあげるのです。

 堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会の有名な人、名のある人が主礼をします。それは、横向きにはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。

 昨年の十月十四日、聖人と先生の息子、娘、祝福を受けた家庭が一つになり、霊肉界の宗教圏統一式をしてあげました。そこで語ったことは何かというと、「真のご父母様は家庭の王である」ということです。

 今まで、家庭の王、天地を代表した中心位置に立った家庭の王がいましたか? 家庭の王になろうとするならば、すべてのものの中心にならなければなりません。“父母の中の父母”にならなければなりません。その次に“長子の中の長子”にならなければなりません。長子の王が、先に家庭を持つのです。

 結婚するのに、“逆婚”というものがあるではないですか? 結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順次的にしなければなりません。最近では、逆さまにも行って大騒ぎです。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、こちらにも合わせ、あちらにも合わせて、逆にしても通じるというのです。

 しかし、本来は、長子、次子と、生まれた順番どおりに結婚しなければいけません。

 しかし、そのように渾沌となっているので、最近では親族相姦関係が現れています。姦淫するということです。おじいさんが孫娘と暮らし、おじいさんが嫁と暮らしています。親族相姦関係が生じたのです。人々は、中心が分からずに回っているので、お互いに一緒に暮らしてみるのです。

 このようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、自分の系列を把握することができないほどになっており、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのかも分からないほどになっているので、ゼロ度でも三百六十度でも百八十度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。

 それゆえに、民族を移動して世界が混淫する事件まで展開するのです。最近では、外交官というような人々が外国に行けば、その国にどれほど旗ざおを差して帰ってくるのかという、どれほど女性と相姦関係を結んでくるのかという混淫時代の局面になりました。

 このようになったものを、だれが収拾するのでしょうか? 神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉することができず、サタンが結婚することも干渉することができなかったのですから、終わりの日に干渉する道理があるでしょうか?

 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生じたので、真の父母が来て、これをもう一度蕩減復帰して、これを否定して引っ繰り返さなければなりません。

 したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地に立ったとしても、蕩減されるときまで生き続けることのできる余力があってこそ、初めて生きるというのです。

 死ぬことを悲しみ、“死から逃げたい”と思う人には、永遠に復活権がありません。それゆえに聖書には、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ。」というようなことが書かれているのです。

 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じなのですが、天国に行こうとする者は、どうでしょうか? 気が狂うほどでしょう。神様も、生きんとする人間の一つの生命、一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に行くまでは、生かしてあげることができるように支えることはできません。

 断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような生死の基準を超えてこそ、人も生き、神様も生きるのです。

 メシヤ、あるいは救世主という人は、神様よりも、もっと苦労しなければなりません。神様は楽にしてさしあげ、食べさせてさしあげたとしても、自分は、死ぬほどの苦労をしようとしなければなりません。

 西洋人は、「自由、自由、自由!」と言っているでしょう? どんなに西洋の教育制度が良くなったとしても、皆さんには堕落圏内の自由の概念しかありません。

 家庭観、社会観、国家観、世界観、宗教観、神様の摂理観のようなものがありますか? アジアの教育と西洋の教育は、百八十度違います。家庭観も違います。

 ですから、西洋の制度は、終わりの日に混乱するようになるのです。個人主義の観点では、そのようなことを知ることはできません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか? どのようにして、それを悟らせるのでしょうか?

 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階にまで上がってきました。

 それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか? 心と体を統一することから始めるのです。

 絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神様まで出ていくのです。西洋の人たちは、どんなにその位置まで出ていきたくても出ていくことはできません。なぜでしょうか? それは、個人主義の概念を持っているからです。

 個人主義の概念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。

 皆さんは、ここに見物に来たのですか、文総裁のみ言を聞いて、困難な峠を踏み越えていくために来たのですか? それが問題です。そこには、個人主義的概念はありえません。

 ハーバード大学を出た、エール大学やオックスフォード大学を出たといっても問題は同じです。むしろ労働者や無学な人たちのほうが、ましです。フリーセックスを好む群れは、だれですか? 白人ですか、だれですか? 黒人がこれを好むとすれば、それは白人から学んだのでしょう?

 このように考えなければなりません。フリーセックス、ホモ、レズビアン、そのようなものは、間違いなく麻薬中毒とエイズにかかるようになります。

 麻薬とエイズのために(人類が)全滅するようになっています。アフリカでは、非常に多くの人々がエイズにかかっています。十五年から二十年以内に滅びると思うのです。エイズウイルスの潜伏期間は、八年から十二年です。ですから、二代ですべて滅びかねません。

 国連を中心として見るとき、NGO(非政府組織)も多くの問題点を抱えています。その人たちに、「最も難しいことをしなさい。」と言えば、それをする人がいるでしょうか?

 NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題など、そのようなことを指摘するでしょうか? 彼らにとっては、あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。

 そのような高い次元の内容を知っていてこそ、初めて反対することもできるのであって、知らないのですから反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい。」と言うのです。

 青少年の淪落と家庭破綻、エイズ問題、特に純潔な“血”をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、大統領や国連事務総長など、だれにも分かりません。彼らは「これは、うそなのか、本当なのか?」と言うのです。

 今から「神様王権即位式」以後に、することのできる条件をはっきりと教えてあげます。今までの問題は何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか? ブラッドリネージ(‘Blood Lineage’)です! これが最も重要です。自分の国の王が重要なのではありません。父母も必要ありません。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。

 今、この世界には数多くの国がありますが、神様に属するものは一つもありません。
サタンに属しているのです。今からは、ほかに術はありません。神様に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。

 そして、アメリカのような自由世界、民主世界は、ユニオン(‘Union'労働組合)ゆえに多くの問題を抱えています。しかし、ユニオンは問題がないというのです。労働者、農民のユニオンがあるのと同じように、株主のユニオンをつくるのです。

 「労働者ユニオンと株主ユニオンの二つが一つになって、私たちの家族をきちんと食べさせて養わなければならないので、今年は、昨年の生産量を超えなければならない。だから、労働者ユニオンと株主ユニオンが一つになって競争しよう。そうして、利益が出れば、約三年聞は主人に渡さずに、自分たちで分けるようにしよう。そして、労働者ユニオンが一所懸命にすれば、その分の何パーセントをより多く与えて、株主ユニオンが一所懸命にすれば、その分多く与えよう。」と、このようにします。このようにすれば、闘争が生じるでしょうか? 西洋社会で、このような考えをする人がいないのです。

 それができないときには、「宗教連合の世界組織よ、集まりなさい。全世界の祝福家庭は、集まりなさい。今から宗教ユニオンをつくろう。」というのです。

 そのように、「宗教ユニオンをつくりなさい。」と言えば、つくりますか、つくりませんか? それで、ユニオンについても「退け。」と言えば、共産党は退くのです。

 ロシアにユニオンがありますか? ありません。中国にユニオンがありますか? ありません。北朝鮮にユニオンがありますか? ありません。

 それでは、先進国になぜユニオンができたのか、その動機はどこにあるのでしょうか? それらの国々を滅ぼすために、ロシアが外交政策でそのようにしたのです。それは、「仕事をせずに、血を吸い取りなさい。」ということです。

 ですから、文総裁の言うとおりにすれば、ユニオンが持っている問題点を解決することができます。

 今からは、どのように思おうと、好きでも嫌いでも、東洋人でも西洋人でも黒人でも、人として生まれた人は、神様のみ旨と文総裁の教えを聞かなければ、困るようになるのです。

 ですから、初めから困難な立場に立つのではなく、きょうから新しく決心しなさい、というのです。一度決心すれば、いくら難しい迫害があっても変わってはなりません。今からは、確信を持たなければなりません。

 今日、この新千年時代にすべきことが何であるのかというと、今まで神様も解放されず、真の父母も解放されなかったのですが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはいけないというのです。監獄に入ったとしても、恐れてはいけません。

 自分が、天国に早く行ってみたいと思っているのですから、若くして行くことができるのならば、どれほど良いでしょうか? それが、損になるでしょうか? 天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、自らが主人になれるというのに、どうして否定するのですか? 死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなければなりません。

 今日、「神様王権即位式」をすることによって、国が変わりました。今や、み旨の道のために心配しなければなりません。神様は、み旨の先頭にお立ちになることができず、今まで恨を抱いておられます。ご自分が“したい”と思うとおりにできない怨恨が染みついています。

 ですから、神様がなさりたいと思われるとおりにできるように、後援部隊になりなさいというのです。

 「神様。なぜ、このようになさるのですか? きょう、夜明けに忙しいことがあって、私よりも早く降りていかれるのならば、私を起こして連れて行ってくださらなければならないではないですか? 今までは、目覚めさせるために神様が働かれましたが、今からは、変わる時ではないでしょうか?

 お父様は、息子よりもりっぱでいらっしゃるのに、息子、娘よりもっと苦労なさって、何とかここまでたどりついて、『神様王権即位式』までされたのですが、その『神様王権即位式』の権限を中心として、一声の号令で、天下がするするっと巻き込まれて落ちていくはずなのに、なぜ、お出ましになられないのですか? 私がご案内します。」と、このように言うのです。お出ましになられなくても、案内くらいならできるでしょう? 今からは、時が変わったのです。

 皆さんは、どのように個人完成をするのか知っていますね? 個人の心と体が、一つになるということを知っているでしょう?

 堕落するときに、サタンの血統を受け継いだ体が、つまり堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったというのです。これが問題です。どのようなことがあっても、体が願うとおりにしてはいけません。

 これから守らなければならない鉄則は何かというと、第一に、死んでも血統を汚してはいけないということです。

 第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性でも女性でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないということです。

 責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。心にそぐわないからといって、いいかげんにすることはできません。

 人権を正しく指導することにおいては、真の愛、ために生きる愛を持って暮らす人が主流です。天地創造は、そこから始まりました。その主流思想をばらばらにしてしまうことは、赦すことができません。罪の中で二番目の罪です。

 第三に、公金を盗んではならない、公金を自分勝手に使ってはならないということです。以上の三つです。

 監獄に入る人の七〇パーセント以上が、この問題で、そこにいるのです。監獄に入っていってみれば、そうです。人権を蹂躙して、血統を汚して、男女問題に引っかかっています。

 それから金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐であったのです。

 これから祝福を受けた血統は、神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものなのですから、堕落世界に染まった、今までの習慣的な行動によって汚してはいけません。それを守ることができますか?

 夫婦になったとしても、配偶者がいなければ、独りでもよいので、“完全な血統を汚さない”と決心し、そのように誓う、この日にならなければなりません。

 きょうの記念の日を忘れてはいけません。夫婦げんかをしても、「正月十三日、十三数!」と言えば、収まらなければなりません。

 西洋では、「十三」といえば、最も悪い数です。しかし、それは、十二か月の中での“中央数”なのです。中央に十二か月が入って、天地の道理が循環しなければならないのに、これがないので、すべてが混乱して逆理的混乱世界になっています。これを正そうというのが、天の願われるところなのです。

 ですから、これを知ったあとは、“たとえ千回、死ぬようなことがあっても守らなければならない。”と、鉄石のような決意をする、この時間にしなければなりません。

 天国の憲法第一条とは何かといえば、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。

 第二条は、「人権を蹂躙してはならない!」

 第三条は、「公金を略取してはならない!」

 きょう、この記念日に天国の王権を維持して、皆さんが王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、これが絶対に必要です。

 ですから、お兄さんを無視することはできません。また、例えば弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう?

 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校を出た人も無視してしまいます。そのようにすれば、人権蹂躙になります。

 公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように暮らす人は、いくらうまくやろうとしても、できません。そのように暮らしてみてください。いくら神様に祈祷しても、うまく伝道することができないのです。門の前に人が来ても、背を向けて帰ってしまいます。

 負債を負う人は、天下がすべて嫌います。金氏一族ならば金氏一族の中で、一族を代表して問題を起こし、負債を負うことを喜ぶ人が、どこにいるでしょうか? 後には、行く道まで行き詰まり、逆にくぎで刺されてしまうというのです。そのような時が来ます。

 この三つのことに対して分かりましたね? この三つを一度指を折って数えてみてください。一人ひとり、内心で決心したことを、一つ、二つ、三つ、一つ、二つ、三つと、何度も繰り返してみてください。

 純潔、人権、国家財産の略取禁止。このような問題に対して、はっきりと理解して習慣化しなければなりません。口さえ開けば、目覚めさえすれば、そのような言葉が出てくるようでなければ行動できないのです。

 そこに付け加えるとすれば、私は、一生の間、つまらない人や、ありとあらゆる人をすべて連れて生きてきたのですから、そこに何らかのいろいろな事情がありえないでしょうか? 皆さんが生きていくにおいても、何らかの事情がありませんか?

 そのとき、そのような多くの事情があるはずですが、それでも、そのような法に引っかからないようにと努力すれば、そのもろもろの事情にすべて打ち勝った人になるはずです。ですから、文総裁が言うまでもなく、天国に入るようになることでしょう。

 それでは、どのようにしなければなりませんか? どのように暮らしますか? 幸せに暮らさなければならないでしょう? 独りで暮らしていることを“幸せに暮らす”と言いますか? 共に暮らす、幸せに暮らすということには、どのようなことが含まれているのでしょうか?

 神様の公式、法度によって立てられた中で、どのような環境で、どのような人たちとともに暮らせば、“幸せに暮らしている”と言えるのか、ということです。簡単です。それも三つです。

 父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、夫婦の前では子女になります。子女関係は、兄弟関係であるのです。自分の家庭を中心として、父母がいて、それから夫婦がいれば、息子、娘がいます。

 したがって、父母の前で、自分にとっては兄弟関係と同じ親戚の八親等、四親等以上が、すべて連結されて入ってくるのです。それで、父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。

 子女関係を兄弟関係と言っても、かまいません。彼らと一つになって、幸せに暮らさなければなりません。そのためには、幸せに暮らすことができるように指導しなければなりません。お互いが手本になってこそ、それが幸せに暮らしているということなのです。

 手本になっていなければ、間違って暮らしているということです。父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば、幸せに暮らせるようになるのです。

 そのように幸せに暮らせば、どうなるでしょうか? 家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。天国の王がいて、地上の王がいるならば、その王たちが幸せに暮らしている家庭を訪問する日が来ます。毎年、年初めに、その国で最も幸せに暮らしている家庭を訪問し、表彰する時が来るというのです。

 そのように生きた祖父から始まって父母、夫婦の三代が四位基合理想を備えることができた、そのような家庭に賞を与えるのです。

 そのような家庭が、その国にあれば、先に賞をもらった家庭が、後代に賞を与えることができる責任者となり、国王を代身した国の中心となり、大統領に代わって賞を与える時が来ます。

 これも三つです。父子関係、夫婦関係、子女関係です。子女関係が嫌ならば、兄弟関係と言ってもよいのです。兄弟関係というのは、兄弟が一つになることによって、それを子女たちが見て、まねていくのです。

 それゆえに、兄弟関係も子女関係も、共同責任の下で和解して影響を及ぼしながら、主体的な位置に立つために生きた人になれば、天国のだれであろうとも自分を締め出すことはできません。

 今から、逆賊に追い込まれて死ぬようなことがあったとしても、この法を守って生きれば、間違いなく天国の皇族圏になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。きょう、このことを肝に銘じてくださることを願います。

 これを標語として定めるのです。三〇〇〇年(に向けて)の標語の中で、純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産の略取禁止。それから父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうということです。

 町内がすべて、「あの人について行くべきだ。」と言い「あの人のようになりたい、共に暮らしたい。」と言えば、その人は間違いなく天国の民となり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように生きています。

 きょう、神様の「王権即位式」で宣布した最も重要な三大鉄則をお話ししました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべき、家庭に入っても、国に人っても絶対に引っかからないようにするための指針です。きょうこの日に、正に記憶するに値する内容であるということを肝に銘じてくださって、生涯の標的にしてくださることを願います。

 成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。ぜひ霊界を一所懸命に研究して、神様を中心とした祝福を受けて真の血統の家庭を成し、ために生きる生活を通して永生の準備をするように願います。

 今、人々は、有限な人間の能力とは比較にもならない天運のみ手を感知しようと努力しなければなりません。

 生きておられる神様の御前にあって、真に柔和謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人なのです。

 神様の王権時代を迎えて、神様の主権を輝かせ、超国家的に心情文化世界を創建するうえで、共に同役者となられることを願います。神様の祝福が、いつも共にありますように。どうもありがとうございました。

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『神様王権即位式』は天と地の勝利を完成する

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「『神様王権即位式』は天と地の勝利を完成する」

(01.05.15 国家功労賞バンケットにおいて 米国ワシントンDC、米国議会 レイバーン下院議員会館)



 五月十五日、ワシントンDCにある米国議会のレイバーン下院議員会館において、家庭、地域社会の回復などに功労のあった人物を表彰する「『ナショナル・サービス・アウォード(国家功労賞)』バンケット」(主催、ワシントン・タイムズ財団)が行われました。

 この日、真のお父様は連邦議会議員など三百人を前に三十分間演説され、歴史的な「神様王権即位式」の意義と価値を説かれました。

 演説後、真のご父母様に対して、三十年間にわたる献身的活動を通じ、米国の精神復興、家庭回復などに貢献したとして、同財団から「ライフタイム・アチーブメント・アウォード(生涯功労賞)」が贈られました。

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 尊敬する内外の貴賓の皆様! 公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、この意義深い集いに参加してくださった上下両院議員と著名人士の皆様に、深甚ある感謝を申し上げる次第です。

 自由世界を代表する民意の殿堂である米国国会において、貴重なみ言の時間を特別に得ることができましたことをうれしく思います。

 併せて、今まで全国各地において、信仰を基盤とした地域社会での奉仕活動のチャンピオンとして献身してこられた、国家を代表した受賞者の皆さんに心からお祝い申し上げます。

 私は、新千年が始まる、正に最初の年である今年、去る二月二十五日から四月十七日までの五十二日間、全米五十州五十三か都市の巡回講演を盛況のうちに終えました。この期間、主にキリスト教をはじめとする十万を超える宗教指導者たちを対象として、神様のみ旨を中心とした人類と米国、さらに天の国と地上の国が行くべき道を提示してきました。

 私は、十六歳のとき、「復活節」の明け方に、イエス様と出会い、神様のみ旨を成就するための、そして神様解放のための天意の道を歩み始めました。過去八十余年の生涯を、あらゆる無理解と迫害を受けながらも、それに屈することなく、真なる理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。

 特に神様の命令に従って、一九七一年に米国に渡ってきた私は、それ以来三十年間、全心全力を尽くして、米国が神様によって世界的な第二イスラエル圏として選ばれた、その使命を果たすように覚醒させてきました。

 私は、過去数年間、数百余回の米国指導者会議(ALC)を通じて、政治家や宗教家たちが、政党や宗派を超越して、各地域社会とこの国、そして世界のために心を合わせて協力するように促し、また求めてきました。

 併せて、今回の米国五十州巡回講演を通じて、すべての聖職者に教派を超えて一致団結することを強く勧めてきました。

 実際に米国聖職者指導者連合(ACLC)を中心として、連合教会(UFC)運動を通じて十四万四千の教会が、救世の目的のために、この運動の先頭に立っています。

 これからは、家庭を中心としたホームチャーチ形態の教会が、徐々に定着していくことでしょう。究極的には、制度的な教会や寺院、モスクはなくなっていくのです。

 今、私たちは皆、聖書歴史では七千年、イエス以後では三千年(となる最後の千年紀)を開いていく新千年時代を迎えています。この時代は、人類歴史を通じて神様が望んでこられた、すべての宗教の目的が完全に果たされるべきものとして待望されてきた時です。

 神様を中心として、心と体が一つになった完全な個人、そして真の愛で一つになった家庭、社会、国家、世界、天宙が成され、神様の創造理想が実現される時として期待されてきたのです。

 したがって、この時代は、聖書に預言されている旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することによって、天上と地上に天国が成されるべき成約時代の完成を意味します。

 「成約」とは、「すべてのものが祝福を受ける時代」という意味です。神様が創られたすべての被造万物は、人類始祖の堕落によって祝福圏に立つことができませんでした。

 しかし、神様は、救援摂理の道を通じて、キリスト教をはじめとする数多くの宗教を立てて万民を教育することによって、段階的に引き上げて成約時代を迎えるようにされました。

 そのようにして、私たちは皆、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真なる個人の王から始まり、真なる家庭の王、氏族の王、民族の王、国家の王、世界の王、そして天宙的王権の基盤を取り戻し、ついに本然の「神様王権即位式」が挙行される位置までやってきたのです。

 このような勝利的基盤の上に、昨年の二月二日、この国会で「天宙平和統一連合」の創設に際し、第一回として「アメリカン・センチュリー・アウォード(米国世紀賞)」の行事を通じ、過去一世紀の間、信仰と家庭の自由のために寄与した功労者たちを表彰したこと
があります。きょうは、その二回目として祝賀行事を兼ねる日となったのです。

 特に、この場は、信仰を基盤として個人的にりっぱな人格を備えただけでなく、国と地域社会への奉仕に大きく貢献なさった受賞者たちが集まった場であるので、このような歴史的な神様の本然の「王権即位式」を歓迎し、宣布し、祝賀する場として迎えたのです。

 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真なる家庭と国を備え、祝福を受けて一つの血族、血統が一つとなった単一民族を成した土台の上で、初めてその式を執り行うことができるのです。

 皆様! 人間にとって最も大切な愛、生命、血統の中で、何が最も貴いのでしょうか? 多くの人たちは、愛が最も貴いと言います。

 しかし、愛や生命は、どんなに貴いといっても横的であり、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を継いで永遠に相続されるのです。

 堕落していない本然の世界では、神様を中心として真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母と血統が連結されなければなりません。

 「父母」や「子」という言葉、「父」または「子」という言葉は、血統が連結されることなくしては、絶対に成立することは不可能です。それは、神様も引き裂くことはできません。堕落したサタンも引き裂くことはできません。

 そのために、成約時代の真のご父母様の祝福を通じた真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるようにするものです。真正なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木されて、それがたとえ偽りのオリーブの木の畑であっても真のオリーブの木の血統と真の愛を中心として一体、一念になって、生死圏を越えて入らなければなりません。

 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界の生死圏、いかなる犠牲があったとしても越えていくという、そのような心情を持った人は、サタンが関与することはできません。国家基準を超えて、それ以上に立つようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るので、サタンとは関係を結ぶことができません。

 イエス様も、もし結婚をしていたならば、亡くなられることはありませんでした。殺すことはできません。これは、相対理想の直接主管圏に連結されうるからです。

 原理で言えば、責任分担を完成した基準になっているので、直接主管圏内に入るのです。直接主管圏は、神様の血統が連結されているので、サタンが断ち切るすぺ術はありません。

 その過程において、心情一致することのできる立場になることができなかったために、また、そこで堕落したので問題が生じたのであって、アダムとエバが夫婦になって、真の愛で愛し合ってさえいたならば、永遠に堕落することはできないのです。サタンが離すことはできません。

 しかし、その過程で実が熟しませんでした。実が熟さなければ、いくら実を地に植えるのだといっても、種は生じません。

 それで、永遠な生命が存在しないので、“死んだ生命”のようなものを処置する所が地獄です。それは、神様と関係ないのです。

 父子関係というものは、父母の血統が連結されなければなりません。その血統は、ただそのままでは連結されません。独りでは、血統は連結されることができません。男性と女性の血統が合わさらなければなりません。

 宇宙の根本のしくみは、性相と形状の血統が一つとなったその立場で、つまりお互いにとって好ましい立場で、性相となる心が喜べば、形状である体も一緒に喜ぶことができる立場で完成されるように人間を創造したのです。

 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダムとエバを創造した、その実体的対象を繁殖して東西、四方、世界いっぱいに満たして、天国の民を繁殖することのできる数多くの分工場を拡張するのです。

 そのようにすることによって、天の民を満たして、霊界にいる神様と地上にいる実体の父母が、地上で暮らしながら、共にそれを生産するうえで協力するのです。そして、霊界において永遠に生きることのできる一体として復帰され、天上世界の国、そして地上世界の民と地を中心として、地上、天上理想天国を完成するというのです。

 神様の「王権即位式」をだれがしてあげるのでしょうか? 最初に、だれが即位式を台なしにしてしまいましたか? サタンとアダムが、台なしにしてしまいました。

 アダムとエバが真の父母になることができなかったために、サタンが入ってきたのであり、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。

 堕落によってサタンの血統を残してきたので、これをすべて否定して引っ繰り返さなければなりませんが、それは神様もできず、サタンもできません。

 サタンが今までつくっておいた自分の国を、サタン自らが壊してしまうことは難しいのです。だれであっても、自分がつくったものを改造するようになれば、嫌がります。サタンも同じです。

 また、それを神様が引っ繰り返すこともできません。神様が引っ繰り返すことができるのならば、エデンの園でアダム家庭を失うこともなかったことでしょう。

 いずれにせよ、理論的にも神様が手を着けることができなかったことは間違いないので、神様が手を着けられないことに手を着ける人物とはだれかというと、完成したアダムです。本然の真の愛の家庭を持つことができるそのような家庭は、アダム家庭以外にはありません。

 中心が問題です。中心! 復帰も、中心がなくて完結されるでしょうか? それでは、祝福家庭の中心とは、何でしょうか?

 祝福を、だれがしてあげるのですか? 真の父母がしてあげるのです。結婚式を、だれがしてあげるのですか? 自分の子供に対して、血統を合わせて父母に似るようにしてあげる、その結婚式をだれがしてあげるのでしょうか?

 堕落しなかったならば、だれが、してあげたでしょうか? 真の父母がしてあげたのです。

 堕落は、天使長に引っ張られていったので、今日の結婚式は、社会的に有名な人、名声のある人が主礼をします。それは、横向きにはしごを架けて、上がっていこうと考えるようなものです。

 結婚するのに“逆婚”というものがあるではないですか? 結婚は、引っ繰り返してすることはできません。順次的にしなければなりません。最近は、逆さまにも行って大騒ぎです。また、それは復帰という内容と呼吸が合うので、このようにも合わせ、あのようにも合わせて、逆さまでも通じるというのです。

 しかし、本来は、長男、次男と、生まれた順序どおりに結婚しなければなりません。

 しかし、そのように混沌となっているので、最近は親族相姦関係が現れています。姦淫するということですす。おじいさんが孫娘と暮らし、舅と嫁とが暮らしています。親族相姦関係が起こるのです。くるくると回っている人たちは中心が分からないので、互いに暮らしてみるというのです。

 そのようなことをする大混乱の時代、家庭的大混乱の時代です。一家、親族を問わず、系列をつかむことができないほどになっており、一度なのか、ゼロ度なのか、三百六十度なのか、百八十度なのかも分からないほどになっているので、ゼロ度でも三百六十度や百八十度でも、お互いに回りながら合わせてみるのです。

 このようなことをだれが収拾するのでしょうか? 神様も、エデンの園でアダムとエバが堕落することに干渉できなかっただけではなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったのですから、終わりの日に干渉できる道理があるでしょうか?

 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって偽りの血統が生まれたので、真の父母が来て、これを再び蕩減復帰し、すなわち、これを否定して引っ繰り返さなければならないのです。

 したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は、死亡世界に生きている者が、死ぬような境地にまで至って死ぬとしても、蕩減されるときまで生きることのできる余力があってこそ、生きるというのです。

 死ぬことを悲しみ“死から逃げたい”と思う人には、永遠に復活権がありません。それゆえに聖書は、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」ということを教えているのです。

 ですから、神様も同じであり、真の父母も同じですが、天国に行こうとする者は、どうでしょうか? 神様も、生きようとする人間の一つの生命、一つの生命を生かそうとするためには、その反対に、死ぬ境地に至るまでは、生かすことができるように支えることはできません。

 断崖から落ちた人に縄をかけて助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げなければなりません。そのような基準以上になってこそ、人も生き、神様も生きるのです。

 現代人は「自由、自由、自由!」と言っていますね? どんなに現代の教育制度が良くなっているとしても、皆さんには堕落圏内の自由の概念しかありません。

 個人主義の観点では、そのようなことを知ることはできません。氏族、民族、国家、世界、天宙の概念がないではないですか? どのようにしてそれを悟らせるのでしょうか?

 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成し、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階にまで上がってきました。

 それでは、どのようにして、それを成すのでしょうか? 心と体を統一することから始めるのです。

 絶対的に心と体が一つとなった位置から家庭、国家、世界、神様まで出ていくのです。人々が、どんなにその位置まで出ていきたくとも、個人主義の概念を持っている限り出ていくことはできません。

 個人主義の概念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置に連結されるのです。

 フリーセックス、ホモ、レズビアン、そのようなものは、麻薬中毒とエイズ感染への近道になります。麻薬とエイズは、人類を全滅させる脅威になっています。

 アフリカでは、エイズが深刻な事態になったと報告されています。エイズウイルスの潜伏期間が八年から十二年であるとすれば、ある地域では、二代ですべて滅ぶと考えられるのです。

 国連を中心として見るとき、NGO(非政府組織)も多くの問題点を抱えています。その人たちに「最も難しいことをしなさい。」と言えば、それをする人がいるでしょうか?

 NGOの責任者たちは、現在の政権や社会悪を中心として、あれこれと指摘しますが、私のように、国連の役割や共産主義と人本主義を料理する問題など、そのようなことを指摘するでしょうか? 彼らにとっては、あまりにも次元が高く、聞いてもぼう然とするだけです。

 そのような高い次元の内容を知っていてこそ、反対することもできるのであって、知らないので反対することはできません。彼らは、「正しいことは正しい。」と言うのです。

 青少年の淪落と家庭破綻、麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な“血”をどのように残すのかという問題を、彼らは知りません。それに対する解決方法は、国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知らずにいます。彼らは、「これは、うそなのか、本当なのか?」と言います。

 今から「神様王権即位式」以後に、私たちが守るべき条件をはっきりと教えてあげます。今までの問題が何かといえば、血統が問題です。「血統」は、英語で何と言いますか?「ブラッド・リネージ」(‘blood lineage’)です! これが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。

 今、この世に数多くの国がありますが、神様に属するものは一つもありません。サタンに属しているのです。今からは、ほかに術はありません。神様に従い、真の父母に従う以外には、中心の位置はありません。

 今日、この新千年時代にすべきことは何かと言えば、今まで神様も解放されず、真の父母も解放されなかったのですが、今や解放された天地父母と子女になったので、恐れてはならないというのです。監獄に人っても、恐れてはいけないというのです。

 自分が天国に早く行きたいのですから、若くして行くことができるのならば、どれほど良いでしょうか? それが損になるでしょうか? 天上天下、全宇宙が、自分の手の中に入って、自らが主人となれるというのに、どうして否定するのでしょうか? 死のうが生きようが、心配することはありません。そのようになっていなければなりません。

 皆さんは、どのように個人完成をするのか知っていますか? 個人の心と体が一つになることを知っているでしよう?

 堕落するときにサタンの血統を受け継いだ体が、つまり堕落するときの愛が、堕落していないときの、愛を知らない良心の力よりも強かったのです。それが問題です。どのようなことがあっても、体が“しよう”というとおりにしてはいけません。

 今から守らなければならない鉄則が何かと言えば、第一に、死ぬようなことがあっても血統を汚してはいけないということです。

 第二に、人事処置を誤って、人権を蹂躙してはいけないということです。男性であろうと女性であろうと、黒人であろうと白人であろうと平等です。人権を差別したり、蹂躙してはいけないということです。

 責任者たちは、自分の心にそぐわないからといって、むやみに人事処置をしてはいけません。

 人権を正しく指導するうえにおいては、真の愛、ために生きる愛を持っている者が主流です。天地創造が、そこから始まったのです。その主流思想を乱してしまうことは赦すことができません。罪の中の二番目の罪です。

 第三に、公金を盗んではいけない、公金を勝手に使ってはいけないということです。以上の三つです。

 監獄に入る人の七〇パーセント以上が、この問題でそこにいるのです。監獄に入ってみれば、そうです。人権を蹂躙し、血統を汚し、男女問題に引っかかっています。

 その次は金銭問題、権力問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。

 今から祝福を受けた血統は、神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだものなのですから、今までの堕落世界に染まった習慣的な行動で汚してはいけません。それを守ることができますか?

 夫婦になったとしても、配偶者がいなければ、独りでもよいので、“完全な血統を汚さない”という決心をして、それを誓うこの日とならなければなりません。

 天国の憲法第一条が何であるかと言えば、「血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさい」ということです。

 二番目は、「人権を蹂躙してはならない!」

 三番目は、「公金を略取してはならない!」ということです。

 皆さんが、天国の王権を維持し、王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためには、このことが絶対に必要です。

 ですから、お兄さんを無視することはできません。また、例えば弟が体が不自由だからといって、無視することはできません。親戚を無視することはできません。この世の中では、すべて無視するでしょう?

 大学を出た人は、知識があるからといって、高等学校を出た人も無視してしまいます。そのようにすれば、人権蹂躙になります。

 公的な環境を破壊させることは、国家財産の略取と同じように恐ろしいことです。そのように生きる人は、どんなにうまくやろうとしても、うまくいきません。負債を負う人は、天下がすべて嫌うのです。一族の中で代表的に問題を起こして、一族から即刻、追い出されるのです。

 それでは、神様の公式、法度に従って暮らすのには、どのような環境、どのような人とともに暮らせば、幸せに暮らしていると言えるのかというのです。簡単です。それも三つです。

 父子関係、夫婦関係、兄弟関係です。兄弟関係は、父母の前では子女になります。子女関係は兄弟関係であるというのです。自分の家庭を中心として、父親と母親がいて、その次に夫婦がいれば、子供がいます。

 したがって、父親と母親の前において、自分にとっては兄弟関係と同じように、親戚がすべて連結されて入ってきます。それで父子関係、夫婦関係、子女関係です。それが連結されれば、兄弟は自動的に生じるのです。

 手本になっていなければ、不幸せに暮らしているということです。しかし、父母の前に、夫婦の前に、子女の前に手本になるように暮らしているとすれば、それは幸せに暮らしているということです。

 そのように幸せに暮らせば、どのようになるでしょうか? 家庭のモデルは、国と天国のモデルと通じるのです。

 そのように生きた祖父から始まって父母、子女の三代が四位基合理想を備えることができる、そのような家庭に賞を与えるのです。

 それゆえに、兄弟関係も、子女関係も、共同の責任の下で和解して影響を与えながら、主体的な立場に立つために生きた者となれば、天国のだれであろうと、自分を締め出すことはできません。

 今から、この法を守って生きれば、間違いなく天国の皇族圏になって、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。

 ですから、これを来るべき三〇〇〇年(に向けて)の標語として定めるのです。一方では純潔血統、人権平準化、そして国家公的財産保護の先頭に立ち、そして父子間において、夫婦間において、子女間において手本になろうというのです。

 町内がすべて、「あの人について行かなければならない。」と言い、「あの人のようになりたいし、一緒に暮らしてみたい。」と言えば、その人は間違いなく天国の民になり、天国に記憶されうる人になります。文総裁自身も、そのように暮らしています。

 きょう、神様の「王権即位式」において宣布した、最も重要な三大鉄則をお話し申し上げました。それは、私たち人間が、公人として必ず守るべき、家庭に入っても、国に入っても絶対に引っかからないようにするための指針です。

 成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究し、神様を中心とした祝福を受けて真なる血統の家庭を成し、ために生きる生活を通して永生の準備をしてくださるように願います。

 今から人々は、有限な人間の能力とは比較にならない天運のみ手を感知すべく努力しなければなりません。

 生きておられる神様の御前に、本当に温柔謙遜な姿勢で、天の真なる血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が、幸福な天国人です。

 神様の王権時代を迎え、超国家的に心情文化世界を創建することにおいて、共に“同役者”となられることを願います。神様の祝福が、いつも共にありますように。どうもありがとうございました。

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神様の祖国光復

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神様の祖国光復」

(01.07.13 文鮮明総裁招請講演会 韓国・国会議員会館大会議室)



 尊敬する内外貴賓の皆様! 公私多忙にもかかわらず、この意味深い集いに参席してくださった国会議員と著名人の皆様方に深く感謝を申し上げます。

 特に国民を代表する民意の殿堂である国会において、神様の摂理的な観点で、貴いみ言葉の時間を持てたことを嬉しく思います。

 私は新千年が始まる最初の年である今年1/13、「神様王権即位式」を終えた基台の上に、2/25〜4/17の52日間、全米50州、52の都市と米国国会、そして、国連において講演を盛況裏に終えました。その間、主にキリスト教をはじめとする10万を越える宗教指導者たちを対象に、神様のみ旨を中心とした米国と人類、さらに、天上世界と地上世界の行くべき道を提示してきました。

 それだけでなく、ウルグアイを訪問して、南米33ヵ国前現職政府首相、及び、指導者たちが集まる中、天宙平和統一連合南米本部を開院し、再教育と組織編成をし、平和世界実現のために、全世界191ヵ国の各界指導者7万余名を教育した後に、平和大使を6大州へ派遣、祖国の南北統一のための国際的基盤を準備して、今回、帰国しました。

 

最も貴いのは永遠に続く血統


 私は16歳の時、復活節の夜明け、イエス様と出会い、神様のみ旨を成すため、神様解放のための天意の道を出発しました。過去の80余生涯をあらゆる誤解と迫害を受けながらも屈せず、真の理想家庭を基盤とした平和世界具現に全力を尽くしてきました。

 特に神様の命に従い、1971年米国に渡った私は、過去30年間、全身全霊を尽くして、米国が神様から選ばれた世界的第2イスラエル圏の使命を果たすように悟らせてきました。

 私は過去数年間、数百余回の米国指導者会議(ALC)を通して、政治家や宗教家たちが政党や宗派を越えて、各地域社会と米国、そして、世界のために心を一つにして協力するように、促してきました。

 あわせて、今回、米国50州巡回講演を通しては、すべての聖職者たちに教派を越えて、一致団結することを強く諭してきました。実際、米国聖職指導者連合(ACLC)を中心に、連合教会(UFC)運動を通して、14万4千の教会が救世の目的のため、この運動の先頭に立っています。

 一方、私が国連ですでに闡明した世界平和に向けた各種の国境線撤廃運動が活発に展開されています。この運動は世界平和超宗教超国家連合が先頭に立ち、NGO(非政府機構)総連合団体であるWANGO(世界NGO連合)を中心に、国連本部から急激に五大洋六大州に拡散されていっています。

 皆さん、今や私たちは、聖書歴史では7千年、イエス様以後3千年を開いていく新千年時代を迎えています。この時代は人類歴史を通して、神様が願われ、すべての宗教を通して、人類が念願した平和の時代がこの地に定着する時です。

 神様を中心として、心と体が一つになった、完全な個人、そして、真の愛で一つになった、完成した家庭、社会、国家、世界、天宙までを成し遂げ、神様の創造理想が実現される時を期待してきたのです。

 それゆえに、この時代は聖書に預言された旧約と新約の約束が成就され、霊界が完成することにより、天上と地上に天国が成されねばならない成約時代の完成を意味するのです。

 成約というのは本性的次元で、すべてのものが祝福結婚を受ける時代という意味です。神様がつくられたすべての被造万物は人類始祖の堕落により祝福圏に立てませんでした。

 しかし、神様は救援摂理の道を通して、キリスト教をはじめとした数多くの宗教を立て、万民を教育することにより、心霊水準を段階的に引き上げ、成約時代を迎えるようにされました。

 それから、私たちは皆、神様の救援摂理を完成した信仰の結実体として、真の個人王から始まり、真の家庭王、氏族王、民族王、国家王、世界王、そして、天宙的王権の基盤を再び探し出し、ついに本然の「神様王権即位式」を挙行した位置まで来たのです。

 「神様王権即位式」は、天と地のすべての人たちが真の家庭と国を持ち、祝福を受けて、一つの血族、血統が一つになった単一民族を成した基台の上に初めてその式を行えるのです。

 皆さん、人間に最も大切な愛、生命、血統の中で、何が一番貴いですか? 多くの人たちは愛が最も貴いといいます。しかし、愛や生命はどんなに貴いといっても、横的で、ただ一代で終わってしまいます。しかし、血統は縦的であり、代を続けて、永遠に相続されるのです。それで血統が最も貴いのです。

 堕落しなかった本然の世界では神様を中心として、真の家庭を築かなければなりません。真の息子、娘の家庭を築こうとすれば、真の血統が連結されなければなりません。真の父母の子女になろうとすれば、真の父母の血統が連結されなければなりません。父母、子女という言葉は血統が連結されなくては絶対に不可能です。それは神様も分けられません。堕落したサタンも分けることはできません。

 そのため、成約時代の真のご父母様の祝福を通した真の血統は、旧約時代と新約時代の失敗を蕩減復帰できるようにするのです。真なる神様の血統、本然の基準に接ぎ木して、偽りのオリーブの木の畑でも、真のオリーブの木の血統に、真の愛を中心として、一体、一心、一念となり、生死圏を出入りしなければなりません。

 個人的な生死圏、家庭的な生死圏、国家、世界生死圏、どのような犠牲があっても、越えていくという、そのような心情を持った人はサタンが関与できません。国家基準以上を越えるようになれば、すでに完成圏、直接主管圏内に入るために、サタンとは関係を結ぶことはできません。イエス様ももし結婚をしたならば、十字架の道を行かなかったでしょう。殺せません。これは相対理想の直接主管圏に連結され得るからです。

 

祝福結婚は真の父母だけがなし得る


 原理でいえば、責任分担を完成した基準となっているために、直接主管圏内に入っていきます。直接主管圏は神様の血統が連結されていて、サタンが切る道理がありません。この過程で心情一致がなし得る、その位置に行けなかったため、また、そこで堕落したので問題だったのであり、アダム、エバが夫婦となり、真の愛だけをなしたならば、永遠に堕落し得ないのです。サタンが引き裂けません。

 しかし、この過程で、実が熟しませんでした。実が熟さなければ、どんなに実を地に植えるといっても、種が生じません。それで、永遠なる生命がないために、死んだ生命のようなものを始末する所が地獄です。神様と関係がないというのです。

 父子関係というのは父母の血統が連結されなければなりません。その血統はただで連結できません。一人では血統が連結できません。男と女の血統が合わなければなりません。宇宙の根本理致が、性相と形状の血統が一つとなった、その位置で、それでお互いに好む立場で性相となる心が喜べば、形状となる体も一緒に喜べる位置で、完成するように人間を創造したというのです。

 アダム家庭を中心とした実体の大きな木のように、その実体を中心として、アダム、エバを創造した、その実体的対象家庭を繁殖して、東西四方、世界にぎっしり満たして、天国の民を繁殖できる、数多くの分生産工場を拡張するのです。

 それによって、天の民を立てて、霊界にいる神様と地上の実体の父母が地上で暮らしながら、共にそれを生産するのに協力して、霊界で永遠に生きることができる一体として復帰され、天上世界の国、地上世界の民と地を中心として、一つとなり、地上、天上、理想世界を完成するというのです。

 神様の王権即位式を誰がしてくれますか? 最初に誰が即位式を台なしにしましたか。サタンとアダム、エバが台なしにしました。アダム、エバが真の父母となれなかったことにより、サタンが入り、この地上に真の父母の血統的基準を立てることができませんでした。堕落により、サタンの血統を残したために、それを全部否定してひっくり返すことは神様もできずに、サタンもできません。サタンが今までつくっておいた、自分の国を自分が壊してしまうことは難しいのです。どこの誰でも、自分が精誠を込めてつくったものを改造するのは嫌がります。サタンも同様です。それを神様がひっくり返すことができません。神様がひっくり返すことができれば、エデンの園でアダム家庭を失わなかったでしょう。

 とにかく、理論的にも神様が手出しできないということは間違いないのですから、神様が手出しできないことを手出しできる人物が誰かといえば、堕落前、本性の完成したアダムです。本然の真の愛の家庭を持つことができる、そのような家庭は真のアダムの家庭以外にはありません。

 中心が問題です、中心! 復帰も中心がなくては完結され得ますか? 祝福家庭の中心が何ですか? 祝福を誰がしてくれますか? 真の父母がしてくれるのです。結婚式を誰がしてくれますか? 自分の息子、娘に血統を合わせて、お父さん、お母さんに似るようにする、その結婚式を誰がしてくれますか? 堕落しなかったならば、誰がしてくれるでしょうか? 子供を生んでくれた真の父母がしてくれるのです。

 今日、結婚式は天使長に引っ張られたために、社会の有名な人、名前のある人が主礼をします。寝かせて梯子を置いておいて、上に上がっていこうと考えるのです。

 

「死なんとする者は生きん」の真の意味


 最近は結婚の秩序がめちゃくちゃになりました。結婚は順序を変えてすることはできません。順次的にしなければなりません。ところが、最近は逆にもして、大騒ぎです。また、復帰という内容と、それが呼吸が合うために、このようにも合わせて、あのようにも合わせて、逆にも通じるというのです。元来は長子、次子、このように生んだ順序通り結婚しなければいけません。

 さらに、性的退廃は深刻な水準に至っています。親族相姦関係が現れています。姦淫するというのです。ある国では、お祖父さんが孫娘と暮らし、義祖父が嫁と暮らしています。親族相姦関係が起こったのです。帰るべき人たちが中心を知らないので、お互いに好き勝手に生きてみるのです。これが地獄化していく世界ではなくて何でしょうか? 

 このようなことを誰が収拾しますか? 神様もエデンの園でアダム、エバが堕落するのを干渉できなかっただけでなく、サタンと結婚することにも干渉できなかったのに、終末に干渉する道理があるでしょうか? 

 結局、偽りの愛、偽りの生命、偽りの父母によって、偽りの血統へと結ばれているので、真の父母が来て、これをもう一度、蕩減復帰、すなわちこれを完全に否定して、ひっくり返し、神様のみ旨を成し遂げなければならないのです。したがって、「死なんとする者は生きる」という言葉は蕩減する時まで、死亡世界に生きている者が、死ぬ立場まで行っても死んでから生き得る余力があってこそ、生き返るのです。

 死ぬことを悲しみ、逃げたいという人は永遠に復活圏がありません。そのために、聖書には「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」とあります。ですから、神様も同様で、真の父母も同じなのですが、天国に行くという人はどうですか? 神様も、生きようという人間、一つひとつの生命を生かしてあげるためには、その反対に、死ぬような立場に行く前には生かしてあげるように助けることはできません。

 綱を掛けて崖に落ちた人を助けようとすれば、死ぬほどの力を尽くして引き上げ、その基準以上になってこそ、人も生き、神様も生き返るのです。

 現代人たちは「自由、自由、自由!」というでしょう? どんなに現代の教育制度がいいといっても、皆さんには堕落圏内の自由の観念しかありません。個人主義の観点としては、そのようなことは知ることができません。氏族、民族、国家、世界、天宙の観念がないではないですか? どのようにして、そのようなことを悟らせますか? 

 文総裁が個人観、家庭観、社会観、国家観、世界観、宇宙観、神観を完成して、神様を解放しなければならないということを教えてあげました。小さなことから始めて、神様を解放する最高の段階まで上がってきました。どのようにして、それを成し遂げますか? 心と体を統一することから始めるのです。

 絶対的に心と体が一つとなった立場から家庭、国家、世界、神様まで進んでいくのです。どんなに人々がその位置まで行きたくても、個人主義の観念が怨讐です。それが神様の怨讐であり、宗教世界の怨讐であり、良心世界、天国世界の怨讐です。すべてのものの怨讐です。それはサタン、天使長の位置へと連結されるのです。

 フリーセックス、ホモ、レズビアン、このようなものは麻薬中毒とエイズ感染の近道になります。麻薬とエイズは人類を全滅させる脅威となっています。アフリカではエイズが深刻な境地に至ったと報告されています。エイズ細菌の潜在期間が8年から12年であるとみる時、ある地域は2代ですべて滅びるとみているのです。国連を中心としてみる時、NGO(非政府機構)も多くの問題点を抱えています。この人々に一番難しいことをしろといえば、それをなす人がいますか?

 NGO責任者たちは現在の政権や社会悪を中心としてああだこうだ指摘しますが、私のように国連の役割、共産主義と人本主義を消化する問題など、そのようなことを指摘しますか? あまりにも次元が高くて、聞いてからは呆然としています。そのような高い次元の内容を知ってこそ、反対することができるのであって、反対することができません。彼らは「正しいには正しいです」というのです。

 青少年の淪落と家庭破綻、麻薬問題、エイズ問題、特に純潔な血統をどのように残すのかという問題を彼らは知りません。それに対する解決方法は国家はもちろん、国連のような世界機構の指導者たちも知りません。彼らは「これは嘘か、本当か」と言います。

 

神様王権即位式以後の生活規範


 これからは神様王権即位式以後にできる条件をはっきりと教えてあげるつもりです。

 今まで問題が何かといえば血統が問題です。血統! それが最も重要です。社会団体や政府も関係ありません。学校も関係ありません。今この世の中に数多くの国がありますが、神様の血統と関係あるものは一つもありません。サタンに属しているのです。これからは他に法がありません。神様に従っていき、真のご父母様に従っていくこと以外には中心位置がありません。

 今日、この新千年時代にすることが何かといえば、これまで神様も解放されず、真のご父母様も解放されなかったのですが、これからは神様の王権定着のもと、解放された天地父母と子女になったので(死を)恐れるな、というのです。むしろ、天国に早く行きたがる人が若くて行けばどれほどいいですか? 損ですか? 天上天下すべての宇宙が私の手の中に入ってきて主人になるのに、どうして否定しますか? 死んでも生きても心配することがありません。そのようになっていなければなりません。

 皆さんは個人完成をどのようにするのか知っていますか? 個人の心と体が一つとなるのを知っているでしょう。堕落する時にサタンの血統を受け継いで、愛の力が良心の力よりもっと強かったのです。これが問題です。どんなことがあっても体がしようとする通りにしてはいけません。

 これから守らなければならない本性の鉄則が何かといえば、一つ目に、死んでも天から伝授された純潔な血統を汚してはならないということです。

 二つ目に、人事措置を誤って人権を蹂躙してはならないということです。男でも女でも、黒人でも白人でも平等です。人権を差別したり蹂躙してはならないのです。責任者たちは自分の心に合わないといって、むやみに人事措置をしてはいけません。

 人権を正常に指導するには真の愛、すなわち、ために生きる愛をもって生きる人が主流です。天地創造がそこから始まりました。その主流思想を乱すことは赦すことができません。罪の中の2番目の罪です。

 3番目に公金を盗んではいけません。公金を勝手に使ってはならないのです。以上の三つです。このすべてが堕落したサタンを中心としたアダム個人と家庭から由来したのです。このために監獄に行く人が70%以上になります。監獄に入ってみるとそうです。人権を蹂躙して、血統を汚して、男女問題にかかっています。その次にはお金の問題、権力の問題です。お金と知識と権力が怨讐だったのです。

 これから、祝福を受けた血統は神様の血代であり、神様の真の愛と真の生命を受け継いだ者であるからには、今まで堕落世界に染まった習慣的行動によって汚してはなりません。それを守ることができますか? 夫婦であっても、配偶者がいなくても一人でもいいから、完全な血統を汚さないと決心して盟誓する今日とならなければなりません。

 天国の憲法1条が何かといえば、血統を汚さずにきれいに保存して、純潔な血統を永遠に守りなさいというのです。2番目は人権を蹂躙してはならない。3番目は公金を略取するな!これです。皆さんが天国の王権を維持して王権の前に民となり、父母となり、妻子となり、兄弟となるためにはこれが絶対必要です。

 そのため、お兄さんを無視できません。弟が愚かだといって無視できません。この世はすべて無視していますが、親族を無視することはできません。知識があるといって、大学を出た人が、高校だけ出ても無視してしまいます。そうしたら人権蹂躙となります。

 公的な環境を破壊させることも、国家財産略取と同様に恐ろしいことです。そのように暮らす人は天運が共にないため、いくらよくなろうとしても駄目です。負債を負う人は天下が皆、嫌います。一門の中で代表的に問題を起こせば、一門から即座に追い出してしまうのです。

 それでは、神様の公式、法度に従って生きるには、どのような環境、どのような人たちと共に生きてこそよく暮らすのですか? 簡単です。それも三つです。親子の関係、夫婦の関係、兄弟関係です。兄弟関係は両親の前には子女となります。子女関係は兄弟関係ということです。自分の家庭を中心として、お父さんお母さんがいて、その次に夫婦がいれば息子娘がいます。

 したがって、両親の前で、私には兄弟関係と同様に姻戚の八等親、四等親以上が全部連結されて入ります。それで父子関係、夫婦関係、子女関係です。これが連結されれば兄弟は自動的に生じるのです。

 手本になれなければ間違った暮らしなのです。しかし、お父さん、お母さんの前に、夫婦の前に、子女の前に手本になることができるように暮らせば正しく暮らすのです。

 そのように善く暮らせばどのようになりますか? 家庭のモデルは国と天国のモデルと通じるのです。そのように生きたおじいさんから、お父さん、お母さん、子女3代が四位基台理想を備えることができる、そのような家庭に賞をあげるのです。

 それゆえ、兄弟関係でも子女関係でも、共同の責任下で和解して、影響を与えながら主体的な位置に立つために生きる人になれば、天の国の誰もその人を抜かしていくことができません。

 それから、この法を守って暮らせば、間違いなく天国の皇族圏になり、どこでも自由、統一、解放の家庭になります。

 それで、これを今日、3000年を始める標語として定めるのです。一方で純潔血統、人権平準化、そして、国家公的財産保護に先頭に立って、その次に親子間に、夫婦間に、子女間に手本になろうというのです。

 村中が全部、「あの人に従っていかなければならない」と言い、「あの人に似たくて、一緒に暮らしたい」と言えば、その人は間違いなく天国の民になり、天国に記憶される人になります。文総裁自身もそのように生きています。

 

ために生きる生活で永生を準備すべき


 今日、神様の王権即位式で宣布した、最も重要な3大鉄則を語りました。それは私たち人間が公人として必ず守らなければならない、家庭に入っても、国に入っても絶対引っ掛からない指針です。

 神様の全智全能な権能と真の愛がこの地に直接的に現れる成約時代には、天上世界をはっきりと知らなければなりません。どうか霊界を熱心に研究して、神様を中心とした祝福を受け、真の血統の家庭を成し、ために生きる生活を通じて永生を準備することを願います。

 今や人々は神様が願われた理想の地上天上天国が到来する時であることを知って、限りある人間の能力とは比較にもならない天運の御手を感知しようと努力しなければなりません。

 生きておられる神様の前で、真に温柔謙遜な姿勢で最も貴い天の真の血統を輝かせる孝子、忠臣、聖人、聖子の道を行く者が幸せな天国人です。

 内外貴賓の皆様! 

 新千年が始まる21世紀は、分裂と葛藤の過ぎた世紀の遺物が清算されて、和解と統一の地球村大家族の理想が実現する時です。

 私は韓民族を選んで平和文化世界を成そうとする神様のみ旨を早くから知ったために、50余年の間、全心全力をかけて、国内外に頭翼思想と神主義を中心とした理念運動を土台として統一の基盤を造成してきました。その間、私が主張してきた神主義は有神論と無神論の相反した価値観の統一はもちろん、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。

 韓民族を導いて世界に跳躍して雄飛させる使命を持った国会議員及び内外貴賓の皆様! 私たちは皆共に真の愛の神主義で私たちの価値観を定立して、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族と世界平和のために、南北統一運動を信仰化しましょう。

 そして、真心から共に暮らそうとする真の愛、怨讐までも愛する心で、統一運動の先頭に立つ義人と指導者になりましょう。

 神様の王権時代を迎えて、私たちすべてが神様を中心として南北統一を成し遂げ、超国家的に神様の心情文化世界を創建するのに、共に監督者となり、神様の故郷と神様の祖国光復を成就しましょう。

 神様の祝福が国と皆さんの家庭にいつも共にあられることを願います。

 ありがとうございました。

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神のみ旨から見た平和への道

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神のみ旨から見た平和への道」

(01.10.20 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」開会総会 ヒルトンホテル、ニューヨーク)



 尊敬する議長、各界を代表する世界指導者、各国の平和大使、超宗教超国家連合指導者とNGO指導者、そして、紳士淑女のみなさん。

 歴史的な大転換の時を迎え、地球の危機を解決するために、この真摯な集まりに世界を憂慮する指導者たちが一堂に会しました。

 去る9月11日、ニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は全世界に驚きと衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対する深刻で根本的な疑問を再び投げかけたのです。

 人類は歴史を通して平和世界を希求してきました。しかし、その夢は一度も実現しませんでした。顧みれば、政治的軍事的対立が熾烈だった冷戦が終息し、多くの人々が高度化した科学文明の基盤の上で、人類が願ってきた平和と安定の新時代が来るものと期待していました。

 ところが、葛藤と憎悪、利己的欲望が私たちの中にそっくりそのまま残っており、また、他の形のさらに大きな災禍を生んでいることを実感します。

 無辜(こ)の人々に対する暴力が罪悪であることが自明であり、このような行動は必ず終息させねばなりません。ならば、このような葛藤と闘争を根元から除去する解決策は何でありましょうか。憎しみと葛藤と闘争の種はどこに植えられ、根を張っているのでしょうか。

 それは人類始祖の最初の家庭の中に植え付けられたものでした。その根から代を重ね、葛藤と闘争が綿々とつながってきているのです。

 そうであれば、葛藤を解消し、平和を実現する道はどこに求めねばならないでしょうか。人類はこの間、葛藤を克服し平和を実現する道を、政治的・外交的努力で、あるいは、経済的力や軍事力を通して、得ようと試みてきました。

 しかし、このような方法は根本的な解決策にはなりませんでした。根本的で唯一の方法は、失ってしまった人間始祖の最初の家庭、すなわち、神様の理想家庭を復帰することです。神様を中心に戴く家庭、真の愛を縦として完成した家庭だというのであります。

 神様は真の愛の本体としておられ、人類には無形の真の親であります。愛は一人で成り立ちません。必ず相手を通して結実します。人間は神様の真の愛の実体対象としてつくられた子女です。

 神様の人間に対する「生めよ(熟せよ)」と言われた第一祝福は、人間があなたの真の愛の完全な対象となれとの祝福でした。

 神様は、自分の対象に、自分より優れていることを願います。神様は真の愛の対象である人間に対し、投入し忘れ、さらに投入して忘れ、無限に与えたいという真の父であります。愛の出発は無限に、為に生きるところから出てきたからです。

 神様は人間に対し「殖えよ」という第二祝福を与えられました。

 人間始祖は神様の子女として育ち完成し、神様と一体となった心情圏の下、真の夫婦となります。続いて、彼らは神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統を、彼らの子女に伝授しながら、実体の真の父母となるのでした。

 このように神様の創造理想は最初の家庭から、縦的に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対、唯一、普遍、永遠なように、その家庭は真の愛を中心とし、絶対、唯一、普遍、永遠の家庭となります。ここから人間は神様と一心同体となった実体となり、完全な自由と幸福と理想を完成するようになります。

 このとき、人間は宇宙万象の歓迎を受ける真の愛の主管主となるのです。これが神様の人間に対する第三祝福です。人間が万物を主管しながら、幸福な生活条件を得る祝福です。これは生態系と自然を真の主人の立場から保存しなければならない管理の責任も含まれるものです。

 ところが、人間始祖は神様の祝福の下、真の愛の家庭を実現することはできませんでした。真の愛を中心とした真の愛、真の夫婦、真の父母となれなかったということです。神様の命に逆らい、堕落した人間始祖が楽園から追われた後、神様の祝福とは何の関係もない偽りの愛を中心とした夫婦となり、子女を生み、今日の人類世界をつくってしまったのです。

 有史以来、人類は神様を戴く真の愛の基盤から生まれることができずに、心と体が葛藤する矛盾を身につけ生きてきました。この葛藤は始祖の家庭内で兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れたことで見せてくれます。神様を離れた家庭の悲惨な実像です。

 人間だけが中心となる家庭、人間関係だけを基礎とする家庭は本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛に連結された家庭が理想家庭です。真の父母、真の愛の下、縦的軸を共有する兄弟間に初めて完全な和平の関係がなし遂げられます。

 真の愛は理想家庭の中で体得され、また結実します。家庭は唯一の愛の学校です。真の愛は権力や知識や力の基盤からは決して創出することができません。

 尊敬する世界指導者の皆さん。

 皆さんが今日の世相を見渡し、また、若者に対するとき、何を感じますか。希望に満ちた明るい未来だけを感じますか。日ごとに増加する若者の犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混沌など、未来社会を否定的に予測し、苦悩することが多いというのです。

 なぜ若者がこのようになったのでしょうか。また、学校教育や制度と環境の改善ももちろん部分的な解決策となりましょう。

 しかし、根本の根はそんなところにはありません。真の愛の最初の家庭を失った人類が歴史の結実期を迎えながら、家庭が安定性を失い、崩壊するには、その原因があります。家庭の崩壊現象は一つだけの愛の学校が破損しているように、その否定的波及効果がとてつもないものなのです。

 社会的に様々な不安要因となるのはもちろん、国家的、世界的に多くの問題を併発させます。特に青少年には情緒的不安を与え、生の座標を変え、脱線と放縦な生活の直接的な原因となりもします。

 結婚忌避が増えていることや離婚率の増加など、家庭基盤が急速に崩壊している現実はあすを憂慮する指導者が先駆けて必ず解決しなければならない課題だといえるでしょう。

 神様の第一祝福と第二祝福を失った人類は、神聖で永遠な夫婦の愛を実現できる真の愛の個体完成の重要性が分からなくなりました。青少年は大部分、婚前純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けられません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を知らないのです。

 夫婦間の信義と貞節が軽んじられ、結婚の神聖性が無視される風潮は、人類社会のとてつもない悲劇と災いを内的に表したものです。

 男女間の愛が刹那的で、肉欲的で、享楽的なことだけに走り、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場所がなくなってしまいました。急速度で拡大するエイズと性関係伝染疾患(STD)は人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないともいわれています。

 世界をいま、震わせているテロリズムよりもさらに恐るべき危険が安全地帯もなく、私たちすべての間近に迫っているというのです。一度、感染すれば、幸福も理想も生命もすべて放棄しなければならないという、このとてつもない地球星の災いを解決できずに、私たちがどうして、この時代の指導者だと言うことができるでしょうか。

 また、「万物を主管せよ」といわれた神様の第三祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たせずにいるのです。万一、自然が人間の拡大に対して反抗し、人間を拒否したとすれば、どうなりますか。そのような兆候が既に出ていないでしょうか。生態系と自然環境が無言のうちに、人間の傲慢さに対し懲罰を与える前に、人間は真の愛の人格を回復し、万物の前に立たなければならないのです。

 尊敬する世界指導者の皆さん。

 人類はいまや独善と無知、そして利己心と憎悪を自ら反省し、神様の前に謙虚に頭を垂れ、天の道に従わなければならないときに至っています。

 私はいち早く神様の召命を受け、神様と人類が共に願う平和世界の実現のため、生命を捧げてきました。私は今日、平和に向かうために重要ないくつかの点について語ろうと思います。

 第一に、私たちは他のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は他人を不快にすることはもちろん、天の道に逆らうものです。他のために生きるということは、直ちに神様に似る実践です。神様の真の愛を相続し、家庭と社会、国家と世界を愛することは宇宙の基本秩序に順応するものです。真の愛の実践を通してのみ、人格を完成した真の人間、真の夫婦、真の師、真の主人となります。このようにして平和を成し遂げる主体となります。他のために生きることは平和に向かう最初の関門となります。

 これに関連して、平和に至る道は神様主義・頭翼思想によらなければならないという結論を述べようと思います。

 神様主義・頭翼思想というのは、カイン・アベルの葛藤を始まりとしたこの世の中にあるすべての葛藤要因と思想とその結実を、全部化合し包容できる思想であり主義であります。

 葛藤と憎悪は何を以て燃えさかりますか。憎悪に対するもっと大きな憎悪としての反応は、むしろ、さらに恐るべき憎悪と破壊を呼び寄せるだけです。これは平和への道にはなり得ません。対立し仲違いする双方の葛藤要因は、ただ真の愛によってのみ、感化され、教育され包容され得るのです。

 神様を中心にした真の愛は国境で塞がれない超国家的なものです。また、真の愛は宗教の高い垣根も乗り越え、人種差別もない超宗教的、超人種的なものです。神様の理想を中心にした相手のための真の愛の化合力、生命力によらなければ、左右、前後、上下、内外の様々な地球星のすべての葛藤対立要因は克服できず、永遠な平和理想世界はなし遂げられません。

 第二に、平和な世界と国家を実現する基礎単位は真の家庭であります。既に言及したように、対立葛藤の根が始祖の家庭にあったことによって、理想的な真の夫婦の家庭が生まれない限り、平和世界はその起源がないのであります。

 私が世界的に展開している国際祝福結婚は、一教団の結婚式ではありません。神様の愛の伝統をたてる救世救国の運動です。青少年へは婚前純潔運動を実施しています。そして、大人になれば、神様の真の愛の祝福を受け、夫婦間の絶対信義と貞節の誓約の下で結婚する運動です。真の愛を中心とし、真の家庭と真の父母をなし遂げる神聖な運動です。

 このような理想の下に、教育を受け、結婚した家庭はエイズを危険に思う理由がありません。彼らにはエイズ予防が風邪の予防よりも簡単なことなのです。世界のすべての若者がこのビジョンで教育を受け、実践すれば、エイズは完璧に予防されます。

 真の愛の家庭を通して、家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を置くのです。特に政治的、歴史的に不和であり恩讐関係にあった国家間の人々がその高い垣根を越え、姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになれば、和解は国家を超えて、人類を飛び越えるものになるのです。確かな平和へ向かう高次元の公式は不和と恩讐関係にある家の子女たち同士で、交叉結婚祝福をし、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を達成することです。ここから、神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する始まりとなるのです。

 第三に、超宗教的な和解と協力は平和世界へ向かう必須条件です。私はこの五十年間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして、活動してきました。いつも、自身の教団発展よりも、はるかに多くの予算を支援しながら、引き続き、この運動を行って参りました。変わることのない、このような愛の実践が簡単なことでありましょうか。決してたやすいことではありませんでした。

 教団間の和解と協力がない限り、世界平和は期待することができません。神様の理想である平和世界への案内者は宗教指導者と信仰者がならなければなりません。宗教が万一、偏狭な教派主義だけを強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由になることはできません。地球星の危機の前に宗教指導者は謙虚に神様のみ旨に従い、超宗教的に手に手を取って、真の愛を実践していかねばなりません。

 宗教の感化力により安らかな人格が創出され、自己主管力が養われ、歴史的な憎悪と怒りを消化することで、真実の平和と安定がもたらされるのです。万一、宗教が教理や儀式の差異をこえて、神の高い理想の下に、お互い愛し合い、協力し、奉仕することをこの世の中に見せたならば、世界は劇的に変わることができます。

 第四に、平和世界を成し遂げるため、国連の正しい役割をもう一度、強調したいと思います。

 国連が代表的な世界平和機構として、これまで多大な貢献をして参りました。しかし、創設時と大きく変わってしまった世界の事情と多元化した地球星の問題解決のために、昨年、私の考えを国連に提案いたしました。

 国連内に上院のような特別機構を補強し、宗教的、精神的、道徳的次元から世界問題を審議するようにするのがその一つです。国連が国益に基礎を置く政治や外交の力によって司られる次元を超えて、地球星的な理念と高い神の理想の下で司られる機構となることで、万人の権益を保護し、平和世界を創建していけるものです。国連だけでなく、今後、世界秩序は政治主権が道徳的、精神的価値と別個に作用しては、公益と平和を保障するのは難しいのです。

 神の理想に基礎を置き、宇宙公法と通ずる精神的、道徳的高次元の指導力が要請されるのであります。政治力やそのどんな力も神と天理の上に立つことはできないのです。

 また、国連は非政府民間団体・NGOの意見を多く取りまとめていかなければなりません。私がWANGOを創設した理由もここにあります。NGOはより一層対話し、協力しつつ、本来の創設精神を失ってはなりません。利己的で偏狭にならないように努力し、世界のために正しい奉仕を続けていくことをお願いするものです。

 尊敬する指導者のみなさん。

 自ら実践せずに、平和を語ることは正しい指導者の道理ではありません。また、私たちが座して平和を待っているだけの余裕がある世界の状況でもありません。平和大使たちはもちろん、私たちすべてが平和運動の主体となって、きっと平和世界を創建しなければなりません。国連をはじめとする国際機構は平和大使館を中心に、歴史的宿願である世界平和運動に積極的に協力、支援してくださることをお願いします。

 私たち国際機構は一心同体となり、共に他のために生きることで、真の愛、家庭理想を創建し、実践することで、天運の協助を受ける平和の先駆者となりましょう。神様の祝福が永遠に共にありますよう願います。

 ありがとうございました。

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真の“私”をさがして

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「真の“私”をさがして」

(01.10.21 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」閉幕晩餐会 ヒルトンホテル、ニューヨーク)



 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様。

 この意義深い会議が早くも幕を下ろすようになったと思うと、名残惜しい気持ちを禁じ得ません。しかし、今は時間がありません。私たちすべては今こそ、神が私たちに与えた使命を胸中に刻んで、第一線に出なければなりません。私たちが躊躇し、ためらえば、人類はますます抜け出せない苦境に処するようになります。世界を一度、見渡してください。皆様のほかに誰が、本当に、今日の人類が処したこの危機を懸念し、また、解決できると思いますか?

 もう明日になれば旅立つ皆様に、私は今晩、形式的な別れのあいさつをするよりは、皆様を兄弟のように信じて、深い心情を交わすことができると信じる心から、天がこの時代に私を通して人類に与えようとされる真理の一端を伝えようと思います。

 「真の“私”をさがして」という題目のお話になります。

 皆様、神様の創造理想を完成するとは、果たして、どういうことだと思いますか? 皆さま個人を中心として、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統の因縁を結んで真の種になり、その種が真の家庭になり、家庭の種は宗族の種になり、宗族の種は民族の種になり、民族の種が国家の種、世界の種になることです。

 しかし、人間始祖の堕落によって人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは何ら関係がない、サタンの偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の子孫となり、偽りの種に転落してしまいました。これが人類の悲劇であり、いまだに私たちが解決すべき最も大きな課題であるのです。

 それで神様は救いの摂理を展開しながら、蘇生時代の旧約時代は万物を通して人間を覚醒させ、新約時代には直系の子女を通して、そして成約時代には父母を通して覚醒させてきたのです。

 それでは、何を覚醒させてきたのでしょうか? 私たちは果たして、どんな根拠で“私”だと主張し得る資格者となったのでしょうか? 聞きたくない話かもしれませんが、人類は今日まで、堕落した子孫として真の“私”の価値と位置をさがし得ませんでした。神様は人間を創造され、ともに“ウリ(私たち)”という言葉で真の家庭を立てて、その家庭を拡大発展させて、ご自身の創造理想である平和世界をこの地上に実現しようとされたのです。しかし、人間が堕落によって真の“私”の位置をさがし得なかったために、神様も“私たち”という言葉を使ってみることができなかったのです。

 そうだとすれば、人間は、“私”という主張をどこから行いましたか? 仕方なく、堕落した世界の、米国ならば米国の国民として教育を受けた自己の歴史的な伝統だとか、国家的な伝統を中心として、“私”という意識を持つようになったのです。創造理想的な意識圏内に立つことができる、神様自身が“私のもの”、“私の子”だと言える、そんな関係を結び得なかったのです。したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは、何ら関係がないものなので、私たちは自らを完全否定すべきなのです。

 私たちはまず、個人として完全な“私”の位置をさがさなければなりません。ところが、それは自分をゼロにして完全否定するしかありません。その位置であってこそ、心と体の完全統一をなし得るためです。考えてみてください。天と地が公認し得る完全な“私”をさがし立てて、完全な家庭をつくり、その上に完全な国家、世界をつくる前に、どうして神様が、不完全な輩である私たちをご自身の真の愛、真の生命、真の血統圏に立てて、“私たち”だと呼ぶことができるでしょうか?

 神様はご自身が安心して“私たち”に含めて呼ぶことができる真の男と真の女、すなわち、ご自身の真の息子と娘をさがして、復帰摂理を行ってこられたのです。したがって、私たちすべては、私たちが神様の前で果たして“私”を主張できるかどうかを、反問してみるべきです。いや、それより先に、私立ちの心と体が完全にひとつに統一されていると、自信を持って叫ぶことができるかと自問してみるべきです。そこに対して確実に答えられないとすれば、私たちはいまだに行くべき道が遠いということを自認するほかないのです。

 神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体なので、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘をさがしてこられたのです。すなわち、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった、神様の生命と血統に連結した絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた、そんな子供たちを待ってこられたのです。なぜなら、真の愛は自己からは探すことができないものだからです。真の愛は必ず相対とともに実現するようになっています。全知全能の神様も、ご自身だけでは真の愛の理想を実現できないのです。これこそ、神様が人間をご自身の子女であり、愛の対象として創造された理由なのです。

 私たちはまず、心と体の統一によって個人完成をなしとげ、その土台の上に神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。しかし、縦的な関係だけでは“私たち”という言葉が成立しません。そこには必ず横的な関係がともに調和しなければならないのです。したがって、男と女が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、子女を生んで真の家庭を立てて、3代を中心として4位基台をなしとげてこそ、初めて天は家庭単位で“私たち”と呼ぶことができるようになるのです。

 それでは、私たちはどうすればそんな位置まで進むことができますか? 神様が万物を創造されたその位置をさがしていけばいいのです。神様はどんな状態で創造されたと思いますか? 絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには自身の利益や事情を考える余裕はあり得ませんでした。完全に100パーセント与えても、また与える、為にいきる愛の始原がまさしくここにあったのです。

 私たちの家庭でも同じです。神様の立場にいる父母は真の愛を中心として完全投入、絶対投入して、正分合の論理でみれば「正」の立場で子女を生んで養育し、縦的な“私たち”の軸を立てるべきなのです。そして横的には、夫婦が「分」の立場で真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係のもうひとつの軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な“私たち”の概念が実体的に展開されるのです。

 これがすなわち家庭圏内での4位基台の完成であり、3対象目的の完成になるのです。このように、家庭圏内での正分合の完全実体展開は、3代を中心として血統が一列に連結されなければ不可能なことです。それで家庭が重要なのです。家庭こそ、天が私たちに与えた最も尊い贈り物に他ならないのです。家庭という環境がなければ、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”をさがし、縦横と前後に完全な“私たち”を敢えて考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。

 皆様、私たちは世俗的な名誉、知識、権力、財力に恋恋としたり、また、それらに引きずり回される愚を犯してはならないのです。この世にいくら優れて有名な者がいたとしても、彼が、心と体が完全にひとつになった位置で“私”をさがし出せず、天と縦的に連結されていなければ、何の役に立ちますか? 天が彼を胸に抱いて“私たち”だと呼んでくれなければ、神様の創造理想である平和世界の実現と何の関係がありますか?

 皆様は真の“私”をどこでさがしますか? 為に生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロにして否定し、家庭のために、国家のために、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に捜し出されるのです。これがまさしく復帰摂理、救援摂理の道を歩んでいる人間の避けられない運命の道なのです。

 私たちは自分を推し立てて“私”をむやみに語ってはならないのです。長い歴史の裏通りで、真の“私”を語り得る子供を捜して、恨(ハン)にまみれた復帰摂理を行ってこられた神様の心情を少しでも知ったなら、むやみに“私”を主張できないのです。私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年、待ってこられた理想家庭だけ立てれば、そこが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこで、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。

 皆様、太陽を見ても恥ずかしくなく、海を見てもやましくなく、万物の前でも一点も隠すことがない真の“私”をさがして、神様が“私たち”と呼んでくれる家庭を立てましょう。

 もう一度、今大会のために忙しい日程を後にして、このように最後まで一緒にいてくださった世界の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。お帰りになられたら、皆様は今回、ここで学び悟った真理を広く知らしめてください。天の任命状を受けて、平和世界実現のための平和大使としての自負心をもって、第一線に出てくださるようお願いいたします。

 ありがとうございます。さようなら。

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神様と人類が探していく平和の国と世界

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「

神様と人類が探していく平和の国と世界

」

(01.10.29-11.08 天宙平和統一国韓国大会)



天宙平和統一国韓国大会日程

     2001年
     10月29日 大田・忠清南北        儒城リベラホテル
         30日 ソウル               新羅ホテル
         31日 光州・全羅南北・済州     新陽パークホテル
     11月1日 釜山・慶南             ロッテ釜山
         2日 京畿南部             ホテルロッテ
         4日 大邱・慶北             大邱インタブルゴホテル
         5日 仁川                 ホテルロッテ
         6日 京畿北部・江原         ロッテワールド
         8日 国会議員など国家指導者対象  新羅ホテル

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 尊敬する各界指導者の皆様

 歴史的な大転換の時を迎えて今日、韓国の統一と世界の平和を気遣う指導者が一堂に会しました。

 さる9月11日、ニューヨークとワシントンDCで起こった惨劇は、全世界に驚くべき衝撃を与えました。平和と安全に対する懸念とともに、現代文明と人類の未来に対する深刻で根本的な問いを再び投げかけさせました。

 折りよく、さる10月19日から22日まで、ニューヨークで意義深い国際会議が開かれました。

 私が創設した世界平和超宗教超国家連合と世界NGO連合であるWANGOとの共同主催で、全世界101の国家から前・現職国家元首、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教など、主要宗教の最高指導者、学界、各国のNGO団体代表など、約400人が参加して、真摯でありながらも深刻に今日、世界が直面している危機とこれを平和的に解決するための方案の模索について討論しました。

 世界で唯一残された分断国である私たちの祖国、韓半島は、中東地域とともに地球上で最も注目される紛争地域の一つです。恒久的かつ根本的な平和世界実現に対する私の構想を開会演説で伝えましたが、今日この時間、私の所見の一端を分かちあいたいと思います。

 今日の講演題目は、“神様と人類が探していく平和の国と世界”です。

 人類は歴史を通して常に平和世界を希求してきました。しかし、その夢は一度も実現しませんでした。顧みれば、政治的、軍事的な対立が熾烈だった冷戦が終結すると、多くの人々が高度化された科学文明の基礎の上で、人類が念願した平和と安定の新時代が来るだろうと期待しました。

 しかし、葛藤と憎悪、利己的な欲望が私たちの中にそっくりそのまま生きているので、別の形態の、いっそう大きな災いを生み出したことを遅まきながら実感しています。無辜な人々に対する暴力が罪悪であることは自明であり、こんな行動は必ず終結されなければなりません。

 しかし、このような葛藤と闘争を根源から除去する解決策は何でしょうか?

 憎しみと葛藤と闘争の種はどこにまかれて根付いていますか?

 それは、人類始祖の最初の家庭の中にまかれていました。その根から代々、葛藤と闘争が続いているのです。

 そうだとすれば、葛藤と紛争を解消し、平和を実現する道はどこから探すべきでしょうか? 人類はこれまで、葛藤と紛争を克服し、平和に向かう道を政治力や外交的な努力で、または、経済的な力や軍事力を通して探してみようと試みてきました。

 しかし、このような方法は、根本的な解決策になりえませんでした。根本的であり唯一の方法は、失われた人類始祖の最初の家庭、すなわち神様の理想家庭を復帰することです。神様を中心に侍る家庭、真の愛を縦横にした完成した家庭のことです。

 神様は真の愛の本体であられ、人類には無形の真の父母であられます。愛は自分独りで実現できません。必ず相対を通して結実されます。人間は神様の真の愛の実体対象として創られた子女です。

 神様は人間に対して“生めよ”と言われた第1祝福を与えましたが、その第1祝福は人間がご自身の真の愛の完全な相対、すなわち、真の人間になれという祝福でした。相対は自分よりよくなることを願います。

 神様は真の愛の相対である人間に対して、投入して忘れ、また投入して忘れてしまう、無限に与えようとする真の父です。愛の出発は無限にために生きるところから出てくるためです。

 神様は人間に“殖えよ”という第2祝福を与えました。人類始祖は神様の子女として育って完成し、神様と一体心情圏のもとで真の夫婦になるようになっています。

 さらに彼らは、神様から相続した真の愛、真の生命、真の血統をその子女たちに伝授しながら実体の真の父母になるのです。

 このように神様の創造理想は、最初の家庭から縦横に真の愛を完成するようになっていたのです。神様の愛が絶対・唯一・不変・永遠なように、神様に侍る家庭は真の愛を中心として、絶対・唯一・不変・永遠の家庭になります。

 ここで人間は、神様と一心一体になった実体となり、完全な自由と幸福と平和の理想を完成するようになります。

 この時、人間は宇宙万象歓迎を受ける、真の愛の主管主となるのです。これが神様が人間に与えた第3祝福です。第3祝福は、人間が万物を主管しながら幸福な生活条件を得る祝福です。これは生態系と自然を真の主人の立場で保存しなければならない管理の責任も含まれたことです。

 ところが、人類始祖は神様の祝福のもとで真の愛の家庭をつくることができませんでした。真の愛を中心とした真の人間、真の夫婦、真の父母となれな

かったのです。神様に逆らって堕落した人類始祖が楽園から追い出された後、神様の祝福とは全く関係がない偽りの愛を中心として夫婦になって子女を持ち、今日の人類世界をつくってしまったのです。

 有史以来、人類は神様に侍る真の愛の土台で生まれることができず、心と体が葛藤する矛盾を抱えたまま生きてきました。この葛藤は始祖の最初の家庭の中で、兄弟間の憎悪と殺人という悲劇として現れたことを見せてくれています。神様を離れた家庭の悲惨な実情です。

 人間だけが中心となった家庭、人間関係だけを基礎とした家庭は、本然の理想家庭ではありません。神様と垂直的な真の愛の軸に連結された家庭が、理想家庭です。真の父母、真の愛のもと、縦的な軸を共有する兄弟の間に、初めて完全な和平の関係ができあがります。

 真の愛は理想家庭の中で体得され、また結実されます。家庭は唯一の愛の学校です。真の愛は権力や知識や力の基盤としては、けっして創出できません。

 尊敬する各界指導者の皆様!

 皆様が今日の社会相を眺めて、また若者たちに対するとき、何を感じますか?

 希望に満ちた明るい未来だけを感じますか? 日毎に増加する若者たちの犯罪率、暴力と麻薬乱用、不倫と退廃、十代の未婚の母問題と価値観の混沌など、未来社会を否定的に予測して苦悩するときが多かったはずです。

 なぜ若者たちがこのようになりましたか? もっといい学校教育や制度と環境の改善も、もちろん部分的な解決策になるでしょう。

 しかし、根本の根はそんなところにありません。真の愛の最初の家庭をなくしてしまった人類が歴史の結実期を迎えながら、家庭が安定性を失って崩壊するところにその原因があります。家庭の崩壊現象は、一つだけの愛の学校が破損されるのと同じで、その否定的な波及効果は、途方もないのです。

 社会的に様々な不安要因になることはもちろん、国家的、世界的に多くの問題点を併発させます。

 特に、青少年たちには情緒的な不安を与えて生の座標を替えさせ、脱線と放縦の生活の直接的な原因となったりもします。

 結婚忌避症や離婚率の増加など、家庭の基盤が急速には会されている現実は、明日を気遣う指導者たちが先頭に立って、必ず解決しなければならない課題だと言えます。

 神様の第1の祝福と第2の祝福を失ってしまった人類は、神聖な永遠の夫婦愛を交わし得る、真の愛の個体完成の重要性を知り得ませんでした。青少年たちは大部分、婚前純潔と真の愛の人格に対する徹底した教育を受けられません。喜びと幸福と理想の根本である真の愛の価値を分かりませんでした。夫婦間の信義と貞節が軽く考えられ、結婚の神聖性が無視される風潮の中で、人類社会はとんでもない悲劇と災いを内的に蓄積してきたのです。

 男女間の愛が刹那的であり、肉的であり、享楽的なものだけに傾倒する、いわゆるフリーセックスと世俗文化の中で、真の愛は立つ場所が無くなりました。急速に増加するエイズと性関係伝染疾患(STD)などは、人類の生存自体を脅かしています。エイズからの安全地帯はないなどと言っています。

 世界が今おびえているテロリズムよりも、もっと恐るべき脅威が安全地帯なく、われわれすべての間近に迫っているという話です。一度感染すれば幸福も理想も生命もすべて捨てなければならない、このとんでもない地球星の災いを解決できなくて、私たちがどうしてこの時代の指導者だと言えるでしょうか?

 また、“万の物を主管しなさい”と言われた神様の第3祝福の前でも、人間は真の愛の管理責任を果たせないでいます。万一、自然が人間の虐待に対して反抗し、人間を拒否するとすれば、どうなるでしょうか? そのような兆候がすでに現れているではありませんか? 生態系と自然環境が何も言わずに人間の傲慢を懲らしめる前に、人間は真の愛の人格を回復して、万物の前に現れなければならないのです。

 尊敬する各界指導者の皆さま!

 今日の問題をもっと根源的に暴き出すために、神様の創造理想を中心として真の“ナ(私)”と“ウリ(私たち)”の関係を考えてみようと思います。

 人間は堕落によって真の“私”の位置を探し出せなかったために、神様も“私たち”という言葉を使うことができませんでした。創造理想的な意識圏内に立つことができる、神様自身が“私のもの”、“私の子供”だと言うことができる、そんな関係を結び得なかったのです。

 したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは全く関係がないものなので、私たちは自分自身を完全否定しなければならないのです。

 神様はご自身が安心して“私たち”に含んで呼ぶことができる真の男と真の女、すなわち、ご自身の真の息子・娘を探して復帰摂理を行ってこられたのです。神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体である以上、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘を探してこられたのです。

 私たちはまず、心と体の統一によって個人完成を成し遂げ、その土台の上に神様と父子としての縦的関係を樹立しなければなりません。しかし、縦的な関係だけをもっては“私たち”という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係がいっしょに調和しなければならないのです。

 したがって、男と女が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、子女を生んで真の家庭を立てて、3代を中心にして四位基台をつくって初めて天は家庭単位で“私たち”と呼ぶことができるようになるのです。

 そうだとすれば、私たちはどうすればそんな位置にまで進むことができますか? 神様は心と体が完全に一つになった場所で万物を創造されました。絶対愛と絶対信仰を中心にした完全投入でした。 そこには自身の利益や事情を考え得る余裕はあり得ません。完全に、100%与えてまた与える、ために生きる愛の始原がまさしくここにあったのです。私たちの家庭でも同じです。

 神様の立場にいる父母は、真の愛を中心にして完全投入・絶対投入によって、正・分・合の論理で見れば正の立場で子女を生んで養育し、縦的な“私たち”の軸を立てなければならないのです。

 そして横的には夫婦が分の立場で、真の愛を中心に完全一体となって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは合の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟の間には前後関係のもう一つの軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後に完全な“私たち”の概念が実体的に展開されるのです。

 だから家庭が重要なのです。家庭こそ天が私たちに与えた最も尊い贈り物にほかならないのです。家庭という環境がなかったならば、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”を探して、縦横や前後に完全な“私たち”を考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。

 そうだとすれば、真の“私”はどこで探すことができますか? ために生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロとして否定し、家庭のため、国のため、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に探しだされるのです。私たちは自分自身を推し立てて“私”をむやみに語ってはならないのです。

 長い歴史の裏通りで、真の“私”を語り得る息子を探してハン(恨)にまみれた復帰摂理を行ってこられた神様の心情を少しでも知ったならば、むやみに“私”を主張できないのです。私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。

 神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年万年待ってきた理想家庭だけ立てれば、そのが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこでかわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。

 皆様、太陽を見ても恥ずかしくなく、海を見てもやましくなく、万物の前でも一点も隠すことがない真の“私”をさがして、神様が“私たち”と呼んでくれる家庭を立てましょう。

 そうして神様と人間の間に真の父母と子女の関係が成立しなければならないのです。さらに、人類の真の父母であり、愛と生命と血統の根源であられる神様は、人類の始祖であり、さらに主管者として真の王であられます。エデンの園で人類始祖の堕落によって神様はそのあらゆる位置を失ってしまったのです。

 復帰摂理の進展にしたがって、私は海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第4アダム圏心情圏還元を宣布した土台の上で失われた神様の王権を取り戻してあげる歴史的な“神様王権即位式”を今年1月13日、韓国で挙行しました。

 本来、アダムが最初の家庭として人類の始祖であり、家庭の根本なのです。

 本来は家庭の王が後に国家の王の地位を受け継ぐべきであり、さらに天宙の王の地位を受け継ぐべきです。そうしてこそ、本然の理想的な天国圏が連結されるのです。

 今や蕩減の時代が終わり、入籍を通して本然の定着時代に入ることによって、国の王が連結され、さらに世界の王が連結されるのです。

 それで世界平和統一家庭連合では昨年、子女の日に天地父母が家庭の王として君臨するようになったことを宣布し、入籍した家庭から初めて天の父母を王として侍っていくことができる時代に入っていくことを宣布したのです。

 したがって、あらゆる祝福家庭は天地の王に侍り、標準的な伝統を立てるべき家庭であることを自認すべきです。だから教会時代は終わり、家庭連合の時代が開かれるのです。

 宇宙全体が一つの核を中心として連体として連結することと同じく、皆様の家庭がそんな核の立場に立って万物を愛し、神様が愛によって創り、存在するそれらを食べて愛する主人の立場を探さなければなりません。

 それで、自分の家庭が神様の前で愛を中心として一体圏となり、天地父母王に侍る標準的、定着的、定礎石のような家庭だということを感じなければなりません。そうして勝利圏を相続してもらう祝福家庭にならなければならないのです。

 尊敬する指導者の皆様!

 人類は今や独善と無知、そして利己心と憎悪を自責して、神様の前に謙虚に頭を垂れて天道にしたがわなければならない時点に至りました。

 私はいち早く神様の召命を受けて、神様と人類がともに願う平和世界の実現のために生涯を捧げてきました。私は今日、平和に向かうための重要ないくつか(の内容)を話そうと思います。

 第1に、私たちは他人のために生きる生活をしなければなりません。利己的な生活は他人を不快にすることはもちろん、天道に逆らうことです。他人のための生活は、即ち神様に似る実践なのです。神様の真の愛を相続して家庭と社会、国家と世界を愛することは、宇宙の基本秩序に順応することです。

 真の愛の実践を通してこそ、人格を完成した真の人間、真の父母、真の師匠(先生)、真の主人になります。そうしてこそ平和を実現する主体になります。他人のための生活は平和に向かう最初の関門になります。これと関連して、平和に至る道は神様主義−頭翼思想によらなければならないという結論をお話しようと思います。

 神様主義−頭翼思想とは、カイン・アベルの葛藤を始原としてこの世の中にあるあらゆる葛藤要因と思想とその結実を全部和合して包容しうる思想であり、主義です。

 葛藤と憎悪の輪を何によって切断しますか? 憎悪に対するいっそうの憎悪という反応はむしろ、もっと恐るべき憎悪と破壊を呼び寄せるだけです。これは平和に向かう道になり得ません。対立し不和な双方の葛藤要因はただただ真の愛によってのみ感化、教育され、包容することができます。

 神様を中心に立てた真の愛は国境に閉ざされることなく、超国家的です。また、真の愛は宗教の高い垣も飛び越え、人種差別もない、超宗教的、超人種的です。

 神様の理想を中心とした、相対のための真の愛の感化力、生命力によってのみ、左右双方、前後双方、上下双方、内外双方の諸々の地球星のあらゆる葛藤・対立要因は克服され、永遠な平和理想世界が実現するのです。

 第2に、平和な世界と国家を実現する基礎単位である真の家庭をなすことです。上で言及したように、対立葛藤の根が最初の家庭にあり、したがって理想的な真の父母の家庭が生まれない限り、平和世界はその根源があり得ないのです。

 これと連係して、私が世界的に展開してきた国際祝福結婚は単純な一つの宗教団体の結婚儀式ではありません。神様の愛の伝統を立てる救国救世の運動です。青少年たちには婚前純潔運動を実施します。

 そして成人になってからは、神様の真の愛を中心として夫婦間の絶対信義と貞節の誓約下に、祝福結婚を行うようにする運動です。真の愛を中心として真の家庭と真の父母をなす神聖な運動です。

 こんな理想の下に教育を受けて結婚した家庭は、エイズを脅威として感じる理由がありません。彼らにはエイズ予防が風邪の予防よりも容易いのです。世界のあらゆる若者たちが、このビジョンによって教育を受けて実践すれば、エイズは完璧に予防されるのです。

 真の愛の家庭は家庭の崩壊を防ぎ、国家と世界に平和の礎石を置きます。特に政治的、歴史的に仲たがいし怨讐関係にあった国家間の人々が、その高い垣を越えて姻戚関係、真の愛の関係を結ぶようになるので、和解の幅は国家を越えて人種を飛び越えることになります。

 真の平和に向かう高次元の公式は、不和と怨讐関係の家門、さらに進んで怨讐国家の子供同士を交叉結婚祝福して、天地が願う真の愛の真の家庭完成の祝福圏を成就させることです。

 ここから神様と人間が願う永遠の平和世界が出発する始原となるのです。

 第3に、超宗教的な和解と協力は平和世界に向かう必須条件です。私は過去50年以上の間、超宗教的な和合と対話のための運動のチャンピオンとして働いてきました。いつも自分の教団発展のためのものより、はるかに多くの予算を支援しながらずっとこの運動を続けてきました。このような不変の愛の実践が容易いことでしょうか? 決して容易いことではありませんでした。

 宗教間の和解・協力がない限り、世界平和は期待できません。神様の理想である平和世界への案内者は、宗教指導者と信仰者がなるべきです。宗教が万一、偏狭な教派主義だけ強調し、宇宙的な真の愛を教えることに失敗すれば、人類は葛藤と戦争の恐怖から自由たり得ません。地球星の危機の前に、宗教指導者は謙虚に神様のみ旨にしたがって、超宗教的に手に手を取って真の愛を実践しなければなりません。

 宗教の感化力によって和平な人格が創出され、自己主管力が培養されて、歴史的な憎悪と憤怒を消化することから、真の平和と安定が訪れるようになります。

 万一、各宗教が教理や儀式の差異を二の次にして神の高い理想の下で、互いに愛し、協力し、奉仕することをこの世の前に見せてあげれば、世界は劇的に変わり得ます。

 第4に、平和世界を実現するための国連の正しい役割を改めて強調しようと思います。国連は代表的な世界平和機構として、これまで多く貢献してきました。しかし、創設時とは著しく変わった世界の実情と多元化された地球星の問題解決のために昨年、私の考えを国連に提案しました。

 国連内に上院のような特別機構を補強して、宗教的、霊的、道徳的な次元で世界の問題を審議するようにすることが、その一つでした。国連が国家利益に基礎を置いた政治と外交の力によって掌握される次元を越えて、地球星レベルの理念と高い神の理想の下に管掌される機構になってこそ、万人の権益を保護し、平和世界を創建してゆくことができるのです。

 国連だけでなく、今後、世界秩序は政治主権が道徳的・霊的価値と分かれて作用しては公益と平和が保障され難いのです。神の理想に基づいて、宇宙の公法と通じる霊的・道徳的に高次元の指導力が要請されるのです。政治力やその如何なる力も、神と天理の上に立つことはできません。

 また、国連は非政府民間団体であるNGOの意見を多く聞かなければなりません。私が世界NGO連合であるWANGOを創設した理由もここにあります。全てのNGOはよりいっそう対話し協力しながら本来の創設精神を失わないようにすべきです。利己的で偏狭にならないよう努力しながら、世界のために正しい奉仕を続けてくださるようお願いいたします。

 尊敬する指導者の皆様!

 自分が実践しないで平和を語るのは、真の指導者の道理ではありません。また、私たちが何もしないで平和を待つほど余裕がある世界の状況でもありません。

 平和大使はもちろん、私たちすべてが平和運動の主体となって、必ず平和世界を創建しなければなりません。

 国連をはじめとしたあらゆる国際機構は、平和大使館を中心として歴史的な宿願である世界平和理想国家運動に積極的に協力し、支援してくださるようお願いいたします。

 各界各層の指導者である皆様が一心一体となって、みんな一緒に他人のために生きる生活によって真の愛の理想家庭を創建して実践し、天運の助けを受ける平和の先駆者となりましょう。

 統一された祖国と平和の理想世界を建設する働き手になりましょう。神様の祝福が皆様の家庭に共にありますように。

 ありがとうございます。

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平和の根は真の愛に

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「平和の根は真の愛に」

(02.02.15 WCSF2002開会式 ソウル・ヒルトンホテル)



 2002世界文化体育大典(WCSF2002、主催、同組織委員会)の開会式が、二日目の二月十五日、ソウル・ヒルトンホテルで行われた。

 開会式には同大典を提唱した文鮮明師夫妻、世界十カ国の大統領・首相経験者、韓国の与野党議員八人はじめ、世界百八十六カ国の各界指導者約千人が参加。

 文師は「平和の根は真の愛に」をテーマに創始者講演を行い、「真の愛は無条件に与える愛だ」としながら、「このような真の愛の土台の上に平和が築かれる時、その平和は真の平和となり、自由と幸福までもついてくる」と力説した。

 その上で真の平和を実現するために必要な条件として、①心と体が完全に一つになった完成人間となる②互いの人権を尊重していかなる状況でも他人の人権を蹂躙(じゅうりん)しない③真の愛の花が咲く真の家庭をつくる④公金を着服せず環境を破壊しない-の四つを提示した。

 開会式は、米ユナイテッド・ペンテコステ教会のジェシー・エドワーズ師の祈祷で始まり、ワヒド前インドネシア大統領と韓国の南宮鎮・文化観光相が祝辞を述べた。南宮氏は、「大典が成功裏に開催され、人類の念願である和解と許し、平和定着に大きく貢献する機会となることを心から願う」と語った。

 文師の登壇に先立ち、夫人で同大典の共同創始者でもある韓鶴子総裁が、結婚以来四十二年間傍らで見た文師は「朝から晩まで、ひたすら神と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範してきた」と紹介し、大きな拍手を浴びた。

 文師の演説後、正義と平和のためのエレノア・ルーズベルト研究所のニコラス・キトリー博士が自ら呼び掛け人となって文師を今年のノーベル平和賞に推薦すると発表した。

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 今日、お招きした高名な皆さん方も妻がおり、家庭があり、また夫婦で参加された方もおられます。私もこのような妻を持ったことをこの上なく光栄に思います。夫のため誇らしい紹介ができる韓国の女性、韓鶴子総裁が(私の)妻であるという事実。(私への)悪口をたくさん聞きながらも、背後で私を支えながら苦労して、未来の希望に満ちた世界に前進するために、後援者となってくれた立派な韓国の妻がいるという事実。

 神の前に長く長く残さなければならない父母の伝統、夫婦の伝統、子女の伝統をたてなければならない神のみ旨を奉り、文総裁の行く道は血しぶきの道、十字架の道でありましたが、長い年月を過ぎてみれば、現在、すべての世界の家庭の心の中で、神様の共助と保護の下で(それが)なされました。そのすべての栄光を神様の前にお返しするこの時となることを祈念いたします。ありがとうございます。

 尊敬する議長、世界各国から来られた元・現職の国家元首、そして内外貴賓の皆さま。

 希望にあふれる新千年の二年目の年を迎え、私の愛する祖国、韓国の地で開催される世界文化体育大典(WCSF)をこのように盛大なものとしていただき感謝いたします。

 人類は、いま歴史上のいかなる時よりも急速度で変化する時を迎え、歴史上のいかなる時よりも宗教間の対話、人種間の和解、そして文化間の理解が切実に必要であることを皮膚で感じています。

 そのため、今回のWCSF2002の主題も「新しい平和の世界文化に向けて」に決定されたと思います。

 私はこの大会の創始者として、きょうこの場を借りて、私が生涯を通して信じ実践し教えてきた平和思想の一端を皆さまと分かち合うことによって、創始者のメッセージに代えようと思います。


 

まず神様と霊界を知る


 内外貴賓の皆さま。

 私たちが切実に願い叫んできた平和の根本は何だと思いますか。どこでどのようにすれば平和を獲得することができ、何が人類の平和を妨げている障害物なのでしょうか。

 極度の個人主義と利己主義が蔓延(まんえん)している今日の混乱した世界において、果たして私たちに平和世界を成就することができる希望はあるのでしょうか。

 平和の根本を知ろうとすれば、神様の創造理想を深く探ってみなければならないはずです。まず神様と霊界を知らなくては平和を実現することはできません。

 創造主である神様の真の愛の実体化がすなわち天地創造であり、その世界の主人として創造された人間は、神様の創造理想、すなわち創造本然の世界である地上天国をつくって暮らした後、霊界に行っても永遠の平和天国をつくって暮らすようになっているのです。

 地上において、平和世界である地上天国を創造し暮らしてみることができなければ、霊界においても、そのような世界は期待することができません。

 ここで言う天国とは宇宙万象と人間、そして人間と人間がお互いに「ため」に生き、一つになって調和統一を実現して生きるところを言います。

 しかし、人間始祖の堕落によって神様の創造理想は無残に挫折し、今もってその完成をみることができずにいるのです。神様と人間の関係が父子の関係であることさえも分からない無知の状態に陥ってしまったのです。

 堕落の結果世界である今日の現実を見てください。平和と幸福の歌があふれるべき家庭が背信と離婚でばらばらになり、父母の温かい愛の下で未来の夢を抱いて無限に伸びていかなければならない子女たちは、挫折と失望の中で巷(ちまた)に飛び出していき、酒と麻薬の奴隷となり、揚げ句の果てにはフリーセックスに心身を投じるという途方もない現実を目撃するようになります。

 民に責任を持ち国運を両肩に背負った為政者たちの姿からは何を見ますか。国家の将来や国民の安寧よりも、自分たちの権力維持に血眼になっている者たちを多く見るようになります。

 国家と国家の間にも、理解と平和がなければならないところに、不和と葛藤(かっとう)そして戦争だけが猖獗(しょうけつ)を極めている今日の現実ではありませんか。人類平和文化定着の道がふさがれてしまったのです。

 したがって神様はどのようなことをしてでも、本来計画された真の愛と平和の理想を再び探し立てる救援摂理を展開せざるを得ないようになったのです。神様の救援摂理は原状回復の摂理、すなわち復帰摂理です。

 このような復帰摂理のために、神様は、歴史を通して時代と伝統、そして文化に従って各々異なる宗教を立てられ、善の版図を広げてきたのです。


 

神様王権即位式を奉献


 いち早く人類救援の天命を受けた私は、全生涯を通して言い表すことができない迫害と苦難の路程に勝利し、ついに二〇〇一年一月十三日「神様王権即位式」を奉献しました。人間始祖の堕落以後、数千年間耐えて待ってこられた神様に、心情の解放とともに王権を探し立ててさしあげたのです。

 その基盤の上に、今は、霊界と肉界が一つになって自由に行き来できる時代が開かれました。霊界が私たちと共に呼吸しています。

 イエス様の十二弟子はもちろん、四大聖人までも、私が人類の真の父母であり、メシヤであることを証しするメッセージを送ってきています。

 このように、二つの世界を分けていた壁が完全に除去されました。今からは、天道に従わなければ生きることができない時代へ入ってきているということを、皆さんの前に宣言します。

 今や人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの位置で二代圏を立てて夫婦を築き、父母となって子女を繁殖することによって三代圏まで完成して暮らす真の家庭を探し立てなければならないはずです。

 その道だけが、罪がなく自由と平和と幸福が充満する世界をつくって、神様の直系の血統が子々孫々永遠にこの地上に繁栄することができる道だからです。

 このように、神様を知り、霊界を確実に知るようになれば、平和を実現することができる道が見えるのです。


 

独りで平和ならず


 皆さん、平和の意味は何ですか。一言で平和とは、人間関係において主体と対象がお互いに一つとなって水平をなすことを言います。しわ一つない平らな完全均衡状態のことをいいます。漢字から解いてみれば、「平」は水平を意味し、「和」は調和と和解を意味します。

 このように平和とは独りでなす「独平」ではありません。独りではいくら努力しても幸福になることができないのと同じです。上下関係、左右関係、そして前後関係がすべて調和して、どの一方にも偏ることなく、いっぱいに満たされて充満し、円満であることを備えてこそ、真の平和が来るのです。

 縦横と前後左右で完全な立体的軸を立て、お互いに絶対相応する調和の世界が平和の世界です。虹の七色を回せば調和と平和を象徴する白色となるように、平和は、すべての条件と状況が一個所に融和し調和した姿の純粋な白色です。

 すべての方向が一点で完全に調和すれば、自動的に平面性を超越して立体性を帯び、球形運動を通して永続性を持つようになります。人類の恒久的な平和はこのようにして成就することができるのです。

 しかし、平和は独りで存在するものではなく、その根を真の愛においています。自由と幸福の根が真の愛にあるように、真なる平和も真の愛を実現することができなければ成就することができないからです。それでは、真の愛とはどのような愛ですか。一言で、与えても忘れてしまう、条件なく施す愛です。犠牲的な愛です。

 父母が子供を生んで養育しながら施す愛に何の条件もないのと同じように、真の愛は無条件に与える愛です。怨讐(おんしゅう)までも許して施す愛です。与えてもまた与える愛です。条件なく施すものなので、与えたというその事実さえも記憶しない愛です。無限に与える愛です。神様が人間を創造される時に施されたものが、まさしくこのような愛なのです。

 したがって、真の愛の根源は神様にあります。まさにこのような真の愛の土台の上に平和が立てられるとき、その平和は真なる平和になるのであり、自由と幸福までも伴うようになるのです。


 

心と体を完全に一つに


 それならば、私たちが真なる平和を実現する姿として備えなければならない条件とは何でしょうか。第一にまず、皆さんの心と体の関係について考えてみてください。対象格である肉身は、主体格である心が志向する通りに百パーセント従わなければならないという天理です。

 いつどこで、いかなる状況に置かれても、私たちの体は、心の前に絶対対象の立場で完全に一つとなって動じ静じなければならないというのが天が下さった法度です。したがって、このように心と体が完全に一つになった人間こそ、完成人間になるのです。神様が本来願われていた人間の姿こそ、まさしくこのような真なる人間でした。神様を実体の父として侍り、苦楽を共にすることができる人間が、まさにそのような真なる人です。

 しかし、私たちの生活を少し深くのぞいてみるだけでも、私たちは自らの姿がこのような真なる人間の姿からどれほど遠く離れているかということをすぐに感じることができるのです。

 神様の息子娘と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい自分たちであるということを悟るようになるはずです。心が元なのですが、体が従ってくれない時がどれほど多く、良心の呵責(かしゃく)を感じながらも、肉身の欲望の奴隷となって本意でない失敗をした時がどれほど多かったでしょうか。

 したがって、どのようなことがあっても、私たちは真の愛の実体である心と体が完全に統一された姿とならなければならず、自らを完成段階まで引き上げなければなりません。天と地の前に一点の恥ずかしさや一寸の影もなく、「天のお父様」を叫ぶことができる真なる人にならなければなりません。

 そのようにさえなれば、私たちは天の父の真理と愛を発する永遠の発光体の姿となって、地上での生を終えたのち、霊界でも神様の親子となった聖子の姿として永遠に生きるようになるはずです。


 

力の支配時代は終わった


 第二に、私たちは社会や国家といった共同体の一員として、真の愛の実践である「ために生きる生活」を通してお互いの人権を尊重し、いかなる状況でも他人の人権を蹂躙(じゅうりん)する愚を犯してはなりません。世界の五色人種はみな同等な価値を持って生まれました。人種に関する限り、神様は色盲です。  人種差別や宗教的葛藤、そして国粋主義は、人権蹂躙の原因をもたらします。

 力で支配する時代は終わりました。二十一世紀は共に生きる超人種、超国家、超宗教の時代です。真の愛が支配する時代が開かれたということです。

 世界の指導者の皆さん、イエス様も「私は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのである」(マルコ十章四十五節)と言われました。世界平和を実現する道は別のところにあるのではなく、「ために生きる生活」の天道を実践するところにあるということを明らかにされたのです。平和の根は真の愛にあると言われたのです。

 したがって、私たちはみな真の愛の根源であり主人であられる神様を信じ、天理に従う正道の道を歩まなければなりません。そのような人には天運が共にあるはずであり、万事が思い通りになるはずです。

 どうか、心と体の統一によって人格完成を成就し「ため」に生きる生活の実践を通して、皆さん各自の心の中に平和の基地を定着させるよう願います。

 私たちが怨讐までも許して「ため」に生きる生活を実践するとき、小さくは個人から、大きくは世界まで、平和文化を成就することができるようになるのです。

 それで、昨年私は「天一国」の開幕を天上天下に宣布しました。天一国とは、二人が一つになって生きる世界のことをいいます。

 小さくは個人の心と体が一つになって個人として完成体となることであり、大きくは夫婦が一つとなり、父母と子女が一つとなって、三世代を通して家庭を一つにしなければならないことはもちろん、全人類が神様の下で一つの兄弟姉妹として苦楽を共にすることができる世界を創建しなければならないことを言います。

 このように、神様の創造本然の世界である天一国の安着のために、すでに私は一万人以上の平和大使を全世界に派遣しています。

 私はまた国連本部において、世界のすべての国境を撤廃しなければならないと主張したのであり、国連に最終議決機関である超国家、超人種、超宗教的機構を置き、世界的に名望の高い宗教的指導者たちが平和世界創建の先頭に立たなければならないと促したのです。


 

家庭は最高の贈り物


 第三に、私たちは真の愛の花が大きく咲き開いた真の家庭を立てなければなりません。家庭を築くにおいては、男性女性に関係なく、独りでは築くことができません。真の愛で完成した男性と女性が夫婦の因縁を結び、子供を生んで育てるとき、その家庭は真なる家庭となって、自動的に平和が宿り、幸福があふれるのです。

 子供たちは、父母が結んであげる配偶と出会って夫婦となる時まで純潔を守り、夫婦となってからは貞節を守り、父母に似た二代目の真の家庭を築くようになるはずです。

 このように、真の家庭によって連結される真の血統が三代まで連結されさえすれば、神様はその家庭に安着されるようになり、人類があれほど願ってきた世界である地上天国が成し遂げられるはずです。

 そのような真の家庭の拡大版がまさしく地上天国であり、天上天国であるのです。その世界は共生共栄共義共愛の世界であり、みな共に兄弟姉妹となって、共に暮らし、共に繁栄し、正義の世界を立てて、お互いがお互いのために生きて愛する平和世界となるはずです。

 このように、家庭は大切なものです。家庭こそ、神様が人間に下さった最も貴い贈り物です。それで、人類の平和と幸福の基本単位も家庭であり、地上天国を成す基本単位も家庭であるのです。

 いくら個人が完成したとしても、家庭を成してその真なる血統を伝授してあげる子供がいなければ、彼はただ一代で幕を下ろさざるを得ないようになるからです。

 このような神様の創造目的の見地からみれば、今日、世界の至る所で毒キノコのようにわき出ている同性愛の風潮は亡国の種の現象と言わざるを得ません。人類を教え導き、責任を持たなければならない指導者であられる皆さんは、この点を肝に銘じなければなりません。

 天が下さった真理を信じ受け入れたならば、何の恐れることがあるでしょうか。

 天の真なる血統を破壊し、人類の平和はもちろん、私たちの生存までも脅かしているフリーセックスと同性愛のような病弊を根絶するために先頭に立たなければなりません。葛藤と憎悪の輪に縛られているこの世界に、平和文化を定着させる先駆者の役割を果たしてくださるようお願いいたします。


 

公金・環境は不可侵


 第四に、私たちはみな、社会と国家の指導者として、いかなる状況においても公金を略取したり、着服する行為を禁じなければなりません。

 小さくは公的財物や公的資産に手をつけてはならないことはもちろん、大きくは私たちの生を可能にし、潤沢にしてくれている環境を破壊する行為を根絶しなければなりません。公金を着服して子供に与えることは、毒薬を与えることよりももっと恐ろしい行為です。

 そして、ここで言う環境破壊とは、自然環境の破壊による各種環境汚染と毀損(きそん)、そして自然枯渇はもちろん、私たちの共同生活を提供してくれる社会環境の破壊も含まれます。

 神様は人間を創造する前に環境を先に創造されたのであり、私たちが神様のみ旨に合うように環境をよく治め、環境と共に楽しく生きることを願われたのです。

 したがって、私たちは、地上の草一握り、空の雲一点を見ても天の前に感謝することができる真の人となって、各種公害を退治するにおいて先導者的役割を果たさなければなりません。

 神様の創造本然の世界を探し立て、その前に謙虚な心をもって生きなければなりません。自分を生んでくれた父母はもちろん、周囲のすべての人にも感謝する心をもって生きなければなりません。そして、自分が生きているというそれ自体に対しても、常に感謝する心を忘れてはなりません。

 今回の期間、真摯(しんし)な討論と研究を通して、人類平和増進に寄与することができる皆さんとして生まれ変わるようお願いいたします。

 ありがとうございました。

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韓 鶴子総裁 講演文 WCSF2002開会式での創設者紹介スピーチ

韓 鶴子総裁 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「WCSF2002開会式での創設者紹介スピーチ」

(02.02.15 WCSF2002開会式 ソウル・ヒルトンホテル)



 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様!

 私の祖国、韓国で開催される今回の「2002世界文化体育大典」の開会式典で皆様を歓迎することができ、たいへん嬉しく思います。

 私は生涯を通じて、奇跡のような多くの変化が韓国で起こるのを目撃しました。韓国に初めて来られた方々は、韓国の文化を経験し、韓国の飛躍的な発展を見ることができるようにと願います。私たちは新千年を迎えながら、過日の暴力と苦痛を清算して、現代科学技術を総動員しながら世界の平和と繁栄が訪れることを期待しました。

 しかし、昨年、起こった一連の事件が見せてくれたことは、私たちが輝かしい物質文明を享有しつつも、いまだにその文明との調和を成し遂げる精神文化と価値観の混乱によって、大きな葛藤を解決できないでいるという事実です。

 今日の世界は相対的道徳観にあふれていますが、私の夫である文鮮明総裁は全生涯を捧げて神様に対する絶対信仰と絶対愛、絶対服従、そして人類と万物が願う絶対愛に根本を置いた絶対的道徳性を教育してきました。

 皆様の中の多くの方々は、すでに夫によって推進されるプロジェクトや活動を通して、皆様なりに文総裁を知っておられることと存じます。

 しかし、今日は私だけが知っている総裁についてご紹介しようと思います。42年間の結婚生活を経てきたこの時点で、神様を除いて、夫をよりよく知っている人は私の外にはいないでしょう。

 総裁が教えている絶対価値と生涯とは、どんな関係があるのでしょうか?

 私は、総裁の、朝から晩までひとえに他のために生きる生き様と、人間生活のすべての分野で塀を崩して究極的には神様と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範される姿を見守ってきました。

 私が初めて夫に会った時を考えてみても、世界はいまだに軍事力を軸にした二つの世界、すなわち東西冷戦で、韓半島は6.25動乱の悲劇によって南と北が二つに分かれていた時でした。

 数年間続いた戦争で、ほとんどすべてのものが破壊されました。私の夫が立てた初めの教会をみても、紙の箱を拾い集めて土と混ぜ、地べたの上に立てた土壁の家でした。

 そのような状況でも総裁は、神様がこの地に新しい希望をくださるという約束に対していささかも疑いませんでした。

 北韓の共産治下の監獄暮らしの中、残酷な拷問で何度も死の峠を越える時、そして他教団の指導者たちの偽りの告発によって南韓で牢屋暮らしをされる時も、総裁は自分が処した苦境ゆえに神様に助けを求める祈祷は、絶対にされませんでした。

 かえって神様を慰労され、必ず神のみ旨である平和世界を成就することを自ら何千回でも誓い、そのみ旨のために黙々と実践するだけでした。

 どのような苦境に処したとしても、例を挙げれば、食べるものがなくて飢える時、あるいはキリスト教と言論、そして政府までもが共謀して夫を迫害する時も、神様に対する愛と人類に対する哀れみは、よりいっそう大きくなられるだけでした。

 歴史上の預言者たちがそうであったごとく、総裁は、反対にも屈せず、かえって真理を伝播することに、より拍車をかけてきたのです。

 天に対する絶対信仰の手本を見せてくださいました。

 16歳になられた年、総裁は天から啓示を受け、本来、神様が願われた、純潔と自由と喜びが充満する世界に人類を導かなければならないという使命によって、選ばれたことを悟るようになりました。その使命を成就するため、総裁は個人から家庭、氏族、民族、国家そして世界に至るまで、神様のみ旨を成就するために絶対信仰を基礎とした生のパターンを広げてこられたのです。

 総裁は天から召命を受けたその日から、言い表すことができない苦難と苦痛を伴う、総体的な犠牲の道を歩んでこられました。

 その中でも最も胸の痛いことは助けてあげようとするその当事者たちが、かえって嘲弄と偽りの非難を浴びせてくる時でした。

 それにもかかわらず、総裁は、ただの一度も、天から与えられた使命を完遂するための意思を曲げたり躊躇(ちゅうちょ)されたことがありません。自ら手本を見せ、神様に対する絶対服従の道を教えていらっしゃいます。

 何よりも、夫が解き明かす絶対愛に関する教えこそ、他の宗教指導者たちの追随を許さないものだと思います。

 数多くの宗教指導者たちと学者たちも、自分たちの教団の建立や教理伝播のために献身しました。ある方たちは、慈善事業や人道主義的なことを大々的に行われた方もいます。

 しかし、総裁は初めから違いました。統一教会の運動が小規模で、また財政的に難しかった時でも、総裁の教えには変化がありませんでした。

 「私たち自身を心配する前に、私たちの予算の3分の2を人助けのために使え」ということでした。これまでに、超宗教活動を支援するだけでも数億ドルを注がれました。神様が願われることがすべての宗教を一つとすることであることをご存じであるためです。

 総裁は、統一教会の運動自体のためよりももっと多くの予算を、宗教の和解と一致のために投入してこられました。

 1975年度に手ずから創設された統一神学大学院の学生たちは、自分の教団の教理を学ぶことよりもはるかに多くの時間を費やして、他の宗教と対話し、またそれらの教理を学んでいます。

 アメリカ政府が不当に断罪し、監獄に送ろうとする中においても、文総裁は、ワシントンタイムズを創設されて、アメリカが冷戦を終息させ、世界平和のための摂理的な役割を果たすように、一助をなされたのです。

 皆様もご存じのように、総裁は、世界的に多くの他の言論機関にも財政的な支援を惜しまれず、今も継続して、統一教会自体の出版物に使うよりもはるかに多くの予算を、それらのために注いでおられます。

 私は、総裁の不屈の意思と、自分を振り返る前にまず人のために犠牲になる、このような生き方は、神様の無条件的な愛に起因しており、これこそ、愛の真のみ旨であり、今日この世界に存在する壁を取り除くことができる解決方法だと確信します。

 総裁は、自ら手本を見せることによって絶対愛を教えられます。絶対的愛で結ばれた夫婦関係は、背信や離婚が許されず、今日、世界的に蔓延している性病からの防護をなし得る、唯一で真の道です。

 総裁がこのような理想を実現するため、自ら実践し教育するために見せてくださった、確固として不動な献身的姿について誤解する人もいました。ある時は、その絶対的基準のゆえに、もう少し易しい道を選ぼうとする人たちのねたみと嫉妬からの誣(ぶ)告による多くの非難もありました。

 しかし、時が過ぎていきながら、だんだんと多くの人々は正、不正そして善と悪については折り合うことはあり得ず、私たちの生命と神様のための献身的な愛には、一寸の譲歩もあり得ない、ということを悟るようになりました。

 私は一生を通じ、総裁との心安らかな時間をほとんど持つことができませんでした。人々のように新婚旅行を楽しむこともできませんでした。しかし、正直に言えば私はこの世の誰の妻よりも、もっと大きな夫の愛を受けて暮らしてきました。

 総裁の、家族に対する愛と献身的な教育は、驚くほどの結実を結びました。自らが見せてくださった通り、私たちの家族は神様のために絶対的基準で献身しなければならないことはもちろん、人類のための愛も完全でなければならないと教えてこられたのです。

 13人兄妹と20人を越える孫たちがいますが、私たちは、家族単位の休暇を一度もきちんと過ごしてみたことがありません。しかし、私たちの家族は、神様のご加護の中で、感謝の生活をしています。

 私たちが初めてニューヨークに移住して、数100人の教会員と共に暮らしていた時でした。誰よりもまず、私の夫が芝生を刈る機械の作動法を学ぼうとしました。

 ご自身一人でカーペットを敷く方法を体得されもしました。芝生一つひとつを刈りながらも、神様と人類に美しい芝生の庭を贈ろうという心情で臨まれました。カーペットに打つ釘一つひとつにも、同じような心情を注がれたのです。

 私たちの夫婦の生き方は、他の人たちとは違いました。

 一生を通した犠牲的な生涯の結果として、世界的に数100万の家庭とその子孫たちが総裁の伝統に従って生きていることを目撃しながら、私は神様がご自身の献身的な息子、文鮮明総裁を本当に誇りにしていらっしゃるだろうと思います。

 今日、私の生涯に初めて、このような公式席上であふれる感謝と愛を込めて、私の夫を皆様にご紹介することができ、喜びの心を禁ずることができません。

 紳士淑女の皆様!

 私と共に、この世界文化体育大典の創始者であり、神様の真の息子であられ、真の夫であられ、真の父母であられ、真の師匠であられる私の主人、文鮮明総裁を歓迎してくださるようお願いいたします。

 ありがとうございました。

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世界と国家の真の救済への道

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「世界と国家の真の救済への道」

(02.02.17 WCSF2002閉会晩餐会 リトルエンジェルス芸術会館)



 二月十四日からソウルで開かれていた2002世界文化体育大典(WCSF2002、主催、同大典組織委員会)は最終日の十七日夕、市内のリトルエンジェルス芸術会館で閉会晩餐会を行い全日程を終了した。

 晩餐会には大典の国内外の参加者約五百人が参加。大会成功を祝うとともに同日誕生日を迎えた共同創始者の文鮮明・韓鶴子夫妻の誕生祝賀会も兼ねて行われた。

 文師は夕食後、祝賀ケーキのカット、世界非政府組織連合(WANGO)からの感謝の盾、花束の贈呈に続いて祝辞を語った。文師はこの中で自らの宗教的な体験を紹介しながら、「完全な平和世界はもう一つの世界である天上世界との調和と協力の中で成し遂げられる」としたうえで、「天道を実践することによって霊的世界の協力まで得て、人間の本性が願う理想家庭を通した理想世界をつくろう」と訴えた。

 晩餐会は、米キリスト教会のスターリングス大司教の祈祷で始まった。続いてブッシュ米大統領の訪韓に先立って韓国を訪れたカプ・ウェルダン米下院議員が特別スピーチを行い、「大典の終了と偉大なお二人の誕生日を皆さんとともに祝えることを嬉しく思う」とと述べるとともに、文師夫妻が世界的に教育している家庭の重要性を強調しながら、「今晩は家庭を祝う日である」と語った。

 大典組織委員会を代表してあいさつした郭錠煥・組織委員長は、文師が一九八八年、同大典を真の愛のオリンピックとして構想したことを紹介。「この大典を世界的な影響力を持つ真の愛のオリンピックにするため、真の愛と真の平和の世界を実現するために力を合わせよう」と呼びかけた。

 これに先立ち同日午前、市内のオリンピック公園フェンシング競技場で文師夫妻誕生祝賀会が行われ、国際会議参加者はじめ国内関係者約一万人が文師夫妻の誕生日を祝った。祝賀会にはパラオ共和国のレメンゲサウ大統領が祝辞を述べたほか、金大中大統領、李漢東首相、李会昌ハンナラ党総裁らから祝電が寄せられ、金大統領の祝賀メッセージが披露された。

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 尊敬する世界指導者の皆さん、第八回世界文化体育大典とIIFWP2002総会代表者の皆さん、この数日間、皆さんが地球星の重要問題に対する解決策を得るために世界文化体育大典および国際会議に最善の努力を傾けてくださったことに祝賀の意を表します。私はこの全体行事を終えるあいさつを通じて、いくつかのお願いをしようと思います。

 きょう私の誕生日を記念する式典で、いく人かの人々が私の業績に対し深い祝意を表されたことに感謝いたします。さらにその背後にある目に見えない内的な精誠の深さと霊的基盤について、また、摂理史的意義について、もう少し多くの関心をもって研究してくださるようお願いします。

 私の生涯は生まれた時から神様の摂理史と直結されていました。人間による研究や評価を超越し、天道とともに霊界が公認し、さらに神様が先駆けて立てられた驚くべき条件があったということを明らかにしたいと思います。生と死の境界線を行き来しながら、奔走してきた私の背後に、神様の無限の加護と愛がなかったならば、多分私は今日この場に立ってはいなかったでしょう。もう一度、神様に感謝と栄光をお捧げいたします。

 皆さんは世界の指導者であり、平和大使であります。皆さんが私との関係の中で天道を悟ったならば、それを皆さんの影響圏にいる人々に必ず教育しなければなりません。特に全世界の平和大使たちがこの天道を中心にしてお互い横的に連係しつつ、心を合わせれば、この世界を平和理想世界に変えることができます。

 私は今日も摂理完成のために焦る心情で肉身の年齢を忘れてしまいます。一分一秒でも早く罪悪の中にいる人類を救い出し、平和理想世界を成し遂げ、神様を完全に解放してさしあげなければなりません。そのため、皆さんは私が推進する運動に積極的に参加し、ともに成し遂げていくことをお願いします。特に、青少年に対する純潔運動と、結婚の神聖性と不変の夫婦愛を実践する祝福結婚、真の愛運動の先頭に立ってくださるよう願います。

 人類は神様を一代の父親として侍り、完成したアダム・エバの位置に夫婦の因縁を結んだ二代圏を実現しなければなりません。これが父母となり子女を得て、三代圏まで完成して暮らす真の家庭をなせば、神様の真の愛の理想が完全定着するようになります。堕落圏でサタンと因縁をもってきた愛とすべての所有権を否定し、純潔、貞節、信義の生活を誓って、神様の真の愛の圏内に入籍する儀式が祝福結婚であるのです。このように祝福を受け、真の家庭を実現することは旧約、新約、成約時代を貫く全体摂理史の最も尊い慶事となるのです。

 これは超国家、超人種、超宗教、和合運動とともに尊い救世救国運動です。平和大使はもちろん指導者の皆さんが率先して、積極的指導を行ってください。国ごとに千人、万人のレバレンド・ムーンの代身者が活動することで、神様が願われる天宙平和統一国の理想を完成してくださいますよう懇切にお願いします。

 世界の指導者の皆さん

 私は神様の願いを受け、これまで真の父母の使命を完遂するために生涯を捧げてきました。私の前にはいかなる補助者や指導者もおりませんでした。案内所もありませんでした。ただの一人もいない開拓の道でありました。真の父母の成就はすなわちサタンの破滅であるために、サタンの総攻撃を避けていくことはできませんでした。サタンは霊的な存在で、直接霊的に攻撃もし、様々な実体の代理人を立て攻撃もします。空中権勢を握る偽りの王であるサタンは時空を超越し、あらゆる権謀術数で攻撃し妨害しました。

 そのような怨讐に打ち勝つ秘訣はただ一つの道、真の愛で与え、自ら犠牲の蕩減条件を立てる道しかないのです。怨讐を力によるのでなく、真の愛で自然屈服させることが神様の原理であるからです。

 神様を知らず、真理を悟れず、反対する彼らを、私は同族のように理解してきました。人知れず迫害者の子女のため愛を投入してきました。反対する国と政権をむしろ助けながら生きてきました。そこで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものかを学んだのです。即ち、天の戦略はまず打たれてから得るもので、サタンの戦略は最初に打って失う戦略なのです。

 尊敬する指導者の皆さん

 開会の基調演説で言及したのでありますが、この地の完全な平和世界はまた一つの世界である天上世界との調和、協力の中で成就されるという重要な事実を語ろうと思います。

 天上世界、すなわち霊界では多くの霊人が暮らしています。肉身を脱いだ永遠の実体である霊人がすべてそこにいます。皆さんの祖先がみなそこに暮らしています。堕落によって霊性が失われ、霊的五官が正しく機能できなくなった人類は霊界をよく知らずにいます。私は早くから全霊界をめぐり、これまでも霊界と通信してまいりました。今も四大宗教の聖賢たちが私を真の父母と証言し、私の指示によりメッセージを送ってまいります。

 霊界は無限、永遠の世界で、現象世界よりはるかに複雑な世界です。心霊発達の程度により、多くの階層とグループに分かれています。霊人に対する祝福と霊界の調和統一のため、私は多くの努力をしてまいりました。地上と同じように、霊界でも真の愛の犠牲的条件のみが勝利的基盤を整えることができるのです。これまで多くの祭物的条件が投入されてきました。サタンと悪霊を制圧するため、血みどろの霊的な闘いも多く、善霊を収拾し教育するため、特別恩赦も施しました。特に霊人に対する祝福は革命的な恩赦だといえます。

 私はこれまで地獄を解放し、地獄と楽園の境界を撤廃するための宣布と条件を立て、また霊界祝福をこのように開門し、天宙解放宣布式、天地父母天宙統一解放圏宣布、霊界解放式など、重要な条件を立て、霊人に対する祝福の恩赦が広々と開けられるようにしました。奇蹟のようなことです。皆さんが知らぬ間に、皆さんのすべての先祖が祝福の恵沢圏に入りました。そして、神様王権即位式奉献で、神様の絶対権が全霊界に生命的な恩恵として満ちており、天宙平和統一国の理想が全霊人の願いとして連結されたことで、霊人の再臨協助が活発に行われるようになりました。

 世界指導者の皆さん

 いまや、善なる霊人の再臨協助で地上人が導きを受け、真の愛で葛藤を解消できるように指導を受けています。指導者の皆さんが天道を実践することで、霊界の協力まで受け、人間の本性が願う理想家庭を通した理想世界を実現しなければなりません。その世界は平和文化の世界、すなわち心情文化の世界である天宙平和統一国です。

 もう一度、世界文化体育大典2002年参加者すべてに感謝を捧げます。皆さんの家庭と国と世界に神様の祝福が満ち溢れますことを願いながら、ごあいさつといたします。

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人類救済は真の家庭から

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「人類救済は真の家庭から」

(02.04.27 14万4000組国際聖職者祝福式晩餐会 シェラトン・ナショナル・ホテル)



 

盛大に聖職者祝福式


 米国のキリスト教牧師などでつくる「米国聖職者指導者会議(ACLC)」(本部・米国ワシントン)は二十七日午後、ワシントン近郊のホテルで、大規模な国際聖職者祝福式を開催。神の前に永遠の結婚を誓う同式には、さまざまな宗教・宗派から約七百組以上の聖職者カップルが参加、ACLCの祝福運動をさらに推進していくことを誓った。

 ACLCは、二〇〇〇年五月、超宗教・超国家の平和運動を推進している文鮮明師によって創設された。

 同祝福式のサブタイトルは「家庭のために立ち上がり、国家を救おう」。式のメーン会場の最前列には、文師がマッチングした聖職者・日本女性のカップル多数を含む二十一組が着席。

 この二十一組には、マルコムXの元ボディーガードで、ハーレムの父と呼ばれるチャールズ・ケニヤッタ牧師(82歳、アワースクエア・バプテスト教会)のカップルも含まれている。ケニヤッタ牧師は、ACLC議長のジョージ・スターリングス大司教(イマニ・テンプル)らとともに、同日の式に向け祝福の意義を語る全米講演ツアーを行ってきた。

 会場には、さまざまな宗教・民族を代表する衣装で着飾った聖職者夫人の華やかな姿もあちこちで見られた。

今回の祝福式では、ドン・オルソン牧師(セント・ルーク・ルーテル教会)が開会の祈祷をささげた後、郭錠煥・世界平和超宗教超国家連合議長が礼式の辞を述べ、「真の愛の生活の模範者となり、退廃的な社会に対する新しい希望の基台となってください」と強調。ガイアナ元首相のハミルトン・グリーン氏は「このイベントは世界に対するメッセージだ。文師のこの運動は、本当にタイムリーだ」と述べ、ACLC運動に大きな期待を表明した。

 式の模様はサテライトおよびインターネットを通じて米国内および世界各地で開かれた祝福式に中継された。同式にはワヒド前インドネシア大統領、タミー・レモン・ゲサオ現パラオ大統領のほか、イリノイ州知事など四人の州知事、二十五人の連邦上下両院議員が祝電を寄せた。

 同式では、イスラム教のアラマ・ムハマド・フセイン・アクバル師、ユダヤ教のイツハク・バー・デーア師、米国で著名なウイリー・ウイルソン牧師を含む宗教・宗派の代表十人が祈祷をささげた後、厳粛な雰囲気の中、主礼の文鮮明師夫妻が入場。聖水儀式(新郎新婦に聖水をかける式)、成婚問答、主礼の祝祷、指輪交換に続き、文師は十四万四千組聖職者の祝福達成を宣言した。

                                                                                  (4/29付世界日報一面より)

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 聖職者祝福式に参加した皆様に、お祝いの言葉を述べたいと思います。すべての人類が民族、教派を超えて一家族になる祝福であり、調和と愛の新しい歴史の出発です。

 私は八十年余りの生涯を通して、一なる神を中心とした世界平和のために働いてきました。祝福家庭とは何でしょうか。真の父母なくして真の子女、真の社会はありえません。今日、真の家庭の正確な定義はありません。人類はこの点について無知に陥っています。問題は、人間が明確な目的なく生きてきたことです。宗教の究極的目的は、個人の救いだけでなく、家庭の救いまで完成することです。歴史を代表する家庭の正しい基準を、宗教は設定しなければなりません。それなくしては、地上に世界平和を確立することはできません。外的環境がいくらよくなっても、真の家庭なしでは世界は破壊されてしまいます。

 父母、夫婦が分かれ、子女をもつことができないことは悲しいことです。歴史上の多くの聖人、聖賢は、神の理想世界、平和の基礎が家庭にあることを認識しませんでした。中心的家庭が地上に顕現しなければなりません。真の家庭から、新しい歴史の理想が出発します。

 キリスト教は第二イスラエルです。真の家庭なくして真の目的に行くことはできません。家庭の基盤が弱まると、社会は崩壊します。神が人類を救済する出発点は、国でも、天才的個人でもなく、真の家庭です。真の家庭こそ、これらすべてを超越する出発点です。すべての人に、家庭の門につながる資格が必要です。

 カトリック教会では、深刻な性の問題が起きています。独身主義の限界です。神の理想は、真の男女による真の家庭によりもたらされるのです。聖職者は真の家庭のモデルをつくり、他の模範にならなければなりません。新しい運動が出現しなければならず、本然の基準がなければなりません。

 歴史は神の復帰摂理であり、創造理想を復帰するための摂理です。イエスは家庭について最も多く、最も真剣に話しました。創造神と人間との唯一の関係は、親子の関係です。それは単なる創造者と被造物の関係を超える真の愛の絆です。イエスは、自分は花婿であり、あなたは花嫁であると言いました。それは真の愛の関係です。子供は夫婦の愛の結実です。人間は神の王子、王女であり、神のすべての権能を相続します。イスラエル民族は神の選民でしたが、キリスト教は、来られる主の花嫁の立場に立つ宗教です。聖書の子羊の婚姻は、キリスト教の花嫁の宗教としての使命を示しています。イエスは地上に来て、花嫁を迎え、家庭をつくり、家庭の主となるべきでした。しかし、イエスは家庭理想を完成できず、十字架につかれました。イエスは家庭をつくったあと子女を生むはずでした。その子供は神の孫息子、孫娘となるはずでした。

 神は、すべての人のモデルとなる神の家庭を創建されようとしました。堕落人間はこうした家庭を希求してきました。理想家庭の完成が、すべての宗教の目的です。すべての人間は、真の家庭をつくる道をゆかなければなりません。堕落世界の人間は神の人を嫌います。この複雑な状況のゆえに、イエスは、自分の家庭が敵になるだろうと言われたのです。イエスが完成したかったのは、神を中心とした一つの家庭です。イエスは家庭を確立できなかったので、再び来ると言われたのです。再臨の目的は真の家庭をつくり、真の国家をつくることです。それが神の理想です。神を中心とした家庭を地上に樹立し、神の血統を残すことです。

 真の家庭が確立されなかったので、神は復帰摂理を進めてきました。神が第一代で、アダムとエバは第二代、アダムの子女は神の孫です。三代にわたる家庭が完成されるはずでした。堕落の結果、第二代、第三代が失われ、血統が神の血統からサタンの血統に転換されました。イエスが家庭をつくれば、神の第二代、第三代が復帰されるはずでした。そこから、国と世界ができるはずでした。この家庭が確立されませんでした。サタンが与えたサタンの血統が、神の血統に転換されなければなりませんでした。アダムとエバは本来は人類の父母となるべきだったのです。神は、それに代わる真の父母を地上に確立し、神の血統を樹立しようとしてきました。祝福された家庭は、神の第三代、孫の立場に立ちます。神の孫の家庭になります。神の血統、生命が受け継がれます。生命と愛以上に血統は重要です。

 祝福の価値は、宇宙にも替えられない価値をもちます。祝福は、人類の真の父母として来られた文師によってのみ可能になりました。文師は米国で三十年間苦労の道を歩んできました。祝福家庭とは、神を中心とする理想家庭です。来られる主は家庭を必要とします。来られる主より前に、家庭をもつことは正しいことではありません。来られる主が真の家庭をつくり、全人類がそれに接木されなければなりません。皮膚の色の違いも問題ではありません。すべての人が通過しなければならない門は、共産主義世界でもなく民主主義世界でもありません。本然の理想家庭です。神を中心とする理想家庭を構築しなければなりません。平和の国、平和の世界、理想家庭、理想世界を地上に創建しなければなりません。それが神の世界摂理を完成する唯一の道です。それは国からではなく、家庭から出発します。共産主義世界や民主主義世界からでなく、皆さんの家庭から始まります。聖職者は、家庭、地域社会を救い、国を強化するための前線に立たなければなりません。それは言うのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。アメリカの大統領になるよりも重要なことです。われわれは世界を変える前線に立ちます。祝福された牧師は、教会を通して祝福運動を拡大し、平和の国の開拓者になられんことを。

 神の祝福がありますように。

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神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告」

(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会 ヒルトン・ワシントン・ホテル)


 米紙ワシントン・タイムズ二十周年祝賀晩餐会が五月二十一日夜、ワシントン・ヒルトン・ホテルで開かれ、政治家、著名な学者・文化人、メディア関係者、宗教指導者など約三千人が出席、ブッシュ大統領もお祝いのメッセージを寄せた。同紙創設者である文鮮明師が演説し、ワシントン・タイムズが人類を教育していく任務を果たすよう要請した。

 晩餐会では、少年少女聖歌隊が元気な合唱を披露した後、コンラッド・バーンズ上院議員(共和、モンタナ州)が祝辞に立ち、「先ほどの歌では、子供たちのエネルギーのすごさを感じましたが、ワシントン・タイムズのエネルギーもそのようなものだと思います。ワシントン・タイムズがこの二十年間にわたってなしてきたインパクトの大きさは、ここに集まっている人々の数と質を見れば分かります」と表明。

 ダニー・デービス下院議員(民主、イリノイ州)は「真の父母としての価値を私たちに教え、愛と友情と重要なことをすべて、われわれに教えてくださり、われわれの行くべき道を、また勇気を与えてくださった文先生ご夫妻、本当に心から感謝します」と述べた。

 次に、ホワイトハウスのティム・ゲーグリン補佐官が「ワシントン・タイムズが一九八二年に創刊され、その意見、その主張、その記事、その討論がどれほど大きなインパクトを与えてきたでしょうか。私はここまでワシントン・タイムズを育てた一人一人に対して心からその業績を称えます。そして、きょうの会が素晴らしい祝典になりますように」とのブッシュ大統領のメッセージを読み上げた。

 また、米国とカナダで毎日二千万人が聞いているラジオ番組のローラ・シュレジンジャーさんは、ワシントン・タイムズが真実を報道しているとしてその勇気を称賛した。

 ワシントン・タイムズの業績をまとめたビデオ上映に続いて、ウェスレー・プルーデン編集長の紹介を受け、文師が登壇し、「神様のみ旨から見たイエスの生涯と終末期にある現代に対する警告」と題して講演した。

 文師はその中で、「天運がついに訪れています」として、「霊界にいるイエス、ペテロ、ヨハネと他の弟子など数万人もの宗教指導者が地上世界に自由に降臨して、真の父母に侍っているのです。疑いなく、神様のみ心である統一された国が地上に成し遂げられるでしょう」と言明した。

 そのうえで、「今は第二イスラエルであるアメリカが最前線に立つ時です。米国がすべての世界の人々を導く責任をもっています。しかし、武器によってではなく、真理と、真の愛・真の生命・真の血統に基づいて他者のために生きる愛によってそれを果たさなければなりません」と強調。ワシントン・タイムズなどが人類を教育していくという天から与えられた任務に取り組むよう求め、会場から盛大な拍手を受けた。

 ガビリア元コロンビア大統領らが表彰された後、文師夫妻に対し、特別な感謝の品が贈られた。

 最後にカントリー歌手のランディー・トラビスさんが数曲熱唱したのに続き、文師夫妻が二十周年記念のケーキカットを行い、歓喜のうちに閉幕。参加者全員に対し帰る際、「百二十人の共産主義者の霊界セミナーに関する報告」などが手渡された。

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 尊敬する米国内外から来られた皆様。

 ワシントン・タイムズ創刊20周年を祝うことは、私にとってとりわけうれしいことです。1982年5月、天命を受けてワシントン・タイムズの創刊を決意した時の記憶は、いまも鮮明に残っています。これは、私が人種的、宗教的偏見に基づく訴追を受け、ニューヨーク連邦裁判所で、不当な裁判を受けている時のことでした。

 当時、共産主義が巨大な荒れ狂う波のように世界を席巻していました。米国でさえ、この問題に効果的に対応する手段を持ち合わせていなかったのです。私は、民主主義世界の最後の砦であり、第2イスラエルを代表するキリスト教国家である米国を共産主義から守らなければならない、という天の崇高な意思に従ったのです。天のみ旨はまた、神が求める平和な理想世界を造ることでもあります。すなわち、地上と天上の天国をキリスト教を通じて実現することです。ただお金をもうけるためだけに新聞社を設立したのでは決してありません。これまでワシントン・タイムズだけで10億㌦以上が投じられてきましたが、これを後悔したことも、誰かに対して憎しみを抱いたこともありません。それは、これが天と人類への真の愛を実践する道だったからです。

 私が米国にきてから、すでに30年以上がたちました。82歳になり故国に帰る時が近づいていることを感じています。その前に、第2イスラエル圏内の国家、米国と全人類に、神の事情と霊界に関するメッセージをはっきりと伝えておきたいと思っています。単に個人としての私からのメッセージばかりではありません。天はメッセージを送ってくださっています。人類はそれを今、実行しなければなりません。これまで人類は、天のみ旨を知らずに生きてきました。第1に人類は神のことを知らず、第2に私たちは、望むと望まざるとにかかわらず誰もが最終的には必ず行く霊界について知らずにきました。

 今、人類歴史の終末時代に入っています。霊界では、4大宗教の創設者をはじめとする無数の宗教指導者たちが、私が説いた統一原理を最高の次元の真理として受け入れています。彼らは完全に動員され、祝福結婚を通じて弟子や子孫に新しい真の家庭を築かせることによって復活するため、地上に戻っています。

 とりわけ、第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国のために、イエスを中心とする4大宗教創始者がそれぞれ、歴史的によく知られる弟子たち120人を選び、統一戦線を築いています。今、地上へ戻り、世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)と世界非政府組織協会(WANGO)の運動を推進し、地上の完全な平和の実現に邁進しています。また、真の父母の哲学である「為に生きる生活」をし、真の愛を実践しなければ人類に未来はない、と主張しています。だからこそ、この機会を生かし、記念スピーチを行い、米国と人類に最も重要なメッセージを「神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告」という題目でお伝えしたいのです。


 

十字架上のイエスの愛とその遺産


 イエスの十字架の摂理を調べれば、イエスと右の強盗、左の強盗、そしてバラバが歴史の種をまいたということが分かります。まかれたものは刈り取られなければならないのが、原則です。ですから、最初に現れたのは右翼世界と左翼世界、すなわち民主主義圏と共産主義圏で、これは「右の強盗」型と「左の強盗」型を表しています。その次にイエスの十字架を中心としてイスラム、つまりバラバ型が現れました。バラバがイエスゆえに福を受けたことで、イスラムはキリスト教への抵抗勢力として出現しました。

 こうして種がまかれた歴史は、4大ブロックに結集する世界を形成する時代に入りました。アラブ・ブロックのガマル・アブデル・ナセルは、イスラム圏を統一アラブ国家としてまとめることを夢見ました。一方のキリスト教は、世界中の新潮流をリードし、「全宗教を統一しよう」と主張しています。このような流れを見ると、悲劇のうちに種をまかれた歴史は、今や初めて、神を中心とした善の果実として実ろうとしていることが分かります。最後の時代を迎え、この現象はますますはっきりとなり、最初にまかれた種は、ついには完全に本来の形で実り、刈り取られます。これは、神の法であり、避けることはできません。すなわち、統一は、真の愛という真の父母の思想に従って成し遂げられます。

 民主世界が内的とすれば、共産世界は外的です。右翼が内的なら、左翼は外的です。そのため、来るべきメシアは必ず、神を尊重する民主世界の内的基盤の上に現れなければなりません。メシアは外的世界をのみこみ、主流であるキリスト教圏を中心として異なる文化を統一する運動を推進しなければなりません。こういった運動は歴史の最後になされるものです。このようなことは、偶然に起こるはずはありません。大元の原因の性質が、そのような結果を導くのです。


 

右の強盗の功績


 イエスが十字架にかけられ、右側の男とともに亡くなりました。その男は強盗であったばかりでなく、殺人者でもありました。もしこの強盗がそこにいなかったなら、イエスは地上世界と人類との関係を失っていたでしょう。右の強盗自身も死が近かったのですが、それでもイエスを擁護しました。人類歴史において、だれがイエスの味方をしたでしょうか。ペテロでもなく、イエスの父母でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。それは、右の強盗たった一人でした。イエスとかかわりを持ち続けたのはこの人だけだったのです。死に際し、彼は死を超えて、すべての希望をイエスに託したのでした。右の強盗以外には誰もいません。もし右の強盗がいなかったなら、イエスは復活して地上の摂理を再開することができなかったということを、知らなければなりません。

 イエスが4000年の歴史と30余年の生涯に終止符を打とうとしていた時、イエスの最大の願いを具現する人として、そこにいて、イエスにつながり、イエスに侍ったのは、ただ一人でした。死の道にありながら、イエスにつき従ったのです。右の強盗はこのような行動をとることで、イエスの弟子を超えました。ペテロを超えたのです。つまり、右の強盗はイエスの教えは知りませんでしたが、その性格が、最後の瞬間に、最後の息を引き取るまで、イエスにつき従わせ、そのための力を与えたのです。これに対してペテロ、ヨハネら12弟子はイエスの教えを知り、生まれ変わることを誓ってさえいたにもかかわらず、最終的にはそれを達成することはできませんでした。このような理由から、右の強盗は人類史の中心人物であり、地上世界を代表し、未来を救う人となったということを知らなければなりません。

 私たちにはこの歴史を引き継ぐ権利があります。アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス、それに続く人々の伝統と基盤を相続し、この歴史的な犠牲の供え物の代わりとなっていかなければなりません。そうして初めて、サタンと向き合い、「歴史の中で、あなたはノアに負け、ヤコブに負け、モーセに屈服した。私はこれらすべての基盤の上に立ち、摂理史のすべての伝統を相続した。サタンよ、去れ」と叫ぶことができるのです。そうして初めて、サタンは退くのです。

 ただ「サタンよ、去れ」と祈っていても、何にもなりません。6000年間にわたって人類を讒訴し、神の摂理を踏みにじり、復帰節理を破壊してきたサタンです。あなたが、ただ去れと言い、イエスを信じたからといって、退くとお思いですか。断じて違います。皆様に必要なのは、「私は間違いなく、神が歴史的心情を通して、求めてきたその人だ。私はイエスの聖なるけがれなき体に接ぎ木された者だ」と言える力です。あなた方の名前はイエスが神から授かった相続の書に記録されるはずです。神の相続の書には、神が地上にイエスを送ることができるまでの4000年間、抱いてきた心情を相続したものが記録されます。そうして、十字架上でサタンを打ち負かすのではなく、サタンを屈服させる力を持ち、十字架にかかることなく、サタンに勝たなければなりません。肉の体を持ち、実体を持って復活しなければなりません。こうして実体的な相続者ととして認められた者だけが、天国に入ることができるのです。


 

キリスト教に霊的基盤だけを与えたイエスの死


 今日までキリスト教は、地上と霊界両方での天国を追い求めることができないでいます。キリスト教は物質世界を放棄せざるを得ず、イエスに霊的メシアとして侍り、霊的救いと霊的天国をその目標としてきました。イスラエルの人々は、国家を持ち、選民としての国家的権威を持っていましたが、今日の第二イスラエルの立場にある世界的なキリスト教は霊的な国家であります。キリスト教は国家的主権を持たず、キリスト教徒は国を持っていないのです。第二イスラエル圏内には霊的土台のみがあり、実体的な基盤はないのです。キリスト教は神の本来のみ旨を達成することができなかったため、神のみ旨である霊と肉両方の地上天国を実現するには、主を再び迎えるしか道はないのです。

 私はきょうここに、一つの宣言をしたいと思います。十字架は神の勝利ではなく、サタンの勝利だったのです。イエスをゲッセマネの園でとらえた人々に対しイエスが、「今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」(ルカによる福音書22章53節)と言ったことを思い出してください。十字架は、神が4000年間準備してきた国が失われた場所であり、イスラエルの信仰が失われた場所であり、洗礼ヨハネに従う人々、12弟子、左の強盗、その他すべてが失われた場所でもあることを知らなければなりません。キリスト教が十字架にかかったのではないこと知らねばなりません。キリスト教はいつ始まりましたか。イエスは3日後に復活し、40日かけて、失った弟子、自分に背を向けた弟子たちに会いました。聖霊が弟子たちに降りました。そのとき初めてキリスト教が始まったということを知らねばなりません。過去2000年間にわたってキリスト教徒は信仰を持ってきましたが、キリスト教が十字架の原理によってではなく、復活の原理によって生まれたということを知らずにいました。この事実が分かれば、悔い改めざるを得ません。キリスト教はイエスの復活の基盤の上に生まれたのであり、そのため、キリスト教は厳密に霊的なのです。

 イエスが十字架で死ななかったら、どうなっていたでしょうか。その場合、イスラエルの民族はイエスの教えに従い、安定し、存続していたことでしょう。ユダヤ教もそのまま存続したことでしょう。イエスは、自らが十字架で死ねば、後に多くの人々がそれに従い十字架の道を行くことになり、血を流すことなくイエスに従うことができなくなることを知っていました。多くのキリスト教徒が苦難を受け、主が再び来られる時も、苦難の道を行かなければならなくなるでしょう。これが、イエスがゲッセマネの園であのように祈らねばならなかった理由であることを知らねばなりません。今日、キリスト教徒はイエスが肉体を持ち、死の痛みを恐れたため、放免されるよう祈ったとしています。イエスはそのようなつまらないメシアだったというのでしょうか。絶対に違います。

 ならば、イエスが十字架上でその命を落とすときに発した「終わった」と言葉は何を意味するのでしょうか。イエスは霊と肉両方の救いをもたらす使命を持ってきましたが、基盤のないままでは神のみ旨を完全には成し遂げることができないことを知っていました。そのため、霊的救いの条件を立てるため完全に自らを供え物として、摂理が始まるようにしたのです。それを完成したのでイエスは最後に、「終わった」と言ったのです。

 おそらく皆様方の想像力をもってしても、このようなことは考えられなかったでしょう。キリスト教とユダヤ教は今からでも、主は、サタンの国を破壊してサタンの王権をなくし、神のみ旨を完成して人間性を復帰しようとしたが、非業の死を遂げた、ということを認めなければなりません。これが分かれば、悔い改め、一つになれるはずです。一つになり、帰ってこられる主を迎える準備をしなければなりません。

 結果には、原因がなければなりません。全キリスト教徒が、盲目の信仰の時代を捨て去り、一丸となって新しい時代に向かって前進し、この世をまとめ、救いに至らしめる、そのような時代が来たのです。「統一」の言葉が不可欠な時代がきたことを知らねばなりません。


 

イエスの3日間の苦難の路程


 イエスが死後3日間苦難を受けたということは何を意味するのでしょうか。天と地と地獄すべてが、死亡圏内にとどまっていました。イエスが天と地で権威を得るためには、この死亡圏の全域を把握しなければなりません。ですから、命につながれることを求め、神を慰める道を行くためにイエスは、たとえ地獄のような最低の環境に下りていくことになろうと、苦難を受けることになろうと、勝利しなければならなかったのです。イエスが地獄を通過したので、天へ向かい新しい出発をすることができる道が備えられました。地上ではのけ者にされ、孤独で、ついには死の道を行かざるを得なかったイエスですが、後代のために希望の道を残すことができたのです。これが3日路程を行かねばならなかった理由です。

 イエスは、ただ地獄を見て回るだけのために、3日間地獄にいったのではありません。すでに地獄のことは知っていました。そこに行き、審判を受け、死の世界から生の世界に移る道を行かねばならなかったのです。こうしてイエスは、死の世界であり、地獄である地上に勝利の基盤を打ち立て、天に至ることのできる出発点を確立したのです。


 

十字架上でもイエスは天のことを心配し、敵を愛した


 当時の既成宗教の指導者にとって、イエスは異端者でした。また国家にとっては、律法の破壊者でした。イエス自身の氏族がイエスを拒否し、家から追い出しました。洗礼ヨハネのグループもイエスを否定しました。それでイエスは荒野に出ましたが、サタンが彼の後を追いました。それだけではありません。やがて国全体が、十字架上の死への道、ゴルゴタの道にイエスを追いやったのです。

 それでもイエスは、裏切り者として自らを十字架にかけた民族のために涙を流したのです。既成宗教から異端として扱われながらも、イエスはどの聖職者よりもその宗教指導者らのために多くの血と涙を流しました。その時代の誰一人として、イエスを支えるものはいなかったにもかかわらず、イエスはその時代の友でした。イエスは裏切り者で拒否されましたが、最大の愛国者でした。異端として拒否されましたが、最大の信仰者だったのです。

 イエスは惨めな道、十字架の道を行き、そこで人々はイエスの着ていたものをはぎとり、追いたて、地に伏せさせたのです。それだけではありません。悪人がイエスを鞭で打ち、打ち倒したのです。ここでイエスがエリヤのようでしたら、「私はただ一人残った主の予言です」(列王記・上18章22節)と人々に言ったことでしょう。しかし、イエスはゲッセマネの園で弟子を残して、祈りに行ったとき、ここ言いました。「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカによる福音書22章42節)。ここがイエスの偉大なところです。イエスには、自らの体が国家のための犠牲の供え物であり、人類のための犠牲の供え物であり、天の摂理のための犠牲の供え物であることが分かっていたのです。

 このことを知っていたがために、イエスは、悲しみを隠すことなく、さらに神の悲しみがいかばかり大きなものであるかを心配されたのです。イエスは国家のために現れました。そのイエスが裏切り者として拒絶されるのを見て神はいかに悲しまれているかを、イエスは心配したのです。イエスは天の王子であり、全天宙の中心人物であり、メシアでした。望めば、自らを哀れむ道を選び、なぜ十字架の惨めな道を行かねばならないのかを問うこともできたのです。イエスなら、全天宙を動員して、ともに絶望の深いため息をつかせることはできたでしょう。ところが、イエスは、自らのすべきことは、絶望のうちにため息をつくことではないことを知っていました。そればかりか、拒絶されたことを天に対して申し訳ないという思いを抱くまでに至ったのです。

 イエスは、宗教指導者を結集し、民族を盛りたて、天の王国を築き、世界を父の懐に返す、という使命を持っていました。ですが、その使命を放棄し、十字架の道を行かざるを得なくなったときでも、恨みを抱くことは一切ありませんでした。死を恐れる余り「この杯をわたしから取りのけてください」と祈ったのではなく、自らの死が民族と神の悲しみを増すことになる、そのことを知っていたがためにこう祈ったのです。

 イエスは、十字架で死ねば、後の世代の人類にもっと重い十字架を残すことになるということを知っていました。それは、悲しみの歴史は終わらないということを意味します。ゴルゴタの道はイエスだけにとどまらない、ということをイエスは知っていたのです。死の道は終わらないことを知っていたのです。イエス自らがゴルゴタの道を行けば、イエスに従う者も同じ道を行かねばならなくなるということを知っていたのです。もっと困難な道が十字架の向こうにあるということを知っていたのです。

 いばらの冠を被らされ、両手両足にくぎが打ち込まれ、わき腹にやりが差し込まれた時、このことが、自らの死よりもはるかに大きな衝撃を与えることになるということを知っていたのです。イエスが天に向かい、「終わった」と言った時、それは世界の十字架の道が終わったということを意味したのではありません。十字架にかかることに関して、天がイエスの心からの涙ながらの願いを聞き入れてくれたことを意味したのです。イエスは天を慰めるために、預言者、愛国者が犯したすべての過ちを背負い、自らを生きた供え物としたのです。

 それ以上に、イエスは死が近づいたとき、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)と言いさえしたのです。神はすぐ審判を下すつもりでした。それはノアの時代の審判よりもさらに大きなものでした。ところが、イエスは民族を愛し、宗教組織を捨てず、十字架の道を選び死にました。そのため、神は人類を捨てることはできず、私たちをつかんでくれているのです。イエスと後の世代の人類およびイスラエルの残った人々との間に、この心情のきずながあるがために、神は、宗教組織と後代の人々が神に背を向けようとも捨てることができなかったのです。つかんでくれているのです。


 

イエスが私たちと分かつパンとぶどう酒の意味


 ここにいる皆さんは、神が数千年間にわたり復帰の摂理をしてこられ、イエスを復活させるだけでは、天地における神のみ旨は全うすることはできないということをよく理解しておられることと思います。そのために神は、神の言葉で新たな契約を打ち立て、それを通じて、天地のみ旨を一つにし、約束の本来の園を打ち立てるための摂理をしてこられたのです。

 聖書には、イエスがぶどう酒とパンを私たちに与え、それは約束と新しい契約である、と言ったとあります。イエスが地上に現れて後、私たちはイエスの血と肉を受けました。これらは、成就しなければならない、完成したものすべての生命を表すものです。同時に、摂理の全体を表すものでもあります。

 イエスの血と肉を受け取ったということは何を象徴するのでしょうか。これは単に一人の人の血と肉にとどまりません。大きくは、天と地を表し、小さく見れば、中心であり個人の体を表します。さらに肉は真理を、血は聖霊を象徴します。イエスはこれらを無条件に与えてくださったのです。

 神と人類の間に立ちはだかってきたのは何でしょうか。天のみ旨は地上で現れるべきであり、地上のすべては最終的には天につながれなければなりません。これがなされず、神と人類は離れ離れになってきました。イエスは生前、新しい契約を打ち立てていきました。そのため、イエスの死後、人類すなわちイエスに従った弟子にとって、霊界と地上界をつなぐことが必要な条件として残されました。イエスが死ななければ、天と地はイエスを通じてつながれたのです。イエスは亡くなられたため、天の事情を代表するものとなり、聖霊が地の事情を代表するものとなったのです。

 尊敬する皆様。時が来ました。神が六千年間待ち望み、キリスト教徒が2000年間待ち望んでいた天の時が来ました。天上、地上の天国を、宗教を超え、国家を超え、組織を超えて、建設するときが来ました。天運がついに到来したのです。今では、霊界のイエスやペテロ、ヨハネなどの弟子たち、加えて数千、数万の宗教指導者が一心同体となって、真の父母に侍るために自由に地上に降臨しているのです。間違いなく、天地が永遠の平和の下に一つとなり、天のみ旨の統一天宙国家と天国が地上に定着するのです。

 今や第2イスラエルを代表するキリスト教国家、米国が最前線に立つ時代です。米国には全世界の人々を導く責任があると、私は世界に宣言します。しかし、武器で導いてはなりません。それは真理と愛を持って、真の愛、真の生命、真の血統を基盤に、他者の為に生きることでなされなければならないのです。

 最後にワシントン・タイムズ、UPI、その他主要メディアが宗教、思想を超えて、この天からの崇高な命令を受け入れ、人類を教育する使命を推進することを願っています。霊界にいる指導者からのメッセージを収めた小冊子を皆様にお配りしました。これを精読してくださいますようお願いいたします。

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自由、家庭、信仰−21世紀のメディアの役割

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「自由、家庭、信仰−21世紀のメディアの役割」

(02.05.21 ワシントン・タイムズ創刊20周年記念祝賀会で配布されたスピーチテキストより ヒルトン・ワシントン・ホテル)


 冷戦時、神は、世界を共産主義が支配するのを防ぎ、自由な世界を守るため米国を選びました。ワシントン・スター紙が一九八一年に廃刊され、首都の新聞はワシントン・ポスト一紙だけとなりました。これは、自由世界の首都が、ニュース、懸案事項、政策に対して限られた視点しかもつことができないことを意味し、共産主義の危険性、当時全世界が直面していた共産主義の脅威を軽視するものでした。神の願いは、哲学的、思想的基盤を持ち、人々や米国の指導者らを励まし、啓蒙する新聞を作ることでした。愛国的な米国人がワシントンで新聞を創刊し、ポスト紙に代わり得る意見を打ち出すことを願って、数カ月間、待ちました。ですが、誰も手をつけようとしないのを見て、私がそれをしようと決意したのです。

 ですが、ワシントン・タイムズの使命は、冷戦の終結では終わりませんでした。共産主義が崩壊しても、自動的に世界に平和が訪れるわけではありません。神が願われる理想社会も、私たちの努力なくしては実現できません。そのため、創刊十年(一九九二年)を迎えたワシントン・タイムズは、新しい挑戦、つまり「文化戦争」、悪化する価値観との戦い、という使命が与えられました。

 神は米国が伝統的な家族の価値や道徳的価値を守るよう願いましたが、それらは混乱状態に落ちてしまいました。世俗的な人道主義、極端な個人主義、自己中心主義が強まっています。その結果、金銭と物質が人々にとって神のような価値を持つようになったのです。そうして、宗教は低調となり、世俗的な人道主義がはびこるようになりました。家庭が崩壊し、青少年犯罪が増加しています。

 創刊十周年の祝いの場で私は、メディアのもう一つの使命を定義しました。これは、メディアは社会の倫理と道徳の価値を高めるもの、ということです。その後の十年間、道徳的な社会の実現に貢献することをタイムズに願ってきました。平和な世界は平和で理想的な家庭の基盤があって初めて実現できます。そのため、道徳的家庭の価値を強めることの重要性を人々が理解するよう努力してきました。「家庭の価値」という言葉がよく知られるようになる前でさえ、タイムズは価値観の崩壊、いかにして家庭の価値に基づいた善良で道徳的な社会を取り戻すかを強調する記事を出してきました。これらの問題に関するファミリー・タイムズを毎週、出すことも始めました。今日、家庭の価値は米国社会にとって重要な部分を占め、政治的な問題ともなっています。私たちは、タイムズが家庭の価値を米国と世界の重要な部分へと高めることに貢献してきたことを誇りに思っています。

 タイムズ創刊後の最初の十年間に際立ったのは、冷戦の最中にあった世界の自由のための戦いです。次の十年間は、文化戦争と強い道徳的価値観に基づく家庭を築くことの重要性が目立った年でした。今二十年を超え、信仰を訴え、支持する時代、個人の信仰に基づき精神的価値観を強調し、支持する時代を迎えました。だれでも、神と人生の精神的側面についてはっきりと理解していなければなりません。世界レベルで自由、家庭レベルで倫理的価値観、個人レベルで信仰、これらは人生、メディア双方にとっての三大使命です。

 自由、家庭の価値、信仰は米国の最も基本的な精神的価値です。タイムズが「米国の新聞」と呼ばれるのは、米国の伝統的思想を実行することを目指しているからです。もちろん、「米国の新聞」と言いましても、米国だけに仕える新聞という意味ではありません。そうではなく、世界と全人類のために働く国である米国に仕えることを意味します。

 私たちは外的には、情報が爆発的に増加する時代の中に生きています。世界は情報であふれています。デジタル通信技術の発展により情報の海が出現しました。これまで、離れたところから情報を得ることは困難でした。ですが、今では、革命的な変化が起き、世界中から圧倒されるほど大量の情報が発信されています。この大量の情報の中で、人々が質の高い人生を送れるよう、責任を果たしていかねばなりません。メディアはすべての事実を伝えることができますが、同時に混乱を回避し、リーダーシップと方向性を示す責任があります。全世界がニュースと情報であふれている今の時代はなおさらです。ワシントン・タイムズと関連するメディアはこの点で指導的な役割を果たしています。

 この二十年間でタイムズが奇跡的な発展を遂げたのと時を同じくして、他のメディアプロジェクトも目を見張る発展を遂げてきました。ナショナル・ウィークリー・エディションは、全米五十州の購読者に配られ、日刊のタイムズ紙から傑出した記事を届けています。ティエンポス・デル・ムンドもあります。スペイン語の週刊紙で、十六カ国十八主要都市で発行されています。さらにソウル、ニューヨークにはセゲイルボ(世界日報)、東京には世界日報があります。ミドル・イースト・タイムズ紙は、ますます重要性を増している地域のニュース、情報を提供しています。

 雑誌としては、インサイト、ワールド・アンド・アイ、ワシントン・ゴルフ・マンスリーがあります。ワシントン・タイムズのインターネットサイトは、米国で最も人気のある新聞のサイトの一つであり、毎週数十万人の人が訪れ、毎月、千八百万ページ以上のニュース、オピニオン、解説を読んでいます。ケーブルテレビなど通信業界ともうまく連携し、ポトマック・テレビジョン、アトランティック・ビデオ、グッドライフ・ケーブルTVは全米五十州に視聴者を持っています。

 このメディアファミリーに加わった中で最も新しいのは、世界でも最も古い民間の通信社、UPIです。ほぼ百年間、休むことなく活動し、世界中にニュースを配信してきました。UPI通信はまもなく、大きな技術的躍進を遂げます。統合したデータベースを通じて、私たちの持つ全メディアから記事を集め、それらを整理し、内容、テーマに従って世界中の購読者に配信する技術を持つのです。

 大量のニュース、情報を提供する新時代のメディアは、リーダーシップをとり、神と霊界を知り、その価値観に基づいて個人を善化する明確な方向を示さなければなりません。ワシントン・タイムズと私たちのメディアファミリーは、二十年間にわたってこの方向性を指し示してきました。今後も、三十周年に向かいこれを続けていきます。皆様方一人ひとりも、その資質を生かして、自由を守り、家庭の価値を促進し、神への信仰を強め、世界のリーダーとなっていくよう、願っております。

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「天地父母統一安着宣布」

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「天地父母統一安着宣布」

(02.06.21 ソウル蚕室室内体育館で行われた「天地父母統一安着大会」で)


 この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に出席した高名な紳士淑女の皆さま、愛する祖国の兄弟姉妹の皆さま、そして、この歴史的な大会を見守っている全世界7千万の皆さまに心から感謝します。

 私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布時代を迎えました。6千年間、天と地がこれほど待ち望んだ平和の理想世界、すなわち地上天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたのです。

 天は歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許され、人類はその諸宗教圏内で平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神の摂理的な内容と神の心情を完全に知るところから、すべてのことが解決されるのです。

 今日、人類が平和の世界を語り、ひとつの世界を語っていますが、私個人からひとつになり、平和をつくることが問題です。そのため、こんな実情を知る神がおられ、志のある人間、偉人がいるとすれば、ひとつになろうとする作業を行うだろうと考えざるを得ないのです。

 皆さま方はよく、互いに愛し合い、互いに仕えあい、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいくと言います。愛せということは、与えろということです。私から相手に働きかけろということです。互いに愛を受けよう、愛してほしいということではありません。

 互いに仕え合うようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの磁石は必ずプラスに向かうように、良心の力によって神を知ることができるのです。

 良心の力によって神に接近すればするほど何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じ、平和の母体となる神の愛によって、自ら自分の五臓六腑全体が刺激を受けて衝き動かされるような感銘を感じることができる人間になっているでしょう。

 私が過去をこのように生きてきたので、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならないと、気力が足らなければ跪いて骨が固まって死んでしまうことがあっても、私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間内に尽くさなければならないと、夜を徹して祈祷しなければなりません。

 国の領土を守り、人類が至るべき幸福の基盤をじっと見つめながら生きながらえ、私は死んでも世界を生かしてほしいと祈祷すれば、その老人の墓は雑草に覆われたりしないでしょう。

 いくら(年老いて)醜くしわがよったとしても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとなり、歩む姿勢はやつれていても、その道は希望の灯台として輝かしい座標になるということが分かれば、生涯を比較して、自分だけのために悪の友となり悪の足場を広げていくこの恨めしい恨(ハン)の正体を踏み消して、私の生涯に善の基盤をもう一度だけ加重させていかなければという切迫した運命の道が願っていることを知り、休まず急いで行かなければならないということです。

 そのため、文総裁も今までの生涯で、そんな趣旨から6回も投獄される十字架を背負い、あるいは海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で異端者だと指弾される時も、反対される時もありましたが、私が進む精誠の道理がすべての民族を通して天の前に、正統の主流思想であることを知って跪き、天を慕うことができるようにする道ならば、私はどこにでも駆けつけるという思いでこれまでずっと生きてきました。

 私たちが天の兵士となって勝利してこそ、神が永遠に喜び、イエスと聖霊も永遠に喜び、聖人・賢者たちまで喜ぶことができる平和の時代がこの地上に到来することを心に銘じなければなりません。

 個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いにまで及ぶようになるのです。また、神とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和時代が訪れます。こんな原則的な過程を通して摂理してこられた神の事情を皆さまは知らなければなりません。

 神がサタンと闘ってすべての問題を解決してこそ、宇宙的な平和時代がやってくるのです。神の悲しい心情の中心を一掃して解怨して差し上げる時がやってこない限り、人類の平和も実現できず、天的なひとつの理念もこの地上で結実の時を迎えられないということを皆さんは知らなければなりません。

 万一、真なる人間がいて人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設しうるひとつの主義と思想をもって現われるとすれば、彼は自分個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠と、その切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。そうできないとすれば、人の世には恨(ハン)の侵犯を受けない平和の世界、幸福の世界、自由の園は建設されないのです。

 皆さまが宇宙的な天国の理念を代表しうる存在となり、神の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるのです。それゆえ自分の父母だけが父母でなく、自分の兄弟だけが兄弟でなく、自分の子供だけが子供でないというのです。

 皆さまが全ての人を私の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人間になれば、死亡世界で苦しむあらゆる民を目にする時、涙なくしては対することができないはずであり、兄弟や幼い人々を目にする時も彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。本当に神のような、そんな皆さまになれば皆さまを中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。

 神はサタンから先に打たれ、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、殺されながら取り戻してくるのです。このような作戦を取らずには、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。

 皆さまは家庭を率いて国家と世界のために進まなければなりません。大韓民国において個人的な時代、家庭的な時代、宗族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家の前に方向を提示できる案内役を果たさなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神に侍ることができてこそ、霊界と肉界(地上界)は統一された平和の世界となり得るのです。そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天界の栄光の表彰を受けるようになるのです。

 自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流しながら闘えば、その人は滅びません。その人が流した血は死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるためです。そのようにして創建された場所こそ、私たちが行かなければならず、留まらねばならず、残さなければならない基盤です。

 皆さまは天の前に「天よ! あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われたすべての願いが結実しました。人間を立てて永遠に全ての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷する時、神が「おお、そうか!」と言える立場で、神が喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。皆さま、大韓民国の主人は誰ですか?

 大韓民国を誰よりも愛する人です。

 それゆえ、皆さまが誰よりも大韓民国を愛するようになれば、主人にならないようにしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神が願う平和の時代がやってくるのです。私たちは神の恨(ハン)を解いて神を解放してあげなければなりません。

 そして、自由な神として万国を統治するために、少しでも差し障りがある障害物があれば、私が責任を持って全て取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管しうる堂々たる絶対者として侍るんだという信念をもった若者がいれば、その人は真に偉大な若者です。こんな若者たちによって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。

 皆さまが、実際にこんな若者になるというようになれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、無限の希望が宿っているのであり、その姿は神の希望と幸福の土台になるのです。

 取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければならないのです。そんな基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱しないようにしてこそ、そんな基盤を通して世界に平和の天国が連結されるのではありませんか?

 東西南北を中心として、4点がきっちりと立つようになれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されるべきか? あの牢獄からなされなければなりません。イエスのように牢獄に入っていって主管性を復帰した基準と本性的な基準の自律的な平和の心情を持ち、感謝の歌を歌ったことがあるのか? これが問題になるのです。

 神はかつて、使徒たちがそんな立場にいる時、それを天国化させるために牢獄の門を開き、自由に行動できる権限まで付与したのではないですか? 神は、皆さまが、かつてのその使徒たち以上に希望と期待を持てるような、資格を持つことを願っています。

 終末には新しい創建の方向を現世と反対にしなければ、生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。これが新しい統一の歴史的な方向性です。第3者を犠牲にしてできた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和が訪れないのです。

 私たちは十字架の道を如何にして越えるか?

 自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。これを段階的に、正常的に差し支えない行路を通過していけば、すべての怨讐が待っている十字架の道は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由が実現されて天地に平和の王国、神が願う理想世界は実現されるのです。

 この世界でも神を中心とした新しいパターンを探さなければなりません。家庭での父母が子供を愛する道理が今日、人倫道徳の原則になっているではありませんか? 父母、夫婦、子女の因縁を中心とした統一教会で言う四位基台の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を如何にして決定するかということです。

 世界をかけて統一と平和を夢見るには、こんな基本問題が残っており、これを決定せずには統一世界は訪れないのです。基本問題においての個人的な男性パターンと女性パターンを中心として家庭的なパターンを形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆さまは知るべきです。

 自分が犠牲になり、自分の家庭と自分の国家が犠牲になっても国家、世界が良くなり得る新しい価値観を持って出発できる、そんな思想的な体制があれば、その思想的な体制を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。

 ひとつが上がればひとつは下がるものであり、ひとつが下がればひとつは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので罪悪を解脱できるひとつの方向性を備えて勝利の天国を創建し得る時がやってきたのです。

 包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、怨讐を愛せと語られました。これまでサタン世界には平等圏がなかったために、その平等圏を作る作戦が何かといえば、サタン世界で残るために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら打った人々を屈服させ、同じ恩恵を与えることによって、ここには完全平等圏が実現するのです。怨讐の対決圏を解消させる舞台をこのように築いてきたため、ここで初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まるのです。

 天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシアとか、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を持たせ、犠牲を払わせてきたのです。そのため、多くの聖人たちがやってきて、その位置を死でもって埋めていきました。多くの国々が興っては滅んでいったのは、この谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等を作りました。平等ということは、平和だということです。

 本来、神の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバがひとつになることによって、神が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う四位基台です。この四位基台を完成すべき基盤を失ったために、どのような歴史時代を経てたとしてもこれを設定しない限り、人類の平和とか、ユートピアとか、理想世界とかいうことを描いてみても、何の役にもたたないのです。原則を否定し、原則を離れては理想郷はあり得ません。

 二千年間、ローマ帝国の迫害時代に形容できない逼迫の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマを呑み込んでも残ったキリスト教が今日、自由主義の米国では第二次大戦以後の数十年間で、どうしてあんなに衰えてしまったのか、それは謎です。ユダヤ教が神を信じ、すべてを愛するというのに、なぜヒットラーが六百万を虐殺するのかというのです。理解できません。これが謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったためです。終わりの日に、民族を中心として神本然の真の愛に接触点を持たなくなる時は、サタンの供え物として完全に砕けていくのです。

 それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのか? 今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知性人たちも語っていますが、世界を指導し得る人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのですか? 経済力と政治力を中心として指導し得る能力がある人々はいくらでもいます。

 金がなくて、政治体制がなくてそれができないのではありません。神の理想に通じうる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源が、初めて私たち人間の本心が安息できる理想郷の出発が始まるのです。

 真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地に神の真の愛の心情に通じる真の人であれば、十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れる時、大宇宙は私の友となるのであり、そんな真の心情に徹して天下に対して現われるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。これから人間世界に理想世界がどのよう訪れるのか分かりますか? 真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は訪れません。

 ローマを見てください。米国を見てください。米国が金がなくて滅びるのではありません。今まで真の愛の器官の主人が誰なのか分からず、どのように由来して創造されたのかということを知りませんでした。サタンのために分かりませんでした。それを明らかにするため、天地の全ての邪悪でよこしまな性問題で、サタンがやりたい放題にしている全てを掃除するため、真の父母の名前をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。

 寒帯地方から温帯地方に風が吹きつけるので、温帯圏内のすべての木の葉は枯れて落ちるのです。それで冬になり、実まで全て落ちるようになります。しかし、その中で種、生命を持つ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えるのです。

 解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎える、その時代において真の生命の種をこの天地にまくようになる時は、緑のまま、再び冬を迎えない解放の温帯圏に進出しようというのが、統一教会の思想とぴったり一致するのです。

 自分自身を是正するためには、難しい道を歩まなければなりません。南北統一するのが簡単ですか、自分の一身を統一するのか簡単ですか? 南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、自分自身の統一は内的に実現できません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現できません。

 世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の希望はいつでもどこでも見出し得ます。

 過去と現在を照合すれば、結果は必ずひとつの目的に向かって進むのです。

ひとつの目的は統一であり、平和です。ひとつの平和というのです。二つではありません。しかし、私自身が統一をいつ実現できますか? 私が統一できなくて、統一された世界を管理できますか? それは理論的に通じないのです。

 そのため、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻なのです。宇宙史的な問題です。

 国が滅びるのは大きなことでありません。アダムの世界には国がありませんでした。自分の家庭だけ収拾すればいいのです。家庭だけ正しく立てばいいのです。結局は、良心と肉身の一体(化)と家庭の一体(化)です。夫婦、男女がひとつになることが、世界的な問題です。これがひとつになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解けば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体をなせばいいのです。

 この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うためです。

 男女は二人で闘うようになっています。それで、世界平和の基地はいったいどこか? 韓国でもなく、日本でもなく、米国と世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争する、その基点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。

 それでは、どうすれば平和の世界が訪れますか? 第1の条件が何かといえば、ひとつになる起源を見い出さなければなりません。それを見い出せなくなる時、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身がひとつになったのかと尋ねる時、ひとつになった私を発見できないのです。体と心が闘うでしょう? 男女が闘う時、幸福であり得ず、平和であり得ず、希望があり得ないのです。終わりの日になればなるほど心の分野、体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。体と心が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。

 統一教会では、神から内的統一の真の愛の動機を解いて、神のように真の愛でより人のために生きる論理的な形態を備えているため、思想界や宗教界が追随できない体系として、終わりの日において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、宗族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地となり得るのです。

 神のために生きる真の愛によって神人一体となり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳をなして、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対しては存続する人がいません。そのため、すべて歓迎するようになっているのです。

 それでは今後、世界はどうなるのか? 老若男女を問わず、現在の世界に住んでいる万民はひとつの世界を願っているのです。そのひとつの世界は戦争するひとつの世界でなく、平和で自由な立場でのひとつの世界です。そこには民族分裂、あるいは人種紛争とか、あるいは文化的な格差からくる習慣的な違いによる壁のようなものがないのです。

 それで世界の万民は、すべてひとつの真の愛の文化圏と対応しながら、自由で平和なひとつの国を願っているのです。平和の世界はひとつの世界です。平和の目的世界に向かうのに、二つの道があるのではありません。老若男女がすべて願う希望の世界、平和の世界はひとつの世界です。

 しかし、民族を見てもその中にさまざまな団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党、与党、そしてありとあらゆる党が全て出てきて、皆が自分たちの道を行こうとするのです。それなので、方向がどれだけ多くありますか? ここで問題が生じるのです。

 歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を求めながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりに至っては、希望を持って明日のより次元が高いひとつの世界に向かって進みうる立場からコーチできる人がだんだん少なくなっていくのです。

 すべての学問を超越し、社会の構成体制あるいは習慣を超越して、決定しなければならないことは、始めがどこからかということです。始めは真の神とならなければならないのです。その真の神自体が最初から過程を経て、真の神が人間を創造したなら、創造主、理想実現、その目的地まで到達できることを再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかといえば、平和の世界はひとつの世界であるためです。人間が進む方向、神が進む方向と、このように二つの方向があるとすれば、ひとつの平和の世界は訪れないので、不可避的に結論はひとつの方向とならなければならないのです。

 そのため、人間を中心とした世界を打破し、真の神第一主義の世界に決定づけなくては、ひとつの平和の世界に向かう道を発見できないのです。心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が人生で最も大切な問題です。

 心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるか? 世界でもなく、国家でもなく、宗教でもありません。

 私自身において、体と心が絶対的に統一した平和の基準を確立することが宗教指導者であり、そのようになるためのものが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義的な目的なのです。

 そのため、皆さまがいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、ひとつのこの世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内の体と心の統一圏は、永遠な神とともに同じ立場の統一をなすことはできないのです。

 問題は、個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなくては、理想的な宗教とか天国とか何とか言っても全て夢に過ぎない、というのです。問題解決は、神を中心として真の神の子女一体圏を求めるところに統一の起源があります。神は体と心が闘いません。

 それでは、私たち人間はどうして体と心が闘いますか? 心身がひとつになるには、平和の大王である父と息子がひとつにならなければならないのです。

 神の真の愛、真の生命、真の血統が一体となる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子がひとつになるには、真の愛、真の生命、真の血統がひとつにならなければならないのです。

 堕落した私たちは本然の神を確実に知り、天国の理想的な環境圏を確実に知らなければなりません。神自体とみ旨から見た天国と一体になると懸命に努力するところから、父なる神のようになる道を見い出し得るのです。そこでのみ、平和の個人から天国と一体となって生きる父と子の喜びと平和の世界となるのです。そのため、今から再臨主たる真の父母がこの全ての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体となるようにすることによって地上、天上天国を完成するのです。

 霊界に行った聖人・聖賢たちを中心としたすべての人々がこの道を願っていますが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一体圏を教えてあげることによって、地上・天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。

 愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の7千万の皆さま!

 人類の真の父母となるメシアが再臨するこの時代、韓半島の南北が銃剣でなく愛と真理で統一されるこの時代、世界の全ての宗教が真の父母の教えの下でひとつになるこの時代、霊界の全ての聖賢と祖先が降臨し、直接私たちと通じあって暮らすようになる歴史的で、摂理的なこの時代を迎えた皆さまは、本当に幸せな人たちです。

 今こそ全人類は人種と理念、そして国境を超越して平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくれることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので参考にし、全体の内容は配布された冊子を通して研究されるよう願います。

 天も地もともに永遠の世界で天地父母に侍り、大家族となった天上地上天国世界で、真の愛で兄弟となって平和で幸福に暮らせますように。神の無限の祝福が皆さまの家庭と国家と世界に満ち溢れますように。

 ありがとうございました。

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「平和の根源は神様」

韓鶴子総裁 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「平和の根源は神様」

(02.08.18 福岡市 シーホークホテル&リゾート)


 天地が待ち焦がれた時代

 愛する日本の兄弟姉妹の皆さん! そしてこの歴史的な大会を見守っている7000万の世界の人々と霊界の7億の祝福家庭の皆さん! 私たちはいよいよ本当に歴史的で摂理的な時を迎えました。6000年間、天と地がこれほどまでに待ち焦がれていた平和の理想世界、すなわち地上天上天国を創建する天運の時が私たちに訪れたということです。

 天は歴史を通して摂理されながら、その時代と地域的文化に合わせて宗教を許可され、人類はその宗教圏内で平和の世界を成就するために、不断の努力を傾けてきました。

 しかし、人類は、きょうも、あらゆる不条理と不道徳の中から抜け出すことができずにうめき苦しんでいます。津波のように押し寄せる堕落の風潮を押しとどめることができないまま、激しい波にのみ込まれる自らにふと気づき、驚愕を禁じ得ないのが現代人たちの自ら描く姿です。

 だとするならば、私たちには永遠に希望がないというのでしょうか。私は夫である文鮮明総裁と共に、神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その預言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されつつあります。

 私は、きょうもこのように天のメッセージを持って皆さんの前にまいりました。信じる信じないは皆さんの役割ですが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に、神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。

 どうか心の門を開き、無知と混沌でつづられた今日の終末期を生きている人類に下さった天からの警告として、謙虚に受け入れてくださるようお願いします。

 本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成されませんでした。

 堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。真なる愛と真なる理念を持って生きるべき人間が、真なる理念を持つことができませんでしたし、真なる愛とは何であるか分からなくなってしまい、幸福な環境で暮らすべき人間が幸福の園を失ってしまいました。

 自由と平和を謳歌し、ひいては創造主の前に心から一つになり、幸福のすべての要素を持って、栄光をお返しするべきでしたが、そのような人間になることができなかったのです。

 サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真なる家庭と真なる兄弟を蹂躙し、真なる氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。

 それだけでしょうか。今まで6000年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。

 このように、堕落はこの地上に死亡の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、死亡がこの地上を覆ったその日から、どこでも人間が住む所には、平和ならぬ闘いの歴史路程を経るようになったというのです。

 個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な争いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いに拡大され、今日、世界のどこを探しても、争いのない所がないという歴史を綴ってきました。

 もう一度繰り返しますが、これらはすべて人間堕落の結果なのです。世界中の数ある国家の中には、環境が良くなくても良い種を持つ国家がありますし、環境が良くても悪い種を持つ国家が存在し得ます。

 もし、この世界がすべて良い種を受けていたとするならば、すなわち、この世界がもともと良い木から採れた良い種でもって、良い環境で育っていたなら、今日この世界は、平和の世界、希望の世界、未来の保障された世界になっていたに違いありません。

 しかし、不幸にも私たちが暮らしているこの世界は、平和の世界、希望の世界、未来が保障された世界にはなっておらず、善悪が混在する世界になっています。

 周囲に現れる環境は、善なる環境というよりは悪なる環境になっています。このように周囲が悪なる環境に取り囲まれているので、いくら種が良くても、良い実を結ぶことができないというのです。

 人類歴史を見ても、同じです。人類が善であり得るためには、まず人類を形成している個々人が善でなければなりません。

 堕落していなかったなら、私たち人間は、理想的な春の園を迎えていたことでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜び得る人々として、育っていたことでしょう。そのように育った人類なら、この地上に本然の文化世界を開花させていたことでしょう。文化世界を創造したその中で、私たち人類は平和で幸せに暮らしていたことでしょう。

 万物世界が春夏秋冬の季節に従って巡ってくるのと同様、人類歴史もやはり春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界になるべきであったのに、堕落することによって、人間の世の中では、人々が喜び得る希望の時、栄光の一日を迎え得る喜びの出発ができなかったのです。

 もう一度繰り返しますが、人間始祖アダムとエバから生まれたカインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた息子、娘ではありません。神様の真なる血統を伝授されなければならなかったアダムとエバが、堕落行為を通してサタンの偽りの血統を受け継いだがゆえに、彼らから生まれた子供たちは、神様の子供ではない、サタン、悪魔の子供になるしかない運命を持って生まれたのです。

 ですから、イエス様もヨハネによる福音書8章44節で「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」と戒めたのです。

 アダムとエバは神様の鞭で追い出された私たちの最初の先祖となりました。しかし、本来アダムとエバは、神様から「愛するアダムよ、愛するエバよ、私はあなたがたを、宇宙のすべてを創造した目的の世界、愛の園を建設するために造ったので、あなたがたは平和と幸福の主人であり、父母であり、王である」という祝福を受けるべきだったのです。アダムが、千秋万代、永遠に変わることなく地上の王であり、天上の王として生きるべきだったのです。

 天地が生じ、神様と人間の因縁が生じたのち、初めて真なる主人、真なる父母、真なる王の名をつけられるべきだったお方がだれかというと、まさに私たちの始祖アダムだったというのです。


 堕落は自己中心的自覚から

 それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。

 今日、私たちの周辺で、堂々とわがもの顔で猛威を振るっている極度の利己主義的思考と行為が、まさに私たちを堕落の道に追いやった元凶なのです。

 他人の立場や境遇を考える前に、自らの利益や便宜だけを追求する拙劣な行為、他人が死のうと死ぬまいと自分だけが生きようという破廉恥な姿は、みな堕落を引き起こした行為の片鱗なのです。しかし、これは、創造当時に神様が計画なさった本来の目的ではありません。

 神様もこのような世の中を願われず、人間もこのような世の中に生まれて暮らすことを願いませんでした。

 そのため、神様は、このような悲惨な歴史、苦痛に満ちた歴史を清算して、本来願われた平和の世界、幸福の世界、自由の世界、善の世界を取り戻すという目的を立てて、この堕落した世の中を収拾して来られたのです。これがすなわち復帰の道であり、救援摂理の道なのです。

 堕落したアダムとエバの子孫として転落した人類になりましたが、人間はだれしも本然の世界を志向する本心が残っているため、人類は歴史を通して神様が願われる世界を望み、志向してきたのであり、私たちのその希望は、行くまいとしても行かざるを得ない、なすまいとしてもなさざるを得ない理想として残されたのです。

 神様は、堕落した人類に時代に従い新しい理想と新しい心情を取り戻してくださろうと、今日に至るまで摂理を繰り返してこられました。

 もし、そのような理想を成就する一日が天と地において見いだされないならば、すなわち、天と地を動かすことのできる一つの中心存在、そして、その中心存在を軸にして共に動くことのできる人々が現れ、天と地が一つになって一つの目的を志向することのできる道を開けないならば、この地上には真の自由と平和と理想が成されないのです。そのようになれば、人間は宇宙的な運命的蕩減復帰の歴史過程を抜け出すことができなくなることでしょう。

 このような事情があるため神様は、私たちに栄光の立場でお訪ねになることができないのです。平和と自由と理想を持ってお訪ねになることもできません。

 反対に祭物の峠を歩んで私たちをお訪ねになるしかないのです。蕩減復帰の道だからです。神様の悲しい心情を一掃してさしあげる一時、すなわち神様の心中にしみ込んでいる恨を解いてさしあげることのできる一時を探し立てることができない限り、人類の平和はもちろん、神様の創造理想もこの地上でその実を結ぶことができないのです。

 私たちは、神様の胸に、しこりとなっている恨を解いてさしあげることによって、神様を解放してさしあげるべき責任があります。しかし、このような事実を、今日、イエス様を信じる聖徒たちは知らずにいます。

 私たちは、堕落した人間なので、堕ちる以前の本然の状態、神様を失ってしまった人間なので、神様を失う以前の立場、人類の真の父母を失ってしまったので、真の父母を失う以前の立場を再び取り戻さなければならないのです。

 私たちは、神様と真の父母を中心とした平和の園において、子女として生活することのできるその立場を取り戻して、その立場に立たなければならないようになっています。

 この課題を成就するために、今日の私たちには、新しく救援摂理という名詞が残るようになったのです。

 全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。本来、人が堕落していなかったならば、神様の愛を中心とする人間の心と体が二律背反的な位置に立つことは絶対にあり得ません。しかし、堕落することによってそのような位置に立ったので、歴史路程を再度収拾し、一つの世界平和圏をつくって安着することのできる基地を用意するために、神様は救援摂理、すなわち復帰摂理といううんざりするほどの宗教儀式や規則を通して、受難と犠牲と流血の歴史を綴ってきたという事実を知らなければなりません。

 しかし、仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。

 いくら高い理想を持ったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和の世界を確立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになり得る心情の基準を持つことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は自分自身とは何の関係もなくなるのです。絶対者創造主のつくられた万物も、創造主の愛を受けて再び創造主と一つになることが目的です。

 したがって、万物の霊長と言われる人間が、万物を主管できる立場に立とうとすれば、必ず神様の心情を受け継いだ位置に立たなければなりません。このような心情は、神様と人間が父子関係だということを証明してくれるしるしであることはもちろん、万物と人間を結んでくれる絆でもあるのです。

 ところが、このような平和の理想世界、すなわち創造本然の世界を復帰するには、必ず蕩減の条件を立てなければなりません。蕩減復帰の過程を経なければならないというのです。

 蕩減復帰とは何を意味するのでしょうか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失した時、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければなりません。このような条件を立てることを「蕩減」といいます。

 しかし、一般社会では、「蕩減」という言葉をそのように重要視していないことを見ることができます。そのような言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。

 天と地、神様と私たち人間だけならば、このような「蕩減」という言葉は必要ないはずです。すべて私たちの最初の先祖を堕落させたサタンのためです。サタンがいなければ蕩減も必要なく、今日私たちが、のどが張り裂けるほど叫んでいる「宗教統一」という言葉も必要ないはずであり、「神様の解放」、「人類の解放」といった単語も必要のない世界になっていたことでしょう。

 堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活からその根源を復帰しなければなりません。

 そうでなくては、平和の根源を発見できないのであり、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。

 イエス様は、この地に来て何をしましたか。迫害を受けて十字架で亡くなりながらも人類を愛そうとしました。十字架の愛を中心として施していった人です。愛を受けようとしたのではありません。怨讐までも愛そうとしました。

 皆さんの人生においても、愛を受けようという方向性が愛を与えて生きようという方向性に転換して、その基準が世界化されれば、その時には平和の世界が訪れるはずです。

 愛を受けようという意識ばかりを持った人々が暮らしている所には、永遠に平和の世界が来ることはありません。自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないというのです。

 すべての人を自分の父母、自分の兄弟、自分の子女のように感じて対することのできる人格を持つようになれば、皆さんは死亡の世界で苦しむ多くの民を見る時、涙なくして対することができないはずです。

 青少年が麻薬と放蕩の沼でもがくのを見る時、自分の子女を救う心情で、彼らを救うために心血を注がざるを得ないはずです。それは、受けようという愛ではなく、われ知らず与えようとする愛の発露によるのです。

 自由や平和は、統一を前提条件としています。夫婦間の生活をおいて一度考えてみてください。二人が一つになっていないのに、真の意味で夫婦の自由を享受することができますか。

 夫婦間で一つになることができなければ、円満な家庭は期待できないのです。家庭の平和は、絵に描いた餅になってしまうのです。

 個人や家庭はもちろん、世界的に「愛を受けようとするのではなく愛を与えよう」と考えられる人を育てておかなければ、統一の世界や平和の世界が訪れることはあり得ません。

 変わることのない神様の前にいつでも心変わりするような人になろうというのは神様に対する冒涜です。変わることのない愛の前に変節を前提とした愛を行うことは愛に対する冒涜です。


 終わりのない心と体の闘争

 私たちは、神様と苦楽を共にすることのできる出発点、すなわち変わることのない頂点において、自分の心に平和の基盤を用意し、さらには自由と幸福の基盤を用意できる基準を備えなければなりません。

 そして、その基準を中心として体を完全に主管し、この世界を統一することのできる実力を備えていく運動が、この地上で展開されなければならないのです。イエス様がもたらした新しい世界主義運動がまさにこのような運動なのです。

 これこそ、今日このように混濁した世の荒波をかき分けて生きていく人類の前に、神様が最後の終末的警告として下さったみ言だということを銘記しなければなりません。私たち全員にとって宿命的な課題です。運命的ではなく宿命的だというのです。宿命は変わらないのです。運命は自分の努力によって改めることも、変更することもできますが、宿命は変更できません。絶体絶命の天命です。

 皆さん、私たちが人生を生きてきながら、だれでも一度くらいは平和の発祥地、あるいは幸福の発祥地がどこなのかと疑問を持ったことのない人はいないはずです。果たして平和と幸福の発祥地とはどこでしょうか。

 それはアメリカでもなく、韓国でもなく、国連でもありません。

 問題はどこにありますか。心と体が闘うこの人間の胸の中で、いかに平和の宇宙観をもち、幸福な世界観を持つかということが、限りなく重大な問題です。

 私たちの小さな胸の中では、6000年続いてきた戦争の砲火がいまだに燃え上がっています。第一次世界大戦も激戦でしたし、第二次世界大戦ももちろん激戦でした。しかし、そのような戦争は、すべて過程的な戦争でした。長くて5年を越えることのない戦争でした。

 ところが、皆さん自身において展開する心と体の闘争は、終わりも知らずに破滅に向かって突っ走っていく最悪の戦争です。自らの一生に向かって大砲を撃っています。心と体の決戦場は、神様とサタンとの善悪の戦場となり、熾烈な激戦が展開しているというのです。

 しかし、このように霧の中に閉ざされ、垣根の中に封じ込められた人間像を、果たしていかに解放するのかということが問題です。霧を吹き飛ばしてしまう風が吹くようにしなければなりません。天の高いことも知らず立ちふさがっている壁を爆破してしまわなければなりません。これが私たちの宿命的闘争路程です。

 睡眠を克服しなければならず、空腹を克服しなければならず、非原理的な性的欲望を克服しなければなりません。それで、文総裁は、早くから、この道を出発しながら「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」という標語を掲げて、一生の間闘ってきたのです。

 聖書では、今日の人類を「孤児」といいました。国家も「主人がいない国」といいました。皆さんの心は、ほんの一瞬でも真の平和を享受してみたことがありますか。皆さんの国には主人がいますか。

 昨今の政治の現実を見てください。どこに、この国、この民族を真に愛し、生命を捧げて平和を成就しようとする真の愛国者を見いだすことができますか。心の病にむしばまれていくこの国の若者たちを救ってあげることができる思想や理念を、だれが提示することができますか。

 実に切なく、悲痛な思いを抑えるすべがありません。このようなことは、すべて私たち個々人において、一心一体一念の基準を立てることができていないことに由来するものです。心と体の統一がなくて、いかに家庭と国家と世界の平和を願うことができますか。

 私たちの本心が平和と幸福と統一を願うのは、永遠不変の真理です。しかし、問題は私たちの肉体です。心を包んでいる器なので、好き勝手に脱ぎ捨ててしまうこともできず、時々刻々と姿形も、方向性も変わってしまうこの体を、どのように扱うかということが鍵です。

 人間の体はサタンの王宮です。それで、使徒パウロも、「わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」(ロマ書7・23〜24)と嘆きました。

 私たち自身を深く見つめてみれば、善と悪の二つの目的を志向する要素が内在しているのを発見することができます。善を志向する心があるかと思えば、正反対に悪を志向する体があります。これを解決できなければ、歴史的に怪物のような怨讐だった体は、いつまでもそのまま残り、永遠に私たちを困らせることでしょう。使徒パウロの嘆きも、まさにこの点を指摘しているのです。

 皆さん、世界平和を成就することのできる道は戦争ではありません。お金と権力と知識もその解答ではありません。国連の力でもできません。利己的な個々人の欲望と自国の利益にばかり血眼になっている国連の舞台では、何も期待することができません。

 私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞することでしょう。

 したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索することができないという結論を下すようになるのです。

 世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させることができるところにあるのです。人間の心と体の間隔が広がれば広がるほど、それにしたがって葛藤と苦痛も大きくなります。

 私たちの心は、神様の監視所であり、体はサタンの一線です。したがって、私たちは、心と体の間隔を狭め、衝突を避け、ついには一つに統一させなければならないのです。

 私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するためには、私たちに真の父母が必要です。選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を、除去してくれる真の父母に会わなければなりません。真の父母に会って真の愛の真理を伝授され、「ため」に生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。

 皆さん、世界を一度注意深く見てみてください。小さくは夫婦間の葛藤から、大きくは国家間の相克と戦争に至るまで、推し量ることができないほど多くの問題点を抱えています。そこには、原因と理由も限りなく多く存在します。しかし、その根本を掘り下げてみれば、男性と女性の問題に帰結されます。

 いくら大きな問題でも、調べてみれば、結局男性と女性の問題に集約されるということを否定できません。人類の出発は、本来男性と女性の関係から出発したのではないですか。家庭での不和が拡大されて各種の社会問題と国家、世界の問題にまで広がるのです。

 したがって、すべての家庭で、すべての社会と国家で、そして世界的次元において、男性と女性にかかわる問題さえ完全に解決して、一つの標準型をつくっておけば、世界は、一つになった平和世界、すなわち創造本然の理想世界になるはずです。

 神様は、本来私たちの始祖であるアダムとエバを中心として、この地に真の平和の世界を定着させようとなさったのです。彼らがもし堕落しないで、神様のみ旨どおりに成長して人格完成を成していたならば、神様の祝福とともに、彼らは真の家庭を築いて罪悪と苦痛のない理想天国を創り出したことでしょう。

 その世界がまさに永遠の平和世界になったのであり、人類は、子々孫々神様の直系の子女として、神様と直接交流することはもちろん、先に霊界に行った先祖とも自由自在に往来しながら交流して、幸福な人生を享受したのです。罪を犯そうとしても犯すことができない絶対善主権の世界になったのです。

 そのような世界で、どうして心と体の葛藤を想像することができ、家庭の不和を心配することができますか。

 数千年間、天と人類を弄んで蹂躙してきた悪魔、サタンが出現するようなことはあり得ないのです。

 このように、最初のボタンをかけ違えた人類歴史ですが、天は私たちをお捨てになりませんでした。失ってしまった子女を取り戻す復帰摂理に、6000年間心血を注いでこられたのです。ただの一度も、御自身の人間創造を後悔したり、サタンの翻弄の前に挫折したりすることなく、ただ一途に、真の愛と赦しの心情で復帰摂理を展開してこられたのです。

 きょう皆さんが、尊いみ言を通して、このように神様に対してより深く学び知るようになったということは、偶然のことではありません。この場まで皆さんを導いてきた天と先祖に対して、感謝する心をもたなければなりません。

 今、私たちの最優先課題は、心身の一体化を通じて私たち自身の人格完成を成し、サタンの支配下で四分五裂した家庭を収拾して、真なる家庭を探し立てることです。

 上は一代目の位置にいる祖父母を天のように侍り、二代目の父母の前に絶対服従しながら、三代目の立場に立った子女たちは、絶対夫婦を成して、子女を罪なく純粋に養育し、一つの家庭において三代家庭圏を立てるようになれば、天はその家庭と永遠に共にいるようになります。


 神の愛に感応する心と体

 皆さんの家庭は、神と人が一体化した境地において、人類に永遠の平和と幸福をもたらす揺籃となることでしょう。

 皆さん、本然の人間は心と体が神様の真の愛に感応しながら、一体を成して生きるようになっています。

 しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているというのです。この心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。

 どのような人でも正しい心を持つようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したく思うのです。私たちの心と体が闘わないで真なる統一の起源を成すことができる可能性を持っているのは、人間が神様に似た子女であるからです。

 絶対者神様は、自体内に矛盾や葛藤があり得ません。神様は男性性相と女性性相の中和的存在でありながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造からなっているのと比較することができます。

 神様は自体内に、絶対的でかつ完全な統一を成して存在されています。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似て子女として創造された人間も、心と体の完全統一を成すことができるというのは、論理的にも可能な説明です。

 ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。堕落した人類を救出しようとする神様の愛は、歴史的に多くの宗教の出現として現れました。

 悪の勢力がはびこる世の中で、心が体を100パーセント支配する生活を営むということは、ほとんど不可能なことです。したがって、神様は歴史的にその時その時ごとに、時代と文化、そして地域的な環境と条件を勘案して、必要適切な宗教を許されたのです。

 そして、人間は宗教の教えに従って、心を中心とした人生の道をこつこつと開拓してきました。現実世界に執着せず、永遠の世界に希望をおいて生きる道を学んできました。

 キリスト教を見ても、現実世界に焦点を合わせて生きなさいという教えはありません。この世でよく食べて幸せに暮らすために、利己主義的な生活を送ってもかまわないとは教えないのです。必ず心の世界における平和を強調するのです。

 「天国はあなたの心の中にある」と説いているのが、その良い例です。ここでいう天国論は、この世的な豊饒と権力を意味するものではありません。仏教でいう「天上天下唯我独尊」も同じ脈絡で理解することができるのです。宗教によってその方法は異なり得るでしょうが、一様に人間に希望をかけて自らを省察しながら、心が体を押さえて生きることができる道に導いてきたのが、宗教の使命でした。

 このように神様は、6000年間という長い歳月の間、宗教を通した人類救済の摂理を展開してこられましたが、どの宗教指導者や聖人賢哲も、どのようにすれば私たちが心と体の葛藤を克服し、永遠の統一と平和を成就することができるかを、はっきりと教えることができなかったのです。

 どうしたら、心を中心として体を完全に征服することができるかを、教えることができませんでした。

 平和の基準を見いだすことのできるところ、父母が永遠に一つとなり、夫婦が永遠に一つとなり、兄弟が永遠に一つとなり、父母と子女が永遠に一つとなり、一族が永遠に一つになり得る心と体の統一点を提示できなかったのです。


 全霊界を統一した真の父母

 しかし、今や時が来ました。天が待つことは終わりました。今日、私たちが生きているこの時代こそは、人類が歴史的に迎えた終末の中の最後の終末期です。

 天はもうこれ以上、人類救済の摂理を延長することも、延期することもできなくなりました。天と地がこれほどまでに待ち焦がれ、望んできた人類の真の父母が、今、この地上に顕現して、すべての責任を一人で負い、復帰摂理を成功裡に遂行しているからです。

 混沌と放蕩によって持つれたこの世界に、本然の真の愛の秩序を立てているのです。

 皆さん、信じる者には福があると言います。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、まさにその真の父母なのです。

 今、人類に平和を約束することができる思想体系は、文総裁が説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も共に失敗しました。残ったのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命を創り出すことができるのは「真の愛を基盤にした天父主義」だけです。

 神様の対象である自分が、神様より高くなれる価値を持ったと称賛できる自分自身を発見することだけです。ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永遠に生きるべき地上天上天国が連結されるのです。

 私たち夫婦は、人類の真の父母たる資格を持って、既に全霊界を統一しました。4大宗教の教祖であるイエス、釈迦、孔子、マホメットはもちろん、彼らの第一弟子級の120名ずつからメッセージを受けています。霊界で開催されたセミナーを通して、私たち夫婦の教えである「原理」と「統一思想」を学んだのちに送った彼らのメッセージは、一様に希望的であり、真の父母に対する感謝の言葉に満ちています。

 さらには、マルクスとレーニンをはじめとして、霊界に行っている世界的な共産主義者たちも、真の父母の命令に従って原理セミナーを修了し、悔い改めと痛恨の涙で綴ったメッセージを送ってきています。

 今、彼らの希望は、ただ一つです。それは地上の信徒や信奉者たちが、一日も早く、真の父母である文総裁の教えを受け入れ、永遠の生命を準備しなさいとのメッセージです。

つかの間の地上生活において貴い一生を浪費せず、だれもが肉体を脱げば入っていって永遠に一緒に暮らすことになる霊界での生活のために、知恵深く準備してきなさいとの忠告で満ちています。

 皆さん、これは何を意味するのでしょうか。

 第一に、老若男女、地位の高低を問わず、全人類は今、神様が実際に生きて働いていらっしゃるという、厳然たる事実を信じなければならないという点です。観念的にのみ信じて暮らす神様であってはなりません。私たちの一挙手一投足を血眼になって見守っていらっしゃる神様であられます。

 御自身の懐を離れてサタンのところに行った人類が、今、悔い改めて再び御自身の懐に帰ってくる日を待っていらっしゃいます。

 放蕩息子になって離れていた子女が、懺悔の涙とともにお父様の懐に帰ってくる姿を思い描いていらっしゃいます。いまだに地上にとどまって人類復帰のために血と汗と涙の道を歩んでいる真の御父母様を慰め、侍りながら生きてほしいというのが神様の願いです。

 終末期であるこの時代に下さった神様御自身の警告を深刻に受け止め、誤った人生の軌道を修正し、後悔のない生活を送ることを願っていらっしゃる神様であられます。

 第二に、霊界の実存を事実として受け入れ、私たちの生活すべてを天倫に合わせて生きなければならないという警告です。前進的自我を発見し、前進的主体性を探し立てて、この地上に平和世界を定着しなさいという催促のみ言です。

 神様が見守り、数千数万の聖人賢哲、そして皆さんの先祖が皆さんの日常生活を注視していることをはっきり悟るなら、だれがあえて天倫から外れた生活をすることができるでしょうか。

 今からは、遠からず皆さんも霊的な体験をするはずです。皆さんの先祖が動員されて、皆さんの生活と考え方までも直接監視し、指導する時が来ました。私たち夫婦の教えを信じて従う多くの方々は、既に生活の中でこのような境地を経験しています。

 愛する日本の皆さん! そして、本大会を見守る7000万の世界の人々と霊界の7億の祝福家庭の皆さん!

 人類の真の父母たるメシヤが再臨したこの時代、韓国と北朝鮮が銃や剣ではなく、愛と真理で統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖人賢哲と先祖が降臨して、直接私たちと交流しながら暮らすことになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆さんは、本当に恵まれた人々です。

 今、全人類は人種と理念、そして国境を超越し、平和の世界を創建するのに、召命された責任を果たしてくださるようお願いしながら、きょうの私のお話を終えようと思います。

 神様の限りない祝福が皆さんの家庭と国家に満ちあふれんことを祈願いたします。

 ありがとうございました。

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神の祖国と1つの世界

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神の祖国と1つの世界」

(02.09.21 世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)総会2002 ヒルトン・ホテル ニューヨーク)


 尊敬する国家元首の方々、国家元首を務められた方々、世界各地からお越しの宗教、政治、学会の指導者、著名な外交官、米国の指導者の皆様。

 きょうここにお集まりいただいたのは世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)総会のためですが、そのためだけではありません。世界平和を心から求める皆様方とともに、「国際平和の日」を記念するためです。

 この極めて重要な場に臨み、IIFWPの創設者として、神の本来の理想についてのメッセージを「神の祖国と1つの世界」と題してお伝えしたいと思います。


 

なぜ、神の国を築かなければならないか


 神は「神の王国と神の正義」について話されました。しかし、今日地球上に生きる人々は、それを見いだすことができずにいます。人類は何千年もの人類史を通じて、そして今現在も神の国と神の義の確立を強く願ってきました。

 ならばどうして、私たちが熱心に願ってきた国と義が、実現できずにいるのでしょうか。その理由は、人類が堕落したからです。神と人類は本来、神の国と神の義の中心を形作るはずでしたが、人類堕落の結果、互いに関係を築くことができなくなってしまったのです。人類は神の国と神の義の中心である父についてあまり知りません。ですから、神は歴史を通じて、これら無知な人々を啓発し、神について私たちに教えるために苦労されてこられました。神の国と神の義を確立することを私たちが強く願い、私たちの目標となっているのはそのためです。

 世界には多くの国家が存在します。ですが、その1つとして、真の意味で神の愛を受けている国はありません。そのため、神はこの堕落した世界を消し、新しい王国を造ることを望んでいるのです。神は国家の助けがなければ、人類復帰というみ旨を成就することはできません。真の宗教を中心とした国家がなければならないのです。こうして神は、時が満ちるのを待ち、1つの民族と宗教、イスラエル選民とユダヤ教をつくられたのです。

 神の国樹立ヘの私たちの強い願いを果たす国とはどのような国でしょうか。それは今私たちが住んでいる国とは違います。いつの日か、私たちはこれらの国を捨てなければならない時が来ます。

 私たちはまだ神の国を持っていません。国のない人は、決まった居住地、国籍はなく、国民として登録することもできません。そのため、今の世界に神の国建設を完了しなければならないのです。地上に天国を築かなければならないのです。私たちはその国の国民として地球上に暮らさなければなりません。その国で、私たちは家族、親族を引き連れて、国家と民族を愛する真の善なる父母の血統を、勝利した息子、娘として相続するのです。そのようにして初めて、霊界の神の国に入るのです。これが神の原理です。

 国家があって初めて、伝統を後世に伝え、永遠に残すことができるのです。国家があって初めて、私たちは無駄に血と汗を流すことはなくなるのです。国家があって初めて、男性と女性は地上の神の働きをたたえる記念碑を建てられるのです。そのようにして初めて、栄光が余すところなく、後世に残されていくのです。国家がなければ、それらはすべて無に帰します。ですから私たちは、神の国建設が私たちの最も重要な仕事であることを理解しなければならないのです。

 「私たちの家庭は真の父母の愛を受けるに値する国家を守る。それには、私たちは真の父母の孝子となり、国家のために愛国者の道を成就する」という確信を常に持って生きなければなりません。それには、神と真の父母の愛を受けなければなりません。私たちは、国がなければ、神の愛を受けることはできません。国家へのサタンの支配に私たちが打ち勝って初めて、神の王国を築くことができる、というのはそのためです。


 

神の王国は全人類の抱く願い


 私たちは神の国を愛しています。どうしてでしょうか。それは、そこに愛があるからです。そこに、一時的ではない、永遠で時を越えた愛を見いだすことができるからです。さらに、そこが、私たちが引き上げられ、私たちの価値が最大限に認められる所だからです。永遠に幸福であることができる場所だからです。これが、人々が神の国を切望し、見たがる理由です。

 私たちは本心が行きたいと思う道を進まなければなりませんし、永遠に住みたいと心から思う国を築かなければなりません。富を持っていれば、それは私たちに属していると同時に、宇宙に属するものでもなければならず、現在に属していると同時に過去と未来に属するものでなければなりません。私たちはまた、私たちが泣くとき天地が共になき、私たちが喜ぶとき天地が共に喜ぶ、そのような権威や知識を持たねばなりません。これが現代の堕落人間が持たねばならない、最大の望みであり、最高の希望です。

 誰でも、自分の国で生きることができねばなりません。これは人類に与えられた絶対的な権利であり資格です。例外なく誰でもが、神の国と神の義を慕い求める生活を営まなければなりません。すなわち、私たちの思想に沿った理想世界を描き、日々の生活の中で神の国と神の義のために生きる道を進まなければなりません。

 あなた方はそのような国を持っていますか。持っていませんね。ですから今、そのような国を造らなければなりません。どのような国を造らねばならないと言いましたか。理想の国、統一の国です。それは誰もが入ることのできる国です。誰でも国造りに参加できなければなりません。家庭、氏族、国家、世界すべてが協力するのです。こうして、個人が内的に統一され、家庭、氏族、社会、国家、世界を統一することができます。

 神は必ず、神の摂理の目的を地上で達成しなければなりません。ならば、どのような結果が出るのでしょうか。神が全人類を救うことができ、世界中に主権を行使することができるようになるのです。摂理の目的は、このことを実現することにほかなりません。

 地上に国を復帰するという使命を果たすことができなければ、そのときは、霊界で天国人としての価値を持つことはできません。地上で神の主権の下にあり、そこで得た資格は、来世に持っていかねばならないのです。これが、神の創造の本来の姿です。

 私が羨望するものはこの世界にはありません。私はこの世界のものに関心はありません。私は生涯かけて次のようなことを願ってきました。「神が私を守ることができる国で死にたい。もし、私の生涯でこれを達成できなければ、私の生涯は惨めなものとなってしまうだろう。死ぬ前にこの国を造り、そこで生きなければならない。たとえそれが一日であっても」。

 たった一日のために、数千日をかけて犠牲を喜んで捧げられます。このことが分かっていないあなた方は、休んでいるかもしれません。それでも、私は進み続けます。たとえあなた方にできなくても、それでも私はしなければなりません。たとえ、他の国の人々を動員しなければならなくともやります。もしある国でできなければ、他の国々を通じて、間接的な戦略を使って、実行しなければなりません。

 私たちの信仰の目的は何ですが。神の国の国民となることです。神の国の国民でなければ、全人類、全被造物と、誇りを持って、自由にかかわりを持つことはできません。全人類、全被造物の愛を自由に受けることができません。国家のない人はいつも弱く、惨めです。さまざまな理由から、公正な扱いを受けられず、苦しむことになるかもしれません。これが、私たちがどこに神の願いである国家を見いだすべきかを知らねばならない理由です。神の願う国家とは、この世界で神の足がかりとなる国のことです。

 最終的に私たちは、この国の人のために、永遠の天の王国を築くために、私たちの後孫が永遠にたたえ、うたう繁栄した社会を築くために血と汗を流すことができなければなりません。

 間違いなく、神の直系の子供たちは、神の全権威をいただく天からの権限を基に、この国で王としての権威をふるいます。この王国では、民主主義と共産主義は失敗した、と認められ、王国がひとたび樹立されれば、永遠に滅びることはありません。

 こう考えれば、この王国の国民でないことは悲しいことと、思えてくるのではないですが。私はそのような国に住むことができずにいることは悲しむべきことと思います。私たちはこの唯一で不変の王の権威を得ていないことを悔いなければなりません。

 人類はこれまで、このような王権、国家、領土を確立しようと無数の王国を築いてきました。その過程で、多くの命が失われ、多くの普通の人々が犠牲となり、多くの国が破壊され、王の権威は何度も、国から国に移ってきたことを私たちは知らねばなりません。犠牲となった人の中には、天の側に付いてこの目的を追求しながら無念の思いを抱きながら犠牲となった人々がいて、そのような王国と世界を築くことを願いつづけていることは間違いありません。


 

神の国を築くための神の摂理


 人類の堕落後、神ではなくサタンが歴史を支配してきたことを私たちは知らねばなりません。しかし、神は元々、この世界の主人となるはずでした。もし、神の直系の子供たちの家族からなる氏族と国家が世界を形作していたなら、そして神との愛の関係を守っていたなら、神は世界中の、すべての国、すべての家庭、すべての個人にその権威を及ぼすことができたはずです。ところが、人類の堕落により、全個人、家庭、氏族、社会、国家、世界は神に反しています。

 世界を現状のままにしていれば、神の創造理想を表す永遠の愛の世界は実現できません。しかし、絶対者であられる神は、その本来のみ旨を果たさずしては、神の本来の権威を確立することができません。そのため神は、神の立場を手本にして、悪の世界を支配し、神の本来の理想の世界を実現させようとされました。これが堕落世界に対する神の摂理です。

 地上の多くの国が現在、堕落した主権の下にあり、神の切実な願いにかなう国は一国としてありません。み旨を果たすことのできる国を築くために、神は歴史を通じて働き、だれにも知られないままに人々を導いてきました。神は、全家庭、社会、世界へ権威を振るうことのできる存在となってくれることを願いながら、アダムを創造し、完成に向かい育ててきました。ところが、アダムの堕落の結果、一つだった歴史は、無数に分裂してしまいました。救いの歴史は、その破片の一つ一つすべてを集め、つなげる過程です。

 アダムは、人類の祖先です。ただ1人のアダムを失うことは、全体を失うことになってしまいます。ですから、神はアダムを再び招命し、アダムを確立しなければなりません。確立された人は、自らの氏族、民族を捨て去って、神のみ旨のためだけに生きるものでなければなりません。

 キリスト教の歴史の起源と関連させて、このことを検証してみましょう。イエスは、イスラエルの不信と迫害のため、さまよいながら生きていかざるを得ませんでした。イエスは霊肉双方にかけた願いを果たせませんでした。しかし、メシアは天地の全障壁を取り除き、すべてを1つに統一する使命を持ってきます。神のみ旨は絶対であり、天法に基づいた原則に沿った国家が樹立され、堕落世界の原則に従って造られた国家はなくなります。神の熱い願いは、個人としてのアダムだけに限られるものではなく、アダムを超えて家庭、氏族、社会、国家に拡大されました。

 真の国家を建設するためのメシアの努力が打ち砕かれた時、イスラエルは途方もない苦難を受けました。ですから、再び来る主はアダムを完成させ、メシアの使命を完遂する責任があるのです。アダムにルーツを持つ家庭、氏族、社会、国家、世界を完成させなければならないのです。

 神は愛する息子、娘を地上に送り、絶対的に一つとなった国家を樹立するため歴史を進めてきました。しかし、現在、国家を取り戻す基盤は備えられていません。失敗が繰り返され、そのため神は天の人々を地上に送り、この使命を実行し、推進し、成就させようとしてきました。これが復帰摂理の歴史です。たとえ神が個人としての私たちを犠牲としたとしても、私たちは喜ばなければなりません。たとえ神が私たちの家庭、氏族、社会、国家を犠牲にしたとしても、私たちは喜ばなければなりません。そのような真の個人と真の国家が現れて初めて、世界に秩序が生まれるのです。神の国が個人の犠牲の基盤の上で樹立できなければ、そのときは、個人から家庭、氏族、社会へと犠牲は拡大されねばなりません。

 神の国を樹立するための摂理を実行したとき、神さえもこの原則に支配されるのです。すなわち神の戦略とは、神の国のために生きることのできる個人が現れれば、この個人の伝統を相続した家庭が、王国のために次の犠牲となり、次いで1つの氏族と1人の人が、この家庭の伝統を相続し、王国のために自らを犠牲とするのです。これが神の王国を樹立するために、神がなしてきた摂理です。

 何のために私たちは生まれてきたのでしょうか。神の王国を愛するためです。それから、神は、王国への神の愛を動機として、神の摂理を実行してきました。


 

イエスと神の王国


 主権を持たない国の国民は惨めです。これはイエスに当てはまります。イエスはこう言いました。「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイによる福音書6章31節−33節)。イエスは、私たちが1人の息子をまず持つことを求めよ、と言ったのでしょうか。それとも、神の国を持つことでしょうか。イエスは神の求める国を求めるよう私たちに言ったのです。

 神の国と神の義の樹立への神の切なる願いは、人類と被造物なくしては成就することはできません。それは間違いなく、人類を通じて初めて成就されるものなのです。神は真の人類を通じて、被造物と調和することを願われています。これが、神が、堕落人間の前に主の代身となりえて、天の血統をもたらすことのできる実体としてのイエスを地上に送った理由です。イエスは、神が歴史を通じて切実に願ってきたことを地上で成就する目的を持った最初の人でした。

 イエスは神の息子でした。4000年の準備をへてやっとこの位置に立てることができたのです。イエスは地上に住む神の息子であり、そこはヨセフの家庭にルーツを持つユダヤ教を中心とした国家の真っ直中でした。サタン側はすでに国家を築き、神の側を攻撃していました。ですから、神側も完全な基盤の上に立つ国家が必要でした。これが、神側が4000年間にわたり1つの国を築くために苦労してきた理由です。イスラエルの人々がイエスを受け入れ、世界的な基盤を築くことによって、神の努力は実るはずでした。その結果、完全に神と地上のイエスを中心とした世界を打ち立てるようになるはずでした。ところが、イエスは使命半ばで死に、この世界は霊的にのみ築かれたのです。

 イエスは3年の公生涯を中心に、ユダヤ教を中心として失ってしまったすべてを取り戻そうとしました。しかし、イエスは十字架にかけられました。イスラエルは神の霊肉両方の国家的基盤として、地上に実体を持って樹立されましたが、このイスラエルも滅びてしまったのです。イエスが殺害されたため、キリスト教は霊的な国家基盤しか確立できませんでした。そしてイスラエル人は国のない民族となり、サタン世界のあざけりを受けながら世界をさまようようになったのです。これが霊肉の真のキリスト教の国家を見いだすことのできない理由です。ですから、再び来る主は、4000年かけて神がイスラエルの国を築いてきた摂理を復帰しなければならず、イスラエル人が、無知から生まれた不信により失ったすべてを取り戻さなければなりません。

 イエスは国家、それも1つの国家を築くために来たのでした。イエスは霊肉両方でこの国家を築くことに失敗したわけではありません。霊的国家のみを築いたのです。ですから神は地上のどの国家、どの民族も頼りにすることはできず、「私の愛する国家、私の愛する民族」と言うこともできないのです。このことから、神の国の基盤はいまだ地上に築かれていないことが分かります。イエスの時代に、イスラエル国家がイエスを中心とした国となっていたなら、イスラエルは神の息子イエスを中心とする神の国となっていたはずです。そして、神はその国を中心に世界を復帰していたことでしょう。イエスが死亡したため、つまり、実体が失われたため、地上で霊と肉をつなぐはずだった基盤は霊的にのみ築かれたのです。

 これまでキリスト教徒は国のない民族のようでした。そのため、行く先々で死の痛みを受けたのです。キリスト教は殉教者の血によって成長しました。このようにしてキリスト教の種が世界に植えられたために、殉教者の血によってしか成長できなかったのです。今や流血と迫害の時代は終わりました。死や滅びに向かうことなく、神の国を切望し、失われていた実体の国をキリスト教の霊的基盤の上に築くために来られる主を待ち望む1つの思想が現れました。これが、待ち望まれてきた再臨です。

 イエスでさえ、パラダイスで待っているのです。イエスはまだ、神の玉座の前に至っていないことを知らねばなりません。イエスは神の前に国家的主権を確立し、国家を支配し、地上から直接天に至る権威を持つ国家を築かなければなりませんでした。そのような国を築くことができなかったために、イエスは神の前に立つことができなかったのです。ですから、パラダイスは天国に至る「待合室」となったのです。天国は1人で入ることはできません。もし、堕落がなければ、私たちはアダムとエバを中心に祝福家庭として、天国に行っていたはずです。私たちは息子、娘と共に行かねばなりません。

 この蕩減を完全に果たすために神は2000年間、戦い続けられ、世界に連結できる基盤を築いてこられたのです。ですが、国家的基準はどこにあるでしょうか。だれが国家の基盤を相続するのでしょうか。そのような霊的な人物を見いだし、必要な準備をするために神は、キリスト教を中心とした新しい宗教運動を通して働いておられるのです。

 尊敬する宗教指導者の皆様。人類は第3ミレニアムに入り、新しい天運を受けています。全宗教人が思いを合わせて、国連総会に似た各宗教の代表からなる宗教議会を国連内に創設する私の提案を支援してほしいのです。人類のために国連がなし得る大仕事が1つあるとすれば、それは神の真の愛の基盤の上に人類を霊的に復帰する仕事に貢献することでしょう。

 そのために、宗教だけでなく、政治、哲学、実業、文化その他の分野から良心的な指導者を選び、真の愛の教育を施して、「他のために生きる生活」を教えました。

 この基盤の上に、すでに数万人の平和大使を任命しました。この大使たちが世界中で、私が創設したIIFWPの旗を持ち、神と人類が切実な願いである世界平和実現へ全力を捧げています。遠からず、全知全能の神のみ旨が成就されます。

 最後に、ここにお集まりいただいた指導者の皆様方も、真の愛で家庭を再創造し、国境のない平和な永遠の世界を築く運動に積極的に参加してくださるようお願いいたします。

 あふれるほどの神の祝福が、あなた方とあなた方の家庭に豊かに注がれますよう、祈念いたします。

 ありがとうございました。

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神様の祖国と天一国王権時代

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神様の祖国と天一国王権時代」

(03.02.05 ロッテホテル)


  尊敬する前、現職の国家元首、そして、世界からお集まりになった宗教界政治界、学界の指導者、そして、紳士淑女の皆様!

 きょう皆様は、理想天国世界である永遠不変の平和統一世界を願う心を胸に抱いてこの席にお集まりになりました。

 私は、この意義深い席において、「超世界平和超宗教超国家超NGO連合」の創始者として、神様が本来理想とされた「神様の祖国と天一国王権時代」に関するみ言をお伝えすることによって基調演説に代えようと思います。

 今日この地上に生きている人間たちは、神様が予告なさった理想の国と理想の義を探しだすことができずにいます。ですから、理想の国と理想の義を探しだすことが、今日の私たち人類の希望であり、また今まで数千年の歴史過程において生まれた人間たちの希望だったということを知らなければなりません。

 それでは、このような超希望のその国、超希望のその義が、どうして天地すべての存在の最後の目標として残るようになったのでしょうか。それは、人間が堕落したからです。

 人類始祖の堕落によって、理想の国と理想の義の中心となることができる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場に置かれるようになりました。すなわち、理想の国と理想の義の中心である天のお父様のことや家庭のこと、そして、その国家に関して、何も分からない人間に転落してしまったのです。ですから、神様は、このような無知な民と人類を目覚めさせ、天のお父様と家庭と国家がどのようなものなのかを教えてあげるために、今まで歴史路程において苦労してこられたのです。

 したがって、理想の国と理想の義を探し立てることが、今も私たちの希望であり、目標として残るようになったのです。

 この世界には、現在数多くの国が存在しています。しかし、その多くの国家の中で、神様から本当に愛を受ける国は一つもないのです。したがって、このような堕落世界を否定して、新しい神様の国を再び創造しなければならないということが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的なのです。

 それで神様は、歴史を通して国を取り戻す摂理をしてこられました。神様が願われる国が協助しなければ、神様の人類復帰に対する一つのみ旨は成されないからです。それゆえに、神様が願われる真の宗教を中心として、真の国家が存在しなければなりません。そこで神様は、ある一時を迎えて、特定の国を探しもとめられるのです。その探しもとめられる歴史が選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とした歴史でした。

 皆様が希望とされるその国はどのような国ですか。その国は、今日皆様が生きているような国ではありません。このような国は、どのみち別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神様の国がありません。国がない人には本籍地がありません。国がなければ国籍を持つことができないのです。国がなければ入籍できる基台がないということです。

 それゆえに、現世において私たちがしなければならないことは、神様が願われる理想の国を探し立てることです。天国の選民である第三イスラエルの宗教と国家を中心に、一心一体一念によって編成された一つの国家を形成しなければなりません。その国籍を持って、愛国愛族する真実で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子娘として、この地上で自らの一族、あるいは家族を率いて生きていってこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが創造原理です。

 神様の願われる国があって、はじめて千秋万代の私たちの子孫にそっくりそのまま残してあげることができる伝統も残るのであり、私たちが血の汗を流したすべての努力も残るのであり、天の苦労を祝賀することのできる記念塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の痕跡がこの地上に残ることができるのであって、国を立てることができなければ、すべて無駄になるというのです。

 それゆえに、神様の国を探し立てるということが、天地において最も重要な問題だということを知らなければなりません。「私たち祝福家庭は、真のご父母様の愛を受けることができる天国を守る家庭だ。したがって、私が真のご父母様の前に孝子になり、国家の前に忠臣の道理を果さなければならない」という信念を、常に持って生きなければなりません。

 真の父母の愛を受けて、神様の愛を受けなければならないというのです。ところが、神様の愛は国がなければ受けることができません。サタン王権の国家に勝利した後にこそ天国が成立するからです。

 私たちは、神様の国を仰ぎ慕います。なぜでしょうか。そこには真の愛があり、真のご父母様がいらっしゃるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越して永遠に真の愛が存続することのできる理想の国になるところだからです。また自分自身を高めることができるところであり、自己の価値を百パーセント認定されるところだというのです。つまり永遠に幸福なところなのです。

 ですから、堕落人間は、天国を慕って憧憬するのです。私たちが行くべき道は、本当に行きたい道であり、私たちが求めて成し遂げるべき国は、永遠に永遠に暮らしたいと思う国です。私たちが持たなければならない財物は、天宙のものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証されるものでなければなりません。

 また、私たちが泣く時には、天地が共に泣くことができ、私たちが喜ぶ時にも、天地が共に喜ぶことができる権威と知識を持たなければなりません。これが、今日の堕落した人間たちが現世において追求しなければならない最高の欲望であり、希望です。

 真の人は、だれもが自分の本然の国で暮らさなければなりません。それは、人間に付与された絶対的な条件です。一人残らずその理想の国とその理想の義のために、新しい希望に満ちた義の生活をしなければなりません。心で理想郷を描き、生活で義の道理を立てながら、理想の国と理想の義のために生きなさいというのです。

 皆さんには、そのような国がありますか。ないのですから、その国を求めて成し遂げなければならないのではないですか。その国は何という国だといいましたか。天のお父様の理想の国、統一の国です。万民が父母様に侍って暮らすことのできる国なのです。

 この国を成し遂げるということには、堕落した人間ならば例外はありえません。ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすべて協助するはずです。そして、個人を統一することができ、ひいては家庭、氏族、民族、国家、世界を統一できるのです。

 全知全能であられる神様は、この地上に必ず摂理のみ旨を成し遂げなければなりません。それでは、み旨が成された結果とはどのようなものでしょうか。それは、この世界の万民が救われ、神様が彼らをすべて子女として主管することができるようになるということです。

 そのようになることを願うのが摂理のみ旨です。もし、地上で国家を復帰することを自分の生涯で果たすことができずに死ぬ場合、皆さんは、霊界に行っても、天国に属した真の人としての価値を持つことができないのです。地上において、神様の主管圏内で統治された国家圏での実績を持って霊界に行かなければならないというのです。それが本来の神様の創造基準だからです。

 皆さん、私は、今世の中に羨むものがありません。堕落した世の中のものには関心がない人です。“神様が保護することのできる理想の国で死ななければならないのではないか。私がそのように生きていくことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。だから死ぬ前にその国を取り戻して、一日でもそこで暮らしてからいかなければならない”というのが私の一生の願いです。

 そのような一日のためには、堕落した世の中の数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいるのです。何も知らない皆さんが休んでも、私は歩んでいます。皆さんがすることができなければ、外国の人を動かしてでもしなければならず、この国ができなければ、外国を通じて包囲作戦をしてでも行かなければならない道です。

 皆様、私たちの信仰の目標は、はたして何でしょうか。神様の国の民になることです。その国の民になることができなければ、自由自在に万民、あるいは万物世界に誇って愛を受けることのできる道が現れないのです。

 国がない者は、いつも攻撃を受けるようになります。かわいそうな立場に立つようになるのです。あえなく打たれる境遇にいくらでもあうようになります。それゆえに、神様が願われる国がどこにあるのか、すなわち神様が足場として定めることができる国をどこで取り戻すのか、これが問題です。

 私たちがこの国この民族のために血の汗を流すのは、結局永遠の天国を成し遂げるためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に讃揚することのできる福祉国家を成し遂げるためです。その国は、神様を中心として、直系の血統の子女たちが天命を信奉し、神様に代わって命令し、王権を持って治める、そのような国に間違いありません。

 そこには、民主主義や共産主義はありえないのです。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るというのです。

 このようなことを考えるとき、皆さん自身がそのような国の民になることができなかったという事実は、無念なことではないかというのです。そのような一つの理想国家を持っていないことを嘆息しなければなりません。皆さん自身がそのような国で暮らすことができないことを嘆息しなければなりません。そのような一つの不変の主権を持っていないことを私たちは悔い改めなければならないというのです。

 そのような主権と国と国土を立てるために、神様は、人類歴史を通して選民圏善主権国家を立ててこられました。その過程で数多くの人々が死に、数多くの民が犠牲になり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきたという事実を私たちは知っています。

 そのように犠牲になった数多くの人々の中で、天の側に立っている人々、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての哀しい魂たちが、ある一時にそのような一つの国、そのような世界が成されることを願っているということは間違いありません。

 人類始祖が堕落した後、歴史は神様が主管されたのではなく、サタンが主管したということを、私たちは知るようになりました。しかし、本来この世の主人は、神様がならなければならなかったのです。神様と愛の関係を結ばれた直系の血統の子女、その子女たちによって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成されていたならば、それこそ神様が主管することのできる世界であり、神様が主管することのできる国であり、神様が主管することのできる家庭であり、神様が主管することのできる個人になったのです。

 ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界だということを知らなければなりません。

 創造主を中心とした被造世界は悲痛の中に陥っています。したがって、この世界をそのままにしておけば、神様が創建なさろうとしていた創造理想の永遠な真の愛の世界を成し遂げることはできず、そして、絶対者であられる神様が本来意図された創造理想を実現させてこそ、神様本来の権威を取り戻すことができるので、その位置を標準として悪なる世界を収拾し、本来理想とされた本然の真の世界に率いていかなければなりません。これが堕落した世界に対する神様の摂理歴史なのです。

 ところが、この地には、堕落主権の国は多くありますが、神様が願われたその国は一つもないのです。神様は、ご自身のみ旨を成すことができるその国を建てるために、人間の知らないところで歴史を通して時代を動かしてこられました。

 神様は、一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管しようという願いからアダムをつくられ、完成に向けて育てていかれました。ところが、アダムとエバの堕落によって、一つの家庭から統一された世界が始まるべき歴史は、善悪の闘争史として四分五裂してしまいました。これを収拾して連結させていくのが救援摂理歴史観です。

 アダムは、すべての人間の始祖なので、アダム一個人を失ってしまうことは全体を失ってしまうことと同じようなものです。したがって、これを再び立てなければならないのです。再び立てられるその一人は、サタン世界の氏族と民族と国を否定し、放棄し、忘れてしまうことができる、すなわち神様のみ旨だけのために生きていく絶対的真の人でなければなりません。

 皆様、すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成そうとする共通の目的を持っています。摂理圏内にある代表的なものとして、皆様もよくご存知のキリスト教の歴史を例として上げ、一度考えてみましょう。

 ノアは、民族的な環境に身を置いていましたが、そこに属することを願わず、国に属していましたが、その国にとらわれず、自分の希望の国を求めていきました。希望の国を探し立てるために、彼は、あらゆる試練と逆境を経ていかなければならなかったのです。

 ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨の国を追求していった人です。ノアに願われた神様の希望は、理想の国と理想の義を求めて個人的環境を屈服させていくことでした。彼が春夏秋冬、一日も休まずに百二十年の試練の過程を越えるその苦衷は、どれほどのものだったでしょうか。家庭までも彼を捨てましたが、ノアは、どのような矢でもすべて受け止めて百二十年を切り開いていきました。

 その国とその義を求めることをせずにただ生きていけば、自らとその子孫たちまでが、すべて蕩減を受けなければならないという原則をノアはよく知っていたのです。神様は、アブラハムとサラを立ててカルデアのウルを離れるようにしました。自分たちが行って住まなければならないところがハランだということを知らずに、無条件に信じて、順従な心を持ってそこに向かっていきました。

 神様は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を願われたのです。サラは、王に連れていかれても、アブラハムを決して怨みませんでした。このように、希望の国に向かっていく彼らの心は、いくら激しい迫害に追い込まれても変わらなかったのです。

 ヤコブは、自分に与えられた祝福には希望の国と民族が約束されているという信念があったので、だれもその強い信念を曲げることができなかったのです。

 このようにみ旨は、個人、家庭、氏族へと広がり、預言者たちは、次第に世界的な希望を成すために歩んでいくようになったのです。

 イエス様は、イスラエルの不信と迫害によって流浪の身となり、霊肉の希望のすべてを成し遂げることはできませんでした。しかし、メシヤは、天と地のすべての障壁を崩し、一つに統一された国を探し立てなければならないという使命を持って来られる方です。

 この堕落した地を中心として構成された理念国家は滅んでも、天倫が要求する理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様の不変のみ旨です。アダムを中心として願われた神様の希望は、アダムの一個体だけに留まるのではなく、アダムを中心とした家庭と氏族と民族と国と世界を成し遂げることでした。

 メシヤがそのようにして成し遂げようとした国が、イスラエルの不信によって壊れた時、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主は、アダム家庭とイエス様の家庭を復帰完成させ、第三次アダム完成の使命である世界次元の復帰的成約時代において、メシヤとしての使命を完成させるという責任があります。

 彼には、第一次アダムの理想家庭を復帰しようという旧約時代、第二次アダムであるイエス様の復帰された家庭理想圏を立て、国家完成のための新約時代国家基台から第三次アダムの世界復帰時代である成約時代へと発展させてみ旨の完成を成し、アダム圏理想を中心としたみ旨の家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるというのです。

 神様は、愛する息子娘を地上に送って絶対的な一つの国家を立てようとしてこられましたが、現時点において、一つの国家を復帰することができる基台はつくられていません。

 いつも堕落した人間たちが失敗したので、この地上に天の人を送ってそれを治めさせ、推進させ、成就させるために、歴史を通して努力してこられたということが今までの復帰摂理歴史観なのです。

 神様が堕落した私個人を犠牲にしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしても感謝することができなければなりません。そのような個人と国が現れてこそ、新しい世界はその国によって収拾されるのです。

 ところが、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲は勿論、家庭と氏族と民族と国家と世界の犠牲までも再び継続されるのです。そのような原則の下で、今まで神様も歴史路程を通して、その国を復帰するための摂理を推進してこられました。

 したがって、国を考え、国のために生きることができる個人がいるならば、その個人の伝統を受け継いだ家庭を通して国のために犠牲になることができるようにし、また氏族と民族と国家が、その伝統を受け継いで世界のために犠牲になることができるようにしました。

 このように、その国と世界を復帰するために、今まで神様は、摂理を推進してこられたのです。その方がまさに真なる私のお父様であり、真の息子である自分を取り戻すために、またその家庭と国を取り戻すために苦労された方だということをはっきりと悟って、それに報いる責任を果さなければなりません。

 皆様、今日私たちがこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。それは、国と世界を愛するためです。今まで神様が摂理されてきた目的も、その国と世界を愛するためです。

 主権のない国の国民は哀れです。それで、イエス様が憂慮されて、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:31-33)」とおっしゃいました。これが宗教圏が成就させなければならない責任なのです。

 先に息子を求めなさいと言いましたか。あるいは国を求めなさいと言いましたか。神様が求めている国を求めなさいと言われたのです。その国とその義を探し立てるという神様の希望は、人間と被造万物を離れて成されるのではなく、人間と万物を通じて成されるのです。これが神様の創造原則なのです。

 その希望は、真の人間を通して神様と万物が同和するというものでした。それで、神様は、堕落した人間に、神様に代わる一つの実体として、天の血統を代表することのできる方としてイエス様をこの地上に送られたのです。すなわちイエス様は、初めてこの地上に神様の歴史的希望を成就してさしあげるために来られた方だったのです。

 四千年目にはじめてそのような立場に立てられた息子、一つの国の中でユダヤ教を中心として、ヨセフ家庭に一つの種としてこの地上に立てられたその息子がまさにイエス様でした。
 この時、既にサタン側は、国家を立てて天の側を攻撃していたので、天の側でも完全な足場となる国家的な基準がなければならなかったのです。これがイエス様の責任でした。

 それで、神様は、悪なる世界で一つの国を編成するために四千年間苦労されました。そのように苦労された神様の功績は、イスラエル民族がイエス様を受け入れることによって世界的な足場となり、この地球星が完全に神様とイエス様を中心とする世界にならなければならなかったのです。

 しかし、イエス様が亡くなることによって、霊的にのみその世界が成されました。イエス様は、三年公生涯路程において、ユダヤ教を中心として失ってしまったすべてのものを蕩減復帰しようとしましたが、洗礼ヨハネの家庭とユダヤ教の不信によって十字架にかけられて亡くなったので、霊肉を中心として、この地上に一つの実体として、神様の足場となる国として立てられたイスラエルがすべて崩れていきました。

 結局、イエス様を十字架で殺すことによって、肉的イスラエルの国は滅び、復活後の聖霊の降臨を通して霊的父母の立場に立ち、キリスト教は、霊的にのみ国家の基台を持つようになりました。イスラエル民族は、国のない民となり、流離彷徨する身となってサタン世界のあざけりの的になったのです。したがって、今日、霊肉を共に備えたキリスト教の国は、世界のどこにも探しだすことができません。

 ですから、再び来られる主は、四千年間準備してイスラエルの国を立てた神様の摂理を、イスラエル民族が理解できずに不信によって失ってしまったので、それを再び復帰しなければなりません。

 皆様、イエス様は、この地上に国を探したてようとして来られました。一つの国を取り戻そうとして来られたのです。しかし、イエス様は、その国を霊肉合わせて取り戻すことができず、霊的にのみ取り戻されました。それゆえに、今日のキリスト教は、この地上に実体の国がないというのです。

 これは、神様がこの地上にどの国、どの民族を中心としても、「愛する私の国であり、愛する私の民族だ」と主張なさることができないということを意味します。いまだに神様の国の基台がこの地に立てられていないということを意味するのです。

 もし、その当時イスラエルの国がイエス様を中心として一つにさえなっていたなら、息子であるイエス様を中心としたその国は神様の国となるので、神様は、その国を中心として世界を復帰なさったのです。

 しかし、この地を中心として、霊肉合わせて連結させようとしていた基台は、イエス様が死ぬことによって、すなわち実体を失ってしまうことによって霊的にのみ復帰されたのです。したがって、今までのキリスト教徒たちは、国がなく、主権のない民と同じ立場なので、どこに行っても命を奪われたのです。

 殉教の血を流すことによって発展しました。それは、そのように植えたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ発展できなかったからです。今血を流して迫害される時期が終わりましたが、それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基盤を中心として、失ってしまった実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち焦がれてきたのがまさに再臨思想です。

 新婦宗教であるキリスト教の責任は重大です。イエス様も楽園に行って待っています。天の玉座の前に出ることができなかったということを知らなければなりません。イエス様は、神様の前に国の主権を立て、その国を治め、地上から天国まで直通することのできる権限を持った国をつくらなければなりませんでした。

 しかし、イエス様は、そのような国をつくることができなかったので、神様の前に直接立つことができないというのです。したがって、楽園は、天国に行く待合室だというのです。また、天国は、一人では行くことができないところです。天国は、本来堕落しなければ、アダムとエバを中心として祝福を受けた家庭が、家庭単位で行かなければならないところです。息子娘たちと共に入っていかなければならないのです。

 再び来られる再臨主は、偽りの父母によって誤ったことを復帰するために、神様の真の愛、真の生命、真の血統に再び接ぎ木して帰る、天宙的蕩減基準の再祝福結婚式を行うようになるのです。

 全世界人類もこの門を通らなければ、天国に入っていくことができないので、再祝福結婚式が必要なのです。それを再び蕩減復帰するために、天は、二千年間闘いながら、今まで世界と連結できる基台をつくってきたのですが、国の基準がないこの地上で、だれが国の基台を受け継いでくるのでしょうか。

 宗教圏がキリスト教を中心として一つにならないので、神様は、新しい宗教連合運動を通じて、多くの神霊的な人を求めて募集運動をしながら今まで準備してこられました。

 尊敬する指導者の皆様!

 今、人類は、三千年代に入って新しい天運を迎えています。真のご父母様を中心として大祝福結婚時代を迎え、天地理想圏の世界が始まるようになりました。

 すべての宗教人たちが心を合わせ、私が主唱した、国連の中に、上院のような超宗教的代表者たちによって構成される議会を併設するという提案を完遂することに力を集めなければなりません。なぜなら、国連さえ一つになれば、天上天国、地上天国は一瞬の内に完成できるからです。

 国連が人類のためにできる最も崇高なことがあるとすれば、神様の真の愛を基台とする人類の国家のための霊性回復より他に大切なことがあるでしょうか。それで、今まで私は、宗教界だけではなく、政治、思想、経済、文化等、各分野をすべて網羅して良識ある指導者を選び、「ために生きる生活」の真の愛の結婚教育を実施してきました。

 このような基盤の上に私は、既に数万名の平和大使を任命しました。彼らは、今世界中で私が創設した「世界平和超宗教超国家超NGO連合」の旗を掲げて、神様と人類が心から願ってきた天地開闢である平和世界実現のために総力を注いでいます。

 全知全能であられ、絶対的な神様のみ旨は、遠からず成就されることでしょう。ここに参席した指導者の皆様も、皆様の家庭と国を真の愛で新しく創建し、真実で、永続的で、国境のない神様のみ旨の国と、平和世界の天一国祝福理想を成就することにおいて主人となられることを願いながら、これで私の話を終えようと思います。

 天の祝福が皆様と皆様の家庭に満ちあふれることを祈ります。

 ありがとうございました。

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神様の真の愛と天地人の関係の回復

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「神様の真の愛と天地人の関係の回復」

(03.02.06 「真の御父母様御聖誕記念式」のみ言)


 尊敬する前職、現職の国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者、百八十九か国の代表、国内外の高名な各界の代表と平和大使、各宗親代表、そして紳士淑女の皆様!

 私の満八十三歳の誕生日と、韓鶴子総裁の還暦を祝賀するために集まってくださった皆様に、心から感謝を申し上げます。

 何よりもまず、この日まで私を守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光をお返しいたします。

 神様を抜きにしては説明することのできない私の生涯であるがゆえに、この意義深い場に感謝しながら、「神様の真の愛と天地人の関係の回復」という題目で、み言を分かち合おうと思います。

 歴史的に、人類は、神様や絶対者について多くのことを語ってきました。さまざまな賛美や頌歌をささげ、また、一方では、むやみに批評したりもしてきました。

 「神様はいない。」、「神様は死んだ。」と、極言を吐いたりもしました。それにもかかわらず、神様は、ただの一度も、“私は、ここに、このように生きている。”と、直接、現れはされませんでした。また、「科学と技術の発達が高度化すれば、神様を信じる人はいなくなるであろう。」と、予言した人も大勢いました。しかし、現代社会においても、信仰者は、依然として減っていません。

 神様は、生きていらっしゃる万有の根源者であられ、創造主であられ、人類の真の父母であられます。

 私が発表し、教えてきた神様は、漠然とした神様ではありません。いち早く、少年時代から人生と宇宙について苦悶してきた私は、十六歳(数え年)のときに神様を体感し、その時から今まで、生活の中で交感してきました。

 生死の境界線を行き来する、険しい私の生涯を支えてくれた原動力は、正に、生きていらっしゃる神様との約束と、絶対信仰でした。

 私は、霊界の隅々を渉猟し、そこにいる五大聖人、数多くの賢哲たちとすべて出会い、私の天的な使命に対して、彼らの公認を受けました。皆様! このように神様は厳存され、人類の真の父母であられるのです。

 神様は、私たちすべての生命の根源者であられ、すべての人が、因縁を結ぶべきおかたです。そして、私たちが訪ねて行く霊界も、すでに存在している世界であるということを、はっきりと知らなければなりません。霊界を疑ったり、漠然と神様を信じたりしてはいけないのです。

 私は、歴史に類例のない「神様会議」を数度にわたって主導してきました。各宗教団体の代表者と最高位の神学者、宗教学者が参席した一九八〇年代の三度の会議は、宗教界に大きな反響を巻き起こしました。

 これらの会議を通して、私が指導しようとした要旨は、第一に、各宗教は、それぞれの特殊性を持ちながらも、それよりもはるかに多くの底辺を共有しているということ、第二に、宗教人相互間の葛藤と不和は、信仰者たちの偏狭さが主原因であって、決して絶対者のみ旨ではないということ、第三に、神様は、信仰や意識よりも、愛の実践をより願っていらっしゃるおかたであられるという点です。

 このときに発表された論文と会議記録は、現在、各宗教団体の最高神学教育課程における教科書として活用されています。

 高く垣根を築いていた宗教団体間の対話、協力の気運が、このときから本格的に開かれ始めたのです。

 それ以降も、毎年、多くの予算を投入しながら、各種の宗教連合運動と超宗教平和運動を全世界的に展開してきました。

 昨年十二月二十六日から三日間、米国のワシントンDCにおいて、私は、別の次元の神様会議を開催しました。「神様と平和世界」を主題として、宗教指導者だけではなく、世界各地から、政界、学界、言論界、財界、文化芸術界、NGO(非政府組織)代表等、三百十二人が集まりました。

 神様は、信じる人だけの神様ではあられません。万民の神様であられます。また、今この時は、漠然とした神様ではなく、より明確な、威容と主管権を持って万民の前に立っていらっしゃる神様を悟らなければならない大転換期なのです。

 神様を無視しては、決して解決することができない、個人的、家庭的、国家的、世界的問題の渦の中に巻き込まれている現代人であるということを自覚する時です。

 この会議には、三百十二人の世界の指導者が集まり、第一に、真の父母であり、真の師であり、真の主人であられる神様と、実体の真の父母を、個人、家庭、国家、世界の縦的な絶対価値の軸として立てること、第二に、霊界において五大聖人と賢哲たちが、神様のみ旨完成のために決議し、一致団結して地上に協助していることに対して、私たちも歩調を合わせて協力すること、第三に、平和理想の実現のために、真の愛の実践運動や国連刷新運動等、真のご父母様が計画されることに積極的に参与し、教育し、推進すること等、これらの内容からなる決議宣布文を発表しました。

 宗教を信じるのは、本来の父親と本然の国を、再び捜し出すためです。「宗教」という言葉は、人間だけを中心とした言葉ではありません。神様を母体とした最高の教えが、宗教です。神様と関係を結び、神意に従って生きる方式を身につける過程があるのです。

 したがって、聖人は、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。

 真の宗教は、神様について教えなければなりません。真の宗教は、漠然とした神様を紹介するのではなく、神様に対する認識をはっきりと強固に植えつけてあげることができなければならないのです。

 世の中と妥協する宗教は、高次的な宗教であると言うことはできません。そのような宗教は、結局は、衰退してしまうようになります。

 真の宗教は、人が神様を正しく求め、神人が一体を成す本然の世界に帰っていくことを教えなければなりません。宗教を信じるのは、罪のない世界、神様と本然の関係を結んだ理想世界を求めていくためです。神様が求めていらっしゃるのは、宗教界ではなく、理想世界です。

 宗教の目的は、宗教自体の価値を通した世界ではなく、神様の理想を通した世界です。ここにおいて問題となるのが、創造理想です。神様が創造なさったので、創造理想を究明するということは、とても重要なことなのです。

 神様のみ旨とは、何でしょうか? 創造理想を完成することです。それでは、神様がエデンの園で、人間始祖アダムとエバを通して成し遂げようとされた創造理想とは、どのようなものであったのでしょうか?

 真の愛の本体であられる神様は、愛のパートナーを必要として人間を創造されました。人間は、神様の真の愛の理想を成すために、神様の真の息子、娘として創られました。彼らは、真の男性、真の女性として成長し、真の夫婦を成して真の家庭をつくり、理想的な国と世界をつくり上げるのです。

 別の言い方をすれば、神様の真の愛を中心として、理想的な家庭、さらには理想的な世界を完成するのです。しかし、人間始祖の堕落によって、この創造理想は崩れてしまいました。

 したがって、宗教の目的とは、一人の真の人を取り戻すことであり、真の家庭と、真の国家と、真の世界を取り戻して、万民が平和に生きていくことです。

 これがまさしく、神様が地に対して摂理される目的なのです。宗教は、このように善の世界を追求してきました。しかし、その善の世界は、善の国が現れなければ成立しえません。

 善の国には善の民族が、また、善の民族には善の氏族が、そして善の氏族には善の家庭が、先に存在しなければなりません。そして、善の家庭を築こうとすれば、先に善の男性と善の女性がいなければならないのです。

 アダムの堕落以後、イエス様の時までの四千年間、イスラエルの歴史は、何を取り戻すための歴史であったのでしょか?

 外的には、世界を取り戻す歴史でしたが、内的には、真の息子であるアダム一人を取り戻す歴史だったのです。堕落によって、神様の愛を中心とした生命と血統を受け継いだ息子、娘がいないということが、神様の恨です。

 神様が、愛と生命と血統の主人として、再び創られ、この世の中に送られたおかたが、救世主です。それは、見る観点によって、救世主として、メシヤとして、再臨主として、あるいは真の父母として、それぞれ表現されます。

 この世のすべての人々を貧困と苦痛、戦争と罪悪から救ってくださるという点では救世主として、また、絶対者の救援のみ旨を中心として、すべての宗教人を生命の道に連結させる仲保(者)という点ではメシヤとして、また、第一イスラエル、第二イスラエルと続いてきた神様の主流復帰摂理の観点からは、再臨主と呼ばれてきました。救世主、メシヤ、再臨主、これらのすべては、主に救援と復帰過程に焦点を合わせた次元で呼ばれてきたものです。

 偽りの父母、偽りの先祖と因縁を結んで生まれ、罪悪と葛藤の中で生きてきた堕落人間は、堕落直前の段階にまで復帰されることのみによって、すべての所願を成し遂げることができるのではありません。

 神様のみ旨も、人間の本性の願いも、創造理想を完成した本然の理想的な人間となり、理想世界をつくり上げることです。それは、神様の愛の理想を完成した個人として生まれ変わった後、真の愛の夫婦を成して、真の父母になることです。

 それを成すために、神様の真の愛、真の生命、真の血統の“始源”である真の父母が、絶対的に要求されるのです。このように、神様の救援摂理完成のためには、一人の男性として現れる救世主、メシヤ、再臨主ではなく、神様の真の愛を完成し、その典型を成した真のご父母様をお迎えしなければならないのです。

 神様が、先に創られたアダムのあばら骨で、その永遠の相対であるエバを創られたように、神様の息子である復帰されたアダムが先に来て、エバを復帰し、再創造することによって、真の愛の理想を成し、真の父母の″位相″を完成しなければならないのです。

 人間の真の愛、真の生命の源流が、その中にあり、理想的な男性像、女性像の標本が、その中にあり、理想的な真の夫婦と真の父母の標本がすべて、真のご父母様の中にあるのです。

 人類の罪悪と苦難は、堕落した先祖の偽りの愛によって実を結んだ、偽りの父母、偽りの先祖に由来しています。

 したがって、堕落の因縁から解放され、理想を完成することは、来るべき真のご父母様を通してのみ可能なのです。人類の本心が、宗教を通して求めてきたものも、また、世界が待ち望んでいるものも、神様の愛の理想を完成する真の父母なのです。

 「宗教は、人間を改造するところである。」と言うことができます。堕落がなければ、宗教は必要ないのです。堕落によって、心と体が闘っている人間を、永遠に闘わない平和な存在に、また、神様の実体対象に改造しようとするのが、宗教です。

 すなわち、神様に似た本然の人格に変えるのです。私たちの心と体を見るとき、体は、悪神サタンの基地になっていて、良心は、神様の基地になっています。

 一般的に、体が心を引きずり回すのです。宗教は、心を引きずり回すこの体を打って、弱化させようとするものです。

 宗教の教えは、体が最も嫌うものを提示します。断食をしなさい、奉仕をしなさい、犠牲になりなさい、祭物になりなさいと言い、さらに、義のために苦行の道を歩み、生命をささげることまで要求するのです。

 聖書において、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という逆説的な論理で教えているのも、肉身が要求するとおりに生きれば、死亡世界である地獄に行くのであり、肉身(の欲望)を殺して、良心の解放圏を持てば、永生の天国に行くということなのです。

 心と体が統一できずに闘う人は、統一された神様の愛の理想世界に適応することができません。一般的に、宗教を持つことによって、天国や極楽に行くといわれます。

 しかし、天国は、神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった子女が入って行くようになっている所です。堕落した世界の愛は、主に自分自身を中心とした愛ですが、それは、心ではなく体に関係しています。

 堕落した体は、悪魔の舞踏場となっています。本心は、神様に代わる主体、すなわちプラスの位置にあるのですが、体は、もう一つのプラスとなって、本心を籠絡しているのです。これを正さなければなりません。

 この目的のために、神様がつくられた修理工場が、宗教です。そこは、心と体が永遠に一つになった人、完全な人格に正す修理工場なのです。一方で、宗教においては、休まずに祈祷し、精誠をささげることを教えています。悪魔は、体を横的な舞台として、二十四時間、休まずに活動しています。神様は、縦的な基準に立っていらっしゃるので、縦的な心を通してのみ役事されるのです。

 心が、横的な体の強い作用に引っ張られていかないようにするためには、心自体が、垂直の位置で精誠をささげることによって、神様から三倍、四倍もの力を受ける必要があります。

 このような精誠の生活を三年間から五年間、行うようになれば、心が、体の環境的、習慣的な影響力から自由になることができるのです。

 尊敬する指導者、そして紳士淑女の皆様!

 宗教生活は、してもよく、しなくてもよいという選択の問題ではありません。堕落人間は、サタンを中心とした偽りの愛と、偽りの父母の因縁から生まれてきたので、だれもが例外なく、修理工場である宗教を経て、必ず真のご父母様と出会い、真の愛と真の生命の因縁を結ばなければなりません。

 ここで、一つ重要な事実を知らなければなりません。修理工場に訪ねて行くのは、そこに永遠にとどまろうということではなく、再生して出て来るためであるという事実です。

 宗教生活は、堕落人間の必須課程ではありますが、宗教生活自体が、人生の根本的、総体的な目的ではないのです。人生の究極的な目的は、宗教生活を正しく履修し、模範生として卒業して、創造本然の人間として生活することです。

 堕落ゆえに生じた宗教ですが、その宗教の中に埋もれて生きることだけが、人生のすべてでしょうか? 堕落していなければ、本然の人間は、どのように生きていたのでしょうか?

 本来、人間は、神様の子女として、真の愛の理想のもとで真の家庭を成し、一つの世界を成して、自由と平和、統一と幸福の天国生活をするようになっていたのです。神様は、宗教を通じて修理され、再生された子女に出会うために、人間を創造されたのではありません。罪を悔い改めながら、葛藤の中で苦悩している子供を見ることを願う父母が、どこにいるでしょうか?

 まして、創造主であられ、全知全能であられる天のお父様が、ご自身の子女を、苦痛の中で罪を犯して生きるようにさせることが、本来のみ旨でしょうか?

 堕落世界は、神様が本来、計画されたみ旨ではありません。人間始祖が、神様に背くことによって、本然の構想が成し遂げられなくなったのです。

 絶対的な神様であられるので、そのみ旨とされたものも絶対的です。神様は、再び、そのみ旨を成されます。それは原状回復であり、それゆえに、神様の救援摂理は、復帰摂理であり、再創造摂理なのです。

 宗教は、復帰摂理のための器具です。人間は、真のご父母様と出会って、宗教生活の課程を履修するだけではなく、神様の子女となって、生活の中で、父子の因縁をもって、神様に侍って生きる生活信仰の世界に飛躍しなければなりません。

 長い歴史の中で、人間は、宗教生活を卒業しなければならないという、この貴い真理を明らかにした人は、いませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗派を創設しませんでした。

 神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めて創った組織が、「世界基督教統一神霊協会」でした。

 教派でも、宗派でもなく、協会でした。宗教界が継続して不信し、計略に陥れ、迫害しながら、無条件に異端であると規定し、無視したにもかかわらず、私たちの集いが大きくなっていったので、世の中が、私たちの長い公式名称に代わって「統一教会」と呼ぶことによって、「統一教会」になってしまったのです。

 しかし、私は数十年前から、私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。

 一九九六年に教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として出発しました。これは、人類史における重大事件です。

 偽りの父母から受け継いだ罪のくびきをかけ、苦難と葛藤の中で、悔い改めと祈祷の信仰生活を通してのみ神様を求めてきた人類が、真の父母から祝福を受けて重生し、真の愛の生活の中で、神様に報告して生きる世界に変わる、天地開闢が始まったのです。

 これまで、私が天命に従って、真の父母の使命を果たしながら、地上だけではなく、霊界の垣根も崩し、地上と天上に、祝福の恩賜を自由に下してあげるまでの過程は、だれも知ることができません。

 歴史の中で、偽りの主人としてふるまいながら、人間を管掌し、神様に逆らってきたサタンを屈服させることが、簡単なことでしょうか? サタンが公認しない立場では、真の父母の″位相″を立てることはできないのです。真の父母が管掌していくにつれて、サタン主管下の死亡圏にいる万人に祝福の特権が及び、霊界にいる霊たちや地上人が皆、真の愛の生命圏に転換される、そのような奇跡の時代が開かれたのです。

 満場の紳士淑女の皆様!

 今、正に訪れてきた天運とともに、人類は、宗教生活を履修し、真の愛の祝福を受けて、真の家庭を成しながら、神様の真の子女の″位相″をもって生活しなければなりません。

 地上で祝福を受け、このような真の愛の生活をした者だけが、永遠の本郷である天上の理想世界、すなわち神様の国に入って行くことができるのです。霊界に行くときに、何を持って行きますか? お金ですか? 権力ですか? 知識や名誉ですか?

 これらは、この世のものなので、超越した世界に行くときは、すべて捨てて行かなければなりません。これらは、永遠な本質の世界であるその世界では、何の役にも立たず、持って行くこともできないものです。

 霊界は、愛の世界であるがゆえに、地上で体恤した真の愛、特に天地父母から許諾された真の愛の生活内容が、最も貴く認定される世界です。どうぞ霊界を、より深く学び、祝福家庭生活を通して、真の愛を完成する神様の子女となってくださることをお願いいたします。

 私の教えは、人から学んだことを根拠とするものではありません。また、私は、一般の教訓的な次元の教育や慣例的な教育はしません。神様と天道に根源を置いた生命のみ言をもって、直説的に訓導しているのです。

 私の真の父母の使命が、神様の下さった使命であるとすれば、きょう、この時間、皆様が私と結ぶ関係が、とても意味深く、貴重な因縁になるということを知って、心の深い所に刻んでおかれればよいと思います。

 神様の祝福が、皆様と皆様の家庭、そして、皆様の公道の上に共にあることを祈りながら、み言を終えたいと思います。

 ありがとうございました。

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再創造の主人

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「再創造の主人」

(03.08.15 IIFWP世界指導者サミット閉会式 リトルエンジェルス芸術会館、ソウル)


 尊敬する前現職の国家元首、イスラエル圏の指導者および青年学生指導者、そして紳士淑女の皆様!

 暗く暗欝な先の世紀を乗り越え、新しい夢と希望によって新しい千年を祝福してくださった神様に、まず感謝をさしあげる次第です。今この瞬間にも、民主と共産の先鋭な対決が継続している地球上で唯一の国家である大韓民国に、皆様を招請してこのような大会を開催したのは、個人的に見れば、この国が私の祖国でもありますが、神様の摂理から見れば、この小さな韓半島が人類平和を創出しなければならない二十一世紀の中心国家だからです。

 私は、きょう「再創造の主人」という題目で、神様の摂理に対する皆様の理解を助け、また、今平和世界を創建しなければならないわたしたちの使命と責任がどこにあるのかを明らかにしようと思います。


尊敬する貴賓の皆様!

 今わたしたちが身を置いているこの時代は、摂理的大革命時代です。すべての国家と宗教は、これまでのような生活方式を越えて、今から新しい摂理観をそのまま生きなければならない実践的な生活内容があるということを知らなければなりません。この地上界だけではなく、霊界、すなわちわたしたちが肉身を脱いだ後に入っていって生きなければならない死後の世界も同じです。

 私が全世界的に任命した新しい平和大使の数が、既に数万人に達しています。新しく任命された平和大使たちは、時折、「わたしたちはどのように生きなければならないのか」と尋ねてきます。統一教会が歴史を通して経てきたそのすべての道を公式的に歩んでいき、今現在の霊界の実状と地上世界の統一的なすべての内容が、現実生活の中心内容になっているということを知って、その内容に合せて生きてこそ霊界と一体になるということを確信しなければなりません。今ではもう自分がその中で生きているという自信を持たなければなりません。

 レバレンド・ムーンが語った内容は、過去のみ言も現在のみ言も変わっていません。新しい世界のみ旨のために、その内容のために生きることができるのか生きることができないのかということが、理想天国実現の主役になれるかなれないかを決める原則なので、その原則に従って生きなければなりません。そのように理解して、今まで概念的な生活をしてきたとすれば、実際的な生活として、天国と霊界と肉界と一体化できる生活を、わたしたちの生活環境を越えて国家圏内にまで一致させなければなりません。そのようにしてこそ地上天国と天上天国が実現されるというのです。

 その国の国民ならば国民が生きてきたすべての伝統的な思想やコンセプトを中心とする考えを克服して、新しい次元に一体化することができる基準を、今全世界的に新しく立てなければならないというのが、天一国主人の立場だということを知らなければなりません。

 レバレンド・ムーンが統一教会を創立した当時、二十五、六歳でしたが、統一教会の原理における全般的なすべての骨子を選んで協会を創立したということを知らなければなりません。その時代、その世界に入ってきたわたしたち統一教会の信徒たちは、新しい世界において真の父母と共に生活するその生活圏に従って生きる統一教会員たちであり、それが統一教会員たちの生活だということを知らなければなりません。

 レバレンド・ムーンが再創造摂理をしていくには、神様が創造された世界をすべて失ってしまい、神様まで失ってしまった人類なので、堕落していないアダムの位置に責任を持って、神様が創造して失ってしまわれた世界を再びつくらなければなりません。恨の神様を幸福の神様に解放してさしあげなければなりません。

 ですから、統一教会は、「神様王権即位式」と「天宙天地真の父母様真の愛平和統一祝福家庭王即位式」まで奉献してさしあげました。今日まで神様が手を付けることができなかった全体世界を、真のご父母様を通して蕩減復帰完成しなければなりません。

 再創造の主人は神様ではなく、蕩減する主人も神様ではなく、それが実際にアダムの責任だったという事実を知らなければなりません。アダム一代で整備しなければならないのです。そのようにしなければ、神様が本来の理想を中心として出発した本然の位置に立つ道がないので、全知全能であられる神様が、長い歴史を通して無能な神様の立場で苦労してこられたという無念な事実を、皆さんは知らなければなりません。

 神様の国と神様の生活圏が発展してきた個人時代、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙時代まで越えていくことができ、天上世界と地上世界を自由自在に往来することのできる解放的自分だということを自ら悟る皆さんとなり、神様までもお迎えしてさしあげなければなりません。そして、神様の王宮から神様の国を創造して奉献しなければ、完成したアダムの使命が終わらないというのです。

 天上世界のすべての聖賢、賢哲たちは、栄光の中で生きているのではありません。堕落以後今に至るまで、その目標を中心として完成するために継続して努力しているだけではなく、解放された地上天上一体真の愛の理想圏が実現される時までそれが継続するということを知らなければなりません。

 皆さんが地上でこの使命を完結することができなければ、あの世に行っても、その完結できない限界圏内において、越えていくべき峠を前にして、永遠に修練過程を経なければならないという道が残っていることを知らなければなりません。地上世界にこのような時を迎えるようになったことを天下の何よりも貴く思い、自分の国よりも、自分が現在生きている世界よりも、自分の愛と生命よりももっと貴い、そのような道をわたしたちがすべて相続するために、そのようなことをしているということを知らなければなりません。現在のわたしたちの生活がどれほど貴重かということを知らなければなりません。

 そのような天理を立てて神様を解放し、神様が創造されても完成することができなかったものを完成させなければならない責任が、神様にあるのではないということを知らなければなりません。神様にあるならば、アダムとエバを堕落させることもなかったのです。堕落の責任がアダム家庭にあったということは、とてつもない事実です。今まで人類歴史の中で、そのような内容を知った人が一人もいなかったというのです。再創造の主人が神様ではなく皆さんの家庭だというのです。ですから、本然の国、天一国の主人である「わたしたちの家庭」が重要なのです。

 レバレンド・ムーンが二十四、五歳の若い青年の時に、このようなすべてのことを知り、決定的な結論の上に統一教会という看板を掲げて歩んできたという事実を知らなければなりません。したがって、皆さんもその本然の位置から新しく出発しなければなりません。


尊敬する貴賓の皆様!

 レバレンド・ムーンが家庭堂の創堂式で宣布したみ言の主要な内容が何かご存知ですか? 婚姻届と出生届に関するみ言です。レバレンド・ムーンの婚姻届ではなく神様の婚姻届、神様の出生届のことを言っているのです。神様は、アダムと共に結婚式をすることができませんでした。婚姻式をすることができなかったというのです。神様ご自身が宇宙創造の主人としてアダムと共に出生届をすることができませんでした。誰のためですか? 堕落したアダムのためです。

 それで、真の父母は、「神様王権即位式」を奉献してさしあげた基台の上で神様を解放してさしあげなければなりません。自主的な立場にお立ちになって、天地の極小から極大のものまで思い通りに創造された神様が、堕落のゆえに自由自在に自己主張することのできる天一国主人の出発をすることができなかったという無念な事実を、皆さんは知らなければなりません。

 神様を解放させることのできる再創造解放圏を、アダムとエバの家庭が滅ぼしてしまったので、アダムとエバの完成家庭は、神様の再創造の権限を堕落がなかった本然の世界に返しさえすれば、一時にこの宇宙を新しくすることができるというのです。ですから、皆さんは、今から神様のみ旨の方向に従って、新しい家庭の信念を持って決心することができれば、万事が思い通りに運ぶでしょう。

 なぜ私にユダヤ教が必要で、なぜイスラム教やキリスト教が必要で、なぜ統一教会が必要なのですか? それが怨恨の結ばれた堕落の結実体だったので、それを蹴飛ばしてしまい、真の父母であるレバレンド・ムーンの手によって、本然的神様の解放的王宮圏から天下が天国王権の所有圏に復帰できるようにつくられているという事実を知らなければなりません。

 このような内容を確実に知ったならば、皆さんもきょうを新しい出発の日として定め、自信を持って責任を果たそうという、そのような信念を持った神様の息子娘にならなければなりません。

 その次には、神様を中心とした家庭であればそれで十分です。皆さんも天の側の政党の側に立ち、今まで天を苦労させ、宗教圏を受難の中に追い詰めたサタン側の政党に属した様々な国々を整理していこうと決意しなければなりません。

 わたしが暮らしたい本郷の地、故郷の地を建設するための主人にならなければなりません。万物にまでも真の愛を施す皆さんにならなければなりません。万物、すなわち植物も動物も再創造しなければなりません。彼らは、堕落のために真の愛の相対圏を失ってしまいました。アダムとエバが十六歳になる時までは存在しましたが、それ以降は分割されてしまったのです。これを今からわたしたちが責任を持ち、世界全体をわたしが失敗して滅ぼしてしまったと考えて、わたしが責任を持って復帰しようというそのような祝福家庭であってこそ、天一国の主人になるのです。

 全人類が、地獄圏と天国圏、すなわち天上世界と地上世界の双子のように、同時に生まれた立場に立ったということを考えなければなりません。ですから、兄弟です。父と母が愛する兄と弟、そのような同位圏家庭に入っていって体恤することのできる心情を感じることができなければ、皆さんは、あの世に行って王宮を中心に家庭完成をして生きることができず、その周辺を回り続けるそのような生活を千年万年反復するというのです。

 皆さんは、祝福を受けた新しい家庭の先祖として、純潔、純血、純愛の血統を残すために、すべての精誠を尽くさなければなりません。その峠を越えるために百回千回死んだとしても、皆さんには、死ぬ前に完結しなければならない家庭的責任があるというのです。ですから、常に一心、一体、一念の精神でその道を行かなければなりません。

 神様がそのように深刻で、統一教会を立てたレバレンド・ムーンがあれほど深刻な立場に立ってその原則の道理と軌道をつくっておいたので、好きでも嫌いでも、皆さんも最善を尽くして走っていってこそ、目的地に到達することができるのです。

 新しい天国理念時代が訪れてくるので、つまり国家形態を皆さんと皆さんの祝福家庭の上に立てることができる新しい時代が来たので、徹底して整備し警戒する心を持たなければなりません。天の創造理想的目的に侍るのに不足のない天の王子王女家庭にならなければなりません。

 そして、勝利の基盤を相続して神様に侍って暮らしながら、地上天上で万年太平聖代、一つの国、一つの文化、一つの世界、一つの兄弟、一つの家庭を拡大した家庭圏として帰らなければならないというのが、統一教会が行くべき全体目的であることをはっきりと知らなければなりません。 

 家庭堂というものが出現しなければならないという事実は、どれほどぼうぜんとすることでしょうか? イエス様が蕩減復帰を終え、結婚して家庭を築き、イスラエル民族を一時に天国に隷属できる祝福結婚を越えて、ローマまで祝福をしてあげたならば、イエス様の四十代までに地上天上天国をすべて成していたというのです。

 イエス様を殺した罪でイスラエルとパレスチナが闘っているのです。兄弟が一つになれませんでした。そこで一つの宗教、一つの文化圏、一つの国、一つの心情圏になっていなければならなかったのですが、その場にイスラム教が生じ、ユダヤ教が生し、キリスト教が生じたという恨めしい内容を知らなければなりません。

 最近アメリカでは、十字家を除去する運動が展開されているですが、それが問題ではありません。イエス様を殺しました。真の父母を殺した罪は、人類が滅亡しても、イスラエルが千代万代犠牲になっても赦しを受けることができないのです。イスラエル民族が罪の量をすべて満たしたのではありません。ヒットラーが、イスラエル民族をあれほど殺すことができますか? 天の許諾を受けて罪の量を蕩減することのできる量が満ちていなかったのです。同じように、今日もそのような歴史的同時性の時代に入ってきているというのです。

 歴史的にユダヤ教とイスラム教とキリスト教が分かれたことを、今統一教を中心として、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教が全世界的に一つになるべき同時性の時代が来たというのです。蕩減復帰は、同時性圏によって完成されるのです。この時代は、世界的な同時性圏時代ではなく天宙的な同時性圏時代です。

 ですから、再臨主は、メシヤであり救世主でなければならないのです。救世主は、世界を平和の天国にしなければならず、その世界には、宗教的不和がありえません。そして、再臨主の意味は、最初に来た主人が定着することができずにいったので再び来る主人ということです。再び来て真の父母になり、地上世界と天上世界の解放圏を成さなければならないという歴史的な事実が、摂理史とともに綴られているということを人類が分からなかったというのです。

 今はもう分かったので、皆さんもそのまま実践躬行し、その峠を越えて神様の御殿に、さらには天下を治めることができる解放的理想圏に入っていくことができなければなりません。天国の大勢の役人から称讃を受け、すべての人が新しい国である天一国に入籍し、新しい国民として入っていかなければならない宿命的な課題が厳然として残っているという事実を知らなければなりません。このような使命を完遂できずに死んで霊界に行けば、それがひっかかるのです。

 ですから、生きている間にすべてのことを清算するために、あらゆる至誠を尽くさなければなりません。皆さんの五官、十官を百回、千回燃やしても越えていくことができないその道に誤謬を残した自分の一生だったのであり摂理史だったという事実に、だれが責任を持つことができるのかというのです。神様が責任を持つことができますか? 神様が責任を持つことはできないのです。神様が責任を持つことができるならば、アダムとエバを最初から堕落させなかったのです。

 再創造の主人は誰ですか? 神様ではありません。皆さん自身であり、皆さんの家庭です。ですから、「天一国主人わたしたちの家庭」というのです。神様がつくられた至極小さな動物から天上世界、大宇宙、すなわち太陽系の一千億倍を越える宇宙全体が、神様の愛圏内において秩序的な存在としてペア・システムになっています。

 これをサタンが血を汚し、すべて分けてしまいました。したがって、真の父母が再びより分けて再創造しなければなりません。皆さんも、神様の真の愛で植物を愛し、動物を愛し、地を愛し、真の主人が恨を解かなければならない解怨の責任があるのです。それゆえに、新しい人生観、新しい宇宙観、新しい天宙観が定立されるのです。

 本来は、家庭堂は必要ありません。神様を父母として侍って暮らす家庭が必要なのですが、それができていないので、蕩減する過程においてどのようなことがあっても、それを成就しなければなりません。それで、家庭堂を立ててそれを遂行しているのです。

 神様が行きたいと思っていらっしゃるのですが、わたしたちが代わりに祭物になり、越えていくことができる道を開拓する王子の中の王子であり、王女の中の王女であり、天地の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭に間違いないという自覚をして行かなければなりません。

 そして、神様の愛を受けることができ、神様の心情圏内に千年万年留まりながら、恨に満ちた神様に対するとき、面目なく涙を流し、血と汗を流し、一身全体が燃えても不足さを感じながら行くべきなのが、天を訪ねていく王子王女の道であり、責任を果たすことができなかった失敗を外れることができる道であり、ただ一つの家庭が行くべき道だということを知らなければなりません。

 皆さん自身を中心として、神様までもわたしが創造し、天国と天の宮殿までもわたしが自らの手によって破壊したので自らの手で再び建設し、その上に解放的な神様と千年万年、堕落していない立場よりも千倍万倍孝子、忠臣、聖人、聖子家庭になると思えば、そこに地獄がありえるでしょうか? それ自体が天国の王宮の中心部になり、神様が地上のどこにでもついてきて王宮のようにいることができるのです。

 レバレンド・ムーンも、この統一教会を立てて導いてきながら多くの苦労をしましたが、今まで苦労したことは苦労ではありません。福を深く、広く、高く体恤し、それを感謝することができる心情圏を体得したそのような位置まで経てきたので、このように感じることができたのです。その場に行ってみたことがない人には分かりません。

 神様がレバレンド・ムーンに誇ることができるものがないというのです。神様の出発過程を解放し、息子として愛することができる立場になることができなかったというのです。神様を神様の位置に立て、すなわち神様をお父様の位置に立ててさしあげて子女として愛を受けることができなければならなかったのです。ところが、子女が堕落してそのようになることができなかったので、それが人類の行くべき恨の歴史だったというのです。それをとりもどして神様の婚姻届、神様の出生届をしなければ国がないというのです。

 真のご父母様の生涯も、やはり恨の路程でした。真の父母は、神様と同じ価値基準で歴史性を隔てて摂理してきたので、今後世界がその内容を知れば、毎日のように痛哭するということが展開するはずです。イスラエル民族が痛哭の壁で涙の悔い改めをするのとちょうど同じです。この道を越えなければならないという恨の解放圏を備えなければなりません。

 ついに神様が天地をすべて解放し、結婚式をすることのできる時代圏に入ってきました。神様が婚姻届をしたので、その息子娘たちも出生届をすることができるのです。神様が第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの三代圏を越えてそれをすることができるようになることによって、神様が本然の位置に帰られるというのです。

 今皆さんは、天地父母となられた真のご父母様の勝利圏の上で、結婚届と出生届をすることのできるという二つの権限を、完全に相続するようになりました。そのように暮らすことができると決意して、寝ても覚めても忘れずに一心、一体、一念、一和の生活をする天一国の民となれば、天国の皇族になるということは間違いないという事実を信じて実践してくださることをお願いします。

 選民圏を代表した第一イスラエルのエルサレム宣言、第二イスラエルのワシントン宣言、そして第三イスラエルのソウル宣言の産室となる鮮文大学校において開催されたラスティング・ラブ・コンファレンスに参席した二世圏の指導者の皆様、そして、ソウル宣言に参席するために、きょうこのリトルエンジェルス芸術会館の大劇場に席を共にしてくださった一世圏の世界指導者の皆様に、深く感謝いたします。皆様は、今天の選民圏を受け継ぐ一世と二世の指導者です。ぜひとも、皆様全員が一体となり、国連の更新とともに、新しいアベル国連の再創造のための歴史的な聖業に召命されたがゆえに、きょうこのソウル宣言の現場に立っていらっしゃるということを、銘心してくださるようお願いいたします。

 このすべてのことを神様に感謝しながら、参席者の皆様の家庭と皆様の国に神様の大きな祝福が共にあることを祈願します。

 ありがとうございました。

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「新たな国境線撤廃と世界平和」

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「新たな国境線撤廃と世界平和」

(03.10.03 超宗教超国家平和協議会創設会議 ニューヨーカーホテル、ニューヨーク)


 尊敬する貴賓の皆様

 この50年余りの間、人類は大小の多くの試錬と戦争を体験しながら、それでも全世界的次元でこのような諸般の問題を解決し得る唯一の機構として国連に頼ってきました。しかし今日私たちが身を置いている世界は、現在の国連の力ではどうにもならない限界に達しています。かといって、世界最強国を誇る米国の力でも、どうしようもできないということを私たちはあまりもよく知っています。政治力、経済力、軍事力では万策尽きたという結論が既に出ています。

 今日、私はこの貴い席をお借りして、「国境線撤廃と世界平和」という題目で天がこの時代に私たちに下されたみ言をお伝えすることによって、天上天下の数千億人類の前に、実に歴史的で摂理的な大宣言をしようと思います。

 皆様、私たちがこの世の中のあらゆる国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的にくるようになるはずです。ところが、私たちが記憶しなければならないことは、この世界に現存する国境線の主人が果たして誰かということです。神様ではないということは明らかです。国境をつくり始めた張本人はまさにほかでもないサタン、悪魔です。したがって、どこでも国境線がある所には必ず悪魔とその実体が隠れているということを知らなければなりません。そのような結果は人間始祖の堕落が善悪の分岐点となる血統を交換してしまったからなのです。

 東洋と西洋を比較してみても、文明圏を中心として背反する国境線が生まれ、そこには悪魔が陣を張っているのです。悪なる文化的背景、歴史と伝統的背景、人種的差別など、こういうあらゆる種類の陥穽を掘り、国境線をつくった張本人は神様ではなく、サタン・悪魔だということなのです。神様が願ってこられた善なる世界は統一の世界です。すなわち、全人類が一つの大家庭をつくって暮らす一つの世界なのです。そのような世界にどうして国境が存在できるでしょうか。国境がなければ、怨讐もありえないのです。怨讐という言葉の中には国境が内在しているためです。

 怨讐を愛して一つにすれば、国境が崩れ落ちるのです。そのために神様の戦略戦術はいつも怨讐を愛しなさいということです。怨讐を愛せよというみ言ほど偉大な戦略はなく、またこのように偉大な戦術はありえません。こういう途方もない内容を歴史を通して現在まで人類は知らずにきたというのです。

 皆様は歴史を代表し、現世界を代表して、こういう途方もない天の秘密を知るようになりました。これを相続して、実践し、生きた真の愛そのものとなれば、皆様は自動的に平和世界を成し遂げる主人公になるはずです。


 貴賓の皆様!

 国境はどんな時、どこに生じるものですか。国境とは私たちの心が好まないところにも生じ、身体が好まないところにも生じ、自身の行動を好まない時にも生じ、自身の言葉を好まない時にも生じます。私たちが五官を中心として、身体と心が一つになることができなければ、各種各様の国境が生まれるという話です。皆様も一度考えてみてください。私たちがどれくらい多くの各種大小の国境を持って生きていることか。

 怨讐を退治せよ! 国境をつくることを遮断せよ!という言葉を実践しようとするなら、皆様の目を選ばなければならないときが生じるかもしれません。目にも2種類の目がありえます。なんでも見えることはみな良いと歓迎する目には、大きな国境が生まれるのです。聞くことも同じです。善なるみ言や真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、また世間のあらゆる邪悪な言葉を聞いて、そこに同調して、耳の国境をつくることもすることです。

 私は早くから、統一教会を出発させながら、教会人たちが流行歌を歌うことを禁じませんでした。一般のキリスト教では禁忌事項になっています。しかし、問題は流行歌を歌おうが、名曲を歌おうが、その歌の内容を消化できるか否かによるのであって、歌の種類で善悪が分かれるのではないのです。即ち、歌を歌って新しく国境をもう一つ作るか、でなければ国境を撤廃するかということが問題だという意味です。したがって、どんな歌を歌おうが、神様が好むことができる真の愛の橋を架けることができる人は、流行歌を歌おうが、どんな貴重な言葉の歌を歌おうが、なんら問題にもならないということです。

 こういう視点から見ると、私たちの五官を通して感じる感覚や、歴史的伝統によって、いま皆様が生きている環境圏に国境があるとするならば、皆様は選択の余地なく、サタンの一族に属するようになるのです。半面、私たちの生活の中に何らの国境もないとするなら、私たちは神様の側に立つようになるのです。サタンはどうにかして、皆様の生活の中に国境をたくさん作ろうとする大王です。神様は国境を一番嫌う大王ということを肝に銘じるようにお願いします。

 皆様もご存じのように私が生まれた韓半島には、いまも南と北を分ける38度線があります。この38度線を好む者はサタンの側であり、これを撤廃させるのに生命を捧げて戦う人は神様が最も好むチャンピオンになるはずです。韓国の7000万人全員が死んでも、38度線を残しては死なないという覚悟でだけ生きるならば、韓半島の統一は自動的に成就されるはずです。しかし、それが決してたやすいことではありません。38度線を好む人は悪魔の側、サタンの側ということを知るべきです。38度線がある所にはサタンが主人になっており、38度線をなくす所には神様が主人であるゆえに、いままで私に従ってきた統一教会員たちは人類のあらゆる38度線を消化してなくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。

 あらゆる人々が怨讐同士の国民たちの間に立ち、交叉結婚を通して、娘婿や嫁を迎えなければ生きられないという人々ばかりになる日には、統一天下が自動的に来るようになるはずです。


 皆様

 この天のメッセージがまさに今日、私が皆様に差し上げる贈り物なのです。もう一度、思い起こしてみてください。国境がある所には必ず悪魔の一族が生きているのです、38度線がなく、お互い真の愛で和睦する所はまちがいなく神様の一族、即ち神様の血統を相続した真実で善な人々が住む所です。

 皆様、私は趣味産業に大きな関心を持って推進しています。誰でも行って住んで見たい所、あらゆる人に趣味の希望峰となる、そのような所があるならば、そこがたとえ国境地帯でも沙漠でも、そこは今後、新しい国連を中心として超国家超宗教次元で全人類の平和な共同所有地になるべきです。こういう全世界的なことのために、私は私に従うあらゆる人々に、総生蓄献納金を集めようといいました。全体を新しく創設される国連格の超宗教超国家平和協議会に属させようということです。

 聖書を見れば、旧約時代には人間の代わりに万物を象徴する動物を割いて血を流すようにすることで、左側はサタン側で、右側は神の側に分けて置いて、所有権争奪戦を繰り広げました。その結果、神様のひとり子であり、長子となるイエス様がこの地へ来られ、血を流し、結局イエス様の肉身はサタンが取って、心は霊界の神様に戻るようになったのであります。即ち、人間の不信により、イエス様も十字架の上から霊的肉的に分かれしまったのであります。

 しかし、霊界に行かれたイエス様はその実体をまた探さねばならないために、また来ると言われたのです。神様のひとり子となったイエス様の身体と心が分かれたことに由来して、霊界と肉界が分かれる途方もない事件が展開しました。男子と女子を分けて、身体と心を分けたゆえに、これらすべてを統一させるために、霊界の所有権を見い出したイエス様は地上の所有権も探してひとつとするために、地上にまた降臨せねばならないのです。また、来て何をしようというのですか。真の血統を受け継いだ結婚をして、真の家庭を実現しようということです。

 神様の長子として来られたイエス様の肉身を奪取したサタンは地上世界を占めるようになり、天上世界は神様が占めるようになったのであります。イエス様は霊界に行って2000年間、道を磨きながら、天上世界であらゆる心の世界の方向が一つになるようにする一方、地上界にもキリスト教をたてて、役事してこられました。しかし、キリスト教はカイン・アベルの形態のようなカトリックとプロテスタントに分かれて、いままで戦ってきたのであります。

 お互い怨讐になってしまいました。カイン格である長子はサタン側になり、アベル格である次子は神側になったのに、その裏面には必ず国境的な内容、即ち闘争的な概念を抱えて戦いながら、歴史は発展してきたということです。これを解放しなければならないのです。

 したがって、また来る主は天の国を統一して、地上にユダヤ教の選民国と同じ統一国を探し建てて、数千年間、分かれて戦ってきた天と地、男と女をついに一つにする新しい結婚式を行うようになり、これがまさにキリスト教で言う「子羊の婚宴」なのです。

 歴史的に神の国とキリスト教を中心とした地上世界が統一できる絶好の機会となった時が、まさに第二次世界大戦直後でした。この時はキリスト教文化圏が全世界を統一したのと同じ立場でした。霊界の統一的主導権を持って勝利的覇権者になられたイエス様が、地上の統一されたキリスト教文化圏を中心として、聖霊とともに実体として再臨され、新郎新婦になって新しい結婚式を挙げることによって、身体と心が分かれて戦い、男と女が分かれて戦った人類の諸般の問題を解決して、天下を平和の天国に作ることができる絶好の機会が第二次大戦直後にやってきたのです。

 皆様、神様の創造理想をみる時、誰からまず結婚式をすることになっていますか。アダムとエバです。ところが不幸にも人類を数千数万の国境線の奴隷としてしまったエバの堕落がありました。エバから始まったその垣根を壊し、平地をつくって堕落前のアダムとエバの立場を復帰して、新しく結婚をさせてあげれば、私たちの祖先たちはもちろん、神様までも歓迎しながら、喜んで踊られるというのです。こういう世界が実現すれば、それがまさに地上天国になるのです。

 しかし、人間歴史にそのような日はありませんでした。人類はいままで無数の国境線の奴隷となって、絡まり混ざり、さまよって呻吟し、苦痛を味わいながら生きてきたのであります。したがって、国境線打破をどのようにするかに対する解答だけ探すならば、それがまさに人類平和のための根本的解答になるのです。人類はいままでこれを知らずに生きてきました。これから、歴史上初めて私が人類の真の父母の資格を持って、この土地に顕現し、その解答を教え、満天下の善男善女たちを神様の前に新しい祝福結婚をさせてきたのであります。国境線が百万個があるとしても、私には問題ではありません。容易に撤廃できます。どのようにしてですか。真の愛があるから可能です。神様を100%知って、神様のような立場に立たずには、そのようなことを解決できません。

 皆様、霊界には地獄と天国があります。天国が昼ならば地獄は夜のような所です。昼と夜を知らない人がどうして天国と地獄の境界線を主管できますか。とてつもない言葉です。内容を知る人だけが自動的に主管できることです。地獄の内容まで確実に知っている者でこそ、闇を撤廃できるのです。

 神様は全知全能の方であられるために闇を撤廃できるのです。それで問題は私たちが神様を知らねばならないということです。皆様は神様をどれくらいご存知ですか。お金を好む神様ですか。権力を好む神様ですか。でなければ知識のほかに知らない神様ですか。そのような神様では人類の解放を成し遂げることはできません。

 私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放でき、国境線問題も完全に解決できるのです。神様には何をもって数千年にわたる国境問題を解決できるのかを私たちが知らなければなりません。それが重要です。神様が宇宙の主人ならば、その主人が住む町内があり、国もなければならないのではないでしょうか。神様を知ろうとするなら、神様の相対圏の立場に立って、皇族になることができるその国を探していかねばならないのです。

 ところがあらゆる環境が各種の国境で閉じられており、この国境を撤廃することで、神様が好まれる世界をつくるのです。そうなれば、あらゆる被造万物は神様に直接主管を受けたいというのです。無数の国境線の下で呻吟しながら、苦痛を受け、迫害を受けた悪魔の支配下から解放されたのです。


 尊敬する指導者の皆様!

 私たちは何よりも神様を確実に知って、天の国、即ち霊界を確実に知らなければなりません。そうなれば、皆様はいつどこでどんな状況に処しても、その国の伝統と文化を中心として、どのように適応し対処しながら生きていくかに対する答が自ずから出てくるのです。

 天の国には明らかに神様がいらっしゃいます。ところが今日、私たちが生きている世界は数千数万の国境で分けられ、なぜか神様を正しく知り、天の国を知る人がいないだけでなく、天の国の伝統的内容を知る人がいないために、こういうでたらめなの世の中になったのであります。その内容だけを確実に知る日には、霊界でも地上界でも解放圏が開かれるのです。あらゆる天の国の秘密を知って、サタンを身動きできないようにできる真の人になれば、神様と天法に一体化しうる文化と伝統をもって生きる方法を知るようになります。

 そのような人がまさに為に生きる真の愛を所有する真の人です。自己のために利己的である愛を求める人ではなく、相対を真の愛の主人とする真の人です。このように相対のためにすべてのものを犠牲にし、相対が真の愛の中で踊って暮らせるようにする真の人は、天の国までもが保護して愛する天の国の後継者になるために、そのような天の後継者にはサタンは触れることができないのです。

 死ぬのを見て憤る以上に、その場を越えて、怨讐を真の愛で大事にしてやるようになれば、怨讐の世界を支配できるようになって、サタンが自動的に退くようになるために、その怨讐の世界がむしろ皆様を尊敬し侍るようになるというのです。皆様の子息や父母よりも、周囲のあらゆる人々を大事にしてやり、究極の真の愛を施せば、サタンは自動的に逃げるようになって、神様が代わりにその場へいらっしゃり、千倍万倍に返すのです。

 皆様、サタンが逃げて行かざるを得なくさせる秘法が何だといいましたか。真の愛で為に生き、為に死んで、為に愛するという真の人の前では、どんなにひどいサタンも国境線を捨て、逃げて行かざるを得なくなったのです。逃げて行くにも、そのときには国境線を壊していくようになっていて、そのままでは行けないのです。そうなれば、何が行われますか。サタンが離れるため、地獄の死亡圏に直行した無数の生命たちが180度旋回して、天の国に上昇できる永生の道理が広まるのです。このように永生の祝福が下るのです。神様を確実に知って、霊界に対し確実に知って、天の国の伝統的思想である、為に生きる真の愛を千年万年実践する真の人になるため、皆様は初めて神様を父と呼ぶようになるのです。その場でこそ、父子の間の血統が連結されて、この天の血統を通じてこそ、永生の論理と伝統が皆様と不可分の関係として決着するのです。

 永生は真の愛の本質的属性です。神様も宇宙を創造する時、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立たせておかれたとのことです。世の中は変わり、また過ぎても、神様は永遠無窮のごとく真の愛を投入される方であるために、神様に主管されない存在や、神様を絶対唯一不変永遠の主人として応対しない存在はありえないということを皆様はよく知っておくべきです。したがって、永生不滅の位に創造された人間も、神様の息子娘となって、そのような神様と一体となった地位に立つようになれば、神様の国が私の国になり、神様がまもなく、私の神様になるのです。天の国の伝統的主人である神様と生活の中で一体となり、神様の息子娘となったことが間違いなければ、私たちも永生不滅を享受することができるということは至極、当然な結論なのです。それで、天のために死のうとする者は生き、自己のために生きようとする者は死ぬという逆説が真理だというのです。

 国境(境界線)撤廃でも、国連国境撤廃、宗教国境撤廃、民族国境撤廃、地獄と天国の国境撤廃を完結しなければならないです。ところが国境は本来、偽りの父母が作ったために、真の父母でなければ国境を撤廃できる人がいません。神様自身もできず、サタンは絶対にしないのです。こういうサタンと神様との間の歴史的な戦いを誰が止めることができますか。


 世界を気遣い、人類平和を望んでこられた貴賓の皆様!

 人類歴史上、最後の結実期であるこの時を迎え、天は私に人類の救世主、メシア、再臨主、真の父母の資格を付与して、この地に送りました。弱冠16歳の年に天命を受けてそれに従ってきた私の80年の人生はただ一筋、神様がそのように数千数万年、願ってこられた地上天上天国を完成することでした。60億人類全体が心を合わせても耐えれない想像を絶する各種の迫害と試錬の中でも、私は神様に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準の上に立って、最後まで人類のためのあらゆる蕩減復帰を実体で完結したのであります。サタンの勢力をこの地上から完全に根絶させてしまったのであります。

 今は人類に新しい世界が開いています。私は既に霊界と地上界で島嶼連合と半島連合、そして大陸連合まで創設しただけでなく、皆様も知らない間に、既に人類は天一国3年目を迎えています。失った第一イスラエル圏を復帰することはもちろん、第四次イスラエル国の出発までも、神様と天宙の前に私が直接宣布を終えました。霊界の五大聖人たちをはじめとする一千二百億双の新しい祝福家庭たちも、私と絶対的基準で一つになって、平和世界創建のために先頭を走っています。

 これから皆様の使命は、私が今日宣布した国境線撤廃と世界平和の意味を深く刻んでお帰りになり、皆様自身から始めて皆様の家庭、社会、国家、世界で地上天国、天上天国創建の目標をたてて、為に生きる真の愛を実践することです。新しい希望とともに、今日私たちがともに意思を集めて創設したこの新しい国連格である超宗教超国家平和協議会のため、最善を尽くしてくださることを私は信じます。

 皆様すべてが解放される真の愛の決心をして、神様の祝福とともお帰りになるよう願います。

 ありがとうございました。

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「平和国連を通して平和天国を完成しよう」

文鮮明師 講演文

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In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「平和国連を通して平和天国を完成しよう」

(03.10.15 平和国連創設韓国本部大会 リトルエンジェルス芸術会館、ソウル)


 尊敬する内外貴賓の皆様! 

 今日の世界は前後、左右、東西、南北のどこを見回しても戦争と疾病、人種紛争と宗教的葛藤、そして不倫と腐敗が荒れ狂う絶望の世界です。200カ国以上の大小国家が五大洋六大州に広く角逐戦を繰り広げているこの地球星に、果たしてどの国が今日人類が直面している様々な問題を解決してくれると思いますか。

 50年ほど前、世界平和政府を標榜して誕生した国連は現在、どんな状態ですか。自国の利益に血眼になって政治的な力学関係の奴隷になっている極度の利己主義者だけが乱舞する舞踏場となり、ほんの一歩も前進できない状況に転落してしまいました。世界平和の具現はいうまでもなく、一寸先も予見できない今日の世界情勢に対しても、何の解決策や希望も提示できないでいます。

 皆さま、今日私は実に感激と感動に満ち溢れた思いでこの場に立ちました。私たちはすべて、まず神に感謝しましょう。今や人類に光明の新時代が訪れようとしています。神の恵みと愛が全世界を照らす平和の天一国を創建する天地開闢のときの声が地軸を揺り動かしています。今日、私は「平和国連を通して平和天国を完成しよう」という題目で、天が今の時代に人類に下されたみ言葉の一端を伝えようと思います。


真の父母の勝利圏を相続しよう

 この世には60億に及ぶ人類が生きていますが、人間の根源がどうなっているのかについて、はっきりと知っている人は誰もいません。誤りを犯したのか、犯さなかったのか分からない、はっきりとしない過程で歴史は出発し、その歴史が継続して今日まで続いて、今は60億という人類になったのです。出発がはっきりせず、過程もはっきりしないため、その終わりもはっきりするはずがなくなったのです。そのため、今日の世界は混沌と混乱の連続です。本来、正しい道を見出していたならば、混乱や混沌はなく、そのまま地上・天上天国に向かう一方通行となっていたのです。しかし、人間の堕落によって、そんな一方通行の道を失ってしまった人類の運命は善くもあり悪くもあり、時には上がり、そして下がったりしながら、流れて来たのです。

 それでは、善く進んでいた道がどうして下がっていくようになったのでしょうか。下がっていきたくなかったのに、下がっていってしまったのです。それが問題です。善を続けたかったのに、仕方なく下がっていってしまったのです。それでは、どうして善が下がっていったのでしょうか。人間の生活が善の絶対的な原則に反する時に下がっていってしまうのです。それは何を意味するのですか。善と悪の交差を意味するのです。この世の如何なる王や大統領といっても、自分たちの主権がいつ上がり、いつ下がるのかは知らないまま生きています。全ての主権者は、永遠に善くあることを願うのです。しかし、どの主権者も真なる善の基準に一致できず、合致できないときには、必ず折られて亡びるようになり、下がっていくのです。

 それでは、善悪を主管するのは誰ですか。いくら強大な権力を行使する王朝があったとしても、その王朝の支配権によって善と悪が左右されないという事実をわれわれは知っています。言い換えると、如何なる主権者も自分がこれを思うままに調整できないのです。何か見えない背後の力によって調整されているという事実をわれわれは否定できないのです。

 一つの国をみると国法があります。善を立てるために国法は存在するのです。あらゆる国の憲法がこのように善を擁護し、守るために制定されたのであって、破壊するための目的で制定された法はありません。したがって、誰でも国法を犯すと監獄に行くのです。ところが問題は、どんな国でも主権者の資質次第で善の基準が誤って適用されたりするのです。それで人類は今日まで、繁栄できる道と亡びるしかない二股の道であえいでいるのです。


主体と対象が完全に一つとなれば宇宙が保護

 人間は二重構造になっています。心はプラスで天の側に属し、体はマイナスでサタン側に属します。本来はこの心と体が自動的に、完全に一つとなるべきだったのに、人間始祖の堕落によってそのようになれず、体がもう一つのプラスの立場を占めようとしたために、体と心の間に衝突が起こり、ついにはサタンが体を占領するようになったのです。堕落を通し、愛の関係を通してサタンの血統を連結させ、人類を繁殖させてきたのです。これが問題です。この心と体の戦いはがんやエイズよりももっと恐ろしい持病となっています。したがって、如何なる犠牲を払ってでも体を再びマイナスの位置に追い込まなければならないのです。宇宙の法則によって同じ極同士は互いに反発するようになっています。しかし、主体と対象が完全に一つとなれば、天運を受けるようになり、宇宙が自動的に保護してくれるようになっているのです。


絶対的な主体があれば絶対的な対象は生まれる

 絶対的な主体があれば、絶対的なマイナス、すなわち相対は生まれるのです。レバレンド・ムーンの生涯をみても、天命を受けて出発した絶対的な主体の生涯の前に、米国が反対し世界が反対しても、絶対的な主体を打った側は自動的にマイナス圏となって吸収されるのです。善なる側に立って反対を受ければ、周囲すなわち宇宙が保護してくれるためです。こんな原理的な観を確実に知るためにレバレンド・ムーンは個人的な闘争、国家的な闘争、そして世界的な闘争を経ながら闘って勝利してきたのです。人類歴史を調べてみると、今まで神は原則的な方向、すなわち真の愛の目的に向かって進んできましたが、悪魔はそれに反対する破壊的な勢力によって敵対してきたのです。サタンが先に人間始祖を堕落させて先手を打ち、家庭、宗族、民族、世界を占有しました。最初に地獄行きとなった人間は人類の最初の先祖、アダムとエバです。天国に入れなかったのです。このように、サタン圏によって被造世界が先に占領されたという事実を皆さんは知るべきです。

 それでは、悪魔は何ですか。神の民を自分の民にして占有しようとする存在です。他人の子供を拉致して自分の子供として、ずうずうしく所有権を主張する破廉恥な者です。ところが、そのような罪悪が露見して全部奪われるのではないかと心配するあまり、創造の根本となる神の良心が向かうべき未来の道を逆に向かって座り、神と人類の解放を防いでいるのです。その手段として、あらゆる人類の体を占領し、神が最も理想として重要視する愛をめちゃくちゃにしてしまったのです。今日、皆さんが目撃するフリーセックスがそのいい例です。愛の道を混乱の中に陥れ、良心を自由に主管できないようにするのです。この二つがサタンの戦略であり戦術です。

 皆さん、フリーセックスはサタンの罠です。世の中の金持ちは、その財力でサタンが仕掛けた罠にはまり、享楽にふけりながら死んでいくのです。サタンは邪悪な人々により大きな財物祝福を与えて、彼らが絶対に退廃の沼から脱出できないように防御線をはっておくのです。酒、タバコ、そして麻薬とフリーセックス、この4つがサタンの主力兵器であることを皆さんは知るべきです。

 こんな兵器を通してサタンは人類が肉体的な満足に酔って苦しみ、そのまま地獄行きの列車に乗るようにするのです。それで、レバレンド・ムーンは人類がこんな悲惨な地獄行きから抜け出し、良心の呵責を感じない真の人間となって真の愛の人生に戻ってくるべきだと教えているのです。体と心を一つにして天国行きの列車に乗車できる唯一の道がその道だからです。

 言い表すことができない反対と逼迫の中でも、レバレンド・ムーンは80年余りの生涯をひたすら真の愛の回復を通して人類平和の具現に生命をかけて犠牲の道を歩んできたのです。決して一瞬の間も倒れませんでした。殺そうと襲い掛かってくるサタンの前でも絶対にプラスの立場を固守して、あらゆることを克服し、自動的に絶対的なマイナスを確保してきたのです。一言で言って、本然の創造原則に従ってきた生涯でした。


真の父母が絶対的に必要な理由

 レバレンド・ムーンは宇宙の原則に従って生きてきました。如何なる苦難と逆境の中でも絶対に妥協せず、天の道を歩んできた一本道の男です。勝利者の位置まで進みさえすれば、神を中心にしてあらゆる被造万物が万歳して歓迎する道がその道であることをはっきりと知って出発したためです。

 サタンはいつも天とレバレンド・ムーンを嘲弄しながら、自分の勢力領域を自慢してきました。「俺の武器は錆付かない。いくら全知全能の創造主である神さまもこんな戦いでは俺に勝てない。見ろ! 体の方が良心を完全に踏みにじっているではないか。愛も今は完全に俺の計略通り転落してしまった。祖父が孫娘と、子供が母親と連れ添って暮らす面白い世の中になっているではないか。こんな悪の世界をどうして再び神さまの理想世界に復帰するというのか。どこの誰がそんなことをしでかせるというのか」。しかし、神はこう叫んできました。「待て、このサタン。真の父母なるレバレンド・ムーンの活躍で地上界ではすでに真の愛の影響圏がしだいに拡大しているではないか。真の父母が真の愛の主人だ。真の愛の王だ。サタン、お前もこの真の愛の前ではお手上げではないか」。

 皆さん、それでは真の愛はどうやって復帰するのですか。これは真の父母の責任です。いつも良心世界が勝利する本然の世界、すなわち人間にとって最も高貴なその絶対善の世界を探し立てなければならないのです。その秘密は簡単です。真の父母、真の愛、真の生命、真の血統の前では、偽りの父母であるサタンはいくら地団駄を踏んでもお手上げなのです。神のみ旨に永遠に合致できるためには、神と人類が真の愛を中心に主体と対象として永遠の関係を結んでいくのです。こんな永遠の関係の中に、どうしてサタンが割り込むことができましょうか。

 皆さんが神の創造理想である、為に生きる真の愛を中心とした生活さえするようになれば、祝福を受けて真の血統に連結し、永生まで保証されるのです。皆さんの子孫を通して真の愛、真の生命、真の血統が永遠に広がっていくというのです。しかし、ここには真の父母が絶対に必要です。誰彼を問わず人類は例外なく堕落の後裔です。堕落によって一寸先も予見できない盲人となっています。誰が誰を救えるというのですか。

 神が直接送った誰かが、すなわち、人間の堕落と関係ない位置に立って世界を診断し人類を死の道から救い出せる誰かが現れなければならないのです。その位置に他ならぬレバレンド・ムーンがやってきました。神がレバレンド・ムーンを人類の救世主であり、メシア、再臨主、真の父母として印を押して送られたのです。従って人類は、真の父母の教えに従って絶対的な良心圏を復帰すればいいのです。そこで初めて絶対的な所有圏も見出されるのです。絶対的な愛圏、絶対的な生命圏、そして絶対的な血統圏も他ならぬここから見出すようになるのです。

 従って皆さんはまず、神と一つになる道を見出すべきです。何を通して可能ですか。為に生きる愛の基盤がどこから出発しますか。皆さんの愛の器官です。皆さんの生殖器が他ならぬ皆さんの愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮だということです。そこを通して生命が結ばれ、そこを通して愛が成就し、そこを通して血統が連結される、この厳然たる真理を人類が今日まで知らずに生きてきたのです。知ってみれば、これよりもっと尊い真理はありません。数千、数万年間、人間を支配してきたサタンも他ならぬこの生殖器を通して支配してきました。180度方向を変えてしまい、人間の堕落を引き起こさせたのです。

 万一、堕落がなかったならば、救世主、メシア、再臨主、真の父母などの単語は必要なかったのです。しかし今、人類の真の父母がこの地に再臨したので、人類はサタンの束縛から解放され得るようになったのです。堕落によって失われてしまったあらゆることを再び回復できるようになったというのです。本心を通して人間本然の価値を取り戻せるようになりました。二度とサタンが覗き込めない絶対的な善の世界圏を完成するのです。


真の父母の勝利圏を相続して宗族メシアとなれ

 真の父母の勝利圏は、どんなことを言うのですか。サタンとの闘いですべて勝利したというのです。個人的な圏で勝利し、家庭的な次元で勝利し、宗族的、民族的、国家的、世界的な基準で完全な勝利を得たというのです。決して容易くない険しい路程でした。しかし、万難を克服して勝利を勝ち取り、ついに2001年1月13日には「神の王権即位式」を奉献することによって、神までも解放してさしあげる奇跡を成し遂げました。世界的な次元で共産主義を根こそぎにし、米国のキリスト教を再生させているのもレバレンド・ムーンです。真の父母の役割なのです。しかし、没落した共産主義諸国までも真の父母は再び真の愛で許し、抱いていくのです。共産圏を解放させ、生かしてあげているというのです。

 皆さん、レバレンド・ムーンは既に10年余り前から世界の全ての祝福家庭に「宗族的メシアとなれ」と命令しました。自分たちの宗族の新しい先祖になれというのです。皆さんのあらゆる先祖が歴史を通して切実に抱いてきた願いが他ならぬ宗族メシアです。人類のメシアとしてあらゆることを勝利した真の父母の基盤を相続させて、皆さんも宗族的次元で勝利したメシアとなれというのです。

 レバレンド・ムーンから祝福を受けて祝福家庭の隊列に入った家庭は今、世界を率先して指導する指導者たちであり、宗族メシアとして人類を救う救世主となるのです。数千数万年を待ってきた神の恨(ハン)を解いてあげる孝子であり、愛国者となるのです。あれほど悪辣だったサタンの反対と逼迫に勝利し、あらゆることを相続させてくれる真の父母の勝利圏をあらゆる方面に展開する前衛隊となって全世界を解放して天の前に探し立てるのです。

 氏族メシアは人類のメシアの前に枝のようなメシア格です。この分枝メシアから葉が出て花が咲いて実を結ぶようになれば、その実は大本のメシアの価値をそのまま100パーセント所有するようになるのです。善なる霊たちが保護できる保護圏内に進入するようになるのです。


故郷を失ってしまった避難民

 皆さん、人類は再び故郷を探さなければならない運命に置かれています。ところが故郷を一時離れた人間はその故郷を再び探して行くことができるものの、故郷を失った人間は思い通りに帰っていくことができません。人類歴史の始まりとともに人間は故郷を失ってしまい、追い出されて彷徨するジプシーとなって生きてきました。帰ろうとしても、帰っていくことができる立場にもなれず、帰って行く道も知らないまま、故郷を失った旅人となって数千年をさまよっているのです。北朝鮮から独り非難してきて失郷民となって生きている方々は、その無念で辛い人生をよく理解するはずです。友人もなく兄弟もなく父母もない立場です。故郷があることは知っているものの、思い通りに訪ねていける故郷ではありません。訪ねていく道も知りません。極端な立場で生を営まなければならない立場です。それこそゼロから何の基盤もなく、再び人生を開拓していかなければならない壮絶な立場なのです。たとえ運がよくて避難生活の中でも金持ちとなり、出世したといっても、彼の心の深いところに根づいた故郷に向かう悲痛な願いは取り去ってしまうことができないのです。

 同じように人間始祖の堕落によって天涯の孤児となってしまった人類は、今日まで故郷を失ってしまったかわいそうな立場に転落して生きてきたのです。故郷の主人となる神が厳然として待っておられるのに、人類は故郷に帰っていく願いまでも忘却したまま生きてきました。天地の前に顔も上げられない恥ずかしい姿になってしまいました。60億の規模に拡大する時まで、人類は昼夜を区別できない悲惨な生活を送ってきました。そんな子供たちの姿を眺めておられる神の立場は、どれほど悲惨な心情だったでしょうか。子供の悲惨な姿をみて、父母よりもっと悲しく苦痛に思う者がどこにいましょうか。神は人間を自分の子供として創造されました。

 それならば神の願いは何でしょうか。どうしてでも、迷った子供たちが故郷を訪ねてこられるように解放させてあげることです。この道を開くための作戦が宗教の出現です。宗教運動を通して、それぞれが身を置いた環境、言語、文化、民族的背景、理念、体制、思想を超越して、共に故郷に帰っていくことができる基盤をつくってこられたのです。皆さんが生きている環境圏を数限りなく訪ねながら心を痛め気をもみながら、その日だけを待ってこられたのです。各時代と文化にあった宗教運動を通して摂理されてきた人類の縦的真の父母が他ならぬ神だということを皆さんは知るべきです。

 この全てはある特定宗団のためのことではなく、ある特別な国家のためでもありません。全てが皆さん自身の解放のための神の真の愛の発露でした。皆さんが自由に故郷を訪ねていける橋をかける作業でした。従って皆さん個人個人と皆さんの家族はもちろん、皆さんの国家と人類全体を代表し、さらには霊界に行っている皆さんの先祖たち、そして、将来生まれる皆さんの子孫たちまでも代表する立場に立っていることを肝に銘じられるよう願います。そんな尊い解放された姿として、天と人類の前に責任を完遂する自分たちとなるべきなのです。

 私たちが故郷を慕うのは、そこに為に生きる愛があるためです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣の親族たちの愛が至る所に染み込んでいる土地です。この全ての関係と因縁が為に生きる愛によって結ばれており、すべてを抱きかかえたいなつかしいところです。そこに解放された自分として堂々と現れて自然(山川草木)を抱き、一家親族を愛しながら歓喜の歌を歌いたいのが故郷を失った旅人の郷愁であり、願いなのです。故郷を追われて本郷の心情の根を失ってしまい、故郷に行きたくても行けなかった永遠なる孤独の敗北者であり、流浪の旅人として生きて地獄にしか行けなかった人類が、今は解放されてあれほど夢にも忘れられなかった故郷を訪ねていける道が開かれたのです。人類にとってこれよりもっと大きな祝福の日が、いつ再びあるでしょうか。アダム、エバが失ってしまった故郷を皆さんが探してあげるのです。


4代が一緒に暮らす家庭

 皆さんが故郷を訪ねていく時はアダム完成の立場で、イエス完成の立場で、そして、再臨主の代理の立場で行くのです。その家庭では神が臨在されるのです。祖父母、父母、子、孫が一緒になって暮らす4代の家族となるのです。祖父を歴史的な先祖の根として侍って暮らさなければなりません。そんな家庭に歴史の根が生きており、天国の根が延びて入ってきているのです。

 地上天国の根が下りている所がそんな家庭です。永遠に続く王権の根もここに定着するのです。過去、現在、未来の根がそれぞれ祖父母、父母、孫で代表され、過去の根は霊界を代表し、現在の根は現世界を代表する王宮であり、未来の根は孫を王子・王女として立てて二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿を建てて暮らすのです。

 このように祖父母、父母、子、孫を中心として四代が一つの家庭で永存する神に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが、宗族メシアの使命であり、神の願いであるのです。神もどこかに外出しては、愛しくて再び訪ねてくる家庭を探したてよというのです。父母が子供の家を訪ねていくように、気楽に訪ねてくる家庭を準備しろというのです。それが他ならぬ神に侍って生きる生活です。そんな家庭には神が縦的に良心的な主体となり、皆さんの心はその縦的主体に従って自分自身の縦的主体として心と体を統一するのです。そこでは父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛、このように四大愛圏、すなわち四大心情圏の完成をみるのです。こんな家庭であってこそ上下、前後、左右が一つに連結されて球形運動を続けながら永存するようになるのです。

 皆さん、結婚はなぜしなければならないのですか。それは、主人の立場を探すためです。男も女も独りでは、片側の人間にしかなりません。神の創造がそのようになっています。それゆえ、神は愛の器官である生殖器の主人を互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻なのです。互いに為に生きる愛を中心として立ってこそ、相手の主人の立場に立てるのです。こんな主人の立場を確保するために人間は結婚をするのです。

 それでは、主人の立場を探してからは何をしようというのですか。その立場で神を占領しようというのです。神は三大愛の主体です。天宙の主人として真の愛の師、真の愛の主人、真の愛の父母です。これこそ本当の三大主体思想です。こんな全ての教えと真理が真の家庭の生活を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば社会と国家、そして世界と天宙までも平和の王国に変えることができるのです。

 還故郷する宗族メシアの姿勢は堂々とし、毅然たるべきです。そこには不平はあり得ません。大声で激しく泣きながらも行かなければならない宿命の道です。数千数万年を子供を失った恨(ハン)の心情を抱いて待ってこられた父なる神の事情を知れば、涙なくしては進めない道です。愛の種を蒔きに行く皆さんの足取りは希望に満ち溢れていなければなりません。一度蒔いた真の愛の種は、誰も盗んでいけないのです。真の愛の心情の種であるためです。その種から芽生えた家庭や国家は、永遠に神の所有として残り、子々孫々神の代表を排出する天の名門の家となり、一等国となるのです。


摂理の結実期

 皆さん、今、神の人類救援のための摂理は完結されなければならない切迫した摂理的な時期に到達しました。子供を愛する父母の心情がすなわち、神が人類に対する愛であり、心情なのです。このまま放置しておけない現世界の淪落と不道徳を正して永遠に戦争と葛藤の壁を撤廃するために、神はついにこの地にレバレンド・ムーンを派遣されました。神自身の実体として顕現した救世主、メシア、再臨主、真の父母の資格を付与して送られたのです。それで最近は神が自ら書信を送り、レバレンド・ムーンの一生を慰労し激励することはもちろん、霊界の5大聖人と数多い歴代の預言者と王たち、そして甚だしくはヒットラーのような希代の殺人魔、スターリンやレーニンのような許しがたい共産主義者たちまでもレバレンド・ムーンの教えを受けて悔い改め、感謝の手紙を送ってきています。

 しかし過去を顧みれば、当然、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を尽くして侍り奉るべき真の父母なるレバレンド・ムーンに対し、人類は逆に逼迫と苦難でつづられた荒野路程80年余りを歩ませてしまったのです。それでも挫折したり放棄するレバレンド・ムーンではありません。その程度しかならない人間だったならば、神が最初からレバレンド・ムーンをご自身の代理(代身者)としてこの地に降臨させなかったはずです。言葉で言い尽くせない受難と逆境を克服しながらも、レバレンド・ムーンはたったの一度も神を恨んだり与えられた使命を無視することなく、ついに神のみ旨を完成させてきました。天の摂理を知らない皆さんは、自分だけの志を立てて生きてきたことでしょう。しかし、レバレンド・ムーンの一生は天のみ旨に従い、天宙の公人として一点一画の狂いもない真の父母の真の愛を実践する生活によって、人類救援のために全ての蕩減を勝利してきた生涯でした。

 尊敬する貴賓の皆さん!

 今や人類は希望を持って力強く前だけに向かって前進できる時代圏に入りました。既成の国連の不正と不条理を根絶し、人類の様々な問題をその根源から解決することができる“アベル国連”が誕生したのです。去る10月3日、レバレンド・ムーンの志に従う1500人余りの世界の指導者たちが米ニューヨークに集まって、この歴史的で摂理的な“アベル国連”の創設を成し遂げたのです。


アベル国連は平和国連

 レバレンド・ムーンはすでに38年前、アイゼンハワー米大統領と会って“アベル国連”の必要性を力説したことがあります。ところが、天の時を悟り得ない責任者たちの無知のため、今日まで摂理が延長されてきたのです。しかし、天はこれ以上、待つことができなくなりました。今年は摂理的な要請によって、レバレンド・ムーンに従う数多くの義人たちが怨讐関係の感情を拭い去って立ち上がりました。一緒に座ることも拒否して生きてきた宗教指導者たち、すなわち第1イスラエル圏を代表するユダヤ教の聖職者たち、回教圏を代表する中東の聖職者たち、そして、キリスト教を代表する米国の聖職者たちがエルサレムに雲集して互いに恩讐の手を握って“エルサレム宣言”を発表しました。

 続いて第2イスラエル圏であるキリスト教を代表する米国の首都ワシントンでも数多くの宗教指導者たちが超教派的に集まりました。彼らは霊界から送られた5大聖人をはじめとする多くの指導者たちの決議文に応じて地上決議文を宣布しました。このようにエルサレムとワシントン宣布の土台の上に、さる8月15日には韓国ソウルで第三宣言である“ソウル平和宣言”を採択し、参加したユダヤ教、イスラム教、キリスト教などの聖職者全員の名前で満天下に宣布しました。“アベル国連”が創設されるまでには、こんな摂理的な準備と段階があったということを覚えておいてください。

 “アベル国連”は“平和国連”を指していうものです。既存の国連がカイン的国連であり、紛争の国連であるのに反して、“アベル国連”は世界平和を保証する国連であるためです。これこそ神の人間創造以来、最も革命的で驚異的な事件と言わざるを得ません。これから世界は急速に変わっていくのです。全霊界の1200億組を越える善なる祝福家庭たちが総動員されており、地上界でも今は数万を越える平和大使たち、そして世界の至る所でこの“平和国連”成功のために烽火をもった指導者たちの数が数百万人に至っています。

 人類は今や“平和国連”を通して神と人類がそれほどまでに待ち望んだ“平和の天国(PeaceKingdom)”をこの地球上に創建すべき責任があります。神を私たちの王として侍り、内的には天一国、外的には第4イスラエル国を中心として、この地上に霊界・肉界二つの世界を代表する超宗教超国家的平和世界を創建して安着させる責任があるというのです。


平和国連を通して世界平和実現

 レバレンド・ムーンは現在まで80年余りの間、血と汗と涙で築いてきた全ての基盤を今、喜んで“平和国連”の所属に帰属させることを満天下に闡明するものです。本人が創設して現在、世界191カ国に宣教部を置いている(世界平和統一)家庭連合をはじめとして、数十の各種団体と機関がまず“平和国連”の所属になるのです。米国のワシントンタイムズとUPI通信社、中東のミドルイーストタイムズ、南米のティエンポス・デルムンド、韓国と日本の世界日報などの全ての言論機関も、今日からは“平和国連”の代弁言論(報道機関)となるのです。

 さらに、韓国の鮮文大学、米国のブリッジポート大学、リトルエンジェルス芸術学校、善正女子中学校などの様々な教育機関も“平和国連”の崇高な目的の為に指導者を養成する専門教育機関となります。スポーツ部分でも大韓民国最高の名門サッカーチームとなった一和天馬サッカー団はもちろん、ブラジルの有名プロサッカーチームとなったソロカバとセネも同一目的のために力を合わせるようになるのです。

 皆さん、レバレンド・ムーンには如何なる世俗的な未練もありません。16歳青年の年から天命に従って歩んできた80年余りの生涯でした。残る生涯も引き続き天命を実現するために、未練なく天の前に奉献していきます。“平和国連”を通して神の恨(ハン)を解いて差し上げ、真の愛を中心とした自由、平和、統一、幸福の地上・天上天国を必ずこの地上に創建してみせます。

 貴賓の皆さん、どうか今からでも心の窓を大きく開いて一心、一体、一念の精神で天の召命を受けて、真の父母の伝統に従って真の師、真の主人、真の父母の生活を実践躬行してくださるよう願います。その道が他ならぬ天と真の父母の代表(代身者)となる道であり、相続者となり得る道です。“平和王国”を創建する真の愛の道理であり、使命なのです。

 貴賓の皆さん、今日このように尊い天のみ言葉に接するようになった因縁を大切に心の奥深くに刻み込んで、今から新しい次元の生活を開拓していく皆さんの門出に天の大きな祝福を祈願する意味で、私の報告祈祷文を代読させて本大会を天の前に奉献しようと思います。

 ありがとうございました。

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平和国連創設・韓国本部大会 奉献祈祷文

文鮮明師 講演文

"

In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1


「平和国連創設・韓国本部大会 奉献祈祷文」

(03.10.15 平和国連創設韓国本部大会 リトルエンジェルス芸術会館、ソウル)


 愛する天のお父様!

 今日は2003年10月15日です。今年は歴史的な大転換の一年であり、蕩減歴史のあらゆることを清算し、解放の世界へと越えて行くべき時代が来たことを知っているので、焦るような心をもって数年間、身悶えした日々を回想しようと思います。

 今回、平和国連創設大会を開催するまで、以前からすでに世界平和宗教連合と世界平和連合の活動において、お父様がどれほど大きい苦労をされたかを知っております。

 進むべき道はただ一つの道であり、途中で妨げている多くの障壁を、天が常にともにあって私の全生涯を通してその障壁を全て壊し、み旨を成就し得るこの一日の勝利のしるしを持たせてくださったことを心から感謝申し上げます。

 愛する天のお父様!

 この宗教界の歴史の背後で、さまざまな習慣と風習の異なる環境を選り分けて歩んでくるためにどれほど苦労され、宗教人がその時代、時代の環境を開拓して峠を越えてくるまで、どれほど犠牲の代価を払わなければならなかったのかを直視しながら、これまで耐えてこられたお父様の心情を私たちが忘れてはなりません。

 さらに、キリスト教の歴史を中心として見るとき、ユダヤの歴史とともにキリスト教のためのすべての国の歴史がどれほど悲惨だったかということをよく知っており、多くの被害者たちを連結させて勝利の一時を見つめて歩みながら、恨(ハン)の心情を超えて苦難の道を克服し、キリスト教のあらゆる終末的な現象をお父様が収拾されました。

 第1次世界大戦を経て第2次対戦以降に、初めてこの地上に勝利的な一つの標準を立てて、数多くの人々を犠牲にさせながら探し立てた韓国を中心とするお父様のみ旨の終着的な結実を持とうとした事実もまた、知っています。

 統一教会と既成教会が一つとなって梨花女子大学と延世大学が反対せずに一つとなっていれば、この国、この民族がその時に解放の日を迎えていたにもかかわらず、そうできなかった歴史的な事実を、涙とともに私たちがその恨(ハン)の道を顧みながら、追い出された身の上を経てこられたお父様の心をもう一度、推しはかるようになりました。

 エデンから愛する子供たちを追い出さなければならない立場の神さまの胸が、どれほど痛かったのかという事実も知るようになりました。そんなお父様の心の後を追って、難しくても再び行かなければならない復帰の心情と復帰の路程を、私の生涯40余年を通して韓国の歴史4300年を代理しければならない涙ぐましい闘いに、限界線である韓半島を中心として世界のキリスト教を改めて再整備しなければならない悲痛で憤慨する事実となったことを知るようになりました。

 宗教が一つになれなかったために、代わって共産圏が地上で天の版図を継承するようになり、金日成が偽の再臨理想を持つ赤い王権をもって40年間この地を蹂躙した事実を今も悔い改められないでいるこの民族を、お父様、お許しください。

 しかし、これを再び蕩減復帰してお父様に捧げる責任が統一教会にあり、ここに真の父母の名前を持った二人の息子・娘が責任を持たなければならないという途方もない事実を前にして、昼夜を分かたず一心、一体、一念を捧げ、天の願いである解怨の一日を見つめながら、個人の蕩減復帰路程、家庭蕩減復帰路程、宗族的蕩減復帰路程、民族的蕩減復帰路程、国家的蕩減復帰路程、世界・天宙史的な蕩減路程をかけて、たった独りですべてのことを打開しなければならなかった過去のことを思い出します。

 お父様の恨(ハン)が今日まで残っていることを知って、悲しい歴史の絶頂と悲しみのその障壁がどれほどサタンが喜び嘲弄する障壁として残っており、受難の峠が残っていたのかを知った時、歯をくいしばり、昼夜の別なく、この道を歩むようにしてくださったお父様の激励と固く剛直な心を持って長く耐え忍び、倒れないで今日まで残ってきた事実は、天の保護と天の導きであり、天が私たちを育ててくださった恩賜であることを知っています。

 心に向かう宗教の世界、体に向かう政治分野に担当させて闘ってこられたこのすべての歴史的な悲運の事実を、今こそ清算しようと思います。一つの心と一つの体で実現できなかった統一の起源を再び探さなければならないように、現象世界でも終末的なこのあらゆる混乱の中で宗教圏と政治圏を中心として一体化し、統一的な一つの世界に越えていかなければなりません。

 お父様、あなたがそれほどまでに願われた本郷の地を失ってしまったために、本郷の地を探していかなければならない道はそれほどまでに険しく、それゆえに個人の蕩減として多くの犠牲者を出して、家庭の蕩減路程、宗族、民族、国家、世界的な蕩減路程、キリスト教を通して世界版図をつくるために多くの犠牲の代価を払うようになりました。

 その基台の上に勝利の一日を願ったことが、またもや真の父母が40余年の延長を通した十字架の道を再び遡ってこの恨(ハン)の峠を越えなければならなくなったのであり、人類始祖の失敗した全ての過ちをカバーして天の前に慰労として再び立てなければならないことを知っていたので忍耐してきました。ついに故郷に行く道を探し出すようになりました。

 以北(北朝鮮)から以南(韓国)に来た故郷を失った同胞たちの故郷を思う心がどれだけ切実かということを、故郷を失ったことがない人は分からないのです。今、神様の心情を改めて顧みる時、韓民族だけがあなたが思い焦がれた故郷の地を方向だけでも推しはかることができる心情的な基台の上に残してくださったことを感謝申し上げます。今や以北から来た1千万同胞も帰郷して天に侍り、天の前に新しい聖徒となって北朝鮮の地も天の全ての主導的な役割を行うことができる天の祖国に復帰しなければならない使命があることを知っています。

 現在、世界情勢はようやく私の目前に直視できる環境条件の中に入ってきました。世界が進む他の道はありません。共産世界や民主世界、宗教界や政治界のあらゆるところに道がありません。

 今、残されたものは真の神様と真の父母を仰ぎ見ることができる道であり、統一教会についていく道だけです。ここに天の伝統を備えて立てようという心をもって、この時間を設けました。お父様、祝福してくださいませ。

 人間の堕落の属性を抜け出せない立場で祝福家庭だという仮面を被っていても、天は悲しくさせたあらゆることをこの時間、全て蕩減できる時間として許してくださいますように。

 あらゆることを差し置いて天のためだけに、天にだけ従うことができる郷里に帰ってゆく道に、反対するものがどこにあり、惜しいものがどこにありましょうか。天が願い父母様が願う還故郷のその道を、心と体をもって競争しながら全てのものをその郷里に帰り、「私が帰ってきた」といって旗を立てて倒れることがあっても、先祖の前に、全人類の前に、一つの歴史に証拠のしるしを残し、伝統を残すんだという信念を持って進軍に進軍を誓うことができるこの時間となることを許してくださいますことを切実にお願い申し上げます。

 今やアベル圏の国連である平和国連をお父様の前に奉献いたしますので、この基準の上にお父様の経綸とともにカイン圏の国連と一つとなるようにしてくださり、南北統一と東西洋の統一が早く実現してすべてがお父様の家族となることができるよう、天地が動員して祝福してくださいますように。

 この時間、天宙天地真の父母の名前をもって行うあらゆることの勝利的な結果をお父様の前にお捧げ致しますので、受けとってくださるようお願い申し上げます。

 すべてのことに天の恵みと愛の経綸の中で、永遠に天の全権、全能、全体、全般の役事として、すべてのものを統治・主管してくださいませ。

 今後、未来の統一的勇士に従う全ての道を、お父様の前に誇らしくお捧げしようと思いますので、受けとってくださいませ。天地が共に見つめる中で喜んで受け取られたことを感謝申し上げながら、この全ての内容を天宙天地父母様の名前で万国統一世界に宣布致します。

 アーメン、アーメン、アーメン。

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